吉良吉景は夢をみない (スージーP)
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1.吉良吉景は幸せに暮らしたい

少年は歩き続ける。

鉛のように重力に引っ張られる重い足を引き摺り、手枷(てかせ)が付けられたかのように不自由な両腕を懸命に動かしながら、少年は地獄を歩く。

喘ぎ漏れる吐息は苦辛を帯びて、熱された鉄板さながらの焼けた地面は、ただでさえ怪我で動きがぎこちない少年をいやが上にも鈍重にさせた。

 

「……た、たすけ」

 

端に転がるナニカから錆びたような音が発せられる。崩れた瓦礫に押し潰されたそれは異臭を放ち、未だ燻る(くすぶる)残り火に苦悶していた。

少年はそれを無視して歩く。歩く。

恐ろしい、熱い、痛い、助けてほしい、死にたくないと紅蓮の景色を矢継ぎ早に飛び交う感情の嵐。幼い少年は意識を歩くことだけに向けて、それらすべて聞こえないふりをした。

せめて苦しまないように殺してやれたら。しかし幼い少年には、そうしてやれるだけの力は持ち合わせていない。歩くだけで精一杯であった。

 

「……激しい『喜び』はいらない……」

 

血と()い交ぜになり、粘性をもった煤で薄汚れた手のひら。そこから裂け目のように覗く肌色は、まだ己は生きているのだと少年の心を奮い立たせる。

こんなところで死んでなるものかと、少年の生命力は沸き立っていく。

 

「そのかわり深い『絶望』もない……」

 

歩くたびに火傷で痛む足。いつの間にかスニーカーは脱げてどこかにいってしまっていた。

しかしそんなことで足を止めるわけにはいかない。一度立ち止まれば少年はもう二度と動けなくなるだろう。その先に待つのは、生きたまま業火に焼かれる苦しみである。

大勢を見殺しにした自分は決して天国にはいけないだろうとそんな実感を抱えながらも、しかし少年はここで地獄に落ちるつもりは毛頭なかった。

 

「『植物の心』のような人生を…… そんな『平穏な生活』を……ッ!!」

 

いつしか少年の傍らには、奇妙な()()が立っていた。

 

 

♢

 

「美しい街だ……冬木市。こんなにすばらしい街が他にあるかな」

 

少し湿ったそよ風が肌を撫でる。ぽつんと起立する樹木の枝葉の隙間からは、雲ひとつない澄み切った蒼天が垣間見えた。

そんな心地良さに微睡みながら、くすんだ金髪が特徴的な青年はベンチに腰かけ、天使の羽さながらに降り注ぐ木漏れ日に目を細めて呟く。

 

彼の名は吉良吉景(きら よしかげ)。17歳、彼女なし。

知り合いには何事にも真面目でそつなくこなすが、今ひとつ情熱のない男と評価を受けている。

そんな吉景だが、彼は地元であるこの街が大好きだった。

 

────冬木市。

南側をU字で囲うように山々がそびえ、北に海岸線をのぞむ、自然が色濃く残る地方都市。

三角州状の地形を二つに分ける未遠川を境に、西側に学園施設や商店街が揃い、古くからの町並みを残す深山町、東側に歓楽街やオフィス街など近代的に発達した新都に分かれている。

そんな新都の駅前中央街から少し外れた場所にある冬木中央公園。深山町と新都を繋ぐ冬木大橋が一望できるそこで吉景は休日を過ごすのが習慣だった。

 

「まるでピクニックに来てる気分だね」

 

飛んできたソフトボールを掴み、吉景は申し訳なさそうな様子で走ってくる数人の子供たちに向けて投げる。

放物線を描くそれを尻目に、吉景は楽しげな声音で背後に向けて声をなげかけた。

 

「そう思わないかい? 朔月(さかづき)

 

その問いかけに、朔月と呼ばれた少女はご丁寧にクッションの置かれた吉景の隣に腰かけ、湿り気を帯びた半目で睥睨(へいげい)しながらぶっきらぼうに問い返す。

 

