White Love Song (ゆいろう)
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White Love Song
短かった秋が終わりを迎え、ひんやりとした空気が肌寒さを感じさせる十一月の下旬。羽丘女子学園一年生の美竹蘭は、ギターケースを背負って昼過ぎの街中を歩いていた。
彼女は幼馴染とAfterglowというバンドを組んでいて、ギターボーカルを担当している。
休日の今日はバンドの練習。蘭は今、いつも使っているスタジオに向かっているところだ。
冬の始まりを感じさせるこの時期。通行人はコートを羽織ったりマフラーを巻いたり、手袋を付けていたり、様々な寒さ対策をしている。蘭自身も黒のレザージャケットとベージュ色のマフラーと装備は万全だ。
街ではどこからともなく音楽が流れている。蘭の足取りは無意識のうちに、音楽のテンポと同じになっていた。どんな音楽が流れているのか、気になった蘭は耳を澄ませる。流れていたのは、バラード調のラブソングだった。
あと一ヶ月でクリスマスがやって来る。蘭が視線を周囲にやると、商店の入口には早くもクリスマスっぽい飾り付けがされていて、街路樹にはイルミネーション用の電飾が施されている。よく見ると通行人も、手を繋いでいるカップルが多い。
高校一年生の蘭はこれまで恋愛に一切の縁がないまま過ごしてきた。同級生の中には街行くカップルのように仲睦まじい男女もいるが、別段羨ましいと思ったことはなかった。
大切な幼馴染とAfterglowを結成してから、蘭は音楽活動に夢中なのだ。他の物事によそ見をすることもなく、愚直なまでにバンドに打ち込んでいる。そういう意味では、蘭にとって音楽が恋人なのかもしれない。
それでも恋愛を知らない、気になる男子もいない蘭にとって、恋愛とは別世界での出来事のような感覚。カップルで溢れる街中は蘭にとって、世界から自分だけ切り取られた気分だった。
ぶるっと寒さで蘭の身体が震えた。マフラーをより深く巻き直し、そこに顔を埋めるようにして蘭は先を急いだ。
自分の居場所がある世界へと。
スタジオに到着した蘭が扉を開けると、中で楽しげに談笑していた四人の視線が一斉に向けられた。スタジオ内に掛けられた時計に目をやると、少しだけ約束の時間をオーバーしている。
「ごめん、少し遅れた」
「蘭ってば、待たせすぎだよ~」
ギターを持った青葉モカが、遅刻したことを茶化す。きちんと時間に間に合うよう家を出たはずだったのに、ゆっくり歩きすぎた蘭だった。
とはいえ時間に間に合わなかったのは事実。蘭は素直に謝ることにした。
「ごめん、のんびり歩いてたみたい」
「なんだそんなことだったの。いいよ、少し遅れただけだし、みんな気にしてないから」
キーボードの前に立つ羽沢つぐみの優しい言葉に、蘭はホッと胸を撫で下ろした。モカに茶化された時はみんな怒っていると冷や汗をかいたけれど、どうやらモカの冗談だったようで一安心だ。
蘭が背負っていたギターケースを下ろし、中からギターを取り出そうとした。すると宇田川巴がドラムセットの奥から蘭に声をかける。
「でもみんな蘭の心配してたから、次からはなるべく時間前に来てくれよ」
「わかった、気をつける」
ギターのチューニングをしながら、蘭は幼馴染に心配をかけたことを反省した。次からは巴の言う通り時間前に来るか、遅れそうなら連絡しようと蘭は心に誓う。
「それじゃあ、蘭も来たことだし練習始めるよ! 一ヶ月後にはクリスマスライブだからね。みんな気合い入れていくよ! えい、えい、おー!」
ベースを持ちながら全員の気合いを入れようとした上原ひまりだったが、その掛け声に合わせるメンバーはこの日も誰一人いなかった。
彼女達、仲の良い幼馴染五人が集まったガールズバンド、それがAfterglowだ。普段は仲が良いのだが、リーダーの上原ひまりの掛け声は今まで揃った試しがない。
そんなAfterglowは、一ヶ月後にライブハウスで開催されるクリスマスライブに出演が決まっている。正確な日時は十二月二十四日、クリスマスイブの夜だ。
イブの夜にライブに出演する彼女達は、全員恋人がいない女子高生。クリスマスに恋人との予定が無いのは寂しいことなのかもしれないが、彼女達に悲壮感は一切ない。
そもそもライブに出演するのだから、クリスマスに予定が無い人ではない。既にライブを見に来ると言ってくれた友人も、クリスマスに予定があるのだ。
友人も楽しみにしてくれているクリスマスライブ。そこには純粋にAfterglowのことが好きなファンも来ることだろう。
イブの夜にステージに立ち、自分達の曲で会場を盛大に沸かせる。蘭は早くもそんなイメージを膨らませていた。
ライブに向けて改めて気合いを入れ直し、彼女達は練習を開始した。
*
この日の練習が終わり、Afterglowの五人はスタジオ近くにあるファミレスに移動した。
