艦娘の髪をさわりたい (あーふぁ)
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1.黒髪ツインテールの五十鈴

 10月も終わりに近づく日の午前。

 提督である俺は今日でついに30歳になってしまった。

 10代の頃は30歳までには結婚したいなとぼんやり思っていたが、年月はあっという間に過ぎていく。

 艦娘たちの提督となって8年が経ち、周りに女性はたくさんいるものの恋人すらできないのが現状だ。

 別に俺自身にそれほど問題があるとは思わない。顔は美形ではないものの、そこそこ見れるもので体も鍛えているから大丈夫なはずだ。身長は178㎝あり、体重だって75㎏と悪くはない。体は清潔に保ち、髪だって耳にかぶらない程度の長さまでしかない。

 ギャンブルは深くはまってなく、酒とタバコは滅多にやらない。

 仕事ぶりは我ながら真面目だ。悪いところがあったとしても、自宅にいる時以外は交代でずっと一緒にいる秘書の3人が教えてくれる。

 だから自分自身に問題はそんなにないと思っている。

 なのに、女性に恋愛感情を向けられたことがないような気がする。部下である艦娘たちとは良好な関係で、仲が悪いのは一部だけだ。

 そんなことを物が少なく、がらんとしている執務室で机に向かってはずいぶんと久しぶりに1人でぼぅっと過ごしている今だ。

 もうずっと恋人なんてできずに人生を終えてしまうという想像もしてしまうが、そうなったらそうなったで趣味や自由な時間が増えるだろうと前向きに考えようとする。

 そう考え込んでしまっているときに軽いノックの音が聞こえ、顔をあげる。

 俺の返事と共に入ってきたのは半年前に来た絹糸のような美しい黒髪に、曲線の綺麗で大きな胸を持つ、制服を着た五十鈴だった。

 中学生の終わりごろな顔立ちの五十鈴は机を挟んで俺の前へやってくると、演習結果の報告をしてくれる。

 それが終わると、ちょっとの間を挟んで五十鈴が微笑みと共に嬉しい言葉を言ってくれた。

 

「誕生日おめでとう、提督」

「ありがとう。ついに今日で30歳になってしまったよ」

「いいじゃない、別に。死ぬことも大きな怪我もなく、生きられたのなら喜ぶべきだわ」

 

 五十鈴の返事に苦笑しつつ、そういう喜びかたもあるのだと気づく。

 本土にいるとはいえ、深海棲艦と戦争をしているのだから命の重要さをありがたく思うべきだった。

 

「プレゼントをあげてもよかったんだけど、受け取らないでしょ?」

「ああ、前に言ったとおりだ。もし誰もくれなかったら俺は悲しくて1週間は引きこもってしまうからな」

 

 わざとらしくため息をつき、背もたれ付きの椅子に深く背を預ける。

 プレゼントを受け付けないと言わなければ、義務的にしかたなくあげる艦娘もいる。そういうのが嫌で禁止したが、五十鈴のように言葉で祝ってもらうだけでも結構嬉しいものだ。

 

「普通の男の人なら、女の子からのプレゼントはとても喜ぶと思うんだけど」

「まわりが賑やかになりすぎるから俺は喜ばないな。今だって秘書たちがいない静かな時間を楽しむぐらいだ」

「あら、邪魔だった?」

「いや、五十鈴と話すのも1週間ぶりぐらいだから嬉しいよ」

 

 遠慮する表情を浮かべる五十鈴に、俺は心からの笑みを向ける。

 五十鈴との会話は新鮮な空気を吸ったかのような、いい気持ちになれる。秘書たちとは仕事以外の話もするが、それとは別だ。

 執務机からちょっと離れたところにある秘書専用の机を見ると、五十鈴も釣られて視線をそちらへとやる。

 いつでもどんな時でも一緒にいて、困ったことやコーヒーが飲みたいと思えば率先してやってくれるのはありがたい。だが、時々は秘書がいない不自由で静かな時間も欲しくなるものだ。

 

「提督っていう職も大変ね」

「彼女たちは俺のことが不安なだけだ。立派な人間でありたいと思うが、ずっと一緒にいてくれる彼女たちから見れば全然そうはなれていないらしい」

 

 秘書という名目を持ち、行動を監視されているのは仕方がないことだと思っている。いつの日か、彼女たちが心配せず1人でも行動させてくれるような人間になりたいものだ。

 そう自分のことを考えていると、五十鈴は首を傾げながら不思議そうな表情を浮かべる。

 

「提督に苦情を言うときのあの3人は、言葉どおりの意味を言ってない気がするけれど」

「いや、実際にそうなんだ。その証拠として『私がいなきゃあなたは本当に何もできないダメ人間ね』なんて言われたからな」

 

 以前に3人の秘書である仲がいい艦娘たちからそれぞれ笑顔で言われた時には、なんともいえない悲しみが襲ってきた。笑顔や明るい声だったから、からかい程度だと思うが。

 思えば、秘書以外の艦娘たちからも事あるごとに俺を手伝ってくれるのは本当に仕事ができないのかと考え始めてしまう。

 今まで提督という仕事ができているから、最低ラインより上にいるには違いない。

 

「時々、自由に生きたくなるよ」

「自由にすればいいじゃない。自分を抑えてばかりいると、ストレスで胃が痛くなるわよ?」

 

 自分を抑えないということは、なかなかに難しいことだ。100人ほどいる艦娘たちの上に立つ仕事柄、変なことはできない。

 でも五十鈴に言われて自分が何をやりたかったか。何が好きだったかを思い出そうとする。

 そうして考えているあいだ、五十鈴はツインテールをなびかせながら秘書用の机へと行き、そこから椅子を持って俺のすぐ隣へとやってくる。

 

「お昼ご飯までは時間あるから、少しだけ話に付き合ってあげる」

「……そういうふうにされると嬉しいな」

「なに? 提督は秘書の人たちに優しくされていないの?」

 

 俺がしみじみと言うと、五十鈴はあきれた風な声を出してきた。

 秘書たちは優しくしてくれる。優しくしてくれるが、五十鈴のようにゆったりとした感じではない。とても行動的で、俺に対して何かをしていないと落ち着かないんじゃないかと思うほどだ。

 

「俺は五十鈴といる、今のような穏やかな時間を過ごしたいんだ」

 

 そう言うと、五十鈴は恥ずかしそうに俺から顔を横に向ける。

 その恥ずかしがる仕草がいつも活発で強気な秘書たちと違うことに安心感を覚える。

 そして顔を動かしたときに一緒に動いていく髪に目を奪われてしまう。

 さっき、自由にすればいいと言われてから、五十鈴の髪から目が離せない。

 初めて会ったときから五十鈴の髪には興味を持っていた。五十鈴の髪は光にあたると宝石を思わせるように輝き、シャンプーのいい香りがする髪に一目惚れしてしまったほどだ。

 じっと見つめていたからか、視線に気づいたらしい五十鈴が俺へと振り向いた。

 

「……視線を感じるんだけど、五十鈴の顔か髪にゴミでもついていた?」

「そういうわけじゃないが」

 

 正直に言って、髪に見惚れていたなんて言うのは恥ずかしい。それに1度五十鈴の髪のことを口に出してしまうと、抑えている気持ちが表へと出てしまう気がする。

 俺は五十鈴のまっすぐに見つめてくる視線が辛く、目をそらす。

 

「言ってごらんなさいよ。怒らないと思うから」

「遠慮しておく」

「……言わないと髪を引っこ抜くわよ?」

 

 髪のことを気にするような歳になってきた俺にとてつもなく怖いことを言ってくる五十鈴に、仕方がなく言うことにする。黙っていると本当に何本かは抜いていきそうだから。

 

「怒らないでくれると嬉しいが、その、五十鈴の髪を見ていたんだ」

「髪? 五十鈴の? 別に面白くないでしょ」

 

 五十鈴は自分のツインテールを手に持って軽く見ては眉をひそめて疑問な表情を浮かべる。

 

「面白いというか……いや、このまま言うと五十鈴から変態と言われそうだからやめておく」

「そこまで言っといてなによ。言っちゃっていいじゃない。提督は自分の欲を出していいのよ。普段から真面目すぎるところしか見てないし」

 

 優しい五十鈴はそう言ってくれるが、俺の欲とはフェチズムになる。

 前から気になっていた五十鈴の髪を間近で見て、さわりたい。それが今の想いだ。だが女性にとって髪は大事なもので、男になんかさわらせたくないものだろう。

 今までは艦娘たちの綺麗な髪を見ているだけで満足していた。太陽の光にあたって輝き、爽やかな風になびく髪。それを見ることは俺にとって大きな癒しだった。

 でももう抑えられない。五十鈴の大きな胸を見ても心が落ち着かず、女性の髪を見ること以上にやってしまいたい気持ちを!!

 

「そこまで言ってくれるなら言うが…………五十鈴を、五十鈴の髪をさわりたいんだ」

「普通、男の人からすれば胸やお尻って言うところじゃないかしら。まぁ特別に今日はさわってもいいわ。提督の誕生日だしね」

 

 五十鈴は不思議そうに言いながらも右のツインテールを手に持つと、俺へと差し出してくれる。

 その髪に自然と目が吸い付けられ、さわっていいと本人からの許可も出ている。

 俺は深呼吸して高ぶっていく精神を少し落ち着けたあとに、緊張しながら五十鈴の髪をそっと片手でさわっていく。

 五十鈴の髪を手のひらに乗せると、その髪は指の間からさらさらとこぼれ落ちていく。男の髪とはまったくの別物だ。

 ずいぶんと久しぶりにさわる女性の髪の感触は心が澄んでいくようだ。

 この素晴らしさを語るには30年生きた程度の俺では語ることは難しい。だが、それでも俺は髪に対して思うことは色々とある。

 艦娘は海が仕事場だ。だから髪は潮風に痛んで綺麗な髪にするのはなかなかに面倒だ。でも五十鈴の髪はよく手入れがしてある。

 五十鈴の髪、それはひとつの宇宙。力強さ、情熱という感情が髪に込められている。

 感激しかできない、俺の手からこぼれ落ちた髪を手ですくうと、そのすくった髪を反対の手で何度も撫でて味わっていく。

 

「あの、もういい?」

「あー、すまない。変なとこを見せてしまったな」

 

 恥ずかしさからか顔を少し赤くした五十鈴の様子を見て、俺は名残惜しくも髪から手を離していく。

 髪を撫でるという行為は、五十鈴から今まで得てきた評判、真面目さやちょっとした威厳はなくなってしまった。だが、その代わりとして堂々と髪をさわられたのだから何も問題はない。むしろ提督をやってきて、今が一番嬉しい時間だったかもしれない。

 今なら言える。こんな素敵な髪をさわれたのなら、もう提督をやめてもいいと。

 下や上に挟まれて苦労する中間管理職は辛い。いくらここが訓練・演習・物資輸送専門な部隊といえどもだ。深海棲艦と停戦協定を4か月前に結んだが、後方ではまだまだ忙しい。

 書類、艦娘たちの状態確認、訓練を終えた艦娘をどこの前線に送ればいいかとヒアリングもして日々頭を悩ませてストレスがたまっていく日々だ。

 仕事の効率は3人の秘書たちのおかげで仕事はそれほどたまっていかないが、そのために日々の生活に縛りが出てくるのは苦しい。……綺麗な子、かわいい子に毎日ずっとそばにいてもらうのは嬉しいが。

 

「これで提督の弱みを握ったって思えば、私は得したわね」

「黙っていて欲しい。他の艦娘たちに知られれば、引かれるのは間違いないな。特に秘書たちが知ったら、軽蔑の目を向けられながら仕事だなんてできるわけがない」

 

 もし他の艦娘たちに知られたら、さっさと辞めることにしよう。それまでなら、今日のように五十鈴は時々髪をさわらせてくれるかもしれない。

 五十鈴は首を傾げて悩んで考え込みはじめた。

 今の発言に何か考え込む要素があったのかと、五十鈴が考え終わるのを待つ。

 

「秘書の3人に髪をさわらせてくれって言わないの?」

「関係が悪くなるだろう。あいつらは真面目で仕事ができる俺じゃないと嫌がるぞ」

「でもそれと提督の性癖は関係ないんじゃないかしら。それに言ってみると受け入れてくれるような気がしない?」

「それと失敗した時のことを考えると無理だ。五十鈴が時々さわらせてくれれば、それでいい」

「提督にべったりな様子なら、いけると思うんだけどね。あ、髪をさわらせるのは今日だけよ? 誕生日だから特別だっただけで。女性の髪にさわりたいのなら、まずは秘書の人たちにお願いしてみたら?」

 

 五十鈴の俺を突き放す絶望の言葉に強い衝撃を覚えるが、さっきまではもう提督をやめてもいいと思っていたから、髪をさわるお願いをしてみるのはいいかもしれない。

 天井を見上げ、自分の欲求をちょっと出してみるかと覚悟を決めると五十鈴が席を立つ。

 ツインテールの素敵な黒髪をふりふりと動かしながら、椅子を元の位置へと戻すとかわいらしい微笑みを俺に向けてくる。

 

「じゃあ提督、秘書の人たちと仲良くね」

「待て、五十鈴。俺が我慢していた感情を出させたのにもういなくなるのか」

「これ以上いると秘書に怒られるもの。それと爆発する前でよかったじゃない。私に感謝するべきだと思うの」

 

 俺は五十鈴に帰ってもらいたくなくて手を伸ばすが、五十鈴は小さく手を振って部屋から出ていった。

 ……五十鈴は実にひどい女だ。

 あの素晴らしい髪をさわってしまったら、もう感情は抑えられない。さっきさわったばかりなのに、もう綺麗な髪をさわりたくてたまらない。

 自分の両手を見ると、今まで綺麗な髪に飢えていたから艦娘の髪が間近にあったら自然と指が動き出してしまいそうだ。

 五十鈴の髪と出会い、さわってしまっては自分の欲求を止められなくなるだろう。

 今までは周囲の評価が気になっていたが、もうそんなのは気にしない。

 これからは美しい髪を見つめ、さわっていく生き方に変えていこうと誓った。そう思えば、辛い仕事の時間でも艦娘たちの髪を思えば元気にやっていけそうだ。

 



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2.金髪ロングヘアのビスマルク

 五十鈴に1度だけ髪をさわらせてもらった日から2日後の夕方。

 静かな執務室には石油ストーブが動く音と、俺と秘書であるビスマルクが机に向かって書類をめくる音だけが響く。

 俺は執務机に向かい、ビスマルクがマグカップに淹れてくれたコーヒーを飲みながら昨日の外回りの時に渡された書類を朝からビスマルクとふたりで読んでいる。

 それは軍関係以外の仕事。だが地元の人たちと仲が悪くならないために必要なことだ。

 昨日の要件だと、12月になってから雪かきなどの地元貢献をなにかやってくれということだった。

 このあたりの裁量はそれぞれの鎮守府にいる提督に任されている。

 軍のほうからも本来の業務にあまり影響がない程度には地元へ貢献しろと指示を出されている。

 戦争をしている今は軍への物資が優先され、多くの人が我慢を強いられる生活をしている。そのために一般の人からは軍が素晴らしい戦果をあげようとも、自分たちの暮らしが豊かにならなければ軍へ対する印象は下がるばかりだ。

