転生男子の自殺 (鹿島修一)
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転生男子の自殺

 

 

 僕は、不思議な体験をした。

 

 明確な意識を持って産まれて、明確な前世を覚えていた。産まれた瞬間、そう言えば昨日は昼飯食い忘れたとか思っていたけども重要な事は僕が一度死んでいるって事だった。

 

 なんで死んだんだろうか。最後に思い出せる記憶は頭上に輝く太陽を忌々しげに眺めていた事だろう。あの日は焼け付く様に熱い夏の午後2時くらいだったか。多分そうなんだろう、でも不自然に経歴が記憶からサッパリと消えていた。何処で産まれたか、親は、友は。そんな記憶だけが綺麗に消えていた。

 

 

 新しい父と母に挨拶。産声を上げた僕を愛おしそうに眺める母の姿を覚えている。

 

 

 僕が5歳の時だろう。母型の両親と会うために他県に赴いたのは。その時まで僕は何処にでもいる様な男子だった。外に出て遊び、時折出る本を欲しいと強請るような何処にでもいる男子だった。

 

「ゆうくんは物静かで大人しい子だねぇ」

 

 そう言って僕の事を撫でるお婆ちゃんの胸の辺りに4の数字が見えた。珍しいシャツの柄をしていると思いながら僕は大して気にも留めなかった。

 お婆ちゃんは僕に少しのお小遣いをくれると近所の知り合いがやっている小さな書店を訪ねた。

 

 書店の爺さんは優しく、僕くらいの歳の子供ならと少し厚い週刊誌を持ってきてくれたが丁重に断り。棚の中から気になった推理小説を持っていった。

 

「静江さんの孫は随分と難しい本を読むんだね。ワシも今度読んでみようかなぁ」

 

 驚いた様に笑い、優しく話題を合わせる様にしてくれた爺さんに僕は読んだ事のある小説を渡した。コレがオススメだと笑いながら勧めてみればありがとうと頭を撫でられた。

 

 書店の奥。カウンターの隣に小さい椅子を設けて貰った僕は其処に座って大人しく本を読み進める。お婆ちゃんと書店の爺さんはそんな僕を他所に世間話に花を咲かせていた。

 孫が可愛いという話。娘が最近逢いに来てはくれないと寂しげな書店の爺さんは孫と同じくらいの僕に構ってくれた。

 

 そんな静かな空間の中で気になるのはやはりお婆ちゃんのシャツの上に貼り付けられた4の数字だった。最初はプリントかとも思っていたけど、よく見ればプリントでは無かった。動いても皺が出来ずに腕で隠れてもその上に数字が置かれてしまえば僕でも分かる。

 

 その数字が何を表しているのか知ったのは4日後の事だった。

 

 

 実家から家に戻って2日経った日の事。お婆ちゃんの訃報が届いた。日が変わった瞬間に数字が3に変わったのを見て、漠然とした予感を感じ取っていたものの信じる事が出来ずにいた。

 なんでそんな物が見えたのか。そんな事は分からなかったけどその日から時折数字が見える様になっていた。

 

 町を歩くと稀に数字をくっつけて歩いている人がいる。その人が本当にその後死んでしまったのか分からないけど、僕は死という物が余りに身近にある事に少しだけ怖くなった。

 

 赤の他人なら僕は其処まで気にしないだろう。いや、気にしていてもその後本当に死んでいるのか分からないから変な罪悪感を持った事が無かった。もしもこの数字がある日親についていたら、友達についたら、そんな事を考えると不安だった。

 

 

 

 

 

 

 

「優!今日は何読んでんの!?」

「今日はね、紅桜って言う昔の日本を題材にした恋愛小説だよ」

「恋愛小説!どんなお話!?」

「忍者の少年と村娘の出会いを書いた作品。多分だけど、碌な終わり方はしないよ」

 

 僕には幼馴染がいる。

 

「由紀は朝練終わったの?」

「うん!今日は少しだけいい日になる気がする!」

「そう、それは良かった」

 

 坂井由紀。幼稚園からの付き合いで気が付けば仲良くなっていた。小学校も中学同じ、高校も一緒。年柄本を読んでいる僕と違って由紀は部活をやっている活発な少女。陸上部で選考は高跳び。今日も朝から活動していたのだろう。やや土の混ざった匂いがしていた。

 

 由紀とは正反対の僕は運動が好きではない。出来ない訳では無い、何をやるにしても一定のラインまでは成熟するがそれっきり。多分だけど熱心に練習なんかしないから上手くはならないでソコソコで終わってしまうんだろう。

 ただ前世から文字に触れるのが好きだったのだ。本を読めば知識が付く、必要かも分からない様な知識も覚える事が出来る。実践しろと言われれば出来ないかも知れないけど、僕が触れる事の出来ない所にある事を文字で伝えてくれる本が好きだ。

