その手に、リンドウの華を (鶴来絵凪)
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序 リンドウの華

みんなコミケで盛り上がってていいなあ
僕は行けないからなあ
とりあえずみんなが作品出してるのに自分は何も出してないのがちょっと悔しいなあ
などと思い、書き始めたのがこの作品です。コミケ待機列にいる人に読んでほしい一心で、とりあえず前座と序だけは完成させました。
気軽に読んでくれると嬉しいです。


――時は江戸

市中はびこる有象無象の罪人が

寄せ集めらる地上の地獄

ここはかの恐るべき小伝馬牢

いまその一角にこさえられし土壇場にて

後ろ手縛った罪人まえにギラリと一刀振り上げる

男の名は山田浅右衛門

斬られし首や死すべきも知らぬ

処刑の達人とは()のことぞいう

またその手に握るはかの家に 幾代伝わる名物名刀

千を超え万に至らん咎人(とがびと)

首断ち切って血を吸うや

それ人呼んで千人切

いざやいざやご覧あれ

あの振り下ろされし絶刀こそ

人切り浅右衛門の 首切御役にござらんや

 

 

 

序 リンドウの華

 

「花言葉?」

洋風喫茶めいじ館。その入り口で、聖十郎は聞き慣れない言葉に首を傾げた。

「ええ、そうです。花言葉」

代金を受け取った花屋は聖十郎に花を渡すと、外で待たせている馬車の荷台を指す。

「文明開化で西洋の文化が入ってくるようになったでしょう。その一つでしてね。花に、一つ一つ意味を込めるんですよ。例えば、赤いバラは『あなたを愛しています』なんて意味が込められていたりする」

「へえ、ロマンチックですね!」

かちゃり、とドアが開くと、目を輝かせた七香が入ってきた。

どうやら花を生けるための花瓶を持ってきてくれたらしい。

「そうだろう? 最近じゃ、告白するときに赤いバラを送るなんてハイカラなことをするのが流行ってるらしくてねえ。輸入しても全く注文に追い付かなくて、てんてこ舞いですよ」

