ルミルミ√はPTA的にまちがっている。 (あおだるま)
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その1

ルミルミの誕生日にかこつけて短編を書くつもりが、ルミルミの誕生日が設定されてないからこんなことになってしまった。よって様子を見て続いたり続かなかったりします。


 

 朝の教室は、ため息が出るほどにいつも通りだった。

 

 うるさい女子に下品な男子。高校生になっても中学校、いや、小学校の時と何ら変わりない。勉強する振りをして、仲のいい振りをして、楽しんでいる振りをする。 

         

 誰も本当のことは言わない。核心には触れない。偽物に言及することはない。

 

 偉そうにのたまう私も、鶴見留美という人間も、そんな彼らと実は何ら変わりない。

 

 教室の端の男子の集団が視界に入る。さっきから下品な笑い声が余計に私の神経を逆撫でる。集団の中心にはグループの中心人物のイケメン君と、気弱そうにヘラヘラと笑う男子がいる。イケメン君は気弱な男子に向かって、傍から聞けば暴言としか取れない発言を繰り返し、取り巻きはぎゃはぎゃはと笑う。そしてその気弱な男子すら、彼らに媚びるようにヘラヘラと笑う。そのグループの周りの人間も彼らに触れないようにする。

 

 私だってそうだ。こんな「くだらない」ことで、明日からの学校生活を壊すわけにはいかない。…あの人みたいに、あの林間学校の時みたいに全部を壊すことなんて、私には到底できない。

 

 そういえば。私はふとあの腐った目を、丸まった背中を、ひねくれた言動を思い出す。最近全然会ってないなぁ。最後に会ったのは、私の中学の卒業式。あの時は無理言って私の卒業式に来てもらって、お母さんと鉢合わせになって気まずそうにしてたっけ。おどおどするさまはどこまでも彼らしくて、つい傍から見ちゃってた。

 

 それももう一年前。あれからは私も総武高校にはいったばかりで忙しかったのもあったけど、あっちはあっちでゼミやら就活の下準備やらで忙しかったみたい。…とはいえ。私は彼の顔を思い出し、少しムカムカする。そもそも会えないのは大体あっちの都合なのだ。私がメールするたびに「あー」とか「おー」とか「また今度な」とか適当な返事するばっかりで、私のことなんて昔と同じでまるっきりの子ども扱い。ちょくちょくメールでもセクハラまがいのことを聞いてくることからもそれは分かる。「ちょっとは成長したか。身長とか体重とか、その他諸々」って。…そもそも私、小学生の時からあの雪ノ下さんよりは、全然胸あったし。林間学校でも、もし私も水着になってたら絶対私が勝ってたし。ちなみに由比ヶ浜さんは反則。チート。そろそろ運営に通報されたほうがいい。作者に贔屓されすぎ。垢BAN食らって、どうぞ。

 

 そんなことをぼんやりと考えていると、突然の後ろからの衝撃に意識は現実へと戻る。

 

「ルーミルミ!おはよ!」

 

 後ろを見ると、人を食ったような笑顔が私を迎える。いつも通りの無遠慮なスキンシップに思わずため息が漏れる。

 

「…はぁ。彩、もう一回だけ言っとく。後ろからいきなり抱き着くのも、そのふざけた呼び方もやめて」

 

 とくに後者は。その呼び方をされると彼に子供扱いされてたことを思い出して、イライラに拍車が掛かる気がする。

 

 彼女の名前は綾瀬彩。高校二年生になり、新しいクラスになってから一カ月。クラス替え直後から、ぼっちの私にやたらちょっかいをかけてくる。

 わからない程度に脱色されたセミロングの茶髪には、これまたわからない程度のパーマが当てられていて、制服も程よく着崩している。ぱっちりとしたその瞳とどちらかと言えば丸めの顔は、接する人間に安心感を与える。

 その見た目通りに性格もあけすけとしていて、嫌なところが一見して見当たらない。いわゆるリア充。いわゆる青春を楽しんでる系の人種。というかバラ色ど真ん中。私とは正反対。

 

 そんな人間が、私のようなぼっちに話しかけてくる理由。それは。

 

「えー、いいじゃん。かわいいじゃん、ルミルミって呼び方。…ほ、ほら、実際留美、めっちゃ可愛いし!」

 

 可愛い。彼女はファーストコンタクトからそんなことを繰り返し言い、私にまとわりついてきた。私は一層ため息を深め、思わず額に手を当てる。

 