 

 

「ね、ねえ、今日の放課後時間が有ったらまた勉強教えて!」

「それはまた、唐突だね。ああそろそろテストが近いもんね」

 

 

 思い出せば後一週間もすればテストがある。僕は勉強は疎かにしないから平均点は取れるだろう。かれこれ80から下の点は取った事が無いのが少ない自慢でもあった。それもある種のズルをしている物だから人に言えるものでは無かった。

 

「今日の朝練が最後でテスト終わりまで部活無いからさ!大丈夫?」

「良いよ。何時も通りに世界史と国語だよね」

「えーっと、それと英語も追加で」

「うん、分かった。準備しておくよ」

「ありがとう!さっすが優等生!」

「優等生、なのかなぁ?」

 

 他人から優等生、なんて時々言われることがあるけども僕は優等生では無い。アドバンテージがあるのに学年トップになれないのがその証でもある。別に、何をしたいなんて事は余り考えた事も無いけど。今の点数だって良くしようと思えば良く出来る筈なのにしない。

 

 なんでだろう。僕が前世を覚えているのに懸命に出来ないのは。前世を覚えていれば必至に何かをしたいと考えるのはきっと当たり前の事かも知れない。性格を変えたいとか、彼女を作りたいとか、出来なかった事をやりたいとか。何か在るものなのに何も思いつかないのは、僕の身近に死が存在するからなのだろうか?

 

 いや、きっとそれは言い訳に過ぎないのだろう。僕には情熱が足りていないのだろう。

 

 

「優、優ってば!?」

「・・・どうしたの?」

「なんか急にボーッとしてたけど気分でも悪いの?保健室行く?」

 

 どうやら僕は考え事をしながら話すのは出来ない様だった。

 

「ううん、大丈夫だよ。少し考え事、由紀の事を少しだけ」

「えっ、私のこと!?それって」

「ほら、もうチャイム鳴るから。席に戻りなよ」

 

 時計を見せればスゴスゴと由紀は自分の席で教科書を出し始める。僕は別にあんまり話を聞く事はしないから放課後の事を考える。

 

 教師が室内に入ってくれば挨拶をして教科書を開いていく。科目は世界史。僕は世界史の授業はあんまり話を聞いていない事が多い。何せ黒板には丸々教科書を写しただけの内容が広がっているからだ。それなら教科書を音読した方がまだマシだろうに。

 まあ話を聞かないお陰で僕はしばしばテストの点数を逃す。何故ならこの教師は口頭で伝えるだけの内容を時折テストに載せる。それを黒板に書いて欲しいとも思うけど話を聞かない僕が悪い。

 

 

 何を教えてあげようか。何を教えようか。パラパラと今回のテスト範囲が書かれた教科書のページを流して行き、テストには必ず出る箇所には丸を、出る可能性があるものには三角を、出ないものはバツを。これだけしかやらないけども少しでも点数を上げたいなら確実に取れる場所で取った方が確実だ。

 実質的に言えば、僕は由紀に勉強を教えるのでは無くて。点数の取り方を教えるのだ。

 

「おい羽丘、話しを聞いているのか?」

「聴いてますよ」

「なら下ばかり見てないで少しは黒板を写せ」

「はい」

 

 多分、あの教師は僕を怒りたいだけなんだろう。本人は必死に教えてても、肝心な僕がやる気ない様に見えたのならそれは腹も立つ。悪い事をしている、そんな自覚はあるのに僕は態度を治さない。きっと僕はあの教師に嫌われている。

 教師だけではない。僕のクラス内カーストは低い。年柄読書している根暗な男を誰が好き好む事が出来ようか。高校生になると人気が出るのは何故だか金髪に染めたチャラい人。アレはチャラいとかが人気では無くて話していて面白いから好かれるんだろうなって事は分かる。根暗な男と陽気な男、取っ付き易いのは陽気な方だろう。僕もそう思う。

 対して普段大人しい人達はそれぞれ大人しいコミュを形成している。僕は全部から外れてしまったボッチって訳だけど、それも話題が合う人が居ないのだから仕方ない。僕も話題を合わせる努力をしていないのが悪いんだから。少しでもゲームをすれば良い、少しでも音楽を聴けば良い、少しでもスポーツに興味を示せば良い。改善策なんて考えたらキリが無いけど、僕は本が好きなのだから仕方ない。

 

 

 そんな事を考えていれば世界史の授業は終わっていた。当たり前の様に僕の目の前に開かれたノートには中途半端に文字が映るだけで黒板の文字を書き写せていない。

 

「内申点下げられたらどうしようか」

 

