苦味と甘味の匙加減 (雪乃シロ)
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第1章 邂逅、Afterglow
傘とケーキとコーヒーと


バンドリSSは初投稿です。
プロローグ程度に読んでいただければと思います。

それでは、始まり始まり〜


あの日の午後。

 

 

「いらっしゃいませ!」

 

「あ、ども」

 

 

これが俺たちの出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って短!もっと説明することないの!?」

 

「うるさい虫だな」

 

「虫って何だよ!?」

 

「………」

 

「いや無視はするなよ!」

 

「虫と無視を掛けたのか…虫にしては高等だが寒いから二度と南極から出てくるんじゃないぞ」

 

 

つまらないギャグに喧しい声が非常に不愉快な虫は黒川(くろかわ)(りん)、という学名らしい。らしい、というのは確定事項ではないだけで俺の中では長年この生き物の正式名称であると主張が為されている。

 

 

「で、その女の子との出会いをもっと詳しく」

 

「何故お前にそんなことを言わねばならんのか理解に苦しむ、故に黙秘権を行使する」

 

「ムカつくなおい!いいじゃん友人の色恋沙汰くらい教えてよ〜」

 

「却下」

 

 

申し遅れたが俺の名前は木崎(きざき)結羽(ゆう)。まあ大して珍しい名前でもないが、難点は女のような漢字に少し不満があると言ったところか。

凛に言うと面倒臭いから回想に留めておくとするが、結局件の女子と関係を持った(変な意味ではない)のは週が明ける前、金曜日のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…天気予報士もびっくりの大雨だな」

 

 

人の少なくなった教室の窓際の席で俺は呟く。

朝の予報では一日通して晴れも晴れ、天気良好とのことだったのでこの裏切りとも言える仕打ちは少し手厳しい。

 

 

「まあ俺は傘持ってるんだがなぁ」

 

 

万が一の事態に備えて平時から折りたたみ傘をカバンに忍ばせておいて正解だった。今では雨の中慌てて駆け出す生徒達を見てほくそ笑むほどに余裕と優越感がこの傘から伝わってくるようだ。

 

 

「…帰るか」

 

 

担任に押し付けられた雑務を渋々済ませれば、皆部活か帰宅かに急ぎ教室からは一部を除いて人気が失われる時間になっていた。午後5時過ぎ、俺は傘をカバンから取り出し必要なものを詰め込んで教室を後にする。凛がいないと静かで落ち着く。

下駄箱に着き、上靴と引き換えにローファーを手に取ると、

 

 

「…どうしよう、傘持ってない…」

 

 

と声がした。どうやら隣の下駄箱…俺のクラスは2年A組、つまり1年の下駄箱から聞こえてくるようだ。

別に何か興味があったわけでもなく、人助けをしようという気もなく、去り際にたまたまそっちの方向に目を向けてしまった。それが全ての始まりだった。

 

 

「…何だあれは」

 

 

そこに立っていたのは普通の女子生徒…なのだが、手にした荷物がおかしい。

カバンからはクルクル巻かれた紙類が何本も突き出ており、ジャージが入っているであろう袋をかけ、ファイル等が入っていると思われる手提げ袋を持っている。

一言で言えば大荷物だ。

 

 

「…傘ないのか」

 

 

気づいた時にはもう声をかけていた。明らかな雨の予報ならスルーしたのかもしれないが、その荷物の多さとこのにわか雨を考慮すればまあ少しくらい助けてやるのも人情だろう。

 

 

「…え?あ、はい、でも大丈夫です!走って帰れば…!」

 

「いやアホかどうがんばっても濡れるだろその荷物」

 

 

そう言って俺は自分の荷物と女生徒の荷物を見比べる。しばしの沈黙の後、

 

 

「…仕方がない。この傘使え」

 

 

黒の折りたたみ傘を差し出した。

俺の方が走りやすい上に紙類を濡らして帰らせるのも俺からすればあまり気持ちのいい所業ではない。

 

 

「えっ!?いや大丈夫ですから!突然で申し訳ないですし…」

 

「いいから使っとけ。損するぞ」

 

「で、でも…」

 

「…そのプリント類をズブ濡れにして帰るか、傘借りて大人しく帰るか選べ」

 

 

我ながら理不尽な押し付けにも近いお人好しだと思う。

ほんの気まぐれというものではあるが。

 

 

「…あっ、じゃあ一緒に入りましょう。それならお互いそんなに濡れなくて済みます!」

 

「折りたたみだからそんなにでかくねえよ。いいから持ってけ、その代わりちゃんと返せ」

 

 

半ば強引に傘を手渡すと、俺は玄関を開けて雨の中へと踏み出す。休まず走ればそんなに長い時間はかからないだろう。

冬であればパーカーを下に着込むためフードが使えるのだがこの時期は生憎正装(に近い格好)のため雨を遮断する術はない。冬ならばそもそも雨の中傘もなく走るなどしない。どう考えても寒すぎる。凛と違ってそこまでアホではない。

 

 

「あ、あのっ!お時間ある時で構わないので、羽沢珈琲店にいらしてください!お礼をさせてほしいんです!」

 

「気が向いたらな」

 

 

セールス目的かと思いきや最後まで律儀な後輩だった。

あんな生真面目な人間、このご時世にいるもんだな…

 

 

「冷た…」

 

 

春の雨にしては予想以上に冷たかった。もう少し(ぬる)くてもいいものだが夏のようにしっとりして肌にまとわりつくような雨も好きではない。

雨に対する好みを頭の中で巡らせながら、恐らく学校から家までのタイムアタックで久しい自己ベスト更新を果たした俺はさっさとシャワーを浴びることにする。

 

 

「…ただいま」

 

 

温かいシャワーの前に天然の冷水シャワーを浴びて身震いしながら自宅の玄関を開ける。するとリビングの方から人が現れ、なんとなく間の抜けた声で返事が返ってくる。

 

 

「あらおかえりなさい…ってなんでそんなに濡れてるの。結羽、あなた折りたたみ傘持ってなかったの?」

 

 

俺の母親…木崎結依(ゆい)だ。

親のことを自分でこう言うのもなんだが、見た目では不老不死かというくらい若々しい。

そんな母親に今の姿を見られて訝しげに聞かれる。どうやら母親は俺の傘の所在を知っていたようで。

 

 

「…色々あった。取り敢えず風呂入る…のと、悪いけどこの後出かけるから帰り遅くなる」

 

「そうなの。夕飯は用意しておくけどあまり遅くならないようにね。気をつけて行ってきなさい」

 

 

風邪を引くのは大変遺憾なので着替えを用意して浴室へ入り、温かな湯をその身に浴びる。その間に頭の中を占めていたのは羽沢珈琲店…あの女生徒が言っていた店。恐らくは喫茶店、それも俺が利用したことがあるような気がする…ここで疑問が一つ浮上する。

 

 

「これから家を出るとは言ったが…いつ行くのか指定を受けていない…あとで、とも言われなかったな。いつ行くのが正解なんだ」

 

 

冷えた身体を温める中、そればかり考えていたが今更そんなこと言ったって仕方がない。傘もそこで返してくれるということなのだろう。貸した側としては返ってこない前提でいたのだが。傘パクとか言われる窃盗が横行する時代にしっかりと返してくれるのなら嬉しい限りだ。

ひとまず羽沢珈琲店へ向かうことに決め、俺は身体の水気をとり服を着る。

 

 

「いってくる」

 

 

念には念を入れて普段の服に一枚上着を重ね、財布を持って家を出る。

スマホからイヤホンを引っ張り耳に挿して今度は大きな傘を差す。

本当ならヘッドホンの方が好みなのだが雨の日に出したくないという個人的な理由によって部屋で待機しててもらうことに。イヤホンからシャッフルで音楽を流し入れる。

 

 

「さて…」

 

 

調べたところ羽沢珈琲店は商店街の一角に店を構えているようだ。デザートと飲み物の相性がとてもよいらしく、そこには実は秘密の協力者がいるんだとか。…火のないところに煙は立たないらしいし、噂が立つ時点でもう秘密ですらないと思うが。

 

 

商店街に行けばまあ見つかるだろうということでひとまず歩き続ける。商店街と俺の家は案外近い。羽丘学園──俺が通う私立の共学高校だが──との位置関係で表せば俺の家は商店街と羽丘の間、商店街寄りということになる。

 

 

「あれ?ユウくんやっほー!」

 

「…氷川か」

 

 

雨の中歩いていると、前方から紺の傘を差した羽丘の女子生徒に声をかけられる。彼女は氷川日菜、俺と同じクラスの変人だ。変人とはいってもとびきりの天才というおまけステータスつき。

 

 

「学校の外で会うなんて珍しいね〜。こんな天気なのにどこ行くの?」

 

「野暮用でな」

 

「ふ〜ん…なんかビビッとくる…ついていってもいい?」

 

「面倒だから却下」

 

 

こいつの感覚はよくわからないのだが、直感に優れている人間なので面倒を避けたいときは関わらないのが一番だ。悪いやつというわけではない…と思うのだが。

 

 

「ところで氷川はなんで一人で向こうから歩いてきたんだ。大方姉に傘を届けてきたといったところだろうが姉の姿が見当たらないな」

 

「おねーちゃんならまだやることがあるって。一緒に帰りたかったな〜」

 

 

氷川…日菜、の方はシスコンというわけではないもののかなりのお姉ちゃんっ子だ。口を開けば大抵「るんっときた」「おねーちゃんが」のどちらかが飛び出す。そのくらいよくわからん感性と妹バカを兼ね備えている。

 

 

「残念だったな。まあ家で大人しく姉の帰りを待つことだ」

 

「そんな言い方しないでよ〜数少ないユウくんの友達だよ?」

 

「俺が友達が少ないから惨めだ、みたいな言い方をするな。お前も似たようなもんだろうが」

 

 

友達が少ないとは失礼だな。一人でも困らないだけだ。

 

 

「そういうのを負け惜しみっていうんだよ知ってる?」

 

「人の心を読むな」

 

 

これも直感なのか知らんが俺からすればただのエスパーにほかならない。普段から思考を読まれるなど俺以外の人にとってもたまったものではないだろう。

 

 

「いいからもう帰れ。俺もそこまで暇じゃない。じゃあな」

 

「仕方ないな〜じゃあまた学校でね!」

 

「はいはい」

 

 

思ったより呆気なく台風は過ぎ去っていった。

どうして俺の周りには常識人がいないのか不思議だ。生憎類は友を呼ぶなどという戯言は信用していない。

 

 

 

氷川と別れた後、特に何事も起きずに商店街へと辿り着いた。が、よく訪れるわけでもないのでどこにどの店があるかまでは分からない。よく行くのはやまぶきベーカリーくらいか。母親は精肉店などを利用することも多いらしいが俺の知ったところではない。

 

 

「羽沢珈琲店…検索…お、出た」

 

 

スマホで検索にかけたところどうやらもうすぐそこらしい。次の十字路のコーナーに店があるそうだ。

傘を持つ手もだるくなってきたので足速に喫茶店を目指す──そこに先程の女子生徒がいることに少し期待をかけながら。

 

 

 

俺はイヤホンを外しドアに手をかける。そのまま開け放つと快いドアベルが雨音を消すように鳴る。その音に反応してテーブルを整えていたウェイトレスがこちらを向き言葉を発する。

 

 

「いらっしゃいませ!」

 

「あ、ども…ってさっきの」

 

 

それが、あの女子生徒であることに気づくまで時間はそうかからなかった。

 

 

「あ!先程はありがとうございました!おかげで無事帰ることができて…本当に来てくださったんですね」

 

「…別に。バイト中か」

 

「いえ!そういうわけでは…お父さん!」

 

 

………『お父さん』???

 

 

「さっき言っていた方がいらしたんだね。今日はもう大丈夫だから、しっかりお礼を伝えなさい」

 

 

『お父さん』という言葉にカウンターにいる男性が答える。もしかして親子でここで働いているのか…?それとも…

 

 

「えっと…自己紹介がまだでしたね。私、1年B組の羽沢つぐみです」

 

 

案の定。羽沢…ということはマスターの娘さんらしい。普段から家の手伝いとは精の出ること。最初の印象通り生真面目というか。

 

 

「羽沢…マスターの娘か。2年の木崎結羽、だ。結ぶ羽根と書いて結羽…女みたいな名前だとか言うなよ」

 

「い、いえそんなことは!素敵な名前だと思いますっ」

 

 

これは褒められてるのか…よくわからないな。それにたとえ褒められたところで名前をつけたのは両親なのだから俺が喜ぶ事でもない。

 

 

「あ…えっと、取り敢えず座りましょうか」

 

 

そう言って俺をカウンター近くのテーブルに招く。

俺は羽沢の向かいに腰を下ろす。と、俺の傘を手に持った羽沢の父…マスターがこちらへやってきた。

 

 

「つぐみ、これ忘れているよ」

 

「あっ、ありがとうお父さん!結羽先輩、この傘、水気はもうとってあるのでお返しします。本当にありがとうございました!」

 

「すみません、娘がお世話になったみたいで。ぜひゆっくりしていってください」

 

 

親子揃って丁寧なようで。別にそこまで大したことをしたわけでもあるまい。

 

 

「いや、大したことでは…傘、どうも。あとマスター、俺この店あまり来たことないんで、マスターのオススメ頼めますか?」

 

「そうかい、ではそうさせてもらうよ。気に入ってもらえると嬉しい限りだね」

 

 

マスターは物腰が大人というか…こう、俺には似合わないのだろうが、職に完全にマッチした姿勢や言動をしていて、落ち着くもののどこかこそばゆい感じがする。

早い話が穏やかで紳士的だ。

 

 

「私も同じので!あとあのケーキも!」

 

「わかったよ。木崎くん、少々お待ちを」

 

 

客とはいえ俺のようなどこにでもいる高校生に砕けつつも結構に丁寧であると感じられる対応をしマスターが戻っていくと、すかさず羽沢が話を切り出すのだが。

 

 

「えっと…結羽先輩?」

 

「名前…か」

 

「え?」

 

 

唐突な名前呼び。なんとなく距離が近いような気がしてできれば避けたいものだった。氷川だとか今井だとかあの辺りはもう仕方がないものとして、初対面で名前を呼ばれることには慣れない。自分が他人を名前で呼ぶことが少ないからそう思うのだろうか。

 

 

「いや、姓で呼ばないんだなと思っただけだ深い意味は無い」

 

「…嫌でしたか?」

 

 

子犬のような眼差しでおずおずと尋ねてくる羽沢。犬好きからしたらたまらんのだろう、といささか失礼にも思える想像をしてしまう。

 

 

「別に嫌ではない、ほんの少し戸惑っただけだ。羽沢が呼びたいように呼べばいい」

 

「は、はい!じゃあ結羽先輩で…あの、突然なんですけど、結羽先輩はなにか趣味とかありますか?」

 

「趣味…か」

 

 

趣味、と言われて少し考えてみる。

無趣味というわけではない。ピアノはたまに弾くし音楽も聞くし昼寝もするしスポーツ観戦もするし読書もするしゲームもするし散歩だってする。本当に色々するのである。だからこそ趣味が何かと言われて特別これだという答えが返せないだけだ。

 

 

「…色々するから一つには絞れない。まあ色々ある中じゃゲームが一番趣味に近いか」

 

 

頻度だとか習慣だとか、そういう面からそう俺は判断した…のだが、羽沢の反応が思ったよりいい。身を乗り出して俄然話をする気満々といった様子。

 

 

「結羽先輩ピアノ弾けるんですか?」

 

「まあ人並みには。物心ついた頃からやってるからな一応」

 

 

やはり食い付きがいい。ゲームじゃなくてそっちに興味があるのか。

 

 

「そうなんですか!実は私も昔からピアノをやってて。今はバンドでキーボードを担当してるんです!わぁ〜、思いもよらないところで共通点見つけちゃった!」

 

 

前言撤回。経験者だった。しかも割と経歴は長いらしい。

 

 

「バンド組んでるのか。こんなことを言うと失礼かもしれんが意外だな」

 

「たまに言われるから慣れましたよ。幼馴染の子達と5人で組んでて、Afterglowっていうんです」

 

「Afterglow…」

 

 

聞き覚えのあるバンド名に想起させられるのはある一人の少女の名前。

 

 

「青葉モカ…がギターか」

 

 

今井からよく聞く今井のバイト先の同僚で、羽丘の一年生。無類のパン好きで大食漢だと聞いている。

 

 

「同じクラスの女子から名前を聞くことがあって会ったこともある。あの顔からはにわかには信じられんが」

 

 

昼間なのに寝ぼけたような顔をしてギターはうまいわ勉強はできるわで羨ましいような気がしなくもない。

別に俺は勉強ができないわけでもないが彼女のあの風体でできるのは本当に理解できないな。

 

 

「あ、あはは…モカちゃんのこと知ってたんですね。ギターすごく上手なんですよ〜、あとパンが大好きでいつも幸せそうに食べてますよ」

 

「…噂通りでむしろ驚いた」

 

「モカちゃんと仲良くなるにはやまぶきベーカリーのメロンパンとかあげるとよさそうですよ!」

 

「仲良くなりたいとは言ってないんだがな」

 

 

やまぶきベーカリーのパンはこの辺りじゃ有名で、ウチの高校にも常連はいるらしい。斯く言う俺もあそこのクリームパンは立ち寄れば必ず購入するほどには気に入っている。立ち寄れば、の話だが。

 

そんなこんなで今日初めて会った後輩と話をしていると、羽沢の父からおまかせオーダーの品が届く。

 

 

「お待たせ、木崎くん。味を知ってもらうならと思ってホットコーヒーを出させてもらうよ。ミルクや砂糖は要るかな?まずはコーヒーそのものを楽しんでもらいたいのが本音なのだけども」

 

「ありがとうございます。大丈夫ですよ」

 

「それはよかった。それからこっちは…つぐみから話を聞いてくれ」

 

 

そういって微笑むとマスターはカウンターへと戻っていく。

おすすめで出されたのがコーヒー、店の味に自信があるのだろうか…とも思えるが、たしかにこの店の味を知るという意味では有意義であるようだ。

 

 

「…いただきます」

 

 

熱い内にいただこうと、まだ湯気を上げるカップを持ち上げ、口につけて軽く傾ける。

まず最初にやってきたのは香り。当然いつも飲んでいる缶コーヒーとは違う香りなわけだが、後に残りすぎないようなスッと抜けていくような香り高さ、しかし鼻を刺激する瞬間にはその存在感、強さを感じさせてくれる。

 

次は熱。猫舌ではないからか、カップを離したくなる程の熱さではないように感じた。

そして最後に味。こちらも香りと同じく後に残りすぎないようになっているものの、その苦味はコーヒーらしさを保っている。その味は恐らく俺が飲んできたものよりもずっとよいもので、それでいて缶コーヒーが苦手な人でも飲めるように思う。…下手に強いものを出さないマスターの気遣いとそれでもおすすめとして提供できる腕なのだろう。

 

 

「いいですね、これ。自分は素人なのでアレですけど、すごく好きです」

 

 

ふと素直な感想が出てきた。これは贔屓にしても仕方がないと言わしめるほどによいものだと感じられる。世の中のカフェ通いの気持ちがほんの少しだけわかってしまった気がする。

 

 

「気に入ってもらえたかな?」

 

「ええ、かなり。他所でコーヒー飲めなくなりそうです」

 

「ははは、大きく出たね。でもそれは私たちにとってはこの上ない喜びというものだ。ありがとうね、木崎くん」

 

「こちらこそ。至福の一杯をご馳走頂き感謝の限りです」

 

 

感謝の辞を述べると、マスターはカウンターへと戻っていった。いやしかし、我ながら素晴らしい嗜好開拓をしたように思う。人助けはしてみるものだ。

 

 

「あの、結羽先輩?」

 

「ん、いや情けは人の為ならずとは言ったものだなと思っただけだ、大したことはない」

 

 

羽沢の顔をぼんやり眺めているとさすがに不審がったのかお声がかかる。

 

 

「それでですね、これなんですけど…」

 

「ん」

 

 

羽沢が示したのはショートケーキの乗った皿が2つ。恐らくは片方が俺の分、ということなのだろう。しかし羽沢は何をそんなに躊躇っているのか?俺の知った事由ではないのだが気にはなる。

 

 

「あの、これ!私が昨日作ったケーキです!本当はバンドのみんなに出してみるつもりだったんですけど、せっかくなので結羽先輩にも召し上がって欲しくて…け、結構自信はあるんですよ!ずっとお店の手伝いしてますから!ただ、最初から結羽先輩のために用意したわけじゃないのが申し訳なくて…」

 

 

めちゃくちゃ弁明されてる。いやそんなさっきの今でお礼を用意出来るわけないし、むしろそんなわざわざ用意する方が律儀すぎるな。世間で言う「いい子」ってやつなんだろう。

 

 

「わざわざ出してくれたんだ、それだけで十分な礼だろ。今日の借りを今日返したってだけだ、体裁なんて気にすることじゃない」

 

 

ありがとな、と付け加えて皿とフォークを受け取る。

天辺の苺、今はもう旬ではないかもしれないが、その艶は見事なものだ。羽沢の頬の紅潮もこの苺には負けているな。

 

 

「…何照れてんだ」

 

「いえ、結羽先輩優しいなぁって思って…それより、ケーキ…どうぞ…!!」

 

「じゃ、遠慮なく。いただきます」

 

 

羽沢のゴーサインを受けて俺は寄せた皿にフォークを近づける。それにしても綺麗にできてるな、さすがはカフェの娘と言ったところか、はたまた女子力というものか。答えはどちらともわからぬまま、切り取った1ピースを口へと運ぶ。

 

 

「これは…割といけるな。形といい味と言い文句はない、下手な店より金取れるし誇っていいだろ。さすがはカフェの娘ってだけはあるんじゃないか?」

 

「ほんとですか!そんな絶賛してもらえるなんて嬉しいですっ」

 

「素直な感想だ、友人達もそう言うんだろう」

 

 

まあバンドの面子じゃ好みやら言葉選びやらの関係で正しい意見が得られんだろうし見ず知らずの人間に言われる方がいいのか。

そんな思考をしていればあっという間で、ケーキは跡形もなく胃袋へと消えてしまう。

 

 

「ご馳走様。あと傘、わざわざどうも」

 

 

温くなりかけたコーヒーを飲み干して、春の冷気に嫌気が差した身体を奮い立たせる。会計は羽沢父娘(おやこ)の強い意志によって赦免されたため、当然持ってきている財布の出番はなかったことになる。

傘を片手に、折りたたみ傘をもう一方に携えて、俺は負担の少ない折りたたみ傘を持つ手を店のドアにかけた。

 

 

「あの、結羽先輩!」

 

「…何か忘れ物でも?」

 

 

大したものを持ってきていないのだから忘れようもないはずではあるが、用事といって思い当たる節はその程度だ。

 

 

「今日は本当にありがとうございました!それでは、またのご来店をお待ちしてます!」

 

「…気が向いたらな」

 

 

毒気の抜かれるような表情で、羽沢はそんなことを言ってみせた。なんだかんだちゃっかりしてるのかわからない後輩だった。

そんな言葉に対し、コーヒーとケーキに素直になりきれなかった出来損ないの返事をする一応の先輩である。一人でよかったと今は心の底から思える、くだらない揶揄が飛んでこないのなら平和の限りを尽くしていると感じる性分なもので。

 

イヤホンを耳に挿し、音楽を流す。いつものことだ。

傘を差して歩き出す。いつものペースだ。

歩いていても雨は止まない。いつものことだ。

だがしかし気まぐれに人助けをした。珍しいことだった。

 

いつもと違う1日が俺に与えた影響は皆無に等しい。塵も積もれば山となるだとか、積土成山だとか、そんな言葉を完全に否定するだけの経験ができなかった俺は、これから起こるかもしれない変化をきっと恐れていた。

しかし同時にそれを知りたがっていて、それでいて突き放したがっていたのかもしれなくて、でも結局先のことなんて分からないのだからと、考えることをやめたのだった。

 

 

これが、あの日の顛末である。




のんびり書いていきたいと思います。
楽しんでいただけたら嬉しい限りです。(始まったばかりですが…)
それではまた次話でお会いしましょう!



6.8追記
母親の名前を変えました。某作品のヒロインの母親からとりましたが戸山香澄さんのお母様と名前が被っていたことに気づきました。
香澄との絡みは薄いor無い予定なので、ゴリ押してネタにする訳にも行かず、変更させていただきました。


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赤の一閃

クリスマスはバイトです。8連勤…
2話目にして早くもあの方々が登場します。
あと、短めです。話によって長さが変わるのでご容赦ください。

それではどうぞ


今日は晴れ。というか土曜日からずっと晴れている。ピタリと止んだ雨が手痛いしっぺ返しを企んでいそうで怖い月曜日。連休明けから雨が降ったなら鬱になる自信がある。雨音は嫌いではないが雨の中外出をするのは大嫌いなのである。

 

 

「結羽。無視するなって」

 

 

先週末に天候アンハッピーフライデーを贈呈された身としては嬉しい始まり方ではあるのだが。如何せん晴れると虫が出てくるのが心地悪い。それも間近にだ。耐え難い苦痛、では言い表せない。ついでにデカい。声も身体も態度も。虫けらのクセに。

 

 

「おーーーい結羽」

 

 

そもそもの話、今井が何も言わなければよかったのだ。

 

 

「お前後で恨むからな」

 

「ゴメン!!悪気はなかったんだよ」

 

 

謝られても何も返ってこないのだ。この気持ちは消せないし、元の状態には戻らない。そもそもの話、本当に今井が青葉から傘の件を聞いたなどと(のたま)わなければよかった話である。何度でも言うが、今井が余計なことを口にしさえしなければよかったのである。

 

 

「おーいy」

 

「今井、殺虫剤寄越せ」

 

「いやアタシが持ってるわけないからね?」

 

 

平日は毎日のようにこんな虫に(たか)られてるのに用意が悪すぎるのではないか?最近の女子高生(女性差別的な意味を含まない)は虫と仲良くするのが当たり前なのかもしれない。

 

 

「さすがに失礼過ぎじゃないかな」

 

「悪いな」

 

 

あまり感情のこもらない謝罪を吐くやいなや、

 

 

「無視するn」

 

「消えろ糞虫(クソムシ)

 

 

右手に付きまとってくる害虫の臀部に向けて、俺は全力で右脚を振り抜いた。

 

 

「いッたぁぁぁぁぁぁァァァァァァァ!?!?!?」

 

 

数メートル前に飛び跳ねて悶え苦しむ凛の姿を見てなぜか心が透き通っていく感覚を得る。

 

 

「凛…?なるほど虫のフリをして虐げられることを好む人間…変態か」

 

「凛…そういうのは人それぞれだけど、虫のフリをするのはアタシもちょっと無理かな〜…」

 

「ちょっとで済むのかお前は。変わり者だな」

 

「助けて…リサ…痛くて立てない…」

 

 

倒れ込んだ男子高校生らしき生き物が何かほざいているが、そんなことよりもこいつ今の記録で行けば幅跳びの日本記録も塗り替えられる事実に気づいてしまった俺は驚きを隠すこともしなかった。

 

 

「4mは手堅いな」

 

 

そう言い残して俺は高校へと歩を進める。瀕死の凛に構って遅刻などバカバカしすぎると心底思う。俺は今井と連れ立って歩いていたのであるが…

 

 

「あれ〜?リサさんじゃないですか〜。おはよ〜ございま〜す」

 

「おっはよ〜モカ。Afterglowのみんなもおはよ!」

 

 

最高にツイてない。今まで登校中に会ったことは(恐らく)ないだろうが。

しかもよりにもよって話題沸騰中のこのタイミングで。

顔見知りの今井がいるタイミングで。

何よりもバンドの面子全揃いのタイミングで。

金曜日に見た顔が鮮明に思い出せるタイミングで。

 

 

「ハァ…」

 

 

(ひと)()ちたつもりで溜め息をつく。ありったけの愚痴をその一息に込めたつもりの、渾身の溜め息。

リサ先輩おはようございます、なんて声を流し聞いてイヤホンを装着しようと思い立ったところでその動きが止まる。

 

 

「あれあれ〜?リサさんの隣にいるのはもしかしなくても〜、木崎先輩じゃないですか〜?」

 

「…お前もどこかのセンパイに似て大概空気読めないよな」

 

 

木崎、という姓を聞いてAfterglowの面々は騒然である。青葉が例の件を知っているということは羽沢が(押しに負けて)バラしたということ、それはつまりバンドメンバーも知っていると見ても相違ないということを裏付ける。

 

 

「あっあの…おはようございます」

 

「ああ」

 

 

挨拶も欠かさないその心掛けは殊勝だが、おずおずと声をかけるお前を見た外野の火の粉に油を撒いてしまうであろうことには気づかないのか。

 

 

「…素っ気ないとか思うな。朝が苦手なんだ」

 

 

おはようとも返さない俺に対して何かやらかしたのかと焦り始める羽沢。俺にとってはできる限りの返答をしたつもりだったが弁解しないとさすがに悪い気もした。

 

 

「私がモカちゃん達に結羽先輩とのことを言っちゃったから怒ってるのかなって」

 

「まあ確かに軽率ではあったな。先走って色恋沙汰に絡めて思うだけならまだしも当人を揶揄するアホがいる、世の中なんてそんなもんだ」

 

 

立ち幅跳びで新記録を樹立した今はここにいないアホを思い浮かべながら、羽沢を取り巻く中で一番頭の中身が植物だらけっぽい女子を眺めながら俺は零す。そいつは今にも質問攻めを始めそうな勢いでこちらを見る目を輝かせている。こいつは絶対にアホだな。

 

ふとその隣を見やれば、アホと見るからにアツそうな女子の間、黒髪に赤メッシュをキメた女子がこちらを睨むような視線を向けている。その照準は羽沢でも今井でも青葉でもない。目が合った。俺である。

 

ヤンキー擬きか?喧嘩を売りたい歳頃か?生憎面倒事は嫌いなのでシカトするに限るわけだが…

 

 

「あう…すみません、もう少し考えるべきでした」

 

「謝るのは無料(タダ)だし過ぎたことはもういい、今井に比べればカワイイ程だ。アイツの口は脳ではコントロール出来ないくらい自律している」

 

「結羽アタシの扱い酷くない?」

 

 

因果応報って知ってるか?

そう言いたいところだがエネルギー効率が悪いので言わない。ともすれば燃費のいい俺の身体は外部からの刺激で簡単に低脳スペックに成り下がる。

 

 

「ねえ、あんた」

 

「あ?」

 

 

俺の何かがヤンキー擬きの逆鱗に触れたらしく、聞きようによってはキレ気味のコールが静かに頭に鳴り響く。何がムカついた?そんなの俺が知るか、という話だ。

 

 

「つぐみに対して何その言い方」

 

 

俺の言葉遣いが気に入らないと。

 

 

「ら、蘭ちゃん、私大丈夫だから…」

 

「つぐみは黙ってて」

 

 

二言三言でわかるがこいつは人付き合い下手くそすぎるな。いや、正確に言えばテリトリーの外の生き物との付き合い方か。

俺が言えることではないのかもしれないが俺の場合は周りのタチが悪いってのもあるしこの言い方は(ゆる)されたいところである。

取り敢えずは印象として、というよりはほぼ確実に俺との相性は最悪だということが伝わってくる。

 

 

「聞いてんのあんた」

 

「生憎だが敬語もろくに使えない奴に優しく傾ける耳は持ってないな」

 

 

こういう人間に噛み付いてもろくな結果にはならないが、俺は噛み付いてるつもりはない。面倒事を切り離す理由を素直に話しているだけだ。納得出来ずに食い下がる奴はさすがに思考がロジカルでない気がする。

食いついてこの会話に、そしてこの俺にぶら下がり続けて何の得がある?さらに言えば俺にとっては不利益被ることこの上ない。

 

 

「ッ……先輩だからってあんたは…!!」

 

「そうかよ」

 

 

くだらない会話に飽きた、かもしれない。

ただのガキだ、それもその辺の子供なんかより余程ガキだ。感情的になって何もかもが解決するなら誰だってそうする。

大人になっていくことが受け入れられないだけか?場合によっては受け入れなくても勝手にさせられるものだ。いつまでもガキでいられるのはそれを許す環境が、ガキでいることを許してくれる存在がそこに満ちていないといけない。誰にでも噛み付いた先に残るのは大人に成り損なって、ガキですらいられない生き物でしかない。

 

そうやって大人に成れない自分を大人びていると、大人を理解していると騙すように思考を巡らす。自分はそれを理解しているからお前よりは大人なんだと、ガキを捨てているから大人なんだと、だからお前は相手をする価値もないのだと定めるように。

 

こういう思考を持つだけの感情が内側にあることが、まだ子供なんだと俺は思っている。この身体の中では言葉とは裏腹にこのガキに対する「ガキっぽい感情」が(たぎ)っている。それを表に出したくないだけだ。自分をガキだと理解しても、他人に自分がクソガキだと認められることそのものは俺には認められない。それでも俺は大人を騙り、大人を語る。

 

言いたいことは山ほどある。お前は羽沢じゃない。自分の事のように語るが、羽沢自身とお前の違いは羽沢のことを理解できるかどうかだ。どんなに親密な二人でも、すべては理解し合えない。

言いたいこと、その言葉達を飲み込んで俺は生意気なメッシュ女から離れる。

 

 

「悪いな羽沢。…と青葉とそこの2人。今くだらないことを話す気にはなれないんでな」

 

 

混濁した感情から精一杯の謝罪を取り出し吐き捨てる。いや、吐き捨てたつもりだった。思ったよりも柔らかい言葉が心の成長を匂わせる。

 

 

「…待って」

 

 

その消え入りそうな声は俺の耳には届かない。イヤホンが声を跳ね返す。物理法則は無慈悲だ。振動を鼓膜へ通すまいとする遮蔽物は思いのほか堅固であった。

 

 

「待ってって言ってるのッ!!!!!!!」

 

「…うるさ」

 

 

…わけでもないみたいだ。イヤホンを越えて耳を(つんざ)く怒声が…いや、怒っているのかもわからない、感情に支配された一声が響き渡る。

 

 

「話を…聞いて」

 

「嫌だね」

 

 

そう返事をした瞬間のそいつは今にもブチ切れそうだった。それだけはその後にも記憶として残っている。

 

 

「話すならまた頭冷やしてまともに会話できるようになってから来い。今は俺の気分じゃない。こっちの都合も考えてほしいんだがな」

 

 

大体通学路でこんなことしてて実りがあるわけがないだろうに、TPOってものを知らない高校生がいてたまるか。Time, Place, 俺の都合。座右の銘にできる素晴らしい言葉だろう。

 

 

「名前。美竹蘭。覚えといて」

 

「気が向いたらな。じゃ、またそのうち。先に行く」

 

 

睡眠をとるために高校へとのんびり歩く。登校時点で疲れているわけだし遅刻も居眠りも責めてほしくない。むしろこいつらを呼び出すべきだと思うんだが日本の教育はどこもかしこもこんなものなのか。だとしたら失望しすぎて笑えそうだ。

 

 

 

 

 

「…ん、凛忘れてたな。まあいいかしぶといしいつかは来るだろ」

 

 

大して重要でもない忘れ物を思い出しては独り言を通学路に捨てていく。誰にも拾われることはない言葉は俺の記憶にだけ残り続ける。そんなことを中二病よろしく考えながら行く気もない2-Aの教室を目指すのであった。




蘭ちゃんの登場のさせ方が酷くてすみません。
これが一番主人公の性格上書きやすかったので…


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興味津々メロンパン

今日も今日とて終業のチャイムが鳴る。いつだってこの音は俺にとっては至福の音…だと思ったら大間違いだ。この時間に鳴ることに意味があるのであって、始業のチャイムは大嫌いだ。鳴らなくてもよいかと言うとそうではなく、やはりその時間を告げるマーカーのような役割を果たしてもらえるなら、その瞬間は音にありがたみを感じられるという話だ。

 

話を戻そう。時は放課後。隣でバカの一つ覚えのように紙飛行機を折り続ける凛を横目に見やりながら頬杖をつく。すぐに帰るような気分でもない。意味もなくここに座り窓の外と教室の中に視線を通わせる、それに意味がある、と思う。俺は今こうしていることが楽で平和で幸せなのか、などと考えてはいるのだから、少なくとも無駄ではないな。

この世の真理を掴もうと足掻く子どもだ、どんなに無様なことかもわからないが、無様に足掻いて生きることが何も考えないよりは多少はマシなんだと言い聞かせて俺は今ここに座っている。

 

 

「結羽。お客さんだよ。君はいつあんなにかわいい子猫ちゃんと仲良くなったんだい?」

 

「…瀬田、誰が子猫と仲良くなったって?」

 

「まったく結羽、君は罪深いね。気づかないうちに子猫ちゃんを魅了して、それでいて彼女の気持ちに気づいてやれない不器用さ…あぁ儚いね」

 

「…つまり他クラスの女子から用事だと?面倒だから御免被(ごめんこうむ)りたいんだがな」

 

 

共学と化したこの羽丘の2-Aにおいて、アホな男子はもちろん女子を狙うケモノであるわけだが。彼らの狙う獲物は大体この瀬田薫にご執心である。端正な顔立ちと意味のわからない言動とスラッとした肢体、オマケに演劇部のエース。役に入ればその特長がさらに遺憾無く発揮される、となれば人気の秘密もわかる。俺にしてみれば彼女の普段の言葉遣いは肯定しえないが。

 

 

「まあとにかくわかった、どうもな瀬田」

 

 

黄色い声が俺の周囲に届き聞こえるとなれば精神的に苦痛である。しかも嫉妬されそうだ。そんなことになれば最悪刺されかねないな、人気者(アイドル)の追っかけ共に。

男子高校生が女生徒によって刺殺。原因は演劇部のエースを巡る嫉妬…そこまで考えてシャレにならんな、と思い思考を止め教室の外を見る。

 

 

「あー…メッシュ女」

 

 

見なければよかったと思うものの後悔先に立たず。朝と同じだ。またしても目が合った。名前は確か美竹蘭。

キレ気味の目は酷く鋭い。早く来いということだろうな。

 

 

「何の用だ?」

 

「朝の話…屋上に来て、待ってる」

 

 

近づけばそれだけ言うと美竹はそそくさと教室を出ていった。

さすがの美竹も知らないセンパイ達の前で俺を呼びつけて話をするのは耐え難かったらしい。

…いや、もしかしたらさすがの美竹というよりはそっちが美竹の本質なのかもしれないな。見た目よりはずっと臆病で…まあ俺の見たところ人付き合い苦手だし想像に難くない。

 

 

「あれ〜ユウくん、蘭ちゃんと仲いいの?」

 

「仲良く見えたならお前の目は飾り物だな、氷川」

 

「飾り物にしては似合ってるでしょ?伊達メガネよりオシャレだよ〜」

 

 

たまたま居合わせた氷川から冷やかしが入るが、遠回しに否定だけしておく。天才ちゃんには何をしても勝てない、何なら人を見る目もきっと勝てない。こいつを見てると自分の無能さが痛感できる。それでも無能なりに必死で他人とお互いを蹴落としあってているわけだが。氷川は争うことも叶わない、天上の何かを掴んでいる。差別はしていない、同じ人間だが見ている世界は違っているはずである。

 

 

「結羽、後輩の女の子落としたのか!やるじゃん!!」

 

「お前は死んどけ」

 

 

近くに飛んできた紙飛行機を取りに来た凛が肩を叩きながらバカでかい声でそう言う、いや叫ぶ。素の声の大きさのようだが嫌味のために言いふらしたともとれる。まあそんなことはどっちでもよくて、このクソムカつく感情の矛先は当然凛に向けることにする。

 

 

「ぶべァっ!?!?!?!?」

 

 

肩に置かれた手を引っ張り、残りの手で頭を掴んでそのままゴミ箱へシュートする。紙ゴミの中に頭部を突っ込んだ凛は見るも無惨な虫の死体と化した。

 

 

「お似合いだな」

 

 

一言残すと、俺はカバンを持って屋上へ向かう。

面倒事に巻き込まれないようにとさして信じてもいない神に祈りながら鉛のような足に鞭を打つ。当然比喩なので鉛に鞭を打っても軽くはならないことはお分かりいただけるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、来た」

 

「来て当然のような反応をされるのはいい気分じゃないな」

 

 

ノロノロと階段を上り屋上へと続く扉を開けると、やっとか、と言った顔でこちらを向く美竹(メッシュ)。早くも帰りたい。

 

 

「…で?何の用だ」

 

「朝のこと。変に突っかかってごめん」

 

 

相変わらず無愛想に言い出す美竹だが、なぜか不自然な感じがする。こいつももっと面倒臭くて、謝ることができない人間だと思っていたからか。

 

 

「そうだな」

 

「ただ、つぐみは悪い子じゃないから…それなのにあんな言い方してるの見たら、なんかつぐみが可哀想だった」

 

「…かもな」

 

 

そして相変わらずのタメ口。別に悪いとは思わないしそれ自体は気にもしていないが…まあ俺が相手だからってことだろうな。こいつからしたら初対面印象最悪とも言える俺のような人間に敬意を払う理由が見当たらなかったというだけだ。

発言の数に反比例するように頭の中ではやたら考え事をするのが癖なのはデフォルトの仕様なのだ、とまたこうやって思考が捗る。

 

 

「別に後先考えていないわけじゃない。羽沢には会った時からそんなに悪い印象は抱いていないからな。あいつが俺に害を為すような存在でない限りは意図して傷つけようとは思わないし、言葉は選んでいるつもりだ」

 

 

半分嘘で半分本当。といえばわかりやすいのだろうが実際は嘘だ。言葉を慎重に選んで使っているつもりはないし、そもそも口調だとか目つきだとかそんなものなかなか変わるものでもなければ変えるつもりもない。故に言葉遣いは常に変わることはなく、俺が発する言葉は常にその口調でととのえられて他人に届くことになる。

 

つまり、俺の言葉はたとえ真意に優しさがあったとしても決して優しくは聞こえないし、俺の言葉はいつだって少しの棘を含むことになる…というのは何処かの誰かの評価である。

 

 

「そう…あんたがつぐみを傷つける気はないって言うならそれでいい。でももし傷つけたら、あたしが許さないから」

 

 

随分と嫌われたもんだな。その仮定は実現しうる事象を仮定しているんだろ。

 

 

「好きにしろ。で?それだけか」

 

「でもモカからあんたの話は聞いたし、傘のことも知ってるから。信じてるよ、それだけ」

 

「…そうかよ。別にそんなに好んで関わるわけでもない、心配は身の毒だぞ。命を9個持つ猫すら殺す代物だ」

 

 

真実だ。

誰も彼もが好き好んで関係を持つとは限らない。一方的なことだってあるだろう。相手がどんなに善良でも、相手が自分にとってどんなに都合が良くても、進んで関わるかどうかはまた好みやら気分やら性分による気がするな。

"Care killed the cat"、俺は嫌いではない。気にしたら負けるってことでこんな俺でも好きになれるおもしろい言葉は存在する。だとすれば、いつかは言葉を自分だけの言葉として扱う人間に、俺が興味を持つことがないこともないのかもしれない。

 

 

「そういうのが、俺の好かれない所以…って言ってたな」

 

 

昔、クラスメイトにそう言われたことがある。

いつも自分は違う、ガキではないと信じて考え続け、人を見続けた俺はあまり人に好かれるタイプではなかった。今もそうだろう。

そうやって自分の中で完結させようと結論づけようとした結果がこれだ。あらゆる人間がそうだったわけではないが、俺に興味を持つ人間は少なかったように思う。最初は興味があるけれど、次第にその色を失っていくのである。

自己肯定感が低いかと言われると否定はできないが、同じように俺が少数の人間に興味を持つことがあるかもしれない。

 

 

「クソネガティブだな。俺は俺なりに生きてるっつうの」

 

「モカちゃんは木崎先輩に興味津々メロンパンですよ〜?」

 

「…その話題について独り言をした覚えはないな」

 

 

思考に耽りながら屋上を去り階段を降りていると、下から暢気なパンオタクの声が聞こえる。そこまで口にした覚えがない。氷川と言い青葉と言い心を読む人外が多すぎるな。

 

 

「木崎先輩は顔に出ますよね〜。そーいえば、朝もそうでしたね〜?」

 

「気のせいだな」

 

「蘭はどーでした?悪い子じゃなかったですか〜?」

 

 

なるほど美竹が飛び出してきた時のクッション役でそこにいたのか、発言からするに間違っても盗聴目当てではなさそうだ。性格上感情的になりやすいからか、宥めたり慰めたり助言したり話を聞いたり。よくできた友人関係というやつらしい。

 

 

「…不器用なんだな」

 

 

ブーメランが返ってくるというよりはむしろ自傷行為のように思える発言だな。不器用なりにマシな人付き合いをしているつもりの俺自身、素直にそう感じてしまって気がダウンしてしまう。

 

 

「木崎先輩がそれ言いますか〜?」

 

「…そうだな」

 

 

けらけらと笑いながらわかっていることを指摘してくる青葉。死ぬほどムカつく。途端に「そうだな」以外の語彙が消え去る自分の頭に落胆を隠せない。

 

 

「興味津々メロンパンなお前は相当変わってるよ、初対面でもかなり変人だったけどな」

 

「え〜そうですかね〜?モカちゃんは普通ですよ〜」

 

「…どこからそんな自信が湧いてくるんだお前は」

 

 

出会った人間の中でも上位に食い込む変人度を誇る青葉が何を言っている。「サンシャイン」とかいう挨拶をバイト中に使ったと今井から聞いた時は何を言っているのか理解に苦しんだものである。

 

 

「先輩は苦労人ですよね〜。たぶん蘭が心少し開いたからひーちゃんとともちんももれなくついてきますよ〜」

 

「勘弁願いたい、の一言に尽きる」

 

 

たぶんアツそうな女子とお花畑女子のことだろう。バンドの奴ら全員と知り合いそうになるとは青葉と知り合った頃は全く思っていなかったからな。人生とは何があるかわからないな、本当に。

 

 

「面倒事を持ち込むなよ」

 

「気をつけま〜す。あ、先輩も蘭とあんまり喧嘩しちゃダメですよ〜?」

 

「…善処はしよう」

 

 

美竹が突っかかってきてすっ転ぶ展開なら多分に有りうる。俺が無駄に喧嘩ふっかけるなんてことはないだろうしな。

じゃ〜また今度パンを恵んでください、と一生叶うことのない願いを踊り場に残して青葉は屋上へと消えていく。その扉が閉まった瞬間に世界が分かたれてしまったような感覚に陥って逡巡するも、俺はいつも通り帰路につくことにした。そしていつも通り、何の変哲もなくプライベートな時間を消費して翌朝の目覚めを迎え討つ準備をするのであった。

 

 




タイトルから登場人物の1人がバレる回その2でした。
相変わらずキャラ描くのが難しい…モカちゃんは蘭ちゃんよりは描けてる気がしますが。

お気に入りとか評価とか感想とか。とても嬉しかったです。これからのモチベーションになりました。
バイトが終われば年末年始は暇なのでまたそこで更新出来たらなと思います。
今後ともよろしくお願いします。


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放課後ツーマンスタディ

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
今年ものんびり書くのでどうぞよろしくおねがいします。
ドリフェスは爆死しました。笑


俺より勉強ができないやつの気が知れないし、俺より勉強ができるやつの気もまた知れない。

具体的に言おうか。俺には天才ちゃんである氷川の頭の動きがわからない。なぜそんなことをすぐに覚えられるのか、なぜそんなことを頭から引き出せるのか…逆も然り。俺には凛の頭の動きがわからない。俺よりも下等な頭を提げているのは事実なのだが、俺がわかることをあいつがわからないとなったときのあいつの頭の動きは理解ができない。なぜ同じように頭を使えないのか。

 

人の頭の中身はわからない、それは俺がその人自身ではないからだろうか。同じように他人には俺の考えていること知っていること知らないことその理由がわからないはずである。

 

さて、わざわざ勉強を話題にあげるということはそれに関わるイベントが近々開催されることは火を見るより明らかだろう。学生の敵、テストである。

 

 

「さて、そろそろ中間テストだけどみんな勉強してるかな?高校生活楽しむのはいいけど赤点はとらないようにして遊ぼうね。それじゃ、今日はこれで終わりです」

 

 

担任からありがたい警告を受け取って本日は終業である。今日は水曜日、来週の木曜日からテストが始まるから猶予はあと七日間ということになる。

 

 

「テスト…無理だ…赤点かも…」

 

「凛くん勉強できないよねおもしろ〜い!あたしには気持ちがわからないや!」

 

「…たまには真面目に勉強しとくか」

 

 

事実上の処刑を宣告され頭を抱えるバカを横目に「反面教師」という言葉を思い浮かべる。

というか凛はよく羽丘に入って進級したよな。こんなのと同じ高校にいるのが恥ずかしくなってくる。

 

 

少しは勉強をする、のはいいが夜でもないのに家で勉強する気にはならない。大抵の学生はそうだろう。勉強をするために学校にいるのに学外、それも家で勉強しようというのは物好きだと言うまである。

 

 

「さてどうする」

 

 