大盛りのフライドポテトを五人でシェアしつつ、それぞれドリンクバーで好きな飲み物で喉を潤している。いかにも女子高生らしいテーブルでは、緊急の会議が開かれていた。
「やっぱり、このセトリは弱いと思うんだよね」
「弱いって言うと、盛り上がりがイマイチってことか?」
「そう」
蘭が中心になって話しているのは、クリスマスライブで演奏する曲について。セットリストは五人で事前に話し合って決めたものだ。
しかし、今になって蘭が不満だと言い出した。その身勝手な言葉に納得がいかず、つぐみは語気を強めて蘭に問い詰める。
「でも蘭ちゃん、セトリを決めた時は賛成だったよね。その時から不満を持ってたってこと?」
「ううん、その時はあたしも良いと思ったから賛成した。でも改めて考えると、何か違う気がして」
その言葉に嘘はない。セトリを決めた時、蘭は確かに良いと思った。そう言う蘭のまっすぐな瞳を見て、他の四人もそれが蘭の本心だと悟った。
蘭以外の四人は内心でため息をつく。蘭のこういった言動は今に始まったことではない。Afterglowにとってこの光景は、日常の一コマに過ぎないのだ。
それに四人は知っている。蘭の言葉が単なる我儘ではないことを。ライブが成功することを一番に考えているからこその発言なのだ。
以前にも蘭の言葉がキッカケでセットリストを変更したことがあった。その時のライブは自分達が想像してた以上の盛り上がりを見せた。変更する前のセットリストだったら、あれだけの盛り上がりは無かったかもしれない。
その時のことは全員が鮮明に覚えている。だから今回も、突然のことに不満はあれど全員が蘭の言葉を真剣に受け止めていた。
「……よし、じゃあもう一回セトリ考えよっか!」
リーダーのひまりが明るく場を仕切り、彼女達はもう一度セットリストを考えていく。
Afterglowが出演するクリスマスライブは、他にも色んなバンドがステージに立つ。各バンドに与えられた時間は、およそ四曲を演奏ができる程度だ。
「まずは一曲目だけど、みんな意見があったらバシバシ言って!」
「モカちゃんは前のと同じになるけど、やっぱり“That Is How I Roll! ”が良いと思うな〜」
「うん、あたしも一曲目は同じ」
「なんだよ蘭、結局同じじゃねーか」
それぞれがセットリストについて自分の意見を出していく。時に茶化しながらも真剣に、五人は意見をぶつけて議論を進めていく。
ああでもないこうでもないと話している間にも、時計の針は確実に秒数を刻んでいく。気がつけば窓の外は太陽が傾いていた。
議論を始めてから既に数時間が経過した。しかし肝心のセットリストは、最後の一曲が決まらないでいる。
「はぁ〜、もう疲れたよ……」
「ひーちゃんに同じく……もう早く決めて帰ろうよ〜」
決まらないまま時間だけが過ぎていき、モカとひまりの二人が根を上げて机に突っ伏してしまう。
蘭と巴とつぐみの三人は未だ元気に議論しているが、顔にやや疲労の色が見え始めていた。
「じゃあどうすんだよ。三曲目まではバッチリ決まったけど、最後だけ決まらないままでいいのか?」
「巴ちゃんの言う通りだよ。曲が決まらないとライブに向けた練習も意味ないよ。ほら二人とも起きて」
「つぐってるなぁ」
「そうだつぐ、つぐりすぎて肩凝ってない? モカちゃんが揉んであげるよ」
「凝ってない! つぐつぐ言ってないで起きる!」
もう疲れ切ったモカとひまりは何とかして議論に参加しない方向に舵を切ろうとしたが、結果として真面目なつぐみに叱咤されてしまう。
丁度そのタイミングで、ドリンクを補充しに行っていた蘭が席に戻ってきた。
「お待たせ。それで、最後の曲なんだけど──」
「ねぇひーちゃん、何頼む? あたしはイチゴパフェにしようと思うんだけど」
「これ結構量多くない? 私も甘いもの食べたかったし、一緒に食べようよモカ」
「いいよ〜。すいませーん、イチゴパフェひとつ」
注文を受けて店員が去っていく。スイーツを注文して満足気な笑顔を浮かべているモカとひまりだったが、その笑顔はすぐに消えていった。
「真面目にやる」
「「……はい」」
鬼の形相をしたつぐみに窘められる。ふざけ過ぎたと反省する二人だけど、スイーツでも頼まないとやってられないというのが今の状況だった。
「でもどうするの? 今ある曲全部当てはめてみたけど、蘭はどれも違うって言うじゃん」
「かと言って前の三曲が違うかって言うと、蘭ちゃんはそっちは完璧だって言うよね」
「……うん、ごめん」
蘭自身も流石に我儘が過ぎていることは自覚していた。つぐみの言ったように、三曲目まではクリスマスライブに相応しいと思えるセットリストになった。
しかしモカが言ったように、自分達の持っている曲を全て最後に当てはめてみて検証したけれど、どれも納得のいくセットリストにはならなかった。
すると議論はふりだしに戻る。再び一曲目から考えてみたが、やはり三曲目までは変わらなかった。
逆に最後から順番に決めてみたけど、それも納得のいくものにはならなかった。
