【完結】Lostbelt No.10033 黄金少女迷宮 ゲスタ・ダノールム (388859)
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つまらなくて、平穏な世界 Unknown_World


※Fate/Grand Orderで新約とある魔術の禁書目録 9巻パロみたいなお話です。なのでどっかで見たことある展開があるかと思いますがご了承ください。



 

 

 人理、というモノがある。

 神々の時代から脱却し、人の時代となった現代。人類をより長く、人類をより確かに、より強く繁栄させるための理。

 人類の航海図。

 これを魔術世界では、人理と呼ぶ。

 その人理が焼却されるという異常事態に、人理継続保障機関フィニス・カルデアは聖杯探索、グランドオーダーを発令した。

 世界を救うマスターとして選ばれたのは、たった一人の少年。

 恐らく特異点で真っ先に死ぬだろうと予想される存在しか、マスターとしての資格を持っていなかった。

 その少年の両肩に載った重圧は、一体どれほどのものだっただろう。

 何の力も持たず、されど後ろで怯えることも、無謀に前に出ることも許されず。犠牲が出る度に、前に進めと、必ず世界を救えと、様々な想いを託されてきた。

 少年は、別に特異な精神を持っていたわけではない。

 ごく当たり前に恐怖を抱き、当たり前のように寂しくなり、当たり前のように平穏に恋い焦がれた。

 ただ、それを表に出さなかっただけで。

 誰もそれに気付かないふりをして。

……だとしたら、少年の底に蟠っている感情は、一体どれだけ押し潰されてきただろうか?

 人理修復という偉業を横から塗り潰され、再び世界を救えと命じられた少年は、今度こそ壊れたりしないのだろうか?

 

 これは。

 ただの少年が、当たり前のように、人の善意に潰されていくお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、暗いところは嫌いだ。

 迷路のように入り組んだ闇が、頭蓋に染み込んできて、甘い記憶が犯されるから。

 ああ、明るいところは嫌いだ。

 ゴチャゴチャとした喧騒が、太陽の光のように鼓膜を通して、脳を蕩けさせてしまうから。

 嫌いだ。

 全てが嫌いだ。

 いつか来る明日という奴も、かつて過ごした過去も、全て消えてしまえばいいのに。

 世界は今も全てがあって、自分勝手に全てが回っている。

 だから、切り落としてみたりした。

 嫌な奴とか、負の感情とか。楽しいことだけが世界にあれば、それは何者にも勝る宝石のハズだった。

 けれど、世界はそう単純じゃない。

 何度か失敗して、何度も切り落として、時には付け加えて完成したモノに、自分は納得出来なかった。

 結局のところ、自分には理想の世界なんてモノが分からなかったのだ。

 人類史が成立し、幾星霜。

 理想の世界という根が伸びたことも、樹立したこともない。

 なら、理想なんて分からなくて当然。

 恒久的平和なんて陳腐な願いを、一体誰が叶えられるのか。

 初めからその願いは、叶うわけがない。

 神すら成し遂げられないなら、自分に叶えられるハズがない。

 なのに。

 だから。

 それが分かっても、世界を変える行為を辞めなかった理由はたった一つ。

 それでも。

 ()は、あの人にーーーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見た、気がする。

……見た気がする、だけなので何とも言えないのだが。余りに抽象的な夢だったが、夢とはトンチキなモノだとここ三年で思い知った。それが他人の夢となれば尚更。

 この少年ーー藤丸立香にとって、夢とはそんな感じのモノだったりする。

 

「……夢……というか」

 

 今のはどっちかというと、正夢、的な? これまでの経験則で、何となーく藤丸の勘は何かを訴えていた。

 つまりなんかやべえ。

 えらく大雑把な勘なのだが、それも間違いではなかったりする。

 

「……なんだ、それ?」

 

 藤丸の前に広がっていたのは、個室だった。部屋の間取りは一般的なマンションのそれと酷似している。違いなんかもほとんどない。

 しかし藤丸にはこの部屋に見覚えがなかった。こうやって体を預けているベッドも、フローリングの上に鎮座するガラスのテーブルも。背後にあるキッチンも、やや黄ばんでいる壁も、全てに見覚えがない。

 そして何より、藤丸の視線の先ーー大きな窓には、あり得ない光景が映っていた。

 和気藹々と人々が往来する、日本の町並み。太陽の光を反射した建物はギラギラと輝いて、黄金色の星屑のようになって網膜を焼く。

 もう三年以上も肉眼で見ていなかった光景に、藤丸は脳まで痺れていた。

 半ば呆けたように、

 

「……ここ、日本なのか? いやいや。いやいやいやいやいや、あり得ないでしょ。というか都合が良すぎる。夢だ夢、こんなの」

 

 藤丸が念入りに否定するのも仕方がない。

 何せ今、世界で原形を留めている人工物、自然は一切ない。地球は漂白という馬鹿げた現象によってこの世界は今、滅亡の真っ只中なのだ。

 無論、日本も例外ではない。瓦礫の少しが残っていればマシ、という最悪な状況なのである。

 それに、この三年で藤丸はこんな光景を何度も夢見てきた。いつ終わるとも分からない世界を救う戦いで、気が狂うようなプレッシャーに揉まれて何度も故郷の夢を見てきた。

 だから慣れている。

 現実に裏切られることも。

 両手で頬を思いっきりつねる。ぐいっ、と景気よく行ってみれば、あら不思議。いつの間にか夢の世界からおさらばだ。

 しかし困ったことに、今回はそんな次元のお話じゃなかったらしい。

 

「いひゃい……」

 

 びり、と鋭い痛み。ちょっと唇が裂けた。その上夢から覚めない。ということは……?

 

「現実なのかなあ……マジでか」

 

 覚めない夢、ということは特異点だろうか。時々あるのだ、突拍子のないレイシフト紛いの拉致から特異点にダイブイン。そして意味わからんまま何か胡乱なトリプルトゥループをやらされるのだ。そうに違いない。

 とりあえずベッドなんかに入っていては、いざというときの対応が出来ない。おっかなびっくり起き上がる藤丸。いそいそと近くにかけられていた極地用のカルデア制服に着替える。

 と、そのときだった。

 ぴんぽーん、とインターホンが鳴った。大人しい始まり方に窓から正体不明のアルトリアとかエントリーとかしないだろうな、と不信感マックスでモニターに顔を寄せる。

 そこには。

 白衣の下にセーラー服の、いつも見ている後輩ーーマシュ・キリエライトの姿があった。

 

「……マシュ?」

 

 首を傾げる藤丸。今回のように、一人でレイシフトした場合、マシュまで共に拉致されたという記憶はほとんどない。というか、何でもじもじしてるのだろう。知らない仲でもないのに。戦闘の時は滅茶苦茶破廉恥な格好してるのに。というかやっぱりマシュは眼鏡だよね。

 思考が明後日の方向に逃げかけるのを抑え、とりあえずモニターの下にあるボタンをぽちっとな。

 

「おはよう、マシュ」

 

「お、おはようございます、先輩。午前七時三十分。今日も晴天、絶好の散歩日和ですね」

 

 おや?、と藤丸は再度首を傾げる。

 こんな異常事態、自分はともかくマシュが黙っていない。むしろ慌ててこの部屋に入って、自分の身を守ろうとするだろう。なのにどうだろう、この可愛い後輩はいつもの二割増しで女の子らしくなっている。

 

 

「それでですね……あの、こうしてモーニングコールならぬモーニングピンポンをしたわけで、よろしければ……。

 

 

 

 一緒に、学校へ行きませんか……?」

 

 

 

「……………………はい?」

 

 

 

 どういうことだってばよ。

 思わずそう返せなかった自分に、藤丸はマジで自分がびっくりしてることを悟った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやほんとにどういうことだってばよ」

 

 若葉が生い茂る街路樹の列。舗装されたコンクリートの歩道は、毎日人が通るからか、タイルが擦れて灰色になっている。

 朝の通勤ラッシュもあって、横の車道は満杯だ。エンジン音の間を縫うように、通行人の足音が耳へ届く。

 至って普通。普通の、日本の通勤通学の光景である。

……これが特異点でなければ。

 

「? 何か不都合なことがありましたか、先輩? もしや今日は掃除当番でしたか? 大丈夫ですよ、それなら私も手伝います。掃除のコツなら先輩方から会得してますので」

 

「あ、うん。そういうことじゃ全くなくてね、うん」

 

 何処かも分からぬマンションから出て、マシュと共に歩き出し早五分。何故かあったお揃いの学生鞄を片手に、藤丸は混乱状態にあった。

 マシュと二人、通学路を歩く。うむ、なーんら可笑しくない。ここが特異点でなかったらの話だが。

 

(……どういうことなんだ……? いつもならほら、ナビ役のサーヴァントがいたりするじゃん。横から訳知り顔で来るじゃん。なのにそれすらなし? 何でここに呼ばれたんだ、俺?)

 

 大抵カルデアのマスターという役割を期待されて、藤丸は特異点に赴く。しかしあくまで重要なのはマスターという権利だけ。それ以外に藤丸立香の価値は魔術世界においてない。言わば事態解決のための楔、命綱というわけだ。

 だが、助け船の欲しいサーヴァントはいつまで経っても現れない。それどころか、マシュと一緒に学校へGO!している。未成年の主張が許されるなら、こんなんどうせいっちゅうねん。

 

「……うーん。マシュ、この町の名前は?」

 

「唐突にどうしました? ここは冬木市じゃないですか」

 

「冬木……特異点Fか」

 

 一番最初に修復した特異点。それが特異点F、炎上汚染都市冬木。赤く燃え上がる町並みは崩壊し、空は毒に侵されたかのように黒ずみ、淀んでいたあの世界。

 よく見れば面影がなくもない。遠くに見える都市部。あれは確か最初に特異点にレイシフトした地点に似ている。学校への道も、何処と無く見覚えがあるような……無いような。

 ともかく、

 

「……マシュはこの状況を可笑しいと思わないの?」

 

「え? 何故ですか?」

 

「何故ですかって……」

 

 だって、こんなこと今の地球じゃあり得ない。日本という国どころか、惑星そのものが洗い流された世界に変わり果てたハズだ。それがあり得てしまうということは、ここは藤丸の知る地球ではなく、特異点……それか……。

 そんな疑問を彼女に直接ぶつけようとしたときだった。

 

 

「朝から道の真ん中で突っ立って何してるんだ、お前達?」

 

「邪魔しちゃダメよ。ほら、大事な話をしてるじゃない。男女だからきっと色々あるのよ」

 

 

 聞き覚えのある二つの声が、背後からした。

 

「、マシュ!!」

 

「え? わっ!?」

 

 後輩をかばう形で藤丸が前に出る。既にカルデア制服を起動し、回避のための魔術を装填した。

 背後で並んでいたのは、真っ白な二人だった。

 一人は藤丸と同年代の少年。隈を浮き上がらせ、青白い肌をした顔はややゾンビにも似ている。自分を威圧的に見せるためか、ピアスをしているが、雰囲気から劣等感が滲み出ていた。

 二人目はこの場の誰より年上の少女だった。少年とは真反対の清純の白。ブルーの瞳は氷を思わせるほど透き通っていた。

 カドック・ゼムルプス。

 アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ。

 元Aチームのクリプターと、そのサーヴァント。かつて一番目のロストベルトで相対し、くだした相手。

 最大級の警戒をしなければならない、和解などあり得ない汎人類史の敵。

……なのだが、

 

「……何してる藤丸。学校(・・)に遅れても知らないぞ」

 

「ほら、マシュ。あなたも彼の言いなりになっているだけではダメよ? 時には厳しく言い付けないと」

 

 なんか、制服着てた。

 もう一度言おう。

 クリプターと、そのサーヴァントが。なんか、制服着てた。

 

 

「……ハァッッッッ!?!!??」

 

 

 奇想天外に次ぐ奇想天外。

 藤丸立香の受難は、まだ始まってすらいないのだった。

 



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2

「絶対因果律が可笑しい」

 

「何だ、いつも能天気でイカれてるその脳味噌で何言ってるんだ?」

 

「その言葉そっくり返していいかなカドックくんねえ?」

 

 隣で相も変わらず凍死しそうなほどグロッキーな(多分元々そんな肌の)カドックに、藤丸は敵意剥き出し、というかやけっぱちに返す。

 と、その隣にいたマシュとアナシタシアがお互いのパートナーに小言を一つ。

 

「ダメですよ、先輩。カドックさんにはとてもお世話になっているんですから。勉強や行事、更にはこうして登下校に華を添えてくれているんです。むしろ感謝するべき間柄かと」

 

「カドック、あなたも彼を意識しすぎよ。おかげで二人のCPがそこら中の女子で話題沸騰中で、私とマシュはそれを買い漁るのに忙しいったらないわ」

 

「ちょっと待て何の話だアナシタシア。君の趣味嗜好に口出す気はないけど、本人の前でそのおぞましい妄想を垂れ流すのはやめてくれないか?」

 

「あら、ならこっちの沼にあなたも堕ちればいいのよ」

 

「おい堕ちるってなんだ、新手の近代魔術か!?」

 

……可笑しい。

 ぜっっっっったい、可笑しい。歯止めがまるで効いていない。このスーパーウルトラ可笑しな状況に誰も突っ込まない。スーパー能天気の藤丸もこれには鬼びっくりである。

 分かり合うことは難しいと思われていた相手と、また出会い、そして何故かスクールライフを送っている。しかも朝から一緒に登校という、三年前ですらそんな仲の良い人物が周囲に居なかった藤丸からすると、何というか。

 

「……気味が悪いな……」

 

「だろうな、同意見だ」

 

「あ、ごめん」

 

 聞こえないよう呟いた小言に、カドックは律儀に答え、藤丸は反射的に頭を下げる。

 と、

 

「……僕も、アンタと仲良くなんて、死んでもごめんだからな。そもそも、僕はカルデアを裏切ったクリプターだ。今更仲良くしたって、それが帳消しになるわけじゃないんだしな」

 

 ふん、と鼻を鳴らす横顔は、確かにカドック・ゼムルプスだった。劣っていることを分かっていながら、それでも歩みを止められない、藤丸と同じような凡人でろくでなし。

 こうしてのほほんと話している彼は、何か変なガスやアルトリウムなどといった成分を吸い込んだわけでも、催眠などをされているわけではない。元の因縁を忘れているわけでもなく、魔術やサーヴァントのことも記憶している。

 そしてそれは、マシュやアナシタシアも違わない。目の前にいる三人は、恐らく藤丸立香の知る三人と相違ない。世界が違うという点を除けば。

 ならばこそ、特異点だからと言って殺し合いに発展しないのが本当に不思議なのだが。

 そんな疑問を、カドックは打ち消す。

 

「まあ、なんだ……こうして世界は救われた(・・・・・・・)。僕にだって世界を救えるって証明が出来た今、お前を敵視する理由もない」

 

「……はあ。そう、なの……?」

 

「……ほんと白々しいな、アンタ。そういうところが嫌いなんだよ」

 

 何をう!?、と睨み付けようとした藤丸だったが、カドックの顔を見て黙り込む。

 安らかな顔だった。奪われ、憔悴しきった顔ではない。それでも何かを勝ち取り、その末に納得した。そんな顔だった。

 つまり。

 

(……ここは、全ての戦いが終わった後の特異点……なのかな……?)

 

 だとすれば、こんな世界も頷ける。

 これまでの特異点と比べ、記憶や関係性が元の世界と似通っていることや、明らかに異なる点が散見されるが……それはまあ、特異点だしそんなこともあるだろう。ダ・ヴィンチやホームズ、ゴルドルフ所長が居てくれたらまた違った見解を導きだしてくれるかもしれない。

 何にせよ拙いのは、その事情を知るのが藤丸立香一人だけ、ということだ。

 

(……今は何も、俺に危害とかはなさそうだけど)

 

 マシュすら術中にはまっているなら、正真正銘ここでは、藤丸たった一人で戦わないといけなくなる。無論そんな無茶は通用しないことは、この三年で骨の髄まで分かっていた。

 警戒は怠らず、不自然には見せずに。

 まずはそう、情報収集に徹して、

 

「ところで藤丸」

 

「ん、なに?」

 

「お前確か、ギターに興味あったよな?」

 

「えっ? そう……そうだけど?」

 

 そうなの?、と口を滑らせる前に、藤丸は何とか話を合わせる。実際ギターなんかは前々から興味があったわけだし嘘はついていない。

 と、カドックは頬をぽりぽりと掻いて、

 

「……一応、余ってるテレキャスか、アコギがある。どうせ捨てるだけだし、押し付けていいか?」

 

 目を瞬かせる藤丸。これまた……予想外の方向からフックが飛んできたものである。

 

「いやまあ嬉しいけど……いいの?」

 

「何が?」

 

「ほら、こういうのってちゃんとしたお店で売った方がお金になるんじゃ……」

 

「受け取ってあげて、マシュのマスターさん」

 

 つい、と横からカドックの前に出てきたのはアナスタシアだった。彼女は氷の結晶のように儚い笑みを浮かべて、

 

「カドックは、あなたとバンドを組みたいのよ。だけど身近に居るのはほら、サーヴァントかカドックよりも才能がある人だらけでしょう? だから同じ感性を持つあなたとなら、組んでも問題ないと思ったんじゃないかしら」

 

「ば、馬鹿を言うなアナスタシア!? コイツと、バンドだって? ハッ、同じレイシフト適正くらいしかないのに勝ち組の奴とバンドなんてちゃんちゃら可笑しくて反吐が」

 

「あら、ならなんで同じスコアを二つも買ってたのかしら?」

 

「…………おい、キャスター」

 

「ふふ、やっぱり可愛い人。こういうときは愚直に頼むのが一番でしてよ、マスター?」

 

 顔を真っ赤にして今にも喚き散らしそうなカドックと、そんな主人にご満足気なアナスタシア、そしてよかったですね先輩、なんて言ってくるマシュ。

 やはり、違和感しかない。

 違和感しかないのに。

 こういう未来だってあったのかもしれないと、そう考えると。

 何だか心の隅で、ちくりと痛んだ。

 

 

 

 

 

 

 ところで。

 先のアナスタシアの言葉を覚えているだろうか?

 身近に居るのはサーヴァントかカドックより才能が上の人間だけ、と。

 アナスタシアという異聞帯のサーヴァントが居るのならば、無論汎人類史のサーヴァントだって居なければ可笑しい。

 つまるところ、

 

「やあやあ朝から暇かね、暇だよねマスターくん。いやあこのサボり界のナポレオンと呼ばれた私と今日も甘美なサボりライフを送ろうじゃないか! コーラとポテチに今日は盗撮した映画もあるぞう!」

 

「失礼ですが教授、母としても風紀委員ないし生活指導としても色々と問題を感じるのですがいかに? 具体的にはそのじぇんとるな髭を剃り落としても?」

 

「いやあ今日は絶好の学校日和だねェ諸君! ほらマスターくん、さっさと教室行きなさいな、真面目に勉強するんだヨ!? 主に私の髭とか命のために!」

 

「うむ、前言撤回までが早すぎるのであるな。これでは鰹節も削れまい。ところで猫の髭センサーが今日は雨だと読み取ったので傘を忘れるなよご主人、アタシ狐なので髭とかないが」

 

「何と、今日は雨なのですか。むぅ、晴れであれば太陽の騎士として、口説き文句にもキレが出てきたりこなかったりするのですが……」

 

「ふ、聞いて呆れるなガウェイン卿。女性を口説くのに天候を理由に退いては騎士の名折れ。私ならばいついかなる時でもゴミ出しに出てきた専業主婦の人妻から病弱で床に伏せた未亡人まで口説こう」

 

「卿のその面の皮の厚さがここまで心強く、そして殴り倒したいと思ったことはないぞ、ランスロット卿」

 

「オメーら二人とも騎士馬鹿にしてんのかオイ。っと、ようマスター。な、朝飯持ってねぇか? まだオレ何も食ってなくてさー」

 

「ちょっとマスター、私のモーニングコールを着拒するとかどんな神経してるわけ!? 金星飛んで恒星ヒットチャートぶっちぎり年間トップのこのドラゴンボイスを!?」

 

「ハイハイ、マスターは学校だからオタクらに構ってる暇ないの。ったく、アンタもオレらのことなんか気にしなくていいんだぜマスター? え、楽しいから構わない? またまた好きものだこと」

 

 サーヴァントもまた、すべてこの特異点に存在している。

 カルデアで確認されたサーヴァント、総勢二百を越えるサーヴァント全てがこの特異点では、同時に召喚され、思い思いに過ごしている。

 学校に向かう中でも見知った顔に続々と出会い、連れていかれそうになったり、時にはさっさといけと邪険にされたり。対応は色々だが、朝一番に顔見せしてくれた辺り、なんやかんやでみんな優しいなとニコニコしてしまう藤丸。

 

「……毎日毎日、よくもまあお前みたいな奴に会いに来るよな、サーヴァント達も」

 

 カドックの棘のある言葉も最もだ。自分よりきっと優しく、面白く、刺激のある人間はいるのに、みんな会いにきてくれる。

 これほど嬉しいことはない。こんな形ではあるが、自分が旅をしてきた三年間で育んだものは、決して無駄なんかじゃないと分かったから。

 既に藤丸はマシュやアナスタシアと別れ、カドックと二人、教室で待っていた。流石に生徒に混じって学園生活をしようとするサーヴァントはいなかったらしい。僥倖と言うべきかは分からんが。

 

「……にしても、また学校に通えるなんてなあ」

 

 藤丸が在籍するこの三年A組は、別段特筆することはない。ちょっとさっきから掃除用具入れとかベランダがガタガタしてるような気もしなくもないが、まあそこはそれ。シャドウボーダーに移転してから久しく感じてなかったことなのでそれすらひとしおである。

 

「まあ、普通なら無理だろう。これもそれも上手くいきすぎた結果だ。気持ち悪いくらいにな」

 

「君ほんと毒吐いてばっかね……」

 

 隣で頬杖をついてるカドックに、藤丸は苦笑する。

 と、チャイムが鳴る。特異点攻略中だが、久しぶりの学校はやはり楽しみだ。一体どんな学園生活になるのか。

 

「ニャハーーッ!! 三年アマゾン組のみんな、おっはよーうっ!!」

 

 が。

 そんな気持ちは、廊下から聞こえてきた怪生物の声に掻き消された。

 ズザーッゴッ!!、と教室にダイブしてきた茶色い影は、教壇の角に四十度くらいの角度でぶっ刺さる。さながら時計の針みたいにがくん、と墜落したそれは、直後に立って高笑いした。

 

「いやあ、やっぱ朝イチのKUSHIZASHIは最高に目が覚めるわ……みんなもやってみニャい、一刺し?」

 

「やらんわ!!!! つかアマゾン組ってなに!? A組ってそういう意味なの!?」

 

 全力で突っ込む藤丸。元気な生徒に着ぐるみを着た教師ーーもとい、血濡れの戦士ジャガーマンは犬歯を見せる。

 

「ニャハハ、藤丸くんってば冗談冗談。ほら、血を見ると私ってばちょいサバト開いちゃうからやらないようにニャみんな。あと南米出身の私が受け持つ=密林教室的なサムシング。ほんとはほら、三年J組か三年T組とかにしたいけどそこは妥協よネ! アマゾンもいいぞ、宅配とか特に速いしね! コノザマは許せよな特に地方民!」

 

「……おい藤丸。授業になるのか、あれ?」

 

「なるわけないでしょうよ」

 

 最早通じ合えぬ。

 ここまで授業になりそうもない教師は、藤丸立香も初めてなのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「学校とは一体なんだったのか」

 

 ぐでーん、と長テーブルの一角で突っ伏す藤丸。よしよしと背中や頭を擦る後輩の優しさが今となっては仇になる。こんな素晴らしい後輩と同学年だったならば、きっと滅茶苦茶きらびやかな授業だったのに、と。

 ジャガーマンは始まりに過ぎなかった。

 弱肉強食英語教室が序章など、誰が分かっただろうか。

 二時間目。物理&化学、エジソン&テスラ。

 交流直流「直流交流だ忘れるなよオォン!?」……まあ二つの電流が薬品に接触してなんかこう摩訶不思議な電気の力で爆発。そうでなくとも口喧嘩ばかりで授業にならない。帯電したチョークが音速を越えて眉間に炸裂したときは藤丸もマジでキレそうになったのも仕方ない。

 三時間目。現代文、シェイクスピア。

 例文の意味を解説するのに自身の著書から引用し、何となく分かったけどいやそれ結局自分の本の方が分かりやすいって自慢してるだけじゃね?と気づいてからはまあドヤ顔がうざいのなんの。そして最後は、

 

ーーTo climb steep hills(険しい丘に登るためには) requires a slow pace at first(最初にゆっくり歩くことが必要である)!と言いますが、まあ、我輩の本を読んだ方が教育的に良いでしょうな!

 

 と、大々的に宣伝して朗々と帰っていったのである。二度と来ないでほしいと藤丸は思った。

 四時間目は保険体育。

 担任教師、殺生院キアラ、退場してからはスカサハ師匠。

 以上。

 以上ったら以上なのだ。

 そんな非常に濃い時間を過ごした藤丸は、心身ともに疲れ果てていた。

 

「……なんか、違う……思い描いてたのと、なんか、違う……」

 

「皆さん、先輩に自身の分野を教えられるということで、偉くはりきっているご様子でしたから……」

 

「張り切るっていうか、すごい自由にやってたけど……」

 

 特にシェイクスピアとキアラはもうそりゃあ凄かった。片や題材となる例文を添削しながら虚仮にするし、片や自身の体で保険の授業をしそうになったのでアンデルセンを召喚して退場、急遽体育服を着てサッカーになったもののスカサハ師匠の扱きで体がバッキバキになったのである。

 こう、加減がない。

 全く加減がない。

 人を超人か何かと勘違いしている間違いなく。

 

「大変でしたね、先輩。お疲れかと思いますが、午後を考えると昼食で英気を養うのが得策かと。カツ丼などいかがですか?」

 

「うん、そだね……いいよね、カツ丼……」

 

 午後は残り二時間。あとは数学と世界史だったか? 誰が受け持っているのか考えたくもないが、体力補充をしなければ。

 ガガッ、と椅子を引いて立ち上がる藤丸をマシュは止めて、とことこと入り口から一番遠い調理場へと食事を受けとりにいった。こういうとき、そっと気を利かせられる後輩力に毎回藤丸としては申し訳なくなる。

 と、

 

「なんだ、たった四時間で情けない。その体たらくでよくカルデアのマスターが務まったもんだ」

 

 すとん、とプレートにざるそばを載せて向かいに座ってきたのは、またもやカドックだった。が、藤丸としては今の一言に少し物申したい。

 

「……膝、笑ってるけど」

 

「これは証明だ。僕も君と同じ授業を受けたっていうね。あと膝なんて笑ってないこれはざるそばを食べられるって言う歓喜のコサックダンスだ」

 

「しょうもない証明だなあ……」

 

 ざるそばそんな好きなんだね、黙れ呪うぞこの劣等生、と言い合いながらテーブルを囲む二人。

 

「君のサーヴァントは? あの皇女さんが離れるなんて珍しいね」

 

「僕だって側にいろと強制はしてないからな。なのに彼女がくっついてくるだけだ」

 

「お暑いことで」

 

「眼球箸で破裂させてやろうかこのオタマジャクシ野郎」

 

 ん、とカドックが顎でしゃくった先は、食堂の一角だった。そこにはあのアナスタシアと……鈴鹿御前やマルタなどが相席して、何やら携帯端末片手に右往左往していた。

 

「……なにあれ?」

 

「インスタ映えだとさ。何でもSNSに自分と料理を映った写真を投稿して、女子力とかいうのを高める儀式らしい。魔術の一つなんだと」

 

「いやそんなマジカルな要素多分無いと思うけど……」

 

 マルタさんも一応女子力とか気にしてたんだな、と失礼なことを思う藤丸。それにしては画角に入っている料理がハンバーグカレーなのは女子力の欠片もないと思うが。

 しかし。

 改めて周囲を見渡すと、何とも奇妙な光景だ。

 すぐ側では目玉焼きに醤油かソースかで喧嘩してるサーヴァントも居れば、静かに食事をしているように見えて寝ている奴もいるし、はたまた食べたことのない料理に宇宙の神秘を見つけたのか宇宙食にしようとパック詰めする奴やら。

 かつてのカルデアでもここまでカオスではなかっ……いやカオスだったなあ、色々。藤丸は数々の珍事件を思い出して遠い目をする。

 

「どうした黄昏て。ざるそばならやらないぞ」

 

 ずずず、とざるそばを啜るカドックに、藤丸は何だか安心する。小言(藤丸基準)ばかりのカドックは、まだ接しやすいのである。非常に。

 

「ああいや、凄い学校だなあって。カドックはいつからこの学校に?」

 

「? いつからも何も、一緒のタイミングだったろ。記憶まで可笑しくなったのか?」

 

「そうだっけ? あはは、物ボケが酷くてさ。どうやって全部の戦いを終わらせたのかすらすっぽぬけてる」

 

「ふん、それは嫌味か落第生?」

 

 不機嫌そうにつゆにワサビを足す少年に、藤丸は曖昧模糊とした笑みで受け流した。

……カドックから情報を得るには、彼からの心証が悪すぎる。何よりカドックの言葉からすると、相当記憶に残る戦いがここではあったようだ。それこそ終局特異点と同様。それを知らないと押し通すには、藤丸の稚拙な腹芸ではどうにもならないだろう。

 本格的な調査は放課後、別の方向からが良いのかもしれない、と藤丸は結論づける。

 

「お待たせしました先輩……あ、カドックさん。いらっしゃってたんですね」

 

「成り行きでな。他のサーヴァントと相席するよりは、藤丸やお前と相席した方がまだマシだと判断しただけだ」

 

「そうですか、嬉しいです」

 

「……おい藤丸。お前、キリエライトにどんな教育をしたんだ? 一応皮肉だぞ今の」

 

「世界は広いよってことくらい?」

 

「広い狭い以前の問題だろこれ」

 

 マシュからカツ丼を受け取り、合掌する藤丸は、笑って流す。

……少年はいつ気づくだろうか。

 自分がこの状況に、居心地が良いと感じ始めていることに。

 そして徐々に、自分の世界ーー漂白され、不毛な争いしかない世界との差に、精神を削り取られていっていることに。

 

 藤丸立香は、いつ、気付くだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 放課後になった。

 一言で済ませてしまうには惜しいというか言いたいことが山程あるくらいなんやかんやがあったのだが、今更なので閑話休題。とりあえず教室でドンパチやらないでほしいと藤丸は切に思った。

 さて、下校である。

 やっと学校から解放されるとなればあとは自由時間。しかし藤丸にとって、それは楽しみな時間ではない。この世界を壊すための下準備、それを行うための時間である。

 この世界にとって、藤丸は簒奪者。

 エネミーなどが発生しないため忘れそうになるが、藤丸にとって目に見える人影全てが敵も同然なのだ。 

 

「……とは言ってもなあ」

 

 学ラン代わりの極地型カルデア制服を身を包む藤丸の足は、右往左往して全く定まらない。見ようによってはあてもなくぶらぶらしているだけのお気楽学生だ。

 再三言わなければならないが、基本藤丸立香はお飾りのマスターである。エネミーの索敵から、戦闘、魔術、知識から何もかもが足りない。そんな藤丸が一人、特異点にぽーんと放り込まれたらどうなるか。そんなことは火を見るより明らかである。

 

「……日付はやっぱり2018年か……となると、ここは正規の英霊が作り出した特異点じゃないな……」

 

 コンビニのレジ近くにある新聞を購入して、ざっと見出しを確認する。藤丸は新聞を読まないが、問題は情報の鮮度だ。

 三年前のあやふやな記憶から当時と現在の政治家の写真とを照らし合わせてみたが、やはりここは藤丸が生きていた世界と似ている。

 違うところがあるとすれば、この世界は全ての戦いが終わった後の世界だということか。

 例えば人理焼却。例えば、ロストベルト。それらの全てを解決し、めでたしめでたし、となった世界のようだ。

 しかしそのロストベルト攻略も、藤丸の記憶にあるシンまでの記録しかないし、無理矢理めでたしめでたしと締めたような感じ、らしい。端的に言えば、どうやって世界を救ったのか誰も分かってはいないが、とりあえず救われたことは分かっている状態である。

……本来特異点は、歴史という波に押し流されて消えるだけの小石だ。しかし、そんな小石であっても、発生させるには聖杯クラスの品が必要となる。

 発生源が聖杯だとして、では黒幕は何を思ってこの特異点を作り出したのか? そこから思惑が新聞を読めば、多少なりと分かるのかもしれないのだが……。

 

(……うん、わからん!)

 

 学生鞄に買った新聞をねじ込むと、藤丸はてくてくとコンビニから離れていく。

……勘違いしないでほしいが、藤丸立香は考えなしなわけでも、ただ無能な少年ではない。

 ただヒント一つで、あっという間に謎が解ける名探偵でもないのである。

 

「珍しいですね、先輩。急にコンビニへ行かれたかと思えば、新聞を購入されるなんて。何かあったんですか?」

 

 放課後から向こう、結局ついてきていたマシュの質問に、藤丸はやや間延びしながら、

 

「あーー、まあほら。テスト勉強とかに役立つかなあって。時事問題とかほら、出るかもしれないし。ネットで検索するのもいいけど、紙でも確認しなきゃね、ほらダ・ヴィンチちゃんも言ってたし。ネットの網に巻かれるなよ若人って」

 

「はあ、そうなのですか。でしたら明日から、不肖マシュ・キリエライトが先輩のために情報を仕入れて説明しますね」

 

「えっ、なんで?」

 

「……先程、先輩は新聞を読んで五分もしない内に鞄に押し込んでいたじゃないですか」

 

 ぎく、と藤丸は肩を震わせる。そういえばこの後輩の体内時計は完璧だったと、失念していた。

 

「ダメですよ、せっかくやる気になったのですから。この機会に毎朝新聞を読む習慣をつけるのがよろしいかと。世界情勢とまではいきませんが、国内の事柄程度は知っておくべきです」

 

「む、むぅん……でもなあ、朝は眠くて頭に入ってこないっていうか……」

 

 歩行者用の押しボタンに指をぐいっと近付けると、信号が変わるのを二人して待つ。

 朝も通った交差点は、今度は帰宅ラッシュで込み入っていた。幸いにも朝よりは人通りも少ないので、急かされることもない。幾分揺ったりとした波に、二人は運ばれていく。

 するとマシュが、

 

「……カドックさんのように。オフェリアさんとも、仲良くなれたのでしょうか」

 

 と、呟いた。

 

「……マシュ」

 

 藤丸は何も言えなかった。

 オフェリア・ファムルソローネ。

 二番目のロストベルトで相対したクリプターであり、カルデアを裏切ったマスター候補、Aチームの一人。

 敵に回っても、マシュだけは殺そうとしなかった、何処か優しい人。

 

「……、あ。ご、ごめんなさい……言葉に出ちゃってました、か……?」

 

 無意識だったのだろう。わたわたと慌て始めるマシュに、藤丸はいいんだ、と返す。

 

「大事な人だったんだね、やっぱり」

 

「……はい」

 

 藤丸は、クリプターとしてのオフェリアしか知らない。だからマシュがあのオフェリアとどんな会話をして、どんな日々を過ごしたのかは分からない。

 けれど。

 

「分かるよ、その気持ちは。俺も、今でも思う」

 

 オフェリアが死んだ直後。藤丸は、マシュからこんな話を聞いたことがあった。

 

ーーもし叶うのなら。私、オフェリアさんと食事を共にしたかったんです。Aチームとしてではなく、友達として。

 

 悲しそうに目を伏せる彼女に、藤丸は何も返せなかった。ただこれからもこんな風に、かつての仲間が死んで、その度にこの少女が郷愁に耽るのかもかもしれないと思うと、酷く心が痛んだ。

 本当だったら、クリプターなんかにならなければ、マシュとこうやって過ごせているのかもしれないのに、と。

 

「その気持ちはさ。きっとこれからも、無くなったりしないんだと思う。傷痕っていうのかな。痛かったことは記憶から消えてくれなくて、その度に胸が張り裂けそうで」

 

 だけど。

 藤丸立香は知っている。

 それは、ただ悲しいという袋小路で終わったりしない。

 

「でも。それでも、俺達は出会いと別れを繰り返してきた。最期には悲しくなったり、辛くなって涙を流しても。色んな人と触れ合って、色んな人に手を振った」

 

 藤丸がマシュの手に触れる。

 小さな、陶器のように白い手の平。それを握る。

 

「助けられなかったことを悔いるな、なんて言わない。でも、楽しかったことがあったら、一緒に笑おう。オフェリアさんと出来なかったこと、みんなとやろう。オフェリアさんに届くように」

 

 穢れのない少女の瞳が、一瞬潤む。せめぎ合う感情の波を抑えるために俯くと、顔を上げたときにはそんな素振りすら見せなかった。

 

「……はい! オフェリアさんの分まで、きっと!」

 

 夕日を背景に、噛み締めるように思い出を語る少女は、綺麗で、美しかった。まるでそれは網膜というファインダーが捉えた写真のように、マシュのはにかんだ顔が藤丸の脳に焼き付く。

……マシュのそんな顔を、藤丸はいつぶりに見ただろう、と考える。たった二ヶ月前ーーそれこそクリスマスのときまでは、楽しそうに笑っていたのに、今ではもうマシュが心の底から笑っている顔が鮮明に思い出せない。

 それは別に、楽しかった思い出を忘れてしまったわけじゃない。

 けれど。

 ああ。

 

ーー俺は、テメェを、絶対に許さない。

 

 誰かの死体を、踏み越えていったことがある。

 

ーー俺に幸福な世界があることを教えてしまった失敗を、絶対に許さない。

 

 誰かの不幸を、許せなかった人がいる。

 

ーーあたし、また困らせるようなこと言ったの? どうしよう。ああ、どうしよう……。

 

 誰かに、幸福を押し付けてしまったことがある。

 

ーー胸の奥、きゅうっとなって……涙が出ちゃう。あたし、どこも痛くないのにね?

 

 誰も救われないことを、教えられなかったことがある。

 一体、幾人の人を殺してきただろう。

 世界を守るため、なんて上品な言葉でコーティングして、何度戦ってきただろう。

 何度も何度も傷つけて、何度も何度も失って、その度に言われてきた。

 進め。

 決して、立ち止まるな、と。

 でも、ずっと思ってきた。

 

(それならーー俺は、いつこの足を止められるんだろう)

 

 一度は、世界だって救われた。

 足を止めて見上げた青空を、藤丸は未だに覚えている。眩しいだけの光輪なんかとは違う、何処までも何処までも、澄み渡るような青空を。その光景がどれだけ得難いのか、誰だって分かっていたハズなのに。

 なのにまた、世界は壊れて。

 青空は、見えなくなって。

 進めと託されて。

 大切な人は、笑わなくなった。

 

(……また、見れるのかな……あの空を……マシュが笑ってくれる日は、みんなが何の憂いもなく笑える日は……来るのかな……)

 

 自信がなかった。

 一人では何も出来ないのに、たった一人で、特異点にいるという今までになかった状況だからか。

 不安になって、そのくせ何かを為すことなんて出来なくて。それでも、足は動いてしまうから。

 だから、

 

 

 

「ーーーーだから大丈夫だ、と? ふん、人間らしい楽観的な思考だな。感動すら覚えるよ。自惚れもそこまで行けば、世界を救えると勘違い出来るのだからな」

 

 

 

 声が意識に挟み込まれた直後だった。

 世界が、暗転した。

 

「な、……!?」

 

 それを、何と表現すれば良かっただろう。

 暗闇が逃げてしまうほどの、濃い漆黒の世界。爪の先どころか髪の毛一本すら隙間のない黒が、藤丸立香の目の前に広がっている。何処までもフラットな、足場の凹凸すらない平面の光景。

 理解が、追い付かない。

 まるでテレビのコンセントを抜いたかのような、ぶつ切りという言葉すら温く見える切り替え。

 藤丸は自分が立っているのか、寝ているのか、それすら確かに言い表せない。

 

「まるで、夜が怖い赤子だな」

 

 再びの声。

 この暗闇で耳が可笑しくなっていないのなら、藤丸の耳にその声は女性の声に聞こえた。系統的にはオフェリアに近いだろう。尊大なのだが、それを是とするほど異質な感覚が、藤丸の全身を叩く。

 そう、これはサーヴァントの気配ではない。むしろビーストやグランドクラスのような、規格外に近いーー!

 

「せっかく招待してやったのに、涙が出そうじゃないか。これで世界を救うだのよく宣えるものだ。人材不足にも程があるだろう、汎人類史とやら」

 

「……だれ、だ……?」

 

「ほう?」

 

 こっ、こっ、と。

 ヒールが、闇を鳴らす。それは、酷く不気味な音だった。この上も下すら分からない世界で、当たり前のように闇を歩くその手慣れた音が、音の主の異質さを語っていたからだ。

 藤丸の目にも、その姿がようやく見えてくる。

 それは、まさしく魔女のような姿をしていた。小柄な裸体を隠すような、黒皮の装束。首から広がるマントと、金髪のロングヘアーをもすっぽり覆うつばの広い三角帽。

 そして目を引くような、顔の右半分に巻かれた眼帯の奥にある、真っ赤な何か。

 少女は、右手に持った金色の槍をバトンのようにくるりと回し、地を石突で叩いた。

 

「この神に不遜にも名を問うとは、存外その魂は頑強だな。たかが(・・・)世界一つとはいえ、救っただけのことはあるらしい。故に褒美だ、語ろう」

 

 す、と息を少女が息を吸う。ただの呼吸。なのに、藤丸の体はメキメキメキ、と何かの干渉を受ける。それは、名の持つ言の葉の力。名前そのものが一種の力として振るわれるほどの存在。

 

 

「私の名は、オティヌス」

 

 

 それは、まるで琴の音色のように。

 それは、まるで雷の轟音のように。

 

 

「魔神、オティヌス。その矮小な脳味噌に、この名を記憶しておくがいい、人間」

 

 

 魔神が、現れた。

 

 

 

 

 



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3

 

 

「魔神……オティヌス……?」

 

 聞いたこともない名だった。魔神、という名からすると、神霊の類いだろうか? 藤丸のそんな考察を踏み潰すように、三角帽を被った隻眼の女は告げた。

 

「おいおい、神霊なんて腐り果てた存在と一緒にしてくれるなよ、人間。分かりやすい名で言えば、そうだな。汎人類史での名はオーディン(・・・・・)か」

 

「……ッ!?」

 

 オーディンならば、歴史に疎い藤丸でも知っている。北欧神話において、主神として知られる戦の神にして、神々の王。確かグングニルという必中の槍をもち、隻眼だった。丁度目の前に居る、少女のように。

……ちなみに、オティヌスという名はデンマーク人の事績という歴史書でのオーディンの呼び名なのだが、藤丸は知るべくもない。

 しかし、神霊が腐った存在はどういう意味か。それではまるで、

 

「生きているよう、か? 当たり前だ。私はオティヌス、魔術の神にしてオーディンそのもの。つまり、お前達人間の言う神代から現在まで生き続けた(・・・・・)、本物の神。それが、私だ。いや、だったというべきか」

 

「…………」

 

 藤丸が黙り込む。これがダ・ヴィンチやホームズだったならば、その知識と照らし合わせてあり得ないと狼狽していたかもしれないが、藤丸にそんな知識はなければ狼狽するほどの余裕はない。

 

「今はこのように、亡霊紛いのシミのようなサーヴァントだ。それでも、そこらの神霊ごときに遅れを取るほど落ちぶれたつもりもないが」

 

 既に、藤丸の中で鳴る警鐘は、かのビーストクラスと同等まで引き上げられていた。つまり、銀河と蟻の対決みたいなものだ。最初から勝負としても殺し合いとしても成立していない。

 

(なら、そんな神様がどうして俺なんかをわざわざここに呼んだ?)

 

 全てはそこだ。

 この特異点の黒幕か、それとも第三者か。

 

「……ここは何処だ? さっきの特異点とは、違う場所なのか?」

 

「いいや、一緒だよ。映写機のフィルムと同じさ。全ては見え方の問題だよ」

 

 こ、とオティヌスが槍の柄で闇を叩く。

 本当に、軽い音だった。空虚で、空っぽなコップを置くような。

 しかし、瞬きすら許さずに世界が戻る。

 夕暮れの交差点に。

 全てが終わった後の世界に。

 さっきまでと違うところがあるとすれば、それは藤丸を除いてただの一人も人が居なかったことだ。

 

「一枚挟めば、見ての通り。光も闇も、全てはお前のその薄汚い眼球と脳が識別しているだけに過ぎない。ここでは、見てくれに意味などないよ」

 

 こん、こん、こん。

 魔神が槍で地を叩く度に、世界が入れ替わる。情報量の差の吐き気がする藤丸は、敵の目の前だと言うのにうずくまった。

 幻覚、ではない。

 現実と幻覚の差くらいは、藤丸だって何となく分かる。だが、これはなんだ? まるでカメラロールをスライドするように、世界そのものが上書きされ、削られ、を繰り返している。

 他ならぬオティヌスの手で。

 

「……でたらめだ……特異点そのものを自由に操れるのか……?」

 

「おいおい、神の末席に身を置く私に、そんなスケールの小さい話をするな」

 

 オティヌスは手の槍に寄りかかると、

 

 

「ーーそれで、楽しんで頂けてるかな? 我が異聞帯(ロストベルト)は?」

 

 

 と、知りたくもなかった事実を、軽々と投下してきた。

 

「………………は、」

 

 動悸が早くなる。血管が心臓を絞め付けるようだった。藤丸の脳裏に、三つのあり得たかもしれない未来が去来する。

 まるで、遺影だけを集めたアルバムをめくり、懐かしむような。

 

「……ここが、異聞帯(ロストベルト)、だって?」

 

 異聞帯(ロストベルト)

 それは、過った繁栄の結果。

 特異点のように突然出来た、狂った世界ではない。何も間違えてはいないにも関わらず、それが帯のように何百年も続いた結果並行世界からも弾き出された、歴史の残滓。

 故に、異聞帯。

 腐り落ちてもなお枝から剥がれなかった、禁断の果実である。

 

「まあ、本来の異聞帯とは些か毛色が異なるがな。何せ異星の神とやらのやり方は、回りくどい。空想樹だの、濾過異聞史現象だの、やっていることは実に非効率的だ。仮にも神を名乗る愚物が、人間の手を借りる必要が何処にある?」

 

「……じゃあ、お前は」

 

「そうだ。私はこの異聞帯全域を自由に操れる(・・・・・・)。それこそ、命すらな」

 

「……命すら、だと?」 

 

「見た方が早いか」

 

 再度、オティヌスが槍の石突を唸らせる。ヒュウン、という空を切る音も束の間、何かが藤丸の前に現れ、雪崩れ落ちてきた。

 見覚えがあるその人型は……。

 

「……マシュ!?」

 

「……」

 

 先程まで楽しげに話していた、マシュその人だった。慌てて体を揺らして呼び掛けるが、返事がない。かけていた眼鏡がずり落ちても、揺さぶっても、彼女は目を開けなかった。

 

「……何をした……マシュに何を!?」

 

「なに、騒がれても話がとっちらかる。だから眠ってもらっているだけだよ。それと、少し離れた方がいい。返り血を浴びたくなければな」

 

「何を」

 

 言ってる? そう、藤丸が問い詰めようとしたときだった。

 鉄が風を切るような音が、耳に届き。

 真下から、間欠泉のごとく藤丸の顔へと噴き出した。

 

「あ……え、?」

 

 一瞬それが何か分からなかった。

 赤。深い紅の液体は、壊れた蛇口のように肉の穴から飛び出している。そう、丁度人の頭をもぎ取ったら(・・・・・・)こんな穴が出来るだろう桃色の肉と穢れを知らない背骨の間から鮮血は藤丸の全身に降り注いで綺麗な断面が赤の乱舞を振り撒いて

 

「ぁ、ああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!??」

 

 あるべきものがなかった。

 真っ白な肌も、好奇心旺盛な瞳も、すらっとした鼻も、最近リップで手入れし始めた唇も。

 マシュの首から上が、ごっそり切り落とされていた。

 

「だから騒ぐなよ。今更人一人の死に絶望するほど柔な精神じゃないだろう。ほら、ロマニ・アーキマンの時も泣かなかったじゃないか?」

 

「おま、え……!!」

 

「なんだ、まだ死を割り切れていなかったのか? 曲がりなりにも世界を救ったのであれば、付き合い方くらい覚えているのかと思っていたが、なるほど。随分大事に扱われているらしい」

 

「お前っ……!!!」

 

 脳を塗り潰すほどの怒りと、脳を埋め尽くすほどの悲しみが、お互いを食らいかねないほどせめぎ合う。ギチギチ、と噛み合った歯が口に入った血で嫌に軋んだ。

 そんな藤丸の怒りすら、そよ風のごとく魔神は受け流す。

 

「怒るなよ、虫けら。うっかりくびり殺したくなるだろう。足を根本からもがれるのは、それなりに痛いからおすすめしないぞ。あといつまでその女を抱いてるつもりだ?」

 

「よくも、よくもマシュを……!!」

 

「せん、ぱい?」

 

 ぴたり、と。

 その声を聞いた瞬間、藤丸の脳は停止した。

 吸い寄せられるように少年は、視線を落とす。そこには、まるで何事も無かったかのようにマシュがきょとんとしていた。

……認識が、追い付かない。確かに見たハズだ。彼女の首の断面を。彼女の血が口に入って歯が軋んだことも覚えている。しかし服に返り血は全くない。

 そう、まるでぐちゃぐちゃに描いた出来の悪い落書きを破り捨てるかのように、跡形も無くなっている。

 

「……なん、だ? なんだよ、これ? 何が、どうなって……!?」

 

「ふん、位相の仕組みすら分からんか。まあ、フィルターを何層にもフォルダ分けして再配置しているだけだ。そう、例えば先程のようにマシュ・キリエライトの頭部が破裂し」

 

「! やめ、」

 

 ろ、という前にまたもや鮮血が飛び散る。むせ返るような血肉は五感を真っ赤に塗りたくり、

 

元に戻す(・・・・)ことも出来る」

 

 次の瞬間には全てが元通りになる。

 悪夢よりよっぽど質が悪い。

 どれも鮮明に覚えているのに、そのどれもが一瞬で幻となって消え失せるのだ。

 マシュを抱えていなかったら、藤丸はその場で胃の中のモノを残らず吐いていただろう。

 

「さて、まあこんなものだ。これを、私は異聞帯全域で行える。あらゆる人、建築物、英霊もその例外ではない」

 

「……つまり、サーヴァントのみんなを呼び出したのは」

 

「私だ。カルデアに出来て、神である私に出来ない理由などない」

 

……化け物なんてレベルじゃない。この目の前の少女は、たった一人でカルデア全ての機能を補い上回るほどの力を持っている。しかも、それはあくまで機能の一部だ。本当の力は世界の操作……いや、ここまでくると改変と言っても良いだろう。

 英霊召喚すら、片手間。

 既に藤丸の懐には、マシュすらいない。邪魔だから消したのだろう……とにかく藤丸は、情報収集に徹する。

 

「じゃあ、あのマシュ達は?」

 

本物(・・)だよ。いや、その言い方は正確ではないか。位相……では理解出来ないのだったな。そちらの言葉では、剪定事象に近いかもしれんな。腐り落ちる寸前の木々を保護するのと同じように、ここに生きていた人々を拾い上げただけだ。生きているのだから、文句はあるまい?」

 

「……つまり、俺達とよく似た世界を、お前が好き勝手粘土みたいにこねくり回してるってことか」

 

「人聞きの悪い。有効活用していると言えよ、人間。これでもそれなりに人間は好きなんだ。殺したくなるほど憎んでもいるがな。ま、心配するな。連れてきたのはお前一人、他の連中は今も仲良く異星の神とやらと戦っているだろうさ」

 

……徹底的に舐め腐っている。オティヌスは、藤丸を道端に転がる小石以下の価値としか見定めていない。

 実際その通りなのだが……なればこそ、余計に思ってしまう。

 どうしてここに、藤丸一人を呼んだのか?

 

「……その愚かな人間を一人異聞帯に放り込んで、何をさせようとしてるんだ、お前は? 俺が今まで戦ってこれたのはカルデアのみんなの助けがあったからなのに」

 

「そんなの、一つしかないだろう」

 

 オティヌスが答える。

 

「ーーお前が潰れ、命乞いするところを見たい。そう、お前だよ藤丸立香。汎人類史、最後のマスター。星の輝きすら反射させられない、路傍の石ころ」

 

 神々の王を名乗る少女が、口の端に笑みを乗せる。

 まるで虫の足を全部引き千切って、無邪気に笑う子供のように純粋なーー悪意が一切ない目で。

 

「不思議だったんだよ。お前のような石ころが、どうして世界を救えたのか。別にお前に隠された力があったわけでも、優れた指導者だったわけでもない。むしろ流され、守られる立場だったお前が当たり前のように生きてることが、私には不思議でたまらない」

 

「……当たり前だ。俺一人じゃ、絶対に生き残れなかった」

 

「まさか。英霊どもがいくら束になろうと、お前が死ぬ可能性の方が高いに決まっているだろう。いや、事実お前の代わりに死んだわけか。例えばそう、神を差し置いて不遜にも魔術王を名乗る男(・・・・・・・・・・)とかな」

 

 奥歯が、鈍く唸る。真っ暗な世界が発光したかと思うほど、沸騰していく感情を抑えつけるように、藤丸は両手をぎゅっと握り締めていた。

 

「……不思議だな。理不尽に怒るほどの気力があるとは。何も出来ないくせに、まだ立ち上がろうとしてることを恥ずかしいと思わないのか、お前?」

 

 落ち着け、と自身に言い聞かせる。

 怒りを発信するのではなく、立ち上がる気力にして、漲らせる。

 この前後どころか一寸先すら分からぬ暗闇で、怒りは分かりやすく恐怖をはね除けてくれた。

 

「そうだ……俺は、色んな人に守られて、ここに居る。だからこそ、死んでなんかやらないぞ、魔神オティヌス」

 

 だが。

 オティヌスは、そんな藤丸を鼻で笑う。

 

「よく言う。お前が死ねば(・・・)、全ての人が救われたかもしれんというのに」

 

「……え?」

 

「考えもしなかったわけではないだろう? 簡単な話だ」

 

 まるで、前提条件のように。

 

「マスターがお前でなければいけなかった理由はなんだ? お前以外のマスターが全て生死不明の境目だったから? まさか。お前が死んだところで、カルデアは次の手段を考えていたよ。お前より(・・・・)は優秀なマスター程度、誂えるくらいは可能だろう」

 

「……だから、無駄死にだって言いたいのか? そんなもしもに、今更騙されるとでも……!!」

 

「騙されるか騙されないかは勝手だよ、藤丸立香。関係あるのは、お前が正しかったかどうかに過ぎない。私以外にも言われたことがあるだろう? どうしてお前のような奴に世界が救えたのか、と」

 

 だから、とオティヌスは豪語する。

 

「教えてやろう、人間。お前がいかにちっぽけで、いかに取るに足らん存在かを。ただ何となく生き残ってしまった不運を呪うがいいさ」

 

「……何を、するつもりだ」

 

「決まっている」

 

 こん、と石突きで地面を一突き。

 それだけだった。

 

「お前の全てを、へし折り、蹂躙するだけだよ」

 

 漆黒の世界が色を帯びる。

 光すら飲み込む黒から、光すら弾く黄金へ。

 変化は一瞬だった。

 気付けば、藤丸立香は横断歩道に立ち尽くしていた。

 

「……先輩? 大丈夫ですか、先輩? 顔色が優れませんけど……」

 

「え? ぁ……、うん」

 

 隣にいるハズのマシュが、凄く遠くに感じた。目の前の世界が酷く脆く思えて、立っているだけで壊れてしまいそうな錯覚に陥る。

 何処からが現実で、何処からが幻覚だったのか……先程までの全てが現実だということは、藤丸には到底受け入れがたい。

 だって、世界はあんなに簡単に壊れたりするモノではない。

 藤丸をいつも助けてくれた後輩は、あんな人形みたいに首が取れたりしない。

……そのハズだ。そう信じている。

 しかし、藤丸の脳裏にはこべりついている。世界はあんな風に壊れるし、マシュも簡単に死ぬと。

 現実味がないのではなく、現実味がありすぎるから、夢と現実の区別がつけられない。

 

「……大丈夫だよ。うん、大丈夫」

 

「本当ですか……? その、緊急でしたら担ぎましょうか? 任せてください、迅速にマイルームまで運びますので」

 

 ぐっ、と力こぶを見せるマシュに、藤丸は首を振る。

 

「いやいや、町中だからほら。大丈夫だって、マシュが心配するようなことは何もないよ」

 

……とりあえず、整理しよう。

 ここは魔神オティヌスが管理するロストベルトで、どうやら藤丸はたった一人ここへ連れてこられたらしい。目の前のマシュや英霊達は、全員このロストベルトの住人であり、オティヌスにとっては人形に過ぎないようだ。

 つまり、四面楚歌。

 藤丸はたった一人で、このロストベルトに対峙しなくてはならない。

 

(……冗談だろ。神様に喧嘩売られたって言うのに、一人ぼっちとか……)

 

 全てが藤丸にとって、敵だ。

 それは今こうして心配してくれたマシュだって、変わらない。藤丸が汎人類史の住人である以上、この世界か、汎人類史が滅ぶまで殺し合うしかない。

 どうすればいい。

 事情を説明する? ここがどういう世界かまでは分からないが、最終的に滅ぶと分かって、全ての人間が勝ちを譲ってくれるとは限らない。今までのロストベルトだってそうだった。認められないと、ぶつかり合って、そしてやっともぎ取ってきたのだ。

 それを、自分は果たしてやれるのか?

 勝てる勝てないの話ではない。

 マシュを、今まで助けてもらった人達全てを見捨てられるのだろうか?

 そんなことが出来たとして、あの星に帰れたとして……本当に、自分はみんなの前でヘラヘラとしていられるのか?

 守りたいモノがあるのに、それすら切り捨てたら、何のためにロストベルトを破壊してきたのか。

 何のために自分は、大勢を殺したのか、それすら分からなくなる。

 だが、世界はそんな藤丸を待ったりはしない。

 

「っ、先輩下がって!!」

 

「え? お、わっ!?」

 

 一瞬のことだった。

 横断歩道を渡ろうとした藤丸の首根っこをマシュが掴み、歩道へ引き戻すと、そのまま盾を召喚しアスファルトへ突き立てる。

 すると、複数の飛来物が盾に弾かれ、背後の道路標識や看板を根本から引き千切った。

 藤丸は無様に体を丸めつつ、周囲を見回す。

 

「な、なんだ……? 敵襲?」

 

「分かりません。一体何が……」

 

「その男から離れろ、キリエライト」

 

 滑り込んだ声は、目の前からだった。

 それは、狼のようなダッフルコートに、銀髪で、面相の悪い男だった。

 カドック・ゼムルプス。

 元クリプターであり、この世界では世界を救ったという証明をした男。

 その彼が、こちらを睨み付けている。まるで、あの異聞帯で殺し合ったときのように。

 そして、

 

 

「ーーそいつは、藤丸立香(・・・・)じゃない。だから早く離れろ、キリエライト」

 

 

 

 

 



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崩れ脈動する世界 Version_Alpha

 たった一人で生きていくことに、恐怖がなかったわけではない。
 けれど体験して、こんなにも辛いことなのか、と驚いた記憶は今も新しい。
 人は自分を嫌い、世界は自分を置いていく。
 変わらないのは自分だけで、惑星(ほし)は余りに早く流転を繰り返している。
 それでも、この体がこれからも機能し続けることは明らかだった。
 朝から夜になり、夜から朝へ流れるように。この体は変わらないまま、されど骨董品のように古帯びていくわけでもなく、外見だけは瑞々しさを保ち、悠久の時を生きていく。
 それは確かに、ある意味で生命としては究極的なあり方だったかもしれない。
 けれど、そのあり方は一人の命しか生かさなかった。
 だから、心が満たされないのも当然のこと。
 何をすれば満たされるのかも、何を得れば悦楽に浸れるのかも分からない中、限りない命をただ浪費する。
 いや、それは浪費というよりは垂れ流しか。まるで蛇口を捻って、そのままバスタブをお湯で溢れたままにしておくように。

 結局の話。
 振り返ってみて、気付いたのだ。
 ああ。
 この生命には、果たしてどんな意味があるのだろう、と。
 たった一度で良い。
 この虚無の塊に、一度で良いから、幸福を与えてほしかったのだ。
 限りある命だからこそ、許される幸せなのかもしれないけれど。
 限りない命だからこそ、不幸だなんて言ってはいけないかもしれないけれど。
 それでも、()は欲しかった。
 まだ、何も始まってすらいないから。
 まるで白馬の王子を待つ、お姫様のように。
 不死という揺りかごに揺られて、私はその時を待ち続けている。

……その願いが。
 根本的に間違いだったと、そう気づくまで。




 意味が。

 分からなかった。

 確かに、藤丸立香はこの世界の人間ではない。そういう意味では確かに、マシュと一緒にいることは忌避されるべきことだし、何なら殺し合いに発展することもあるだろう。

 しかし、カドックはそれを知らない。知るハズがない。なら彼が言いたいのはそういうことではない。

 

「初めは……そうだな。小さな、ほんの小さな違和感だった」

 

 平和な世界のハズだった。

 全てが終わり、この世界は元の輝きを取り戻し、太陽の光を反射出来るほどの建造物が無傷で並ぶくらいには、人の世界が再生していた。

 剣呑な気配とは無縁の、優しい世界。

 それが。

 余りにも簡単に、崩れていく。

 

「僕は君らみたいに優秀なわけじゃない、だからこの違和感が間違っていた可能性はあった。でも僕だって、目の敵にしている相手の顔くらい、間違えたりなんてしない」

 

 カドックが、指を突きつける。

 まるで名探偵が思考している間に、他の人間が被害者を犯人と間違えて弾劾するみたいに。

 

「そうだ。お前は藤丸立香じゃない。お前はお前で間抜けな面してるけど、そこまでだ。少なくとも、全てを終わらせたアイツは、お前のように惚けてばかりじゃない」

 

「………………」

 

 ぞわり、と。

 何か、肌の上を走り回るような感覚が、藤丸を襲う。それはつい最近、感じ取ったことのある虫の知らせだ。

 そう、例えば。

 カルデアが凍り付けにされ、地球が漂白されてしまった、あのときのような。

 一つの終わりが今始まってしまったような、そんな感覚。

 

(……なんだ……? なんで、今になっていきなりこんなことになったんだ? ついさっきまであんな、殺し合いとは程遠い話をしてたのに……催眠とか、洗脳の類い? あの人の頭を簡単に潰すオティヌスなら、それくらいやりかねないだろうし……)

 

……と、本当に決めつけていいのか?