 それを改善するための話し合いを昨日はしてきた。

 今日は昨日に地元の人から提案された企画書と、この鎮守府に対する意見不満の要望書を見ながら実現可能なものかを資料を参考にしながら俺とビスマルクのふたりで朝からずっと手分けしてやっている。

 だが、それもあと少しで終わる。艦娘たちの要望書のひとつである鎮守府焼き芋祭り案なるものを確認すれば。

 ……この要望書の内容は食堂で焼き芋を提供して終わりじゃダメなんだろうか。自分たちで落ち葉とイモを用意し、焼いて食べる。

 青空の下で自分たちの手で作るのは失敗してもおいしく感じられるが、外でやると煙のせいで出火なのかと周囲の人に不信感と怖い気持ちを感じさせてしまう。

 艦娘と周辺住民の気持ちに配慮しつつ、どうすればいいかと悩み、俺からちょっと離れたところにある秘書用の机。その机に向かって書類をにらめっこしているビスマルクを見る。

 ビスマルクは秘書である3人のうちの1人で、7年間ずっと一緒にやってきた。仕事やそれ以外の時も色々と世話をしてくれ、時々口うるさいこともあるが姉がいたらこんなものだろうかと思う。

 そんな世話焼きな彼女の外見は20歳あたりな感じで、俺と同じぐらいの背をしてモデルかと思うような美しい体のバランスだ。

 柔らかく、ふんわりとしていて腰まで伸びているきめ細かい金色の髪。白い肌は透き通るようであり、形のいい大きな胸がある。

 帽子を机の上に置き、制服姿で仕事をしているビスマルクの横から見る表情は凛々しく、そのかっこいい様子を見たあとに綺麗な金髪をじっと眺めてしまう。

 仕事をしている姿はかっこいいなと考えていると、書類を読み終わったビスマルクは疲れたように大きなため息をついてから俺のほうを見てくる。

 

「遅くなってごめんなさい。そっちも終わったのかしら?」

「ああ、ついさっきな」

「それなら今日はもうおしまいね。それで、なんでAdmiralは私を見ていたのかしら?」

 

 ビスマルクは疲れた様子でそう言い、秘書用の机にあるマグカップに入っているコーヒーを飲んでいく。でも冷えたコーヒーはまずかったらしく、眉をひそめた顔になった。

 俺はそんな様子を見ると、俺がコーヒーを淹れてこようと思って自分の机の上にある書類を引き出しの中へと片付けていく。

 

「コーヒーを淹れてくる。パックでよければ」

「ありがとう。今度、私が淹れるときはとっておきの豆を使ってあげるわ」

「それは楽しみだ」

 

 ビスマルクの嬉しそうな顔に笑顔を返し、俺は席を立ちあがると2人分のマグカップを回収して執務室を出ていく。

 あまり広くなく寒い給湯室でヤカンに水を入れて沸騰するのを待つあいだ、マグカップを洗う。

 その間に思い出すのは、さきほどのビスマルクの言葉。

 ビスマルクは自前でいいコーヒー豆を用意しては自分で焙煎して俺に飲ませてくれる。そのコーヒーの味は時々変わり、ある時にその豆が何かを聞いたときはマンデリンという高級銘柄だった。

 今は戦争が中断し、海外との貿易がちょっとだけ復活しているが輸送量が少ないこともあって海外の物はすべてが高い。そんな高いものを飲ませてもらったから、俺もお返しをしたかったが何を渡せばいいのか思いつかないまま、そのままになっている。

 沸騰するヤカンを見ながら今年中にビスマルクを喜ばせたいと目標を決め、マグカップにお湯をそそいで温める。そうして温まったマグカップからお湯を捨て、ドリップのコーヒーパックをセットし淹れていく。

 できあがったコーヒーをふたつ持って執務室へ戻ってくると、そこには女神がいた。

 いや、女神だけじゃ言葉が足りない。油彩で描かれた名画のような、女神様のビスマルクが優雅に立っていた。

 ビスマルクは窓の外を見ていて、その立っている場所には夕陽の光が降り注ぎ、それがビスマルクの金髪を光らせている。

 それはきらきらとまぶしいほどに輝き、体全体に夕陽の光を浴びていることもあって幻想的な光景だった。

 

「おかえりなさい、Admiral」

 

 俺に気づき、振り返るときに髪はふんわりと浮かび上がり、髪の毛1本1本が芸術品のように見える。

 返事ができないまま、ぼぅっと髪を見続けているとビスマルクが近寄ってきて心配そうな顔で見つめてきた。

 

「……大丈夫?」

「あぁ、大丈夫。大丈夫だ」

 

 持っていた片方のマグカップを手渡し、ビスマルクと目を合わせないように早足で机へ戻ると熱いコーヒーを飲んでいく。

 コーヒーを飲みながら思うことは、この姿を写真に撮りたいという気持ちがあった。

 今のビスマルクは俺にとって遠い存在にも思える。そんなことを考えてしまい、大きな深呼吸をして心を落ち着けたあとに机の引き出しから大人の女性向けであるファッション雑誌を取り出す。

 これは昨日、鎮守府の外へ出たときにビスマルクを待たせて本屋で買ってきたものだ。

 レジでは少し買いづらかったが、これも綺麗な髪を見るためだ。雑誌のモデルなら、どれだけ髪を見ようとも文句を言われることはない。自由に気の向くままに見ることができる。

 ビスマルクに見つめられて心臓の鼓動が高まったのを雑誌の表紙を眺めて抑えたあとにページを開いていく。

 冬服に身を包んだモデルさんたちの写真を眺めていくが、心惹かれないのはなぜだろうか。

 顔や全体で見れば、かわいらしくはあるのだけれど。髪だけとなると気になるモデルさんはいない。そもそも雑誌の目的は服を見せるためだから、必要以上に着ている人が目立ってはいけないのだろう。

 そんなことを考えるが、すぐそばにいるビスマルクのことが気になりすぎて集中できていないことに気がつく。

 落ち着かない気持ちになりながらページをめくっていくと、体半分ほど空けた隣に椅子を持ってビスマルクがやってきた。

 

「私も見ていいかしら。あなたがこういうのを読む姿は初めて見るわね」

「これも勉強のためにな」

 

 こんな近くに来られると、2日前に間近で見た、五十鈴の髪の綺麗さと感触を思い出してしまう。

 すぐ近くにいるビスマルクからはシャンプーの香りがし、視界に入ってしまう金色の髪を見ると気持ちが段々と高ぶってくる。

 だが今日ばかりは髪をさわりたいという気持ちを抑えなければいけない。五十鈴の時にさわりたい気持ちは我慢はしないと自分に誓ったが、いざその時になれば緊張と恐怖がやってきてしまう。

 

「私の給料で1セットは揃えられるけれど、他にも服をたくさん持たないといけないからブランド物はそんなに買えないわね」

「コーヒーを安いのに変えれば―――」

Nein()!」

 

 言葉を言い終える前に俺をにらみつけるビスマルクは強い口調で返してくる。

 今のは俺の失言だ。

 ビスマルクは出会った時にはすでにコーヒー好きだった。そんな大好きなものを犠牲になんて言うのはダメで、そもそもビスマルクは服が欲しいとは言っていない。言葉からすれば、『余裕があれば買ってもいいかしら』と理解すべきだ。

 

「……今のは俺が悪かった」

「私も強く言い過ぎたわ。私が好きなもので、あなたも気に入っているものを軽く見られた気がして」

「そんなつもりはなかった」

「ええ、わかっているわ。Admiralはその人が好きなものなら、それが何であってもバカにはしないもの」

 

 その言葉と共ににらみつけきた表情から一転し、明るい笑みを俺に向けて褒めてくれるのは恥ずかしい。

 俺は返事もせず恥ずかしさを隠すために雑誌へと目を移し、ページを進めていく。

 すぐ隣から温かな視線を感じていたが、気にせず雑誌を読み進めていると視線が離れてくれる。

 モデルさんが着ている服を見たビスマルクはそれが大人でおしゃれだとか、私服は数が少ないからあこがれると言うのを聞きながらページは女性の髪形特集に。

 それは不器用な人でも簡単にヘアアレンジできるというもので、前日の夜から仕込んだウェーブヘアの作り方やサイドロープ編みポニーテールというのが紹介されていた。

 その髪型はどちらもおしゃれだ。

 艦娘たちはそういう手間のかかる複雑な髪型は邪魔になるためか、滅多に見ることがないために雑誌のは新鮮に思える。

 ビスマルクなら、どういう髪型が似合うかと首を動かしてみてしまう。ビスマルクも俺の視線に気づいて振り向くと、お互い近い距離で見つめあってしまう。

 俺は綺麗な髪を見たいだけなのに、こうも美人な人に正面から見つめられると恥ずかしくなる。でも髪を見続けるために顔をそらすという行動はできなかった。

 どうすればいいか、わからないでいるとビスマルクはそっと静かに目を閉じて顔を向けてくる。

 それを見てビスマルクは俺を受け入れてくれるんだなと理解した。だから俺は片手で肩を掴み、びくりと震えるビスマルクに近づく。

 夕陽の光にあたっている金髪が黄金色に輝いていて、その美しさにさわろうと思ってしまった俺の意思を止めてしまう。

 思えば、こうしてビスマルクの体を自分からさわるのも今年初めてだ。朝に執務室へ来てから、夜に自宅へ帰るまで一緒に過ごす時間が多いのに。

 だが、このままではダメだ。俺は髪をさわると決心したはずだ。自分の抑えてきた欲望を出すと!

 だから俺は緊張をしながらビスマルクの髪を1分ほど眺めてから覚悟を決め、そっとビスマルクの髪へふれようとゆっくり手を伸ばす。

 そうして髪をさわる寸前、目を開けたビスマルクが俺の顔と髪に近づけた手を見たあとに、顔を赤くして目を大きく見開いた。いけないことをしている気がして、手が止まってしまう。

 ビスマルクは俺が硬直していると、椅子から乱暴に立ち上がっては4歩ほどの距離を取った。

 それで気づいた。合意だと思っていたことが無許可だったということを。

 幸せだった気持ちが一転し、背筋が冷えていく。いくら長いあいだ共に過ごしてきた相手でも、何も言わずに行動をしてしまうのはよくないことだ。

 

「私の髪をさわろうとしたの?」

「あぁ、その、すまない」

「別にいいわ。…………私が誤解しただけだから」

 

 そう言って許してくれるビスマルクだが、俺に背を向けてしゃがみこむと聞き取れないほどの小さな声で何かをつぶやき始めた。

 今言ったこととは違い、かなり怒りが溜まっている気がする。

 何を誤解したかわからないが、そのことを聞くと本気で怒りそうだから怖くて聞くことができない。

 こういう時は気の利いたことが言えればいいが、普段から秘書と一緒に行動しているために自分で解決できないような困ったときは助けてもらっている。

 秘書以外の艦娘たちと会うときにも必ず秘書の誰かが俺のそばにいて、下手なことを言わないようにフォローしてもらっているが、そういうことをしてもらっているから会話の経験値がどうにも足りていない。

 俺が話しかけられない状況が3分ほど続いたあとに、しゃがんだままのビスマルクが顔だけこっちへと向けてくる。

 

「どうしてさわりたかったのかしら」

 

 顔を赤くしながらも不思議そうに聞いてくるのに対し、俺は思っているままのことをすぐに返事をした。

 

「夕陽に当たった髪が、絵画にある女神のように綺麗だったから」

「ずいぶん恥ずかしいことを言うのね」

 

 そう言われて、恥ずかしいことを言ったと自分でも自覚する。 ビスマルクの顔を見ることができず、雑誌を見ることにして視線から逃れる。

 そうしているとビスマルクは立ち上がって机越しに俺の前へやってくると、何も言わずに長い髪を振り払う仕草が視界の端に見える。

 振り払った時に宙に舞う綺麗な髪を熱心に、けれどあまり見ないようにしつつ見ていく。

 堂々と見たくはあるが、まだ恥ずかしい気持ちがあるために今は顔を見ることができない。

 雑誌を見ながら、これからどうしようかと集中できないでいるとビスマルクが穏やかな声をかけてくる。

 

Mein Admiral(私の提督)、あなたのコーヒーを淹れてきていいかしら?」

「頼む。ビスマルクが淹れるコーヒーは好きだ」

 

 嬉しそうに笑みを浮かべたビスマルクは俺の机からマグカップを手に取り、執務室を出ようと歩いていく。

 いなくなるまえに髪をさわらせてくれないかと声をかけようとしたが、歩く時に揺れる金髪。その髪の動きに目を取られているとビスマルクはそのまま部屋を出ていった。

 静かになった部屋で自分1人だけになって気づいたことがある。

 髪をさわるには相手がさわらせてくれる気分になる時まで一緒にいて話をし、それとなくお願いすればいいと。そうでなければ、さっきのように勝手にさわろうとした俺とビスマルクの間で誤解が起きてしまう。

 だからこれからは積極的でなく消極的な行動がいいと思った。

 髪をさわれなかったのは残念だが、そう焦ることじゃない。これから機会はきっとあるだろうし、嫌がらないようにしてさわっていきたい。

 初めてさわらせてくれた、五十鈴の時のように。




オリジナル小説が進まないための息抜き小説。


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3.赤髪セミロングの嵐

 今日は朝から執務室に俺とビスマルクと一緒にいる。

 穏やかな時間を過ごしているわけでもなく、仕事に追われてもいない。

 今日から新しく始まった勉強は、ドイツ人であるビスマルクによる熱心なドイツ語講座である。

 午前は読み書き、午後になってからは声を出して発音練習だ。人が聞いたら、美人さんとマンツーマンで勉強なんてうらやましい、なんて言う人がいるだろう。

 俺も前はそう思っていた。こんな綺麗な髪を視界に入れながら勉強ができるなんて、と。

 だがビスマルクはドイツ語に関しては厳しく、だけど丁寧に教えてくれる。ずいぶんと疲れる、その情熱的な勉強を続けられたらドイツに行っても通用しそうなものになりそうだ。

 スパルタな勉強は午後2時を少し過ぎたあたりでいったん休憩となり、ビスマルクはコーヒーを淹れに行ってくれている。

 心の疲労を取るために窓の外を見ると、透き通るような青色の空だった。こんな日はそこらを散歩したくなる。

 1度そう思ってしまうと、どうやって勉強を中断しようか考えてしまう。そうして思いついたのは急ぎではない仕事をやろうということだ。あまり疲れず、やることで俺にとっても癒しになること。

 それは先日提案された焼き芋祭りが実行可能かという、鎮守府の敷地内で実際にさつまいもを焼く実験だ。

 昨日の清掃活動で鎮守府周辺の道路や公園を歩いて集めた落ち葉があるために、ちょうどよく燃料もある。捨てるために昨日の時点で落ち葉に紛れ込んでいるゴミは分別済みだ。

 火を使う場所は風が少なくて地面が舗装されていない、滅多に使われないコの字型の倉庫がいい場所だと前もって見つけてある。そこのまんなかのテニスコート1面分の場所なら問題はないだろう。

 頭の中で計画が決まると、急いで紺色の軍服の上からコートを着て、執務机の上に出かけてくると書置きを残す。

 そうして部屋から扉を開けて出ようとするが、その直前に動きは止まる。

 そう、このまま出てしまうと、ビスマルクと出会って止められてしまう。

 だから、行くべきは窓だ。幸いにもここは2階で、窓から飛び降りても気を付ければ着地は大丈夫なはずだ。

 俺は窓を開け、窓枠に手をかけると真下や近くに誰もいないのを確認して最後に執務室の中へと振り返る。

 部屋から抜け出すことはきっとビスマルクに怒られるだろう。だが、これは単なる勉強からの逃避ではない。急に仕事がやりたくなったためだ!