花屋はおどけながら頭の上でくるくると手をまわして見せる。

「なるほど……ちなみに、この花にはどんな意味が込められてるんですか?」

聖十郎は何となく気になって、購入した色とりどりの花を見せる。

「私も最近勉強したばかりだからねえ。確かこのキキョウが『永遠の愛』とか『正直・誠実』。そんでダリアが『威厳、優雅』だったな。それと……」

花屋は最後の一輪を見て、首を傾げた。

それはラッパ状の、小さな薄紫の花弁を持った花だった。名は確か―――

「これは……リンドウですよね」

七香が花を覗き込む。少し身長が足りずに背伸びをする格好になっていたので、聖十郎はそれとなく七香の目の高さに花をおろした。

「正解だ、嬢ちゃん。そんで肝心の花言葉だが、ちょっと待っててくれよ。ええーと……」

花屋は小さな帳面を取り出すとパラパラと見始めた。どうやらこの帳面に書いて勉強しているらしい。商売熱心な姿勢に、聖十郎は感心した。

……と、不意にめいじ館の裏手が騒がしくなった。カラスの鳴き声だ。

「む……」

普通に考えればただカラスが鳴いているだけ。しかし、このめいじ館におけるカラスの鳴き声には、重要な意味があった。

「私、様子を見てきますね」

聖十郎と同様にカラスの鳴き声に気付いた七香が、パタパタと奥へと引っ込んでいく。

そんな様子にも気づかぬまま、花屋はパラパラとめくっていた。そうしているうち、ようやく目当ての花言葉を見つたらしい。

「おお、あったあった。旦那、リンドウの花言葉はですね―――」

それを聞いて、聖十郎は顎に手を当てた。

「ふむ……なんだか、他の花に比べると」

「ええ。花言葉ってのは意外と、明るいもの以外もあるみたいでねぇ」

その薄紫の花言葉は、「愛」や「誠実」「威厳」と比べると、すこし影を感じるものであった。おそらく、好き好んで愛の花に選ぶ者はいないだろう。

ただ、どこか凛とした花のたたずまいを眺めながら―――聖十郎はこの美しい花にピッタリな花言葉だと感じていた。

「おっと、次の配達もあるんだった。お得意さんを怒らせちゃいけねえ」

考え込む聖十郎を遮って、花屋は忙し気にめいじ館を出て行く。

「ああ、どうもすみません。またお願いしますね」

「こちらこそ! またよろしく頼むぜ!」

挨拶もそこそこに、花屋の馬車は銘治の街を走って行った。

花を飾ってからめいじ館の裏にある執務室に戻ると、部屋には七香と──その腕に留まった、一羽のカラスがいた。

「急に使いをよこしてすまなかったな」

聖十郎が入ってきたのを認めるや、七香の腕に止まったカラスが少女の声で話し始める。

普通の人間が見たら仰天して卒倒しそうな光景だが、聖十郎はなんでもないことのように手を振ってこたえる。

「いや、大丈夫だ。それで小烏丸、カラスの使いをよこしたということは、急ぎの用事なんだろ? 何があったんだ?」

「うむ、話が早くて助かる。実はな、お前と幾人かの巫剣で、鍛冶橋の監獄に向かってほしいのじゃ」

「……監獄?」

意外な行き先を告げられ、聖十郎は困惑した。これまでも様々な場所に派遣されたことがあったが、それらにはいずれも何かしら重要な霊脈が通っているか、要人がいて警護しなければならない、といった背景があった。

しかし、監獄である。重要な霊脈が通っているといった情報は、聖十郎の記憶になかった。

「まあ戸惑うのも無理はないか……」

小烏丸も少し説明のしがたい事態に困っている様子であった。

「少し話をさかのぼって説明せねばな」

小烏丸が遣わしたカラスはパタタ、と机に飛び移った。

聖十郎も促されるように、傍の椅子に座る。

「発端は一か月前のことじゃ―――」

いつのまにか七香の入れた水をぴちゃりと飲むと、小烏丸のカラスは話し始めた。

「常陸国……あいや、今は茨城県というんじゃったな。そこの村で刃傷沙汰があったのじゃ」

「刃傷沙汰……穏やかではないな」

「うむ。被害者は幸い軽傷で済んだのじゃが……」

カラスはうつむき加減に言いよどんだ。よほど言いにくいのだろうか。

しかしそれも数秒のこと。ふう、と息をつくと、意を決したように嘴を開いた。

「その被害者が、御華見衆の者なのじゃ……」

「……なんと」

御華見衆は、人の世に害をなす凶禍から人々を守るための秘密組織だ。

表立って行動することはまずないし、一般人から命を狙われるという事態は考えにくい。

となれば、その男は禍憑にでも憑かれているということか―――

そんな想像を察したのか、小烏丸は話を続ける。

「第一報を聞いた時、(わらわ)たちも禍憑の仕業を疑った。じゃが、犯人の男からは禍憑の気配もしなければ、狂気に憑りつかれている様子でもなかった。―――加えて、犯人の男はこう言ったのじゃ」

「『アイツは妻をさらった、俺は妻を取り戻すためにアイツの屋敷に乗り込んだんだ』、とな」

「さらった?」

「うむ。妾たちも耳を疑ったよ。何かの間違いではないか、とな。報告の者も首をかしげておった」

当然だ。よりにもよって御華見衆の人間が、人に害をなすなどあり得るのだろうか。

「……じゃが、被害にあった御華見衆の者。その者の様子が、その事件の少し前から妙なのも事実なのじゃ」

「と、言うと?」

「お主も毎月書いておるから知ってようが、御華見衆で各地域を担当する者は報告書を提出するじゃろう。あの茨城に配属された者――竹内 司という名じゃった――は、以前は本当に几帳面な報告書を送ってきていたのじゃが……ここ最近は不備や日にちの歯抜けが多く、そしてついに先月の報告書は提出されずじまいじゃった」