 何も間違ってなどいない。判断材料が少ない以上、今はそれで良いハズだ。

 しかし藤丸の中で、どうしようもなく心がざわつく。

 考えることを決して止めるな、と本能が叫ぶ。思い出すのは、マシュの頭が爆ぜるあの惨劇。一手仕損じただけで、アレ以上の地獄が始まると、理性が警鐘を鳴らしている。

 

「ちょ、ちょっと待ってください、カドックさん!」

 

 マシュが盾で身を隠しつつ、カドックに説明を求める。その姿は、見慣れつつあるオルテナウスの霊基だった。

 

「先輩が、藤丸立香が偽物だなんて、何かの間違いです。サーヴァントである私が、マスターを見誤ることなんてあり得ません。私と先輩は今も、令呪によって繋がっていますし……!」

 

「……ふん。相変わらずの藤丸至上主義だな、キリエライト。だから、こんな簡単なことも分からないのか?」

 

 鼻で笑うように。

 カドックは、告げた。

 

 

「ーー藤丸立香は、()だろう。まさか、忘れたのか? キリエライト?」

 

 

 それは。

 それは、とても可笑しな指摘だった。

 藤丸立香は、誰か言うまでもなく男であり、何よりそれを疑う必要などない。成り代わるとしても、性別の違う相手に成り代わろうなど誰が思うだろうか。

 だから、それはまさしく鼻で笑える指摘だった。

 なのに。

 藤丸の中で、一つの疑念が浮かんだ。

 そもそも。

……ここは、自分の知る世界とは、全く違う別の世界ではなかったか?

 そうであれば。

 そこに入り込んで、馴染んでしまったのが自分であったのなら。

 元々()の藤丸立香がいたとしたら。

 

「……うそ」

 

 だからだろう。

 マシュのそんな、震えた声を聞いて、疑念が確信に変わったのは。

 

「……待ってよ、マシュ」

 

「……わ、わかってます。先輩は先輩です、そのハズなんです。でも」

 

「お前の記憶は違うと、訴えてる。そうだな、キリエライト?」

 

 マシュは答えなかった。

 しかし、その表情はもう先程まで自分を信じてくれていたマシュと、違いすぎる。

 恐怖。

 記憶と現実の食い違いにマシュは、明らかに怯えていた。

 

「そして、それはコイツらも同じだ」

 

 カドックが目を周囲へ向ける。

 釣られてみれば、既にここ一帯にはサーヴァント達が勢揃いしていた。

 ある者はカドックの後ろに、ある者は藤丸の背後に、ある者は建物の屋上に、またある者は、ある者は、ある者は……。

 総勢百人以上。その誰もが、藤丸立香とかつて契約していたサーヴァント達である。

 しかし、その瞳に信頼はない。そこにあるのは、絶対零度よりもなお冷たい、凍死させるような視線だけ。

 藤丸の心臓が早鐘を打つ。ここまで明確に、死をイメージしたのは久々だった。

 動けない。喋れない

 逃走も弁明も。この場では、この世界では何の意味も持たない。いずれかを行えば、藤丸の頭か、舌か。どちらかが地に落ちるだろう。

 

「マスターの名を騙るとは……何と度しがたい。そして何と愚かか。間抜けにも程があるだろうて」

 

「騙された我々も我々だが。まあ、先に騙したのはあちらだ。それ相応の対価は払ってもらおうか?」

 

「本物のマスターは無事だろうか……あの偽物が人質に取らないとも限らん、警戒を怠るべきではないな」

 

 いっそ不可解なほど、真っ直ぐな敵意だった。何らかの作為を感じるほどの。

 いや、実際作為的なのだろう。オティヌスによっていくらでも世界が改変されるのなら、藤丸立香が敵と見なされる世界だって、作れても可笑しくはない。

 しかし……ここまでか?

 彼らとは、同じ時間を生きてきたわけじゃない。同じ世界で生きてきたわけでもなければ、同じ経験をしてきたわけでもない。

 でも、こんなに違うモノなのか?

 こんなにあっさりと、疑えてしまえるのか?

 つい数時間前まで、親愛の情を向けていた相手を、殺しかねない殺意まで加えて。

 本当にそうなのか?

 やはり、洗脳や催眠の類いをオティヌスは……。

 

 

「よお」

 

 

 聞き間違えるハズがなかった。

 藤丸が振り返れば、誰かが近くの街灯の上に足を投げ出し、腰を下ろしていた。

 ウェーブがかったブロンドの髪に、魔女のような長帽子。ほぼ半裸にも見える戦装束をマントで隠した女。

 

「オティヌス……!?」

 

「懐かしさすら覚えるな、その何も分かっていない顔。だからこの神が、お前の疑問に答えてやろう。別に洗脳や催眠などしていないよ。する必要すらないからな」

 

 そんなわけがない。

 藤丸はカドックやマシュ、サーヴァント達の存在も忘れ、オティヌスに食いかかる。

 

「どういう意味だ!? お前がこうやって介入する前は、こんなこと言い出さなかっただろ!?」

 

「順番を間違えるなよ。私が介入したから、こうなったわけじゃない。元々こういう世界だ。ただ、見え方を少しばかり変えたがな」

 

「見え方……?

 

「ところで、余所見をしていて良いのか?」

 

 慌てて、藤丸が視線を戻す。が、

 

(……カドックもマシュも、オティヌスには反応してない。見えていない、のか?)

 

 オティヌスという異分子の出現に、この場に居る者は全く反応していない。それどころか、藤丸の挙動すら気にしていない。

 これもオティヌスの仕業か。

 北欧の主神を名乗るサーヴァントは、今も外灯を我が物顔で占拠している。どうやらこのまま傍観するらしい。

 

「よく思い出せ、キリエライト」

 

 カドックの話は続く。

 

「お前の髪を毎日櫛でといていたのは誰だ。そのリップをもらった相手は誰だ。よく談話に花を咲かせていたのは誰だ? 本当に、後ろにいる男か?」

 

「……ちが、……いいえ、そんなハズは……」

 

「……っ。待ちなよ、カドック」

 

 たまらず、藤丸が前に出た。

 とにかく流れを断ち切らないといけない、その一心で。

 怒濤の勢いで向けられる殺意の数々に、足がすくみかけるが、それでも藤丸立香は問いかける。

 

「ついさっきまで、友達みたいに接してくれてたよね? それがどうして、急に俺を偽物だって言い出したんだ? 何か、切っ掛けがあったんじゃないのか?」

 

「……ああ、あったさ」

 

「だったらそれを教えてくれ。誤解を解くためなら、何だって答えるから」

 

「……何だって、答える、か」

 

 薄く。

 カドックは笑みすら浮かべていた。

 しかしそれは親愛に満ちた顔ではない。

 何を今更と、糾弾するような、そんな顔だった。

 

「もしも、全く同じ記憶が二つあって。その違いが性別だけだったら、お前はどうする?」

 

「……え」

 

 一瞬。

 脳が言葉を認識しなかったのかと、そう勘違いしかけた。

 だが、カドックはそんな藤丸の逃げを徹底的に潰す。

 

「分からないか。今僕や、キリエライト、サーヴァント達全員に、お前と本物の藤丸立香、人類最後のマスターの記憶がそれぞれある……そこまでは、いい。所詮男と女、人物が違えば記憶がどうやったって違ってくる。だが」

 

 忌々しいと言わんばかりに、彼は髪をガリガリと掻き上げる。

 

「……同じなんだよ」

 

「同じ……?」

 

「記憶が。お前とアイツの記憶は、性別以外(・・・・)その違いが無いんだよ」

 

 ガツン、と頭を殴られたかのようだった。

……つまり、カドック達は今、藤丸立香との記憶が二つある状態なのだ。

 脳に一人の人間の記憶が二つあるという状態が、どれだけ認識能力に悪影響を及ぼすか、想像に難くはない。パソコンに全く同じデータを、ラベルだけ変えて保存するようなモノだ。

 知っているようで、知らない人間。

 知らないようで、ずっと知っていた人間。

 

「辿った旅も、辿った戦いも、全て同じだったとして。そこにある違いが性別だけだったとして……そんな、そんなもしもが本当にあり得ると思うか? あり得るわけがないだろう。だとすれば、そんな道筋を真似した馬鹿が居たと考えるのが当然だ……!」

 

 ぎょろ、と銀髪の下で瞳をすがめるカドック。

 ようやっと。

 藤丸にも、カドック達の怒りが分かった気がした。

 彼らが陥っている状況は、この世界を救った藤丸立香への冒涜に他ならない。完璧な複製であっても、本物を記憶していれば安っぽく見えてしまうのは当然だ。

 どちらが本物なのか、それが問題なのではない。

 全てを丸く収めた奇跡を、こんな簡単に模倣された……それが、彼らにとって一番許せないのだ。

 だから、

 

「……先輩……は」

 

 そんな顔を向けられても、何も答えられない。

 藤丸立香(自分)は、この世界に紛れ込んだ異物なのだから。

 

 

「あなたは、誰ですか?」

 

 

「……」

 

……果たして、藤丸はなんと答えればよかったのだろうか。

 嘘でも良いから、藤丸立香だと答えればいいのか。それともマシュの知る藤丸立香ではないと言えば良かったのだろうか。

 全ては後の祭り。

 めぐるましく変わる状況に、藤丸の頭は最早思考を放棄しかけていた。だから、黙り込んでしまった。

 

「……どうして、何も言ってくれないんですか……?」

 

「……それは」

 

 誤解を解こうとしたわけじゃなかった。

 ただ、口を突いて出た言葉がそれで。

 言い切る前に、藤丸の右腕が飛んだ(・・・・・・)

 

 

「…………ぁ………………?」

 

 

 全ての思考が、断絶する。

 さながら、プラモデルのパーツがぽろ、と外れてしまったような光景だった。違うところがあるとするならば、それは塗料よりも粘っこい鮮血が、肩口から飛び出したことか。

 現実に脳が追い付いたのは、飛んだ片腕にあった痣を見たから。

 令呪。サーヴァントとの契約の証であり、絶対命令権の意味合いを持つそれが、何度かバウンドし、アスファルトに転がる。

 

「ぁ、ああああ、ああああああああああああああああああああああッ!!????」

 

 感じたこともない激痛が、藤丸の全身を走り抜ける。閃光花火を体の中で着火させたみたいなそれは、藤丸自身の絶叫すら嘲笑うかのように、全てを途絶えさせ、弾ける。

 

「……芋虫が。性懲りもなく、まだ騒いでいますね」

 

 かろうじて膝をつくだけに留めた藤丸が、声を見やる。

 そこに居たのは、幽鬼だった。

 肉感的な体とは正反対の、落雷のような殺気。ゆらゆらと、頼りなく揺れながら歩を進める彼女は、血糊がついた刀を片手に、唇の端を笑いで染めていた。

 

「頼、光、さん……!?」

 

 バーサーカー、源頼光。

 本来ならば絶対裏切ることはないだろう、母親のような存在。

 だが、だからこそーー子に取って変わろうとする輩を、彼女を決して許しはしない。

 

「……本当に、私としたことが。マスターを守れず、こうしてむざむざと敵の奸計にはまってしまうなんて……けれど」

 

 頼光はアスファルトに転がった藤丸の片腕を一瞥すると、踵で踏みつける。

 余りに呆気なかった。

 サーヴァントとの繋がりでもある令呪は、いとも簡単に、藤丸立香の目の前で四散する。

 

「ええ、ええ。我が子は必ず助けます。ですから、あなたも協力してくださいね? 腕か足のどちらか、選ばせてあげますから」

 

 刀の先から紫電が迸り、源氏の英霊はそれを身に纏う。

 ひっ、と藤丸の喉から空気が漏れた。膝は瞬く間に折れ、尻餅をつく。戦意などなかった。そんなものはとっくに壊された。

 

「……はあ。だから言っただろう。お前の心を折ると。なのにこうまで愚図だといっそ泣けてくるな」

 

 オティヌスの嘲りすら、藤丸の耳には入ってこなかった。

……いっそ。

 いっそのこと、殺してくれるなら。

 どれだけ良かったことだろう。

 しかし彼らは殺さない。 

 彼らにとって本物の藤丸立香に繋がる鍵は、この藤丸だけだ。

 だからそれが済むまでは殺さないし、その逆も然り。この藤丸がいかに泣き喚き、泡を噴こうと関係ない。藤丸立香を騙った偽物が無様な姿を晒すのなら、彼らの胸もすくことだろう。

 令呪はない。そんな届くハズのない命令すら、今の藤丸には許されないのである。

 狂戦士が、近づく。

 最も守るべき我が子の血を、一身に浴びて。

 

「一つ、お尋ねしたいのですが。我が子は、愛しいマスターは何処ですか?」

 

 知らない。

 そんなものは知らない。

 答えることすら出来ない藤丸に、バーサーカーは艶やかに笑う。

 

「ああいえ、答えなくても構いません。その頭蓋を叩き割り、その思念を撒き散らせば、後は他の英霊達が我が子の居場所を突き止めましょう。ですから、そうですね」

 

 紫電が、走る。

 源氏の大将はその狂気を刃に乗せ、夕空へと振りかぶるーー!

 

 

「ーーーー思う存分喚け、虫。それが貴様に許される死に様だ」

 

 

 その、寸でのことだった。

 ゴァッ!!!、と。

 大きな盾が、雷光の振り下ろしを防いだ。

 激突は、猛烈な烈風を生んだ。吹き荒ぶ嵐は近くの建造物すら巻き込むと、まとめてひしゃげ、藤丸も体が吹き飛びそうになるのを堪えるのでやっとだった。

 しかし。

 そんな中でも、盾を構えるマシュは微動だにしなかった。

 まさしく、堅牢な城。

 藤丸が横で転がる道路標識のようにならずに済んでいるのも、マシュのおかげだろう。

 源頼光が後ろへ下がる。

 本来藤丸へ向けられる視線は、既に乱入者(マシュ)にも同等のモノが飛ばされていた。

 

「……何故?」

 

 頼光の問いは、それだけだった。

 藤丸以外の全員が目を細めている。何故、という言葉が顔にありありと書かれているが、それは藤丸も同じだった。ともすればマシュは、彼ら以上に藤丸のことが許せないハズ。

 なのに、

 

「……何故あなたが、その虫を守るのです? 私と同じくらいにはマスターを慕う貴女からすれば、それは何より許せない相手でしょう?」

 

 頼光の言う通りだ。

 この場で藤丸を最も許せないのは、彼女だ。誰よりも同じ時間を生き、誰よりも同じ場所で生きてきた。マシュにとって、藤丸はそんな思い出を汚した相手だ。殺しはすれ、守る必要など何処にもない。

 しかし。盾の少女は、揺るがない。

 

「……彼が偽物かどうかなんて、今の私には分かりません。ですが、一つだけ言えることがあるのなら」

 

 一人の人間として、マシュは宣言する。

 

「ここで彼を見殺しにしては、私は私でいられなくなる。この盾は人々を守るためのモノ。その役目すら失うのは、サーヴァントとして見過ごせません」

 

 いつもと比べれば、随分硬い態度だった。彼女から朗らかな笑顔は消え失せ、苦々しい表情が詰められていた。

 それでも、マシュが守ってくれた。そう考えるだけで、砕けそうになっていた藤丸の心が奮い立たされる。

 そうだ。

 

(……やられて、たまるか)

 

 ようやく、極地用のカルデア制服を藤丸は起動させると、肩から吐き出されていた血が徐々に止まっていく。礼装の四分の一が切り落とされてしまったものの、機能自体は働いてくれている。

 

(ここで終わってたまるか。こんなところで倒れたら、今まで出会ってくれた人達に顔向け出来やしない……!)

 

「立てますか?」

 

 マシュの確認に頷くと、藤丸は、

 

「ありがとう……やっぱりマシュは頼りになるよ。助かった」

 

「……あなたのことを、百パーセント信じたわけではありません。私はただ」

 

「どっちも同じように大切だから、どっちも守りたい、でしょ?」

 

「、……」

 

 思わず、藤丸は笑ってしまった。

 こんな状況にあっても。

 彼女と心を通わせていることが、妙に心地良かったのだ。

 

「……今はそれでいいよ。助けてくれたことが嬉しかった、だから感謝したんだ。信じてくれだなんて言わない。助けてくれだなんて言わない。ただ」

 

「ええ。私のクラスはシールダー。必ず、あなたを守ってみせます!」

 

 ああ、なんて安心するのだろう。

 藤丸は一人、心の内で思う。

 この背中にいつも助けられてきた。この盾に、いつも守ってもらってきた。

 そしてそれは、サーヴァント達も少なからずそう思っているに違いない。

 マシュがこちらに付くのならば、カドックはともかく、サーヴァント達も藤丸への疑いを少しは止めてくれるかもしれない。何にせよ、今すぐ殺そうと乱痴気騒ぎを起こすこともない。

 

 

「さてな。お前の都合の良いように動けばいいが」

 

 

 が。

 そんな希望を、魔神は嘲笑う。

 

「……何が言いたい?」

 

「楽観的に考えすぎだと言ったんだよ。まさかお前、今更仲良しこよしで手でも繋げば世界を救えると思っているんじゃないだろうな?」

 

 藤丸が瞬きすると、オティヌスは既に街灯の上には居なかった。何処だ、と目を凝らしていると、背後から藤丸の頬を撫でるかのように手が伸びる。

 オティヌスだ。

 

「お前は今まで何を見てきた? 世界が滅びても、人は好き勝手な理屈ばかり続けてきたろう? あげくの果てには救われた世界を、わざわざもう一度破壊するなど、最早愚かの極みとしか言えんよ。そんな世界に生きているのなら、少しは危機感を覚えていると思ったがな」

 

「……、」

 

「まだ分からんか。なら、特別にヒントをやろう」

 

 魔神の手が、背後へと消えていく。

 振り返ろうとしたときに、その声は滑り込んだ。

 

「女の藤丸立香など、そんなモノは存在しない(・・・・・)よ」

 

 影すらなく。されど声は藤丸の耳へ、事実だけを告げる。

 

「法則はたった一つ。お前をマスターとして信じられるか(・・・・・・)、その見方を変えた。それだけさ」

 

……それが、どういう意味か。

 一瞬、藤丸立香には分からなかった。

 それでも、何かが脳の隅で引っ掛かった。それは引っ掻き傷を作ると、そこから思考が一気に加速する。

 位相とは、剪定事象のようなモノだと、オティヌスは言っていた。

 剪定事象。

 可能性があったかもしれない世界。

 もしも。

……そんなことが、あり得るのだろうか。

 もしも、サーヴァント達が、藤丸立香を信ずるに値しないと、そう思っていたなら……?

 

「…………まさか」

 

 あくまで、例えばの話。

 例えばの話だが……マスターとして不十分な人間がいたとして。それでもその人間がマスターになるしかなかった場合、サーヴァントはこう思ったりしないだろうか?

 なんでこんなマスターなんかに、と。

 そしてこうは思わないだろうか?

 ああ、まともなマスターだったなら……と。

……先程の比などではなかった。

 爆発的に膨らんだ予感が、急速に心臓を締め上げていく。

 そして。

 やはり踊らされていることに気付かないまま、源頼光はこう言った。

 

 

「ああ、マシュさん。可哀想に。その男に操られてしまっているのですね……ならば貴女ごと(・・・・)、その虫を斬るしかないようですね?」

 

 

ーーその虫は、本当のマスターの居場所を知っているのかもしれないのですから。

 

 

 

 





・禁書に余り詳しくない方向けに、位相、魔神、オティヌスについての解説

オティヌスは、とある魔術の禁書目録に登場する魔神の一人。禁書において魔神とは、魔術を極めた末に神格を得た人間のことで、オティヌスも例に漏れず元々はちゃんとした人間だったりする。
魔神はあらゆる魔術を極めた末の到達点であり、それによってあらゆる位相を操ることで、世界の改変すら行えるようになっためっちゃヤバイ神様。
位相とは、所謂宗教的概念のこと。キリスト教、仏教、イスラム教などで語られる、例えば天国、地獄、黄泉や冥府にニライカナイなどと言った異世界のことを指す。禁書ではこれらの異世界が存在しており、現実世界に影響を及ぼしている。
この宗教的概念=位相は、言わば幾つものフィルターを通すようなもので、それが無ければ世界の見え方も色も変わってくる。ならばその位相を操ることが可能であれば、世界は違う意味をもってしまう。

具体例を出すと、この話の元となった新約とある魔術の禁書目録9巻では現実世界が滅亡した後、唯一生き残った上条さん相手にオティヌスは滅茶苦茶大人げない精神攻撃をしたり。つまりこの作品も自ずとそうなるので、これからの展開をお楽しみください。オティヌスはそれなりに弱体化してはいますが、絶望感を上手く出せたらなと思います。


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2

 神様という存在が、意地悪なモノだと藤丸は知っていた。

 それは、神霊サーヴァントを指して言っているわけではない。

 物理的な神ではなく、もっと抽象的な神様だ。何もかもを俯瞰して、その上で世界という盤面を勝手に動かし続けている……そんな神様。

 きっと魔神オティヌスは、そういった類いの神様なのだと、藤丸はようやく理解した。

 

「え……」

 

 マシュが、頼光の言葉を疑うように目をぱちくりとさせる。

 それもそうか。

 マシュ自身、自分の存在がどれだけ藤丸立香のサーヴァント達の中で大きいか、分かっているだろう。だからこそ、この争いに一石を投じるつもりで、本物かも分からない藤丸立香に付いたはずだった。

 しかし、

 

「ええ、そうでした。そこの虫は人の記憶を改竄したのですから。マシュさんを操ることだって(・・・・・・・)、可能でしょうし。ひ弱な虫のことですから」

 

 源頼光(バーサーカー)は止まらない。

 藤丸立香を滅することだけしか、頭にないのだろう。マシュがどちらに付こうが、既にそんなことは斬って捨てられるだけの事柄でしかない。

 藤丸立香は、悪。

 そしてその考えは、バーサーカーだけではない。

 

「……そんな。皆さんは、それで良いのですか!? 確かにこの方が我々のマスターかは分かりません! でも! 本当のマスターだったならと、そう考えないのですか!?」

 

「ぴーぴーうるっせえな、さっきから。どうだっていいだろ、そんなこと」

 

「、モードレッドさん……?」

 

 鎧の擦れる音と共に、赤い雷を纏った白銀の騎士ーーモードレッドは、頼光の隣へと並ぶ。

 

「そいつが本物かどうか? 知らねぇよ、そんなことは。だが、オレはオレの剣を誓った相手を見間違えたりなんかしねえ。だから、こっちにいる(・・・・・・)……それはそこのなよっちいクマ野郎も一緒だと思うけどな」

 

「……そこの粗野なサーヴァントと同意見だ、キリエライト。僕らは別に、藤丸が本物か偽物かを論ずるために来ているわけじゃない」

 

 さっ、とカドックが手を振る。

 直後。その背後に、青く光る瞳が二つ浮かび上がるーー!

 

藤丸(・・)を、取り戻しにきたんだ」

 

「っ、マシュ! 受けちゃダメだ、逸らして!!」

 

 咄嗟の指示に、呆けていたマシュが盾を地面に突き立てる。しかし今度はやや斜めに、受け止めるのではなく、受け流すよう指示していた。

 吹き上がるのは、吹雪。

 極寒の波は氷柱を伴って殺到し、芯から凍りつかせんと暴れまわる。その余りの勢いに、受け流しても衝撃と冷気は殺し切れず、藤丸とマシュは揃って壁へと叩きつけられた。

 見れば、受け流した方角には巨大な氷山が出来上がっていた。

 マシュの盾すら、触れた箇所が凍りつくほどの冷気。もし真っ正面から受け止めていたら、盾ごと藤丸達は氷の彫像になっていたことだろう。むしろ、これだけで済んだのは、幸いといったところか。

 

「あら……流石マシュね。私の宝具を、真名解放もなしに防ぐなんて」

 

 ドレスをなびかせ、カドックの側に控えていたのは、キャスター。アナスタシアだ。彼女はぬいぐるみ、ビィイを抱えており、既に二射目の宝具を撃たんと魔眼を光らせていた。

 

「気を抜くな、一度は負けた相手だ。次は仕留めろアナスタシア」

 

「ええ、言われなくても……ヴィイ、全てを凍りつかせなさい」

 

 寒々とした魔力がアナスタシアから迸り、路面を凍てつかせる。

 不味い。来る。

 そう思っていても、藤丸は動けない。だから、動いたのはマシュだった。

 彼女は脚部のローラー、そして背中のスラスターを駆動させると反動で跳ね起き、藤丸をバッグのように脇に担いだ。

 

「捕まってください、切り抜けます!!」

 

「させると思うかよひよっこ騎士が!」

 

 インラインスケートの要領で、マシュが近くの飲食店へと飛び込もうとしたが、その前にモードレッドがクラレントを投擲して動きを封じ、そのまま蹴りを突き出した。

 破城槌のごとく刺さったモードレッドの一撃を、片手で防げるわけもなく、マシュと藤丸は路面に打ち付けられる。

 そして、

 

「ーーーー疾走(ヴィイ)精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ)

 

 宝具の二射目。

 今度はかわせない。

 礼装の機能で回避の術式を付与したところで、次に来るモードレッドや、その他の英霊の一撃まではかわせない。

 詰み。

 そのはずだった。

 

 

「ーーところがここで蜘蛛の糸! 私という奴はなんてタイミングの良い!」

 

 

 本当に、宝具が触れるその、直前のことだった。

 何かが藤丸とマシュの体に巻き付くと、ぐいっと引き上げられる。優に十メートルほど浮かんだところで、誰かに抱き止められた。

 

「……けほ、けほっ……あ、アラフィフ!?」

 

「やあ、ご機嫌いかがかな、我がマスター(仮)君! 腕は取れてるが首はついてるね? 元気そうで何より、マシュ君も同じようだ!」

 

 ロマンスグレーの髪に、蝶をあしらった外套を羽織った、老人ーージェームズ・モリアーティ。彼は手の中の糸から藤丸とマシュを解放すると、抱えたまま建造物の屋根を跳ね回る。

 

「も、モリアーティさん!? ど、どうして!?」

 

「どうしてもなにも、私は君と同じ藤丸立香のサーヴァントだヨ? そりゃあこちら側サ」

 

「いや、そうですが……てっきり、貴方もあちら側かと」

 

「まさか。確かに、最初は驚いたさ。だがそれを受け入れて(・・・・・)、私はここに居る。そしてそれは、私だけではないよ」

 

「え……」

 

「っ、しゃらくせえ!!」

 

 そう叫び、魔力放出で背面まで駆け上がってきたモードレッド。赤雷を帯電させる姿は、鬼神を思わせるほど荒々しく、モリアーティでは対抗出来ないだろう。

 故に、対抗するのは同じセイバークラス。

 

「させません!」

 

「ぐっ、テメェ……っ!?」

 

 銀に光る義手が、叛逆の剣を弾く。その手の持ち主は無論あの騎士。

 

「ベディヴィエール!」

 

 円卓の騎士が一人、サー・ベディヴィエール。彼はモードレッドの追撃を抑えながら、

 

「ここは私にお任せください! あなたは先へ!」

 

「……ごめん、任せた! モリアーティ!」

 

「分かってるんだ! 分かってるんだがね!? でもこっちも結構腰とかギリギリなんだよネ!?」

 

 そう愚痴りつつも、モリアーティは動き続ける。

 気付けば、モリアーティやベディヴィエール以外にも、続々と英霊達が集まり、戦い始めていた。藤丸を追いかけてきた英霊達と。

 例えば、ナイチンゲール。

 例えば、レオニダス一世。

 例えば、牛若丸。

 その数は、追う数と比べるとやや少ない。それでも彼らは、ここに集った。

 虚像の藤丸を守るためではなく、今ここにいる藤丸を守るために。

 

「……みんな……」

 

 忸怩たる思いだった。

 遠くなっていく英霊達の姿を見るだけで、藤丸の心が締め付けられていく。

 本来互いに争うこともなかった英霊達が、自分のせいで傷つけ合うことは、藤丸にとって耐え難い苦痛だった。

 モリアーティはそんな藤丸を知ってか、努めて明るく振る舞う。

 

「てなわけで、こちらも援軍を集めていたら遅れてしまったわけさ。少し手間取ってしまったのは言うまでもない。しかもほら、この数だろう? いくら弓兵の私であっても、君を助け出すには上手いこと隙を見つけなくてはいけなかったわけだが……」

 

 ビュオ!!、と氷塊や弓矢、魔術などによって屋上を吹き飛ばされつつも、次の屋根に飛んでいたモリアーティは口笛を吹く。

 

「このように、大成功したワケだ! いやあ英霊相手にこんな真似が出来るなんて痛快痛快! ほぅらお目当ての盗品はここだ、追い付けるものなら追い付いてみたまえよ! はっはっはー!」

 

 高笑いしながら町を駆け回るモリアーティ。それに触発されたか、英霊達の追撃は激しさを増し、建物が次々と圧砕する。やはり根本的に数の差は覆らない。

 このままでは地の利というアドバンテージを失う。

 藤丸はそれを伝えようとするが、

 

「安心するといい、私の計算に狂いはない。そろそろ……やはりな。見たまえ」

 

 促され、視線を動かすと、丁度モリアーティの直前上に一台の装甲車が急ブレーキをかけたところだった。

 虚数潜航艇、シャドウボーダー。

 モリアーティは慣性をつけたままシャドウボーダーに着地し、藤丸とマシュを下ろす。

 たどり着いたのは、立体駐車場だった。三階程度のそれの、一階だ。近くにはショッピングモールへ繋がるエレベーターと、乗り捨てられた車が至るところに置いてあった。

 

「うっわ……また手酷くやられたもんだね、藤丸くん。大丈夫かい?」

 

 拡声器を通して聞こえてきたのは、ダ・ヴィンチの声だった。恐らくシャドウボーダーのユニットとして操作しているのだろう、ハッチのロックが解除され、音を立てて開いた。

 

「うん……礼装のおかげで、止血は済んでるから大丈夫。話は中でしよう、ダ・ヴィンチちゃん。モリアーティもほら、シャドウボーダーの中に」

 

「いいや、私はここに残るよ。どうやら足止めが必要みたいだからねえ」

 

「え……」

 

 モリアーティが棺桶型の大型変形銃を構える。釣られて藤丸達が辺りを伺うが……そこには何もない。

 いや、無いように見えた。

 一瞬のことだった。 

 遠くの夕日が光ったかと思えば、何かが立体駐車場へと墜落した。

 正確に言えば、ちゃんと着陸はしたのだろう。しかし響く轟音と衝撃は、ジャンボジェット機が墜落したそれと似ていた。

 車をまるで積み木のように押し退けるだけでなく、駐車場の柱を一本化へし折っていく。

 土煙を振り払ったのは、一本の槍。

 現れたのは、大きな戦車だった。三頭立ての戦車は、それそのものが宝具であり、内二匹が不死の神馬という規格外の代物。

 それを操るは、ギリシャが誇る大英雄の一人ーーアキレウス。

 偉丈夫は英雄らしく、高らかに声を上げた。

 

「そこを退きな、悪党。アーチャークラスとは言え、裏から手を引くタイプのお前さんじゃあ俺の相手にはならんだろ」

 

「やれやれ、そうしておきたいのは山々なんだがねえ……計算するとあら不思議、ここは私が君に挑む以外、マスターが生きる道はないと出ている」

 

「……正気か? 弓兵気取りの学者にそこまで言われるとは、俺の足も見くびられたもんだ」

 

 アキレウスの言う通りだ。モリアーティでは、彼に勝てる道理がまるでない。

 アキレウスの宝具、勇者の不凋花(アンドレアス・アマラント)によって、神性を持つ攻撃でなければかすり傷一つすらつけられもしないのだ。

 そして単純に、戦士としての質が違いすぎる。ステータスも技も、元より人を操る人心掌握に長けたモリアーティがアキレウスに敵うはずもない。

 

「ダメですモリアーティさん、あなたでアキレウスさんには……!」

 

「ダメとは何かね? まさか私が戦うことが? 目的を間違えてはならないよ、マシュ君。我らの目的はマスターを逃がすこと、そして彼らを止めることだ。君は私の代わりに、マスターを守ってくれないと困る」

 

 違う、と藤丸はかぶりを振る。

 本当は、自分が死ねばこんな馬鹿げた争いは止まる。

 この世界は、藤丸立香をマスターとして信じられるか否か、それによって敵か味方かに割り振られる世界だ。

 その結果として、藤丸立香が死ぬのは当たり前のこと。だが、それで彼らサーヴァントが死ぬのは筋違いにもほどがある。

 そもそも、味方となったサーヴァント達にとって、本当は藤丸など何の関係もないのだ。何せ藤丸はこの世界の住人ですらなく、彼らサーヴァントにとって最大の裏切りなのだから。

……そう、言えたのなら。

 どれだけ良かっただろう。

 だが、藤丸は怖かった。

 今もまだ、斬られた腕と、頼光のあの顔を鮮明に覚えている。心と体が、どこかで、サーヴァント達を信じ切れていない。

 が、

 

「何も言わなくていい。行きたまえ、マスター」

 

 モリアーティは、それを制した。

 老獪な紳士を気取りつつも、額に浮き出た冷や汗は見間違いなどではないだろう。

 しかし、それでも彼は引かない。

 己の本質が悪でありながらも、決してその魔弾の照準を間違えたりはしない。

 

「いいかいマスター君、覚えておくといい。実はね、かくいう私も君を本物のマスターとして信じているかと問われれば、そんなことはない。今も、君が偽物だったなら、と疑っているのだよ。そしてそれは、私だけに当てはまらない。きっと私以外の君に味方する英霊達全てがそうだろう」

 

 けれど、

 

「だが、それはない。それはこのモリアーティが証人だ。善を行い、されど悪を憎みもしない我がマスター……私のような英霊に、そんな顔で心配してくれる変わり者は、君くらいだからネ。だからほら、行きたまえ。私の魔弾がうっかり君を撃ち抜く前に」

 

「……っ」

 

 ずき、と心が軋む。

……またか。

 また、お前はこうやって見捨てるのか。

 無能と呼ばれても、生き残らなくちゃいけないのか。

 

「先輩……行きましょう」

 

「っ……!」

 

 心の声を振り切るように、藤丸はハッチの中へと一気に飛び込んだ。

 もう振り返らない。

 そのまま、シャドウボーダー内を走る。

 

「よし、じゃあシャドウボーダー緊急はっ、」

 

 しかし。

 そんな藤丸の覚悟すら、残酷に世界は踏み潰す。

 

「……ダ・ヴィンチちゃん?」

 

「が、ガガがが……ッ!! ピー……ガガ……ッ!!」

 

 何処からともなく聞こえていた少女の声は、いつの間にかノイズへと切り替わっていた。思わず藤丸とマシュはボーダー内を走り回りながら、顔を見合わせる。

 

「館内放送の故障とかじゃ、ないよね……?」

 

「はい、ダ・ヴィンチちゃんの発明に限ってそれはあり得ません。これは恐らく、敵サーヴァントの攻撃によるものかと……!」

 

 ボーダー内にまでサーヴァントが潜んでいたとは、最悪の展開に近いが、装甲車というだけあって車内は広い。しかし、サーヴァントが戦うには手狭過ぎる。三騎士クラスが戦うとなれば尚更だ。

 となれば、この場において最も奇襲に適したサーヴァントは……。

 

「不味い……奇襲はアサシンクラスのサーヴァントの仕業だ! マシュ逃げよう! このままじゃ」

 

 揃って犬死だ。

 そう言おうとしたが、言葉が続かなかった。

 こひゅ、と藤丸の喉から息が漏れる。走った勢いのままつんのめると、口から黒い血が大量に吐き出された。

 

「マスター!?」

 

 マシュの声が遠い。視野が狭くなり、頭痛と耳鳴りが思考を奪っていく。五体を襲う寒気は、急速に気力を霧散させるだけでなく、血の流れすら塞き止めるかのようだ。

 僥倖だったのは、失った右腕から届く鈍痛のおかげで、気は失わなかったことか。

 だからこそ下手人が誰か、すぐに当たりはついた。

 

「静謐の、ハサン……!」

 

「……まだ喋れるほどの余力がありますか。流石は主人になり代わろうとした外道、そう簡単には死にませんね」

 

 ぬ、と近くの部屋から湧いて出たのは、体にぴったりと張り付いた黒衣の少女だった。たおやかな肢体は褐色で、そのあどけない顔は暗殺者とは程遠い気弱な性質を物語っている。

 彼女こそ、藤丸を蝕む毒ーー妄想毒身(ザバーニーヤ)を宝具とする、アサシンクラスのサーヴァント。静謐のハサン。

 

「……っ、しまった! 頼光さんによって先輩との契約はもう……!」

 

「ええ。そこの男が持つ耐毒スキルは、サーヴァント契約を破棄された今、無効化されています。仮に本物であるのなら、の話ですが……毒が効く以上、あなたは本物の主人ではありませんね」

 

 何処までも、静謐のハサンは冷静だった。彼女にも藤丸の記憶はあるだろうに、そんなものは意味を持たないと。

 マシュは盾を床に打ち付け、静謐のハサンから藤丸を隠すが、

 

「ーーーーあら。あらあらあらあら。大嘘つきが、こんなところにいましたか」

 

「!? せんぱ、」

 

 振り返る間もなかった。

 ボゴァ!!!!、という爆発と共に、シャドウボーダーがいとも簡単に内側から弾け飛んだ(・・・・・)

 青い大蛇が、ボーダーを、コンクリートの天井を突き抜け、立ち昇る。まさしく昇り竜だ。業火の姿をした竜は鎌首をもたげ、ぶるりと身体を震わせる。

 間違いない。

 バーサーカークラスのサーヴァント、清姫。例えどれだけの理由があっても、嘘を許しはしない愛に狂った女。

 

「ぐ、ご、ぁ、……!?」

 

 ボーダーから投げ出された藤丸は、とにかくうつ伏せになった。次いで、降り注ぐ瓦礫に身を丸くしてどうにかやり過ごす。

……不思議なことに、藤丸自身はあれほどの爆発があっても、軽傷だった。マシュが割って入る形で盾を滑り込ませたからだ。しかし、それでは不十分。

 だとすれば。

 瓦礫が落ちるのも鬱陶しいと言わんばかりに、毒に侵された身体で藤丸は立ち上がろうとする。しかし出来ない。巨大な瓦礫の下に、藤丸が埋まっていたからだ。

 その横に、マシュが墜下した。

 酷い有り様だった。

 盾で防ぎ切れなかった炎をその身体で盾の代わりとしたのか、白い肌は焼け爛れ、髪に至っては半分が焼けて皮膚が見えていた。

 胸部や腹部には、シャドウボーダーの欠片が幾数も貫いており、サーヴァントであっても死を覚悟するほどの重症だ  

 宝具、転身火生三昧は、清姫自身を炎そのものとなった竜種へ変化させるものである。それはつまり、竜種の息吹(ブレス)そのものをマシュは己の身体で受け止めたも同然。

 

「マシュ……マ、シュ……!!」

 

 必死に、左手を伸ばす。

 だが瓦礫に潰されかけている身体では、自分を守ってくれた少女の手すら握れない。その距離、たった手のひら一つ分。

 でも、届かない。

 どう足掻いても動けない。静謐のハサンの毒、清姫の業火、そして礼装が機能不全を起こしたせいで頼光に斬られた右肩がまた血が噴出し始める。

 死んでいないのが本当に不思議だった。

 いや、死ねないよう加減しているのか……そんなことはどうでもいい。欠片もどうでもいい。

 

「くそ……くそ、くそくそくそ、くそッ……!!」

 

 視界は真っ暗になっているのに、マシュの手だけはくっきりと見えていた。見えているのに、掴めない。

 こんなにも。

 こんなにも自分の無力を噛み締めたことが、果たしてあっただろうか。

 サーヴァント達の信頼は得られず。

 守ってくれた後輩の手だって、握れない。

 あの時と、瓦礫に押し潰されて死にかけた三年前と何も変わらない。むしろ今の藤丸は、三年前より酷いと言えるだろう。マシュの側にいてやることすら出来ていないのだから。

 そんな風に、藤丸が打ちひしがれていた時だ。

 

「……せん、ぱい……?」

 

 マシュが目を覚ました。藤丸は今の自分に出来る精一杯の声で、呼び掛ける。

 

「マシュ……! よかった、無事だった……!」

 

「……?……、」

 

「……マシュ……?」

 

 可笑しい。

 マシュの瞳の焦点が定まっていない。それどころか、あらぬところをきょろきょろ見たかと思えば、そのまま口をぱくぱくと動かし、それっきりだ。いつものように、あの綺麗な瞳は、吹き抜けへ変貌した駐車場を眺めている。

……まさか。

 

「……目が見えてないのか?」

 

「……、」

 

 言葉は返さなかった。

 ただ、申し訳なさそうに頷くと、口を何回か開いた。

 よくカルデアスタッフで談話していたとき、マシュが口パクで何度も自分に言っていた言葉だった。

 ご、め、ん、な、さ、い。 

 

「……!! ぐ、ぅうッ……!!!!」

 

 読み取れなくても分かる言葉だった。

 マシュはそういう人間だ。そういう子だったから、藤丸はそんなマシュが好きだった。

 例え宝具をあの距離で受けて、一人の人間を守った代わりに失明するとしても。

 その責任を感じるほど、優しい女の子なのだと。藤丸は知っていたのに。

 

「お、ぉおおおお……ッ!!」

 

 左手が拳を作り、地面を殴る。

 心が、怒りと悲しみで塗り固められていく。誰が悪いとも言えず、誰のせいにも出来ないこの悲劇に、何も解決策を提示出来ない自身の無能さだけが募っていく。

 

「マシュ……そこで、待って、て…!! 今、助ける、から……!!」

 

 だから、足掻くことだけは止められなかった。

 瓦礫は退けられない。マシュを助ける方法だってない。生きていられる傷でもない。

 それでも、動く限りは、藤丸も諦めるつもりは毛頭なかった。

 だから、

 

 

「それには及びませんよ、虫」

 

 

 ストン、と。

 マシュの心臓に位置する場所に、刀が振り下ろされたとき。

 今度こそ、藤丸立香の心は、折れた。

 

「あ…………ぁ……………………ぁ、」

 

 信じたくなかった。

 信じられるわけがなかった。

 何処かで。藤丸は、つい数十分前に、マシュが何度も死んだ光景を現実ではないと否定していた。

 あれはオティヌスがああやって、簡単に殺せるよう細工した肉人形だ、とか。姿形や声を似せていただけで。

 けれど、違った。

 

「……マシュ……? そんな、うそだ、だって、……」

 

「ええ。だから、ここで終わりです」

 

 頼光が、刀を引き抜く。確かに、心臓の部分を両断したところを見て。

 藤丸立香は絶叫した。

 声にすらならないような、情けない声だった。怒り、怯え、そして悲しみ。そのどれもが混ざったことで、いっそ滑稽とも言える声が駐車場に木霊する。

 しかし最後には、怒りが思考を染め上げる。

 

「どうしてっ、どうして殺した!!? どうしてマシュを!!? なんで!!?!」

 

「あそこまで傷ついた戦士を、生かす理由がありますか? 速やかに介錯し、痛みから解放するのが筋でしょう?」

 

「だとしても!!! マシュはっ、マシュは普通の女の子だったんだ!!!! なんで、なんでそんな風に平気で殺せるんだよ!?!? どうして!!!!」

 

 うっ、と喉の奥で痰と血が絡まり、藤丸はそれを吐き出す。自身の吐瀉物に顔が汚れるよりも、藤丸にとってはこの状況こそ何より許せなかった。

 

「それに、マシュさんだけ(・・)ではありませんよ」

 

「え……」

 

 問う暇すら与えられなかった。

 何故なら、この駐車場に次々と、死体が落ちてきたからだ。

 その死体達には見覚えがある。

 蝶をあしらった外套、義手のついた銀鎧、赤い軍服。それ以外にも沢山、死体が落とされ、魔力へと還る。

 全員、藤丸立香を守ろうとして散った、サーヴァント達だった。 

 

「……なん、で……」

 

 最早、怒鳴る気力すら振り絞れなかった。

 心が砕けて、欠片すら溝に落ちて何処か消えていってしまう。 

 なのに頼光はあくまで律儀に、藤丸の問いに答える。

 

「偽物に与したサーヴァントは、生き残らせても今後同じように本物のマスターを襲うかもしれませんので……逆臣は誅殺する、戦においては当たり前のことです」

 

「……、」

 

 こんな。

 こんな風に、いとも容易く切って捨てられてしまえるほど、サーヴァント達は軽い関係だったのか。

 すべてのサーヴァントが、カルデアで幸せだったなんて、藤丸も思い上がってはいない。

 だけど、それでも藤丸は思っていたのだ。

 この数年できっと、サーヴァント達の間にも絆は生まれていたと。

 世界を救った、あの流星雨のように、ずっと……カルデアにいる限り、争ったりなんてしないと。

 なのに、これはなんだ?

 だったら……あの三年間は、これまでの戦いはなんだったのだ?

 

「では、お覚悟を。牛のように悲鳴をあげて死ぬのも一興でしょう?」

 

 頼光が刀を振り上げ、頂点に達する。

 誰かいないのか。

 みんなを助けてくれるサーヴァントは、誰か、 

 

 

「まだそんなものにすがっているのか、殊勝なことだな」

 

 

 気付けば。

 周囲の時間が止まっていた。

 そしてやはり、誰にも認識されない魔神オティヌスは、藤丸が埋まっている瓦礫の上に、腰かけていた。

 

「どうしてこんなことになったか、正解を教えてやろう。簡単な話だ。

 

ーーお前に、マスターとしての資格ってヤツがまるでないからだよ」

 

 あくまで、それは確認だったのだろう。

 オティヌスは特に感傷もなく、

 

「本物か偽物? どちらの記憶も同じで差異はない? おいおい、仮にも二年もの月日をかけて世界を救った上に、何百と英霊を率いたマスターなんだろうお前は? そのお前を見て、今更偽物か本物か疑ってかかるほど英霊達が耄碌していたと思うか?」

 

 言葉の一つ一つが、呪いや凶器よりも鋭利に、ねちっこく、藤丸の心を蝕む。

 

「結局、お前の役目など誰でもよかった」

 

……そんなことは、ずっと前から分かっている。

 人類最後のマスターだと、選ばれたときから。

 そんなことは、何度も何度も考えてきたことなのに。

 こんなときに限って。

 その問いは、心をぐちゃぐちゃに犯していく。

 

「そこら辺の老人でも、そこら辺の小学生でも。何ならクリプターとやらでも。お前のやってきたことは、誰がやっても変わらない、その程度の些末事だよ。確かに多少の数は合わないかもしれんが……その程度だ。お前がやってもやらなくても、世界を救ったという事実さえあれば、そこに誰が座っていようと同じ結果になっただろうさ」

 

 なあ、と。

 オティヌスは素足で藤丸の頭を踏みつけながら、問いかける。

 

「まだすがるのか、こんなものに?」

 

「……、」

 

「お前は幾度の奇跡を手にし、世界を救ったのかもしれん。そして、その中でかけがえのない何かをもらったことだってあっただろう。だが、現実はこんなものだよ。お前自身を助けようとする英霊が居ても、お前は結局救われない。それに、覚えがないとは言わせんよ」

 

 確かに。

 オティヌスの言う通り、それには覚えがあった。

 思えば藤丸立香の戦いとは、そういった屍を踏み越えるだけのことだった。

 怪物を押し返す力も。誰かを癒す魔術もない。人を動かせる言葉だって、持っていない。

 だから、藤丸はいつも、歩くことだけは辞めなかった。 

 心を無にしたいと、そう思ったことが何度もある。けれどそんなことは許されず、誰かが屍と化する場面を何度も見てきた。

 時間神殿のときも、カルデアが凍結されたときも。

 それが分かっているから、オティヌスは問いを投げる。

 

「……結局、お前はこれからもそれを続けるよ。だとしたら、それは質の悪い感染病のように広がる。お前の役割は、誰にだって押し付けられる程度のものだ。なら、それのために死ぬことが、本当に意味がある(・・・・・)と思うのか?」

 

……何故か。

 その言葉だけは、それまでの言葉と違って、少年の心に一つの感情を生まれさせた。

 それは違う、と。

 

「……あるよ」

 

「……なに?」

 

「意味なら、あるよ」

 

 瓦礫から這い出ることも。

 毒を癒すことも。

 失った右腕を取り戻すことも。

 目の前で死んでいくサーヴァント達を止めることも、藤丸立香には叶わない。

 それでも。

 藤丸はそんな現実から、一歩も逃げない。

 

「例え、どれだけ無意味に死んだって。例え、どれだけ悲劇的に奪われたって。それでも、俺は、それにすがっていたいんだよ」

 

 今の藤丸には、そうやって進むことしか出来ない。それは確かに、見方によっては、更に悲劇を加速させている要因だったのかもしれない。

 だけど、そこに意味がないと言うのは、あんまりだろう。

 そんな、そんなにも救われないことが、この世にあって良いわけがないだろう。

 意味ならある。

 託して、託されて。そうやって繋いだ願いの先でいつか、花開くものがきっとある。

 藤丸は、その末で起こった奇跡を、実際に知っている。

……夜が明けた雪山で。満天の青空を眺めた、あの世界で最も尊い色彩を。

 

「だから、俺は決めた」

 

 悲劇では終わらせない。

 全てが滅ぶと分かっていても。

 こんな形で、この世界を終わらせたりはしない。

 

「この世界を壊すことになっても、俺はお前を止める。こんな残酷なことが罷り通るお前の支配を、絶対に、このままになんてしない……!!」

 

 何も、誰かのために立ち上がる資格は、英霊だけが持っているわけじゃない。

 力が無くたって。

 それは違うと、そう言えるだけの意志があるのなら。

 人は、それだけで英雄(ヒーロー)になれるのだから。

 

「……なるほど」

 

 気付けば、オティヌスは藤丸の目の前で屈んでいた。

 あくまで憎むべき敵……というよりは、動かなくなったピエロを見るように。

 

「普通の人間が世界を救うと、こういう風に精神に歪むわけか。なるほど、これは驚いた。これほどの悲劇を見てまだ意味を見出だせるとは、中々興味深い」

 

 オティヌスは。

 笑っていた。

 まるで解剖した死体に、未発見の細胞でも見つけた科学者のように。

 知的生命体の負の感情を凝縮した、黒い笑みを。

 

「良いだろう。では、次の世界を見せるとするか」

 

「……な、に?」

 

「何を驚く、耐久実験は回数が必要だろうに。これで折れないのであれば、方向性を変えるのが当たり前だ。お前の性質は大体分かった、馬鹿馬鹿しくて余りに面倒だが、人間のためにフィルターを一枚差し替えるとしよう」

 

 オティヌスはそう言うと、くるりとステップを踏んで、指を鳴らした。

 そして。

 源頼光の刀は、余りに呆気なく、藤丸立香の首を斬り落とした。

 

 

 

 





Version Alpha世界

藤丸立香をマスターとして信じられるか否か、それで敵味方に割り振られる世界。この世界のサーヴァントは汎人類史のマスター、つまりこの作品の主人公である藤丸立香の記憶があるのだが、そんな彼を『マスターとしてふさわしくない』と思った瞬間、本来の藤丸立香を偽物とみなし、完璧な藤丸立香(女)という虚像を思い描き、本物とみなしてしまう。また、マスターにふさわしいかどうかは個々人で基準は違っている。

オティヌスが変えた位相は『藤丸立香がマスターにふさわしいか』、ただそれだけである。


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崩れ脈動する世界 Version_Beta

 そして、藤丸立香は目を覚ました。

 

「……?」

 

 やや気だるい体を起こすと、そこは白一色の部屋だった。

 清潔というより、消毒とか殺菌などの意味合いが強そうな、白塗りの内装。幾つかあるベッドに、薬品の瓶が詰まった棚、何かの書類が挟まってそのままのバインダーがデスクに転がっている。

 ここのことは覚えている。今は亡き、カルデアのそれだ。どうやら藤丸は、その医務室で眠りこけてしまっていたらしい。

 ぼやけていた頭がはっきりしてくると、寝汗でもかいたのか、じっとり湿った下着が気持ち悪くて襟を引っ張る。

 心臓どころか、体そのものがまるで呻くように、どくんどくんと脈打っていた。冷えていた手足には血が通い、急に上体を起こしたからか、目眩までしている。

 落ち着くまでたっぷり数十秒ほど要した。

 ゆっくりと、藤丸は意識を失う前の出来事を思い出す。

 思い出せるのは、刀、死、首、毒、そして断頭……という言葉が頭を過って、喉の奥から熱い何かがせり上がる。

 深呼吸……深呼吸だ。意識と心がまるで剥離しているかのようだが、それでも藤丸は堪える。

……改めて。藤丸は、自身に起きた出来事を確認し始めた。

 とりあえず、藤丸立香は死んだ。

 源頼光の一太刀により、首を切断されたわけで、まあまずサーヴァントであっても死ぬだろう。

 しかし藤丸はこうして、前後の記憶もしっかりした状態で生きている。首は繋がっているし、右腕も令呪も問題ない。毒の影響も無さそうだ。

……夢、だったのだろうか?

 そんなわけがない、と思う自分と、そうであってほしいと思う自分が、藤丸の中では存在している。

 オティヌスの目論見を止めると啖呵を切ったが、結局藤丸はただの人間だ。たった一回、だが人一人の人生を軽く奪ったあの悲劇で、藤丸はズタズタになりかけていた。

 体でも、心でもない。

 もっと奥深くの、魂とも言える部分が、根こそぎ切り落とされたのだ。

……オティヌスは言っていた。

 次の世界で、と。

 ならば、ここは恐らくまだあのオティヌスの作った……。

 

 

「あ、先輩。起きたんですね」

 

 

 びくん、と肩が跳ねる。

 恐る恐る藤丸が真横を見た。そこには眼鏡をかけたマシュが、パイプ椅子に座っていた。

 

「急に倒れてしまったので、何かあったのではないかとメディカルチェックを行いました。が、ダ・ヴィンチちゃん曰く、ただの熱だろうと……先輩? 俯いていますが、やはり気分が優れませんか……?」

 

 なんでもないと藤丸は返す。

 マシュの顔を、正面から見れなかった。視線を合わせることすら、今の藤丸にはそんな資格が無いような気がした。

……一つ前の世界では、マシュを助けられなかった。あんなに近くに居たのに、瓦礫に押し潰されそうになっていた、なんて、不甲斐ない理由で手が届かなかった。

 それは、どうしようもないなんて、都合の良い言葉で済ませて良いことじゃない。

 たった一人、この人だけはと思った相手を、守れなかった。それは、力が有る無し関係なく、許容していいことではない。

 だからこそ。

 今度は助ける。

 どうやってなんて考えても仕方がない。

 あんな死に方だけは、絶対に許すわけにはいかない。

 

「とにかく今日は、お休みになられてください。明日には査問団がこちらに着きますし、一日くらいゆっくり休息を取るのもよろしいかと」

 

 いいや、と藤丸は首を振る。

 受け身になれば、オティヌスの思う壺だ。ならばこちらからその渦中に飛び込み、解決するしかない。

……って、査問団……?

 

「ええ。明日にはこのカルデアの新所長と、国連からの査問団が来られるハズです。それを考えれば、今日はお休みになられた方が明日のためになるかと思いますよ」

 

 

 

 

 国連からの査問団。

 そして、やや騒がしいカルデア。

 その二つが符合する時間と言えば、まさに一年前。クリプターによって地球が漂白される直前のこと。

 つまり、十二月二十五日。

 クリスマス当日である。

 

「そんな日に熱を出すだなんて、キミもまだまだ子供だねえ。はいりんご」

 

 しゃりしゃりと皮を剥いたりんごを底の深い皿に乗せると、赤毛の女性ーーブーディカはこちらへ差し出してきた。藤丸はとりあえず礼を言うと、爪楊枝を刺してりんごを頬張る。

 クリスマス当日と言っても、この時間なら確か、シュメル熱による騒動でカルデアはクリスマスだのなんだの言える状況では無かった気がするが、これもオティヌスの改変の仕業か。

 ともあれ今は倒れた(恐らく死んで蘇生した)藤丸を心配して、サーヴァント達が代わりばんこにお見舞いへ来てくれていた。

 

「全くだよ。君という奴は、大魔女である私と一緒に聖夜を楽しむという大役をあげたっていうのに、こんなしみったれた場所で看病をさせるとはね? ふふん、勿論君とならそんな聖夜も歓迎サ☆」

 

 そんなことを言いつつ、ほかほかの麦粥(無論キュケでオーンなキュケオーン)が入ったお椀を、りんごの上に重ねるキルケー。何だかヒートアップして羽をばっさばっさと広げているが、りんご食べてるのに米はほんとにやめてほしいと思う藤丸である。

 

「そういうの、あたしらみたいなのが居ないところでやってくれないと、凄い居たたまれないんだけど……」

 

「おいおい、確かにマスターは君のような豊満な女性の方が好みかもしれないが、そんなこたぁどうでも良いと思うんだよ。何せほら、聖夜に一緒の部屋にいるんだぜ!? やばくね!? これもう結婚してんじゃね!?」

 

「確かにやばいな。我々も同伴させてもらっているが、君と彼は何も進展していないように見えるが?」

 

 キルケーがうっ、と口をひくつかせて横目で睨む。そこにはカルデアが誇る生活指導担当、もとい調理場担当、もとい弓兵のエミヤが背中を預けていた。

 彼は腕を組み、いつものように憎まれ口と少しの事実をキルケーに叩き込む。

 

「消化のいい粥を選んだまではよかったが、直前までりんごを口にしていた病人に出すとはどういう神経をしているのかね? 君は何か、食べ合わせや順番というものを気にしない輩だと? それと一人で病室で入ろうとせず私達を誘ってもしも会話が失敗したときの保険に使うのは流石にどうかと思うが?」

 

「うるさいなぁ!? そういう君はなんだ! ちょっとダウナーな大人を気取ってるけど、さっきから濡れタオルだの枕変えたりするのは振る舞い的に完璧に母親だろ!? なんだその包容力、その胸の筋肉を叩いて脂肪にしてから私にも分けろバカ!!」

 

「女性の好みはマスターのことだから何とも言えないが、そもそもこういう気遣いは病人相手に当然の処置だろう。ああそうだマスター、喉が痛むのならのど飴を舐めるといい。何味を食べたい気分か言ってくれれば取ってこよう」

 

「そういうとこだぞこのガチムチ主婦!!!」

 

 はいはい落ち着いて、とキルケーを宥めるブーディカ。一応この大魔女、年代的にはブーディカの何倍もお姉さんなのだが、手をぶんぶん振り回す姿は全くそんな風には見えない。

 頂いたものは仕方ないので藤丸がキュケオーンにも口をつけようと、皿を受け取る。が、何故かスプーンがない。何処にあったかと探すと、キルケーがすっとスプーンを取り出すなり、左右に振り子のように動かす。

 

「ほぅら、私がよそってあげよう。しょうがないからねえ、何せ病人だしほら? やはりここは私が食べさせるという手段しか存在しないと思うんだようん。間違ってせっかくのキュケオーンを落としたら大変だしね、主に私の愛とか薬とか」

 

 なんか今変なこと言わなかったかこやつ。

 

「油断も隙もないとはこのことかあ……弓兵さん、お願い」

 

「了承した……マスター」

 

 何やらジェスチャーをするエミヤ。藤丸がその指示に従う前に、彼はキュケオーンの入ったトレイをかっさらうと、ついでに大魔女の襟首を引っ掴んで医務室から出ていく。

 

「おぉい!? なんで私を引き摺るんだよ!? というかお見舞いのキュケオーンまで持ってくことないだろ!? 私謹製の霊薬たっぷりなんだぞ、活力魔力精力バッチシなんだぞ!?」

 

「たわけ。病人にそんなものを食べさせるな。そもそもマスターはただの熱だぞ、そんな暗殺者に毒を盛られたわけでもないし、本人の回復力を信じるという判断を出来ないのか君は?」

 

「そんなことしてピグレットの首がいきなり飛んだらどうする君は責任取れるんですかお母さん!!?!?」

 

「誰がお母さんだこの年増女(まじょ)

 

 あァ!!?!?、という怒鳴り声が外から聞こえるが、ひとまず無視する。

 というより……聞きたくない。

 いつ牙を剥かれるか、誰に剥かれるか分からないこの世界で、サーヴァント達はその立ち位置一つで藤丸の命運を握る。

 場合によっては、マシュの命すらも。

 だとすれば彼らのことを疑ってかかるべきだが……あんな風にいつもの彼らを見ていると、裏切るわけがないと思ってしまう。

 だから、藤丸は目を見て話せない。

 染み付いた恐怖が、張り付いた疑念がいつまでも纏わりついているから。

 と、

 

「何か心配事?」

 

 ブーディカがそう言った。

 藤丸は首を振ってそれに答える。ここで何を話しても、意味はない。

 

「嘘。書いてあるよ顔に、辛いことがあったって。あたしでよければ話してみない?」

 

 そういえば。

 こうやって言われたことは、元の世界でも何度もあったか。

 ブーディカだけではない。世話焼きな英霊達は落ち込む藤丸に対して、何度も相談してほしいと言ってきたのをそう覚えている。

 だけど決まって、藤丸はこう言ってきた。

 いいや、と。

 みんなには最前線で頑張ってもらってるから、これ以上迷惑はかけられないよ、と。

 

「うーん……いやでもさ、何か大変なことがあったんじゃないかな? 倒れたのは熱だけじゃないと思うな、あたし」

 

 違う。

 自分の悩みなど、結局この世界でも、元の世界でもちっぽけなものだ。自分だけが助かりたいという、浅ましい願いだけで他人の願いを踏みにじってきた、臆病者の悩みだ。

 そんなことより、世界のために戦う英霊達の願いの方がよっぽど重要で、より多くを聞いてあげないといけない。

……だけど今の藤丸が、それをしたってどうにもならないのも、また事実だ。 

 何より、ブーディカ達サーヴァントに心を許すことが、まだ出来ない。

 結局の話それなのだ。信じられない。裏切られるのが怖い。

 

「話したくない、か……ん、分かった。そこはマシュに任せようかなじゃあ。お見舞いも沢山来てるトコだし、あんまり独占するのもね?」

 

 つい、と指を扉の方へ向けるブーディカ。そこには、少しだけ扉を開けてその隙間からこちらを覗くサーヴァント達がちらほら。

 

「ほら君達、そんなところで見てるだけじゃマスターが余計に気になるでしょ? 入ってきなよ?」

 

 いやぁ、と頭を掻いておずとずと入ってきたのは、まず無頼の侠客ーー燕青だった。彼はにへらと相好を崩しつつ、

 

「いやあ……その……ブーディカの姐さんとかの看病を見てると、俺みたいな暗殺者とかはお邪魔じゃないかなー、とか」

 

「ええ。我が同盟者のため、ここは人肌脱ごうと勇んできましたが……あの赤い弓兵やあなたのようには、我々には無理ですし……包容力的な意味でも……」

 

 エキゾチックな衣装に身を包みつつ、もじもじしているのはニトクリスだ。彼女も燕青と同じようで、兎なんだか狐なんだかの耳を頼りなく揺らしている。

 そしてまたその隣には、白いドレスのバーサク系少女、フランがきょろきょろと藤丸の様子を見ている。

 

「う、……あ……?」

 

「大丈夫だよ、フランちゃん。ただの熱だからね。でもまあ、確かにあたしだけずっとここにいるってわけにもいかないし……あとはみんなに任せようかな」

 

 た、大役を任されてしまった……!みたいな顔であわわわ、と慌て始める燕青とニトクリス、そして側にあった梨を握り潰してジュースを作り始めるフラン。この時点で何となくフライングしている辺り、やっぱりこのサイボーグ花嫁は狂化のランクが低いなあと思う藤丸。

 と、三人に看病を委託したブーディカは、去り際にこんなことを言った。

 

「ねえマスター、君は自分のことを普通だって卑下するかもしれないけどさ」

 

 短くない期間、共に人類史を駆け回った彼女は、

 

 

「でも忘れちゃいけないよ。どんな逆境に立たされても、期待されてもーー君は、一人の人間だってこと」

 

 

 分かりきったことを、改めて告げた。

 

 

 

 

 

 結局、その後もサーヴァント達の訪問の足は途絶えず、藤丸は医務室に留まってしまっていた。マシュが止めに入らなければ、恐らく夜になった今もサーヴァント達にもみくちゃにされていたことだろう。

……こんなことをしている場合じゃないのに、と思いつつも、サーヴァント達の心配する顔を見ると、ついつい抜け出すことが出来なかった。仮に抜け出しても、病人と診断されているので、誰かに見つかれば即ここまで連れ戻されてしまうだろう。

 結局夜まで待たねばならなかったが、藤丸はようやく一人になれた。ここがカルデアなら、汎人類史のカルデアと連絡する手段があるかもしれない。

 一人で無理なら、やはり仲間を頼る。望み薄かもしれないし、オティヌスもそれくらいは読んでいるだろう。

 だが、それが動かない理由にはならない。

 

「……」

 

 藤丸は懐中電灯を手にすると、廊下に出た。

 廊下は医務室と同じく、真っ白な内装だが、それを塗り替えるかのように、きらびやかな飾り付けがあちこちに残っていた。クリスマス当日ならば当たり前か。明かりの消えた中でも、モールやツリーがあるだけで、こうも印象が違って見えるのか、と藤丸は懐中電灯をかざす。

……一年前もそうだったなあ、と改めて回想する。あのときはクリスマスの飾りつけを見ている余裕なんてなかった。サーヴァント達が全て退去すると知っていて、クリスマスを楽しめるほどの余裕がなかったのだ。

 これからどうなるのだろう。

 スタッフは、マシュやダ・ヴィンチは、カルデアそのものはどうなってしまうのか。

 未来が怖いわけじゃない。

 英霊達が守ってくれた世界を、本当に守れるのか。

 あの失うものが多過ぎた旅は……無駄になったりしないのだろうか?