 そう自分に言い訳し、窓から飛び降りた俺は滅多に逃げ出さない仕事から逃げ出した。

 それからは仕事をさぼっているのがばれないようにと堂々とした姿で仕事の途中という雰囲気を出しつつ、前もって本で勉強したとおりにたき火をするための道具を集めていく。

 マッチ、火ばさみ、落ち葉の入った袋に水の入ったバケツ。食堂ではサツマイモふたつとサツマイモを包む用のアルミホイル。

 それら全部を1人で持って運ぶには重く、往復をするのは手間だったために制服を着て暇していた駆逐艦娘の嵐に手伝ってもらい、目的地である倉庫の空き地へ一緒に運んでもらった。

 俺がしていることに大きな疑問を持つことなく手伝ってくる嵐とは時々サッカーやバスケで遊ぶ仲であり、ボーイッシュな姿や言葉遣いは男友達といるようで気楽だ。

 そんな嵐の背は俺より頭ひとつ分低く、胸が控えめで小柄だが元気な女の子だ。

 赤くツヤがある髪の毛の1本1本には力強さを感じ、肩まで伸びているセミロングは少し癖っ毛がある。

 その髪は体を動かしたときに元気よく跳ね上がり、風になびく様子を見ると猛烈に頭をぐりぐりと撫でまわしたくなる。

 だが、それは決して乱暴で力任せにするのではなく、撫でまわすことによって柔らかくも弾力があるだろう癖っ毛の髪の感触を楽しむためだ。

 そんなことを考えながら大量の落ち葉に火をつけて燃えていく様子を眺めつつ、一緒にしゃがみこんで隣にいる嵐へと目をやった。

 嵐の横顔は美形でかっこいいなと思っていると髪にたき火で飛んだ灰がくっつているのを見ると、それが気になってしまう。そんな俺の視線に気づいた嵐は不思議そうな顔を向けてくる。

 

「何か用か?」

「髪に灰がついている」

「マジか」

 

 俺の言葉を聞いた嵐は慌てて髪全体を手でばしばしと叩くようにさわり、髪についていた灰は地面へと落ちていく。

 

「取れたか?」

「あぁ。もう大丈夫だ」

「言ってくれてさんきゅーな。お礼に提督のも取ってやるよ」

 

 そう言って爽やかな笑顔で俺の髪についているらしい灰を、髪を軽く払うようにして取ってくれる。

 そんな様子で笑顔を浮かべている嵐を正面から見るとなかなかにかっこよく、もし男だったら多くの女性にもてていただろうなんてことを考え、つい見つめてしまう。

 

「ん、なんだ? まだ灰がついていたか?」

「いや、嵐を見ていただけだ」

「オレを? ……あー、別に体の調子は悪くないぜ。むしろ最近は筋トレをやって腕の筋肉がいい感じについてきたんだ」

 

 俺の考えていたこととは違い、健康具合を心配されていると思った嵐は腕をまっすぐ伸ばすと、「ほら、見てくれよ」と言うと手を握ったりひらいたりして動く筋肉を見せてくれる。

 細い腕だが、全体的に良く鍛えられている筋肉は締まっていて、綺麗ですっきりしている腕だなと思った。

 

「いい筋肉だ。こんなふうに鍛え続けている嵐は好きだ」

「そうか? そうなら嬉しいな! 最近は一緒に遊ぶことも減ってきたからさぁ、嫌われているかと思ってたんだぜ!」

 

 嵐は安心したように深い息をつくと、俺の背中をバンバンと力強く叩いてくる。

 俺は嵐に叩かれている時、こういう男同士のような気楽な関係でいれることに安心した。

 

「今は慣れない仕事をしているからな。軍関係以外のこともしているし、今日のこれだって艦娘たちが提案してきた焼き芋祭りができるかの実験をしているぐらいだ」

「へぇ、てっきり、自分1人で食べたいだけかと思ってた」

「それなら簡単な方法でやる」

 

 ちょっとした会話をしたあとに俺と嵐は燃え続ける落ち葉の山を眺めつつ、1人1個ずつアルミホイルをさつまいもに巻き付ける作業をする。

 勢いよく燃えていた落ち葉の山は次第に火が弱まり、煙の量が増えていく。その煙は空へと伸びていき、倉庫の屋根を越えたあたりで風に吹かれて広がっていく。

 その煙の行き先を眺めたあと、たき火の火が落ち着いた今頃に落ち葉の中に入れればいいと本に書いてあったのを思い出し、火ばさみを取ろうとするが嵐によって先に持たれた。

 

「オレにやらせてくれよ。こういうのってやったことなくてさぁ」

「奥まで入れるんだぞ」

「わかってるって。まぁ見てな」

 

 アルミホイルに包まれたさつまいもを火ばさみで掴むと、嵐は楽しそうに落ち葉の山へと突っ込んでいく。

 これは外でやるからこその楽しみだ。オーブンで焼くのは簡単だ。でもそれは過程を楽しむことができない。

 だがこういうやり方なら、食べるまでにやっていく過程は楽しいし、自分で焼いたのなら、失敗しても楽しめるだろう。

 書類仕事をやってばかりだと効率重視の考えになってしまい、過程を重要視しなくなってきた自分に反省する。

 そうして自分に落ち込んでいると落ち葉の山をつっつき、立ち上る煙を見て顔を動かす嵐の頭に目がいってしまう。

 細かく言うのなら、嵐の髪の毛だ。少し動くたびに、癖っ毛の髪がふんわりと動いて俺の目を奪ってくる。

 

「なんだよ。オレの顔にゴミでもついているのか?」

「顔じゃなく、髪を見ていたんだ」

 

 嵐は手でぺたぺたと自分の顔をさわっていたが、俺の言葉を聞いて手を止めると髪をつまんでじっと見始める。

 

「あー、髪なぁ。男ってまっすぐで長い髪が好きなんだろ? さらさらーって風で長い髪がふんわり広がるやつとか。オレのは見ていて楽しいものじゃないと思うぜ」

「俺は嵐の髪が好きだ。赤い色は嵐みたいに元気な女の子によく似合っているし、まっすぐな髪と違って、癖っ毛の髪はくるくると風になびく姿は見ていて楽しくなる」

 

 嵐は俺の顔をまじまじと見つめ、すぐに俺から勢いよく恥ずかしそうに視線を離して火ばさみで落ち葉の山を突っつき始める。

 

「なっ、なんだよ、急に褒めて。オレなんか褒めてもいいことなんてないぞ」

「ただの感想だ。別に何か考えがあるわけじゃない」

「ほ、本当か?」

「ああ」

「……じゃあさ、さわってみるか? オレなんかの髪でよければ」

「いいのか?」

「あぁ。いいぜ」

 

 その言葉に俺は心の中で盛大にガッツポーズと大きな叫び声をあげた。『嵐の魅力的な髪をさわれる!』とそんなことを。

 嵐の前だから変な人と思われないために喜びの感情は抑えなければいけないが、今の俺は最高に嬉しい瞬間を迎えている!

 俺は自分の手を服でごしごしと拭いて緊張しながら、そっと嵐の頭へと手を伸ばす。

 さわった瞬間、嵐の体は固まったが、撫でているあいだに嵐の緊張感は抜けていく。

 俺はというと、興奮でいっぱいいっぱいだ。

 嵐の髪は思っていたとおりに柔らかく、手で何度も頭を撫でると幸せな気持ちになってくる。

 次に髪先へと向かって手を動かしていくと、癖っ毛の髪が手へと絡みついてくる感触は新鮮だ。まるで髪のほうから俺にさわってもらいたいかのような。

 そうして髪を存分に楽しんでいると、嵐の頬は赤くなり、少し息が荒くなってきて色っぽく感じてしまう。

 普段は少年のような感じなのに、これはまるで年頃の女の子のようだ。いや、実際に女の子だが嵐とは男っぽい遊びしかしないから、こういう姿を見ると俺までもが恥ずかしくなってくる。

 俺は自分を抑えるために嵐の髪をわしゃわしゃと豪快に両手で撫でまくる。突然撫で始めたためか、驚きで声をあげられて手を止めてしまう。

 

「すまない。やりすぎたか」

「そうじゃないんだ。ただなんつーか……」

「嫌だったら素直に言ってくれると助かる。俺は察するのが苦手で」

「や、そういうんじゃないっていうか。オレの髪で喜んでくれるのは変な感じだ。(はぎ)には『女の子なんだからもっと手入れしなさい』って怒られるしさ」

 嵐は乱れた髪を直しながら、少し落ち込んだ顔をする。

 その嵐になんて声をかけるか悩みながら、俺は嵐から火ばさみを受け取ると落ち葉の山に入れ、さつまいもの向きを焦げないように変えていく。

 

「そういうのは自分が気になったらやればいい。自分が必要としていないのをやろうとしても苦痛になるだけで嫌になってしまう」

「そんなもんなのか?」

「ああ。俺はビスマルクから逃げてきたが、それはドイツ語の勉強が苦しかったからだ。ドイツ語を覚えたほうがドイツの子たちと会話するのにはいいが、朝からずっとは嫌になるし勉強する意欲がどうにも足りない」

「へぇ、司令でもそういう悩みはあるんだな」

「あるとも」

 

 そう言ってさつまいもの向きを時々変えながら雑談をしていく。

 話の内容は、今日のご飯はおいしかったとか図書室の本を増やして欲しいという、ささいなもの。けれど、この穏やかな時間は楽しいものだ。

 そうして時間が過ぎていき、落ち葉の山から煙が少なくなってくると焼きあがった頃だと思う。

 火ばさみを入れ、さつまいもを取り出すと包んだアルミホイルは熱く、まだ外せないために少しのあいだ地面の上で放っておく。

 熱すぎず、冷たすぎず。いい具合になるまで時々手でさわって様子を見ながら、冷めた頃に手を伸ばす。

 と、その時に後ろから強い視線を感じる。その視線の主に心当たりがある俺は後ろめたさもあって振り返ることができず、隣にいた嵐だけが振り返って気まずそうな表情を浮かべる。

 

「……なぁ、嵐。なにか上手な言い訳をひとつ頼む」

「いや無理だって! ビスマルクさん、すごいにらんでくるんだけど!?」

「そこをなんとか!」

 

 俺たちは小声で言い訳を考える話をしていると、近づいてくる足音が聞こえ、嵐とは反対側の俺の隣へとビスマルクがやってきた。

 顔を少しだけ動かしてビスマルクを見ると、文句を言うことも俺の方を見ることもなく、地面に置いてある焼き芋をふたつとも手に取る。

 そのうちのひとつを嵐に渡し、もうひとつはビスマルク自身が持つ。ビスマルクはアルミホイルを剥いでいき、さつまいもを熱そうにしながらも掴んで割ると中からは黄色いホクホクした状態が見える。

 

「ほら、嵐も早く食べなさい」

 

 嵐は俺の分がないのを見て遠慮していたが、食べていいと目で促すとアルミホイルとさつまいもの皮を剥いて、いい感じにできている焼き芋を食べ始める。

 口に入れて熱いのを我慢しながらもおいしそうに食べている顔を見ると、焼き芋をやってよかったと満足する。ただ、俺が食べられないのは残念であるが。

 ビスマルクは俺をちらりと1度見てから、焼き芋の皮を剥きながら静かに喋り出す。

 

「……さっきはごめんなさい。何も言わず、今日突然の勉強は少しやりすぎたって反省しているわ」

「俺も抜け出して悪かった。ビスマルクは俺のためを思っての勉強だったんだろう?」

「ええ。でも強引だったわね。あなたに相談せず、予定が空いているからと始めてしまったのは。あなたがやりたいわけではなかったのに」

 

 言い終わり、小さなため息をつくと俺の方へ振り向いて、焼き芋を口元へと差し出してくる。

 ビスマルクの食べていいという目線を感じ、ビスマルクが焼き芋を持っている手を上から優しく重ね、焼き芋の位置が動かないようにして食べていく。

 まだ熱いためにちょっとしか食べられないが、焼き芋はなかなかにおいしく、自分で焼いたという満足感が俺の心へやってくる。

 

「これはうまいな」

 

 そう言って手を離すと、ビスマルクは俺の食べかけた部分をじっと見ては俺の顔を見つめてくる。

 それを見て、食べかけは嫌だったかと気づく。だから、その部分を指で外そうと手を伸ばしかけたがビスマルクは慌てて食べ始め、口の中が熱さで苦しそうになりながらもおいしそうな表情を浮かべては食べていく。

 

「そんなに焼き芋が食べたかったのなら、今度は食堂で簡単に作ってしまおうか」

「……それはさすがに違うと思うぜ、オレは」

 

 腹が減っているか焼き芋が食べたかったと思っていたが、俺の独り言に対して嵐はそう小さくつぶやいた。

 その言葉の意味の続きを聞こうと嵐の顔を見て待つが、俺から視線をそらして食べ続けるだけで何も言ってこない。

 自分で考えろということだと気づき、一生懸命に焼き芋を食べていくビスマルクを見る。

 焼き芋を食べるたびに揺れる金髪が気になり、食事時ならではの髪の動きに目を奪われながら時間が過ぎていく。

 でもこういう時間は悪くなく、むしろ心地がいい。

 自分たちで話をしながら焼いていく時間。作った物をビスマルクや嵐が食べ、嬉しそうなのを見るのは実にいい。なぜなら、いくら髪を凝視しても文句を言われないからだ。

 俺は間近で見る、ふたりの髪の記憶をしっかりと脳裏に焼き付けていった。



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4.桃髪ロングポニーテールの由良

 今日は朝から艦娘たちと掃除をしていた。

 掃除をするにいたったわけは、書類仕事がないと俺が言ったら、今日の秘書である由良が「それでは掃除をしましょう!」と元気に言ったから。

 そう言われた俺は渋々執務室の窓を開け放ち、天気が良いけれども11月の冷たい空気を感じながら、と窓を開けたときにランニングをしていたジャージ姿の五十鈴と嵐を呼び寄せて4人で掃除を始めた。