切りかかられてケガをしたにしろ、報告書自体は毎日作成するものだ。であれば、けがをして以降は無理でも、それ以前の内容は出せるものだろうが……。

さらに、けがの様子を心配した手紙にも返答はないという。

「身内を疑いたくはないが、放置することも出来ん。それに・・・・・嫌な予感がするのじゃ」

ごくり、と聖十郎は唾をのんだ。小烏丸は御華見衆の中でも古参中の古参だ。修羅場をくぐった経験も豊富な小烏丸の勘は、大体あたる。

「とりあえず、巫剣の中から真贋を見抜くことに長けた者を選び、加害者の男に話を聞くことにしたのじゃ」

「それで、俺に白羽の矢が立った、というわけか」

肯定するように、カラスがこくりと頷いた。

「けれど、不思議ですね。茨城県の事件なのに、鍛冶橋の監獄にいるなんて」

これまで背後で黙って聞いていた七香が口を開いた。

「それなんじゃが、御華見衆絡みと分かった時点で移送して、こちらで手続きを行うように手回しした。いろいろ根回しが必要で、ひと月かかってしまったがな」

どうやら御華見衆としても本腰を入れた調査らしい。聖十郎はことの重大さを改めて認識し、気を引き締めた。

「とにかく、真贋を見抜くのに長けた者を集めるのじゃ。加害者の男を調べ次第、今度は茨城の指示した村に向かうように」

「了解した。伝令お疲れ様」

「うむ。健闘を祈るぞ」

そう言い残すと、カラスはパタタ、と窓の外へと飛び立っていった。

 

 

 

 

幕間・壱 独白

 

わたしは、小烏丸のカラスが飛んで行った羽音で我に帰った。

汗の滲んだ手をぎゅっと握ると、胸に当てる。

ドッ、ドッ、という早鐘が拳に伝わってきた。

嗚呼、やっぱり。わたしは、この上なく動揺している。

 

はじめ、わたしは大主と七香に朝食が出来たことを知らせに行くつもりだった。

けれどカラスの鳴き声が聞こえたときに、それどころではないと悟った。

大主は花屋さんと話している最中で、邪魔するのも急かすのも悪いと思ったから、小烏丸の用事が済んでから二人を呼ぶつもりだったのに―――

少し、早すぎた。

──「第一報を聞いた時、(わらわ)たちも禍憑の仕業を疑った。じゃが、犯人の男からは禍憑の気配もしなければ、狂気に憑りつかれている様子でもなかった。―――加えて、犯人の男はこう言ったのじゃ」

──「『アイツは妻をさらった、俺は妻を取り戻すためにアイツの屋敷に乗り込んだんだ』、とな」

部屋からは大主や七香が驚いた息遣いが聞こえる。

本当は朝食の準備が出来たことを知らせなければならないのに。部屋から聞こえてきた小烏丸の話に、わたしは思わず耳を傾けていた。盗み聞きなんて趣味が悪いけれど、それでも聞かなければならないと思った。

それは御華見衆の使命のためではなかった。

わたしが、わたしであるために。

わたし自身が決着をつけなければならないことだと、思ったからだった。

 

 

 

序 監獄道中

 

「なるほど~。それで私たちにお役目が回ってきたんですね~」

伊達の眼帯をした少女は、おっとりとした口調で頷いた。

「ああ、真贋を見極めるのに()けた巫剣といえば、まず君だと思ったからな」

眼帯をした少女の名は、燭台切光忠。かの有名な伊達家の刀から具現化した巫剣だ。

眼帯は伊達政宗公に倣ったもので、独眼というわけではない。

だが(的中率は置いておくとして、)その目で真実を見極めることが出来ると豪語しており、今回の任務にも適任だと思われた。

「それに、大典太も丁度めいじ館にいてくれたのは助かった」

聖十郎は目の前を行く金の髪をなびかせる少女に声をかけた。

「まったく……せっかくのお(いとま)が出来たからめいじ館に遊びに来ましたのに……」

大典太と言われた少女は少々不満げ応えた。

……が、頼られてまんざらでもないのか、口元がすこし緩んでいるのを聖十郎は確かめた。

「御華見衆の沽券にかかわる任務でもあるからな。あの天下五剣が出向いたとあれば、一応示しもつくかと思ったんだ」

「ふふ、それなら仕方ありませんわね」

緩んでいた口元がさらに緩んだ。思わず、チョロ過ぎるのではないか? と口からこぼしそうになるのを、聖十郎は必死で抑えた。

大典太光世。世に名高い天下五剣のうちの一振りである。

巫剣の中でも格段の力を持つ天下五剣は、日本各地で起きる異変に対処するために現地に送られることが多い。

かつては加賀前田家に引きこもっていた彼女だったが、様々な事件を経て、現在はめいじ館に所属しつつ、加賀前田家を行き来している。

そして、彼女の前を歩くようにもう一振り、赤い髪の少女がいた。

「しかし……千、どういうつもりなんだ?」

「え、どういうつもりって?」

「いや、確かに君が何か依頼や任務を受けたがるのは、今に始まったことじゃないが……その……」

少女の名は千人切。手持ちのひょうたんにラムネを入れて、それを大きな朱の(さかずき)で飲みながら軽口をたたくのが好きな巫剣だ。同時に、銘治以前、江戸で処刑人をしていた巫剣でもある。