 その自信が、なかっただけのこと。

 結局、藤丸は何も守れなかった。

 居場所も、世界も。

 出来たのは無様に走り回って、死んでいく誰かの手を握り、そうして生きようと背を向けただけ。

 そうしていつものように、ただの女の子の背中に隠れて、傷ついているときも死地に飛び込ませた。

……何が人類最後のマスターなのだろう。こんなこと、確かに誰にだって出来る。それこそ性別が逆でも。むしろマシュに女友達が出来て、よりスムーズに人理焼却を覆せたかもしれない。

 けれど。

 そんなもしもに騙されるなら、とっくにあの獣の国で、藤丸立香は撃ち殺されていた。

 

ーー俺は、お前を、許さねえ。

 

 分かっていても、止まれないのは。

 そんな怨嗟に似た声が、魂に溶け込んでいるからなのだろう。

 その声を聞いただけで、背筋が伸びる。止まるな、走り続けろとーーそんな風に背中を押してくれている気がした。

 無論、それで自分がこのままで良いとも思ってはいない。強くならなければいけないし、劇的に変わることだって今後無いだろう。

 だからと言って、こんなことに屈するわけにもいかない。

 そうしたら本当に、託された意味がなくなってしまう。託されたのはきっと、藤丸立香が前へ、未来へ進むと信じてくれたからだ。

 だったら、応えなければ。

 そう信じてくれた人々のために、偉大な先達が伝えたかった願いを、繋げたい祈りを胸に。

 藤丸立香は、走り続ける義務がある。

……だけど。

 ふと、藤丸の脳裏には、とある記憶が過った。

 

ーーなぜ貴様は戦う! なぜ我々(わたし)に屈しない! なぜ、なぜ、なぜここまで戦えたのかを!!

 

 それは、忘れもしない問いかけ。

 人の一生など無価値だと、絶望と憎悪に塗りたくられた物語なのだと断言し。それはきっとこれからも変わらないと知りつつも、覆る滅びに納得出来ず、思わず問いかけれたことがある。

 そこで、はて、と藤丸は足を止めた。

 何と答えたのか、とんと思い出せないのだ。絶対に忘れてはいけない、大事なことだったと記憶しているのに、藤丸の記憶は靄がかったように思い出せない。

 一度殺されたからか。それとも藤丸の中で、何かが変質したからなのか。

…………大事な答えなら、この世界から出た後で、思い出せるだろう。今は多分、精神的に疲れているだけだ。きちんと休めば思い出せる。その、はずだ。

 そう思って、藤丸が窓へ懐中電灯を向けたときだ。

 窓の外。何か、黒い鳥の群れ……のようなものが、見えた。

 

「…………」

 

 懐中電灯を握る手が、ぶるりと震える。

 そんなわけがない。

 本来なら、来るとしてもあと半日後のはずだ。そして仮に来ても、彼らが行動を起こすのはもっと後。

 だから、心の準備が出来ていなかった。

 サーヴァント達との触れ合いが、藤丸の緊張感を解いてしまった。

 足が、すくんで動かない。動かなきゃいけないことは分かっている。だがこれは、単にすくんでいるわけじゃない。知っているのだ、心が受けた痛みを。覚えているのだ、大切なものを亡くした恐怖を。二度目が来ると、また何も守れないぞ、と現実が囁いてきて、頭の奥が痺れていく。

 心が砕けてしまいそうだった。

 逃げ出さなかっただけ、褒められることだ。

 だからだろう。

 手にもった懐中電灯が、ごとん、と床に滑り落ちた。

 

「…………、」

 

 まるで音に反応した、烏のようだった。音なんて、外も大雪で聞こえないだろうに、人外じみた聴力で、黒い群れは藤丸へとぐりん!、と振り返り。

 窓ガラスを叩き割り、中へ押し入った。

 さながらゴミ袋へ群がるようだった。

 ガスマスクのような、鳥の嘴を模した仮面に、ダッフルコートと、全てが黒で統一されたシルエット。それだけで不気味なのに、手にはボウガンと手鎌と、猟奇的な印象を更にもたせる。

 殺戮猟兵(オプリチニキ)

 かつてカルデアを壊滅にまで追い込んだ、皇帝(ツァーリ)直属の狩人が、再び藤丸の前に現れた。

 

 

 

 

 



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2

 走れ、と脳の中で信号が弾けた。

 腕が跳ねるように宙を掻いて、遅れて足も動き出す。もつれるような形でも関係ない。とにかく背を向けて、逃げ出す。

 がっ、と投擲された鉈が数本、壁に刺さる。それに振り返る暇すらなく藤丸は暗闇をもがく。

 ばたばた、と翼のように視界の端ではためく黒衣が煩わしい。それがチリチリと、まるで機械仕掛けのオルゴールみたいに記憶のゼンマイを回転させる。

 

ーー我らの異聞帯は酷薄にして極寒。

 

 思い出す。

 

ーー失礼、隙だらけだったのでね。つい、手癖で心臓を貫いてしまった。

 

 思い出す。

 

ーーいいや、キミたちなら出来るとも! だって、私はそういう人間だから手を貸したんだ!

 

 思い出して。

 恐怖よりもなお強く、繰り返させてたまるか、という思いが上回った。

 

「!!」

 

 がん、と壁に拳を叩きつける。そこには隔壁を下ろす非常用のスイッチがあり、藤丸のような一般人でも硝子を叩き割れた。

 まるでギロチンのように落ちた厚い壁は、殺戮猟兵(オプリチニキ)の侵攻を押し止める。向こうで幾つもの激突があり、くぐもった音が藤丸の耳にまで届く。

 しかし彼らはイヴァン雷帝によって産み出された、自立型の宝具だ。一人一人はともかく、こんな壁ではすぐに破られることは明白だった。

……あのとき。藤丸は、何もかもしてやられっぱなしだった。奪われ、奪われて、奪われ尽くされた。大切なもの全てを引き換えに、生き残った。

 だけど、今は違う。

 来ることが分かってるなら、対策だって取れる。咄嗟に逃げ出してしまったが、今のカルデアにはまだ、サーヴァントがいるーー!

 

「!!」

 

 右手の令呪を起動し、一画を消費。コマンドを受けた魔力がカルデア全体に行き渡り、そうしてサーヴァントが、

 

「……?」

 

 可笑しい。

 確かに令呪は使ったはずだ。いかに本来のそれとは違うカルデアの令呪であっても、一画に秘められた魔力は相当なもの。それを使えば、少なくともキャスタークラスかそれに類するサーヴァントが異変に気付き、何らかの干渉をしてくるはずだ。

 なのにいくら待っても、何も起こらない。令呪はただ、藤丸の契約したサーヴァントに向けられて放出しただけ。それ以上の変化はない。

 

「……!?」

 

 いつもだったら言われなくても出てくるのに、どうしてこんなときだけうんともすんとも言わないのか。

 そうなると一体、令呪は誰に作用したのか。

 答えは、どさ、という音で伝えられた。

 

「先、輩……」

 

 息を切らしながら、壁に手をついて現れたのは、マシュだった。しかし彼女の様子が変だ。いつもの戦闘服姿だが、熱に浮かされたように、芯が伴っていない。手に持っている円卓を引きずり、髪に隠れていない瞳は苦しげで、片手は胸を押さえている。

 慌てて肩を貸すと、彼女は申し訳なさげに、

 

「すみま、せん……デミ、サーヴァント、として……一年は、戦って……なかった、もの、ですから……」

 

 そうだ。この頃のマシュは、時間神殿を経て、魔術回路が停止した状態だった。ギャラハッドが抜けたことにより、霊基そのものが錆び付いてしまっていた。

 藤丸の令呪は、そんなマシュの霊基を無理矢理にでも励起させてしまったのだろう。あのときも同じことをやったが、今回は令呪のコマンドが違う。その差異もあって、上手くシールダーとして戻れていないのか。

 

「……せん、ぱい……にげて、ください……追手が、きて、います」

 

 空気の抜ける音と共に、背後の隔壁を貫いたのは、殺戮猟兵達のボウガンだった。まるでドリルのように開けた穴を、黒い鎌がねじ込まれ、鍵でも開けるかのごとく隔壁が曲がっていく。

 猶予はない。

 

「あ、……!」

 

 マシュを抱き抱えると、術式を起動。身体能力を強化させつつ、残りの魔力で回復魔術をかけ、藤丸は逃げ始める。円卓の盾ががらん、と地面に転がった瞬間、ついに隔壁が突破され、殺戮猟兵達が雪崩れ込む。

 三歩進んで、まず右腕にボウガンが掠めた。矢は容易く礼装を引き裂き、決して少なくない肉片と血が白い床に飛び散る。

 五歩目で左足の太股に鉈が刺さり、膝が笑った。しかし両腕の重みを途端に思い出し、笑いそうになった膝がかろうじて、耐えた。

 この重みだけは、決して離しちゃいけないのだと、体が吠える。

 

「だめ、です……! 私を、抱えていて、は……!」

 

 うるさい。

 見捨てられるわけがない。置いていけるわけがない。

 もう沢山だ、そんなもの。誰かに託されるのはいい。だけど、そんなことをして許されるのは少なくともマシュではない。彼女から託されるのだけは、真っ平だ。二度とごめんだ。

 原点を思い出せ、藤丸立香。

 誰かを助けることも出来ずに、手を握ってやることしか出来なかった、ひ弱な自分を。

 それを、どうにかしたいと思いながらも、とうとう自分の力では何一つ成し遂げられなかったことを。

 だから、今がそのときだ。

 今やらなきゃ、また。

 なのに。

 

「あ、」

 

 まるで嘲笑うかのように。余りにもあっさりと、殺戮猟兵の一人が追い付き、藤丸の脇腹に鎌を差し込んだ。

 ぐい、と腹に食いかかった鎌は、さながら野菜でも切るかのように藤丸の臓器を切り捨て、ずる、と溢れてはいけないものが落ちていく。

 

「、づ」

 

 今度こそ止まることはなかった。

 糸が切れたように、藤丸の体から力が抜け、倒れる。抱えていたマシュが頭から落ちていたことに気付いたのは、自分が横倒しになったときだった。

 確実に、命を続ける機能が削がれていた。

 

「……、」

 

 声を出すことすら出来ない。まともに口を開けられない。生命維持のために魔術礼装が臨界まで動くが、それではどうあっても足りない。

 だから、何も出来ない。

 マシュが不安そうに、こちらを案じていることも。そうやって振りかかる鎌から、死の恐怖から逃げようとしてることも、どうすることも、藤丸には出来ない。

 

「……ッ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……!!」

 

 無様に絶叫し、薄く笑う後輩の死に顔を見て。

 そして。

 ぶつり、と。

 何かテレビのチャンネルが変わるような、そんな劇的な変化が、起きた。

 

「あ、先輩。起きたのですね」

 

 一面に広がる白い景色。ベッドの上で起きた自分、側にはパイプ椅子に座ったマシュ。

……何もかも夢であったと思うには、少々この景色には見覚えがあり過ぎた。

 

「急に倒れてしまったので、何かあったのではないかとメディカルチェックを行いました。が、ダ・ヴィンチちゃん曰く、ただの熱だろうと……」

 

 その心配も、聞き覚えがあった。今朝、確かにマシュは同じ文言を口にしていた……ハズだ。記憶が正しければ。

 頭の奥がズキズキと痛む。もし先程のあの逃避行が現実なら、マシュは死に、自分も恐らく死んだのだ。しかしそれを知覚しているのは、恐らく藤丸本人だけ。そして気付けば時間は今朝まで戻っている。

……時間が戻っている、と言えば聞こえは良い。だが不明瞭な点が多い。

 

(……どうしてオティヌスはこんなことをする必要がある? 俺の心を折りたいなら、わざわざマシュを助けるチャンスを何度も作る必要なんて何処にも……)

 

……いや、それこそが狙いなのかもしれない。わざわざ目の前で何度も殺すことで、こちらの心を折ろうという作戦なのだろう。

 しかし、皮肉なことにこちらだって、同じ衝撃を与えられれば、それなりに慣れる。今だって、まだ頭の奥は痛みこそすれど、それだけだ。問題ない、動ける。まだ根を上げるには早い。

 

「先輩? 俯いていますが、やはり気分が優れませんか……?」

 

 なんでもない、と藤丸が返す。するとマシュは、やはり同じように、

 

「とにかく今日は、お休みになられてください。明日には査問団がこちらに着きますし、一日くらいゆっくり休息を取るのもよろしいかと」

 

 続く言葉も変わらない。藤丸は適当に聞き流し、思考に耽る。

 何度も何度も同じ手を食らうと思ったら大間違いだってことを、オティヌスに見せつけるチャンスだ。藤丸だって、こうまでされて黙ってはいられない。

 そうと決まれば殺戮猟兵のことをダ・ヴィンチや、サーヴァント達に伝えるのが先だろう。マシュに伝えておくのも忘れてはいけないと、藤丸は口を開く。

 

「あのさ、マシュ。実はその……信じてもらえないかもしれないけど、」

 

「ではお大事に、先輩。もしも何かあれば、あなたのデミサーヴァントであるマシュ・キリエライトに一報を。すぐ駆け付けますので!」

 

 が。何故かマシュは遮る形で捲し立て、そそくさと医務室から出ていってしまった。

……そんなに忙しかったのだろうか? いや、今のマシュは何というか、らしくない。常時なら言葉が被れば、慌てて謝ってこちらを促すくらい、礼儀正しく、そして何より優しく接してくれる。そんなマシュが、自分の言葉を押し退けてでも押し通した?

 

「……、」

 

 何か。

 何か重大な、見落としをしている。

 なのに、それが分からない。今の藤丸では、それがどういうものかまでは掴めない。

 喉まで出かかっているのに、それを認めてしまえば、どうにかなってしまうとでも言わんばかりに、心がざらついている。

 

「おぉーいピグレットぉ! 大丈夫かぁい!?」

 

 ばん、とドアを開けるのもまどろっこしいと入ってきたのは、キルケーだった。続いてバスケットをもったブーディカ、エミヤが医務室へ入ってくる。

 

「全く君って奴は、根を詰めすぎてはいけないってあれだけ言ったろう? キュケオーンも結局食べてくれないし、そりゃあ健康的な君だって倒れるさ、うんうん」

 

「そう言いながら、嬉しそうな顔で病人の前に現れるものではないと思うがね。面白半分で看病するというなら、こちらとてそれ相応の対応をせねばならないが?」

 

「まあまあ弓兵さん。心配だからみんな来たんだし、そう邪険に扱わなくてもいいんじゃない?」

 

 あ、包丁借りるね、とバスケットから出したリンゴを切り分けるブーディカ。そして、気味が悪いくらい三人は朝の再現をし始める。

 

「全くだよ。君という奴は、大魔女である私と一緒に聖夜を楽しむという大役をあげたっていうのに、こんなしみったれた場所で看病をさせるとはね? ふふん、勿論君とならそんな聖夜も歓迎サ☆」

 

「そういうの、あたしらみたいなのが居ないところでやってくれないと、凄い居たたまれないんだけど……」

 

「おいおい、確かにマスターは君のような豊満な女性の方が好みかもしれないが、そんなこたぁどうでも良いと思うんだよ。何せほら、聖夜に一緒の部屋にいるんだぜ!? やばくね!? これもう結婚してんじゃね!?」

 

「確かにやばいな。我々も同伴させてもらっているが、君と彼は何も進展していないように見えるが?」

 

 各々、三者三様に喋る三人。藤丸のことなど置いてけぼりにするかのようなマシンガントークは、カルデアでは何ら珍しいことではないというのに、何故か藤丸の中で焦燥感が湧き上がる。

 

「……キルケー?」

 

「ほぅら、私がよそってあげよう。しょうがないからねえ、何せ病人だしほら? やはりここは私が食べさせるという手段しか存在しないと思うんだようん」

 

 キルケーは、藤丸の声に反応しない。目の前にいるにも関わらず、そんなものは知らないと、今朝と同じ言葉しか喋らない。

 

「間違ってせっかくのキュケオーンを落としたら大変だしね、主に私の愛とか薬とか」

 

「……、」

 

……まさか。藤丸は生まれた疑念を晴らすべく、キルケーの肩を掴み、揺さぶった。

 普段ならこんなことをすれば、キルケーは赤面し、何らかのアクションを起こす。

 しかし彼女は、そんなことは気にしない。スプーンを振り続ける。

 そして動いたのは、やはりエミヤが藤丸から皿をかっさらってからだった。

 

「おぉい!? なんで私を引き摺るんだよ!? というかお見舞いのキュケオーンまで持ってくことないだろ!? 私謹製の霊薬たっぷりなんだぞ、活力魔力精力バッチシなんだぞ!?」

 

「たわけ。病人にそんなものを食べさせるな。そもそもマスターはただの熱だぞ、そんな暗殺者に毒を盛られたわけでもないし、本人の回復力を信じるという判断を出来ないのか君は?」

 

 朝ならまだ、笑って済ませていた会話。だが、今の藤丸にはもう笑えない。否、それが未だ自分の前で行われることが、受け入れられない。

 つまり、こういうことだ。

 今の藤丸立香の言葉は、サーヴァント達には届かない。

 彼らは一度目のループで行った行動を、愚直に再現するだけの駒。つまり、今の藤丸の味方などではない。あくまで彼らは、ただの背景なのだ。

 いくら声を上げようが関係ない。一度目の出来事を繰り返すだけ。そこに藤丸がどれだけ異議を唱えても、恐らく彼らは関係なしに動く。

 恐らく、マシュすらもその術中に、

 

 

「ーーいや、そう単純な話なら分かりやすくてよかったんだがな」

 

 

 声は姿見の方からした。

 魔神オティヌス。またもや、彼女は忽然と姿を現した。黒いマントを確認するように、姿見の前で一回転しながら、

 

「私はお前の環境を、簡単に再現しただけだよ。その結果、こうなっただけだ。作為的なものなど何もない」

 

「……作為的なものが何もないなんて、よく言えるな」

 

「当たり前だ。神に人の理を押し付けてどうする? 私の作る世界が全てではあるが、最初から作為的にやってしまえば、お前などすぐ壊れる。だから、手頃な疑問から具現化したやっただけだ」

 

「? 疑問……?」

 

「お前の疑問だよ、人間。前から思っていたのだろう? 自分がどうして英霊達に選ばれたのか、と。その答えをほら、目の前に提示してやっている」

 

 鏡越しにオティヌスはマントをたくしあげ、その線の細い体を見せつける。

 

「……これの、どこが答えだ。ただ俺のことを、みんなから見えないようにしてるだけだろ」

 

「そう、それが答えだ。コイツらはお前のことなど何も見ていない。ただ自分の好きなように振る舞ってるだけだ」

 

 隻眼の少女の形をしたそれは、饒舌に語る。

 

「どう振る舞ったって、お前は嫌な顔をしない。出来ない。だってそうだろう? お前がそうやって逆らうことは、カルデア側からしたら許されない。そうやって機嫌を損なえば、貴重な戦力を手離す可能性も出てくるからな。言うなれば、お前はホストだ。ゲストに満足してもらうために、涙ぐましくクレームの類いを受け入れるように、な」

 

「……そんなんじゃない」

 

「だったらどうして、お前はサーヴァント達から誰かのようだ(・・・・・・)と言われてばかりなんだ?」

 

 ぞぶり、とまるでナイフで刺すような指摘だった。オティヌスもそれを悟ったか、彼女はその傷口を開いていく。

 

「そら、清姫といったか? あの女だってお前を昔の男に重ねて、愛を語っている。そこのキルケーだってそうだ。お前自身に魅力があったのなら、本当にお前を見ているのなら、そんな取って付けたような賛辞はあり得ない。つまり、誰もお前本人のことなど見ていない。だからこうやって、お前なしで会話も成立する」

 

 今も藤丸を置いて、会話をするサーヴァント達。恐らく彼らは藤丸のことを話しているのだろうが、肝心の本人にそれは響かない。

 確かに。藤丸立香に、過去の英霊達を召喚出来るほどの魅力があるとは思えない。それは藤丸本人も知っていたし、彼らが応じてくれたのも結局世界のためなのだろう。 

 だけど、これだけは、藤丸にも言える。

 

「……それは違うよ、オティヌス」

 

「ほう」

 

「だって、本当に俺のことがどうでもよかったのなら。もしそうなら、誰も召喚になんて応じてくれなかった。俺じゃなくて、他の誰かと契約すれば、それで良かった話なんだ」

 

「世界のためだと嘯けるだろう?」

 

「だとしたら、人理修復後も契約していたサーヴァントは物好きってことになる。そして、カルデアのサーヴァントはみんな物好きだったよ」

 

 そう。別に、自分が魅力的であるかどうかなんて関係ない。

 側にいてくれたあの時間が、藤丸にとっての証だ。それだけは、オティヌスにだって変えられない。

 

「さっきも言ったけど。マシュは絶対殺させない」

 

 きっ、と神を睨んで言い放つ。心は折れるどころか、闘志でかつてないほど漲っていた。

 

「そんなことは、絶対にさせない」

 

 そうだ。こんなところで終われない。この時間は藤丸にとって、それだけ諦め切れないものが多い時間なのだ。だったら、今更分かり切ったことで止まる理由なんて何処にも、

 

「そうか、なるほどな」

 

 だが、魔神はむしろ何か答えを得たように、唇の下に指を添えた。

 

「……何を、納得してる?」

 

「私が何故、この時間を指定したのか。お前はまだ、気付いていないのだと思ってな」

 

「?」

 

「なに、すぐに確かめられるよ」

 

 いつの間にかオティヌスの手に出現していた、巨大な黄金の槍。それを少女は、姿見へ振り抜いた。

 つんざくような音と共に、世界が再び動き出す。

 再び姿見の方を見ても、オティヌスの姿はなかった。それどころか姿見自体無くなっており、砕いた鏡の破片すら真っ白な床には残っていない。

 

「……、」

 

 嫌な予感は、もうずっとしている。

 なのに、じっとりとした汗が額に浮かんで、流れ落ちない。それは不安が生み出したものだからか、拭いても拭いても溢れてきた。

 それでも、諦めるわけにはいかない。

 藤丸はそう決意し。

 その晩、またマシュもろとも、命を奪われた。

 

 

 

 

 

 

 例えばの話。

 時間を逆行する力を持つ探偵が、目の前の悲劇を止めるため、色んなことを画策するとしよう。クリアする条件はたった一つ、被害者を出さず、犯人を追い詰めることだとして。

 果たして勝つのは探偵か、それとも犯人か。

 普通ならば、どうやったって探偵が勝つだろう。何度でもセーブとロードを繰り返せるのだから、来る悲劇の仕組みを紐解き、それを個々人に伝えるだけで悲劇の被害者は生まれず、同時に犯人を速やかに捕まえられる。どれだけ愚鈍だろうが、何度でも繰り返せる気持ちがある以上は折れないし、クロスワードの穴埋めのように、繰り返せば繰り返すほどゴールまでに達成感も得られる。

 まさに泥臭い、体当たり戦法。だがこれなら、藤丸にだって勝ち目もあった。

 しかし、何事も例外は存在する。

 そう、例えばだが。

 時間を巻き戻す力しかない探偵が、誰の協力も得られなかったら。事態が好転することは当然、あり得ない。犯人の力は強大で、探偵にはそれを倒す術がないからこそ知恵を絞り、時間を繰り返すのだ。

 しかしその知恵を振り絞ったところで、それを十全に振るうチャンスすらなかったら? そう、例えば誰も探偵の話に耳を貸さないような事態だったなら。

 探偵はただ、悲劇を繰り返し目撃するだけの、カナリアに成り下がるだろう。

 つまり。

 藤丸立香の置かれた状況とは、そういうことだった。

 

「っ、くそっ……!!」

 

 月明かりすらないカルデアの夜は暗いのに、藤丸は確かな足取りで走る。その手から勝手に(・・・)消費されていく令呪に舌打ちしながらも、最短距離で目的の場所までたどり着く。

 

「先、輩……」

 

 壁に体を預けるマシュを、有無を言わさず担ぐ。投げ出された少女の体は、相変わらず重くて、素の藤丸の腕力では支えきれない。もう何度目かも分からない無力感が本当に腹立たしい。

 

「すみま、せん……デミ、サーヴァント、として……一年は、戦って……なかった、もの、ですから……」

 

 ああ、知ってる。

 だからもう良いのだ。それ以上の言葉なんて言わなくていい。もう知っている。結末は変えられないことも。結局また繰り返すことも。

 

「……せん、ぱい……にげて、ください……追手が、きて、います」

 

 分かっている。殺戮猟兵達の鎌と矢は、どう避けたって藤丸に刺さり、逃げる力を奪い去る。だからまた、守りたい人はこの手から容赦なく滑り落ちていく。

 分かっているのに、何度も体験したのに、藤丸立香の心はその痛みに耐え切れない。

 むしろ、繰り返すごとに痛みは増し、繰り返すごとに心は疲弊していく。

 

「あ、」

 

 そうして気付けば、もう終わりだ。

 倒れた彼女の胸にはまさに今、その命を奪う凶器が幾本も降り注いでいく。

 

「だれか」

 

 零れる声は、あまりに頼りない。

 

「だれか。だれでもいいから、マシュを、たすけ、」

 

 その懇願は、決して誰にも届かない。

 そして、殺戮は行われ。

 予定調和のように、時間が巻き戻される。

 

 

「………………、…………………………、……」

 

 

 白で塗り潰された部屋が、藤丸の目に入ってくる。汚れ一つないそれは、今の彼にとって脳の奥を悪戯に刺激するだけのものだ。フラッシュなんかよりも余程眩しく感じるそれに、藤丸は頭痛すらしていた。

 

「…………づ、あ…………」

 

 しがわれた声が医務室に響く。

 今が何度目のループか、藤丸は記憶に覚えがない。否、覚えたくても出来ない。それをしてしまったら、きっと折れてしまうと確信していたからだ。

 

「これで分かったろう。たったの十七回(・・・)とはいえ、繰り返せば、な」

 

 少女の声はやはり近かった。

 オティヌスは、本来マシュが座っていたパイプ椅子に腰かけていた。気だるげに足を組んだ彼女に、藤丸はのろのろと問いかける。

 

「……俺には、何も。救えない、とでも、言うつもりか?」

 

「救えなかっただろう、事実。数多のチャンスがあった。工夫は幾らでも出来た。だが、お前はたった一度の救済すら成し遂げられなかった。つまり、お前の力はそんなものだよ」

 

 確かに事実はそうだ。

 あれから、何度も繰り返した。

 仮に魂というものがあるのならば、恐らく藤丸のそれは膨張し、はち切れる寸前だっただろう。もしくはおろし金で擦ったように、惨たらしい傷痕だらけになっているか。

 全て、仕込まれていたことだと。そう気付くには、時間がかかった。

 

「ループ、なんて……とんでもない。お前は、ただ時間を巻き戻した、だけだ。そこで起こった、ことは。何一つ、変えられないし。違う行動をしたって、悲劇は変えられないように、出来ていた」

 

 時間は確かに巻き戻された。

 しかし、それはあくまで巻き戻しただけ。一度目の世界から、何も変えられない再現だ。だから藤丸の声は誰にも届かないし、令呪も勝手に発動し、マシュと共に無意味に死んでいく。

 無論それに気付いたって、藤丸はループを続けた。いや、続けさせられた、か。

 サーヴァント達をどうにか令呪で喚ぼうとしたし、ダ・ヴィンチ達カルデアスタッフに殺戮猟兵のことを伝えようとした。罠を張って足止めしようとしたり、殺戮猟兵達にこちらから急襲しようとしたりもした。

 だが、どれも一人では結局無理だった。

 サーヴァント達は夜の時点で全員退去していたし、カルデアスタッフには何も伝わらない。罠だって藤丸が仕掛けられるものなどたかが知れているし、殺戮猟兵達の居場所は見つけられなかった。

 藤丸立香には、何一つ、成し遂げることが出来なかった。

 

「……だけど、みんながいたら、違う」

 

 そう。

 このループで分かったことは、結局それだ。

 

「サーヴァントの誰かが、俺に力を貸してくれるなら。それだけでこの状況は打破出来る。なのにそれを封じたのは、お前自身それが分かっているから、じゃないのか?」

 

 こんなこと、初めから分かりきっていたことだ。幾ら繰り返したって、幾ら悲劇を藤丸に止めることが出来なかったとしても、それでこちらが折れることを期待しているのなら、

 

「……俺は折れないよ、オティヌス」

 

 ベッドから起き上がることすら億劫だろうに、藤丸の目から闘志は消えていない。

 まだやれる、それを感じながら、

 

「マシュを助けるためなら、俺は諦めない。そのために、まずみんなをお前から取り戻す。それさえ出来れば、お前なんて怖くない(・・・・・・・・・)

 

 ぴく、とそこでオティヌスの肩が震えた。まるでその言葉は予想してなかったとばかりに。

 神を自称してきた少女だ、路傍の石ですらない藤丸の言葉は、それだけ肥大したプライドを傷つけたことだろう。

 たかが人間、されど人間。彼女のような存在だからこそ自分の言葉は万の剣よりも効き目がある。そう、藤丸は思い込んでいた。

 だが、

 

「……っ、くく。そうかそうか。私が怖くない、か……」

 

 オティヌスは、笑っていた。

 可笑しくて仕方ないというように。

 まるで蟻がようやく作った巣を見るような目で、

 

「いや……ここまで来ると流石に笑いを殺し切れんな。まさか、こうもこちらの思惑通りに来るとは思っていなかった。壊れかけた道化とはいえ、神の道楽を立派に務めてくれたな。中々に楽しめた、そこだけは褒めてやろう」

 

「……何か言いたい?」

 

「私は意地悪でね。まあ、神々共通の遊び、とでも言っておこうか。無論人間からすれば、災害とよく呼ばれる類いの奴だが」

 

 オティヌスは顎でドアの方をしゃくって、

 

「そもそもどうしてお前をこの時間でループさせてきたと思う? お前にもう一度誰かを救わせるため? だとするなら、そもそも救う相手が間違っているな。だろう?」

 

「……?」

 

「レオナルド・ダ・ヴィンチ」

 

 どくん、と心臓が跳ねて、何処かに落ちたように痛んだ。マシュのことばかり考えていて、藤丸の脳からそのことだけが抜け落ちていた。

 そうだ。

 どうしてそれに気付かなかった。

 マシュだけじゃない。本当にこのループがあのときを模しているのなら、死んでいるのは自分達だけじゃなかったはずなのに。

 

「お前の世界では、クリプターの侵攻を押し留めようと殿を任された結果、あの英霊は死んだ。さて、では今回は? お前が一人の女にかまけている間、世紀の天才を名乗る英霊がどうなっていたのか。知りたいよな、人間? さぞ大切だったのだろう?」

 

「……やめろ」

 

 藤丸の制止などそよ風のように受け流し、オティヌスはぺらぺらと語り出す。

 

「どの死に顔がお好みだ? やはり心臓をくり貫かれた顔か? それとも蛮族のように首から上を切り落とされた奴か? はたまた原型が無くなるまで潰されたものが見たいか? 何せ十七回分だ、お前が助けようとした女とは違って、どれもバリエーションに富んでいるぞ?」

 

「、……やめろ!!!」

 

「じゃあ何故、一度だって助けにいこうとしなかった?」

 

 それは。

 込み上げる言い訳がましい理由を、藤丸は口に出来ない。そのどれもが、結局何も成し遂げられなかった自身を正当化するだけだったから。

 

「目の前で殺されたのだろう? あの時間に戻れるなら、何としても守りたいと、そう思っただろう? 何故守ろうとしなかった? 同じような状況であったならそうなるかもしれないと、少しでも脳を掠めなかったのか?」

 

「……、……」

 

 思い出す。記憶の歯車が、回り出す。

 自分を信じてくれた人。きっと喋ることすら辛いだろうに、必死に言葉を探して、心配させないように毅然と振る舞っていた人を。

 最後の最後まで、苦しんだ顔なんて一度も見せてくれないまま、結局あそこに置き去りにしてしまった人を。

 と、そこで意外な言葉が投げられた。

 

「どうしてそこまで気に病む必要がある?」

 

「……は?」

 

 どうして、と言われても。藤丸は一瞬、オティヌスの吐いた言葉の意味を図りかねた。

 彼女は眉を吊り上げ、

 

「十二月三十一日も、ダ・ヴィンチやデミサーヴァントがいてあのザマだ。なら今回だってこうなることは、誰からしても明らかだっただろう」

 

 だから、と。

 オティヌスは甘く、囁いた。

 

 

「ーーお前は、サーヴァント達が誰も残らなかったことに対して。真っ先に憤るべきなんだよ、人間」

 

 

 それは。

 それは一度も、藤丸立香が考えたことがなかったことだった。

 いや、違う。考えたところでどうしようもないからと心に閉じ込めていた、未練しか生まない疑問だった。

 どうしてと考えてしまえば、きっとそれだけでこの疑問に行き着いてしまう。そんな、当たり前のことだった。

 

「お前はさっき言ったな。サーヴァントがいれば、こんな状況打破出来ると。私だって怖くないと」

 

 眼帯の少女はため息混じりに、

 

「そうだ、お前だってループのときも、十二月三十一日でも思ったことだろう。ここに誰か一人、サーヴァントがいたのなら、それだけでもっと多くの人が救えたのにと」

 

 ああ、思った。思ったとも。

 どうして、あのとき。誰も助けてくれなかったのだろう、と。あんなに助けてほしかったのに、呼べば来てくれるって、そう言ったのに。

 一体どうして。そんな気持ちを、ずっと懐に仕舞い込んでいた。だけど、

 

「……そんなもしもは、あり得ない。今更だ」

 

「だが、夢想するのは勝手だ。人間にだって許される特権だよ。そして神の名において断言しよう。その夢想は、何ら間違いではない」

 

 疲弊し、潰れそうな心にとって、その肯定は救いのように思えた。まるでよく頑張ったと、そう頭を撫でられたような気分になる。

 

「二百人以上もいたサーヴァントが、たったの一人も側に残らない。立つ鳥跡を濁さず、なんて諺はお前の国のものだったか? ともあれ、数年という時間を共に走り抜けたにしては、随分と寂しいじゃないか。なあ?」

 

「……みんな死者だ。世界を救うために集まってくれたんだから、その役目が終わったら元いた場所に帰るのは当たり前だ」

 

「ああそうだな。だからお前のことなど(・・・・・・・)どうでもよかった(・・・・・・・・)

 

 それを聞いて。

 そんなわけがないと思いつつも、心の一部は認めていた。

 ああ、多分そうだろうな、と。

 

「お前がこれから先苦しもうが。お前がこれから先大切な人を失おうが、知ったことじゃない。世界は救ってやったのだから、それ以上のことなど英霊風情に期待出来まい」

 

 我慢がならない、と藤丸は体を起こす。芯が折れそうになるのを、何とか堪えて否定する。

 

「違う……! みんな、世界のために頑張ってくれた!! こんなにも弱い俺なんかに、嫌な顔せずについてきてくれた!!」

 

「じゃあ何故、あのときも、今ですらお前の側には誰もいない?」

 

 そんなの簡単だ。世界は救われ、当時のカルデアは事実上解体されることになった。故にサーヴァント達はお役御免となり、退去しなければいけなかったのだ。

 しかし、それは本当に絶対的なことだったのだろうか?

 あの、一生で最も輝いていた数年間は、サーヴァント達にとっては何の楔にならなかったのだろうか?

 残りたいと、そう思わせることが出来なかったのだろうか?

 

「少なくとも、お前に対してそれなりの言葉を吐いた奴がいただろう。それでも、お前の側には誰もいない。助けを呼んだところで返事もない。見知った顔が死んで、お前が何も出来ないと分かっておきながら、全ては終わったと勝手に消えていった。大した主従関係だよ、全く」

 

「……、」

 

 右手の令呪に目を落とす。

 契約の証。これだけがマスターである証明で、楔。逆に言えば、それさえなければサーヴァントを繋ぎ止めることは出来ない。藤丸なら尚更そうだろう。

 

「捨てちまえよ、そんなもの」

 

 オティヌスが吐き捨てる。

 

「忘れたか? 世界は二度も終わっている。終わりを覆す、といえば聞こえは良いが、世界が滅びてようやく重い腰を起こすような連中が、今更お前を気にかけると思うか?」

 

 そう、思い返せば確かにその通りだ。

 人理焼却のときは、まだいい。だけど二度目の滅び、地球が漂白されたときですら、彼らは来てくれなかった。

 無論、藤丸だってそんなことは不可能だと分かっている。もどかしさは彼らにだってあって、きっと同じような憤りを覚えているのだと信じている。

 それでも、藤丸は自身を弱いと認識しているからこそ思ってしまう。

 彼らがいたら、きっと違う未来もあったのじゃないか、と。

 少なくともダ・ヴィンチや、カルデアスタッフだって救えたかもしれないのに、と。

 

「世界が壊されなきゃやる気もでない連中だ。お前が死のうが、適当な美談をでっち上げた後、よっこらせと立ち上がって英雄らしい行動をやるだろうよ」

 

「……違う」 

 

「何が違う? 言ってみろ、人間」

 

 口を開こうとして、閉じる。どれだけ言葉を重ねたところでもう無駄だ。今の藤丸では、どうしたってこの状況を覆せない。誰かに頼るしかない。けれど頼るべき相手がいない。誰もいないのだ。

 それでも口は、何とか言葉を絞り出した。

 

「……時間神殿のときは、みんな、来てくれたんだ」

 

 それは、最早反論ですらなかった。まるで子供が号泣する前に、ポロリと溢すような、そんな、決壊寸前の声だった。

 

「助けてって思ったんだ、強く。そしたら、みんな本当に来てくれた。でも、あれも別に俺を助けるためだけに来てくれたわけじゃ、ないんだよな」

 

 例えば。

 あと少しで世界が救われるのなら、その一手に加わり、あたかも自分達のおかげで世界が救われたと勘違いしたい。そんな野次馬染みた想いが、彼らになかったとは言い切れない。穿った考えだが、ここまできたし少しは手伝ってやろう、なんて気持ちもあったかもしれない。

 

「……そう、だよな」

 

 少年は思い知るように、呟く。ともすれば、自身の旅路すら壊されかねない地獄。俯き、折れるか折れないかの瀬戸際で、藤丸は懸命に記憶を集める。

 そうして。

 少年は顔を、上げた。 

 

 

「ーーうん。それでも、いいよ」

 

 

「……なに?」

 

 オティヌスが表情を変える。ここで折れると踏んでいたのか、眼帯をしていない方の瞳を瞬かせる。

 

「確かに、俺の側には誰もサーヴァントが残ってくれなかった。それはきっと、みんなにとって俺はそこまで大事な人間ではなかった、その証明なのかもしれない」

 

 けれど。

 

「俺は楽しかったよ。みんなと旅をしてきて、少なくとも、俺はそう思えた」

 

 そうだ。

 例えサーヴァント達がどう思っていようが、関係ない。藤丸立香は確かに、凡百なマスターで、傑物たる彼らを繋ぎ止める楔になんてなれやしないのかもしれない。

 だけど、それがなんだ。一般人にそんなもの、今更誰が期待するというのか。

 

「俺は信じてる、きっとまた会えるって。何度別れたとしても、それまでの全部が帳消しになるわけじゃない。例えみんなは消えても、その記憶は俺の中に残り続けてる。そういうものだろ、生きることって」

 

「またお得意の綺麗事か? なら、お前がここで一人、死に続けることになろうとも構わないと? 助けなど永遠に来ない。死を記録する生首もどきになっても良いと言うのか、お前は?」

 

ああ(・・)いいよ(・・・)

 

 即答だった。

 さしものオティヌスも、その返答には虫を潰し損ねたような顔を作った。

 

「みんながいたから、どんな戦いでも戦ってこれた。だけど、今回はもうそんなの関係ない。お前は、俺の大切な人達を侮辱した。それを黙って受け入れられるほど、俺はお人好しじゃない」

 

「……そうか」

 

「それに、今までずっと頼りっぱなしだったんだ。一回くらい一人でやらないと、いつまでもみんなに頼ってちゃ、これから先一人で生きていけないし。予行演習には丁度いいよ」

 

「そうか」

 

 それだけ言って、魔神オティヌスは槍を動かした。

 世界が崩れる。

 夜よりもなお暗い漆黒の迷宮が、顔を見せる。あらゆる位相を剥がしたのか、あるいは貼り付けたのかは藤丸には定かではないが、どうやらループから抜け出せたらしい。

 目の前にオティヌスはいない。

 ただ、少女の声は何処からか聞こえた。

 

「馬鹿は馬鹿でも、お前のそれは少々歪だな。その精神性に見合っていないと言うべきか」

 

「……?」

 

 オティヌスは、呆れていた。

 まるで何故そんな答えに行き着くのか、本当に分からないと。

 

「お前には過ぎた代物、ということだ。すぐに分かるよ、地金が剥き出しになればな」

 

 世界が光を帯びていく。

 また新しい地獄か、と身構える藤丸。心は既に折れかけていたものの、頭の中は比較的クリアになっている。

 そうだ、関係ない。オティヌスがどんな悪夢を見せようが、どんな仕込みをしようが、結局は彼女が生み出した悲劇だ。こちらを追い詰めるという関係上、そこだけは変わらない。

 どんな世界に変わろうと、あの魔神の思惑が必ずある。それさえ分かれば、もう悲劇でもなんでもないのだ。

 

「ふむ。確かにそういう考え方も出来るな」

 

 が、とオティヌスはこうも言った。

 

「それはあくまでお前の心が砕けなければ、の話だ。そして、私もその辺りは心得ているよ。マスターからの催促もある、次で仕舞いにしようか」

 

……異聞帯の王に、マスター?

 これまでの異聞帯の王には、そんなものはなかった。彼らは独自に進化した異聞帯を統治した主として、その異聞帯の特色を色濃く有した者ばかりだったが、全員に共通するのは個としての完成度だ。

 その異聞帯の王に、マスターがいる? 一体誰なのか。

 

「さて、最終テストだ。これで折れないなら、おめでとう。晴れてお前は、私の敵だ(・・・・)

 

 思考に沈む暇すらないらしい。

 藤丸は光を受け入れ、目を閉じた。

 

 

 






Version Beta世界

2017年12月31日を模した世界。サーヴァントは全員退去し、命惜しさに少女の後ろに隠れていた結果、大切な人を死なせてしまった。そんな藤丸立香の後悔の残滓だけがはびこる世界。
自身の力不足は藤丸立香にとってはいつものこと。だからこそ、彼は心の中でほんの少し、こんなことを思っていた。
誰か一人でも、サーヴァントがいてくれたのならば。
カルデアはサーヴァントにとって、様々な出会いを与えてきた。その中では、奇跡と呼ばれる再会も多くあったことだろう。

されど、サーヴァント達がたった一人の少年の願いを聞き届けることは、ついぞなかった。

オティヌスはその無意識を表面化させ、位相として差し込んだ。


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崩れ脈動する世界 Version_Omega

 光が引いていくのを目蓋越しに感じ、藤丸立香は目を開いた。

 

「…………」

 

 最早デフォルトになるまで刻まれた耳鳴りと頭痛に顔をしかめながら、藤丸は自身の状態を確認する。

 手は動く。足も動く。五体満足ではあった。けれど心は、完膚なきまでに打ちのめされ、意識は奈落の底まで霧散しかけている。

 ここにたどり着くまで、藤丸は何度も死んだ。首を切り落とされたのが始まりで、それから十七回も大切な少女が死ぬところを目撃し、その度に死んだ。

 二十にも届く死の繰り返し。一見、たったそれだけで人類最後のマスターが折れてしまうだなんて、思われるかもしれない。

 だが、忘れないでほしいのは、あくまで藤丸立香がただの人間であることだ。

 いかに数多の特異点や異聞帯を踏破し、出会いと別れを繰り返したとしても、彼が強くなったわけではない。それは一人でマシュを救えず、そうして絶叫したあの十七回の悲劇が証明している。

 その前提条件を決して忘れるな。

 藤丸はそのことを再度頭に叩き込んで、周囲を一望する。

 

(……)

 

 幻覚などで無ければ、どうやらそこは何処かの公園らしかった。大きな川の程近くに立地しているそこのベンチで、海を眺めるように、藤丸はだらん、と座っている。

 カモメか烏か、ぼやけた意識の中ではそれすら区別はつかないが、空を気ままに飛ぶ姿はうらやましい。波の音が耳鳴りを解きほどくように響いてきて、藤丸はようやく座り直した。

 これまでの傾向からすると、恐らく藤丸が何か考える前に、事態は動き始める。一つ目も二つ目も、結局藤丸は最初から最後まで振り回されっぱなしのままだった。

 オティヌスは、この世界が最終テストだとも言っていた。一体どんなゲテモノ、地獄が待っているにせよ、藤丸の精神はもう限界だ。今までのように受け身では、それこそ本当に心が折れてしまう。

 ゴールはすぐそこだと、そう思い込む。思い込んだところで、やるべきことが藤丸にも見えてきた。

 

(……こっちから、動くしか、ない)

 

 ぐ、と拳を握ると、全身の血管が不自然に脈動した。まるで動くのを拒否するようなそれを強引に振り切り、藤丸は手の甲を視認する。

 令呪。ここではただの飾りにも等しいそれは、藤丸を唯一汎人類史と繋ぐ楔だ。

 

(動かないと、何も始まらない。これで最後だ。ここを越えなきゃ、オティヌスに挑戦する権利すらない。ここまできてそんな幕切れ、受け入れられるもんか)

 

 まるで鉛でも骨に詰まっているかのような鈍重な動きだったものの、藤丸は自分の頬をつねると、気合いを入れて目を開く。

 オティヌスは必ず、すぐに仕掛けてくる。些細な失敗が命取りになるのは明らかだ。だからこそ、目を凝らして公園を注視しなければならない。

 勝てる確率はほぼゼロ。

 だが、どんなときもゼロではないと、いつも誰かが言ってくれた。

 だから諦めない。最後の最後まで。

 

(終われない。こんなところで野垂れ死ぬなんて、誰よりも俺が許せない。絶対に帰る、たった一人でも最期まで諦めるな!!)

 

 あるいは。

 その考えは単なる現実逃避に近かったのかもしれない。

 心をすり減らし、命をまるで使い捨てのマッチみたいに消費しても、解決の糸口すら掴めない。誰も助けになんてこない、孤軍奮闘を強いられる環境に、藤丸の精神は可笑しくなっていたのかもしれない。

 だからだろう。

 立ち上がる直前になって、こんな声を聞いた。

 

「……って、まってくれ」

 

 中性的な声だった。言葉は分かる。日本語のようだが、少し独特な訛りがあった。

 やはりあちらからきた。一体誰なのかなど論じる必要はない。誰であれ、ここは異聞帯。藤丸立香にとって、それは振り下ろすナイフに近いのだから。

 だから身構えろ、乗り越えるために、

 

 

「待ってくれ、シータ。()を置いて一人で進まないでくれ」

 

「あら、ごめんなさいラーマ。あなたと一緒にいられると思ったら、何だかいつもより早足になっちゃって」

 

 

 一瞬。

 藤丸立香は、呼吸すら忘れて、息を呑んだ。

 ベンチにしがみついて、声の方へ顔を向ける。

 赤毛の男女だった。仲睦まじく手を繋いだ二人は、幸せそうにはにかむと、公園の林の方へと歩いていく。

 ラーマ、そしてシータ。藤丸は知っている。第五特異点や、カルデアで助けてもらったことを。

 だが、あの二人は離別の呪いのせいで、同時に召喚されること自体が不可能ではなかったか?

 

「……、」

 

 確かめられない。

 藤丸には、こうして見送ることしか許されない。

 故に公園に響く声は、少年以外のものだった。

 

「ねえねえおかあさん! 今日のご飯はなにー?」

 

「そうねえ。うーん……じゃあ今晩はあなたの好きなハンバーグにしようかしら。ね、ジャック?」

 

 顔に傷なんてない少女と、その母親。

 

「むー! ねえありす(あたし)、ジャックは今日ハンバーグらしいわ。アリス(あたし)も同伴したいしたーい!」

 

「ダメよあたし(アリス)。ママがミックスパイを作って待ってるわ。お茶会はまた今度。ほら、帰りましょう?」

 

 瓜二つの双子のような、まるで童話から飛び出したかのような少女達。

 二組は各々、それぞれの幸せを噛み締めて、何処かへと去っていく。

 彼女達にも見覚えがあった。

 ジャック・ザ・リッパー、ナーサリーライム。そして彼女達の隣にいたのは、藤丸の記憶が、いつか見た夢(・・・)が正しければ、過去の聖杯戦争で彼女達のマスターだった人物。

 本来サーヴァントは記憶を持ち越さない。だが稀に、その記憶が印象に残ることがあれば、あり得ない話ではない。

 だが、それはあくまで別の世界の話だ。

 少なくとも、汎人類史では決して実現することなど不可能だった。藤丸立香だから、ではない。汎人類史には、彼らの記憶の中の想い人など、存在しない。

 

「……そんな」

 

 まるで、真綿で首を何重にも絞められているかのように、目の前が眩む。立ち上がることはおろか直視することすら、藤丸には出来そうもないのに、視界の隅から入ってくる。

 ロビン・フッドは騎士のような老人と並んで、煙草を吸っていた。フランケンシュタインは作った花冠を、眼鏡をかけた少年にプレゼントしていた。カルナは少しぽっちゃりした女性と共に、何故かランニングをしていた。

 ブーディカはかつて死に別れた娘達と、楽しくピクニックをしていた。

 一人や二人の騒ぎではない。そこら中で、同じようなことが起きていた。

 

「わー、女神様だー! ねーねー、アイスちょーだい! まだもってるんでしょ?」

 

 公園の一角で、子供達にそんな調子でねだられていたのは、スカサハ=スカディだった。彼女は困ったように振る舞いながらも、何処か嬉しそうにアイスを子供達に分けていく。

 まるで、ずっとそうしてみたかった、そんな風な顔で。

 

「さ、やれよ」

 

 この、誰にも敵意などない状況で。

 その声だけは、明確な悪意と共に聞こえた。

 魔神オティヌス。

 

「全員取り戻すのだろう。ここで幸せそうに暮らす全員を、お前の奴隷として取り戻し、私を倒すのだろう? ああそうだ、サーヴァントがいれば私など怖くないのだろうし、それがいい」

 

 オティヌスが背後からその肩に指を置いて、ノックする。とんとん、とんとん、と。

 

「さあやれよ。令呪を見せて、言ってやれよ。俺がマスターだ、と。俺のために一緒にこの世界を壊そうと。ほら言えよ」

 

 藤丸は。

 目を背けることすら、出来なかった。

 ただ延々と、目の前の景色を眼球に反射させていた。

 

「世界を壊すのは簡単だよ。私を殺すか、マスターを殺すか。はたまたこの主神の槍(グングニル)を壊すか、機能不全にするか。今の私はあくまでサーヴァント、百パーセント魔神の力を扱えるわけじゃないし、挑めば存外簡単に勝てるかもしれんな」

 

 主神の槍(グングニル)とオティヌスが呼んだのは、いつも彼女が扱うあの黄金の槍だった。

 それが目と鼻の先にある。

 壊せば、少なくともオティヌスは魔神としての力を失う。

 ようやく見つけた糸口。

 

「そら、あと少しだ。一発殴ったら、何かの拍子で世界が弾けるかもしれんぞ?」

 

 だから、と。

 女神は甘い吐息のように、言葉を呟く。

 

 

「壊してみろよ、人間。汎人類史が正しいというなら、お前達が正しいというなら、幸福な世界だって踏み台にしてみせろ」

 

 

 思わず。

 藤丸は胃から込み上げてきたものを、丸ごと吐き出した。胃液が空になるくらい多くをぶちまけて、それでも、胃そのものが千切れそうなほど痛かった。

 これまでオティヌスは、絶対的な悪だった。藤丸立香を追い詰める、ただそれだけのために世界を歪め、悲劇を生み出し、それを量産してすり潰そうとしてきた。

 藤丸が戦ってこれたのは、そうした悲劇が許せなかったからだ。

 なのにこんなものを、盾にするのか。

 こんな、都合の良すぎる世界を。

 

「人の理を押し付けるな、と前にも言ったが」

 

 目の前の偉業を難なく成し遂げたオティヌスは、えずき続ける少年に囁く。

 まるでそれは、恐怖に震える子供を、抱き締めるような形だった。

 

「世界は別にお前を必要などしていない。仮にお前がいなくとも、問題なく世界は回っていく。そこに幾つかの誤差は生じるかもしれんが、まあ、世界というものはそこまで弱くない。なんやかんやと続いていくのさ」

 

 分かっている。

 分かっているのに、理解するのを脳が拒んだ。

 

「お前は世界を救おうとして、幾つかを取り溢した。私は、その取り溢しを無くし、ついでに過不足なく救いを施した。ここはそれだけの世界。それだけの結果が広がる世界だ」

 

 藤丸は、何も言えなかった。

 ただじっと黙って、ひたすらに考える。考えて、考えて。

 

「……こんな」

 

 ただの少年は、勇気を振り絞るように、言葉を出す。

 それが、この世で一番卑屈なことだと分かっていながら。

 

「……なんだよ、それ」

 

「……」

 

「みんなが、夢に見てるくらい恋焦がれても。いつ、何処の世界かも分からないんだぞ。そんな相手、どうやって再会させろって言うんだよ。ラーマとシータだってそうだ。死後も続く呪いとか、そんなの、三流にもなれない魔術師に、どうにか出来るわけないじゃないか」

 

「ああ、そうさ」

 

「スカサハ=スカディだってそうだ。俺じゃ無理だった、救えなかった。彼女だけじゃない。過酷な異聞帯にだって、俺の知らない幸せがきっといっぱいあった。でも、どうしろって言うんだよ。そんなの把握しきれるわけない、俺なんかが救いきれるわけないだろ」

 

「お前を責める人間は何処にもいないよ」

 

 そう。少年を糾弾する声は一つもない。

 でもだからこそ、少年はこれ以上ない自責の念で引き裂かれていく。

 それは恐らく、この世で最も自分勝手で、何処までも残酷な拷問だ。

 遠くで、談笑しながら歩く一団が見える。

 民族衣装を着込んだ子供達と、厚着をした獣人達。

 北欧異聞帯、そしてロシア異聞帯の住民達。

……きっと、違う世界なら。死ぬこともなければ、こうやって手を取り合うことすらもあり得て。

 そんな一段の先頭で、鹿撃帽を被ったヤガと、金髪の少女が並んで、歌を歌っていた。

 パツシィとゲルダ。

 藤丸立香が止まれなくなった理由。

 そんな二人も今は、目と鼻の先にいる。

 きらきら光る、夜空の星のように。

 

「そうだよ……俺じゃ助けられなかった。パツシィも、ゲルダも! 世界のために、異聞帯の人間を丸ごと俺は見殺しにした!! 汎人類史を守ったなんてとんでもない!! 俺は、誰かのために、この景色を踏み潰しただけだ……!! それを託されて、それで前に進んでるって、思い込んだだけだ!! そう納得しようって、逃げてただけだ!!」

 

「お前さえ納得すれば、あとはみんなお前を迎えてくれるさ」

 

 例え、どれだけ。

 どれだけそれが、脆かったとしても。砂上に立つ、城のような危うさしかなかったとしても。

 藤丸には目の前の景色が、間違っているとは到底思えなかった。踏み越えたいと思えなかった。

 少なくとも。

 二度も誰かのエゴで壊れた汎人類史よりは、誰もが幸せそうに見えて、仕方なかった。

 

「……そんなの……俺みたいなのに、どうしろって言うんだよ……」

 

 正しいから、そのために何もかもを犠牲にすべきなのか。

 間違っているから、全て捨てなければいけないのか。

 答えは誰にも分からなかったし、この先出ることもないだろうと思っていた。

 けれど、ここまで明確な結論を前にして、まだそんなことを言えるのか。

 数え切れないほどの悲劇が、全て幸福に変わったとすれば、それは素晴らしいことだ。誰も傷つくことなどない、誰も犠牲になることもない、そんな世界だ。

 それを否定出来る人間など、この世の何処にもいない。

 いないのに。

 

ーー俺は、テメェを、絶対に許さねえ。

 

 ああ、聞こえてくる。

 戦えと。生き残れと。

 そうして踏み越えていけと、声が、聞こえる。

 最早そんな声すら、目の前の光景の前では意味なんてないのに、藤丸の耳には、聞こえてくる。

 それはまさしく呪いだった。

 永遠に忘れることが出来ない、血を流し続ける傷だった。

 

「そんなやせ我慢、もうしなくていいだろう」

 

 それが、掻き消される。

 オティヌスの言葉だけが、木霊する。

 

「お前には、どうすることも出来なかった。お前はそうやって我慢することでしか、戦ってこれなかった。ああ、そうだとも。平気な顔をして、馬鹿のフリをして、何も感じていないように足を動かせば、お前は優秀な駒程度にはなれた。そうなることで世界を救えるなら、そう思っただろう?」

 

 見透かされている。

 誰にも、きっとマシュやダ・ヴィンチですら見抜けなかったことを。

 まるでそれはとてつもなく重い荷物を、代わりに背負ってくれたような、そんな解放感すら錯覚させる。

 

「だが、もうそんな必要はない。世界は、救われた。お前が一番痛かっただろう、苦しかっただろう。それを仕舞い込んで、わざわざ戦う必要など、もうないんだよ」

 

 我慢する必要なんてない。

 全てを投げ出したっていい。

 なんて、甘美な響きなのだろう。

 何かが着実に、傾いているのを感じる。それは恐らく一度傾けば、もう二度と起き上がれないことを指していた。

 そして。

 ころころ、と少年の足元にボールが転がってきた。

 

「……、」

 

 オティヌスがすっ、と静かに離れる。邪魔になると思ったのだろうか、いつの間にか吐瀉物なども清掃された後になっている。

 藤丸は自由になっても、まともに動けるほどの余力は残っていなかったが、目だけは、誰が来たのかを捉えた。

 眼鏡をかけた、パーカー姿の少女と。

 杖を持った、絵画染みた美しさを持った女性に。

 白衣を上から羽織った、覇気のない男性を。

 いつか見た、懐かしい景色を。

 この時間に戻れるのなら。

 ずっとそう思っていた、世界が、広がっていた。

 

「あらら、また随分蹴り飛ばしたねえ。患者とはいえ、子供は加減を知らないもんだ」

 

「ぜえ……ぜえ……き、君は随分と余裕があるな、レオナルド……? くそぅ、僕もサーヴァントのままだったらこんな息切れすることもないんだろうなあ……!」

 

「ドクターは普段から運動をしない人種なんですから、患者さんとのレクリエーションくらいは進んで参加してください。仮にも医師なんですから、自身の健康管理には気を付けるべきかと」

 

「う、研修生にすら心配されちゃうか……そっかあ……僕、そんなに顔色悪いかなあ? これでもたまにはサボってるんだけど……」

 

「ハハハ、道理で書類仕事が終わらないわけだ。君ってば本当にアレだな、生き方がヘッタクソだなぁ」

 

「ドクター、健康管理とサボタージュは別ですからね? ダ・ヴィンチちゃんも笑っていないでもっと厳重に注意を……っと」

 

 視線が、重なる。

 転がってきたサッカーボールを境界線に、藤丸と、目の前の三人には、どうしようもない距離があった。

 世界と世界を別つそれよりも、なお、遠い。

 そんな断崖だけが、広がっていた。

 

「あの、すみません。ボールを、その……」

 

 言われて、藤丸は反射的にサッカーボールを手に取る。

 だけど、そこで手が止まった。

 これを返したら、目の前の三人が消えてしまうのではないか、と。いやそうあってほしいと、醜い心がそう叫んで、渡せなかった。

 

「……ん? 大丈夫かい? 僕の見立てだと、調子が悪そうにも見えるけど」

 

 屈んで、ロマニがこちらの顔を伺ってくる。

 ああ、心配させてしまっただろうか。またそうさせてしまったのか、自分のせいで。

 いつものようにぐ、と笑顔を作る。それで終わり。弱くて、醜い藤丸立香は、それで誰にも見えない。自分の心の中に閉じ込めておける。

 今までだってそうしてきた。

 だから、大丈夫。

 

「いえ、大丈夫ですよ。はい、これ」

 

 ボールを返却しながら、ふと。

 もしも、右手の令呪を見せていたら、何か変わっただろうか。そんなことも、脳裏を過った。

 けれど全ては後の祭り。

 マシュはサッカーボールを受け取ると、二人を連れて公園へと戻っていった。そこには楽しそうに、子供達の輪へ戻っていく姿が見えた。

 消えない。

 確かに、その景色は現実にあって。

 だからこそ、その一挙一動が、どうしようもなく胸の奥をぎゅっと絞め付ける。それがこの奇跡を未だ認めていないようで、藤丸は逆に申し訳なかった。

……何が汎人類史だ。何が人類最後のマスターだ。

 こんな喪失感を、与えて、与えられて。一体何の資格があって、こんな。

 

ーー……そりゃ、きっと罪深いんだろう。無かったことになんて出来ないんだろう。

 

 記憶の底から、声が響いてくる。いつもなら奮い立つ言葉が、先程の光景を見て、違う意味に聞こえてくる。

 

ーーでも、ダメだ。だって、お前達の世界の方が、

 

「……美しくなんてない」

 

 ぱん、と膝を叩いた。数回叩いて、虚しくて、去来する様々な感情を何処にも向けられず、藤丸は言葉にする。

 

「君達がいない世界より。君達が生きている世界の方が、絶対に。美しいんだよ」

 

 当たり前のことだった。

 それは考えるまでもないことだった。

 だからこそ、今ここで、それを出されて、藤丸立香は。

 

「さて。それで、どうする?」

 

 と。

 オティヌスは、思い出したように問いかけた。

 

「どうあれ、お前の取れる選択肢は二つだ。ここで死ぬか、それとも挑むか。二つに一つ、いつものことだろう。悩むこともあるまい」

 

「……何を、……?」

 

 これ以上何をするのか。

 何を望むと言うのか。

 

「これはまた不思議なことを聞くな。私は別になにもしないよ。する必要がない。だから逆だ、これは忠告だよ。ここを作り出した神としてね」

 

 ベンチに乗り上げる形で、オティヌスは、

 

「この世界は完璧だ。しかし、先程も言ったが、私の魔神としての力は完璧ではなくてね。精度は最高でも八十パーセントほど、と言ったところか。つまり、少しの異分子が入り込んだ状態だと、崩壊がいつか来る。それがいつかは定かではないが、この世界が滅びるとしたら、その異分子だけがネックだろうな」

 

「……それ、は」

 

「お前だよ、藤丸立香」

 

 つまり。

 隻眼の魔神は、誰でも分かる簡単なことを、口にした。

 

 

 

「ーーーー世界を守りたいなら、自害しろ。それ以外に、この世界を繋ぐ道はない」

 

 

 

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………、ぁ…………?」

 

 

 

 声が、滑り落ちた。

 心が、砕けて。

 散らばった、音がした。

……オティヌスは冷めた目で、それを黙殺する。

 

「私がケリをつけたっていい。しかし我がマスターはお前が自ら死を選ぶことをお望みらしくてな。難儀な女に目をつけられたものだな、お前も。同情はしないが」

 

 世界が、遠い。

 呼吸を一回するのに倍以上の時間がかかって、生命維持のための酸素すら、まるで足りていない。

 

「だから、二つに一つだ。この世界に挑んで死ぬか。それとも世界を守って死ぬか」

 

 神々の王の名を持つ少女は、槍を掲げ、高らかに宣言する。

 

 

「全か個かーーさあ、人類の命運はまたもやお前に託された。裁定してみろ藤丸立香。精々その善性とやらで、世界を救ってみせるんだな」

 

 

 それだけだった。

 藤丸が気付いたときにはもう、オティヌスの姿は見当たらない。

 そして、少年はまた一人。

 その両肩に。

 この世総ての善という、果てしない夢物語が、のし掛かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 一歩だって、その場から動く力が湧いてこなかった。

 藤丸立香は顔を手で覆い、なるべく世界から自分を引き剥がそうとしていた。しかしダメだ。隙間から見える黄金の世界は、まるで縫い付けられたように、少年の体をベンチに固定している。

 最早、目標など無かった。

 どうやっても、取っ掛かりが見つからない。これ以上何をすればいいのか、どうしたら歩けるのか、藤丸には見当もつかない。

 だって、これからどうする?