 掃除内容は床をモップで空拭きをしてからの水モップ拭き。ここまでは執務室に物がないから楽にできた。だが人数がいるからと由良の一声でやることになった壁拭きはとても面倒だ。

 くすんだ白色の壁は俺が提督となってからの8年は掃除をしていなく、それ以前も掃除をしていない気配がある。

 そんな壁が4面も。高いところは脚立を使わなければいけなく、やる前から気分はもう疲れてしまう。

 でも由良がやる気あるし、滅多にやらない掃除をたまにはしてもいいと思い、少しばかり嫌がっている五十鈴と嵐にはあとでご褒美をあげると約束して手伝わせた。

 窓を閉め、ストーブで部屋の空気を暖めながら掃除の準備をしていく。

 部屋には脚立と洗剤を入れたバケツに雑巾を用意し、掃除を開始。

 壁を拭くたび、くすんだ白が明るい色に変わっていくことに感激しながら休憩を入れつつ掃除をして3時間。

 午前11時ちょっとに終わることができた。

 掃除を手伝ってくれた五十鈴と嵐を開放し、自分たちの手で掃除をして明るくなった部屋に強い満足感を得て執務机の前にある椅子へと深く腰掛ける。

 その途端に出るのは大きなため息。

 掃除をするという疲れは普段の仕事とは違い、新鮮な感覚の疲労だ。だが、地味で同じことの繰り返しである壁拭きは当分したくないと心に誓う。

 この疲れは俺だけではなく、由良も感じているに違いない。

 そう思って秘書用の椅子に座ってぼんやりとしている由良を見る。

 白と青色を基調とした制服を着ている由良は、薄桃色のつやつやとしている艶やかな髪の持ち主だ。

 膝まである長さの髪をロングポニーテールにし、その髪を黒色のリボンで根元から髪先まで結んでいる。縛った髪先には小さな蝶結びがあって、おしゃれだ。

 結ばれた揺れる髪というのはビスマルクのようなロングストレートや、嵐のウェーブなセミロングとは違う味わいがある。

 歩いているだけでふりふりと揺れるのに目を惹かれてしまうのは仕方がないと思う。

 そんな髪型が魅力的な由良に俺は苦労をねぎらう言葉をかける。

 

「由良、お疲れ様。今日はありがとうな」

「提督さんもお疲れ様です。秘書として当然のことをやっているだけですから、感謝の言葉はいりませんよ」

 

 そう言って春の日差しのような柔らかい笑顔を向けてくれる由良。

 由良はいつも控えめで、こんなふうに感謝の言葉を言っても毎回同じように返される。

 今まではそれほど気にしなかったが、秘書がやる必要性が薄い掃除を文句も言わずやってくれたのだから素直に感謝の気持ちを受け取って欲しくもある。

 そこで言葉ならダメだが、行動として感謝を伝えればいいかとひらめいた。

 

「俺は由良に感謝しているんだ。言葉がいらないなら、何かして欲しいことはないか?」

「そこまで言うのなら、お茶を淹れ―――」

 

 そう言ったところで言葉が止まり、由良は天井を一瞬見上げて何かを考えたあとに言葉を続ける。

 

「じゃあ、昔のように髪を梳いて欲しいかな?」

「……そういえば由良が寮に住んでからやらなくなったな。それでいいなら、今からでもいいぞ」

「本当? じゃあ(くし)を取ってくるから待っていて!」

 

 嬉しそうな表情を浮かべた由良は勢いよく立ち上がると駆け足で部屋から出ていった。

 落ち着いた由良があそこまで元気になる姿は珍しく、躍動するポニーテールが見える元気な姿はいいものだと感じる。

 でも元気な後ろ姿が去っていくのを見て、3年前に出会った頃は今ほど明るくなかったことを思い出した。

 由良がここにやってきたのは前線で提督に殴りかかったために不要となり、ここで輸送任務に使ってくれと送られてきた。

 来た時の由良は一言でいうのなら、ひどいものだった。

 肌は荒れ、髪はパサついていて綺麗ではない。

 顔も暗く、見るからに元気ではない。だけれど、目だけは憎しみがこもった感情で強く見てきていた。

 書類上では戦場のストレスに耐えられず、精神不安になって自暴自棄になり上官に反抗したと書かれていたが、そうだとしたら提督である俺に強い嫌悪の気持ちを持たない気がする。

 由良のことが気になり、かわいそうな外見の彼女に同情心から優しくしてあげたい。

 だから本来住む予定だった寮ではなく、1人暮らしをしている俺の家で暮らしてもらうことにした。

 ふたりで暮らす生活が始まったが、病院に通うほど精神不安定な由良と一緒に暮らすのは楽ではなく、辛い日ばかりだった。

 話かけても睨まれ、俺が作った食事は滅多に食べてくれず、ほとんどはインスタントや店で売っているものしか食べない。付き添いで病院に行くと、帰りは勝手にいなくなるなど。苦労することは多かった。

 時には何かが気に入らなくて、俺に物を投げ、殴りかかってくることも。

 そういう日を過ごしながら、俺の体の骨にひびが入るとか、血が出る日を過ごしてわかったことがある。

 由良は恨みではなく、恐怖から提督という役職の俺を嫌っていることに。それがわかれば我慢もしやすい。

 でも仕事の指示をする時だけは妙におとなしく従ってくれたのが不思議だった。

 そんな日が4か月ほど続き、仕事を通じて俺への恐怖と暴力が薄まったころに寮へ行くように言った。

 その理由は、由良がこうなった原因がわかったからだ。

 時々由良の機嫌がいいときに話をし続けた結果、わかったのは前線にいる提督から雑に扱われていたことだ。

 その前線の提督が言うには軽巡は中途半端な戦闘能力であり不必要。

 それなら駆逐と戦艦、空母に資源資材を集中して敵を攻撃したほうがいいと言われた。

 かといって巡洋艦の艦娘を使わないわけにはいかず、海に出るのは海上警備だけであとは雑用を任されていた。他の艦娘とは寝場所や食事で差をつけられ、罵倒や罪をなすりつけられるなど。

 そんなストレスが溜まるだけの日々が毎日続き、自分に価値がないと思ってしまった由良は役に立てないのなら死んでしまおうと考え、それなら憎い奴である提督を痛い目に合わせようとした。

 それが由良の主張することだった。

 俺に話をしてくれた由良は涙目で震え、いつもの憎しみある目ではなく怯えた子供のように俺を見ていた。その目からは『もう苦しいのは嫌』『誰かに必要とされたい』とそんなことを俺は感じる。

 だから俺は由良を艦娘として使うために寮へ移動させるのを決心した。

 でもまだ精神不安なために寮の1人部屋に入らせると同時に由良にいくつかの注文をした。

 肌と髪の美容に気をまわせ、訓練と勉強をしろ、身だしなみを整えろ。俺が由良に求める能力を言うと、由良はそのとおりに段々と身に付けていく。

 でも他の艦娘たちとはあまり仲良くできず、というよりも仲良くする方法がわからなかったらしく、他の艦娘たちとうまく馴染めなかった。

 そこは長く俺のそばで秘書をしているビスマルクの助言もあって由良を秘書にし、ビスマルクを通じて少しずつ成長していった。そうして明るくて優しい、人に気を遣える子になっていった。

 秘書になって2年経った今では、昔ほど心配はいらないと思う。

 ただ、食事だけはいつも1人で食べているので、時々は一緒に食べて話をしたいと思ってはいるが。

 過去を懐かしみ、現在の寂しさを考えていると、執務室の扉が開いて気分良さそうな由良が戻ってくる。

 手には、つげでできた大きなかまぼご型の(くし)を持っている。その(くし)は由良が寮に移るときに俺がプレゼントをしたものだ。

 それをまだ大切に使ってくれたんだなと嬉しく思う。

 由良は櫛を執務机へと置き、俺はそれを手に取る。その様子を見てから由良はさっきまで座っていた椅子に戻って背筋をピンと伸ばして座った。

 俺は自分の椅子を持ってその由良の背中側へと行き、由良の髪を近くで見るとなんだか緊張してしまう。一緒に住んでいた頃は髪の手入れをやっていたが、あの時は由良に、というよりも人形にやっている気分だった。

 

「始めていいか?」

「お願いします」

 

 由良のわくわくする声を聞きながら俺は椅子に座ると、ポニーテールを縛っている黒色のリボンを外し、根元の部分を縛っているヘアゴムをはずすと髪はふんわりと広がっていく。

 いつも縛られているのと違い、まっすぐで自由になった髪は光を浴びてみずみずしく輝いて俺の心をときめかせてくる。

 由良がリボンとヘアゴムを机に置いてから、俺は髪を手ですくいあげると、絹糸のような髪は俺の手をくするぐようにしてこぼれ落ちていく。

 それを4度ほどやって、髪の気持ちよさを味わったあとに俺は櫛を通していく。

 髪の根元から先端までひっかかることがなく、まるで水のようだ。櫛を通すごとに由良の髪はツヤが出ているように見え、自分の手で綺麗になっていくのは興奮してしまう。

 だが、ここで息を荒くして興奮するのは気持ち悪がられる。

 だから俺は鋼の自制心を持とうと意識しながらやっていく。

 

「提督さんにやってもらえるのは、懐かしいな」

「そうだな」

「あの頃の私は面倒としか思ってなかったけど、今はされるのがとても嬉しいの。なんて言えばいいのかな……自分を見てもらえている気がして」

「秘書の時は一緒にいるが?」

「違うの。それだと私にさわってもらえないから」

 

 何か言おうと口を開くが、それがどういう意味かわからないために口を閉じる。

 そのまま俺は由良の髪を梳き続け、由良は静かにされるがまま。

 時々手を止めて由良の様子をうかがうと、微笑みを浮かべてはもっと続けてと催促してくる。

 俺は由良のなめらかな髪の感触と長さ、重さを手でたくさん味わいながら櫛を進めていく。

 そうしていると自然と昔を思い出す。由良と一緒に住んで頃は櫛を通してもひっかかってばかりで、パサつきや枝毛が多かった。

 だが、今の髪はそういうのが滅多に見られない。

 素敵だ。

 そんな言葉だけが頭いっぱいに広がり、もう髪のことしか考えられない。

 手が止まり、じっと髪を見ていると不思議がった由良が俺へと振り返ってくる。

 

「由良の髪に何かあったの?」

「いい髪だな、と」

「ありがとう。あの日から言われたとおり、髪には気をつけているの。それと提督さんが髪に櫛を通すの、私、好きよ」

 はにかむ由良に俺は恥ずかしくなって顔をそむけ、櫛を机に置く。

「これで終わりだ」

「ううん、まだ。次は髪を結って欲しいの」

「……リボンは苦手なんだが」

「それでもやって欲しいな。ダメ?」

 

 上目遣いで首を傾げられる姿は最高にかわいく、首を傾げたとき、肩にかかった髪がこぼれ落ちていくのを見ると清流のようなイメージを連想して心が癒される。

 そんなふうにお願いごとをされたなら俺はなんだって言うことを聞いてしまう。

 あぁ、なんで由良はこんなにかわいいんだ!!

 由良になら、どれだけ怒られても失敗しても許してしまいそうだ。

 

「昔と同じか、それ以下になるがいいのか」

「うん、提督さんにやってもらえるというのが大事だから」

 

 由良自身のほうが綺麗にできるのに、俺がやる必要性がわからない。

 わからないが、由良が望むならやるだけのことだ。

 ロングポニーテールを作るために櫛を手に取り、上部の髪を後ろへと梳かして髪の流れを後ろ方向にしていく。その時に手でさわる髪の感触が気持ちよくて背筋がゾクゾクとするが、喜びの感情は抑えて淡々と進めていく。

 後ろ方向にした髪を手に持ちながら、サイドの髪を集めてから後頭部の髪をすくいあげるようにしてまとめる。

 

「由良」

「うん」

 

 声をかけると、由良がヘアゴムを渡してくれる。そのヘアゴムで髪の根元を縛るとロングポニーテールができあがり、あとはリボンでヘアゴム部分を隠しながら髪を縛る。

 そして、ここからが本番だ。ここからのリボンの縛り具合が実に難しい。一緒に住んでいた頃は何度も挑戦したが、1度も綺麗にいった試しがない。

 でも今日はうまくいける気がする。

 なぜなら、こんな手触りのいい由良の髪に初めてさわれたんだからな! 以前にさわっていた髪にときめかなかった時と今は違う!

 ―――そんなふうにやる気が沸き立って10分が経った今、俺は自分の不器用さに絶望していた。

 ポニーテールのリボンは綺麗にクロスされていたが、俺がやったあとはゆがんだ形になってしまっている。

 リボンに悪戦苦闘した結果、髪も少し乱れてしまい、最後にやる蝶結びも大きさが左右で違って見栄えがとても悪い。

 こんな綺麗な髪なのに、俺がリボンをやってしまった結果、芸術品ともいえるものを傷つけてしまった感がある。

 

「……由良、やっぱり自分でやってくれないか」

 

 俺の絶望しきった声に、由良は俺が結った髪を自分の目の前に持ってきてリボンの付け具合を確かめ、髪から手を離す。

 

「いいんじゃない?」

「どこがだ」

「すごく頑張ったのがわかるから。それに今がダメでも、またやればいいと思うの」

 

 そう言って由良が立ち上がり、部屋の中央で1回転する。回る動きに合わせて、髪も後をついていく。

 リボンは不格好だが、あの髪を俺がやったと思うと充実感が中々にある。

 

「またやらせてくれるのか?」

「うん、提督さんに髪をさわってもらうのは好きだから」

 

 喜ぶ笑みを見せられ、俺はなんだか恥ずかしくなって顔をそむけてしまう。それは俺に髪をさわられることが好きだと言われたから。

 これからは他の子たちに見つからないよう気をつけつつ、ふたりきりの時だけに由良の髪の手入れをしてもいいかもしれない。

 自分から言うことはしないが、由良なら俺が女性の髪好きなのに気付いても嫌わないでくれそうだから。

 

 




感想に影響を受けて。


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5.青髪ロングヘアの五月雨

 11月も中旬に入り、段々と寒さが強くなる時期が近づいてくる。

 今日の天気はどんよりとした灰色の雲が空いっぱいに広がっているため、太陽がある時よりも寒さを強く感じてしまう。

 でも100人は同時にゆったりと食事ができるほどの広さがある食堂では暖房ががんがんとかけられていて、午後3時という飯時から外れた時間でもかなり暖かい。暖かすぎて近くにある温度計の表示が27度もあるほどだ。真上から来る暖房の風で上着を脱ぎたくなるほどに。

 そんな暖かい、がらんとした人がいない食堂では厨房で夕食の準備をしているおばちゃんたちを除くと、ここにいるのは俺と制服を着ていて黒髪ツインテールが綺麗な五十鈴だけだ。

 俺たちは窓のすぐそばの4人掛けのテーブル席に向かい合って座っている。

 目の前にはマグカップに入ったホットコーヒーがあり、五十鈴には3日前の掃除の時に約束したご褒美として豪華な大盛りイチゴパフェが。

 俺はちびちびとコーヒーを飲みつつ、目を輝かせながらパフェの山をスプーン片手に食べている五十鈴の姿を微笑ましく見ていた。

 

「食べるのはいいが、話し相手をしながら食べて欲しいんだが」

「話している間にイチゴパフェのアイスが溶けちゃうでしょ。後からでも……と思ったけれど、話ながら食べていくほうが楽しいわよね」

 

 そう言って五十鈴は食べる手を止め、スプーンをガラスの容器に置いてくれた五十鈴に俺は一安心する。

 せっかく由良から1人でいさせてくれと言って、1人の時間を勝ち取ったんだから無駄なくいい時間を過ごしたいものだ。説得して得た時間は、鎮守府内を歩き回っているときに、暇そうに歩いている五十鈴を捕まえることができたのだから。

 それに五十鈴と話したいことはある。

 俺にとって五十鈴は最初に髪をさわらせてくれた子であり、隠れた心の中の欲望を教えてくれた恩人だ。そして、その恩人だからこそ聞けることがある。

 

「聞きたいことがあるんだが、俺について悪い話は聞いていないか?」

「提督の噂? ……悪いのは聞いていないけれど」

 

 五十鈴は窓の景色を少し見たあとにスプーンを手に取り、ひと口分のパフェを口の中に入れていく。

 おいしそうに食べている顔を見るのもいいが、俺としては不安なことがある。ここ2日間、一部の艦娘たちから強い視線を感じるからだ。

 だが、五十鈴は何もないと言って―――。

 

「その言い方だとあるんだな、俺に関することが」

「んー……でも提督が気にするようなことじゃないわよ? ほら、4日前に由良さんのリボンを結んだでしょ?

