名も無き星の物語 (水晶水)
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第一章 -魔の再来-
Prologue -始まりの予兆-


 故あって、十年以上前に作ってた一次創作作品を、自己リメイクすることにしました。読んでくださればありがたいです。


「何だか、風が騒がしいわね」

 

 開かれた窓から夜空を覗き、その身に晒される風を浴びて、少女は独り口を開いた。豪華な調度品で彩られた、広すぎるほどに広い部屋に、彼女以外の人間の姿は無く、静寂の中にその鈴が鳴るような声は溶けていく。

 

「そうは思わない? アストライア」

『うんうん、アダーラちゃんも感じてるみたいね』

 

 しかし、誰もいないはずの空間に少女──アダーラが語りかけると、虚空に響くように、快活な女性の声が空気を震わせた。幾分かアダーラよりも幼さを感じさせる声は、彼女の言葉に肯定の意を示す。

 

「最近、鉱山や森の方では野生動物が凶暴化していると聞くし……」

 

 街を歩けば十人中十人が振り返る美貌に陰を落として、アダーラは自身の住まう地で起きる、ある種の前兆のようなものに対して、ぽつりと不安を零した。そんな彼女が思い出すのは、己が父より聞いている、領民からの嘆願書の内容である。

 聞けば、凶暴化した獣が人里へと降り、民草を襲うということが度々起きているとのことだ。領民からの信頼も厚く、また、自らも領民を想い、力を研ぎ澄まさせてきたアダーラとしては、──勿論、領主たる彼女の父も同様に──そのことに心を痛めるのも必然であった。

 

「これって、やっぱり……」

『……可能性は高いと思う』

 

 それに重ねて、アダーラとアストライアには更に不安を感じる要因があった。原生生物の凶暴化。その根源的な原因について心当たりがあるからだ。十数年来の付き合いである二人──否、一人と一柱は、先程までの声色を潜めて、最低限の意味を込めた短い言葉で通じ合う。

 

『アダーラちゃん……』

「大丈夫。ずっと前から、覚悟はちゃんと決めてるから」

 

 気遣うようなアストライアの声に被せて、アダーラは強く宣言した。まるで自分にも言い聞かせるような声色で、彼女は自身に課せられた宿命に対する覚悟を見せる。

 それは一族に課せられた宿命。かつて神より授かりし、無双の力を得た代償だ。

 

「魔族がまた人界(ヒュノム)に侵攻してくるなら……私が必ず食い止めてみせる」

 

 揺らぐ蒼玉(サファイア)で天を見上げ、アダーラは拳を握りしめる。硬く結ばれたそれからは、美しき蒼炎が揺らめいていた。

 

 此より綴られるは、名も無き星に産まれた戦士たちの物語。神の名代として神の炎を振るい、人の世を蝕まんとする魔を祓う者たちの物語だ。

 この星に存在する三つの世界を巻き込んだ闘争が、今この瞬間、徐に幕を上げた。




【ColumnI】-三界大戦-
 千年以上前に起きた、世界最大規模の戦争のこと。大戦中の五年という期間で、多くの逸話が生まれ、多くの者が散っていった。
 中でも有名なのは、“神憑き”の一族の話で、これは今でも多くの人々に愛される御伽噺になっている。


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A.聖地ホーリディア

 このあたりはまだ記憶にあるけど、もう展開が変わった。


「おい坊主! そろそろ着くぞ!」

「ん……おぉ、アレが例の」

 

 雲一つ見当たらない空の下、ガレオン船から身を乗り出している青年が一人。目鼻立ちは整い、まだ幼さを少しばかり残しつつも、既に大人の仲間入りを果たしている彼は、波立ち、蒼海が船底を叩く音に耳を傾けていると、自らを呼ぶ野太い声に反応して、徐にその声の方へと顔を向ける。

 そうすると、船首から顔を覗かせる大きな島を視界に捉え、青年は惚けていた顔に楽し気な色を乗せた。長い長い船旅も終わりの時が近い。

 

 

 

 

 

 貿易船が寄港し、青年は木製のタラップが架けられた船から港へ降りる。未だに足元が揺れているような感覚に襲われつつも、一つ、気持ちを入れ替えるように、大きく伸びをしながら深呼吸をした。

 

「此処がホーリディアか……」

「そう、此処こそが聖地ホーリディアさ」

 

 そんな青年に、これから大いに役目を果たすであろう大荷物を背負った男が話しかける。彼はここまで青年と同行してきた大陸の商人で、独り言を拾うように繋げられた言葉は、青年も此処に来るまでに幾度も耳にしたものだった。