「あのね、そもそも私男の子にも女の子にも、そんなこと言われたことないから。私の見た目が『可愛い』のは否定しないけれど、周りからは『本当にお前は可愛くない』としか言われないから」

 

 そもそも近寄られないから。思わずそう付け足しかけて軽く落ち込む。私がこんなことを考えてしまうのも、あの男の卑屈な猫背を知ってしまったからだ。そう。私は悪くない。全部あいつが悪い。

 と言っても、こういうこと言っちゃうところが多分可愛くないんだろうなぁ。自分の発言にまた自家中毒を起こしかける私に、彩は底抜けに明るく笑う。

 

「あはは。確かに普通に考えれば留美のそういう所、可愛くないのかもしれない。ま、ぶっちゃけほかの女子がそんなこと言ってたらめんどくさいとしか思わないし」

 

 正論過ぎる彼女の言葉に思わず閉口する。私も嫌だ、私みたいな女子と付き合うの。

 

「でもね」

 

 彩は柔らかく微笑み、私の頬に手を当てる。

 

「強がってるのにすぐそうやって落ち込んでわかりやすい所とか、ほんとは優しい所とか、寂しいのにそれを隠しちゃうところとか。…私は好きだよ、留美のそういうとこ」

 

「…うぅ」

 

 そして私は、平気でこういうことを言ってのける彼女をこの一カ月、振り払えないでいた。彩は黙る私の顔をのぞき込み、満足気に一つうなずく。

 

「ふふ、やっぱり可愛い…あっ、そういえば、留美、教育実習生がくるって話きいた?」

 

「…教育実習?」

 

「そ。なんか朝からクラスの女子が騒いでたからさ。ちょっと聞いてみたんだけど――」

「――おーし、お前ら席着けー」

 

 乱暴にドアが開けられ、見るからに体育会系のジャージを着た若い男が教壇につく。私たちの担任の教師、中井先生だ。下の名前は忘れた。言うまでもなく、私は苦手だ。

 話の腰を折られた彩は小さく舌打ちをし、「じゃ、また休み時間にねー」と言い残して自分の席に戻る。彼女もどうやらこの手のタイプが苦手なようだった。

 

 一通りクラスの人間が席に着いたことを確認し、中井先生は大仰に咳ばらいをして口を開く。

 

「えー、今日はホームルームの前にちょっと話がある」

 

 元々この教師はホームルームの始まりを、私的な雑談か著名人の格言から入ることが多い。また何か言ってるなぁ。そんな話に毛ほども興味がない私は、校庭の葉桜を眺めながらなにとは無しに聞き流していた。

 

 散り切った桜を見るともう4月も過ぎたのだと思い知らされる。1年生は本当に退屈だった。小学校からそのまま持ちあがる中学校。そんな中学で人間関係が上手くいかないのは分かり切っていたことだけれど、それは高校に入ってもそんなに変化がなかった。

 結局、雪ノ下さんがあの時に言ったことはある意味で正しく、ある意味で間違っていた。中学になったらよその人が一緒になって私をハブる。それは的を射ていたのかもしれない。私は中学校でも友達ができなかった。それは小学校の、私を排他していた彼女たちの働き掛けがあったのかもしれない。

 しかし、地元の人間がいない高校でもそれは変わらなかった。私は独りのままだった。

 つまり、これはどこまでも私の問題なのだ。私は改めてそう思う。どうしても周りの人間のように、空虚な会話に話を合わせる気になれない。他人の悪口や他人を傷つけることを一緒に、嬉々として楽しむことができない。それらを共有することで「友情」を育むことができない。それが社会に出るために、将来を生きるために必要な技能になるとうすうす気づいてはいながら、私は排他する側に回ることができない。

 

 要するに、一番卑怯なのは私なのだろう。排他されていた小、中学校とは違う。排他する側にもされる側にもならず、何とも交わらずに惰性で日々を送る。

 二年生になってからはなぜか綾瀬彩が私に興味を持っているようだが、それはたまたま私なんかに興味を持つ人間が現れたというだけで、私自身に変化があったわけではない。鶴見留美という人間はどこまでも孤独で、どこまでも空虚で、どこまでも卑怯。小学校の時の私から、何も変わってなどいない。

 

「どうぞ、入ってきてください」

 

 そんなことをつらつらと思う私の意識は、いつも不遜な中井先生の、少しかしこまった態度によって現実に戻される。

 