教室、図書室、図書館、などなど…知的行為を目的に作られた施設で行うべきではあるが、変に気を張り詰める場所でもなかなか疲れるものである。教室は論外。他の生徒も自由に出入りする上に、授業中でない限りは常識の範囲内なら何をしても許される社会活動の場所だ。場合によってはストレスが溜まる。

 

 

「落ち着いてはいるが、堅苦しすぎないところ、か」

 

 

ここまでくると俺の中では答えがひとつしかない。

カフェってやつだな。

オマケにコーヒーやら紅茶が注文さえすれば出てくる。必死になって勉強をする理由もないしそのくらいがちょうどいい。

どうせコーヒーを嗜むのなら羽沢珈琲店にでも行くか。あそこまで言った手前行かないのはどうかと思うし、そこらのチェーンに行くよりは気が進む。

そう思い立ったところでカバンを掴んで教室を後にする。凛に捕まるのは嫌だからな。毎度俺に指導を乞うてくるのもウンザリだ、たまには自分の力と人望を理解する機会を与えてやらねば奴のためにならないしな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は特別な人間ではないし、別段変人というわけでもない。感覚は同じとは言わないものの基本的に他人と似通ってはいる。

例えばの話をしようか。好きな食べ物。特にあるわけではないが強いて言うなら炒飯か。このくらいの好みの人間などこの日本においてさえごまんといるわけだ。好きな食べ物が土だの木の幹だの言わない限りは普通の範囲内の思考をある程度保っていると言えよう。

 

それが、今この状況にも当てはまるらしい。

 

 

「いらっしゃいませ〜。あ、結羽先輩!こんにちは!」

 

「ども…テスト一週間前まで家の手伝いか。精が出るな」

 

 

高校から家に帰らず真っ直ぐにここに来たわけだが、扉を開ければそこには店の娘、羽沢がいた。

 

 

「いえ、今日はこれから勉強するので!つい癖で言っちゃったんです」

 

 

あはは、と困ったような笑いを称える羽沢。この歳にして職業病を患った後輩、若干ではあるが心配である。

 

 

「そうか。奇遇だな、俺もそのためにここに来たようなところはある」

 

 

出来れば人通りの少なくて気が散らない席を所望する旨を伝えると、羽沢は空席の中で最もその条件に適するであろう奥の席に案内してくれた。

その後で(羽沢との会話の内容からおそらくは羽沢の母親と思われる)ウエイトレスにアイスコーヒーを注文する。温くなることを見越して今日はアイスを嗜むことにしたのである。

 

 

「あの〜結羽先輩…?」

 

「なんだ」

 

 

カバンからテキスト類を取り出していると羽沢が声をかけてくる。勉強の邪魔ならさすがに謹んでほしいものだが、常識ありそうだしその辺は大丈夫だと思う。確証はない。

 

 

「もしよかったら、同じテーブルで勉強しませんか?わからないところとか教えてほしくて…」

 

 

前言撤回。教えるとしたら厳密には俺の勉強にとっては邪魔になる。しかしまあ変に脱線することもないだろうし、俺自身勉強はそこそこできるので教えてやってもいいだろう。

羽沢は素直でマトモな(印象のある)奴だから、他の奴らに比べて扱いが贔屓目になるのは許してほしい。俺の周りの人間とくれば、凛、氷川という常識が通じない二人を筆頭に瀬田、青葉、ここ最近では美竹とどうかしてる奴だらけだ。今井は余計なことをするのがマイナスポイントだ。常識はある。前述した五人に比べたら、ではあるが。

 

 

「…ああ。好きにしろ」

 

 

そう返事をすれば羽沢は笑顔になり、荷物とってきますね、と言い残して奥へと駆けていった。

 

 

「やれやれ…」

 

 

彼女が戻って来るまでの間、何の科目をやるのかと悩んではいたものの、その時間さえ惜しい気がして結局英語のテキストと文法書を選びとり、残りのテキストはカバンの中に帰ってもらう。

英語は得意だ。単語と文法さえ知っていれば内容は理解出来るし、俺はそもそも読むのが遅くもない。長文とも文法とも相性はいい方ではある。話すのは得意ではない、聞くのはどっちつかずといったレベル。センターなら事故っても筆記英語9割は切らないだろう。リスニングは運任せだ。

 

 

「お待たせしましたっ」

 

「別に待ってない。コーヒーが来たら始めるとするか…分からないところは適当なタイミングで聞いてくれ」

 

 

羽沢が着席してまもなくアイスコーヒーが届く。やはり羽沢の母親だったらしく、がんばってねと俺たちに一言かけて席を離れていく。さて、勉強スタートである。

 

 

「………」

 

「………………」

 

 

黙々と勉強を進める二人。

グラスを水滴が伝い始めたのに気づいたのは随分と後だというくらいには集中していたのではなかろうか。

カチカチとシャーペンを鳴らす音、サラサラとペン先が紙面を這い回る音、パラパラとページをめくる音、そして羽沢の時々唸りを伴う息遣い。この店にいるのは俺たちだけではないのにも(かかわ)らず、それらは鮮明に俺の耳に届いている。

 

意識の違いか、それとも俺が集中しているからすぐ近くの音に敏感なのか。その辺りには明るくないのだが、まあ何ともおもしろい事象である。

 

 

「……む」

 

 

テスト範囲らしい箇所は終わった。メタ発言になるが、ここまで短いがざっと1時間。羽沢もよく集中していて、俺も余裕のある英語とはいえテスト範囲が全て終わったことになる。

…我ながらよく頑張ったと思う。目の前にサボるわけにはいかない、と思わせる理由があったからなのだが。

 

ふと前を見ると羽沢は難しい顔をしていた。解ける、というわけではないのだろうが、必死に答えを出そうとして問題に向けられたその真剣な表情を俺はその視線の外からしばらく眺めていた。

…どうやら解けなさそうだ。助け舟を出すのも無粋だが、時間を潰させるよりはいい気がする。

 

 

「さて…俺は一旦休憩をとるが」

 

「えっ!?じ、じゃあ私も…」

 

 

俺がテキストを畳み立ち上がると、羽沢も追って問題から解放され立ち上がる。

 

 

「…トイレ、行ってくる」

 

「私も行きます。あの、休憩したらいくつか教えてほしいところがありまして…」

 

「わかった、戻ったらな」

 

 

トイレを借り、用を足した後で手を洗う。水が丁度いい温度で流れてくるのを肌で感じて、今が冬でなくてよかったと強く思われる。

 

さっさとテーブルに戻り、申し訳ないと思いながら羽沢のいた席の隣に座る。ノートとテキストを拝借し、わからなさそうなところを確認しておこうと思った。いや、本人の許諾なしという時点でグレーゾーンであり、他人からしたら十分訝しむに値する行為だ。これで俺が中年だったら確実に警察にお世話になるところだ。

 

 

「数学ねえ…まあ国語は得意そうな顔してるよな」

 

 

()()なく失礼に聞こえることを言っているが、素直な感想なので許してほしい。国語はほんとにできそうな気がする、理系科目よりは苦労しなさそうな印象がなんとなくある。

 

 

「お待たせしました〜…ってえぇっ!?」

 

「全然待ってない。羽沢がよければもう始めたいんだがな…二次関数だろ、見させてもらった」

 

「そ、そうなんですけど…!結羽先輩、なんでこちらに…?」

 

「逆さの字とか見づらいだろ、嫌かもしれんが我慢してくれ。俺は俺で恥ずかしいものを我慢しているんだ」

 

 

戻ってきた羽沢がたいそう慌てふためいていたが、無理もない。向かいに座っていた人間が隣に来るというのはさすがに驚くだろう。ましてや出会って間もない相手である。俺でも困る。

 

 

「そ、それでは失礼します!」

 

 

焦りながらも俺の右隣に羽沢が着席し、俺が教鞭を執る時間が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教えるのは、難しい。その人間が理解できる言葉でその事象について正しく理解させる。言い方は良くないが、頭の悪い人間…ここで言うと言葉のストックとその結合性に乏しい人間が理解出来るようにするのは本当に苦労をするはずだ。

羽沢はそこに関してはクリアと言えるレベルなので教えるのにさほど困難を感じることはなかったが。

 

 

「結羽先輩教えるの上手ですね…すごくわかりやすかったです!」

 

「そりゃどうも。主にお前の学力と努力の賜物って感じだけどな」

 

 

本当にスラスラと出来て分かってもらえることには多少の喜びとやりがいを感じてしまう。これを利用してやりがい搾取という言葉が浸透するに至った昨今の労働・ボランティア事情を思うと自分にも社会の奴隷になる素質がありそうでしんどい気もする。

 

 

「えへへ…そう褒めてもらえるの、嬉しいですっ」

 

 

そうかよ、と思いながらほとんどないコーヒーに手を伸ばす。

 

 

「結羽先輩が笑ってるの、初めて見ました」

 

「…気のせいだ」

 

 

自分でも気づかないくらいの表情の綻びを見られた。

笑った顔は好きじゃない。元々悪い目つきのせいで歪んで見える。何よりも笑うほどの感情の起伏に恵まれてこなかった。親が悪いわけじゃない。嬉しい、悲しい、そういう感情はあるけれども、自然と笑顔が出るようなことはそんなになかった。自嘲的に、または軽蔑的に口の端を吊り上げるのはうまい、というのも言われたことがある。

 

 

「優しそうな表情してましたよ。声には出ないですけど、結羽先輩が笑ってくれてよかったです。私、おもしろいことあまり言えないですから…」

 

 

お世辞でも嬉しいよ、と言いたいのを堪える。

こいつは真剣にそう語っている。

 

 

「そりゃ気を遣ってるからだろ」

 

 

だから俺も真剣に話そうと思う。

 

 

「気を遣えるのはいいことなんだろうけどな。それじゃいい子ちゃんになるだけだ。相手によっちゃ気を許すことも大切だ、それこそお前のバンド仲間…とかな。仲いいんだろ、美竹と話して理解した。俺が羽沢にとって気を許せる相手だと言うほど傲慢じゃあないが、気を遣って無難な事しか言えなくなるよりはマシだろ、信頼しているなら尚更だ」

 

 

羽沢の反応も見ずにただただ話した。

話し終えてから目を見て、そして目が合って、羽沢が口を開く。

 

 

「そう、ですね…やっぱり緊張してるのもあるのかもしれません。でも結羽先輩がそう言うんでしたら少し気を許してみてもいいかもしれません」

 

 

反論の余地なんてたくさんあるはずの俺の意見に賛意を示す羽沢。こいつちょろすぎて詐欺に引っかかりそうだな。

少しは自分に自信を持て、などと相手のことをよく知りもしない俺が言えることではないとは思うが、さすがに自己評価が低すぎるとは思う。

 

 

「そうか…まあ俺から言えるのはそれくらいだ。それ以上のことを言えるほど俺はお前のことを知らん」

 

「そうですね…じゃあこれからお互いのこと知っていけたらいいですねっ!」

 

「…気が向いたらな」

 

 

こういう時のこいつめちゃくちゃポジティブだな、と思いながら適当に返事をする。俺にとってそれがしあわせかは分からんがとりあえず言っておけという精神なのか。

 

 

 

「…という返事をもらって笑顔になるつぐなのであった〜!」

 

「…は?誰だオマエは」

 

 

 

突然テーブルにやってきた女が羽沢に茶々を入れ始めた。常識なさすぎんだろ誰だこの女。

 

 

「…ああ植物頭か」

 

「すみません、勉強中でしたよね。おいひまり、迷惑だからやめろって!」

 

 

通路側に目をやればそこにいたのは植物頭と情熱女子。

当然くだらんことをするのは植物頭。面倒臭い。俺は美竹とも相性が悪いが、こいつは絡まれたら違う方向に面倒なタイプの人間だ。

 

 

「すまん羽沢、会計して帰る。面倒なのが来た」

 

「えっ?結羽先輩?」

 

 

俺は余計なことを回避するために、席を立って荷物をまとめ始める。羽沢が混乱しているがここは自分の身のためだ。

 

 

「ええええ先輩帰っちゃうんですか!?もう少しいませんか!?」

 

「断る」

 

 

 

事の元凶は俺がなぜ帰るのかも理解できていないようである。小学生かお前は。

 

 

「結羽先輩、『気が向いたら』でいいのでまた教えてくれませんか?すごく勉強しやすかったから…」

 

「…そうだな。気が向いたら、な」

 

 

今日は変なのが来たからお開きになるが、また頼むと言われて嫌な気はしない。気が向いたら、と曖昧な返事をして植物頭達に対峙する。

 

 

「…そういうのうざいからやめてもらいたいな。常識を身につけたらその時は帰らないでいてやる…アンタにはすまないな、バンドの仲間なんだろ」

 

「いえ。突然押しかけたのはアタシらですから…ひまり、次は気をつけような」

 

「うう〜…ごめんなさい…」

 

 

バカも反省すれば上物になるかもしれんな、と期待は込めずに謝罪する植物頭を見やる。涙目になって羽沢と情熱女子に謝っているのがどこか滑稽である。

 

 

「そういうことだ、また後日…機会があればな」

 

 

まあどうせこういう時の定石として機会というものは訪れるんだ。そんな予感しかしない。そして大体この予感は当たる。特定の方面に妙に鋭い勘が働くのはいいのか悪いのか…俺にとって都合のいいように動いてくれることをひたすら願ってはいるのだが。

 

 

いつになるんだろうな、なんて思いながら俺は会計を済ませ、すっかり暗くなった商店街へ踏み出す。イヤホンを引っ張り出して耳にかけようとした時、

 

 

「結羽先輩!」

 

 

羽沢が店のドアを開けて飛び出してきた。

忘れ物か?それともまたこの前のようなご挨拶か?

その答えは次の羽沢の発言で分かる。そして、どちらも間違いであった。

 

 

「あの…予定合わせるために、ですけど。連絡先を交換しませんか?」

 

「嘘だろお前…」

 

 

しかし確かにその申し出は合理的ではある。会ってから決めるよりは家にいる時にでも先んじて予定を決められるのは強みではある。

効率を見た連絡先の譲渡と気持ち的な部分を推し量り比べ、答えに悩む。

 

 

「先輩…?」

 

「…いいだろう。面倒事は持ち込むなよ」

 

 

結局どうせなら、と効率を見た俺はそう言ってメッセージアプリのコードを表示したスマホを差し出す。

羽沢が少し手間取りながらも俺の連絡先をそのスマホに読み込ませる。俺の個人情報というか連絡先、安すぎる気もするな。

 

 

「じゃあまた後ほどご連絡しますね!ありがとうございましたっ」

 

「はいはい、じゃあな」

 

 

こうして俺のスマホに出会ってそんなに経たない程度の後輩の連絡先が追加されることになった。

別に悪い事じゃないが、所持する連絡先が少ない身としては変な感じがするものである。

手が震える。正確には手に持っているスマホが震えた。後ほど、とか言ったくせに「こんばんは、羽沢つぐみです」だなんて送ってくる後輩にこの嘘つきめ、と悪態をつきながらも返信を打ち、イヤホンを今度こそ両耳に引っ掛けて俺は家に帰った。

 

 

 

羽沢つぐみ:今日はありがとうございました! 19:37

 

木崎結羽:どうも。また今度な 19:38




蘭ちゃんに続きひまりちゃんまでひどい扱いしてごめんなさい。
つぐを優遇しているの本当にごめんなさい。
段々とあたりの強さが緩和されていくことを願って書き進めていきます…


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青薔薇の花弁、一枚

亀なので約五ヶ月ぶりです。
リサと凛くんと結羽くんのちょっとした日曜日のお話になります。
ゆるゆるサンデーなのでストーリーの進展的なものはあまりないかも…


「結羽、お願いがあるんだけど」

 

 

 

日曜日の朝、母親がノックもなしに部屋を訪れてきて頼みがあるのだと言う。せめてノック。ノックをしようか、母よ。

 

 

「…はぁ」

 

 

対する俺は未だベッド。時計を見遣れば時刻は8時半。あと1時間半は寝ないとマズいと思うが…強制的に起床させられるのにはどうしようもない。眠過ぎて無気力無抵抗なすがままの俺は上半身を起こす。

 

 

「何すか」

 

「黒川さんの家のご両親が出かけてるんだけど、今夜帰ってこないみたいなの。それで凛くんが鍵を持たないで朝から家を出たみたいで。戸締りしてしまったから凛くんが帰れないのね、かわいそうだから一晩預かりたくて」

 

「ええ…いやいいよアレは…俺が困る」

 

「幸い制服を着て学校に行ったみたいだから、明日の学校は行けると思うの」

 

「話を聞いてくれよ…」

 

 

つまるところ凛が帰れないから泊まりに来るということだ。

別に家主は俺ではないんだが…あいつが来ると俺が無駄に絡まれるしうるさいんだよな…

 

 

「うるさくしたら追い出してもよければ」

 

「いいわよ、その辺りは凛くんの常識にかかってるから」

 

「それならいいか…連絡しておく」

 

 

母から許可をもらったところで仕方がないという体で納得をした俺は忘れない内に凛に電話をかける。

メッセージじゃああのアホが見もしない可能性があるからだ。

 

そして程なくして電話が繋がった。

 

 

『どうした結羽、もしかしなくても俺の声が聞きたかった?』

 

「………チッ」

 

『舌打ちだけ!?朝から酷いな!?』

 

「黙れ。朝からお前の声を聞かされる身にもなれ。湧いてくるのは殺意だぞ殺意」

 

 

本当に朝からこいつの声を聞かされるだけでなくクソウザイ絡みをされなくてはいけないのかと思うとすぐにでも電話を切りたい衝動に駆られる。

しかしここで切ってしまっては母に何をされるかわからない。俺はぐっと堪えた。存外権力のある母親である。

 

 

「…というわけだ。今日は1日ウチに世話になるんだな」

 

 

事情を説明すればさすがのアホでも理解はしてくれたようである。高校に着いて何かと思えば今井の声も聞こえたし、まあつまりはあいつらで集まっているか何かってところだろう。仲のよろしいことで。

 

さて、今から寝るのもアリだな、とは思うが身体も脳も起こされてしまったためにその選択肢はとれない。今週はテストがあるから勉強を、と思っても既にやるべきことは終わっている。コツコツ進めていたら知らぬ間に進めすぎていたのだ。

 

 

「暇だな…ゲームでもするか…」

 

 

凛から『リサとの勉強会に付き合ってくれ@学校』などというメッセージが送られてきたが華麗にスルーをキメて、Pray Straight 4(通称PS4)の電源を入れる。今日やるソフトは『深夜遊(しん・よあそび)』。昼間からホラーゲームとは変な感じがするのは否めないが、カーテンを閉め電気を消せばそこそこの臨場感は出る。

 

テスト前という背徳感(?)も相俟(あいま)ってか、いつもより楽しめそうな気がしている。初見殺しは嫌いだがゲームの醍醐味として受け入れられるような。こうして結局のところ俺はテスト直前の日曜日をゲームで消化することになるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて…どうしたもんか」

 

 

下水道エリアでネズミを追いかけながら、バケモノから逃げ続けて蟹を避けながら地上に辿り着いた頃にはもう夕方。時が経つのは早いものだ、ってのはこういう場合にはご都合主義的展開になるのだろうか。

 

ともあれ、時刻は既に6時を回っている。そろそろ凛が来てもおかしくない頃だ。俺はゲームを片付けて階下へと降りていったのであるが…

 

 

「結羽。ちょっと来てくれる?」

 

 

リビングから鶴もとい母上の一声がかかる。何か悪いことでもしたか?それともまた頼み事か…果たして。

 

 

「結羽、どうして女の子の、それもこんなにとびきり美人の子と仲がいいのかしら?説明してもらえる?」

 

 

これは予想外。イマジネーションに富んだ夢の国の方々でもこれは想像出来まい。リビングにいたのは凛ともう一人。クラスメイトにしてクラスで随一のギャル、今井リサである。

 

 

「なんでオマエがいるんだよ…」

 

「他人に当たらないの。結羽に女の子の友達がいるなんてまさかそんなことないと思っていたから驚きなの。目つき悪いから近づきづらいかもだし」

 

 

平然と人のコンプレックスを婉曲的に殴ってくる母親、無慈悲すぎるんだがなぁ。俺が恐らく唯一コンプレックスを抱くとしたらこの顔つきになるのだろう。

 

 

「…アンタの早とちりだな。俺はこいつとよろしくした覚えはない」

 

「凛くんも言ってたのよ、リサと結羽は仲いいんだよなーって」

 

「オマエ風呂入る時ガス切るからな」

 

「地味に効くからやめてくれ!!!」

 

 

親っていうのはこうも子の交友に口出しをするものなのか、他の家庭に割りいって覗いてみたいものである。

 

 

「この子のこういうのは照れ隠しよ。リサちゃん、気にしないでね?何だかんだこれでも凛くんとは長い付き合いだし」

 

「あっ、はい…でもいいんですか?晩御飯ご馳走になって」

 

「大丈夫よ、せっかくだしゆっくりおしゃべりでもしてね」

 

 

そして知らない内に今井が夕食を共にすることに決まっていた。何が起こっている。

 

 

「たまたま買い物途中の結依さんに帰り道に会ってさ。流れでリサも来ることに」

 

「俺は聞いてねえ」

 

「まあまあ結羽も落ち着いてってば。あ、そういえばつぐみが結羽の話をしてたなぁ〜」

 

「…オマエほんと口が軽いんだな、よく分かったわ」

 

 

身体と尻が軽いのかどうかは知らんが、ともかく今井のその口の軽さはこの状況においてはディスアドバンテージというもので。

 

 

「つぐみ?誰なのそれは」

 

 

女子中学生のような好奇の目を今井に向けては食いつく我が母。頼むからそっとしておいてほしい。

 

 

「それは〜…斯々然々(かくかくしかじか)で…」

 

 

意地でも聞きたがる母を前に、今井は為す術もなく事のあらましを暴露してしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね。この前の金曜日のアレはそういうことだったの」

 

「そうなるな」

 

 

普段の俺からは想像つかないのだろう、母は結構感心している様子だ。

 

 

「人並みの良心は持ち合わせているのね」

 

「気まぐれだったとはいえ、アンタは実の息子の評価を人並みに合わせることから始めてみようか」

 

 

想像がつかないどころかこの言い様、息子が冷酷非道で血も涙も情も欠片もないとか思っていそうだな。そしてそう思っていても不自然ではないのが母である。

そんな母はテーブル周りを片付けて夕飯の支度に入っていった。

 

 

「でさ、結羽、つぐみのことなんだけど」

 

「そんな話もしていたっけな」

 

「ライブ見に来てほしいって。バンド組んでるのは知ってるでしょ?」

 

「まあ知ってるけどな…」

 

 

どうして今井から?自分で言えば良くないか?と考えてしまう自分がいる。何のための連絡先なのだろう。

 

 

「あ〜顔でわかるよ。なんで連絡してこないのかって思ったでしょ。今テスト近いから、勉強も教えてほしいのにライブの話まで出したら結羽の負担になるかなって思ったんだよきっと」

 

「そうか。お前お節介って言葉知ってるか?」

 

「それはアタシも思うんだけどさ、日取りくらい知っておいた方がいいでしょ?予定を入れるかは結羽が好きにすればいいし。あ、ちなみにテスト終わった週の土曜日だよ、ライブは」

 

 

予定を尋ねるだけで気苦労を重ねていてストレスが溜まらないのかとさすがに羽沢が心配になる。

人のことをよく考えて行動するのが本質なら負荷にもならないのだろうがこのご時世に善人が善人らしく生きるなんて難しいよな、とディストピア地味た社会を想像してみた。

 

 

「そうか。それで俺の予定を押さえた気になるなよ。敢えて言っておくがRoseliaも参加するとかいう理由でチケット押し付けて来ても行かないからな」

 

「あちゃ〜仕方ないなぁ。つぐみにがんばってもらうしかないね」

 

 

猿でも分かる思考回路分析の初級編にありそうな意図じゃないか、など言ってはいけない。実際に引っかかる人もいるのだ。

 

 

「ん?何?」

 

「いや、猿並みなんだなと」

 

「え、何が!?ついていけないんだけど!?」

 

 

そりゃ猿こと凛はついてこれなくて当然、完全にこっちの話である。

 

 

「まあまあ、アタシもお節介はこの辺にしとくよ。あ、結依さん、手伝いますよ」

 

「あらほんと?リサちゃん手際良さそうだし助かるわ〜。じゃ、ささっと作っちゃいましょ」

 

 

女性陣は料理で意気投合しそうな様子。

対してこちらは凛と俺といういつものと言えばいつもの組み合わせである。何も面白くない。

 

 

「ところでお前テスト勉強は大丈夫か?今井とやってたらしいが」

 

 

そういえば一日学校で勉強してたんだっけ、と思い出して凛に聞いてみた。当然凛の答えは決まっている。

 

 

「ヤバい」

 

「だろうな」

 

 

本当になんで進級できた?なんで入学できた?色々確かめたいことはあるが、赤点取る奴に付きまとわれるってそれは一種のバッドステータスになってしまうのは今までずっと危惧してきたことだ。

早い話が、

 

 

「…後でやるか。居眠り怠けサボり癖はトイレの水飲ませるからな」

 

「罰が気持ち悪すぎるだろ!でも頼むわ!!」

 

 

と、いつものパターンになるのである。

数日前に人頼みをやめさせて自分の力でやることを覚えさせようとしたが最終的にはこうなる。俺はこいつを甘やかしている、のかもしれない。

 

 

結局、今井と遅くまで談笑して予定よりも勉強する時間をとれなかった凛だが、やった分はそこそこがんばってくれると思っておく。あんなふざけた奴でもやる時はやるだろ、とそれ以上考えるのはやめて朝奪われた睡眠を渇望していた俺は早めに眠りに就くのだった。

 

 

 

 

余談だが夕飯は何故か女子の料理の定番中の定番であるハンバーグ。

母が作ったものと今井が作ったものがあったらしいが焼け具合も形もどちらも悪くなく、俺達はまったく判別できなかったという…



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向日葵の真名を

亀の割に書く時は書くので更新しました。

当然のようにキャラを貶していくようなスタイルですがツンデレ的な属性だと思って許してください。

主人公の性格上、本当の意味での悪意や害意はなくてもどうしても言い方がキツめになってしまうのでアンチ・ヘイトのタグをつけています、苦手な方は本当にすみません。




 

 

 

 

冷水シャワーで凛が絶叫した夜も昨日のこと。

黒川家不在のため──まあそもそも凛が鍵を持たなかったのが悪いのだが──凛が泊まった翌朝。

 

俺の方が起きるのが遅いという理由で洗面台を占有され、朝食は若干手をつけられ、勝手に整髪料を使われる始末。最後に至っては許可も取っていなかった。

 

そりゃ誰でもキレるだろ…?

 

 

「というわけだクソが」

 

「ヴぉッ!?!?」

 

 

悠々と髪を整えるクソをガラ空きの脇腹への一撃で落とし、俺は身支度を済ませて家を出た。

整髪料なんてそんなに使わないけどな、所有者は一応俺なのだ。

 

 

 

ヘッドホンを装着していると落ち着く、と言ったらオタクだと返された中学の頃が懐かしいな、などと考えながら歩いていると、例によって凛が追いついてきたので不本意ではあるが本当に仕方なくヘッドホンを外す。

 

 

「…お前少しは遠慮とか常識とか身につけたらどうだ」

 

「いいじゃん、俺と結羽の仲だしさ」

 

「間違ってもお前が言う台詞じゃねえだろ…」

 

 

逆のことを俺がしたらギャーギャー騒ぐくせに何を言っている。飯を横取りしようものなら飯を必要以上に奪い返される上にうるさくなるからな…いや自分がやられて嫌なら他人にやるんじゃねえよアホが。

 

 

「ところで朝のニュース見た?」

 

「…ああ、また黒川凛昆虫説が提唱されていたな」

 

「そうそうそんな説が──ないからな!?またって言ったけど一度もないからな!!」

 

「朝からうるさいからなほんとにお前は」

 

 

冗談でも何でも朝からうるさいのは嫌だな、と心底思う。朝が苦手なのを知っているなら少しくらい考慮しろ。

 

 

「で?何のニュースがやってたって?」

 

「ああ、トビQのお化け屋敷がリニューアルするんだってさ。だからその前に一回行ってみたいと思って」

 

 

死ぬほどどうでもよかった。

トビQとは…国民的な遊園地の一つで、正式にはトビQアイランドという。

角度のおかしいトンデモコースターやら殺人級フリーフォールやら最恐且つ最凶のお化け屋敷やらが(ひし)めくらしいが、俺は行ったことがないので詳しくは分からない。が、行きたいと思えるほど平和なところではないというのが印象ではある。

 

 

「そうか。行ってこい」

 

「いや誘ってるんだよ」

 

「暗に断っているのが分からないのか?」

 

 

行きたいとは思えないから当然断る。

他に誘う奴なんていくらでもいるだろうに。

 

 

「そもそも俺じゃなくてもいいだろ。つーかその前に目の前の現実見ろ、赤点と追いかけっこしてるんだからな」

 

「それは言わないでほしかった…まあほら夏休みにでもさ。休暇終わったあたりで改装とか始まるっぽいし」

 

「そうだな」

 

 

適当に返事をしてさっさと歩く。

おしゃべりをして楽しそうに歩くなんていうのは俺には向いてないというのが正直な感想なのでここ数年凛とはこんな感じである。

大抵凛が話したことに適当な相槌を打ったりするようなもので、話が弾んだことはない。いや、私見では凛は弾んでいると思っていそうではあるのだが、それは思い込みに過ぎない。

 

 

「…ん」

 

 

ふとしたタイミングで制服のズボンのポケットに入っていたスマホが震える。変なメールの通知は来ないしメッセージアプリと電話くらいしかスマホが振動することはないはずだが…

 

 

「…忘れ物でもしたか?」

 

 

電話ではなくメッセージアプリ。俗に言うLlNE…ラインである。

いやまあ本当にメタ発言でアレなのだが、アルファベット表記はiをLの小文字で表すことにする。色々思うところがあるので許していただきたい。

 

 

「マジか…」

 

「どした?忘れ物?」

 

「いや」

 

 

凛と同じ思考回路だったのが本当に遺憾で仕方がないのだが、俺達は揃いも揃ってメッセージの送り主の予想を外す。

 

 

「はぁ…いっそ教員でも目指してみるか?」

 

 

送り主は、羽沢だった。

 

 

『おはようございます!朝からすみません。今日の放課後、Afterglowのみんなと勉強会があるんです。でも今日はモカちゃんがバイトで参加出来なくて…この前教えてもらった時、とても分かりやすかったので、今日も来ていただけませんか?』

 

 

「…よし断るか」

 

 

そもそも青葉の奴、テスト前にバイト入れるなよ…そりゃ優秀なのは知っているが。

というか羽沢、朝からすみません、だと…?凛よりもよく分かっているではないか。

 

「やれやれ、どこかの虫とは違うな」

 

 

「…あのさ、結羽。冗談で言ったかもしれないけどさ。教員とか目指してみてもいいんじゃない?そんな真剣に考えないであくまで進路の一つとして」

 

「…いやどう考えても向いてねえよ…しかも知り合いに勉強教えるのと学校で教鞭を執るのは月とすっぽんだろ」

 

「いや〜それはわからないでしょ。まあ結羽がいつも言ってるように俺は結羽じゃないから強くは言えないけど」

 

 

それでも一つの可能性ではあるから、と凛は締め括った…はずだった。

 

 

「結羽、今俺いいこと言ったよね!?褒めちぎってほら!!!」

 

「…それがなきゃ多少はマトモに見えるんだがな」

 

 

こういうところがバカなんだよな、と思いながら羽沢に返信を打つ。

将来のこととか何も考えていなかったが、そろそろ決めなきゃいけないこともあるんだろうな…そんなに真剣に考えるほど人間として出来てはいないが、クソニートじゃあ親に顔が立たないどころか勘当される可能性もある。親の脛(かじ)って生きられるとしても俺の中ではそんなものは無様でしかないわけで、願い下げである。

 

そうなれば自然と少しは将来を見据えた進路選択をしていかなければならない、となれば先の凛の言葉は心に留めておく意味があるのだろう。

 

 

「…まあ唸ってても仕方がないな」

 

 

ひとまず今はその可能性を覗きに行ってみることにする。俺に合わなければ縁がなかった可能性だというだけの話だ、と思えば幾分気が楽ではあるな。

 

 

『分かった、場所と時間の指定を頼む』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…あのなぁ」

 

 

時は移り昼休み。

午前の授業を乗り切り、力を抜き矛盾しつつも全力で休みを謳歌する時間。授業がつまらないとは言わない、学生(この場合は就学者全員を含む)の大義には勉強、学習があるはずだろうし、理解している分最低限その大義は果たしてはいる。

まあつまり一応勉強したからその分休ませろと。

 

 

言っているのだが。

 

 

「木崎せんぱ〜い!!お昼ご飯食べましょ〜!!」

 

 

ドアでバカデカい声を出しているのは断じて俺の知り合いではない。普通に探せよ。それか近くの奴に在不在を聞け。そんな常識のない人間、俺の知り合いには…

 

 

 

『ユウく〜ん!あっはははおもしろ〜い!!』

 

『結羽〜!!俺と飯が食べたいか〜!?!?』

 

『ふふふ、結羽は今日も儚いね…』

 

 

 

「…思い当たる節がありすぎるな」

 

 

羽丘に入ってから格段に増えた俺の周りの変人達。

昔は黒川凛こと昆虫だけだったはずだが今や『るんっとくる女』『儚い演劇部』『昆虫』加えるなら『妖怪・口軽ギャル』など、様々ではあるものの常識が通じなかったり、ヤバい奴だったり、最早魑魅魍魎(ちみもうりょう)って表せるような…そんなのが跋扈(ばっこ)する環境に身を置いているのを今になって再認識させられる。

正直キツい。

 

そんなところで現実に目を向けてみよう。

 

 

 

 

「あ!いた!失礼しま〜す、木崎せんぱ〜い!」

 

「あ、いた、じゃねえよ」

 

 

見るからに頭のおかしい女が一人。前にも会ったことある、まあそりゃそうだ、羽沢に引っ付いてたピンク色の奴だ。

 

 

「何だっけお前。ヒマワリだっけ名前」

 

「上原ひまりですよ〜もう!わざと間違えないでください!」

 

「いやわざとじゃないんだが?」

 

 

植物頭とか頭植物で覚えてたからか知らんが、ヒマリって周りが言ってるのが無意識にヒマワリに変換されていたのかもな。

 

クソくだらないなオイ。

 

 

「お前もっと大人しくしやがれ。マジで。俺が変な目で見られるの分かってんのか」

 

「大丈夫だよひまりちゃん!ユウくんはいつもそうだから!」

 

「あ、日菜先輩、そうなんですか?じゃあ大丈夫ですね!」

 

 

何も大丈夫じゃねえだろうがよ…

変な目で見られてはいない、主に凛のせいだしな。周りの奴は見るどころか眼中にねえって感じだろ。

 

 

「唐突に出てきて何言ってんだ氷川てめえは」

 

「あたしはユウくんの取扱説明書だから!何でも聞いてね!」

 

 

Vサインを上原に見せつける氷川にふざけんな、とチョップをかます。ユウくんがぶった〜、と氷川は今井の元へ向かった、どうやらそのまま昼食を共にするらしい。その食事風景はいつも教室で見られるので別に珍しくもないが。

 

 

「で?上原とやら、要件は何だ」

 

 

凛が腹痛でトイレに篭っている内に済ませていただきたいものであるが果たして…

 

 

「一緒にご飯食べませんか?」

 

「断る」

 

「なんでですか〜」

 

 

ブウブウとブタのように駄々を()ねる上原。

めんどくせえ…

 

 

「今日勉強教えてくれるってつぐから聞いたんですよ!せっかくだしこの前のことも謝るついでに親睦を深めたいな〜なんて」

 

「いや反省してないだろさっきのお前見りゃ分かるが」

 

「それはごめんなさい!でもとにかく屋上に来てください!」

 

「うるせえよ…行けばいいんだろうが…」

 

 

もう何かアレだ、奴隷になった感じがする。

この空気に耐えられないし折れて成り行きに任せてしまおうかと思うくらい苦痛である。抵抗を試みても(ことごと)く潰されるとかどう考えても隷属を強いられているようなものでは?抗うことさえ許されなくなり、俺も諦めてしまいそうだ。

 

諦観(ていかん)を選び(選ばされ)昼食を持って上原について行く。飯の為に気が進まないまま余計に階段登るのがとても辛い。足が鉛どころか鉄骨になって歩行が不可能になったのではと疑うレベルである。

 

 

「ところで先輩、結羽先輩って呼んでもいいですか?」

 

「…好きにしろ」

 

 

ふと上原が呼び方の話を振ってきた。

どうせ拒否権はない、それに拒否すればなんで?と突っ込んでくるに違いない、それが面倒過ぎるから全力でイエスマンをキメていくことにしたのだ。

 

 

「じゃあ私のことも名前で呼んでくださいね!ヒマワリじゃなくてひまりですから。覚えてくださいね、結羽先輩?」

 

「……ひまり。お前ほんとだるいな」

 

 

思えば女子を名前で呼ぶ時は口に出しても出さなくても、大抵苗字でしか呼ばないな。…いや、男子を含めたら凛以外とも言うか。

今井、氷川、瀬田、青葉、羽沢、美竹、筑紫、桜葉、小野、仁礼…女子に限ってもまだまだいるが、確かに名前で呼んだのは上原ひまりで久しぶりになるのか。

 

 

「先輩容赦ないですよね。私結構乙女ですからね?グサグサきてますよ」

 

「自称も大概にしとけ」

 

 

面倒臭そうな雰囲気(と性格)は乙女というより女子学生って感じがあるな。偏見ではない、一応経験に基づいているのでな。

そんなこんなで結局屋上の扉を開ける俺とひまりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───────────────────

 

 

 

 

〜2-A教室にて〜

 

 

 

 

 

 

 

「木崎くんってさ、去年に比べて丸くなったよね」

 

 

「そうだね〜、同じクラスだったからわかるけど去年の彼だったら意地でもついて行かないね。もっと言葉もキツいと思う」

 

 

「何かあったのかな?黒川くんとかさ」

 

 

「かもね。木崎くんのこと、最初怖い人だと思った」

 

 

「わかる〜!でもこうやって見てるとそんなことなさそうだし。杞憂だったかな、ユウだけに」

 

 

「…また冬に逆戻りかな、寒いね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユウくんおもしろいよねりさちー」

 

 

「結羽ね〜、まあ悪い人じゃないだろうなとは思ってたよ。去年から凛と何だかんだいい感じだったじゃん?」

 

 

「それもそうだけどね〜、やっぱりツンデレ?みたいなところが変でおもしろくてさ〜!」

 

 

「あはは、アタシが言ったらヤバいことをヒナは言えるからすごいよね」

 

 

「思ったことは言うもんでしょ〜?りさちー変だよ」

 

 

「そうかもだけどね、言える人と言えない人がいるのも事実なんだよ。ヒナと違う人もきっといるんだよ」

 

 

「へー、そうなんだね〜。あ、聞いてよりさちー!さっきリンくんがね──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──へっくしゅん!!人がトイレにいる間に噂をされてるってやだなぁ…お腹痛い…」

 

 

 

 

 

 






ヒロイン変わった?そんなことないですよね?

ひまりちゃんのフレンドリーな感じを出したくて彼女のメンタルをぼこぼこにしてしまいましたが、名前呼びによって結局丸く収まったと思ってます、ひまりちゃん推しの方本当にごめんなさい(;_;)

次回は屋上からスタートします。飛び降りじゃないです。


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屋上ロックと探し物

今回もちょっぴり早い更新です。
実は先程誤爆しましたすみません。

タイトル通り、屋上でのガールズロックバンドとの一幕です。

私も読者様も共に楽しめる、そんな作品を目指しています。


 

 

 

「…例えばの話だ。男が五人の仲のいいグループに、大した付き合いのない自分一人だけが放り込まれたとする。その時の自分の心情はどうだ?」

 

 

「仲良くなればいいんじゃないですか?」

 

 

 

こいつはダメだ。救いようがない。

 

 

 

「おいひまり…お前どうかしてるんじゃないのか、普通嫌だろ。肩身狭くなるのが当たり前だろうが」

 

 

「でもそこはモカちゃんパワーで何とかしますから〜」

 

 

 

青葉も味方にはなってくれない。

 

 

 

「…まあ何とかなるでしょ。モカだし」

 

 

「…なぁ根拠ってあるか?」

 

 

 

モカを援護するのは美竹。人付き合いにおいては理解されるかなどと思ったが幼馴染補正はとんでもない様子。

 

 

 

「大丈夫ですって、仲良くしてくださいよ木崎先輩。ああ、手始めに今度ラーメン食べに行きましょうか!」

 

 

「いや、あのなぁ…」

 

 

 

自信満々にそういうのは先程自己紹介をされたアツそうな女子こと宇田川。まあ誰とでも仲良くできそうだなぁと思えるさっぱり感のある人柄だから実際に拗れた関係とかは持っていなさそうである。

となれば頼みの綱はあと一人なのだが…

 

 

 

「な、仲良くなれるようにがんばります!」

 

 

「そりゃそうだよな」

 

 

 

そういうわけで、この屋上で開かれた所謂(いわゆる)女子会のようなものから抜け出すことは叶わなかった。

いや結局は俺が簡単に折れたのが悪かったのだ、仕方ないと受け入れざるを得ない。

 

 

「細かいことは気にしないでよ。で、あんた今日来るんでしょ?勉強会」

 

「全然細かくないが…一応行くとは返信をしたな」

 

 

まだ時間とかの指定は受けていないから、恐らくここで話してしまおうという魂胆か。だから俺はこいつ(ひまり)にバカデカい声で呼ばれたわけだな。ただ昼食を一緒にとるだけよりはマシだが。

 

 

「今日の放課後教室まで行くから。合流してからつぐの家。知ってるでしょ、羽沢珈琲店」

 

「なるほど一度帰宅はしないのか」

 

「時間勿体ないし。そんなに気にしないでしょ」

 

「まあな…」

 

 

…そうするとアレか。例によって一年の女子が教室に突撃してくるわけだ。そしてその目的はまたも俺ときた、風評被害が熱くなりそうでさすがに看過できないように思う。

 

 

「いや、やっぱり玄関でいいだろ。教室に来られて俺が一年の女を誑かしてると思われるのも心外だからな」

 

「あんた逃げるでしょ」

 

「今更逃げねえよ…」

 

 

そして美竹は俺を信用していないらしい。

まあ対面からのことを考えれば当たり前と言われたら頷く他ない。

 

 

「…というかそれしか話さないならLlNEすれば済むだろ。俺がここに来た意味が薄すぎるな」

 

「あたし達は先輩の連絡先知りませんよ〜?」

 

 

…不本意ながら地雷を踏み抜いた気がする。

 

 

「あれれ〜?木崎先輩、誰に連絡先教えたんですか〜?」

 

「あたし知らないよ」

 

「アタシもだな、初対面みたいなもんだし」

 

「私も知らないよー」

 

 

逆に知ってたら怖いわ。

不正に連絡先を取得する女子高生がいたら怖すぎだろ日本。

 

 

「あ、はは…私だね。でもモカちゃんそんな意地悪な聞き方しないで、モカちゃんには伝えてあったよね?」

 

「おい青葉お前」

 

 

知ってたんなら流せよ、イヤらしい奴だな…

 

 

「…別にいいだろ、そのおかげで朝から連絡もらえたんだからな」

 

 

惜しむらくは羽沢が青葉以外にはLlNEで聞いたという、手段を伝えていなかったことか。大方バイトだと言われた時に『じゃあ結羽先輩に聞いてみるね』くらい青葉に零したんだろ。

 

 

「つぐやるじゃ〜ん!どんな話するの?」

 

「こらひまり、つぐ困るから。それに野暮だぞ」

 

 

そして当然自称乙女チック上原ひまりがやりとりの中身を聞き出そうとする。最初の印象と変わってないな。

 

 

「はぁ…」

 

 

俺はココアを飲みながら嘆息する。

ここまで彼女等と関わるとは思わなかった。別に嫌とか悪いイメージがあるとか、そういうわけじゃないけどな…俺には向いてないと思うだけだ、今井と凛と氷川といるよりは少なくとも場違いだろう。

 

ワイワイと騒ぐ羽沢とひまりと宇田川。

それを眺める青葉と美竹。

さらにそれらを眺める俺。

 

 

「いや保護者か何かかよ…」

 

 

二児の父親の気持ちがほんの少しだけ理解できたかもしれない。子を可愛がる父親と後輩を見る俺では立場が随分異なるのは否めないが。

 

そして今更なことに、母の手製の弁当を食べ終わる頃にはココアを飲み終わってしまったことに気づき、また地味なダメージを受ける。話に疲れたからか、いつもより喉が渇くのが早い。

 

 

「…少し飲み物買いに行ってくる」

 

 

一応一言断りを入れてから俺は立ち上がる。

すると、これは好機と思ったか、ひまりが声を上げる。

 

 

「あ!私コーヒー牛乳で!」

 

「おいコラひまり、そのくらい自分で行け。あと銭湯みたいな謎のチョイスは何なんだ…」

 

 

美味いのは否定しない。実際俺も好んでいるのである。

しかし俺と違ってまだ食事中の彼女には食事にもっと合う飲み物を選ぶのが良いと思う。

 

 

「…まあ延々とブウブウ文句言われても堪らんから買ってきてやる」

 

 

捨て台詞のようなものを吐きながらも、結局折れてしまう俺であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────

 

 

 

 

 

「つぐみ、ライブのこと言った?」

 

 

結羽先輩がひまりちゃんと自分の飲み物を買いに屋上を出た後、蘭ちゃんが口を開いた。

 

 

「ううん、まだ…」

 

 

つぐみとは私のこと。羽沢つぐみ。まだライブのことは先輩には言っていない。

 

 

「普通に考えたら早くしないと来れなくなりそうじゃない?まああの人はいつも暇そうなイメージだけど」

 

「まあ最近の先輩は押せば折れるみたいだし〜?ねーひーちゃん」

 

「そんな気がする!今も飲み物買いに行ってくれてるし」

 

 

蘭ちゃん、モカちゃん、ひまりちゃんはちょっと楽観視しているみたい。それを聞けば私も安心なんだけど、必ずしもそうとは限らない。

 

 

「でも早めの方が良くないか?たとえそういう人だとしても万が一ってあるだろ?」

 

 

巴ちゃんが現実的な意見をする。まさにその通りだと私も思ってはいるけど…

 

 

「今日も勉強会に来てもらうし、あまり私に付き合わせるのも申し訳ないなって思っちゃうんだ」

 

 

何を隠そう、事の発端は私だ。

傘を貸してくれた結羽先輩、先輩にお礼はしたけど、勉強も見てもらって、こうしてご飯も一緒に食べている。その上ライブまで誘うとなると時間を奪いすぎているような気がする。

 

でもライブに誘うって意見をしたのは他でもない私で、みんなもそれは快く了承してくれた。

特に巴ちゃんと蘭ちゃんは、聴かせたい人がいるなら誘うべきだって肯定的な意見をくれて、私はそれが嬉しかった。

 

現実はそうはいかなくて、私は結局立ち止まっちゃう。

 

 

「大丈夫だって。本当に嫌だったら今日も断ってるし、ここにも来ないだろ。たぶん」

 

「リサ先輩も言ってたでしょ〜。さすがの木崎先輩でも聞くくらいなら平気なのだよ〜」

 

 

巴ちゃんとモカちゃんがさらに背中を押してくれる。

言い出したのは私だしちゃんとしないとなぁ…

 

 

「ありがとう、みんな。後で聞いてみるね!」

 

 

執拗(しつこ)いと思われたり、嫌われたりするのはちょっと心配だけど。結羽先輩悪い人じゃないし大丈夫だよね。

 

 

「ところでさ。ひまりはなんで名前で呼ばれてるの?」

 

 

話が一段落したところで、蘭ちゃんが疑問を呈した。

た、確かにひまりちゃんだけ名前で呼ばれてる…

 

 

「モカでさえ苗字じゃん」

 

「ひーちゃん、裏ワザ…?」

 

「違うよー!名前で呼んでって言ったら呼んでくれたんだよ!」

 

 

そうなんだ…失礼だけど、本当に意外と優しいんだなぁ。ちょっとくらいのお願いなら聞いてくれそう。

 

 

「モカもつぐも苗字だよな」

 

「わ、私はまだ知り合ったばかりだし、名前で呼んでって言ってないからかな」

 

「でもつぐは私と同じで先輩のこと名前で呼んでない?」

 

 

あれ?なんでだろう、言われてみたら初対面から結羽先輩って呼んでた。むしろひまりちゃんに言われるまで気づかなかったな。

 

 

「確かにそうだね。そっちの方が呼びやすいからかな?」

 

「へえ…まあ呼び方なんて人それぞれだよね」

 

「そーそー、あたしなんてモカちゃんって呼んでって言ったのに青葉だからね〜。人それぞれだよ」

 

 

結羽先輩がモカちゃんって呼んでたらちょっと違和感あるし、その呼び方は正解だと私は思うな。

 

 

ひとまず、私は怖気付いてないでちゃんと先輩に言うこと言わないと…!がんばります!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────

 

 

 

「ほらよ」

 

 

屋上に戻ってきた俺はひまりに二つの飲み物を渡す。

 

 

「嘘…先輩、私コーヒー牛乳って言いましたよね!?」

 

「そんな気がしなくもないが間違ってはいないだろ」

 

 

俺が渡したのはコーヒーと牛乳。混ぜればコーヒー牛乳みたいなもんだろ。味には目を瞑るとして。

 

 

「なんでですか!甘くないと飲めませんよ!というか先輩いちごオレって何なんですか!?似合わないですよ!」

 

 

「俺の奢りっぽくなってたし癪だからだな…まあそんなキレるな、カルシウム足りてねえだろ」

 

「そう言って牛乳を飲ませようとするのはやめてください!」

 

 

人をパシリにしておいて違うものを買ってくればこの始末。それが嫌なら最初から自分で行けよ。

 

 

「いちいち面倒だな…ほら寄越せよ」

 

 

俺はひまりから牛乳とコーヒーを引ったくって、代わりに俺が飲むはずだったいちごオレを渡す。

 

 

「今回はそれをくれてやる。今後同じことになるのが嫌なら自分で行けよ」

 

 

そう言ってコーヒーのフタを開けて口につけ傾ける。

前から缶コーヒーではこれだというのはあったが、家で淹れるものには敵わない。当然羽沢珈琲店で飲んだものにも。

 

 

「…あんたってツンデレなの?」

 

「…お前が俺の事を勘違いしてるってのはよくわかった」

 

 

美竹にツンデレって言われるのは何か無理だ。気持ち悪いというか、それはお前だろという感じだ。「あたしはそんなんじゃないし」とか「別に」とか言いながらってタイプだろ、喋ってる感じだと。

 

 

「取り敢えずホームルーム終わったら一年のとこ行く。クラスは?」

 

「B。あたしだけAだけどそっちに行くから」

 

 

クラスは美竹だけA、他の四人はBというクラス分けで友人の塊が引き裂かれてしまうというありがちな悲劇に巻き込まれていたようだ。

美竹にとっては特に苦痛だろう、こればかりは同情の余地がある。

 

 

「了解…」

 

「じゃああたしは次の授業の予習が少しあるから。行くね」

 

「アタシらも行くか。木崎先輩、今日はよろしくお願いしますね」

 

 

そう行ってぞろぞろと屋上から出ていく四人。…羽沢は除いた四人だ。

 

 

「はいはい…羽沢、お前は行かないのか」

 

「あ…はい。あの、結羽先輩、少しお話いいですか?」

 

「…何だ」

 

 

見遣れば、青葉が屋上から出る寸前でこちらに目配せをしたように見えた。…何か企んでいるのか?

