行こうよ! ゆるキャン△ (Pain elemental)
しおりを挟む

第1話 冬キャン素人、野クルへ

 

 

 

 ダンボールが積まれた一軒家の一室。見るからに引っ越し作業中のその部屋に、風呂上りなのか少年が短く切り揃えられた黒髪をタオルで拭きながら入ってきた。彼はダンボールが積まれた自分の部屋を一瞥し溜息をついたが、部屋を見回す中でテーブルの上に置いてあったスマホにトークアプリの通知が来ていることに気がついた。

 

「千明… しかも通話か」

 

 連絡はどうやら彼の友人からだったようだ。『気づいたら通話かけて』という通話の着信の後に来ていたメッセージを見て、少年はスマホにイヤホンマイクを取り付け、連絡してきた千明なる人物に通話をかけた。

 

「もしもーし」

 

「おーす」

 

「よぉ春彦、久しぶりぃー」

 

「久しぶりってほどでもねぇだろ? 先週話したばっかしじゃねーか」

 

 春彦と呼ばれた少年、小沢春彦は先週も同じように通話した相手、大垣千明に疑問を呈した。

 

「いやぁ、でもそろそろマジで久しぶりになるじゃんか?」

 

「まあ、そうだけどもさ」

 

 千明の言うマジで久しぶり、というのがどういう意味なのか。実は春彦と千明は友達ではあるのだけど、同じ学校に通う友達というわけではなかった。いや、厳密には以前は同じ山梨の学校に通っていたといえる。

 

 春彦と千明は小学生からの付き合いのいわゆる幼馴染というやつだった。それが2年ほど前、ふたりが中学2年生に上がってほどなくして、春彦の父親が仕事の都合で埼玉に転勤することになり、春彦も両親とともに埼玉に引っ越していった。しかし、住む場所が離れても、付き合いの長さから仲が良かった春彦と千明は連絡を取り合っており、その交友関係は2年以上経った今でも変わらず続いていた。

 

 そして、「久しぶり」と千明が言ったのは、春彦の父親の転勤が終了したことで、春彦が地元である山梨に帰ってくることになったからなのだ。

 

「もう2年か… 早いよなぁー…… てかホントに春彦が戻ってくるなんて思わなかったな」

 

「俺も戻れるとは思ってなかったさ。このままずーっと埼玉いるか、あるいはさらに別の場所に行くんじゃねぇかとか、な」

 

「あはは。よーし、楽しみにしてろよ春彦? こっち来たら我が野外活動サークル、略して野クルに絶対入部させてやるからな!」

 

「やっかましいなぁ、そんな気合入れなくたっ入ってやるって…」

 

 やたらと気合たっぷりに宣言する千明に、春彦は若干うんざりした声だった。

 野外活動サークル、通称『野クル』は、千明が友人の犬山あおいとともに今年の4月に立ち上げたサークルで、現在は千明とあおいの他にもうひとり新入部員が入って合計3人が所属しているのだとか。その野クルに千明は新たに春彦を加えようというのだ。

 

「なんだよぉー、可愛い幼馴染がお前の入部を楽しみにしてるっていうのにさぁー」

 

「可愛いとか寝言は寝て言えってんだよ。俺が入部するのを喜んでんのは、部室が広くなるかもしれないからだろ?」

 

「それはー…… あくまで付加価値的なものに過ぎん!」

 

 現在の野クルの部室である部屋は、うなぎの寝床と呼ばれるほど奥に長くやたらと狭い場所だ。しかし、春彦が入部すれば部員が4人以上になり、野クルは『同好会』から正式な『部』へと昇格する。そうなれば現在の狭い場所よりもより広い部室に移動できるかもしれないというのが千明の算段だった。

 

「捕らたぬになんなきゃあいいがな」

 

「なんだその略し方? まあとにかく春彦が入部すればいいことづくめってっわけよ!」

 

「そりゃ素敵なこって」

 

 浮かれる千明とは対照的に落ち着いた様子で春彦は相槌を打つ

 そんな春彦の様子に千明は春彦があまり乗り気じゃないのかと思い、少しだけ心配になった。

 

「まぁでもさ、普通に楽しみにしてるんだぞ? 春彦とキャンプすんの…」

 

 呟いた千明の声は少しだけセンチな感情があるように聞こえる。その言葉を聞いて春彦は、ふっと笑みを浮かべて目を閉じる。

 

「ま、約束したしな?」

 

「約束って、覚えてるのか……? あの時の……」

 

「あったり前よ」

 

 はっきりとそう言い切った春彦に、千明は思わず言葉を詰まらせた。

 てっきりその約束を覚えているのは自分だけだと千明は思っていた。2年前、春彦が山梨から引っ越すと千明が知ったとき、千明はいつか春彦と自分が再会した日には、お互い自分のキャンプ道具を揃えて一緒にキャンプをしようと、そう言って春彦と約束したのだった、だがそれから月日は流れ、キャンプの話はしてもその約束のことについては話すことなどなくなっていった。だからこそ千明は春彦が自分とした約束をきちんと覚えていたことが嬉しかった。

 

「なんだよ…… てっきり忘れてると思ってたぜ」

 

「残念ながら、ちゃんと覚えてんだよなぁ、これが」

 

 春彦はそのことを別になんてことない当たり前のことだと考えていたが、こうみえて意外と情に脆いところがある千明は、春彦が考えているよりずっとそのことを嬉しく思っており、胸の内に温かい感情が湧き上がるのを感じていた。

 

「んじゃ、明日早いからそろそろ寝るわ」

 

 ふと見ると時計の針はもう11時を回っており、引っ越しで忙しい春彦は千明との通話を切り上げて寝ることにした。

 

「あぁ、おやすみ春彦」

 

「おやすみー」

 

 通話が切れて春彦はまたひとり部屋の中を見渡す。

 

「さて、寝るか。明日も早起きして荷解きの続きしないとだしな」

 

 そう、実はこの春彦が今いる家は、引っ越し前の埼玉の家ではない。もうすでに春彦は埼玉から千明の住む山梨への引っ越しを済ませていたのだ。ダンボールが積まれているのは荷物を纏めていたのではなく、荷解きの最中であるためだ。

 

「ヒヒッ、明日会ったら腰抜かすぞ千明のやつ」

 

 中々に悪い笑みを浮かべ、春彦はダンボールだらけの部屋に敷かれた布団にいち早く潜り込んだ。明日会うであろう千明の驚く顔を想像しながら。

 

 翌日、早速千明の通う本栖高校に登校した春彦。どのようにして千明をおどかしてやろうだとか、千明をおどかす前に犬山と会ったらどうしようとか、そもそも犬山の方は俺を覚えているのかとか色々考えていた春彦だったのだが、そんな彼の考えとは裏腹に千明とは違うクラスに振り分けられ、休み時間も転入の手続きやらなにやらの用事で存外忙しくなった結果、千明と会う機会がなかなかやってこない。

 

 全く時間がなかったわけではないのだが、他のクラスに出向いて千明に会いに行くというのも、転入したての春彦にとっては少しばかり気まずいものがある。向こうから会いに来るという可能性も内緒でやってきたせいで期待できず、廊下でたまたますれ違ったりすることもなく放課後を迎えた今、春彦に残された選択肢はスマホで千明に連絡をとるか、千明がいるであろう野クルの部室に赴くかの二択だ。

 

「てことでやってきたが…」

 

 結局春彦は職員室で場所を訊ね野クルの部室にやってきたのだが、千明たちにどう挨拶したものか未だ良い考えが思いつかず、部室に入りあぐねていた。

 

「あれ…? お前、春彦だよな…?」

 

 横から聞こえてきた春彦の聞き覚えのある声。春彦が視線を動かすと、そこには3人の少女が立っていた。

 そのうちのひとりは知らない顔だが、あとのふたりは見覚えがあった。春彦が最後に会ったときよりも2人とも随分と髪が伸び、大人びていて少しばかり印象が変わっている。だが彼女らの、特にメガネをかけたツインテールの方、大垣千明のことはすぐに彼女だと春彦は気がついた。

 

 予期せぬかたちでの再会に一瞬戸惑った春彦だったが、すぐに平静を装うと手を上げて千明に挨拶をする。

 

「よっ、千明。久しぶりだな?」

 

「いや、久しぶり何も… お前がこっち来るのって来週じゃ……?」

 

「まあそう言ってはいたが…… 実は今日でした!ってな? 驚いたたろう?」

 

「いやそりゃあ、まあ…」

 

 ネタバラシしても未だ状況を飲み込めていなそうな千明を見て、春彦は「やっちまったな…」と自分の行いを反省しだしていた。当初はちょっとしたドッキリのつもりで計画していて、驚いたあとは感動の再会みたいなのを春彦は期待していたのだが、当の千明が予想外にショックを受けたことに罪悪感が湧いてきてしまったのだ。

 

「あー… なんかすまん。悪ふざけが過ぎたな…」

 

「いや、まあいいけどさ…」

 

 申し訳なさそうにする春彦に、千明の方も自分のリアクションがまずかったと思って慌てて春彦をフォローする。そして微妙に気まずくなってしまった空気を変えようと、横にいるあおいの方に話を移した。

 

「ほらっ、春彦覚えてるかー? イヌ子だぞー?」

 

「あぁ。えーっと、犬山も久しぶりだな? てか俺のこと覚えてるか?」

 

「ちゃんと覚えとるよー? 小沢君背ぇ伸びたなぁ?」

 

「まあな。犬山と千明もずいぶん髪伸びたな?」

 

 当たり障りのない会話を交わし少しだけ場の空気がほぐれる。そして緊張が解けたところで、すかさず千明が後ろで所在なさげに3人の会話を聞いていたなでしこの紹介にかかった。

 

「んでー、こっちが前話した新入部員の…」

 

「あっ、各務原なでしこですっ!」

 

「あ、どうも。えっと、もう聞いてるかもだけど、千明の昔なじみの小沢春彦です」

 

「うん、あきちゃんから聞いてるよ! よろしくね小沢くん!」

 

「ああうん… こちらこそよろしく」

 

 元気いっぱいに挨拶するなでしこのフレンドリーな空気に、若干たじろぎながらも春彦は笑顔を見せる。

 

「まぁ、同じ新入部員同士頑張ろうね?」

 

「えっ? あきちゃんの友達なのは知ってるけど、入部してくれるの?」

 

「ん? あっ… おい千明、まさかお前….?」

 

 春彦が入部すると聞いて驚くなでしこに、春彦はその原因であろう千明に目を向けた。

 

「い、いやぁー、なでしこのことびっくさせようとして… つい…」

 

「あんたもかいっ!」

 

 図らずも春彦と同じくドッキリを企んでいた千明にあおいが鋭くツッコミを入れる。揃って苦笑いをしながら頭をかく旧友コンビ。まったく似た者同士のふたりである。

 

「とりあえず、部室入るか」

 

 廊下で立ち話もなんだと千明が部室の戸を開けて春彦を招き入れる。

 

「うわせまっ!」

 

 部室の中を見た春彦は失礼だと分かっていながらも思わず感想が口をついて出てしまった。

 野クルの部室が狭いことは千明から嫌というほど愚痴られていて知ってはいたのだが、それでもいざこうして現状を目の当たりにすると、その狭さに驚くばかりであった。

 

「野クルへようこそ! 」

 

「そんな一列の歓迎とか初めて見たわ」

 

 なでしこ、千明、あおいの順できれいに一列に並んで両手を上げての歓迎はそこそこにシュールな絵面だった。そんな野クルメンバーの手厚い(?)歓迎を受けた春彦だったが、とりあえず入部する前に現状やこれからの予定について、3人から色々と話を聞くことにした。

 

「まあ要するにだ。野クルは今までは道具が揃ってなくてまともにキャンプしてないと。んでこの前そこに各務原ちゃんが入って?」

 

「これからキャンプ道具を揃えて、いざ野クルの初キャンプ…ってわけだ!」

 

「なるへそ」

 

 千明の説明を受けて春彦がある程度の現状を把握する。

 

「んじゃ実質的な活動はまだ全然してないと」

 

「まあ、そうやねー」

 

「ほーん。まあいいんじゃねーの? 暖かくなるまではまだまだあるし、それまでにバイトとかで金貯めればキャンプ道具はなんとかなんだろ」

 

「いや、キャンプはもうこれからやる予定なんだけど…?」

 

「はぁ?」

 

 これから、というとつまり野クルは冬季のキャンプを計画していることになるわけだが、千明の説明不足もあってか、春彦はそのへんを少し勘違いしていた。

 

「え、これからって冬やんの?」

 

「せやでー」

 

「冬って寒いんだぞ?」

 

「当たり前だろ」

 

「小沢君は冬キャン嫌?」

 

 なでしこが心配そうに春彦に訊ねるが、そもそも春彦には好き嫌い以前の問題があった。

 

「いや、俺そもそも冬用の装備ないんですけど…?」

 

 そう、春彦は一応自前のキャンプ道具はある程度持ってはいるのだが、今まで暖かい時期にしかキャンプをしてこなかった彼のテントやシュラフなどはあくまで夏用のものであり、冬キャンをするにあたって、当然それらのものは新しく揃える必要がある。

 

「じゃあ春彦もあたしらと一緒に揃えるか」

 

「まあ、そうなるよな…」

 

「大丈夫だよ小沢君! 私なんてまだ何も持ってないから!」

 

 この前キャンプに興味を持ったばかりのなでしこが得意げに胸を張っているが、そんなものは当然春彦にとっては大した励ましにはなっていなかった。嘆いたところで仕方ないと、春彦はなんとかなるだろうと前向きに考える。

 

「まあ、そのへんはなんとかするわ」

 

「よーしっ、じゃあ新たに春彦を迎えて、冬キャンに向けて頑張るぞ!」

 

 おーっ!とノリよく手をあげるなでしことあおいからワンテンポ遅れて、春彦が慌てて手を上げた。本来そこまでノリが悪い方ではない春彦だったが、千明たちとも再会したばかりでイマイチノリについて行けない。しかしそんな春彦だったが、千明の言葉からあることを思い出して持っていた学生鞄の中をゴソゴソと探り始めた。 

 

「そういえばすっかり忘れてたけど、ちょっとした再会祝いに千明に渡すものがあってな」

 

「お? なんだなんだ? 随分と気が利くじゃないか」

 

 思わぬ春彦からの申し出に嬉しいながらもからかって誤魔化す千明だったが、春彦が渡してきたものを見て思わず目を見開いた。

 

「これ、入部届…?」

 

「これが必要なんだろ? そのまま先生に渡しても良かったけど、せっかくだからお前に渡したくてな。 ま、これからよろしくな、部長?」

 

 得意げに渡してきた入部届にはすでに春彦の名前が書かれており、それは春彦からの再会した幼馴染へのちょっとしたサプライズだった。そしてそれを見た瞬間、先程は驚きで頭から飛んでいた、春彦と再会したことへの感情が千明の中で一気に溢れてきた。

 

「わっ、あきちゃん泣いてる?」

 

「泣いてないっ…」

 

「また会えて嬉しいんやねー、あきは」

 

 涙で潤んだ目をごしごしと擦る千明になでしこは驚き、ふたりの仲の良さを知るあおいはほっこりと笑みを浮かべた。そして泣かせてしまった春彦はというと。

 

「え、ちょっと待って? これ俺なんかしたの? ちょ、ふたりともさ、これマジでどうしたらいい…?」

 

 千明が嬉し泣きするほどのことをした覚えがなく、突然の女子の涙に慌てふためいてあおいとなでしこに助けを求めていた。

 

 とまあそんな具合で旧友と再会し、野クルに入部することなった春彦。入部早々に冬キャンデビューが決定し、さらに自分以外の部員が女子だけで、しかも個性的な面子揃いという野クル。上手く馴染んでいけるかという心配もあるにはあったが、それは裏返せば新たな仲間と新たなチャレンジでもある。

 

 春彦はこれから彼女たちと織りなす新生活への期待感に密かに胸を膨らませていた。

 

 

 

 

 

 




もう二番煎じどころじゃないゆるキャンのオリ主ものを衝動的に書いてしまいました。

三人称視点の小説は不慣れなので、修正が必要なところなどあればご指摘お願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 冬キャン素人、ソロキャン少女と会う

 

 春彦が野クルに入部した翌日、放課後に野クルメンバーで集まって話をしていたときのこと、春彦がなんとなく「昨日は忙しくてあんま学校の中見れなかったな」と漏らしたところ、「私に任せて!」と自分も転入してきたばかりなのになぜか元気よく名乗りを上げたなでしこに連れられて、春彦は放課後の校舎を案内されていた。

 

 そうして春彦は学校の中をなでしことふたりで話しながら回っていたのだが、しばらくして春彦は思い出したようになでしこに訊ねた。 

 

「そういや図書室ってどこある?」

 

「図書室?」

 

「うん、キャンプの本あったら借りてこうと思って」

 

 いくらキャンプ経験があるとはいえ、冬キャン初挑戦の春彦は、まずはキャンプのハウツー本や雑誌などで必要なものや心構えなどをきちんと知っておこうと考えていた。

 

「そっか、小沢君は冬キャン初めてだしねー。 でもキャンプ自体はやったことあるんでしょ?」

 

「まあね」

 

「どんなキャンプ?」

 

「んー、まあ俺の場合、元々は釣りが趣味でさ。そのなかでキャンプをする機会があった… みたいな感じか」

 

 釣りが趣味の春彦はある時渓流釣りにハマり始めたのだが、川における渓流や源流というエリアは、基本的に人が住む場所から離れた山の中にあるものだ。家から釣り場までが遠くなると移動に時間を割かれ、肝心の釣りをする時間がないという問題に春彦はかち当たった。移動の時間を減らすにはどうすればよいか? 春彦は考えた末に、じゃあ釣り場に近い場所に泊まればいいということに気が付き、それがキャンプをするという思考に繋がったのだ。

 

「じゃあ小沢君がするのは釣りキャンってこと?」

 

「そういうことになるな」

 

 これを思いついた当時の春彦は小学生だったため流石に親から反対を受けたのだが、中学3年生になってなんとか親からの許可を得ることに成功し、念願の釣りキャンデビューを果たしたのが去年の夏のことであった。

 

「あきちゃんと仲良くなったのは小学校のときだっけ?」

 

「そう、釣りキャンがしたくてキャンプの本読んでたら話しかけられてな」

 

 千明は春彦とは違って純粋にキャンプをしたいというタイプではあったが、お互い性格がわりと似ていたせいか、話してみるとすぐに意気投合してしまい、そのまま友達となって現在までその関係は続いているということだ。

 

「釣りとキャンプって相性良さそうだよね、やっぱり楽しい?」

 

「まあ、釣りは間違いなく楽しい。けどキャンプの方はそこまでかな」

 

 春彦の場合、あくまで目的は釣りで、キャンプはその手段のひとつでしかなかったというのもあるが、そもそも彼が行った釣りキャンというのは、必要最低限の装備でなるべくお金をかけずにするというものであった。だからテントを張るのもちゃんとしたキャンプ場のような場所ではなく、道端や山の中など、とりあえず寝泊まりができればそれでいいという場所。そして食事も火をおこして料理を作るのではなく、持ってきたおにぎりなどで済ませたりと、キャンプの醍醐味などまるで感じられないような、野宿のようなことをやっていたのだった。

 

「わぁ… それは大変そうだねぇ…?」

 

「微妙に傾いた地面とかキツかったなぁ…」

 

「えぇー、そんなんじゃ寝られないよぉ…」

 

 テントの中で寝袋に包まりながらズルズルと端の方に落ちていくのを想像して、なでしこは春彦のしていたキャンプが、自分の憧れるキャンプ像とはまるでかけ離れたものであることを容易に理解することができた。

 

「でもそこまで辛くても釣りはしたいんだ?」

 

「そうだな。釣りってのはそんだけ楽しいもんなんだよ」

 

 様々なフィールドで出会った魚たちを思い出して、春彦はしみじみと言った。

 どれだけそこまでの道のりが厳しくても、その先にはまだ見ぬフィールドと魚たちへの出会いが待っている。むしろ苦労したからこそ、その先で釣った一匹はとても価値があるもので、いつしか春彦はそんな釣りのもつ魔力に魅せられていた。

 

「なぁ、各務原はなんでキャンプ始めようと思ったんだ?」

 

 自分が好きなもののことを語った春彦は、ふとなぜなでしこがキャンプに興味を持ったのか、そのきっかけが気になった。千明やあおいなど、偶然春彦の周りにはキャンプが好きな女子はいるが、普通女の子がキャンプに興味を持つっていうのはそうなさそうなことだ。勝手な偏見からの興味本位ではあるが、春彦はなんとなくその理由を聞いてみたくなったのだ。

 

「私はね、リンちゃんとの出会いがきっかけだったんだ」

 

「リンちゃん?」

 

 なでしこは春彦に本栖湖のキャンプ少女、志摩リンとの出会いのことを話した。自分を助けた彼女にもらったカレーめんの美味しさや、夜の本栖湖畔から見る月明かりに照らされた富士山に感動したこと、さらにその後リンとふたりで富士山の麓キャンプ場で鍋をして、またそこでも景色が綺麗だったこと。

 

 そんな風に楽しげに語るなでしこの話を聞いた春彦は、そりゃ興味が出るわけだと納得しただけでなく、自分がやってきたキャンプとはまるで異なるその魅力に少なからず興味を持ち始めていた。

 

「いいじゃん。景色が良くて飯もウマくて」

 

「うん! キャンプって楽しいんだよー」

 

 キャンプほぼ未経験のなでしこがキャンプをしたことのある春彦に、キャンプの魅力を語るという、よく分からない構図が出来上がる。

 

 そしてそんな会話をふたりがしている時、なでしこが話していたキャンプ少女である志摩リンは、ふたりがこれからやってくることも知らずに、いつものように図書室のカウンターでストーブにあたりながら本を読んでいた。特に周りに気を留めることもなく読書に浸っていたリンだったが、ふいに目の前に人の気配がして顔を上げた。

 

「なでしこ?」

 

「わはーっりんちゃーん」

 

「ちょ、なでしこっ、うしろうしろっ…!」

 

 リンに気がつかれて喜ぶなでしこの後ろに、雑誌を抱えた男子生徒がいるのに気がついたリンは、なでしこと無関係の人が本を借りようとして困っていると思い込んでしまい、慌ててなでしこに注意した。

 

「ん? ああ、そうだっ。リンちゃんね、この人が野クルの新入部員さんだよっ」

 

「え、あぁ…」

 

 そういえば昨日野クルに新入部員が入ったって言ってたな…

 リンは昨日、なでしこがトークアプリで新入部員が来たことを教えてきたのを思い出した。なでしこに紹介された男子生徒は微妙に居心地づらそうにしながらも、なでしこの手前、一応の自己紹介を始めた。

 

「どうも、なでしこのいる野クルに新しく入った小沢春彦です」

 

「志摩リンです、ども…」

 

「志摩… あぁ」

 

 リンの名前を聞いて春彦はこの人がなでしこの話していたキャンプ少女かと納得した。ただ春彦はリンが微妙に自分のことを警戒しているのに気がついており、それ以上は話を広げようとせずに本の貸し出しのための事務的な会話のみを済ませると、なでしこを連れて足早に図書室から退散しようとする。

 

「あっ、えっ? 待って小沢君っ! あっ、リンちゃんじゃーねーっ」

 

 そそくさと出ていった春彦に、なでしこが慌てながらも図書室なので小声でリンに挨拶をしてその後を追っていった。その様子を見たリンはなんともいえない微妙な気分になる。

 

 自分の挨拶や雰囲気が良くなかったのは確かだが、あそこまで気を遣われてしまうとリンとしてもなんとなく申し訳なかった。ただそこから考えてみると、友達の友達というだけの初対面で異性、しかもそこまでフレンドリーな感じじゃないとなれば、あの反応はむしろ普通のことなのかもしれない。

 

 最近はなでしこから始まって、なし崩し的に大垣千明や犬山あおいらとも関わりを持ってしまったことで、少しだけ他人との距離感を見失いかけていた。

 

 はぁ…と小さくため息をつく。一気に距離を縮められるのもアレだが、逆に距離を取られてしまうのもそれはそれで微妙な気持ちになる。コミュニケーションって面倒くさいなと思いながらリンはまた手元の本に視線を落とした。

 

「なーに変な顔してるの? リン」

 

「…っ!?」

 

 変なタイミングで不意に声をかけられ、驚いてビクッとなったリンの手から読んでいた本が飛んだ。声をかけたのはリンの数少ない友人である斉藤恵那だった。

 

「ほんと、いきなり出てくるのやめろ…」

 

「リンがぼーっとしてるのが悪いんじゃん?」

 

「考え事してたんだよ」

 

「考え事って?」

 

「まぁ、色々…」

 

 詳しく聞こうとする恵那にリンは適当に誤魔化す。さっき考えてたことをそのまま話せば、絶対に彼女はからかってくるだろうと思ったからだ。そんなリンに恵那も恵那で気にはかかったが、ふと先程見たもののことを思い出しそのことをリンに話した。

 

「そういえば、さっきなでしこちゃん見たよ? なんか男子と一緒だったけど… もしかして彼氏かな?」

 

「違うだろ」

 

「もしかして嫉妬してる?」

 

「もっと違う…」

 

 あらぬ方向に話を持っていこうとする恵那に、リンは自分の知る限りの小沢春彦に関する情報を話した。説明を聞いた恵那は納得したように頷く。

 

「へぇー、じゃあ昨日の転入生が新しく入部したんだ? しかも大垣さんの幼馴染で、犬山さんとも知り合いで」

 

「大垣とはかなり仲いいらしい。なんか久々に会って大垣が泣いてたって言ってた」

 

「わぁーっ、なんか素敵じゃんそれー」

 

 「いい人だよ絶対~」とやけに盛り上がる恵那に、「大垣も泣いたりすんだな」と失礼な感想を抱いていた自分と対比して、自分って嫌なやつなんじゃないかとまたしてもリンは微妙な気持ちになった。

 

「で、リンはその小沢君と話したの?」

 

「いや、話してないけど?」

 

「あれ? 本持ってたからてっきりここ寄ったんだと思ったのに」

 

「まあここには来たけど…」

 

「じゃあなんで… あっ、もしかしてリン、気ぃ遣われた?」

 

 まるで先程のやりとりを見ていたかのようにビタリと言い当てられ、リンは小さく首をすくめる。せっかく誤魔化そうとしていたのに、これじゃまるで自分からバラしたみたいだ。

 

 自然に会話をしていたはずなのにいつの間にか隠していた情報を引き出され、リンは自分が恵那の高度な誘導尋問に引っかかてしまったのではないかと疑いかけた。

 

「あはは、そうだったんだぁー、なるほどなるほど」

 

 そこまで分かれば、当然恵那はリンが微妙な表情をしていた理由にたどり着いてしまう。存外可愛らしいことを考えていたリンに斉藤は面白がり、「気にするなよー」とリンの頭をポンポンと優しく叩いた。そんな恵那とは裏腹に恥ずかしさにさらに首をすくめてジト目になるリン。狙ったのかどうかは別として、今回は恵那の大勝利であった。

 

「ねぇ、今度会ったらもうちょっと話してみたら? たぶん悪い人じゃないと思うよ?」

 

「それは… 考えとく」

 

「絶対しないでしょーそれー」

 

 悪いやつじゃなさそうだと分かったところで、かといって積極的に関わる必要もない。ちょっぴり意地を張ってしまったリンが改めて春彦と関わるのは、もう少し先のことになりそうだった。 

 

 

 

 

 




タイトル通りしまりんとは会いましたよ?
仲良くなるとは言ってないけど


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 冬キャン初挑戦!

あけましておめでとうございます。
イーストウッドの野クルキャンプはまだよ?


 

 

 

 キャンプ雑誌とネットで調べ、シュラフやらなにやら、とりあず必要なものをネット通販とアウトドアショップで揃えた春彦だったが、揃えたものを触って眺めているうちに、今すぐにでもキャンプに行きたいという衝動に駆られてしまった。

 

 しかし野クルで計画しているキャンプにはまだ1週間ほど先。しばし悩んだ末、春彦は次週のキャンプの予行演習という名目で、週末に近場のキャンプ場でソロキャンプをすることにした。

 

 非常に衝動的ではあるが、春彦は遠足の前日寝れないタイプ。要するに性格が子供っぽいのだ。ここで雨でも降れば春彦の目論見も外れただろうが、結局当日は快晴そのものだった。そして午後になって出かける支度を済ませた春彦は、荷物を持って停めてある愛車のバイクカバーを取り外した。

 

(さて、今日もまた世話になるぞ)

 

 黒い車体のスクーター、アドレスV125Sのシートに手を置いて、春彦は心の中でそう語りかけた。このアドレスは春彦が釣りに行くときの足としてバイクを使おうとAT限定の小型二輪免許を取った際に、バイク乗りの親戚が新しいのに乗り換えるからと譲ってくれたものだ。走行距離は4万キロを超えており、車体には所々小さな傷も見られるが、それでもまだ走りは快調そのもので、春彦の頼れる愛車であった。

 

 リアキャリアのホムセン箱にシート下、サイドバッグ、シートバッグとあらゆる積載場所にキャンプ道具を積んで、忘れ物がないかもう一度しっかりと確認する。そして最後にミラー部分にあるスマホホルダーにスマホを取り付けると、フルフェイスのヘルメットを被って荷物が満載されたアドレスに跨った。

 

「よし、行くか」

 

 差し込んだキーを回してブレーキをかけながら始動ボタンを押してエンジンをかけると耳慣れたエンジン音が響く。目指すはなでしこがリンと出会った本栖湖のキャンプ場。春彦はアクセルを回して走り出した。

 

 快調に走る春彦のアドレス。透き通った冷たい冬の空気を感じながら、紅葉で色づいた山々の間を抜けていき、走ること約30分。特にトラブルに見舞われることもなく、春彦は本栖湖のキャンプ場に到着した。

 

「よーし、着いっ… たぁ~」

 

 ロッジの前にバイクを停め、春彦は伸びをして固まった体をほぐした。そのままロッジの中に入り、受付でチェックインを済ませると、再びバイクに乗って湖畔に続く道を下りていく。木々に囲まれた道を抜けて視界が開けると、富士山をバックにした雄大な本栖湖の景色が春彦の目に飛び込んできた。

 

「おぉー…」

 

なでしこから聞いた通りの素晴らしい景観に春彦も思わず声を上げる。そして…

 

「本栖さん、お久しぶりです」

 

 バイクから降りると姿勢を正して本栖湖に向かって一礼した。

 実は春彦、ここ本栖湖には埼玉に引っ越す前に2度ほど釣りをしに訪れたことがあり、昔を思い出した春彦は、懐かしさに思わず挨拶が出てしまったのだ。

 

 本栖湖への挨拶を済ませた春彦は、手頃なスペースを見つけると、早速テントの設営に取り掛かった。アンダーシートを敷いて、テント本体にポールを差し込み本体を立ち上げ、フライシートを被せてペグを打ってテントを固定する。以前やったことがあるおかげか、流石にこのあたりはスムーズにこなしていく。

 

 それから持ってきた荷物の中から、折りたたみの椅子やランプなどその他の装備を使うものだけ取り出し、残りをテントの中に仕舞う。

 

「うぉ、めっちゃキャンプだわこれ」

 

 テントの前に持ってきたキャンプ道具を並べると、中々にそれらしい感じになり、春彦は感動して目を輝かせた。並べられたキャンプ道具たちをじっくりと眺めていく。

 

「今日はもうこれでいいんじゃないかな」

 

 すでに翌日までの利用料を支払っているので、当然本気で帰るつもりはないが、こうしてキャンプらしい画を見れただけでも、春彦としてはそこそこ満足だった。

 

「でもこんなのも買っちゃったしなぁ」

 

 調理用に新しく揃えたガスバーナーとコッヘル。この2つに関しては使わずに帰るのは流石にもったいない気がする。

 

「ま、今日は大して使わんけど」

 

 アウトドアショップで衝動的に買ったはいいものの、流石にしょっぱなから本格的なキャンプ料理を作る気は起きなかった春彦。一応今日も使いはするつもりではあるが、その用途としてはカップ麺を作るためにお湯を沸かすことだけだ。

 

「さてと…」

 

 ひとしきりキャンプ場所での設営を終えた春彦は、椅子に座ると魔法瓶に入れて持ってきたほうじ茶を飲んで、ようやく一息つくことができた。

 

 リラックスして改めて景色を見渡すと、千円札のモデルになったという本栖湖越しの富士山が嫌でも目に入る。耳を澄ませば風で木々が擦れる音や、湖の波の音が聞こえる。春彦以外のキャンプ客が周りにほとんどいないせいか、この静けさの広がる湖畔にいると、どことなく時間がゆっくりと流れているような感じがした。

 

「いやほんと、今まで俺がやってきたの、キャンプじゃなかったわ」

 

 寒さという問題を除けば、今までしていたキャンプとは比べ物にならない快適さと心地よさに、春彦はすでにやられかけていた。しかし1時間ほほど経つと、流石にリラックスしているだけでは飽きてきくる。退屈さに加え、周りにほとんど人がいないことへの寂しさも感じ始めた。

 

「流石に暇だな…」

 

 春彦はここにきて自分の計画性のなさに気が付く。キャンプというのはテントの設営などが済んでしまえばあとはあまりやることがない。もちろん火を起こしたり、食事をとったりと多少はやることもあるが、それでも翌日までの長い時間の中ではほんの僅かなものだ。春彦は買ったばかりのキャンプ道具に興奮するあまり、キャンプをする以外の目的を考えていなかった。

 

「本とかラジオとか持ってくるんだったな… てか目の前に湖あんのに釣りできねぇとかっ… う~わ~…」

 

 水があり、魚がいれば釣りをしたくなるのが釣り人の性であるが、頭を抱えて足をバタつかせたところでどうにもならない。

 

 なにか暇を潰して寂しさを紛らわす方法がないかと考える春彦だったが、ふとズボンのポケットに入っているスマホのことを思い出した。スマホの電源を入れてカメラを起動し、目の前の富士山の景色の写真を撮る。そしてその写真を千明に送ろうとするが…

 

「そういやあいつ今日バイトだっけ、犬山…もたしかそうだ…」

 

 メッセージを送ったところで、バイト中のふたりから返信が返ってくるのはいつになるかは分からない。となると友達の中でキャンプ好きな人間といえば、春彦が思い当たる人間はひとりだけだった。

 

「そうだ、各務原…」

 

 つい先日知り合ったばかりで、まだ友達といえるかも微妙ではあるが、状況を考えれば彼女は適役といえる。

 

「初めてメッセ送るのって、なんかちょっと緊張するよな…」

 

 別になでしこのことを異性として意識しているわけではないが、それでも出会ったばかりの女の子に自分から連絡するというのは、それだけでなぜか緊張してしまうものなのだ。

 

 妙に緊張しながらトークアプリを起動してなでしこのアカウントを見つけると、チャットを作成して撮影した富士山の画像とメッセージを送信した。

 

『いま本栖湖来てる』

 

 おそろしく要点だけをかいつまんだ飾りっ気ゼロのメッセージ。その文面から春彦の微妙な緊張が伺える。

 

「これでよしっと…」

 

 ヴーッ

 

「はやっ!」

 

 まだ送ってから20秒も経ってないぞ?