 ノートの提出で点数下げられたらどうするか。別に微々たる物なだけに気にしてはいないけど言葉に出てしまった。

 

 

 

 

 放課後になれば図書室で教科書を開く。

 何時もなら部活の声で賑わうグラウンドもテスト前には人の姿が見えない。

 

 何時もならジャージに着替える由紀も今は制服のままだ。

 

「それじゃあ世界史だけど」

「うん!」

「正直教える事は出来ないよ。暗記科目だから教科書とノート見る事だね。一応テストに出そうな所にチェック入れてあるから、ノートに分かりやすく纏める事。分からない事は聞いてね」

 

 世界史は本当に教える事が出来ない。何せ教科書に書いてあるんだから教える事が出来無い。

 僕の教科書のチェック入れてあるページを更に分かりやすい様にノートに纏める位な物だ。具体的には人名、年号、建造物等を強調する様にすれば良い。

 

 国語は恐らく古文だろう。それならば最初にやる事は単語と文法を復習すれば良い。英語も古文と同じだ。

 

 古文や英語なんかは文法が分からないってのが主になる筈。単純に単語が分からないならそっちを教えれば良いので簡単な物だ。

 

 

 そっちはノートに懇切丁寧に纏めてある。分からない所は直接聞いてくれれば答える事が出来る。僕と由紀の勉強はこんな物だ。僕が口頭で教える事は少なく、僕の纏めたノートや教科書を使う事が多い。それに口頭だと僕も纏めきれない事が多々ある。ならばと最初から見せる様なノートにしてある。

 これが意外と気を使う物なのだ。僕はノートに板書する時は何かを強調する事も無い、段を空けるなんて事もしていなかったのだが気を使う様になってからはついつい見やすい物を作る事に集中してしまう。

 

「優のノートは何時も見やすいね」

「そう作ってるからね」

「もしかして私の為だったりする?」

「意識してノート書くようになったのは由紀に見せる為だね」

「そ、そうなんだ。ありがとね」

 

 はにかむ由紀を見ると毎度疑問が湧いてくる事がある。

 僕は取っ付きにくい性格をしている事は自覚している、きっと僕と話をしていても楽しくないと思う。

 僕と比べるのは烏滸がましいけども由紀は元気な子だ。

 

 アレは夏の事だった。小学生の時自宅で本を読んでいた僕の手を無理矢理掴み取り、近所の夏祭りに行った時の事だった。あんまり反応の良くない僕を子供ながらに気遣いながら屋台を歩き回り、最後は大衆に紛れて夜空に打ち上げられた花火を眺めていたのを覚えている。その翌年も、更にその次も、中学になってもずっと由紀は僕の腕を掴んでは夏祭りを歩く。それが密かに楽しみになったのは何時だったか。

 

「ねえ」

「ん、なあに?」

「今年も夏祭りって行くの?」

「もしかして、嫌だった・・・?」

「由紀は浴衣は着ないのかなって、似合うと思うけど」

 

 思えば由紀が浴衣を着ている姿を見ていない。夏祭りが好きなら着ていても可笑しくはないのに。

 

「オッ、えっ、私じゃ似合わないと思うけど?」

「そうかなぁ。由紀は可愛いから似合うと思ったけど、本人が嫌なら良いかな」

「・・・優は、私の浴衣見たいの?」

 

 どう、なんだろうか。僕が見たいのか、それとも似合うから着てほしいのか。いや、何方も多分僕が見たいからなんだろう。

 

「そうだね。そんな由紀も見てみたいね」

「な、ならさ、今年は浴衣着て行くね。1人だと恥ずかしいから優も一緒に浴衣着よう、約束」

「うん、約束する。今年は浴衣を用意するよ」

「ほら、指切りしよ?」

 

 そう言って僕の目の前に小指を差し出してくる。それに合わせて僕も小指を差し出した。

 

『指切りげんまん、嘘ついたら針千本の〜ます』

 

「指切った!」

「指切った」

 

 

 小指が離れると、由紀は楽しそうに笑っていた。

 

 ああ、僕は多分こんな笑顔を見るのが好きなのかなぁ。

 

 どうなんだろう?

