ハリー・ポッターと魔法の天災 (すー/とーふ)
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第一章 賢者の石編
プロローグ


移転理由は活動報告に載せてあります。
また、この作品は原作崩壊とキャラ崩壊の要素を含みますのでご注意ください。


 この日をどれだけ待ち望んだことか。

 試行錯誤を積み重ね、挫折と閃きの繰り返し。学校に行っている間も少年はこのことばかりを考えていた。

 帰宅すれば勉強机とキッチンに齧り付き、何度も何度も試作品を作る毎日。その努力が、今日漸く報われる。

 テーブルの中央に聳え立つ力作を眺め、不備が無いかを確認した。

 

「出来た……苦節二ヶ月……やっと完成したよ」

 

 目を輝かせ、そして喜ぶ友人達の顔が目に浮かぶ。一般的なホールサイズと呼ばれるサイズながらも、傍から見て仕上がりは完璧だった。

 食べる者を幸福の絶頂に立たせる特性ケーキの味もさることながら、最も特筆されるべき点は、惜しげも無く繰り出した技術の数々。

 ホワイトクリームの白い雪原上に散りばめられるフルーツ達は、長期間蜂蜜漬けにされていたことで黄金色に輝き、中央に添えたお菓子の城を鮮やかにライトアップしている。

 まるで御伽の国に迷い込んだかのような、そんな印象を植え付けてくれる高さ三〇センチの精巧なお城は、どこに出しても恥ずかしくない自慢の一品だった。

 もはや究極と断言しても過言ではない至高の芸術ケーキを眺め、作り手である少年の目からは感動の雫が一滴零れる。

 よくもまあここまで作れたものだと、自画自賛を意味する感動の涙だ。

 

「さっそくアイツらに連絡しなくちゃ!」

 

 時刻は夜の八時過ぎ。夕食も食べ終えただろうし、このくらいが手頃な時間の筈だと当たりを付ける。

 愛用のエプロンを壁に掛け、少年はいそいそと自室のある二階に駆け上がった。

 階段脇に置かれるガラクタを踏まない様に注意して昇れば、そこには部屋が二つ現れる。

 左が敬愛する亡き曾祖父の部屋であり、右の生物災害マークの貼られている部屋が少年の自室だった。

 突き破る勢いで八畳間程の自室に入り、窓の近くに立て掛けてある道具を一掴み。銃身の中央に玩具の矢をセットし、力いっぱいレバーを引いて『カチッ』という音がしたのを確認。弦が限界一杯まで引かれたことを確かめる。

 そして矢に繋がれている発明品に視線を移した。

 この矢にはコップのような筒状の物体が取り付けられており、その物体の底から伸びた細長い糸の先には似たような筒が繋がっている。

 昔ながらの連絡機。俗に言う糸電話がしっかりと矢に繋がれているのを確認して、自作のクロスボウを構えた。

 狙いは道路を挟んだ向かいの家。プリベット通り四番地。

 

「よっしゃ! 大命中!」

 

 改造の施されたクロスボウは正規品とは比べ物にならないスピードで空気を裂き、耳が痛くなるような甲高い音を立てながら向かいの二階部屋に突き刺さる。

 ……とはいえ矢の先には吸盤が付いているので、実際は窓ガラスにビターンッと勢い良く張り付いただけだが。

 しばらくして、手元に残った受話器に応答が入る。対応人は少年が話したかった目的の人物に違いない。

 

『アリィ! 何度も言ってるけど、その連絡方法は止めろよな! 毎回ビックリするのは僕なんだぞ!』

 

 糸電話から聞こえてきたのは、息遣いの粗い少年の声だった。その声に怒気が含まれているのは会話から察せずとも予想が付いた。

 なにせ今から数ヶ月前、クロスボウの記念すべき第一射は調整を間違えたのか本物クラスの威力で窓ガラスをぶち破り、さながら戦争跡地とでも言うべき悲惨な惨状を生んだのだ。

 何度言っても連絡方法を改めない幼き発明家に文句を言う気持ちは充分に理解出来るだろう。

 

「やあダドリー。動物園はどうだった?」

 

 しかしそんな抗議を些細な問題と気にも留めないアリィと呼ばれた少年は、幼馴染の同級生に陽気な声で問いかける。

 今日、電話越しの少年――ダドリー・ダーズリーは、珍しいことに嫌っている同居人と一緒に家族と友人を連れて動物園に行っていた。

 調子を尋ねたが、どうやら動物園は期待通りとならなかったらしい。

 

『どうもこうも無い! またアイツが滅茶苦茶にしたんだ!』

「へえ、ハリーは今度なにやったん?」

 

 ハリー・ポッター。

 ダドリーの従兄で、アリィのもう一人の幼馴染。

 ハリーは奇想天外な奇天烈事件を沢山起こすのでダーズリー家では爪弾きにされがちだが、少年はあの親友が大好きだった。

 性格も善人で気も合う親友。

 しかし少年がハリーを気に入っている理由には、彼が面白さの宝庫であるトラブルメーカー気質であることが一番に挙げられる。

 不思議や面白いことはアリィの興味対象であり、人生の糧。

 現にアリィはハリーの行った摩訶不思議を耳にし、未だに声変わりを果たしていない子供の声で笑い出した。

 

「やっぱりハリーは面白いなー。天性のトラブルメーカー、一家に一台ハリー・ポッター」

『笑いごとじゃない! ……あと、お前は人をトラブルメーカー呼ばわりする資格無いからな』

 

 動物園で蛇と会話し、尚且つ窓ガラスを消し去ったという友人の偉業に笑いを堪えきれない。こんなことなら自分も一緒に行くべきだったと少し後悔する。

 調理の時間が削れるので断わったが、些かその判断は早計であったのか、と。

 

『……アリィが来たら動物を間近で観られたのに…… 』

 

 ダドリーの落胆は尤もだった。アリィは動物に好かれるという稀有な能力を持っている。

 お昼寝最中の動物も飛び起きてガラスや手すりギリギリまで近付き、ちょっとでも近付こうとするくらい動物園では人気者。

 移送中に脱走した興奮している虎を無害な子猫ちゃんモードになるまでデレデレにして捕獲した逸話もあるくらい、アリィは異常なまで動物に好かれた。

 残念そうな声を出すダドリーはしばらくテンションが低めであり、とりとめない会話が少しだけ続く。

 そのまま数分間糸電話で会話を続け、ダドリーはふと思い出したかのようにアリィが連絡してきた理由を訊く。

 応えるアリィの声は、反応を楽しむかのように陽気に弾んで見えた。

 

「誕生日の幼馴染を特製ケーキで祝おうと思ってさ。準備が出来たからパーティーのお誘――」

『パパー、ママー! アリィの家に行ってくる!』

「ちょ、ちゃんとハリーも連れて来ないと家に入れないからね!?」

 

 予想以上の食い付きはアリィの料理が好かれている証拠。退室する前にちゃんとガラスから外してくれた吸盤付き弓矢と糸電話をリールで回収するアリィは、喜んでくれた嬉しさで笑みを抑えられなかった。

 これこそ料理人冥利に尽きる、最高のお返し。笑顔は何よりのプレゼントだ。

 

「さあーってと、誕生日プレゼントはどれにしようかなー」

 

 気分を良くしたアリィは部屋の中にある自作の発明品を物色する。

 全自動ピアノ演奏機。車輪の取れたボロボロの車椅子。等身大のカラクリ人形。様々な色合いを見せて発光する、試験管に入った液体や薬。

 乱雑に置かれた発明品やガラクタを物色して選んだのは、寝る前にお腹へ取り付ける脂肪燃焼機だった。これなら彼の父親であるバーノン・ダーズリーも使えるだろうと考えてのチョイスだ。

 

「さあ、皿の準備準備」

 

 ごついバッテリーとモーターが取り付けられたベルトを片手に、アリィは自室を飛び出した。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 《アリィの家に行くぞハリー!》

 

 そうダドリーに告げられて数秒後、ハリー・ポッターはダドリーと一緒に親友の家の玄関前に立っていた。

 動物園で問題を起こしたお仕置きという名目で物置部屋に監禁されていた彼にとって、このお誘いは凄くありがたい。何だかんだ言って、ダドリーはアリィの言いなりなのだから。

 それはアリィの料理を食べるためなら嫌いなハリーだって同席を許すくらい、ダドリーはアリィの料理に惚れ込んでいる。

 ハリーを連れ出すと言った際に反対意見を述べたバーノンおじさんの言葉も振り切り、アリィのことを良く思っていないペチュニアおばさんの静止も無視して、ダドリーはアリィの家を訪れた。

 

(多分、僕を連れ出したのはアリィに言われたからなんだろうな……)

 

 学校でもダドリー軍団を恐れて仲間外れにされているハリーに優しくし、ダドリーを諌めてくれる唯一の親友。

 彼が『ハリーを苛めたらオヤツ抜き』というお触れを出してくれたから、数年前から直接的な暴力や苛めは鳴りを潜めている。あるとしても悪口くらいだった。

 

(本当にアリィは僕の恩人だ)

 

 誕生日だって毎回祝ってくれて、クリスマスカードだってくれる幼馴染。

 アリィがいなかったら、僕はどんな悲惨な人生を送っていたのだろうか。アリィがいるから、こんな毎日でも絶望せずに過ごせたんだ。最近、こんなことを考えている自分がいた。

 

(アリィには何かお返しをしないと)

 

 助けられてばかりではなく、何か恩返しがしたい。色々と束縛された環境では難しいけれど、きっとチャンスはあるはずだ。今はその時をジッと待つ。チャンスは訪れると信じて。

 

「来たぞアリィ!」

「はいはいはい、いらっしゃいお二人さん」

 

 小ぢんまりとした小さな二階建ての白い家。半年前に唯一の家族である曾祖父を亡くしたアリィは、満開の向日葵畑を連想させる満面の笑みを浮かべながら二人を出迎えた。

 見た目は七・八歳くらいの、彼等と同い歳だとは思えないくらい小柄な身長と童顔は健在で、薄いクリーム色をした短いイエローブロンドの髪は寝癖を直していないのか所々跳ねている。

 大きな空蒼色の瞳は宝石が散りばめられたみたいに『楽しみ』という名の光でキラキラと輝いているようだった。

 そして呼応するように、彼が普段から身に付けている祖父の形見のペンダントも楽しそうにジャラジャラと鎖を鳴らす。

 細長いチェーンの先には小さなリング取り付けられ、その輪の中に括り付けられた小型の黄金砂時計は、月明かりに照らされて神秘的な光を発していた。

 

「待ってたよ。さあ入った入った」

 

 言う前からダドリーはドカドカと入ってリビングに向う。その点ハリーは後ろからアリィに押され、曾祖父の発明品だという用途の分からない物体で溢れ返る家にお邪魔した。

 

「動物園のことはダドリーから聞いてるよ。ハリーも蛇と話せたんだ」

「僕も? じゃあ、アリィも話せるの!?」

 

 思わず足を止め、背後を振り返って小さな友人の顔を窺うハリー。目を丸くして驚いている彼を面白そうに見ながら、少年は大きく頷いた。

 

「飛行機を間違えてインドに行っちゃった時に財布落としてさ。近くにいた蛇を捕まえて蛇使い入門したんだ。キングコブラの舌を十秒間触るって芸が大好評で帰りの飛行機代も稼げたよ」

「………………まあ、アリィだものね」

 

 そんな外見なのによく一人で飛行機に乗れたね、とか。

 そもそも本当はどこに一人旅行するつもりだったの、とか。

 お爺さんが亡くなってからの傷心旅行でそんなことがあったなんて、とか。

 保護責任者の人は頼らなかったのか、とか。

 

 色々とツッコミを入れる部分はあるけれど、この程度で一々驚いていたらアリィの友人なんてやっていられないと、ハリーはそっと溜め息を漏らす。

 

 学校始まって以来の天才的頭脳の持ち主。

 しかしその能力や熱意の全てを趣味である料理とモノ作り、研究に注ぎ込む彼は、学校でも生きた伝説だった。

 度々発明品という名のトラブル製造機を使って騒ぎを起こし、先生や生徒を騒然とさせることもしばしば。

 アリィは一日一回は突拍子も無い行動を取る予測不可能人間であり、学校史に名を刻むだろう校庭クレーター事件や職員室封鎖事件などは記憶に新しかった。

 

 そして何より、その無自覚な行動と発言から事態をより混乱に導き、招き寄せる天才でもある。

 その尻拭いに駆り出されて何度ハリーが泣く羽目になったことやら。語り尽くそうとするなら七部作構成で長編映画が出来るに違いない。

 

(……あれ? もしかして僕、結構アリィを助けてる?)

 

 いきなり「実は俺は秘密組織の一員だったんだ!」と告白されても簡単に納得出来てしまう変わった親友を見て、少し迷走するハリーだった。

 

「アリィ! 何してんだよ!」

「はいはーい! 俺のケーキは逃げないぞダッダー! 大人しく待ってろ!」

 

 リビングからダドリーの急かす声が聞こえてきて、楽しくて面白いことが大好きなアリィは、音符マークが乱舞していそうな顔をしながらリビングへと走っていく。

 悩んでいることが馬鹿らしく思えてくる天真爛漫とした姿には苦笑しか出てこない。

 

「ハリー! お前が来ないとケーキを食わせてもらえないだろ!早くしろよ、このノロマ!」

「そこに立ってないで早く座ってよ」

 

 ダドリーは待ちきれないとばかりに怒声を上げ、力作を振舞うことに浮かれ気味なアリィは、飛び出す絵本から出てきたかのような芸術的なケーキにナイフを入れていた。

 

「ごめん。今座るよ」

 

 至る所に発明品が乱雑に置かれているリビングでは異彩を放つ普通のテーブル。そこ付属する『ハリー専用』というプレートの貼られた奇怪な形をした椅子に向う。

 ダーズリー家では決して見られない、心からの笑みをハリーは浮かべていた。

 

『それじゃあ、いっただっきまーす!』

 

 三人が声を合わせて復唱。

 誕生日パーティーは夜遅くまで続けられた。

 

 

 

 

 

 

 ハリー・ポッターの幼馴染で大切な親友。遊びと趣味に情熱を注ぐ色々と常識外れな少年。予測通りという言葉に喧嘩を売る生粋のトラブルメーカー。それが彼、《天災》と呼ばれるアルフィー・グリフィンドールという人物だった。

 

 

 

 

 



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第一話

「ハーリーくーん! あーそびーましょー!」

 

 未だ僅かに朝靄が漂うプリベット通りに子供の声が響き渡る。

 実に騒がしいことこの上ない状況だが、このプリベット通りで一番の変人アルフィー・グリフィンドールの行動には近隣の住民も耐性が付いているため、特に文句を言われることはなかった。何を言っても無駄だと既に諦めているのだ。

 むしろ爆発音でなくただの大声なので問題ないと、そう考えている住人が大半。見事に毒されている。

 

「うーむ……まだ帰ってきて無い?」

 

 日曜の朝っぱらからダーズリー家は総出でどこかへ向い、今は火曜日の朝。理由も分からずある日を境に一家揃って引き篭もりとなってしまったダーズリー家は、どこに行ったか分からないが未だに戻らない。

 それでも一縷の望みを込め、アリィは声を張り上げる。

 

「ハリー! 本当に帰ってきてないのー!? なんか返事しないとハリーが好きな人を言い触らすぞー!」

 

 それでも返事は返ってこず、仕方が無いかと頭を掻くアリィは玄関を後にした。

 

「とは言っても誰だか知らないし適当にでっち上げるか。……ブレンダでいっか」

 

 そこで女版ダドリーのようなクラスメイトをチョイスするアリィ、正に外道である。

 号外新聞から友人を使った噂の根回しまで計画し、証拠写真まで捏造することを考えながら家に戻るアリィの顔は、腹黒さ具合からは想像も出来ない煌びやかな笑みだった。

 

「よし、早速準備に取り掛かろう」

「アリィは僕を社会的に抹殺するつもり!?」

 

 たった十秒という所要時間で自宅の玄関前に辿り着いたアリィは、ふと聞こえてきた幼馴染の声に満面の笑みで振り向いた。

 

「おかえりハリー。それと誕生日おめでとう。はい、プレゼント」

「あ、ありがとうアリィ……じゃなくて、そんなデマを流さないでよ!?」

 

 しっかりと包装された掌サイズの小包を嬉しそうに受け取ったのも束の間、怒りで顔を真っ赤にしたハリーがアリィに詰め寄る。

 それに対してアリィは混迷の眼差しでハリーを見上げた。

 

「何言ってんだよハリー。これでハリーは話の中心になれるよ。ほら、人気者への近道。チャンス到来」

「なんてありがた迷惑っ!?」

 

 本心から良かれと思っての行動なのだから性質が悪い。頭にクエスチョンマークを浮かべる外見幼子と、額に手を当てて頭を振る眼鏡の少年を眺める男は、色々と思うことはあるが正直な気持ちを口にする。

 

「なんつーか、ハリーや……随分と個性的な友人だな、こりゃあ……」

「そういうおっちゃんも中々個性的だよ」

 

 朝靄の中、ハリーの後ろに立っていたのは大男だった。

 身長が三メートル以上はありそうな体格はアリィにしてみればそり立つ壁のように大きい。長いボサボサの黒髪ともじゃもじゃの髭に覆われた顔からは真っ黒いコガネムシのような目が二つ、アリィを興味深そうに見下ろしている。

 夏なのに分厚い黒コートを着込む姿は、少し場違いで可笑しく見えた。

 

「そうだアリィ、彼はハグリット。ホグワーツの番人なんだ」

「ふーん、俺はアルフィー・グリフィンドール。アリィで良いよ」

 

 動揺したが、その匂いは直ぐに消して柔和な笑みを見せるアリィ。

 ホグワーツという単語には心当たりがあった。ここ数日、何度も何度も手紙で見た単語だからだ。

 

「ああ、よろしくな。……ところでアリィ、ちぃとばかし話したいことがあるんだが。中に上がらせて貰っても構わんか?」

 

 自分と比べて何倍も大きい団扇みたいな手と握手をしてからアリィは頷き、初めての客人と幼馴染を家に招き入れる。

 大柄なハグリットは頭どころか腰を少し折って中に入るが、それでも窮屈そうに身を縮め、頭をゴリゴリと天井に擦りつけながらリビングへ向う。

 

「粗茶ですが」

「おお、わざわざすまんな」

「さも当然のように渡してるけど僕が淹れた紅茶だよね?」

 

 用途不明の発明品でごちゃごちゃし、ただでさえ狭いリビングはハグリットの登場で余計狭く感じる。椅子には座れないのでテーブルを畳みスペースを作ってから、三人はフローリングの床に直接座り、ティーカップとお茶菓子を並べた。

 

「で、話って何よハグリット?」

 

 一先ずダージリンで喉を潤し、そのあとビスケットをかじってから本題に入るアリィ。

 お代わりをハリーから受け取っていたハグリットは、神妙な面持ちで、カップを置いた。

 

「お前さん、ホグワーツからの手紙は読んだか?」

 

 無駄なことは訊かずに本題を言う。

 ハグリットがアリィの家を訪れたのは、ホグワーツ魔法魔術学校からの入学許可書が着たにも関わらず、未だに入学を希望するかの返事を返信していないアリィの返事を聞きたかったからだ。

 だからハグリットはとある事情でダーズリー家と共に逃亡していたハリーと接触した後、こうして次の目的地ではなくアリィの家を訪れた。

 

「そうだよアリィ! 僕達、魔法使いだったんだ!」

 

 ボグワーツは全寮制の学校であり、自身が夢物語にしか存在しない魔法使いだと知ったハリーは、ダーズリー家から出られると分かって浮かれている。

 まだ見ぬ魔法界に対する期待と今までの辛かった生活から抜け出せる喜びで、ハリーの笑顔は今までで一番生き生きとしていた。

 そんな親友を眺めるアリィは……もの凄く可哀想なモノを見る目だった。

 

「……あのさ、ハリー。少し休んだ方が良いんじゃないの? あの家にいるから疲れてるんだよ、きっと。ほら、紅茶のお代わりはいる?」

「君の哀れんだ目なんて初めて見たよっ!?」

 

 魔法なんて存在しない。これは子供でも分かる世界の常識。いくらハリーを通じて不思議な体験をし、蛇とも話が出来る通常ではありえない体験をしても、今まで培ってきた常識が魔法認知の邪魔をした。

 

「魔法なんてある訳無いじゃん。そこまで夢は見てな……え……えぇ?」

 

 しかし、それもハグリットがアリィの目の前で物体浮遊の魔法を使うまで。種も仕掛けも無い本物の魔法を見せられ、先程とは意見を変更。

 アリィの瞳はキラキラと輝き出した。

 

「……凄っげぇ! マジかよハリー! これってドッキリじゃないよね!?」

「そもそも僕は、アリィがそこまで疑っていたことにビックリだよ」

 

 普段からハチャメチャな行動を取って面白いことや不思議を探している癖に、妙な所で常識に縛られるリアリスト。それがアルフィー・グリフィンドールという人物だ。

 

「新手の宗教勧誘とか、頭がお花畑の人達を狙った詐欺集団かと思ってた。あんな手紙、直ぐに信じる方がどうかしてるよ」

「……あれ? アリィがまともなことを言ってる……」

 

 全く持って正論なのにどこか納得がいかないのは付き合いが長い故。

 ドヤ顔を見せる親友にハリーが首を捻っていると、ハグリットは疲労たっぷりの溜め息を溢した。

 

「ハァ……お前さんが魔法界を知らない可能性をダンブルドア先生が危惧しとったが。まさかあのデイモン爺さんの孫が、トバイアスとエルヴィラの息子が、本当に魔法界を知らんとはな……爺さんも徹底したもんだ」

「何でハグリットは爺ちゃん達を知ってんの?」

 

 二人のやり取りを見ながら紅茶を啜り、コートのポケットに入っていたビスケットをお茶請けにするハグリット。

 頭を捻るハリーの横でビスケットを齧っていたアリィは、不意に聞こえてきた曾祖父と両親の名前に反応する。

 紅茶を飲み干して徐に口を開くハグリットの目からは、何らかしらの決意と責任が見て取れた。

 

「良いか、アリィ。お前さんの両親と爺さんは魔法使いだ。それもトバイアスとデイモン爺さんは偉大な魔法使いの血を受け継ぐ由緒正しい一族だぞ」

 

 衝撃の事実に困惑し、反応したのは、

 

「待ってよハグリット。じゃあ何でアリィは魔法界の事を知らなかったの?」

 

 一番驚いて見せたのはハリーだった。

 

 その点、話の中心人物といえば、質問を全てハリーに任すつもりなのかビスケットを頬張りながらハグリットに視線を向けていた。

 

「あぁ、そりゃ……すまんが、俺の口からは言えん。アリィのプライベートに関することだからな」

 

 申し訳無さそうに口ごもる姿を見せられ、なおかつ内容が重いものだと諭されたハリーも口を閉じる。

 しかし生憎とアリィはそんなことを気にするほど神経質ではない 。

 

「別に良いよ、話しても」

 

 どうでも良いよと言いたげに――実際そう思っているが、とにかくアリィは許可を出す。

 もちろん今からハグリットが話す内容がどう自分に関わっているのかアリィは知らない。それでも彼は許可を出した。

 その理由は、ここにいるのがハリーだからだ。

 どんな内容だとしても幼馴染の親友なら聞かせても構わないと勝手に納得して、続きを促した。

 それでもハグリットは、一応大人として慎重に言葉を選ぶ。

 

「じゃあ訊くが、お前さんはご両親の死について、デイモン爺さんから何て聞かされた?」

「旅先の事故で死んだって聞いたけど?」

 

 アリィの父トバイアス・グリフィンドールと、母エルヴィラが亡くなったのは今から十年前。一歳の誕生日を迎える数ヶ月前の不幸だったと祖父から聞かされていた。

 そう、不幸という点は事実だった。亡くなった真相は別として。

 

「違う……トバイアスとエルヴィラの二人はな……殺されたんだ。ある、魔法使いにな」

 

 長い思考の末、ハグリットは両目に涙を溜めながら重々しい声を出す。それは無理をしていることが丸分かりの沈痛な姿であり、言葉から滲み出てくる無念さと悲嘆さが胸中を物語っていた。

 

「ハグリット、それってもしかして、ヴォル――」

「その名を口にするな!」

 

 両親が殺されたという嫌な共通点を見つけたハリーの声を怒声が遮る。続いて、ドンッという床を叩く音。幸いなことに三人の紅茶は飲み干されていたためカップは倒れても被害は無かったが。

 雷音を連想させる盛大な鼻をかむ音に少年二人が耳を塞ぐのにも気付かず、大きなハンカチをコートに仕舞ってから、ハグリットは涙の乾かぬ目でアリィを見る。

 すまんと、一言謝罪を述べてから。

 

「まあ……そうだ、ハリーの言おうとした闇の魔法使いが、お前さんのご両親を殺した。そんで魔法の怖さや危険さを改めて理解したデイモン爺さんは、お前さんだけは安全な世界で暮らして欲しいと願い、まだ赤ん坊だったお前さんを連れてマグルの世界に隠居することを決めたんだ」

 

 両親の死の背景と曾祖父の思いを知り、普段は楽観的なアリィも少し言葉を失う。

 ある程度の説明を受けたハリーとは違い『マグル』という非魔法族を示す単語すら知らないアリィだが、聞かされた内容が衝撃的だったため思考がいまいち追い付かない。

 いつもは見られない神妙な面持ちをする幼馴染の姿にハリーも言葉を失った。

 

「それで、お前さんはどうする?」

「どうって?」

 

 胡坐をかき、口許に手を当てて考えことをしていたアリィは声の主を見上げる。ハグリットの視線に宿るのは、生半可な返答は許さないという明確な意思。

 優しげな雰囲気が一転。空気が張り詰めて当事者でないハリーが背筋を正す。

 

「魔法を受け入れて魔法界に足を踏み入れるか、それともこのままマグル社会で平和に暮らすかだ」

 

 魔法界には危険が付き纏う。

 科学技術が発達せず、超常現象が支配する世界。曾祖父が確保してくれた安全を捨ててまで、異法則が乱立する世界に入るかどうかをハグリットは問い質す。

 このまま今の生活を続けるも良し。しかし、もし魔法に関わるならそれ相応の覚悟をしろ。祖父への感謝と謝罪を忘れるな。

 これらの意味が言葉に込められ、ジッと返答を待つハグリットに――、

 

「なーに言ってんのさハグリット。答えなんて決まってるよ」

 

 

 

 

 

 アルフィー・グリフィンドールは太陽のように明るい笑顔を見せた。

 

 

 

 

 

「行くに決まってんじゃん!だってさ、魔法だよ魔法! もう楽しみ過ぎてワクワクが抑えられないよ俺は」

 

 後先を考えずの無鉄砲な決意ではなくちゃんと曾祖父の考えを考慮し、訪れる危険を覚悟して、アリィは魔法使いの道を選ぶ。

 非現実的な展開を望み、常に色々な楽しみを求めるアリィの答えなど最初から決まっていた。危険があれど、それが足を止める理由には決してならないのだから。

 

「ふぅ……良かった。断わられたら、お前さんから魔法界の記憶を奪わなきゃならんかった」

 

 魔法界のことは一部を除いてマグルには秘匿されている。もしアリィが魔法に関わらない道を選ぶなら、魔法省の忘却術士を呼んで魔法に関する記憶を全て消すという処置が取られていただろう。

 旧友の息子の記憶を消去するのは忍びない。そう思っていたハグリットは、心の底から安堵の息を零した。

 その処置を聞いて疑問の声を上げるのはハリーだ。

 

「でもハグリット、アリィを魔法に関わらせないことなんて出来るの?」

 

 成人していない幼い魔法使いは魔力をコントロール出来ずに暴走させてしまうので、その制御法と魔法の正しい運用法を学ぶのは魔法使いの誰もが通る道だ。

 だから魔法使いは当然として、魔力を持って生まれてきたマグル生まれの突然変異を、魔法界は漏れなく学校にスカウトする。

 ハリーの周囲で度々不可解なことが起きていたのも衝動的な魔力の暴走が原因。

 そう説明されていたハリーは、その暴走が原因で魔法が世間に明るみになった場合に対処する労力を考えて、選択の自由意思など無いと考えていた。

 

「ふむ。じゃあハリーや、お前さんはアリィが何か変なことを起こした所を見たことがあるか?」

「え?」

 

 変なことなら日茶飯事。それこそ何も起こらなかったことの方が珍しいくらいの頻度で起きているが、それが全て人為的なものであり、ハリーのように髪を切っても直ぐ元通りになるような、超常現象ではないことに気付かされる。

 あくまでアレは発明品の暴走や悪戯の結果に過ぎない。つまり、それが意味することは、

 

「アリィは魔力を暴走させていないってこと?」

「珍しいことにな。まあ、ダンブルドアが言うにそういう奴は極稀にだが存在しとるらしい」

 

 だからこその、選択肢が与えられるという異例の処置だ。今後もそうでないと断言出来ないものの、仮に魔法を拒んだ場合、アリィは魔力を持ったマグルというレアな存在として人生を終えていた可能性が高い。

 

「だってさハリー。これで晴れて俺達は魔法使いの仲間入り……どしたの?」

「……アリィはそれで良いの? 折角お爺さんがアリィのためを思って、今まで魔法と関わらせていなかったのに……」

 

 親友が自分と同じ魔法使いだった。これは大変喜ぶべきこと。しかしアリィの過去を知ってしまっただけに諸手を挙げて喜べない。

 自分の事しか考えず、そのことを恥じている親友の肩をアリィはバシバシと叩き始める。気にするなという意味を込めて。

 

「良いんだよ。だって俺の人生だよ? それに『好きに楽しく生きろ』が爺ちゃんの遺言だし。忘れた?」

「――いや、忘れてないよ。うん、確かにそう言ってた」

 

 ハリーもデイモンを看取った者の一人だ。

 血の繋がりの無い自分を孫同然に可愛がり、厳しく教育してくれたお爺さん。彼は病床の折り、ハリーにも遺言を告げていた。

 

「デイモンお爺さんなら、アリィの意思を尊重するよね。ついでに、どうせなら徹底的に悔いの残らないよう全速前進!とか言いそう」

 

 アリィが魔法界に入る決め手になったのは曽祖父が遺したこの言葉。ずっと魔法について秘匿してきたデイモンも、じきにホグワーツから手紙が来るのは分かっていたに違いない。

 それに魔法や超能力という異能は信じておらずとも、そういう類の話が大好きだった孫の性格は育ての親であるデイモン・グリフィンドールが一番良く知っている。

 だからこそデイモンは最後に孫を後押しして逝ったのだ。

 

「ありゃ、そういやハグリットって爺ちゃんと知り合い?」

「そりゃあ、デイモン爺さんはホグワーツで教鞭を取っていたことがあるからな、爺さんのことは良く知っちょる。それに爺さんの仕事名であるバートランド・ブリッジスと言えば凄腕の魔法具製作者として魔法界でも有名だぞ」

 

 ああ、だから自称発明家を名乗っており、家内はこの有様なのかと納得するハリーだった。

 

「よし、そんじゃあそろそろ出発するぞ。今日中に買い物を終えなきゃならん」

 

 善は急げとビスケットの空き缶を仕舞うハグリットに、魔法使いの卵は揃って首を傾げた。

 

「「買い物?」」

「お前さんらの入学出需品を買いに行くに決まっとろうが」

 

 



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第二話

「なーるほど。そんな逃亡生活してたんだ」

「おじさんがずっとイライラしているし、ダドリーも不満ばっかりで大変だったよ……本当に」

 

 暗いため息を吐くハリーとは対照的に、アリィはダーズリー家の反応が如実に想像出来てクスクス笑う。

 入学に必要なモノを買いにロンドンまで足を運んだ三人だが、電車で移動中に行ったことは情報交換だった。

 それは主にアリィからハリーへの『今まで何をしていたのか』『さっき口に仕掛けた闇の魔法使いとはどういう奴なのか』という一方的なものだったが、ハリーは出来るだけ詳細を細かくアリィに説明していく。

 その間ハグリットは、電車内が珍しいのか周囲を興味深く見渡していた。

 

「でも、ヴォルデモートかぁ」

「アリィ、学校ではわざと口にしちゃダメだよ」

 

 この愉快犯は面白半分に名前を口にして皆を恐怖のどん底に落としかねない。

 予め釘を刺しつつジト目を送るハリーを尻目に、幼い発明家は腰に巻いたポーチから飴を取り出し、どこ吹く風と言わんばかりに口へと放り込んだ。

 ついでに自作の蜂蜜飴を親友や大きな友人にも渡すことも忘れない。

 

「大丈夫。ちゃんと禁句さんって呼ぶから」

「…………」

 

 仮にも名前を呼ぶことすら憚られている史上最凶最悪の魔法使いをそう呼ぶのは如何なものだろうか。

 口内に広がる蜂蜜の甘さを味わう暇も無く、それだけを考えるハリー。

 ダドリーがいない今、この親友のフォローと世話は自分一人で行わなくてはならない。そこまで考え、ハリーの脳は自動的にそれ以上考えることを止めた。

 習慣とは大変恐ろしい。自然と身に付いた精神安定を目的とした悲しい対処法であり、すなわちそれは、アリィのことで考えすぎるのは誰も得しないという経験則だ。

 

「そうだアリィ。アリィの身元保証人は、アリィが魔法使いだって事を知っているの?」

「あ、そっか。やっべー、伝えなくちゃ」

 

 デイモンが死に、沢山名乗り出てくれた身元保証人希望の中から名乗り出てくれた人物を思うアリィ。

 思い出の詰まった家を出たくないという我儘を聞き入れ、月々生活費を送ってくる人物。それだけでなく、彼はアリィの一人旅などの面倒も見てくれていた。

 

「心配するこたぁない。奴さんも魔法使いだ。ちゃんと俺がついでに連れていくと手紙も送っちょる。まあ、どこにいるのか分からず、手紙がポストん中に埋もれている可能性も高いがな」

 

 ああ、だからアリィのホグワーツに対する認識を改めに来なかったのかと納得する二人だった。連絡が取れないのなら知らないのも無理はない。

 

「ところでお前さんら、ちゃんと必要品リストは持ってきとるか?」

 

 駅から出てロンドン市街を歩く。

 片方はくたびれたジーンズのポケットから取り出したリストをハグリットに見せ、もう一人は落ち着き無く周囲をキョロキョロしながら焼却処分したと即答する。

 ハグリットが額を押さえるが、誰がどっちかは言うまでも無い。

 

「さあて、ここだ」

 

 本屋や楽器店、果ては映画館までも素通りし、辿り着いたのは薄汚れたパブだった。

 周囲を真新しい綺麗な店舗に囲まれる中、この築何年かを推測することすら叶わないちっぽけなパブは異彩を放つ。

 まるでここだけが異空間。こんなにも風景にそぐわない店を通行人は何とも思わないのだろうか。

 無邪気に「おお、いかにも何か秘密がありそうな古臭い店!」と感想を述べたアリィとは違い、ハリーはそう考える。

 

「漏れ鍋?」

「応とも、有名なところだ」

 

 ハリーの呟きに律儀に応えながら店内へ入るハグリットに二人も続く。

 店内は外装から思った通りみすぼらしかった。

 暗い店内に黒く汚い壁。有名なのにあまり繁盛はしていないのか。それとも日中という時間帯の問題なのか。バーテンダーを除けば客は数人しかいない。

 

「おお、ハグリットじゃないか。こんな昼から飲みに来たのか?」

「悪いなトム。今は仕事中だ」

 

 パブの主人と笑い合ったハグリットはハリーの頭をポンポン叩く。

 この場合、身長がハグリットの腰以下であり手が届かなかったアリィは幸運だ。おかげでハリーのように力士以上の怪力で身体が沈むことが無かったのだから。

 

「ハリーってもしかして有名人?」

「まあ、魔法界で知らん奴はおらんな」

 

 ハリーの家族名が明るみになった途端、客やトム、果てはホグワーツの教授という人にまで握手を求められた姿を見て、アリィは首を傾げる。

 ここでハリーがもみくちゃにされている間にハリーの過去をハグリットから聞かされるが、それでもアリィの抱いた感想は『ふ~ん』という反応の薄いものだった。

 それは例え魔法界では有名人だとしても、自分にとってはただの面白い親友という事実に変わり無いからだ。

 ハリーはハリー。同じ人物に両親を殺されたという共通点には驚いたものの、アリィの考えは淡白なものだった。

 

「さて、これからやることを覚えておくんだぞ」

 

 漸く解放されたハリーと傍観して楽しんでいたアリィを連れ、ハグリットはパブを通り抜けて中庭に出る。

 三人入ればすし詰め状態になってしまいそうな、壁に囲まれた小さな空間。そこにあるレンガの壁を杖の仕込んである傘で叩くと、直ぐに変化が訪れた。

 レンガが小刻みに震え、見る見る内に左右へと動き、アーチ状の入り口を構成し始める。

 二人が疑問を浮かべる暇も無く、目の前に目的地――謂わば魔法界の商店街『ダイアゴン横丁』への入り口がぽっかりと穴を空けた。

 

「ハリー……夢の国みたい」

「うん……本当に凄い」

 

 微笑むハグリットに促されて入り口を潜り、周囲を見渡して驚嘆の息を零す二人。

 山積みにされた大鍋に、使用方法の分からない沢山の道具が様々な店先に並ぶ。至る所で楽しそうな声が聞こえる楽しい喧騒で賑やかな横丁は、ローブやマントを着た沢山の魔法使いで溢れていた。

 

「まずはグリンゴッツで金を下ろさんとな、買うものも買えん」

 

 魔法界では独自の通貨を使用しているためマグルの通貨は使えない。また、魔法界唯一の銀行にして厳重警備が施されている金庫にハリーとアリィの両親が残した遺産が保管されているため、お金を下ろさなければ買い物が出来なかった。

 グリンゴッツは横丁の中央付近にあるため、銀行に向うまでに寄らなければならい店を素通りする羽目になるが、戻るのが二度手間だとしても魔法界新入りの二人は全く気にしない。この横丁には一日では回れないほどの楽しい不思議で溢れ返っているのだから。

 歩き回るのを苦痛に感じるはずが無かった。

 

「ほらハリー! ペットショップにフクロウが沢山!」

「あっちでは箒を売ってるよアリィ!」

「うわ、魔法薬の材料とか、絶対に後で寄らないと! あっちには何があんだろ!?」

 

 ふくろう専門店では大小様々なフクロウが騒ぎ、ある店のショーウィンドウには豪華絢爛な箒が飾られている。

 二人は田舎から上京してきた村人らしく騒ぎまくった。

 

「……うむ?」

「どうしたのハグリット?」

 

 競技用箒の専門店に目を奪われていたハリーは興奮した面持ちのままハグリットに視線を移す。その、冷や汗を掻いているハグリットへと。

 

「……ハリー、アリィはどこだ?」

 

 気付けば、アルフィー・グリフィンドールが姿を消していた。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「おっちゃん、おっちゃん! コレ何? ただのバックじゃないの!?」

「おう、検知不可能拡大呪文が施されている一級品だ!」

「検知不可能拡大呪文?」

 

 二人が慌てふためく頃。

 本通りから外れ『夜の闇横丁』への入り口に近い所に位置する露店に彼の姿があった。

 楽しいこと、面白そうなことに目が無い彼にとって、このダイアゴン横丁は正に宝の山。目移りしながらの移動では人混みの中を真っ直ぐ歩くのは困難であり、気付けばこんな人気の無い所まで足を運んでいた。

 しかもアリィは迷子になっていることに気付いていない。

 

 一方その頃。

 

 《アリィ!? どこにいるの、アリィ!?》

 《ちぃとばかし落ち着かんかハリー!》

 《落ち着いてなんかいられないよハグリット!? こんな時、絶対にアリィはトラブルを起こすんだ! アリィ、アァァァァァリィィィィッ!?》

 《落ち着けハリー! そのツボの中にアリィはおらんっ!?》

 

 キャラ崩壊寸前の姿が世間に晒されていた。

 ちなみに彼が訊ねた呪文は『物の外側の大きさを変化させずに内側だけを拡大する』というもので、要するにどんなものでも某猫型ロボットのポケットに早変わりさせてしまうという、数ある呪文の中でも成功が難しいタイプの呪文である。

 

「これってどのくらい入る?」

 

 そんな親友の奇行を知らない彼は暢気に交渉を始めている。数分の世間話をした上でちょっとした物置くらいの量が入ると聞かされ、アリィの心は決まった。

 

「買った! おっちゃん、いくら?」

 

 効果を聞いて即決する。

 ショルダーバックの口の大きさ以上のモノは入れられないという縛りはあるものの、有用さはデメリットを抑えて余りある。

 外出時に様々なものを持ち運んでいるアリィにとって、コレは夢のアイテムと言っても過言ではない代物だった。

 

「25ガリオンと7シックル! ……っていう所だが、サービスだ。24ガリオンで良いぞ坊主」

「……ガリオン?」

「なんだ坊主、もしかしてマグル出身者か?」

「今朝方に魔法界入りしたばっか。両親は魔法使いらしいけど」

 

 荒くれ者や危険な輩が集まる無法地帯に近い場所に店を構えている癖に、この店主はそれなりに優しいのか値引きしてくれるだけでなく、通貨についても優しく教えてくれる。

 魔法界の通貨は銅貨=クヌート、銀貨=シックル、金貨=ガリオンの順に通貨価値が上がり、日本円に換算すると、それぞれが2円、64円、870円となる。

 つまりあのショルダーバッグは日本円で2万円ちょっとの買い物ということだ。効果を考えればかなり破格の親切設定。

 子供などカモなだけだが、この店主は真っ当に稼いでいるようだ。

 

「分かった! 今日中にまた買いに来るから売っちゃダメだよ」

「おう、待ってるぜ――」

「スリだぁああ!」

「誰かその馬鹿を捕まえろー!」

 

 売買交渉を成立させて握手をする寸前、彼等の行為は慌ただしく細道に入ってきた複数の人物によって遮られる。

 ボロボロのローブを着込む男を追いかけるのは、同じ顔をした赤毛の二人組。外見年齢がアリィより五・六歳ほど上の双子は、鬼のような怒りの形相で目の前の不届き者を追いかけていた。

 その先に、見た目が幼い子供が面白そうに顔を歪めていることも知らずに。

 

「ほいっ!」

「ぐわ……っ!?」

 

 突き飛ばされる前に自ら体当たりを食らわすアリィのアクティブ性に露天商が驚くのも束の間、腰に頭突きを食らった盗人はアリィ共々倒れこむ。

 雑貨品が並ぶ露天や驚く店主を巻き込む形で。

 

「「頭突きをかます方向逆だろっ!?」」

 

 双子のツッコミはガシャーンッという金属音が響いたことで彼等の耳に届かなかった。

 錆防止の魔法が掛けられた皿が宙を舞い、籠に纏められていた沢山の『思い出し玉』が地面を転がる。

 もみくちゃの阿鼻叫喚な光景が目の前で繰り広げられ、双子が追いついた時、

 

「お前等動くなぁあ! 動いたらこのガキの命は無いぞっ!」

「……あれ?」

 

 背後から腰を掴まれ、後頭部に杖を突きつけられているアリィの姿があった。

 その卑怯な振る舞いを見て双子が憤る。店主もぶつかった衝撃で気絶していなければ罵倒していただろう。

 

「クソッ!そんな子供を人質にするなんて卑怯だぞ盗人!」

「俺の財布をパクるだけじゃなく子供まで人質にするなんて不貞ェ野郎だ!」

 

 逃走劇は硬直状態に陥った。

 それ以上前に進めず唇を噛み締める双子に意地の悪い笑みを見せ、盗人はゆっくりジリジリと後ずさる。

 これで逃げ切れる。そう信じて已まない醜悪な心が見え隠れする。しかし彼の不運は、人質に最悪な問題児を選んでしまったことに尽きた。

 

「おっちゃん、もしかして今の俺って人質?」

「喋るなクソガキ!」

 

 盗人の過ちは二つ。一つは外見からアリィの年齢を見誤り、このくらいの子供なら人質にされても怯えるだけだと考えたこと。二つ目は――彼の両手を自由にしたままだという、致命的なミス。

 

「そいやっ」

 

 その軽々しい無邪気な声は一触即発のこの場では変に目立っていた。

 双子と盗人が自分達の目の前に放られた異物に注目する。それはパッと見アルミ缶のようで、それにしては半分以下の大きさしかない小さな筒状の物質。

 素早くポシェットから取り出さられて先端のピンを口で抜かれたソレは綺麗な放物線を描き――、

 

「爆発するぞー」

 

 耳栓を着けて固く目を瞑ったアリィの言葉通り、鮮烈な閃光と爆音が細道を包み込んだ。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 盗人が倒れた拍子に地面へ放り出されたアリィは、着ている空色のサマージャケットや裾を何重にも折り畳んだズボンをポンポン掃う。

 やり遂げた感を前面に押し出す彼は、満足そうな顔で両耳から耳栓を抜いた。

 

「いやー、備えあれば憂い無し。持ってて良かった音響爆弾」

 

 フラッシュバンと呼ばれる手榴弾の一種。それがこの惨状を生んだ原因の名だ。

 外出する際には護身用として常に携帯しているアリィ印の改造爆弾。その圧倒的な光と音は近くにいる者を例外無く昏倒させる。

 改良に改良を重ね、障害は残らないまでも高確率で半径五メートル以内の人物を気絶させる試作品の成果に満足し、大仰に頷いた。

 

「えーっと、これかな?」

 

 白目を剥いている盗人の服から財布を取り出し、それを同じく白目を剥いて倒れている双子の片割れの側に置く。

 良いことをした後は気持ち良い。清々しく汗を拭うその姿を見たら、あの苦労人の少年はどう思うのだろうか。

 きっと溜め息を吐くか引き攣った笑みを浮かべるに違いない。

 そして天の采配か、件の少年が姿を表した。

 

「やっぱり!? 何で毎回毎回アリィってばトラブルを招き寄せるの!?」

「うーむ、まさかハリーの言った通りだとは……」

 

 大きい音がした所に高確率で奴はいる。そう説明されながら探し回り、目撃情報と大きな爆音を元に漸く見つければこの有様。

 疑っていたハグリットも認めざるを得ない。アルフィー・グリフィンドールは正真正銘のトラブルメーカーなのだと。

 

「アリィ、いったいここで何があったんだ? 何でウィーズリー家の悪ガキ共が気絶しちょる?」

「スリ。双子憤慨。盗人の攻撃魔法が不発?」

「……見たところ『姿現し』も出来ん程の力量しか持たんようだし、魔法が失敗する可能性もあるか。……まあ、あの魔法は難易度が高いから一概にそうとは言えんが……」

 

 簡潔過ぎる説明に納得しようとしているハグリットの横で「嘘だ、絶対嘘だ」とブツブツ呟いているハリーを気にかける者はいなかった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 魔法界の警察的役割を持つ魔法省の魔法警察部隊に盗人を突き出し、気絶している露天商と双子を彼等に預け、三人は予定通り買い物を再開した。

 グリンゴッツからお金を下ろした後にジェットコースター顔負けのトロッコ運行でハグリットがダウン。ハリーの財産の数倍もの金貨を保有し実は大金持ちだったことが発覚したため、水を得た魚のように衝動買いを始めようとしたトラブルメーカーを抑えるハリーの姿があったりしたが、事態は概ね順調に運んだだろう。

 一人の苦労を代償にして。

 

「あー、やっと終わった。あれ、どしたのハリー?」

「大丈夫、何でもないよ」

 

 マダムマルキンの洋装店で制服の寸法を行っていたアリィは、同じく寸法が終わっていたハリーと、漏れ鍋で復活したハグリットの下に戻って来た。

 ハリーよりも時間が掛かったのは彼の身長が百二十センチにも満たない小柄なものであり、見た目通りの幼さからホグワーツ入学を信じ込ませるのに時間を食ってしまったことに起因した。

 

「そういやハリーの隣で寸法してたのもホグワーツ?」

「みたいだよ」

「へぇー、俺も話したかったなー。何で俺だけ離れ離れにされたんだろ」

「君が僕達と一緒にいると落ち着きが無くて寸法出来なかったからだよ」

 

 話しながらも、途中ではハグリットも会話に交えての買い物は続き、羽ペンや羊皮紙といった筆記用具に、大鍋や秤といった魔法薬キット。そして一番重要な教科書も購入していく。こういう時、大鍋とは便利だ。買い物袋の代わりとして用いることが出来る。

 

 太陽が真上まで昇り、徐々に降下して夕暮れが迫る頃には、彼等の手は荷物で一杯になっていた。

 小さいアリィなど身体全体を使って大鍋を運んでいるようで、端から見てかなりよろけている。

 それを見かねたハグリットが彼の荷物を全て持ち、手持ち無沙汰になったアリィがハリーの買い物品を少し持っていた。

 

「おお、そうだ。一番大事なものを買い忘れとった。杖を買わんとな」

「杖キターーー!」

 

 魔法使いといえば杖。そんなことはマグルだって知っている。

 アリィみたいに大々的に喜びを表していないが、実は内心アリィみたいに叫んでいたのはハリーだけの秘密である。

 三人は早速オリバンダーの杖専門店を訪れた。

 

「遅いよハリー、どんだけ俺を待たせれば気が済むん?」

「文句なら杖に言ってよ」

 

 長時間掛けて杖を選び、禁句さんとの兄弟杖と運命的な出会いを果たしたハリーと違い、アルフィー・グリフィンドールは今から杖を選ぶ。

 ハリーの時を見学していたため今更迷うことは無い。オリバンダー老に言われる前に、彼は利き腕である右手を伸ばした。全てはテンポ重視。

 

「おお、そうだ。そして貴方です、グリフィンドールさん」

 

 今までアリィの存在を忘れたかのようにハリーに付きっ切りだった老人は、何やら懐かしむような眼差しをアリィに向けた。

 

「貴方のご両親がお買い上げになられた杖は、わしにとって最高傑作の一つじゃ」

 

 洋装店でも見た自動巻尺がアリィの右手を測っていく。その間も、オリバンダーの独白は止まらない。

 

「しかし貴方のお爺様の杖はそれすらも凌駕する一品じゃ。あの白い杖はまだお持ちかな?」

「アレだったら――」

「勿論です。ねえ、あるよねアリィ? 僕、君の物置で見た覚えがあるもの! ね、ねっ!?」

 

 まさかそれらしきブツを排水溝の掃除で突っつき棒として使い捨てたとは言えず、必死に誤魔化すハリー。そうしなければ、この天然小僧は素直に捨てたと告げてしまうだろう。ハリー、ナイスフォロー。

 

 ハリーの言葉にオリバンダーは目を見開いた。

 

「なんと勿体無い!? 是非ご自宅に飾られ……いや、もし宜しければわしにお譲りに――」

「あー、爺ちゃんの形見だからダメ」

 

 良いから話を合わせて。というアイコンタクトは長い付き合いなため容易に行える。

 とりあえずアリィは真っ当な理由っぽいことを言って拒否の姿勢を示した。

 形見なら仕方が無いと諦めた老人は早速仕事に取り掛かるが、それはハリーの時のように思い通りとはいかなかった。

 

「ふーむ。貴方もポッターさんと同じで難しい御方のようだ」

 

 通算十七本目の杖を取り上げ、次なる候補に右手を這わせる。

 中々決まらないことに若干の疲れを見せるアリィの瞳は、店の奥に飾られている杖に向けられていた。

 

「ねえ、アレは?」

「……あー、アレは恐らく違うでしょう」

 

 アリィの指差す方向を見て、オリバンダーは即座に可能性を否定する。アレはこの店で一番古い杖の一本。製作者は不明だが、この世に生み出されて数百年。

 ここに来てから一度も持ち主を選んだことの無い気難ししい杖だった。

 だからこそ買い手が付くのを諦め、売り物でありながら守り神のように飾られている。

 オリバンダー曰く変わり者で癖の強い奴。

 そう説明して十八本目の杖を取った時、待ったをかける者がいた。

 

「それだ」

 

 それは、ハリー・ポッター。

 

「ハリー、何か確信でもあるのか?」

 

 何故か自信を持って答えたハリーに訝しげな視線を送るハグリット。

 その眼差しに頷き返して、ハリーはオリバンダーを見た。

 

「多分、アリィの杖はアレです。オリバンダーさん、試すだけ試してみてくれませんか?」

 

 確かに試すのを拒否する必要は無い。オリバンダーの仕事は杖を作り、その持ち主を選ぶことに集約されるのだから。

 杖職人として選ぶ際には最善を尽くす。どうせこの幼い客も選ばれないという固定概念に縛れていたことを老人は恥じた。

 

「紫檀にキメラの鱗、十三センチ。コンパクトかつ強力。さあ、どうぞ」

 

 製造から数百年経っているにも関わらず、その杖に傷や埃は見られない。紫壇の滑らかな手触りを感じると共に、アリィは確信を持った。これなら大丈夫。きっと、だからこそ自分はコレに一目惚れしたのだ。

 

「なんと……っ!? 今まで誰も選ぶことの無かったコイツが、自らの主人を選ぶとは……不思議じゃ。全く持って不思議じゃ」

 

 杖から迸る淡い光がアリィを穏やかに包み込む。その幻想的な光景と大喜びする子供と老人を暫し眺め、ハグリットは隣を見た。

 

「しかしハリー、何でアレがアリィを選ぶと分かっとった?」

「ハグリット、こんな諺があるんでしょ」

 

 その諺とはすなわち『類は友を呼ぶ』。

 まさか無機物にまで適用されるとは思わず、予感めいたものがあったハリーだが、それでも本当にそうなるとは半信半疑だったことを否めない。

 

「……言い得て妙だな」

 

 そしてハグリットもハリーの推測を否定することは無かった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「え、それじゃあ本当にアリィは漏れ鍋に泊まるの?」

「うん。一週間くらいしたら帰るから、ダドリーにもそう言っといて」

 

 買い物も全て終え、今アリィは夕日をバックに漏れ鍋の入り口で二人をお見送りしている最中。

 一緒に帰らない証として、大量にあった荷物は宛がわれた部屋に全て置いてきていた。現在手元にあるのはズボンのベルトに差し込まれている紫壇の杖と、

 

「ハグリットもありがとね、このお守り」

「なーに。今までやれなかったんだ。誕生日プレゼントくらいやらんとな」

 

 この、アリィの右手首に括られている赤いミサンガのような腕飾りの二つのみだ。

 

 本当はハリーのようにフクロウをプレゼントされるはずだったのを断わり、アリィは単独行動の際に目を付けていたお守りを所望していた。

 このお守りは必要以上に動物を寄せ付けない、はっきり言えば嫌われる魔法が込められている。動物好きと言えど、その『好き』が一般人の範疇を超えないアリィにとって、過度な愛情表現は拷問に近い。

 過去に何度か酷い目にあった経験のあるアリィはこの体質をどうにか出来ないかと考え、そして今日、お目当てのモノを見つけたのだ。

 

「しかしまあ、まさかアリィが『動物好かれ(アニメーリス)』だったとはなあ。羨ましいこった」

 

 動物達に異常なまでに好かれる人物のことを魔法界ではそう呼称する。何故そうなるのか具体的な理由は未だ不明のままで、年々その好かれ具合が強くなる傾向が多く、また訓練次第でコントロールが可能となる、魔法生物調教師の中では重宝される才能。

 話を聞いたときにアリィが最初に思い付いたことはフェロモンだった。

 アリィはまだ魔法のこと詳しく知らないため素人考えになるが、個人が持つ魔力に人間が気付かない匂いというか周囲への影響・干渉力があり、それが動物を引き寄せるのではないか、という考えだ。買い物や書店巡りだけでなく新たな興味対象を見つけ、思いを馳せるだけで心が弾んだ。

 

「そんじゃハリーは一週間後に、ハグリットはホグワーツでね」

「おう、待っとるぞ」

「アリィ、絶対に無茶なことはしないで。夜は出歩いちゃダメだよ。衝動買いしたら駄目だからね。怪我するのも無しだよ」

 

 必死な形相で懇願するハリー(世話好きな兄貴分)にアリィ(手間の掛かる弟分)は笑いかける。

 

「分かってるって。それにトラブルなんて早々起きないよ」

(……無い、それは絶対に無い)

(まあ……今日一日見取ったが無理だろうな)

 

 正直とてつもなく不安な訳だがハグリットは明日からホグワーツで仕事。ハリーは夏休みが明けるまでダーズリー家で過ごすようダンブルドアからお達しが着ているため漏れ鍋に残れない。正直、過保護というか心配性なのは自覚しているが、単独行動するなという気持ちが強かった。

 

「じゃあハリー、お土産期待してなよ!」

 

 しかしあんな笑顔を見せられれば『一人で泊まるな』なんて口が裂けても言えやしない。

 

「うん。期待してるよアリィ」

 

 だからハリーは笑顔で別れる。表では再会を楽しみにしている笑顔を貼り付け、裏では冷や汗ダラダラの不安顔を晒しながら。

 空模様はハリーの気持ちとは裏腹に綺麗な夕焼けを映し出していた。

 

 

 

 



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第三話

 十時半頃のキングズクロス駅は大変人で込み合っていた。

 時の流れは早いもので、ダイアゴン横丁で魔法界入りを果たしてから一ヶ月が経過していた。

 夏が終わりを告げて季節が初秋に移行するも相変わらずの暑さは顕在だった。

 ダーズリー家の車で送ってもらい、ダドリーには定期的にお菓子を送ると別れ際に約束した今日は、ついにホグワーツへと出発する記念日である。しかしまだ見ぬ夢の地へと期待を膨らませていた時とは裏腹に、十一時の旅立ちを前にして新入生である二人はプラットホームで立ち尽くしていた。

 

「どうするよ?」

「まいったな……本当に無いよ」

 

 カートに座る少年は親友のフクロウにちょっかいを出し、それを黙認する眼鏡の少年は困った風に頭をガシガシ掻く。

 荷物の積んであるカートに寄り掛かり、ハリーは手の中のチケットを隅々まで眺めていた。

 読み零しが無いか。そしてチケットを受け取る時にハグリットは何か言っていなかったか。

 記憶と現状を照らし合わせても解決策は生まれない。

 

「9と3/4番線ねぇ……あ、ハリー。あの人達なら……おぉ!」

「どうしたのアリィ……ああ!」

 

 二人の声には喜色が見えた。

 視線は二人の先を歩く一組の家族に釘付けである。好都合と言わんばかりに声を上げた二人の前を通ったのは母親と見られる女性に、その子供達と思われる少年少女五人。

 その中の二人を見てアリィ達は歓声を上げる。救世主発見。そう二人の目は言っていた。

 

「ヘイ、そこの双子!」

「「ん? ……ああー! あの時の人質!?」」

 

 そこにいたのは盗人事件で出会った双子だった。

 彼等もしばらく頭を捻った後に正解へと辿り着く。双子ならではの阿吽の呼吸を見せられ、家族に近付いた途端、アリィは双子の片割れに手を掴まれて家族の前に引っ張り出された。

 

「ママ、コイツだよコイツ、人質にされてたって子供!」

「って、その荷物、もしかして新入生なのか!?」

 

 アリィの荷物はハリーと比べて大分少ない。それは教科書や着替えなどはダイアゴン横丁で購入したバックに納められているからで、カートに乗っているのは大鍋といったバックに入りきらなかったモノに限られる。

 見た目からは判断し辛いが大鍋を所持していることから、双子は後輩だと当たりを付けた。

 

「そうそう、だけど出発点が俺達分からなくて」

 

 アリィが用件を口にし、ハリーが教えてくださいと頭を下げた。

 

「良し来た!」

「こっちだこっち!」

 

 双子に手を引かれ、アリィも釣られて走ることを余儀無くされる。

 カートは双子の片方が自分のも含めて同時に押すという器用なことをしているため、アリィは手ぶらだ。

 

「あ、ちょっとコラ! フレッドとジョージ、待ちなさい!」

 

 母親の静止もなんのその。三人と三つのカートはハリー達を置き去りにして目的地を目指す。通行人も避けて突き進んだ先にあるのは、一つの柱。

 

「「突撃ー!」」

 

 柱にぶつかる寸前、流石のアリィも衝撃を予測して痛みを堪えるように目を閉じる。

 しかし予想に反して衝撃は訪れなかった。代わりにアリィ達を待ち受けていたのは人の溢れる賑やかなプラットホームと、ホグワーツ行きと書かれた立派な汽車だ。

 得心がいったと、アリィは目を輝かせる。

 

「なーるほど。だからか」

 

 入り口は9番線と10番線の間にある柱。だからこその9と3/4番線。納得するには十分過ぎる理由だ。

 

「早くコンパートメントを探そうぜ」

「ついでにリーもな」

 

 アリィの登場でオマケ扱いされてしまう彼等の悪友リー・ジョーダン。激しく哀れである。

 

「「そういや自己紹介がまだだったな」」

 

 トランク等は全て駅員に預け、今彼等の手元には最低限の手荷物しか無い。車両中央付近で運良く空いているコンパートメントを発見し、なし崩し的に行動を共にすることとなったアリィに双子が笑いかけた。

 

「俺はフレッド・ウィーズリー」

「で、俺がジョージ。なあなあ、あの時の爆発した奴ってマグルの武器だろ? 他に何か持ってねぇ?」

「俺はアルフィー・グリフィンドール。アリィで――」

「「グリフィンドール!?」」

 

 良いよ、という定番の自己紹介は双子の声に掻き消された。椅子に座るアリィに顔を近付ける双子の顔は驚愕で目が開かれている。

 

「「あのグリフィンドールか!?」」

「多分きっと」

 

 この一ヶ月で教科書や書店で手に入れた魔法界の本を既に読破しているアリィは、もうそれなりの知識を溜め込んでいる。

 だからホグワーツの創設者の一人が自身の先祖であることは既にご存知。同姓の可能性は拭いきれないがハグリットの発言が自信を後押ししている。

 

「とりあえずヨロシク」

 

 興味の無いことにはとことん無頓着で学校の勉強すら碌にしない彼だが、逆のモノに対しては信じられない集中力と脳の働きを見せるのは、皆に自慢できるアリィの長所だ。

 例え学校では『残念神童』やら『天災少年』なる二つ名を与えられようとも、それが長所であることに変わり無い。

 ハリーの存在も忘れ、交友を深めたアリィと双子はしばらく話を続けた。

 それはお互いの知らない世界についての話で、アリィにとってはちょっとした異文化交流であり、見解を広める重要な場。

 例えダイアゴン横丁に通った一週間で魔法界慣れしたとしても、学校の者と話す機会は早々無かったので、これもまた新鮮で有意義な一時と言える。

 すると、そろそろ発車の時間が訪れた。

 

「おっと、そろそろ発車の時間だ」

「アリィも来いよ。ママ達に紹介してやるから」

 

 

 

 という会話がコンパートメントで行われたのが今から十分前。

 

 

 

 妹だという少女に「貴方、本当に私より年上なの?」と真顔で訊かれたり、同年代という背の高いそばかすの少年――後に生涯の友となるロン・ウィーズリー、頼れる先輩のパーシー・ウィーズリーとの会合も果たしてから、ウィーズリー家一番の権力者。彼等の母親であるモリー・ウィーズリーがアリィと向き合った。

 

「貴方のことは二人から聞いているわ。ハグリットと一緒に魔法警察部隊に連絡してくれたのよね?」

 

 そう言って感謝を込めてアリィを抱きしめるモリーだが、彼女は知らない。双子が病院に運ばれる原因となった張本人がここにいることを。

 

「ねえママ。コイツ、名前何て言うと思う?」

「きっと驚くぜ」

 

 自分のことのように胸を張る双子の問いにウィーズリー家の視線が小さな友人に注がれる。

 その意味深な言葉と態度に何か感じることがあったのか、最初に回答したのはこの人物だ。

 

「もしかしてハリー・ポッター!?」

 

 風の噂で件の少年が今年入学と耳にした一人のファンは、自分よりも背の低い少年の前髪を期待を込めて掻き上げる。しかし当然ながらアリィの額に稲妻型の傷は無い。

 

「違う違う。俺はハリーじゃないって」

 

 そして「はしたないし失礼でしょ」と母上様からお叱りを受ける少女に答えを言うべく口を開くが、

 

「なんと! こちらに在らせられるのは偉大な魔法使いである学校創設者の血を引く御方」

「アルフィー・グリフィンドール様であらせられる! お前等は頭が高ーい!」

 

 アリィよりも先に双子が楽しそうに答えを言った。

 それに対する反応は二つ。驚きを表にする者が多数。そしてたった一人だけ、驚きよりも嬉しさが目立つ表情を取る人物がいた。

 

「まあ。貴方がトバイアスとエルヴィラの息子なのね」

 

 満開の笑顔を咲かせるモリーだけは違った。その目に宿るのはオリバンダーが見せた過去を懐かしむもの。そしてほんの僅かな憂い。

 

「おばちゃんも父ちゃん達の知り合い?」

「ええ。友人だったわ。結婚式にだって御呼ばれされたもの」

 

 そこからグリフィンドール夫妻との思い出を語り出そうとするモリー。だが時とは有限。時間は決して待ってくれない。

 汽車が発車する前にまだこの場で訊きたかったことがある双子は、話を中断するように大声を出し、先程の会話で引っ掛かった部分を訪ねる。

 

「なあなあ。アリィって、もしかしてハリー・ポッターと知り合いか?」

「そうそう。ハリーって親しげに言ってるし」

 

 双子の言葉に一番反応を示したのは、やはり妹のジニー。ダンスボール並みに目をキラキラさせている。そしてアリィはあっさりと、

 

「だって俺、さっきまでハリーと一緒にいたじゃん。幼馴染だし」

 

 何を今更というニュアンスを含ませ、実にあっさりと衝撃事実を口にした。

 

『………………』

 

 しばらくの間ウィーズリー家の時が止まったのは言うまでも無い。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 ガタゴト、ガタゴトという、汽車ならではの軽快なリズムを刻みながらホグワーツ特急は目的地に向かって突き進む。

 都市部の姿は既に無く、車窓から見える世界は草原や田園が続く田舎。マグル感知不可能の魔法が掛かった汽車は、夜の帳が下りる頃に目的地へ着くことが予測された。

 

「でもアリィ、ハリー達の方に行かなくて良かったのか?」

 

 フレッドは渡された改造手榴弾の品評から顔を外し、車内販売で買い込んだ菓子類のデータを熱心に手帳へ記入するアリィに顔を向ける。

 フレッドが言った通り今アリィはハリーやロンのいるコンパートメントではなく、双子やドレッドヘアーの良く似合う黒人少年リー・ジョーダンが占有するコンパートメントで寛いでいた。

 

「良いんだよ。俺はこっちの方が興味あるし。それに――」

 

 

 

 ――ハリーには自分以外の友人が必要だ。

 

 

 

「だから俺はこっちで良いの」

 

 そういう考えが昔からアリィの中には存在した。

 ダドリー軍団の所為でアリィ以外の友人を作れなかったハリー・ポッターは、自分に頼らない独自のコミュニティを形成しなくてはらない。

 ちなみにアリィには今までの生活で『ハリーを庇っていた』という気持ちは微塵も存在しない。

 ダドリーを諌めたりハリーを苛めないよう言ったのも、皆が仲良しの方が楽しいだろうという自分の気持ちに従ったためで、ハリーの待遇はその結果に過ぎない。

 それでも、ハリーはアリィに恩を感じている。

 そのくらいの自覚はある。

 そしてハリーは少なからずアリィに依存している部分があった。

 

「それじゃダメなんだよね。持ちつ持たれつと依存は違うから」

 

 なまじ人見知りも無くズカズカと人の心に押し入る自分とばかり一緒にいれば、ハリーの積極性やコミュニケーション能力は失われる。

 ダーズリー家では積極的になれず自然と受け身な体勢に成らざるを得なかったが、今後を考えるとそれではダメ。例え無自覚でも人に頼り切りでは人間としての成長が損なわれる。

 世間にはアリィの兄貴分として認知されているハリーだが、アリィの考えていることは違う。実はこの少年、自分の方が誕生日が早いので俺の方が兄貴だという、自称も甚だしい考えを持っているのだ。

 

「いつも楽しいことを提供してくれるお礼に、兄としてしっかりと面倒を見ないと……どしたの?」

「「いや、色々と考えていたのが凄く意外で……」」

「失敬な」

 

 わざとらしく涙を拭うジェスチャーを見せる双子とは違い、意外と涙脆かったリーはハンカチを片手にマジ泣き。その姿に三人は若干引く。

 しばらくして凝視されていることに気づき、どうしようもなく恥ずかしくなったリーは今の空気を消し去るため、右手に持っていたブツを掲げて叫んだ。

 

「でも凄っげぇなマグルの道具って!」

 

 リーが持っている道具のボディが自己主張するかのように黒く光る。それはベレッタM92F――に似せて作られたタバスコエアガン。勿論改造済み。

 コンパートメントの簡易テーブルにはフラッシュバンに改造エアガン、刃の飛び出すギミック付のナイフなど、端から見ればテロリストの集会場と怪しまれかねない、一見してマグル生まれが卒倒しそうな光景が繰り広げられていた。

 もちろん携帯ゲーム機やカードゲームなど、遊び道具もあることをここに明記しておく。ただの物騒な子供ではないのだ。

 

「ホント、ホント。魔法も使わずに良くこんなの作れるよな」

「バートランド・ブリッジスとタメ張れるレベルだぜこりゃ」

 

 リーに便乗して双子もそれぞれマグルの道具を褒めちぎる。曰く、マグルの技術者は例外無く天才だと。

 

「へぇー、ハグリットが言った通り爺ちゃんって有名なのか」

「「そうそう、アリィの爺ちゃんは凄い! …………は?」」

 

 双子やリーの手からカードの束が零れ落ちる。遠い日本が発祥の地である世界的に有名なカードゲーム。そのレアカードの束が床に落ちてムンクの叫びのような表情を取るアリィを尻目に――、

 

『はぁあああああああっ!?』

 

 汽車中に伝わるような大絶叫が巻き起こった。

 

 

 

 大変混乱しています。しばらくお待ちください

 

 

 

 数分後。

 

「おいおいおいおいおい、あのバートランド・ブリッジスが爺ちゃんとかマジかよ!?」

「現存する悪戯グッズの半分以上を設計し、他にも沢山の魔法具を生み出した鬼才がアリィの爺ちゃん!?」

「お前ってグリフィンドールだろ!?」

 

 ――いくら経っても興奮は収まらなかった。

 

「なんかそれ、仕事名なんだって。本名はデイモン・グリフィンドール」

 

 どんだけ神聖視しているんだと珍しくツッコミを入れたくなるのと同時に、こんなにも尊敬されている曾祖父が誇らしい。自分の知らない一面を知れて嬉しいと思う。

 例えバートランド・ブリッジスが魔法界で賛否両論の評価を受けていようとも、アリィにとっては自慢の家族だ。

 

「じゃあ何か。もしかしてアリィの家には師匠――頭に『心の』が付くが――の仕事場があったりなんかして?」

 

 ジョージが恐る恐るという風に緊張と興奮で震える口を動かして、やっとのことで問いかける。その発言に騒いでいた二人もピタリと動くのを止めた。

 

「あるっちゃあるけど魔法関係は特に何も――」

『見てぇ! 超見てぇええええっ!』

 

 この日一番の大絶叫が狭い個室に轟いた。

 それは感覚的には改造フラッシュバンにも引けを取らない音量で、周囲のコンパートメントを陣取っていた学生が何事かと覗き込むほどだった。まあ、発生源が有名な悪戯トリオと判明して直ぐに戻っていったが。

 

「じゃあ来年の夏休みにでも来れば良いよ」

 

 作業場には何度も入ったことがあるし、魔法使いだと判明して直ぐに何か魔法的なナニカが無いかと探索もした。

 しかし期待通りのモノは見付からず仕舞い。そこでアリィは三人に捜索班として白羽の矢を立てる。

 もう何年も、下手をしたら生まれた時から魔法文化に漬かっている彼等なら、自分では見付けられない痕跡に気付けるかもしれないと思ったからだ。

 

「おっしゃ! 約束だぞアリィ!」

「やべぇ、マジやっべぇ!」

「今から滾ってきたぁああっ!」

 

 彼等の感激ボルテージは最高潮に達する。そして三人とアリィは示し合わせたかのように、

 

「「アリィ! 俺達はもう兄弟だ!」

「ヨロシク親友!」

「おお、心の友よ!」

 

 四人でがっちりと握手を交わし、ここに悪戯同盟を結成する。生徒にとっては娯楽の配布人。教師にとっては頭痛の種。

 これがホグワーツで長い間語り草になる悪戯同盟誕生の歴史的瞬間だった。正直、碌なもんじゃない。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 同盟結成祝いとして事前に購入しておいたかぼちゃジュースで義兄弟の契りを交わしたアリィは現在、第一車両から末尾に掛けて汽車内を闊歩していた。

 三人からはゴブストーンという空中おはじきの遊びに誘われていたが丁重にお断りし、汽車の探検に時間を割いている。

 それはというのも、あと数時間でこの汽車とはお別れ。クリスマスにプリベット通りに帰るつもりはないので、この汽車に次乗るのは季節が一巡りしてから。なら今の内に心置きなく探検するっきゃない。そう結論を出したからだ。

 そして乗客である生徒達に『子供が何故ここに?』という疑問を抱かせ、探検を終えたアリィが辿り着いた所は、

 

「交流を深めに来たぞ兄弟!」

「……なんだかいつにも増してハイテンションなのが怖いよアリィ」

 

 何かを悟ったかのように心の中で十字を切るハリーと、突然の登場にビクッと驚きを表すロンのいるコンパートメント。

 咎める人がいないにしても、当然のようにハリーの横に座って蛙チョコレートの包みを取るふてぶてしさは流石の一言に尽きる。それでも自然と受け入れられるのはアリィの持つカリスマ性が原因だろう。

 

「いやー、ロン。随分と良い兄弟を持ったね。あんな面白い双子は早々いないよ、うん」

「あー……アリィ、だっけ? 君、フレッドやジョージと話が合ったの?」

「もちろん。お互い実力を認め合った同志(とも)だよ同志(とも)」

 

 既に発明品を見せ合ってお互いの実力は確認済み。実力を知り、コイツなら相棒に相応しいという信頼関係が生まれているからこそ、彼等は手を組んだのだ。

 その時アリィは『……アリィと話が合う、だとッ!?』と要注意人物にカテゴライズされた双子に戦々恐々とし始める親友の心境に気付かない。ロンはロンでアリィのことを『混ぜるな危険』とラベルが貼られている薬品を見るかのような視線を送っているのだが、まだ付き合いの浅い二人が視線の意味に気付くこともなかった。当然と言えば当然だ。

 こうして無邪気に菓子を頬張る子供と苦労人のシンパシーを感じ合って意気投合している少年二人、という図がコンパートメント内に生まれる。

 その構図が破られることになるのは、それから数十分後の日も沈みかけた時間帯だった。

 

「誰かヒキガエルを見なかった? ネビルの――」

「おお、ハーさん久しぶり」

 

 突如現れたのは一人の少女。栗色のフサフサなロングヘアをたっぷりと背中に流す彼女は、アリィを見て目を見開いた。

 

「アリィ!? 貴方、本当に新入生だったのねっ!?」

 

 アリィが彼女――ハーマイオニー・グレンジャーと知り合ったのは漏れ鍋滞在の最終日。その頃には既にダイアゴン横丁で知らない人はいないほどの有名人になっていたアリィが親切心から横丁を案内したマグル出身の少女。それがハーマイオニーだ。

 

「アリィ、彼女と知り合い?」

「ダイアゴン横丁で知り合った。ほら、渡したお土産あったでしょ? アレを買った日に会ったんだよ」

 

 一ヶ月前を思い出して遠い目をするアリィを視界から削除し、ハリーは勝手にロンの隣へ座った彼女と向き合った。

 

「アリィが何か迷惑を掛けなかった?」

「…………………………大丈夫よ」

 

 アリィと知り合ったホグワーツの生徒で彼女はまだ幸運な部類に入る。

 何故なら彼女にはアリィと行動を共にするかの選択肢があったのだから。どこぞのイケメンなハッフルパフ生みたく巻き込まれた結果でないだけマシというもの。

 そして彼女は本来の目的も忘れ、自己紹介を終えてもこの場に留まり続けた。今はハリーのことが沢山の本に載っていたと説明し、あんまし目立ちたくないハリーを真っ白に燃え尽かせたところだ。

 そんな彼の傷に塩を擦り込むかのような追い討ちをかけるのは、やっぱりこの少年である。

 

「ああ、出てた出てた。アレだね、多分ハリーのエッセイ書いたらベストセラーになるよ。……ハリー、頑張ってみるよ俺」

「残念な方に頑張るベクトル向けちゃってるっ!?」

 

 もうハリーのライフポイントはマイナスゲージに突入していた。

 

「それじゃあ三人とも、ホグワーツで会いましょう」

 

 次の話題として上がった学生寮について語ったハーマイオニーはヒキガエル探しに戻っていく。

 急に現れて颯爽と去るなんて台風みたいな少女だったと思うアリィ以外の面々だけれど、話題を提供していったので話す価値はあったのだろう。

 

「僕の一族は皆グリフィンドールなんだ。他だったら何て言われるか……まあ、スリザリンなんかに入らなきゃ大丈夫だと思うけど」

「学生寮か……俺はどこの寮だろ」

 

 ウィーズリー家の男子と生き残った男の子は、何を言ってるんだという視線を発言者に向けた。

 

「何言ってんだよ。君がグリフィンドールじゃなかったら、一体全体僕達は何を基準に予測したら良いんだ?」

 

 四つある学生寮の内どこに入るかは、個人の性格や人柄が基準となる。しかし血筋というのも重要なファクターであるのは事実であり、そのくらいの情報は『ホグワーツの歴史』を流し読みしたアリィも知っていた。

 

「分かんないよ? 血統が全てではないって本にもあったし」

「そんなはずあるもんか! 確かにアリィの言う事も尤もだけど、君は絶対にグリフィンドールだ!」

「おし! じゃあ賭けよう。俺がグリフィンドールじゃ無かったら、俺の命令一つに絶対服従!」

「乗った! 君がグリフィンドールだったら、僕の命令一つに絶対服従だ!」

 

 僅か十秒で成立してしまった勝負事。普通なら九割九分以上の確率でロンに分がある。十人に訊いても全員がロンと同じ方に賭ける。しかし、これが百人を巻き込んだものであり、尚且つその中にアリィの親友がいたのなら、彼等はアリィと同じ方に賭けたに違いない。

 現にハリーはロンに対し哀れみを感じている。

 

(分かってない……アリィを全然分かってないよ、ロン……)

 

 仕方が無いとは言え、ロンは無知ゆえに愚行を犯してしまう。

 このトラブルメーカーがすんなりとテンプレに従うはずがあるだろうか。いや、無い。

 フラグが立ってしまい、一波乱あるだろう数時間後の未来に同情する。

 日本文化のゲームを嗜む親友が近くに居たため、意外と『フラグ』という言葉の意味を正確に理解し、使いこなす技術を持っているハリーは、思考が微妙に『アリィ色』に染まっていることに、まだ気付いていない。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 アリィがトイレで席を外している時に事件は発生した。戻る途中で聞こえてきた怒声と、コンパートメント前でたむろしている集団がいれば、何かあっただろうことは容易に想像出来る。

 どんな事態になっているかは判断付かない。けれど楽しいことなら良いなという自分勝手な理想を抱き、颯爽と現場に近寄った。

 

「――僕達、自分の食べ物は全部食べてしまったんだ。でも、ここにはまだ沢山ある」

「よし、なら君にはこれを授けよう。同じ時に制服を寸法したよしみだ」

 

 近付くにつれ、ハリー達に絡んでいたのが洋装店でハリーと話していた少年だと分かるや否や、アリィはバックの中から自家製クッキーを取り出して色白の少年――ドラコ・マルフォイに手渡す。イギリスでは一般的なショートブレッドではなく、他国でよく食されるようなココアベースのシナモンクッキー。見るだけで完璧な焼き上がりだと断言出来る特性クッキーを前に、純血家系の坊ちゃんはゴクリッと喉を鳴らした。舌の肥えている金持ちに見た目だけで合格点を出させるアリィ。侮りがたし。

 

「フンッ。行くぞ、クラッブ、ゴイル」

 

 しっかりとクッキーの入った包みを受け取り、取り巻きを連れてマルフォイは立ち去る。幼い料理人の『ニヤリ』という不敵な笑みに気付かずに。

 

(また何か企んでるよ)

 

 そんな料理人の親友は、やっぱり鋭かった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 小さなプラットホームに降り立ち、小道を抜け、湖に辿り着く。

 その一連の流れにすら未知への期待から楽しみを見出し、小船で湖の向かいに存在する崖下へ向い、隠された船着場に降り立つ。この崖下から地上に聳え立つ壮大な城が、少年少女に栄光ある未来を与える魔法学校――ホグワーツだ。

 

「ハリー、ちょっとトイレ行って――」

「そう言って探検するつもりでしょ!? 大人しくしててっ!」

 

 自分の欲望に忠実な者ほど行動は予測されるもの。小声なのに怒鳴るという器用な技を見せられてアリィが肩を竦める。

 歓迎会の準備が進められているホールに入る寸前、厳しそうな印象を受ける女教授に小部屋で待機を言い渡され、好奇心旺盛な彼はとても暇なのだ。しかも先程、沢山のゴーストが小部屋を横切ったのを目撃したため、彼の関心はこれから始まる寮の組み分け儀式よりも怪奇現象の体現者達へ向けられている。面白そうな興味対象(ネタ)を前にして、蛇の生殺し状態。

 

「準備が整いました。これより組み分けの儀式を開始します」

 

 これ以上遅れるようなら暴れてやると言わんばかりの形相でウズウズしているアリィの手綱を握っている者は、現れた人物に感謝の眼差しを向ける。ホグワーツの副校長であるミネルバ・マクゴナガルに告げられ、新入生達は列になってホールに入った。

 

 

 

 そこには魔法学校の名に相応しい光景が広がっていた。

 魔法で映し出された星空の天井に、宙に浮く沢山の蝋燭。四つある長テーブルには何十人もの生徒が座り、緊張と興奮で十人十色な顔をしている新入生を一目見ようと首を伸ばす。その新人魔法使いが進む先には一つの椅子と帽子。そして教員達が席に座り、彼等を待ち受けている。

 新入生が並び終えるのを見計らったのか、椅子に置かれた三角帽子が活動を始める。草臥れた組み分け帽子の口から紡がれるのは独特のメロディーで奏でられる不思議な歌。四つの寮と組み分けの方法を示唆された歌を聴き、戦闘やら筆記テストやらで学生寮を決めると教えられていた面々は、漸くそれらがデマ情報であることに気付かされる。

 ただ帽子を被れば良い。それだけで帽子は最適の寮を選んでくれる。

 

(俺はどこになるのかなー)

 

 勇気と騎士道精神に溢れる者はグリフィンドール。

 優しくて忍耐強い努力家はハッフルパフ。

 機知と叡智に優れた学習意欲の高い勤勉家はレイブンクロー。

 目的を遂げるためなら狡猾さすらも利用する自分主義者はスリザリン。

 

 寮の選定理由を要約するならこの通り。グリフィンドールという血筋のこともあり、意外と全ての寮に適正があるアリィ。どこの寮に入るかは帽子のみが知っている。

 

「ロン、約束忘れないでよ」

「アリィには悪いけど僕の勝ちだ」

 

 マクゴナガルに名前を呼ばれ、次々と組み分けが開始される中で火花を散らす。そしてシェーマス・フィネガンの寮が決まり、ついに。

 

「グリフィンドール・アルフィー!」

 

 アリィの名前が高らかに宣言された。

 途端、騒がしかったホールは通夜のように静まり返る。テーブルの端にいる者の息遣いすら聞こえてきそうな、耳が痛くなるような静寂。人混みを分けて椅子まで辿り着いた者を見て、観客達は驚かされた。その有名すぎる家名ではなく、入学年齢に適していなさそうな外見を見て。

 

「……汽車内を歩いていたあの子か?」

「おい、今グリフィンドールって言ったか?」

「私、見送りの子供が間違えて乗り込んじゃったのかと思ったわ」

「ショタにもほどがあるわ……ごちそうさまです」

 

 囁きは波のように伝播し、中にはトテトテという擬音が聞こえてきそうな走り姿に父・母性本能を刺激される者もいたが、それは全体の二割。

 そして教師陣ですら僅かに腰を浮かせてアリィを見ようとし、半月形の眼鏡をかけた老人は、慈しみの表情で幼い新入生に微笑んでいた。

 

 皆に見守られながら着席するアリィ。そして一言、

 

「マクゴナガル教授! この儀式が終わったらこの帽子を分解させて!」

 

 

 大広間は別の意味で沈黙した。

 

 

「…………ミスター・グリフィンドール。今は組み分けの儀式中です。それに、そんな許可は未来永劫出しません」

「裁縫得意だし、ちゃんと元に――」

「早く被りなさいッ!」

 

 ホール全体に響き渡るように一喝し、無理矢理アリィの頭に帽子を乗っけた女教授は『悪夢だわ』とでも言いたげにフルフルと頭を振る。

 生徒や他の教師陣はいきなりの発言に唖然とした。例外は爆笑するのを堪えている同盟を結んだ三人と、彼の性格を偶然知ることになってしまった知人達に、微笑の表情を崩さない校長先生のみ。……いや、唖然とするよりも親友の奇行に頭を抱える者がいた。誰がとは言わないが。

 

 《ふむ、あの御方の血を引く者にまた出逢えるとは、嬉しいものだ……》

 

 ぶかぶかの帽子を被らされたアリィの頭に声が響く。それは老人のもので、ボロボロの帽子の姿には良く合う枯れ声。

 

 《ある意味勇気に満ち溢れ、純粋且つ心優しく、充分な機知と叡智を併せ持つ。そして自らの欲望を満たすためなら努力を惜しまず、策略を張り巡らす狡猾さ。さて、貴方をどこに入れたら良いのやら……》

 《ねえねえ、それってつまり、俺ならどの寮でも充分やっていけるってこと?》

 《簡潔に言えばそうなる》

 

 頭の中での会話は続く。組み分けをする必要も無い。直ぐに決まるだろうと思っていた観客は、予想以上に長い組み分けにだんだんと騒がしさを取り戻していった。

 

 《じゃあさ、ちょっと行きたいところがあるんだけど? ほら、この学校を創った偉いご先祖様の血を引く俺のお願い、訊いてくれない?》

 《ふーむ……本当に良いのかね?》

 

 言わずとも察し、更に声色から肯定の兆しが見え、帽子に隠れたアリィの口許が面白そうに弧を描く。

 後悔は無い。今までの自分の選択で後悔なんてしたことがない。どんな選択でもそれが最善だと信じ、突き進んでこそのアルフィー・グリフィンドールだ。

 

 《元々貴方には私の製作者とは違う、高貴な御方の血も流れている。素質も充分。なら……貴方の未来を拓くには、こちらの方が良いのかもしれない》

 《サンキュー、グッジョブ帽子! お礼に今度メンテナスしてやるよ! アップリケは何が良い!?》

 《………………謹んで、ご遠慮させてもらおう》

 

 人間だったら冷や汗を掻いている組み分け帽子は、脳内でのコネ要望を認め、高らかに叫ぶ。

 

 

 

 

「――――スリザリンッ!」

 

 

 

 

 

『……………………はぁああああああああああっ!?』

 

 

 

 穴熊寮や鷲寮だけでなく、犬猿の仲である獅子寮と蛇寮までもが心を一つにしたときが、ホグワーツ一千年の歴史の中で今迄何度あっただろうか――いや、きっと無いに違いない。

 予想外過ぎて目玉が飛び出そうなほど驚いている面々の中で、少年と校長のみが満面の笑みを浮かべていた。

 

 



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第四話

 あの前代未聞の組み分けから早くて一週間。

 グリフィンドールの血を引く癖に、かのご先祖とは犬猿の仲で知られるスリザリンに入寮したアルフィー・グリフィンドールは、ハリー・ポッターと同等の興味対象となって生徒達に受け入れられた。

 幼く、可愛らしい外見に、裏表の無い純粋な性格。全身で笑い、全身で喜び、全身で悲しむ、その台風のように騒がしくも、見る者の心を癒す一挙一動までもが受け入れられるのに、そう時間は掛からなかった。

 但し、彼が入寮したスリザリンは少し違う。仲間意識が強い彼等の中で芽生えたのは、ちょっとした嫌悪だった。

 グリフィンドールの寮生を嫌っている彼等にとって、はっきり言えばアリィは異物。数日間、彼はスリザリン内で村八分――とはいかないものの、それに近い待遇を受けることとなる。……まあ、たった数日間。ルームメイトにいたっては、その日の内に仲が良くなった訳だが。

 

 これは、アリィの過ごした怒涛の一週間と、それに伴う被害者達の生活を記録したものである。

 

 

 エピソード1 ルームメイト

 

 スリザリン寮はホグワーツの地下深くに作られ、入り組んだ迷路のような廊下を進み、湿った壁の一部に入り口が存在した。合言葉を言うことで隠された扉がぽっかりと口を開け、地下室型の談話室が現れる。

 シンボルカラーである緑の炎は目に優しく淡い色。天井から釣り下がるランプに灯った灯りは談話室を明るく照らす。

 意匠を凝らされたデザインの椅子やテーブルが乱雑に置かれ、暖炉からパチパチッと薪が爆ぜる音が聞こえる中、新入生達はそれぞれに宛がわれた寮部屋に移動した。

 そこは広さが二十畳近いワンルーム。人数分のベッドにテーブル、そしてクローゼットや共通の本棚などが設置されている。もっと家具が欲しければ自力で揃えろということだろう。

 

「いやー、ルームメイトが知り合いで良かった。これから七年ヨロシクね」

 

 運よく三・四人部屋ではなくツインルームを宛がわれたアリィは、ベッドに勢い良くダイブしてから戸口に突っ立ったままの少年を見る。

 金髪のオールバックに青白い肌が特徴的な、あのドラコ・マルフォイが疑うような目付きでルームメイトを睨みつけている。

 

「…………君は本当にグリフィンドールなのかい?」

 

 疑うのも無理は無い。というより、まともな人でも普通はアリィの出生を疑う。どこの世界にグリフィンドールの血縁が、敵対する相手の寮に入ると言うのだ。

 

「ホント、ホント。とりあえず俺はアリィで良いから。……あっ! ベッドは俺がこっちで良い?」

「フンッ、勝手にしたまえ」

 

 友好性皆無な返答。『こんな奴と同部屋なんて最悪だ』と顔で物語っているドラコはベッドに向った。

 

「ねえねえ、ドラコって純血の家系でしょ?」

「当然だっ! 君はそんなことも知らないのか!?」

 

 極力無視を決め込む気だったドラコも、自家のことを訊かれてつい反応してしまう。今思えば、この時からドラコは、アリィの無自覚な篭絡作戦にまんまと嵌っていたのだ。

 

「本で読んだからそんくらい知ってるよ。それよりもドラコの家のことを教えて。純血の家って興味あるんだ。マルフォイ家は古来から続く由緒正しい純血一族なんでしょ?」

 

 誇りを持っている実家について語ってくれと言われ、嫌だねと断わるドラコではない。

 アリィに対する不信・不快感は一時忘れ、彼は雄弁に語り出す。一時間以上にも及ぶ家族自慢に普通は辟易するだろう。しかしアリィはずっとドラコの話を聴き続けた。

 無理はしていない。本当に興味があったからこそ、アリィは楽しみながら傾聴している。

 茶請けとして出した自家製スコーンとラズベリージャムに、アリィの淹れた至高の紅茶の力もあって、気持ちを良くしたドラコはより饒舌になる。

 話は次第にマルフォイ家から純血主義やマグル排斥思想にまで発展した。

 ここまで、ドラコが語り始めて実に二時間が経過している。

 

「なるほど。まあ、魔女狩りとかの弾圧時代があったし、魔法使いがマグルを敵視もとい危険視するのは仕方が無いか」

「ほう?」

 

 カップを傾けていたドラコの片眉が興味ありげに跳ね上がる。

 純血至上主義やマグル差別に意外と理解を示したアリィに、ドラコはやっと好意的な態度を示した。

 何だかんだ言ってスリザリンに入る素質を見出され、純血家系に興味があり、なおかつマグルを差別することもアリと認める姿勢。一応、尊い血を受け継ぐ由緒正しい血統。……そしてなにより直ぐに専属菓子職人として実家にスカウトしたい程の料理の腕を持つ。

 なるほど、グリフィンドールの血族という点にさえ目を瞑れば、ドラコが態度を改めるきっかけは十分過ぎるほどだ。

 それに話を笑顔で聴いていた姿には好感が持てた。あまりにも無邪気な姿に毒気を抜かれたという理由もあるが。

 とにかく『これからスリザリン生に相応しいよう、僕が教育すれば良いか』と内心で計画し、ちょっとは面倒を見てやろうかと心変わりするくらい、ドラコはアリィを仲間として受け入れる気でいる。

 その点、アリィは、

 

(やっぱり生の声って大事だ。論文や文献だけじゃ人の心まで解らない)

 

 そう、やはり自分の知識欲に従っただけであった。

 アリィが穴熊寮や鷲寮を選ばなかった理由の一つがコレだ。同族意識が高く、また同胞以外への差別主義者が多く集まる傾向にあるこの寮で、魔法使いの抱く負の感情と言うべき排斥思想と純血主義具合を知り尽くし、研究する。

 虎穴に入らずんば虎子を得ずという格言がある通り、実際に彼らの仲間に加わらなければ期待通りの成果を上げるのは難しい。

 スリザリンは他の寮とは敵対気味かつ寮生以外を見下す傾向があるため、友好的な会話をしたいと願うなら、寮生になるのが一番てっとり早いのだ。

 まだ他にも理由があるが、そういった普段は知ることの出来ない負の面を知りたいがために、アリィは自分の寮をスリザリンに決めた。

 

 ちなみにアリィはマグル差別に関して『まあ、辛い過去があるし、仲良くするのは心情的に難しいところがあるよねー』と、理解は示すも、自分がそうしようとは微塵も思っていない。

 純血主義に関しても『他人の考えを否定する資格は無いし』といった感じで、これまた興味があったから訊ねただけ。

 以上のことから、アリィがスリザリン生の模範となる日は一生涯訪れないだろう。教育計画を立てるドラコの企みは、徒労と化すに違いない。

 

 脳内で教育計画を立てていたドラコは、軽く欠伸を溢した。気づけばもう時刻は深夜近かった。

 

「明日も早い。僕はそろそろ寝ることにする。また聴きたかったら明日にしてくれ」

「りょーかい。俺も荷物を整理すんのは明日で良いや。……あっ! 忘れてた」

 

 寝巻きに着替え、ランプの火を消し、布団に潜ったアリィは急に飛び起きる。手を伸ばしたのはトランクではなく、ベッド横に備え付けられた小テーブルに乗っけられたバック。

 その中から取り出したのは、敬愛する偉大な日本会社が生み出した技術の結晶。世界中にユーザーを持つ、画面が二つあってタッチペンも付属するあのゲーム機だ。

 

「やばいやばい。日付が変わる前に今日の分のハートの鱗をお姉さんから貰わないと」

 

 ゲーム機を起動させようとするアリィに――正確に言えばアリィではなく、手に持つ機械に向けて。ドラコは侮蔑の眼差しを送る。

 

「言っておくが、マグルの使う低俗な道具はホグワーツ内で使えないぞ」

「………………なん……だとッ!?」

 

 脳がドラコの発言を理解するまでに掛かった時間。およそ十秒。

 

「事実だ」

「嘘だッ!」

「事実だと言っているだろうっ!?」

 

『ホグワーツの歴史』を読んだには読んだが、他にも読みたい本が膨大にあったため、大した興味の持てなかった学校の歴史は大雑把にしか内容を把握しておらず、隅々まで読破していなかったアリィ。

 そんな彼はベッドの上で両手両膝を着いて落ち込んでいる。

 しかし、ただで敗北を認めるような軟い心は持っていない。ゲーム好きにとっての最大の壁をぶち壊すために、アルフィー・グリフィンドールは思考の海にどっぷりと潜っていった。

 

 

 

 エピソード2 双子と朝食

 

 学校生活最初の夜が明けた。

 高貴な一族の身として規則正しい生活リズムを心掛けるドラコの朝は早い。ということはつまり同室のアリィも起きることを余儀無くされるという訳で。

 早速スリザリン教育の一貫として叩き起こされたアリィは、文句タラタラに子分二人と合流する。食堂へ向ったアリィを待ち受けていたのは、沢山の好奇な眼差しだ。

 それは珍獣を見る目。それは本性を暴こうとする目。そしてマスコットを愛でるような目。5:3:2の割合――3はスリザリン生のみだが、とにかく無数の視線が注がれる。

 あの生き残った男の子がいないため、より多くの視線を彼は集めた。

 まあ、当の本人は全く持って気にしていないが。というより気付いてすらいない。

 

「えーっと……あ、いたいた。ドラコ、俺ちょっと双子のとこに行ってくる」

「ちょっと待つんだ。その双子はグリフィンドールじゃないだろうな?」

 

 双子で当てはまるのはパチル姉妹とウィーズリー兄弟。うち三人はグリフィンドールなためドラコはアリィの肩を掴む。

 何故誇り高きスリザリン生が、わざわざグリフィンドールを訊ねなくてはならないのか。教育係(自称)として、そこだけは容認することが出来ない。

 

 子分二人に肩をホールドされたアリィは、柔らかそうな頬を膨らませて不満を露にする。

 

「じゃあドラコ、厨房の位置って知ってる?」

「厨房?」

 

 予想外な発言にドラコだけでなく、彼の取り巻きである巨漢二人、クラッブとゴイルも揃って首を傾げた。

 

「厨房に行けなきゃ菓子が作れないよ。それに俺、フレッド達と作りたいものが沢山あるから打ち合わせしないといけないし」

『なッ!?』

 

 その顔はまるで雷を浴びたかのような表情だった。

 あの菓子を食べられないのは今後の寮生活でかなりの痛手。特に汽車内でドラコのお零れに与った二人はこの世の終わりだと嘆いている。

 厨房の位置ならわざわざ双子に問うことも無いが、アリィの『彼等と作りたいもの』発言を料理関係と勘違いしたドラコに、もう接触を止めることは出来ない。

 

「な、なら仕方が無いなっ、今回ばかりは目を瞑ってやろう」

 

 基本的に料理は食べ放題のバイキング形式。食べる場所は各寮のテーブルが暗黙の了解となっている。しかし、あくまで暗黙。暗黙ということは別に守る義務は無い。

 例え校則で決まっていたとしても別寮のテーブルへ遊びに行くだろうアリィの行動は、凄く自然体で違和感が無い。組み分け帽子解体発言で『突拍子も無い行動と発言をとる奴』と全員に認知された所為で、違和感が仕事をしないのかもしれないが。

 

「そこの双子っ! オッス!」

「「お、来たな注目の的。おはよーさん」」

 

 基本的にスリザリンとグリフィンドールの間には創設者達のように見えない亀裂がある。二つの寮生は敵対関係にあった。

 しかし、そんなことを微塵も気にしていないのは彼等の会話から察せられる。悪戯同盟に寮の違いは関係無い。

 それでも双子が同じ寮に入れなかったことを残念がっているのは会話の節々から感じられた。

 

「ねえ、厨房ってどこにあるか知らない? あと『反転草』ってどこで手に入る?」

 

 双子に挟まれて朝食を摂るアリィの前は沢山の料理で埋め尽くされている。それはというのも周囲のグリフィンドール生がオカズのお裾分けをしていった結果、こうして食べきれるかどうか分からない量になった訳だ。

 双子の友人とだけあって、憎むべきスリザリン生ではなく珍獣のように観察して愛でる相手、というのが大体の生徒の共通認識となっていた。

 

「地下廊下に絵画があって、そこの梨を擽ると厨房に入れるぜ」

「そしてアリィご所望のブツなら少しだけストックがあるぞ」

 