「……吉景。昼食はとったの? 」

「いや。君がくるだろうと思ってね、まだ手をつけていないんだ」

 

ほらと吉景はサンジェルマンのロゴがうたれた紙袋を少女の前に突き出す。

ほんのりと美味しそうな香りが漂うそれに、少女はなぜか負けた気分になり肩を落とした。

 

「食べるだろう? 君の分も買ってきたんだ」

「……はぁ、食べる」

「この店のサンドイッチはいつもお昼の11時に焼き上がったパンで作るから評判がいいんだ」

「知ってる。1時には売り切れちゃうもんね」

 

鼻歌交じりに包みを開け、ラップで包まれたサンドイッチを二つ取り出す吉景を横目に、少女は背後に隠した弁当を思って嘆息する。

彼女、朔月美遊(さかづき みゆ)にとって吉景は特別な人間である。それは10年前からずっと変わらない。しかし鈍感な気で、少しばかり人情の機微に疎い吉景は、美遊の悩みの種でもあった。

 

「とても柔らかいパンだね」

「うん、おいしい。……吉景はこれからなにか予定あるの?」

「ああ、あるよ。とても大切で、なにものよりも優先すべき予定がひとつある」

 

吉景は咀嚼するサンドイッチを飲み込み、人形じみたかんばせに薄雲のような陰を落とす美遊の肩にそっと手を置く。その感触に体を震わせた彼女に、青年はつとめて優しい声音で囁いた。

 

「君の作ってくれた弁当をね、食べなくちゃあならない」

 

花が咲くように美遊の瞳が大きく見開かれる。

 

「……知ってたんだ。でも結構量あるよ? 」

「大丈夫、君の作ってくれる料理はいつも垂涎の逸品だからね。仮に満腹だろうと、胃の中身を爆破してでも腹を空かせるさ」

 

明るく軽口を叩く吉景に、渋々といった様子で、しかし口許には微かな笑みを浮かべて美遊は弁当の入ったバスケットを押し付けた。

それを青年は恭しく受けとり、見る人が見れば珍しいと呟くような無邪気な笑顔で弁当を開けた。

 

「いただきます。たのしみだよ、美味しそうな玉子焼きだね。向日葵のような綺麗な黄色をしている」

「当たり前。味付けだってあなた好み」

 

腰に手をあて、寂しさの感じる胸を大きくはった美遊の艶やかな黒髪が誇るように揺れる。

まさしく『平穏な日々』そのもの。とても優しくて温かい光景。だからこそ────────

 

「美遊、君は聖杯戦争を知っているかい? 」

 

────吉良吉景は夢をみない。

そこは憎らしいほどに真っ白で清潔で潔癖な病室。カーテンの隙間から差し込む陽射しが、キラキラとした鱗粉を伴ってベッドに陽だまりを作っている。

その中央。真っ白なシーツから点滴の繋がれた腕がはみ出している。

 

「絶望はもうない。君が目覚めるということが大切なのだ……そして最も重要なのはこのすてきな青空を君とともに眺めることであり、『幸福』をゆっくり楽しむことなのだ。それ以上に重要なことがこの世にあるのか? 」

 

吉景の言葉に返す声はない。ただただ呼吸音と心電図モニタからきこえる規則正しい音が、かろうじてこの静寂を彩るだけである。もっともその色はきっと深みのように暗いのだろうが。

朔月美遊はずっと眠っている。彼女が今後、目覚める確率は、素手でエッフェル塔を登りきるよりもなお低いのだという。

 

「私はね、誓ったのだ。君の幸運を。君の平穏を。君の『心の平和』を」

 

白魚のようなほっそりとした腕を吉景は祈るように握りしめる。

 

「人伝で聞いた話だ。聖杯戦争、白々しいほどに胡散臭い名だ。それは願いを叶える願望機を求めて、あたかも蠱毒のような殺し合いをするのだ」

 

────『聖杯戦争』────

吉景が初めてこの名前をきいたときは素直に胡散臭いと感じたものだ。御伽噺や神話のなかでしか出てこないような単語が堂々と存在を主張しているこの言葉。

そもそも『聖杯』という単語自体、時や場所、人によって姿を変える曖昧模糊としたモノである。普通ならばまともにするようなものではない。

しかし。

 

