「──すみません。助けてください。追われているんです」
暗闇から突如現れた彼はそう告げると、びしょ濡れにも構わず押し入るように家へ転がり込んできた。何度も転んだのか、その姿は泥に塗れ整った顔立ちが台無しになる程だ。雨が降り始めたのはさっきでない。随分長い間彼はその追っ手から逃げてきたのだろうか。
ベッドと必要最低限のものしかない部屋の隅、小動物のように身体を丸めながら荒い息を繰り返す彼は一瞬だけ此方を伺うように視線を動かしたが直ぐに膝に顔を埋めるように蹲った。
「大丈夫。何も聞かないよ」
そう答えるように呟くと彼は安心したのか、警戒したのか。再び顔を上げる。星空のような深い藍色の瞳と目が合い、一瞬何か惹き付けられるような不思議な感覚に陥った。
「……君は」
──この出会いがこの村の狂い始めた第一歩だと彼に手を差し伸べた俺はまだ、知らない。
「明日人」
グングンと前を行く幼馴染を呼び止めるように氷浦は名を呼んだ。呼ばれた本人は何故呼ばれたのかと不思議そうに足を止めては振り返り、氷浦の後続にいた少年に目を止めて「あっ」と声を上げた。
「ごめん、野坂。つい何時ものペースで行っちゃってた」
明日人は彼のために少し戻った氷浦に支えられるように歩を進める野坂の顔色を伺う。眉を下げ、支える氷浦とは反対側から彼を支えると両側を固められた野坂は申し訳なさそうに表情を歪めた。
「気にしないで。ついて行きたいと言ったのは僕だ。僕の方こそ二人の仕事の邪魔をしてごめんね」
村人全員で今日仕事を分担し決められた仕事をそれぞれこなす。今日の明日人と氷浦の決められた仕事は木こりの仕事だった。そのためちょうど良い木を探しに村外れの方まで来ているのだが、珍しく野坂がそこに同伴したいと言い始めたのだ。
身体の弱い野坂は、普段仕事をこなすことが出来ず家で引きこもっている事が多いのだが、本人がたまには仕事を経験したいと言い始め世話役の西蔭の反対を押し切って二人に着いてきていた。
西蔭に「野坂さんに何かあったら許さない」と釘を刺された二人は、額に汗を浮かべ今にも倒れそうな顔色をした野坂を見てどんなお叱りを受けるだろうかと不安に思いながら適当なところで腰を落ち着けることにした。
「それにしても最近村が騒がしくなったよな」
「そう?」
氷浦の呟きに心当たりのない明日人は腰に下げていた水筒を取り出して、水を煽ると野坂にそれを渡す。水筒を受け取った野坂は他人のものという事で少し躊躇していたが、喉の乾きには勝てなかったのか直ぐに喉を潤した。
「そうって、ほら。灰崎が来たり……普段あまり村の外から人が来ることがなかっただろ? それがここ最近で片手で数えきれない程増えた」
元々閉鎖的だった村に突如の来訪者。それだけでも珍しいのにその来訪者が一人ではない。人が増えて騒がしくなった、と言うよりは珍しい事態に村人全員がザワついているという方が正しい。
「……確かに。それに噂だけれど人狼が現れたって話もある。飽くまで噂、だけどね」
明日人に水筒を返しながら飽くまで、を強調しながらそう返したのは野坂だ。噂は噂に過ぎない、とでも言いたげな様子だ。彼は話題にはしたもののその噂を信じていないのだろう。
「人狼……か」
しかしその噂に少し引っ掛かりを覚えたのか、明日人は受け取った水筒を握りしめ少し俯いた。その手は少し震えているようにも見える。
「婆ちゃんから聞いたことある。人間の姿をして人を騙し、夜な夜な人を食い殺すんだっけ。御伽噺だよ。野坂の言う通り飽くまで噂だ。大丈夫だよ、明日人」
その震えを恐れと受け取ったのか、氷浦は落ち着いた声でそう告げると立ち上がり、呼吸の整った野坂を引っ張り起こすと仕事の先を促した。立ち上がる二人の姿を伏した瞳で追いながら、同じく立ち上がった明日人は「だよな」といつもの笑顔を浮かべると目的の木がある場所へと三人肩を並べるように再び歩み始めた。
仕事を終え、任された以上の木を抱えた三人は暮れつつある日に目を細めながら村へ帰ると、どうやら広場で何やら揉め事が起きているらしく人集りが出来ているのを目にした。普段あまり他人に干渉しないこの村での揉め事は珍しく、何事かとわざわざ顔を出しに家から人が出てくるほどである。
抱えた木を村の指定の位置に置き、しっかりと仕事を完遂した三人は輪の外で見知った人物が溜息をついているのを見かけた。
「万作、どうしたのこれ」
「おかえり。いや、例の厄介者がまた難癖を付けたとか何とかで」
「難癖?」
万作はそれ以上は呆れてものも言えないといった風に輪の中を指差す。指された指の先──輪の中心にいるのは一人の長髪の少年、先程も話が上がった来訪者。灰崎だ。
灰崎は村長である趙金雲に馬乗りになるような形で掴みかかり何か怒鳴り散らしている。ガヤに掻き消されて輪の外からは何を言っているのか断片的にしか聴こえないが「人狼」「狩人」「占い」など、聞き覚えのあるようなないような単語が彼から発せられていた。
「もうやめてください!」
いよいよ灰崎の拳が振り落とされそうになっている所で現れたのは、村で一番綺麗と噂されている少女、神門杏奈だ。彼女は自慢の髪を掻き乱しながら輪を割って駆け寄ると、突然のことに呆然としている灰崎から趙金雲を引き剥がしキッと睨みつけた。
「人狼なんていません。御伽噺を持ち込んでこれ以上村を掻き乱すようなら此処から出て行って下さい」
「おやおや、珍しくお怒りですね〜」
「村長もやられっぱなしで恥ずかしくないんですか!?」
怒りの矛先が突然自分にも向いたことにしょんぼりと肩を落としたが、特に堪えた様子もなく趙金雲は立ち上がると何事もなかったかのようにパンパンと手を叩いた。
「皆さ〜ん! もう日も暮れます。お仕事お疲れ様でした〜。それぞれ家に帰ってしっかり休むように」
その一言で、集まっていた野次馬達は直ぐに散っていき、広場には趙金雲、灰崎、杏奈、明日人、氷浦、野坂、万作の七人だけが取り残される。
「野坂さん」
不意に背後から低い声が響き、振り返るとそこには野坂の普段からの世話役である西蔭が少しばかり遅れて仕事を終えて帰ってきたようで、少し呼吸を乱しながら立っていた。
「西蔭、おかえり」
「はい。ただいま戻りました。野坂さんは怪我は有りませんでしたか?」
「僕は平気。二人が守ってくれたからね。西蔭の方こそ今日はお疲れ様」
「ありがとうございます。さあ、日も暮れた事ですし帰りましょう。今日は疲れたでしょう」
まるで飼い猫のように野坂に懐く姿は、大柄である西蔭から想像出来なかったが慣れてしまえばその光景も当たり前になる。明日人と氷浦、万作の三人は苦笑を浮かべながら二人の背を見送ると同じく場に残された灰崎がいつの間にか三人の後ろに構えていた。
「お前……」
灰崎はスッと明日人を睨みつけると、鼻先が触れるほど近寄り直ぐに離れた。その顔は嫌悪に満ち溢れており、明日人は何かしたかと不安になった。
「クセェな」
そう短く吐き捨てると、灰崎は自分に用意された家に戻っていく。
唐突なことに驚きながらも明日人は氷浦と万作に視線を送ると二人は首を横に振った。
「大丈夫だよ、明日人。そんな臭わないから」
「ああ、そうだよ。大丈夫だ」
「えぇ……?」
フォローなのかイマイチ分かりにくい二人の言動に困惑しながらも、誰もいなくなった広場を三人は後にしそれぞれの家で仕事の疲れを癒した。
朝。
いつもの時間に目が覚め、朝食を口にする。
そこに会話はなく、何事も変わらないいつもの日々だ。
朝食を終えたらいつも通り仕事の取り決めのため一度広場に集まる。そこで仕事を与えてもらい、こなして、帰る。それがいつもの一日だ。
味のしない朝食を流し込むようにして食べ終えると村の広場へと足を向ける。いつもこの時間なら人が疎らで、仕事まで暫く暇を潰さなければいけなかったのだが今日は昨夜に引き続き広場が少し騒がしい。
妙な胸騒ぎを覚えた明日人は早足に広場へと向かうと杏奈と仲のいい娘、つくしが泣き崩れているのがわかった。ぞろぞろと集まってくる人の視線を気にせずに彼女は何が悲しいのか、ずっと泣き続けている。
「どうしたの?」
「わからないでゴス。朝起きたら既にこうなってたでゴス」
ゴーレムこと岩戸は、明日人の問いに困り果てたようにそう答えた。どうやら彼も事情を知らないらしい。何事かと考えているうちに、広場にはいつの間にか全員が揃ったらしく趙金雲がその恰幅のいい腹を擦りながら人集りを割って歩いてくる。しかし、その表情はいつものひょうきんなものではなく、いつになく真剣で明日人は思わず唾を飲み込んだ。
(──ああ、嫌な予感がする)
何故かあの時の藍色の瞳が明日人の脳を過ぎった。
冷えた、誰も信用しない、あの瞳を。
「……昨晩、杏奈さんが何者かに殺されました」
村人全員に聞こえるように伸し掛るようにその言葉は響いた。
ヒュッと声にならない息が喉を駆けていく音。明日人の隣にはいつの間にか氷浦がいて、大きく目を見開きながら呼吸することを忘れたかのように動きを止めていた。
人狼なんて御伽噺だ。
昨日の会話が頭をグルグルと過ぎる。
そう、村長だって言っている。何者かに、殺されたと。これは人狼の仕業ではない。誰かによるものだと。
「ハッ! 呑気なもんだな」
それぞれが思惑を馳せている時、そう叫んだ人物は一斉に村人達の視線を集めながらも気にした様子はなく、むしろ面白いものを見つけたかのように口元に笑みを浮かべていた。
「灰崎……」
名を呼んだ明日人に気がついたのか、灰崎は明日人を一瞥してすぐに興味を失ったかのように泣き崩れていたつくしの前に立った。ようやく現実を受け入れられたのか、落ち着いてしまったのか、涙が枯れてしまったのかは分からないが泣く事をやめたつくしは焦点の合わない瞳で灰崎を見上げると力なく縋るように彼へと手を伸ばす。
「杏奈ちゃんが……」
「知ってる」
「殺されて」
「知ってる」
「私は」
「何処にある」
「どうしたら」
「その女の死体は何処にあるんだっつってンだろうが!」
ビクリ、とつくしの肩が跳ねた。
同時に他の村人もようやく事情が把握出来て来たのか、つくしを守るように灰崎との間に割って入っていく。それを煩わしく感じたのか、拳を振り上げ始めた灰崎の動きを止めたのは同じく村の外からやってきたのだと言う、鬼道だ。
「やめろ、灰崎」
落ち着いた、しかし重みのあるその呼び掛けに軽い舌打ちをしながら渋々と灰崎は振り上げた腕を下ろす。言葉一つで落ち着かせた鬼道はまるで猟犬を飼い慣らすハンターを彷彿とさせた。
「でも、鬼道。これは」
「分かっている。既にこちらで調べさせて貰った。お前の役割は狩人だろう。ここでその護るべき対象を傷付けてどうする」
「チッ。別に本気じゃねぇよ。んで、どうだったんだよ、調べた結果は」
「……残念ながらと言うべきか、こちらにとっては当たりと言うべきか──“黒”だ」
黒。
それは“当たり”を意味する言葉だ。鬼道の口振りから察するに、この黒は村人達にとってあまり良い意味合いがあるとは思わない。
ドクン、と明日人の心臓はさらに鼓動を早めた。
嫌な予感がする。
早くなる鼓動に合わせて、全身にものすごい勢いで血液が巡回し脳も嫌な方へと思考を回転させていく。
隣にいる氷浦もいつものポーカーフェイスばりの変わらない表情を珍しく青ざめさせていて、今にも倒れそうなぐらい身体を揺らしていた。
灰崎と目が合う。
何故かやましいことなどないのに、明日人はその視線を逸らしてしまった。
「これは、“人狼”の仕業だ」
御伽噺から現実へ。
その存在を昇華させた人狼は、この村を破滅へと確実に落とし込んでいくのだろう。
その日、杏奈が殺された日は村人総出でお葬式が行われた。
葬式と言っても簡単なもので、土を掘りそこに遺体と花、彼女が好んでいた服等を一緒に埋める土葬だ。遺体は悲惨にもズタズタで顔が辛うじて彼女だと主張していると言ってもいいぐらいのものだったらしく、彼女の死体を運びこむのに誰が適任かと議されたぐらいだ。結果、狩猟を得意とし遺体の処理をよく任されている剛陣、遺体を調べた鬼道、そのサポートとして灰崎の三人が協力して彼女の遺体を埋葬したらしい。
もうすっかり土の山となった杏奈だったものを明日人は見下ろしながら、架けられた十字架にそっと触れる。あまり彼女と接点がなかったとはいえ、同じ村人の死というものはやはり何か堪えるものがあった。
後ろに控えていた氷浦に名前を呼ばれ、思い出したかのように花を添えると彼女の死が本当なのだと実感出来てしまい涙は出ずとも心の中に何か穴が開くような、虚無感に似た何かに襲われる。
何も、残らない。
彼女が生きた証も、そこにいた証も全てこの墓だけ。彼女と過ごした思い出はあるものの、記憶なんて曖昧で、簡単に忘れてしまえる。
いつか自分も、みんなもこうなるのだと思うと何故か恐怖心に襲われた。
花を手放し自由になった両腕で震えを押さえるように自身の肩を抱えると手を重ねるように現れたのは野坂だった。
「野坂」
「大丈夫かい、明日人くん。震えていたようだけれど」
平気、と声に出そうとしたがどうやら思っていたよりも滅入ってしまっていたらしくそれは言葉にならない。曖昧な表情のまま、震えた唇を野坂は心配そうに眺めた。
「僕の家においで。温かいものを出してあげよう」
そのまま肩を抱くように野坂は自身の家へ明日人を案内した。
真っ暗な部屋の中。いくつもの珍しい蔵書が乱雑に置かれている真ん中にフワリと怪しく光る水晶に目を奪われた。
「おかえりなさい、野坂さん。それと……稲森か」
水晶に奪われていた目を慌てて動かすと、いつの間にか入口近くに立っていた西蔭がいつもの変わらぬ表情で迎えてくれた。いつの間にか、と言うよりか明日人が気が付かなかっただけで彼はずっとそこに立っていたのかもしれない。
「ただいま。明日人君に何か温かい飲み物を淹れてあげてくれないかな?」
「わかりました。ちょうど昨日の仕事の時に手に入れたお茶があります。野坂さんの分も御用意致しましょう」
「助かるよ、ありがとう」
感情のない表情のまま、西蔭は奥の部屋へと消える。まるで明日人がそこに居ないかのような扱いで、少し安心したような居心地の悪いようななんとも言えない気持ちのまま明日人は手招きされた水晶の前まで歩を進めた。
この村では珍しい高級そうなそれをまるでボールで遊ぶかのように掴みあげると、野坂はその中を覗き込むようにと明日人の眼前に掲げた。
「何か見えるかい?」
問われ、目を凝らしてみるがその中に写るのは反射し反転した自分の姿とその奥に透ける野坂の姿のみ。ただの綺麗な丸い塊だ。
首を横に振るのが予想通りだったのか「そう」と短く告げると水晶を元の位置に戻し、何やら思考し始め、完全に置いてけぼりになってしまった明日人はぐるりと部屋を見渡した。
明日人の家とは違い、本やら何に使うのか分からないアクセサリーなど飾られているのか放置されているのか分からない程あちらこちらに散らかるように置かれたそれらはどれも珍しいもので、一体どこから手に入れたのかと一瞬考えたがそれを聞いたところで何か損益になる訳でもなければさほど興味があることでもなかったので明日人はただ、じっと部屋を見つめる。
そうこうしているうちにお茶が出来たのか、程よい香りと共に西蔭が三つのカップを盆に乗せ現れた。考え込む野坂を見ては少しだけ頬を緩め愛おしそうに見つめ、西蔭は一つのカップを明日人に、そして一つのカップを野坂の手元にそっと置いた。
「ありがとう」
無言で渡されたカップを受け取った明日人は西蔭に礼を述べる。
感謝の意だけ受け取りながらさも同然といったように野坂の横を陣取ると、西蔭は自分の分のカップに口付けた。見習うように明日人もお茶を口に含むとハーブ独特の香りと苦味がスッと鼻を突き抜けていくのと同時に身体の芯が暖かくなるのを感じる。
「ところで、野坂はどうして俺を呼んだの?」
身体が温まったことで緊張が解れたのか、明日人は今だにお茶にすら手をつけようとしない野坂にそう問いかけた。問いかけられたことにようやく本来の用事を思い出したのか、野坂は顔を上げ明日人を見つめると言いづらそうに何度か視線を右往左往させながらも、決心したように口を開いた。
「今まで西蔭以外に話したことがなかったのだけれど、これ以上は隠していても意味が無いと思って」
これは前置きだ。
明日人は野坂の言葉を待つ。
そこまで言って、また言葉に詰まりながらも野坂は自分を見つめる西蔭と明日人の視線に観念したかのように言葉を紡いだ。
「僕、実は占い師なんだ」
その言葉と共に差し出された水晶の中に映し出されていたのは、一人の人間。昨夜から何かと問題を起こしている灰崎の姿が映し出されていた。
占い師。
母から聞いた御伽噺にそのような役職があると聞いたことがある。人狼に対抗する村人のうちの一人。それが占い師であると。一日のうち一度だけ村人を選び占うことでその人物が人狼なのか村人なのかを診断できるらしい。
しかし、それもたかが御伽噺だと思っていた明日人は、野坂の告白に動揺を隠せなかった。
「なんだよ、それ。人狼も占い師も御伽噺だろ? なんで、そんな」
「御伽噺じゃない。今この水晶に映る灰崎君が見えるだろう? 彼は人間だ。そう占いの結果に出ている」
「でも……!」
人狼なんて居ない。占い師だって全部御伽噺だ。だってそんなの、認めてしまえば御伽噺が御伽噺では無くなる。占い師もそして人狼も、全てが現実になってしまう。
「稲森!」
突然の怒声に明日人は肩を震わせた。
先程まで黙りを決めていた西蔭の顔には怒りが滲み出ている。飲み干されたカップを積み上げられた蔵書の上に置くと西蔭はその威勢のある表情で明日人を睨みつけた。まるで蛇に睨まれたカエルのように竦んでしまった明日人は動きを止め、西蔭の出方を伺うがその間に野坂が入り込む。
「西蔭も明日人君も落ち着きなよ。西蔭、お茶のおかわりを。明日人君も一度僕の話を聞いて欲しい」
野坂に命令され渋々と言った様子だったが、空になったカップを回収すると西蔭は再び奥の部屋へと姿を消し、視線が解かれた事で力の抜けた明日人は情けなくその場にへたり混んでしまった。
「明日人君」
そんな明日人に手を差し伸べながら、野坂は一冊の本を水晶の横に置いた。先程まで灰崎を映していた水晶にはもう誰も映されていない。僅かな光を反射して輝いているだけだ。