 希望通り以上の返答が返り、アリィも溢れんばかりの笑顔を振り撒く。見る者を魅了し、ほのぼのとした気持ちにさせるアリィの笑顔。

 一部では天使のようだと呼ばれ始めているアリィが、実は悪戯好きの小悪魔で愉快主義者の化身だと判明。愛すべきマスコットからトラブルを引き起こす天災少年にジョブチェンジを果たすのは、もうしばらく先のことである。

 その時に何人の生徒の幻想が崩れ、厳しい現実を直視することになるのやら。

 

「サンキュー! じゃあ今度そっちの寮まで差し入れに行くから、さっきの薬草はそん時に少し譲ってね!」

 

 ドラコ達が食べ終わるタイミングを見計らって席を立つ。ちなみに先程の朝食は全て完食。料理人として、料理を残す食への冒涜は犯さない。

 

「「……俺達の寮に差し入れ?」」

 

 別の寮生がどうやって……。そうは思うも、何だかアリィならいつの間にか自室に侵入していても可笑しくないと思えてしまうのがアリィクオリティだ。

 

 

 

 エピソード3 変身術での出来事

 

 アリィの実力が明るみに成り、徐々に頭角を現し始めたのはこの時からだろう。これまでの授業は全て座学だったため実技はコレが初めてであり、だから教師陣やスリザリン生は知らなかった。

 アリィの特異性と、その我が道を行く性分を。

 

「……ミスター・グリフィンドール。それは何なのですか?」

「え? ちゃんとマッチ棒を針に変身させたけど?」

 

 担当教師であるマクゴナガルの頬が痙攣している。

 変身術の今日の課題はマッチ棒を針に変えること。授業が始まって大分経つが未だに成功者はゼロだった。

 隣のドラコはマッチ棒を銀色に変化させることしか出来ず、真後ろの取り巻きコンビに至っては対象が変化してすらいない。

 その点、アリィの前には沢山の針が並んでいた。

 

「これは遠い異国でジャパニーズニンジャが使っていた『千本』っていう針で、戦闘や医療にも使える便利なやつ。こっちはアレ、暗殺一家の長男が変身用に使う針。こっちは――」

 

 串のように長く、太い針。ビー玉に針が付いたかのような独特の形をした針。大小異形の様々な針がアリィの前で鋭く光る。

 支給されたマッチ棒一箱分を全て針に変えたのに、通常の針が一本も見られないのは如何なものか。

 厳しい先生として知られるマクゴナガル教授の前で堂々と趣味に走るとは、流石は日本漫画贔屓。ファンの鏡だ。

 伊達に寮部屋の本棚を日本漫画で埋め尽くしていない。ちなみにマグル界の本を並べる際にドラコと一悶着あったのだが、それは別の話である。

 

 漫画文化の布教活動の一環として嬉々としながら針の説明を始めるアリィに、マクゴナガルの精神はガリガリ削れていった。

 

「…………動機や経緯は何であれ、きちんと針に変身させていますね」

 

 形状や変身術に対する心掛けには頭を悩ませる要素が満載。けれども非の打ち所の無い完璧な変身術に、マクゴナガルは凄く無理矢理お褒めの言葉を絞り出す。

 先程の先生の言葉は人に聞かせるというより、自分に言い聞かせ、納得させるかの様で。

 苦渋に満ちた表情には、スリザリン生全員が一種の同情と哀れみを感じたという。

 

「…………スリザリンには十点を与えます」

 

 ホグワーツで教鞭を振るって数十年。こんな複雑な心境で相手を褒めることは初めての経験に違いない。

 

 余談だが、続くグリフィンドールの授業ではハーマイオニーが見本通りにマッチ棒を変身させ、先生が心の中で安堵のあまり感涙しそうになったとかならなかったとか。

 教師陣営の初めての犠牲者は、この副校長先生だったのかもしれない。

 

 

 

 エピソード4 垣間見る天才性

 

 アルフィー・グリフィンドールがどういう人物なのか。それを正しく生徒達が理解したのは金曜日の授業。スリザリンとグリフィンドールの生徒が合同で行う魔法薬学だろう。

 記念すべき初授業。

 さながら理科室を思わせる地下牢で行われていたのは講義ではなく、ただの生徒いびり。槍玉に挙げられたのはグリフィンドールの生徒である、ハリー・ポッターだった。

 

「どうやら有名というだけで何も知らないようだ。教えてやろう、ポッター」

 

 質問に答えられなかった無知さを、担当教授であるセブルス・スネイプがなじる。ある諸事情からハリーを憎んでいるスネイプにとって、彼は好都合なほどターゲットにしやすい。

 

「アスフォデル――」

 

 正解を言おうと席を立ち、手を高く上げるハーマイオニーを無視してスネイプが語り始める――が、唐突に話すのを止め、あることに気付いた彼はゆっくりと顔をそちらに向ける。錆付いたロボットのようにギギギッという効果音が聞こえてきそうな、ゆっくりとした動作だった。

 先生の不可解な行動に生徒も釣られて視線を移せば、そこにいたのは座席の真ん中ら辺に座るスリザリン生。あの小さな身体は彼以外に存在しない。

 

「ミスター・グリフィンドール。君はいったい何をしているのかね?」

 

 こめかみをピクピク引き攣りながら、凄く自制した声をスネイプは捻り出す。その静かな怒りに生徒達の時が止まり、寮の違いも関係無く生徒達は恐怖で震え出す。

 それでも気付かない彼は大物過ぎた。

 

「えーっと、呪文はエンゴージオ? 杖の振り方は――」

 

 熱心にノートを取っているかと思えば、アリィはいつも持ち歩いている秘蔵のネタ帳に付属のシャーペンで何かをメモしていた。

 しかも開いている教科書は魔法薬学で使うものではなく、図書館で借りてきたらしい『呪文全集 下級~中級編まで』という分厚い本だった。

 

「おい、アリィっ!」

 

 いつもより顔を青くし、死人以下の顔色をしているドラコが肘で打つ。脇腹に強烈なものをくらい、漸くアリィは顔を上げた。

 涙目と射殺す程の冷たい視線が交錯する。

 

「どうやら君は、我輩の授業がお気に召さないようだ」

 

 口調は落ち着いている。落ち着き過ぎている。そしてスネイプの眼光は憤怒の炎で赤く燃え盛っているようだ。

 その眼光に晒されて隣のドラコは恐怖で竦み上がっているのに、それでもアリィは笑顔を崩さない。

 

「うん。つまんない。だってそれ、『魔法薬調合法』に載ってる調合例にあった上級魔法薬と、解毒の章にあった内容。それに『薬草ときのこ1000種』の薬草一覧に載ってた内容でしょ?」

 

 堂々と『つまらない』発言をしたアリィにも驚かされるが、ちゃんと聴いていたことにも驚かされる。

 親友の一大事に完全無視を決め込むほどアリィは鬼ではないのだ。そして、珍しく彼は怒ってもいる。

 スネイプの意図はしっかりと理解しているけど何もこんなやり方をする必要性は無いじゃないか、という文句があるからこそ、自然と突っ張った対応をしてしまったのだ。

 

「寮監は『長い時間をかけてこんなことを勉強するぞ』、『こういうのが魔法薬なんだぞ』って皆に教えたいんだろうけど、俺はもう知ってるし。実習ならやったことが無いから面白そうだけど、座学で知ってることを説明されるくらいなら、もっと別のことをやった方が有意義でしょ?」

 

 随分とスネイプの思惑を美化しているアリィに皆は心の中でツッコミを入れた。違う、これはただの生徒イジメなんだぞ、と。どこまでも純粋なアリィだ。

 

 そして蛇寮生とはいえ悪びれた素振りを見せない生徒に、スネイプは勝負を挑む。

 

「では訊ねるとしよう。アスフォデルの球根にニガヨモギを煎じたものを加えると何になる?」

「『生ける屍の水薬』って異名を持つ眠り薬。記述されているのは十八ページの十三行目から十五行目」

 

 まさかページと行数まで答えられるとは思わず、流石のスネイプも言葉を失う。手を上げていたハーマイオニーも素直に着席した。アリィの勤勉さに対抗意欲を滾らせているのは、おそらく見間違いではないのだろう。

 

「…………ベゾアール石を見つけるにはどこを探す?」

「山羊の胃。結構万能な解毒剤。解毒剤の章第五項その他の解毒剤の欄、二〇三ページの図一」

 

 今まで黙って二人のやり取りを静観していた生徒達が一斉に教科書を掴む。ページの捲る音が拡がる中、誰かの漏らした『……あってる』、『嘘でしょ?』という呟きは、生徒達の気持ちを代弁したものだった。

 

「………………モンクスフードとウルフスベーンの違いは?」

「両方とも同じ植物で、別名をアコナイトって言うトリカブトのこと。名前が複数あるのは地方によって呼び方が変わるから。これは『薬草ときのこ1000種』十五ページの一行目」

 

 ざわめきは驚愕と共に地下牢を満たす。

 ただの変わった学生が信じられないほどの天才だと知り、皆は動揺を隠せなかった。

 そして、それはスネイプも同じだ。

 だから彼は、アリィの知識を確かめる上で、ついついこんな質問もしてしまう。

 

「……………………ラクミルマを主材料とし、そこにハルツナとメノ――」

「あー! それってO・W・Lに出てくる『栄養補給薬』の調合法でしょ!? この教科書以外から出題するなんて先生ずっこいっ!」

 

 五学年で行われる普通魔法レベル試験――通称O・W・L(ふくろう)。

 まだ一年生、しかも今年の夏に魔法界入りを果たした一年生が網羅していて良い範囲ではない。

 これにはスネイプも認めざるを得ない。素行は最悪でも、それが許されるくらいの鬼才なのだと。

 

 しかし、だからといってこの授業態度を認めるつもりは毛頭無いのだが。

 

「…………深い知識があるのは認めるが、だからといって授業以外のことをして良い理由にはならない。スリザリンは五十点減点」

 

 あの身内贔屓で有名なスネイプ教授が自寮の点数を減点した。しかも一年生では体験したことが無いくらいの大量失点。生徒達に戦慄が走る。

 そしてスネイプは、悔しそうに唇を噛み締める。

 

「しかし、我輩の授業目的をただ一人正確に理解し、非凡な記憶力と魔法薬への知的好奇心の高さは……称賛に値するだろう」

 

 認めたくない。しかし、認めなくてはならない。教師側から見れば、アリィはただの問題児。だがホグワーツ始まって以来の神童かもしれないことを。

 

「スリザリンには五十一点を与える」

 

 超絶問題児の癖に最終的には点数を+にするのだから性質が悪い。

 この出来事を境に、アルフィー・グリフィンドールの名は天才の位置付けを不動のものとしたのだ。

 

 

 



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第五話

 エピソード5 スリザリン寮にて

 

 ホグワーツの一年生は授業カリキュラムの都合上、金曜 の午後は全て休校となっている。

 その休みの時間を利用され、あの破天荒なデビューを飾った魔法薬学の話は学校中に広まっていた。

 中には眉唾物として信じない生徒も多くいるだろう。けれども彼らは直ぐに現実を目の当たりにすることになった。

 例えそれが件の天才振りでなかろうとも、その規格外なやんちゃ振りを目撃するという意味でだが。

 

「クラッブ、ゴイル。アリィはどこに行った?」

 

 自室。談話室。大広間。

 本日最後の授業である魔法薬学が終わり次第、彼は突然と姿を消した。思い当たる所を探してもルームメイトの姿が見えず、談話室で菓子を貪っていた子分二人に訊くも、彼らも見ていないと言う。

 舌打ち混じりに悪態を吐き、ドラコは面白くなさそうにソファーにもたれ掛かった。

 

「まさかポッターのところではないだろうな」

 

 アリィがあの有名人と仲が良いという噂は最近よく耳にする。その真偽を確かめるためにこうしてわざわざ探しているのに、あの天災児はどこにいるのだろうか。

 夕食の時間も過ぎ、談話室にはかなりの生徒が集まり、寛ぎを求めて自由な時間を謳歌している。

 その中に彼はいない。しかし、その幸せタイムに旋風を巻き起こすのは、やはりこの暴風小僧だった。

 

「出来たぞドラコ&取り巻き二人ッ! これが俺の全力 だぁああっ!」

 

 壁がせり上がる独特の開閉音が響き、扉が開ききる前に談話室へ颯爽と飛び込んだ元行方不明者を皆が凝視する。

 まだアウェー感が抜けていない不穏な空気が部屋に漂うが、それも直ぐに霧散することになった。原因はアリィの周囲。そこにあった沢山のお菓子達の所為だ。

 涎が零れ落ちそうになる甘そうな糖蜜パイに、絶妙な焼き加減で黄金色に輝いているプレーンクッキー。

 バケツのような器に入った特性バニラアイスと、甘さと苦さを兼ね揃えるコーヒーゼリー。そして極めつけは親玉のようにアリィの背後を陣取る特大ケーキだ。

 それは高さ五十センチに及ぶ五段ケーキ。周囲をホワイトクリー ムで覆い、苺でデコレーションされたシンプル・イズ・ ベストの体言者。しかも苺のケーキだけでなく同タイプのチョコケーキまで用意しているのだから消費者のニー ズに応えている。

 まだ物体浮遊の魔法すら学んでいないのに、更に高度な物体移動の魔法で力作の数々が宙に浮かぶ姿は圧巻の一言に尽きた。

 

「……これを今まで作っていたのか?」

「双子に厨房の場所を教えてもらったからね。今まで ずっと篭ってた」

 

 この時、初めてドラコ達三人はウィーズリー家の者に感謝の言葉を送ったという。

 そして菓子の甘い匂いが漂えば、人が集まるのは自然の理。

 

「これ……本当にアンタが作ったのかい?」

「ミリセントも食べる? まだ沢山あるし食べて良いよ」

 

 元々そのために大量に作った力作達だ 。ちゃんと食器類もある程度用意済み。

 こと遊びや料理に限り、彼は不備など起こさない。

 

「アンタ、アタシの名前を知ってんの?」

「そりゃ同じ寮の仲間なんだし覚えてるさ。まだ一学年 だけだけど」

 

 穢れを知らない純粋な子供のような――実際に外見は子供だが、とにかく向日葵みたいな笑顔を見せられ、大柄な女生徒ミリセント・ブルストロードが『う……っ!』 と呻き声を上げて顔を背ける。

 今まで邪険にしていた手前、彼の無垢な表情が心に突き刺さった。他のスリザリン生にも同じような仕草が見受けられる。

 いくら傲岸不遜な態度が目立つスリザリン生でも罪悪感で心を痛める時があるのだ。

 

「とりあえず皆、心して敵(お菓子)を倒せ(食 せ)!」

 

 暗くてバツが悪そうな表情を取る連中の闇を振り払 う、光に溢れているような快然たる号令。

 作り主からのお達しに、罪悪感を押し潰すように無理矢理テンション を上げた者達は、武器(フォーク)と盾(皿)を持った戦士に変貌を遂げて敵の軍団に殺到する。

 菓子への評価は聞かずとも良く分かった。

 

「美味いっ! 普通に美味いっ!」

「こんな美味いケーキ、俺初めて食ったぜっ!? つーか コレ、本当に手作りなのか!?」

「ゼリーの味わいが絶妙すぎる!」

「ま……負けた。お菓子作りには自信があったのに…… しかも男子に負けるなんてっ」

 

  宴会さながらのテンションで菓子を貪る寮生達。

 そんな一団とは少し離れ、暖炉の前では、

 

「はい、ドラコ。あ~ん」

「……あー……パーキンソン、だったか? 僕は自分で食 べ……何で僕のフォークを奪うんだ? そして何で僕の口に無理矢理ケーキをねじ込もうとしているんだっ!?」

 

 一目惚れという事故にも似た衝撃を受けて愛に盲目恋愛戦士と化した女生徒と、スリザリンの一学年生でリー ダー格っぽい男子生徒との甘い一時が繰り広げられる。

 それを見たアリィは一言、

 

「リア充は爆発しろ!」

 

 とりあえず日本で有名な言葉をドラコに送る。

 女性と仲が良い男を見たら即座に叫べという掲示板の指示に従ったのだ。

 特に羨望する感情は無く、ノリ以外の何ものでもない他意の無い叫びだが、それは人々の関心を集めるのに充分だった。

 

「な、なんだその言葉はっ!? 僕が何だってっ!?」

「これは彼女がいるような、リアルが充実していそうな男に送る言葉。さあ皆も一緒にっ!」

『リア充は爆発しろこの野郎っ!』

「クラッブ、ゴイルっ、お前達もかっ!?」

 

 しかし恋愛等に興味が無く、特に彼女も欲しいとは思 わない精神分野でお子様な所が残るアリィと違い、モテない男子達は『リア充』という言葉の生まれた訳を正確に察し、魂に刻み、心の底から嫉妬を込めてドラコに叫ぶ。

 彼の横で身体をクネクネさせながら「彼女だなん て……きゃっ!」と喜ぶおマセな女生徒――パンジー・ パーキンソンは、お世辞にも美少女とは言えない。

 しかしそれでも羨ましいと思うのが男心というもの。

 

 

 

 ――後にこの言葉が学校中に広まり、カップルの幸せな一時を目撃したら男子目掛けて『爆発花火』や『糞爆弾』を投げ込むのが流行化するが、それはまた別の話である。

 

 

 

 そしてその流行原因を『アリィがまた何かやったんだ』と理由も無く断定する少年がいたが、それもやっぱり別の話だ。

 

 このイベントを経てアリィの評価は上昇。主に女子の支持を得て、大体のスリザリン生に仲間として受け入れられたのだった。お菓子とは、やはり偉大なのだ。単純、とは言ってはいけない。

 

 

 

 エピソード6 予期せぬ来訪者

 

 外は暗闇のベールに包まれ、その中でぽっかりと輝く満月がホグワーツを淡く照らす。

 今、外からこの城を眺めたのなら、それはもう記憶に刻み込みたくなるほどの神秘的な光景が見られることだろう。

 夜間の外出を禁止されている生徒は少々気の毒だ。

 

「ハリー、魔法薬学のことを気にしてるの? 僕の所為でゴメン……」

「気にすること無いって。スネイプは意地悪だって説明しただろ?」

 

 窓際近くのベッドに腰掛け、ルームメイトのシェーマ ス・フィネガンとディーン・トーマスのチェス勝負を観戦しているも目の焦点が合っておらず、どこかぼんやりとしているハリーをネビル・ロングボトムとロン・ ウィーズリーが気に掛けている。

 午前中を丸々費やした魔法薬学の授業で言い掛かりにも似た理不尽を突きつけられ、自寮の点数を減らしたことをまだ気にしているのか。暗にそう訊いている。

 午後にハグリットのお茶会に出席したことで気分転換が出来たと思っていたロンは、ハリーの表情が気がかりだった。

 

「違うんだ。なんでもないよ」

 

 皆を安心させる笑み。それでも顔が強張って見えるが二人は気付かないフリをした。ハリーにとって、今はその気遣いが凄くありがたい。

 放っておいてくれることに感謝する。これで思う存分思考に耽っていられるのだから。

 

(あの時……組み分け帽子は何であんなことを言ったん だろう)

 

 いや、自問するが答えはもう分かっている。

 

 勇気に満ち溢れ、頭も 悪くなく、才能もあると自分を褒めてくれたボロボロの帽子。その帽子にハリーは問われた。

 

《グリフィンドールとスリザリン、君はどちらを選ぶかね?》

 

 結果はご存知の通りだ。

 ハリーは親友のいる所ではなく獅子寮を選択し、今に至る。

 本心を言えば親友と離れるのは心細かった。一緒の寮で学校生活を送るものだと疑わなかった。

 

 いつも問題ばかりを起こして大変な目に遭わせる幼い親友。けれども一緒に居て心から楽しいと思える親友。

 彼がいるなら、自分から両親と温かい家庭を奪った仇敵が出身だという寮でも楽しく過ごせる。 きっとそうだと確信が持てる。

 だからハリーは、本当はスリザリンを選ぶつもりだった。そう、自分が向うことになるだろうテーブルに座る、彼の眼を見るまでは。

 

(きっと、あの時の選択は間違ってない。僕は無意識にアリィを頼っていた)

 

 通っていた学校でクラスメイトと会話をする時は、毎回アリィが近くにいた。ダーズリー家に居た頃は何度も彼の家に逃げていた。

 

(だから僕がグリフィンドールに行くことをアリィは望んでいたんだ)

 

 チェスの攻防に一喜一憂する友人達の声を聞きながら思い出す。

 アリィの目は確かに何かを願っていた。それは一緒の寮になりたいという願いではなく、自分と別の寮になれば良い、という期待を孕んだもの。

 それは子供の巣立ちを願う親鳥のような目で。それは弟の自立を願う兄のような目で。ハリーにはそう感じられた。

 

《ふむ。そう思うのなら、君の進む道は一つだ》

 

 こうしてハリーはグリフィンドールを選択した。

 アリィがそう願っている気がしたから。

 

(……機会があれば今度訊いてみよう。僕って無意識 にアリィに縋ってた?って)

 

 同時に思う。もし推測通り彼が自分の自立を願っているのなら、彼を心配させないように、楽しく学校生活を謳歌している姿を見せつけよう、と。一人でだって友人を作れるんだ、と。存分に見せ付けてやる。

 自分が選んだのはスリザリン(依存)ではなくグリフィンドール(自立)なんだと。胸を張って言えるようになる。

 これがあの帽子の問いに対する最上級の返答だと思うから。

 

 そう新たな決意を心に宿した所で、ハリーは一度思考を脱線させる。

 

(そういえばアリィはもう知ってるのかな。 僕達が初めてグリンゴッツに行った日、最後に寄った金庫で強盗事件があったことを)

 

  一度思考に整理を付けて切り替える。三人でグリンゴッツに行った日、最後に寄った金庫でハグリットはあるものを回収した。

 金庫破りの犯人が侵入したのはその金庫だ。今なら分かる。取り出したのは事前に敷いた防護策だったのだ。

 

(アリィなら何か思いつくかも)

 

 あの常軌離れした閃きの塊なら何か思いつくかもしれない。ことの真相を知りたいハリーは近い内にアリィと接触することを決めた。

 

「――なら訊いてみようよ。ハリー、そのところどうなの?」

「……え?」

 

  気付けば、質問してきたネビルだけでなく、チェスを中断してまで、二人やロンがハリーを見ていた。

 

「ハリー、ネビルの話を聞いてなかった? アリィのことだよ」

「何であんなに天才なのかって話」

 

 ロンとシェーマスの補足説明で漸く質問の意図を察するハリー。色々と逸話のある彼だが、訊いているのはきっと魔法薬学への質問が主に違いない。

 座学だけでなくその後の実習まで完璧に仕上げたアリィの天才性を彼らは知りたがった。

 

「アリィは基本的に凄いけど、多分あそこまで凄かったのは魔法薬学……と、後は薬草学くらいだと思う」

「そうなの?」

「うん。自分の興味のあることにしか積極的にならないから」

 

  その興味対象が『魔法』なだけに全ての教科で凄まじいことになっている、とは別に言わなくても構わないだろう。アリィの凄さなど話し出したらキリが無いのだから。

 そしてそれはハリーの推測通りだった。

 デイモンの影響でモノ作りが好きなアリィの中では、魔法薬学と薬草学が科目の中で一番の興味対象であり、発明家として一番知っていてタメになる学問。

 知的好奇心を満たすために知識を詰め込んだ結果、いつの間にかO・W・Lにまで達していたのがこの二教科だ。

 他は今のところ三学年くらいまでの知識に留まっている。もちろん、それでも充分過ぎるぐらいだ。

 

(でもアリィのことだから、初めての実習でも恙無 く完璧以上にこなすんだろうな)

 

 

 

 しかしハリーは知らない。授業外で色々と試したアリィでも、たった一つ、どうも成果が芳しくない教科があったことを。

 

 

 

「……ねえ、アレって何だろう?」

 

 その後も魔法界入りを果たす前のアリィネタで盛り上がりを見せた時、そう発言したのはハリーの話に全力で耳を傾けていたネビルだった。

 彼の指差す方角はハリーの方――ではなく、彼の後ろの窓ガラス。話を聞きながらもチェスの決着を付けた二人も、アドバイスもとい試合を検討していたロンも顔を向け、ハリーも背後を振り返る。

 そこには暗闇を背景に一本の線が垂直に走っていた。いや、これはロープだ。それも細く、縄ではない金属性が見え隠れする細いワイヤー。

 それはグリフィン ドール塔の屋根まで伸びている気がする。

 

 ハリーの知る限り、こんなことをしそうな人物は一人しか該当しない。

 

「……まさかっ!?」

 

 窓ガラスを開け、下を覗き込もうとした時、

 

「アリィ!?」

「よう親友、元気でやってる?」

 

 右手に銀色の拳銃を持ち、左手に小さな風呂敷を持つスリザリン生が下から上がってきた。

 頭上に掲げる拳銃の銃口からはシュルシュルという音が聞こえてくる。銃口から伸びるワイヤーが自動で巻き取られる音だ。

 実に数十メートルもの高さを上がってきたアリィ窓の高さまで来ると上昇するのを止めた。

 

「まさかここがハリー達の部屋だったとはラッキーだったな。これも日頃の行いが良いからだ」

 

 窓枠に足を掛けて中に侵入。ベッドに着地してから右腕を勢い良く振り下ろす。その動作で屋根に取り付けてあったフックが外れ、しばらくした後、ワイヤーが全て銃身内に巻き取られる。

 

「お邪魔しまーす」

 

 急に現れた他寮の生徒に皆は言葉を失った。

 

「アリィ! もう外出時間はとっくに過ぎてるんだ よ!?」

『ツッコミ所はそこじゃない!?』

 

 復活して早々の言葉がそれかとハリー以外の常識人がツッコミを入れる。

 指摘しなくてはならないのは侵入方法とその目的であって、時間なんてこの際どうでも良い。下手にアリィへの耐性が付いてしまっているハリーはどこか抜けていた。

 

「ロン以外ははじめまして。俺の親友がお世話になってます。これ、つまらないものですが」

 

 お互いに簡単な自己紹介をしつつ近くにいた黄土色の 髪を持つ男子――シェーマスに渡すのは風呂敷に包まれた糖蜜パイ。蛇寮用に作ったモノの中で一つキープしていたのだ。

  ハリーのルームメイトに会うために彼は未だ菓子パーティーを繰り広げているだろう寮から抜け出し、事前に入手していた情報からグリフィンドール寮の場所に当たりを付け、こうして侵入を成功させた。

 ちなみに情報源は双子と、そして寮決めの際に賭けに負けた敗北者からだ。今その者は素知らぬ顔でパイを頬張っている。ちなみに接触したのはハリーが花を摘みに行っていた時だ。

 

「アリィ、それって拳銃……だっけ? ほら、マグルが使う杖みたいなモノ」

 

 スリザリン生を意味無く嫌うグリフィンドール生は多い。その中でもロンは典型的なそのタイプと言える。

 しかし彼の性分や性格をハリーから聞かされ、今こうして変わらない姿を見ているため、問いかけたロンに侮蔑や不快な感情は皆無だった。

 そしてロンどころか全員の関心を集めたのは、やはりアリィの持つ銀色の拳銃だ。

 銃身が大きく、まるで辞書にそのままグリップとトリガー を付けたみたいな特殊な形。ハリーや黒人の少年――ディーン以外はマグルの知識に乏しいが、それが一般的な拳銃でないことは大体理解出来る。本来の拳銃が鉄の塊を射出することくらい彼らは知っていた。

 

「コレ? これはワイヤーガン。夢だったんだよね、コレ 使って窓から入るの」

「アリィはあの映画が大好きだものね」

 

 光の剣やレーザー銃で戦うSF超大作が大のお気に入り。 ワイヤー強度の関係で今まで製作出来なかったが、エピソード1のワンシーンを再現出来てアリィもご満悦だ。

 ちなみにこのワイヤーガンの基本機構は単純で、洋装店やオリバンダーの店で見た自動巻尺の巻き取り機構を改造エアガンに加えただけのお手軽構造。しかし使用しているワイヤーは魔法界でも屈指の強度を誇るウェクロマンチュラという大蜘蛛の糸を加工して作られた一級品。

 直径一ミリ以下の極細で一トン以上をカバーでき、 市場価格は一メートルで5ガリオン。今回用いたのは全長五十メートルなので占めて250ガリオン、日本円で約21万円也。

 ウィーズリー家が聞いたら卒倒するだろう。こんなものが制作費250ガリオンなのかと。

 

「……それで、いったいこんな時間に何しに来たの?」

 

 コイツなら将来ジェダイの武器まで作りそうだと未来予想をしてしまいつつ、挨拶がしたかった訳ではな いでしょう、という意味を言葉に潜ませるハリー。

 

「もちろん遊びに来たに決まってんじゃん。明日は土曜で休みだし」

 

 これはまあ、予想出来た答えだった。意外と普通なので一安心。

 しかし、ハリーがホッ とするのも束の間、

 

「あとさ、今晩泊めて」

『…………ハアっ!?』

 

  これだけは予想外だった。

 

 

 

  エピソード7 好敵手(ライバル)

 

 遊びに来たのは百歩譲って許すとして、何故そこで泊まりの話が出てくるのか。この中で彼と一番付き合いが長い少年が一同を代表して問うた所、

 

「俺は空気の読める男なんだよ親友」

 

 不敵な笑みを零しつつ、彼は見事なドヤ顔を決め込ん だ。

 

 一方その頃、スリザリン寮のとある部屋では。

 

《アリィはどこだ!? 元はといえば全部君の……ッ!》

《きっと私達に気を遣ってくれたのよ。ね、ドラコ?》

《何で君は男子部屋まで付いてくるんだ!?》

《ドラコ……私達、二人っきりね》

《僕の質問は無視なのか、パーキンソンっ!?》

《……私ね、本当はもっと早く貴方と話したかったわ。 でも恥ずかしくて勇気が出なかったの。そうしたらあの子が親密になるきっかけを作ってあげるって言うから、 だから私は勇気を出して貴方にケーキを……っ!》

《……ちょっと待ちたまえ、いや、待ってください。パーキンソン、何で君は部屋の鍵を閉め……分かった。ちゃんと君のことは名前で呼ぶから! だから上着を脱ごうとするなぁあああああっ!?》

 

 

 

 本当にマセている恋愛猪突猛進少女とまだまだ初心な少年の夜は長い。

 ちなみに彼はこの後暴走する少女の説得に成功し、結局徹夜でお話をするだけになったとか。

 まあ、流石に十一歳で大人の階段を昇るのは早いだろう。というか道徳と情操的観点からもそれは認めら れない。

 

(夜通し語れば仲も深まる。良いパジャマパーティーにしなよ、二人とも)

 

 俗に人はこれを『余計なお世話』と呼ぶ。今回は不幸な少年一人に対してのみだが。

 

「……まあ、泊まるのは別に構わない、のか?」 

「バレなきゃ大丈夫」

 

 シェーマスとディーンは泊まるのに賛成派。あの魔法薬学で天才デビューを果たした少年に興味津々の様 子。

 彼らにとってもアリィがスリザリンなのは些細な問題らしい。ネビルはビクビクしながら皆がそれで良いならと承諾し、ロンも当然オーケーした。

 残りはハリーただ一人。

 

「確かに君がここから出なければ先生にはバレないだろうけど……本当に遊びと泊まりに来ただけ?」

「あとは実験。試したいことがあるんだけど失敗して惨事になったらルームメイトに悪いでしょ?」

「その優しさを僕達にも向けてよ!?」

「ドラコを下手に刺激したくないんだよ。目的がアレだから」

 

 惨事と言っても九分九厘以上の確率で惨事は起こらないと考えている。

 失敗しても被害は無い。それでもわざわざ大袈裟に言ったのは、魔法の実験では何が起こるか 分からないからだ。

 魔法の重ね掛けをすることでどんな事態になるか想像出来ない。確証が持てない限りいくら確率が高くても断言しないのが発明家だ。

 

「大丈夫だって。失敗しても大惨事にならないよ……多分」

 

 止める暇も無く、アリィはその実験を始めてしまう。

 

「『バテスタ 泡で包め』」

 

 アリィが唱えたのは『泡頭呪文』。

 自らの頭を泡で包み、新鮮な空気を確保する魔法。

 授業では習わない魔法の一つで、魔法自体は簡単なので誰でも出来るように なるだろう。一年生でも沢山練習を積めば扱える代物 に過ぎない。しかし次に唱える魔法は一年生のレベル を超えていた。

 

「次はこれ『エンゴージオ 肥大せよ』」

 

 その紅葉のような手に持つ杖を向ける先にあるのは、 頭を包む気泡の塊。

 それが次第に、ゆっくりと巨大化を始める。泡の膜は全身を覆うだけでは飽き足らず、ハリーとディーンを巻き込んで肥大する。三人とベッドなど、部屋の半分を占める程度まで巨大化し、変化は直ぐにストップした。

 

「おっし! 大成功!」

「……アリィ、これの意味は?」

 

 泡に閉じ込められながら困惑するハリーを、アリィは笑顔で振り向いた。

 

「俺の今後の学校生活を左右する、実に大切なことだよ。ハリー・ポッター君」

 

 なにせコレが失敗した場合、アリィはまた新たに方法を考えなくてはならない。

 それこそ新しい魔法具か魔法を開発するくらいの努力と閃きが必要になってくる。

 

「ここに来てからずっと考えてたんだよね。どうやってホ グワーツでゲームをしようか」

 

 ホグワーツ内で機械が使えない理由は城の中に充満する魔力の所為と言われている。空気中に含まれる高濃度の魔力が機械等の電気製品を狂わし、まるで壊れたかのように機能させなくするのだ。

 

「ならさ、こうやって魔力に侵されていない新鮮な空気の中でなら、ちょっとは機械も使えるんじゃないかなって思ったんだ」

 

 空気中の魔力の所為で使えないなら、無菌室ならぬ無魔力室を用意すれば良い。

 様々な魔法の施されている建物や施設に、魔法具から漏れ出す魔力を、この泡の膜で防御し、膜内への空気の侵入を拒む。

 この『泡頭呪文』 自体や杖に込められた魔力が空気に浸透して直ぐに機械が作動しなくなる可能性もあるが、それでも少しは猶予があるだろうとアリィは考えていた。

 

「さあ、どうなるかなー」

 

 この方法を試すために肌身離さず持ち歩いているバッ クは自室に置き、ワイヤーガンだって泡の範囲外に逃した。膜内に置く魔法関連絡みのモノは最低限に留める。

 皆が見守る中、ローブの袖口からゲーム機を取り出した。震える手でスイッチを入れ、そして、

 

  「「おっしゃああああああああっ!」」

 

 アリィだけでなく、もう一人の歓声も木霊する。

 彼と一緒になって喜ぶその人物は、

 

「ディーン!?」

 

 そう、歓声を上げ、アリィとハイタッチをかますのはディーン・トーマス。

 父親が魔法使いであるにも関わらず諸事情により魔法を知らなかった、マグル出身の少 年。彼もアリィと同じ犠牲者だったのだ。

 持ち込んだゲームを使用出来なかった、彼と同じゲーム魂を持つ同志。

 しかも、

 

「アリィ! もしかしてそれって!?」

「ディーン! それってまさか!?」

 

『泡頭呪文』が自分のベッドを覆っていたことに便乗してトランクの底に埋もれていたゲーム機を取り出したディーンは、アリィの起動させたソフトを見て。アリィは彼の差し込もうとしたソフトを見て驚愕する。

 偶然にもそれは、カラーバージョンが違うだけで全く同種のソフトだったのだ。

 

「――マンダの龍星群は!?」

「強い!」

 

 アリィの問いに間髪入れず答えるディーン。

 周囲を置き去りにして、彼等の確認は続いていく。

 

「――燕返しは!?」

「ヘラガッサにピンポイント!」

 

 これはお互いの実力を確かめるための通過儀礼。この問答に答えられるかどうかで彼らトレーナーは相手の実力を推し量る。

 

「――ピンクの悪魔と言えば!?」

「ハピナスorラッキー!」

 

 結果はパーフェクト。

 最低限の確認を終え、あとやることはただ一つ。

 

「「バトルしようぜ!」」

 

 あとは、直に実力を確かめるだけだ。

 

 

 

 ラストエピソード 唯一の天敵

 

 その光景は端から見て異常だった。

 新入生ならまだしも二学年以上の在校生であの光景を見た者は、まず最初に幻覚や妄想の具象化を疑った。

 始めからこれが現実だと決め付ける人はいなかった。それは教員も同じだ。教職員で一番の嫌われ者、管理人のアーガス・フィルチだけは復活が早かったと耳にするも、今となっては確かめる術も無い。

 

 これは夢の中だと判断して頬をつねる者が五割。

 新手の幻覚魔法か毒薬を盛られたと医務室に駆け込む者が四割。

 あとの一割は様々で。幻覚は自分の弱き精神が原因だと精神統一を始める者。この騒動を記録したいと急ぎカメラを取りに行く者。巻き込まれるのを恐れて自室に引き籠る者。便乗するべきだと教員に進言する者。

 実に沢山の人が程よく混乱させられた。

 

 事件は新学期初めての休日。土曜の夕方に発生した。

 

「待て待て待てー!」

 

 綺麗な夕日をバックにホグワーツが一番輝く時間帯。

 廊下から大広間にかけて子供の声が木霊する。時間帯は夕食時には少し早いため人の存在に乏しいが、決して誰もいない無人の空間という訳ではない。各々好きな席に座っていた者達は、例外無く声の方に注目した。

 段々と近付く大声と、ドタバタと慌ただしい足音。

 大広間の扉をすり抜けて現れたのは、彼等の度肝を抜く人物だった。

 

「待てと言われて待つ奴がいるかぁああああっ!? 大大大の大変人、おチビでお馬鹿の天災アルフィー!?」

 

 ポルターガイストのピーブス。

 このホグワーツに住み着くゴーストの一人で、いつも悪戯ばかりをして生徒や学校に被害を浴びせる厄介者。

 そのピーブスが、あのスリザリン寮憑きのゴースト『血みどろ男爵』以外は御しきれないと呼ばれているあのポルターガイストが恐怖に駆られて爆走している。

 彼が扉をすり抜けて一瞬後、扉をぶち破ったような衝撃音を響かせながら現れたのは、この一週間で一躍有名人となった時の人、アルフィー・ グリフィンドールその人である。

 

「良いじゃんちょっとくらい身体を調べさせてくれたっ て! 減るもんじゃないでしょ!?」

「さっき『身体の一部でも奪い取れれば儲け物』って言いながら網を振り下ろした奴の台詞じゃなーい!?」

 

  生徒のプライベート保持の関係や教職員の秘密事項の漏洩を防ぐ目的でも、ゴーストが壁抜けを出来ない部屋というのが存在する。

 それは寮部屋だったり職員室だったり、各先生方の自室だったり、そういった指定されたゴースト以外を拒絶する部屋がある訳だが、それでも城内に限定したってピーブスの行動範囲は膨大だ。

 その広大な範囲内での追いかけっこが始まり早五時間。

 ゴースト対策が施された施設と同じように、もはや失われた魔法と呼ばれる『ゴースト除け』――つまりはゴーストとの強制的な物理接触不可能とする、四人の創設者や校長のみが行使可能と言われる古代魔法の掛けられた巨大網を持つアリィは、今日も自分の興味対象のために我が道を往く。

 

「い、いい加減諦めろぉおおおっ!?」

「せっかく城内を探検中に見つけたんだから使わない訳にはいかないっての! 身体を調べるなんて一週間もあれば終わるよ!」

 

 いくら撒いても、いくら逃げても、アリィはとある部屋で見つけた『ゴドリック製』と刻まれている巨大な網を振るい、諦めることなくピーブスを追いかける。

 この網は擦りぬけが出来ないので捕獲されたらば最後。アリィの気が晴れるまで囚われるしかない。

 そんな自由を賭けた追いかけっこを五時間も強制され、流石のピーブスも参っていた。

 そもそも自分からピーブスに近付こうとする生徒が今まで皆無だったため、アリィのようなタイプは彼にとっても未知との遭遇に近い。

 異常なまでに執着を見せる彼に、あの興味対象(新しい玩具)に向けるキラキラと輝く目の中に潜むマッドの意思を垣間見て、初めてピーブスはただの生徒に恐怖した。

 誰かから逃げるなど、ここ数百年体験した例が無い。

 

「お、落ち着こう! ねえ、可愛い可愛いアリィちゃん!?」

「だってさ、最初は手っ取り早く血みどろ男爵に協力を頼んだら『そういうのはピーブスにしとけ』って言うから!」

「閣下ぁあああっ!? このピーブスめをお売りになられたのですかぁああああーーーっ!?」

 

 その閣下は現在スリザリン寮に閉じこもり、他の寮憑きゴーストも同じように避難中。

 それ以外のゴーストはさり気無く『ゴースト除け』の魔法が施された部屋に集まり息を潜めている。基本的に『ゴースト除け』を適用され、侵入を禁止されているのはピーブスだけなのだ。これも日頃の行いが悪い所為と諦めるしかない。

 

「大丈夫! ピーブスの尊い犠牲はきっと世の中のゴースト研究を一歩前進させるから! 論文にはきちんと名前を載せてやる!」

「犠牲になることを前提で話を進めるなぁあああああ---っ!?」

 

 

 

 

 結局この騒動はダンブルドアが出張から戻る一時間後まで続けられ、事態を察しピーブス排除を狙ってアリィの行動を黙認していた教員達は、やんわりとアリィを止めてピーブスを庇うダンブルドアの優しさに内心で舌打ちをかましたとか。

 見つけた網は『そういえば調べるにしてもどうやったら良いんだろ?』と、捕獲後の具体的な計画を立てていなかったアリィがゴースト研究の一時中断を決めたため、一番欲しそうにしていたフィルチに譲渡して凄く感謝されたらしい。

 そしてピーブスは二度とアリィに近付かないと決め、彼の所属するスリザリン寮の生徒にも悪戯をすることを止めた。それをネタに絡まれる可能性を恐れたのだ。

 お陰でピーブス被害に毎年悩まされていた二年生以上の 生徒は皆、アリィに感謝の言葉を送り、敵視していた者も心の中で謝罪。認識を改めることになる。

 こうしてアリィは見事スリザリン生全員の支持を得て、仲間として迎えられたのだった。

 

 

 




この時代にこんなものねーよってツッコミは無しでお願いしたいです。


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第六話

 この日、木曜日の晴天を望んだ者は数知れない。

 飛行訓練を待ちわびた獅子寮と蛇寮生の祈りが通じたのか、少し風が吹くも気持ちの良い晴れ模様だった。

 燦々と降り注ぐ太陽からの陽射しが校庭を優しく包み、芝生を活き活きとざわめかせる。

 午後の三時半という日が落ち始める時間に、飛行訓練を受ける生徒達は意気揚々と校庭に出陣していた。

 

「やって来ました飛行訓練!」

「やけにテンションが高いな」

 

 魔法使いで一番人気のスポーツには箒が用いられている。マグルの子供が野球やサッカーを嗜むように、子供の頃から箒に跨る者は多い。

 ドラコのような生まれながらにして魔法族の家庭で育った者には当たり前でも、アリィのようにマグルの家庭で育った者にとって箒で空を飛ぶという行為は一種の憧れだ。

 気持ちが昂るのも無理はない。

 

「だって空を飛ぶんだよ空を!? これでこそ魔法使いっ」

 

 スリザリン生に純粋なマグル出身者は存在しない。

 最低でも血筋の誰かが魔法使いなためアリィやとある人物という例外を除き、幼い頃からそれなりに魔法界に対する知識を持つ彼らは、飛行行為にそこまで感動を見出せない。

 だから見た目通り子供のままにはしゃぐアリィの心境が、ドラコには少し理解出来なかった。

 

「そういえば君はマグルなんかの世界で育てられたんだったな。どうだい、こちらの方が素晴らしい世界だろう?」

「確かに面白いよ魔法界は。でも俺はマグルの方も好き。技術大国日本万歳っ!」

 

 遠い極東の国のある方角を眺め、想いを馳せる。

 いつか聖地(アキバ)を訪れるために日本語もマスターしている彼は用意周到だ。

 その点、今から目を輝かせている彼を見下ろすドラコの目は冷たい。

 

「アリィ、仮にも君は魔法使い、それも偉大なスリザリン生。もっとその自覚を持つんだ。マグルを好きだなんて正気の沙汰じゃない」

「良いよ正気じゃなくたって、面白かったらさ。でもあれだ、そんなことを言うドラコは今後俺の漫画を読むの禁止ね」

「なっ!?」

 

 アリィに進められ、そして貶すつもりで読み始めたがすっかりミイラ取りがミイラになってしまったドラコ・マルフォイ。

 布教用に日本語版だけではなく翻訳版も持ってきていたアリィは本気で魔法界に一大旋風を巻き起こす気満々である。

 

 そしてアリィの発言は、今のドラコにとって死刑宣告に等しかった。

 

「わ、分かったっ、ほんの少しだけ。本当に少しだけ文化の一部に有用点があるのは認めようっ」

 

 ドラコの家は古来より続く純血の家系。マグルを排し、純血主義が深く根付く彼の家に当然マグル関連のモノがあるはずが無く、父や先人達の教えでしかマグルについて知らない。

 洗脳に近い教育を受けた彼のマグル嫌いは、言ってしまえば食わず嫌いのようなもの。

 今まで触れる機会が無かったという理由もあり、改めてマグル文化に触れて気付いたことは沢山ある。その中でも一番重要なのがコレだ。こと娯楽に関し、方法や手段は違えど楽しむという観点から見れば、そこにマグルも魔法使いも関係無い。

 彼もまだ遊び盛りの十一歳。日本で大ブレイクした七つの玉を集める話に魅力を感じてしまうのは致し方ない。

 偉大な先生方のお陰でドラコの視野は広がったのだ。

 

「よろしい」

 

 溜飲が下がった風を見て心の中で安堵の息を零すドラコ。

 そして彼は後ろからゆっくりと近付く人物の存在に気付いていない。ゆっくり、ゆっくり、慎重に彼女は足を進める。充分な距離まで辿り着き、いっきに跳躍。彼の背に衝撃を見舞わせた。

 

「ドーラコっ!」

 

 放さないよう首にしっかりと両腕を回すパンジーは、やっぱりいつものパンジーだった。

 女子はハートマークが宙に踊っているパンジーの姿を微笑ましく、男子はドラコに対して『夜道は後ろに気をつけろ』と言わんばかりの殺気に塗れた視線と、とりあえず蛇寮内で流行し始めたリア充爆発の言葉を送る。

 背中にしがみ付く彼女と周囲の視線に悪戦苦闘する姿を見たアリィは心配するような目を向けた。

 

「ドラコ。そんな暴れて疲れない? もっと余裕を持って行動しなよ」

「元はと言えば君の所為だろうっ!?」

 

 思わずアリィの頭を叩く彼を誰が責められよう。

 しかし、その選択が悪手だったのは周囲のブーイング――女子率高め。やっぱり菓子の力は強大――が証明している。

 衝撃を受けた表情を取る幼い悪戯仕掛け人は、動揺する素振りを見せて一歩だけ後退した。

 

「ひ、酷いよ父ちゃん! ……母ちゃん、父ちゃんが苛める!」

「まあ、でも大丈夫よアリィ。あの人も本当は彼方のことを愛しているから。もちろん、私も」

「あぁ、母上!」

「息子よ!」

 

 涙を浮かべながらガシッと抱擁を交わすアリィとパンジーに拍手が巻き起こる。

 某禁句さんが見たら『どうしたスリザリンっ!?』とツッコミを入れるほどの平和な寸劇が校庭で披露された。

 それに憤りを感じて爆発するのは一人だけ。

 

「なんだこの三文芝居はっ!? というより君達、息が合いすぎだっ!?」

 

 一喝するも、この場のほのぼのとした雰囲気は増すばかり。そんな彼に止めを刺すのは、やはり彼の仕事。

 

「ドラコ、パンジーと以心伝心な俺に嫉妬?」

「ドラコ……本当なの?」

「ちがーうっ!?」

 

 今日もドラコをネタにして、スリザリン生に笑いの旋風が巻き起こった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「アリィって何者? あのマルフォイを手玉に取るなんて……」

 

 飛行訓練は二つの寮が合同して行うため、当然ながらグリフィンドールの一年生も全員集まる。一足遅れて校庭を訪れた獅子寮生全員が、今の茶番を呆然としながら、そして若干の畏怖を込めながら見学していた。

 

「ロン、あれがアリィなんだよ」

 

 彼はいつもこうだった。アリィの『天災』という二つ名は伊達でない。

 彼が呼ぶのは極大の台風。それは場を荒らすだけ荒らし、人の心に尋常じゃない程の驚愕と徒労を刻み付ける。

 そして、それと同時に同じくらい吹き荒らすのが笑いの風だ。憎しみや主義思想の壁を容易に取っ払い、全てを巻き込む幸せの暴風。

 

 スリザリンを監察する目を、ロンは少しだけ細め、ついでにたっぷりと溜め息を溢した。

 

「なんだか僕、今のアイツ等ならちょっとくらい、ほんのフクロウの爪の垢分くらいなら、仲良く出来る気がする」

「同感だね」

 

 アリィはどこに行ってもアリィ。我が道を突き進み、全てを巻き込む天災。アルフィー・グリフィンドールに他ならない。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「皆、箒の側に立ちなさい。さあ、早く! もたもたしない!」

 

 参加者全員が集合して直ぐに飛行術の講師、マダム・フーチが到着した。短い白髪と鷹を彷彿させる鋭い切れ目が特徴の講師は、軍隊染みたキビキビとした行動を生徒に要求する。

 確かにトータルの授業時間は他の教科と比べて短いので、効率を考えれば素早いことに越したことは無いが、これはどちらかと言えば彼女の性格故だろう。

 

「全員右腕を突き出して、そして『上がれ』と命じなさい!」

 

 全員が芝生に並べられた箒の横に立ち、右腕を突き出して一斉に叫ぶ。一発で箒が宙に浮き右手へ飛び込ませることが出来た者は極僅か。ハリーやドラコはその数少ない優秀な乗り手に分類される。

 そして我等が幼い天災の場合は、

 

「上が…………ったなー、本当に、うん」

『………………』

 

 まるで打ち上げミサイルのように勢い良く宙へと飛び出し、雲海に消えた箒を全員が見上げる。

 この珍事態に逸早く復活を果たしたのは、人生経験の差と事前情報、そして心構えのお陰だろうか。

 

「では、次に箒の乗り方についてですが――」

『スルー!?』

 

 他の教員から――特に疲れたような表情を見せる副校長と、珍しく話しかけてきたスリザリンの寮監から何があっても不思議じゃないと説明されていなければ、彼女も生徒と同じようにいつまでも雲海を眺めていた自信がある。事前情報の有難さをこれほど感じたことは無い。

 そして冷静沈着な姿に多くの生徒が敬意を表した。

 

「せんせーい。俺の箒がどっか行っちゃった!」

「しばらくすれば戻って来るかもしれません。少し待ちなさい。来ない場合は私のを貸しましょう」

「アイサー!」

 

 こうしてアリィは隅で体育座りをしながら訓練風景を眺めることになった。

 箒から落ちないよう基本的な乗り方や柄の掴み方を学び、次はいよいよ飛翔するという段階。

 それまでアリィを放置していた彼女を冷たいとか、非情と判断する者もいるかもしれない。それでも彼女は個人よりも全体に軒並みを合わせなくてはならない立場にある。説明のためにも箒は必要であり、欠かしてはならないもの。彼に回す余裕は無い。

 それにしばらく放っておいたのも、彼の天才性なら直ぐに上達する可能性が高いと見越してだ。言わば信頼しているからこその処置である。モノは言い様だ。

 

「さあ、次は合図したら二メートルほど浮かび上がり、直ぐに降下しなさい」

 

 その時、事件は起きた。

 

「あ、あぁ……うわぁあああっ!?」

「ミスター・ロングボトム、落ち着きなさい! 大丈夫ですからっ!」

 

 緊張と力みの所為で力強く踏み込み、指定された高さよりも数倍高い位置まで飛翔してしまう。コントロール制御下に無いのは箒が乱雑に上下する様から容易に察せられる。

 混乱するネビルにマダム・フーチの言葉が届くこともなく、箒の熾烈さは増した。

 

「ハーさん! ゴーゴー!」

「ちょ、ちょっと待ってアリィ! 二人乗りなんて無理よっ!?」

 

 流石に体育座りが寂しくなったのでマダム・フーチと同じように生徒間を歩き回っていたアリィは、丁度近くに居た彼女の箒に飛び乗る。

 彼女の両手の間にすっぽりと収まるように身体を潜り込ませたアリィは、ネビルを救うために古ぼけた箒の柄を掴んだ。

 

「じゃあ俺が操縦する!」

「それは不要なトラブルを生みそうだからダメ!」

 

 中々正確にアリィのトラブルメーカー振りを理解し、予知に近い未来予想を行うハーマイオニーだった。

 

 そしてドタバタと箒の主導権を争う彼等を尻目に、ついにネビルにも限界が訪れる。

 十メートル近い位置からネビルは箒から振り落とされた。

 悲鳴が轟き、マダム・フーチが杖を走らせる。彼女の魔法の効果もあり右手首を折るだけに留まったのは不幸中の幸いだった。このくらいの傷、校医のマダム・ポンフリーなら直ぐに完治させてしまうのだから。

 

「私が彼を医務室に連れて行きます。その間、箒に乗ってはいけません。これを破った者は……どうなるか分かりますね? それと、絶っ対に今持っている箒を誰かに譲渡しないように!」

 

 最後の言葉が何を意味し、ネビルを連れて立ち去る彼女が何を考えたか。その絶対厳守の命令の意味を察した皆は揃って首肯した。

 この時ばかりは不倶戴天の敵同士でもピタリと意見が合う。

 先生がいない時、ある人物に箒が渡って惨事が起きたら目も当てられない。

 

「まあ、手首を折った程度で良かった……おおっ!?」

 

 唯一最後の言葉の意味を理解出来なかった天災は、思ったより軽傷だった友人の安否を喜んだところで歓声を上げる。

 見上げる空から彗星のように流れてくるのは、空中遊泳を終えて戻って来た彼の相棒だった。

 

「おーい! こっちこっち!」

 

 その軌道が少し見当違いの方向なので彼は走る。

 ここで皆から遠ざかったため、彼はある人物達の口論の勃発を目撃することが無かった。

 

「良ーし良し良し良し! よくぞ戻って来た! 可愛い奴め」

 

 尻尾を振る犬のように腕の中で暴れまわる箒に頬ずりをしながら皆の下に戻る。その際に小さく聞こえてきたのは、好戦的な親友の声だ。

 

「マルフォイ、それをこっちに渡すんだ」

 

 ネビルの『思い出し玉』を持つドラコにハリーが右手を突き出す。今朝もまた『思い出し玉』を巡っていざこざがあったが、都合の良いことに彼はその時フクロウ小屋に行ってもう一人の親友にお菓子を送る手配をしていたため、生憎その事件を知らない。

 だからアリィは何故ハリーやその友人達が過剰に反応するのか分からなかった。

 

「何言ってんのハリー? ドラコは拾っただけなんだから返すに決まってんじゃん」

 

 それは、ドラコのことを信じている目だ。

 

「例えばそれを屋根に置いて隠したり、奪って叩き割ろうとしたりなんかしないって。ドラコは俺が悪戯は好きでも意地悪は好きくないってこと知ってるし。ねえ?」

「――――」

 

 この時、ドラコの脳内では様々な人物が円卓に座り、会議を行ったという。

 もしここで意地悪をし、この幼いルームメイトのご機嫌を損ねたらどうなるか。おそらく待っているのは漫画閲覧の禁止と菓子供給のストップ。

 そうなるとドラコは他のスリザリン生からも誹謗中傷を浴びせられることになるだろう。

 あの宴会騒ぎで寮生の殆どがお菓子の虜になっている。それが途絶えたとなると暴動が起こり、原因である自分は血祭りにされかねない。

 

 様々なシミュレーションを経てドラコが選んだ道は、

 

「もちろんだ」

 

 これまでの思考時間、約一秒。

 

「今度は落とさないように精々言い聞かせておくんだな、ポッター」

 

『思い出し玉』をハリーの方へ放り投げ、彼がキャッチするのも見ずに踵を返す。その後はマダム・フーチが戻って来るのを皆で待ち、しばらくして授業は再開した。

 推測通りアリィは箒でも非凡な才能を見せて直ぐに皆に追い付き、授業を問題無く消化する。

 こうして全員がある程度の飛行を可能とする頃には、もう太陽はかなり傾いていた。

 

「これで全員が空を飛べるようになりましたね」

 

 地上に降り立ち、まだ興奮が収まらない生徒達を見てから、マダム・フーチは腕時計に目を向けた。

 

「残りはあと十分弱……これからは自由時間にします。但し、危険な行為は絶対にしないように。怪我には充分気を付けなさい」

 

 言うや否や気の早い者は一斉に空へと飛び立つ。その様を見てから、アリィは一言。

 

「……ただ飛んでも芸が無いんだよなー」

 

 もしストッパー役の人が聞いていれば拘束されていただろう不穏な呟きを漏らす。どうしようか少し考え、右に視線を移せば、

 

「ドラコ、私に飛び方を教えてくれる?」

「……ああ。分かったよパンジー」

 

 嬉しそうに近寄るパンジーと、どこか悟りを開いたかのような目をしているドラコの姿がそこにはあった。

 子分二人は砂糖を吐き出すような顔をしながらも側から離れないのを見ると、どうやら一緒に行動するらしい。

 二人のお邪魔虫になりたくないアリィは直ぐにドラコ達と共に行動する案を破棄する。対して左側を見れば、

「ハリー! シェーマス達を誘って鬼ごっこをやろう!」

 

 ロンと共にハリーが空へと飛び立つ所だった。

 そして、その後ろに佇む一人の少女が目に入る。皆が思い思いの人と行動し、飛び立つ中、一人で突っ立って空を見上げる少女。

 まだ皆に馴染めていない彼女の目は、悲しみと寂しさを帯びていた。アリィのやることが決まる。

 

「ハーさん!」

「……アリィ?」

 

 箒に跨るのではなく柄の上に立ち、常備している紐で両足を箒に固定。スケートボードのように立ち、空を飛ぶ一団とはかなり離れた場所――地上からニ十五メートル地点まで上昇したアリィは、笑顔を振り撒きながら高らかに叫んだ。

 

「面白いのやるから見てて! ――『アグアメンティ 水よ』」

 

 

 

 

 ――そして、一つの芸術が産声を上げた。

 

 

 

 少年は水を噴出しながら縦横無尽に空を駆る。

 最初はゆっくりと。徐々に徐々にスピードを上げ、その場で好きに回り始める。

 身体を横に倒して風車のように回転し、箒を小刻みに上下させ、急上昇して弧を描く。

 ネビルの時とは訳が違う、緻密に計算され、制御された不規則な動き。

 少年は水の尾を引きながらフィギュアスケーターのように動き回り、観客に己が軌跡を魅せ付けた。

 

「……凄い」

 

 気付けば全ての者が動くのを止め、夕焼け空のキャンパスにアートを刻む少年を見ている。

 回転し、逆さまになり、螺旋を描く。

 複雑な動きに連動した飛沫は夕日を浴びて黄金に輝き、少年を照らしながら様々なものを形作る。

 少年を包む水のカーテン。周囲にばら撒かれる虹のシャワー。大小無数の水輪と水球。

 彼等はその身を散らして無数の水滴と化して尚、ダイヤモンドダストの如き輝きを宙に残す。

 光の余韻の漂う中、少年は一心不乱に夕日の舞台を駆け抜けた。そして、

 

「アリィ!?」

 

 ハーマイオニーの叫びは沢山の悲鳴に掻き消される。複雑な動きに付いてこれず、足を結んでいた紐が解け、少年が宙に放り出されたのだ。

 

「ハリー!?」

 

 今まで箒に乗ったまま観客の一人となっていたハリー・ポッターは弾かれたように動き出し、ロンの言葉も無視して急降下を開始する。

 未だ落下を続ける親友を救うため、速く、より速く、一陣の風になることを望み、ただ間に合うことだけを神に願う。地上まではもう二十メートルも残されていない。

 

(私としたことが何て失態を……ッ!)

 

 いつ惨事が起きても対処出来るよう杖を準備しているだけでは不十分。講師として、観客に回ってはならなかった。いくら芸術的な光景だろうと、その行為は否定しなくてはならない。危険行為を止める立場に自分は身を置くのだから。

 

「『アレスト・モメン―― 動きよ、止ま――』」

 

 遅れたがマダム・フーチは落下対策の魔法を唱え、ハリーは親友を助けるために箒で駆ける。地上まで残り十メートルを切り、その時。

 

「『アクシオ 箒よ来い』」

 

 

 

 ――その二人よりも早く、以前から習得していた呼び寄せ呪文で箒を足元に招き寄せる。

 

 

 

 落下スピードを殺さぬまま箒上に着地し、独楽のように身体をスピンさせながら降下を続ける。

 その際に水を出すことも忘れず、少年は水のベールに包まれながら見事演技を終了させた。

 全ては彼の計算通り。

 

「どうだった!? 箒版フィギュアスケート&ウォーターショー!」

 

 芝生に危なげ無く着地を終える。演技を魅せられた興奮から一気に肝を冷やした生徒達の間を抜け、ハーマイオニーの所まで辿り着いた所で。

 

 

 

 

 

 

 彼女の怒りが爆発した。

 

 

 

 

 

「どうだった、じゃないわ!? あんな高い所から落っこちて! 心臓が止まるかと思ったわよ!? もしかしてアレも演出!?」

「えー、でも成功する自信あったし。仮に失敗しても、あの高さなら地面に激突する前に先生が魔法でなんとか出来たよ、これ絶対」

 

 いつでも対処出来るようマダム・フーチが杖を用意していることを知り、かつネビルの件で落下してから魔法が発動しても助かる高さを学び、段取りを計画する。事前に計算してからあんな高所で演技を行ったのだ。

 紐の締め具合も、激しい動きで解けるタイミングもほぼ計算通り。そう素直に答えた少年の頭に拳骨が振り下ろされる。

 

「口答えしない! もうあんな危険行為は絶対にダメよ!? 分かった!?」

「えー……」

「お・へ・ん・じ・は?」

「……ふぁい」

 

 最後にもちもちスベスベのお餅みたいな頬を引っ張り、バチンッと弾いて罰を下す。真っ赤に腫らした頬と頭を擦る涙目の少年に怒りの眼差しを向けていた彼女は――深い溜め息を吐いてから、悪戯好きの弟を見る目で苦笑する。優しげな、そして感謝するような色を瞳に宿しながら。

 

「でも、凄く綺麗だったわ。ありがとう、アリィ」

 

 その後アリィは危険行為を行った罰としてかなりの減点を食らうも、それを咎めるスリザリン生は皆無だった。アレは減点分の代償を負っても見る価値があったと判断したのだ。

 それにアリィなら、この程度の点数くらい授業で直ぐに取り戻せると皆が思っている。

 この共通認識と信頼関係のお陰で、アリィの罪は問われることが無かった。

 

 

 

 

 そして一連の騒動を――具体的には親友を助けようと急降下を行い、地面スレスレで急ブレーキを成功させた卓越した技能の持ち主に目を向ける副校長がいたことに、終始誰も気付くことが無かった。

 

 

 




本日、18~20時くらいにもう一話更新します。
感想やコメント、メッセージの返信はそれまでお待ちください。


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第七話

 時刻が二十三時半を過ぎてもスリザリンの談話室は人で溢れていた。

 殆どはO・W・LとN・E・W・T(めちゃくちゃ疲れる魔法試験:通称イモリ)を今年に控えた五年と七年次生だが、その中で下級生と上級生が入り混じっているグループがある。

 そのドラコ達が屯っているテーブルとは別に、暖炉の側に陣取っている小さな影があった。

 

「えーっと、反転草の粉末が〇.二グラムで効果が約一時間。ドラゴンの血とウルフスベーンの混合液を併用することで効果が強まり持続時間も延びる……って言っても、ドラゴンの血なんて大量に手に入らないよなぁ」

 

 大事な試験を控えた彼らよりも沢山の本を並べ、『ドラゴンの血液の十二の活用法』とタイトルロゴが入っている本と、双子が集めた手元のデータを見比べているのはアリィだ。

 彼の周囲にはクシャクシャに丸められた羊皮紙の紙くずが幾つも転がっている。十月に控えた一大イベントのために準備中のアリィは、固まった身体を解すために大きく伸びをした。

 

「聞いたかアリィ!? ビッグニュースだ!」

 

 周囲の紙くずを一纏めにして暖炉に放り込んだアリィに駆けてくるのはドラコだった。その表情は喜色満面。青白い肌も興奮で少し赤く染まっている。

 今まで見たことも無い浮かれようだ。

 

「どしたのドラコ?」

「一年生でもクィディッチ代表選手になれるかもしれないぞ!」

 

 クィディッチとは魔法界で大流行のスポーツで、箒に乗りながらボールを投げ、ぶつけ、掴んで点数を競うゲームである。

 このゲームは危険が伴うため飛行訓練を終えていない一年は選手になることが出来ない筈なのだが。しかし先程までドラコと会話をしていたクィディッチのキャプテンによれば、その規則が撤廃されるというのだ。

 本当は明日にならないと正式発表されない内容を、キャプテンのマーカス・フリントは寮監であるスネイプから聞かされていた。

 

「僕は当然選抜試験に出るぞ。早速、父上に箒を送って貰わなければならない」

「ふーん。頑張れドラコ。『パック 詰めろ』」

 

 欠伸をしながら大量の本を愛用のバッグに仕舞うアリィを、ドラコは面白く無さそうに見下ろした。

 

「……やけに反応が薄いなアリィ」

「え? だって俺、クィディッチやろうとは思わないし」

 

 冷めた目つきは段々と驚愕のものに変わる。アリィの真顔からこれが本心だということが分かり、ドラコは叫ばずにはいられない。

 

「じゃあ選抜試験に出ない気なのか!?」

「うん」

 

 即答する彼に談話室内は一瞬だけ静まり返った後、

 

『もったいねぇええええっ!』

 

 この中にいる全員が悲鳴を上げた。

 

「考え直せアリィ!」

「その腕前でクィディッチをやらないなんてもったいないわっ!?」

「アリィが選手になれば優勝杯なんて楽勝なのに!」

 

 まだ残っていた同級生だけでなく、後輩から噂を聞いた上級生までもが勉強を中断する。各寮対抗のクィディッチ杯は直接参加しない寮生にとっても大事なことだからだ。優良選手の勧誘失敗は勉強を中断するほどの事態だった。

 

「アルフィー、本当に選抜試験を受けないのか?」

 

 言い争うアリィとドラコに近付くのはフリントだ。今年からキャプテンに就任した彼は険しい顔をしながらきょとんとしているアリィを見る。

 アリィの噂は当然フリントも聞いていた。一年の採用には普段よりも厳しい査定と寮監、審判であるマダム・フーチの承認が必要となるも、噂通りなら厳しい試験も苦にならず、教師陣は自分が説得すれば大丈夫とたかを括っていた。

 最優良株の興味無し発言に、フリントも黙っていられない。平常時でも不機嫌面と揶揄されるフリントを前にして、アリィは笑っていた。

 

「練習する時間があったら別のことやってる。だからマーカス、頑張って勝ってよ」

「フンッ、気が変わったら直ぐに言え」

 

 代表選手には厳しい練習が課せられる。趣味>飛行の優先順位をしているアリィにはクィディッチをしている暇が無い。いくら腕利きでもやる気の無い奴は使えないため、まだ勧誘を続けるつもりでいても、とりあえずフリントは鼻息を荒くしながら自室へと戻っていく。

 第一回目の勧誘はアリィに軍配が上がった。

 

 フリントの撤退を見て野次馬達も散ってゆき、また元の喧騒に包まれる。

 疲れを解すために肩を回してから、アリィは談話室の大時計に視線を移した。

 

「あ、ドラコ。そろそろ時間じゃない?」

 

 アリィはルームメイトに視線を移すが、直ぐに珍しく溜め息を吐いた。いつの間にか説得は無理だと早々に諦めていたドラコは、現在自らの武勇伝を目を惚けさせながらうっとりとしているパンジーに猛々しく語っている真っ最中。

 以前よりクィディッチの話になると凄まじいほどに饒舌になることをアリィは知っている。

 そうなるとドラコは止まらない 。ぶちゃけ、彼はすっかり約束を忘れているようだった。

 

「ハァ。しゃーない、ハリー達には俺から言うか」

 

 しょうがないなぁ、という顔で呟き、アリィは静かに談話室から出て行った。寮部屋ではなく、徘徊を禁じられている夜の廊下へと。

 

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 話は単純だ。ただ単にハリーとドラコが互いを嫌い、夕食時にたまたま会った際に思い出し玉の件をぶり返し、互いに決闘を申し込んだというだけ。

 時間は真夜中、場所は四階にあるトロフィー室。そこでハリーとドラコが杖だけで戦い、ロンとクラッブが介添人を務める。アリィはただの見学だ。

 本来なら規則破りの夜間徘徊と喧嘩を止めなるべきなのだが、アリィは二人の好きにさせることにする。

 それどころか好都合だと判断し、正直に言えばこの喧嘩を嬉しく思っている。

 どんな理由であれハリーの強気で積極的な姿勢を見られてアリィは満足だったのだ。

 

「――という訳でドラコは来ないよ。今日は解散!」

 

 ドラコが来ない説明を終え、その話を聞いた者達の反応は二通り。すなわち、怒るか安心するか。

 前者は直接決闘に関係があるハリーとロンで、後者はたまたま居合わせることになった残りの二人。

 怒髪天を衝いて地団駄を踏んでいる赤毛の少年の肩――は届かないので、ロンの腰をアリィがバシバシと叩いた。

 

「まあまあ、これあげるから機嫌を直してよロン。それでさ、ハーさんとネビルは何でいるん?」

 

 蜂蜜飴を渡しながらこの場にいる二人を見る。彼女達はこの件に関係が無い。そもそも優等生のハーマイオニーと小心者であるネビルが夜間徘徊に付き合っていることが解せなかった。

 

「私達は太った婦人が戻らないから寮に入れないだけよ。貴方達の決闘を止める気ではいたけど、着いてきたくて来た訳じゃないわ」

 

 ピンクのガウンを羽織ながら横にいるロンとハリーを睨み付けるハーマイオニーと、夜に一人で婦人の帰還を待つのが怖いので三人と行動することにしたネビル。

 説明されたら納得してしまう内容にアリィが頷くと、不意にトロフィー室の扉が開いた。

 そこに立っていたのは人間でもゴーストでもない。正体は一匹の猫。管理人のフィルチが飼う、彼の相棒。

 

「逃げろ! フィルチの猫だ!」

 

 この猫――ミセス・ノリスは別名フィルチへの窓口。

 直ぐにフィルチはここへ駆け付けて規則破りを捕まえ、罰則を科そうとするだろう。

 しかし現行犯でなければ白を切れる。猫を見た瞬間、彼等は脱兎の如く駆け出した。

 沢山の部屋と廊下を走り抜け、自分達でもどう走ったか分からないくらい四階を駆ける。途中で聞こえていたフィルチの声も聞こえなくなり、妖精魔法の教室まできて漸く、アリィ達は一息つけた。

 揃って壁に背を預け、ずるずると下がって廊下にへたりこむ。

 

「ふう……これでフィルチを撒け――」

「おやおやぁ? こんな時間に出歩いてる悪い子はだーれだ?」

 

 ――撒けた、と安心する声をハリーが出す前に教室から現れたのは、ポルターガイストのピーブスだった。

 厄介な奴に目を付けられたと舌打ちする数名の中でただ一人違う反応を見せるのは、ハリーに手を引かれていた天災である。

 

「お、ピーブスこんばんは」

 

 

 ザザザッ ピーブスは 逃げ出した

 

 

 ゲーム画面で表記されるならこれ以上適切な表現は無いだろう。アリィを見た瞬間に彼は逃げ出す。この分なら騒ぎ立てたりフィルチに告げ口する様子も無い。下手に干渉して天災と関わるのをあのポルターガイストは恐れていた。

 

「……僕、アリィがいるスリザリンが羨ましい」

「ロンは昨日ピーブスに水風船投げられたからね」

「ロンはまだ良いよ。僕なんてもう少しで花瓶を頭にぶつけられる所だったんだ」

「皆、ちょっと静かにして……足音だわ」

 

 夜中に静まり返った廊下では大きく聞こえる。

 誰かの足音――それも走っているような足音に、全員の背筋が凍りついた。

 皆は一斉に近くにある扉へ飛び付く。しかし、今は真夜中。鍵が掛かっているのは当然だった。

 

「ダメだ! どこも開かないよ!?」

「落ち着いてネビル! きっとアリィが鍵をピッキングしてくれるから!」

「ほほう、そう言われたら期待に応えるしかありませんな」

「アリィはともかくハリーが黒い!?」

 

 罰則の足音が近付くにつれ皆は上手い具合に混乱していく。頼りない男共を一喝し、諌めるのは、古来より女性の役目と相場が決まっているのかもしれない。

 

「貴方達、ちょっと黙ってて! 『アロホモーラ 扉よ開け』」

 

 適当な扉に当たりを付け、ハーマイオニーが唱えたのは開錠の魔法。扉の鍵が外れるカチャっという音が鳴り、全員が顔を綻ばせた。

 

「これで入れるわ!」

 

 雪崩れ込むように部屋を空け、扉に耳を近付けて外の様子を探る四人。残る一人は、部屋の状態に気付いて言葉を失う。

 蛇に睨まれた蛙のように全身金縛りにあったネビルには気付かず、鍵が掛かっていると信じてろくに調べず早々に立ち去ったフィルチに、ハリー達は歓声上げた。

 

「ふう、助かった」

 

 扉に額を付け、脱力した声を上げるハリーに同意するよう、ロンとハーマイオニーも安心して息を吐く。

 緊張しっぱなしで息を止めていた三人は、忘れていた呼吸の仕方を思い出したかのように空気を貪った。

 

「早く寮に戻りましょう。もう太った婦人も戻っていると思うわ」

「ここは城のどこら辺なんだろう?」

 

 早速帰る段取りを付けるハーマイオニーと、疑問の声を上げるロン。その答えを得ているのはアリィだけだった。

 

「立ち入り禁止にされてる四階の廊下でしょ? いやぁ、近いうちに来ようと思ってたから結果オーライ」

 

 その答えに三人は凍り付く。

 四階の禁止された廊下。それは始業式で校長から恐ろしい死を迎えたくなければ近付くなと通達された廊下だった。

 そこにいる自覚が無いにしても、アリィの言葉を否定する材料が見付からないい。

 見る見る内に青ざめていく三人だが、既に顔面蒼白の者がいることに、彼等はまだ気付いていなかった。

 

「ねえ……ねえ、皆……」

 

 しかし、やっとのことで金縛り状態から脱したネビルのか細い声に、この場にいる全員が気付かない。

 罰則を恐れない親友の意思を砕くことに必死で、袖を引っ張られている感覚もハリーには無かった。

 

「ということでちょっと探検してから帰る」

「ダメだよアリィ! 恐ろしい死が待っているってダンブルドアが言ってただろう!?」

「そうよアリィ! 貴方、こんな風に夜更かしばっかりしているから身長が伸びないんだわ!」

「君も変な所でズレてるぞ!?」

 

 真っ暗の廊下を突き進もうとする子供を全員で止める。そこに、

 

「ねえ、皆!」

 

 ネビルとは思えない程の大声を聞き、全員が動くのを止めた。

 

「どうしたのネビ……」

 

 首を傾げるハリーの声は途中で細くなり、言い切る前に空気に溶ける。目の前の現実が受け入れられず、全員が言葉を失った。

 すると五人が気付くのを待っていたかのように、目の前の巨体が活動を開始する。

 伏せの状態から立ち上がり、荒々しく獰猛な唸り声を上げ、鋭利な牙が満載する口から周囲に涎を撒き散らす。

 目算で十メートル。真っ黒い毛を持つ巨大な三頭犬――神話の中でのみ語られる地獄の番犬ケルベロスが、アリィ達の前に巨体を晒した。

 

『あぁあああああああああああっ!?』

『ガァアアアアアァアアア、アアアアアアアァアアアアァアアアアァアアアアアッ!』

 

 皆が目を見開き、口を大きく開けて腹の底から悲鳴を上げる。その全員分の叫びを相殺する程の雄叫びを上げる三頭犬に、全員の身体が恐怖で震え上がった。

 ただ一人を除いて。

 

「お、うおぉおおおおおおっ!」

 

 驚きの声を上げるという点ではアリィも例外ではない。ただ、その叫びには未だかつて無い程の興奮と喜色が宿っている。

 

「おおお、おい犬! お、おおおお手――」

「お手なんて言ってる場合じゃないよアリィ!?」

「何でそんなに目を輝かせていられるの!?」

「そんなことしたら自分が潰されるぞ!?」

「………………」

 

 ハリーは宝の山を見詰めるような目をしている子供の手を引き、ハーマイオニーが扉を開け、気絶しそうなネビルをロンが押す。

 三頭犬に襲われる前に禁じられた廊下から脱出し、安全と分かっていても彼等は走るのを止めなかった。

 一心不乱に逃げる彼等は、今日の体験を当分忘れられないに違いない。

 四人は恐怖で。そして怖いもの知らずの天災は、あの生き物に出逢えたことを神に感謝し、自らの記憶に怪物の姿を刻み付けた。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 翌日早朝の薬草学が運良く休講になり、アリィはそれを天の采配だと確信する。

 ドラコ達が談話室で急に訪れた自由時間を謳歌している時、アリィは再び四階にいた。その小さな手に、厨房で分けて貰ったビーフの塊を持ちながら。

 

「ふっふっふ。あの犬、喜ぶと良いなぁ」

 

 籠の中にある塊は巨大だが、それでも精々二キロほど。それだけではあの巨体の腹は満たされないだろう。

 肥大化の魔法を習得していて良かったと嬉しそうに肉へ食らい付く三頭犬を想像し、アリィは顔を綻ばせた。

 神話に登場する伝説の怪物。あれほどカッコ良く、自分の関心を引いた生き物など今まで存在しなかったのだ。

 そして廊下へと続く扉の前に立ったところで、

 

「ここは立ち入り禁止と言ったはずじゃよアリィ」

「あ、ダンブルドアだ」

 

 昨日と同じように開錠の魔法で中に入ろうとしたアリィの肩を叩くのは、立派な銀の口髭を携えた半月形の眼鏡を掛けた鉤鼻の老人。

 このホグワーツの校長であり、今世紀最大と誉れ高い偉大な魔法使い。

 アルバス・ダンブルドアが、いつもの微笑みを見せながらアリィの背後に立っていた。

 ちなみにダンブルドアがここを訪れた理由は、毎朝の日課となっている三頭犬の餌やりである。

 

「ちょうど良かった。一生のお願い! あの犬ください!」

 

 この突拍子も無いお願いにも動じず、笑みを崩さないこの老人は大物中の大物だろう。

 

「おや、アリィはこの中にいる生き物のことを知っておるのかな?」

「道に迷って中に入ったらケルベロスがいた!」

 

 鍵が掛かっていたのに迷ったも糞も無いが、ダンブルドアは特にその疑問には触れず初めて困ったような素振りを見せた。

 口髭を撫でる老人の声色は困り果てたようで、それでいて頬は面白そうとも感じている素振りを隠せていない。

 この老人、結構いい性格をしているのかもしれない。

 

「ふーむ。困ったのう。あげたいのは山々じゃが。あの三頭犬はハグリットからの借り物なのじゃ」

「じゃあハグリットから許可を貰えばオーケー!?」

 

 その通りとでも言うように頷いたダンブルドアは、今度は口の前に人差し指を持ってきて「秘密じゃよ」と囁いてから、期待で目をキラキラと輝かせているアリィと視線を合わせた。

 

「実はのアリィ……あの三頭犬、フラッフィーは、ここである物を守っておるのじゃ」

「それってグレートポチ太郎の後ろにあった扉?」

 

 既に名前があるにも関わらず勝手に命名したアリィの言葉通り、あの三頭犬の背後の床には扉が存在した。フラッフィー改めグレートポチ太郎は、その扉を守るためにダンブルドアの手で配置された門番。

 つまりここで三頭犬がいなくなるのは、優秀な見張りを失い、守る対象を危険に晒すのと同義。その解決策としてアリィが提案したのは、

 

「じゃあ俺が罠を仕掛ける! 誰も通れないようなのを仕掛けるから、それならアイツもお役目御免でしょ!?」

「そうじゃのう。それとアリィ、今後はちゃんと授業を――」

「受ける受ける! 模範生にでも何でもなるから、この通りお願いしますダンブルドア様!」

 

 言質は取ったり。このためなら一度の規則破りくらい大目に見ると寛大な心を見せる校長は、目的通り最後の条件を飲ませることが出来て眼鏡の奥の瞳をキラリと輝かせる。

 成績は優秀なのだが授業態度に問題があると、前々から職員会議で問題になっていたからだ。

 

「して、アリィや。いったいどんな罠を仕掛けるつもりじゃ?」

「えっと、今ふと考え付いたのは――」

 

 

 

 

 そして今から二週間後、ダンブルドアから教師陣並びに生徒達へ禁止事項に関することで改めて通達があった。

 その通達とは禁止された四階の廊下に関することであり、掲示板に張られている生徒用の注意書きにはとある一文が加えられることとなる。

 その一文とはズバリ。

 

 

 

 死ぬ前に天災の被害に合いたくなければ金輪際近付かないこと

 

 

 

 言わずもがな、効果は覿面だった。

 

 

 




次回は二・三日後くらいに幾つか纏めて更新する予定です。
誤字や脱字、ご意見やご感想がありましたら是非ご連絡ください。


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第八話

 彼――いや、彼等は窮地に立たされていた。

 元々分が悪い賭けであることは彼等にも自覚がある。それでいて尚、目的のために緻密な計画を積み重ね、幾重もの修羅場を潜り抜け、漸くここまで辿り着いた。

 彼とその主人が是が非でも手に入れようとしているものはホグワーツに存在する。その物を守るのは各教師であり、それぞれが強力な魔法なし罠を仕掛けて厳重に守護しているが、彼も教師の一人なため情報を集めるのは容易い。

 その中で唯一情報を入手出来なかったのが第一の関門であり、扉を守る何か(怪物)についてだった。

 

(何がアレを守っているかを調べるつもりだったが、何がペットだ! まだ三頭犬の方がマシだ、くそッ!)

 

 あのイレギュラーの所為で難易度が跳ね上がってしまった。怪物について調べるのと罠について調べるのでは勝手が大分違う。

 後者の方が遥かに時間が掛かり、それでいて見た目から判断出来ないため対抗策を練るのが難しいからだ。

 しかも罠を仕掛けたのはホグワーツ史上一の天才と名高いあの少年。魔法と科学に精通する麒麟児。

 どのような罠か想像も出来なかった。

 

(それでも……やるしかない)

 

 既に賽は投げられた。今更後戻りは出来ないし、するつもりも無い。

 

 全てはご主人様のために。

 全てはご主人様から絶対の信頼を得るために。

 

 彼はご主人様と共に計画発動日を待つ。

 おそらく今世紀最大の天才が作る、最凶最悪の罠の詳細を調べるために。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 ホグワーツの新学期が始まってから一ヶ月が経ち、新入生も学校に慣れ親しんできた頃だ。

 時間によって動く階段も、ある一定の行動を取らなければ開かない扉も、最初は戸惑ったが今はもう熟知している。

 そんな新入生の一人であるアルフィー・グリフィンドールは、真っ暗闇の夜にポツポツと窓を打ちつける雨音をBGMに、ベッドの上で大量の羊皮紙を見比べている。

 

「ハロウィンまであと数週間。それまでに最適な調合比率を見つけなくちゃ」

 

 それに調合場所を確保するのも容易ではない。

 誰にも見付からずそれなりのスペースを確保出来る場所。教室のように誰かが訪れるような場所ではなく、普通なら決して近付かない最適な空間。

 以前ゴースト捕獲用の網をゲットした部屋が候補に上がるが、あれ以降部屋が開くことは無かったので諦めるしかない。

 

 作業開始は夢の作業場を見つけてから。それまではこうしてデータや計算式と睨めっこの日々だ。

 

「あ、そっか。この分量だともう少し多くした方が良いかも。そうなると――」

「アリィ! ブツブツ言ってないでコイツをなんとかしろ!」

 

 スリザリン寮の自室にいるのはアリィとドラコ。そして、数日前に同居人となったとある生き物。

 校長と取引を交わし、ハグリットと交渉を終えて手に入れた、魔法界でも稀有な存在。

 三つの頭を持つ黒犬。地獄の番犬と異名を持つ強力な魔法生物――ケルベロスのグレートポチ太郎は、ドラコに飛び掛って尻尾を振っていた。

 

「良かったなぁポチ太郎。ドラコが遊んでくれて」

「お・そ・わ・れ・て・い・る・ん・だっ!」

 

 十メートルの巨体もアリィの掛けた収縮魔法の力により今はその体長を十分の一にまで縮めている。

 ドラゴンと同じで強い対魔法力を持つケルベロスに長期効果の及ぶ魔法を掛けたアリィの力は、もはや並みの魔法使いの腕を凌駕していた。

 

「んなオーバーな」

 

 ケラケラ笑う幼い発明家を見上げるドラコの目は必死だ。

 顔中を涎でベトベトにしながら不満の声を漏らそうとした彼は、再び飛び掛ってきた三匹の波状攻撃に屈服せざるを得ない。

 

「ほら、じゃれてるだけだって。襲われてたら今頃ドラコは肉片だよ、肉片」

「それは笑顔で言うことじゃないっ!?」

 

 事実、世にも珍しい三頭犬はドラコに懐いて構ってもらいたいだけだった。それは鋭い牙で噛み付くこともせず、尻尾を限界まで振り続けている様からも窺える。

 今アリィは動物除けのアクセサリーを身に付けていない。『動物好かれ』のアリィは現在、ホグワーツ一の魔法生物調教師なのだ。

 本来なら性格の荒い三頭犬も今は主人が大好きな大型犬に過ぎず、主人の嫌いなことをポチ太郎がするはずもない。また事前に行っていたハグリットの調教により命令が無い限り生徒を襲わないよう教育を受けていたポチ太郎がドラコを襲う可能性はゼロに近かった。

 

 その事を知らないドラコの心労は如何程のものなのだろうか。

 

「きっと選抜に落ちたドラコを慰めようとしてるんだって」

「蒸し返すのは止めてくれないかっ!? ……しかし、僕に実力が無いって訳ではない。今回はたまたま、そうたまたま調子が悪かっただけだ! そうに違いない!」

 

 クィディッチ代表選手に一年を加えると言ってもそれで弱くなっては本末転倒。必要なのは先輩方を差し置いて力を発揮出来る猛者であり、それ以外は必要無い。

 結局スリザリンでは選抜試験の結果、一年を登用することは無かった。

 

「常に実力を発揮出来なくちゃ意味が無いんじゃない?」

「うるさいぞアリィ。クソッ、ポッターの奴が選ばれて。僕が選ばれないだなんて……っ!」

 

 どうもハリー・ポッターは選抜試験抜きでマクゴナガルの推薦で登用された、という噂が生徒間で持ち切りになっている。

 今年から制度が変更されたのも、一年のハリーを代表選手に入れたいがためにマクゴナガルが無理やり校長を説得し、制度を捻じ曲げたという専らの噂だ。

 

「ふんっ、しかしこれはグリフィンドールの選手層が薄い証拠だ。何故なら、ポッターを採用するくらい奴等は切羽詰って……うわっ!? こら、止めろ、この駄犬っ!」

「しょーがないな。大人しくしてなさいポチ太郎。『スコージファイ 清めよ』」

 

 仕方が無いので三頭犬を招き寄せるアリィ。尻尾を振りながら形見のペンダントにじゃれ付く犬をやんわりと宥め、頭を順番に撫でてから杖を一振り。ドラコの顔を綺麗に清める。

 飼い主と飼い犬のじゃれ合いを見詰めるドラコの目は徒労に満ちていた。犬を飼いたいというアリィのお願いを受け入れた昔の自分を笑ってやりたい。……まあ、犬=三頭犬の構図を見抜ける奴は早々いないので、ドラコに非が無いのは明白だが。

 

「アルフィー」

 

 ふいに部屋の扉が開く。

 深く、それでいて重い印象を受ける男性の声。

 スリザリン寮の寮監セブルス・スネイプが生徒の部屋を訪れることなど過去に無く、ドラコは緊張で背筋をピンッと直立させた。

 

「はいはい、どしたの寮監」

 

 構って欲しそうにクゥ~ンと鳴く愛犬に後ろ髪を引かれつつ、扉に近寄るアリィの声は軽い。あのスネイプに友人のような調子で声を掛ける生徒など彼一人に違いない。

 その馴れ馴れしい態度にスネイプは眉根を寄せた。

 

「言葉遣いを改めろと何度も言ったはずだぞアルフィー」

「はーい。それで、どうしたでありますかスネイプ先生?」

 

 軍人のように敬礼するアリィに内心で溜め息を吐き、彼は場所を変えようと進言してから部屋を出る。アリィが彼の後を追い、辿り着いたのはスネイプの研究室だった。

 壁に並ぶ無数の棚には様々な魔法薬が並び、薬草棚にはぎっしりと薬草が詰め込まれている。

 小さなキッチンの近くにポットとティーカップを発見し、椅子に着席する前にアリィはポットを手に取った 。

 

「先生紅茶は?」

「……貰おう」

 

 まるで自室のような気軽さでティータイムの準備を進める彼を、スネイプは冷静に分析する。

 常人とは違う思考回路を持っている稀代の天災。生徒からある意味恐れられている自分に気後れすることなく、どこまでも地を往くマイペースな少年。

 そのぶれない心は、時として何物よりも強き力となることをスネイプは知っている。

 彼の闇の帝王でさえ、彼を篭絡することも惑わすことも出来ないに違いない。

 少年の在り方は、まるで太陽。闇に堕ちた住人さえも照らす善の光。あの生き残った男の子と同じで闇の帝王の対極に位置する存在。

 

 喜々として紅茶を淹れる彼の無邪気さは、スネイプにとっても眩しく映る。

 

 故にスネイプは授業態度やトラブルメーカー振りを抜きにしてアリィのことが苦手だった。自分とは決して相容れない存在なのだから。

 

 湯気と香りの立つカップを運んできた所で、重要な話が切り出された。

 

「アルフィー、校長は君が閉心術を学ぶことを望んでおられる」

「閉心術って、あの?」

 

 閉心術とはその名の通り心を閉じる魔法だ。相手の心を暴き、記憶を覗く『開心術』に対抗する唯一の手段。

 

「君は大変危険で重大な秘密に首を突っ込んだ。あの罠の詳細を知るのは君と校長のみだが、それを君から奪おうとする輩が出るかもしれない」

「だから閉心術か。りょーかい」

 

 それは当然の処置だった。盗人にとって一番の難問はどう考えても最初の関門に他ならない。

 もし守っている物を盗もうとするのなら、盗人は必ず罠を仕掛けた本人に接触する。校長と生徒では、圧倒的に後者から情報を抜くことの方が容易なのだから。

 

「じゃあ今から図書室行って勉強か。しょーがないけどやることが増えちゃったなぁ」

「その必要は無い。我輩自ら閉心術を伝授してやろう」

 

 スネイプは魔法界でも数少ない『開心術士』であり『閉心術士』。教えを請うならこれ以上のカードは無いだろう。

 早速、個人レッスンが開始される。

 

「今から我輩が開心術を使い心を暴こうとする。それを君は全力で防ぎたまえ」

「方法は?」

 

 閉心術には呪文が存在しない。そして閉心術を成功させる上で一番大事なのは確固たる意思を持つこと。

 絶対に心を覗かせない。心を開いてたまるかという強い意思。心を閉じるイメージを持ち、相手に自分を曝け出さないと強く想う。

 その意思が強ければ強いほど、術者の魔力と潜在的な能力が高ければ高いほど、閉心術は強く作用する。

 マグル風に言うなら一種の自己暗示だ。

 

「方法は問わない。盾の呪文を唱えるも良し。強く願うも良し。とにかく、我輩を心に侵入させないことだ」

「アイサー。いつでもどうぞ」

 

 席から立ち、杖を構えるアリィはどこまでも自然体。失敗すれば身の内を曝け出すというのに、少年は心を揺らさない。

 

「いくぞ。三、二、一……『レジリメンス 開心』」

 

 杖から放出された不可視の力が心を侵す。

 少年の過去――その昔、かの偉大な発明家が幼い孫に杖を向ける姿がスネイプの脳内に投影される、その寸前――、

 

「嫌だッ!」

 

 少年の意志が言葉と共に放出され、過去が暴かれる前に心を閉ざすことに成功した。

 

 

 

 果たして、この過去が明るみにならなかったのが正しいことだったのか。一つ言えることは、少年は自らの知らない記憶を知る唯一の機会を失ったという点のみ。

 

 

 

「ふぅ。これで良いの?」

「……ああ、見事だ」

 

 まさか一発で成功させるとは。しかし、彼の常人離れした魔法素質を考えれば、これは必然なのかもしれない。

 難解な閉心術を一度で完璧にやり遂げた少年を、スネイプは畏怖にも似た念を込めて見下ろしていた。

 

 

 

 

 スネイプ先生の楽しい閉心術講座~これで君も閉心術士だ!~

 

 

 

 

 

 開始三分で卒業。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「よし、完成!」

「何なのそれは?」

 

 ハロウィンを明後日に控えた今日。授業後のトイレで聞こえるのは二人の会話。

 一方は普段使われていない女子トイレに胡坐をかき、先程から魔法薬の調合を行っていたアルフィー・グリフィンドール。

 もう一人は彼の後ろから覗き込む銀色の霞。この女子トイレに住む眼鏡少女のゴースト『嘆きのマートル』だ。

 

 ゴースト捕獲事件でアリィを恐れている一人であったマートルも、当初は逃げ出していたが彼が無害と分かるや否や、こうして積極的に話をするようになっている。誰も訪れない女子トイレに住む彼女としては、話し相手が現れるのは喜ばしいことだったからだ。

 

「これ? 俺お手製オリジナル魔法薬第一号」

 

 得意気に鍋の中身をお玉ですくい、ガラス瓶に満たされたのは緑色の液体だった。

 しかしそれは不快感や喜色悪さを煽る類の暗いドロドロとした色ではなく、若草のように瑞々しい薄い緑。

 

「あとはこれをお菓子に混ぜるだけ。明後日が楽しみ楽しみ」

 

 嬉しそうに小瓶を揺らす彼の周囲には様々な調合機材や材料が乱雑に置かれている。

 マートルがいるこの女子トイレを訪れる者はいない。だからこそ、ここは秘密の実験場であり、機材や材料の保管場所であった。

 そんな幼い発明家の簡易実験場に訪れる者達が現れる。数は三。何れもアリィと志を同じとする彼の同志達。

 

「「アリィ!」」

「来たぞ同志よ!」

 

 鞄を両手に持つ双子とリーが、楽しそうな笑みを浮かべてアリィの側まで歩み寄った。共に作業を進めるためだ。

 三人の参戦に満足そうに頷いて、アリィ(計画立案者)は大仰に立ち上がる。三人を見る目に乗せるのは、絶対の信頼。

 

「じゃあ俺は今から試作品を作ってくるから。調合表はそれね」

「オーケー。量産は任せろ兄弟」

 

 フレッドが親指を立て、残りの二人は早速作業に取り掛かっている。

 持ってきた乾燥薬草の類を刻み、擂り潰し、慎重に秤で測るのを一瞥し、アリィは出口へと足を進める。

 しかし、それも背後からの声に立ち止まることになったが。

 

「っと、悪いアリィ。ちょっと見てもらいたいブツがあるんだ」

 

 そう言ってジョージが懐から取り出したのは古ぼけた羊皮紙だった。何重にも折り畳まれて黄ばんだ様子から、それが少なくとも十年単位の年月を経ている事が分かる。

 

 一見ただの羊皮紙であり、アリィは首を傾げた。

 

「何それ」

「以前フィルチからパクったんだ。多分なんかの道具だと思うんだけどよ、いっくら調べても用途が分かんなくて困ってんだ」

「そっちが調べて分かんなかったのを俺が分かる訳ないじゃん」

 

 確かにアリィは天才発明家だが、それはまだ未来のこと。魔法界入りを果たしたばかりのアリィは知識が偏っており、オールマイティーに物事に精通しているとは言い難い。

 理論の構築と理解、発想力は現時点でも優れているが、機械やカラクリとは勝手の違う魔法具の分析に関してはまだ双子達に一日の長があった。

 

「本当に何も分からなかったん?」

「ああ。一度文字が出てきたんだけどよ、何故か『経験が足りない』って叱責されちまった」

「……今度ドラゴン退治にでも行く?」

「命が幾つあっても足りないってーの」

 

 結局、経験不足の意味は分からず仕舞い。そしてフィルチの戸棚から拝借した羊皮紙の素晴らしさを知る事になるのは、来年になってからだった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 待ちに待った十月三十一日。

 この日は夜にハロウィンパーティーが開かれるため生徒達は浮き足立っている。それは各教員にも言えることなのだから、どれだけの人が夜を楽しみにしているかが窺えるだろう。

 そしてこの日の授業は全て半ドン。つまり、金曜と同じで午後は全部休講を意味する。

 夜を楽しみにし、早くパーティーが始まれば良いと願っている者に混じり、一人の少年は厨房付近の絵画の下に座っていた。

 この絵画の住人は『双子の花屋』。ハッフルパフ寮の入り口を守る門番だ。

 

「……そっか、こうやれば良かったんだ」

「あら、何か思い付いたのかしら?」

「うん。インスピレーションが沸いた。ありがとね二人とも」

「「どういたしまして」」

 

 新たな発明品のアイデアが思い浮かび、アリィは双子の女性に微笑ましく見られながら一心不乱に手帳に書き込む。

 本来の目的も忘れ、それはもう手が霞む勢いで手帳にペンを走らせた。

 それを見守るのは双子の絵と、そして、

 

「ほら、やっぱりあの子よ」

「ホントだ。噂の天災君が誰かを待ってるのか?」

「アリィっ!?」

 

 いつの間にかハッフルパフ生が集まっており、その中の一人の声に反応し、アリィが顔を上げる。数人の友人と共にどこからか帰ってきたらしい友人に、アリィはニカッというと擬音が聞こえてきそうな顔で笑いかけた。

 

「はい、セドリック」

「や、やぁ、アリィ……いったいどうしたんだ?」

 

 アリィが笑いかけ、そして半歩下がって顔を引き摺らせている男子生徒の名前はセドリック・ディゴリー。

 アリィより二学年上の、灰色の瞳を持つハンサムな青年だ。

 いつもは寡黙で冷静な彼がここまで狼狽するのを見たことが無く、友人達は揃って首を傾げている。

 

「待ってたよセドリック。誰かに呼んでもらう手間も省けて良かった」

「そ、そうか」

 

 とても血色の良い肌を見せるアリィとは対照的にセドリックの顔は青白い。

 アリィがセドリック・ディゴリーと出会ったのは夏休みのダイアゴン横丁。その時のことを思い出し、セドリックの身体は小刻みに震えだす。

 親切心からアリィを助け、そしてトラブルに巻き込まれ、尻拭いまでされた彼。

 あの夏の出来事は、辛いことばかりでは無かったもののしっかりとトラウマとして脳裏に刻み込まれていた。

 彼の眼に、アリィは天使ではなく悪魔のように映っていることだろう。

 

「さて問題です。今日は何の日でしょう?」

「…………………………ハロウィン、であってるよな?」

 

 警戒心剥き出しで答え、「正解!」と拍手を貰うセドリック。一挙一動が子供っぽく、その姿を見て癒されている友人達のように振舞えればどんなに良かったことか。

 彼は初めて出会った時の、まるで世話の掛かる弟を見るような目は、もう一生出来ないに違いない。

 

「ということで、はい。お菓子をあげよう。寮の皆で食べて」

 