 

 あまりの返信の速さに、春彦は一瞬なでしこ以外の誰かがタイミングよくメッセージを送ってきたのかと考えたが、送り主はしっかりとなでしこだった。

 

 春彦は思わず周りを確認する。どこかでなでしこがメッセージを送っているところ見ているんじゃないかと思ったようだが、当然なでしこはいるはずもない。

 

「まあ、ありえないよな、そんなこと…」

 

 あまりにも馬鹿馬鹿しい自分の考えにため息をつく春彦。なでしこが話していたリンとの鍋キャンプが、まさに春彦の考え通りだったことなど当然だが知る由もなかった。

 

『おぉー! 昼間の富士山! 私が行ったとき全然見えなかったんだー』

 

 こちらもこちらでなでしこのテンションの高さがその文面からよく伺える。なでしこは自分が行った時に見えなかった昼間の富士山が羨ましいらしい。

 

『でも来週野クルキャンプなのに小沢君頑張るねぇ』

 

『なんかキャンプ道具買ったら使ってみたくなって』

 

『わかる! 私もおとといから寝袋で寝てるんだ』

 

 マジかよ… こいつ俺とおんなじことしてんじゃん…

 

 実は春彦も寝袋を買った日の夜に、部屋に布団があるのにわざわざ寝袋で寝ていた。まあ流石にそのことは恥ずかしいのでなでしこには言わなかったが。

 

『あ、小沢くんのキャンプ道具みせてよ』

 

 春彦が使っているキャンプ道具が気になるというなでしこからのメッセージに、春彦は立ち上がってテントを中心にキャンプ道具の写真を撮ってなでしこに送る。

 

『おぉー! ちゃんとキャンプしてる! いいなぁー』

 

『適当に買ったけどわりとそれらしくなったわ』

 

『自分で買ったんでしょ? すごいなぁ』

 

『まぁ、引っ越す前はバイトしてたし』

 

 実を言うと春彦のお金は新しいバイクを買うための費用として貯めていたものだったのだが、今のバイクも古くはなってきたが走ることに関しては支障はないので、新しいキャンプ道具に使うことにしたのだ。

 

『なんのバイト?』

 

『レストランでホールやってた。だからこっちでも似たようなバイト探そうと思ってる』

 

『そうなんだ。やっぱ私もバイト探そっかなー、お小遣いだけじゃ心もとないし…』

 

『いいんじゃね? 千明も犬山も始めたし、キャンプってそこそこ金かかるしな』

 

 もともと釣り道具のためにバイトを始めた春彦だったが、お金がかかる趣味という意味ではキャンプもそれに当てまるわけで。親が気前良くなんでも買ってくれるなら別だが、そうでないのならやはりバイトをするのが一番現実的だ。それになでしこにはバイトをしたいと思う理由があった。

 

『実はちょっと私も興味あるんだ、ソロキャン』

 

 人懐こいなでしこは、基本的にはキャンプは友達としたい派ではあるが、それとは別になでしこがキャンプに興味を持つきっかけとなった、リンが好んでするソロキャンにも少しだけ興味が出ていた。

 

『ソロキャンしなくてもキャンプ道具は欲しいし』

 

 ソロキャンをするには自分のキャンプ道具を揃えなければならない。もしそうなれば、今よりもお金が必要になるのは当然だし、ソロキャンをしないにしても、自分のキャンプ道具が欲しいという気持ちは少なからずなでしこは持っていた。

 

『そか。まぁいいと思うぞ? バイトはやっといて損はないしな』

 

『うん、ちょっと考えてみるよ』

 

 後に本当になでしこがバイトを始めてソロキャンをするなどとは、この時の春彦は考えてはいなかった。だがそれでも彼はなでしこのことを素直に応援した。 

 

 そんなこんなでトークアプリでなでしこと会話しながら、春彦は近くを散歩したりしてのんびりと時間を潰していった。そして夜になると買ったばかりのバーナーとコッヘルでお湯を沸かしてカップ麺を食べ、その日は早めに就寝し、翌朝は早めに片付けを済ませて、チェックアウト時間の10時に帰路についたのだった。

 

 

「で、どうだったんだ初めての冬キャンは?」

 

 休み明けの月曜日の放課後、春彦は野クルの部室に集まった千明たち3人に、先日のキャンプの感想を訊かれる。

 

「結構良かったぞ? 景色はいいし、飯は普段の3倍くらい美味く感じるし、買った道具のおかげか思ったより快適だったな」

 

「ほうほう、春彦もようやくキャンプの醍醐味を分かってきたようだな?」

 

 自分も大してキャンプをしたことがないくせをして、千明はどこか先輩面をしながら春彦に言った。

 

「まあな、トイレもあるし、地面も平らで寝やすかったぞ?」

 

「平らだと…?」

 

 春彦の言った「平ら」という言葉にどこかひっかかりを覚える千明。

 

「お前今あたしの胸見て言ったろ!」

 

「は? お前の胸見る男なんかいねーよ」

 

「なにをーっ!」

 

 春彦の罵倒を皮切りに千明が春彦に掴みかかり、何の前触れもなく春彦と千明は取っ組み合いの喧嘩らしきなにかを始めた。

 

「このっ…貧乳をバカにしおって…!」

 

「悔しかったら育ってみろっ…!」

 

「わぁぁ~ふたりともケンカはやめて~!?」

 

 取っ組み合ってお互いの頬を引っ張り合う千明と春彦に、なでしこは慌ててふたりの仲裁に入ろうとする。

 

「大丈夫やでー、なでしこちゃん」

 

「へっ…? でもふたりがケンカして…」

 

「あれはじゃれあいみたいなもんでな? ふたりにはいつものことなんよー」

 

「そうなの?」

 

 よく見るとふたりのケンカはどちらもかなり手加減をしている。あおいの言う通り、ふたりのこのケンカは単なるじゃれあいのようなものでしかなく、お互い本気で相手を憎んだり、傷つけようとしたりする意思は全くないのだ。

 

 なでしこよりもふたりとの付き合いが長いあおいは、そのことをきちんと分かっており、むしろふたりのケンカを「懐かしいなぁー」と微笑ましそうに眺めていた。そしてあおいの言葉でふたりが本気でケンカしていないと気づいたなでしこは、ふたりの奇妙な関係に戸惑うかと思われたが。

 

「そっかぁ、やっぱりふたりって仲いいんだね!」

 

「へ? あー… まあな!」

 

「そうだな、まあ俺達そこそこ付き合い長いから」 

 

「へぇー、なんかいいなぁ… あっ、ねえ小沢君、私のこともなでしこって名前で呼んでよ?」

 

 なでしこはむしろふたりのやりとりを見て、その仲の良さが羨ましくなったようで、とりあえず春彦と仲良くなろうと、お互いの呼び方を変えるよう春彦に提案した。

 

「ん? あぁ、別にいいけど…」

 

「やった! じゃあ私はハル君って呼んでいい?」

 

「おう、まあいいぞ…?」

 

「よーしっ! あ、そうだ、私もほっぺたつねっていい?」

 

「それはやめてほしいかなぁ…」

 

 なでしこの勢いに押されて名前呼びを許した春彦だったが、そのあとの要望には流石に却下した。あのスキンシップは千明とだからやる訳であって、当然ではあるが誰彼構わずする訳ではない。

 

 とまあそんなふうに春彦はなでしこと名前呼びしあう仲になった訳だが、その様子をひとり面白くなさそうに見ている者がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 野クルの活動が終わったあと、春彦は野クルの面々は揃って下校した。途中最寄り駅が違うなでしことバイトがある千明とは別れたが、あおいが家にみかんが大量にあってお裾分けしたいと、春彦に提案した。

 

 思い出したように言われたあおいの申し出に、ふたつ返事で了承した春彦。だが彼女の家に向かう道中、あおいは思いもよらぬことを春彦に言い始めた。

 

「そういえば小沢君、なでしこちゃんのこと名前で呼ぶようになったやん?」

 

「あぁ、そうだけど」

 

「私のことは名前で呼んでくれへんの?」

 

「んー?」

 

 話の流れがよく理解できず、春彦は首を傾げる。

 

「えーと、なんでまた急に…?」

 

「だって私なでしこちゃんより付き合い長いのに、小沢君まだ名前で呼んでくれてないやん?」

 

「それが気に入らないと?」

 

「気に入らんってほどのことでもないんやけどー…」

 

 あおいと春彦は中学からの付き合いなので、そこまで長いものではないし、春彦が埼玉にいるときも千明のように頻繁には連絡を取り合っていなかった。そのせいもあってかふたりの距離感はいまだに微妙なままだった。しかしあおいとしては、野クルの他の3人の中で自分だけ名前呼びされないというのは、妙な違和感というか、疎外感のようなものを感じてしまうわけで。

 

「たしかに一理なくもない。お前だけちょっと仲良くないみたいだもんな?」

 

「せやろ?」

 

「わかった! じゃあ犬山のことは千明とおんなじ様にイヌ子って呼ぶわ」

 

「……」

 

「お気に召さない……?」

 

 なぜかは分からないが、あおいはどうしても春彦に下の名前で呼んでほしいらしい。よく分からないあおいのこだわりに、春彦は一瞬ゴネてやろうとも思ったが、むしろ面倒になりそうだと考え直し、素直にあおいの言うことを聞くことにした。

 

「じゃあ…… あおいって呼ぶよ」

 

「せやなぁ、小沢君がどうしてもって言うならそう呼んでええよ?」

 

 とても楽しそうに笑いながら言うあおいに、春彦は「めんどくせぇぇ」と内心かなり苦い顔になるが、とりあえずこれでこの騒動が終わるならと、ここはぐっと堪えることにした。しかし、呼び名云々についてはこれだけではまだ終わらなかった。

 

「じゃあ今度は私が小沢君のことなんて呼ぶかやなー」

 

「そうだった……」

 

 春彦があおいのことを下の名前で呼ぶなら、当然あおいが春彦をなんと呼ぶかも決める流れになる。春彦の苦悩はまだ半分が終わっただけでしかなかったのだ。

 

「もうどうぞ、ご自由に呼んでください……」

 

「せやなぁ、ハル君っていうのはなでしこちゃんに取られてもうたし… あっ、春ちゃんってのはどお?」

 

「ちゃん付けってのは…… あんまりじゃないか?」

 

「えぇー、ご自由にって言ったやーん」

 

 たしかに自由に呼べとは言った春彦だが、なんとなくちゃん付けされるというのは気が進まない。ちゃん付けされるようなキャラじゃないし、どことなく子供っぽいと感じるからだった。

 

「んー…… じゃああきみたいな感じで、はるってのはどう?」

 

「まぁ、はるちゃんよかいいかな……? いや、もうはるでお願いします」

 

 未だ納得しきってはいなかったが、これ以上ゴネたところでやっぱり自分が不利になるだけだと春彦は悟った。あおいの性格のせいもあるが、春彦は基本的にこういった押し問答にはめっぽう弱いタイプなのだ。

 

「意外とあっさりな感じやね?」

 

「いや、なんか俺たち、今めちゃめちゃ恥ずかしいやりとりしてんなって思って……」

 

 春彦の言う通り、傍から見ればふたりのやりとりは下手すればカップルのようにも見えなくもない。少し冷静になった春彦は自分たちのしたやりとりを思い返して、なんとも居心地悪くなってくる。

 

「なんや照れてるん~?」

 

「照れてねーよ」

 

「そんな怒らんでよもぉー」

 

 散々からかわれてしかめ面になる春彦の背中を、笑いながらポンポンと叩くあおい。ふたりの表情は対照的ではあるが、一応春彦も怒っているというわけではなかった。

 

「あ、そういえば、うちの妹がはるに会いがってたでー?」

 

「あぁー、あかりちゃんだっけ? よく俺のこと覚えてたな」

 

「えらいはるのこと気に入ってたしなぁ?」

 

「なんかやたら懐かれてた覚えがある」

 

 あおいをそのまま小さくしたような彼女の妹、犬山あかりを思い出して春彦は首をかしげる。

 中学時代に春彦があおいの家に遊びに行った際、なぜか春彦はあかりにやたらと気に入られてしまった。春彦が引っ越すと聞いたときはガチ泣きして悲しんだあかりだったが、その春彦が山梨に戻ってきたことを先日あおいがあかりに告げたところ、あかりは跳び上がって喜んだのだそうだ。

 

「俺そんな気に入られるようなことしたっけか?」

 

「それは私にも分からんなぁ……」

 

 散々春彦のことをからかったあおいだったが、こればかりは本当に心当たりはなかった。どうして春彦が好かれるのか。その理由はあかり本人にしか分からないが、一つ確かなことは、このあと春彦は犬山宅であかりから大歓迎を受けるであろうということだった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 野クルの初キャンプ

 

 

 春彦の初めての冬キャンからちょうど1週間後。かねてから計画していた野クルの初キャンプの日を迎え、春彦ら野クルメンバーは、山梨市駅から4キロほどの場所にあるイーストウッドキャンプ場への道のりを歩いていた。

 

「ていうかなでしこちゃん、そんなに荷物背負って大丈夫なん?」

 

「ん?」

 

「こういうのあった方が疲れへんよ? こっから先上りやし」

 

 背中に背負ったリュックに加え、斜めがけのバッグを両脇にかけているなでしこを見たあおいが、自分が引いているキャリーカートを指差す。

 

 男で体力のある春彦は別として、キャンプ場までこの大荷物を背負っていくのは、小柄ななでしこには文字通り荷が重いようにも思えた。

 

「やばいかな…?」

 

「じゃあキツくなってきたら俺が…」

 

「しかたねぇなぁ。疲れたときはその荷物、あたしが背負ってやんよ?」

 

 春彦が言おうとしたところに思い切り被せてキメ顔でサムズアップする千明に、なでしことあおいが「キャー」と黄色い悲鳴を上げる。被せられて見せ場を取られた春彦は少し不満げだったが、「盛り上がってるしいいか」と考えて言葉を飲んだ。

 

 しかし男気あふれる発言が決まって上機嫌な千明だったが、しばらく歩いたところで、なでしこの小柄で非力そうな女の子というイメージはあっさりと払拭されることとなる。

 

「結構… しんどいなぁあき…?」

 

「はぁ…はぁ… まさかこんなにキツイとはなぁ…」

 

 しばらく歩いていくと、延々と続く上り勾配の道に、あおいと千明のふたりは疲労の色を見せ始めた。

 

「お前ら大丈夫か? キツイなら手伝うぞ?」

 

 渓流釣りの源流行などのおかげでまだ体力に余裕がある春彦がふたりを心配して声をかける。上りの多い道を重いキャンプ道具を持って一時間近く歩くのは、日頃そこまで運動をすることのない千明とあおいにはそれなりにハードだったようだ。

 

「にしてもすげーななでしこ…」

 

春彦の視線の先には重い荷物を物ともせずに「わーい!」と楽しそうな声を上げて坂道をかけていくなでしこの姿があった。荷物を背負っているぶんその千明たちより負担は大きいはずなのだが、なでしこはまるで問題としていない。

 

「なあ、イヌ子…」

 

「なに…?」

 

「荷物、あいつに全部背負ってもらわないか…?」

 

 重いカートを引きながらの長距離の歩きで息を切らす千明とあおいの先を、子犬のようにはしゃいで走っていくなでしこ。千明たちとなでしこの体力の差はすでに明確なほどに現れていた。

 

 4人は600メートルほど先にある笛吹公園で休憩しようということになり、ヒッチハイクをしようとする千明を春彦が元気づけながら、ようやく4人は夜景が有名な笛吹公園の展望台にたどり着いた。

 

「うはーすっごい! 絶景、絶景だよーっ!」

 

「ホントに元気な子じゃのう」

 

「ワシらも昔はああじゃった…」

 

 甲府盆地を一望でき、遠くには富士山も見える絶景に興奮し、展望台を駆け回って写真を撮りまくるなでしこと、そんななでしこを座り込んで老人のようになって眺めている千明とあおい。

 

 そして3人をよそにどこか休憩できる場所はないかと春彦がスマホで調べていると、展望台のすぐそばにカフェがあること、そしてそのカフェでスイーツが食べられるという情報をホームページで見つけた。

 

「おぉ、あっちのカフェでスイーツが食えんのか」

 

「え!? スイーツ!?」

 

「うぉっ! びっくりしたぁ」

 

「おーい! 中のカフェでスイーツが食べれるってー!」

 

 いつの間にか春彦の横にいたなでしこが向こうで座り込んでいる千明とあおいに手を振ると、スイーツという言葉に反応したふたりが「うおおお!」と雄叫びをあげて猛ダッシュでなでしこたちに追いついた。

 

 休憩がてらカフェに入った4人。なでしこがバニラソフトで千明は巨峰ソフト、あおいはフルーツパフェで春彦はりんごジュースと、それぞれ思い思いのスイーツを注文してその絶品スイーツたちに舌鼓を打った。

 

「疲れとると甘いもんがウマーやなぁ」

 

「暖房きいてる店内で食うアイスうまー」

 

「へぇー、季節によって色んな果物スイーツが食べられるんだねぇ」

 

「山梨市フルーツガーデン株式会社なんていかにもなとこが運営してるんだと。流石って感じだな」

 

 それぞれ自分のスイーツの味を堪能した4人は、今度はお互いのスイーツを味見し合うことにした。

 

「なあ、春彦のりんごジュースひとくちくれよ」

 

「おう、いいぞ」

 

 4人でお互いのスイーツを味見しあう中で、春彦から渡されたジュースをストローで飲む千明。しかしちょっとしたいたずら心が芽生えた千明は、ストローで吸うところを息を吐いてジュースにボコッと泡を立てた。

 

「あーってめぇっ!いまボコってやりやがったな!」

 

「いやぁーあまりのウマさについー」

 

「お前よぉ、仮にも女子高生がそんなことすんなや…」

 

 年頃の女子としてはかなりはしたない千明のいたずらに、春彦は怒りと呆れの混じった顔で苦言を呈すが、当の千明はどこ吹く風といった表情。恨めしそうな顔で千明を睨む春彦だったが、すぐに千明への仕返しを思いつき、りんごジュースの入ったコップを持って神妙そうな表情で訴え始めた。

 

「みんな、こいつを飲んで俺になにかあったら… その時は俺に構わず3人でキャンプに行くんだ…!」

 

「ハ、ハル君っ…!」

 

「さらばっ…!」

 

 そう言って春彦はジュースを一気に飲み干すと、途端に首元を抑えてもがき苦しみ、そのままガックリと頭を垂れて力尽きたように目を閉じた。

 

「ハルくぅぅぅん!」

 

「はるぅぅぅぅぅ!」

 

「お前らふざけんなぁ!」

 

 芝居がかった春彦の迫真の演技になでしことあおいが乗っかり、完璧な流れで千明は仕返しを食らった。そんな風にしてわいわいと騒ぎながらスイーツを平らげたあと、なでしことあおいの要望もあり、4人はキャンプ場の前に温泉へと足を運ぶことにした。

 

 笛吹公園から歩くこと約20分、4人はほっとけや温泉というユニークな名前の温泉に到着した。温泉に入る前に荷物を置こうと、場内にある休憩所に寄ったのだが、その中に入った4人は思わず「おぉー」と感嘆の声を上げた。木の香りが漂うログハウスづくりの休憩所内は、ストーブや座布団が完備されており、外の寒さを考えれば、もう出ていきたくなくなりそうなくつろぎ空間だった。

 

「ここで一度くつろいだら、二度と起きては帰れまい…」

 

「せやな、お尻に根が張るなんてレベルやないわ」

 

「ああ、一瞬だけどもうここで泊まりゃいいんじゃないかって思ったわ…」

 

 入ったばかりですでに出られなくなりそうなセリフを吐く千明、あおい、春彦の3人。するとその横でスマホを見ていたなでしこが「あーっ!」と急に大声を上げた。

 

「どうした?」

 

「リンちゃんが、テレビに映ってるんだよーっ!」

 

 そう言ってスマホの画面を見せてきたなでしこだったが、見てみるとそれはテレビではなく、霧ヶ峰カメラと書かれたライブカメラの映像が映し出されており、そこにはカメラに向かって手を振るリンの姿が映っていた。

 

「志摩さん、今霧ヶ峰におるんやねー」

 

「霧ヶ峰… って俺らの住んでるあたりからだと結構遠くないか?」

 

「霧ヶ峰ってどこにあるの?」

 

「長野県の諏訪湖の近くにある高原だな」

 

「長野かぁ、そんな遠くまで…」

 

 女子高生ひとりで地元を飛び出して遠出するリンに、4人共興味深そうに意見を言い合う。

 

「リンちゃん原付バイク乗って行ってるんだってー」

 

「原付!? マジかよ、片道100キロ以上は余裕であんだろ!? すげーなおい…」

 

 4人の中でただひとりバイク遠征の過酷さを知る春彦が、なでしこの話を聞いて驚きの声を上げる。

 

「リンちゃんのしてることって、そんなに大変なの?」

 

「原付って基本30キロあたりまでしか出せないからな。 順調に行っても4時間、いや5時間近くはかかるだろ」

 

「5時間!?」

 

 春彦の説明を聞いたなでしこが驚きの声を上げる。長時間バイクに乗り続けるというのは実は結構過酷なことだ。走行中の振動や乗車姿勢は乗っている人間の体にそれなりに負担をかけるもので、定期的に休憩を挟んだとしても、片道100キロ以上の道のりを5時間以上、しかも結構な寒さに耐えながらでは、どう考えても過酷な行程と言わざるを得ない。

 

「めちゃ寒いはずなのに、頑張ってんなぁしまりん」

 

「さすがソロキャン少女やねぇ」

 

「たぶんな、お前らが想像してる以上にキツい旅だと思うぞ…?」

 

 他人事なのもあってかイマイチ過酷さが伝わっていない千明とあおいとは裏腹に、「あの子ってもしかしてめちゃくちゃタフな子なのか…?」と春彦は志摩リンというソロキャン少女に対して尊敬の念すら抱きそうになっていた。ちょっとしたバイク乗りの共感というものだろう。

 

「そういや春彦もバイク乗ってんだよな?」

 

「そうなの?」

 

「まあ一応な」

 

 リンの原付の話題が出たところで、今度は春彦のバイクのことに話が移っていく。

 

「ハル君も原付なの?」

 

「原付ちゃ原付だけど、志摩さんのとはちょっと違うぞ?」

 

 リンが乗っているビーノは世間一般で原付と呼ばれている排気量50㏄のバイクだが、春彦のはそれよりも排気量が大きい125㏄の原付二種と言われるバイクだ。この2種類のバイクは排気量やそれによるパワーなどの差だけでなく、道交法上の扱いも大きく異なる。

 

 50㏄の場合は制限速度は30キロまでで、走行できる車線は原則左側車線のみ、さらに片側3車線以上ある道路では二段階右折をしなければならず、50㏄のバイクは近場への移動に乗るなら便利ではあるが、遠出するには色々と制限に悩まされる乗り物だ。

 

 それに対して125㏄(正確には50以上124㏄以下)の場合はそういった50㏄における制限がなく、高速に乗れないという点を除いて基本的には車と同じように走行することができるのだ。

 

「とまあ、こんな風に名前は原付でも結構違うもんなのよ」

 

「へぇー、同じスクーターでも全然違うんだねぇ」

 

「たしかにだいぶ扱いやすさは変わりそうやわ」

 

「まあ、そのかわり50㏄よりも多少コストはかかるけどな」

 

 原付二種はバイクの中では相当コスパが高くはあるが、それでも免許取得や車両の購入にかかる費用に関しては、流石に50㏄の原付一種に分があるのは間違いない。

 

「あと、125ccだと二人乗りもできるな」

 

「そうなの!? じゃあ今度ハル君のバイク乗せてよ!」

 

「残念ながら法律上まだ無理なんだよなぁ」

 

 たしかに原付二種のバイクはバイクにタンデム用の機構があれば二人乗りも可能ではあるが、法律上免許を取得してから1年経過後でなければ二人乗りはできない決まりであり、今年の5月に免許を取得したばかりの春彦はまだ二人乗りはできない。それを聞いたなでしこは残念そうに肩を竦めた。

 

「そっかぁ、残念…」

 

「春彦が後ろに女の子を乗せられるようになる日はまだまだ遠そうだな?」

 

「めっちゃ腹立つなその言い方」

 

 暗にお前には彼女は当分できないと言いたげな千明の発言に、春彦はムカつきながらも自分がモテないのを自覚しているために、強くは言い返せず歯ぎしりをする。

 

 

 休憩所で霧ヶ峰にいるリンの様子を見た4人は荷物を置くと、女湯と男湯に別れて、露天風呂のある温泉で景色を見ながら旅の疲れを存分に癒やしていった。

 

「さっき見たけど、やっぱりいい景色だねー」

 

「だなぁー」

 

「冬の温泉たまらんわぁー」

 

 冬の寒さとここまでの行程の疲れを癒やす温泉に、大満足のなでしこたち女性陣。一方男湯の春彦はというと。

 

「あぁー… キャンプ来たのに風呂入れるとか… 文明っていいわぁ…」

 

 今までの経験からキャンプで風呂に入ることなど初めての春彦は、そもそも風呂に入れること自体に感謝していた。

 

「いやぁ、マジでいいわ、最高だわこれ…」

 

 野クルメンバーでひとりだけ男湯にいる寂しさも忘れて、春彦はまったりとした時間を過ごしていたのだが…

 

「おーい、はるひこー!」

 

「「お~~い!」」

 

 温泉にある仕切りの向こう側、女湯の方から聞こえてくる自分の名を呼ぶ声に、春彦の癒やしの時間は唐突に終わりを告げた。

 

「ほんと、あいつらアホだろ…」

 

 温泉でテンション上がって他の客がいることも忘れて騒ぐ3人の声に、自分のことだと周りに悟られぬよう、ひっそりと男湯を後にする春彦。みなさんも旅先でのハイテンションにはくれぐれも気をつけてほしい。

 

 

 こうして絶景の露天風呂で体の芯まで温まった野クルメンバーたちは、キャンプ場の管理人には昼過ぎに着くと伝えていてまだ時間があるからと、ほっとけや温泉の休憩所でもう少しゆっくりしていくことにした。そして休憩所に向かう道中で、油で揚げた温泉卵の温玉揚げという魅惑のB級グルメを見つけてしまい、誘惑に負けた4人は温玉揚げを買ってそれを食べながら休憩所でくつろぎ始めた。

 

「卵揚げただけなのにうますぎるぞこれ」

 

「黄身がとろけるぅー」

 

 さくさくの衣からトロリと溢れる半熟の黄身と、口の中でうっすらと広がる程よい塩味。シンプルながらもとろけるような温玉揚げの美味しさに、なでしこたち女性陣はすでにノックアウト状態だった。

 

「これ湯上がりに食ったらあかんやつやぁ~」

 

「うん、あかんやつやぁ~!」

 

「あかんあかん~」

 

「あかんあかん言いながら寝るなよお前ら?」

 

 あかんあかん言いながら座布団を枕に寝転がる3人に、春彦が一応といった感じで釘を刺す。

 

「そんなこと言ってー はるもホントはあかんくせに~」

 

「あかんあかん~」

 

「まぁ、たしかにこれはあかんけど…」

 

「ほらー、やっぱりハル君もあかんやつやぁ~」

 

 そんな風にして春彦を丸め込んだ3人だったが、温泉で温まってお腹も膨れたおかげか、しばらくすると春彦を除いた女性陣3人は心地よさに任せてすやすやと眠りについてしまった。

 

「しょうがねーなぁ。ま、俺が起きてりゃいいか」

 

 寝落ちしたなでしこたちを見て余裕を見せていた春彦だったが、結局このあと自分も寝落ちして夕方まで寝過ごしてしまい、全員で慌ててキャンプ場へと急ぐ羽目になってしまったのだった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 そらでつながってる

ランボー怒りの完徹投稿


 

 

 

 ほっとけや温泉の休憩所の快適さにうっかりと寝過ごしてしまった野クルメンバーたち。すぐさま荷物をまとめて休憩所を後にすると、4人はそのままキャンプ場へと急行… の前に温玉揚げをもう一個買ってから足早にキャンプ場へと向かった。

 

 時刻は16時を過ぎ、辺りはだんだんと夕闇に包まれていくなか4人は歩いていくが、なかなかキャンプ場にたどり着かない上に、山道に入り辺りはさらに暗くなってきた。

 

「なーあきー? こっちで合っとるん? さっきから下っとるよ?」

 

「んー地図ではこっちになってんだけどなぁ…」

 

 一向にキャンプ場にたどり着かずだんだんと不安を覚える始める。中でもお化けや心霊的なものにめっぽう弱いなでしこは一際落ち着かない様子で辺りを見回していた。

 

「私、暗い森って苦手なんだよね…」

 

「林間キャンプ場全部NGじゃねぇか」

 

「なんかさ、さっきから軍服を着た連中に見られてる気がしないか…?」

 

「ひぃぃっ!?」

 

 春彦の言葉に過剰なほど反応したなでしこが横を歩いていた千明に飛びついた。

 

「うわっ! おい春彦、なでしこいじめるなよ?」

 

「あんまかわいそうなことしちゃあかんで?」

 

「悪い、つい出来心で…」

 

 千明とあおいから注意されて春彦は素直に謝って反省した。ちょっとしたイタズラ心からの行動ではあったが、なでしこがかなりの怖がりであることに加え、若干の危機感が漂うこの状況では笑えない悪ふざけになってしまったようだ。しかしそんなやりとりをしながら進んでいると4人の先にふいに看板が現れ、それを見つけた千明が声を上げる。

 

「あ! もしかしてあれじゃね?」

 

 千明の指差した方を見ると、『イーストウッドキャ』という感じに、キャンプ場の「キャ」のあとの「ンプ」の文字だけが綺麗に欠けている看板が目に入ってきた。

 

「ンプ場?」

 

「ンプ場やな」

 

「なんでこんな綺麗に欠けてんだこれ? いたずらか?」

 

 千明もあおいも春彦も、この奇妙なかたちのまま放置された看板に首を傾げる。しかしその看板に従って歩いていくと、すぐに『EAST WOOD』と書かれたちゃんとした木彫りの看板とともに、今回の目的地のイーストウッドキャンプ場の受付が姿を現した。

 

ようやくたどり着いたキャンプ場に4人は一安心する。予約を取っていた千明が到着がチェックインを済ませ、遅れたことを管理人さんに謝る。受付がある場所はタープやパラソル、ソファーや薪ストーブなど、様々なアウトドアグッズで作られたリビングスペースで、管理人さんによると昼間はここから綺麗な景色が拝めるのだそうだ。

 

「管理人さんのリビングスペースええなー」

 

「ほんと、すごいよなー。こういうとこで余生を過ごしたいぜ」

 

「余生よりもまず進路決めなあかん時期やわー」

 

 なんとも素敵なくつろぎ空間を羨ましそうに眺める千明とあおい。

 

「うぉっ、こっち犬いるぞいぬっ!」

 

「わぁー! 真っ黒でかわいいーっ!」

 

「あっちも楽しそうやねー」

 

「春彦もなでしこも犬大好きだしな」

 

 真っ黒な毛並みをした看板犬に飛びつかれておおはしゃぎする春彦となでしこ。この看板犬は甲斐犬という山梨県原産の犬種で、国の天然記念物にも指定されているのだそうだ。

 

 愛らしい看板犬に夢中になっていたふたりを千明とあおいが引きずって、4人は予約していたこの日のキャンプサイトにやって来た。いい場所をとってあると千明が言っていた通り、キャンプサイトからの見晴らしは良く、遠くの山々はもう夕焼けに染まっていた。

 

 本日何度目かの絶景に満足感に浸る4人だったが、もうすぐ日が暮れて暗くなってしまうので、すみやかにキャンプ地の設営に取り掛かった。テントを設営して荷物をしまい、管理人さんから飲料水のポリタンクをもらって、無料で使える薪を置き場から取ってきたところで、ようやく設営が完了する。

 

「温泉が近くて景色が良くて薪が無料で… いいとこ見つけたなぁあき?」

 

「ほんと、お前もたまには部長らしいことすんのな」

 

「ここ見つけて予約とったあたしに随分な態度だなお前ら」

 

 普段はお調子者で楽観的な千明の思わぬ有能さに感心するあおいと春彦。思い付きで行動しがちで詰めが甘いところもあるが、千明にだってちゃんと部長として部員を引っ張る気持ちもあるにはあるのだ。

 

「そうだ、せっかくだからウッドキャンドルやろうぜ?」

 

 千明がもらってきた薪に手を置いて3人に提案する。

 

「ウッドキャンドル?」

 

「なんだそれ?」

 

 首を傾げるなでしこと春彦。千明が説明するところによると、ウッドキャンドルというのは輪切りにした薪に切り込みを入れ、そこに着火剤を詰めてろうそくのように燃やす焚き火のやり方で、スウェーデントーチや木こりのろうそくとも呼ばれ、キャンパーの間で流行っているのだとか。

 

「でもこれ全部割れちゃってるよ?」

 

「割れてるやつを束にするんだよ」

 

 なでしこに指摘されて千明が取り出したのは金属製のワイヤーのようなものだった。どうやらそれで薪をまとめて、その隙間に着火剤を入れる魂胆らしい。至極単純なアイデアではあるが、火を付けてみると意外にもそれっぽく燃え上がり、周囲を明るく照らし始めた。

 

「なるほど、この隙間んとこから空気が入って燃えるわけか。いい具合に光が漏れて綺麗なもんだな」

 

 独特の燃え方をするウッドキャンドルをじっくりと観察する春彦。薪の隙間から漏れ出る炎の光はなんとも独特な雰囲気を醸し出している。それにこの方法なら薪をくべる必要もないため、周りの人間は何もせずゆっくりとしていられるのだ。

 

「これ上に鍋直乗せして料理もできるんだぜ?」

 

「それすごいなー」

 

「実用性も抜群だな」

 

 千明の説明を聞いてあおいと春彦が感心するが、よく焚き火でお湯を沸かしている野クルのポットのようにススだらけになってしまうので、今回の料理には使わないことにした。

 

「焚き火見てると、どうしてこんなに落ち着くのかなぁ」

 

「せやなぁ…」

 

「なんか火って神聖な気持ちになるよなぁ」

 

「わかるぞ春彦」

 

 ウッドキャンドルの作り出す雰囲気に癒やされる4人。千明の目論見は成功したかに思われたが、突然ウッドキャンドルの纏めていた薪がばらけ、驚いた4人は後ろに飛び退いた。

 

「ビックリしたー…」

 

「なんなんいきなり? ん? これよー見たら細いアルミ線やないの」

 

 驚くなでしこの横であおいが散らばった薪の近くに落ちていたアルミ線を見つける。どうやら火の熱で薪を束ねていたアルミ線が溶けて切れてしまったようだ。

 

「な!鍋乗せなくてよかっただろ!?」

 

「な! じゃないわ」

 

「やっぱ切れ込み入れて作んないと危ねーんだなこれって…」

 

 千明が自分の失敗を棚に上げてあおいがツッコミを入れる横で、春彦は失敗を冷静に分析していた。

 

「暗くなってきたし、気をとりなおして晩ごはん作るよー!」

 

 ウッドキャンドル作りが千明の想定の甘さにより失敗に終わったところで、なでしこは持ってきた鍋を取り出して夕食の準備をし始めた。

 

「あらかじめ切って、素揚げしておいた具材をルウを溶いたお湯に入れれば… 一味違う煮込みカレーだよ!」

 

「「やっぱりカレーやー」」

 

 「キャンプっぽいごはん」というなでしこのヒントでバレバレではあったが、今晩の夕食はキャンプの定番料理であるカレーを作るようだ。なでしこいわくちょっとした工夫があるそうだが、その秘密は食べてからのお楽しみとのことだった。

 

 具材もルウも入れてあとは煮えるのを待てばいいだけなのだが、なぜか火にかけられた鍋をじぃっと見続けている春彦に、気になった千明は声をかけた。

 

「さっきからずっと見てんな?」

 

「いや、なんかキャンプ料理っていいなって思って。 ほら、俺釣りするから、釣りキャンして釣った魚を焼いたりして食ったら最高だろうなって思ってな」

 

「おぉー! 塩焼きとか良さそうだね!」

 

「釣り人しか味わえない醍醐味やな」

 

 春彦の言葉に千明たち3人と大いに盛り上がる。

 いままで釣った魚を持ち帰って調理することはあっても、その場で調理して食べたことはなかった春彦は、なでしこが料理をするのを見て思わず自分の趣味である釣りと結びつけた。

 

「よーしじゃあ今から釣ってこい春彦!」

 

「明日までかかると思うけどいいか?」

 

 千明の冗談に乗っかった春彦だが、釣り道具もなく近くの釣り場所も分からない今、当然だがそんなことをする気はさらさらなかった。

 

 しばらく談笑していると煮込んでいたカレーが出来上がり、4人は近くのベンチに腰掛けて、夕暮れの景色を眺めながら出来上がったカレーを食べる。

 

「キレイな景色を眺めながらおいしい外ごはん…」

 

「キャンプの醍醐味やぁ…」

 

 素晴らしい景色のなか食べるキャンプ飯に感激するなでしことあおい。

 

「うまいけど、なんか不思議な味だなこれ」

 

「ふっふっふー、よくぞ気が付かれましたな。実はこれ…」

 

「あぁー待てっ! 俺隠し味当ててやるよ」

 

 千明が気がついた隠し味の秘密をなでしこが種明かししようとしたところで、春彦がそれを遮って食べているカレーの隠し味を利き当てにかかる。

 

「わかった!たぶんコレとんこつかなんか入れたろ!?」

 

「正解!隠し味はとんこつラーメンのスープだよ!」

 

なでしこは持っていたインスタントラーメンの粉末スープの袋を3人に見せる。

 

「あぁー、ラーメン屋さんのとんこつカレーってやつか」

 

「うん、余ってる粉末スープを使ってよくこれ作るんだー」

 

とんこつ煮込みカレーは各務原家では定番の味付けだそうで、普通のカレーにとんこつ味のインスタントラーメンの粉末スープを入れ、味が塩辛くなりすぎないよう小麦粉と水で薄めて作るのだという。

 

「あたしんちは肉じゃがを次の日カレーにしてるぞ」

 

「うちはおでんカレーや」

 

「えーおでん?」

 

 なかなかに個性的な犬山家のカレーに千明はちょっと共感できない様子。

 

「和風ダシが効いてうまいんやてー、牛すじ入っとるしー」

 

「へぇー今度やってみるよー」

 

 あおいの話を聞いて食いしん坊ななでしこの方は興味が湧いたもよう。そしてなでしこ、千明、あおいとくれば、次は自然と春彦に話が向くわけで。

 

「ハル君んちはどんなカレー作るの?」

 

「春彦はカレー好きだし、結構面白いの知ってんじゃないか?」

 

「んー、うちはそんな変わった味付けとかはしないけど… あ、そういや一昨年すっぽんカレー作ったな」

 

「「「すっぽんカレー!?」」」

 

 あおいのおでんカレーなど目ではない予想の斜め上をいく春彦のカレーに、3人とも思わず驚きの声を上げる。

 

「どこで買ったん? スーパーとかじゃ売っとらんよね?」

 

「近所の川で捕まえた」

 

「捕まえたって、網とかで捕ったの…?」

 

「ううん、素手でこう… ガシって」

 

「お前相変わらず野生すぎるだろ…」

 

 平然と言ってのける春彦に3人とも驚きを隠せず唖然とした表情になる。まあ野生のすっぽんを素手で捕まえる男子高校生なんて、驚くなという方が無理があるだろう。

 

「捕ったてことは、誰かに捌いてもらったん?」

 

「うんにゃ、俺が捌いたけど?」

 

「春彦、お前料亭で修行でもしてんのか…?」

 

「その前にも2回くらい捕まえて捌いたことあるしな。そんときは鍋にしたから今度はカレーに入れてみようかなって」

 

 2年前の夏、夏バテ気味でスタミナ料理が食べたいと言った父のために春彦は川にウナギを釣りに行った。しかし朝までやってもウナギは釣れず、結局春彦は近くの浅瀬で見つけたすっぽんを捕まえて、常識外れのスタミナすっぽんカレーを作ったのだった。

 

「一応訊くけど… 味はどうだったんだ?」

 

「まあいうても高級食材だしな。ダシの甘みとスパイスの組み合わせが良くてとってもおいしかったぞ?」

 

「へー、すっぽんのダシって甘いんだー。ちょっと食べてみたいかも」

 

「はるにしか作れんカレーやな」

 

 あまりにも常識外れではあるが、言われてみるとすっぽんはれっきとした高級食材。発想はどうあれ、味の方はそれを食べた春彦の両親が太鼓判を押していたことをお伝えしておこう。残念なことに「今度捕まえたら食べてみるか?」という春彦の提案は、なでしこを除きあとの2人にははっきりとお断りされてしまったが。

 

 カレーの話から思わぬかたちで春彦の野性味が飛び出しはしたが、ひと工夫加えたなでしこのとんこつカレーは3人にも好評で、野クル初キャンプの夕食作りは大成功に終わった。

 

 夕飯を食べた後は、4人で焚き火を囲みながら持ってきたマシュマロや焼き鳥を焼いて、キャンプらしく楽しく談笑して親睦を深め合った。そうして焚き火を囲んで散々お喋りをして笑った4人だったが、キャンプ場まで歩いた疲れもあってか、流石に語り明かそうということにはならずに、男女に別れてそれぞれのテントで寝袋に包まった。

 

 全員がテントに入ってからしばらく経って、寝袋に包まってうすぼんやり眠くなってきた春彦だったが、自分のテントの入り口のファスナーが開く音に気がついて体を起こした。

 

「ハル君、まだ起きてる?」

 

「なでしこか? どした、眠れないのか?」

 

「ううん、昼間の展望台に行きたいんだけど、ちょっと怖くて…」

 

「一人じゃ行けないのか?」

 

「ハル君がおどかすから怖いんだよぉ…」

 

「はぁ… わかったわかった…」

 

 おどかした自分のせいとあっては付いて行かざるを得ない。罪悪感を感じた春彦は眠い目を擦り上着を着てテントから這い出ると、ランタンを持って怯えるなでしこの隣を歩き始めた。

 

「ひぃぃ怖いよぉ…」

 

「ほんと駄目なんだな、怖いの」

 

「ハル君は怖くないの…?」

 

「まあ、夜の山なんて初めてじゃないしな」

 

 真っ暗な夜の山道に怯え震えるなでしことは対象的に、春彦は至極落ち着いた様子で足取りもしっかりとしている。

 

 夜の山の中、動物の声が遠くから聞こえてくる中でキャンプをしたり、明かりひとつない夜の川で夜釣りをしたことがある春彦にとっては、この程度の暗闇はまるで問題ではなかった。流石は男子高校生(野生)といったところか。

 

「ひっつくのもどうにかなんない? 歩きづらいんだけど…」

 

「むりむりぃっ!?」

 

「そうか… まあいい」

 

 上着の袖を掴んでぴったりと体を寄せるなでしこを春彦は引き剥がそうとするが、彼女のあまりの怖がりように諦めてため息をついた。

 

 しばらく歩くと暗い山道を抜けて街灯のある明るい道に出た。春彦にくっついていたなでしこもここでようやく離れた。

 

「怖かったぁ…」

 

「これ帰りも同じことになんだよな…」

 

 歩きづらいわ年頃の女の子に密着されてドキドキするわで、なでしことは別の意味で気苦労した春彦は、このあとのことを考えてため息をついた。

 

「てかなんで展望台行きたいんだ?」

 

「さっきリンちゃんと話してて、あそこの夜景を写真で見せてあげようと思って」

 

「そうか、待ってるなら急ごう」

 

 なでしこの話を聞いて、すぐに春彦は事情を察して小走りになる。友達のために綺麗な夜景を見せてあげたいという一心で、苦手な暗い山道を進んだなでしこの純粋な気持ちを春彦は汲み取ったのだ。

 

 一方でなでしこに起きているように言われたリンは、眠い目を擦りながらなでしこからの返信を待っていたのだが、20分ほど経ってからようやくなでしこからの返信が返ってきた。

 

「やっときた… なんなんだ一体…」

 

 返信を見たリンは思わず息をのんだ。

 

 送られてきた写真に写っていたのは、笛吹公園の展望台から見た甲府盆地の夜景だった。恋人たちの聖地と呼ばれ、新日本三大夜景のひとつでもあるその美しい夜景に、待ちくたびれていたリンの心は少なからず揺り動かされた。

 

『ちょっと待ってて』

 

 考えるまでもなく、リンの体は自然と動いていた。なでしこに返信を送ると上着を着てテントから出て、スクーターに乗ってある場所を目指して走る。そして…

 

「リンちゃんから返信来た! お返しって…」

 

 しばらくしてやってきたリンからの返信。送られてきたその写真には高ボッチ高原からの夜景が写っていた。山々に囲まれた街の光がぐるりと諏訪湖の周りを囲んでいる。

 

 同じ空のもと撮られた写真を見て、なでしこも、そしてリンも、この満点の星空を今向こうも見ているのだなと、ロマンチックな思いを抱いた。

 

「きれいだね…」

 

「キレイだね…」

 

 聞こえるはずもない声を、同じ夜空の下にいる相手に呟く。離れていても、ふたりの世界が繋がっていることは確かだった。そしてふたりの他にもうひとり。

 

『暗い道よく平気だったね?』

 

『怖かったけどハル君が付いてきてくれたんだよ』

 

「ハル君…ってあの」

 

 なでしこからの返信にリンは前に図書室で会った春彦のことを思い出す。

 

(そうなんだ。結構優しいんだな…)

 

 友達のためにこんな夜遅くになでしこに付き添ってあげる優しさ。リンの春彦に対する印象は少しだけではあるがプラスの方向に動いていた。

 

 そしてそんなリンのイメージを反映するかのように、またしても春彦はなでしこにくっつかれながら、キャンプ場に戻るために暗い夜道を歩いていた。

 

 

「ねぇハル君、一人がさみしいからハル君のテントで寝てもいい?」

 

「それは絶対ダメだ」

 

 ふたつのキャンプとふたつの景色。この冬出会いを果たした3人が奇妙なかたちで、またひとつ距離を縮めた冬の夜だった。

 

 

 

 




深夜テンションでおかしな前書き書いてすいませんでした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 絶品!暗黒物質!?