 

「なるほど、言うだけのことはあるな」

 

 事前知識と照らし合わせるように、青年はきょろきょろと人が溢れ返る港を見回す。海の方へと目を向ければ、自分たちが乗ってきた船と同じ規模のものがずらりと立ち並ぶ、壮観な風景に感嘆の息を漏らした。今も船の側で積み荷を降ろす船員や、声を張り上げる漁師の姿を、其処彼処で見ることができる。

 当然、それだけではなく、青年のような身軽な旅人や、青年の側に立っているような商人、華美な衣装で身を包んだ貴族やその付き人など、そこには様々な人間の姿が見受けられた。忙しなく交わる人波は、この街の活気を象徴付けるものだ。

 

「さて、じゃあ俺はもう行くぜ」

「あぁ、ここまで助かったよ」

 

 青年の観察が終わるタイミングを見計らって、商人の男は一声かけてからその場を立ち去っていった。その気分は軽い足取りに表れていて、数秒もしない内に雑踏の中の一人へと消えていく。それを見送ってから、青年は今一度街の方へと目を向けた。

 

「聖地、ねぇ……」

 

 ホーリディア(此処)へと案内してもらう代わりに、道中護衛をしていた商人とも別れ、再び一人となった青年──ムリフェインは遠くに見える市壁をぼんやりと眺めながら、言葉を空気に溶かしていく。そこの込められていたのは長き旅路の末に目的地に辿り着けた達成感か、或いは、幾度も耳にした聖地という言葉に対する疑問か。

 

 ホーリディアとは、大陸に首都を置くリヴェラ王国が領土とする絶海の孤島のことだ。本来であれば、人が住み着き、斯様に、それこそ王都と遜色ないほどに発展するような立地ではないものの、様々な要因によって発展を遂げていた。

 まず第一に、この地でしか採れず、なおかつ、非常に有用性が高い鉱物──メテオライトが採掘されていることが挙げられる。それを精錬したものは強度と加工性において、他の金属よりも遥かに優れた金属となり、それを用いて作られた武具は武人のみならず、菟集家(コレクター)からの人気も根強い。他にも、大陸とは異なる特殊な土地柄故に、王国では見られない珍しい物が多く産出されているのもあって、ホーリディアは王国きっての貿易都市として発展してきたのである。

 

「おっと」

 

 馬が嘶く音を聞き、ムリフェインは慌てて道の真ん中から飛び退く。間もなくして通るのは、肌の白い偉丈夫たちを乗せた馬車の大行列だ。早朝と夕暮れ時に見られる、この街においてはもはや風物詩と化した光景であるが、その多さにムリフェインは思わず足を止めてそれらを眺める。

 

 ホーリディア発展の第二の理由として挙げられるのは、大量の需要を擁するメテオライトの採掘を担う、彼ら鉱夫の存在だ。現状、大陸での需要に供給が追いつき切れていないメテオライトの生産は、大部分が本国から出稼ぎに来た者たちによって賄われている。そして、元はホーリディアの人口の少なくない割合を占める彼らのために、娯楽場となる酒場や賭博場などが建てられていたが、それらが形成する歓楽街や、避暑地として適性が高い土地柄が、観光資源として大いに役割を果たすこととなっていた。

 更に、人が集まるということは、商売もそれに比例して盛んになるわけで、とにかく、此処ホーリディアでは、その規模に対して動くお金の量が極めて多いというわけだ。富を求める者にとっての聖地。それが今日におけるホーリディアの在り方でもある。

 

「おや……?」

 

 馬車の行列を見送ってから、街の中心たる広場の方へとムリフェインは視線を移す。すると、そこに見えたのは自然に形成されたとは思えない人垣だ。遠目に見えるそれに彼の視線は自然と誘導され、一先ず何も情報がない彼はそこへと真っ直ぐに歩を進めた。

 

「なぁ、アレは何だ?」

「ん? 何だお前さん、アダーラ様を知らないのか」

 

 慣れた様子で人集りの中へと視線を送る男に、ムリフェインは適当に当たりを付けて話しかける。すると、彼らが見ているものはホーリディアでは余程有名なのか、思わずといった驚愕を顔に貼り付けながら、男はムリフェインへと視線を送った。

 

「先程着いたばかりでな。教えてくれると有難い」

「なるほど、その格好からすると旅人ってとこか。本土から来たのか?」

「あぁ、そんなところだ」

 