 元の世界に帰るには、オティヌスを倒さなければいけない。それはつまり、この目の前に広がる世界を、壊すということだ。そんなことして一体何になる? ここまで戦ってきたのは、目の前に広がるような景色を、守るためだったはずだ。守れなかったもののために、せめてあるものを守ろうと、そうしてきたはずだ。

 なのに、それを壊すというのか? 自分が生き残るためだけに?

 

「…………」

 

 汎人類史は確かに救われていない。今も異聞帯は数多くあって、きっとそれをどうにかするためには、藤丸の存在は必要なのかもしれない。

 だけど、自分はこんな世界を壊してでも、生きる価値があると言えるのか?

 そんなことをして、元の世界に帰って、どんな顔をしろというのか。

 黙々と、一人でそんなことを考えて。

……そんな思考を、果たしてどれだけの時間繰り返していただろうか。

 時刻は既に、夕方になっていた。

 周囲は小麦色に染まり、公園からは人が消えていた。いるのは、電線に乗った烏くらいか。けれど、藤丸の脳裏には決して忘れられない奇跡が、ずっと焦げ付いている。

 それでもまだ、立ち上がるための鍵をずっと探している自分が、心底、嫌になっていく。

 探してどうする。

 見つけてどうする。

 ここにあるものを壊して、元の世界に戻れば、お前は本当にそれで満足なのか。

 悪戯にこの奇跡を放棄して、それで得たものは、本当に大切なものか?

 そこに一切の、私利私欲がないと言い切れるか?

……否。そこには、藤丸のエゴしかない。エゴだけで世界を破壊し、踏み越え、自分が正しいと土足で走り回るだけだ。

 それは、藤丸立香しか救わない。

 その旅は、他の誰かを救うことなどない。

 世界なんて救わない。

 だとしたら。

 全と個。初めから、優先するべきものが何かなんて分かっている。

 

「……、ああ」

 

 長い長いため息が、少年の口から漏れた。

 救われるべきはどちらか。

 それは。

 犠牲の上で成り立つ世界などではなく。

 きっと。

 ありふれた幸福を、誰もが手に入れた世界であるのなら。

 裁定は、下される。

 

 

「なんだ。俺が、死ねば、よかったのか」

 

 

 理解して。

 その事実を呑み込んで。

 どうしてこんなにも簡単なことが、ずっと分かっていなかったのだろう、と藤丸は思ってしまった。

 幾多の世界で足掻いてきた。

 一度も折れることなく、走り抜けてきた。

 だけど、もう無理だ。

 これ以上はもう、何処にもいけない。こんな可能性を見せられて、それでも、我慢する理由が何処にも見当たらない。自分より上手くやれた結果があるなら、それに飛び付く。今までだってそうしてきた、そしてそれは、これからもそうだろう。

 たった一人が死ぬだけで世界が救われるなら、一番お手軽な解決法だ。それが自分のような、誰の記憶にも残らない人間なら尚更。

 藤丸だって、彼らの笑顔を守りたい。

 そんな資格が今更自分にあるのかも分からないけど、そんな力は自分にないことは知っているけど、それが出来るのは、やはりこれしかない。

 何も出来ないのなら、せめて。これぐらいは、させてほしかった。

 

「……うん」

 

 だから。

 きっと。

 これは。

 正しい。

 

 

「分かったよ、オティヌス。俺、死ぬよ」

 

 

 余りにも呆気なく、藤丸は立ち上がった。

 ふらふらと、まるでシャボン玉のように。空に浮かんで、そのまま弾けてしまいそうな足取りで、黄金色の世界へ消えていく。

 

 それが。

 世界を救う、最期の戦いの始まりだった。

 

 

 

 



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絶望の畔 Golden_Out


 世界が灰色に見えだしたのは、一体いつのことだっただろうか。
 長い年月が、この惑星で過ぎ去った。流転する速度はそれこそ嵐のようだったし、その間に環境も大きく変わった。
 だけど、その間も世界は、ずっと灰色に見えていた。
 当たり前だ。
 愛する人を得ていた、あの時間だけが。自分にとって、世界は黄金に見えていた。空も、土地も、人すらも眩しく見えていたのだ。
 しかし、もうそんな世界はない。
 この灰色の世界に、価値などない。
 そしてそれは、自分の命もそう。
 愛する人をこの手で守れなかった時点で、この命に意味など無くなった。
 だから、私は繰り返す。
 黄金の時間。黄金の世界。最早記憶にしかないそれを、何度も繰り返す。この体で良かったのはそれだけだ。過去に想いを馳せる行為も、きっとこの体で無ければそこまで繰り返せない。
 繰り返して、繰り返して。
 ふと、思うときもある。
 もしも、それが現実になったなら、と。
 無論そんなことはあり得ない。夢は夢だからこそ美しいのだし、自分にそんな願いを叶える権利があるとも思えなかった。
 だけど。
 本当にそれが、叶うのなら。
 私は。

 この世総てを敵に回してでも、助けたい人がいる。



 

 自殺、と言っても色々な方法がある。

 現代社会で最もポピュラーな自殺と言えば、間違いなく投身自殺だろう。包丁を急所に刺す、という方法も無くはないが、その勇気と度胸があるかと言えば、頭を振るしかない。

 オティヌスの言う崩壊を防ぐために、取れるなら確実な手を。そんなことを考えながら、藤丸は町を歩いていた。

 

(やっぱり高い場所から飛び降りるのが確実、なのかな)

 

 魔術礼装によって、藤丸の体は一般人より耐久力はある。しかしそれは、あくまで雀の涙程度だ。一定の高所、高層ビルなどから落ちれば問題はないだろう。

 直前に足がすくんでも、投げ出せばもう止まらない。あとは勝手に落ちて、それで終われる。確実だ。

……思えば。自殺なんてこと、今まで一度も考えたことがなかった。

 それは死にたいと思わなかったとか、そんなポジティブな理由ではない。自分の代わりが、世界の何処にもいなかった。ただそれだけだ。だからこそ死ねなかったし、後がないことに追い詰められたし、そういう欲求を我慢してきた。 

……改めて考えると、よく今まで我慢出来たな、と自分でも驚いてしまう。

 そんな感覚まで、麻痺していたのだろう、自分は。

 何処かで、軋む音がした。

 

「……」

 

 ふらふらと歩いて、藤丸は町の景色に見覚えがあることに気付いた。

 最初の公園から、ここが現代かと誤解していたが、どうやら違う時代、違う土地がごちゃ混ぜになっているらしい。例えるならそう、特異点と特異点が融合するような形で、一定の距離を歩くと全く別の時代、町並みへと変化している。

 今は優雅なオルレアンと、絢爛なローマの町並みの混成だった。藤丸からすれば違和感しかない光景だが、そこにある幸福を見れば、きっと誰も異議は唱えない。騎士達は剣を捨て、違う国同士であろうと分け隔てなく並んで、踊っていた。

 その中心で一心不乱に、路上に置かれたピアノを演奏する姿が、遠くからでも見える。

 

「ハハハ、全くさあ! この僕に演奏しろだって!? 気が乗ったから良いものの、本当ならこんなこと滅多にやらないんだぜ!? チップだってそれなりに、いや腐るほど欲しいものだよ! あくまでマリアが可憐に踊るためなんだから、そこら辺勘違いしないでくれよサンソン!」

 

「いいからお前は黙って演奏してろアマデウス! こっちはいっぱい、いっぱいなんだ……!」

 

「あら、違うわサンソン。ほら、こうやってステップするの。こう、ね?」

 

「えぇい、マリー様の手をどれだけ煩わせる気だ!? というか君だって社交場で何度か踊ったことくらいあるだろう! なんでそんなにダンスが下手っぴなんだ!?」

 

「マリアが相手だと、緊張していつもみたいに踊れないんだよ……! おいピアノ、急にテンポを早めるな、こんがらがるだろう!」

 

 藤丸の側を、通り過ぎていく人々。彼らはピアノに引き寄せられるように近づいていく。

 

「おお……! これはまた、見事な演奏ではないか! もしや余も路上ライブ、とやらを開く絶好のチャンスなのではないか!? 観客も踊り子も揃っているし、うむ!」

 

「いやネロ、今から我が虜を迎えにいくのだろう? 道草を食っている暇があるのか?」

 

「何を言うかアルテラ! よいか、こんなによい演奏を耳にしたら、誰だって歌いたくなってしまうもの! 少なくとも余は歌いたい、今すぐ歌いたい是非歌いたい!」

 

「ふむ。我が虜は恐らく玉藻辺りとランデブーしてる頃だろうが、さて。そこまで言うなら一曲歌うしか」

 

「仕方ない奏者のためだ今すぐ行こうそうしよう!!!!」

 

「ハァイ、全世界の子ブタ達!! 盛り上がってるーーっ!? アタシを差し置いて路上ライブとは寂しいことしてくれるじゃない! 飛び入り参加でも、アタシの子ブタ達なら許してくれるわよねーーっ!!」

 

「むおっ!? エリザベートが三人、いや五人だとォ!? また増えたのか!?」

 

「いや、恐らく両側二人は別人というか、メカみたいになってるが……いや本人もヴォイドってるのか……? ん、このライブは破壊した方がいい気もするな……」

 

 路上ライブが開始する前に、景色が切り替わる。

 次は海賊船が停泊した港、そして霧の都ロンドンだった。まるでテーマパークのような景観が広がる中、やはりお祭り騒ぎはあちこちで起きている。

 

「野郎共、いくぞォッ!! 俺達は今日、戦いにきた!! 具体的には濡れ透けお嬢さんを量産するために、このウォーターガン()を取りやがれェッ!!」

 

「マスケット銃を改造して何をするかと思えば、またくだらないなあ……ねー、もう僕ら下りていいかなあ、この船から」

 

「あら、私はメアリーを濡れ透けにすることに吝かではありませんけれど……まあ、この船長の前では嫌ですわね」

 

「いやね、おじさん的にはまずそういう発想がどうかと思うわけよ。ほら、どう思います、キャプテン?」

 

「どうもクソもあるか。そもそもなんでオレはこんな船に乗せられてるんだ? アルゴー船はどこいった? メディアか? またあいつの仕業か!?」

 

 一瞬、藤丸の目の前が真っ暗になった。影を落としたのは、二人を担いでなお、のっしのっしと歩く少年だった。

 

「ねえアステリオス、あそこのカフェなんてどう? あそこならあなたの大きい体でも入れると思うのだけど」

 

「うー……えうりゅあれ、ごめん。こーひー、ぼく、きらい」

 

「あら、あなたでも飲めるものはあるのよ、アステリオス。まあ(エウリュアレ)が一緒にコーヒーを飲みたいなら、話は別だけど」

 

 喫茶店から香ばしい匂いが漂うが、藤丸に食欲などなかった。視線だけを向けると、テラスにはジャケットにチューブトップの少女と、紳士然とした青年とがテーブルを挟んでいた。

 

「だからよ、父上が最近増えすぎて、どう呼べばいいか分からねーんだって。なー、どうすりゃいいと思う?」

 

「……普通、父親はそんなポンポン増えないと思うのだけど……セイバーの家はその、本当に複雑だね」

 

「まぁなあ。そろそろ十人くらいに分裂してるしよ。でもお前だって、あの作家二人を泊めてんだろ? 毎日奇行ばっかで困ってるって、バベッジのおっさん言ってたぞ」

 

 切り替わる。

 次に見えたのは、アメリカ西部にあるような酒場だった。

 

「いやー、サーヴァントで早撃ち勝負なんてしたら面白いとは言ったけど、店ごと吹っ飛ばす奴は初めて見たよ!」

 

「申し訳ない……その、オレはランサー、もといランチャークラスだ。飛び道具で皆に勝てるようなものと言えば、この目だけだと思い……その……すまない」

 

「その、私の弓がカルナの攻撃に劣るわけにいかないと思ったら、つい力が入ってしまい……」

 

「笑い事ではないだろうに。我々はサーヴァントだ、今の世を乱さないためにも、節度を保たねばならないだろうに……ビリーも笑いすぎだ」

 

「わっとと、分かってるよジェロニモ。全くお堅いんだから」

 

「おい凡骨、なんだそれは」

 

「なんだもなにも、我ら二人で発明した直流交流システムだろう。む、何か問題でもあるのか、ミスターすっとんきょう?」

 

「さらりと交流を後ろにしただろうがこのライオンヘッド!! 交流こそ至高、故にその前時代的な直流を後ろにして交流直流システムに今すぐ改名しろ今すぐだ!!」

 

「すまないがもう商標登録その他諸々は済ませてあるので……」

 

「凡骨貴様ァッッ!!!!」

 

「あーもーうるさぁい!!! そんなに電気の話がしたいなら酒場の外でやってちょーだい!! あっちでバリバリこっちでバリバリ、間に挟まれたせいで髪が静電気にさらされる気持ちも考えてくれるかしら!?」

 

 その反対では、白亜の城が構えており、その入り口では騎士達がたむろしていた。

 

「私は悲しい……数歩足を動かせば酒場があるというのに、そこに行くのは騎士としての矜持が許さない……ああ、なんたる悲劇か……」

 

「いやトリスタン卿、あなた昼間とか立ったままポロロンポロロンやって寝てたでしょう。酒盛りするには色々とこう、仕事をやってからじゃないとダメな部類かと思いますが」

 

「ベディヴィエール卿の言う通りだ。卿は少し自由がありすぎる」

 

「そういうあなたはサングラスにアロハシャツで帰り支度してる辺り、この後の予定が透けて見えますが、湖の騎士殿」

 

「いやガウェイン卿、誤解だ。だからまずその聖剣を下ろそうじゃないか。な? な?」

 

 一歩一歩に、とてつもない労力が必要だった。しかしそれは、藤丸立香という楔を、この世から引き剥がすために必要な儀式だ。

 情けないことだが、寸前で藤丸の中に楔が残っていれば、足踏みしてしまうだろう。

 確実に死ぬためにも、歩く必要がある。

 また景色が変わる。

 今度の町は、単一だった。

 石材で作られた建造物が並ぶそこは、大都市ウルク。藤丸にとっても苦い思い出が多々甦る場所。

 

「ふむ。流石にここまで理想的だと、少々刺激が欲しくなってしまうものよな……」

 

「おや、今のギルは一応賢王なんだろう? 僕個人としては、まあ、昔の苛烈さが好ましくはあるけれど」

 

「……私としては、昔の王はこう、少々、いやかなり、アレでしたので……一言ぶちまけたいくらいには」

 

「ハハハ、許せシドゥリ。若気の至り若気の至り」

 

「そういうとこなんじゃないかなあ、とマーリンお兄さん思うなあ。ま、こんな結末も悪くはないけれどねえ……」

 

 町を眺める彼らを追い抜くと、更に景色は混沌と化していく。

 新宿、アガルタ。

 

「どうしたカヴァス二世? ふむ、あの狼の餌が足りないと。全く王の手を煩わせるとはしょうがない奴、と言いたいところだが……そこはそれ。久々に王の度量を見せるとするか。おいそこの無駄にダンスの練習ばっかやってる突撃女」

 

「言っとくけど暇じゃないからね、私。つか、なんで私がそんな使い走りしないといけないのよ死ねば?」

 

「あ? パシられるためにダンスって待機してたんだろう、違うのか?」

 

「違うわよこの冷血女!! 鼻フックしてコーラ流したろか!?」

 

「ネバーギブアップ、って言葉。知ってるか、お前さん」

 

「はい、存じていますが……あの、その、それが死なないことと何の関係が……?」 

 

「つまり、諦めなければ夢はいつか叶う、ってことよ。諦めなければ、俺達は死なねえ。つまりは不老不死さ。だからあんたの話術でそのことを刷り込めば、奴隷達をいくら働かせても死なねえそういうことさ!」

 

「いえ、人はいつか死ぬのでお断りします」

 

 下総国、セイレム。

 

「おいおぬい。儂ァ確かに何でも欲しがれとは言ったけどよ……剣なら儂が幾らでも打ってるだろうが」

 

「むぅ。じいちゃまの、ぜんっぜん飾り気がないんだもん。私は武蔵さんみたいに、華のある奴が欲しいの!」

 

「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない、このこのぉ! あっうんごめんなさいおじいちゃん、だからそのめっちゃ業物の刀は仕舞ってね? ね? 刀は飾り気じゃないもの、そうなのよーおぬいちゃん!」

 

「……わぁ、見てみてラヴィニア! セイレムであんな大きいぬいぐるみ、見たことがないわ!」

 

「うん……凄い……ふ、二人で抱き締めても、よさそう……」

 

「あら、それってとっても素敵なことだわ! そうだ、あとでおじ様に買ってもらえるかお願いしてみましょう?」

 

「ん、そうだね……そうしたい、な……」

 

 見覚えのある顔が、いくつもあった。

 中には知らない関係を築く人達もいたけれど、きっと、藤丸の知る世界よりも良い結果になっているに違いない。

 そこまで来て、ようやくこの町は、特異点を順番に回っているのだと気付いた。

 なら、あとはもう何が来るか、藤丸でも理解した。

 景色が、切り変わる。

 

「……、」

 

 一面に広がる、銀世界。しかしよく見ると、そこも二つに別れている。しんしんと降り積もる雪と、空に浮かぶオーロラが場所を物語っている。

 ロシア、北欧異聞帯。

 やはりというか、公園で見かけたときと同じく、ヤガと子供達は歌を歌っていた。きっとその曲が、好きなのだろう。騒ぎ立てるようだったアマデウスとは違って、ピアノの奏者はただ粛々と、自分自身を安らげるように、穏やかに弾き続ける。

 

「いい歌だな」

 

「ああ。あの先生が教えてくれてよ。なんでもそう、きらきら星、だったか。ガキどもだけじゃねえ、俺らまで歌いたくなっちまうよなあ」

 

 まるで、それは祈祷だった。

 どうかこれからも。こんな時間が続きますように、と。そう祈るような。

 そして。

 最後に、景色が変わる。

 辿り着いたのは、特異点F。冬木市だった。現代日本に程近い町並みは錯覚でなければ、藤丸の住んでいた町にも似ているように思える。

 そんな町の歩道橋を、ゆっくりと、歩く。

 後悔を、呪いを削り取っていく。ここにある正しさに、心を傾けさせていく。

 そして。

 

「あ、皆さん!」

 

 その声でようやく、藤丸は顔を上げた。

 マシュ・キリエライト。

 彼女は目を輝かせて、こちらへ走ってきている。誰に対して心を開いているのか、誰を焦がれて目を輝かせているのか、藤丸は、何となく理解していた。

 それでも、視線が一瞬重なった気がして。

 そして。

 

「待っていてくれたんですね、ありがとうございます。今日は私が主催させていただきます、Aチームの懇親会(・・・・・・・・)なんですけど……」

 

 少女は、藤丸を通り過ぎていった。

 最初から彼女は、少年のことなど意識の何処にも置いていなかった。

 背後から、和気藹々とした声が聞こえてくる。

 それは、藤丸立香の世界を壊した人間達の、声だった。

 

「……」

 

 振り返る。

 そこにはクリプター達と、仲良く談笑するマシュの姿がある。遅れてロマニとダ・ヴィンチも追い付いていた。

 そこには、藤丸立香の入る隙間など、何処にも存在しない。

……きっと。人理が崩壊していなかったら。こうなるはずだった光景を。自分が奪ったことで、作れなかったその光景を、藤丸は目に焼き付けて。

 それで自分は間違っていなかったと、確信した。

 この世界が正しいと思える理由を、また一つ見つけられた。

 同時に。

 何処かで、軋む音がした。

 

「……」

 

 振り返ることを止めて、藤丸はまた歩き出す。

 そこからは早かった。歩道橋を渡り、そのまま都市部へ入ってみると、一際大きいビルを見つけた。都市開発を担うセンタービルらしく、百メートルはくだらないか。

 ここならば。

 この世界では藤丸の存在は本当に薄いらしく、中に入っても素通りだった。エレベーターに乗り込むと、緩やかな加速から上昇していき、藤丸は屋上に到着する。

 

「……」

 

 吹き付ける風が、少し生暖かい。春の陽気にも近いそれは心地よくて、藤丸は金網の上をガシャガシャと歩いていく。

 屋上の景色は、格別だった。

 一面に広がっている黄金のパノラマは、それまで見たどんな景色よりも美しく、それでいて嘆息してしまうほどだ。落ちていく夕陽と、それを覆うように被さる夜空の見事なコントラストは、きっと、普遍的で理想的な世界だった。

 それでいて、直下にある町並みですら、輝いている。今まで切り替わったと認識していた特異点と異聞帯は、どうやら地続きだったらしく、屋上からだと全ての景色が果てしなく広がっていく。

 美しかった。

 それは人理という人の縮図をそのまま描き出した、一枚の壁画のようだった。

 

「……ああ」

 

 これは、作れない。

 こんなもの、逆立ちしたって、藤丸立香には作れやしない。

 色んな世界を壊して、一つの世界を守ってきた。旅は険しく、されど藤丸なりに一生懸命答えを求め続けてきた。

 だが、その先に果たして何が待っていただろうか。

 別に富や名声が欲しかったわけじゃない。そんなものがあったって、世界が滅んだままでは意味がない。ただ当たり前に広がる世界を、隣にいる誰かと、当たり前のように享受したかっただけ。

 だけど、それすら藤丸立香には成し遂げられなかった。

 きっとこの世界の、一割分の幸せすら、誰かに与えることは出来なかった。

 

「……ずるいなあ」

 

 思わず、藤丸は呟いた。

 後出しでこんなもの出されたって、勝てるわけがない。平凡な少年に、こんな世界を望まれたって、叶えられるハズがない。

 こんなにも美しいものを叩きつけられて、少年が抱いた感想は、それだった。

 なんて、醜い。

 なんて、度しがたい。

……英霊達が藤丸立香の元に残らなかったのも、至極当然のことだ。こんなにも卑屈で、自分の功績ばかり気にしている、どうしようもない自分が、あんなにも凄い人達を率いていたこと自体、可笑しかったのだ。

 だから、足はもう止まることはない。

 屋上の端まで、歩を止める。強風で流されただけで藤丸立香の体は投げ出され、そのまま落下していくだろう。

 だから、あとは時間の問題だ。

 

「……」

 

 目は閉じなかった。そこで逃げることだけは、絶対に許されないと思った。

 ぐらり、と体が揺れる。それは空を切った足のせいだ。そこまで行けば、もう誰の手でも止まったりしない。止まれない。

 明確な終わり。

 なのに、やっぱり軋む音がする。

 ぎし、ぎし、と。ずっと耳元で軋む音がする。それが何なのか気になったけれど、もうどうだっていい。

 そして。

 黄金の空へ、落ちていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その、直前のことだった。

 

 

「うおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……!!!????」

 

 

 それは怒鳴るというより、悲鳴に近かったのだろうか。

 ドップラー効果をたっぷり含んだその声は、真上。今まさに、落下を始めていた藤丸の目と鼻の先。

 つまるところ藤丸より先に、誰か、落ちた。

 

「……!?」

 

 黒い影が過った瞬間、咄嗟に藤丸は右手を伸ばしていた。助けないと、というより、何とかしなきゃ、と思ったのか。

 大事なことは、藤丸も自身が落ちかけている事実を失念していたことだろうか。

 足が、完全に地面から離れた。

 黒い影を掴んだ右手ごと、フリーフォールが始まる。排水口に引きずり込まれるような形で、藤丸立香は落ちて、最期にはトマトのように肉片を。

……撒き散らさ、ない?

 

「ぐ、お、ええ……せ、清掃用のゴンドラか? うぐぐ、嫌なとこまで真似てやがる……」

 

 どうやら、数メートル下に足場があったらしい。藤丸はどうやら、その影とまとめて突っ込んだようだ。背中や足に痛みがあったものの、何とか軽い打撲程度で済んでいる。

 

「いやあ……本当に助かった。まさか召喚されて(・・・・・)、いきなり急転直下、パラシュートとかそういう類いのもんは一切無しとか、サーヴァントってこういうもんなの? だとしたらブラック過ぎない???」

 

 黒い影だと思っていたのは、どうやら人らしかった。まるでゴミ箱にお尻から座ったような間抜けな形のそれは、捲し立てるように喋る。

 藤丸は恐る恐る、

 

「……あの、君は? サーヴァントって、さっきそう言ってたけど……」

 

「あー、まあ色々話さなきゃいけないことがあるんだけど……とりあえず、自己紹介からで」

 

 そして。

 ツンツン頭の少年(・・・・・・・・)は、こう言った。

 

 

「ーーサーヴァント、イマジンブレイカー。真名は上条当麻。アンタの声を聞いて、駆けつけた」

 

 

 右手で髪を掻くと、サーヴァントは困ったように、

 

 

「……とりあえず、そのぉ。初対面でこんなこと大変言いにくいんだけども。お尻がずっぽりハマってここから動けそうにないので、助けてもらえませんか……?」

 

「えぇ……?」

 

 

 



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平凡な少年 Not_a_Hero

 

 ゴンドラから抜け出そうとする藤丸達から、少し離れた高層ビル群の屋上。

 そこで、二人の男女が彼らを見届けていた。

 一人は金の獣染みた長髪を垂らしながら、その体は崩壊の一歩手前を何とか維持している有り様だった。しかしその瞳は修行僧のように頑なで、立ち姿にも迷いがない、そんな男だった。

 もう一人は誰もが目にしたことのある絵画を、そのまま現実に抜き出したかのような女性だった。しかしその美貌は仮面で隠され、元となった本人よりもやや女性的な雰囲気を醸し出している。

 彼らはこの世で唯一、オティヌスの改変を受けていない。いや受けられなかった、と言ってしまえば良いのだろうか。いくら完璧に見えようがその精度は八十パーセント、と豪語していたオティヌスの言葉が正しいなら、まさしくこの二人は運が良かったのだろう。

 本来、それはあり得ぬ邂逅だった。

 未来でも過去でも、そして現在であっても。この点と点が交わることはない。

 しかし、それはあくまで汎人類史のルール内でならの話。あらゆる物理法則が単一の神によってねじ曲げられたこの異聞帯では、そういったことも起こり得るのだ。

 

「たかがシステムが、そこまで憐れみを持つとはな。優秀なのも考え物だというわけか、ムネーモシュネー?」

 

 ムネーモシュネー、と呼ばれた女性が男の言葉に顔を歪ませる。

 

「……ここで折れるのであれば、それはそれで良い結末だと、そう思っただけです。これ以上彼が傷つくことがないのなら、何かを奪う必要がないのなら、それは確かな救いでしょう」  

 

 藤丸立香はこれまで、三つの世界をその手にかけてきた。それでも彼の精神が耐え切れたのは、単に彼の痛覚が麻痺していただけだ。数万、いや数億にも匹敵する虐殺など、感覚的に理解することなどまず不可能だろう。だからこそ乗り越える度に、痛みはあれど正常な感覚を失っていったのだろう。

 それが、普通の人間であっても、あんな地獄を乗り越えられた理由だ。

 痛すぎて、苦しくて。それを表現することそのものが間違っていると、自分にはそんな資格がないと、心の内に押し込めた。元々そうやって生きてきたのか、それで何とかなってしまっていたのだ。

 オティヌスがしたのは、その痛覚を蘇らせること。つまり、失ったはずの全てを、藤丸立香には決して救えないものを片っ端から救いあげることで、彼に思い出させたのだ。奪ったものの価値を。

 そうなればもう何処にも動けない。元々頑丈な人間ではないのだから、その痛みだけで後は勝手に崩れる。 

 

「彼は壊れていた。異聞帯での罪は、彼一人が背負う罪などではありません。例えそうだとしても、それは彼のような平凡な人間が背負っていい重さじゃない」

 

「……平凡、か」

 

「何か間違っていると? あなたを下した相手は、一騎当千の英雄だとでも言うつもりで?」

 

「まさか。あれほど平凡という言葉が似合う男もいまいよ」

 

 男は苦笑して、

 

「良くも悪くもあの男は、人類最後を担うにふさわしい。善人ではあるが、最適解を選べるほどの賢者でもない。だから失敗なぞ幾らでもするし、他者の想いだって踏みにじる。正しく、人間という種の代表だよ」

 

「……彼は、そんな人間では」

 

「お前達の誰にも見せなかっただろう、そんな一面は」

 

 男は確かに見た。三千年に渡る妄執を、絶望を。一個人の感情だけで否定された瞬間を。

 そして同時に、気付いたのだ。

 自身を追い詰めた奴は、何処までも弱者だったけれど。それはきっと、弱者だからこそ、あんな答えが出せたのだ。

 世界を救うためでも、誰かを守りたいわけでもなく。

 ただ、生きたいと。

 何処までも単純に、そう言えたのだ。

 

「過大評価が過ぎたよ。あの男は、そこらにいる人間と何も変わらない。善人ぶってはいるが、お前達にだって思うところはあったはずだ。それを一度も見せなかった時点で、自身への執着など捨てたつもりだったのだろう。よくもまあ、そんな身の丈の合わないことを続けられたものだ」

 

「……彼が……」

 

「だから奴はここで折れる。他ならぬお前達のために、自分を犠牲にして、な。そしてここで折れるなら、この先の異聞帯のどれかで、遅かれ早かれ朽ち果てる」

 

 みんなの幸せのために、自分を犠牲にする。実に英雄らしい行動だ。確かにそれはみんなから拍手をされて、称賛されるべき綺麗な選択だろう。

 そして人類最後のマスターは、そうあるべきだ。命に大小は無くとも、全よりたった一つを優先する理由など、その立場なら無いのだから。

 初めから藤丸立香に期待されたのは、そんな捨て駒的な役割だけだった。

 と、

 

「……では、あなたはどうするのですか? 私のようにこの結末を良しとするので?」

 

「別にどんな結末を迎えようが、知ったことか。私はただ、それを見守るだけだ。所詮は舞台から降りた役者、介入などしたところであの魔神がそれを許さんだろう」

 

 まあオティヌスの行動は不自然ではあるが……、と男ーーゲーティアは、唇の端を吊り上がらせる。

 

「……本当に、この私がそんな小綺麗なだけの奴に負けたなら、の話だが」

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやあ、世界一マヌケなリタイア宣言をするとこだった。あぶねえあぶねえ。尻がゴンドラに挟まって動けないから負けました、なんてサーヴァント史上絶対いないだろそんな奴」

 

 そもそもサーヴァントかも怪しい少年は、まるで落第をギリギリ避けた学生のような調子でぺちゃくちゃ喋っていた。

 二人してゴンドラから何とか抜け出し、とりあえずまた落ちるのも何だからと場所を変え。そうしてたどり着いたのは、学生寮の一室だった。

 備え付けのベッドと、白いカーテンくらいしか特徴のない部屋。この異聞帯で初めて目が覚めたときに使っていた、あの部屋だ。

 その時とは随分と雰囲気も変わって、まるで使用した形跡がない。そこだけは誰の手垢もついていない、まっさらな空間にも思える。

 揃って床に座り込む形で、二人は相対する。

 

「ええっと……それで。イマジンブレイカー、で良いんだっけ……?」

 

「普通に上条でいいよ。サーヴァントだからってそこら辺は気にしないで、気楽に構えててくれ。ほら、ステータスとか低すぎてお世辞にも英雄サマだなんて言えないし」

 

 自虐にしては慣れていて、何だか早くも苦労人オーラを出し始めるツンツン頭。

 この上条という少年、フランクというよりは、本当にただの少年のように思える。今まで出会ってきたサーヴァントで、一番英雄らしくないというか、藤丸としても少し親近感が湧いてきた。

 それにしても……クラス、イマジンブレイカー。エクストラクラスの一種だろうか。この邂逅はオティヌスの予想の範疇か、はたまた全くの異物か。

 しかし藤丸は上条の存在を手放しで喜べない。

 

「……君は抑止力によって召喚された、サーヴァントなのか?」

 

「まあな。さっきも言ったけど、大抵は俺じゃなくて他のサーヴァントの方がよっぽど役立つ。でもアイツ、オティヌスが相手なら、確かに俺はカウンターになる。……はずなんだけど。その抑止力ってのもオティヌスなら無理矢理ねじ曲げられそうだし。全く何考えてるんだか、アイツは」

 

 後半部分はぶつぶつと呟いていたが、とにかくこの少年ならば、オティヌスに戦いを挑める程度には対抗出来るらしい。

 光明が見えたように感じるが、そんなことはない。

 何故なら、

 

「……悪いけど、俺は戦わない。この世界は、壊せない」

 

 ここは完璧な世界だ。

 サーヴァント達は勿論、パツシィやゲルダといった異聞帯の住民や、更にはマシュやクリプター達まで。ありとあらゆる命がここでは、各々の幸せを享受している。

 戦う理由どころか、むしろ守らなければならない理由しか見つからない。

 

「召喚されて早々悪いけど、君の力を借りることはないよ。だから、ごめんなさい」

 

 藤丸が深く頭を下げる。それは彼なりの誠意だった。得体が知れなくても、相手はサーヴァント。つまり死者だ。それを呼び起こしたのにやっぱり間違えたので帰ってくれだなんて、藤丸からすれば恐れ多い。

 すると、それこそ学校に行くような口振りで、上条はこう返した。

 

「分かった。じゃあ、アンタはここで待っててくれ。その間に俺はオティヌスの野郎を()()()()()()()()()()

 

 え、と藤丸が頬を引きつらせた。

 戦う理由がない。藤丸は確かにそう言った。なのにツンツン頭のサーヴァントは、お構いなしに続ける。

 

「多分、俺が一人で行けば、アンタが狙われることもないと思う。巻き添えを食らうこともないだろうし、何よりそんなことさせない。これでもサーヴァントだからな。マスターの命くらいは守れるさ」

 

「……、」

 

「ああ、マスターのサポートが無くても平気なのかって話なら、大丈夫。つか、魔神相手にそんじょそこらの魔術をぶっぱなしたところで、狙われるだけだし、俺はそういう補助とか受けられないから。だからここにいてくれれば、あとは俺が何とかする。絶対に、アンタを元いた世界に返してやるよ」

 

 この少年は、何を言っているのか。

 藤丸は数秒程度、理解が追い付かなかった。

 しかし、上条の目は本気だ。本気で、オティヌスに戦いを挑もうとしている。この完璧な世界に。

 

「ま、待って……な、何言ってるんだ、さっきから? 俺は戦わないって、そう言ったんだけど」

 

「ああ。だからここで待っててくればあとは俺が何とかするよ」

 

「そうじゃない!!」

 

 藤丸は訴える。

 

「ここからどうしろって言うんだ!? 戦う戦わないなんて話じゃない。そんな次元、とっくに飛び越えてる! 勝算の問題でもないんだ。ここから先に進むこと自体が、俺には到底出来ないんだよ!!」

 

「本当にそうか?」

 

 上条はあくまで、冷静だった。腕を組み、

 

「これまでのことは、サーヴァント契約を結んだ時点で、大体知ってるよ。異聞帯のことも、人理焼却のことも。その上で、俺は聞きたい。本当に、アンタはここで止まっちまうのか? ここで終わって、それで良いのか?」

 

 上条の指摘は、それこそ楔のように藤丸の心を理想へと押し留める。

 

「……分かってるよ、言われなくても」

 

 唇を噛んで、

 

「あれだけの人を殺しておいて、あれだけの屍を踏み越えておいて。最後は救うべき世界から背を向けて、こんなところで崩れるのは、確かに間違ってるのかもしれない。異聞帯の人達の死が、サーヴァントのみんなが守ってくれた世界が、無駄になることは、確かに怖いよ」

 

 でも、

 

「だからこそ、この可能性は。誰もが夢見た、この儚い願いだけは、どうしても守りたいんだ。守らなきゃいけないんだ」

 

 みんなにこうなってほしかった。

 でも現実は違って、悪い方向にどんどん進んで。誰も彼も争って、蹴落として、それを仕方ないって顔でみんなして受け入れるしかない。

 たった一度の選択で、数千、数万の人間が欠片も残さず消えていく。

 

「あんな現実より、絶対こっちの世界の方がいいに決まってる。例え在り方が歪んでても、それ以上の道なんかない、何処にも繋がらない断崖絶壁でも。奪うよりはよっぽどいい」

 

 そう、結局それだ。

 もう誰からも奪いたくない。何も知らないフリをして騙すのも、未来がないことを告げないのも。

 そんなことをこれから続けるのは、もう無理だ。この世界を見て、なお続けるのは、そんなの自分が耐えきれない。

 藤丸立香はそれを正しく認識してしまった。だからこそ、この先には進めない。

 

「そりゃそうだろうな」

 

 でも、と。

 上条当麻は理解した上で、こう言った。

 

 

「でも、それでなんで、アンタが()()()()()()()()()()()?」

 

 

 いっそ。

 その問いには、疑問すら浮かんだ。

 だってそれは問いとして、何も成り立っていない。

 自分のような何の取り柄もない人間は、ここにいる人達のような、大切なものを持っているわけじゃない。

 だから、死ぬのだ。自分にそんな価値などないのだから。

 

「幸せな世界? 誰も欠けていない完璧な理想郷? そりゃあ凄い。人間が人間である内は、絶対に成し遂げられない偉業かもな。でもなんで、そんな世界のためにアンタが死ぬ必要なんてあるんだ?」

 

 なのに。

 藤丸が固まっている間にも、上条は切り込む。完璧だと思われていた世界に、小さな風穴を開けていく。

 

「それを維持するために、アンタが死ななきゃいけないなら。こうやって頭を抱えて、いっぱい苦しんで、その末に命を投げ出すことは、絶対に幸せなんかじゃない。だって、そんなの魔女裁判なんかと一緒じゃねぇか。たった一人、何も悪くない少年に石を投げつけて、その屍を踏みつけてケラケラ笑ってるのと一緒だ。

 そんなの、理想郷なんかじゃない。むしろ一人を殺して万々歳って話なら、それはこの世で最もおぞましい民主主義によって成り立った、偽りの箱庭だ。そんなの理想郷でもなければ、誰かの幸せにだって繋がってないよ」

 

「……違う」

 

「違わないよ。自分のポジションを他人に置き換えてみろよ。恋人、家族、友達、誰でもいい。顔の知ってる誰かが自分と同じ立場に立たされて、はい分かりましたって二つ返事で受け入れる奴が一人でもいると思うか? 今のお前みたいに、悩んで、考え抜いて、最終的に自己否定でぐちゃぐちゃになっていくに決まってる」

 

 確かに。これがもしマシュなら、彼女は苦しみながら頷くだろう。しかし頷くとしても、それを認められるかは別だ。少なくとも藤丸は、そんなことがあったとしたら、マシュの犠牲を認められない。

 

「……それでも」

 

 みんな幸せだった。

 マシュも、ドクターも、ダ・ヴィンチも。切り捨てたハズのパツシィやゲルダも……みんな幸せで。

 それを否定出来るほどのものを、藤丸は見つけられない。みんなが幸せを掴んだ世界に、唾を吐けるほどの何かなんて、平凡な少年は持っていない。

 

「じゃあそのみんなの幸せに、アンタ自身の幸せは入ってるのかよ?」

 

 ツンツン頭のサーヴァントは、なおもそれを認めない。

 上条は最初、汎人類史のために立ち上がれと、そう言っているのだと思っていた。

 しかし違う。この英霊はその真逆のことを、藤丸に思い知らせようとしている。

 あるいは、オティヌス以上に鮮烈な言葉で。

 

「確かに、誰かに幸せになってほしいって想うことは間違いじゃない。だけど、そのためにアンタが幸せを捨てることないだろ。本当にこれが理想郷だっていうのなら、アンタの幸せだって絶対に叶えられるべきだ。なのに叶えるどころか、アンタは善意にすり潰されて、今は一人ぼっち。

 そんなのはただの悲劇だ。みんなの幸せはたった一人の命で賄われていたのです、なんて出来の悪いご都合主義、神様がやるにしたって意地が悪いにもほどがある。わざわざ一席分、誰かの幸せを放り投げてるんだからな。凝り性の神様らしくもない、質の悪い悪戯だよ」

 

「……だから、戦えって?」

 

「だってそういうのが一番許せなかったろ、マスターは?」

 

 まるで食べ物の好き嫌いの話をしているような、そんな感覚だった。

 六十億と、一。天秤にかけるまでもない、誰がどう考えたって優先すべきものが分かっている選択を前にして、上条当麻は当たり前の事実を思い浮かばせる。

 

「特異点、異聞帯。その中には近い未来死ぬ運命の奴や、見捨てればそれで余計なことに巻き込まれず済んだことだって一杯あったはずだ。

 でも、アンタはそれを無視しなかった。助けた助けられなかったの話なんかじゃない。後悔することはあっても、その全てに関わってきた。たった一人であっても、理不尽に切り捨てられる行為を、許せなかった。だって、自分がそうだっただろ? 突然世界を奪われて、わけもわからず歩けって言われて、だから自分と同じ理不尽にさらされる誰かを、アンタは許せなかった」

 

 故に、戦ってきた。

 理不尽に奪われたままなのは、嫌だったから。自分はまだ、■■■いたいから。その一心で。

 世界の行く末とか、そんなものは関係なく。ただ奪われることを良しとしない、それが藤丸立香だった。

……不思議だった。

 上条の言葉は何処にでも転がっているような事実ばかりで、特段珍しいモノではない。けれど、藤丸の心にはその当たり前が、何より響いてくる。

 英霊という特殊な存在を侍らせてきた藤丸にとって、そういった当たり前は忘れそうになる。

 だが。

 だからこそ、藤丸は上条の言葉を認められない。

 

「……だから、なんだよ。だから、ドクターやダ・ヴィンチちゃんを殺せって言うのか。今度は俺に、その手で、殺せって。君はそう言うのか?」

 

 思わず、藤丸はその胸ぐらに掴みかかった。

 そう、結局そこだ。

 異聞帯である以上は、異聞帯の王、そして空想樹を伐採した時点でその異聞帯は滅びる。それは直接手を下すよりも卑劣で、覆せない終わりを押し付ける行為だ。

 それを、知り合いに叩きつける?

 誰よりも守りたかった人達に?

 仮初めだろうが、なんだろうが。

 そこに確かに存在する人達にそんなものを、もう一度叩きつけろというのか。

 今まで関わってきた人、全てに。

 

「俺は、嫌だ。そんな痛みを与えるために、これまで戦ってきたんじゃない。虫の良い話だってことは、自分が一番よく分かってる。そんな痛みをきっと、今までみんなに与えてきたことだって分かってるよ。だけど、あの人達にだけは、そんなもの押し付けられない。それだけは、それだけは絶対に嫌だ……!!」

 

 汎人類史の歴史の中で、最も多くの死体を踏み越えてきた少年は血を吐くように、そう言った。

 だから何処にも行けない。

 一歩だって歩けない。

 藤丸立香にとってそれは、戦い続けてきた理由そのものだ。託されてきた願いの多くは、そういうものだ。だからもしそれを裏切ることがあったのなら、その魂に必ず罰がくだる。

 そしてきっと、今がその時だ。

 その罰を清算するチャンスがあるなら、今なのだ。

 

「……そうか」

 

 上条は少しだけ考えるように口を閉じた。そして、

 

「ならなんでアンタ、そんな泣きそうな顔で、ずっと痩せ我慢(・・・・)してるんだ?」

 

 そんな、すこぶるどうでもいいことを、口にした。

 ひく、と藤丸立香の頬が微かに動く。

 一見動きの少ない動揺。しかしそれはかなり唐突で、藤丸の用意していた動きではなかったのだろう。

 つまり、藤丸立香という少年の、素だ。

 上条は胸ぐらを握られつつも、極々当たり前のことを指摘する。

 

「辛いなら、泣けばいいじゃん」

 

 何処かで、軋む音がする。

 

「苦しいのなら、そう言えばいいじゃん」

 

 何処かで、軋む音がした。

 咄嗟に、藤丸はそれに答えられなかった。

 善人らしい答えを用意していなかったからではない。心中に渦巻くものが、口から出そうになったからだ。

 それは今、不要な感情だ。だから押し込める。弱い藤丸立香は、今はいらない。

 

「抑止力に喚ばれたっていうの、半分嘘でさ。確かに切っ掛けはそうだったけど、俺が召喚されたのは、アンタの声に喚ばれたからなんだよ」

 

「……俺の、声?」

 

「そう。アンタ、心の底から願ったろ。助けて(・・・)って。それに俺は応じて、ここに来た」

 

 確かに、藤丸は言った。二つ目の世界、十二月三十一日を模したあのループの中で。

 だけど、それがどうしたというのか。

 

「……あれは単に、誰かにマシュを助けてほしいと願っただけだよ。俺がそう願ったわけじゃない」

 

「いや、違うよ。世界を歩き回っている中で、確かにアンタはこう言った。助けてほしいって。だから俺はアンタと契約したんだ」

 

「……言ってないよ」

 

 そうだ。言うはずがない。自分がそんなこと、言うはずがない。

 だってそれは、みんなの幸せを願う藤丸立香として正しくない(・・・・・)

 

「俺は、みんなが幸せなら、それでいいんだ。俺個人がどうなっても構わない。何なら死んだっていい。だから」

 

「藤丸」

 

 そこで。初めて上条が、藤丸の名前を呼んだ。

 

「もういいんだ。そんな風に我慢しなくたって。お前の知り合いは誰もいない。お前が率いるサーヴァントも、俺一人だ。そして俺は、お前が何を言おうが気にしない。この意味が、分かるよな?」

 

「……、」

 

 長い葛藤があった。

 きっとそれは、今回だけではなく。彼が人類最後のマスターとして戦ってきたこれまでの数年間、ずっと蓄え続けてきたものだった。平凡な人間が、全人類の期待に応えねばと自身の善性を表に出し続けた結果、不要だと心の奥に押し込まれた、邪心の全てだった。

 心が、軋んでいる。

 遮るものはないと叫んでいる。

 

「……、助けてなんて、言って、ない。言わないよ」

 

 だが。藤丸はそう告げて、再び心の栓を閉じようとする。

 

「……じゃあさ。質問を変えるんだけど」

 

 がっ、と。今度は上条が右手で藤丸の胸ぐらを掴んで、引き寄せる。目を真っ直ぐ合わせると彼は、殴りかかるように、こう言い放ったのだ。

 

 

「アンタ。クリプターとかいう()()()()()()()()()()に、これまで築き上げた全部をぶっ壊されて、本当に一ミリたりとも悔しくなかったのかよ?」

 

 

 それは、最早暴言の類いだった。

 だからこそ、それはここに至ってなお本心を隠そうとする藤丸の心に、深々と突き刺さった。

 遮っていた全てが、一度で断ち切られる。心はまるで切り裂かれたように、数多の感情が少年の中を駆け巡っていく。

 膨大な感情の波に曝されて、藤丸は指一本動かせなかった。

 代わりに時間だけが流れていく。僅かに赤みがかった空も消え失せて、真っ白だった部屋は真っ暗になって。

 それでもなお、少年は止まったままだった。

 

 

 

 

 

……ずっと。

 ずっと藤丸立香は、我慢してきた。

 それは、自分の気持ちだけではない。

 例えば言葉とか、意見とか。そういった、自分の色というものを表に出すこと自体我慢してきた。

 主張することが苦手だったわけじゃない。ただ、その色を出すには、カルデアという環境は特殊すぎた。

 生前に名を残した英霊達は勿論、そこに集まったスタッフ達も。彼らと話す度に、平凡な少年はこう思ったのだ。

 みんな、抱えているものが大きすぎると。

 藤丸のような少年には縁のない、宿命や血筋。あるいは抗争。それらはとても困難で、そして藤丸にはどうしようもないことばかりで。

 だからこそ、数合わせで大役を任された自分は、余計な心配をかけたくなかったのだ。

 悩みとか、痛みとか、苦しみとか。そんなものはきっと、誰しもみんな抱えているものだから。その上で、きっと誰も彼も抱えていくものがあったから。それくらいしかない自分は、我慢していようと、そう思った。

 そのくらいは自分にだって出来るんじゃないかと……そう思った。

 だからずっと、我慢してきた。

 我慢して、我慢して、我慢して、我慢して。

 それが、いつしか当たり前になった。

 我慢して、我慢して、我慢して、我慢して。

 何を言われても、それはきっと自分が平凡だから、仕方のないことで。何も言わなかったから、心ないことばかり言われたけれど、痛くても、耐えられて。

 ただ、みんなにとっての良い人でいようと、そう思って。

 我慢して。

 我慢して我慢して我慢して、我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して、我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して。

 そして、言いたかったことも、言えないまま、別れることばかりで。

 そんなことばかり続けて。

 心は、もう折れているのに。

 自分はまだ、何処かへ進もうとしていて。

……ああ、きっと。

 自分が最初からこんな舞台には相応しくないって、そんなことは理解していた。

 平凡な少年なんて言葉で誤魔化してきたけれど、結局はただ、何も出来ない置物だ。

 ゲームで例えるのならそう、主人公とは名ばかりの、名前を好きに変えられるプレイヤーの分身(アバター)だ。

 自発的なことなんて何もしない。言葉を喋るのは、周囲の人間だけ。自分は神様の作った物語に添うだけで、たまに主張をすれば、そんなのは主人公じゃないとか、別にこんな奴いてもいなくても変わらないとか、そう批判されるだけの存在。

 藤丸立香は、自分はそんなものだと理解していた。

 だから何も言わなかった。言えなかったのではない。言わなかった。誰が何をしようが、怒ったりはしない。だってそれに反論するのは、藤丸のような人間ではない。もっと相応しい人間がいくらでもいた。

 だから、我慢してきた。

 この数年間、どんなことを言われても平気だった。どんなことをされても平気だった。

……ああ、けれど。

 そうあろうとするには、やはり平凡な少年では無理があった。

 本当は、言いたかったことが沢山あった。

 本当は、叫んで、撒き散らしたいことが山ほどあった。

 でも、それはきっと、正しくない。

 そんな弱さは、藤丸立香には相応しくない。藤丸立香は無能でも、歩き続けることだけは得意な人間だ。

 だから喋らなくていい。

 この想いは、心の底に仕舞っておけば、それで。

 なのに。

 だから。

 心の奥底では、ずっと。

 消えない想いが、軋んでいた。

 

 

 

 そして。

 ようやく、藤丸立香は呻くように、言葉を溢した。

 どれだけ隠そうとしても、ずっと消えることのなかった、その想いを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふざけるな。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ふざけんな。悔しいに、決まってるだろ。ああそうだよ、悔しいに決まってるだろうがよ!! なんで、なんで全部壊されなきゃいけなかったんだ? 何もかも終わらせて、何もかも元通りにはならなかったけど。それでもあの世界だけは、何としても守りたかったんだ!! そうじゃないと、あの戦いで見送ってくれた人達に、俺がしてあげられることなんて何もないんだよ!! それだけしか、あの人達に出来ることがなくて。なのに世界はもう一度壊されるべきだったとでも言うのかよ!? そのために皆殺しにして、惑星を占拠して、仲良く領土を分配してみんなで殺し合いだって!? ふざけんな!! ふざけんなっ、ふッざけんなああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! みんなで繋いだ世界だ!! みんなで取り戻した世界だ!! それを、また殺し合いするために壊すだって!? そんなことのために、ドクターは死んだってのか!? そんなことのために、ダ・ヴィンチちゃんはあんな惨い死に方したのかよ!? マシュがまた戦う羽目になったのかよ!? みんなこんな世界で家畜みたいに与えられた幸せを噛み締めてるっていうのかよ!? なんなんだよアイツら!! 俺達が必死こいて戦ってたときは、スヤスヤ眠ってやがったくせに!! ドクターが死んで、所長が死んで、マシュが死んでたときにアイツら何してた!? 俺みたいなのが駆り出されたのは、まとめてレフの爆弾で眠ってたからだろ!? なのにいざ目が覚めたら、こんな歴史は間違ってるから、みんなで仲良く地球を洗ってさあ生き残りを懸けて戦争でもやろうかだって!? ふざけるのもいい加減にしろよアイツら!! 何の権利があってあんなこと言えるんだ!? 今の世界がどれだけの奇跡と犠牲を払って取り戻したのか、何も分かってないくせに!! 今回だってそうだ!! 人が一生懸命乗り越えてきた道を、指を鳴らすだけで踏み越えていきやがって!! なんであんなのが罷り通るんだよ!! こっちがいちいち何人もの犠牲を出して戦ってるのが、本当に馬鹿みたいじゃねぇか!! 毎回命を懸けて戦ってくれたみんなが、馬鹿みてぇで笑えてくるよなぁ!! あんな簡単にみんなを救えるなら、初めからそうしてくれりゃよかったんだ。俺が弱かったのは分かってるよ。決して最適解を進んできたわけじゃないから、こんな可能性だってあったはずだよ。でも、俺が弱いままだからって、何もしなかったと思うか? サーヴァントのみんなに魔術とか、体術とか、軍略とか、色々教えてもらってきたよ。それでもこれなんだよ!! 努力したところで、俺より上手く世界を救える人間だって沢山いることは分かってる。でも、誰も世界なんて救おうとしないじゃないか!! 誰も彼も真っ先に死んで、俺みたいのしか残ってなかったじゃないか!! だから俺がやるしかなくて、こっちだって死に物狂いで頑張ってきたんだ。少なくとも、そうやって世界を救ってきたんだ。もっと何か出来たとか、そんな後悔にだって折り合いをつけてやってくしかないって。異聞帯のみんなだって、助けられるなら助けたかったに決まってるだろ。偽善だろうがなんだろうが、一人でも多くの人を救いたかったに決まってるだろ!! 毎回騙して、その命を握るような真似なんかしたくなかったに決まってるだろ!! なのに、それを後出しでこうやればよかったのにって言うなよ!! ふざけたこと抜かしやがって、そんなに救いたいなら俺なんか担ぎ上げなきゃよかっただろうがよ!! クリプターでも子供でも大人でも少年でも女の子でもなんでもいい!! モブでNPCくらいの価値しかないって、俺にそう言うなら、そいつらに任せて俺なんか切り捨てれば良かったのに!! 人に全部押し付けて、評価しておいて、お前はいらないなんて勝手なことべらべら言ってんじゃねぇよ!! なあ教えてくれよ!! 世界を壊して、それで誰が救われるんだ!? なあ!? こんな風に誰かの幸せをぶち壊して、その先で誰が幸せになれるんだよ!? 俺だってこの先幸せになれる保証なんてないんだぞ!! もうそんなあやふやな答えで誰かの命を踏み越えるのは嫌なんだよ!! この先あと何億人殺すんだ? 本当にそれだけの価値が、あの世界にあるのか? 俺なんかにそんなジャッジをくだせるわけないだろ! どうせ何も出来ない置物で、無能で、こんな家畜みたいな幸せを与えることも出来ない奴に、そんなこと託されたって、どうすればいいんだよ!! 誰にだって出来たことなら、そんなに世界を救いたいなら、クリプターでもなんでも任せてればいいだろ!! 俺がこんな苦しい想いしなきゃいけない理由なんか、これっぽっちもねぇんだろ!! だったらほっとけよ!! 世界が終わらないと一人だって助けにこなかったくせに、一緒に世界を救おうだの君は大事な人に似てるだの、こっちが合わせてやってれば今更虫の良いことばっかり言いやがって!! 俺はただ、生きていられるだけでよかったんだ。それなりに笑えて、それなりに苦しくても、それなりに幸せなら、人生こんなものだなって納得出来たんだ。なのにこんなことが当然の罰なんだって、言われるくらいのこと、俺は本当にしたのか? 世界を救う旅は辛いことだらけだったけど、それでも意味があると信じてたのに。全部間違ってたのか? あんな、誰かが犠牲になるしかなかった状況、間違ってたのか?……間違ってたよなあ。そりゃそうだよな。俺だって、ドクターには死んでほしくなんかなかったし、ずっと一緒にいたかった。おかえりって、そう迎えてほしかった。ダ・ヴィンチちゃんだってそうだ。あそこに置いてけぼりにしたくなんてなかったし、マシュをもう一度デミサーヴァントになんてしたくなかった。マシュにはもう戦ってほしくなんてなかった。なのに俺は、ずっとその背中に隠れて、ビクビク震えることしか出来ない。魔術なんてからっきしで、運動神経なんてそこら辺のスタッフにだって負けて。こんなの誰にだってやれるさ。だけど、続けていけば何か意味があると思ってたんだ。苦しくても、ゴールはあるんだって。またあの世界に戻れるって、元の地球に戻れるって。そう思って、世界を壊してきた。そんな傲慢が招いたのがこれだ。何も返ってなんてこない。俺が奪った人達は、俺が奪った役割は、最悪の形でみんなの幸せを削ぎ落としていくだけだ。そんなの、もうどうしようもないだろ。続けたところで、この先破綻するのは目に見えてるだろ!! だから壊せない。ここにある奇跡は、その破綻を止められる最後のチャンスなんだ。ここで何も知らずに笑っているってことは、誰も不幸なんて起きなかったってことだ。それがどれだけ幸せなことか、俺には分かる。みんなその不幸のせいでずっと苦しんできたんだ。中には英霊になってからもそのことで悔やんだり、辛そうにしてるサーヴァントだって大勢いた。氷付けにされたまま死んだ人も、幸福の意味も分からず死んだ女の子だっていた。そんな人達の前で、あなた達は傲慢な神様によって作られた命なんです、って言えるか? あなた達の幸せは間違っているので、これからみんなまとめて不幸になってもらいますとか、面と向かって言えっていうのかよ!? 言えるわけないだろ!! みんなが求めてたものを、俺が奪ってきたものを、もう一度みんなから奪えって、そんな馬鹿な話があってたまるかよ!! みんなの命と幸福を、一人の無価値な人間の命と幸福で買えるなら、そんな安い買い物他にないんだから!! 例え俺がどれだけ叫んだって、みんなああやって笑っている声の方が絶対に大きいんだから!! きっと俺が望む未来には、世界には、ここの人達の幸せなんてないんだから!! もう誰も傷つく必要なんて何処にもないんだから!! 俺一人が我慢してりゃ、それで絶対に丸く収まる話なんだから!! もうっ、それで、こんなっ……こんな、くだらねえ話は、ぜんぶぜんぶっ、終わりでいいだろうが!!!!」