「もう一番最初に決めたやつでいいじゃん」
「でも蘭はそれだと納得できないんだろ?」
「うん、一番最初のセトリもやっぱ違うんだよね」
決まらないのであればとひまりが提案してみるも、蘭の答えは変わらなかった。そもそも最初のセットリストに不満があって始まった議論だから、元に戻すとただ無駄に時間を過ごしただけになってしまう。
「じゃあどうするのさ〜。新曲でも作るわけ?」
終わりの見えない議論に辟易していたモカが、運ばれてきたイチゴパフェを口に運びながら、そう言葉を漏らした。
「新曲かぁ……丁度クリスマスなんだから、ラブソングとかやってみたいかも」
同じくイチゴパフェに舌鼓を打ちながら、ひまりがモカに同調する。ファミレスまでの道中でも、ラブソングが流れていたことをひまりは思い出していた。
「ラブソング……それ、いいね」
「ふぇ?」
モカが何気なく言ってみて、それにただ乗っかったひまりの言葉だった。しかしそれに蘭が前向きな反応を示した。
まさか蘭まで乗ってくると思ってなかったモカとひまりは、イチゴパフェを食べる手が止まり目を丸くした。
「クリスマスライブなんだしラブソング。うん、合ってる気がする」
その場にいる全員が呆気にとられた。蘭が本気だからだ。軽い冗談のようなモカとひまりの発言に、蘭は冗談ではなく本気で乗ろうとしている。
「ちょ、ちょっと待って蘭ちゃん! 今から曲作るの!?」
つぐみが思わず止めに入る。ライブまで一ヶ月しかないのに、今から新曲を作るのは中々の無茶である。
「うん、そのつもりだけど」
しかし蘭は平然と答える。セットリストの議論をしたけれど一向に決まらない中、ひまりの言ったラブソングが一番しっくり来たのだ。
「アタシは蘭が納得したなら構わないよ」
「そうだね、今ある曲じゃ決まらなかったわけだし」
「こうなった蘭は絶対に折れないからなぁ〜」
「はぁ……ようやく決まったね」
蘭以外の四人はそれぞれ納得した様子だった。こうなった蘭が折れることは滅多にない。一度は決まったセットリストを覆してまで決心したことだ。反対しても押し通すことは全員が知っている。
「蘭、本当に作るの? 今までラブソングは一度も作ってないけど」
「任せて。絶対に作るから」
力強い蘭の言葉。その目には確かな覚悟が宿っていた。蘭なら大丈夫だと、四人はそう確信する。
「でもあたし、ラブソングってほとんど聴いてないんだよね」
そう思った矢先の蘭の言葉。不安になった巴が思わず蘭に確認する。
「おい、そんなんで大丈夫なのか?」
「大丈夫。安心して」
蘭の言葉はやはり力強く、表情には自信が窺える。ラブソングを聴かないという蘭だが、何か秘策でもあるのだろうか。
すると蘭は、ひまりに目を向けた。蘭とひまり以外の三人は、やはりそうかと納得の表情を浮かべている。
「ひまり、参考になりそうな曲いくつか持ってない?」
「持ってるよ! 家にたくさんCDあるから貸してあげる!」
「流石ひまり。助かる」
想像通りのひまりの答えとテンションの上がり具合は、先程までの議論で緊張していた空気を和やかなものに一変させた。
「よし、じゃあ帰るか」
巴が声をかけて彼女達はようやくファミレスを出た。長かったセットリストを決める会議もようやく終わりを迎え、メンバーの顔には笑顔が浮かんでいた。
蘭が初めて作るラブソング。全員が不安な気持ちはあるけれど、それ以上に期待の方が大きい。どんな曲に仕上がって、ライブで演奏して、どんな反応が返ってくるのか。
これから蘭が新曲を書き上げて、それからライブまでに練習をして完成度を高める作業が待っている。大変だけど楽しみだという気持ちを、全員が持っている。
そんな思いを抱きながら、Afterglowは帰路に着く。夕焼けはずいぶん前に過ぎ去っていた。
吐く息が白に染まり、冬の到来を感じさせる十一月の終わり。星空の中にはオリオン座が浮かび上がっていた。
クリスマスライブまで、あと一ヶ月。
*
新曲を制作するにあたって蘭がまず最初に取り組んだのは、ひまりから借りたラブソングを聴き込むことだった。
これまで蘭はラブソングをほとんど聴いてこなかった。そんな自分が一発で曲を完成させられるはずがない。まずはラブソングを聴いて、研究する作業が必要なのだ。
ひまりから借りた曲の研究は三日かかった。蘭はそこから更にラブソングへの造詣を深めるべく、過去に流行った曲や今流行りの曲を聴き、研究することにした。
その研究が終わった頃には、前回の練習から一週間が経過していた。クリスマスライブまで残り三週間。練習の時間を考えるとタイムリミットは二週間後。それまでに蘭は曲を完成させなければならない。
研究してみると、ラブソングはポップスやバラードが主流であった。愛を歌うとなると、そういったジャンルの音楽が目立つようだ。
歌詞も共通点が多かった。恋をすると皆似たような想いを抱くのだと、恋を知らない蘭は曲から学んでいた。