 手渡されたのはバスケット一杯のカップケーキだった。

 一口サイズでふんわりとした生地から匂うのは柑橘類の香り。

 彼の料理の腕前は蛇寮や獅子寮から彼らにも伝わっており、友人達は美味しそうなカップケーキを宝物を見る目で、そしてセドリックは起爆三秒前の爆弾を見るような目で胡散臭そうに眺めていた。

 

「……………………ありがとう」

 

 どんなに怪しくても受け取ってしまうのは彼が心優しいハッフルパフ生である所以。

 渡すものも渡し、アリィは直ぐさま走り去ってしまう。

 獅子寮と鷲寮は双子とリーが、蛇寮と穴熊寮はアリィが担当。

 十月三十一日午後十四時。こうして全ての種はばら撒かれた。あとは悪戯という名のゲームが芽を出すのを待つばかり。

 

 

 



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第九話

 談話室のソファーに身体を沈めているロン・ウィーズリーは、物思いに耽る表情で床の絨毯の一点を見詰めていた。

 自身がとある少女にしてしまった行為が脳裏を過ぎり、その度に彼は苦悶の表情を取ることとなる。友人と手分けして彼女を探しても無駄に広い校内を完璧に捜索するのは難しく、もしかしたら寮に帰ってきているかもという望みを込めたが、結果は見ての通りだ。

 彼の暗い表情が全てを物語っている。

 

「……ハァ……」

 

 出来ることなら、まだ戻ってきていない友人が彼女を連れて帰ってくれれば。そう願いを込めてから脱力し、更に身体をソファーに委ねる。

 身体と共に心まで罪悪感に沈んでいった。

 

「ロン、何辛気臭い面してんだよ」

「まあ、何があったか知らないけど。これでも食って元気だせって!」

 

 後ろから肩を叩かれる。振り返って見れば、そこに居たのは自分の兄である双子達。フレッドとジョージだ。

 肩をバシバシと何度も叩かれ、彼等の友人であるリーが笑顔でバスケットを差し出した。

 

「これは?」

「「噂の天災からの差し入れだ」」

「ここにいる皆にも配ってくれだってよ」

 

 無言で暫しの間カップケーキを見詰め、ゆっくりとロンは手を伸ばす。

 この暗い気持ちを食べることで誤魔化そうと考えたロンに続き、談話室にいた生徒全員がカップケーキを手に取り始める。

 ハリー達のお陰でアリィのお菓子は有名になっており機会があれば食べてみたいと誰もが思っていたのだ。

 こうしてカップケーキがこの場にいる全員に行き渡り、ロンが口にしようとした所で、

 

「ダメだよロン、ハーマイオニーはどこにも……フレッド、それは?」

 

 皆が一斉に食べ始める前に、ハリーが寮に戻って来た。

 

「アリィからの差し入れだ。皆で食ってくれってよ」

「ハリーも食べるだろ?」

「ほら」

「………………」

 

 リーに差し出され、それを受け取ったハリーの目は物凄く懐疑的だった。とても胡散臭そうな目をしている。

 しかしその目に気付く者は誰も居らず、改めて美味しそうなお菓子を食べようと口を開き、

 

「あの悪戯大好きのアリィが、わざわざハロウィンの日にお菓子を差し入れ? しかもフレッド達の手渡しで」

『うッ!?』

 

 ハリーの呟きを聞いた全員の動きがピタリと停止した。

 そして穴熊寮の彼等のような宝物を見る目は、セドリックのように爆弾や毒薬を見るような目に変化していく。

 視線をお菓子から配布人に移す頃には、彼等の眼に批難の色が含まれていた。

 その視線に圧され、思わず三人は一歩後退して冷や汗を掻く。

 

「おいおい。ちょっと待てよ皆、俺達を疑ってるのか?」

 

 当たり前だ、と言いたげな視線にたじろぎ、ジョージはバスケットに残っていたカップケーキを一口で完食する。それにフレッドとリーも続く。

 しばらく待っても何も起きないことに皆は心の底から安堵した。

 

「「ほら。これで不安は無いだろ?」」

「人の好意は素直に受け取っとくものだぜ」

 

 毒味をした双子とリーの言葉が決め手となり、談話室にいた生徒全員がカップケーキを頬張り、その極上の味に舌鼓を打つことになる。

 それは獅子寮を除く他三寮も辿った道だ。

 そして、獅子寮の者はまだ知らない。

 この時、少し早くカップケーキを口にしていた三寮で、阿鼻叫喚な光景が繰り広げられていたことを――。

 

 彼等はそれをカップケーキを食してから五分後に身をもって知ることになった。

 最初の犠牲者は意外な人物だ。

 

「そんじゃ俺達は自室に……ぐわへっ!?」

 

 階段に向おうとしたジョージの頭上に何かが浮かび、それが赤く点灯したかと思えば、唐突に身体を浮かせて反転し、頭から真っ逆様に落下する。

 続いてフレッドとリーの頭上にもあのマークが――黄色と青色のビックリマークがそれぞれ出現し、点灯後直ぐに同じ末路を辿った。

 そして効果はカップケーキを食べて五分が経過した者全員に現れる。それは押し寄せる波のように。

 談話室に居た者は例外無く、盛大に身体を転倒させた。

 

「な、なんなんだコレは!?」

「身体が勝手に……きゃっ!?」

 

 頭から落ちたにも関わらず彼等にダメージは見られない。注意深く観察すれば、地面に衝突した頭部がスライムのように凹んでいることに気付いただろうが、全員が自分の身体に起こった不思議を理解するのに必死で気付かない。

 痛みは無く、ただ勝手に身体が逆さまになって転倒する。

 それには時間差があるのか連続して転倒する者も居れば、最初の発動から全く変化が見られない者まで見受けられる。

 事態の収拾と仕掛け人を断罪する目的で、双子の兄であるパーシー・ウィーズリーが声を張り上げた。

 

「おい、フレッドとジョージ、それにリーも! いったいこれはどうなっているんだ!?」

 

 叫んだ後に彼もまた身体を転倒させる。ゆっくりと身体を起こすパーシーに答えることもせず、仕掛け人達は揃って首を傾けた。こんな事態、彼等にとっても想定外なのだ。

 

「おいおいおいおい、俺達は事前に中和剤を飲んで……」

「まさかアレは嘘で俺達もターゲットの内なのか!?」

「そんなのってアリかよ!?」

 

 ここで漸く彼等も自分達が騙される側だと気付く。全ては、元々疑われないためにカップケーキを食べるよう仕向けていたアリィの計画通りにことは進んだ。

 

「ねえ、コレを見て!」

 

 白のビックリマークを頭上に浮かべるパーバティ・パチルが見つけたのは、『フレッド・ウィーズリーへ』と宛書された赤い手紙。

 これには魔法族出身者が例外なく凍りつく。

『目くらまし術』を掛けられてバスケットの底に貼り付けられていたのは、全ての人が恐怖する厄介な手紙。恐怖の象徴である吼えメールは彼女の手から放れ、自動的に談話室に舞い上がった。

 そして手紙の封印が解かれる。

 

『はーい、どうだった!? 俺の特製カップケーキの味は!?』

 

 手紙から響くのは高笑い交じりの子供の大声。ドヤ顔が如実に想像でき、凄く聞き覚えがある声に、この声の主を知っている者は憤りを感じる前に天を仰いだ。

 ああ、教師や幼馴染の彼だけでなく、ついに自分達も被害に遭うことになるのかと。

 

『もう効果は発揮された? それは口にしてから五分後に効果が現れる、名付けて『転倒薬』というオリジナル魔法薬が仕込まれた特製お菓子だったのだ!』

 

 転倒薬。

 元は異物が体内に侵入してから短時間の内に時間が巻き戻る様に排出を図るタイプの解毒薬に用いられる、稀少素材の反転草を軸にし、再生と破壊効果を繰り返す『リンネ草の根』と十数種類の材料を加えたオリジナルの魔法薬だった。

 すなわち反転草の効果成分をリンネ草で破壊し、しかるべき時を経て再生させる。あとは効果発動の繰り返し。

 転倒薬の効果が発動し、次にまた効果が発動する時にタイムラグが発生するのは、効果の再生に時間が掛かるからだ。

 更に調合時に加えた『浮遊クラゲ』は身体がひっくり変える時に作用し、ゴムのように身体が伸びる『柔軟ナメクジ』は地面に衝突する寸前に頭部をスライムのように柔らかくする。

 

 痛みはなく、ただランダムに身体が上下に反転する悪戯用の魔法薬。それがアリィの開発したオリジナル魔法薬第一号『転倒薬』だ。

 

『持続効果時間は約半日! このままだと皆は楽しみにしていたハロウィンパーティーを時たま上下逆さまにひっくり返りながら過ごすことになっちゃうよ!』

 

 今から二十数年後、とある人物の幼馴染は自身の息子にこう語ったと云う。

 

 

 

 

 

 ――確かにあの時、皆の怒りで時空が歪んで見えたんだ。

 

 

 

 

 

『解毒薬が欲しかったらパーティーまでに俺を捕まえてみるんだね! わーっはっはっはっ!』

 

 転倒薬を摂取した時間に差はあれど、混乱する生徒達がタイマーセットされていた吼えメールを耳にしたのは同じタイミングだった。

 

「……アリィ、君ってやつは……っ!」

 

 同刻。

 心優しい者が集まる寮で、皆に悪夢を配ってしまったことに罪悪感を覚える一人のイケメンがピンク色のマークを浮かべながら呟き、

 

「……グリフィンドールめっ!」

 

 知的な者達は噂の天災の被害に遭い、初めて戦慄し、

 

「アリィ、あの駄犬ごと外出したから変だと思えば、こういう理由だったのかっ!」

 

 出て行く際にお菓子を配るよう頼まれたルームメイトは、心の底から怒気を溜め、

 

『…………』

 

 最後にお菓子を食べた獅子寮の者達は、無言でプルプルと身体を震わせる。

 

 十月三十一日の十四時十五分。

 この時、

 

『…………あ、あの野郎ぉおおおおおおおおおおおおおーーーッ!?』

 

 

 

 被害に遭った総勢八十人の心は雄叫びと共に一つとなった。

 

 

 ◇◇

 

 

 

 ホグワーツ内が大きな騒動に巻き込まれている時。彼女は一人、地下室の女子トイレに閉じこもって溢れる涙を袖で拭っていた。

 もうどのくらい泣き続けたかも分からず、彼女の目は痛々しく充血さを増していく。

 彼女――ハーマイオニーの中では、とある男子生徒の言葉が何度も繰り返し再生されていた。

 それは、彼女の心を抉る一突きの槍。何度も考えないようにしていた、目を逸らしていた真実。

 友達がいないという事実を真っ向から突き付けられたからこそ、彼女は一人になれる場所で弱音を吐いていたのだ。

 悲しみを打ち明ける相手がいないが故に。

 

「……何かあったのかしら?」

 

 もう一年分は泣いた気がするハーマイオニーは顔を上げる。

 先程からどうも外が騒がしい。

 悲観になるのも一時中断。彼女は涙を完全に拭い、頬を一度叩いて気合を入れてから、引き篭もり生活を脱する。

 そして、

 

「え?」

 

 その信じられない光景に間抜けな声が漏れる。

 彼女の目は驚愕で大きく見開かれた。

 待ち受けていた光景とは――、

 

「アイツは居たか!?」

「どこにもいねえ! 少なくとも自室に戻ってないのはドラコが確認済みだ!」

 

 トイレ前の廊下で二人の生徒が話し合う。こればっかりは珍しくもなんともない、他愛無い日常風景の一つに過ぎない。

 そう、それが獅子寮と蛇寮の生徒でなければの話だが。

 

「俺は一階を探すっ! お前はこのまま地下を探れっ! じめじめとした所が好きなお前等にとって、ここは庭みたいなものだろうからなっ!」

「命令するなよグリフィンドールの正義馬鹿がっ! てめえこそさっさと探しやがれっ! 頭でっかちの脳筋馬鹿が集まるお前等には、どうせ駆け回ることくらいしか出来ないんだからなっ!」

 

 互いの口調は悪辣そのもの。しかし普段感じる憎悪の色は若干和らいでおり、違う視点から見れば、ただ単に『喧嘩するほど仲が良い』を体言する者達が交わす挨拶の応酬に見えなくもない。

 先程までの悲壮感など消し飛ばし、口をぽっかりと開けて、走り去る二人を驚愕の眼差しで見詰めることしか出来なかった。

 

「……な、何があったのいったい?」

 

 混乱する頭でお得意の推理と考察を行おうとするも呆気なく失敗。それほど今の光景が信じられず、また彼等の頭上にあったビックリマークも混乱に拍車を掛ける。

 もう、何がなんだか分からない。

 

「ハーマイオニー!?」

 

 声を辿って横を見れば、そこには知り合いの彼がいる。そして、その半歩後ろにいるのは、

 

「……ハリー……それに……」

 

 ハリーの後ろには彼とは違い、白のビックリマークを頭上に浮かべるロンがいた。

 自分が引き篭もる原因となり、そして真実と直面させてくれた彼女の知り合い。

 二人の視線は同時にぶつかり、直ぐにお互いが横に逸らす。

 しばらく無言が続いた後、先に口を開いたのはロンの方だった。

 

「……ごめん。僕、君に酷いことを言った」

 

 モゴモゴと動かされた口から紡がれるのは謝罪の言葉。何度も何度も心の中で呟いた言葉を、漸く音にする。彼もまた自分の非を認め、事実と向き合った。

 

 正直のところ、頭上のビックリマークがシリアスさをぶち壊しているのだが。

 それを指摘するほどハリーも野暮ではない。

 

「……いいえ。事実だもの。私の方こそ、今までごめんなさい」

 

 長い間ずっと黙っていた彼女も真っ赤に腫らした目のまま謝罪する。

 自分が生真面目で融通が利かない性格で、これまでの容赦無い言葉と態度で相手を不快な気持ちにさせていたことを認めたからだ。

 お互いが謝罪を口にし、次の拍子には微かに笑い合う。仲直りが出来て気持ちの晴れた友人達を、ハリーも黙って笑顔で見守っていた。

 

「それよりも、いったい何があったの?」

 

 説明要求を行う彼女に二人は事の顛末を語り出し、そして話を終えて直ぐ、彼等三人は同時に走り出す。

 苦楽を共にし、一緒に行動するだけで、人とはいとも簡単に友人と成れる。

 被害が被害なだけに手放しで喜べないが、奇しくもこの騒動はそれを証明したのだった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 城内は混乱の極みにあった。

 直接被害の無かった者達も今や逃走劇と噂から事態をほぼ正確に把握している。

 高みの見物を決め込む算段で廊下に出た野次馬達も今はとばっちりを恐れて全員が自寮に退避していた。

 教師陣が校長の『しばらく様子見』発言により頼りにならない今、信じられるのは自分の足と仲間のみ。

 寮など関係無く彼等は複数人で行動し、チーム一丸となって幼い子供を追いかけた。

 

「アリィはどこだぁああああああああっ!」

「くっそ、あのガキんちょ! 地味な悪戯を仕掛けやがってっ!」

「流石は双子とジョーダンを騙しきっただけのことはある。ちくしょぉ、なんて厄介なっ!」

 

 無数の階段が集まる大広間前で生徒達の怒声が響く。

 共に緑、イエロー、青色のネクタイをしている上級生達。もう何度目になるか分からない転倒を繰り返し、彼等のフラストレーションも溜まるばかり。

 

 そしていつ決壊しても可笑しくない怒りのダムを心に持つ彼等に、頭上の階段から声が届く。

 それは仲間の声。携帯電話等の通信手段を持たない彼等が配置した仲間の連絡人だ。

 

「おい、グリフィンドールなら噂の三頭犬に乗ってこっちに向ってるぞ!」

 

 手振りで指差す方向を向けば階段から黒い影が躍り出る。掴まりバー付の鞍を付け、幼い飼い主を背中に乗せた三頭犬が、今まさにこちらへ向っている所だった。

 

「はっはっは! 駆けろポチ太郎! 俺達は今、一陣の風となっているのだぁああああっ!」

 

 嬉々として主人を乗せる三頭犬は放たれる呪いの光線を巧みに避け、三人の間を縫って駆け抜ける。

 例え当たっても生徒の放つ呪いに三頭犬が動じるはずもなく、誰もポチ太郎の走りを止められない。

 連絡手段が甘いこと、そして長年の悪戯で培った逃走術。様々な幸運と技術をフル稼働させ、アリィはかれこれ二時間もの逃亡を続けていた。

 

「見つけたよアリィっ! ちょっとオイタが過ぎたようだね!」

「悪戯もこれで終わりだぁあっ! 『インペディメンタ 妨害せよ』」

 

 大広間から階段を上がり、二階を爆走するアリィの前に立ち塞がったのは友人であるミリセントと六年生のレイブンクロー生。

 相手の動きを阻害し、行動を鈍らせる赤い光線が放たれる。

 それをアリィは実に軽い調子で、

 

「ほいっと」

 

 頭を下げることで避け、

 

「そりゃっ」

 

 バーから手を離して腰のワイヤーガンを引き抜く。杖を持つ方とは逆の手で構え、射出。

 吹き抜けになっている現地点から数階分上の廊下の手摺りにフックをひっかけ、二人の頭上を飛び越えた。

 

「にゃははははっ! あばよ、とっつぁ~ん!」

 

 高速でワイヤーを回収するアリィの下の廊下を愛犬が駆けている。

 ここからでは主人の降り立つ廊下に辿り着けないため、少し迂回してから合流する気なのだ。全く持って賢い犬である。

 

「到着!」

 

 手摺りに手を駆けて四階の廊下へと着地する。

 前後を階段で挟む独特の形。そこからどちらに逃げようか考え、実行する前に、

 

「こらアリィ! よくも俺達も騙してくれたな!」

「中和剤なんて嘘だったじゃねえか!」

 

 アリィを挟み撃ちにする形で双子がそれぞれ逃げ道を塞いだ。

 ちなみにリーはこの場にいない。今から三十分前に偶然アリィを発見し、連絡を取る暇も無く速攻で縄にグルグル巻きにされた彼が空いた教室で発見されるのは、今から一時間後のことだった。

 

「オッス、兄弟。仲間だった者が敵になるってシチュエーション、結構良い演出だと思わない?」

「「思うかっ!?」」

 

 双子ならではの息の合った否定。大袈裟にがっくりと肩を落としてうな垂れる子供を尻目に、双子はどんどん包囲網を縮めていく。

 更には四人の生徒も合流し、総勢六人がアリィを取り囲んだ。

 

「そう? そりゃ残念」

 

 伏せていた顔を上げる。

 不敵な笑みと悪戯っ子の目をする、その将来のイケメンを約束されたような幼顔を、アリィは余裕綽々に上げて見せた。

 

「五、四、三……」

 

 いきなりカウントダウンを始める子供に恐怖と警戒を覚える六人。アリィの目が向いているのは黄色のマークを浮かべるフレッドに、彼と同じ黄色と緑のマークを浮かべる女生徒と男子生徒のいる正面前。

 

「二、一……ゼロ!」

 

 カウントを終えると同時に走り出す。

 その際に自作の煙玉を使って煙幕を張り、後方のジョージ達には反撃を躊躇わせる。

 その間にアリィはフレッド達に肉薄していた。ゼロになると同時に転倒した、フレッドと女生徒に笑いかけながら。

 

「な、このっ!?」

「その色はあと十二秒で転倒するから気をつけてねー」

 

 捕まえようとした男子生徒の手を潜り抜け、小動物のようなすばしっこい走りで包囲網を抜ける。

 彼等のマークの色は全部で十種。それは調合の際に加えたリンネ草の根の量による違いから出る色であり、ということはつまり、転倒が何度も起きるパターンも十通りあることを意味している。

 十二時間もの長い間に起きる転倒の回数と発生時間を秒単位で十パターン記憶している彼は、本当に無駄な所で天才的な記憶術と正確な体内時計を披露していた。

 

「ポチ太郎!」

 

 途中、お気に入りである主人のルームメイトに出会って顔を舐め回し、行動不能に追い込んだ結果、充分なスキンシップを行ったという意味で隣にいた女生徒から嫉妬の眼差しを受けるというイベントが発生したが、特に問題も無く三頭犬は主人と合流した。

 しかしこの三頭犬は多くの生徒も引き寄せた。

 総勢三十人。

 この逃走劇にピリオドを打つべく多くの生徒が駆けつけている。ジョージ達は引き離したにしてもここまで来るのは時間の問題だった。

 前方からは大人数の足音が聞こえ、後方には同志率いる捕獲部隊が待ち受けている。

 

「よしよし、いっぱい集まってきた」

 

 それでもアリィの笑顔が崩れることは無かった。

 前方の曲がり角から一人目が姿を見せた瞬間、彼は地面に最後の煙玉を叩き付ける。先程の白煙とは違い今度は黒煙。

 その目くらましに身体を隠してから。

 

「『ジェミニオ そっくり』」

 

 自分そっくりのダミーを作成し、それを愛犬の背に乗っける。

 もと来た道を逆走してフレッド達の方へと走り去る愛犬とダミーを見送って、アリィは背にしていたトロフィー室にその身を滑り込ませた。怒声混じりに駆け抜ける振動が扉沿いに座って聞き耳を立てるアリィにも伝わる。

 十秒も経たない内にトロフィー室前は静けさを取り戻した。

 

「ふう。これで少しは――」

 

 汗ばんだ額を袖で拭う彼の耳に、

 

「ひゅーん、ひょいよ!」

 

 聞き覚えのある女性徒の声が届き、

 

「『ウィンガーディアム・レヴィオーサ 浮遊せよ!』」

 

 これまた聞き覚えのある男子生徒の声が届いた。

 

「あ! ちょ、取れない! 届かない!?」

 

 トロフィーが収められているケースの影に隠れていた者の手により、アリィの短い杖が宙に浮く。

 それは低身長のアリィでは決して届かない位置まで浮き上がり、ぴょんぴょん跳ねる彼の手が届くことはない。

 杖さえ無ければ彼は悪知恵の働く危険な道具を持った子供に過ぎないのだ。充分に脅威だけれども。

 

 するとジャンプした彼が着地する前に、背後に忍び寄っていた者の手により拘束される。

 脇に手を差し入れて、高い高いをするような手付きで持ち上げるのは、彼の幼馴染だった。

 

「アリィ、今回は少しやりすぎだよ。ロン、僕が抑えているから身体検査をお願い」

「杖は私が持つわ」

 

 バッグ、杖、ワイヤーガン、制服に仕込んでおいた手榴弾各種に用途の分からない色々なもの。彼の武装がどんどん剥がされていく。

 細身のハリーにすら力で勝てないアリィは、ここで諦めるしか選択肢が存在しなかった。

 

「あーあ。捕まっちゃった。俺がここに来ること分かってた?」

「君の行動パターンくらい分かるよ。何年間、僕が君に振り回されてきたと思っているの?」

 

 思考のトレースなどお手の物。

 天才的な頭脳や発想まではリンク出来ずとも悪戯中の行動パターンくらいなら予測可能だ。

 長年の付き合いで養った高精度の先読みだった。ちなみに使う度に心の涙を流しているのはハリーしか知らない。

 

「このトロフィー室は普段誰も訪れない。だから隠れ家に打って付けってことで最初に捜索されたんだ。アリィだったら、皆の裏をかいて確認済みの部屋に逃げ込むって思ったよ」

「流石は親友。全部お見通しってことか」

「うん。フレッド達を庇って、たった一人の主犯になろうとしたこともね」

 

 最後の確信めいた言葉に、ロンとハーマイオニーは意外性から驚愕を表にした。

 

「……何のこと?」

「今回の騒動でかなり減点を食らうでしょ? アリィだけならスリザリンから数十点分……多分、君が今まで稼いだ分を失うだけで済むと思う。これなら、まだスリザリンは首位に立てる」

 

 しかし、それが双子とリーとなると話が違う。

 元々がアリィほどに寮の点数を稼いでいない彼らが大量失点を受ければ、毎年優秀な寮を決める寮杯争いからグリフィンドールが最下位に転落するのは確定事項であり、最悪の場合、彼等は獅子寮生の恨みを一身に受ける事態になっただろう。

 なにせ今までの悪戯とは次元が違うのだ。だからアリィはそれを防ぐために、彼らを共犯から被害者の位置に陥れた。そうハリーは予測していた。

 

「相変わらずハリーって面白い予測を立てるよね」

 

 結局まだ付き合いの浅い二人は、のらりくらりとハリーの言葉を有耶無耶にしたアリィの真意を図りきれなかった。

 

「ハァ……寮の点数を気にするくらいなら、こんな悪戯しなければ良いのに」

「何言ってんの。折角の悪戯肯定日なんだから悪戯しないのはハロウィンに対する冒涜だ。それに誰も俺にお菓子をくれなかったし悪戯されて当然っ! むしろお菓子が貰えなくて悲しかったのは俺っ!」

「開き直った上に逆切れっ!?」

 

 言い合いを繰り広げ、騒ぐ彼等は気付いていない。

 共通の敵を捕獲するために彼等生徒は寮という垣根を越えて共闘した。

 犬猿の仲で知られる獅子と蛇が手を取り合い、協力し合う。この嬉しくも気持ちの悪い異常性に彼等はまだ気付かない。

 果たしてこの悪戯には他寮とのチームワーク性を高める、という狙いが隠されていたのか。それとも、ただの偶然の産物だったのか。

 それは、この幼い悪戯仕掛け人にしか到底分からないことだ。

 しかし例え偶然でも故意だったとしても、全てが上手い方向へ進んだことは確かな事実。

 これも全てを巻き込む天災の成せる技。多大な影響を及ぼす、暴風の効果。

 

 

 

 

 

 校長室で微笑む老人の思惑通り。この騒動を経て、生徒は身内以外との協力という言葉を知った。

 

 

 

 

 

 

「でもさ、パーティーまで少しは時間潰せて楽しかったでしょ? あ、ロン。そのビンの中に入ってる青い飴が解毒剤だから皆に配ってあげて」

 

 ビンにぎっしり詰められた飴玉を即座に口へ放り、ビックリマークが消えてから、ロンはトロフィー室から走り去っていく。

 大声でアリィ捕獲を叫ぶロンの言葉はたちまち伝播し、ホグワーツは勝利の雄叫びに包まれる。

 勝利の余韻に浸り、事態の根源を捕まえられた自分を誇り、ハリーは満足そうに頷いた。

 そして今度はとびきりの笑顔を親友に向ける。

 心なしか、天災の肩がビクっと震えた。

 

「さてと。アリィ、これから起こることは分かるよね? ハーマイオニー、お願い」

 

 親友を地面に下ろし、役者を自分から友人にバトンタッチ。

 トロフィー室から廊下に出て、アリィは初めて背後の女性徒の顔を見上げた。

 そして直ぐに頬を痙攣させる。

 

「えっと、ハーさん? その可愛さ倍増の怖さ百倍な笑顔は、ちょっと好きくな――」

 

 半歩前に出たハーマイオニーの表情に慄く彼に、

 

「正座」

 

 音符が幻視されるほど可愛らしく。そして見る者全てを魅了する最上級の微笑みを持って、彼女は一言そう告げた。

 

「………………はい」

 

 よく正座なんて知ってたな、という疑問を浮かべながらも、流石のアリィもこれには従わざるを得ない。

 問答無用で実行させる魔力(恐怖)が彼女の言葉には込められていた。

 流石に彼女の背後に邪神の類が見えれば無意識に身体が従ってしまうのだ。

 

 

 

 ――こうして、生徒の認識を天使から悪戯好きの小悪魔に変えた大騒動は幕を閉じる。

 集まった被害者全員の前で繰り広げられた三時間のお説教は、反省という言葉を知識でしか知らなかった彼に『もう二度とお菓子で大掛かりな悪戯はしない』と誓わせるほど凄く、精神的ダメージを与えるものだったと云う。

 

 

 

 

 

 余談だが、この事件と目撃者の証言がきっかけで彼女の名前が『天災の天敵』、『学校の守護神』、『ミス・ストッパー』という様々な二つ名と共に伝説と化し、全生徒から尊敬の念を抱かれることになるのだが。

 まさか疎まれていた自分が重宝される未来が来るなど想像出来なかったに違いない。

 

 しばらくの間、廊下には少女の説教と悪戯小僧がすすり泣く音だけが響き渡った。



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第十話

11/18
第八~十話、三話分の同時投稿です。
お気に入りから飛んできた方はご注意を。


 

 夜空を模した天井を千単位の蝙蝠が覆い、各テーブルに置かれたジャックランタンに火が灯った。

 パンプキンケーキの甘い香りが大広間を満たし、各寮のテーブルでは談笑と、食器のカチャカチャという陽気な音が鳴り響く。

 全員がパーティーを楽しむ中、その幸せな一時が瓦解したのはパーティーが始まってしばらく経ってからのことだ。

 凶暴で知られるトロール種の学校侵入。

 その怪力と暴力性で知られる四メートルの巨大生物が地下に侵入したことで、学校はパニックに見舞われる。生徒は寮へ非難。教員は総出でトロール討伐に向う。

 ちなみにこの騒動の時。減点の代わりにパーティー参加も認められず書き取り罰を言い渡されて、『僕は悪い子です』と何百回と書かされていた少年がトロールを見たいがために部屋を抜け出し、偶然出会ったスリザリン生の帰還グループと鉢合わせして直ぐさま取り押さえられた、という出来事があったのだが。

 それはきっとこのトロールを侵入させた張本人にとって、とても幸運だったに違いない。

 

(この短時間の内にどのような罠が仕掛けられているか見極めなければ)

 

 教員達は皆、トロール討伐と他にも進入していないかの捜索に四方へ散り、生徒は全員が寮へと戻っている。

 そこには要注意人物である天災と生き残った男の子も含まれているため彼を阻む障害は無い。

 トロールを陽動に捜索するフリをして禁じられた廊下の真ん前まで走った彼――闇の魔術に対する防衛術の教師、クィリナス・クィレルは、普段の気弱な姿では見られない獰猛な笑みをしていた。

 そこにはターバンを頭に巻き、ビクビクと身体を震えさせる小心者の姿は無い。演技を脱ぎ捨てた彼が新たに纏うものは、野心と闇。

 主人に忠実な闇の魔法使い。それが彼の正体だ。

 

「……いざっ!」

 

 これから侵入する場所は一言で表すのなら魔窟。何が待ち受けているか分からない未知のエリア。

 この数週間であらゆるシミュレーションを行い数々の対抗策も用意してきたクィレルは、いつも共に在る彼の主人に一言断わってから、死地に赴く兵士の表情で扉を開けた。

 

「……これはっ!?」

 

 扉を開け侵入した先に広がっていた光景は、話に聞く廊下では決して無かった。

 まるで野球場のように広く、暗闇に包まれた広大な空間。杖先に光を灯して天井を仰ぎ見れば、そこは肉眼で確認が出来ないほど高い。極めつけは数メートルの高い壁が何枚も聳え立つ巨大な迷路だ。

 

(迷路か、なんて面倒な………ッ!?)

 

 ダンブルドアの手により検知不可能拡大呪文が掛けられていると判断した時、彼は周囲に篭っている白い煙に漸く気が付く。

 これは元から部屋に充満していた煙だ。吸引し始めて数秒、彼の身体に異変が訪れた。

 

 視界の上下が、左右が、急に反転し始めたのだ。

 

「この症状は反転草っ!?」

 

 草なのに炎に燃えにくいという特性を持つ反転草は普通なら粉末状に加工されて用いられるが、これは加工せずに草のまま使用されていた。

 それも効果と持続時間を高めるドラゴンの血とウルフスベーンの混合液に長時間浸され、充分に乾燥させた反転草を燃やす。こうすることで無臭の毒煙を生成し、迷路中を毒で満たしたのだ。

 この部屋のどこかには、実に数ヶ月単位で燃え続ける反転草の山が形成されているだろう。

 

(くそっ、これはあのガキの……っ!)

 

 解毒薬にも用いられる反転草自体に毒性は無い。毒なのは反転草を燃やすことで精製される無臭の白煙。

『反転草』という名前は解毒方法に由来するが、煙を摂取することで神経を侵されて視界諸々が反転する効果もあるからこそ、『反転草』という名が付いた。

 それにクィレルは直ぐに泡頭呪文で煙から逃れたが、もしあと数秒も吸引し続ければ、彼の身体は視界だけでなく体感までをも狂わされ、今いるのが上か下かも分からなくなっていただろう。

 方向感覚と体感、視界を狂わす毒煙。しかも今回の反転草にはリンネ草の根を液状化させた物も含まれているため、毒は唐突に効果が無くなり、しばらくして症状が再発する、という現象を繰り返す。

 これでは道を覚えるのは不可能であり、迷路を突破する上でここまで厄介な組み合わせは存在しない。

 

「迷路が破壊出来るか確かめ……いや、その前に……『シグラード 道標』」

 

 光の灯る杖先から赤く細長い光が形成される。伸びた赤光は扉に繋がり、杖先から零れ落ちた光の先端はクィレルの左手に接続された。

 これは迷路や洞窟のような場所を想定して作られたオリジナル魔法。

 このどこまでも伸びる光がある限り、彼が道に迷うことは無い。この魔法を生み出している当たり、この迷路化までをも想定していたクィレルはそれなりに優秀なのだろう。

 ただ、そのクィレルよりも頭脳明晰な少年が罠を仕掛けていたことが、何よりの不運。

 

「『レダクト 粉々!』」

 

 この廊下は検知不可能拡大魔法の効果で広くなっているが、地下へと続く扉への距離は変われど方角までは変わらない。

 扉の位置が大体把握出来るため、本番に備えて壁を粉砕して進めるかを確認するクィレル。壁の隅を狙って小さな穴を空けるために粉砕呪文を行使するも、それが悪手だったことを直ぐに悟った。

 粉砕呪文が当たった瞬間、床がランダムに移動し始めたのだ。

 これは粉砕呪文対策に天災と校長が仕掛けた罠。壊れた壁は自動修復され、なおかつ石畳の床が迷路内でベルトコンベアーの様に移動し、シャッフルされる。

 当然、石畳の内の一つに両足を置いていたクィレルも影響を受ける訳で。彼は数秒も経たない内に広い迷路の奥深くへと移動させられていた。

 道標呪文を唱えていなかったのなら今日中に迷路から脱出出来たかも怪しい。この性格の悪い罠に舌打ちをし、悔しさで唇を噛み締める。

 

「くそっ、なら空から……っ!」

 

 ご主人様に教えてもらった飛行魔法。箒も用いずクィレルの身体が浮上を開始する。

 赤光のお陰で戻るのは楽にしても現状位置の把握は怠ってはならない。検知不可能の名の通り、現在位置は肉眼で確かめなくてはならないのだから。

 そして浮上して直ぐ、彼の背筋は凍り付く。

 理由はトリックアートで奥行きを再現された、想像よりも低い天井に頭から激突し、触れた天井が僅かに陥没した瞬間、カチッという不吉な音を耳にしたからだ。

 それはアリィの仕掛けた自信作。天井のどこにでも良いので触れた途端に発動する、機械を一切使用しない原始的なカラクリ。

 凹んだ部分と連動し、シーソーの原理で天井内から外へと押し出された物は、彼の十八番。

 既にピンを抜かれた状態で飛び出したお得意のフラッシュバンがクィレルの直ぐ側で炸裂した。

 

「ぐわぁっ!?」

 

 鳴り響く轟音。襲い掛かる光の奔流。五感の内、一番重要と言われる視力と聴覚を奪う攻撃に晒され、落下しながらクィレルはほんの少しだけこう思った。

 

 

 

 何故、自分はこのような目に遭っているのか。

 

 

 

 けれども泣き言を言えないのが彼の辛い立場だ。ブラック企業も真っ青な待遇に涙がほろり。

 しかし泣き言の代わりに呟くのは、この陰険な罠を仕掛けた幼い天災への文句だった。

 

「……くっ……あの、天災めっ!」

 

 咄嗟の防御魔法と衝撃緩和の魔法で最悪を免れたクィレルは、地面を這いずりながらも悪態を吐く余裕が存在した。

 カラクリの作動音を耳にし、訪れるだろう異常を耐えるために固く目を閉じつつ気合を入れ、何でも良いので我武者羅に魔法を使ったのが運良く功と成したのだ。

 お陰でクィレルは気絶も鼓膜破壊も起こさず奇跡的に意識を保っていられる。

 そして落下した場所も運が良かったのか、ボロボロの身体をゆっくりと起こした先に、お目当ての地下への扉が目の前に存在していた。

 正にこれこそ不幸中の幸い。

 

「しめたっ」

 

 自分にも運が向いてきた。そう思い意気揚々と扉へ急ぐ彼だが、その期待は直ぐに落胆へと叩き落され、厳しい現実に絶望することとなる。

 目の前だけではない、今いる通路を右に曲がって直ぐの所にも似たような扉が存在した。そして、よく見れば後方にも同じものが見受けられる。

 複数ある扉の内、正解はただ一つ。しかも近辺にある三つの内のどれかが正解、という訳でも無い。

 ぬか喜びに終わり、クィレルは絶望しながら扉の前で両手両膝を着いてうな垂れる。

 しかも目の前にある扉に付いているのは、A~Zで終わる文字列がリング状に配置されたダイアル式の鍵。しかもパスワードの文字数は十文字。

 これらを一つ一つ確かめるとしたら時間など幾つあっても足りはしない。万事休すだ。

 

『時間だ……戻れ』

 

 ふと、一人しかいない空間に別の声が響き渡った。それはシューシューという息遣いと共に響く、どこまでも邪悪で冷たい声。

 しかし、その口調には酷い徒労の色が見え隠れしていたのは、おそらく気のせいではないのだろう。

 

「………………はい、ご主人様」

 

 その後クィレルは疲労で危険信号を発している身体に鞭を打ち、道標呪文の効果もあり、なんとか出口へと辿り着き、トロールの討伐と捜索を行っていた教師陣と合流することが出来た。

 しかし反転草の影響で視界が最悪なため効果が無くなるまで四苦八苦することになるのだが、この時のクィレルは視界の悪さよりも無事に生還出来た嬉しさの方がウエイトを占めていたため『このくらいなら構わない』と症状を受け入れてしまったそうな。

 全く色々と不幸な人物である。

 

 こうして、彼と主人は認識を改める。

 あの天災には極力関わらない方が身のためだと、今での過大評価が決して誤りでないことを、彼等は身を持って体験したのだった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 あのパーティーも過ぎ、季節は十一月に突入した。

 今月から寮対抗のクィディッチシーズンに突入するため学校内は妙な熱狂と興奮が青天井に高まっている。

 そして今日はスリザリンとグリフィンドールの初試合日。結果は秘密兵器として参戦したハリーの活躍で獅子寮の勝利に終わり、蛇寮の敗北を願っていた者達は思う存分勝利の余韻に浸っていた。

 

「……寮監がハリーを箒から落とそうとした? んな馬鹿な」

 

 読んでいた本から面を上げ、訝しげな視線を見せるのはアリィだ。彼はとある興味対象が出来てしまったためクィディッチの試合も観戦に行かず、こうして朝から図書室に篭って設計図やメモをテーブル上に展開している。

 その彼の元を訪れたのは、ハリー達仲良しトリオの獅子寮メンバーだ。

 ちなみに彼はこの後ルームメイト達に観戦不参加を叱られる未来を知らない。

 

「それが本当なんだ。ハーマイオニーが邪魔をしなかったら、アイツは間違い無くハリーを箒から振り落としていたよ。ああ、間違いない」

 

 ロンは苛立ちを見せながらアリィの対面にドカッと腰を下ろす。

 彼が指摘したのは試合中、ハリーの箒に魔法を掛けていたと思われるスネイプの不可解な行動に関してだ。

 ハーマイオニーの機転で邪魔をした途端に妨害は鳴りを顰めたので、三人はスネイプが黒だと決め付けている。

 試合後に出会ったハグリットはスネイプを弁護していたが、三人はそれが信じられずにいた。

 

「だからアリィ、貴方も充分注意して。スネイプが何かを企んでいるのは確かだと思うの」

 

 ロンの隣に腰を下ろしたハーマイオニーは、アリィがスリザリンに所属することから憂慮する気持ちを視線に込める。

 正面から視線を合わせ、彼女の心配する気持ちを汲み取ったアリィは、

 

「分かりました。僕も気を付けようと思います。はい、うん、もちろん」

 

 

 

 ――幾つもの冷や汗を垂らしながら露骨に目を逸らした。

 

 

 

「……あの、アリィ? あの時は私も少し怒り過ぎたかなって反省しているから、そろそろ元に戻って。ね?」

 

 あの天災に初めてトラウマという気持ちを植え付け、恐怖の象徴と化してしまった少女ハーマイオニー。この見た目が幼い少年がガクガク震え始めれば、非は少年にあったとしても悪いのは自分の方だと錯覚してしまう。

 とりあえず、避けられるのは良い心地がしない。

 

「ゼンショシマス」

 

 結局、彼がハーマイオニーに今まで通りの振る舞いを行える様になるまで恐怖が和らぐのは、クリスマス休暇が明けてからのことだった。まだ二人の心が安らかになる日は遠い。

 

「それにアリィ。話は変わるけど、君はあの三頭犬が何を守っていたか知ってる?」

 

 この微妙な空気を壊すため、ハリーは次の議題を――どちらかと言えば本命の質問を彼に問う。元々三人がアリィを探していたのは、このことを訊きたかったためだ。

 

「知らないよ。ダンブルドアは教えてくれなかった」

 

 そう、アリィは確かに罠を仕掛けた一人だが、その守られているモノに関しては未だに知らない。彼が行ったのは次の罠に誰も近付けないような、対象の殺害ではなく嫌がらせをメインにした罠の立案と、反転草の仕掛けやフラッシュバンのカラクリ。迷路の自動修復と床の転移、それに扉の仕掛け造り。

 空間の拡大化はアリィにも出来たが、それではまだ広さが足りないため、そこだけはダンブルドアの力を借りた。それにドラゴンの血を始めとする貴重な調合材料集めなどもダンブルドアの力が大きい。

 

(あのくらい、一人で出来るようにならないと。俺もまだまだ未熟だ)

 

 あの罠と高度な魔法の数々を『あのくらい』と言ってしまう天災。あのレベルを一人でこなせるようになるのが今後の目標である。

 

「じゃあアリィ、ニコラス・フラメルって名前に心当たりは無い?」

 

 これはハグリットが思わず口にしてしまった人物の名前だ。

 スネイプのことから以前から訊きたかった三頭犬の譲渡話になり、それが三頭犬の守護するものにとコロコロ話題が変わった末に得た、教師達が総出で守護する宝に関係する名前。それがニコラス・フラメルという人物だ。

 その名前に聞き覚えがあったハリーも、それがいつのことだったのか思い出せずにいる。

 そこで白羽の矢が立ったのが、宝の守護に関わるデータバンク頭脳の持ち主、アリィだった。

 

「ニコラス・フラメル?」

 

 ハリーに問いにアリィは首を傾げる。その反応を見て肩をがっくりと落とす三人だが、

 

「それってニコラス爺ちゃんのこと?」

 

 この発言が理解出来ず、きっかり五秒後。三人分の叫び声が上がり、司書のマダム・ピンスに厳重注意を受けることになった。

 

「アルバムに爺ちゃんとのツーショット写真があるし、爺ちゃんの葬儀にも来てたよ。ほら、昔の音楽家みたいな髪型をした爺ちゃんが居たでしょ?」

 

 耳を押さえながら説明をしたアリィに反応したのは、その葬儀にも参列していた彼の幼馴染だ。

 

「あのお葬式を取り仕切っていたお爺さんの一人? あの人がニコラス・フラメル?」

 

 アリィの祖父は魔法界から去った身。しかし彼が生粋の魔法使いであり、その交友関係が広く、また彼の発明が魔法具界で頼りにされていたため、完全に魔法界から脱することは出来ずにいた。

 よってデイモン・グリフィンドールが出来たことは、魔法の存在を出来る限り隠蔽すること。

 重要なのはアリィに魔法を悟らせないことであり、それを徹底しながらも、彼は魔法界との繋がりを完全には断ち切っていなかった。

 ニコラス・フラメルを初めとする友人達が度々デイモンと会っていたことをアリィは知らない。ニコラスに至っては家に遊びに来たことも何度かあるが、魔法関連を悟らせることは決してしなかったのだ。

 

「同一人物かは分からないけどニコラス・フラメルは錬金術関連の本で見た覚えがあるから可能性は高いんじゃない?」

 

 錬金術とは貴金属や鉱物に魔法を施し、別の物質や全く新しいモノを生み出す技術。ニコラス・フラメルはその練金術分野の権威とも言うべき第一人者だ。

 この発言にハーマイオニーとロンがハッとした表情を取った。

 

「アリィのお爺様は有名な発明家だわ!」

「なら錬金術師と知り合いでも不思議じゃない。フレッドとジョージは、バートランド・ブリッジスは天才だっていつも言ってたんだ」

 

 魔法具作りの専門家と錬金術師。モノを作り、生み出すという共通点があり、共に老人であることから、彼らが知り合いでいる可能性も否定出来ない。それに魔法具は特殊な金属を扱うことが多く、魔法具製作者が錬金術師を兼ねているというパターンも珍しくない。

 また技術者がコンビを組むとき、互いにレベルの釣り合う者を選ぶのは当然。

 錬金術の権威と今世紀稀代の魔法具制作者が知り合いである可能性は十二分にありえた。

 

 ハーマイオニーは本による知識で、ロンは双子の兄達の影響で、二つの職業の関連性を知っている。それにニコラス・フラメルが錬金術師ということが分かっただけでも一歩前進だった。

 

「ニコラス爺ちゃんには俺から訊いてみるよ。本当に錬金術師なら、ちょっと頼みたいことも幾つかあるし」

 

 そこでアリィは親友からフクロウを借りる約束を取り付け、荷物をパパッと纏めると徐に席を立った。

 

「じゃあ頑張って。何か分かったら教えてよ」

「アリィは手伝ってくれないの?」

 

 既にバートランド・ブリッジスとニコラス・フラメルの関連性を見出したハーマイオニーとロンは、錬金術関連の諸本を求めて本棚の奥へと消えた。何となく一緒に探してくれるものだと信じて疑わなかったハリーは、アリィの対応に少し面を食らう。

 図書室から立ち去る寸前、アリィは振り向く。その幼い笑顔には、新たに見つけた興味対象に対する嬉しさと楽しさが溢れていた。

 

「ふっふっふ、決めたんだよハリー。俺はこの魔法界に革命を起こしてやるってね」

 

 嬉しそうにアリィが見せる本のタイトルを見て、ハリーは何となく、この幼馴染が何をしようとしているかを察する。

 別にそれは悪影響ではない。それこそ画期的な発明になる姿だって想像出来る。

 

 

 

 それでもハリーは、どう転んでも自分が関わることになり、一波乱あるだろう未来を想像して、口許を引き攣らせることしか出来なかった。

 

 

 

 



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第十一話

 

  季節が十二月下旬に入るとホグワーツは深い雪に包まれた。

 周囲を彩る雪原が太陽の照り返しで海辺のように白く光る。校庭を覆う綿雪はまるで雲のようで、さながらこの洋城は天空に聳え立つ神々の住処のようにも見えた。

 

「かっんせーいっ! よっしゃぁあああああああああっ!」

 

 学校がクリスマス休暇に入り閑散とし始めたクリスマス当日に、誰もいない部屋で歓声が上がる。大枚を叩いて製作に励み一ヶ月強。毎晩夜更かしを続けて漸く完成させた試作品に感動の眼差しを向けるのは、当然のことながらアルフィー・グリフィンドールである。

 

「やったぜポチ太郎!」

 

 歓声を受け、ベッド脇に作られたクッションが敷き詰められた寝床でビクッと目を覚ます三頭犬に突撃をかまし、朝のスキンシップに励んだ後に意気揚々と部屋を出る。

 ドラコが帰省しているのを良いことに、周囲に散乱する木屑や小枝はそのまま放置。夜の内に運ばれた沢山のクリスマスプレゼントも既に開封済みであり、とっくにフル装備を完了している。

 ウィーズリー家から送られてきたクリーム色で大きくAの刺繍が縫い付けられたセーター。

 ロンがご贔屓にしているクィディッチチームのサポーター帽子。

 工具を差し込める作業用ベルトとネジやボルトを入れるポーチを別々に送ってきた太っちょと細身の親友は、こんな時だけ息の合ったコンビネーションを見せてくる。

 ハーマイオニーやハグリット達からはお菓子が沢山。

 そしてマグルの世界で売られている最高級工具セットをドラコが送ってきたのには、流石のアリィも驚かされた。

 

「おーい、皆の衆! メリークリスマース!」

 

 装備出来るプレゼントを全て身に付けたアリィは、右手に自作のパーティーグッズ(朝用)を持って朝食に向う。

 生徒の八割は寄宿しているので人は少ない。蛇寮の主な友人達が軒並み全滅している少年は、知り合い達が集まっている獅子寮グループへ駆け出した。

 

「おはよう皆。とりあえずは景気付けに一発――」

「しなくて良いから自重してっ!」

 

 クラッカーを取り出したアリィを羽交い絞めにするハリー。学校側から配られたクラッカーならまだしも、明らかに魔改造されている特製クラッカーを使わせるのは自殺行為だ。

 慣れた手付きで危険物を没収され、不貞腐れたアリィはヤケクソ混じりに七面鳥に齧り付く。こうしてパーティーグッズの使用は夜の本番までお預けとなった。

 

「それよりも、ありがとなアリィ」

「ああ、高かっただろアレ」

 

 不貞腐れているアリィに笑いかける双子が言ったアレとは、クリスマスプレゼントとして贈られてきたドラゴンの血液の事だ。罠を仕掛ける際に多めに注文したものを彼等のために流用したものだった。

 そして双子に続いてロンやハリーも感謝を述べているる。

 彼等はそれぞれ御贔屓のクィディッチチームの記念ポスターと最高級箒磨き粉を一缶プレゼントされていたのだ。

 他の人達にはお菓子の詰め合わせや自作したシルバーアクセサリーをプレゼントしている。

 ちなみに贈ったプレゼントの数はざっと百人分を超えている。交遊関係が幅広いにも程があった。

 

「元手はそんな掛かってないから気にしない気にしない。それよりもほら、乾杯しようよ乾杯」

 

 徐にかぼちゃジュースのジョッキを掲げて音頭を取るアリィに四人が続く。

 ガシャンっという陽気にジョッキを打ち合う音は、今後の生活を祝福しているかのように楽しい音だった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 魔法界のクラッカーが鳴り響き、それに付属するオマケ商品を自室に運んだアリィが姿を現したのは、お昼を過ぎた学校の校庭。

 そこではハリーとロン、それに双子が猛烈な雪合戦を繰り広げ、戦争も真っ青な雪玉飛び交う戦場地を生み出している。

 結果はどうやら一年コンビの敗北に終わったらしい。全身を雪塗れにした二人は雪原に大の字で倒れ臥していた。

 

「……アリィ、その手に持っているのは?」

 

 そしてアリィの登場に逸早く気付いたハリーは『ついにこの時が来たか』と覚悟を決めた表情で上体を起こし、雪を払いながら問いかける。

 その隣で目をキョトンとさせているロンも、面白そうに近付いた双子達も、全員が両手に持っている発明品に目を奪われていた。

 それもそのはず。アリィが不眠不休で取り組み開発したコレは、四人だけでなく魔法使い全てが興味を持つような代物なのだから。

 

「ふっふっふ、箒以外に何に見える?」

 

 そう不思議そうに首を傾げながら両手で箒を掲げると、連動して四人の視線も移動する。何も普通の箒なら四人がこれほど注目することはない。アリィが製作した箒は、箒に素人のハリーでも異質だと分かる形状をしていた。

 

「名付けて双子座(ジェミニ)。乗り心地は保障する」

 

 長さは大目に見積もっても四十センチほど。通常よりも太目に削られたマホガニーの柄。後部に束ねて貼り付けられた小枝。ほぼ全く同じ形状をした極小極短の一対箒――双子座。

 跨るのではなく足で乗るために作られた二本の箒は、飛行訓練の経験と穴熊寮の絵からインスピレーションを受けて製作されたものだった。

 

「作るのに苦労したんだ。いやホントに」

 

 そう呟くアリィは疲労に満ちた顔を嬉しそうに輝かせながら、声を弾ませて制作秘話を語り出す。

 

 まずはハリーがマクゴナガル教授から頂いたニンバス2000という箒と同じ物をフクロウ販売で二つ購入し、それを解体して箒の核である『浮遊石』を取り出す。

 素人の手で最高峰の箒が解体される場面を見て悲鳴を上げるルームメイトがいたが完全シカト。

 魔力を吸収して浮遊するコーンウォール地方原産の浮遊石は上質な鉱石であり、その殆どが箒製作者や企業の手に渡るため、箒を購入する方が一般人には手に入り易いのだ。

 そして自作した柄に取り出した浮遊石を埋め込み、感受木(ストマック)と呼ばれる樹木の樹液から精製されるニスを塗る。

 この木は人の思念を受信して活動するという稀有な性質を持ち、魔法使いの命令に自動で動く道具――例えば魔法使いのチェスなどにも使用されている。

 その木から制作されたニスを塗ることで魔法使いの命令を受信し、無意識に放出している魔力を浮遊石が吸収。そうして初めて箒は宙を駆けるのだ。

 

 ここまでの説明で一番驚愕を表したのはロンだった。

 

「アリィ、ニスも自作したの?」

「当たり前じゃん。そうしないと発明なんて言えないよ」

 

 浮遊石の大きさと柄の長さ。それと材料にしている木材。これら三要素の情報に基づいて樹液と各種薬品を組み合わせ、調合比率を割り出し、使用する上で最適なニスを調合する。

 簡単な製造方法は本で調べられるが、企業や職人達が秘匿しているニスと木材の親和性、また最適な調合比率といった独自の情報をアリィが詳しく調べられる筈もなく。それは地道な努力と沢山の失敗を経て制作されたモノであることは想像に難くない。

 その事を知っているロンと双子は、ただただアリィの熱意と根気強さに脱帽している。

 またそれに相応しいほどニス制作は大変であり、ムラが無いよう均等にニスを塗る作業はかつて無いほど神経を使う作業だった。

 コンマ数パーセント単位での精度を要求された調合に、最終段階のニス塗りで何度も何度も失敗した苦労の果てに、こうして双子座は完成したのだ。

 

 挫折と苦労を味わった分、完成させたアリィの顔は誇らしげだった。

 

「ということでハリー、例に飛んでみて」

「うぐっ」

 

 ハリーの口から変な声が漏れるのも仕方がない。

 一ヶ月以上前にニコラス・フラメルについて訊いた時、アリィの持っていた本の題名が『箒製作と良質な木』だったためオリジナル箒を製作し、それの試運転を任されるだろう未来は容易に想像出来た。

 足を固定する留め金とロープが付属しているので安全性は考慮されているのだろう。それでもハリーの不安は絶えない。

 世界一安全を謳い文句に試運転を任された発明品に、いったい何度騙されたことか。

 

「本当に大丈夫だよね? 爆発や空中分解の心配は?」

「大丈夫だって。去年と同じ失敗はしない」

 

 車椅子にエンジンとプロペラを付けた一人用ヘリコプターが処女飛行十秒後に爆散したのは、ハリーにとっても過去ベスト五に入る恐怖体験だ。

 ここにハーマイオニーが居たのなら何かツッコミを入れるだろうが、生憎ここにいるのはアリィと同レベルの失敗を繰り返す双子と、その被害に遭っていた彼等の弟であるため、今の会話の異常性に気付く者はいない。彼等の感性は一般人と比べてズレていた。

 

「飛行確認はちゃんとした?」

「それも問題無し。脳内シミュレーションはバッチリ」

「安心出来る要素が皆無だよっ!?」

 

 実質、飛行確認を終えていないのと同義。唾を飛ばす勢いで文句を言うハリーに笑い掛けるアリィは、発明家に有るまじき楽観主義者だ。

 コレで最悪の事態を常に免れているのだから、本当に彼は神に愛されているとしか思えない。

 

「心配し過ぎだよ。もし何かあっても箒が飛ばないだけだし、ちゃんと落下防止の魔法も準備しとくから大丈夫。それに試運転は今までハリーの役目だったじゃん」

「ああ、そうだよねっ!? アリィってばいつも僕に試運転を押し付けるんだからっ!」

 

 最初は断固拒否の姿勢を取るものの、最終的には認めざるを得ない状況を生み出されるか、普通に論破されてしまう不幸な少年ハリー・ポッター。

 今までの鬱憤が溜まっていたのか感情のままに怒りをぶちまける彼に肩を竦め、まるで駄々っ子を見る目で口を開く姿に、余計ハリーは憤慨した。

 

「確かに俺は今まで試運転をハリーに任せていた。だって万が一、外から何とかしなくちゃいけない場合は俺以外に対処出来る奴がいないし」

「う……っ、そ、それはそうかもしれないけど――」

「まあ、発明品の中からや装着者自らが修理する必要があった場合はお手上げだったんだけどね。あと何かあったら怖いし」

「ぶっちゃけ過ぎだよアリィ!?」

 

 堂々としたスケープゴート発言には怒りを通り越して呆れが出る。沸点を越え過ぎて脱力し、それでも詰め寄ろうとする親友を手で制し、アリィはなおも持論を続けた。

 

「でも今回のはきちんとした理由がある。飛行術が俺よりも得意なハリーだからこそ、コイツの初陣を任すんだ」

 

 飛行術に必要なのは箒の相性。即ち、自身の魔力をどれだけ効率良く浮遊石に送り、指令を伝達出来るのかだ。この二要素は狙って習得出来るものではない。

 無意識に送る魔力量も、箒を素直に隷属させられるカリスマ性も、全ては天性の才能がモノを言う。

 練習次第で箒の操縦技術を上げられても根っ子の部分は変わらない。

 その点で言えば自分もそれなりに飛行術の才能があると自負しているが、それでも飛行に関してはハリーの方が適正があると確信していた。

 

「ハリーは飛ぶのが好きでしょ? 俺は飛ぶよりも箒を作る方が楽しかった」

 

 飛ぶのに一番重要なこと。それは才能云々の前に、飛行を楽しむ心と、どれだけ飛行が好きかという気持ち。

 この気持ちの部分で言えば、アリィはハリー所かこの場にいる誰よりも負けている。

 飛ぶことよりも箒自体に魅了された天災は、最初の頃に感じていた飛行の憧れよりも、もっと真摯に取り組める興味対象を見つけたのだ。

 

「ということで試運転をお願い。それに俺の試作品を気兼ねなく託せるのはハリーだけなんだ。ダドリーはバーノンのおっちゃん達が煩かったし」

 

 長年の付き合いである心を許した親友だからこそ、安心して大事な発明品を託すことが出来る。

 意外な過大評価に照れくささを感じつつ、見事に論破されてしまった単純な少年は『仕方が無いな』という態度を取りつつ箒を両足に装着していく。

 ちょろいと思われても仕方がないが、友人の少なかったハリーにとって信頼や一人だけという言葉は殺し文句に等しかったのだ。

 固唾を呑んで初フライトを見守る四人に頷いてから、ハリーは雪原を照らす上空へと飛翔する。

 バランスを取るのが難しいのか安定に欠ける飛翔姿を披露するも、蒼天を駆けるハリーの表情は――、

 

「――凄い、凄いよアリィ」

 

 恐怖で強張った表情は直ぐに笑顔へ変わっていく。

 同じ走る道具でもバイクとローラースケートが別のように、空を駆ける感触が今までと異なる。

 それは空を飛ぶというより、宙を滑るというイメージと方が強い。通常の箒とは違い両足を動かして飛翔する分、その束縛されていない自由な足は、自分自身の力で走り滑っているというイメージをより強く操縦者に植え付けるのだ。

 天性の箒乗りとしての才能と優れたバランス感覚を有するハリーは、直ぐに独特の飛行術を自分のモノにして空を駆ける。その伸び伸びとした飛行を、地上にいる者は羨望の眼差しで見詰めていた。

 

「ハリー! ターンしてみて!」

 

 二十メートル下から親友の声を聞き、自由に空を滑っていたハリーは直ぐに指令を実行する。

 その際に、ついにハリーは我慢しきれずに歓声を上げた。

 長い箒に跨るという姿勢状態と、短い箒を足にしての全く動きを束縛されない直立の姿勢では、その稼動域の広さから自由度が段違いなのだ。

 普通なら大回りに旋回しなくてはいかない時でも、この双子座ならその場で旋回して自由に行動出来る。

 これはトップスピードで目標目掛けて空を飛ぶクィディッチと比べ、方向性の違う別の楽しさを生み出す。

 好きに手足を動かし、更にコンパクトな動きで宙返りや旋回といったアクロバティックな動きを可能にする飛行に、ハリーの心はどんどん惹かれていった。

 クィディッチは凄く楽しいが、コレはコレで全然アリだ。羨ましそうに見上げるウィーズリー兄弟と満足そうな親友の視線を集めながら五分間の単独飛行を終え、ハリーは漸く雪原に足を付けた。

 

 興奮と疲れで汗ばむ黒髪と、溢れんばかりの喜色顔を見せ付けながら。

 

「どうよ?」

 

 訊かなくても大体分かるが製作者として生の声を聞かずにはいられない。この時のアリィのドヤ顔は、お世辞抜きで様になっていた。

 

「最高の気分だった! 素晴らしいよ!」

 

 感動に震える声で紡がれるのは稀代の発明品に対する惜しみない称賛。

 今までの発明品に対する不満をチャラにする勢いで飛行体験を語るハリーの言葉は琴線に触れる部分があったのか。それはクィディッチ好きの飛行魂を焚き付けるのに充分だった。

 

「僕、初めて君の発明品に感動したかも――」

「「おい、ハリー! 俺達にも貸してくれよ!」」

「そうだよハリー! 僕にも乗らせて!」

 

 奪う様に双子座を取り合い、兄弟は順に空へと飛び立つ。その新しい感覚に対する感動と興奮はハリーの時と比べて大差無く、以前より箒に慣れ親しんでいた彼らを驚愕させるには充分な衝撃だった。

 しかし、ハリーの時には露呈しなかった問題が三人の飛行を終えた所で浮上する。

 それは今までとは比べものにならない操縦の難しさだ。元々一つでさえ難しい箒の操縦。それが二つに増えるということは、左右の手で別々の文字を書けと言っているのに等しい難易度を誇る。

 二つに増えた分、指示通りに動けという命令の純度――つまり意思が薄まり、分散され、魔力と命令を受信し難くなるのだ。

 豊富な練習時間があるならまだしも直ぐに実用レベルで操るのなら、少なくともハリー並の技術と才能が必要であることが証明された。

 その事実に口惜しさを感じながらも、ロンの表情は喜色で溢れている。ハリーや双子がこの箒を操り試合に出ている様を想像し、興奮が抑えきれなかったのだ。

 

「今度のクィディッチはコレで出なよ。ハリーなら間違い無く勝てる! なんだったらフレッドとジョージのどっちかでも構わない!」

 

 小回りの効く敏捷性と稼動性能に優れる双子座は素早いスニッチを掴む必要があるシーカーに最適であり、両手が空くという特性も棍棒を振り回して暴れ玉を打ち放つビーターに適していた。

 

 そう熱弁するロンに首を振るのは、彼の兄弟だ。

 

「それがダメなんだな弟よ」

「ああ、お前はクィディッチを全く分かっていない」

 

 馬鹿にするような発言をする反面、双子の口調にはもしそうだったら良いなという願望が込められていることにハリーは気付いている。

 憤慨するロンと同じようにハリーもその理由が分からなかった。

 その説明を受け継ぐのは、この双子座の製作者だ。

 

「公式試合は無理。だってコレ、競技用の公式箒じゃないし」

 

 クィディッチに使用出来るのはクィディッチ協会が認めた公式の競技用箒のみ。それは箒作りのライセンスを持つ個人か企業にしか認められていないことだ。

 いくら最低限の実用可能レベルで仕上げたとしても、ぶっちゃけて言えばアリィはただのモグリ職人。

 それにこの箒にはまだまだ課題が多い。

 その操縦方法の難しさは仕方が無いにしても、最高時速が八十キロ未満というのはクィディッチにおいて致命的な遅さだ。

 荒く削られた柄と適当に束ねられた小枝が原因で、カーブの際に双子座の売りである滑らかな動きとスピードを殺していたことにもアリィは気付いている。

 

 綺麗に切断、研磨する技術と、スピードを殺さないよう計算し尽くされた小枝の束ね方。どれもまだアリィには欠けている技術だ。

 

「じゃあ売り込みに行こうぜアリィ!」

「フレッドの言う通りだ。コレにはそれ程の価値がある。大ブレイク間違い無しだ!」

 

 必要な技術は他で補えば良い。それに専門職の人達が見れば、今以上に感受性を高められるニスを作製するのも夢ではないと双子は力説する。

 更にハリーとロンの勧めもあり、またアリィの夏の予定が一つ埋まることになった。

 

「じゃあ夏休みにどっかのメーカーに売り込みに行こう」

 

 

 

 後にこの双子座を基本モデルにした一対箒が爆発的に流行し、それに伴い箒を用いた空中フィギュアスケート『ラクニス』が誕生。

 魔法省の魔法ゲーム・スポーツ部の手により公式試合化してクィディッチと二分する程の人気競技となるが、当然この数年後の未来を予測出来た者は一人もいなかった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 昨夜のクリスマスパーティーの熱が冷め切らないお調子者達も漸く静かになり、まだ朝日の昇らない時間に廊下を徘徊する影があった。

 プレゼントのセーターと制服だけでは暖が足りず、その小さな影は四速歩行で行進を続ける一匹の背中にピタリと張り付き、その黒い毛並みに頬を埋めて暖る。

 銅像の影に隠れながらゆっくりと歩く三頭犬の身体を、アリィはポンッと弱めに叩いた。

 

「ポチ太郎、誰かいたら直ぐに教えて」

 

 声のトーンを落とした囁き声に軽く鳴き、幸いにも誰にも見付からず、一人と一匹は寒い風が吹く校庭へと進み出る。

 空の彼方からは僅かに太陽が昇り始め、優しい朝日は校庭を、そしてアリィたちが目指す禁じられた森を明るく照らす。

 アリィがクリスマス休暇を利用して帰省しない理由も、ドラコ達友人のホームパーティーを丁重にお断りしたのも、全てはこの時のため。

 平日では監視の厳しさと時間的理由から断念していたホグワーツ周囲の探索をするために、アリィは今まで準備を進めてきたのだ。

 

「おし! そんじゃ周囲の探検に行きますか!」

 

 最初の数週間は『動物好かれ』の力を利用して三頭犬を従えていたアリィも、元々優れていたハグリットの教育と愛犬に注ぐ愛情の力からか、お守りを身に付けていてもポチ太郎を忠犬化させる事に成功している。

 当然今も身に付けている訳だが、まだこのお守りを外す必要は無いと判断して森を歩く。

 禁じられた森には危険な動物が満ちている。下手に外すとその危険な動物を招き寄せる結果に成り兼ねないため、遭遇するまで外す気は無かった。

 

「それにポチ太郎もいるし多分大丈夫」

 

 いざとなれば収縮魔法を解除して対処するなり、バッグに入っている双子座で逃げれば良い。外気の寒さに白い息を吐きながらもピクニック感覚で自由気ままに森を歩き、風が吹く度に鳴る木々の旋律を楽しむ。

 途中で木に引っ掛かっていたユニコーンの鬣も回収してしばらく歩いた一人と一匹を待ち受けていたのは、

 

「うわ! 凄い洞窟……底が見えない」

 

 絶壁に近い急傾斜で地面に大口を開けている洞窟の大きさは半径数十メートル。地獄への入り口と思わしき洞窟――どちらかと言えば鍾乳洞に近い大穴の底を覗き、興味本位から側にあった大石を浮遊魔法で落とす。

 数十秒掛けて破砕音を響かせた大穴を見るアリィの目は、いつものようにキラキラと輝いていた。

 

「洞窟探検に出発!」

 

 早速双子座を装着したアリィが三頭犬を浮遊魔法で浮かべながらゆっくりと降下する。

 底から吹き抜ける冷たい風が暗闇に包まれる洞窟内で吹き荒れる。風と自身の息遣いしか聞こえない静寂の暗闇は恐怖心を掻き立てた。

 ――まあ、それはあくまで普通の人にとってであり、興奮から脳内麻薬が凄まじい事になっている今のアリィには恐怖を感じる余裕が無い訳だが。

 

「うわっと……ここが地面か。『ルーモス 光を』」

 

 不恰好な着地をしつつ三頭犬を地面に下ろしてから杖先に光を灯す。

 しかし双子座を外すことはせずに地上から数十センチ浮いた状態で探索を開始するアリィだが、直ぐに不可解なことに気付いて首を傾げることになった。

 

「なにコレ?」

 

 ジメジメとした洞窟に横たわっていたのは、細長い透明な何か。それは実に六メートルもの長さがあり、何かを感じ取ったのか三頭犬も低く唸る。

 その巨大な蛇の抜け殻を目撃しても退散する選択をせず、それ所か巨大な姿を一目みたいために愛犬を宥めて行進を再開するアリィは、本当に肝が据わっていた。

 

「今度は扉?」

 

 洞窟内を進んだ先に見えるのは岩壁に嵌められた巨大な扉。まるでマンホールの蓋を貼り付けたかのような人工物は、紛れも無い人の手で造られた証。

 それも二匹の絡み合った大蛇の彫り物がされているという意匠を凝らしたデザイン。鱗の一つ一つまで再現され、瞳の代わりに巨大なエメラルドが嵌めこまれた蛇は、杖先の光に照らされて本物のような光沢を放っていた。

 

「アバカム……って言っても開かない。なら――」

 

 一般的な開錠の魔法も、ゲーム上の扉を開く呪文もダメ。なら、次に唱えるのは決まっている。

 世界的に有名な開錠の魔法。

 本物と錯覚するほどの蛇のデザインを見ながら祈り、アリィは願いを込めて高らかに叫んだ。

 

「――『開け』ゴマ!」

 

 一部にシューシューという蛇の声のような音を混じらせ、叫ぶ。

 知らずの内に開錠の条件である蛇語を話して扉を開けたアリィは、喝采を上げながら喜々としてその空間へ――秘密の部屋へと足を踏み入れた。

 そしてアリィは直ぐに目撃することになる。洞窟とは毛色の違う開けた空間の中央でとぐろを巻く、その十数メートルは有にある巨体を見せ付ける巨大な蛇の姿を。

 

「でっけえぇぇぇぇっ!」

 

 本来なら恐怖を増長する醜悪な外見も、今のアリィにはカッコイイと移ってしまう。

 危険を感じて飛び掛ろうとする三頭犬を羽交い絞めにして、アリィは凄い凄いを連呼してはしゃぎ出した。

 

『……この部屋に入れるってことは、君はスリザリン家の者?』

 

 その閉じていた眼が開き、頭上から芯に響くような深い声がアリィの下へ伝わる。外見と声色からは想像出来ない、どこか弱気な印象を受ける言葉を聞き、アリィは盛大に首を傾げた。

 とても意外なことを訊かれたからだ。

 

「スリザリン? 俺はグリフィンドールの末裔だけど」

 

 しかし言ってからアリィは思い出す。あのボロボロの帽子は言っていた。私の製作者とは違う高貴な御方の血も引いている、と。

 

『確かに君からはゴドリックさんと同じような雰囲気を感じる。でも君は僕の主人であるサラザール様の幼い頃にそっくりだ』

 

 

 

 そう、アリィにはゴドリック・グリフィンドールの血だけでなくサラザール・スリザリンの血も流れている。

 アリィがスリザリンに適正があった一番の要因はコレだったのだ。

 

『それに君は僕と話をしている。蛇語を扱えるのはスリザリンの血を引く者だけだよ』

「……あー、そういや蛇語ってサラザール・スリザリンの十八番だっけ」

 

 考えれば直ぐに気付くような、逆に何故今まで気付かなかったのかと疑問を感じてしまう。あまりにも簡単で納得がいくことだった。

 しかし、これはこれで疑問が残る。

 アリィの曾祖父であるデイモンと父のトバイアス。

 この二人がグリフィンドールの血筋というのはハグリットに聞かされた。そして敵対関係にある両家の者が交わったという記録は残されていない。記録が残されていないだけで本当は両家出身の中で繋がりがあったと仮定も出来るが、もっと単純で一番可能性がありそうな回答に辿り着く。

 

(ってことは、母ちゃんってもしかしてスリザリン家の血筋? 戻ったらハグリットに母ちゃんがどこの所属だったか訊いてみよう)

 

 あまりにも衝撃的な事実にアリィは自分の親友も蛇語使いであることを忘れてしまう。

 そのことで一悶着起きるのは来年になってからのことだ。

 

『……それで、君の名前は?』

「俺はアルフィー・グリフィンドール。アリィで良いよ。そっちは?」

『僕に名前は無いよ。皆はただバジリスクって呼んでる』

 

 バジリスク。

 それは魔法界であまりにも有名で、その危険度と凶悪さからトップクラスの危険生物に認定されている怪物の名前だ。

 当然、魔法生物図鑑を読んだことがあるアリィはバジリスクの名を知っている。何故、この蛇が危険なのか。その強力な力のこと全てを。

 

「バジリスク!?」

 

 バジリスクで尤も恐るべき点は、その蛇の目を見た相手を瞬時に即死させるという恐るべき能力が上げられる。しかもバジリスクは毒蛇の王という名もある通り、その牙には治療法が一つしかない強力な毒が内包されている。

 先程から視線を合わせて会話をしているアリィは、通常なら有に百回は死んでいた。

 顔を青ざめて心配しているアリィを安心させるため、バジリスクは静かに頭を振った。

 

『僕が瞳に魔力を込めなければ害は無いよ。元々荒事は嫌いなんだ。それに新しい主人を死なせる訳にはいかないでしょ?』

 

 バジリスクは大変長命であり、その特殊な出生条件と目撃例の少なさから、まだ魔法界でも知られざる事実は多い。

 問答無用で殺害する凶悪な力ではなく、ホッと胸を撫で下ろした。

 

「……って、新しい主人?」

『僕の力が必要だから扉を開いたんでしょ? それで、君は僕に何をさせたいのかな。以前起きた時みたいに、また僕を無理やり操るつもり?』

 

 悲しそうな声色からは諦観が見えてくる。

 過去に何があったのかアリィは知らない。どんな扱いを受けてきたのかも想像出来ない。それでもこれだけは確信が持てた。

 無理やり何かをさせることは決して無いだろう、と。

 

「良いよ寝てて。特に頼みたいことも無いし。冬眠の邪魔してゴメン」

『そう? なら、何かあったら起こして。……おやすみ、アリィ』

 

 こうして巨大な毒蛇は深い眠りに落ちる。

 その大人しい姿に頬を弛ませたアリィは周囲を見渡し、そして不愉快と言わんばかりに眉間に皺を寄せた。

 カビ臭く、それでいて汚さが目立つ大きな部屋。いったい何年もの長い間ここに住んでいるのか想像すら出来ない。

 その寂しい光景にポツリと呟く。

 

「……独りは嫌だ。誰だって」

 

 孤独でいることの辛さ。友人が沢山いても、唯一の肉親を無くした寂しさを時折感じるのだ。正真正銘の独りであるこの蛇の恐怖と苦悩は、きっと想像以上にキツイものだろう。

 独り残される辛さを知るアリィの決断は早かった。

 

「よし。『レデュシオ 縮め』」

 

 寝ている蛇に杖を向け、愛犬にも掛けている収縮呪文を毒蛇の王に処置を施す。

 強力で膨大な魔力を対価に発揮される奇跡は、強力な魔法耐性を持つバジリスクを見る見る小さくさせていった。そしてあっという間に十数メートルの巨体は八十センチ台に縮んでしまう。

 小さな両手で毒蛇を抱えるアリィは、新たな出会いで歓喜に震えていた。

 

「ご先祖様のペットってことは、俺にはコイツの面倒を見る義務がある。帰ったら冬眠し易い寝床を作ってやるぞ伝次郎」

 

 こうしてスリザリン寮には人知れず新たなペットが加わることになる。

 住処は天災のベッドの下。開けるべからずと書かれた木箱にクッションを敷き詰めた冬眠用ベッドで、幼い主人に伝次郎と名付けられた毒蛇の王は眠り続けた。

 三頭犬にバジリスク。魔法界でも屈指の凶悪生物と同居する未来も知らず、その頃のドラコは無理やり家に付いて来てしまった女友達を交えて両親と朝食を摂っている。

 パンジーの『将来を近いあった仲』発言を撤回している場合ではない。

 地獄の番犬と毒蛇の王が住まう部屋など歴史を紐解いても無いのだから。

 

 

 




今後、あとがきは活動報告で行うことにします。


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第十二話

 深夜に廊下を徘徊することは校則で禁じられている。この校則を破った者に与えられるのは情け容赦の無い罰則の数々だ。

 昔あったような鞭打ち等の痛みを伴う罰則は廃止になったとしても、それでもキツさで言えばそう昔と変わり無い。果てしない労力と精神力を消費することが確定されている罰則に処されるリスクを考えれば、廊下の深夜徘徊は馬鹿のすることだと言えるだろう。

 

「ハリー。今日はとりあえず戻ろう。 昼の内に場所を確かめた方が良いよ」

「でもロン。この辺りのはずなんだ、絶対に」

 

 しかし馬鹿一・二号ことハリーとロンは、ある目的地を求めて深夜の廊下を徘徊していた。

 今までトラブルメーカーの代名詞となっていた双子に、それを上回る天災の登場で全体的な見回りが強化された昨今、廊下を歩き回るのは自殺行為と言って良い。

 それでも徘徊を容易に行えるのは、クリスマスプレゼントでハリー宛に送られたマントの存在が大きかった。

『透明マント』と呼ばれるそれは、その名の通り覆った対象を透明にしてしまう悪戯に最適な夢のアイテムだ。

 今は亡き父の形見のマントに覆われるのは三人。ハリーとロン。それに、

 

「というより姿を隠す必要あんの? 狭いし普通に歩こうよ二人とも」

 

 そして馬鹿三号ことアルフィー・グリフィンドールだ。

 マントは子供三人をギリギリ覆い隠すくらいの大きさしか無く。背の小さいアリィのお陰で若干のゆとりが生まれているにしても窮屈なことこの上ない。

 堂々と歩こう宣言をする怖いもの知らずに、ハリーは大きな溜め息を吐いた。

 

「夜の廊下を怖がらずに歩けるのはアリィくらいだよ」

 

 暗くて怖いという恐怖心ではなく、校則に違反しているので見付かったら大変という意味で。心臓に毛が生えているんじゃないかと思えて仕方が無い。

 

「でもハリーの父ちゃん母ちゃんか。どんなんだろーなー」

「アリィはハリーのパパとママを見たこと無いの?」

「無い。ハリーってそういうの壊滅的だから」

 

 ロンの問いに間髪入れず即答する通り、ハリーは両親の写真を一枚も所持していない。だからハリー達三人は、ハリーの両親が映るという不思議な鏡を見に行くために、迷子になりながらも鏡の置いてある部屋を求めて何十分も廊下をウロウロしているのだ。

 しかし、その苦労も漸く報われる。今は使われていない教室を見て、ハリーは声を弾ませた。

 

「あった! ここだよ、二人共!」

 

 喜びのあまり突撃するように部屋へ雪崩れ込む三人を待ち受けていたのは背の高い姿見鏡だった。

 金の装飾に鉤爪状の足が付いているソレは不思議な鏡という前情報を与えられていた所為か、何とも言えない独特の雰囲気と不思議さを纏っている気がする。

 一度ハリーが鏡の前に立って両親が映るのを確認してから、全身が映るベストポジションをロンに譲った。

 

「どう? 鏡には――」

「僕が見える!」

 

 しかしロンに見えたのはハリーの両親ではなく自分自身。それも首席とクィディッチのキャプテンを兼任している優等生の姿だ。

 

「そんなことない! ……ホラ、やっぱり両親が映ってる!」

 

 反論するためにハリーがロンと立ち位置を交換して確かめ、やはり両親が映っている鏡を見て二人は困惑する。

 故人の姿と未来の姿では接点が無い。

 その疑問を払拭する声を上げたのは、ずっと鏡を観察していたアリィだった。

  鏡に小さい文字で詳細が書かれていたのだ。

 

「『顔ではなく心の望みを映す』だってよ。どんな仕組みなんだろ」

 

 鏡を見た者の望みを映す『みぞの鏡』。

 誰しも一度は試してみたい魔法の鏡を楽しむため、今度はアリィが鏡の前に立つ。

 あの天災の望み。

 微妙に興味の引かれる事柄に、二人の関心は完全にアリィへと向いていた

 

「えっと……おお! 俺の発明品シリーズ『アルバート・コレクション』が大流行! 三人に一人が俺印の魔法具or悪戯道具を所有!」

「「…………」」

 

 

 

 ――それで魔法界の未来は大丈夫なのか。

 

 

 

 ふとそんな心配が脳裏を過ぎる。

 波乱万丈で危険に満ち溢れた暗い未来しか想像出来ず、二人の口許は引き攣るばかり。けれど鏡に映るのはそればかりではなく、他にも様々なものを映していた。

 

「あ、あと俺がホグワーツで教師やってる姿も見える。携帯ゲームが黒板に書いてあるからマグル学っぽい」

「機種は何? もしかしたら未来で販売される機種かもしれない」

「反応するのはそこじゃないよハリー!? アリィが教師をやりたいって考えていることにツッコミを入れる場面だよここは!?」

 

 仮に教師に成れたのなら、天災を知る者は必ず思うだろう。それで大丈夫かホグワーツと。

 あくまで望みであっても魔法界の未来を心配してしまう。頼むから、まともな未来が訪れてくれることを祈るばかりだ。

 

「あと特別講師でディーンが隣に立ってる」

「「何やってるのディーン!?」」

 

 ただいま帰省中のディーン・トーマス。

 アリィ以上のゲーム好きは魔法界にゲーム文化を伝えるために、どんな努力も惜しまないに違いない。そして最後の望みが、ある者にとっては一番回避しなくてはならないものだった。

 

「それと……よっしゃ! 俺が書いた『ハリー・ポッターの生涯 苦労知らずの笑って楽しい幼少期編』がベストセラーだってよ! 暇を見つけて執筆に励んでる甲斐があったか」

「あのネタまだ引っ張るのっ!? 」

 

 もう何してんのこのショタ野郎は!?と叫ぶハリーの口調が乱れている。普段使わない単語や言葉が乱立しているのが、彼が程よく混乱している証拠だ。

 キャラ崩壊も甚だしい。

 

「俺頑張った」

「燃やして今すぐ!」

「安心しなって。会心の出来だから」

 

 ドヤ顔で胸を張る少年に対する反応と、顔を真っ赤にした少年が取った行動は以下の通りである。

 

『落ち着けハリー! 夜に騒ぐのは良くないからっ!? 誰か人が来るぞっ!?』

『放してロン! 今回ばかりは肉体言語でアリィと話さなくちゃいけないんだっ! ハーマイオニーに出来るなら僕だって……っ!』

『言っとくけど、ちゃんと印税は山分けするつもり。取り分はハリーが7で俺が3。だからそんなに慌てなくても大丈夫だって』

『アリィはもう何も言うな! ああ、 ハーマイオニー……何で君は暢気に帰省しているんだー!?』

 

 ミス・ストッパーにも休息は必要だ。

 寮を問わず天災関係で頼りにされている彼女は、生徒間で最も権力を有していると言っても過言ではない。それは『私の言うことを聞かないと天災を止めてあげないわよ』という恐怖政治ではなく、生徒が自然と向ける敬意と尊重の気持ちによって祀り上げられた故の、謂わば聖女のような扱い。

 マグル生まれを毛嫌いしている蛇寮の者達ですら彼女は別格として敬う気持ちを持っている。

 そんな崇拝対象がロンの叫びに反応して『誰かが私を呼んでいる気がするっ』と寝ぼけながら目を覚まし、電池が切れたかのように直ぐに横たわるという使命感溢れる姿を魅せる時。ハリーの必死さとロンの鬼気迫る説得が実を結んだのか。五分に亘る問答の末に渋々といった感じで天災は頷き、未来のベストセラー候補を処分することに同意した。

 良い意味でも悪い意味でも有言実行してしまうのは、アリィの長所でもあり短所でもある。約束は守る性分であり素直な部分は信頼しているため、ハリーもこれ以上心配することは無かった。

 

「……つ……疲れた……」

「良かった……未然に防げて本当に良かった……」

 

 度合いは違えど精神疲労を起こしているのはロンもハリーも同じ。そんな二人が荒れた心を癒すために行うのは、自分の理想の姿を見て現実逃避に走ることだった。

 

「というより交代してよ! アリィばっかりズルイ」

「えー、ロンは背が高いから後ろからでも見えるじゃん」

 

 しかしこの鏡は全身を映さないと効果が発揮されないようで。つまり一人ずつしか恩恵を得ることが出来ない。ベストポジションの奪い合いに参戦するため、残りの一人も激戦区へ突撃した。

 

「ちょっと待ってよ! 僕だって父さんと母さんを見たいんだ!」

 

 三者に譲り合いの精神は存在せず、実に醜い争いが勃発した。押し出し、退かし、引っ張り、圧し掛かる。様々な手で鏡の前を奪い合う三人。

 だからコレは、そんな三人に愛想を尽かした神様が下した罰なのかもしれない。

 

『あ』

 

 いったい誰の所為なのか、それは三人にも判断が付かなかった。

 誰かの肘やら身体やらが当たり、倒れ、鏡が砕け散るまで五秒と掛からない。けれど罪の擦り付け合いをしないのは、この騒動で唯一誇れる美点だろう。

 求める物は自分達の愚かな行動で無残にも砕け散ったのだ。

 

「やばっ、『レパロ 直せ!』」

 

 直ぐにアリィが紫壇の杖を出して割れた鏡を修復する。見た目では新品同然の輝きを取り戻したみぞの鏡にハリーが立つも――、

 

「どうだい、ハリー?」

 

 恐る恐る確認を取るロンの言葉に、ハリーはゆっくりと首を振る。横に振るのは否定の証。外見だけは直せても魔法的な効果まで修復することは出来なかったのだ。

 顔中の血の気がサーッと音を立てて失せていくのが分かる。魔法界で育った者ですら知らない稀少な鏡。弁償したら幾らになるのか。

 金持ちとは違い貧乏人の考えはソレしか無く、ロンは死人のように顔を青ざめた。

 

「マズイよ、どうする二人――」

「「逃げるよロン!」」

「即決!?」

 

 ロンとは違い伊達に二人は様々な修羅場を潜っていない。特にその内の一人は、主に一人の天災の所為で警察沙汰になりそうな事態から何度も逃げ延びた猛者だ。

 由々しき事態に陥った場合の決断力は潔く、それでいて大胆。躊躇いや迷いもせずに逃亡を図る苦労人の脳は、過剰なアドレナリンの分泌で異常なまでにフル回転の真っ最中。それは天災に匹敵するほどだった。

 

「ハリー、俺は今日二人と会ってもいないし、ずっと寮でポチ太郎と戯れてた。オーケー?」

「僕だってロンと二人でチェスをやっていた。アリィとは会ってない」

 

 互いに何を考えているかを瞬時に察する。

 上手く付いてこれていない常識人のロンを置き去りに、二人は長年の付き合いから素晴らしいコンビネーションを魅せていた。

 

「アリィ、君の名前を使わせてもらうよ」

「勿論だ親友。共に危機を乗り越えよう」

 

 こつんと拳を突き合って互いの無事を祈ってから、獅子寮と蛇寮では方向が違うため、彼等は部屋を出て直ぐ二つに分かれる。

 一つは透明マントに隠れながら早足で獅子寮に戻り、もう一つは形振り構わない全力疾走。

 彼らが立ち去って直ぐに校長が部屋に姿を現したが、当然その時に部屋は蛻の殻。

 しかも『目くらまし呪文』を使って姿を消した校長と透明マントを使用しているグループが互いに気付かずニアミスしたのだから、もうここまで来ると奇跡だ。

 そしてほぼ同時に自寮へ駆け込んだ二つのグループは、それぞれがアリバイ工作に奔走する。頼ったのは彼等と一番関係の深いゴースト達。アリィは『血みどろ男爵』へ。ハリーとロンは獅子寮憑きのゴーストである『ほとんど首なしニック』の下を訪ねる。

 天災は研究対象から外すことを条件に、ハリー達は彼を研究対象にしないよう天災を説得することを条件に交渉を図った。

 万が一の時はアリバイを証言してもらうよう口裏を合わせて懇願した結果は、おそらく大多数の人が想像する通りだろう。

 二人のゴーストは喜々としてお願いを了承するのだった。

 

 ――後日、鏡の所有者が判明した後、連名の匿名希望で所有者宛に謝罪文と大量のお菓子を郵送することになるのだが、それはまた別の話だ。

 

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 

 この歴史ある魔法魔術学校の副校長を務めている彼女――ミネルバ・マクゴナガルにとって、今年は記念すべき年になるはずだった。

 まだ自分が子供であり、この学び舎で青春を満喫していた頃。二十世紀で最も偉大な魔法使いと称される稀代の天才と同期であり、長くホグワーツで教鞭を取っていた自分の恩師。その曾孫が入学すると聞かされ、彼女の心は歓喜に震えた。

 確かにあの破天荒な恩師の下で育てられた子供なので一抹の不安が拭いきれずにいたのは事実だ。

 それでも、その鬼才の孫だとは到底思えない温厚篤実なトバイアス・グリフィンドールの血を引く子供。両親を幼い時に失い、鬼才の下で育てられたトバイアスが彼色に染まらなかったように、同じ環境にあった子供もきっと大丈夫に違いない。

 恩師であるデイモンはとても優秀な魔法使いだが――性格や思考が問題ありまくりなため一先ず除外。きっと入学してくる曾孫は、トバイアスのように真面目で優秀な生徒に決まっている。

 一教師として、優秀な恩人の養い子を生徒に持てるのは大変名誉なことだ。あの日、あの時まで、彼女は子供――アリィのことを信じていた。

 

(それがまさか……あのような子供だったとは……)

 

 予想と理想は色々な意味で裏切られた。

 それもおそらく鬼才を上回るであろう才能の片鱗と厄介さを見せる問題児としてだ。

 軌道修正を図りたくても授業成績は歴代トップの座についても可笑しくないレベルであり、寮が違うために生活態度の指摘も行えない。彼女が出来るのは悪戯や問題行動の現行犯逮捕と言葉遣いの注意くらいで、それでも全く堪えない性格なのだから頭痛がしてくる。

 しかし、あの破天荒ぶりが寮間の確執や溝を取っ払うファクターになっているのも確か。学校へ好ましい変化を齎す彼に感謝している気持ちもあり、無理に矯正をしなくても問題無いかと、若干の諦めも含みながらそう考えている自分がいるのもまた事実。

 

(うっ……胃薬を……)

 

 叱りたくても叱れない。否定したいけど否定仕切れない。個人としては認めているけど教師という立場から見れば認められない。

 なまじ彼女が真面目な性格であり、厳格な授業を心掛けているため、沢山の葛藤とジレンマに苛まされるマクゴナガル教授は、今日もスネイプ教授特製の胃薬のご厄介になる。

 同じ教師という立場なだけに共感出来ることも多く。今学期に亘り二人の仲が改善されて交流が多くなったのも、数ある天災効果の一つかもしれなかった。

 

「おお、副校長発見! ナイスタイミング!」

 

 噂をすれば何とやら。休暇明けの最後の授業を終えたマクゴナガルの下に駆け寄ってきたのは件の天災。背後から声を掛けられ、内心で胃を押さえながら、マクゴナガルは背後を振り返った。

 

「何でしょうか、ミスター・グリフィンドール。それと廊下は走らないように」

「アイサー!」

 

 立ち止まって敬礼。

 姿を見つけて急いで来たのか、健康的な子供の肌は僅かに紅潮していた。

 

「副校長は昔、お料理クラブの顧問をやってたって本当?」

「まあ、どこでそのことを?」

 

 随分と昔のことを掘り出してきたものだとマクゴナガルは思う。今はもう廃部になってしまったクラブの顧問をやっていたのは三十年も前だ。

 なんとなく言いたいことを察するマクゴナガルに、アリィは推測通り二枚の羊皮紙を差し出した。

 

「お料理クラブを復活させるので顧問をお願い申し上げます、サー!」

 

 差し出される二枚の内、一枚は校長のサインが書かれた新クラブ開設の許可証、ここに顧問となる教師がサインすればクラブは設立される。そしてもう一枚はクラブ加入者のリストだ。

 

「全部で二十人ですか」

 

 そのリストに書かれたのは全員が女生徒。休暇に入る前からアリィに菓子作りの指南をお願いしていた者達だった。

 彼女達の大半が彼と一番交流のある一年生だが、中には上級生の名前もチラホラと見られる。だいたい四寮が同じぐらいの割合でそれなりの人数が集まっていた。

 その中の一人にマクゴナガルは着目する。

 

「おや、ミス・グレンジャーも入っているのですね」

 

 意外そうな声を上げるのも当然だ。自他共に認める本の虫にして勤勉な彼女は、クラブ活動に勤しむ暇があるなら予習復習や本を読む時間に充てている。

 よく授業後も質問に来るハーマイオニーの性格をそれなりに知っている者として、彼女の名前がリストアップされているのが少し意外だったのだ。

 

「ハーさんが俺だけじゃ心配だから私も入るってさ。まったく、タメなのに子供扱いするんだから失礼しちゃうよ」

「グリフィンドールに五点」

 

 身内贔屓ではなく、自ら監視役を買って出た彼女の英断を讃えての得点だ。

 リストの横に小さく副部長と書かれていることに安心し、強張っていた背筋や肩を大きく弛ませた。

 ミス・ストッパーがいるのなら、この問題児がクラブを新設することに異論は無い。クラブを隠れ蓑にした悪戯道具製作場と化す可能性も低いだろう。

 しかし設立を認めても、それで力に成れるかどうかは話が別だ。

 

「事情は分かりました。しかし、私が顧問を務めることは出来ません」

 

 三十年前ならまだしも今の彼女は副校長。

 多忙な日々を送る彼女に顧問まで勤める余裕は無い。目に見えて落ち込むアリィを気の毒だとは思うが、無理なものは無理だ。

 俯いて立ち去ろうとするアリィに謝罪し、マクゴナガルも職員室へ向うために踵を返す。その時、彼にとっての救世主が現れた。

 

「な、なら。わ、私でよ、良ければ、顧問をつ、務めましょう」

「マジで!? 嘘じゃなく!?」

 

 廊下の角から現れたのはクィレルだった。目を輝かせて喜ぶアリィに、本性を隠したクィレル教授は演技をしながら笑いかける。

 勿論、彼が現れたのは偶然でも何でもない。全ては彼のご主人様の指示。彼等は極自然にアリィと接触できる機会をずっと狙っていたのだ。

 

「じゃあ日程や計画を煮詰めたら連絡する! 顧問特権で美味しいお菓子を提供するから期待してて!」

「宜しいのですかクィレル先生?」

 

 周囲に音符と花畑を幻視させる勢いで喜び、顧問就任のサインを貰って走り去るアリィを横目に、マクゴナガルがクィレルに確認を取る。

 

「も、もちろん。私は手が、あ、空いているので」

「そうですか。では、大変だとは思いますが宜しくお願いします。……くれぐれも、油断なさらないように」

 

 最後に一番大事な注意を行い、マクゴナガルは胃薬を求めて職員室へ向う。その際、仮面を剥ぎ捨てた彼の野望に塗れた醜悪な笑みに気付くことはない。

 こうして隠れた策略家は、天災と関わる格好の口実を得たのだった。

 

 



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第十三話

「ああ、アルフィー。君は残りたまえ」

 

 そう魔法薬の先生であるスネイプが告げたのはクリスマス休暇が明けてしばらく経った日の午後。本日最後の授業が終わり、『忘れ薬』の調合実習を終えて直ぐのことだった。

 調合キットと大鍋を抱えて退室する生徒に混じっていたアリィは、ドラコとの談笑を中断して教卓の前まで引き返す。

 ドラコを初めとする蛇寮生やハリーといった獅子寮生の関心を僅かに集めるも、その興味本位な視線はスネイプの一睨みで黙殺される。蜘蛛の子を散らすように退散する最後の生徒が扉を閉め終え、漸くスネイプは口を開き、その深く重い声を紡ぎ出した。

 

「校長が君に話があるそうだ」

「ダンブルドアが? なんだろ」

 

 思い当たる節が無いように首を傾げ、過去の行動を遡り始めるアリィを見下ろすスネイプの目は冷たい。

 まるでそれは、呼び出しを受ける理由などいくらでもあるだろうと言っているようで。事実、スネイプがそう考えるのも無理は無い。それ相応のことをこの天災はしているのだから。

 

「三階の廊下を通れなくした件では?」

「アレはただ綺麗にしてあげただけじゃん!? 善意でやってあげたのに叱られるなんて訳分からない!」

 

 まだ魔法界入りを果たす前。偶然開発してしまった『ぴかぴか極上ワックス』なる清掃薬品の話をドラコと行い、効果を示すのに手頃な場所として白羽の矢が立ったのが薄汚れていた三階の廊下だった。

 文句の付けようが無い程ピカピカにされた代償に、廊下は摩擦ゼロの氷上と化してしまう。どういう原理か魔法的な処置を受け付けない不思議なワックスを消すために中和剤の作製を義務付けられたアリィは、現在使用可能となった古い調理室で中和剤製作の真っ最中。

 今から作製場に直行して鍋の様子を見るつもりだったが見事に出鼻を挫かれた訳だ。

 

「大広間のシャンデリアについては?」

「落としたのはピーブス。それを芸術的に生まれ変わらせて、景観の美化に貢献したのが俺」

 

 カラーボールみたく四六時中カラフルな光を発するクリスタル製のシャンデリア。古城という雰囲気をぶち壊す上に、その凄まじいほどの光量と衝撃的な色からサングラスを装着しなくては大広間を通れなくなってしまった。

 ついでに『おしゃべりキノコ』と呼ばれる音を録音再生する機能を持つ植物も使われているため、エンドレスで自前の歌声が流れる始末。しかもその歌が壊滅的に酷い事が腹立たしさを助長させた。まあ、シャンデリアの件は魔法史の授業を欠席してまで撤去を命じられ、既に対処済みなのだが。

 

「君の料理を食べて入院したクィレル教授は?」

「……嫌な事件だったよね」

 

 二日前に行われたお料理クラブの最初の活動。何十年も使用されず、教員からも忘れさられていた調理室で生まれた悲劇。

 完成品の見本として持ってきたつもりが間違えて双子の製作した悪戯クッキー(天災の魔改良済み)を誤って持ってきてしまい、顧問特権で見本を食すことを許されたクィレルは今朝漸く退院した。

 データを取るために希釈の一切されていないオリジナル魔法薬の原液が使用されたのが何よりの不幸だ。

 お陰でクィレルは声帯が麻痺してしまい、しばらく筆談を余儀無くされた。

 ちなみにお見舞いクッキーを手渡しに行き、冷や汗が滝のように流れる表情で丁重にお断りされたのが昨日の夜のことだった。

 

「……付いてきたまえ」

 

 よくもまあたった二日間でこれだけの騒ぎを起こせたものだ、ああ今更か、という感想を抱きながら、幼いトラブルメーカーを連れて校長室へと向うスネイプ。

 生徒の寮生活を正しく指導する立場にある寮監として、スネイプの心労はここ数ヶ月で積み重なるばかり。

 こういったトラブルが発生する度に苦情や愚痴を一身に受けている彼からすれば、この優秀であり問題の多いアルフィー・グリフィンドールという人物は本当に厄介だ。

 だから彼はローブのポケットから小瓶を取り出し、その中に詰まっている胃薬を何粒か口に放り込む。

 胃薬を必要とするなど初めての体験だった。心労で胃がキリキリするなど、学生時代や危険な任務に就いていた禁句さん全盛期時代でも感じたことが無いというのに。

 

「ハエ型ヌガー! ……あれ?」

「バタービール」

「そっか、合言葉って定期的に変わるんだ」

 