考えても分からないから、羽沢の言葉を待つしかないのだが。

 

 

「こ、今週の土曜日って空いていたりしませんか…?」

 

 

なるほど。

何故か変に言葉に詰まっているが、そんなに言いづらいことだろうか。緊張とか色々あるとしても、既に話には聞いている体で答えるのも野暮というものだろう。

 

 

「今のところ予定はないな。どうした?」

 

「実はその日、私たちAfterglowも演奏するライブがあって…もしよかったら結羽先輩にも来てほしいんです。どうですか…?」

 

 

今井から話を聞いていたせいで本来よりも感動のようなものが薄れてしまった気がする。これはお節介な今井をシバいておくしかなさそうだ。

 

しかし実際そうやって言われてみれば少しは気になるものである。文化祭での有志バンドを除けばRoseliaの演奏くらいしか見たことがない。今井の誘いで見に行ったのだが、ライブなんてそれだけだ。俺にとっては非日常とも言えるイベントである。言い換えるのなら、新鮮、だ。

 

 

「…まあ知り合ったのが最近だからな、ギリギリになったが誘ってくれてありがとな…せっかくだし行かせてもらおう」

 

 

その瞬間、羽沢の表情が(ゆる)む。

どれだけ張り詰めてたんだお前は…

 

 

「それで?なんで言い(よど)んでいたんだ?緊張でもしたか?」

 

「いえ!勉強とか、傘とか、色々短期間でお世話になってるのにライブまで、と思ったら迷惑かと…」

 

 

さすがに気を遣いすぎじゃないだろうか。

いや、俺のことを誘ったら迷惑そうにする奴だと思っていたら合点がいく。結局不機嫌だとか言われるのは俺の風貌と言動のせいなのか。

 

 

「…別に。やり過ぎなきゃいいんだ、お前は比較的常識的だし、その辺の節度はあると見ているからな。無理な時は無理、嫌な時は嫌だと言うからその辺は遠慮するな。そんなこと言い出したら何も出来なくなるし、ひまりなんて迷惑の一言じゃ片付けられない奴になるだろ」

 

 

実際突飛な行動に出ることはないと思っている故、心底迷惑に感じるようなことをされることはないと踏んでいる。

ひまりを踏み台にしてしまったが、まああいつはあいつでよくわからんが節度はギリギリ、人としてあるべきくらいは持っているだろう。そうであってほしい。

 

 

「まあそういうわけだから。チケット代とか必要事項はLlNEにでも送ってくれ」

 

「わかりました、ありがとうございますっ!結羽先輩に楽しんでもらえるように、私精一杯がんばりますね!」

 

 

羽沢は今にも飛び跳ねそうなくらいのテンションと笑顔でそう言った。

バンドをやっている人間からしたら、聴いてほしい奴や、たくさんの人に聴いてもらえるのは本望なのだろうか。俺はバンドをやっていないからわからない。やっている人間もそれぞれだから一概には言えないだろうが、自分が真剣に取り組んでいるものならきっとバンドに限らず喜ばしいだろう。

芸能人ならプログラムを視聴されること、バンドなら音楽を聴いてもらうこと、芸術家なら作品が評価されること、そして…

 

 

「…俺なら、何なんだ」

 

 

趣味がどうにかなることか?必死に追いかけているものがあるか?今の俺が熱中していることがあるか?

そんなことで、すぐそこで嬉しそうにする羽沢との、そのバンド仲間との違いを意識してしまう。

自分がない、少しのアイデンティティも確立していない、他にも様々な言葉が浮かんでは消えていくが、こんなにも羽沢と温度差ができてしまうのも彼女に悪いので、思考を停止する。見つけるものではなく、『見つかる』ものだと思うことにして。

 

…それに、癪ではあるが凛のおかげで何かが見つかるかもしれないきっかけを得たのも事実だ。もう少し気楽に行こうではないか。

 

 

「…しかし本当に楽しそうだな。そうは聞こえないだろうが、俺も楽しみにしてる。まあまずは目先のテストからやるぞ」

 

「はい!放課後はよろしくお願いしますっ」

 

 

昼休みが終わるよりも少し早めに教室へ帰っていく俺と羽沢。階段を降りる足取りは、来る時よりも重くは感じなくなっていた。

 

 

 

教室に戻れば凛が俺の不在を知って面倒臭かったというのを今井から聞いたのだが、まあ正直どうでもいいので割愛する。

氷川には悪いが、今井のお節介に対するカウンターだと思っておく。今井が悪い奴だとは言わない、というかまあよく周りを見ているし、人が気づかないところに気づくからな。たまたま後手に回っただけで普段はそこそこに感謝している、こんな独白が今井に伝わるわけはないけれども。

 

 

 

 




ここまで読んでいただきありがとうございました。


風薊様、ご感想ありがとうございます。
正直非常に嬉しいです。
今後の参考とモチベーションにさせていただきます!


感想、評価、メッセージなど心よりお待ちしております。


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マンデリンと忘れ物

ワンパターンな言葉しか出てこないボキャ貧の雪乃シロです。
それでは今回も飽きるまでどうぞお読みください。

寝る前か寝起きに書いたりチェックしたりしたので誤字脱字、ねじれた日本語等あればぜひ教えてください。


 

 

 

 

 

そんなこんなで放課後である。凛をやり過ごし、寝惚け眼を擦り、待ち合わせである1-Bの教室へ向かう。Afterglowとの勉強会のため、決して軽くはない足で廊下を歩いていた。

ちなみに寝惚け眼と言ったが、まあ要は午後の授業は夢の世界でやり過ごしたということになる。黙っておけば痛いところを奴らに突かれることもないだろうが。

 

 

「…ここだな」

 

 

1-Bのドアから中を覗く。あまり探るように見ていると不審者扱いされそうなのでそこは不自然でないようにする。

 

 

「お!木崎先輩、こっちですよ!」

 

「…ああ」

 

 

するとすぐに宇田川が俺の事を見つけて声をかけてくる。見たところ美竹と羽沢がいないようだ。美竹はまだ教室か?だとすると羽沢は一体…

 

 

「青葉はバイトか。他の二人は?」

 

「蘭はたぶんもうすぐです!つぐはお花を摘みに行きましたよ」

 

「…そうか」

 

 

少々デリケートな部分に触れてしまったらしい。

ちょっと羽沢に対して申し訳なく思う。

 

 

「しかしまあ…」

 

 

好奇の視線を感じる。正直不快だが、俺がここにいるのは俺が外から見たとしても違和感があるのが事実である。

 

 

「木崎先輩、学校の近くのラーメン屋知ってます?武士道って言うんですけど、あそこの豚骨醤油オススメですよ!今度感想聞かせてください!」

 

「なんでラーメン屋なのに武士道なんだよ…」

 

 

〇〇家、〇〇堂、〇〇楽なら王道だと思うが、武士道とか騎士道って言葉をラーメン屋の看板に書いてると思うと地雷臭が若干する。宇田川が太鼓判を押しているのなら味はいいのかもしれないが。そうだとしても俺の反応が普通だろ。

 

 

「せんぱ〜い!今度新しく出来たクレープ屋さん行きましょうよ〜!」

 

「…太るぞ」

 

「うっ!!さ、最近は少しがんばってるから平気かな〜…じゃなくて、そういうのセクハラです!デリカシーがないです!最低ですよ!」

 

「そりゃ悪かったな」

 

 

後付けがましく変態扱いされたが世間的な評価としてこういう場合俺がセクハラ野郎に認定されるらしい。まあ冗談が通じるなら多少はセーフなのか…いや本当にセーフか?言っておいてだが訴えられてしまえば下手したら停学〜退学モノかもしれない。

 

 

「人の財布事情を考えろ。今はバイトしていない身だぞ」

 

 

三月末で一年続けたバイトを辞めた結果、今は順調に貯金が崩れていっている。そろそろまた始めないと急な出費が怖いってのもある。あまり親にせびるわけにも行くまい。

 

 

「めんどくさ…」

 

 

ちなみに以前は書店でバイトをしていた。

融通は利くし待遇も割とよかった、客入りが悪い訳ではないが落ち着いていて大手ではないなど結構好ましい勤め先ではあった。でも働くことそのものは好きになれない、惰性半分といったところか。

 

 

「あんたもう来てたんだ」

 

「…生憎人を待たせるような赤メッシュと違って行動が早いんでな」

 

「はぁ?バカにしてんの?」

 

「愚問だな、誰が見てもそうだろ」

 

「あ、はは…二人とも落ち着いて。巴ちゃんとひまりちゃんもお待たせ」

 

 

若干の棘を含めて言葉を返したくなるような、そんな言い方されたら結果は見えるだろうにこの赤メッシュは。

とは言いつつも会話はアレだが(恐らく)喧嘩とかはしていないので、羽沢と美竹が来るや否や俺たちは教室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おや、みんなお揃いで。木崎くんも一緒かい?」

 

「…そうですね」

 

 

道中は特に大した出来事もなく比較的平和にやり過ごし、今はちょうど羽沢珈琲店に到着したところで、迎えてくれたマスターに挨拶をする。

どの席を取ろうかと店内を見渡すが、しかし…

 

 

「…空いてねえな」

 

 

テスト前の学生らしき客もいれば、カフェでの有意義らしい一時を過ごす婆さん、早上がりか休憩か、社会人と思われる客。席は結構埋まってる様子。

 

 

「…お開きでよくねえか?」

 

「ダメ!私留年しちゃう!」

 

「知らねえよ」

 

 

この混雑もとい盛況具合を見ると解散でもいいだろうと思えてくる。そもそも俺は必要としない時間である。

 

 

「場所移す?」

 

「…お前にしては常識的な意見だな。毒でも盛られたか?」

 

「うっさい」

 

 

ドスッ、と俺の腹に美竹のパンチが入る。疑問を口にしただけでこの仕打ちだ。

いや女の力を舐めてたってのはある、思ってたより強烈な痛みを感じる。

 

 

「短気か」

 

「怒ってない」

 

「手ェ出てるからな」

 

 

まあそんな暴力メッシュ1号は放っておいて結局どうするのかを彼女等から聞きたいわけだが…

 

 

「場所狭いかもしれないけど、私の部屋でやろっか?」

 

「羽沢、お前ついに俺を殺しに来たか」

 

 

何だ?バカか?実はバカなのか羽沢。

ポンコツな時もありそうだから一番とは言わないがお前のことは信じていたんだがな。

 

 

「警戒もせずそんな簡単に女子の家に入ってたまるかよ」

 

「そうだぞつぐ、木崎先輩だって男性だぞ」

 

「巴の言う通りだよ、つぐ、さすがにね?」

 

「何されるかわからないよ。こいつケダモノだし」

 

「テメェそんなに死にてぇか」

 

 

どう考えてもおかしい意見が一つ。

他は俺と同意見らしい。そもそもケダモノって何だよ…お前は世の人口の約半分は淑女のお前らとは違って淑やかさの欠片もなく、理性のタガの外れた何かだとか思ってるんじゃあないだろうな…

 

 

「それもそうだよね…どうしよう」

 

 

入口付近で立ち往生していてもこの人数では何をしても邪魔にしかならない故、決めることはさっさと決めて行動せねばならない。

テーブルはキツそうとなるとカウンターになるか…

 

 

「…俺はカウンターにいる。用があったら来るなり呼ぶなりすればいいだろ。ずっと部屋にいる必要はない」

 

「まあまあ。つぐみの部屋に入りづらいならリビングにでも入ったらどうだい?それなら広さの問題も木崎くんの懸念もある程度解消できるだろうし」

 

 

マスターの助太刀によって救われる俺と納得するAfterglow。いや厳密には救われてはいないが、それくらないなら妥協できるとは思う。

 

 

「…それなら一応大丈夫です。気を遣わせたようですみません」

 

「気にしなくて結構だよ。気持ちはわからないでもない」

 

 

そう言って懐かしむような目をするマスター。この人、過去に何があったんだ…

 

 

「…注文だけいいすか?」

 

「どうぞ」

 

「マンデリン、ってやつを…」

 

「カフェオレにしなくても大丈夫かい?」

 

「この前飲んだのと違うならストレートでお願いします」

 

 

少し大人ぶって大して知りもしないコーヒーを嗜んでみようとする。マンデリンなんて自発的に注文したこともなければそもそも知らなかったのである。缶コーヒーの銘柄くらいしか分からない俺にとってはまさに背伸びであった。

 

 

「以前はコロンビアの豆をアメリカンコーヒーとして出させてもらったよ。マンデリンはそれよりも苦味が目立つね。ちなみにつぐみが傘を借りてきた日もコロンビアをアメリカンで出したよ」

 

「そうなんすか…無知ですみませんが、お願いしていいですか?」

 

「もちろん。後で持っていくよ」

 

「ありがとうございます。支払いは後でします」

 

 

どういたしまして、とにこやかに告げてマスターは仕事に戻る。俺も一応客という体をとるなら先のも業務だったのだろうが。

 

 

「まあ何だ…悪いが邪魔するぞ」

 

「ぜひぜひ!じゃあみんな行こっか」

 

 

思うところはあるが、家主の羽沢について中に入っていくことになった俺たち。

なかなかぶっ飛んだことに首を突っ込んでいるのは百も承知で、何事もないことを祈る訳だが果たして…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…美味いな」

 

 

前に飲んだものもよかったが、今回のものもかなりいける。前よりも苦味が強いとは言っていたが、飲めないほど苦いわけでもなく、むしろ心地よい。これもマスターの腕というわけか。

 

 

「…終わったか?」

 

「…まだ」

 

「何でだよ…」

 

 

そして今はひまりを宇田川と羽沢に任せ(実際は三人一緒にやっているだけだが学力的にそうなってしまうらしい)、俺は美竹の勉強の面倒を見ている。実際にはローテーションしてそのうち他を任されることになるだろう。

 

 

「分かってねえところを分かったって言ったな…」

 

「…ごめん」

 

「謝る前に気をつけろ。俺も面倒臭えしお前も二度手間だろ」

 

「わかった」

 

 

適当なことを言う割にはあまり噛み付いてこない美竹は相手にしていて楽だな…決して噛み付いてほしいわけじゃない、むしろ二度と噛み付かないでほしい。

英語がわかりませんと言われても習ったことをどうやって使うのかだとか、実際にどうやって使われるのかだとか、自身に刻み込んでもらうしかない。説明が下手なら申し訳ないが、事実俺はプロじゃないんでな。

 

 

「あとで英作してもらうからな。その文章でも手本にして使い方を学べ」

 

 

あまり口出しをするのもだな、と美竹がフリーズするまでは放置することにし、向かいに座る三人に目を移す。

ちなみに美竹は俺の隣に陣取っている。普通に考えたら最悪の席順である。

 

 

「もうダメ〜…ケーキ食べたい」

 

「やっぱりお前か…」

 

 

始まってしばらく経つと、一番に限界を迎えたのはひまり。まあこいつのことだし当然だろうな…

 

 

「やる気ねえなら帰れよお前…」

 

「やる気はあります!けどエネルギーが…」

 

「帰れ」

 

 

どう考えてもひまりと美竹が主役のはずの集まりなのになんでお前が一番甘ったれてんだ。

長い付き合いでもさすがに呆れたのか苦笑いを浮かべる宇田川と羽沢には悪いが、こいつの世話を引き受けたいとは到底思えないから二人に我慢してもらうしかない。

 

 

「…で?そのバカはともかくお前らは平気なのか」

 

「アタシは大丈夫ですよ。もし何かあれば相談します」

 

 

常識人の尊厳に免じて言わないでおくが、できればやめてほしい。これ以上負担を増やさないでくれというのが本音だ。

 

 

「私は…やっぱりちょっと数学が心配かな…」

 

「…そうか」

 

 

羽沢、家主とはいえ空気を読もうな…

とはいえやはり口に出すことはなく、

 

 

「はぁ…こいつ終わったら場所変わるか」

 

 

チラッと美竹を見ると何やかんやで真剣に取り組んでいるようだ。そうでなかったら末代まで呪ってやる所存だった。

 

 

 

しばらくして美竹が伸びをして、一段落となる。

美竹には羽沢と席を変えてもらい、次のフォーメーションが決まった。

 

 

「…お前やればそこそこ何とかなってただろ。最初からちゃんとやれよ」

 

「あんたがもう少し分かりやすく教えてくれたらできたかもね。でもありがと、多少はマシになると思う」

 

「お前にそう言われるとムカつくからお世辞でも言えるようにしとけクソが」

 

 

スカしたような笑みを浮かべた美竹を一瞥し、隣に座る羽沢に相対する。

…ちなみに宇田川には悪いが、ひまりという名のキラーパスを出させてもらった。ラーメンでも食って気を取り直せと心から他人事並のエールを送っておこう。

 

 

「それで?何が心配なんだ」

 

「前と同じ二次関数です。基礎的なところはできるようになったんですけど、こういうのができなくて…」

 

 

そう言ってプリントの束を俺に寄越す羽沢。チェックが着いた問題がどうやらターゲットらしい。…こうやって分からないところが既にハッキリしていて一つ提示されるとやることが明快でいい。

 

 

「…ちょっと時間をくれ」

 

 

俺も天才じゃないからな、時間が無いとアプローチが見つからない時もあるし先が見えないこともある。故に落ち着いて考えて解く時間があると助かるという話だ。

その辺りは羽沢も分かってくれているのか、頷いて大人しく待っている。

 

 

「…この関数における最小値はa^2+4a+9ってのは分かるな?」

 

「はい。でも最小値yの範囲が出せなくて、途中から困ってて…」

 

「まあこの手の問題はなぁ…今出した最小値の式がaについての二次関数なのは分かるか?」

 

「そう…ですね」

 

「…それならあとはこの関数のグラフを考えろ。aが実数をとるなら普通の二次関数として考えればいい」

 

「あ…じゃあこれを平方完成すれば最小値が出るから、範囲がわかるってことですか?」

 

「そういうことだろうな…ただしaの値の範囲が定められてるなら軸を使って考えろってことだ」

 

 

確証はない、と付け足しそうだったがやめておく。

解いてみた感じそれくらいしかやりようのないくらいの誘導だったしな…わざわざ直前で頂点の座標出させるなら使えるかもしれないだろ。関数だし。

 

いとも簡単にコツを掴んだ羽沢は同じような問題をスラスラと解いていく。身につける術を理解しているな、と感じる。それが全てではないが、やはり教わっただけで理解したつもりにならないのは大事か。

 

その後も分からないところに口出しをさせてもらいながら羽沢の監督をする。絶対にひまりより楽だ。絶対にひまりを押し付けられたくない。死んでも嫌だわ。

 

内心でひまりを拒絶しながら、空になったコーヒーのカップを持って椅子から立ち上がる。ずっと座っていたせいか腰が痛い。…ジジイか俺は。

 

 

「休憩入るわ…」

 

 

誰も聞いていないかもしれないが念の為一言添えて店の方に向かう。先程よりも空いた店内を見ながら、少し待っていればここでできたのかもな、と思わなくもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マスター、これ…どうも。前のよりもケーキが合いそうですね」

 

「わざわざありがとう。そうだね、苦味がある分ケーキ類との相性はより良いと思うよ」

 

「頼めばよかったか…あ、会計をお願いしてもいいすか」

 

「少し待っててくれるかい」

 

 

マスターにカップを渡し、会計を頼むとマスターの呼ぶ声に反応したのは羽沢母。俺の感覚がおかしいのかもしれないが、母という立場の人間は皆若いという決まりでもあるのだろうか。身近にいる母親たちは常に若さを保っているように思う。例えば我が母、羽沢母、凛母。全員高校生の子を持っているとは思えない。

 

 

「あら結羽くん、いらっしゃい。こちら会計二億円になります」

 

「いやおかしいだろ…」

 

 

しまったつい敬語が外れてしまった。

二億ってなんだよ、詐欺にしても引っかかる奴なんてさすがにいねえだろ…

 

 

「ふふ、面白いわね〜結羽くん。お代は冗談よ」

 

「冗談じゃなかったら困るんすけど…」

 

 

俺はマスター相手だと少しばかりかしこまってしまうのだが、羽沢さん相手だと若干フランクになるらしい。

 

 

「つぐみもねえ、結羽くんのこと絶賛してたわよ」

 

「…恐縮です」

 

 

他の家庭に情報が流出していく…母親には何を言ったんだ羽沢よ。

 

 

「家庭教師になってくれたらがんばれそう!とか…結構かっこいいなぁ、とか…ウチでバイトしないかなぁ、とか…ね」

 

「…最後は自分の願望ですよね?」

 

 

家庭教師とか無理だしそんなものもっといい奴がいるだろ。外見についてはコンプレックスだが、バイトは考えどころかもなぁ…とは思う。いやそんな突然決めないがな。

 

 

「…高く買ってくれてるんすね」

 

「あの子結構かわいいのに男っ気ないのよね〜。最近じゃ結羽くんくらいしか男の子の話をしないし」

 

「女子ってそんなもんでは?」

 

 

俺の価値観に過ぎないが幼馴染でもない限り話題には上がらないだろう。俺だって女子の話を出すことはない、むしろ母なり凛なりに出されるだけである。

 

 

「そういうものかしらね?まあまあ、これからもウチのつぐみをよろしくね、結羽くん」

 

「善処します」

 

 

しっかりと買い被ってくれている辺り俺はもしかしなくても人の目を騙す特技でも持っているのか。当然ながら普段から猫を被っているつもりは毛頭ない。

善処しますとかいう返答をするクソガキを許してくれる心の広い羽沢さんに感謝感激である。こんな会話を聞いたら誰もが俺を非難するに違いない。

 

その後も羽沢さんやマスターとの会話が(個人的な感想として)弾み、向こうに戻るのが遅くなってしまった。

俺が戻った頃にはひまりが完全に死んでおり、羽沢が黙々とペンを走らせており、美竹と宇田川はひまりを見てため息をついていた。

 

 

「…人の違いってのがよく分かるわ」

 

「おっ、木崎先輩おかえりなさい。ひまりがこの通り限界ですね」

 

「…らしいな」

 

 

漫画じゃ口から魂が抜け出す描写があるが、こいつは既に抜け出してて死んでいる。息してないだろ。

 

 

「まあでも結構やってただろ。何時間だ」

 

「もう暗くなってきてますしね。つぐん家にも悪いな」

 

「そろそろお店閉まるよね。ウチらも解散にする?あたし結構やったよ」

 

「そうだね…今日は終わりにしよっか。私も捗ったよっ」

 

 

う〜ん、と伸びをしながら羽沢がそう言うが、羽沢も美竹もそれで捗っていなかったら俺が申し訳なくなるレベルだ。

宇田川は自分のこともやってはいたものの、だいたい世話係を全うするべく動いていた。ご愁傷様、だな。

 

 

「……………………」

 

 

上原ひまり、享年十二(精神成熟度指数による)。

線香くらいはくれてやろうか。

 

 

「…このバカは放っといて帰るか。羽沢、押しかけて悪かったな」

 

「いえ、むしろ助かりました!ありがとうございますっ」

 

「…あたしも。さっきも言ったけど、今日は来てくれてありがと」

 

「先輩いてくれて助かりましたよ。ありがとうございました」

 

「…ムズ痒いな。社交辞令として受け取っておく」

 

 

無料の礼よりもバイト代を寄越せって言えば何か奢ってくれるのだろうか。そんな厚かましいことさすがにここで言うような肝は持ち合わせていない。ひまりとは違うからな。

 

 

「精々がんばれよ」

 

 

全然頑張れだなんて思っていないがな。これも社交辞令だ。

片付けをして、ひまりはAfterglowに任せて一足先に帰る。しっかりとマスターへの挨拶は欠かさない。これからもちょくちょく世話になる予定の店だ。これくらいの印象はよくしておかないとな。

 

今日は疲れた。色々あったからか。

朝は家で凛と顔を合わせ、昼はバカの教室凸を食らい、昼食は屋上で変人類と会食、放課後は思ったよりハードな勉強会。俺の身体に宿るエネルギーで足りるはずがないのである。

過剰消費したエネルギーの補給として夕飯は多めに食べたいな、と思ったところに母が大盛りの牛丼を用意してくれた、存外息子のことをよく分かっている母親であった。

 

 

風呂に入り、布団に潜り込むと時間は夜の十一時を回っていた。まあいつもより布団に入るの早いんだけどな。さすがに限界だ、だがひまりよりも長持ちしたし敗北者には成り下がらなかったと言える。

 

枕に腕をついて人類の先鋭的発明であるスマホを弄る。

ずっと開いてなかったが故に気づかなかったが、俺が帰ってきてからか、どうやら羽沢からまたメッセージが届いているらしい。あいつらしい律儀なお礼だろうか。

 

 

 

羽沢つぐみ『今日はありがとうございました。あと、お母さんのことは気にしないでください。』

 

 

 

「ああ…まあ…仕方ねえよな」

 

 

 

木崎結羽『別に気にしてない』

 

 

 

適当に送信すると、即既読がつく。

いくら何でも早すぎんだろうが。まさかまさかのスマホ依存か?

 

 

 

羽沢つぐみ『あ、でも全部私がお母さんに言いました』

 

 

 

バイトのことも言ったのお前なのかよ。そりゃ気にするわアホ。

 

 

 

木崎結羽『お世辞とか色々どうも』

 

羽沢つぐみ『全部本心ですから』

 

木崎結羽『ありがたいことだな。もう寝る』

 

羽沢つぐみ『わかりました。おやすみなさい』

 

 

 

画面を消し、スマホをベッドの脇に置く。

羽沢の言葉を素直に受け取るならばの話だが、好意的な言葉をかけたことになるんだがな…まあお世辞だろ。俺みたいな奴を俺が見たら普通に引く。

寝る前にこれからのことを考えてみたが、テストにライブと地味にイベントがあるな。まあその後はただの暇人に成り下がるわけだがそれはご愛嬌。暇人は暇人なりの人生を謳歌しているし、俺からしたら十二分に忙しないし。

 

今日の俺は語彙力が足りていない気がする。頭がうまく機能していないのか。その辺のことはよく分からんが、寝て英気を養うのは大切だと信じて寝ることにしよう。

そう決めたものの、結局のところ暫くの間は眠りにつくことができなかったのである。普段の習慣を珍しく恨んだのは翌朝の話である。

 

 

 

 




マッシュマン様、ご感想ありがとうございました。

また長瀬楓様、ありがとうございました。

例によって今後の励みとさせていただきます。



タイトルの忘れ物は「ケーキ」です。
注文しておけばよかったなぁという後悔より。

ちなみにサブタイトル、深い意味とか全く考えないでかっこつけた言葉やリズムで決めてるので突っ込まないであげてください。


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エモーショナル・ノート

割と更新できている自身に感動しています。
がんばるんだ、私よ…!!


 

 

「わ、わあああああ!どうしようどうしよう…!!!」

 

 

私、羽沢つぐみはとても焦っています。理由は先程までしていたLlNE。スマホの画面には結羽先輩とのやりとりが映し出されている。

 

 

 

『あ、でも全部私が言いました』

 

 

 

冗談でお母さんが言ったんじゃなくて、私が言ったんだよって伝えたくてそう送ったんだけど、お母さんが言うには伝えたのは三つ。

家庭教師してほしい、かっこいい、バイトにほしい、だったはず。うん、一つ目は何も問題ないね。三つ目も急な話だけど話題としてはうん、あるよね。

 

問題は二つ目だよねお母さん。

 

 

「ご、誤解をさせちゃいそうだなぁ…」

 

 

接しづらいと思わせて、変に避けられたらどうしよう。挨拶してくれなかったり、無視されたり…なんてないよね。大丈夫だよね?

かっこいいって言ったのは事実だし、先輩はかっこいいの部類に入ると今も私は思うけど、何も言う必要はなかったんじゃないかな!?

 

 

「うう…しかもなんで見返してる時に来ちゃったんだろ…」

 

 

そう、私はもう一つ後悔をしています。

それは結羽先輩とのメッセージを読み返していたことです。たまたま今までのやりとりを遡って見ている最中に先輩から数時間前に送ったメッセージへの返信が来てしまい、即既読がついてしまうという事態に。

私のイメージがスマホ依存症とかそういう方向に少し動いた気がしてちょっとショックです。ううん、それよりも見返していたのがバレたら恥ずかしい…

 

 

「はぁ…でもライブには来てもらえるし、落ち込むことでもないよね」

 

 

そう、結羽先輩は週末のライブに来てくれるのです。乗り気じゃないのかな?なんて思ったけどOKサインをもらえてとても嬉しいな。テスト明けっていうちょっと大変な日取りで申し訳ないけど。

ちゃんとチケットも取り置きしてあるから大丈夫。

 

 

「あ、そうだ。チケットのこととか結羽先輩に伝えないと」

 

 

危なかった、忘れていたら結羽先輩が困っちゃうところだった。困るどころか連絡がないからって来なくなっちゃってたかもだから、思い出してよかった。

 

それからはライブのことばかり考えてたら時間が経っちゃって、欠伸が出るくらい眠くなってて、鍵盤のクッションを抱きしめながら、がんばるぞって意気込んだのを最後に記憶が途切れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────

 

 

 

月日は流れ…という程は流れておらず、今日は金曜日。時は放課後。つまりどういうことかというと…

 

 

「終わったァーーーーーーーッ!!!!」

 

「殺すぞテメェ」

 

 

虫の鳴き声からも分かるように、テストが終わったということだ。

本当に信じられないことに、ホームルームが終わるや否や俺の席まで来て騒音を撒き散らすゴミが一つある。

わざわざ俺の席に来る意味あるのか?どう考えてもあるわけねえだろ。

 

 

「で?俺の人生終わりましたって言ってたが赤点なんだな。ご苦労」

 

「それはまだ分からない!けどテスト自体は終了だろ!やっと解放された…!」

 

「そうか」

 

 

凛には悪いが微塵も興味がない。ついでに言うと凛には悪いが、と述べたがそれは嘘。全く罪悪感とか持ってはいない。

というか泊まりがけで人のことをこき使っておいて赤点だったら許さんからな。将来的には子孫共々苦しんでもらう。

 

 

「ねえねえユウくん、テストの結果で何か賭けない?」

 

「んな負け戦やるバカがいるかよ…」

 

「えーそんなの何が起こるかわかんないじゃん〜けち〜」

 

 

要は全科目満点取らないと負けが回避できないかもしれないんだろ。無理に決まってんだろうが。

 

 

「凛くんは〜?もし凛くんが勝ったら何でもしてあげるよ?」

 

「よし!乗った!!」

 

 

バカがいた。自分の能力値を理解していないのか?

しかも明らかに怪しい誘いの言葉に乗りやがったが果たして頭の容態は大丈夫なのか…

 

 

「その代わり凛くんも同じ条件ね!」

 

「望むところだヒナ!!」

 

 

「二人とも元気だねえ〜」

 

「バカも天才も頭がおかしいんだ、気づかないフリすんな今井」

 

 

本当に救えねえなこいつら。助け舟なんて出すわけがない、奢りでも何でも命じられればいいと思う。

明日の午後、厳密には夕方から、羽沢たちAfterglowの出演が決まっているライブがあるわけだが、今この時よりそれまでは暇を持て余すことになる。故にこいつらは放っておいてさっさと帰って適当に過ごすことになる。少なくともゲームやら何やらと向き合っている方が有意義になるから。…そうする、はずだった。

 

 

「日菜ちゃんダイブ!」

 

「……痛ッ、テメェ氷川ァ…!」

 

「わっ、ユウくんごめん!!はしゃぎすぎた…」

 

 

バカヒナダイブ、もとい突撃行為により俺は教室の床に尻餅をつく形に。ガン、と机を若干蹴散らしながら。

氷川も若干バランスを崩したようだが、転んだりはしていないらしい。…幸い?それならよかった?いや、そこはお前が倒れろって話だ。

 

 

「おい、結羽大丈夫か?」

 

「ヒナも大丈夫?も〜、気をつけないとダメでしょ」

 

「うう…ユウくんほんとにごめんなさい…」

 

「チッ…こういうところで頭を使うんだろうがクソ」

 

 

周りのクラスメイトもこっちを見ているが、やや心配そうな顔をしているのみ。まあ無視してくれるよりもその視線の方がしんどいんだがな。

 

 

「…取り敢えずもういい。俺は帰るぞ」

 

 

そもそも氷川の行動原理が意味不明すぎて困る。

何故か?と問うてもその回答が解せないことも多くて尋ねることもあまりしなくなった。奴が悪いとは言わんがなぁ…

 

 

「うん…またねユウくん」

 

「ああ」

 

 

バカヒナダイブもどうせ突けば面白いモノが見れるとでも思ったんだろう、ということにしてそれ以上は考えないことにする。そんな露骨に落ち込まれると俺が悪いみたいになるからやめてほしいんだが言葉にしないが故、氷川にはこの思いは届かない。

 

 

「アタシ今日練習あるから帰れないよ」

 

「普段から一人で帰ってたし呼んでねえよ」

 

 

まさにその通りで、普段一人で帰っているのだから今井のその発言の必要性はなかったように思う。まあ俺と氷川のことを考えての発言だろうと今井の性格からは推測されるのだが。

 

 

「俺が一緒に」

 

「もっと呼んでねえ」

 

 

というか要らない。切実に欲しくない。

 

 

とは言ったものの結局ストーキング紛いの下校をやりすごす羽目になり、そこそこのストレスと疲労感を身体に溜め込んで帰宅をした。

凛の奴、マジで要らない時に居るのが死ぬほど腹立つな…一回シバいておくか。今日だって一人で帰りたかったわけだし。

 

 

「…ただいま」

 

「おかえりなさい。結羽、ちょっといいかしら?」

 

「…何すか」

 

 

玄関で靴を脱ぐと、母から呼び出しを食らう。…何かマズいことでもしたか?呼び出しがあると毎回そう思うのだが心当たりがないこともしばしばである。

 

 

「テストお疲れ様。明日の夕飯どうしようかと思って。夕方からいないのよね?」

 

「どうも。時間はまあ…そうなるな」

 

 

一応外出することは母にも伝えてある。そうでないと色々不都合だしそれこそ叩き殺されそうだからだ。こう見えて(良くも悪くも)やる時はやる母親である。

 

 

「わかったわ。それだけ確認したかったの」

 

「…ああ」

 

 

夕飯を作る母には権利があるからな…下手に逆らえない。時間を確認したということは俺の外出、帰宅に合わせるということか。とても助かる。

 

 

部屋に戻り、寝転がりながらスマホを弄る。いかにも現代の若者といった風貌を呈しているが、まあ全員が全員こんな人間とは限らないか。

通知欄を見ればお馴染みの名前がそこにはあった。予想はつくであろう羽沢つぐみである。

 

 

「…最終確認か。抜かりないな」

 

 

ともすれば執拗ともとられてしまうのだろうが。

謝辞だけ返信をしてもう一つのポップアップをタッチする。開かれたのは氷川のメッセージ。

 

 

『本当にごめんなさい』

 

 

あいつは気にしすぎてもしすぎることはない、と思っていたがいくら何でも気にしすぎだろ…俺が困るわ。

 

 

『問題ない』

 

 

これだけで伝わればいいが。正直こういうコミュニケーションも面倒なので早く終わらせたいのである。

幸いその後に、よかったとだけ返事があったので大丈夫だろう。理解が早くて助かる。その後暫くは特に何もない平凡なプライベートタイムを過ごしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…今日は久しぶりに弾くか。指が感覚を忘れているかもしれないし、と適当な言い訳を添えて、夕飯前、まだ暗くなりきっていない時間に、ピアノを触った。

かなり唐突な衝動だった。いや、今日は凛のせいなのか氷川のせいなのか分からないが、落ち着いていなかったしな…(ちょっかい出すのはあいつらなので実質責任は五分五分であるが)あいつらには一応悪いと思っている。まあとにかくそういうメンタルだったからこの部屋に弾きに来たのかもしれないな、という話である。

 

ひどく懐かしいような気がしたが、前に弾いた時の俺と今の俺とでは変わったからか。そんな気はしないが、ピアノに気づかされたということか。これだから昔からこれが辞められない。

自分が見えていない、というか分かっていない。そりゃ分かるはずもない。少なくとも俺にとっては、ヒトは難しいから。

 

 

「…なんで弾いてんだ」

 

 

指が鍵盤を押し込む度に音が鳴る。当たり前だ。

その音に何が込められているかはまだ分からないが、弾いている以上俺が何かをそれに取り込んだことは分かる。

先の言い訳は効果を発揮しなかった。

感覚がどうだとか、もうそんな御託は忘れていた。

俺がピアノを弾く理由は、『何かを忘れるため』だったり、『何かを思い出すため』だったり、『何かを理解するため』だったりする。いやそんな直接的に成果が出るわけじゃない。

 

ピアノを弾いて『心の色』──これは俺の独特の表現らしい──が変われば、たとえば今まで自分の中にあった先入観とも言える凝り固まった視点が、柔軟で多角的なものに成りうるとか。

 

たとえばいつかの『心の色』と同じ色に染まり上がるのなら、忘れていたことを思い出せる気がするとか。

 

たとえば今の『心の色』を音に投影することで、固執していた何かを音とともに昇華させることができそうな気がするとか。

 

 

大層なことを言っているようにも聞こえるし、意味不明なことを口走っているようにも思えるが、最早俺にとってピアノとはそういう意味を持つものであり、誰が何と言おうとそうであるはずなのだ。実際に今まで弾いてきた時のことを思い出せばそういう結論に至る。そういう意味を以て俺は弾いてきた。

 

 

「…そこまでは分かるが」

 

 

ゆっくりと指を動かして、ありとあらゆる有象無象の影をなぞるように、自分の中を探っていく。

そうしてみても、今の自分が何故ピアノに触れているのか、音を奏でて自己を探る理由が何なのか、分からない。しかし結局そういうものなのだ。答えはいつか知ることになるとしても、探ったところで今の俺が知りうるものではないのかもしれないというだけ。

 

 

「…あいつ、引くだろ」

 

 

こんな風に…名だたる音楽家のように実を結び歴史となるわけでもないのに、その猿真似をするように。ピアノを冒涜したような、と自嘲さえするこの恣意的な演奏を見たら、羽沢はどう思うだろうか。

あの日ピアノをやっていると趣味の話の中で零して食いつかれた、そんな羽沢が想定したようには今の俺はピアノに向き合っていないから。同じピアノをやっていた者として感じた親近感を、しかし何よりも『努力家』と俺の落差が、裏切っていくのだろう。

 

別にピアノに嫌な思い出があるわけじゃないけどな、と無駄にネガティブな自分にポジティブな現実を教えて、結局答えの出ない自分のためのコンサートは終幕した。

 

明日はあいつらのコンサート…ではなくて、ライブ。今日の演奏との違いを刻印されて、俺はまた変わるのかもしれない。無力な俺は逆らうこともできないまま良くも悪くも変わっていくしかないのだろう、とこれはまたカッコつけた言葉を頭の中で繰り返しながら、既に音の止んでいる部屋を出た。

 

 

 

 




ここまで読んでいただきありがとうございます。

サブタイトルの『ノート』は音符、鍵盤という意味合いで使わせていただきました。『感情に触れる音符』くらいのイメージでした(あくまでイメージです)。

ワウリンカさん、評価10ありがとうございました!
昇天するほど嬉しいです。
UA、お気に入りやしおりも増えて、たくさんの方に読んでいただけて本当に嬉しいです。

ぜひこれからも拙作をよろしくお願いします。
そして評価、感想も待ってますよ…プラスでもマイナスでもモチベと参考になるので。

それでは次話でお会いしましょう…フへへ(by本編未登場のフへへさんより)


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灼熱のライブハウス

お久しぶりです。
タイトルに1週間悩み、平凡に落ち着きました。


 

 

「…ここか」

 

 

土曜日。この時期では日が傾くかどうかといった午後4時頃、俺はCiRCLEなるライブハウスへとやってきた。午前中は当然のように寝通して、昼から活動を再開した俺にしてみればまだ昼間のような感覚だ。

 

辺りを見回してもまだそんなに人がいない。それもそのはず、開演はまだ暫く先なのだから。何故こんなにも早く来たかというと、単純に無気力すぎて、ただ何となく外をふらついている内にたまたま着いてしまった次第である。家に帰ってまた来るなんて手間もかけたくはないので、近辺で時間を潰したいところである。

 

外のカフェスペースにいてもいいのだろうが、沈んでいない日の光が体力を無限に奪っていくだけなので、建物内に入ろうと試みる。座って飲み物を飲んだり、寝たりできるといいが。

 

 

「おや?結羽、こんなところでどうしたんだい?」

 

「…どうしてお前がここにいる」

 

 

建物に歩み出したところで聞き覚えのある声がした。振り返ればそこには我が羽丘のスターであり演劇部の華、そして謎の言動をするクラスメイト…もとい、瀬田薫が立っていた。

薄手の服を小綺麗に着こなしていて、高い身長が幸いしてか非常にスマートな印象を受ける。中身は全然スマートじゃないけどな。

 

 

「子猫ちゃんにライブへ招待してもらってね。こんなにも儚い催しに参加しない理由がないだろう?時間まではゆっくりしようと思ってね」

 

「お前の言う子猫が何なのか相変わらず理解しかねるがな」

 

 

こいつも確か…よく覚えていないが、ハロー何とかみたいな名前のバンドに所属してたっけな。そういう繋がりの中における、一人の子猫なのか。

時間まで待機ということは準備等がないと考えれば今日はそのハロー何とかのライブではないと思われる。

 

 

「それで、結羽はどうしてここにいるんだい?」

 

「…奇しくもお前と同じ理由だな。お前の言う子猫と招待した奴が同じとは思えんが」

 

「なるほど、偶然の巡り合わせ…これも何かの縁だ、結羽、今日は私とライブを観ようじゃないか」

 

「遠慮しておく」

 

 

こういう時は氷川なんかよりはかなりまともそうに見える瀬田だが、こいつと一緒にいるとやってくる落ち着けない時間が俺には非常に鬱陶しく思える。

黙ってても黄色い声に駆け寄る女生徒、しかもサービス精神旺盛な瀬田は、時には受け答えをしたりもするわけだ。一緒にいる身としては肩身が狭いのと煩わしいのとでしんどいところがある。

 

 

「今日は校舎内じゃないから気にしなくてもいいだろう?」

 

「万が一ってことがあるだろ…仕方ない、その代わり囲い達を寄せ集めないように気をつけろよ」

 

「善処しよう」

 

 

近隣といえど校外だから、ということで瀬田と行動を共にすることになった。それはさておきそろそろ俺は涼みたい。外はまだだいぶ暑く感じる。

瀬田の格好を見て上着を脱ぐか、と思ったがやめた。半袖はあまり好きではない。半袖を着ている時はあまりにも暑いというわけでもなければ上から長袖のパーカーなどを羽織るのが俺のスタイルである。今井曰く『もっとオシャレしよう』。うるせえな?