 あの曲がっているリボンを見た子がどうしたのって聞いたのよ。そうしたら『提督さんにやってもらったの』って幸せそうに言うものだから皆、気になっちゃって」

 

「それが理由か」

 

 五十鈴の言っていたとおりに悪いことじゃなくて安心するが、それでも問題があるんじゃないかと考える。

 俺が髪フェチだというのがばれるということが問題で、髪フェチだという事実を知ると艦娘の誰かを見るたびに嫌がる子がいるかもしれない。五十鈴は理解があっていい子だから、以前と変わらない付き合いをしてくれる例外だというのを忘れてはいけない。

 艦娘たちの髪を自然にさわるならいいかと思っていたが、これからは口止めをする必要があるか? いや、口止めなんかしたら悪いことをしている気になってしまう。

 俺がこれからのことを考え、気が重くなっていると五十鈴は不思議そうに俺の顔を見ながらパフェを食べ進めていく。

 

「同意を取っているし、セクハラ発言や行為をしているわけでもないから、もう少し軽く考えてもいいと思うけど。それに変わった趣味や性癖がある子だっているんだから、そのくらいなら大丈夫よ?」

「そうだとしても、堂々と公表はしたくないな」

「してもいいと思うけどなぁ。提督の影響で髪に気を遣い始める子も出てきたし。仕事以外の生活にちょっとした変化があるのはいいことよ?」

 

 俺の影響で髪が綺麗になっていく子が増えるのはとてもいい。だとしても、俺が髪好きでさわりたい想いは今までどおりにしたほうがいいに違いない。突然、髪をさわりまくってくる人がいるのは俺だって嫌になるから。

 女性からだと、きっと髪は男の俺が考える以上にさわられるのは嫌だろう。

 落ち込んだり喜んだり悩んだりしたあと、コーヒーを飲み干した俺はパフェを食べ終わった五十鈴の髪をさわってもいい流れに持っていけないかと悩む。

 その時に食堂に1人の艦娘、駆逐の子である五月雨が食堂へと入ってきた。

 五月雨は中学生になったばかりのような幼い顔、低い背の持ち主だ。

 髪は真っ青な波の色を重ねたような深い青。足首あたりまで伸びる髪先に行くにつれ、その青さは清流のごとく気品ただよう淡い青色へと変わっていく。

 俺と五十鈴がいるテーブルに嬉しそうに近づいてくる動きに合わせ、まっすぐに伸びる美しい髪は重さを感じさせないように優雅に揺れている。

 胸が控えめで幼さの残る顔や体つきと違い、髪だけは子供とは言えない。

 そんないつもの制服を着た五月雨がすぐ目の前までやってくる。

 

「提督と五十鈴さんもおやつの時間ですか? 私も何か甘いのを食べようかなと思って来たんですよ!」

 

 五月雨はテーブルの上にあるパフェが入っていた器を見て、仲間がいたと思ってか楽しそうに言ってくる。

 

「おやつを食べるにはちょうどいい時間だものね。前に、私に迷惑かけてくれた提督のおごりで食べるから実にいい気分よ」

「迷惑というよりも掃除を手伝ってくれたお礼だ」

「きちんと掃除をする男の人ってすごいですね! なんだかあまり掃除しないイメージだったので。あ、食べるのをご一緒してもいいですか?」

「いいわよ。私と提督もまだ話をしているし」

「わかりました! 提督のコーヒーがないようなのでお代わりを持ってきますね」

 

 俺のマグカップにコーヒーがないのを見た五月雨は、そのマグカップと五十鈴の食べ終わったパフェのガラス容器を持って食堂のカウンターへと行く。

 ああまで純真に言われると、掃除が面倒だからと五十鈴と嵐に手伝わせた俺の心に小さな罪悪感がやってくる。

 

「五月雨はいい子だな」

「あら、艦娘はみんないい子よ?」

 

 確かにいい子ばかりだ。仕事はさぼったりしないし、俺に八つ当たりなんてことは滅多にない。改善要望や不満を言うぐらいだ。

 仕事だけの関係としてなら俺と艦娘たちとの関係は悪くはないし、気にしすぎかと思い至る。

 曇り空で暗い窓の外を見ながら、女性との付き合い方に答えなんかあるわけないよなと思っていると、五月雨が串にささったみたらし団子2本が載った皿を持って帰ってくる。

 それを持って五十鈴の隣に座ると、おいしそうに食べ始めていく。

 そのおいしそうに食べていく姿を、俺と五十鈴はついじっと見つめてしまう。

 団子の串を掴み、ひとつずつ団子を口にほおばって幸せそうに食べていく姿は見ているだけで面白いものだ。

 ひとつずつ大切に食べていく姿をおれと五十鈴は見守っていたが、1串分を幸せそうな顔で食べ終わると見られていたことに気が付いたらしく、戸惑った様子だ。

 

「ええと、私、変な食べ方をしていました?」

「幸せそうに食べているなと思っていただけだ。別に変じゃない。むしろいいと思う」

「ですよね! 好きなものを幸せに食べて、喜ぶことができるって素敵なことだと思うんですよ!」

 

 その予想外に力強く、熱い言葉に俺は感動する。五月雨が言っていることは、俺が女性の髪を好きだということにも同じことが言えると。

 だが、俺は好きなものに対して自分以外の人には好きという表現ができない。周囲からの反応が怖く、髪が好きだという事実で嫌われるのを怖がって。

 だから団子を食べているだけとはいえ、五月雨には敬意にも似た感情が俺の中で出てくる。

 

「そうだな。五月雨の言うとおり、それは実に素敵なことだ」

「……! 提督も同じ想いなのを知って、五月雨は嬉しいです!!」

 

 たとえ俺と五月雨は違うものが好きでも、好きという感情に対しては同じ考えを持つにいたり、俺自身も嬉しい。

 

「あの、五十鈴的には提督の好きなものと、五月雨ちゃんがお菓子を好きというのは問題となる要点があまりにも違うと思うんだけど……」

 

 感激の感情が爆発しているなか、俺に向けられた五十鈴の小さな呟きは聞こえなかったものとして五月雨を見る。

 五月雨は2本目の串を手にとっておいしそうに食べていく姿を見ていると、自分の体が段々と暖房の下で暑くなっていて我慢も辛くなってくる。その辛さから逃れるために上着を脱いで空いている隣の椅子にかける。

 それを見た五月雨は食べている途中の串団子を皿の上に置き、慌てて立ち上がっては窓を開ける。

 俺に気を遣ってくれる優しい子に感心をしていると、窓を開けた途端に強い風が食堂の中に入り込む。

 その風は五月雨のまっすぐと床に向かっていた髪をなびかせ、広がっていく。風の強さに思わず目をつむってしまった五月雨だが、次第にその風の心地よさに微笑みを浮かべた。

 そんな時、一瞬風が弱まって、いい感じになびく髪に雲の切れ間から太陽の一筋の光があたる。

 透明感のある五月雨の髪は輝き、髪の毛1本1本がまるで幻想的風景として俺の目にうつる。

 そう。その姿はまるで―――。

 

「天使だ……」

「天使ね……」

 

 俺と五十鈴は同時に声を出し、同じ感想を持つ。

 それほどに五月雨の髪は美しいものだった。いや、普段からも美しいが風と光が合わさり、この世のものじゃないと錯覚してしまうほどに。

 この一瞬だけは多くの名画のように、心奪われる1つの光景となっていた。

 だけれども、その天使な姿はまた強い風によって終わりを告げ、あまりの風の強さに五月雨は後ろから倒れてしまう。

 慌てて俺と五十鈴は立ち上がると俺は五月雨の手を引っ張って助け起こし、五十鈴は窓を閉めた。

 

「すみません、ご迷惑をかけて……」

「それはいいんだ。怪我はないか?」

「ええっと、大丈夫です」

 

 申し訳なさそうにしながら自分の席へ戻っていこうとする五月雨だが、その後ろ姿を見て俺はあることに気づく。

 それは非常に重大な問題で、これを見逃すことは提督として、いや、人としてやってはいけないことだ!

 俺が正義感に燃えるほどの問題とは、五月雨の髪が強い風によって乱れてしまったことだ。

 あの水の流れを象徴しているかのような色合いとまっすぐさ。それがぼさぼさなヘアスタイルになってしまっている。とてつもなく非常にいけないことだ。

 俺は気分が高揚しているのを深呼吸して抑えたあとに五月雨へと優しく声をかける

 

「五月雨、髪を直すから隣に座ってくれ」

「あ、はい。お願いしますね」

 

 はじめは戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに微笑んだ顔になって隣に座ってくる。その時に髪が床へと着かないようにテーブルの上へあげるのを忘れずにやっておく。

 その時にふと視線を感じる。

 このいけないことに関して一瞬で冷や汗が出始め、うまく動いてくれない首を動かして五十鈴の顔を見る。

 五十鈴は俺と目が合うと深いためいきをつき、苦笑いを浮かべる。

 

「別に怒りはしないから、やりたいようにやっていいわよ」

 

 その言葉に安心し、俺は髪を直すことにする

 ただ、髪を直すといったものの、櫛がないので手櫛になってしまうが。

 

「さわるからな」

 

 五月雨に向かってそう言うと、そっと髪にふれる。

 風でばさばさになった、さらさらな髪の毛をまっすぐな形に整えていく。

 五月雨の髪をさわっていくうちに胸が高鳴り、喜びと緊張が一緒にやってくる。

 この素晴らしい髪を俺がさわれるなんて! そういう気持ちを抱いて。

 でも段々と高鳴った胸の鼓動は落ち着き、なんだかさわっているだけで癒されている気がしてきた。

 この気持ちは今まで髪をさわった子たちには感じられなかったことで、娘がいたらこんなふうに暖かい気持ちになるのだろうかと思う。

 五月雨という、俺にとっての癒し枠である存在は。

 




誤字報告、いつもありがとうございます。


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6.銀髪三つ編みロングの雲龍

 11月の秋が終わり、もうすぐ冬の12月になってしまう近頃。

 寒くなるにつれ、女性たちの服はもこもこと服を厚く着て、おしゃれな姿を眺めるにはいい季節だ。

 それは普通の男性からすれば。俺からはいい季節ではない。

 なぜなら寒さのあまりにニット帽を頭へとかぶり、大事な髪の毛が見えなくなる時期だからだ。

 耳元から先の髪しか見えず、特にショートヘアの子なんて髪がすっかり見えなくなってしまう恐ろしい帽子の季節。

 しかもこれから先、寒さが終わるまでは帽子をかぶる率とかぶる時間が増えていってしまう。

 あぁ、こんな落ち込むならショートヘアの髪を持つ子と接する機会をなんとか作ってさわるんだった……。これから先、春まではさわる機会なんてないも同然だろう。もしあったとしたら、そのチャンスを逃さないようにしたい。

 悲しいことを考えながら大きく息を吸い込み、ひどく深いため息をつく俺。

 その俺がいる場所は執務室がある4階建ての建物、その屋上だ。今日は晴れのため、屋上では太陽の光は体によくあたるが、海の風で寒さを感じて少々辛い。

 いつもの軍服の上に艦娘たちの服と一括して買った灰色のダッフルコートを着込んでコンクリにあぐらで座りこんでいる。

 そして、屋上のフェンスの隙間から遠くにいる、訓練中の艦娘を堂々と眺めている。帽子を含めた冬服装備で艦娘たちの、優雅になびく髪が少ない今を嘆きながら。

 とても悲しい。女性の髪が目で楽しめなくなるなんて。これでは提督という職についた意味がない。いや、元々は髪が理由で軍人になったわけではない。

 父親が提督という仕事をしていたから、その背中を見て育っただけだ。

 それに俺を生んで亡くなった母の代わりに艦娘の1人に育てられたこともあって、艦娘たちの役に立つ仕事がやりたかった。

 ……昔を思い返して気づいたことがある。

 俺が髪を好きなのは、母代わりである背の大きな艦娘の後ろ姿をずっと見ていたからだと思う。

 たぶん今の俺と同じぐらいか、それ以上に背が高かった艦娘は美しい形のポニーテールを腰まで伸ばしていて、つややかな黒色の髪の後ろ姿は常に優雅さと気品を感じられた。

 だが、その母代わりの艦娘は俺が中学生になるまえに戦闘で亡くなってしまった。俺が1人になってしまってからはひどく父親を恨み、暴言の数々を言っていた。

 その時からだろうか。自分で自覚しないまま、女性の綺麗な髪を見ると目で追ってしまっていたのは。

 そのことに気づいたのはごく最近で、五十鈴に言われるまではわからなかった。

 女性に何を求めているのか。自分で考えると、俺は女性の髪に救いを求めているかもしれない。

 優しかった艦娘の記憶を忘れないようにと。

 そうして、ぼぅっと遠くの海の上で訓練している艦娘たちを眺めているうちに考えるのをやめた。

 遠くの彼女たちをじっと見ながら自然と出る大きなため息をつくと、いつのまにか少し離れたところに誰かいたのに気付く。

 

「隣、いいかしら」

 