「半信半疑だったがね、しかし魔術師を名乗る連中を何人か仕留めたのだが……そのどれもが聖杯戦争という言葉を口にした。

まるでファンタジーの魔法のような攻撃をしてくるヤツらが一様に真面目な顔して聖杯戦争とほざくのだ。詳細をきいたときは思わず笑ってしまったよ」

 

この頃、吉景は夜の冬木で奇妙な人間を見かけるようになっていた。

あからさまなローブを着た老人や物語のウィッチのような格好をした女。なにかのコスプレかと思ったが、その誰もが奇妙な術を用いて吉景を襲った。

曰く、「人払いの結界が効かない。さては貴様、新手の魔術師だな」と。

そのすべてを()()()()()で撃退した吉景は、彼らひとりひとりに目的を聞いた。そして浮かび上がったのが『聖杯戦争』の存在。

 

「天啓だと思ったよ。幸いなことにその聖杯戦争とやらの参加資格も手に入れていたからね」

 

淡々と語りながら、おもむろに吉景は懐から革財布を取り出し、その中から一枚のカードを抜きとった。アクリル板でできたその透けたカードの中には、奇妙な赤い刻印がついた肌色が浮かんでいる。

 

「これがそう『令呪』と呼ばれるものだ。聖杯戦争の参加資格でもあり、このゲームの勝敗を左右する重要な鍵でもある」

 

本来ならば吉景は参加者たりえない。しかし彼が撃退した魔術師のなかに偶然令呪を宿した者がいた。その令呪を腕ごと奪い、皮を剥いでアクリルで防腐し、持ち運びやすくしたのが吉景が持つこのカードである。

 

「聖杯戦争はなんの冗談か、過去の英雄を『サーヴァント』という奴隷として呼び出すそうだよ。ご丁寧に召喚者は『マスター』と呼称される。

そして主のもと英霊同士を戦わせ、負けた英霊をガソリンとして『聖杯』に焚べるんだ」

 

召喚された英霊はそれぞれの特性に合わせて顕現し、その業を七つの『クラス』として研ぎ澄ます。

 

セイバー

アーチャー

ランサー

キャスター

ライダー

アサシン

バーサーカー

 

言うなればチェスの駒である。それぞれが違う特性をもち、指し手たるマスターの力量でどの駒でも盤を制すことができるのだ。

とはいえ、召喚するのは過去の英雄である。普通ならばその手網を握ることなど不可能だ。

 

「この令呪はね、サーヴァントを御するための制御装置なんだ。3回までだが英霊にどんな命令でも与えることができる。自害だってさせられるんだ」

 

フゥと息を漏らし、吉景は辺りを見渡す。病室はいつの間にか茜色に染まっていた。

 

「もうこんな時間か。さてそろそろ私は退散するよ、美遊」

 

令呪カードをそっと財布に戻し、吉景は眠り姫の額に手をあてる。繊細なガラス細工を扱うような手つきで濡れ羽色の絹糸を撫で、未練を感じさせない足取りで病室をあとにした。

 

「誰であろうと……私の平穏を阻む者は必ず始末する。この吉良吉景、必ず『聖杯(平穏)』を勝ち取ってみせるぞッ!! 」

 

吉景の背景が歪むように捻れていく。徐々に徐々に黒い靄のような歪みが人型を形作っていく。

いつしか青年の傍らには、猫と髑髏をかけ合わせたような不気味な()()が控えていた。

 

────いくぞ、キラークイーン。

 




ツッコミどころ満載の拙作を読んでいただきありがとうございます。不定期カメ更新です。
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2.「召喚」に行こう!