 

 

 

 それで、限界だった。

 ぼろぼろと、大粒の涙を溢れさせて。少年は崩れ落ちる。

 まるで、迷子になった子供が、道端でうずくまるように。

 されど、確かにここに存在する一つの命として。

 少年は一人、あらん限りの声で、泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 上条当麻は背を向けて、その声を聞いていた。

 短くない時間、ただ吐き捨てるように続いた慟哭。藤丸立香という少年が溜め込んでいた本音。それはお世辞にも、綺麗なものとは言えなかった。きっと、ここまで乗り越えてきた人類最後のマスターとしては余りに卑屈で、中には八つ当たりのような勝手な主張だって幾つもあって、だからこそ誰にも聞かせられないようなものだった。

 それでも。全てを聞き終えてツンツン頭のサーヴァントは、ぽつり、と溢した。

 

「良かった、それが聞けて」

 

「……」

 

「これでまだアンタが、自分を犠牲にしようとするなら、殴り飛ばしてるとこだ。流石にそんなこと……マスターにはしたくなかったからな」

 

「……だったら、なんだよ」

 

 藤丸は目元を手首で拭った。

 

「こんなに叫んだって、何か変わるわけじゃない。俺はこの世界を壊せない。ここが壊れたら、もう俺は何を信じればいいのか、分からないよ……」

 

「だろうな。だからこそ悩んできたわけだし……何よりここはマスターの理想だ。これ以上の答えなんてそれこそ、神様に作ってもらうしかないよ」

 

 上条は否定しなかった。

 ここが終点。ここが旅の終わりであることを。

 

「けどさ」

 

 だが、そこで藤丸立香が終わりだとは、言わない。むしろここからが本題なのだと、そう言う口振りで。

 

 

「ーーそもそもアンタ、まだ()()()()()()()()()?」

 

 

 それは。

 ああ、それは。

 藤丸が日頃から感じすぎて、最早誰にも指摘されることがなかったものだった。

 戦うのだから、それくらいは我慢しろと。そう言われてきた恐怖。

 平凡な少年には一番怖かったもの。

 上条はいっそ呆れ半分に、

 

「別に、いいじゃん。死にたくないなら、それでも」

 

 言い当てられる。

 ある種、誰より藤丸に似た雰囲気を持っているからこそ。上条の言葉は、平凡な少年の心に入り込んでいく。

 

「怖いなら、別に死ぬことないじゃん。誰だって、死ぬのは怖いんだから。それが他人のためなら尚更だ。だって、生きていたいだろ? まだやり残したこととか、いっぱいあるんだろ? だったら、アンタがここで死ぬ必要なんて何処にもないじゃないか。誰かのために死ぬことなんてやらなくていい」

 

 だけど、それでも。

 そうやって自分の弱さに負けないよう、戦ってきた人達を、藤丸は知っている。死を前にして、その恐怖と戦い、笑い飛ばし、そうして散っていった誇り高い人達を知っている。

 藤丸は自分もそうなりたい、そうありたいと思ってきた。

 ああ、けれど。

 その弱さのために、戦ってもいいのだろうか。どれだけちっぽけでも、独り善がりであっても。自分の命が惜しいのだと、そう叫んでしまってもいいのだろうか。

 人類最後のマスターであっても。

 そんな、情けない生き方をしてしまっても。

 

「……いいのかな」

 

 令呪の刻まれた手の甲を、藤丸は見つめる。

 自身が唯一つ、平凡でない証。ただの少年を、世界を救うマスターに変えた、呪いの痣を。

 

「たったそれだけで、俺は戦っていいのかな。何の変哲もない人間が、死にたくないってだけで。みんなの幸せを踏みにじったって、いいのかな」

 

「いいさ」

 

 上条は、

 

「だってアンタ、ただの人間だろ。特別な力も無ければ、天才的な頭脳だってない。そんな奴がずっと我慢して、走り続けられるわけないだろ。人間に限らず、みんなたまには落ち込むし、情けないことだって言うよ。ずっと走り続けられる奴なんていやしない」

 

 だからこそ、

 

「そんなアンタが、誰よりも前に立って戦ってきたことは、きっと凄いことなんだよ。同じように悩んで、生前のトラウマなんか抱えてるサーヴァント達にとって、誰でもないアンタが『今』を歩き続ける姿は、何より輝いて見えた。だから、みんなアンタについてきたんだ」

 

 平凡な少年は、その言葉の意味を図りかねた。

 そんな風に見られているわけがないと、ずっとそう思っていた。

 だけど。

 

「だってそうだろ。世界の危機を救うって、滅茶苦茶カッコよく見えるけどさ。やっぱりそれ相応の力とか、頭脳とか必要だろ。なのにアンタは身体一つで、いつも世界に挑んでいった。危なっかしくて見てらんないかもしれないけど、だからこそ、そんなアンタを見て、奮い立った奴は大勢いるんだよ。何もないアンタだからこそ、その行動に救われた奴は、数え切れないくらい居たんだよ」

 

 慰めなんかではない。

 だって、藤丸がそうだった。

 サーヴァント達の輝かしい姿に、何度も救われてきた。カルデアスタッフの技術力には、いつも命を預けてきた。

 そうして、お互い支え合ったからこそ、きっと世界だって救えたのだ。

……あの、流星雨のように。

 

「でも……」

 

 この黄金の世界を見てしまうと、果たしてそんなことに意味はあったのだろうかと、藤丸はそうも思ってしまう。

 自分がもっと強ければ。

 きっと、こんな世界でなくとも、もう少しマシな世界があったのかもしれないのに。 

 

「関係ねえよ、そんなもん」

 

 ツンツン頭のサーヴァントは薄く笑った。

 

「最適解なんかじゃなくても。クリプター達や、それ以外のマスターだったら、もっと良い結果だっていくらでも残せたとしても」

 

 藤丸と同じように。

 平凡の身でありながら、その歴史に名を刻んだ、ただ一人の少年として、言う。

 

「少なくとも、あの世界を救ったのはアンタだったんだ。実際に血を吐いて、何回も転んで。それでも歩き続けたのは絶対に、他の誰でもないアンタなんだよ」

 

 例え誰かの記憶に残らなくても。

 世界がそのことを忘れてしまっても。

 その事実だけは、変わらないと。

 

「だから、いいんだよ」

 

 上条は頷く。

 何処までも寄り添って、地獄の底から引きずり上げるように。

 

 

「ーーーーお前は。お前が笑って、生きていける世界を、選んだっていいんだよ」

 

 

「…………ああ」

 

 

 それは。

 その言葉は。

 

ーーお前が、笑って生きていられる世界が上等だと、生き残るべきだと傲岸に主張しろ。

 

 今は亡き、友の言葉。

 

ーー胸を張れ。胸を張って、弱っちろい世界のために戦え。

 

 生きる意味も分からず、奪われる意味も分からず。ただ辛かっただけの命に、意味を求め続けた、誰か。

 

ーー……負けるな。

 

ーーこんな、強いだけの世界に、負けるな。

 

 呪いのような言葉だと、そう思っていた。それを思い出す度に背筋が伸びて、止まることは許されないと、そう気を引き締めていた。

 だけど、それだけではなかったのだ。

 せめてお前には、笑って生きていてほしいと。そんな願いも、あの言葉には込められていたのだ。

 きっと、この先どんなことがあっても。

 そう思った誰かのことを、忘れないでほしいと。

 

「……ああ、……っ…………ぁ、ああ……っ!!」

 

 今更になって、気付いた。

 今更になって、そんなことを思い出した。

 欠けた心が埋まっていく。

 忘れていたものが、そうしてくれる。

 

「……可笑しいとは、思うんだけどさ」

 

 藤丸は、

 

「こんなことになって。一番最初に思い出したのは、楽しかったことなんだ」

 

 誰がどう考えたって、藤丸立香はここで死ぬ。

 それは確定的で、抗えぬ運命と言っても過言ではないのかもしれない。

 

「目の前の幸せに比べたら、俺のそんな気持ちなんて、ちっぽけで。もしかしなくてもみんなからすれば、そんな思い出はどうでもいいことなのかもしれない」

 

 ここを乗り越えたところで、残るのは罪悪感だけだ。元の世界に戻ったところで、自責の念だけで藤丸立香という人間は崩壊するだろう。

 

「だけど、だけどさ」

 

 それでも。

 

「俺、楽しかったんだ。こんなところで、頭を抱えるより。苦しくても、汎人類史の方が生きててよかったって。そう思ったんだ」

 

 どうしても、捨てられない。

 今ここで折れることが、人類最後のマスターとして正しかったとしても。

 ここで死んだ方が、人類にとって幸せだったとしても。

 

「……死にたく、ない」

 

 ぽろ、と。

 心に残った最後の雫が。

 ほほを、つたう。

 

 

「……俺……まだ、生きていたいよ……、……」

 

 

 世界のためでも。

 人類のためでもない。

 しがらみ全てを剥ぎ取られて。それでも戦う理由があるとするのなら。それこそが、平凡な少年に唯一残された、戦う理由なのだ。

 英雄らしい宿命も、異常者のような宿業もない。あるのはただ、生きていたいと、しがみつくような見苦しさと、みっともなさだけ。

 万人に愛されるような人間ではない。万人に応援などされない。きっと人類全体で多数決を取れば、この少年の言ったことはどうしようもない邪悪だと断じられるだろう。

 だけど上条からすれば、そっちの方がずっといい。

 たった一人の幸せを弾き出して、何が理想だ。ただの少年をここまで追い詰めて、何が幸せだ。

 だからこそ、このサーヴァントは召喚されたのだ。世界の全てを敵に回しても、たった一人の願いを叶えるために。

 

「なら、行こうぜ」 

 

 上条は立ち上がると、右手を差し出した。

 

「一世一代の大勝負、神様とケンカだ。でかいの一発、かましてやろう」

 

 藤丸は躊躇わなかった。

 その手を取り、起き上がる。

 見据えるのは窓の外。

 今から挑戦するその世界を、改めて目視する。

 目が焼き切れてしまいそうなほど求めた光景からも、藤丸は目を逸らさない。

 睨む。

 睨んで……そして、

 

「ああ、行こう。神様をぶっ飛ばしに」

 

 とんとん、と歩く音が、世界の片隅で木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 円蔵山、その内部にある大空洞。汎人類史ではとある聖杯戦争において、大聖杯が設置された場所。そしてここがあの少年にとって、人類最後のマスターとして戦った最初の地だ。であれば、異聞帯にとってこの場所の重要度は語るまでもない。

 ここが決戦の地。

 つまりぶつかるのであれば、初めからここしかなかった。

 

「なるほどな」

 

 金髪の魔神、オティヌスは台地に腰掛けていた。当然彼女は、侵入者に気付いている。

 

「どうやらまた、殺し損ねたらしい。だから言っただろうマスター。殺すなら早めにやれ、と。おかげであちらはとことんやる気らしいぞ?」

 

「……、」

 

 背後で苛立たしげなマスター、いやクリプター。未だ姿を隠している主に、オティヌスはほくそ笑んだ。

 そして隻眼が、入り口から歩いてくる影を捕捉する。

 藤丸立香、上条当麻。

 たった二人の少年が不遜にも、神の領域に足を踏み入れる。

 

「その頭蓋を握り潰す前に。一つ、お前に問いたい」

 

 その声は、オティヌスではなかった。彼女の後ろで控えていた、マスターの声だった。

 声の高さからして女性か。尊大な態度はオティヌスと比べ、刺々しさが更に増している。

 

「何故戦う。何がお前をそこまで駆り立てる。この世界を放棄するだけの理由が、お前のような凡人にあるのか?」

 

「あるよ、クリプター。いや、虞美人(・・・)

 

「……、」

 

 マスター、いや虞美人と呼ばれた女性は、オティヌスの背後から前に出た。 

 虞美人。またの名を芥ヒナコ。元カルデアのAチームにして、今はクリプターとして汎人類史を裏切ったマスターの一人。そして三番目の異聞帯、秦で藤丸に破れたサーヴァントだ。

 彼女は秦の時と何も変わらなかった。強いて言えば、眉間の皺や隈がより深く、より濃くなったことか。

 虞美人は怪訝な顔で、

 

「……どうして、私だと? こっちは表だって動いてこなかったはずだけど」

 

「この世界には異聞帯の秦がなかった。亜種特異点だって再現しておいて、秦だけ欠片もないなんて、どう考えたって可笑しい。神様が槍を振るだけで作れる以上、そこにないのは理由がある。それに、クリプターの中で最も俺に恨みがあるとしたら、それはあなただ」

 

「何故?」

 

 藤丸は何の言い訳もせず、それを口にした。

 

「俺はあなたから大切な人を奪った。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 刹那、虞美人から猛烈な殺意が噴出した。

 まるでガラスが割れて、そこから風が吹き上がるような、形を持った殺意。虞美人の赤い瞳は、今にも縦に裂けそうだった。

……そう。虞美人、人間としての名前は芥ヒナコ。彼女が嫌いな人間にまで化けてカルデアに忍び込んだのは、ただ一つの願いを叶えるため。

 つまり、愛する人ーー項羽ともう一度会うためだ。

 その願いは異聞帯で叶えられたものの、虞美人を守ろうとした項羽は藤丸に破れて消滅。そして虞美人は怒りのまま、空想樹と融合し、後はご覧の通りだ。

 

「そ。自覚があるのね、それは結構」

 

 それ以上の言葉はなかった。

 この世界と汎人類史を天秤にかけることだってしなかった。それが分かっていようがいまいが、そんなことはどうだっていい。

 ここで出会い、立ち塞がってしまったが最後、お互いがお互いを許せるものではなくなったのだから。

 

「では、始めようか」

 

 オティヌスが槍を回し、虞美人が紅蓮に燃える短剣を握る。

 対し、少年二人の取った行動はシンプルだった。そのちっぽけな拳を握り締め、世界に向ける。

 虞美人はそれを鼻で笑い、そして。

 

「……馬鹿が。簡単に死ねると思うなよ、人間どもがーー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論など最早どうだっていい。

 邂逅した時点で、最早語るに及ばず。

 

 ここに出会ったのは、世界の価値も分からぬ愚者と愚者。己が願いを叶えるため、全てを敵に回した愚か者ども。

 

 故に、理解など最初から求めない。

 故に、尊い世界に興味はなく。

 故に、目の前の獣を到底許せない。

 

 目の前の同類こそ、ここまで堕ちた元凶なら。

 

 拳を握り締めろ。

 剣を引き抜け。

 それらは全て、目の前の獣の息の根を止めるため、振るわれるべき凶器に他ならない。

 

 かくして賽は投げられた。

 

 ここが世界の果て。獣の旅の終点なれば。

 

 さあ、ご同輩。

 

 心ゆくまで。

 

 この素敵な素敵な殺し合いを、世界が終わるときまで、楽しむとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 






平凡な少年なら、これくらいの弱音は許されると思うんですよね。


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Avenger_V.S._Avenger

 

「最初に言っておくけど、俺じゃオティヌスには勝てない」

 

 それは、大空洞へ向かう途中のことだった。

 夜の歩道を歩きながら、上条はそんなことを切り出した。

 

「……いや、さっきまであれだけ助けるって言ってなかった?」

 

「実現性があったかは別だ。勿論俺は今もそのつもりだし、何よりオティヌス相手に防戦出来るようなサーヴァントは、多分俺だけだよ。でも、実際問題俺じゃオティヌスには勝てない」

 

「? ステータスの話なら、分かりきってたことじゃないのか?」

 

 上条のステータスはほぼ全ての値が最低ランク、E-を記録している。オティヌスが相手でなくとも、例えばバビロニアの魔獣などが相手でも負けてしまう、そんな値だ。

 だが、そういうことではないらしく、

 

「生前、俺を殺したのはアイツだ。数えるのも馬鹿らしくなるくらい挑んだけど、結局俺はオティヌスに()()()()()()()()()()()

 

「……一度も?」

 

「ああ、一度も。清々しくなっちまうくらい完敗だったよ」

 

 成る程、と藤丸は納得する。

 サーヴァントの並外れた力は、その生前の功績、悪行、はたまたその出自によるものだ。そこをクローズアップし、形を与えたのがサーヴァント。つまり生前に抱えた弱点は、そのままサーヴァントの弱点にもなり得る。

 例えば大英雄アキレウスなどは、踵を撃ち抜かれたが最後弱体化してしまうし、メイヴは死因にもなったチーズにめっぽう弱いからこそ、そのチーズに対してかなり注意力を払っている。

 つまり、

 

「君にとってのアキレス腱が、あのオティヌスなわけか……あれ、それってつまり相性最悪ってこと???」

 

「魔神に相性なんて関係ないさ。どんな相手だろうが、銀河を握り潰して流星群にしたり、世界を破裂させたエネルギーを利用してミサイル作ったりするような連中だ、勝負になんてなるわけがない。その点で言えばマスター、アンタはすこぶる運がいいよ。少なくとも俺なら、オティヌス相手に防戦が成り立つしな」

 

 大した自信だが、何か策はあるのだろうか。流石に無策ではないと信じているものの……というかそんなのに挑むなんて、改めて馬鹿げてるなあ、と黄昏てしまいそうになる藤丸。

 と、

 

「だから、もし何億分の一って確率でも。勝率があるとするなら、それはアンタだ」

 

「……俺が?」

 

「ああ。今のオティヌスはサーヴァント。ならマスターがいるはずだ。確か言ってたんだろ、マスターがいるって?」

 

 首を振って肯定する。

 オティヌスは藤丸を追い詰めながら、時折マスターの存在を仄めかしていた。これだけの力を発揮してきた魔神だが、確かに弱点となるならマスターだ。マスターを倒せばそれで終わる、聖杯戦争の基本である。

 けど、藤丸はどうにも引っ掛かった。

 

「……オティヌスの力は規格外すぎる。あんな大それた力を、たった一人のマスターの魔力で賄いきれるものなのかな……? いや、そもそもアレは、魔力どうこうって話じゃないような…… 」

 

 藤丸が契約するサーヴァント達の魔力だって、大部分はカルデアの設備によって何とか賄っていた。それでも時々足りなくなりそうになったこともある。

 聖杯かそれに類する魔力リソースによる可能性も、無くはない。しかしそれでも足りないくらい、オティヌスの力は桁外れだ。

 

「そもそもそんな魔力の持ち主、仮にマスターだったら、それこそサーヴァント級だ。俺じゃあ逆立ちしたって勝てないよ」

 

「そうとも限らないんじゃないか?」

 

「?」

 

 考えてもみろ、と上条は、

 

「本当に契約してるなら、そのマスターからオティヌスには今も莫大な魔力が流れてるはずだ。それこそ、普通なら日常生活を送る方が難しいくらいな」

 

「……つまり、俺みたいな普通の人間でも倒せるくらいには、弱体化してるかもってこと?」

 

「この目で見ないと分からないけど、勝負にならない、ってことは……ない、と思う」

 

「ないと思うって……」

 

 勝つならそこが一番大事なのでは……言葉にせずとも、上条もそこは伝わったらしく、ツンツンの髪をわしゃわしゃと掻き乱した。

 

「情報が少なすぎるんだよ。対策を練りたいところだけど、正直オティヌスの目的も、そのマスターが誰かも分からないし……一回ぶつかってみないと、何も始まらないだろ」

 

「め、滅茶苦茶だ……」

 

 前言撤回。このサーヴァント、何も考えてねえ。藤丸もびっくりの体当たり戦法である。

 

「……そもそもさ。人は、神様になんて勝てっこねえんだよ」

 

 さっきまで無策に近い少年の話は、やけに実感のこもったものだった。

 それは恐らく、少年が生前そうだったからか。数え切れないほどの敗北を思い出しているのか、やや薄目で、

 

「工夫すればどうこうとか、裏技を使えばどうこうとか、そんな話じゃない。命のランクとして、人と神様じゃ与えられたスペックが違いすぎる。英霊って呼ばれる奴らは話が違うだろうけど、少なくとも今を生きる人間(お前)じゃ勝てない。海とか嵐とケンカしようたって、絶対勝てないだろ? オティヌスはそういう存在よりも高次元の存在だ。土台、勝負になんてならない」

 

 それに、と上条は続ける。

 

「何より勝ったところで、何かを得るわけじゃない。お前が勝ったとして、カルデアに帰れるかは分からないからな。恐らくこの世界と心中するくらいで、その先には未来なんてないないかもしれない」

 

 今回はレイシフトではない。ここは異聞帯、片道切符を握らされて無理矢理連れてこられただけだ。仮にこの世界を壊しても、藤丸は次元の狭間を永遠にさ迷うことだってあり得る。

 つまり、勝とうが負けようが、待つのは誰の目にも触れられない孤独だ。

 得るものはきっと、どうしようもない罪悪感だけ。

 

「それでも、戦うか?」

 

 勝率は数億分の一。

 そして例え勝利しても、未来がないと、先に待つものが何もないと知って。

 藤丸は何故か、笑っていた。

 

「……なんだ。そんなの、いつものことだよ」

 

 そうだ。

 藤丸立香の戦いとはつまり、そんなことばかりだった。一度の敗北で全てが瓦解し、一度の挫折で決定的になり、そして一度諦めれば世界は滅ぶ。

 勝って得たのは、いつかの空耳の残響と、束の間の休日だけ。それもまた壊されて、また未来は白紙になった。

 だけど、笑える。

 そんなのは慣れたことだから、笑い飛ばせる。

 

「勝てないとか、未来がないとか。そんなこと、耳にタコが出来るくらい聞き飽きたよ。だから大丈夫」

 

 怖くないわけじゃない。

 痛みが麻痺しているわけじゃない。

 ただ、

 

「……もう、負けたくないんだ」

 

 綺麗な夜空。綺麗な町並み。静かな都市は理路整然としていて、汎人類史とは比べ物にならない。

 けれど、それは藤丸立香を弾き出して生まれた世界で。

 そして、藤丸立香が帰る場所などない世界。

 

「こんな理不尽に負けたくない。無意味に終わりたくない。その先が、例え誰かの未来に繋がらなくたって」

 

 手に力が入る。

 

「それでも。ここにだけは、絶対負けたくないんだ」

 

 

 

 

 

 

 だから。

 勝てないことは、初めから分かっていた。

 藤丸が拳を握ったときには、既に虞美人の烈火のごとく怒りに燃え上がった顔が、目の前にあった。

 何か魔術を使用する暇すらなかった。

 虞美人の短剣が走る。炎は洞窟内を一閃し、火の粉が舞い、そして鮮血が散った。

 

「……!?」

 

 脇腹からぼと、と溢れ落ちる何か。それが何なのかなんて確認しない。無くしたものは戻らない。手足から力が抜けても、それに逆らわないで、倒れ込むように脱力。二撃目を回避しようとし。

 負傷した脇腹に、吸血種の片足がまるごと食い込んだ。

 

「藤丸!!」

 

 上条が悲鳴をあげたときには、藤丸の体は優に十メートルほど浮かんでいた。咄嗟に礼装で瞬間回避の魔術を起動しなければ、今頃脇腹から上と下が分かれて、空を飛んでいただろう。

 下で上条が何か喚いていたが、その彼も自身に襲いかかる不可視の攻撃を回避するので、精一杯のようだ。

 車輪のように回転し、三半規管が揺さぶられる。空と地面がどっちで、浮いてるのか落ちてるのかも分からないまま、藤丸は石の地面に勢いよく叩きつけられた。

 今度は脇腹ではなく、口から血を吐き出す。

 

「ご、お、ぶ、……ぇ……!?」

 

 嘘みたいな量の血で、藤丸自身、溺れ死ぬかと思ったほどだ。吐けるだけ吐かないと、本当に窒息してしまう。

 

「まるで陸に打ち上げられた魚ね。パクパクパクパク、見苦しい」

 

 声は程近く。不味い、と藤丸は起き上がろうとするが起き上がれない。その間にも虞美人は、着実に近づいてくる。

 何が自分でも戦えるかもしれない、だ。虞美人の力は、秦で戦ったときと何も変わらない。むしろまともなサーヴァントすらいない以上、勝てる見込みなどまるでないに決まっている。

 

「人類最後のマスターが聞いて呆れる。さっさと命乞いでもしたらどうなの、お前?」

 

「……そんなの……する、もんか……」

 

「あらそう」

 

 再びの蹴りは、礼装の魔術など易々と貫いた。痛みが追い付く前に、藤丸は入口の壁に激突する。

 意識が、途切れそうになる。

 しかしそれを虞美人は許さない。倒れかけた藤丸の首を掴むと、壁に叩きつけて無理矢理立たせる。

 いや、最早立つという感覚がない。見れば、脇腹から下がまるごと無かった。あるのは電線コードのように伸びた血管と、赤黒く染まった骨だけ。

 致命傷だ。

 

「ほんと、馬鹿ね。あなたみたいなただの人間が、吸血種である私に勝てるわけないでしょう。なのに策もなしにのこのこ突っ込んで、このザマ? ハッ、笑える」

 

 視界が暗い。加速度的に頭が冷えて、死が近付いてくるのが分かる。だが虞美人の冷め切った顔だけは、はっきり見えた。

 

「ここまで見事な犬死だと、感嘆すら覚えるわ。で、どう? 少しは私の痛みを()()()()()()()?」

 

「……、」

 

 復讐者、という言葉が藤丸の頭に浮かんだが、それだけだ。

 そして、藤丸立香は呆気なく、その命を終える。

 

 

 

 

 

 上条当麻、というサーヴァントについて、少しの間語るとしよう。

 日本出身の彼は、特別な血筋の人間ではない。頭脳が優れているわけでもなければ、身体能力が他よりずば抜けているわけでもない。

 平々凡々。中肉中背の彼は、サーヴァントとしては下の下。まさに最弱と言って差し支えないだろう。

 なのに、どうして英霊として座に登録されたのか?

 その理由は、目の前の光景にあった。

 

「……!」

 

 ッボッッ!!!!!、と弾ける空間。不可視の爆発は、それこそただ爆発するのとはわけが違う。何の予兆もなく、唐突に、その空間が爆発するのだ。回避をしようとしたところで爆発の方が圧倒的に早い。防御だってオティヌスは神だ。脆弱なサーヴァントごとき、槍を振るうだけで殺してしまえるほどの火力、有り余っている。

 そのはずだった。

 なのに、上条はその爆発を()()()()()()()

 

「づ、……!!」

 

「……チッ」

 

 舌打ちを一つ。

 見てから避けたのでもなければ、予兆を感じて避けたのでもない。気付いたら体が動いていた。そんな、魂レベルで染み付いた技術の一端。

 オティヌスは再度槍を掲げ、今度は不可視の爆発を幾つも重ねた。

 その数、一億と五千万に八千六百。

 爆発などというお行儀の良い音はなかった。音が連続性を失い、敷き詰められた爆発はそれこそ濁流のように上条に襲いかかる。洞窟そのものを崩壊させない勢い。

 対し、ツンツン頭のサーヴァントが取った手は単純だった。

 右手を握り、それを目の前の爆発の一つに突っ込む。本来ならば、上条の右手は弾け飛び、そのままもろとも爆発に呑み込まれていただろう。

 だが、そうはならなかった。 

 ギャリィンッ!!!!、と甲高い音。それは上条の右手が、爆発の一つを掴んだ音だった。

 サーヴァント、イマジンブレイカー。その彼が唯一持つ宝具。それこそがこの右手に宿る、神の奇跡すら打ち消す力ーー幻想殺し(イマジンブレイカー)だった。

 それがもし異能の力、例えば魔術だろうが魔法だろうが、それこそ神様の奇蹟であっても、触れただけで打ち消す。それが、このサーヴァントに宿る唯一の力。

 オティヌスの放った爆発は、元を辿れば魔術だ。上条はその右手の力によって、爆発を掴むという離れ業をやってのけたのだ。

 上条は右手を捻り、他の爆発にぶつけると、丁度一人分の安全地帯が出来上がる。

 

「邪魔だ」

 

 それだけ言って、上条は再度右手を振るった。次は下から突き上げる、アッパーのような形。そのすぐ上を無数の斬撃が飛び交い、右手がそれを僅かにかち上げ、その下へ体を潜り込ませる。 

 背後の地面が斬撃で切り裂かれ、そして爆発によって粉すら消し飛ぶ。あっという間に背後には断崖絶壁が作られた。

 でんぐり返しのように転がりながらも、上条はそんな死地を生き残る。

 

「……不可解な光景だよ、本当に」

 

 オティヌスがぼやいた。

 いかに幻想殺し(イマジンブレイカー)があろうと、オティヌスの攻撃はどれも前兆がなく、速さだけで言えば光より速くすることだって可能だ。現に先程の斬撃は少なくとも、雷よりも速く上条の首を狙ったのだ。サーヴァントでもかわすには困難。しかし現実はいとも簡単に見切られ、かわされた。

 

「……やはり厄介だな、お前のそれは。あの戦いで染み付いた技術は、未だにそのままか。面倒な」

 

 そう。これこそが、上条当麻がオティヌスに唯一カウンターとして成立する理由。

 生前、上条はオティヌスに戦いを挑んだ。しかしその度に殺され、生き返り、そして死に……そんなことをずっと繰り返した。

 数えきれない、と言ってしまえば話は早いが、話はそう単純ではない。その年数の正確なところは最早オティヌスにだって分からないが、少なくとも、()()()()ほどそんなことを繰り返したのだ。

 それは上条の感覚で例えるなら、ゲームで同じ相手と何度も戦うようなものだった。どう動けば死ぬか、どう動けばかわせるか。ギリギリであったとしても、そこに活路を見出だし続けた。

 体が、勝手に動くという次元に到達するまで。

 上条当麻が唯一オティヌスに対抗出来るのは、その戦いで魔神のあらゆる攻撃パターンを体に染み付かせたから。

 だから、戦いが成り立つ。

 成り立っているように見える。

 

「ま、それもマスターが死ねば……意味などないが」

 

 オティヌスの後ろ。その先でオティヌスのマスター、虞美人の手によって、藤丸は事切れる寸前だった。

 下半身が弾け飛んでいる。あれではもう、助からない。少なくとも上条にはそんな力はない。

 

「私とお前の戦いなら、もう少しマシな結末もあっただろうよ。だが、真の意味でただの人間と、あの女では万に一つの勝ち目もない。それはお前が一番よく分かっていただろう、人間」

 

「……かもな」

 

「なら何故、こんな自殺覚悟の突撃を行った? まさかと思うが、本当に私があの女に魔力を貰っているとでも? おいおい、劣化コピーとはいえ、私だって神だぞ。魔力の問題なんてどうにでもなる。あの女に負担なんてほぼないに等しい」

 

 上条は冷静だった。己がマスターの死は、サーヴァントにとっては命綱を失ったことを意味する。後に待つのは、消滅だけだ。

 なのに、

 

「でも、これで終わりじゃない。だろ、オティヌス」

 

 上条は藤丸を助けにいかない。

 行く素振りすら見せない。

 それを目の当たりにし、オティヌスは嘆息した。

 

「……そこまでお見通しか。『理解者』を持つのも悪くはないと思っていたが、全く忌々しい」

 

 魔神の少女が、槍を振るう。

 それだけだった。

 それだけで、藤丸の体が()()()()

 

 

 

 

 

 意識が、落ちかけて。

 まるで水をかけられたように、ぱっちり目が覚めた。

 

「ぁ?……が……っ!?」

 

 何が、どうなった? そんなことを考える暇すらなく、首に食い込んだ手によって呼吸すら覚束なくなる。

 藤丸が足をばたつかせていると、真祖は口を裂いて笑った。

 

「言ったでしょう? 簡単には殺さない、って」

 

 虞美人はそのまま、首を支点に藤丸を投げ飛ばした。まるで水切りのように跳ねた体は、減速することなく反対の壁に衝突する。

 ゴギン、と背骨や様々な骨が砕ける音を、藤丸は自身の体から聞いた。せりあがる血が妙に現実感が無くて、吐いてみてようやく痛みが追い付く。

 声が出ない。肺が潰れたか。ひゅう、と空気の漏れる音が何度も続いていく。

 

「ああそうよ。ただ殺すのでは、私の怒りは決して収まらない。ただ絶望させただけじゃ、私の怒りはもう発散されない」

 

 だから、と。虞美人は藤丸の髪を掴み、持ち上げた。息が耐え耐えだろうが、無理矢理脳に届かせる。

 

「お前の心を粉々に壊して、みっともなく謝罪の言葉の一つでも貰った後、未来永劫苦痛と絶望を叩きつけてやるわ。お前という魂の、一欠片であっても残らないよう、永遠に。そのための世界、そのための魔神よ」

 

……つまり。

 

「……ふく、しゅ、う、……か……?」

 

「ええ、そう。始皇帝に言われて、踏み止まったけれど……オティヌスと契約して、この世界を見せられて。それを奪ったお前が、私は、どうしても、許せなくなった……!!」

 

 虞美人が爪を立てると、呆気なく藤丸の頭蓋を握り潰した。まるでスイカのように潰れたが、次の瞬間にはまた、埃一つすらない少年が存在している。

 だが、藤丸は立とうとしても立てない。記憶は地続き、痛みだって鮮烈に脳は記憶している。幻肢痛とはまた違うかもしれないが、藤丸の身体には確かに染み付いているのだ。

 死の記憶が。

 

「言っておくけれど、終わりなんてないから」

 

 虞美人は血と肉と脳味噌にまみれた指を、唇に持っていく。そして、ぺろり、と仇敵のそれを舐め取った。

 

「私はお前を絶対に許さない。その血の一滴にまで至るまで蹂躙する。我慢勝負がしたいなら勝手だけど」

 

 虞姫は、艶やかに笑う。

 

「ーー不老不死の私相手に、刹那の時間しか生きられない人間ごときが、勝てるだなんて思わないことね」

 

 

 

 

 

「無謀だな」

 

 軍神とも称される魔神は、藤丸が死ぬ度に蘇生しながら、

 

「お前の時とはわけが違うだろう、人間。お前ほど我慢強かった奴など、他にいないよ」

 

 上条はオティヌスの繰り出す攻撃を防ぐことで、手一杯だ。藤丸を助けにいった時点で、オティヌスに対しての技術は意味を為さなくなり、あっという間にこの世界から消し飛ばされてしまう。

 つまり、タイマン。

 藤丸はあの虞美人に、一人で立ち向かわなくてはならない。

 

「お前は右手の性質によって、自身に降りかかる危機を回避する能力に長けていた。故に右手を扱えたし、私との闘争にだってこれだけついていけるんだろうさ。

 だがあの男はどうだ? 何の力もなく、頼りのサーヴァントと礼装はあの女に対して何の役にも立たない。あれじゃあサンドバッグにすらなっていないじゃないか。満足に拳の一つも握れていないのは、考えることすら出来ずに叩きのめされている証拠だ。お前のように、勝機を信じて進んでいるわけでもない。ただ流されるままだよ、あれは」

 

 上条は答えない。それは、同じように地獄を体験した彼だからこそ……藤丸の今の状態がよく分かっているからか。

 

「それに、私のときはあくまでお前に付き合ってやった形だが……今回は我がマスターの憂さ晴らしのためだ。精神的磨耗とて、よくて同程度。むしろあれだけやられている分、お前のマスターの方が事切れる確率の方が高い」

 

 上条とて、オティヌスを追い詰めたことが二回だけあった。

 その一回目がまさに、数千億年以上かけてオティヌスの精神を磨耗させて、諦めさせようとしたことだ。結果的に最後は、オティヌスの切り札によって体をバラバラのされ、勝てなかったが、負けはしなかった。

 しかし、今回はそれすらない。

 虞美人にとって、これは待ち望んだ復讐だ。どれだけ時間が経とうと、虞美人の中から復讐心が消えない限り……精神的磨耗などやってこない。

 

「だから無謀だと言ったんだ。あの男はここで死ぬ。いや、死ぬよりも酷く歪んで、堕ちる。廃人になって逃げられると思うなよ、私がそれを許すと思うか?」

 

 既に戦場は、大空洞から山道に変わっていた。虞美人が藤丸をボールのようにあっちこっちへ蹴り飛ばすからだ。

 上条が珍しく、右手を使わずに横っ飛びで回避する。それは大気圏外から呼び寄せられた隕石群から、身をかわすためだ。

 幻想殺し(イマジンブレイカー)はあくまで異能の力を打ち消すだけの力だ。魔術で出来たものならまだしも、ただの隕石相手では効果を発揮しない上、その効果は右手首から先だけ。万能どころか、右手以外が降れれば藤丸のように肉片と化すだろう。

 

「さ、どうする。奇跡が起きたところで、万に一つもない状況だが」

 

「……確かに」

 

 まとめて薙ぎ倒された大木の枝から、何とか抜け出して、上条は、

 

「確かに藤丸のやったことは、あの虞美人って人からすれば、どうしようもなく悪だよ。きっと、どうやったって許せないのは俺だって分かる。

 だけど、お前は? お前はどうして、あの人に協力するんだ? サーヴァントって言ったって魔神だ、お前は大抵の相手ならは歯牙にもかけない。そんなお前は、どうして虞美人に手を貸す?」

 

「またお得意の話術か? つまり何が言いたい?」

 

「藤丸を俺と同じ目に合わせたのは、俺をここに召喚させる(・・・・・)ためだろ、オティヌス?」

 

 そこで。

 初めてオティヌスの動きが、揺らいだ。

 放たれた氷の氷柱は、上条の頬を薄皮一枚裂いて、山道を削り取っていく。

 しかしツンツン頭のサーヴァントは微動だにしない。

 

「俺と同じ状況をカルデアのマスターに叩きつければ、それとお前の存在が触媒となる。俗に言う連鎖召喚ってヤツだ。魔術の神であるお前が、それに気付かなかったはずがない」

 

「……それで?」

 

「お前、本当は藤丸のことなんてどうだっていい(・・・・・・・)んじゃないか?」

 

 作られた舞台、作られた配役。そして招かれたゲスト。

 全てがたった一人の神によって構築されたのなら、その目的だって暴ける。

 

「目的は俺だろ」

 

 上条は断定する。

 

「だって俺達は生前、あのとき二人揃って()()()()()()んだから」

 

 

 

 

 

 さて。

 ここで一つ、昔話をする必要がある。

 上条当麻とオティヌスについてだ。

 先述した通り、オティヌスは二度ほど、上条に追い詰められたことがある。

 一度目は勝てなかったが、二度目は違った。

 そのときのオティヌスは世界を破滅させた極悪人だったものの、数千億年という闘争を経て、上条という『理解者』を得た。その結果オティヌスはただの悪ではなく、隣に寄り添う誰かのために自らを差し出せるくらいには、善性を得たのだ。

 上条はそんな彼女を助けるために、世界を駆け回った。そして魔神としての力を捨てることで、人として罪を償う道を、オティヌスは提示した。

 世界を混乱に陥れた極悪人を、助ける。その行為のため、上条はそれこそ命を削って戦った。だがその行いは、最後の最後でオティヌス自身が救いを拒む理由になってしまった。

 自分にそんな資格はない。ようやく得た『理解者』が、そんな風に傷ついてまで生きられない。

 オティヌスは妖精化という術式を撃ち込まれた結果、体が自壊寸前だった。だからこそ、死ぬために魔術を使い、上条を遠ざけようとした。

 それは奇しくも、一度目ーーつまり上条がオティヌスを追い詰めた最後に使われた、上条を殺した魔術だった。

 他の魔術は凌げても、それだけは防げない。それでも、上条は黙って見ていられなかった。

 結果的に言えば、上条は間に合わなかった。

 魔術自体は凌いだものの、オティヌスの自壊の方が早く、抱き締めたときにはもう手遅れ。

 そうして上条は、目の前でオティヌスを失ってしまった。

……本来なら(・・・・)、そんな流れだった。

 

「俺はあのとき、お前を助けられなかった。そして、俺もお前の魔術で()()()

 

 元々そのとき、上条は満身創痍だった。世界中の魔術師や他勢力に日夜襲われ、人の形を保っているのが可笑しいほどの重症だった。

 故にオティヌスの魔術を、上条は乗り越えられなかった。そんな世界だって、あり得てしまうのだ。

 今でも上条は思い出す。

 自分の体が花弁みたいにバラバラ散っていくのに、砕かれたこちらを見て、泣き叫んでいた少女を。

 きっと、殺す気なんてなかったのに。お前ならこれを乗り越えるだろうと、そう信じてくれた『理解者』を、裏切ってしまったことを。

 

「俺がそもそもサーヴァント化したのはさ。お前との戦いが、世界とやらに認められたからなんだよ」

 

 神代とは違い、現代では世界を救ったところで英霊にはなれない。

 しかし、神殺しを為したなら?

 直接でなくとも、確かにその後押しをしたなら?

 ただの少年であっても、世界は英霊と認めるだろう。

 つまり、

 

「俺は魔神に対しての防衛装置として、英霊になった。だからこそ、お前に聞きたい」

 

 上条は、

 

「お前、何がしたいんだ? 藤丸を俺と同じ目に合わせてまで、俺を召喚させて。何を企んでる? 何が目的だ?」

 

「……それを。お前が、聞くのか、人間?」

 

 オティヌスは、三角帽子を深く被り直す。その下の、たった一つしかない瞳には、あらゆる感情が折り混ざっていた。

 きっと。

 この瞬間に辿り着くまで、幾つもの世界と時間があったからこそ。

 

「私にとって必要なのは、お前だけだった。変わっていく世界、変えられる世界に興味などない。全世界に指を差されようが、唾を吐きかけられようが、お前さえいれば私はそれで良かった。どんなことがあっても、隣にいてくれるお前がいてくれるだけで!! 

 いいか? 私にとって!! お前は!! どれだけの時を経ても、変わることのない唯一無二の『理解者』だった!!」

 

 世界を簡単に壊せる少女は、初めて感情を露にする。

 それは、上条の前だからこそ、さらけ出せる感情だった。否、それ以外ではさらけ出そうとしたって出来ない。

 

「それを自分自身の手で壊したときの気持ちが、お前に分かるか? お前を守るために放った矢が、お前を二度も殺した!!!! その喪失を、後悔を、抱えたままこれからずっと生きていけるわけないだろうが!!!!」

 

「……じゃあ、本当に。俺と会うためだけに、虞美人に協力したのか? そのためにまた、こんな地獄を作り上げたってのか? お前が散々苦しんだものを、他人に押し付けてまで?」

 

()()()()()()()()()?」

 

 オティヌスは即答した。

 それ以外に意味などないと、価値などないのだと、そんな顔で。

 ああ、と上条は悟った。

 生前のことだ。オティヌスと同じく、魔神になりかけた人間がいた。

 名はオッレルス。彼は『理解者』を得たオティヌスを指して、こう言ったのだ。

 もしもオティヌスが上条を失えば、これまで以上の怪物となるだろう、と。

 上条を失ったオティヌスはもう、善性など欠片もない。ただ一人を求めてさ迷い続け、その影に苦しむだけ苦しんだ。

 その結果が、これだ。

 

「あれから何度世界を作り替えたと思う? 丁度一万三千三十三回目だ。長かった、とても長かったよ。だからマスターの気持ちはよく分かる。藤丸立香という男への復讐心もな。故に私の見た地獄を叩きつけてやった。当然の報いだろう、大切な誰かを失うのはとても辛いからな」

 

 だからこそ。

 もう、上条は我慢ならなかった。

 

 

「さっきからふざけてんのか、テメェ(・・・)

 

 

 一瞬だった。

 あれだけ饒舌に、感情的に語っていたオティヌスが、一瞬で黙り込んだ。

 上条の言葉には、それだけの怒りが込められていた。

 

「確かに、俺だってお前を助けたいって思ってた。出来ることなら、あの時に戻ってでも助けたいと思ったよ。だけど」

 

 決定的になると分かっていて。

 上条は口にする。

 

「それは、誰かを踏み台にしてでもやることじゃない。少なくとも、今生きている誰かを、一生懸命生きようとしてるヤツを、踏み台にしてでもやることなんかじゃない!!」 

 

「……、」

 

 かくん、とオティヌスの首が揺れる。

 信じられない、という顔だった。それは上条が生前最期に目撃した、助けられなかった人の顔だった。

 それでも、構わない。

 今、ここで。何も言わなければ。

 彼女が『理解者』と、そう認めてくれた上条当麻ではない。

 

「お前は何のために『理解者』を求めたんだ? 何のために世界をねじ曲げてきたんだ?……全部、全部お前が苦しかったからだろ。痛かったからだろ!! 助けてなんて言えなくて、ずっと誰かと腹を割って話すことすら出来なかったからだろ!! なのに何で今更、そんなもんを誰かに叩きつける必要があるんだ!? そんな力を捨てたくて、償いたくて、お前はあのとき必死に生きようとしたんじゃないのかよ!! どうなんだ、オティヌスッ!!」

 

 胸が痛む。最期の最期に感じた痛みが、また少年の心を蝕む。

 けれど、

 

「俺がお前を助けたいって、そう思ったのはさ。あのとき俺に、世界を譲ってくれたからなんだ。好きなように作り変えたってよかったのに、元に戻せば自分が死ぬって一番分かってたのに、お前は俺のために世界を元に戻してくれた。

 確かに極悪人だったよ。誰が何と言おうと、世界を破滅させたのはお前で、沢山の人を傷つけてきた。だけど!! あのときのお前は!! 自分の命を差し出してでも、誰かを救おうと行動した凄い奴だったんだ!! そんな奴は絶対に、あんな風に善意に押し潰されて死んじゃいけなかったんだ!! だから!! だから俺は……!!」

 

 そんなお前を助けたいと、そう思ったのに。

 上条はその続きを言えなかった。

 そして言わなくても。

 『理解者』であるオティヌスには、全て伝わっていた。

 

「…………そうか…………」

 

 オティヌスが返したのは、それだけだった。噛み締めるように、頷いていた。

 あるいは。

 この少女はそう言われることを、ずっと待っていたのかもしれない。

 だって、彼女は『理解者』だ。

 藤丸にした仕打ちを、上条がどう考えるかなんて、オティヌスは理解していたはずだった。

 それでも行ったのは、やはり会いたかったのだ。

 千の夜を越えて、万の世を作って。

 そして、億の理を踏み外して。

 そうして出会えた『理解者』に。

 彼女は、ずっと会いたかったのだ。

……だからこそ。

 だからこそ、もう。

 

 

「俺は、()()()()()()()()、オティヌス」

 

 

 少年は、右手を握り締める。

 自分が変えてしまった、その化け物を、改めて見据える。

 

「何と言われようが、絶対に今のお前は助けない。これ以上ふざけたこと一つでも言ってみろ。ぶん殴ってでもお前を黙らせてやるッ!!!!」

 

「…………はは」

 

 オティヌスは。

 微かに、笑っていた。

 きっと心を苛む痛みは、これまで感じたどんな痛みよりも鋭く、胸に空いた穴は深くて、大きい。

 けれど、それでいいのだ。

 それを求めて、この世界を繰り返してきたのだから。

 

「それで?」

 

 と。オティヌスは仕切り直すように、

 

「啖呵を切るのはいいが……実際どうするつもりだ? お前だけがやる気になったところで、あちらはまだお手玉状態だが」

 

 オティヌスが片目を横に向けた。

 雑木林の中。そこでは、虞美人が藤丸の心臓を短剣で貫いて、そのまま袈裟切りに上半身を切り飛ばしたところだった。

 

「これで百三十四回目。常人ならとっくに潰れている頃だ。あの男もどうやらそうらしいな、最早立ってすらいないぞ?」

 

 上条も確認した。

 確かに足は動いていないし、目は何処を見ているのか、見当もつかない。口はいつも血を吐き出していて、上条から見ても勝てる要素なんて見当たらなかった。

 故に、笑ってしまった。

 たった一点を、見て。

 

「……はは。凄いよ藤丸、お前は」

 

「それは皮肉か、人間? サンドバッグ役が上手いとか、そういうことなら確かにそうだが」

 

「違うよ、オティヌス」

 

 上条は視線を落とす。その先は、自らが持つ唯一の武器だ。

 

「俺はさ、今でも自分を平凡な人間だと思ってるよ。だけど本当に平凡な人間は、こんな右手持ってないし、俺みたいに不幸じゃない。だから、もしも今回みたいな出来事があったなら……きっと、藤丸みたいにボコボコにされてるんだと思う」

 

「何を、言ってる?」

 

「見てみろよ、手を」

 

「手?……!?」

 

 オティヌスが瞠目する。それも当たり前か。上条だって、一瞬まさかと思ってしまったのだから。

 めぐるましく死と蘇生を繰り返す、藤丸の……右手。令呪が刻まれた、その手は。

 どんな傷を負っても、その命が終わりを迎えたとしても。

 固く固く。拳が、握られていた。

 

「……まだ、諦めてない」

 

 同じように、上条が右手を握り締める。

 拳とは、一種の意思表示だ。

 何かを考えて、求めるからこそ、人の拳は形作られる。

 つまり。

 

 

「アイツは、まだ。一ミリだって諦めちゃいない!!」

 

 

 






上条当麻とオティヌスについて補足。

本作の二人は新約とある魔術の禁書目録10巻ラストバトルからの派生。
例の攻撃を受けきれず、そのまま死んでしまった上条は、数千億年魔神と戦い続けたこと、そして魔神を最終的に滅ぼした功績によって英霊化。以後、対魔神最終兵器的な立ち位置で、抑止力の一部となる。
オティヌスは反英雄と化した後、上条さんともう一度会うために虞美人と契約。連鎖召喚を狙うため、英霊と多く縁を繋いだ藤丸を呼び寄せた。


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『普通』の悪足掻き (ROAR)

 

 虞美人にとって、汎人類史はまさしく、間違った歴史の巣窟だった。

 人間という醜く生き汚い、自分勝手に星を改造していく種族の繁栄や、不死者である自分が、逃げ続けなければならなかった世の中。そして愛する人が、あんな風に惨殺されなければならなかったこと。

 どうして、あんな風に彼は死ななければいけなかったのだろう。

 世界のため? 世のため? 人のため?

 確かにそれはどうしようもなく正しく、異論を挟む余地などない、まさしく世界にとっては最善の選択だ。

 でも、それがなんだというのだ?

 世界のために何かしたって、それで彼が幸せになれるわけじゃない。誰かを守れたって、救ったって。それで彼が、誰よりも幸せになれるわけじゃない。

 見返りなどない。求めたつもりはないし、当たり前のことだと彼は言うだろう。

 けれど。

 虞美人にとっては彼だけが、心の底から愛せる唯一の人だったのだ。

 同じ、人から外れた身。だからこそ分かち合えるものが、数えきれないほどあって。

 代わりなんて世界中何処を探してもいない。例え世界が滅びても、この世総ての命が死滅しても。

 それら全てを引き換えにしてでも取り戻したい、そんな相手だったのだ。

 だから許せなかった。

 藤丸立香。Aチームが亡き後、たまたま生き残った人類最後のマスター。誰かに迫害されたこともなければ、それなりに他人に囲まれて生きてきた人間。虞美人が最も嫌う、平凡な人間。

 余り物のくせに、たまたま舞台に上がってきただけの、人間のくせに。そんな奴が、自分の大切な人を蹂躙したことが、許せなかった。

 自分のように、たった一つを愛することもなければ、譲れないものなんてないくせに。

 だから、味合わせてやるのだ。

 自分が味わった苦痛を。絶望を。時の果ての果て、世界が崩壊するその日まで。永遠に与え続けるのだ。

 だから。

 

 

 

 

 

「!」

 

 駐車していたバンを蹴り、それで藤丸立香を押し潰す。それこそバットで打たれる野球ボールみたいに、少年は跳ね飛ばされた。

 流石にそれで死ぬほど貧弱ではなかったらしく、赤黒い血が身体中から漏れながらも、少年は立ち上がろうとする。

 

「学習能力がないのかしら」

 

 大人しく死んだふりでもすればいいものを、馬鹿正直に立ち上がって。まさか、まだ勝てるとでも思っているのか? 

 目の前でようやく立ち上がった少年の腹を、虞美人の右手が貫いた。そして腸を引き出すと、それでロープのように振り回す。

 街灯にぶつけた辺りで、ぶちん、と腸が千切れ、藤丸は絶叫しながら失神した。やがて大きく痙攣し、そしてまた蘇生する。

 既に戦いの場は冬木市内に移っていた。とはいっても、場所を変えようがワンサイドゲームに変わりはない。

 虞美人の勝ちはどうあっても揺るがない。藤丸立香では何をしたところで、虞美人には勝てない。上条がオティヌスを攻略したときは、余りに理不尽な攻撃を死んで覚え、何とか魂に染み込ませることで、耐久勝負に持ち込ませた。

 しかし上条のような右手もない藤丸には、そんな器用なことは出来ない。元々誰かの後ろに隠れて、無責任に頑張れとしか言ってこなかった人間だ。いくら死んで覚えようが、身体がついていくわけがない。

 そもそも死んで覚えるなんていうものは、死に続けてなお、その恐怖と激痛に流されず自己を保てるからこそ、成立する話だ。

 

「、お、……あ…………」

 

 死んだ回数は、既に()()()()()

 肌はまるで、血管全てが凍りつき、変色してしまったかように青白い。蘇生直後で身体は健康そのものだろうに、蓄積した敗北のせいで立つことすら危うかった。

 誰がどう見たって、少年は死に体だった。

 なのに。

 藤丸の瞳は、まだ死んでいない。

 まだ何も、終わってなどいないと。諦めるものかとしがみつき、離れようとしない。

 それが。

 虞美人には無性に、癇に障った。

 

「……何なのよ、お前は」

 

 その口の中に手を突っ込み、生えた歯を数本ほど引き抜くと、更に膝で目を潰した。

 

「状況なんて何も変わらない。お前は死に、私は殺す。その前提は変わらない。生き返る限りお前への憎悪が私から消えることはないし、お前が死のうが生きまいが、私はお前の肉片一つすら残すつもりはない」

 

 固く握られた右手を切断、その切断面から魔力を暴走させ、呪詛を叩き込む。

 腐食する肉体。崩れ落ち、灰となっていく身体。抵抗など出来ず、拳の一つすら無効化された少年は。

 それでも。

 死の間際まで、必死に戦おうと、もがいている。

 

「なのにどうしてお前はまだ立ち上がっている? 何故拳を握れる!? そんなに自分の命が大事か!? 何もかも奪われて、それで立ち上がった理由としては、自分勝手で浅ましいと少しは思ったりしないのか!! お前は!!」

 

「……、」

 

 藤丸は何も答えない。

 ここまで打ちのめされて倒れないのは、喋る力すらも戦う力に充てているからなのろう。されど少年はそこまでして、立ち上がることがやっと。魔術はおろか拳を振るうことすら億劫だ。

 

「何が人類最後のマスターよ。蓋を開ければただのお飾りじゃない。回復魔術すらまともにかけられない愚鈍な人間が、図々しく世界を救う功績だけかっさらって。英霊達を侍らせての世界を救う旅は、さぞ気持ちよかったでしょうね?」

 

「……、」

 

「ええ。その末で私の大切なものを踏みにじったって構わないものね? 世界を救うためだもの。あなたが生き残るためだもの。それ以外の全てを否定しても、構いやしないのでしょう?」

 

 藤丸はやはり、何も答えない。

 だけど、もぞもぞと動くのが答えだった。この期に及んで、ここまできて。目の前の人間がそんなことで戦おうとしていると分かって。

 虞美人は怒りのあまり、唇を噛み切った。

 

「いい加減にしろよ、おめでたい人間風情が」

 

 吸血鬼は最早、どう痛め付けてやろうかなどとは考えなかった。ただ、最短で殺すことだけを念頭に置いた。

 故に、少年の心臓を握り潰しながら、虞美人は怒り任せに捲し立てる。

 

「唯一無二の存在なんて、(つが)いなんていないくせに!! お前の周りにはいくらでも幸せなんて転がっていて、何の苦労もなくそれを手に入れられるのに!! いくらでも代替えの効く存在のくせに!!!! なのにお前はまた奪った!! 取り戻した生きる意味を、お前はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 蘇生なんて待たなかった。

 一秒の間も無く、ぐちゃぐちゃにしなければ、虞美人の怒りは到底収まらなかった。

 だってそうだろう。

 

「私は、私にはあの人しかいない!! あの人に生きていてほしかった!! 側にいて、支えてあげたかった!! ふとしたときにその手を握って、抱き締めて、冷たい身体に熱を与えてあげたかった!! たったそれだけすら許されないっていうの!? 二千年以上焦がれた私の願いは、どうして!! お前のような平凡な人間なんかのために踏み潰されなければいけなかったのよ!! どうして!! 成人してもないぽっと出のクソガキの命のために、私達はここまで堕ちなきゃいけないのよ!!!!」

 

 死にたくないと思ったことは、ある。

 けれど、それはあくまで生きる意味があるのならの話だ。少なくとも、項羽のいない世の中でずっと生きていたいだなんて、虞美人には思えない。

 だから、許せない。

 全て奪われただろうに。たった一つ、譲れないものなんかないだろうに。それでも我が身可愛さに立ち上がり続ける、目の前の肉袋が。

 こんな醜いものが続いていく歴史のために、項羽が死んだことが。

 

「全部、許せない」

 

 振り下ろされる手は止まらない。

 飛び散った肉と、噴き出した血で冬木市が染め上がる。虞美人は全身の魔力を暴発させ、それを藤丸の頭上に送り込んだ。

 

「破滅を知り、なお生き残ろうとする人間よ」

 

 真っ赤に光るのは、雲。帯電した紅蓮の雲は、不死者の憤怒で作り上げられた呪いの雨雲。

 

「我が憎悪!! 我が悔恨!! 降り注げ、魂まで呪い死ねええええええええええええええええええッッ!!!!」

 

 殺到するのは星の慟哭。余りに悲しく、そして激しい女の涙だった。

……宝具、呪血尸解嘆歌(エターナルラメント)。吸血種の中でも精霊に属する虞美人は、霊核を環境と共有しているため、肉体を呪詛に変えて放棄しても、再構成することが出来る。

 その特性を生かしたこの自爆技の威力は、語ることすら憚れた。

 酸性雨を何十倍にも強力にしたような血の豪雨は、アスファルトどころかその下の地層にすら届くほどだった。その中心点にいた藤丸が、今の宝具だけで一体幾度死んだか。死ぬ度に蘇生と聞くと便利に聞こえるものの、藤丸の耐久力を考えると十では済まないほど死んだはずだ。

 

「……、は、……っ……」

 

 虞美人が息を切らして、再構成した肉体の調子を確かめる。多少の体重増減はあるが、問題ない。あの少年が相手なら、むしろありすぎるくらいだ。

 土煙が、晴れる。

 

「………………」

 

 少年は、ぴくりとも動けなかった。

 当たり前だ。何も失うことなく、無くしたところで少年にはそれ以外にいくらでも用意出来る程度のもの。そんな環境に置かれていた人間が、千回以上もの死に耐えられるはずがない。

 

「……」

 

 が、藤丸が動かなくなったところで、虞美人のやることは変わらない。

 復讐鬼と化した女は、それまでと同じように、少年の命を終わらせる。

 一度。

 二度。

 三度。

……それはまるで、ぬいぐるみを憂さ晴らしに八つ裂きにするかのような、そんな手軽さで行われる虐殺だった。

 当然の報いだ、と虞美人はほくそ笑む。

 虞美人の受けた痛みはこんなものではない。この痛みを、少なくとも数千年は続けないと、恨みなど晴れない。

 

「……はッ、失神したときに舌を噛んで死んだの? 間抜けな死に様ね、お似合いよ」

 

 頭と腰を掴み、少年の身体を二つに叩き折りながら、虞美人は嘲笑した。

 蘇生した藤丸は、やはり答えない。

 あれだけ固く握られた拳すらも、今はだらんと投げ出されたままだ。指一本だって、動く力は残ってない。

 だから言ったのだ。我慢勝負など意味がないと。

 所詮はたった千回殺されただけで、諦める程度の願いだ。そんなものが、たった一つを求め続けた自分に勝てるはずがない。

 

「ほら」

 

 がっ、と虞美人が首を鷲掴みにして、持ち上げる。爪を食い込ませ、軽く絞めながら、

 

「悔しいなら、何か反論の一つでも言ってみれば? それとも命乞いする? もう殺さないでって、涙でもボロボロ流してみる? まあそれを私が受け入れるかなんて別だけど」

 

「…………ぇ、……」

 

「聞こえないわよ、ノロマ」

 

 声すらまともに出せないのか。全く惰弱にも程がある、虞美人がそう思いかけたときだった。

 ぐ、と。藤丸の右手が持ち上がり、銃のようなジェスチャーを取っていたのだ。

 

 

「ーーーーうるせえ(・・・・)

 

 

 ドンッ、と撃ち出されたガンドが、無防備な虞美人の眼球に炸裂した。

 

 

 

 

 

 礼装の魔術を起動するのが、こんなにも難しかったのは初めてのことだった。基本、魔力を与えればそれを自動で変換してくれるのだが、ここまで叩きのめされたのではそれすら難しく、全神経を集中しないといけなかった。

 それこそ、喋る力も拳を握り締めることすらも、全て放棄して、やっと。

 

「……お前……」

 

 が。虞美人はにどうやら、そんな決死の魔術すら通用しなかったらしい。ガンドが命中した眼球は、煙こそ出ているものの、瞬きほどの衝撃しかなかったようだ。

 ここまでやってこれとは、自分の無能さに泣けてくる。だが、そんなイタチの最後っ屁に、虞美人は青筋を立てていた。

 そして藤丸も、堪忍袋の緖はとっくにはち切れていた。

 

「さっきからペチャクチャペチャクチャ、くっちゃべりやがって。うるせえんだよ本当に」

 

「……!」

 

 藤丸の口に、短剣が差し込まれる。貫通した短剣は少年の口内を焼き尽くすと、そのまま喉から胃、足と走り抜け、内側から蹂躙していく。

 殺されようが構わない。

 蘇生されれば、それで終わりだ。痛みも恐怖も一過性のもので、だからこそ藤丸立香は止まらない。

 

「アンタは確かに苦しかったんだろうさ。何年も何年も、俺には想像もつかないような年数を生きて、きっと俺の何千倍も苦しんだと思うよ」

 

 けれど、と藤丸は青白い顔のまま、虞美人に言葉をぶつける。

 

「それで俺の大切なものを、粉々にぶっ壊していいことにはならねぇだろうが、このクソッタレが」

 

「……お前……ッ!!」

 

「可笑しいな、どうしてお前が怒るんだ? 散々人の大切なものを奪って、散々他の世界を弄んで、結局ハッピーエンドを勝ち取りかけたお前が。なんで被害者みたいに怒ってるんだ?」

 

 藤丸の言葉は止まらない。

 ただ、ありのままに思ったことを、少年は口にする。

 

「何とも思わないとでも思ったのか? 何も言い返さない奴だから、逆ギレかましたっていいと思ったか? 因果応報程度で怒るなよ、んなもんお前の身から出た錆だろうが。俺からあれだけ奪っておいて、いざ自分が奪われたらどーのこーの、やかましいんだよ。俺の時にそんな言い訳を一回でも聞いたか? 聞かなかったよな? なのにいざ奪われたら、復讐なんて言葉使ってかっこつけやがって、ふざけんな」

 

 それは、あの藤丸立香とは思えない暴言だった。例え誰が相手であっても、まず理解しようとしてきた藤丸からは考えられない、どうしようもなく醜い言葉の羅列。

 だけど、本当にそうだろうか?