 

 イーストウッドでのキャンプから一週間後、引っ越しの片付けもだいぶ落ち着いてきた春彦の部屋に、彼が山梨に越してから初めての来客がやってきた。

 

「おぉーここが春彦の新しい部屋か。相変わらず釣り道具だらけだなー」

 

「あんま触んなよ、ってもう触ってるし…」

 

 春彦が注意したときにはすでに千明は春彦の部屋にある釣り具を物色していた。

 

「このパソコンのマウスみたいなのはなんだ?」

 

「それはワカサギ釣り用の電動リール」

 

 千明が手に取ったリモコンのような小型の機械を見て春彦が答える。

 

「電動って、手で巻かないのか?」

 

「電動のが手返しがいいからな」

 

 ワカサギ釣りは次から次へと魚を釣り上げていく手返しの釣りだ。だから仕掛けを落とす速さと仕掛けを巻き上げる速さが非常に重要になる。しかし従来のワカサギ用手巻きリールでは、そのどちらの動作も遅くなってしまうという欠点がある。

 

 近年ワカサギ釣りにおいて主流となっている電動リールにはそれらの欠点はなく、本格的にワカサギ釣りをするアングラーたちの大半が電動リールを使用しているのである。

 

「電動なら片手で操作できるから、もうひとつ竿を出して二刀流にしてより数を伸ばしていくこともできるぞ」

 

「へぇー、釣り道具も色々進化してんだな。キャンプと同じだな」

 

 春彦の薀蓄に適当に相槌を打つ千明。すぐに彼女の興味は釣り道具よりも釣った魚の方に移っていく。

 

「釣ったワカサギは食べるんだよな?」

 

「ああ、天ぷらに唐揚げ、南蛮漬けにフライ。どれもうまいぞ」

 

「いいねぇー。なぁ、今度あたしも連れてってくれよ?」

 

「連れてくのはいいけど、エサがなぁ…」

 

 ワカサギ釣りに使われるエサはいわゆる虫エサで、サシと呼ばれるハエの幼虫、いわゆる蛆虫であったり、赤虫と呼ばれる蚊の幼虫などをエサとして使用する。虫エサに抵抗がない人はいいとして、釣り経験のない女性には中々に厳しい戦いになるであろうことは容易に想像できる。

 

「一応人工エサとかもあるけど、食いがイマイチだったりするんだよな」

 

「そのへんは生き物相手だからしょうがないよな。ま、春彦が釣ってきてくれればそれでいっか」

 

「その度たかりにくんのはやめろよな」

 

 かくいう今日も春彦が午前中に釣りに行っていたと聞いたから千明はやって来たのだ。そして千明がたかりに来るくらいなのだから、当然今回春彦が釣ったものも美味しく頂けるものである。

 

「春彦の魚料理はうまいからさ、つい来ちゃうんだよなー」

 

「褒めたってたかってることにゃ変わりはないだろ?」

 

「今日は久しぶりってことでな? 作ってくれよなぁー?」

 

「初めから作ってやるつもりじゃあるけど、今後何度となく来ると思うとめんどくせーなってな」

 

 可愛げのないことを言う春彦ではあるが、それでもやって来たらなんだかんだで作ってあげてしまうわけで。自分が作ったものを美味しいと食べてもらうのはまんざらでもないのだ。

 

「あぁ、そういえば今日なでしこも来るってさ」

 

「は? なんだその新情報? あいつ四尾連湖にキャンプ行ってんじゃねえのか?」

 

「春彦が絶品魚料理を作るって言ったら、夜には帰ってこれるから行きたいって」

 

「しゃーねーなぁ… とりあえず来てもいいって連絡しとくか…」

 

「ああ、もう言っといたから大丈夫だぞ?」

 

「あのよぉ、まず俺に話を通せ?」

 

 春彦の許可など取らずにすでに千明はなでしこのことを招待しており、春彦の家の場所や来る時間などもしっかりと連絡済みだった。中々に非常識ではあるが、春彦と気の置けない仲である千明だからこそ許される横暴だ。

 

「まあいい、ひとりもふたりも変わんねーし」

 

「春彦ってなんだかんだ優しいよなー、あたしは好きだぞーそういうとこ」

 

「俺はお前のそういうとこ、あんま好きでないよ」

 

 面と向かって好きじゃないと言えるのも本気ではないとわかっているからで、ある意味仲の良い証拠である。悪態を交えながらふたりが談笑していると春彦の家のインターホンが鳴った。

 

「こんにちはー」

 

「ようなでしこ。まあ上がってけ」

 

「おじゃましまーす」

 

「キャンプはどうだった? 楽しかったか?」

 

「うん! 焼き肉キャンプ、すっごい楽しかったよ!」

 

「そりゃよかったな。キャンプしながらうまいもんたらふく食えて」

 

「昨日はリンちゃんと焼き肉… 今日はハル君ちで魚料理… 幸せだなぁ~」

 

「飯のあるところなでしこありだな」

 

 すでに顔がほころびまくっているなでしこを家に上げて、とりあえず自分の部屋に通した春彦。部屋では千明がすっかりくつろぎモードになって、ベッドに寝転んでキャンプ雑誌を読んでいた。

 

「さて、来て早々悪いけど、これから作り始めるから千明は手伝え」

 

「えぇーっ」

 

「なでしこは部屋で適当に待っててくれ」

 

「ううん、はる君に作らせて私は何もしないなんて悪いし、なにか手伝うよ!」

 

「聞いたか千明? これが感謝の気持ちってやつだ」

 

「あたしだってちゃんと感謝はしてるぞー」

 

 それならちょっとは行動で示せと、春彦はなでしこと千明を伴って台所にやってきた。そして台所の床に置いてあるクーラーボックスを開けて、その中身を新聞紙を敷いた流しに取り出す。

 

「おぉー今回も大漁だな!」

 

「すっごーい! これ全部イカだよね?」

 

「そうだ、全部で19杯あるな」

 

 流しいっぱいに出てきたのは『コウイカ』というイカだ。刺し身などでポピュラーなアオリイカやヤリイカとはまた別の種類であり、別名スミイカとも呼ばれるこのイカは、その名の通り墨が非常に多いのが特徴だ。

 

「イカとはまた面白いもん釣ってきたなー。刺し身とかがうまそうだぁ」

 

「お刺身、フライ、煮物にイカ焼き… どれもおいしいよねぇ」

 

 魚介類としては比較的ポピュラーなイカに、これから出来上がるであろう料理を想像してよだれを垂らす千明となでしこ。しかしそんなふたりの予想とは裏腹に、これから春彦が作ろうとしている料理は意外なものだった。

 

「まあ、刺し身とかでもいいけど、せっかくのスミイカだし今日はそれらとはちょっと違うの作るかな」

 

「違うのって、他にイカ料理ってなにがあるっけか?」

 

「スパゲッティがあるだろ? イカスミの」

 

「え? イカスミパスタ作んのか?」

 

 意外な料理に少しだけ怪訝そうな顔をする千明。

 刺し身や天ぷらなどのレシピも勿論あるが、別名スミイカとも呼ばれるコウイカは、イカスミを使ったソースで作るパスタが非常に有名である。たしかにイカ料理の中ではちょっと変わり種ではあるが、イタリアのヴェネツィア発祥でもあり、味の方はちゃんと美味である。

 

「イカスミパスタって自家製でできるの?」

 

「作るの自体はそんな難しくないぞ」

 

「味の方は大丈夫なんだろうな?」

 

「おうよ。こないだ作ってすげーうまかったから、是非ともお前たちにおみまいしてやろうと思ってな」

 

「おみまいって言葉が怖いな…」

 

 不安そうな千明を尻目に、春彦は早速調理に取り掛かる。まずはイカのしたごしらえだ。

 

「まずは甲らを、よっと… こうやって取り出す」

 

「わっ!? なんか白い殻みたいなのが出てきたよ!」

 

 春彦がイカの頭を下にして、足を掴んで流しの底に押し当てると、胴の隙間からツルリと白い甲が飛び出てきた。ちなみにコウイカの名前の由来であるこの甲は、インコのカルシウム補充のための餌として売られていたりする。

 

「んで次は胴に手を入れて、足を内蔵ごと引き抜いてっと… あ、これが墨袋な?」

 

 春彦は包丁などを使わず手際よく下処理したイカから、水銀のような色をした袋を取って千明となでしこに見せた。

 

「へぇーここにスミが入ってんだなー。ってなでしこ?」

 

 両手で目を覆って指の隙間から見ているなでしこに千明が気がつく。

 

「私、内蔵とか見るの苦手なんだぁ…」

 

「あぁ…」

 

 なでしこの主張に千明は納得したように頷く。体力面は非常にタフななでしこだが、怖いものや血が苦手と、女の子らしい一面もちゃんとあるのだ。

 

 そんななでしこをよそに、春彦は19杯もあるイカを慣れた手付きで次々と処理していき、あっという間にすべてのイカを捌ききった。

 

「よし。捌いたらイカの身を適当に細く切って… 次はいよいよソースとパスタだな」

 

「ひと切れもーらいっ! んーっうまっ!」

 

「あーっ、あきちゃんずるいよー!」

 

「ちなみに一晩寝かすともっと味が出るぞ?」

 

 つまみ食いする千明たちに豆知識を披露しながら、春彦はソースを作るフライパンを取り出して、パスタを茹でる鍋にお湯を沸かす。

 

「ソースの味が濃いから塩は少なめにして、パスタを入れて… 千明、そこにあるタイマー7分にして、なでしこは盛り付ける皿出して」

 

 沸騰する鍋にパスタを投入し、その横でフライパンに熱を入れる。フライパンに市販のガーリックと赤唐辛子のオイルソースを適量、そしてイカの肝と墨袋を適量入れて、肝と墨袋をおたまでつぶしながら、焦げ付かないよう弱火で混ぜていく。

 

「パスタ茹で上がったぞー」

 

「よし、じゃあザルで水を切って… フライパンに入れて火を止めて絡める」

 

「頑張ってハル君! パスタは手早さが命だよ!」

 

 茹で上がったパスタと一緒に茹でていたイカの切り身をフライパンに入れて手早くソースと絡めていくと、薄黄色がかったパスタがどんどんと真っ黒に染まっていく。

 

「なんか、ものすごいダークマターが出来上がってくな…」

 

「ほんとにすっごい真っ黒だよー」

 

「見た目はアレだけど味はうまいからな?」

 

 真っ黒になったパスタに細かく切った青しそをふりかけ、用意しておいた皿に盛り付けていき、見た目ではちょっと食欲をそそらない春彦特製のイカスミスパゲッティが完成した。

 

「お前ら食わんの?」

 

「いや、ちょっと見た目がな…」

 

「私、イカスミパスタ初めて食べるよぉ」

 

 手を付けようとしないふたりの前で春彦が完成したパスタを口に運ぶ。

 

「んん! やっぱうまいわこれ」

 

「ほんとかよ春彦? お前のうまいは信用できないんだよな…」

 

「言っとくけど俺だって味覚は普通だからな?」

 

 千明の中では野生児なイメージが強く、実際虫系の料理でも平気で食べてしまう春彦だが、味の良し悪しはきちんと分かっている。それでも千明は二の足を踏むが、なでしこは春彦の言葉を聞くと思い切ってその真っ黒なパスタをおそるおそる口に運んだ。

 

「んんっ!? うまっ!? これおいしいよあきちゃんっ!」

 

「マジか? どれどれ… んっ!うんまーっ!」

 

 イカスミパスタの美味しさに驚く2人に「ほらな」と言わんばかりに春彦がドヤ顔をする。

 

「これ前レストランで食べたのよりうまいぞ!」

 

「肝が新鮮だからな、素材のおかげだよ」

 

「ソースが濃厚でおいひ~」

 

 新鮮な肝とスミを使ったソースは濃厚でパスタによく絡み、独特のイカの香りがするものの生臭さなどは一切なく、千明が以前食べたような養殖ものよりも確実に美味なことは間違いなかった。

 

 さっきまで二の足を踏んでいたのが嘘のようにイカスミパスタを頬張る千明となでしこ。なでしこの食い気を考えて多少多めに作ってあったのだが、春彦特製のイカスミスパゲティはみるみるうちに食べ尽くされ、あっという間に売り切れになってしまった。

 

「はぁ~おいしかったぁ~」

 

「あははっ、なでしこお前口の中真っ黒だぞ?」

 

「お前もな千明。ま、おいしかったようでなによりだ」

 

「やっぱ春彦の作る魚料理は間違いないな!」

 

「さっきのお前のセリフ忘れちゃいないぞ?」

 

 イカスミで口の周りを黒くして満足感に浸る3人。パスタの見た目は暗黒だったが、心の中は春を思わせるような明るい色に染まっていた。

 

「あ、リンちゃんから返信来てる」

 

 食事前に出来上がったパスタの写真をリンに送っていたなでしこがスマホで返信を確認する。

 

『暗黒物質?』

 

 中々に失礼な返信をしてきたリン。やはり見た目だけではイカスミパスタのおいしさは伝わらなかったようだが、見た目的にこればかりは仕方がないことだろう。

 

「まあ、この色はなぁ… 海苔とかと違って食欲を無くす色だしな」

 

「春彦には悪いけど、墨汁そのまんまだよな」

 

「あはは…」

 

 残念ながらリンにはその味を伝えることができなかったものの、実際に食べた千明となでしこには大好評だったイカスミパスタ。そしてこの料理があまりに気に入ったのか、これ以降春彦が釣った魚を料理する際には千明だけでなく、味を占めたなでしこまでもがやって来るようになってしまったのだった。

 

 




胃袋を掴むって重要なことなんですよね?(すっとぼけ)

あと関係ないけど、キャラの中では千明と恵那ちゃんが好きです。
もちろん他の子も好きだけど。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 テスト前の再会

 

 

 小沢春彦は普段はマメに勉強することはないが、テスト期間はしっかりと勉強をするという、やるべきときはやる切り替えタイプだ。だからこそ明後日からテスト期間開始を明後日に控えたこの時期、春彦としては授業が終われば帰宅して勉強したいわけなのだが。

 

 ちょっと訳あって、この日の放課後は学校の理科室に向かっていた。春彦の足取りからはどことなく行きたくなさそうな雰囲気が漂っている。

 

「おーす来たぞ… ってなにやってんだ?」

 

 春彦が理科室に来てみると、木皿をやすりがけする千明とあおいに、そして見慣れない黒髪でショートヘアの女子生徒がカセットコンロで調理じみたことをしていた。

 

「おー春彦、今新しく買ったスキレットのシーズニングやってたんだ」

 

「シーズニング?」

 

 聞き慣れない単語に春彦が訊き返すと、千明たちはシーズニングという鉄フライパンを使う前の慣らし作業をしているところだという。

 

「一応テスト期間なのにそんなことしてていいのか?」

 

「平気だってー」

 

 問題なしといったようすで余裕を見せる千明だが、その言葉に根拠などというものはなにひとつない。千明と長年の付き合いである春彦も、彼女がロクに勉強していないことをすぐに察したが、言っても無駄そうだと小さくため息をついた。

 

「追試になっても知らねーぞ」

 

「マジメだなー春彦は」

 

 千明の計画性のなさはいつものことかと早々に彼女を見捨てた春彦。そして春彦の関心は千明から、おそらく初対面なスキレットのシーズニングをしているショートヘアの女子に向いた。

 

「えっと、初めましてだよね?」

 

「うん、初めましてだね。斉藤恵那です。えーと、リンの友達って言えばわかるかな?」

 

「ん? あぁ、なるほど。志摩さんの… あ、俺の名前は」

 

「小沢春彦君、だよね?」

 

「え、知ってたの?」

 

 女子の情報網とはあなどれないもので、春彦の方はほぼ初対面でも、恵那からすればリンやなでしこ経由で春彦の基本的なプロフィールはすでに知っており、噂の人物とついに対面したといった感じだった。

 

「なでしこちゃんから色々聞いててね。野クル唯一の男子部員だって」

 

「なるほどね、色々知ってるわけだ」

 

「大垣さんの幼馴染で、釣りが趣味で魚料理が上手で」

 

「おぉ、そんなことまで聞いてんだ?」

 

「それから野生児だって」

 

「そこは知ってほしくなかったな…」

 

 必ずしも悪いイメージがつくとは言い切れない情報ではあるが、解釈のしかたによっては色々と勘違いされかねないキーワードだ。まあ良い印象の方が多そうだとポジティブに捉え、春彦も大して落ち込みはしなかったが。

 

「てかなんか用だったのか? マジメな俺は帰って勉強したいんですけど」

 

「あぁ、スキレットとこの木皿見せたかっただけだぞ?」

 

 綺麗に仕上がったスキレットと木皿を自慢げに見せつける千明。それを見た春彦は大きなため息をついた。

 

「…あっそ、じゃ俺帰るわ」

 

「おおう待ていっ!? いま重要な新情報が入ったぞ春彦隊員!」

 

 千明は着信の入ったスマホを掲げ、帰ろうとした春彦を慌てて呼び止めた。送られてきたのはなでしこからのメッセージで、『テスト終わったらみんなでクリスマスキャンプやりませんか!!』という提案だった。ご丁寧に赤いニット帽を被り、白いマフラーをヒゲに見立てたサンタ風の自撮りまで添えている。

 

「クリスマスキャンプやて」

 

「野クルらしくていいじゃんか」

 

「ナイス提案だな」

 

 なでしこからの提案に春彦と千明は乗り気。しかし野クルメンバーでひとり、あおいだけは浮かない表情だった。

 

「私はクリスマス彼氏と過ごすからムリやなー」

 

「彼氏いたのかきさまーっ!!」

 

 寝耳に水の千明が驚愕に目を見開く。しかしあおいのカミングアウトはこれだけでは終わらなかった。

 

「実はハルと付き合っとるんよ私~」

 

「お前らデキてたのかーっ!!」

 

 隣りにいた春彦の腕に自分の腕を絡めるあおいに、もはや怒声と言ってもいい大声で詰め寄る千明。

 いつの間にかあおいに彼氏がいたというだけでも驚愕だったが、その相手が自分と最も近しい異性である春彦となると、もう千明はパニック状態だった。

 

「うそやでー」

 

「嘘に決まってんだろ」

 

 驚きでひっくり返りそうな千明にさらっとネタばらしをするあおい。冷静になって考えれば再会して半月ほどでそのような関係まで発展するなど、ふたりの性格を鑑みればほぼありえないこと。だがあまりにも衝撃的な発言に、千明は冷静に思考することができなかったのだ。

 

 あおいのホラ吹きになし崩しで付き合わされた春彦が、ちょっぴり不機嫌そうにジト目であおいを睨んでいる脇で、部外者ながらある程度3人の関係を知っていた恵那もあおいのホラにそこそこ驚いていた。

 

「なあんだ嘘かぁーびっくりした、私てっきり小沢君は大垣さんと付き合ってると思ってたから」

 

「「は?」」

 

 一難去ってまた一難。さらっと恵那から投げ込まれた爆弾に、春彦と千明のふたりは同時に恵那のことを見やる。そして予想外の方向からあらぬ誤解を受けていることを知ったふたりは、当然その誤解を解こうと必死になった。

 

「いや、なにさその事実無根な話。今も昔も俺はこいつと付き合ってたことなんてないからね?」

 

「そうだぞ? そしてこれからもあたしらは付き合うことはないっ! たぶんな!」

 

 身を乗り出してあらぬ疑いを突っぱねるふたりに、恵那は目をぱちくりとさせて身をすくめる。

 

「仲悪いの?」

 

「仲はいいです!」

 

「でもそういんじゃないから!」

 

 必死の形相と語気はそのままに、がっしりと肩を組む春彦と千明を見てくすっと恵那は笑った。なるほど、こういう仲なんだと。「ごめんごめん」と誤解が解けた風に謝る恵那だったが、なんだか新たな誤解が生まれていそうな気がするのは気のせいだろうか。

 

 ともあれ野クルの三角関係疑惑は一応の収拾を見せ、話はもとのクリスマスキャンプの話題に戻っていった。

 

「そうだ! 斉藤さんもクリスマスキャンプどう?」

 

「えっ、私?」

 

 楽しそうに3人のクリスマスキャンプの話を聞いていた恵那にあおいが提案する。

 

「デイキャンプにすれば寝袋いらんし、一緒にやらん?」

 

「うーん、寒いの苦手だけど… ちょっと楽しそうだなぁ…」

 

 部外者である自分への思いがけない誘いに恵那は少し考える。リンやなでしこといった知り合いから、ことあるごとにキャンプの魅力を聞いていた恵那にとって、あおいからの誘いは少なからず魅力的なものだった。

 

 いままでは話を聞くばかりだったけれど、ここらで思い切って足を踏み出してみるのもいいかもしれない。恵那の心はクリスマスキャンプへと傾き始めていた。

 

「決めるの、テスト終わってからでもいい?」

 

「うん、ええよー」

 

 恵那の気持ちは7割方決まってはいたが、まだ最後の決断は下せそうになく、とりあえず答えを先延ばしにする。

 そして「リンも来てくれたらなぁ…」と誘っても来てくれなさそうなソロキャン少女のことを思い浮かべ、椅子から腰を上げた。

 

「そろそろ私帰るね? じゃあね、犬山さん大垣さん」

 

「うん、またなー」

 

「じゃーなー」

 

 立ち上がった恵那はあおいと千明に挨拶して手を振り、間を開けて春彦の方を向いた。

 

「じゃあ小沢君、頑張ってね?」

 

「なにを?」

 

「ふふっ」

 

 春彦が訊き返すが、返ってきたのは微笑みだけ。恵那はそのまま理科室から去っていってしまった。意味深な発言を残していった恵那。自分に向けられた言葉にまるで心当たりのない春彦は、結局その言葉について深くは考えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 志摩リンはバイトで本屋の店番をしていた。一応学校は明後日からテスト期間はあったが、そこはテストに向けて前もって勉強していたリン。このままテスト期間中もバイトをしても、全教科満点とはいかなくともそこそこには良い結果が出せるだろうと問題にはしていなかった。

 

 リンが働く武田書店は身延町にある書店だ。田舎の小さな書店だけあって、時間帯によってはほとんどお客が来ない時もあり、かくいう今もそんな時間帯だった。店内の掃除などの雑務もあらかた済んでおり、これといってやることもないなか流石に暇だと感じて、リンは暇つぶし用に置いていた小説を読もうとした。

 

 そんなときだった。

 まるでタイミングを見計らったかのように入り口のドアが開き、店内にお客さんが入ってきた。すみやかに読もうとしていた小説を置いて入ってきた客の方を見やる。入ってきたその客は自分の通っている本栖高校の制服を着た男子生徒で、よく見ると見覚えのある顔であることにリンはふと気がつく。

 

 しばししてその男子生徒が本を持ってカウンターにやってくる。「お願いします」の言葉とともに、カウンターに来月号の釣り雑誌が置かれた。

  

「あれ? もしかして志摩さん?」

 

「どうも…」

 

 入ってきたのに気がついていて良かったとリンは内心ほっとした。やってきたのはあの野クルメンバーのひとりで、唯一の男子にして自分の中ではまだ謎多き人物である小沢春彦だった。この間の気まずい初対面もあって、気付かずにいきなり対面したら、また良くない表情をしてしまうところだった。

 

「奇遇だね? ここでバイトしてんだ?」

 

「まあ、一応…」

 

 雑誌の会計をしながら返事を返すリンの言葉はまだかなりぎこちない。なでしこ経由である程度は相手のことを聞いてはいても、流石にお互いのことを知らなさすぎる。しかしここでこの前のように気まずいまま別れてしまっては、また会うたびにこんな空気を味わうことになる。それもそれで面倒だと思ったリンは、とりあえず何か話そうと話題を探した。

 

「釣り、好きなんだっけ?」

 

「うん、まあね。実はキャンプよりもそっちがメインの趣味なんだ」

 

 リンから振られた話題を春彦が上手く広げてくれた。とりあえず嫌な間は埋まったと安心してリン話を続ける。

 

「じゃあ、なんでまたキャンプ始めたの?」

 

「釣りから派生したって感じかな。実は本格的に始めたのは野クル入ってからなんだよね」

 

「大垣に誘われて?」

 

「そんなとこかな」

 

 春彦は話し始めた。釣りがきっかけでキャンプに興味を持ち千明と仲良くなったこと。転校するときに交わした千明との約束、そしてついこの前山梨に帰ってきたことを。

 

「正直帰ってこれるなんて思わなかったし、約束ももっと後になると思ってたけどね」

 

「それでも約束は覚えてたんだ?」

 

「まあね」

 

「へぇ、なんかロマンチックな感じだね?」

 

「え、そうかな?」

 

 思ったままのリンの感想を聞いた春彦が怪訝そうに首をかしげる。

 

「いや、勘違いしてるかもだけど、千明とは別にそういう仲じゃないよ?」

 

「そうなんだ… 大垣泣いてたっていうからてっきり…」

 

 再会したときに泣いてしまうなんて、よっぽどの仲でない限りないことだ。部外者であるリンはそんな想像から勘違いをしてしまったわけだが、このへんはリンでなくともそう思ってしまうことだろうし仕方ないだろう。

 

「あはは、斉藤さんにも間違えられたよ。友達だよね?」

 

「うん、まあ…」

 

 自分だけじゃなく恵那も同じ勘違いをしていたと知ったリン。自分の考えがそうおかしいものじゃなかったのかもしれないと考えると同時に、他人からそこまで恋人同士だと思われるなら、もういっそ付き合ってしまってはいいのではないかと余計なことも考えた。

 

 そんなことをリンから思われているとは知る由もない春彦。とりあえず前ほどは警戒されてないなと一安心していた。

 

「キャンプ好きなんだっけ? ウチの野クルには入らないの?」

 

「なでしこからも誘われたけど、ひとりでキャンプするのが好きだから…」

 

「あーそっか、ソロキャン好きなんだよね? なんかしつこく勧誘したみたいになって悪いね」

 

「いや、全然っ」

 

 謝る春彦に首を振るリン。また気を遣わせてしまったと、すぐに別の話題に移ろうとする。

 

「そういえばこの前、イカスミパスタ作ったんだよね? なでしこから写真来たよ」

 

「あぁ、アレ適当に作ったやつだし、なんか恥ずかしいな」

 

「自分で釣るだけじゃなくて捌いて料理するなんてすごいと思うけど?」

 

「昔からやってて慣れてるだけだよ」

 

 はにかみながらリンに答えた春彦の言葉に嘘はない。

 小沢家では春彦の父や母は魚を捌かないため、釣った魚は必然的に春彦が捌いて料理することになる。小学1年生から釣りを始め、その頃からずっと釣った魚を自分で調理してきた春彦にとっては、魚を捌くことなんて今更なんでもないことだった。

 

「すごいなんていうなら志摩さんだってすごいじゃん? キャンプ道具積んだ原付でこの寒い中100キロ以上走って長野でキャンプしたりさ」

 

「まあ、大変ではあったけど…」

 

 春彦の言う通り、寒いし疲れたし苦労はした。

 

 でも、それでも…

 

 道中休憩がてらに入った店で食べたボルシチ、静かなキャンプ場で作って食べたスープパスタ、そして高ボッチ高原からのあの景色。どれもリンの記憶に深く刻まれていて、それらは苦労して走らなければ体験できなかったことだ。

 

「それでもやっぱりまた行くと思う」

 

キャンプの思い出を回想しながらリンはしみじみと言う。春彦はキャンプの魅力にとりつかれているリンのことが、釣りという趣味に魅了された自分とどこか重なって見えた。

 

キャンプと魚釣り。趣味は違えど、リンも春彦も昔からアウトドアにどっぷりとハマっている者同士。そんなふたりには不思議とどこか通ずるものがあるらしい。

 

「楽しいしね、キャンプって」

 

 それはお世辞ではなく春彦の本心だった。野クルに入部したことをきっかけに、本格的なキャンプの魅力に触れたからこそ出てきた言葉だった。

 

「野クルは冬休みもキャンプするの?」

 

「その予定かな。なでしこの提案でクリスマスキャンプやることになったよ」

 

「そうなんだ。なんかなでしこらしいな」

 

「あいつのことだし、たぶん志摩さん誘われると思うよ?」

 

 春彦の言葉に、リンは麓キャンプ場でなでしこと交わした会話を思い出した。

 

 『気が向いたらみんなでキャンプしようよ』

 

 『わかったよ…』

 

 あのときはまだ誰かとキャンプしようだなんてリンも本気で考えてはいなかった。でも麓キャンプと四尾連湖キャンプ。なでしことふたり、自分以外の誰かと初めてキャンプをして、誰かとキャンプするのもそんなに悪いものじゃないかもと思い始めていた。

 

 でもなぁ…

 

 やっぱりまだ大人数でというのはリンには抵抗があった。それに野クルには自分の苦手な大垣千明がいて、それもちょっと引っかかる部分ではある。

 

「なでしこだけならまだいいんだけど…」

 

「あー、もしかして千明のこと苦手な感じ?」

 

「うん、ちょっと…」

 

 リンの表情を見た春彦は苦笑いをする。物静かなリンと賑やかでふざけるのが好きな千明。ふたりの相性が良さそうでないことは、春彦にはなんとなくわかっていた。

 

「うっとおしいとこもあるけど、あいつも別に悪いやつじゃないよ? まあ、俺が言っても信用できるかは分かんないけどさ」

 

「いや、そんなこと…」

 

 はじめこそ千明と相当仲の良い人物というだけで、春彦に対しなんとなく近寄りがたいという偏見もありはしたが、いざこうして話してみると、リンにとっては自分が苦手とする大垣千明と比べれば、春彦はそれなりに話しやすい相手に思えた。

 

「まあ、もし誘われたら考えてあげてよ」

 

「うん、わかったよ」

 

「んじゃ、そろそろ失礼しようかな。なんか長々とごめんね?」

 

「いいよ別に、お客さんいなくて暇だったし」

 

「そっか。じゃあまたね」

 

 軽くリンに手を振ると、春彦は雑誌の入った袋を抱えて店を出ていった。

 

 春彦が去って再び静けさが戻った店内でリンは小さくため息をつく。予期せぬ偶然の対面に驚きはしたが、リンから見た春彦はそこまで悪い印象ではなかった。

 

 野クルに入らないのかとか、クリスマスキャンプのことだとか、それなりに気を向けさせるようなことも言いはしていたが、どこか一歩引いた話し方をしていて、リンとってはわりと接しやすく感じた。

 

 あれが野クルの黒一点か、なんか肩身狭そうだな…

 

 あの性格で野クルの面子の中じゃ苦労するだろうなとリンは同情する。僅かながら親近感というか、なんとなく自分と似たところがあるやつだと、リンは春彦に対し思っていた。

 

 次いつ話すかは分からないけどな。

 

 春彦との接点のなさにそう考えたリンだったが、そう遠くない内にその機会が来るとは、まだこの時は考えもしていなかった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 ほうとうでおみまい

 

 

 なでしこが風邪をひいた。彼女を知る人ならあの元気の塊の子犬のよう女子が風邪をひくなど、にわかには信じ難いことかもしれない。しかし山梨に越してきてからというもの、なでしこは寒空の下毎週のようにキャンプに繰り出していたわけで。

 

生活環境が変わってから落ち着く間もなくそんな生活をしていれば、なでしこといえど風邪をひいてしまうのも仕方がないというもの。しかも風邪をひいたのはリンが誘ってくれたキャンプの前日と、なでしこにとっては二重に悲しい結果となってしまった。

 

 さて、そんな哀れななでしこの話を聞きつけた野クル部長の千明。友達思いな面もあってか、野クルメンバーを連れてでなでしこのお見舞いに行くことに決めた。

 

「というわけで、今からなでしこのお見舞いに行くわけだが…」

 

「誰に説明してんだお前?」

 

 これまでの経緯を説明していたわけでもないのに唐突に話を始めた千明に、隣を歩く春彦が首を傾げる。ふたりは今なでしこのお見舞いをしに彼女の自宅へと向かっている最中だった。

 

「そういやあおいは?」

 

「声かけたんだけど今日バイトだとさ。イヌ子も頑張ってんなー」

 

「そうか。俺も早くバイト見つけないとな」

 

 今後のキャンプの資金のために、あおいだけでなく千明もバイトを始めており、春彦も貯金が尽きる前にバイト先を見つけようと身延市の求人情報に目を通しているが、田舎ということもあってなかなか良いバイト先を見つけられずにいた。

 

「近所はどこもダメそうか?」

 

「そうだな… ま、バイクもあるからもうちょい広い範囲探してみるかな」

 

 近所がダメならもう少し遠くへ。こういう場合にフットワークが活きるのはバイク乗りの強みだろう。

 

「そういや春彦はなでしこのお見舞い何持ってきたんだ?」

 

「普通に食いもんだよ。あいつが好きかどうかは分からんけど」

 

「まあ、なでしこなら大抵の食いものは喜ぶだろ」

 

 なでしこ=食べ物という認識は彼女を知る人達の中では常識といえる。お見舞いだろうとおみやげだろうと、なにかおいしい食べ物を持っていけば、なでしこの場合は間違いないはずだ。

 

「てか春彦お前マスクなんてして、ビビりすぎじゃないか?」

 

「なでしこに罹った風邪だぞ? 予防するにこしたことはない」

 

 暖かい服装とマスク着用で万全の風邪予防をしている春彦を大袈裟だと言って千明が笑う。 

 

 そんなこんなでなでしこの家にやってきたふたりだったが、いざ着いてみるとなでしこの風邪はすでにほぼ治っており、おおむね体調の方は回復していた。

 

「元気になったからキャンプ行こうって思ったんだけど、お姉ちゃんに止められちゃった」

 

「そりゃそうだろ」

 

 苦笑いを浮かべて説明するなでしこのいつも通りさに、春彦が小さくため息をつく。相当キャンプを楽しみにしていたのだろうが、昨日の今日でそんな無茶が許されるはずもないだろう。

 

 しかしながらなでしこもタダでは転ばなかったようで、リンとキャンプに行けない代わりに、ベッドで安静にしつつ、ひとりでキャンプをしに行ったリンのために、スマホを使ってのナビゲートを買って出たのだという。なでしこからそのことを聞いた千明は、なにか良からぬことを思いついたのかニヤリと口角を上げた。

 

「千明お前、今なんか悪い事考えてるだろ?」

 

「そんなことないぞぉ~、よしなでしこ! ちょっとあたしも混ぜろっ!」

 

 喜々とした表情でなでしこのスマホを覗き込む千明を見て、やっぱりなとため息つく春彦。千明はどうやらなでしこのナビの最中にこっそりと交代して、リンにちょっかいをかけようとしているようだ。

 

「あんま志摩さん困らすなよ?」

 

「大丈夫だってー」

 

 本屋でリンと話した際、千明のことを悪いやつじゃないと言った春彦にとっては、千明のこの行動は心配の種でしかなかった。せっかくフォローしたのにその矢先にこれでは、リンの千明に対する苦手意識を払拭するどころか、より悪化させてしまうのではないかと春彦は心配だった。

 

「リンちゃんいつ気が付くかなー?」

 

「案外気が付かないかもしんないぜー? ネタばらしの準備もしとかないとなー」

 

「だめだこりゃ…」

 

 楽しげに会話するふたりからそっと目をそらす春彦。なでしこまでもが乗り気になってしまったら、自分1人ではふたりを止められないと諦めたのだ。友人として彼女らを止めることができなかった春彦は、ふがいなさを感じながら心の中でリンに謝罪した。

 

 一方、そんな入れ替わり作戦が進められていることなど知る由もないリンは、バイクで走る合間になでしこから送られてくる観光スポットの情報に目を通していた。

 

「きのこ帝国って、なんだよそのチョイス…」

 

 初っ端から妙な観光スポットを紹介され困惑するリン。しかし次に紹介されたスポットは千畳敷カールと比較的ポピュラーな観光地で、なでしこがその魅力を紹介していく。

 

『景色がすごいよ! 動物が色々いるよ! 色々だよ!!』

 

 なるほど、景色と動物…

 

『でもゴリラはおらんぜよ?』

 

 ん…?