この小説の吉景君は、ジョジョリオンでいう吉良吉影のような正史とは異なるパラレルワールドの『吉良吉影』です。なので容姿は酷似しており、行動原理も似通っていますが、女性の手に執着したりすることはありません。


つまるところ、その男は焦っていたのだ。

迫る危機に鈍感になるほど、彼の視界は焦燥で狭く浅くなってしまっていた。それはサバンナで子連れの草食動物が警戒を怠るようなものであり、みすみす捕食者に腹を見せるような愚行であった。

きっと彼の命運はそこで潰えていたのだろう。

 

「絶対にあのゴミ共に分からせてやる。俺はエリートなんだ」

 

聖杯戦争。

あらゆる願いを叶えるという願望機『聖杯』を奪い合って、七人の魔術師が召喚した英霊を駒に戦うという文字通りの生き残り競争。眉唾の話であるが、同時に多くの根源の渦を目指す魔術師にとって垂涎の話でもあった。

男もその餌に食らいついた魔術師のひとりである。本来ならば、魔術師とは代を重ねて研究を子に継がせ続け、蒸留するように、より強い魔力を持つ子孫を作ることを繰り返すことで根源を目指す。

しかし、男はその魔術師とは斯くあるべしという生き方を鼻で笑った。聖杯戦争という他者の尻馬に乗ることにしたのである。

 

────そこに楽な道があるのなら選ばなくてどうする。

 

そんな人間だから、男は多くの魔術師に嫌われ、時計塔では村八分に近い扱いを受けていた。弟子でさえ彼を口汚く罵り去ってしまったのだ。

利口ではあるが男は知らなかった。彼の考えが魔術師そのものへの侮辱であることを。

しかし、男はプライドだけは一丁前だった。なまじっか生まれも実力もそれなりに良いものだったため、彼のそれは際限なく肥大化し続けたのだ。

 

────この聖杯戦争、勝たなければならない。勝ってクソッタレな時計塔のクズどもを見下してやる。

 

魔術師の頭のなかは、既に根源のことなどさっぱり抜けていた。ただただ己を嘲笑った人間を見返すことだけが占め、その執念は彼を視野狭窄で向こう見ずな人間に変えてしまっていた。

だからこそ彼は逃げ遅れてしまった。捕食者から。その不穏な足音から。

 

夜闇に支配された路地裏。

石で舗装された硬い地面を、魔術師は手にしたナイフで削りながら幾何学模様の円を描いていた。既に作業は終着に向かっており、あとは生贄にした山羊の血で作った特製の液を流し込めば魔法陣は機能する。

己が願いの第一歩とも言えるそれが完成を迎え、男は昂る気持ちを抑えつつ、いざ最後のピースを嵌めようとトマトを煮つめたような赤褐色の液体が入ったバケツに手をかけたときだった。

カツ、カツと石畳を踏み打つ規則正しい音が背後から響く。こんな時間に出歩くとは非常識な。一体どんな奴だろうかと、彼は己を棚に上げどうしたものかと思案する。

 

────こんな場所をみられたら面倒だ。一般人なら眠りのルーンでも使ってどこかに放りだしてしまおう。

 

魔術師は身構える。

 

「……自分で常々思うのだが、私はどこかうっかりしてしまう悪癖があるのだ。まったくサーヴァントというのは────────」

「ソウェルッ!」

 

先手必勝。

男は虚空に稲妻のような文字を走らせる。それは彼が得意とする火のルーン魔術であった。確実に人体を燃やし尽くせる威力。

目の前をとぐろを巻くように炎の旋風が巻き上がり、夜の帳を溶かすような眩い橙色と肌を舐めるような熱気が火の粉とともに辺りを支配する。声の持ち主は死んだはず────

 

「おっと危ない危ない。

今日のは一張羅なんだ。汚してしまったら、クリーニングが大変じゃあないか」

 

死んでいない。

どころかまったく脅威にしていないような余裕を含んだ声音が静寂の中を響き渡る。ソイツはおいたをしたペットの子犬に話しかけるように、親しげに魔術師に向かって語りかけているのだ。

コツ、コツと木の人形が歩くような神経質で硬い音が恐ろしい。なにか得体の知れない化け物のようで、彼は背筋に冷たい金属をあてられたような寒気が走り抜けた。

 

