追憶逸脱 (種火の茶色いヤツ)
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プロローグ

 素人なのでよろしくお願いします。
 雰囲気をそれっぽくなるように書いているだけなので、考察とかはしても無駄だゾ☆

 ふじのんはいいゾー☆


 昔、散歩をしているといつの間にか妙なところにいた記憶がある。

 そこがどんなところだったのかは、まるで(もや)がかかったかのように思い出せないけれども、迷い込んだという事実だけははっきりと記憶している。そして、俺はそこから、何かを持ち出したような気もする。それが何だったのかは、さっぱり思い出せない。

 その後はまるで夢遊病の患者のように、田んぼのあぜ道をふらふらと歩いているところを、兄に発見された。

 それからだろうか。兄と姉の異常性に気が付くようになったのは。

 それからだろうか。雨の日は決まってうんざりしたような気分になるようになったのは。

 それからだろうか。昔のことが時々思い出せなくなるようになったのは。

 昔、何か衝撃的なことがあったはずだ。それがどうしても思い出せない。

 嗚呼、今日も頭の端で(かすみ)がかかっている。この霞はどうやったら晴れるのだろうか?

 

 

 

 

 1話 プロローグ

 

 

 

 

 什麼生(そもさん)。普通とは何ぞや?

 

 と──昔、近所の寺のお坊さんに言ったことがある。

 

 その時帰ってきた答えは何だったか。

 

 お坊さんが少しの間黙り、口角(こうかく)(わず)かに釣り上げて『説破(せっぱ)』と言ったところまでは覚えているのだけれど。何せ、あの時の俺は小さい子供だったから、それなりに成長した今ではその時のことはすっかり忘れている。

 

 だけど。

 

 なぜかは分からないけれども、この時のことを思い出すことが時々ある。なぜだろうか、その原因を明らかにしようと思考すると、真っ先に黒桐幹也(こくとうみきや)という人物が頭に思い浮かぶ。

 

 黒桐幹也。彼を思い出すのは、連想ゲームのようなものだろうか。なぜなら、黒桐幹也という人間は、どこまで行っても普通なのだから。

 

 いつも真っ黒な服で全身をかためている。眼鏡をかけている。顔を思い出そうとすれば、まあ。それなりに特徴のある格好だけは思い浮かぶけれど、顔はどうだったか。少し自信がない。どこかの人混みの中に彼を放り込んで、探せと言われれば、見つけ出すことは簡単だろうけど、記憶の中から顔をそっくりそのまま再現しようとすれば、なぜか途端に難しくなる。おかしな話なものだ。

 

 けれども、黒桐幹也はどこまでも普通なのだ。だからだろうか。どこにでもいるような、普通の人間だからなのか、その顔を思い出すことができないのだろうか? それとも、これは俺だけなのだろうか。こんど、母──いや、家の人間は駄目だ。皆、黒桐幹也という人間を嫌っているふしがあるから。

 

 だから、こんど姉か、それとも友人にでも聞いてみようかな。

 

 ともかく。黒桐幹也は普通なのだ。

 

 けれども、俺は黒桐幹也を普通とは時々思わなくなる。異常だと思う時がある。普通で異常。矛盾しているだろうか。それとも、こう言い換えればいいのだろうか。そう──黒桐幹也は異常なほどに普通なのだ。

 

 普通に友人とか、知り合いとして付き合う分には、なんら問題ない。黒桐幹也の異常を感じとることはなく、普通の人間として接することができるだろう。

 

 けれども、彼と近しい関係を持つと、普通な彼の異常を感じとることができる。例えば、妹とか、弟とか。そういう身分。

 

 俺が最後に黒桐幹也と、幹兄(みきにい)と話したのはいつだっただろうか?

 

 一緒に遊んだり、買い物をしたり、兄弟として行動したことは結構ある。そうした記憶もまあ、かなり昔のものは覚えていないけれども、それなりには覚えている。けれども、最後に話したのは、いつだったか思い出せない。

 

 幹兄との記憶は朧気(おぼろげ)なものだが、それでも彼の異常性ははっきりと覚えている。それに()()と恐怖を覚えたりするわけじゃなかったけれど。理由は分からないけれど、なぜかそういう異常性をはっきりと覚えている。

 

 そして、お坊さんに問いかけたときのことを思い出し、黒桐幹也のことを思い浮かび。結局のところ、普通とはなんぞや? 『説破』──結論は出ない。思い出せない。最後に思い出すことを諦めてしまう。

 

 今だってそうだ。さっきまで、お坊さんの答えを思い出そうとしていたのに、諦めてしまった。

 

什麼生(そもさん)。普通とは何ぞや?」「説破(せっぱ)。『    ──』」

 

 ぽつり。と雨粒が地面におちる。

 

 その最初の一粒をきっかけにして、雨粒が次々と雲の中から、地面へと()ちていく。

 

 やがて()()()()と、空から如雨露(じょうろ)を傾けたように、たくさんの雨が地面を濡らしていく。

 

 景色は無数の雨粒によって、白いヴェールが掛ったように白くなる。まさしく霧がかかったように。文字通り如雨露の如き雨。

 

 ざあざあ。ざあざあ。いくつもの音が響く。沢山の雨粒が地面をたたき、音を奏でる。自然の交響曲。

 

 そんな中。俺は身近な本を開く。タイトルは『三銃士』。アトス、ポルトス、アラミスで三人。ここにダルタニャンを入れると四銃士になるのではないか、なぜタイトルが四銃士じゃないのか、と初めて読んだときは思ったものだ。

 

 そんなことを思い出して。細かい内容は思い出せなかったから、改めて読み返すことにする。ミレディーの兄は誰だったか。王様婦人の宝石の行方(ゆくえ)はどうだったか。

 

 本を読んでいて。ふと思い出した。

 

「明日から、東京に旅行だった」

 

 雨は相変わらず土砂降りのまま。明日出発するごろには止んでいると良いのだけれども。せっかくの旅なんだ、どうせなら快晴のほうがいい。何より、夏の()()()()とした日差しに曇天と雨は似合わない。

 

「そういえば、荷物の準備してなかった」

 

 読みかけの本を閉じて、テーブルの上に置いて立ち上がる。

 

 ()()()()()()()()()()

 

 何かが落ちた音がした。テーブルの上に置いてあった、昔幹兄がどこかのお土産として持ってきた小物か何かだっただろうか? こういう妙な物は、大抵が幹兄のお土産だったりする。幹兄のお土産のセンスはどこか変だ。

 

 それを手に取ると、またテーブルの上に戻す。小さな、家をかたどったような木彫りのお守り。神社か何かだろうか? 後利益について何か言っていたのを思い出す。確か、迷子に対する後利益があるという話だった。

 

 そのお守りには、かつて名前が彫られていたが、昔からあるものなのか、今となっては劣化によるものか文字が(こす)れて、【マ】という文字以外読めなくなってしまっている。スペース的には、全部で4文字ぐらいなのだろうか。

 

 着替え。お金。電車の中での暇つぶしとしての本。カメラ。地図……リュックの中に、目についた旅行に必要そうなものを手当たり次第に放り込んでいく。途中で昔読んだきりのマンガを見つけて、読むのに夢中になったりもして。結局荷物の整理が終わった頃には、雨は上がっていて、その代わりに暗闇があたりを支配していた。

 

 腹の虫が鳴る。時間を見ると、夜の7時を過ぎたころだった。

 

 ()()()()と腹の虫が再び鳴いた時、タイミングよく母から食事の準備ができたという声が届いた。「すぐに行く!」と部屋の中から叫ぶと、部屋の電気を消してリビングへと移動する。

 

 夕食は美味しかった。けれども、夏休みの宿題をやるように釘を刺されるのは、ちょっと嫌だった。明日から東京で過ごすことになるんだから。楽しい旅行をするんだから、その間は宿題とか、学校とかの()()()()()勉強のことは忘れさせて欲しいものだ。

 

 ……………

 …………

 ………

 ……

 …

 

 僕の弟は、昔からぼうっとしていた。昔、式を動物に例えるなら、兎だと答えて友人に怪訝な顔をされたことがある。弟を動物に例えるなら、キリンだろうか。あの首の長い動物。

 

 そのことを橙子さんに伝えると、微妙な顔をされた。

 

「人を動物に例えるとき、キリンに例えるという回答は中々ないわよ?」

 

「そうですか?」

 

「ええ。それで、その弟クンっていうのは、どういう人なのかしら?」

 

「結構昔に分かれたきりですから……」

 

 と前置きしてから、昔の弟のことしか知らないことを橙子さんに伝える。

 

「一言で片づけるなら、ぼんやりとしています」

 

 そう。僕の弟はとてもぼんやりとしている。それが僕が彼に抱く印象だ。

 

 最後に会ったのはいつだろうか。その時の身長は僕の胸元ぐらいだったはずだ。髪を短く切りそろえていて、いつも白と赤の組み合わせをした格好をしていた。顔は僕にはあまり似ていなくて、どちらかというと妹である鮮花に似ていたかもしれない。今は中学生3年生だっただろうか。

 

 目は少し垂れていて、まるで猫のように時々どこかをじっと見つめているときがある。前に一度何を見ているのかを聞いてみたら、不思議そうに首を傾げていた。多分、何も考えないでぼうっとしている癖がある。その時、目を覗くと(かすみ)がかったような感覚を覚えた。その目は、まるで見えないものを見ているかのようだった。

 

 友人もそれなりにいるようで、学校が終わった時は駅やコンビニとかでポテトとか、アメリカンドッグとかを買い食いして、駄弁(だべ)っているのを昔何度か見かけたことがあった。普段の食事傾向からして、おそらくジャンクフード、いわゆるB級食材が好きなように思える。

 

 マンガとか、アニメとか、ゲームとかもするけれど、それは友人との付き合いでやっていくのに十分な範囲で、(たしな)む程度だったかな。趣味は近所を適当にうろつく──つまり散歩。そのせいか、近所の農家さんや井戸端会議をする主婦の人たちとはそれなりに仲がいい。(たま)に農家のおじさんが家に余った作物を持ってきたことが何度かあった。

 

「今じゃ、時間も経っているから色々と変わっているかもしれませんが」

 

 と締めくくる。

 