 校長室は醜悪なガーゴイル像によって守られている。

 そのガーゴイル像を退かし、背後の壁から螺旋階段を出現させる合言葉は、アリィの推測した通り定期的に変わっていた。

 この合言葉を設定するのはダンブルドア本人であり、知らされるのは教員だけ。そもそも校長室への入り口など基本的に生徒へは明かされない。

 それでもアリィが校長室の仕組みを知っていたのはクラブ開設のサインを貰うために情報収集を始めた結果、とあるポルターガイストから懇切丁寧に詳しい仕組みを教えてくれたからに他ならない。

 螺旋階段を上り、ノックをしてから樫で出来た扉を開けた。

 

「校長、連れて参りました」

「ご苦労じゃったのセブルス」

 

 歴代校長の肖像画が沢山並び、小さな小物で溢れ返る円形の校長室に一人の老人の姿があった。

 シンプルに見えて匠の業が窺える椅子に座り、紡錘形の華奢な足の付いた机の上で両手を組み、いつもの微笑みを見せるダンブルドアに一礼して、スネイプは役目を終えたと言わんばかりの表情を見せて退室する。

 棚に飾られた組み分け帽子やテーブルの横に据えられた止まり木で惰眠を貪っている不死鳥に目移りし、様々な誘惑に打ち勝って漸くアリィはダンブルドアと向き合った。好奇心旺盛な子供を面白そうに観察していた老人に気を悪くした素振りは見られない。

 

「わざわざすまんのう、アリィや」

「どしたの?」

 

 端に寄せられた椅子が自動で滑り込み、対話をするために腰を下ろす。バックの中からワラビ餅と水筒のお茶を取り出し、第三者から見れば完全に祖父と孫のやり取りであろう仲の良さを見せ付けて、ダンブルドアは本題を切り出した。

 

「しばらくの間、グレートポチ太郎を貸して――」

「却下!」

 

 流石のダンブルドアも話の途中で腰を折られるとは思わなかったのか、断固拒否の証として両手で×印を作るアリィに少し固まる。

 周囲で野次馬と化していた歴代校長の何人かが盛大に転ぶという芸人真っ青のリアクションから復活するまでの数秒。校長室は確かに氷河期を迎えていた。

 

「……理由くらい話しても?」

「オーケー」

 

 ホッと安心の息を吐くダンブルドアというのも中々レアな姿に違いない。

 

「理由は他でもない。あの廊下で守護している物を再び守って欲いのじゃ」

「えー!? 賢者の石を守る役目はもう終わったんでしょ!? 何で今更!」

 

 この場に他の教員達が居れば目を丸くして驚いただろう。ホグワーツでもトップクラスの重大秘密をアッサリと口にしたアリィに驚愕しつつも、それよりも興味が打ち勝ったのか。まるで答え合わせを願う子供みたいな表情で、ダンブルドアはアリィを見た。

 

「ほう、いつから気付いていたのじゃ?」

「クリスマス休暇前から。ニコラス爺ちゃんが関わってて貴重なものなんて賢者の石くらいしか思い浮かばないって。それに本人も肯定したしさ」

 

 これはハリー達がクリスマスに入る直前に得た情報だった。どんな貴金属をも黄金に変え、人を不老不死にする『命の水』を生み出す錬金術の秘法。賢者の石の練成に唯一成功した錬金術師がニコラス・フラメルという人物だ。

 クリスマス前に送った手紙の返事から、既にアリィは匿っているモノの正体を教えてもらっていた。ニコラスもここまで知っているのなら隠しても意味がないと判断したのだ。

 そしてそれは、ダンブルドアから守護者の中にアリィが加わり、とびきりの罠を仕掛けてくれた事を教えられたからこその感謝の気持ちだった。

 

「さよう。ここでは現在、ニコラスから依頼を受けて賢者の石を守っておる。ニコラス本人は石を必要としていないのじゃが、どうも賢者の石を狙っている不届き者がいるらしくてのう」

 

 魔法界一安全と豪語されたグリンゴッツでは力及ばすと判断し、ニコラス・フラメルは昔からの友人に賢者の石の守護を頼んだ。ニコラス自身は賢者の石に固執していない。それでも不老不死という、多くの権力者が到達する強欲な夢を可能にする賢者の石を狙う者は多かった。

 何故ニコラスが今頃になって保管場所を変えようと思ったのかは定かでは無い。それでも何かが起きてからでは遅いため、迅速な対応が求められた。

 そして話は最初に戻る。

 

「わしとしても再びグレートポチ太郎に守護を頼むのは心苦しいのじゃが、生憎と最後の仕掛けと考えていた鏡が使用不可能になってしまったのじゃよ」

「………………え?」

 

 今度はアリィが呆気に取られた。

 予想外にして身に覚えがあり過ぎる事柄に魂までをも凍り付かせる。罪悪感で胸が一杯になり、人生でもトップにランクインするだろう狼狽ぶりと大量の汗を魅せる姿など、先程のダンブルドアよりも余程レアな姿だ。ハリーでさえ、ここまでうろたえる姿は見たことが無いに違いない。

 

「グレートポチ太郎は罠の最深部に配置するため魔法で眠らせるつもりじゃ。期間は今学期中まで。本人は寂しさや空腹を感じることもない」

 

 三頭犬は最深部に置かれる賢者の石を直接守護する関係上、今までみたいに餌を毎日与えることが出来ない。そのために侵入者が来た時だけ目を覚ます特殊な魔法を施すつもりだと語るダンブルドアだが、詳しい話をアリィは聞いていなかった。

 否、聞きたくても耳を素通りしてしまうのだ。

 何故ならダンブルドアの微笑の後ろに鬼が見える。実際、ダンブルドアはアリィ達が鏡を壊したと考えていない――その狼狽ぶりから関係があるのかと邪推し始めているが――ので被害妄想なのだが、壊した張本人には静かな怒りに見えて仕方が無い。

 アリィにはダンブルドアの副音声がハッキリと聞こえていた。

 

 

 

 鏡の件は気付いているぞ小童

 

 

 

 まあ、何度も言うが被害妄想である。そして脅されていると勘違いしているアリィに断わるという選択肢はありえなかった。

 

「しょ、しょうがないな! 会えないのは寂しいけど、全ては賢者の石を守るため! 喜んで協力させてもらうよダンブルドア! ポチ太郎も分かってくれるよ、きっと!」

 

 今すぐ連れて来ますぜ大将と言わんばかりに。バビョ~ン!という効果音まで聞こえてきそうな勢いで退室するアリィ。

 第二のみぞの鏡が入手出来るのは今年の夏。それまでの間、愛犬との別離が確定した瞬間だった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 

「寮監が賢者の石を狙ってる? んなまさか」

「本当よ……って、前にもこんな話をしたわよね?」

「奇遇だねハーさん。なんか俺もデジャヴった」

 

 若干内容が違っても、やり取りの感じに差は感じられない。厨房の近くに作られた、一般教室並みの広さの調理室でクラブ活動に勤しんでいる生徒に混じり、調理台の上に並んだチョコレートのデコレーションを話し合っていたアリィとハーマイオニーは、いつの間にかそのような会話をしていた。

 もう何年もの付き合いである馴染みのエプロンを身に付けるアリィと、部費で購入したエプロンと自前の三角巾で栗色の髪を纏め上げるハーマイオニーの会話に気付く者は誰もいない。

 部員達はそれぞれ三・四人のペアになって固まったチョコの飾り付けに必死になっているため、一番前の調理台にいる二人にも気を払う余裕がないのだ。

 

「ハリーが見たのよ。スネイプがクィレルを脅して、貴方の仕掛けた罠について調べていたらしいわ」

 

 三日前に行われた獅子寮VS穴熊寮のクィディッチ戦後に目撃した、スネイプとクィレルの不穏なやり取り。その詳細を聞かすにつれアリィの表情は疑問で満たされていく。

 天災の頭脳を持ってしても、何故スネイプがクィレルを脅すか分からなかった。

 

「罠は俺とダンブルドアしか知らないっていうのは寮監も知ってるのに? それに閉心術を教えたのは寮監だよ」

「クィレルは貴方の仕掛けた罠について何かを知っている。スネイプはそう判断したんだわ。……もちろん、どんな根拠があってかは知らないけど」

 

 実際はトロール研究の第一人者であるクィレルをハロウィン事件の犯人と断定し、教員が対処に追われている間にアリバイの無かった彼が禁じられた廊下に向ったと推測して行動を起こした訳だが。そのスネイプの行動の意味も理由もアリィ達には分からない。理論に基づいての推測や考察が得意な二人が集まっても、真相を解き明かすのは不可能だった。

 

「アリィ! 私達のデコレーションを見て頂戴!」

「分かった! 待っててアンジェリーナ!」

 

 このアリィが復活させた料理クラブの活動日は週三回。月水金の放課後、そして一日掛かる大掛かりな菓子を作る際は休日を使う場合もある。

 基本、参加は自由。ただし活動日の前日までに、参加希望者は大広間にある掲示板に貼ってあるポスターに自身のネームプレートを貼る必要がある。

 そうして人数を把握してから厨房で材料を融通してもらうのだ。

 ちなみに今日は乙女の聖戦である二月十四日を目前に控えているため全員参加。

 日本企業の策略は日本贔屓の天災により、異国の魔法少女達にも浸透していた。

 当然、恋に生きる少女達の勢いは凄い。

 

「その次はこっちよ!」

「あいよパンジー!」

「こっちもお願い!」

「アイサー! ちょっと待っててねハンナ!」

 

 当初は寮の違いから火花を散らすグループもあったが、部長の『クラブ条項第一条、皆仲良くすること』発言により沈静化。菓子作りという共通の趣味や興味も相まって、発足から二ヶ月経った現在、仲の悪かった寮生達にも変化が見られている。

 この前の活動ではパーバティ・パチルとラベンダー・ブラウンの獅子寮コンビ、パンジー・パーキンソンとダフネ・グリーングラスの蛇寮コンビという不倶戴天同士が同じ料理台に着くものの、特に問題も無くアップルパイを仕上げている。

 口数は少なく最低限の会話しか行わなかったが、それでも口喧嘩を行わず無言で協力し合ったという事実だけで奇跡ものだろう。

 それにアンジェリーナ達クィディッチ選手三人娘に混じり、今日はハッフルパフの代表選手が一緒にチョコを作っている。試合から数日しか経っておらず、まだ敗者側としては色々と思うことがあるだろうに笑い合いながら作業に没頭している姿は、何とも言えない不思議な温かみがあった。

 その光景を見渡し、ミス・ストッパーは感嘆の息と共に微笑を溢す。

 

「――やっぱりアリィは凄いわ」

「何が?」

「いいえ、なんでもないわ。それよりもアリィ、お菓子の材料代は本当にアレだけで大丈夫なの?」

「大丈夫だって。ちゃんと計算してるし、それに足りない分はじっちゃんや知り合いの伝手で滅茶苦茶安く仕入れられるから」

 

 この分だと寮の隔たりを超えた付き合いが出来る日も近いだろう。即ちこのクラブは、云わば未来の縮図。千年間もの長い歴史で成し遂げることの出来なかった全寮揃って結束を実現させる架け橋。

 何年か、はたまた何十年後か。この仲睦まじい活動は、近い未来での結束を期待させるに相応しい光景だった。

 

「まあ、とにかく寮監には注意してみるよ。ありがとねハーさん」

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「――ってな話をある情報筋から知ったんだけど、先生が俺の罠について知ってるって本当?」

「な、ななななんのことだか、わ、私にはサッ、パリ……っ!」

 

 もちろん実名は伏せているが単刀直入に当事者へ訊く神経は、勇気を通り越して無謀や愚直の言葉に尽きる。見事に部員全員が立派なチョコを作り終え、調理室の鍵を顧問であるクィレルの下に返却しに来たアリィは、ついでとばかりにクィレルの自室兼研究室に居座っていた。

 

「寮監に脅されたってのも?」

「わ、私とセ、セブルスの仲は、りょ、良好です」

 

 ティーポットと湯気の立つカップが二つ置かれた小さな台を脇に、そしてノートを広げればそれで一杯になるような小さなテーブルを挟んで対面に座る両者は、テーブル上に乗っけられたあるモノから視線を逸らさずに会話を続けている。

 そのためアリィは言葉をどもらせながらもギラついた視線を向けているクィレルに気づかなかった。

 

「だよなぁ。……あー、また負けた!? もう一回勝負!」

「い、良いで、しょう」

 

 観察するような気配を一瞬で消し、クィレルはアリィと同じようにテーブル上に展開されていたチェスの駒を所定の位置に戻していく。

 こうしてアリィとチェスを行うのは今日が初めてということではない。部長と顧問という関係になってからは自然と付き合いも多くなり、それに伴いティータイムの時間も増えてくる。

 意外なことにチェスが初めてだという少年は初試合でボロ負けし、そのことが悔しいのか時折こうしてチェス勝負を挑んでくるのだ。

 結果は今のところクィレルの十五戦全勝。あれだけ天才的な頭脳を魅せ付けておいてチェスが弱いなど、本当に意外の一言に尽きる。自寮やロンにも勝負を挑んで全敗しているアリィが強くなるのは、まだ遠い未来であるようだ。

 

 本人の知らない所で散々な目に遭っていたクィレルがコレを機にストレス発散に努め、多大な優越感に浸っているのは内緒だ。彼の立場に少しでも同情するならば、決してむなしいとか、小さい奴とか、蔑んではいけない。

 

「早く今学期が終了しないかな。ああ、廊下の最深部にいるポチ太郎に会いたい。……まったく、普通ならわざわざホグワーツに侵入してまで賢者の石を盗ろうなんて思わないって」

「そ、そうでしょう、か?」

「そうだよ。永遠の命なんて馬鹿らしい」

 

 自陣のポーンを動かすアリィからは本当に賢者の石に対する興味が感じられない。

 その全てを否定しきった口調と表情は、実にその石を欲してやまない者達を苛立たせる。漏れそうになった害意と殺意を寸でのところで押し殺し、クィレルはさりげ無さをアピールし、しかし目は笑っていない表情でチェス盤から目を逸らさない幼子を見続けた。

 

「で、ではき、君は不老不死に、興味がな、無い、と?」

「一度きりの人生だから皆必死になるんだよ。だから世の中を楽しく笑って生きて行こうって思えるんだ」

 

 悔いの無い人生を送るために全ての者が必死になる。その熱意と活力が世の中を繁栄させ、文化と技術を進化させる。

 

 例え今できなくても不老不死なんだからいつか出来るようになるさ。

 不老不死なんだから時間は沢山あるし後でやれば良い。

 

 こう一度でも考えてしまえば、それはもう堕落への始まり。不老不死は様々な熱意を奪っていく。

 

「そんな人生、つまらないじゃん。惹かれる要素はどこにも無い」

 

 全力で生き、全力で楽しむ。それでこその人生だとアリィは笑い、残りの紅茶を一気に呷った。

 

「…………い、以前から思ってい、いたことですが」

「うん?」

 

 仕掛けてきたクィレルのビショップにどう対応しようかと考えていたアリィは、ここで初めてクィレルに視線を向ける。

 その憤怒や困惑、様々な感情が混じるために愛想笑いを浮かべる、彼の歪な表情を見るために。

 

「き、君はと、とてもではないが、ス、スリザリン生に、見えない」

「あー、多分俺がスリザリンに入れた大きな要因は血筋だから」

 

 彼はその名の通りグリフィンドールの血を引く者のはず。そう心の中で再確認し、疑問を形作る前に、アリィは誰にも話していない真実を口にした。

 本人からすれば、それは別に隠す必要などないことだった。

 

「俺、グリフィンドールだけじゃなくてスリザリンの血も引いてるんだって」

 

 実にあっけらかんと重大な事実を口にして、彼はクィレルとその主の驚愕ぶりに気付かぬまま、紅茶のお代わりを注ぐために席を立つ。

 簡易キッチンでお湯を注ぎ、背を向けるから、アリィはクィレル達の動揺と秘密の会話に気付かなかった。

 

「……ひ、一つだけき、訊きたいのですが……」

 

 ご主人様に今すぐ訊ねろと命じられ、忠実な僕は実行に移す。

 

 ――コレは彼の主人がアリィを初めて目にした時から疑問に思っていたことだった。それ自体は今の話とは何ら繋がりは無いが、何となく今問い質すのが正しい気がしたのだ。

 

 それは彼――クィレルに取り憑くヴォルデモートが、自身と同じ血を有するアリィを、改めて強力な魔法使いだと認めたからかもしれない。自分と同じ偉大な魔法使いの血を引くからこそ、この天災は何をしても不思議ではない。そう納得し、自分の血筋を過大評価した末に、彼は抱いた考えに確信を持つために下僕へと命じた。

 

 そして背中越しに掛けられた声に振り向くこともせず、続きを促したアリィは、

 

「――トム・リドルという名に聞き覚えは?」

 

 今までの震えた口調とは全く違う、芯の通ったような強い口調を耳にした。

 

 その彼とは思えない強きの姿勢と意志に当てられ、一瞬誰に言われたか分からなかったアリィは、首を傾げながらポットを持って振り返る。

 そこに居たのはいつものように震え、何かに怯えている闇の魔術に対する防衛術の教師の姿。

 その姿にどこか安心感を覚えつつ、先程の問いに答えるべく口を開く。

「無いよ。 誰それ?」

 

 誤魔化しの類ではなく、その名前は本当に聞いたことが無い名だった。開心術や真実薬を使わずとも、アリィが本当に知らないのは表情から読み取れる。

 

「…………し、知らない、のなら、い、良いのです。わ、忘れて、くだ、さい」

 

 なら、興味を持たれる前に話を早々に打ち切るまで。

 最後の忘れろという指示はアリィだけに向けられたものではなく、クィレルへの言葉でもあった。

 

『俺様の勘違い、なのか?』

 

 闇の帝王は記憶を遡り、内心首を捻るが頭を切り替える。この名を知るのは自分だけで良い。

 結局、蜘蛛の巣のように頭に引っ掛かるこの疑問に決着を付けることは、残念ながら叶わなかった。

 

 

 



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第十四話

11/21
第十二~十四話の同時更新です。
お気に入りから飛んできた方はご注意ください。


 一定のリズムでページをめくる音と、カリカリという羽根ペンを走らせる音が室内を満たしていた。

 そしてう~んと唸る声に、ハァという溜め息も勉強音に混じって聞こえている。

 期末試験の範囲が膨大なため、数週間前から余裕を持って取り組まないと好成績を望めないのだ。

 だからドラコは夕食を食べて直ぐに自室へ引き篭もり、こうして魔法史の年表と睨めっこをしつつ人物名の書き取りを行っている。

 魔法史の授業は言ってしまえば退屈と眠気との戦い。講師であるゴーストのピンズ先生は延々と教科書を一定の速さで読んでいくだけなので凄くつまらないのだ。それこそ歴史マニアでなければ魔法史に興味を抱く者などいないと断言でき、そんな歴史が好きな生徒でも下手をすればサジを投げるレベル。

 そのような授業をまともに受けているはずも無く。ドラコも一部の例外を除いた大多数の生徒と同じ、魔法史の授業を睡眠に充てている生徒の一人だった。

 だからこうして早い時期から試験勉強を始めていても、全く頭に入らず四苦八苦している訳だ。

 人間、興味や楽しみを見出せなければ知識を蓄えるのは難しい。

 しかし彼はまだ幸運の部類に入る。彼のルームメイトは、その退屈な教科書を暗唱出来る生きたデータバンクなのだから。

 

「アリィ、魔女狩りから魔法族を守るために率先して活動した――」

「やりすぎヘドウィグ。防御呪文が使えない子供を保護しようとしたのは偉いけど、子供を長期間拉致監禁した変態。逮捕されたのは1322年9月20日。それに――」

 

 自身が読み進めている『卒業生名簿』から目を逸らさず、そしてベッドの上で体育座りをしながら質問事項を先読みして答えるアリィ。

 その姿は心ここにあらずと言った風で。しかしスラスラとその魔女についての博識ぶりを見せるのは流石の一言に尽きた。

 まるで脳を直接ネットに繋いで検索しているかのような博識ぶりと記憶術を見せられれば、この天災に知らないことは何一つ無いという、そういうありえないことを考えてしまうのはドラコだけでは無いはずだ。

 しかし当然、彼にも知らないことはある。

 そうでなければ、わざわざ第一期の卒業生名簿から数日をかけて目的の人物を探す必要など無いのだから。

 歴史の教科書を片っ端から読破したアリィは、どうも探している人物がいるらしく、情報が無いのなら次は身近な所からとホグワーツの関係者を手当たり次第に探していた。

 これで駄目なら他国の歴史。それでも駄目なら伝手と知識をフル導入して片っ端から調べ尽くすだろう。

 テスト勉強に勤しむ友人達の協力を蹴り、アリィは一人でトム・リドルを探していた。

 

「そうか、そんな名前だったか」

「そう、ハリーのフクロウと同じ名前。ハリーも何で変態の名前を付けたんだろ。センス無いったらありゃしない」

 

 視線を一向に本から離さないからこそ、アリィはテーブルに齧り付いて勉強しているドラコの『お前が言うな』という半眼のジト目に気付かない。

 そして無意識にそのまま、まるでついでと言わんばかりにアリィのベッド脇に作られた無人の寝床に視線を移し、ドラコの口から思わず舌打ちが漏れてしまう。

 あの主人に忠実で喧しく直ぐに人の顔をベトベトになるまで舐め回す三頭犬は、よく事情は知らないが数週間前から姿を消している。

 それ事態は実に喜ばしいはずなのに、胸にぽっかりと穴が空いたかのような物足りない気持ちは何なのだろうか。

 

(くだらないっ、何を考えているんだ)

 

 ほんの一瞬だけ自問し、直ぐに回答を得て再度の舌打ちを零す。

 ドラコはこの僅かばかりの寂寥感を胸の奥へと押し込んだ。どうしても、このもどかしい気持ちを認めるのが癪だったからだ。

 

「そうだドラコ。訊きたいことがあるんだけど」

「なんだ?」

 

 小さく『ここにも無い』と呟いてから、愛犬の寝床とは反対のベッド脇に積み重ねられた名簿の山に八十年前の名簿を置いて、漸くアリィは視線をドラコに移す。その瞳に、懐疑と不満の意思を乗せながら。

 

「ドラコさぁ、何か隠しごとしてない?」

 

 悪戯を仕掛けてニヤついているような子悪魔的な笑みではなく、どこか不機嫌にぶすっとしたしかめっ面を見せるアリィの問いは、一振りの刃のような鋭さを見せてドラコの心に切り込みを入れる。

 何故そのような結論に至ったのかは皆目検討も付かない。それでもドラコが言えることは、自分は今、とても窮地に立たされているという点のみ。

 なんとかして誤魔化さなければ。この言葉が脳内を駆け巡った。

 

「いったい急にどうしたんだい?」

 

 心底訳が分からないといった風に首を傾けるドラコには、何か隠しごとをしている空気は一ミリたりとも感じられない。それでもアリィは直感的にドラコの嘘を見抜き、まるで詰め将棋のように外堀から攻めていく。

 

「なんか数日前から変。やけにハリー達に絡んでるから」

「それのどこが変なんだ」

 

 ドラコが一部の例外を除いてグリフィンドール生を、特にハリーを嫌悪しているのは周知の事実だ。

 当然アリィも知っているし、そのことを咎められたことも記憶に無い。人の考え方や主張に対し、この天災が何かを強制した例は無かった。

 ドラコの選民思想や差別を否定していないとこから見ても分かる通り、それに理解を示すかは別として、どんな主義主張も認める懐の広さを彼は持っているのだ。

 だからジト目を向けられるドラコは、これが幼馴染のために行う意趣返しとは考えていなかった。

 

「だってドラコ、今まで俺の前でハリー達に喧嘩を仕掛けてなかったじゃん。それにさ、流石にハリーが自分から何度も喧嘩を吹っかけるってのも変」

 

 影で愚痴を言うことはあれ、あの真夜中に行おうとした決闘の時以来、ドラコがハリーに向って喧嘩を吹っかけたことは無かった。そしてそれはハリーにも同じことが言える。

 それが一回だけならまだしも喧嘩の回数が一日一回にまで膨れ上がったら、それはもう変だとしか言えなかった。

 時には食事時に。時には廊下で擦れ違うたびに。ドラコとハリーは互いにいちゃもんを突きつけ合って度々衝突している。

 

 

 まるで自分達の仲が悪いことを周囲に見せ付け、あえて強調するかのように、その苛烈さは日に日に増していった。

 

 

「それにロンも手を犬に噛まれて医務室に入院中だし、絶対に変。ハリー達と一緒に何か面白そうな生き物でも飼ってんじゃないの?」

 

 牙に毒がある犬などホグワーツ周辺には存在しないはずなのに、そういった生き物に噛まれたという信じられない事実。

 ハリーとドラコの共謀を周囲に悟らせないように――引いては二人と仲の良いトラブルメーカーに悟らせないようにするような、自然ながらも不自然な喧嘩。

 普通なら疑問にも思わない素振りから、動物めいた直感と閃きで何かを隠していると判断したのだ。

 

「あ、そうだ。それに俺とロンがチェスをやってた時だってドラコとハ――」

「ふんっ、何でこの僕がポッター達なんかと……そういえば、あの駄犬はいつ戻ってくるんだ?」

 

 内心でアリィの動物的な直感に罵詈雑言をぶつけながらも話題転換を図るドラコ。アリィの唐突な発言や行動に肝を冷やすのは一度や二度ではないが、それでも今日このタイミングはあんまりだと思う気持ちが溢れてしまう。

 これから大仕事が待っているのに、何でこうも厄介なんだと。

 

「ああ、そうなんだよ! それが新学期になんないと帰って来ないんだよっ!」

 

 しかし上手く話を逸らすことが出来たみたいだ。

 愛犬がいない寂しさを思い出したのか、アリィは先程まで抱いていた不満や不信感も忘れて愛犬の不在を嘆き、そしてそれは一向に見付からない探し人に対する愚痴にも繋がっていく。

 試験勉強や今まで行っていた実験もそっちのけで人探しに没頭していることはドラコも知っている。魔法史や偉人達の名前を漁っても見付からず、一縷の望みを込めてホグワーツ生の名前を探し始め、その根気のいる作業に段々と飽きていることにも気付いている。

 むしろ膨大で長い歴史を漁って直ぐに生徒名簿を過去から遡って閲覧していることを考えれば、よくここまで気力が持ったと褒めるべきだ。

 そしてドラコはアリィが誰を探しているのか知らない。一度は断られたが、もし頼まれた際は人探しを手伝う気前の良さくらい持ち合わせている。

 延々と続く愚痴に相槌を打ちつつ、そろそろ勉強に戻ろうと考えていた矢先、その発言が耳に飛び込んできた。

 

「ああ、早くポチ太郎に会いたい! 伝次郎はまだ寝てるからつまらない!」

「伝次郎とはいったい誰のことだ!? なんだか凄く不吉な気がしてならないぞ!?」

 

 クリスマス休暇が明けて数ヶ月経ち、初めて耳にした新ワード。

 明らかに人名でありながら生徒ではなさそうな名前にドラコが戸惑う。知らぬ間に面倒事が身近にやってきていたことに、やっと彼は気付くことが出来たのだ。

 まあ、誰も進んでベッドの下など漁らないので無理は無いが。

 

「伝次郎は蛇だよ。見る?」

 

 新しい家族を紹介するのが嬉しいのか。にこやかな笑顔を振り撒いてベッドの下に上半身を突っ込んだアリィは、とても大きな木箱をゆっくりと引き摺り出す。

 中で寝ている蛇を気遣う姿からは、ペットに対する並々ならぬ愛が感じられた。

 本来なら微笑ましい光景なのに、ドラコの目には危険物を取り扱うような仕草に見えて仕方が無い。

 

「…………蛇とか言いつつ『ヒュドラ』や『ラミア』の子供というオチでは無いだろうな?」

 

 ドラコの発想は非常に良い線をいっていた。ニアピンと言って良い。段々とアリィに毒されてきている証拠だ。

 しかし経験不足が祟り、ドラコの脳が導き出した最悪の結果というのが、先ほど挙げた二種類の怪物達の存在だった。

 まだまだ青いが、まさかドラコも木箱の中身が千年を生きるバジリスクだとは思うまい。

 

「そんなギリシャにしか生息しない貴重な怪物がホグワーツにいる訳ないって。伝次郎は休暇中に学校近辺で見つけたんだ」

 

 そのギリシャにしか生息しないどころか魔法界でも数匹しか個体を確認されていない毒蛇の王をペット化した者とは思えない発言だ。色々と狂っている。

 

「いや、冬眠中ならわざわざ起こさなくて良い」

 

 初お披露目を逃したことに対する残念な気持ちと、ドラコの言うことも尤もだという気遣いに感謝するアリィの手により、再び伝次郎はベッドの下へと戻っていく。

 元々の性格や気質の性もあるのだろうが、もう春も過ぎようとしているのに毒蛇の王は起きる兆しを一向に見せない。

 それはそれでドラコにとって幸せなことなのだろう。けれどもアリィにしてみれば心底残念な気持ちで一杯だ。

 

「それで、その伝次郎というのはソイツのフルネームなのかい?」

「伝次郎・ザ・ダークボンバーってカッコイイ名前がちゃんとある」

「改名するんだ今すぐにっ!」

 

 グレートポチ太郎という前例があるだけに問いかけてみれば案の定。その破滅的なネーミングに物申せずにはいられない。まだ見ぬ蛇に同情を禁じえなかった。

 

「ええー!? カッコイイでしょダークボンバーって名前! 伝次郎だって喜ぶに決まってる!」

「いい加減、君のセンスが壊滅的であることに気付いてくれっ!」

 

 以前製作した新作箒みたいなモノとは違い、生き物には心がある。

 なら生涯を通して付き合っていくことになる名前を好きになれるよう、男にとってカッコイイと思える名前を付けるのは飼い主の務め。

 そうして考えに考え抜いた結果どこか迷走してしまい『双子座』とは気合の入れ方が違う名前が生まれてしまった。

 とある理由からグレートポチ太郎と名付けたことを失敗したと考えている手前、同じ過ちは犯さないという意気込みが命名行為に隠されている。

 それでも三頭犬の命名に関して後悔はしていないのがアリィらしい。

 そして改名希望と現状維持の話は平行の道を辿る事になった。

 

「あ、そうだ。ねえ、今更だけど伝次郎をここで飼っても良いでしょ?」

「……………………ああ」

 

 本当に今更な質問を吟味し、長い思考の末に決断を下す。姿を見ていないことに不安を残すも、結局は学校周辺で見つけたという言葉が決め手になったのだ。

 

「まあ、蛇は僕も嫌いではない。だけどアリィ、頼むからこれ以上ペットは増やさないでくれ」

「サンキュー、ドラコ! 話が分かるルームメイトで助かるよ本当に!」

 

 それに、この輝かんばかりの気色に溢れたルームメイトの笑顔が見られるのなら、蛇の一匹くらい許してやろうという気持ちになってくる。宣言通り蛇は好きだし、なによりアリィの曇り顔なんて見たくないのだから。

 無論、何かあった時は容赦無く不満を言うつもりだが。

 

「あれ、どこ行くの?」

「パンジーとこれから約束があるんだ」

 

 ある意味新たな厄介事を抱えてしまった気がするも、時間が近付いてしまったためドラコは部屋の出入り口へと歩いていく。

 このルームメイトが要らぬ気遣いを掛けてくるのは予測出来るため、こう嘘を吐けば追って来ないという核心があった。

 

(パンジーとも話を合わせなければ……今度スネイプ先生から胃薬を貰っておこう)

 

 何だかんだ言って上手く話を逸らし、アリィの追求から逃れることが出来たドラコ・マルフォイ。

 それでもそのために払った対価は大きかった。

 精神負荷という形で対価は重く圧し掛かり、ドラコの胃が危険域に達するのも秒読み段階まで入っているのかもしれない。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 四月の下旬とはいえ夜間は未だ肌寒い。夜の帳が下りきった深夜に近い時間帯では春の麗らかな空気を感じることも出来ず、吹き抜けの一階廊下に吹き込む突風に身体の芯まで凍りつかせる。

 

 

 

 ――そう、本来なら二人もそうなるはずだった。

 

 

 

「くそっ、何でこの僕がこんなことを……っ!」

「愚痴はいらないからもっと力を入れてよ! 午前零時まであと少しなんだ!」

 

 しかし二人は重たくて大きな木箱を二人掛かりで運んでいるため全身汗だく。汗が頬を伝って地面に垂れ、点々と水滴の軌跡を生み出しながらも、彼等は決して歩みを止めない。

 汗でベトベトになった制服が身体に張り付く不快感にも耐え、木箱の重さに堪えた腕が疲労でプルプル震えだしても、苦労に耐えながら二人は健気に頑張っていた。

 

「僕に命令するなポッター! くそっ、どれもこれも、あの木偶の坊がドラゴンの卵なんて貰ってくるからだ!」

「……それについては全面的に賛成するけど、ハグリットを木偶の坊だなんて呼ぶなマルフォイ」

 

 ハリー・ポッターとドラコ・マルフォイ。不倶戴天の敵同士であるはずの二人が協力し合い、ハグリットが手に入れてしまったドラゴンを学校内から連れ出すために行動している。

 

 

 

 ――何故よりにもよって犬猿の仲で知られる二人が一致団結しているのか、全ては数週間前に遡った。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 ドラコがハリーとハーマイオニーに呼び出されたのは放課後のことだった。

 その日は珍しくアリィも問題を起こさなかった穏やかな一日で、最後の授業である魔法薬学が終了しようとしたその時、魔法薬キットの片づけをしているドラコの足下にくしゃくしゃに丸められた手紙が投げ込まれた。

 パートナーであるアリィはクラッブとゴイルの下僕コンビのサポートに回り、スネイプはパンジー達のグループの採点を行っている。誰にも気付かれない絶妙なタイミングだった。

 

 そして十分後、誰もいない部屋で三人が会合を果たす。

 

「ふんっ、わざわざこんな所まで呼び出して、一体何のようなんだ」

「話があるんだ」

 

 もはや秘密の会合場所と化しているトロフィー室に呼び出されたドラコは、神妙な面持ちをしているハリーとハーマイオニーを見て勝ち誇った笑みを浮かべている。呼び出される心当たりがあったからだ。それこそドラコはこの展開を望んでいた節さえある。

 数日前の晩にハリー達の弱みを握り、ドラコはいつにも増して上機嫌だった。

 

「へえ、いったい何についてだい? もしかして、あのウスノロが飼っている大きな爬虫類のことかな? ああ、デカブツが逮捕される件についてかもしれないな!」

 

 あの晩にドラコが見た光景とは、飼育が禁止されているドラゴンの雛がハグリットの小屋で孵化する瞬間だった。

 危険な生物として認知されているドラゴンは気性が荒い個体が多く、それでいて生半可な魔法が効かない強力な魔法耐性を持つことで有名だ。

 そんな生物が魔法使いとしては半人前達が大勢いる学校で暴れ回ったら、いったいどれだけの被害が出てくるか。考えるだけでも恐ろしい。重大な責任問題に発展するだろう。

 そもそも隠して飼育出来る類の生物ではなく、一人で飼育するのは不可能な生き物。三頭犬とは違い、例え『動物好かれ』でも完璧に調教することが出来ない強力な生物。それがドラゴンだ。

 

「ふんっ、これであの森番はオシマイだ。仮にも学校の職員、それも森番が授業にも使えない危険な生物を飼うなんて前代未聞も良い所だ」

 

 ハグリットはホグワーツの鍵と領地を守る番人だが、その性質上、領地内である禁じられた森の簡単な管理・監視も仕事に含まれている。

 危険な森から――つまり森の中にいる危険な生物達を監視し、その脅威から生徒達を守る立場にある者が、あろうことか危険生物を学校へ解き放つ危険を犯している。

 これは絶対にあってはならない由々しき事態。弁解の余地も無い、ドラコによる完全無欠な正論。現にハリー達も、その件に関しては全くの同意件だ。

 

 悔しそうにするハリーに気を良くしたドラコは、実に心地良さそうに鼻を鳴らした。

 

「まあ、ポッターやウィーズリーの態度次第では黙ってあげてもいい」

 

 こう言ってはいるが、ドラコは何もハリー達の退学やハグリットの退職を望んでいる訳ではない。

 もし学校から彼らがいなくなれば、自分のルームメイトはきっと悲しむ。それに何より、ハリーやハーマイオニーといった天災を御せる可能性を持つ最大戦力が学校からいなくなるのは、生徒職員に対する致命傷に成りかねないと考えている。

 ドラコはただハリー達の弱みを握り、強者として君臨し、屈服させたいだけなのだ。

 

 

 

 ――そしてハリー達は、ドラコの考えをほぼ正確に察している。

 

 

 

「僕達はただ忠告しに来ただけだ。ドラゴンのことを教師に告発するのは止めた方が良いってね」

 

 正直言えば、今回ばかりはドラコに賛同するところだ。それでもハリーは、あえてこの言葉を口にする。

 彼に弱みを握られるのは絶対に回避しなくてはならないことであり、ハグリットを援護するためにも対立する道を選ばなくてはならないのだから。

 慎重に言葉を選び冷静に対応するハリーと違い、絶対的優位に立ち感情が昂っている所為か、ドラコはどこか感情的だった。

 

「はっ、そんな手には乗らないぞポッター! ドラゴンについて告げ口して、僕にデメリットがある訳ない!」

「デメリットならある。分からないのかい? ――アリィだよ」

 

 往生際の悪さに嘲笑を浮かべていたドラコは、ハリーの言葉で混乱の淵に叩き落された。

 

「……どういうことだ?」

 

 もう彼に強者としての姿は無い。憑き物が落ちたかのように、今では少し不安げな表情を見せてさえいる。未だに理解が追い付いて来ない。何故そこで天災の名が出るのか。

 懸命に思考の糸を紡いでも、それは解答に辿り着く前に解れ、霧散してしまう。そんな迷える者に、ハリーは丁寧に説明し始める。

 

「もし君が先生の誰かにドラゴンのことを告げ口したら、そのあとはどうなると思う?」

「あの森番が処分されて、ドラゴンは学校からいなくなる」

 

 実際には厳重注意や罰金、謹慎の類で、ハグリットがホグワーツからいなくなる可能性はゼロに近いだろう。

 ダンブルドアはハグリットを残すよう尽力を注ぐだろうし、それに彼は多くの生徒達に慕われているのだから。

 生徒に犠牲者が出れば監獄生きになる可能性があるも、やはり被害が出る前に対処されるのが大きい。

 そのドラコが述べた可能性を肯定しつつも、ハリー達は他の展開も予知していた。

 

「それだけじゃない。たぶん、この話はホグワーツ中で噂になる」

 

 ドラゴンが学校内にいたなど格好の話のタネ。話題性充分なドラゴンネタに学校の生徒が食い付く可能性は高い。

 それにホグワーツ生は噂に関して非常に敏感な所がある。以上のことから、噂が生徒達に広まってしまうのは確定事項だ。

 しかし、だからどうした。噛み付くようなドラコの視線はそう語っている。そしてハリーはついに核心を突いてドラコの論破に踏み切った。

 

「その噂の中に、もし君がドラゴンについて告発したって内容があれば、アリィはどんな反応をすると思う?」

「どんなだって? それは……」

 

 

 

 

 

 《よくもまぁドラゴンがいるだなんて面白そうなことを黙ってたなっ!? ドラコの馬鹿!》

 

 

 

 

 

 アリィの罵声が鮮明に再現される。容易に憤慨している友のビジョンが思い浮かんだ。

 

「一つ言っておくけど、本気で怒って癇癪を起こすアリィは……とにかく酷い」

 

 口許を引き攣らせているドラコに追い討ちをかけるハリー。それに伴いハリーの表情も昔を思い出して暗さを帯びていく。

 職員室占拠事件と校庭クレーター事件を思い出し、知らずの内に背中が冷や汗で濡れていた。

 

「なら、アリィにドラゴンのことを事前に話せば……ッ!」

「正気なのマルフォイ!? あのアリィとドラゴンを引き合わせてごらんなさい。きっと予想が付かない程の酷い事態になるわよ」

 

 今まで交渉をハリーに任せていたハーマイオニーが咄嗟に反論するが、その判断はおそらく正しい。それこそホグワーツが半壊したり、下手したら閉鎖、なんて不測の事態に陥っても不思議ではない。

 どんな最悪な結末を想像しても、その斜め上の事態を引き起こすのが天災だ。天災とドラゴンのタッグは実に千差万別な最大級のバッドエンドを迎える可能性を孕んでいる。

 無数に枝分かれし、しかもその先の枝がぶつ切りにされて未来が閉ざされているかのような、とてもとても酷い結末。

 アリィにドラゴンの存在を悟られるのは最大の悪手なのだ。

 

「だからマルフォイ。お願いだから先生に告げるのは止めて。アリィに悟らせてもダメよ」

「僕達は近い内にドラゴンをロンのお兄さんに引き渡すつもりでいる。ルーマニアでドラゴンの研究をしているんだ。だから邪魔しないでくれ」

 

 ここには顔を出していないロンは、現在必死になってアリィを足止めしている。大広間でチェス勝負している頃合だろうが、アリィの弱さを考えればそろそろ決着が付いてもおかしくないほど時間が過ぎていた。

 だからハリー達は早足に決断を迫る。

 危険を覚悟してまで優位に立つか。平穏を祈りつつ黙認するか。選択を迫られ、熟考していたドラコは後者を選ぶという苦渋の決断を下す。

 これが、ドラコとハリー達が不可侵条約を結び、アリィに知られないという点で協力することを約束した瞬間だった。

 

 

 ――そして、時はドラゴンを運び出す土曜の夜へと戻っていく。

 

 

 ◇◇

 

 

「ハァ、ハァ……絶対にこのツケはいつか払ってもらうぞ」

 

 ホグワーツで一番高い塔の頂上までドラゴンを運び、ロンの兄の仲間にドラゴンの入った木箱を渡す。その作業を手伝っているドラコは階段を上りながら恨めしそうな視線をハリーにぶつける。

 そんな視線に応えることすら億劫に感じるほど疲弊しているため、同じく荒い息を吐くハリーの口調はどこか投げやりだ。

 

「ロンが怪我をしたんだから仕方が無いだろう? それに、ハーマイオニーみたいな女の子に力仕事なんてさせられないよ」

 

 そう、本来なら運搬作業にドラコを関わらせるつもりは無かった。

 それでもこうしてアリィが側にいない隙を狙って助力を請い、協力してもらっている理由の背景には、運び手であるロンの負傷という不足の事態があった。

 もし万が一、ドラゴンを運ぶのが間に合わず約束の午前零時を過ぎてしまった時、その場に誰もいなかったら色々と問題が生じるかもしれない。念のため頂上に一人は置きたいし、当然ながらドラゴンの子供を一人で運ぶなど不可能だ。ハリーとハーマイオニーだけでは人手が足りなかった。

 箱と運搬者を透明マントで隠さなければならい以上、身体の大きいハグリットは当てにならない。

 

「ならロングボトムに任せれば良いだろう! 絶対に僕より力があるぞっ!」

「ネビルだと透明マントに入りきらないかもしれない。この箱も一緒に隠すとなると多分無理だよ」

 

 ちなみにネビルが現在ハーマイオニーと一緒に塔の頂上で待機しているのには訳がある。

 今から二時間前。この秘密の作業についての段取りを談話室で話し合っている時に、うっかりネビルに聞かせてしまったのだ。

 端の方でコソコソしている二人にネビルが関心を持ってしまい、その接近に気付かなかった二人の落ち度だった。結局、人手は多い方が良いからと事情を知って協力を申し出てくれたネビルのことをドラコに伝える時間と方法も無く、ドラコがネビルの参加を知ったのは校庭と城を繋ぐ渡り廊下で合流を果たした時だった。

 

「止まって……っ!」

 

 午前零時を間近に迎え、漸く長い階段を昇りきってハーマイオニー達の待つ塔のテラスまでもう少しという所で、二人の耳に聞きたくない声が入ってくる。テラス付近の銅像の影に身を伏せ、ジッとし始めた二人の目は、月明かに照らされた大人の横顔をはっきりと目撃出来た。

 

「ピーブスに言われて来てみれば、こんな晩くに何をしているのですか!?」

「先生……その、私達は、天文学の予習をしようと思ってここに……」

 

 顔面蒼白。

 恐怖で身を縮ませている二人に怒鳴るのはマクゴナガルだった。

 話し振りから察すると夜の見回り中にピーブスに告げ口され、普段から人気の無いこの塔まで念のため足を運んでみた、という所だろう。いらんことをしてくれたポルターガイストに対する腹いせとして、今度アリィをピーブスにけし掛けてやろうと画策する二人だった。

 

「予習ですか、教科書等も持たずに?」

「それは……僕達、つい忘れてしまって……」

 

 生憎と予習云々はハーマイオニーが咄嗟に吐いた嘘なため、そこまで用意周到に準備していたはずが無い。

 きっと誰も来ないという希望的観測がこの事態を生んだのだ。念入りに計画を立てていたハリー達の、唯一にして致命的なミス。

 視線を迷わせ、閉口してしまった二人を見るマクゴナガルの表情は、怒りと共に落胆の色を見せていた。

 

「……ハァ、ミス・グレンジャー、貴女には失望しました。どんな理由があろうとも、それが夜中に出歩いても良い理由にはなりません。例えそれが勉強のためでもですよ、ミスター・ロングボトム」

 

 一瞬だけ不純異性交遊の可能性に至るも、この二人に限ってそれは無いと判断したマクゴナガルは、二人の処遇を決めるために彼女達を連れ立って研究室へと向う。三

 人の姿が階段に消え、二人は銅像の影からひっそりと身体を出した。とは言っても、当然ながら透明マンとは羽織ったままだ。

 

「二人とも。見捨ててゴメン」

「グレンジャーには運が無かったみたいだな」

 

 マグル出身者の中でも別格扱いし、尊敬の念すら僅かに抱いているミス・ストッパーだけを哀れんでいる当たり、ドラコのグリフィンドール生嫌いが見て取れた。

 そして、その数分後にロンの兄――チャーリーの仲間だという人達がテラスに降り立ち、箒で木箱を運んで飛び去っていく。

 二人を見捨てるのは心苦しいが、ここでマクゴナガルの下に行っても自ら出頭するに等しい愚行なので素早く自寮に戻ろうと踵を返す直前、

 

「ほう、これは珍しい組み合わせだ」

 

 

 ――背後から、フィルチの声が聞こえてきた。

 

 

「こんばんは、規則破りのお二人さん」

 

 意地の悪い目で呆然と佇むハリーとドラコを眺め、卑屈そうな笑みを浮かべるフィルチ。見付かったことを嘆くべきか。それともギリギリ受け渡しを終わらせる事が出来たのを喜ぶべきか。

 腹の中で渦巻く複雑な感情しか二人は持てなかった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「まったく、一晩に四人もの生徒が夜中に校内をうろつくなど前代未聞です! いったい何を考えているのですか!?」

 

 深夜の研究室でマクゴナガルの怒声が飛んだ。

 二人だけだと思っていたのに、更に二人も規則破りが追加されたのだ。

 マクゴナガルは今まで見た事が無いほど激昂している。研究室に向う途中に偶然出会ったフィルチに事の次第を伝え、念のためテラスへ向うよう進言したが、まさか本当にこれ以上規則破りがいるとは思わなかったに違いない。

 

「それで、いったいどうして貴方達は出歩いていたのですか?」

 

 その問い質す視線は主にハリーとドラコに向けられている。寮間の確執が取り払われてきているとはいえ、獅子寮と蛇寮の生徒が深夜に行動を共にしていたのは、どう贔屓目に見ても異質に思えて仕方が無かったのだ。それが教師陣の中でも有名な犬猿の仲で知られる二人なら尚更のこと。

 

「ドラゴンです! 僕達ドラゴンを運んでいたんです!」

 

 罰則や寮の失点とアリィの怒り。どちらを取るか天秤に掛けた結果、ドラコはアリィの怒りを買う選択を取る。

 正直に話せば失点等が無くなるかもしれない。そう淡い期待を込めたドラコの主張に、放課後のやり取りを知らないネビルも勢い良く頷いた。

 その二人の反応に舌打ちをかましたいハリーとハーマイオニーだが、ハグリットや自分達よりも自寮へ掛ける迷惑を気にするのは仕方が無いと、無理やり納得して気持ちを自制してみせる。巻き込まれた二人にとって、これは当然の選択なのだ。

 それに冷静に考えてみれば、もうドラゴンは引き渡した。つまり作戦は成功した。

 ハグリットの性格を考えれば善意の協力者が自分のせいで罰則を食らえば減刑のために自首することくらい簡単に予測出来る。

 故に見つかってしまった時点でドラゴンの事を話しても問題ないはず。

 ここまで二人は瞬時に計算して見せた。しかし、

 

「下手な嘘はおよしなさい、ミスター・マルフォイ。もし仮に、本当にドラゴンがいたのなら、何故この場にミスター・グリフィンドールの姿が無いのです?」

『うぐっ』

 

 

 ――グゥの音が出ないほどの完璧な反論。

 

 

 

 そう、もし本当にドラゴンが居たのなら、この四人と仲の良い彼の天災がこの場にいないのは可笑しい。彼の性格を考えれば、何が何でも首を突っ込むはずだからだ。客観的に物事を見れば当然の理屈に、ハリー達は反論の術を失ってしまう。もし自分達がマクゴナガルの立場なら、アリィがいない次点で絶対に信じない。

 しかし、それでもハリーは言わずにはいられなかった。信じてもらえないのが我慢ならなかった。

 

「マクゴナガル先生! お言葉ですがよく考えてください! アリィとド

 ラゴンを引き合わせたらどうなるかぐらい、先生ならお分かりになるはずです!」

「うぐっ!?」

 

 今度はマクゴナガルが喉を引き攣せる番だった。思わず納得しかけて罪を帳消しにしかけるが、しかし最後の理性がストップをかける。

 

「…………なるほど、確かに納得です。ええ、むしろ英断だといえるでしょう」

「それじゃあ」

「しかし、校則を破っ確かに事には変わりありません」

 

 マクゴナガルは情け容赦なく四人を奈落に突き落とす。本当にドラゴンがいた可能性が浮上してきたが、だからこそ罰則の手を緩める訳にはいかない。いや、それ所かより厳しく処断しなくてはならないだろう。

 

「全員、一人ずつ五十点減点。それに処罰します」

 

 

 

 

 ――後にハグリットはハリー達が捕まったことを知りマクゴナガルの下へ出頭して事の顛末を説明するも、ハリー達に課せられた罰則は覆されなかった。

 それは夜間を出歩いていたことに対する罰ではなく。教師達を頼らず自分達だけでなんとかしようとした蛮勇を咎められてのこと。ドラゴン――それも今回運搬したノルウェー・リッジバック種は、牙に猛毒を持つ事からも分かる通り非常に危険な生物だからだ。

 いくら赤子でもその危険性を無視出来ない程に彼等は危険。

 もうこんな危険な行為をさせないためにも、そして教師陣を信頼して頼らせるためにも、教師達はハリー達の優しさを評価するも心を鬼にして罰則を下す。

 ハリー達への罰則は禁じられた森の見回りを命じられ、ハグリットは数日間の謹慎処分と数ヶ月の減俸に、ドラゴンの卵を違法で所持した咎で罰金。

 

 これが、散々頑張った挙句に引き起こしてしまった、ハリー達の報われない成果だった。

 

 



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第十五話

 その日、ホグワーツ全体が浮かれた雰囲気に包まれていた。

 頑張った分が報われてガッツポーズを取る者。内外面の両方で咽び泣く者。一年の集大成が終焉を迎えて安堵の吐息を零す者。

 気持ちの一喜一憂具合に差があるのは否めないが、最大の精神負荷である学年末試験も漸く終わり、生徒の誰もが陽気なお祭り気分を放出しているのだ。

 当然、それは凡人とは遠くかけ離れた存在であるアルフィー・グリフィンドールも例外ではない。

 気温も段々と真夏に近付いて来た六月の夜に夕食の席で試験の答え合わせを行っているアリィからも、生徒特有の解放感が感じられた。

 

「あぁ……もうダメかも」

 

 しかし、このスリザリンの一年メンバーが陣取った席では、現在進行形で重い空気が圧し掛かっている。

 その原因たる少女の手に握られている羊皮紙は魔法史の問題用紙だった。

 ショックからテーブルに突っ伏している彼女の背に流れる一本の三つ編みは、特に手入れも施していないのに世の女性達が羨む程のキューティクルで、とても綺麗な明るい金色。涙目になっているその瞳は家名に相応しい立派な碧眼。

 パンジーと同部屋にして料理クラブの一員である、スリザリン一年でトップと名高い美少女――ダフネ・グリーングラスは、苦手な魔法史に敗北を期して直視出来ないほど真っ白に燃え尽きていた。

 

「なーに言ってんだか。落第点では無いんだし、その分アンタは他が優秀なんだから大丈夫だっての。それともアタシに対する嫌味なわけ?」

「気にしても後の祭り。さっさと忘れるか開き直るかした方が身のためだぞ」

 

 現実でも胸中でも涙の豪雨を降らしている友人を気遣ったのは、今ここにいる面子でダフネを除いた四人の内の二人だった。

 女性にしては縦横に少し大きい身体。お世辞にも美少女とは言えないが、そのキリッとした眉と鋭い目が気の強そうな印象を相手に植え付ける。

 ダフネの隣に座る少女――ミリセント・ブルストロードは、同じタイミングでダフネを慰めた真正面の少年に顔を向けた。その表情に、少しばかりからかいの意味を込めて。

 

「へえ、たまには良いこと言うじゃないのザビニ。やっぱり可愛い女の子には優しいんだねぇ」

「……喧嘩を売ってるのかブルストロード? まあ、血の気の多い野蛮なお前の事だから、獣みたいに噛み付きたくなるのは仕方が無いか」

 

 しっかりと青筋を浮かべつつ、慣れた手付きで反撃をかますのは黒人の少年だ。

 高慢そうな風貌が目立つ少年――ブレース・ザビニの言葉に、ミリセントの口許がピクピクと引き攣る。

 火花を散らして不気味な笑い声を響かせる二人を見て、周囲に座っていたダフネ達以外の蛇寮生はそっと距離を取る。

 新一年生が入学してもう直ぐ一年。この二人のいざこざは、スリザリン生にとって実に見慣れたやり取りの一つだからだ。誰だって喧嘩の余波は食らいたくない。

 

「ブルストロード……何でお前は毎回毎回毎回毎回、僕がグリーングラスに話しかけると噛み付いてくる? もしかして、僕に気――」

「はンっ、自意識過剰な勘違いなんて起こすんじゃないよザビニ。群がってきそうな悪い虫を掃ってあげるのは、親友として当然だろ?」

「お前は一度、お節介って言葉を辞書で引くべきだな。過保護は良くない」

「安心しな、分別は付いてるから。アンタじゃなかったらここまで口は挟まないよ」

 

 見た目から分かるような勝気な性格で、パッと見いじめっ子の代表例みたいな体格と容貌を持つミリセント。しかし実は友人に対して面倒見が良く自他共に認める姉御気質であり、同期のスリザリン生からは頼れるおっかさん的なポジションにいる彼女は、気弱な小動物を連想させる可愛い友人に群がる悪虫を掃うために奮闘する。

 割と面食いなのは否定仕切れないものの、邪な想いからではなく純粋にダフネとお近付になりたいと考えているザビニにとって、ミリセントはただお話を邪魔する怨敵に等しい。

 強気に出られない友人の露掃いに徹する少女と、普段の態度と言動から軽薄なチャラい――あながち間違っていない――少年が対立するのは、云わば必然であった。

 しかしその行為は心優しい少女を毎回激しく困惑させる。火花を散らし合う二人の不穏な空気を敏感に察し、ダフネは声を張り上げた。

 

「け、喧嘩はダメだよ二人とも! ノ、ノットも黙ってないで手伝って!?」

 

 ダフネは対面に座り合って睨みを利かしている二人にビクつきながら目の前の少年に助けを求める。

 文庫本サイズの本から視線を逸らさず、まるで食事の方がついでと言わんばかりのスローペースと無頓着具合で淡々と夕食を口に放り込んでいる寡黙な少年――セオドール・ノットは、悲鳴にも似たダフネの声にあからさまな溜め息を吐いた。

 

「……ハァ、俺よりも注意すべき奴がいるだろ。というより、何で俺がコイツらと一緒にテーブルに着いているんだ?」

 

 典型的な一匹狼である彼には親しい友人が存在しない。しかしそれは彼自身が友人を進んで作ろうとしないだけで、皆から嫌われ者の烙印を押されている訳ではなかった。それ所か頭脳明晰でクールな一面から女子の視線を集め、先輩達からも有望株だと一目おかれていたりする。

 そんな彼はアリィの手により半ば強制的に夕食を共にさせられた訳だが、試験終了まで我慢していた趣味を解禁して読書に耽りたいと考えていた身としては、何故こんな騒がしい場所にいるのかと自問したくなる気持ちも分からないでもない。

 誘っておきながら会話に入る気が無さそうな隣の少年に溜め息を零すノットに対し、ミリセントが目敏く反応した。

 

「なにノット。アタシ達と一緒に晩飯を食うのが嫌だって?」

「お前とザビニが揃うと毎回喧しいんだ。二人とも少し黙れ」

 

 計画を大いに狂わされたことから怒りが募り、ノットの口調も厳しく、それでいて剣呑さを増していく。珍しく彼は感情的になっていた。

 ただの口喧嘩に新薬が混ざり、厄介な化学反応を起こして三つ巴の戦争に発展しかねない現状に、心と胃が痛みを発していることをダフネは自覚する。

 ダフネの脆弱な心は『この爆弾達をどうしよう!?』という気持ちで一杯だ。

 

「もう、喧嘩はダメだって言ってるのに! ……アリィも助け――」

 

 ここでダフネは最後の希望に助けを請う。彼の天災なら危機的状況を打破する切っ掛けになるのではないか、そう思えたからだ。

 正直言えば塩素系溶剤に酸性の溶剤を混ぜるくらい危険かもしれないが、危険は百も承知。藁をも掴む心境でアリィに視線を向ける。

 そして、

 

「――でさもう数ヶ月間ポチ太郎に会ってないんだよちゃんとダンブルドアは魔法で眠らせてるよね餓死なんてしてないよねそれに伝次郎だっていつまで寝てるんだかあんなのもう冬眠のレベルを超えちゃってるってあと――」

 

 ハイライトの消えた瞳でネズミに愚痴っている姿を見て、ダフネは心の底から後悔した。

 いつも元気一杯な者が抑揚の無い声で息継ぎ無しにネズミへ話し掛けている。

 一目見て思う。こりゃダメだと。

 

「……ア、アリィ?」

 

 それでも見なかったことにしないのは彼女の優しさがあってのこと。元々、最近のアリィは情緒不安定気味だった。

 最初は試験勉強のストレスが原因かと思ったが、心が鋼どころかダイヤモンドで出来ているんじゃないかと思ってしまう少年が試験程度でへこたれる筈が無いと直ぐに結論付けた。

 時折、本当に唐突に、脈絡も無くメランコリー状態に陥るアリィ。それでも一度声を掛ければ、

 

「どしたのダフネ。涙目でビクビクしてるのはいつものことだけど、今回はいつにも増して震えっぷりが凄い」

 

 いつもの調子に戻り、こうして普段の笑顔を見せてくる。彼の小さな両手に納まっていたネズミ――食堂に来る途中、偶然アリィに捕縛されて愚痴の捌け口にされていたロンのペット――スキャバーズは、これ幸いとアリィの魔の手を逃れて逃亡を開始した。

 彼が食堂から姿を消すまで五秒も掛からない。そもそも食堂にネズミを連れ込むのは感心しない行為だろう。しかしここはフクロウとかも舞い降りる異常食堂

 だ。

 魔法薬でも動物や昆虫に耐性がある手前、スキャバーズの登場で食堂が騒ぎ立つことはなかった。

 

「だ、大丈夫?」

「無問題。バッチオーケー。オールグリーン。全て順調。テストも簡単だったし心のゆとりは十二分」

「うぅ……アリィの馬鹿」

 

 まるで思い出したかのように、最後に取って付けた発言に対し、反射的にダフネの口から文句が飛び出す。

 そう実際に、天災にとって試験は簡単なものだった。

 三年生で『呪文学』と名が変わる『妖精魔法学』の試験では、パイナップルを机の端から端までタップダンスさせるという試験課題だけでは飽き足らず、阿波踊りやコサックダンスなど、沢山のダンスを躍らせてフリットウィック先生の度肝を抜く始末。

 変身術ではネズミを金ぴかの、おまけに願いを叶えることで有名な日本の龍(もちろん七つの玉を集めるアレ)の彫り装飾まで付いた、マクゴナガル教授が感嘆の息を吐きつつ胃薬を飲む程の『完璧で美しい嗅ぎタバコ入れ』を作製してみせる。

 極めつけは使用後に頭がボーっとする忘れ薬の副作用をラベンダーやハッカなどの植物を加えることで克服し、『忘れ薬・改』とも言うべき魔法薬を作ってスネイプ教授を唸らせた魔法薬学。

 魔法史や薬草学は当然のように自己採点で満点。闇の魔術に対する防衛術の基本概念も完璧に解答してみせた。

 天文学は興味が無かったため点数は低いものの、おそらく平均点くらいは取れているだろうと予測出来る。

 ダフネがつい罵倒を口にしてしまったのは、魔法史が上手くいかなった自分に対する当て付けだと無意識に捉えてしまい、アリィの頭脳と才能に少なからず嫉妬してしまったからだ。

 

 ――しかし彼女を初めとする全生徒は思いも寄らないだろう。

 アリィにも弱点というか、致命的なまでに苦手とする分野があることを。今回はたまたま試験範囲から外れており、そのことが露点しなかっただけに過ぎないということを生徒達は知らない。

 皆がアリィの意外な弱点を知るのは来年のことだ。

 

 

「む、馬鹿とは失敬な。確かにハリーやドラコは俺を見て意味もなく溜め息を吐いたりするけど、馬鹿なんて初めて言われた」

「ふ、ふーんだ。女の子を傷付ける発言をする子なんて、馬鹿って言われても仕方が無いんだよーだっ」

 

 ふくめっ面を見せる子供っぽいアリィに、これまたダフネも歯を見せて俗に言う『いーっだ』の子供っぽい仕草を取る。心に傷を負わされたことに対するせめてもの抵抗。半ばムキになっての発言だった。

 しかしその発言は、一人のトラウマを蘇らせる。

 

「…………ごめんなさい本当にごめんなさい。だから笑顔で近寄るのも頬っぺたを抓るのも止めてくださいハーさん様」

 

 思い出されるのはハロウィンの日に行った悪戯の結末だ。

 

 転倒なんて危ないじゃない→怪我をしたらどうするの? 考慮した? そんなの関係ねぇ→特に女の子に一生モノの傷を負わせたら大事よ→それに物理的なものでなく言葉でも女の子は傷付きやすいの、分かった?

 

 という、悪戯に対する説教に便乗した教育のもとしっかり洗脳されたアリィはそれ以来、女性を傷付ける可能性がある行動は避けてきた。

 よって元々のお人好しで優しい性格もあるだろうが、アリィが女生徒の頼みを可能な限り聞いていたのはハーマイオニーの所為とも言える。

 その行動に走る理由が説教に対する恐怖と心の安寧を図っての無自覚なものだとしても、今やアリィは立派なフェミニスト予備軍だ。

 

「え、ちょ、ちょっと待ってアリィ! 何でそこでリーダーの名前が出て……お願いだから泣かないで!? い、意地悪した私が悪かったからー!?」

 

 料理部員の一部から実質的なトップと見られているハーマイオニーの説教笑顔を思い出して混乱しているアリィが騒ぎ出し、ダフネが落ち着かせるために身を乗り出す。

 ハンカチを片手に世話を焼こうとするものの、これだけ騒げば周囲の目を集めるのも当然な訳で。

 

「おい見ろよ、グリーングラスがアリィを泣かしてるぞ」

「うわ、ダフネってば何をしてんのよ」

「普段は人畜無害オーラを振り撒いている癖に実は腹黒。これだから女は怖いんだ」

 

 口喧嘩をしていた三人も流石に二人へ注目する。否定仕切れないが色々と納得がいかないダフネは、心外だという意味を込めて涙目になっている目をグワっと見開いた。

 

「何で三人とも喧嘩を止めてこっちを見てるのっ!? ほら、こっちは気にせず喧嘩を続けて続けてっ! それにノットはいったい私をどういう目で見てるのかなっ!?」

 

 本当、世の中ままならない。隣では幼い友人がガタガタ震え、周囲からはからかい混じりでいらぬ非難を浴びせられる。

 この弱混沌と化した場が収拾されるのは十分後。ちょうど偶然通りかかった――風を装ってアリィを観察、かつ盗み聞きをしていたクィレルが介入するまで続けられた。

 

 クィリナス・クィレル。

 禁句さんの忠実な部下であり、アリィの立ち上げた料理クラブ顧問。記念すべき初の部活動で『ガラガラ草』のエキスの混じったクッキーを食べ、二日間も声を一切出せなかったクィレルは、料理部員とそのエピソードを知る者から憐れみの対象として見られている節がある。

 これ以上、この苦労人の心労を増やすようなことをしてはいけない。

 ダフネ達の考えは一致し、四人が全力でアリィの心を現実に戻しにかかる。反射的にクィレルを気遣ってしまうほど彼は同情を誘うのだ。

 その甲斐あってトリップしていたアリィは現実に戻り、それを満足そうに見届けたクィレルは、貴重な情報を得られたことにほくそ笑みながら食堂を去る。

 

 賢者の石を守る関門に、再び三頭犬が起用された。そう示唆する内容が独り言には含まれていた。自分の推測が正しかった事が証明された。

 

 内心で主人共々ほくそ笑みながら立ち去るクィレルと入れ違いに、アリィ達のテーブルに近付く少年がいた。今や悪い意味で時の人。蛇寮からは称賛され、それ以外の寮からは嫌われ者の烙印を押された少年。

 

「アリィ、ちょっと良い?」

 

 ハリー・ポッターがアリィに話しかけた。

 

「……あー、アリィさん?」

「シーン」

 

 しかしアリィは歯牙にも止めない。わざわざ口に出すあたり拒絶感が滲み出ている。無視を決め込み、皆がハリーに接するように、アリィもハリーをいない者として対応している。皆がハリーに向ける怒りとベクトルは違くとも、アリィはハリーに対して珍しく怒っていた。

 寮の大量失点に対してではなく、ドラゴンなんて面白さの化身みたいな生き物を秘匿していたことに対する怒りだ。

 

「ああもう、良いから来てよお願いだから!?」

「あ、ちょ、人攫い人攫いっ!」

 

 これでは埒が明かないと実力行使に出たハリーはアリィを無理やり食堂から連れ出す。じゃあなポッター、という嬉しくもない友好的な挨拶をバックに辿り着いたのは、いつものトロフィー室だ。

 もはやトロフィーや賞状を置く場所でなく、秘密の会合を行う場として機能している。そして来る道中、アリィのマシンガンのような不平不満が止まることは無かった。

 

「ドラゴンなんて面白そうな生き物を黙ってたハリーと話すことなんて無いやい!」

 

 ドラゴンが居たことも、ハリー達が罰則で禁じられた森に行ったことも既に学校中に知れ渡っている。

 それに伴う大量失点で優勝コースから外れた獅子寮生は当然ながらハリーに憤怒の態度を示し、蛇寮を勝たせたくなかった他二寮も不快感を顕わにする。

 中にはアリィに最後まで秘密にした英断を褒め称える者もいたが、それはやはり少数派。アリィとドラゴンの最強タッグが被害を出さない可能性もあったため、それが最善手だと確信を持てなかった事が大きかった。

 

 ハーマイオニーやネビルも似たような扱いを受けているが、それでもやはり有名人に非難中傷が集まるのは当然。ここ数週間、ハリーは針の筵の真っ只中にいた。

 だからだろう。甘んじて受けている非難の目に耐えていてもフラストレーションが溜まるのは当然であり、あの苦労や森での恐怖を知らず『面白い』発言をする親友に、ハリーも我慢ならなかった。

 

「僕達だって大変だったんだ! ドラゴンのことを隠し切ることも夜中に運び出すことだって、全て! まったく、人の気もしらないで!」

 

 怒鳴り声を上げるハリーに対し、アリィはハッとした表情を取る。この類の顔は、忘れていたことを思い出した時にする類のものだ。

 

「そうだ、忘れてた。それもあったんだ。親友なんだから相談してよ水臭いっ! 俺が手を貸せばもっと良い案が出せたかもしれないのに!」

 

 負けじとアリィも怒鳴り返し、額をぶつけ合って喧嘩の体勢に入る。今までの生活でも喧嘩をすることはあった。それでも、ここまで互いが怒鳴り散らして心中をぶつけ合うのは珍しい。

 殴り合いの喧嘩にまで発展したことは無いが、二人の表情を見れば時間の問題だと思わされる。ここがトロフィー室で無ければ多くの人目を集めていただろう。

 

「俺の妙案で何度も窮地を脱したことを忘れたか!?」

「そのぶん十倍増しで場が混乱したことも含めて忘れてないよ!? 職員室を占拠して学校中に催涙ガスやタバスコ爆弾を仕掛けたんだ! あんな風に教員全員を敵に回して大事にする君だから隠していたんだよ!」

 

 二人の怒鳴り合いは続く。怒声が部屋を震わし、廊下へと声が漏れる。人通りが皆無だったことが幸いした。誰かに会話を聞かれることも無かったのだから。

 二人の後を追うつもりだったクィレルがマクゴナガルに捉まって職員室に連れて行かれたのも不幸中の幸いだろう。

 

「とにかく、ハリーはズルい! ドラゴンを見るだけじゃなくて夜の森も探検出来たなんて!」

「冗談じゃない! 下手したら死ぬかもしれなかったんだよ!?」

 

 ドラゴン事件の罰として禁じられた森の見回りを課せられたのは一週間前。傷付いたユニコーンを保護するために森中を歩き回り、出会ったのは『恐怖』だった。

 

 全身を覆う黒いローブ。口元から滴り落ちる、呪われた仮初の命を与えるユニコーンの血。頭蓋の奥まで激痛を走らせる額の傷跡。痛みを伴う恐怖。外見と雰囲気が発する悪寒。

 あの時、ハリーは生物なら感じて当然の本能的な恐怖を感じて崩れ落ちた。

 ケンタウルスのフィレンツェが来ていなかったら、きっとハリーの命はあの日に尽きていただろう。

 呪われた命を得てまで生きようとする人間など一人しか思い浮かばない。

 

(あれは……ヴォルデモートだ)

 

 何故かそう確信を持って言うことが出来た。

 命の水を精製するために賢者の石を欲している奴。あの馬鹿は自分の天敵だ。二十世紀で最凶最悪と称された闇の魔法使いと対峙して生きられると楽観出来る方がどうかしている。

 

 あの夜を思い出し、再び足が震えだした。

 

「でも生きてる。生きてたらこっちの勝ち。ハリーはもっと『貴重な体験が出来たぜヒャッホー!』って喜ぶべきなんだよ、この贅沢者!」

「今回ばかりはそのポジティブ思考が憎い!」

 

 未だに夢で魘されているハリーからすれば、アリィのようなポジティブ精神満載な考えは不可能だ。ローブの男に関して情報を与えていないのだから、アリィの不謹慎染みた発言も致し方ない。

 しかし頭では理解出来ても心で納得出来るかはまた別 の問題だ。

 

「俺だってハリーが憎い! 夜の森に侵入は出来るけど、生のドラゴンなんて滅多に見れないのに……むざむざ見れるチャンスを潰したハリーなんて大っ嫌いだ」

 

 どうやらアリィの怒り具合は最悪の一歩手前らしく、初めての嫌い発言はそれなりに来るものがあった。発案者である三人にアリィは敵意を向けている。巻き込まれたに等しいドラコやネビルとはもう和解済みだとしても、根付いた怒りは深かった。

 

「じゃあね、ハリー。今回ばかりは俺の怒りが青天井だってことを思い知るが良いよ」

 

 とはいえ悲しそうなハリーの表情に罪悪感が沸き、少し言い過ぎたかなと思わなくもない。怒るのはあと一週間くらいにしておこうと心に決め、アリィは踵を返す。

 

 そしてこの展開はハリーの予想通りだった。

 

 だから彼は事前に用意しておいた切り札を切る。これまでアリィと接触しなかったのは、避けられていたというのもあるが話をするための準備期間でもあったのだ。

 

「そっか……せっかくロンのお兄さんのコネで、今度ドラゴンの研究所を見学出来るようにしてもらった――」

「嫌だなハリー、冗談に決まってるじゃん。それで、話ってなんだい親友」

 

 この見事な手のひら返しが予想の範疇だとしても、どうしようもない脱力感がハリーに襲い掛かる。

 見学中は自分とハーマイオニーがお目付け役になり、係員も目を放さなかったら多分大丈夫。ドラゴン使いのエキスパートが沢山いるのだ。きっと大丈夫。そう信じたい気持ちで一杯だ。

 

「………………」

「でもさ、よく見学の許可なんて下りたね」

「……あ、うん。アリィが『動物好かれ』で、あとバートランド・ブリッジスの孫で発明家の卵って説明したんだ」

 

 ドラゴンは気性が荒く、例え『動物好かれ』でも完璧に制御することは出来ない。それでも、あくまで『完璧』であり、多少の制御・鎮静効果を持っているのは調教師達の中では常識だ。

 だからこそ今回の見学でドラゴンに興味を持ってもらい、貴重な『動物好かれ』が調教師の道に進んでくれれば儲けモノ、という意図があって許可が出たのだ。

 そして、数々の魔法具を生み出し鬼才の血を引く発明家の卵という事実も見学許可の後押しをした。

 

(確かにアリィはどうしようもないトラブルメーカーだけど……それでも、アリィに対する期待は大きい)

 

 研究所で働く研究者、そして調教師達は望んでいる。見学を通してインスピレーションを得て、何か研究や調教に役立つ発見や発明品を開発してくれることを。

 これは一種の賭けだ。『動物好かれ』とバードランド・ブリッジスというネームバリューが、多大な期待を天災に寄せていた。例えその期待が、混乱や破滅と表裏一体の危険行為に等しいとしても。

 

「グッジョブ。実にグッジョブだよハリー君」

「お礼ならロンとハーマイオニーにも言ってあげて」

 

 発案者はハリーだが、兄であるチャーリーに頼み込んだのはロンであり、特許関連を考えて詳しくは説明しなかったものの、この一年でどのような発明をしてきたかを手紙に書いて研究所の人達に説明したのはハーマイオニーだ。功績で言えば二人の方が遥に大きい。

 今度お菓子を持っていくと笑顔のアリィが約束することでドラゴン関連の会話は打ち切られる。

 そして遂にハリーは本題を持ち出した。

 

「――アリィ、君の仕掛けた罠についえ教えてもらいたいんだ」

「ダメ」

 

 願いを一刀両断。即答されて少し呆気に取られるハリー。それでも、今ここで諦める訳にはいかない。

 

「……どうしても?」

「おうよ」

 

 アリィは基本、約束を破らない。

 その約束が誰かを不幸にしない限り、彼は原則として約束を遵守する。

 ポチ太郎を貰い受ける条件として罠を仕掛け、それを誰にも言わないとダンブルドアに約束した。普通なら好印象を持つ行為でも今回ばかりは邪魔な信念でしかない。

 道理に反しているのはハリーだ。自覚もある。それでも引き下がる訳にはいかない。

 

「アリィ、お願いだ。スネイプが罠を出し抜こうとしている。ハグリットにドラゴンの卵を渡したのだって、ポチ太郎の弱点を知るためだったんだ」

 

 ハグリットがドラゴンの卵を手に入れたのは村のパブで、トランプの賭けの景品だった。調子よく酒を奢られた結果、酔った勢いに身を任せてポチ太郎の話を相手にしてしまったのだ。

 

 その、音楽を聴けば直ぐに眠ってしまうという弱点を。

 

「マジか……」

 

 話を聞く過程でアリィの眉間に皴が寄る。

 アリィが罠を仕掛けていなかったのなら、盗人は容易にポチ太郎を出し抜き、賢者の石に辿り着いていただろう。

 てっきりアリィもハグリットの不注意ぶりに憤っていると思いきや――、

 

「寮監め。何で俺に卵をくれなかったんだ。俺だって知ってるのに」

「その怒りは激しく間違ってるっ!」

 

 そう、色々と怒るベクトルがおかしかった。

 

「でもさ、それって本当に寮監なん?」

「……ローブを着ていたから顔は分からないらしいけど、僕達はスネイプだって確信してる」

 

 脱力感満載の姿から一点、真剣な面持ちで首肯する親友に、アリィは全幅の信頼を置いている。一応、念のためというニュアンスを含めて問いかけるも、帰ってくるのは力強い自信。

 今までの行動から、ハリー達はスネイプが禁句さんのために賢者の石を入手するつもりだと考えていた。

 

「スネイプは行方を眩ませている。今夜にでも賢者の石を奪うつもりだ。あとはアリィの罠を突破するだけなんだよ」

 

 確かに夕食の時間になってもスネイプは姿を見せなかった。ハーマイオニーの見張りも掻い潜って姿を消した。

 一応、念のためロンとハーマイオニーが透明マントを着込んでスネイプの研究室前を見張っているが、効果は望み薄だろう。

 

「ダンブルドアはいない。賢者の石が危ないって伝えても、マクゴナガルは『警備は万全だ』って動かなかった。あとはもう、僕達が賢者の石を守るしかない」

 

 決意を口にして少しばかり沈黙が流れる。

 先程の会話をよく吟味し、口許に拳を当てて思考に耽っていたアリィは、震える声で重要な点を再確認した。

 

「……ダンブルドアがいない?」

「うん、急な出張で明日にならないと帰ってこな……アリィ、何でそんなに笑顔なの?」

「え? 無い無い。俺のどこがにやけてるって言うのさ」

 

 にやけるどころか満面の笑みを浮かべるアリィに、自然とジト目を向けてしまうハリー・ポッター。あの笑みには充分過ぎる程の心当たりがあった。アレは、何かとんでもないことをやらかす前によくする表情だ。

 とにかく、その笑顔の真意を知るため問い質そうとするが、

 

「まあ、ハリー達の考えは分かったけど……やっぱりダメ。教えられない。それがダンブルドアとの約束だから」

「アリィっ」

 

 その前に再度お願いを否定され、今の笑みについて問う機会を失ってしまう。

 アリィは自分達の推理とこの危うい状況を理解出来ないほど愚かではない。それでも、アリィは頷かなかった。

 

「ハリー達を危険な目に遇わせられないよ」

 

 そう、どう贔屓目に見てもハリー達は危険に晒される。

 正直、彼らが危険な目に遇うくらいなら賢者の石くらいくれてやるという気にすらなってくる。

 ニコラス・フラメルは必要としていない。悪用されること100%だとしても、親友達の命には返られない。

 両方を天秤に掛ければ、どちらに傾くかは火を見るより明らかだ。

 

(でも、そんなことで納得するハリーじゃないよなぁ。変な所で頑固だし)

 

 その正義感に敬意を称し、心の中で溜め息を吐く。

 しかし面倒だと思う気持ち半分。そういう所が親友らしいと嬉しい気持ちが半分。複雑な気持ちが込み上げ、心地良い厄介事がアリィに降りかかる。

 無謀だと一言で切り捨てるのは簡単だ。だが、こういった正義馬鹿がアリィは大好きだった。

 ここに入学してハリーは成長している。それが愚かな行為と称されるか、称賛されるかは、今後の働きとアリィのサポート次第だ。

 

(ま、今回ばかりは譲る気無いけど)

 

 しかし、だからといって教えるかと訊かれれば、話は別だと即答出来た。

 

「さっきも言ったけど、ダンブルドアとの約束だから罠の攻略法を教えるつもりは無いよ。それにハリーはさ、俺の仕掛けた罠が信じられない?」

「アリィ……」

 

 拒絶されたハリーは落胆を隠そうともしていない。そして悔しそうに唇を噛み締め、肩を震わせながら少しだけ、しかし確かにはっきりと首肯する。

 自分自身も結構な頑固者だがその親友もまた頑固だと、ハリー自身がよく理解していた。

 今までの付き合いがこの決定を覆すのは不可能だと告げている。

 

「それじゃあハリー。頑張って。俺はやることが出来たから」

「……うん、ありがとう。それと、僕達は深夜に行動を開始するつもりだから」

「藪を突いて蛇を出さない方が良いと思うぞ、俺は」

 

 手をひらひらとハリーに振って、アリィはトロフィー室から退室した。閉じられた扉の開閉音は、まるで希望が絶たれて絶望が舞い降りたような錯覚を生む音で。一人取り残されたハリーは、しばらくトロフィー室から出てこなかった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 ハリーとの会話を終えて一目散に自室へと戻り、身支度を整える。

 ルームメイトの少年は恋人(押し掛け)と夜の散歩を楽しむらしく夕食時も姿を見せなかった。友人の部屋に遊びに行くと書置きし、ショルダーバックにフル装備を収納し終えてアリィが向ったのは、あの廊下だ。

 

「ダンブルドアがいない……今こそポチ太郎に会いに行くチャンス!」

 

 そう、石を盗もうと画策する者にとってチャンスなら、アリィにとっても今日は廊下に侵入するチャンスだった。

 学期末に会えるとしてもそれは夏休み明けになる。飼い主として一度は調子を確認したいと思っていたアリィにとってダンブルドアの不在はチャンス到来。

 

「あ、そっか。ついでに賢者の石も取り出して、ハリー達と合流したら良いんだ」

 

 これで罠に立ち向かう理由も増えた。

 ハリー達が行くよりもアリィが行くほうがリスクが少ない。賢者の石を取り出して自分自身が隠すも良し。取り出すことが出来ないなら、しっかりと守られているとハリー達に伝えれば言い。

 凄く妙案な気がした。スネイプが来る前にそれが出来たらベストだ。

 

「おし、待ってろよポチ太郎」

 

 パチンッと両頬を叩いて気合を入れ、いざ自らが仕掛けた罠に向かうため、禁じられた廊下の扉に手を掛ける。その時だった。

 

「グ、グリフィンドール君。こ、こんな所で、き、奇遇です、ね」

 

 廊下の影から、まるで図ったかのようなタイミングでクィレルが顔を出した。

 奇遇すぎて舌打ちを隠しきれない。

 

「な、何を、し、しているの、ですか?」

「いやー、この扉の装飾が綺麗なものでつい見惚れちゃって。それじゃ先生、また料理クラブで――」

「ペ、ペットの犬に、あ、会いに行き、たいのでは?」

 

 誤魔化そうとした瞬間、空気が凍った。

 何故そう思ったのかと問いかければ、夕食時の態度からそう判断したと即答される。そもそもアリィが来ることを想定して、こうして張り込んでいたらしい。クィレルは夕食時にアリィの近くにいた。知っていてもおかしくない。

 例え近くにいたのが少しでも利用出来そうな情報を得て、罠を突破する手掛かりを探していたのだとしても、夕食時に近くに居たのは本当なため疑うことすらアリィはしなかった。

 それにクィレルは人畜無害な人という認識が固定概念として根付いている。

 

 

 ――なるべく交流を持って天災の信頼を得るという企みは、これ以上無いってくらい成功しているのだ。

 

 

「わ、私も行き、ましょう」

「え?」

 

 てっきり止められると思っていたアリィは肩透かしを食らったような間抜けな顔を見せる。教師がお目付け役になれば、例えバレたとしてもダンブルドアなら許してくれる。少なくとも一人で入るよりは許され易い。

 そう言ってのけた先生に対し、感謝の気持ちが込み上げてくる。これもまた、生徒と顧問という垣根を越えてチェス等の遊びに勤しんだ結果だ。

 

「本当!?」

「た、但し、こここれは、二人だけの、ひ、秘密――」

「合点だ! 先生ってば本当に良い人だよ!」

 

 アリィはクィレルを先生ではなく友達として見ている。そう考えているからこそ、この共犯関係は子供が親にバレないよう悪戯や悪さをするような、そういった何とも言えない心躍らせる背徳感を誕生させる。

 それはハリーを悪戯に巻き込むような感覚に似ていた。

 

(先生は闇の魔術に対する防衛術の先生。いざって時の戦力としても充分。やっぱり日頃の行いが良い所為だ)

 

 アリィにとって、クィレルはもう自分の身内だった。スネイプが敵だと判断した親友を信じているため、クィレルがそうだとは微塵も考えていない。

 

 

 そう、今まさに、初めてクィレルは天災を出し抜いたのだ。

 

 

「おっしゃ、出発進行!」

 

 アリィは心からの笑顔を、クィレルは偽りの仮面を笑顔と共に貼り付けて、禁じられた廊下に入っていく。

 

 

 

 

 ハリー達が到着する、三時間前の出来事だった。

 

 

 

 



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第十六話

11/22
第十五、十六話をまとめて投稿しました。
お気に入りから飛んできた方はご注意ください。


(……まさか、こんなあっさりと……私の努力はいったい……)

 

 目の前で起こった出来事を受け入れられず、クィレルは言葉も無く立ち呆ける。

 確かに少し考えれば分かる事だった。あんな罠、誰が見ても厄介な事この上ない。そう考えれば、彼もこの仕掛けの可能性を思慮に入れておくべきだったのだ。

 しかし、それも仕方の無い事かもしれない。クィレルと禁句さんは誰もが認める優秀な頭脳の持ち主。優秀であるが故に複雑な迷路でさえ正しい道順さえ知れば一発で覚えてしまう。

 だからこそ、この一般人に配慮した仕掛けなど予想出来なかった。凡人を理解出来る天才などそうはいないのだから。

 

「先生?」

 

 所狭しと並んでいた無数の壁は消え、充満していた煙も中和された廊下内で、アリィは背後を振り返って首を傾げる。

 罠を解除しても自分のように進まず、入り口付近に突っ立ったままのクィレルに疑問を抱いたからだ。

 

「い、いえ。お、おお驚いてしま、って」

 

 それプラス以前忍び込んだ時の苦労と醜態を思い出して心の中で唇を噛み締める。失敗と愚かさを棚に上げた八つ当たり衝動に駆られるも、殺意を瞬時に心の奥底に封印して歩き出した。

 

「あれ、先生は扉の位置を知ってんの……って、そっか。部屋は広くなってるけど扉のある方角は変わってないもんね」

「え、ええ。こ、ここここは、け、検知不可、能、拡大呪文、が、施されてい、いますから」

 

 検知不可能拡大呪文の効果は対象空間の拡大化。

 例えば正四角形の部屋を拡大するとしよう。その四隅と中央に印を置いて拡大呪文を使った場合、呪文は物体のある座標にも干渉し、その印は拡大された室内の四隅と中央に設置されることになる。

 その違いは拡大前後の部屋を比べれば明らかだ。イメージとしては『四隅を引き伸ばされた』に近い。拡大された空間内にあるモノは、拡大前にあった場所から直線に伸びた先に位置しているのだ。

 だから扉の位置が変わっても扉のある方角までは変わらない。

 下へ向かう唯一の扉があるのは廊下の中央。なら例え拡大されても扉の位置が拡大空間の中央付近にあると推測するのは難しい事ではない。

 中央を悟らせないための迷路と反転草だったが、今は全て消えているので分かって当然。中央付近にダミーを幾つか設置しているが、見通しの良くなった今、どこが廊下の中央かは一目瞭然だった。

 

「グ、グリフィンドー、ル君。パ、パスワードが……」

「ああ、それはね」

 

 先行して扉に到達していたクィレル。彼に追い付くよう歩いているアリィが正解を告げる。

 

 漸く辿り着いた本物の扉。

 床よりも数cmほど沈んだ先に、まるで窪みに嵌め込まれたかのように侵入を阻む扉が設置されている。これまた窪んだ形の取っ手が二つ付き、その下にダイアル式の十桁パスワードが埋め込まれているそれは、偶然にも数ヶ月前にクィレルを挫折させたのと同じ扉だった。

 

「――だよ。分かんないもんでしょ?」

「……ハ、ハハ…………ハァ…………」

 

 彼の幼い口で紡がれた正解に、またも脱力感が込み上げてくる。がっくりと肩を落とすクィレルからしてみればショックで倒れなかったのを自分自身で称賛したい程だ。

「でも注意し……って、ちょっと待った先生!?開ける前に――」

 

 渇いた笑い声を口から量産するクィレルが取っ手に手を付けた瞬間、アリィは弾かれたように彼の下へ走り出す。

 今なら扉を開ける前にギリギリ間に合う。そう信じたい。

 到着する前に正解を告げ、注意を促すのが遅れてしまった自分を呪いつつ、体当たりをぶちかまして強制的に範囲外へ押し出そうとする。

 

 

 

 ――そしてアリィの頭突きがクィレルの脇腹に突き刺さる寸前で、扉が開いたのだった。

 

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 

 本来なら寝静まっている筈の深夜に廊下の暗闇から囁き声が漏れてくる。

 天災達が侵入してから遅れて三時間。妨害を図った同僚さえも突破して、命知らずの三人が禁じられた廊下の前に到着していた。

 

「ハリー、本当に行くの?」

「ねえハリー。いくらスネイプでも事前情報無しにアリィの罠を突破出来るとは思えないわ」

 

 透明マントを取り去ったロンとハーマイオニーの言葉は不安と説得心に満ちていた。

 いくら言っても意見を変えようとしない強情な友人を心配してここまで来た二人が、正真正銘最後の説得に取り掛かる。

 自分達が行かなくても大丈夫。アリィの罠を突破なんて出来ない。一夜限りの辛抱だ。ある意味、誰よりもアリィを信頼している彼の心に響かせる説得の言葉。しかし、それでも彼の意思が折れる事は無かった。

 

「なら二人は戻って良いよ。僕一人で行くから」

 

 二人の心配を歯牙にも止めず、何か他の事に思考を裂いているハリーの碧眼に宿るのは、強い決意の光。

 脱いだ透明マントをポケットに仕舞い、説得が耳を素通りしているハリーは頭の中でシミュレーションを開始する。

 今から立ち向かわなくてはならないのは本来なら絶対に回避しなくてはならない死地。何があっても不思議ではない罠の巣窟。だから思考は止めたりしない。

 

「ハリー」

 

 とりあえず杖を取り出すハリーだが、しかしその手をハーマイオニーが掴み取った。

 自分達の説得に耳を貸さない頑固者の注意を向けるため、両手で包み込むように右手を掴み、その深緑の瞳を真っ向から見詰める。

 これには流石のハリーも一旦思考を中断させるしかなかった。

 

「ハリー、もう一度考え直して。アリィや先生方が仕掛けた罠が満載なのよ? いくらスネイプが例のあの人の援護を受けていたとしても、そう易々と突破なんて――」

「問題はそれだけじゃないんだっ」

 

 切羽詰った表情のハリーは少しヒステリック気味に言葉を遮る。そこには何故分かってくれないんだという怒りが含まれるが、よく考えればもう一つの懸念材料について説明していない事を思い出した。

 

(そうだっ、何をしているんだ僕は。こんな時こそ冷静にならないといけないのに)

 

 確かに少し回りが見えていなかったらしい。

 反省し、頭を冷やしてから、ハリーは賢者の石とは別に気になったことを口にする。

 あの未だに忘れられない親友の特上の笑みを思い浮かべながら。

 

 幸い、話した甲斐があったようだ。

 

「よし、じゃあさっさと行こう! こうしてる間にもスネイプが賢者の石を手に入れようとしてるかもしれないだろ、違う?」

「そうね。私もアリィの笑顔が凄く気になるわ」

 

 アリィの笑顔についてと、おそらく校長不在の内に何かやる気――おそらく侵入行為――だという推測を語った後は早かった。

 何だかんだ言ってハリーを放っておく気がさらさら無かったロンはまだしも、消極的な意見をガラリと変えたハーマイオニーには、二人して少し面を食らってしまう。

 

「うん、まあ……あれだよね、ロン」

「ハーマイオニー……君はこんな時でも『学校の守護者』なんだね」

 

 おそらくストッパーとしての義務感が発動したのだろうと納得しておく二人の目は、まるで仕事中毒者を見るような生暖かい目と酷似していた。

 責任感の強い彼女の事だ。賢者の石も気になるに決まっているが、彼女の中では天災絡みの方が重要度と危険度が高いのだろう。

 あながち間違いだと断定出来ないのが恐ろしい。

 

「よし、じゃあ賢者の石を取りに行って、多分いるだろうアリィの様子も見てこよう。二人共、本当に良いね?」

 

 ハリーの最終確認に力強く頷く二人。

 様々な不安要素に押し潰されそうになる心を奮起させ、賢者の石を守るため、アリィの暴走?を止めるために立ち上がる。

 互いの意志を確認し合い士気を高め、ロンが取っ手に手を掛けた。

 そこを、

 

「待った。ハーマイオニーは一番後ろに居て」

 

 戦いへの第一歩を、ハリー・ポッターが止めた。ロンの手を掴み、神妙な表情で首を横に振るハリー。その危機感を煽る表情に文句を言う筈が無い。

 素直にロンは一歩下がる。

 

「ここはハリーに従いましょう」

「僕も天災行動学の第一人者に従う」

 

 何かと取り仕切るハリーに不満を抱かないのは、彼の持つカリスマ性も一役買っているだろう。しかし、やはり一番大きな要因は、彼が天災の幼馴染だという歴然とした事実。

 幼い頃から天災の被害に遭い、身と心に傷を負いながら彼の行動を記憶に刻み付けた者の言葉を、誰が無碍に出来るというのか。

 もの凄く納得し、そしてほんのちょっぴり同情の色も混じった眼差しを受けながら、ハリーは過去の記憶をトラウマと共に呼び起こす。

 しばらくブツブツと小さな声で呟く彼は、沢山のシミュレートを終えた上で、杖を自分の顔に向けた。

 

「『バテスタ 泡で包め』」

 

 杖に注がれた魔力をエネルギーに呪文が完成する。いきなり何をしているんだという二人の視線を感じつつ、ハリーの頭が泡の膜に包まれた。

 必死に泡頭呪文を練習するゲームオタクに付き合った結果、ハリーだけでなくルームメイト全員が泡頭呪文を習得している。泡頭呪文の習得難易度が低いという理由もあるが、大体は泡頭呪文を強制練習させたディーンのお陰だった。

 そして怪訝な眼差しを向ける二人を納得させるために、問われる前にハリーは理由を告げる。

 

「以前アリィが学校の職員室に立て篭もった時、入り口にガスを仕掛けていた事があったんだ」

 

 その時の状況を聞けば聞くほど二人の表情は面白いように青褪めて、納得するようにコクコク頷く。毒ガスが仕掛けられている確証が無いにも関わらずロンが慌てて泡頭呪文を唱える当たり、その事件がどれだけヤバイかを物語っていた。

 その泡頭呪文が術者の頭だけを対象にしているだけにハーマイオニーは『ガッテムっ!』と叫びそうな表情で頭を抱えている。

 難易度が低く一年生に習得出来るレベルとはいえ、それでも数時間単位の練習を必要とするので、今ここで彼女が呪文を使えるようになる可能性は低い。

 例え学習面で優秀な彼女でもだ。

 

「ロン、行こう」

「どんと来いっ」

 

 よって男子二人が前を固め、女子一人が後ろに下がるという陣形を取った。

 念のため扉の両脇に立つ彼等から、更に数歩分下がった場所でハーマイオニーが見守る中、『せーのっ』の掛け声と共に扉が勢い良く開かれる。

 古く、それでいて木の軋む耳障りな音を立てながら開かれた扉からは、微かに無臭の白煙が漏れていた。

 

「やっぱりそうだ。煙が漂ってる!」

「君はそのまま外に出てろっ!」

 

 慎重に廊下内への侵入を果たした二人は辺りに立ち込める白煙に気付いて注意を促す。二人に数泊遅れて中に入ろうとしたハーマイオニーは即座にUターン。真正面に立たず扉の脇に身を置き、漏れてくる煙をローブの裾やらでパタパタと扇いで被害を逃れる彼女は、危険地帯に突入した二人に負けじと声を張り上げた。

 

「ハリー、ロン。中はどうなっているの!?」

「迷路だ……迷路になってる!」

「それに凄く広い! 以前入った時以上だ!」

 

 アリィに一度解除された罠は既に機能を復活させている。地下へと降りる際、再度罠を起動させたのだ。

 

「それにしても……コレって……」

 

 廊下にびっしりと並ぶ巨大な壁の数々に圧倒されるハリーと同じ気持ちなのか、ロンもポカーンと口を開けて唖然としている。

 薄暗く、とても巨大な迷路。いくら時間を掛けても無駄だと言っているような、探索に入るのも馬鹿馬鹿しいと感じてしまう予想外な罠に早速二人の心は挫け掛けた。

 彼等は探索に必須な紙やペン、コンパスも持っていなければ、クィレルのように道標呪文を開発していない。

 明らかに準備が不足してい彼等が迷路に挑んでも末路は見えていた。

 

「ハリー、この中を進むなんて無理だ。時間も足りないし道が分からないんだから進みようが無いよ」

「…………」

 

 ロンの呟くような諦めの声に反論出来ず、そのまま入り口付近で立ち尽くす事しか叶わない。何が仕掛けてあるのかも分からない迷路に勝算も無しに飛び込むのは、勇気どころか無謀。愚の骨頂。馬鹿のやること。

 それでも手を考えようと頭をフル回転させるハリーの耳に、再び呟き声が届いた。

 

「それに地図無しでこんなのを進むなんて無茶だって。……でも、僕達には無理だけど、やっぱりアリィやダンブルドアは迷路を全て把握してるのかな?」

 

 何気ない呟きでもそれが道を切り開くきっかけに成りえる。唐突に差した光明に反応する者が一人いた。

 

「ねえ、入り口の周りに何か仕掛けとかって無いかしら!?」

 

 問い掛けたのはハーマイオニーだ。

 突入して直ぐに唖然と立ち尽くしたのが幸いし、入り口付近に立っていた彼等の会話を彼女も聞いていた。

 フッと沸いた不幸中の幸い。彼女に遅れてハリーも気付く。その、ハーマイオニーの思い至った結論を。

 

「そっか、そうだよ! きっとあるはずだ!」

「ちょっと待ってよ二人共。僕にも分かるように説明して」

 

 訳が分からないと混乱するロンにハリーとハーマイオニーが簡潔に説明した。

 決め手になったのは最後の部分。即ち、アリィとダンブルドアなら道順を覚えているのかもしれない、という予想。

 その発言を聞いて彼等は考えた。つまり彼等のような超絶天才以外は、地図を片手にしなければ扉まで辿り着けないのでは無いか、という推測だ。

 

 賢者の石を守る罠を仕掛けたのはアリィだけではない。最難関だろう第一の罠を抜けた先に、第二、第三の罠が侵入者を待ち受けている。

 その調整や魔法の再発動のため、又は不測の事態に対し、他の教員達だけで廊下に入らなくてはならない時がくるかもしれない。秘密保持のために地図の作成など論外。そうなると、迷路を把握しているだろうアリィかダンブルドアが一々付き添わなくてはならなくなる。きっと二人が付き添えない時を想定して罠解除の仕掛けを用意している筈だ。

 ハリー達はそう結論付けた。

 

 ちなみにクィレルは自分の仕掛けた罠に不備が生じたかもしれないと嘘を付き、その点検のためにアリィかダンブルドアに付き添いを頼み、迷路の道順を把握するという作戦を考えた事があった。まあ、それはクィレルを連れずにダンブルドアが一人で確認に行き嘘がバレるのがオチだとお蔵入りになった作戦だが。

 

 

 閑話休題。

 

 

「……つまり、他の先生達のために罠を解除する仕掛けがあるかもしれないってこと?」

「うん。可能性はあると思う」

 

 そして罠解除の仕掛けがある根拠はもう一つあった。

 それは不足の事態が生じた場合、アリィやダンブルドアはわざわざ迷路を進むという面倒な手段を取れるのだろうか、という疑問だ。

 不測の事態とはおそらく一分一秒を争う緊急事態。そのような中、地道に迷路を走破するのはナンセンス。

 なら迷路を排除する仕掛けがあっても不思議ではない。自分の首を絞めるような罠を残す程、彼等の頭はおめでたくないのだから。

 