もともと、この任務に彼女を連れていくつもりはなかったのだが……任務の編成を考えていた際に、自ら志願してきたのだ。

その普段の明るさとは裏腹に、彼女はかつて処刑人をしていた際の罪の意識を償いたい一心で、なにかと面倒ごとを引き受け、人の世話をしたがる性格だった。

その性格ゆえに、任務に志願してくることは珍しいことではなかった。しかし今回の志願に関しては、聖十郎は何か違和感を覚えていた。

「あ……ひょっとして迷惑だった……? ごめんね……」

聖十郎が気になったことを聞くと、千人切は途端にしょんぼりとした。

彼女は自分の罪悪感にも、そのせいで世話したがりな性格になっているのも、面倒な性格であることも、自覚している。

それゆえに、自分のおせっかいが誰かの迷惑になるのを極点に恐れる性格でもあった。

(おっと、マズいな……)

以前にも彼女の志願を断って、しばらく休むように勧めたことがあったが、その際の彼女の落ち込みようは危ういものがあった。こちらが善意で言ったつもりでも、彼女は自身の心を苛烈に責め立て、追い込んでしまうのだ。「自分のおせっかいが迷惑になっている」、と。

慌てて聖十郎は首を振る。

「いや、迷惑ってわけではないんだが、いつもより志願に熱が入っていたから気になってな」

「えー? そんなことないよー」

彼女はほっとした表情を見せると、軽口を返した。普段の調子に戻ってくれたらしい。

「しかし、その……今回の行き先は監獄だ。君にとっては、あまり居心地のいい場所ではないと思ったが」

そもそも彼女の罪悪感の発端は、処刑人の刀だったことにある。であれば、そういうところは極力避けるものだとばかり思っていたのだが―――

「……だから、こそだよ」

普段の軽口とは似ても似つかぬ、重々しい口調に、聖十郎は口を閉ざした。

燭台切と大典太も、その並々ならぬ様子に、心配そうな視線を向けた。

だが。

「さ、鍛冶橋の監獄はまだまだ先だよ! 張り切っていこー!」

千人切は、その視線を振り切るように明るい口調を作ると、スキップして歩き出した。

「……監獄にスキップしていく人は、おそらく彼女が初めてでしょうね……」

「かもしれませんね……」

心配していた二人も、半ば呆れたようにしてついて行く。

ただ一人、聖十郎だけが心配そうな顔つきで、三人の後を歩いて行った。

 

鍛冶橋監獄署は、銘治時代に入ってから出来た監獄だ。

監獄とは言うが、既決囚(裁判を終えて刑罰の確定した囚人)ではなく、未決囚(裁判を受ける前、あるいは裁判を受けている最中の囚人)を収監している。

今回の任務の調査対象である市谷平三は、未決囚として収監されている男だった。

曰く、茨城に駐在して霊脈の調査を行っていた御華見衆の一員を襲撃し。

曰く、その御華見衆が妻を拐(かどわ)かしたと主張しているという。

本当にそんなことがあるのだろうか。口からでまかせではないのか。

そんな思いを抱きながら、聖十郎は厳重に警備された監獄署の門をくぐった。

「俺はここの長と少し話をしてくる。一応、任務についての話はついているから、3人は先に市谷氏のところに行ってくれ」

御華見衆側が話をつけているとはいえ、監獄の長に挨拶をしないわけにはいかない。しかし事と次第によっては茨城にすぐ移動しなければならないことを考えれば、あまり時間を無駄にしたくはなかった。