 橙子さんは「ふうん」というふうに頷くと、頬杖(ほほづえ)をつきながら言った。

 

「人間の本質なんていうのは、そんな簡単に変わらないものよ。小学生中、高学年あたりで、人間の性格は決定されるの。それ以降はその芯となった性格に、肉付けがされていくだけで、根本は変わらないのよ。人には皆起源が存在するのと同じね」

 

 吸い終わったタバコを灰皿にグシャリと押し付けると、きょとんとした顔を浮かべた。

 

「……何で弟の話をすることになったのかしら?」

 

 ため息。

 

「僕が鮮花(いもうと)の事を話していて、それから橙子さんが『他に兄弟は?』と聞いてきたからじゃないですか」

 

「そうだったかしら」

 

「そうですよ」

 

 ……ああ、そうだ。一つだけ思い出した。

 

「橙子さん」

 

「何かしら?」

 

「今月の給料、まだ貰ってません」

 

 橙子さんは眼鏡を外すと、そっぽを向いた。その動作に、嫌な予感を覚えた。

 

「……ちょっと、オークションでいい感じの呪具(じゅぐ)があってな」

 

 ……もう一つ。なぜだかわからないけれども、ちょっとだけ嫌な予感を覚えた。

 

 これは多分、目の前の給料未払いの雇い主とは別のものが原因だろう。その原因は不明だが、その原因が近々やってきそうな予感がした。具体的には、明日ぐらいに。

 

 はあ、とため息を()いて、ビルの窓の外を見る。雲一つない青空が広がり、太陽の光が降り注ぐ快晴だ。けれども、この七月という時期にこの天気は暑いだろう。帰りは、スーパーで安い食材を探すついでに、アイスも買っておこう。

 

 …

 ……

 ………

 …………

 ……………

 

 空には雲一つもなく、朝の優しい太陽光が飛び立つ小鳥や、地面に生える草花を祝福するかのように降り注いでいる。旅立ちには相応しい天気だ。

 

 リュックを背負い、()()()()()()とキャリーケースを引きずって、出発する。結局、リュックだけでは、着替えが全部入りきらなかったから、キャリーケースを引っ張りだした。

 

「ごーごーごー。ごうごうごー」

 

 乾いた地面の上を、キャリーケースのタイヤが転がり、俺の靴が踏みしめる。間抜けな歌は、この付近には畑もないし、家の中にいる人には聞こえない音量で、東京旅行が楽しみなためついつい口ずさんでしまう。

 

「東京を一人で歩くのは初めてだからなー」

 

 昔の記憶に悶々としている上に、雨が降っていた昨日とは違って、今日は天気も心も快晴だからか、ついつい機嫌がよくなってしまう。東京で何をするのかは、はっきりとは決まっていないけれども、昔から街を一人で自由に歩くのは、一つの夢だったし、貯めたお小遣いと、数度に渡る両親との交渉のおかげでやっと実現したのだから、気分が良くなってしまうのは仕方が無いだろう。

 

 東京には、幹兄(みきにい)がいるし、もしかしたら鮮姉(あざねえ)とも会えるかもしれない。もしかしたら、他にもいいコトがあるのかもしれない。

 

 そんな期待を胸にして、駅へと向かう。東京まで電車で2時間半ぐらいだろうか。

 

 

 

 痛覚残留/追憶逸脱

 

 

 

 

 




 サブタイは微睡みジラフにしようと思ったけど、それは物語シリーズぽくなるのでボツの方向で。

 感想、評価よろしくお願いします。「ここ直したほうがいいよ」っていうのあったら、よろしくお願いします。


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追憶逸脱/1

 年末最後の投稿!
 
 コミケ行ってました。ワダ先生の本の列が凄まじかったです。ツイッターのトレンドにのるぐらいに、ものすごい長い列でした。
 ふじのん本を売っているサークル、2、3ぐらいしかなかった件についてorz
 

 ふじのんはいいゾー☆

 広まれ☆


 新幹線に乗っている間は、本を読んで時々外の景色で物珍しいものがあれば、それを見て感心したりしながら過ごしていたため、退屈というようなことはなかった。東京の県境をまたいだあとは、目的地である駅に到着するまでそう時間はかからなかった。

 

 駅から出て、一番最初にやったことは、周りを眺めることだった。

 

 地元じゃおおよそ見ることのない、高いビルがいくつも並び、沢山の人が()()()()()()詰めになって歩いているという光景は、まず地元では見ることがないため、東京の人たちにとっては日常的なものであっても、俺にとってはかなり珍しく、衝撃的な光景であり、その迫力にただただ感嘆(かんたん)するのみであった。

 

 まるで(あり)のようにたくさんの人が歩くその中に、飛び込んで周りの人と一緒の速度で歩く。歩く速度は、人の数の割に速い──それどころか、地元でゆっくりと歩くよりちょっと速いぐらいだったから、キャリーケース──結局リュックだけでは、荷物を全部詰めることは不可能だった──がほかの人にぶつかったりしないように、慎重になって移動する。

 

 最初の目的地は決まっている。家で地図にマーカーで、通るべき道をなぞって、その道順を家や移動中の電車の中で頭に叩き込みはしたのだけれど、やはり紙面上の記号しかない平面的な景色と、実際に見る景色とでは勝手が違うし、たくさんの人々に翻弄(ほんろう)されて、道に迷うのにそうそう時間はかからなかった。

 

 元の道に戻ろうと、店の看板を目印に移動したり、大きな道路を目印に移動したりはしたものの、やはり慣れない街だったため、更に迷うことは簡単なことだった。誰かに道を聞くのも、なんだか恥ずかしく思えたし、かといって地図を開いて歩くのも、大きなサイズの地図帳だったから、それも恥ずかしく思えた。

 

 それに、道に迷っているという事実を認識してはいるけれど、それに危機感を抱いたりするようなことはなかった。なぜなら、朝早くに家を出発して、東京に到着したのはまだ午前中。つまり、時間がたくさんあったし、適当に()()()()と見知らぬ街を歩くのも、俺の好きな旅番組のようで風情(ふぜい)があったから。最悪、夜になっても目的地が見つからなかったら、道端(みちばた)でキャンプをしてもいいかもしれない。

 

「大体あっちのほうかな」

 

 と遠くに見える、高いビルとか、太陽の位置とかを参考にして、適当な向きへと歩き始める。

 

 

 

 

 2話 追憶逸脱/1

 

 

 

 

 浅上藤乃の礼園女学院の制服は、赤黒い血液にまみれており、彼女は洗濯機で洗えば落ちるかしら、なんていうことを考えていた。

 

 彼女の足元には、ほんの数秒前まで人間だったモノ、すなわちその肉体をぐちゃぐちゃに捻じ切られた、無数の肉塊が転がっていた。

 

 この肉塊たちは、不良と呼ばれるような人種であり、彼らはつい先ほどまで浅上藤乃を娯楽の一環(いっかん)として、(なぐさ)み者としていた。

 

 しかし、他人から見れば眉を(ひそ)めるほどの暴行に対し、浅上藤乃はどこまでも無反応であり、()()が終わった後も、何事もなく学校に通い、友人と談笑し──(なん)らいつもと変わらない生活を送っていた。

 

 そのことに自尊心を酷く傷つけられた不良たちは、彼女を恐怖させ、自らが上位の存在に立つために、今回の()()にナイフという道具を持ち出した。

 

 その結果──浅上藤乃の肉体は激痛に(おそ)われ、彼女の能力(まがん)が発動した。

 

「あら?」

 

 と浅上藤乃は首を傾げ、肉塊の数を数え──この場から一人、生きたまま逃げ出しているということが判明した。

 

 彼女は困ったように首を(かし)げ、ぽつりと呟いた。

 

「わたし、復讐しなきゃいけないのかしら」

 

 ぶるり、と浅上藤乃の身体が震えた。

 

 彼女は復讐を行う意志はあれど、その理性が人間を殺すのはいけないことだ、恐ろしいことだ、と(ささや)きかけていた。故に、彼女は恐怖し身体を震えさせたのだ。

 

 ──しかし、そうした感情とは真逆に、浅上藤乃の広角は釣り上がっていた。

 

 その笑みが意味するものは何か。ともあれ、浅上藤乃はこの場から逃げ出した最後の一人を探しだすために、痛む腹を手で押さえながら、一匹の猟犬と化したのである。

 

 とはいえども、この多くの人が生活する街中では、特定の見知らぬ人物を見つけることは非常に難しく、気が付けば夜の(とばり)()り、時計の短針が12の文字、すなわち午前0時を刺そうとしており、雨も降り始めていた。

 

 しかし、浅上藤乃は雨を気にするような様子はなく、傘をさすこともなく、街中をふらふらと彷徨(さまよ)うかのように歩いていた。

 

「──もしもし?」

 

 と浅上藤乃は声をかけられた。

 

「──ッ」

 

 彼女は振り向き、その顔を見ると息を呑んだ。黒ぶちの眼鏡をかけ、上下黒い服を着た男性──黒桐幹也だった。

 

 ──わたし、この人と会ったことがある。わたし、この人を知っている。

 

 浅上藤乃が中学生だったころ、総体で足をくじいてしまったとき。無痛症なため痛むという感覚もなかったし、普通に歩くこともできた。当時、無通症である浅上藤乃は他人から「痛い?」とか、「痛いの?」とか、普通の人間が持ち合わせている感覚を、持っていない浅上藤乃はよく理解できなくて──そういう風に聞かれるのがとても(いや)でたまらなかった。だから、彼女は意地になってその怪我を隠していた。

 

 けれども、足をくじいた彼女を発見した黒桐幹也は、

 

「痛みは我慢するものじゃない。訴えかけるものなんだ──」

 

 と。怪我のことは何も言わずに、浅上藤乃を背負って保健室へと連れて行ったのだ。

 

 だからこそ、当時黒桐幹也が、怪我の調子を聞かないで、それどころか怪我をしたことを誰にも訴えない浅上藤乃を、叱り飛ばしたことが衝撃的でたまらなかったのだ。

 

 だから、浅上藤乃は黒桐幹也の顔をみるなり、そのことを思い出すことができたのだった。

 

 隠していた怪我に気が付き、その上、浅上藤乃の苦しみを案じてくれた黒桐幹也という人物──その時、浅上藤乃は彼に恋をした。

 