 気の良い男は、素直な態度のムリフェインと心の距離を縮めて、笑いながら会話を始める。その顔には、新参者に丁寧にレクチャーしてやろうという古参者の気配を滲ませていた。

 

「まず、ホーリディアがどういう所かは流石に知ってるよな?」

「伝聞で耳に入る程度には、だな。珍しい鉱石が採れるとか、それで貿易をしてるとか。観光地だとも聞いている」

「まぁ、小難しい話はいいんだよ」

 

 いいのか、とは口に出さずに、ムリフェインは自分よりも背が高い男に視線を送る。逆立つ赤髪を携えた男は、それを受けて、気まずそうな顔を一瞬浮かべた。何となく生きている彼は、自分が思っていた以上に情報を持っていたムリフェインに、そういう方面でマウントを取るのは止めたようだ。

 

「とにかく、あの方はホーリディアを治めておられるエトワール公爵の一人娘、アダーラ=エトワール様だ」

「アダーラ様、か」

 

 旗色が悪くなったのを感じ、男はすぐに人垣の向こうで走る馬車の中に佇むアダーラへと話題を移していく。それを聞いて、ムリフェインはその名を自分の中で咀嚼するように、ゆっくりと復唱した。

 

 ──ということは、あの方が。

 

「麗しい見た目はもちろん、身分に驕らず俺たち平民にも分け隔てなく接してくださる優しいお方で……」

「助かった、礼を言う」

「っておい、何処行くんだ?」

 

 必要な情報は得たとばかりに、ムリフェインは無理矢理に話を切り上げて歩みを再開させる。実際、旅の第一の目的はすぐそこで果たせそうなのだ。本人と接触をする以上、他の者の評価よりも自分が見たもので判断する性格のムリフェインが、自慢気に話を続ける男に構う理由はもう無かった。自分から話しかけておいて酷い話ではあるが。

 

 最後になるが、ホーリディアが発展した第三の理由は、此処が“伝説の地”と呼ばれていることに起因する。というのも、古の時代に勃発した世界を越えた戦争。大人のみならず、子供でさえも誰もが知っている、今となっては御伽噺も同然な出来事の終着点がホーリディア(此処)なのだ。聖地という名の由来も、元々はこの伝説が基になっていた。

 しかし、それは決して御伽噺などではなく、事実としてホーリディアの最奥地には魔界(ヘルグラード)への扉が封印されている。エトワール家が公爵という王族に次ぐ地位に就きながらも、このような僻地にも等しかった島の統治を代々任されているのは、彼らがその扉の封印、管理を行っているからだ。逆に言えば、万が一が起きた場合に確実に最前線と化すこの地を任せる以上、王国としてもエトワール家に便宜を図らざるを得なかったということでもあるが。本来であれば植民地のような扱いを受けていたであろう地で、斯様に自由な発展を遂げている理由は主にそこに存在していた。

 更に言えば、統治を行っているエトワール家の者が極めて善性の家系であることも、ホーリディア発展に一役買ったと言えるかもしれない。先ほどの男も口にしていたが、公爵家という身分に驕らず、民の目線で民のことを想える人間であるからこそ、ホーリディアの領民たちは領主であるエトワールの血筋に全幅とも言える信頼を寄せている。エトワール家(統治者)その領民(被統治者)、双方が互いのためを思い合うことで成り立つこの地は、少なくとも王国内では貴族制が根強いこの時代において、かなりの程度特殊であった。

 

 ──屋敷は多分アレだろうし……先に従伯父上(おじうえ)に挨拶しておくか。

 

 一度アダーラに視線を送ってから、ムリフェインは人口密集地から離れていく。この状況では声もかけ辛い上、目立ってしまうことを避けたからだ。代わりに目指すのは遠目からでも目立つ、ここら一帯で一番大きな建物。即ち、エトワール公爵家本邸である。

 

「今の……」

「アダーラ様、どうかなさいましたか?」

 

 そんな去り行くムリフェインに、アダーラは振り返って視線を向ける。直感で振り返った時には既に背中しか捉えることはできなかったが、彼女の胸には郷愁にも近い心地が漂っていた。そんなアダーラに、彼女の護衛の任に就く女性が声をかける。

 

「いえ、何でもありません」

 