「これが、僕の家に代々受け継がれてきた言わば日記のようなものなんだけれど、ここに僕の役割である占い師について書かれている。最初は僕も先代のお茶目な悪戯だと思っていたんだけれど、これを読めば君にも分かってもらえるんじゃないかと思って」
適当に腰を下ろした明日人は差し出された本──日記に目を通す。随分古いもので所々頁が抜け落ちてしまっていたが、野坂の言いたいこと。そして、これが御伽噺では無く現実なのだと言うことだけは伝わってきた。
本の中身を要約するならば、古い昔この日記の著者である野坂の先代である占い師はその役職の力を使って人狼を退けたと有り、その力の使い方と村の結末を丁寧に手書きで記されていた。
つまり、過去にも今のこの村のように人狼が現れ村人は自らの役職を使い団結し、人狼を退けたのだ。その後、その話を語り継いでいくうちに危機が薄れ、信じないものが出てくるうちに現在の明日人たちもよく知っている“御伽噺”に形を変えてしまったのだろう。
なんてことだ、と明日人は声を漏らした。
あまりにも現実離れした事実を突きつけられ、頭を抱えてしまう。これが御伽噺ならどんなに良かっただろうと、読みながら何度思ってしまったことかと。
野坂は何も言わなかった。
考える時間が必要だと思ったからだ。
彼もこの話を西蔭以外にしなかったのは、信じてもらえないとタカをくくっていたのかもしれない。それとも今の明日人のように下手に困惑させたくなかったからなのかもしれない。
今となってはその野坂の考えも明日人には理解出来なかった。
「本当にこれが事実なの? 裏良く合わせた作り話って可能性は?」
「……君がそう思うのも無理はないと思う。けど、僕のこの力は本物だ。それに、万が一これが作り話だとすれば」
間。
言いにくそうに、野坂は一度口を閉ざしたがここまで言ってしまえばもう後戻りも今更隠そうとしてもその事実に辿り着くのも時間の問題だ。
「杏奈さんを殺したのは、この村の誰かってことになる」
だから、と言葉を続けた。
「僕は人狼を、この日記を信じるしかないんだ」
野坂の家を出た後、ポツリポツリと降り始めた雨が明日人を襲った。まるでタイミングを見計らったかのような雨に失笑しながらいつもならこの時間はみんな仕事に出かけていて誰も居ないはずの広場に数人集まっているのを目撃する。
降り出した雨にも構わず、その人物達は会話に夢中になっているのか雨宿りするという頭がないのかその場から動かない。
同じように動かない明日人を最初に見つけたのは、例にもよって灰崎だった。
自分たちのことを棚に上げて雨に打たれている明日人を馬鹿にするような視線を向けると、それに気がついた鬼道と趙金雲も明日人に視線を向ける。そしてこっちに来いと言わんばかりの手招きをされ、仕方なく明日人は招かれるままその三人に加わった。
「稲森くん、丁度いい所に来てくれました」
いい所とは、と思いながらも灰崎達に興味があった明日人も丁度話す機会を設けられたことに感謝していた。
相変わらず灰崎から向けられる視線は馬鹿にされているような見下されているようなものだったが、昨日のような嫌悪感はなく幾分か友好的に見れるのは傍に
「実は彼ら、人狼を追ってこの村にやってきた凄腕ハンター達なんですよ。そ、こ、で、ですね。杏奈さんの死体を見てもらった所、なんと! 今回のこの事件の仕業は人狼のせいだったことが判明しました! いや〜、まさか御伽噺だと思っていた存在がこうして出てくるなんて怖いですね〜。そしてですね、彼らが言うにはまだこの村に人狼が潜んでいるとの事でして、どうしようかと悩んでいたんですが。稲森くんも何かいい案ありませんか?」
相変わらずよく喋るなぁなどと口にはしないが、いい案も何も明日人には今何も考えられる状態ではない。野坂に言われたことを考えるだけで精一杯だった。
俯きながら首を振ると、おやおやと困った
「めんどくせぇ。わかってんだろ、お前達は俺達の提案に乗るしかない。そうしないとこの村が全滅するんだからな。人狼の対処法は俺達が一番よくわかってる」
「対処法?」
対処法があるならば何故明日人に案を求めたのか。きっとその対処方法が好まれないものだったからだろうと想像はつくが、わざわざ人狼を追ってやってきた二人のやり口が気になった明日人は苛立ちを隠しきれていない灰崎の目を見た。その目は復讐に燃えているような、後悔に沈んでいるようなよく分からない感情が渦巻いているように見える。
その感情を見透かされたと思ったのか、今度は灰崎が目を逸らす番だった。
「それは俺から説明しよう」
二人の視線が擦れ違うのを見てか、手を挙げたのは鬼道だ。
「稲森と言ったか。お前は人狼をどう思う」
「どうって……」
御伽噺の存在だと思っていた。そう思いたかった、と答えるべきなのか。野坂の言葉を信じていると答えるべきなのか。明日人の中の答えはまだ決まっていない。野坂を疑っているわけでも信頼していないわけでもないが、長年根付いた考えというものはそう簡単に変わるものでもないのだ。
「まあいい。この村の傾向はここ数日でこちらも理解した。御伽噺の存在として伝わっているらしいがそれは間違いだ。人狼はいる。俺達がその証明だ」
元より答えは求めていなかったのか、鬼道は淡々と言葉を続けた。
「事実、俺も灰崎も過去に……いや、この話は今はどうでもいいな。とにかく、これは御伽噺でも妄言でもない。警告だ。人狼はこの村にいる。そして着実にその牙をこちらに向けているのは間違いない。その矛先はお前はもちろん、俺達も例外ではないだろう」
信じないのであればそれはそれでいいがな、と付け加えながらもその瞳の奥の闘志は嘘をついているようには見えなかった。
「鬼道さんの言うことはわかりました。気をつけます。でも、村人じゃない鬼道さん達も標的って人狼の目的は一体何なんでしょうか?」
「ンなこと気にしたって、俺達には関係ねぇ。人狼の考えることなんざ、大抵ロクでもないことだろうからな」
「灰崎」
「チッ」
口を挟んできた灰崎を黙らせながら、鬼道は話を元に戻した。
「目的は分からない。ただ、灰崎の言う通り人狼の思惑などこちらで考えても無意味だ。今考えるべきことは人狼の排除。俺達はそのためにここにやってきたのだからな」
排除。
普段聞くことの無い過激な言葉に明日人の胸は酷く痛む。しかし、鬼道達の言うことも最もなのだ。
変わってしまった日常を取り戻すには、その要因を取り除くしかない。それが最適解なのだから。
「それで対処法の話だったな。前置きが長くなってしまったが、村長。話してもよろしいでしょうか?」
「ええ、まあ。どの道明日には皆さんにお話する事です。今更稲森くん一人に話そうが支障はないでしょう」
「わかりました。──単刀直入に言おう。明日から誰か一人、村人全員で怪しいと思った人物の処刑を執り行う」
思考が、停止する。
今、目の前で淡々と告げた人物はなんと言ったか。
しょけい。
ショケイ、処刑……?
同じ言葉が何度も回った。何度噛んでも噛みきれないガムのように何度も何度もその言葉は明日人の脳を蝕んだ。
「待って下さい! それって、村の誰かを怪しいから殺すってことですよね!?」
その問いかけに頷きだけが返ってくる。
「だから私は言ったんですよ、稲森くん。何かいい案はありませんか、と」
「そんな……。やりたいことは分かります。でも、こんなの」
「なら、いい案を出してみろよヘナチョコ」
明日人の言葉を遮るように発言したのは灰崎だ。その目は昨日と同じ嫌悪感に満ちたどす黒いものと共に明日人の姿を映している。
「自分じゃ何も考えられないくせに意見だけは一丁前ってか? 甘えてんじゃねぇ。人が死んでいる以上、こっちは既に後手に回っちまってる。何もわかってないならお前から判らせてやろうか、ああ?」
灰崎の言う通りだった。
既に死人が出ている。それは明日人も今朝実感したはずだ。この目で確かに杏奈の死を見届けたのだから。
このまま放っておけば第二の、第三の被害者が増え続けるかもしれない。何もしないよりかはより多くの人が生き残れるように対策が必要だ。
しかし、だからといって冤罪かもしれない村人を無意味に縄にかけるのは正しいことなのだろうか。否、実際その人物が人狼でその行為に意味があるものだったとしても既に村で広がりつつあるこの疑心暗鬼の状態は簡単に覆るものでは無いだろう。むしろ、今のこの状況こそが人狼にとって望んでいたべき状態なのでは、と思考してそれこそ無意味だと明日人は悟った。
人狼の思惑が分からない以上、何を考えてもこちらの推測でしかない。推測は時に無駄な先入観を生み出し、その行動を通常な思考に制限を掛けかけない。
処刑を上回る程のいい案がない明日人にとって、それ以上の口論はただの甘えであり、それ以外の何者でもなかった。
急に大人しくなった明日人を見て、怒りのぶつけ所を失った灰崎はバツが悪そうに舌打ちをして自分に宛てがわれたゲストハウスへと向かおうとした。その途中、鬼道に引き留められたかと思うと何やら耳打ちをされていた。耳打ちをされたやいなや、灰崎はその表情を歪め心底嫌そうにしながらも大人しく従うことに決めたのか、小さく頷けばその背は小さくなって行った。
「残念ですが、稲森くん」
「わかっています。俺の方こそ力になれなくてすみません」
「……きみの気持ちが分からないほどこちらも非道ではありませんが、コトは既に動いてしまいました。流れる川を塞き止めることが出来ないように、動き始めた思惑を止めるのは容易ではありません。ですが、我々も川を止めることは出来ずともそれに対策することは出来るはずです。それがこのような形になってしまったのは残念ですが、懸命な貴方ならわかってくれると信じていますよぉ」
もうすっかり日も暮れ、非日常な長い一日がようやく終わりを告げようとしていた。
部屋の隅にいる黒い影は相変わらず何も言わない。明日人もその存在を無視するかのようにベッドに潜り込む。
「 」
会話はない。
そこにいるのは一人なのだから当然だ。今までも、これからもずっとそうだ。母が死んでから、ずっと。
明日人は布団を頭まで被ると目を瞑る。
起きたら全て夢だったら良かったのに。
母ちゃんの温かいご飯を美味しいって言いながら食べて、毎日暗くなるまで遊んで、そして眠る。
そんな馬鹿なことを願ってしまうほど、明日人の現実は有耶無耶になってしまっていた。
明日になったら始まってしまう。
人狼、占い師、処刑、排除。
聞きなれない単語がまだ頭のどこかでぐるぐると回り、睡眠を妨げる。
ああ、どうか。願わくば。
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第一夜 「第一犠牲者」
いつの間にか深い眠りに落ちていた明日人はいつも通りの時間に目を覚ますと違和感を感じた。今日始まるであろう処刑があるからとかではなく明確な違和感。
「居ない……」
ここ数日部屋の隅で大人しくしていた存在が元から居なかったと言わんばかりにぽっかりと抜け落ちていたのだ。
いやしかし、どちらかと言えば彼の存在の方が異物であったので今の状況の方が本来あるべき状態なのだが、何故か明日人はその事に違和感を覚えた。
かと言ってそれを気にしたところで処刑が無くなるわけでも彼が帰ってくる訳でもない。気乗りはしないが早めに事を済ませて広場へ向かうべきと判断し「まあ、いいか」と、いつもの様に朝食を掻き込むと家を出ようとしたその時だ。
元々建付けが少し悪くなりつつあったドアがついに開かなくなってしまっていた。何者かが反対側から押さえつけているような、そんな感じだったが力を入れて押してもうんともすんとも動かない。早めに行こうと思っていたのに少し意地になってしまったのかもうそれなりの時間ドアと格闘した末、ようやく窓の存在を思い出した明日人は乗り出すように窓から脱出すると動かなかったドアの向こう。そこに見覚えのある人物がどっかりと座り込んで眠っているのを発見した。
「灰崎?」
あれだけドアを叩いても起きなかった人物は名前を呼ばれたことに反応して目を開く。そして、目の前に明日人がいることに気がつくと目を見開き取り繕うかのように髪を整えると呆然としていた明日人をキッと睨みつけた。
「なんか用かよ」
やっとの事で出てきた言葉がそれかと明日人は呆れたが、意外と可愛げのあるところを知った気分になったので気持ちを相殺しながらその質問に答えた。
「用はないけど、ここ俺の家の前。灰崎こそ、なんでこんな所に?」
「別に……鬼道の野郎に頼まれて仕方なく」
「鬼道さんに? 頼まれたって何を」
「お前の護衛だよ。俺は“狩人”だからな。人狼がお前を殺しに来ないか一晩中見張ってた」
「一晩って、ずっと? いつから?」
いつの間にか質問に返すだけではなく、質問責めになっていたのに気がついた明日人はそこで口を
「詳しくは覚えてねーけど、月が向こうの方にある頃だったから、十時ぐらいだろ」
指さされた方角は確かに今の時期ならだいたいそのぐらいの時間だろう。またもや意外性というか月を見るなんて事をする性格だと思っていなかった明日人は思わず笑みを浮かべてしまった。
「灰崎って、なんか思ってたイメージと違った」
「あ? なんだよいきなり。気持ち悪ぃな」
げぇっと顔を歪めて見せるが、あまり悪い気がしないのか本気で嫌がっている素振りではないのが伺い知れる。喧嘩っ早く、周りに怒鳴り散らしていたのもあくまで彼の一面であり、本当は素直で真っ直ぐな少年なのかもしれない等と明日人は自分の中の彼のイメージを改めようと思った。
「ンなことより、広場。行くんだろ」
「ああ、うん。そうだった」
灰崎が立ち上がるのを横目に見ながら、家を出た目的を思い出して早足で広場へ向かう。その途中、一つ気になったことがあったのでついでだと思い明日人は灰崎に問いかけた。
「一晩中見張ってたって言ってたけどさ、俺の家から誰か出ていかなかった?」
その問いかけの意味が分からなかったのか、灰崎は必死に考えるような素振りを見せたが直ぐに首を振った。
「いや。夜は窓も気にして見ていたが、誰かが来る様子も出ていくこともなかった。お前に見つかった時は寝ちまってたが、人狼の活動時間中はずっと見張ってたからな。信用しろとは言わないが、お前が生きてるってことはそういう事だ」
「そっか。そうだよね。気にしないで」
いつの間にか消えていた彼。灰崎が見張りを始めた時間と明日人が眠りに着いた時間はそう空いたものではなかったはずだ。それなのに灰崎の目を掻い潜って彼は家を出たのだろうか。どうやって? そもそも彼は本当に存在していたのか? そんなことを考えているうちに二人は広場へと辿り着いていた。
広場には立派と言うべきか大袈裟と言うべきか、よくもまあ用意出来たなと誰もが心に思っただろう処刑台が、そびえ立っていた。
先端を輪っかにされたロープが風に揺られて命を刈り落とさんとフラフラとしている様を見上げながら、自分の首がその輪を通っているところを想像して明日人は目を逸らした。
「皆さ〜ん、おはようございま〜す」
誰しもが明確に非日常を実感している中、唯一変わらぬトーンで趙金雲は手を叩きながらいつもの様に現れた。もはや非日常の中での通常が浮きすぎていてギャップで気分が悪くなるぐらいだ。
どよめく村人達をものともせず、日常を演じようとしているそれはもはや歪にしか映らず、疑心暗鬼に陥っている村人達を煽る結果になってしまっているが、狂い始めた歯車は戻ることは無い。おかしいことに慣れつつある全員はそれがおかしいと声を上げることすらしなくなっていた。
「皆さんも既にわかっているかと思いますが、人狼が現れてしまいました。そこで昨日、鬼道クン達に相談したところ一番怪しいと思った人物に皆さんで投票してもらって、一番票を獲得した人を“処刑”しようと思いま〜す☆」
何度聞いても突拍子のない言葉に、吐き気を覚えながらも明日人は事の成り行きを見送った。一度で皆が理解できる訳では無い。むしろこれを素直に受け止めて「はいそうですか」と言える人物の方が少ないだろう。
手が挙がることは無いものの、不安がどんどん広がっていくのは村人同士の会話で感じることが出来た。
「すみません、質問してもいいでしょうか」
やっとと言うべきか、待っていたと言わんばかりのタイミングで手を挙げたのは、灰崎や鬼道のように村の外からやってきたうちの一人、風丸だ。
控えめに、されどしっかりと挙げられた手からは彼の謙虚さと責任感の強さが伝わってくる。
「いいですよ、風丸クン」
「ありがとうございます。先ほど人狼と言いましたが、この村ではその存在はあくまで御伽噺の一部ではなかったのでしょうか? それに仮に人狼が存在するとして、何故怪しいだけで処刑を? それはむしろ村人の数を減らすリスクを負うことになりかねず、人狼の思う壷ではないでしょうか」
その意見は最もだった。何人かその言葉に頷き、同意するように非難の視線を趙金雲に向けたが、その質問に答えたのは投げかけられた趙金雲ではなく村の問題児──不動明王だった。
灰崎が来てからというものあまり名をあげなかったが、真偽の分かりにくい言葉で村人を困らせる事の多かった彼は問題児として村では通っている。そんな彼はここぞとばかりに風丸の意見に食いつくと舌舐めずりをした。
「これだからイイコチャンはつまんないねぇ。人狼ってのは人に化けんだろ? 村人が減るリスクはあるけどよォ、相手の数もわかんない上に見た目で判断出来ないときた。それなりのリスクを負って抵抗する覚悟がねェと人狼を排除出来ねぇってこったろ鬼道クン?」
「……その通りだ」
名指しされた鬼道が答える。
「生半可な覚悟では人狼を排除することは出来ん。風丸の意見は最もだが、それでは甘いんだ。既に被害は出ている」
「──ってコト。これからはもう少し発言に気をつけねェと、人狼の餌食か……アソコで首を吊ることになるかも知んねぇな?」
なーんてな、とカラカラと笑いを残しながら処刑台を指さした不動は興味が薄れたのかその場から姿を消した。完全に質問を流されてしまった風丸はなんとも言えない表情を浮かべながら挙げていた手を拳に変え、グッと胸元で握りしめている。
「他に何か質問はありませんか? ああ、安心してください。質問をしたからと言って怪しいだとか思いませんから」