 落ち着いた声で俺の隣へとやってきたのは空母艦娘の雲龍だった。

 雲龍は、空母なのに前へと出て味方をかばうという自己犠牲精神と仲間意識の強い勇敢な艦娘だ。そのために他の艦娘たちから信頼されると同時に怪我が多いことを心配されている。

 その雲龍からはいつもの寒そうな制服姿は見えず、灰色のダッフルコートを着ていた。

 雲龍の銀髪は癖っ毛がとても強く、本人みたく雲のように自由でマイペースな性格と同じで髪も何者にも抑えられず生き生きとして見える。

 跳ねている髪は決して手入れがされていないからではなく、あえてまっすぐにしていない。その髪は近くで見ると枝毛もなくキューティクルも美しいのがわかる。

 髪は一房ごとにまとまっていて、ひとつずつ手に取っては柔らかな見た目の感触を楽しみたいところだ。

 よく手入れされている髪は首元のあたりで黒色の髪ゴムを使い、緑色の大きな玉かんざしのようなものを髪に埋め込むような形に上下部分で固定されている。

 そこから先は三つ編みに縛られた髪は足首まで伸びている。でも先端までは縛られておらず、三つ編みを緑色の髪ゴムで止めたあとの髪は、まるで犬の尻尾のようにふんわりと好きなままに広がっていた。

 髪を観察したあとに雲龍の目を見つめる。

 

「別に構わない」

 

 そう俺が言うと1人分ほどの距離を開けて座ってくる。膝を抱え、座った姿の雲龍は普段着である制服のスカートがとても短いために、今はダッフルコート以外何も身に着けていないように見える。

 それは鍛えられた健康的な白い太ももが見えることになり、ちょっとだけ俺の興味を惹いてくる。

 でもすぐにその興味はなくなり、代わりに雲龍が抱えるように持っていた紙袋が気になる。

 

「これ? 中に肉まんがあるわ。提督を眺めていたから冷めてしまったけど、2個あるから提督も食べる?」

「食べる。しかし、見てくれていたなら、声をかけてくれてもよかったんだが」

 

 雲龍に手渡された肉まんは言ったとおりに冷えていて、口に入れると冷たい肉と肉汁の味がする。

 冷たくても肉まんはおいしく、腹に食べ物が入っていくと少し下がっていた気分がいくらかは回復してくる。

 

「雲龍は普段からここに来ているのか?」

「ええ。この景色を見ながら食べるのが好きなの。提督は……こんな寒い場所で自分の体を痛める遊びをしていただなんてね」

「確かに自然の景色を見るのにはいい場所だからな。だがな、雲龍。これだけは訂正させてくれ。俺は自分の体を痛めて喜ぶ趣味はない。ぼぅっと景色を見ていただけだ」

 

 フェンスの向こう側を指差すと、雲龍は興味なさげに「ふぅん……」と言葉を発しただけ。

 それから言葉はなく、俺と雲龍は静かに肉まんを食べ終わると海の景色を眺めていく。だが、そうする前に気になることがあった。

 雲龍はどうにも食べ方が悪かったのか、手には肉まんの肉汁が手についていた。

 白くすべすべしている手にそれがついているのは気になり、俺はポケットからハンカチを取り出す。

 

「雲龍、手を出せ」

「手? 私に何かいけないことをする気かしら」

 

 ぼんやりとした雰囲気で俺の持つハンカチを見ても察してくれず、強引に手を取って拭いていく。

 指先から手の平、それを片手ずつ丁寧に拭いていく。雲龍は俺にされるがままで、気を悪くしてないか表情を見るとほんのり喜んでいるような気がする。

 喜んでもらえるのはいいが、手を拭くだけでそんな顔をされるとくすぐったく感じる。

 手をハンカチで綺麗にし終えたあとは、また遠くの艦娘を見ながらさっきから気になっていたことを聞く。

 それは足だ。

 手を拭くときに、その手の向こう側である太ももが少し気になってしまう。しかも膝を抱えているから、ダッフルコートの影になっている奥が見えそうで見えないというフェチズムを生み出してしまっている。

 

「コートだけじゃ足が寒いだろ。冬の間はズボンかタイツでも履いてくれ」

「楽だからこうしているけど、ダメかしら?」

「見た目が精神によくない。コートが長いから、スカートが隠されて何も履いていないふうに見えるぞ。男の俺が言うとセクハラになるだろうが、まるでコートの下が裸に見えてしまう」

 

 雲龍に軽蔑の目や文句を言われることを覚悟しながらでも、こればかりは言わなければいけない。

 髪を見つめすぎて何か言われるのは理解できるが、普通の男のように太ももなどを見て文句を言われるのはとても嫌だ。

 

「これでいいのよ。鏡を見ると履いていないように見えて興奮するから」

「…………なんて言った?」

 

 俺の耳に変な言葉が聞こえ、雲龍の顔をまじまじと見つめてしまう。

 雲龍は遠くの海を見たまま、言葉が聞こえなかったふうにして何の反応も見せない。

 何かと聞き間違えたんだろうかと首を傾げながら、視線を戻すと雲龍が間を詰めて肩がふれあうほどの距離へとやってきた。

 

「手をふいてくれたお礼をしたいと思うのだけど」

「いらない。俺に何かしてあげたくなったときにしてくれればそれでいい」

 

 俺の言葉を聞いた雲龍は自分の膝のあいだに顔をうずめて考え事をし、少し時間が経ってから自分の長い三つ編みの髪を持ち上げると、俺に寄りかかるようにして首へと巻き付けてくる。

 それはあの夢にまで見る伝説の髪マフラーだ。

 髪をさわること以上の髪への接近であり、手以外の部分で髪を感じ取れる素晴らしくも素敵なことだ。髪マフラーというのは!

 雲龍の髪は銀色系だが、白の色合いが多い。その銀と白っぽさは降り積もったばかりの雪だ。それもきらきらとまぶしい朝日の光に照らされ、美しい輝きを持つ雪のような。

 その雪を想わせる髪が俺の首に巻かれていくのを見ているだけで、興奮をする。でも俺はビスマルクに『あなたは女の子に甘すぎるわ!』と外回りで受け付けの女性に笑みを向けた時に理不尽に説教をされたことを思い出して心を落ち着ける。

 そうやって心が落ち着いたために、髪の毛の感触を素直に感じることができる。

 俺の首にぐるぐると2重に巻かれた雲龍の髪の毛は1㎏か2kgほどの重さを感じる。重さの次には意外と肌に刺さるチクチクとした髪の感触。

 このふたつの感想に髪マフラーはあまりいいものじゃないと思うが、それを圧倒するほどの良さがある。

 まずひとつめに暖かさだ。本物のマフラーほどではないが、意外にも暖かさを感じる。

 ふたつめは匂いで、女性の髪の匂いを堂々と後ろめたさも罪悪感もなく味わえることだ。

 そして最後は感触だ。首で髪の感触を感じつつ、自分に巻かれている髪の位置を調整しながらさわることができる。

 雲龍の髪はさらさらといったふうではなく、真綿のようにふわふわとした感じだ。手で髪を握り、撫でると気持ちよさのあまり、ずっとさわってしまいたくなる。

 特にストレスを感じたときや仕事をしているときは片手でずっとさわっていたいほどに。

 雲龍の髪のおかげで、落ち着いていた心は自然と胸が高鳴り、笑みが浮かんできてしまう。

 

「よかった。提督がそういう顔をしてくれて」

「ちょっと微笑んでしまっただけだが」

「それがいいのよ。だって私が声かける前は寂しそうだったから」

 

 いつも考えていることが雲のようにつかみどころのない雲龍だが、この時はその優しさに感謝する。

 おかげで寂しさはなくなった。

 

「縛られて嬉しいの、ぐらい言ってくるかと思ったよ」

「縛るより縛られたいわ」

 

 ……幻聴だろうか。危ないことを雲龍が言ったような気がした。

 

「なんだ。 悪いことをして自分で罰を受けたいのか?」

「違うわ。縄で動けないようにしっかりと縛られて、罵倒されたいの。『胸に栄養ばかりいって頭はからっぽなのか、このダメ艦娘が。裸にひん剥いて海に投げ入れるぞ!』とかそんなことを言ってもらいたいの。今なら提督に受け入れてもらえる気がしたから言ったのよ」

 

 その言葉に俺はなんて答えればいいのだろうか。

 俺が髪マフラーをされて嬉しいのは、決して疑似拘束プレイを楽しんでいるわけではない。純粋な気持ちで髪に喜んでいるだけなんだ。

 だが、そう言うと俺に変態属性を付けられるし、雲龍自身の変わった性癖を言われた今、雲龍に対する言葉は慎重にしなければならない。

 

「新しい仲間の誕生を私は喜んで―――」

「変態か、お前は」

 

 雲龍のエスカレートしていきそうな言葉につい慎重じゃない言葉の突っ込みを入れてしまう。

 その言葉と共に雲龍の目をちょっと軽蔑するように見て呆れた声を向けると、雲龍は小さく震えたかと思うと色っぽいため息をついた。

 …………興奮したのか? 雲龍は人に言いづらい快楽を得る趣味を持っているのだろうか。だとしても俺が文句を言えはしない。俺が艦娘を髪をさわりたいのと違って1人でもできるし、周りにそれほど迷惑はかからないはずだ。

 

「興奮してないわ」

「何も言っていない」

 

 真顔でそんなことを堂々と聞いてもいないことを言う雲龍に俺はすぐに返事をする。

 たとえ興奮したと正直に言っても受け入れるのにちょっと時間がかかるだけで問題は―――。

 

「なぁ、雲龍」

「なにかしら、提督」

「お前、戦闘の時に艦載機を飛ばしてから積極的に前へ行く本当の理由はなんだ?」

「……あんまり意地悪してくると、私は優しくなれないわ」

 

 俺にちらりと目を合わせたあと、俺の首に巻かれている髪マフラーをほどこうとしていく雲龍。

 その手を慌てて掴んで抑える。今の状況をこんな短時間でなくなってしまうのは実にもったいない。

 

「わかった。雲龍は仲間を守りたいという仲間想いな子と認識する。それ以上の理由なんて俺は求めない」

「それでいいのよ。でもそんな普段から頑張っている私にご褒美があってもいいと思うの」

「長期休暇か? それとも何か欲しいものが? お前が求める褒美を言ってみろ。できる範囲ならやってやる」

「私を縛って」

 

 褒美は何かがいいかと聞いたら、間を置かずに即答された。

 あまりの早さに俺の頭は理解が追い付かず、この雲龍をどうしてくれようかと悩む。

 だが、できる範囲に縛ることは入ると思う。

 

「1週間以内に準備するから待て。時間と場所も指定するから、それまでは誰にも言わないでくれよ。ばれても大丈夫なように準備するからな」

「別にばれても私の趣味だと言うから問題ないわ」

 

 雲龍自身がそう言ってくれるならいいかとも思ってしまう。だが、俺が縄で縛っている時や、そのあとの放置しているのを見られたらなんて思われるか。

 いや、むしろ堂々と執務室の隅っこにでも縛って放置しておけばいいのか。血流が悪くならないように、時々縛りなおせばいいし。

 なにより目の届く範囲だというのが大事だ。執務室なら慣れている場所なために俺も安心する。

 秘書は……艦娘とのコミュニケーションと褒美と言えば、納得してくれるはずだ。きっと。

 

「勉強はしておくが過度な期待はしないでくれよ」

「提督が私のためにしてくれるというだけで嬉しいわ」

 

 嬉しそうに微笑んだ雲龍は髪マフラーを調整し、俺にもっと密着するようにしてくれる。

 約束をし終えた俺たちはまた静かに遠くの海を見る。

 雲龍にはとても驚いたが、今日の俺がひどく落ち込んでいるのを心配して大事な秘密を打ち明けてくれたのだと思う。

 艦娘たちを助けていると思っていたが、今のように助けられることも多いと改めて思う。

 そんな彼女たちに俺は感謝している。

 幼い頃に俺を育ててくれた、あの艦娘のように。



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7.青髪セミロングの初風

 雲龍と会った日から2日。

 朝起きたときにはなかった、雨がしとしとと弱く降る音が倉庫の屋根越しに聞こえている。

 俺は嵐と一緒に焼き芋を焼いた場所の隣にある、使わない物をしまう倉庫で以前から放置されていた可動式のマネキン相手に縛る練習をしている。

 石油ストーブで体を暖めながらやっているのは、ただの縛りではなく人間相手にやる縛り。緊縛だ。

 昨日は鉄パイプを相手に縛る練習をしていたが、やってきた雲龍から違うと言われた。

 手首と足首を縛っておけばいいと思っていた俺に、詳しく丁寧な説明をしてくれたが俺の思ってたことよりも違いすぎて少しばかり呆然としてしまったのは仕方がないと思う。

 だが約束を守るために俺はその日のうちに鎮守府の外へと行き、護衛としてついてきたビスマルクを30分にも渡る逃走の末に追い払ってから本屋で緊縛の本と偽装用の女性向けファッション誌を買った。

 買った日から本を読み、今日は実践をして勉強をし始めた。

 勉強してわかったことは短期間の勉強、練習で縛るのはよくなく、実際に使うとしたら充分な時間をかけて勉強する必要があることがわかった。

 雲龍のための勉強をやっているうちに我ながら良い上司なんじゃないかと思ってきてしまう。

 部下1人のために多くの時間を割き、その艦娘にあったご褒美をあげるために勉強。

 ただ、ご褒美の内容的には人に言えない内容だが。ご褒美を要求するほどに、ストレスや精神的不安が溜まっているんじゃないかと思う。

 つい最近まで深海棲艦との殺し合いを続けていたのに停戦が始まり、深海棲艦に近づかれても攻撃できないことや、停戦と言えどもすれちがった時に攻撃されるかもしれないというのがあって、ほわわんとしている雲龍でもストレスが結構溜まっているんだなと実感する。

 艦娘からの報告では、前線への輸送途中で深い霧に会って深海棲艦の群れと20mの距離まで接近し、お互いに見つめあって撃ちかけたというのがあった。

 そんなことがあるなかで、雲龍の欲求不満な告白は氷山の一角だろうと思う。

 停戦期間中のあいだには娯楽を増やそうと努力してきたのだが。

 今までは代用品しかなかったが本物の紅茶やコーヒーの輸入がわずかではあるが再開し、いまだ高価ではあるものの飲めるようになってきた。

 鎮守府内の施設では元々あった小さな図書室の部屋を増やして充実。トレーニング室も新しい器具を導入。みんなで焼き芋パーティなどのイベントを時々やっている。

 いや、でも俺の気にしすぎか? 艦娘たちは仲がいい子同士で一緒に買い物に行ったりしているし、最近はあまり見ない艦娘同士の組み合わせで話をしているところを見る機会が多い。

 単に雲龍の変態度が自分で抑えられる限界を突破しただけかもしれない。

 ひとまず艦娘たちのストレスについては慎重に考えることにし、照明の明かりとストーブの火を消して本とマネキンを隠してから倉庫から出ようと閉めていたシャッターを開けると、ちょっと離れたところにいる駆逐艦娘の初風と目があった。