そして気がつけば蘭はラブソングにハマっていた。聴けば聴くほど味が出てくるところや、感情を乗せた歌詞が特に気に入っていた。
曲を聴いて研究をして、蘭はラブソングがどのようなものであるかを学んだ。あとは勉強したことを活かして曲にするだけ。
蘭は愛用のペンを握り、曲作りに取り掛かっていく。この一週間で聴いた数々のラブソングを参考にしながら、蘭はまず歌詞から書き始めた。
*
ライブまであと二週間。Afterglowの面々は練習のためスタジオに集まっていた。
この日は蘭も遅れることなく時間に間に合い、練習は順調に行われようとしている。しかし練習が始まる直前、皆が気になっていたことをモカが声に出した。
「蘭、顔色悪いけど大丈夫?」
「大丈夫。それより早く練習しよう」
蘭は大丈夫だと言うが、明らかに顔色が悪くとても大丈夫には見えない。蘭が強がっているのは誰の目から見ても明白だった。
「ちゃんと眠れてないんじゃないのか?」
「そうだよ。蘭ちゃん、昨日何時に寝た?」
「……朝の四時」
「もう! ちゃんと寝なきゃダメだよ!」
「ごめん」
巴につぐみ、ひまりと立て続けに言われると、流石の蘭も痛いところを突かれ反省する。この数日間は十分な睡眠時間を確保できていないことは、蘭自身が一番自覚している。
「もしかして、新曲作るのに苦労してるの?」
「……」
ひまりに指摘されて蘭は押し黙る。睡眠不足で体調が優れない理由は、まさにひまりの言った通りだからだ。
新曲でラブソングを作ると決めてから二週間。一週間をラブソングの研究に費やしてから曲作りを開始した蘭であったが、中々納得のいくものができず停滞していた。
睡眠時間を削って何とか曲作りを進めようとしているけど、完成する気配は全く無い。曲作りは一向に進まないまま時間だけが過ぎていき、焦りが生まれ、更に睡眠時間を削る悪循環に陥っていた。
「やっぱり。蘭がつぐってるのはいいんだけど、ちゃんと寝なきゃ良い曲はできないと思うよ」
「ちょっとひまりちゃん!? 私はちゃんと寝てるよ!」
「……うん、ごめん。今日はちゃんと寝るから」
つぐみを引き合いに出して何とか場を和ませようとしたひまりであったが、蘭が笑うことはなかった。
ラブソングを作ると豪語したくせに、現状進展はゼロ。皆に迷惑をかけているからこそ、蘭は自身のふがいなさを痛感していた。
「なあ蘭、そこまでしんどいのに新曲じゃなきゃダメなのか?」
巴が蘭にそう尋ねる。表情は真剣そのもので、だけどその中に心配の色があった。
「トモちん、どういうこと?」
「体調を崩すぐらいなら、ライブは今ある曲でやる方がアタシはいいと思うってこと」
「それはダメ!」
蘭が大声を出して巴の意見を拒否したことに、全員が驚愕の表情を浮かべた。ライブ中ならまだしも、普段の蘭がここまで感情を表にすることは滅多にない。
大声を出してしまったことを蘭も反省している様子だ。しかし蘭はその後、ゆっくりと抱えている思いを話し始める。
「バンドを始めてからライブをして、今まで見たことのない景色をたくさん見れた。あたしは皆と、もっと新しい景色が見たい。挑戦することをやめてしまうと、もうそんな景色は見れない気がする。だから……」
蘭がAfterglowでの活動に抱いていた率直な思い。新しいことへの挑戦が、ライブに懸ける情熱が、蘭の中で強固なものとして存在していることを四人は思い知らされる。
音楽に真剣に取り組んで、誰よりもライブに懸ける思いが強かった蘭。その裏には五人で新しい景色が見たいという強い思いがあった。
「アタシが悪かったよ、ごめん」
「ううん、あたしの方こそ……」
蘭と巴の間に気まずい空気が流れる。巴の言葉は自分を心配してくれてのものだと蘭は分かっている。巴も蘭の秘めた思いを聞いて、自分の言葉が蘭の大切なものに触れるものだと知った。
互いにバツが悪い顔のまま、永遠に思えるほどの沈黙が続く。
その沈黙を破ったのは、Afterglowリーダーのひまりだった。
「はーい! お互い謝ったんだし気まずいのはそこまで! なんだかこっちまで気まずいじゃないの!」
明るくはつらつとしたひまりの声は、場の空気を一気に緩和させた。
「みんな蘭のこと信じてるから、新曲頑張って!」
「モカちゃんも蘭ならできるって信じてるぞ~」
「でも睡眠はちゃんと取ること!」
「アタシも、蘭のこと信じてるから」
四人それぞれから励まされて、蘭の胸は熱くなる。曲作りが進まず体調を崩して心配させて、幼馴染に迷惑をかけているというのに、そんな自分を励ましてくれて、信じてくれている。
「ひまり、モカ、つぐ、巴……うん。ありがとう」
蘭の目により強い覚悟の火が灯った。新曲の制作は先が全く見えないけれど、自分を信じてくれる幼馴染のために。たとえ地べたを這いつくばっても、泥水を啜ることになったとしても、絶対にラブソングを完成させてみせる。そう心に誓った。
「それじゃあ、練習始めるよ! えい、えい、おー!」