 

『あとロープウェイだから結構お金かかりまっせー? バスと合わせて往復4000円でっせぇー』

 

 明らかにさっきとはノリの変わった文面に違和感を感じたリンの脳裏に、まさか…とある人物が思い浮かぶ。

 

『おい、お前なでしこじゃないだろ』

 

『ククク… 気 づ い た よ う だ な』

 

 明らかになでしこのものではない怪しいメッセージ、そして…

 

『なでしこは私が預かった! 返してほしくば私の言う通り旅を続けるのだ!』

 

 というメッセージとともに、ハリセンを持った千明が「たすけてリンちゃん!」と書かれたスケッチブックを掲げたなでしこを人質に取っているという、微妙に手間のかかった写真が送られてきた。よく見ると写真の端の方には申し訳なさそうに手を合わせる春彦の姿も写っている。

 

 それを見たリンは大体の状況を察した。今なでしこの家には千明と春彦がおり、紹介されていた観光スポットはすべて千明のチョイスだということを。そして春彦は千明の悪ふざけを止めることができなかったことを。春彦の申し訳なさそうな姿からは、「志摩さんごめん…」と言っているのが聞こえてくるようだ。

 

 そんなこんなでなでしこと千明の2人体制となったリンへのナビゲート。好みの違うふたりの息は当然合うはずもなく。

 

「あっ! この薪ストーブ屋さんアウトドア雑貨も売ってるんだー」

 

「あたしはまだきのこ帝国を諦めんぞー!」

 

「わんこ寺! リンちゃん絶対好きだよコレ!」

 

「大丈夫かな志摩さん…」

 

 好き勝手に観光スポットを挙げるふたりに心配そうな眼差しを送る春彦。とりあえず道案内だけは間違わないでくれと祈りながら、ナビ監督としてなでしこと千明をサポートする裏方に回ることとなった。

 

「てか千明、お前持ってきたお見舞いのこと忘れてないか?」

 

「おーそうだったそうだった。ほれ」

 

「あー! ほうとうだ!!」

 

 なでしこのお見舞いにと千明がバッグから取り出したのは、山梨名物のほうとうだった。

 

「おめえ、食ったことねえって言ってたろ? 全快したら母ちゃんにでも作ってもらいな」

 

 キリッとキメ顔をしてサムズアップを決める千明。こういう気遣いできる部分をアピールしていけば、リンの評価も多少は良くなるはずなのだが…

 

「あきちゃんの作ったほうとうが食べてみたいナァー」

 

「……」

 

 千明が優しいのかなでしこが甘え上手なのか、ケホケホと咳をするフリをしながら布団を被るなでしこにねだられ、作ったこともないのに、急遽千明は持ってきたほうとうをなでしこに振る舞うことにした。

 

「というわけでほうとうを作ることとなったわけだが… 春彦隊員、君にはほうとう作りの経験はあるかね?」

 

「ないであります」

 

「そうか、まあ実を言うとあたしもなんだが…」

 

 ほうとうの本場、山梨生まれのふたりではあるが、家では親に作ってもらっている千明と、そもそも家でほうとうを食べたことのない春彦。まあふたりとも料理下手というわけではないが、いかさか経験不足なところは否めなかった。

 

「梨っ子のふたりが作る本場のほうとう楽しみだなぁ~」

 

「あんま期待すんな」

 

「俺この前まで埼玉いたんだけどな」

 

 不安は残るが作ると言った手前後には引けない。ふたりはほうとうの袋に書いてある作り方を見ながら、とりあえずその通り作ってみることにした。ふたりにとって初めてとなるほうとう作り。最初はレシピどおり適当にやってみるつもりだったのだが、各務原ファミリーたちによってその考えは破綻することになる。

 

「ただいまー」

 

「あ、お母さんおかえりー」

 

「あら、何か作ってるの?」

 

「梨っ子のあきちゃんとハル君が、本場のほうとう作ってくれるんだって」

 

 まず登場したのはなでしこの母で、なでしこの説明を聞いてテーブルにつくと、千明たちが作るほうとうの完成を楽しみに待ち始めたではないか。

 

「そういえばまだほうとう作ったことなかったわねぇ」

 

「食べたことないから楽しみだねー」

 

「なんかいつの間にかなでしこ母のぶんも作ることになってないか?」

 

「おかしい、なんかちょっとハードルが上がった気がするぞ」

 

 自分たちの作るほうとうを楽しみに待つふたりの様子を見て、千明と春彦は顔を見合わせる。

 食べる人が増えて心なしかハードルが上がったほうとう作りだが、各務原ファミリーの襲来はこれだけでは終わらなかった。

 

「はぁーっ、よく寝たー」

 

「あ、お父さんおはよー」

 

 次に現れたのは髭をたくわえた恰幅の良いなでしこの父。どうやらなでしこに風邪をうつされ家で休んでいたらしく、風邪をうつしたことを謝るなでしこに昼のバラエティが見放題だと言って豪快に笑っている。

 

「おや? なにか作ってるのかー?」

 

「いま梨っ子のあきちゃんとハル君が、本場の()()ほうとう作ってるんだよ」

 

「おぉーほうとうか! 会社の人に聞いたんだけどな、地元の人が家で作るほうとうはドロドロしてて、お店の奴とはまた違ったウマさがあるらしいぞ!」

 

 なでしこの言った『絶品』というワードと、なでしこ父が解説する地元人特製の自家製ほうとうのウマさ。各務原ファミリーの話が盛り上がれば盛り上がるほど上がっていくハードルはもはや高跳びのようになり、千明と春彦のふたりはプレッシャーを感じまくっていた。

 

「気づいたら一家全員分作ることになっとるがな…!!」

 

「地元民の絶品の自家製ほうとうだってさ… どうするよ千明…?」

 

 完璧に追い詰められた千明と春彦。ふたりがとった策とは…

 

「お、これなんか作り方もシンプルで評価高いぞ?」

 

「よし! でかしたぞ春彦!」

 

 スマホという文明の利器を使って、簡単で本格的なほうとうのレシピを見つけたふたり。これに従って作れば間違いないだろうと、分量や作り方を正確に守りながら協力してほうとう作りを進めていく。

 

「ただいま、何作ってんの?」

 

「一流ホテルのシェフも認めた至高のほうとうだよー」

 

 トドメとばかりに帰ってきたなでしこの姉の登場で、もはや失敗は許されないと言ってもいいレベルで、千明たちのほうとうへの期待が膨らんでいく。

 

「おい春彦、煮込みはどんくらいだっけ? …ん? 春彦?」

 

 千明への返答がない春彦。千明が顔を覗き込むと、なにやら春彦は緊張した面持ちで固まっており、その視線の先には先程部屋に入ってきたなでしこの姉、桜の姿があった。

 

「おーい春彦ー?」

 

「はっ…!? お、おう! どうした千明!?」

 

 驚いた春彦の声がやたら大きく上擦っている。その様子を見た千明は、長年の付き合いから春彦に起こったことを理解してははーんと顎に手を当てた。

 

「そうだよなぁ、お前ああいう人がタイプだもんな?」

 

「ばっかお前っ…!? 聞こえんだろがっ…!」

 

 ニヤニヤと肘で小突いてくる千明の指摘に春彦は慌てまくり。実は春彦、クールで美人な年上の女性が大の好みで、なでしこの姉の桜はまさにその理想とピッタリと一致していた。しかしながら恋愛経験ゼロの春彦のこと、突然現れた好みド真ん中のなでしこの姉に冷静でいられるはずもなく。

 

「おい千明、もう一度レシピ確認… いやとりあえず汁の味見を… 熱っっ!」

 

「春彦、お前ちょっと落ちつけ」

 

 なでしこの姉に出す料理に失敗はできないと、張り切った春彦はほうとうの味見をして口の中をやけどした。小沢春彦、その名前のように彼に春がやってくる日はまだまだ遠そうだった。

 

 各務原ファミリーの乱入で紆余曲折あったものの、プロのレシピにも助けられ、千明と春彦のお手製ほうとうは見た目はとても良い感じに完成した。しかし問題は見た目よりも味である。なでしことその家族がほうとうを口に運ぶのを、やや緊張した面持ちで見つめる千明と春彦。

 

 一口、また一口とほうとうを啜っていき、一息ついて顔を上げたなでしことその両親の表情は満足げな笑顔だった。

 

「おいしいっ! モチモチしてうどんとはまた別の食べ物だよっ!! あきちゃんハル君! ほうとう最高だよっ!」

 

「まあ梨っ子の俺と千明にかかればな!」

 

「あったりめぇよーっ!」

 

 思った以上に好評なほうとうの出来に、作った千明と春彦も思わず笑顔がこぼれる。しかしよく見るとなでしこの姉、桜の反応が芳しくなく、ひとりだけ眉間に皺を寄せて起こっているようにもみえる。

 

 何か気に触ることでも…と冷や汗をかく千明が春彦の顔を見ると、春彦はさらに顔を青くしてこの世の終わりとでもいうような表情をしている。しかし険しい顔でほうとうを食べる桜の口から出たのは意外な言葉だった。

 

「千明ちゃん、春彦君… これ……めちゃくちゃ旨いわね、あとでレシピ教えて?」

 

 表情とは裏腹にほうとうを絶賛してくれた桜に、「うまいんかいっ!」と千明は心の中でツッコミを入れ、春彦もほっと胸を撫で下ろした。どうやら桜は美味しいものを食べる時は真剣になってしまうタイプのようだ。

 

「そういや春彦もなんか持ってきたんだよな?」

 

「あ、そうだった。ちょっと待ってて下さい…」

 

 ほうとう作りで自分が持ってきたお見舞いをすっかりと忘れていた春彦。そそくさと席を立つと、なでしこの部屋に置いてある鞄から包みを出して持ってきた。

 

「これ、ウチで作ったわかさぎの佃煮です。よかったら皆さんでどうぞ」

 

「おぉー! わかさぎだぁ! しかもこんなにいっぱい!」

 

 なでしこが包みを開くと、たっぷり70匹分のわかさぎの佃煮が入ったパックが出てくる。もちろん春彦のお手製であり、先日釣ってきたばかりのものだ。

 

「ほぉー佃煮とはまた渋いなぁ! うん! 味付けも絶妙だ!」

 

「天ぷらとかは作りたてじゃないと美味しくないんで、佃煮とかがいいかなと」

 

「これもハル君が釣ってきたの?」

 

「ああ、この前山中湖で釣ったやつだよ」

 

 わかさぎ料理といえば天ぷらやフライなどがポピュラーではあるが、今回は料理する手間を考え、すぐに食べられて保存の効く佃煮を選んだ春彦。

 

「春彦君、これすごくおいしいけど、こんなにもらって大丈夫なの?」

 

「あっ、いえっ…! まだ家に600匹くらいあるんで…」

 

 桜の問いに恐縮しまくりながら答える春彦。

 

「ろ、ろっぴゃく!? 全部で何匹釣ってきたの!?」

 

「適当に数えてたけど… 父親と合わせて800匹くらいか? そのうち俺が釣ったのが500匹ちょいだな」

 

 驚きを隠せないなでしこに春彦は平然とそう答えた。数々の釣りの中でもわかさぎ釣りは歴の長い春彦。ここにあるわかさぎを釣った日も、利用したボート屋では利用者の中で最も多く数を上げ、竿頭に輝いていたりする。

 

「いやぁー本場のほうとうに天然もののわかさぎなんて、贅沢なもんだなぁ!」

 

「いくらでも食べられるよぉー」

 

 なでしことその父を筆頭に、どんどんとほうとうとわかさぎを胃袋に収めていく各務原一家。鍋いっぱいに作ったほうとうと70匹分のわかさぎの佃煮はあっという間になくなり、その食べっぷりに千明と春彦は唖然とした。

 

「もっとわかさぎ持ってきても良かったんじゃね…?」

 

「うん、俺も今おなじこと考えてた…」

 

 この感じならもっと持ってきても大丈夫だったなと思った春彦は、後日冷凍したわかさぎを300匹ほど各務原家にお裾分けしたんだとか。

 

 

 

 

 

 

 




ほんとはもうちょい書いてたけど、長くなったんで切りました。
クリスマスキャンプまではもうちょいかかります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 クリスマスキャンプへのお誘い

 

 

 

 思わぬ形で各務原家全員にほうとうを振る舞うこととなった千明と春彦だったが、プロのレシピと梨っ子の勘のおかげで料理は無事成功。春彦お手製のわかさぎの佃煮も好評を受け、各務原家の遅めの昼食は幕を閉じた。

 

 昼食を終えて再びなでしこの部屋に戻っても、なでしこと千明によるリンへのナビは継続していた。

 

「伊那のローメンだ!」

 

「駒ヶ根のソースカツ!」

 

「うぅー! なでしこのくせに生意気なーっ!」

 

「あきちゃんのがんこー!」

 

「ナビしながらケンカすんなお前ら」

 

 リンの昼食をめぐって不毛な争いをする千明となでしこ。本当に息の合わないナビではあるが、役に立っているかは別として、リンにとっては孤独な長旅の暇つぶしくらいにはなっているかもしれない。長時間バイクに乗るのは結構退屈するものなのだ。

 

「あ、リンちゃん温泉とセットのミニソースカツ丼食べるって」

 

「セットで1000円とはお得だなー」

 

「てかお前らもうちょいよく調べろ。ちゃんとホームページに載ってたぞ?」

 

 なぜかナビをしていない春彦がきちんとリサーチできているという矛盾。ナビ監督はもう少しふたりに口を出すべきなのかもしれない。

 

「おー! 斉藤がクリスマスキャンプ来るってさ!」

 

「ほんとだ!」

 

 千明が見せてきた恵那からのメッセージにはたしかにそう書いてある。大勢でのキャンプが好きななでしこは、とても嬉しそうな笑顔だ。

 

「うーっ、ますます楽しみになってきたね!」

 

「だなー、まだ何も準備してねーけど。春彦はますますハーレム気分だな?」

 

「あんまそこいじるな、こっちは結構気にしてんだ」

 

 普段男女比のことは気にしていないかのように振る舞っている春彦だが、実はわりと気を遣っていたりする。時々肩身が狭く感じたり、クラスの男友達から妬まれたりしながらも頑張ってやっているのだ。

 

 そんな春彦のことはさておき、これで野クルメンバー4人の他に、新たに恵那が参加することとなったクリスマスキャンプ。こうなると残ったあの人のことも気になってくるわけで、なでしこが千明に提案をしてきた。

 

「あきちゃん、今回はリンちゃんも誘ってみようよ?」

 

 単なる思い付きではないのだろう。なでしこの表情にはどこか真剣味が感じられるが、相手はソロキャン至上主義のリン。一筋縄ではいかなそうなことは、リンとそこまで親しくない千明と春彦にも分かることだった。

 

「あの頑固なしまりんが来てくれるかねー?」

 

「どうかな…」

 

 「志摩さん、お前のこと苦手だしな」という言葉が喉元まで出かかった春彦だが、本人を前にそれを言うのは流石に憚られた。

 しかしながらリンが千明の事を苦手としているのは事実。春彦もフォローを入れはしたが、さっきのなでしこのナビに割り込んだところを見るに、どう考えても溝が埋まっているようには思えなかった。

 

「ま、とりあえず誘ってみればいいんじゃないか? なでしことキャンプしたんだし、もしかしたら来てくれるかもしれないしな」

 

 そう、春彦が言ったように、なでしこの方はすでにリンと3回もキャンプをしている上、四尾連湖の時はリンの方からなでしこをキャンプに誘っていたりもする。

 

 なでしこの人柄だからこそのことかもしれないが、それまでソロキャンしかしてこなかったリンの性格を鑑みれば、来てくれる可能性もないとは言い切れない。それに今回はなでしこだけではなく、リンと親しい恵那もキャンプに参加するわけで、その分の期待もあったりする。

 

「そうだな。じゃああとでしまりんにも声かけてみっか」

 

「うん!」

 

 リンが来るかどうかは分からないが、とりあえずこれでクリスマスキャンプの参加者は大体決まった。

 

 そして次はキャンプの候補地とかを決めようという話になり、千明と春彦のふたりは一度帰宅して、キャンプ雑誌を持って再びなでしこの家に集まり、候補地を決めるべく話し合いを始めた。

 

「さーて、じゃあなでしこのお見舞い改め、今いる隊員で臨時野クル会議を始めるとする」

 

「菓子買ってきたけど食う?」

 

「うん、食べるー」

 

「……で、まずは今回のキャンプ地を決めようと思うのだが…」

 

「これ新発売のやつだってさ」

 

「あ、これ気になってたんだー!」

 

「話を聞けきさまらーっ!!」

 

 話をする自分をそっちのけで菓子の袋を漁る春彦となでしこに、千明がうがーっと怒り出した。

 

「冗談にマジになるなよ」

 

「まず食うのをやめてから言え」

 

 まるで態度を改める様子もなくモシャモシャとクッキーを咀嚼する春彦。

 2人の不毛なケンカが始まろうとしたところで、なでしこのスマホに着信が入り、それは中断された。

 

「あ、あおいちゃんだ」

 

「イヌ子?」

 

「もうバイト終わったのか」

 

 風邪をひいたなでしこの様子を訊ね、それに加えて今度のキャンプにキャンプ道具ではないが、何か『いいもの』を持っていけるかもしれないとも教えてくれた。

 

「キャンプに持ってく道具じゃないけどすごいもの… 何だろねあきちゃん?」

 

「んー、でかい丸太持ってキャンプファイヤーとか?」

 

「いやたしかにそりゃすげーけど…」

 

「そんなの持っていけないよー…」

 

 千明の冗談を聞いた春彦は、どこかのアクション映画で見たような丸太を担いだあおいの姿が思い浮かべたが、あおいは元コマンドーではないので当然そうはならない。

 

「まあそれはいいとして、とりあえずはキャンプ場決めんとなー」

 

「はいっ! 富士山の見えるキャンプ場がいーです!」

 

 仕切り直した千明に元気よく意見を述べたなでしこ。彼女の富士山好きはもはや筋金入りだ。

 

「あ、ここ良さそー、雷鳥沢ってとこ」

 

「んー、どこだー?」

 

「俺にも見してみ?」

 

 なでしこが開いたキャンプ場ガイドを見てみると、雄大な山々をバックにした山小屋のあるキャンプ場の写真が載っていた。

 

「おーすげぇ良さそう… って富山じゃねぇか」

 

 どんな場所なのかと千明がキャンプ場の詳細に目を通すと、そこには『富士山』ではなく『富山』の文字が。

 

「一文字抜けてるぞ」

 

「でへへ…」

 

 間違えたのかわざとなのか、春彦の指摘ににへらっとなでしこは笑った。

 富士山であることを抜いても悪くないキャンプ場ではあるが、流石に山梨から富山までは幾分遠い。

 

「富士山が見えるキャンプ場っていうと五湖周辺。山中湖…は遠いし、行くなら本栖湖か西湖、精進湖じゃないか?」

 

 千明の言うように、富士五湖周辺のキャンプ場なら富士山も見える上、山梨からそう遠くない場所も多い。

 

「田貫湖は?ここもキャンプ場あるよ!タヌキだよタヌキ!」

 

「タヌキ好きなのか?」

 

「けどお前らがキャンプした麓キャンプ場も惹かれるんだよなー」

 

 なでしこは田貫湖のキャンプ場を挙げるが、千明はなでしことリンがキャンプした麓キャンプ場が気になる様子。富士五湖周辺ということは決まったが、どのキャンプ場も魅力的でなかなか絞り切れない。

 

「てかお前らは風呂入れる方がいいんじゃないの?」

 

「「うん」」

 

 前回のほっとけや温泉がよほど良かったのか、春彦の問いにピッタリとシンクロして頷く2人。冬の冷えた体を温める温泉というのはもはや必須と言っても過言ではないかもしれない。

 

「綺麗にハモったな… 富士山が見れて、風呂に入れるとこな?」

 

 春彦は2人の意見をメモ帳にまとめて思案する。これでさらに候補地を絞ることはできたが、それでも条件に合うキャンプ場はまだ色々残っており、中々これという場所は決まらない。

 

 あーでもないこーでもないと意見を交わす3人だが、ここで春彦がある解決策を思い付いた。

 

「そうだ、なんなら志摩さんに聞いてみたらどうだ? 」

 

「あぁー、たしかにそれはアリだな」

 

「リンちゃんならいい場所知ってそうだもんね!」

 

 キャンプ初心者な3人とは違い、それなりのベテランキャンパーであるリンでならば、どこか良いキャンプ場を知っていてもおかしくない。たとえリンが今回のキャンプに来てくれなくとも、それくらいのことなら協力してくれるだろう。千明もなでしこも春彦の意見に賛成した。

 

 すると噂をすればなんとやらなのか、リンの名前が出たところでなでしこのスマホにリンからのメッセージが来た。

 

「お、リンちゃんそろそろキャンプ場着いたかな?」

 

 昼食の知らせが来てからもう随分時間が経っているし、もうキャンプ場に着いてもいい頃だ。リンからのメッセージに心踊らせるなでしこだったが、なぜかその表情が一気に曇っていく。

 

「OH…」

 

 送られてきたのは『通行止めなうⅡ』のメッセージ。添付された写真はリンのバイクのヘッドライトが照らす通行止めの看板が写っていた。

 

「うわぁ…」

 

「これはキツイな…」

 

 リンが通行止めに遭うのはこれが今日で2回目。しかも今度はキャンプ場まであと少しというところで遭遇してしまった。あまりの運の無さに千明も春彦も言葉を詰まらせる。

 

「こんなに真っ暗で大丈夫かなぁ…?」

 

「確かに暗くなってこれはヤバいな…」

 

「リンちゃんが遭難しちゃったらどうしよう!!」

 

「おちつけなでしこ…」

 

 リンのピンチに慌てふためいて警察だの消防だのと大騒ぎするなでしこを千明が宥める。

 

「ガス欠とかじゃないからなんとかなるっちゃなるが…」

 

「どうだ春彦?迂回できそうか?」

 

「できるけどめっちゃ時間かかるな… 近くに別のキャンプ場もあるけど今からじゃな…」

 

 春彦が地図アプリで迂回路を探したものの、迂回する道は最短でも29キロ、所要時間も3時間と暗くなった今からではあまりに過酷な道のりだ。

 冷静な春彦でさえも良い解決策が思い浮かばずこのまま過酷な迂回路コースかと思われたその時、この問題に意外な人物が解決策を閃いた。

 

「所要時間3時間…って思いっ切り9時過ぎるぞ…」

 

 迂回路のあまりの距離に顔を青ざめて途方に暮れそうになるリン。と、そのリンのスマホに着信が入った。画面に表示された名前は『大垣』。意外な人物からの着信に訳も分からずリンはその電話に出た。

 

「もしもし…?」

 

「あ、しまりん? 電話繋がってよかったー。そこの通行止め、多分そのまま通れると思うぞ?」

 

「え?」

 

「それ多分、置きっぱなしになってるやつだ」

 

 突然の電話で千明が言ってきたのは、この通行止めを無視して進んでみろという指示だった。

 

「本当に?」

 

「騙されたと思ってさ。あ、くれぐれもゆっくりな? もし通れなくて引き返しても、ロスは10分くらいだしさ」

 

 千明の言葉にリンは「大丈夫なのか…?」と半信半疑になりながらも、バイクを押してゆっくりと道を進んでいった。すると千明の言う通り、注意深く進んでいっても特にこれといって通行の妨げになるような障害は見当たらず、しばらく進むと目的地である陣馬形山のキャンプ場に抜けることができた。

 

「ほ、本当に抜けられた… はぁーっ… 何も無くて良かった…」

 

 目の前に広がるキャンプ場。安心で肩の荷がどっと下りて、リンは大きくため息をついた。

 無事であることとアドバイスをしてくれたお礼をメッセージでなでしこたちに送る。

 

『無事キャンプ場に着けたよ。ありがと助かった』

 

『よかったー、心配したよー』

 

『なー言ったろー、あたしすげぇ!!』

 

 本当に助かったよ…

 リンは心の中でそう呟いて小さく微笑んだ。

 

「ほーらやっぱあたしの言った通りだったろー!」

 

「ほんと、今回はお手柄だな千明」

 

 リンからの知らせを聞いて得意げに胸を張る千明。

 

「にしてもよく通れるって分かったな?」

 

「前に車で家族と出かけた時、似たようなことになってな。そんとき地元の人が、この看板は工事の人が置き忘れたやつだからって教えてくれたんだ」

 

「なるほどな。確かにガチで通行止めの場所って大抵ガッチリ塞いであるしな」

 

 今回のリンが遭遇した通行止めの看板は道路の片側に置かれているだけで、道は半分ほども塞がれていなかった。それに気づいた千明はもしやと思って急いでリンに電話したのだ。

 千明の説明に春彦は感心したように頷いた。

 

 リンがキャンプ場に着いたというメッセージが来てからしばらくして、テントの設営などが終わって落ち着いたのか、陣馬形山の上からの夜景の写真がリンから送られてきた。

 

「わぁーっ、この夜景も綺麗だねぇ!」

 

「無事にキャンプできてるみたいだな」

 

「イェーイ! あたしのおかげーっ!」

 

「もう、分かったから」

 リンの役に立てたのが嬉しいのか笑ってはしゃいでいる千明。

 調子のいいやつだと微笑ましげに千明を見ていた春彦だったが、ふと思い立って千明に提案をした。

 

「なあ千明、クリスマスキャンプの事、志摩さんに今訊いてみたらどうだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陣馬形山からの夜景を見たあと、夕食を終えたリンは昼間登山客の女の人からもらったほうじ茶を飲んでリラックスしていた。思い返せば今日は近道だと思っていた道で通行止めに遭い、温泉に入ったら落ち着きすぎて寝過ごし、慌ててキャンプ場へ向かえば今度はフェイクの通行止めときた。

 

 行き当たりばったりも旅の醍醐味とおじいちゃんは言っていたけど、それにしたって自分は旅下手すぎだ。

 

 ぼんやりとそんなことを考えていると不意にスマホが鳴った。スマホに表示された名前はなでしこで、何の用だろうとリンは電話に出た。

 

「もしもし」

 

「リンチャン!夜景の写真アリガトウ!」

 

 電話から聞こえるなでしこの声のテンションがやけに高い。その声を聞いたリンはすぐさまその正体に勘づく。

 

「大垣だな?」

 

「ククク、よく分かったな」

 

 電話の向こうでニヤついているのが伝わってくるような口調。だが今のリンは千明に対して苦手意識はだいぶ薄れていた。

 

「ねえ、さっきの通行止め、なんで通れるって知ってたの?」

 

「あぁ、前に家族と出掛けた時、似たようなことがあってさ…」

 

 千明は自分の経験から通れることが分かっていたことを丁寧に説明してくれた。

 苦手だと思っていた相手が親切心で助けてくれた。リンはバイト先で春彦が言っていたことを思い出した。

 

『うっとおしいとこもあるけど、あいつも別に悪いやつじゃないからさ?』

 

 実際その通りだった。うっとおしいとこもあるけど、悪いやつじゃない。

 

「とにかく助かった… ありがと」

 

「いいってことよー」

 

 リンは千明に素直に感謝の言葉を告げた。

 

「…あのさ、今度野クルでクリスマスキャンプすんだけど… しまりんも来ないか? たまにはグルキャンも楽しいと思うぞ?」

 

 これ以上ないタイミング。千明の誘いにリンはほんの少し思案して。

 

「それは遠慮しとく」

 

 あっさりとフラれてしまった。

 いくら恩人とはいえど、そう都合よくはいかないらしい。ガクッと頭を下げた千明を見て、なでしこと春彦もリンの答えを大体察した。

 

「やっぱフラれた。ガンコなソロキャンガールだぜ」

 

「そっかぁ…」

 

 通話を終えた千明が残念そうに口を尖らせる。

 

「みんなでキャンプできたらって思ってたんだけど… ちょっと残念」

 

「まあ仕方ないわな。また次の機会に誘ってみようぜ?」

 

 残念がる千明となでしこを春彦が慰める。

 通行止めの件で春彦ももしかしたらと期待していたのだが、そう簡単にはいかなかった。

 でも今回の件でリンの千明に対する苦手意識も多少はマシにはなっているはず。今回が駄目でもこれからまたリンとの距離を縮めていけば、次は来てくれるかもしれない。

 

 とりあえず微妙な感じだった千明とリンの距離が縮まってくれたということで、事はプラスに動いていると春彦は前向きに考えることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クリスマスキャンプの話を終えて、千明と春彦はなでしこの家を後にして2人並んで家路についていた。手には浜松餃子が山ほど入った袋をさげて。

 

「ほうとうとワカサギが餃子に化けたな?」

 

「てか2人に分けてこんだけあるとか、なでしこの家は食料備蓄庫でもあるのか?」

 

 ほうとうとワカサギのお礼にと、各務原家から袋いっぱいの浜松餃子をお裾分けされ2人。

思い返せばほうとう作りの時も、そこそこ使う具材の種類があったにも関わらず、各務原家の冷蔵庫には何ひとつ足りない材料はなかった。

 

 聞けばあの家はなでしこ以外も大食いな方らしいので、普段から食料を絶やさないように溜め込んでいるのかもしれない。

 

「にしても、しまりんともしてみたかったなーキャンプ」

 

 女子高生としては珍しくキャンプという趣味を持つ千明にとって、共通の趣味を持つリンは中々に貴重な存在だ。自分と同じ女子高生でありながら、豊富なキャンプ経験を持ち本格的なキャンプをしているリンと仲良くなりたいという感情を抱くのは、至って自然な流れだろう。

 

 だからこそ千明はリンに断られたのが思いの外残念だったようだ。

 

「まだ言ってんのか。フラれちゃったんだししょうがないだろ?」

 

「そういう春彦だって、せっかくいい人と出会えたのに、あたしが彼女だって勘違いされてたじゃねーか」

 

「それとこれとは話違うだろ!」

 

 いきなり恥ずかしい話をほじくり返され、春彦が顔を赤くする。

 実はこの2人、前の恵那の時に続いて各務原家の人達にも付き合っているのではないかと勘違いされたのだ。

 

「なんでそう見えんのかなぁ…」

 

「あたしらが仲良いからじゃね?」

 

「言うとそうでもない感でるわ」

 

 春彦も別にそう見られること自体が嫌ということはないが、それをネタに友達からかわれるのはちょっとした悩みの種だった。まあ年頃の男女がこれだけ仲良くしていれば、そう見られてしまうのは仕方がないことではあるが。

 

 夜道を歩きながらそんなことを2人で話していると、千明のスマホにメッセージが届いた。

 

「ん、しまりんだ。おっ…」

 

 リンからのメッセージ。そこには『やっぱりキャンプ考えとく』と書かれていた。

 彼女らしい返答の言葉に千明は小さく微笑む。

 

「素直じゃねーなー」

 

「よかったな? 思いが通じて」

 

「へへっ」

 

 嬉しさで緩んだ顔を誤魔化したいのか、千明はちょっぴり照れくさそうに笑った。

  

 リンが心変わりしたのは断った後に恵那に諭されたからではあるが、そもそもリンの千明に対する印象が変わっていなければ、恵那の働きかけがあってもリンは首を縦には振らなかったことだろう。

 

「なでしこにも教えて… へっくしっ!」

 

「お前まさか…」

 

「いやそんな訳は… ふぇっくしっ!」

 

 風邪を引いたなでしこのお見舞いの後の千明の不穏なくしゃみ。

 翌日、嫌な予感は現実の物となり、なでしこからうつされる形で千明はあっさりと風邪を引いた。

 

「言わんこっちゃないな…」

 

「うぅー… めっちゃしんどー…」

 

 ベッドでうなされる千明を見て春彦は大きくため息をついた。

 見事なまでにフラグを回収した千明であったが、見舞いにやってきた春彦の看病の甲斐もあってか、そこまで風邪は長引かなかったのだとか。

 

 

 

 

 

 




エスコンとバイオとゆゆ式のせいで遅くなりました。
という言い訳。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 鯉と恋とニジマス

 

 

 

 クリスマスキャンプまで残すところあと1週間となったある日、春彦はふとカレンダーを見てあることに気が付いてしまった。

 

「このままじゃ釣り行けねぇ…」

 

 先日バイトの面接に受かった春彦だったが、12月末からバイトを始めることになったせいで、クリスマスキャンプの後は忙しくてしばらく釣りに行けそうにないということに気が付いたのだ。

 

 自他ともに認める釣りキチの春彦にとって、半月以上釣りに行けないというのは苦痛に他ならない。

 しかしクリスマスキャンプを一週間後に控える今、大枚をはたいての遠征は難しい。そこで春彦はどこか近場で釣りができないかと考えた。

「川は微妙だな、今禁漁だし」

 

 山梨には渓流釣りで有名な川がいくつかあるが、その大半は漁協組合によって管理されている。そして12月の今、ヤマメやイワナなどを渓流魚は禁漁で3月ごろまで釣ることはできない。禁漁でない魚もいないわけではないのだが。

 

「そうなるとやっぱ本栖湖あたりか…」

 早速ネットで本栖湖の遊漁規則を調べてみると、ヒメマス以外の魚には禁漁期が定められていないことが分かった。

 

「遊漁券は前売りなら一日800円、ボート屋で買うか」

 

 漁協組合がある河川や湖沼で釣りをする場合は大抵遊漁料がかかる。自然の川や湖で釣りをするのになぜ有料なのかというと、漁協組合が河川の環境維持をして管理しているからである。

 

 日頃目立つことのない漁協ではあるが、その活動の重要性は意外とあなどれないもので、ある漁協のない河川では、ヤマメやイワナや鮎などの食用に適した魚が乱獲によってほとんどいなくなってしまったというケースもあり、実は釣り人にとっても結構重要な役割を果たしているのだ。

 

「次は何を釣るかだけど、ヒメマス以外ならなんでも釣れるんだよな」

 

 ヒメマス以外で本栖湖に生息している魚を調べてみると、ニジマスやブラックバスなど釣りの対象魚として申し分ない魚の名前が上がる。

 

「バスとかだとルアーだけど… もうちょっとのんびりやりたいな」

 

 ゲーム性が高く若者にも人気のあるルアーフィッシングは、釣り方の性質上、一日中キャスティングを繰り返してポイントを移動する釣りになるのだが、春彦はもうすこし腰を据えてのんびりと釣りがしたいと考えていた。

 

 そんな春彦の頭にふと先日読んだ釣り雑誌のヨーロピアンカープフィシングの記事が思い浮かんだ。

 