 小柄な初風は青色の傘を右手に持ち、左手にはシャンプーなどが入ったビニール袋。制服の上にはダッフルコートを着ていて、白手袋をきちんと身に着けていた。

 雨の中、驚いたように目を見開く初風。その初風の薄い淡色の青髪は雨に色をつけたら、こんなふうになるんだろうなと思わせてくれる。目の色は青い鉱石のように透き通っている。

 髪の長さは肩にかかるほどのセミロングで、髪の先端部に行くほどにゆるくカーブをしている。前髪は先をきっちり切り揃えており、それは感情に流されず冷静に物事を考えられる初風らしいと思える。

 

「初風か。いい買い物はできたか?」

 

「まぁまぁね。いつもいく店でシャンプーが品切れだったから、他のところまで行くのは少し面倒だったわ」

 

 冬の雨のように冷たさを感じる、静かな声でそう言った初風は俺へと近づいてきた。

 俺の隣へと来て足を止めると、その後ろにある倉庫の中を興味深そうに見ている。

 

「仕事?」

「あぁ。そんなところだ」

 

 雲龍を縛る練習をしていた、なんていう危ないことは言えないために誤魔化して言う。

 倉庫を見ている初風に何か変なものを見つけられないか、ここにいたのを疑われないかと心配で緊張してしまう。

 だがそれは俺の考え過ぎだった。

 

「時間があるなら、私と話をしてくれないかしら?」

「構わない。仕事は終わったからな」

「それはよかったわ」

 

 と、にこりとも笑みを浮かべずに倉庫の中へと入っていく。

 俺は倉庫の明かりとストーブをつけると、倉庫のシャッターを閉めてから、どこかで見た記憶を頼りにベンチを倉庫の奥で探し始める。

 ほどなくしてそれは見つかり、3人掛けぐらいの大きさがある木でできたベンチを持ってストーブの前へと置く。

 

「このベンチでいいか? ……いや、待て。なにか拭くのを探してくる」

 

 ベンチの座面には土汚れがついていて、そのまま座るには問題だ。

 だが初風はスカートのポケットからハンカチを出すと、さっと一面を拭いていく。

 初風の、どうぞ? という視線を受けて端っこのほうへと座ると初風も同じく反対側である左端へと座った。

 お互いに座ったあとに会話はなく、屋根を叩く雨音と目の前にあるストーブが稼働している音だけが聞こえる。

 ちょっと居心地が悪い空間。話をしなければと思うと、そういえば初風と話をするときは常に誰かがそばにいたことを思い出す。こうしてふたりきりというのは初めてだ。

 話しかけるきっかけに苦労するが、仕事でもないから思ったことを言ってみればいいかと思う。

 

「初風は悩み事か相談があるのか?」

「いいえ? ただ、提督とふたりで話したことがなかったから。近頃、周りの子たちが提督と話をしたことを嬉しそうに言うものだから、ふたりで話すのはどういうものかと思ったのよ」

「近頃か。艦娘たちと話す機会は増えたがこれといって変わったことは……」

 

 特にしていない、と言おうと思ったが変わったことをしていた。

 それは髪をさわることと、髪を櫛で梳いたことが。でも初風の言葉からはこっそり嫌われているというのはなさそうで安心する。

 

「変わったことはあるの? ないの?」

「俺が以前よりも艦娘たちと仕事以外の話をすることになったぐらいか」

 

 言いたくないことを隠しつつ、でも本当のことを聞いた初風は納得がいったかのように何度も小さく頷いた。

 

「だからなのね。提督と会う機会が増えたからか、今まであまり気にしていなかった髪や肌を大事にするようになった子が増えたのは」

「いいことじゃないか。心の余裕ができたということだろう?」

「そうね。人と接しない私でさえも話をしてこなかった嵐とも軽く話をするぐらいだもの。それも髪について」

 

 ……なんだろうか。初風の話を聞いていると、俺の髪が好きだという理由がきっかけで変わりつつある気がする。いや、それ自体はいいことだが俺の趣味が多くの艦娘に影響を与えているというと慎重に行動をしなければいけないと思う。

 

「女性向け雑誌を買ってきては何人かで集まって美容の勉強会をするのもあれば、遠方の仲がいい子に手紙を出して聞く子もいるのよ」

 

 そう言って小さく重いため息をつく初風に疑問を覚える。

 聞いていた限りでは楽しんでいるような気がするのに、なぜ面倒ができたというように嫌がる顔をするのだろうか。

 

「無理して仲良くしようとしなくてもいいんだぞ?」

「そういうのじゃなくて。なんでみんな自分を綺麗に見せたいのかしらね。見せる相手なんて同じ艦娘と…………提督ぐらいなのに」

 

 言葉がわずかに止まり、俺をじっと見てくる。

 その心の奥底までのぞかれているようで、あまりいい気分になれない。

 

「俺がどうかしたか」

「見ているだけよ」

 

 初風は人1人分ほどの距離まで詰めてくると、俺の顔、そして髪を強く見てくる。

 

「ねぇ、失礼なことをお願いしてもいいかしら」

「内容による」

「提督の髪をさわってもいいかしら。私、男の人の髪ってさわったことがないのよね」

「別に構わないが、同性のはよくさわっているのか?」

「滅多にないわね」

 

 そう言った初風は両方の白手袋を脱ぐと、俺へくっつくほどの距離まで近づいてくる。

 初風の白い手が俺の髪へと伸ばされ、ふれた瞬間には驚いたように手が離れていく。だが、また恐る恐る手を近づけてくると今度は慎重に。

 俺の短髪である黒髪を撫でるように、時には指先でつまんで感触を味わっている。

 その時の初風の顔はいつものクールで落ち着いている感じではなく、頬が紅潮して息がわずかばかりに荒くなっていた。

 俺の髪を見つめる目は情熱的だ。

 男を見ることはあっても、こういうふうに接する機会がないから興奮をしてしまうんだろうな。

 そして俺も女性に髪を撫でられるというのは幼い時以来で、心臓がどきどきと鼓動を鳴らして緊張してくる。

 初風の小さく柔らかい手で髪を優しく撫でられるのは、なんだか恥ずかしい。なんて言えばいいのか、とにかく恥ずかしい。

 そんな初風の手は段々と大胆に俺の頭を撫でまわし、後ろの首筋まで撫でてくる。

 そうすると手を伸ばす必要があり、初風の顔は俺へと近づいてきてしまう。その距離は伸ばした指2本分ほどの近さだ。

 美人でかわいくもある初風の顔を間近で見ると、初風に女性を意識していなくてもドキドキしてしまう。

 初風本人は俺の髪に集中しているためか、気にしていない様子だが。

 こんな近づかれたままでいると、つい髪や顔ををさわってしまいそうだ。

 

「近づきすぎだ」

「あ、ごめんなさい。その、興味と好奇心が強すぎたみたいね」

 

 俺の言葉に初風は勢いよく俺から距離を取り、ベンチの端まで戻っていった。

 その初風は言葉もなく、俺の髪をさわった両手をじっと眺めていた。

 男の髪なんてさわっても楽しくはないだろうに。女性と違って柔らかくも匂いもよくない。

 

「じゃあ、お詫びとして提督もさわってみる? 私の髪」

 

 男の髪について考えていると、手袋を身に着けなおした初風はちょっと恥ずかしそうに目をそらして言ってくれる。

 そう、髪だ! 初風の!! 青い髪!!!

 さわれると思ってなかったら、そう言ってくれるのはとても、大変、非常に、物凄く嬉しい。

 

「そうだな。どんなものか興味がある」

「あまり期待しないで」

 

 興奮しないように心を落ち着けた俺の言葉を聞いた初風が、また俺のそばに戻ってくると目をつむって顔を向けてくれる。

 その緊張した雰囲気の初風に対し、いつものように心おもむくままにさわったら驚くだろうと考え、さわりかたを考える。

 右手を伸ばし、頭のてっぺんから後ろ髪の先までを、そっと撫でるように手をすべらせる。

 細くなめらかな髪は、俺の手をくすぐってくれ、指先が髪に埋もれる感触は髪色どおりに水にさわったのと近いなと思った。

 それは雨音を聞き、倉庫内の気温が低めだからそう感じたのだろう。

 雨音を聞きながらさわる淡い水色の髪。それは雨音を聞くヒーリング効果にプラスし、中間管理職で提督である俺の仕事の疲れを癒してくれるようだ。

 日頃から前線からの要望、運び込まれる物資の数字をにらみながら頭を動かす仕事に疲れているから。

 後ろ髪を味わったあとはおでこあたりの切りそろえられた前髪を、軽くさわっていく。

 その時におでこと一緒にさわってしまうが、初風は小さな声をもらしただけで文句は言ってこない。

 近くでよく見ると、綺麗に揃えられた前髪は感心するほどに整えられている。

 髪の匂いもフローラルなシャンプーの香りがして、とてもいいものだ。

 もっと色々と髪を撫でたいが、やりすぎると嫌われてしまう。だから強い自制の心で持って、髪から手を離す。

 

「ありがとう。初風らしい髪だったよ」

「……それは褒めているの?」

「もちろんだとも」

「ふーん……そうなんだ」

 

 目を開けた初風は俺から少し距離を取ると俺に背を向け、そんなことを聞いてくる。

 その時の声はいつもの落ち着いて平坦な感情の声ではなく、どこか嬉しがっているようにも聞こえた。

 

「そろそろ帰ろうかしら」

「寮に帰るなら送っていくよ」

 

 立ち上がった初風に続き、俺も立ち上がるが不思議そうな顔をした初風は周囲を見渡す。

 その考えがわからないが、倉庫のシャッターを開けた俺はストーブの火を消して明かりを消す。

 

「提督。むしろ、その言葉は私が言うべきだと思うけれど?」

 初風が壁に立てかけていた傘を持っていうと、言いたかったことがわかる。

 来たときは雨が降っていなかったから傘は持ってきていなかった。

 まだ降り続いている雨の中、俺が送るというのも変な話だ。

 

「今回だけ特別に私が送っていってあげるわ」

「じゃあ執務室まで頼む」

 

 道具の片づけをしたあとに外へ出て、傘を差した初風の隣に並ぶと初風は腕を上げて俺が傘にぶつからないようにしてくれる。

 

「傘を持とうか?」

「嫌よ。私が送るって言っているんだから、素直に入っていてよね」

「ありがとう」

「部下として提督を気遣うのは当然よ」

 

 初風が傘を差してくれ、その中に入った俺は一緒に執務室のある建物へと歩いていく。

 傘を持つ手を上へと上げ、俺を気遣いしてくれる初風はいい子だなと見つめていると、少し不機嫌そうな顔で見つめ返される。

 

「なによ」

「何も。初風はいい子だなって思っていただけだ」

 

 初風を褒めると初風は何度か小さく頷き、「提督と話すのも悪くないわね」となんとか聞こえる程度のかすかな声で言った。

 言葉には出さないが、俺自身も艦娘たちと話すのは楽しい。

 それは世間話でも、この子は普段はどんなことを考えているんだろうとわかることができて。

 これからも艦娘の皆とはいい関係を続けていきたいと思っている。

 




もう髪描写の語彙が尽きたと感じ、すでに書き上げている別な艦娘の話で最終話とする予定だった。
けれど、喫茶店でバイトしている初風といちゃいちゃする話を見て衝動が沸き上がって書いた。


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8.黒髪ロングポニーテールの矢矧

 外の風が窓を叩きつけるように強く、だけれど執務室の中は石油ストーブがごぉっと勢いよく鳴らす音しか聞こえてこない。

 そんな音が聞こえる部屋で今の俺は机に向かい、1人で書類を処理している。

 内容はクリスマスパーティーをみんなでやる、ということで停戦中の今しか皆で集まれないから許可をした。

 艦娘たちが企画し、食事やパーティーグッズの予算を求めている書類を見ながら俺は考える。

 午前中の今、秘書であるビスマルクと由良はいない。なぜなら、俺がたまには1人で仕事をしたいと言ったからだ。ふたりとも渋々だが、俺のわがままを聞いてくれた。

 ふたりに言った理由は本当ではあるが、もうひとつの理由は雲龍のためだ。

 先日に約束した縛ることをやらなくてはいけないから。

 その雲龍は、昨日新しく用意したソファーの上で俺を見つめながら静かに倒れている。ただし、制服の上に緊縛用の麻縄で後手縛りというSMの基本的な縛りでの状態だが。

 この縛り方は手首から縛り、それから腕の上部と胸をとおす。縄は背中に戻して締め付け、縄を背中でまとめていくと結び目ができあがる。

 縄によって胸の形が強調され、上半身の自由が利かないことを考えると少しばかりいけない気持ちにならないでもない。

 鍵がかけられた執務室で、雲龍にこういうのをするのは中々に変態的じゃないかと思うが仕方ないんだ、約束だから。

 艦娘の欲求不満を解消するため、提督としては必要な仕事。雲龍を縛っていた時には、雲龍の喘ぎ声で新しい何かに目覚めそうになって危なかった。

 だから、今日を最後にもう縛ることはしないと固く決心している。

 それと雲龍を縛るのは午前だけの約束だから、この時間を耐えれば終わりだ。

 最初に縛ってから今まで何も問題はなく、時々雲龍の縄をほどいて適度に罵倒しては別な縛りかたをするぐらいなだけで静かな時間を過ごしていた。

 ―――充分に準備した、この行為が露見することは絶対にない。

 秘書はいなく、緊急でない用事がある場合は秘書を探して言うようにと厳命してあるからだ。

 だから俺は心穏やかに仕事を、と思っていたが雲龍を気にしすぎて忘れていたことがひとつあった。

 今日の夕方に秘書である矢矧(やはぎ)が帰ってくると電話があったことに。

 矢矧は鎮守府からあまり動けない俺に代わり、各鎮守府や警備府などを回って輸送先の状況を見てくれている。それぞれの提督の言葉だけを信じず、裏付けとして実際に見てまわるのは大事だから。

 そんな手間がかかる仕事を一手に引き受けてくれている矢矧に対して、特別に何かの褒美が必要かと考える。

 ちょっとひいきしているかもしれない矢矧は艦娘の母さんと一緒にやってきた姉的存在の艦娘で、昔からずっと一緒にやってきている。

 周囲が言う艦娘の名前と母さんとはどうにも記憶と一致しないが、矢矧だけは俺のお姉ちゃんと名乗って構ってくれたのを強く覚えている。

 そんないつも冷静で頼りになる彼女を『お姉ちゃん』と高校を卒業するまではそう呼んでいた。今では恥ずかしくて名前でしか呼んでいないが。

 親しくしている矢矧が帰ってくるのを楽しみに仕事をしていると、ふと執務室のドアノブがノックもなしに開けようとする音が聞こえた。

 だが鍵がかかっているために開くはずもなく、ガチャガチャとドアノブを2度回して開けようとする。

 それを見て猛烈に嫌な予感がし、このままでは入ってくる危険性があると考えた。

 俺は慌てて立ち上がると雲龍に駆け寄り、縛っている縄をほどこうとする。

 

「雲龍、おとなしくしていろよ」

「んん……!」

 

 だが雲龍は外されたくないらしく、一生懸命に自由になっている足や頭を振って抵抗してくる。抵抗してくるもんだから、ふとした瞬間に胸や尻をさわってしまいそうで、なかなか縄に手をかけることができない。

 もういっそのこと、襲い掛かって強引にしようかと考える。

 ドアからはまたノックの音がしてくる。もう時間がない。こんなにも執務室に入りたがっているのは緊急の用事に違いない。だから、確実にここへと入ってくる。

 でも合鍵は秘書たちしか持ってないから、今から鍵を取りに行くにしても5分以上は余裕があるはずだ。

 そのうちに雲龍をなんとかしなければ!