完全に静まり返ってしまったのを見計らったのか、趙金雲が発言するが先程の一連を聞いて手を挙げられる程勇気のあるものはいない。発言したところでもう処刑が行われるのは変えられないとみんな悟ってしまったのだ。昨日明日人が何も言えなかったように、全員それを受け止めることを選択したのだ。
「いきなりのことで怪しいと言えど仲間のウチから一人を選べなんてなかなか出来ることではないと思いまぁす。なので、投票は今すぐに、ではなく太陽が完全に登りきるまで──もといお昼になるまでそれぞれ話し合って決めてください。ただし、必ず誰かに票を入れること。自分に入れるのももちろんいいですが、自分が人狼だと思う人に票を入れてくださいネ。では、解散」
解散を告げられ、どうしたものかと頭を悩ませている明日人の元に氷浦と万作、そして岩戸と剛陣という仲良しメンバーが集まってきた。
「よう、明日人。珍しく今日は朝イチじゃなかったじゃねーか。なんだぁ? お前が人狼なんじゃねぇのか?」
このメンツの中で唯一の年上である剛陣はそう言いながら明日人の肩を小突いた。あまりにもツッコミにくいボケに明日人は苦笑いで返しながら「まさか」と答える。
「剛陣先輩、そう言うの今は笑えませんから」
そう言いつつ、明日人から剛陣を引き剥がしたのは万作だ。呆れ顔のまま、引き剥がした剛陣を睨みつける。しかし、怒っていると言うよりかは時と場合を考えろと叱っているようだった。それに先輩と敬意を払っているところから、冷めた対応ではあるものの愛があるからこその発言だと受け取れるだろう。当の本人である剛陣も「そーかそーか」と反省しているのだかよく分からない返しをしていた。
「それにしても明日人が朝イチじゃないのが珍しいのは確かだ。昨日も気がつくと居なくなっていたし、体調でも悪い?」
氷浦が心配そうに明日人の顔を覗き込むが特に変わった様子もなく「へーき」と笑う明日人の顔を見て、安心したように微笑んだ。
「それにしても大変な事になったでゴスねぇ。人狼が本当に存在しているなんて恐ろしいでゴス」
その巨体を大きく震わせた岩戸は顔を青白く変色させ、げっそりとしていた。
「その事なんだけど、みんなは本当に人狼を信じてる?」
「え? そりゃ信じたくはないけどこうなった以上信じざるを得ないって言うか。明日人はまだ信じてないのか?」
明日人の問いに真っ先に答えたのは万作だ。しかしそう答えた万作自身の言葉も信じざるを得ないという程度のもので、実は人狼ではありませんでした〜なんて告げられればコロッと意見を変えるだろう。それはここにいる誰しもが同じなようで、明日人の言葉を待っている。
「信じてない……わけじゃない。実際にこれが人狼の仕業ならいいなって思うよ。そうじゃなきゃ、この村の誰かが人殺しをしたことになっちゃう。そんなのは嫌だ。でも、なんか変な感じでさ。本当にこれでいいのかなって」
「……驚いた。明日人の事だから人狼を意地でも見つけて改心させてやる! って騒ぐかと思ってたんだけど」
「なんだよそれ。そうしたいのは山々だけど、そうしたって何も変わらない。死んだ人は戻らないし、人狼が人になれる訳でもない。だろ?」
氷浦の発言に今までそんな風に見られていたのかと苦笑を浮かべたが、さすがにそこまで考え無しに行動するほど明日人もバカではないと自分に言い聞かせるように言った。その言葉に「確かに」と返され、氷浦の中の明日人のイメージが少しでも変わってくれればいいなと切に願いながら、明日人は言葉を続けた。
「誰に投票するかはもう決めたの?」
誰しもが遠ざけていた本題を切り出され、少し和みつつあった雰囲気は一転。緊張が駆け抜けた。ぎこち無い空気のせいでか、自然と呼吸もしずらくなった。
「俺は、灰崎に入れようと思う」
その空気を断ち切るように発言したのはまたしても万作だ。
「アイツが来てからというもの何かと問題が起きている気がするし、何より元々村の者じゃない。人狼として疑うには十分だ」
万作の言うことは間違いなかった。確かに村人の中に人狼がいるというのは考えづらい。村人の誰かが人狼なのだとすれば、何故このタイミングで動き始めたのか検討もつかない。となれば、村の外から来た人物の中で最も疑われてもしょうがないほど目立っていた灰崎に矛先が向くのも納得だ。しかし、明日人はそれは違うと感じていた。
確かに乱暴で、言葉遣いも荒ければ人を遠ざけようとしている所もあるが、今朝のやり取りでそれが彼なりの、不器用なりのコミュニケーションだということを明日人は知っていた。その性格から人との関わりが極端に少ないせいで人との接し方、距離感が分からないだけで、本来はとても素直で真っ直ぐな感情を持った人物だと直感的に捉えていた明日人は気がつけば「違う」と声を上げていた。
「灰崎は確かに乱暴だし、村の人じゃないし、問題起こしてばっかりだけど、アイツは違う。俺、聞いたんだ。灰崎は狩人だって」
「狩人……なーんか聞いた事あんなぁ。ああ、思い出した! 人狼から村人を守る役割だって昔円堂のヤツから聞いた事あるぜ」
「円堂さんから?」
円堂。かつてこの村にいた凄腕のハンターで、剛陣曰く親友だそうだ。しかし、彼は一言「特訓に行ってくる」と言い残したまま、まだ村に帰ってきていないのだとか。明日人達も噂程度にしか聞いたことの無い存在だったが、所々で話を聞くに彼は相当な伝説を残しているそうで、彼を語るとき誰しもが憧れの視線を向けていたのだけは知っている。
「灰崎君がその狩人ってことは、みんな灰崎君に護って貰えば解決するんじゃないでゴスか?」
「そう簡単に出来れば処刑なんて話出てないだろ。恐らく、護れるのは一人……そして灰崎自身誰が人狼なのかはまだ分かっていないじゃないか?」
「そんな〜……。ガックシ、でゴス」
などと、まるで漫才のようなやり取りをする氷浦と岩戸を放っておいて、どこか納得出来ないと言いたげな表情を浮かべたままの万作は明日人のことを見た。
「灰崎が狩人だって確証はない。明日人のことを疑うわけじゃないんだが、それは誰から聞いたんだ?」
「今朝、灰崎自身から。それに鬼道さんもそう言ってたんだ。灰崎は狩人だからって」
「ふぅん。でも、それじゃ信頼足りえないな。本人が嘘をついている可能性がある上に、鬼道さんも村の人間じゃない。どちらかが人狼、もしくはどっちもが人狼で何かしらラインが出来ている可能性もある」
「ライン?」
「協力してる可能性があるってことだよ。例えば、灰崎が人狼だったとして鬼道さんが人間だとする。そして、二人の目的がこの村の壊滅だとしたら灰崎は人狼だけど鬼道さんを殺さずに自分が動きやすいように利用する。そう、例えば自分を狩人だと発言してもらうことで自分が人狼だという可能性から遠ざけて貰う、みたいなね」
「それは……」
「明日人と灰崎の間に今朝何があったのかは分からないけど、可能性的観点から言えば万作の言う通り灰崎が一番怪しいって俺も思う。村の人を疑いたくないって言うのもあるんだけど」
万作と氷浦の言い分が分からないほどバカではないが、昨日のあの怒りに燃えている灰崎の瞳を思い出した明日人は彼が嘘を上手くつける性格ではないと内心確信していた。今朝、質問にあっさり答えたのもその確信に一役かっている。そして、野坂の占い。あれもまた灰崎を人間だという気持ちに傾けさせていた。
しかし、それを伝えたところであくまで明日人の勘。主観的なものでしかない。灰崎が狩人であるという確証にはならない。占いに関しては、まだ信用せざる理由が見つからなかった。
「おい、稲森」
そんな時。噂をすればなんとやら。
そこに姿を表したのは灰崎本人だった。
元々疑心でピリピリしていた空気がさらに突き刺さるような冷たさに変化する。万作も氷浦も噂のご本人の登場により、その表情を一層険しいものに変化させていた。
「もう少しで時間だが、お前はもう決めたのかよ」
しかしそんなことはつゆ知らず、灰崎は無視するかのように明日人にだけ声を掛ける。また下手に突っかかっていくのではないかと内心焦っていた明日人はホッとしながらも首を横に振った。
「ったく。見た目もヘナチョコだが判断までヘナチョコだな。ま、人の命が掛かってんだ。そんぐらい真剣なのは悪かねーけど」
「そう言うお前はもう決まってるのかよ、灰崎」
「あ? 誰だお前」
無視されたことに苛立ったようで、先に仕掛けたのは万作だった。
「俺はお前に入れる。明日人を懐柔出来ても俺は騙されないからな」
「懐柔って……」
「好きにしろよ。そういうルールだ。ま、群がらねェと何も出来ない雑魚になんか興味ねぇよ」
灰崎は万作を睨みつけると煽るように鼻先で笑った。灰崎の眼中には万作などのっけからなかったかのようだ。
しかし煽られた万作は言葉に乗せられるように身を乗り出そうとし明日人は慌ててそれを止める。
「灰崎も万作もやめろよ。こんな言い争いしたって人狼は見つかりっこない」
「ハッ。甘ちゃんが。せいぜい仲良しごっこでもしてろ。鬼道がわざわざ護れって言うから気にはしていたがやっぱり気に食わねぇ」
「灰崎……」
「明日人、行こう」
少し縮まったと思った距離は、一気に広がっていく。万作に腕を引かれて遠くなっていく灰崎の背を見送る。その背はどこか寂しそうで、なのに明日人が伸ばした手は届くことはなく、ただ空を掴むその手を明日人は呆然と見つめることしか出来なかった。
そうして、結局話し合いがうまく纏まらないまま、ついに処刑の時間である正午を迎えてしまった。
ぞろぞろと集まり始める村人達の表情は暗く、決していいものでは無い。当たり前と言えば当たり前だ。これから自分の票によって人が死ぬのだから。
明日人は周りをぐるりと見渡す。どうにも今朝と比べて人数が少ない。興味がないのか、はたまた良心による抵抗なのかそれは分からないが、逃げたことを責めるなど誰にも出来ないだろう。
「さて、何人か姿が見当たらないようですがどうしたんでしょうかね? まあ、そんな時は投票権の放棄と見なし自身に票が入ることにしましょう。では、時間です。皆さん今から配られる紙に一人の名前を書き、この箱に入れてくださ〜い」
何処から現れたのか。趙金雲の子分である自身を子分と名乗る少年が素早く全体に紙を回していく。なんの変哲もないただの紙。しかしここに名前を書くことにより、場合によってはそこに書かれた人物の命を奪いかねない危険な紙。薄く軽いこの紙に今、どれほどの重さがあるのだろうか。
ぐしゃり、とその紙を握りしめると明日人はそこに自身の名前を迷いなく記入した。
(誰かを疑うぐらいなら自分が死んだ方がいい。ルール上問題もないし、これで死んでも俺は──)
そこで、思考が止まる。
俺は。
仲間の死を見なくて済むからなのか、自分に痛手がないからなのか、自己犠牲に満足できるからなのか。分からない。どう転がろうとそれは結局結果論だ。
自分が死んだところで人狼の猛攻は続くだろう。明日人は何となくそう思っていた。
シワシワの紙に書かれた明日人の名前は同じくグシャグシャで辛うじて読めるであろうという程度だ。まるでその文字は今の明日人の気持ちを表しているかのようで不安定に見える。
もう一度紙を握りしめるとそれを投げ捨てるように投票箱に入れると、同じく票を入れに来た灰崎と目が合った。
一秒、二秒。
そんなに長いこと視線が重なっていた訳でもないのに、何故か永遠に感じるようなそんな雰囲気の中。氷浦の呼び掛けにより、それは解かれた。
「明日人、行こう」
どうやら睨み合ってると思われたのか、灰崎から明日人を守るように氷浦は入り込むとその腕を引く。その力は小柄な彼から想像もできないほど強く、長年付き合ってきた明日人も少し予想外だったようで半ば引っ張られる形で投票箱から離れる。視線が解れたことで灰崎もようやく動き始めたが、明日人達を追うようなことはなかった。
投票箱の前、票を入れようと出来た人集りから抜けた二人はようやく腕を解き深いため息をついた。
「大丈夫?」
明日人の問いかけに、氷浦は「大丈夫」と答えるがその顔は緊張している時のように強ばっていた。どうやら灰崎を前にして、うまく顔を作れなかっただけらしい。
「明日人の方こそ大丈夫? 灰崎に何か言われてたんじゃないのか?」
「俺は平気。灰崎とも喋ってないよ」
「そう。結局明日人は誰に入れたの?」
「……俺は。俺に入れたよ。例え怪しいと思っても誰かに投票なんて、俺には出来なかった」
「ふふ、明日人らしいや」
そう頬を一瞬だけ緩ませると、氷浦はどこか遠くへと視線を向ける。あまりにも唐突な行為だったが、その光景は明日人にとって見慣れたものだった。霊媒師である祖母から受け継いだ霊能を持つ氷浦は死者と会話が出来る“霊能者”なのだと幼い頃から本人に聞いていたからだ。
死者の魂を祓うことが出来る霊媒師と違い、ただ死者の声を聞くだけの彼は時たまこうして虚空を見つめ死者と会話をし始める。会話と言っても直接的な声に出すものではなく、直観的なテレパシーのようなものらしい。だから見ている側は何を言っているのか聞こえないし、またその姿を見ることも無い。ただ、ぼんやりとしているように見えるだけなのだが、氷浦は会話していたのだといつも言う。それが本当のことなのか、虚言なのか。死者の声を聞けない明日人にとっては分からないが、氷浦が言うのならきっとそうなのだろうと思う。
「なんて?」
目を閉ざしたのを見計らって声を掛けると、疲れ切った顔のまま氷浦は「うーん」と唸り声を上げた。
「人狼の姿を見たけど、よく分からなかったって。見覚えのあるような、知らないようなそんな感じだったって言ってた」
「相手は杏奈さんだったの?」
「うん。もう死んで時間が経ってしまってたし俺の力不足であまり喋れなかったけど、最期は笑ってた。こんな死に方だったけど悪くなかったって。それから大谷さんにごめんなさいって伝えて欲しいってさ」
「そっか……」
人狼の姿が捕えられなかったことが残念だったのか、杏奈の最期が笑顔だったことが嬉しいかったのか、よく分からない複雑な表情のまま明日人は短くそう呟いた。
氷浦が霊能者であることを知っているのは明日人と万作、岩戸と剛陣のいつもの四人と霊能を引き継ぐ要因となった氷浦の祖母だけ。本人は他にも何人かにその話をしたそうだが、信じてくれたのがこのメンバーだけだったそうだ。それ以降喋ることでもないと判断したのか、自身についてはあまり他人に話したがることも無い。
それが明日人の知る、霊能者氷浦貴利名だ。
「そろそろ投票が終わるみたい」
言われて投票箱の方を見ると、集まっていた村人達は疎らになっていて皆投票を終えたようだった。
(そう言えば、氷浦は誰に入れたのだろう)
完全に聞くタイミングを逃してしまった明日人は、ちらりと氷浦の横顔を見た。相変わらずの感情の読めない表情。
今朝万作と共に怪しいと言っていた灰崎に入れたのだろうか? それとも別の誰かなのだろうか?
今更それを考えてもあの箱に入った投票結果は変わらないし、氷浦自身に聞く勇気もない。開示されていく投票結果を呆然と眺めるしか今は出来なかった。
そして票が開かれていくのを眺めてどれぐらい経ったのか。いつの間にか全ての票が明るみになり、ついに本日処刑される人物が決まってしまったようだ。
酷く喉が渇く。
何度も生唾を飲み下しながらその結果を待つ。昨日の雨のせいか飲み下しすぎた唾のせいかはわからないが、喉は渇いているのに酷くジメジメとした異物が突っかかっているかのような感覚に襲われ呼吸が酷く乱れる。
早く終わって欲しい気持ちとその瞬間が永遠に来て欲しくない気持ちがせめぎあい、どれほどの時間が経ったのだろうか。他人にとっては刹那に等しかったのかもしれない。
趙金雲がいつになく真面目そうな顔をして人柱になる人物の名前を読み上げた。
「投票の結果、最も票を獲得したのは大谷つくしさんです」
重々しく告げられた名に、自分ではなく安心した者。驚きの声を上げる者。自身がそこに名を綴ってしまったことによる後悔を噛み締める者。それぞれの反応により、均衡していた空気はガラリと変わった。
そして、人柱として名を挙げられ混乱を隠せないつくし本人は、何故自分の名を告げられたのか。今から自身の身に起こることを理解出来ていないのか、目を見開きポカンとしている。
「私……?」
つくしは周りを見回した。
助けを求めるように、誰かに説明を求めるように。
何度も何度も視線を右往左往させ、誰かを探すように。
小動物が天敵と出会ったかのような動きをしきりにしてみせるが、そんな彼女と目を合わせようとするものはいない。
当然だ。投票と言う多数決で決まったことだ。多くのものがあの紙に、あの箱に、つくしの名前を記して入れたのだから。後ろめたさや疑心、何となくなどそれぞれの気持ちはあるだろう。そして、そこに誰かの名前を書く意味をみんな知ってやったのだから。そんな人達がこれからその行為によって犠牲になる彼女の目を、助けてと言わんばかりのサインを受け取れるわけがなかった。
ようやく事態が飲み込めてきたのか。つくしは処刑台に目をやる。ズンとそびえ立つ己の魂を刈り取らんとする物を見て、彼女は口元に笑みを浮かべた。それはもう、生きることを諦めるような、最期ぐらいは笑顔でいようという彼女の気丈さから漏れたもののような、なんとも言えない笑顔で彼女は誰に言われるでもなく、フラリと導かれるようにその縄の前に立つ。
そして縄にそっと手をかけ引き寄せると、輪の部分に自分の首を通し微笑んだ。
「杏奈ちゃん、ごめんなさい。私、復讐出来なかっ──」
誰にも聞こえない小さなつぶやきと共に一筋の涙が頬を伝った。
ギシッ。
縄が引っ張られ、歪な音が広場に響く。
ギシッギシッと繋がれた身体が振り子のように動く度、縄は悲鳴をあげるがそれが切れることはない。物言わぬ抜け殻となった身体を支えながら、縄は切れることなくゆらゆらと慣性に従って揺れていた。
人狼により命を奪われた杏奈。
そしてその人狼を排除するために人柱として祭り上げられてしまったつくし。
こうして村から二人の人物が命を落とした。
あまりそれぞれと話したことがなかったとはいえ、人を失う悲しさを知っている明日人は「ああ……」と小さな悲鳴にも似た声を上げながら膝から崩れる。
死んだ。
人が、死んだ。
何故?
人狼が現れたから?