 

 でも先ずは─────

 

 

「じゃあ、テスト赤点取らない様にしないとね」

「うっ、まっかせて!」

 

 なんだか、とても楽しみだな。少しだけ口元が緩くなるのを自覚しながら、僕は手元の本に視線を戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつも通りに登校すると、珍しく由紀が机にノートを広げていた。真剣にノートを見て小首を傾げる姿に苦笑い。

 

 そんな姿にちょっかいかけるのも躊躇われたから僕は素直に席に着いて鞄から本を取り出す。今日はテスト日だった。

 

 テストは何の問題もなく終わった。悩む所も無かったので早く終わった僕は何も出来ずにいた。外を見る事も出来ず、本を開く事ができない。ふとバレない程度に由紀の様子を伺ってみるも顔は真剣そのもの。

 

 やる事も無いまま呆けていると、何か声が聞こえた。

 

『約束だよ?』

 

「───ィッ」

 

 懐かしい様な、最近聞いた様な声が一瞬だけ耳に残ると激しい頭痛に襲われる。こめかみを抑えれば直ぐに頭痛は無くなるけど、何か大切な忘れ物をしている様な気がしていた。

 

 ただ一瞬の幻覚の様な瞬間だったからか、気にしない様にしてその日を過ごした。

 

 

 その日の夜、僕は夢を見た。

 

 顔が見えない誰か、朧気な感覚だけを残して目が醒める。

 きっとテスト中の事が尾を引いていたのだと思い気にも止めなかった。

 

 

 

 翌日、気分は優れない。慢性的な頭痛に見舞われる様になっていた。しかしその頭痛もほんの一瞬だけ痛みが訪れると直ぐに引いていく。テスト中、珍しく消しゴムを落とした。

 

 

 また夢を見る。

 誰かが僕に手を伸ばす、微かに見えた視界は眩しくて頭上にはイライラする程にギラつく太陽が僕を見下ろしていた。

 

 

 テストが終わった。あと一週間学校に行けば晴れて夏休みだが、僕は未だに頭痛に悩まされている。

 

 

 頭痛を気取られない様に普段と同じ様に学校に行き、家に帰る。そんなルーチンワークを過ごしていた時の帰り道。

 

「ねえ、最近何かあった?」

 

 唐突に由紀が僕の心配をして来た。

 

「あんまり変わらないよ」

「でも読書するペースも遅いし、時々顔が歪んでたよ?」

「よく見てるね。ちょっと慢性的な頭痛がしてね、少し疲れてるのかも知れない」

「そうだったんだ。でも明日の終業式で夏休みだから、ゆっくり休めるね!」

「うん。取り敢えず一日中家でゆっくりする事にしてるよ」

 

 慢性的な頭痛。それに合わせた様に毎晩夢を見ている。靄がかかった様に繊細さの無い夢は何処か僕を不安にさせていた。

 

「優、また明日!」

「うん、明日」

 

 

 

 今日は鮮明な夢を見ている。

 

 頭上に輝く太陽、全身が熱いのに少しずつ冷たくなっていく様な感覚。

 それに、まるでアスファルトに打ち付けられた魚の様な気分だ。息が出来ない、身体中が熱い、激しくもがく様はまるで魚の様だった。

 

 そしてその夢が何故か他人事には思えなくて、冷たくなる感覚に怖くなる。

 

 身体が冷えている。なのに頭上には今もギラギラと太陽が輝く。寒い、寒い、熱いのに・・・寒い。

 

 

 

「───っあ?」

 

 目が覚めた。身体からは嫌な汗が出ていてシャツは汗でぐしょ濡れになっていた。汗を流す為に洗面所に向かえば自分でも分かるほどに顔色が悪かった。

 過去に熱が出た時よりも悪い。

 

 母に心配されながらも学校に向かい、椅子に座る。ただ、今日は本を読む気分では無く机に頬を押し付けてグッタリしていた。

 

「あれ?優が本読んでない」

 

 登校してきた由紀は僕の事を見るなりそんな事を疑問に感じていた。

 

「僕だって本を読まない時くらいあるよ」

「でも入学以来朝のHR前は毎日だったのに」

 

 そんなに読んでいたなんて僕も気がつかなかった。そう言えばと思い出すのは何時もこの時間は椅子に座り本を読む自分の姿だった。

 

「今朝、嫌な夢を見たんだ。だからかな、余り調子が出ないんだ」

 

 夢はまだ鮮明に脳裏にこびり付き、夢の中の出来事を思い出させる。

 

「本当に大丈夫?」

「大丈夫だよ。時々夢って嫌に残る時があるでしょ、そんな感じ」

「優がそう言うなら良いけど、ダメなら言ってね。力になるよ」

「うん、ありがとう」

 

 

 会話はそれっきり。教師が部屋に入ってくれば体育館に集まり、無駄に長い校長の話を聞かされる。我が校の生徒である自覚やら、羽目を外して問題を起こすなとか、気がつけば校長の子供の頃の話まで。

 

 うんざりする程に無駄な話。只でさえ暑い時期にこんな所に密集すれば汗も頬を伝ってくる。現に何人かは既に汗で額に髪がくっ付いてる生徒もいた。

 