 俺は雲龍をソファーの上から床へと仰向けに転がすと、抵抗してくる雲龍の腰にまたがって強引に押さえつける。

 

「暴れないんで欲しいんだが」

「強引にしてくれるのもご褒美でしょう?」

「違う。緊急事態だから死んだようにおとなしくしてくれ。あとで縛ること以外のお願いを聞いてやるから」

「……私は提督に縛られるのがいいのに。でもあなたの頼みなら仕方ないわね」

 

 俺が必死のお願いを言うと、残念そうにため息をついた雲龍は今までの抵抗が嘘のように脱力してくれる。

 まるで生きた人形をさわっている気分になってしまうが、今なら安全に確実に縄をはずせる。

 そうして縄に手をかけた瞬間、ドアノブに鍵が差し込まれる音が聞こえ、執務室のドアは開けられた。

 

「いたのなら開けてください。帰還時刻が変わっ、……たのは謝りま、すけど、事前の天気、予報では悪天候、だったので……予定より早く…………」

 

 はじめは勢いよく。けれど俺と雲龍を見たらしく次第に言葉の勢いが弱まっていった。

 扉が開けられたあまりの早さに、俺は動くことができない。この声の人物は午後にやってくる予定だった。早すぎる。

 そして今の状況から、雲龍を強引に縛って襲い掛かっているように見えるのをどう言い訳すればいいんだ。提督人生終わるより先に、人として警察のご厄介になってしまう。

 冷や汗だらだらの俺に対し、冷たい視線を背中に感じる。このままではダメだとゆっくりと首を動かしてどんな表情をしているか確認する。

 そこにいたのは3か月ぶりに再会する、秘書の矢矧だ。

 阿賀野型共通の制服を身に着け、膝までの長さを持つ黒髪は後ろの根元で赤紫色のヘアバンドでポニーテールにし、こめかみ部分の横髪の束を胸元まで垂らしている。

 矢矧の黒髪は離れた距離からでもわかるほどに、夜の闇のような深い色。そんな髪は仕事をしながらの癒しとしてずっと眺めたくなるが、今はそれどころじゃない。

 俺は雲龍を押し倒したままの姿勢で、矢矧は目を見開いてドアを開けたままの姿で硬直している。

 だが、冷静な矢矧のことだ。驚きはするものの、話はできるはず。はずだが、ここから何を言えばいいのだろうか。

 冷静に思考はできているが、俺たちはお互いに何も言えずに動けないでいると矢矧がゆっくりと口を開く。その叫ぶ寸前の姿はどうすることもできず、見ていることしかできない。

 

「びすまるくぅぅぅぅぅぅ!! ゆらぁぁぁぁぁぁ!!! 提督が、提督が変態にぃぃぃぃぃぃ!!!!」

 

 聞いたこともない心からであろう物凄い叫び声をあげ、全力で走っていなくなる矢矧。

 ……このままだと普通な人としての人生が終わってしまうかもしれない。

 そう思って急いで矢矧を追いかけようとしたが、雲龍をこのまま放置することもできず、急いで縄を外す。

 自由の身になった雲龍に縄の片づけと留守番をしてろと命令し、ついでとばかりに雲龍の頭を10秒ほど撫でるように髪の感触を味わってから、雲龍の「いってらっしゃい」との言葉で見送られて廊下に出て追いかける。だが、すでに矢矧の姿はなく声も聞こえてこない。

 でも、あの真面目な矢矧のことだ。誰かに俺と雲龍の怪しい遊びのことを言いふらす前に自分で考え、そうするべき理由がなにかあるんじゃないかと考える。そうしてから誰かに相談する。

 矢矧とは昔からの付き合いなため、考え方や行動範囲は大体わかる。

 そう頭で今の状況を整理していると心が落ち着き、冷や汗は引いていく。今なら被害が致命傷に近いぐらいで済むと小さな安心感を得て。

 だが、結局は予想を綺麗に外して矢矧の姿を求めて走り回っていた。予想していた場所にはいなく、そこで出会った艦娘たちから矢矧のことを聞いて20分ほどの時間をかけてやってきたのは食堂だ。

 食堂のテーブルにはパフェを食べていた由良と嵐がいて、矢矧がテーブルに突っ伏して倒れていた。

 そこで矢矧が見つかったことに安心し、俺は矢矧へと即座に丁寧な土下座をした。由良と嵐は事前に矢矧から話を聞いていたのか、苦笑いだった。

 そんな3人に雲龍を縛っていたことの説明をした。あれはお互い合意で、雲龍に愚痴を聞いてもらったお礼として縛られてみたいという雲龍の好奇心を満たしただけだと。

 必死の説明に一応は理解してもらい、土下座はもういいと言われて矢矧と一緒にテーブルについてはコーヒータイムを楽しむ。

 4人でなにげない会話をし、長い時間をかけて落ち着いた矢矧を連れて執務室へと戻る。

 執務室にはなぜか床で正座していた雲龍に部屋から出ていってもらい、ソファーに矢矧と肩を並べて座る。

 ひとまず事態が落ち着いたことに安心し、静かな時間に安心していると矢矧が微笑みを向けてくる。

 

「私が出かける前よりも艦娘たちと仲良くなったのね」

「なったと言えばなったか。だが矢矧、さっきの雲龍は例外だ。ああいうのをしたのは初めてなんだ」

「わかっているわ。真面目なあなたが、ああいうことをするには理由があるはずだもの。さっきはあまりの光景に気が動転しちゃって」

 

 そう言われて安心する。さすがは昔から一緒に過ごした、姉代わりの人だ。

 

「でも、いったい何がきっかけで仲良くなったの? あなたがしてくれたことについて嬉しそうに話をされたけど。由良は優しく髪を梳いてくれたと言っていたし、嵐はオレなんかの髪をさわってくれて女性として認められているようで嬉しかったって」

 

 首を傾げ不思議そうに言われたことに、なんて返事をすればいいのだろう。あのふたりと話をしていたから、俺が髪に興味を持っていることはわかっているはずだ。だから下手に隠そうとすると余計に問題が大きくなってしまうだろう。

 俺は言うべきことを考え、そのきっかけと髪をさわるにいたったことを説明する。

 

「自由に生きてみればいいって五十鈴に言われたんだ。提督になってからの生活はどこか息苦しくて。それで髪をさわりたいという気持ちがあって、さわってみたいから普段より関わるようになったんだ」

「髪……髪ね……髪か」

 

 矢矧は天井を見上げ、自分のポニーテールをさわりながら天井を見上げて何かを思い出そうとしている。

 髪に気が付いているのなら、すぐに答えへと行きつくと思う。俺が女性の髪に憧れたのは母さんの料理や洗濯ものをたたむ後ろ姿をずっと見ていたから。それは矢矧も知っていると思う。

 

「あぁ、大和さんね。あなたが幼稚園に入ったばかりの頃はカルガモの子供のように大和さんの後ろ姿を見ていたのを思い出したわ。あの人は今でもあなたにいい影響を与えてくれるのね」

 

 大和。それは大和型1番艦である母さんの名前。でも俺は大和ではなく、母さん、としか覚えていない。だから大和と言われても、すぐに記憶の母さんとは結び付かない。

 俺の前では艦娘であるよりも、本当の母さんとして一緒にいてくれた。布団におねしょをした時、幼稚園で女の先生に初恋をした時、小学校の授業参観に来てくれた時。

 いつだって母さんは俺を見てくれた。

 そんな母さんのことを思い出した矢矧は懐かしそうな、でもちょっと寂しげで穏やかな笑みを浮かべると俺の頭を撫でてくる。母さんのように、昔から姉として接した時と同じことを。今のように俺が落ち込んでいると、いつもこうやってなぐさめてくれた。

 

「……矢矧、その、30歳にもなって頭を撫でられるのは恥ずかしいんだが」

「あら、昔みたいにお姉ちゃんって呼んでくれないの?」

「言わない」

「いいじゃない。言ってよ」

「断る」

 

 矢矧はむっとした顔で俺をにらんでくるが、恥ずかしくて言いたくない。高校生の時から長いあいだ、もう12年ほども言っていないと言いづらくて仕方がない。

 それに今ではすっかり俺のほうが年上な見た目だ。まだ少年だった時と大人の今は違う。

 なおもにらんでくる矢矧から目をそらすと、矢矧は俺の太ももをてしてしと何度も軽く叩いてくる。

 

「私はいいお姉ちゃんじゃなかった?」

「自慢のおね―――艦娘だよ」

 

 つい流れでお姉ちゃんと言いかけたところを慌てて言いなおす。

 それに矢矧はとても不満そうだが、ため息をつくと俺に背を向けてくる。それは俺に怒ったかと思ったが、どうやら違うみたいだ。

 

「……はぁ。髪を梳いてくれたら許してあげる。由良にもやったんでしょ? なら私にも同じのをやって欲しいわ」

「それで許してくれるなら」

 

 お姉ちゃんと言ってと迫られないことに安心し、髪を堂々とさわれることに内心喜んでソファーから立ち上がる。

 執務机に行くと、引き出しから由良にあげたのと同じかまぼこ型のつげ櫛を取り出す。

 ソファーへと戻ったときには矢矧はヘアバンドを外して、ロングヘアになっていた。

 いつもの活発なポニーテール姿とは違い、まっすぐなロングヘアは大人っぽく見える。ロングヘア自体は昔は朝や風呂上りにはよく見たものだが、もうずっと長いあいだ見ることはなかった。

 だからだろうか。髪を下ろした姿を見て胸の鼓動が高鳴ってしまうのは。

 矢矧は首を傾げて不思議そうに硬直した俺を見てくるが、傾げたときに波打つように揺れる髪は俺の心を奪ってくる。

 

「ほら、髪を梳くから後ろを向いてくれ」

「はーい」

 

 奪われかけた心の動揺を隠すように早口で言うと、矢矧は嬉しそうに返事をして背を向けてくれる。

 そうしてあらわれたのは、腰までまっすぐに伸びている綺麗な黒髪。

 これから髪を持って丁寧に櫛を梳いていくのだが緊張してきてしまう。昔とはいえ、今まで何度も間近で見たことがあり、ちょっとだけさわったこともあるというのに。

 その髪を見て考えることは、凛として美しい黒髪は本人の性格も出てくるのかと考えてしまう。髪は時間と手間をかけるほどに美しくなり、髪を気にするということは自分が周囲からどう見られているか気にするということだ。

 そう、つまりは気配りができる証拠ということではないだろうか?

 髪にも可愛さや綺麗さといった、人間の顔の容姿のように違いがある。そして容姿は内面から出てくるものだ。

 だから、面倒見がよくて頑張り屋で真面目な矢矧にはその通りに髪をそんな感じがある。ツヤがあり、柔らかいだけの髪ではない。

 髪を手で持ち、上のほうから少しずつ櫛を通していくと、ひっかかりのない感触は気分がよくなる。

 だが油断して雑に髪を扱ってはいけない。下手なことをして、髪を間違って抜いてしまわないように俺は集中して髪を梳いていく。

 そうしてできる言葉がない静かな時間。執務室に聞こえるのはストーブの音と髪を櫛で梳くだけ。でもそれは心地がいい。

 こうして梳いていることは、言葉がなくても俺が髪を梳く動きで矢矧を大切に思っていることが伝わっていると思う。

 いつもありがとう、と。昔からお姉ちゃんとして俺のために頑張り、今では部下として信頼できる矢矧へと。

 恥ずかしくて感謝の言葉は滅多に言ったことがなかったが、言えるときに言っておかないと後悔すると俺は母さんが亡くなった時に学んだ。

 そして、そう思ったらすぐに実行すべきだ。

 丁寧に続けていた矢矧の髪を梳き終わると、ソファーから立ち上がって机の引き出しへと櫛を戻す。

 俺が離れているあいだにロングヘアからポニーテールへと戻っていた矢矧は満足そうな笑みを浮かべていた。

 

「こんなに上手だと思わなかったわ。勉強したの?」

「先に経験だな。それからどうすればいいかと勉強をした」

「頑張っているのね。……私が仕事へ行くたびに、提督は段々と変わっていってしまうわね」

 

 小さなため息と寂しそうな笑みを浮かべ、部屋から出て行こうとする矢矧の前に歩いていき、立ち止まる。

 突然の行動に不思議そうな目で見てくるが、俺は深呼吸をしたあとに考えていた言葉を言う。

 

「生きていれば、どうしても変わるものだ。でも、それは成長していることだと俺は思っている。今まで言えなかったけど、いつもありがとう…………お姉ちゃん」

 

 俺から小さな声でお姉ちゃん、と呼ばれた矢矧の表情は真顔になり、口元に手を当てながら床を見て、それから目を見開いて俺の肩を掴んでくる。

 

「……お姉ちゃん? ねぇ、今お姉ちゃんって言った!? もう1度言って! よく聞こえなかったから言ってよ!! ねぇってば!!」 

「言ってない。聞き間違えだ。ほら、予定より早く帰ってきて疲れているだろ。早く風呂に入ってくるといい」

 

 俺は矢矧の手を外そうとするが矢矧の力は強く、強引に振りほどくと俺は執務室から逃げるようにして走り出す。

 矢矧はすぐに俺を追いかけてくるが、足音がすぐに聞こえなくなったので振り向くと執務室の扉の鍵を閉めていた。

 その慎重な様子に真面目な矢矧らしいなぁと感じていると、矢矧はドアノブをガチャガチャと動かして大丈夫なことを確認して追いかけてくる。

 だがそれを待つ俺ではない。なぜなら、追いかけられたら逃げたくなるのが人というものだ。

 でも30秒ほどで追いかけっこは終わってしまった。俺よりも日頃から鍛え、艦娘である矢矧には勝てるはずがなかった。

 それから矢矧に手を掴まれた俺は一緒に食堂へと行って、同じコーヒーとケーキを食べながら仲良く話をする。

 ここ3か月、矢矧がいなかったあいだにあったことを。いつものような事務的で提督と艦娘以上に親密に笑いあって。




最終話。
髪フェチな話を見ていただき、ありがとうございました。
潜在的な髪好きな人がいて嬉しかったです。


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