母を失った時はあれほど涙が溢れたというのに、今の明日人はただ呆然と地面を見つめているだけ。他のことを考えて思考が混乱しているからなのか。母の時に一生分の涙を流してしまったせいなのか。心が壊れてしまっているのか。自分が死ななかったことに安心しているからなのか。明日人自身も何故こんなにも悲しいのに泣けないのか分からなかった。
横にいた氷浦の嗚咽を聞きながら、地を見つめまるで死を考えないようにと思考が段々と移り変わっていく。
人狼を見つけなきゃ。
そうしないとまた人が死ぬ。また人が死ねば処刑は続き、そして次は横にいる氷浦が万作が岩戸が剛陣が、自分の親しい人があそこに立つことになるかもしれない。そうなった時、自分が泣けなかったら。
泣けなかったら、どうなるというのだろうか。
次々と駆け抜けていく良くない思考を振り払うように明日人は首を振り立ち上がる。
いつまでもこのままじゃ、良い方向には進めない。
決意を決めたように拳を握ると、明日人は隣で今だ肩を揺らしている氷浦の背を撫でた。
「あす、と……」
「氷浦、お願いがあるんだ」
「お願い?」
人が死んだと言うのにやけに落ち着いている明日人を前に、何故こんなにも落ち着けるのだろうかと疑問に思いながらも氷浦は言葉を返す。明日人は母の死によって死に慣れてしまっているのかもしれない等とその事を少し悲しく思いながらも、彼からの頼みとあれば断れない氷浦は涙を止め、頷いた彼の目をジッと見つめた。
「今から死んだつくしさんの声を聞いて欲しいんだ」
明日人のお願いを聞いた氷浦は「え?」と情けない声を上げる。
「氷浦なら出来るよね?」
「出来る、けど。どうして?」
「どうしてって、そりゃ。つくしさんが人狼じゃなければまた人が死ぬよ?」
淡々と告げられた言葉に氷浦はガツンと頭を殴られた気分になった。
また、人が死ぬ。
そんなことを淡々と告げる明日人に、そしてまだこの事態が解決し切っていないということに胸が締め付けられるような、絶望に叩き込まれて行くような気持ちの悪い感情が渦巻く。
今目の前で自分を見ている彼は誰だ?
ここの所、人狼の噂が出てきてから何となく明日人が変わってしまったように思う。振る舞いや言動こそはそんなに変わらないものの、彼が纏う雰囲気というか何か悪いものに取り憑かれているというか、大事なものを置いていってしまっているような。元々真っ直ぐすぎて不安定なところがあった明日人だったが、その不安さがさらに増したような。
ああ、でもそんなことはどうだっていいのだ。
確かに、彼の言う通りこの処刑は人狼を吊るための装置で、そこに人狼が吊れなければまた人狼は人を殺す。そして人狼が人を殺せばまたあの処刑が執り行われ自分たちの手でまた村人を葬らなければならないのだ。
自分のこの力が少しでもそれを食い止められる希望になると言うのならば、そして、その力を使って欲しいという親友の頼みであれば。
「わかった。俺の力が村のためになるんだよな。つくしさんの声聞いてみるよ」
氷浦は自身の涙を拭うと立ち上がった。
明日人に何があってそんなに変わってしまったのかはわからない。それでも、二人が親友であることに変わりはなく、変わってしまったとしても明日人は明日人であると氷浦は信じていた。
村人達の手によって丁寧に降ろされたつくしだったものに向かって氷浦はそっと手を伸ばした。そして彼女の身体に重なるように伸ばしたその手を何かを握りしめるように強く結ぶとそれを引き抜いた。
ふと意識が抜けていくような不思議な感覚に襲われながら焦点を合わせる。そこにはかつてのつくしの姿をした亡霊のような何かが佇んでいた。
『大谷さん』
声に出さずに呼び掛ける。
その声に気がついたつくしだったものは振り返ると生前を思わせる笑顔を浮かべた。
『私、死んじゃったんだね』
つくしは切なく笑う。
自分の身体だったものを見つめながら、死を受け入れるように。
『それにしてもちょっと驚いちゃった。氷浦くんって死んだ人とお喋り出来るんだね』
『ああ、うん。ばあちゃんから授かった能力で』
『氷浦くんのお婆ちゃんって確か霊媒師だったっけ? それで、何か聞きたいことでもあるの?』
いきなり本題を切り出されて、氷浦は一瞬ドキリとした。が、霊というものはそういうものである。生というしがらみから解放され、肉体からも開放された魂は、偽ることをしない。だからこそ、生きている人間を相手にするよりかよっぽど楽だった。
『聞きたいこともある。けど、その前に伝えたいことがあるんだ』
『……』
『御門さんから。ごめんねって』
『どうして』
生きている間に伝えてあげたかった伝言。能力に不足があったが故にこのタイミングで告げることになってしまったその言葉を聞いて、つくしは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
『どうして杏奈ちゃんが謝るの!? 私は復讐を果たせなかった! 杏奈ちゃんを殺した人狼を見つけることも出来ずにこうして死んじゃった……!』
ボロボロと泣き始めたつくしの魂は不安定にゆらゆらと揺れる。雫が波紋を産むように、涙が頬を伝う度にその存在は消えそうなほど震えた。
復讐を果たせなかった彼女は自己嫌悪に似た感情を爆発させる。氷浦はそんな死者の感情に触れながら、グッと気持ちを抑える。
『御門さんは最期、笑ってたよ。復讐なんて望んでなかったんだ』
『そんなことない。だって、杏奈ちゃんはあんな姿になっちゃったのに……』
『魂は嘘をつけない。信じて』
『だったら、私がした事はなんだったの? 私、私……』
感情を抑えられないつくしは早口で捲し立てるように言葉を発する。
『野坂くんを殺そうとしたの』
衝撃の事実と言うべきだろうか。
彼女の口から発せられた言葉は耳を疑うようなそんな言葉だった。
いつも温厚で、皆を支えてくれていた彼女が? 人を殺そうと、それも野坂を?
混乱しきった氷浦は言葉が上手く出てこない。その様子を見て、つくしは失笑した。
『杏奈ちゃんは野坂くんを気にかけてるみたいだったから、人狼である野坂くんはそれがウザくなって……だから、惚れてるのを利用して野坂くんは杏奈ちゃんを殺したんだって。いつも家にいるのも怪しいし、杏奈ちゃんが殺された時真っ先に野坂くんを疑った。それに野坂くん杏奈ちゃんのお葬式の時泣いてなかったんだよ!? そんなの、疑うしかないじゃない。だから昨日の夜野坂くんを殺すつもりで家を訪れたの。でも西蔭くんに止められて、逃げる時に色んな人に刃物を持っているところを見られて……。だから、この投票結果だったの。自業自得だよね』
人を殺そうとした罪の意識。
復讐を果たせなかった虚無。
だからあんなにもつくしは死へ抵抗がなかったのだろうか。
自分の知らなかった事情を知った氷浦は絶句していた。人の死によってこんなにも人は変わってしまうのかと。そして、変わってしまった彼女がどこか今の明日人と被って見えてしまい、嫌な予感が背中を駆け抜ける。
氷浦の感情が揺れる。
するとつくしの姿が背景に溶け込むように薄れていってしまう。
時間的にも、氷浦の気持ち的にもこれ以上つくしと話すのは限界のようだった。
それに気がついたのか、つくしは諦めたような笑顔を作り氷浦を見た。そんなつくしと目が合う。
何か、言わないと。
何故かそう思ってしまった氷浦は口を開くが、案の定言葉は出ない。そのまままごついていると風に攫われるようにつくしの姿をした魂はフッ掻き消えてしまった。同時に、氷浦の意識も真っ暗になり、誰かに支えらるような包まれるような温かさが衣類越しに伝わってきて、よく知っている声が名前を呼んでいた。
「氷浦……氷浦!」
いつもより気だるそうな氷浦の身体を支えたのは明日人だ。本日二度目の能力行使に身体も精神も疲れ切ってしまったのだろう。いつもなら寸でのところで倒れるようなことはないのに、意識を失う程酷使してしまったことに明日人は内心焦りながらも何度も彼の名前を呼んだ。
反応はないものの呼吸はしているため、死んではいないだろうがこのまま目が醒めなかったらどうしようかとオロオロとしていると丁度そこに坂野上が通りがかった。
「どうしたんですか!? とりあえず俺のゲストハウスに来てください。ベッドをお貸ししますので」
そう言って坂野上は氷浦の肩を抱えると急ぎ足で自身のゲストハウスへと案内する。急ぎ足ながらも氷浦の身体を労わってゆっくりと進むところから彼の人の良さが出ていた。
氷浦をベッドに横たわらせると一息つき、用意された椅子に明日人は腰掛けた。
「それで、一体どうされたんですか?」
「えっと」
明日人は少し戸惑いながらもここまでしてもらったのだからと、氷浦の霊能者としての能力のこと、その力の使いすぎで倒れてしまったことを簡単にまとめながら伝えた。
その話を坂野上は真剣に聞き「なるほど」と声を上げる。
「カッコイイですね! 凄いなぁ氷浦さん」
同じ村の人ですら信じてくれなかったことをあっさりと認めながら、輝いた瞳で未だ眠る氷浦に視線を送る坂野上。純粋に憧れの眼差しを送る様子は彼の単純さを表すようだった。
「坂野上は信じてくれるの?」
「俺はこの目で見たので。あんな風に会話するんですね」
倒れる少し前から二人の様子を遠目に見ていたようで、坂野上はあっさりと答える。
「俺、この村には円堂さんを訪ねてきたんです。でも入れ違いになっちゃって、こんなことに巻き込まれて。村の人間じゃないから信用ないかもしれませんが、この村の為に俺も何かしたいと思っています」
「そっか……」
彼の言葉には嘘がない。
そう思わせるほどには真っ直ぐな感情の篭った言葉だった。
「じゃあさ、坂野上は誰が人狼だと思うの?」
明日人のその問いかけに坂野上は目を見開く。「うーん」と悩みながら、腕を組む。
「そもそも、人狼って本当にいるんでしょうか?」
「村の人を疑っているの?」
「そうじゃなくて、村の外から来た……えーと、それも俺たちみたいに今村に滞在していない第三者的な存在が居たりしないかなって」
「第三者……」
「そうです。明日人さんはこの前お仕事で村の外に出てましたよね。その時に村に今いる人以外の姿を見ませんでしたか?」
言われて明日人は先日氷浦と野坂と共に出たことを思い出すが、それらしきものの記憶はない。首を横に振って応えると坂野上は残念そうに眉を下げた。
「そうですか。でも、そういう可能性もありますよね。村の外で潜む謎の人物! その人が人狼の仕業に見えるようにしている、のかもって俺は思ってます」
あくまで俺はですけど、と付け加えるように言う坂野上と同時に氷浦が目を覚ましたのかベッドが軋む音が響いた。
「氷浦!」
「明日人……? ここは」
「俺のゲストハウスです。調子はどうですか、氷浦さん」
「平気。そうか、あの後倒れたのか」
意識と記憶はハッキリしているようで、頭を押さえながらも氷浦はゆっくりと倒れる前のことを思い出した。つくしとの会話。自身の知らなかった事実の話。
言葉を上手くまとめられずぐちゃぐちゃになりながらも、その事を明日人に話した。当然、そこにいた坂野上もその話を聞いていたのだが、本人は知っていたのか大して動じる様子は見せなかった。
「それ、本当です。俺大谷さんに投票しましたから。野坂さんのことは知りませんけど、夜に包丁を持って逃げるように走る姿を見て、それで」
聞きもしないのに、坂野上はそう言うと申し訳なさそうに目を逸らすが何も知らない彼からすれば目の前で見たことが全てに映るだろう。彼女は人間だったが、氷浦と言う霊能者がいなければその事実を知ることは無く、結局は結果論なのである。
そして明日人の方はと言うと、何かを言いたげに表情を曇らせながらも言うべきかどうかで迷っているようだった。しかし、自分が頼んでそしてこのような結果になったことに対して少し思うところがあったのか、一度深呼吸をすると意を決した様に言葉を吐く。
「俺、これから野坂の所に行くよ。占いのこと、そしてつくしさんのことを聞きに」
明日人と氷浦、そして坂野上の三人は野坂の家の前まで来ていた。
つくしが言っていたことを確かめたいのと、彼の占い師の能力の事。それらを明日人は自分の手で確認しておきたかった。
コンコンと扉をノックすると、まるで来ることが分かっていたのかのようなタイミングで西蔭が扉を開けた。
「入れ」
低く、その声は響く。
三人は恐る恐る家に入ると小さな声で「お邪魔します」と断った。
「やあ、明日人君。待ってたよ」
昨日訪れたままの場所、水晶玉が置かれた机の前で頬杖を付きながら野坂は微笑み、三人の姿を捉える。その余裕そうな声は、三人が訪れることを予期していたかのように感じた。
座るように促された先には小さなテーブルを囲むように四つの椅子が用意されており、それぞれ明日人、氷浦、坂野上と腰掛けると空いた席に野坂が腰掛ける。西蔭はさも当然かのように野坂の後ろに控えたが、お茶を用意するようにと命じられて直ぐに奥へと消えた。
「さて、今回の要件は何かな? 凡そ、今回の投票についてだとは思うけど」
あっさりと野坂は言ってのける。
あまりにもサラッと言ってのけるので三人ともギクリと身体を固めた。
「ふふっ、やっぱり。そんなことだろうと思って少しカマかけてみたんだ。こんなにもわかりやすいとは思わなかったけれど」
その反応を見て、野坂は楽しそうに笑った。
「じゃあ、やっぱり……」
「うん。つくしさんは昨晩僕のことを殺そうとした。それを西蔭が追っ払ったけど、少し騒ぎになってしまってね。どうやら杏奈さんと仲良かったことに嫉妬しての行動ってことになってるみたいだけれど、本当の所は違うんだろう?」
「そこまで知ってるのか」
昨晩の事情を知らなかったとは言え、本人から聞いた事実ですら野坂は知っているかのように話す。その姿に氷浦は驚きながら、頷いた。
「信じてくれるかどうかは分からないけど、俺死者と話せる能力を持っていて、さっき大谷さんと話をしたんだ。どうやら杏奈さんに気に入られていることを野坂がウザがっていると捉えてたらしくて」
「それで僕が杏奈さんを殺したと思った、か。なかなか悪くないね」
自分の話を、それも良い様に話していないのに何が面白いのか野坂は微笑んだ。その笑顔が何処か歪に見えて、明日人は不安になる。
「それで、俺たちその事を確かめたくて……」
「そうだね。正直杏奈さんの事はどうも思っていない。死んでしまったのは可哀想だと思うし、良くしてもらっていたこともあるけれどそれをウザいと思ったこともなければ、殺したいと思ったことも無いよ。だから、つくしさんの考えは的外れだったって訳だけれど、この疑心暗鬼の中そう考えてしまったのも無理はないと思う。特に彼女は杏奈さんと仲がよかったみたいだから」
淡々と心中を語る野坂は表情を崩さない。
「だからといって、僕を殺そうとしたのは不味かったね。僕には
「野坂は……」
「ん?」
がたんっと明日人は立ち上がる。あまりの勢いに椅子がそのままひっくり返ったが構うことなく、明日人は野坂を睨みつけた。
「占い師だって言ったじゃないか。彼女が人間であること、俺達がここを訪れることがわかってたようにつくしさんがお前を殺しにやって来ることぐらい分かってたんじゃないか!?」
氷浦と坂野上は事情が呑めないのかポカンとしているが野坂は「へぇ」と短く感嘆の声を上げる。それが余計に明日人を腹立たせたのか、明日人は野坂の胸倉に掴みかかった。
「落ち着きなよ。占いはそこまで万能じゃない。一日一人占うぐらいが限界だ。君達がここに来るのが分かっていたのは、単なる推理であって占いの結果じゃない」
掴み掛かられたにも関わらず、野坂は冷静に答える。そこにお茶を用意していた西蔭がやって来て事態を見ると、お茶をテーブルに置き野坂と明日人の間に割って入った。
第三者が現れたことで明日人も少し頭が冷えたのか、手を離すと二、三歩たたらを踏むように後ろへ下がる。
「すみません、ちょっと分からないんですけど占い師ってどういうことですか?」
事情が呑み込めないまま放置されていた坂野上がここぞとばかりに手を小さく上げて、おずおずと質問を飛ばした。掴まれたことで乱れた衣服を直しながら、野坂は「ああ」と思い出したように答える。
「信じて貰えるかは分からないけれど、僕は占い師の家系でね。占った人が人間か人狼かが分かるんだ。とは言っても、能力にも限界があるから全員を一気に占ったりだとかは出来ないのだけれど」
と、説明しながら野坂は明日人を見た。その目は説明も無しに彼らを連れてきた無責任さを責めるような、信頼していた彼にまだ信頼されていなかったことに諦めたかのようなどんよりとした濁りが映っている。そんな瞳に見られた明日人は、先程の言動もあってか反射的に目を逸らしてしまった。
そんな明日人の反応を見て、一つ溜息を吐きながらも野坂は水晶玉に手を翳した。
「僕はこの力で村を救う。でも、こんな御伽噺のような話を信じてくれる人は少ないだろうと思って秘密裏に事を進めていたんだ。せめて確証を得られるまではってね」
「なるほど。つまり、氷浦さんと野坂さんの能力と合わせれば俺達村人も人狼に対抗出来るってことですよね!」
坂野上の言葉にそこにいた全員がポカンと口を開けた。その様子に何かおかしな事を言っただろうかと坂野上は慌てたが氷浦がようやく事を理解したのか、ポンッと手を打つ。
「ああ、なるほど。俺の霊能者としての力を使えば、野坂の占い結果に信憑性がつく。そうすることで人狼を炙り出せるってことだな」
「霊能者……?」
今度は野坂が首を傾げる番だ。あまり外に出ない彼にとって、村人同士の事情というのは疎いもので氷浦の能力についても、その祖母のことについてもあまり知っていなかったようだ。霊能者という能力は御伽噺や野坂の先代の日記にもなかったもので、彼の知り得る情報源にはなかったのだろう。
氷浦は占い師として隠れて行動していた野坂への情報公開のお返しのように、自らの事、そして霊能者としての力についてを簡単に野坂に伝えた。
「へぇ、そんな力を使えるなんて面白いね。確かに後手に回ることにはなるけれど、氷浦君と僕のこの力を合わせれば先代の日記にあった通り、人狼を除けることが可能かもしれない」
などと感心する野坂は、身を縮こませるようにして椅子に腰掛けている明日人を再び見る。
占い師としての野坂、霊能者としての氷浦。そのどちらもの情報を持っているのにそれを開示しなかったことに疑問を浮かべたのだ。
明日人がもっと早く能力について話してくれていれば、つくしさんのことも救えたかもしれない、と思ってしまい首を振る。起こってしまった事を今更考えてしまっても仕方が無いし、ここで明日人を責めたところで先に進むことではない。依然として明日人に警戒の視線を送る西蔭に視線を写しながら、野坂は氷浦の能力と自身の能力を上手く使うための作戦を提示した。
「これはあくまで僕の意見なのだけれど、坂野上君には悪いけれどどうしても村の人が人狼だとは思いたくないんだ。だから、怪しむ候補として、ここ数日村の外から来た人たち──つまり、ゲストハウスに居る人たちを僕は疑っている」
素直な言葉に、名指しされた坂野上は少し悲しそうな表情を浮かべたが、野坂の意見を受け入れたのか直ぐに真剣な表情に戻る。
「現在ゲストハウスにいるのは、灰崎君、鬼道さん、坂野上君、風丸さんの四人。そして、その中で僕が占った灰崎君は白。人間だと出た。だから今僕が一番疑っているのは……」
容疑者に挙げられている坂野上が唾を飲み込む音が響く。ここで疑われていると言われたらどう反論しようかとも考えていた。
「鬼道さんだ」
が、それは杞憂だったらしく告げられたのは処刑を考案した本人、鬼道だ。
自分に容疑が掛からなかったことに安心したのか大きく息を吐いた坂野上に「よかったな」と声を掛けながら氷浦は野坂に先を促す。
「疑う理由としては、処刑というやり方があまりにも過激すぎること。そして、さっきも言ったけれど村の外からきた人物であることが上げられる。だから今晩僕は鬼道さんを占うつもりだった」
「そこで君達に協力して欲しいのだけれど……もし占いの結果で鬼道さんが白、つまり人間として出たとしても、鬼道さんに投票して欲しいんだ」
しかし、その後に告げられた野坂の発言は、あまりにも予想と掛け離れたものだった。
鬼道が
そんなことを平々凡々と言ってのける野坂に驚きながら単純にその意味を飲み込めなかった三人は呆然としていた。しかし、その反応も野坂にとっては予想の範疇だったようで、柔らかく笑みを浮かべて見せるとその理由を話し始めた。
「僕の能力については理解してもらえたとは思うけど、正直確証足り得る証拠がない。何より人間であったつくしさんに疑われていた身だ。つまり僕が嘘をついていて、つくしさんの言っていた通りだったらどうする? 西蔭も僕の味方で一緒になって村を全滅させようとしていたら?」
途中名を出された西蔭が野坂の名を呼んだが、黙っていろと言わんばかりの視線により直ぐに口を噤む。この言動により、野坂と西蔭の力関係もハッキリし、野坂の言うことも可能性の一つとして入ることになる。
「氷浦君の能力は信用足り得るものかもしれないけれど、ポッと出の僕の能力なんていくらでも嘘がつけるからね」
そう語る野坂の言葉に、明日人は少し引っ掛かりを覚える。あの先代の日記は本物だった。そして野坂自身もそれを信じて明日人に話をしてくれたはずだ。なのに今更それをなかったことに話を進めていく野坂に何か試されているかのような気持ちになって、明日人はさらに身を縮こまらせた。
「とにかく、坂野上君の言う通り第三者という可能性もいいけれど、何もわからない以上、様々な可能性に目を光らせて置いた方がいいだろう。だから僕はあえて自分が人狼のである可能性も提示した。そして、その上でのさっきのお願いになるんだけれど、僕の能力が本物かどうかを見極めて貰うにはこれが一番だと思ってね。鬼道さんには申し訳ないけれど、氷浦君に見てもらってもし鬼道さんが白ならば僕の能力の証明になるし、黒ならば人狼が吊れた上に僕という嘘つきも吊れる寸法だよ。悪くない提案だと思わないかい?」
「確かにそうかもしれないけど、どうして野坂は自分が疑われるのにその話をしたの?」
おずおずと小声で呟くように言う明日人に視線を向けながら野坂は答える。
「さっきも言ったけれど、もう既に疑われている身だからね。それと付け加えるなら疑いを晴らすには目に見える疑いの提示とそれの打開策を立てて実行に移すのが一番だからだよ。力の証明と疑心の打開。君達の手を汚すことにはなるけれど、同時にこなせると思ったんだ」
力強く答える野坂に覚悟を決めたのか。坂野上は強く拳を握ると頷いた。
「もう既につくしさんに票を入れてしまった身です。村の外から来た俺が野坂に加担するというのはなんだか媚びを売っているみたいですが、俺もこの村のために動きたいです。可能性を絞れるなら俺は協力します」
相変わらずの真っ直ぐさに気圧されながらも今度は氷浦も頷いた。
「俺の力を信じてくれた野坂のことを信じたい。それにこんな状況が続くのならばいつかは汚れるものだし、覚悟を決めるよ」
「自分は野坂さんを信じています」
西蔭もその流れに便乗するように呟く。
そして明日人に視線が集まるが、まだ選択出来ないのかあわあわとしながら視線を右往左往させる。反対だと言い出せる雰囲気でもなければ、反対する理由もない。それに野坂を信じたいと言う気持ちもあれば村の人間を疑いたくない気持ちもある。突然村に現れ、処刑という仕打ちを持ち込んだ鬼道のことを怪しんでいない訳でもない。しかし、本当にそれでいいのだろうかと言う気持ちもあり、明日人の心の中は揺れに揺れていた。
一言、自分も野坂を信じたい。
そう言って明日、鬼道に投票すればいいだけだ。だが、占いの結果によってはそれは人を殺すことになる。
人を殺したくない。
でも野坂を信じたい。
そんなジレンマを察したのか野坂は手をパチンと叩くと明日人に向かって指を指した。
「じゃあ明日人君は占いの結果が黒の時だけ鬼道さんに入れてくれればいいよ。その代わり白だった場合は誰に入れたか教えてくれないかな? そしてその理由を。そうすれば票が割れて鬼道さんが確実に処刑される可能性は下がるし、僕の力の証明はしにくくなるけど次に怪しい人の候補が出来る。二人はそれでもいいかな?」
それは明日人にとっては申し分ないほどの譲渡された条件だった。その反面、既に決意を決めた二人にとっては申し訳ない条件にもなっていた。が、二人はそれを快諾すると明日人に笑顔を向けた。
「難しい選択ですもんね。こんな状況ですし、俺は構いません。俺が決めたことですし」
「俺も。怖いけど自分の意思でやるって言ったから」
その二人の答えを聞いて、野坂は明日の手筈を簡単に伝えると時間も時間ということで今日は解散という事になった。半ば追い出されるかのように野坂の家を出る際、明日人のみ野坂に引き留められる。
「明日人君」
その声は少し震えている。
西蔭は空気を読んだのか、氷浦と坂野上だけを見送りながら自身も外へと姿を消していた。
「どうして二人に占い師のこと、話をしていなかったんだい?」
「それは」
話していた最中、野坂が最も聞きたかったであろうこと。明日人にだけ伝えた自身のこと。それを訪れる前に二人に話しておいてくれれば良かったのにと疑問を抱いたことだ。
信じてくれていないから?