聖十郎の話聞くと、3人は頷く。

「こちらです」

刑務官の一人が敬礼をして廊下の奥を指し示し、聖十郎を案内していく。

残された3人が聖十郎を見送ると、先ほどとは違う刑務官がやってきた。

「どうも、ここで刑務官を務めております、斎藤です」

刑務官は敬礼をすると、さっそく市谷氏が収監されている棟を案内し始めた。

監獄の空気は冷え切っていた。日もあまり当たらず、陰鬱な空気が場を支配している。

「ずいぶん、埃臭いですわね」

大典太は率直な感想をこぼした。

刑務官は苦笑して応える。

「まあ、監獄ですからね……あまり居心地を良くするものではありませんから」

「………」

「どうかしたんですか、千人切さん?」

刑務官の案内や説明も上の空で、呆けたように監獄の一室を覗き込む千人切を気遣うように燭台切は尋ねた。

「ああ、ううん。小伝馬のと比べるとだいぶマシになったなーって思って」

それを聞くと、刑務官は吹き出した。

「流石にあの時代のものと比べちゃいけませんよ。話によればずいぶん狭い上に、牢の中で上下社会が出来てたらしいじゃないですか。そんなのやられちゃ、監獄として成り立たないですよ」

「うーん、そう、かな……」

小伝馬にあった江戸の牢屋敷。江戸時代には懲役刑がないから、江戸の「牢」とは未決囚の収容所を意味する。そこでは数多の罪人、悪人とされる者が詰め込まれ、一種のカースト社会を作り上げていた。