 であるからにして、から始まる無駄に長い時間を掛けた殆ど無意味になる話。何が無意味かって生徒が聞き流していて聞いてないなら話す言葉は何も頭には入ってこないからだ。僕は校長の話を一ミリも覚えてはいなかった。

 

 

 長い話が終われば各教室に戻る。担任も幾ばくかイラついていたのか帰りのSHRは短く終わった。その瞬間教室には賑やかさが溢れた。

 夏休みの予定は、これから何処に行く、バイト面倒い、なんて言葉が引っ切り無しに飛び交ってゆく。僕はただボーッとそんな光景を見ている、何故だろう。僕は今途轍もない不安に襲われていた。

 

 帰り仕度はしたのに脚が踏み出せない。まるで本能がまだ行くなと囁いているかの様に。

 

 カチリ、カチリ。嫌に備え付けの時計が奏でる秒針の音が耳に残る。何かあるのか、いや何も無いはず。

 

 カチリ、カチリ。秒針が進む。10を通り越して、秒針が12に重なる。瞬間、校内にはチャイムが鳴り響いた。

 

 荘厳では無く、何時もと変わらないチャイムの音。午後2時を表す秒針と目が合うと僕は胸を締め付けられる。

 

 

 

 キーン───

 

 何か、何か思い出せそうだ。

 

 コーン───

 

 頭が痛み、目から涙が流れた。

 

 カーン───

 

 震える身体、重心が定まらず後ろに傾いてゆく。

 

 コーン───────

 

『ねえ、約束だよ?』

 チャイムの最期の音。いつか聞いた誰かの声。僕に向かって駆け寄る彼女の胸に、薄っすらと6の数字が浮き出たのが、僕には見えた。

 

 

 ──ああ、アレは僕が死んだ時の夢だったのか。

 

 

 そして僕は毎晩の様に見た夢の内容を鮮明に思い出した。

 

 

 

 

 

─────────────────

 

 

 

 僕が意識を取り戻したのは何処かの病室での事だった。

 

 倒れた理由は熱中症と脱水によるものと診断された。今日一日、左腕に点滴をぶっ刺して眠り。翌日には検査と退院。

 

 親に心配を掛けてしまった。だが、僕の身体とか親の心配だとかそれ以上に、お見舞いに来た由紀の身体に浮かび上がる5の数字だ。

 何が原因か分からず。思わず由紀の身体の心配をしたが逆に僕の身体を心配された。それはそうだろう、一日入院していた人に身体を心配されては堪らない。

 

 しかし、それを聞いたお陰で僕は確信した。由紀は病死はしないと。確証を持つ事は出来ない。そしてそれを立証する事も。ただ、僕の奥底の記憶がそれはあり得ないと答えを出していた。

 

 

 なら、ならだ。一体由紀の死因となる物は何なのだろう。それも、確信をもって言う事が出来てしまう。

 

 由紀の死因は事故死によるもの。僕が見た夢、或いは前世の情景。僕の死因は由紀を庇った事による事故死だからだ。ならなんで由紀の身体に死期が浮かび上がって、僕には浮かばないのか。

 

 この数字は鏡にも映る。或いはただ単に僕の死期は見る事が出来ないのか。

 

 

 こうやって色々と考えて、一体僕はどうしたいんだろうか。由紀には死んでもらいたくは無い、それは当たり前だ。僕は、由紀が好きなんだから。前世も今も、こんな僕と居てくれるのは彼女くらいだ。僕が彼女を好きなのは単に構ってくれるからなのかも知れない、でも前世の僕は少なくとも由紀の代わりに死んでも良いと思えるほどに彼女が大好きだった。

 

 

 でも、今は死が怖い。

 思い出した記憶は、由紀を守れた達成感よりも。死の恐怖が強かった。

 

 まるで沼に沈んで行く様にユックリと、まるで身体から僕が抜け出していく様に力が抜けて行く感覚。熱いのに寒い矛盾と、肺に響く激痛。

 

 前世の僕は、死の恐怖を知らない。

 今の僕は、死の恐怖がとても怖い。

 

 

 考えている内に夜が明けていた。数字は4。

 

 

 僕は、由紀を助けたい。でもそれ以上に怖い。

 何もやる気が起きない、夜は明けていた。数字は3。

 

 今日も僕はベッドの上で転がっていた。焦るのは思考だけで身体が固まった様に動いてはくれない。夜は明けていた。数字は2に変わった。

 

 

 迷って、迷って、僕は重たい身体を動かして携帯を手に取った。

 

 電話帳には『由紀』が映り込む。指は画面をタップしていた。

 

『〜〜〜♪〜〜ー♪』

 

 耳に流れる何処かで聞いたメロディーが回る度に僕の心臓は鼓動を上げる。

 

『優からなんて珍しいね、どうしたの?』

 