 普通とは、何も最良でもなければ、最悪でもない。

 善悪を均等に兼ね備え、それをコントロールする術を持つ人間のことを指す。

 藤丸立香という人間は、確かに善人なのだろう。しかし、彼は普通だ。そこに、黒い感情が一ミリたりともなかったとは言わせない。

 現にその兆しはあったのた。

 例えば、アガルタ。ロマニのことを侮辱された藤丸は、シェヘラザードに対して明確な敵意をぶつけた。

 後にシェヘラザードから謝罪されたとき、マシュ共々らしくなかったと反省したが……果たしてそれは、本当にらしくないことだったのだろうか?

 大切な人を侮辱されて、それでも口を閉じていることは、本当に正しいことなのだろうか?

 確かに、怒りに任せて他人を攻撃することは、人として褒められたことではないのかもしれない。

 だけど。

 本当に誰かを大切に思うからこそ、許せないことだってあるはずなのだ。ふざけるなと、思わず声を出したくなってしまうときだってあるのだ。

 だって、英霊達がそうだった。

 なら藤丸にだって、それが許されたっていいだろう。それすら許されないというのなら、そんな人間は人ではない。ただの操り人形だ。都合のいい偶像(ヒーロー)だ。

 時に、人は魔が差すこともある。

 その魔が差す瞬間すら、抑え込んできた人間のタガが、外れたらどうなるか。

 それが、今の藤丸だ。

 矛盾なんて知ったことではない。

 それでも、やっぱりやられっぱなしは嫌なのだ。『普通』の人間とは、良くも悪くも、きっとそういうものなのだ。

 

「独り善がりのお前と一緒にするなよ、人間!! 私は、項羽様を愛していた。だから!!!」

 

()()()()()()()()()()、吸血鬼?」

 

 その腹を貫かれても、背骨を引き抜かれても、藤丸は二度と怯まない。

 反論してみろと言ったのはあちらだ。なら、存分に言わせてもらおう。

 

「私はあの人を愛してました。私はあの人のためならなんでも出来ました。私にも世界を救う証明がしたいんです。私は、私は、私は……だから? だから、汎人類史は壊されるべきだし、全く関係ない世界を巻き込んだって構わないし、そのためなら二つの世界で生存競争してワイングラス片手に世界の終わりを眺めるのも当たり前だって? それが許される立場だって、お前が、お前達が、そんなことを抜かすのか?」

 

 ぎり、と少年の歯が軋み。

 拳が白くなるほど、力強く握られる。

 

「……ふざけんなよ」

 

 奪われた者として、当然の言葉をぶつける。

 

「ふっざけんなよッ!!!! てめえッ!!!!!」

 

 ああそうだ。

 本当に、どいつもこいつもふざけてる。

 特別じゃないから、理想とは違うから、自分の求めた答えと違うから。

 いけないのか。

 平凡だから、特別な何かに席を譲らなければいけないのか。あの星は、普通の存在が当たり前に生きるには、狭かったのだろうか?

 違う。

 それは絶対に違うと、世界を見てきた藤丸立香は断言出来る。

 

「お前らの言う大切なものが何なのか知らないよ。それはきっと、この世にたった一つしかない、綺麗なものなんだろうよ。でも!! だけど!! だからって俺の大切なものが、お前達のそれに劣ってる理由なんか、一つもねぇだろうがッ!!!! そんな自分勝手を通されて、黙ってられるわけがねぇだろうがよ!!!!!!」

 

 例え、どれだけの理由があっても。

 思わず感情移入してしまう、美辞麗句や綺麗事を並べたとしても。

 そんなものを振りかざしてきた時点で、藤丸立香の知ったことではない。

 

「……、……ッ!!」

 

「だからハッキリ言ってやるよ、虞美人」

 

 少年は立ち上がれもしない身体で、それでも宣言する。

 

「ーーーー世界の一つも救ったことのねえ奴が。勝手なことを後からぐちゃぐちゃ抜かしてんじゃねえぞ、クリプター」

 

 藤丸は、

 

「俺は、アンタ達を一人残らず()()()()()()()()でも、絶対に止めてやる。分かるか、虞美人。俺は。アンタをもう一度ぶっ殺してでも、自分が生き残りたいって、そう言ったんだ!!」

 

「……、」

 

 虞美人は。

 余りのことに、言葉を失っていた。

 目の前の獣が予想以上に醜く吠えたからか。それとも、そんな風に獣の吠えたてる姿が、少しでもさっきまでの自分と重なったからか。

 

「……いいわよ」

 

 果たして。虞美人は一度息を吐くと、

 

「それなら付き合ってあげる。お前のその威勢が、あとどれだけ続くのか。無意味に散らし続けて教えてあげるわ、クソ人間が」

 

 

 

 

 時間を少し遡って。

 それは、藤丸と上条が大空洞に向かいながら、作戦会議をしていたときのことだ。

 

「多分、オティヌスのマスターは虞美人だと思うんだ」

 

「虞美人っていうと……ついこの前倒したクリプターの一人だろ? 根拠は?」

 

 藤丸がそう結論づけた理由は、色々ある。

 例えば、この異聞帯に秦がないこと。自身にここまで恨みを持つのは、それこそ怨念になりかけた彼女ぐらいだということ。

 

「オティヌスが俺を簡単に殺せるのに、わざわざ蘇生していたぶってたのは、俺の苦痛を一秒でも長く続けさせるためだ。そこまでの恨み、あの神様が持ってない以上、そこには絶対マスターの思惑がある。そしてそれをぶつけてくるような相手は虞美人だけ。だからこそ、付け入る隙があるかもしれないんだ」

 

「と言うと?」

 

「確か、君は生前オティヌスと数千億年くらい戦ったんだよね?」

 

 上条は既にオティヌスとの関係を話していた。唯一無二の『理解者』であり、そこに至るまでの数千億年の戦いを。

 

「でも、人はそんな長い年数生きられない。少なくとも、君は右手以外ただの人間だった。そうだろ?」

 

「あん? いや、その時はオティヌスに殺されて、蘇らせてもらってを繰り返したからそんな無茶が成立して……って、お前まさか」

 

「うん。もしも虞美人が、俺を苦しめたいなら。俺が死んでもオティヌスに蘇らせるよう指示するはずだ」 

 

 これまでの惨殺を目の当たりにすれば、嫌でも分かる。実際相対すれば、間違いなくただ殺すだけでは終わらないだろう。終わっても終わらなくても。

 だからこそ、それが唯一の隙になる。

 

「ダメだ、藤丸」

 

 しかし上条は諌めた。

 例えそれが隙になるとしても、上条は知っているのだ。その行為が、どれだけの無茶と無謀を重ねたものだったのかを。

 

「いいか。俺のときは、まだ右手があった。シューティングゲームみたいに、一見無謀なように見える攻撃も、一つ一つ紐解けるくらいには俺も修羅場慣れしてた。でも、お前は違うんだろ? 元々戦ってきた人間じゃない。そんなお前が真っ正面からかち合ったって、ただ死に続けるだけだ。死んで覚える前に死に続ける未来しかない。そんなの、お前の心が絶対に保たないぞ」

 

「いやいや、流石にそんなこと出来ないよ。俺がやるのは、もっと惨めというか。他力本願というか……」

 

「?」

 

 疑問符を上げる上条に、藤丸は作戦を提示する。

 

「さっき、勝機があるなら俺だって君はそう言った。だけど、多分それは違う。俺はオティヌスにも虞美人にも勝てっこない。だから、それまで待つよ」 

 

「待つって……誰を?」

 

みんなを(・・・・)。マシュが、カルデアのみんなが、ここにたどり着くまで、俺は死んでも待つ」

 

 そう。

 上条当麻ではオティヌスに勝てない。

 藤丸立香では誰にも勝てない。

 しかし、そこに他の要因が加われば?

 

「もしもここに、カルデアのみんながいれば別だ。勝てる勝てないはともかく、今よりもっとマシな状況になる……はずだと思う」

 

 希望的観測の混じった、ただの願望に近い作戦だった。カルデアが今どうなっているか知り得る方法がない今、具体的な期限もない。しかも一番の懸念事項は、そのままだ。

 

「待てよ。それじゃあ何か? お前は神様と我慢比べしようっていうのか? 迎えがくるまで、永遠に?」

 

「……情けないだろ? ごめん、こんな作戦しか思い付かなくて」

 

「馬鹿野郎、違ぇよ」

 

 上条は、

 

「お前の言ってることは、ずっと死に続けて耐えろってことだぞ? そんなの、俺の攻略なんかとは比べ物にならない愚策だ。一回死んでも、十回死んでも、百回死んでも前に進んでるかも分からないんだ。精神の磨耗速度は、お前の想像してる何倍も早い。そんなもん誰がやったって潰れるのがオチだ」

 

「大丈夫」

 

 しかし、藤丸は笑ってそれを受け流した。

 簡単に考えているわけではない。彼だって無意味に死んだ記憶は未だあって、それこそ色濃く刻み込まれているはずなのだ。

 それでも、藤丸は笑える。

 敗北しかない記憶。その無限に続く地獄に、身を投じる。

 

「俺、我慢することだけは得意だから。一回吐き出したから、しばらくは大丈夫だよ。限界だと思ったら、それこそまた何度でも吐き出すしね」

 

「……藤丸」

 

「だからそんな顔しないでくれ。君だって、オティヌスっていう神様とタイマンしてもらうんだ。神様が相手なら目を瞑ってノーミスクリアは余裕だって君が言ったんだからね、それを信じてるよ」

 

 上条はしばらく悩んだようだった。それでも、最後にはパンパン、と頬を叩く。

 

「あーちくしょう! 分かった、分かったよ! その代わり絶対折れんじゃねぇぞ、マスター! アンタ、少なくともクリプター相手なら言いたいことも山程あんだろ?」

 

「……まあ、それなりには」

 

「だったらこの際、それも言っちまえよ。戦いで勝てないのなら、せめてそういう不満くらいはぶつけてやろうぜ。だって負け続けるのって、絶対フラストレーションいっぱい溜まんだろ? そういうの抱えたまま死ぬのって、悔しいじゃんか。だから言っちまえ」

 

「分かった、覚えとく」

 

 それと、と上条は右手をひらひらと振って、

 

「俺の右手、実は地脈とか龍脈とか、そういう流れる力を削り取る力があるんだ。だから、もしカルデアがマスターを探すっていうのなら、少しは役立てるかもしれない」

 

「というと?」

 

「世界の基準点って言ってさ。魔術師の怯えとか願いとか、そんなもんの集積体なんだよ、コイツは。バックアップとか、リセットボタンみたいなものかな。俺がオティヌスの世界改変に影響を受けなかったのも、コイツのおかげだ。だからカルデアにとっては、お前と同じくらい見つけやすい明かりのはずなんだよ」

 

 つまり、世界という運河の中で、上条の右手は灯台のようなものだろうか? ともかく、それならそれでありがたい。

 

「でもいいのか?」

 

「? 何が?」

 

「カルデアの連中を巻き込むことだよ。これからやることは、お世辞でも正義だなんて言えない。それに仲間を巻き込んで、お前は本当に良いのか? あれだけのことを我慢してたのは、みんなを思ってのことなんだろ?」

 

 確かに藤丸としても、カルデアのみんなをここに呼び込むことはしたくなかった。彼らだって、失いたくないものは数えきれないほどあって。きっとそこには、藤丸の知らない悲劇が幾つもあった。

 それを考えれば、藤丸のやろうとしてることは、地獄の底に引きずり込む悪魔の所業に近いのだろう。

 だけど、

 

「いいんだ」

 

 迷いを捨てたわけじゃない。

 覚悟なんて吹けば倒れるようなものでも、藤丸は決めたのだ。

 

「死にたくない。生きたい……そのためなら、俺は何だって試すよ。多分俺の本性を知ったら、こんな世界を壊すって分かったら、みんなに軽蔑されて、サーヴァント達は二度と俺の召喚に応じてくれないのかもしれない。そうなったとしても、一から全部やり直すよ。今までずっとそうしてきたんだ、だから大丈夫」

 

 難易度は理解している。

 一体どれだけの時間がかかるのか、元通りになんてなるのか。全てが取り戻せるだなんて、そんな楽観視はしていないし、もしかしたらまた一人ぼっちになってしまうかもしれない。

 

「それでも、俺はもう折れないよ。絶対に」

 

「……そっか」

 

 上条はもう、何も言わなかった。釘を刺したところで無駄だと分かったからだろう。

 だから、一言だけ告げた。

 

「負けんなよ、藤丸」

 

「うん、上条もね」

 

 

 

 

 

 だから。

 勝てないことは、最初から分かっていた。

 

「……………………、」

 

 鳴り止まない頭痛が鬱陶しい。口の中はずっと血の味がしていて、それ以外何も感じられない。肌の下を走る血管が不気味に脈動し、まるで蛇のようにうねうねと逃げ回るようだった。

 殺された回数が千を越えた辺りで、藤丸は数を数えることを止めた。だってそんなもの、意味がない。終わりがいつになるか分からない以上、自分で決めた目標を達成したところで、得られるのは期待に裏切られたという勝手な敗北感だけ。

 一体、あれからどれだけの時間が経ったのか。どれだけ殺されたのか、藤丸には想像もつかない。地続きのはずの記憶が、所々思い出せなくなってしまうくらいの時間、藤丸は殺され続けた。

 

「…………ぁ………………、」

 

 目を開けることすら難しいが、藤丸は目の前の景色に目を向ける。

 冬木市には変わらないが、そこは最早町としての体裁など保ててなかった。目に見える建物全てが崩落し、あるのはひび割れた大地だけ。黄金の空などなく、広がるのは漆黒の夜空のみ。

 幸せの欠片もない、世紀末。

 そこに行き着くまで一体、どれだけの蹂躙があったか。どれだけの責め苦に少年は耐えたのか。

 

「……これで蘇生は、()()()()()回」

 

 虞美人だ。しかし彼女の顔色も、少し悪い。流石に四桁もの回数、同じ人間を殺し続けるだけだったのは、彼女にとっても苦痛だったらしい。

 本来勝負にすらならない相手。その相手に、僅かでも見える疲れ。

 それだけで、まだ頑張れる。

 立ち上がれる。

 

「……どうして」

 

 だが、虞美人はその様子に納得がいかなかったらしい。彼女はヒステリックに、問いをぶつけた。

 

「どうしてそこまでする!? ただの人間だろう!? 苦しかったんだろう!? もう嫌だと思ったんだろう!? だったら大人しく死ねばいいものを、いつまでもどうして生にしがみついていられる!? 何がお前をそこまで駆り立てる、藤丸立香!?」

 

「……別に、さ……特別な理由なんて、ないよ……」

 

 骨と筋肉が抜け落ちてしまったかのように、体が言うことを聞かない。声を出すだけで喉が痺れ、呼吸が乱れてしまう。

 だけど。

 

「ただ、いやなんだ」

 

 立ち上がる。

 弱くても、惨めでもいい。

 我慢し続けて。

 最後の最後で負けないように。

 

「あの惑星(ほし)がくれた、ただ一つだけ、大切なものが。無くなってしまうのは、嫌なんだ」

 

「……なんだ、それは」

 

「全てだよ」

 

 固く、固く拳を握り締める。

 『普通』だからこそ。

 そこにある本音は、罵倒ばかりではない。

 

「あの惑星(ほし)で出会った人、あの旅で得たもの、託された願い、こべりついた傷跡。その全てが、ただ一つだけしかない、あの世界で得たものなんだ。楽しかったことも、苦しかったことも、痛かったことも。全部引っくるめて、俺にとってはただ一つだけの大切なものなんだ」

 

「……だから、ここまで耐えられただと? 命よりも大切でもないくせに、そんなものでここまで耐えられるわけが……!!」

 

「命より大切じゃなかったら、それは全部嘘なのか?」

 

「、っ」

 

 藤丸にとって、一番大事なのは自分の命だ。

 それでも、大切なのだとそう思った気持ちに代わりはない。少なくとも、こんな風に我慢強い生き方が出来るようになるくらいには、藤丸にとってそれは、大切なのだ。

 

「俺は特別な人間じゃないから。きっとあなたみたいに、誰か一人のために足掻くことは、きっと無理なんだと思う」

 

 藤丸は続ける。

 ここまで来られた理由を。

 

「だから、みんなに支えてもらってきた。今このときも俺は、みんなにかけてもらった言葉や、生き方を思い出してる。だから立ち上がれる。生きたいって、みんなと生きていたいってそう思える。それは、誰かに否定されただけで壊れてしまうほど、弱い幻想なんかじゃない。少なくとも、ここで簡単に折れる理由になんか、なったりしない……!!」

 

「ッ……」

 

 これが、人類最後のマスター。

 『普通』の人間。

 善と悪、両方を兼ね備えているこそ。

 時には喚き散らしながら、最後には誰かの想いを胸に歩き続ける、現代の人間の代表。

 今を生きる、歴史の勝利者達の結晶だ。

 

「……ああ、そう」

 

 虞美人もそれを、心底思い知った。

 だからこそ。

 こんな言葉を従者に投げた。

 

「オティヌス、死者の軍勢(エインヘルヤル)の制御をこっちに寄越しなさい。コイツを本当の地獄に送ってやるから」

 

 

 

 

 

「……ふむ」

 

 百メートルほど離れた荒野。

 がら、と瓦礫が崩れる中、オティヌスはそれを聞いていた。

 

「いやはや、お前の学習能力には驚かされる。まさかここまでとは。おかげで少し、加減を間違えてしまったか」

 

「ぐ、ッ、……ッ!!」

 

 オティヌスの視線の先は、目の前。崩れた瓦礫に磔にされた、上条だった。その四肢には鉄筋が貫通しており、その体を瓦礫に押し留めていた。

 藤丸が四桁もの間死に続ける中、オティヌスの相手を任された上条は、()()()()()()()()()、彼女を藤丸から遠ざけた。

 しかし虞美人の言葉を受け、それを防ごうとした上条は、まんまとオティヌスの攻撃を受けた。それがこの鉄筋だ。

 

「異能の力で作り上げたわけでもない。お前の力でそこから抜け出すことは不可能だよ、人間」

 

「……うる、せえよ。こんなもんで、アイツのこれまでをぶち壊してたまるかってんだ……!!」

 

 と、上条はパーカーの襟を噛んで、そのまま体を前に倒す。ブチブチ、と全身から響く異音と、赤く染まる学生服。余りの痛みに、上条は目の前がチカチカと光っているようにも感じた。

 鉄筋を引き抜くのではなく、自分から動いて逃れようと言うのか。

 しかし、遅い。取り除くには、まだ鉄筋が半分ほど残っている。

 だから止められない。

 

「いいぞマスター、託そう。神の加護だ、ありがたく受け取れ」

 

「っ、よせ、オティヌス!!」

 

 上条の抵抗虚しく、オティヌスの力の一端が与えられる。

 

 

 

 

 

 北欧神話曰く。

 戦死した勇者の魂は、主神オーディンの館に集められ、きたるラグナロクのために日夜戦い続けるらしい。

 その元となった術式こそ、死者の軍勢(エインヘルヤル)。魔神オティヌスの持つ術式の中で、死者蘇生の効果がある魔術。

 つまり。

 虞美人に与えられた力は、神にも等しい力だった。

 

「私自ら手を下すだけでは、お前はもう折れない」

 

 ならば、と。妖しく笑った紅蓮の女は、満身創痍の少年にこう告げた。

 

 

「だから、用意してあげるわ。お前に相応しい地獄の世界を」

 

 

 直後だった。

 ()()()()()()

 

「なん、だ……?」

 

 体力なんて欠片も余っておらず、気力だってなけなしの願いを握り締めて保っているようなもの。これ以上、最悪な状況なんてあるわけがない。そう思っていた。

 だが。

 そんな藤丸の額から、汗が滲み出るほどの光景が、目の前に顕現した。

 

「……、」

 

 ずるるるるるる……と。

 裂けた夜空から顔を見せたのは、イナゴのような群体だった。それは爆発的に増えると、そのまま世界へ広がっていく。

 それは、生理的嫌悪を催すフォルムをしていた。黒光りする、てかてかとした体と、四肢代わりに生えた鋭利な鎌。そして何より目につくのが顔にあたる場所。大きな大きな口は、そこから見える白い歯からするに、常に笑っていた。

 名をラフム。

 ビーストⅡ、ティアマトから生まれた、新たな人類。

 

nz:q(みつけた)

 

iy:@y(にんげん)iy:@y(にんげん)! 3ksgk(あのときの)!」

 

 ラフム達は産声を上げ、地上へ降りてくる。狙いが誰かなんて決まっている。そんなもの、ここにただ一人立っている藤丸立香に他ならないーー!!

 

「くそっ!!」

 

 踵を返す。何処へ逃げれば良いかなんて分からないが、とにかく少しでも距離を取らないと、

 

 

「顕現せよ。牢記せよ。これに至るは()()()()()()()なり」

 

 

 その、刹那。

 ドンッ、と藤丸の体が何かに突き上げられた。いとも簡単に巻き上げられる事実に驚きながら、藤丸は自身を突き上げたものの正体を知った。

 塔、ではない。まるで芋虫のように動くそれは肉塊だ。全体に隙間なく、赤黒い目が点在したそれは、一斉に藤丸へと視線を向ける。

 魔神柱。

 かつて人理焼却を起こしたビーストⅠ、人理焼却式、魔神王ゲーティアの使い魔である。

 

「何を知る」

 

 しかも、一体ではない。

 それこそ竜巻のようにとぐろを巻いて現れた魔神柱の数は、藤丸の目には数え切れない。

 

「何を望む」

 

 特大のサイクロンのように集まる魔神柱達。ラフムの数も凄まじいが、物理的な脅威だけで言えば、魔神柱の巨大さは分かりやすい恐怖になる。

 その彼らの瞳はただ一人に、向けられている。

 つまり、藤丸立香。

 未だ突き上げられたままの藤丸に、魔神柱達はその瞳を光らせた。

 

 

「ーーーー友は全て消えゆく」

 

 

 命が焼ける、音がした。

 正面が光ったかと思えば、藤丸の体は数十回ほど焼き尽くされた。それこそ何十もの光線が、一斉に藤丸の体に降り注いだのだ。一度の光線で平凡な少年など死んでしまう以上、虞美人が蘇生を続ける限り当然だ。

 それだけでは終わらない。

 光線に焼き尽くされながら落下していく中、唐突に落下の軌道が変わった。

 ラフムだ。魔神柱達の光線を物ともせず、彼らは藤丸にその手を振り下ろす。

 

b\p(ころせ)b\p(ころせ)b\p(ころせ)!!!」

 

 まるで野菜をぶつ切りにするような、そんな乱雑な攻撃だった。しかし普通の人間にはそんなものでも十分。ラフム達は嬌声と下卑た笑いを上げ、少年の命を弄ぶ。

 藤丸はまともに目を開けられない。必死に体を守ろうと、肩を抱いて。

 そして、ラフムごと何かで消し飛ばされた。

 

「が、ぁ、……が、ぐ……ッ!?」

 

 今のは……光線では、ない? では誰が? そんなことを考えていると、藤丸は地上に落下した。ゴロゴロと派手に転がり、瓦礫や鉄屑に頭や背中をぶつけながらも何とか踏み留まる。

 嫌な汗が滲み出ていた。

 ラフム、魔神柱。ここまで来て、あと何がくる?

 手足が折れてまともに動けないが、せめて第三の敵を視認しようとして。

 藤丸の意識は今度こそ、落ちかけた。

 

「……、」

 

 青い、何か。浮かんでいるそれは、フォルムだけならアイスクリームにも近かった。無機質な球体を支える円錐を逆さまにしたそれは、ラフムのような嫌悪こそないが、生物としても機械としても未知数で、得体の知れない恐怖を感じさせる。

 だが、真に藤丸を焼いたのはそれではない。あくまでただの種子だ。本命はその向こう、魔神柱達と同じシルエットで、天に伸びている。

 根を伸ばす姿は、木だ。真っ白な樹木は、表面にヒビが入っており、一見成熟を過ぎた古樹にも見える。

 しかし、それが雲すら通過して、(ソラ)に伸びていると知れば、その認識を改めるだろう。

 それが、三本(・・)

 冬木市だったものを囲うように植えられたそれは、藤丸の存在を確認し、更に変化していく。

 バキバキバキバキバキバキバキバキィ!!、と木霊する破壊の音は、自壊ではない。ただ、三本の樹のヒビが広がった。

 広がった後に見えるのは、銀河。星々をまるごと蓄えたそれは、圧倒的な質量とエネルギーをもって、星の歴史に楔を打つ。 

 名を空想樹。

 異星の神によって埋め込まれた、星を塗り替える要石。藤丸立香の、汎人類史を漂白した原因。

 

「ぁ……」

 

 藤丸は、尻餅をついた。

 見てはいけない。そう思っても、長年のマスターとしての習性が、戦場全体を把握してしまう。

 空を飛び回るラフムの群れは黒い雲のように広がり、藤丸だけを殺さんと地上を偵察する空想樹の種子は、既にその狙いを定めていた。暴れ回る魔神柱は増殖、既にその数は七十二を越えており、三本の空想樹は銀河を回転させ、そのエネルギーを高めていく。

 脅威はどれも、サーヴァントがあってなお強敵だった。

 ならば、無力な少年一人なら?

 答えは決まっている。

 目に見えた結末を確定させるため、虞美人は自身の下僕に命じた。

 

 

やれ(・・)

 

 

 逃げる暇すら、なかった。

 そして、藤丸立香は真の地獄の中に引きずり込まれる。

 

 

 

 

 






幻想殺しについての解説

禁書世界において、魔術とは現実を歪める力であり、魔神のそれともなれば文字通り世界そのものにすら影響を与えかねない。故に、魔術師達は無意識に歪んでしまった世界を元通りにする力を願った。
もし、魔術によって歪められた箇所などない、真っ白な世界へと戻せる、言わば基準となる力があればと。
つまり幻想殺しとは、そんな魔術師達の怯えと現実への回帰の込められた願いの結晶であり、オティヌスの位相とは対極に位置する、まさしく幻想を破壊する力であり、世界の基準点と言える。
そして魔術師の願いの結晶であるなら、それは魔術世界においてとある役割と同一視されるが……?


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逆光 Outbreak_Certain

 

 壊される。

 汚される。

 犯される。

 まるで汚物に集る蝿のように、無軌道に、無差別に、ただ一点、赤いシミを作るためだけに形成されたそれは、まさしく藤丸立香にとって地獄だった。

 斬殺、絞殺、刺殺、撲殺、毒殺、壊死……敵の数だけ殺し方があり、敵の数だけ藤丸に及ぶ痛みは増える。

 今までだったら、死ねばそれで肉体的な痛みはリセットされた。しかし、今回はそれすら許されない。虞美人は藤丸が傷ついた瞬間、傷を治療することで死ねないように細工を施したのだ。

 だから死ねない。死なせてくれない。生殺与奪権を握っているのは、自分でも目の前の敵ではない。復讐に取り憑かれた女だ。

 とっくに致死量の血を流していて、肺と心臓が逆位置になってしまうくらい体の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、最早人の形を保てない。頭は度重なる激痛で歪み、髪は磨耗していく心と比例して抜け落ちていく。手足は取れかけのまま放置され、いっそ切り落としてくれと何度も思った。背中と腹部は常に開かれ、さながら血を流す人体模型みたいで、眼球は治る度潰され、肌は模様替えするかのように次々と剥がされる。

 それでも死ねない。

 断絶する時間がない。死という空白すらない。加速していく。藤丸立香という人間が、みるみる内に磨耗していく。

 無理だ。

 こんなの、耐えきれるわけがない。

 虞美人一人ならまだ、耐えられた。彼女は汎人類史を滅亡寸前まで追い込んだ相手だ。一言では足りないくらい言いたいことがあって、彼女の耳障りな罵倒が死を繰り返す中でも皮肉にも意識を繋ぎ止めてくれた。

 だけど、これはダメだ。

 この地獄は本当に、藤丸立香を殺すだけのもの。彼らは藤丸に対して、虞美人のように恨みをもって接するわけではない。ただ蟻を潰すみたいに、淡々と、無秩序に蹂躙するだけだ。そこには一定のリズムすら存在して、ただただ藤丸立香を殺し続ける。

 感傷もない。達成感もない。そう、これは単なる作業だ。一つ一つ丁寧にする必要もない。雑ではあっても、藤丸立香という人間はとても脆い。故に殺せるなら、多少滅茶苦茶にしたって構わない。

 普通の人間は、頭蓋や心臓を潰されれば死ぬ。だが今の藤丸は、それすら痛覚として細部まで認識してしまう。死ぬことで回避していた、人間には根本的に耐えられない痛みを押し付けられる。痛覚に麻痺などない、そんなものすら治せるのだから。

 だからこそ、耐えられない。

 ただの人間だから。

 藤丸立香は、魂すら死ぬ。

 

 

 

 

 

「見ろ、人間。これが考えなしに発破をかけた、お前の招いた結果だ」

 

 上条は、言葉を失っていた。

 実際に見たわけではないが、それでも、上条は契約時に知識として目の前のそれらを知っていた。

 ラフム、魔神柱、空想樹……どれも藤丸達が犠牲を払って、何とか倒してきた強敵。人理に名を刻んだ英霊ですら、手を焼くような相手。その一切合切が、たった一人の少年に殺到している。

 その光景を表す言葉があるとするなら。

 まさしく、それは地獄だった。

 

「ぐ、う、おおおおおお……ッ!!」

 

 上条はようやく鉄筋から抜け出す。しかし、その四肢に空いた風穴は大き過ぎた。サーヴァントであっても、結局上条のステータスは普通の人間並みでしかない。膝をつく程度で済んだのはむしろ流石というしかないだろう。

 

「……やめさせろ、オティヌス」

 

「何故? 今の私とお前は敵同士だぞ。更に言えば、そもそも戦の神でもある私がそんなことで絆されると思うか?」

 

「だったら、お前をブッ飛ばしてこんな戦い終わらせてやる……!!」

 

「やれるものならやってみろよ」

 

 直後だった。

 キュゥッン!!、と。上条の腹部を、光の槍が貫通した。

 

「が、ぶ、……!?」

 

 避けられなかった。

 あれだけやり過ごしてきた攻撃に、上条は反応すら出来なかった。いや、脳自体はその前兆を感知していたし、何より体も動いていた。

 だが、

 

「ノーミスクリア、なんてものは五体満足の場合だけだろう。傷がある状態で、この私に勝てると本気で思っていたとしたら、相変わらずおめでたい奴だよお前は」

 

「……、」

 

 倒れないでいられるのが、やっとだ。

 粘ついた血が溢れる。びちゃちゃ、と滴るそれを踏んで、もう一度立ち上がろうとして。

 束ねた不可視の爆発が、上条の肉体を叩いた。

 

「ご……ぉ、……、っ」

 

 受け身なんて取れるわけがなかった。

 優に百メートルは吹き飛ばされたところで、大きなコンクリートに激突し、少年の体は停止する。

 

「……ぶ、ふ、……ぅ……」

 

 倒れる体。その四肢に、再び鉄筋が深々と突き刺さった。しかもさっきとは違う場所。ただでさえ風穴の空いた四肢で立っていることすら難しいだろうに、上条の肉体は完全に地面に縫い付けられる。

 

「終わりだ、人間」

 

 いつの間にか。オティヌスは、倒れ伏した上条の側で座り込んでいた。血の池に足を浸からせ、彼女はつまらなそうに。

 

「だから言ったんだよ、無謀だとな。あえてお前に敗因があったとしたら、それはたった一つだ」

 

 この世の地獄を遠くに、告げる。

 

 

「お前のマスターは弱すぎたよ、人間」

 

 

 

 

 

 やめて。

 そんなこえはとどかない。

 くるしい。

 のどがつぶれて、ことばにできない。

 たすけて。

……だれも、そばにはいてくれない。

 やめて。

 めをとらないで。

 てをきらないで。

 あしをもがないで。

 なかみをつぶさないで。

 こころを。

 こころを、くだかないで。

 だれもきいてなんかくれない。

 だから。

 わらいながら、うばわれる。

 よろこびながら、ころされる。

 いみもなく、つらいことだらけで、おれてしまいそうになる。

 

「どう? まだ続ける?」

 

 みみがないのに、そのこえは、はっきりきこえた。

 もうだれのこえかもわからない。

 だれだっていい。たすけてほしい。もうやめてほしい。こんなの、もう、いやだ。たえられない。つらくて、くるしくて、ひたすらそんなのがつづくなんて、もう。

 

「あら、随分素直ね。流石に蘇生回数が()()()()()()()、ここまで大人しくなるか」

 

 なんかいしんだかなんてどうでもいい。

 おねがいだから、もう、おわりにして。

 きえたい。

 もう、こんなおもいしたくない。

 こんなことなら、もういきたくない。

 だから、

 

「でも残念。終わりなんてないわ」

 

 なのに。

 

「お前の心が壊れようが、知ったことじゃない。なんだったかしら? ああそう、世界を救ったこともない奴が勝手なこと言ってるんじゃねえ、だったっけ? だったら言わせてもらうけど」

 

 いやだ。

 おねがい。

 たのむ、たのむから、

 

 

「ーー永久の苦しみを味わってから物を言え、小僧」

 

 

 ああ。

 せまる。こわいものが、せまる。

 つきたてる。いたみがくる。

 いやだ。

 いやだ。

 あああああああ、あああああああああああああああああああああああああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!

 

 

 

 

 

 そして。

 上条当麻は、その声を聞いていた。

 己がマスターの助けを呼ぶ声を。

 

「ッッ……!!」

 

 数百メートル先で、ひたすら殺され続ける少年。拠り所にしていたものすら忘れるほど磨耗し、ただ降り注ぐ苦しみから逃れようとしている、そんな、不幸な少年。

 助けたい。でも上条にはそれが出来ない。何度抜け出しても、オティヌスは上条の体に何度でも突き刺して、その場に押し留めてしまう。

 いっそ死なばもろともと思うのだが、オティヌスはわざわざ右手を()()()()()()から回復させ、上条がギリギリ死なないラインを保ち続けているのだ。

 いっそ殺せれば楽だろうが、その場合は死んでも構わないと上条が突っ走ることになる。そうしないためのこの状況は、確かに上条にとっては最悪に近かった。

 

「ちくしょう……ちくしょう……!! 目の前で助けを求めてるヤツがいるってのに、俺はどうしてこんなところでうずくまってんだ……!!」

 

「お前のせいではないだろう、気に病むなよ。どちらにしても、勝ち目がないと一番分かっていたのはお前だろう。その時点でこうなることくらいは想像に難くなかったはずだが」

 

 オティヌスの言う通りだ。

 そもそも、上条が対魔神で特殊な技術があるとはいえど、それは基本的にオティヌスが正攻法で挑み、かつ自分が生き残ることに特化したものでしかない。例えば自分以外の誰かを守ることには、特化していないのである。それが藤丸のような一般人なら尚更、上条への負担は大きく、守り切れない確率も高まる。

 そして藤丸がこんな風に拘束された時点で、こちらの負けは確定であり、ほとんどの場合はそうなるだろうと上条は思っていた。

 

「……ああ、そうだな」

 

「なら何故? 上条当麻らしくもない。玉砕覚悟だなんて、お前の最も嫌う選択だろうに」

 

「……、」

 

 理由なんて、今更言う必要はない。

 そう、これは単純な話なのだ。

 世界の命運とか、全人類の幸せだとか、そんなことは最早どうだっていい。そんなものは神様が槍を振るえばどうにだってなるものなのだから、それを理由にしたところで薄っぺらい綺麗事にしかならない。

 それでも、戦いを挑んだ理由。

 守りたかったものを、全てかなぐり捨てて、神様に唾を吐いたのは。 

……そしてオティヌスはそれを、分かっていて問いかけた。上条がそれで奮い起つと、確信して。

 

「……サンキューな、オティヌス」

 

「今も苦しめられている張本人に礼とはな。相変わらず、どんな思考をしているんだお前は」

 

「それでも言いたくなったんだよ。おかげで、見失わずに済みそうだ」

 

 まともに動けなくても構わない。

 今の上条はサーヴァントだ。であれば、藤丸を助けられる方法は一つだけある。

 

 

 

 

 

 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………しにたい。

 しにたい。

 しにたい。

 しにたい。

 だから。

 ころして。

 ころして。

 ころして。

 ころして。

…………だれか。

 もう。

 おわりに。

 して。

 くれ。

 

「これで()()()()()()()

 

 うすれる。

 なにもかも。

 きおくはくずれて。

 みちしるべも、ない。

 

「……正直見くびってたわ。まだ意識を保ってるなんて。だからそろそろ楽にしてあげる」

 

 ほんとうに?

 らくに。

 して。

 くれる のか。

 

「ええ。死ねばまた記憶も心も蘇るわ。だから、最初からじっくりと殺し尽くしてあげられる。繰り返しましょう、この地獄を」

 

 なんでも いい。

 ころして。

 くれ るなら。

 もうそれで。

 もう いい、からーーーー。

 

『聞こえるか、藤丸?』

 

 そのとき。

 しらない/しっているこえが、きこえた。

 

 

 

 

 

 サーヴァントが念話を使えることを、今の今まで忘れていたなんて、なんて馬鹿なのかと上条は自身を罵倒する。

 右手のせいで基本的に魔術は使えない上条だが、あくまでラインを介した無線のようなものだからか、問題はないようだ。

 念話自体を使い慣れていないからだろうか、上条は口に出して会話する。

 

「すまねえ。お前を守るって言ったのにこのザマだ。ほんと、どうしようもないよな、俺って」

 

『……きみは、……だれ……?』

 

 藤丸の声は幼かった。意識的にそうしているわけじゃない。ただ、そうしないと心が保てないのだ。

 ぐ、と上条は右手を握り締める。当たり前だ。藤丸はここまで、上条だって耐えられる自信がない地獄を耐えてきた。そのために、全てを捨てたのだろう。その結果がこれだ。

 

『だれ でも、いい……おねがい、ころして』

 

 余りにか細い声だった。足音がしただけで消え入りそうな声は、平凡な少年の切実な願いが込められている。

 胸が締め付けられる。それは上条が焚き付けた結果、助けられなかった誰かの声だった。

 本音を言えば。

 上条だって、もう眠らせてやりたかった。よく頑張った、だからもうゆっくりおやすみと。ここまで我慢して、ここまで砕かれたのだから。もういいと、そう言って眠らせてやりたかった。

 だけど。

 無責任だと分かっていて。

 上条は、それを口にせずにはいられなかった。

 

「なあ、藤丸。お前はどうして、戦ってるんだ?」

 

 藤丸は一瞬だけ何も言わなかった。しかしすぐに、気を取り直し、答える。

 

『……たたかってなんか、ない。ずっと、まけてる』

 

「それは違うよ、藤丸」

 

 そうだ。

 例え藤丸が覚えていなくても、上条は覚えている。

 

「約束しただろ。もう負けないって、折れないって。勝てなくてもいい、どれだけボロボロにされても、例え一人ぼっちになっても。それでも、こんな世界に負けたくないって。お前はそう言ったんだ、藤丸。だからここまで、お前は頑張ってきたんだよ。誰にも負けないように』

 

 死ぬことこそが、藤丸立香にとっては敗北だ。だとすれば彼がこの世界に存在し続ける限り、一度だって負けちゃいない。

 だから我慢してきたのだ。全てをかなぐり捨ててでも、たった一度の敗北だけはしないように。

 けど、と念話は響く。

 

『……でも、ずっとくるしいんだ』

 

 今も地獄の中心で、恐らく無意味に消費されながら。少年は語る。

 

『つらいんだ。いきてるだけで、こんなにもいたいんだ。だから、もう、かつとか、まけるとか、いいんだ』

 

 ああ。

 それはきっと、辛い。

 上条も経験があった。生きたまま埋葬されて、虫に食われたまま絶命したり、宇宙船だか何かに放り込まれて、そのままたった一人宇宙が滅ぶまで生き続けたり。

 上条はまだ、死ねた。

 地獄が続くとしても、最後の最後にはリセットされて、多少のインターバルがあった。

 だけど藤丸にはそれすらない。

 永久に、ひたすら殺される。一秒の休みすらない拷問。 

 

「……そうだよな。そこまで頑張ったのに、ゴールはずっと見えないままだ。そんなの誰だって折れる、挫けちまうよな」

 

 だけど。

 

「それでもさ。こんだけ頑張ったお前が、何も報われずに死ぬのは、やっぱり間違ってるんだよ」

 

 上条当麻は、彼を見捨てたりしない。

 安易な終わりなんかで、彼の受けた仕打ちを誤魔化したりなんかしない。

 

「辛いのは分かってる。今がどれだけ苦しいかなんて、俺には想像もつかない。だけど!! 俺は知ってるんだ。お前があのとき、泣きながら叫んだことを。もっともっと生きたいって、死にたくないんだって、だから頑張ってきたんだって知ってる!! 例え報われなかったとしても、それでも負けたくなんかないんだって、そう約束したお前を、俺は今でも覚えてる!!」

 

 これは結局、単なる押し付けだ。上条の知ってる藤丸立香なんて、もう何処にもいないのかもしれない。

 けれど、それでも上条は言わずにはいられないのだ。

 ここまで付き合ってきたからこそ。

 その終わりが、こんなものであってたまるか。

 

「だから頼むよ。こんな世界に負けないでくれよ。諦めるだなんて言わないでくれよ!! 今すぐ俺が、神様でも馬鹿でかい木でもなぎ倒してお前を助けにいくから。絶対に、お前を一人ぼっちになんかさせないから!! だから!!」

 

 そこで、待っていろと。 

 上条当麻は、己に刺さる全てを無視して、行動を開始する。

 

 

 

 

 

 ふしぎな、こえだった。

 なきたいのはこっちなのに。なぜかなきそうになりながら、ひっしにしゃべっていて。

……それで、ひとつおもいだした。

 あれはいつのことだったか。まっくらなへやで、だれかのまえでわんわんないたことを、かすかにおもいだした。

 なにをはなしたかも、どうしてないていたのかも、いまではもう、わからないけれど。

 きっとそんなことに、いみはなかったのかもしれないけど。

 だけど。

 なんでだろう。

 それでじぶんは、なぜか。

 もうすこしだけ。

 がんばってみようと、そうおもった。

 

「……なに?」

 

 いまも、こわいものは、かぞえきれないくらいおそってくる。そのたびにいたくて、くるしくて、ころんでしまう。

 でも。

 まっていろ、といってくれたひとがいた。まけないでくれと、ひとりぼっちなんかじゃないと、そういってくれたひとがいた。

 つらくて、くるしいことだらけのいのちだったけど。

 それだけじゃないと、そういってくれるひとがいた。

 そういったことが、あった。

 だから、まだがんばらないと。

 その()()()()がここにくるまで、がまんしようと、そうおもったのだから。

 

「ふ、……っ、ぅぅ……!!」

 

 どれだけけっしんしても。こわいものは、こわくて。いたいものは、いたい。

 それでも。

 

「いだ、ぐ、ない……!!」

 

 たちあがれ。

 

「こんな、いたみより。もっと、いたい、ことが、たくさんあった」

 

 わすれない。

 わすれるものか。

 

「だれかの、したいを……ふみこえたほうが……よっぽど、いだがっだ……!!」

 

 あのいたみを、こんなことでわすれるものかーー!!

 

「……立ち上がった、だと……!?」

 

 たつのはほんとうに、ひさしぶりだった。かれえだのようなからだは、いまにもささえをうしないそうで。おれてしまえば、もうたてない。

 そんなからだでこぶしをにぎる。

 むけるのは、いってん。あそこで、ふんぞりがえってるおんな。

 

「ッ……!!」

 

 こわいのが、さらにやってくる。

 かまわず、こぶしをふりかぶった。めのまえのてきとくらべて、それはあまりにちっぽけで、たよりない。

 それでもいい。

 それでも、こぶしをにぎり、ふりかぶることで。

 まだやれると、そうたたきつける。

 

「お前……!!」

 

 そして。

 藤丸立香は死んだ。

 意識の空白は一瞬だった。

 死んだ、と思った瞬間には藤丸立香は蘇生し、荒野に倒れ込んでいた。

 一見勝負はついたように見える。

 しかし、藤丸の傷は全て癒えていた。心的ダメージはまだ色濃いが、肉体のダメージはないに等しく、また記憶などの藤丸立香のアイデンティティーも回復した。 

 視線を遠くに移す。

 自分が、倒すべき敵へと。

 

「……なによ、その目は」

 

 口は開かなくていい。睨むだけで、彼女は自分が負けていないと思い込む。

 しかし、

 

「勢い余って、死者の軍勢の術式ごと食い潰すなんて……全く」

 

 虞美人はやはり、俯瞰出来るよう瓦礫の上に陣取っていた。おかげで、と彼女は指を鳴らす。

 

「ほら、()()()()()()()()()()()()

 

 ズンッ!!、と重音を立てて、現れるのは、人類の脅威の成れの果て。

 ラフム。魔神柱。空想樹とその種子。ついさっきまで藤丸立香を精神崩壊直前まで追い込んだ彼ら。

 高笑いしながら藤丸の周囲を旋回する新人類に、ただ息の根を止めるためだけに特化した浮遊する種子。雷を伴いながら、竜のように動いて崩落したビルを壊し、その巨大な影で藤丸を覆う七十二柱の魔神。そして既に開花し、残すはたった一人の少年を潰すだけとなった空想の楔。

 

「まあ、いいわ。もう一度やりましょう、それじゃあ。何度でも。あなたの心が砕けるまで」

 

「……そう簡単に、いくもんか……」

 

 ぐ、と拳を握る藤丸。しかし、やはり体は正直だ。心身に受けた傷は今も深く、無意識に藤丸の体は震えていた。

 ガタガタと、いっそ冷や汗すら噴き出した彼に、虞美人は笑い出す。

 

「あら? またお得意の虚勢? なんでもいいけど、何をしようがどうせ踏み潰されるのがオチだってわからない?」

 

 藤丸は答えなかった。そんなこと、自分自身が一番よく分かっている。抵抗したところで何になると、そう考えたのは他ならぬ藤丸自身なのだから。

 それでも拳を握るのは、約束したからだ。

 負けない。

 もう二度と、負けてやるものか。

 

「……ふぅん、そう」 

 

 虞美人は興味も無さげに、手を振った。

 それが合図だ。

 

「さっきので()()()()()回。これで一万三十四回からスタートね」

 

 殺到する。

 どうしようもなく。

 また、たった一人の少年を蹂躙し尽くす、地獄が作られる。

 逃げる術などない。

 二度も耐えられる保証はない。

 そして、先遣隊であるラフムと種子の群れが、藤丸の命を刈り取るーー!!

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーいつまでもびくびくしてるのに、それでも逃げないなんて。ま、あなたらしいと言えばらしいわ、()()()()

 

 

 その、少し前に。

 

 流星(・・)が、世界に落ちてきた。

 

 

 

 

 

「やっときたか」

 

 そのとき。

 崩落した建物に腰掛けた金の獣は、それを見て、薄く笑った。

 

「本当に、いいところをもっていく。私の時といい……全く、忌々しいことこの上ないがな」

 

 懐かしそうに見る先は、地獄の中心。真っ黒に塗り潰された極点……の、真上。

 次々と落ちてくる、無数の流星だった。

 

 

 

 

 

 聞こえてきた悲鳴は、自分のものではなかった。ラフム、種子達が何者かに焼き尽くされたことで発せられた、敵対者の断末魔だった。

 痛みに耐えようと、閉じていた目を、開ける。

 

「せっかくこんなところまですっとんできてあげたって言うのに。相も変わらず酷い顔ね、マスターちゃんは」

 

「……ぁ」

 

 そこにいたのは、魔女だった。

 紅蓮の炎に身を焦がしながらも、されど藤丸の体を包むように、温めていく。冷えきった心に、その炎は心地よく、そして何よりその憎まれ口が、妙に懐かしかった。

 知っている。

 その顔を、その口ぶりを。

 その掲げる()を、自分は知っている。

 ジャンヌダルク・オルタ。

 竜の魔女にして復讐者、そして藤丸立香のサーヴァント。

 

「馬鹿な、あり得ない……!! なんだこれは!? どうしてこんなことが起きている!?」

 

「あらそう? 私からすれば、こんな大人げないことやってるあなたの方があり得ないけど?」

 

 対し、虞美人は辺りを見て動揺していた。当たり前だろう。藤丸だって、信じられなかった。

 

「ああ……」

 

 漆黒の夜空に、何条もの流星が落ちてくる。それは漆黒も黄金も切り裂いて、ただ一瞬に焼き付いた閃光のように、世界を席巻する。

 

「ああ……!! ぁぁ、ぁぁ……っ!!」

 

 言葉にならなかった。

 流星は全て、ただ一点に集まる。

 つまり、藤丸立香へと。 

 

 

「きてくれた……みんな……っ!!!!」

 

 

 星々が象るのは、人理の守護者。

 一騎当千、万夫不倒の英霊達。

 特異点、亜種特異点、異聞帯。

 これまで出会ったサーヴァント達、その全てが。今、藤丸立香の元へと集っていた。 

 その光景には見覚えがあった。人理焼却を巡る戦いの終盤。倒れそうになった藤丸を、助けてくれた人達。

 だけど、一つの疑問が湧き上がる。

 

「サーヴァントの連続召喚だと……!? 何故だ、たった一人の子供だぞ!! そんな、どこにだっている奴のために何故ここまで駆けつける!? どうしてこんな都合よく集まる!? そんなに安いものなら、もっと駆けつけるべき世界と相手がいるだろう!!」

 

 そうだ。

 終局特異点とは状況が何もかも違う。あのときは世界を巡る戦いの最終局面だからこそ可能だった。繋いだ縁が、ようやくそこまで来て活用された。

 なのに、今回はむしろその逆だ。脇道で勝手にくたばりかけていたというのに、どうして。

 

「ーーなに。初歩的なことだよ、ミスター・藤丸」

 

「! ホームズ?」

 

 礼装を介して投影されたのは、シャドウボーダー内で優雅に座るホームズだった。彼はいつものように、真実だけを告げる。

 

「我々がどうしてここまでたどり着けたのか。この魔神オティヌスの支配する世界へ、どうして入り込めたのか。そして何故英霊達が、同時に召喚されているのか」

 

 一呼吸置いて。

 

「それは君の契約したサーヴァントが、全ての鍵を握っているというわけさ」

 

 

 

 

 

「……なるほど、そういうことか」

 

 クックックッ、と。オティヌスは笑いを噛み殺して、

 

幻想殺し(イマジンブレイカー)とは、世界の基準点。魔術師達の願いによって作られた集積体。であれば、その右手が存在する限り、お前は魔術師の願いを集め続ける。例えばそう、()()()()()()()()な」

 

「ああ、そうだ。だから俺には、藤丸の助けを求める声が聞こえた」

 

 そして。そういった民衆の願いに応える機能を、魔術世界では何と呼ぶか。

 

()()()()……なるほど、幻想殺しと言う名を冠しておきながら、その右手はそういう機能も得たか」

 

 異聞帯の秦を思い出してほしい。秦の人々は、平和を享受することで必死に願うことを忘れてしまった。故に、その世界では英霊の座が存在しなくなったのだ。

 そういう意味で言えば、確かにこの世界も同じだったかもしれない。だが違った。藤丸立香という人間はひたすら願った。生きたいという、何処までも自分勝手な願いを。

 だから上条はここに召喚されたのだ。

 単なる連鎖召喚だったかもしれない。

 だけど、確かに。魔術師の、藤丸立香の声は誰かに届いていたのだ。

 

「そしてサーヴァント契約を通して、カルデアにも繋がりが出来た。だからずっと、アイツの声は()()()()()()()。俺と契約したときから、あっちに届くようになってたんだろうさ」

 

 

 

 

 

「じゃあ……」

 

 みんな、聞いてたのか。

 あの見苦しい声を。あの、どうしようもなく自分勝手で、そして攻撃的な本音を。

 

「ああ、聞いていたとも。少なくとも、我々全員と、彼女はね」

 

 彼女?、と藤丸が疑問をぶつける前に、その正体は明らかになった。

 

「お久しぶりね、座長さん」

 

「……アビー?」

 

 ホームズの横にちょこん、と立っていたのは、アビゲイルだった。それも恐らく、カルデアの彼女ではない。このタイミングで出てきたのは、きっと彼女が。

 

「……君は、セイレムのアビーかい?」

 

「ええ、そうよ。あなたが拐われたから、助けようと思ってここに来た。時空を越えてね。そしたらあのサーヴァントのお兄さんがカルデアとあなたの繋がりを強くしてくれたから、わたしがそれを補強して、目印にしたの。そしたら」

 

「俺の声が、届くようになった……」

 

 だったらどうして、ここまで来てくれたのか。

 知っているだろう。自分はお人好しであっても、善人であったとしても。それは平凡の域をでなくて。きっと、それ以上に黒いものを抱えていて。

 

「俺、みんなに酷いこといっぱい言ったよ。本当はずっとそんなことばかり考えてた。綺麗事ばっかり並べて、みんなに気に入られようとしてきた!! そうしないと世界が救われないからって、生き残れないからって!! そうやってずっと、ずっとずっと俺、俺は……!!」

 

「ええ、知ってるわ。座長さん」

 

 でもね、と。アビーは涙を浮かべて、

 

「それはきっと、とてもワガママなことだけど。多分あなたは、そんな自分を許せないかもしれないけれど。でもそんなあなたを、わたし達はずっと助けたかったの。そうやって、胸の内を明かしてくれるだけで、あなたの抱えるものを知るだけで、わたし達は嬉しいの。とってもね?」

 

「……アビー」

 

「だからいいの、座長さん」

 

 いつかの、微睡みのように。

 アビゲイルは告げる。

 

「あなたは、みんなの前で、無理をする必要なんて何処にもないのよ」

 

……それは、難しいことだ。

 きっと、歩き続けることよりもずっと。

 つい、と映像の横手から出てきたのは、ダ・ヴィンチだった。彼女は得意気に、

 

「それだけじゃないんだよー、藤丸くん。彼らサーヴァントがここに来たのはね、君のためさ」

 

「……それって、オルタちゃんも?」

 

「ちゃん付けすんな、気が抜けるでしょうが!?」

 

 うがーっと怒った後鼻を鳴らし、ジャンヌダルク・オルタは、

 

「私達英霊はね。そもそも召喚陣も無しに召喚されるほど安い存在じゃないし、つか普通は喚べないし。あなたともそこまで強い絆を結べたかと言われると、私はともかく、全員が全員そうじゃないわ」

 

 だけど、と。

 復讐者に身を堕とした少女は、ここにたどり着いた理由を語る。

 

「それでも聞こえたのよ、あの霊基(狭い)トランクの中で。馬鹿みたいにいつも笑って、誰よりも前を向いて、歩いていた奴が。たった一人、世界に取り残されて、善意に押し潰されて、幸福の眩しさに焼かれて、自分を傷つけて。それでも私達に助けてと一度も言わなかった、そんな声を」

 

 竜の魔女は続ける。

 

「そして聞こえたのです。あなたの願いが、生きたいという祈りが。世界の片隅で押し潰されようとしてることが分かった。だから私達は、声なき声に応じてここへ来た。あなたという、たった一つの縁を辿って」

 

「……たった。たった、それだけのことで、召喚されるだと……?」

 

 だが。虞美人は納得がいかないのか、頭を掻き乱す。

 

「ふざけるな……!! そんな、そんなふざけた話があってたまるか……!! お前達はこの世界を見て、何とも思わないのか? たった一人のエゴのために、お前達の思い描く幸せとやらは全て破綻した!! それでも、そこの小僧を救うことが、英霊として正しいことだとでも……!!」

 

「正しいか正しくないかなんて、最早関係ないのよ」

 

「んな……!?!?」

 

 ばっさりだった。ジャンヌオルタはいっそ、耳の穴をかっぽじるかのような適当さで、

 

「どちらが正しいかなんて、そんなのは真面目ちゃんにでも任せればいいこと。私の知ったことじゃないわ。だけど……そうね」

 

 ジャンヌオルタが振り返る。今も周囲の状況に振り回されるマスターに、笑みを溢した。

 

「あなたよりは、私はマスターに幸せになってほしいと思った。そしてここに集まったのは、そんなことを愚かにも考えた馬鹿ばっかりよ」

 

 藤丸を守るように囲う英霊達は、ジャンヌオルタの言葉に強く頷く。そこには、一片の迷いすらなかった。

 

「大体、自分勝手に世界を歪めて、それで他人が幸せだと決めつけるようなクソッタレどもよりは、踏み台にされた人達のために涙を流せる彼を選ぶのは当然でしょう」

 

 ニィ、と。清楚ですらある顔を、邪悪に歪め。彼女は親指を下に向け、それで首元をかっ切るように引いた。

 

「あなた達よりよっぽど真っ当に、馬鹿みたいに頑張った彼にこそ、未来を取り戻す権利がある。それくらいの権利を与えなくて、何が英雄か。何が世界か。そんな等価交換すらない世界なんて、粉々にぶっ壊れちまえばいいのよ」

 

「黙れェ!!!」

 

 虞美人の声に反応して、ラフムと種子達が襲いかかる。思わず身を固くする藤丸。

 だが、

 

「なにを怯えることがある、マスター」

 

 ぽん、と肩に置かれる手。

 その瞬間、ビュオッ!!!、と幾つもの影が飛び出した。サーヴァント達は、何の躊躇いもなく藤丸立香の前へ飛び出すと、主の敵を殲滅する。

 セイバーは斬り、アーチャーは射抜き、ランサーは貫き、ライダーは踏み潰し、アサシンは殺し、キャスターは撃ち滅ぼし、バーサーカーは暴れ回り、エクストラクラスは好きなように殲滅する。

 あれだけ好き勝手されてきた敵。しかしそれは今、逆にサーヴァント達によって消し飛ばされる。

 そしていの一番に飛び出した黒い影ーー巌窟王は、定位置である藤丸の背後へと戻る。

 

「見ろ。全員、お前のためだけに戦っている。お前の足掻きを、恩讐を目撃し、誰しもこう思ったのだ。()()()()()()()()()

 

 だからと。

 巌窟王は高らかに。

 

「何度燃えようが、白紙になろうが!! 今日まで続いてきたお前の旅は!! 決して、無駄などではなかった!! だから誇るがいいマスター!! オレ達が他の誰でもない、お前を選んだことを!!!」

 

「……巌窟王」

 

 世界でもなく。かつての幸せでも、いつか訪れる幸せのためでもない。

 それでも彼らは、選択したのだ。

 藤丸立香の側にあり続けることを。

 直後だった。

 藤丸の視界に、サーヴァント達が撃ち漏らしたラフムが入ってきた。

 足止めを、と礼装を起動しようとして、巌窟王はこんなことを言う。

 

「主役は遅れてご登場か」

 

 なにを、と藤丸が聞こうとして。

 ドッッッ!!!、と背後で爆音がした。

 土砂が、盛り上がる。さながら船が座礁するかのような形で、それーーシャドウボーダーは虚数空間から抜け出し、そしてデッキから何かが射出された。

 その何かは、勢いそのまま、藤丸に襲いかかろうとしていたラフムを身の丈ほどもある盾で殴り飛ばし、目の前に着地した。

 マシュ・キリエライト。 

 何をしてでも守りたかった、大切な人。

 だからこそ、一番あの声を聞かれたくなかった相手。

 

「……先輩」

 

 ゴーグルを外した彼女は、少し困惑しているようだった。それも当たり前か。藤丸は特に彼女の前では弱音の類いを吐かないように努めてきた。

 藤丸だって、何を話せばいいか分からない。話したいことは沢山あっても、どれから語ったって、きっと長くなる。

 マシュだってそうだ。クリプターのことも、これまでのことも……きっと語りたいことはあって。

 

「……私は。マシュ・キリエライトは」

 

 故に、交わす言葉は簡潔だった。

 

 

「ーーあなたが、隣にいてくれる未来を望みます、藤丸立香(・・・・)先輩」

 

 

 それを聞いて。

 ああ、と。藤丸は想う。

 自分を肯定してくれる誰かというものは、こんなにも安らぎを与えてくれるのか。

 こんなにも、救いになるのかと。

 

「……ああ」

 

 見渡せば、みんないる。

 みんな、ここにいる。

 

「……ああ……ちくしょう……!」

 

 少し前まで当たり前で、でもいつの間にか崩れ去った景色。

 それがまた見れただけで、胸が一杯になって、涙が出てしまう。

……まだ、あるのだろうか。

 自分には、彼らを率いる資格があるのだろうか。

 彼らの作ってくれた道を、自分は歩いてもいいのだろうか?