狭い部屋だったから、衛生環境も悪く、牢の中で病死する者も少なくなかった。

だが一方で、その牢内のカーストの頂点にある者を掌握していれば、牢内の秩序を保つことも出来た。

今からすれば随分なやり方ではあったが、牢に入れられた者たちを管理する上で便利だったことは否めない。

……ただ、牢内で勝手な私刑や人殺が行われていたことを思えば、やはり今の時代にはそぐわないだろう。

勝手の変わった監獄に少々戸惑いつつ、千人切たちは1つの独房にたどり着いた。

「ここです」

そう告げた刑務官はドアの小窓を開け、それまでの話し方とは打って変わって冷たい声で話しかけた。

「市谷平三。面会だ」

「……へい」

牢屋の中から疲れ切った声が返ってくる。

それを確認すると、刑務官は3人に向き直り、牢屋の前に来るよう促した。

「ここで話してもらいます。小窓越しで座る場所もありませんが、ご容赦ください」

「はい、分かりました」

「では、本官は廊下の先で待機しております」

そう言い残して、カツカツと刑務官は離れていった。

静かになった廊下で、まず燭台切が小窓を覗く。

小窓の中には格子がつけられ、物をやり取りすることができないようにされている。そしてその格子の先に、やせ細って髪もボサボサになった一人の青年がいた。

「……市谷平三、さんですね?」

「ああ、そうだ」

あまり寝てないのだろう。落ち窪んだ目をギロリと向け、平三は応える。

「俺に、なんの用だ」

「貴方が切りかかった者が所属する、組織の者です。あなたのお話を聞いて、その調査に来ました」

「!」

ハッとしたような顔で、平三は顔を上げた。

「お前らが……!」

平三が、腹の底から唸るような声を出す。その相貌が徐々に怒りに満ち、ドアに殴りかかるような勢いで立ち上がった。

「お前らが俺の嫁を!!」

興奮した平三がつっかかる。ドアがなければ、燭台切の胸倉をつかんでいただろう。

「……落ち着いてください」

「落ち着いてなんかいられるか! 俺はお前たちのせいで……!」

燭台切は冷静だった。こういう経験に慣れているわけではなかったが、歴戦の経験がそうさせるのか、不思議と平三の激昂ぶりを見定めていた。

「私たちは、貴方の話の真偽を確かめに来たんです。私たちの仲間が不届きを働いたとあれば、それを正す必要がありますから」

眼帯ごしに、燭台切は男の顔を見ていた。

苦痛と憎悪に歪んではいたが、その魂は禍憑に憑りつかれているわけではない。

むしろ、その男を突き動かしているのは―――「守りたい」という純粋な思いであるようにさえ見えた。

「あなたが話したこと――あなたの切りかかった相手が、貴方の妻をさらったというのは、本当ですか」

「ああ、その通りだ……! あの男……竹内とかいう奴が、俺の妻をさらっていったのを隣の田助が見ている!」

振り返り、大典太と千人切に首を振る。

燭台切は、その男の話に嘘はないように思えた。

今度は、大典太が小窓を覗き込んだ。

「さらった、と言いますけど、どうやってさらったというのですか? 子供ならばいざ知らず……女性とはいえ大人でしょう?」

「……あの日。俺は山に入り、畑を荒らす熊の猟をしていた」

平三はどかり、と座ってぽつりぽつりと話し始めた。

「俺はもともと百姓でマタギじゃあないんだが、人手が足りずに駆り出された。危険な仕事だからな、万全を期すためにも、クマを追い込む人手は多い方がいい」

その村では、この時期になると熊猟を行い、収穫前の畑を守りつつ肉をとるのだという。その日も変わらず、村野猟師とくじで決められた農家が猟に出ていた。

「その日の狩りは大成功だった。けが人は出ず、村中に熊肉を配って回れるだけの猟が出来たし、嫁にいいものを食わせることが出来ると喜んで帰った。だが―――」

悔しそうな顔をして、平三は拳を独房の床に叩き落とした。

「家に帰ったらアイツはいなかった! よもや畑にいるんじゃねえかと思ったが、どこにもいやしねえ!」

歯を食いしばり、爪が食い込むほどに拳を握る。

「そうしたら、隣の田助が素っ頓狂な声を上げていったんだ。『おめえ、山でクマにやられたんでねえのか!』ってな。胸倉ひっ掴んで問いただしたら、村はずれの屋敷跡に最近住み着いた竹内という男がやってきて、俺がクマにやられたと吹聴して嫁を連れて行ったと言った」

「…………」

口調、声色、表情、態度。どれをとってもおかしなところはない。大典太には、平三が嘘をついているようには思えなかった。

「嫌な予感がした。だから熊追いに使ったナタを持って、奴のところに押しかけたんだ。なのに……」

「奥様は、いなかったのですね」

「……ああ。奴に問い詰めて屋敷中探しまわった。ボロ屋敷とはいえ、もともと江戸のころにあの辺りを仕切っていたお役人の邸宅だったから随分と広かったが……どこを見ても嫁はいなかった」

耐えられなくなったのだろう。平三の目からは涙がこぼれていた。

「あの野郎、必死になって探している俺を見て、ニヤついてやがったんだ! それで探しくたびれた俺を見て……! 『用は済みましたか? さ、帰ってくれませんかねぇ』だと!! それでカッとなった俺は―――」

「持っていたナタで、斬りかかったのですね」

「ああ……その通りだ」

平三はうなだれた。

「あのあと、田助や村の連中が面会に来てくれたこともあったが……嫁は……おハツはまだ帰ってきてねえ……もう一か月も経つってのに……畜生……おハツ……」

大典太は、その様子に同情を隠しきれなかった。

少なくとも、平三の話に嘘はない。さらに言えば、御華見衆の竹内―――竹内 司という男が本当におハツという女性をさらったかは定かではないが―――その男がきわめて怪しい、という感触さえ得ていた。

「……ねえ、千(わたし)からもいいかな」

今度は千人切が小窓を覗く。男の様子、話しぶり――どれも疑う余地のないものだったが、一つだけ確認しておきたいことがあった。

「あなたの奥さんって、もしかして―――」

平三が顔を上げる。その表情。悲しみと憎悪と諦観が入り交ざったような表情。

それは、「いいえ」と答えてほしい質問だった。男の様子も、状況も、そして場所さえも。すべて、あまりに似すぎていたから。ただその一点さえ違えば、彼女の感じた嫌な予感は杞憂に終わる。だから。なのに。

「もしかして、妊娠してる?」

平三の顔が驚きに変わる。

その表情が、すべてを物語っていた。

「どうして―――」

千人切の首筋を、嫌な汗が流れる。

どうして、それを知っている(ヨウヤク、ワタシ二キヅイタノネ)

 

男の声に重なるように、か弱い子供の声が聞こえた。驚愕に目を見開く。

千人切の目の前にいたのは、青白い肌の小さな霊。

生まれることすら叶わなかった水子の霊が、深い闇を湛えた目でこちらを覗き込んでいた。

「――――――」

嗚呼、そうか。やっぱり、とつぶやくと、千人切の体はぐらり、と傾き、崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

幕間・弐

 