「な……な、にものだ。お前は誰だ! 」

 

思わず悲鳴が漏れそうになった喉を必死に閉めて、闇の向こうへ魔術師は問いかける。

相手の顔は奈落のような夜陰に阻まれ視認できない。分からないというのは怖い。

歯の根が合わない。動悸が速くなる。ソイツが魔術師の攻撃に激昂してくれたのなら、まだこれほどの恐怖はなかった。

しかしなんだあの平然とした声は。朝食のあとに珈琲を嗜むが如き平坦とした態度は。

 

「私の名は吉良吉景。年齢17歳。自宅は深山町北東部の住宅地帯にあり、彼女はいない」

 

黒い霧の向こうからテノールが耳に入り込む。普段なら耳心地のいい声だと賛美のひとつはするだろうそれは、今は場違いで耳障りなノイズのようにしか聞こえなかった。

総毛立ち、魔術師は自分が立っている場所の床が消えてしまったような浮遊感をおぼえた。

 

「私立穂群原学園の学生で、毎日遅くとも夜7時までには帰宅する。部活はしていない、趣味は散歩」

「な、なんなんだッ! お前は何が言いたいんだ!?」

「夜11時には床につき、必ず8時間は睡眠をとるようにしている」

 

暗い、今にも自分という存在を吸い込んでしまいそうなそうな空間がギリギリと歪む。

揺れている。いや、自分自身が震えている。男はもうこの場から一目散に逃げてしまいたかった。

 

「寝る前にあたたかいミルクを飲み、20分ほどのストレッチで体をほぐしてから床につくと、ほとんど朝まで熟睡さ。赤ん坊のように疲労やストレスを残さずに朝目を覚ませるんだ。

健康診断でも異常なしと言われたよ」

 

滔々と自身のプロフィールを語り続けるソイツに、魔術師はただただ圧倒される。一見隙だらけのようではあるが、手を出してもソイツは容易く下してみせるだろうことを彼は本能で理解していた。

彼には最早、ソイツをどうこうしてやろうという気力はなかった。

 

「な、なにが目的なんだ……お前は」

「君に簡単な質問をしにきたんだよ。なあ、聖杯戦争って知っているだろう? 」

 

暗闇からソイツの姿が浮かび上がっていく。

最初に磨かれた革靴が、次にパリッとした上品なスーツが。そして闇を纏うようにしてついにソイツは震える魔術師の前に姿を現した。

豊かな金髪をオールバックに整えた痩せぎすの男。どこか気品のある顔立ちは、魔術師に曰く付きの呪われた宝石を想起させた。

 

「なあ君、英霊を召喚するにはどうすればいいのかね? ハリーポッターのように杖を構えて呪文でも唱えるのかね? 」

 

琥珀色の双眸が魔術師を射抜く。それはどこかネコ科の猛獣を思わせるような危険な雰囲気を醸し出していた。

しかし男はそれに射竦められながらも思い出す。場違いな願いを。

 

────そうだ。俺は聖杯戦争を勝ち残って腐れ魔術師どもの頂点に立つのだ。こんなところで震えている場合ではない。

 

そう思うと男は、腹の真ん中から勇気が湧いてでてくるのを感じた。

目の前のこの男は幽霊やモンスターでもない、列記とした人間だ。くわえて自分より二回り若い。しかも聖杯戦争の基本たるサーヴァント召喚の方法すら知らないときた。偶然、聖杯戦争の存在を知った木っ端魔術師なのだろう。

最初自分の攻撃を躱したのもまぐれなのだ、魔術師はそう結論に至った。そう思い込んだ。

 

「フン、誰が貴様のような者に教えるものか。出直してこい若造が」

 

魔術師は平生を取り戻していた。

この至近距離ならばいつでも目の前の存在を燃やし尽くせる。嫌われ者ではあるが、彼は本来優秀な魔術師なのだ。

吉景と名乗った男はそうかと一言呟き、残念そうにやれやれと肩を竦めた。

 

「それは残念だよ。ところで君、足元に気をつけたまえ」

「は? 」

 