 

 

「…中入るぞ。そこのオープンカフェじゃ少し暑い」

 

「そうだね。中で座っていようか」

 

 

自販機で俺は缶のコーラを、瀬田は水を購入し、設置してあった小さなテーブルの備え付けの椅子に腰を下ろす。しかし外と中とじゃ随分体感温度が変わるもんだな…

各々の飲み物を(すす)りながら、ゆっくりと時間が経っていくのを感じる。そんな折、声を上げたのは瀬田だった。

 

 

「それにしても驚いたな、結羽が凛ではない人の誘いを受けるなんて。去年初めてあった時の君からは想像もつかないよ」

 

「…お前の中じゃ俺のイメージは凛以外とつるまない奴ってことか」

 

「過去の話さ。君は凛を介してとはいえ日菜やリサとも付き合うようになっただろう?君は変わったと言っているんだよ」

 

「…変化は好きじゃないがな。羽沢…知ってるか?生徒会の一年。あいつ等に頼まれた」

 

 

変わったな、なんて言われても困る。

そんなつもりは俺としてはないつもりだから。最近はよく変化という言葉をぶつけられることが多いように感じるが、俺が俺を理解できない以上はそれが客観的に見た事実であることを受け入れるしかなさそうだ。昨日ピアノに触れた時には変化らしきものを少し感じ取ったというのも恐らくは真だということである。

 

 

「…何を笑ってやがる」

 

 

そんな俺を他所に、瀬田は笑みを浮かべていた。

いや普通にイケメンだなおい。女としての瀬田を殺すようで悪いが、こいつは美顔である。歌って踊る男性アイドルの中にいても違和感がないな。

 

 

「いいや。結羽の周りには女子が多いと思ってね」

 

「お前ほどじゃねえよ…」

 

「返事が簡素ながら君の気持ちはわかる、素晴らしいことじゃないか。簡潔こそが英知の真髄であると彼のシェイクスピアも言っている」

 

「…そのキャラうぜえ」

 

 

周りの面子が女子過多になるのは、そもそも元が女子校なんだから男子の比率が少なくなるわけで、どうしようもないだろ。

 

 

「からかってみただけさ。…さて、もう少ししたら受付を済ませて会場へと行こうか」

 

「…ああ」

 

 

思えばこいつとサシで話すのも珍しいな。普段は教室で少し言葉を交わすくらいだし、プライベートで関わることなんてまずなかったからか。

 

 

「…まあ、期待はそこそこにはしているな」

 

 

受付で名前を確認して、飲み干したコーラと入れ違いにドリンクを持って会場へと足を踏み入れる。…瀬田と共に。瀬田の進言でまさかの前列待機になったが、時間が早いこともあって人が俺たちの他にはあまり来ていないからというのもあるだろう。時間通りに来ていれば後方でも違和感なかったんだが…

 

 

「…はぁ」

 

 

まるで俺が張り切っているようではないか、と思うが文句をつけることでもあるまい。結局そのままの位置に立ち、ステージを見つめる。

この会場を埋め尽くす人の全てが、そこに立つ者を観る。そのステージから何が見えるのかは分からないが、そこに立つ者がこの会場を己の色に塗り替えていくことだけは予想がつく。ここに集う人を、自分たちの音で、染め上げる。果たして俺が染まるかどうかは、この後分かることだ。

 

 

「大層なことだな」

 

 

そういうモノが持っている力を信じるかどうかは別として、俺は知っている。少しは期待して来ているのだから、それなりのモノを見せてもらわないと割に合わないな、とコスパに思考が移ったところで瀬田との会話が再開する。俺達は適当に言葉を交えながら、また俺はステージを見遣りながら、来るべき時を迎えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、単純に、面白い。

楽しい、つまらない、感動した、などという感想は湧いてこないこともある。どのバンドも自分たちの理想、苦難、幸福、悲哀、熱情をひたすらに紡ぎ出す。時に激しく、時に優しく。何がそこに在るのか伝わらないことがあっても、何かがそこに在るのは伝わってくる。

 

…Roseliaの時もそうだったか。素の音楽が、たとえ未完成だとしても賞賛すべきものだったのは当然分かる。そこに閉じ込められた湊の想い、今井の想い、そしてRoseliaの想いが音楽を次のステージへ連れていった。魅せられた、というわけではない。興奮もしていない。ただ、凄い、と面白い、が頭の中を支配したのを思い出した。

ピアノと同じだった。音が、伝えたいことを伝える手段になって、音が、人の心を染めていく。だからライブなんて全然来ないのに色々流れ込んでくるのか。

 

 

「これでPoppin’Partyの演奏は終わりです!ありがとうございました!」

 

 

たとえばこのMCがすっとぼけてた何とかパーティは青春真っ只中の経験から拾ってきたピースを繋げてる感じがあった。人によっては楽しいと思ったりそこに在る想いに共感したりするのだろうか。

 

 

「…次だっけな」

 

「そうだね。結羽、楽しんでるかい?」

 

「…どうだろうな」

 

 

心情の方向性はプラスかマイナスかでいえばプラスなのだから同じと言ってもいいだろう。楽しんでるのかもな。それは今までも同じか。

 

さて、次は俺がここへ来ることとなった理由であるAfterglowの出番だ。会場の熱気は凄まじく、文字通り気持ちがヒートアップしているのが背面から伝わってくる。彼、彼女らほどアツくなっているわけではないのにもかかわらず、汗が流れ落ちているのを感じる。…熱中症になったりしないだろうな。

 

 

 

暫くして、Afterglowの面々がステージ入りする。

青葉がチラッとこちらを向いた。アイコンタクトをしたのなら何も伝わっては来なかったが、少なくとも俺が来ていることは一瞬で把握されたようである。

 

MCは美竹らしいが、何とかパーティに比べると(彼女にとって)余計なことはあまり言わなさそうだな、と思っているとやはり最低限の言葉がマイクに向かって放たれる。

 

 

「今日は来てくれてありがとう。それじゃ、いくよ」

 

 

しかしそれだけで会場は湧き上がる。

眩むような視界の中、彼女等が会場を震わせるような演奏を始めた。That is…忘れた、けどそんな感じの曲。後で何か言われても困るし羽沢か宇田川あたりにヘルプしてもらうか。

 

…熱いな。こいつらのことは多少知っているだけあってその姿とのギャップとも言えるものが、一瞬違和感を投げかけてくる。

美竹は…割と冷めてそうだったのにこれだ。上原はベースの弾き方がわからないくらいアホだったのにちゃんとしてやがる。宇田川はイメージと違わずドラムを叩いているが、様になりすぎて逆に戸惑う。青葉はそんな顔できるのかってくらい真剣だし。羽沢はもっと淑やかに弾くと思えば随分とノッている。

 

自分でも変だなと感じるくらいには真面目に聴いていたら、一曲目の演奏が終わったらしい。声の波が後ろから押し寄せてくるのがわかった。

美竹の短いMCが一息ついてから聴こえてくる。

 

 

「ありがと。次はTrue color。モカ」

 

 

そう言って何故か青葉にパスをする美竹。

あいつMCとかまともにできるのか。

 

 

「あたし達はあたし達なりにがんばってるよ〜。もちろんモカちゃんもね〜。あたし達がこの音楽を通して想いをぶつけてきたみたいに、みんなが思ってることは色んなものを通して、伝えていってほしいで〜す」

 

「まだまだ大人じゃない私たちだけど、私たちなりの想いがあって、この曲を演奏します!」

 

「アタシ達の本気、聴いてくれよな!」

 

「それじゃあいくよー!えい、えい、おー!!」

 

 

最後のアホだけは滑っていたが、五人、正確には四人のチームワークのよろしいコメントが続いた。それが割とピンポイントで俺を刺しに来ているように思えたのは気のせいか。

 

 

「…ひまりのそれは置いといて、いくよ」

 

 

最初は小さな音から始まって、一つずつ音が重なっていきって、ボーカルが入ればその歌詞に描かれた弱さも強さもAfterglowで、それが彼女等の歩いた道だということが頭の中に活きた映像として流れ込んでくる気がした。地味にポエティックに聞こえる表現は承知の上だ。

 

 

「…思ってたよりすげえんだな」

 

 

そう呟いて、演奏が終わった彼女等に様々な意味を込めた拍手を送るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、Roseliaがトリを務めるのを見届けてから俺は瀬田と会場の外へと連れ立った。

前回も後で気付かされたが、やはりこういう場に来ると少なからず己の気分が高揚するのは間違いないようである。割と恥ずかしいとも思うが、それをそれで受け入れられないとそれこそ出来損ないのガキって感じだな。自戒だ。

 

 

「結羽、こっちだ」

 

 

瀬田がエントランスの外…とは違う方向へ俺を呼んでいる。いや、物凄く嫌な予感がするんだが…

 

 

「…何故?」

 

「子猫ちゃんに会いに行こう」

 

「断固拒否」

 

 

片付けやら何やらやっているだろうし、反省会なり打ち上げなりもするんだろう。どう考えても邪魔だろうが。つーかそもそも待てねえよ、早く帰らせろ。

 

 

 

「私はむしろ会いに来てほしいと頼まれている身だ、待たない理由はないさ」

 

「俺は頼まれてねえよ」

 

「せっかくだし感想を伝えてあげたらどうだい?」

 

「そんなもん俺に期待してねえだろ。したくてもできねえよ」

 

 

帰ってからLlNEでも送ってやればいいだろ。

文明の賜物をこういう時に活用しないでどうするんだよ現代人。シェイクスピアの時代じゃあるまいに。

 

 

「時間はあるんだろう?なら付き合ってくれないか」

 

「…お前、俺を暇人か何かと勘違いしてないか?」

 

「悪い話ではないからね、断らないと思っているよ」

 

「チッ…コーヒー1杯で手を打ってやる」

 

 

ライブの余熱に身体を支配されて正常な思考ができていないな、と理論自体は小学生でも思いつきそうなレベルの言い訳を取り付けて、俺は瀬田についていく。

資金源に乏しい俺としてはこれで奢りが出るのなら悪くない話かとも思えてしまう。貧富は感覚を狂わせる。

 

暫しの待機の後、出演者達が少しずつ現れる。

楽器や楽屋の整理は終わったのだろうか。

 

 

「やあひまり。今日の演奏も儚かったよ」

 

「薫先輩!結羽先輩も!来てくれてありがとうございます〜!!」

 

 

ひまりがAfterglowの先陣を切って現れた…が、あまりの熱狂ぶりにドン引きである。

 

 

「…今日はありがと」

 

「木崎先輩!来てくれてよかったですよ〜!ありがとうございました!」

 

「…そりゃどうも」

 

 

あの熱は何処へやら、パッと見では俺の知る姿に戻った美竹と、興奮冷めやらぬ様子の宇田川もいる。フリーで叩いていいドラムでも置いておけば勝手に叩き始めそうだ。

 

 

「先輩最前でしたね〜。あたしの勇姿がそんなに見たかったんですか〜?」

 

「言ってろ」

 

 

何を言ってもこいつには無駄なので弁解する気もないが、一応責任追及をするのならば瀬田のせいである。

 

 

「…よう。見たぞ」

 

「あっ…ありがとうございます!」

 

「…まあ悪くなかった。気が向いたらまた来る」

 

 

そして羽沢。彼女の中では俺はもう帰ったという設定だったのか、俺を見るなり一瞬驚きの表情を見せた。その設定、覆されなければ正解だったな。

 

 

「あ〜先輩がデレてますね〜」

 

「えっキモ…あんたほんとにつぐみに甘すぎてキモい」

 

 

さすがにキレそうである。

 

 

「こら蘭」

 

「蘭ちゃん!きっとそんなことないから!」

 

 

比較的良識ある宇田川と羽沢によってキレたところが再接着されるが、やはり美竹とはうまくやれそうにないなと強く思われる。

 

 

「…ま、いいんじゃね。お前らは俺の想像以上だった、ってことだ」

 

 

上からも上から、雲の上からの発言をかましてしまったのは意図したわけではない。実際に想像以上だったからこの発言が飛び出したわけだ。

 

 

「…んで、瀬田。いつまでそのバカに構ってるんだ。置いていくぞ」

 

「おや、待ってくれているのかな?嬉しい限りだよ」

 

「…はっ!私バカって言われた!?バカって言う方がバカなんですよ!」

 

「気づくの遅すぎだろ」

 

 

何だかな。調子が狂わされるな、こいつらといると。

 

 

「…帰るわ」

 

「アタシ達も帰るか〜」

 

「せんぱ〜い、モカちゃんと一緒に帰りませんか〜?」

 

「…パンを強請(ねだ)るだけだろ。却下」

 

 

欲望を(ほとばし)らせながら迫る青葉はさておき、Afterglowも帰宅するらしい。巻き込まれるんだろうな。知ってる。

 

 

「じゃあみんなで帰ろっか!瀬田先輩も!ついでに結羽先輩も!」

 

 

知ってた。

 

 

「ついでと言いつつ面倒事を押し付けてんじゃねえぞコラ」

 

「まあいいじゃん。つぐみと話すいい機会だし」

 

「いやそんなこと熱望してねえよ」

 

 

さっきから青葉のせいで美竹が俺と羽沢についてあらぬ誤解をしているようである。いや普通に分かれよ、青葉だぞ。腹の知れない道化師(ピエロ)なんだぞ。

 

 

「だってさ、つぐみ」

 

「そ、そっかぁ…でも仕方ないよ」

 

「お前はお前でそんな落ち込むことじゃないだろ…」

 

 

なんでそんなに真に受けてんだ。しかも事実だとしてもそこまでダメージが大きいわけじゃないだろうが。

 

 

「…仕方ねえな」

 

 

結局俺が折れ──洒落ではない──Afterglow+瀬田の後ろをついていく形で、帰宅をすることになった。なんて大所帯だよ。打ち上げはないらしい。ひまりなんかはうるさく推しそうなんだがな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後は家に帰り、夕飯を食べ、シャワーを浴び、今日を振り返りながらスマホを弄っていた。ちなみに今日の夕飯は稲荷寿司。実は母の好物の一つである。

 

 

「…うまくやってるんだな」

 

 

俺自身、案外Afterglowとは仲良しこよしできているように感じる。瀬田に変わったと言われたのも多少は納得だ。普段の俺が彼女等と帰路を共にするなど有り得ないと思われて然るべきなのだから。

 

 

「…俺の方が疲れてんのはどうなんだ」

 

 

画面に表示されているのは例によって羽沢。多少面倒なことに変わりはないが、対面するよりはこっちの方が気が楽だという理由でそこまで抵抗はない。口では嫌そうに言ったが。

 

こいつ、風呂を上がってからマメに返信してくる上、誤字が全く散見されない。オマケに今来たメッセージは『まだ寝れないんですよ』だ、気分がハイになる薬でも使ったんじゃなかろうか。『相手をしろと?』と送れば困ったような返信がくるのも予想通り。

結局ライブの感想をお互いに話したり(主に羽沢の一方通行)している内に俺が限界を迎え、まさかの寝落ちをした。まさかまさかの寝落ちである。

 

翌朝、羽沢に何を心配されたのか夜中までメッセージが連投されていたというオチとも言えないオチで、日曜日が始まったのであった。




内容がペラペラのガバガバって言われそうですががんばります()
これからも私めをよろしくお願いします。


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第2章 追憶の夜空
二人のWondering Wander


おはようございます。
今回はちょっと長いです。だらだらしてます。
寝起きの私と同じくらいだらだらしてます、ゆったりどうぞ


 

「…追試ねえ」

 

 

夏休みも目前に迫る七月。

前回の追試宣告から一月ほどの後、また無情にも追試宣告を受けた奴がいるらしい。

 

 

「結羽〜〜!!俺、俺、終わった…!!」

 

「最初から終わってんぞドアホ」

 

 

当然俺ではなく、放課後になった今、俺の席まで来て嘆いているドアホである。

いや、今回も多少手を貸してやった身としては意味がわからん。ムカつくのでそのまま回収しきれないでいてほしい。ちなみに前回のテストは上手いこと回収出来たらしい。

 

 

「凛、呼び出されたと思ったら追試だったの?」

 

「あはは、追試なんて受けるようじゃ今回の賭けもあたしの勝ちだね〜!」

 

 

死臭を嗅ぎつけてやってきた氷川が躊躇なく死体蹴りをするのを見て、今日も騒がしいなという感想がつい出てしまう。退屈なのは嫌だというのをよく耳にするが、退屈しなさすぎてだるささえ感じるんだよな。

 

 

「…まあ日頃の行いか。悪いが今回は手伝わないからな」

 

「うっ…そんなこと言うなよ…」

 

「自業自得だろうが」

 

 

俺が悪い訳じゃあるまい。

ちなみに俺のテストの出来は上々。大した問題もなく一学期が終わることになるだろう。今井もこう見えてイけるクチっぽいし、氷川は言わずもがな。というかクラスでも赤点の奴なんざそんなにいないだろ。下手したら凛だけだ。

 

 

「…氷川じゃぶっ飛びすぎて役に立たねえか。今井、お前が頼りだ。頼んだぞ」

 

「えっアタシ?」

 

「忙しいのは承知だがな…暇な時にでもこのドアホの手伝いをしてやってくれ。報酬は弾むってよ」

 

「あれ?俺の出費が勝手に増やされてるような気がするけど」

 

「気のせいだ」

 

 

ひとまず凛を今井に押し付けることに成功した…いや、一応様子見くらいは俺もしてやるつもりだが、あまり手を出す気はない。今井のお節介癖がこういうところで役に立ったな、主に俺の手間を回避する術として。

 

 

「…追試っていつだ?まさか今日の放課後とか言わねえだろうな」

 

「それは大丈夫!来週!つまりあと一週間!」

 

「そりゃよかったな。油断して落とすところまで見えたぞ」

 

 

絶対にこいつは時間に余裕があると勘違いしているな。

逆だろう、バカだからテストを落としたのに人並みにとれるまでの猶予が一週間しか与えられていないってことだ、普通に考えたらハードスケジュールって言葉さえも生温いくらいだ。

 

 

「ハァ…マジで知らねえぞ…」

 

「さすがに可哀想だしバイトも練習もない時はアタシも手伝うようにするよ」

 

「あたしも手伝ってあげるよ!」

 

「結羽〜!!リサ〜!!ヒナ〜!!恩に着る!!!」

 

 

号泣しながら感謝の言葉を述べているが、俺は消極的なのでその枠から外してほしい。

 

 

「…できなさそうなとこだけまとめとけ。明日までな。やってこなかったら知らねえ」

 

 

暫く会話をしていたが、適当なタイミングで俺はカバンを引っ掴んで帰ろうとする。

後ろではまだ三人がああだこうだ言っているが、大して気にはならなかった。今日はそっちで仲良くやっていてもらおう。いつものように世話係にさせられるのも嫌だからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、時間は潰したが…早かったか?それとも遅かったか」

 

 

俺はあの後一度帰り、着替えてから羽沢珈琲店へとやって来ていた。位置関係上結構面倒だが、俺だけ制服というのも何だか変な感じがするからな。

とりあえずドアの前で立ち往生していても仕方がないので入店することにした。

 

 

「いらっしゃいませ!あ、結羽先輩!」

 

「…待たせたみたいだな」

 

「いえ、大丈夫ですよ!私も支度しちゃいますね」

 

「…堂々と店の入口から悪い。一杯だけ飲ませてくれるか」

 

 

終業後、ここに来てくれと頼んできたのはこの店の一人娘、羽沢つぐみである。とは言ってもそんなに大層なこともなく、ただ羽沢の食事に付き合うだけだ。その発端はこいつの送ってきたLlNE。

 

 

『今度一緒にご飯にでも行きませんか?』

 

 

そんな一言により今日の予定が決まったのである。

夕飯なら平日でも行けるだろ、って話をしたところこの日を提示されたわけだ。

何を突然、と思うかもしれないが連絡は無駄にと言っていいほどとっている。その話の流れならいくらでもその話題をぶち込む隙があったことだろう。…とはいえ、俺から送ることはまず有り得ず、羽沢が懲りずに毎日の報告をしてくるのである。意外とあいつが練り出す話題は尽きないということに気がついたのは昨日と記憶に新しい。

 

 

「アイスコーヒーをもらえますか。…キリマンジャロ、で…」

 

「それならすぐ出せるよ」

 

 

カウンターに座り、冷やし方にも色々あるらしいアイスコーヒーを注文し羽沢が来るのを待つことに。そんなに時間はかからないだろうがな。

 

 

「はい、アイスコーヒーだね…木崎くん」

 

「…はい?何ですか」

 

「もし興味があるなら、コーヒーについて学んでみないかね?」

 

「…どういうことです?」

 

 

雲行きが怪しいんだがこれはいつぞやのフラグを回収してしまうのか。羽沢母によるバイトの話はこのための伏線だったのか。それとも、単純に色々教えてくれるだけなのかも…

 

 

「よかったらウチでバイトしないかね?気の早い提案だとは思っているのだけど」

 

 

まあこれが現実だ。早くもフラグを回収してしまった。建築したのは俺じゃないはずなんだが、どうしてこうなった。

 

 

「そう…ですね」

 

「無理にとは言わないよ、そういう予定はないと言うなら断ってほしい」

 

「…それはそうなんですがね。自分としては興味はあります。あくまで素人並みの興味ですよ」

 

「ここでそう思ってくれたのなら嬉しいよ」

 

 

そう言って穏やかに微笑むマスター。人畜無害な微笑である。この人にはどう足掻いても勝てそうもないな。

 

 

「…バイトの件。暫く考えさせてもらえませんか」

 

「分かった。待っているから、ゆっくり考えてくれ」

 

 

しかし…まさかマスター直々に勧誘してくるとは恐れ入る。アリではあるんだがまだ少し考える時間が欲しいのが本音であった。そんな会話を終えたところで、羽沢がひょっこりと顔を出した。

 

 

「お待たせしました。…お話は済みましたか?」

 

「…一応な。これ飲むまで待ってくれ」

 

 

少し急ぎ気味に若干甘めのコーヒーを飲み切って、暑さの残る夕方の街へと俺と羽沢は繰り出していった。

 

 

 

 

 

 

 

「…あれ、つぐみと…!?あいつ…何してんの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところ変わり某レストラン。日も暮れ始め、食事をとる若者に学生達、そこに混じり俺達も席に通されていく。

 

 

「二名様ご案内です。こちらへどうぞ」

 

 

窓際の禁煙席に座り、渡されたメニューを弄ぶ。

羽沢も早速メニューを眺めながら何かを発見した顔から難しい顔までコロコロと表情を変えている。羽沢百面相だな。…昔から赤い帽子のオッサンのゲームをやっていると通じるネタである。

 

 

「…何だ?」

 

「へっ?私ですか?」

 

「いや…何か視線を感じるんだよな」

 

 

私じゃないですよ、と言うがまあそれは俺がずっとこいつを見ていたのでわかることだ。…実際に誰かに見られていたら本当に気持ち悪いな。

 

 

「…決まったか?」

 

「ちょっと悩んでます…」

 

 

優柔不断なのか、羽沢はなかなか決まらない様子。先程からハンバーグのページとパスタのページを行き来している。まあ少食じゃあ二品は厳しいか…複数頼めば金額も張るしな。

 

 

「結羽先輩はもう決まりましたか?」

 

「ああ…」

 

 

すみません、と焦り出す羽沢を見ていると、何か悪いことを言った気分になる。こいつに限るが、いつものことである。正直凛や今井が同じ反応をしても罪悪感は微塵も感じられないものである。

 

 

「…よし!決まりました!注文しますね」

 

 

結局パスタにしたらしく、メニューはそのページが開きっぱなしになっている。

俺は今井と違って変なお節介精神は持ち合わせていないので、ここでハンバーグを頼んでやるなんて真似はしない。気が利かないと言われたらそれまでである。

そして俺はボロネーゼに合わせてサラダを注文し、羽沢はミートソースを注文。ついでと言わんばかりのドリンクバー、どうせ俺はそんなに飲まなさそうだが羽沢が頼んだから頼んでおいた。本当についでである。

 

 

「そういえばミートソースとボロネーゼって結構違うんですよね。似てるって印象が強いですけど」

 

「…違いがなかったらメニューに二つも載ってないがな」

 

「た、確かに…それもそうですね。結羽先輩は苦手な食べ物とかあるんですか?」

 

「…セロリ。…ガキだと思っただろお前」

 

「いえ!そんなことは!ただ意外で…ふふ」

 

 

いや、最後に笑ったの聞こえてるからな。馬鹿にしてんのか。

 

 

「…そういうお前も珈琲店の娘のクセにブラック飲めないからな」

 

「うう…でもそればかりは仕方が…あう」

 

 

珈琲店に生まれておきながらブラックコーヒーが苦手だなんて結構な好き嫌いだな。神は過酷を与えたか。

そんな話をしていた時、テーブルに置いてあった羽沢のスマホが振動した。

 

 

「あ、ちょっとすみません…えっ!?」

 

 

画面を見た羽沢は途端に焦りだした。と思えば店内を見回して、一体どうしたんだ。

 

 

「ううう…タイミング悪いよ…」

 

「…急に何なんだ」

 

 

ナンデモナイデスヨ、と明らかな嘘をついてくるのは少し舐められた気とするが、無理に問い質す意味も特にないだろう。

 

 

「そうか…そろそろ飲み物を取りに行く、忘れてた」

 

 

あっ、と思い出した顔をする、これぞ羽沢百面相。

あまり喉は渇いていないが、せっかくなので飲んでおこう。後のことは知らん。

戻ってきたらすぐに料理は運ばれてきて、談笑とはお世辞にも言えないような会話もそこそこに、俺と羽沢は食事を進める。

 

 

「もうすぐ夏休みですね」

 

「そうだな」

 

「待ち遠しいなぁ」

 

「…そうだな」

 

 

こいつでも夏休みが恋しくなるんだな…

 

 

「そういえば知ってますか?トビQのお化け屋敷が新しくなるそうですよ」

 

「…そんな話もあったな」

 

 

いつだが凛がそんな話をしていたようなしていなかったような…さして重要でもないと思って今の今まで忘れていた。

 

 

「お、お化け屋敷は得意じゃないんですけど。トビQには行きたいなって思ってるんです」

 

「…五人で行けばいいじゃねえか」

 

「蘭ちゃんがお化け屋敷とか苦手で…」

 

 

美竹、お前あんなクールなフリしてもオバケの前じゃ最弱かよ…絶叫も無理なんて言われた日にゃ美竹抜きで行くなんてことになりかねないのか。

 

 

「それはどうしようもないな。美竹抜きで行くのは嫌なんだろ」

 

 

悲しきかな、仲間外れが嫌ならトビQには五人で…いや、四人で行くわけにはいかないな。あいつが多少我慢できるとなれば話は別だが、何せトビQは国内でも指折りの有名どころ兼絶叫パーク。生半可な耐性じゃ即死コースまで有り得る。美竹でなくてもひまりあたりが泣き叫びそうなんだがそれは大丈夫なのか。

 

 

「…凛も改装前のお化け屋敷に託けて行きたがっていたな。紹介してやってもいいが、お前らの精神衛生上オススメはしない」

 

「あ、あはは…あの元気な方ですよね、わかります」

 

 

元気な方ってポジティブな言い方をするがな、元気すぎて死ぬほどウザいからな。殺られる前に殺るけど。

ちなみに俺はお化け屋敷とか心霊とかそういう恐怖が苦手である。ジェットコースターとかフリーフォールなら人並み以上に耐性はあるが、どうにもオバケはダメなのだ。これは隠したり強がったりするようなことではなく、公然とした事実である。

幼い頃に見せられたホラー映像でこれはダメだなと感じ恥ずかしいことに叫び震えたわけだが、それ以来克服の兆しはない。

 

 

「…ま、せっかくの休みだろ。息抜きでもしたらどうだ、とだけ言っておく」

 

 

コツコツと食べ進めていると俺が先に食べ終わり、間もなくして羽沢が料理を平らげる。このボロネーゼ、一般的なレストランにしては割といける。

 

 

「すみません、ちょっとトイレに」

 

「…ああ」

 

 

そう言って羽沢が席を立つ。それと同時に、俺に少しの眠気がやってきた。今日は学校で寝ていないのを思い出した、どうやら足りない睡眠が補えていないらしい。

 

 

「…少し寝るか」

 

 

羽沢が帰ってきたら起こしてもらおう。すまんが頼んだ、ということで俺は瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え…あいつ寝たけど」

 

 

蘭がそう呟いたのを聞いて、私はつぐ達のいたテーブルを見た。…え、ほんとだ。寝てる。

 

 

「つぐは?トイレ?」

 

「だと思うぞ。コップ見えるし」

 

 

聞けば、巴が有力情報をくれる。ふむふむ。これは…事件の予感だね!

 

私、上原ひまりは幼馴染達と一緒に、結羽先輩とつぐを尾行しています。始まりは蘭がたまたま二人を見かけたのが理由。学校が終わって四人で商店街を歩いていたら、つぐと先輩がつぐの家から出てきたみたい。つぐが今日は用事があるって言ってたのを知ってたから四人でいたんだけど、見つけるなんて思わなかったよ。

ついでに私がさっき『デート楽しんでね!』って送ったら否定してた。キョロキョロしてたし店内にいると思われてるのかな。先輩には内緒ねって言っておいたしバラされて怒られる!なんてことはないと思うけどな〜。

 

 

「ねーねーひーちゃん、もし先輩にバレたらちょー怒られるよ〜?」

 

「もー、大丈夫だよ!何か面白いことあるかもしれないでしょ!マンガみたいに!」

 

「ひまり、すぐそっち方向に持っていくもんな…」

 

 

だって面白そうじゃん!

私達の中じゃ恋愛とかしてる人いないし、もしそうなるんだとしたらさ!

 

 

「モカって彼氏いるの?」

 

「いるよ〜」

 

「え、ウソ?あたし聞いてない」

 

「メロンパンと付き合ってま〜す」

 

「「……」」

 

 

蘭と二人で言葉を失っちゃったよ。まあモカのことだからそんなことだろうと思ったけど。

 

 

「巴は?」

 

「いないな」

 

「蘭は?」

 

「いるわけないじゃん」

 

「ほら、やっぱりつぐくらいじゃん!恋バナとかしてみたくない!?」

 

 

めっちゃテンション上がっちゃってるけど、そういうの憧れるから仕方ないよね。だって恋バナとかしたくない?青春だよ、JKなんだよ。

 

 

「それ、ひまりが付き合えば解決しない?」

 

「うっ!!わ、私だっていい人がいたらいいな〜って思うけどさ、これがなかなか…出会えないんだよ!きっかけさえあればな〜」

 

 

共学になったおかげで男子は同じ学年にもいるけど、女子に比べると少ないし、何よりもまだそういうきっかけがないから難しい。あ〜、青春したい!

 

 

「ひーちゃん、そう言うのはいいけどさ〜、そんなに食べてたらまた体重増えちゃうよ〜」

 

「デザート一品くらい大丈夫だもん!モカだっていつもパン食べてばっかりじゃん!」

 

「のんのん、あたしはひーちゃんにカロリーを送ってるから。ひーちゃんはその分カロリーを気にしないといけないんだよ〜」

 

「な、ななななな!!酷いよ〜〜巴〜〜〜!!」

 

「はいはい、モカもあんまりいじめてやるなって」

 

 

最近ほんとに気にしてるんだからね!高校生になったのに、三年間が全然青春できないものになったら嫌だもん!なのにいっぱい食べてるモカと巴がスタイルをキープしてて、私は…うう…

 

 

「あれ、つぐみ戻ってきたけど」

 

「…つぐ、何やってるの?」

 

 

蘭が飲み物を飲みながら観察の経過を教えてくれる。ふっふっふ、優秀な助手だね。

私もつぐの方を見たんだけど、つぐは机に伏せた結羽先輩を見て少し不思議そうな顔をして、ちょっと挙動不審になった後、

 

スマホを結羽先輩に向かって構えた。

 

 

「え、盗撮?つぐみ、盗撮?」

 

 

蘭が慌てるけど、イケメンの写真とか、好きな人の写真とか、欲しくなるのが性だよね!わかるよ!たぶん周り見てたのは私達がいると思ってるからだよね!いるけど!隠密行動は練習したもんね!そこからじゃなかなか見えないよ!

でも結羽先輩が腕から覗かせた寝顔もここからじゃあまり見えない、残念。

 

 

「つぐ…やるなぁ」

 

 

巴も感心してる。蘭は私がおかしいのかな、って顔をしながら私達を見ているけど、モラル的には蘭が正しいよ。安心して。

 

 

「何事もなかったように座ったぞ」

 

「ツグってますな〜」

 

「そんなとこツグってどうすんの」

 

 

写真を撮り終えたつぐは素知らぬ顔で席についたみたい。あとで色々聞いてみよう!

 

 

「モカちゃんはパン食べたくなってきたよ〜」

 

「モカ、あんたケーキ食べたでしょ」

 

「それはそれ〜、これはこれなのだよ。カロリーは当然ひーちゃんに」

 

「いいもん!私だってやればできるもん!体重減らすもん〜〜!!」

 

 

モカほんと酷い。私泣いちゃうよ。これが他の子だったら完全にセクハラなんだよ。モカだから許すけど。

 

 

「あんまり騒ぐとバレるぞ?まだ続けるならもう少し大人しく見守ろうぜ」

 

 

巴の一言で全員で我に返ると、またコソコソと二人の観察を続ける私たちなのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

懐かしい気分だ。

 

 

「結羽くん、大丈夫?」

 

「気にしなくていいよ」

 

「大したことないから」

 

 

久しぶりだな。

 

 

「え?さっきから話してるじゃない」

 

「変なの」

 

「今日も練習しようよ」

 

 

付き合えばいいんだろ。

 

 

「じゃあ、放課後よろしくね」

 

「授業だし、また後で」

 

「あ、そうだ──」

 

 

…何だよ。

 

そう聞こうとしたところで、始業のチャイムが鳴った。しかしまだその唇は動いている。その表情もよくわからない、読み取るのも困難なくらい視界が悪い。

 

 

 

 

「…結羽…ん…い……て…」

 

 

聞こえない。何なんだよ。おい…

 

 

「結羽先輩」

 

「…マナ?」

 

 

ぐにゃり、と頭の中が歪んだような感覚。

今まで脳が認識していたモノは、脳が俺に見せたモノで、五感が正しく身体の外を知覚していたわけではないのだと気づくのに時間は要らなかった。

 

 

「いや…羽沢か」

 

「よかったです、表情が変わったから体調でも悪いのかと…」

 

「ん…大丈夫だ。もっと早く起こされるかと思ったが…」

 

「結羽先輩疲れてるのかなって。だから少しだけそっと眺めてました」

 

 

えへへ、と笑う羽沢。表情の変化が分かったということは寝顔はバッチリというわけだ。

 

 

「チッ…面目ねえな」

 

 

夢は結構見るタイプだが、前後不覚というか…あまり中身を覚えていない。断片的に何があったのかは思い出せるのだが、途切れ途切れというか、そこは夢らしく、ロジックとか連続性はあまりない。どちらかというと無秩序に近く、同じ夢のストーリーとは思えない。しかも現実味がないこともしばしばである。

 

 

夢は隠された欲望を映すとか、見えない危険を教えるとか、未来を暗示するとか、色々言われているが、単に過去の映像を見ただけだろう。懐かしさがまだ身体に残っていることから、そんな感じがする。

 

 

「…ま、そんなに寝てなくてよかったな。そろそろ出るか」

 

「あ、はい!」

 

 

後は会計を済ませて終わり…と言いたいところだがまあそうは問屋が卸さない。

 

 

「結羽先輩、この後ちょっと歩きませんか?」

 

 

そうくるか。

いやまあ散歩も悪くないとは思うんだけどな…見ちまったんだよな。

 

 

「…アレは気づかねえフリした方がいいのか?」

 

 

横目で見る先には羽沢を除くAfterglowの面々。

変に絡まれることもなければ、もしかしたら偶然居合わせただけかもしれないそいつらは、コソコソとこちらの様子を見てやがる。たった今気づいたわ。

 

 

「気づいてたんですね…ついてきちゃったみたいです」

 

 

そんな幽霊を拾ってきてしまったみたいな感覚で言われてもな…

 

 

「…ってことはずっとかよ、気持ち悪ぃな…」

 

 

悪趣味すぎんだろ。殺意すら超えて吐き気がするわ。

 

 

「…ま、今更だな。さて、行くとするか」

 

 

奢りとかいうリッチイケメンのような特技は習得していないのでキッチリ自分の分は自分で払うスタンスを崩さず会計を終え、俺達は遠回りをして帰る。

 

道中で、後ろから足音が定期的にするのが本当に気になって振り向こうかとも思ったが、やめた。

気づかないフリをしている内は余計な会話をしなくて済むのだと自分に言い聞かせて羽沢と日の沈んだ街を歩き続ける。

隣を歩く羽沢を見て思うのは、まあ私服ってのを意識してなかったからか、こんな服着るんだなってこと。たぶんこいつはよくこういう服装をするんだろうがな。何だこれは、薄手の服に上から丈の短い腰くらいまでのを着ている。下は膝下くらいのヒラヒラしたスカートで、チェック…?っぽい柄もうっすら見える。ファッションなんて知るか。

…今井、今こそお前の知識が役に立つときだぞ。

 

 

「結羽先輩」

 

「…ん」

 

「今日はわざわざありがとうございます。一緒にご飯食べて、こうやって散歩できて嬉しいです」

 

 

そんなことか。本当に大したことないんだけどな…

 

 

「…気が向いたってだけだ。そうである以上断る理由はねえよ」

 

「それじゃ、また気が向くのを待ってますねっ」

 

 

そう言ってにこやかに微笑む羽沢。

その笑顔には裏がなさそうで、その純粋さを体現していると思われる。俺には到底できない芸当だ。

 

だが逆に言えばそれは隠し事が下手だとも言える。嘘をつくことに慣れていないとか、嘘をつくことに背徳感があるとか、そういう理由があるはずだ。

俺はその辺りはこいつとは対称的で、嘘は微妙に上手い。そんなに自信はないが、下手すぎはしない。

仮初と建前で生きる大人と腹の探り合いをするためには必要なスキルなのかもしれない。ここ数年ずっとそんなこと考えている。

 

そう、羽沢は隠すのが下手だから分かってしまう。何か氷解させたいことがあるってことが。

 

 

「…何かあったのか。顔が冴えねえぞ」

 

「へっ?いえ、大丈夫ですよ!」

 

 

何かあるのは確実なのだが、まあ本人がそう言うんだ、聞くのは野暮だろう。某ネコ型ロボットではないが、困った時の宇田川もいるし少しくらい深刻でも何とかなるだろ。

 

 

「…そうか。ま、大丈夫だろうが…必要ならあいつらにでも頼るんだな」

 

 

後ろについてきているであろう四人をな、と内心で呟いておく。

 

 

「はい!…さて、そろそろ帰りましょうか。これ以上遠くに行くと時間もだいぶ遅くなっちゃいます」

 

「だな…商店街の近く通るしな、ついでに送るわ」

 

「えへへ、ありがとうございます。それなら安心ですっ」

 

 

後ろにいる四人がいればいいんじゃねえかとは思うが、案外そういうわけでもないらしい。女性のみもしくは一人の時に狙われやすいんだとか。大脳の使い道が倫理的におかしいんだよな…まあそういうわけで一人よりは遥かにマシだが念には念を、だな。

 

まあ特に何事もなく羽沢を送り届け、夜道を歩いて俺は帰宅した。リビングでは何故か母親がドラマか何かを見て号泣していたという…意味わからんが帰ってきて早々困惑してしまった。後で聞いたら主人公とペットの絆がどうとか言ってた。マジでどうでもよすぎた。

 

 

 

 

 

自室に入り、鍵のついた引き出しから一冊の手帳を取り出す。色褪せたりはしていないが、少し古くなったような印象を受ける。

 

 

「そういや捨ててなかったな」

 

 

中学一年生の時に使っていた手帳──それこそ背伸びをして買ったものだが──それの中の適当なページを開く。学校で配られる予定帳があったが故に、手帳と言っても予定管理などにはほぼ使っておらず、専ら日記帳として機能することになっていた。

そして奇跡と言うべきか、まさにそこにあるべきページが開かれた。俺がそのクラスメイトのことを『マナ』と呼んだ、その日の記録がそこには綴ってあった。




二人ということで、結羽くんとつぐを描こうとしたのですが、やっぱりみんな出そう!ってなってしまった雪乃シロです。お許しください。

さて、『マナ』と呼ばれる人物については実は既に構想がありました。
サブタイトルにも『真名』という形で織り込んでみたりしたんですが、伏線レベルにしたつもりはありませんので何とも…

ドロドロな展開にはなりませんが、私が趣味で結羽くんに背負わせた過去と現在をこれからも生温かく見守ってくださると幸いです。

ここまで読んでいただきありがとうございました。


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バリスタの卵?

総選挙、私はパスパレに投票したのですが、最近つぐがつぐっててキュン死しているのでAfterglowにも入れたくなってしまいます。
というか全バンド出してくださいお願いします()


 

 

 

終業式も目前に迫る日々、今日も太陽が殺意をもって空に姿を見せる。マジで暑いから太陽滅びてくれねえか…

窓から外を眺めながら、俺は思う。何事も程々が大切だって誰かが言っていた。そんなものはがんばりすぎるとこじゃねえ、程々に収めるとこだろ。

 

 

「ねみィ……」

 

「寝不足?結羽いつも眠そうだけど今日はすごいね」

 

「アホの世話をしてたらな…自分のことが夜中までできなくてな…」

 

 

所謂小さな自己犠牲である。

授業は午前で終わり、ひたすらに暑いだけの昼間に校外へ解放される俺達だが、さすがに自殺志願者じゃないからエアコンの効いた教室に居座っているのである。

 

俺がこんな状態にならざるを得なくなった元凶は追試中、今井とよくいるセットの氷川はパスパレの用事で速攻で下校した。あんな奴でもまさかまさかの新人芸能人である。アイドルとしてやっちゃいけないレベルの放送禁止カット多そうだが大丈夫か…

 

 

「つーか暑すぎんじゃねェか…羽丘(ウチ)でも死人が出てるかもな…」

 

 

エアコンが効いているといっても汗は止まることを知らない。ゆっくりと身体の中の水分を奪われていくのを体外に出たそれと共に感じる。

 

 

「物騒なこと言わないでよー。何か飲む?」

 

「いや…アイスがいいな…お前も行くか」

 

「せっかくだしね。じゃあ暑いのは少しだけ我慢して」

 

 

財布とスマホだけ持って俺と今井は下駄箱へ向かう。最寄りのコンビニにさっさと寄って買い物を済ませようとする俺達だったが…

 

 

「…これはマズいな」

 

 

財布の中身に不安を覚え、ATMで少し下ろそうとしたところ、そこに表示された残額は想像以上に少なかった。そんなハイペースで金を使った覚えがないんだが…

 

 

「ハァ…バイトか…」

 

 

結局羽沢珈琲店でのバイトの返事はまだしていないまま時間が経っている。話があるのは好都合だが、愛想もなければコミュニケーションにも疎い、コーヒーや紅茶の知識も浅薄な俺が果たしてやれるのかという話だ。

 

 

「結羽バイト始めるの?また本屋さん?」

 

「いやそういうわけじゃねえよ」

 

 

アイスを眺めながらどれにするか決めあぐねながらバイトの話を突っ込まれる。そういやこいつと青葉は同じところでバイトしてるんだっけな。

 

 

「…そのうち終わるだろうし凛にも買っていくか。分ける相手もいない奴にパピコでも」

 

「結羽って優しいのか性格悪いのかわからないよねー…」

 

 

間を取った辺りだと思う。

あまりコンビニに長居すると今度は戻るために外に出るのが億劫になってくるから、急いで教室に戻る俺達。

ちなみに俺はパピコとクーリッシュを、今井はシロクマを購入した。クーリッシュとかいう奴は溶かして食べる(吸う、飲む)からな、手に持ってその温度差を感じつつ早く食べる準備を並行して進められる。その点はなかなか素晴らしい、二つセットでないこともパピコに勝る。

 

 

「…アイスより俺の方が先に溶けるが?」

 

「こんなところで液体にならないでよ?グロテスクだよ」

 

 

靴を履き替えた辺りで俺はもう限界だった。猛暑だろ。

殺人光線を空から降り注いでは愉快そうに光ってるのがマジでムカつく。滅べ太陽。

 

 

「夏も冬も要らねえよクソ…」

 

 

ブツブツと解答のない文句を垂らしながらノロノロと教室へと歩く。コンビニを出た時の早足はどこへ消えた。

 

 

「あ、結羽先輩にリサ先輩。こんにちは」

 

「…あぁ」

 

「おっ、つぐみ、お疲れ様。生徒会?」

 

 

廊下に差し掛かったところで羽沢に出会(でくわ)した、お供達は一人もいないようだ。

 

 

「はい、ちょっとやることがあって…でももう終わりました」

 

「こんな日まで労働か…熱中症にかかるんじゃ飽き足らず、過労死するぞ」

 

「あはは…気をつけます。私より結羽先輩の方が心配ですけどね?」

 

 

暑いのダメなんだよ。寒いのもダメだが暑いのは無限に体力と精神力を奪われる、ゲームの火山エリアで体力が減るのに物凄く共感できる俺である。

 

 

「…仕事終わったんだろ。ちょっと付き合え」

 

「えっ?私ですか?」

 

「他に誰がいるんだ」

 

「で、ですよね。わかりましたっ」

 

 

今井の不思議そうな視線を浴びても俺は動じない。死にかけでそれどころではないからな。

 

 

「さて」

 

 

俺の席と周りの二席に勝手に三人で腰を下ろす。

こんなこともあろうかとパピコを買っておいてよかったな。…冗談、ただの嫌がらせのつもりだった。

 

 

「お前にはこいつを半分やる」

 

「半分こ?結羽も結構青春してるじゃん」

 

「窓から放り投げてやろうか不良女め」

 

 

まあ溶けたクーリッシュを奴に渡すのも一興だろう、と俺は羽沢とパピコを分け合うことに。

 

 

「それで、どうしたんですか?」

 

「…普通に過労死しそうだったからだが」

 

 

社畜の末路を見収める前に手を打っただけだ。

 

 

「ちょっと暑かったから、助かりました」

 

「今井からはシロクマがもらえるらしいぞ」

 

「え、え〜?一口だけだよ?」

 

 

何だかんだあげるのかよ、お前。

割と美味そうなのがちょっと羨ましい。金欠に目を瞑ってハーゲンダッツでも買ってくればよかったか。

 

 

「金欠…」

 

 

憂鬱だ。

金と愛があれば物理的にも心理的にも満たされると個人的には考えている。つまり俺はこれから少なくとも物理的には欲望を満たすことができなくなる…欲しいものが買えないのはキツい。

夏休みなんて時間を持て余すわけだから、必然的に出費は増える。新作、見送った準新作、音楽、本、食費、等々…さすがに母に融資を求めるにしても限度がある。

バイトから逃げるのは無理だ。前のところか羽沢んとこか、くらいしか候補も今はないし、さっさと決めないと稼ぐ間もない。

 

 

「お前、この後帰るのか?」

 

「あ、はい。今日は生徒会があったので、練習もないです。早く終わりすぎましたけど」

 

「…マスターに話があるからな、店までついていっていいか」

 

「お父さんに?私は大丈夫ですよ」

 

 

腹を括れ、似合わないとか無理かもとかそんなことを気にしている場合ではない。どうせ来年は受験で忙しいんだ、今年はちょっとくらいやってみてもいいだろう。

 

 

「あ、そういえばリサ先輩。この前もらったクッキー美味しかったです!ありがとうございました」

 

「あー、あれね。いいっていいって、その感想が嬉しいよ」

 

「ホントに餌付け好きだな」

 

 

クッキーで人を釣ることに定評のある今井リサ。

この不良臭い見た目でRoseliaとかいう実力派(?)ガールズバンドのベースでオマケに料理はできるときた。どこに向かってるんだお前は。

 

 

アイスを食べ終わり、三人で(決して俺だけではない)クーラーの軟弱さ加減を嘆くこと暫し、我々2-A担任の入間(いるま)明莉(あかり)女史が教室へ入ってきた。

 

 

「あれ?みんなまだ帰ってなかったの?」

 

「暑いからアイスでも食べようってなりまして」

 

 

最大の特徴がメガネ、という何とも言えないルックスではあるが、敢えて言うなら髪の毛はそこそこ長く、色は黒。背はそんなに高くない、恐らく160cm弱。

一年次からの持ち上がりで、クラス編成は少し変わったもののら俺を含めそこそこの数の生徒にとっては担任を持たれるのが二年目になる。

 

 

「あ、凛じゃん、お疲れ様ー」

 

「そうそう、凛くんの追試が終わったところなの」

 

「…爆死か?」

 

「ところが残念なことに、合格ね」

 

 

曲がりなりにも教師なんだろアンタ、生徒の追試合格に対して残念ってどういうことだよ。

 

 

「いやマジで落とすかと思った、よかった…あれ?その子、1年生の子だよね?」

 

 

疲れ果てた凛が羽沢に気づく。そういえば顔合わせたくらいで知らねえのかこいつ。

 

 

「あ、私羽沢つぐみといいます。1-Bで生徒会に入ってます」

 

「生徒会!?結羽、お前まさか何かやらかして目をつけられたんじゃ…」

 

「…そりゃ結構な誤解だな」

 

 

俺よりお前の方が問題児だろ。

 

 

「そんなお前に朗報だ。ドロッドロに溶けたこのクーリッシュをくれてやる、ありがたく受け取れ」

 

「ホントか!?ありがとうさすが親友…ってぬるっ!!柔らかっ!!!」

 

「凛くんってほんとにお馬鹿さんだよね」

 

 

リアクション芸人かお前は…

 

 

「さて…羽沢、行けるか」

 

「あ、はい!」

 

 

ゴミを捨て、今井に凛を押し付けて俺と羽沢は教室を出る。クソ暑い…溶ける。それこそ本当にアイスの成れの果てのようになってしまいそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫ですか?」

 

「…返事はない。ただの屍だからな」

 

 

ちょっと歩いただけで満身創痍、この国で生きるの向いていなさすぎるのではないか。羽沢の家に着くや否や、涼し気な店内に急ぐ。

 

 

「おや木崎くん、いらっしゃい。つぐみもおかえり」

 

「ども…」

 

「ただいま、お父さん」

 

 

コーヒーをいつものように注文し、テーブルに倒れ込む。結構なヒヤリとしていて、テーブル如きに気持ちよさを覚えてしまう。変態か。

 

 

「テーブルとかフローリングが冷たいと…気持ちよくねえか」

 

 

苦し紛れに羽沢に同意を求めれば、

 

 

「あ、わかります。ピタってしていたくなりますよね!」

 

 

こいつも変態だと発覚してしまった。

羽沢のトークと店内のBGMを聞きながら、テーブルの温度を感じていると注文したコーヒーが早くも届く。持ってきてくれたのは以前億単位の請求を寄越した羽沢母だ。そもそもコーヒー一杯に億単位の金を払うほど金持ちっているのか…

ちなみに羽沢が飲むのはカフェオレらしい。どうでもいいことだが俺にはカフェラテとカフェオレの違いがよく分からない。両方メニューにあった時は同じではないのかと思ってしまうくらいだ。

 

 

「そういうのも覚えなきゃならんな…」

 

 

ストローでグラスの中を掻き混ぜる羽沢を見ながらボヤく。ここでもしバイトをするとなれば知らないなんて恥もいい所だろう。…履歴書買ってねえ。終わったかもしれん。

 

 

「ハァ…なあ羽沢、もし仮に万が一、いや億が一、俺がここでバイトするとなったらどう思う」

 

 

そんな質問をすれば、羽沢は少し驚いたように目を丸くした後で、少考して答えた。

 

 

「私は嬉しいですよ。お父さんとも仲良さそうですし、興味を持ってもらえたなら娘としても誇り高いです。それに、結羽先輩と一緒ならそれだけでも…えへへ」

 

 

その回答は予想を遥かに凌駕したものだった。

俺の予想は「どうでもいい、思うところは特にない」というものであって、今も尚まあ羽沢のことだからそんな無難に返せなかったんじゃないか、なんて考えている。

 

 

「そうか…それなら、まあいいのかもな」

 

 

マスターとの用を済ませてくると告げて俺はカウンターへと向かう。マスターはこちらに気づくと「おや」という表情をした。

 

 

「ちょっとお話があるんですが…」

 

「わかった。場所を変えようか」

 

 

察してくれたのか、マスターは羽沢母に比較的忙しくなさそうな店内を任せて奥に入っていく。俺も羽沢母に内心謝りながらその後をついていった。

通されたのは羽沢家のリビング。…え、業務用の部屋じゃないのか。

 

 

「本当なら店内のテーブルとか、適切な場所があるんだがね。積もる話ならこっちの方がいいだろう?それに一度上がっているし気兼ねすることもないよ」

 