 なんて話せば良いんだ。君が明日死ぬ、なんて馬鹿な事は言えない。

 

『・・・どうしたの、大丈夫?』

 

 由紀が僕の様子がおかしいと気づかれない様に、一度だけ息を吐いた。

 

「ああ、ごめん。由紀って明日空いてたりするかな?」

『明日は空いてるよ。何処か行くの?』

「この間の、約束。浴衣を買いに行くのを手伝って欲しくて。あんまり浴衣に詳しく無いから、由紀に選んで欲しいなって」

『うん良いよ!何時から行こうか!?』

 

 凄く楽しそうな声だった。明るく無邪気に、電話越しにでも伝わる程喜色の篭った声が僕の胸を締め付ける。

 

「じゃあ、11時位に駅前にしよう」

『うん!明日、待ってるから!』

「あっ。ちょ───」

 

 余程嬉しかったのか電話は途絶えてしまった。耳元ではツー、ツー、と鳴り続ける端末に少しの溜息。

 

「ああ、本当に楽しみだよ」

 

 あれ程までに曇っていた心には少しの日射しが注がれていた。泣いても笑っても明日の午後2時、僕の心はまだ決まっていなかった。

 

 

 

 

 翌日、僕の心はまだ決まらない。約束の時間と別れの時間が刻一刻と迫る中で僕は行動を開始した。

 特に決めるわけでもなく服を見繕い家を出る。

 

 

 約束の時間である11時まで後30分。早く着いた僕は駅前のベンチに腰を掛けて街を眺める。

 何も変わらない街並みがもしかすればもう二度と見れないかも知れないと思うと感慨深くなってくるもの、或いは明日の街並みはここまで色鮮やかでは無いのかも知れない。

 

 ふとした拍子に、視線が一箇所に吸い込まれた。犬の散歩をしているお爺さんの姿。それと数字が目に入る。

 

 浮かび上がる数字は4。それから目を逸らしてしまうのは僕の近くに死が歩み寄ってきたからか。

 

 

「おっまたせ!待った?」

 

 僕の肩に手が置かれる。振り返れば其処には由紀が笑顔で立っていた。

 

「いいや、そこまで待ってないよ。それじゃあ行こうか」

 

 ベンチから腰を上げる。視線の先にはもうお爺さんの姿は見えなかった。

 

 

 向かった場所は地元から二駅離れたデパート。8階建てのデパートの中にはアクセサリーから服、電気屋に本屋。少なくとも見て回って暇になる事は無いだろう店構えをした一般的な建物だった。

 

 この時期になると服屋の一角には浴衣が飾られたスペースが出来上がり何人かの男女の姿も見える。

 

「浴衣って、どんなのが似合うかな?」

「優なら少し落ち着いた色が良いと思うよ!この緑っぽいのは似合いそう!」

 

 由紀がオススメしてくれたのは緑を暗くした色で、余り明るい色を好まない僕としても安心できる配色だった。

 

「じゃあコレにするね」

「えっ、そんな直ぐに決めて良かったの!?」

「うん。由紀が僕に似合うって言うんなら間違いないでしょ?」

「それは、その、どういたしまして?」

 

 何かもう少し悩めば良かったと唸る由紀の手を引きながら会計の後に試着して裾直しをお願いした。

 

「これで僕の買い物は終わり。一緒に何処か見に行こうか」

 

 今日一日も無い。後ほんの数時間を思い出に残す為に僕は由紀の手を引いて歩き出す。腕時計は12時を指す、後ほんの2時間だけ。僕の命か由紀の命か、何方かが途絶えるまでの僅かな思い出。葛藤はある、後悔もきっとある、でも遣り残しだけは無しにしたい。そんな終活。迷いは依然としてあるまま、でも心は、ずっと前から決まっていたのだ。

 

 

「夏祭りの前にプールとか海も行きたいよね!」

「じゃあ水着も買いに行こう。由紀の分も含めてね」

「な、なんか今日の優は強引だね」

「それだけ楽しみなんだ」

「なら、良いのかな?」

 

 

 僕の心は前世から変わる事は無かった。死への恐怖は少しだけ心を曇らせたけども、あの日、あの瞬間の決意に変わりは無い。何故なら、隣で笑う彼女の為ならこの命は惜しくも無いのだから。そうだ、そうだった。もう一度生まれ変わっても、僕の命はあの瞬間に尽きている。このもう一度は不本意な物だったのかも知れない。

 

「ど、どうかな?」

「由紀に似合うよ。でもこっちのパーカーも一緒に買おうか」

「なんで!?」

「他の人に見て欲しくないから」

「あにょ、ありがとう」

 