「鯉釣りだったらのんびりできるし、たしか本栖湖でも釣れるよな」

 

 鯉釣りで有名な河口湖や西湖ほどではないが、調べてみると一応釣りができるには十分なほどは生息しているもよう。加えて春彦が以前キャンプに訪れた際にもその魚影を確認していた。

 

「よし、久々にやるか鯉釣り」

 

 釣り場と釣り物が決まり、翌日から春彦は週末の釣行に備えてタックルを準備に取り掛かった。

 必要最低限の道具を釣具店で購入し、家にあった有り合わせの道具で適当に仕掛けを作って荷物をまとめて準備を整えた。

 

 そして本栖湖釣行を2日後に控えた夜、自室で翌日の釣行プランを練っていると、春彦のスマホになでしこからメッセージが届いた。

 

『ハル君隊員! クリスマスキャンプの準備はどうかね?』

 

『大体終わったぞ?』

 

『それはホントかな…?』

 

 なでしこはやけに疑うような文面で訊き返してくる。

 

『実は昨日、あきちゃん隊長からハルくんが別の準備をしているという情報を入手したんだよ!』

 

『ほう』

 

『ハル君、明後日釣りに行くんだってね? 5日後にクリスマスキャンプを控えているというのに!』

 

『そうだけど、なんか問題か?』

 

 なでしこの意図がよく分からい春彦はあっさりと釣りに行くことを認めて、彼女の目的を聞き出そうと返信する。

 

『そのー… できれば私もちょっと行ってみたいかなって』

 

『まじか』

 

 春彦にとっては意外な答えだった。

 春彦が持つイメージでは女子というのは釣りというものにそこまで興味を持つものではないと思っていたからだ。現に千明やあおいは春彦の趣味である釣りをやってみたいだとか言ったことはなく、自分以外の誰かと釣りをする機会といえば、父親かあるいは埼玉にいたときの男子の釣り仲間くらいのものだった。

 

『じゃあ一緒に来るか? 別に俺は構わないぞ』

 

『ほんとに!? じゃあすぐ準備するから必要なものとかある?』

 

 リンのような例があるから断られるとでも思っていたのか、メッセージでも伝わってくるような喜びように春彦は小さく微笑む。

  

『昼飯と財布以外は特別ないよ。なんなら昼はどっかで買っていってもいいしな』

 

『了解です!』

 

 そんなこんなで急遽飛び入りでなでしこが参加することとなった本栖湖釣行。

 そして晴天に見舞われた釣行当日の朝。やけに荷物の詰まったリュックサックを背負ったなでしこが小沢家にやってきた。

 

「それ全部食いもんか?」

 

「むふふふ~」

 

 おやつやら何やら色々と食べ物を満載してきたのか、満足げな顔で微笑みを返すなでしこ。

 相変わらずの健啖家ぶりに春彦が小さくため息をついていると、家の中から準備を終えた春彦の父が出てきた。

 

「おはよう、君がなでしこちゃんだよね?」

 

「はい! おはようございます! 今日はお世話になります!」

 

「ははっ、春彦に聞いた通り元気な子だね? 今日は車で送るだけだけどよろしくね?」

 

 なでしことの挨拶を済ませると、春彦父がガレージから出した車に荷物を積み込み、一行は本栖湖に向けて出発した。

 

 車での移動の道中、春彦父と和気藹々と談笑するなでしこをよそに外の景色を眺めていた春彦だったが、ふと気になっていたことを思い出してなでしこに問いかけた。

 

「なあ、なんでまた釣り行こうと思ったんだ?」

 

「んー? なんでって、ハル君よく釣りの話するでしょ? そのときのハル君がすっごく楽しそうに話してるから、私も興味出ちゃったんだー」

 

「そうか…」

 

 そんなに楽しそうにしてたのかと春彦は少し気恥ずかしくなったが、それでもなでしこが釣りに興味を持ってくれたこと自体は存外嬉しく思っていた。

 

 いままで春彦の周りには釣りを教えてくれた父親以外に自分と同じ釣り好きや、釣りに興味を持つ人間はそうおらず、初めてできた釣り仲間も今は住む場所が変わって、昔のように一緒に釣りに行くことは難しくなった。

 

 そんな春彦にとって、なでしこが自分の趣味に理解を示すだけではなく興味を持ってくれたことは、純粋に喜ばしいと思えることであり、その理由が気になって聞いてみたのだ。

 

「楽しみだなぁ~」

 

「期待してるみたいだけど、釣れるかはわかんないぞ?」

 

「大丈夫!ハル君と一緒なら釣れなくても楽しいよ!」

 

「なんだそりゃ…」

 

 まるで恋人にでも言うようなセリフを笑顔で言われ、照れて戸惑う春彦。

 なでしこから視線を外すと、バックミラーに映る父の顔がものすごくにやけているのに気が付き、居心地が悪そうに春彦は外の景色に視線を移した。

 

 くっそー… 絶対変な勘違いされてる…

 

 心の中で悪態を吐きながら、これは後が面倒なパターンだと帰ってからの父のからかいを予想して春彦は早くもげんなりとした気分になり始めた。

 

 春彦の家から車を走らせること約40分。一行は本栖湖に到着し、春彦となでしこは富士山の見える本栖湖北岸で車を下りた。

 

「よーし着いたぁ!富士山もキレイ! さあ早く始めよハル君!」

 

「まあ待て」

 

 急かすなでしこをなだめると、春彦はバッグからサングラスを取り出すと、水面を覗いて湖畔を歩き回った。

 

「何してるの?」

 

「観察してポイントを絞ってんだよ」

 

 基本的に魚という生き物は水の中のどこにでも均等にいるわけではなく、ある決まった条件の場所に集まって生息している場合が多い。

 

 水の流れや水温、水底や水際の地形など、ありとあらゆる要素が複合しており、その中で特に魚たちが集まりやすい場所をポイントという。

 

 春彦はそういった情報を目で探りながらこれから釣りをするポイントを吟味しているのだ。

 

「そのサングラスは?」

 

「これは偏光サングラスっていって、これで見ると水の中がよく見えるようになんだよ」

 

「へぇー! ちょっと借りていい?」

 

 気になったなでしこは春彦から偏光サングラスを借りてキラキラと光の反射する水面を覗き込んだ。

 

「ほんとだー! キラキラがなくなってはっきり見えるよ! あっ、ハル君あれ魚じゃない!?」

 

「指さされてもわかんねーよ」

 

 反射光が遮光されてはっきりと水中が見えるようになり、偏光サングラスの効果に感激するなでしこ。

 

「へぇー、釣りしてる人がよくサングラスかけてるのってこういうことだったんだねー」

 

「まさかカッコつけて着けてると思ってたのか?」

 

「そ、そんなことないよっ!?」

 

失礼な偏見を抱いていたなでしこのことはさておき、一通り観察を済ませた春彦はポイントを定めて荷物を降ろすと、釣り座の設営に取り掛かった。

 

「んじゃなでしこは椅子とかその辺に広げといてくれ」

 

「うん」

 

 釣りに関係ない道具の設置をなでしこに頼むと、春彦は竿袋から投げ竿を取り出し、続いてバッグから長年使い込んだタックルボックスを取り出して釣りの準備を始める。

 

 まずは竿受けを地面に設置。振り出し式投げ竿に中型スピニングリールを取り付けて、ガイド(竿に付いた糸を通すリング)に糸を通して竿を伸ばし、その先にあらかじめ作っておいた仕掛けを結びつける。

 

 今回の仕掛けはシンプルなぶっこみ釣り仕掛けで、スパイクオモリを付けた先に1本針を付けただけの極めてシンプルなものだ。

 

 鯉釣りの仕掛けといえば、寄せエサを被せるための螺旋状の金属に何本も針を付けた吸い込み釣り仕掛けがポピュラーではあるが、吸い込み仕掛けは魚にダメージを与えやすく、また根掛かりも多くなるというリスクがある。

 

 春彦の仕掛けは1本針なので針がかりしにくいという弱点はあるが、魚へのダメージと根掛かりが少なく、また仕掛けが絡まりづらいというメリットもあり、仕掛けひとつあたりの費用も少ない。基本的にキャッチアンドリリースの鯉釣りでは、春彦はこの仕掛けを好んで使用している。

 

「ハル君こっちは終わったけど、その袋はなんなの?」

 

「これはエサだよ。練りエサっていって、この粉に水を混ぜて練るんだ」

 

「あ、もしかして釣り堀とかにあるやつ?」

 

「そうそう」

 

 ゴム手袋を着けながらなでしこに説明すると、春彦はそれぞれ種類の異なる2つの練り餌を計量カップで計ってバケツに入れていく。そして湖から汲んだ水をそこに入れ、水が馴染んだところでムラができないようにしつつ軽くかき混ぜる。

 

「なんか結構キツイにおいだね…」

 

「動物性のエサは臭うからな、仕方ないけど冬はこの方がいいんだよ」

 

 鯉釣りの練りエサは大きく分けて魚粉などを原料とする動物性のものと、サツマイモなどを原料とする植物性のものがあるのだが、冬の鯉が消化の良い動物性のエサを好んで食べることと、動物性の練りエサは匂いが強いため、活性の低い冬の魚を集めやすいといった効果が望める。

 

「んで、練りエサはこのオモリに被せて丸める。これが水中で溶けて魚を寄せる。でこっちの針の方には…」

 

「トウモロコシと犬用のささみ? これがエサなの?」

 

「こっちは本命の食わせエサで、鯉がこれを食べれば針にかかるってわけ。トウモロコシはいつも使ってるエサで、ささみは冬に効くって聞いたから急遽買ってきた」

 

 今回は2本竿を持ってきているので、片方にはコーンを、もう片方にはささみを食わせエサにつけて、どちらが有効か試していく作戦だ。こういったエサの選別も釣りにおいては非常に重要な要素となる。

 

「さて、じゃあいよいよ開始といくか」

 

「プレイボール!ってやつだね!」

 

 釣りをする準備が終わり、いよいよ釣りを始めるべく用意した仕掛けの投入にかかる。

 

「リール竿の扱いだけど、まず持ち方から教えるぞ… ってどうした?」

 

「ん? あれ!? 私もやるの!?」

 

「当たり前だろ、せっかく来たんだし」

 

「わ、私みたいな初心者が触って壊しちゃったりしないかな…?」

 

「ちゃんと教えれば大丈夫だから…」

 

 そう言って春彦はリール竿の扱い方の指導を始めた。

 

「まず竿先から出る糸を20センチくらいとって、このリールの足を右手の中指と薬指の間に挟んで握って左手は竿尻のあたりに添える。これが基本の握り方な。んで糸を人差し指にひっかけてこのベイルアームを起こす」

 

「ふむふむ…」

 

「んでこっからが投げる動作で、その状態からゆっくり竿を後ろに向けて、エサが取れないようふんわり前に振りかぶって… ここで糸を放す!」

 

「おぉー!」

 

 春彦が竿を振ると、ラインがリリースされてフリーになり、振りかぶった反動で仕掛けがするすると空中を飛んでいき、そして30メートルほど飛んだところでドボンと水しぶきをあげて仕掛けが着水した。

 

「あとは竿受けにセットしてやる訳だけど… できそうか?」

 

「えぇっと… 糸はどのタイミングで放せばいいんだっけ?」

 

「真上を過ぎたちょっとあとくらい、時計で言うと10時くらいの角度かな」

 

「10時の角度… よーし! じゃあやってみるよ!」

 

 イメージトレーニングで確認を終えたなでしこは、春彦がやったように竿を後ろに向けて、そのままふんわりと振りかぶって糸を離した。

 

「うわわっ!?」

 

「大丈夫か?」

 

「えへへ… ふんわりって意識したら足踏ん張ってなかったよ…」

 

 竿を振りかぶったところでなでしこはその反動で体まで前につんのめって転びそうになったが、へっぴり腰になりながらもなんとか踏みとどまった。リール竿を扱う初心者にはこういうのはお約束だ。

 

「とりあえずそんな悪くない場所まで飛んだからOKだな。じゃあ振り込んだらアームを上げて、この竿受けにセットして…」

 

「こう?」

 

「それでいい。少しリールを巻いて糸を張って、これに糸を引っ掛けて待つだけだ」

 

「このちっちゃい機械は?」

 

「バイトアラームって言ってな、引っ掛けた状態で糸が出ると…」

 

 春彦がわざと糸を引っ張ると、それにセンサーが反応しバイトアラームから大きな電子音が鳴り響いた。

 

「こんな風に魚が釣れたのを音で知らせてくれるんだ」

 

「ほぇーハイテクー」

 

「これでやることは終わりだ。あとは30分おきくらいにエサを付け直すだけだから、座ってじっくり待つ」

 

「へぇー、なんかのんびりした釣りだね?」

 

「まあな、座ってリラックスしながら待とう」

 

 ひと仕事終えたといった感じで、春彦はなでしこが用意していた折りたたみのアウトドアチェアに腰掛けた。

 

「そうだ、バーナーとコッヘル持ってきたから、お湯沸かしてお茶にでもするか?」

 

「いいねぇ! 釣りしながらのんびりティータイムー」

 

 春彦は早速持参したミネラルウォーターをコッヘルに入れ、バーナーの火を点けてお湯を沸かしにかかった。

 

「なんかちょっとキャンプっぽいね」

 

「テントはないけど、ちょっとそれっぽいな」

 

 釣りをしながらキャンプ道具を使ってお茶をするなんていかにもなキャンプっぽさだ。

 ここにテントがあれば完全な釣りキャンとなっていただろう。

 

「紅茶と緑茶とほうじ茶があるけど、なでしこは何飲む?」

 

「ほんじゃあ私は緑茶をいただこうかねぇ…」

 

「ずいぶん一気に老け込んだな」

 

 どういうノリなのかおばあちゃん風に喋りだしたなでしこ。なぜだか妙にそれっぽさが出ているのはどういうことなのだろうか。

 

「ハル君や、お菓子もたくさんあるよぉ?」

 

「健啖家なおばあちゃんだな」

 

 なでしこのリュックからお菓子の袋が溢れるように出てくる。

 クッキーにポテチ、チョコパイにドーナツ、カップケーキにカステラと、これだけ出てきてもまだ打ち止めの気配はない。この上まだ昼ごはんも入っているのだから恐ろしい話だ。

 

「食いすぎて昼飯食えなくなる… なんてことはないか」

 

「んー?」

 

 普通なら起こりうる心配もなでしこに限ってはそのような懸念はいらないだろう。

 本当によく太らないなと春彦は逆に感心した。まあ実のところそんなこともなかったりしたのだけど。

 

 そんな風にしてお茶をしながらアタリを待つ2人だったが、魚の反応がなくそのまま40分ほどが経過した。

 

「なかなか釣れないね?」

 

「冬の鯉は活性が低くてあんま動かないしエサも食べないからな。俺らだって寒いと動きたくなくなるだろ?」

 

 基本的に冬という季節は鯉に限らず魚たちはあまり活発に動いたりはしない。変温動物である魚には冬の冷たい水温では活性が下がり、エサも乏しくなるためだ。だから基本的に寒い時はあまり動かずにエネルギーを温存している場合が多い。

 

「でも今日は12月にしちゃそこそこ暖かいから、そう悪い条件じゃないと思うぞ」

 

「たしかに今日は結構あったかいね」

 

「それにさっきちょっと水面が揺れてたし、魚自体の活性はそう低くないかもな」

 

「えっ? 私全然気が付かなかったー」

 

 お茶をして談笑をしながらも、春彦は時折湖面の様子に目を光らせていたのだ。

 

「ねえハル君、釣りしてるときって何どんなこと考えてるの?」

 

 春彦の話を聞いて、なでしこは釣り人の思考というものがふと気になった。

 

「そうだな… まず釣れない時はすごい色々考えてるな。なんで釣れないのか。エサが悪いのか、場所が悪いのか、時間帯とかとにかく色々だな」

 

「そんなに色々あるんだ!」

 

「あとは水中の状況をイメージしてみたりとかだけど… 結局は魚の気持ちになって考えるって感じかな」

 

「魚の気持ち…」

 

「狙ってる魚の習性とかを踏まえて、どうすれば釣れるかを頭の中でシミュレーションすんだよ」

 

「へぇー、すっごい色々考えてるんだねぇ… なるほど、魚の気持ち、魚の気持ち…」

 

「魚の真似するわけじゃないぞ」

 

「えへへ…」

 

 手を胸びれのようにパタパタさせるなでしこに春彦は苦笑いしてカップの紅茶を口に含んだ。

 

 ピッ… ピピピピピピッッ…!

 

「…っ! 来たぞなでしこっ」

 

「えっ!? ほんとっ!?」

 

 なでしこが投げた方の竿についたバイトアラームの音が静寂した空気を打ち破り、リールに巻かれた糸が勢いよく引き出されていく。間違いなく何かがかかった証拠だ。

 

 春彦が急いで駆け寄って竿を持って鋭くアワセを入れると、ずっしりとした重量感と明らかな生命反応が手元に伝わってくる。

 

「おわっ! すごい引いてるよ!?」

 

「そんなデカくはないけど、多分鯉だな」

 

 今までに幾度となく鯉を釣った経験のある春彦は、その引きだけで本命の魚かどうか大体は見当がつく。

 春彦は2分ほど鯉の引きを楽しむと、横で騒ぐなでしこに魚のかかった竿を差し出した。

 

「ほれ、バトンタッチ」

 

「うえぇっ!? これどうすればいいの!?」

 

「とりあえずしっかり持ってもっと竿立てて」

 

 いきなり竿を渡されて慌てふためくなでしこに、横から手でサポートしながらやりとりの基本を教えていく春彦。

 

「魚が逃げる方と逆に竿を向ける感じ。そうそう、竿の力を使って上手くいなして」

 

「すっごい重たいけど、これ私と同じくらいの大きさなんじゃっ…?」

 

「安心しろ、その半分すらないから」

 

 初めて体験する鯉の力強い引きに、逃がす前から魚を大きく見積もるなでしこだが、当然そこまでの大きさではない。

 

「よーし、じゃあ竿をそのまま体に引き寄せて、寄ったらリールを巻きながら竿を前に寝かせて、糸は絶対緩めるな。寝かせたらまた引いてー巻いてー、よしよし」

 

「あっ! 見えたよハル君!」

 

 春彦の指示通りにポンピングしていくと、岸から10メートルほどのところにようやく魚の姿が見えてきた。

 ギラリと黒く光る魚体。間違いなく鯉だ。

 

「よし、もうちょいもうちょい、頑張れー」

 

「よいしょ… うわっ!? また暴れ出した!!」

 

「ガッチリかかってるから慌てんな。巻かないで竿を立てて、大人しくなったらまた寄せて」

 

 岸際まで引き寄せられた鯉が人間の姿を視認して最後の抵抗を見せるが、上顎にしっかりと針がかりしているため逃げることはかなわない。

 そして最後の抵抗をいなされた鯉は観念したように再び岸際に引き寄せられていき、それを見た春彦はあらかじめ用意していたランディングネットで素早く鯉を取り込んだ。

 

「わぁーっ! やったぁー!!」

 

 鯉がネットに収まったのを見たなでしこが歓声を上げる。

 釣り上げたのは体長50センチほどの小型の鯉ではあったが、なでしこの目にはその鯉がものすごく大きく見えていた。

 自分の力で釣り上げた魚を見て大興奮するなでしこを見て、春彦は微笑ましそうに笑う。

 

「おし、じゃあ針外して大きさ測るか」

 

「ハル君! ちょっと持ってみていい!?」

 

「いいぞ。じゃあ水で手を濡らして、両手で下からそっと持ち上げてな」

 

 春彦の言う通り、鯉の頭と尾の下を手で支えてゆっくりと持ち上げるなでしこ。

 

「うひーヌルヌルしておもーい!」

 

「これでもまだ小さいほうだけどな」

 

「まだ大きいのがいるの!?」

 

「ほんとにデカイのはこの倍以上あったりな」

 

「倍!? ほんとに私と同じになっちゃうよ!」

 

 当然そんな個体は滅多にお目にかかることはできないが、それでももしかしたらがあるのが鯉釣りのロマンと言えるだろう。

 

「じゃあ逃がすけど、やりたいか?」

 

「うん!」

 

 鯉を持つなでしこの写真を撮ってサイズを測り終え、釣った魚をリリースする。

 

「疲れてるから自分から泳ぎだすのを待ってやんな」

 

「あ、泳いだ… バイバーイ!」

 

 なでしこは鯉が見えなくなるまで手を振って、湖の水でザブザブと手を洗った。

 

「はーっ!やっぱ冷たぁー」

 

「どうだった? 初めて鯉を釣った感想は?」

 

「鯉ってすごい力なんだねぇ、私引きずり込まれちゃうかと思った」

 

「これが夏になると同じサイズでももっと引くし、デカイのはこんなもんじゃないぞ?」

 

「ひぇぇ、もし引きずり込まれちゃたら助けてねハル君?」

 

「その前に竿放せな?」

 

 オーバーリアクションもいいとこだが、これを冗談でもなくわりと本気で言っているのがなでしこの純粋さといったところ。

 呆れたような笑みを浮かべながらも、自分の趣味をこれほど純粋に楽しんでくれていることを春彦はなんだかんだで嬉しく思っていた。

 

「じゃあまたエサ付けて投げるぞ」

 

「ふふふ、今度も私が釣っちゃうからねー?」

 

「まあ頑張れよ」

 

 魚を釣り上げてすっかり上機嫌ななでしこ。

 仕掛けを投入してまた待ちの時間に入るが、一度釣れたことでその楽しさを知ったせいか、のんびりお茶をしていた先程とは違ってなでしこはそわそわと自分の竿の方を気にするようになった。

 

「気持ちは分かるけど落ち着きな」

 

「でも気になるよぉー…」

 

「ほら、ドーナツでも食えって」

 

「もぐもぐ… んー気になるぅ~…」

 

 ドーナツを頬張りながらもなでしこはしきりに竿の方を気にして視線を動かしている。これはもう完全に釣りの魔力に取り憑かれてしまったといえるだろう。

 

「来た!? …違うかぁ」

 

「あっ! 今度はハルくんのに来たよっ!」

 

「ハルくーん! さっきより大きいよーっ!」

 

 魚がかかる度になでしこはとんでもなく元気になって、釣り上げればこれまたとびきりの笑顔で喜びを表現した。

 

 釣り好きな彼女ができたらこんな感じなのかな…

 

 なでしこを見てふとそんなことを思ってしまった春彦。一瞬で我に返り、「何考えてんだ」と色ボケしかけた思考回路を瞬時に元に戻した。

 

「ハル君?」

 

「なんでもない… ちょっと眠気がな」

 

 頭を抱える春彦の顔をなでしこが心配そうに覗き込む。 

 2人とも今までは全くと言っていいほど意識していなかったが、景色の良い場所で2人きりというこの状況は傍から見れば釣りデートそのもの。恋愛ごとに疎めななでしこはともかく、いくらなんでも春彦は気が付かなすぎだった。

 

 そんな簡単に恋に落ちるわけあるかよ。

 

 実際のところ、恋のきっかけなど案外些細なものであったりもするのだが、若い春彦は恋愛経験のなさゆえ、浮ついた気持ちを真っ向から否定した。なでしこの姉の桜のことは棚に上げて…

 

 

 ピピピッ…ピピピーッ…

 

 

「おっ…」

 

「また来たっ!」

 

 春彦が葛藤していたところに本日6度目のアタリが来る。

 すぐさま春彦は合わせるが、その手元に伝わる引きは鯉のものとは違うことに気がつく。

 

「これ魚違うかも」

 

「違うって、鯉じゃないの?」

 

「なんか首振ってんだよなぁ…」

 

 鯉があまりすることがない首を振る動きとキレのある引き味。

 重さ的にはそこまで変わらないようだが…

 

 とりあえずその姿を確認するべく春彦は慎重に魚を引き寄せていくと、ついにその魚の姿が2人の見える場所に現れた。

 

「なんか赤っぽいよ!」

 

「まさか…」

 

 引き寄せられた魚体は鯉とは全く違う魚のそれだった。

 

「ニジマスだな」

 

「えっ!? これが!?」

 

 なでしこが驚いたのはその大きさのせいだろう。

 彼女がニジマスと聞いて思い浮かべた魚は20センチほどのものだが、この魚はそれより遥かに大きく、ゆうに60センチ近くはありそうな大きさだった。

 

 驚くなでしこをよそに、春彦がランディングネットで魚を取り込む。

 

「とんでもないのが釣れたな?」

 

「これほんとにニジマス!? こんなに大きくなるの!?」

 

「ああ、そうそう釣れる大きさじゃないけどな」

 

 湖の個体の場合、ニジマスは最大で80センチ以上まで成長する場合もあるが、それなりのサイズまで成長する個体というのは非常に少なく、狙ってもなかなか釣れるものではない。それが鯉釣りをしていて釣れてしまうというのは思いもよらぬ幸運だった。

 

「なんか釣れちゃったけど… これ食べ…」

 

「うん食べるっ!!」

 

 春彦が言い終わる前に即答。聞くまでもない質問だった。

 

「親父にクーラー頼むか」

 

 こうして思わぬ収穫を得た2人はその後ものんびりと鯉釣りを楽しんだ後、日が傾いてきたところで釣りをやめて迎えに来た春彦父の車に乗って帰路についた。

 

「はい、こっちは味噌バターのホイル焼きで、こっちがムニエル」

 

「んーっ! おいひーっ!!」

 

 当然持ち帰った幸運のニジマスは春彦の手によって料理されて、なでしこに美味しく頂かれましたとさ。

 

 

 

 

 

 




ようやく主人公君の釣り人なとこが書けた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 クリキャン! 前編

 

 

 12月24日、クリスマスイブ。

 野クルのクリスマスキャンプをする富士宮市のキャンプ場への道を春彦は愛車のアドレスでひた走っていた。

 

「2時まであと40分、十分間に合うな」

 

 信号でバイクを止めた春彦はメーターパネルの時計で時間を確認する。

 目的地まではあともう少し。それが分かると思い出したように体が疲労を訴えてくる。

 

「やっぱ車で来たかった…」

 

 春彦は信号待ちをしながら大きなため息をつく。なぜ春彦がバイクに乗ってこうもボヤいているのか、話は2週間前に遡る。

 

 春彦がバイトの面接をした同じ日に、ひょんなことから新任教師の鳥羽美波が野クルの顧問になったことで、今回のキャンプではなでしこを除く野クルメンバーは顧問である美波の車でキャンプ場まで行く予定であった。のだが…

 

「クリスマスキャンプは鳥羽先生が車出してくれるから楽でええなぁー」

 

「ほんとだな。重い荷物を背負うこともないし、寒い中歩く必要もないし」

 

「ん? 春彦、お前はバイクで行けよな」

 

「はぁ?」

 

 さも当然のような口調で言う千明に春彦は首をかしげる。

 

「先生が車出してくれるんだろ?」

 

「そうだけど… お前はバイクあんだしそれでいいだろ?」

 

「良くないし意味がわからん。俺は車のほうがいいんが?」

 

「お前なぁ、しまりんだってバイクで来んだぜ?」

 

「いやそれとこれとは話が違うだろ」

 

 頑なにバイクで行くことを勧めてくる千明の意図が春彦はまるで掴めない。

 

 リンの場合は彼女がそうしたいからバイクで行くのであって、春彦にはその意思は全くない。春彦にとって自分のバイクは単に移動手段でしかなく、何も生粋のバイク乗りでツーリング好きという訳ではない。なのでバイクか車かと問われれば、当然暖かくて快適な車を選ぶ。

 

「バイクに乗ってくればイケメン度アップでモテモテだぜー?」

 

「ウチも惚れてまうかもしれんなー?」

 

「心にもないことを… てかなんでお前までノッてくんだよ」

 

 理屈では勝てないと見た千明はあおいと2人で春彦をおだてにかかるが、見え透いた2人の嘘には春彦は引っかからない。

 

「私もハル君のバイク見てみたいなぁ…」

 

「えぇー…」

 

 千明とあおいのような邪念のないなでしこのまなざしに、春彦は思わずたじろぐ。

 

「わかったよ… 」

 

 嘘には引っかからなくとも、なでしこの本心からの言葉は無碍にできず、いい加減面倒になってきたのもあって春彦は首を縦に振った。

 

 かくして春彦は今回のキャンプにバイクで行く羽目になった訳だが。

 

「もっとゴネるべきだった」

 

 後悔先に立たず。どう嘆いたところで今バイクに乗っているこの状況が変わることはない。

 

(まあでも…)

 

 走るのは面倒ではあるが、キャンプ自体は春彦は存外楽しみにしていた。

 リンが見つけてくれたキャンプ場は聞いたところ良さそうだし、夕飯はあおいが懸賞で当てたA5ランクの肉を使った料理が出る。それに今回飛び入り参加する恵那が飼い犬のチクワを連れてくるということだが、これも犬好きな春彦にとってはプラス材料だった。

 

 今回のキャンプは前回よりもより充実したものになるだろう。その期待に春彦は心持ちが幾分か軽くなった気がした。

 

「よし、あともうちょいだ」

 

 春彦がキャンプ場に着いたのは、待ち合わせの2時よりも20分ほど前だった。他のメンバーの集まりをフロントに訊ねると、春彦以外はもう全員到着しているとのこと。

 

(チェックイン12時って、集合時間間違えたかな?)

 

 集合時間の2時間前には自分を除いた全員が到着しているとなれば、多少なりとも不安になってしまう。疑問を抱きつつも、春彦は他のメンバーを探しにキャンプサイトに足を踏み入れた。

 

「広っ…」

 

 視界に広がる広大な景色に思わず春彦は声を上げた。

 広いとは聞いていたキャンプサイトだが、実際に目にするとそのスケールはかなりのもので、春彦の目の前には東京ドームの9個分はあるという広大な草原が広がり、遠くにはなでしこの大好きな富士山の姿も見える。

 

「景色は最高だけど、探すの大変だなこれ…」

 

 広大なキャンプサイトに春彦がため息をついたそのとき。

 

「うわぁぁぁぁ~…!」

 

「ん?」

 

 どこかから響いてきた聞き覚えのある声に、春彦は声のした方向に目を向けると。

 

「わぁぁぁ~っ 食べられるぅ~!!」

 

「あ…」

 

 ピンク色の髪を揺らして全力疾走する人影は、どう見てもなでしこ以外の何者でもなかった。キャンプサイトを疾走するなでしこは犬に追いかけられており、よくよく見ると彼女は手になにか持っている。春彦はその状況から大体を察した。

 

「エサ持ってて追っかけられてんのか?」

 

「うわぁっ!! ぶへっ…!」

 

「あ、転んだ。あ、取られた」

 

 なでしこが転んだ拍子に手からこぼれたエサを、ウサギ耳を付けた犬は素早く咥え上げそのまま走り出した。

 

「待ってぇ~っ!!」

 

 起き上がって犬を追いかけるなでしこの声が遠のいていく。

 

「とりあえず着いくか」

 

 なんのあてもなく探すよりはマシだろうと、春彦はなでしこが走り去った方に向かって歩き出した。そして目論見どおり、しばらく歩いていくと他のメンバーが集まっているのが見えてきた。

 

 思いの外簡単に合流できたことに春彦は安堵した。

 

「遅いぞ春彦ー」

 

「まだ2時前だぜ? そっちが早すぎんだよ」

 

「みんな楽しみで早く来てしもたんよー」

 

「にしてもよく場所分かったな?」

 

「元気な2匹の犬が案内してくれたからな」

 

「あぁー」

 

 春彦の言葉に全員の視線が向こうで追いかけっこをしているなでしことチクワに注がれる。

 

「あれ、そういや鳥羽先生は… なるほど、もう出来上がってらっしゃるのか」

 

「ちょっと目離してたんだけど、あたしらが戻った頃にはもうへべれけでなぁ」

 

「流石グビ姉やわー」

 

 すでに相当量のアルコールが入っているのか、椅子に腰掛けて毛布を被り、いびきまでかいて爆睡中のグビ姉こと鳥羽先生。明らかに生徒、特に男子である春彦には見せてはいけないような状態ではあるが、かといってどうすることもできないので放置しておくしかない。

 

「春彦、お前荷物は?」

 

「お前ら見つけてから下ろそうと思って、まだ駐車場のバイクに積んであるぞ?」

 

「おっ、だったらここらで春彦の愛車を拝見と行くか!」

 

「いいけど、そんな面白いもんでもないぞ?」

 

 春彦が来る前にそれぞれのキャンプ道具を見せ合っていたこともあって、春彦は自分の荷物を持ってくるついでに彼の愛車のアドレスをみんなに見せることになった。

 

「おぉーこれが春彦のバイクかぁ。写真では見たことあったけどこうして見ると結構デカイな」

 

「125ccのスクーターじゃかなり小さい方だけどな」

 

「でも私のよりはずっと大きいよ」

 

「そりゃビーノと比べればね」

 

 黒い車体の春彦のアドレスV125Sは種別こそリンのビーノと同じスクーターではあるが、そのボディは50ccのビーノよりも一回りほど大きな造りとなっている。

 

 しかしながらこのアドレスV125シリーズは原付二種125ccクラスにおいては非常にコンパクトなサイズであり、取り回しと加速性能に優れ、価格も安かったために売れに売れ、このコストパフォーマンスに優れたスクーターは自動二輪車としては近年にない大ヒット車両となった。

 

「でも車体とタイヤが小さいせいか、乗り心地とか安定感はちょっと微妙なんだよな」

 

「春彦、世の中にはもっと小さいので頑張ってるソロキャン少女もいんだぞ…?」

 

「おいやめろ」

 

 思いきり特定の人物を揶揄する表現にリンが抗議の声を上げる。

 

「私のと比べると色々付いてるんだね?」

 

「そうだね。このバカでかいホムセン箱はもちろん、ハンドルとサイドのバイザーに、シールド、ヒーターグリップも全部後付けだよ」

 

「これ全部自分でつけたの?」

 

「いや、ホムセン箱以外はこのバイクをくれた叔父さんが自分で付けたみたい。セカンドバイクで実用性重視でカスタムしたんだとさ」

 

「たしかにここまでやれば風とか寒さはだいぶ防げるかもな。よし、じゃあその乗り心地をちょっくら確かめてみっか!」

 

「あ、おいちょっとまて千明っ…」

 

 ビビビビビビッッッ!!!!

 

「うわっ!? なんだっ!?」

 

 バイクに跨がろうと千明がハンドルに手をかけた瞬間、けたたましいアラーム音がバイクから鳴り響いた。

 千明が驚いて飛び退くとアラーム音が収まり静かになった。

 

「ハンドルロックかけたまま動かすと防犯アラームが鳴るんだよこれ…」

 

「それを早く言えよなぁ… 心臓止まるかと思った…」

 

「ほんまに多機能やなぁー」

 

 図らずもアドレスの防犯機能が披露されたところで春彦のバイク紹介は幕を閉じ、荷物も下ろされ春彦のぶんのテントの設営は済んだ。

 

「さーてこれで設営は全て終わったわけだが…」

 

「てかアレどーすんだよ? あいつまだ走り回ってるけど」

 

「なんか増えてるし」

 

「たのしそー」

 

 春彦の指差す先には相変わらずチクワを追いかけているなでしこ、そしてなぜか見知らぬ数人の子供たちがそれに加わって広大な草原を駆け回っていた。

 

「じゃ、これでうちらも参加しちゃうか?」

 

 ニヤリと笑って千明が取り出したのはフリスビーだった。駆け回るなでしこを止めてやるのではなく、全員で乱入して遊ぶつもりのようである。

 

「それっ! 取りに行け春彦ーっ!」

 

「おわっ! どこ投げてんだこのっ…!」

 

 放っておけば良いものを、春彦は律儀にぶん投げられたフリスビーを必死に追いかけていく。

 

「なんか、すごい素直だな…」

 

「そこがハルのええとこやでー」

 

 全力疾走する春彦を眺めながらリンとあおいはそんな会話を交わしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キャンプ場に遊びに来ていた子供たちとしこたま遊んだ6人は、子供たちと別れて自分たちのキャンプに向かって歩いていた。遊んでいるうちに陽はだいぶ傾いて、辺りはうっすらと暗くなり始めていた。

 

「ぜってー筋肉痛になるぞこれ…」

 

「お前ほんとにセーブできないよなー、頑張り過ぎだっつの」

 

 疲労困憊でフラフラな春彦に呆れ顔で千明が手を貸している。

 

「小沢君大人気だったもんねー」

 

「ハルは子供に好かれるからなー」

 

 恵那とあおいが微笑ましそうに春彦を見て笑う。

 

 遊びの途中で春彦が即興で扮した怪人ブランケットなるキャラクターが子供たちに大ウケ。

 全員で怪人退治にくる子供たちに全力で相手した春彦だったが、悪ノリした千明たちが子供たちに加勢したこともあり、圧倒的な数の暴力の前に惨敗し今に至る訳である。

 

「あいつら容赦ねぇって… 全員でのしかかってくんだぞ?」

 

「ハルが全力で付き合うから楽しいんやてー」

 

「あとひとつ聞いていいか? いや聞くまでもないんだけど、子供たちにカンチョーしろって言ったの誰だよ…」

 

「なにっ!? そんな卑劣なことを指示した輩がいるのか!」

 

「お前に決まってんだろコラー!」

 

 すっとぼける千明を追いかける春彦だが、ヘロヘロの体では当然捕まえられるはずもなく、ひらりひらりと千明に逃げられおちょくられている。

 

(ほんとに仲良いんだなあの2人)

 

 2人がじゃれ合うのを見てぼんやりとリンは考える。

 2人のことは噂には聞いていても、実際に千明と春彦が一緒にいるところをあまり見たことがなかったリン。

 

(付き合ってないって言ってたけど… あれで?)