 怪しい気配ではなかったことから、アダーラはその想いを振り払って再び前を向いた。どの道、今から馬車を降りて追いかけても、もう彼に追いつくことはできないだろう。

 すれ違う二つの()。しかし、邂逅の時はすぐそこまで迫っていた。




【ColumnII】-蒼き瞳-
 神の力を継承した星見の一族であることを示す、言わばそれそのものが絶対的な身分証明たり得るもの。その光を宿す者は世間では誉れある一族であると認知され、同時にこれを騙る者は何人たりとも断罪を免れることはできない。
 二百年ほど前に星見の一族を騙り、私欲を満たそうとした者が極刑に処されたという記録も残っている。


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B.星見の一族

 じゃんじゃか書き上げていきてぇよ。


Main Character:ムリフェイン=ケイニス

Location:エトワール公爵家 書斎

 

 

 

 

 

「おぉ、久しぶりだなムリフェイン」

「ご無沙汰しております。従伯父上(おじうえ)

 

 時は流れ、あれからムリフェインは寄り道することなく、真っすぐにエトワール邸へと向かった。今は、メイドの案内によって書斎まで通され、エトワール公爵家の当主である壮年の男、ミルザム卿に恭しく礼をしているところだ。そんなムリフェインを見るミルザムの目は、我が子を見るような慈しみの感情が見られた。

 

「伯母上は息災か」

「はい。相変わらず病とは無縁のようでして、私が王国を発つ前も張り切って宮仕えなさっておりました」

「ははっ、王の相談役はしばらく代わりそうにないな」

 

 頭を上げたムリフェインに、ミルザムは自身の伯母、即ちムリフェインの祖母について尋ねる。二人の頭に思い浮かぶ、若い者にはまだ負けないと気炎を滾らせている女性の姿は、ムリフェイン、ミルザム両名にとって慣れ親しんだものだ。

 そもそも、ムリフェインの家名であるケイニスという家系は、代々王宮に仕える家系である。ムリフェインやその父は当然として、エトワール家からケイニス家に嫁いだ彼の祖母──その代は彼の祖母ともう一人嫡男がいたので、諸々の事情も合わさって外へと嫁ぐことになった──も例外ではない。ミルザムが今しがた口にした重役を果たしているのが、彼らが今話題にする女性というわけだ。

 

「それで、伯母上からの命でここまで来たと聞いたが」

「はい、それについてはこちらを」

 

 雑談もそこそこに、ミルザムはムリフェインに尋ねる。彼が王都から遠路遥々ホーリディアまで訪れた理由を。それを受けて、ムリフェインは懐からケイニス家の家紋で封蝋を施された手紙をミルザムへと手渡した。蝋印が間違いなく本物であると確認した上で、ミルザムは封を開けて伯母、ルフド=ケイニスからの文を読み始める。

 

「ふむ、なるほど……」

「何が書かれていたのでしょうか」

 

 暫くの間、ミルザムは無言でそう長くはない手紙を読み進めていった。静寂の中に時折紙を捲る音が響き、そして、程なくしてそれを読み終えたミルザムは徐に口を開く。内容を精査するような重い口振りに、ムリフェインは思わず従伯父に疑問を投げかけた。

 

「ムリフェイン、お前は伯母上に何と言われてここまで来た?」

「詳しいことはまだ何も。祖母にホーリディアまで急いで向かえと言われた時には、既に王命として処理されておりまして。慌てて単身ホーリディアまで辿り着いた次第です」

 

 返されるミルザムの逆質問に、ムリフェインは姿勢を正して返答する。若干、ホーリディアに来るまでの数日間の苦労を表情に滲ませた彼の姿を見て、ミルザムはふっと口元に笑みを浮かべた。

 元々、自分自身も王宮で働いていたムリフェインであるが、彼はある日突然ルフドからの命を受けてホーリディアへと赴くことになる。王国内でも決して軽くはない──というより、相当に重い立場に籍を置くムリフェインはその命令に当然困惑するが、その直後にリヴィラ王直々に呼び出され、王命を拝することになった。その内容は、ケイニス家から見れば本家に当たるエトワール家への出向。本人の与り知らぬところで仕事の引継ぎも行われ、半ば左遷──実際にそんなことはないが──のような形で、ムリフェインはホーリディアへと発つことになり、数日かけてこの貿易都市までやってきたのだ。

 

「それなら、読んだ方が早いな」

「拝見します」

 

 端的に言えば全く状況を知らぬムリフェインに、ミルザムは自分が今しがた読み終えた手紙を手渡す。それを両手で受け取ったムリフェインはすぐに自分が届けた手紙を読み始めた。

 

「これは……」

 