「はい」

 

 ガラガラガラ。控え目にドアを開ける音ともに、その人は恐る恐る教室に入ってきた。

 

 その瞬間、さっきまでの爛れた空間が、音を立てて崩れ落ちた。

 

「えー…今回教育実習生として参りました、比企谷八幡と言います。…まあその、短い間ですが、よろしくお願いします」

 

 小学生の時から想い続けていた彼が、なぜかそこに、私の大嫌いな空間の中にいた。

 

 は…

 

「八幡!!」

 

 一年ぶりに見る彼。気づけば私は心の中ではなく、直接呼びかけていた。

 

 ぼっちが突然上げた奇声。反対にその空間には静寂が降りる。

 

 八幡は呆然と私を見つめ、綾瀬彩の笑い声だけが甲高く朝の教室に響いた。

 

 



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その2

 

 静寂が降りる教室。反対に私にはうるさいほどの視線が集まっていた。

 

「……っ――――――――――――――――――!!!!!」

 

 私は乗り出しかけた体を無理やり椅子に押し込む。顔がどんどん熱くなるのを感じる。心臓が張り裂けそうなくらいうるさい。体だけじゃなく心も制御できない。全部ぐちゃぐちゃだった。なんで八幡がここにいるのなんでなんでなんでなんでなんで一年も会ってくれなかったくせになんでなんでなんで来るならなんで前もって教えてくれなかったのなんでなんでなんで。

 

「ん?鶴見、お前比企谷君のこと知ってるのか?」

 

 担任は珍しく私が動揺する姿に興味を持ったのか、急に叫んだことを咎めるでもなく尋ねてくる。うぅ……咎められていたほうがましだったんだけど。でも周りの人たちも不思議そうに見てるし、彩はなんか肩震わせて笑ってるし、答えないと収拾がつかないだろう。彩、お前は後で殴る。

 

「え……まあ、はい。少しお世話になったことがあって……」

 

 適当なことを言ってごまかそうと思ったが、上手く口が回らない。口先でその場をしのぐことは苦手ではないけれど、それをするには私は少し動揺しすぎていた。中井先生は「ほぅ」と小さくうなずく。

 

「どんな知り合いなんだ?お前があんなに慌てるとなると……案外昔遊んでもらってた近所のお兄ちゃん、だったりしてな」

 

 中井先生はさらに突っ込んで尋ねてくる。おまけにいらない想像付き。ガハハと笑う彼とは反対に、私の声と体はどんどん縮こまる。そんな私に周りはより不躾に奇異の視線を送ってくる。……一対一ならともかく、対多勢は今でも苦手だ。小学校の時を思い出してしまう。

 

「別にそんなに珍しいことじゃないですよ」

 

 一年ぶりに聞くその声。ダルそうな猫背も、やる気のなさそうに間延びした低い声も変わっていない。

 しかしなぜか妙に愛想だけは良く、八幡は中井先生に笑う。

 

「昔彼女に家庭教師として勉強を教えていただけですよ。僕も昔はこの学校を受験しましたし」

 

 あ、だめだ。そこに格好良く私を助けてくれる王子様みたいな姿を想像しなかったわけじゃないけど、愛想笑いが完全にひきつってる。……八幡は八幡だ。いつもの彼に自然と心が落ち着く。

 中井先生は八幡の下手な笑いも気にせず、また大きくうなずく。

 

「ああ、なるほど。教師の勉強ってところか。熱心だな」

 

 だとすると「八幡」という下の名前呼びは私のキャラ的に不自然だけど、どうやら担任は深く考えずに納得してくれたようだ。細かいところを気にしない所は彼の美点だろう。決して普段は大雑把とか、がさつとか、無神経とか思っていない。

 

「まあこの通り、俺とは違って若くて見た目もいい教師の卵だ。お前たちにしても接しやすいだろ。……積極性と健康面で少々問題があるようだがな!」

 

「は、はぁ。すいません」

 

 バシバシと中井先生はスーツ姿の少し頼りない八幡の背中を叩くが、八幡はいつものように気の抜けた返事をする。そんな姿も全然変わってない。

 しかし、変わらないと思ったのはどうやら私くらいだったみたいで。

 

「……ね、ねえ。結構格好良くない?」

 

 耳障りな声が教室のどこかから聞こえてしまった。

 

 ……なんだって?