「あれ、でもその解除法って魔法である可能性もあるんじゃ」

「魔法での解除という可能性はおそらく無いわ。ロン、あなた忘れてない? 賢者の石を守っているメンバーにはハグリットもいるのよ」

 

 ハグリットは学校を退校処分された際に杖を叩き折られ、魔法の使用を禁止された。実はその折られた杖をピンクの傘に仕込んで度々魔法を行使しているが、それは基本的に許されていない禁止行為。

 ダンブルドアが魔法省に許可を取ることで例外的に認められている処置を、今回も施したかは定かでは無い。それでも、きっとダンブルドアは許可を取っていないだろう。

 手続きが面倒な事もあるし、何よりハグリットは魔法が得意では無いのだから。ハグリットでも簡単に扱える魔法を重要な場所の解除法に設定するはずがない。

 

 以上の推測を聞き、絶望した表情だったロンの顔も喜色に満ちてくる。閉ざされたと思われた道が切り開かれ、その要因となったのが自分の発言だったのが、彼は嬉しかったのだ。

 

「よし、そうと決まれば行動あるのみだ!」

「ロン、君は右側の壁沿いを探して。僕は左側を探す」

 

 説明が終わって直ぐ、二人は入り口付近を入念に探し始める。壁の一部がへっこまないか。何か不審な点が無いか。床のタイルに変化は無いか。

 彼らは探し続ける。

 

 

 ――彼等はクィレル達が辿り着けなかった可能性に到達してみせた。そして、探し始めて程なくして、その閃きと行動の苦労が報われる事になる。

 

 

「あった、あったぞハリー! 黒くて細いロープが吊るされてる!」

 

 その縄は入り口から僅か数メートルの所に存在した。

 子供の小指ほどの太さしか無く、とてつもなく長い。仕掛けがあると断定し、目を凝らさなくては到底見付からなそうな縄は、壁沿いに天井から真っ直ぐに垂れている。色が黒なのも迷彩に一役買っていた。

 

「ロン、とにかく引っ張ってみて」

「だ、大丈夫だよね!? 実はダミーでした、とか。そういうオチは無いよねハリー!?」

「………………」

「黙るなよっ!?」

 

『いいから早くしろ』という無言の視線と『早くやれ』と言っているようなプレッシャーを廊下の外から感じ、自然と涙が浮かんでくるロン・ウィーズリー。

 心臓のバクバク感が凄まじく、かつて無いほど早鐘を打つ。双子の悪戯道具を味わう時とは違う恐怖を彼は感じていた。

 おそらくロンの目には、あの縄が邪気を纏っているように見えている事だろう。

 

「ああ、もう! どうにでもなれっ!」

 

 ロンはロープの先端に手を伸ばし、大きい結び目を強く掴む。そのまま勢いに任せるように引っ張ったそれは、何の抵抗も無くすんなりと引っ張られた。

 ウェクロマンチュラの加工糸を芯に使われた特製の縄。引っ張られたその先を見る事は叶わないが、それでも大きなガコンッという音が、罠の変化をハリー達に知らしめた。

 それは天井を伝い、様々に枝分かれして足を伸ばしていく。先程の大きな音は数十メートルも離れた所の外壁に空いている煙の噴射孔を無効化した音だった。

 引っ張った事で留め金が外れ、支えていた鉄製の蓋が重力に従って弧を描くように左下へスライド。大きな穴にぴったりと蓋をする。そうする事で煙の噴出が納まったが、その代わりに同じくらいの穴がポッカリと顔を出した。そして直ぐに噴出される青い煙。反転草の煙を中和する煙だ。

 

「見てよハリー。迷路が下がってく!」

 

 ロン達の見ている通り、巨大な迷路が音を立てて床に納まっていくのは壮大な光景だった。あの縄は噴出孔の留め金を外すだけでなく、舞台劇などで使用される『奈落』と呼ばれる舞台仕掛けを起動させるための留め金を外す役割もあったのだ。

 すのこが横にスライドし、出現した穴に次々と収まっていく迷路達。機械類を一切使用出来ず全てをカラクリで行う必要があったが、カラクリ技工とは発明家の殆どが最初に手を出す基礎分野だ。

 機械弄りを始める前に沢山の技術をデイモンから教わり、もとい単純なギミック盛り沢山の玩具を製作したアリィにとって、今回は規模こそ過去最大なものの仕掛けの難易度は下の下。施した魔法を除けば材料の調達と丈夫な縄の作製の方が手を焼いた程だった。

 とにかく、そのような経緯を当然知る由も無く。ハリー達に立ちはだかっていた迷路は数十秒で無力化される。

 空気を清浄した青い煙も周囲に解け込み、泡頭呪文を解除しながら、改めて二人は広々とした空間を隅から隅まで見渡す事が出来た。

 

「……迷路と煙が無くなったけど」

「虱潰しになんか探していられないぜ。そんな時間なんてあるもんか」

 

 迷路の代わりに現れたのは大量の扉。まさに一難去ってまた一難という光景に二人は揃って両手両膝を着きたくなってくる。

 実際、目に見えて落ち込む二人は、もう大丈夫だと見るや廊下に入ってきたハーマイオニーの存在に気付かなかった。

 

「この前よりも広い空間。これ……おそらくだけど検知不可能拡大呪文に違いないわ。本で読んだもの。なら、元々あった位置の方角は変わらない筈……」

 

 アリィを真の天才とするならば、彼女は正真正銘の秀才。料理クラブで頻度は減ったものの暇さえあれば本を読んだり勉強に勤しんでいた彼女は、脳内書庫から拡大呪文の記述を洗い出した。

 

「きっとアレだわ! この入り口から真っ直ぐ進んだ所にある扉。アレがきっと本物よ! 以前はポチ太郎の足元に扉があったんですもの。間違いないわ!」

 

 俯き気味だった顔を上げて彼女の指差した方向を見る二人の目には、再び希望が見えた事により活力が戻っていく。絶望し、希望を見出し、またもや絶望する。それを何度も繰り返してこられたのを『幸運』の一言で済ますのは容易い。

 それでも、きっとそれだけは無い筈だ。

 ハリーが煙を想定しなければおそらく最初で詰んでいた。ロンの一言が無かったのなら罠解除の仕掛けに気づけなかった。ハーマイオニーがいなければ膨大な時間を無駄にしていた。

 三人が揃って初めて乗り越えられる困難と苦労。三人がいたからこそ最大の難関をここまで突破出来たのだ。

 

「パスワードだわ」

「ハリー、何か心当たりは?」

 

 そして三人は最後の難関に取り掛かる。

 偶然や幸運では決して開かない、解除不可能なアルファベット二十四文字による十桁パスワード。

 扉を開かなければ今までの努力が水の泡。心情的にも状況的にも避けなければならない結末を回避すべく、ハリーは必死に過去を振り返った。

 誕生日。大好物。嫌いなもの。記念日。マグルの学校での学籍番号や過去使用していたパスワード。しかし、その中に十桁のモノは存在しない。全然心当たりが無かった。

 

「……ダメだ。何も思い浮かば――」

 

 諦めかけたその時、ハリーは一つの考えに思い至る。そんな事がありえるのだろうか。流石にそれは無いだろう。否定から入るが、逆にこの考え以外ならお手上げと言っていい。

 少し考え、そして答えを得る。

 

「もしかして。いや、でもコレは……」

「ハリー?」

「何か思いついたのね?」

 

 可能性で言えば、全然アリ。むしろ意表を突くという観点から見れば、とてもアリィらしい仕掛けだと言える。ネタ晴らしをされ、掌で踊らされた時に脱力感を味合わせるのがアリィの『悪戯』なのだから。

 

「迷路とか変な煙とか色んな罠を仕掛けているけど、アリィの本質は悪戯小僧なんだよ」

 

 だからこそ、この人をおちょくった様な手を思いつく。

 友人二人が固唾を飲んで見守る中、ハリーはパスワードに手を振れず、直接窪んだ取っ手二つに手を掛けた。そして、見た限り両開きの扉を、ほんの少しだけ横に押す。

 アリィの手で木製から鉄製に改良された扉には、ほんの数ミリ分だけ横に隙間が出来ていた。

 

「やったわハリー!」

「流石は天災の親友!」

 

 両開きに見える構造も、パスワードも全てフェイク。スライド式という方法を隠すためのカモフラージュに過ぎない。扉や取っ手が窪んでいたのも、全てその所為。正に悪戯小僧の発想だ。

 

「待って! ハーマイオニー、君は念のため離れていて。ロン、君は僕と一緒にこっち側へ回るんだ」

 

 意気揚々と扉に手を掛けようとしたロンを慌てて制す。なにやらデジャブを感じるやり取りだが、それ以上に気に掛ける事が沢山あった。それが今だ。

 

「まだ油断は出来ない」

 

 再び泡頭呪文で顔を覆い、改めて取っ手に手を掛ける。意図を察したロンも泡頭呪文を使ってからハリーに続き、取っ手に手を掛けた。

 

「「扉を開けた先には――」」

 

 息を合わせ、一気に扉をスライドさせる。その場を離脱して直ぐ――赤い煙が穴の直ぐ横から噴出した。

 

「――ガスがあるって訳ね。まったく、あの子ったら……」

 

 煙の噴出が終わってから、周囲に残留する煙を脱いだローブで扇いで遠くに飛ばす。当然、煙を遠くにやるのは泡頭呪文に守られている二人の作業だ。

 

「でも、流石だわ。私もまだまだね」

「普通はここまで予想出来ないって」

 

 やるべき事は全て終わった。扉の先にぽっかりと空いた穴を見詰めながら二人はハリーを称賛する。穴の中、入り口に近い部分から外に飛び出しているロープが、おそらく迷路と煙を再始動させる仕掛けだと当たりを付けていたハリーは、さも当然のような顔をしていた。

 

「それはまあ、皆とは年季が違うからね」

 

 誇る訳でもなく、悲しんでいる訳でもない。何の感慨も見せず淡々と呟き、自然に今までの苦労と経験を受け入れている姿に感服する。それと当時に当然と言い切る姿に二人の目頭が熱くなる。

 まだ十一歳なのに一般人の背負う無駄な苦労一生分を体験しているような気がしてしまう。

 この件が終わったら心から労わると共に、今年の誕生日は良い物を送ってあげようと心に誓う二人だった。

 

「と・に・か・く! これで僕達は最難関を無事突破した訳だ」

 

 改めて不憫な人認定を受けてしまったハリー。二人分の視線に耐え切れず、わざとテンションを上げてみせる。実際、彼等は天災の罠を突破したのだ。

 普通なら感涙するほどの快挙である。

 しかし、

 

「でも、いったい何のガスだったのかしら?」

「さあ? でも、アリィの事だし」

「……きっと、ろくでもないモノに決まってるよ」

 

 テンションを上げてしまった分、気落ちした時の落差が酷かった。まだ初めの罠を突破しただけに過ぎない。

 それなのに、この事件解決後に感じるような疲労感はなんなのだろうか。疲労の色が濃い分、達成感や満足感も無いに等しい。

 まだコレが始まりに過ぎないと云うのにだ。

 

『……ハァ……』

 

 ハーマイオニー、ロン、ハリーの三人は、深い深い溜め息を吐くのだった。

 

 



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第十七話

 

 予想以上に時間を食ってしまい、ついでに精神的疲労をたっぷりと味わったアルフィー・グリフィンドールとクィリナス・クィレルの二人は最後の部屋までの短い通路を歩いていた。

 進むにつれ両脇の燭台からは火が灯り、その明かりが徒労の溜め息をたっぷりと零す二人の横顔を照らす。実際、彼等が最奥の部屋を目指して三時間以上が経っているため、その疲労はかなりのものだった。

 特にアリィの焦りっぷりは尋常ではない。侵入してから三時間が経ったという事は、それはもう零時を迎えているということ。早く愛犬の無事を確認して賢者の石を取り出さなければ親友達が来てしまう。

 仕掛けた罠は容易く突破出来るほど優しい代物ではなし、並みの魔法使いでは突破出来ないものだと自負している。それでも、あちらには親友がいる。赤ん坊からの付き合いで、自分の性格や罠を熟知した理解者(苦労人)。

 彼と友人達の力が合わされば突破されてもおかしくない。そう思うからこそアリィは先を急いだ。

 普段の悪戯とは毛色が違う。流石にあの罠で親友達を四苦八苦させようと思える程、この天災は非道ではないのだから。

 

「やっと最後かぁ。まったく、酷い目にあった」

「――、――――。――」

 

 やれやれと首を振るアリィを咎めようとするもクィレルの口からは声が出なかった。

 普段の演技も忘れて罵詈雑言の限りを尽くそうとしても、喉は自身の声を発してくれない。

『ガラガラ草』。

 それが扉に仕掛けてあった赤いガスの正体だ。

 クィレルが以前に経験した、食す事で声帯を麻痺させ、声を出せなくする毒草。その乾燥させた毒草と抽出液を用いた特製ガスの所為で、彼だけでなく一緒にガスを吸ったアリィも声を出せなくなっていた。

 これが数時間もの時間を無駄に費やした理由だ。

 

「あー、まだ喉が痛い……やっぱり原液なんて使うもんじゃないな。先生、あの時はごめん」

 

 迷路の先に仕掛けてあった『悪魔の罠』は暗闇と湿気を好むという性質があるので、常に携帯しているフラッシュバンとライターによる火でやり過ごし。続く『空飛ぶ鍵』は双子座と普通の箒を用いて二人がかりで捕獲した。優れた箒操作技術があれど動体視力等の身体能力は一般人の域を出ないため、数千羽もいる羽鍵の中から古くて大きな鍵を見つけ出すのは予想以上の苦労を強いられた。

 全て全く同じデザインにしないのは本人にも見分けが付かなくなる恐れを無くすためだろうが、それならそれで本人にしか分からない魔法の痕跡なり印を残せば良いだけだ。

 帰ったら進言しようと心に決めるが、そうなると忍び込んだのがバレるので、やはりこの案は墓場まで持っていく事を決意する。

 

「――――――。――」

「ごめん先生。何て言ってるか分かんない」

 

 吸い込んだガスの量に違いがあり、持続時間に差が生じている。

 

 薬草学のスプラウト。妖精魔法兼呪文学のフリットウィック。次に仕掛けられていた変身魔法のマクゴナガル。

 その巨大チェスがここまで時間を食ってしまった最大の理由だった。

 魔法使いのチェス。即ちそれは手を使わずに音声で駒を動かす事を意味する。箒とは違い思念と言葉の二つがあって初めて起動するのだ。

 これだけ聞けば手動で動かせば良いのではないか、と考える人がいるだろう。しかし今回は巨大なため二人がかりでも動かす事が出来ず、マクゴナガルが魔法移動を受け付けないよう駒に細工を施してしまった。

 

(あんなこと言わなきゃ良かった)

 

 ハァ、と溜め息を吐き、数ヶ月前を回想するアリィ。

 基本的にアリィは先生方の仕掛けた罠を知らないが、何事にも例外が存在する。その例外がマクゴナガルの巨大チェスだった。

 どうせなら他の仕掛けとも関わりのある効果を及ぼす方が盗人は対処し辛いんじゃないか、という提案の下に仕掛けられたのが『ガラガラ草』の仕掛けであり、あのガスはその先に待ち受ける巨大チェスを動かせなくするために仕掛けられた。

 

 悪戯仕掛け人として人を殺める罠は作らない。それが彼の信念であり、絶対に譲れない一線。その制限内で頑張った結果が迷路であり、マクゴナガルとの連携なのだ。

 

(まあ、今更言っても仕方ないけど……でもなぁ)

 

 幸いだったのは吸い込んだのが少量だったため効果の持続時間が短かった事だろう。だから足止めを二時間半ほど食らうだけで、アリィは紙で指示を出すクィレルのお陰で巨大チェスに打ち勝つ事が出来た。

 その二時間半の待機時間がここまで疲労を感じる一番の原因だ。

 

 けれども、その苦労も漸く報われる時がくる。

 

「お、アレが最後の部屋だ! 待ってろポチ太郎!」

 

 続くトロールによる門番はクィレルが配置したものなので楽勝。スネイプが仕掛けた謎解きはその性質上たった一人しか先に進む事が出来なかったため、初めにクィレルを先に行かせてから部屋を出て、再度出現した薬をアリィが用いて後を追う、という方法を取った。

 その際クィレルが律儀に部屋の外でアリィを待っていたのは、最後に待ち受ける罠が三頭犬だと理解しているため、アリィを何かに利用出来ないかと考えたからである。

 無言呪文というモノが存在する通り、呪文によっては詠唱せずとも精神力と魔力のみで発動出来る呪文が存在する。しかしそれでも実際に詠唱するよりは効果や威力が少なからず弱まるし、何より強力無比な最凶の呪い『許されざる呪文』は無言呪文ではない。

 戦力的な意味で三頭犬の飼い主であり声も取り戻した天災を待つのがベストと考えたのだ。

 少なくとも声を取り戻すまでアリィと離れるべきではない。闇の主従はそう結論付けた。

 

「ポチ太郎! やっと会えた!」

 

 その部屋は『飛鍵』の部屋に比べれば手狭に感じるが充分なスペースが確保されていた。

 燭台が幾つも壁に掛かっている点では今までの部屋と大差無い。蝋燭の明かりの所為で室内が橙に照らされているのも、石版タイル式の石床にも共通点がある。

 違うのは二点。中心に行けば行くほど緩やかな下降を見せるすり鉢状の部屋構造と、中心に置かれる台座を守るように立ちはだかっている巨大な三頭犬の姿。

 これだけが異なった。

 

「ポチ太郎、俺だよ俺! 分かるでしょ!?」

 

 あの狭い通路を進む内に侵入を察知。仮死状態から目覚めた獰猛な猛獣が牙を見せ付けた。あまり歓迎されていない雰囲気にクィレルは杖を取り出し、アリィは思わず手首の腕飾りへ左手を滑らせ――それ以上のモーションは起こさない。

 

「ポチ太郎!」

 

 それは飼い主として譲れないラインだ。

 愛犬を信頼せずに飼い主を名乗れるか、否。コンマ数秒レベルで結論を出したアリィへの返答は、身体の芯から震え上がる地獄の咆哮。

 その勢いは大型車の突進にも勝る凄まじいものだった。風がうねりを上げ、小さな身体に突風が叩き付けられる。風圧だけで吹き飛ばされて何度も何度も後転をする事になった少年は、目を回しながらも奇跡的に怪我は無かった。

 何故なら、

 

「ぶわ……っ!? ちょ、待って、待った! ストップ! 止ま……ちょっと待てってば!?」

 

 何故なら、この巨大な三頭犬は飼い主にじゃれているだけなのだから。

 

「分かった! 分かったって! ぶはっ、三方向から舐めるな!」

 

 全身を涎塗れにしながらアリィは叫ぶ。

 仮死状態だったポチ太郎からすれば普段通りのスキンシップ。アリィにしてみればご無沙汰な感触。それでも大きさが段違いなため、今まで通りの行いでも規模と被害は大いに異なる。

 アリィはミサンガの『動物避け』を外していない。『動物好かれ』の力に頼らずとも既に彼等の絆は強固なものとなっている。類稀な忠犬が愛する主人に牙を剥くなどありえない。

 

「あれ、こんな首輪付けてたっけ……って、ス トップ! その人は違う! 敵じゃない!」

 

 一通りのスキンシップを楽しんだ後、使命を思い出したかのように獰猛な顔を見せてクィレルに飛びかかろうとした愛犬をアリィが止める。

 しかし、その行為が失敗であった事を彼は直ぐに悟る。

 三頭犬へ反射的に杖を掲げたまま後退を続け、台座に身体をぶつけてクィレルは止まった。

 

「先生?」

 

 何故、クィレル教授は中心に置かれる台座へ――その上に置かれる拳大の塊。赤黒い光沢を放つ賢者の石の方へ向かい、あまつさえ手に取っているのか。

 一度貴重な石を見てみたかった、という訳ではない気がする。見るだけなら、あんなにギラついた欲に塗れた眼は見せない。

 何かがおかしい。そう思って再度声を掛ける寸前、クィレルは着ているローブをはためかせる。

 ポケットから取り出したのは小さな玩具。それを彼は優しく地面に置いた。

 

「『エンゴージオ 肥大せよ』」

 

 タイミング良く『ガラガラ草』の症状は消え去った。

 隠す必要は無いと気弱な先生の仮面を剥がした闇の魔法使いは、巨大化させたオルゴールを起動させる 。その古ぼけたオルゴールが奏でる緩やかな子守唄は聴く者を和やかにし、音楽に弱いポチ太郎でなくても眠気を誘うメロディーは、直ぐに巨大な三頭犬を夢の世界に旅立たせた。

 

「……まさか」

「どうした、グリフィンドール。何か言いたい事でもあるのか? 」

 

 目に見える程の動揺を見せてワナワナと震える幼子に冷徹な笑みを投げかけるクィレル。

 思い返せば涙を流さずには語れない程この天災には辛酸を舐めさせられた。

 アリィの笑顔を崩せた事が嬉しく、心の中に愉悦が広がる。漸く少しは仕返しが出来たかと内心で高笑いを決めるクィレルだが。

 

「そのオルゴールって爺ちゃんが発明した『ねむねむオルゴール』でしょ!? お買い上げありがとうございます!」

「私が言うのもアレだが少しは空気を読んだらどうだっ!?」

 

 至福の時は一気に最下層まで叩き落とされる。

 敬愛する曽祖父が発明したものを把握するのは孫として当然の務め。ふくろう販売のバートランド・ブリッジス製作一覧を読んだアリィは、そのオルゴールがデイモンの製作した数少ない『まとも』な一般製品である事を見抜いていた。

 赤子に絶大な効果のある子守唄を流すオルゴール。送料費込みで3ガリオンと4シックル。大手玩具メーカー『エグバード・ウェスリー社』にて絶賛発売中である。

 

「……まあ、いい。貴様には本ッッ当に言いたい事が山ほどあるが、時間が惜しい 」

 

 こめかみをピクピクと引き攣らせるも鋼の自制心で破壊衝動を抑えつけ、今のやりとりを忘れる事にしたクィレルの判断は正しいだろう。

 迷路の件とか反転草とかフラッシュバンとかガラガラ草とか色々と文句を言いたいが、今はそれ所では無い。

 左手で賢者の石を鷲摑みにしたクィレルは嬉しくて仕方が無いという表情で杖先をアリィに向ける。

 印象をガラリと変えた姿に武器の矛先が自分に向えば、いくら人を疑う事をしないアリィでも気付いてしまう。その、予想外にして悲しい真実に。

 

「あー、もしかして…………賢者の石を盗もうとしてるのって先生だったりする?」

「いかにも」

 

 即座に肯定され、アリィがあちゃーと額に手を置いて天井を仰ぐ。さりげなくポチ太郎を足で小突いて起こそうとしてもこの巨体が動じる筈も無く。やっと今の状態が絶体絶命のピンチである事を自覚した。

 

「動くなよグリフィンドール。動かなければ、苦しむ事は――」

「やなこった!」

 

 アリィの決断は迅速だった。

 まるで西部のガンマンのように右手を素早く自身の腰に這わせるアリィ。制服のローブが捲れる際に現れたのは、杖、作業用ベルト、作業用ポーチ、そして――改造エアガン。

 言葉と呪文を言い切る前にエアガンを引き抜き、護身用のエアガンをクィレルにポイント。安全装置を外し、トリガーと見せかけた発射スイッチを押し込んだ。

 

「うぎゃっ!?」

 

 しかし結果は色々と予想外の一途を辿る。

 エアガンとは思えない銃声が轟き、一発しかないタバスコ弾が勢い良く射出された。

 引退した一流の錬金術師であるニコラス・フラメルが友人の孫に頼まれて製作した超弾性合金のバネの弾性は凄まじく、たった一発で銃身部分が爆発する。バネに蓄勢された莫大なエネルギーに強化プラスチックが耐えられなかったのだ。

 バネやら強化プラスチックだかが四方八方へと飛び散っていく。顔と両手に裂傷を作る程度で済んだのは不幸中の幸いと言えるだろう。

 そして盛大に尻餅を着くも、まるで磁石のようにクィレルの顔面へとタバスコ弾が射出されたのは奇跡としか言えなかった。

 しかし、

 

「『プロテゴ 守れ!』」

 

 間一髪。弾はクィレルに当たる数センチ手前で不可視の盾に阻まれる。

 これで装備はタスキ掛けにしているショルダーバックの中だけ。きっと相手はバックから新たな武器を取り出す隙を与えてくれない。

 そう思ってもアリィのやる事は決まっている。しかし予測通り、バックの中に手を差し込むと同時に杖が眉間にポイントされた。

 

「愚かだぞグリフィンドール。脆弱なマグルの玩具が私に通じると思ったか?」

 

 口が弧を描き、犬歯が見える程の野獣の表情を見せるクィレルには、正直身の毛がよだつ思いだろう。

 それでも恐怖に震える事もせず、気丈にも敵意満々な表情をアリィは見せ、頭の中で生存ルートを手繰り始める。

 生きる事を諦めず巨敵に挑もうとする姿は正に勇猛果敢。血筋など関係無く、彼にもグリフィンドールの適正があると知らしめる姿だった。

 

「ダンブルドアが戻ってくるまでに立ち去らなくてはならないのでね。さらばだグリフィンドール」

 

 愛犬を起こして共闘する=オルゴールの破壊が絶対条件。

 一時撤退=背後を見せたが最後。

 話術で時間稼ぎ=話す気など見られない。

 得意呪文の行使=杖を構え、呪文を言う。その前にクィレルが攻撃する方が速い。

 

 現実は非情だった。

 優秀であるが故に様々な方法を瞬時に手繰り、優秀であるが故に圧倒的に無理難題である事を理解してしまう。

 万事休す。悪の手先が杖を振り被り、少年は目をギュッと瞑り顔を背けた。

 

「『アバダ――』」

『待て、クィレル』

 

 そこに第三者の声が掛けられる。今までの脳内会話ではなく初めての肉声。

 クィレルは久しぶりに聞く生の声に戸惑いを見せ、アリィは初めての声に首を傾げる。

 そして目の前にいる敵にも首を傾げなくてはならなかった。クィレルの動揺が明らかに異常だったからだ。

 

「ご、ご主人様! 待てとはいったい……」

『その小僧とは……俺様直々に話す』

 

 それでも身体を心配する下僕の気遣いを底冷えする邪悪な声で一蹴し、謎の声は有無を言わさぬ強制力を見せ付ける。

 主の声質に怯え、アリィに背中を向けたクィレルは自身のターバンを解き始める。ゆっくり、ゆっくりとターバンが解かれると、嫌な薬の臭いがアリィを不愉快にさせた。

 そして、

 

『久しいな。アルフィー・グリフィンドール』

「いや……人面瘤に友達なんていないんだけど……誰? どうなってんのそれ」

 

 クィレルの後頭部にあったのは『顔』だった。

 顔は蝋のように青白く、赤く血走った眼と独特の鼻孔はどこか蛇を連想させる。正真正銘のホラーを目撃しても、ユニコーンの血と下僕への寄生により辛うじて生存と言える状態の彼――ヴォルデモートを見ても、どうやって人の後頭部に張り付いてるのかを興味津々に考えている辺り、アリィは正真正銘のマッドだった。

 

『惚けているだけか……俺様の勘違いか……まあ、この際後回しで構わない』

「あ、もしかして禁句さん!?」

 

 その偉そうな口調と邪悪な姿から推測を口にした途端、なんとも言えない沈黙が二人分訪れた。

 クィレルだけでなく、あの闇の魔法使いさえも嘆息させるアリィ。侮りがたし。

 

『………………小僧、貴様がスリザリンの末裔というのは本当か?』

 

 結果、ただでさえ疲れているので、例の禁句さんは先程の言葉を聞かなかった事にした。その判断はおそらく正しいだろう。少々プライドを傷付けられたかもしれないが、この変人の塊にいらぬ怒りを抱く方が無駄なのだ。

 相手にすると疲れるし、それ以上に優先しなければならない事があるのを彼は分かっていた。

 

「さあ? 伝次郎がそう言ってただけだしなぁ」

 

 伝次郎。その名が誰の事か禁句さんにも分からなかった。名前からして東洋人。なら知らなくても仕方がないと、ホグワーツを脱出してから伝次郎について調べようと禁句さんは決めた。

 

『エルヴィラ・マーケットは確かスリザリンに所属していた筈だ。可能性はゼロではないか……』

 

 敵対する組織の構成員くらい禁句さんも把握している。エルヴィラとその夫のトバイアスは、自ら手に掛けただけでなく重大な予言に関係していたかもしれない夫婦だったため、禁句さんの記憶に深く根付いていたのだ。

 特にエルヴィラをよく覚えていた。

 スリザリン生である癖に獅子寮の者とも仲良くし、あろう事かグリフィンドールと結ばれて自分と敵対した女。伝次郎に続き、改めて彼女の名を調べる者リストにアップする禁句さんだった。

 

『小僧……いや、アルフィー』

 

 闇の魔法使いが優しく少年の名を囁く。

 酷く衰弱した弱々しい口調でも、彼の言葉に人を惹き付ける何かが宿るのをアリィは認めた。

 人間以下の姿に成り果てていても、彼のカリスマ性は健在。

 

『俺様と共に来い。その頭脳、その血筋。俺様の下にいるのが相応しい』

「やなこった。お前は俺とハリーの父ちゃんと母ちゃんを殺したから嫌いだよ」

 

 過去何人もの人を魅了し、騙し続けてきた禁句さんの言葉を、アリィは切って捨てる。

 そして、この会話がアリィの血筋を裏付ける決定打になった。

 アリィの発言は良いとして、クィレルはご主人様の言語が理解できなかったからだ。彼の耳にはシューシューという蛇の鳴き声にしか聴こえない。

 

 名前を呼ばれるなんて不愉快だと眼で語るアリィ。その不遜な姿に憤りを感じる事もせず、禁句さんは盛大に笑い出した。

 

『決定的だな。蛇語が分かるという事は、お前は本当にスリザリンの血を引いているらしい』

 

 ワザと蛇語で語りかけ、推測を確たる証拠にした禁句さん。俄然、勧誘する言葉にも力が篭る。

 

『アルフィー、よく考えるんだ。俺様とお前は親戚同士、家族も同然だ。……俺様を手伝ってくれないか? 家族が、こんな誰かの身体を借りなければ生きていられないなど、優しいお前は心を痛め――』

「だーれが家族だ! 俺の家族は爺ちゃんとポチ太郎と伝次郎だけ! 俺の父ちゃん母ちゃんも、ハリーの父ちゃん母ちゃんを殺したお前なんて家族なんかじゃないやい!」

 

 確かめるまでもない。本心からの怒声が周囲の空気を振動させ、少年の周囲に風が巻き起こる。あまりの戯言に我を失い、魔力が暴走したのだ。

 

「そもそも家族云々は寄生動物を卒業してから言えってんだ。サナダムシの親戚と家族同然なんてまっぴらゴメンだよ、まったく!」

 

 悪態を続ける事で徐々に落ち着いてきたのか。魔力の暴走も終息の一途を辿って風も収まっていく。はっきりとした拒絶の姿勢に、禁句さんは長い沈黙で返す。

 

『……そうか、本当に残念だ』

 

 今世紀最大の闇の魔法使いは、心から残念がっていた。

 

『アルフィー。その俺様以上の頭脳も、貴重な血も……魔法界の財産が失われるのは、本当に残念でならない』

 

 禁句さんが敵視するのは自身に歯向かう者とマグルのみ。それ以外の同胞は、特にアリィのような由緒正しい魔法族を禁句さんは大切に思っている。

 アリィが敵対の道を進む事を嘆いているのは、紛れも無い彼の本心。

 

『最後に最も愚かな選択をしたな、アルフィー・グリフィンドール』

 

 話はこれで終了。主人の沈黙の意味を察したクィレルはアリィの方へと向き直り、その杖を掲げる。

 その時、

 

「アリィ! それに……クィレル!? まさか、あなたが……っ!?」

 

 実に十数分遅れでハリー・ポッターが到着した。急いで来たため彼は全身汗だく。肩で息をし、呼吸を乱していても、ハリーは目の前の予想外を彼なりに理解して直ぐに受け入れる。

 これもまた散々アリィに付き合わされて『予想外』に耐性が付いている所為。アリィとの付き合いは間違いなく、彼を残念で可哀想な理由で成長させていた。

 

「そうか。ここまで来たかポッター」

『ああ……ハリー・ポッター。逢いたかったぞ、ハリーよ』

 

 主役が揃った事で二人の悪役は雄弁に語り出す。

 気弱な姿を装い演技していたこと。スネイプはハリーを守っていたこと。その経緯と計画を語り出すのは、悪役として妥協出来ない美学なのかもしれない。

 時間が無いにも関わらず、彼等は自分に酔ってネタ晴らしを止めたりしない。

 しかしアリィ達は二人の話を全然聞いていなかった。

 特にハリーは冷静だった。危険な時ほど冷静沈着を心掛けなければならない事を彼は熟知している。

 これもまたアリィのトラブルに巻き込まれて学んだ教訓だ。腹の奥底で燃え上がる復讐の炎を封印し、情報整理と対策に努めた。

 

「あれがラスボスと禁句さん。賢者の石を持ってる。そっちは?」

「ハーマイオニーと……もしかしたらロンも、ダンブルドアに手紙を送っている筈だよ。でも、いつ来るか分からない」

「うわ、どうしよ。催眠ガスとかって『泡頭呪文』で無効化されそうだし」

「呪いなんてまだ全然習ってないんだ。挑んでも勝てる訳ないよ」

「この際、逃げる? 禁句さんはノミもどきだから、実質敵はクィレルのみ。あー、でもポチ太郎を一人置き去りにも出来ないしなぁ」

「閃光弾やクリスマス前に言っていた改造エアガンとかは?」

「全部使ったし壊れた」

「あちゃー」

「人の話を聞けッ!」

 

 堂々とした作戦会議をしている二人を赤い閃光が照らした。

 分かりやすい怒りマークを額に浮かべたクィレルの杖から放たれた閃光は一直線に宙を走り、寝ている三頭犬にぶち当たる。

 その呪文はポチ太郎の付けている首輪を正確に切り裂き、破片を周囲に散らし付けた。

 

『人の話は素直に聞くものだと教わらなかったか?さもないと、この三頭犬がどうなっても知らないぞ』

「とか忠告しながら『切り裂き呪文』を使うなんて鬼畜だぞ! 悪魔、外道! ポチ太郎が怪我を負ったらどうしてくれる!?」

「人質を取るなんて卑怯だぞ! 話を無視されたからって癇癪を起こすなんて!」

「やかましいっ!」

 

 その天然の返しにクィレルの顔が怒りで真っ赤になる。

 しかし、怒りを感じているはアリィも同じ。ポチ太郎への攻撃は流石のアリィもキレさせた。

 

「そもそも散々人の迷惑になることばっかりしやがって! 我儘も大概にしろ! 自分の都合で他者を振り回して良いと思ってんのか馬鹿たれめっ!」

「「お前が言うな!?」」

『貴様が言うな!?』

 

 三人分の魂のツッコミが木霊した。この時ばかりは三人とも心を一つにした。

 そして肩を盛大に揺さぶって文句を叫び続けるハリーと頭をガクガク揺さぶられて目を回す寸前のアリィを見ながら、主従コンビは再度声を張り上げて注目を集める。

 

 もう容赦はしない、警告は無しだ、と。再びポチ太郎に狙いを定めたクィレルに対し、アリィは直ぐさま下手に出た。

 

「ちょっと待ったクィレルさん! とにかく、俺達は逃げも隠れもしないからポチ太郎の解放を要求しますですよ、はい!」

「ちょっと待ってよアリィ!? 『達』って何っ!?」

「ポチ太郎を見捨てるなんて出来るのか? いや、否! だからハリーも俺と運命を共……に……」

「そんなの勝手に決めないで……よ……」

 

 二人分の声は次第にしりすぼみを見せ、仕舞には完全に沈黙してしまう。

 熱々の状態から急に冷え切ったように態度を変えた二人を怪訝そうに見たクィレルは、その二人が見ている方向へ視線を移し――直ぐにピシリッと音を立てて石化した。

 何故なら、先程千切れ飛んだ首輪の破片に混じり、赤黒い鉱石が石床に転がっている。おそらく首輪に隠してあっただろうソレは、先程台座にあったモノと瓜二つな形をしていた。

 そう、よくよく考えれば、あんな分かりやすい所に本物を置くだろうか。普通は置かない。

 今盗人が左手に持っているのが偽物と分かり、何とも言えない沈黙が三人にして四人を包み込んだ。

 

『何をしている! 速く手に入れろ!』

 

 禁句さんの言葉が合図となり、まずはクィレルが。それに一瞬遅れる形でアリィもベルトから杖を引き抜いた。

 

「「『アクシオ 賢者の石よ来い!』」」

 

 魔法と魔法の鬩ぎ合い。同質の魔法が小さな鉱石を奪い合う。

 腕は互角。絶妙な均衡を保ちながら賢者の石は宙に停滞した。

 

 

 ――その隙を、彼は見逃さない。

 

 

「うわぁあああああああっ!」

 

 言葉にならない雄叫びを上げてハリーがクィレルへと突撃する。

 魔法も何も無いただの乱戦にもつれ込み、腰へ体当たりを食らったクィレルは注意を賢者の石から外してしまった。

 そして腰にしがみ付く少年を退かそうとして悲鳴を上げる。ハリーの顔に押し付けていたクィレルの手が、火で炙られたかのように黒く炭化し始めたからだ。

 

「ハリー!?」

「い、いから! 賢者の石を……早くッ!」

 

 しかしハリーへのダメージも尋常ではなかった。クィレルに触れられた瞬間に額の傷が激痛を発し、その苦痛に表情を歪ませる。

 それでもチャンスを棒に振る事をせず、クィレルが注意を外した瞬間、力を振り絞り賢者の石を手元に引き寄せる事に成功した。

 

『待てアルフィー。ハリー・ポッターがどうなっても良いのか?』

 

 だが代償も大きかった。

 ハリーは仰向けのまま床に大の字で叩きつけられ、その両手をクィレルに踏まれて身動きが取れないでいる。

 苦痛で涙を溜めるクィレルは殺意に塗れた目でハリーに杖を向け、怒号を上げた。

 

「グリフィンドール! 賢者の石をこっちに渡せ。さもなければ、ポッターを殺す!」

「アリィ、渡したらダメだ!」

 

 殺気に満たされた視線と痛みに耐える懇願の視線が絡みつく。二種類の視線を浴びるアリィは決意した表情を取り、その奇跡の石を左手に胸の前へ掲げ――、

 

「ほいっ」

 

 

 ――工具ベルトから引き抜いたトンカチを、賢者の石へと振り下ろした。

 

 

『………………は?』

 

 目を点にする三人を置き去りにアリィは再度トンカチを振るう。

 三度、四度、そして五度目の衝撃で賢者の石に皹が入り、六度目を振り下ろす所で、

 

「な、何をしている!?」

 

 クィレルが慌てて奇行に走った少年を止めた。

 

「いや、渡してもハリーが殺されそうだから、どうせなら石を壊しちゃおうかなと」

 

 その自信満々で名案だと確信している表情が彼の本気具合を物語っている。

 屈託の無い天使のような笑顔を見て三人はこう思うのだった。

 

 え、躊躇無くそれをやるの? 何それ怖い、と。

 

 しかし、確かに名案である事を否定出来ない。

 だから、

 

  「アリィ! 僕の事はいいから石を壊して!」

「よし来た任せろ。万が一の時は俺が墓石のデザインを考えてやる!」

「死人に鞭打つのは止めてよっ!?」

 

 死ぬ覚悟を決めた途端に生への渇望が込み上げてくる。ハリーはやはり生き抜く事を決めた。これでは死んでも死にきれない。未練を残してゴーストにでもなってしまいそうだ。

 

『待てアルフィー! 石を壊すとニコラス・フラメルが死ぬぞ!』

 

 そして最後の一撃を振るう寸前に掛かった言葉で、アリィが動くのを止める。

 石を破壊すると命の水を精製出来ない。それは命の水で命を繋いでいるニコラス・フラメルの緩やかな死を意味していた。

 もしかしたら賢者の石が悪の手に渡るくらいなら死を選ぶかもしれないが、自分の一存で知り合いの命を脅かすのは凄く躊躇われた。

 その隙を、この邪悪な者は見逃さない。

 

『アルフィー。良い子だから石をこっちに渡せ。そうすれば、ハリーは解放しよう。約束する』

「アリィ! 絶対に渡しちゃダメだ!」

 

 悪魔の囁きと正義の声にアリィは初めて困惑を見せる。

 ここまで迷い、泣く一歩手前の表情を見るのはハリーも初めてだった。

 だからハリーは親友が泣かなくても良いように。今までの借りを清算するために。

 抗うことを決意をした。

 

「アリィ! 賢者の石を持って逃げるんだ!」

『避けろクィレル!』

 

 腰と足を振り上げる。両手を踏みつけている魔法使いの腹へ強引に蹴りをかます。

 禁句さんが見ていたがもう遅い。クィレルはバランスを崩し後ろに倒れかけ、拘束を逃れたハリーが素早く起き上がる。

 そしてクィレルの顔面に両手を押し付けた。

 

「あ、あぁあああああああ!?」

『馬鹿者! 殺せ! 始末しろ! 殺せ、石を奪えぇえええ!』

 

 クィレルは苦痛に満ちた悲鳴を上げ、接触に伴い再発した傷跡の激痛にハリーが必死に耐える。

 顔は焼き爛れ、直視出来ない素顔となったクィレルが激痛で暴れる。

 正気を失い、四方へと乱雑に杖を振り、呪いを撒き散らした結果、

 

「あ」

 

 無意識に放たれた呪いの光線が立ち呆けていたアリィを貫く。

 赤い光線が目を焼き、正体不明の呪いで冷たい石床に倒れこむまでに、もう少年の意識は暗い闇へと堕ちていた。

 

 

 

 



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エピローグ

 

「――――どうよ? そっちが寝てる間にこんな事があったんだぞ」

『……なんというか、随分と波乱万丈な生活を送ってるんだね』

 

 もう太陽も沈み夜の帳が下りる最中、スリザリンの一室で楽しそうに大事件を語る少年と、呆れるように溜め息を吐く蛇の姿があった。

 ランプに灯った火の作る影がルームメイトの不在を告げ、代わりに人間と二匹の存在を教えてくれる。

 もう直ぐ十九時。

 学年度末パーティーを後に控えた少年――アルフィー・グリフィンドールが家族に語ってみせたのは、あの闇の魔法使いと対峙した夜のこと。その顛末だ。

 

 たった今、長い長い冬眠から目覚めた巨大な大蛇。今は『収縮魔法』により体長を一メートル以内に縮めている毒蛇の王は、カーペットの敷かれた床にとぐろを巻き、一生に一度あるか無いかの大事件を語った己の主人を見上げ、再度溜め息を零す。

 あの夜。アリィはクィレルがデタラメに行使した呪文に当たって気を失った。

 使われたのは『失神呪文』をベースにされたものであり、ただでさえ無言呪文として用いるには難易度が高い術が暴走した魔力を糧に発動された。呪文を制御する思考能力も無く、そのような不安定な術が正常に作用する筈も無い。まるで絡まった糸のように複雑でデタラメな構成をした失神呪文もどきは、アリィの二日間の時間を奪っていた。

 

『怪我の方は?』

「完治。ハリーも昨日目覚めたし、マダム・ポンフリーと、あと俺達を廊下から運んでくれたダンブルドアには感謝感謝」

 

 エアガンの暴発で負った裂傷の影はどこにも無い。優秀な校医の手で快復を果たしたアリィも一時は危険な容態にあったのだが、それでもハリーより一日早く目覚めたのだから回復力が並外れている。

 そして危篤状態に陥りクィレルに殺され掛けたにも関わらず、その時の状況を笑顔で話す姿が、異常なほど強いメンタル面を示していた。

 生きたもん勝ちという心情であの夜を思い出に変えた少年。しかし、その少年の心をも挫けさせ、恐怖と絶望の色に染め上げる天敵のお説教とはいったい何なのか。彼女のソレは対人類最強の精神攻撃かもしれない。

 

『それで、ハリー君の容態は?』

「そっちも大丈夫。メンタルケアもばっちし」

 

 ハリーには『母親の愛』という最大級の対抗呪文の加護がある。遠い夜にハリーを守って『死の呪文』をその身に受けた彼の母。その加護が施されている限り、下手人である禁句さんはハリーの肌に振られない。彼の穢れた邪悪な魂が最大の愛という相容れない思いの結晶であるハリーに拒絶反応を示している所為だ。

 禁句さんはハリーに触れられない。そしてハリーも原因不明だが、禁句さんに触れると額の傷跡が激痛を走らせる。

 その理由を過去のトラウマが原因だと勝手に想像したアリィは、ダンブルドアの状況説明後直ぐに自室から『おしゃべりキノコ』を材料にした蓄音機を持ち出した。

 それはハリーの心を癒すため。

 癒しソングと銘打った自分とポチ太郎の合唱ソングを枕元で流し続けるという行為に走ったが、それで本当にメンタルケアが出来たかどうかは確かめるまでもない。

 激痛と精神疲労で倒れこんだ怪我人に二十四時間耐久マラソンを強いるような外道行為だ。フクロウもばたばた落ちてきそうな音痴とキャンキャン声にしか聴こえない犬声の独創的なハーモニーは、それはもう絶大な追い討ちとなってハリーを更に苦しめた。

 段々と魘されていく彼を見て蓄音機は即刻マダム・ポンフリーの手により焼却処分され、憤慨する少年が天敵さんによる笑顔の耐久説教コース送りになったのは言うまでも無い。

 

 病み上がりにも容赦の無い説教を思い出し、その辛い記憶を忘却の彼方へ追いやるために、わざと彼は明るい声を出した。

 

「とにかく、これで一件落着! ……クィレルは死んじゃったし、禁句さんは逃げたらしいけど、とりあえずはこれでお終い」

 

 結局クィレルは長時間の接触が原因で死んでしまった。魔法省からの緊急呼び出しがフェイクだと気付いたダンブルドアが廊下の最奥に辿り着いた時、全てはもう終わっていた。

 クィレルの死亡と同時に寄生していた魂は剥がれ、禁句さんは逃亡。もう、これ以上出来る事は何も無い。

 話は終わったと言わんばかりに、アリィは寄りかかっていたポチ太郎から上体を起こし、大きく伸びをする。その表情に、クィレルの死を悲しむ素振りを見せて。いくら悪人でも死んで良いとは思えなかった。

 

『あれ、賢者の石はどうなったの?』

 

 舌を出してシューシュー言いながら見上げてくる第三の家族に、第二の家族の頭を撫でていたアリィは、そういえばという表情を取った。

 

「ダンブルドアがニコラス爺ちゃんと話し合って、破壊する事に決めたんだと。……夏休みになったら一回逢いに行かないと」

 

 第一の家族の古い友人。葬式の手筈を整えてくれた人達の中でも、率先して動いてくれた優しいお爺さん。

 充分な命の水のストックがあるフラメル夫妻は、身辺の整理を行ってから穏やかな死を迎える事になる。そうなる前に、一度会って話がしたい。彼は脳内の夏休み計画表にフラメル宅訪問をしっかりと書き記した。

 

「そうだ、伝次郎は夏休みどうしよっか。ポチ太郎みたいにハグリットに預かってもらう?」

 

 ポチ太郎は世にも珍しい三頭犬。完全無欠な魔法生物をプリベット通りで飼うには定期的な『目くらまし術』と『収縮魔法』の行使が絶対条件。

 しかし未成年の魔法使いは魔術学校に在校中、十七歳の誕生日を迎えなければ校外で魔法を使う事を許されていない。頻繁に魔法使いの方々に魔法の行使を頼むのはアリィとしても気が引け、泣く泣く夏休みは別れを受け入れたという事だ。

 ハグリットは動物好きであり、ポチ太郎を二ヶ月近くも預かる事を喜んで引き受けてくれた。頼めば伝次郎も引き受けてくれる未来は割と容易に想像出来る。

 

『うーん……森にいる。たぶん最初に会った場所にいると思うから、新学期が始まったら迎えにきて。その頃にはもう収縮魔法も解けていると思うから』

 

 そう呟く伝次郎に暗い陰が射す。

 伝次郎は自分の存在に引き目を感じていた。

 目覚めた時でさえ『何でこんな姿なの!?』『何で僕を部屋から出したの!?』と慌て、仕舞には元の場所へ戻せと駄々をこねる始末。

 その行動の裏にはバジリスクを飼うと言い出した優しい主人を常識人達の糾弾から守るという目的がある訳だが、その事にアリィは気付いていない。

 魔法界のバジリスクに対する共通認識は恐怖の怪物というもの。即死の魔眼が任意発動である事も、彼が気性の優しい怠け者の蛇である事も一切知らないのだ。

 

 暴走し、生徒を死なす可能性がある。

 

 そう思われるだけで学校としては伝次郎の存在を受け入れる事が出来ない。バジリスクは、しっかりと訓練された三頭犬とは次元が違う危険生物の一体。

 もし伝次郎の正体が明るみになればアリィの立場は非情に悪いものとなるし、危険生物を長期間校内に放置したという事で教員側にも迷惑が掛かる。

 今回のコレも人の持つ負の面、特に恐怖や嫉妬といった暗い感情に疎い主人に代わり、気を使った結果。ハグリットという人物に自身がバジリスクである事がバレると面倒な事に成りかねないので、世話にならない事に決めたのだ。

 全てはこの、もしバレても皆なら笑ってバジリスク(危険生物)を受けいれてくれると信じてやまない少年の想いを守るため。

 

(本当は僕がアリィと別れれば良いんだけど……)

 

 余程の酔狂か馬鹿でない限り一般人はバジリスクを受け入れない。恐怖の種族=全ての個体も恐怖の象徴となっているため、下手な面倒を掛けないためにもキッパリと別れるのが一番良い。

 しかし、そちらの方が双方にとって都合が良いのを重々理解している伝次郎だが、その選択を取る事が出来なかった。

 

 

 

 《うっさいなぁ。良いじゃん! ご先祖様のペットって事もあるし、なにより俺が一緒に暮らしたいの! 何で遠慮すんのか分からないけど、そんな気遣いは無し無し!》

 

 

 彼はアリィの温かさに触れてしまった。

 

 

 《それにさ、一人って寂しいじゃん。誰かと一緒にいるのって良いものでしょ?》

 

 

 彼は一人でない喜びを知ってしまった。

 

 

 《そういう事だから、これからヨロシク伝次郎》

 

 

 彼は一度掴んだ幸福を手放す決断など出来なかった。

 

 

 

 

 せめて少しだけでも。問題になった時はキッパリと出て行く。だから、少しでもこの幸せを甘受したい。

 一度優しさを知ったバジリスクは、アリィを拒むことが出来なかった。

 

「オーケー。……それにしても、あーあ、久しぶりに話せたのに、またしばらくお別れか」

 

 アリィが浮かべるのは別れを惜しんだ苦笑。その声を聞いた伝次郎は思考の海から浮上する。数秒にも満たない長く感じた思考時間が、思いのほか思い悩んでいた証拠だ。

 そしてアリィの立場を危ぶんでいる伝次郎は気付かなかったし失念していた。ベッドが二つあること。そしてまだ、自分がバジリスクだという事は黙っていた方が身のためだと進言することを。

 

 部屋の扉が勢い良く開き、男子生徒が姿を現した。

 

「アリィ、そろそろって、またか駄犬! ……ふっ、悪いがもうその攻撃には遭わないぞ。人は学習する生き物だからだ!」

 

 もう三頭犬による飛び掛り&舐め回し攻撃に晒されて数ヶ月。この時の為に密かに練習していた『盾の呪文』でポチ太郎の突撃を防ぐドラコは、とても残念な理由から魔法の腕を上げていた。

 かなり必死に練習したのだろう。大の魔法使いでも下手くそが多くいる魔法を発動させ、ドラコはかなりご満悦だった。

 

「どうだ駄犬! これでもう……っ!?」

 

 しかし、盾の呪文は一方向にしか展開出来ず、無言呪文を習得していないドラコでは再度の行使でタイムラグが発生する。つまり、防げるのはファーストアタックのみ。

 

「ぐわっ、おい、ぶっは、……この駄犬がぁああああああっ!」

 

 二撃目でいつも通りの被害に遭う彼の戦いはまだ始まったばかり。アリィの入院中に仕方が無く餌等の面倒を見ていたのが更に懐かれる原因となっていた事に気付くのは、だいぶ時間が経ってからだ。

 身内に優しいドラコの悲しくも優しい性である。

 

「……そいつが例の蛇なのか?」

「おうよ。伝次郎、ドラコに挨拶して」

 

 談話室でパンジーとのお話――またお泊りしに行って良い?――から帰ってきた早々に涎塗れになり、これまた腕前が上がってしまった洗浄魔法で身を清めるドラコは、漸く蛇の存在に気付いて目を丸くする。

 暗い緑色の鱗にドラゴンを連想させる凶悪かつ精悍な造形。後頭部には赤い小さな羽が数本生えているが、それがバジリスクの雄最大の特徴である事をドラコが知らないのは幸いだった。

 バジリスクは御伽噺にも登場するポピュラーな怪物。それでも目撃例の少なさから身体的な特徴があまり知られていないのと、最後に目撃されたのが写真技術の生まれる前だったため、現存する資料が数枚の絵画のみという現状も味方した。

 魔眼が有名過ぎるため、赤い羽根という部分がマイナー知識化しているのだ。

 

『よろしくドラコ君。あとアリィ、僕がバジリスクだって事は教えないで』

「え、なんでよ?」

『えっと……ほら、僕って個体数が少ないじゃない? 珍しいからってジロジロ見られるのは嫌なんだ』

「ああ、なるほど」

 

 伝次郎の言葉で脳裏を過ぎったのは親友の姿だ。生き残った男の子は未だに周囲の関心を集めている事を思い出し、伝次郎の本心を隠した理由に納得する。

 馬鹿正直に話せば『そんなことない!』という反論の下、直ぐにこのルームメイトに喋ってしまいそうで、人の噂を完璧に止める事は誰にも出来ない。仮に話さなくても、何かの不注意から秘密を漏らしてしまう可能性もある。アリィと長く居たいためにも、リスクはなるべく減らすべきだった。

 

「ドラコ、伝次郎がよろしくってよ」

「………………」

 

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔とは、まさに今のドラコを指す言葉だ。先程とは比べ物にならない程の驚きを表すルームメイトに首を傾げるアリィ。目は限界まで開かれ、口から零れるのは、驚愕に満たされた震え声。

 

「……アリィ。まさかとは思うが、君はパーセルマウスなのか?」

 

 パーセルマウス。つまり蛇語使い。闇の魔法使いの証とも呼ばれるパーセルマウスの術者は早々いない。

 近年でも蛇語使いで有名なのは禁句さんのみであり、サラザール・スリザリンの血筋は発現する事が多いので、蛇語については魔法界で知らぬ者はいない。

 驚き、そして納得したように、ドラコは何度も頷いていた。

 

「なるほど。君がスリザリンに入れる訳だ」

 

 一瞬、アリィがスリザリンの血筋かとも疑うが、流石にそれはありえないと一蹴するドラコ。彼はグリフィンドール。天敵同士だった両者の血を引くなど、どこのサラブレッドだ。

 幼い頃から純血の魔法使いとして施された教育と知識の数々が、そんなありえない思考を強引に遮断した。

 

「どうよドラコ、伝次郎って中々カッコイイでしょ?」

「ああ。それに僕としてもヒュドラやラミアの子供ではなくて本当に一安心だ」

 

 パーセルマウスの登場に驚き、ヒュドラやラミアで無かった事に安堵してしまったから、彼は伝次郎の種族について訊ねる事を忘れてしまう。些細な疑問は他の重大ニュースに埋もれてしまった。

 後頭部の羽以外、別段変わった特徴が無いのも要因の一つだ。

 禁じられた森に危険な蛇が生息するなど聞いた例が無いこと。彼自身、あまり動物に詳しくなかった事も現状の手助けをしていた。

 

「アリィ、もう直ぐパーティーが始まるぞ」

「りょーかい。そんじゃ伝次郎。お土産持ってくるからポチ太郎と留守番ヨロシク」

 

 ワンワンとシューシュー。それぞれに思いの篭った送り出しの言葉に笑い、アリィはドラコと共に大広間へと向った。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「また一年が過ぎた。さて、大変お腹を空かしている事と思うが、先に寮対抗杯の表彰から行う決まりになっているのじゃ。皆、少し待ってくれるかのう」

 

 ダンブルドアの鶴の一声で、お祭りムード一色のパーティー会場は静寂に包まれる。テーブルに所狭しと並べられた豪華な料理達は、空腹に侵された生徒達の食欲をそそる。

 それでもこのパーティーを心の底から楽しんでいるのはスリザリンの生徒のみであった。

 何故なら、

 

「おめでとう、スリザリンの諸君」

 

 パーティー会場の飾り付けは緑一色。

 それはスリザリンのシンボルマークであり、寮対抗杯をスリザリンが制した事を意味していた。

 スリザリンの最終点数は五百十二点。二位のレイブンクローに約九十点の差を付け、四位のグリフィンドールにすれば二百点もの差を付けた大勝だった。

 問題を起こす反面、どれだけアリィの影響が大きいかを物語っている圧倒的な点数。

 ここ数年連続で対抗杯を獲得しているスリザリンを一位の座から引き摺り下ろしたいと考えていた他寮の者は、望み通りに行かなくて悔しそうに表情を歪ませている。

 特に獅子寮はハリー達のドラゴン騒ぎが無く、最後のクィディッチ戦にシーカーである彼が出ていれば逆転の目も出ていたので、敗北した寮の中でも一番落胆が激しい。しかし、そんな者達に福音が届けられるのは直ぐのこと。

 

「ただ、駆け込みの点数も加えてあげなくては、あまりにも気の毒じゃ」

 

 騒がしかった大広間は再び沈黙した。

 

「まずはロナルド・ウィーズリー君」

 

 まさか名指しされるとは思わなかったのか。テーブル上のローストチキンを眺めていたロンはビクッと身体を緊張させ、直ぐに顔を赤くする。その姿を見てダンブルドアの瞳は更に穏やかなモノへと変わり、優しく微笑む。

 

「常に良識人として友達を支え、ここ最近見る事の出来なかったチェスの名試合を見せてくれた。これを称え、グリフィンドールに五十点を与える」

 

 告げた瞬間に獅子寮のテーブルで歓声爆撃が巻き起こった。迷路での発言に、マクゴナガルのチェスゲーム。そして、アリィやハリーに対する度々のツッコミ。

 彼は周囲の個性的な友人達に比べると一番平凡で一般人だ。しかし、だからこそ気付ける事があり、だからこそ皆を――特に一人の天災に常識的な対応と反応を示す事が出来る。

 そのツッコミが天災達の中に少しでも蓄積され、記憶される事があれば、それは充分に価値があるものとなるだろう。これからも彼等の隣に立ち、一般人の立場から皆を支えて欲しい。

 そう期待も含めての高得点だった。

 

「次にハーマイオニー・グレンジャー嬢」

 

 大広間中の視線がハーマイオニーへと集まる。

 彼女は恥ずかしそうに頬を赤く染め、そっとテーブルに上体を隠そうと丸まった。それでもダンブルドアの発言が気になるのか、顔だけはちょこんとテーブルから出していたが。

 

「学校の秩序と平和を守る守護神として尽力を惜しまず、様々な罠に対して冷静に行動した事を称え、彼女に七十点を与えたい」

 

 ロンよりも大きな歓声が木霊した。転倒薬の一件以来アリィは大きな悪戯を行っていない。関係の無い大勢を巻き込む悪戯は禁止され、精々、発明品の効果確認を兼ねた友人達への軽度の悪戯に収まっている。

 その程度で済んでいるのも彼女が睨みを効かしているため。だからお菓子を上げたり宿題を見たり、モノの修理を請け負う事で面倒事と貢献度の帳尻が合っているのだ。

 正直、ハーマイオニーというストッパーに彼の『隣人を皆愛せ』精神が無ければ、アリィは校内一の嫌われ者になっていた可能性も出てくる。それを阻止した意味合いでも彼女の行動は褒められたものだった。

 ちなみに生徒職員は度々起こる彼の無自覚な面倒事――ワックスやシャンデリア事件など――は、文字通りの天災だと割り切って諦めている節がある。

 

 

 閑話休題。

 

 

「そしてハリー・ポッター君」

 

 再び、もう何度目かの静寂が訪れた。期待と興奮、そして少しばかりの敵意。様々な意図を含んだ視線がハリーとダンブルドアを行き来する。

 

「その鋼のような不屈の精神力と並外れた勇気、そして悪しき魔法使いから賢者の石を守り通した事を称え、彼に八十点を与えたい。そして――」

 

 首位のスリザリンと点数が並んだ事で爆発的な歓声が生まれ、静まった所で次なる者の名を告げる。

 誰かが呟いた『スリザリンに並んだ』という発言は大広間中に聞こえ、期待と興奮を積もらせた。

 眼鏡の奥の双眸が、あの夜に友人達の前へと立ちはだかった一人の少年を捉えた。

 

「友達や寮のためなら例え仲間からも敵だと判断され、嫌われる事も覚悟して精一杯の気持ちをぶつけようとしたその勇気を、ワシは称えようと思う」

 

 ダンブルドアは言葉を区切る。そして、その理知と優しさに満ちた声が告げた者の名は――、

 

「――ネビル・ロングボトム君に十点を与えたい」

 

 名を告げた瞬間に巻き起こった歓声は、今度こそ大広間が爆発したと錯覚する程の凄まじいものだった。

 まさかの逆転激に大多数の者が喜びの歓声を上げ、残りの生徒は落胆と怒りが入り混じった表情で呆然としている。連続優勝をストップさせられた喜びを、三寮全員が感じていた。

 

「さて、そして最後の人物は――アルフィー・グリフィンドール君」

 

 ここで告げられた名は騒ぎ立つ声を沈静化させ、大広間にいる者全員の関心を集める事に成功する。憤慨しているルームメイトを慰めていたアリィは、急に出てきた自分の名に目をパチパチさせた。

 

「ワシとの約束を破って禁じられた廊下の最奥へと向ったのは、罰さなくてはならん。それが決まりじゃからな」

 

 ダンブルドアは一度、アリィの禁じられた廊下への侵入を見逃している。二度目は無い。規則破りではハリー達も同罪だが、約束を破ったという点が問題だった。

 そもそも、アリィが侵入しようと思わなかったのなら、クィレル達は最初の罠を突破出来なかったに違いない。ハリーもアリィの反応と発言を見聞きしていなかったのなら、アリィの忠告を受け入れて廊下への侵入を決意しなかったのかもしれない。

 予想が含まれるが全てはアリィの行動が起因となっている。以上の点から彼の罪は重く、その件に関してはハーマイオニーや話を聞き付けたマクゴナガルから盛大な叱責を食らった。

 

「ただ、この一年間。校内を楽しく大いに賑わせ、寮生の仲を改善するきっかけを作り、賢者の石を守る優れた罠を仕掛けてくれた」

 

 厳正さを示し、そして強張っていた表情が徐々に柔らかくなっていく。への字に引き締められた老人の口許は、もう既に微笑みへと変化していた。

 

「全てを差し引き――彼に合計で十点を与えたい」

 

 当初、ダンブルドアの発言を理解出来た者はいなかった。彼の言葉はゆっくりと、まるで紙に浸透する水のように、徐々に生徒達の頭に広まっていく。

 減点だと思っていたらまさかの加点。理解が追いついた時、生徒達は一斉に歓声と叫び声を上げた。もはや一緒くたに成りすぎてただの騒音。場は混沌と化している。

 その騒音に負けない声でダンブルドアは宣言する。

 

「前代未聞!今年はグリフィンドールとスリザリンの同時優勝とする!」

 

 同時に両手を叩いた瞬間、パーティーの飾り付けが変貌を遂げた。

 緑一色だった部屋の装飾には真紅と黄金が入り混じる。二寮のシンボルカラーを交えた装飾が、同時優勝が現実だという事を未だに信じられずにいた一部の者を正気にさせた。

 

「……そうだ、そうだよ、僕達の優勝だ!」

「アタシ達が勝ったのよ!」

「くっそ! 正義馬鹿達と同着なんて……っ!」

「そりゃあこっちの台詞だ!」

 

 中にはアリィの点数が低すぎると憤る蛇寮生も居たが、最低週に一・二回は問題行動を起こしていた天災の事を考えれば強気に出られる筈も無い。むしろあれだけ獅子寮に得点が加算されても同時優勝が出来たのはアリィの点数があっての事だったので、ここで憤りを感じるのもお門違いというものだ。

 そして点数をワザと同じになるよう調節したダンブルドアは、互いに喜び、そして同じ順位に登り詰めた敵寮に視線を向ける獅子と蛇を見て顔を綻ばせる。

 早くも火花を散らし合っている彼等は、来年こそは自分達が完全に首位に立つと思う筈。勝つために切磋琢磨を繰り広げ、今度こそ完全無欠な一位を取るという共通心理は更なる寮の結束を生む。

 そして一位達に負けないために他二寮も奮闘するに違いない。

 

 生徒達の更なる成長を期待して、彼は同時優勝などという判定を下したのだ。

 

 仲間意識というものは、巨万の富を投げ打っても買う事も叶わない。とても素晴らしくて価値のある力なのだから。

 

(さて、来年もまた、大いに盛り上げてほしいものじゃ)

 

 彼が次に視線を向けたのは、上級生に肩車をされてテーブルの周囲を凱旋している件の天災。

 もしかしたら来年はライバル意識を持ちすぎて、優勝寮の二つは更に敵対の道を進んでしまうかもしれない。しかし、そうなっても彼が――天災がいるのだから、きっと大丈夫。

 誰にでも平等に接し、誰に対しても全力で向き合う少年の『楽しみ』は、きっと敵意に満ちる殺伐とした空気を浄化し、この学校を賑やかで明るい『楽しみ』で包み込んでくれるに違いない。

 来年は更に喧しく、そのぶん生徒を笑顔にさせてくれるに決まっている。そう信じさせてしまう不思議な何かが、あの笑顔には秘められているのだ。

 

「さあ、それでは、楽しいパーティーの始まりじゃ」

 

 順位を発表してから晩餐という関係上、これまでの食事では寮によって温度差があった。それがどうだ。今年はどのテーブルでも皆が笑顔で、それでいて喜びや楽しみで満たされている。

 

 騒がしく、そして最高潮の楽しみに満たされたパーティーは、満天の星空の夜の下、だいぶ長いこと続けられた。

 

 そして、

 

 

「じゃあ早速夏休みの計画を立てようぜ。俺やフレッド達はいつでもオーケーだ」

「いつ箒を売り込みに行くかもな」

「そうだアリィ、ついでにお前も俺達の家に遊びに来いよ。ハリーと一緒にな」

「おうよ!」

 

 

 

「あ、そうだ。はい、ハーさん。成績トップのお祝い」

「……何だか素直に喜べないわ。アリィが天文学のテストも真面目に勉強していれば、トップは貴方のものだったんですもの」

「……ハァ、二人とも六教科の合計点数が六百点オーバーなんだろう? それで喜べないんだったら、僕やハリーの点数なんて自殺ものだぜ」

「僕達も結構いい点数だって思ったけど、二人と比べちゃったらね……」

 

 

「セド! 君には最後に自家製クッキーをプレゼン――」

「流石にもう勘弁してくれっ!?」

 

 

「アリィ、君も僕の家へ招待してあげよう。……ただ、お願いだから父上達の前では発言や行動に気をつけてくれ」

「マジ!? よっしゃ、任せろ! じゃあ大丈夫な日を今度手紙で教えて。俺もスケジュールを見直すから! ……でも数世代上の人達に俺の持つ漫画がウケるか心配だ」

「君は本当に僕の発言を理解したのかっ!?」

 

 

 

 

 ――こうして彼は列車がキングズ・クロス駅に着くまでに様々なコンパートメントを行き来し、数ヶ月会えなくなる友人達との最後の交流を深めていく。

 

 双子とリーの家宅訪問。双子座の売り込み。ルーマニアへのドラゴン見学。ウィーズリー家のお泊り会。そして、知り合いとの永久の別れ。

 楽しみもあれば悲しみもある。それでも予定が盛り沢山の今年の夏は、長い目で見れば更なる楽しみを提供してくれるに違いない。

 

 

 

 やはり、去年の選択は間違っていなかった。

 

 

 

 危険はあったし、大変な事もあった。それでも天災は思う。魔法界に踏み込んで本当に良かったと。

 

「アリィ、どうかしたの?」

 

 ドラコ達、そしてウィーズリー家やハーマイオニーとも別れ、約一年ぶりにキングズ・クロス駅を歩くアリィの笑顔に気付き、隣を歩くハリーが顔を覗き込んでくる。

 ガラガラと押すカートの重さも、ドカドカと人混みを掻き分けて前を歩くダーズリー夫妻の不機嫌そうな面も、きっと気にならない――いや、それすらも楽しみに変えてしまう一人の天災は、

 

「いや、たださ――」

 

 この一年は文句無しに楽しかった。そして、きっと来年は更に楽しい事が待ち受けているに決まっている。その来年も。その次の年も。ずっとずっと興味深くて面白い不思議が溢れている。魔法がもたらす奇跡と未来は、無限の可能性を秘めているのだから。

 

「ただ――魔法って本当に面白いなって思っただけだよ、ハリー」

 

 

 

 

 ――未来を想い、最大級の笑顔と楽しみを振り撒き、アルフィー・グリフィンドールは心から楽しそうに笑っていた。

 

 

 

 




やはり長い後書きの時だけ活動報告を使います。

次回から秘密の部屋?編に入ります。
原作崩壊の嵐です。


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第二章 秘密の部屋?編
プロローグ


 プリベット通りはロンドン郊外にある閑静な住宅街だ。いや、閑静と言うには語弊があるかもしれないが、去年の九月から翌年の七月下旬までは『静かで平和な生活を貴方に』という謳い文句通りの生活は保障されていた。

 

「静かなのは良い事なのだけれど……なんだか物足りないわねぇ」

「いなくなって分かる寂しさというのもあるものじゃのう」

 

 とは、プリベット通りに住む老夫婦の言葉である。

 プリベット通りは外観とは裏腹に普通ではなかった。老若男女の一般市民が住んでいるという点では普通だが、その中に異常が紛れている事を大多数の人が知らない。

 その異常とは――魔法使い。

 この住宅街には二人の少年魔法使いが在住している。夏になって戻ってきた二人の内、一人が起こす騒動は直ぐにこの住宅街を元の騒がしい姿に戻し、パズルの最後のピースが嵌るかの如く住民達の心の隙間を埋めていった。

 

 さて、そんな喧騒に塗れた日々が戻った七月三十一日の晩。今日が十二歳の誕生日である一人の魔法使い――ハリー・ポッターは、隣人にして親友、共にホグワーツ魔法魔術学校に通う天災魔法使い――アルフィー・グリフィンドールの家を訪れ、二人だけで盛大な誕生日パーティーを執り行っていた。

 料理が趣味のアルフィー――アリィの手料理に舌鼓を打ち、今は食後の談笑もといゲームの真っ最中だ。

 種目はカード。世界中で人気を誇っている日本産のカードゲームである。

 

「――最後に《ブラック・マジシャン》で攻撃っ! 《黒・魔・導(ブラック・マジック)》! 僕はこれでターン終了!」

 

 高らかに攻撃宣言をした黒髪の少年が件のハリー・ポッターである。

 十二歳にしては背も小さく、痩せ気味な体型。フレームの細い丸眼鏡の奥には母親譲りの綺麗な碧眼が姿を見せ、前髪からは稲妻形の傷跡が覗いている。

 計三体の上級魔法使いモンスターを操る彼は、魔法界では生き残った男の子と呼ばれる大変な有名人だ。

 対して、カーペットの敷かれた床に座り、ハリーの対面で不敵に笑う少年は、

 

「ふっふっふ、甘いぞハリー。悪いけど俺の勝利は揺るがない!」

 

 背の低いハリーよりも更に小さい。ハリーと二日違いで生まれた少年は、パッと見七・八歳と思うぐらい幼い容姿をしている。

 綺麗なイエローブロンドの髪は短く、その空蒼色の瞳はキラキラと輝いている。幼いためか愛嬌のある笑顔を振り撒く向日葵のような少年。

 唯一の同居人だった曽祖父の形見である砂時計のペンダントを首から掛ける少年が、この縦に細長い二階建て一軒屋の主、アルフィー・グリフィンドール――ホグワーツでは天災と呼ばれるお騒がせ発明家だ。

 

「俺は伏せていた《死者蘇生》を発動! 俺の墓地からモンスターを特殊召喚!」

 

 リビングは相変わらず訳の分からない機械製の発明品達に囲まれ、更に遊んでいるのがマグル――非魔法使いの総称――の遊ぶゲームなため魔法使い要素など皆無だが、それでも二人はファンタジー世界の住人である。

 魔法使い族デッキを操るハリーの場にモンスターは三体。その点アリィの場にはモンスターも、そして魔法・罠カードすらセットされていない真っ平らな状態。

 蘇生カードの効果でアリィのモンスターゾーンにモンスターが出現する。

 白さを帯びた青い鱗が光沢を放つ巨大な龍。その神々しい姿と人気キャラのお気に入りモンスターという事もあり莫大な人気を誇る一体の名は、

 

「ブルーアイズ!? え、いつの間に……まさか!?」

「《メタモルポット》の時に捨てておいたのさ!」

 

 突如現れた高攻撃力モンスターに慄くハリー。

 見る者に絶望を与える青眼の白龍のプレッシャーにモンスター達は冷や汗を垂らす(注:イメージです)。

 手っ取り早くブルーアイズを召喚するためにメタモルポットで手札を墓地へ捨てたアリィの猛撃は、まだ終わらない。

 

「更に《ロード・オブ・ドラゴン―ドラゴンの支配者》を召喚! ついでに《ドラゴンを呼ぶ笛》も発動! 手札からドラゴン族を二体まで特殊召喚!」

 

 ローブを着た龍神官の奏でる笛に誘われ、アリィの手札から更に二体の上級ドラゴン族が召喚される。どれも同じ白龍の姿。白龍達の雄叫びが幻聴となってハリーを襲う。

 ハリーには、アリィの姿がとある社長と被って見えた。

 

「《青眼の白龍(ブルーアイズ・ホワイトドラゴン)》三体で攻撃! 滅びのバースト・ストリィイイイイイイムっ!」

 

 攻撃力3000というパワーの前に魔法使い達は無力だ。

 完膚無きまでに叩き潰され、今度はハリーのフィールドが更地となる。

 生命線であるライフポイントも残り100。正に風前の灯のハリーの額を薄っすらと汗が伝った。

 三体の強力モンスター。更にそのドラゴンに対して魔法・罠・モンスター効果を無効化するロード・オブ・ドラゴンの布陣は、アリィの得意とする有名コンボの一つだった。

 

「悪いなハリー! 夕飯の後片付けは君に任せた!」

 

 本来なら主賓であるハリーに誕生日会の後片付けをさせるのは色々と間違っている気はするも、そこは遊び好きな二人だ。

 アリィの影響で色々とノリの良いハリーもその提案を受け入れ、現在危機に陥っている。

 勝利の勝ち鬨を掲げて暢気に高笑いするアリィを尻目に、ハリーは震える手をデッキに向ける。緊張が全身を支配する中、引いたカードを見て――ハリーの震えは止まった。

 そしてハリーが見せるのは、勝利を確信した者が見せる笑み。

 

「――君ともあろう人がミスを犯したね」

「…………なんですと?」

 

 勝利の美酒として紅茶を飲んでいたアリィが止まる。

 連動して口へと運んでいたティーカップの傾きも止まった。

 怪訝な視線を受けるハリーの口はこの運命的な幸運に孤を描いた。

 

「勝利を前に高笑いなんて敗北フラグを自分で立てたって事だよ」

 

 そしてハリーは五枚の手札をオープン。遊戯王において手札をオープンする理由は限られている。そして、魔法でも罠でも無く現状を打破出来る方法など一つしかない。

 

「今――勝利の鍵は全て揃った」

「ぶっ!?」

 

 目を丸くして紅茶を吹き出すアリィの視線が手札に注がれる。身体だけのモンスターに、似たような両手足のモンスターカード四枚。

 そのカードは、

 

「エ、エエ……エクゾディアぁああっ!? 何でハリーが持ってんの!?」

 

 ハリーの持つカードは全て元を辿ればアリィの物。膨大にあるカードを共有する事でハリーはデッキを作っている。

 その中にエクゾディアパーツと呼ばれる、特定のカード五枚を手札に揃える事でデュエルに勝利する特殊勝利条件カードをアリィは持っていなかったのだから、マグルの通貨を所持していないハリーがそのカードを所持しているのは不可解だった。

 

「ディーンから貰ったんだ。アリィに勝つにはどうしたら良いのか相談したら、ブルーアイズ三体を屠るのにこれ以上最適なカードは無いってね」

「だからってこの土壇場で封印カードを全部揃えやがりますか!?」

 

 悠然と、そして誇らしげにエクゾディアを並べるハリーの所作を見届けるアリィの口はワナワナと震えている。

 なんというか、彼は初めてとある社長の気持ちが分かった気がした。確かにコレは特大級の絶望だ。新たはトラウマとなってもおかしくない。

 

「馬鹿な……こんな事って……ッ!?」

「運命が僕を選んだんだよ。これで終わりだ! 怒りの業火 エクゾード・フレイム!」

「ぬわぁあああああああああーーーっ!?」

 

 かくして激戦が終わりを迎える。

 大きくガッツポーズを取るハリーの前で崩れ落ちるアリィの言葉は、凄くか細いものだった。姿も何となく真っ白に燃え尽きているように見える。

 

「負けた……漫画的展開で負けた……」

「それじゃあアリィ。後片付けはよろしくね」

 

 意気揚々と、スキップでもするようにウキウキ気分でタオルを持ったハリーは、後片付けを家主に任せて浴室に消える。ハリーが居候するダーズリー家では上客を招いてパーティーが開かれているため、元々彼は今日泊まる予定だったのだ。

 ダーズリー夫妻から邪魔者扱いされているハリーはこれといって不満を言う事も無く、むしろ嬉しそうにアリィの家へと泊まりに来ていた。

 

「……なーんでサーチ系のカードも使わずに封印パーツを五枚揃えられるんだよ。ハリーの運って変な所でチートだよな、相変わらず」

 

 カチャカチャと食器を洗う音が軽快なリズムを刻む。

 石鹸の香りを鼻孔一杯に感じながら、アリィは幼い頃からの親友を改めて考察した。

 幼い頃から見知っている親友。飛行術が得意で、魔法成績も悪く無く。勇気のある者が集うグリフィンドールに所属する生き残った男の子。

 つい数週間前も二十世紀最凶最悪と呼ばれた闇の魔法使いから賢者の石を守りきった少年。

 あの事件に関わった一人として、そして親友として、彼の勇気ある意志と行動は間近で見ていた。

 

 だからこそ思う。

 

「……はい、ごめんさない。ダンブルドアとの約束を破って凄く反省してますハーさん様……」

 

 フキンで食器を拭いていたアリィは疫病に掛かったかの様に青褪め、何度も額を水洗台に打ち付けながら謝罪を口にする。

 

 あの日、一緒だったからこそアリィは比べてしまう。あの時の自分の行いと、ハリーの勇猛さを。

 

 悪いのはヴォルデモートとクィレル。この事実は変わらない。

 しかし、あの夜にアリィがポチ太郎へ会いに行かなければクィレル達は最初の罠を突破出来ず、ハリー達は危険な目に遇わなかったかもしれない。

 ハリーの病室で起こした騒動のついでにハーマイオニーから説教された事を思い出し、何も無い空間に許しを請うアリィ。

 あの時の説教は騒音行動とダンブルドアとの約束を破った事に対するモノ。アリィに甘い校長先生に代わって彼女が説教したに過ぎない。それも普段の彼女にしてみれば随分と甘い口調でだ。

 

 《まあ、私達が言える事じゃないんでしょうけど、約束は破っちゃダメよ。貴方が約束を破ってポチ太郎へ会いに行かなかったら、クィレルは多分最深部まで辿り付けなかったと思うから》

 

 自分達が危ない目に遭ったのはお前の所為だと咎められた訳ではない。彼女にも、側で聞いていたロンも、勿論後から知ったハリーも、微塵もそんな事を考えていないと断言出来る。

 どんな理由であれ校則破りで廊下へ侵入したのは自分達も同じ。そもそも命の危険を承知で侵入したのだから、それを人の所為にする程ハリー達は愚かではない。そう考えたからこそ彼女達は何も言わなかった。

 それにあのままクィレル達が第一の罠で手こずっていたらハリー達と接触する可能性もあったのだ。結果論としては、こちらの陣営に死者が出なかった現状は上々の出来だと言えるだろう。

 

 それでもアリィは自責の念に耐え切れず、大切な人達を喪っていたかもしれない事実に改めて恐怖する。

 

「ホント……無事で良かった」

 

 今までの微笑ましい悪戯とは違う、本当に死の危険性を孕んだ事件。

 きっかけはハーマイオニーの説教。そして事件の発端も自分の不注意な行動がきっかけかもしれない。

 今回の事件は流石のアリィも色々と考えさせられた。特にペットに会いたいという欲求に駆られて親友達を危険に晒したという事実は、自分自身に多大なショックを与えたものだ。

 笑顔の裏で、表情を落とすぐらいには盛大に落ち込んだ。しかし、どん底の気持ちから直ぐに復活するポジティブ思考もアリィの長所である。

 

「……ま、過ぎた事だし。今後は気を付けよう、うん」

 

 暗いのは自分らしくない。失敗を次に生かすのが発明家。今後の悪戯や行いも、ほんのちょっとばっかし自重しようかと思わなくも無い。

 人とは学び、成長する生き物なのだ。

 

「アリィ、あがったよ」

 

 洗い物をしながら反省会を終えると同時にハリーも上がり、髪をタオルで拭きながら交代を促してくる。

 

「はいよ。じゃあパパッと入ってくる。そしたらまたリベンジだ」

「ゲームくらいしかやる事も無いからね」

「まあ、そもそも折角の誕生日会に勉強なんてやる気になれないけど」

 

 二人は既に長期休暇の宿題を終わらせているため遊び以外にやる事がない。

 帰宅後直ぐにハリーの杖や教材諸々がダーズリー家の物置部屋に封印されるという事件があったものの、それは既にアリィ直伝のピッキングでハリーが鍵をこじ開け、天災印のフェイクを放り込む事ですり替えに成功している。

 アリィは先程の暗い考えを感じさせない表情で笑い、浴室へとまっしぐら。身体を洗ってから浴槽へダイブし、自作したゴムのアヒルを浮かべて心の芯から温まるアリィの顔は、信じられないくらい蕩けていた。

 日本贔屓だったデイモンの影響でヨーロッパ圏にしては珍しく、この家の風呂は湯船がメインなのだ。

 当然この狭い風呂場もデイモンが設計・製作したものだった。決して浴槽の縁に設置された髑髏のボタンは触れるべからず。

 

「あー、極楽極楽。やっぱりシャワーより気持ちいい」

 

 頭にタオルを乗っけて極楽モードに移行。もう一人の親友であるダドリー・ダーズリーが夕食会に拘束されているのを残念に思いつつ、それでも遊び通す事を改めて決意する。今日はハリーの誕生日なのだから。

 

「にしても、何で皆と連絡取れなかったんだろ? せっかくの誕生日なのに」

 

 彼等の学友達と最後に出会ったのはキングズ・クロス駅。というよりも、魔法界と最後に交流があったのは長期休暇に入った次の日。ハリーと共にフラメル夫妻の家を訪れたのが最後だ。

 その日以来、魔法界とは交信が途絶えたまま。

 二人揃って誰からも手紙が来ず、また予め教えてもらったハーマイオニーの家に電話を掛けても繋がらない。ハリーのペットであるフクロウのヘドウィグも外に出たっきり何日も帰ってこないので手紙を送るのも不可能。

 アリィがいなかったら本当に魔法なんてものがあるのかと疑心暗鬼に陥っていたかも、とはハリーの言である。

 あの友人達が自分達の誕生日をシカトするとは思えなかったため、何かあると探偵モドキになりかけているアリィだ。

 

「遊びにも来ないし行けない。双子やドラコからお泊りの日程状も来ない。どうなってんだか」

 

 そしてホグワーツに残してきた愛犬と愛蛇も気になるところ。そろそろ本格的に調査へ乗り出すかと、顔の半分まで湯船に浸けて画策している時だ。

 リビングから爆発音が聞こえ、アリィは浴槽から飛び上がった。

 

「ちょ、いったい何事!?」

 

 腰にタオルを巻いて直ぐにリビングへと飛び込み、目の前に広がった光景は、端的に表せば悲惨。

 テーブルは砕け、カーペットはズタボロ。デイモンの遺作達に傷が無いのが不幸中の幸いといった有様で、何があったのか皆目検討も付かない。

 そして一番の被害は、

 

「カ……カードがぁあああああああああ!?」

 

 焼け焦げ、バラバラになったカードだったらしき紙片達。魔法には修復魔法があるため元通りにする事は出来るが、一人の決闘者としてカードバラバラ殺人事件は精神に多大なダメージを負わせた。

 訳が分からない。そしてハリーも見当たらない。

 玄関のドアが開けっ放しなので外に飛び出したのだと当たりを付け、泣き顔で裸のまま外へ出ようとした時。アリィは窓から何かの羽ばたき音を聞いた。

 

「……フクロウ?