ひまりの掛け声はまたしても揃わなかった。いつもとは違う空気だったけれど、変わらない光景がそこにはあった。
クリスマスライブまで、あと二週間。
*
バンドメンバーに激励されて曲作りに力を入れる蘭だったが、事態はそう簡単に好転するものではなかった。
机の上の紙は全くの白紙。歌詞もコードも、曲に必要なものすべてが何ひとつ出来ていない現状。進行状況は考え得る限り最悪だった。
睡眠時間は確保するよう注意されたが、もはや削って行かないと間に合わない。寝る間も惜しんでラブソングの制作に時間を充てているけれど、肝心の曲作りは停滞を極めていた。
既に夜中の四時を過ぎているが、蘭は起きてから一度も寝ていない。休憩も食事などの最低限だけで、蘭は一日中作業をしている。
しかし、成果といえば部屋中に投げ捨てられたくしゃくしゃの紙の数々。
書けど書けども納得がいかずに紙を丸めて捨てる作業を、蘭は一日中繰り返している。
終わりが見えてこない曲作りに、蘭の疲労はピークに達していた。
デスクランプだけが灯る暗い部屋の中、蘭は椅子の背もたれに身を傾けて天井を眺めていた。
些細なきっかけでいい、何かラブソングに役立つアイデアが下りて来ないだろうか。そんな祈りを胸に上を向いている蘭であるが、天井に良いアイデアがあるはずもない。
「ふぅ……」
蘭は大きくため息をついた。このままアイデアが降ってくるのを待っていてもキリがない。何か気分転換が必要だ。
そう考えた蘭は椅子から立ち上がった。部屋着の上から黒のダウンコートを羽織り、そのまま部屋を出た。
家の玄関を抜けて外に出ると、暗い景色の中に白が敷き詰められていた。
「……雪、降ってたんだ」
昨日の夜から降り続いていた雪が積もっているのだが、部屋にこもっていた蘭は雪が降っていたことを知らなかった。
純白の雪景色を見て、蘭は自嘲した。まるで曲作りが全く進んでいない、真っ白な譜面のようだと思ってしまう。
しかし蘭はすぐさまかぶりを振った。マイナスな感情ばかり抱いていては、ラブソングは作れない。
幸いにも今は雪が止んでいて、傘をさす必要はなさそうだ。蘭はコートのポケットに両手を突っ込んだまま、降り積もった雪に足を踏み出した。
蘭は特に何も考えず、行き先も決めずにただぼんやりと歩いていく。雪の上を歩くのは新鮮で、気分転換にはちょうど良かった。
その後も蘭は適当に歩みを進めていく。極力知らない道を通るようにして、交差点もその時の気分で曲がる方向を決め、ただひたすら歩いていく。
そうやって歩いていると、蘭の目に小さな公園が映った。ベンチが一つに砂場とブランコがあるだけの場所。夜中の五時過ぎに人がいるはずもなく、公園は無人だった。
興味を惹かれた蘭はその公園に入っていく。そして真っ直ぐにブランコへと向かっていき、そのひとつに腰を下ろした。
ゆっくりとブランコを漕ぎながら、蘭は空を見上げた。雲で覆われた暗い空を眺めながら、ブランコに乗るのはいつ以来だろうと、そんなどうでもいいことを考えていた。
蘭はしばらくブランコに揺れながら、過ぎ去っていく時間に身を任せた。
今日の昼はライブに向けた最後のスタジオ練習がある。だけどこのままだと、曲は出来そうにない。練習の時は皆に頭を下げて、残った時間で何とか形だけでも作るとしよう。
ラブソングを作るのがこんなに難しいなんて、蘭は思いもしなかった。今まで色んな曲を作ってきた。ラブソングは初めてだったけど、自分なら作れるという自信があった。
だけどそれは、根拠のない自信だった。
歌詞を書いても、恋愛をしたことのない蘭にはどこか嘘っぽく思えてしまう。
メロディを書いても、自分で書いたラブソングの音に違和感が残ってしまう。
有名なアーティストの作ったラブソングは聞き惚れるほど素晴らしい曲なのに、自分が作ると何故こうも違う曲になってしまうのか。
その答えを見つけ出せないまま、蘭は今に至る。
もはやブランコを漕がずただ座りながらそんなことを考えていると、東の方角がゆっくりと明るみを帯びてきた。
時刻はもう六時を過ぎている。蘭は一時間も公園で考え込んでいた。
「……帰ろう」
どこか諦めがついたような声でそう呟いて、蘭はブランコから腰を上げた。
目の前に視線を向ける。公園に入ったときと同じ一面の雪景色であったが、ひとつだけ違うところがあった。
「……っ」
思わず蘭が息を飲む。目の前に広がるその光景を見て、蘭にひとつの感情が生まれた。
蘭の目に映る景色。
それは降り積もった雪の上に、自分が歩いてきた足跡が残っている。ただそれだけの景色。
だけど蘭にはそれが、真っ白だった譜面に刻まれた音符のように見えた。
「そうか……あたしはずっと、間違ってたんだ」
蘭がポツリと呟く。雪に残した足跡を見て、蘭は自分が間違っていたことにようやく気づくことができた。
ラブソングを作ろうとして、これまでずっと既存の曲らしく作ろうと意識し過ぎていた。