あの(つみ)()ったのは何年前(なんにんめ)だったろうか。

数々の罪人を切り捨て、怨嗟と絶望をそのたびに背負っていった、あの日々。

これが私の仕事で、誰かがこうしなければならなかったことを何より理解していたから、そうして罪を背負うことに疑いを抱くことなんてなかった。

けれど、あの日。

「これは妻をさらったやつへの仇討ちだ」と叫びながら、諦観と憎悪と悲哀に満ちた顔で転がる首を見たとき、私の覚悟は、確かに揺らいだ。

あれは―――まだ、東京が江戸と呼ばれていたころ。

市中を跋扈する有象無象の罪人が寄せ集められた、地上の地獄があった。

その名は小伝馬牢屋敷。聞く人はみな恐れる牢屋敷。

その片隅には土壇場と呼ばれる場所がある。またの名を、首切り場。

そこで地面を掘って作られた窪みに首を差し出して、連れ出された罪人は無理やり跪かされる。

中には抵抗する者もいたが、その男は誰よりもいっそう、抵抗し、暴れた。

「はなせ!」

「おとなしくしろ!」

「ええい、観念せい!!」

二人の首切り役人が男を叩き、無理やりその場に座らせると、ようやく男は暴れるのをやめた。

同時、その頬を涙が流れていく。

「畜生、畜生……!」

男の名は、彦兵衛という。彦兵衛の罪は、常盤国のある役人を襲撃したというものだった。

彦兵衛は百姓であった。身分違いの傷害は、重罪にあたる。

しかし彦兵衛は沙汰の間、ずっとその行いが「妻をさらい殺した者への敵討ちである」と言い続けていた。

本当に敵討ちであったなら、その罪は免除されることさえあったが。

しかし、敵討ちとは認められなかった。

沙汰が終わり、斬首の時が来るまで、彦兵衛は始終、妻の名を呼んでいた。あるいは、その妻の身ごもる名もなき子に思いを馳せ、慟哭した。

そのあまりの哀れな様に、誰も騒がしいとも黙れとも言えず、牢名主でさえ彦兵衛を憐れんで、一枚畳をあてがうほどであった。

もとより、彦兵衛は牢にあってなお誠実で、優しい人柄であったゆえに、多くの者は彼の素性を聞いて同情していたのだ。

そして、そのことを役人たちも大いに承知していた。

あの囚人として模範的であった彦兵衛が、嘘をついているとも思えぬ。敵討ちの事実は、調べることが出来なかっただけで事実やもしれぬ。

果たして、刑を執行してもいいのだろうかと首切役人たちは躊躇した。

だが、そこで彦兵衛に襲われた役人が現れて、こともあろうに彦兵衛を手早く殺すようにと手を回してきた。

沙汰が出た以上、いずれは切らねばならぬのも事実だが、このことが役人たちを大いに悩ませる。

この一件、何か裏があるのではないか、と。

顔を突き合わせ、うなだれる役人たち。そこに一人の男が現れた。

彼こそは―――山田浅右衛門。首切り浅右衛門の異名を持つ、首切りの達人。

そして、千人切の主でもあった。

「どれ、お前たちが切らぬのなら、わしが切ろう。どのみち切らねばならぬ首ならば、手早く切るのが最もため(・・)になる」

そう言い放つや、腰に下げていた朱の鞘より一刀を抜き放つ。

「下手に斬るも、斬るをためらうも、また同じく沙汰人を苦しめるだけのこと。この一件の後味が悪いのなら、研ぎ代の二分でたらふく酒でも飲めばよい」

ざっざっと砂を踏み、土壇場にうなだれる彦兵衛を前に、浅右衛門は一刀を振り上げる。

「…………」

その時。

浅右衛門は、うなだれる男の前に霊を見た。

小さな霊だった。青白い肌に、闇を湛えた二つの眼。

それはおそらく、彦兵衛の子であり、生まれることさえ出来なかった水子の無念が表れたものだったのだろう。

霊は静かに両手を広げ、彦兵衛を守るように浅右衛門の前に立って見せた。

浅右衛門はここにきて、男のいう敵討ちが、おそらくは真であることを確信した。

やはりな、とさえ思った。

そもそも、浅右衛門が小伝馬に来たのは、彦兵衛の顛末を風の噂で聞きつけ、役人たちが切りたがらないだろうと踏んだからであった。

そして、その咎を一身に背負い、御沙汰を御沙汰の通りに為す一心でここに来たのだ。

だから、たとえ霊が出ようとも(・・・・・・・・・・)振り上げられた一刀が(・・・・・・・・・・)止められることなど決してない(・・・・・・・・・・・・・・・)

千人切の太刀筋は、ぶれることなく彦兵衛の首へと振り下ろされ――水子もろとも両断する。

 

いざや、いざや、ご覧あれ。

いま振り下ろされし絶刀こそは、人切り浅右衛門の首切御役にござらんや――――――

 

 

 



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