「いやまあ…そんな大した話でもないんすけど」

 

 

俺は引いてあった椅子に、マスターと向かい合って座る。こういうの無駄に緊張するな…

一つ咳払いをしてから、目を合わせるのは苦手なのだが、マスターの目を見て言葉を紡ぐ。

 

 

「先日の話ですけど…返事遅れてすみません、ここで働かせてもらえますか。お願いします」

 

 

頭を下げながら、書面ないけどな、なんて考えてしまう。最終決定をしたのは先程なので許されたいところではある。

 

 

「いやあ、こちらこそよろしく頼むよ。色々教えてあげたいと思ってたんだ」

 

 

時間が経っていたとはいえ、スカウトしておいて無碍にされたら笑えるレベルだ。

斯くして、俺は羽沢珈琲店のウェイターとして働くことになった。接客は苦手だが、困ったら女性陣に丸投げすれば何とかなるだろう。俺はカウンター周りや会計を頑張りたいと思う。

 

 

 

 

 

「…待たせたな」

 

「おかえりなさい。何話してたんですか?」

 

 

グラスについた水滴がテーブルへと堕ちていった後で帰ってきたらしい。あの後も契約書とかシフトについて色々話をしたからな…

 

 

「まあ何だその…アレだ。ここで世話になるって話だ」

 

「そ、それってバイトですか…?」

 

「そういうことだな」

 

 

肯定すると羽沢はキラキラした目に変わり、やたら喜んでいるようだ。それはいいとして…絶対に面倒な連中に絡まれることだろう。こればかりは喜んで欲しくないところだ、選択した以上は耐えるしかないけどな…

 

 

「…ま、よろしく頼む」

 

「こちらこそよろしくお願いしますっ」

 

 

その後も適当に駄弁っていたが、羽沢は終始上機嫌な様子だった。グラスの水滴はさっきよりも大きな粒となってテーブルへと側面を滑り落ちていく。今日のコーヒーは微かにではあるが、甘い匂いがした…そんな気がしたのである。




現実はタイトルのように甘くはなく、結羽くんはまずは基本ウェイターとして動くことになるでしょう…

さて、またのんびり更新します。許してください。
次回はつぐみと夏休みのお話です。


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夏休み、パンケーキの功

夏の私のような圧倒的グダグダ感…


 

夏休みが始まって早数日。

学生が各々の青春を消費する中、俺は今日も今日とて羽沢珈琲店へと足を運んでいた。客としてではなく、一店員として、だ。

 

 

「…いらっしゃいませ」

 

 

午後の地味に人の多い時間を抜けたらゆったりとした時間が流れ始めたように感じる。当初は多少困ることもあったが、バイトが決まってからは暇な時間を削るようにここに通っていたために勝手が分かるようにはなっていた。慣れとは良くも悪くも凄いものだ。

 

 

「やっほ〜結羽先輩!」

 

「…四名様ですね。こちらへ」

 

「五人ですよ!そんなんじゃクレーム来ちゃいますよ!」

 

 

害悪な客は客として見てはいけない。俺の中での鉄則である。

そして今日も練習を終えたAfterglowの連中が害悪女を連れて来店した。ちなみにこいつからクレームを受け付ける気は全くない。

 

 

「あ、そう…」

 

「結羽先輩、今日もありがとうございます」

 

「来る度に様になっててモカちゃんがっかり〜」

 

 

お前はお前で俺に何を期待していたんだ。

羽沢の(ねぎら)いを受け取り、青葉の期待を裏切るように少しずつウェイターらしくあるように努めるか、などと思いながら注文をとる。あとはマスターに丸投げをすればいい…と思っていたのが甘かったらしい。

 

 

「さて木崎くん。せっかくだしコーヒー淹れてみるかい?」

 

「……え、マジすか」

 

 

少し余裕のある時にマスターに色々教わりながら淹れてみたりはしているのだが、実際に出すとなると少し困る。まだ入り始めて間もない上に、本気も本気、本格派のマスターが出すコーヒーと素人もいいところの俺が淹れるそれでは圧倒的な差があるだろう。いくら顔見知りのあいつらでも躊躇うものだ。

 

 

「実際に出してみて感想を聞いてみるのも大切だと思うね。淹れてもらっている私からすれば、いい味は出していると言える」

 

「…それは嬉しいんすけど」

 

「せっかく学んだんだ、ここらで使ってみてもいいだろうさ」

 

 

マスターはそう言うが、コーヒー単体の注文は美竹と宇田川。他はカフェオレ(とひまりはケーキもセット)だが、誤魔化しが利かないのが美竹というのはなかなか精神的にきつい。二言三言交わした後に俺は折れ、恐らく七日程度に及ぶ短期集中特訓の成果を初めて店頭で披露することになった。

 

さて、俺はネルドリップという手法でコーヒーを淹れるのだが、ドボドボとお湯を注ぐものだと思っていた俺はその作業の繊細さ(言い換えるなら面倒臭さ)を聞いた時は絶望したものである。

使う道具も覚えなければいけないし、淹れ方も適当では済まされないし、控えめに言わずとも大変だ。慣れればそれも楽しんでできるものだろうか…

 

 

「…一応やり方は覚えてますが。本当にいいんすか俺にやらせても」

 

「大丈夫さ、それにつぐみ達も糾弾などしないだろう。その辺りは私が保証する」

 

 

何故か無駄に高く買われているような気がしてならない。過度な期待は破滅を(もたら)すらしいぞ、マスターよ。

用意したネル*1に粗挽きの粉を入れ、教わった通りの動きで、少しずつ湯を注いでいく。マスターが監督する練習でも思ったが、ネルに湯を注いでいる時に出る泡が実は好きだったりする。あくまで俺の好みではあるが。

 

 

さて、二度目のお湯を注ぎ終え、サーバーに抽出したコーヒーを氷の入ったグラスへと投入する。これが美竹の分。そもそも手際の悪さがマスターと比較するせいで目立ってしまうし、そのせいで本来あるべき風味とかが変わってしまいそうだ。

 

 

「…あの、カフェオレは任せていいすか。二層にできる気がしないんで」

 

「そう言うと思ったよ」

 

 

エスパー羽沢さんは俺が頼むよりも先に準備を始めており、グラスは既にコーヒーを注ぐだけという状態。俺の周りのサイコメトラー増えすぎなのでは…

 

マスターが綺麗に仕上げたカフェオレを大きめのトレイに乗せ、一応最後に温度を確認だけして持っていく。相変わらず談笑を続けているところに水を差すような気持ちになるが、こいつらの注文だから届けないわけにはいかない。

 

 

「アイスカフェオレのお客様…それからこちらがアイスコーヒーになります。そして食べると体重がどんどん増えるケーキセットです」

 

「最後の最後で台無しです!あと体重のことは言わないでください!ほんとに!セクハラですよ!」

 

 

カビゴン・ヒマリに健康上の注意を促し、俺はその役目を一旦終える。だが俺は感想を聞かねばならん、特に美竹と宇田川にはな…

 

 

「…あんたなんでまだそこにいるの」

 

「いちゃ悪いかよ。感想を聞きに来ただけだ」

 

 

相変わらず捉えようによってはアグレッシブな言葉をいとも簡単にぶつけてくるメッシュ。勘弁してくれ。

 

 

「感想…ってこれ木崎先輩が淹れたんですか!?」

 

「ああ…と言ってもドリップだけ、だぞ」

 

 

つぐん家も先輩が継ぐのかな、と軽口を叩く宇田川にそんなわけねえだろ、と思いながらコメントを催促する。

宇田川曰く、いつもと変わらないらしい。しかし美竹はというと…

 

 

「…少し違う気がする。けど、あたしは嫌いじゃない」

 

「具体的にどう違うのか知りたいが…」

 

 

教わったやり方をなぞるようにしてるのに、淹れ方ひとつとっても美竹が分かるくらい変わるのか。奥が深すぎるだろう。味と言うよりは舌触り(?)とかかもしれん。

 

 

「感覚だよ。あたしもそんなにコーヒー通じゃないから」

 

 

素人でも何か感ずるところがあったというわけだ。しかしどうせここで出すなら完コピまでしないとダメだろう、と思う。

 

 

「そうか。まあ悪くないってことはわかった、礼を言う」

 

「…あ、あの!結羽先輩、私にもコーヒーを一杯…」

 

 

カウンターへ戻ろうとしたら羽沢がコーヒーの追加注文をする。…え、カフェオレ全然飲んでねえじゃねえか。

 

 

「いやカフェオレ飲めよ。つーかお前砂糖とミルク投入しないと飲めないだろ」

 

「うっ…」

 

「も〜〜先輩のニブチン〜」

 

「結羽先輩、本当に人の気持ちが分かってないな〜!!」

 

 

俺は羽沢にまともなことを言っているのに大人しくしてた青葉とひまりに無駄にディスられる。意味がわかんねえ…

 

 

「今飲む必要はねえし…上がったらマスターに頼んで淹れてやる、それでいいだろ」

 

 

それ以上は特に何を話すことも無く、淡々と業務をこなし、最後に客の去ったテーブルを片付けて今日は上がらせてもらった。その間、あいつらはやたら盛り上がっていたが、その中身は俺の知るところではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…待たせたな」

 

「お疲れさまです!」

 

 

母親に少し遅くなる旨を伝え、俺はまた業務外でコーヒーを淹れて店の奥…まあつまるところ羽沢の家に邪魔をする。このリビングも入るのは何度目かになるのか…

 

 

「バイト、もう慣れましたか?」

 

「まあ教わったことはな…ある程度」

 

「そっかぁ。よかったです」

 

 

砂糖とミルクをぶち込んだ激甘コーヒーをちびちび飲んで、羽沢は「うん、いける」と呟く。そりゃ俺が焙煎してるわけでもないし、こっちの過程でもそんな下手なミスしてないし当たり前か。

 

 

「お前にそう言ってもらえるなら本望だな、珈琲店の娘さんよ」

 

「ブラックは飲めませんけどね」

 

 

こいつがブラック飲めないなんて本当に面白い巡り合わせである。運命って凄いわ。

 

 

「悪いが母親が飯作ってるんでな。そういう意味でも、お前ん家に悪いって意味でも長居はできない」

 

「そうなんですか。気を遣わせてすみません」

 

 

別に、と答えて俺は点けてあったテレビに目を遣る。この近辺…と言っても電車で数駅の、そんなところを特集していたようで、よく見る顔のタレントが何かを食べている。グルメってやつか。

 

 

「美味しそうですね」

 

「何だこれ…パンケーキか何かか?」

 

「そうですね…あ、見てください!ふわふわしてますよ」

 

 

かなりソフトなパンケーキなのか、フォークとナイフが面白いくらい生地に沈んでいく。さすがに切りにくいにも程があるだろ。

 

 

「…食いづらそうだな」

 

「う〜ん、ちょっとだけ、ですけど。ありますね。でもふわふわなのは好きです」

 

「そういうもんか」

 

 

仕事でそれを食している奴等はオーバーリアクションでその良さを伝えてくるが実際はその三〜七割程度の旨みしかないだろう。まあその反応で視聴者の心に語りかけるのが仕事だから当たり前か。

 

 

「そ、そうだなぁ〜、結羽先輩、もしよかったら一緒に食べに行ってみませんか?ついでに買い物もしたいですし、なんて…」

 

 

見事にハートをキャッチされた羽沢、最近は外のそういうモノに触れていないのだろうか。ひまり辺りに振り回されてそうだがな…

 

 

「…お前練習あるだろ。しかも買い物なんて俺がついて行かなくても適任がいる」

 

「あう…そうじゃなくて、私は結羽先輩と行きたいな〜って。せっかく今一緒にテレビを観て話してるわけですし…」

 

 

…そう来るか。面倒臭さが勝るのならば簡単に断ることもできるが、こいつ相手だと何故か断れないというのが経験上分かりつつある。気まぐれから始まった関係だが、そういうのも案外悪くないと思っている自分がいる…のかもしれない。自分のことがよくわからない以上は断言するのは控えるべきか。

 

 

「…面白くねえと思うけどな。シフト入ってなければ今んとこ暇だから合わせる」

 

「じゃあ明日行きましょう!善は急げ、ですよっ」

 

「急過ぎねえか…いや待て、お前俺のシフト把握してんのか」

 

 

張り込みでもされてんのか?

 

 

「い、いえっ!確かさっきお父さんに聞いたような気がします!絶対そうです!決してシフトを眺めたりなんてことは…!!」

 

 

完全にクロだろ…羽沢、まさか変態的な趣味を所持しているとは…

 

 

「…悪い。聞かなかったことにしておく」

 

「うう…すみません…」

 

 

失態を晒し手で顔を覆う羽沢、見る人が見れば嗜虐心なり保護欲なり色々な感情が掻き立てられるのだろう。誰とは言わんが青葉とか青葉とか青葉とか。噂してると本当に察知されそうで怖いからやめておくが。

 

 

「あの、それで、明日で大丈夫ですか?できたら午前からが嬉しいです」

 

「ま、暇だしいいだろ…開店頃にはここに着く、コーヒー飲んでから行きたい。つーわけだ、待ち合わせはここで」

 

 

一瞬、現時点で何か大事なことを見落としている気がしたが、大丈夫だろうか…

取り敢えず明日の朝はいつもより早く起きなくてはならないし、多少身嗜みも整えなくてはならなさそうだし、朝から外に出なくてはならないしと色々大変である。だから一杯のコーヒーくらい許せよ。

 

 

「…甘くない方がいいな」

 

 

ガムシロップ、ミルク、砂糖は必要ない。変に甘く成り損なったコーヒーは俺の口には合わない…はずだからな。甘いものは嫌いじゃないが、甘さの主張が変な方向に行っているモノは好きにはなれないからな、なんて思いながら羽沢の前にあるグラスを見つめる。

そこにある液体は、口にしたなら直ちに──それこそ俺が飲める程には──甘味が舌を支配するように思えてならなかった。

 

 

 

*1
フランネルという織物のこと。ここでは布製のコーヒーフィルター(=ネルフィルター)を指す。





次回こそはデートという大それた名前の休日を過ごさせたいと思います。夏の暑さでやられて色々加速している二人を生温かく見守ってください。

ここまで読んでいただきありがとうございます。
感想、評価等お待ちしております。


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過去と現在の交差点

突然ですが私は小さいわんこが好きです。


 

 

 

ふと時計を引っ掴んで見ると、午前五時半。アラームよりも早く起きた原因は吐き気がするほどの暑さ。目覚めは最悪らしい。

俺がそんな早起きするとは誰も思わないと分かっているから、俺を知る全ての人間を鼻で笑ってやる。

 

一階に降りて洗面所で顔を洗うと、目の前には自分を睨みつける人間が…まあ俺自身のことで、鏡に映るこの顔が俺はあまり好きではない。目付きが悪いからな…自然体で要らぬ反感を買う目である。

 

 

「あら、おはよう結羽。あなたつぐみちゃんとのデートだと早起きなのね」

 

「デートじゃねえからな」

 

 

リビングに入ると母が既にキッチンで朝食の準備をしていた。おそらく俺の起床予定時刻に合わせたのだろう、それは非常に嬉しい。だが勘違いも程々にすべきだとは思わないか、母よ。

 

 

「…当事者にとっては違うんだよ」

 

 

それしか言えないのが情けないが、ここで怒るのも無駄にエネルギーを使うというものである。嫌な気分ではあるが、大人な俺はそれを理性で難なく抑え込む。

 

 

「まあまあ、楽しんで来てね」

 

 

ごめんなさい、と言って母は料理に集中する。

少し大きめの溜め息と共に俺はソファに座り、テレビのチャンネルを回す。途中でトビQのニュースを観ては、そんな話もしたっけな、と思い起こした。

 

 

「ねっむ…暑いし」

 

 

毎年恒例の夏さんは今年も容赦なく俺を殺しに来ており、ついでに言うと残機*1に余裕はない。

 

 

「今日はもっと暑くなるから、熱中症には気をつけてね」

 

「…善処する」

 

 

既にやられかけているのにどうしろと言うんだ。

 

暫くして並べられた朝食をあまり減っていない腹へとブチ込んで麦茶で胃へ押し込む。アスパラとかベーコンとか、地味に好きなものすら飲み込む気になれないのは夏の朝だからか。直後にマラソンでもしたら秒で吐きそうだ。

 

 

皿を片付けた後、取り敢えず寝ている間の発汗を文字通り水に流すべくシャワーを浴びる。冷水を浴びてはいつかの凛になってしまうので、少しの冷たさを感じる程度の微温湯(ぬるまゆ)を身体に当てることに。

 

今日は羽沢と出かけるからか分からないが、突然脳内で『羽沢 シャワー』で検索がかかったらしく、羽沢珈琲店に傘を取りに行った日のことを思い出した。声をかけたきっかけは本当に気まぐれなのかとさえ疑うくらいで、実際にただ傘を貸しただけの相手と偶然が重なって今日は母親で言うところのデート擬きに連れ出されるにまで至る。自覚のない下心でもあったんじゃなかろうか…

 

 

「…嫌なことまで思い出すな」

 

 

回想に耽ると中学時代のことまで無駄に思い出されて不愉快さを覚えてしまう。似たようなことで嫌な経験をしているわけだが、まあ今となっては過ぎたことで、そんな気分で外に出るのは俺自身が嫌だから変な思考を振り払い、風呂を上がった。身なりはいつも通り適当に、しかしほんの出来心とも言うか、懐古の賜物とも言うか、懐かしいモノを引っ張り出し、それを首に着けて俺は家を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、いつも通りの恰好でいつもと違い早朝に羽沢珈琲店に突撃する。時間が違うだけで見える風景も違うなと感じる。夏休みに入ってからこんなに早く家を出たのは久しぶりだからだろうか。

店の前に着くとドアにはopenの掛看板。いや空いているのは知ってたけどマジで朝早すぎるだろ、羽沢家はどんな生活してるんだ…

 

 

「あら結羽くん、いらっしゃい」

 

「ども…あ、アイスコーヒーお願いしていいですか」

 

「は〜い。好きなところ座ってね」

 

 

今日は特に指定がなかったのでコロンビアが出てくると思われる。というのはこっちの話で、一応豆に関しては相応の種類を取り揃えてはいるらしい。俺も全部はまだよく知らない。

羽沢母に注文をとってもらい飲みきれなかった時のため、とテーブルに座ることにする。一人ならカウンターでもよかったんだがな…

ふと周りを見ると朝から客はいる様子。仕事前の人だったり早起きの人だったりするのか。生憎俺はそんなに余裕のある早起きの鳥にはなれない気がする。三文の徳を滅多に享受し得ない人間、それはそれで損した気分になる。

 

 

「結羽くんごめんなさい、つぐみったら朝から(せわ)しなくてね、準備に時間かかってるみたいなの」

 

「あ…いえ、俺も休日はこの時間寝てるんで。起きたのが奇跡です」

 

「あら、そうなの?早起きできないとお店は継がせられないな〜」

 

 

いや継ぐ継がない以前にスキルもクソもないド素人なんだが…羽沢家の長男でもあるまいし、バイト始めただけで今から店を持つ持たないの話をされるのはどうかと思う。

 

 

「…考えときます」

 

「今ならつぐみももれなくセットでお買い得なんだけどな」

 

「自分の娘を売りに出す母親って救えないっすね…」

 

 

まともなバリスタ探した方が家としては安泰である。どちらにしろ本人の意思を無視して羽沢を売りつけているのは変わらず、それは倫理的によくないと思うがな。

 

届いたアイスコーヒーを飲んで頭が微妙に覚醒し、外で温められすぎた身体が若干冷却されたところで、羽沢が店の奥から姿を現した。

 

 

「お、お待たせしました結羽先輩…」

 

「ああ…別にそんなに待ってない」

 

 

後で気づくがこのやり取りはテンプレらしい。知ったことか。

 

さて準備に時間がかかった、と言う割にはいつも通りのように感じるが…いつも通りかと言われると違和感を感じるところもあるな。服装はまあ選んできたんだろうなというくらいの気合いは感じられる。

白っぽいオレンジのような(後で調べたところ薄いアプリコットに近い)色の、レースみたいな生地を何枚も重ねたスカート…名称なんぞ知らん、それにこれまた薄いグリーンと白の上衣。靴は先が尖ったようなヤツ。全然衣類のことを知らないと前から言っているが、正にその通りだ。

 

まあただそんな羽沢を見たのは初めてだ。前にも見た事がある羽沢カラーの服とは違う。そもそも制服の時に会うのが多かった気もするから初めてでも仕方がないだろう。

 

 

「…そういうのには疎いがな。まあ新鮮でいいんじゃねえか」

 

 

適当にも聞こえる感想で失望させたなら申し訳ないがそんなものである。そのコーディネートに対してあれこれとコメントできるほどの言葉のストックが無さすぎるのだ。言えるのは精々「いいんじゃね」とか「似合ってるんじゃね」くらいしかない。

 

そんな言葉足らずとも言える俺の一言にさえ、戸惑いつつか照れつつか、羽沢は笑ってみせた。何とまあ、俺には勿体ない表情である。彼女はそんな顔のまま、仕返しと言わんばかりに口を開いた。

 

 

 

「結羽先輩がアクセサリー着けてるの初めて見ました。か、かっこいいと思います」

 

 

ああ、分かるのか。

 

 

「そりゃどうも…これは気の迷いだ、普段は着けない」

 

 

他人からしたら羽沢を意識したオシャレと思いがちなこれには実は違う意味がある。羽沢はそうと気づいていないのかもしれないが、このチョーカーというらしい首飾り、実は俺が持っているものだけではモチーフが正確には伝わらないのである。

ワンポイントがあしらわれたこの首飾り、単体ではただ黒いパズルピースが一つぶら下がっただけ。当然それだけで十分アクセサリーとして機能しているが、それは本来のパズルピースとしての役割を失っていると言える。本質は組み合わせることに他ならない。

 

…と、ここまで言えば分かるのだろうが、つまりこの首飾りの片割れを持っている人間が別にいるのである。状況によっては羽沢に対する冒涜でしかないが、ご存知俺達はそういう特殊な関係にはあらず、許されるレベルだろう。

というかこんなに意味深な説明をしておいてだが正直これを着けてきたのはその存在を思い出したからであって、何か特別な意味をもって装備しているわけではない。その出処にはなかなか苦々しい記憶はあるが、今はそれは関係ないのである。

 

 

「あら〜、初々しいわね。私ったらこの辺り暑すぎて倒れちゃいそう」

 

「お母さん!そういうのじゃないから!」

 

「そういうのって、どういうのかしら?詳しく聞きたいな〜」

 

 

母娘(おやこ)による滑稽な漫才が始まったが、これを相手にしても俺に為す術はないので完全スルーをキメて、残っていたコーヒーを飲み干す。その後も苦労するツッコミと奔放なボケを目の前にして、結局俺が待ちぼうけを食らうことになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…酷い目に遭った」

 

「あはは、大変でしたね…」

 

 

現在俺達は目的地の最寄り駅に降り立ったところなのだが、夏休み真っ只中の学生、通勤途中のおっさん達という二大巨頭が占拠した電車に乗ったがために移動だけで死にかけている。俺達も前者の仲間であることに変わりはないが、押し潰され揺り揺られ、今にも吐きそうだ。

 

 

「…さて、どうする」

 

「もうすぐ色んなお店が開き始めそうですね。荷物になっちゃいますけど、先に買い物しませんか?」

 

「へい」

 

 

特に文句を言うこともなく、羽沢についていくことにした。完全に偏見ではあるのだが、女の買い物は死ぬほど長いと思っている。フロアをうろついて買うのは数点、かけた時間は四時間なんてザラにあるんじゃないのか。いやもし違うようなら俺は全ての女性を敵に回すことになってしまうが…申し訳ない。

 

 

「とは言ってもだな…何か目的のモノでもあるのかよ」

 

「それは一応…強いて言うなら服ですね」

 

 

女物の服売り場で俺が彷徨(うろつ)いているのを想像して少し参ってしまった。まあこいつがいるんなら大丈夫だろうが…何かの手違いで意見を求められるようなら力にはなれないので期待はしないでほしい。

 

適当な話をしながら歩いていると何かデカい建物に辿り着いた。ショッピングモールというかデパートというか、その辺の呼び方は分からないがまあそんなイメージでよさそうな建物だ。

 

 

「…さてと、お供するか」

 

 

今日の俺の仕事は子守りである。最悪の場合荷物持ちにもなる必要があるが、そんな大荷物になるほど爆買いするわけでもないだろうと想定しておく。

 

 

 

 

小物、服、服、服、小物、ペット、服、スイーツ。

特に何も買ってはいないのだが、羽沢について回って数時間。ウィンドウショッピングが彼女にとっていかに楽しいのかを思い知らされた。

やたらファンシーな店だったりガーリーな店だったりするわけで、俺が無心状態を解除したのはペットショップで箱に閉じ込められた動物達を眺めている時だけだった。見られている側のことを思うと不憫だが、動物を毛嫌いしているわけではないので可愛げのある生き物として見ることが出来た。その中に一匹だけ、もし飼ったら仲良くなれそうな、人懐っこそうな小型犬がいた。移動する時もケースの端までついてきたからな…

 

 

「…で、何も買わねえのか」

 

 

フードコートで昼食をとり終え、現在絶賛ダラダラタイムである。買い物袋の一つも持っていないわけだが、気軽にあれこれ買っては財布によろしくないだろう。高校生なら尚更だ。

 

 

「目星はついてるんですけどね…この後また見に行ってどれを買うか決めたいなぁ」

 

「そうか」

 

「はい…すみません、ちょっとトイレに行ってきます」

 

 

そう言い残して羽沢は少しばかりの駆け足でトイレに向かった。一人残された俺は当然暇を持て余す。

 

 

「……あ」

 

 

そして頭に浮かんだのは今日が『ポプラトゥーン2』の発売日だったということ。予約を先延ばしにしていたらそのまま忘れるという大失態を晒した俺もなぜか発売日を思い出すファインプレー。あとで電器店でも行くか、在庫あれば買うかもしれないしな。積みゲー常習になりつつあるのはご愛嬌。

 

 

「…あれ?もしかして、結羽くん…?」

 

 

呼び方から察するに氷川か?と思い、最悪のタイミングだなと内心悪態をつきながら声の聞こえた方に首を向ける。その姿を見るまでは声質が若干似ていたのもあって、その人が氷川ではないことに気がつけなかった。

 

 

「…お前」

 

 

それが誰なのかをこの目で認めた時、自分の中の感情がグチャグチャになっていくのを感じた。だがきっとその中に喜びのような感情はない。不安や憤怒が渦巻く中に「わからない」という思考が差し込んだ。

 

 

「…失せろ」

 

 

押さえ込んでいた記憶が頭を支配していく。思い出したくなかったもの、思い出せなかったもの、消せなかったものが、様々に入り乱れる。

きっと他人からすれば大したものではないが、俺の中では忌々しい記憶であり、同時に美化されている記憶でもあり、それらは俺の過去に大きな位置付けを為されていた。

 

 

「…そうだよね、ごめん」

 

「分かったらさっさと消えろ、不愉快だ」

 

 

そこに立っていたのは、そしてこの場を悲しげな表情で去ろうとしているのは。

 

 

「またね、結羽くん」

 

 

紛れもなくかつてのクラスメイトであり、かつての「連れ合い」だった、マナこと雲村(くもむら)真奈(まな)だった。

*1
残りのキャラクターストック数。あと何回生き返れるかを指す。




次回はお洋服を買ってパンケーキを食べて水着シーンがあったりなかったりするかもしれません。

読んでいただきありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。

感想・評価等お待ちしております。


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スイーツは止まらない

お久しぶりです。
夏も最後に差し迫り、ついついサボってました。

それでは本編をどうぞ。


 

 

 

マナとの偶然に偶然を重ねた遭遇から少しの後、羽沢が戻ってきた。その表情は自分がいない間に何があったかなど素知らぬもののようだ。

 

中学の時に転校したのは知っているがこんなところに足を運ぶ用があるか…?この辺に住んでるとかか。地価高いのに。

 

 

「はぁ…後半戦といくか」

 

「はいっ」

 

 

考えたところで何にもならないという結論に至ったところで、午後をも消費するべく俺と羽沢は席を立つ。羽沢の要望もあって午前に回った店にもう一度行くことになった。

 

 

「何階か忘れたけど取り敢えず上に行けばよさそうか」

 

「う〜ん…たしか四階です、行きましょう」

 

 

…まさかこの歳で物忘れが激しいだなんてことないよな。昼前にいたフロアだぞ。

 

 

「あ…あとでゲーム見に行かせてくれ」

 

「ゲーム、ですか?」

 

「ああ、新作が出たらしい…予約とかしてねえけど」

 

 

ポプラトゥーンはゲーマー界隈でも人気コンテンツで、大乱戦スマッシュファミリーズ、ポチッとモンスターなどに並ぶ普及ぶり。そんな作品をプレイしないわけがないんだよな…

 

 

「そこそこ面白いぞ。オンライン対戦もできるしランクシステムもあってな」

 

 

つまりランク上げのために廃人と化し、沼にハマって抜けられなくなるということだ。そもそもそんなにゲームをしないらしい羽沢に伝道してもとは思うが。

 

そんな話をしている内に(くだん)の服屋に着き、目当ての服(それが何かは知らない)を手に取り、試着をしてから素早く会計を済ませて終わり。特に問題もなく買い物を終え、じゃあゲーム見に行ってここを出るか、と言い出す前に羽沢が何かを言いかけた。

 

 

「あ、あの結羽先輩…?その、言いにくいことなんですけど…」

 

 

こういう時は大抵の場合、本当に都合の悪いことや乗り気にならないことを言い出されると相場が決まっているんだ。中身を聞く前から嫌な気しかしないが、何処ぞのバカと違って程度は控えめの案件であるだろう。そう、こいつはポンコツかもしれないがまともなのだ…

 

 

「え〜っと…み、水着を見に行ってもいいですか?」

 

 

こいつは何を言っているんだ?

 

 

「…すまん。よく聞こえなかった」

 

「だ、だから水着を…」

 

 

水着。海やプールといった場所で下着の代わりに身につけて水に浸かる。俺がそこについて行く意味はあるのか?本当に警察呼ばれそうなんだが?

 

 

「…あのな、お前が無知なのか無垢なのか無頓着なのかは分からねえ。だから聞くが、何故俺を連れていく」

 

 

一人じゃダメなのか…別の日に幼馴染と行くんじゃダメなのか…

 

 

「新調したいから、ですかね?」

 

「…いいか、お前が何を選ぶのか目の前で見せられるとする。そうしたら普通はお前がそれを身につけている姿を想像するわけだ。恥ずかしくないのか?」

 

 

そう言われて少し思考を巡らせた羽沢は、赤く染まり上がりつつある顔で、こう言った。

 

 

「ややや、やっぱりやめときましょう!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、本当に関係ない、どうでもいい話として、大枚を叩きポプラトゥーンを購入した俺は羽沢にプレイさせてやることを約束した。いやまあ敢えて言うならセクハラ地味た発言の詫びとでも言うか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

所変わってパンケーキ屋。

外観は非常にかわいらしい造りをしている。オシャレなカフェの大きい版だと思うとそれらしい。中を覗くと、ライトは白ではなくオレンジらしい。

 

 

「…結構人いるんだな」

 

「テレビでやってた影響もあるのかなぁ」

 

 

そして店の外に並ぶ人、人、人の列。ペース次第だが何時間も待たされるわけではなさそうである。

そりゃ地上波で流れてしまえば多くの人が目にし、それがネットで評判となり、近場の人間が多く押し寄せるのはごく自然な流れではある。値段も手ごろと言える程度のもので、おやつにもなる。そりゃすぐに案内してもらえると思ったのが甘かったな。

 

 

「仕方ねえな…待つか」

 

「だ、大丈夫ですか?無理はしなくても…」

 

「これが元々の目的だっただろ。そのくらい平気だ」

 

 

時間さえ潰せればな、と思いつつ前に連なる客達を見て小さくため息をつく。一人だったら絶対並ばないし、そもそもここに来ようとも思わなかっただろう。だからと言って羽沢のせいで並ぶ羽目になった、等と文句を垂れるつもりもないが。

 

 

「ま、適当にしゃべってれば列も短くなるだろ」

 

「そうですね、私も色々お話したいですっ」

 

 

とは言ったものの、俺には話題を出す能力が皆無だ。羽沢が振ってくれないと最悪置物と化す…はずだが、気になってたことは聞いておくことにする。

 

 

「そういやお前、水着買うとか言ってたが…予定でもあるのか」

 

「それがこれから誘おうかなって思ってたんですけど、やっぱりやめることにしたんです。だから今は、今年はいいかなって思ってます」

 

 

羞恥心か、それとも癖か、羽沢が頬を掻きながらそうぼやく。出費がかさむことがなくて済む一方、遊びに行けないのは残念だ、と思っていそうな顔のようにも見える。

 

 

「そりゃ残念だったな」

 

「でも他にもいっぱい楽しいことありますから。今日ここに来るのだって私楽しみにしてたんですよ?」

 

「…そうか」

 

 

純粋な瞳でそんなことを言われても反応に困る。喜べばいいのか、軽くあしらえばいいのか分からない。今日を楽しみにしていたかなど俺には自身のことでさえ理解が及ばないのだから。

 

 

「まあ…悪くはねえんじゃねえのか」

 

 

今の気持ちを吐露するならば、それが適切な言葉になるのだろう。この気持ちは俺が量るには難しいが、悪い気はしていないように思う。羽丘に入ってからというもの、こういう奴らに絡まれることが多すぎて気がおかしくなっただけなのかもしれないが。

 

 

「趣味じゃあないが、お前とでもなければここに来ることもなかったってだけだ」

 

 

甘いものは結構好きではあるが、と心の中で注釈する。

 

 

「…なんか照れちゃいますね」

 

「そんな要素はどこにもねえよ」

 

 

凛の奴は腐れ縁として、他の奴らが何を理由に俺と関わっていたいと思えるのかは疑問だ。俺ならば俺と関わりたいとは微塵も思えないはずなのだが…

 

それは結局俺が、他人にとっての俺の存在意義を理解していないということになる。奴らにとって俺がどういう存在なのかを奴らの視点で見ることが出来ていないことの証明に他ならない。自分のことを自分の目線でしか眺められない。鏡に映った自分を自分の目で調べるように評価することしかできないということだ。

 

できることならその意味を問うてみたい。お前にとって俺とはどういう存在なのか。言葉にしてしまえばきっと俗に言うところのメンヘラという烙印を押されるだろうから言えない。その問いに求めるものは小さな好奇心の満足だけではなく、恐らくは──

 

 

「…はぁ」

 

 

醜いな、と思う。つい溜め息も出てしまう。

普段は独りで平和に生きることを求めていながら、その深奥にあるのは孤独になることへの恐怖なのだとすると目も当てられない。そんな脆弱な、板挟みの感情論をひた隠しにして、俺は話を逸らす。

 

 

「…暑いな。当然といえば当然だが」

 

「夏って感じですよね」

 

「倒れてくれるなよ」

 

 

水着の話にここで戻るのは如何なものかとも思うが、たしかにここ最近の陽気じゃ水で戯れたいと思うのも分かる。雨や海に濡れるのはまた好きではないが、炎天下を闊歩し続けるよりは魅力を感じる。

 

 

「結羽先輩もしっかり水分摂ってくださいね」

 

「適度にな」

 

 

その辺のケアはたぶん羽沢より俺の方がしっかりしてるはずなので気に留めないでおく。そんなことよりも話の続きが全く思い浮かばないことに焦りを感じる。対人コミュニケーション評価は余裕で平均未満だろうな、と自嘲してしまう。

 

 

「夏といえば海とお祭りですよね」

 

「…前触れもクソもねえな」

 

「結羽先輩は夏といえば何だと思いますか?」

 

「アイス、エアコン、扇風機」

 

「あ、あんまり風物詩らしくないですね…」

 

 

風情もクソもなくて悪かったな。外に出たら暑いから引きこもって冷房に当たりながらアイス食べるのが至高だろ、そんな生活しか送ってこなかったぞ俺は。

 

 

「今年はお祭りの予定がまだなくて、ちょっと寂しいです」

 

「そこはアイツらをお前から誘ってやれ」

 

「うーん…みんな忙しくないかなぁ」

 

「言うだけ言わねえと可能性すらなくなるぞ」

 

 

祭りなぁ…凛に引っ張り出されない限り行くことがない催し物だが、花火とチョコバナナとりんご飴の印象が強い。主にガキの頃の記憶によると、ではあるが。

例外はあるにしろ最後に行ったのは中二の夏か…いかん、思い出していたらチョコバナナを食べたくなってしまった。訴訟案件である。

 

 

「うーん…あ!結羽先輩も来ませんか?」

 

「はいはい気が向いたらな」

 

 

何も「あ!」じゃあないんだよ、全然閃いてねえじゃねえか…

 

 

「…祭りといえば宇田川って焼きそば好きそうだよな」

 

 

イメージカラーじゃりんご飴なのだが、焼きそばを頬張る姿が妙に似合いすぎる。たこ焼きは…どちらかというと青葉か。青海苔と鰹節を口の周りにつけていそうだ。

 

 

「あ、想像できちゃいますか?ふふ、結構好きみたいですよ」

 

「イメージに過ぎないけどな」

 

「結羽先輩はお祭り行ったら何を食べますか?」

 

「…チョコバナナ」

 

 

おい羽沢ァ…ちょっと口角上がってんぞコラ…

 

 

「…チッ」

 

「ち、違うんです!意外でつい…わ、私もチョコバナナ好きですよ!美味しいですよねっ」

 

 

こいつやっぱりフォロー下手くそだな、その気持ちは悪いとは言わんが…

 

 

「似合わねえのは知ってんだ、何も言うな」

 

 

悲しいかな、好きなものに限って自分に似合わないのである。自分には決して相応しいとは言えないものに憧憬を抱くと思えば俺も極めて普通の傾向にあると言えなくもない。

その後も祭りのあれこれを話題として消費していくと、やっとのことで俺達が案内される時がやってきた。ここまで長かった…

 

 

「…(ようや)くか」

 

「でもお話してたおかげで少し短く感じましたよ」

 

 

小洒落たテーブルに案内された俺達はそれぞれメニューを見始める。

 

 

「…俺は無難にオススメのやつで」

 

「私も同じの頼もうかな」

 

 

巨大なホットケーキのようなものにソフトクリームよりも大きなクリームの塊が乗ったパンケーキ。イチゴやらメープルやら味は豊富らしいが、チャレンジ精神を失った俺はバニラアイスと砕かれた少量のナッツがトッピングされただけのものを注文することに。

字面だけだと全然美味しそうに聞こえないのは俺の表現力が乏しいだけで、明らかに盛りに盛られている写真を見る限りは普通に美味しそうなので許していただきたいものだ。

 

 

 

さて、店内も満席のため注文の品が届くのは(いささ)か遅くなったものの、無事二人分のオススメパンケーキが届いた。

 

 

「おお…取り敢えず切ってみるか」

 

「…あ!結羽先輩、ちょっと待ってください!」

 

 

テレビで見たあのふわふわ感を確かめるべくナイフを取ろうとすると羽沢がそれを引き止める。何だ、と顔を上げると羽沢はスマホを構えている。…そういうのはひまりの専売特許じゃねえのか。ちなみに盗撮って意味での撮影は青葉の十八番(おはこ)である。たぶんな。

 

 

「お前そういうキャラだったか」

 

「記念に撮っておきたくて。せっかく来たんですし」

 

 

シルバーに伸ばしかけた手をテーブルの下にしまって写真撮影が終わるのを待つ。納得がいかないのか、それとも調整が下手なのかはさておき、何度目かの試行でそれも終わり、さっさとナイフをとって目の前の食物に向けて下ろす。

 

 

「…これは」

 

「す、すごいですねこのふわふわ感。テレビで見たイメージ以上ですよ」

 

 

普段食べているものよりも柔らかい肉を切った時と同じ、普段食べているホットケーキよりも圧倒的に柔らかいそれに大きな衝撃を受ける。まさか大袈裟ではなかったとは…

 

 

「…フォトスタ映えでも狙ったのか」

 

「いえ、私フォトスタやってないですよ。ただ、ひまりちゃんに見せてあげようかなって」

 

 

理由が完全な飯テロだった。ひまりの体重も現状維持が限界だろうな…羽沢のせいでまたその線が濃厚になったな。

ちなみにフォトスタとはフォトグラフィスター(PhotographyStar)というSNSの一種で、写真を大袈裟に加工して投稿し、それに対するインプレッションで承認欲求を満たしていくアプリケーションである…というのは偏見らしい。今井によれば。

 

 

「そうやってひまりを(ふと)らせて食おうってのか」

 

「もう、そんなことしないですよ!」

 

 

ひまりという扱いやすい奴をダシに話が進んでいき、早くもナイフからあの柔らかさが伝わってくる感覚が得られなくなってしまう。名残惜しいといえば名残惜しいが、クリームが多い故に量を食べることはできない。くどすぎて死ぬ。

 

 

「…結構しんどいな」

 

「生クリームってあまりお腹に入らないですよね」

 

「その割には俺より食えそうな勢いだが」

 

 

甘いものは別腹だってことか。女の考えそうなことではあるが最近じゃそんなことを言う男も増えているとかいないとか。

 

 

「…さて帰るか」

 

「はい。結羽先輩、今日はお付き合いしてくださってありがとうございますっ」

 

「別に」

 

 

暇だったし、と言ってしまえばと何処か悔しく感じられるので、それは言わないでおく。

 

 

「時間はまだ早いけど帰るか。新作初日プレイしてみたいしな」

 

 

今日の予定はこれで完遂したわけだし、特に目当てのものがあるわけでもなく、この街に留まる理由はなくなった。どうせまた何かしらに誘われるんだろう、祭りの(くだり)で察している。

 

この日はその後最寄まで帰ってそのまま解散。道中は特筆すべきことはなかったものの、早起きの弊害によりまさかのポプラトゥーン未プレイのまま就寝してしまうのであった。




今回も読んでいただきありがとうございます。
タイトルの『スイーツは止まらない』ですが、実は曲の題名だったりします。本家は音符マークがつくのでパクリではありません。たぶん。
また次話でお会いしましょう。


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暗夜に誘われて

こんにちは。今回も短めです。


とある日の深夜。

 

虫の音もしなくなった静かな夜の闇を独り見つめた。

 

人工の光が照らす夜道にも漆黒は消えることはない。

 

自分の足音とゆるやかな風だけが聴覚を刺激する。

 

そのままゆっくり歩き続けて見えたのは公園だった。

 

そしてそれと同時に新たな情報を視覚と聴覚が受け取る。

 

 

「…久しぶり」

 

「そうかもな」

 

 

軽口など叩いている余裕はない。

 

 

「単刀直入に言う。二度と関わるんじゃねえ」

 

 

黒にも溶けない拒絶の色。

 

一切の隙も見せることはない。

 

 

「何様のつもりかは知らねえ。ただテメェに俺と関わる資格はねえし、逆も然りだ」

 

 

今更何かをする意味もなければ、そんな権利が与えられるわけもない。

 

それはあの時に決まったことで、過去は変えられない。

 

 

「待ってよ」

 

 

(きびす)を返す俺の心にその声は届かない。

 

それは俺にとっては当然の結果であって、それ以上何を感じることもなかった。

 

ただ叶わぬ願いを言葉にするのなら。

 

こんな今に翻弄されるくらいなら、せめて過去の俺には真実を追求してほしかった、とだけ。

 

ふと空を見上げて初めて気づく。

 

 

「ああ──」

 

 

今夜は、星が見えないみたいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はバイト。

何やかんやで羽沢珈琲店で労働に勤しむ自分を褒めてやりたい。

 

 

「ユウさん、すごく辛そうです。大丈夫ですか?」

 

 

そう声を掛けてくるのはバイト仲間…同僚とも言うべきか、そんな間柄の若宮イヴ。正直頭おかしいと俺は思うが、根は真っ直ぐでいい子だと言うのは羽沢の評価である。

…誰だって『押忍』『ブシドー』『助太刀』『切腹』なんて言葉を放ち続ける奴を見たら変人だと思うだろう。変わり者ではなく変人。『刀剣無双』シリーズのやり過ぎか?