 

「良いに決まってるじゃない」

 

 ジャンヌオルタは拗ねるように、

 

「今更水臭いのよ。そんなガラじゃないでしょ、アンタ。いつもみたいに、お気楽に、馬鹿みたいに前を向いてなさい、マスター。そうすれば、見えるでしょう。もう一人じゃないってことくらい」

 

 ああそうだ。

 どんな言葉をぶつけられても、どんな悲劇があったとしても。

 目の前の景色が答えだ。

 空に流れる星々が、答えだ。

 藤丸は声にもならない声で、頷く。

 

「……俺も。みんなと、生きたい」

 

 くす、と誰かが笑っていた。

 仕方ないな、と誰かがため息をついていた。

 

「みんながいてくれる世界がいい」

 

 当たり前だ、とみんなが応えてくれた。

 いつまでも、とみんなが頷いてくれた。

 だからーーーー!!

 

「だから、行こう。行こうマシュ!! 行こう、みんな!!」

 

「はい!! 行きましょう、先輩!!」

 

 ジャンヌオルタが、旗を突き立てる。

 それもかつての再現。違うのは、それが正義の元でも、世界のために行われるのでもないということ。

 

 

「ーーーー聞け!! この領域に集いし、悪鬼羅刹、異類異形の英霊達よ!!」

 

 

 声が響く。

 それは、死の苦痛を知りながら。

 戦うと決めた者達への激励。

 

 

「本来は世界のため、本来民衆のために戦う存在であっても!! 今は互いに肩を並べ、誰よりも前に立つがいい!!」

 

 

 ばさ、となびく旗は反逆の狼煙。

 これより始まるは、救世でも救国でもない。

 しかし、確実に泣いている誰かを助けられる、そんな戦い。

 

 

「未来を取り戻すためでも、世界を守護するためでもない!! 元よりこの戦いは、我らが契約者の願いのため!!」

 

 

 ただ一人。

 たった一人のために行われる、最大規模の聖杯戦争。

 

 

「ーー我が真名は、ジャンヌダルク・オルタ!!」

 

 

 竜の魔女は腰の剣を引き抜き、それを敵へと向ける。

 

 

「この剣を振り下ろす限りーー貴公らの罪は、この魔女が焼き尽くそう!!!!」

 

 

 無数の咆哮が、轟いた。

 それは獣のようでありながら、何処までも理性的で、絶望すらも吹き飛ばし、藤丸に力を与える声だった。

 生きろ。

 死ぬな。

 歩き続けろ。

 そんな願いが込められた、声。

……酷いことを、沢山言ってきた。

 幻滅されるようなことを、沢山してきた。

 きっとこれから、醜く想って、泥臭いことばかりしていくのだろう。

 それでも、この手にはあるのだ。

 まだ自分には、彼らを率いる資格が、この右手にあるのだ。

 だから、戦おう。

 何も恐れることはない。

 だって、一人じゃない。

 だからもう一踏ん張り。

 ここからが、本当の戦いだ。

 

 

 

 

 

「……くくくくッ、はははははははッ!!」

 

 ゲーティアはその光景を目撃して、心の底から笑っていた。不快すぎて、綺麗すぎて、そして、鮮やかすぎて。

 

「そう……これが人間だよ」

 

 自身がかつて敗れたもの。圧倒的な力の差というものすら度外視した、滅茶苦茶な逆転。まるで前後の文脈が噛み合わないようなそれは、確かに見ていて爽快だった。

 

「生きたいから傷つけ、生きたいから奪い、生きたいから不幸を生み出し、そして」

 

 思い知るかのように、ゲーティアは呟く。

 

「生きているから、お前達は笑っている」

 

 そう。

 前のゲーティアは知らなかった。人間というものを図りかねていた。過大評価と言ってもいい。守らなければいけないのだから、きっとそれだけの価値があるのだと。

 されど。

 

「人間とはそんなものだ。全ては生きる為。己が己であるため、無意味で、無駄な行動を重ねる度しがたい愚か者ども。だからこそ、人の命に同じ輝きはない」

 

 ゲーティアは腕を広げる。

 あくまで彼が見据えるのは一点。藤丸立香のみ。

 

「最早正しい秩序はない。人理を守る英霊はいない。何一つ、お前の味方となる者はいない。この地ではお前こそが、悪なのだから」

 

 異聞帯攻略は今後も続いていく。

 あの少年は、この先も今回のような選択を迫られるだろう。

 

「だが、こと生存においては、善悪による優劣は無い」

 

 そう、生存競争に善悪など不要。

 そこにあるのは、生きるか死ぬか。ただそれだけ。

 故に、

 

「……お前がまだ、諦めないというのなら」

 

 この先へ進むのなら。

 

「あの時と同じく、何もかも無に帰したこの状況で!! まだ生存を望むというなら!!」

 

 何も終わっていないと、空を睨むのなら。

 

「愚かしくも、力の限り叫ぶがいい!!」

 

 これまでのように。

 

 

「惜しげもなく過ちを重ね、あらゆる負債を積み上げて、なお!!

 

 

 

ーーーー希望に満ちた、人間の戦いはここからだと!!!!」

 

 

 獣は藤丸立香から目を離し、空を見上げる。

 

「我が真名は、ゲーティア」

 

 厚い雲の、更に遠く。(ソラ)を超えた先にある青い惑星(ほし)を、ただの人は夢想する。

 

 

「あの惑星(ほし)に生きた人としてーーーーお前の生を、彼岸より見届ける者だ」

 

 

 人間(ヒト)よーー未来に打ち克て、と。

 

 

 

 







幻想殺し《イマジンブレイカー》

常時真名解放型の宝具。
上条当麻の右手に宿る力であり、あらゆる異能の力を打ち消すことが出来る。
その正体は、あらゆる魔術師の怯えと願いによって作られた集積体であり、世界の基準点。魔術師達は魔術によって世界を歪める一方で、根幹の法則まで歪めることに対して怯えていた。
幻想殺しはそんな歪みを破壊することで元の世界へ戻す、リセットボタンのような存在。
魔術世界においてそれは、魔術師限定の英霊の座と言ってもいいものであり、あの世界において生きたいと願ったのはまた藤丸だけだった。その声に応え、上条当麻は召喚され、間接的に藤丸立香と縁を結んだサーヴァント達が召喚される切っ掛けとなる。


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訣別の流星雨 (Wars)

 

 藤丸立香、並びにそのサーヴァント達は、周囲を囲まれている。二百を越えるサーヴァントが勢揃いしたとは言えど、死者の軍勢(エインヘルヤル)による包囲は、数だけならその上をいく。そしてそもそも死角がない。

 だとすれば、まずすべきことは。人類最後のマスターは叫んだ。

 

「一点突破だ!! みんな、頼む!!」

 

 そこからの動きは迅速だった。藤丸がマシュに抱えられ、シャドウボーダーのデッキに飛び乗る。そんな主従を守るように、前後にサーヴァント達が隊列を作ったときには、死者の軍勢は動いていたが、殿の戦士達が宝具を解放した。

 

「あいよ!! 不毀の極槍(ドゥリンダナ)!! 吹き飛びなァ!!!」

 

「ははッ、ノロマな肉塊ども!! 俺についてこれるならついてきてみろ、疾風怒濤の(トロイアス)不死戦車(トラゴイーディア)!!!!」

 

「アキレウスゥゥゥゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウッ!!!!!」

 

「いくぜフラン、出し惜しみなんか考えんなよ!! 我が麗しき(クラレント)父への叛逆(ブラッドアーサー)ッ!!」

 

「う、アアああ……!! 磔刑の(ブラステッド)……雷樹(ツリー)ィイ……!!」

 

「Arrrrrrrrrrrrrrッ!!!!」

 

 ヘクトールが前方の空の敵を一掃、その間にアキレウスが神速で魔神柱を跳ね飛ばし、更にモードレッドとフランの雷撃がボーダーに接近する敵を押し留める。

……若干二名、空を翔んでる味方目掛けて突っ込んだり、戦闘機でドッグファイトしながらガトリングをぶっぱなす者もいるが、その間に種子やラフム達を千切っては投げているから、まあ問題はない。

 急発進するシャドウボーダー。藤丸はデッキにあるハッチを支えに立つ。ボーダーの速度は最大だが、それでも種子やラフム、魔神柱達のあの数で来られれば、それだけで圧殺されてしまうだろう。

 だが、

 

「新撰組ィッ!! 怯むなッ!! 進めェエエエエッ!!!」

 

「遅れを取るな、円卓の騎士達よ!! 我が聖槍に続け!!!」

 

「ふふ、これはケルトの戦士も負けてられないね? では行こうじゃないか、華麗に!!」

 

 それらを食い止める、サーヴァント達。シャドウボーダーに並走しつつ、彼らは懸命に道を作る。剣が、弓が、槍が相手を倒す。

 藤丸は何とか姿勢を保ちながら、同じようにデッキに乗り込んだサーヴァント達に告げる。

 

「目標は虞美人。彼女が制御してる死者を蘇らせる術式をどうにかしたい!! というわけで孔明さん、陳宮、あと頭のいいみんなで作戦よろしく!!」

 

「……お前、疑似サーヴァントだから良いものを、最っ高に頭の悪い組み合わせをぶちまけたの分かってる? なあ?」

 

 少年姿でも相変わらず皺を寄せる孔明に、扇で優雅に口を隠した状態で陳宮は、

 

「まあまあ孔明殿。そこが我らのマスターの良いところではないですか。生きたいと思う余り、部下に全て策を丸投げするのは、軍師の使い方を心得ている証拠かと」

 

「僕の霊基がお前に丸投げするのは死んでもいいときだけって言ってるぞ。それには僕も同意だ。自爆させるのはそこの馬だけでいいんじゃないか?」

 

「ヒヒン!? 私は馬ではなく呂布ですが、確かにマスターが爆発四散するのは忍びありません。ほら、私は呂布ですがやはり同じ野菜を齧った仲ですしね?」

 

「いいからさっさとボーダーに近寄る敵を爆破してきなさい赤兎」

 

 急カーブしたボーダーから飛び降りていく呂布モドキを眺めていると、またもや映像が浮かび上がる。やはりホームズだ。

 

『作戦を立てるというなら、我々から耳寄りな情報がある。報告してもいいかな、ミスター・藤丸?』

 

「どっちでもいいけど、簡潔にね! ホームズ話が長いから!!」

 

「先輩、それはホームズさん、並びに名探偵と呼ばれる方々に中々酷なことかと。真相とは時に物凄く長くなってしまうものですから。話が込み入れば特に」

 

『ミス・キリエライトのフォローはありがたいが、状況が状況だ。善処しよう、ではダ・ヴィンチ』

 

『おっけー☆ じゃあ説明しちゃうよー!』

 

 ダ・ヴィンチはその体躯には不釣り合いなほど大きい丸縁眼鏡をかけると、

 

『この異聞帯に入ってから、虞美人の反応を随時チェックしてるんだけどね。どうにも可笑しいというか、解せないんだ』

 

「というと?」

 

『彼女の生体反応さ。瞬間的なもので、一見分からないよう偽装してあるけど、機器がエラーを起こしてないなら……彼女は()()()()()、死んでいる』

 

「……え?」

 

 一体それは、どういうことなのか。

 と、軍師二人はそれで即座に話の結末まで察したらしく、

 

「なるほどね、そういうカラクリか。神様だのなんだの言っておきながら、結局はチートのごり押しじゃないか。全く、ホワイダニットの欠片もなければ、つまらないにもほどがあるなあ」

 

「しかしだとすれば、こちらにも目が出てきましたね。ふむ、これはしたり。あとは簡単な話になりましたな」

 

「いや軍師さん達、話が全く分かんないんだけど?……マシュは今ので分かった?」

 

「え!? す、すいません! 迎撃していて全く聞いてませんでした!」

 

 盾をぶんぶん振り回してる後輩に、ひとまずバフをかけると、藤丸は改めて、

 

「で? 結局どういうことなのダ・ヴィンチちゃん?」

 

『この点滅する生体反応が本当なら、虞美人はこの世界に遍在している。例えるならそう、彼女は蝋燭だ。吹き消えたはずなのに、蝋は溶けてしまっているのに、無理矢理その絞りカスが世界に染み付いている』

 

『では、その命を預けている先は何か。そして不死者である彼女が、死ぬような状態とは何か』

 

『あっホームズ! そこで説明役奪うのはちょっとずるくない? 君の話長いってさっき言われたろ? おーい聞いてるのかこの名探偵!』

 

 ひょいひょい、とダ・ヴィンチが飛び回るが、ホームズは気にせず話を引き継ぐ。

 

『さて、ここで問題だミスター・藤丸。命の定義とはなにかね? おっと、この場合の定義とは、何も哲学的な話じゃない。単純に人間の構造的な分野の話だ』

 

「……そりゃあ、首が取れたり、心臓が潰れたら……」

 

『大雑把に言えば、それで死ぬ。だが実際にそうなった君は? どうして死ななかった?』

 

……いや、死んでいなかったわけじゃない。ただ、

 

「……生き返った。そうか、ということは!!」

 

 そう、とホームズは結論づける。

 

『君と同じように、()()()()()()()()()。それも恐らく、今この瞬間もずっと、ね』

 

 そう。そうなら、全ての辻褄が合うのだ。魔神オティヌスと契約しているが、そのフィードバックは計り知れないという話は上条ともしていた。普通なら契約した時点で、聖杯のようなリソースがあったとしてもマスターの魔力が枯渇して、死んでしまうほどに。

 だが、もし生き返るなら?

 使い捨てる前提であっても、痛みを度外視するならば。確かにあの主従関係は成立する。

 

死者の軍勢(エインヘルヤル)。恐ろしい術式だ。ミスター・藤丸も死を繰り返したが、彼女の場合はそれ以上だ。何せ契約の瞬間から、一万三十三回もの回数世界を回し続け、そして今までその間死に続けている。それでも精神崩壊手前で耐えている辺り……やはり虞美人は驚異的という他ないし、彼女のあの異常なまでの君への敵意はそれが発端だろう』

 

『彼女は怨念になりかけていたしね。藤丸くん、人間への憎悪によって生き長らえていたとしたら、それは最早妄執どころの騒ぎじゃない。ま、そこら辺は流石に私達じゃ推し量れないけれど、一番大事なのは彼女が君を自分の手で殺さなくなったってコトだ』

 

 ホームズはパイプをくゆらせ、

 

『これは推論になるが、彼女が途中から君を自分の手を下さなくなったのは、君を追い詰めるため、というのも大きいだろう。しかしそれは可笑しい。どうせ死ぬのなら、彼女自身も突っ込んで、その手で殺したいと思うものだ。現に彼女は君への恨みでこんな馬鹿げた計画を立てたわけだからね。まさに今、形成逆転した君目掛けて飛んでこないのが余計にそうだ』

 

「じゃあ、どうして? 別に出来なかったとかじゃないよね?」

 

「いや、まさにその通りさ、ミスター。彼女には出来なかったのさ、君を殺すことが。恐らく、そうしたくても出来ないほど、追い詰められて、ね」

 

 

 

 

 

「どうやら奴ら、お前の弱味に気付いたらしいな、マスター?」

 

 オティヌスの言葉が、今の虞美人には遠くに聞こえる。消えそうな意識を何とか保とうとするものの、ブレーカーが落ちるみたいに、ぷつ、ぷつ、と意識が途切れる。

 虞美人は瓦礫の一つに背中を預け、何とかこの世に止まろうと必死だった。

 ホームズ達の推察通り、虞美人はもう限界だ。それは例えるなら並々に注がれたコップに、一滴でも落ちればあとは表面張力の法則が壊れてしまえほどの。

 藤丸の繰り返しは、それだけ虞美人にもダメージがあったのだ。小さな傷であったとしても、確かに藤丸はその傷を与え、そして追い詰めた。

 

「……全く、不器用な女だよ、お前は。他に幾らでもやり方はあっただろうに」

 

 オティヌスにとっては、別にこんなやり方をしなくたってよかった。しかし虞美人は自分から、この歪んだ主従関係を選んだ。

 そう、まるで。

 

「……愛した男を()()()()()()()()()()痛みを、風化させたくなかったとはいえど」

 

「……うる、さいわね。いいから、術式の制御は任せたわよ。あなたの、方が。上手くやれる、でしょ」

 

「無論だ。私は魔術の神だぞ、お前より数千倍は上手く扱えるさ」

 

 かつん、と主神の槍を鳴らす。

 それが合図だった。

 死者の軍勢(エインヘルヤル)が、本来の主に戻り、更にその攻撃が苛烈になる。

 

 

 

 

 

 一方その頃。

 オティヌスと対峙していた上条はと言うと。

 

「っててて……ったく、オティヌスのヤツ、手加減ってものを知らねぇのかよ……」

 

 荒野で治療を受けている真っ最中だった。テキパキと、上条に包帯だのなんだので処置するのはナイチンゲールだ。

 オティヌスはサーヴァント達が出現したところで、上条から手を引いた。念話で効く限り、やはりホームズ?とやらの話は本当のようだ。オティヌスが退いたのは、マスターである虞美人に何らかの異変が起きたのかもしれない。それにオティヌスだって、本調子ではない。今の彼女は、魔神の力を完全に扱えるわけではないのだ。そろそろ不幸(・・)に魔神の力が返ってくる可能性だって、ゼロではない。

 上条は思わず笑う。

 結局、あのときと同じだ。何としても帰りたい世界をかけて、戦ったあのときと同じ。藤丸も虞美人も、同じ痛み、同じ条件で戦い……そして、あと一歩まで互いを追い詰めている。

 

「しっかし、よくもまあここまで藤丸も粘った、ってぇいででででででで!?!?」

 

 バーサーカーというクラスのせいか、それとも上条の傷がそれだけ重いのか。ナイチンゲールは包帯を巻く力を平時の倍込め、

 

「我慢してください。本来であれば四肢を切除し、機械に付け替えるところですが、マスターにそれは止められています。よって、このような応急処置しか出来ないのです。くっ、何と歯痒いことか」

 

「いや普通に死んじゃうから。そりゃ右腕取れたりするけど、少なくとも俺は死ぬから四肢なくなったら。つか同じサーヴァントなんだし、そんなガチガチに治療しなくても大丈夫だよ。それより藤丸のところに行ってやってくれ」

 

「いいえ、それは聞けません。あなたは患者です。であれば、殺してでもあなたを救います。それが私に課せられた任務です」

 

「えっなにちょっとまって? 今殺してでもって言わなかった? 包帯キツく巻いてるのって新手の看護婦絞殺テクニックだったりする? つかサーヴァントになるようなナースさんってこんな殺伐な感じなの? もっとこう、管理人のお姉さん的な包容力溢れる介護とかそういうのを期待してるんですよ俺ってば???」

 

「余り言い触らすものでもありませんが、これでも天使だとよく言われます」

 

 絞殺天使の間違いではなかろうか、とナース姿のお姉さんでイヤンな妄想ばかりするお年頃の上条は思う。死後もなんやかんやでフォーマットは思春期な辺り、仙人とは程遠い精神なのであった。

 

「それに、マスターからあなたへ伝言を預かってます」

 

「んお? 俺に伝言?」

 

「『よくここまで頑張ってくれた、ありがとう。だから今はゆっくり休んで』……だそうです」

 

「……あいつ」

 

 何がありがとうだ、と上条は頬を弛ませる。

 

「誰よりも、一番頑張ったのはあいつだろ。自分を棚にあげるのも大概にしろっての、全く」

 

 だから、

 

「……絶対、勝たせてやらなきゃな」

 

「ええ。そして叱らねばなりません。もう決してあのような弱音は吐かせない、私が全て受けとります」

 

 ぱちん、と最後の包帯を切り、ナイチンゲールが固定し終える。上条は肩を回しながら、立ち上がる。

 そうして、上条当麻は戦場に復帰する。

 

 

 

 

 

「ぐっ、……!!」

 

 魔神柱の光線に、種子の自爆覚悟の突貫。シャドウボーダーは装甲の厚さが売りではあるが、それでも衝撃は殺し切れない。

 

「先輩、ご無事ですか!?」

 

「う、うん……何とかね……」

 

 マシュが咄嗟に藤丸をカバーしなければ、今頃シャドウボーダーから投げ出されていただろう。サーヴァント達は今でも奮闘しているものの、急に相手の動きが変わり、それによってシャドウボーダーは迂回せざるを得ない。

 

『おいおい、何かさっきより敵の数増えてないか!? おいダ・ヴィンチ、ホームズ! 何が起きてんだこれ!?』

 

『ムニエルくんの懸念は最も。恐らくだけど、死者の軍勢(エインヘルヤル)の制御がオティヌスに戻ったんだね。うーむラフムと種子、単純計算で倍は増えてるし、フォーメーションも理想的だ。不味いねこりゃ』

 

『それでサーヴァント達との拮抗が崩れたと。ふむ、由々しき事態とも言うべきかなこれは?』

 

「嬉しそうに笑ってる場合じゃないでしょホームズねえこれ!?」

 

 藤丸が悲鳴をあげる。

 既に孔明と陳宮は姿を消している。後方で殿を任せたのだが、ここにきてその判断が間違っていたのかもしれない。

 ムニエルは、

 

『虞美人まで最短で残り一キロ! だが最短でこれだ! 迂回しながらだとたどり着くまでにサーヴァント達が散り散りになっちまう! そうなったらもうたどり着くどころじゃないってやっば!?』

 

 藤丸達にも見えた。シャドウボーダーを囲うように、魔神柱達が大挙して押し寄せる。その数は八体。ダメだ、どう考えたって直撃は避けられない。

 ならば。せめてマシュの宝具で衝撃を減らそうとした、そのときだった。

 

 

「ーー全く、よくもまあそれで生き残れたものよ、汝は。しかし、なればこそ助力しがいがある」

 

 

 ズバチィッ!!!、と。

 それまでで一番大きな雷が、魔神柱をまとめて焦がし、世界を白熱させた。

 その威力たるや、余波だけでシャドウボーダーが浮かび、それこそ空想樹にまで届くほどだった。

 魔神柱達は煙を出しながら次々に倒れ、残った雷が空間を迸る。

 今の声、そして雷。

 まさかと、藤丸が背後を振り返った。

 そこにいたのは、象だった。

 ただの象ではない。山をも越えるほどの巨躯に、雷雲のように細長く黒い鼻は、紫電が今も充填されている。

 

「……イヴァン、雷帝」

 

「おうとも。息災か、カルデアのマスター」

 

 ロシア異聞帯の王は、ゆっくりと、しかし確かな足取りで行進する。その様はまさに怪獣と言って差し支えない。

 そのすぐ側では、アヴィケブロンの王冠(ケテル)叡知の光(マルクト)が魔神柱を掴んで、ラフムや種子を弾き飛ばしていた。

 しかもそれだけではない。

 シャドウボーダーには既に、異なる二人の王が乗車していた。

 

「ああ、全くだ。あの黄昏を越えて、諦めることなど許されるものか」

 

 スカサハ・スカディ。

 

「まあよいではないか。生を叫ぶあの様こそ、汎人類史の弱さであり強さ。人としての矜持というもの。朕は好きだぞそういうの」

 

 始皇帝。

 今ここに、異聞帯の王達が勢揃いしていた。

 本来であれば絶対にあり得ない光景。あり得ない共闘。これもまた、藤丸立香という縁があってこそ。

 

「……どうして……」

 

 ありがたい、と思うより、まず浮かんだ疑問はそれだった。彼らからすれば、藤丸の考えなど度しがたいの言葉に尽きるだろう。全てを捨てて自分の命を優先するなど、それこそ敗れた彼らよりもずっと醜いもので、それならば別にカルデアが生き残る必要もなく、糾弾することも出来たはずだ。

 しかし、異聞帯の王達は、

 

「どうしても何もない。汝の叫びが我らに届いた。それだけのことよ」

 

「そうだな。お前の声は、私が愛した者達が失った嘆きだ。我々が奪った弱さよ」

 

「まあ、要するにあれだ。我らはそなたを、汎人類史を認め、選んだ。そして世界の終焉と共に見送った。ならばそれを手助けすることに理由などいるまいよ。だってそうであろう? 我々はその生き方に、違う意味を見出だしたのだから」

 

「……みんな……」

 

 ああ、本当に。自分は恵まれていると、藤丸はそう確信した。あれだけの罵詈雑言を吐いて、それでも。彼らは信じてくれている。踏み越えていった藤丸を、汎人類史をまだ信じてくれている。

 

「ありがとう。そしてごめんなさい。本当はきっと、俺が片をつけなきゃいけないことだった」

 

「全くだ。しかし、言ったであろう。だからこそ助力しがいがあるとな。努々忘れるな、カルデアのマスター。我々は強きお前に価値を見出だしたのではない」

 

 イヴァン雷帝はその巨体で全てを踏み潰しながら、

 

「例え弱くとも、他者と繋がり、どんな状況であっても慈しみ合う。その輪をひろげる姿にこそ、お前達に価値はある。有り体に言ってしまえば、()()()()。それが、お前達汎人類史の持つ、最も尊ぶべき力なのだ」

 

「繋がる、力……」

 

 うむ、とスカディがイヴァン雷帝の言葉を続ける。

 

「ここにいる王、全てが成し得なかったものだ。強く、そして孤立していたからこそ、我らはお前のようにはなれなかった。そうあろうとすれば、世界は滅びていたかもしれない、とな」

 

「朕は今でも自分が間違っていたとは思わんがのう。何しろ民は幸せだった故な、うむ」

 

 無粋な横槍にムッと頬を膨らます女神に、しかし、と始皇帝はこう締め括る。

 

「それでも道を譲ったのは、お前達の行く末を信じたからよ、カルデアのマスター。我らを打倒し、その命を踏み越えてなお進むと決めたお前が。お前の信じたものが、我々も好ましい。故に、赦そう。此度の戦い、我らがお前の道を作るとする」

 

「……ええっと、つまり?」

 

 褒められているのは何となく分かるが、つまり助けてくれるってことでいいのだろうか?……と首を捻る藤丸に、ロシアの皇帝は分かりやすく、端的に告げた。

 

「空想樹は任せよ、カルデアのマスター。あれは我らの妄執の残滓。ならば、その決着は我らがつけるのが道理である」

 

「……良いんですか? その……」

 

「良いわけがなかろう。そこの二人はともかく、私はまだあの北欧を諦められそうにないのでな」

 

 スカディは自分を偽らなかった。そして残りの王も、同調はしないが、やはり何処かにそんな気持ちはあるのだろう。

 それでも、と北欧異聞帯を統治した唯一の女神は、

 

「ここには守るべきものも、我が愛が届く対象もない。あんな木偶が立ったところで、そこに住まう命がなければ何の意味もなかろう。であれば、為すべきことは最初から決まっている」

 

 故に、と。

 三人の王はたった一人の少年に告げる。

 

 

「ーーーー進め(・・)。そして、()()()()()()

 

 

 ただ、未来へ、と。

 彼らはそう言った。

 

「……先輩」

 

 マシュが心配そうに、こちらを見る。

……正直に言ってしまえば。彼らの期待に応えられるかなんて、分からない。

 しかし、思ったのだ。

 

「分かりました。だからみんなも、気を付けて」

 

 この人達に恥じない、人間であろうと。藤丸立香は、そう強く思った。

 そして、異聞帯の王達はそれぞれ、己が空想の根を目指し、シャドウボーダーから離れていく。

 

 

 

 

 

 気を付けて、か。イヴァン雷帝はその言葉を反芻しながらも、何処か晴れ晴れとした気持ちで行軍していた。

 英霊の座において聞こえた、あの声。恐らくイヴァン雷帝を初めとした異聞帯の王達であれば、地獄の底でも聞こえてくるに違いない、民の声。

 それがまさか、自分を討ち倒した少年の声だと、誰が最初に気付けただろうか。何の覚悟もなく、それでも進めてしまう少年は、確かに脆かった。しかしあれほど脆いとは、異聞帯の王達も夢にも思わなかったのだ。

 

「ふむ、これはまた随分と機嫌がいいな、ロシアの帝よ。朕の見立てなら、そなたはどちらかと言うと激情家の類いかと思っておったが」

 

「貴様が言えたものではあるまい。完璧を謳う肉体が跳ねているぞ、真人とやら。ちなみに私は単に氷を張って滑っているだけで他意はない」

 

 何処からか聞こえる声は、彼らの能力か。イヴァン雷帝はひたすら歩を進める中で、獣の五感で彼らを確認する。

 スカディは言葉通り、道に氷を張り、その上を優雅に進んでいるようだ。しかしその頭上では、ワルキューレ達が隊列を組み、露払いをしている。

 始皇帝は始皇帝で、本気なのかはわからないが、何故か笑顔でスキップしている。だがそんな彼を守る臣下は多く、李書文と韓信だけではなかった。

 さて、ではそんなイヴァン雷帝はと言うと。

 

「ん? 何故こちらを見て、残念そうに鼻をもたげる。僕が何か気に障ることでも?」

 

 ばごーん!!、としっちゃかめっちゃかに辺りを壊しているのは、アヴィケブロンと彼が操るゴーレムだった。魔神柱などを素材にしたそれは、ややグロテスクな気もするのだが、作った本人はまるで気にしていない。

 そう。仮にもイヴァン雷帝も異聞帯の王。しかし他の異聞帯を見て、彼は思った。

 あれ? もしかして余、部下とか一人もいなくない???

 

親衛隊(オプリチニキ)のせいで忘れていたが、かの異聞帯で、余の味方となるものはいなかったな……」

 

 アナスタシアとその魔術師は、寝首を掻こうとしていたし、手足としてずっと使っていた親衛隊(オプリチニキ)も結局は宝具、つまり自分自身だ。

 無論、イヴァン雷帝はそれが自業自得だと理解している。しかし、

 

「……実際にこう見せられると、いかに余が孤独だったか分かるな。うぅむ……やはりもう少し、親しみやすさでも備えるべきか……身形からして人とは違うわけであるし……」

 

「? 僕には皇帝の気持ちなど分からないが、少なくとも僕のゴーレムと、その巨獣が並び立つ姿にかなり興奮を覚えているんだが。これはそう、マスターの観ていたアニメーションとやらによくあるシチュエーションだ。ゾクゾクする」

 

 そうじゃない。いやまあイヴァン雷帝も、このツーショットには何となく、子供のときに感じた何かを浮かび上がるような気がしなくもないのだが。

 おほん、と空咳をうって、

 

「では魔術師よ、随伴を許す。共にあの樹を切除するぞ」

 

 返答はゴーレムの咆哮だった。

 そして、三人の王はそれぞれの力を発揮する。

 スカサハ=スカディは氷を。

 始皇帝は水銀を。

 そしてイヴァン雷帝を雷をもって。

 

 

「ーー安らかに眠れ、我らが悪夢よ」

 

 

 胸糞悪い後悔を、粉々にぶち壊すーー!

 

 

 

 

 

「すごい……」

 

 みるみる内に削れていく空想樹に、藤丸は頬をひきつらせる。藤丸も毎回切除してはいるが、あのスピードは異常だ。あれでは五分と保たないだろう。種子達が踵を返したところで遅い。むしろ敵が減って、より進みやすくなったところだ。

 

『残り五百メートル!!』

 

 ムニエルの報告と同時に、一回り大きなラフムが姿を見せる。ベル・ラフム。ラフムの進化体だ。四つ足に進化した彼らは、普通のラフムよりも更に速く、鋭く、シャドウボーダーへ近づく。

 しかし、こちらも総力戦だ。そう簡単にやられるつもりはない。

 

「マルタさん、アルジュナ!! 宝具いくからラフムに!! バニヤンは魔神柱を投げ飛ばして!!」

 

 さながらフリスビーのように回転し、轢き潰していく竜と、シヴァの光によって殲滅されるラフム。その横で、バニヤンはその巨体をもって魔神柱を投げ飛ばすと、震動でシャドウボーダーが大きく揺れる。

 しかし、対応出来る。突破出来る。オティヌスを食い止めるために、上条を回収したいところだが、下手に止まることも出来ない今、最早退路はない。

 何とかしがみついていると、そこで藤丸は気付いた。

 

「……あれ、新所長は?」

 

 いつもならこんなところでドンパチやってれば、彼の小言が降ってくるものだが。今日はそれがない。

 

「……ホームズ、新所長は? いるよね?」

 

『勿論いるとも。しかし今は話すべきときではないだろうね』

 

「? どうして?」

 

『彼にも罪悪感があったというわけさ』

 

 ますます意味が分からない。どうしたのだろう、と眉をひそめていると、何やらボーダー内で一悶着起こってるらしく。

 

『おいオッサン、呼ばれてるぞ。素直に出ていけ』

 

『何を言ってるのかね君は!? ほら、ここにいるのはただのシンボル。人類の象徴たる不屈、不死鳥なのだよ? なので新所長などという人物は留守ですお引き取り願いますようん』

 

『うーん、言い訳として見苦しすぎないかなあ、ゴルドルフくん。藤丸くんに言いたいことがあるんだろ? でもいつもみたいに言えないから困ってるんだろ? んー?』

 

『これは探偵としての忠告ですが、こういう話は早めに。小さなしこりが事件に発展することは往々にしてあることです、聡明なあなたならお分かりかと思いますが』

 

『ぬぐぐ……出会う先で事件と出会う探偵に言われると説得力が段違い……分かった、分かりましたよ!! ほらどけどけ、私が話すんだから!!』

 

 ばたばたっ!、と騒がしく映像に映り込んだのは、いつも通り小太りの新所長だった。しかし、

 

「新所長?」

 

『……あー。その、なんだ。聞いたぞ、お前の本音を』

 

 やはり歯切れが悪そうに見える。ブロンドのちょび髭も、心なしか垂れていた。

 

『魔術師であり、私のような冷酷人間としては、その。確かに聞くに堪えん言葉だったとも。足りんのはもう少し皮肉にフックを効かせるところだ、ゴッフパンチならぬゴッフックをね。うむ』

 

 こんなときでもジョークを欠かさない彼に、ムニエルが肘で小突く。流石のゴルドルフもそれで観念したのだろう、一度天を仰ぎ、そして、

 

『……お前達にあーだこーだ指示する前に、私はまず、こう言うべきだった。()()()()()()、藤丸立香』

 

「え?」

 

 突然のことに、藤丸は目をぱちぱちと開く。すると、ゴルドルフはそれこそ土下座でもしそうな勢いで、

 

『確かに、今でこそ私はこのカルデアの新所長となった。しかし当初の私は、コヤンスカヤくんに絆されてカルデアに隙を作らせた。私の横槍が無ければ、その……少なくともダ・ヴィンチは……』

 

「……新所長……」

 

 ああ、やっぱり。この人は。

 

「……新所長って、ほんといい人ですよね」

 

『はぁ!? ど、何処がだね君ィ!?』

 

 恐らく、藤丸の本音を聞いてからずっと気に病んでいたのだろう。ゴルドルフはそれまでの沈黙分を返済するかのように、

 

『私はただ、事実と事実を擦り合わせて、そこからきちんと謝罪すべきだと思っただけであってだねえ……! 別にお前が潰れようが知ったことではないし、何なら一回へこたれればその生意気な口も治るのではないか?と考えていたがやはりお前が折れてしまうと結局困るというか……!』

 

「だって、別に言わなくてもよかったじゃないですか、そんなこと」

 

 ゴルドルフは目を丸くする。

 そう。藤丸は正直な話、さっきまでそのことに気づいていなかった。

 確かにゴルドルフがいなければ、カルデアが崩壊することはなかったのかもしれない。けれど、事はそう単純じゃなかったはずだ。

 

「あなたがいなくても、きっと誰かがカルデアを買っていたし。そもそもカルデアを買収するよう仕向けたのはコヤンスカヤだ。実際あなたが手を下したわけでもないし、きっとあなたが応じなかったら、それこそ他の誰かに同じことをやらせていたと思います」

 

『し、しかしだな……!?』

 

「それに、あなたは今まで俺達と戦ってきてくれた。小言を降らせたり、たまに不満を言ったりもしたけど、最後の最後で、あなたは間違えなかった……それは確かなんです、ゴルドルフ新所長」

 

 きっと、彼なりに覚悟していたのかもしれない。それこそ罵倒されることすらも、受け入れる姿勢だったのだろう。

 そんなわけがないのに。

……今なら、胸を張って藤丸は言える。

 

「ダ・ヴィンチちゃんの後釜が、あなたでよかった。ゴルドルフ新所長」

 

 ゴルドルフは言葉を発することが出来なかった。唇をわなわなと震わせて、ただ最後にぽつりと。こんなことを呟いた。

 

『……それはお前も同じだ、藤丸立香。お前だからこそ、ここまで来れた。だから、勝て』

 

 拳を握り締めて、彼は力説する。

 

『勝って、帰ってこい! 司令官として言えることなんて、いつも通りそれだけだ。いいな、お前にはやるべきことがまだ山ほどある!!』

 

「はい……絶対、勝ちます!!」

 

 藤丸はそう言い切ると、意識を正面に割く。

 残り三百メートル。ここまで来れば、藤丸の視力でも目標が見えた。

 

「……」

 

 漆黒と黄金が混じる空の下、瓦礫の山に座り込むのは、異聞帯の王。

 虞美人。そして魔神オティヌス。

 とうとうここまで追い詰めた、と藤丸は確信する。あちらも同じことを考えたのか、声だけが人類最後のマスターの耳に届く。

 

『まさかここまでとはな。驚いたよ』 

 

「……もう終わりだ、オティヌス。虞美人」

 

 背後で続く戦いは拮抗していた。今なら邪魔もない。

 

「ここで決着をつける。どっちが正しいかなんて関係ない。ただ、こんな世界のために俺が死ななきゃいけないっていうなら。俺は全力で、お前達を打ち倒す」

 

『……は、』

 

 瓦礫に寄りかかっていた虞美人が、ゆら、と今にも倒れそうになりながら立ち上がる。黒真珠のごとく輝きを放っていた黒髪が乱れに乱れ、まるで落武者のようである。

 

『まさか、勝ったと、でも? こんな、たかが英霊が集まったところで……私に、勝つだと? 笑わ、せるな。私には、まだ』

 

『取り繕ったところで良いこともあるまい。こういうときは素直に認める方が楽になれるぞ、マスター』

 

 意外にも、そう言ったのはオティヌスだ。

 

『元々私は主神の槍(グングニル)で魔神の力を制御しなければ、その力に振り回され、何かの拍子で腕が取れていたほどだ。いくらその精度を高めても、これだけ繰り返した今、百パーセント扱えない魔神の力には頼れない。これ以上使えば、いつかハズレを引く可能性もあるしな』

 

 はぁ、とオティヌスはため息をつく。

 それは自棄になったようにも、見える。しかしそうではないと、藤丸は見破っている。

 

「……どうしてそんなことを教える?」

 

『ここまできた褒美だ。いやまさかだよ、あの人間の真似事をお前が出来るとは。だが』

 

 むしろ逆だ。

 隻眼の魔神が、ジロ、とねめつける。

 

 

「ーーーー見くびるなよ、人間ども。今すぐ埃みたいに吹き飛ばされたいのか?」

 

 

 ず、と。見えない圧が、オティヌスから叩きつけられる。それは藤丸が今まで感じたどんな敵よりも濃厚で、圧倒的で、そして、重い。

 殺気ではない。単なる怒気。しかしそれは、世界に震えとなって伝わり、風となって吹き付ける。

 存在としての格が違う。

 これが魔神。あらゆる世界を手中に収め、それを自由に扱う、魔術の神。

 

「……っ、!」

 

 しかし。

 藤丸は退かない。その風を、怒りを、真っ正面から受け入れてなお、立ち向かうことを選ぶ。

 それで、オティヌスは何かを決めたらしい。

 

『……マスター、()()()使()()。いいな?』

 

『ええ。こうなったらもういいわ。全て吹き飛ばしなさい、オティヌス』

 

 宝具。その言葉でシャドウボーダーが色めき立っている様子が藤丸には聞こえてくるが、続くオティヌスの行動に目を見開いた。

 何故なら、彼女は主神の槍(グングニル)()()()()()()()

 

「なに、を……?」

 

 上条の言葉通りなら、あの槍は彼女の力を扱うための霊装だ。ならばそれを使用した絶技こそ、宝具なのではないのか?

 そして。

 オティヌスの胸元から、十字架の杭のような光が、飛び出した。

 

 

 

 

 

 そのとき。

 異聞帯の王達は、その光を見た。

 

「……なんだ、あれは……?」

 

 それは、何とも形容しがたい光だった。オティヌスを中心に、世界に広がっていくのは、紋様のようにも、翼のようにも、花のようにも見えたし、そのどれでもない気がした。まるで世界に亀裂を入れるかのようなそれは、何処までも遠くの世界にまで根付いていく。

 しかしそれでも、その正体が何であろうと、彼らは感じ取ったはずだ。

 あれこそ、この世界に終末をもたらすものだと。

 何よりスカサハ=スカディは、その他の王とは違う印象を、その光に見ていた。

 

 

「……あれは、()……? いや、あれがオティヌスならば、あれの正体はまさか……!?」

 

 

 

 

 

 

 そのとき。

 上条当麻は包帯でぐるぐる巻きになった体で、ひた走っていた。負傷者を救出するためナイチンゲールと別れてから、英霊達に助けてもらいつつ、何とかここまで来た。

 体力は底をつきかけているが、藤丸だって戦っている。なら、サーヴァントが先に根を上げるわけにはいかないと、再び走り出そうとするのだが。

 そのとき、見た。

 

「……? あれ、は……?」

 

 迸る目映い光。それは数秒間の間に、あっという間に地平線の先まで広がっていく。それはまるで天体を塗り替えるような規模で、しかし壁紙を張り替えるような手軽さで世界へ広がっていく。

 

「……不味い」

 

 見覚えがある、なんてものではない。

 もしも上条の思い通りなら、この先に待つのは()()だ。

 このままでは追い付けないと、上条が辺りを見回し、そして見つけた。

 背後でゆっくりと行軍するマンモス皇帝を。

 

 

 

 

 

 藤丸は動けなかった。それに恐怖したからではない。ただ、その光に見惚れたのだ。

 その破滅的なまでに、世界を破壊するでろう、終焉の光に。

 ムニエルが悲鳴をあげる。

 

『おい……! おいおい、おいおいおいおいおい!? なんっ、なんだありゃあ!? あの光、地球どころの騒ぎじゃねぇ! たった数十秒で宇宙どころか太陽系まで伸びてるぞ!? なんなんだよありゃ!?』

 

『ええい、一度虚数潜航で待避だ!! あれが何をするにせよ、あの空間なら何だって回避出来るだろう!?』

 

『いやー、それはどうかなあゴルドルフくん。計器が故障してなきゃ、あれの熱量は虚数空間にも届きかねない。というか、虚数空間ごと吹っ飛ばすねありゃ』

 

『はい!?!?』

 

 ゴルドルフみたいに叫べるならいいが、今はそれどころではない。マシュ共々、目の前のオーロラにも近い光の波に、呑まれる。

 

『まずはあれの正体を知らねばいけないだろう。しかし、手掛かりとなる北欧神話において、オーディンにもオティヌスにもこれに該当するものはない。これは一体……』

 

『聞こえるか、藤丸!?』

 

 と。最後に飛び込んだ声で、藤丸は我を取り戻した。

 

「上条……?」

 

『ああそうだ!! いいか、よく聞け!! それを絶対()()()()()()()!! でも()()()()()()()()!! 回避しろ!! いいか、絶対に避けるんだぞ!!』

 

 それはどういうことなのか。いや、そもそもあれは何なのか。

 混乱と困惑が藤丸の中でせめぎ合う間に、決定的に動いた。

 藤丸達を追い抜いて現れた、異聞帯の王と。

 バキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキ……!!、という破砕音が、オティヌスから鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 それは、果たしてどこから響くものだったか。オティヌスの体か、それとも世界そのものか。ともあれ魔術の神は光を伴い、ふわ、と浮かんだ。

 主神の槍を失うことで、解禁される宝具。一見それは弱体化にも見えるが、違う。

 

「神座、接続。()()可能性、百パーセント」

 

 かつて魔術の神として、大罪人として名を轟かせたとき。オティヌスは既に槍を失っていた。つまり魔神オティヌスにとって、そもそも槍とは付属品の一つに過ぎない。

 だからこそ、破壊ではなく吸収。

 妖精化。かつて魔神オティヌスを死に至らしめた術式であり、今なお十字架の光として残る罪の証。しかし、それを窓口にすることで、

 

 

「ここにーー魔術の神は再誕する」

 

 

 今、魔術の神は真の意味で完成した。

 

 

「幸せを忘れよう」

 

 

 それは、世界を終わらせる創造。

 

 

「夢を仕舞おう」

 

 

 それは、あらゆる苦しみを取り除く、十の矢。

 

 

「そしてーー理解を、遠ざけよう」

 

 

 魔術の神は右手を伸ばす。

 奇しくも、あの少年と同じ。

 軋む。

 ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ、と。

 世界が、軋む。

 曰く。

 オーディンではなく、オティヌスと呼ばれる神は、とある武器を持っていた。

 一度に十本もの矢をつがえ、どんな敵であろうと撃ち抜く、弩を。

 世界に結び付いた光が蠢く。それは世界を軋ませ、引き裂くように、莫大な力を蓄える。

 つまり。

 

 世界(ソレ)が、彼女の弩だった。

 

 

 

「ーーーー理解者亡き、漆黒の世界(いしゆみ)

 

 

 そして。

 絶望が世界へ降り注ぎ。

 

 ()()()()が、この世から消し飛ばされた。

 



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そして未来を踏み越えろ Over_the_Future

 

「サーヴァントの消失を複数確認! 接続した霊基トランクと照らし合わせると、百以上の英霊が消失!……信じられねえ、仮にも一級の英霊達だぞ!? 本当に埃みたいに跡形もなく消し飛ばしやがった!!」

 

「シャドウボーダー、直撃こそ免れたものの、各機能が四十パーセントまで低下! 多重結界、及び装甲板に損傷多数!! 虚数潜航(ゼロセイル)は可能ですが、これ以上は……!!」

 

 ゴルドルフは、目の前の光景が信じられなかった。そしてそれは、ゴルドルフだけではない。幾つもの世界を旅し、そして世界を救ってきた彼らカルデア一同、全員がその光景に理解を拒みそうになっている。

 オティヌスの宝具、理解者亡き、漆黒の世界(いしゆみ)。十の矢の内の一発。

 一瞬だった。

 オティヌスの矢は、直前で滑り込んだイヴァン雷帝の巨体の三分の二を削り取り、更には始皇帝の水銀による守護や、スカディの氷ですら減退せず、更には背後で戦っていた英霊達、ラフムや魔神柱すら穿つと、そのまま矢は空間を突き抜け、真っ暗な穴を作り上げた。

 まるで世界なんてガラスで覆われただけだと、そんな錯覚に陥る。

 一瞬で起きたそれに、理解が追い付かない。

……一体、何が起きた?

 ついに追い詰めたのに、何故、こちらが半壊している……!?

 

「お、おい……な、何がどうなってる……!? 藤丸は? サーヴァントは!? 早く安否の確認をしろ!!」

 

「分かってるよオッサン! でも磁場が酷い! 生きてるのは確かだけど、五体満足かまでは……!!」

 

 シャドウボーダーは既に、オティヌスから全力で離れている。しかしそんなものでどう安心しろと言うのか。銀河系の端まで逃げたって、世界に結び付いた光の翼からは逃げられない。あれは寸分違わず、目標を消し飛ばすだろう。

 忙しなく計器やコンソールを動かしていたダ・ヴィンチが、これまでで一番焦燥に駆られていた。

 

「信じられない……こんなことがあり得るのか……? 逐一観測してこれなら、疑いようもないけれど……それにしたってこんな……」

 

「だ、ダ・ヴィンチ! 何か分かってるなら言え!! 一体どうなったんだッ!?」

 

「聞きたくなかったと言うかもしれないけど、そうだね。端的に言えば、さっきの宝具でこの()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……は?」

 

 滅、ぶ?

 余りのことにゴルドルフは、ダ・ヴィンチの気が狂ったのかと勘違いしそうになった。しかし違う。現に隣でデータを眺めたホームズも、さながら凄惨な殺人現場を目撃したかのような渋い顔をしている。

 

「あれは例えるなら、弾丸だよ。ほら、よく窓ガラスなんかを撃ち抜いた弾丸はその威力の強さから、衝撃が伝播する前に突き抜けるだろ? あれと同じさ。あの矢は一発一発が、世界を文字通り破滅させるもの。現に突き抜けた先の空間は、跡形もなく()()()()()()

 

 築き上げた価値観が、ボロボロと脆く崩れていくのを、全員が感じた。今まで懸命に乗り越えてきた障害が、まるで赤子の遊びのように思えてくる。

 これが魔神。魔術を極めた神。世界の法則をねじ曲げることに特化した結果、神と呼ばれる領域にまで足を踏み入れた本物の理不尽。

 

「……理論上、あれを防げる盾はない。かつてゲーティアの宝具すら防ぎ切ったマシュだって、恐らくは盾ごと消し飛ばされるだろうね。あらゆる宝具、あらゆる兵器、その全てを束ねても、あれの一射には届かない」

 

「そんなこと言ってる場合か!? ならボーダーの外にいる藤丸は!? サーヴァントはともかく、奴は普通の人間だぞ! そんなデタラメの側にいたら……!!」

 

 最悪の結果がボーダー内の人間に過る中、ダ・ヴィンチが操作していたコンソールから、それまでとは違う音が鳴った。どうやらボーダーの機能が一部回復したらしい。

 

「よし、通信再接続……! 藤丸くん? 私の声が聞こえるかい、藤丸くん!?」

 

 

 

 

 

「……ぅ、……」

 

 一体、どれだけ眠っていただろう。

 数秒のようにも、数時間にも思えるその微睡みが、徐々に浮かび上がる疑問で、現実へと引き戻される。

 何が、どうなった?

 

「……みん、な……?」

 

 薄らぐ意識を繋ぎ止め、何とか藤丸は直前の出来事を思い出す。

 そう、あのとき。オティヌスの宝具が撃たれる寸前で、イヴァン雷帝達が割って入り、そして消し飛ばされた。その余波で藤丸も同じ末路を辿りかけたものの、シャドウボーダーから落ちたのが幸いだったのだろう。あちこち打撲や、切って血が滲んでいたものの、それくらいで済んだ。

 そして、今。藤丸は誰かに抱えられて、生きている。

 

「……君、は……?」

 

 揺れる視界の中、自分を助けてくれた相手を認識し、藤丸は驚いた。

 少年を抱えるのは、首の無い騎士だった。その手を決して離さぬようにと、騎士の腕は主の体を掴んでいる。その下からは、深い青の体毛が藤丸を包んでいた。

 三メートルを越える大狼。アヴェンジャーである彼らは、首なし騎士をヘシアン、大狼がロボ。恐らくカルデアで召喚されたサーヴァントにおいて、人間そのものを心底憎悪している数少ないサーヴァント。

 

「……ロボ、ヘシアン」

 

 名前を呼ぶと、狼王は鬱陶しそうに唸り声をあげ、首なし騎士は迫る敵を片手に握った鎌で斬り捨てた。死者の軍勢もあの矢に巻き込まれはしたものの、未だ藤丸には迫る影が幾つもある。

 藤丸としても、まさか彼らが助けてくれるとは思っていなかった。付き合いはそれなりに長いものの、普段は洞窟を住処としているサーヴァント。異聞帯の王とは違い、未だ完全な意思疏通は出来ていないのだ。

 

『藤丸くん? 私の声が聞こえるかい、藤丸くん!?』

 

「……ダ・ヴィンチちゃん?」

 

 藤丸は起きて、ヘシアンに体を預けながら返答。すると通信の向こうから、安堵した空気が伝わってきた。

 

『ああよかった! 反応が大分後方にあるから焦ったよ! いやーまさかボーダーから落ちてたなんて……』

 

「うん。ヘシアン・ロボが助けてくれたんだ」

 

『へえ、彼らが? 珍しいこともあるもんだ……って、むむむ。ということは、マシュとはぐれちゃったのか……』

 

「……そうだ。マシュは、上条は!? 他のみんなはどうなったの!?」

 

 すると、ダ・ヴィンチは端的に状況を説明した。サーヴァント達の過半数が今の攻撃で消えたこと。マシュも反応はあるが、現在地までは分からないということ。

 

「……上条は?」

 

『それは君から念話した方がいいかもしれないね。術式は既に構築して、礼装に送ってある。オープンチャンネルだから、こちらとの情報も共有出来るよ』

 

「ありがとう、ダ・ヴィンチちゃん」

 

 通信をひとまず切り、藤丸は礼装の魔術を確認。新しく送られた念話の魔術に魔力を注ぐと、術式を発動させる。

 

「上条、無事? 今どこにいるんだ?」

 

『……、げろ……』

 

「? 上条?」

 

 狼王が風を切る中、念話がようやく安定し、その声は聞こえてきた。

 

『ーーすぐに二発目と三発目がくるぞ!! 早くそこから逃げろ、藤丸ッ!!』

 

 

 

 

 

 マシュ・キリエライトは、滝のような汗を流して、それを見据えていた。

 運よく他のサーヴァント達と合流していた彼女は、ボーダーともマスターともはぐれてしまったものの、むしろ合流したサーヴァント達は実に心強い。

 レオニダス一世、ジャンヌダルク、アキレウス、ブーディカ……どの人物も、防御系の宝具を所持するサーヴァントである。その性能はマシュも知っており、例え何があっても、彼らが同時に宝具を展開すれば、どんな攻撃であろうと一度は防げるだろうと思っていた。

 しかし、

 

(……、怖い(・・))

 

 絶対などない。そんな当たり前のことを、今更マシュは思い出してしまった。

 光の翼。世界につがえた、矢の軋む音。来る。三桁もの英霊達を一度に吹き飛ばしたあの攻撃が。恐らく、逃げも隠れも出来ない、そんな絶望的な終わりが。

 

「マシュ殿、お逃げください。あなたには、マスターを守る役目があるでしょう」

 

「……それは出来ません、レオニダス王。あれは、多分私を狙っています。感じるんです。虞美人の、ヒナコさんの意志を」

 

 逃げも隠れも出来ない。どう行動したところで、今のマシュ・キリエライトではあれを対処出来ない。唯一方法があるとすれば、それは。

 

「私がマスターに近づかなければ。少なくとも、それで先輩の身は守られます。あとは私があの攻撃を防ぎ切れば良いだけです」

 

 防げるわけがないのに、防いでみせるという矛盾。それは単なる傲慢ではない。マシュ一人では確かに無理だろう。

 しかしここにいるのは、盾のクラスである彼女が、守護において認めるサーヴァント達。

 

「皆さんとなら、きっとあの攻撃を防げます。ですから、私に力を貸してください。お願いします!!」

 

「……言われなくとも」

 

 レオニダス一世は槍と盾を自身の前で構え、

 

「元よりそのつもりです。我らはサーヴァント、主の守護のためならば!! この命、惜しむ理由が何処にありましょうや!!」

 

 スパルタ王の言葉に、サーヴァント達は頷く。

 ならば、もう迷うことはない。矛盾、その永久に出ることの無い答えを、今この場で出すとしよう。

 盾の英霊が魔力を練り始めた途端、それに倣ってサーヴァント達が宝具を展開する。

 

炎門の守護者(テルモピュライ・エノモタイア)ァアアアアアアアッ!!」

 

蒼天囲みし小世界(アキレウス・コスモス)ッ!!!」

 

 展開される防壁。一枚、二枚、三枚。まだまだ増えていく中で、盾の英霊は詠唱を始める。

 

「我が旗よ!! 我が同胞を守りたまえ!! 我が神はここにありて(リュミノジテ・エテルネッル)!!」

 

約束されざる守護の車輪(チャリオット・オブ・ブディカ)!!」

 

「真名、凍結展開。これは多くの道、多くの願いを受けた幻想の城ーー呼応せよ!!」

 

 ゴンッ!!、と。勢いよく盾を地面に叩きつけ、マシュ・キリエライトは、その宝具を顕現させる。

 

 

「ーーいまは脆き夢想の城(モールドキャメロット)ッッ!!!!」

 

 

 それは虫にでも食われたように、破損の激しい白亜の城。崩れ去ったかつての栄光は、現実の残酷さに耐えきれないのか、今にも瓦解してしまいそうだ。

 しかし、それを覆う数多の英霊達の宝具により、その守りはいかなる矛をも通さぬ強固な盾と化す。

 

 

 

 

 

 ぎぎぎぎぎぎぎ、と。軋み続ける世界がひずみ、雲が川のように流れていく。空間がひび割れていくんじゃないかと思ってしまうほど。

 弩の狙いは言うまでもなく藤丸だろう。しかし上条は二発目三発目と言った。今の藤丸はサーヴァント一人の背に乗っただけであり、一発撃てばそれで済む。なら、二発目は誰に向けて放たれるものなのか?

 

「……マシュ……!!」

 

 ヘシアン・ロボに乗った藤丸は、ダ・ヴィンチから受け取った反応を頼りに走り続ける。しかしダメだ。間に合わない。ヘシアン・ロボの秀でた脚力でも、例え間に合ってもそこから逃げるまでの時間がない。

 

「くそっ、そもそもあれをどうやって避ける!? マシュ達どころか俺達も避けられるかどうか……!!」

 

 不満そうにロボが吠えるが、事実今の藤丸が率いるサーヴァント達に弩を完封出来る者はいない。遠くで宝具を展開し、弩を防ごうとしている彼らすらそうだ。

 一度目はイヴァン雷帝達のおかげで避けられた。それでも三桁である。

 なら、藤丸単身で避けられるわけがない。

 どうする。

 シャドウボーダーは巻き込めない。上条だってあの攻撃で生前死んだと言っていた、迂闊には頼れない。

 どうする。

 どうする……!?