 

「あっ、私も思った。なんかやる気なさそうなんだけど、肉食っぽいっていうか。……目とか鋭いし」

 

 ……へ、へぇ。私は自分に言い聞かせる。まあ確かにやる気も生気もなさそうだよね。目もゾンビみたいだし。ねえ、もう一回良く見てみようよ。目腐ってるの?

 

「背も高いよね。担任と同じくらいってことは……180くらい?」

 

 確かに八幡、高校生も最後のほうになってちょっと身長伸びてたけど、背高いと目線合わせにくくて嫌なんだよね。それに……キ、キスの時とか首痛いでしょ。したことないけど。

 

「彼女とかいるのかな?」

 

 まって、おかしくない?

 

 周りの声に現実逃避しかける私は、そんな女子たちの言葉を総合して違和感と向き合う。そういえば、さっき担任も言ってなかったけ。「若くて見た目もいい教師の卵」と。

 

 私は少し落ち着いてもう一度八幡を見る。

 猫背とやる気なさそうな声色はさっき言ったように変わってない。背は平均より高い。照れ隠しに頭を掻く癖も変わってない。そして昔から変わらない腐ったような目には、黒縁の眼鏡が……

 

 あれ?

 

 そう。昔とは違って黒板の前にいる八幡は、眼鏡をかけていた。一年前はしていなかったはずだ。昔と違うのは多分身長と眼鏡くらいだろう。そのおかげで目元のきつい印象は確かに和らいでいる。彼女たちが騒いでいるとしたら、要因はそこ以外考えられない。

 でも。私は少し困惑した。正直、私にはよくその違いは分からなかったのだ。

 

 だって私にとって、八幡はいつだって一番カッコいい男の子――

 

「――鶴見、聞いてるか?」

 

「ひゃ、ひゃい!!」

 

 突然頭上からかけられた声に、思わずびくりとする。な、何考えてるの鶴見留美。私はそんな可愛い女の子じゃないし、ちょろくもないはず。しっかりしなさい。

 

 緩んでいたであろう顔を取り繕うと、訝し気な眼の担任と目が合う。周りからはとうとうくすくすと笑いが聞こえてくる。…私のイメージがどんどん壊れていく……。

 

「な、何でしょうか先生」

 

「何でしょうかって、やっぱ聞いてなかったのか…。お前国語の係だっただろ?比企谷先生の専門科目も国語だから、プリントの印刷の手伝いをしてくれと言ったんだが…顔色良くないが、具合悪いのか?だったらほかの奴に代わってもらっても――」「い、いえ!」

 

 廊下にまで響くような音。それは本当に私から出た声だったのだろうか。でもこの機会を逃すわけにはいかない。…それにしても必死過ぎだよ、私。だからしっかりしてお願いだからクールな鶴見留美に戻って。

 

 縋るように八幡を見ると、そんな私ではなく、教卓の前に座る女子たちの質問に答えるのに必死のようだ。

 

 それを見た瞬間。頭にも体にも宿っていた熱が、急速に引いた気がした。

 

 ……へぇ。

 

 そう。一年会わなかったうえに、そういう態度なんだ。ふーん。ちょっと目付きがましになったくらいで、モテる男気取り?

 

 ダン。私は両手を叩き、中井先生ではなく八幡に精一杯の笑顔を向ける。八幡のひきつった顔、女子たちの迷惑気な顔と目が合う。空気なんて知ったことか。クールなんかくそくらえ。どうせぼっちだ、私は。

 

 ムカつく。

 

「八幡先生のお手伝いは、私が、やります」

 

 この担任の青ざめた顔は、初めてみたかもしれない。

 




 元々短編の予定であることもあり、こんな感じで日を置かずポンポンとあげていきます。短すぎるという声があれば考えます。いつものようにストックは常に0です。


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その3

 

「鶴見さん」

 

「……」

 

「あー……鶴見さん?」

 

「……」

 

「さっき中井先生に言われたプリントの件なんだが」

 

「……」

 

「……鶴見さん?聞こえてるか?」

 

「……」

 

「……ルミルミ」

 

「八幡、キモイ」

 

「お、おうふ……」

 

 四限終わり。昼休み前の私に廊下から控えめな声がかかった。私の席は廊下側最後列。八幡は首だけをドアの間からのぞかせ、やっぱり聞こえてんじゃねえか……と一人ごちる。

 