 

 

さて話を戻すが、俺はこの「大丈夫か?」というワードを今日のバイトだけで数えられないくらい聞いている。数える気もないがな。

 

 

「大丈夫だって言ってんだろ…」

 

 

お前の頭の心配でもしろよ、という言葉は飲み込む。

本当のところは少しだけ自覚はあるくらいだ。ただ寝不足ってだけだと思うし、風邪菌を飛ばしたりすることはないから何とかやりきりたい。後々抜けた分の責任追及されても困るからな…

マスターにはまだ何とも言われていないが、さすがにマスターに命じられれば休まざるを得ないだろう。

 

現在時刻は15:40、もう残り半分を越えた。今日は10:00から19:00だからあと少し耐えれば直帰して即寝で何とかなる気がする。

 

 

「若宮、もう上がる時間だ。邪魔だから帰れ」

 

「は、はい…わかりました。ユウさん、無理はダメですよ!」

 

 

終始俺の事を気にしていた若宮を、勤務時間パワーで強制退勤させることによって余計な目は消えることになった。と思い込んでいた。

 

 

「ただいま〜。イヴちゃんありがとうね。私と交代しようか」

 

「お帰りなさいツグミさん!」

 

 

心配性スキル練度MAXの羽沢つぐみの降臨である。

心配性羽沢 VS 俺の嘘という謎の戦いが幕を開ける──

 

 

「あ、結羽先輩もありがとうございます!あの、体調は大丈夫ですか…?」

 

 

この戦いは一瞬にして閉幕した。

それ以上語ることはない。

 

 

「ああ…」

 

「いつもより覇気がないですね…私もいますから、ゆっくり作業しましょう」

 

 

若宮に続いて後輩に気を使われる始末。こりゃ重症かもな。自覚はないが。後で聞いたことだが、若宮の休憩中にそれらしい報告がされたとか何とか。

 

 

「あんた大丈夫?迷惑かける前に休みなよ」

 

「…何だお前いたのか」

 

「何その態度。つぐみ、こいつクビにした方がいいよ」

 

 

羽沢の帰宅ついでに店に侵入していたのは美竹。オバケみたいに取り憑くとかいう習性してんのか?それにしても気配をまったく察知できなかったんだが…

 

 

「いや…マジで気づかなかったわ、悪いな…」

 

「謝らないでよ気持ち悪い」

 

 

美竹、お前さすがにブチ〇すぞオイ。

言い方も酷いが、それよりも人の謝罪を無碍(むげ)にするんじゃねえよ。

 

 

「…ろくでもねえ客だ」

 

 

悪態をつきながらもそんなお客様にもしっかりと対応し、その後も問題なくバイトを終えようとしていた頃の話。

 

 

「あ…ヤバ」

 

 

急に意識が遠のいたような気がして、近くの椅子に手をかける。全ての感覚が鈍くなったような気がした。いつもの刺激の処理速度ではない。

 

 

「…だるいな畜生」

 

 

その場から動かなくなった俺を心配してか、羽沢が駆け寄ってきた。

 

 

「どうしたんですか!?具合でも悪いんですか、結羽先輩」

 

「あー…割とキツい」

 

 

ただの寝不足だけどな。強いて言うなら精神疲労の蓄積もありそうだ。已むに已まれぬ事情ならともかく、プライベートで店に迷惑をかけるという失態を晒すなど愚かなことこの上ない。もう上がる時間なのがせめてもの救いか。

 

 

「今日はもう上がって、ウチで休んでください」

 

 

その言葉に従うのは責務を全うできないことを意味するが、その言葉に逆らうのならばそれは自己管理の不出来を証明することになる。どちらにしろ俺が悪い。

 

 

「…わかった。悪い」

 

 

マスターにも一言断りを入れて、羽沢母に連れられて家に通される。自責の念に飲み込まれながらも椅子に座って睡眠をとる旨を伝え、精一杯の謝罪をする。

マスターも羽沢母も笑っていたが、本当にそれで良いのだろうか。俺は笑って流せるような歳でもないはずなのにな、等と考えているうちに身体は休息モードに突入してしまったようだ。思考もぼやけた辺りで俺は半ば投げやりに意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ痛…」

 

 

腰の辺りに鈍痛を感じながら起き上がる。座って寝るとよくなるアレだ。現に今俺はテーブルに(うつぶ)せになっているわけだが…

 

 

「ここは…」

 

 

鮮明になってくる記憶によると俺は体調管理が行き届かず、羽沢宅で休ませてもらったようだ。クソ程迷惑で申し訳ない上情けない。

 

 

「結羽先輩!?大丈夫ですか、死んじゃったみたいに寝てたから心配で…お母さん、結羽先輩起きたよ!」

 

 

向かい側に座っていた羽沢が俺が起きるのを見るなり、焦燥と安堵が入り交じるような声で母親を呼んでくれた。まさかずっとそこにいたんじゃあるまいな…

 

 

「あら結羽くん。身体の方は平気?」

 

「…はい。寝起きってだけで、頭痛とかそういうだるさはないです。あの、すいません。店にもご家族にもご迷惑を…」

 

「礼儀正しいのね。気にしなくていいから、まずはゆっくり休んでね?後は…そう、つぐみがとても心配していたから、お礼くらい言ってあげて」

 

「余計なこと言わないで!でもほんと、よかったぁ…」

 

 

まあ…事情を知らなかったり、経験がなかったりする人からすれば単に病んでいるように見えるのだろう。

現に羽沢はホッとしたように見えて、実はまだ難しい顔をしている。

 

 

「…少し話せるか」

 

「へっ?私ですか?」

 

「タメ口で話せるのはこの場にはお前だけだろ」

 

 

はぁ、と一つ溜め息をつく。そこに込められた意味は俺にも分からない程、複雑に交差している。

 

 

「何があったか、何故こうなったのかくらいは話さないとお前一生気にするだろ」

 

 

一生は過言極まりないだろうか、しかしそれくらいこいつが心配性だというメタファーであると言える。

 

 

「じゃあ…後で私の部屋に来てください。そこで聞かせてもらいますから」

 

 

そうする、と伝えた後にマスターに今日の事を謝罪しておく。結果的に大事に至っていないから、とのお言葉を戴いて羽沢母に羽沢の部屋まで案内してもらう。

 

ドアに手をかけて動きを止めた、その数秒に昨日の記憶を呼び起こす。

さて…どこから話そうか。




もしかしなくてもイヴ様初降臨なのかもしれません…

ちょくちょく建てたフラグは回収して少しずつ進めていますが、並行して別作品も考えているので余計に更新が遅くなってます。すみません…

ここまで読んで下さりありがとうございます。
よろしければ評価・感想もお願いします。

そしてみゃーむら様、ご評価ありがとうございました。


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微かな氷解と小鳥の巣

超絶お久しぶりです。そして初めましての方は初めまして。
完全に話の筋とか忘れましたが何とか持ち直していきます。がんばります。
それでは今回の話、どうぞ。


「どうぞ」

 

 

ドアを開ける前で踏みとどまり、ノックという選択肢を得た俺はギリギリでデリカシー皆無人間というレッテルを貼られずに済んだ。

 

 

「…無警戒もいいとこだな」

 

「結羽先輩ですし」

 

 

どうやら俺は羽沢に謎の信頼を寄せられているらしい。その片鱗は何度も覗いてきたが、嘘ではなさそうだ。

 

 

「何もない部屋ですけど」

 

「十分ファンシーだろ」

 

 

俺の部屋とは似ても似つかない、それはそれは世間で言う女子って感じの部屋だ。緊張はしていないが、何となく落ち着かない。

 

 

「それで…言うことがあってな」

 

 

勿体ぶっても仕方が無いので単刀直入に言う。

 

 

「今日は心配かけたみたいで悪かった。身体が悪いわけではないんだが、昨日は夜中に色々あってな…中学の時に転校したクラスメイトに呼び出されたって話だ」

 

 

それだけだと友人に会ってバカ騒ぎして寝不足、で済むんだろうが。

 

 

「これにも経緯があってな…この前買い物に行っただろ。たまたま会ったんだ、そいつに。俺としては関わりたくねえのも事実」

 

 

羽沢は黙って話を聞いていたが、ここで口を挟んできた。

 

 

「関わりたくない?どうしてですか?」

 

「…あまりよろしくない別れ方をしたからだな。結局そいつとは二度と会うつもりもなかった」

 

 

だが、と話を続ける。

 

 

「昨日会った時も…この前も、そいつはそれでもお構いなし、だ。物申すために応じたはいいがそれだけだ。他人からすればな」

 

「それでも俺にとってはそれだけでは済まなかったわけだな。ずっと頭から離れなくて寝れなかったし、それで多分今日の結果に至ってる。悪い」

 

 

俺にとっての精神的負荷は多大なものであるが、人にしてみればまったくそんなことはないはずだ。そんなことで?と言われてもはいそうですとしか言いようがない。

 

 

「うーん…その人って、結羽先輩にとって大切な人だったんですか?」

 

「…まあな。昔の…女、だな」

 

「へ〜そうなんですか」

 

 

室内に一瞬の沈黙が流れた。そして…

 

 

「え、え、えっ!?彼女さん、ですか!?」

 

「昔のだ。今はもう違う」

 

 

うまく清算されなかったとはいえ、過去のことだし隠しておく理由もない。説明の一環である。

 

 

「詳しくは言わないが、そういう理由もあってのことだ」

 

「そ、そうなんですね…恋人いたんですね…」

 

「そりゃ意外だよな」

 

 

自分でもそう思う。

似合わないというかキャラじゃない。

 

 

「向こうが今のスタンスを崩さないなら何とかして解決するしかねえんだろうよ。取り敢えず理由はそんなところだ、心配かけてすまなかったな」

 

 

自分でも想像以上にメンタル弱すぎて悲しくなるレベルだ。過去の人間のことを今も引きずっていなければこんなことにはなっていないはずだしな。

 

 

「…とまあ俺の弁解は以上だが。何かあるか」

 

「そうですね…あの、今日のことはもう大丈夫です。それよりも、その人とちゃんと話し合って欲しいなって」

 

 

思っていたよりも羽沢の考えは安直で、思った通り非現実的だった。

 

 

「…いや、そりゃ無理だ」

 

 

そして、そういう考えは俺には受け入れられない。

 

 

「…そこまでしたとしても何にもならない。たぶん、俺とあいつの確執は拭い去れない」

 

「どうしてですか?絶対、ちゃんと話し合った方がいいですよ。だってきっと結羽先輩だけじゃなくて、その人も苦しいから…」

 

 

苦しい?あいつだけじゃなくて俺までもがそう思っていると、羽沢は言っているのか?

 

 

「別に苦しい思いなんてしてねえよ。目の前に現れさえしなければ問題はない」

 

 

ならどうして過去を捨てられないのか、とは問わずともわかる。それが自分が存外感情に生きていることがその事実を裏付けている。日記なんていい趣味してるくらいだからな。

 

 

「…たとえば。お前がバンドのメンバーに陰口を言われているのを知ったとする。そして程なくしてバンドは解散、果ては陰口を叩いた本人は引っ越し、その人間とは物理的にも心理的にも離れたとしよう」

 

「その時お前はどう思うか、想像できるか?」

 

 

昔話をするには時間がもったいないし、そこまで話す義理もない。適当な状況に置き換えて羽沢に問えば、当然のように俺の出した答えとは違う答えが返ってくる。

 

 

「う〜ん…すごくつらい思いますけど、やっぱり早めにその真意を問うと思います。だってそれが本心なのかも実は悪口じゃないのかもわからないですから」

 

 

もちろん悲しいものは悲しいに変わりないですけど、と付け足して羽沢は口を閉じた。

 

 

「でも、結羽先輩がどういう状況にいるかはわかりました」

 

「…たとえばって言ったよな?」

 

 

俺の細かな発言はお構い無しか、そうか。

 

 

「チッ…」

 

 

俺よりも産まれてくるのが遅いくせに、俺より的確なことを考えやがる。実際羽沢に悩み相談などをしている時点で人間性と経験値の差が知れる。

 

 

「…まあ、その内ちゃんと決着をつけるようにはする。同じこと繰り返したくねえし」

 

 

心のどこかでは、釈然としないからこそ、ハッキリさせたいと思うところがあったのかもしれない。後輩にそう諭されてみれば簡単にその気になる自分に対して何とも言えない気持ちになる。

 

 

「悪いな。野暮な話だったか」

 

「全然そんなことは!…それよりも、安心しました」

 

「安心?」

 

「結羽先輩も、ちゃんと人のこと好きになるんだなって。確信が得られました」

 

「…よくそんなこと恥ずかしげもなく言えるな」

 

 

適当にその真偽を誤魔化すが、別に俺は無感情の悪魔ではない。故に俺が好意を抱くのは以外でも何でもないはずだということは理解してもらいたい。

ともかく、人を好きになる、というのがつまり当時の俺の奴に対する気持ちだとすれば…

 

 

「今はそうじゃねえな」

 

 

そう完結するのに時間がかからないくらいには、明快な問題だった。嫌いだというわけじゃないだろうが、ただ清算できていないことに対する曇った感情がある。過去に抱いていた感情とはまた別のものが今はここにある。

 

 

「色々ありがとな。特に用もなければ長居も悪いし(いとま)するが」

 

「わかりました。今日もお疲れ様でしたっ」

 

 

いつものにこやかな顔でそう労ってくれる羽沢、やはりめちゃくちゃいい奴なんじゃないか。営業スマイルかどうかは定かではないが。

 

 

「…そうだな。詫びと言っちゃなんだが、また買い物でも何でも、頼み事があれば付き合ってやるよ」

 

 

羽沢一家に礼を述べて俺は家に帰る。今日こそしっかり寝るために…

なお、この軽率な発言がまた面倒を呼ぶことになるのは別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜の通話。

 

 

「それでね、今日は結羽先輩が部屋に来て…」

 

『えっ』

 

「体調が悪かったみたいなんだけどね、少しお話して」

 

『つぐみ…変なことされてない?』

 

「だ、大丈夫だよ?なんで?」

 

『先輩も男子だからね〜。こう、獣のようにつぐを食べちゃうかも〜?』

 

「え、えぇ!?でも、そんなことなかったよ?」

 

『気をつけなよ。ヘタレだとは思うけど。あいつ何するかわかんないよ』

 

『いや、先輩に限ってそれはないと思うけどな?』

 

『はぁ〜つぐも最近は先輩にべったりでさ、そろそろロマンスが始まっちゃうんじゃない?』

 

「ど、どうだろうね?あはは…」

 

『そんなことよりモカちゃんはお腹減ったよ〜』

 

『モカ、あんたこんな時間に食べたら太るよ』

 

『だいじょ〜ぶ〜。ひーちゃんがいつもみたいに』

 

『モ〜〜〜〜カ〜〜〜〜〜〜』

 

「わ、私ももう少し痩せた方がいいのかな?」

 

『つぐがそれ言ったら世の女性を敵に回しそうだよな…』

 

『わかる』

 

「そうかなぁ…?」

 

『むしろつぐはモカからもらってもいいレベルだよ!私もういらない!』

 

『どっちもそんな太ってないでしょ…』

 

「でもプールとか行ったら恥ずかしいなぁ」

 

『え。あいつと?』

 

「蘭ちゃ〜〜ん!!!」

 

『蘭がいじりに回った』

 

「うぅ…ひどいよぉ…」

 

『ほらつぐ泣かないで〜、明日パンひとつ分けてあげるから〜』

 

『いや、あたしは別にそういうつもりじゃ…』

 

「あんまりそういうこと言うと結羽先輩に失礼だからね?」

 

『だってさ、ひまり』

 

『え、私!?私のせいなの!?ごめん!』

 

「ふふ、大丈夫だよ。私そろそろ寝るね?」

 

『わかった。あたしも寝る、おやすみ』

 

『おやすみ〜』

 

『おやすみ!』

 

『おやすみ』

 

「うん、おやすみ、みんな」

 

 

 




ご読了ありがとうございます。


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青春ウェイ・トゥ・ゴー

リアルが死んでます。
ですが色々コツコツ書いています。もう話の路線もグダグダですいません…本編どうぞ。


 

 

 

「…祭り?」

 

 

それは唐突な誘いだった。何の脈絡もなく聞かされたその単語に一瞬戸惑うが、すぐに理解が追いつく。

 

 

「…そういや夏祭りの時期か。早いな」

 

 

夏休みも後半へ差し掛かり、祭りのひとつにも出ないというのは(いささ)かもったいないのかもしれないが、どうにも人混みが苦手だと前向きにはなれない催し物ではある。

そんなイベントへの誘いだ、断りを入れたいのも事実なのだが、久しくあの雰囲気を味わいたいという気持ちもあった。

 

 

『やっぱりダメ…ですかね』

 

「考えさせてくれ…明明後日(しあさって)だったよな」

 

『はい。無理なら無理で大丈夫ですから…』

 

「ああ…相変わらず青春してるんだな」

 

 

まあ俺が行かなくたって幼馴染共と楽しめるだろ、と誘ってきた張本人、羽沢に思う。奴らの中では俺関連のことは大抵羽沢任せなのが気の毒だ。

 

 

「…できるだけ早めに連絡する」

 

 

それだけ伝えて電話を切る。

ベッドに転がり時計を見ると、既に日付が変わろうとしていた。最近は電話やらメッセージやらが毎日のように飛び交っている。店で顔を合わせているのだからそれでいいだろう、とも思うが…羽沢にとってはそうではないらしい。

 

 

「夜更かしは天敵じゃねえのか…」

 

 

あいつも女子だと思うとむしろその辺りが心配になるな、等と考えながらその日は寝落ちをする羽目になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。

バイトもない今日は、学生の宿命とも言える夏課題の消化日である。サボりたいのは山々だが、ただでさえ優秀ってわけでもないのに、その上無駄に成績を下げるわけにもいかない。

 

そして自宅で黙々と進めるのではなく、自分一人じゃ進められないアホこと凛の家に赴かねばならなかった。もちろんこれはこいつの世話をしながら進めるという、俺にしてみれば苦行であり非効率的な作業でもある。

 

 

「…思い出したらムカついてきたな」

 

「なんで俺を睨む!?」

 

 

そりゃ迎えと称してテメェが朝から人の家に押しかけてきやがるからだろ。世が世なら打首だぞ。

 

 

「凛テメェまさか他の宿題もノータッチじゃねえだろうな」

 

「…な、何のことやら」

 

 

俺よりは暇してたはずなのに手をつけていないとはどういうつもりなんだコイツ…さすがに本日同席する今井も苦笑いである。

 

 

「お前も進んでなさそうだけどな」

 

「アタシは凛よりはマシだから平気だよ」

 

 

と言いながら存外速めのペースで課題を消化していく今井。人は見た目に()らないとは言い得て妙だな、と思う。

 

 

「ノルマくらい終わらせろよ。テメェ後で泣きついて来たら屠殺(とさつ)するからな」

 

「スパルタ辞めろよ!今やってるから!」

 

「そうでもしないと甘えるだろうがよ」

 

 

余裕も余裕、三周はできるかというペースの俺は何も焦ることはない。いや三周は盛ったが、バイトやら何やらがあれば少なくとも計画的にならざるを得ないと言ったところだ。

 

 

「日菜はパスパレの仕事で来れないみたいでね」

 

「残念だよな〜。結羽もそう思うでしょ?」

 

「…いやスイッチ入ると面倒だから来なくていいだろ。虫、お前はそんなことより手を動かせ」

 

「結羽は相変わらず辛辣だね…」

 

 

そういう星の元に生まれてきたのがこいつだ。運命は時に非情だとも言う。

 

氷川はパスパレ、今井も夕方からRoseliaの練習、そういえば羽沢も今日はAfterglowのバンド練習、瀬田のことは知らんが…俺の周りはバンドガールばかりだな。

そこまでガチ勢ではないが、俺自身音楽には多少の心得はある。楽器や声楽に特に触れてこなかったのは凛くらいか。

 

 

「ま…青春の形ってか」

 

 

そもそも青くも何ともない『春』を生きる俺が感慨深く感じるところは少ないが、やはり同年代の人間が駆け抜けるそれを意識しないことはない。

 

 

「…青春って何か知ってるか、今井」

 

 

だからだろうか、唐突に巫山戯(ふざけ)た質問をしてしまう。ただし頭がおかしいとか、中二病だとか、そういう微細な問題は考えないこととする。

 

 

「えっ?急にどうしたの結羽?」

 

「ただの質問だ。なんで青春、っていうも思う?」

 

 

暫く考える素振りを見せた後、漸く今井が答えを出す。時間にしておよそ三分くらいだろうか。

 

 

「ん〜…春って出会いの季節だから、色んな人と出会ったりする時期を表してる、とか?恋愛とか友情とか、そういう意味も含めて。青い理由は人として未熟だからかな?」

 

 

これは面白い答えを聞いた。現代で青春という言葉が用いられる状況に当て嵌めると一理あるように思う。

 

 

「そんな見た目で本当に考えてるんだな。お前のことを見くびってたようだ」

 

「アタシ、そんなイメージあるの?」

 

「かなりな」

 

 

俺が昨年からそう思っていたのは事実だ。残念ながら今の今までその印象を払拭できずにいたのもまた事実。

それを聞いた今井は困った顔で静かにショックを受けているようだ。

 

 

「答えってわけじゃあないがな。春夏秋冬の内、春は比較的若い世代を指すから、それっぽく使ってるってことだろう」

 

「青い理由は…今井が言った通りかもしれないし、生い茂り始める緑を思いながら成長を重ねたのかもしれん」

 

「はたまた青龍から意味をとったのかもしれん。朱夏は朱雀、白秋は白虎って具合にな」

 

「まあ俺は正しい答えを知らないからな。想像には任せるが…面白いとは思わないか?年齢的に春とはいえ、俺がそんな『春』を歩んでるかと言われると甚だ怪しいんだが」

 

 

自嘲するように語ってしまったが、少なくとも本心ではある。どこで道を間違えたかは分からない。ただ自分の人生は普通と言われるそれとは異なっている気がしなくもない

俺は日も当たらず、陰にも隠れずにある意味で無難に生きていて、他の同年代の人間は日に当たりながら、もしくは陰に隠れながら生きている。自分が特別なのではなくて、自分が普通にはなれなかったのではないか、と考えてしまう。

 

それはきっと今井や氷川と関わるようになってから何となく感じてきたことだし、羽沢達と馴れ合うようになってからはさらに強く思われるようになった。氷川はまた別物かもしれないが、それでも普通の輪に馴染むようになっているのは確かだ。

 

 

「…ま、独り言だとでも思えよ。普通にすらなれない身では普通に憧れることもある」

 

 

今こうして三人でいることも青春なのだとすれば、青春なんて面倒なものだと言ってしまえるが、そう言い切るにはこの時間を嫌いにはなれない自分がどこかにいた。

 

 

「あ。そういえば結羽さ。明後日空いてる?」

 

「…ッ」

 

 

話を区切り、紅茶を飲んでいた俺は凛の問いかけに喉を詰まらせる。

 

 

「ケホッ…何でだ」

 

「隣の市で祭りがあるじゃん?行かないかな〜って」

 

 

揃いも揃って俺を誘いやがって、何が楽しいんだか分かったもんじゃない。そもそも人が多すぎる、それだけで俺には辛いものがある。

 

 

「今井でも誘え」

 

「私はRoseliaのみんなと行くからさ」

 

「いつからお前らは仲良しごっこの集まりになったんだ」

 

 

あの湊が浴衣なんぞ着て来た暁にはさすがの俺も笑いを堪えることはできないんだろうな…

 

 

「…氷川はどうだ。愉快だぞ。たぶん」

 

「ヒナも行くならパスパレで行くと思うし」

 

 

結局いつものメンツだと空いてるのは俺だけらしい。だとしても今の俺には断る理由がある。隠し球と言うやつだ。

 

 

「そんなボッチのお前には悪いが、俺も先約があるんでな。断る」

 

「さすが結羽!…って、え?マジで?」

 

「大マジだ」

 

「あ、あれ?俺もしかして本当のボッチなの?」

 

 

ようやく気づいたらしい。

 

 

「そんなに行きたきゃ氷川にダメ元で頼んでみるべきだろ。俺は無理だ」

 

「は〜、結羽はなんか知らない内にリア充キメちゃってるし、十分青春でしょ」

 

「うるせえな。わかったから手を動かせ。あといくつ課題残ってると思ってんだ」

 

 

ペンで指すように凛に続きを促す。何度も言うが赤点野郎と長いこと一緒にいると思うと恥だ。汚点なのだ。

リア充、という言葉にはある種の皮肉でも込められているのかとも思うがこいつにはそれを可能にする能力がないことを思い出して苦笑する。

何はともあれ、ここで大見栄を切ったからには後で羽沢へメッセージを送らねばならない。いや、むしろその口実がやってきてくれたことに感謝さえしているのだろうか。その答えが出る前に俺はその思考を閉ざす。

 

 

散々舐めプをかましてやがった凛もヤバさに気づいていたからか滅多に見られない集中力で課題を消化しているのを適当に眺めつつ、俺はスマホを弄る。…不本意ながらも付き合いの長い俺ですらこいつは本当に凛なのか、と疑うレベルである。

人とは侮れないものだなと雑な感想を抱きつつ俺はポテチの袋を開封する。あの食指が落ち着かなくなるような匂いが袋から拡散していく。

 

 

「…結羽。のりしお味なかったの?」

 

「ポテチはうすしおに限る。異論は認めねえ」

 

「アタシはコンソメ派なんだけどな」

 

 

ポテチはうすしおが至高。それが理解できないとはとんだイロモノだな。

 

 

「戦争だ!!うすしお派は許さん!!」

 

「言ってろ」

 

「ポテチで戦争ってどうなの…」

 

 

うすしお派が最多に決まってんだろ。数の暴力で皆殺しにできる自信がある。

適当に受け流しながらポテチをつまんでいると、どうしようもなくゴロゴロしたくなる。寝転がってゲームしながらポテチ、安いが贅沢な時間が恋しい。塩や油がつかないように気をつけないといけないが。

 

 

「あ〜、じゃあさ、トビQでも行こうよ。前に凛行きたいって言ってたし。改装に行っておきたくない?」

 

「いいじゃん!ヒナも誘って四人で行くのはアリだよね」

 

「俺の意向はお構いなしか?」

 

 

ポテチの消費に勤しんでいると勝手に話を進めていく二人。どうせ俺の意見がまともに反映されることが稀なのだから期待はしていないが、ツッコミの一つは入れさせてもらう。金がかかるし1日2日普通に消えるんだ、せめてもの反逆の権利は与えてほしい。

 

 

「結羽都合悪い?」

 

「都合も分からんし出費がキツいが」

 

「でも結羽は何だかんだ来てくれるよね。まあアタシも人のこと言えないけど」

 

「本当にな」

 

「予定合わせて行こう、俺たちのせっかくの夏休みだからな!」

 

「夏休みを謳歌したいなら後で泣かねえだけの準備をしろ」

 

 

自分の無計画さに最後の2日程度で騒ぎ出すのが毎年のことだが、こいつは学ばない生き物らしい、とは何年も前から抱いている評価である。

 

その後はダラダラと話しながら課題を進め、漸くのことで俺と今井は黒川家から解放される。拉致癖もここまで来ると犯罪臭がしてくるものだ。

 

 

「…あァ、死ぬ」

 

 

外に出て伸びをすれば、バキボキと身体が悲鳴とも歓喜の声とも言える音を上げる。この関節がなる感じ、俺は割と好きなんだが、指が太くなるとか噂を耳にしていたから故意に指を鳴らすことは昔はあまりしなかった。

 

 

「結羽はさ。最近つぐみとどうなの?バイト先もつぐみの家のカフェだし」

 

「…お前、お節介の度が過ぎるぞ。それともアレか?お前も男女関係にうるさいクチか?」

 

「ん〜そうじゃなくてさ。つぐみには結構心開いてるような気がして」

 

「そりゃお前常識人の方が好感度は高いだろ」

 

 

帰る道すがら、今井に突如吹っかけられた羽沢ネタ。こういうのがあるから関係を絶つのも(やぶさ)かではないと思えてしまうのだろうが、今は別にそこまで考えていない。

そして凛、今井、氷川といった面子に比べれば羽沢など良心の塊でしかない。そんな奴を無碍に扱うわけにもいくまい。

 

 

「…祭りもつぐみのお誘いでしょ?」

 

「わかってんなら余計な詮索するんじゃねぇよ」

 

「正直なところ、色々考えて素直になれないんだろうなって。特につぐみのことになると」

 

 

それを聞いた俺は憤慨するわけでもなく、何か返事をするわけでもなく、ただ黙っていた。だがそれは今井の言葉を肯定することに他ならなかった。

 

 

「私はAfterglowのみんなと違うから偉そうにはつぐみのこと語れないけどさ。結羽見てると何となくわかるし、言いたくなるよ。凛も心配してた」

 

 

心臓にナイフを当てられたような気持ちになる。

凛は俺の事をそこそこわかっているからそうなるのだろうが、今井でも何かあるのだと気づいてしまうのだ。俺がそれだけわかりやすいということなのか、それとも今井がそれだけ周りをよく見ているということなのか。

 

 

「…ま、時期が来たら話してやらんでもない。今は放っておけ」

 

 

だからといって自分でも整理出来ていないことを無闇に話すような能無しではない。お気持ちを表明してくれるのは大いに結構だが、まずは自分で自分のことを理解しようとするところから始めたい。

 

 

「悪いな。夜道に気をつけろよ」

 

「それ脅しだよ?」

 

 

減らず口は止まることを知らず、そのまま俺と今井は道を異にする。今井が傍に居なくなったことを再確認して、俺はスマホに映し出されたトークルームを見ながら考える。

 

 

「…俺は」

 

 

羽沢のことをどう思っている?

羽沢といることをどう思っている?

 

交互に思い出されるのは羽沢の顔と、マナの顔。

二人が重なる、というわけではないが…マナとのことが俺を縛り付けているのはわかる。そうでなければ羽沢とアイツが同じタイミングで頭に浮かぶわけがない。

 

 

「…わからねぇ」

 

 

過去に対して、そして今に対して何を思っているのかを探るしかない。急ぐことではなくとも、この心にかかった靄を払うに越したことはないだろう。

 

 

「まぁ気にしてもコレは変わらんな」

 

 

俺宛のメッセージを見ながら一人呟いた。

蒸すような空気に加え、まだ明るさを残した道が夏らしさを一層彩っているような気がした。…俺は夏嫌いだけどな。

 

 

 

 

 

 

木崎結羽:祭り、行くか 17:42

 

羽沢つぐみ:ありがとうございます!楽しみにしてますね! 18:28




読了ありがとうございます。


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止まらないカウントダウン

あけましておめでとうございます。


 

 

さて、やってきてしまったこの日。

今日という今日もやはり過去の自分を恨むべきか、外出が億劫になりつつも俺は隣町まで移動をしようと身体を起こす。

 

 

「…祭りねえ」

 

 

目を背けたくなるような現実がそこに迫っている。俺自身アクティブではないため、いざ行くとなると乗り気にはなれない。行ってしまえば楽しめるのも事実ではあるが…

 

 

「浴衣とか着ていく?」

 

「勘弁してくれ…」

 

 

気付け薬感覚に顔を洗い、リビングへ行くと息子を着せ替え人形か何かだと思っていそうな母がいた。浴衣やら甚平やらは生まれてこの方祭りに着ていったことがない…と思う。覚えている限りでは。

 

 

「…まあアレだ。今日はそういうわけだから遅くまでいない。また帰りにでも連絡する」

 

「わかったわ。凛くんと行くの?」

 

 

最初に伝えた時は聞かなかったくせに…今更核心をついてくるんじゃねえよこの母親は。

 

 

「いや…そうだな、新しい友人ってとこか」

 

 

自分で言ってて恥ずかしいしそもそも友人なのかも疑問だが。

 

 

「あの結羽に友達ができるなんて、母親としては嬉しい限りね」

 

「…相変わらず育ての親としてどうかと思う発言だな」

 

 

前提として俺に友達がいないみたいなこと言うのをやめてもらえないものか、と思い至ってから気付くのは実際友人がそんなにいないこと。悲しくはないが世間的には可哀想な扱いを受けるらしい。

 

 

「支度したらもう行くから」

 

「は〜い。楽しんでらっしゃい」

 

 

その後は着替えて髪の撥ねを直し、パーカーを羽織って家を出る準備がほぼできる。所詮外出の支度なんてそんなものだろう。こういう時、シャワーは帰ってきてから浴びるものだしな。

唯一悩んだのは財布とスマホのやり場。小さいバッグでも掛けていくかどうか悩んだ末、邪魔になるかと思いながらも持っていくことにした。人が多いところにブチ込まれればポケットから抜かれても気付かない可能性があるだろうから。ついでに座るようならと小さいレジャーシートを突っ込んだ。

 

 

「あっちィ…」

 

 

こんなに暑い日が続くと子ども達の希望の象徴でもあるお日様を壊したくなる。毎年が冷夏くらいでいいんじゃねぇか…

 

さて、待ち合わせは羽沢珈琲店。少し出るのが早いような気もするが無駄に歩みを緩めると、傾いた太陽が放つ夜への置き土産を存分にもらってしまう。それは絶対に遠慮しておきたい。

 

 

「そういや待ち合わせて祭りに行くくらいしか決めてねぇな…」

 

 

当然幼馴染共もいるはずだ。

美竹とはいがみ合いが始まるわ、青葉はニヤニヤしながら横槍入れるわ、ひまりはアホだわ、まともなのが半数を切っているのが地獄でしかない。宇田川が俺の味方をしてくれるかと言われると保証はしかねるしな…

 

 

「はぁ…」

 

 

人が少なければとか、知り合いとか面倒なのに会わなければとか、今から要らん心配をして溜め息が出る。

マジで憂鬱だ。それを当人達の前であまり見せない方がいいのはわかっているから、今の内にブルーな気持ちを放出しておく。主に美竹がうるさい。ほぼ確実に。

 

 

歩き慣れた道を踏破してバイト先…もとい羽沢珈琲店に辿り着く。少しでも涼し気な空間にいたいと、俺は躊躇うことなく扉を開けた。

 

 

「あら結羽くん、いらっしゃい。早かったのね」

 

「どうも…アイスコーヒーをお願いします。キリマンジャロいけますか」

 

「もちろん。切らさないようにはしてるもの」

 

 

大した荷物もない上、おひとり様故にカウンターに席をとる。やはり冷房の効いた店内はいい。夏には欠かせないヒーリングスポットだ。

そんな中コーヒーを待ちながら、気になっていたことを聞こうと手隙の羽沢母に声をかける。

 

 

「あの」

 

「どうしたの?つぐみのことならもう少し待っててあげてほしいんだけど」

 

「や、そうじゃなくて…美竹とか、Afterglowは来てるんすか?」

 

 

そう、店内には少し早めとは言え奴らの姿が見えないのである。こういう場合は早くから合流して、どうせ羽沢の部屋で何かしらしてるんだろうと思って聞いてみたのだが。

 

 

「いいえ?というかつぐみから聞いてないのかしら」

 

「…何を、すか」

 

 

ああ、何かよくないことが起こりそうな。そんな予感が電気のように身体を駆け巡った。

 

 

「つぐみったら結羽くんと二人でお祭り行くって張り切ってたわよ」

 

 

??????????

 

 

「…全く。Afterglowの世話係を押し付けられたものだとばかり」

 

「あれ、そうなの?」

 

「まあ…」

 

「あらあら。恥ずかしがり屋なのかなあの子も」

 

 

どちらかというと俺と行くってのが親の心象が悪くなる原因になるからだと思うんだが…

 

 

「はぁ…」

 

 

早々に次の溜め息を消費する。

当然他の奴らも来るものだと思っていたわけで、蓋を開けてみれば驚愕の現実がそこにはあった。どうしたものか…

 

 

「そういうの気にするの?結羽くんってもしかして彼女とかいる?」

 

「…いないっすけど」

 

「じゃあ気にしなくていいのに。それともうちの娘じゃ不満かしら?」

 

「いや…むしろ俺を同行させるには勿体ないくらいなんじゃないすかね」

 

 

『うちの娘じゃ不満かしら?』ってそれ一種のハラスメントだろ。俺は本音を言ったつもりだが、もし不満だと思ってもそうは答えられない質問の仕方だ。

その内届けられたコーヒーを啜りながら俺達は会話を続ける。

 

 

「あら、つぐみが来たみたいね。それじゃ、私はこれで失礼するから、楽しんできてね」

 

「…ん、ども」

 

 

支度を終えた羽沢がやってきたらしくこんな会話も終わりを告げる。母親と入れ替わりにやってきた羽沢の方を向くと…

 

 

「お、お待たせしましたっ」

 

「…ああ」

 

 

浴衣に身を包み、頬を紅く染めた少女が立っていた。水色基調と思しき浴衣を纏い、普段着けていなかったような気がする髪飾りを着け、巾着袋を提げた姿は夏祭りの絵になりそうだ。

ブラウンとかベージュ?みたいな色をよく見かけるからか、浴衣自体が新鮮だからなのか、少し物珍しく見入ってしまう。これが世の男女であれば『見惚れる』が正解だろうか。

 

 

「ゆ、結羽先輩?私、どこか変なところありますか…?」

 

「ああ…いや、新鮮でいいなと思っただけだ」

 

 

見ている分にはな。着るのとか面倒だから絶対嫌だ。

 

 

「変なところはない。たぶんな」

 

「そ、そうですか?えへへ、ありがとうございますっ」

 

 

そうやって照れ臭そうにはにかむ表情が、俺には眩しくて勿体ない。表にはあまり出さないけどな。

さて、羽沢母にあれこれと突っ込まれるのは困るので、その前に会計を済ませて俺は羽沢を店から連れ出した。

 

 

「…幼馴染共はいないらしいな」

 

 

店を出てからそう問えば、ビクッと羽沢の肩が跳ねる。

 

 

「迷惑でしたか…?」

 

「…せめて先に教えてほしかったくらいか。俺を含めた他の奴らに変に勘違いやら詮索やらされる可能性もある…が、大した問題はない」

 

 

それで被害を受けるのはお互いなんだから救われねえ。

 

 

「そんな卑屈になるなよ…問題ないと言ったら問題ない。楽しみにしてたんじゃないのか、母親が言ってたぞ」

 

「え、お、お母さんが!?もう…!」

 

 

微かに頬を膨らませると懐かしの羽沢百面相。この表情は初めてのレコードかもしれない。いつもは困り顔と笑顔でバリエーションを稼いでいたからな。

 

 

「はぁ…さっさと行くぞ、腹減ってるんだ」

 

 

こじつけのように聞こえるが、どうせ祭りで食うだろうと腹をそこそこ空かせてきているため、俺はアイスコーヒーだけでは空腹を抑えることが出来ないのだ。

 

 

「そうですね!何食べよっかなぁ…ふふっ」

 

 

そう言う羽沢を横目に見ていると、先程の嫌な予感とは裏腹に、どこか柄にもなく楽しめそうな予感がした。だがそれを俺は反射的に拒絶、否定したくなる。それを受け入れてしまったら、俺は今までの俺でいられないような気がしたからなのかもしれないと。

俺の思考が羽沢に読み取られることがないまま、移動を続けた。氷川みたいな読心マスターが何人もいるわけがないので当然と言えば当然だが。

 

 

電車を降り、先程よりも建物が少なくなった川べりの町を歩く。駅に降り立った瞬間に分かる人の多さ、ロータリーに出れば提灯(ちょうちん)の明かりが遠目に見えた。地理には疎い上に祭りに来たのは三年前が最後なので、どう回れば良いかなど俺が知る(よし)もない。

 

 

「…さて、どうする」

 

 

現在時刻は午後6時前。花火は七時半から一時間程行われる予定で、天候も良好なコンディションだから中止になることもないだろう。

となると一時間程度祭りを回って、適当な場所で待機するのが良さそうか。

 

 

「まずは屋台回りませんか?お腹空いちゃって…」

 

「ああ」

 

 

これは僥倖。早く腹に何か収めたいと思っていたんだ。

 

 

「しかしまあ…」

 

 

やはり屋台の並ぶ通りに入れば人の波に攫われてしまいそうだ。こういうのは苦手どころの話ではないんだが、それよりも羽沢が心配だ。しかし足踏みしているのも時間が勿体ないのも事実。

 

 

「行くか。はぐれないしろよ」

 

「はい!チョコバナナ食べに行きましょう!」

 

 

それ覚えてんのかよ。俺もあの時笑われたこと忘れてねえからな…

 

 

「すごい人ですね」

 

「そういうもんだろ、祭りなんて」

 

 

前後左右から押し寄せる人に抵抗する気力を失った俺は何度も転びそうになる。例え転んだとしても人が障害物の役割を果たして地に伏すことはないだろうが、後ろからの止まらない人の波によって苦しい体制を強いられるのが目に見えている故、転ばない程度には踏ん張っておく。

 

これは楽しいなんて思えねえな、と軽く悪態をつきつつも五感…主に触覚と嗅覚で様々なものを半無意識的にキャッチしていく。

 

すれ違う人間の整髪料、香水、衣服の匂い。屋台から流れてくる食べ物の匂い。早くも漂ってくる酒の匂い…吐息が酒臭いのは勘弁してもらいたいが、それも含めて風流とでもいうのだろうか…?

 

また鍛えているのかと思うような腕にぶつかり、後ろからではなく何故かすれ違う人間に足を踏まれ、かと思いきや今度は華奢な腕にぶつかり、とまあ触覚に関しては大体接触事故によるところが大きい。

 

当然近くなれば羽沢のものらしき匂いが鼻をくすぐるし、今は離れないようにかもしれないが、彼女は俺の腕を掴んでいる。それに気づけば、嫌悪とも歓喜とも言えない感情が沸き起こる。だから俺はその感情に気付かないふりをして歩き続けた。

 

人に揉まれつつ色んな人間がいるものだと僅かな感慨を味わっていると、少し開けた場所に辿り着く。見たところ円形の広場で、外周に沿って屋台が配置されているようだ。

 

 

「広場か」

 

「そうみたいですね。ここにも屋台がたくさんありますよ」

 

「さっきの通りで買うよりはこっちで買って食べた方が密度的には楽だろうな。食べるのに人が多いとお互い邪魔だ」

 

「じゃあここで色々買いましょうか」

 

「ああ」

 

 

空腹を満たすべく、俺達は屋台回りを始めることにする。この広場にない屋台の方が少ないと言える程には広く、屋台の数も多い。俺は羽沢と離れないように同行しながら探索を始めた。

そう、まだまだ祭りは始まったばかり…いや、始まってすらいないと言うべきか。この後に何が待ち受けているのか、俺はまだ知り得ないでいた。




寝正月でした──
ご読了ありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。
さっさと物語を進めたい…


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Dreaming Embryo

新年早々大変ですががんばります。
小説書くの楽しいですね!下手の横好き!


 

 

 

というわけで、俺達は屋台回りを始めた。何が『というわけで』なのか分からなければ今日俺が何をしに来ているかを思い出してほしい。

 

 

「結羽先輩、チョコバナナありますよ!」

 

「ああ…」

 

「私このピンクのがいいです」

 

「俺はこの水色で」

 

 

まずは俺の本懐でもあるチョコバナナを購入。

チョコレートソースをバナナにかければそれも同じようなもの、というかむしろそっちのが味は良質なのだけど、これ自体が好きなので多少は値段にも妥協している。本音を隠さず言わせてもらえば少々高額だな。

 

なお、これに関しては俺の奢りなんてことはない。何でもかんでも奢ってたら財布の紐の緩いやつだと思われるからな。男は女に奢るべきみたいな風潮も強制されるものじゃねえし滅べばいい。

 

 

「久しぶりに食べたけど美味しいですね」

 

「雰囲気補正含めても概ね同意だ」

 

 

さっき歩いていた道よりは密度の下がった空間だから食事をとるのに苦労はしない。

バナナが一本と考えるととてつもなく儚く思える。この味も長くは続かないのだと…瀬田の真似じゃないぞ。

 

 

「呆気ないもんだ」

 

 

チョコレートと果実の欠片のこびり付いた割り箸の片割れに視線をやりながら呟いた。連番で買った俺達の割り箸は元々一膳だったものなのだろうかと気になるが、そんな確率論的な話はやめよう。難しく考えたら負けだ。

 

 

「…ん。たこ焼き欲しいな」

 

 

これまた鉄板とも言えるたこ焼き屋に躊躇いなく並ぶ。大人気であろう商品のため人が多く押し寄せるとはいえ、そんなに時間もかからず列が捌かれているのはせめてもの救いか。

 

 

「付き合わせて悪い」

 

「大丈夫ですよ」

 

 

別にたこ焼きを買うわけでもない羽沢を列に連れてきたのは申し訳なく思う。まあ別々にいても簡単に合流できるような環境じゃない上、万が一何かあった時に俺の管理が行き届いていないせいになるしこの方が都合がいい。…誘われた身としては一緒にいる意味が薄れてしまう気がしたしな。

 

 

「たこ焼き一つ。マヨネーズなしで」

 

 

マヨネーズはない方がオーソドックスだよな…?

俺の中でのたこ焼きはソースに青海苔、鰹節と紅生姜で完結するのだが、某黒川凛はマヨネーズをふんだんにかけるものだから昔は困惑したものだった。決して不味いのではなく、マヨネーズがない方が普通で馴染み深いのである。

俺は500円硬貨と引き換えに商品の入った袋を受け取り、今度は羽沢についていくことにする。列を外れてからよく見ると、じゃがバターにヨーヨー(水風船)、わたあめにお面等々定番はもちろん、見たこともない新種の屋台もある。『くらげアイス』って何だよ…

 

 

「…お前は何か要らないのか」

 

 

熱々のたこ焼きを吐息で冷まし、口に放り込んでから問う。我ながら行儀が悪い。

 

 

「私は後で焼きそば食べたいです」

 

「なら花火の前にでも買うか」

 

「はい!でも、あの…」

 

 

何かを言い淀む羽沢。口には出さないがトイレか何かか?

 

 

「…何だ」

 

「できればですけど、たこ焼き分けてもらえたらなぁ〜…なんて」

 

 

俺の予想を大きく逸れた答えを、彼女は照れ臭そうに眉を寄せてそう口にした。

…なるほど。乞食(こじき)扱いされたくないから言いづらかったのか。確かにこの後にも食事は控えているわけで、『比較的』少食になりがちな女子には粉物は重いのだろうと思っておく。

 

 

「構わん」

 

 

ほらよ、と使いかけの楊枝をたこ焼きに突き刺して容器ごと渡そうとすれば受け取る様子がない。何が起きたのかと羽沢の方を向けば目を瞑り口を開ける彼女の姿が。

これはつまり…食わせろと?

 

 

「おい…これかなり熱いぞ」

 

 

しかし致命的なまでの問題がそれである。そのまま口内に挿入するなど鬼畜の所業…いや凛にはむしろ突っ込んでやりたいくらいだが…まあそんなことは羽沢にはしない。

しかし俺が冷ますのもどうなのかと。こいつは大して潔癖ではなさそうだから使いかけの楊枝くらいはセーフとして、さすがにそこまでするとたこ焼きにマイナスの付加価値を与えてしまいそうな気がした。そして何よりも…

 

 

「頼むから冷ますくらいはしてくれ。恥をかくのはお前だけじゃないんだ」

 

 

不特定多数に、祭りということもあって普段に比べ違和感はないように思えるが、ある程度の奇異の目を向けられることに変わりはないのである。

誰とは言わないがアホ様が『爆発しろ』とか(のたま)いやがるのも知っている。現に視線がそのメッセージを充分すぎるくらいには伝えてくれているのを感じているよ。

 

 

「そ、それじゃ…ふーふー…あむっ」

 

 

髪を手で避けて食いついた羽沢。まるで小動物が餌を食べるような…齧り付くのではなく、あくまで口に含む動作を指してのことなので悪しからず、だ。

 

 

「おいひぃです!」

 

「喋りづらいなら食い終わってから喋れよ…」

 

「…んっ、すみません、動揺しちゃって…でも美味しいですね」

 

 

こいつこんなキャラじゃなかっただろ。脱法何とかでもやってんのか。まさかとは思うがひまりか?ひまりの変装なのかこれは?髪はカツラ?

 

 

「…いや」

 

 

頭から徐々に視線を下げて羽沢の身体…まあ主に首から腰にかけての部位を見て、確信する。これは羽沢だ。具体的に言うと浴衣ということを考慮しても線が羽沢とひまりじゃ違いすぎるんだよな…

 

 

「???」

 

 

当の本人は何を考えているのか分かりません、といった様子だ。知らない方が賢明だろう、全体的な肉付きは知らんが胸部は大きい方に憧れると聞いたことがあるからな…下手にコンプレックスを抱かせたりするのもアレだ。

一応補足しておくがひまりを悪く言っているんじゃなくてだな…羽沢が相対的に細いというだけでひまりに関してはむしろ良好なスタイルなんじゃねえかな…と思う。見た感じでは。そういうのを詳しく知りたい奴は凛の方が博識そうだからアイツに聞いてくれ。

 

 

「…ほらもう一つ食え」

 

 

心内懺悔をするように追加でたこ焼きを羽沢に突き出す。対価としては安いものだが、矮小(わいしょう)でも詫びの証はあるに越したことはない。

 

 

「いいんですか?」

 

「食いたそうな目で見てたからな」

 

「そんなことはないですから!…でも、いただきます」

 

 

そして彼女も若干遠慮しながらも二つ目のそれを食したのだった。

 

 

 

 

 

「…ねえ。さっきから声掛けてるんだけど」

 

 

 

 

 

しかしそれで一段落とはいかないのが世の常と言うべきか。聞き覚えのある声に空気が一瞬凍る。夏なのに。

 

 

「…誰だオマエ?」

 

「…アンタは黙って。つぐみ」

 

「あ、あの…えっと…」

 

「はぁ…ゴメン、邪魔したね」

 

 

振り向いて視認したのは赤が基調の浴衣を着た女性…いや少女か。そいつに誰だ、とは問うたもののすぐに理解をした。見覚えのある赤メッシュ。こいつは…そのトレードマークの通り赤メッシュ。通称美竹蘭。

 

 

「邪魔かどうかは知らんが…お前、いつからいたんだ」

 

「一つ目のたこ焼きをつぐみにあげるくらい」

 

 

NGカットをフルで見られるというオマケ付き。形容しがたい程に《自主規制》してェなオイ。

 

 

「忘れろ」

 

「無理。何鼻の下伸ばしてんの変態」

 

 

こいつが男なら問答無用で蹴り飛ばしてるところだ。

口の悪さについては人のこと言えないが冤罪もいいところだろ、これは。

 

 

「チッ…で、俺達を見つけてわざわざ挨拶か?」

 

「まさか。つぐみだけにだよ」

 

「…言葉は性格を映す鏡か」

 

 

適当なことを言って流すが、間が悪いったらありゃしねえ。つーか美竹がいるってことは当然…

 

 

「やっほ〜つぐ、それから木崎先輩」

 

「おっすつぐ。先輩もどうもです」

 

「いえ〜い!お祭り楽しんでる〜?」

 

 

そう、当然お前らもいるよな。知ってたわ。

 

 

「やっぱりみんなも…!恥ずかしいよ…」

 

「つぐってば私達と別で行くって言うのに誰と行くのかは秘密にしてたんだよね〜!まあ先輩だろうとは思ってたけど!」

 

「そ、それは言わないで!先輩ここにいるから!」

 

「たこ焼きよりもお二人の方がアツアツでしたね〜。つぐなんてあ〜んってしてもらってムグッ」

 

「何でもないですからね先輩!モカの奴、すぐ余計なこと言うんで黙らせときます!」

 

 

まあ五人が揃うと相変わらず俺は話題には上がるものの話には入ることもなく、蚊帳の外というわけで…

 

 

「ハァ…」

 

 

何度目かも分からない溜め息に全てを込めて、吐き出した。

 

 

「本当に邪魔したとは思ってるよ。あたし達は反対したんだけど、話しかけようってひまりが聞かなくてさ」

 

「邪魔というよりはタイミングだろ」

 

「蘭の突然の裏切り!?」

 

「いや、実際その通りだったろ?」

 

「でもやっぱり見かけたら気になるよ!二人の知られざるデート事情とか!」

 

 

呆れた様子で宇田川がツッコミを入れる。やはり元凶はお前なのか。

 

 

「…オイ、別にこっちは見世物のつもりでやってるわけじゃねェんだよ。冷やかしに来たなら失せろ」

 

 

平生(へいぜい)から悪い目つきが余計に鋭くなった気がする…いや、気のせいではないと思うが、まあそんな意味合いも込めてひまりに言い放つ。

自分でも感情が少し高ぶっているのがわかる。身体の一部が震える。そんな俺をいち早く可哀想な目で見たのは青葉だった。だがそれ以外の、事情を知る由もないAfterglowは困惑したようだったが、ひまりが事態を重く見たのか謝罪を始めた。

 

 

「ごめんなさい!そんなつもりじゃなかったんですけど、結羽先輩の気持ちのことを考えてなかったです…ごめんなさい」

 

 

こうなってしまうと更に居心地が悪くなる。人間の、いや俺の面倒臭い部分だ。ムカついてるのに対して謝罪されてさらにムカついてくるのが、本当に理解に苦しむ自分の性質なのである。

 

 

「いや…まあでも羽沢としてはお前らに会えてよかったんじゃねえのか。俺としてもそういう揶揄(やゆ)を気に入らないだけだ」

 

 

ゴミの山の中からゴミを手で引っ張り出したような何とも無様な言葉しか出てこない。濁った感情を探ってみても汚れたものしか見つからないのは仕方の無いことだ。

 

 

「…ひまり、お前らも、すまない。少し取り乱した」

 

 

そういうところがガキなんだと自分に剣先を向けるように言い聞かせる。やっとのことで引っ張り出した謝罪も、ひまりよりも精神が未熟なことの証左にしかならなかった。

 

 

「…羽沢も。悪かった」

 

 

『これ』にもちゃんと決着をつけないといけない。いずれ終焉を見るのだと、今まで逃げてきたモノに向き合うのだと決めたからな。それについてはまた話すこともあるだろう。

その後は俺に気を遣いながらも(これに関しては本当に申し訳なく思っている)、五人は談笑を暫く続けていた。俺はたこ焼きを食べ尽くして、抜け殻のように五人の方を眺めていただけだったが。

 

 

「じゃああたし達もう行くから」

 

「押しかけてすみませんでした。また会いましょう!」

 

 

そして彼女達は羽沢を残して去っていく。美竹と宇田川は別れの言葉、青葉は悲しげな笑みと会釈(えしゃく)、ひまりは聞き取れるか怪しい声量での謝罪。最後に聞こえたのは、『先輩、ごめんね』の一言。これは面倒だが後でフォローしておかないといけないらしい。

 

 

「…あいつらも一緒じゃなくていいのか」

 

「はい。今日は結羽先輩と二人で、って決めてますから」

 

 

敵わないな、と思った。俺が台無しにしたと言っても過言ではないこの空気を、元に戻そうと気丈に振る舞う羽沢には慚愧(ざんき)すら覚える。

そしてその意識が、俺を縛る過去を断ち切らせしめる鍵になっていることに今気づいた。偶然の出逢いと短い付き合いが、少しずつ俺を変えていたのかもしれない。それが主体でなくとも俺が成長した結果なのかもしれない。

 

 

「そうか」

 

 

だからこそ、俺は以降に出かけた謝罪の言葉を飲み込み、簡素な返事をする。

幸い羽沢が表情に影を落とすことはなかったが、俺が察してやれていないだけなのかもしれない。たとえそうだとしても、もう少しだけ待っていてほしい。叶うならば、二度と同じようなことで何かを壊してしまうことのないように…そうなりたいという微弱でも確かな意志が心の内に生まれた。




ご読了ありがとうございます。
タイトルのEmbryoは胎児という意味ですが、機能しているかわからない比喩として雑に置きました許してください。
辛辣甘々な感想(どっちやねん)等もお待ちしてます。


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夜空の向こう側

こんばんは。
この話の投稿時、頭痛に悩まされていました。


 

 

 

 

多少の冷やかしくらい大した問題はないと言っておいてこのザマじゃあ流石に凹むな。早くも自身の発言と行動に綻びが露呈してしまった。

まああまり気にしても同伴者に失礼だから切り替えていこうとは思ってはいるが…

 

 

「おや結羽、君も来ていたんだね。それに、かわいいお姫様も一緒かい?さしずめ騎士(ナイト)と言ったところか」

 

「ソウデスネ」

 

 

Afterglowと道を(たが)えてまず出会ったのは瀬田。見たことあるようなないような連中とつるんでいるようだが、そういえばこいつもハロー何とかってグループに属していたっけなと微かな記憶を引っ張り出すことに成功。つーか誰がナイトだよ。

 

 

「薫先輩、こんばんは」

 

「…瀬田、悪いがもう行くわ。嫌な予感がする」

 

「フフ…(おの)が身を(いつく)しむのは時として罪なものだ」

 

 

やっぱり何言ってんのかわかんねえけどあの金髪に絡まれたら一巻の終わりだと思って瀬田の元から早足で逃げる。そして逃げた先でまたもや誰かに声をかけられる。

 

 

「あら、羽沢さんこんばんは」

 

 

そう、瀬田の次にやって来たのは…

 

 

「あ、友希那先輩。こんばんは」

 

「…ふっ」

 

「木崎、何を笑っているの?あなたが笑うなんて世も末ね」

 

 

浴衣を纏った湊だ。本人は『興味無いわ』とか言いそうなあたり、どうせ今井のコーディネート魂の標的になっただけなのだろうが…俺からしたらお前が浴衣で祭りに来てる方が世も末なんだよな…

 

 

「お前の浴衣なんぞ拝む日が来るなんて思わなかったな。今日がドゥームズデイだとしてもおかしくねえよ」

 

 

世界の終わり(ドゥームズデイ)が分からず怪訝な目で俺を見返す湊。俺たちは仲が悪いと思われがちだがそんなことはない。今井の仲裁もあり関係は普通くらい。しかし相性がいいとは全く思わないのもまた事実だったりもする。

その後、湊の周りにぞろぞろと集まったRoseliaと羽沢が話すのを眺めていたら、大人しそうな黒髪の女に声をかけられた。

 

 

「あの…」

 

「…あ?俺か?」

 

「は、はい…」

 

 

俺を前にして完全に萎縮しているはずの彼女は羽沢ではなく俺に話しかけてきた。…何故に俺?