単純に話す時間がなかったから?
信用しているが故に自身に説明させたかったから?
その理由を何となく聞いておきたかったのだ。
口論になった際は勢いで睨みつけてしまったが、話さなかった理由が彼なりにあるはずだと冷静になった今なら考えられた。その理由がもし、最初に考えていたものであっても受け入れられるだろうと思い直し、その疑問を口にした。
「言っても良かったのかどうか、悩んじゃって。勝手に言いふらしていいものなのかなってさ。結局、カッとなって言っちゃったんだけど」
そう言って明日人は苦笑を浮かべた。
その回答に少しホッとしながら、野坂は明日人の背を押した。
「そっか、信用されてないわけじゃなかったのか。ごめんね、いきなり引き止めて。気をつけて帰って」
「うん? ああ、野坂も気をつけて。また明日」
押されるがまま明日人は野坂の家を後にする。外には坂野上と氷浦、そして西蔭が出てくるのを待っていた。明日人が出てくるや否や、西蔭は直ぐに家の中へと戻っていく。
何か話してたのかと問う氷浦になんでもないと返しながら、明日に備えるため各自解散という流れになった。坂野上は自分のゲストハウスに、氷浦は今日のことを万作達に伝えるために寄り道をするという事だけを明日人に伝えると手を振って別れた。
一人になった明日人も大人しく家に帰ろうと帰路に向かったが、自身の家が見えた辺りで何か違和感を感じる。村外れにあるせいか、家の周りは村ほど明かりがなく帰る時はいつも真っ暗なのだが、今日はほんのりと明かりが見えている。誰かいるのだろうかと思ったが、用事がなければそうそう人が来るような場所でもなく、不審に思いながらも歩を進めると、どうやら明かりがついていたのは明日人の家そのものだったようだった。
現在一人暮らしであるはずの我が家に光が灯っているのは明らかにおかしい。朝は明かりをつけた覚えもなく、今日は一日ずっと外にいたはずだ。なら、誰が明かりを?
どきり、と心臓が高鳴る。
母が生きている時のことを思い出す。昔はこうして外が暗くなるまで遊んで、明かりの点ったこの家に帰っていた。
何故かその事を思い出してしまって、母が帰ってきているのではと、むしろ行方不明になっていた父が帰っているのではないかと思うと鼓動が早くなる。
齧り付くようにドアノブを回すとそこに想像していた人物は居なかった。
藍色の目。深い海の色をした髪。
目の前にいるのは、今朝姿を消したはずのあの日助けた影のような少年だった。
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幕間 それぞれの起源①
夢を見る。
過去の、以前の、懐かしい夢を。
名前を呼ぶ幼馴染の少女の後ろ姿を。
もう忘れつつあるその声で彼女に名前を呼ばれながら、灰崎は目を覚ます。
彼女に向かって差し出したはずの腕が空を裂き、自分が夢から覚めたのだと思い知りながらその手で長い髪を掻き乱した。何度も何度も繰り返し見た夢なのに呼吸は乱れ、僅かに冷や汗が滲んでいる。
もう慣れたと思っていたのに、見る度にこの調子なのだから笑えない。
気持ちを落ち着かせるように深い溜息を吐く。そして、思い出すのはあの日の最期に会った後ろ姿だ。
「またこの夢かよ、茜」
救えなかったあの後ろ姿を何度も何度も思い出しては、復讐を誓ったこの胸を熱く燃やすのだ。
夢を見たせいか落ち着かず、今日はようやく狩りに遠出する日だと言うのにずっとそわそわしてしまっていた。
「灰崎」
そんな灰崎を呼び止めたのは鬼道だ。
鬼道にチラリと視線を寄越しながら、先程から手入れをしている弓に再び視線を戻しながらこれから先も相棒として使っていく弓に不備がないか点検して行く。鬼道自身もそれを眺めながら特に咎めることもせず、そのままでいいから言葉を聞けと言わんばかりに話を続けた。
「用意はもういいのか?」
先程からこうして点検をしているのももう本日で三度目。それでも入念に手入れをする灰崎を見兼ねての言葉だろう。ようやく灰崎も満足したのか、視線を上げて睨むように鬼道を見やると凶悪そうな笑みを口元に浮かべた。
「ハッ、誰に聞いてんだ。ンなもんとうの昔に出来てんだよ」
そう、用意自体は昔から出来ていた。茜が、あの目の前で幼馴染が人狼に殺されるのを見た日から、灰崎の心は復讐に燃え仇を打たんと準備を整えて来た。そしてようやくその復讐を果たすチャンスがやってきたのだ。
人狼を。大事な幼馴染の仇を殺す、チャンスが。
弓を大事に腰のホルダーに差すと矢のあり所を確認する。ちゃんとある。ただ、これだけの数でキチンと殺しきれる保証もなければ己の弓で殺せる自信もない。しかし、掴んだチャンスは逃さない。確実に殺るという気概がなければ人狼を殺すなんて出来ないのだから。
誓を胸に抑え込むように胸に手を当て、強く握る。
(茜、必ず俺が仇を取ってやるからな)
思い返す茜との思い出。
いつだって忘れたことの無いあの笑顔を取り戻せなくても。
きっと、この復讐を遂げてみせる。
親というものは存在しない。
否、この世界に人間として存在しているのだから母胎となったものは居たのだろう。
しかし、父親と呼べる存在も母親と呼べる存在も居ない。手元にあるのはこの先祖代々受け継いできたと言われる一冊の本のみだ。
それが野坂悠馬の世界だった。
残されたその本には御伽噺のようなことが書かれており、誰もがそれをただの妄想だと嘲笑う。それが悔しくて悔しくて、色々な勉強をした。体が弱く、外に出れない分たくさんの知識を身につけようと、その本に書かれたことを本物に出来るようにと大量の知識を求めた。
いつしか彼は知恵の皇帝と呼ばれ、彼のことを馬鹿にするものはいなくなった。
相も変わらず身体は弱く、本のことは信用してもらえないが嘲笑うものはいなくなった。
でも、それでは足りなかった。
外の世界というものに、触れたくなったのだ。
知識だけではない、知識を一層深めるための外の世界に。そんな時に彼が現れた。
「野坂、一緒に遊ぼうよ」
稲森明日人。それが西蔭以外で初めて野坂悠馬を個人で見てくれた人物だった。知恵の皇帝でも、なんでもない。ただ一人の人間として接してくれた、そして外の世界へと連れ出してくれた唯一の人だった。
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第二夜 「信頼」
ユラユラと水面に揺られるような感覚の中。
深い深い闇の中、一筋の光が差し込んだ。
ぼんやりとしている意識の中でそれを掴もうと必死に手を伸ばすが、それには届かない。
光がどんどん遠のいていく。
行かないで。
声にならない叫びを上げながら、遠のく光に腕を伸ばすが光を掴めないまま光を見失う。
再び深い深い暗い闇の中で一人、ぽつんと取り残された自分は何故ここにいるのだろうか。
人が死んでも自分が生きている限り朝は来る。いつもと変わらない朝。しかし、今日はいつもと少し変わっていた。
明日人の目の前には彼がいる。
今まで部屋の隅で縮こまっていたはずの影。
彼は明日人の視線に気がつくとにこりと笑った。
昨晩、一星充だと名乗った彼は何事も無かったかのように明日人に朝食を振る舞うと今日からは自分も村に降りると言って準備をしていた。しかし、今の村の状況を考えるとそれは危険な行為だと明日人は咎めたかったが、上手く言葉が見つからずに気がつけばいつも村に降りる時間になってしまっていて、いつの間にかしっかりと外見を整えた一星は急かすように明日人の手を握る。
「明日人くん、そろそろ時間ですよ」
今更家にいろと言って口論になると面倒だと考えた明日人は大人しく腰を上げると急かされるまま村へと足を運んだ。
村に着くやいなや目に入ったのは俯き涙を流す氷浦と岩戸、そして怒りをぶつけるように地面を何度も足で叩くように地団駄を踏む剛陣の姿だ。しかしそこにもう一人、いつも居た人物の姿が見当たらない。
嫌な予感がジワジワと迫ってくる中、明日人は恐る恐る泣き喚く友人らの元に近寄ってみるとその先にようやく見当たらなかった人物の姿が見えた。地面に横たわるようにしているその人物の顔は蒼白で、いつもの血色のいい肌は何処へやら。変わり果ててしまったその人物の周りは赤く染まっており、それが血だと言うのを理解するのにかなりの時間がかかってしまった。
「万作……?」
名前を呼ぶが返事はない。
故途切れた人形のようにピクリとも動かない万作は既に息を引き取った後だった。
胸には大きな爪のようなもので引っかかれたような傷跡とそれ以外にも抵抗したのかあちこちに切り傷が痛々しく残っている。その傷跡から大量の血を流し絶命している万作の姿を見た明日人は大きく目を見開き、呼吸を忘れたかのように唖然としてしまっていた。
昨日まであんなに元気に会話をしていたのに。どうして。
膝から崩れ落ちると同時に涙が溢れる。
ボロボロと流れる涙に、昨日は泣けなかったクセにどうしてこうも今は涙が流せるのだろうかと自傷気味な笑みも零れる。笑っている場合ではないのに笑ってしまう人がいると言うが今の明日人のような気持ちなのだろうか。なんで、何故、どうしてと考えながらも涙と乾いた笑いが止まらない。
感情が壊れてしまったかのように泣きながら笑う明日人の肩に手を置いたのは一星だ。何を言うわけでもなく、ただ慰めるかのように置かれた手によって現実に引き戻された明日人は泣くのをやめると立ち上がる。
今回もこうして犠牲者が出てしまった以上、またあの処刑が始まる。ここで壊れてしまってはまだまだこの先続く悲劇に耐えられなくなってしまうだろう。「大丈夫」と誰かの問いに答えるわけでもなく呟くと案の定現れた村長、趙金雲の方を見た。
「残念ながら、本日も被害が出てしまいました……。今日は亡くなった万作くんを弔い、その後投票タイムとしますので、弔いながらも投票先をしっかり皆さんで話し合って下さいねぇ」
と、幾分か他人事のように告げる趙金雲。
そしてその言葉通り速やかに葬儀の手配を進めていく周りの人々は、もうこの非日常だった日々に適応してしまったのだろうか。テキパキと段取り良く行動を進めていく。
「よう、明日人」
いつもの前向きな元気さは何処へやら。ようやく泣き果たしたのであろう剛陣が明日人に声を掛ける。その呼び掛けに他の泣いていた二人も明日人の存在に気がついたようで、涙を必死に拭うと駆け寄ってきた。
「おはようございます、剛陣先輩。それから、氷浦もゴーレムも。……その、こういう時どうすればいいんでしょうかね」
沈黙。
いつもならこういう時万作がいの一番に質問に応えてくれていた。しかし、もうそれもなければ、あの声も聞けない。目の前で村人の手によって埋葬される万作だったものを眺める度に、もうこの世に万作が居ないのだと知ら示されているようで、いたたまれなくなる。
それはここにいる全員同じようで、閉ざした口を誰も開こうとはしなかった。ここで答えてしまえば、万作がいなくなったのを認めてしまうようでそれが怖かった。
だから、明日人も答えを求めなかった。
ひょっとしたら万作が起き上がってきて、冗談だからそんな顔をするなと言ってくれそうな期待をまだほんの少し抱いてしまっていたからだ。
もちろんそんな奇跡のような喜劇のようなことは起こる訳もなく、せめて安らかに眠れるようにと閉ざされた瞳の上に最後の土が被された。
速やかに行われた葬儀。墓の前に手向ける花を添える頃には全員完全に落ち着いており、話題を逸らすように今日の投票についての話になっていた。
既に昨晩、氷浦によって野坂の話を聞いていた面々は未だ姿を見ない野坂のことを話題にしている。
「ところで、その昨日言ってた鬼道に入れるっつー話だけどよ、その肝心の野坂はこんな時に何やってんだよ」
剛陣の言葉に、岩戸も不安そうにその巨躯な体を縮こまらせている。
「葬儀にも出ない、投票時間は迫ってる……大ピンチでゴス」
「まあまあ、みんな落ち着いて。きっと野坂にも事情があるんだよ。坂野上も誘って、野坂の家に行こうよ」
そんな二人を落ち着かせるように氷浦が諭すと同じことを考えていたのか、ちょうど坂野上が此方に手を振りながらやってきた。
「皆さん、この度はその、万作さんのことご冥福をお祈りします。それで、昨日の野坂さんの話を皆さんも聞いているんですよね? 時間も時間ですし、野坂さんの家に行きませんか?」
氷浦と同じ提案をしながら、既に足は野坂の家に向けている。投票までの時間が押しているせいでか自然と全員急ぎ足になりながら野坂の家へと向かっていた。
「入れ」
いつも通り西蔭に迎え入れられながら、五人は家に押し入るようにお邪魔すると狭い家の中、ベッドの中に苦しそうに横たわる野坂の姿があった。
「やあ、いらっしゃい……。すまないね、こんな姿で。少し体調が著しくないようでこの姿で失礼するよ」
いつもの様に気丈に振舞ってみせているが、苦しそうな呼吸やその表情から少しどころかかなり体調が良くないのが伺える。外に出ることは愚か、体を動かすことですら困難そうなその様子に押しかけた一面は各々心配気な表情を浮かべる。
「占いの結果を聞きに来たんだろう? 時間があまりないようだから、結果だけ伝えるよ。鬼道さんは……白だった。紛れもない人間だ」
しかし、心配を掛けまいとか、野坂は本題を切り出してはいつもの様に淡々とそれを告げる。起きだそうとしているのを西蔭に咎められながらも上体を起こし、対面する。いつもの儀式めいた仰々しい姿ではない、就寝用の軽装の彼は体調も窮まってかいつもより弱々しく見えるがその目だけはいつもの変わらない真っ直ぐな目をしていた。
「投票自体は君達に任せる。昨日の手筈通りに投票しようがしよまいが、誰が誰に投票したかなんて簡単に偽れるからね」
一人一人の顔色を窺うように見て、最後に明日人と目を合わせる。まるで君はどうする? と問うような視線に明日人が俯くのを見て「ああ、そうだ」と野坂は言葉を続けた。
「昨日聞きそびれていたのだけれど、投票に来なかった人の分はどうなるのかな? 昨日は僕も西蔭も投票に行けていないんだけど」
「投票に来なかった人は自分に票が入るようになってるみたいです。でも開票は村長と子分さん任せですので、実際どんな風になっているかは分からないですけど」
野坂の問いに答えたのは坂野上だ。
その答えに「なるほど」と一つ返事で返しながら、体調が悪化したのか野坂は酷く咳き込んだ。