 ──でも、あなたはわたしのことなんか、忘れているのでしょうね。

 

 それは黒桐幹也の様子を見れば(あき)らかだった。

 

 彼が浅上藤乃のことを覚えているのならば、声を掛けるとき名前を呼ぶだろうし、そうでなくても昔のことを引き合いにだしたりしているはずだ。

 

 けれども、今浅上藤乃の前にいる黒桐幹也は、まるで初対面の人物と会うようなふるまいだった。

 

 無理もないのだろう。あの時、黒桐幹也は浅上藤乃を保健室に運んで、それっきりだったのだから。

 

「はい、なんでしょう?」

 

 だから、浅上藤乃もまた初対面のようにふるまうことにした。

 

「お腹、痛いの?」

 

「────ッ。いえ──その──」

 

 浅上藤乃は確信をつかれ、明らかに動揺してみせた。けれども、黒桐幹也はそんな彼女の様子にも構わず、続けた。

 

「君、礼園の生徒さんだろう? あそこは、全寮制だったハズだ。電車に乗り遅れた? なら、タクシーでも呼ぼうか?」

 

「大丈夫です。わたし、持ち合わせがありませんから」

 

「うん、僕だってないよ。家が近いのかな? 礼園の寮は、外出届が通るのか」

 

「いえ、わたしの家は、ここよりは遠い場所にあります」

 

 ははあ、と黒桐幹也は得心(とくしん)がいった様子で、頭を掻いた。

 

「となると、家出かな?」

 

「ええ、そうなりますね」

 

「そっか、だったら僕のところに一晩とまるかい? ああ、一応手を出そうなんて考えてないけれど、もしもなんてことがあるかもしれないから、身の安全の保障はしないよ? 薬も鎮痛剤ぐらいしかないけれど、それでもいいのならおいで」

 

 浅上藤乃は、ほとんど反射的に首を縦にふった。彼女の中には想い人の元に泊まれるという喜びと、一晩限りだが宿を確保できる喜びがあった。

 

「──苦しい?」

 

「いえ。傷はもう(ふさ)がっていますから」

 

「辛かったら背負うから、言いなさい」

 

 というようなやり取りを、黒桐幹也の部屋へと向かう途中、何度か繰り返した。こうした、何気ないやり取りが、浅上藤乃にとってはとても嬉しいものだった。

 

「お腹、痛む?」

 

「いえ──」

 

 浅上藤乃は首を横に振って、否定した。

 

 これは無通症である浅上藤乃にしてみれば、本当のことだった。けれども、彼女は昔のことを思い出して、首を縦に振った。

 

「──はい。とても……とても痛いです。わたし、泣いてしまいそうで──泣いて、いいですか?」

 

 黒桐幹也は頷くと、浅上藤乃は満足げに(まぶた)を閉じた。

 

 黒桐幹也の部屋に到着すると、浅上藤乃はシャワーを借り、その間に雨によって濡れた制服を乾かすことにした。

 

 シャワーから上がるころには、制服はすっかり乾いていたため、それを着るとバスルームから出て、家主の姿が見かけなかったため、しばらくの間探し、玄関に置かれている(くつ)が、浅上藤乃のものしかないということに気が付き、同時にこの部屋の家主は出かけているということが分かった。

 

 浅上藤乃は、ソファーに座って家主の帰りを待つことにしたのだが、結局のところ今日は不良たちから乱暴を受け、そして逃げた少年を探し出そうとあちこちを歩き回っていたことによる疲労が溜まっており、その上恋をする人物の部屋にいるという、一種の安心感から気を抜き、いつの間にかソファーに寝転がっていた。

 

 太陽の陽ざしが窓から部屋へと入り、浅上藤乃の顔を照らすと、彼女はばね仕掛けのように起き上がった。玄関を見れば、黒桐幹也はすでに帰っており、浅上藤乃は家主の留守中に眠りこけてしまうという粗相(そそう)をしてしまったことを理解した。

 

 これは礼園の教育による賜物(たまもの)か、あるいは元来(がんらい)彼女が礼儀正しい性格だったのか、ともかく浅上藤乃は家主に謝罪(しゃざい)をしようとし、黒桐幹也のいる寝室へと移動したが、彼はまだ眠っており、起こすわけにもいかないので、リビングに戻って正座をしながら彼が起きるのを待つことにした。

 

 その間、浅上藤乃はそわそわとした落ち着かない気分で、黒桐幹也がリビングにやってくるのを待っていた。

 

 そして、黒桐幹也がリビングの扉を開くと、浅上藤乃は頭を下げた。

 

「昨晩はお世話になりました。お礼はできませんが、本当に感謝しています」

 

 浅上藤乃は、これでやることは済ませたと言わんばかりに立ち上がり、きびすを返した。しかし、黒桐幹也は、

 

「朝ごはんぐらい食べていきなさい」

 

 と浅上藤乃を引き留めた。これに、彼女はおとなしく(したが)って、準備を手伝おうとしたが、断られたので朝食ができあがるまで待つことにした。

 

 メニューはパスタで、出来上がるまでそう時間はかからなかった。黒桐幹也は、食事中に何も話さないうえ、浅上藤乃が一口も口にしないのを(さみ)しく思い、テレビをつけることにした。

 

 ちょうどアナウンサーが新たなニュースを読み始めるころであった。そのニュースの内容は、半年前から放置されたバーの内部で、無残(むざん)にも体を引きちぎられた4人の少年たちの死体が発見されたというものであった。

 

 アナウンサーは、彼らの身元を次々と()べていき、普段の行動なども読み上げていった。そして、それを聞いたコメンテーターが、()()()()()の不良は死んで(しか)るべきだと言った。

 

 浅上藤乃は、そのコメンテーターの言葉を聞くなり、否、それよりも前──それこそアナウンサーが被害者の名前やら顔やらを述べた時から、腹を抑え、呟くように言った。

 

「──殺されて仕方がないひとなんて、いません」

 

 浅上藤乃の呼吸は自然と荒くなっていた。バーで死んでいた少年たちとは、昨日浅上藤乃を犯し、浅上藤乃によって殺された人物たちのことであり、彼女はその時のことを思い出していた。ナイフの刃が腹に突き刺さり──すでに傷口の無い腹部が、ひどく痛み出した。

 

「なんで──治ったのに、こんな……!」

 

 ズキリ、ズキリ、と腹部に痛みが走り──浅上藤乃はひどく取り乱し、立ち上がると部屋から立ち去ろうとした。

 

 痛い──と浅上藤乃は思った。そして、その感覚に自分の生命(ココロ)を感じた。肉体の傷は、無通症すらも乗り越えてやってくる。ココロが、肉体が痛む。彼らのコトを思い出すたびに、ココロが痛み、その痛みが肉体に痛みをもたらす。

 

 浅上藤乃は痛みに生命を感じる。──これは、普通ではない。浅上藤乃はそれを確かに自覚していた。

 

「待った。少し落ち着いたほうがいいよ」

 

「──ッ」

 

 浅上藤乃は黒桐幹也の言葉によって、冷静さをある程度取り戻し、

 

「いいんです。わたし、もう戻れませんから」

 

 浅上藤乃は黒桐幹也という人種とは違う。浅上藤乃の内心を黒桐幹也が知ったらどうなることか──それが怖くてたまらなかった。

 

 だから──ココロが苦しい──

 

「さようなら。もう二度と会いたくありません」

 

 浅上藤乃は部屋から逃げ出すかのように、その場を去った。

 

 …

 ……

 ………

 …………

 ……………

 

「あ」

 

 と。礼園の制服を着た、長い黒髪の少女が走るのを見るなり、そんな言葉が口に浮かんだ。

 

「今のは──確か、鮮姉の学校の制服だったけ」

 

 何があったのかは知らないけれど、立派なお嬢様学校の生徒が、髪を振り乱しながら汗をかき、ひどく狼狽(うろた)えた様子で道を走っていた。

 

「何かあったのかな」

 

 それは普通のことではないから、少しだけ気になったけれども、彼女の足は思ったよりも早くて、追いつけそうにはなかった。

 

 彼女の背中を見送ると、今歩いている道が、目的地──つまり幹兄の住んでいる場所まで、まっすぐの一本道であり、すぐそこであるということに気が付いた。

 

「幹兄に東京行くことって、伝えていたっけ。まあいいか。それにしても──今のひと、結構美人だったかな」

 

 幹兄の借りている部屋へと向かって歩き始め──そんなことを思った。

 

 

 

 

 

 

 







 一応、原作読んでない人でも分かるようには書いてます。
 でも、文章をそっくりそのまま書くのはアウトですが、ここは大事なシーンなので、なるべく原作と同じ感じになるようにしました。

 次回から、物語は進んでいきます。


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追憶逸脱/2

明けましておめでとうございます! よろしくお願いします!