 

 

「わ、私たち、昔会ったことありませんか…?」

 

「ええ…」

 

 

そういう系かよ。運命とか前世とかそういう可笑(おか)しな宗教じみたことを言い出す奴なのか。

 

 

「結羽、それ本当?」

 

「りんりんこの人の事知ってるの!?」

 

「いやマジで覚えがねえんだが…」

 

 

名前も知らない女との意外な接点があるかもしれない可能性に、今井と小さい奴は驚きを混じえた声で問う。一方の俺は次の発言を聞くまでは困惑に囚われたままであった。

 

 

「えっと…勘違いだったらすみません。その、ピアノ、弾いてましたよね…?」

 

「…ああ。そっちの人間か」

 

 

合点がいった。小さい頃からやってりゃ容姿も変わるしそもそも知り合いがそんなにいたわけでもないし。覚えてないのも無理はない。その名前を聞くまでは。

 

 

「私はRoseliaのキーボード担当の、白金燐子、といいます…」

 

「…白金って、お前エリート様じゃねえか。名前は知ってる」

 

 

コンクールで金賞を()るレベルの…現Roselia故に恐らくは…元ピアニスト。

 

 

「そんな奴に目つきで覚えててもらえるとは光栄だ」

 

 

皮肉混じりに答えるが、本当に目つきくらいしか名残がないように思う。背も伸びればガタイも変わる、髪だって当時のままなわけがないからな。

 

 

「いえ…その、木崎さんのピアノは好きでした。だから、覚えてます」

 

 

そう言ってくれる人間がいることに、当時の俺は泣いて感謝するのだろう。今となっては何が良かったのだろうと疑問しか湧き出てこないものだけどな。

 

 

「そりゃどうも」

 

「せっかくですし自己紹介だけでも。氷川紗夜と申します。と言っても木崎くんには何度かお会いしていますね。日菜がお世話になっています」

 

「本当にな」

 

 

相変わらずの今井スキルにより俺の紹介は省略してよろしいレベルには済んでいると思いたいが…取り敢えず、まずは氷川姉からイントロダクションが入る。

 

 

「我が名は宇田川あこ。闇に顕現せしRoseliaのドラマー…我がスティック捌きで世界を…えーっと…ババーン!としてみせよう」

 

「この子は宇田川あこちゃん。巴ちゃんの妹だよ」

 

「宇田川の…これがねえ」

 

 

宇田川妹を見かけたことは何度もあるが、初めて話してみた第一印象はヤベェ奴。羽沢が横からフォローを入れてくれたが、俺にはサシでこいつと会話続ける自信ねえよ。

 

 

「…木崎結羽。羽丘2年」

 

 

今井、後で最低限の補足を頼んだぞ。報酬は凛に請求しておけ。

 

 

「あ〜、結羽はいつもこんな感じだから気にしないでね。さ、私達も行こっか〜。つぐみ、結羽、またね」

 

 

Roseliaも挨拶と軽口程度に俺達から離れていく。やっと、やっと解放された。人に絡まれるのって存外疲れるもんだな…

 

 

「怒涛の知人ラッシュだな」

 

「賑やかなのもお祭りの醍醐味ですし」

 

 

羽沢の意見にも一理ある。

一息ついて広場の時計を見ると午後六時四十五分前を指していた。

 

 

「思ってたより時間経つの早いな」

 

「本当ですね」

 

「…そろそろ最後の買い物して定位置につくか。いい場所があればだが」

 

「どうしましょうか…」

 

 

この祭り、というかここの地理には明るくないがために、俺の案はほぼゼロだった。唯一目に入った小川に架かる橋が良いかとも思うが、立ちっぱなしは俺も羽沢もしんどそうなのでパスしておいた。

 

 

「…そういやレジャーシート持ってきてたな。平らなところなら座れるが」

 

「すみません、私何も用意してなくて…」

 

「二つも要らんだろうし構わん」

 

 

スマホを取り出そうとするが、ネットで調べたところで知名度が高いに穴場的なところ(最早穴場ではない)には既に人が押しかけているだろう。

 

 

「…お」

 

 

俺が見ていた橋の脇、川原に降りる部分に、花火の見える方向へと下る階段を見つける。

幅も充分広く、既にスペースを確保した人も通行の妨げにはなっていなさそうだ。そしてまだ俺たちが入る余地はあるように見える。

 

 

「あそこでどうだ。方角的には見やすそうだが」

 

「確かによさそうですね。早速あっちに向かいましょう」

 

 

橋から俺へと視線を移す羽沢の頭部で、スカイブルーの髪飾りが屋台から放たれる光を反射する。俺はまるで宵闇の中でそこだけが青空を映し出したような、そんな錯覚に一瞬陥った。

 

 

「決まりだな。行こう」

 

 

俺は少しだけ目を細めて彼女に着いていく。どこかくすんでいる視界に一つだけ煌めいた、その髪飾りを追って歩き出した。そして俺は、今日初めて彼女の後ろを歩いたように思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人で焼きそばを食べ終え、(主に羽沢が)話しながらシートを敷いた段差に座る。浴衣が汚れるかと心配したが、今のところは杞憂な様子。

 

 

「…災難だな。お互い自己管理はしっかりすべきか」

 

 

今は羽沢の昔話…ではなく、色々頑張りすぎてぶっ倒れたという話の詳細を聞いたところだ。

 

 

「でも今は皆で一緒にいられるから、それでよかったんです」

 

「そりゃよかったな」

 

 

まだ数ヶ月前の出来事なのに懐かしむように言う。大切な思い出の一欠片、と言うわけか。

 

 

「私ばかり話してすみません。私は結羽先輩のことも聞きたいです」

 

「…いや、差し当たり話すことねえんだが」

 

 

そう言ったものの、再度思案してから、ゆっくり言葉を紡ぐ。

 

 

「…休み前は二日に一回は凛を蹴り飛ばしたりしてる気がするな。代表的なものだとゴミ箱に叩き込んだり…廊下で脛を蹴りつけたり…自分で言っといてだが、ろくでもねえ話だなおい」

 

「あはは…仲良いんですね」

 

「どう考えても険悪だろ」

 

「思い出として出てくるってことは、結羽先輩も凛先輩のこと友達だと思ってるんですよきっと」

 

「昔からの腐れ縁って奴だ」

 

 

幼馴染というと親密な感じがするから敢えて違う言い方をする。そういうのはAfterglowみたいなのに使う言葉だろう。

 

 

「何か聞きたいことでもあるか」

 

「えっと…結羽先輩は、今日楽しんでますか?」

 

「…まあ悪くねえよ」

 

 

少し間を空けてそう答えれば彼女は微笑む。昔話を求められるかと思いきやそういう質問だったか。

 

 

「私も、楽しいですよ。結羽先輩と一緒にいられて」

 

 

その言葉が、目の前の景色の輪郭を歪ませる。

 

 

「今日という一日も、私の大切な思い出です」

 

 

俺が目を細めたからだ。狭まった視界とぼやけた輪郭が、その世界を認識する意思を奪う。形容しがたい気持ちが生まれる。

決して悪くない相手から、純粋な好意を受け取ってしまったから。苦境が待っているとしても、もう後には戻れない。

 

 

「…俺も忘れねえだろ」

 

 

記憶力がどうとか、そういうことじゃない。

 

 

「大切な人間との思い出だからな」

 

 

こいつに対する好意はもう拭い去れない。

蛙化現象(かえるかげんしょう)でもない限り…無垢な感情を捧げられてしまったら、自分を認めてくれてしまったなら…その人間を認める他ないのだと思う。

 

そんな時でも笑わない俺を驚いた顔で見て、羽沢は取り乱している。お前が言い出したことなのにその慌てようは何なんだ…

 

 

「ああ…悪かったな。忘れてくれて結構だ」

 

 

よく考えればバンド内であまりネタにされても困る。そういう奴ではないと思うがボロが出そうで怖い。それなら忘れてくれた方がいいだろう。

 

 

「…後半、始まるぞ」

 

 

思考回路のショートした羽沢を修理して、花火の後半を拝むことにする。

やはり柳が一番花火としての威厳があるな…色とりどり、形も様々な花火を見終わって、最後の柳が消えていくのを名残惜しく見届け、俺たちの祭りは終わりを告げる。

周りの人間が帰り出す中、虚空に煙と化した花火が漂うのを俺たちは暫く見続けていた。

 

 

「…帰るか」

 

「はい」

 

 

声をかければ感傷に浸ったような表情でそう返事をする羽沢。祭りの後は少しノスタルジーを感じたり、センチメンタルになったりするものなのだろう。

最大の熱が過ぎ去ったこの場所にはその面影がうっすらと残るのみになってしまった。また一年の時を越えなければ、あの輝かしい景色を取り戻すことは叶わないのだろう。俺達はそんな川原をゆっくりと歩く。隣からは地面を踏みしめる音が、やや小さく聞こえてくる。そしてその音に重なるように、彼女は呟く。

 

 

「来年も、また一緒に来たいです」

 

「…気が向いたらな」

 

 

羽沢の願望にいつもの空返事を返す。来年は受験やら何やらで忙しいため、実際本当に気が向かなければ行くことにはならないだろう。

そして妙な空気が俺たちの間に漂う。一言発しては沈黙、という繰り返しが最寄り駅の改札を抜けるまで続いた。羽沢の言葉に対する俺の回答がクソすぎたまである。

 

 

「今日はありがとうございました」

 

「ああ…家まで送ってく」

 

「…すみません」

 

「気にしたら負けだ。それに魂が抜けたような歩き方して何かあったら困るだろ」

 

 

今のこいつからは俺がいなければ前もろくに見ずに歩きそうな臭いさえする。足取りが覚束無いのではなく、目の前に迫る危険があったとしてもそれを認識することができないという意味で危ぶまれる。

幸い何があるわけでもなく、俺は羽沢を家まで送り届けきることに成功する。帰る道すがら、ふと空を見上げる。そこには先程までの煙は見えない。風向き的にここまでは流れてこないということだろうか。

 

 

「…星か」

 

 

花火を見ている時にはわからなかったし今の今まで意識しなかったのだが、今日は星が結構見えるようだ。星たちがいつも見えるよりも多めに、そして綺麗に映る空が、少しだけ憎くなる。

 

 

「向き合う、ね…」

 

 

前と同じような関係性の動きを認識している俺は、もう退くことはできない。凛がいたこと、今井や氷川がいたこと、羽沢と出会ったこと、その他にもいくつものピースが、俺を過去へと志向させる。囚われ続けたその結末がどんなに残酷であろうとも、受け止めないといけないらしい。

 

 

「…そういうことか」

 

 

昔のことを思い出すと、ふとあの日々に見た空が俺の見ている夜空に重なる。

どこか懐かしいように見ていたのはそういう理由があったのか、と妙に納得してしまった。やはり煙はかかっていない。今となってはそれだけが、唯一違う景色に思えた。




本当に拙い作品ですが読んでくださりありがとうございます。


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記憶の海:始まりの音色

こんにちは。
新しいゲームを始めたいシロです。
この章から暫く過去回想になります。


 

 

 

 

 

 

 

9月12日、月曜日。

 

「合唱コン…ね」

 

 

クラス委員が前に出て取り仕切るのは合唱コンクール…クラス一丸となって歌を披露するという行事についての話である。

二学期が始まり暫く経ってから我らが2年3組は楽曲投票と伴奏、指揮者決定を行うことになったわけだ。学年共通で設けられたこの学級総合科目にその機会を投入したのはいいが…

 

 

「結羽、今年こそは伴奏やるよな?俺が指揮者やってやるから!」

 

「何の解決策にもなってねえよ。俺はやらないからな」

 

 

この(アホ)が隣の席から俺を伴奏に推そうとして止まないのがクソほどウザい。

俺こと木崎結羽は才能があるとは言えないまでも、ピアノの経験があるために中学の合唱コンクールの伴奏程度はこなせると思う。やりたいかどうかは別として。

 

 

「だってめんどくさいだろ。歌う側なら多少サボってもバレないしな」

 

 

学校でまで歌う側に左右されて同じパートを何度も弾くことになるのは勘弁だ。小学生の頃は何となく推薦されては伴奏を務めていたが、今となっては代わりはいくらでもいる上に男子が学校で伴奏をするのは恥ずかしいとさえ思う。ただ一般に行われるコンクールであれば問題は無い。

しかし俺の意思は悲しくも、簡単には突き通せない理由があるのも確かだ。

 

 

「去年の伴奏者がこのクラスには一人もいないので、ピアノの経験がある人はぜひ立候補してほしいんですけど」

 

 

クラス委員のありがたきお言葉により、凛の放つ熱量が上昇していく。指揮者とか絶対向いてねえと思うし、俺も伴奏なんてやりたくないんだから仕方ねえだろ。

そしてクラス委員殿のお言葉により、同じ小学校を卒業した奴らが何人かこちらに目配せをし始める。ああ、絶対に嫌だね。

 

 

「結羽、お前これはモテるチャンスだぞ!不機嫌顔のお前でもついに春が…」

 

「殺すぞ。ついでに言うと今は秋だ」

 

 

失礼極まりない発言を訂正もしないアホと無限に言い合いをしていると、クラス委員から注意される。いや、俺何も悪くなくねえか?

 

 

「…はぁ」

 

 

結局のところ、こういう時にも俺に幸運は訪れないらしく。本当にツイていないな、と感じざるを得ない。溜め息は自然と出てくるに至る。

 

さて、小学校の同期と睨み合い…もといアイコンタクトにより俺の確固たる意思が伝わったと思うので、睡眠をキメたいと思う。いや、もう本当に何も進展しないまま座ってるのって辛いから。

 

 

「あ、あの。私、伴奏やります」

 

 

そう言って挙手したのは雲村。中学で別の小学校から合流して来た女子で、去年は別のクラスだったな。聞いた話によると部活は美術部らしい。

 

 

「本当ですか。他に候補者がいないなら雲村さんで決定しますがいいですか?」

 

 

頷くクラスメイトの中、肯定の沈黙を貫いた俺もさすがに雲村の方を見る。これは無理させないで俺がやった方がいいのかと思い始めた。が、立候補するということは経験者ではあるのだろう。練習すればそれなりにこなせそうだし、何も言わないでおくとしよう。

 

 

「で?お前は指揮者やるんだろ。モテるぞ」

 

「俺指揮者やります!!」

 

「単純バカか」

 

 

クラス委員が話を進める前に挙手をする凛。なんでこうも考え無しに動けるのか疑問だ。

 

 

「じゃあ指揮者は黒川くんでいきます。あとは曲の投票結果ですが…」

 

 

楽曲は『証し』。卒業シーズンでも何でもないのにこの選曲、さすがの知名度といったところか。『明日への扉』とかそういうのでもよかったのに。

 

 

「…凛。頼むから俺たちに恥をかかせるなよ。指揮台に登ろうとしてコケるとかナシだからな」

 

「いや今思いっきりフラグ建てたよな!?」

 

 

本番まで、およそ二ヶ月。11月10日、木曜日が来るべきその日である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月26日、月曜日。部活に所属していない俺は、居眠りの罰として教師の雑用をさせられた上に追加課題を出されていた。眠気には逆らえないんだから仕方ないだろうに。生理的欲求なんだぞ。

 

 

「はぁ…やっと終わりか」

 

 

四階にある数学準備室に課題を提出しに行く途中で、吹奏楽部の音の合間に微かにピアノの音が聞こえてくる。この曲は…

 

 

「『証し』…?」

 

 

間違いなく、俺たちの合唱曲だった。スムーズとはお世辞にも言えないぎこちない音色ではあるが、正しく弾こうという意思は汲み取れる。

なぜみなが部活に没頭するこの時間に曲が聞こえてくるのか少しだけ気になったが、まあ恐らくはウチのクラスの誰かだろう。そしてこれまた恐らく、そいつは伴奏を任されている雲村なのだろう。

 

俺は課題を出すのを後回しにし、音楽準備室へ向かう。音楽室は文化部カースト最上位の吹奏楽部が占拠しているから、そこにはいないだろうと踏んだ故の行動である。

 

 

「…精が出るな」

 

 

そして読み通り、そこにはピアノに相対する雲村真奈がいた。いつもの真顔の俺に対し雲村は驚いた顔をしている。

 

 

「木崎くん?どうして…」

 

「たまたま聞こえてきたからな。これの提出に行く時に」

 

 

俺はプリントをちらつかせながら言う。雲村はなるほど、と憐れみを僅かに込めてそう言っていたと思う。

 

 

「お前、そういえば伴奏だったな」

 

「そうなんだよ。だから練習中」

 

「へえ。偉いな」

 

 

まだ先だと言うのにがんばるもんだな。

アレか、クラスでの合わせ練習がある時に弾けないと不味いからか。テノール(男声)に自動的に分類された俺は全く練習などしていないが。

 

 

「…弾くの、久しぶりなのか」

 

 

何となく、音を聴いてそう思った。もう暫くは弾いておらず、感覚を忘れているのだろうと。

 

 

「…うん。もうね、本当に何年も弾いてなかったの」

 

 

昔ちょっとだけ習ってたんだ、と俯きながら言う雲村。

そりゃ悪い事をしたな、と申し訳ない気持ちになる。

 

 

「ちょっと貸してみろ」

 

 

だから、俺はピアノの前に座る。雲村と入れ替わった後、楽譜を流し見する。別段おかしなところはないようだし、このままいけるだろうか。これを弾いたことはあるが、暗譜まではできている自信がないから見ながら弾くに越したことはない。

 

 

「…もしかして」

 

「…もしかしなくても、だ。手本を見せてやる」

 

 

さして上手くもない身で上から目線で披露するのは気が引けるものの、実際俺の方が今は上手いのだから手本と言っても間違いはないはずだ。

ペダルに足を置き、感覚を掴む。実の所俺はこのフットペダルを適切に踏むのが苦手なのである。多少のミスは許して欲しいし、ぶっちゃけダンパーペダルさえ使わずに弾くまである。

 

一つ深呼吸をし、鍵盤をやや優しめに押す。簡素な音の組み合わせが一つのメロディを紡ぎ、やがて室内を支配する。吹奏楽の音もグラウンドの掛け声も、今は聴こえない。まるでこれ以外の音がこの世界から消えてしまったような錯覚に陥る。それがまた俺の指の動きを滑らかにする。気配でしか感じないが、雲村もそれをただ見ているだけのようだ。

 

指は半自動的に楽譜をなぞるように動いていくが、それでも下手なところは下手だなと感じる。そう思ってもそれで止まらずに、最後まで弾ききらなくてはいけないのがキツいが、一つの作品を届けるのに未完成なままではいけないだろう。欠陥があっても形としては最後まで仕上げなくてはならない。

 

一応楽譜通りに弾き終え、自分なりには結構下手くそだったなと感じる。絶対もっと上手くやれるもんだと思ってたが故にショックではある。

 

 

「…とまあこんな感じだ。参考になるかは別だがな」

 

 

演奏から解放された俺は雲村に言う。見様見真似が簡単にできれば苦労するような奴ではないのだろうが…放課後、精力的に練習する奴へのささやかなエールと…損な役回りを押し付けた詫びとでも言うか。

 

 

「すごいね…今からでも伴奏交代しない?」

 

「却下」

 

 

こいつには悪いがそれは嫌だ。

 

 

「そうだよね。…ねえ木崎くん」

 

「何だよ」

 

 

思えばただ贖罪のつもりだっただけではなく、同じクラスのよしみということもあったのかもしれない。

 

 

「今日もたまたまここに来ただけなんだ。練習に身が入らないというか」

 

 

それだけだった関係性が、一つの道草と音楽で変わってしまいそうだった。

 

 

「木崎くん想像以上に上手くて、私感動したよ」

 

 

それに俺は気付けていたのか、今となっては定かではない。ただ褒められたことが嬉しかっただけなのかもしれないし。

 

 

「だから…よかったら練習、付き合ってくれないかな?」

 

 

経緯はともかく、俺が選んだ選択肢は…

 

 

「…わかったよ、手伝ってやる。アドバイスなんてできないけどな」

 

 

三年後に俺が選ぶ結末と同じ道筋を示すに他ならなかったのだった。




ご読了ありがとうございます。
最新話にしおりが挟まってたり、お気に入りが増えたり、UAが増えたり、そういうのがとても嬉しいなと感じられる今日のこの頃です。
また次回お会いしましょう。


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記憶の海:近づく距離

こんにちは、こんばんは。
さっさと回想編を終わらせたいです、グダりやすい自分を許してください…


 

 

9月30日、金曜日。

月曜日に連絡先を交換してから二日間は、時間は短いとはいえ音楽準備室を借りて練習をした。俺が音楽担当に許可をもらいに行った時、近くで話を聞いていた担任は異様に驚いていたのを俺は忘れないだろう。

 

 

『木崎、人の手伝いをすすんでやるのか!?お前が!?』

 

 

みたいなことを言われたはずだ。人が人なら迷わず貴様の首を飛ばしていたところだぞ。

昨日…木曜日は雲村が美術部の活動のため練習は不可能。まあたかだか二日でどうにかなるわけでもないし、練習へのモチベーションが生まれただけでなく、オマケとして話し相手としての興味を抱かれてしまっては効率は低下してしまう。軽く質問攻めに遭いながらも相手をしてやったのは偉いなと思った。

 

 

「…今日も特訓だな」

 

「うん」

 

「やる気スイッチとして時間を割いてやってるんだからさっさと上達してくれ」

 

「そこまで言う…?」

 

 

お前が月曜日以降サボり気味だからだよ。おしゃべりに花を咲かせている暇があるなら特訓に身を投じた方が有意義なはずだが。

 

 

「今日はちゃんとやる。時間も少ないから」

 

 

そう言うと本当に真剣な表情に変わり、鍵盤に触れる。切り替えができるってのはいいことのはずなんだけどな…

 

 

「…おい。これは俺の感覚だからお前にも当てはまるか分からんが」

 

 

口を挟んだ俺を一瞥する雲村に、一呼吸置いて告げる。

 

 

「真剣にやるのはいいが、もう少し気楽にいけ。変に緊張感持つと動きが固くなってミスに繋がる」

 

 

今となっては俺も守れていないアドバイス。俺からの助言と言うよりは、昔俺が言われた言葉…つまりは他人の受け売りだったりする。

 

 

「それが必ずしも正しいやり方とは言わないが、個人的にはそう思ってる」

 

 

正しく弾くことだけを考えた演奏は、上手だなという感想で全てが完結する。そうではなくて、上手ではあってもそこから奏者の意図や感情が伝わってくるのが大切だと思っている。たくさんの技巧を凝らすよりも、その人がその音にどんな思いを込めているのかを伝えることの方が、その人の音楽の根本を支えている気がするのだ。

 

 

「あははは!」

 

 

そこまで言い切ってから、どこかこそばゆく思った俺を見て雲村は笑う。

 

 

「急に何だよ。失礼だな」

 

「木崎くんもロマンチストだなって思って。もっとストイックなのを想像してたから」

 

「そう思われるくらい険しい顔つきしてるのは分かってんだよ」

 

「確かに目つきは悪いと思われてるかもだけど」

 

 

とことん人の心を突き刺してくるな。お前の言葉は槍か何かか。

 

 

「何だかんだここ数日付き合ってくれてるし、そういうこと言ってくれるんだなって思って」

 

 

槍かと思いきやそんなに尖っていない言葉が飛んでくる。危なげもなくそれを受け止めれば、予想だにしないことを彼女は言う。

 

 

「木崎くんのこと、勘違いしてたみたい。私、木崎くんと友達になれそうだよ。まだ付き合いは浅いけど」

 

 

友達。友人。俺にはそう呼べる人間がどれほどいるだろう。脳裏にちらつくのは凛の顔。まあ一応あいつとは友人ではあるのだろう、悔しいが昔から一緒だし今もあいつ以上に親しい人間はいない。

 

 

「そうだな。友達の少ない俺としては悪くない」

 

「…ねえ、自分で言ってて悲しくないの?」

 

 

今となってはある程度慣れてしまったよ。

 

 

「はいはい。時間ないんだからさっさと練習しろ。ミスったところは後で指摘するから何回かやってみろ」

 

 

 

 

 

 

こんな調子で今日もユルユルと特訓。課題が段々と明確になってきたところで下校時刻の放送が入り、お開きとなる。

 

 

「んーっ、疲れた〜。帰ろっか」

 

「ああ」

 

 

伸びをして鞄を肩にかける雲村。世話になったピアノに別れを告げ、音楽準備室を施錠する。この作業にも慣れてしまいそうで何となく嫌だな…

 

 

「鍵返してくるわ。それじゃ」

 

 

持っていると手に金属の臭いが付きそうな鍵を手に、俺は職員室へと向かう。

 

 

「私も行くよ」

 

 

何故なのか。

 

 

「いやいいよ」

 

「まあまあ気にしないで」

 

「何でついてくるんだよ。一人でいい」

 

「いや〜、私が木崎くんと一緒に帰りたいからさ」

 

「ええ…待て、方向同じだったか?」

 

「たぶんね。ほら、行こう」

 

 

その答えは至極単純でありながらも、俺にとっては難解だった。帰り道が同じかも分からんやつと帰ろうってのはどうなんだ…と思って鍵を返し校門まで行けば、途中まで道が同じだと判明。何でだよ。

 

 

「ほんと偶然だね」

 

「そうだな」

 

 

特に話すことがない。コミュニケーション能力最低値を誇る俺には発話が難しいのだ。

 

 

「はあ〜休みだね。木崎くんは土日何するの?」

 

「ゲーム」

 

「ゲームするんだ。意外」

 

「お前は俺を何だと思ってるんだ」

 

 

無欲無関心の枯れた人間だと思われてるのだろうか?趣味も何も無い人間だとでも?

 

 

「で、雲村は予定でもあるのか」

 

「特にはないかな。でも練習は休みでもやるよ。下手っぴだし」

 

「へえ。家にピアノあるのか」

 

「うん」

 

 

それなら困ることもないか。いや、ウチにピアノがあるからと言って、雲村の家になかった時に呼んでやるなんてことは全く考えていなかったが。

 

 

「まあ頑張れよ」

 

「ありがとう」

 

 

その後も会話らしい会話をするのに苦心しながらやっとのことで分岐点に到達する。

 

 

「じゃあまた」

 

「うん、またね」

 

 

素朴な挨拶を交わして、俺達は別れる。ただこれだけのことだけれど、最初の内はほんの少しむず痒く感じられた。それが当たり前になるのに時間はそうかからないということに、俺はまだ気づけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月8日、土曜日。

普段ならば暇を持て余しているはずの俺も今日はそうはいかない。来週にはテストが控えているからである。

勉強はややできる程度、声を大にできるほど優秀ではないが、平凡にオマケがついたレベルだと思ってくれれば相違ないだろう。

 

 

そんな俺は当然生真面目にも午前から机に向かっている。現在時刻は十時。土休日の俺にしては満点を上げたくなる生活だ。

だが俺のその好ましい非日常をぶち壊す非日常は、前触れもなくやってくるものだ。

 

 

「誰だよこんな昼間から…」

 

 

机に置いてあるスマホが振動する。それは俺を集中から引き剥がすことに成功すると、ボタンひとつでその動きを止める。

そこに表示されていたのは、雲村…の、名前とアイコン。俺は小さく溜め息をついた。

 

 

「このアカウントは現在使われておりません」

 

『あ、おはよう木崎くん』

 

 

使われてねえって言ってんだろうが。

 

 

「ご丁寧にどうも。こっちはテスト勉強で忙しいんだが」

 

『あ、本当?ちょうどいいね』

 

「何を言ってるんだ」

 

 

ちょうどいい?何が?俺の勉強の邪魔をする正当な理由がこいつにあったか?一体何をする気なんだ…

 

 

『ねえ…今から、ウチ来ない?』

 

 

それは解体するのに相当な時間を要する、複雑な配管をした超ド級の時限爆弾だった。

 

 

Stop(待て). Wait(落ち着け).」

 

 

取り敢えず整理しようか。

 

今日は土曜日。テスト前の休日だ。

俺はテスト勉強中。

それに対してちょうどいい、家に来いとのお達し。

 

 

「いや待てよ。色々すっ飛ばし過ぎだろうが」

 

『え?何で?』

 

 

危機管理能力がないのか、俺に躊躇いの意志が無いものと誤解をしているのか、その辺りは定かではないが俺の倫理観とこいつの感覚は違うのだなと再認識する。

 

 

「女子の家においそれと上がれるもんじゃねえよ」

 

『私は気にしないよ。むしろ来てほしい』

 

「大した用事もないしな…つーか一応言っておくがガキとはいえ俺だって年頃の男だからな。その辺分かってんのか」

 

『え?もしかして木崎くんそういう人?』

 

「そうじゃないけどな…」

 

 

何でこういう時に限ってガードが緩すぎるんだよお前は。

 

 

『それに、理由はあるよ。勉強ちょっとやばいから手伝ってほしくて…木崎くん成績そこそこ取れてるみたいだから、助っ人として来てほしい』

 

「俺はお前の使い走りでも何でもないんだけどな…」

 

 

俺の事を本当に何だと思っているのやら。使える駒は最大限活用しようってことか?

 

 

「まあ…いいけど。いつもの分かれ道で一時に待ち合わせで」

 

 

どうせ勉強するのなら、一人も二人も大して変わらないだろうと無理やり納得して、時間と場所を指定する。こいつと関わってる中でどこか(ほだ)されてしまっていたのか。出て来ない答えに対して、俺はまた小さく溜め息をついて、昼食を済ませてから時間に間に合う程度に支度を始めた。

 

 

で、特筆することなく雲村と合流し、彼女の家に到着した。まあ普通の一軒家だった。親は仕事だったり出かけていたりするとのことで、何か妖しいものを感じながらも俺は雲村についていった。

三年後にも戸惑うことになる『どこでやる問題』に直面するが、リビングを想定していた俺を裏切るように雲村は自室と思しき部屋へと向かっていく。有り得ねえ。

 

「本当に抵抗ないのかよ」

 

と問えば、

 

「ないかな。木崎くんだし」

 

等と理由にならない理由をつけて俺を部屋へと(いざな)う。それを拒む術はどうしたことか消失し、俺は雲村の後を歩いていく。

比較的シックな落ち着いた部屋に入り、俺達は小さなテーブルを挟んで腰を下ろす。

 

 

「お前そんなに成績悪かったのか」

 

「中の中くらいかな。木崎くんは上の下くらいでしょ?」

 

「わからないけどたぶん雲村よりは上だな」

 

 

淡白な会話を交わしてやることに取りかかる。助っ人を頼まれた割には教えないといけない、なんてことがほとんどなくて助かった。生憎そういうのは苦手だと思っているから。

飲み物を飲んだり、ちょっとしたお菓子をつまんだりしながらひたすらにやることを進める。こいつ勉強やばいとか言ってたけど本当か?余裕あるんじゃないのか?少し疑心暗鬼になりつつも二人で適当な会話を挟み、五時の鐘が鳴る頃にはそこそこの疲労感が押し寄せる。

 

 

「…もうこんな時間か」

 

「ちょうどお菓子もなくなったね」

 

 

首を回しながらそろそろ帰るか、なんて考える。そりゃこんなところにいつまでもいたら俺の常識がぶち壊されてしまいそうだ。

 

 

「ねえ、ちょっとピアノ弾いて行かない?」

 

「他人の家のを?勝手に触っていいのか?」

 

「壊さなきゃ大丈夫だよ」

 

 

帰ろうとする俺を引き止めるように…いや、そう感じるのは自惚れだったのかもしれないが…雲村は、結果として俺を家に留まらせた。そしてピアノの部屋に入ると、雲村はさらなる要求を俺に寄越した。

 

 

「一曲でいいからさ、木崎くんが弾きたいと思う曲を弾いて見てほしいの」

 

 

そう言われると少し難しいが…そうだな。

少考して出した結論の通りに俺は指を鍵盤に置く。今も弾けるのかは怪しいところではあるが…

 

 

「…『always be with you』。知らないと思うがな」

 

 

成人向けの類に曲を提供するアーティストのそれを演奏するのは如何なものかと思われそうだな。俺は純粋にアーティストと曲が好きだからこればかりは仕方ない。だからといってどうしてまたこのチョイスなのか。

 

 

(ああ…)

 

 

ボーカルのいない曲にそのリリックを刻むように指を動かす。

 

 

(こいつへのメッセージ、か)

 

 

それは歌詞を知るものにとってはさながらエールソングのような。

 

 

(always be with you…とは言わないか。君ならできるはずだと…ね)

 

 

似合わないメッセージだ。

白けた笑みとは裏腹に、俺の身体はそれを手を抜くことなく織り続ける。他人に掻き乱された心の手綱は、本当に握れないもので。

 

 

(俺、中二病なのかな)

 

 

俺らしくなくて、それ以上に俺らしさとは何か分からなくなって、場違いな不安さえ感じてしまう。そんな不安を無理やり振り払って、俺は演奏を完遂する。歌詞に合わせるだけでは面白くなくて、アレンジ的に音を足してみたりもしたけど失敗だったかもな。

 

 

「…とまあこういう曲だ。後で歌詞を調べてみるといい。俺からのちょっとしたエールだ」

 

「えっ、そうなの?ちょっと待ってね、今調べるから」

 

 

今調べんなよ。後でって言ったろ。

 

 

「へ〜…木崎くんってやっぱりロマンチスト?それとも中二病?」

 

「後者については俺も思っていたところだ」

 

「アレやってよ。爆ぜろリアル!弾けろシナプス!って」

 

「庭に墓穴掘って埋めてやろうか?」

 

 

誰がやるか。爆ぜろ何とかってやつは『中二病だって恋をするよ!』って作品の中で使われる全く意味を解せない決めゼリフ的なものだ。やりたくないだろそんなもん。

暫くスマホに見入ってニコニコしていた雲村だが、スクロールの手を止めた先に見た画面に突然目を見開き、フリーズする。

 

 

「…おいどうした」

 

「…や、えっとね。これ」

 

 

差し出されたスマホを見れば、そこには『明日へ走る姿が大好きなんだ』のフレーズ。つまりあれか。こいつはこの好きをそういう意味に捉えて困ったというわけか。

だから後にしろと言ったんだ。ここ以外のところだって随分ロマンチックな歌詞で目の前で読み込まれるとキツいものがある。

 

 

「まあ努力は悪いことじゃないしな。目標のために頑張る奴は嫌いではない」

 

 

意味の無い努力は嫌いだが、それは『努力』とは言わないから(あなが)ち嘘というわけでもない。

でも少し言い訳臭いな。気まぐれに始まり、頼られていい気になっていたことをひた隠しにするためのメソッド、と言われてもノーとは言えない。

 

 

「帰るわ」

 

「あ…うん。送らなくて平気?」

 

「いや大丈夫。邪魔したな」

 

 

どこか恥ずかしさを覚えて、俺は足早に雲村家を後にする。この時の俺が未来の俺に比べてどれだけ純粋なのか、想像する機会には残念ながら恵まれなかった。

 

 

「はぁ…慣れないな」

 

 

そう呟いて夕方の町を歩く。いつしかこの『悪くない』という感情が開花を果たしてしまうと思うと、少しだけ怖くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、10月23日、日曜日。

一つの大きな分岐であり、きっとそれは避けられなかったもの。それが次なる分岐を呼び起こすことになるのも分からなかったのだから、それは偶然に起因しながらも必然として俺の人生に立ちはだかるのだった。

 

 

 




話中のアーティストはfripSideです。
自分は大好きなので是非聴いてください。


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記憶の海:出会いと別れの五線譜

回想を超特急で終わらせました。
大事なところだけ抜粋したので、記述の足りてないところは想像におまかせします。


 

 

 

 

 

 

10月23日、日曜日。

今日も今日とて俺は雲村の家へ来ている。あの俺が最近は休日に専ら外出をするということで、なんと親にさえお祓いを勧められた。取り憑かれてるわけでもなければただのインドア派であって重度の引きこもりでもない。たぶんな。

 

 

「…なあ最近思ったんだが」

 

「どうしたの?」

 

「もう結構まともに弾けるようになってるよな。練習全然してねえのに俺が来る意味あんのか」

 

「それは、ね?せっかくだから」

 

 

何がせっかくなんだよ。

 

 

「こっちはわざわざ出向いてやってるんだからな。来る意味がなきゃ来なくていいだろ」

 

「私は木崎くんに来てほしいよ?一人だと退屈だし」

 

「つまり暇潰し相手ってことだな」

 

 

現にこうやってゲームしてるわけだからな。家からコントローラ持ってきて二人プレイはいいが本来の目的が見失われているという…いや、悪くないなとは感じるけど。やはり建前を忘れてはいけないから。

忘れてはいけないから…と言いながら画面の中で俺のキャラが雲村の操作するキャラを画面外へ吹き飛ばす。残機はゼロ。俺の勝ちである。

 

 

「あーーーもう勝てないよ!木崎くん強すぎ、手加減してよ」

 

「賭けてるのに手加減するアホが何処にいるんだ」

 

 

皆が想像する賭博ではなく、まあ簡単な賭けで…俺がスマファミ(スマッシュファミリーズ)で負けたら言うことを聞く、というありがちなやつだ。こいつもそこそこやってるだろうに俺が強いからと言って一方的に賭けを押し付けてきやがった。雲村のペナルティや代償は無し。公取委さん、こっちです。

 

 

「いや待てよ?フレコでオンライン対戦すればいいだろ。ゲームするなら俺が外に出る理由はなくないか」

 

「対面しないと木崎くんチート使うでしょ?」

 

「使うかアホ」

 

 

とまあ当初の特訓はどこへやら、俺たちは完全に休日を謳歌する中学生に変貌を遂げたのである。

 

余談だが、つい先日、火曜に雲村家に訪れた時に初めて雲村の両親とご対面した。雲村はさも普通に振舞っていたがさすがに親からは不信の目で最初は見られた。まあ雲村の説得(?)もあったおかげかクラスメイト相応の扱いを受けるに至ったようだ。

 

 

「テストの賭けは俺の勝ち、ゲームの賭けも俺の勝ち…もう諦めろ」

 

「だめ。勝つまでやる」

 

「それいつまで経っても終わらないからな」

 

 

事実上のエンドレスファイトである。

まあ俺もノーダメージで勝てるとか、そんなことはない。あくまでやり合えば俺が勝ってしまうと言うだけだ。

 

 

「じゃあ、ハンデほしい。私も二回倒せるかどうかだったし、三対二で始めようよ」

 

「何でそこまでしてお前の要求を飲まなきゃいけないんだ…」

 

 

執拗にせがむ雲村。挙句の果てに「三対一で」なんて言うものだから、三対二のハンデマッチを受けることに。何されるか知らんが負けたくねえな…

 

 

「…チャンスは三戦だ。一度でも俺から二本取れたら言うことを聞いてやる。負けても駄々は()ねるなよ」

 

 

無限にやって一度でも負けたらアウトなんてそれデスマッチですらないんだよ。俺が死ぬまで終わらないなんてデスマッチよりもアンフェアだ。

 

 

「わかった」

 

「返り討ちにしてやる」

 

 

かくして、俺たちの負けられない戦いが始まった。いやどちらかは負けなきゃいけないんだが…

 

一戦目は上々。雲村の操るポチモンの看板キャラクターを大食い一頭身で完封する。やり込み度の差だろうか、キャラの強弱がそこまで苦にならない。

 

続く二戦目。

 

 

「ちっ…」

 

 

『Father』シリーズの少年を使っていたら赤帽子のヒゲに開始早々ホームランをかっ飛ばされて三対一。早くも勝利が見えてきた雲村ははしゃぐ…かと思えば、めちゃくちゃ集中していた。そりゃさっき3タテされてるんだから気は抜けないか。

 

全世界の全年代から支持されるヒゲを恨めしく思う、これまた人気ゲームの少年。軍配はヒゲに上がりかけているが、ここで負けてやるのも何か嫌だな。プライドというものか。

火炎だの氷晶だのを使って削りに削り、ヒゲを場外へ葬り去ること二回。遂に一対一に持ち込んだ。

 

 

「はぁ…」

 

 

情をかけてもよかったが、真っ当に戦っても負けそうなくらいにはこっちの少年は疲弊している。グロッキーにならないのが不思議なくらいに。

ただの一撃も致命傷になりかねないそんな状況だから、背水の陣というのか。精密な操作を続けるが、決定打を与えられることができないまま…

 

 

「…あ」

 

 

快音と共にヒゲのホームランが炸裂する。程なくして画面には『GAME SET』の文字が。

まあつまるところ俺の負けなわけだ。三戦目に突入することも無いまま負けてしまうとは思わず、正直ショックである。

一方の雲村は放心状態…と思われたがすぐに興奮状態に変化。

 

 

「わ、私勝ったよね?」

 

「そうだな」

 

 

開口一番敗者への嫌味かよ。

 

 

「長かった…」

 

 

しかし彼女が本当に喜んでいるのがわかる。ゲームにかける気持ちは俺も似たようなものなので、そういう勝利は言葉では形容しがたい気持ちで溢れているだろうなと思う。

 

 

「はぁ…で、何がお望みだ」

 

 

どうせこういう時に行われるのは金銭の授受を避けるために飯代を出せとかなると相場が決まっているのだ。相応の覚悟をして勘定をしていた俺に、奴は告げた。

 

 

「おほん…ではでは、結羽くん。私と付き合ってくれませんか」

 

 

日記にしてこいつとの日々は精々一ヶ月から二ヶ月。その短い時間をどれだけ凝縮したらその答えに辿り着くのだろう。

俺が思っていたよりも(したた)かな願いではあれど、敗者である俺でも逆らうことは可能ではあったのだ。

 

 

「そうくるか」

 

 

だが何よりも驚きが勝る。次いで濃厚な期待の香り。俺はあの日の放課後まで、こいつという存在を特別視したことはなかった。ただのクラスメイトで、ただの伴奏でしかなかった。

 

 

「…わかった」

 

 

でもそんな奴にでも前向きな好意を寄せられてしまったら、逃げられない。

そしてそいつを見て、そいつを知った気になって、そいつに好意を寄せ始めてしまったなら、それはきっと恋の始まりなのかもしれない。

自分でも、少しモヤモヤするところはあった。愛されることで初めて人に恋する心を認められるのは、臆病とかそういう一言で片付けてはいけない気がしたけれど、この時は目を瞑ってしまったんだ。

 

 

「じゃあ…何だろう、よろしく?」

 

「…知らん。こういうのは初めての経験なんだ」

 

「意外。私も初めて」

 

「へえ…」

 

 

最初はぎこちない二人で、いつしかそれが当たり前になっていく。

 

 

「結羽くん。もう恋人なんだし、私のことも名前で呼んでよ」

 

「言うことは一つだけしか聞かない約束だったんだけどな」

 

「それとこれとは別だよ」

 

「……マナ」

 

「おお…これは結構ドキッとするんですな…」

 

「勝手にときめいてるんじゃない」

 

 

今まで鍵盤を挟んでは(つい)ぞ触れることがなかった指先は、容易くその歴史を塗り替えてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月26日、木曜日。俺はいつもの数学の紙束をダストシュート…ではなく数学準備室へ提出した後、美術室にやって来ている。目的は部活終わりのマナの迎えだ。一緒帰るのが普通になってからは木曜日だけは都合があわずに別々に帰っていたわけで、久しく木曜を共に過ごす気がするな。

つーか数学科教師さんは何故俺にこんなに厳しいのか…居眠りしてるの俺だけじゃないだろ絶対。

 

 

「…それがなければ今ここにはいないか」

 

 

マナが部活をサボるでもなく、俺が悠久(大嘘)の時の中でマナを待ち続けるわけでもない俺たちの木曜日はそんな理由でもなければ変わることがないはずだった。

 

余談ではあるが、合唱コンクールは成功とも失敗ともつかない平凡な結果に終わったが、あの凛でさえやらかさなかったのは幸いか。絶対に壇上に上がる前にコケると期待したのにな。

 

 

「そろそろ終わるかね」

 

 

部活動終了時刻も冬は下校時の安全を考慮して早めに設定されているため、まもなくマナもそろそろ支度を始める頃だろうか。外は既に暗色へ染まり切るほどだ。

 

 

『雲村って木崎と付き合ってるんだっけ』

 

 

不意にそんな声が部屋の中から聞こえる。氷が張ったように時の流れが遅くなるのを感じた。

 

 

『うん』

 

『男の趣味悪いね』

 

『脅されてるんじゃないの?』

 

 

アハハ、と笑う声が廊下まで聞こえた。その声音は、人を侮蔑する響きを伴ってドアを突き抜けてくる。

 

 

『そんなことないよ。いい人だから』

 

『騙されてるんだって』

 

『違うよ』

 

『違わないでしょ?それとも雲村が木崎の弱みでも握った?』

 

『それも違うよ』

 

 