 」

 コツンコツンと嘴を窓へと打ち付ける梟を部屋に入れ、そしてアリィの視線はフクロウの足へと釘付けになる。

 

「手紙!」

 

 アリィは魔法界で伝書鳩扱いされているフクロウに飛び掛る。身の危険を感じたのか反射的に飛び立とうとするメンフクロウを捕獲。むき出しの肌につつく攻撃は大ダメージだがアリィは怯まない。

 引っ手繰るように手紙を奪い、内容に目を通してみれば――それは魔法省魔法不適正取締局からの、今から二分前にこの家で使用された爆発呪文に対しての厳重注意状だった。

 

「――は? いやいやいやいや、ツッコミ所満載でしょ魔法省!?」

 

 魔術学校に所属している十七歳未満の魔法使いは校外での魔法使用が禁じられている。

 それは校則ではなく立派な法律であり、マグルへの秘匿性を重視する彼等にしてみれば無視出来ない事柄。

 しかし、だからこそ真面目に調査してほしい。アリィの住居で魔法行使=アリィの仕業というのは安直である。

 法律対象魔法使いに予め魔法を掛けてその周辺をサーチするのは構わないが、検知された魔法の使用者も分かる魔法を採用して欲しいと切に願う。

 厳重抗議してやると意気込むアリィはいつの間にか『動物好かれ』の影響で大人しくなっていたフクロウを頭に乗せながらタオルで身体中を拭き、自室へ向かい、途中で調達した黄色のパジャマを着てから机に張り付く。窓を開けて外気と月明かりを取り入れてから抗議の書状を書こうとして、

 

 

 ――向かいのダーズリー家から聞こえてきた怒鳴り声に顔を上げた。

 

 

「……ハリーのこと忘れてた」

 

 途切れ途切れに聴こえてくる言葉を翻訳すればバーノン・ダーズリーが未成年の魔法禁止事項に関してハリーに怒鳴り散らしているらしい事が分かる。

 散々魔法云々を秘密にしたがっていたのに大声を出して良いのかと思うアリィは、仕方が無いので書状を後回しにしてダーズリー家へと向う。

 

「何がどーなってんのさ」

 

 小さな呟きを聞くのは頭のメンフクロウのみ。小さくホーと鳴く可愛らしい声が耳に残る。

 

 

 誕生日の夜は、今年の事件の幕開けに過ぎなかった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 魔法省から厳重注意を受けてから二日が経った。

 そしてあれからダーズリー家から話を聞き、自室へと監禁されているハリーと手紙のやり取りを経て、風呂場に消えていた間に起きた空白の時間をアリィは正確に把握している。

 あの晩、何でもドビーと名乗る屋敷しもべ妖精がアリィの家を訪れ、ハリーにホグワーツへと帰らないように説得するも失敗。問題を起こしてホグワーツを退学になれば良いと魔法を使ったが、ここはアリィの家なので責任はアリィに向くかもしれない。だからドビーはダーズリー家に向かい改めて魔法を行使。今度こそ魔法使用の責任をハリーに押し付けて消えたらしい。

 友達に忘れられたと思えば学校に行きたく無くなるのではと考え、アリィの分も含めて手紙を遮断してたのだから、彼にしてみれば完全なとばっちりである。

 

「じゃあダドリー。これが明日の分だから」

『分かった。それで、これはハリーからだ』

 

 もう大抵の人間が寝静まっている時間帯に糸電話で会話をしている者がいた。アリィとダドリーだ。

 二人の自室は共に二階。しかしアリィ宅の方が縦に長いため、彼等はこの高低差を利用して物品の運送を行っていた。今、二つの部屋は糸電話の他に一本のロープが行き来している。

 クロスボウとロープを使って糸電話を渡すついでに橋渡し。その橋には一つの滑車が掛かり、その下には小さな小包が括り付けられている。

 児童相談所が飛んでくるような食事事情を迎えているハリーのために用意した保存食だ。

 魔法が禁止されている事を黙っていた事が明るみになり、バーノンおじさんの怒りに触れたハリーは監禁されている。本来なら外との連絡が取れない状態なのだが、そこは内部協力者であるダドリーのお陰で解決。

 こうして毎晩食事を渡し、ハリーからの手紙を受け取るのが夜の定番となりつつある。用心深いダーズリーおじさんも、流石に夜中はノーマークだった。

 

『アリィ、いったいいつアイツを脱走させるんだ?』

「うーん、明日の夜かなぁ。そん時はダドリー、手筈通りに」

 

 ハリーが気に食わないダドリーだが、親友に頼まれれば嫌とは言えない。欠伸を堪えながら手紙を吸盤付き弓矢に括り付けるダドリーを窓から覗きつつ、頭の中で明日の脱走計画を立てるアリィ。

 昼は会社を休んでまでハリーとアリィの監視をしているバーノンおじさんの所為で身動きが取れないため、決行は夜だ。

 ダドリーに玄関を開けてもらい中に侵入。鍵の掛かったハリーの部屋をピッキングでこじ開ける。このシンプルな作戦でハリーを救出する。

 杖や教科書といった魔法関連の荷物はアリィ宅に置いてあるので荷造りは楽だった。服やなんかは逃亡先のダイアゴン横丁で調達すればいい。

 

『でもアリィ、アイツを勝手に出したらパパの怒りがお前にも向くんだぞ』

「良いよ、別に。それにおじさんも本格的にハリーを監禁するつもりは無いんでしょ、きっと」

 

 もし本当にホグワーツにも返さない気なら昼の監視だけでなく夜も何かしらのアクションを起こす筈だと推測するアリィ。

 ハリーにはアリィという協力者がいる事をバーノンおじさんも知っているからだ。そして、そのアリィがダドリーに協力を仰ぐ事も容易に想像出来る筈。

 本気なら必ずアリィに対しても何かを仕掛けてくる筈だった。そもそもこんな夜の密談だって彼が本気ならとっくにバレている。それが無い時点でバーノンおじさんは本気で閉じ込める気は無く、彼の怒りは時間が解決してくれると考えられた。

 何だかんだ言って被害に遭った客人はケーキを被っても笑って許し、大事な商談は成功した訳だし。

 

「悪いねダドリー。あんま遊べないで」

『……ハァ、まあ、アイツがいるとパパもピリピリしてるから、早く連れて行ってくれよ』

「オーケー。じゃあお菓子大量に作っとくから後で贈んね。以上、交信終了」

 

 連絡を追え、ダドリー部屋の窓が閉まるのを見ながらリールでロープ諸々を回収。

 そしてベッドにダイブしながら屋敷しもべ妖精について考える。

 屋敷しもべ妖精は魔法使いに仕える召使みたいな種族の事で、ドビーと名乗った妖精は、ハリーを守るために行動に移したと云う。

 

「あー、ダメだ。こんなんじゃ分かんないって」

 

 判断材料が足りない事を嘆く。分かるのは、今年のホグワーツに危機が迫っているという点のみ。正体が分からなければ対策も出来ない。

 とにかく今後の方針としては、

 

「とりあえずアレだ。護身用グッズを沢山準備しとこう。あとダンブルドアに連絡」

 

 今後の方針を定めてから明日のため就寝に入る。

 照明ランプを消し、壁際を向いて目を閉じる。

 そして、

 

 

 

 

 

「なーんか不穏な発言を聞いたような気がするのは俺だけか?」

「いーや、俺も聞いたね」

 

 

 

 

 

 なんとも聞き覚えのある声が二人分、窓から聞こえてくる。

 

 

 

 

 

「「――で、今度はいったい何が起きたってんだ、兄弟?」」

 

 

 

 

 

 アリィの夜は、まだ終わらない。

 

 

 

 

 




遊戯王ネタ、分からない方は申し訳ないです。
おそらく、もう今後デュエル描写はありません。


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第一話

11/24
プロローグ、第一話の同時更新です。
お気に入りから飛んできた方はご注意ください。


 まどろみの中に沈む意識が覚醒される。

 夜の闇の向こう。暑さのため開けっ放しにしていた二階窓から聞こえてくる声に、アリィは半信半疑の心情で跳ね起きた。

 

「フレッド、ジョージ!?」

 

 悲鳴にも似た大声に微笑む影が二つ。

 アリィが同志の姿を見間違うなどありえない。そこに居たのは正真正銘、同じ顔をした赤毛の双子。フレッドとジョージ・ウィーズリーは最後に別れた時と同じ、陽気な笑い顔をアリィに見せる。

 そして二人に続く声があった。

 

「僕もいるよ、アリィ」

「ロン!」

 

 横並びになっている双子の後ろ――空飛ぶ車の後部座席に乗っていたのは同じく赤毛で、ソバカスが目立つノッポの少年。ロン・ウィーズリーの登場で更にアリィは歓喜の声を上げた。

 ドビーの所為で魔法界との交流が絶たれていた手前、学友の登場はアリィを幸福な世界へ招き入れる。

 眠気など既に無い。先程までの悩みも消えている。ハリーとダドリーの幼馴染コンビ以外で初めての友達訪問に、アリィは目を輝かせた。

 

「とりあえず入れてくれ。俺達腹ペコなんだ」

 

 マグルの目を誤魔化すために夕方から五時間近く掛けて飛んできた彼等は夕食を摂っていない。

 お腹を擦って空腹を主張するフレッドは空飛ぶ車を透明マントのように不可視モードにしたまま庭に停車。その間に文字通り階段を駆け下りたアリィは快く三兄弟を家へと招きいれる。

 初めてハリー達が訪れた時と同じく、三人がデイモンの発明品を興味深く観察している間に、アリィはせっせと小さな手でフライパンを振るった。

 ちょうど冷蔵庫の中を空にしようと思っていたので三人の腹ペコは渡りに船。三人が全自動孫の手を弄って十分後。食卓には山盛りの色々ごちゃ混ぜナポリタンが聳え立つ。

 

「そういやあの車どうしたの?」

「うちのだよ。パパの車なんだ」

 

 食欲のままにパスタを貪っている三人によると、あの車は魔法省マグル製品不正使用取締局に勤めている彼等の父の所有物らしく。それを『アリィの家に遊びに行ってくる』と置手紙をした上で無断拝借したらしい。

 帰ったらママの雷が落ちるとロン達は落ち込むが、今は恐怖よりもパスタだ。ロンの隣に腰掛けて、アリィも横から一口貰う。

 

「というよりさ、何で三人がここに?」

「君、ハリーと二人揃って魔法省から厳重注意を受けただろう? パパがそう言っていたんだ」

「手紙を二人に何ダースも送ってんのに返信も無い。それで今回の警告状だ」

「こりゃやんごとなき事態だってな。ビビっと来たね、俺達の第六感に」

 

 父親からそう聞かされてロン達は直ぐに行動した。

 手紙で連絡が着かないのだから直接訪れるしかない。そして何より、双子は元々アリィの家を訪問する予定だったのだ。

 遊びに行けて、更に二人の様子も確認出来る一石二鳥具合。だからだろう。彼等は何も問題が無かった場合は遊ぶ気でいたため少量だが荷物を持参している。

 小さいながらも古ぼけた旅行カバンが三つ、リビングに持ち込まれていた。ちなみにアリィの家に行きたがっていたリー・ジョーダンは来ていない。

 訪問が急に決まったというのもあるが、リーはそもそも夏風邪を引いてグロッキー状態だった。

 

 

「それで、何で僕達の手紙を無視していたんだい?」

 

 ロンの問いに全て答えるにはだいぶ長い時間を要した。少なくともドビーの事を話し終え、ハリーの今置かれている現状を説明し終える頃には山盛りだったナポリタンは跡形も無い。

 今思えばハーマイオニーと電話出来なかったのもドビーの妨害が原因なのだろう。手紙の郵送を妨害出来るのだ。アリィ宅の電話妨害ぐらいやってもおかしくないと考えるのが自然の流れ。

 このアリィの推測にはロン達も同意で、きな臭い話に揃って表情を曇らせる。

 

「そいつはくせぇな」

「ああ。陰謀の臭いがプンプン匂ってくるぜ」

「ハリーは大丈夫なの?」

「大丈夫。ご飯も送ってるし宿題も終わってる。ゲーム関連もダドリーを通じて渡してるから」

 

 外に出られない事を除けばゲームし放題の三食オヤツ昼寝付の生活。ある意味充実した監禁生活かもしれない。まったく持って、緊急性や緊張さの欠片も無い事件である。

 

「魔法省にも手紙は送ったし、あとは明日……って言っても今日だけど、とにかく夜にハリーを連れ出してウィーズリー家に向うのみ!」

 

 そして抗議の手紙も捕獲したメンフクロウを使って魔法省に郵送済み。ハリー救出の緊急性は低く、宿題も全て終了。こうなったらもう、やる事は一つっきゃない。宝の山を目前に双子の我慢も限界に達していた。

 

「よし、そんじゃハリーの心配も無いことだし!」

「アリィ! 早速師匠の仕事場を見せてくれ!」

 

 待ちわびたと叫ぶ双子は椅子を倒して立ち上がる。流石に最初は自重していた二人もウズウズ感が抑えきらなかったみたいだ。

 真夜中? だからなんだというハイテンションぶりは軽く引くぐらい喧しい。興奮で血走った目を見る限り、ここで拒否したら暴動でも起きかねない。

 もっとも、アリィには断わる理由は無い訳だが。

 

「オーケー。ロンはどうする?」

「僕も行くよ。なんだか目が醒めちゃった」

 

 双子から溢れ出すテンションの余波なのか。まったく眠気の訪れないロンも三人に続いて階段へと向う。

 脇にも小物が積み重なる手狭な階段を上がり、様々な機械製品に溢れる短い廊下の先には部屋が二つ。右に生物災害マークというある意味適切なシールが張られている木製扉がアリィの自室。

 そして、

 

「ここが爺ちゃんの仕事部屋」

 

 工事現場にあるような立ち入り禁止マークの張られた左の部屋が、発明の宝庫。バートランド・ブリッジスの仕事部屋だ。

 シール違いの同じ木造扉。それでも主不在のこの部屋が放つプレッシャーは凄まじく。内包しきれないオーラが神秘さを帯びて振りかかる――なんて事はなく、見た目は平々凡々な部屋だった。

 あまりにも普通過ぎたため神聖なる仕事場を前にして双子は呆気に取られた。

 

「へえ、じゃあ早速――」

「「待ちな愚弟」」

 

 が、この平凡な部屋が聖域にも等しい価値を持つ事に変わりない。

 

「ほんっと分かってねえなお前って奴ぁ」

「我らがロニー坊やはフライングがお好きなこって」

 

 頭上から憤怒の煙を噴出して顔を真っ赤にするロンの怒声もスルーして、双子はいそいそと手に持つカバンのファスナーを開ける。中にあるのはこの日のために準備した正装一式だ。

 

「聞くところによれば師匠は大の日本好きらしい」

「なら師匠に合わせ、それ相応の服装、相応しい心を持ちながら入らなくちゃ失礼ってもんだ。こんな安物のお下がりで聖域に入るつもりか?」

 

 カバンから出てきたのは綺麗な藍色の羽織と袴。そして伸縮式の刀に被り物のちょんまげ。マグルのお土産店で売っているモノだ。

 丁寧に畳んであった羽織に袖を通し、袴を履いてから前を閉じる。帯は羽織に縫い付けられ、袴もゴムが入っているため履きやすい。

 難しい着付けの一切を必要としない前をマジックテープで止めるお土産用の簡易服なだけあって見た目はチープだが、外見は確かにサムライスタイルと呼んで差し支えない。

 ちょんまげを被って刀を持てば、どこからどう見ても立派な日本スタイル。確かに正装だ。ただ時代が一〇〇年以上タイムスリップしているのは気にしたら負けというものだろう。

 双子が着付けを終了するまで十秒とかからない。流れるような所作と色々とツッコミ所が満載の場面に唖然としていたロンの時が動き出す。

 

「いや……いやいやいや、日本に全く詳しくないけど二人が間違ってるのは僕でも分かるぞっ!?」

 

 確かに日本が誇る文化を知らなければ、とりわけ外国人から見れば羽織と袴、ちょんまげというヘアースタイルは奇抜な姿に見えるだろう。ましてそれが魔法族の純血家としては当然のこと。

 マグル贔屓で知られるウィーズリー家も例外ではない。ロンが一昔前の正装を否定するのも致し方なかった。

 

「なによりアリィは着替えてないじゃないかっ!?」

 

 目をキラキラさせている天災を指差し、これで論破出来たと自画自賛するロン・ウィーズリー。けれども彼は失望したように溜め息を吐く双子の超理論を聞いて愕然とした。

 

「馬っ鹿だなぁロンは、アリィは師匠と同じ日本好きだぜ?」

「心は既に日本人なのでアール!」

 

 常に日本文化をリスペクトしているアリィの練磨された崇高なる魂は、双子みたいなニワカとは次元が違う。心は日本人のアリィが着る衣服は日本服と言っても過言ではない。

 だから俺達みたいにわざわざ着替えて見た目から日本人になりきる必要は無いんだと、そう真面目に語る馬鹿兄達を見て頭を抱える末弟の姿があった。

 

「ねえ、俺のは無いの?」

「「あるぞ!」」

「あるのっ!? って、二人はいつそれを手に入れたんだよ!? 一緒に暮らしていて初めて見たぞっ!?」

 

 そして言い争うこと五分。結局アリィもサムライスタイルになることで強制的にロンも着替える羽目になり、立派なちょんまげと刀を携えた四人の魔法使いは聖域に足を踏み入れた。

 ちなみにロンのはこの場にいないリー・ジョーダン用に準備した衣服なため裾の長さが足りていないのはご愛嬌である。そして部屋の中は、一部の者にとっては夢の世界とも言える感動の極みが姿を見せた。

 

「ここが……ここが夢にまでみたバートランド・ブリッジスの仕事場!」

「おい、見ろよフレッド。このマグル式カラクリ人形! ゼンマイ式だぜ、ゼンマイ式!」

「ああ、親父が見たら卒倒するぐらいの宝の山だ!」

「「マジやっべぇ!」」

 

 その部屋は一見してゴミ部屋に見えるが、見る人が見れば宝の山に等しき価値を持つらしい。少なくともロンにはこの部屋の価値が分からなかったが、双子は目を限界まで見開いて、目どころか魂に刻み付ける勢いで心の師匠の作品を目に焼き付けようとしている。

 アリィの部屋よりは少し広い、十畳ほどの窓の無い密室。その奥には木製机と椅子が一セット、棚が幾つかあるだけで、後は周囲を様々なモノに囲まれている。

 電気釜みたいなもの。

 人型ロボットみたいなもの。

 黒板みたいなもの。

 あくまで『みたいなもの』に溢れる部屋は、足の踏み場も無いほど様々な発明品が鎮座している。

 机の上も例外ではない。設計図の束。飛行機の模型。ネコじゃらし。機械的な湯呑み。工具セットにはんだごて。

 しかし双子があまりにもバートランド・ブリッジスを神格化している所為か。この部屋には筆舌し難い神秘めいた何かが充満しているとも思わなくも無い。

 ぱっと見ガラクタ部屋にしか見えないのに、少し見方を変えれば神々しい雰囲気すら醸し出すのだから不思議だ。

 

「でも本当に魔法的な何かは一切無いんだ……なんか意外」

「でしょ? 俺やハリーも散々漁ったんだけど何も無いんだよ。まあ、怪しいとしたらアレなんだけど」

 

 アリィとロンの見詰める先。そこにはホグワーツに行く前だったら気にも留めなかった代物が異様な存在感を発している。

 魔法使いにとっては常識。けれどもマグル界出身者にとってはただのモノ。

 入り口から見て右側には床に付きそうなほど巨大な絵画が一枚、壁に掛かっていた。

 抜けるような青空の下。草原に佇むのは一匹の異形だ。頭はライオン。胴体はヤギ。尾はドラゴン。生存個体も極少数ながら討伐の成功例は数百年前のたった一件のみ。

 アリィの杖の原料にもなっている獰猛そうなキメラの姿がそこにはあった。

 そして魔法界での絵画というのはマグル界には無い特徴を持つ。それは、描かれている生物がまるで生きているように動くということだ。描かれた人や生物は実際に話し、意志を持って行動する。それは魂が宿ったという訳ではなく、あくまで描かれた人物の性格や行動を絵が分析・模範しているだけに過ぎないのだが。まるで生きているかのように彼等は動く事が出来た。

 その事から絵画の者達は時たま番人のように扱われて重要施設の入り口を守ったり、同一人物の肖像画同士で同じ絵の間を行き来する事が出来る。この特性から専ら伝言係のように扱われたりもしていた。

 一見マグル用の仕事場としか見えないこの部屋に魔法界用の仕事場があると想定した場合、怪しいのはこの仕事場に似合わない絵画だった。魔法界に精通している双子やロンも部屋に入った瞬間にその可能性は気付いている。しかし、分かったからと言って、それで問題解決となるほど魔法界は甘くない。

 

「絵画か……絵画はなぁ」

「合言葉的なのが無数にあるからなぁ…………おいフレッド、コレ見ろよ!」

 

 そして絵画が動く理由としては絵師の持つ魔力が原因だった。描く時に絵へ魔力を注ぎ、それが完成品に影響を与えている。

 未成年魔法使いが魔力を暴走させて周囲に干渉し、奇天烈な事態を起こすのと原理は一緒。魔法絵師と呼ばれる彼等はそれを意図的に行い、及ぼす現象に指向性を持たせているに過ぎない。

 特殊な薬を用いて動かしている写真とは違うのだ。

 そして描かれたモノが動くのは殆どが肖像画であるが、中には人以外の生物が意志を持ち、人語を喋る例が存在する。

 数としては多くないものの珍しくない程に普及している怪物画。これもその中の一つだろうと軽く見ていたジョージは額縁に描かれたサインを見て戦慄した。

 その作者は怪物画を専門に描いてきた絵画界を代表する作者の一人だったのだ。

 

「ああ、それってなんか有名な人の作品なんでしょ、確か」

 

 モノを作るという性質上、魔法絵師達も一応技術者に分類されるため、動く絵画や写真の仕組みが気になったアリィは魔法絵師達の事も知識として学んでいる。

 ホグワーツの図書館はアリィの良き学び場であり、なにより実物を観察するのに打って付けの場だった。

 そしてアリィの同類である双子も当然その絵画を描いた絵師の名前を知っていた。

 この絵師の描いた絵画のどれもが一点ものであり、同じ怪物の絵画は一枚も存在しない。誰かが模範しても中の怪物達は動かず、絵師が門外不出として墓場まで持っていた贋作防止技術が使われているため、とんでもなく希少価値が高い高価なモノである事を双子は知っているのだ。

 

「有名なんてもんじゃねえよ!?」

「売れば数百万ガリオンはくだらない一品なんだぜ!?」

 

 そんなもんがポンと掲げられているなんて流石はバートランド・ブリッジスの仕事場と恐れ慄く双子。

 ロンは名前にピンと来ずとも、その数百万という値段に目を$に変えている。そして名前はまだしも値段までは知らなかったアリィも仰天した。

 

「げ、そんなに高いのこれ!?」

 

 感心したようにキメラの真正面に立つアリィだが、その声色に含まれるのはどちらかと言えば嬉しさよりも悲しみの色合いの方が強い気がする。

 参ったなとイエローブロンドの髪をがしがしと掻くアリィからは悲壮感が滲み出ていた。

 その瞬間どことなく嫌な予感が全身を強張らせるあたり、たった数時間でロンもだいぶ経験値を溜めているらしい。双子を兄に持つ時点で元々苦労人の素質はあったのだ。

 ハリーやドラコと同じく、その才能が開花されつつある。

 

「参ったなぁ、最後の手段が取り辛くなった」

「最後の手段?」

 

 冷や汗を一筋垂らすロンの呟きを無視して、アリィは以前から考えていた件を実行に移すべく真正面を睨んでいるキメラに近付いた。

 大きさもあり高さも丁度良い。四肢で草原を踏んでいるキメラの視線とアリィの視線が同じ高さで交わる。キメラが本物なら、互いの息まで掛かり兼ねない近距離だ。

 

「おいキメラ。最後のお願いだ。もし爺ちゃんの仕事場がこの先にあるんなら入れてくださいお願いします!」

 

 

 

 シーン。今が夕方なら烏がカーカー鳴いている。

 

 

 

 端から見れば独り言に過ぎず、下手をすれば頭の出来を疑われる光景ではあるが、この場にいる四人はこの先に何かがあると確信する。

 少し視線を泳がせ、冷や汗を垂らすキメラというのもシュールな絵だった。

 

「ハァ……残念だよ、田吾作。君とは友達でいたかったのに」

 

 記念すべき変な名前シリーズ第三弾を付けられる事になった絵画のキメラは、その名前に絶望するも主であるバートランド・ブリッジス――ではなく、その曽祖父であるデイモン・グリフィンドールのお願いを遂行すべく沈黙を守る。

 

 ある事をしなければアリィを入れてはならない。

 

 そう言われた彼は過去の過ちを反省している事もあり、頑なに意志を貫き通す。しかし、

 

「入れてくんないなら仕方が無い………………燃やそう」

『ちょっと待ってぇええええええええーーーっ!?』

 

 

 

 ――何故か四人分の悲鳴が木霊した事に、色々と一杯一杯な彼等は気付かなかった。

 

 

 

 恐ろしい事をサラリと口にし、着替える際に懐へ収納していたマッチ箱を取り出したアリィへ三人の貧乏人が詰め寄った。

 

「何考えてんだよこのブルジョワはっ!? お前貧乏人の前で時価数百万ガリオンを灰にする気かっ!?」

「おい、冷静になれ兄弟! だからそのマッチ棒は一先ず置こう、な? それって確かマグルの火付け道具なんだろ!?」

「アリィお願いだから早まるなっ!?」

 

 双子が腕を、ロンが腰を、体格だけなら大人に近い三人が一斉に子供を羽交い絞めにする。

 取り押さえたり抵抗したりで必死な四人は見ていないが、田吾作も高速で首を上下に振っている。

 それでも取り押さえる前にマッチは擦られ、その先端にオレンジ色の火を灯していた。

 

「だって入れてくんないんだ。意地悪な田吾作には少しぐらい罰が必要だと思うんだ、俺は」

「「それは罰じゃなくて処刑だ!?」」

「落ち着いてアリィ、ね、いい子だから熱っ!?」

 

 接近しすぎたためか。顔を火が掠めた事でロンが後ろへ跳びずさり、設計図の一枚を踏んで盛大に転ぶ。

 その際ロンの両足が双子を強打。ついでに頭からガラクタの山に突っ込んだため床が抜けるんじゃないかという振動が部屋を揺らし、大規模な雪崩が彼等を襲う。

 しかしその雪崩騒動から難無く一人だけ逃れられたのは、やはりこの少年が神に愛されているからだろう。拘束が解かれ、アリィはマッチを田吾作へと近付けた。

 そして額縁が焦げる距離まで近付けられた、その時、

 

「お」

 

 絵画とはいえ田吾作は生物と等しい自立意識を持ち合わせる。当然、生物なら誰しもが備えている生存本能も然り。

 命の危機に瀕すればデイモンの命令に殉じる気にもなれず、内心で滝のような涙を流す田吾作は、泣く泣く絵画の端へと移動し、

 

 

 

 ――絵画が上へとスライドし、壁には一メートルほどの入り口がぽっかりと空いていた。

 

 

 

「そうそう。最初から素直になってれば良かったんだよ! 初めからそうしてれば俺も騙す必要なんて無かったのに!」

「…………騙す? アリィ、騙すって?」

 

 ガラクタの山から抜け出してから入り口を潜り、意外と天井が高い通路を歩きながらロンが訊ねた。

 一分という効果時間を経て燃え尽きたように黒ずんでいるマッチ棒に三人の視線が注がれる。

 それはこの夏の間、双子座のメンテナンスの合間を縫って作製された発明品新作第一号。禁止されているのは魔法の行使であって発明に関して規制されている訳ではない。

 アリィはお披露目出来たことが嬉しく、まるで親に褒めてもらいたい子供のようにマッチ棒モドキを三人に見せ付けた。

 

「これ、燃えない炎なんだ。火蜥蜴(サラマンダー)モドキの尻尾を材料にして作ったから、ただ熱いだけ」

 

 アリィも本気で大事な曽祖父の遺品を燃やそうとした訳ではない。

 火蜥蜴モドキ。

 炎の中で生きる火蜥蜴そっくりな陸上生物の尾には、不燃性である熱を持っただけの火が灯っている。その火は火蜥蜴モドキが尻尾中で分泌する特殊体液と酸素が反応して起こると言われているが、アリィはその体液を強制的に分泌させる薬品の開発に成功していた。

 その薬品が『体液を分泌しよう』という命令の代わりを果たすのだ。

 これにより生物として機能しない筈の生尻尾は仮の命令を出され、先端からまるで雑巾みたく搾り取るかの如く体液を分泌する。

 後は簡単だ。

 マッチ棒を模した柄には小さな突起があり、それを押す事で先端が針状になっている部分が押し出され、空洞になっている柄の中で小さな袋が破けて薬品が漏れる。

 それが火蜥蜴モドキの尻尾を材料にしたマッチの赤い部分に中から染み込む事で反応し、不燃性の火が灯るのだ。

 ちなみに薬品の主材料は火蜥蜴モドキの天敵とされる二首蛇の毒液を使用したもの。火蜥蜴モドキは威嚇行動の時に火を灯す習性があるためか、二首蛇の毒は死してなお火蜥蜴モドキを恐怖させるらしい。

 点ける際、本物のマッチを擦るように赤い部分を下向きにして薬品を下方へ垂らすのがコツで、制作費は一ガリオンと安めだが作業の精密さが要求されるため手間と労力の掛かった一品である。

 

 ネタ晴らしをされて脱力すると同時に、またまた面白そうな悪戯道具に興味津々になる三人。どうせならコレも売り込もうと発案するも、マッチ棒という知名度の低さからマグル出身者にしかウケず、もしマグル界に出回ったらマグル製品不正使用取締局が出てくるため販売計画が頓挫する事になったが、身内で遊ぶ分には面白い発明である。

 

 そして青白い光に包まれる薄暗い一本道を一分ほど歩き、ついに四人は秘密の作業場へと足を踏み入れる。

 そこは、

 

『お、うぉおおおおおおおおおーーーッ!?』

 

 そこにはとても広い空間が広がっていた。

 人の入室で柱の燭台に一斉に火が灯り、青炎が淡く、優しい色で仕事部屋を染め上げる。

 だからこそ四人は部屋の奥まで見渡す事が出来た。

 

 両脇には無数の棚が立ち並び、その中には沢山の小物が収納されている。天蓋には沢山の星座が描かれ、あたかもプラネタリウムの中にいるような幻想的な光景を彩っている。

 時々勝手に道具が空を飛び交って自動で棚へと収納されていく様は、まさに魔法使いの作業場に相応しい光景だ。

 そして圧巻なのが部屋の奥。

 もしステンドグラスがあったのなら教会の聖堂とも思える縦長の作業部屋の中にある、たった一つの作業台。

 聖堂に例えるなら十字架の掲げられている場所の真正面に位置し、入り口に背を向ける形で作業する台は、はっきり言って異様。いや、この場合は壮絶や壮大、という表現の方が正しいのかもしれない。

 その姿は、まるで樹形図だった。

 作業台から天井近くまで伸びる一本の主軸から何本もの細長い『枝』が伸び、その先端には大小無数の台や棚が取り付けられ、様々な道具が置かれている、もしくは収納されている。

 それぞれが意味を持つ枝達は主不在の間も仕事を続け、風に靡かれる枝葉のように自動で動き回っていた。

 全体図で例えるなら装飾の施されたクリスマスツリーを連想するのが適切かもしれない。

 椅子に座ったまま枝先を引き寄せ、作業する様は、きっと演奏者のように優雅だったに違いない。

 そしてこのパイプオルガンの如く縦横に大きな『樹木棚』と、作業する上で不便や滞りが無いようにあらゆる最適化の施された改造作業台『便利君二十八号改』が、世に名を轟かせる一人の鬼才が所有する作業場の全容だった。

 

 

 

 

 《――――うむ。ついにこの日が来てしまったか》

 

 

 

 

 そして、その光景に圧倒される者、感激の涙を滂沱と流す者達は、この部屋の主の言葉を耳にする。

 老人のようにしわがれた声でありながら、元気たっぷりとも思える不思議な声。

 優しくて厳しい。破天荒の代名詞。懐かしくて大好きな声が清涼な風となって作業部屋に吹き注ぐ。

 遠くない未来、自分の死後に大事な家族が秘密を知った時のために録音した最後の遺言が伝えられる。

 

 

 

 《これを聴いているという事は、お前は魔法界に足を踏み入れたという事なんじゃろう。しかし、あの表の仕事場にある無数のヒントを繋ぎ合わせ、『ライオン丸の鼻を猫じゃらしで擽ってクシャミをさせる』という入室条件を見事見付け出すとは、我が孫ながら天晴れじゃ》

 

 

 

「……………………」

 

 

 ――すみません、めっちゃゴリ押しの力技です。

 

 

 冷や汗一杯で視線を泳がす天災に三人分のジト目が向けられたのは言うまでもない。どこにヒントがあったのかサッパリな四人だ。

 そして天災のネーミングセンスが遺伝であった事を思い知らされる兄弟達に構わず、そうこうしている間にも老人の隠しメッセージは続く。

 

 《やはり、お前も魔法使いになってしまったんじゃのぅ……》

 

 それは悲しみ、呆れているような声だった。

 何故この道へ踏み込んでしまったのか。そう咎めるような声。目を瞑れば溜め息を吐く姿が鮮明に思い浮かぶ疲れ声。

 それでも、

 

 《まあ、なったもんは仕方ないわい! いいか、人生は楽しむことが肝心じゃ。悔いが残らないように過ごすのだ! 発明も遊び心を忘れちゃいかん! どうせならワシにも負けん発明家になってみんしゃい!》

 

 思い浮かぶその顔は直ぐに苦笑の混じる笑顔に変わる。

 この変わり身の速さ。何事もポジティブに捉える思考回路。どれもアリィに受け継がれているものだ。

 死してなお変わらない家族の言葉にアリィからは自然と笑顔が溢れた。

 

 《この部屋のモンは全てお前の好きなようにせぇ。ワシの道具も、研究資料も、全てじゃ》

 

 大切な事。大事な家族の道標ともなるべき大切な言葉と想いは、既に旅立つ前に伝えてある。

 バートランド・ブリッジスとしての、自らの後継者とも言うべき一人の発明家に対する遺産継承は、この言葉を持って正式に受理される。

 今、この部屋にあるもの全てが、道具の使用者権限が、正式にアリィのモノとなったのだ。

 最後の継承も終わらせた老人に、これ以上仕事は残っていない。

 しかし仕事は無いが伝える事はまだあった。それは、一つの謝罪。発明家としてではない、家族として伝える言葉。

 

 《アルフィー……その身体の事は本当にすまんかった。命に別状は無いと癒者に言われてものぅ……願わくば、その身体が治る事を祈っておる。元気に、そして何事も楽しみ、人生を謳歌するんじゃぞ。ハリーやダドリーとも仲良くな。――さらばじゃ》

 

 アリィはきっと何の事だか分からない。あの時の記憶は、魔法界の医者である癒者(ヒーラー)に診察してもらった時の記憶は、デイモン自らが消してしまったのだから。

 魔法界の事を秘密にするために黙っていたが、もう足を踏み込んだのなら教えても構わない。

 命の危機は無いからと身体の事を秘密にし、後ろめたさを感じていた老人は、最後にアリィを激励してから最後の言葉を終わらせる。

 

 後には耳も痛いぐらいの沈黙だけが取り残された。

 

「……おい、最後に師匠、なんかすっげえ大事そうな事もらさなかったか?」

「ああ、なんか俺らまで聞いちゃって良かったの? ってぐらいの新事実だぜ、たぶん」

「……アリィ」

 

 掛ける言葉が見付からない。

 彼等に出来るのはアリィの体調を心配し、振り向いて顔色を窺うぐらいしか出来ない。

 恐る恐る、三人は背後を振り返る。しかし、そこには意外な光景が待ち受けていた。

 

「アリィ?」

 

 そこに待ち受けていたのは呆然としているアリィだ。

 ロンの呟きに耳も傾けず、見詰める先にあったのは部屋隅に置かれた小さな棚。何も入っていない古ぼけた棚を一心に見続けるアリィから零れる声は、今まで聞いた事が無いほどか細く、震えていた 。

 

「…………俺、ここ知ってる」

 

 最後の謝罪が忘却された筈の古い記憶を呼び起こす。

 そう、確かにアリィは一度この場所を訪れていた。

 八歳の頃。好奇心を押さえきれずにデイモンの仕事場を訪れ、ちょうど裏作業場への扉が閉じる寸前に通路へと潜りこみ、この場所に足を踏み入れた。

 この出来事以来ライオン丸改め田吾作は誰かが通ったら直ぐに扉を閉めるよう反省し、アリィへの秘匿に更に力を入れるようになったのだ。もう魔法界を知っているため、そして命の危険があったためこうして通してしまったのだが。

 

「そうだよ。それでここには何かがあったんだ。でもそれを俺が壊しちゃって。そんで爺ちゃんが人を呼んで、その後に俺に杖を向けて……」

 

 デイモンがアリィの侵入に気付いたのは何かを壊す音を聞いて集中力が途切れた時だった。

 集中し過ぎると周囲への注意が散漫になるのはデイモンの欠点の一つだ。

 そして驚きながら振り向いたデイモンは見る事になった。アリィが頭から棚へと突っ込み、作品たちが粉々になっている光景を。

 こうした経緯を経て直ぐに癒者を自宅へと呼んで診察させた後、忘却呪文でアリィの記憶を消したのだ。

 

 忘却の彼方へと消えていた記憶の断片がフラッシュバックする。開心術の訓練で蘇り損なった記憶を呼び起こしたアリィは、一度頭痛を振り払うように頭を振った。

 

「……まあ、命の危険は無いって言ってるし、別にいっか。特に異常も無いし」

 

 そして興味の無い事にはとことん感心を示さないのがアルフィー・グリフィンドールだ。

 命の危険が無いのなら構わないと、さして気にする事も無く大口を開けて呆然としている三人の横を通り過ぎ、とても気になっていた『便利君』の下へと向う。

 その小さな肩を三人が掴むのは同然だった。

 

「ちょっと待ってって、異常ってのはその幼い容姿の事言ってんじゃねえの!?」

「そうだって絶対! なんか魔法具の影響でそうなったんなら納得出来る!」

「じゃあアリィのお爺さんは、それが魔法の影響だからアリィに忘却呪文を掛けたってこと?」

「うーん……別に不便は無いんだけどなぁ。電車料金とか、いつまでも子供料金だし」

 

 億万長者に近い大金持ちの癖にみみっちい事を考える彼に三人が更に噛み付く。

 ――というか忘れているかもしれないが今の四人はバラエティのお笑い芸人も真っ青な姿なので、なんか色々と台無しだった。しんみり具合や感動的なものなんてありゃしない。

 

「分かった、分かったよ! 爺ちゃんは癒者に見せたって言うし、気になったら聖マンゴに問い合わせてみるから」

 

 そして妥協案として提示したのが魔法界にある唯一の病院。聖マンゴ魔法疾患傷害病院へ行くというものだった。

 全ての癒者は聖マンゴに勤めているため連絡すれば診察結果ぐらい残っているだろう。暇な時、それこそあるとは思えないが発明のネタが尽きた時に自分の身体を調べてもいい。そんなことを考えるアリィは、自身が新たな研究素材だと考える時点で根っからのマッド系発明家だ。

 

「そんな事より! もっと大事な事があるでしょ二人とも!」

 

 そしてこの話はお終いだと言外に告げてから本来の目的を思い出させる。彼等はアリィの身体について調べに来たのではなく、曽祖父の遺したモノを見に来たのだから。

 よって、目的を思い出したマッド達の変わり身は神速にも等しい。

 

「そうだった! おいジョージ、この設計図見ろよ!?」

「うぉ!? すっげぇな……こんな発想逆立ちしたって出てこねえぜ!?」

「うわ、これって爺ちゃんお得意の自爆スイッチ。こんなとこにも付けてんだ」

「自爆っ!?」

 

 アリィ達は時間を忘れて心の望むままに部屋の中を物色する。

 片手で摘める軽食とデイモン直伝の栄養剤で体力を復活させては物色を繰り返す。有用そうなモノはラメの入った高級そうな真っ白い紙からごつい手袋など、片っ端から部屋の隅に転がっていたトランクの中に放り込む。

 

 ほぼ二十四時間後。途中で仮眠やマグルのゲームで遊ぶため別行動を取っていたロンが訪れるまで、三人のマッドは心行くまで堪能する。

 

 

 それは、ハリー救出大作戦の決行三分前まで続けられた。

 

 

 




次は二・三日後を予定しています。
誤字誤用脱字、ご意見やご感想がありましたら是非ご連絡ください。


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第二話

 

 空が白むまであと数刻。まだまだ満天の星空の下を進む一つの影があった。

 夜を明るく照らし出す満月に優しく見守られ、眼下に広がる雲海上を進む姿はまるで大海を泳ぐ魚の様。プリベット通りを出発して数時間、ハリー救出作戦を完了させた彼等はウィーズリー家のある『隠れ穴』を目指していた。

 車が空を飛ぶなんてファンタジーなんだかそうでないのか分からない現象が繰り広げられている車内では、ウィーズリー兄弟が訪れてからの楽しい一時をハリーに説明しているアリィの姿があった。

 

「――ってな事があった訳よ」

「秘密の仕事場、か……やっぱりあの絵画が入り口だったんだ」

 

 後部座席の真ん中で納得しているハリーは何度も頷いて理解を示す。監禁生活を送っていた割に肌の血色が良いのは、当然ながらアリィの差し入れ食料と適度な睡眠、そしてゲームにデッキ構築と、外に出られない不自由な身の割に夏休みを満喫していた所為である。

 対してこのまま二徹に突入しそうなアリィも元気一杯。目の下に隈も作らず夜食代わりのビスケットを齧っている。

 これもデイモン直伝の栄養ドリンクの効果。小瓶のラベルに毒々しい髑髏マークが描かれている件に関しては、もう何年も前にツッコミを入れ終えているのでハリーもわざわざ指摘しなかった。

 

「それで、あれから何か干渉はあった?」

「なーんも。魔法省からも連絡無いし、ドビーって屋敷しもべ妖精の情報も無し」

 

 魔法省からの通告以来、未だ誰からも手紙は届いてない。当然ドビーに関しての情報も集まっていなかった。分かるのは屋敷しもべ妖精が単体で行動する例が少ない事からバックに誰か魔法使いが居そうという事ぐらいだ。

 

「屋敷しもべを持ってるのは魔法族の旧家で金持ちだって相場が決まってる」

「そんでよ、そいつらは主の命令に絶対服従。ついでに自立的な行動ってのも滅多に無い」

 

 行きとは違い帰りの運転をしているジョージと助手席のフレッドが会話に混じる。誰だか知らんが全く持って腹立たしいと鼻を鳴らす双子の意見に反応するのは右側の後部座席に座るロンだ。

 

「じゃあハリーを学校に戻したくない魔法使いがいるってこと?」

「その通りだ弟よ」

「ハリー、心当たりは無いのか?」

 

 ロンとアリィに挟まれながら拳を口許に添え、しばらくの間シンキングタイムに入るハリー。眉間に皺を寄せて考えること数分。零れたのは彼等にとってある意味馴染みの深い者の名前。

 

「僕と敵対しているのはマルフォイだけど……」

 

 彼を嫌っているという点ではスネイプの線も浮上するが、クィレルからハリーを守っていたという功績が彼を候補から除外する。排除するなら先学期のいざこざで亡き者にしている可能性が高いからだ。

 そうなると幾度と無く対立しており、そしてスネイプ家とは違い旧家で金持ちという条件に当て嵌まるのはドラコ・マルフォイしかいなくなる訳だが。しかしハリーの言葉には自信が無い。

 言った張本人もドラコ説は否定的だ。

 

「ドラコじゃないって」

「うん、言っておいてアレだけど、僕もアリィと同じ意見だ」

 

 ハリーが候補から外した理由。それはドラコのルームメイトであるアリィの存在が大きかった。

 最初はどうあれ今のドラコはアリィに気を許している。アリィが悲しむ事をドラコがするとも思えない。アリィのために不倶戴天の敵であるハリーと協力体制を敷くぐらい、ドラコはアリィを気に掛けているのだ。

 そしてドラコの線が消えるとなるともう目ぼしい候補は思い当たらない。元々『生き残った男の子』を嫌う者は少なく、アリィを御せる数少ない者の一人として学校関係者から頼りにされているハリーを害そうと考える者は早々いない。

 何よりハリーは他寮との交友事情がアリィと違ってそう明るくないため、候補を挙げようとしても思い付かないのだ。

 

「こりゃ慎重に動く必要があるな」

「とりあえず親父やママには話せねえな。下手したらこの件の裏が取れるまで無理やり休学させられちまう」

 

 事件の重大さを鑑みれば大人に知らせなければならないが、下手をすれば保護の名目で身動きが取れなくなってしまうのは、ハリーとアリィにしてみれば拷問も良いところだ。

 二人は学校を愛している。

 何が起こるか分からない奇想天外で幸福な未来が無数に枝分かれしている、可能性の宝庫。心の底から楽しくて、ちょっとだけ刺激があって、友人達のいる夢みたいな学び屋。それが彼等にとってのホグワーツで、特にハリーにしてみれば長年夢見た理想郷だ。

 そして好奇心の塊であるアリィもホグワーツに行けないとなると禁断症状が出て暴れかねない。

 二人にホグワーツを休学する選択肢は無い。例え恐ろしい危機が迫っていると忠告されたとしてもだ。

 

「ヘドウィグが戻ってきたらダンブルドアに手紙を出してみるよ」

「あ、ついでに俺にも貸して。ドラコやハグリットに手紙送っとかないと」

 

 だから彼等はダンブルドアに知らせておく事にする。

 未来予知とも思える先見の明を持ち、二十世紀最凶最悪の魔法使いが恐れた唯一の人。彼に頼るのが一番安心出来る。

 それに生徒を守るためあらゆる防衛対策が施されているホグワーツなら下手に敵も手出し出来ないに違いない。校内で何か危険があればダンブルドアが事前に察知し、そして事前対策もしてくれるだろう。ダンブルドアには全幅の信頼を置くことが出来た。

 

「あとアリィの護身用グッズもある。時と場合によっては魔法よりも頼りになると思う」

「確かにハリーの言う通りだ。アリィの閃陽弾なら下手な魔法より速い」

「ロン、閃陽弾じゃなくて閃光弾」

 

 更にアリィも護身用道具を沢山作ると意気込んだ所で空の旅は終わりを迎える。目的地付近に近付いた車はゆっくりと降下を始め、朝靄の掛かった田舎の通りに着陸した。

 

「さーってと、辛気臭せえ話はそこら辺にして!」

「そろそろ到着だぜお二人さん!」

 

 田園や牧場が広がる田舎町。そこから少し離れた場所まで車は走る。プリベット通りとは比べ物にならないほど静かな場所だった。

 

「それにしても、もうだいぶファンタジー慣れをしてきたつもりだったけど、まさか車が飛ぶなんて思いもしなかったよ」

「透明化のステルス機能とか実に興味深いね。これを改造したウィーズリーのおっちゃんとは気が合いそうだ。今度――」

「アリィ、ミサイルや自爆機能といった魔改造は禁止だからね」

「…………ハハハ、ナ、ナンノコトカナー」

 

 ハリーのジト目に視線を逸らし、あからさまな口笛を吹くアリィ。その案採用と盛り上がる双子と絶対に止めてくれと喚くロンの反応が実に対称的。着々とロンも天災被害者の道を歩みつつある。

 そして車内が賛成と否定派に別れて論争する内にゴール地点が見えてきた。

 

「二人とも。アレが僕達の家だよ」

 

 その家はマグルの常識に当て嵌めればありえないと断言出来る形だった。

 元々は小さな家に無理やり部屋を増設したような、一見して倒壊の恐れを抱いてしまうほどデコボコな一軒家だった。

 きっと魔法的な何かでバランスを保っている家は、見る限り摩訶不思議な超常現象に溢れていそう。まだ出会わぬ不思議に期待し、これから過ごす楽しい日々を想像して、ハリーとアリィに笑みが生まれる。

 約五時間の道のりを走破して漸く二人は『隠れ穴』に辿り着いた。

 

「おーおー、バーノンおじさんが見たら憤慨しそうな庭だね、こりゃあ」

「おばさんだったら悲鳴を上げて卒倒しているよ」

 

 随分失礼な感想を抱くアリィとハリーだが、それも否定出来ない程この庭は荒れていた。雑草天国荒れ放題のかなり広い庭を横切りボロボロの車庫に停車する。

 長時間の乗車で固まりきった身体を伸びや屈伸で解し、積んでいたトランクケースを二つ取り出してから、ゆっくりと五人は車庫を後にした。

 

「おーし、とりあえず車も置いたし……ママにする言い訳でも考えとくか?」

「……いーやフレッド、ここは潔く平謝りする方が得策な気がしてきたぜ」

「あ……ぁあ、やばい……やばいよ。――ママの雷が落ちる」

 

 頬を引き攣らせるジョージに次いで家の方を見たフレッドとロンは絶句する。放し飼いにされている鶏を蹴散らしながら一直線に車庫まで近付く一つの影。兄弟とは似ても似つかない恰幅の良い身体はダンプカーの如き勢いで、アリィ達の記憶にある優しそうな風貌は鬼の形相という言葉が相応しい。

 ウィーズリー家最大権力者、モリー・ウィーズリーの怒声が響き渡った。

 

「ロンッ! フレッド、ジョージッ!」

 

 名指しされた三人だけでなくあまりの恐怖に他二名も凍りつく。正に蛇に睨まれた蛙。脱水症状を心配する程の冷や汗。

 アリィにとってはハーマイオニーに叱られて以来の恐怖体験だ。

 

「車で向うなんて何を考えているのッ!? もし誰かに見付かったらどうするつもりだったのかしら ッ!?」

 

 モリーとしても電車等のマグル的移動手段で迎えに行く分には文句無かった。

 もしマグルに見付かったらどうしよう。

 もし『マグル製品不正使用取締法』に違反する改造車を魔法使いの誰かに見られ、通報されたらどうしよう。

 もし事故にでもあったらどうしよう。

 沢山の心配事が思考を支配し、不安で不安で堪らなかった。無事に帰還した嬉しさが強い反面、危険な事をした息子達に対して怒りも強い。

 その怒りと不安を沈静化させるため直ぐにフレッド達は行動を開始する。それが火に油を注ぐ行為とも知らずに。

 

「大丈夫だってママ。ちゃんと雲の上を通って来たから」

「透明化も使ってたし、バレないバレない」

 

 楽観視する双子にモリーの顔が赤くなる。頭部から蒸気が迸りそうな勢いだ。

 

「ごめんなさい、ウィーズリーおばさん。でもアリィなら忘れ薬ぐらい常備しているから、もし見付かっても大丈夫ですよ」

「ごめん、おばちゃん。でも何故バレたし」

「「ホントに持ってるのッ!?」」

「お黙りッ!」

 

 一喝。

 そして一糸乱れぬ綺麗な土下座を見せる面々。

 双子のニワカ日本知識とアリィの存在によって、彼等は土下座が世界でも最大級の謝罪方法である事を知っているのだ。

 モリーは土下座を知らなかったが誠心誠意の謝罪である事は雰囲気から察したらしい。その行動に不気味さを感じて一歩後退し……ぶっちゃけドン引き寸前の表情をするも、ほんの少しだけ目尻を緩めている。

 馬鹿息子達と一緒に土下座を決行している客人に掛ける言葉は、今までとは打って変わって優しく、柔らかかった。

 

「ふふ、別に貴方達を責めている訳じゃないのよ。ハリー、それにアリィも、よく来たわね。歓迎するわ」

 

 オフクロという言葉が似合う母の包容力を見せる笑み。慈愛に満ちた表情でアリィ達を立たせ、歓迎の気持ちも込めて二人をハグするモリーに、ハリーは少しだけ驚いた。

 そして直ぐにこの温もりを甘受して、感動する。母親を知らないハリーにとって、彼女があまりにも理想像に近かったからだ。

 

「お世話になります。ウィーズリーおばさん」

「よろしくおばちゃん」

「ええ。こちらこそ」

 

 ほのぼの空間を形成する三人。特に二重人格を疑う程の変わり身を見せたモリーに不満を表すのはロン達だ。

 

「ちょっと待ってよママ! 何で二人にだけ態度が違うの!?」

「二人が車を飛ばして迎えに来いとお願いした訳じゃないからですッ!」

 

 ゼロコンマで鬼の形相に変わったモリーを見て再び土下座する三人。

 そして、

 

「さあ、朝御飯にしましょう」

「「イエス、マム」」

 

 振り向き様の煌びやかな笑みに思わず敬礼してしまう 客人達。

 とりあえずウィーズリー家のヒエラルキーピラミットの頂点を理解した二人は『逆らってはいけない人ランキング』にモリーを上位ランクさせ、にこやかな笑みを浮かべる彼女の後を追って家へと入る。

 そこは裏口だったのだろう。小さな扉を潜った先は台所だった。

 家族全員が食事を摂れるよう巨大な木製テーブルが中心に設置されている所為か、ただでさえ手狭な台所は更に小さく感じられる。

 流しの上では宙に浮かんだスポンジが自動で皿を洗い、壁に掛かった時計には時刻の代わりに単語が書かれ、家族を表す計九本の長針がそれぞれの行動を指していた。

 一目見て普通じゃないと判断出来る純魔法使いの家を見てアリィとハリーは興味心から目をキラキラと輝かせる。ハリーが毎日のように通っていたアリィの家も魔法使い宅な訳だが、彼の家は機械製品の宝庫と化しているため魔法使いの家という気がしないのだ。

 

「おばちゃん、俺も手伝う」

「あ、僕も手伝います」

 

 隅々までダイニングを見渡して称賛した二人は、冷静を装いながらも称賛の声に照れていたモリーを手伝うため流し台に向う。

 普段兄弟達は自発的に家事を手伝うという事をしない。自発的に協力を買って出た彼等の善意に感涙する寸前だったモリーはソーセージを焼いていた手を止め、微笑みながら振り返った。

 

「まあ、優しいのね。でも良いのよ、お客様なんですから。――そこの馬鹿息子達は食器も準備出来ないのッ!?」

『はい、ただいま!』

 

 さりげなく席に着こうとしていた三人は機敏な動きで食器類を準備。そしてテーブル中央のバスケットにアリィ持参の手作りパンを盛った所で、モリーは沢山のソーセージやオムレツなんかをアリィ達の皿に滑り込ませた。

 客人二人に盛られた量がウィーズリー兄弟に比べて倍増しなのが夫人の心情を物語っている。

 

「でも、元気そうで良かったわ。金曜までに連絡が無かったらアーサーと二人で迎えに行こうかと思っていたのよ」

「あー、それもアリだったなぁ。そしたらおもてなしも出来たし」

「またチャンスがあるよアリィ」

 

 その場合はハリーだけ不参加になるので次の機会に持ち越しだと笑い合う。

 こうして時たま談笑し、頻繁に兄弟三人がモリーの叱責を受けた所で、直ぐ隣の階段から足音が聞こえてくる。

 その音に気付いた全員が視線を向けた先に現れたのは一人の少女だった。

 寝起き直ぐなのかピンクのネグリジェ姿。背中まで伸びる兄弟と同じ赤毛をフサフサと揺らし、鳶色の瞳に滲む涙が眠気に敗北気味である事を主張する。

 もう少し成長すれば充分美人になるだろ容姿には薄くそばかすが広がるも、それも可愛らしいチャームポイントの一つに過ぎない。

 彼女の名はジニー・ウィーズリー。今年からホグワーツに通う七人兄妹の末子だ。

 

「おは――キャっ!?」

 

 しかしジニーが上げたのは挨拶ではなく、悲鳴。食卓に着くハリーを見た瞬間に茹蛸と見間違うほど赤面した彼女は直ぐにUターンして階段を駆け上る。

 ドタバタではなく、ドカガタンッ、と。

 手摺りや壁に手足をぶつける音を響かせるほどの慌てぶりだ。

 

「……今の娘は……」

「ジニーだ。僕の妹。去年駅で見ただろう?」

 

 頭上にクエスチョンマークを浮かべるハリーにミルクを飲みながら答えるロン。実際ウィーズリー家の面々にしてみれば彼女の反応は予想内なので混乱は無い。

 そして平然と食事を進める彼等に混乱するハリーに発言をするのは、この少年。

 

「ハリーのファンだっけ?」

「ぶっ!?」

 

 予想外な発言に思わずハリーはカボチャジュースを噴出した。ゲホゴホッと咽る彼に兄弟三人が追い討ちを掛ける。

 

「そーそー。もう熱烈過ぎて顔が沸騰すんじゃないかってぐらい惚れこんでんぜ」

「我が妹ながらミーハーな所があるからな」

「きっと君のサインを欲しがるよ」

 

 顔をにやにやさせる双子とロンを見て、それが事実だと知ったハリーの顔も赤くなる。異性に表立って好意的な反応をされるのが初めてだったからだ。そして自身のボキャブラリーの許す限りハリーをからかおうとした面々は、悪の大魔王すら一睨みで瞬殺しそうなモリーの目を見て無言を貫く。

 それは『サイン用にハリーのブロマイドは準備済み』と言い掛けたアリィすらも閉口させる凄まじさだった。

 その後は無言の朝食が続き、数分後には全員の腹が満たされる。たらふく食べ、ついでに徹夜だった事が祟ったのか。大きな欠伸を一発かましたロンは自室に向かうため席を立ち、それにハリーも続こうとした所で、

 

「お待ち。いったいどこに行く気かしら?」

 

 モリーの笑顔に全員の時が停止した。

 

「どこって……部屋で休むんだよママ。僕達徹夜だったし」

「ロン、それは徹夜したあんたが悪いんです。罰として、休む前に庭小人を駆除しなさい。あんた達二人もよ!」

 

 絶望した表情のロンに強制労働を強いた後、モリーはこそこそと階段を上がろうとしていた双子を一睨み。全身に電流を浴びた様にビクッとした二人は直ぐに裏口を飛び出していく。よほどモリーの怒りがトラウマらしい。

 

「俺も行く! 庭小人見たい!」

 

 それにいつものショルダーバックを持ったアリィが続いた。

 

「ハリー、貴方はロンの部屋で休んでいなさいな。疲れているでしょう?」

「僕も手伝います。庭小人って見たこと無いから興味がありますし」

 

 疲れもある。眠気もある。自分だけ休むという引け目もある。そして何より、

 

「…………アリィが何をするか心配だし」

 

 ボソッと呟いた言葉はモリーの耳に届かない。

 結局ハリーが二階に行くのを拒んだ理由はアリィにあった。あのキラキラとした空蒼色の瞳に、もはや未来予知の域に達しつつある彼のトラブルセンサーがビビッと反応した所為だ。

 

「まあ、なんて優しい子なのかしら。本当に良い子ね」

 

 そんな経緯を知らないモリーは乾いた笑みを浮かべるハリーに気付かず涙を流して感動する。そして頑張れという意味の込められたビスケットの入ったバスケットやカボチャジュースを手渡され、ロンと一緒に庭へと飛び出した。

 

「そんな楽しいもんじゃないんだよハリー。そりゃあ、マグルの生活に慣れてたハリーにとっては珍しいかもしれないけどさ」

「駆除ってどうやるの?」

 

 駆除という単語から殺虫スプレーが脳裏に浮かぶ。

 撒布された薬品で昇天する小人も想像すればシュールな図だ。脳内でデフォルメされた絵だからこその感想であろうが。実際したらかなりの地獄絵図、トラウマ必須の光景であろう。

 そしてリアルな想像までしてしまい身震いするハリーにロンが真実を伝える。

 

「簡単さ。連中を逆さにしたまま振り回して、目を回させるだけで良いんだ」

「………………は?」

 

 庭小人の頭は人間と比べてあまり良くない。視界を惑わせば巣の在り処を見失って地上を迷子になってしまう程に。

 だから定期的に目を回させることで巣に戻れなくして数を減らすのが庭小人の駆除法だった。時間が経てば巣に戻るが、それでも数日は時間は稼ぐ事が出来る。

 しかし、これはあくまで人道的な優しい手段。酷い場合はそれこそハリーの想像以上の非道で庭小人は駆除されている。

 一時的に数を減らす事を奨励し、実行しているウィーズリー家の人格者具合がよく分かる。

 

「ハリー、どっちが遠くに飛ばせるか競争しよう。アリィも誘ってさ」

「そうだね。でもまずは――」

 

 ウィーズリー家の庭は広い所為か手入れがガサツだ。蛙が沢山住み着く池は緑色に濁り、雑草は伸び放題。土が剥き出しの部分は荒地の様に乾いていた。ハリーはそんな庭の中央に視線を向ける。

 

「ゲットぉおおおおっ!」

 

 

 ――まずは、あの自由人をなんとかしよう。

 

 

 庭の中央で大きな網を掲げ、庭小人を捕獲している幼馴染を見て額に手をやるハリー。その流れが手馴れ過ぎていてロンも憐憫の視線を抑えきれない。

 

「アリィ、そんなことしなくても良いんだ。庭小人は目を回させるだけで良いんだよ」

「え、知ってるよ?」

 

 キーキー喚く二十センチ程の小人を観察しながらアリィが答える。二人が視線を天災の足元にずらせば小さな鉄製の檻まで準備されているのだから用意周到も良い所だ。

 おそらくショルダーバックの中に分解して入れていたと推測し、疲れたように頭を振るハリー。

 そしてアリィは噛み付かれないように注意して小人を檻に放り込み、誇らしげに胸を張る。爽やかに汗を拭う姿はほのぼのとするも脱力感が込み上げてくるのは何故だろう。

 

「おらアリィ、もう一匹追加だ!」

「あと何匹いればオッケーだ?」

「うーん、もう充分かなぁ」

 

 こちらに走り寄ってきた双子の手には小人が捕獲されている。庭小人は好奇心が旺盛。人間を見れば自ら近寄ってくるので捕獲するのに苦労は無いが、何だか駆除という目的からだいぶ逸脱している気がしないでもない。

 檻の中で暴れている小人二匹をノート片手に観察するアリィの瞳が怪しく光る。今まで何度も。それこそ毎日のように見てきた光だ。

 

「あー、多分いつものアレだと思うけど、一応訊くよ? 庭小人を捕まえてどうするのかな」

「生態調査!」

 

 知識だけの存在だった庭小人を直に観察するアリィは大変テンションが高い。喚き散らす二匹にワハハと笑いかけながら手を動かし、瞬く間に仕上げていくスケッチ画は見事の一言。

 グリンゴッツのゴブリンをミニマム化したような顔つきに、ジャガイモに似ているデコボコの禿頭。二頭身の身体には布切れみたいな衣服を纏っている。

 芸術的な画力センスを持って二匹それぞれのスケッチを一ページずつに描き、更に事細かな特徴を加えていくアリィは、

 

「――断面図載せたいな」

 

 本当にさりげなくボソッと呟き、空気を殺す。

 

「うん、とりあえず時折見せるマッド魂を引っ込めようか」

 

 決定ではなく、あくまで願望。

 流石に非道な生物実験を行った過去――ピーブスという未遂は除く――は無いので本気とも思えないが、何事にも過ちというものがこの世界には存在する。

 アリィの言葉を理解出来たのか目に見えてガクガク震える小人達が哀れで、ついハリーは釘を刺していた。小人達にはハリーから後光が見えているに違いない。

 

「や、やだなぁハリー。俺がそんな酷いことする訳無いじゃん。爪とかを採取して道具や薬に使えないかなって調べるだけだよ。あ、あと魔力の波長検査とかもやってみたい」

「よそ様の家なんだからね、自重しないとハーマイオニーに言いつけるよ」

「うぐっ……あ、圧力に屈して研究なんてやってられっかー!」

 

 決して逆らえない恐怖の魔王的な存在を引き合いに出され、その禁じ手にアリィが吼えた。庭小人に関心を抱く生物学者が少なかった所為か、彼等の詳しい研究報告が少なかったからだ。

 

「ちょっと檻に入れて数日間飼うだけだよ! 良いじゃん、ちょっとは躾をした方が良いってフレッド達も言ってるし! ほら、あそこでビスケットをくすねてる奴とかなら良いっしょ」

「確かに三匹の方がキリが良いかもしれないね」

「ハリー!?」

 

 見事な掌返しにツッコミを入れるロン。

 ブルータスお前もかと叫んでいるような表情はロンのみで、ビスケットを齧る庭小人を速攻で捕獲するハリーの姿が、ロンに仲間がいない事を決定付ける。

 食べ物の恨みは恐ろしく、良い意味でも悪い意味でも天災の影響を受けているハリーが中々黒い部分があるのを充分に理解しているロンだが、流石に一瞬で賛同側に回るのは予想外だった。

 

 こうしてト○キチ・チ○ペイ・カ○タと名付けられた庭小人が庭の片隅で飼育され、一週間に亘り生態調査される事になった。

 何を好んで何を嫌って食事をするのか。一日の活動時間はどのぐらいか。人語はどの程度話せるか。そしてクイズ等を出して知能指数を調べると共に、デイモンの作業部屋で見つけた特定生物の魔力波長を測定・記録する水晶玉で三匹の魔力を調査する。

 その生態調査は傍から見て気色の悪いものがあったらしい。普段はお馬鹿で物怖じせず好奇心旺盛な庭小人も、遠巻きに見てアリィの所業に度々震え上がったという。

 余談だが、その研究に付き合わされる姿にシンパシーを感じたハリーが時折ビスケットを差し入れしたので彼等に大層懐かれるようになったとか。

 そしてアリィの噂が仲間内で広がったのか。この件以来庭小人がアリィを見ると庭から逃げるようになったため、アリィ似の案山子が製作されてモリーにかなり喜ばれる事になったのは、また別の話である。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 庭小人の生態調査をする片手間にアリィ達が駆除をやり終えたのと、ウィーズリー家の大黒柱アーサー・ウィーズリーが夜勤から帰宅したのは同時だった 。

 ダイニングでお茶を出されたアーサーは仕事疲れを癒すために深く椅子に座り、古びけた眼鏡を外して眉間を揉む。僅かに残っている赤毛は疲労の所為かより一層薄く感じられ、たった一夜で老けて見えた。

 それでもアーサーは疲労感たっぷりだった表情を笑顔に変える。対面に会いたかった客人達がいるためだ。

 

「いやはや、それにしてもよく来たね二人とも。歓迎するよ」

 

 改造車で迎えに行った事に関しては不安を抱き、小言の一つや二つ呈したが、モリーに散々絞られただろうと判断したアーサーは、それ以上フレッド達を叱る事はしなかった。怒りよりも、やはり無事に帰ってきた事を喜ぶ気持ちの方が強かったからだ。叱責よりも安堵の気持ちの方が強く表に出てしまう。

 そして車の飛行具合を訊ねてモリーの怒りを買うというお茶目な面もあった。

 

「ロン達からは頻繁に君達の事を聞いていたよ。ハリーもそうだが、君とも是非話をしたいと思っていたんだ」

 

 アーサーは自他共に、それこそ魔法界に知られる程のマグル贔屓。昨夜も九件の抜き打ち調査を行って違法改造のマグル道具を押収している。そして納屋に保存されているマグル道具と改造車からも分かる通りアーサーはマグル道具に興味津々。

 

 彼は待ち望んでいたのだ。マグルの技術に精通している魔法使いを。

 

「俺も俺も! 後でおっちゃんのコレクションを見てみたい!」

「勿論だとも! 私も是非マグルについて教えてもらいたい!」

 

 まるで長年付き添った友の様に語り会う夫にモリーが呆れている。その事にアーサーは気付かない。夫人や双子とのやり取りを聞いていたハリーが首を傾げている事にも。

 

「ねえロン、あの改造車も充分違法だと思うんだけど……」

 

 これだとおじさんは自分自身を逮捕する事になるのではないかという疑問に思ったからだ。

 

「違法になるのは不正使用。パパが言うには所持している分には罪に問われないんだと」

「じゃあ僕達がやったのって……」

「完全に違法」

 

 ハリーとロンのコソコソ話が一段落した所で技術者二人も落ち着いたらしい。

 小気味良いハイタッチの音が鳴り響く。

 

「アリィ、君とは気が合いそうだ」

「こちらこそ」

 

 そして固い握手。アーサーは良いアドバイザーを、アリィは新たな理解者を得た瞬間である。

 モリーはアーサーの悪癖にうんざりしながら夫の朝食作りに取り掛かり、双子はアリィが寝泊りする自室を片付けに大掃除の真っ最中。

 そしてダイニングに残されたハリーとロンは、

 

「…………ロン、君のお父さんって――」

「フレッド達のパパだって事が良く分かるって言いたいんだろ? みなまで言わないで……マジで」

 

 マッドの目をしている二人を見て、同時に溜め息を吐くのだった。



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第三話

 視界を染めるのは鮮やかな橙。それは天井と壁に敷き詰められた公式クィディッチ・チーム『チャドリー・キャノンズ』のシンボルカラーで、ポスターに描かれたプロ達がしきりに手を振って存在をアピールしている。

 部屋の片隅に教科書と漫画が乱雑に置かれ、床には『勝手にシャッフルするトランプ』や古ぼけたチェスセットが散らばっている。

 時折天井裏に住むお化けが騒ぐので五月蝿い時も侭あり、ついでにお世辞にも綺麗とは言い難い部屋だ。間違っても広くて豪華な住み易い部屋とは言えない。

 それでも少年らしさ満点の部屋は殺風景な部屋に住むハリーにとっては豪華な城に思え、輝いて見えた。

 

「ぼく、こんな素敵な部屋は来た事無いよ。僕の部屋みたいに全然殺風景じゃない。それに半分以上が機械製品に溢れていないし、不要に触っても爆発したりしないんでしょう?」

「ハリー、頼むからアリィの部屋を基準に考えないで」

 

 

 

 ――という風なやりとりがロンの部屋で起こって数分後。一頻り騒いだ二人は徹夜と駆除作業が祟ったのかベッドで泥の様に眠っている。昼飯まで睡眠を取る二人だが、生憎と眠くならない少年がいた。

 

「お、ここだここ」

 

『フレッド&ジョージの部屋』と小さな看板の掛かった古ぼけた扉の前にアリィが佇む。二階の一番奥にある二人の部屋までトランクを置きに来たのだ。

 ただ単に話し相手がいなくなったという理由もある訳だが、とりあえず今回の目的は荷物置きと泊まる部屋の確認である。

 小さな手で軽くノックし、間を置かずに二人から了解の返事が来る。しかしその声には覇気が微塵も感じられない。ください。空気の抜けた風船のように萎びた声に首を傾け、アリィは不思議に思いながら扉を開く。

 

「おお!」

 

 そして部屋にはある意味見慣れた光景が広がっていた。

 部屋奥の窓際に接する大きな作業台には子鍋といった調合道具一式から、小物を作るためのナイフといった作業道具が無造作に置かれている。

 扉の両脇に積まれた木箱や用途不明の大型道具は天井に届く勢いで高く、更には床に散らばっていただろう材料の切れ端も隅に追いやられているため、『とりあえず床のゴミを一纏めにしました』という手抜き精神が垣間見えた。

 入り口から見て左側、天井に接する棚の縦幅は目算三メートル、横幅は八メートルと、壁=棚と言っても過言ではないほど巨大で。その中には沢山のビンが並べられ、乾燥した植物や動物達の一部、つまり多種多様な材料が限界まで詰まっている。

 そして右手側にはこの部屋の主である双子が横たわるベッドが二つ。そのスペースだけが生活感に溢れていて、私室である筈がどこか場違いな印象を見る者に植え付けた。

 あくまで部屋の主役は発明グッズ。八割以上が発明関連の品物。ロンの一人部屋より広い間取りも作業スペースに圧迫されて酷く手狭に感じられる。更に部屋の中央にアリィのベッドも置かれ、はっきり言って床の踏み場も無いほど部屋は一杯一杯だった。

 

「さっすが兄弟。発明家らしい良い部屋だ」

 

 作業場兼私室という狭さは慣れ親しんだモノで、初めて訪れる部屋でもホームのような安心感が胸中に拡がる。

 今は清掃後という事もありラベンダーの香りが鼻孔を擽るが、本来なら御香ではなく材料や薬品の匂いが充満しているのだろう。これを油に変えたら完全にアリィの部屋だ。

 ハリーがロンの部屋を好きになったように、双子の部屋を一気に好きになるアリィだった。

 

「……でさ、どしたの二人とも」

 

 扉の直ぐ前に置かれたベッドに飛び乗って、残りのベッド二つを見れば、そこに横たわっているのは悪戯同盟を組んだ魂の同志達。

 掃除疲れ、という訳でない事はガクガクと身体中が痙攣している姿から想像出来る。はっきり言ってどこをどう掃除したのか分からないほど散らかって見える部屋の中で、双子は力無く横たわっていた。

 

「な……なんか知らねえけど急に身体が……」

「ち、力が抜ける……」

 

 先程までの元気溢れる姿は皆無。二徹という経緯からすれば当然の結末も些か不可解。はっきりと異常と見て取れる現状にも、我らが天災には思い当たる節があるらしい。豆電球を頭上に浮かべながらポンッと両手を打ちつけた 。

 

「あ、そっか。二人は爺ちゃんの栄養ドリンク飲むの初めてだっけ。まだ免疫無いもんね」

「「免疫無きゃヤバイ代物だったのか!?」」

 

 思わず叫び、そして今度こそ力尽きる双子。白目を剥きながら泡をぶくぶく吐いている姿をモリーが見たら卒倒するだろう。しかしアリィは心配する姿も皆無で、それ所か一安心と言いたげにコクコク頷いた。

 

「これで抗体出来るから大丈夫。次はもう副作用無しで二・三日動けるよ」

 

 強力な薬には副作用が付き物。けれども一時間ほど悶絶するだけで今後はノーリスクで二・三日動けるようになるのだから、長い目で見ればプラスの筈だ。

 発明家にとってこれほど夢の栄養ドリンクは無いだろう。効果が切れる頃に飲用し続ければ一週間は不眠不休を約束されるのだから。

 四本以上からは流石に曽祖父からもドクターストップが掛かったので試した事はないのだが。

 

「さーってと、挨拶挨拶」

 

 ベッド脇にトランクを置き、バックの中のお土産を確認してから部屋を飛び出すアリィ。双子から斜め前の部屋でなく一度三階に上がってウィーズリー家の三男、パーシーへの挨拶を優先したのは、おそらく最後に訪れる部屋に長く居座ると予測したからだった。

 

「突撃、隣の妹さん!」

 

 パーシーの部屋に突撃してお土産を渡してから、他の兄弟と同じように『ジネブラの部屋』と看板の掛かった扉を一気に開ける。ノックをしてから返答まで五秒。どうぞの『ど』が聞こえた瞬間に扉を開けたアリィ。何気に生涯初めての女子部屋訪問である。

 

「おっじゃまっしまーす!」

 

 その部屋はロンの部屋同様に狭いが、それでも部屋色は彼女の髪色に似て明るかった。

 魔法界の有名バンドと女性だけのクィディッチ・チームのポスターが壁に貼られ、日当たりの良い窓からは暖かい陽射しが差し込んでいる。本棚には中古の本が何冊か、おそらく童謡や小説の類が並べられ、その比率が恋愛関連に偏っているのは女の子だからか。中には『近代魔法界の歴史』といったハリーの事が載っている本も幾つか見られる。

 こちらは双子の部屋とは違いフローラルな花の香りが仄かに漂っていた。

 

「久しぶりジニー」

「……ア……アリィ……だったかしら? その、あたしの部屋に何の用……」

 

 ジニーは突然の訪問に目をパチくりさせている。

 クマのぬいぐるみが飾られたベッドの上で枕を抱き、口許を埋めながら見詰めてくる。その姿からは初めて家族以外の男子に部屋を見られた羞恥と、一度会っただけの男子に対する緊張が手に取るように分かった。

 中には出会って直ぐ意気投合する稀有なパターンがあるものの、それは相手が異性だと一気に難易度が上がるのが世の常だ。それが年頃の女の子なら更に複雑。

 しかし、

 

「お近づきの印にハリーのアルバム持ってきました。ちなみにブロマイドも」

「今紅茶を淹れてくるわ!」

「菓子は俺が準備するから」

 

 しかし、天災の手に掛かれば仲良くなるのに十秒も掛からない。相手のツボを突くのに定評のあるアリィだ。

 飛ぶように飛び出したジニーの反応に満足げな笑顔を浮かべ、部屋の中央に腰を下ろしたアリィはショルダーバッグの中からスコーンとジャムを取り出す。幸い下ではモリーが紅茶を淹れていたのでジニーは直ぐに戻って来た。

 こうしてハリーの知らない中、赤裸々写真鑑賞会が開幕する。しばらくはページを捲る音と、アリィの解説が部屋に満ちた。

 

「これが俺ん家の庭で犬と遊んでる時。そんでこっちが戦争ごっこで俺から逃げ回ってる時の写真で、これが爺ちゃん発明の『からくり兵士・コペルニクスくん』に俺と一緒に立ち向かっている写真。こっちが――」

「うわぁ――わぁっ!」

 

 分厚いアルバム一杯に収められた写真を見る度にジニーが歓声を上げる。

 アリィの曽祖父であるデイモン・グリフィンドールはお向かいのハリーを孫同然に扱っていたので多くの写真が残されていた。

 アリィと、そしてダドリーと並んでいる集合写真からクリスマスケーキの蝋燭を吹き消す姿まで様々だ。

 

 アリィと並んで昼寝をしている二歳の昼時。

 玩具の犬に追い回されている三歳の逃走劇。

 博物館に展示されている戦車へ乗り込む寸前のアリィを羽交い絞めにしている六歳の苦労。

 迷彩服とゴーグルを身に付け玩具のハンドガンで立ち向かい、ガトリング砲の集中砲火で不条理を嘆く八歳の撤退。

 コペルニクスくんにアリィ諸共サバ折りを決められている九歳の玉砕。

 爆炎を背景に車椅子の残骸と一緒に宙へ投げ出さられる十歳の悲劇。

 様々な思い出が保存されている。

 涙無くしては語れず、これをハーマイオニー達が見たら号泣して優しくなること請け合いの写真の数々だが、恋というフィルターの掛かった少女にとっては関係無いらしい。

 泣いている姿も逃げている姿も驚いている姿も、全てが可愛く愛しい姿。たっぷり一時間掛けてアルバムを楽しんだ彼女の頬は紅潮し、ちょこんと女の子座りをしながら『堪能した』と言う風に瞳を閉じ、ジニーは余韻に浸る。

 アリィはその姿を微笑ましく見ながらノスタルジックな気持ちになった。

 

「満足?」

「大満足」

 

 そしてアルバムで想い人の過去を知った彼女に生じるのは、もっとハリーの事を知りたいという欲求。それも彼女にとっては死活問題となる重要事項についてだ。

 

「あの、アリィ……その、訊きたい事があるの……」

「オーケー」

 

 彼女の顔は夕日の様に赤い。朱過ぎて体温計が壊れそうなほど紅い。ハリーの事になると重度な恥かしがり屋になる彼女は、意を決して質問を述べる。

 

「ハ、ハリーって、す、好きな……好きな子って……いるの?」

「いないんじゃない?」

 

 あっさりとした返答に一瞬呆けるも、その意味が浸透する頃には顔に希望が満ち溢れる。ハリーが好意を持つ異性はいない。その事に安堵するジニー。

 なら逆はと首を傾げる寸前でアリィが先手を打った。

 

「あ、でもハーさんが怪しいかも」

「……え?」

 

 少なくともハーマイオニーはバレンタインでチョコをハリーに渡していたし、仲が一番良い女子はとハリーに訊ねたら確定で彼女の名前が挙がるだろう。

 それに一番仲の良い女子がハーマイオニーであるのは生徒職員の共通認識だ。友愛が恋愛に変わっても不思議じゃない。

 アリィ個人としては恋愛ほど摩訶不思議で難しいモノは無いと思っているので考察は難しいものの、何だかありえる未来な気がしてくる。

 

「男女混合の友達グループって珍しくない? ジニー的にはどうよ、逆で考えてみて、女子二・三人グループの中に男子が一人混じるって想像した場合」

「う、うん。……そう言われると珍しいかも」

 

 自分の立場に当て嵌めて考えてみると少し恥かしい気がするので、特に反対も無くジニーは同意する。

 アリィはマグルの学生時代、色々なグループを渡り歩いていたので無縁だったが、十歳前後の男女は異性を拒んで行動し始めるという話を思い出した。

 ハリー達は男女混合のグループ。

 仲良し三人組と皆から認知されているため彼等の恋路を邪推する者は学生に多かった。思春期の少年少女が多いだけに。

 

「それにハリーって禁句さん撃破の功績があるから結構人気だよ、たぶん」

「……そう……うん、そうよね……それに比べてあたしなんて……」

 

 彼の英雄譚を聞いた自分がそうなのだから、他にもハリーを狙っている人がいて当然だと思い知り、絶望するジニー。

 この好きな人の前では臆病になる性格も、家柄も、全てがマイナス方面に悪い方へと考えてしまう。

 ジニーは自分に自信が無く、更には家庭環境が彼女のコンプレックスを増長する。

 魔法族の教育機関は十一歳からが基本であり、家同士での深い付き合いが無ければ友達など作れない。殆どの子供が学校に通うまで家庭で教養知識を学ぶのが普通なのだ。

 ジニーは兄弟達を除けば本と箒を友達に過ごしてきた。童謡や英雄譚に胸を躍らせ、兄達の目を盗んで箒で空を駆る。

 そんな生活を続けてきたジニーは知らなかった。自分の容姿が整い、将来が楽しみな美少女である事に。比べる人がいなかったため自分の容姿が優れている事も知らないから、彼女は今こんなにも落ち込んでいるのだ。

 更にはハリーがお金持ちで金銭への執着心が薄く、貧乏具合がマイナスイメージに繋がらない事も予測出来ない。

 ジニーの背負うハンデなど無いも同然。長い髪を幽鬼の様に揺らめかせ俯いているジニーに、神の言葉が下るのは涙が零れる三秒前だった。

 

「――ジニー、日本のとある名監督は言いました。『諦めたら、そこで試合終了ですよ』って」

 

 人差し指で天を指し、胸を張ってしたり顔をする幼子の言葉は衝撃的で。直ぐにジニーの身体へ電流が奔る。

 天啓にも似た言葉に刺激を受けた彼女は尊敬の眼差しでアリィを見詰める。盲点だったと全身で驚愕していた。

 

「あと当たって砕けろって格言もあるし」

「上げて落とすのはやめてっ!?」

 

 そして涙目で抗議する。

 アリィはキャーキャー喚いて乱心するジニーを宥めてから、再び慰め&焚きつける。

 

「今から諦めるのはまだ早いって。パンジー……あ、友達ね、も言ってた。『恋する乙女に後退の二文字は無い。諦めたら、それは人生の敗北者に他ならない』って」

 

 脳裏に浮かぶのは恋愛を生存理由にしていた友人の姿だった。

 恋に盲目になっても本能で最善を尽くそうとする少女。壁があっても直進行動でぶっ壊す少女を参考にするのはどうかと思うが、身近な恋愛少女がパンジーしかいないのだから仕方が無い。

 研究人として自分の目と経験を重んじるだけに、アリィは漫画や小説よりも身近な例を参考にした。

 

「ジニーには兄貴がハリーの親友で、数日間同じ屋根の下ってアドバンテージがあるんだから頑張れば良いよ。協力は惜しまないから頑張ろう!」

 

 

 ――恋愛。

 

 

 それは人間を一つも二つも成長させ、大人にする。

 お世辞にも異性交友範囲が広いとは言えないハリーのため今日もアリィは一肌脱ぐ。

 それも全てはハーマイオニー以外の親しい女友達を作らせ交友範囲を広めるため。そして同志の妹の恋路を応援するため。親友の送ってきた灰色の人生を薔薇色に変えるためにアリィは今日も策を巡らせる。

 それが苦労人の親友にとって喜ばしい結果になるのか、それとも面倒な結果になるのか。それは神のみが知ることであるが、とにかくハリーが事実を知れば『余計なお世話だ!』と憤慨すること請け合いだ。

 

「じゃあ、その、何かあったら相談に乗ってくれる?」

「どんと来い!」

 

 恐る恐る訊ねるジニーに力強く自身の胸を叩くアリィ。

 その見た目とは裏腹に男気溢れる姿は頼り甲斐のある男っぽさを醸し出す。家族には恥かしくて相談出来ず、友達はいないので相談する相手のいない彼女が、初めての友人を頼るのは必然だった。

 兄達は面白がるだけで真面目に考えてくれないだろう。物語の恋愛事情しか知らないジニーにとって、頼れるのは想い人の親友であるアリィだけなのだ。

 今、この時、アリィはジニーにとっての初代相談相手に認定された 。

 

「さてと、じゃあまずはパンジー奮闘記でも語ってみましょうか。参考になるかもよ」

「お願い! あたしも師匠――心のが頭に付く――の話を聞きたいわ!」

 

 具体例を出した恋愛相談話は更に会話を弾ませ、彼女が本来の陽気さを見せて饒舌になるのに、そう時間は掛からなかった。

 恋愛経験の無いアリィに相談する時点で人選ミスも甚だしいが他にいないんだからしょうがない。

 会った事も無い人物を師匠と崇めて尊敬する所に双子との血の繋がりを感じさせるが、少女はパンジーの実話を聞いて試してみようと決意する。

 

 

 

 《あ、あああああのね……ハ、ハハ、ハリー……》

 《うん、どうしたのジニー、そんな両腕を広げて……って、ジニー!? ロン、ローン! 早く来て、ジニーが倒れたー!?》

 

 

 

 ――決意するが、そう簡単に恥かしがり屋が直れば苦労しない。

 結局ハリーの滞在中に面と向って話を出来たのは片手で数えられる程度で、真正面からハグしようものならコンマ数秒レベルで自滅してしまう。

 

 まだジニーにはパンジーの領域に至るまでレベルが足りなかったのだ。

 

 

 



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第四話

11/27
二、三、四話の同時更新です。
お気に入りから飛んできた方はご注意ください。


 二人が隠れ穴を訪れて一週間以上が経過した。

 隠れ穴での生活は想像以上に楽しく、またウィーズリー夫妻は二人を息子同然に扱ってくれたので大変居心地の良いものだった。

 二人には祖父及び同然な人は居ても両親はいない。ちょっと世話焼きで小うるさいが心温まるぬくもりを与えてくれる母親モリーに、歳の離れた友人みたいに接しやすく、そしてやる時はやる頼り甲斐のある父親アーサー。

 両親が健在ならこんな風なのかと内心嬉しかった二人は去年よりも格段に楽しい夏休みを満喫した。

 特に常にハイテンションで遊んでいたのはアリィだ。

 朝は早くに起きてモリーの家事を手伝う事から始まり、夜までひたすら実験と製作、そして皆と遊ぶのを繰り返す。

 ハリー達に双子座(ジェミニ)の試運転をしてもらい、速度や制動力のデータを集め、夜にひたすら整理し続ける。かなり密度の濃い日々を送っていた。

 他にはアーサーと一緒に改造車を整備し、庭小人対策に案山子を製造。時には助けて助けられ、双子と一緒に複数の魔法具を生み出した。また天井裏のグールお化けと仲良くなったり。身元引受人から手紙が着たり。アーサーの修復魔法で修復されたカードでプチバトルシティを開いたり。そしてト○キチ・チ○ペイ・カ○タ達との涙の別れがあったり。

 誰がどう見ても充実した毎日だった。

 

 そしてこの一週間を満喫していたのは子供達だけではない。アリィを除けば知的好奇心を最も満たす事に成功したのは、何と言ってもこの男だろう。

 

「それではアリィ、ゴムのアヒルとはどんな機能を持っているのかね?」

 

 出勤前の朝食と一仕事終えた後の夕食時は、アーサーにとって一番楽しい一時だった。

 アーサーは出来る限りアリィを隣に座らせてマグルについて質問し、答えが返ってくる度に子供の様に喜んでいる。昨日の夜は電気のプラグについてで、今朝の話題は風呂に浮かべるゴムのアヒルについてだ。

 トーストを齧っているアーサーは、スクランブルエッグを飲み込んだアリィにキラキラした視線を向けている。

 

「おっちゃん、ゴムのアヒルは一見すると風呂場で浮かべて遊ぶ玩具に見えるけど――その正体はある村の村長なんだ」

「はい、そこ、嘘は教えない」

 

 そしてアリィの隣で補足説明をするのがハリーの役目。幼馴染の天災を野放しにすると間違った知識が広まりかねないのでハリーとしても気が気で無かった。

 そんな芸人顔負けの綺麗なツッコミを入れるハリーの横にはロンが陣取り、その隣にはジニー。アーサーは俗に言う上座席なので、アリィ達四人の対面にはモリーと双子、そしてまだ起床していないパーシーが座る。これがウィーズリー家の通常になりつつあった。

 余談だが、ジニーがハリーと同じ列の一番端に陣取るのは、彼の顔が見える位置に座ると食事が全く進まないからである。

 

 

 閑話休題。

 

 

「嘘じゃないって! ちゃんとテレビで見たんだから!」

「番組を参考にしたらダメだよ!?」

 

 日本の娯楽文化以外に疎いハリーでもそのぐらいは推測出来る。

 東洋の島国はマグル世界の中でも他に類を見ない我が道を往くスタイルを確立しているが、流石にそこまで奇奇怪怪な国では無い筈だ。誤った認識をされるのは可哀想。漫画やゲームの恩恵を受ける者として、日本に対して思わずフォローしてしまう程の愛着心を持つハリーだった。

 しかしハリーの奮闘は空しく徒労に終わる運命らしい。

 

「素晴らしい! いや、我々では決して思い付かないぞこれは。どこの世界に玩具をトップに置こうとする人間がいるというのだ。全く持ってマグルの発想力には驚かされる。正に独創的だ。だから車や飛行機といった発明が生まれるのだろう」

「もっとマグルの発想を取り入れたら魔法族の生活水準も上がると思うんだけどなぁ。伝統を重んじるのは大切だけど何事も程ほどにしないと」

「うむ、正しくその通りだ。例えば話電を普及させる事が出来れば手紙よりもっと速く情報伝達が可能になるのだが……」

「おっちゃん、話電じゃなくて電話」

「おお、そうだったそうだった」

 

 アハハハとコミカルな笑い声に比例してドッと疲れる素振りを見せるハリーだが、もはや馴染みな光景の一つなので特に指摘する者はいなかった。

 客人一人を犠牲にして朝食は進む。そして朝食を作り終えてモリーも席に着いた時だった。茶色のフクロウが疲労困憊でダイニングに飛び込んで来たのは。

 ヨボヨボで今にもポックリ逝ってしまいそうなフクロウの名はエロール。ウィーズリー家のペットである老フクロウだ。

 

「さあ皆、ホグワーツからの手紙よ。ハリーとアリィの分もあるわ」

「ダンブルドアは二人がいる事をお見通しらしい。おお、しかもアリィ宛の手紙もあるみたいだ」

 

 アリィ宛の手紙はダンブルドアとハグリットからだった。ちなみに手紙の束を運んできたエロールは食器をひっくり返しながらテーブルへダイブした後、弱々しく鳴きながらモリーによって鳥小屋へ運ばれる。

 その数分後にモリーが戻って来る間、子供達はホグワーツからの新学期便りを熟読していた。

 新しく付け足された校則を覚えて買い足す教科書を確認し、一頻り読み終えて難しい顔をする面々の中、まだ手紙に目を通している少女へ話しかける者がいた。

 

「良かったねジニー」

「ひぐっ!? ……ハ、ハリー、その……何が?」

 

 突然話しかけられたジニーはオートミールの皿をひっくり返し、その整った顔を夕日の如く染め上げる。

 当初はハリーと顔を合わす度に物を落とし、壊して、ひっくり返していたジニーも、この数日間の血の滲むような努力でなんとかマシになってきた。

 だが、やはりまだまだアドリブに弱い。

 混乱する脳に拍車も掛かり、今年からホグワーツに入学する少女は何が良いのかサッパリである。

 

「去年言っていたよね? 『あたしも行きたい』って」

「お……覚えていたんだ……」

 

 彼女が去年プラットホームで駄々を捏ねた事をハリーは覚えている。

 子供っぽい所を覚えられていた事が恥かしく、そんな前から記憶に留められていたのが嬉しい。嬉し恥かしいと顔を蕩けさせている少女に若干引いてしまうのは、未だに恋を知らない少年なら仕方の無いことだった。

 正直見なかった事にしたハリーは隣に視線を落とす。

 ハグリットからのポチ太郎知らせを読んでほっこりし、今はダンブルドアの手紙を真剣に読んでいるアリィへと。

 

「どう?」

「教えてくれてサンキュー。こっちでも調べる。ホグワーツで会うのを楽しみにしている。要約するとこんな感じ。あ、あとポチ太郎は元気だって」

 

 隠れ穴に到着して直ぐに出した手紙でドビーの警告は通達済み。その返事から問題無く通って良いとお墨付きを貰えた。

 その事に二人が安堵する最中にパーシーが降りて来て朝食に混じる。彼は渋い顔をしている母親から手紙を受け取り、パンにバターを塗って頬張った。直後、六学年の教科書リストを見て瞠目する。

 

「……なんだコレは、ギルデロイ・ロックハートの本しか無いじゃないか」

「パーシーも同じか……今度の闇の魔術に対する防衛術の先生は魔女だな。しかもミーハー」

「一教科だけでギルデロイ・ロックハートの本七冊とか、どんだけだよ」

 

 パーシーのぼやきに双子が反応。面白くないと彼等の目が言っていた。

 

 ギルデロイ・ロックハート。その名は魔法界で知らぬ者はいない程の売れっ子有名人だ。

 波打つ金髪に綺麗な碧眼、世の女性を魅了する爽やかな笑顔は、『週間魔女』のチャーミング・スマイル賞を獲得している事からもイケメン具合が良く分かる。

 しかも彼は勲三等マーリン勲章に闇の魔術に対する防衛術連盟名誉会員の地位を受けた実力者でもあった。

 地位にはそれに見合う世間への貢献度が要求される。そんな彼が執筆した冒険譚はとんでもなく高い。だからお世辞にも裕福と言えないウィーズリー夫妻は金銭的な理由から青褪めているのだ。

 その空気を敏感に察したハリーはわざと明るく振舞って残りの手紙二枚を手に取った。

 

「ああ、ハーマイオニーからだ……あとロン、君のお兄さんから」

「やっときたか!」

 

 ルーマニアでドラゴン関連の仕事をしているチャーリーの手紙をロンが読む間、ハリーはハーマイオニーの手紙を開封した。

 まだ一ヶ月しか経っていないのにハーマイオニーの字に懐かしさを感じつつ、即座に内容を頭に叩き込む。

 自分が無事だと信じているという部分に彼女の優しさを感じ、そして水曜にダイアゴン横丁で会いたいという申しれを嬉しく思う。ハリーは横にいるアリィと一緒に残りの文章も読み――そして目に見えて落ち込む天災に同情の視線を向けた。

 

「チャーリーは遊びに来るなら今週中に返事が欲しいそうだ」

 

 そんなアリィの絶望に気付かないロンは、兄からの手紙を読み終えて初めて顔を上げた。

 

「どうする? 行くのはアリィとハリー、それにハーマイオニーと僕の四人だけで……ハリー、アリィはどうしたの?」

 

 何やらアリィの様子がおかしい。この世の絶望を一身に受けたような顔をしてテーブルに突っ伏している。いつもの陽気さは見る影も無い。

 死人と化したアリィを心配する視線が集中する。そんな話せる状態に無い親友の代弁としてハリーが立った。

 

「ハーマイオニーがルーマニアに行けなくなったんだ」

 

 手紙の最後に書いてあったのは謝罪文だった。ダイアゴン横丁で買い物する以降、急な用事で時間を取れなくなった彼女はルーマニアに行く時間を捻出出来なかった。

 天災のストッパーが同行出来ないのはドラゴン見学計画に支障が出る程の緊急事態だ。

 自分達だけで天災に同行するなど御免蒙ると、二人は困ったようにこめかみを揉む。専門家がいるとはいえドラゴン相手では不測の事態に対処出来るか心配だった。彼女の存在はとてつもなく大きい。

 

「アリィ、どうする?」

「………………………行くの、やめる」

 

 不承不承。

 今にも涙が零れそうな顔をするアリィは、我慢に我慢を重ねて苦渋に満ちた声を絞り出す。

 

「…………ハーさんも見たいだろうし…………仲間外れはダメだし…………」

「大人になったねアリィ」

 

 子供の成長を喜ぶ親の視線になったハリーにこくりと頷くアリィ。

 ドラゴンに出会うのは去年からの悲願。今までに出会うチャンスを二度逃し、実は最初などイケメンのハッフルパフ生を巻き込んでグリンゴッツに侵入なんて無謀な事もやっ てのけ、それでも直に見る事は無かった。

 ドラゴンは見たい。触りたい。青天井に想いは積もる。

 それでもアリィは友人抜きで見学に行こうとは思わなかった。

 

「ごめん、ロン。そういう訳だから今回は……」

「なーに、気にするなよ。しょうがないさ。また来年行けば良いんだ」

 

 研究所は逃げないよとロンは笑った。

 

「ハーマイオニーからはそれだけ?」

「いや、あと来週の水曜にダイアゴン横丁に行くから、その時に会えないかって」

「まあ、それは良い機会だわ。ねえ、アーサー?」

 

 グレンジャー家と買い物するのに不満は無い。

 息子と仲の良い女子という事で夫人は興味津々だったし、更にアーサーはマグルのご両親に会えると喜んでいるのだから。

 

「よし、それじゃあ我々もその日に買い物へ行こう」

 

 水曜日は休暇を取るとアーサーが宣言した所で朝食はお開きになった。

 アーサーは魔法省へ出勤し、子供達は各々が休暇を謳歌する。パーシーやジニーと混じって自室に戻った双子とアリィは、満腹になったお腹を擦りつつそれぞれのベッドに腰を下ろす。

 双子は隣の小さなテーブルから、アリィは自身のトランクから、とても分厚い紙束を取り出した。

 示し合わせたかのようなシンクロ具合だ。

 

「そういやアリィ、双子座の準備はどうだ?」

「大まかな調整は終わってるから、後はデータをまとめるだけ」

「なら大分時間はあるな」

 

 発明品のデータを見比べながら今後の計画を立てる三人は、それはもう愉しそうに笑い合う。

 発明品を初めて売り込むアリィは勿論のこと、双子座の調整にも手伝った双子は自分の事のように楽しんでいた。云わば趣味の段階から漸く念願の発明家を名乗れるレベルに到達するのだから。

 メインはアリィ。自分達は付属品。双子は例え箒が売れても分け前を貰おうとは思っていない。それほど貢献していないと考えているが、それでも興奮が醒める事は無かった。

 

「でもよ、いきなり行って相手にされるのか?」

 

 フレッドの懸念も尤もで、盲点だったとジョージも唸る。

 いきなり商品を売り込みに言っても相手にされないのは目に見えている。今からアポを取るにしても来週の水曜に間に合うか心配だった。

 不安顔を見せる双子。対するアリィは不敵に笑っていた。

 

「ふっふっふ、そこら辺に抜かりは無い」

 

 手元に引き寄せたショルダーバックの中から取り出したのは一通の手紙。一見ただの手紙に見える先便が万金に化ける黄金手形とは誰も思うまい。

 それは三日前にミミズクが持ち込んだ手紙だった。

 

「ちゃんと紹介状貰っといた。これを『高級クィディッチ用具店』の店員に見せれば話を聞いてくれるって。足掛かりは完璧」

「例の身元引受人か」

「話には聞いてたけど人脈すげぇな」

 

 謎に満ちたアリィの身元引受人。その正体が明るみになるのは来年だ。

 

 双子座のデータに不備が無い事を確かめた三人は紙束を仕舞い、双子は作業台の方へと歩み寄る。

 

「今日は二人とも『モノマネ本』の製作?」

「ああ。しっかし同位木(セムラック)の代金も馬鹿にならねえな。なんとかして低コストにしないと破産だぞこりゃ」

 

 同位木とはフィンランドに群生する樹木の一種で、その特性はアカシアに似ていた。

 サバンナなどでキリンに食されているアカシアは、捕食者に葉を食べられそうになるとタンニンと呼ばれる毒を分泌する事で知られている。

 そして同時に気体ホルモンを産出する事で周囲の仲間に危険信号を送る性質も持っていた。そうすることで周囲のアカシアも毒を分泌するのだ。

 同位木も同じで人間が近付くとボロボロの枯れ木に変化して価値の無い木に見せかけ、そして近くの仲間に魔力を発して枯れ木に擬態させる習性を持つ。触感も枯れ木と同じで伐採後は変化したまま生涯を閉じるので、同位木を伐採する時は透明マントや透明魔法の使用が必須。

 手間とお金が掛かるので同位木は高級木材なのだ。

 アリィの助言を得て購入した材料だが、貧乏人は些かキツイ材料である。

 

「で、アリィの生育促進剤はどーなんだ?」

「もう完成したよ。二人の教えてくれた『肥大豆』のお陰で」

 

 肥大豆とはその名の通りとても巨大で丸々と太った豆だ。

 僅か一日でカボチャサイズまで肥大化する豆の抽出液が決め手となって、アリィ自作の生育促進剤が完成した。

 既にモリーとはコンタクトを取り、彼女が育てている自家製ハーブの一部で試す段取りは付けている。近い内に百倍希釈した促進剤から試してみようと思いつつ、ジーンズのベルトに工具入れを取り付け、ショルダーバックをタスキ掛けにして準備完了。まるで遠足に行く子供のような笑顔を披露した。

 

「ちょっくらハリーの所に行ってくる」

「例の人形、ハリーで試すのか?」

「まーね。双子座の調子も訊きたいし」

 

 新学期が始まって直ぐに使うため、そして最近出来た目的のために製作した人形を試すため、天災発明家のアリィは終始頭を働かせる。

 二人が箒で遊んでいる丘上の牧場は周囲を木立に囲まれているため下の村からは見えないようになっており、最近の二人はその秘密の場所で箒に乗るのがマイブーム。二人の下まで向うのに五分と掛からなかった。

 

「ハリー、ロンっ!」

 

 緩やかな傾斜になっている小さな丘。麓の村まで流れている小川のせせらぎに耳を傾けながら、アリィは頭上を飛び回っている二人に呼びかけた。

 長くて見事な流線型の箒に跨って空を駆るのがロンで、直立のまま軽快に空を舞うのがハリー。

 ロンはハリーのニンバス2000を借り、ハリーは双子座に乗って空を満喫していた。

 

「アリィもやろうよ! 三人で鬼ごっこだ」

「ちょっと待って。実はハリーにお願いがあって来たんだ」

 

 地上へ降りて早々に提案したロンに軽く謝罪し、その後に隣の少年に目を向ける。警戒色丸出し。苦虫を何十匹も噛み砕いたような渋面を作るハリーは、「うへぁっ」とよく分からない奇声で呻く。

 

「…………………………何かな」

 

 お願いされて良い思い出の無いハリーが警戒するのは当然だ。そして今回も例に漏れずトンデモ内容だったりする。

 

「髪の毛頂戴。全部」

 

 笑顔と内容のギャップが凄い。一・二本ならまだしも全部というのが予想の斜め上。言われた本人は内容を理解するのにかなり時間を要し、第三者視点から物を言えるロンは『今日も始まった……』と頭を振った。

 

「えっと……ごめん、よく意味が分からない」

 

 いつも見る太陽の笑みに恐怖を感じるハリーは思わず一歩後退。間を置かず距離を詰めるアリィが怖かった。

 軽くホラーめいたものを感じる得体の知れない笑みだ。

 

「新しい発明品用の薬にハリーの髪が必要なんだ。大丈夫、育毛剤は準備した。ちょー強力なやつ」

「それはちゃんと効果が期待出来るの?」

「勿論! ちょっと洒落にならないぐらいしばらく伸び続けるけど」

「却下!」

 

 ハリーは断わるのに一切躊躇いが無い。ある筈が無い。ハリーは決めていたのだ。この夏から僕は変わると。

 

「僕決めたんだ。きちんとノーと言える男になるって」

 

 ハリーの決意は固い。

 そんなハリーにアリィが見せるのは――失望だ。

 

「俺、ハリーはもっと器の大きい男だと思ってたのに……」

「僕並みに器の大きい人なんて早々いないよッ!?」

「自ら言い切った!?」

 

 時折混ざるロンのツッコミを清涼剤に二人の言い合いは苛烈さを増す。

 アリィは土下座してまでお願いし、断固として譲らないハリーは諦めろと突き放す。何よりハリーは育毛剤よりも髪の切断方法が気になった。危険な匂いが否応無しに漂ってくるからだ。

 散髪方法に剪定バサミぐらいならまだしもチェンソーを出しかねないのが天災だった。

 

「安心してよハリー。ほら、ちゃんとハサミは二つ用意したから。ロンも手伝ってくれるって」

「「地道過ぎるっ!?」」

 

 普通のハサミというのもそれはそれで問題だった。このアナログ具合は確かに安心出来るが効率面で言えば苦戦を逃れないのだから。

 成長と切断のイタチごっこが如実に想像出来る。その地道で面倒な作業具合からハリーだけでなくロンまで難色を示すが、その気持ちが反転するのは思いの外はやい。

 

「頼むよハリー。どうしてもハリーの髪が必要なんだ。今回は俺のためじゃない、ジニーのためでもあるんだよ」

「ちょっと待ってよアリィ、ジニーとその発明品にどんな関係があるんだ!?」

 

 妹が関係するとなっては隠れシスコンも黙っていない。

 無自覚なシスコン兄貴は土下座していたアリィを立たせて詰め寄った。ジニーのためという言葉にはハリーも目を丸くしている。

 胸元を掴まれた挙句ガクガクと頭を前後にシェイクされるアリィは、それでも説明を止めなかった。

 

「ハリーはアレで良いん? ジニーと全然話せてないでしょ」

「う……っ!?」

「確かに」

 

 真正面から問題を突きつけられたハリーは再度一歩後退し、両手を放したロンが何度も頷く。

 ハリーとしても親友の妹とは仲良くなりたいと考えているが結果は今朝の通り。最初よりだいぶマシになったとはいえ関係は良好と言い辛い。スムーズに会話が出来た事など皆無。

 普通に友達感覚で付き合えるのなら、それはきっと素晴らしい事だ。

 けほけほっと咽るアリィは何やら葛藤しているハリーを見た。

 

「この発明品が完成すればジニーもハリーに慣れるはずだ、きっと」

「……その発明品に危険は?」

「無い。それは双子も証明してくれるから大丈夫」

 

 双子の太鼓判で安心出来るのかと訊ねられれば首を傾げざるをえないが、少なくともアリィだけの太鼓判よりは納得出来る。それに双子だって自分達だけが被害に遭うならまだしも妹を危険に遭わす発明はしないだろう。流石にそのぐらいの信頼はあった。

 そしてハリーもジニーと仲良くなりたかったから、

 

「――分かった。協力するよ」

 

 ついにハリーは承諾する。虎穴に入らずんば虎子を得ずの言葉通り、自ら危険に飛び込む決意をしたのだ。

 こんな所で獅子寮の勇猛果敢ぶりを見せる幼馴染にアリィは満面の笑みを浮かべ、ジニーのために我が身を捧げた親友にロンは目元の涙を拭う。天災はショルダーバックの中から小さいコルク瓶を取り出して、それをハリーに手渡した。

 

「「いっき、いっき!」」

 

 二口で飲み干してしまいそうな青色の液体が入った小瓶を見詰めるハリー。変哲の無いハサミを構えながら捲くし立てられ、覚悟を決めた彼は一息に育毛剤を呷った。

 喉越し爽やかなソーダ味が胃に沁みる。美味しかった事が少し意外で、そしてほんのちょっぴり悔しがっているハリーに異変が直ぐに訪れた。

 身体が段々と熱を帯びる。マグマのように熱くなる。そう、具体的には頭部に異常なほど熱が篭り始めたのだ。

 

「うわっ!?」

 

 ハリーの視界が暗転――いや、ザーッと蠢く物が下に向って進んでいる。

 それが急激に伸びた自身の前髪の所為だと気付いた時には、彼の黒髪が一メートルは伸びていた。

 

「アリィ! ちょっと勢いがあり過ぎじゃないか!?」

 

 そうロンが叫ぶ間にも髪は三メートルの大台を突破している。ロンはハリーの片側に立って髪を切るも、一房の根元を切って次の房に移る頃には、先ほど切った箇所は一メートルも伸びていた。育毛剤の効果で毛根も固く、髪質も強くなっているので非常に切りにくいのだ。

 そんな髪の成長スピードは、はっきり言えば異常。創造主自身がその成長ぶりに舌を巻いている。ついには重みに耐えきれず双子座を下敷きに両手両膝を着くハリー。その横で髪に埋もれながら一心不乱に髪を切り続けるロン。

 その様を見てアリィは、

 

「あちゃー」

「「一言で済ますなッ!?」」

 

 

 ――この夏一番のツッコミが木霊した。

 

 

「エロイ奴は髪が伸びるのが早いって聞くけど、もしかしてそれの所為? 双子や俺で試した時も効果にバラつきがあったなぁ、そういえば」

「不名誉な考察はやめてよ!?」

「アリィ、速く手を動かしてくれ!? 僕だけじゃ散髪に追い付かない!」

 

 もはや髪そのものと呼べる黒い塊の中から悲痛な叫びが。四肢に黒髪が絡まって身動きを封じられているロンの懇願が耳を打つ。

 うねうね、うねうね、もう一つオマケにうねうね。髪の大河に飲まれる三人。

 半径十数メートルに亘り放射線状に黒髪が展開される様は、頭上から見れば大地が侵食されているように見えるだろう。

 

「アリィ! なんとかしてくれ!」

「んな事言ったって流石にコレは無理があると思うよロン……そうだ! ハリー、川にダイブ! 水の中なら――」

「――水の抵抗で勢いが弱まるかも!」

 

 僅かな可能性に気付いた後の行動は迅速。ハリーは下敷きにしていた双子座を抱いて空を飛ぶ。連動して髪に絡まっている二人も宙に浮き、毛根が強いので重さに耐えかねてぶちぶちと千切れる事は無いが、それでも引っ張られる痛みに耐えながら、高く、高く、ハリーは飛んだ。

 目指すは側を流れる小川。水深が一メートルほどの綺麗な川になるべく髪先を浸かるように、ほぼ真上から逆さまの状態で垂直に降下した。

 結果、二十メートル近い髪の九割を川に浸ける事に成功する。

 

(がふっ!?は、鼻に水が……っ!)

(おっしゃ、作戦どーり!)