 そこに書かれていたことを要約すると、魔界への扉(ヘルズゲート)の封印が解かれる日が近いこと。そして、その対応の任にムリフェインを就けることが書かれていた。

 予想だにしていなかった大役に、それが何故出発前に知らされなかったのかとムリフェインは訝しむ。しかし、かの三界大戦の悲劇が繰り返されると知れれば、世間の混乱は免れられず、それを少しでも秘匿するためにこのタイミングで明かされたのだと思い至った。同時に、これが祖母の予知──男尊女卑の風潮が根強い時代において、ルフドが女性でありながらも長く相談役を務めているのは、この能力によるもの──によって予見されたということも。

 総てを読み終えたムリフェインは、手紙をミルザムへと返却して再び彼と向かい合う。

 

「ムリフェイン、お前はどう思う?」

「そうなると想定して動いておくべきかと」

 

 ミルザムによる主語の無い問い、しかし、その内容は容易に想像できるそれにムリフェインは即答した。ムリフェインがルフドの予知が的中する様を何度も目にしてきている以上、それを無視することはできないからだ。彼自身の血も、その話を手紙で知ってから奇妙なざわめきを感じている。

 

「お父様、ただいま戻……失礼いたしました」

「いや、ちょうどよいところに来たなアダーラ」

 

 そんな折、書斎の扉が開かれ、ムリフェインが街の通りですれ違った女性、アダーラが入室してきた。客人が来ているとは思っていなかったアダーラは、自身の帰還を告げる口のまま己が父へと頭を下げて退室しようとするが、ミルザムはそれを止めて彼女を部屋の中に招く。

 

「お父様、彼は……?」

「そうか、会うのは初めてであったか」

 

 敬愛する父親と話す自分と同じぐらいの年頃の青年を見て、アダーラはミルザムへと問いを投げかけた。よく見ると何処となく父と同じ面影を感じるムリフェインを見て、彼女の疑問符は加速度的に増えていく。

 

「王国軍蒼星(そうせい)騎士隊が隊長、ムリフェイン=ケイニスです」

「ケイニス……ということは?」

「はい、アダーラ様の再従弟(はとこ)に当たります」

 

 そんなアダーラの問いに答えを齎したのは、他ならぬムリフェイン本人であった。剣を用いぬ特殊な騎士礼をしながら自身の素性を明かす名乗りに、アダーラは特に彼の家名に反応を示す。彼女はまだ機会が伴わず話でしか耳にしたことはなかったが、それはエトワール家の分家筋に当たる家の名前だ。それを確認するような問いへの返答と、目が合った彼の眼窩に嵌め込まれた二つの蒼玉(サファイア)が、ムリフェインの言葉が真実であるとアダーラに伝えた。

 

「知っているとは思いますが、私はアダーラ=エトワール。ミルザム=エトワールが嫡女で、エトワール家の次期当主です」

 

 同年代からの敬語にむず痒い思いをしながらも、アダーラは分家に当たるムリフェインが、自身が何を言っても父の前でそれを崩せないことに思い当たり、その場はそれを一先ず流すことにする。それから、彼の礼に倣ってアダーラも自己紹介の言葉を告げた。

 本来、長男が家を継ぐのが普通であるが、エトワール家においてはそのある種の仕来りが適応されない。というのも、やはり、その家柄の特殊性から一番初めに産まれた子──当然、この際性別は考慮に入れない──に家を継がせざるを得ないのだ。実際、歴代の当主の中に女性の当主も幾らか存在していた。

 彼らが来たるべき時に備えて脈々と受け継いできた神の力は、その性質から第一子に最も濃く受け継がれる。魔界(ヘルグラード)からの進攻を防ぐための最前線になるホーリディアに、その当代で最も強い能力を持つ者を当主に据えるのは、ある意味当然と言えるだろう。

 

「それでお父様、何かあったのですか?」

「実はな──」

 

 自己紹介もそこそこに、アダーラは再びミルザムへと向き直った。ムリフェインが身内であることは分かったが、結局のところ何故自分も同席を許可されたのか分かっていないからだ。そんなアダーラに、ミルザムは手紙の内容を簡潔に伝える。それを黙って聞くアダーラは自身が先日懸念していたことであったからか、その表情に険しさを滲ませた。

 

「となると、やはり獣の狂暴化も……」

「楽観視はできない状況かもしれないな……」

 

 齎された情報と現状を照らし合わせて、エトワール親子はその顔に陰を落とす。最近上がってきている嘆願書の内容が、彼女たちの予想通り不穏な気配を感じさせるものであったと理解して。

 