紅閻魔健気可愛い。猿は許さん。

設定色々と改めて考えてたら投稿するの遅くなってた。すまない。

ふじのんはいいゾー☆


 浅上藤乃が黒桐幹也の元から立ち去ると、彼は頭を掻いてテーブルの上にある皿を片付けることにした。

 

 彼女の制服には、刃物で切り裂かれたような穴があり、またテレビでニュースを見たときの反応など、気になるようなことはいくつかあったが、あっという間に立ち去ってしまった。

 

「・・・…あ」

 

 テーブルの上には、綺麗に完食された皿と、何も手が付けられていない、パスタが盛られたままの皿があった。完食されているものは、黒桐幹也のもので、手の付けられていないほうは浅上藤乃のものだった。

 

 皿の上に盛られて、手付かずのままのパスタは、(わず)かに湯気を出してはいるが、ほとんど冷めかけのものだった。今から食べるにしても、朝から2人前のパスタを食べられるほどの食欲はなかった。

 

 黒桐幹也は仕方がない、とそのパスタを昼飯か、あるいは夕飯として使うためにラップをかけて冷蔵庫の中に入れることにした。

 

 その作業が終わると、会社へと行く準備をして、外に出るために部屋の扉を開いた。

 

 すると、ガン、と扉が何かにぶつかる音がして、

 

「ふぎゃっ」

 

 なんていう声がした。

 

 

 

 

 追憶逸脱/2

 

 

 

 

 幹兄が普段暮らしているアパートにたどり着くと、幹兄の借りている部屋の番号を思い出して、壁にある番号を見比べて、幹兄の部屋を探すことにした。

 

 部屋番号を心の中で読み上げながら、廊下を歩き、幹兄の部屋の前にたどり着く。

 

 扉を開けようとドアノブを掴むと、

 

「あ、インターホン」

 

 と呟く。扉を開ける前に、インターホンを押すのが、作法(さほう)だ。いくら実の兄とはいえども、いきなり扉を開いて部屋に入るのは駄目だろう。それに、家の中にいても、鍵をかけている場合もある。来客を知らせるためにも、インターホンを鳴らすことは大事だろう。

 

 手を壁に備え付けられているボタンに伸ばし──

 

 ()()()()、とドアノブが回って、扉が開いた。そうなると、当然扉の前に立っている俺は、無防備(むぼうび)な状態で、避けることもできずに顔面に扉をぶつけるしかないわけで。

 

「ふぎゃっ」

 

 ()()という音とともに、そんな声を漏らしてしまった。

 

 扉を開き、俺の顔面を攻撃した人物は、どうやら故意に攻撃したわけではなく、すぐに扉を引いて、ちょっと開いた隙間からこっちを覗き込んできた。

 

 鼻っ柱を押さえながら、俺はその覗き込んでいる人の顔を見る。眼鏡に、黒い髪──ああ、そういえば幹兄ってこんな顔だったなあ、なんていうことを考えながらも、痛みによって涙目になりながら、久しぶりに会った弟に、こんな仕打ちをしでかしたことに、文句の一つでも言ってやろうとした。

 

「……やあ、幹兄。扉を開くときは、向こう側に誰かがいるかどうか確認してからのほうがいいと思うよ」

 

「……おまえ、何でこんなところにいるんだ」

 

 なんて。びっくりしながらも、幹兄は言った。

 

「旅行にきたんだ。ちょっと中に入れてよ」

 

 幹兄は俺を中に入れると、怪我の様子を確認してきた。幸い、鼻血を流したり、鼻の骨を折ったりしているわけではなく、軽い打撲(だぼく)だけのようで、保冷剤を巻いたタオルを渡してきたので、それを鼻に押さえつけるのみにしておいた。

 

「というわけでさ、幹兄。ちょっとの間ここに泊めてよ」

 

「どういうわけなんだ。旅行って、ホテルとか取ってないのか?」

 

「一応、予約するフリだけはしておいたよ。ほら、東京には幹兄がいるし、幹兄のところに泊まれば、貰ったホテル代が浮くでしょ? それに、今からホテル取ろうにも、俺と同じような旅行者で、どこのホテルもいっぱいだろうから、幹兄のところに泊まるしかないんだよね」

 

 幹兄は何だか(あき)れたような表情を浮かべて、ため息を()いた。

 

「別に泊める分には構わないけれど──そうだな、食事代ぐらいは払ってもらうぞ」

 

「うん、分かった。ありがとう、幹兄。大好き」

 

「ホテル代を突っぱねるぐらいなら、事前に連絡しておきなさい。もし僕が旅行に出かけていたりして、留守だったらどうするつもりだったんだ」

 

「あ、それは考えてなかった」

 

 ついでに言えば、連絡をするのも忘れていた。そうか、普通はそうするべきだったか。

 

「ごめん、旅行で舞い上がっていたかも」

 

「はあ、とりあえず、兄さんは今から会社に出かけるから。飯は済ませてある?」

 

「まだ食べてないよ。今から、コンビニか、どこかのファミレスかなんかで済ませる予定」

 

「じゃあ、部屋の中にパスタがあるから、それを食べなさい。食器は流しで水に浸しておくこと」

 

「はーい。あ、お金先に渡しておくね」

 

 財布の中からお札を何枚か引き抜いて、幹兄に手渡す。いくらあるのか数え、それを財布の中にしまいこむと、幹兄は会社へと出かけて行った。

 

 部屋に誰もいなくなると、()()()()と腹の虫が鳴きはじめ、食事を要求してくる。キャリーケースと、リュックを部屋の(はじ)に置くと、冷蔵庫の中からラップがかけられたパスタの皿を取り出し、勝手知ったると言わんばかりに電子レンジの中に放り込んで、タイマーを一分半。その間に、(はし)、いやパスタの場合はフォークだったか。フォークとコップを探して、コップには冷蔵庫の中にあった牛乳を注ぎ込む。

 

 ()()、と電子レンジが鳴る。

 

「あちち」

 

 ()()()を探して、ふきんごしに熱いお皿を掴んで、テーブルの上に置く。ラップをはがして、ゴミ箱の中に。ふきんは元あったところに戻す。

 

「よし、いただきますっと」

 

 椅子に座って、()()と手を合わせて、フォークでパスタを巻き取って口に運ぶ。

 

「うん、おいしい」

 

 たかがパスタ、されどパスタ。麺をゆでて、何かソースをかければできる簡単な料理だけど、その分作る人の腕で味が変化する。一人暮らしの学生ならば、よく作ると聞くから、幹兄も作り慣れているのだろう。

 

 気が付けば、皿の上にあったパスタは無くなっていた。最後に牛乳が入ったコップを手に持って、()()()()()()(のど)を鳴らしながら、牛乳を流し込む。

 

「ごちそうさまでした」

 

 手を合わせる。

 

 お皿やコップ、フォークといった食器を流しに運んで、スポンジに洗剤を数滴(すうてき)()らして、食器を綺麗に洗う。食器乾燥機は無いようだから、タオルで食器についた水分をふき取るのみにしておく。

 

「あ、そういえば水に浸しておくだけでいいんだっけ」

 

 食事が終わった後、食器は洗うものだから、幹兄が言っていたことをついつい忘れてしまっていた。けれども、せっかく洗ったのだから、そのままにしておく。

 

 片づけが終わると、財布を取り出して部屋から出ていく。鍵がどこにあるのか探してみたけれど、結局は見つからなかったので、鍵をかけないで出かけることにした。

 

 旅行──東京観光はまだ初日だし、時間があるから今日はそこらへんをうろついて、大体の雰囲気を味わったり、駅とか、バス停とか、公共の交通機関までの道を覚えるにとどめておく。

 

 …

 ……

 ………

 …………

 ……………

 

 気が付けば、すっかり夕方になっていたから、幹兄の部屋へと帰ることにした。

 

 幹兄はまだ帰ってきていないし、やることもなかったのでテレビを見ることにした。ちょうどニュース番組をやっていた。

 

 画面には、海を(また)ぐ巨大な橋が映っていて、その橋の大きさに感嘆するしかなかった。テロップから、その橋の名前はブロードブリッジというらしい。橋の中には商業施設やら、アミューズメントパークやらが入っているらしい。

 

「橋っていえるのかな。ソレ」

 

 線路や道路がある橋なら聞いたことはあるけれど、中に商業施設とかが入っている橋は聞いたことがない。これほどのものとなると、もはやただの巨大で細長いデパートか何かで、ついでに車とかが通れるだけの建物なのかもしれない。

 

 そんなことを考えていると、ニュースは別のものになっていた。なんでも、どこかのバーで人が死んだというものだ。

 

 アナウンサーが内容を読み上げる。それによると、四人の青年が手足を引きちぎられた状態で発見されたとのことだ。辺りは血の海となっていたようで、沢山の警察や野次馬(やじうま)(むら)がる様子が撮影されていた。

 

「引きちぎる?」

 

 ついつい首をかしげてしまう。

 

 引きちぎるっていうのは、つまり引っ張ったり、曲げたりして切断することだ。刃物で切断するのとは訳が違う。切断と言わないのは、アナウンサーの間違いなのだろうか? 人間の体引きちぎるのには、かなりの力が必要になるだろう。

 

 人の体というものは、思いのほか弱いようで頑丈なものだ。皮膚とか、肉とかはナイフを使えば、簡単に切ることができるけれども、筋肉とか骨とかがあるのだから、引きちぎるとなるとそれなりの力が必要になるだろう。

 

 骨折とかならまだ分からなくはないけれども、切断とか、引きちぎるとなると大変だし、手間もかかるだろう。人を殺すにしても、ここまでやる必要はないはずだ。これをやった犯人は、何で引きちぎるなんていうことを選択したのだろうか。

 

「犯人は、ムキムキのプロレスラーか、力のある機械を持った人かな」

 

 なんて、冗談めかして言ってみる。

 

 アナウンサーが、被害者の少年たちの身元を話し始める。どうやら、不良とか、ならず者と呼ばれるような人たちで、違法な薬にも手を出していたという。

 

「復讐、かな」

 

 そういう人種なら、誰かを(だま)すなり、暴行するなりはしているのだろう。だから、その被害者は、よほどの恨みを持っていて、殺すだけじゃ憎しみが収まらず、体を解体したのかもしれない。

 

 これのほかにも、前──冬頃だったか。東京(ここ)で殺人事件があったらしいし、東京は思いのほか治安が悪いのだろうか。

 

 幹兄もその殺人事件に巻き込まれたと、ああ、誰だったか。警察で働いている従兄(いとこ)か、親戚か、名前が思い出せないけれども、その人から聞いたことがある。

 

「ただいま」

 

 ()()()()と扉が開く音がした。

 

 幹兄は両手にビニール袋をぶら下げていた。

 

「お帰り。それ、中身何?」

 

「食材だよ。冷蔵庫の中に何もなかったから、スーパーでいくつか買ってきたんだ。おまえの食事も用意しなきゃいけないから」

 

「ああ、そうなんだ。ちなみに今日の夕食は何?」

 

「ハンバーグ。おまえ好きだったろ」

 

「うん、好き。大好きだよ。幹兄。ねえ、前になんか殺人事件に巻き込まれたって聞いたんだけどさ、どんな感じだった?」

 

 ごふ、と幹兄は吹き込んだ。

 

「おまえ、何でそんなこと聞くんだ」

 

「気になってさ。さっきテレビで殺人事件があったってやってたから」

 

「ああ、あの事件か。()いていうなら、死体はもうこりごりだ。二度と見たくない。

 最近は物騒だから、気を付けなさい。不良たちに声をかけられたら、すぐに逃げること」

 