 

 夏場に意図せぬ行水を果たしたロンとアリィは水中に黒髪が広がるのを尻目に両手を動かして髪を一気に手繰り寄せる。

 髪を切る前に黒髪全てを引き摺りこむ頃には、髪は三十メートルほどまで伸びていた。幸いだったのは、三十メートルで成長が打ち止めになっていることだろう。

 

「ぶはっ、はふっ――よし、アリィの予想通りだ!」

 

 成長は止められないが水の浮力で拘束から解放されたのがありがたい。水面に顔を出したロンは貪る様に空気を掻き込む。全身ずぶ濡れで周囲を見渡せば、アリィは自分と同じような感じで水面に顔を出し、ハリーは川岸に上がって髪だけを川に浸している所だった。その手には防水加工済みの双子座が握られている。

 

「待ってロン。このまま切ると川がハリーの髪の毛だらけになっちゃう」

 

 そうなったら地元新聞の三面記事に掲載されかねないとアリィは慌てる。

 

『奇怪! 三十メートル級の人毛か!?』

 

 巨人の散髪でもありえないレベルだ。

 これ以上魔法が露呈する危険を犯すと怖い母親の制裁が下るロンは顔を青褪めながらカクカク頷いた。

 

「どうせなら伸びきってから一気に切ろう。縛るの手伝って」

「確かに、そっちの方が良いかも。ハリー、もうしばらくの辛抱だ」

 

 小川は現在カエルの卵を散乱したような状態になっている。

 一度川岸に上がって地面に放っておいたショルダーバッグの中からウェクロマンチュラのロープを取り出し、再度川に入りながら適当な部分で縛り、一纏めにしていくアリィとロン。

 

「……つ、疲れた」

 

 赤ちゃんが洗髪するように仰向けになり、顔に水が掛からないよう髪を川に浸すハリーは、逆転する視界の中で疲労困憊な吐息を零す。幼馴染の発明品に関わるとロクな事がない。最早世界の法則になりつつある奇天烈具合を再認識しながら、彼は二人の作業を死んだ目で見続けていた。

 

 

 ◇

 

 

 太陽がもう直ぐ真上へ昇る頃。牧場の片隅では青色の炎がパチパチと音を鳴らす。青炎はフクロウ販売で200ガリオンもした『ムスペルの火種』を用いているので目に優しく、それでいて煙や匂いも一切しなかった。

 

「――それで、いったいどんな発明品なの?」

 

 余分な髪の毛を焼却処分している横でハリーが訊ねる。今アリィは切り取った大量の髪を手動シュレッダーに掛けて細かくしながら子鍋に放り込んでいた。

 粘性のある深緑の液体はハリーの髪が投入される毎に色を変化させ、徐々に黄金色へ染め上げる。祟り神もどきだったハリーも今や普通の髪型に戻っており、衣服を乾かしながらロンと一緒に『知る権利がある』と目で訴えかけていた。

 

「コレだよ、コレ」

 

 アリィは鍋を掻き混ぜながらバッグへ手を突っ込み、直ぐに小さな手を引き抜いた。

 その手に握られているのは、

 

「……人形?」

 

 一見してただの木の人形。大きさは二十センチ。顔ものっぺらぼうで関節すら再現されていない。あくまで最低限の形状しか再現していない、アリィにしては造りが雑な人形だった。しかし稚拙な見た目なのに得意気な顔をするという事は、当然それなりの効果がある訳で。

 

「そそ。『そっくり人形』って名前」

「そっくりって、まさかアリィっ」

 

 アリィは誇らしげに胸を張り、首を傾げるロンの横でハリーが青褪める。名前から効果を察したのだ。

 まさか、とか。ありえない、とか。そんな気持ちは一年前から遠のいている。

 薬品がグツグツ煮えたのを確認したアリィは小さな刷毛を取り出して、まだ熱々の薬品にどっぺり漬かす。二人が見守る中、黄金色が滴る刷毛をゆっくりと、顔無しの部分へ塗りつけた。

 すると、

 

「身体の一部を溶かした薬品を人形の顔に塗ると、こんな風にその人そっくりの顔をした等身大人形になるんだ」

 

 手の中の人形は忽ちハリーに変化した。

 顔立ちも、髪も、メガネさえも再現された顔はハリーそのもの。身長や体重さえ本人と同じだ、関節だってちゃんとある。ただし胸部や男の象徴は再現されていない。

 服を着れば本物と見分けが付かない人形は目を閉じながら三人を見下ろしていた。

 

「効果は約一時間。一回使う毎に薬品を塗り直す必要があるのが難点。いつか改良したいって思ってる」

 

 

 突然だが、ポリジュース薬という魔法薬がある。

 一時間だけ他人に変身出来る上級魔法薬の一つで、満月草やクサカゲロウなど一般的なものから二角獣の角の粉末や毒ツルヘビの皮など、入手の困難な材料を要する魔法薬だ。今回使用した薬品はそのポリジュース薬を応用したものだった。

 ちなみに材料は御馴染みフクロウ販売と、そして数ヶ月前に寮監を拝み倒した挙句、授業準備の雑用も買って出た対価に譲り受けたものだったりする。

 

「この人形は『擬態樹(ミクリー)』を主材料にして造ったんだ。クサカゲロウの代わりにミツメナナフシを使えて良かったよ。擬態樹とは相性バッチリ」

 

 ポリジュース薬の調合に時間が掛かるのは二十一日間煎じる必要のあるクサカゲロウが原因だ。

 その代わりに同じ変身作用効果があり擬態樹との相性も良いミツメナナフシを用いる事で製作時間を三日に短縮する事に成功した。擬態樹と合わせて初めて使える荒業だ。おそらくポリジュース薬には応用出来ないだろう。

 新発明に掛ける説明時間はおよそ五分。素直に凄いと思う反面、ハリーのテンションは地獄の底まで一直線。

 鍋の薬品をジュースの空き瓶に漏斗で移すアリィに、彼は冷やかな目を向けた。

 

「……じゃあ、ジニーのためって言ったのは……」

「身近に等身大ハリーがいたら慣れるかもしんないっしょ。 寝る時とかお風呂入る時とか」

「気色悪いだけだよッ!?」

 

 思わず怒りの右が炸裂。殴られた人形はアリィの方へと倒れ、天災も転倒に巻き込まれる。手元の薬品は全て地面の肥やしとなった。

 そしてハリーは自分の招いた結果とはいえ右手を抑えて蹲る。その甲斐あってか人形の首は根元からぽっきり消失しており、力無く牧場に転がる人形の生首を誰かが見たら悲鳴を上げる事だろう。

 

「あ、ああ……」

 

 それを見たアリィの表情は、まるでムンクの叫び。

 

「あぁあああああああーーーッ!? その人形作るのどれだけ大変だったと思ってんだよ!? 素材集めだって苦労したのに!」

「冗談じゃないよ! こんな恥ずかしいモノをジニーに渡せる訳ないだろう!?」

「アリィ、いくら人形でもここまでハリーそっくりなモノはまだ無理だって、絶対」

 

 首の無い人形を抱きながら慟哭するアリィに顔を真っ赤にしたハリーが憤る。アリィの気遣いを実現させたら羞恥で死んでしまう。そうハリーの決死な表情が物語る。

 その二人の光景を一歩引いた所で見ている辺り、ロンもだいぶ二人の対処に慣れてきたようだ。

 

「くそっ、でもコレで終わりじゃないぞ! 試作品一号が倒されても、第二第三の人形達が出番を待ってる!」

「まだあるの!? ロン、没収するから手伝って!」

「わ、分かった!」

「あ、ちょ、待って、ストップ、悪用しないから! これは必要な奴だから没収しないでー!?」

 

 

 

 ――ウィーズリー家での休暇は続いていく。

 毎日毎日この調子。家にも、牧場にも、庭にも、この夏は騒動と笑いが絶える事は一切無かった。

 

 

 




これでArcadia様に投稿していた分は終わりました。
最新話は、明日の同じくらいの時間帯に投稿します。
最後にチェックを入れたいので、あと少しお待ちください。


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第五話

 時間とは楽しければ楽しいほど瞬く間に過ぎてしまう。

 ホグワーツでの一年間がそうだった様に隠れ穴での生活も時間が早く感じられた。

 その早さは閃光の如く一瞬で、しかし数年分の楽しみに匹敵する密度。

 本当に、それこそ『あっ』と言う間も無いほど早く、約束の水曜日が訪れた。

 午前中からダイアゴン横丁へ出向くウィーズリー家の朝は早い。

 モリーのフライパン音撃と、とある部屋で起きた爆音目覚まし時計に叩き起こされた面々は、瞼が半分下がった状態で朝食を急いで胃に押し込んでゆく。

 日中を買い物に費やす今日は掃除洗濯を手早く済ませ、朝食を終えた二時間後の午前九時には出かける準備を完了させた。

 

「さあ、まずはお客様からどうぞ」

 

 リビングの暖炉前に集合した面々の一人。ホグワーツの校章が刺繍されたマントを着るハリーは、モリーに突き出された植木鉢を見てきょとんとする。

 その小さな植木鉢にはエメラルド色の粉が入っており、常に暖炉の上に置いてあったものだ。

 

「えっと……」

「あ、おばちゃん。ハリーは『煙突飛行粉(フルーパウダー)』使ったことないんだよ」

「アリィ、フルーパウダーって?」

 

 フルーパウダーとは魔法使いにとっての飛行機だ。

 暖炉の火にくべてから中に入り、行き先を告げる事でその場所の暖炉に転移する事が出来る。

 ダイアゴン横丁の場合は『漏れ鍋』に直結していた。

 その便利さと身軽さから発明と同時に全国へ普及し、そして不法侵入のし易さから空き巣と強盗が多発。

 魔法省が煙突飛行規制委員会を設立して公共の場以外への飛行を監視するようになったが、今回は使用方法だけでそこまで詳しく説明はされなかった。

 

 そしてこんな粉で瞬間移動が出来るのかと半信半疑でいるハリーのためにアリィは実演してみせる。

 差し出された植木鉢に手を突っ込んだアリィは粉を一掴み。

 キラキラと緑光を発する粉を暖炉にくべ、たちまち紅蓮の炎を深緑に染め上げた。

 あとは火に突入して行き先を言えば完了だ。

 

「まあ見てなって。不安だったら俺が先に行ってあげるから。……俺も使うの初めてだけど」

「だ、大丈夫だからっ! ほらアリィ、見てて!」

 

 それがトラブルの種だと瞬時に見抜いたハリー。

 アリィの手を引いて入れ違いに暖炉へ突撃。

 不思議と熱を感じない緑炎に包まれ、アリィがきょとんとしている間に行き先を告げる。

 その名は、

 

「ダイア……げふっ、ごほっ……だ、だいにゃごにょこ町!」

 

 巻き上がった灰を吸い込みながら行き先を告げたハリーは、更に燃え上がった炎に包まれて姿を消した。

 後には痛い沈黙が残される。

 現実逃避を続ける者が多い中、最初に事実を受け止めたのはウィーズリー家の大黒柱だった。

 

「――あー、諸君。ハリーが何て言ったか聞き取れた者は?」

「ダイニャゴニョコ町」

「……やはり私の聞き間違いでは無かったか」

 

 返答者のアリィ以外の溜め息が重なった。

 あんなに勢い良く飛び込めば積もった灰が巻き上がるのは当たり前。

 入る時は静かに、そして行き先を叫ぶ必要は無い。そう注意しなかった事を全ての人が後悔した。

 この、やれやれと欧米風に表してる天災以外は。

 

「あーあ、だから手本見せようと思ったのに。ハリーはトラブルメーカーって事を自覚してないんだよな、まったく」

 

 気になる発言に誰もつっこまない。

 もうこの時点で疲れてしまったというのもあるが、フルーパウダーの事故の怖さを知る者はツッコミをする暇が無いほど内心焦っているからだ。

 

「……ハリーは犠牲になったんだ」

 

 誰の代わりに、とはロンがわざわざ言わなくてもウィーズリー家に伝わっている。

 これが世界の修正力なのかと思わずにいられない。

 ハリーの無作為飛行は本来なら頓珍漢な所へ飛ぶ筈だった天災の代わりになったように感じられたのだった。

 

 

 ◇◇

 

 

 薄暗い店内には古ぼけたテーブルが敷き詰められていた。

 午前九時という時間も相まって客足は多い。

 店内には焼いたパンとシチューの香りが漂い、何の肉だか分からない照り焼きや血の滴る臓器を食べる者までいる。

 西部劇の酒場を連想させる薄暗いパブは朝からほぼ満員だった。

 

「おお、懐かしの『漏れ鍋』!」

 

 喧騒に混じって幼い歓声が響く。

 裾を何重にも折ったジーンズに空色のサマージャンパー。マグル姿のアリィは一年ぶりのパブに目を輝かせる。

 好奇心を満たすために横丁を駆け抜けた一週間はまだまだ記憶に新しかった。その素敵な一年前を思い出しながらアリィは騒ぐ。

 そして散々世話になった漏れ鍋店主のトムへの挨拶も欠かさない。他にも顔見知りの客にちょっかいを出してハイテンション。

 それはもう、暖炉側でこの世の終わりと嘆いていそうなウィーズリー家とは対照的に、アリィは浮かれていた。

 

「あぁ、何てことなのっ? ハリーが、ハリーが……もし危ない所に飛んでいたらわたし……っ!」

「モリー、モリー母さんや、ハリーはきっと大丈夫だ。だから落ち着きなさい」

「…………」

「ほら、ジニー。ハリーはきっと無事だ」

 

 泣き喚くモリーの肩をアーサーが抱き、死人みたいに青褪める妹をパーシーが慰めている。

 フルーパウダーの事故はどこに飛ぶか分からない。

 確率はかなり低いが犯罪組織の隠れ家なんかに飛んでしまう可能性もありえるし、マグルの民家へ飛んでしまったらそれこそ大事になってしまう。

 この夏に厳重注意を受けたハリーが事件を起こしたら立場的に拙い。

 それが分かっているから、そしてハリーの身を一番案じているから、モリーとジニーはこんなにも嘆いているのだ。

 

「アリィ、何とかしてハリーとコンタクトを取れない? でないとママとジニーが今にも狂っちゃうよ」

「ママってば実の息子より愛情注いでるよな」

「やめろよフレッド、赤毛のハリーなんて見たら笑いが止まらなくなっちまう」

 

 挨拶回りから帰ってきたアリィにロンと双子が詰め寄る。ハリーと幼馴染の彼なら独自の連絡手段を持っているかもしれないと思ったからだ。

 自分の知らないマグル的な手段から、新しく開発しているかもしれない新魔法具。

 とにかく生きた宝物庫の天災を頼るしかロンには出来ない。それが頼りっぱなしの情けない行為だと自覚してもだ。

 

 縋る様な目をするロンに、アリィは静かに首を振った。

 

「残念ながら無いよ。ハリーが持ってるのは杖とサイフ、あとタバスコエアガンに閃光弾に音響爆弾に煙玉、それから――」

「つっこまない。僕は絶対につっこまないぞ」

 

 ロンは護身用グッズを列挙するアリィの言葉を聞き流す。

 出かける直前にハリーが身に付けたポーチの謎が解けたのは喜ばしいが、この緊張感ぶち壊しの回答は避けてもらいたかったというのが正直な気持ちだ。

 

 ちなみにアリィが護身用グッズを渡した時、それが一つずつしか無い一点物だと分かって拒むハリーと一悶着あったが、結果はご覧の通り押し付ける事に成功している。

 それも『俺なら大丈夫だって。いつもなんとかなってるし』という発言が決め手になった訳だが、今回も無事という根拠は全く無いのに説得力抜群なのは何故だろう。

 ハリーの脱力姿が脳裏に浮かぶ返答である。

 そしてその場にロンもいたら同じ事を思った筈だ。

 

「俺の護身用グッズは撃退率九割以上。あの禁句さん相手でも時間を稼いだんだぞ。だからさ、ハリーの心配なんて必要なし。運勢チートを甘く見たらいけない」

「ハァ……アリィはいつでも相変わらずだ」

 

 ニカッと笑うアリィのブレない回答に肩を落とし、そして僅かに微笑むロン。

 アリィの態度は普段と変わらない。何がそんなに楽しいのかと不思議に思うほどの笑顔を振り撒き、悲観とは無縁の姿を見せつける。

 この幼い天災は知らないだろう。

 その陽気な姿がどれだけ周囲を安心させ、皆を笑顔にしているか。ポジティブとは周囲に伝染するものなのだ。

 あくまで一時的なものに過ぎないが、これでロンと双子の気持ちはだいぶ軽くなった。

 

「でもまあ、『モノマネ本』を俺等だけで持ち歩くのは失敗だったな」

「ああ、連絡手段を適度にバラさなかったのはマズったぜ」

 

 つい先日完成させた発明品を懐から取り出し、双子は揃って舌打ちする。

 彼等の持つのは牛革表紙の小さな手帳だった。

 それも十数ページ分しか厚みの無い手帳だ。

 この発明品の名はモノマネ本。

 その名の通り、この手帳に書かれた文字は対となるもう一冊に自動で浮かび上がる仕組みになっている。

 わざわざ製紙会社に材料を送ってのオーダーメイド品であった。

 そして双子が制作秘話を嬉々として語り出そうとしたその瞬間、声が掛かった。

 

「アリィ、ロン、みんな!」

 

 そのソプラノ声は可愛らしい少女のもの。聴くのは一月以上ぶりだが、この一年はほぼ毎日聞いていた声だった。

 

「ハーさん!」

「ハーマイオニー!」

 

 テーブルの間をすり抜けて近寄ってくるのはハーマイオニー・グレンジャーだった。彼女は出会えた興奮からか頬を紅潮させている。

 速足で駆け寄り挨拶を交わしてから、アリィの両肩に手を置いた。

 

「久しぶりね。――あぁ、アリィ。貴方も無事で良かったわ。ハリーと揃って連絡が着かなかったから……ねえ、ハリーはどこなの?」

 

 よほど心配していたのだろう。目尻の涙を拭ったハーマイオニーはクエスチョンマークを浮かべながら店内を見渡す。

 不吉な予測を立てる彼女に説明を施し、見る見る内に青ざめていく彼女を宥めているから、彼等はアーサーの接近に気付かなかった。

 

「お前達、とりあえずグリンゴッツの前まで移動しよう。ハリーもそこに向っているかもしれ……おや、君は?」

「あっ! いけない、私ったら!」

 

 声を掛けられるまで気付かなかったハーマイオニーは、みっともない顔を見られた挙げ句、挨拶を逸していた事に気付いて赤面する。

 急いで挨拶をすると、アーサーは顔を綻ばせた。その喜びは、ハーマイオニーだけでなくその後ろ、生粋のマグルである彼女の両親に会えた事も起因していた。

 

「では君がっ! いや、噂は聞いているよ。息子達がだいぶお世話になっているね。――おお、そしてこちらがっ! ああ、来てみなさい母さんや、マグルのお二方が、グレンジャー夫妻もお見えだ!」

 

 大声で呼ぶ声に釣られ、モリーはパーシーに連れられてヨロヨロと近寄ってくる。その後ろに付いてくるジニーの憔悴ぶりと比較して、モリーの狼狽えぶりは相当なものであった。

 こうして、初対面のハーマイオニーが挨拶の前に心配してしまう程度には。

 

「あの……ウィーズリーおばさん、ハリーはきっと大丈夫ですよ」

「そうそう、ハーさんの言う通り。ハリーの運はハンパないから」

「発音は近かったからきっと大丈夫だよ、ママ」

 

 三人の心配顔を見て、モリーも気付く。

 心配なのは皆同じだ。それなのに子供達は自分よりも冷静であり、あまつさえ気遣ってくれている。

 これでは大人として失格。大人――いや、ウィーズリー家をまとめてきた母親の矜持が、目に溜まった涙を飲み込ませた。

 

「そう、そうよね、貴方達の言う通りだわ。こんな時こそ冷静にならないと……取り乱しちゃってゴメンなさいね」

 

 そのあとのモリーはいつもの肝っ玉母さんに戻っていた。その姿を見てジニーも少しは冷静さを取り戻し、互いに挨拶を交わした両家は共にダイアゴン横丁に入っていく。

 先頭を歩くアーサーは矢継ぎ早にグレンジャー夫妻に質問し、それをモリーに窘められている。双子はまたパーシーをからかっては怒鳴られ、それを見てロンが呆れている。最後尾を歩くハーマイオニーとジニーは同じ女子ということもあり意気投合したらしく、ガールズトークに花を咲かせていた。

 若干ジニーが緊張しているのは同年代の女子に耐性が無いからだろう。しかしこの調子なら直ぐにいつもの活発ぶりを見せるに違いない。

 そしてアリィは、アーサーの話が途切れたのを見計らい、グレンジャー夫妻の横に並んだ。

 

「ハーさんのおっちゃんとおばちゃん、久しぶり!」

「ええ、お久しぶりねアリィ」

「ああ、この一年でまた大き……元気そうで何よりだ」

 

 ハーマイオニーと同じく長い栗色の髪を背に流し、グレンジャー夫人は優しく微笑む。ベージュ色のフレンチリネンワンピースの上から焦げ茶色のカーディガンを羽織っているのは一年前と変わらない。麦わら帽子でも被れば避暑に来た令嬢の完成だ。とても十代の子供を産んでいる母親とは思えないほど若々しい。

 そしてご主人もまた柔和な笑みが似合うイケメンの優男であった。

 背も高く、着ているのがTシャツにサマージャケット、ジーパンというラフな格好。それでも端整な甘いマスクが醸し出す貴公子の容貌は一切の陰りを見せない。そんな父親は、再会したアリィに常套句を言おうとし、その身長に気付いて言い直している。

 

 それからは大人同士で会話が成り立ってしまったので空気を読んだアリィは一歩後退。ロンの横を正位置に定めた。

 

「アリィ、ハーマイオニーのパパとママと知り合いだったの?」

「当然。俺とハーさんが初めて会ったのはダイアゴン横丁だよ」

 

 目を閉じれば今でも思い出せた。ちょうどアリィが『漏れ鍋』の外壁修繕作業をやっている時に、マグルには見えない『漏れ鍋』に困惑しているハーマイオニーと入り口付近で出会ったのだ。

 その後アリィ達は思い思いに会話を弾ませながら人混みが目立つダイアゴン横丁を歩き続ける。

 その中でも、アリィは目立っていた。

 

「お、久しぶりだな坊主! お前さんが直してくれたラジオの調子も良いぞ! 無駄に増えてたスイッチには怖くて触れていないがな!」

 

 アクセサリーを売っている露店のおっちゃんがガハハと笑いかけ、

 

「久しぶりだねアリィ、またアイス食ってくかい?」

 

 アイスクリーム店の女店主、フローリアンがアイスを掲げ、

 

「やや、アリィ坊ちゃん! 今朝入荷したばっかのコカトリスの肝、お一つ如何ですか!?」

「買う! 絶対買う! 後で寄るから残しといて!」

 

 魔法薬店の小太り男店主が親しそうに声を掛ける。

 この横丁に店を構える全員が、たった一週間しかいなかったアリィの事を覚えていた。

 

「ここは俺の庭。みーんな顔見知り」

 

 何か言いたそうな顔をしていたロンの質問を先取りした所で、一行は魔法界唯一の銀行グリンゴッツに到着した。

 しかし、この場にハリーの姿は無い。

 

「私達はハリーがいるか訊いてこよう。皆は外で待っていてくれ」

「あなた、私達もついでにお金を両替しましょう」

「ほっほー! マグルのお金を換えるのですな!?」

 

 大人達は銀行内に消えていく。フロント前に残された子供達は人混みの中からハリーを探そうと目を凝らしている。

 アリィがロンと一緒になって東方面の大通りを観察していると、ハーマイオニーが近寄ってきた。

 

「アリィ、ジニーから聞いたわ。ルーマニアに行くのを延期したって。私の所為でごめんなさい」

「いやまあ、ロンも言ってたけど研究所は逃げないし、ダメならしょーがない。うん」

 

 そして三人でハリーを探している時、一番最初に変化を見付けたのはパーシーだった。

 

「あれはハグリットじゃないのか?」

 

 パーシーの指し示す方に視線を向ければ、人混みの中で頭が三つ分はでかい大男の姿が嫌でも目に入る。いつものオーバーコートに身を包み、ホグワーツの鍵と領地の番人はグリンゴッツを目指して歩いていた。

 

「やっぱハグリットは目立つな」

「そーだなフレッド……おい、脇にいるのはハリーじゃないか!?」

 

 ジョージの言葉に皆がハグリットの横に注目する。そして、いた。埃で薄汚れているが、確かに黒髪の少年の姿があった。

 

「そーだよ間違いない」

 

 全員がハグリットを目指して突撃する。それに少し遅れてアリィも駆け寄ろうとしたが、中からアーサー達が出てきたので足を止めた。

 

「あ、ウィーズリーおばちゃん。ハリーが見付かったよ。ハグリットと一緒だったっぽい」

「まあ、本当に!?」

 

 瞬時に視線をさ迷わせたモリーは、ハグリットの横にハリーを見付けると直ぐに猛然と駆け寄った。まるでバッファローの大行進を連想させる勢いだ。

 

「ふぅ、とりあえず安心だ」

 

 ホッと安堵の息を溢し、アリィもハリー達の方へ駆け寄る。

 

 

 

 

 こうして、ハリー・ポッターと再会することが出来た。

 

 

 

 



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第六話

11/28
第五、六話の同時更新です。
お気に入りから飛んできた方はご注意ください。


「え、ドラコが居たって?」

「うん。彼の父親と一緒にね」

 

 横を歩くハリーの言葉にアリィが驚くのも無理はない。彼がドラコ・マルフォイを目撃した場所は、とてもではないが普通なら子供に縁の無い場所だからだ。

 

 ボージン・アンド・バーグス店。

 それはダイアゴン横丁の闇。規制製品や盗品、危険な物品を扱う店が多い『夜の闇横丁』にその店は存在する。

 フルーパウダーでたまたまその店に出てしまい、ドラコを目撃したハリーは、紆余曲折を経てハグリットに保護されてグリンゴッツを訪れた。

 ハリーの話では父親同伴ということらしいが、アリィはその店が盗品を含み何でも売買を行う骨董品屋であることを知っている。そのため、そんな所に同行することを許可されたのが意外だった。

 

「それじゃあ、ここからは別行動ね。終わったら正面ロビーで待ち合わせしましょう」

 

 大理石のホールを抜けた先、モリーの一声で一同は立ち止まる。今、アリィ達があるのはグリンゴッツのトロッコ乗り場だ。銀行の地下洞窟は沢山の金庫が散りばめられた巨大迷路と化しているため、利用者はグリンゴッツの小鬼の案内のもとトロッコで目的の金庫まで移動する。

 幸いポッター家の金庫はウィーズリー家の金庫と同じ方向にあるのだが、グリフィンドール家は真逆。そこでアリィは既に両替を終えたグレンジャー家と共に、ハリー達とは少しだけ別行動を取る手筈となった。

 

「では出発致します」

 

 トロッコは大して大きくないが、それでも小鬼を除けば大人と子供が二人ずつ乗れるだけのスペースがあった。ハグリットでさえもグロッキー状態にしたトロッコの速度は凄まじく、トロッコ初体験の一家は初めこそ興奮していたが徐々に表情を暗くしていった。

 

 右。左。直進。急カーブ。かと思えば山なりに下降。

 トロッコは下手なジェットコースターよりも速く暗い洞窟を駆け抜ける。風圧で顔が歪み、髪は乱れ、景色は直ぐに後ろへと流れた。

 

「うわ、相変わらず速ぇー!」

 

 楽しんでいるのはアリィと、

 

「本当ね。すっごい迫力」

 

 この若作りのママさんだけだ。

 

 ご主人は男としてのプライドか狼狽えたりせず、しかしバーから手を離さず前方を遠い目で見続け、その前列に座っているハーマイオニーは隣のアリィにしがみついている。しかも不幸なことにグリフィンドール家の金庫は洞窟の中でも最奥に位置するため、移動時間は十分と比較的長い。途中『盗人落としの滝』と呼ばれる魔法や呪いを無効化する防衛装置も潜り抜け、二人は正真正銘の地獄に耐え続ける。

 降りる時、二人はふらふらだった。

 

 ちなみに本来ならグリフィンドール家の金庫はドラゴンが守護している筈なのだが、それはデイモンが『入る時面倒じゃ』の一言により、彼の代で撤廃されている。それを知った時、初めてアリィが亡き曾祖父に悪態を吐いたのは言うまでもない。

 勿論直ぐにドラゴンの警護を復活させようと腐心したが、実はドラゴンは数に限りがあり、デイモンが拒否した時点で予約をしていた名家の手に渡ってしまい、今から予約をしても十三人待ちという状態だ。つくづくドラゴンとは縁の無いアリィである。

 

「では、用が済みましたら声を掛けてください」

「サンキュー」

 

 小鬼に渡していた四番金庫の古ぼけた鍵を受け取ったアリィは、サマージャンパーのポケットに仕舞ってから大きな扉と向き合う。古く、所々が錆び付いて変色している鉄製の大扉。グリンゴッツ創成期から存在する最も古い金庫の一つは巨大で、かつ優美だった。その複雑で精細な獅子の飾り彫りは実際に動き出してもおかしくないほどだ。

 ハグリットでさえ余裕を持って入れる巨大な扉が、徐々に開いてゆく。そして、

 

「凄い……アリィ、貴方って本当にお金持ちだったのね」

 

 

 

 そして、黄金郷がアリィ達を迎え入れた。

 

 

 

「お陰で趣味全開フルスロットル。爺ちゃんに感謝感謝」

 

 唖然とするのはハーマイオニーだけではない。グレンジャー夫妻もその光景に言葉を失う。

 グリフィンドール家は千年以上もの長い歴史を誇る名家であり、その歴史を実感させる程度には金庫内も古く、天井もあり得ないほど高かった。そして中はホグワーツの大広間以上に広い。明らかに一般家庭の範疇から逸脱している造りになっている。どこを見渡してもランプの光で照り返す黄金色が視界を焼いた。

 まず嫌でも目に付くのが金庫の中央に位置するガリオン金貨の山だ。高さは目算でマンションの五階分に相当。乱雑に金貨が積もって形成された山は、下手に金貨を動かせばそれだけで雪崩が発生するほど危ないバランスを保っている。

 また高さは及ばないまでも三階分に匹敵する金貨の山が四つあり、それぞれ金庫の四隅に積もっていた。

 そして中央まで歩けるスペースが辛うじて確保されているだけで、足の踏み場も無いほど石畳を埋め尽くしているのもまたガリオン金貨である。中には銅貨や銀貨もチラほら見られるが、比率で言えば金貨の方が多いため全くもって目立たない。それが大広間全体をびっしりと覆っており、さながら金庫内は黄金で出来た砂漠みたいな有り様だった。

 また壁を埋め尽くして天井まで伸びる巨大な棚の数々は、その棚それぞれに一種類ずつ沢山の宝石や装飾品が保管されている。右がダイヤモンドやルビーといった宝石が十数種類。左が指輪やネックレス、又は美術的価値の高い装飾剣や王冠の類いが飾られている棚だ。

 

 その全てが千年の年月を経て蓄積されたグリフィンドール家の遺産であり、デイモンの製作した発明品の特許料と販売利益であった。特に金貨はデイモンの代で元あった量の百倍近く増大し、デイモンの死後、所有していた発明品の特許は全て正確に企業へと売却され、それがまた莫大な金貨を生んでいる。

 現に中央にある金貨の山はその売却時に追加されたものだった。

 

「あ、そうだ。ハーさんやおばちゃん、何か欲しいのあったら持って行っても良いよ。普段お世話になってるし。ほら、あのネックレスとかどうよ?」

 

 金庫の中程まで入り、足元に散らばっていた金貨をサイフ――唐草模様でガマくち――に突っ込んでいるアリィの言葉に、母娘は即座に首を横に振った。その指されたネックレスが、遠目から見ても何十個ものダイヤが散りばめられた一品であると分かったからだ。そもそもそんな理由でこんな豪華な代物をプレゼントされる訳にはいかない。

 

「ふーん。じゃあ欲しかったら言ってよ。……あ、そうだ。ウィーズリー家に滞在費を渡さなくちゃ」

 

 宝の山に酔ってしまいそうになっている一家に『欲が無いなぁ』と笑いかけた所で、検知不可能拡大呪文の施されたサイフが金貨で一杯になる。

 しっかりと金庫の鍵を閉めてからトロッコに乗り、四人は既にハリー達の待つロビーへと舞い戻った。

 当然、ご主人とハーマイオニーの表情は青ざめている。だからハーマイオニーの質問は声に覇気が感じられない。

 

「……アリィ、貴方のこの後の予定は?」

「クィディッチ用具店でしょ、後は魔法薬店に雑貨屋、悪戯専門店に本屋。ハーさんはハリー達と行動するっしょ?」

「そうね。たぶんウィンドウ・ショッピングになるんじゃないかしら」

「途中まで一緒かもよ。特にクィディッチ用具店辺り。道順を考えれば用具店から行くのがベスト」

「ハリー達なら行くでしょうね、きっと」

 

 というような会話をしながらハリー達と合流し、皆はグリンゴッツを後にする。

 パーシーは友人と逢う約束があるらしくさっさと何処かへ行ってしまい、モリーはジニーを連れてお古では賄えない入学必需品の買い出しに行った。なお、この時アリィが今までの滞在費を渡そうとして一悶着あったことを明記しておく。

 そしてアーサーはグレンジャー夫妻を連れてパブまで飲みに行ってしまい、ここには悪戯同盟と仲良しトリオが残された。

 

「リーとは悪戯道具の専門店で合流予定だ」

「十二時に集合だから、ちょっと急がないとマズイかもな」

 

 六人は双子を先頭に人混みで溢れるダイアゴン横丁を歩く。まず目指すのは高級箒用具店だ。だからなのか、話題は自然と双子座についてだった。

 

「双子座が採用されたら、僕、今のうちにアリィからサインでも貰っとこうかな」

 

 後でプレミアが付くかもと冗談混じりにロンが呟く。少なくとも、自然と口からプレミアという単語が出てくる程度には、この新型箒には期待が募っているということだ。

 皆は双子座についての盛り上がり、話題はじきに収益がどのくらいになるのかという少し下卑た内容にまで発展する。

 その時、ハーマイオニーは心配そうな顔をしていた。

 

「でも、そんな簡単に契約してくれるものなの? 下手したらアイデアだけ盗られてお払い箱なんて事になるんじゃないかしら」

「そん時はそん時。別に良いよ、金が欲しい訳じゃないし」

 

 餅は餅屋。アリィは双子座の完成形が見たいだけであり、特に利益や販売権利とかは微塵も考慮していない。あの金貨の山を見たハーマイオニー、そして去年からアリィの総資産額を知っているハリーは納得顔で頷くが、当然ウィーズリー兄弟は知らない訳で。

 

「かぁー! これだからブルジョワはッ!」

「貧乏人代表に喧嘩売ってんのか天災様は!」

「勿体無いぞアリィ! ああ、絶対にだ!」

 

 こうして三人から羨望と嫉妬を浴びせられる事になる。一頻り小さな肩を揺さぶり、頭をこねくり回し、ヘッドロックを天災にかましてから、双子は呆れた顔をしているハーマイオニーに振り返った。

 

「……ま、とは言えハーマイオニーが考える事にはならないと思うぜ」

「そういった例は滅多に無いな」

 

 魔法族というのは総じて横の繋がりが強い。マグル生まれといった新参者以外は一般人でも名が知られる事が多く、それが商売業関連なら尚の事。

 言い換えれば悪名は直ぐに広まる。

 だから商売人には真っ当な者が多かった。取引で相手を陥れるのは真綿で首を絞める行為に成りかねないと、商売人全員が理解するが故に。

 

「そこら辺が純血主義者を調子付かせる要因でもあるんだよな」

「『マグルは汚い、狡猾だ! その点我々は高潔である!』ってな。人間が欲深いってのは万国共通だってのによ、ちゃんちゃら可笑しいぜ」

 

 これがマグル社会なら売り込みに行っても九割近くが門前払いされ、更に特許も取らずに交渉しようものなら契約を締結しない限りほぼ100%アイデアをパクられるだろう。

 マグル生まれにとっては『それで良いのか魔法族』とツッコミを入れたくなるが、魔法界の法律は数が多い癖に穴が多い。それでもその穴を突いてあくどい商売をしようものなら吊るし上げになるからこそ、彼等は真っ当に商売する。

 そこら辺は都会に比べてド田舎の方が治安の良い法則と同じ。魔法族の少なさと甘さが不正商売を防止していた。

 しかし当然中には例外もいるので油断は禁物である。

 

「でもハーさん、特許制度はちゃんとあるんだよ。今回は取ってないけど」

「やっぱり審査期間が長いのがネックなの?」

「審査期間はだいたい三ヶ月だって。でも製作者本人が発明品を持っていかないと行けないんだ。その間は発明品を預けっぱなし」

 

 新しい魔法具は『国際魔法技師連盟』で特許を取る事が可能だ。審査をパスして全く新しい発明と判断されたら知的財産権を認められる。

 未成年のアリィは保護者のサインがあれば申請出来るが、今回の問題はその時期だった。

 普段は学生寮に住むアリィに自由な時間は少ない。夏休みを利用して申請を行うのは可能だが、そうなると双子座が手元に戻って来るのは九月か十月。

 夏休み中に売り込みたかったから申請を省いたのだ。

 そして発明家の大半は当然ながら特許を申請する。申請した後は個人で販売するも良し、特許を手頃な企業に売るも良し、そこら辺はマグル社会とそう変わらないだろう。例を挙げるならデイモンは個人でも販売するが主に後者のタイプで、お得意先には沢山の魔法具製造販売会社がラインナップされていた。

 

「箒会社は沢山あるのよね」

「クリーンスイープ社にコメット社。あとハリーの箒を作ったニンバス社なんかが大手会社だ」

「俺等も今ロンの挙げた所を第一候補に考えてんだぜ」

「アリィはどこでも良いなんて言ってっけど、やっぱ有名どころの方が良いに決まってらぁ」

 

 下衆的な考えになるが大手会社の方が手元に入る金も多くなる。両者の考えの相違は、その稼ぎを新たな開発資金に充てたい貧乏発明家と、既に潤沢な開発資金を持つ金持ち発明家による違いから生じたもの。

 想像の及ぶ限り沢山の発明品を開発して自己満足し、それでいて皆が楽しく幸せになったら一石二鳥と考えるアリィは、あくまで自分の欲求を満足させたいだけなので金儲けなんて二の次。既に人生を十回は遊んで暮らせるほどの資金があるからこその、云わば究極の金持ちの道楽だった。

 

「でもアリィ、よく考えたら用具店なのに売込みなんて出来るの?」

 

 ハリーの素朴な疑問も尤もだった。今から行くのは用具店。つまり企業の本社でも無ければ支部でも無く、ただ沢山の箒会社から商品を仕入れて販売しているに過ぎない。

 そしてちょうど目的地に辿り着いた所で、アリィの返答は、

 

「出来ないよ」

 

 至極あっさりとしたものだった。

 双子以外は、そのきっぱりとした否定に目を丸くした。

 

「ここの店長がじっちゃんの知り合いで、その人に頼んで製造会社に取り合って貰うんだ」

 

 つまり今日の売り込みは『大勝負』の前段階。大物を釣り上げるためのアピールに過ぎなかった。そうしてハリー達が納得した所で、六人は用具店のドアを潜る。店はそれなりに大きく、店内は人が――取り分け子供が多かった。

 

「私、実は初めて入ったの。こういったスポーツショップの雰囲気は、どこも似たようなものなのね」

 

 普段は寮の対抗戦ぐらいにしか興味を示さないハーマイオニーは、一度入ったことのあるマグルのスポーツ用品店を思い出しながら店内を軽く見渡した。

 箒の材料である木々の薫りが鼻孔を擽り、中央の一番目立つコーナーは公式クィディッチ・チームのファングッズを置いているらしい。実に色鮮やかで、子供からお年寄りまで多くの客がユニフォームやポスターを手に取っていた。

 そして他では壁に立て掛けてある沢山の箒を手に取り、連れの人と議論を交わす大人もいれば、店内の左隅にある清掃道具のコーナーでワックスの値段を確かめている者もいる。その隣の参考書や雑誌のコーナーでは何人かが本を物色していた。

 子供達はショーウィンドウに張り付いて新型や高級箒を物欲しそうに眺め、また店内に沢山貼ってあるポスターを見物している。中には天井を飛び回っている玩具の箒を見上げている子供もいた。

 

「じゃあ皆、また後で」

「うん、頑張ってアリィ。――あと二人も、アリィをお願い」

「「任せろ」」

 

 さて、同じ店内にいるがここからは別行動だ。これから商談に入るアリィと双子にエールを贈り、ハリーとロンはショーウィンドウの方へ、そしてハーマイオニーは雑誌を立ち読みしに本コーナーの方へと歩を進める。

 ここでしばらく店内を冷やかした後は本屋の集合時間までダイアゴン横丁を散策するつもりだった。

 

「さて、そんじゃ頑張ろー」

 

 ハリーからの激励に勇気を貰い、やる気を出したアリィは双子を連れて採算カウンターに歩み寄る。その際、バッグの中から紹介状を取り出すのを忘れない。

 幸い話題性抜群の珍客に、レジのお姉さんは直ぐに気付いた様だ。

 

「あら、久しぶりね。どうしたのアリィ」

「店長に会わせて。はいコレ、紹介状」

 

 その予想外の発言に一瞬だけ面を食らうも、顔見知りの従業員は邪険にする事なく笑いかけた。

 

「ちょっと待っててね。聞いてくるわ」

 

 そして同僚にレジを任せたお姉さんが店の奥に消えて数十秒後、アリィと双子は直ぐに応接室へ通される事になる。

 社長室みたいな部屋で高級ソファーにもたれ掛かり、出された紅茶に舌鼓を打ってしばらくして、壮年の男性がにこやかな笑みで入室した。

 反射的に双子は凄い勢いで立ち上がり、一拍遅れてアリィも続く。双子は意外と緊張していたらしい。その初々しい姿に男の顔から苦笑が盛れた。

 

「ああ、どうか楽にしてください。お待たせしてすみませんでした。しかし、まさか噂の少年の保護者が先生だとは思いませんでしたよ。――ああ、挨拶が遅れましたな。ここの店長をやっているオーウェン・ジャンクマンという者です」

 

 人当たりの良い笑みで握手を求めてきたオーウェンに応じてから、アリィ達は再度腰を下ろした。

 

「俺はアルフィー・グリフィンドール。アリィで良いよ。二人はフレッドとジョージ・ウィーズリー。共同開発者なんだ」

 

 アリィは共同開発者と紹介したが、二人にはそのつもりが欠片も無い。あくまで二人はアリィが変な事をしないか注意するだけのお目付け役。双子座のプレゼンは彼に任せる気満々で、そして彼以上の適任者は存在しないのだから口を出すつもりも無かった。まあ、ここで顔を見せることで人脈を得ておこうと画策している面もある訳だが。

 

「ふむ。手紙によれば全く新しい箒を開発したという事ですが……早速ですが見せてもらえますかね?」

 

 期待と興味が半々の視線に晒されながら、バッグの中から一本ずつ双子座を取り出すアリィ。最初はその太さと形状に首を傾げたオーウェンも、続く二本目を目にした途端、表情を一変させた。

 やはり店長を任されるだけあり、その全く同じ形状をした一対の意味に直ぐ気付いたのだ。

 

「なるほど、確かに全く新しい発想だ! いや実に面白い!」

 

 オーウェンは童心に返ったように目をキラキラさせ、あらゆる角度から双子座を検分する。掴みは上々。アリィはオーウェンの反応に満足げに何度も頷き、両脇の双子はアリィの頭上で軽くハイタッチをして嬉しさを表した。

 そして足を固定する安全帯の確認をしているオーウェンに、アリィが説明を開始する。勝負はここからだ。

 

「時速は今のところマックスで八十キロ、まだまだ改良の見込みあり。でも箒が短くて機動性も高いからカーブもコンパクトかつ滑らかだし、操縦は……ちょっと難しいけど、かなり練習すればなんとかなるレベル」

 

 手を休めたオーウェンはその説明――特に速度の所で眉根を寄せたが、表情から判断するに反応はそう悪くない。どうやら速度云々は、そうマイナスイメージにならないようだ。

 

「確かにスピードは無くて操縦も難しい……が、それにしても大したものです。魔力伝達率もニスを改良する事で上がり、おのずとスピードも出るでしょう」

「そーそー。そこら辺を改良してもらいたんだ。個人がゼロから始めたにしては、正直これが限界。専門家が手を貸してくれたらピーキーなコイツも初心者向けになるかもしんない」

 

 箒は内蔵された浮遊石へ魔力を伝達させる事で初めて空を駆け巡る。

 その箒に適量の魔力を送る技術も、箒との協調性を高めて支配下に置くカリスマ性も、全ては無意識によるものなので才能が物を言う。

 その才能の差を埋めるため、多種多様な使用者の誰もが操縦出来るよう箒をチューニングするのに一番大切なのが、感受木(ストマック)から製造される特殊なニスだ。

 操縦者の魔力を受信し、万人受けする箒に仕上げるために必要なニス。質の良いニスのレシピは箒製造会社にとって一番の企業秘密だ。その数十、数百年に及ぶ試行錯誤と研鑽の積み重ねには流石の天災も遠く及ばない。

 今回はマホガニーを使用しているが別の樹種の方が適している可能性もあり、二本一対の形にしても別の形の方が良いかもしれない。改良できるかもしれない部分など多岐に亘る。

 だからアリィは専門家の協力を仰ぎたかった。

 

「ちゃんとデータを纏めたレポートもあるから、しっかり協議は出来るよ。……それでさ、コレ売り込めそう?」

 

 バッグから出てきた厚さ十センチのレポート用紙――記録を付ける際、アリィは羊皮紙より通常紙を好む――を見て、その量にオーウェンは目を見張る。断りを入れてからレポート用紙を何枚か手に取り、サッと流し読みしたオーウェンの口から感嘆の声が飛び出した。

 

「いやはや、よく調べられていますな。その歳で大したものです。資料を拝見しましたが紹介する価値も充分にあるでしょう。……しかし、よろしいのですか? 中には個人で箒製造を行う職人もいます。オーダーメイドでも充分に売れる見込みがあると思いますが」

「だって箒にばっか時間を掛けていらんないよ。俺は他にもいっぱい道具を作りたいんだ。爺ちゃんみたいに」

「ふむ、お爺様……ですか? 先生の事では無さそうですが……」

「アリィはバートランド・ブリッジスの孫なんだ」

「そそ、完全無欠なサラブレッドさ」

 

 最後の双子の援護射撃に、オーウェンは興奮気味に目を輝かせ恰幅の良い身体を乗り出した。

 

「ほう、あの天才発明家のお孫さん!? いやいや、ますます期待が持てますな」

 

 オーウェンもバートランド・ブリッジスの名は知っている。その本名がグリフィンドール姓だとは思わなかったが、これであの鬼才に並ぶ才能の片鱗にも納得し、よりアリィに対し期待が高まった。

 少なくとも彼の要求を拒む理由はどこにもない。今やオーウェンも気になっていた。この新発想の箒がどこまで往けるのか、その終着点を見たくなったのだ。今ここにいるのは用具店の店長ではなく、ただのクィディッチ好きに過ぎない。

 

「――分かりました。不肖、この私が仲介役になりましょう。希望の会社はありますかな? この品ならどこでも行けると思いますが」

「じゃあニンバス社にして。出来るなら八月中に会いたい。あ、その交渉にはじっちゃんも同席したいって」

「分かりました。では返事が着き次第ふくろう便をそちらにお送りしましょう」

 

 その後アリィは幾つかの契約書にサインして細かい打ち合わせを終えた後、再度オーウェンとがっちりと握手を交わして応接室を後にする。

 オーウェンは店内まで見送りに来てくれた。

 

「これからも期待してますよ」

「うん、期待しといて」

 

 アリィのニカッと爽やかな笑顔に微笑み返し、オーウェンはレジの方へと歩いていく。

 商談が纏まり、アリィよりも緊張していた双子が一気に脱力した所で、幼い発明家はは箒コーナーで顔見知りを発見した。

 

「あ、ドラコだ!」

 

 トレードマークの金髪オールバックに、蝋人形みたく青白い肌。アリィのルームメイトであるドラコ・マルフォイは突然の声に直ぐさま振り返り、そしてギョっと目を見開いた。

 思わずクリーンスイープ社の新型箒を取り零すぐらいには吃驚している。

 

「アリィ!? き、ききき君、何故そんな奥からっ?」

 

 その吃り具合から彼の狼狽のほどが丸分かり。それほどアリィの出現はドラコにとって予想外であり――なによりドラコは、まだ面と向かってアリィと会う気構えが出来ていなかった。

 嬉しそうに近寄るアリィから気まずそうに視線を泳がせた事を、この天災は気付かない。

 

「アリィ、俺等、先行ってるぜ」

「約束の時間に書店でな。遅刻すんなよ」

 

 双子はスリザリンと馬が合わず、互いに敵対関係にある。なにより純潔主義者筆頭のマルフォイ家は天敵と言って良く、二人はドラコの出現にあっさりと店を出て行ってしまった。

 そのことをアリィは充分知っているため混乱は無い。それでも少しは寂しいと思いつつも笑顔で別れを告げ、改めてルームメイトに向き直った。

 

「いやー、意外や意外。まさかここでドラコに会うとは」

「意外だったのは僕の方だ。売り込むとは聞いていたがまさか今日とは…………ああ、あと例の手紙の件だが――」

「――ドラコ、知り合いか?」

 

 休暇中に手紙が届かなかったこと。そして屋敷しもべ妖精の襲来を綴った手紙は既に配達済み。その時の質問に口頭で答えようとしたところ、影になっていた棚から一人の男が現れた。

 白に近い色素の薄い金髪はドラコのように後ろへと撫でられ、綺麗に整えられている。血の気のない、それこそ冷酷とも思えてしまうほど青白い肌に尖った顎。温度を感じさせない灰色の瞳。ドラコの未来予想図その物の姿をした男だった。

 

 そして男はアリィの風貌に思い当たる節があったのか、その冷たい目を意味深に細めた。

 

「なるほど、君があのトバイアス・グリフィンドールの息子か」

「あ、もしかしてドラコの父ちゃん?」

 

 ドラコの父、ルシウス・マルフォイの登場だ。

 

「あ、ああ。アリィ、紹介しよう。こちらは僕の父上だ。父上、ご察しのようですが、彼が僕のルームメイト、アルフィー・グリフィンドールです」

 

 この夏どころか一年も続いた手紙のやり取りで、ルシウスは息子からアリィのひととなりを聴いていた。大切な息子のルームメイトということで身辺調査も終えている。

 そして彼はドラコが帰省して直ぐに伝えた事実が決め手となり、アリィに大変興味を懐いていた。

 

「ドラコの父親で、ルシウス・マルフォイだ。君の事はいつも息子から聞いているよ。以後、お見知りおきを」

「よろしくおっちゃん! アリィで良いよ」

 

 互いに握手を交わして友好を深める。アリィは当然笑顔で返し、ルシウスは魂すらも見透かしそうな目で観察する。そしてドラコは彼等の横で、アリィが何かやらかさないかとハラハラドキドキしていた。

 

「ふむ……では、アリィ。少し小耳に挟んだのだが、君がパーセルマウスというのは本当かね?」

 

 然り気無さを装った口調だがギラギラした目付きを隠せていない。しかし他人からの評価や悪評など欠片も気にしないアリィは別にパーセルマウスであることを隠そうとはしておらず、ルシウスからすれば肩透かしを食らうほど実にあっさりと肯定してみせた。ついでに、自分の出生までもだ。彼にとって、それは隠す事でも何でもなかった。

 

「そうだよ。だって俺、スリザリンの末裔でもあるって話だし」

「なっ!? 初耳だぞアリィ!? 君はグリフィンドールではないのか!?」

「だから、両方の血を引いてんの。なんかハグリットに訊いたら母ちゃんがスリザリンだったんだって。だから多分スリザリンは母ちゃんの血」

「――――エルヴィラ・マーケットか。ああ、確かに、彼女はスリザリンだったとも」

 

 エルヴィラ・マーケット。

 ルシウスが学生時代、栄えある監督生をしていた時に入学してきた彼女はスリザリンの中でも異質だった。選民思想の根強いスリザリン生でありながら、どの寮とも分け隔てなく接した好奇心旺盛の少女。当然寮内では爪弾き者だが、それでも全くめげることなく楽しそうに学校生活を謳歌し、常に笑顔が絶えない少女だった。悪戯の類いは無かったが女性版アリィとも言える少女で、当時の彼女を知る者は、少なからずアリィにエルヴィラの影を見た筈だ。そして最終的には在学中に交際し始めたトバイアス・グリフィンドールと結ばれ――――敵対の道を歩んだ。

 

(なるほど。確かに彼女の息子らしい。……マグル出身と聴いていたが、どうやら調べる必要があるようだ)

 

 ルシウスから見たアリィは、デイモンをよく知らないだけに彼女の影が良く目立って見える。世の中は幸福で出来ていると豪語しそうな雰囲気など彼女そのものだ。

 そして何やらキラキラと瞳を輝かせて母親の学生時代の話を聞きたそうにしているアリィと、興味の無いフリをしつつチラチラとこちらを伺う息子に、さてどうしたものかと珍しく頭を悩ませてしまう。正直アリィにはその血筋にしか興味は無いが、彼は意外と子煩悩なのだ。自分にとってはやかましい後輩に過ぎなかったエルヴィラの話は気が進まないのだが、ドラコが望むなら一考の価値はある。しかし、やはり気がのらない。けれどもそれだとドラコの恨みを買うかもしれない。そうしたジレンマに悩まされること約十秒。

 そして、

 

「おお、マルフォイさんではありませんか! 今日はどのようなご用件で?」

 

 

 

 ――話の腰を折る形で登場した人物に、ルシウスは朗らかに笑いかけた。

 

 

 

「久しいな、オーウェン。なに、今日は息子の箒を買いに来ただけでね」

「ほう! ならとっておきのがございますよ。最近入荷したニンバス社の新型モデルでして――」

 

 これ幸いとルシウスは店長との話に興じて先程の話を曖昧にする。そのベストタイミングぶりに気を良くしてしまうから、ついつい調子に乗って現最高級箒『ニンバス2001』を七本も一括購入してしまうのだ。

 

「ドラコ」

「はい、父上」

 

 購入した競技用箒を特別チューニングするため、ルシウスはドラコを呼び寄せる。そして双子座の採用がほぼ決まりだと嬉しそうに語るアリィに、ドラコは今日初めてまともに視線を合わせた。その目には、後ろめたさと覚悟が密かに宿っている。

 

「――アリィ、手紙に書いた通り、僕はそのドビーなんて屋敷しもべは知らない」

 

 静かに、そして感情の一切が抜け落ちた声は、今まで聞いたことが無いほど冷たい。

 その思い詰めた表情に首を傾げるも、言及の類いをアリィは一切しなかった。

 

「そっか、分かった」

 

 詳しいことは、その手紙が届き次第、よく考えた上で学校に行ってから折を見て訊ねてみようと心に決める。

 少なくともここで問いかけるのは、傷口に塩を塗り込むような行為の気がしてならないからだ。

 

「…………また学校で会おう」

「おうよ!」

 

 笑顔で返すアリィから視線を逸らし、ドラコは逃げるように父親の背を追い掛ける。

 今、自分の心が不安定であることを彼は自覚している。しかし学校が始まるまでには落ち着き、何かしらの答えを得るだろうとも思っている。

 それまで、アリィとは距離を取る。太陽の様な少年の笑顔が、自分には眩しすぎたのだ。

 

 

 

 

 

 そして今から数十分後に本屋でばったり再会し、ドラコは神様を罵倒しつつ頭を抱えるのだった。

 

 

 

 

 




活動報告に後書きや今後の予定とか色々書いてあります


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第七話

 まだ夏の残暑が厳しく、九月一日を迎えても太陽は一向に衰えを見せなかった。どこまでも抜ける青い空には雲一つ見当たらず、燦々と太陽が地上を灼熱地獄に変えている。

 その暑さは田園地帯を走行するホグワーツ特急の中も変わらず、多くの生徒達が窓を開けて風を取り入れ、上着の袖を捲っていた。もうローブに着替えてしまった者は少し後悔している事だろう。

 そして、暑さとは関係無しに冷や汗を垂らしている者達がいた。

 

「ふむふむ。なーるほど。りょーかい、りょーかい」

「アリィ……ハリーとロンは何て言っているの?」

 

 最後尾に近いコンパートメントの一室で、顔面蒼白のジニーが赤い革表紙の手帳を覗いているアリィに問いかけている。対面に座り、器用に羽ペンをくるくる回してから何かを記帳し始めたアリィの代わりに答えたのは、その彼の左隣で手帳を覗き込んでいたハーマイオニーだ。

 

「大丈夫よジニー。上手くホグワーツと連絡が着いたみたい」

 

 ホッと胸を撫で下ろしているハーマイオニーに呼応するように、ジニーも深い安堵の息を溢す。小さな手を知らずの内に握りこんでいたらしい。掌に爪の跡が残り肌は白くなっていた。

 ジニーはそれほど汽車に乗り遅れたハリーとロンが心配だったのだ。

 

「な? だから言っただろ、心配しなくても大丈夫だって」

「それで、いったいいつ頃ホグワーツに来れそうなんだ?」

 

 漸く笑顔が戻り始めたジニーに優しい声が掛けられる。彼女の両脇に座る双子は本当に心配していなかったらしく涼しい顔をしていた。フレッドは安心させるために妹の頭を乱暴にこねくり回し、ジョージは先程車内販売で購入した蛙チョコレートを食べさせようとしている。

 ついでにアリィも笑い掛け、そしてシナモンクッキーの入った包みをジニーに差し出した。

 

「ほらジニー、これでも食いなって。――あ、なんか二人ともフルーパウダーで直接ホグワーツに飛んだみたい。もう到着してるってよ」

「でもパーティーの時間までマクゴナガル先生のお部屋で書き取り罰をさせられているみたいなの」

 

 そう付け加えたハーマイオニーも流石に同情を禁じ得なかった。

 

 今から数時間前、キングズ・クロス駅でハリーとロンは汽車に乗り遅れた。原因は不明だがプラットホームへの入り口が二人を――正確にはハリーに対してだが、とにかく急に入り口が閉じて通行止めを食らったため、最後尾を走っていたロン共々取り残されてしまった。その事を彼等はハリーに渡してあった新しいモノマネ本から聞き及んでいる。

 そこで二人は冷静にもアリィ達に状況を説明しつつウィーズリー家の改造車の前で待ち続け、二人の存在に驚くウィーズリー夫妻と合流。乗り遅れた事情を説明した途端、アーサーは人目につかない場所に移動してから呪文で銀色に光るイタチを創造し、ホグワーツに飛ばしたそうだ。

 その返事が着たのが二時間後、つまり今から三十分前だ。そして二人はもう既に漏れ鍋からホグワーツのグリフィンドール寮――寮監部屋に飛び、マクゴナガルから小言を貰った後、『遅刻はダメ』という単語を何百何千と書かされている。

 ちなみに今はお手洗いと偽り、男子トイレでハリーとロンがモノマネ本に書き込んでいた。

『僕達のせいじゃないのに遅刻の罰なんてあんまりだ!』と、見開きページ一杯に書かれた文字が二人の心境を物語っている。文字の荒々しさと筆圧の濃さから判断するに相当頭にきているらしい。

 

 そのことをアリィとハーマイオニーから聞かされ、流石の双子も気の利いた冗談も出てこない。

 

「……二人は運が無かったな。きっと生徒への見せしめの意味もあるんだぜ」

「そりゃあな。出入口の設定ミスに巻き込まれただけでコレだろ? 本当にただの遅刻なら書き取り罰じゃ済まないぜ、きっと」

 

 双子、そしてアリィとハーマイオニーは、この不可解な現象をドビーの告げた『恐ろしい罠』の一種ではないのかと疑うが、ここには事情を知らない者もいるので迂闊に口に出せない。そのことを話せばジニーを怖がらせてしまうからだ。

 そこでわざと設定ミスと言って誤魔化すが、その二人の言葉に頷いたのはパーシーただ一人のみ。

 

「おそらくパーティーも不参加。それに数回に亘る罰則が妥当だろうな。少なくとも僕ならそうする」

「おや、パース。いったいいつから教師になったんだ?」

「はっはーん。さてはもう監督生の権力じゃ物足りなくなったな」

「茶化すな、 僕は真面目に考えているんだぞ!」

 

 ――そして三人の意見は的を射ていた。

 この遅刻騒動を聞き付け、来年はわざと汽車に乗り遅れて学校に早く着きたいと考える輩が出るかもしれない。それを防止する上で、過失の無い二人にも罰が与えられているのだ。

 現にマクゴナガルは二人の罰を監督する傍ら、来年以降の始業式の遅刻に関する罰則について書類を製作している最中である。

 

「でもまあ、二人とも無事に着けて良かったじゃないか……書き取りの罰はあるけど」

 

 そう苦笑したパーシーは席を立つと、知り合いを探してコンパートメントから退室する。二人の経緯が気になり一緒にいたが、もうその必要も無くなったからだ。

 その嬉しそうに立つ仕草と微かに弛んだ表情から、知り合い=女子だと見抜いたのがハーマイオニーだけだったのは、彼にとって幸運だったに違いない。

 

「そんじゃ俺らもリーを探しに行きますか」

「アリィはどうする?」

「ん。後で顔出す」

 

 そして双子も退室する。後には人心地ついたジニーに、モノマネ本の換わりに別の手帳を出すアリィ。そしてギルデロイ・ロックハート著『私はマジックだ』を開きだしたハーマイオニーだけが残される。ダイアゴン横町で行われた彼のサイン会で入手したものだ。そしていざ読み始めようと栞を取った所で、

 

「ハーさん、今のうちに料理クラブの打ち合わせしちゃわない?」

「…………そうね。折角だし」

 

 ハーマイオニーは名残惜しそうに本を一瞥してからアリィと向き合う。その返答する間に様々な葛藤があったのだろうが、結局は打ち合わせを優先した。

 主な内容は今後の部員数と勧誘活動についてだ。

 

「ジェニファーとメアリーが卒業したから、今は俺達も会わせて十八人。そんで、五年と七年が全部で五人」

「つまり今年は、毎回参加するのは十人前後ってところなのね」

 

 五年と七年はそれぞれ大事な試験が控えているため出席率が悪い。そのため購入した食材を余らせ、ホグワーツの厨房行きになってしまうケースが度々発生していた。それに調理室はそれなりに広いため、どうせならもう少し部員が欲しいと考えてしまうのは、欲張りなのだろうか。

 少なくともアリィの指導もだいぶ板に付いてきたので、生徒を増やしてもきちんと指導出来るだろう。そしてそれ以外でも、部員を欲する理由があった。

 

「どうせなら一回の部活で三十人くらい来てほしいんだよね。だいたい三十人分くらいを一括購入した方が割り引きが利いて丁度良いし、もっと食材を有効活用したい」

「あと寮ごとに連絡係を決めましょう。そっちの方が連絡するのも楽になるし、伝言ゲームみたく変な風に伝わる可能性も低くなるわ」

「それ採用。どうせなら四冊ほどモノマネ本を仕入れるか」

 

 流石は学年成績トップの二人。トントン拍子に話が進んでいく。

 このあと二人は後でコンパートメントを回り、ハッフルパフとレイブンクローの部員を一人ずつ見付け、連絡係を作るよう通達することを決める。他にも勧誘方法やポスターのレイアウトなど一通り決めた所で、アリィは蚊帳の外だったジニーの方を振り向いた。

 

「そうだ! この際だしジニーも料理クラブに入ろう!」

「えっ?」

 

 急に話を振られたジニーは驚いてしまい、思わずカボチャジュースを取り落としそうになってしまう。慌てて掴み直した時、名案だと頬を綻ばせるハーマイオニーが両手をパンっと打ち鳴らした。

 

「まあ、名案だわアリィ! ねえジニー、どうかしら」

「えーっと……」

 

 ジニーは料理の経験があまり無かった。精々モリーの手伝いを時々していたくらいだ。それに一年生が学校に慣れるまで苦労するという話を兄達から聞いていたため、果たしてクラブ活動をする余裕があるのかと心配してしまう。

 ジニーは即答出来ず、反応が芳しくない。

 けれども勧誘モードに入った成績トップ二人組に抜かりはなかった。どう誘えば首を縦に振るかなど、二人の頭脳をもってすれば簡単に答えを導き出せる。

 

「大丈夫よジニー。毎回じゃなくても良いの。それに寮と学年の壁を越えて友達も出来るわ」

 

 ジニーの両手を握り、友人の少ないジニーに甘い誘惑を持ち掛けるハーマイオニー。勧誘に熱が入っていた。彼女はジニーの意志がぐらついたのを目から読み取る。あとはトドメの殺し文句を言うだけ。

 

「それに友達が出来さえすれば、一人でご飯を食べる時でも教科書に没頭して、無理やり周囲の楽しそうな声を無視する必要も無くなるわ。部屋でだって女の子らしい恋愛話にごく自然に混ざる事が出来るもの」

 

 

――室内にも関わらず、木枯らしが吹いた気がした。

 

 

「………………あとは、ほら! 菓子作りがメインだからハリーに渡してアピールできるぞ恋する乙女!」

「あたし、入部するわ!」

「よし、じゃあ早速入部届けを書こう! 直ぐ書こう!」

 

 どうやらハーマイオニーの身を削った体験談は無しにしたらしい。思わぬ自虐発言に困惑したアリィの言葉に、ジニーは間髪容れずに飛び付いた。彼女がテンション高めに入部宣言をしたのも、ハーマイオニーの発言を聞かなかった事にしたい現れである。

 その二人のハイテンションぶりに首を傾げるハーマイオニーを視界の隅に追いやり、二人はバッグから取り出した入部届けに色々と記入している。

 書き終わるのに五分と掛からない。最後に部長として承認のサインをしてから、アリィはそれを大事にバッグへ仕舞いこんだ。

 

「おっしゃ、これで後は顧問に提出すれ……あ」

 

 幸先の良いスタートにホクホク顔だったアリィの笑みが凍る。太陽みたく明るかった表情に陰が宿り、訝しげな表情で困惑し始めるジニーだが、その疑問は冷や汗を流しているハーマイオニーが払拭した。この副部長も致命的な問題点に気付いたのだ。

 

「アリィ、あの……そういえば顧問の先生って……」

「そうだよ、いないじゃん」

 

 料理クラブの顧問はクィレルだ。

 クィリナス・クィレル。闇の魔術に対する防衛術の教師であり、禁句さんの忠実な部下として賢者の石を狙っていた闇の魔法使い。

 当然、彼はもういない。

 クラブの計画を立てる以前にこのままだと存亡すら危うい事に、二人は漸く気が付いた。

 

「うわ、また顧問探しをしなくちゃいけないのか」

「去年は最後の最後にクィレルが同意したのよね? ……それに今考えれば、きっとそれもアリィに取り入るための策の一つだったに違いないわ」

 

 去年、顧問を探しで散々苦労したアリィは今から辟易する。どの先生達も軒並み忙しく引き受けてくれる人は殆どいない。

 ――実は中には割かし手の空いている教員もいるのだが、彼の天災に関わるのを躊躇いわざと拒否している人も何人か存在した。気持ちは分かるにしても、なんとも悲しい事実である。

 

 よって忙しくなくてもアリィの奇行を熟知している教員は全滅。そうなると、自然と候補に上がる人物も限られていた。

 

「よし、ここはナルシス先生に頼もう」

「――アリィ、今までの中で一番素晴らしい提案だわ」

 

 ハーマイオニーは見惚れる程の天使の笑顔を携え、アリィの両手を握ることで感動を表す。アリィの言うナルシス先生が、今年から闇の魔術に対する防衛術の先生になったギルデロイ・ロックハートであることを彼女は知っているのだ。何故ならダイアゴン横町へ買い物に言った日、ロックハート本人がそう言っていたのだから。

 ハーマイオニーは名案だと輝く笑みを見せながらアリィの肩を叩き、頭を撫で始めて喜びを主張する。そして彼女は喜んでいるが、何も一人のファンとしてロックハートを迎え入れる訳ではないことを、彼女の名誉のために伝えておこう。

 例え九割九分以上の私情が絡んでいようともロックハートを招くのに賛成なのは、これで必ず多くの女史部員をゲット出来るからだ。つまりそれは去年に引き続き男子部員が全滅する事を意味しているのだが、生憎と彼女は気付かない。

 

 ともかく、これで万事オーケーと喜んでいる二人に、ジニーがおずおずと控え目に発言したのは、その直ぐあとの事だった。

 

「でもそれだと沢山の人が集まっちゃうんじゃないの?」

 

 学年成績トップの二人は、ハイタッチのモーションのままピタッとその場で停止した。

 

「む……それはそれで困るな……いや、多いのは嬉しいんだけどさ」

「そうね。ならロックハート先生を目当てに集まった人達は抽選で選びましょう」

 

 そこでハーマイオニーの立てた作戦は以下の通りだ。

 まず顧問はマクゴナガルであると情報を流し部員を募る。当然、マクゴナガルに話を着けて許可が貰えればの話になるが、彼女もケチでないのでおそらく大丈夫。ダメなら別の人を当たれば良い。

 そして一週間ほど募集したら顧問をロックハートに切り替える。

 この時、既に部員が目標の三十人に達していたら文句無し。定員に空きがあるならロックハート目当てで集まった人達の中から抽選で選べば良い。

 これなら意欲的な人を優遇してあげられるし、そして何だかんだ言ってロックハート目当ての人達も十中八九作った料理は彼に渡すのだから、真面目に取り組む人は多いだろう、という推測もハーマイオニーの頭の中にはある。

 

(大丈夫。私ならやれるわ。こういった時のアリィは頼りにならないから、私がしっかり目を光らせておかないと)

 

 もし目に余る行為が目立つなら退部させれば良い。自分はその権限を持っている。部長が滅多なことでは人を嫌わない博愛主義者なので自分がしっかりしなければならない。そうハーマイオニーは自身に言い聞かせる。

 最初は監視の義務感で入部し、勉強の時間が潰れる事に内心少し不満があったハーマイオニーも、今では進んで副部長をこなしていた。

 このクラブは段々と料理の楽しさに目覚めさせてくれた。女友達を作るきっかけを与えてくれた。学校生活を充実させてくれたクラブに対し彼女は少なからず愛着を持っている。

 

(このクラブは潰させない。必ず存続させなくちゃ)

 

 そして何より料理クラブは、四寮全てが比較的仲の良い唯一無二の場所。寮間で確執のあるホグワーツが目指すべき輝かしい未来の縮図。

 この貴重な宝を失うなどあってはならない。

 

 そう意気込むハーマイオニーの心のうちも知らず、アリィはその手でいこうと副部長の案を採用した。

 

「じゃあその手でいこう。でもナルシス先生に話すのは最後。なんかあの人、口軽そうだし」

「そうね。先生には申し訳ないけど念には念を入れましょう。……それとね、アリィ。ロックハート先生をナルシスって呼ぶのは禁止よ」

「えー、だってロックハートってナルシストだし……ハイ、ワカリマシタ、ハーサンサマ」

 

 錆び付いたロボットの様にぎこちなく動き、獅子に睨まれる兎みたくビクビクしながら片言で喋るアリィに、背後にドラゴンを幻視させるほどの笑顔を見せるハーマイオニー。

 そしてその部長と副部長のやり取りを見たジニーが『入るの早まったかしら?』とクラブ活動に不安を抱くが、もちろんそんな事はお構いなしに、汽車はホグワーツを目指して安全運行を続けるのだった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 スリザリンの五年生。今年映えある監督生に選ばれたアンドレア・レストンは、嬉しい反面不安の真っ只中にあった。それはというのも、

 

(俺にアリィの制御なんて出来るかってーのッ! あれはドラコ達の仕事だろ!)

 

 あの天災を御せる自信が全く無かったからだ。

 監督生としてアリィの行動に目を光らせておかなければと思うと胃がキリキリしてくる。ただでさえ今年はO・W・L試験があって忙しい年なのに、あの天災の面倒を見るなんて御免だ。友人なら構わない。というよりアンドレアは純血の家系だが蛇寮でも珍しく選民意識を持たない稀有な人物であり、どちらかといえば純血主義のマルフォイ家よりもマグル贔屓のウィーズリー家気質なため、アリィとはかなり話が合った。だから彼がアリィを嫌うというのは万に一つもありえないのだが――やはり時期が悪い。

 

(……まあ、ドラコやポッター、それに守護神がいるから大丈夫か)

 

 新学期を迎えた宴席で、アンドレアはテーブルの端の方を陣取って食事をしているドラコを一瞥し、心の中で合掌しながら丸投げすることを決める。ついでに対面に座る悩みの種に視線を這わせるが、直後アンドレアは首を傾げることになった。

 

(なにやってんだアリィは?)

 

 なにやらアリィが腹を押さえている。しかし若干棒読みで『お、お腹がー』と呟いているのを見ると仮病なのだろう。近くにいるパンジー・パーキソンやダフネ・グリーングラスが心配しているが、ドラコやテオドール・ノットといった察しの良い面々は白い目を向けていた。

 

(お、トイレにでも行くのか?)

 

 アリィは徐に席を立ち、なるべく目立たないよう背を低くしながら歩き出す。――何故か、アンドレアの方へと。

 

「アンドレア」

「どうしたアリィ……って、お前は相変わらずチビだな」

 

 アンドレアの身長は一八〇を超えている。故に椅子に座っていても背を低くしているアリィを上から見下ろす事になるのだが、何故こうも身長に変化が無いのか思わずツッコミを入れてしまった。仮病だと分かっているので心配はしていない。

 

「アンドレア、寮の合い言葉を教えて」

 

 そのため俺のところに来たのかと、アンドレアは得心がいった。

 監督生はパーティー終了後に一年生を寮に連れて行く仕事があるため、既に寮の合い言葉を汽車内で伝えられている。

 素直に教えるかを悩み、何か面倒ごとかと疑っている間にも、アリィは隣の女子に薬が部屋にあるのだと説明している。きっと校医のマダム・ポンフリーとは接触したくない訳があるのだろう。先生を連れて保健室に行こうという誘いを断り、そう言っていた。

 

(……まあ、俺には関係無いか。何かあっても俺のせいじゃない)

 

 結局アンドレアはそう結論付けた。

 

「合い言葉は『純血』だ。今なら皆は料理に夢中だし、ポッターの観察に忙しいからそう目立たずに抜け出せるだろ」

 

 大広間の生徒は現在二つに分類される。一つは料理を楽しみつつ友人と談笑するグループ。そしてもう一つが新学期早々噂の絶えないハリー・ポッター――ついでにロンも――を盗み見るグループだ。

 汽車に乗り遅れただけでも話題性抜群なのに、何故か今は校庭に植えられている『暴れ柳』に重傷を負わせたという噂まで広まっている。

 ハリーの憮然とした表情と『納得いかねー! 』と叫んでいるような不機嫌オーラ。そしてパーティーに遅れて登場した薬草学のスプラウトと魔法薬学のスネイプから判断するに、あながちデマと一蹴するのは早計な気がする。

 

(けとまあ、俺に被害がなければ何でも良い)

 

 常識人でありながらドライな性格が目立つアンドレア・レストン。そんな内面を知らず、アリィはパアっと顔を輝かせる。仮病なら貫き通せと言いたくなるような笑顔だ。

 

「サンキュー、アンドレア!」

「おー、薬飲んでさっさと寝とけ」

「そうする!」

 

 肩をバンバン叩いてから颯爽とアリィは大広間を飛び出した。大広間の扉は一つしか無いが今は開けっぱなしであり、アンドレアの予想通り注目したのは蛇寮を除けば微々たる数。けれども激しく気になった者は当然いる訳で。

 

「…………やっぱ教えなきゃ良かったか?」

 

 教員席で射殺す様な視線を向けてくる寮監と、厳しい顔をしている副校長の説明要求に応えるため、アンドレアは嘆息しながら席を立つのだった。

 

 

 ◇◇

 

 

「くっくっく、甘いぞ寮監」

 

 淡い緑のランプが灯る薄暗い談話室内で、見事大広間を抜け出したアリィは、その低身長を活かしてソファーの影に隠れることで様子を見に来たスネイプをやり過ごす。

 大広間を抜け出したアリィが自室で準備を終えて直ぐ、彼が談話室に入ったのと同時に寮への扉が開き、スネイプが入室してきた。下から上にせり上がるタイプの扉で無ければ直ぐにご対面して見つかっていただろう。しばらくスネイプの目元が隠れていたからこそ隠れる猶予が生まれたのだ。

 

「『そっくり人形・改』は自信作。いくら寮監でもそう簡単にバレやしない。精々、寝てるって勘違いするんだね」

 

 夏に製作したそっくり人形の改良版。肌は柔らかく温かい。肺が膨らみ、口許から酸素が吐き出される。つまり人肌と呼吸のプロセスまで再現された人形は、そのままベッドに寝かせれば就寝している者にしか見えない。

 元々はパーティーから戻ってきたドラコを誤魔化す予定で仕掛けた人形だが、今回は予定よりも早く、本当に腹痛を起こしているのかを確かめに来たスネイプにも効果を発揮してくれた。これでドラコだけでなくスネイプもアリィのアリバイを立証することになる。

 

 そしてここまで大掛かりなアリバイ工作をしたのも全て、

 

「さあ、待ってろよ伝次郎!」

 

 そう、全ては新しい家族を迎えに行くためだ。皆がパーティーに出席している今なら、禁じられた森に入っても見付かる可能性は低い。アリィは夏休み突入前からこの計画を立てていたのだ。

 素早く寮を抜け出したアリィはショルダーバッグを盛大に揺らしながら廊下を駆け、校庭に飛び出す。そして直ぐにバッグから、昨日ニンバス社から返還された『双子座』を取り出して足に装着した。

 ちなみに双子座のプレゼンはニンバス社でも大成功を収め、来年の春には発売予定だ。ここまで発売が早いのもアリィが渡した全データのお陰である。

 

「タイムリミットは一時間。それまでに戻んないと」

 

 自慢の発明品をしっかり装着。頼りにしていると言う意味を込めてポンっと木材ボディーを叩いてから月明かりの射す静かな校庭で飛翔。目的地を目指す。そしてそのまま校庭を突っ切り森に入ろうとした所で、とある一ヶ所に目が止まった。

 

「うわー、こりゃ派手にやったなー」

 

 アリィが眼下に見下ろすのは、枝という枝が折れて無惨な姿に成り果てた暴れ柳だ。生物の接近に比例して暴れる貴重な柳も、今や元気が無く哀愁の漂う痛々しい姿になっている。

 そしてアリィは、こうなった経緯をハリー達からモノマネ本を介し説明されていた。

 

「まさか噂のドビーがここまで侵入してくるとは……『姿現し』は魔法使いのみに適用?」

 

 事件はハリーとロンがトイレで 状況説明を行って直ぐに発生した。トイレを出たところ、ハリーが廊下の曲がり角でドビーらしき人影を発見。その姿を追って校庭を出た直後、なんと暴れ柳の至る所で小規模の爆発が巻き起こったのだ。

 騒ぎを聞き付けた教員達が走り寄って来た時には、もう既にドビーの姿は無く、あとには立ち呆けているハリーとロンが残される。

 幸い証拠不十分で咎められる事は無かったが、何人かの教員が話を信じず疑いの目を向けていたため、パーティー中でも二人の虫の居所は悪い。

 

「何でまたドビーは現れたんだか……ついでだし治療しとくか、一応」

 

 ドビーの事を考えながらバッグを漁り、中から取り出したのは夏休み中に製造した『生育促進剤』だ。 香水瓶サイズの小さなガラス瓶には緑色の液体がたっぷりと詰まっている。本来なら一般サイズの苗一つに対し水で百倍希釈したものを数滴垂らすのが適量なのだが、生憎とここには水がない。

 よって暴れ柳の大きさから使用量を目算し、目分量で原液をそのまま使おうとしているアリィは、

 

「ふぁっ……ふぇーくしょっんッ!」

 

 夜空の寒さに堪えきれず盛大な嚔をかまし、生育促進剤を瓶ごと下に落っことした。コルク栓の抜かれた瓶は二十メートル下に落下。ごつごつとした堅い木皮にぶち当たり、呆気なくパリンっと清んだ音を響かせる。

 

 ダラダラと冷や汗を流すアリィの沈黙が痛かった。

 

「…………まずい、栄養過多で枯れたらどうしよう」

 

 この栄養剤は徐々に植物に吸収されるタイプだ。故にまだ変化は見られないが、次第に暴れ柳は良くなっていく筈だ。

 

 

 

 ――ここまできたら枯れた方が学校のためかもしれない。

 

 

 

 そうツッコミを入れる者がいないまま、目的を思い出したアリィは直ぐに森へと急行し、夜の闇に溶けていった。

 

 

 

 




少し駆け足気味ですがホグワーツ到着です。
車は飛ばしていません。飛ばそうと思いましたが、どう考えてもこの作品のハリーは原作よりも冷静なので、飛ばすと不自然と判断しました。
今回登場したオリキャラは、もう出番がありません。

次話から本格的な二巻の原作崩壊が始まります。今までが平和過ぎました。

誤字や脱字、ご意見やご感想などがありましたら是非ご連絡ください。


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第八話

(何故だ……いったい何がどうなっているッ!?)

 

 彼は今、混乱の極みにあった。

 何十年も機会を待ち、我慢に我慢を重ね、漸くチャンスが巡ってきた。

 これで賤しい穢れた血を排除出来る。ゴースト以下の存在から復活を遂げ、純血の娘を対価に肉体を得る事が出来る。無様に敗北した自分を排し、代わりに覇権を握るつもりでいた。

 しかも現在依り代としている少女から興味深い話を聞いたので、早く目当ての二人と接触したくて仕方がない。

 その壮大な計画のために伝説の部屋を解き放った。

 それなのに、

 

(何故だ、何故バジリスクが何処にもいないッ!?)

 

 それは計画が頓挫しかねない緊急事態だった。あの偉大な先祖が残した怪物がいなくては何もかもが始まらない。

 悪魔のように冷静沈着。自分以上に優れた魔法使いは存在せず、それを証明するように、今まで彼は失敗や挫折というものを知らなかった。

 

 そう、今までは――、

 

(冗談じゃない。こんなことがあってたまるものかッ!)

 

 計画は序盤から狂わされた。しかし、諦める訳にはいかない。まずは早急に消えたバジリスクを探さなくてはならない。

 

(ふざけるなっ、必ず見つけ出してやるッ!)

 

 カビ臭く、汚れてヌメヌメとした床にローファーの靴音が反響する。五十年前の亡霊は憤怒の炎で身を焼かし、秘密の部屋を後にするのだった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 ドラコの生まれたマルフォイ家は古来より続く純血の一族である。またマグル及びマグル出身の魔法使いを根絶し、世界は魔法族で運営すべきという純血主義を高らかに主張する一族でもあった。

 その純血主義者の中でもリーダー格にあるマルフォイ家の現当主。政財界にも多大な発言力を持つ誇り高い父を、ドラコは幼い頃から尊敬していた。

 多岐に亘る人脈。莫大な資産。また魔法省大臣とも懇意であり、ホグワーツの理事も務めるなど、多くの人からの人望もある。軽く千年以上を遡っても、その身に流れる血は誇り高き魔法族のもの。

 ルシウス・マルフォイは、ドラコにとって正に理想の大人そのものだった。

 将来は父の様に立派な大人になると疑わず、そのための努力も怠った事は無い。その証拠に成績も学年でトップクラスの位置付けにいる。また飛行術にも長けており、高貴な者のたしなみとして常に規則正しい生活を心掛ける。

 文武両道で家柄も良い将来有望な男。それがドラコ・マルフォイという少年である。

 

 だから彼が敬愛する父の邪魔をしないよう努めるのは、おそらく必然だったのだろう。

 

(……そうだ、僕は父上の邪魔をしない。だからアレは仕方のない事なんだ)

 

 これは自己暗示の様に何度も何度も繰り返し言い聞かせてきた言葉だった。そしてその都度ドラコの視線はとある人物に向けられ、視界に収めると同時に、胸がチクリと痛み出す。

 現に今も、隣で一心不乱にテスト用紙へ羽ペンを走らせるアリィを見て、ドラコの心は軋み、悲鳴を上げた。

 

 アルフィー・グリフィンドール。

 去年出来た、ドラコにとっては初めてと言える真の友人。手下みたいな友人はいる。幼い頃から顔見知りだった友人はいる。けれどもそれは何かしらの損得勘定や親の定めたルールに縛れて出来たもので。アリィみたいにごく自然に親しくなり、裏表の無い感情を向けられるのは初めての事だった。

 親しくなったきっかけはルームメイトというただの偶然。そして高貴な者として、無知な少年に教育を施し優秀なスリザリン生に導こうとする義務感。もう殆ど諦めてもいるが、心の奥底では、まだドラコは彼の天災をスリザリン色に染め上げる事を諦めていない。

 彼の家柄とあらゆる分野で発揮される非凡の才、人柄は、友人という観点から見てもマルフォイ家にとっても益に繋がるからだ。

 

(父上はホグワーツに対して何かを企んでいる。それは絶対に間違いない)

 

 この夏、ドラコはアリィに一つの嘘を吐いた。アリィの探しているドビーは、マルフォイ家に仕える屋敷しもべ妖精だからだ。

 アリィからドビーが手紙を封鎖し、しかも彼のせいで魔法省から厳重注意の勧告を食らったと聞き、ドラコは怒り狂いながらドビーを詰問した。

 しかしドビーは『ハリー・ポッターを守るため』とは言っても、何から守るのか、今年学校で何が起こるのかについては頑なに口を閉ざした。

 それは、仕える家に忠誠を誓う屋敷しもべとしてはありえない行動だ。しかしドラコの命令に逆らえる方法が一つだけ存在した。つまりそれは、ドラコ以上に偉い人物から口止めをされている事を意味している。

 

(父上はあの屋敷しもべに、僕に一切の情報を渡すなと命じていたに違いない。だから僕の命令にも抗ってみせた)

 

 元々ドビーを計画に組み込ませたのか、それとも偶然知ってしまったのかは定かではない。

 しかしどちらにしろ、ドビーの情報をアリィに渡す訳にはいかなかった。ドビーはハリーに学校に危機が迫っていると伝えてしまっている。ここでドビーがマルフォイ家のしもべと知れたのなら、彼等はマルフォイ家に少なからず疑いを掛けるだろう。それではルシウス・マルフォイの計画を潰す事に成りかねない。

 だからドラコは敬愛する父親のため、ドビーを秘密にする事に決めた。

 

 それが、友人を裏切る行為だと分かっていても。

 

(くそっ、せめてどんな計画なのかが分かれば誤魔化しも効くかもしれないのにっ)

 

 ドラコは、ドビーがハリーとアリィに接触したことをルシウスに話していなかった。

 その計画がどれだけ重要なものなのか分からないからだ。もし知らせたら、その重要度によっては口封じされる恐れがある。

 父親を支援するのなら包み隠さず話さなければならないが、アリィにも危機が及ぶ可能性があると気付いた途端、父親に打ち明けるという選択を当然のように排除してしまった。

 

(……僕は、いったい何をしたいんだ)

 

 子として父親の計画を成就させてあげたい。しかし父親の計画に触りだけでも気付いた恐れのある人物達について報告出来ずにいる。それがアリィの危機に繋がる恐れがあるのだから。

 また彼を父の手から守るためにもドビーの事を教えられずにいる。――いや、そもそも計画次第では元々アリィにも危機が及ぶかもしれないので、友人を大切に思うのならば父の計画を頓挫させなくてはいけない。

 しかしそれだと家族を裏切る事になる――、

 

 彼の頭の中で思考がくるくる回る。出口の無い袋小路に迷い混む。

 ドラコは家族か友人のどちらか一方を選べず、お伽噺のコウモリの様に中途半端だった。

 

「はい、やめ! 後ろから答案用紙を集めてください」

 

 壇上に上がる教師の声で、ドラコは今が闇の魔術に対する防衛術の授業だったことを思い出した。しかもミニテストの最中だ。

 まあ、元々真剣に取り組む気は無かったので焦りはしないが。当然、答案は見事なまでに真っ白だった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 どうやらテストの結果は想定した水準点を下回ったらしい。眉目秀麗なハンサム顔を歪ませ、今年新しく赴任した教師はスリザリン生――正確には男子達を咎めるように見渡した。

 

「うーん、どうもこのクラスは男子の点数がイマイチですね。これはいただけない」

 

 ギルデロイ・ロックハート。

 それが新しい教師の名であり、今魔法界の話題を総なめにする有名作家の名だ。

 ロックハートは『チッチッチ』と呟きながら人差し指を立て、軽く男子をたしなめる。どのくらい自分の著書を読んでいるかを確かめるテストで、女子と違い殆どの男子が全体の五パーセントも回答出来なかったからだ。

 いちいち芝居が掛かった仕草に、頻繁に魅せるウィンク。その度に女子は熱の篭った眼差しを向けてうっとりし、黄色い悲鳴を上げる。それがまた男子の不快指数を上げる事になるのだが、ロックハートは本気でその事に気付いていない。

 

「ダメですよ男子諸君。しっかり私の本を読んで理解して頂かなくては。授業に支障が出ますからね」

 

 ただの自慢話を授業と呼んで良いのか甚だ疑問だ。喜ぶのはドラコに夢中のパンジーと男子以外のクラスメイトやファンのみ。しかし何事にも例外はある訳で。たった一人。男子で唯一、爽やかなイケメンにキラキラと輝く目を向けている者がいた。

 

「しかし、この男子生徒は素晴らしい! なんと満点です! ははっ、婦女子の方々だけでなく男子まで虜にしてしまうとは。私も罪作りな男のようだ」

 

 ファンの女子を差し置いての満点。そんなことを出来るのは一人しかいない。名前はまだ明かされていないが、こんな部分でも優秀な天災に皆の視線が集まった。

 

「唯一の満点! ミスター・アルフィー・グリフィンドールはどこにいますか!?」

「はいはいはい! ここにいまーす!」

 

 席を立ち、天井めがけて右手を上げるアリィに、ロックハートは柔らかなスマイルを向けた。

 満点を取ったのはこれで二人目。しかもこの回答は『八ページの五行目に書いてあった』というようにページと行数まで正確に書かれ、最終問題の『バンパイアとバッチリ船旅を読んだ感想を書きなさい』では、なんと表面だけでは足らず裏面にまで感想文が続いている。

 先日満点を取ったハーマイオニーのものとはテスト内容が違うものの、おそらく彼女以上に完璧な回答なのは見て明らかだ。

 その分、他の男子が不甲斐ないのも合わさり、ロックハートの喜びは大きい。まさかここまで自分の本を熟読してくれていようとは夢にも思わない。

 

「満点以上の回答でした! スリザリンは二十点獲得です! そしてミスター・グリフィンドールにはご褒美に私のサイン付きブロマイドを……おや、もしかして君はハリーと一緒に書店に来ていた子供では?」

「あ、やっと思い出したか。先生ってば気付くの遅すぎ!」

 

 アリィは客として、ロックハートは主役として、書店でのサイン会で会合を果たしている。その際ロックハートは壇上にハリーを上げて一緒に写真撮影に興じたり、客として訪れたアーサーとルシウスが喧嘩をしてハグリッドに仲裁されるという事件も目撃した。

 共に印象深い事件であり常にその中心にいた事から、ロックハートはアリィにも見覚えがあったのだ。

 

 ロックハートは生来の目立ちたがり屋であり、周囲から一目置かれチヤホヤされる事を好む。自身の冒険譚を本にしたのも注目を浴びたいからで、ホグワーツの教師を引き受けたのも、あのハリー・ポッターを教え子に持つのは箔が付く。もしくは彼と一緒にいることでより有名になれると考えたからだ。

 そんな彼が、アリィのファミリーネームに反応しない筈がない。

 

「ややっ! しかも君の名はグリフィンドール!?」

「そう! アルフィー・グリフィンドール。アリィで良いよ。得意な教科は薬草と魔法薬学! あと変身術や呪文学も結構得意! よろしく先生!」

 

 いきなり自己紹介を始めたアリィは教科書を購入以来、見事にロックハートのファンと化していた。ナルシス先生というのも彼なりに考えた親しみを持って呼べるあだ名だ。

 彼は愉快で摩訶不思議な事が大好物。おまけに根っからの遊びと悪戯好きで、常に少年の心を忘れない(現在進行形で少年なのだが)。

 その才能――というより存在自体が非常識の塊だが、性格に関しては年頃の元気一杯な好奇心旺盛の子供と変わらない。

 だからだ。アリィはロックハートの体験した冒険の数々に並々ならぬ関心を懐いていた。

 特にお気に入りなのが先程話題に出た『バンパイアとバッチリ船旅』である。

 

「船酔いするバンパイアをワインで酔わせて船酔いを忘れさせるとかナイスなアイデアっ! しかも途中で海蛇竜(シーサーペント)を撃退したとかカッコ良すぎる!」

 

 危険な魔法生物を魔法で撃退するなど少年少女が夢見る英雄譚。憧れ以外のなにものでもない。

 ドラコが直視出来ないほど瞳をキラキラさせているアリィに、ロックハートは鼻を伸ばし、得意気に笑い声を響かせた。

 

「ええ、ええっ! そうですとも! あの海蛇竜は結構な大物でしたが、私の手に掛かればどうってことありません!」

「この前はピクシーの捕獲に失敗したらしいのに土壇場で実力を発揮するなんてっ! よっ、この主人公体質!」

「え……ま、まあ、その通りですね! たまに自分の才能が怖くなります!」

 

 アリィの天然にロックハートは頬を引き攣らせるが、直ぐにその強張りは甘い微笑みに掻き消される。数日前のグリフィンドールでの授業で起きた失態は、彼にとって一刻も早く忘れ去りたい事実だ。

 

 だからロックハートは内心の動揺を上手く隠し、さりげなく話題を逸らすことにした。

 

「ではっ、授業の助手は是非アリィに頼むとしましょう」

「おっしゃ、任せとけ!」

 

 机を跳ね除ける勢いで意気揚々と立ち上がり、女子と男子それぞれから羨望と呆れた視線を向けられるアリィ。このあと彼は残り時間の間、見事に海蛇竜の役を務めきり、ロックハートが退治した時の状況を再現するのに貢献する。

 興味の無い者にとってはとことん無駄な時間だったが、アリィは勿論楽しみつつ、そして授業内容に安心しながら、金曜最後の授業を終えるのだった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 新学期初めての休日はアリィにとって実に有意義な日となった。ご飯の時以外は部屋に篭り、ハロウィンに向けて必要な本に読み耽り十二時間。なにせ食事中も本を手放さなかったのだから実に勉強熱心だ。

 今も夕食から部屋に戻ってきて尚、新学期の初日にハグリッドの所から戻ってきたグレートポチ太郎にもたれ掛かりながら『ドラゴンになりたかった私』という、一人のドラゴンマニアの著書を読んでいる。

 

 ドラコの姿は無い。彼は十八時頃に食事をしたその足で、パンジーに連れられて夜の散歩デートに付き合わされている。助けを求めても誰も視線を合わせてくれず、それ所か爆発しろの一言と共に糞爆弾を 投げられる始末。着々と苦労人の道を歩みつつあった。

 

 ルームメイトが不在の中、アリィは紅茶を飲みつつページを捲る。ポチ太郎はアリィの背もたれになりながら眠そうに三頭揃って欠伸をし、そして愛犬の寝床であるクッション置場の直ぐ横、完全防音対策の取られた箱の中から、体長八十センチの蛇が顔を覗かせた。

 アリィの新しい家族。バジリスクの伝次郎・ザ・ダークボンバーである。

 

『アリィ、いったい何で朝からそんなに本を読んでいるの?』

 

 舌をチロチロ、シューシューという音を漏らし、伝次郎が問い掛ける。手元まで這ってきた伝次郎の頭を指の腹で撫でながら、アリィは新たにページを捲った。

 視線は本から離れない。

 

「ハロウィンのイベントに向けて勉強中。ちょっと早いかもだけど、去年は出られなかったから気合いを入れようと思って」

『えっ、もしかして悪戯? もうやらないようハーちゃんに言われたって、君自身が僕に教えてくれたじゃないか』

 

 去年にあったイベントや事件の数々は既に教えてもらっている。ちなみに伝次郎は誰かの名前を呼ぶ時は君/ちゃんで呼称するのだが、ハーマイオニーだけは『ハーさんちゃん』だと言い難いので縮めて呼ぶ事にしていた。

 

『あの笑顔が怖いって言っていたのに』

「禁止されたのはお菓子を使った大々的な悪戯。なら食べ物を使わなきゃ良いんだよ」

『そんな屁理屈が通用する相手じゃないだろうに……』

 

 説教地獄を味わう姿が目に浮かぶ。まだ伝次郎はアリィを除けばドラコとしか面識は無いが、彼の苦労っぷりを見るに自分のご主人様は色んな人に苦労を掛けていそうだ、と思うのに一切の迷いが無かった。

 まだ見ぬ苦労人達に黙祷を捧げていると、アリィは千ページにも及ぶ分厚い本を読み終わったのかパタンっと閉じ、大きく伸びをして固まった筋肉をほぐす。

 首をコキコキ鳴らしながら杖を一振り。空になったカップとティーポットは洗浄魔法で清められ、デスクの上にちょこんと移動した。

 

『ハーちゃんに怒られても知らないからね』

「怒られる訳ないって。折角出来た後輩の歓迎も兼ねてるんだからさ。それにジニーも元気になるかもしんないし」

『ジニー?』

 

 その名前には聞き覚えがあった。夏休みの話を聴いていた時に頻繁に出てきた名前だからだ。

 

「なーんか最近元気無いんだよね。ボーッとしてたり顔色悪かったり。……ホームシック?」

 

 アリィの中のジニーは活発で恥ずかしがり屋な少女。あの双子の妹なだけあり普段は溌剌としているが、ハリーを前にすると途端に赤面して何も手に付かなくなる。

 ハリー関連で悩むことがありその都度相談に乗っていたが、それでもあそこまで元気が無いのを見るのは初めてだ。

 

「これでも相談役で一歳年上。年長者として元気に……そうだっ!」

 

 何かに閃いたアリィは早速準備に取り掛かる。ベッド脇に放りっぱなしのショルダーバッグを襷掛けにし、中身を確認。必要な物が入っている事を確かめてから『留守番よろしく』とポチ太郎の頭をそれぞれ撫でた。

 

『どこかに行くの?』

「気になるならこっちから出向いて訊けば良いんだ。今日は副校長も出張らしいからバレる心配も無い!」

 

 料理クラブの件で相談に行った時、マクゴナガル自身から今日の夜と明日の午前中は不在であることを告げられている。ロックハートに頼む時は彼女も同席したいらしく。そのため土日は止めてくれと懇願されたからだ。

 つまり今日なら堂々と談話室まで降りる事が出来る。

 

『ふーん、なるほど。じゃあ頑張って役に立ってきなね』

「何言ってんだか。伝次郎も行くんだよ」

『はぁっ!?』

 

 伝次郎の何言ってんだコイツという視線は、全く同質の視線で返される。首を傾げるアリィは、さも当然のように言った。

 

「ついでだし伝次郎もハリー達に顔見せしとこう。ハリーも伝次郎を見たがってたし、伝次郎だってハリーに会いたいって言ってたじゃん」

『いや、確かにそうだけどっ!』

 

 一人ならともかく多くの人に見られるのはまずい展開だ。伝次郎はバジリスク。明るみになれば大問題になる種族。

 特にバジリスクの雄は頭の部分に鶏の羽を持つため、生態にちょっとでも詳しい人がいれば直ぐにバレてしまう。

 羽については記す著書があったり無かったりとマイナーな知識なのだが、それでも知っている人は知っている。ハグリッドや魔法生物飼育学の教授は確実に知っている事だろう。

 

 そう急いで指摘すると、アリィは盛大な舌打ちをかまし――そして直ぐ笑顔になる。

 

「よし、じゃあその羽を毟ろう」

『馬鹿じゃないの!?』

「む……あっ、良いこと思い付いた!」

 

 思わず叫んでしまった伝次郎の見る前で、なにやらアリィはベルトの工具セットの中から折り畳み式のナイフを取りだし、それでベッドシーツの端を引き裂いていく。学校の屋敷しもべ妖精が翌日には新品と取り替えてくれるとはいえ、なんと勿体ないことだろう。

 いきなりの奇行に伝次郎が唖然とする中、縦二センチ、横五十センチに裂いたシーツに接着剤を塗りながら蛇がとぐろを巻くように重ねていく。その瞬間接着剤が乾く前に、重ねた下の方の隙間にウェクロマンチュラの極細ロープを挿し込み、反対側に突き出させ、あとは接着剤が乾くのを待てば完成。

 これは誰がどう見ても――、

 

『ターバン?』

「そ、これなら羽を隠せるでしょ」

 

 早速ターバンを伝次郎の頭の上に乗せ、顎の下でロープを結んで固定。途端にアリィは楽しそうにとケラケラ笑う。

 バジリスクの顔がドラゴンと見間違うほど精悍なため、そのターバン姿というのが妙にコミカルでツボに入った。

 

「ほら、これなら大丈夫でしょ。行くよ伝次郎」

『えーっと、どうしても?』

「もち」

『心変わりは?』

「ある訳ない」

『……………………ハァ、しょうがないなぁ』

 

 根負けした伝次郎はスルスルとアリィの足に絡み付き、そのまま足を伝って身体に巻き付く。アリィはローブの中に隠れたのを確認してから部屋を出て、数分後には城の外へと飛び出していた。

 そしてバッグの中から毎度お馴染み双子座を装着。グリフィンドール寮のある背の高い東塔まで一っ飛び。双子座を製作してから使用頻度が激減してしまったワイヤーガンである。

 幸い誰にも見られることなくアリィはハリーの部屋へと辿り着き、窓を開けた。予告無しにアリィが来ても大丈夫なように、ハリーは常に鍵を開けっぱなしにしているのだ。

 

「ハリー! 遊びに……ありゃ?」

 

 部屋には誰もいなかった。

 ハリーやロンがいないことは今までにも何度かあったが、他のルームメイトも含めて全員がいないのは初めてのこと。少し面を食らう。しかしこれはある意味アリィにとって好都合な展開である。

 

「いやー、誰もいないのかー、じゃあ探しに行かないとダメだよなー」

 

 アリィは白々しい台詞を吐いていそいそと、そしてワクワクしながら部屋を出て、階段を降り、寄り道せずに談話室を目指す。

 暖かい真紅の部屋に入室すると、そこには多くの獅子寮生が集まって各々楽に過ごしていた。その中の一団。部屋の隅のテーブルを陣取る男女の方に向かう。

 アリィの登場に気付いて皆が騒ぎ出すのと、アリィが彼等に話し掛けたのは全くの同時だった。

 

「よっ、ロン。あとハーさんも」

「アリィっ!?」

「あなたっ、いったいどこから来たの!?」

 

 驚いたのは宿題をしていた二人だけではない。パーバティ・パチルやラベンダー・ブラウンと雑談に興じていたネビル・ロングボトム、シェーマス・フィネガン、ディーン・トーマスの五人。友人らしき人物と課題を見せ合っていたパーシー。アリィを知る二年生以上の生徒全員が驚き、直ぐに詰め寄ってきた。

 驚愕と歓迎の入り雑じった声を全身に浴びてもみくちゃにされるアリィ。しかし寮監の留守を預かる監督生としての誇りか、ある程度落ち着くとパーシーが代表して口を開いた。

 

「それで、君は遊びに来たのかい?」

「まあそんなとこ。ほら、今日は副校長もいないんでしょ」

「……まったく、君って子は……」

 

 パーシーは双子以上に言う事を聞かない頑固者に溜め息を吐いた。

 ホグワーツには他寮に入ることを禁止する校則は存在しない。しかし頻繁に訪れるのを推奨されていないのも事実で、他寮の者に合言葉を教えるのは禁止されている。

 推奨されていないのは、寮の談話室というのはその寮生が何者にも憚れず語らうための場。他寮の者には聞かせられない秘密ごとや、クィディッチの代表選手達等が頻繁にミーティングを行っているからだ。

 故に無闇矢鱈と出入りしないのがエチケット、暗黙の了解と化している。

 合言葉云々は単に寮の防衛問題や私物の盗難防止対策として定められたことだった。容易く窓から侵入出来る時点で甘いとしか言いようが無いのだが。

 

 そして以前アリィが訪れた時は、マクゴナガルにやんわりと小言を貰ってしまった。だから彼はマクゴナガルのいない時を狙い、堂々と談話室に下りてきたのだ。

 彼を一年以上も見てきた人達は、アリィが無闇に人の秘密をバラしたりせず、人との約束はきちんと守ることをなんとなく察しているため、そこまで問題視する者は一人もいない。

 アリィは愉快犯であっても本当の意味で人を傷付ける事は絶対にしないと皆が知っているからだ。

 

「……分かった。僕は何も見なかった。でもアリィ、監督生として忠告する。絶対に馬鹿騒ぎをして出禁になるような事はしないでくれ」

 

 パーシーはそれだけ言うと自室に戻っていく。ただその際、ミス・ストッパーに意味深な視線を送り、彼女がしっかりと頷いたのに、アリィ以外の全員が気付いていた。

 

 一度アリィと挨拶を交わした者は元の場所に戻って雑談を再開させる。この場に残ったのはネビル達五人だけだった。

 

「ねえ、そういやハリーは?」

「クィディッチの練習。……あー、でもスネイプの奴! 本当に腹立つ!」

 

 ロンはそう憤ると机を叩き、その拍子に積み上げていた羊皮紙三巻きがパサパサと落ちる。ハーマイオニーの咎める視線に狼狽しながら即座に謝罪し、事情を知らないネビル達も挙って知りたそうな目を向けていた。

 

 その話を要約すると、ようはまた寮同士の争い事だ。

 グリフィンドールが朝からクィディッチ競技場を予約していたのにスリザリンが乱入。獅子寮は早い者勝ちを主張し、蛇寮は教師からの練習許可証を主張。

 手を出すのも時間の問題と思われるほど口喧嘩が白熱したところで、練習を見にきたスネイプが乱入。問答無用で獅子寮を言いくるめたらしい。

 お陰で彼等はスリザリンが練習を終えた夕方からしか練習が出来ず、もう十九時を回って外も暗いのに、まだ練習を続けているのだ。

 この話には獅子寮生全員が憤った。

 

「おぉ、流石寮監。容赦が無い」

 

 だからハリーだけでなく双子もいないのかと納得し、そしてアリィはシャツの上を這いずり回る感触で伝次郎の事を思い出した。

 さあ、ついに御対面である。

 

「しゃーない。じゃあとりあえず皆にお披露目といきますか」

「お披露目? アリィ、いったい――キャッ!?」

 

 ハーマイオニーの言葉は自身の悲鳴で中断される。直後、アリィの首元から 飛び出た蛇に、ロン達の驚きと悲鳴が迸った。

 

「名前は伝次郎。ポチ太郎ともどもよろしく」

 

 ロン達は最初こそ驚いたものの、今では全身を現してテーブル上でとぐろを巻く伝次郎を興味深そうに観察し、そして女子三人はすぐさまテーブルから距離を取った。魔法薬の材料ならまだしも生きた蛇は苦手らしい。

 ネビルは初めオドオドしていたが、今はもうロン達と一緒に背を撫でるほど慣れている。

 

「アリィ、これが君の言っていた蛇なの?」

「そうだよロン。どうよ、伝次郎の姿は」

「カッケー!」

「ターバンが最高!」

「う、うわぁっ、鱗の手触りが凄い」

 

 称賛するシェーマス達の声が呼び水となり、人はどんどん集まってくる。反対に女子は自室に避難したり壁際に下がる者も出てくるが、伝次郎が大人しくされるがままになっているのを見ると、怖いもの見たさで近寄る者もチラホラ出てきた。ハーマイオニーなんかがそうだ。

 一躍人気者になった伝次郎に満足し、彼の戸惑う声に笑いながら、アリィは周囲を見渡し――暖炉前の椅子に座っているジニーを発見する。

 こちらからでは背後しか見られないが、どうやらアリィの登場にも気付いた様子は無い。とんでもなく重症だ。

 

「ジニー」

「え? ………………きゃっ、アリィっ!?」

 

 急に肩を叩かれたジニーは驚愕した。そして漸く談話室の騒ぎを認識し、どれだけ考え事をしていたのかを察し、羞恥で顔がカアーッと赤く染まる。

 至近距離で見れば直ぐに分かる。ジニーには疲労の色が濃く見れた。

 

「あ、アリィ……いったいどうしたの? あと、その、良いの? 談話室に入ってきちゃって」

「良いんだよそんなの。あと俺が来たのはジニーに会うため」

「……あたしに?」

「そ。ジニーの相談に乗りに来た」

 

 平然と言ってのけたアリィにジニーは吃驚した。

 知られている。しかし、相談したら迷惑では無かろうか。そう思うと言葉が出なくなるジニーに、アリィは気を使っても無駄だと笑いかける。

 

「散々相談に乗ってきたんだから話しなよ、水くさい。俺はジニーの相談役第一号だぞ」

「――そうね、じゃあ第二号にも話してくれる?」

「……ハーマイオニー」

 

 伝次郎を取り巻く一団から離れて来たハーマイオニーを見て、ジニーの瞳が潤んだ。

 家族には相談出来なかった。心配させたくなかったのもあるが、生活環境が変わって直ぐに調子を崩す弱い子供と思われたく無かったからだ。

 よってコレは一人で解決しようと思っていたが、その過ちに漸く気付かされるジニー。

 一人で抱え込んでも良いことなど少ないのだ。

 だからジニーは頼りになる相談役と新しく出来た姉貴分に相談する事を決意した。

 

「あのね……最近、あたしってば変なの。……たまにボーッとすることがあるし、ここのところ体調も良くなくて。それに……記憶が無い時があるの」

「記憶?」

 

 アリィの疑問にジニーは小さく首肯し、震え出す。

 自分が何をしていたのかを思い出せない時が度々あった。それはほんの数分という程度だったが、問題は二日前の早朝だ。

 ベッドで寝ていたはずが気付いた時には身体中が汚水と汚れだらけで、ルームメイトが起きる前にシャワーを浴びて事なきを得た。

 しかしそれ以来、ジニーは自分の身に起きている異常をより真剣に心配し始める。

 話し終え、三人は沈黙した。他が騒がしい分、余計沈黙が目立つ。しばらくした後、真っ先に口を開いたのはアリィだった。

 

「ハーさん、どう思う?」

「錯乱呪文が一番怪しいと思うけど、ジニーにそんなことをする理由が見当たらないわ」

「だよねー」

 

 他にも二人は悪戯道具や魔法薬の可能性も検討するがどうもしっくりこない。しかしジニーに異常が起きているのは事実であり、そうなると彼女の身の回りのものが原因である可能性が高いという結論に落ち着く。友人も含めてだ。

 

「ジニー、なんか原因っぽいのに心当たり無い? なんかこう、怪しい物とかさ」

「どんなことでも良いの。あと貴女と一番仲が良い人が誰なのかも教えてちょうだい」

「物……仲の良い人……あっ」

 

 思い付くものがあった。奇しくもそれは両方に当てはまる物だった。目の色を変えたジニーを見て、二人の目がキュピーンと光る。

 

「ほほう」

「心当たりがあるのね」

「で、でもッ、アレは違うわっ。だってママが用意してくれた本の中にあったんだものっ」

 

 それは知らずの内に手に入れていた本だった。教科書に混じっていた日記帳。折角なので日記を付けようと文字を書いたら、即座に日記帳自身から返事がきて、とてもとても驚いた事を昨日のように思い出せる。

 それ以来、ジニーと日記帳の密かな交友が始まった。

 

「ジニー、その心当たりを見せてちょうだい」

「そうそう。双子ほどじゃないけどさ、俺もちょっとは道具の解析ぐらい出来るかもよ」

「……………………分かったわ」

 

 結局、ジニーは折れる事にして、直ぐに持ってくるため自室に戻る。

 その日記帳がアリィに会いたがっていたというのもあるが、その日記帳と話すことで彼の優しさと安全性を知ってもらいたかったからだ。

 そして急いでいたのと、心配事を打ち明けた事で心が楽になっていた事からか、ジニーは気が抜けて日記帳に同意を得るのを忘れてしまう。

 

 

 

 ――これが自身の命運を分ける事になるとも知らずに。

 

 

 

「でも何なんだろーなー、ジニーが持ってくる……ん?」

 

 何やら耳に届いたざわめきに背後を振り向くアリィ。ちょうどそこには左右に割れた人壁から出てくる伝次郎の姿が見えた。どうやら流石に疲れ、アリィの元へ避難したいらしい。

 

 そして丁度ジニーが談話室に戻ってきたのと、階段前を伝次郎が横切るのは同時だった。結果、

 

「キャアッ!?」

 

 可愛らしい悲鳴を上げたジニーは蛇に驚き、盛大な尻餅を着いてしまう。その拍子に黒革の古い日記帳が宙を舞い、偶然にも伝次郎の前に落下した。

 

『うわっ、ごめんね。お嬢さん』

 

 驚かしてしまった罪悪感から伝次郎は日記帳を拾い、ジニーに渡そうと背後を向いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――さて、ここで思い出さなければならないのは、伝次郎が『毒蛇の王』の異名を持つバジリスクだということだ。

 魔眼に埋もれがちだがその牙に宿す猛毒は相当なもの。一種の呪いにも似た強力な猛毒は数多の生物だけでなく、物や魂さえも犯し、殺す。強大な魔力を帯びた呪毒。

 そして腕を持たない伝次郎は必然的に口で噛むしか物を持てず、しかも日記帳は意外と重たかった。

 だからこの小さな身体にまだ慣れておらず力配分を誤り、必要以上に力を加えてしまった彼を誰れが責められようか。

 

 そしてハードカバーを貫通し、鋭利な牙が古ぼけたページに食い込んだ瞬間、

 

 

 

 

 ――――ギャアアアアァアアアァアアアーーーッ!?