人気や流行が正義だと決めつけ、疑うことを放棄し、やっていたのは先人の模倣。模倣ばかりに意識が傾いて、最終的には一番大切な自分らしさを見失っていた。
歌詞が嘘っぽく見えてしまうのも、メロディに違和感が残ってしまうのも、それら全ては自分を置き去りにしていたからだと、今になって思う。
雪の上に刻んだ足跡。それは蘭に、自分が今まで歩いてきた道を思い出させた。
仲の良い幼馴染とバンドを結成し、一緒に音楽を奏で、何度もライブに出演した。
初めてライブで演奏したとき、観客の熱狂ぶりに圧倒されたのを蘭は覚えている。その熱気に負けないようにと、感情をぶつけるように歌った。ライブに出演する人なら普通のことなのかもしれないが、その強烈な出来事は蘭の中に今でも鮮明に焼き付いている。
蘭は自分の中にあったその軌跡から道を外して、ラブソングを作ろうとしていた。
人気や流行は参考にするべきだ。蘭がAfterglowの音楽をやるにあたって、自分が愛してやまない音楽を参考にして、Afterglowの音を作っている。
しかし今回の蘭は、ラブソングという自分のよく知らない音楽を作る中で、人気や流行を気にしすぎていた。そしてそれらの音楽を参考にし過ぎていた。
自分の音楽を見失った状態でラブソングという新しい音楽に取り組んでいたのだから、嘘っぽくて違和感が残るのは、考えてみれば至極当然の結果だった。
大切なのは自分の本気の言葉で、自分たちの音楽をやり切ることだった。
Afterglowとは、今までそうして生きてきたのだから。
「やってやる……絶対に完成させる……!」
決意に満ちた蘭は、真っ直ぐ走り出した。
雪に残した足跡を辿って、全速力で駆けていく。
蘭の顔からは不安の色が消え、スッキリと晴れ渡っている。
自分が歩いてきた道が、これから進むべき道を教えてくれる。
道が分かっていれば、もう何も心配ない。
──美竹蘭は、もう迷わない。
*
その日の昼過ぎ。Afterglowはいつもの音楽スタジオで、クリスマスライブに向けた最後のスタジオ練習を始めようとしていた。
巴が力強くドラムを叩き、ひまりが支えるようなベースを弾いている。つぐみがキーボードで彩りを放ち、モカの突き刺すようなギターが奏でられる。
そんな中、彼女達の間にひとつ問題が起こっていた。
ギターボーカルの蘭が姿を見せていないのだ。約束の時間はもう十分以上過ぎている。心配になって蘭に連絡をしたけど、返事は帰ってこなかった。
仕方がないので四人は蘭を待ちつつ、セットリストの三曲目までを合わせることにした。
しかし問題はもう一つある。
セットリスト最後の四曲目。蘭がラブソングを作るという話だったが、その蘭本人が来ていない。蘭が曲作りに苦戦していて、まだ曲が出来ていないことを四人は知っている。
今日の練習は時間のほとんどを新曲の練習にあてる予定だった。だが肝心の蘭が姿を見せない。
もしかしたら曲が完成せず、蘭が練習をすっぽかしたのではないか。四人とも幼馴染を疑いたくはないが、そんな考えがよぎってしまう。
もし蘭の新曲が間に合わなかった場合は、自分たちが慣れている曲をライブの最後に演奏することになる。これは先程リーダーのひまりが提案して、その場にいた蘭以外の全員が納得したことだ。たとえ蘭が拒否したとしても、土下座して押し通すつもりでいる。
だがそれは本当に最悪の場合。四人は蘭がラブソングを仕上げてくると、心の底から信じている。
四人とも、蘭の負担が大きいことは十分承知している。ギターボーカルというバンドの顔となる立ち位置に加えて、作詞作曲も一人でやっているのだ。
もし蘭の新曲が間に合わなかったとしても、蘭を責めるような人間はAfterglowにいない。むしろ今まで蘭に負担をかけすぎたと、四人ともが反省している。
皆、蘭に感謝しているのだ。こうして楽しくも真剣にバンドができていること、蘭が言っていた新しい景色が見れたこと。蘭がいなかったら、こんな輝やいた時間を共有することはできなかった。
蘭が姿を見せると信じて、新曲を完成させると信じて、四人は練習に力を入れていく。
一曲目から通しで練習して三曲目。
最後のサビに入りかかろうとした、その時だった。
スタジオの扉が重たい音を立てて開かれた。
四人全員が演奏を中断して、視線を扉の方に向ける。
そこに立っていたのは──。
「ごめん、だいぶ遅れた」
──ギターを背負い膝に手を着いた、美竹蘭だった。
「蘭ってば、待たせすぎだよ……」
ギターを持った青葉モカが、若干涙声になりながら蘭を見つめる。蘭はかなりの汗をかいていて、更に息を切らしていた。
「ごめん、かなり急いだんだけど」
「ううん、いいよ。かなり遅かったけど、みんな信じてたから」
キーボードの前に立つ羽沢つぐみの優しい言葉に、蘭は胸がじいんと熱くなった。モカの顔を見てわかったけれど、皆本当に自分を信じて待ってくれていたようだ。
蘭が背負っていたギターケースを下ろし、ケースの中をがさごそと漁っていた。すると宇田川巴がドラムセットの奥から蘭に声をかける。