話に聞く限りはトラブルになった様子もなかったし、俺の目の届く範囲でもマナと周囲の人間に大きなギャップができたわけでもなかった。そりゃ名前で呼び合い始めた時は陰口だの悪い意味での噂だの、そんなものの嵐だった。これもその延長線上のことで、俺が気にしなければいいものだと思っていた。

 

 

『じゃあなんであんな奴と付き合ってるの?』

 

『好きだから』

 

『好きになれるところある?あの無愛想で人間関係下手くそそうな木崎に』

 

『わかる〜』

 

 

悔しいがその通りだとは思う。ここで殴り込みに入ってもいい気分ではあるが、後々のことを考えると大人しくするのが吉だと冷静な俺が踏ん張った。しかし、俺が止められたのは自分だけでしかなかったのだ。

 

 

『──やめてよ!!』

 

 

パチン、と音がした。乾いていると思っていたその音は鈍く重く、まるで水を吸った布で叩いたかのようにも聞こえた。

察するに、マナが部員に手を上げた、ということだろう。それは少し状況が悪い。

 

 

『痛いっ!』

 

『結羽くんの何がわかるの!?何も知らないくせにそんなこと言わないでよ!』

 

 

叫び出すマナに反応した部員たちがざわめき出す。

 

 

『何するの!!』

 

『そういう風にしか結羽くんのことを見れないくせに、いつもそうやってバカにして!私の気持ちを、結羽くんの気持ちを考えたことあるの!?』

 

『雲村さん、落ち着いて!』

 

 

そうか──あいつは、隠していたんだ。あいつらは、隠していたんだ。人間って、どうしてこんな生き物なんだ。

 

 

『何が気に入らないの!?もう放っておいてよ…!!』

 

『うるっさいな…!』

 

 

逃げる、という選択肢もあったのだろう。火の粉のかからない場所で知らない顔をして過ごすことも出来たのかもしれない。

しかし、俺は今更その選択をしなくなるくらいには不完全で、中途半端な人間だった。

 

ガラッ──と、ドアが開く。誰も俺が入ってくるとは思わなかったのか、騒がしかった室内が水を打ったように静かになる。室内に顧問の姿は見当たらない。いたらこんな騒ぎにはならないのだろうが…

 

 

「ぁ…」

 

 

マナが声にならない音を出す。

その眼が何を語っているのかは、俺には分からない。

 

 

「…帰るぞ」

 

「………」

 

 

誰も動けない静寂の中、支度を終えたマナの手をとって俺は校舎を後にする。聞きたいことはたくさんあった。言いたいこともたくさんあった。それでも何も言えないまま、いつもの分かれ道へと差し掛かる。そこで漸く、口が開いた。

 

 

「…説明はないのか」

 

「…ごめん」

 

 

欲しいのは謝罪の言葉ではなかった。

 

 

「いや…気付かなくて悪かった。いつからなんだ」

 

「…名前で呼んでるのが揶揄(からか)われ始めてから、女子の間ではエスカレートしたんだ」

 

 

何となく予想はついたのに、それを聞いてやりきれない思いが募る。

 

 

「どうして言ってくれなかったんだ」

 

「結羽くん優しいから。言ったら私が苦しまないようにって、少し距離置くんじゃないかなって思った」

 

 

心配かけるからとか、迷惑だからとかそういう理由じゃないことはせめてもの救いか。もしそうだったら俺はマナに信用されていなかったことになってしまうからな。

 

 

「そうか…まあそれならいいだろ。気にするな、俺達は俺達だ。あいつらが何と言おうが関係ない」

 

 

ただし、何かあればお互い相談すること、と付け加える。だが泣きそうな顔をするマナを繋ぎ止めるだけの勇気はなくて。俺とマナの関係は変わらないまま、特に何の問題もないまま時は過ぎていったものだと…思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月20日、火曜日。今日から春休みが始まるところだった。

つい昨日卒業式を終え、最上級生になる自覚がどうたらと説教臭いことを言われた気もするが…もう既に忘れかけている。そんなものは押し付けるものじゃなくて自然と成長過程で獲得していくものだろうに。

 

ただ卒業式が終わったからか、気まぐれとも言うか、少しの変化が生まれたのだろう。俺は珍しく昼間から外出をしていた。

一人で出歩くのもたまにはいいのかもしれないと思いながら、この一年に思いを馳せる。無難な半年と、色々なものが混ざりあった半年。どちらも俺が過ごした時間だった。

 

あれからもマナとの関係は続いた。俺達のペースで今日という今日まで何となくやってきたわけだ。ここ最近は少し笑うことが少なくなったマナだが、また変に我慢をしているなんてことはないと思っている。約束みたいなことはしていたから。

 

 

「…そういやこっちはあいつの家があったな」

 

 

寄ってみて暇そうなら連れ出してみるのもいいかもしれない。連絡しても面白くないから、アポ無しで行ってみようか。そんなことを考えながら、やはり足は無駄に軽快に雲村家へと向かっていく。俺はあいつとの日常を気に入っていたらしい。

 

 

「さて…」

 

 

家の前に着くと少し違和感を覚えたが、気にかけても仕方ないと思いインターホンを押すが…反応はない。

何度か試してはみたものの、応答はないまま時間だけが過ぎていく。嫌な汗が背中を伝っている。

 

 

「まさか…な」

 

 

しかし俺は段々違和感の正体に近づいていた。人気(ひとけ)がないのだ。生活音や外から見える位置にある家財、車、その他が片付けられているのか、『何も無い、誰もいない』という言葉を当て嵌めても良いだろう。

そして嫌な予感は確信へと変わる。

 

 

「君、雲村さんの知り合い?」

 

「まあ…雲村さんの娘さんの同級生です」

 

「あら、なのに聞いてないの?雲村さん家、今日の朝には引っ越して行ったよ」

 

「…!!そうなんですか」

 

 

そう、彼女はもうこの街にはいない。

何を聞かされることもなく、突然目の前から消えてしまった。昨日までの記憶が虚構のように思えて仕方がない。

 

どうして言ってくれなかったのか。原因はやはりまだ周りとの確執が続いていたからなのか。また一人で決め込んでいたのか。そして…この怒りとも悲しみともわからない気持ちは、どこに向かえばいいのか。

 

やり場のない感情はとどまることを知らない。今は誰もいないマナの家を暫く見つめた後、俺はそっとスマホを触る。そこに現れたマナの連絡先を、データの海の奥深くへと沈めていく。もう二度と、この気持ちを思い出さないように。日記も封印しよう。もう二度と、この想いが溢れ出さないように。

 

 

「…さよならだ」

 

 

長いようで短かった月日を一緒に過ごした事実だけを刻んで、俺は独りになった。凛にだけは全てを打ち明けようと決めて、俺は旧雲村家を立ち去った。




読了ありがとうございます。
次回で2章が終わると思いますので、生暖かい目で見守ってください。

そしてWhiteさん様、評価ありがとうございます。久しぶりにいただきましたね…笑
皆様も評価感想コメント等々是非よろしくお願いします。


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真実の夜明け

00:00に間に合わなかったーーーー!!!
多分思ってたより呆気ない2章の結末です。


 

 

 

 

 

 

ここは羽沢珈琲店、俺のバイト先であり後輩の羽沢つぐみの家でもある。

今日はバイトとしてではなく、客としてここに来ているのだが、一人というわけではない。と言っても今は一人でテーブル席に陣取っていることに変わりはない。店側からしたら迷惑なことだろう。

 

 

「…おまたせ」

 

 

間もなくしてやって来たのは黒髪のウェーブを歩調に合わせて揺らす少女。ワンピースみたいなよくわからん服を着ているその少女の名前は、雲村真奈。俺が呼び出した人間だ。

 

 

「…まあ座れ。オーダーは」

 

「アイスココアで」

 

 

羽沢を呼びつけて注文を済ませる。羽沢が驚きの表情を見せるが、今はそれに構っていられないからスルーさせてもらおう。

暫くの後、ココアとコーヒーが出揃ったところでマナは話を切り出した。

 

 

「急にブロック解除して、どうしたの」

 

「気が変わった。曖昧なまま終わらせるわけにはいかなくなったんだよ」

 

「そうなんだ。それじゃあ話って」

 

「ああ。まずはあの時の真相を聞きたい」

 

 

俺は単刀直入にそう言った。

 

 

「お前が引っ越していったのは女子の中での面倒事に我慢の限界が来たからなんじゃないのか」

 

 

美術室でのあの出来事からも水面下で陰湿なやり取りがあって、だから三月には元気がなくなって、人知れず消えたと俺は推測していた。

 

 

「…違うよ」

 

 

しかしマナの答えはノー。

 

 

「どういうことだ。少し整理させろ」

 

 

あの時起こったことを順に確認していく。美術室の話からこいつが姿を消すまでの回想を話してみると、マナの方とは幾つかの矛盾点が生じたらしい。

 

 

「ちょっと待って。結羽くん、勘違いしてるよ。と言ってもこれは私も悪いんだけどね…?」

 

 

俺の勘違い…もとい事の真相をマナはゆっくりと話し始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

最初は揶揄っていただけなんだと思う。

気がついたら、クラスの女子のそれがエスカレートしていたんだ。

結羽くんが悪いわけでも、私が悪いわけでもないのに。私達が悪いようになじってくる、それが本当に嫌だった。

 

 

 

ある日、部活の時にそれが爆発した。簡単なきっかけだった。ずっと我慢していて、結羽くんにも隠してきていたものが、限界を越えてしまった。そして、皮肉にも一番知られたくない彼がドアの外にいることを私は知らなかった。

 

 

 

帰り道は黙ってたけど、別れる寸前で結羽くんは私を励ましてくれた。彼が悪いことなんてなかったのに、気づけなかったことを悔やんで謝ってくれた。

本人曰く優しくない、とのことだけどやっぱり彼は優しいんだなと改めて感じた。だから、私はまた何かあったらちゃんと相談しようと、一人で抱え込まないようにしようと決めたんだ。それからは周りの人も気まずくなったのか、あの爆発を境に余計なちょっかいを出したりイジメまがいのことをしたりすることはなくなった。

むしろ知らない顔してた人と仲良くなれたりしたよ。

 

 

 

彼との時間は少なかったけど、思い出はたくさんあった。クリスマスも新年の挨拶もバレンタインも。数少ないデートは大体私が誘ってたなぁ。ホワイトデーの日に市販のお菓子くれた時は驚いた。彼はそういうの無頓着で、忘れてるものだと思ってたから。

 

 

 

バレンタインが終わった頃かな。お母さんから『引っ越しをする』との話があった。突然の事で私は頭が追いつかなかったのを覚えてる。

どうやら卒業式が終わったら引っ越しをして、三年次からは別の学校で過ごすみたい。それはつまり、その先は結羽くんと一緒にいられなくなるってことだった。

遠距離恋愛なんて言うけれど、せめて私達の卒業までは待ってほしかった。あと一年は同じ校舎にいられるんだと思ってた。

 

 

 

でもそれを結羽くんに言い出すのには勇気がいる。結羽くんは受け入れてくれると思うけど、私が耐えられそうにない。我儘を言う子どものように泣きじゃくって、結羽くんにも親にも迷惑をかけるとしか思えない。

だから私は黙ってた。どうしても言えなかった。もう決まってることで、私にはどうしようもないことだからと言い聞かせて、引っ越してしまってから結羽くんに伝えていっぱい泣こうと、決めていた。

 

 

 

その日が近づくにつれて私の心はブルーになっていく。

本当は両親に全部ぶつけたいけど、そんなのは私一人の都合だってこともわかってた。だからできなかった。そんなことを考える日が続いて、気づいたら卒業式になってた。

学校を巣立つ先輩達を見ながら、私も今日でここを去る実感が何となく湧いてきて、誰にも知られずひっそりと涙を流していた。

 

 

 

家に帰ると、もう物が少なくなった家から私達の新居へと向かう準備が整っていた。この家で過ごす最後の一夜はこの街で重ねた思い出を振り返ることに費やしたんだ。

翌日。結局結羽くんに何も言えないまま私はいなくなる。泣かないようにしていたのに、今になって押さえきれない気持ちが(せき)を切って流れ出す。両親も何処か察していたんだと思う。私が暫く泣き続けるのを見守っていてくれた。

 

 

 

移動中、私は泣き疲れて車の中で眠っていた。眠ることで気持ちが整理出来て、後で結羽くんにちゃんと今までの気持ちを伝えられると思ってた。

でも、私がその日の夜に送ったメッセージに既読がつくことはなくて。それはまた隠し事をしたことがわかった私に対する拒絶や決別の一種なんだと思った。きっとすれ違ってしまっただけで、話せばやり直せるのかなと思った。でも、私は結羽くんと話すのが怖かった。これ以上どうにかなるくらいなら、美しい思い出のままでよかった。高校生になってから、思わぬ形で再会を果たすまでは、私は彼のことを記憶の中に閉じ込めておこうと思っていた。

 

 

 

高校生になってから少し離れたところにあるショッピングモールに向かうと、少し懐かしい雰囲気を感じた。それもそのはず、昔住んでいたところに近づいたから。私にとっては思い出の場所で、それはずっと思い出のままでしかない。その時間が動き出すことはないんだと思った。

でも、見つけてしまった。まさかこんなところで遭遇するなんて全く思っていなくて、混乱していた。でも分かったことは、私はこの再会に期待をしてしまったということ。

だから私は彼に声をかけたし、さよならではなく『またね』と告げた。会えるなら、会いたい。誤解なら正したい。何よりも、謝りたい。拒絶の色を見せた彼と、もう一度だけやり直したいと、心の奥底に置いてきた思い出がまた芽吹いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なるほど?

 

 

「つまり…あれか。いじめられてたってのは俺の勘違いで、実際は親の都合と」

 

「そうだよ。でも伝えなかったのはごめんなさい」

 

「チッ…早とちったか。連絡を絶たなきゃ知っていたことだろうが」

 

 

話を聞く限り、家の前でさっさとブロックをしたのが裏目に出たと思われる。あの後眠れなくて夜の街を徘徊した俺は何だったんだ。

 

 

「だから家に電話かけたんだよ。家電も教えて貰ってたから」

 

「だからって夜に呼び出した馬鹿が偉そうにしてんな」

 

 

こんなに簡単に解けていく心が、とても恥ずかしく思える。ずっとただの勘違いで悩んで、苦しんで、拒絶して来たのか、俺は。夢にまで見るくらいに。

 

 

「…まあ何だ。精神的に未熟なのは俺だったなってことだ。悪かったな」

 

「ほんとにね。メンヘラかと思っちゃったよ」

 

「誰のせいだよ」

 

 

中々普通に話せている自分が凄い。昨日までの誤解した俺だったら間違いなく突き放しているであろうに、真実を知ってしまうとこんなにもちょろいもんなのか。

 

 

「はぁ…じゃああれか。三年近く俺が抱えてたものは全くの杞憂どころか間違いで、俺はそんなものに振り回されてたと。とんでもねぇ話だ、それで俺の十代の時間が三割消し飛んだんだぞ」

 

「まあでもほら、それだけ私達が本気だったってことでしょ。若かったね」

 

 

そう言われると認めたくなくなるが、当時こいつに入れ込んでいたのも事実だ。

 

 

「あぁクッソ、甘ったるい会話だな…コーヒーがもう一杯欲しくなるな」

 

 

手の空いた羽沢を呼んで追加の注文をする俺だったが、妙にたどたどしい羽沢が気になった。

 

 

「キリマンジャロアイスを…おい、どうした。何かあったのか」

 

「いいいいえ!何でもないですから!」

 

 

聞けばそれだけ言い残してマスターの所へと戻っていく…が、話の最中に横目で見るとチラチラとこちらを気にしている様子だ。何やってんだあいつは…さっきからずっとこんななのか?

 

 

「…ねえ。結羽くん」

 

「ああ?どうした」

 

「結羽くんって今彼女いるの?」

 

「いるわけねえだろアホか」

 

 

それもそうだよね、と飄々と呟くマナ。いやそれはちょっと失礼だろ。ツッコミを入れる気力が湧く前に羽沢から注文の品が届く。

 

 

「結羽先輩、お待たせしました」

 

「ああ、さんきゅ」

 

「…結羽くんさ。私、まだ結羽くんのこと好きだよ。変わってないの。…だからさ、私達またやり直せないかな?」

 

 

………は???

ちょっと待て。何で今このタイミング???

 

 

「えっ、あっ…すみません、私失礼します!」

 

 

全く悪いことをしていない羽沢は謝罪とともに俺達のテーブルを後にする。これ後で弁解しないといけないやつじゃねえのか…

 

 

「お前、わざとだろ」

 

「…ばれた?でもほんとに思ってるよ。前より少し離れてはいるけど、また隣で一緒に過ごしたい」

 

 

こいつからの愛情が消え失せていないならば、俺には断る理由はなかった…はずだ。ただお互いが噛み合わなくてすれ違ってしまっただけで、愛し合えたはずだった。

 

 

それなのに──

 

 

「…悪い。それはできない」

 

 

考えて答えを出す前に、俺はそれを断っていた。その理由は後からついてくる。

 

 

「…俺は、お前に言い寄られたことが決定打になって、付き合うようになったんだ。お前に対する好意は日を重ねる度強くなっていたのは事実だが」

 

 

なのに、今は愛していると言われても以前ほどには響かない。どうしてか、それも何となく気づいているように思う。

 

 

「でも今は…こうやって勘違いでしたってなっても、たとえお前が俺の事をまだ好きだと言っても…俺にはあの時みたいな感情はついてこないんだ」

 

 

少しは…成長しているのか。祭りの時に、あいつの好意に溺れかけているのかと思ったが、実はそうでもないような気がしてきた。

 

 

「俺は…たぶん、好きな人がいるんだ。そいつが俺をどう思ってるかはわからないがな、たぶん俺はそいつを異性として見ていないこともない」

 

 

マナが驚いた顔をする。そこに悲しみの色はあまり映っていないように思う。

 

 

「お前がいなくなった日の夜、俺は失意の底だったな、凛にも迷惑かけた。あの日の夜空は不安になるくらいの暗闇だったが」

 

 

恥ずかしいことを言っているとは思うが、成長した自分を、前に進めた自分を認めてやってもいいのではないか。

 

 

「最近の夜空は澄んでいてな。星も綺麗なんだ。そう思えるきっかけになった奴が、何となく好きになっているのかもしれん」

 

 

らしくないが、それさえも紛れもない俺の本心だった。

…まだマナにしか言えないようなものだがな。

 

 

「…だから、悪い。お前の気持ちには応えられない。俺は俺の気持ちを追いかけたい」

 

 

言い切った。もし羽沢に出会っていなかったら、俺は断ってなどいなかったと思う。あいつと出会って、同じ時間を過ごして、あいつのちょっとした好意に触れて、今は俺の中で増幅する気持ちさえ生まれた。

マナの時もそうだったが、羽沢についても単なる気まぐれと偶然が重なっただけのことだった。その偶然から生まれた関係に、少しくらい期待してみたい自分もいるらしい。

 

 

「そっか。わかった、がんばってね」

 

「まあその辺は適当にやっていくわ…全身全霊とかアホ臭いし。のんびり適当にやっていければそれで幸せってもんだろ」

 

「そういうところは拍車がかかってるね…あーあ、フラれちゃったか。人生初失恋だよ」

 

「そりゃおめでたいな。お祝いにケーキでも食ったらどうだ?」

 

「結羽くんの奢り?さすが、男前だね」

 

「蹴るぞお前」

 

 

真面目腐った話が終われば結局いつも通り。三年前とは変わった関係性、人間性の中でもしこりのない会話が広がる。

 

 

「…羽沢。新作のケーキ一つ」

 

 

んで、結局俺が奢る羽目になるんだ。ふざけやがって…

 

 

「あっ、は、ははははい!少々お待ちくださいっ」

 

 

そしてさっきからテンパり過ぎている羽沢。本当に何なんだ。俺とマナのことを勘違いしてるんじゃあないだろうな…

 

 

「あ、蘭ちゃん!いらっしゃい」

 

 

そしてまさかの美竹さんのご登場。

 

 

「つぐみ、お疲れ様。アイスコーヒー頼める?」

 

「うん、待っててね」

 

 

そしてこっちにふと顔を向けた美竹と視線が交差して…

 

 

「あんたも来てたん…え、何あんた、そんな女誑(おんなたら)しだったわけ?サイテー」

 

「…誤解を招く言い方すんじゃねェ」

 

 

結局その場で美竹に信用してもらうことは叶わず、暫くの間は女誑し(マナと羽沢の二刀流)というレッテルを貼られることになった。

何食わぬ顔で柑橘ケーキを食していたマナに心底落胆しつつも、俺は心に残っていた黒い何かが浄化されていくのを感じたのだった。

 

 

 

 

 




納得いかないとは思いますが、実は前からこの流れは決まっていて、結末までシリアスにはしたくなかったのです。
だから、すれ違ってしまったまま置き去りだった結羽くんの心の中は荒んでしまったけれど、ちゃんと真実が明らかになれば簡単に解けていくものだということにしました。それだけ当時の結羽くんも想っていたということなのでしょう…

そして2章の最後までご読了ありがとうございます。
次回からはつぐみ視点が増えると思います。
評価感想等お待ちしております。


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第3章 After Rain -雨のち笑顔-
意識 Side.T.H


話毎に視点を帰るつもりですが、つぐ視点めちゃ書きづらくてつらいです。助けてください。ボキャ貧…


 

 

 

 

Side.つぐみ

 

 

結羽先輩が、雲村さんをウチのお店に連れてきた日の夜。私は未だに情報を整理出来ていないままです。

というのも、お店を手伝いながら結羽先輩の話に耳を傾けていたら、とんでもないことが聞こえてきまして…

 

 

『俺は…たぶん、好きな人がいるんだ』

 

 

初耳ですよ先輩!?

も、もしかしたら私かもしれないし…!?でもやっぱりクラスの人とかなのかなぁ。日菜先輩とか…?あ、ありそう。

 

 

「気になる〜…」

 

 

私だって結羽先輩のことは、す、すき、かもだし…先輩は私にとって大切な人だし。もし私のことだったら嬉しいけど、もしそうだったらどうすればいいんだろう…普通にしていられる気がしないよ。

 

 

「はぁ〜…」

 

 

恋愛なんて生まれてこの方したことがないからなぁ。ひまりちゃんとかを頼ってもいいのかもしれないけど少女漫画の受け売りがたくさん飛んできそうで…ね?

となるとリサ先輩とか…かな。結羽先輩とも仲がいいみたいだし、色々相談してみるのもありだと思う。

そこまで考えてから、私が結羽先輩に恋心を抱いている前提になっていることに気づいてまた顔が熱くなる。

 

 

「恋、なのかな…」

 

 

一人呟いて、クッションに顔を(うず)める。誰も見ていないけれど、この紅潮した顔を隠したくなってしまった。だってこんなこと経験したことないんだもん…

もしそうだとしたら、いつからだったんだろう。最初は素っ気ないけどいい先輩だな、くらいだったような気がする。それに、ちょっとかっこいいし…クールというかドライだけど何だかんだ優しくて…うぅ…

 

 

「は、恥ずかしい…」

 

 

これだというきっかけがあったのかはわからないけど、気づいたらこんな感じになっちゃってたなぁ…

と、結羽先輩のことを考えてるとスマホが鳴った。メッセージの送り主は…ひまりちゃん?

 

 

『つぐ、最近先輩とはどうなの〜?』

 

 

タイミング悪すぎない!?

ひまりちゃんも先輩のいる前では控えめにしてくれてるつもりなんだろうけど、私には容赦ないよね…

 

 

『何もないよ?』

 

『お祭りも行ったのに?』

 

『うん』

 

 

ああ、心が痛むよ。本当は『大切』とか言われて頭から煙出しちゃうくらいのことはあったのに…

 

 

『そうなんだ…あ、明日つぐの家行くね!みんなで!』

 

『わかった。何時になりそうかな?』

 

『お昼の二時くらいでどう?』

 

『じゃあ、空けておくね!』

 

 

そう言ってひまりちゃんからおやすみのスタンプが送られてくる。ひまりちゃん、ちょっと抜けてるところあるけどこういうところの女子力とかあって羨ましいな…

 

 

「あ、あれ?私の女の子らしさって…?」

 

 

特別かわいいわけでもなければ、何かそれらしい特技があるわけでもなくて、服も普通だし、スタイルもそんなにいいわけじゃなくて…あ、でもパジャマとか部屋とかはちょっとかわいいところある…よね?

 

 

「男の人の気を引くためには…まずはやっぱり見た目なのかな」

 

 

服は私にできるだけ似合うものを選ぶのが大変だけど、何とかなるかなぁ。アクセサリーとか、髪の毛も伸ばしてみたらそれっぽくできるけど…

 

 

「男性…胸…大きい…好き…」

 

 

スマホで調べてしまうくらいには気になる。ひまりちゃんはどうしてあんなに成長したのかな…秘訣があるなら教えてほしいよ。

でもみんながみんな大きいのが好きとは限らないし、そもそも結羽先輩だってそういうところで女の人を見てるわけじゃないと思うし!

 

 

「よーし、できることからがんばろう!ツグっていくよ!」

 

 

ちょっと気合いを入れただけのつもりだったのに、結構大きい声が出ちゃったみたい。お母さんに軽く怒られちゃった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんなお待たせ」

 

「あ、きたきた!つぐお疲れ〜!」

 

「お疲れ様」

 

 

私が手伝いを終えてみんなのテーブルに行くと、ひまりちゃんを皮切りに(ねぎら)いの言葉をかけてくれる。心がとても癒される。

 

 

「そういえば次のライブのセトリどうする?」

 

「Scarlet Skyは外せないと思うぞ」

 

「あたしそろそろ新曲欲しいと思ってるんだけど、みんなどう?」

 

「間に合うかだな…」

 

「それはまた今度にしよう?それでも今から準備するのがいいかも」

 

「…はっ。メロンパン食べたい」

 

「モカ…我慢して」

 

「ヨヨヨ〜〜蘭がいじめるよつぐ〜」

 

「えっ、わ、私?もう少し我慢しよう、ね?」

 

 

夏休みの最後に控えてるライブの話で盛り上がって、また私たちの思い出は増えていく。とてもいい事だと思う。

 

 

「夏が終わってから新曲入れていこうか」

 

「私は賛成!」

 

「いいと思う」

 

「じゃあまた感想とか聞くと思うからよろしく」

 

「らじゃー」

 

 

新曲かぁ…私も作ってみようかな。時間があれば、だけど…

 

 

「…あのさ、つぐみ。何かあったの?」

 

「え?私?」

 

「何か悩んでるみたいだから気になって。違うならいいけど」

 

 

そんなことを考えてると蘭ちゃんが心配そうに声をかけてくる。無理してるなら、と話しかけてくれてくれたみたいだけど、今日はそうじゃないんだ。

 

 

「あ、あのね。そんな大したことじゃないんだけど」

 

 

そう前置きしてから私は言う。

 

 

「女の子らしくなりたいんだけど、どうすればいいかな?」

 

「………」

 

 

気まずそうに蘭ちゃんが目を逸らす。え、これはどういう反応…?

 

 

「あたしはそういうのわかんないから。ひまりとか巴なら分かるんじゃない?」

 

「あ、アタシか!?そういうのは難しいな…というかアタシよりつぐの方が女の子らしいし」

 

「…あれ〜、モカちゃんが候補にいないよ〜?」

 

「モカは適当なこと言いそう」

 

「今日は蘭の当たりが強いよ〜。泣いちゃうよ〜?」

 

 

今日のモカちゃんは何か可哀想になる。二人の間に何かあったのかな?たまたま?

 

 

「ひまりは?」

 

「う〜んつぐはつぐらしくていいけどな〜。服装とか化粧とか、そういうのかなぁ。後はお菓子作りとか?」

 

 

なるほど…お菓子作りはいいとして、服装とお化粧かぁ。やっぱり他の子に比べて地味なのかな…?お化粧なんて全然したことないし…

 

 

「つぐ、急にどうしたんだ?そういうこと聞くなんて珍しいな」

 

「結羽先輩の気を引きたくて」

 

「ぶっ…けほっ、けほっ」

 

「え、お、おう!?そうなんだな!」

 

 

蘭ちゃんが()せて、巴ちゃんが焦る。そんな変なこと言ったかな…?

 

 

「おお〜〜青春ですな〜」

 

「やっぱりつぐは結羽先輩が好きなんだね!」

 

「す、好きっ!?そんな…ことは…いや好きだと思います…たぶん…」

 

 

ふとした時に先輩のこと考えてるし、夜は声聞きたくなるし、何となくLlNEとかしちゃうし…

 

 

「つぐがツグりすぎて林檎みたいになってる」

 

「あう…これは恋なのかな」

 

「結羽先輩に告白されたらどうするの?」

 

「こくっ!?…それは付き合う、よ」

 

 

告白されたら断る理由がないからね。でもそれは結羽先輩が私のことを好きって仮定の話で、まだそうと決まったわけじゃないんだ。

 

 

「でもあいつ告白とかしなさそうじゃん」

 

「いや〜先輩もやる時はやるかもだよ〜?」

 

 

私から言い出すのは…まだ恥ずかしいな。今はできないや。

 

 

「…やっぱり胸は大きい方がいいのかな」

 

「そんな私を見られても困るよ!?」

 

 

はっ、ついひまりちゃんを見つめちゃった。だって、同い年とは思えないんだもん…どこで差がついたんだろう…

 

 

「まあ確かに先輩も男だし〜?胸はあった方がいいかも〜?」

 

「…別に気にしないでしょ」

 

「アタシも気にしないと思うけどな〜」

 

 

モカちゃんが茶化すように言うけど、みんなやっぱり気にしないよって思ってるみたい。それなら少し安心、かな…?

 

 

「あ、つぐみ。よかったらあいつに今度のライブのチケット渡しといてくれる?」

 

「わかったよ。来てくれるかな」

 

「木崎先輩もつぐのことはちょっと特別には思ってるよ。だからつぐの誘いなら来てくれると思う」

 

「そうかな…?」

 

「だってあの結羽先輩が女の子と二人でお祭り行くなんてつぐじゃなきゃなくない?」

 

 

そう言われると嬉しい。私は結羽先輩の中では特別で、大切な…そんな存在で、先輩も私の中では…えへへ。

 

 

「つぐが完全に恋する乙女モードに入ってる〜」

 

「こりゃ重症だな」

 

「つぐみにはまたがんばってもらうとして…ひまり。話は変わるけど、宿題終わったの?」

 

 

蘭ちゃんが放った一言でひまりちゃんの頬を汗が流れ始める。これはやっぱり…

 

 

「お…終わってません…!!」

 

 

というわけで高校一年生の夏休みもみんなで宿題をやることになりました。言い出した蘭ちゃんもあまり進んでなかったみたいで、少し微笑ましかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は流れて夏休みも終わりが近づいて来た今日、私はリサ先輩にお願いして買い物に付き合ってもらっています。

 

 

「珍しいね、つぐみから誘ってくるなんて」

 

「私の周りだとファッションといえばリサ先輩って感じがして…」

 

「アハハ、ありがとう。つぐみもそういうのが気になり始めたか〜」

 

 

練習のない日に約束を取り付けて、今日は近所では大型のショッピングモールに来ている。シアターも入っているんだけど、最近映画見てないなぁなんて思ったり。

 

 

「もう少し女の子らしく着飾りたくて」

 

「その人に合うかどうかも大事だけどね。色々試してみようか」

 

「お願いします」

 

 

早速リサ先輩と服屋さんに入っては良さそうな服、私の試してみたい服を見繕っていく。私の理想というか、女の子っぽいっていうのがパステルカラーなんだよね。淡い、薄い色が似合うといいなぁと思うんだけど…

 

 

「…やっぱりベージュとかブラウンの方が似合いますかね」

 

「着慣れてるからじゃない?アタシはつぐみが紺のベスト着ててもいいと思うし、デニムのショートパンツを穿()いててもいいと思うんだけどな」

 

 

なるほど…リサ先輩が言うなら間違いではないのかも?

 

 

「でもつぐみの言う女の子らしいっていうのに合わせていこうかな。自分の着たい服を着た方がいいことに変わりはないしさ」

 

「私はパステルカラーがいいんですけど、普段はライトイエローとかが多いので…」

 

 

実際には色々着るんだけどね。どうしても黄色系の服が頻度としては多くなっちゃうな。

 

 

「なるほどね〜。じゃあピンクとか水色辺りいってみる?」

 

「ぜひ!」

 

 

いくつかのお店を回って、(主にリサ先輩チョイスの)色んな服を合わせてみて、その内のいくつかは試着をしたりもした。下は私の好みで白いパンツに決まったんだけど、上は…

 

 

「上から着るものだとその下に着るものによるよね」

 

 

仰る通りです…

秋に着ることを考えて長袖のものも候補に含めてはいるんだけどパステルピンクの服がやたら多い。たぶんこれはひまりちゃんの印象が強いからだ。

 

 

「ちょっと考えさせてください…!!」

 

 

結構長い間悩んだ末に、私は薄くグラデーションの入ったピンクのパーカーを手に取った。彩先輩が好きそうだな、なんて。

 

 

「私、これにします」

 

「へー、いいじゃん。このシャボンみたいな柄ついてるのもかわいいよね」

 

 

色的にもパーカーが多かったのもあるけど、一番の決め手は結羽先輩がよく着てるから、だったりする。不純な理由かな?

 

 

「何かな〜、こうやってるとつぐみをデコレーションしたくなるんだけど、あんまりお金使えないしね」

 

「そうなんですよね。色んな私を出したいんですけど」

 

 

私もまだ高校生だから、そんなに服を買ってる余裕がない。この前結羽先輩と買い物に行った時も買っちゃったし…お母さんに言えば買ってくれるだろうけど、あまり頼りすぎるのもよくないから。…あ、そうだ。

 

 

「リサ先輩、下着も買っていいですか?」

 

「いいよ〜。成長したの?」

 

 

悪戯(いたずら)っ子のように口を緩めて言うリサ先輩。そういうわけじゃないんだけど…

 

 

「いや、今持ってるのと違った、勝負下着的なものを…」

 

 

えっ、とリサ先輩は暫く硬直した後、慌てたように(まく)し立てた。

 

 

「え、えぇ?つぐみ、どうしたの?でもそういうの気にする歳頃か…あのさ、つぐみ?もしかして誰かに色仕掛けとかするの…?」

 

 

い、色仕掛け!?私からあんなことやこんなことを迫るってこと…!?

 

 

「い、いやいや違うんです!気分的な意味での勝負で…!」

 

「あ、あ〜なるほど?情熱なら赤、みたいな?」

 

「そんな感じです!決してそういうことをするわけでは…!」

 

 

あ、危なかった。リサ先輩の中で私のイメージがえっちな女の子になっちゃうところだった…

それに、リサ先輩が顔を赤くして慌てふためく姿も中々見られないんじゃないかな。大人びて世話好きなリサ先輩だけど結構乙女というか、純粋なところもあるんだなぁ。

 

誤解が解けた後は普通のお喋りをしながら下着屋さんに行った。普段着けないような(あか)い下着をセットで購入して、私達はすぐにお店を出た。さっきと違って即決だったなぁ。紅って私達のバンドの色にも合ってるよね。緋色がイメージカラーだからそこまで離れてるわけではないと思う。

 

そしてリサ先輩の次の言葉に私は過敏に反応した。

 

 

「あれ?結羽?」

 

「…今井か。それに羽沢も」

 

「こんにちは、結羽先輩」

 

 

リサ先輩の視線の先にはまさかまさかの結羽先輩が。結羽先輩がバイトの時以外で会うのって何か久しぶりな気がするなぁ。そういえば今度トビQに行くなんて話もあったっけ。

 

 

「買い物?珍しいね」

 

「好き好んで来るわけあるか。野暮用だ」

 

「ふ〜ん?そうなんだ」

 

 

どうしてこんなところにいるんだろう。気になるけど、詮索するのはよくないかな。

 

 

「ユウくん早く〜!」

 

「…チッ」

 

 

突然聞こえたその声に、まずは結羽先輩が舌打ちをする。次いで私よりも先にリサ先輩が声の主に気づく。

 

 

「もしかして日菜?」

 

「…もしかしなくてもな」

 

「あれ?リサちーにつぐちゃんだ。やっほー、買い物?」

 

「日菜先輩こんにちは」

 

「そうだよ〜」

 

 

どうやら結羽先輩は日菜先輩の買い物に付き合ってたみたい。荷物持ちとかしてあげるのかな?

 

 

「あ、ねえユウくん!るんっ♪てくるパンツ見つけたの!あっちのランジェリーショップ!来て来て!」

 

「………は?おいてめぇ…」

 

 

日菜先輩が思い出したようにそう言うけど、結羽先輩の反応を見て『あ、やっちゃった』みたいな顔をする。

え、待って、日菜先輩、もしかして結羽先輩に下着を選んでもらってるのかな…?

 

 

「あはは、ごめんごめん」

 

「男の俺を付き合わせんじゃねえよ…変装もしねえし。バカと天才は紙一重とはよく言ったもんだなオイ」

 

 

たぶん結羽先輩の意思ではないんだろうけど、気まずいのかな。結羽先輩が不機嫌なオーラを出し始める。

 

 

「あ、あれ?そういえば結羽先輩、眼鏡かけてるんですね」

 

 

話題を変えようとして、今気づいたことを口に出してみる。今までかけてなかったような…

 

 

「そんなに視力よくないからな…使うなら眼鏡だろうと思っただけだ」

 

「そうなんですね。何か新鮮だし、似合ってますよ」

 

「そりゃどうも…」

 

 

眼鏡をかけてない結羽先輩しか知らないからか、とてもかっこよく見える。いつもよりインテリにも見えるし…

 

 

「コンタクトを目に入れるのが怖いのと、目付きが怖く見えないかもって理由で眼鏡にしたんだよね?」

 

「え、結羽そうなの?」

 

「お前本当にしばくぞ」

 

 

あ、図星なんだ。先輩もかわいいところあるなぁ。

 

 

「てゆーかユウくんはあたしとデート中でしょ。他の女の子にかまけすぎ。ほら行こう!」

 

「…ってな感じでこいつがうるさいからな。話の途中で悪いが、じゃあな」

 

「リサちー、つぐちゃん、またね!」

 

「引き止めてごめんね。またね〜」

 

「失礼します」

 

 

日菜先輩に連れられて結羽先輩は行ってしまった。たぶん、向こうにある下着屋さんに…大丈夫かな?

 

 

「ねえつぐみ、ちょっとつぐみの家で話さない?」

 

「へっ?いいですよ、でもその前にリサ先輩の買い物があれば付き合います!」

 

「おっ気が利くね〜。じゃあちょっとアクセでも見ようかな…」

 

 

同じ館内にある雑貨屋さんを巡っていった私達。結構かわいいのが多くて私も買おうか悩んじゃうなぁ。

そんな中、猫のワンポイントが入ったピンを購入して、友希那先輩にプレゼントするんだって言ってたリサ先輩がちょっと幸せそうに見えた。

 

 

 

 




ご読了ありがとうございます。
次回は結羽くん視点です。


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番外編 -Extra Stories-
The Beginning of YOU


Youと結羽を無理やり掛けるというファインプレーです。笑
何か2章が終わってつい書きたくなってしまったので書きました。


 

 

 

 

 

幾許(いくばく)か目線が低くなった。

気がついたらそんな世界に立っていた。

起きた時にベッドでも机でもなく、俺はただ広い公園のような場所にいた。

歩行も遅くはなっているが、予想に反して足は軽快に動く。

 

 

『…これは?』

 

 

発した声は今よりもやや高め。

その音にまさかと思い、長袖を捲る。そこには産毛さえ視認が難しい、小さな腕がある。

確実な証拠を掴むために、俺は園内を抜け、カーブミラーを見上げる。

 

 

『うそだろ…』

 

 

そこには十年以上昔に置いてきた、木崎結羽の子どもの頃の姿が映っていた。

 

 

「おーいゆう!」

 

 

誰かが園内を飛び出して、俺の元へ走り寄ってくる。

 

 

「…だれ?」

 

 

そして俺の意思とは無関係に言葉を返す俺。この世界では、俺の意思は通用しない、夢の世界を覗いているだけの存在に等しい様子。

 

 

「おれだよ、くろかわりん!おなじあじさいぐみだろ!」

 

「あー、くろかわか。しってたけど。なにしてんの?」

 

「ゆうがようちえんのそとにでたから、おいかけてきた!もどろう!」

 

 

そいつの名前は黒川凛、俺が過去に見たあいつと同じ容姿でそう言った。

これは…俺の記憶?夢なのか?その問いに答えはないまま、俺は凛に手を引かれて園内に戻る。そこにはいつのまにか保育舎が現れていて、それも俺が通っていた幼稚園のそれだった。改装の跡も、劣化も見たところは感じない。実に不思議だ。

室内に入ると、名前も覚えていない男子が声をかけてくる。

 

 

「ゆう、おまえまたまいごになったのか?」

 

「…だれ?」

 

 

『また』の意味を理解しかねるが、こういうのはスルーに限るという経験に基づく回答を行使しようとするが、何故か俺はその少年に問い返していた。

 

 

「なんでなまえもおぼえてねーんだよコイツ!」

 

 

何が面白いのかわからないが笑いながら当時の俺を指差す少年。一方、凛と違って本当に名前がわからないこと以外には全く興味を示さない当時の俺。

 

 

『俺こんな奴だったか…』

 

 

そりゃいじめられても文句は言えないような気がするな。

 

 

「くろかわ、こいつだれ?」

 

「たかはしこうき、ってなふだにかいてある」

 

「ほんとだ。たかはし、おれこいつとあそぶから、ばいばい」

 

 

何やかんやで俺と凛は仲が良かったらしい。まあ恐らくは熱心に話しかけてきたのがアイツくらいしかいなかったというだけだろうが。

 

 

「で、なにする?」

 

「ブロックであそぼう!どっちがかっこいいロボットつくれるかしょうぶな!」

 

「わかった」

 

 

その会話の後、プラスチックか何かでできた柔らかめのブロックの箱の周りに二人で陣取り、ブロックを一心不乱に組み立てていく。見た目的には両方悪くないが、凛の方が豪快でデカいロボットを作っている。性格の表れなのか。

ふと手を止めた俺は集中する凛のロボットを眺めた後…

 

 

「…よいしょ」

 

 

腕を振り下ろし、凛のロボットを半壊させた。

確かに完成させなければ自分の勝利は揺るがないが…悪魔かお前は。いや、俺か。

 

 

「おいゆう!それはずるいぞ!」

 

「ちゃんとみてないからいけないんだよ。くろかわのふちゅういだ」

 

「くそ!もっとすごいのつくってやる!」

 

 

凛が必死に俺に追いつこうとブロックを集めて組み立てる中、俺はどうやら価値を確信したのか慢心したように、それこそ注意散漫になる。

 

 

「おかえしだ!」

 

「あ…」

 

 

油断した隙を突かれ、俺のブロックを大破させる凛。為す術もなく無惨に散る自身の傑作を見ることしか出来ない俺。ルールもクソもない遊びだなおい。

せっかくだしこれを十年後にやると問答無用で蹴りが飛んでくるぞと教えてやりたい。

 

 

「おれのまけだ」

 

「ゆうのまけ!おれのかち!」

 

「くろかわのロボットかっこいいな。なおしかけだけど」

 

 

声高らかに勝利を宣言する凛を見つめて、当時の俺の口元は緩む。当然俺の意思には関係なく。

 

 

「こんなとこでなにしてんだよ、まいご」

 

 

そこに水を差すのは先程のタカハシコウキ。見た感じやんちゃなガキで、身体も一回り大きいように思う。

 

 

「たかはし。なんかよう?」

 

「そとにこいよ」

 

「なんでだよ。おれはくろかわとあそんでるだろ」

 

「うるせー、いいからこい!」

 

 

いじめっ子といじめられっ子、という構図が的確な表現とも言える、定番の奴だ。

外で走り回るよりも本を読んだりブロックで遊んだりする方が好きだったからな…こいつからしたらターゲットにしやすかったんだろう。

 

 

「やだっていってんだろ!はなせよ!」

 

 

服を引っ張って無理やり俺を引きずり出そうとするタカハシ。こいつはうざい。

どうせこの後は園外に出るという奇行を馬鹿にされるんだろう。…というかこれにも見覚えがある。確かこの後は…

 

 

「おいやめろよ!ゆういやがってるだろ!」

 

 

そうだった。凛が出しゃばるんだったな。

 

 

「なんだよりん。つれてくのはおまえじゃねーよ」

 

「ゆうがいやだっていってんだからはなせよ!」

 

「うるせーよ!」

 

 

タカハシなる少年が凛の近くにあった、奴のロボットを蹴り飛ばす。蹴られた部分でロボットは分解され、飛んでいった部分はまた壁や地面にぶつかりバラバラのブロックに戻る。

 

 

「おまえもけるぞ」

 

「う…」

 

 

凛はその気迫と目の前で起こった出来事に今にも泣き出しそうな眼をする。それでもタカハシとやらから眼を逸らしたりはしない。

そして、次に動いたのがそれを見かねた俺だった。

 

 

「くろかわにあやまれよ」

 

「なんだよ」

 

「あれはくろかわががんばってつくったやつなんだぞ。おまえがこわしたんだから、くろかわにあやまれ」

 

 

物怖じしているのかしていないのかわからないトーンでタカハシにそう告げる。…もしかして当時の俺、めちゃくちゃ良い奴なんじゃないのか。俺のことだから壊していいのはそういうルールで遊んでた俺だけだ、とか思っていそうだが。

 

 

「あやまるわけねーだろバカ」

 

「あやまんないならしねよ。ばかはおまえだろ!」

 

 

そしてクソガキ並の罵倒をしてタカハシを殴りつける。…あったなこんなことも。今にして思えば何て短気な奴なんだ。何かを解決するのに暴力はよくねえぞ…と、普段凛に制裁を加えている俺でも思う。

 

 

「はなせよ!」

 

「いてーなこのやろう!」

 

 

服を掴んでいない方の手で叩かれ、蹴られる。そりゃやり返されるし勝てねえだろ。

 

 

「いって…はやくはなせよ!きもちわりーな!」

 

 

俺の口から出てくる言葉に知性の欠片も感じなくてつらい。

ひたすら叩かれ続けるが今の俺は生憎痛みを感じない。当時は痛かったのだろうが。

 

 

「こら!喧嘩はやめなさい!」

 

 

そして凛が連れてきた先生によって喧嘩は仲裁される。凛と俺の説明によってタカハシとやらはどやされ、親にも怒られ、学年の顔みたいな立場ではあり続けたものの、俺たちと喧嘩を起こすことはなかったように思う。

まあ俺も手を出したことについては親にも先生にも怒られたけどな。

 

そして、その日の帰りのこと。

 

 

「…くろかわ」

 

「どうした?ゆう」

 

「…ごめん。おれをまもってあんなことされたから」

 

 

…俺めっちゃ素直でいい子じゃないか?どういう人生歩んだらここから今の俺になるんだ。

 

 

「なんであやまるんだよ、へんなやつ。おこってくれてありがとう」

 

「それはおれがむかついたから」

 

「そういうのはきにしたらまけ、っておかーさんがいってた。だからきにすんな!」

 

 

ああ、気にしたら負けってここから来てたんだな…思い出したらこれから使うのを控えたくなってきたぞ。

 

 

「ほら、手だして」

 

「なんで?」

 

「ゆうとおれの、ゆうじょうのあくしゅ!」

 

「…へんなの。よろしくな、りん」

 

 

そう言って凛の手を握る俺。というかマジでベタな始まり方してたんだな俺達…

最近の凛をゴミのような扱いをしているのに罪悪感さえ覚える。少しは感謝してやるか…でもそうすると調子に乗るからな…昔の方がお互い可愛げがあったな。そう思うと少し笑えてくる。俺は拗らせ、凛は壊れた。そのくせ今でも関係は続いているのだから驚きだ。

 

ふと鐘の音ではなく電子音が響き渡る。それも頭に直接響くように。それは聞き慣れた音で、すぐに思い出した。俺の目覚ましの音だ。

 

…つまり夢から覚める時が来た、ということか。長いようで短い記憶だったが、悪い夢じゃあなかったな。

 

 

『じゃあな』

 

 

俺は二人を見下ろす今の目線を取り戻し、並んで歩く小さな二人に別れを告げる。夢の世界が白い光を放ち始め、そして少しずつ肉体の感触が戻り…

 

 

「…ねみィ。あちィ」

 

 

布団にほぼ(うつぶ)せで横たわるのを認識する。冷房の温度を少し下げ、俺は今度は仰向けになって寝転がる。どうしてあんな夢を見たんだか…

 

 

「くだらねえ」

 

 

考えては馬鹿馬鹿しくなって、俺はそれを忘れないために脳が見せた映像なんだと結論づけて終幕とする。それが潜在的に大切な記憶なのだということに気づかなかったのが意図的なのかどうか、の解釈は個人に任せることとして。

 

結構夢で疲れたからな、俺は二度寝をキメることにした。じゃあそういうわけなんでこの辺で。

 

…おやすみ。

 

 

 

 




随分昔に読んだ小説をリスペクトして書きました。
それにしては雑すぎて怒られそうですが…

というわけで結羽くんと凛くんの過去編でした。
ご読了ありがとうございます。


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