「野坂さん、いい加減横になってください」
その様子を見て、西蔭が誰よりも早く野坂に駆け寄ると上体を支えた。もう少しとわがままを言いながら抵抗する野坂を半ば無理やりベッドに押し付けると、邪魔だと言わんばかりに明日人達を睨みつけた。
「野坂さんはこの通り体調が優れない。用が済んだのならば、早々に出ていってくれ」
抵抗する力もないのか、あまりの形相に諦めたのか。野坂は大人しくベッドに収まりながら困った笑顔で面々に目配せすると、手を小さく振る。そしてそんな西蔭に追い出されるように野坂の家を出た五人は、家の外で待っていた人物と目が合った。
一星だ。
ずっと外で待っていたのだろうか。彼は出てきた明日人達に笑顔を向けると「お疲れ様でした」と声を掛ける。
「一星……」
「誰だ、こいつ。明日人の知り合いか?」
「あっ、初めましてですね。一星充です。明日人さんに危ないところを助けて頂いてからしばらくお世話になってました。これからももう少しお世話になる予定なので、よろしくお願いします」
訝しげな表情の剛陣の言葉に答えたのは問いかけられた明日人ではなく一星本人だ。昨晩、明日人が帰ってきた時と同じく満面の貼り付けたような笑みで剛陣に近付くと握手を求める。流れるような動作に気圧されたのか、求められるがまま握手をし返すと驚いた表情のまま明日人に視線を投げかける。そんな視線を受け取った明日人は明日人で、まだお世話になる、という聞いた覚えのない言葉に苦笑を返すので精一杯だった。
そこで広場の鐘が鳴った。
昨日にはなかった鐘の音。
しかしそれが投票の始まりを告げる鐘の音だと村の誰しもが直感的に理解した。
大きく村中に響くその音にそれぞれの思惑を抱えながら処刑台の前に皆が集まる。もちろん、顔ぶれは昨日と同じようなもので居ないものもいる。そんな中、明日人は昨日はいなかったはずの人物を見掛けて少し驚きながらもその人物に話し掛けた。
「ヒロトがこんな場に出てくるなんて珍しいな」
明日人に呼ばれた吉良ヒロトは鬱陶しそうに振り向くとお前かと言いたげな目線を送る。
「おー。居ちゃ悪ぃみたいな言い方だな。タツヤが来い来い言うから来てやったンだけどよ、やっぱつまんねーから帰っていいか?」
「ダメだって言ってるだろ。まったく。村の決め事には参加しないと。それに、参加しなかったことでヒロトが疑われて死ぬのも嫌だ。ちゃんと村人だって証明もしなきゃ」
明日人との会話に入ってきたのは、いつもヒロトの隣にいる基山タツヤ。基山は家に帰ろうとするヒロトを引き止めるように否めると、ヒロトの腕を掴む。その力が強かったのか、気持ちに負けたのかは分からないが、ヒロトは観念したように「へいへい」と答えると、帰るのを諦めたようだ。
「んでよ、稲森はなんか用があったわけ?」
「ああ、いや。珍しいなって思っただけ。こういう村の行事……ってわけじゃないけど集まりに参加しないからさ」
「こんなつまんねーことに興味はねぇよ。ただ、今回はタツヤがあまりにもうるさかったから来ただけ」
「そ、そっか」
ヒロトの後ろで睨みを効かせる基山に目をやる。明日人の視線に気がついたのか、一瞬だけ微笑みを見せたが、直ぐにヒロトの監視へと戻ったようだ。
二人は昔馴染みのようで幼い頃からよく一緒にいる。しかし、性格がまったく正反対と言ってもいいぐらい二人は極端で、本人達もたまにそこで衝突をしているようだ。優しくみんなから頼られる基山。雑で自分勝手なヒロト。が、それが上手く互いにハマったのか喧嘩なりなんなりはよくするが、互いに認めあって居るようだ。
「そろそろ投票が始まるよ。稲森くんは戻らないのかい?」
そう言われて処刑台を見る。子分が昨日と同じ投票用紙を手に抱え、準備をしているのが見えた。また、と軽く手を振って明日人は氷浦達の輪に戻った。
「どこいってたんだ?」
「珍しい顔を見たからさ、ちょっと挨拶に」
氷浦の問いに答える間にいつの間にか用紙を配り歩いていたはずの子分が目の前に現れて「どうぞ」と用紙を渡してきた。何故か自然とお礼の言葉が出てきながらもそれを受け取ると、用は済んだとばかりに「ささっ」と擬音語を自ら発しながら子分は離れていく。
「それで、明日人くんは今日誰に入れるんですか」
なんの疑いもなく、さも当たり前のように投票用紙を渡された一星が呟くように明日人に囁いた。彼の視線は明日人ではなく投票用紙で、何かを考えるようにその目を伏せている。
「……今日も自分に入れようと思う」
その答えを聞いて、一星は呆れたようにため息をついた。
「やっぱ変なやつ」
聞こえるか聞こえないかぐらいの小声でそれだけ呟くと、一星はそこに鬼道の名前を記入した。そして投票用紙を丸めると箱に投函する。後は結果を待つだけだ。
全員の投票が終わり、票が開封されている間に明日人は一星に問いかけた。
「そう言えば、一星は誰に入れたの?」
「僕ですか? 僕は……鬼道さんに。昨日色々な方のお話を聞いて、鬼道さんに票を固めると聞いたので」
「そう……」
そう言えば昨日は村の方に挨拶に出ていたと言っていた。それなのに村で会わなかったのを少し不思議に思いながらも、そうこうしているうちに投票結果が出たようだ。
「本日の処刑は鬼道君に決まりました」
二度目にして既に皆慣れてきたのか、昨日ほどのどよめきはない。慣れたのか、村人では無いからなのかは分からないが、名前が告げられた瞬間しんと静まり返った。しかし、その結果に一人納得出来ない人物が趙金雲に掴みかかる。その人物────灰崎はその長い髪を振り乱しながら、声を荒らげた。
「なんでそうなるんだよ。鬼道は村の為に頑張ってんだろうが! 何か不正でもしたんじゃねぇのか!?」
掴み掛かられながら、趙金雲は首を振ると憐れむような瞳で灰崎を見る。
「不正を疑うのならば確かめて見ますか〜? 確かめたところで結果は変わりませんけど」
そう冷たく言い放ちながら、開封された投票用紙が詰められた箱を子分に持ってこさせる。それが逆に煽ってしまったのか、灰崎は掴みかかったまま拳を振り上げた。
「灰崎」
それを止めたのは鬼道だ。振り上げられた拳を手で制すように触れるとそのまま下げさせ、灰崎の前に立つ。その毅然とした姿に灰崎は何も言えずに大人しく従うしかない。鬼道本人のために怒っていたのに、本人に止められてしまったのだから。
「ハッ、大した腰抜け野郎だぜ。飼い慣らされた犬見てぇだな」
が、その様子を見ていたヒロトが灰崎に向かって煽るように言うと、再びその瞳を怒りに燃やしながら灰崎はヒロトを睨みつけた。睨まれたヒロトはと言うと、何事もなかったかのようにヘラヘラと笑みを浮かべ、挑発に乗ってきたと言わんばかりの態度である。
「なんだよお前。急にしゃしゃり出てきて人を犬呼ばわりとはいい度胸じゃねぇか」
「はん。人狼じゃなくて人犬ってか。ワンワン吠えてまあ、元気な事で」
売り言葉に買い言葉。鬼道の処刑について講義していたはずが、いつの間にか二人は睨み合いながら互いに罵倒の言葉を売り買いし呆れたように二人の間に当の鬼道と基山が割って入る。一旦二人は口喧嘩を中断しながらも互いに睨み合うことはやめなかった。
「自分で言い出した
と、鬼道は今だ睨み合いを続ける灰崎に呟いた。その声は珍しく少し震えているようで、その言葉が強がりなのだと灰崎は気がついた。しかし、本人がそう言うのであれば、そう決意を決めたのであればそれを引き止めるのは、義に背くことになるだろう。ヒロトに向けていた視線を一度鬼道に向けると唇を噛み締めながら俯いた。
そんな灰崎を見て、鬼道は柔らかに微笑むと肩を軽く叩くと処刑台に向き直る。
目の前に聳え立つ大きな処刑台に鬼道は緊張したように唾を飲み込む。ゴクリと喉がなり、今までの色々な思い出が甦っては消えていった。これが所謂走馬灯というものか、などとそれを他人事のように感じながら震える足で一歩一歩と縄に近寄っていくその途中、ぞくりと何者かの視線を熱く感じて歩みを止める。処刑を見守る村人達の中、こちらを見ながら口元に笑みを浮かべている見知らぬ人物が目に入った。
一星だ。
一星は処刑台に歩み寄る鬼道を見ては好奇に満ちた瞳と笑みを浮かべていた。誰もが苦痛に耐えるような表情を浮かべている中、やけに歪に映るその笑顔に鬼道は違和感と嫌悪感を同時に感じた。
急に歩みを止めた鬼道に気がついた灰崎は鬼道と同じように村人達へと目を向ける。そして鬼道と同じように一星の姿を見つけては、首を傾げた。
「誰だ、あいつ」
もう既に一星の表情に笑みはない。周りと同じように処刑の行く末を見守るなんとも言えない表情になっていた。灰崎の目にはもうただの見知らぬ村人としてしか映っていなかったが、鬼道の目にはその笑顔が焼き付いて離れない。
まるで処刑を待ちわびていたかのようなあの表情。
一星の他にも好奇の目で処刑を見守っている人物はいる。しかし、その中でも一際目立つのが彼だった。
「鬼道君、どうかされましたか? 今更怖くなったとかありませんよねぇ」
まるで動かなくなってしまった鬼道を急かすように趙金雲が声をかけた。その問いに弾かれたように顔を向けると一星を指さし、早口で問いかける。
「いえ、そんなことはありませんがあの、彼は一体……」
指された指先の方を見てそこに見えた一星の姿を確認すると、趙金雲は短く「ああ」と頷いた。
「彼は一星君です。この前の土砂崩れで怪我をした所を稲森君に助けてもらったとかでそれからお世話になっているそうです。昨日挨拶に来てくれましたよ」
それがどうかしたのかと言いたげにサラリと答える。
その言葉を聞いて、鬼道は何か信じられないものを見るかのように目を見開いた。
「土砂崩れ……怪我……」
灰崎と共に人狼を追ってこの村に来た時の天気は大雨。山奥にあるこの村の近くでは多くの土砂災害があったそうで、所々道が閉鎖されていたりした。怪我人や死傷者はあまり確認されていないが、あの時追っていた人狼も確か土砂崩れに巻き込まれかけて怪我をしたはずだ。そこを詰めていたのだが見失い、近くにあったこの村に匿われたとふんで滞在していたのだ。
あまりにも、出来すぎている。
あの時は暗く、人狼の姿をあまり良く確認できていない。しかし、向こうが夜目が効きこちらの姿を知っていたのならば? 先程の笑みにも納得が行くのではないか?
嫌な予感だけがぐるぐると思考して行く。
もし、ここで自分が吊られてしまえばそれこそここまで頑張ってきたことが全て無駄になる。しかしここで彼が人狼かもしれないと発言したところで信じてくれる人物はほぼほぼ居ないだろう。既に処刑されることが決まってしまった自分の身であいつが人狼のだと声を上げたところでそれこそ自分が人狼だと疑われても仕方のない事なのだから。
もう既に
唇を噛み締める。
何故もっと早くに気が付かなかったのかと。
せめて彼の存在を知っていれば、このようなことは起こらなかったかもしれないのに。
そろそろ待たされることに緒が切れたのか、先程のまで不安そうに見守っていた村人達が口々に責め立てるように鬼道を急かした。やるならやれと、早く終われと、追い込むように騒ぎ立てる。
「くそ……っ」
そんな声に急かされるように、鬼道は舌打ちをすると囃し立てる村人達に睨みを効かせている灰崎に近寄る。
何事かと灰崎が耳を寄せると鬼道はこう呟いた。
「一星だ。あいつが俺達の探していた人狼だ。あいつからお前がこの村を守り抜け。絶対にだ」
それを聞いて、灰崎の顔色が変わる。
そして明日人の横で心配そうに事を見送っている一星を見た。他の村人達と変わらない普通の人間。なのに何故、鬼道は彼を人狼だと言い放ったのか。
再び鬼道の方を見ると、もうそこに鬼道の姿はない。
処刑台の縄に手をかけ、己の首にその縄を通すところだった。
「待て鬼道!」
まだ聞きたいことがある。そう叫ぼうと手を伸ばしたが、灰崎を見る鬼道の顔がとても穏やかで声が上手く出てこなかった。まるであとは任せたと言わんばかりのその表情をどう捉えればいいのだろうかと。そう悩んでいるうちにその首に縄が掛かり、伸ばしたその手の先で、鬼道は処刑台から飛び降りた。
しばらく苦しむようにもがく様に腕を動かすその生々しい様を眺めているうちに、だんだんと力なくその腕が垂れる。その間、灰崎は何もできなかった。何も言えなかった。
ただ、目の前で苦しむ仲間の姿を呆然と眺めているだけ。
どうして、鬼道が。
どうして、目の前で死んでいるのが。
彼なのかと。
考えているうちに膝が床に着く。
こういう時、どういう表情をしたらいいのだろうか。そう考えているうちに、物言えなくなった鬼道の体は村人達の手によって処刑台からやや乱暴に引きずり下ろされていった。
鬼道の葬儀も相変わらず迅速に行われた。
しかし、参列したのは数人ほどで灰崎は鬼道の眠る墓標をただただ眺めながら、拳を握りしめる。
どうして、こうなったんだと自分を責めながら墓石に向かって大きくその拳を振り上げながら、行きどころのなくなった拳を下げては俯いた。手向けられた花が自然と目につく。こんな時なのに鮮やかな花々が何故か恨めしく思って、行き場のない憤りをそのままぶつける。
何度も何度も花を踏み潰しては、どうしてこんなことをしているのかと自分でも分からなくなったのか、灰崎は狂ったように笑い声を上げる。
その様子を見ていた明日人は、手向けに来た花を落とすと灰崎を羽交い締めにしながら止めた。
「何やってるんだよ灰崎! 鬼道さんのお墓だぞ!」
「うるせぇ、お前に何が解る!」
しかし、抵抗した灰崎に思いっきり突き飛ばされると勢いよく尻もちをつく。その際、グギッと足が嫌な音を立てた。その音に灰崎は我に返ったのか、ハッとしながら明日人に向き直る。
「わ、わりぃ。そこまでするつもりじゃ……」
そう言いながら倒れた明日人に手を差し出すと、申し訳なさそうに瞳を揺らした。
「平気だよ、これぐらい。それより、灰崎の方こそ大丈夫か?」
差し出された手を握りながら立ち上がると土を払い、先程落とした献花を拾い上げる。そして、灰崎に踏まれた花と一緒に添えるとそのまま墓の前で手を合わせた。
質問に答えず、灰崎は明日人の背中を眺めながら己がやった行為を冷静に考えては舌打ちをする。
墓の前で一体何をしでかしてしまったのか。
そう思うと自己嫌悪で心が澱んでしまいそうだった。
(灰崎こそ、大丈夫か?)