 

 既に春彦に否定されたにも関わらずそういう関係ではないのかと勘ぐってしまうほどの2人の雰囲気は、妙な一体感のある野クルメンバーの中ですら一段と親しいものに見えてしまう。

 

 もう何度目かも分からないお馴染みの勘違いされているとは知らず、体力の尽きた春彦がゼェゼェと肩で息をしながら悔しそうに千明を一瞥する。

 

「くそっ、ただただ疲れた…」

 

「ガハハ、不甲斐なし小沢春彦ぉ~!」

 

「あきー、そのへんでやめとき?」

 

 虫の息になりつつある春彦に抑え役のあおいが助け船を出す。千明たち昔馴染みのこの3人ではよくある構図だ。

 

「クッキーもらってもうたなー」

 

「手作りだってね」

 

 あおいの持つ子供たちからもらった手作りクッキーの袋にリンが視線を落とす。ちょっとした出会いが産んだ思わぬ収穫といったところだろう。

 

「春彦もこんなんだし、それでお茶しようぜ?」

 

「さんせーい!」

 

 千明の提案にダウン寸前の春彦以外は賛成の声を上げ、6人は夕暮れ時のティータイムと洒落込むことにした。

 

 まずは暖を取るために千明が新しく買った焚き火台で火を起こし、それからお湯を沸かしてココアとコーヒーを淹れる。すると焚火の匂いに反応して酔いつぶれて寝ていた美波があくびをしながら起きてきた。

 

「くぁー… みんな揃ってたのね…」

 

「あ、ふぇんふぇーおはよーございまふ」

 

 クッキーを頬張りながらなでしこが美波に挨拶する。

 

「先生、ココア飲みますか?」

 

「ありがとー、頂くわぁ」

 

 恵那からココアを受け取った美波はクーラーボックスからおもむろに酒瓶を取り出した。

 

「な、なに入れてるんですか先生!?」

 

 ドボドボとココアにラム酒を注ぐ美波に流石の恵那も困惑のを隠せない。

 

「ココアには意外とラム酒が合うのよ。 …っぷはーあったまるわぁーっ」

 

「起き抜けにいきなり… もう完璧におっさんだな」

 

「これがグビ姉…」

 

 酔いつぶれて寝て起きてもまた飲むという終わりの見えないグビ姉のローテーションに、千明もあおいも若干引き気味だった。今の美波はもはや教師でもなんでもないただの飲んだくれと化していた。

 

「小沢君はココアだよね? はい」

 

「あんがと… はぁ…糖分が体に染みる…」

 

「こっちはおっさん通り越してもう老人だな」

 

「えらい老け込んでもうたなぁ」

 

 疲労のせいで老人のようになって恵那から受け取ったココアを飲む春彦。

 疲れ切ったその姿にあおいは苦笑いしながらも心配しているが、原因の一旦である千明は他人事のように見ているだけというとぼけぶりを見せる。

 

「あ、見て、赤富士!」

 

 みんなが恵那の言葉に振り返ると、夕焼けに照らされた富士山の景色が広がっていた。

 

「綺麗…」

 

「キレイやなぁ…」

 

 オレンジ色を帯びた雄大な赤富士になでしことあおいが言葉をこぼす。

 何度見ても期待を裏切らない感動を与えてくれる富士山の景色は、それだけで来てよかったと感じるほど美しい景色といえる。なでしこがこだわる理由もなんとなく理解できてしまいそうな美しさに、しばし静寂が流れる。

 

 

「さて、暗くなる前に夕飯の支度始めるでー」

 

 静寂を破ったのはあおいの言葉だった。クーラーボックスの中から食材を探すあおいに千明が声をかける。

 

「イヌ子はん、今晩はええお肉で何作りはるんどす?」

 

「せやねー、今晩はクリスマスっちゅーことで…… すき焼きや」

 

 タメにタメて発表された意外すぎる料理名とクーラーから取り出された豆腐に、あおい以外の面子は訝しげな顔で頭にクエスチョンマークを浮かべる。

 

 クリスマスにすき焼き。ぱっと聞いただけではまるで繋がりが見えてこない組み合わせだが、この意外性に富んだチョイスはひとまず置いておいて、まずは料理に取り掛かるあおい。

 鍋に牛脂を広げて牛肉に軽く火を通し、砂糖、醤油、酒を入れてひと煮立ちさせ、残りの具材を入れればあとはしばし待つだけ。

 

「正統派すきやきってレシピだねー」

 

「関西風やでー。あき、スキレットでこの玉ねぎ炒めといてくれへん?オリーブオイルとにんにくで」

 

「うん? なんかもう一品作んのか?」

 

「まあそんなとこや」

 

 すきやきの調理をあらかた終えたあおいが、カットされた玉ねぎの入った袋を千明に手渡して意味ありげな笑みを浮かべる。

 

「しっかしめちゃめちゃ冷え込んできたな」

 

「高原やしなぁ」

 

 師走の容赦ない寒さに千明とあおいが身震いする。

 陽が落ちたこの高原の気温はすでに0度近くまで冷え込んできており、防寒着と焚き火の熱をもってしても寒さを感じるほどになっている。

 

「みんな、こうするとぬくいですぞ?」

 

 声のする方に振り向くとなでしこがブランケットを首まで被って怪しげに笑っている。

 

「出たな怪人ブランケット」

 

「ふひひひ、将軍の敵を取るべく今度は仲間を増やしに来ましたぞ」

 

 新たな怪人ブランケットの登場により、暖かな誘惑に負けた者たちはすっぽりとブランケットを纏い軍門に降った。

 勢力拡大に乗り出した秘密結社ブランケットは、先の戦いで重症を負った春彦将軍の跡を継ぎ、新たに組織のトップに君臨したチクワ将軍のもと世界征服に乗り出した。その脅威は春先頃まで続くことになるだろう。

 

 

「そろそろ頃合いやな」

 

 あおいが鍋の蓋を開けると食欲を誘うすきやきの香りと共に白い湯気が舞い上がった。

 

「「「おぉーーっ!!」」」

 

 鍋を覗いた面々から歓声が上がる。

 A5ランクの牛肉を使ったあおい特製のすきやきはちょうど良い具合に煮えており、その見た目と匂いだけで涎が垂れてきそうなほど美味しそうな出来上がりだ。

 

「それでは…」

 

「「「いただきまーーす!!」」」

 

 手を合わせた7人は思い思いに鍋から具をつまんで溶き卵にひたし、ほかほかと湯気を帯びたそれを口へと運んだ。

 

『うんっっまぁぁっ…!』

 

 ひとくち目でここにいる全員が満場一致でその感想が出てきたに違いない。

 A5ランク牛肉を使ったすきやきというだけでも十分なのに、それにキャンプでの外メシ効果まで加わったことにより、その美味しさは留まることを知らないレベルだった。

 

 ただ美味しいという感想は一致していても、その表現のしかたはそれぞれ違うようで。

 

「んーっ! すっごく美味しいよあおいちゃん!」

 

「肉チョーうめぇー!」

 

 なでしこと千明は賑やかしながら全身でウマさを表現し、かと思えばもう一方ではリンと恵那は黙々と味わいながらもその表情は至福の笑顔といった風に、女性陣の反応は概ね2パターンに分かれていた。

 ちなみにグビ姉こと美波は、すき焼きに合う日本酒を持って来なかったことを悔やんで後悔の涙を流しながらすき焼きを食べている。いや本当に生徒の引率をする教師にはとても見えない姿である。

 

 そしてこの中で唯一の男子である春彦はというと。

 

「はぁ〜… なんかもう死んでもいいかな…」

 

「アカン、疲れと空腹で美味さが振り切れとる」

 

「今の春彦、みんなの100倍くらい美味く感じてんじゃないか?」

 

「なんかちょっと羨ましいかも」

 

 春彦は見たこともないくらい綻んだ幸せそうな表情をしていた。

 空腹は最高の調味料とはよく言ったもので、疲労による空腹でヘロヘロの春彦にとってこのすき焼きは天にも昇る美味しさだった。今の春彦にしか味わえない感覚になでしこは少し羨ましそうにしている。

 

「なあイヌ子、どうして晩メシすき焼きなんだ?」

 

 誰もが気になっていた疑問にようやく千明が触れる。

 

「うん、実はなー」

 

 あおいの説明によると、家で当たった牛肉をどう使うか考えていた時に、すき焼きは特別な日にみんなで食べるものだからと祖母に言いくるめられたのだそうだ。ナチュラルに相手を騙す技術。流石はホラ吹きイヌ子のグランドマザーといったところだろうか。

 

「ちゅー訳や」

 

「ばーちゃんに言いくるめられたって訳か」

 

 あおいの説明を聞いて笑いが起こる。

 

「でもこんな風にお鍋囲むの、日本の年末って感じがしてすごくいいと思う」

 

「そうだ忘れてた!私、クリスマスっぽいもの持ってきてたんだよ」

 

 なでしこが発した年末というワードで恵那は自分が用意していたとあるグッズのことを思い出した。

 恵那が引っ張ってきたやたら大きなバッグを開けると、そこにはクリスマスならではの聖なる装備が…

 

「年末戦士! サンタクレンジャー!!!」

 

 恵那が持参した変身アイテムにより、女性陣は全員が赤いサンタ衣装を身に纏った姿となった。バシッと横並びにポーズを決めたのは上がったテンションのせいか否か。

 

「電池式のミニツリーもあるよ」

 

「一気にクリスマスムードやー」

 

 ミニツリーはまだいいとして、6セットものサンタ衣装をわざわざどうやって用意したのかという疑問は、急激に上がったテンションのせいか誰もツッコミを入れなかった。

 

「ちくわトナカイかわいい~」

 

「ぷくくっ…犬とお揃いだなんてなぁ、よく似合ってるぞ春彦っ…」

 

「小沢君のは赤鼻付きだよー、本格的でしょ?」

 

「はは、ソリ引きは俺にまっかせなさ~い」

 

「小沢君、なんかやばくなってないか?」

 

「アカン、疲れのせいではるの思考がおかしなっとる」

 

 演出によって一気に増したクリスマスムードにしばし浮かれていたメンバーだったが、だんだんと冷静になってくると全員がとある事実に気がつく。

 

「なんか… 仕事終えたサンタが打ち上げしてるみてーだな…」

 

 冷静になった千明がポツリと呟く。

 この光景はどう見ても仕事終わりのサンタとソリの引き過ぎで過労死しそうなトナカイにしか見えなかった。千明の一言によって上がっていたテンションは一気に鎮火していった。

 

「」

 

 「あ、そろそろ具材追加しない?」

 

 鍋の中の具材が肉以外あらかた食べつくされているのに気が付いた恵那が声を上げる。

 

「いや、こっちのはもうおしまいや」

 

「え、でもまだお肉こんなにあるよ?」

 

「こっからはこいつで… お色直しや!」

 

 そう言ってあおいが取り出したのは真っ赤に完熟したトマトだった。

 あおいは先程千明が炒めておいたタマネギに切ったトマトとバジルを加えて加熱し、野菜がなくなった鍋にそれを移して煮込んだ。

 

「トマトすき焼きの出来上がりやー!!」

 

「「「トマトすき焼き!?」」」

 

 予想外のアレンジにあおい以外の全員が驚きの声を上げる。

 クリスマス料理としてはかなり意外性の高かったすき焼きが、さらに意外性に富んだ食材によって一気に別の料理へと昇華した。

 

 ユニークなアレンジすき焼きに半信半疑で箸を付ける面々だったが、口に運んだ瞬間に半分あった疑いは見事に吹き飛んだ。

 

「んまっ!」

 

「トマトうまっ!」

 

 テンションの高いなでしこと千明が先人を切ってその味を褒めた。

 当然のごとくその他の面々にも大好評で、みんなの満足げな表情に料理を作ったあおいは思わず笑みをこぼした。

 

「うぐっ… ワインがあうのに゙… ワインがあうのに゙ィ…」

 

「はいはい、忘れてしもたんですね…」

 

 鼻水まで垂らして泣きながらワインを欲するダメな教師が1名…

 一度酒が入るともうアルコールを中心に彼女の世界は回るようになっているらしい。 

 

 ともあれ、反則級のトマトすき焼きの美味しさにみんなの箸はどんどん進んでいき、いよいよもって鍋の中は汁を残して空になってしまった。

 

「食ったー」

 

「食べたねー」

 

「犬山さんごちそうさま、すごくおいしかった」

 

「んふふ、おそまつさま。…けどな、まだ終わりじゃあらへんねん。トマすきのシメ、チーズパスタが残っとんのや!!」

 

 すき焼き奉行あおいはまだ手札を残していたようで、バシッとパスタの袋が掲げられる。

 

「シメ食べるひとー」

 

「はいいィッ!!」

 

「すげーなお前」

 

 あおいの問いかけに迷いなく即答したのはなでしこだけで、その他の面々は流石に一口程度にすることにした。全員の意見を聞いたあおいはパスタを茹でようとカセットコンロのツマミを回した。

 

「あらら? ガス切れてしもーた。なでしこちゃん新しいガスある?」

 

「あーーっ!!」

 

 ここで問題発生。なんとガスコンロのガスが切れ、しかも替えのガスボンベも忘れてしまうという事態に陥ってしまった。リンの機転で美波が持参したバーナーのガスを流用しようと試みるも、そちらも付け替えてすぐにガス欠になった。

 

「はっ…!? コンロがもう使えないとゆーことは… 明日の朝ごはん何も作れないってことじゃ…」

 

 そのことに気がついてしまい絶望に打ちひしがれて倒れ込むなでしこ。そんな姿を見たリンは仕方ないといった感じで腰を上げ言った。

 

「ガス、何本あればいいの? 近くにコンビニあったはずだから、ちょっと買ってくる」

 

「リンちゃん…! ひぐぅ、あ゙り゙がどぅぅ」

 

「泣くなよ…」

 

 おつかいを買って出たリンに感激の涙を流してお礼を言うなでしこ。

 

「あ、なんなら俺が行ったげよっかぁ~?」

 

「疲れてるんだし休んでていいよ…」

 

 疲れたままバイクに乗って事故を起こされたらたまったものではないので、すでにフワフワし始めている春彦の申し出を優しくリンは断ると、みんなの元を後にして暗い夜道の中をビーノで走り出した。

 

(うわっ… やばいなこの寒さ) 

 

 冷たい夜の風が吹きすさぶ中バイクで走りながら、思い出すのは恵那のあの言葉。

 

『リンはひとりキャンプの方が好きかもだけど、みんなでやるキャンプは違うジャンルの楽しさがあると思うよ』

 

 その言葉と共に今日のキャンプの記憶を回想する。

  

 みんなでキャンプ道具を見せあって、子供たちと思い切り遊んで、夕日の赤富士をみんなで見ながらお茶して、あおいが作ってくれたすき焼きをみんなで食べて、サンタのコスプレまでしてみたり……

 

(分かった分かった)

 

 思い出せば思い出すほどに、恵那の言っていた言葉の意味が分かってくるような気がして、寒さでしかんでいたリンの顔に少しだけ柔らかな微笑みが浮かんだ。

 

 みんなとの楽しいキャンプはまだまだ終わらない。帰りを待つ6人のためにリンは1人バイクを走らせるのだった。

 

 

 

 

 




サブタイの妥協っぷりがやばい。

クリキャン回の密度高すぎ問題。
上手いこと原作に落とし込むのが大変ですごい時間かかったし疲れました。
ここまで書いてもまだ後編があるという…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 クリキャン! 後編

 

 

 静かな夜の道路を走る一台の大型バイク。リアキャリアにキャンプ道具を積んだそれに乗って、志摩リンはとあるキャンプ場を目指していた。

 

 国道から山の方へと続く細い道を登っていくとすぐに見えてくる。今までに何度か訪れたことのある富士宮市のキャンプ場。大型バイクに乗るようになってからというもの、リンは日本中様々な場所を旅してキャンプをしたが、そんな今でもリンにとってこのキャンプ場は特別思い入れのある場所だった。

 

 愛車のバイクから降りたリンは受付を済ませてキャンプサイトへと足を踏み入れる。辺りを見回しながら歩いていくと向こうにキャンプの灯りが見えてきた。

 

「おーいリーン、こっちこっちー!」

 

「志摩さーん」

 

「リンー、久しぶりー」

 

 千明にあおいに恵那。見知った面々がリンの名前を呼ぶ。

 みんなリンの10年来の友人であり、今日は久々の彼女たちとのキャンプだった。

 

 ここはリンが彼女たちと初めてキャンプをした場所。思い出深いクリスマスキャンプのあのキャンプ場だ。

 

 リンたちが高校生だったその時からはや10年。みんなすっかりと大人に成長して、それぞれ仕事もあるせいでスケジュールが思うように合わず、昔のように頻繁には会えなくなった。

 

 でも、それでもなんだかんだこうして時々集まってキャンプをしているし、連絡も取り合っている。そんな今の自分がそれなりに充実していると感じているリン。1人のキャンプに拘っていた昔の自分を思い出して、リンは少しだけ照れくさい思いを覚えた。

 

「みんな久しぶり、遅くなってゴメンね。高速混んでて」

 

「名古屋から寒かったやろ?」

 

「いつものことだよ。昔からどこ行くのもバイクだったし」

 

 あおいからコーヒーの入ったカップを受け取って、リンは昔馴染みたちとの会話に花を咲かせる。

 

「千明顔真っ赤じゃない、いつから飲んでるのよ」

 

「んにゃーまだグラス半分ズラ~」

 

 すでに赤ら顔で上機嫌そうな千明。酒好きのくせに弱いところがなんだか彼女らしいところだ。

 久々の再会に懐かしさを覚えるリンだったが、ふとこの場にいない2人のことを思い出してポツリと呟いた。

 

「なでしこはまだなんだ…」

 

「今会社出たって連絡あったよ」

 

「久々になでしこも来るってのに、今度は春彦が来れないなんてな?」

 

「仕方ないよ、あっちも仕事忙しいし。今海外だっけ?」

 

「今度はアラスカやってなぁ」

 

 大学を卒業して有名釣りメーカーのフィールドテスターとなった春彦は、今や日本に限らず世界中を旅して釣りする有名釣り師となった。そのせいもあってこういう機会には中々顔を出せなかったりする。

 

「春彦君も凄い人になったよねー」

 

「まあでも、スゲーつったらやっぱり…」

 

 千明の言葉を受けて全員の頭にある人物のことが思い浮かぶ。

 

「凄いよねーなでしこちゃん」

 

「大学在学中に起こしたキャンプギアメーカーが急成長。今やアメリカに本社を構える大企業のCEOやもん」

 

「変わっちまったよなぁ…」

 

 自分たちとはまるで違う世界の人になってしまったなでしこに、千明は少し寂しそうにそう呟いた。

 

「いや… 変わってないよ、なでしこは。ただ誰よりもキャンプが好きってだけでさ」

 

 その気持こそが原動力となってなでしこが成功したことを、親友であるリンはとても良く理解していた。なでしこは変わっているようで変わっていない。その心には昔と変わらずキャンプへの深い愛と情熱が詰まっている。

 

「あ、来たみたいだよ?」

 

 耳慣れたジェット噴射の音に気づいた恵那の言葉に全員が夜空を見上げた。

 

「みんなー!! おまたせー!!」

 

 4人から一足遅れて、自社製の空飛ぶジェット・テントでやってきたなでしこが空から笑顔で手を振っていた…

 

 

 

「10年経ったら、こんな感じになってたりしてー」

 

「ねぇよ」

 

 文字通り色々とブッ飛んだなでしこの妄想ドリームをバッサリと千明が切り捨てる。

 

「てか俺だけいない? 妄想でも流石にちょっとさみしいぞ」

 

「全員集まってない方がリアル感あるかなって思って」

 

「テントが飛んでる時点でリアル感ゼロだろ」

 

夕飯を食べて少しだけ元気を取り戻した春彦がなでしこの妄想話に物申す。

 

「あ、じゃあこんなのはどうだ春彦?」

 

 自分がいないことを不満に思った春彦のために、千明がなでしこの妄想をアレンジしていく。

 

 

 

「ごめんねみんな、ちょっと道が混んでて」

 

「空飛んでるのに渋滞とかないでしょ?」

 

「えへへ、ほんとは買い物してて遅くなっちゃったんだ」

 

 リンにツッコミを入れられたなでしこは笑いながら頭をかいて、着陸させたテントからたっぷりと食料が入った袋を取り出した。

 

「今日はリンちゃん懐かしの担々餃子鍋だよ!」

 

「またこんなに餃子買って、ちゃんと食べ切れるの?」

 

「大丈夫ですっ!」

 

 10年前の鍋キャンプの時よりも増量された餃子の数に、相変わらずだなとリンは微笑む。

 

「なあみんな、鍋できるまでまた上映会しよーぜ」

 

「あ、じゃあせっかくだし春彦君の番組観ない? たしかネットで配信されてたよね?」

 

「おぉ、海外ロケでいない春彦の代わりにあいつの番組を観ようってか! 斉藤ナイスアイデア!」

 

 恵那の提案に乗った千明はタブレットで動画配信サービスアプリを開くと、春彦の番組を探してその最新の回を再生した。

 

『こんにちは皆さん、小沢春彦です。今回私がサバイバルに挑戦するフィールドは中米グアテマラ! 過酷な熱帯雨林という環境のもとで皆さんに生き残る術をご紹介します』

 

「あぁーこれが前回のロケのやつか! うひゃー、今回はジャングルだぜぇキッツそー」

 

 番組冒頭のあらすじを見た千明はグラスの酒をあおりながら他人事のように笑っている。

 

 番組が進行しジャングルの中で水源を見つけ、その近くに木々を集めて野営地作った春彦。しかし彼にはまだ食料と火の確保という2つの仕事が残っていた。

 

『見て下さい、この大きな黒い体… タランチュラです。 ハハ、これでやっと食事にありつけます。素晴らしいタンパク源です』

 

「しょっぱなで虫食。いつもの流れやなー」

 

「うわぁ、完全に捕食者の目になってる…」

 

 貴重なタンパク源を捕まえ爛々と目を輝かせる春彦に、普段の彼を知るリンも流石に引き気味になる。

 ジャングルの高い湿度の中なんとか悪戦苦闘しながら火を起こし、タランチュラを焼くと春彦はようやく食事にありつくことができた。  

 

『道中拾ったグアムの実とタランチュラの素焼き。理想的とは言えませんが… 2日ぶりの温かい食事です、いただきます』

 

「春彦君、ちゃんと手を合わせてから食べるのが偉いよね」

 

「食うもんは最悪だけどな」

 

 座り心地の良いアウトドアチェアでぬくぬくとくつろぐ恵那と千明。粗末な野営地でタランチュラの足を口に運ぶ春彦。画面の向こう側とこちらで見事な対比が出来上がっていた。

 

「あぁぁ足を食べてるよぉぉ…!」

 

『うん、脚は結構身がありますね、食感もクリスピーで悪くない。さて、次は腹ですが… おぉぅっ……とっても…ジューシーです…』

 

「あ、これアカンときのリアクションや」

 

『いつものことですが、普通の食事のありがたみを痛感します… 日本食がとても恋しいです…』

 

「うぅ… ファイトだよハル君!!」

 

「ほんと、あたしらは春彦と比べりゃ贅沢もんだなぁ。んじゃ食への感謝を改めて学んだところで、あたしらは春彦の分まで存分に鍋を堪能しようぜ!」

 

 画面の向こうで春彦が必死に生きる道を模索するのを見ながら、担々餃子鍋に箸を伸ばす千明たち5人。

 恵まれた自分たちの環境に感謝しながら食べる夕食は、普通に食べるよりも一層美味しく感じたことだろう。

 

 サバイバルで最も重要なこと、それは常に自分の心を見つめ、感謝することだと春彦は言う。

 

 春彦は自らが挑戦する過酷な環境でのサバイバルで、それを観る人々に困難に立ち向かう心構えと、生きることへの感謝を行動で伝えてくれるのである。

 

 

 

「待て待て、なんで俺が○ィスカバリーチャンネルでやってそうなサバイバル番組に出演してんだ」

 

「お前ならできそうじゃん?」

 

「無理に決まってんだろ」

 

「いや、なでしこちゃんがCEOになるよりかは現実味ある話かもしれんわ」

 

「それいつものホラだよな? そうなんだよな?」

 

 改変された話でも結局その場にいない上、春彦の野生児的な部分を超絶パワーアップさせた未来予想図を本人は全力で否定するが、彼以外の面々はあながちできなくはないんじゃないかと考えていた。彼がやりたいかどうかは別として、可能性はそうなくはない話なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 リンの買ってきてくれたガスによって改めてチーズパスタで夕飯をシメたあと、一行はキャンプ場にある施設に備え付けてある有料の風呂に入ることにした。

 

 この面々の中ではもはやキャンプの定番になりつつある風呂。冬の冷えた体を温め疲れも取れる風呂はやはり格別で、女性陣はガールズトークに花を咲かせながら体の芯まで温まったのだが、実はこのあと、女性陣と別れ1人男湯に入っていた春彦にあるアクシデントが起きていたことが明らかになった。

 

「あれ? そういえばハル君はまだ戻ってないの?」

 

「あー… 春彦はなぁ…」

 

 入浴を終えて戻ってきて春彦の姿が見えないことに気がついたなでしこ。なでしこたちより前に風呂を終えていた千明たちはその理由を知っているようで、なでしこを春彦のテントのもとに連れてきた。そしてテントの入口を開けると、そこには頭にタオルを当て寝袋に横たわる春彦の姿があった。

 

「えっ…!? どうしたのハル君!?」

 

「風呂のお湯ちょっとぬるめだったろ? それが良くなかったらしくてなぁ」

 

「長いこと入りすぎてのぼせてもうたんや」

 

 体に疲れが溜まっていたせいか、湯船に浸かった春彦はそのあまりの気持ちよさに脱力。自分1人で貸し切り状態なのもあって結構な時間風呂に入っていた結果、この通りのぼせてダウンしてしまったのである。

 

「千明…」

 

「うん?」

 

「みんなをたのむ…」

 

「いやいや死ぬな死ぬな」

 

 夕食のおかげでせっかく回復しかけていたのにまたも死に体となってしまった春彦。

 当然こんなグロッキーな状態でキャンプを楽しめるはずもなく、もともと一番疲れていたこともあって、春彦は女性陣より一足先にテントで寝ることを余儀なくされてしまった。

 

 深夜、遅くまで動画鑑賞をしていた女性陣がテントに入り寝静まった頃、一足先に寝ていた春彦はふと目を覚ました。またすぐに寝ようとするがなかなか寝付けない。仕方ないので春彦は眠くなるまで外で起きて暇を潰すことにした。

 

「さむっ…」

 

 テントから這い出ると冷たい空気が春彦を包んだ。深夜の高原の空気は寝る前より一層冷え切っていた。

 

「やっぱ星すげぇな」

 

 春彦がふと空を見上げると、目に飛び込んできたのは満点の星空。空気が澄んでいて地上に光源がないおかげで、星たちの光は肉眼でもかなりの数を見ることができる。

 

「そういえば…」

 

 星空を見ていた春彦はあることを思い出した。テントの中に戻って荷物を漁り一冊の本を取り出す。たまたま家にあった天体観察図鑑だ。外に出てランタンの灯りを頼りに夜空の星を星図と照らし合わせる。

 

「春彦? なにやってんだこんな時間に?」

 

「ん?千明か。いや、なんか目が覚めてな。てかお前こそどうしたんだよ?」

 

「あたしはトイレに起きただけだ。で、なにやってんだよ?」

 

「いやちょっとこれで星をな」

 

 そう言って春彦は持っていた天体観察図鑑を千明に見せた。

 

「天体観測なんて趣味あったのか?」

 

「いや、なんとなく話題になればと思って持ってきたけど、結局先寝ちゃったからな。せっかく持ってきたからと思って1人でやってみたけどダメだな。やっぱ釣り以外のことはさっぱりだ」

 

「まっ、そりゃそうだろうな」

 

 春彦には星が多すぎて、わかりやすいもの以外はどれがどれだかよく分からなかったようだ。春彦が一人寂しく天体観測など柄にもないことをしていたのを、千明はおかしそうに笑っている。

 

「てかいい加減それ取ったらどうだ?」

 

「それって?」

 

「頭」

 

「頭? あっ!なんだこりゃ!?」

 

 千明に言われて頭を触った春彦は、ちょうど後頭部の辺りの髪が小さくお団子にまとめられているのに気が付いた。

 

「どうりで突っ張ると思ったら… くそっ、誰だよ一体…」

 

「斉藤だな」

 

 全てを知っていた千明が笑いながら春彦にネタばらしする。

 風呂上がりに女性陣は恵那にお団子ヘアにしてもらって盛り上がっていたのだが、いたずら好きの恵那は春彦が寝ている隙に器用に彼の短髪を結っておいていたのだ。

 

「寝込みを襲うなんてスポーツマンらしくないな」

 

「みんなめっちゃ面白がって写真撮ってたぞ?」

 

「くぅぅーっ… 最悪だ… 」

 

 お団子で寝ているところを撮られたと知った春彦はがっくりとうなだれる。そんな春彦の横に千明は腰を下ろした。

 

「春彦、キャンプ楽しいか?」

 

「んー?」

 

 少しの間静寂が流れた後、千明はポツリとそう呟いた。

 

「どうしたってんだよ急に?」

 

「いや、お前って元々釣りが趣味じゃん? なし崩しに野クルに入れてキャンプさせたから、本当はどうなのかなってな」

 

「そんなこと気にしてたのかぁ?らしくないな」

 

 雰囲気にあてられたのか少しだけ真面目なトーンで聞いてくる千明に、春彦は小さく笑って答えた。

 

「キャンプは楽しいぜ? もちろん釣りは好きだけども、それとはまた違う楽しさってか… 釣りに行く時より仲間が多くて賑やかなのはいい」

 

「そっか…」

 

 春彦の本音を聞いた千明は俯いて小さく微笑んだ。

 

「なあ春彦?今度は2人でキャンプ行ってみないか?」

 

「2人で? そりゃあまたなんでさ?」

 

「なんとなくだよ。ほら、2人でどっか海か川の近くでキャンプしてさ、お前が釣った魚で料理するとか楽しそうじゃんか?」

 

「なるほどなぁ。まあ釣りキャンは俺もやってみたかったし、じゃあ来年のあたりに挑戦してみるか」

 

 ちょっとした思いつきでなんとなく2人は約束を交わす。以前春彦が転校していった時と同じように。

 

 再び静寂が流れる。春彦はふと隣に座る千明を横目で眺めた。

 中学の時からずいぶんと伸びた髪。でも前髪だけは相変わらず短い。メガネをかけたツリ目が特徴的な顔立ちは、春彦の基準からすればそこそこ整っているように見えた。

 

(千明のやつ、こんな顔してたんだな…)

 

 見慣れた幼馴染の横顔なのに、春彦は彼女のその顔を初めてちゃんと見たような気がしていた。

 そのまましばらく彼女の横顔を見ていた春彦だったが、不意に自分の方を向いてきた千明と目が合い、慌てて視線を反対に逸した。

 

「なんだよ…」

 

「いや、別に なんでもない…」

 

 自分でもどう説明したものか春彦には分からなかった。

 自分でもよく分からない内になんとなく千明のことを意識してしまったのだ。

 

 千明との距離がとても気になる。いつもなら何も感じることのないこの距離を春彦は妙に意識してしまっていた。

 

 今まで千明のことを異性として意識したことのなかった春彦だったが、満点の星空の下、こうもロマンチックな雰囲気が漂う中で2人きりになれば、うっかりとそんな感情が芽生えてしまうのは無理もないことだ。

 

 先程の会話の間とは違う気まずい沈黙が2人の間に流れる。お互いに何を話していいのか分からなくなっていた中で、最初に耐えきれなくなったのは春彦の方だった。

 

「んんっ… 俺、眠くなってきたからもう寝らぁ。 お前はどうすんだ…?」

 

「あたしはっ… その、もうちょいこのままでいる…」

 

「そうか… 風邪引くんじゃないぞ?」

 

「おう、おやすみっ…」

 

「おやすみ…」

 

 春彦がそそくさと逃げるようにしてテントの中に戻っていく。

 

「はーっ…」

 

 春彦がテントに戻ると同時に大きくため息をつく千明。彼女から目を逸していた春彦は気が付かなかったが、ランタンに照らされた千明の顔は耳まで真っ赤に染まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、5時ちょうどというまだ陽も覗かぬ薄明るい時間に、リンは昨夜セットしたスマホのアラームで目を覚ました。寝袋から手を伸ばしてアラームを止め体を起こし、隣で寝ているなでしこの体を揺する。

 

「なでしこ、朝だぞ。早起きして朝ごはん作るんだろー?」

 

「うぅーん…」

 

 半分寝ているように薄っすらと目を開け、なでしこがムクリと体を起こす。

 

「あけましておめでとうございます…」

 

「はえぇよ…」

 

 2人の起床とともにクリスマスキャンプ最終日の朝が始まった。

 

「味噌このくらい?」

 

「うん、そんな感じ。あ、納豆入れたら弱火にして」

 

「分かった」

 

 リンに手伝ってもらいながら、なでしこは予定通りみんなの朝食作りに精を出していた。コッヘルと鍋から湯気が立ち上り、スキレットの鮭がジュージューと音を立てている。 

 ほどなくして朝食が完成すると、なでしこたちとは別のテントで寝ていた他のメンバーが目を覚ましてテントから出てきた。

 

「はぁーっ寒ぅー、2人共はえーなー」

 

「おはよー」

 

 まず起きてきたのは千明とあおいだった。2人共空腹なのかなでしこたちが作った朝食を覗いてくる。

 

「お、焼き鮭かぁうまそー」

 

「志摩さんは何作っとるん?」

 

「野菜と納豆の味噌汁」

 

「おぉー和の献立やねー」

 

「ニッポンの朝ごはんじゃよー」

 

 なでしこおばあちゃんが盛り付けをしていると、今度は恵那と美波がテントから出てくる。

 

「みんなおはよー」

 

「おはよー、朝ごはんできてるよー」

 

「おはようございますぅ…」

 

 深酒をしていた美波は一夜明けてもまだ二日酔い気味だ。

 そして朝食の盛り付けが済んだところで、最後の1人の春彦がようやくテントから這い出てみんなの元に歩いてきた。

 

「おはよう」

 

「おはよーハル君、体の調子はどう?」

 

「筋肉痛はあるけど気分はいい感じだな」

 

 なでしこに訊ねられ体をほぐしながら春彦は答えた。昨夜は疲労で完全に参っていた春彦だが、夜中一度目を覚ましたあとはぐっすりと眠って回復できたようだ。

 

「さ、どうぞー。おかわりたくさんあるからねー」

 

「「「いただきまーす」」」

 

 7人は手を合わせて朝食を食べ始める。

 

「はぁー味噌汁あったかいねー」

 

「うま!これ昨日のお肉?」

 

「うん、割り下としょうがで大和煮にしてみましたー」

 

 寒がりの恵那は温かい味噌汁が嬉しいよう。

 昨夜のすき焼きの割り下を使った大和煮も好評で、その味をあおいが褒められたなでしこは嬉しそうにはにかむ。 

 

「鮭と玄米合うなぁ」

 

「うむ」

 

「鮭… なんか忘れてるような…?」

 

 焼鮭を食べる千明とリンの会話を聞いてなにやら考え込む春彦。

 

「斉藤さんよく眠れた?」

 

「うん、起こされなかったら昼まで寝てたかも」

 

「あたし途中でカイロ追加したわー」

 

 あおいの問いかけに恵那は笑って答えたが、一方の千明は安眠とまではいかなかったよう。45000円のダウンシュラフと3980円の化繊シュラフではやはりモノが違うようだ。

 

「あ、そうだ」

 

「どうしたのハル君?」

 

「すっかり忘れてたわ、これ持ってきてたんだ」

 

 先程から考え込んでいた春彦が何かを思い出し、クーラーボックスからビニール袋を取り出した。

 

「これニジマスの燻製、本当は昨日食べようと思ってたんだけど疲れて忘れてた」

 

「お、ようやく春彦の魚料理がお出ましか。燻製とは渋いじゃねーか」

 

 春彦がビニールから取り出したのはジップロックに入ったニジマスの燻製だった。春彦が11月に管理釣り場で釣ったものを調理し冷凍保存していたものだ。

 

「塩加減はどうだ?」

 

「美味しい!ばっちりだよハル君!」

 

「はるの魚料理なんて久しぶりやなー」

 

「これも自分で作ったの?」

 

「まあね。たくさん釣れた時、保存するために自作の燻製器で作るんだよ」

 

「へぇーそうなんだ。うわ、これすごく美味しい…!」

 

「ねーっ? 小沢君てほんとに魚料理得意なんだねー」

 

 春彦の料理を初めて食べたリンと恵那にもニジマスの燻製は好評のようで、出来栄えを心配していた春彦は安心して表情を緩ませた。

 

「本当に美味しいですねぇこれ、お酒と良く合いそう」

 

「まあ、そうでしょうけど…」

 

 酔いが冷めていても良さそうなつまみを見つけるとグビ姉の本性が見え隠れする美波。昨日の彼女の姿を思い出した春彦の顔は少し引きつっていた。

 

「あ、日が出てくるよ」

 

 なでしこの声にみんなが振り向く。

 東にある富士山の横から陽の光が徐々に徐々に差し込んで、眩い光を放ちながらついに太陽がその姿を現した。朝日の眩しさに目を細めながら、7人はその光景をじっくりと眺める。

 

「まぶし…」

 

「まぶしいねぇ…」

 

 あおいとなでしこがのんびりと呟く。

 朝日と富士山をみんなで拝みながらの温かい和の朝食。キャンプの醍醐味がこれでもかと詰め込まれた最高の朝を7人は笑顔で迎えた。

 

 

 

 

 




千明はカワイイ。ただそれを伝えたかった。
みんなもっと千明のことをすこれ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 年明け、初釣り、高級魚づくし

 

 

 小沢春彦は魚釣りが好きだ。三度の飯より好きだ。彼にとって釣りとは楽しみであり幸せをもたらす最良の趣味だ。しかしだからといって釣りというのはいつも楽しいものとは限らない。時に辛く苦しい時もあり、今春彦が置かれているのはちょうどそんな状況だった。

 

「あぁ~釣れねぇ~…」

 