 朝のホームルームが終わった後、私は即教室を出た。一限が移動教室だったこともあったが、少なからず私は腹が立っていた。八幡の目の前を無言で通り過ぎ、彩も置いて教室を出た。……ちょっとは話しかけてほしかったとか、追いかけてほしかったとか、別にそんなこと思ってない。断じて、思ってない。その後に彩から八幡が女子に質問攻めにあっていたことを聞いて、まだ不機嫌を引きずってるわけでもない。ないったらない。

 ただ、それ以上に。彼の口から「鶴見さん」と呼ばれることは、信じられないくらい嫌だった。返事もしたくないくらいに。

 

「えーっと、鶴見さん。それ食い終わったらでいいから、昼休みの間に印刷室に来てもらえると助かるんで、まあよろしくです」

 

 八幡は目を伏せたまま私の弁当を軽く指さし、あくまで他人行儀に言う。そのくせ「こんちはー」と私の横で挨拶する彩に、軽く笑顔で返している。……何その態度。

 

 ルミルミでも、ちょっと嬉しかったんだけどな。

 

 また言いようのない苛立ちが湧きかけるが、前の女子たちからの声で頭が冷える。

 

「え、比企谷ーセンセー。一緒にご飯食べましょうよー」

 

 私と彩の前で昼ご飯を食べていたのは、ちょっと派手目のグループ。その中には、朝八幡に話しかけていた女子もいた。八幡は困ったように視線を泳がせる。

 

「いや、授業の準備あるから早く行かないといけないんだが」

 

「いいじゃないですかぁ。生徒との触れ合いも実習のうちですよ。ねー」

 

「……そんなカリキュラム、マニュアルには書いてねえ」

 

 えー、なんですかそれ、ひどいですー。八幡は昔見たように腐った目で彼女たちに対応していたが、言葉を交わす女子たちは喜色満面。

 どうやら八幡も予想外の反応に多少驚いてたのか、まくし立てる女子たちに少し戸惑いながらも対応している。「眼鏡ってすげぇ……」ポツリとそんなつぶやきが聞こえた気がした。

 

「別に新しく来た教育実習の先生とお話したいっていうのは普通のことじゃないですか?…あ、じゃあ先生は高校生の時は昼休み何してたんですか?」

 

「……はぁ。別に話すような有意義なことはしてねえ。つーかお前らもこんなことして時間無駄にしてる暇はねえだろ。昼休みは限られてる。有意義に使わんと後悔することになるぞ、俺みたいに」

 

「ぷっ……確かに先生あんまり青春楽しんでる系じゃなさそうですしねー。あっ、先生国語の準備行くんですよね。なら私たちが――」「比企谷先生」

 

 騒ぐ女子グループに、横やりを入れる声が入る。彼女たちはこちらに怪訝な視線を送るが、声の主は私ではない。

 

「先生、この後留美と授業の準備しに印刷室行くんですよね。こんなところで油売ってる暇ないと思いますけど」

 

 横に座る彩は女子グループを見もせずにそう言い放ち、キョドる八幡も気にせず、私に耳打ちする。

 

「ほら、ルミルミも。意地張ってないで」

 

「べ、別に意地なんて……」

 

「いや、張ってるから。大体年中無休で」

 

 ……え、私ってそんなめんどくさい?

 

 ま、なんにせよ、周りを全く気にしない彩のおかげで少し余裕はできた。私は軽く深呼吸し、椅子を引く。

 

「行こ、八幡」

 

「え?…お、おお。でも別に食い終わってからでも……」

 

「ううん、もういいや。おなか一杯。……それよりさ」

 

 私は弁当箱を手早くしまい、優しく、慈悲深く、そしてとても可愛いであろう笑顔を浮かべる。

 

「一年ぶりなんだから、私に話すこと、色々、あるよね?」

 

 コクコクコク。1年ぶりに会った彼は、こけしのように首を縦に振るだけだった。

 

 

 

 

 

「で、八幡」

 

「おう。……ていうか一応俺教育実習生だから、いくらなんでも『八幡』は──」「なんか文句ある?八幡?」

 

「ないです」

 

 印刷室。八幡が印刷する数種類のプリントをひたすら仕分けながら口を開く。

 

「一年ぶりだね」

 

「そうだな……その、元気だったか?」

 

「まあ、普通」

 

「そ、そうか……」

 