「うん、分かってるよ。幹兄。でもさ、この事件なんか変だよね。引きちぎるっていうのが──」

 

「確かにそこは僕も気になっている。けど、あんまり首を突っ込まないこと」

 

「はーい」

 

 と俺が答えると、この話は終わりになった。

 

 幹兄は夕食を作るためにキッチンに向かって、作業を始めた。その間、俺はテレビのニュースを観続けることにして、明日の計画を立てることにした。

 

 東京といえば、やはり東京タワーだろうか。秋葉原でバスケを見学して、ラーメン屋巡りでもしようか。花やしきで遊ぶのもいい。

 

 ……………

 …………

 ………

 ……

 …

 

 湊啓太(みなとけいた)──昨日、あそこから逃げ出した()()()()()()

 

 浅上藤乃は、彼がどこにいるのかを探すには、()()()()()()()()の遊び場を探すのが手っ取り速いと考えた。だから、いくつかそういう場所を巡った。その結果、ひとりだけ彼のことを知っている人と出会うことができた。

 

 浅上藤乃は湊啓太の居場所を聞き出したが、彼女が()()()()()()()のはこの街の不良グループの中では、それなりに有名な話だったため、その男は場所を人気のない工事現場に移し、行為を要求することにした。

 

「なあ、その。湊啓太とは連絡がとれないのか?」

 

 と男は訪ねる。こういうのには、一種の流れというものが存在するのだ。いきなり要求することもいいが、それでは盛り上がらないというものだろう。

 

「──いえ、連絡は取れるんです」

 

 と。浅上藤乃は片手で腹を押さえながら言った。

 

「へ? だったら、居場所を聞けばいいじゃねえか」

 

「それが、啓太さん、わたしには隠れている場所を話したくないっていうんです。ですからわたし、啓太さんのお友達を訪ねているんです」

 

「隠れている?」

 

 と男は眉をひそめた。

 

「なんだ、ソレ。アイツ、何かあったのか?」

 

 彼はニュースを見るような人種ではなく、湊啓太の所属するグループのメンバーが、バーの地下で死亡したという話は全く知らなかった。それに、彼の頭の中は浅上藤乃を犯すことでいっぱいだった。

 

「ま、どうしても知りたかったら──分かってるよな? オマエ、中々にイイ体してるし、ここに一人で来たってことは、分かってるだろ? 最初から、コレが目的なんじゃねえのか? ええ?」

 

 ニヤリ、と男は下品な笑みを浮かべながら、浅上藤乃の肩を(つか)んだ。

 

「答えてください。啓太さんの居場所、知っているんですか?」

 

「知るわけねえだろ。そんなモノ。ばぁか」

 

 と男は浅上藤乃の顔を覗き込んだ。

 

 そして──眼を見た。その螺旋(らせん)を含む眼に感情というものはなく、尋常(じんじょう)ではない様子だった。

 

 ぐるり、と浅上藤乃の肩を掴んでいた男の腕は、肩から後方へと()()()()()()。それは人間の関節の限界を無視した動きであり、一瞬の事であった。

 

「え」

 

 男が自分の腕が捻じ曲がったのを認識するのと、痛みが全身を奔るのと、どちらが早かっただろうか。

 

「ガ、ギヒィアアアァァァッ!? 痛い──痛てェッ!」

 

 男は絶叫し、泣き叫んだ。しかし、これは序章に過ぎない。ここから浅上藤乃の痛覚(かいらく)は始まるのだ。

 

「……(まが)れ」

 

 呟く。「凶れ」「凶れ」「凶れ」呟く。繰り返し呟く──その言葉(のろい)を、呟く。

 

 そのたびに、男の体のどこかが捻じ曲がる。腕が曲がり、足が曲がり、胴が曲がり、指が曲がり──

 

「ア、ヒ、ヒヒヒヒ……あり、えね、え。アシ、曲がっ、て……ハハ、ハ、ヒ、ハハ」

 

 男の血管が破裂したのか、ブシュリと血液が()き出し、工事現場の鉄板を濡らす。彼は苦し気な言葉を、言葉にもならない声で幾度(いくど)ももらすが、浅上藤乃はその言葉の意味がよく分からなかった。あたまがわるいせいだろう。妙な言葉が聞こえるが──無視することにした。

 

 最後に、男の左腕がちぎれた。男の意識は完全になくなり、物言わぬ肉塊へと成り果てたのだった。

 

「──ごめんなさい」

 

 浅上藤乃は自分のことが厭になる。

 

 なんてことをしているのか。けれども、初めからこうするつもりだったのだ。彼は、浅上藤乃をおかそうとしたのだ。だから、反撃をするしかなかった。

 

 間接的な形になるが、これも復讐なのだ。

 

「わたし、こうしないといけないから」

 

 浅上藤乃に痛みという感情は、感覚は、理解できなかった。けれども、今の彼女は痛みを知っている。腹にナイフを突き立てられたせいで──

 

 だから、いま肉塊になった男の痛みに強く共感することができている。痛みとは、生きることなのだ。生きるということは、痛みと共に歩むことなのだ。故に、浅上藤乃は己の生存を味わう。

 

「──こうしてやっと、わたしは人並みになれる」

 

 浅上藤乃という人間は、他人を傷つけなければ生き(たの)しみを得られない。

 

 こんな自分が、厭になってしまう。

 

「母さま、藤乃はこんなことまでしないと、駄目な人間なんですか」

 

 浅上藤乃は問いかける。けれども答えなんて帰ってくるわけもなく、彼女はため息を()いた。

 

「わたし、人殺しなんかしたくないのに」

 

 

 

 

 七月二十一日 終

 

 









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追憶逸脱/3

式とか、鮮花とかの説明どうしようか悩み、原作を読んでない人でも分かるように説明しつつ、ネタバレとかはある程度は防いで……
なんてやっているうちに時間がかなり経っていました。ついでに文章も一万文字超えた(白目

藤乃についても、これでいいのかな。なんて不安になりつつ投稿。小説書くの難しいネ!
解釈違っていても作者はZeroから入った型月にわかだから許してください。
言えることはただ一つ。

ふじのんはいいゾー☆


 七月二十二日、午前七時二十三分──

 

 昨晩、両儀式は青崎橙子の依頼によって、夜の街を朝の三時ぐらいまで歩き回っていたため、非常に疲れていたし、眠くもあった。

 そのため、両儀式はベッドで毛布を被って眠っていたのだが、朝の陽ざしと、数回にわたる電話のコール音が、目覚ましとなり、両儀式は気だるそうに体を動かした。ピー、と電話が鳴ると自動的に、留守番電話の録音が再生される。

 その声は、黒桐幹也のものであった。

 

「おはよう式。ちょっと頼まれてくれないかな? 今日の正午きっかりに、駅前のアーネンエルベっていう喫茶店で鮮花(あざか)と待ち合わせしてたんだけど、どうも行けそうに無いんだ。一応、こっちに来ている弟にも、伝言を頼んだんだけれど、あいつ、方向音痴でいつも迷子になっているから、あんまりアテにはならないんだ。式、君暇だろ。行って、僕は来れないって伝言しておいてくれないか」

 

 ……弟? と両儀式は首を傾げた。

 本当なら、毛布を被って二度寝しようとしたのだが、黒桐幹也に弟がいたという話は聞いたことがない。いや、今までいると話す必要がなかったから、話さなかっただけなのだろうが。

 

「あいつ、妹だけじゃなくて、弟もいたんだな」

 

 なんて、ポツリと呟く。

 どんなヤツなのか、ほんの少しだけ気にはなったが、どうでもいいと結論を出して毛布を被り、正午の少し前まで二度寝をすることにしたが、電話のコール音が鳴り響いた。その後、留守番電話に切り替わり、メッセージが再生された。

 その声の主は、青崎橙子のものであった。

 

「私だ。ニュースは見たか? 見ていないな。私も見ていない。見なくていいぞ。

 昨晩起こった死亡事件は全部で三件だ。最早恒例になった飛び降り自殺が一つ。痴情のもつれによるものが二つだ。そのどれも報道されていないから、事故として片づけられた。

 だが、一つだけ奇怪なケースがある。詳しく聞きたければ私の元まで来い。ああ、いや。やはり来なくていい。考えてみればこれで事が足りる。いいか、寝ぼけている君の為に分かりやすく言ってやるとだな、要するに犠牲者が一人増えたということだ」

 

 ブツリ、と電話が切れた。

 わたしもきれそうになった。

 

 ──両儀式という人間は、過去に一度死んでいる。

 

 正確には、彼女の中に存在していた両儀織(りょうぎしき)というもう一つの人格が欠けたとでも言うべきか。

 

 ……両儀という家系には、一つの特徴がある。その特徴とは、高い確率で難解性同一性障害、分かりやすく言うのならば二重人格者が生まれるのだ。

 そのため、両儀の子には、陽性、男性としての名前と陰性、女性としての名前の二つの、同じ発音をした名前が用意される。

 シキ──彼女の場合は、陽性の名を両儀織。陰性の名を両儀式といった具合に。

 

 二重人格者という病を抱えた人間は、大抵がその精神を狂わせ、最終的に自殺するということが多いという話があったが、幸いにも両儀織と両儀式の二人は、お互いのことを全く意識していなかったためか、精神が狂うようなことはなかった。

 普段は、両儀式が肉体の主導権(しゅどうけん)を持ち、肉体と精神が一致した人間、つまり女性として振舞(ふるま)っている。両儀織は普段は彼女の中で眠っており、剣術の試合のような荒事の時などに引っ張り出されることが多い──

 

 このようにして、二人は折り合いをつけ、そのカタチこそ(いびつ)ではあるが、平穏な生活を送っていた。

 

 例え──両儀織という人間が殺人を(たの)しむ殺人鬼であろうとも。

 

 ……二年前、両儀式が十六歳のころ。両儀織がまだ生きていたころ。

 

 細かい話は(はぶ)くが、黒桐幹也は両儀式という女性に好意(こうい)()せていた。

 

 そして、二人はいわゆる友人という関係性であり、両儀式は黒桐幹也が己に好意を寄せているということを知っていたし、それに悪い気もしなかった。両儀織も、黒桐幹也という人間に興味を持っていたため、表に出て両儀織というもう一つの存在を打ち明けたことがある。