「みんな蘭の心配してたんだから、遅れるなら連絡してくれよ」
「わかった。次からは絶対に遅刻しない」
ギターケースを漁りながら、蘭は幼馴染に心配をかけたことを反省した。もう絶対に遅刻はしないと、蘭は幼馴染に誓う。
「あと、これ。新曲のラブソング」
ついでにといった感じで、蘭はギターケースから一枚の紙を取り出した。
それはラブソングの歌詞と、蘭が弾くギターの音が書かれた楽譜だった。
「良かった……新曲、出来たんだ」
「うん。遅くなって本当にごめん。みんなのパートは弾きながら全員で作っていこう」
蘭が新曲を無事に間に合わせたことにモカは安堵して涙ぐむ。幼馴染を泣かせてしまったこと、そして新曲の完成が遅くなってしまったことを、蘭は四人に詫びた。
「それじゃあ、蘭が来て新曲も間に合ったことだし、練習始めるよ! クリスマスライブまであと少しだからね。みんな気合い入れていくよ! えい、えい、おー!」
ベースを持ちながら全員の気合いを入れようとする上原ひまり。しかしその掛け声に合わせるメンバーは、やはり誰一人いなかった。
いつも通りの、今まで五人で歩んできた中にある変わらない光景。
彼女達、仲の良い幼馴染五人が集まったガールズバンド。
それがAfterglow。
五人で進んできた道を信じて、ライブに向けて準備を進めていく。
クリスマスライブまで、あと三日。
*
十二月二十四日、午後八時。
クリスマスイブの夜、街は仲睦まじい恋人たちで賑わっている。
そんなイブの夜、とあるライブハウスではクリスマスライブが幕を開けようとしていた。
数々のバンドが出演するとあって、客席はイブの夜にもかかわらず多くの人の姿があった。
そんなクリスマスライブに出演するAfterglowは、ステージの袖からたくさんの人で埋まった客席を眺めていた。
「うぅ……こんなにお客さんいると緊張するよ」
客席の人を見たつぐみが緊張を包み隠さず言葉にする。これまでたくさんのライブを経験したけれど、人前で演奏するのに未だ慣れずにいた。
「何言ってんだつぐ、堂々としてればミスってもバレないって」
対照的に巴の表情は自信に満ちていた。その言葉の通り、巴は一段と堂々としている。
「いや、ミスるのはダメでしょ」
冷静にそう指摘したのはひまり。リーダーである彼女はなるべく不安を出さないよう努めているが、足が少し震えていた。
「これだけたくさんの人に聴いてもらえるなんて、あたし達は幸せだよね~」
どこか他人事のようにモカは呟いた。普段通りマイペースなモカの姿を見ていると、全員の緊張が自然と薄れていくから不思議だ。
「……」
「……蘭? どうかした?」
客席を見ても黙ったままの蘭を、モカは不思議に思った。もしかしたら柄にもなく緊張しているのだろうか。
「いや、モカの言う通りだなって」
「うん?」
「今からあたし達の歌を、こんなに多くの人に届けられる。この中の何人に届くのか分からないけど、一人でも響いてくれたら嬉しい。たくさんに響いたらもっと嬉しい」
「じゃあ、全員に響いたら?」
蘭の紡ぐ言葉の中で、モカは興味本位でそんなことを尋ねてみた。
すると蘭は深く目を閉じる。今からステージに立って、全員に歌を届かせる想像をしているのだろう。
蘭が目を見開いた。モカに向けた蘭の顔は、嬉しそうに笑っていた。
「そんなの、最高に決まってる!」
自信に満ち溢れた蘭の顔は、全員に届かせてやると言っているように見える。
「はーい! Afterglow集合!」
奥の方からひまりの声が聞こえた。気がつけばステージ袖には蘭とモカの二人だけになっていた。
二人はひまり達の待っている方へと向かう。
「あと少しで始まるって。私達の出番は一番最初だから、気合い入れていくよ! えい、えい、おー!」
今回こそはと放たれたひまりの掛け声であったが、やはり誰一人として揃うことはなかった。
これがAfterglowの日常風景。心底悔しがっているひまりだが、彼女の揃わない掛け声のおかげで、全員の緊張はどこかへと消え去った。
いよいよ始まろうとするライブに向けて、彼女達は最後の準備に取り掛かっていく。
暗転したステージに機材をセットしていき、それぞれ楽器の最終チェックを忘れずに行う。
やがて全員が位置につき準備が整った。
──次の瞬間。
ステージが明転する。
ドラムとギターが同時にイントロを紡ぎ出し、続けざまにベース、キーボードが加わる。
そうして奏でられるのはAfterglowらしいロックナンバー。
スポットライトが縦横無尽にステージ上を駆けまわり、彼女達の存在を客席へと知らしめる。
互いの音がぶつかり合うようでいて、見事な調和を保っている。疾走感が心地良く、重厚感があって肉体的な、五人で奏でる本気の音楽。
イントロだけで確かな演奏技術が伴っているのを、Afterglowはこの場にいる全員に知らしめた。
そしてマイクの前に立った蘭が歌い出す。