 確かに怖かった。苦しかった。痛かった。泣きたかった。でも僕は最期の瞬間に後悔は無かった。寧ろ満足していた。僕の命で彼女の命を代用出来るなら、僕はこの選択に迷いはしない筈だろう。

 

 だからきっと。この僕が後何回生まれ変わろうともこの気持ちに迷いはない。僕はその為に生きてきたんだから。

 

 

 だから始めようか。僕の自殺を───。

 

 

「優、ありがとう」

「どうしたの?」

「ほら、浴衣の約束」

「僕は約束は守るからね」

 

 午後一時55分。すっかり夢中になった僕達は漸くお腹が減っている事に気がついてこれからレストランに行く事にした。デパートを出て、道を行く。

 

「他にも。今日の優は少し変だったけど、凄い楽しかった」

「大丈夫、ご飯を食ったらまた何かを見に行こうよ。それに今日だけじゃない、また今度、今度は少しだけ遠出しても良いかも知れない」

「じゃあ、また明日もだね!今度は映画とか見たいな!」

「うん、また明日もね」

 

「『ねえ、約束だよ?』」

 

 

 あの言葉が重なった。

 僕の目の前を幻が歩いている。

 楽しそうに笑う彼女と余り変わらない表情で笑っている僕。時計を見れば長針が12に重なりそうだった。

 

 ああ、此処が終点なのか。

 

 幻と現実の僕達が重なると同時に、信号が青に変わった。手を引く事も出来たけど、漠然と大惨事の予感がして辞めた。

 僕達は横断歩道に足を踏み入れた。

 

 

「うん

 

 

 彼女は気がついていない。丁度彼女の視界の外、僕が見る方から一台のトラックが走って来るのを。良く見れば居眠りこいているのが見えた。

 

 

────約束するよ」

 

 

 笑顔で彼女を突き飛ばした。驚いた様な顔が可愛くて、もう見れない笑顔が愛しくて、こんな僕の事で泣いてくれる彼女が大切です。

 

 

 

「いっ、いやあぁぁぁああああああああああああっっ!!」

 

 

 

 夏の日差しの中を劈く悲鳴が木霊した。

 

 

 流れた視界には一杯の赤い色が広がる。頭を打ち付けたのかも知れない、真っ赤な命が流れていく。

 一瞬だけ感じた凄まじい痛みは既に無くなっていて、残るのはジンジンと響く様な痛みだけだった。だけど身動きは取れない、身体中が悲鳴をあげるのが分かった。

 

「優っ!ゆうっ!?」

 

 彼女の声が耳に優しい。声を出そうにも出るのは呻き声だけ。

 

「救急車、救急車!!」

 

 彼女が誰かに向けて必死に叫んでいる。彼女なのか、分からない。赤いし、視覚一杯に広がる太陽の光で何も見えない。

 ああ、この煩わしい太陽が少しでも控えてくれたならば僕はもう一度しっかりと彼女の顔を見る事が出来たのに。

 

 それと、身体が寒い。いや熱いのだろうか。アスファルトが地肌を焼く様な感覚が鈍く襲い掛かるのに、頭の上がフワフワする様な気がして眠気と寒気が襲ってくる。

 

 

 イラつく程にギラギラとした太陽が僕の頭上に輝く。視界が赤白く染まって目を閉じても変わらない。

 

「めーあけ──」

 

 ああ、眠い。こんなに満足して眠れるのは二度目だろう。今の僕が願う事は、どうか三度目は訪れないでくださいって事だろう。

 

 

 じゃあ、おやすみ。

 

 

 

 

────────────

 

 

 

 

 僕は何処かに立っていた。

 目の前には柵とその奥には一つの高い席がある。まるで何処かの裁判所みたいな所。

 

「ふーむ、羽丘優。また珍しい事例の要求書が来たと思えば、運命が変わってしまったからか」

 

「・・・・・」

 

 僕の口から声は出ない。いやそもそも口が無い。まるで人魂の様な自分がいるだけ。

 

「聞いてるか分からんが、人魂だしな。では、地獄判決。汝、羽丘優は坂井由紀の運命を先延ばしにする事に成功した。特殊項目事例に則り、汝は試練が与えられた者とする」

 

 試練なんて何かあったのかだろうか?