先程問いかけられた言葉が頭の中をぐるぐると回る。
大丈夫なわけが無い。ずっと信頼していた師を目の前で失ったようなものなのだから。
そう、強がっていた自分に気がついて、いつの間にか灰崎の目から自然と涙が流れ落ちていた。
「なっ、灰崎泣いてるの?」
黙祷を済ませた明日人がその様子に気がついたらしい。顔を覗き込むように心配そうな表情を浮かべては静かに涙を流す灰崎を見た。
「ちげぇよ、これは……汗だ」
誤魔化すようにそういうと慌てて涙を拭う。
そんな雑な誤魔化しにも関わらず、明日人は何も言わずに「ふぅん」と興味なさげに呟いた。ここでからかわなかったのは彼なりの気遣いなのかも知れない。
「それより、あんがとよ。鬼道の見送りに来てくれて」
話題を変えるように灰崎はそう呟いた。もう今日も日が暮れる。まだ色々なことが始まって二日目だと言うのに長い長い時間を過ごしたような気分だ。
これでこの村で四人目の死者になる。
理不尽な、死ななくても良かった人達の死だ。
それは村の人も村の外からやってきた人も変わらない。尊い命。
それがこんなにも簡単にあっさりと失われてしまった。
明日人はそれがとても悔しかった。何故、こんなことになったのかと何度も何度も墓標を見ては唇を噛み締めたぐらいだ。
「別に。鬼道さんだって人間だ。ちゃんと最期まで弔ってあげるべきだよ」
そう答えた明日人に少し驚きながら、灰崎は鬼道の墓を見た。怖かっただろうに逃げ出さずに死んだ鬼道。目の前で、柄にもなく少し震えながらも最期まで立ち続けた彼のことを思い出しては、また涙が溢れそうだった。
「ああ、そうだな。アイツは最期まで立派に人狼と戦った。すげぇよな」
溢れそうになった涙を寸で止めながら、灰崎は決心したように空を見る。日が落ちかけた空は相変わらず綺麗で、こんなにも残酷なことが行われているのを忘れてしまいそうだった。
空気を吸う。こんなにも血にまみれた残忍な場所でも空気は変わらず美味しい。
色々と変わってしまったのに、こうして変わらないものもあるのだと、当たり前のことを忘れてしまっていた。
「なあ、明日人」
不意な名前呼びに驚きながら、首を傾げながら明日人は灰崎を見る。
「……少しだけ、話を聞いてもらってもいいか?」
少しだけ震える声で灰崎はそう言った。
話を聞いて欲しいと言う灰崎にゲストハウスに招かれた明日人は少し緊張しながら案内された椅子に腰掛けていた。人の家に招かれるのが別に初めてではなかったが、まさか灰崎にこうして招かれるとは思っていなかったからだ。
お茶を入れると言って一人キッチンに向かった灰崎を待ちながら、明日人は部屋を見渡す。ゲストハウスは村の外から来た客人に数日家そのものを貸すために村長である趙金雲が用意したもので、賃貸だからだろうか部屋にはあまりものが置かれておらず殺風景な印象を与えられた。明日人の家と同じく最低限の家具、こちらに来る時にもってきたのであろう一括りの荷物。そして、鬼道の分の荷物だ。
ゲストハウスにも限りがあるということで二人は一緒にここを借りていたようで、その荷物の主が今いないということを思い返して明日人は目を背ける。
そしてちょうどいいタイミングで湯気の立つ二つのカップを手にした灰崎が現れた。
灰崎はカップの一つを明日人の前に置きながら無言で向かいの席に腰を下ろす。一口だけカップに口をつけると、早く飲めと言わんばかりに明日人を睨みつける。
睨まれた明日人も灰崎に倣うように出されたお茶を飲むと、暖かい液体が身体をめぐり少し冷えていた身体を温めてくれた。
「そう言えば、話って何?」
話を切り出すタイミングを伺っていた明日人はカップを置きながら問いかける。灰崎は少し悩んだように眉間に皺を寄せながらも、カップを置いた。
「鬼道のこと、少し話しておきたくてな」
「鬼道さんのこと?」
何故今更自分に、と思いながらオウム返しをする明日人の方を向きながら灰崎は一つ呼吸を整える。
「この村が人狼の事をどう思っているかは理解した。その上での話だから信じられないかもしれないが……鬼道は“占い師”だったんだ」
決心したよう吐き出された言葉は、明日人にとって少し予想外のものだった。
「アイツはこの村を助けようと、人狼を見つけようと色々と見て回っていた。その結果考えたのがあの“処刑”だったんだが、まさかこんな形になるなんてな。ホント笑えねぇよ」
まるで独り言を言うように語る灰崎を眺めながら明日人は息を呑む。
鬼道も占い師だった。
それはなかなか衝撃で、思いもよらぬところで爆弾を投げ入れられた気分だ。しかし、それならそれでどうして灰崎は今頃自分にだけそれを教えたのだろうか。
「鬼道さんも占い師だったんだ……。でも、なんでそれを今俺に?」
「鬼道“も”? この村じゃ人狼も占い師もみんな御伽噺なんじゃないのか?」
明日人の言葉に俯いていた灰崎は顔を上げる。その顔は驚いたように目を見開いており、食いつくような勢いだった。
「人狼が現れるまではそうだったよ。でも、現にこうして人狼がいて、そして占い師もいた。俺は灰崎の話信じるよ」
「それはいい! 鬼道もってどういうコトだよ。他にも占い師がいるのか!?」
掴みかかるほどの勢いで机に前のめりになった灰崎に少し怖気ながらも、明日人は頷いた。
「あ、ああ。野坂って知ってる? 普段あまり外に出ないんだけど、アイツも占い師だったんだ。占った結果、灰崎も鬼道さんもどっちも人間だったって……」
おっかなビックリな様子で答える明日人を見て冷静になったのか、灰崎は再び席に着くと大きなため息をついた。疑われたのが心外だったのか、自分達が人間だと言うのは当たり前だと言わんばかりのため息だ。
「なるほどな。ちなみに鬼道の占い結果は、不動と剛陣だ。どちらも人間だったみたいだがな」
「不動さんはまあ、分かるとしてどうして剛陣先輩なの?」
「昨日の夜、不用意に出回っていたらしい。人狼がでたって言うのに夜に出歩くのは怪しいだろってな」
確かに、夜で歩いて怪しまれるのは当たり前だ。人狼の活動時間は夜、皆が寝静まったころなのだから、そんな時間に出歩いて人狼をだと怪しまれてもおかしくない。現につくしさんはその姿を大勢に見られ、ああして処刑されてしまったのだから。
「でも、多分それは……」
「ンだよ」
「剛陣先輩はハンターなんだ。猟師って言うのかな。人狼に対抗するために誰かの家を見張ってたのかも」
「ふぅん……」
言われて少し考える素振りを見せたが、剛陣の思っていた想像と合わなかったのか灰崎は眉間に皺を寄せた。
「それより、灰崎はどうして狩人なんてやってるんだ?」
「は? いきなりなんだよ」
「何となく、気になって。ハンターも狩人も似たようなものだけどさ、剛陣先輩は狩りが好きでハンターになったって言ってた。灰崎にもそういう理由があるのかなって」
「……別に大した理由じゃねぇよ。昔、村を人狼に襲われた。その復讐だ」
唐突な問いかけに一瞬顔を歪めたが、話すことがなかったからなのか、拒否する理由が見当たらなかったからなのか素直に答える。そして過去を思い出すかのように灰崎はそのまま語り始めた。
とある村に幼い少年と少女がいた。
二人は家も歳も近く、自然と仲良くなっていき二人でよく遊びに出かけたり、家の中でままごとをしたり食事を共にしたりすることが多かった。
そして、順調に二人は成長していったある日。とある村人が死体となって発見された。その傷跡から人狼の仕業だと誰かが言い、家の外に出かけないようにと互いの両親に咎められた二人は人狼が見つかるまでの間、家族以外誰とも会わず引きこもるような生活を送ることになった。
たまたま家の備蓄は有り余っていたので、引きこもる生活にはなんの不自由もなかったが、代わりに何も話題になることは無くいつ人狼が現れるのかと怯える生活を村人達全員は強いられることになっていた。
疑心暗鬼が広がる中、いよいよそれぞれの備蓄も少なくなってきたというタイミングで村の外から人狼を探してやってきたという人間達がやってきた。名前は円堂、豪炎寺、鬼道と言う三人だ。歳は少年達とほぼほぼ変わらないにも関わらず、彼らは人狼を追い詰めるエキスパートなのだそうで、彼らの助力を得ることにした村人達は引きこもるのではなく、人狼を見つけ出し戦うことを選択した。
久しぶりに会った少年と少女は再会を喜んだが、長い間家族以外と顔を合わせていなかったためなのか、数ある備蓄での生活が厳しかったのか、少女は以前よりも憔悴しきっており別人のようになっていた。
人狼を探すのが始まって暫く、ようやく人狼が見つかったと報告があった。
人狼は最近若い村娘と結婚した村の外の人間だったそうだ。
が、人狼だとバレたその青年は追い詰められた時、近くにいた少女に襲いかかった。不意なことで誰も反応できなかったのと、少女に抵抗する力もなく、少女はそのまま息を引き取った。
その後、円堂達三人と村人達が必死で押さえつけ人狼を処すことに成功したが、目の前で幼馴染を殺された少年は人狼に対して深い復讐心を持つようになった。
その少年の名前は灰崎凌兵。
後に村に来た鬼道と共に狩人として人狼から村を護る側として立つ人間になる男だった。
灰崎は一通り過去、自分の村で起こったことを話終えると様子を見るように明日人の顔を覗き込んだ。その顔は何とも言えない表情をしていて、思わず覗き込んだこちらがギョッとしてしまうほどである。
「なんて顔してんだよ」
終わったことだ、気にするなと言葉にはしなかったがそう伝えるように揶揄いの言葉を投げると、明日人は「だって」と渋るように声をしぼめた。
目の前で二度も親しい人を亡くしたのだ。
気にするなと暗に言われてもそんな話を聞いてしまうと気にせずにはしょうがない。明日人も母を目の前で亡くしているのだから、辛さは分かるつもりだった。
「ま、そんな感じだ。その後豪炎寺に狩人のことを教えて貰って、俺は次こそ茜のような犠牲を出さないようにって……思ってたんだがな」
茜。それが幼馴染の少女の名前なのだろう。
どこか愛おしげにその名前を呟いたあと、灰崎は思い返すように遠い目をした。
護るために手に入れた力を上手く発揮できず、犠牲を出さないようにと誓ったはずがまたしても目の前で人を亡くした。自分の不甲斐なさに苛立ちが隠せず、自然と長い前髪をわし掴むとそのまま掻き乱した。
「灰崎の話は分かった。嫌なこと思い出させてごめん。でも、鬼道さんは円堂さん達と行動してたんだよね? なんで、灰崎と一緒に?」
「別に、勝手に話したのは俺だし気にしてねぇよ。ああ、鬼道の野郎はよくわかんねぇけど、円堂さん達が村を去ろうとした時村に残るって言い始めてな。それからは人狼を探して共に行動するようになっただけだ。まあ、人狼探しのイロハとかはアイツに教わったし、ちょっとした師匠……ってやつだったのかもな」
ふ、と表情を緩める。
しかし、何かを思い出したのか急に険しい表情をすると明日人の肩を勢いよく掴んだ。何事かと驚いていると、灰崎は慌てた様子で早口に言う。
「アイツだ! 一星、一星を知らないか!?」
何故灰崎からその名前が、と思っているうちに正気に戻ったのか。灰崎はハッとしながら手を離すと出かける用意をし始めた。
「どうしたんだよ急に」
「一星だ。鬼道が、最後に言った。人狼はアイツだって」
「一星が? でも、どうして灰崎達が一星を知ってるの?」
「鬼道が処刑される直前、見つけた。んで、聞いた。なんで鬼道が急にそんなことを言ったのかは分からねぇが、聞いてみる価値はある」
そう言いながらトントンと準備を進めていた灰崎は最後に愛用の弓矢を背負うと、まるで飛び出すような勢いで出ていこうとするので、明日人は慌ててそれを止めた。
「待ってよ。一星が何処にいるか知ってるの? それに聞くって言ったってそんな直ぐにでも危害を加えれるような格好で言ったってダメだよ」
「うるせぇ。先手必勝なんだよ、こういうのは」
「だったら、一緒に野坂のところに行こう。占って貰えば人狼かどうかわかるし、ついでに明日の話し合いもしようよ。まだみんな灰崎のことをよく思っていないかもしれないけど、目的は一緒だろ」
その提案が意外だったのか、ドアノブに掛けた手を止め灰崎は明日人の方へ振り返った。
「いいのかよ、そんな簡単に信じて」
その言葉は明日人に向けられたものではなかった。いや、向けられていたのは明日人なのだが、まるで自分に問いかけるようにそう呟かれた言葉に明日人は頷く。
「もちろん。仲間だろ?」
「君が灰崎君か。初めまして」
差し出された野坂の手をぶっきらぼうに握り返しながら、灰崎は周りを見渡した。そこには今朝と同じメンツの七人が揃っており、それぞれ灰崎に向けて思うところがあるような視線を送っていた。あまり歓迎はそれていないのだと元々分かっていたが、こうもあからさまだと逆に笑えて来てしまう。
自然と口元に笑みが出てしまっていてのか、剛陣がそこに噛み付いた。
「な、何がおかしい! さては俺らを笑いに来たな!?」
その声は震えていて、精一杯絞り出した言葉なのだと直ぐにわかった。それが尚更おかしくて、指摘されたにも関わらず笑みは後から後から零れていき、声を出して笑ってしまっていた。
「おい明日人! こいつ大丈夫かよ!?」
「ええ〜と……。緊張してる、のかな」
「クク……、してねぇよ馬鹿かおめェは」
剛陣と明日人の会話にしっかりとツッコミを入れながら、未だに不安そうに視線を送ってくる氷浦と岩戸、坂野上に向き直るとバツの悪そうな顔をした。
「お前らが俺の事をよく思っていないのはわかる。が、目的は一緒だ。ガラでもねぇが……協力、してやってもいい」
「灰崎!」
どこまでも上から目線な灰崎を咎めながらも、きちんと言葉にできたことを嬉しく思ったのか明日人は微笑んだ。灰崎は灰崎で舌打ちをしながら目を逸らすと癖なのだろうか。手で前髪を掻き乱していた。
その灰崎の素直な言葉に氷浦達は驚きながら同時に申し訳ない気持ちになったのか視線を下げる。が、素直な気持ちに押されてか氷浦が声を上げた。
「ごめん、灰崎」
「あ?」
謝られた理由が分からなかったのか、逸らした視線を氷浦に戻すと威嚇するように目を細めかけて、慌てて正す。
「俺たち……今日の投票鬼道さんに入れたんだ」
しかし、氷浦のその言葉に正した目を再び細めてから勢いよくその胸倉に掴みかかった。
ガタンッとあまりの勢いにそのまま積まれた本達を崩しながら壁にもたれるような形になる。慌てて明日人と剛陣、西蔭が割って入るが灰崎の力は強かった。
「どういうことだよ。占い結果は人間だったのに、なんで鬼道に入れた!」
吠えるようにそう叫ぶ灰崎を見下す形になりながら、足が浮いてしまうほど胸倉をキツく掴まれた氷浦は上手く声が出ない。苦しそうな表情だけが返ってくるが、それが尚更癇に障ったのか。灰崎はさらにきつく締め上げていった。
明日人達も焦って早く降ろそうとするが三人掛りでも灰崎はその力を緩めなかった。
「その事については僕から説明するよ」
見兼ねた野坂が三人に離れるように言いながら灰崎の強く握られた手に手を重ね、離すように指示した。逆上しきっていた灰崎は荒い呼吸のまま、しかし少し理性が戻ったのだろうか。氷浦の表情を見てゆっくりとその手を緩める。
解放された氷浦は酷く咳き込みながら地面にへたり混んだ。
「占いのことは聞いたんだね。その通り、鬼道さんは白だった。でも、占い師の力なんて信じて貰えるわけがない。この村の御伽噺は君も聞いた事ぐらいはあるんじゃないかな? だから僕は僕の能力を信じてもらうために鬼道さんに投票してもらった」
「意味がわかんねぇ……。鬼道が人狼だったならまだしも、人間だぞ!? なんでわざわざ人を殺すような真似を」
「そこにいる氷浦くんが霊能者だからだよ」
まだ熱の冷めきっていない灰崎に物怖じせずに、野坂は答えながら氷浦を指さした。座り込んだままの氷浦は名前を出されたことに今だ苦しそうな顔のまま灰崎を見る。
「霊能者……?」
「彼は死者の声を聞けるそうだよ。そう言えば、鬼道さんのことについてまだ聞いていなかったね」
まるで考える時間を与えないように早口にそう告げると野坂は氷浦に手を伸ばした。その手を借りて立ち上がった氷浦は、まだ話を理解出来ていない灰崎を横目に見ながら鬼道と話した内容を思い出す。
「鬼道さんは、人間だった」
その一言は、重く伸し掛るようにその場の鬼道に投票した者達に響く。そう、自分達は人を殺したも同然なのだから。
「俺達が鬼道さんに投票したことを伝えたけど鬼道さんは何も言わなかったよ。何か策があるんだろうって、そう言ってくれた。だから、俺達は絶対に人狼を見つけなくちゃいけないんだ」
グッと拳を握る。
野坂は重々しく話してくれた氷浦を見て、灰崎に目を向けた。
「これで僕が占い師の力は本物だと証明されたはずだ。明日の動きを決めて占い先を確定させよう」
「待て。どういうことだ? この、こいつの死者と話せるって話は本当なのか?」
「本当だよ」
野坂に向けられた質問に答えたのは明日人だ。
「氷浦とはずっと昔から付き合ってきた俺は知ってる。霊媒師のばあちゃんから能力を受け継いで、ずっと頑張って悩んできたんだ。今更それが嘘だってことはないと思う」
その言葉を語る明日人の瞳は真っ直ぐで、直感的に灰崎もそれが嘘ではないとわかった。そんな能力は直ぐに信じれるのに占い師の能力は疑うなど変な話ではあったが、ここがそういう村だっただけなのだ。今更ここで噛み付いても鬼道は戻ってこない。ならば、今ここにいるメンツを生かすのが鬼道の望みなのではないだろうか。
そう考えれるほどに冷静になった灰崎は「そうかよ」と一言述べるとそっぽを向いた。
「灰崎君もそろそろ落ち着いたかな? 鬼道さんの件に関しては本当に悪いと思ってるよ。みんなの手を汚してしまって、大事な人を亡くしてしまった。けど、今更僕達は立ち止まれないんだ。次を見るしかない。それで、明日人君は結局誰に投票したんだい?」
思い出したかのように話題を振られた明日人はドキリとしながら野坂を見た。そう言えば鬼道に投票しないのであればあやしいと思った人物を上げてくれと言われていたのを思い出したのだ。しかし、明日人は自分自身に投票しているし、誰かが怪しいなどと疑いたくもない。言葉に詰まりながら、小さな声で自分にと答えるので精一杯だった。
「自分に? 変なことをしたんだね。それで、鬼道さんに君に入れない場合の僕のお願い覚えているかな? 誰が怪しいと思う?」
案の定、問いかけられた質問に明日人は口を噤んだ。
自分に入れたと述べた時点で野坂は薄々彼が人を疑える人間ではないということに気がついていたのだろう。ここで口を噤んだ明日人のことは少し予想していたようで、諦めたようにため息をつくと、次いで灰崎を見た。
「灰崎君は誰に投票したんだい?」
「……不動ってやつ。初日に処刑に関してやたらと肯定的だったからな。普通村人だったら人が意図的に死ぬこのやり方を好むやつなんて居ねぇ。それを炙り出すのも処刑を提案した一つだった」
灰崎のその言葉に、初日の処刑を発表した時のことを思い出す。風丸が意見を飛ばした時に乗っかるように発言した不動。確かに、風丸の意見は最もなものだったのだが、彼はそれを否定しまるで人狼が有利になるかのように上手くまとめてしまっていた。
「なるほど。確かにあの流れでの発言はまるで人狼側に有利を働くようだった。じゃあ今晩は不動さんを占うことに……」
「いや、占うなら一星だ」
「一星……? それは一体誰だい?」
外に出ていない野坂は一星の姿を見ていないようで、急にでてきた知らない人物の名に首を傾げた。
「明日人くんの所でお世話になってる人らしいでゴス。なんでもこの前の土砂崩れで怪我をしたとかで」
答えた岩戸の言葉に野坂は明日人を見る。
言葉には出さないが、相変わらずのその視線に明日人は苦笑いを返すことしか出来ない。
「そんな子がいたのか。でも、残念。僕の知らない人は占えないんだ。その一星君を呼んできて貰えないかな?」