 

 ──二年前。連続通り魔が四か月の間に、五人の人間を殺害した。

 その五人の被害者の様子は、どれもがバラバラに()()かれており、それだけに(とど)まらず三人目はその切り裂かれた体を()い合わされた状態で発見され、四人目はバラバラにした体で文字らしきものを作り、五人目の死体は(まんじ)の形をしていた。

 これらは異常者(いじょうしゃ)仕業(しわざ)であり、黒桐幹也は殺人事件に、死体の発見者という形で巻き込まれることとなる。

 

 ……はっきり言ってしまえば、殺人鬼の正体は両儀式、正確には両儀式という人間の破壊衝動が形となった両儀織であった。

 黒桐幹也は従兄の刑事の証言や、両儀式の様子からそのことを予感し──実際に、両儀家の前にある竹林(ちくりん)小径(こみち)で、純白(じゅんぱく)の着物を着た両儀式が、殺人を行った所を目撃することとなる。

 

 それ以来、黒桐幹也は両儀家の前に張り付くこととなる。彼は、警察に犯人が両儀式であるなんていうことは話さなかった。実際、両儀式は両儀織が殺人を行った時の記憶は()()()()なものであり、彼女は犯人であり、犯人でないともいえるのだが──

 黒桐幹也は、両儀式という人間の潔白を証明するために、両儀家の前に張り込むことにした。

 ……それが続き、雨の降る夜。両儀式は──黒桐幹也に向けてナイフを振るうこととなる。

 

 結論から言えば、黒桐幹也が殺されるようなことは無く、両儀式は車に跳ねられ、二年間の昏睡(こんすい)状態に陥いった。

 

 …………その時、両儀織という人間は死亡し、両儀式という人間のみが残った。そして、初めて両儀式という人間は、一つの人格を失い、伽藍(がらん)となった己を見て理解する。

 両儀織は殺人という行為のみしか知らないだけであり、殺人を嗜好(しこう)としていたのは、両義式という人間であったと。

 そして、もう一つ。両儀式が目覚めた時、彼女の眼はありとあらゆる死を見つめ、線をなぞるだけで殺せる()直死(ちょくし)魔眼(まがん)を手に入れる。

 

 両儀式は──殺人を(おか)す時の高揚感(こうようかん)を求め、街へと出る。

 

 

 

 

 追憶逸脱/3

 

 

 

 

「少し頼み事があるんだ」

 

 と朝食を終えるなり、幹兄は言った。

 なんでも、これから幹兄は会社に行かなければならなくて、ええと、なんていう名前だったか。

 そう、アーネンエルベ、という名前の喫茶店で鮮姉(あざねえ)と待ち合わせをする予定だったけれど、できなくなったから、それを伝えるために、俺にその喫茶店に行って欲しいとのことだった。

 

 俺は東京観光をしようとは思っていたけれど、計画も立てておらず、適当に街をうろつこうとしていただけだったから、その頼みごとを了承(りょうしょう)することにした。

 部屋から出るとき、何だか後ろから、

 

「あ。まだ待ち合わせの時間にはかなり時間があるぞ……聞こえてないか? 大丈夫かな」

 

 なんていう声が聞こえたような気がしなくもないけれども、まあ気にするようなことはないだろう。

 喫茶店の場所は、駅前。駅前の道順も、覚えている。昨日、歩いたのだから覚えているのは当然のことだろう。

 

「アーネンエルベ」

 

 と、()()()と呟く。この言葉はなんていう意味のものなのだろうか。どこの国の言語なのだろうか。それがふと気になった。

 街を歩き、喫茶店へと向かおうとして──実に2時間か、あるいは3時間か、それぐらいの時間が経過した。

 俺が、駅前からかなり離れている場所にいるということに気が付くのは、そう遅くはなかった。恐らく、どこかで道順を間違えてしまったのだろう。周りを見回すと、案内板(流石は都会、地図が至るところに設置されている!)あったので、それを読み込んでなんとかその喫茶店にたどり着くことができたのだった。幸い、朝早くから出たため、幹兄が待ち合わせをしようとしていた時間にはなんとか()()()()間に合うことができた。

 

「アーネンエルベ」

 

 恐らく、英語で書かれた看板を読み上げる。

 その言葉の(ひび)きが何だか気に入っており、ついつい口に出したくなる名前だ。俺はその喫茶店の扉を開き、店内を()()()と見回す。

 

 すると、数か月ぶりに見る姉──黒桐鮮花(こくとうあざか)の顔を見つけたので、店員さんに待ち合わせだと言って、鮮姉の元へと向かう。

 

「や、鮮姉。久しぶり」

 

 なんて声をかけると、鮮姉は随分(ずいぶん)と驚いた表情を浮かべた。それがおかしくて、ついつい少しだけ噴き出してしまう。

 

「あなた、何でこんな所にいるのよ」

 

「東京に観光しに来たんだよ。せっかくの夏休みだから」

 

「……そう」

 

 ハァ、なんて鮮姉は頭を押さえ、呆れたかのようにため息を吐いた。

 黒桐鮮花(こくとうあざか)。俺の姉であり、幹兄の弟。

 

「鮮姉、まだ(あきら)めてないんだね」

 

「ええ、諦めるわけがないじゃない」

 

 鮮姉は、()()()()とした人で、何というのだろうか。エリート、あるいは委員長──しっかりもので、頭も良い。だから、礼園という頭のいいお嬢様学校にも余裕で入学できるほどの天才で、欠点を上げるとすれば、俺の思いつく限りでは二つしかないぐらいの、()()()()()人間だ。

 

 一つ目の欠点。

 体が弱い──……と()()()()()()()。前に成績表を見せてもらったけれど、体育ではAの成績をもらっている(くせ)に、鮮姉本人は周りに都会の空気は合わないだの、体調が優れないことが多いだの、嘘をついている。

 俺の両親も、親戚の皆も表面は普段から成績優秀な鮮姉が嘘をつくとは思わず、完璧に鮮姉は体が弱いと信じきっている。

 

 嘘の()()あってか、鮮姉は都会にある実家から、田舎にある親戚の家へと、療養(りょうよう)という名目(めいもく)で引っ越すこととなった。

 

 実家から嫌われている幹兄はともかく──お正月とか、お盆とかの度に鮮姉は実家に戻るのだけれど、そのたびに鮮姉は女性らしくなっていく。淑女(しゅくじょ)貞淑(ていしゅく)──最終的には良妻賢母(りょうさいけんぼ)だろうか。弟として、自分の姉が優秀なのは、誇らしく思うけれども、鮮姉の考えていることを知っている俺としては、複雑な思いだ。

 

 鮮姉の考えていること──

 それが、鮮姉の二つ目の欠点にして、最大の欠点。

 

 鮮姉は幹兄の事が好き──兄弟としてではなく、一人の異性として好意を抱いている。

 いつから幹兄が好きだったのかは分からない。けれども、鮮姉が虚弱(きょじゃく)(えん)じていたのは、結構昔、それこそ小学生のころからだったから、そのころから幹兄に好意を寄せていたのだろう。

 

 まだ周りのことがよくわからない幼い子供が、兄のことを好きになる──それなりによくある話なのだろう、とは思う。

 わたし、将来はパパのお嫁さんになる。なんていう台詞は、マンガとか、ドラマとかでそれなりに聞くのだから。

 

 けれども、鮮姉のそれは(じょう)(いっ)していた。

 

 幹兄に妹──兄弟として認識されることのないように、幹兄の元から離れ、親戚の家で暮らして女を(みが)き、(たま)に実家にやってきては少しずつ女性らしくなっていく。

 そして、鮮姉がそれなりの年齢、つまり女性として育つ頃には幹兄を()()そうと、長年企んでいる。

 俺としては、普通の純愛ならば鮮姉を応援するのも吝かではないのだけれども、血のつながった兄弟がくっつくというのは、いかんせんおかしな話だろう。

 

 だから、俺は鮮姉のことは兄弟として誇らしく思うけれども、内面を知っているからなんていう行動的で仕方のない姉なのだ、なんて(あき)れていたりする。

 

「ま、いいけれどさ」

 

 ()()()と周りを見回す。

 鮮姉のそばには、二人の女性がいる。

 一人は──鮮姉が通っている礼園の制服を着た女性。鮮姉のクラスメイトか何かだろうか。

 

 というか、この人は、そうだ。

 昨日、何やら道を必死で走っていた女の人だ。

 ()()()()と顔を見ると、とても(ととの)っており、すれ違ったときの(わず)かな時間でも美人と認識できるその顔は、やはりとてもきれいだった。

 

 もう一人は──何といえばいいのだろう。着物を着た女性。このご時世に着物なんて、珍しい人だ。

 

 そんな珍しい恰好をしているから、やけに印象的な人だった。

 この人も、やはり美人だけれど、俺は容姿という部分では、あまり興味を抱かなかった。

 

 この二人を見ていると、何ていえばいいのだろうか。

 背中辺りに()()()とした感覚が浮かび上がる。ああ──()()はきっと、そうだ。恐らくこの二人は、とても似ているんだ。

 親近感(しんきんかん)とでもいうべき感情──けれども、きっと相成(あいな)れることはないだろう。とくに、この着物を着た人とは。

 

 この二人は、とても似ているけれど、違う。

 俺とも似てはいるけれども──やはり違う。どちらも違うのだ。上手く説明することはできないけれど、そんな感覚が浮かび上がってくる。

 

 礼園の人。

 この人は、俺とは似ても似つかないけど、何となく興味を抱いてしまう。

 けれども、最終的には違うのだ。プラス螺子とマイナスドライバーのような感覚。

 

 着物の人。

 この人は、俺とは似ているけれど、決して相成れないだろう。

 かみ合うことのない歯車みたいに。

 

 ()()()、と何となく空気が固まってしまう。

 着物の女性は、何やら観察するかのような目つきで俺を見つめている。ああ、こんな空気は苦手だ。だから、俺は冗談めかして───

 

 ……………

 …………

 ………

 ……

 …

 

「兄さん、早くこんな女と手を切ってください」

 

 わたしはこの泥棒猫を睨みつけながら言った。

 

 両儀式──わたしの愛しい兄を(うば)った敵。

 