 間延びした春彦の声が潮風に乗って虚しく響く。

 ここは千葉の外房沖の海の上。春彦は今乗り合いの釣り船に揺られヒラメを狙って釣りをしている最中なのだが、釣り開始からかれこれ4時間アタリらしいものはなにひとつなく、流石の春彦も退屈と寒さですっかり参ってしまいやる気を失っていた。

 

 最近の春彦ふバイトが忙しく、この冬休みは釣りに行けない日が続いていた。そんな中なんとか都合が付いた一日だったのだが、その努力が無駄になるのではと考えてしまうほどに、すでにボウズに終わる気配が漂い始めていた。

 

 あまりの退屈さに何気なくスマホを取り出すと、なでしこから画像つきでメッセージが届いていた。

 

『ダブルクリーム大判だよ!』

 

 写真には手に持った大判焼きが2つ写っている。

 なでしこが年明けの挨拶をしに祖母の家に向かう道中おやつとして買ったものだ。

 

『必殺技かなんかか?』

 

『おばあちゃんち行く途中で買っちゃった。ハル君は釣り行ってるんだよね? 楽しくやってる?』

 

 なでしこからのメッセージに春彦は大きなため息をついて返信する。

 

『楽しくないねぇ…』

 

『ありゃ? 釣れてないの?』

 

『12人船にいてまだ1枚しか上がってない。俺は依然沈黙だ』

 

『oh……』

 

 文面から伝わってくる悲惨な春彦の状況になでしこも同情する。

 

『と、とにかく頑張ってハル君! 私釣れるように浜名湖に祈っとくよ!』

 

 メッセージと共に電車の車窓越しの浜名湖の写真が送られてきた。なでしこのささやかな優しさに、春彦はげんなりしていた顔に少しだけ笑みを浮かべる。

 

「ありがとさん、っと… ん?」

 

 返信を送ろうとした矢先、春彦は左手に持っていた竿にゴツっとなにかの手応えを感じた。

 

「きたっ……!」

 

 ついに来た待望のアタリだがこれはまだ前アタリ、焦りは禁物だと春彦はやる気持ちを抑えて春彦が竿先に神経を集中させる。すると間もなくして強い手応えと共に竿先が一気に引き込まれた。

 

「乗ったっ! よっしゃあ!」

 

 すかさずアワセを入れると強烈な引きが春彦の手に伝わってきた。この強烈な引き込みは本命のヒラメでほぼ間違いない。慎重に慎重に、貴重な一匹を逃すまいと春彦は注意深くやりとりをする。そして格闘の末ついに海面にヒラメがその姿を現した。浮いてきたヒラメを船頭がタモ網で掬い上げる。

 

「おっっしゃあ!!」

 

 ヒラメがタモに入った瞬間、春彦は嬉しさのあまり拳を掲げて大声を上げた。釣り上げたのは3キロオーバーの立派なヒラメだった。長く辛い時間を耐え抜いた末に釣り上げた快心の一匹に、春彦は嬉し涙を流しそうだった。早速運を呼び込んでくれたなでしこに、満面の笑みでヒラメを掲げた写真を送る。

 

『祈りは通じたぞ!!! やったぜ浜名湖!』

 

『おぉーっ!! おめでとうハル君!!』

 

 浜名湖の神様に感謝する春彦。先程から一変して喜びを爆発させた春彦からのメッセージに、なでしこも嬉しそうに返信した。

 

「よし、この勢いであと2枚だ」

 

 魚が釣れたことで春彦は俄然やる気を取り戻し、さらなる釣果アップを目指して気合を入れる。残りは3時間ほど。春彦は向いてきた運を逃すまいと再び仕掛けを海中に投入した。

 

 

 

「んで、結局釣れなかったのか」

 

「まぁ、こういうこともあんだよ… 渋かったなぁちくしょう……」

 

 がっくりとうなだれる春彦の様子に、帰宅後彼の自宅にやって来た千明は事の顛末を悟った。

 結局あの後春彦はヒラメを釣り上げることはできず、春彦の父がやっとのことでもう一枚追加しただけで釣行は終了した。12人いた船中で上がったのがたったの5枚ということを考えれば、そのうちの2枚を釣り上げた春彦たちは相当ツイている方ではあるのだが、それでも労力に見合う釣果とは言い難い。

 

 正月明けでいつも利用している船宿が休業で、適当に見つけた船宿を選んだのがそもそもの間違い。自然相手なので釣れない時もあるにはあるが、ポイントに案内する船頭が良ければ大抵の場合ここまでの不調にはならない。まあそれでも釣れたには釣れたという結果があるので、ツイてない日の中ではまだツイている方といったところか。

 

「じゃあ今日の夕飯はヒラメ2匹か?」

 

「食うのは1枚だな。風邪でダウンした親父のためにもう一枚はとっとく」

 

 鼻を垂らしながらヒラメを釣り上げた根性をみせた春彦の父だったが、寒風吹き荒ぶなか半日船に揺られたせいか、風邪をひいてしまい帰ってから寝込んでいる。

 

「まあこんだけだとちょっと寂しいから、帰りに銚子寄ったんだけど」

 

「おっ、そこでなんか……」

 

 訊ねようとした千明の声に来客を告げるインターホンの音が重なった。玄関に下りて行って春彦が戸を開けると、小柄な少女が春彦の胴に飛びついてくる。

 

「春兄ぃーっ!!」

 

「うぉっ、あぶねっ」

 

 よろけそうになりながら春彦が受け止めたのは、彼の友人の犬山あおいの妹である犬山あかりだった。

 

「こらあかりー、いきなり飛びついたら危ないで?」

 

「えへへ、だって春兄と会うの久しぶりなんやもーん」

 

「いや昨日俺ら会ったよね?」

 

 飛びついてきたあかりの後から姉のあおいが入ってきて妹に注意をする。春彦の腹に満面の笑みで頬ずりするあかりは、本当に久々の再会かのように喜んでいるが、実は前日の初詣とそしてその前にもそれなりの頻度であかりは春彦と会っていたりする。なので久しぶりというあかりの表現は半分冗談なのだが、その反面飛びつくくらいに嬉しいのは冗談ではなかたりする。それぐらい何故だか春彦はあかりからやたらと好かれている。

 

「おじゃましまーす。小沢君こんばんは」

 

「あぁ、斉藤さんも一緒だったんだ?」

 

「うん、2人と駅で会ってね」

 

 あおいに続いて恵那が入ってきて春彦に挨拶する。

 なでしことリンを除いたメンバー。今日はこの4人に春彦が釣ってきた魚で料理を振る舞うことになっている。彼が千明たちにたかられるのはよくあることだが、今日はいつもとは少し違っていた。

 

「今日は呼んでくれてありがとね」

 

「珍しいよな、春彦の方から声かけるなんて」

 

「まあたまにはいいかなって」

 

 そう、いつもは押しかけられるように皆がやって来るところが、今日は珍しく春彦の方が彼女らを招いたのだ。その理由は主に2つ。

 ひとつは静岡に行っているリンとなでしこが、今日の昼に特上のうな重を食べてその写真をみんなに送っていたのだが、それを見た千明達が羨ましがっていて、そんな彼女らに春彦が気を利かせたのだ。そしてもうひとつの理由というのは。

 

「感謝してなあきちゃん? 私のついででお呼ばれされたんやでー?」

 

「ついでって…… ただ手料理食わしてもらう約束しただけだろ?」

 

「ほんとは春兄とふたりきりの約束だったんやで?」

 

「うそつけ」

 

 明らかにホラ吹き顔なあかりの言葉を千明はバッサリと切り捨てる。

 実はあかりは前々から春彦の手料理を食べたいとせがんでいて、会う度に春彦にラブコールしていた。春彦が山梨に越してからは中々その機会に恵まれなかったのだが、ようやく都合がついて実現することとなったのである。もちろんふたりきりなどという約束は一切していないので、あかり以外のメンバーもいるわけなのだが。

 

「そういやはるは今日はどんな魚料理するん?」

 

「さっき聞こうとしたけど、ヒラメ以外に何かあんのか?」

 

「ああ、ちょっと寂しい釣果だったから、帰りに銚子で珍しいの買ってきた」

 

 そう言って春彦はみんなを連れて台所へ向かうと、置いてあったクーラーボックスの蓋を開けてみせた。

 

「まずこれが釣ってきたヒラメで、こっちは銚子で買ったアンコウ」

 

「デカっ!? これ1匹だけでも十分やない?」

 

「春彦、お前アンコウなんて捌けるのか?」

 

「余裕だよ。まあ見てなって」

 

 千明の心配をよそに春彦はまずヒラメの下ごしらえに取り掛かった。

 

「とりあえず5枚下ろしするか」

 

「3枚じゃないん?」

 

「小さいやつならそれでもいいけど、これぐらいのは5枚だな」

 

 あおいに説明しながら、春彦はまず包丁でヒラメの頭を落としてハラワタを取ると、尾鰭に向かって中心に切り込みを入れて、そこから外側に向かって包丁を入れて2枚切り身を切り出した。そしてそのままヒラメを裏返し、先程と同じように中心から包丁を入れて2枚の切り身と中骨を綺麗に切り分けた。

 

「春兄、エンガワってどの部分なん?」

 

「このヒレのところ」

 

「えっ! こんだけしか取れへんの!?」

 

「だからあんな高いのよ。ちなみに回転寿司とかの安いのは海外のでっかいカレイから取ったやつだったりする」

 

「詐欺じゃねーかそれ」

 

「いや、エンガワってのは部位の名前だから、嘘は言ってないぞ?」

 

 あかりと千明に説明しながらも、春彦は手を止めること無くヒラメを捌いていく。その手際を興味深そうに見ていた恵那がふと言葉をもらした。

 

「噂には聞いてたけどすごい綺麗に捌くよねー?魚屋さんみたい」

 

「釣り始めた小学生の頃からずっとやってるから。慣れだよ慣れ」

 

 恵那に褒められた春彦は大したことではないと謙遜するが、少なくとも恵那達から見れば彼の手際は迷いがなくかなり洗練されているように見えた。

 

「こんなに料理できると結構モテたりしない?」

 

「全然しないよ」

 

「かっこいいと思うけどなぁー」

 

「絶対心から思ってないでしょその顔」

 

 からかうような口調で笑って言う恵那に、春彦は苦笑いしながら答える。たしかにここ最近いくらか異性の友達が増えた上、今日も自宅に4人も女子ばかり4人招いている状況だけ見れば、モテているよう見えなくもない。

 

 だが女子に囲まれているとはいっても、別に春彦が彼女達から好意を持たれている訳ではなく、少なくとも現時点では皆友達の関係でしかない。それでも世の男性達から見れば、羨ましいことこの上ない状況かもしれないが。

 

「料理できる男がモテるとかあれ嘘だろ? 個人的には筋トレするやつがモテるって言うのくらい信用できないな」

 

「そんなことあらへんかもよ? 私もそういうタイプはモテるって聞いたことあるで?」

 

「でも料理できる男って女子からしたら面倒くさい感じしないか?自分が料理する時うるさそうとかさ」

 

「そもそもそんな彼氏おったら料理作らんわ」

 

「それは別の意味でトラブりそうだな……」

 

 あおいも恵那の意見に賛同するが、春彦本人はモテた経験など皆無なのでイマイチ納得できない。まあそもそも春彦がその料理スキルをおおっぴらに披露していないので、それでモテるなどということはない訳なのだが。

 

「ほーん、でもあたしはそういうやつ悪くないと思うけどなー」

 

「「「え?」」」

 

 何気なくそう言った千明に皆の視線が一斉に集まる。

 今の千明の発言はともすれば自分が春彦のことを悪く思っていない、つまり春彦のことが好きだと勘違いされかねない発言に聞こえてしまうものといえた。皆の視線を受けた千明は自分の発言のまずさに気がついてカッと顔を赤くする。

 

「いやっ、別にそういう意味で言ったんじゃないからな!?」

 

「あき、慌てとると逆に怪しくみえるで?」

 

「お前はそういうんじゃないって分かって言ってんだろイヌ子!」

 

「あきちゃん私の春兄に色目使わんといてな?」

 

「使っとらんわっ!」

 

「お前ちょっと落ち着けって…」

 

顔を赤くしてあおいとあかりにがなり立てる千明に、当事者である春彦は居心地悪そうにしながら彼女を宥めている。

 

「やっぱりモテてるじゃん?」

 

「楽しそうでいいね君は……」

 

愉快そうに笑う恵那に少し恨めしげな顔をして皮肉を言うと、春彦は気を取り直してアンコウの下ごしらえに移った。

 

「アンコウは腹ビレのとこから開いてワタを出すんだけど、この下に肝があるからこうやって傷つけないように切るんだ」

 

「あん肝ってやつだね?」

 

「よく知ってるね」

 

「テレビで見たことあるんだ。食べたことはないけど」

 

 高級魚と言われるアンコウに恵那は期待を膨らませながら春彦が捌く様子を見ている。

 

「そういえばアンコウって吊るして捌くのちゃうん?」

 

「あれは魚がデカくてまな板に乗らないからやるんだよ。こんくらいのやつなら大丈夫」

 

「はるは吊るしても捌けるん?」

 

「流石にそれはやったことねーな」

 

 そんな風にあおいと話しながらハラワタを取り出していた春彦だったが、胃袋を取り出そうとして何かに気が付くと、その中身を引っ張り出した。

 

「なんか入ってんな… あ、シタビラメじゃんこれ」

 

「それ魚なのか? なんかちょい気持ち悪いな…」

 

 アンコウの胃から取り出された平たい生き物を見た千明が怪訝そうな顔をする。

 

「実は結構高級魚なんだぜ? これまだ全然消化されてないし、綺麗だし食べちゃうか?」

 

「高級魚in高級魚ってなんか福袋みたいだな」

 

「正月明けだし、まあ違いないな」

 

 シタビラメはマイナーではあるが見た目の割にそれなりに値が張る魚であり、フランス料理などで重宝されている。要するにこれも食べられる美味しい魚であるということだ。捌く過程で思わぬ収穫を得たアンコウだったが、皮を剥いで身を切り分けていくとシタビラメとはまた別のとあるおまけを春彦は発見した。

 

「ねえ斉藤さん、この白い点々ってなんだと思う?」

 

「え? えっと、アンコウの卵、かなにかかな?」

 

 恵那の答えを聞いた春彦はニヤリと悪い顔をする。

 

「ハズレ、実はこれ寄生虫なんだよ」

 

「ウソッ!? 大丈夫なのそれ!?」

 

 寄生虫という身の毛もよだつワードにギョッとした顔で恵那が体をのけぞらせる。

 

「うん、微胞子虫ってやつなんだけど、人体には全く無害だし加熱すっから万が一食べちゃっても大丈夫」

 

「そ、そうなんだ…… びっくりしたぁ……」

 

 春彦の言葉に脅かされた恵那以外のメンバーも安心してため息をもらす。まあ寄生虫と聞いて平然としていられる方が少ないので当然である。

 

「そもそも無害なら黙っとけよな……」

 

「さっきのお返しにちょっとしたドッキリをしようと思って」

 

「性格悪すぎるわ」

 

「意外とホクホクして美味しいんだぜ?」

 

 千明の苦言にもどこかズレた言葉を返す春彦。やはりこの男、野生児と呼ばれるだけあって常人とはどこか感性が異なるようだ。

 

「さて、これである程度捌けたな」

 

「春兄、こっから何作るん?」

 

「そうだな、ヒラメはシンプルに刺身にして、アンコウは定番の味噌仕込み鍋で、シタビラメは煮付けにすっかな」

 

 春彦は土鍋とフライパンを取り出して料理に取り掛かる。別々の調理を同時にこなすことになるが、どれも作った経験があるため春彦はレシピを見ることもなく着々とこなしていく。

 

「シタビラメは煮汁入れたフライパンで煮て、アンコウは刻んだ肝を乾煎りしたあと味噌と酒入れて火を通して、んでそこに昆布ダシを入れて火の通りにくい具材から順番に入れて煮込めばオッケー」

 

 火にかけられた鍋と煮付けはあとは煮えるのを待つのみとなると、春彦は柳刃包丁を取り出し、皮を引いたヒラメの切り身を引いて刺身にしていく。

 

「ヒラメは歯ごたえあるからこうやって薄めに切って盛り付けるだけ。まあ刺身は簡単だし特に説明することもないな。 ……っと、ハイできた」

 

「いやこれもうプロだろ?」

 

「料亭とかで出てくるやつやこれ……」

 

 簡単だろと言わんばかりにさらっと春彦が盛り付けた刺身は、花のように綺麗に並べられて丸皿に盛り付けられており、一見すると店で出てくるものと大差なく見えるほどのレベルだった。彼の料理の腕前を知る千明とあおいもその出来栄えにはを見張っている。

 

「春彦、お前こんなのどこで覚えたんだよ?」

 

「まあちょっとネットで見てな」

 

 客人に出すということで盛り付け方を動画サイトで予習をしていた春彦は、千明の問いに少し得意げな顔で答えた。ちょっとした見栄ではあるが、こういったことの積み重ねが春彦の料理スキル向上に繋がっていたりする。

 

 かくして全ての料理が出来上がり、テーブルにはヒラメの刺身とシタビラメの煮付け、そしてアンコウの味噌仕込み鍋が並べられ豪勢な食卓となった。

 

「さーて鍋はどんな具合かね…… じゃーん!」

 

「「「おぉーっ!」」」

 

 春彦が蓋を開けると土鍋から湯気が立ち昇り、みんなから歓声が上がる。程よい具合に煮立った鍋から、食欲をそそる豊かな味噌の香りが広がり、もう見た目と匂いだけでも美味いと分かるやつだった。はやる気持ちを抑えて鍋を取り分け、みんなで手を合わせる。

 

「「「いただきまーす」」」

 

 料理を作った春彦が見守る中、皆が鍋に箸をつけて口に運ぶ。味は当然…

 

「「うんまーっ!!」」

 

 鍋をひとくち食べた千明とあおいの口から出た言葉が全てを物語っていた。

 

「このスープ濃厚で美味しいね?」

 

「肝入れると濃厚な味になるんだよ」

 

「そうなんだ、私この味すごい好きかも」

 

「身もプリップリやぁ~」

 

 あん肝が溶け出した濃厚なスープとプリプリした食感のアンコウの身は、アンコウ鍋を初めて食べる恵那とあかりの口にも合ったようで2人とも幸せな表情をしている。

 

「よし! 次はヒラメだが… 春彦、エンガワってどれだ?」

 

「やっぱそれからなんだな。こっちの小皿に盛ってあるけど、4枚しかないからみんなで食べていいぞ?」

 

 ヒラメ一匹からわずか4貫分しか取れない貴重なエンガワを4人は興味深けに口に運ぶ。

 

「おぉ、薄いのに結構コリコリするし、脂っこさがなくて回転寿司のとは別モンだな」

 

「お上品な大人の味や!」

 

「チビイヌ子に分かんのかー?」

 

「あきちゃんやって子供やん」

 

 大人ぶったあかりでもとりあえずエンガワの美味しさは伝わったようで、からかってくる千明にべぇーっと舌を出している。

 

「普通の身の方もウマイでしょ?」

 

「うん、私こんなに甘みがあるヒラメなんて初めて食べたよ」

 

「冬が一番旬だし天然ものだからね、普通に買うと高いよ?」

 

「ありがたやありがたやー」

 

 恵那も旬の天然ヒラメの味が気に入ったようで、なにげに誰よりも刺身に箸を伸ばしていた。

 思わぬおまけとなったシタビラメの煮付けも好評で、並べられた料理はあっという間になくなり、春彦が腕をふるった夕食は皆大満足のうちに幕を閉じた。

 

「さて、じゃあ皿洗ってくれる人手上げろー」

 

 春彦が呼びかけるが、みんな黙ってくつろいでいる。

 

「俺が料理作ったんだから誰かやってくれたってよくないか?」

 

「よし!じゃあジャンケンで決めようぜ!」

 

「おー、んじゃみんな頑張ってな」

 

「春彦、お前も参加すんだよ」

 

「は?なんでだよ」

 

「ちょっとしたゲームだと思ってさ、5分の1なんだしいいだろ? それと勝つ自信がないのか?」

 

「いいよ、やってやるよこの野郎」

 

 まんまと千明に乗せられた春彦も加わった皿洗いを賭けた5人のジャンケン勝負の幕が上がる。

 

「「「最初はグー!ジャンケンポン!!」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最悪だ… もう二度とジャンケンなんかやらん…」

 

 5分の1ならそうそう負けないだろうとたかを括っていた春彦。だがしかし物の見事にストレート負けするという奇跡的な敗北を喫し、一人寂しく屈辱的な気持ちで皿洗いをしていた。

 

「なんか嫌な予感はしたんだよなぁ、くっそー…」

 

 そもそも勝負に乗らなければこうなることはなかったことを考えると、春彦にとっては悔やんでも悔やみきれない。悪態を吐きながら春彦は手を動かす。

 

「本当に血も涙もないやつらだ」

 

「そんなことないでー?」

 

「うぉっ!?」

 

 突然話しかけられ春彦が慌てて振り向くと、いつの間に忍び寄っていたのか、春彦の部屋でくつろいでいるはずのあおいがそこにいた。

 

「ビビらせんなって… てかどうした? 冷やかしにでも来たのか?」

 

「そんなんやないってー。流石にはるがあんまりにも可哀想やってなって私が手伝うことにしたんよ」

 

「そうか。お前らにも少しは人間味があったみたいで安心した」

 

「あんま可愛くないこと言うてると手伝ってあげへんよ?」

 

 若干拗ね気味の春彦に子供をあやすように言うと、あおいは春彦の隣に立って彼が洗った食器を拭いて重ねていく。

 

「そういえば、はるはみんなの中で誰が一番好みなん?」

 

「ここでいきなり切り出す話かそれ?」

 

「あんなに女子に囲まれてるんやで?そんなん気になるやん? 絶対言わないから言うてみって〜」

 

「ひとっつも信用できねぇ」

 

 あおいの性格を知っている春彦は露骨に嫌そうな顔になる。

 

「てか俺にそういう感情があったとしてだ、例えばそれがお前だったりしたらどうなんだ?」

 

「えっ…?」

 

 あおいは鳩が豆鉄砲を食ったように唖然として拭いていた皿を落としそうになった。

 

「いやそんなっ… いきなり言われても、なぁ…?」

 

「いやどうしたよお前? まさかマジだと思ってないよな? 例え話だぞ?」

 

「いやっ、分かっとるけど… ちょっとびっくりするやん…?」

 

「そうか?」

 

 あおいの質問に春彦は当然真面目に答えるつもりなどなく、しかし適当に他の誰かを挙げるのも良くないと考えてのちょっとした冗談のつもりで、この程度あおいなら笑いながら流してしまうだろうと思っていた。

 

しかしあおいは意外にもテンパってあたふたしており余裕が感じられず、春彦もその様子に首を傾げた。

 

「お前こういうの耐性ない方だったか?」

 

「そないなことないんやけど… いきなりやったし…」

 

 あおいならこういう類の話は耐性がある方だと春彦は思っていた。

 確かにあおいはその容姿と性格のおかげか比較的異性からモテる方で、今までに男子から告白されたことも何度かあり、ちょっとした告白慣れみたいな耐性は人並み以上に付いていた。

 

 しかしあおいの経験上そういったのは告白される前からなんとなく分かっていたパターンが多く、上手く対処できたのもある程度身構えることができていたからであった。

 

 それが今回の春彦の場合はそんな予想など微塵もしておらず、あおいは全く不意を突かれた形となった。そしてそれ以上にあおいは春彦にそんな風に言われたことがそこまで満更でもなく感じてしまっていて、そんな思いもよらぬ感情が出てきたことに大いに困惑していた。

 

「もー、あんま女の子にいきなりそないなこと言うたらダメやで?」

 

「自分のこと棚に上げまくりじゃんかよ」

 

「はるは男子だからええんよ」

 

「うわっ、はっきりと性差別かよ」

 

 幸いなことに春彦はあおいの感情までは気がついておらず、「こいつにもこういうことあるのか」くらいにしか考えていなかったが、あおいの方は違っていた。

 これまでそこそこ仲が良いだけの男子としか思っていなかった春彦のことを、この出来事によってはっきりと異性として意識してしまい、他人事でしかなかったその感情が僅かながら生まれる余地ができたのだ。

 

 ほぼ平行線だった2人の関係はこの日少しだけ変化の兆しを見せた。ここから2人の関係が進展するだとかいう話にはまだ早すぎるが、ひとつだけ言えることは、とりあえずその可能性は出てきたということだけだろう。

 

 

 

 




お久しぶりです。
忙しさにかまけて更新サボっててすいませんでした。

アンケートについてですが、1人に絞る場合は私の独断でヒロインを決めることになりますのであしからず。また全員分を書く場合は1人に絞るよりも確実に完結までの時間がかかります。

その他意見があればメッセージの方で送ってくださると助かります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

なでしこ√
第1話前編 各務原姉妹と管釣りデート その1 


長いので前後編に分けます。


 

 

 1月も終盤に差し掛かりそろそろ2月に控える定期テストが見えてきたある日の夜、春彦は自室でバイトのない次の週末に向け釣行計画を立てていた。

 

「うーむ、次は何行くか… 海はこの前行ったしあんま遠出する気分じゃないしな。とはいっても川はまだ禁漁期だし…」

 

 色々と釣り場を吟味する春彦だったが、ふとあることを思い出しカバンに入れいた財布からあるカードを取り出す。

 

「おし、やっぱり貯まってる」

 

 それは管理釣り場のポイントカードだった。管理釣り場を利用する毎ににスタンプが押され、10個スタンプが貯まると一日分の半額券になるというもので、春彦のカードにはそのスタンプがちょうど10個押されていた。

 

「やっぱ親父と2人で行ってるから早く貯まるよなー」

 

 その管理釣り場では別々のカードに貯まったポイントを1枚のカードに総合できるのだが、春彦は毎回父親と行っているおかげで本来は10回利用しなければならないところを半分の5回でポイントを貯めることができた。払う金額自体は10回分と変わらないのだが行く回数は半分で済むというわけなのだ。

 

 とまあそんな具合にちょうどよく手に入った半額券を使うつもりでいた春彦だったが…

 

「そういや、なでしこと行った時もニジマスが釣れたっけな…」

 

 トラウトの管理釣り場へ行く計画を立てようとした春彦は、以前なでしこと本栖湖で鯉釣りに行ったときのことを思い出した。

 

「誘ってみるか…?」

 

 釣りをしている時のなでしこの楽しそうなあの顔が頭に浮かび、春彦はこの自然とまた彼女を釣りに誘おうかと考え出す。

 

 なでしこにメッセージを送ろうとスマホを手に取る。自分から誘うというのはデートのようで少し気恥ずかしくはあったが、色気より食い気ななでしこに限ってそういった勘違いはないだろうと、結局春彦はなでしこを釣りに誘うメッセージを送った。

 

『行くよ!海でも川でもどこでも行くよ!』

 

「はやっ」

 

 30秒もしないうちになでしこから返信が返ってきた。料金が半額になるなら用事がなければ二つ返事で来るだろうとは予想してはいたが、魚釣りに行かないかと誘われてこの食いつきようはとても女子高生と思えないアグレッシブさだ。

 

『じゃあ持ち物とか集合時間とかはあとで言うから』

 

『オッケー! あぁ~魚釣り楽しみだなぁ~』

 

 そして週末、釣行当日の朝、春彦は自宅の前でなでしこが来るのを待っていた。もうすぐ着くというなでしこからのメッセージから数分経つと、春彦の家の前に一台の車がやってきて停車した。

 

「ハル君おはよー。ほら、寒いから早く荷物積んで乗って!」

 

「あ、ああ…」

 

 どこか緊張した様子でなでしこと挨拶を交わす春彦は、トランクを開けて荷物を詰め込むと、後部座席のドアを開けて車に乗り込んだ。

 

「おはよう春彦君、今日はなでしこのことよろしくね?」

 

「お、おはようございます…! そのっ、こちらこそこんな朝早くからすみません…」

 

「気にしないで?さ、車出すからベルト締めて」

 

「はいっ…!」

 

 そう、車を運転していたのはなでしこの姉であり春彦の憧れの女性でもある桜だった。本来は春彦の父が車を出す予定だったのだが、何から何まで向こうに任せるのは悪いとなでしこから話を聞いた桜が送り迎えを買って出てくれたのだ。

 

 憧れの桜の運転する車で送ってもらうなど本来は喜ぶべきことなのだが、ド緊張している春彦にとってそれは幸せなのかといえばなんとも微妙なところか。

 

 そんなこんなで初めは落ち着けずにいた春彦であったが、そのことにまるで気が付かないなでしこが話をしてくれるおかげで、徐々にではあるがこの空間にも慣れてきて緊張もほぐれてきた。

 

「早く着かないかなー、釣れるといいなぁ」

 

「管釣りだし一匹も釣れないってことはまずないよ」

 

「大物が釣れちゃうとかあるかな?」

 

「あそこの釣り場はアベレージが大きいし、本栖湖で釣ったくらいのももしかしたら釣れるかもしれないな」

 

 釣りをする前から楽しそうに話をして期待を膨らませているなでしこ。

 

「あ、でもルアーフィッシングって本物のエサじゃないんでしょ? 初めてでちゃんと釣れるかなぁ…?」

 

「まあ、基礎さえ覚えれば大丈夫だと思うし、ちゃんと釣れるよう俺が教えるよ」

 

「そっかぁ。ハル君が教えてくれるならできそうな気がする! それに家でちゃんと予習もしてきたし!」

 

「予習って、お前ほんとに教えたの見て勉強してきたのか?」

 

「もっちろん!」

 

 実は釣りに行く数日前、少しでも上手く釣りたいというなでしこの頼みで、春彦は釣り初心者のなでしこにもわかりやすいような初心者向けの動画のURLを教えていたのだが、しっかりとそれを見て勉強してきたのは春彦にとっては少し意外だった。

 

「へぇ、じゃあ俺が教えることはそこまでないかもしれないな」

 

「魚が釣れたら『フィーッシュ!』て言えばいいんだよね?」

 

「それは恥ずかしいからやめろ」

 

「えぇーせっかくこの帽子も家で探して持ってきたのにー…」

 

「あの人のそういうミラクルなとこまで真似しなくていいから」

 

 あくまで春彦はエリアトラウトの基礎を分かりやすく解説しているところに目をつけて教えたのだが、感性豊かななでしこは釣り方よりも動画に出てきたミラクル釣り師の強烈なキャラクターの方が印象に残ってしまったらしく、わざわざ彼のトレードマークであるカウボーイハットまで持参していた。

 

「ま、なんも分かんなくても俺が教えるからいいんだけどさ」

 

「ちゃんとそれ以外も覚えてきたよっ!?」

 

 なでしこは慌てて動画で予習してきた釣り方をあれやこれやと説明してアピールしだし、春彦はその様子を微笑ましそうに見ていた。

 

「そういえば春彦君、釣り場は釣りする人しか入れないの?」

 

「いえ、釣りをするのは有料ですけど、しない人も無料で入場して見学できます。見学するのが退屈なら、釣り場にあるロッジがレストランになってますし、近くにもいくつかお店とかあるんで、俺となでしこが釣ってる間車で回ってみたらどうですか?」

 

「そうなの、ならちょっと見学したら色々回ってみようかしら」

 

 興味を示した桜に春彦はすかさず事前にリサーチしておいたおすすめの店を紹介しようとスマホを取り出すが、桜は少し考えたあと意外な質問を春彦に投げかけた。

 

「ねえ春彦君? 釣りをするのにはいくらぐらいするの?」

 

「えっ? ええと… 3時間から利用できて、3時間2300円、半日で3000円、1日で4000円ですけど… 桜さん、やってみたいんですか?」

 

「なでしこがやたら楽しみにしてるからちょっとね。じゃあ3時間だけやってみようかしら? 悪いけど春彦君、なでしこと一緒に私にも教えてもらえない?」

 

「はいっ! 俺でよければっ!」

 

「よければって、教えられる人ハル君しかいないよ?」

 

「やかましいっ…!」

 

 急遽桜も釣りをすると言い出したことで、なでしこだけでなく桜にも釣りを教えることになってしまった春彦。憧れの桜相手に果たして春彦はミラクル釣り師のようにきちんと釣り方をレクチャーできるのだろうか。

 

 身延町から車を走らせること約1時間、春彦達3人は甲府市にある春彦行き付けの管理釣り場に到着した。受付を済ませて釣り場に入ると、敷地内の大小4つの池では朝イチでやってきた釣り人たち15人ほどががすでに竿を出していた。

 

「うわぁ、結構広いねー。あっ、ここ富士山が見えるんだ!」

 

「まだ早いのにもうこんなに人が来てるのね」

 

「基本朝イチが一番釣れますから。少しでもいい釣座を取ろうと営業前から待ってる人もいるんです。でも今日は土曜にしちゃ少ない方ですよ」

 

 2人に説明しつつ、春彦は釣り場を見渡して手頃な釣座を見つけてその場所に2人を連れて荷物を下ろした。そして手早く3人分のタックルを組み上げると、なでしこと桜にそれぞれタックルを渡した。

 

「うわっ、鯉釣りの竿と全然違う! 細くて軽いしそれにすっごく柔らかい!」

 

 トラウトロッドのオモチャのような軽さと柔らかさに、前回鯉釣りを経験したなでしこが驚きの声を上げる。

 

 基本的にエリアトラウトは軽いルアーを飛ばすことが前提となるため、使用する専用ロッドは非常に細く柔らかい作りになっている。竿の柔らかさでロッドがよく曲がるため、重りが軽くても振りかぶった反発が生まれやすく、トラウト用の軽いルアーでも容易に飛ばすことができる。硬さや長さといった竿の性質というのは、仕掛けや対象魚によって用途別に細かく種類があり、千差万別なのだ。

 

「地面においてうっかり踏んづけでもしたら大変ね。春彦君のだし気をつけて扱わないと」

 

「いやいや! たかが一本や二本折れても平気なんで、気にせずガシガシ使っちゃってください!」

 

 嘘である。

 桜となでしこに貸したのはそれなりに値が張るロッドで、本当は折れたら春彦としては大変ツライ。だが桜の手前そんなことはおくびにも出さずにやせ我慢しているのだ。ちなみにもしこのロッドが折れたなら、一本で諭吉2人ほどが無駄になる計算である。

 

 説明を終えたところで春彦は早速2人へのレクチャーを開始した。

 

「ルアーフィッシングっていうのは基本的にルアーを飛ばして、それをリールを巻いて手前まで引いてくる釣りです。なんでまずは基本となるキャスティングから教えていきます」

 

「おぉー、なんか本物の先生みたい!」

 

 桜にも説明するため自然と敬語になる春彦のレクチャーは、なでしこの言うようにさながらインストラクターのように見えなくもない。

 

「持ち方は中指と薬指の間にリールの足を挟んでこう。なでしこは覚えてるよな?」

 

「はい!ちゃんと覚えてます先生!」

 

「先生はやめろ…」

 

 前回の鯉釣りでスピニングリールを扱いを覚え、一応事前に予習もしてきたなでしこが得意げにロッドを掲げる。

 

「まず竿先からラインを15センチくらい垂らして、人差し指にラインを引っ掛けてベイルアームを起こす。これで指を離せばラインが出る状態になります。そしたらそのままロッドを上に振って、前に振りかぶって時計の10時くらいの位置で放すっ!」

 

 春彦がロッドを振りかぶるとラインがリリースされ、糸の先についたルアーが低い弾道を描いて綺麗に飛んでいった。

 

「おぉー! かっこいいー!」

 

「とまあこんな感じです。基本的には肘から先、スナップを効かせて手首を振るだけで飛ばせます」

 

「よーし、早速やってみよっと」

 

 春彦のレクチャーを聞いたなでしこがルアーのキャスティングに挑戦する。

 

「それっ!」

 

 鯉釣りをしたぶん経験を生かして上手くできただろうと気合十分でロッドを振りかぶるが、ルアーは前には飛ばずにボチャンという音を立ててなでしこの目の前の水面に落下した。

 

「あ、あれぇ…?」

 

「速く振ろうとして力みすぎたな。もっと力を抜いて、糸を放す時に惰性を残さずピタッとロッドを止めて。飛ばしたい方にピタッと指差しするイメージでもっかいやってみな?」

 

「うん! えっと… 振ったらピタッと!」

 

 春彦に言われた通りにキャストすると、先程とは打って変わってルアーが前方に綺麗に飛んでいった。

 

「やった! できたよハル君!」

 

「おし、今度は上手いぞ」

 

「なるほどね… ええと、よっと… こんな感じかしら春彦くん?」

 

「いや、普通にできてるんですけど…? 桜さんもしかしてやったことあります?」

 

「いいえ、これが初めてだけど」

 

 驚いたように桜のキャスティングを褒める春彦だが、別に彼女を贔屓してよいしょしたわけではない。ただ純粋にそういう感想が出てしまうほど彼女のキャストはそつない出来だった。

 

「むぅー…」

 

 桜のことを褒める春彦になでしこは少し気に入らない様子で唇を尖らせている。

 

「どうした?」

 

「私のキャスティングも褒めてほしいなぁー?」

 

「いや褒めたろ」

 

「私褒められて伸びるタイプだし、もっと褒めてほしいかも」

 

 前述の通りなにも春彦は桜を贔屓しているわけではないのだが、なでしこにとってはちょっと不満なようだ。

 

「じゃあ次はもっと褒めるから…」

 

「春彦君、その子厳しくしたほうがいいタイプよ」

 

「えぇーっ!? お姉ちゃんん~~…」

 

 桜からのアドバイスに涙目になるなでしこ。別にこれは意地悪でもなんでもなく、桜はなでしこの性格を知った上でそう言っただけでありちゃんと事実に基づいた発言なのである。なのではあるが、実はなでしこの意図は2人とはちょっと違うものであったり…

 

「さて、じゃあ次はキャストした後ですけど、キャストしたらまずベイルを戻して、軽く竿を弾いてラインを水面から離してゆっくりと一定の速度で巻いてくる。スプーンの釣りは基本なんだけど…! …っとおー釣れちゃったな」