「それが、投票の後から姿が見当たらないんだ」
まるで明日人に頼むような問いかけに、明日人はポツリと呟いた。灰崎も目を逸らしながら舌打ちをしている。
「そう。じゃあ今日はその一星君を占えない。だから今回は不動さんを占うことでいいかな?」
「その必要はねぇよ。不動は既に鬼道が占った。結果は白だ」
灰崎のその言葉に明日人以外の全員が目を丸くした。
「まさか、鬼道さんも……」
「ああ、あいつも占い師だった。あまり不用意に明かして惑わすのも良くないだろうって秘密裏に動いてはいたがな。だから、お前が一星を占えない理由も納得出来る」
思いもよらぬ事実に、投票先として指定してしまったことに後悔が生まれてしまう。村の外の人間がまさか、力になってくれるかもしれなかった能力持ちだったなんて予想していなかったからだ。
もちろん野坂の日記にも他の占い師の家系があるなど書いておらず、完全にその可能性を見落としてしまっていたようだ。
「本当に悪いことをしたね。……そう言えば、どうして灰崎君はその、一星君を人狼だと疑おうと思ったんだい? まるで彼が人狼であることを確信してるかのような口調だったけれど」
「一星君は普通のいい人だったでゴス! 投票の時、紙を落としてしまったんでゴスがそれを拾ってくれて……」
まるで庇うかのような岩戸の発言。しかしその言葉を制するように坂野上は彼の肩に手を置いた。それに反応して岩戸は続く言葉を飲み込んだ。それを見て、灰崎は口を開く。
「鬼道が、アイツが人狼だと言ったんだ。それが占いの結果だったのか勘だったのかは分からねぇ。でも、俺も何となくそう思ったんだ。一星は怪しい。早々に見切りを付けておくべきだと」
「一星君とまだ会えていないから詳しく彼を知っている訳では無いけど、土砂崩れと怪我、人狼の現れたタイミングを考えれば確かにその一星君が怪しいというのも分からなくはない。早急手を打った方が良さそうだけれど……」
「占わなくてもいい。鬼道のことを悪いと思うのならアイツに投票しろ。それがきっと鬼道の願いだ。それで被害が収まれば鬼道の言ったことは本当であいつも報われる。悪くねぇだろ」
その発言にここいる一同は言葉に詰まった。
確かにその通りだ。人間だった占い師だった鬼道の言葉。疑心を掛けてしまったことで奪ってしまった命。せめて、その最期の言葉ぐらい信じてもいいのではないだろうかと、一同の心は傾きかけていた。
事実、先ほど野坂も述べた通り一星の登場タイミングは色々と人狼の動きと合致している。怪しさで言えばかなりの黒だ。占いはその人の本質を見抜く能力である。その占い師であった鬼道が怪しいと思ったのであれば、充分疑いの余地はあるだろう。
皆が黙り、無言で意見が固まろうとした時、ようやく西蔭が動き始めた。
「野坂さんの体調は未だに完全ではない。時間もいい。意見が固まったのであれば、そろそろ出ていけ」
そう言われ窓の外を見るともう日は落ち、夕飯の時間が近づいていた。お腹も空いたのか、皆は思い出したように立ち上がる。
「ごめん、野坂。お邪魔しちゃって。占いは野坂に任せるよ。俺は……一星に入れる。鬼道さんのこと、せめて最後の言葉ぐらいは信じたいんだ」
そう言って、氷浦は拳を握りしめる。
その言葉に同意するように、他のメンバーも頷いた。
「それが償いになればいいんですけど」
坂野上のその言葉は少しだけ後悔が滲んでいるように聞こえたが、気持ちは同じのようでそれだけ伝えると野坂の心配だけ声を掛けるとすぐに自分の家へと帰って行った。それに続くように一人、一人と消えていく。最後に残ったのは灰崎と明日人だ。
「灰崎君、明日人君」
そんな残った二人を野坂が引き止めるように呼ぶ。出ていこうとしていた二人は少しだけ顔を見合わせると野坂の方へと振り返った。
「明日からは僕も投票に参加できるように頑張るよ。それから一星君をここに連れてきて欲しい。できるかな?」
その発言に一番驚いていたのは傍で聞いていた西蔭だ。恐らく野坂の体調を心配しての驚愕だったのだろうが、野坂自身の発言に対しては意見出来ないのかしないのか、彼はグッと堪えるように野坂を見つめる。
「ああ、わかってる。ま、その前に投票でおっちんじまうだろうがよ」
ヘッと吐き捨てるように灰崎は答え、明日人も呼応するように頷いた。
「絶対に連れてくるよ。それじゃ、野坂。明日は元気になるといいな」
手を振り、扉を閉める。
もうすっかり外は暗くなっていた。
人狼は今日も人を殺すのだろうかと、灰崎と二人明日人は肩を並べながらぼんやりと思いながら空を見上げた。
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第二深夜「妖狐」
明日人達が発ってからしばらくした後、再びドアを叩く音が響いた。
苛立ちを隠せない西蔭を制しながらドアを開けるとそこには予想していなかった人物が立っていた。
「まさかお二人が来るとは思っていませんでしたよ、風丸さん、吹雪さん」
神妙な面持ちで立つ二人は野坂の揶揄を気にした風もなく真剣な眼差して野坂を眺めた。
てっきり明日人か灰崎かが戻ってきたのかと思っていた野坂は少し肩透かしをくらいながらも何も答えない二人を招き入れると適当に座るように指示した。
それにしてもまた妙な二人組が来たものだと野坂は首を傾げる。
村人である吹雪と外部から来た人間である風丸。まるで接点のない二人が共にここに来た理由が分からない。もしかすると二人が人狼で、二人がかりで自分を襲いに来たのかと言う可能性も考えたが、それならば家に入れた瞬間に自分は息をしていないだろうと思考してその可能性を排除する。
「西蔭、お茶を」
「ああ、いや。そこまで長居をするつもりは無い」
野坂の命で渋々とお茶の準備をしに行こうとした西蔭を止めるように風丸は声を掛けると一つ深呼吸をした。その横で吹雪は不安そうにソワソワと身体を揺らしてる。
「野坂が占い師と聞いてお願いがあってきた」
深呼吸して落ち着いたのか、吐き出すようにそういうと風丸は野坂の目を真っ直ぐに見つめる。
占い先の指定か、はたまた占い結果を聞きに来たのか。
お願いとはなんだろうかと考えながら野坂は言葉を待つ。
吹雪の方を一瞥してから意を決したようにその言葉を吐き出された言葉は、
「────俺達を
またしても思いもよらないものだった。
深々と更けた夜。
人狼の被害もあってか広場には誰も居ない。そんな中、少年は一人置かれた処刑台を見上げていた。夜空に浮かぶ月に照らされ、煌々と刃を反射させるソレは人の命を奪ったにも関わらず美しく輝いていた。
「あれ、明日人君?」
そんな彼を呼び止める声。
声の方向へ振り向くとそこには一星がいた。
その手は黒く汚れ、赤い雫が伝っている。
「一星……」
一星の姿は明日人の知る姿ではなかった。頭上には獣を彷彿とさせる耳が生え、微笑む口元にはおよそ人のものとは思えぬ牙が見えている。そしてその腕は毛深く鋭くなっていて、臀部にはしっぽまで生えていた。その姿はまるで御伽噺の人狼だ。
しかし、その姿をしているのは一星だけではない。声を掛けられた明日人自身も同じように獣のような姿をしていた。
「やっぱり、明日人君も人狼だったんですね。いやぁ、まさかこんな所で仲間と出会えるとは思わなかったな」
ぺろり、と汚れた手を舐めると一星は目を細めて笑った。
「……俺は」
「でも今日も俺が殺しちゃった。ごめんね、明日人君も殺しに降りてきたんでしょ? 今日はおしまい」
「違……っ」
殺しにきたのでは無い。むしろ一星を止めに来たのだと声に出そうとするが上手く出てこない。一星はそんな明日人を見ながら「ふぅん」と小さく呟いた。
「今日の獲物は誰になったか知ってる?」
一歩一歩ゆっくりと一星は明日人に近寄った。
明日人は首を横に振る。ついさっきここに来たばかりだ。止めるのに間に合わなかった。救えたかもしれない犠牲者の顔を見るのが怖くて、一星の後ろで倒れている人物を見ないようにしていた。
それを知っているかのように意地悪そうな笑顔を浮かべた一星は明日人の目の前で止まると俯く明日人の顔を覗き込むようにして見た。
「見てよ」
指さされた先には己の血溜まりに倒れ込む一人の人物。よく見覚えのあるその姿は、夕刻まで共に言葉を交わしていた剛陣そのものだ。
真っ赤な水溜まりに染められながらピクリとも動かぬそれはもう既に息を引き取っているのだと嫌でも分かる情景に明日人は顔を思いっきり歪めて、一星の胸ぐらを掴む。
「なんで、剛陣先輩を殺したの……!」
その問いかけに、一星は笑顔を浮かべるのをやめて見下すような瞳で明日人を睨みつけた。自身を掴む腕を振りほどきながら、出来たシワを整えて怒りに任せる明日人の問いに答える。
「なんでって。明日人君の方こそ人狼なのにおかしいんじゃない? 人狼は村人を殺すものでしょ」
さも当然だと当たり前だと言う風に淡々と告げる。おかしいのは君の方だと、おかしなものを見るような視線で。
「今一度自分が何者なのか考えた方がいいんじゃない? 俺達が人狼である以上人間と仲良く、だなんて出来ないんだから」
諦めたようなその闇に充ちた瞳を揺らしながら立ち尽くす明日人の横を通り過ぎる。
「それでも……っ」
そんな一星の背に声を掛けようと振り返ると立ち止まった一星の冷たい視線と目が合った。それでも、なんだと言うのだろうか。
それでも半分は人間だと、それでも気持ちは人間だと、訴えたところで結局は人狼であることには違いない。水に一滴の泥水を混ぜてしまえばもうそれは水ではない泥水なのだと同じように。人狼である以上人ではないのだ。
「それでも?」
言葉に詰まった明日人を嘲笑うかのように一星は問いかけた。
「それでも俺達は人間だって言うつもり? 明日人君、分かってる? 人狼が一体なんなのかを」
人狼と人間の違い。
見た目はもちろんのこと、人狼と人間は大きな違いがあった。
人狼。言葉通り人と狼の力を兼ね揃えた存在で、その起源は古来人に縄張りを侵され虐げられた狼の呪いによってその姿を変えられた元人間だ。昼間は人として、夜は狼として呪いによって人間を殺すことで己を維持している。
人を殺さなければ生きていけない人狼は、今でも人間達から嫌われ虐げられているせいかその呪いが解けることはないのだという。
「分かってる……分かってるよ」
「分かってるならなんで殺さないの? そろそろ限界だろ?」
確かに人狼としての呪いを受けてから明日人はもう長らく人を殺していなかった。呪いの衝動で何度か手にかけそうになったことはある。それでも何とか耐え、今まで自我を保ってきていた。人を殺してしまえばそれこそ人に戻れなくなる気がして。
都合よく家が村から離れていたお陰もあってか、夜に姿を見られることもなく穏便に過ごせていたのもあったのだろう。それでも、耐えれば耐えるほど呪いの効力というものは上がるようで、正直言ってしまえば限界は近かった。
「……」
答えないことを肯定と見たのか、一星は不気味に微笑むとその枷を外すかのように言葉を紡いだ。
「明日人君ってお父さん、行方不明なんだよね?」
「…………」
「実は俺、君のお父さんのこと知ってるんだ」
その言葉に無言を貫いていた明日人の眉がピクリと反応する。幼い頃から気がつけば行方を眩ませていた父親のこと。それは母から聞き伝った程度の存在でしっかりとしたことは何一つ知らない人物のこと。
大きくなってからその存在を意識しては、どんな人なのかと想いを募らせていた人物だ。
今、それを一星が知っていると言った。
何故?
そんな疑問と同時に、父親という存在が確かに存在していた事実に驚きながらも怪しい笑みを浮かべる一星を見る。
その反応を見て一星はさらに笑みを強めた。
「知りたいよね?」
知りたい。
母以外からの父親という人物像を。
何故、自分と母を置いて出ていってしまったのかを。
今どこにいるのかを。
「……知りたい」
自然とそう、口から言葉が漏れた。
知りたいに決まっている。
どうして一星が父のことを知っているのかは分からない。それでも少なからず探していた数少ない手掛かりには違いなかった。
その答えを聞いて一星は一層微笑んだ。
「じゃあ、取引しようよ」
「取引……?」
「俺が明日人君の父親のことを話す代わりに、明日人君には灰崎君を殺して欲しいんだ」
「灰崎を、殺す……?」
一星の提案に明日人は唾を飲み込む。
「そう。灰崎くんを殺すことが君のお父さんについて話してあげる条件」
「どうして、灰崎なんだ」
確かに灰崎は一星の事を疑い、目星を付けていた。しかし鬼道の勘という根拠の薄い発言などどうにでもなるハズだ。占われてしまえばその根拠は根強いものになってしまうが、それさえ回避してしまえればこれ程言い回しが出来る一星のことだ。どうにか自身が吊られることは回避出来るだろう。
なのに、よりにもよって何故灰崎をターゲットにするのだろうか。
そんな質問を嘲笑うかのように一星は笑った。
「どうしてって彼、狩人だよね? 僕達の天敵だよ。早急に殺っておかないと」
狩人。
人狼の襲撃から村人を守る術を持つもの。確かに襲撃に失敗し狩人に見つかれば動きにくくなる所かこちらの姿を見られれば終わりだ。確かに人狼側としては早急に手を打つべき存在なのだが、明日人はその提案にイマイチ気分が乗らなかった。
そもそも自身の欲求のために今までこうして仲良くしてくれた“仲間”達を裏切るような行為をしてもいいのかと明日人の中で葛藤が生まれる。
父のことは知りたい。
でも、その為だけに村の人たちを殺す一星をこのままにしておいていいのか?
そして、そのために自分がその行為に手を染めてもいいのか?
自ずと天秤に掛けたその二つの重さはどちらも同じでなかなかどちらかに傾いてはくれない。グルグルと思考が回り始めて空回りする。
そもそも一星は何故明日人の父親の事を知っているのか。それに灰崎を殺してもその情報があっているのか、確認する術はあるのか。聞きたいことが山ほど出てくる。
しかし、そんな時間もないようで一つの足音がこちらに近付いてくるのを察知した一星が素早く反応する。
「どうやら今晩はもう時間がないみたい。それじゃ、明日人君。また朝に。答えはまた夜に聞かせてよ」
手をひらりと振ると音もなく暗闇に消えていく。遅れて足音に気がついた明日人は逃げようとするも、思考が上手く働いてくれないおかげで逃げそびれてしまった。
「明日人じゃないか!」
足音の主はそんな明日人の姿を捉えると親しげに声を掛けてくる。その声は随分懐かしく、明日人は驚きながらも声の方を見た。
そこに居たのは村から長らく離れていた円堂と豪炎寺の二人で、「よっ!」と気楽に挨拶を送って来ていた。
明日人は慌てて自身の獣耳、尻尾、腕を確認してそれらが消えている事を確認すると微妙な表情のままそれに返す。
「おかえりなさい、円堂さん豪炎寺さん」
「ただいま。時間が時間だが、随分と村が静かだな」
矢筒を降ろしながら豪炎寺は広場を見渡した。夜明けにはまだ少し掛かるせいか周りはまだ薄暗い。しかし月明かりだけでも広場の全体だけは見渡せるほどの明るさで、その目には例の処刑台が止まる。
「あれは……」
「ん? なんだあれ。鐘にしては変な形だな」
同じく処刑台に目を止めた円堂が首を傾げた。そしてそのまま答えを求めるように明日人へと視線が向く。
「あ、えっと……」
どう答えるべきかと狼狽える明日人を見かねてか、二人は互いに目を合わせると苦笑して、話題を変えることにしてくれたようだ。
「すまない、少し疲れているみたいだ。詳しい話は朝にしよう。稲森も休め」
何故こんな時間に出歩いているのかなどという野暮な質問もなく、豪炎寺はそう言うと荷物を背負いながら円堂に目配せした。その視線を受け取った円堂は「ああ」と頷くとその後ろを追うようにしてついて行く。
「じゃあなー、明日人」
そう言って手を振る円堂を見送りながら、明日人はホッと一息つく。どうやら剛陣の死体は暗いのと処刑台おかげで見つからなかったようだ。どちらにせよ今朝には見つかるのだろうからただの先延ばしなのだが、今この場で見つかれば怪しまれるのは自分だ。その安心感と夜中に出歩いていることに不信感を持たなかった二人に感謝しながらも明日人は再び処刑台を見上げた。
帰ってきた二人。今日の占い結果。そして明日の犠牲者。
加速するように動き始めた日々に目を閉じながら、明日人は帰路を辿った。
占わないで欲しい。
そう告げられた野坂は意外な提案に目を丸くした。占って欲しい人物を告げるならいざ知れず、自分達を占うなというのは、自分たちが人狼だと暗に伝えているようなものでは無いかと疑う。
しかし、そうだとしてもわざわざそれを言いに来る理由があるに違いない。裏があろうとなかろうとまずはそれを聞いてからにしようと、野坂は椅子に深く座り直し二人を見つめた。
「もちろん、理由はある。ただ、それを伝えても信じてもらえるかどうか分からなかったし、正直悩んだんだ。これは、村の為になるのかって」
相変わらず口を開こうとしない吹雪の分と言わんばかりに風丸が言葉を紡ぐ。どうして村人である吹雪と外からやってきた風丸の組み合わせなのだろうかと考えながらもその言葉を聞きながら野坂はゆっくりと瞬きをして見せた。
「それで、貴方達を占わないことが村の為になる、と思って僕に相談しに来た……というわけでいいんでしょうか?」
「いや、正直村の為になるかどうかは分からなかった。でも、信じてもらえるのなら今後村の為になるように動こうと思う」
「へぇ」
しっかりと意志を告げる風丸に野坂は少しだけ口角をあげながら笑みを浮かべる。思ったことを隠さない素直な言葉は嫌いではない。真っ直ぐな彼の性格が伝わってくるからだ。真意がどうであれ、聞くに値する内容であるだろう。
しかし、依然として吹雪の方は口を開こうとはしていない。意思が固まっていないのか、不安そうに俯いたり時折風丸の方を見たりしている。
そんな吹雪を見て少し呆れたようにしながら、風丸は意を決したかのように視線を定める。
「俺たちは妖狐の生き残りなんだ」
「妖狐?」
「さすがに知恵の皇帝も知らないことがあるんだな」
ふふ、と笑った風丸の言葉には嫌味を含む様子はなく、相手も人間だと言うのを確認出来て安心したような口ぶりだった。そんな姿に少しだけ眉を顰めるも言い返す言葉もなかった野坂は説明を求めるように腕を組んで見せた。
「この村じゃあまり伝えられてないみたいだから吹雪もこうしてこの村に留まれたんだ。……妖狐は、俺達は人に化ける。人狼と同じだけれどそれだけだ。ただ、その名の通り妖力を使っているから、他の────占い師の力と対半して占われたら死んでしまう」
「……なるほど。風丸さん達のことはだいたいわかりました。けれど、貴方達を生かすことによっての村のメリットはあるんでしょうか? それにわざわざリスクを犯して人間に化けているのもよくわからないな。元が化けきつねというのならば、狐のままでもよかったんじゃないですか?」
野坂の言い分に二人は顔を顰める。言い分はもっともで、ハンターがいるにしても狐のままの方がまだ平穏な生活を送れていただろう。なのにわざわざ人に化けてこうしてリスクのある話し合いをするのには理由があった。
「俺達は以前別の村で円堂に救われたんだ。だからその恩返しのためにリスクを犯してでもこの村を守りたいんだ」
風丸のその言葉に吹雪も頷いた。
「円堂君は……円堂君達はボクに希望をくれたんだ。だから、ボクもそれに応えたい。そのためにこうして野坂君に打ち明けたんだ」
先程まで寡黙を貫いていた吹雪の言葉だけに、その発言は真っ直ぐとしていてそれが真意なのだろうと野坂には伝わった。
暫く考える素振りを見せてから、野坂は頷く。
「わかりました。お二人のことを信じます。その代わり、こちらの条件も一つ呑んでもらいますよ」
そう提案するとニコリと微笑んでみせた。
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