 さっきまでの私の不機嫌な態度に、八幡が気を遣ってるのがわかる。そう考えると余計に態度は固くなってしまう……私のバカ。そんな態度だから、年中意地張ってるとか言われるんでしょ。

 咳ばらいをし、多少声のトーンをあげる。

 

「八幡は、どうだったの。元気だった?」

 

「あー、まあそれなりに忙しかったな。ゼミやら実習やらやりたくもないバイトやら卒論の準備やら。今もこうして実習に来てるわけだしな」

 

 それは本当にそうだったのだろう。彼が忙しそうなのはメールの返信の遅さ、文面の短さからもうかがえた。でも……だからこそ思ってしまう。

 

「ていうか、なんで実習のこと教えてくれなかったの、来るなら来るって言ってくれれば、私だってあんなにみっともない姿晒さなくてもよかったのに」

 

「あー……何となく、その、気恥ずかしくてな。普段専業主夫志望とか言ってる分、自分の将来に関わること言うのは。つい言いそびれた。それにまあ、それに実習っつってもたかが3週間かそこらだしな」

 

 それでも教えて欲しかったの。そんな言葉が続きそうになるが、ぐっと飲みこむ。私だって学習する。なんでも口にすればいいというものじゃない。私は八幡にケンカを売りたいわけじゃない。むしろ逆だ。会話を進めるため、無難な言葉を選ぶ。

 

「八幡は教師になるの?」

 

「なるかはわからんが、一応取っといて損ないしな、教員免許は。鬼門は採用試験だ」

 

「ふーん、そんなもの」

 

「そんなもんだ」

 

 少し冷静に舌が回るようになってきた気がする。思い切って聞いちゃうか。私は八幡を見たときからの疑問を口にする。

 

「で、そのメガネは?前会った時はかけてなかったよね」

 

「これは……その、だな」

 

「?」

 

 なぜか言葉を詰まらせる八幡に、私は首をかしげて先を促す。八幡は少しため息を吐き、メガネをいじる。

 

「雪ノ下と由比ヶ浜に教育実習の話した時、雪ノ下に言われたんだよ。『その腐った目付きだと、在校生から不審者に間違われて通報されかねないわよ、比企谷君。眼鏡でもして多少は矯正しないと、教員になる前に犯罪者になるんじゃないかしら』みたいなことを。由比ヶ浜も妙に眼鏡しろってうるせえし」

 

 今のは雪ノ下さんの真似だったのだろうか。下手だったとは言わないが、それ以上に、私にしていない話をあの二人にしていたのが腹立たしい。言いにくそうにしていたのはそのためか。

 雪ノ下さんと、由比ヶ浜さん。彼女たちにまだ会っているという事実から、私はこの質問をせずにいられない。

 

「なに、八幡はあの二人のどちらかと付き合ってるわけ?それとも……どっちとも付き合ってるの?」

 

「ばっ……んなわけねえだろ。ほんとに久々に、流れで居酒屋でちょっと話しただけだ」

 

「ふーん。そうなんだ」

 

 心外、みたいな言い方してるけど、あの二人絶対八幡に気があるし。八幡絶対どっちか選ぶような男らしいことできないし。なんならあの一色?とかいう人だって怪しいし。

 

 私のジト目に八幡はしばらくの間キョドっていたが、ふと目が合うと少し表情を緩める。……なんか私の顔についてる?

 

「……なに。なんかおかしい?」

 

「いや、なんつーか、その……ルミルミ、ちょっとわかりやすくなったか?」

 

 誰のせいだと思ってんの、わかりやすいのは。また私はそんな可愛くない言葉をグッと飲み込み、ため息へと変える。

 

「だからそのルミルミっての、きもい。……ていうか、私もう高校生だよ。必要以上に感情を隠して、子供みたいに大人ぶりたい歳でもないの」

 

 わかる?目線でそう伝えると、なぜか八幡は噴き出す。なに?わかりやすくて焦る私がそんなにおかしい?これも表情に出ていたのだろうか。また八幡は焦ったように手を振る。

 

「いや、相変わらず大人びてるというか、厭世的ていうか……今も昔も妙に歳不相応なのは変わってねえな、と」

 

「だとしたらそうなったの大体八幡のせいなんだけど」

 

「そうか……でも、その、なんだ」

 

 どれだけ私があなたに影響されたと思ってるの。言外に私はそれを伝える。そんな私の気持ちを分かったのか分からなかったのか、八幡は困ったように笑い、私の頭に手を置いた。

 