 

「え、もう!? まだ一回しか投げてないのに!」

 

「今はいい時合だから結構簡単に釣れるぞ?」

 

 見本の一投目で春彦が早くも魚をヒットさせ、そのままスムーズなやりとりで魚を岸際まで引き寄せていく。

 

「釣れたんでついでに取り込みも。魚を引き寄せたら左手にネットを持って、こうやってロッドを後ろに引いて網に入れるっと、ざっとこんな感じです」

 

「「おぉー」」

 

 見事な手際になでしこと桜は思わず声を上げて取り込まれた魚をまじまじと見やった。

 釣り上げたのは25センチほどの小型のニジマスで、春彦のルアーはお手本のようにしっかりと上顎にかかっていた。

 

「釣り上げたら魚をむやみに陸にあげずに水につけたままあまり魚体に触れないよう手早く針を外す。あんま魚に触りたくない場合はこのハサミみたいなフォーセップとかを使って下さい。」

 

「私は魚大丈夫だよ」

 

「私は使わせてもらおうかしら」

 

「じゃあ桜さんに渡しておきますね。さて、んじゃ2人も実際にやってみましょう」

 

 釣り上げるまでの大まかな流れを説明を終えると、釣り初心者のなでしこと桜も教わった通りにキャスティングして釣りを始めた。

 

「わっ! いまゴンってなったよ!」

 

「それがアタリだな。もっとググって引かれたらさっき俺がやったみたいに素早くロッドを立ててアワセてみ?」

 

「あら?もしかしてこれ釣れてる?」

 

「あっ、釣れてます釣れてます! 竿を立ててリール巻いて引き寄せて下さいっ」

 

 なでしこにアタリが来た横で早くも桜が魚をヒットさせる。なんとか最初の一匹を釣らせようと必死な春彦とは反対に、いたって冷静に指示を聞きながら桜は魚の抵抗をいなし難なく取り込みを成功させた。

 

「あぁーお姉ちゃんに先越されたぁー…」

 

「ふぅ、こんな大きさでも結構引くのね」

 

「おめでとうございます桜さん」

 

 見事桜が釣り上げたのは30センチほどの小型のニジマスではあったが、釣り上げた桜本人はニジマスの小さな魚体に見合わぬ引き味に少しばかり驚いたようである。

 

「ここの魚は状態がいいのが多くて小さくても結構引くんです」

 

「ええ、確かにこうして見ると綺麗な魚ね」

 

 釣り上げた魚は小型ながら虹鱒の名にふさわしい綺麗な赤と緑の模様が入っており、ヒレの欠損や傷もない良好な個体だった。

 

「なるほどね、これは結構楽しいかもしれないわ」

 

「いいなぁお姉ちゃん… あぁっ!? あ~またきてたのにぃ~…」

 

 桜の方を気にしていたなでしこはまたアタリを逃してしまった。

 

「ほら、一回逃しても集中を切らすなって。巻いてりゃまた食ってくることも多いから」

 

「う、うんっ… 集中集中…」

 

 春彦に諭されなでしこは手元に神経を集中させてリールを巻き上げていく。

 

「きたっ! 今度こそきたよーっ!!」

 

 ルアーを回収する直前、岸から僅か2メートルほどのところで魚がなでしこのルアーをひったくった。今度こそしっかりとアワセを決めたなでしこは、興奮して喜びながらも春彦の教え通りに魚を引き寄せて取り込みを成功させた。

 

「やったぁーっ!」

 

 釣れたのはまたしても小型のニジマスではあったが、初めてルアーで釣った魚になでしこはとても嬉しそうな笑顔で喜びを表現した。

 

「な? 釣れたろ?」

 

「うんっ! ハル君の言う通り、集中だねっ!」

 

「うむ、集中は大事だ」

 

 こうしてなでしこも一匹目をキャッチし、基本を覚えた2人は20分も続けると釣りに慣れてキャストなどの動作が様になっていた。

 

「そういえば、釣った魚は食べられるのハル君?」

 

「ああ、持ち帰って食べることもできるし、あっちのバーベキュー場で焼いて食べることもできるぞ?」

 

「ほんとにっ!? じゃああとで焼いて食べようよ~?」

 

「んじゃ昼になったら向こうで焼いて食べるか」

 

 後で食べる鱒の塩焼きを想像してよだれを垂らすなでしこ。

 

「あ、でも持ち帰りの分も欲しいなぁ…」

 

「普通にたくさん釣れるから大丈夫だって」

 

「そっかぁ、じゃあ3人で頑張って100匹くらい釣ろーっ!」

 

「そんな釣れるわけないでしょ…」

 

「いや、一人でも普通にそのぐらい釣るんで3人ならいけますよ?」

 

 桜の言葉を否定してあっさりと言い切った春彦の言葉に、食への妄想がなでしこの頭の中いっぱいに広がっていく。

 

「100匹釣れたら2日はニジマス食べ放題だよぉ~」

 

「いや持ち帰れんのは一人10匹までだから… てかお前んちは100匹を2日で食えんの…?」

 

 50ニジマス/日という常識外れの消費ペースに春彦は若干引き気味になるが、あながち冗談でもないのではと思えてしまうところが各務原家の怖さといったところか。

 

 1時間ほど経過し時刻が午前9時を回った頃、それまでコンスタントにきていたアタリが一気に減り、なでしこと桜の釣るペースが目に見えて落ち始めた。しかしそんな2人の横で朝イチよりはペースダウンしているもの、春彦は未だにペースよく魚を釣り上げている。

 

「私はとお姉ちゃんは釣れないのにハル君は相変わらず釣れるね?」

 

「時間帯もあるけどそろそろルアーを変えた方がいいかもな。ずっと同じのばっか投げてると魚が見切って反応しなくなんだよ」

 

「なるほどー。でもこんなにたくさんある中からどうやって選ぶの?」

 

「状況から判断して色や重さ、形と色々試してみる感じかな」

 

 釣れるルアーというのは状況によって変わるためこれといった選び方の正解はないのだが、ある程度の傾向として魚の活性が高い時は派手な色、渋い時には色のトーンを落としサイズを変えてシルエットを小さくしたりすると釣れる場合が多い。とにかく色々なルアーを試して当たりを探していくのだ。

 

「あ、この色は反応良いわね」

 

「俺が使ってるのと似たカラーですね、釣れなくなったらまた変えてみて下さい」

 

「ハルくーん、私の方はやっぱり釣れないよ〜」

 

「じゃあスプーンじゃなくてクランク使ってみるか?」

 

「クランク? 回すの?」

 

「そのクランク違うわ」

 

 なでしこのヘルプを受け、春彦はスプーンが入っているのとは違うケースをタックルボックスから取り出すと、その中に入っていたスプーンとは異なるプラスチックのルアーをつまみ上げた。

 

「わぁ、これカワイイ~。こんなのが釣れるの?」

 

「ああ、ちょっと試してみ?」

 

 クランクベイトはスプーンと並んでエリアトラウトにおいてとてもベーシックなルアーのひとつだ。スプーンとの違いは動きもそうだが、空洞のプラスチックボディから生まれる高い浮力が特徴で、巻くのを遅くするほど沈んでしまうスプーンとは対照的にクランクはゆっくり巻くほど浮力が働いて浮くのだ。この特性を利用してスローに

攻めることでやる気のない魚が口を使う場合がある。

 

 渡されたクランクを付けたなでしこが再びルアーをキャストする。

 

「基本はスプーンと同じでゆっくりと一定のペースで巻く。このルアーならさっきより気持ち遅めにな」

 

「ゆっくり、ゆっくり…」

 

 言われた通りに巻いていると、突然明らかにルアーの引き抵抗を超えた力でググッと竿先が引き込まれ、すかさずなでしこがアワセを入れた。

 

「きた!きたよハル君!」

 

 久しぶりのヒットに嬉しそうな声を上げるなでしこだが、先程のようにすんなりと魚が寄ってこない。ドラグ音が響いてラインがリールから引き出されている。

 

「な、なんかさっきより大きいかも!?」

 

「ドラグはちゃんと調整してるから落ち着けな。鯉釣ったときみたいに上手くいなしてけ」

 

 魚のサイズ自体は先程より大きいようだが、引きや糸の引き出され方からそこまで大物でもないと判断した春彦は、あえてランディング(取り込み)を手伝わずに隣でなでしこを見守る。

 

 ほどなくして寄ってきたのは40センチには届かないくらいの中型のニジマスだった。暴れ回って疲れたのかもうそれほど抵抗せずに、なでしこが伸ばしたネットにすんなりと収まる。

 

「やったよハル君! これ結構大きくない?」

 

「36センチってとこか。まあまあのサイズだけど、とりあえず今んとこ今日イチだな」

 

「ふふん♪ 今日から師匠と呼んでくれていいんだよハル君?」

 

「ここはこの倍ぐらいのやつだっているんだぜ? 調子乗ってると俺どころか桜さんにも抜かされるぞ?」

 

 なでしこが釣ったのはアベレージより少し大きいサイズではあるが、それなりのサイズを釣ったのがよほど嬉しいらしく写真まで撮って喜んでいる。

 

「さて、俺もそろそろデカイやつとか狙ってみるかな」

 

「ふふ、ハル君さては結果クヤシイのですかな?」

 

「お、言ったな? さっきのよりデカイのあっさり釣ってやるから」

 

そう言って春彦は小さなルアーケースとネットを持って他のポイントへと移動して行った。そして10分ほどしたところで戻ってきた春彦の手には、なでしこが釣ったものより明らかに大きな魚が入ったネットが握られていた。

 

「ほら、釣ったぞ?」

 

「えーっ!? なにこの魚!?」

 

 魚が弱らないよう水に入れられたネットの中を見てなでしこが驚いて目を丸くする。

春彦が釣った魚は大きさも立派だったが、それよりも目を引くのは魚体の模様だった。形そのものはニジマスのそれだがその魚体は鮮やかな山吹色で、魚に詳しくない人が見れば熱帯魚かなにかと勘違いしてしまいそうな姿だった。

 

「アルビノって聞いたことないか? こいつはニジマスのアルビノ個体なんだよ」

 

 アルビノ。メラニンの生合成に関わる遺伝情報の欠損により先天的にメラニンが欠乏する遺伝子疾患で、この疾患を持つ個体は体の色素が抜け白くなるのだが、ニジマスの場合は白ではなく朱を帯びた黄色となる。そして突然変異で偶発的に生まれたニジマスのアルビノ個体を養殖したものが今春彦が釣り上げたようなニジマスなのだ。

 

「へぇー、普通の魚に混じって黄色っぽいのが泳いでたけどこれだったのね?」

 

「はい。ちょっとレアなやつですけど、頑張って狙ってたら釣れました」

 

 桜もいる手前謙虚に振る舞う春彦だが、その表情はやはりどこか得意げに見える。内心はかなり嬉しくていい気分に違いない。

 

「狙って… ってどうやって?」

 

「ああ、ミノーを使ったんだよ」

 

なでしこに尋ねられた春彦は、先程のクランクとは異なる小魚に似た細長いプラスチックのルアーをつまんで見せた。

 

「このミノーはスプーンやクランクとは違って、ロッドを動かしてアクションさせるタイプのルアーでな。まあちょっと見てみな」

 

 春彦がロッドから少し糸を垂らしルアーを水中に入れた状態で鋭く竿先を動かすと、水中のルアーはまるで小魚が逃げ惑うように左右へ素早く動いた。

 

「この動きで魚の捕食スイッチを入れて食わせるんだ」

 

「ほえー、本物の魚みたい」

 

 ミノープラグとは細身の小魚を模したプラスチック、または木材で作られたルアーで、種類によってアクションの違いはあるものの、基本的には肉食魚が好む小魚の泳ぎを模した動きをする。春彦がアルビノを釣り上げたミノーはその中でも能動的にアクションさせるタイプの種類で、上手くアクションさせればピンポイントで狙った魚を反応させることもできるのだ。

 

「とまあミノーイングはそういう釣りなんだが… やってみるか?」

 

「うん!」

 

「じゃあまずは俺が手本を見せるから」

 

 春彦は見やすいようにわざとミノーを岸際にキャストすると、ツンツンと小刻みに竿先を振ってルアーをアクションさせてみせた。

 

「これがトゥイッチング。小刻みに動かして移動距離を短めにより長く魚にアピールするやり方だ」

 

「なるほどー」

 

「もう一回やるからよく見てな」

 

 春彦はそう言って今度は少し遠くに投げて魚のいる場所にルアーを通しトゥイッチする。すると何匹かの魚が小刻みに動くミノーに反応し、目の色を変えてミノーを追ってきた。

 

「おぉー! 魚が付いてきてる!」

 

 そして驚くなでしこの目の前で1匹の魚が引ったくるようにしてミノーに食いついた。針を外そうと魚が暴れバシャバシャと水飛沫が上がるが、春彦は意に返さず引き寄せるとネットを使って一気に取り込んだ。

 

「とまあ上手く動かすとこんな風に食ってくるわけだ」

 

「すっごーい! 簡単に釣れた!」

 

 魚がルアーに食らいつく瞬間を間近で見たなでしこはその迫力ある光景に思わず声を上げ拍手した。

 

「あれ?これもニジマスとちょっと違う?」

 

「こいつはブラウントラウトっていう、ニジマスとは別の種類のトラウトだ」

 

「そうなんだぁ。そういえばここの魚って何種類くらいいるの?」

 

「んー、たしか6種類くらいだったかな」

 

「鱒ってそんなに種類がいるのね」

 

「日本原産のに加えて交雑種とかもいるんで、一口にトラウトといっても結構な種類がいるんですよ」

 

 そんな豆知識を披露しながら春彦は釣った魚をリリースし、なでしこに自分が使っていたタックルを差し出した。

 

「よし、じゃあこれ使ってやってみ?」

 

「? 交換しなくてもルアーを私のに付け替えればいいんじゃないの?」

 

「そのロッドじゃミノーを扱うには柔らかすぎんだ」

 

 ロッドで細かくアクションを付けるミノーイングにおいては、スプーンやクランクで使う柔らかいロッドでは竿の動かしてもロッドが吸収してしまうため思うようにルアーを動かせない。なので一般的にミノーイングでは硬めのロッドを使うのである。試しに春彦がロッドを振ってみせると、スプーンを使っていたものと比べて明らかにしなる量が少なく硬いことが見て取れる。

 

 タックルを手渡されたなでしこは早速ミノーをキャストし、春彦の指示に従ってロッドを動かしてルアーをアクションさせようと試行錯誤を始めた。

 

「こんな感じかな?」

 

「ちょっと水深を外してるな。トゥイッチする前にもう少しリールを巻いてルアーを潜らせて、水草のすぐ上を通すようなイメージでやってみ?」

 

 春彦がやったようにルアーをアクションさせようと頑張るなでしこだが、基本的にリールを巻くだけだったスプーンやクランクとは勝手が違い、魚を反応させることはできても食わせるまでには至らずなかなか魚をヒットさせることができない。

 

「うぅー、難しいなぁ…」

 

「うーん。漫然と動かすんじゃなくて、魚の反応を見ながらアクションさせるイメージしてみ? 逃げ惑う動きで魚を興奮させて、一瞬止めたり小刻みに震わせたりして食わせる隙を与えるんだ」

 

「よーし、もう一回!」

 

 春彦の話を反芻しながらなでしこは再びルアーをキャストをしてアクションを加えてく。狙った水深までルアーを沈めトゥイッチングをして魚にアピールすると、ルアーの動きに本能的に反応した魚が付いてきた。しかし岸際まで追っては来たのだが、後もう少しというところで魚が反転して行ってしまう。

 

「あぁー惜しいっ」

 

「今の魚を狙ってすかさずキャストして。今度は岸際まで集中を切らさず、誘い続ければ多分食うよ」

 

 すぐさまなでしこが先程の魚を狙ってキャストする。ルアーが動き始めると興奮状態の魚がそれを捉えようと何度も突進を繰り返しまた岸際まで追いかけてきた。そして食わせる間を作ろうとなでしこがアクションを止めた瞬間、惰性でフラフラと姿勢が崩れたミノーに追ってきた魚が猛然と襲いかかった。

 

「やった!」

 

 岸際で大きな水飛沫が上がりなでしこのロッドが大きく弧を描く。ドラグ音が鳴りラインが引き出されるがまだそこまでのサイズではなく、少し経つと疲れてきたのか抵抗が弱まり引き寄せられてきた。

 

「やったー! ミノーで釣ったよハル君!」

 

「この模様… これもニジマスとは違う魚?」

 

「ええ。ブルックトラウトって種類です」

 

 釣れたのはイワナに似た魚体に背びれの虫食い模様が特徴のブルックトラウトで、鼻曲がりしはじめた40センチほどの良型だった。

 

「ハル君見た!? 目の前で釣れたよ!」

 

「ああ、最後の止めで上手い具合にルアーがふらついたのが効いたな」

 

「難しかったけど釣れるとすっごい嬉しいね!」

 

 なんとなく釣れたのではなく、試行錯誤して狙って釣った価値ある一匹になでしこは満面の笑みを浮かべる。ミノーイングに挑戦したなでしこは図らずも自然と釣りの醍醐味を体感していた。

 

 そんななでしこをどこか懐かしむような眼差しで見つめる春彦。今でこそかなりの腕前である春彦ではあるが、最初は釣りのいろはも分からず、あれこれ釣りの本を読んで試行錯誤した時代があり、喜ぶなでしこの姿が過去の自分と重なって見えていた。

 

「よかったな釣れて」

 

「うん! ハル君が真剣に教えてくれたおかげだよー」

 

「そんな真剣そうだったか?」

 

「私にはそう見えたよ?」

 

 なでしこには自分が釣りをする片手間で気楽に教えているつもりだったのだが、知らず知らずのうちに春彦は自分が釣りをするのも忘れて真剣に彼女に釣り方を教えていたようである。

 

「そうか… まあなんつーか、せっかく来たのに釣れないと申し訳ないだろ?」

 

「そんな気を使わなくてもいいのにー」

 

 なんとなく恥ずかしくなって適当に誤魔化した春彦だが、なんとなく視線を外すと微笑ましげにこちらを見る桜の姿が…

 

(ハッ…!? なにかあらぬ誤解を桜さんにされている…!?)

 

 「違います!違います!」と言わんばかりに必死に表情と身振りで伝えようとするが、どうやらあまり意味はいようで、千明の件に続いてまたしても憧れの桜に勘違いされてしまう春彦であった。

 

『フィッシングリゾートにお越しの皆様にお知らせいたします。まもなく放流が行われますので放流車の通行にご協力お願いいたします』

 

「放流?」

 

 釣り場に流れるアナウンスになでしこは何か起こるのかと首を傾げる。

 

「新しく魚を放すんだよ。チャンスタイムだからルアーを派手な色のに変えときな」

 

「う、うん」

 

 放流の意味が良くわからないまま、なでしこは言われたとおりにスプーンを赤金の派手なものに付け替え放流とやらを待った。するとアナウンスから少しして荷台にタンクのようなものを積んだ小型のトラックが釣り場に入ってきた。そして水際に停車したところでスタッフが太いホースのようなものを伸ばすと、そこから水と一緒にドバドバと大量の魚が釣り場に放流された。

 

「わぁー! ああやって魚を池に入れるんだね!」

 

「面白がってる場合じゃないぞ? ほら、そろそろこっちにも来る」

 

 春彦達がいる場所にも放流車がやってきて魚が放流される。すると放流されて数分もしないうちにそれまでの釣れ方が嘘のように入れ食い状態となり、水面が一気に賑やかになってきた。

 

「また釣れた! 一投一匹だよ!」

 

「どうだなでしこ! これが放流だ!」

 

「ここまで釣れると流石に忙しいわね…」

 

 どのルアーを投げようと、どんな釣り方だろうととにかく釣れまくるフィーバー状態。価値ある一匹を追い求める釣りもいいが、こういう釣りもまあ楽しいもので3人はしばしの間釣れまくるこのひとときを楽しんだ。

 

「なあなでしこ。今せっかく釣れてるし、ちょっと勝負しないか?」

 

「勝負ってどんなの?」

 

「早掛け対決だ」

 

 早掛け対決とは、その名の通り誰が一番早く一匹釣り上げるかを競う競争であり、こういったグループでの釣りではお決まりのゲームなのだ。

 

「ビリは勝った2人にジュース奢るってのはどうだ?」

 

「フフフ、受けて立つよハル君!」

 

 というわけで春彦、なでしこ、桜の3人で行うこととなった早掛け対決。圧倒的な釣り経験を誇る春彦が下馬評通りあっさり勝ってしまうのか… はたまた放流効果で意外にもなでしこと桜が先に釣ってしまうのか… 果たしてビリになって缶ジュースを奢るハメになるのは一体誰なのか… 後編に続く…!!

 

 

 

 

 




お久しぶりです。

色々言い訳したいとこですが、とりあえず更新が遅れて申し訳ありませんでした…

今回からルート分岐します。当分はそっちがメインになりそうですが、本編の方も書き次第ちょくちょく追加する予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1話後編 各務原姉妹と釣りデート その2

 

 

 

 春彦の提案から始まった缶ジュースを賭けた早掛け対決。放流直後なのでなでしこと桜にもチャンスがあるかと思われたのだが、やはり一番に魚をヒットさせたのは春彦だった。

 

「きたぞー?」

 

「はやいっ!? やっぱりハル君かぁ~」

 

 初心者のなでしこと桜をよそに一投目であっさりと魚を掛けた春彦。しかしあともう少しでネットインというところで、針が外れ逃げられてしまった。

 

「あ、バレた。まあいいか」

 

「むぅー、逃げられたのに余裕そう…」

 

 基本的にカエシのないバーブレスフックが義務付けられるエリアトラウトではバラシは日常茶飯事。1番に釣らずともとりあえずビリにならなければ良いので、春彦は特に焦るでもなく余裕の表情だった。

 

 しかしそうやって春彦がバラした直後、次に魚をかけたのは春彦ではなく意外にも桜だった。

 

「あ、来ちゃったわね」

 

「あぁーお姉ちゃんまでぇ… 逃げろー、逃げろー…」

 

 負けたくないなでしこは桜の方に向かって怪しげな念を送る。だがその願いは叶わず、桜は引き寄せた魚をすんなりとネットに収め、下馬評を覆して桜が一番に釣り上げてしまった。

 

「ありゃま、先に釣られちゃいましたか」

 

「運が良かっただけよ。でもとりあえずこれで1抜けね」

 

 桜が抜けたことでなでしこと春彦は一騎打ちの勝負となった。春彦の方は特に焦る様子もなく釣りを続けているが、なでしこの方はというと相手が春彦なだけにプレッシャーを感じていた。

 

「あっ! うあぁ~今きたのにぃぃ~」

 

 プレッシャーで焦っているせいか、なでしこはせっかく来たアタリにも冷静にアワセられない。横では今にも魚をヒットさせてしまいそうな余裕綽々といった雰囲気の春彦。このまま順当になでしこが負けてしまうのかと思われたその時、彼女の脳裏に予習で観た動画のミラクル釣り師の言葉がよぎった。

 

『竿にアタリが来てからじゃ遅い!アタリはラインで取るんだ!』

 

 ロッドを水面と平行にして、ラインのたるみの変化でアタリを取るテクニック。思い出せば春彦はスプーンを使うときは、ずっとそうやってロッドを寝かせていたことになでしこはふと気がついた。そこでなでしこは藁にもすがる思いで、見よう見まねでそのやり方を試してみることにした。

 

(たしかこうやって、竿をまっすぐにして糸のたるみをよーく見て…)

 

 そしてルアーの着水地点から2メートルほど引いてきたとき、それまでほぼ変化のなかったラインが不意に不自然に大きくたるんだ。すかさずなでしこは反射的に鋭くアワセを入れる。

 

「よしっ! きたよーっ!!」

 

「こっちもきたぞー」

 

 なでしこに待望のヒットが訪れるが、ほぼ同時に春彦も魚をヒットさせダブルヒットとなる。どちらが先にバラさずに釣り上げられるかの勝負になるが、すんなりと魚を寄せる春彦に対してなでしこの様子は違っていた。まるで魚が寄ってこず、それどころかリールからドラグ音が響き、ラインがどんどんと引き出されてしまっている。

 

 

「ハ、ハルくーんっ!?」

 

「ムッ… これは結構なサイズかもしれん」

 

 先程までの魚と比べ物にならないほど強烈な引きに、先に釣り上げた春彦も勝負のことなど忘れ、なでしこのサポートに回るためにランディングネットを手にした。

 

「うわわっ!? ハル君どうしよう!?」

 

「落ち着いてロッド立てて、 引かなくなったらリールを巻いて」

 

 春彦の指示を聞きながらなでしこは必死に魚を寄せようとするが、ラインが引き出されるばかりで魚はどんどんと遠くに走っていっしまう。

 

「マズイな、このままだとバラしたり他の人のラインに絡まる… 仕方ないからこのまま歩いて追いかけるぞ! ラインを緩めるなよなでしこ!」

 

「は、はひっ…!」

 

 ラインが細くパワーが乏しいトラウトタックルなので無理は禁物だが、このまま走られ続けるのもまずい。そこで春彦は自分のもとに魚を寄せるのではなく、自ら歩いて魚を追いかけてランディングする作戦に出た。春彦は周りの釣り人に声をかけながら、いっぱいいっぱいのなでしこを連れ魚の逃げる方へ移動していく。

 

「ちょっと走られちゃって、すいません前通ります!」

 

「はいよ。お、結構引いてるな、お嬢ちゃん頑張れー」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「彼氏君しっかり取り込んであげなよ」

 

「あ、はい…」

 

 釣りをする若い女子がとにかく貴重な存在だからか、周りの釣り人達も快く協力してくれるばかりか応援まで飛んでくる。そしてその女子と一緒にいる男子は当然のように彼氏だと勘違いされるわけで、春彦はなんともいえない複雑な気分になりながらも、協力してくれた釣り人たちに頭を下げていった。

 

 周りの釣り人の協力を得つつ魚を追いかけていくこと5分、泳ぎ回って疲れてきたのか魚の走りに勢いがなくなり、タックルのパワーに抗えなくなってきた。

 

「流石に疲れてきたか。よし、無理せずじっくり寄せてけ」

 

 なでしこがポンピングをして慎重に引いていくと、やはりもう抵抗する体力が残っていないのか、すんなりとはいかないものの確実に魚は岸に寄ってくる。そして岸際まで引き寄せられたところで、ようやくその巨大な魚の正体が判明した。

 

「おぉ! イトウだっ!」

 

「すっごい大きさだよハル君!」

 

 掛かったのはなんと幻の魚とも呼ばれる魚、イトウだった。ゆうに60センチを超えるその魚体に流石の春彦も驚きの声を上げる。

 

「よーし、ゆっくりゆっくり。そのまま体ごと後ろに下がって…」 

 

 なでしこに指示をしながら、引き寄せられたイトウを春彦がネットで取り込もうとする。しかしあともう少しというところで最後の抵抗とばかりにイトウが暴れまわり、冷たい水飛沫が春彦の体に浴びせられた。

 

「大丈夫ハル君!?」

 

「冷ってぇーっ… 堪忍しろこのっ…!」

 

 水をかけられ怯みはしたものの、もはやその程度の抵抗ではどうなることもなく、力なく浮き上がってきたイトウは春彦がランディングネットによってしっかりと取り込まれた。

 

「よし! やったぞ!」

 

「やっと釣れたぁ…」

 

 喜ぶ春彦とは裏腹に釣った本人であるなでしこはイトウの強烈な引きと巨大さに圧倒されてしまった様子。釣り上げたイトウは75センチの大物で、この管理釣り場で放流されているものではかなり大型の部類に入る個体だった。

 

 ちなみに幻の魚と説明したイトウだが、あくまで幻なのは北海道の一部にしか生息していない野生の個体のことであり、養殖されたイトウは最近では多くの管理釣り場に放流され、それなりのタックルがあれば気軽に狙えるターゲットとなっている。なかなか釣れないので珍しいことには変わらないのだが。

  

 

 かくして苦戦の末釣り上げた大物に、周りでギャラリーとなっていた釣り人からもぽつぽつと拍手が上がり、なでしこは得意げで、春彦はちょっと気恥ずかしそうにしていた。

 

 そうして大物を釣り上げたあと、一応勝負には負けたかたちとなったなでしこがジュースを奢るついでに、3人は一旦釣りをやめて休憩することにした。

 

「はぁー、やっぱり釣りって楽しいねー」

 

「そりゃ良かった。誘った甲斐があったな」

 

 負けて2人に奢る羽目になったというのに、大物を釣り上げたなでしこは満足そうにココアを飲んでいる。

 

「キャンプだけじゃなくて釣りも初めちゃおっかな?」

 

「ふむ、いいんじゃないか」

 

「自分の道具で釣りするのも面白そうだよねぇー」

 

 なでしこは魚釣り2回目にして釣りの魅力に染まってきているようで、早くも自分の釣具を揃えることに憧れを持ち始めているようだった。

 

「でも危ないから1人で行くのはやめなさいよ?」

 

「わかってますぅー、ハル君がいるから大丈夫ですぅー」

 

 なんだかんだ妹思いな桜は、アクティブな性格のなでしこが1人で大自然に飛び出してしまわないか心配なようだが、そこはなでしこもちゃんと心得ているらしい。

 

「まあ確かに1人は危ないけど、必ずしも俺とじゃなくてもいいんじゃないか? ほら、お父さんとかと行くのもいいんじゃないか?」

 

「んー、でも私ハル君と釣りするのが好きだから」

 

「えっ?」

 

 不意打ち気味のなでしこの発言に春彦は思いっきり変な勘違いをしそうになる。

 

「だってハル君のが釣りも料理も上手だし、私じゃ釣った魚捌けないしね」

 

「あぁ、まあそうだな…」

 

 特に狙って言ったわけではなかったのだが、なでしこの発言は思春期の男子高校生を勘違いさせるには十分すぎるパワーを持っていた。いくら桜に惚れているとはいえ、女子として普通に可愛いなでしこにそんなことを言われれば春彦とて平静ではいられない。加えて桜をはじめ周りからもそういう目で見られている節があるため、嫌でもなでしこのことを意識してしまい、春彦は心に揺さぶりをかけられていた。

 

(良くないな、これは…)

 

 すでに想いを寄せる人がいるというのに、その人とは違う他の女性に心を動かされている。こういうのはある程度仕方のないことなのだが、恋愛経験などない春彦にはそれがとても不誠実な気がしてならなかった。考えても納得のいく答えが出てこず、気がつくと飲んでいた紅茶の缶が空になっていた。

 

「よし、再開するか。とりあえず桜さんは残り1時間だから、ちょっと早めだけど11時に一旦釣りやめて昼飯でいいすか?」

 

 春彦は空き缶を捨てて再びロッドを持つ。何かしら悩んだときは釣りをして思考をリセットする。それが昔からずっと変わらない春彦のスタンスなのである。

 

「ええ、昼時はバーベキュー混むらしいからそれがいいわね」

 

「私もそれでいいよー」

 

 そうして一時間ほど釣りをした3人は一旦竿を置いて、バーベキューで釣ったトラウトを焼いて昼食と相成った。

 

「ハル君、もう食べていいかな?」

 

「まだ火にかけたばっかだろ。てかよだれを拭け」

 

昼にはまだ少し早いというのに、炭火で焼かれるニジマスをなでしこは穴が空くほど凝視している。春彦が火の通り具合を見つつ焼いていくと、程なくして皮に焦げ目がついてきて香ばしい川魚の香りが煙とともに漂ってきた。

 

「よし、これはもう食べていいぞ」

 

「いただきます!」

 

なでしこがニジマスの背にかぶりつくと、齧った跡から覗く白い身から湯気が立ち上った。

 

「んんーっ! おいひ〜っ!」

 

 ニジマスの塩焼きの旨さになでしこがふにゃりと顔を綻ばせる。

 炭火で焼いたニジマスは丁度良く火が通っており、口に入れた瞬間に川魚の風味が広がる。程よく振られた塩が淡白な身の味を引き立たせ、シンプルな料理ながら外飯効果も相まって味は絶品だった。

 

「同じ魚でも普段食べてる魚とは結構違うものね」

 

「普通の食卓じゃ川魚なんてあんま食べないですしね」

 

「こんなに美味しいならもっと食べてもいいのにねー?」

 

「あんたそれ何匹目よ?」

 

「んふふー、4匹めー♪」

 

 焼けたそばから次々とニジマスを平らげていくなでしこに、いつものことながら桜はちょっと呆れ顔。しかしながら本気で呆れているわけではなく、表情とは裏腹にその眼差しは妹を見守る優しげなものだ。

 

「なんか自分で釣ったからかすっごく美味しく感じるね」

 

「そうだな。それが釣り人にしか味わえない味だよ」

 

「なんか野生に戻った気分かも」

 

「ははっ、なんだそりゃ? まあちょっと分からんでもないが」

 

 なでしこと話す春彦の表情も穏やかなものになる。

 美味しいものを食べている時のなでしこはとにかく幸せそうで、それを見る周りの人も笑顔にしてしまう不思議な魅力に溢れている。桜と食事をしているというのに、春彦の視線は彼自身も気づかぬ内に自然となでしこの方にばかり向いてしまっていた。

 

(ハッ…!)

 

 気がついた時にはもう遅かった。春彦が視線を動かすとさっきと同じように微笑ましげな眼差しを送っている桜の姿が…

 

(違うんだぁぁぁぁ…!)

 

 自分の意思とは関係なく揺れ動く気持ちに頭を抱えて苦悩する春彦だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼食のあとまた2時間ほど釣りを楽しんだ一行は、少し早めに帰り支度をして14時頃に釣り場を後にした。春彦となでしこは一日券を買っていたので釣り場が閉まる17時までは釣りができたのだが、春彦が各務原家で夕食を振る舞うことになり、早めに切り上げることにしたのだ。

 

「いやぁー、春彦君が料理までしてくれるなんて助かるなあ!」

 

「私達じゃこんなに色々作れないものね?」

 

 塩焼きにバター焼き、フライにアクアパッツァと、春彦が腕によりを掛けて作ったトラウト料理の数々に、なでしこの両親はこれ以上ないほど上機嫌だった。

 

「いえ、桜さんに車出してもらいましたしこれくらい全然…」

 

「私が自分から申し出たんだし気にしないでいいのよ?」

 

「そうだよハル君。 私が出かけるときはお姉ちゃんいっつも車出してくれるんだから、ハル君なら1回2回なんて全然だよ!」

 

「得意げに言うことじゃないでしょ」

 

 自慢げに言うなでしこに桜が釘をさす。

 まるで体の良い足扱いにも聞こえるなでしこの発言だが、一応本人は頼れるお姉ちゃんと伝えようとしただけである。桜もそれをなんとなく分かっていて、分かっていながらもツッコミを入れたのだ。やはりというか、なんだかんだ姉妹仲は良い2人だ。

 

「こんなに美味い料理は毎日は無理でも週一くらいは食べたいな!」

 

「そうだ!ハル君をお嫁にもらえばいいんだよお父さん!」

 

「いや俺の性別どこ行ったよ?」

 

「いいわねそれ」

 

「いや桜さんまで何言ってるんすか?」

 

  常識人ポジションだと思っていた桜の悪ノリに春彦は困惑する。魚介限定ではあるが料理上手で人当たりも良い春彦は、すっかり各務原家の人々に気に入られていた。

 

 それは春彦も悪い気はしていなかったのだが、同時に複雑な気分でもあった。各務原家の両親もどちらかといえば、桜よりもなでしことそういう関係になることを期待している節があったからだ。なので各務原家の好意で桜に家まで車で送ってもらうことになっても、春彦はあまり素直に喜べなかった。

 

「ありがとね春彦君。釣りを教えてもらった上にうちで夕飯まで作ってもらって」

 

「いえ、これくらい全然… でもちょっと意外でしたよ? なでしこだけじゃなく桜さんも釣りするなんて」

 

「前になでしこが春彦君と釣りに行ったとき、あの子すごい楽しそうに話してたからちょっと興味が湧いたのよ」

 

「そうですか…」

 

 桜にそう言われて春彦の顔が少し赤くなる。なでしこのことだからさぞ楽しげに、自慢げに話していたのだろうと思うとなんだか照れくさかったのだ。

 

「最近はキャンプにハマったと思ったら今度は釣りに行くなんて言いだして、あんな子だから色々やってみたいのは分かるんだけど…」

 

(やっぱり心配してるよな…)

 

 はっきりと言わないものの、桜がそう思っていることが春彦には分かった。自分が心配させる一因を作っていることに春彦は少しだけ罪悪感を覚える。

 

「でも春彦君が付いてれば大丈夫そうね。しっかりしてるし、あの子のことちゃんと見てるし」

 

 今日のことを振り返りながら、桜は穏やかな口調で春彦に言った。

 

「なでしこのこと、これからものことよろしくね? 春彦君」

 

「…はい」

 

 ほんの少し間を置いて春彦は返事を返した。他ならぬ桜の頼みなど二つ返事でそう答えられるのだが、このときばかりはそうはできなかった。桜が言ったよろしくという言葉はつまり、単に友達として仲良くという意味だけでないということが、春彦にはなんとなく分かっていたからだ。

 

 意中の相手にその妹との恋を応援され、それだけならまだしもその妹のことも少し気になり始めてしまっているというのは、恋愛経験のない高1の男子にとっては些か複雑な悩みだった。

 

(なんとかしなきゃダメだよな…)

 

 車窓から外を見ながら春彦は小さくため息をついた。帰り際に「また行こうねハル君!」と笑顔で自分を見送ったのなでしこのことを思い浮かべて。

 

 

 

 

 

 




私事ですが、先日バイクを盗まれてしまいました。

この小説の主人公の愛車としているアドレスV125S…
貯金して新車を買うまでの繋ぎとして購入した中古の安物でしたが、免許取ってから1年ちょっと付き添った相棒だったのでわりかしショックです…

来週には新車を納車する予定ですが、今度はもっと大切にしようと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。