どこかからカチッという子気味いい音がした瞬間。

ドシャアという、まるでトマトを壁に打ち付けて潰すような音と共に、魔術師は体のバランスが保てなくなった。彼はそのまま重力に支配され、冷たい床にろくな受身も取れずに倒れ込む。

 

「なにが起きたのかという顔をしているな。足だよ足」

 

魔術師は催促されるままに自分の下半身をみる。そこには本来あるはずの二本の脚がなかった。

腰の辺りで破れたズボンから覗くのは、おろし金で擦ったように粗く抉れた乳白色の断面。

 

「私の能力で君の履いていた靴を爆弾に変えたんだ。こうして君の足を小麦粉をぶちまけるように粉微塵にするのは簡単さ」

「……ぁ、あ……あ、し」

 

理解ができない。

蒼白だった脚の断面にはスっと赤が滲み出し、次第に溢れるほどに広がっていく。それに伴い魔術師を耐え難い激痛が襲ってきた。

 

「ぐぅ……あああがッ、くうう」

「『キラークイーン』……と私はこいつを名付けて呼んでいる。君には見えないだろうがね」

 

痛い。痛い。棘のついた針が身体にズブズブと入り込んでいるようだ。魔術師は苦痛に顔を歪め、どうしようもなく痛みに喘ぐ。

 

「いいかい? しゃべらなければね…… 君の肢体を順々に壊していくよ」

 

魔術師には、わざわざ腰を落として視線を低くし、まるで級友と内緒話でもするかのようにヒソヒソと語りかけてくる吉景が悪魔にみえた。

吉景は有言実行するだろう。この男には、やるといったらやる『スゴ味』がある。躊躇うことなく魔術師を、アリの巣に水を流し込むように残った腕を、身体を粉微塵にしてしまうだろう。

 

「ぐ、ぅうう…… わ、かた。おしえる」

「よく言えたね。万年筆と買ったばかりのメモ帳がある。私はここに君が教えてくれたことを書くよ」

 

訥々と喘ぎ喘ぎではあるが、魔術師は己が知りうる限りの英霊召喚の知識を吉景に語った。それはひとえにこれ以上の苦しみを感じたくないがため、眼前の死神から生き延びるために。

 

召喚儀式────

英霊を現世に呼び出すには魔法陣と詠唱、そして英霊との縁を結ぶための触媒が必要である。

魔法陣は、生贄の血液、水銀、溶かした宝石を混ぜた液で専用の召喚陣を書く。触媒には、召喚したい英霊にゆかりの深い品が必要である。

そして彼は魔法陣と触媒について、自分が既に準備していることを吉景に告げた。

 

「ふむ。それにしても気持ち悪いものだ。数学の公式だけを棒暗記して、どうしてそう求めることができるのかという仕組みがさっぱり分からないような気分だ」

 

吉景はどこか納得できないと片眉を吊らせながらも、魔術師の話をメモ帳につらつらとサインでもするようにペンを踊らせていく。

そして吉景がメモ帳を懐にしまう頃には、魔術師は失血と恐怖で息絶え絶えといった様相であった。

 

「さぁてご苦労だったね。足……痛いだろう? 助けてやるよ」

「……ぁ、ああ」

 

掠れたようなうめき声をあげて頭を上下に振る魔術師に、吉景は目尻を下げ労うように彼の肩をポンポンと軽く叩く。

魔術師は安堵に心底ホッとした。きっとまたよく分からない術で、死にかけの自分を助けてくれるのだろうと吉景の言葉を疑ってもみなかった。

だから────

 

「ぇ……?」

 

自分の身体に亀裂が入り、崩れていくのをみて魔術師は呆けたような声を漏らすしかなかった。

白光がアルミ箔を突き破るように、彼の体を分解しながら進んでいく。それは雨上がりの雲の裂け目から差し込む陽射しのようでも、死にゆく彼を迎える天の光のようでもあった。

 

────これで明日も安心して生活できるな

 

発光が収まり、闇がその場に帰ってきた頃には魔術師も吉良吉景の姿もそこには見えなかった。

 




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