 わたしこと黒桐鮮花は、実の兄である黒桐幹也のことが好きだ。それも、兄弟としての親愛(しんあい)ではなく、異性としての行為を抱いている。

 だから、わたしは幹也がわたしのことを妹と認識するようになる前に、幹也の元を離れて親戚の家で暮らすようにした。

 そして、幹也がわたしが妹であるということを忘れたころを見計らって、幹也へと思いをぶつければいい。幹也の女性の好みは知り尽くしていたし、この計画を達成するのには自信があった。

 

 ……けれども、わたしの計画はあえなくご破算(はさん)となった。

 

 この女、両儀式のせいで。

 三年前のお正月、実家へと帰ったとき。幹也から友人として紹介された。けれども、その様子はどう見ても恋人のそれだった。

 はっきりいって、わたしは両儀式のことが大嫌いだ。

 

 だから、わたしはこの女を敵視して、睨みつけるのだ。

 

 けれども、そんなわたしの敵意は、一人の人物の姿と、言葉によって霧散(むさん)することとなる。

 

「や、鮮姉。久しぶり」

 

 なんて。声をかけられて、その声の元を見るとよく見知った顔。この場にいるはずのない人物がそこにいる。

 私の弟がそこにいる──

 

 ごふり、と思わず驚きのあまり噴き出しそうになってしまうのをこらえて。

 

「あなた、何でこんなところにいるのよ」

 

 と聞き返すのが精一杯だった。

 

「東京に観光しに来たんだよ。せっかくの夏休みだから」

 

「……そう」

 

 思わずため息を吐くかのように、(うなず)く。

 突拍子(とっぴょうし)もないことをするのは、昔から変わっていないようだ。いつも、思い付きで行動したりする──わたしの弟。

 

 わたしは彼のことが少しだけ苦手だ。

 昔、わたしが幹也の元を離れる前のこと。わたしがまだ実家にいたときのこと。

 彼はとつぜん私に問いかけてきた。

 

「ねえ。鮮姉は、幹兄のことが好きなの?」

 

 なんて。

 恋愛云々もまだあまり理解できていないであろう年齢の弟がそんなことを聞いてくるものだから、私は大層慌ててしまった。

 その時は、何とか否定の答えを口にしたが、弟は私が幹也のことが好きだと見抜き、確信したのだろう。

 

 親戚の元へと行き、正月やお盆になって実家に帰る(たび)に、彼はこっそりと私に聞いてくる。

 

「もう諦めたら?」

 

 と。

 そのたびに首を振っていたけれど、一度だけなんでそんな事を言うの、なんて喧嘩(けんか)をしたことがある。

 

「だって、おかしいじゃないか。実の兄と妹が付き合うなんて」

 

 ああ──わたしの弟の言うことは最もだ。

 そんな当たり前の常識に、わたしはなにも言えなくなってしまった。

 

「それに、幹兄が鮮姉のことを好きになるなんて思えないし」

 

「──それはどういう意味かしら?」

 

「そのままの意味だよ。幹兄が、妹とくっつくなんてことはしないでしょ。ギャルゲーじゃあるまいし」

 

「ギャルゲー……?」

 

「鮮姉は知らなくていいよ。幹兄が鮮姉と付き合おうなんて考えるはずがない。普通をカタチにしたような人だからね。幹兄は」

 

 どこまでも正論だった。

 反論の言葉を口にすることは簡単だったけれども、その正論というヤツにはどうしても勝てなかった。

 だから、わたしはせめてもの意趣返(いしゅがえ)しとしてこう言った。

 

「だったら、わたし兄さんにフられたときは、あなたが貰ってくれるのかしら?」

 

 まだ小学校低学年の弟ならば──赤面(せきめん)して取り乱させてやろうと思った。弟という年下の存在に押されているのが、(しゃく)だったから。それに、ほんの少しだけ──弟のことも、気になっていたから。

 けれども、わたしの弟はきょとんとした顔で、

 

「なんでそうなるんだ。普通は兄弟どうして付き合ったりしないでしょう。

 ま、フられたときは(なぐさ)めはするよ。鮮姉は女性としてみれば、魅力的だから貰い手はあちこちにいると思うよ?」

 

 この野郎。と思わず怒りを抱いてしまった。こいつ、わたしがフられる前提(ぜんてい)で言っている。その場は、なんとか収めることができたけれども、いつわたしのことについて両親に報告するか分からない──買収はしてあるけれども、それでも油断ならない──

 こんな風だから、わたしはわたしの弟が少しだけ苦手だ。

 

 わたしの弟は、普段はボンヤリとしているけれども、時々こうして物事の本質を見抜いたりしてくるときがある。だから、少しだけ油断ならなかったりする。

 今回みたいに、突然観光とかで東京に来たり──

 

「ねえ、二人はさ」

 

 とわたしの弟は両儀式と、わたしの友人である浅上藤乃を交互に見ながら口を開く。

 

「どっちが幹兄の彼女さんなの?」

 

 ごふ、とわたしは思わず吹き出してしまう。

 

 こんにゃろう。

 

 …

 ……

 ………

 …………

 ……………

 

「どっちが幹兄の彼女さんなの?」

 

 なんて。冗談めかして言ってみる。

 反応はそれぞれ違った。鮮姉は吹き出し、着物の人は無反応。礼園の人は首を(かし)げる。

 

「あのねえ!」

 

 と鮮姉は机を叩いて叫ぶ。

 

「どうしたの、鮮姉。もう少し静かにしないと。他のお客さんたちもいるんだから」

 

「──ッ」

 

 歯ぎしり。鮮姉は周りを見回し、他のお客さんたちが何事だ、とでも言わんばかりに皆こっちを見ているのを見ると、冷静さを取り戻して、

 

「からかうのは止めなさい。藤乃は兄さんとは関係ありませんし、式は兄さんとはただの友人です──」

 

「ああ、そうなんだ。ええと、それでどっちが藤乃さんで、どっちが式さん?」

 

「はあ、そっちの人が浅上藤乃。私の友人よ。そっちが両儀式。兄さんから伝言役を頼まれたみたい」

 

 ──なるほど。

 礼園の制服を着ている人が、浅上藤乃。着物の人が両儀式。

 

「それで、こいつはわたしの弟よ。っていうか、あんた式とは前に一度だけ会っていたわよね? ほら、三年前のお正月の時。兄さんが高校のクラスメイトを連れてくるって言って、式を連れてきたじゃない」

 

「あれ、そうだったけ。昔のことだから思い出せないや」

 

 一度だけ会ったのなら、それは知人でもなんでもない。他人というカテゴリに入ると思う。そして、二回目に会った時に知人となる──それが俺の認識だから、両儀式という女の人のことは思い出せなかった。

 

「おまえが弟か。オレも思い出せないな。多分、興味なかったのかもしれない」

 

「ははは、それじゃあお互い様だ。これからは知り合いだ。幹兄とはよろしくして欲しいな。鮮姉とも」

 

 ()()()と俺は笑ってみせる。両義式は「ああ」と小さくうなずくのみだった。

 まるで男の人のような、ぶっきらぼうな口調が気になったけれどもそこを追及するつもりはなかった。

 

「おまえ」

 

 と両儀式は俺を見つめながら言う。

 

「いや……()()()

 

「そうだね。俺はええと、両儀さんとは違う。ま、同類ではあるんだろうけど」

 

「ああ、そうだな」

 

 ──この会話の意味が分かるのは、この場では俺と両儀式のみだろう。けれども、それで十分なのかもしれない。

 この女性──両儀式は近寄りがたい存在だ。やはり、かみ合うことのない存在なのだろう。

 

「それで、ええと……浅上さんかな。よろしく」

 

 と俺は浅上藤乃の方を見る。

 浅上藤乃は、やはり礼園の生徒なだけあって、お行儀よくお辞儀をして、柔らかな声で答えた。

 

「はい、よろしくお願いします」

 

「うん、よろしく。それで、ああ。そうだ。鮮姉。幹兄なんだけど」

 

 と俺はここに来た理由を思い出し、幹兄が今日は仕事があるからこの場には来れないということを伝えると、どうやら両儀式も、幹兄に伝言を頼まれてここに来たみたいだから、そのことは既に知っているとのことだった。

 両儀式は用は済ませたと言わんばかりに、この喫茶店から立ち去った。

 

「それじゃあ、俺も観光をしたいから、ここらで失礼するよ。鮮姉、またね」

 

 

 アーネンエルベから出ると、俺は東京の街をうろつくことにした。

 例えば、東京タワーが見える場所に行って、東京タワーを(なが)める。例えば、ドラマの舞台になった場所を訪れて、そのドラマの内容を思い出したりする。近場で行く所がなくなれば、本屋で雑誌を立ち読みして、近くの観光地の情報を集める。

 

 気が付けば夜になっていて。

 今日は最後に、夜中の工業地帯の夜景(やけい)を眺めることにした。

 時刻は既に深夜零時。あまり夜遅くまでであるくものではないけれど、今日はいいだろう。わざわざ東京まで観光しに来ているのだ。

 ちょっとだけ夜更かし──もとい、夜遅くまで外出していても、(とが)める人はいない。いや、おそらく幹兄は、兄として俺を(しか)るのかもしれない。でも、まあ。それも別にいいのかもしれない。

 

 夜中の倉庫街というのは、人気がなく倉庫と倉庫の間にでも入れば、更に人の目につくことはない。ドラマとかでも、(あや)しげな人が怪しげな取引を行ったりするのは、倉庫街だと相場(そうば)が決まっている。

 つまり、なんというか。非日常のようで、少しだけ()()()()していた。

 

 港から工業地帯を眺める。

 夜でも、工場は止まることなく稼働(かどう)し続け、あそこで働いている人が居ると実感させられる。工場から漏れ出る光が、巨大なパイプや建物を照らし、幻想的(げんそうてき)な風景を創りだしていた。

 この光景は、きっと明日も、明後日も続くのだろう。あの工場が動き続ける限り、同じように続くのだろう。昔も、これからも。──そんなことを考え、気が済んだから倉庫街を通り、幹兄の部屋へと帰ろうとする。

 

 ──その最中(さなか)

 