 

 

 

 耳をつんざく絶叫が木霊し、噴水の如く逆流したインクが四方八方にバラ撒かれた。

 

 

 




反響が怖くてビクビクしています。ちょっとは皆様の予想を裏切れたでしょうか。
もし今後の展開に不安を懐く方がいらっしゃいましたら、活動報告のあとがきをご覧ください。
少しでも不安を解消出来たら嬉しいです。

誤字、脱字、感想、ご意見、なんでも構いません。もし何かありましたらご連絡ください。とても励みになります。テンションマックスです。


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第九話

 グリフィンドールの談話室は静まり返っていた。突如響いた身の毛もよだつ悲鳴に全員が耳を塞ぎ、ゴボゴボと沸き立つインクから目を逸らせずにいる。その状況が混乱に拍車を掛け、訳が分からなかった。

 渦中にいる筈のアリィやハーマイオニーでさえそうなのだ。インクに塗れる一匹の蛇。そして壁に寄りかかり崩れ落ちそうになるジニーに、二人は暫し呆気にとられ、放心から抜け出せずにいた。

 けれども頭が真っ白になろうとも事態は進む。カーペットの上に投げ出された壊れ逝く日記が闇のように黒いインクを吐き終わるまで、彼等の時間が進む事は無かった。

 

「ちょ、なにやってんの伝次郎!?」

「ジニー!?」

 

 静寂を打ち破ったのは二人の言葉。アリィはジニーを心配そうに見つめた後、黒く汚れてオロオロしている伝次郎に注意を向ける。ハーマイオニーは壁に寄り掛かりぐったりしているジニーの元へ走り寄り、必死に呼びかけていた。

 

『ご、ごめんっ! 僕、こんなつもりは……』

 

 そして皆が例外無く混乱している中、一番慌てているのは伝次郎だろう。声に混乱と謝意が宿る。態とではない。彼にとっても予想外な出来事である事を、蛇語を理解するアリィだけが察していた。

 故に彼は『分かってるから大丈夫』と力一杯頷くのだ。

 

(なんとかしなくちゃ!)

 

 神妙な面持ちで袖の中から紫壇の杖を引き抜くアリィ。

 家族の尻拭いを決意する少年は、今までに無いほど真剣に呪文を紡ぐ。

 

「スコージファイ! レパロ!」

 

 変化は劇的だった。洗浄呪文でベタベタになるほど浸っていたカーペットの黒い染みは溶ける様に消え去り、黒一色だった伝次郎の顔も綺麗な暗緑色の光沢を取り戻す。修復呪文で傷口が捲れ上がっていた日記の穴も塞がった。

 しかし、それだけだ。

 

「あぁ、やっぱりダメか」

 

 手に持つ日記は牛革カバーの見た目通りずっしりと重い。見た目だけなら元通りだが、それでも少年の表情は暗かった。

 外見や状態は直せても魔法的なモノまでは直せない事を去年のクリスマスに学んでいるからだ。

 

「ジニー! 大丈夫なの!?」

「ジニー!?」

 

 獅子寮生に囲まれる中、完全修復の方法を必死に模索しているアリィの意識に二人の声が潜り込む。一人は当然ハーマイオニー。もう一人は大事な妹の異変に駆け付けたロンだ。

 ハーマイオニーは正面から俯くジニーに声を掛け、同じくロンも心配そうに肩を揺らす。

 すると、ジニーはゆっくりと顔を上げた。焦点の合っていない瞳にも次第にだが光が灯る。

 談話室内が安堵の声に包まれた。

 

「だ、大丈夫……ちょっと立ち眩みが……」

 

 額に手をやり、頭を振りながらゆっくりと立ち上がるジニー。ロンの手を借りて周囲を見渡す彼女は、何故自分が皆に囲まれているのかと疑問に思い、そして真正面で項垂れるアリィの手を見て全てを思い出す。

 ジニーの表情が先程とは違う意味で青褪めた。

 

「……トム? そうだわっ、トムは!?」

 

 ヒステッリクに叫ぶジニーは周囲が見えていないようだった。ロンの静止も無視してアリィに詰め寄ると日記を奪い取ったのだから。普段の彼女なら、こんな荒々しい行動に出る筈もない。つまり彼女はそれほど動揺しているという事で。何度もトムと連呼する姿からは悲壮感が込み上げた。

 

「ご……ごめんジニー……大事な本を……ごめんなさい」

『ごめんなさい』

 

 頭を下げるアリィは痛々しく思えるほど小さくなっている。その姿に周囲の野次馬は衝撃を受けた。

 あの天災が真摯に謝罪している。

 そのこと自体は意外でもなんでもない。彼の性格を考えれば当然だろう。

 しかし守護神に叱られるギャグめいたいつもの展開とは掛け離れた光景に、皆はあてられたのだ。

 

 頭を下げ続けて微動だにしない天災と蛇。心配そうに囲む野次馬。その野次馬を掻き分けてテーブルに近付き、そこにあった羽ペンで一心不乱に日記へ文字を走らせるジニー。眉間に皺を寄せ、考えに集中するハーマイオニー。

 故に彼等の中で行動に移せるのは、一人しかいない。

 

「ジニー、いったい何がどうなってるんだ? 僕にも分かるように説明してくれ」

 

 ある意味関係者でもあるロンは誰かに呼び掛けている妹へ遠慮しがちに声を掛けた。

 思わず躊躇ってしまうほど鬼気迫る表情だったジニーは、ロンの問いに魂の抜けた調子でゆっくりとだが説明し始めた。

 

 夏季休暇の頃から日記に宿る人格と筆談していたこと。

 彼がとても優しく、聴き上手で話上手だったこと。

 最近、調子を崩すだけでなく記憶障害に陥っていたこと。

 夢遊病者の様に意識の無い状態で徘徊していた形跡があったこと。

 そして、その原因が日記にあるのではないかとアリィ達が考察していたと話した時点で、ロンの怒りが爆発した。

 

「なっ、何を考えてるんだよジニー!? パパが僕達に口を酸っぱくしていつも言っていただろ!? そういった何処に脳みそがあるのか分からないのに意識を持っている道具が一番危険なんだって!」

 

 父親の職業柄ウィーズリー家は魔法具について造詣が深い。その利便性だけでなく危険性も教育されているロンにとって、ジニーの行動は信じられないものだったのだ。

 妹の迂闊さにロンは憤る。そしてジニーは、それで黙っていられるほど大人しい少女ではない。一方的に責め立てる兄にジニーも直ぐに反発した。

 

「でも、トムはあたしに優しくしてくれたわ! 友達だったのよ!」

「優しく!? そんなの、お前をどうにかするための懐柔策に決まってる! 悪魔は甘い言葉で獲物をおびき寄せるんだ!」

「え、ロン! 悪魔って実在するの!?」

『アリィ、今は自重して!?』

「ごめんなさいっ!」

 

 再び頭を下げる天災には目もくれない。衆人環視で兄妹喧嘩を繰り広げる二人を止める者はいなかった。

 ただ一人、学校が誇る秀才を除いて。

 

「でも、ジニーはその日記が原因で体調を崩していたのよね?」

「……え?」

 

 ジニーだけでなく皆の視線が集中する。今まで沈黙しながら考察を続けていたハーマイオニーの目を見れば、その考えに絶対の自信がある事を全員が悟った。

 そしてこの学校には彼女の意見を蔑ろにする者など存在しない。彼女の意見は全て傾聴し、意識に留めておく価値があると認識している。それは、ハーマイオニーが多くの人から信頼されている証だった。

 

 第三者からの介入に兄妹の勢いは一先ず沈静化。ロンはバツが悪そうに、しかし舌打ちをするほど不機嫌になりながら顔を逸らし、逆にジニーはハーマイオニーから目を逸らせずにいる。

 冷静になってきた妹分を刺激しないよう、ハーマイオニーは優しく語りかけた。

 

「ジニー、自分自身の事に気付いていないの? あなた、立ち眩みの前よりも顔色が良くなっているのよ。身体の調子も良くなっているんじゃないかしら」

「そういえば……」

 

 今までの体調だったのならここまで大声を張り上げて口喧嘩など出来はしない。一度倒れかけてからは心がやけにすっきりし、身体が軽い事に漸く気付く。鉛を飲んだような倦怠感は既に無く、この晴れ渡るような爽快感は、まるで浸食していた汚染が綺麗に消え去った様で――、

 

 これでは、日記が原因だったのだと言っている様ではないか。

 

(そんな、まさか本当に)

 

 愕然とするジニーだが、再度掛けられた言葉に、知らぬ間に俯いていた顔を上げた。

 

「自覚はあるのね。なら、その本が原因の可能性は高いと思うわ」

「でも……っ!」

「もちろん、そのトムという人物が話通りの人格者であるという可能性も否定出来ないわ」

 

 ハーマイオニーはジニーの主張も認めた上で、しかしそんな事はありえないと目で訴えながら反論を封殺した。

 そして、ジニーも本当は気付いていた。

 少なくともハーマイオニーの考えは筋が通っている。否定する要素は何処にもない。ただ、認めたくないだけだったのだ。

 あの青年との楽しいひと時は、確かに存在したのだから。

 

「……アリィ」

 

 しかし、そんな矢先。

 ジニーは未だに頭を下げているアリィを見て、心が締め付けられた。

 彼の天災は見ていて痛々しいほど罪悪感を覚えている。

 彼をこのままにしておいて良いのか。もしかすれば命の恩人かもしれない人物をこのままにしておくのか。

 大事な友人より、よく考えれば人間味の無いほど完璧で妖しい人物/物を、犯人の可能性が濃厚な方を優先する必要があるのか。

 そんなこと、無いに決まっていた。

 

「アリィ、お願いだから顔を上げて」

 

 優しい穏やかな声に、アリィは頭を下げたまま腰を九十度も折って謝罪する。

 

「ジニー、ごめんなさい! 伝次郎も反省してるから許してください!」

「許すも何も怒ってないわ」

 

 ここで初めて、アリィは伝次郎と一緒に頭を上げ、優しい目をして微笑を浮かべるジニーを見上げた。友人の妹の浮かべる笑みはどこまでも清らかで、悪夢から醒めたように晴れ渡っている。しかし同時に儚げな雰囲気を見せるのは、きっと自分の馬鹿さ加減に呆れている自嘲の表れなのだろう。

 

 ジニーの声は、先程までとは違う意味で震えている。

 

「ハーマイオニーの言う通りよ。あたしの体調が良くなったのは事実だし……記憶が無いのも、身体中が汚れていたのも……トムがやった可能性が高いって、あたしでも分かるもの。きっと、あたしの身体をトムが操っていたんだわ」

「でもトムはジニーの友達だったんでしょ!? もしかしたら良い人だったのかもしれないじゃん!」

 

 ここまできて犯人の可能性が濃厚な人物を庇うのがジニーではなくアリィなのは皮肉かもしれない。基本的に人を疑う事をせず、誰にでも善い部分があると信じてやまないアリィだけが日記の無実を主張した。

 なにか証明できるものがほしいと、アリィは切に願う。

 彼も九割以上の確率で有罪だと考えているが、その残りの可能性をどうしても切り捨てられずにいた。

 縋る様に周囲を見渡し、何人かには視線を外されながらも頭を働かせた結果、

 

「アリィ?」

「おい、どうしたんだ。いったい」

 

 急に虚空を見つめて動きを止めたアリィに、ハーマイオニーとロンは心配そうに声を掛けた。

 ブツブツと呟く姿に恐怖を覚えながら近寄り、肩を叩く。

 そして、それを合図にアリィは行動を開始する。

 今までの暗い雰囲気は一切感じられない。光明を見出したと笑顔で示すアリィは、机にあった日記を勢い良く引ったくると大事に抱え込んだ。

 

(きっとあの人ならやってくれる!)

 

 そう、自分でどうにも出来ないのなら、他の人を頼れば良いのだ。

 幸いにもこの学校には自分よりも博識な人物がいるのだから。

 

「待ってて! ダンブルドアなら本を直せるかもしれないし、何か分かるかもしんない! ちょっと訊いてくる!」

『アリィ!? ちょっと待ってよ!』

 

 人垣を掻き分けて入口へ向かうアリィに伝次郎は大急ぎで追走した。

 幸いにも入口を潜る寸前で追い付き、ローブの裾から身体に入って胴体に巻きつく。

 そしてその時、アリィが飛び出すのと同時に入室しようとしていた一団が存在した。

 

「うわっ、……え、アリィ!?」

 

 アリィと衝突しかけたのはハリーだった。

 箒を片手に真紅のユニフォームに身を包んだハリーは遠ざかる小さな背中を目撃し、暫しその場で立ち止まる。アリィの表情。そして談話室から響く友人達の声から只ならぬ経緯を察した。

 

「あ、おいハリー!」

「どこに行くんだオイ!?」

 

 だからハリーはチームメイトの双子を無視してアリィを追うのだ。これも幼馴染としての責任感が生じた結果。

 とりあえず理由は分からないがアリィを追うハリーは、途中で肖像画や生徒達の目撃情報を頼りに追跡を開始する。

 幸いにも、アリィは直ぐに発見出来た。

 

「蛙チョコレート! フィフィ・フィズビー! ハエ型ヌガー! ハッカキャンディー! あー、もう! 合言葉が分かんないっ!」

「アリィ、いったい何があったの!?」

 

 なにやらガーゴイル像に対して菓子名を連呼するアリィへ詰め寄るハリーは、途切れ途切れの説明を繋ぎ合せ、なんとか現状を理解する事に成功する。

 とはいえ分かった事は噂のペットがジニーの大事な物を破壊したこと。それが良い物の可能性もあるし悪い物であるかもしれない。という二点についてのみだが。

 それでも大まかな経緯を知るには充分だ。

 

「だからダンブルドアに会わないといけないんだ。誰か、誰か合言葉を知ってる人……」

 

 校長室への入室を諦めたアリィは周囲を隈なく見渡すが、そう都合良く合言葉を知る教員やゴーストが通る筈も無い。

 覚悟を決めたアリィは、ベルトとポーチからそれぞれ一品ずつ引き抜いた。

 

「こうなったら像を破壊してでも――」

「ストップ! それは流石にまずいよアリィ! というより閃光弾やタバスコ銃でどうやって破壊するのさ!?」

 

 爆発魔法や粉砕魔法ではないだけ平和的かもしれないが、右手に拳銃、左手に手榴弾を持つ姿は激しく物騒である。箒を廊下に放りだして暴れる身体を後ろから羽交い締めにするハリーの手付きは手慣れたものだった。

 そして仮に今の光景を他の人が見ても『ハハ、またやってるよ』で済まされるに違いない。

 誰も廊下を通らないのを良い事に二人は騒ぐ。その騒動が止まったのは五分後だ。

 

「――ふむ、流石に破壊するのはご遠慮願いたいのう」

 

 その声に二人は振り返る。

 そして、

 

「こんばんは、二人とも」

 

 二人の背後には、気分転換の散歩から戻ってきたダンブルドアが立っていた。

 

 ◇◇

 

 そこは校内で最も高価で不思議な物が溢れる部屋だった。

 壁には歴代の校長先生の肖像画が並び、黄金の秤や古い本が卓上に並ぶ。周囲には用途が分からないまでも一目で稀少な物だと分かる魔法具が置かれ、止まり木にいる老不死鳥が小さく鳴きながら前方を――椅子に座る飼い主に説明を続ける生徒二人を眺めていた。

 

「――てな訳なんだ。これがその日記」

 

 説明には長い時間を要した。

 その間、ダンブルドアは無言を貫き、話し終えた今も視線は卓上の日記に注がれている。背表紙を撫で、ゆっくりとページを捲る老人をアリィは期待を込めた目で、ハリーは心配しながら見つめた。

 しかし日記を調べてからしばらく経ってもダンブルドアは眉間に皺を寄せたまま動かない。だから焦れて答えを求めてしまうのは当然だろう。

 

「どう? 何か分かる……あー、分かりますです?」

「アリィ、もうちょっと敬語を勉強しよう」

 

 後で最低限の礼儀を叩きこもうと決意し……そして無理だと諦めるまで五秒と掛からない。例えハーマイオニーに頼んでも無理だろうと、ハリーは胸中で溜息を吐いた。

 

「幾つか確認したいのじゃが」

 

 明後日の方向に向きかけていた意識は老人の一言で元に戻る。

 ダンブルドアはいつも柔和な笑みを忘れなかった。思慮深い瞳は幾重もの未来を見通し、その微笑みは見る者を安心させる。賢者の石の時でさえ医務室を訪れたダンブルドアは微笑んでいた。

 だからだろう。そのダンブルドアの真剣な――恐怖を覚えるほどの鋭い眼差しに、ハリーが畏縮してしまったのは。

 

「ミス・ジニー・ウィーズリーは、確かに『トム』という青年と話をしていたと言ったのじゃな? 日記に文字を書けば、直ぐにその返事が返ってきたと」

「うん」

「そして体調を崩し頻繁に記憶障害に陥っていたと。その間、彼女自身は何処かを徘徊していた痕跡がある」

「そう言ってた。排水溝を通ったみたいに身体中が汚れてたんだって」

「最後の確認じゃ。この日記を破壊した途端、彼女の体調が――」

「回復した」

 

 確認し終えたダンブルドアの吐く息は重かった。疲れたのか深く長い吐息を零し、脱力した身体はゆっくりと背もたれに掛かった。

 

「あの、ダンブルドア先生。先生は、何かお分かりになりましたか?」

 

 半月型の眼鏡の奥。疲労に満ちた表情で、しかしその瞳が笑ったように見えたのはハリーの気の所為なのだろうか。不幸中の幸い。偶然にも貴重な情報を得たと笑ったように見え、戸惑いながら訊ねてしまう。

 しかしダンブルドアはハリーの問いには答えず、日記を二人に差し出した。

 

「二人とも、最初のページは確認したかね」

 

 視線で促され、アリィが卓上の日記を手に取った。彼の肩越しに手元を覗くハリーも最初のページを目にする。古びたページに書かれていたのは、一人のサインであった。

 

「T・M・リドル?」

「あれ、この人って五十年前に『特別功労賞』を貰った人じゃん。トム・リドルでしょ?」

 

 アリィにはこの名前に見覚えがあった。

 去年とある事情から探し出し、そしてホグワーツの卒業生名簿で見つけた名前だった。

 トム・リドル。彼はダンブルドアとそう変わらない成績を残して卒業している。類まれなる優秀な生徒であった。それはもう、その記録を閲覧したアリィすらも呆れる成績だ。

 品行方正。誰からも尊敬され、その期待に応えた優等生。

 だから後に続くダンブルドアの発言は、雷撃にも似た衝撃を齎した。

 

「さよう。名はトム・マールヴォロ・リドル――ヴォルデモート卿の本名でもある」

 

 凍り付く二人に、ダンブルドアは言葉を続ける。

 

「彼は学校創設以来の天才じゃった。ああ、もちろん過去形じゃ。今は、彼よりも優秀な生徒が居るでの」

 

 アリィを見るダンブルドアの目は温かい光のようだった。

 その自分自身を抜いての評価にハリーは一言告げたくなったが、ダンブルドアが謙虚なのは今に始まった事でもなければ、話の腰を折るのも気が引ける。

 少なくとも、お茶目に微笑む老人のお陰で空気が柔らかくなったのは確かだった。

 

「見事なものじゃ。おそらく在学中に残した日記じゃろうて」

「先生、日記が意思を持つ事なんてありえるのですか?」

「魂が宿ってるってこと? それとも記憶?」

「アリィ、後者が正解じゃろう。おそらく、としか言えぬのが口惜しいがのう」

 

 記憶を抜き出す技術は存在する。例えば『憂いの篩』と呼ばれる道具は対象者の記憶を抜き出し保存する事が出来る。

 今回のものはその応用。引き出した記憶をベースに当時の人格――もう一人の自分を創造する。

 訊いた事も無い技術だが不可能ではないとダンブルドアは語り、その難易度は別としてアリィも肯定することで、ハリーはダンブルドアの推測を信じる事にした。

 

 

 

 ――本当はダンブルドアにはもう一つ仮説があり、そちらの方が本命なのだが、知るには時期尚早だと隠す事にした。

 

 

 

「……彼が深い闇にどっぷりと嵌まってしまったことは、まこと残念でならぬ」

 

 誤魔化すように呟くが、それはダンブルドアの本音であった。

 あれほどの才能を余すこと無く正義と世のために使われたのなら、どれだけの人が幸せになっただろう。少なくとも沢山の人は殺されず、今も家族と共に生を謳歌している筈だ。

 そう思うと残念でならない。

 

(……いかんな)

 

 ダンブルドアは少しセンチな気持ちになった所で叶わなかった願望を断ち切った。

 今は前を向き、来るべき未来に備えなくてはならない。

 悪を滅し、未来を担う子供たちを守るために。

 

「――ジニーは、その日記に操られていた可能性が高い。おそらく魔力や魂を糧にその日記は会話を行ない、彼女を操っておったのじゃ」

 

 ダンブルドアの調べた限り、この日記自体に魔力を生み出す仕掛けは見受けられなかった。記憶と共に破壊された可能性があるので断言は出来ないが、そう的外れな推理でも無い筈だ。

 ダンブルドアは二人の前で便箋を広げると不死鳥の羽ペンで文字を書き、杖を振るう。手紙は直ぐに閉じられ、魔法で蝋付けされた個所にはホグワーツの校章が浮かび上がった。

 

「ハリー、今すぐ彼女を医務室に連れていくのじゃ。そしてマダム・ポンフリーにこの手紙を渡して欲しい。後で儂も訪れよう」

「はい。分かりました。……それで、この事は――」

「ふむ。ご家族と、それにミス・ハーマイオニー・グレンジャーには話しても良かろう。ああ、ご両親には儂から手紙を書くのでな」

 

 僅かだが禁句さんに取り憑かれていた可能性があるのだ。誰も大げさな処置だと侮る者はいない。精密検査と同時に日記の入手経路も探らなければならないだろう。

 急いで退室するハリーにアリィは続くが、ドアを出る寸前で待ったが掛かり、天災は足を止めた。

 

「すまぬが、アリィはまだ残ってくれるかのう。一つ、訊ねたい事があるのじゃ」

 

 直ぐにジニーの調子を見たかったアリィは眉を潜めるが、その有無を言わさない視線に負けを認めて嘆息。視線で先に行けとハリーに伝え、出かかっていた身体を戻して扉を閉めた。

 そしてテーブルの前に音も無く出現した椅子に腰かけ、ダンブルドアと向き合った。

 両手を組み、顎を乗せる老人の目は、一片たりとも笑っていない。

 

「さて、アリィや。その日記を破壊した蛇というのが、いったい何者であるのかを話してくれるとありがたい」

 

 強力な闇の道具の核を破壊した蛇が、ただの蛇である筈が無い。

 身体に巻き付く伝次郎がビクッと震える。ローブ越しに大丈夫だと撫でるアリィだが、この老人を相手に誤魔化せる筈もない。

 故にアリィは、正直に話して印象を良くする事にした。

 

「あー、しょーがないか」

 

 この呟きで伝次郎も覚悟を決める。

 観念し、身動き一つしなかった伝次郎は首元から姿を現し、卓上でとぐろを巻いた。

 

『…………こんばんは。その、お騒がせしました』

「うむ。しかし、君が壊してくれたからこそ、彼女は闇の呪縛から解き放たれたとも言える。むしろ、こちらが礼を言うべきじゃろう」

 

 平然と言葉を返すダンブルドアに、一人と一匹は声を失った。

 それほどダンブルドアが行なった事は驚くべき事だったのだ。

 

「え、ダンブルドアも伝次郎の言葉が分かるの!?」

「さよう。儂は蛇語を理解する事が出来る。……まさか、アリィもそうだとは思わなんだが」

 

 吃驚して目を丸くしているダンブルドア以上の衝撃がアリィを襲った。

 世間では闇の魔法使いの証とされている蛇語使いは、あまり知られていないのだが厳密には二つに分類される。

 即ち血筋や何かで先天的に話せる者と、術者や古い文献から直接学び、後天的に習得する者だ。

 アリィや禁句さんは先天的。そしてダンブルドアは後天的である。

 蛇語が努力次第で学べる言語である事を多くの人が知らない。

 パーセルマウスが少ないという理由もあるが、蛇語使い=闇の魔法使いという風潮が、蛇語を習得している善人達の口を閉ざすのだ。

 誰だって闇の魔法使いの嫌疑を掛けられたくないのだから当然である。

 

 ダンブルドアには驚かされたが、そのまま驚いている訳にはいかない。

 今世紀最大の魔法使いの鋭い視線に生唾を飲み込んでから、アリィは伝次郎の秘密を明かし始めた。

 話すにつれ、うっすらとダンブルドアの額に汗が浮かび上がるのが印象的だ。

 流石のダンブルドアもバジリスクの登場は予測出来なかったらしい。

 

「――それで、まあ、そんな訳で伝次郎は森で見つけたんだ。種族はバジリスク」

『僕が瞳に魔力を込めなくちゃ即死の魔眼は発動しません。だから安心してください』

「……なるほどのう。確かにバジリスクの毒ならば、この日記の機能を破壊出来るやもしれん」

 

 この日記の具体的な力はダンブルドアにも分からない。知る機会は破壊と共に永遠に失われた。しかしバジリスクの強力な呪毒なら、若かりし頃の禁句さんの記憶――もしくは魂の一部が宿っていたとしても、問題無く殺しきれるだろうと確信する。

 

 そしてその情報は、ダンブルドアにとって充分過ぎるほど益のあるものだった。何故ならこれで、彼は禁句さんを完全に葬り去る切り札の一つを得たも同然なのだから。

 

 顎に携えた立派な髭を梳く傍らで、ダンブルドアは正義のためにあらゆる事を画策する。その思案する様を伝次郎の処置を考えているのだと勘違いしたアリィは、オドオドしながらダンブルドアを見上げた。

 

「でさ、その……伝次郎を部屋に置いても良いでしょ?」

「ならぬ」

 

 思わぬ即答。

 意味を理解するのに十秒を要したアリィは、肖像画の校長たちが耳を塞ぐ程の大絶叫を響かせた。

 

「えー!? 何でさ!? 魔眼はしっかりコントロール出来るのに!」

「しかし、毒を操るのは無理なのであろう?」

 

 その指摘に絶叫が止む。

 固まるアリィに降り注ぐ言葉は、幼子を宥める様に穏やかだった。

 

「万が一、という事があるのじゃよ、アリィ。この場合、最も危険なのはルームメイトであるミスター・マルフォイじゃ」

「うぐっ」

 

 魔眼と違い、伝次郎が噛んだ物には例外無く猛毒が注入される。それがコントロール出来ないのは今回の件が証明してしまった。

 

 もし、撫でる際に牙が皮膚を掠めたら。

 もし、寝ぼけて誰かを甘噛みしてしまったら。

 

 唯一の解毒剤である不死鳥の涙はいくらでも提供出来るが、毎回処置が間に合うとも限らない。解毒剤を使う状況に陥る可能性自体を減らさなくてはならないのだ。

 

「それにのう、アリィ。学校で認めておるペットに蛇は入っておらぬのじゃ」

「今さらそんな事言うの!?」

 

 危険性以外の事を今さら出されて面を食らうアリィ。珍しくツッコミを入れる側に入った少年を見て笑みを浮かべるダンブルドア。

 本当は多くの学生から『アリィだけ犬とか連れて不公平だ!』という陳情が幾つも届けられたのでクリスマス休暇辺りからペットの規則を変更する予定なのだが、お茶目な老人はしばらく黙っておく事にした。

 この老人には愉快犯な部分もあるのだ。

 

「伝次郎が温厚である事は分かったのじゃが、すまぬのう。その代わり、ハグリットに話は付けておこう」

 

 

 

 ――ダンブルドアに伝次郎を排除する気は毛頭無かった。

 制御可能なバジリスクなど来るべき決戦に備えたとしても、学校の防衛面で考えても切り札になり得るのだから。利用しない手立ては無い。

 

 ダンブルドアはハグリットを信頼しているし、それはあの森番も同じ。バジリスクという事を驚くだろうが、きっと受け入れてくれるだろう。寝床や餌の面倒も見てくれる。放課後に会いに行けば良い。

 そう告げるダンブルドアにアリィは渋面を作る。

 仕方無いと分かっていても、離れ離れになるのは寂しいのだ。

 

『良いよ、アリィ。校長先生、許可してくださってありがとうございます』

「分かってもらえて何よりじゃ」

 

 不満たらたらのアリィと違い、伝次郎は心の底から安堵していた。追放だけならまだしも、下手したら処分されると考えていたのだ。寮部屋に住めないことなど問題ではない。

 弱点である雄鶏の件もあの木箱があれば余裕でクリアだ。

 話の分かるダンブルドアに最大の感謝を表してから、伝次郎は嬉しそうにローブの中へと戻っていった。

 

「さあ、お主から訊きたいのはここまでじゃ。共に医務室へ行くとするかのう」

 

 

 

 ――そして今後も日記に関する調査を続け、その結果をアリィにも伝えると約束したところ事で、秘密の会話は終わりを迎えた。

 

 促されるように退室し、共に医務室へ向かう傍ら。

 アリィは一つの事を決意する。

 

(絶対に安全面をクリアして一緒に住んでやる)

 

 

 

 ハロウィンのイベントも忘れ、アリィの頭の中はそれ一色となるのだった。

 

 

 

 




ダンブルドアが蛇語使いなのは公式設定みたいです。



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第十話

 その部屋からは甘い匂いが漂っていた。

 きちんと扉を閉めていても美味しそうな香りは完全に遮断出来ず瞬く間に甘い誘惑は伝播する。ただでさえ人とは食指の動く事に敏感なのだ。廊下を歩く人々は調理室前を通る度に漂ってくる林檎の香りに鼻をぴくぴくさせた。

 

 あと数日でハロウィンを迎える十月最後の日曜日。ほどよく寒い空気で夕陽が赤く、澄んで見える頃。料理クラブの面々は調理室で今学期五回目となる活動を行なっていた。

 メンバー選考や顧問の就任で手間があったというのもあるが、新学期が始まり二ヶ月が経過して未だに五回しか活動していないのは去年と比べたらかなり少ない。

 理由はアリィだ。彼が九月下旬までとある研究に没頭していたため活動日がグッと減っていた。

 しかしアリィも流石にこれ以上の放置はまずいと考えたらしい。催促された訳ではないが九月最後の週から新料理クラブは始動している。

 研究がひと段落するまで週一ペースの活動と通達した時は落胆する声も多かったが、元々は請われて始まった料理教室だ。誰も文句など言える筈も無く、そこまで図々しい者も流石にいない。

 それでも部員ならいつでも使えるよう朝九時から夜七時まで調理室を解放し、報告義務はあるが貯蔵庫と冷蔵室にある食材を自由に使っても良いと決めたのは、教えてあげられない事に後ろめたさを感じたアリィの贖罪の意味が強い。莫大な資産を持つからこそ活動日以外の消費にも自腹を切れるのだ。

 なおグリフィンドール家の総資産を知らない部員達は明らかに使いすぎたり無駄にした材料分は自腹で買い足しているのだが、それは『そんなことしなくて良いって!』と確実に言うだろう優しい部長には秘密の事であった。

 

 

 閑話休題。

 

 

 とにかく問題無く発足した料理クラブのメンバーは、四寮揃って和気藹々と菓子作りに精を出していた。寮の確執を持ちこまないというルールに最初は戸惑った新入部員もあと数回の活動を経験すればこの雰囲気にも慣れる事だろう。郷に入っては郷に従え。先輩達の醸し出す雰囲気に次第に感化されていった。

 そして、まだ活動は最初の方。新入部員にも考慮した結果、今年は去年のおさらいを重視する方針となっている。

 

(うん。雰囲気は上々。特に問題は無いわね)

 

 調理室の後方にある大テーブルに着席し、喧嘩も起こさず互いの作ったアップルパイの食べ比べをしている二十三人を眺め、上座席に座る副部長は満足そうに微笑んだ。実質的なリーダーと見られているだけあり何やら貫禄がある。

 去年同様、部員達の出席率は悪くない。やはり五年と七年生、そして来月の初戦に向けて練習中である獅子寮のクィディッチ代表選手達の姿は無いが、彼女達が時間を見つけて自主的に料理を行なっている事をハーマイオニーは知っていた。他寮の代表選手も同様だ。

 活動意欲が無い訳ではないのだと安心する。

 

 全体を大雑把に見渡してから食事に取りかかるのはいつもの事。ハーマイオニーは問題が無いと判断してから自身の手元に視線を向けた。

『仮にも副部長なのだから粗末なものは作れない』と事前に料理本を熟読した甲斐もあり、そこにあるアップルパイは美しい黄金色だ。出来立てホヤホヤで熱気と共に漂う甘い香りが食欲をそそる。二回目にしては会心の出来であると自画自賛するほどの物がそこにはあった。

 しかしハーマイオニーはそちらには一切手を着けず、その横にある湯気の漂うティーカップを手に取る。

 中身はダージリン。最近は紅茶に凝っていると噂のハンナ・アボットの淹れたものだ。

 

(頑張れ。頑張るのよ、わたし)

 

 香りを楽しみながら精神統一。

 その濃厚で芳醇な香りに頬を緩ませてから一口飲み、音も無くソーサーに戻す姿からは、優美で上品なお嬢様という印象を受けた。

 それもその筈。彼女が自身のアップルパイに手を着けないのも、普段以上に振る舞いに気を使うのも……ついでに頬が紅潮して緊張しているのも、全ては隣に座っている爽やかなイケメンが原因なのだから。

 

「あの、先生。お一つ如何ですか?」

 

 ファンレターへの宛名書きを終えてたった今到着したばかりのギルデロイ・ロックハートは、パパッと素早く切り分けられたアップルパイを見て嬉しそうに破顔した。

 

「これはこれはっ! いや、実に図々しい事ですけど、いつ貰えるのか思っていたのですよ。もちろん、ありがたく頂戴しますよ、ミス・グレンジャー」

 

 まだ熱々のパイにナイフとフォークを入れ、期待に満ちた目で口へと運ぶロックハートを、ハーマイオニーは網膜に焼きつけんばかりに凝視する。今回は自分が最初にロックハートへ料理を渡せる番だったのだ。中には『早く渡せよコラ』とギラついた視線を向ける者もいたが完全にスル―するあたり、流石はハーマイオニー。肝が据わっている。

 慎重かつ丁寧に作った力作中の力作。

 それを食べて美味しいと口にするロックハートの笑顔を見て、心の底から生きていて良かったと思うハーマイオニーだった。

 

 ロックハートはあっという間に一切れを平らげ、今度は紅茶を称賛してアンナを赤面させている。

 そうして彼が一息ついたのが合図だった。

 彼のファン達はこぞって力作を献上しに行き、それにまたロックハートが『困りましたね』と嬉しそうにしながら対応していく。三角巾とエプロンを身に纏う女子達からの手作り料理だ。これを迷惑だと言う輩は一度モテない男達から袋にされるがいい。

 世の男共が嫉妬で血涙を流しそうなやり取りは、第一回目の活動から毎回見られる光景だ。

 そして一度彼に渡した者は他の者に場所を譲るのが『彼女達』のルールである。ハーマイオニーは欠けたアップルパイとカップを持って席を移動する。ロックハートに詰め寄らなかった面子に合流して女子会に参加するのも、これもまたいつもの流れだ。

 

「ハーマイオニーのアップルパイ。とっても美味しいわ」

「ジニーのも美味しいわよ」

「そんな、あたしのは焦げ過ぎちゃってるもの」

 

 そう言ってしょぼくれるジニーも既に料理クラブに馴染みメキメキと女子力を高めている。やはり想い人に渡す事を目標にすると上達も早いようだった。

 仲の良い男友達はいるが、あくまで親友止まりのハーマイオニーからすれば、誰かに本気で恋をする姿は羨望せずにはいられない。

 すっかり元気になったジニーが少し羨ましく、同時に嬉しかった。

 

(ジニーも大丈夫みたいね)

 

 ハーマイオニーは色々な意味で安堵する。

 あの日記事件からもうすぐ二ヶ月。まさかの禁句さん(若い)登場に場は騒然としたが、精密検査の結果でも異常は見当たらず健康そのもの。再発の前兆も無く一安心だ。

 

 もう大丈夫だろうとダンブルドアも太鼓判を押した事でこの事件は幕を降ろした。

 ハーマイオニーにとって、この事件はもう過去の出来事。ジニーのためにもあまり意識しない方が良い。

 

 そういった数々の要因が重なったため、ハーマイオニーは日記を破壊した蛇の事を重要視していなかった。

 破壊したのが一見してただの日記だったのも一因する。彼女はあの日記が、通常では完璧に破壊出来ない物品だと知らなかったのだ。

 だから蛇に噛まれた破損程度で消滅する、耐久性ゼロの凶悪物品だと勘違いしてしまった。

 

 元気一杯。流石はあの双子と褒めたくなるほどの活発さを見せる妹分は、懸念されていた友人もクラブを通して出来たらしく、友人達から慰められている光景も見ていて微笑ましかった。ロックハートのファンではない部員達はこうして頻繁にグループで纏まる関係上、微弱ながら仲間意識が芽生えつつあるようだ。

 今もグリフィンドールの一年生が肩を叩き、ハッフルパフとレイブンクローの一年生と三年生が慰めている。辛口ながらもジニーを慰めたスリザリンの一年生にハーマイオニーは嬉しくなる。

 そんな彼女達を見守っている部員は多い。多いと言っても、半分以上がロックハートを囲んでいる訳だが。

 

「大丈夫、大丈夫。わたし好みの味だよー」

「そうそう。気になる程ではないと思うわ」

「少なくとも私の時よりは全然上手よ」

「確かに芳ばしいしべちゃべちゃしてる部分もあるけど……別にこんくらい良いでしょ」

「まあ、最初にしては良いんじゃないの。ねえ、アリィ――あれ?」

 

 同意を求めたパンジーの声に、ハーマイオニーも初めて気付く。アリィがいない。いや、正確にはいるのだ。彼は今、料理台で未だに作業していた。

 そのことにハーマイオニーは首を傾げ、同時に珍しいと思う。

 アリィは早々に自分の分を食べてしまい、今は他の部員やロックハートに上げる分、持ちかえる分も含めて追加を作っている最中だ。元々林檎は多めに煮詰めており、念のため市販のパイシートも用意していたため焼成に入るまで時間はそう掛からない。

 オーブンで焼くのは三十分前後。

 その間はちょくちょく休める筈なのに、未だにアリィは作業台に張り付いている。しかもオーブンが作動していないように見え、不思議に思ったハーマイオニーは皆に断ってから席を立った。

 

「アリィ、何をしているの……って、アリィ?」

 

 アリィは未だにパイを作っていた。

 生地の上に甘く煮た林檎を敷き詰め、その上に切り込みを入れた生地を被せる。その際、生地の端に溶いた卵黄を塗って糊付けし、更にはフォークで端を潰して林檎を密閉する。

 そこまでは出来ていた。今は生地の表面に刷毛で卵黄を塗っている最中だ。

 

 ただしボーっとしている所為か。表面は卵黄を塗り過ぎてべちょべちょになっているのだが。

 

「アリィ――アリィっ!」

「うわっ、ハーさん? どしたの」

「どうしたもこうしたも無いわよ」

 

 ハーマイオニーは腰に手をやって呆れながら視線でパイ生地を指す。肩越しにハーマイオニーを見上げていたアリィは改めて手元に目をやり、そして溜息を吐きながら天を仰いだ。

 おそらく何分も塗っていたのだろう。彼にしては珍しい失敗だった。

 

「最近ボーっとしている事が多いって噂よ」

「あー、ちょっと行き詰っててさ。どーしたもんかなーと。最近はやりたい事が多くて多くて」

 

 アリィにとって今の料理クラブは気分転換の意味合いが強い。頭を空っぽにして尚且つ皆のためになると考えている。それなのにこれでは本末転倒だと反省しながら、塗り過ぎた卵黄を取り除いてオーブンに放りこんでから火を点けた。

 アリィはオーブンの小窓から火加減を見るが、その背中に掛かるハーマイオニーの言葉は、何処か警戒心を帯びている。

 

「アリィ、まさかとは思うけどまた何か企んでいる訳じゃないでしょうね?」

「えっ!? マ、マッサカー」

 

 去年の転倒薬事件はまだ記憶に新しかった。

 そして明らかに狼狽しているアリィにハーマイオニーの目が吊り上がる。視線を逸らして口笛を吹く姿など露骨だ。

 再度問いかける言葉は、恐怖を覚えるほど甘く、笑顔の後ろにはいつもの夜叉が降臨している。

 

「ア・リ・ィ?」

「い、いやいやいや! 約束通り食べ物を使った大々的な悪戯はしないって!」

「あら、それじゃあ他の事はするってことなの?」

「ハーさんとの約束を破るつもりはありませんです、サー!」

 

 ハーマイオニーの笑顔に直立不動で敬礼するアリィだが――、

 

《アリィ、今年のハロウィンはどうするよ?》

《あー、そっか。忘れてた……どうしよっか。ちょっと時間足りないかもしんない》

《ふーん。じゃあよ、こういうのはどうだ?》

《おお、良いよそれ! いや、むしろこんな感じはどう?》

《それ採用! 早速取りかかろうぜ!》

《あ、でも菓子使うとハーさんがハーさん様になるからなぁ》

《大丈夫だって。大々的じゃなきゃ良いんだろ?》

《そうそう。あくまで余興だ、余興。そのくらいなら去年と比べたら可愛いもんだって。皆喜ぶぞー》

《――――その発想は無かった》

 

 こうして双子のお陰で忘れかけていたハロウィンイベントは復活し、規模が縮小された分、研究の片手間だが準備する時間が出来た。

 計画立案はアリィ。準備を主体で行なっているのは双子とリーだ。

 

(まだ内緒。ハーさんや皆を吃驚させるんだ)

 

 例え計画を話しても怒られないと考えている辺り愚かだが、アリィは彼女を楽しませるためにも頑なに口を閉ざした。

 そんなアリィをハーマイオニーは信じていない。必ず何かをすると目を光らせている。

 しかしアリィがハリー並みに頑固である事はこの一年で良く分かっていた。

 だから、

 

「ねえ、アリィ。あなた、絶命日パーティーに興味は無い?」

 

 だから、ハロウィンパーティー以外の事で誘惑するのだ。

 別の事に興味を持てばそちらが疎かになるのは必至。むしろ絶命日パーティーに誘えば自分で彼を監視出来る。

 悪戯同盟を組んでいる双子達に悪戯を委託する可能性もありえるが、主導が天災で無くなるだけイレギュラーが発生する確率は激減すると踏んでいた。

 

(フレッド達なら、おそらく大丈夫よね。それにあれだけ説教したんだもの、例え何かを企んでいても、迷惑しか掛けない悪戯なんてする筈ないわ)

 

 時期が時期だけに新入生歓迎の意味もあるかもしれない。なら転倒薬の時のようにはならないだろうと、ハーマイオニーは天災の思考を完璧に読んでみせた。

 そしてハーマイオニーは行き過ぎで迷惑しか掛けない悪戯を禁止しているだけで悪戯そのものを禁止するつもりは無かった。

 談話室で毎日の様に騒ぐ双子を見れば娯楽の少ない学校生活に刺激を与える重要性というものが分かってくる。彼等の騒ぎに少しばかり期待している自分がいる事も自覚している。前述したものと危険な事を除き、余程の事が無い限り黙認する腹だった。

 悪戯同盟の悪戯は非常に喧しくて鬱陶しく激怒したくもなるが、楽しくて面白い事も多く何より人を傷付けない。彼等の起こす騒動はミス・ストッパーの信頼を勝ち得るのに充分なものだった。

 

 だから双子達が主導で行うなら酷くはならないだろうと高を括る。新入生は特に驚き天災の存在を認知する事になるだろう。ハロウィンパーティーはちょっぴり刺激的なパーティーになる筈だ。

 

 

 ――当然、内容次第では新たなトラウマを刻む訳だが。

 

 

「それで、どうかしら」

「絶命日パーティー!? 行く行く、絶対に行く!」

 

 案の定、蒼空色の瞳を輝かせるアリィに内心でガッツポーズ。ハーマイオニーは作戦の成功を確信した。

 

 絶命日パーティー。

 それはゴーストとなった者が自分自身の命日を祝うもの。ゴーストとしての誕生を祝う生誕祭だ。

 数多くのゴーストが集まる絶命日パーティーに生者が招待される事例は少ない。不思議で珍しい事が大好きなアリィは予想通り食い付いた。

 

「で、いつやるん!?」

「ハロウィン当日よ」

「…………はい?」

 

 そして絶命日パーティーがハロウィン当日と聞かされて苦悶する。

 去年も書き取り罰で不参加だったのだ。頭を抱えて苦しそうな呻き声を上げる様からは沢山の葛藤が窺える。

 そのまま悩むアリィだったが熟考の末、天秤は絶命日パーティーに傾いたらしい。

 これでハロウィンパーティーは双子達に託す事が確定する。

 

「そういや誰のパーティー?」

「『ほとんど首なしニック』よ。元々はハリーが誘われたのよ」

 

 ニックはグリフィンドール寮憑きのゴーストだ。

 彼はとある出来事を経てハリーを誘い、ついでに友人達も誘ってくれるよう頼んでいた。諸々の事情から乗り気でないハリーだが、フィルチの罰則から助けてくれたニックの頼みを無碍に出来ず承諾し、今に至る。

 ついでに言えばアリィも誘うよう言っていたのもニックだった。

 理由は当然、ピーブス避けである。あのお騒がせポルターガイストには悪いが記念すべきパーティーをピーブスに台無しにされる訳にはいかないのだ。

 ハーマイオニーはそれに上手く便乗した形である。

 

 ちなみに一時はゴースト全員から怖がられていたアリィも、今では『ちょっと警戒しておけばいい』程度の認識となっているので、アリィの登場に学校のゴーストが恐慌状態に陥る事は無いだろう。たぶん。

 

「でもニックの誕生日か。プレゼントどうしよう」

「…………アリィ、ほどほどにね」

 

 ゴーストへのプレゼントって何だろう。

 そう首を傾げながら、ハーマイオニーは皆の所へ戻っていった。

 

 

 ◇◇

 

 

 ハロウィン当日は去年同様パンプキンパイの甘い匂いに包まれた。学校主催の豪華なパーティーに生徒職員全員が浮足立っているのが良く分かる。大広間へ向かう生徒達の足は弾んで見えた。

 そして生徒達が列を成してパーティー会場へ向かう一方、肌寒い地下牢へと降りていく一行がいた。

 当然、ハリー達だ。

 階段を降りれば降りるほど活気は失われて肌寒く感じる。地下牢から吹いてくる冷気は、果たして感覚的なものなのだろうか。

 もしやコレは霊界から吹いてくる風ではないのかと思えてしまう。集まる者達がゴーストなだけに想像力が豊かになっても不思議は無い。

 

「ああ、階段を降りる度に僕のパンプキンパイが遠ざかっていく……」

「骸骨舞踏団が来るなんて訊いてないよ」

「もう、ぐちぐち文句を言わないでちょうだい。まったく、男の癖にいつまでもネチネチと」

 

 進行上、大広間の前を通るというのはロンとハリーにとって拷問だった。

 ロンは去年も食べたパンプキンパイに食い意地を張り、ハリーは魔法界でも人気の高い演奏団体に興味を抱いている。ハーマイオニーもやけっぱちになっているのは指摘するまでもない。

 

 薄暗く、ジメジメとして肌寒い地下牢。対して大広間は明るく陽気で暖かい。

 何故ここにいるのかと、足取りの重い三人は仲良く溜息を零した。

 

「なーに辛気臭い顔をしてるんだよ三人とも。せっかくの絶命日パーティー。もっと楽しまなきゃ損だよ損」

「心からそう思えるアリィが羨ましいよ。というより、ソレは何?」

 

 肩を落としているハリーは唯一ノリノリの人物へと訊ねたところ、アリィは得意気に胸を張って四角い箱を見せつける。

 綺麗にラッピングされたソレはニックのために用意したプレゼントだった。

 

「流石に何をやったら良いか分からないから『血みどろ男爵』に相談したんだ。無難に料理にしてみました」

「良いぞ! 僕、アリィの作ったお菓子があるなら三日は戦って――」

「生きた蚯蚓と蛆を用意するのに苦労したよ、マジで。蠅だって直ぐに何処か行っちゃうし」

「…………」

 

 何故食材でそんなものがチョイスされるのか。

 希望に満ちたロンの笑みは絶望のソレへと変わる。

 耳を澄ませば箱の中から微かに羽音が聞こえ、隣にいたハーマイオニーが盛大に仰け反った。

 ああ、これで僕達の食べられる物は無いんだと落胆し、なるべく早めに切り上げる事をハリーが決意した所で、四人は目的地に到着し――突如聞こえた黒板を盛大に引っ掻いたような音に耳を塞ぐ。やはり人間にゴーストセンスは合わなかった。

 

「なに、今の……」

「アリィの歌より酷いなんて」

「俺が怒らないと思ったら大間違いだぞ親友」

「……ゴーストのセンスって理解出来ないわ」

 

 あれが音楽なのかと四人で物議を交わす。

 そして、垂れ幕の掛かった戸口の前には真珠色で半透明のゴーストが一人。

 ひだ襟服にタイツ。オシャレな羽飾りの帽子を被っているゴーストこそ、今回の主役。死して五百年の歴史ある亡霊。ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン卿、通称『ほとんど首なしニック』だ。

 

「本当によく来てくれました。親愛なる友よ。アリィもよく来てくれましたね」

「おめでとうニック! はいこれ、プレゼント。皆で食べて」

「おお! まさか私にプレゼントとは!?」

 

 生き生きと目を輝かせるゴーストというのもシュールな光景だ。ハリーに挨拶した後、ニックはアリィの掲げる箱に目が釘付けになっている。

 よほどプレゼントが嬉しかったのだろう。早速料理を楽しむべく、ニックはアリィを連れて会場の中央へと行ってしまった。

 後には三人が残され、そして初めて彼等はパーティー会場を見渡す事が出来た。

 

「うへぁ」

 

 思わず零れたロンの声。しかしそれは間違っても感嘆などでは決してない。確かに沢山のゴーストが蠢く姿は壮観で、会場に飾られている古ぼけておぞましい……呪われているんじゃないかと冷や汗が垂れる装飾品にも圧倒される。

 青い炎を灯す蝋燭の燭台が頭蓋骨だと分かった時、ハーマイオニーが二人の腕にしがみつくほど不気味だ。

 はっきり言って、とてつもなく怖い。

 どうやら立食パーティーの形式を取っているらしく、長テーブルに並ぶ料理は全て腐り、黒焦げ、カビに覆われて異臭を放っている。直視するだけで吐き気を催した。

 

「どうよ。口に合えば良いんだけど」

「おお、これは素晴らしい!」

 

 だからだ。

 こんな地獄の宴に物怖じせず、あまつさえゴースト用の料理まで制作し、中央テーブルで披露しているアリィに混じりっ気無しで敬意?を表したのは。

 どうやら料理は好評らしい。

 料理を通り抜ける事で味を楽しめる?ゴースト達は、こぞってアリィの用意した誕生日ケーキに突撃して惜しみない称賛を送っている。

 ちなみにトッピングは生きた蚯蚓。スポンジには蛆が練り込まれ、毒々しい腐敗色をした緑のクリームには生きた蠅が中途半端に何匹も塗り固められている。

 

「…………わたし、アリィに料理を習っているのよね」

 

 その料理人魂を褒めるべきか。少しは躊躇えよとツッコミを入れるのが正しいのか。

 どちらにすれ複雑な心境を抱くハーマイオニーの肩を、ハリーとロンがポンっと叩いた。その所作に多大な同情心が宿っていたのは言うまでも無い。

 

 気落ちしたハーマイオニーを気遣ったのだろう。ロンは頑張って陽気な声を絞り出して話を変える。

 

「さあ、ハリーはニックの良さをどっかのゴーストに伝えなくちゃいけないんだろ?」

「立派に役目を果たしてきなさい。わたしとロンは適当に楽しんでおくわ」

 

 ハーマイオニーは瞬時にロンへ合わせてくる。瞬時に回復したミス・ストッパーにも驚くが、その酷い裏切りにハリーはショックを受けた。

 

「隅で静かにやり過ごそうったってそうはいかないよ! 僕達、親友だろ!?」

 

『首無し狩』なるスポーツに参加出来ないニックのため、そのスポーツ委員会会長にニックの良さをプレゼンしなくてはならないハリーは「友情なんて糞食らえだ!」「一緒に来てあげただけありがたいと思いなさい!」と、友情ぶち壊しの本音を叫ぶ二人を道連れにニックの方へと歩み寄った。

 ちなみにアリィはアリィでレイブンクロー寮憑きゴースト『灰色のレディ』と話をしたり、外から来たタキシード姿のゴーストと談笑したりして心置きなくパーティーを満喫するのだった。

 

 

 

 

 

 

 結局ハリー達は長時間も絶命日パーティーに拘束され、本当にギリギリになって終盤のハロウィンパーティーに潜り込む事に成功する。

 しかし、

 

 

 

 

 

 

「ドラゴン!?」

「しかも身体が飴で出来てる!?」

「アリィ、あなたの仕業なのね!?」

「おお、上手くいった! 流石は兄弟、良い仕事してるねホント!」

 

 彼等を待っていたのは巨大なドラゴンだった。

 全長は三メートルほどで身体は赤や青と様々な色彩に彩られ流動している。そう、流動だ。固形では無く液体。巨大な水飴ドラゴンは背中に『おめでとう新入生諸君!』と、歓迎を掲げた旗を突き挿しながら空を飛んでいた。

 魔法で生み出された蝙蝠達は怯えながら不規則に飛び、その低空飛行はテーブルの上に並ぶデザートを薙ぎ倒している。驚きのあまり演奏団らしき骸骨達は椅子から転げ落ちていた。

 殆どの者が頭上を見上げる事に必死で四人の登場に気付いていない。

 しかし、それでも目敏く気付く者はいるのだ。

 

「おう、ベストタイミングだな兄弟!」

「アリィ、締めは任せた!」

「派手にやれ!」

 

 

 なお、この双子とリーの発言が証拠となり、首謀者の一員としてマクゴナガルにこってり絞られる事になるのは別の話である。

 しかし減点などされず、罰則も比較的軽いものだった。

 

 なぜなら、

 

 

「よし、任せろ!」

 

 混乱の中、ハーマイオニーに詰め寄られながらもアリィが精一杯投げた物体は、見事な放物線を描いて水飴ドラゴンの身体に直撃する。

 それは小さくて薄い何百枚もの紙が重なって出来た包装紙に包まれた、野球ボール大の凝固剤。

 懐から出されたソレは水飴ドラゴンに当たった途端、盛大な音を立てて爆発した。

 飴細工のドラゴンが爆音を奏でて飛び散っていく。

 弾け飛んだ水飴の欠片は手ごろなサイズで固まり、何百にも分裂した包装紙が飴を一つずつ包んでいく。

 虹色の飴は豪雨となって大広間に降り注いだ。

 

 暫しの静寂、そしてその直後、突然のサプライズに歓声や拍手が巻き起こる。

 盛大なパーティーでテンションが高くなっている皆にとって、この美味しい馬鹿騒ぎは気持ちの良いものだったのだ。

 二次的被害に遭った骸骨達すら苦笑――骨だけなので雰囲気で判断――している様に見え、ダンブルドアも拍手している。

 だからマクゴナガルは双子達をキツく叱れなかった。何故なら、彼女もまた、呆れながらも苦笑している様に見えるのだから。

 

「ふむ。では悪戯仕掛け人達のユニークな催しが決まったところで、パーティーもお開きとしようかのう。それ、皆の者、駆け足!」

 

 ダンブルドアの締めでパーティーは終わりを迎える。

 皆は帰り際、近くにある飴を拾ってポケットに仕舞う。持ち切れない分は暫くの間、食事の際に小皿に盛られてデザート代わりに振舞われる事になった。

 こうしてハロウィンパーティーは近年稀に見る大盛り上がりを見せて幕を閉じたのだ。

 

 

 

 

 

 それで綺麗に終わったら、どんなに良かったことか。

 

 

 

 

 

「――アリィ?」

「どうよ、ハーさん。これなら皆も喜ぶし、大々的でも無い……ハーさん? なんか凄いデジャブを感じるその笑顔は可愛いけどさ、ちょっと怖いと思うん――」

「正座」

 

 

 ――危険は無い。しかしコレは一般人の感性からすれば充分『大々的』の範疇だ。

 

 

 約束を破った天災は正座を強要され、実に一年ぶりの説教に涙を流す。これを機にアリィの悪戯は、全面的に料理を使った物が禁止となった。

 とはいえ説教は五分にも満たなかったのでハーマイオニーも本気で怒っている訳ではない。これは、あくまで脅し。『約束を破ったら酷いわよ』という、飴と鞭で言う『鞭』の部分。今後の牽制。

 もうアリィは約束を破ろうとは思わないだろう。

 その調教師染みた考えと躾けに、一部始終を目撃した面々はハーマイオニーの手腕に改めて舌を巻いた。彼女の二つ名に『調教師』が追加された瞬間だ。

 

 

 

 

 ――なお説教は短かった分、脅しと恐怖が濃縮されていたらしく。説教後の怯えた姿に同情したスネイプが罰則を与えずに見逃してしまったのは、全くの余談であった。

 

 

 

 

 

 




次話はキリが良い所で区切るので普段より短いと思います。
五千字程度? もしかしたらそれにも満たないかもしれません。

そして次話から起承転結でいうところの転になります。
これで二章の方向性が分かって頂けると思います。また二章第八話と同じく好き嫌いがはっきりしそうです。

今後の展開予測の当たった方は「やっぱりな」と次話を見て笑ってください。

誤字や脱字を発見された方、ご意見やご感想がある方は、連絡して頂けると幸いです。


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第十一話

 小鍋の中はグツグツと煮え滾っていた。

 鮮やかな若草色の液体は幾つもの気泡を弾けさせ、新芽の香りが仄かに漂う。鍋からは同色の湯気が螺旋を描きながら立ち昇っていた。

 鍋の周囲に置かれているのは材料なのだろう。小さなまな板の横には大小様々で何種類もの薬草が乱雑に置かれ、その隣の皿には血の滴る何かの臓器が載っている。小ビンに入っている赤い液体はドラゴンの血液だ。

 すり鉢の中には粉々に砕かれた一角獣(ユニコーン)の角の残骸が残り、濃縮機から滴る琥珀色の液体は、下に置いてあるフラスコの中にゆっくりと溜っていく。

 試験管立てに入っている十本の試験管は、そのどれもが虹色の液体で満たされていた。

 

 誰がどう見ても理科の実験。

 正しくは魔法薬の調合な訳だが、行なっている場所が女子トイレでなければどれだけ様になったことだろう。

 マスクにゴーグル。そして銀色に輝く特殊な防護手袋を身に着けている完全武装のアリィは、玉のような汗を垂らしながら手元の時計に集中していた。

 

「あと十秒」

 

 カウントしながら試験管を一本手に掴む。残り五秒を切った所で時計と鍋を視線が往復。煮込み始めて三十分ジャストで虹色の薬品を鍋に投入。その後は素早く『ムスペルの火』を消して火から遠ざける。

 これで一先ず作業は終了。

 若草色から藍色に変わった薬品に確かな手応えを感じながらマスクを外し、アリィは大きく息を吐いた。

 緊張を強いられていた作業からの解放が心地良い。随分久しぶりに息を吸った気がする。

 ローブの袖で乱暴に汗を拭った所で、静かに見守っていた女子トイレのゴースト、嘆きのマートルがうずうずした表情で話しかけてくる。

 

「それは何なの?」

「試作品十四号・改」

「なーにそれ、説明になってないじゃない」

 

 場所を提供しているんだから説明ぐらいしろと文句を垂れてから、不貞腐れた顔をするマートルは壁をすり抜けて何処かに消えてしまう。

 去年から秘密の調合をする時、アリィは毎回この誰も来ない女子トイレを利用してきた。その度に人恋しさのあるマートルはちょっかいを掛けてきて、アリィも邪険にする事無く応えていたのだが最近はどうも素っ気ない。

 それほど真剣なのは分かるのだが、それがどうも面白くないマートルだった。

 

「さーって、そろそろ成功して欲しいぞ、マジで」

 

 長時間胡坐だった所為か筋肉が固まっている。屈伸で足を解したアリィは女子トイレの中央。噴水のように円形になっている洗面台に近寄り、そこに置いてあるトランクの前に屈み込む。このトランクはデイモンの仕事部屋で見つけたやつだ。

 そしてアリィはローブのポケットから鍵束を取りだす。リングに掛かっている番号の振られた七つの鍵は、その全てがトランクの鍵。その内の三番と書かれた古い鍵を差し込むと、開かれたトランクの中には銀製の小さなスキットルがびっしりと鮨詰め状態で並んでいた。大昔に小鬼が作った保存用の魔法容器だ。

 これも仕事部屋で発掘した道具の一つで、中身が漏れない頑丈なスキットルはかなり重宝している。50mlしか入らないのが難点だが蓋も魔法で密閉される事を考えたら充分だ。

 

「ありがとう爺ちゃん。超感謝」

 

 これ一つで『ニンバス2001』が買えるほどの貴重な品を手に取って小鍋に戻る。

 再び腰を降ろして三段式の道具箱の中から乳白色の歪な小皿――今から一ヶ月前、伝次郎のいた洞窟に再度潜って回収してきた貴重な素材。生えかわって落ちていたバジリスクの牙を削って作った小皿にスキットルの中身を移す。

 中から零れるのは毒々しい色をした赤黒い液体。伝次郎から採取したバジリスクの毒液だった。

 バジリシクの毒に耐えられる物質は少ない。バジリスクの牙を除けば古ゴブリンの錬成した特殊金属程度しか存在しないのだが、その貴重な品をデイモンが入手していたのは幸運だったと言わざるを得ない。

 

「さあ、頼むぞ十四号・改!」

 

 まだ湯気の立つ薬品を鍋からお玉で掬い、スポイトで藍色の薬品――バジリスクの解毒剤の試作品を吸い取る。

 真剣かつ慎重。

 毒の入った小皿へゆっくりと数滴。スポイトの中身を垂らし始めた。

 

「お、おぉ! いけ、頑張れ!」

 

 すると、徐々にだが毒に変化が生じた。

 酸化しかけた血の様な色がどんどん薄まり、無色透明なものに近付いていく。

 改良に改良を重ねた試作品はゆっくり確実に毒成分を中和していった。

 しかし、それも最初の頃までだ。

 

「あっ!?」

 

 一瞬の出来事だった。

 暫くして毒は元の赤黒い色に戻ってしまう。毒成分を中和しきれず、毒の強さに薬が負けてしまったのだ。

 

「あー……ハァ、またか」

 

 調合に五時間も掛けた試作品が失敗に終わり深い溜息を漏らす。

 手応えがあった分ショックは大きい。

 表情を落とし、虚ろな目のまま杖を鍋に向けて消失呪文を使う姿は機械的で哀愁を感じさせる。殆ど事務的に後片付けを行なうアリィは最後にダンブルドアから譲り受けた不死鳥の涙を毒に振り掛け、毒成分が中和されたのを確認してから中身を洗面台に捨てた。

 中和された毒はただの水なので普通に捨てて問題無い。

 ものの数分で道具と材料をトランクに収納。そして、

 

「あーあ。くっそー! またダメかー!」

 

 そしてアリィは、そのまま仰向けに倒れ、大の字のまま力の限り悔しさを叫ぶ。

 この解毒剤の調合に取りかかり三ヶ月。あと数日でクリスマス休暇に入る段階になっても成果は出ていない。それが凄く歯痒かった。

 

「また最初からやり直しだ」

 

 一から理論の見直しをするのは億劫だが嘆いても始まらないと、アリィは無理やり奮起する。

 また伝次郎と暮らすためには二つの事をクリアしなくてはならない。

 一つは牙対策。そして二つ目が解毒剤の開発だ。

 バジリスクの毒は不死鳥の涙で無効化出来るが、対処法が一つだけというのは心持たないし、それだけでは安全とは言い難い。そこで不死鳥の涙に代わるものを人工的に制作している訳だが、見ての通り状況は芳しくなかった。

 良い線はいっていると思う。しかし、何かが足りない。時間も足りない。

 新たな悪戯道具や便利グッズの制作。そして『そっくり人形』の制作時に興味を持ってしまったポリジュース薬の改良など、かなり興味のある事を後回しにして研究に取り組んでも、まだ足りない。

 

 最低でも来年の夏までに解毒剤を作りたいアリィは珍しく行き詰っていた。これほどの困難は久しぶり。間違いなく今ぶち当たっているのは過去最大の壁だった。

 

 しかしそれでも、立ち止まってなんていられない。

 立ち塞がる困難に笑みを零すアリィの顔は、限界を知らない挑戦者の笑み。

 

「けどまあ、その方が燃えるってね」

 

 思い出すのは幼い頃。今は亡き曾祖父の真似をしてカラクリ細工にのめり込んだ時。

 あの頃は苦労と挫折の連続だった。デイモンは初歩的な事は教えてくれても応用技術は何も教えてくれなかった。

 彼がアリィに与えたのは無数の本と、作業を見学する無数の機会。考えに考えて考え抜く事の大切さをアリィは学んだ。

 幾つもの壁を乗り越えて今の自分がいる。そう思えばこの程度の困難など何でもない。今までと同じ。初心を思い出せばちょっとはやる気が漲ってくる。

 

「おっしゃー! やってやるぞー!」

 

 そして拳を高く突き上げた所で、誰も来ない筈の女子トイレを訪れる者が現れた。

 

「アリィ。やはり此処にいたのか」

「あ、ドラコだ」

 

 女子トイレに入ってきたのはルームメイトのドラコ・マルフォイだった。

 少し気まずそうにしているのは此処が男子禁制の女子トイレだからだろう。その後ろには取り巻きであるクラッブとゴイルも連れており、気恥ずかしい所為か速足になるドラコはいつも以上に青白い顔でアリィに近寄った。

 

「いつまでも帰ってこないから探しに来てみれば、また例の実験か」

「まーね。それで、何かあった?」

「何か、だと?」

 

 疲労たっぷりに見下ろすドラコの視線は鋭かった。

 クィディッチの初戦でグリフィンドールに敗れ、代表に選ばれての初試合でハリーに敗北を喫したのを引き攣っている彼はただでさえ機嫌が悪く、その凄みに当てられたアリィは自然と逃げ腰になってしまう。

 そもそも最近は元気が無いのでテンションも低く、その暗くて低い声が恐怖を助長させた。

 

「今日の夜、大広間で何があるのか忘れたのか? 元はと言えば君が発端なんだぞ」

「あ、そっか。今日だっけ」

 

 漸く思い出したと笑いだすアリィに溜息を零すドラコは、そのまま幼い天災を連れて大広間へ向かう。

 そう、本日二十時は大広間で一大イベント――決闘クラブが開催されるのだ。

 

 

 ◇◇

 

 

 全ては授業中。熱心に話を聴いていた天災の一言が発端だった。

 

《へえー、やっぱ先生は凄いなー。流石は戦闘のプロ、カッコいい!》

《なーに、アリィも、勿論ほかの皆さんも、ちょっと訓練すれば充分強くなれるでしょう。まあ、流石に私ほどというのは難しいと思いますがね!》

《え、じゃあ先生が訓練してくれたら更に強くなれるってこと!?》

《勿論! 私の手に掛かれば、皆さんも立派な闇祓いになれるほど魔法が上達する事でしょう!》

 

 ――という経緯を経て決闘クラブは発足した。

 

 掲げる目標は自己防衛術の習得と理解。護身術は覚えておいて損は無いと主張した所、意外と簡単にロックハートの主張は教師陣に通った。

 それは闇の魔術に対する防衛術の授業が実質機能しておらず、助手(お目付役、貧乏くじとも言う)がいる状況で時間外実習を組ませ、少しでも防衛術のなんたるかを学んで貰えれば、という学校側からの配慮な訳だが。

 当然ロックハートは気付いていない。というより、決闘クラブの大義名分を主張したロックハートに『それはお前の仕事だろ、普段から何をしていたんだっ!』と、教員全員が胸中でツッコミを入れたのは言うまでもない。そしてロックハートを採用したダンブルドアに文句の百個は言いたくなる教員達である。

 こうして大人のやんごとなき事情で開催する決闘クラブは、想像以上に盛況であった。

 ロックハートに良い感情を持たない男子も決闘クラブとなれば話は別。多くの男子が興味を魅かれたのは勿論のこと、指導するのがロックハートと聞いて沢山の女子も決闘クラブには興味を持った。

 

 今日は、その記念すべき一回目の活動。

 夜の八時にはほぼ全校生徒、千人近くが大広間に集まり、中央に設置された大きな舞台の近くで指導員の到着を待ち侘びている。中には参加する気が無い人もいるが、ここは娯楽の少ないホグワーツ。見学目的で集まっている者も多くいた。

 

 さて、様々な思惑を経て多くの生徒が集合している訳だが。その中でもアリィ達スリザリンの二年生グループは、舞台に近い一番前に陣取る事に成功していた。

 

「ねえノット。ロックハート先生の助手って誰だと思う?」

「さあな。しかしまあ、アイツを除けば防衛術に詳しい教師なんて一人しかいないだろ」

 

 今か今かとロックハートの到着を待ち続けるダフネ・グリーングラスに応えるのは、隣に佇むセオドール・ノット。ドラコと双璧を成す蛇寮二年の有望株はクールな容貌を珍しく興奮させている。

 やはり彼も一緒に来ているブレース・ザビニ同様、このイベントに興味を持っているのだ。

 

(先生も気の毒にな)

 

 腕を組みながら助手役に選ばれただろう先生に同情し、何となく彼は周囲を見渡す。

 蛇寮二年で一番の美少女と噂されるダフネは入口へ熱い視線を向け、自身のルームメイトでもあるザビニは犬猿の仲である蛇寮二年の姐さん少女、ミリセント・ブルストロードといつもの様に口喧嘩。典型的なスリザリン生の傲慢少年と大柄なお節介焼きの衝突はいつもの事で、周囲にいるスリザリン生に動揺は走らない。

 喧しい口喧嘩をしている隣には、自分以上に寡黙なクラッブとゴイルの巨漢が立ち並び、その表情が辟易して見えるのは、彼等の隣でイチャついている学校公認のバカップル(ドラコは激しく否定)がいるからだろう。同じくドラコも死んだ目をしているので近くにいる天敵、ハリー・ポッター達グリフィンドール生にも気付かない。

 そして舞台に身を乗り出して先生の到着を待ちわびているアリィに視線を移した所で、ついに待ち人が現れた。

 

「はい、皆さん静粛に! ただ今より決闘クラブを開催します!」

 

 いつ見ても煌びやかな紫ローブで登場したロックハートの宣言は、生徒達の熱狂的な声によって迎えられた。珍しく男子の声が多々あればロックハートのテンションがいつにも増して五割増しになるのは当たり前。

 気を良くしたロックハートは舞台の上で上機嫌。その分、一歩後ろに佇む助手のスネイプが不機嫌になる訳だが、今にもロックハートに杖を向けそうなスネイプに幾人かが同情した所で、二人の教員による模擬戦が開始された。

 無論、武装解除の術を浴びたロックハートが吹き飛ばされて壁に激突した時、初めてスネイプが獅子寮生の歓声を貰ったのは言うまでも無い。

 冷笑の中で薄らと口元が緩んでいた事に、目敏いノットだけが気が付いた。まあ、スネイプの笑みの意味はグリフィンドールからの拍手が嬉しいからでなく、ただ単にロックハートに憂さ晴らしが出来たからなのだが。

 

「諸君、今のが武装解除呪文だ。見れば分かるように対象の武器を吹き飛ばし、そして力量差があればあるほど、衝撃で相手にもダメージを与える事が出来る」

 

 スネイプお得意の皮肉にヨロヨロと立ち上がったロックハートの頬が引き攣るがいつもの素敵スマイルで隠し通す。そしてロックハートはスネイプの力量を称賛した上で今の敗北が態とであると公言し、武装解除呪文を練習させるために生徒を二人に別け始めた。

 ドラコとハリー。クラッブとゴイル。パンジーとダフネ。ノットとザビニ。ミリセントとハーマイオニー。

 そして、グループで一人余ったアリィは、

 

「はい、セド」

「や、やあ」

 

 アリィは近くにいたセドリック・ディゴリーと組まされた。

 彼より二学年上のハッフルパフ生は頬を引き攣らせながら握手に応じる。

 

(まさかアリィと組むことになるとは)

 

 心穏やかなイケメン。更に困っている者は放っておけない程のお人好しは、目の前で腕まくりをしてやる気を見せている天災を嫌っていない。むしろ得難い友人の一人だと認識している。

 

 頬が引き攣るのは、言わば反射。

 去年ダイアゴン横丁でアリィの財布を拾って上げて顔見知りになってしまったのが運の尽き。

 気を利かせて買い物に付き合えば『夜の闇横丁』に連れて行かれ、ガラの悪い不良に絡まれて催涙弾のトバッチリを食らう(ちなみにアリィも食らっていた)。

 ドラゴンを見たさにグリンゴッツ侵入の片棒を担がされる(沢山の罠に走馬灯を何度も見た。勿論アリィも同じ)。

 そして去年の転倒薬事件だ。

 

 去年は苦楽を共にさせられた仲。中二病真っ盛りの十四歳に人には言えない刺激的な冒険をさせてくれた友人ではあるが、その身に刻まれた数々のトラウマが対峙する度に頬を痙攣させた。

 

「さあ、では皆さん、相手に一礼してください! いいですね、相手の杖を取り上げるだけですよ!」

 

 舞台上のロックハートの言葉に生徒達は互いに距離を取る。

 当然、天災とイケメン優等生の即席コンビも例外ではない。

 

「ねえセドリック。模擬戦の前に一回俺に術を掛けてくんない? その後は俺が掛けるから」

「ああ、別に構わないけど。それで良いのか?」

 

 確かに模擬戦を開始するよりは一度術を掛け会う方が安全だし、練習してからの方が効果的だ。ロックハートは一斉に模擬戦を開始させたいのかカウントダウンを始めている。その中で、二人は模擬戦の振りをした練習をする事に決めた。

 

「僕からで良いんだな」

「モチ。もう一回武装解除を見ておきたい」

「僕が成功するとは限らないんだぞ?」

 

 確証は持てないセドリック。しかしその瞳は自信に充ち溢れている。

 ハッフルパフに所属しているセドリックだが、その身はレイブンクローにもグリフィンドールにも所属出来るほど多才な若者なのだ。特に闇の魔術に対する防衛術を始めとした実技は得意なため、防衛術の基本呪文を一発で行使する自信があった。

 

 カウントダウンが進む中。セドリックは一角獣の鬣を芯にしたトネリコの杖を構え、離れたアリィはセドリックの動作を見逃さないよう目を限界まで見開いて凝視した。

 

「一、二、三、それ!」

『エクスペリアームズ!』

 

 ロックハートの合図に従い、幾百もの紅の閃光が大広間に迸った。

 中には武装解除以外の呪文もあるのか緑や黄色という光も見受けられる。

 そして武装解除を正確に発動させた者は極僅か。

 殆どの者が不発に終わり頓珍漢な結果を引き起こし、中にはエキサイトし過ぎて肉弾戦の乱闘まで始める者もいる中で、幸いにもセドリックは数少ない成功者に分類された。

 

「おお! 凄い凄い! 流石はセドリック!」

「オーバーだぞ、アリィ」

 

 興奮するアリィに褒めちぎられるセドリックの表情が喜色に染まる。頭脳だけでなく魔法の腕でも非凡の才を見せる天災に褒められるというのは、別段気持ちが良いものなのだ。

 周囲が騒がしく阿鼻叫喚地獄絵図を作り出す中でも二人の間は穏やかそのもの。セドリックは取り上げた杖をアリィに手渡し、再度離れた。今度はアリィの番だ。

 アリィは何度も深呼吸を繰り返し、ブツブツ呟いて復習しながら恐怖を覚える程の真剣さを見せる。

 

「アリィ?」

 

 はっきり言って余裕の無い姿はセドリックに違和感を植え付けた。あんなアリィは見た事が無い。グリンゴッツの罠にさえ瞳をキラキラさせて余裕を失わなかった天災が、あのような表情を見せる。

 しかし平常心を促す前にアリィの呪文が発動してしまう。

 

「エクスペリアームズ!」

 

 高まる魔力が奇跡を紡ぐ。杖先に灯る紅の閃光は正確に――、

 

 

 

 

 

 ――アリィの胸を貫いた。

 

 

 

 

 

「………………は?」

 

 その衝撃映像を目撃したセドリックが呆気に取られるのも無理はない。

 あの天災が呪文を失敗し、あまつさえ逆噴射した呪文に吹き飛ばされるなど誰が想像出来るだろうか。

 小さな身体を楽々ふっ飛ばして後方のグループへ突っ込んだアリィに、セドリックは大慌てで走り寄った。

 

「アリィ! 無事か!?」

 

 巻き込まれたグループに謝罪しながら立ち上がろうとするアリィに手を差し伸べる。引っ張り上げられた天災は痛そうに、そして悔しそうに表情を歪ませていた。

 

「痛たた……あーあ、今回は自信あったのになぁ。やっぱりダメか」

「やっぱり?」

 

 元々の位置に連れて戻ったセドリックが首を傾げる。

 周囲ではスネイプの呪文により騒動が鎮火。着々と静まり返りつつあるも、セドリックの関心はアリィの意外な言葉に向けられる。

 

「俺ってさ。呪い全般が凄いヘタなんだよ。盾の呪文とかも没。他にも粉砕呪文とか、爆発呪文とか、あと忘却術も成功率ゼロパーセント。まあ、唯一錯乱呪文だけは普通に使えるっぽいのが救いなんだけど……悔しいなぁ」

 

 それは衝撃の事実だった。

 そしてよくよく考えれば、セドリックはアリィが攻撃性のある呪文を行使した所を見た記憶が無かった。

 

 夜の闇横丁でチンピラに絡まれた時。グリンゴッツの侵入。転倒薬事件。そしてセドリックは知らないが禁じられた廊下での騒動。アリィはその全てで護身用具をベースにし、逃げる事を重点に考えて危機を乗り越えていた。

 伝次郎のターバンも『石化呪文』が使えたのならもっと簡単に作れた筈だ。

 

 そう、アリィは攻撃性や害意性のある呪文。そして授業で唯一、闇の魔術に対する防衛術だけがとても苦手だった。今までの授業は全て座学。実技が無かったからこそ欠点が露呈しなかったのだ。

 ちなみに『閉心呪文』は呪文を必要とせず意志の力に左右されるからこそ成功したに過ぎない。

 

「俺は先生みたいに英雄にはなれないのか? いや、そんなことない! きっと立派に戦えるように……なんだよ、セド、その目は」

「え? あ、いや、何でもない。気に障ったのなら謝るよ。すまなかった」

「別に気にはしないけどさ。変なセドリック」

 

 奇妙な目で見つめた後、アリィは防衛術のデモンストレーションとして舞台に上がったハリーとドラコを目撃すると、間近で見学するため舞台の最前列へ走り寄ってしまう。

 その後ろ姿を、セドリックは柔和な笑みを浮かべたまま、そして優しい目をして見送った。

 

(まったく、アリィらしいな)

 

 少年らしく英雄譚に憧れるアリィには悪いと思う。しかし攻撃魔法が苦手と知った時、セドリックの心を占めたのは安堵と嬉しさだった。

 

 アリィが杖を片手に巨悪と戦い、危険性の高い呪文を交わし合う姿など見たくない。

 

 悪戯小僧に物騒な魔法は似合わないのだ。彼の技術の全ては、世の中を幸福と笑いの渦に巻き込むためだけに存在するのだから。

 

 

 

 

 

 そしてポチ太郎との戯れの副産物で盾の呪文を習得していたドラコが称賛された所で、呪文の防ぎ方を学ぶための模擬戦が開始される。

 先程の生徒達の模擬戦があまりにもお粗末だったからだ。

 

 事件はその時に起こった。

 

 

 

 

 

「サーペンソーティア!」

 

 ドラコが使ったのは蛇をランダムに召喚する魔法だ。

 そして舞台に現れたのは、

 

「うわ、凄い偶然」

『アリィ? あれ、じゃあここは校舎の中?』

 

 小さなターバンを被る蛇など他にはいない。偶然にもハグリットの小屋の隣に置かれた木箱の中から召喚されてしまった伝次郎。たまたまかもしれないが、バジリスクを召喚するなどもしかしたらドラコの潜在能力は桁外れなのかもしれない。

 そして召喚された伝次郎は対峙するハリーにはそっぽを向き、ちょうど脇にいたアリィを見て説明要求をする訳だが――、

 

「な、なんだこの蛇はっ」

 

 傍から見れば、伝次郎はアリィの隣にいるハッフルパフ生。ジャスティン・フィンチ-フレッチリーを睨んでいるように見えてしまったのが、今後に続く不運の連鎖の始まりだった。

 伝次郎は強面な分、その黄色の瞳に睨みつけられた――ように見える――ジャスティンは、文字通り蛇に睨まれた蛙状態。

 勘違いさせていると分かった伝次郎は大慌てだ。

 

『待って! 僕は確かにバジリスクだけど、見ただけなら害は無いから! 僕はアリィの家族で……って、僕の言葉が通じる訳ないじゃないか!?』

 

 ここでの誤算は何だったのだろうか。

 蛇を召喚する魔法で天文学的な確率の結果、伝次郎がピンポイント召喚されたこと。

 慌てた所為で蛇語使いの稀少さを失念していたこと。

 アリィやダンブルドアにしたのと同様の台詞で、彼を安心させようとしてしまったこと。

 失敗は多々ある。そして中でも致命的だったのは、

 

「待ってよ! その蛇はバジリスクっていうアリィのペットで、伝次郎って名前なんだ! 危険は無いし、彼も何もしないって言ってる! 危なくない!」

 

 ハリーが蛇語使いだと伝次郎が知らなかったこと。

 そしてハリーがバジリスクの知名度も、蛇語使いの一般的な認識を知らなかった事に尽きる。

 

 ハリーが大声で説明した後、大広間は痛い程の沈黙に包まれた。

 生き残った男の子が蛇語使いである事もさることながら、マグル出身以外の者の視線はその全てが舞台上の蛇に注がれていた。その目には、形容し難い程の恐怖が宿る。

 

「…………バジリスク? あの?」

 

 誰かが呟いた言葉は瞬時に観客に伝播する。

 大広間で幾重もの悲鳴が轟いた。

 

「バジリスク!? バジリスクだって!?」

「何でそんな怪物が此処にいるんだよ!?」

「に、逃げて! 皆逃げて!」

「視線を合わせるな! 殺されるぞ!」

 

 魔法族出身者の悲鳴は大広間を恐慌状態に陥れるのに充分だった。

 我先にと大広間から飛び出す者もいれば、その場に蹲る者もいる。マグル出身者でバジリシクを知らない者達も、彼等の悲鳴と行動からただ事で無いと察したらしい。混乱しながら周囲に合わせている。

 

 この騒ぎで深刻なドミノ倒しが発生しなかった事だけが、唯一の救いだった。

 

「待って、待ってよっ! 確かに伝次郎はバジリスクだけど、悪い奴じゃないんだ! 視線を合わせても伝次郎が魔力を込めなければ大丈夫だし、やる気も無いって言ってる! だから安心して落ち着いて!」

 

 その喧騒の中、必死に安全性を訴えるのはアリィだ。

 彼の中にはきちんと話せば皆は分かってくれるという信頼がある。

 信頼が――幻想が、確かにあったのだ。この時までは、

 

「安心なんてしていられるか! そいつはバジリスクなんだぞ! 結局、その魔眼が発動するのもその怪物の気持ち次第って事なんだろ!?」

 

 誰かの悲鳴が決め手となった。坂道を転がるボールの様に。決壊したダムの様に。一度発生した流れは止まる事を知らない。

 最初に罵倒した生徒に次々と続く者が現れる。

 不安から生じる糾弾の言葉が雪崩となって圧し掛かった。

 

 その怒涛の展開は多くの者を混乱に陥れる。アリィを除き、最も混乱して罪の意識を感じるのはハリーとドラコだ。ドラコはバジリスクの登場。ハリーは皆の変わり様に驚き、声を発する事すら叶わず、庇う事すら出来ていない二人は――それを長く後悔する事になった。

 中には弁護する声も聞こえるが、そんなものは片手で数えられる程でしかない。ミス・ストッパー達の言葉は容易く罵倒の雨に鏖殺される。

 そして恐怖で頭が回らない生徒が頼るのは、当然大人だ。

 

「先生! 早くその怪物をなんとかしてください!」

「闇の力に対する防衛術連盟名誉会員なんですよね!? 早く退治してください!」

「そうだ、殺せ! あいつは小さいし、皆で囲ってさっさと怪物を始末するんだ!」

 

 

 

 

 

「殺せ……コロ……え?」

 

 

 

 

 

 その発言が引き金になった。

 数々の悪意に満ちた言葉の中でたった一つの単語を拾うアリィ。

 ここまで悪意に晒されるのは初めての事だった。

 まるで異界だ。今までと同じ世界とは思えなくなる。

 手足が震え、視界が暗転しそうになる。楽しさの欠片も無い世界が、ここまで恐怖を煽るのだと初めて知った。

 そしてアリィは伝次郎を――大事な家族を害されるのが何よりも怖かった。誰かを失う恐怖と喪失感など、デイモンの時だけで十分というのに。

 

 脳が痺れていた。

 生徒達の要望に応えようとする教師の言葉を理解するのに沢山の時間を要した。

 

「そ、そうですね! ええ、そうですとも! 皆さん、ご安心を! 私の手に掛かれば闇の怪物如き、直ぐに退治してご覧にいれましょう!」

 

 退治。即ち殺す。それは、伝次郎の死。

 思考が凍る。

 ロックハートが不動の伝次郎に杖を向けるのを見て、アリィは――、

 

「――――か」

 

 小さすぎる声は誰の耳にも届かない。

 ロックハートの杖に魔力が収束する。

 アリィの雰囲気が変化した事に逸早く気付いたハリーが止める間も無く、そして、

 

 

 

 

 

「みんなのバカぁあああああああああああああーーーッ!」

 

 

 

 

 

 そして、アリィの感情が爆発した。

 

 小さな身体から噴き出す魔力に集中力を乱され、ロックハートの呪文は中断される。

 アリィを中心に大型台風並みの風が逆巻き、癇癪に伴う魔力の暴走は突風を生み、大広間にいる全員が乱風に巻き込まれた。

 立っていられない程の暴風に全員が屈み、又は壁まで吹き飛ばされる。

 アリィの暴走は先程以上の地獄絵図を生みだした。

 

 生徒が一掃された後、立っているのはアリィただ一人。

 

「皆のバカぁ! 伝次郎のことを知らずに、どうして殺せとか退治とか、そんな酷い事を言えるんだよ!?」

 

 アリィは泣いていた。

 大きな蒼空色の瞳からは涙が零れ、癇癪を起こす天災は盛大に鼻をすする。それでも垂れてくる鼻水を止める事は出来ず、倒れていたり唖然とする生徒達を見渡すアリィは、戸惑っている伝次郎をギュッと抱きかかえる。

 それは大事な家族を守りたいがための無意識の行動だった。

 

 生徒達を見るアリィの瞳には、深い悲しみと失望。そして敵意の火が灯った。

 皆の気持ちも分かるが、許容など出来る筈もない。

 

「皆なんか大っ嫌いだ! 伝次郎は渡さないぞ! 魔法省にだって預けない! 信用なんてしない! 退治なんてさせてたまるもんか!」

「待……待って、アリィっ」

 

 ハリーの焦燥に満ちた声も天災には届かない。

 これはまずい。非常にまずい。怒りを向ける対象は違うが、この流れをハリーは知っていた。過去に体験していたからだ。

 そして舞台上に伏せていたドラコの脳裏に浮かぶのは、以前天敵に言われた言葉だった。

 

 

《一つ言っておくけど、本気で怒って癇癪を起こすアリィは……とにかく酷い》

 

 

 ドラコの顔が青褪めた。

 ルームメイトに声を掛ける直前で、天災は声を張り上げ、宣言する。

 

「皆が聞き耳を持たないなら、こっちにだって考えがある! 戦争だ、徹底抗戦だ! グレてやる、授業もサボって悪戯もいっぱいして、不良になってやるんだからなぁあああああああああーーーッ!」

 

 そう高らかに叫んだアリィは盛大に泣き叫びながら颯爽と大広間から飛び出していった。

 そしてそれ以降、学校内に潜んでいるにも関わらず、アリィの居場所を掴めなくなってしまう。

 

 

 

 

 

 これが、学校史に名を残す騒動の始まり。

 まだアリィがマグルの学校に通っていた頃。セクハラ教師と面倒事を嫌い事実を揉み消そうとした学校側に対して行った抗議。『職員室占拠事件』の再現。

 後に『第一次天災騒動』と呼ばれる事件はこうして幕を開ける。

 

 

 ――今ここに、今年度のラスボスが誕生した。

 

 

 




主人公の行動に思うことがある方もいらっしゃるしょうが、もしよろしければ今後もお付き合い願います。
沢山の登場人物たちの心情や思惑を上手く捌いていけるよう頑張ります。
そして良い意味で予想を裏切れるように今後も頑張りたいです。
原作の狂ったブラッジャーに関してはまた後日。

自分は短く話を作れないようです。推敲してこの文字数……何が五千字程度なんだか……



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