周りの目は気にせず、自分らしく生きていけ。
そんなメッセージを乗せて蘭は歌う。
──『
Afterglowの音楽は客席を一瞬で釘付けにした。ライブが始まってすぐだというのに、会場は早くも熱気に包まれている。
一曲目、『That Is How I Roll!』の演奏を終えると、客席からは割れんばかりの歓声と拍手が響きわたった。
熱気が凄まじくて早くも汗だくの蘭は、水をひと口含んだあと、再びマイクに近寄っていく。
「クリスマスライブ、盛り上がってるかーー!」
蘭が煽ると客席から怒号のような歓声が返ってくる。聞くまでもなく、会場は最高の盛り上がりを見せている。
「もっともっと盛り上げていくから、全員しっかり付いて来いよーー!」
刹那、ギターソロを合図に二曲目が始まる。
疾走感の中に切なさを感じさせるリードギターの音色が、一瞬にして客席を感情移入させる。
蘭が歌うのは、思いを素直に伝える勇気の歌。
変わることを怖れずに、思いを声に出して行動しろ。
後ろ向きな思いは前向きに変えられる。
今を全力で進んでいけ。
──『
Afterglowの本気の思いは、客席のボルテージを更に引き上げた。歓声が響き渡り、次の曲を今か今かと期待が渦巻いている。
二曲目、『True color』を終えたAfterglowは、客席からの歓声が鳴り止むのを待たず、次の演奏に突入した。
蘭とモカによって繰り出されるギターの応酬に、客席はより一層盛り上がっていく。
そこにひまり、巴、つぐみが合流して力強いイントロが奏でられる。
そうして歌い出す蘭の言葉は、より強力なメッセージを客席にぶつけていく。
他人と比較して自分の限界を決めつけるな。
どんな小さな壁でも、乗り越えることに意味がある。
自分らしく生きてゆけ。
──『
Afterglowが歌うに比例して、客席のボルテージも上がっていく。自分たちから始まったクリスマスライブは、既に終盤を迎えたのかと錯覚するほどの熱気で包まれていた。
三曲目、『Y.O.L.O!!!!!』を終えた蘭は、再び水を口に含んだあと、マイクを握った。
「次があたし達の最後の曲だ! まだ足りない! もっともっと、もーっと盛り上がれーーーーッ!!」
今までで最大の歓声が鳴り響く
だけど蘭には物足りず、更に客席を煽っていく。
「まだまだ! もっと盛り上がれるだろ! もっと! もっと! もっと!」
蘭の声に呼応するように、最大だと思われた歓声が一段、また一段と凄みを増していく。
それでも蘭は臆することはない。
これから今まで以上の本気をぶつけるのだから、客席も本気になってもらわないと困る。
本気の盛り上がりがようやく見えて、蘭は満足そうに笑みを浮かべた。
「それじゃあ最後の曲! 最後まで本気で付いて来いよーーーーッ!!」
そうして最後の曲。今日のために書き下ろしたラブソングが披露される。
巴がワンツーとドラムスティックを打ち鳴らした。
次の瞬間。
蘭、モカ、ひまり、巴、つぐみ。五人が一斉に衝突し、そしてひとつの音となる。
本気でぶつかり合う五つの音。ひとつひとつの音が強烈に主張しながらも、その中に調和が生まれ重厚感と疾走感が青臭さを奏でている。
新曲のラブソングは、Afterglowらしいロックナンバーだった。
イントロを一気に駆け抜ける。
そしてマイクの前に立った蘭が歌い出す。
蘭が歌に乗せてぶつけるのは、ラブソング制作で体感した蘭自身の思い。
人気や流行に考えなしに飛びついていないか?
本で読んだ言葉をそのまま伝えようとしていないか?
飾りつけした愛は、薄っぺらい嘘のようだった。
飾りつけをした自分は、飾りを外せば自分でしかない。
だから全て捨てて、自分の言葉で伝えよう。
今まで歩いてきた道が、自分自身だ。
歩いてきた道を信じろ。
本当の想いを伝えられるのは、本当の自分しかいない。
今、自分だけの本気の言葉で、本気の愛を伝えよう。
最後の曲を歌い切った蘭は、達成感に満ちた表情をしていた。
顔は汗が噴き出ていて髪がへばりついているが、そんなことはどうでもよかった。
このクリスマスライブのステージで、自分の本気の思いを歌にすることができた。
全員に届けられたか分からないけど、蘭自身はたくさんの人に届いた感触がある。これだけ本気でぶつかってきた客達だ。本気の歌が届かないはずがない。
張り裂けそうな拍手と歓声が、客席からAfterglowに浴びせられる。
蘭は自分たちに最後まで付いてきてくれた客席に、拍手を送りたいぐらいの気持ちだった。
最後に一言だけ感謝を伝えようと、蘭はマイクの前に立った。
その場所に立った蘭の中から、ひとつの言葉が湧き上がってきた。
それは着飾らない蘭が言う、蘭だけの本気の言葉。
ありふれた言葉だけれど、この想いを伝えるにはこの言葉しか無い。
「みんな、愛してるぜーーーーッ!!」
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