 

「汝の魂の一部を浄化し同世界、同時間軸への転生対応。克服するべきは死への恐怖。汝は一度目には無かった明確な死の記憶を思い出し、恐怖しながらも自らの命を差し出し坂井由紀の運命を先延ばしにした。よって試練は乗り越えた物と判定を下す」

 

 だからあんなにも中途半端な記憶だったんだ。

 

「坂井由紀の死期は無かった物としよう。そして汝、羽丘優の勇ある決断と行動により命は絶える事になるのだが。本来汝の死期はこの時では無い物だ。特殊項目事例の発動を承認、汝は現世戻りの刑に処す」

 

 ガンガン。何やら乱雑に小さなハンマーで机を叩くと僕の人魂に翼が生えた。

 

「命を粗末にするのは許さないが、大目に見よう。汝は現世に戻り隣人に叱られると良い。では、次は今度こそ死期が全うされた時に会おう」

 

 

 

────────────────

 

 

 

 ─ォォン。ドォォン。

 

 鼓膜を叩く様に音が聞こえ始めた。

 

 久し振りに目が覚めた様に身体が怠く、瞼の上からでも届く色鮮やかな光は一体何なんだろう。

 

 漸く目を開くとどうも最近見た様な天井が見えた。

 

 

「・・・ああ、花火か」

 

 丁度病室からと見える位置に花火が上がり消えて行く。身体を動かしたくて身動ぎしてみるけど動けない。よく見ると左脚は吊るされていて、同じ様に左腕も吊るされていた。他にも包帯や薬の臭いが染み付いている。

 

 動きたくても動かず、やがて動くのを諦めて僕は打ち上がる花火を眺める事にした。

 

 

 静かな病室に響いてくる轟音と振動が心地よくて、色取り取りの花が咲いては消えて行く、何処と無く儚く散って行く花達は美しい。何時迄も眺める事が出来そうだった。

 

 

「優?起きてる・・・訳無いよね」

 

 ドアの外から聞こえてきた寂しそうな音色、聞き慣れた音には覇気が無くなっているのが分かった。

 

「起きてるよ」

 

 だから、僕は何時も通りに答える。帰ってきた世界、帰って来た日常。

 

 僕の声が聞こえたのか慌てた様に引かれた扉の奥には泣きそうな由紀の顔と、小さく握られた花束があった。

 

 そして、見えたはずの数字は綺麗さっぱりと無くなっていた。

 

 パサリと床に落ちた花束と、覚束ない足取りで僕の近くに歩み寄る彼女。

 

「ほ、本当に起きてる?幻とかじゃないよね?」

 

 寝ている僕の体に手を当てた彼女の指に自分の手を置くと、ピクリと彼女の指は震え始める。

 

「ごめん、約束守れなかったね」

「・・・ばがぁ!やぐぞぐ、なんでどうでもいいのぉ!ゆうが、いぎでて、よかったぁ!」

 

 泣いて、上ずる彼女の声に当てられたのか気がつけば僕の瞳も潤んでいた。

 

 

 

 

 

 

 落ち着いた彼女に手を添えられながら、僕達は果たされなかった約束を埋める様に新しい約束を生み出す。

 

 海に行けなかったなら、冬の海も良いかもと。

 

 見れなかった映画は、今度一緒に遊びに行くことを。

 

 着れなかった浴衣は、来年こそは一緒に花火を見上げると。

 

 そして、これからもずっと傍にいる事を。僕は誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、コレが冬に海に行ったお父さんの写真?」

「そうだよ。その時は雪が降っててね、とても寒かったんだ」

「浴衣の写真は!?」

「それはコッチの奴だね」

 

 小さな手に挟まれた写真には、和かな笑う女の子と不器用に笑う男の子の姿が写っていた。

 

 暗い緑の浴衣の男の子とオレンジの鮮やかな浴衣を着た女の子が仲良く手を握り合っている写真があった。

 

 

「優!結衣!ご飯冷めちゃうよ!」

 

「じゃあ、リビングに行こうか」

 

 そう言って見た先には既に結衣の姿は見えなかった。

 

「お母さーん!私浴衣が欲しいー!」

 

 リビングから聞こえたお強請りに苦笑すると僕は落としていた腰を上げて、リビングに向かった。

 

 

 

 

 何処かの病室、外の空には色取り取りの花が咲いていた。

 

「由紀。あの日に言えなかった事があるんだ」

「・・・うん」

 

 泣き腫らした顔を隠す様に俯く少女は静かに男の子の言葉を待つ。

 

「僕、由紀の事が大好きだ。愛してるって言っても良い程に」

「・・・うぇっ!?あ、あのわた、私もっ!」

 

 唐突な告白にわたわたと腕を振る少女は少し息を吐いて、顔を上げた。小さく縮こまる様に、頬を朱色に染めながら。

 

「あの、私も優の事大好きだよぉ!」

 

 恥ずかしくなったのか小さく叫ぶ様に吐き出した言葉で目を閉じて、恐る恐ると目を開けた。

 

「僕は、なんて幸せ者なんだろうっ」

 

 少女は男の子が泣いているのを初めて見た。こんな顔で泣いて、こんな幸せそうに泣くのを見て、少女も泣きながら、今度は笑顔を作った。

 

 



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