 人の声か。あるいは獣のうなり声か。なんだか訳のわからない声がして──気になったから、その声の元へと向かうことにした。

 光源は月明かりのみ。声の発信地はおそらく倉庫街の路地裏だろう。そこへ向かい、()()()()と路地裏を(のぞ)()む。

 そこには一人の人影が立っていた。月明かりが、その人影を照らすことによって、その正体が判明(はんめい)する。

 

 ──浅上藤乃。

 ───そして、彼女の足元には四肢があり得ない方向へと捻じ曲がり、子供に乱暴に扱われたフィギュアのようになっている男がいた。

 

 男は、捻じれたことによって(やぶ)れた皮膚(ひふ)から、血液を噴出させている。

 

「──(まが)れ」

 

 と。きっとそれがキーワードなのだろう。浅上藤乃が呟くと、その男の体は更に捻じ曲がり、()()()()()()()()()と音を立てて、その生命を途絶(とだ)えさせた。

 

 浅上藤乃は、悲観(ひかん)()れたかのように両手で顔を(おお)い、呟いた。

 

「わたし、人殺しなんてしたくないのに」

 

「そうでもないよ、おまえは」

 

 と。いつの間にか、おそらく俺と同じようにどこかに隠れ、覗き込んでいたのだろう。両儀式がそこには立っていた。

 

「─────」

 

「─────」

 

 二人は、何かを話していて。気が付けば両儀式はその場を立ち去っていた。

 立ち去る際、両儀式は俺がいるほうを()()()と見た。それに浅上藤乃もつられたのか、()と体を素早く振り向かせて、俺の方を見た。

 ここに隠れていても、無駄だろうし俺は浅上藤乃の前に姿を現すことにした。

 

「今晩は、浅上さん」

 

「あなたは──」

 

「驚いたよ。浅上さんが人殺しだったなんて」

 

「ッ」

 

 と浅上藤乃は体を()()()()ね上がらせる。

 それよりも、体が千切れたその死体を見て、俺はテレビでやっていた内容を思い出す。

 

「その死体の様子からして、今朝ニュースでやっていたバーの殺人も、浅上さんがやったのかな?」

 

「……はい。それで──あなたは、どうするつもりですか?」

 

「さあ、分からない」

 

「え──」

 

 と言うと、浅上藤乃は呆けたような表情を浮かべる。

 これは、俺の本心だ──

 

「分からないな。こんな時、どうすればいいのか分からない。

 人殺し、と叫べばいいのかな? それとも、警察に通報すればいい? それか、俺は殺さないでくれ、と命乞(いのちご)いをすればいいのか──こんな、殺人現場に出会うなんて、まずはないからさ。

 どうしようか──超能力? による殺人なんて、警察に通報しても意味があるのかな。自首(じしゅ)したいのなら、従兄に刑事さんがいたと思うから、紹介しようか?」

 

「──おかしなひとですね」

 

 くすり、と浅上藤乃は笑い、言った。

 

「そうですね──普通なら、叫び声をあげて腰を抜かすとかでしょうか」

 

「ああ、そうなんだ。それなら、次があったらそうしよう。それじゃあね、浅上さん。このことを誰かに話すつもりはないよ──なんで、浅上さんがこんなことをしているのか、理由はわからないけれど、程々にしておいた方がいいよ」

 

 ()()()(きびす)を返し、一つだけ思い出して。

 浅上藤乃へと振り向いて言う。

 

「そうそう──浅上さん。痛いのなら、無理しなくてもいいと思うけれど。痛いのは、辛いからね」

 

 ──浅上藤乃は、きょとんとした様子だった。

 けれども、その前に一瞬体を()()()と震わせたのを、俺は見逃さなかった。

 

 その場を後にし──しばらく移動し、倉庫街から出たところで、

 

「待て」

 

 と背後から声をかけられ、俺は足を止める。

 振り向くと、そこには(いか)つい顔をした、体格のいい男性が立っていた。

 その姿を見た瞬間、()()()と俺の全身が震えた。この男は、きっと危険──いや、それよりも。

 この男とは、前に一度どこかで────……

 

「お前、何者だ」

 

 と。俺の口は自然と動いた。

 その男は、眉一つ動かさず、重圧感(じゅうあつかん)のある口調で言った。

 

「何故ここにいる」

 

「決まっているだろ。──観光だ。夏休みだから、遊びに来たんだ」

 

「そうか──おまえの起源が()()()()()か。だが、おまえは不要だ。おまえでは、両儀には至らない。死には至らない」

 

「なにを────」

 

 ───結局。その男は質問には答えなかった。

 ()()、と男が手を差し向け─────

 

 

 

 

 

消えてゆく

 

 

自分の中からナニカが消えてなくなってゆく

 

 

 

 

───()()()()と雨が降る──

 

 

 

 

 ■/

 

 

 

 

 痛覚残留────

 

 

 

 

「どっちが幹兄の彼女さんなの?」

 

 と。突然現れたその男の人は、冗談めかした表情を浮かべて言った。

 その言葉に、黒桐さんは噴き出し──普段の様子からしたら、考えられないほどに取り乱している。

 

 黒桐さんの紹介によると、その人は黒桐さんの弟とのことで──

 

 どうしてなのだろう。この人はきっと、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 この人は、やさしい人なのだろう──何となく、そんな予感がした。

 

「今晩は、浅上さん」

 

「あなたは──」

 

 どうして彼がここにいるのだろう。

 わたしのことをつけていたであろう式さんならばともかく、なぜ彼がここにいるのかが分からなかった。

 いえ、きっと彼がいるのはただの偶然なのだろう。たまたまこの倉庫街に来て、たまたまここに来た。ただそれだけのことなのだろう。

 

「驚いたよ。浅上さんが人殺しだったなんて」

 

 何でもないように、世間話をするかのように。唐突(とうとつ)に放たれたその言葉に、わたしは体をびくりと震わせてしまう。

 

「ッ」

 

 その言葉に、(あらた)めてわたしのやったことを認識させられてしまう。

 人殺し──その言葉が、わたしにのしかかる。

 けれども、これはやらなくちゃいけないこと。復讐には必要なことなのだ。

 

「その死体の様子からして、今朝ニュースでやっていたバーの殺人も、浅上さんがやったのかな?」

 

 と。また世間話をするかのように、普通の会話をするかのように彼は聞いてくる。

 それは事実だから、わたしは正直に答えるしかない。

 

「……はい。それで──あなたは、どうするつもりですか?」

 

「さあ、分からない」

 

「え──」

 

 と。彼は答えた。

 こんなとき、どうすればいいのか分からない、と。

 

 私は、彼の言葉を聞いて、彼が異常なのだと認識させられる。

 けれども、彼にとってはその異常はどこか普通なようで。

 そう、まるで異常なことが普通であると。普通が異常なのだと。この二つの矛盾(むじゅん)したものは、確かに成り立っている。

 

「──おかしなひとですね」

 

 思わず笑ってしまう。

 人を笑うことは失礼なことだけど、なぜだかこの時はそんなことは全く気にならなかった。

 それどころか、そういう印象を抱くのが当たり前だと言わんばかりに。

 

「なんで、浅上さんがこんなことをしているのか、理由はわからないけれど、程々にしておいた方がいいよ」

 

 まるで悪いことをした子供を叱るかのように、彼はいうとその場から立ち去ろうとして、振り向いた。

 

「そうそう──浅上さん。痛いのなら、無理しなくてもいいと思うけれど」

 

 一瞬、唐突に放たれた彼の言っている意味が理解できなかった。

 けれども、その言葉の意味を理解したわたしは、体をびくりと震わせた。気が付けば、彼の姿は見えなくなっていた。

 

 いつもなら、よけいなお世話だ。と思ってしまうような(いや)な言葉。

 けれども、その内容は心配というよりは、忠告(ちゅうこく)じみた言葉だった。なんで、わたしが痛い、と感じていることが分かったのか。

 きっと、わたしが痛みを感じているところを──人を殺しているところを見たからなのだろうか。そう結論付けて、それよりも、わたしにはやらなくてはいけないことがある。

 けれども、人殺しはいけないことだ。

 

 両儀式。あのひとは、わたしの敵。

 わたしを同類の殺人鬼だとでも言わんばかりに嗤うひと。

 

 ならば、彼は──?

 敵では無いのだろう。()いていうのならば、わたしの殺害現場を目撃したひと。

 あのひとが、誰かにこのことを話さないとも限らない。口封じ、という単語が頭に浮かび上がったけれども、それはいけない。彼は関係ない。わたしの復讐とは、関係ないひとなのだ──

 

 少しだけ、彼のことが気になった。

 わたしが殺人を行う現場を見て、なぜそんなにも平然としていられるのか。

 なぜ世間話をするかのように、普通に会話をすることができるのか。

 

 人を殺すことはいけないことだ。彼は関係ない───

 

 彼の眼を思い出す。

 ほんの一瞬だけ、(かすみ)がかった黒、あるいは灰色の眼。

 あの眼は、異常だ。異常という自己(じこ)確率(かくりつ)し、普通という自己を擁立(ようりつ)する──そんな眼だった。

 

「どうでもいい」

 

 浅上藤乃は(かぶり)を振った。

 浅上藤乃の目的はただ一人のみ。湊啓太という男一人の身なのだ。彼に構っている必要はない。

 

 浅上藤乃は、人を殺すことによって痛みを、生命を、快楽を求める。

 それこそが、浅上藤乃という存在の異常であり、浅上藤乃をカタチ創る起源である。

 他人の痛みこそが、彼女の中に存在しない痛覚を呼び覚ます。

 

「ああ、なんで──」

 

 ……復讐。それが浅上藤乃が湊啓太を殺そうとする理由。

 けれども、実のところ、そんなことは()()()()()()。本当は、殺人を行いたいだけだ。

 痛みを感じていたいだけだ。

 

 けれども、浅上藤乃はそれを否定する。

 ……否定しなくてはならない。自分は殺人鬼なのではないのだから。

 

「痛いのは、辛いからね」

 

 ──浅上藤乃は、痛覚に、殺人に快楽を覚える。

 その言葉が無性に気になって。その言葉は、浅上藤乃にとって──

 

「辛くなんて、ありません──」

 

 

 

 

 七月二十二日 終

 








次回は主人公回想入りますよー。
所謂過去回。今回と言い、所謂説明回みたいになってない? 大丈夫?


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