「でかくなったな。…留美」

 

 置かれた手を振り払うのが、いつもの私、鶴見留美だったのだろう。でも今、私はそれができなかった。

 

 ……子供扱いかと思ったら、いきなり対等な目線で話してくれる。ずるい。そう思った。そんな言われ方したら、さっきまで渦巻いていた文句も不満も、表に出せなくなってしまう。

 

 この人は初めて会った時からそうだった。小学生の鶴見留美に、高校生の比企谷八幡は常に対等だった。人間関係を諦めた私に、綺麗事も、嘘だらけの励ましも言わなかった。何も言わずに、ただ私の周りの人間関係を壊した。

 多分、彼は私に自分を重ねていたのだろう。必死に周りに合わせようとし、迎合し、自分を殺す。そのうえ惨めな思いをするくらいなら、独りでいい。彼はそんな気持ちを分かっていたのだ。

 だからこそ、八幡は私の周りの人間関係を壊してくれた。それを彼は勝手にやったことだと言うだろうし、多分その通りなのだとも思う。

 

 でも私と八幡は、傷をなめ合っていたわけじゃない。馴れ合っていたわけでもない。通じ合っていたはずなど、あるわけが無い。

 

 私と彼は一緒じゃなくて、仲間でも、友達でもなくてい、ただの一人と一人。独りであることをお互いに知っていて、だからこそ彼の隣に居ることが苦しくなかった。何も話すことなんてなかった。でも、別に何も話さなくてもいいのだと、彼の独りきりの姿から知った。

 

 だから私はこれまでの間、独りでいいと思えた。

 

 でも一年ぶりに彼に実際に会い、ここ一カ月、綾瀬彩という私以外の人間を近くに置いた今。

 

 私は、思ってしまうのだ。

 

「……あの、ルミルミ」

 

 だから、ルミルミっていうのは……反射的にそんな文句が出かけ、同時にその声で現実に戻される。顔を上げると、八幡の顔が思ったよりもはるかに近くにある。な、なんでこんなに近いの。心臓がドキドキとうるさく鳴る。しかし、原因はすぐにわかった。

 

「いや、その……留美。手、放してもらえると助かるんだが……」

 

「……ッッッッッ!?」

 

 私の両手は考え事をしている間に、いつのまにか頭に置かれていたはずの八幡の手を、思いっきり包み込んでいたらしい。

 バッ。音が出るくらい大げさにその手を放す。手を放しても、まだ温もりはこの両手に残っている。ぜ、全然繋いでた記憶がない!なぜか無性にそれを勿体ないと思ってしまう。

 

「はっ、八幡!」

 

「お、おう。なんだ」

 

 体ごと距離を置き、私は思わず声をあげる。何か言わなきゃ何か言わなきゃ何か言わなきゃ。焦るほどに言葉はでてこなくなる。自然と視線が下に落ちる。

 すると、さっきまで八幡と繋がっていた両手が目に入る。……多分、さっきの無意識が私の気持ちだ。私は、八幡とああなりたいと思っているのだ。普段自分を抑制している分、他人とのかかわりを避けている分、無意識の行動に私は改めて核心を抱く。

 

「これからは、絶っっっっっ対、私のこと、留美って呼んで」

 

 でも、出てきた言葉は小学生から進歩がなかった。

 

 しかし、進歩がないと自覚しながら、私ははっきりとそう宣言する。……いや、まだ早いよ、告白とか流石に。私だけ勝手に盛り上がって、勝手に気持ちを伝えるとか。まだ早いまだ早いまだ早い。まだまだ私はそんなに大人じゃない。

 

 でも、はっきりとしている気持ちもある。私は彼の口から「鶴見さん」と呼ばれるのは嫌だった。なんか、絶対に嫌だ。理由はよくわからない。けど、それだけは嫌だった。

 

 私の勝手な要望に、八幡は苦笑を浮かべながら、困ったように頭を掻く。

 

「そう言われるのも久しぶりだな……ま、三週間くらいだが、よろしく頼む。……留美」

 

「……うん、よろしくね、八幡」

 

 名前を呼ぶだけで、互いに頬が赤らむ。今はそんな関係が心地いい。

 

 でも、いつかは。私は目に見えぬライバルたちに宣戦布告する。

 

 私が八幡をもらうから。

 

 独りでも別にいい。

 

 でも、独りよりすこしだけ、彼の隣は暖かい。

 



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