「既に何か起きているのですか?」

「……はい、数日前から都市外の野生動物が狂暴化しているとの知らせが入ってきていて、私たちはこれを魔界の扉(ヘルズゲート)に何かしらの異変が出たものだと考えています」

 

 明らかに表情が沈んだ二人を見て、ムリフェインは疑問の声を上げる。それに答えるのは、民を想い今も心を痛めるアダーラその人だ。事態はすぐそこまで迫っているのかもしれないという事実を聞くムリフェインもまた、二人と同様に顔を顰めた。

 

「対応はどうなされているのでしょうか?」

「今は調査隊を派遣している。可能であれば駆除するように言ってあるが、この手紙を見た後ではな……」

 

 重なるムリフェインの問いに、部下に調査を命じたミルザムが口を開く。十人規模の調査隊にできる限りの対応を命じてはいるが、新たに手に入った情報を知る今ではその表情はやはり優れない。

 

「遅くとも明後日には帰還するはずだ。今我々にできることは、彼らの報告を待つことだけだよ」

「了解しました」

「……はい、お父様」

 

 今できることはないというミルザムの言葉に、ムリフェインは軍人らしく即座に、アダーラは少し逡巡してから返答した。態度に違いはあれど、その場の全員の胸中は同じだ。

 

「ムリフェインも長旅で疲れているだろうし、今日はこれぐらいにしておこう。おい、誰か!」

 

 感受性の高い娘と強行軍で疲弊した従甥を想い、ミルザムは一旦話を打ち切る。積もる話もあるにはあったのだが、今は全員そういう気分ではなさそうだと判断したからだ。故に、声を挟む間もなく彼は屋敷仕えの従者を呼びつけた。

 

「お呼びでしょうか旦那様」

「彼を寝室に案内してやってくれ」

「かしこまりました」

 

 すぐさま入ってきたのは、ムリフェインを書斎へと案内したのとはまた別のメイドだ。しっかりと教育が施されている彼女は、王宮勤めのそれと遜色ないほど淑やかな動作で流れるようにミルザムと遣り取りを交わす。

 

「ご案内いたします。ムリフェイン様はこちらへ」

「あぁ、分かった。従伯父上、アダーラ様、失礼いたします」

 

 恭しいカーテシーを行い退出するメイドと共に、ムリフェインは屋敷の主人たちに丁寧に頭を下げてからその後を追った。予言のことと併せて手紙に書かれていた事であったが、ホーリディアに滞在する間、ムリフェインはエトワール邸に滞在することになっているのだ。本土では見ない調度品で飾られた廊下を、ムリフェインはメイドと静かに歩いていく。

 

「何か不都合があればお申し付けください」

「今は大丈夫だ。ありがとう」

「もったいなきお言葉です。それでは失礼いたします」

 

 案内された部屋で二人はようやく口を開いた。ムリフェインも貴族の一員──ケイニス家は代々騎士の家系であるのと同時に、侯爵の地位も賜っている──である以上、その主人と従者としての遣り取りも問題なく熟していく。星見の一族(エトワール)の血を継いでいるせいか、その態度は他の貴族と比べると気さくなものであったが。

 

「さて、どうなることか……」

 

 メイドが退室して閉ざされた扉から目を離して、ムリフェインはそう独り言ちる。その声に込められたのは先への不安か、それとも────

 

「はい」

「アダーラよ。入ってもいいかしら?」

「どうぞ、お入りください」

 

 ムリフェインが思考に意識を割く中、唐突に白塗りのドアがノックされる音が部屋に響いた。反射的にそれへと言葉を返すと、扉の向こうからは先程と比べて言葉から固さが取れたアダーラの声が返ってくる。態度の変化に少々面食らいつつも、ムリフェインは彼女を待たせるわけにはいかないと扉に手を掛けた。

 

「どうかなさいましたか?」

 

 部屋の前に立つアダーラに、ムリフェインは声をかける。書斎を出る前に見た時と変わらぬ顔色の彼女の要件を聞くために。

 

「少し、話さない?」

 

 そして、その問いの返答はそんなものであった。見つめ合う蒼は揺らぎ、しかして交差する。




【ColumnIII】-王国軍蒼星騎士隊-

 ムリフェインが隊長を務める王国軍の一部隊。主に騎兵で構成された部隊で、規模は百人ほど。
 隊長が若いからと他の部隊からは舐められがちではあるが、その実力が他の部隊に劣っているわけではない。余談ではあるが、ムリフェインの父、ウェズン=ケイニスが隊長を務める黄金近衛隊とは隊長繋がりで仲が良い。


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