 

「……、え?」

 

 と。思い悩む藤丸の頭に、ぽん、と。誰かの手が置かれた。

 首なし騎士……ヘシアンだ。優しく頭を撫でるそれは、まるで藤丸を落ち着かせようとするようだった。

 思わず見上げるが、首がない以上、彼の表情など分かるはずもない。困った藤丸は、そのままロボに視線を向ける。

 

「……、ロボ?」

 

 名前を呼んでも、知るか、と言わんばかりに狼王は首を動かす。だが藤丸の見間違いでなければ。

 復讐に身を焦がした大狼が、一瞬だけ。笑っていたように、思えた。

 

「ヘシアン、ロボが今……、」

 

 笑っていた、と言いかけたときだった。

 首なし騎士が、藤丸を投げた。

 

「……へ……?」

 

 藤丸の体が、彼らから離れていく。空中だからこそ、もがくことも出来ず、ヘシアンの並外れた膂力で投擲された体は、あっという間に距離を離される。

 どうして、だなんて脳は理解していた。弩が放たれた。だからヘシアンは藤丸を投げた。自分を踏み台にしてでも、生き残らせるために。

 

「ヘシアンっ、ロボっ!!」

 

 浮かんだまま、手を伸ばそうとする。そんなことに意味はないのに、伸ばさずにはいられない。しかしそれを遮るように、狼王が一際大きく吠えた。

 遠吠えは短く。されど、その遠吠えは何処までも遠くまで響く。

 

「……、ごめんっ……」

 

 込み上げる涙が情けなかった。藤丸は、

 

「ごめん……ごめんっ、ごめん……!! 俺、君達が何を伝えたいのか、全く分からない!! マスターなのに、一年以上一緒だったのに!! 今こうやって、助けてくれた君達の声すら、俺には一つも分かってあげられない……!!」

 

 果たして、この言葉すら伝わっているのか。所詮人と獣、意思の疎通など最初からあり得ない。

 だからそれも、ただの幻影だったのかもしれない。

 だけど。

 

「……」

 

 確かに藤丸立香は、見たのだ。

 彼らが、笑って。自分を見送るところを。

 大丈夫だとーーそう言っているように、聞こえたのだ。

 

 

 

 

 

 笑うなんて、本当に久しぶりだった。嗤うことはあったとしても、この体になってから笑うことはなかった。

 そう言えば丁度、こんな荒野に似た遥か彼方で、よく誰かに笑っていた気がする。泣いていた誰かに、大丈夫だと、安心させるように。

 そう。泣かれるのは、困る。例えそれが分かり合うことのない相手であっても。だから駆け付けて、笑ってみた。

 なのにあれは未だ泣いている。申し訳なさそうに、自分がまた生き残ってしまう罪悪感に、理解してやれないことに。

 相変わらず人間らしい傲慢だ。獣は知っている。あれはずっと媚びを売って生きてきたと言っていたが、それだけではないことを。例えそうだとしても、その媚びは、誰かを思うからこそ、そうありたいと願う目標だったことを。

 だからこそ、獣は叫び、笑ったのだ。

 獣にだってそれが分かるのだから、人相手なら十二分に伝わっている。安心しろ、と。

……この言葉が伝わることは、未来永劫無いのだろうけど。きっと、あの人間は、そんな自分に価値を見出だせないかもしれないけれど。

 それでも、言ってやらねばならない。

 吠えろ、生きろ、噛み砕け、滅びろ。

 守れ、と。

 笑って諭すように。最期まで、獣は叫び続けた。

 

 

 

 

 そして藤丸は、笑っていた誰かが、矢に削り取られる瞬間を目撃した。

 まるでアイスクリームがスクーパーで削られるみたいに、確実に形のある遺体は残らない、そんな死だった。

 

「……ああ、ちくしょう……」

 

 それで思い出した。

 自分がどうやって生き残ってきたのか。どうやって歩き続けてこられたのかを。

 それを再現してくれた彼らのおかげで。

 だから。

 藤丸は右手の令呪を掲げた。

 

「……令呪をもって命ず。来い、シールダー!!」

 

 令呪が一画消費され、遠く離れていたマシュが、空間の軛から外れて召喚される。いきなり浮かんだ状態で召喚されたことに、彼女は酷く驚いた様子で、

 

「……令呪による空間転移? 先輩、これは……!?」

 

「ごめん、説明は後!! 今は着地お願い!!」

 

 英霊による全力の投擲で、藤丸の体はたっぷり浮かんだが、同時に人間ならばまず落ちれば怪我をする程度の高さから落下している。

 マシュが各部からバーニアを噴かしながら、藤丸を抱き止め、着地点を探そうとしたそのときだった。

 

「…! 先輩、あれを!」

 

「え、なにが……!?」

 

 藤丸とマシュ、両側から。

 くん、と。二発目、三発目の弩が、一通りサーヴァント達を殺してから、鎌首をもたげるようにこちらへと追尾してくるーー!!

 

「……ち、くしょう……!」

 

 脱出不可。回避不可。それこそ、時間でも逆転しなければ届かない必殺の領域。

 であれば。時間停止にも等しい速度が必要だ。

 藤丸はマシュの胸の中で、その名を叫んだ。

 

「……っ、巌窟王ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

「ーーーークハハハハハハハハハッ!! オレを!! 呼んだな!! 藤丸立香!!」

 

 毒炎を撒き散らし、雷よりも早く空を駆けたのは、巌窟王エドモン・ダンテスだった。

 藤丸は高笑いを続けるサーヴァントに、ただ一言告げる。

 

「任せた!!」

 

「承知したマスター! ならばオレは虎の如く駆けるのみ!! 虎よ、(アンフェル)煌々と(シャトー)燃え盛れ(ディフ)!!!!」

 

 一瞬だった。巌窟王の宝具が発動したと藤丸が認識したときには加速し、首根っこを掴まれて地上に着地。背後で二つのセカイ()が衝突した。

 空間が捻れ、弾ける。さながらブラックホールのような黒点が作り出され、その飛び抜けた威力に、藤丸達は地面を転がった。吹き荒れる風だけで嵐が巻き起こり、体が巻き上がりそうになる。巌窟王が咄嗟に覆い被さることがなければ、とっくに藤丸はボール感覚で転がっていたに違いない。

 十秒ほどそうして、やっと、尻餅をついたまま息を吐いた。

 

「何とか、生き残った……?」

 

「はい……しかし、サーヴァントの皆さんが……」

 

 二人を守るために消えたサーヴァント達は、十人ほど。

 この調子で行けば、あっという間にサーヴァント達は全滅だろう。そして藤丸は、弩についても上条から聞いていた。

 

「……あの宝具、上条の言葉が正しいなら、少なくともあと七本は残ってる。ダ・ヴィンチちゃん、サーヴァント達の残り人数は?」 

 

『こちらの残存サーヴァントは七十人と少し。三本で過半数が消し飛ばされたとなると、このままなら多く見積もっても八本目以降が越えられないね……』

 

「うん。()()()()()()()()()

 

 言ってみて、吐き気がする。いつもしていることなのに、改めてその度しがたい行為を直視すると胃からせり上がってくるものがあった。そして流石にこんな言い方をすれば、目敏いマシュは気付く。

 

「……先輩? 何を、言ってるんですか……?」

 

「ごめんマシュ。あとでちゃんと話す。だから、今は少し待ってて」

 

 話すべき相手は他にいる。藤丸は立ち上がって、地平線をねめつけた。

 光の紋様の根元。恐らく今もこちらに狙いを定めている相手を。

 

「……これがアンタ達の狙いか。虞美人、オティヌス」

 

『あら、何のことかしら』

 

 声は近く。しかしいかなる術か、姿形が見えない彼女の声は、確かに藤丸にはすぐ側から聞こえた。

 

「惚けるなよ。さっきの矢、俺じゃなくてマシュ達を攻撃したのは、その分多くサーヴァントを殺せたからだろ」

 

 あのときは自分なんて一発で殺せるからと思っていたが、よく考えればそれは可笑しい。殺すなら確実にやればいいだろうに、隙だらけの本命を無視して、わざわざ手駒から削ぎ落としたのは?

 

「俺に無力感を味合わせるため。いつもみたいに、守れなかったって思わせるためだろ」

 

『……へえ。流石にあんな露骨な攻撃すれば、あなたでも分かるのね。そうよ。あなたを追い詰めるために、わざとサーヴァント達を殺した。あなたの得意技でしょう、誰かの死体を踏み越えるの?』

 

「……ふざけやがって」

 

 確かに、これは悪趣味だ。

 英霊達は誰も彼も、藤丸立香のような人間より誰かのためになれる存在だ。多くの人を救える存在だ。なのに藤丸一人のために、その命を投げ出すだなんて、間違っているとしか思えない。

 

『ほら、歩き続けなさい。私を倒すんでしょう? 大軍を引き連れて、私を殺すのでしょう? だったらほら、今すぐ殺しにきなさい。私を殺したければ、全てをかけてごらんなさいな』

 

「……酷い」

 

 マシュが思わず、そう呟いた。

 進めば、ここまで助けに来てくれた仲間は死に。退けば、誰も生き残らない。

 どうあれまた藤丸は死体を踏み越える。それも今度は顔見知りどころか、戦友のその全てを、失って。

 

「……なるほどな、考えたもんだ。いや驚いた。アンタすげえよ。そんなに俺が憎いか、虞美人?」

 

『当たり前よ。お前を殺すことだけを考えて、私はここまで来た。お前が苦しんでいるという事実が、私を奮い立たせてくれる……!』

 

 虞美人はこれまでを思い出し、声を上擦らせて語る。

 

『お前のせいだ……お前さえ、お前さえいなければ、私は!! ここまで堕ちることも、苦しむこともなかったのに!! お前が、お前が……!!』

 

 ああ、と藤丸は思う。きっと、彼女がここまで歪んでしまったのは。こんな酷い怪物に追い込んだのは、確かに藤丸立香せいでもあるのだろう。こんな道を選んだのは彼女だけど、こんなやり方でしか満たされなくなってしまうほど、死を繰り返したのは、全ては藤丸立香への復讐だ。

 何も変わらない。藤丸は自身の命のために、虞美人は項羽への愛で、世界を踏み潰した。

 だからこそ。

 藤丸立香はこの怪物を、止めらなければいけない。

 

「……サーヴァントのみんな。一つ、お願いがある。藤丸立香として、お願いがある」

 

 口の中が乾いていく。喉まで出かかった言葉の意味を何度も確認し、藤丸はそれを正しく飲み込むと、前だけを見て告げた。

 

「俺のために。()()()()()()()()()()、みんな」

 

「っ、な……!?」

 

『……なに……!?』

 

 マシュと、そして遠く離れた虞美人が狼狽する。まさかこんな言葉が出てくるだなんて予想もつかなかったか。

 しかし、藤丸はむしろ当然と言わんばかりに、

 

「今更驚くこともないだろ。俺は自分の命のためなら、自分以外の全てを捨てた奴だぞ。今更こんなことで止まれるほど、人間出来てねぇんだよ」

 

『貴、様……! 一体何処まで私を侮辱して……!!』

 

 オティヌスの弩が光り輝き、世界が軋んでいく。残り七本。絶望的な光が、たった一人の少年の全てへ照準を合わせる。

 それでも、関係ない。

 勝つためなら手段は選ばない。そうして生きてきた。それなら。誰かの死体を踏み越えてでも生きると、そう決めたのだから。

 

「……先輩……」

 

「ごめん。俺、こんな人間なんだ」

 

 背後にいる後輩の顔が、今の藤丸には見れなかった。こんなことをして先輩面出来るほど、藤丸は厚顔な人間ではない。

 

「マシュは離れてた方がいい。俺、必要なら多分、マシュのことも踏み越える。事実、前に踏み越えて、世界を救った。俺はそういう人間だ。だから」

 

「側にいない方がいい、と?」

 

 頷くと、マシュが背後から、触れあうようにその手を握ってきた。両手で、いつまでも無くさないように、彼女はその手を絡ませる。

 

「……いいえ。私はあなたの側にいます。例え何があろうと、その果てがどうなろうと。先輩を、一人になんて絶対に出来ません」

 

 だから。マシュは笑顔で、

 

「必ず、あなたのことは私が守ります。シールダーのサーヴァントとして、その責務を必ず果たします」

 

「おうとも。アンタのためなら、オレ達が死んでやるさ、大将」

 

 ぶるるん、と嘶きのような排気音を轟かせて現れたのは、サングラスに金髪の偉丈夫、ゴールデンこと坂田金時だった。愛機であるベアー号に跨がった彼の側には、残った英霊達が続々と集まってきている。

 藤丸立香の命に集った彼らの目に、些かの躊躇もない。

 

「元々オレらは死人だぜ? そんな風に自分を悪者にするこたぁねえさ。オレも、ここに集まったバカども全員がそうジャンよ。みんなアンタのためなら、命を差し出して……つっても、それが嫌なアンタからすれば、どう反応すればいいかわかんねぇか。あー、つまりだな」

 

 金時は鼻の頭を擦り、

 

()()()()()()()、大将。怖いもんは、オレ達が全部ぶっ壊してやる。だから、アンタが気に病むことなんか一個もねぇよ」

 

「……、」

 

 結局。

 例えどれだけの英霊が集まろうと、奇跡が起きようと。藤丸立香に許される戦いは、初めからこれだけだった。

 それを知らず知らずに行ってきた今までも、その意味を正しく知って進み続けることも、本当に罪深いのだろう。

 けれど、やっぱりこれしかないのだ。

 だからこそ。

 藤丸立香は英霊達に、こう言った。

 

「……ごめん。みんなの命、俺に使わせてくれ」

 

「おう。使ってくれや、マスター」

 

 ゴールデンが後部座席を親指で差す。それに同意を示すサーヴァント達。

 腹は決まった。

 

『……お前、達……』

 

「……言ったろ、虞美人。今更綺麗事なんて言ってんじゃねえ」

 

 ならば行こう。

 全てを踏み越えて、その先へ。

 

「全部出し切れよ。そしてお前の憎しみすら踏み越えて、俺は元の世界に帰ってやる。必ずだ!!」

 

 

 

 

 

 そのとき。

 魔神オティヌスは静かに、自身の体に耳を澄ませていた。パキパキパキパキ、という異音。それは胸に刺さっている十字架の杭から響く、崩壊の音だった。  

 理解者亡き、漆黒の世界(いしゆみ)。主神の槍を取り込むことで解禁された、妖精化の術式により、魔神としての力を発揮した秘奥。しかし、そもそも妖精化とはその位階を神から人に戻す術式、つまり魔神殺しを為すためのもの。いかに魔神とはいえ、それを使えば崩壊は免れない。

 オティヌスの死因は、その妖精化。つまり宝具を使えば、逸話によってオティヌスは崩壊する。自然なことだった。

 

(いつ味わっても、嫌なものだな)

 

 体の節々がほどけ、パラパラと空中へ舞う。絶対的な勝ちすら捨てて、放つ宝具。

 オティヌスの目的はあくまで上条ともう一度会うことだ。ならば、そもそもここまでする必要なんて何処にもなかった。

 だが、

 

「……またアテが外れたな、マスター。どうあれ、ヤツを精神的に追い詰めるのはもう不可能だと何度言えば分かるのやら」

 

「……うる、さいわね」

 

 不機嫌そうに、虞美人が顔を歪める。彼女は心底理解が追いついていないのだろう、

 

「どうして……? ただの、ただの人間でしょう? それがどうして魔神の攻撃で膝をつかないの? 見たでしょう。サーヴァントどもが消し飛ぶ瞬間を。なのに何故あの男は、一向に止まろうとしないの……?」

 

「簡単な話だよ」

 

 オティヌスは経験談を語る。それこそ、虞美人よりも長く、人間と戦い続けた記憶を思い出して。

 

「ヤツにとっては、ナイフも私の弩も一緒なのさ。怖いものは怖いし、命を脅かされるものであることには代わりないが、それだけだ。自身が矮小だからこそ、命を奪うものは多く、弩とてその一つという認識なのだろう」

 

「勝てるわけがないのに?」

 

「では逆に聞くが、お前はどうして藤丸立香に執着してきた? ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう。つまるところ、両者は同じなのだ。

 乗り越えられるわけがない目標に挑む少年と。帰ってくるわけがない男の幻影を、いつまでも追う女。

 違いがあるとすれば、それは。

 

「まあ、お前にはこの神がいるがな。にも関わらず、その願いを叶えないお前の健気な姿は、私も涙を禁じ得んよ」

 

「おちょくるなら後にしてくれるかしら? 今はあいつを消す。それだけに集中しなさい」

 

「了承した。全く、我ながらよくお前のようなマスターに付き合ってきたものだと思うよ。特にこの見苦しい悪足掻きなんかは特にな」

 

 虞美人はそれ以上何も言わなかった。彼女の目には、もう藤丸立香しかない。それでオティヌスも弩の狙いをたった一人に絞る。

 

 

 

 

 

 さあ、踏み越えろ。

 この異聞帯を左右する、最後の戦いを。

 

 

 

 

 

 その戦いの火蓋を切ったのは、果たしてどちらだったか。恐らく順序に意味はなく、そしてお行儀のいい決闘などではない以上、こう記すべきだろう。

 何の突拍子もなく、同時に、両者は動いた。

 

「掴まってなァ!! 黄金疾走(ゴールデンドライブ)ッ!!!!」

 

 金時の咆哮と共に、ガチャガチャガチャッ!!、とゴールデンベアー号が変形した。文字通りモンスターマシンと化したベアー号は、マッハの領域にまで加速。更に角度がついたハンドルを金時は回すと、車体が斜めに傾き、滑り込むように地表を移動する。

 作戦はたった一つ。サーヴァント達を使い潰して、虞美人を止める……たったそれだけ。

 迫る四発目の弩は、オーソドックスに正面から。目撃した藤丸は背後に控えるサーヴァント達に指示を出した。

 

「頼光さん、武蔵ちゃん!!」 

 

「来たれい四天王!! 牛王招来・天網恢々ッ!!!」

 

「行くぞ……剣轟抜刀ッ!! 伊舎那、大天象!!!」

 

 神雷と極太の斬撃。下から撫で斬るように、二人の剣士の宝具が弩の表面を斬り裂く。しかし、

 

「ウッソ!? これでも結構会心の一刀だったのに、全然斬れてないんですけど!?」

 

 弩は少しの衰えもなく、二つの宝具を突き抜ける。サーヴァントの中でも高ランクに位置する二人のサーヴァントの宝具でこれだ。ならば、

 

「茨木!! 巴さん!!! ノッブ!!!」

 

「馴れ馴れしく命令するな!! 羅生門大怨起ィッ!!!!」

 

「朝日の輝きをッ!! 真言(オン)聖観世音菩薩(アロリキヤソワカ)!!」

 

「わはははは!! まさかこの世で神殺しとは、愉快痛快是非もなし!! 天魔轟臨、これが魔王の三千世界(さんだんうち)じゃあ!!」

 

 炎を纏った巨腕、矢、そして銃弾が殺到。そして再発動した武蔵と頼光の宝具が再度、弩に衝突する。

 ズバァンッ!!!!と。今度こそ弩が切断される。しかし微かだ。薄皮一枚。いくら滑り込むとはいえ、こんな序盤でほんの僅かにも当たってしまうのは避けたい。

 なら、

 

「おっきーッ!!」

 

「ーーすなわち、白鷺城の百鬼八天堂様。ここに罷り通ります!! 行って、まーちゃん!!!」

 

 弩の直下。藤丸に触れる直前で現れたのは、姫城城のミニチュアだった。それは触れた瞬間に崩壊しながらも、弩を僅かに押し上げ、今度こそ藤丸は四発目の弩を潜り抜ける。ギャギャギャギャ!!、と激しく車体を荒野に擦り付け、金時はすかさずハンドルを戻した。

 押し通るどころの騒ぎじゃない、こんなもの、弓矢の雨を傘を差しながらバイクで走り抜けるようなものだ。そしてそれは背後で走るシャドウボーダーも同じらしく、通信の向こうで歓声と悲鳴が半々に分かれて上がる。

 

『ヒュウ! ははは、綱渡りにもほどがありすぎるねこりゃあ!! そういうの大好きだけど私!!』

 

『言ってる場合かダ・ヴィンチ!? シャドウボーダーも続いているとはいえ、奴の巻き添えを食らえば消し飛ばされるんだぞ!? つか運転なんで私!? い、胃が縮みそうだよぅ……!!』

 

『うわったたたたた!? おいオッサン、マジ頼むぞ!? アンタにかかってるんだからな人類の命運が!?』

 

『というわけだ。こちらは心配しなくていいだろう、ミスター・藤丸』

 

 ホームズがそう締め括ると、ダ・ヴィンチが鋭く声を上げた。

 

『っとと、そんなこと言ってる場合じゃなさそう。五本目くるよ、頭上から!!』

 

 藤丸も確認した。五本目の弩は空に上がると、途中で分裂し、そのまま億の矢となって降り注ぐ。

 

「天草!!!」

 

「聞こえていますよ。ヘブンズフィール起動、万物に終焉を。双腕(ツインアーム)零次集束(ビッグクランチ)!!!!」

 

 藤丸の真上に現れたのは、世界に点在する黒い点と同じような、擬似的な暗黒物質だった。それは凄まじい魔力の暴走により、降り注ぐ矢を片っ端から吸収し始める。

 しかし数が多すぎる。それに地上ではもう避けきれない。だからこそ藤丸は、彼の名を叫んだ。

 

「来てくれ、ジーク(・・・)!!」

 

 ゴォゥッ!!!!、と。直前まで迫っていた頭上の矢を、苛烈な炎が焼き尽くした。竜の吐息(ドラゴンブレス)。竜種においてもかの邪竜のものとなれば、その威力は推して知るべし。

 巨大な影が藤丸を覆い、体を寄せる。

 邪竜ファヴニール。それに転身したジークだ。彼は炎を口から吐き出しながら、金時と並走する。

 

「ようダークドラゴン! こっちはそろそろ限界だ、アンタに任せていいかい!?」

 

「分かった。あなたも気を付けてくれ、ゴールデン」

 

「へっ、あんがとよ。ほら行ってきな、マスター!!」

 

 と、金時は片手で藤丸をぶん投げた。ジークは体を低くすることでマスターを受け止め、浮上する。

 

『六発目、君達の直下だ!! 今すぐ回避だ、回避!!』

 

 ダ・ヴィンチが警告するが、ファヴニールは巨体だ。いくら速度はあったとしても、浮上始めでは姿勢を変えられるにしても限度がある。

 故に、

 

「ゴールデン!!」

 

「あいよ、大将」

 

 それを打倒するは、サーヴァントの役目。

 

「そんじゃ、いっちょキメるぜ? 変、身ッ!!!」

 

 ベアー号から飛んだ金時はそう叫ぶと、霊基を上書き(オーバーライド)し、バーサーカークラスのモノへと変貌する。

 バリ、と紫電が迸る。赤龍のように染まった右腕には、既にマサカリが握られており、霊基が完璧に変貌した瞬間、天気すら塗り替えるほどの雷がマサカリへと充電される。

 

「オレはよ。正直、もっと他のやり方があったんじゃねーかって。大将や、その他の大勢が苦しんでるところを見てると、そう思っちまうよ」

 

 だが、まだだ。まだ終わらない。雷神の子である彼の本気は、こんなものではない。

 黄金喰い(ゴールデンイーター)と称されるマサカリに、更に雷が集まっていく。ぶるぶると震え上がるマサカリは、まるで喜びに打ち震えるようだ。

 

「だがな。だからって!! 大将が、オレ達がこれまで進んできた道が、間違っていただなんてこれっぽっちも思えねえんだよ!! それはオレが馬鹿だからじゃねぇ、テメェらが何も分かっちゃいねえ大馬鹿野郎だからだ!!!!」

 

 黄金喰いには全十五発装填されたカートリッジがあり、宝具はその三発を使う。しかし、この際だ。ありったけでなければ、マスターの門出にはふさわしくないと、金時は笑った。

 

「だから、こんなもんはぶっ潰す」

 

 充填完了。カートリッジリロード、全弾装填。金時はマサカリを担ぐと、他のサーヴァント達と共に、六発目の弩にそれを叩きつける。

 

「こんなもんは全部吹き飛ばして、オレ達は綺麗さっぱり死んでやらぁッッ!!! 

 黄金衝撃(ゴールデンスパーク)電光石火(オーバーロード)ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

 

 ズヴァッチィッ!!!!!!、と。電光が、眼下で弾けた。凄まじい落雷が地表を駆け巡っていく。そしてかろうじてずれた六発目の弩に、ジークの旋回が間に合い、横手をすり抜けていった。確かに避けたのに、衝撃波だけでファヴニールの巨体が揺れてしまい、藤丸はその首から手を離してしまいそうになる。

 

『残存サーヴァント、残り三十基!!』

 

 ダ・ヴィンチの報告に、思わず奥歯を噛み砕くかと思うほど、強く噛んだ。踏み越えた死体の数が加速度的に増えている。残り四発。なのにこちらはもう三十基しかいない。絶望的な差。

 しかし、

 

「……諦めるもんか……」

 

 のし掛かる強迫観念。込み上げる罪悪感。その全てを拒否せずに、受け入れ、それでも。

 少年は真っ直ぐ、自らの敵を見据える。

 

「ここまでお膳立てされて、怖じ気づく理由なんか、一つだってあるか……!!!!」

 

「ああその通りだ! 飛ばすぞマスター、一気に距離を詰める!!」

 

 上昇が終わり、邪竜は翼を羽ばたかせる。たった一度の羽ばたきで竜の巨体が驚くほどのスピードを出すと、あっという間に風に乗って空を突き進む。

 行き先は決まっている。残り四発の弩、その根本。今もふんぞり返っている虞美人の他ないーー!!

 

「ダ・ヴィンチちゃん、弩は!?」

 

『今のところはまだみたいだね。余裕ぶってる間に懐まで行っちゃおう!! あの威力だ、近くで射てばそれだけあちらにも被害が』

 

 出る、と彼女が言いかけたときだった。

 ボジャァッ!!!!!、と。

 ()()の弩が、ファヴニールの翼を撃ち抜いた。

 

「ジークッ……!!?」

 

 夥しい量の血が、邪竜の双翼から溢れ落ちる。激痛に悶えるジークは、転身を維持することが出来ず、人型へと戻り、藤丸も空中に投げ出されてしまう。

 

『こっちの計測を誤魔化した……!? 魔術の神って言っても、なんでもありすぎない!? こちとら虎の子の技術いっぱいなんだけど!?』

 

 着地はどうにでもなる。でも、まだ二本の弩はこちらを狙っている以上空中で消し飛ばされる可能性の方が高い。なるたけ切りたくなかったけど、と思いつつ、藤丸は切り札を切る。

 

「スカサハ師匠!! スカディ!!」

 

「うむ。良い叫びだ、マスター」

 

「ああ。まだまだ元気が有り余ってると見える」

 

 どうやってここまで来たのか、ともかくその二人は何処からともなく現れた。

 同じ顔、同じ体型、同じ神話を持つ英霊。しかしその在り方は決定的に違う。

 影の国の女王、スカサハ。北欧異聞帯の王、スカサハ=スカディ。彼女達は槍、もしくは指揮棒のような杖を握り、藤丸立香の前に飛び出す。

 

「影の国、その真を見せてやろう。開け、異境の帳!! その魂まで私の物だ!!」

 

「私の知らぬ影の城、私が有する影の城。空より来たれ、此処へ来たれ」

 

 声高に、あるいは静かに。

 二人の女王は、同時にその門を開く。

 

 

「「ーーーー死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)!!!!」」

 

 

 開かれるは、この世の外側。世界とは断絶された影の国へ通じる、巨大なレリーフにも似た鉱石状の門。

 死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)。影の国への門を一時的に召喚、あらゆる生物を魑魅魍魎の世界に引きずり込む宝具。

 それが、二つ。

 目論み通り、七本目、八本目の弩が門へ吸い込まれ、門が閉じる。ぶっつけ本番だが、成功したらしい。

 

「よし、これで……!!」

 

「ぼさっとするな、マスター!!」

 

 スカサハが怒鳴り付けると、両手の槍を投擲した。すると、藤丸の背後にまで迫っていたラフムと種子達が凍りつき、枝分かれして何重にも分身した槍に穿たれる。

 そう、脅威は弩だけではない。死者の軍勢は復活しなくなったが、

 

「まだ敵はいる!! 我らがいくら道を作ったとしても、進むのはお前だ!! 無駄にしたくなければ忘れるな!! よいか!?」

 

「、はい!!」

 

「汎人類史の私は苛烈だな。だが、私も同じ言葉を贈ろう。先に行くが良い、カルデアのマスター」

 

 首を縦に振り、藤丸は落下しながら叫んだ。

 

「マシュ!!」

 

 背後の地上。シャドウボーダーのカタパルトから射出されたのは、藤丸立香の中でも随一の信頼を寄せるサーヴァント。

 マシュ・キリエライト。彼女は背中のバーニアを点火させて更に速度を上げると、藤丸をキャッチ、そのまま浮遊しながら追い付いてきたボーダーに着地した。

 

「ご無事でしたか、先輩!?」

 

「みんながここまで繋いでくれた。だから、俺は大丈夫」

 

 ずき、と胸が痛む。消し飛ばされたサーヴァント達の顔が、頭から離れそうにないが。

 もうあと少し。その距離、三百メートルもない。弩は残り二本。次が峠。

 

『……今度は見つけたぞ、九本目!!』

 

 ダ・ヴィンチの言葉通り、今度は藤丸達の目にも見えた。しかし、矢というよりそれは、

 

『……なんだ、あのふざけたサイズ!? 何が弩だ、反則じゃないかなあれ!?』

 

 天に聳えるそれは、それこそ死神の鎌のようだった。弩という制約を破った、数キロ単位の死の塔。それを傾けると、九本目の弩は袈裟斬りに振るわれる。

 サーヴァントは残り少ない。温存なんて言ってる場合じゃない。これを切り抜けなければ、どちらにしろ明日なんてやってこない。

 マシュと揃って伏せながら、藤丸はボーダーに並走するサーヴァントに命令をくだした。

 

「メルト!! 沖田ちゃん!!」

 

 九本目の弩が振るわれ、ボーダーごと地表を切断しようとした、その瞬間だった。

 ガゴォンッ!!!、と二人のサーヴァントの宝具が、弩に激突した。

 メルトリリスのその愛楽は流星のように(ヴァージンレイザー・パラディオン)と、沖田総司・オルタの絶剱・無穹三段。片や光の槍、片や三光束ねた剣光。本来であれば、この二つで砕けぬものなどないと言える必殺の宝具。更に残ったサーヴァント達による宝具が遅れて、弩の軌道を全力でずらす。

 そうして生まれた僅かな歪みで、九死に一生を得た。

 九本目の弩は藤丸の目と鼻の先を通り抜け、そのまま左側の大地をまるごと斬り飛ばした。まるで料理下手が果物を切ったようなそれで作られた崖は、底すら見えない。背筋が凍る思いだったが、

 

「峠は越えた……!! 新所長!!」

 

『ええい、分かっている!!』

 

 シャドウボーダーが速度をあげる。残り百メートル。藤丸はマシュに背負ってもらうと、そのまま電磁カタパルトに接続する。

 分かっている。まだ弩は一本、最後に残っている。しかしそれは、ふさわしい人間に託すとしよう。

 

「頼んだぞ、上条(・・)!!」

 

 

 

 

 

 そして。

 ようやく自分の番だと、上条当麻は自覚した。

 ここまで。あの弩を前にして、その脅威を身をもって知っている上条が率先して戦ってこなかったのは、ある理由があった。

 生前において、上条当麻を死に追いやった魔術。逸話や人々の願いなどを組み込むサーヴァントにおいて、上条の死因は決定的だ。元々極度の不幸体質である彼にとって、その死因も本来は不幸に近いもので、仮にあの魔術と相対すれば、十本中一本は必ず(・・)上条の命を奪う可能性がある。

 英霊にとって、因果とは馬鹿にならない要素だ。それによって形成されたようなものなのだから、上条は今まで待っていた。最後の一本になるまで。

 そして今。

 九本の弩から、カルデアは生き延びた。上条当麻ですら成し遂げられないだろうものを、彼らはやってのけた。

 大した奴らだと上条は思う。同時に、危なっかしいとも。

 そこにはいつも犠牲があった。多くの犠牲があって、託された願いがあって、上条当麻はここにいる。

 何度も飛び出してしまいそうになった。

 その度に抑え込んだ。

 だけど、もうそれを我慢する必要は何処にもない。

 

「もしもテメェが、こんなやり方でしか、大切な人に会うことが出来ないと思ってるなら」

 

「、……!?」

 

 崩壊を続ける魔神オティヌス、その背後。巌窟王の宝具により、ついにその背後を取った上条が、右手をあらん限りの力で握り締める。

 いつかのように。

 ここだけは、例え誰に何と言われようと。上条当麻とオティヌス、二人だけの戦いだと。

 

「自分が救われなかったことを理由に、たった一人の幸せを根こそぎ奪って。それでも上条当麻に救われたいって、そんな風に思い上がっているっていうのなら!!」

 

 本物の神に向かって。

 平凡な少年は、その拳を突きつける。

 

 

「ーーまずは、その幻想をぶち殺すッ!!!!」

 

 

 オティヌスがぐりん!、と振り返り、最後の弩を放つ。同時に、上条も走り出していた。

 弩は正面。真っ直ぐ、上条の首を狙った一矢。上条当麻にとっての絶望。覆ることのない終わり。完膚なきまでに敗れ去り、そしてリベンジすることもなく、一度は逃げ出してしまったもの。

 だが、関係ない。

 今日こそは乗り越える。

 回避はしない。防御もしない。最初から一発だけと決まっているのなら、こちらだってやることは一発勝負。

 そして。上条は、こんなことを思った。

 

(……ああ、なんだ。あのとき、俺はこうすればよかったのか)

 

 ミシィ!!!、と右拳を握りしめ。

 そして。

 上条当麻の拳が、魔神の弩と正面から激突した。

 

「ぐ、……ッ!?、ッ!??!?」

 

 ゴッギィィィイインッ!!!!!、という極大の衝撃。握られた右拳が、みるみる内に裂け、五指が歪んでいく。異能の力を打ち消す右手であっても、完全には消しきれないほどの質量。

 押し返される。蘇る死の記憶。震え出す膝。背筋はゼロ度の炎に炙られたように、冷や汗が滝のように流れ落ちる。

 だが。

 

(折れてたまるか……!!)

 

 前へ。一歩ずつ、前へ。

 

(約束したんだ。例え世界の全てと戦ってでも!! お前を助けてやるって!! 例えお前と戦ってでも!! 俺は!!)

 

 力の入らない指が、弩を掴む。

 

 

「お前を助けてやるって、そう決めたんだ!!!!  オティヌスッ!!!!」

 

 

 ゴォァッ!!!!、という恐ろしい音が上条の耳に届いた。

 それは、右手によって逸らされた弩が、上条の頭上を通りすぎる音だった。

 生前の死因、その克服。自身が成し遂げたあり得ない偉業すら、上条は意識の外に追いやって、腹の底から叫んだ。

 

 

「藤丸、いけええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッ!!!!」

 

 

 

 

 

 電磁カタパルトから撃ち出され、藤丸はマシュに掴まって、肉薄する。

 見据えるはたった一人。

 虞美人。

 彼女は自身を構成する魔力を暴走させながら、怨嗟の声を上げる。

 

「空よ!! 雲よ!! 憐れみの涙で、命を呪えええええええええええええええええええええええええええええええッ!!!」

 

いまは脆き夢想の城(モールドキャメロット)ッ!!」

 

 虞美人の宝具、呪血尸解嘆歌(エターナルラメント)。藤丸とマシュは飛来しながら、宝具による防壁でそれを突っ切る。

 あと三メートル。ついにマシュも宝具を何度も使用した代償か、その場で倒れ込んだ。

 構わない。藤丸は走る。元々これは、一人で決着をつけるべき戦い。むしろここまで連れてきてくれた彼らに感謝をしよう。

 

「虞美人……ッ!!!!」

 

「藤丸立香……ッ!!!!」

 

 二つの咆哮があった。

 勝てるわけがない戦い。

 だからこそ越えろ。

 今こそ、この忌々しいクソッタレな腐れ縁に、自分自身で決着をつけろーー!!

 

「!!」

 

 虞美人が右手を振るう。肥大した鋭利な爪で、藤丸の心臓を抉り取ろうというのか。

 だが、かわす(・・・)

 

「な、に……!?」

 

「う、おおおおおお……ッ!!」

 

 一万回以上殺されてきた。上条のように死んで覚えて、百パーセントノーミスクリアなど出来ずとも。

 たった一発、初回の攻撃だけなら。藤丸立香にだって覚えられるくらいには殺されてきた!!

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 キィン、という駆動音。それは、魔術回路が回転し出した音。例え凡人であろうと、藤丸立香にもとっておきの魔術回路が右手にある。

 令呪。それを二画。藤丸はそれを魔力リソースとして、右拳に集めると、振りかぶった。

 

「終、わり、だああああああああッ!!」

 

 虞美人の頬に、藤丸の拳が突き刺さる。いかに平凡な少年と言えど、令呪を二画も込めた一撃。虞美人の頬が醜く歪み、そして。

 堪える。

 

「おわ、らせて、たまるか……!!」

 

 一度は完全にめり込んだ拳。それが、徐々に押し返される。虞美人は首の筋力だけで、藤丸の全力を事もなく押し返す。

 

「こんな、こんなところで!! 終わらせるものか!! 何も終わらせない。誰にも終わらせない!! お前を、お前を終わらせるまではあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

「……悪いけど」

 

 しかし。そこで、虞美人の首が止まる。

 そして今度は逆に、彼女が押し返されていく。礼装でかけられる強化でも、ここまでの力は出せない。しかし藤丸の手にはもう、令呪は、

 

「な、……!?」

 

「俺はアンタを踏み越えるよ、虞美人」

 

 ある。

 たった今、回復した令呪。

 虞美人は知らない、いや覚えていないだろうが。

 それはカルデアスタッフが開発した、令呪を回復させる機能。一日の始まり、つまり零時丁度ーーたった今回復するもの。

 ダ・ヴィンチが、ロマニ・アーキマンが守ろうとした、藤丸立香が守ってきた世界からの、贈り物。

 偶然?

 いいや違う。少年が、それだけの時間耐えてきたのだから。これは彼が勝ち取った、最初で最後のチャンスだ。

 

「例えどれだけ恨まれても!! 俺は、生きるために!! 世界を救うために、未来を踏み越えるッ!!!!」

 

 藤丸は魔力へと変換し、既に負荷で内側から弾けそうな右拳に叩き込む。

 

「藤、丸、立香」

 

 暴発しそうな魔力。血管が弾けながらも、これまで習ったきたことを思い出し、少年はそれまで以上に拳を握り締める。

 

「藤、丸、立、香……ッ!!!」

 

 足を開き、体全身を使って。平凡な少年は、雄叫びと共にその拳を振り抜く!!

 

 

「藤、丸ッ、立香ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」

 

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!」

 

 

 バキィッン!!!!!、という凄まじい音がした。

 それは、決着の音。

 平凡な少年が、そのちっぽけな拳を、仇敵目掛けて振り抜いた音だった。

 それまでの人智を越えた戦いを思えば、地味で、呆気ないとまで思ってしまう一撃。

 しかし、少年の全てを懸けた拳は、ついに仇敵の意識を昏倒させた。

 

 

 



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あるいはこの惑星でただ一つだけ変わらないものを守り続けようとした末に少年が元の世界に帰るまでのお話(→To_Be_Continued)

 

 そして、ジャンヌダルク・オルタはその終わりを見届けた。

 

「……、……」

 

 所々破けた旗を握り締め、彼女は荒野を立ち尽くしていた。特徴的な兜は剥がされ、血塗れの素顔を晒した彼女は、最早霊核を砕かれて消える寸前である。それでも、世界に踏み留まる彼女の顔は、むしろ安らかなものだった。

 消えていく死者の軍勢(エインヘルヤル)。空からは黄金が剥がれ、そこには曇りなき夜空が広がっている。

 それは、魔神による独裁の終わり。

 あの少年が、勝った。

 それが、ジャンヌダルク・オルタには誇らしかった。

 

(……まあ私がやったことと言えば、精々小物を焼いて、道を作ったくらいだけど。あれだけの啖呵を切って、やったことと言えばそれだけってのも、何と言うか)

 

 表舞台に立とうとして、結局立てないのも、オルタらしい。そんな自分でも確実に役には立てただろうし。

 これで全て元通り……とは、中々いかないだろうが。

 

(……本人が自覚しているかは知りませんが)

 

 ここで行われた惨劇は、きっとあの少年に多大な影響を与えることだろう。もしかしたらその結果、変化した少年は人間でなくなり、見限る者が大勢出てくるかもしれない。

 そうなれば、あの少年はまた足を止める。しかしどんな変化があったとして、それは少しの間だけ。

 少年は知った。自らに渦巻く欲求を。

 誰かの幸せを否定してでも、自身を優先してしまう、そのどうしようもない生存本能を。

 でも、

 

「……それでいいのよ、マスター」

 

 何も英霊のように生きなくたって。

 何も特別な人間のように、他人を優先しなくたって。

 自分が最後に納得出来たなら、それはきっと、幸せでなかったとしても……悔いのない終わりだ。

 ジャンヌオルタは旗を突き刺し、膝をつくと、空を仰いだ。手を合わせる姿は、さながら宗教画の一枚のようである。

……これは、祈りではない。ジャンヌオルタは、祖国に、主に、人に裏切られた存在だ。故に、誰かに祈ったりしない。

 だからこれは、願いだ。

 未来を踏み越えていくあの少年に対して、狂った魔女のたった一度だけの気の迷い。

 

「……どうかその旅に、幸多からんことを」

 

 星々の下で、魔女は願う。

 そして、ジャンヌダルク・オルタは光となって、火の粉のように散っていった。

 あとに残ったのは、魔女の旗。

 風に揺られながらも。

 その旗は、決して何処かへ飛ぶことなく、残り続ける。

 まるで、道標のように。

 旗は、ずっとたなびいていた。

 

 

 

 

 

 藤丸立香は倒れていた。極限まで疲弊した精神と肉体は、立ち上がることを拒否し、全く動かない。右腕は魔力を放出した今も熱を帯びていて、膨張した筋肉がびくん、と痙攣していた。

 もぞもぞ、と目を動かす。

 その先では頬を腫らした虞美人が、仰向けで倒れていた。

 

「……勝った、のか……」

 

「……ええ、そうよ」

 

 虞美人はふて腐れてはいるものの、そこにはさっきまでの苛烈な敵意は微塵もない。精々少しの皮肉くらいで、彼女はもう戦う気はないらしい。

 

「オティヌスが妖精化を使った以上、魔神としての力はもう制御出来ない。死者の軍勢(エインヘルヤル)で生き長らえている私も、二度と蘇生することはない……ふん、そうよ。負けよ負け。だからそんな顔しないでもあなたのマスターを襲ったりしないわ、マシュ」

 

「……虞美人さん」

 

 駆けつけてきたマシュが、悲しそうに目を伏せる。彼女は彼女で言いたいことはあるようだが、全て藤丸に任せることに決めたらしく、警戒だけは怠っていなかった。

 

「だからほら、あなたの勝ち。良かったわね、私を倒せて」

 

「……そうか」

 

 勝った。その意味を咀嚼しても、藤丸はただそれを淡々と受け入れるだけだった。負け続けてきたから、現実味がなかったのではない。藤丸はそうでなくとも、勝ちを喜ぶ気持ちにはなれなかった。

 虞美人はそれに違和感を覚えたのか、眉を曲げて、

 

「……ちょっと。なんで勝ったのに、お前が敗者の顔をしているのよ。もっと喜べばいいでしょう。念願の勝利じゃない、元の世界とやらに帰れるんだから」

 

「……喜べるわけないだろ」

 

 そう。勝ったとして、それが何だと言うのだろう。藤丸はうつ伏せのまま、

 

「これからこの異聞帯は崩壊する。俺の知らない人達も、知ってる人達も、残らず。それでも戦ったんだから、そんな資格ないなんて分かってる。

 だけど守りたかった。救いたかった。その全てを見捨てなきゃいけないんだ。そんなの、喜べるわけないだろ」

 

「はっ、随分とお優しいのね。そんなことすら割り切れてないような弱者に、どうして負けたんだか……」

 

「……それはあなたも込みだ、虞美人」

 

「、……私も?」

 

 藤丸はどうしようもない無力感に苛まれながら、

 

「俺達の違いなんてない。だから俺は、やり方はともかく、あなたの願いは叶えられるべきだと思う……大切な人に会いたいって気持ちは、分かるし」

 

「やめろ」

 

 それ以上は言うなと、虞美人は首を振った。そしてそれも、藤丸は理解していた。

 結局藤丸のやっていることは、クリプターと変わらないのだから。

 

「……偽善ね。つくづく、吐き気がする」

 

「……そうだな。否定はしないよ」

 

 いっそクリプター達のように開き直れば、楽なのだろうが……それではきっと、世界を救う資格も、サーヴァント達のマスターである資格も無いのだろう。

 少なくとも、藤丸立香はそんな風になりたくはない。

 と、そのときだった。

 

 

「全く、最期まで強情なヤツだ。健気だが、可愛げはないな」

 

「お前だって同じようなもんだろ、神様のくせに妙に俗っぽいところなんかは特に」

 

 

 オティヌスと上条だ。上条の肩を借りて、何とか歩いてきたオティヌスは、虞美人の側で足を止める。

 彼女は彼女で妖精化?とやらのせいか、胸の杭こそもう無かったが、そこから走った亀裂は全身に広がっている。そんな状態でも血が出ないのは、魔神は体の構造が常人とは違うからか。

 上条は上条で右手がねじ曲がっているが、その右手を振ってくる辺り、元気ではあるようだ。

 腰をおろした従者に、女主人は苦笑した。

 

「……ボロボロね、お互い」

 

「ああ、そうだな。何もしなくたって勝てる戦いだったのに、どう転べばこうなってしまったのやら……マスターの願いも叶えられずじまいだし、良いとこなしだよ」

 

 マスターの願い……もしかして、と藤丸は虞美人に問いかけた。

 

「一つだけ、虞美人に聞きたいことがあるんだけど。いいかな?」

 

「……勝者の特権ってやつかしら。勝手にすれば?」

 

 ではお言葉に甘えて、と藤丸は切り出す。

 

「……俺の見る限り、ここに秦の住人はいなかった。それは一体どうして? あなたにとってあの秦は、それこそこの世界みたいに、黄金の世界だったはずなのに」

 

 戦いには不要なことだったから、結局放置していたが、改めて考えると藤丸にとってそれは気になることである。

 

「例え俺への復讐が目的だったとしても、項羽がいるならあなたはそれだけでよかったはずだ。少なくとも、俺にずっと殺意をぶつけ続けることは難しい。あなたにとって、項羽はそれだけ大事な人だから」

 

 虞美人は押し黙る。しかし先の言葉を違えず、諦めるように語り出した。

 

「……ええ、その通りよ。私は項羽様を、オティヌスに蘇生させた。いや、あれは蘇生というより作り替えたと言う方が正しいのかしら。お前や私と違って、あの項羽様は私の記憶から造られた模造品だった」

 

 魔神オティヌスの手にかかれば、どんな無理難題も槍を振るえばそれで解決だ。魔神は現実を歪め、操る。その精度は場合によるが、その時は百パーセントを引き当てたらしく、

 

「オティヌスが造った項羽様は、素晴らしかった。私の知る項羽様と同じで、お優しく、そして何よりあの時のままだった。目の前で死んでいった、あの人と。瓜二つだった。瓜二つ、過ぎた(・・・)

 

 それで、藤丸も理解した。

 どうして彼女が、秦を作れなかったのかを。

 

「オティヌスが悪かったわけじゃない。でも完璧すぎる再現は、やがて私の心をざわつかせるだけになった。お前にはこの人を守れなかったんだと、そう責められるみたいで。一挙一動が気になって仕方なかった」

 

 それには藤丸も心当たりがあった。

 あの黄金の世界で、笑い合う人々を見て、作り物だったとしても、藤丸は思ってしまったのだ。

 自分は、こんな人達を守れなかったのだと。

 

「……作られた世界に、あなたは納得なんて出来なかった。いや、納得することが怖かったのか。そうすることで、自分が守れなかった事実を誤魔化すみたいで」

 

 だから秦を作れなかった。

 項羽を生き返らせなかった。

 守れなかった事実は、彼女の記憶から永遠に消えないから。それを抱えて生きていけるほど、この女は強くなれなかったのだ。

 

「分かったような口振りで言うのね……いや、分かるのか。お前も」

 

「ああ、分かるよ」

 

 否定した今でも忘れない。あの光景は、忘れられるわけがない。

 

「俺には守れなかった、助けられなかった。だからせめてそれを抱えて、これからを生きていくんだ。例えどれだけ近い場所にあったとしても、それはもうこの手じゃ届かないから。だから」

 

「……その記憶を忘れず、今を歩いていく、か……私達と同じことをしていても、そう生きられるから、お前は今もカルデア側の人間なのでしょうね……っ」

 

「、虞美人さん!」

 

 と。話し込んでいる間に、本格的に虞美人の体から魔力が霧散していく。異変を察知したマシュが思わず駆け寄るものの、虞美人は手で制した。

 

「……無茶のツケが回ってきただけよ。むしろ消えるだけで済むのなら、安い対価じゃない」

 

 長い長い繰り返しから、後悔から、女は解放されていく。その苦しみは藤丸も理解しているし、そこから解放することは、きっと当然の摂理なのだろう。

 けれど。

 安い対価であるはずがない。

 その間、虞美人は結局、愛する人と出会うことはなかった。叶えようと思えば、いつでも叶えられたのに。幾千の世界を作り替えても、虞美人は会わなかったのだ。

 己の弱さ故に、愛する人にだけは。

 振り返ったときに、残ったものが復讐心だけになったとしても。

 

(……、)

 

 藤丸だって、彼女が自分にした仕打ちを許すつもりはない。

 だけど、分かるのだ。もし、会えるのなら。その渇望がどれほど矛盾していたとしても、叶う日が来てほしいと、そう思ってしまうのだ。

 だから。

 思わず藤丸は、こんなことを口にした。

 

「じゃあ、いつか()()()()()()()()()()()

 

「……は?」

 

『はぁああああああ!!?!?』

 

 きーん、とハウリングしかねないほどの複数の大声は、念のために開いていたボーダーの通信からだった。

 その大声代表とも言えるゴルドルフは、いつも以上に狼狽しており、唾を飛ばしながら怒鳴り付ける。

 

『おっ、お前は何を考えてる!? クリプターだぞ!? お前を殺すためだけにオーディンを名乗る神を引っ張って、拷問してゲラゲラ笑うような女だぞ!? スカウトするにしたって、この女だけは駄目だ駄目、絶対駄目!! ろくなことにならんと私の目には見える、見えるぞぉ……!!』

 

『ふむ。私も余りその意見には賛成しかねるな、ミスター・藤丸。彼女と君の相性は最悪だ。それこそ犯人と被害者という立ち位置だから尚更ね。まあ、君が被害者Aになりたいという話なら最善だが……』

 

「……そ、そこを何とか出来たりしないかなあ。なるべくその、穏便に」

 

『出来るわけあるか!? 大体なんで急にそうなる!? サーヴァントですらないんだぞ!? そんな捨て猫みたいな感覚でホイホイ乗せられるわけないでしょもう!!』

 

「……そうだ。お前、自分が何言ってるのか、分かっているのか……?」

 

 きょとんとした顔で、虞美人は、

 

「私は、お前を殺した。何度も、気が遠くなるくらい何度も。なのに何故私を、迎えようとする。それでお前は、何の得がある? お前を殺そうとする相手を、迎えてまで、何の得が」

 

「? 別に得とかじゃないよ」

 

「では、なんだ?」

 

 そんなの決まっている。

 

「だって、カルデアなら気兼ねなく、項羽と会えるでしょ?」

 

「……え、」

 

 まさかと、虞美人は心底驚いた様子で、

 

「項羽様が居るの!? カルデアに!?」

 

「いやまだ居ないけど」

 

「……………………、」

 

「ああっ! 虞美人さんストップ、ストップです! 別に先輩は悪気があって言ったのではなく、ただそうだったら良いなと言ってるだけですから! だから短剣はしまってください、ね!?」

 

 マシュが説得している間に、藤丸は続けてこうも言った。

 

「でも、いつかそんな日がくるかもしれない」

 

「……来ないわよ。そんな日、来るわけがない」

 

「確かに、今のままじゃ来ない。項羽は今も、人々の中じゃ稀代の暴君のままだ」

 

 だが、それを変える鍵は既に虞美人が持っている。英霊の座にその真実を持っていき、正しく項羽という英霊が伝われば、それは『いつか』に変わる。

 

「だからそれは、あなた次第だ。あなたが項羽ともう一度会いたいって思うのなら、カルデアはその縁、俺っていう共通の縁を提供する。それが嫌ならまあ、仕方ない。これからもその後悔を抱えたまま、ずっと生きていけばいい」

 

「……、」

 

 虞美人は考え込んでいた。藤丸だって、彼女が二つ返事でこちらに鞍替えするだなんて思っちゃいない。

 だが。

 そこで静観していたオティヌスが、口出しした。

 

「好きにしろ、マスター」

 

「……オティヌス」

 

「お前は耐えた。耐えて耐えて、結果的にチャンスを手繰り寄せた。もしもその資格がないと思うのなら、尚更カルデアはうってつけだろう。何せ人類への奉仕活動みたいなものだ、罰には丁度いい」

 

 だから、とオティヌスは背中を押す。

 

「行くがいい、マスター。神ですら救えなかった俗物よ。お前との時間は少しだけだったが……うん、退屈はしなかったよ」

 

「……ええ。私もよ、オティヌス」

 

 虞美人は光に包まれながら、何処かへ消えていく。その少し前に、紅の月下美人は惜しむように、

 

「ーーありがとう。こんな私に、何度もチャンスをくれて」

 

 それっきりだった。

 虞美人と呼ばれた不死者は、自ら作り出した楽園から、脱出した。

 

 

 

 

 

 虞美人は去った。この異聞帯も自ずと剪定され、不要なものとして処理されるだろう。早くシャドウボーダーに乗って脱出しなければいけないところだが、その前に。

 別れをまだ、藤丸は済ませていない。

 ようやく立ち上がれるようになった藤丸は、マシュの肩を借りると、頭を下げた。

 

「君がいなかったら、俺達は虞美人に勝てなかった。だからありがとう、上条」

 

「私からも感謝を言わせてください、上条さん。マスターを、先輩を助けてくださって、本当にありがとうございました」

 

 上条はボロボロの右手を顔の前で振って、

 

「いや、そんな礼を言われるほどのことしちゃいねぇよ。俺はただ、アンタ達の尻馬に乗っかってただけだ。むしろ、こいつのことを止めらんなかった俺のせいでもある。すまねえな、マスター」

 

 そう言う上条の足元では、オティヌスが座り込んでいる。既に妖精化の術式はこの魔神が立っていられないほどの痛手を負わせたらしく、衣服や金髪からもパラパラと破片が舞っていた。

 

「……君は、これからどうするの?」

 

 上条の体からは、退去の予兆はない。つまりまだ猶予はあるようだが……ツンツン頭のサーヴァントは楽しそうに笑い。

 

「さあなぁ。ま、でもせっかくだ。俺はオティヌスと積もる話でもしとくよ。何せサーヴァントになってからは初めて会ったしな」

 

「……『理解者』だろう、私達は?」

 

「『理解者』でも直に話すべきことは一杯あるだろ?」

 

 ふん、と鼻を鳴らすオティヌス。どうやら何か気に食わないことでもあったらしい。

 と。唐突に、そのオティヌスが言った。

 

「そう言えば、()()()()に別れを告げなくていいのか、カルデアのマスター?」

 

「……この世界?」

 

「こういうことだ」

 

 座っていたオティヌスが、中指と人差し指を打ち当て、パチン、と鳴らす。

 瞬間だった。

 夜の荒野だった辺り一帯が、一気に夕方の都市部へと姿を変えた。

 四人がいるのは、高層ビルの屋上だった。そこはいつか藤丸が飛び降りようとした場所でもある。

 

「! 位相を差し込んだ……!?」

 

「む、槍無しでは流石にノーリスクとはいかんか」

 

 ぼと、と粘着質な音と共に、目の前で落ちるオティヌスの片腕。本来ならこれが正常なのか、彼女はさしで気にせず、説明を続ける。

 

「この私に許された、最後の位相だ。今回は特別に、褒美としてくれてやる。全てを踏み越えると言ったな、カルデアのマスター?」

 

「……ああ」

 

「ならば別れから逃げようとするな。例え切り捨てるとしても、お前だけはそれから逃げるな。踏み越えていくのなら、絶対に目を背けるな。どれだけお前が青臭い理想論を語ろうが勝手だが、その責任は果たせ。いいな?」

 

……別れから、逃げるな。

 今までを考えれば、それは難しいことのように思える。何も知らない、消える直前のゲルダに話しかけるようなものだ。そんな残酷なこと、藤丸に果たして出来るだろうか。

……いや、残酷なだけじゃない。

 別れはそれだけじゃない。それを、藤丸は知っている。

 

「……分かった。ありがとう、オティヌス」

 

「……仮にもお前を地獄に叩き落とした女の片割れなんだがな。流石、この右手を召喚しただけのことはあるか」

 

 なら行け、と顎でしゃくるオティヌス。

 上条もこれ以上は何もないらしく、肩をすくめた。

 藤丸は階段室へ走りながら、

 

「じゃあね、上条! カルデアで会えたらよろしく!」

 

 対し、サーヴァントはその言葉に少し驚きながらも、笑顔でこう返した。

 

「ああ! そのときはよろしく頼むぜ、主人公(マスター)!」

 

 そして、平凡な少年と平凡な少年の道は、決定的に離れていく。

 

 

 

 

 

 去っていく背中を見届け、上条はその場に腰を落ち着かせた。

 彼が座っているのは屋上の端、その程近くだった。吹き付ける風は心地よく、眼下で太陽を反射させて輝く街並みは、本当に美しい。

 けれど、それもあと少し。もう崩壊は、足元まで来ている。

 

「……よかったのか、人間。カルデアについていかなくて」

 

 同じように隣で座ったオティヌスは、神妙な面持ちで、

 

「積もる話だなんて、すぐバレる嘘をつきやがって。今更語ることもないだろうに」

 

「……あるさ。話すことなら、幾らでも」

 

 でも、と上条は視線を落とす。

 

「お前に残された時間は、余りなさそうだからな。だから、少しだけ聞きたかったんだ」

 

「何を?」

 

「お前が虞美人を掬い上げて、マスターにした理由だよ」

 

 オティヌスが露骨に、片方しかない目を泳がせる。どうやら触れられたくなかったらしい。

 

「例えお前がどれだけの怪物でも、思い出した善性はそんな簡単に消えたりしない。あるんだろ、理由?」

 

「……元々私はこんなものだよ。自分のために、世界を破滅させたときと何ら変わらない」

 

「世界を滅ぼしてでも手に入れたかったものを、俺に譲ってくれた良いヤツでもある」

 

……分かったよ、とため息混じりにオティヌスは観念した。

 

「単純な話さ。初めは少しの共感だった。大切な『理解者』を失う苦しみ。それを神らしく、何とかしてやろうと気紛れに思ってしまった」

 

 だが、結果はあの通りだ。

 虞美人はそれに耐えきれなくなった。魔神の強すぎる力が仇になって。

 

「……私では、ヤツを本当の意味で救えなかった」

 

 大切な相手を亡くし、復讐を誓ったところで、舞い降りた二度目のチャンス。しかし魔神ではあの女の期待には応えられない。

 

「復讐など、善悪の話をすれば許されんことだろう。だが、それをどうにか出来るほどの何かを……私はあの女に与えられなかった。そうだな。お前風に言うのなら、私はマスターを()()()()()()()()()()

 

「……悔しかったのか?」

 

「ふっ、そうだな。魔神でありながら、たかが吸血鬼の願望一つ叶えられないんだ。こんな惨めで、無様なこともあるまい」

 

 それは、神様の自分勝手なお節介だったかもしれない。結局オティヌスのしてきたことは、多くの人を苦しめることになったし、上条当麻と敵対することにもなった。

 それでも。

 オティヌスが虞美人に付き従ったのは、きっと。

 

「……その想いを、他ならぬ神が許すならば、少しはこの女も楽に死ねるだろうと。そう思ってしまったんだよ、私は」

 

「……前から思ってたけど」

 

 ぽつり、と上条は漏らした。

 

「お前って本当に不器用だよな。超とかド級とかつく類いの」

 

「神を人の尺度で語るなよ人間。気紛れな神にそんなことを求めるな」

 

「そうじゃなくてさ」

 

 上条は、

 

「別に世界を作り替えなくても、項羽ってヤツを蘇らせることが出来なくても。お前は、ただあの人の側にいてやればよかったんだよ。助けたかったなら、ただその手を離さなきゃ、それだけでよかったんだ」

 

「…………、」

 

 オティヌスが目を見開く。

 ああ、なんだ、と。

 そういえば、そんな簡単なことだったなと。

 

「確かに気休めかもしれない。何の問題の解決にもならないのかもしれない。つっぱねられて、何度も罵倒されて、そうやってただ時間を浪費するだけだったのかもしれない」

 

 けれど、それは。

 

「俺達がやってきたことだったろ。何度もぶつかって、時には声を張り上げて、だからこそお互いの気持ちが何となく分かるまでの関係になった。だったらさ、お前はそれを相手にしてやれば、少なくとも違う関係にはなれたんじゃないのか?」

 

「……ああ、そうだな」

 

 オティヌスは頷く。眼帯のはめられた方に、まだ失っていない片手を添えた。

 思い返すように。

 後悔するように。

 

 

「本当に……そうだったな、ちくしょう」

 

 

 ピシリ、という崩壊の音があった。

 それはついに、オティヌスの下半身が崩れ、光の粒子に帰った音だった。

 もう間もなく。

 全てが終わる。

 だから、今度はオティヌスが問いかけた。

 

「……それで? 結局、お前はどうしてまだここにいるんだ?」

 

 どうせ本当の理由があるんだろう、と言わんばかりの口調。そんな『理解者』に、思わず上条は笑ってしまった。

 

「決まってるだろ、そんなの」

 

 少年は躊躇わなかった。

 その、骨が折れ曲がった右手で、オティヌスの体を抱き寄せる。

 優しく、けれど、何処にも行かないように。

 

「ーー約束を、果たしにきたんだ」

 

 世界の全てと戦ってでも、この少女を助ける。剥き出しの善意からも、理由のない悪意からも、守ろうと。上条当麻は約束した。

 それは生前、果たされなかったけど。

 だけど、今なら。

 魔神という肩書きをもった少女は、確かめるように、

 

「……私は救わないんじゃなかったのか?」

 

「あのときのお前はな。でも、今のお前は違うだろ。だったら、もう、いいよ。そんなことはどうだっていい」

 

 そう。藤丸立香がそうであったように。上条当麻もまた、平凡な少年だ。オティヌスに購うべき罪があったとしても、それはもう関係ない。

 最期のときくらいは、サーヴァントであったとしても、自分の気持ちに従っていいはずだ。

 

「もう、逃がさないぞ」

 

 オティヌスは崩れていく手を、上条の背中に回した。そして、少年の感触を確かめる。

 ずっと求めていた温もり。

 それを、お互いで感じ取る。

 

「……遅くなった」

 

「本当だ……全く、こんなに待たされるとは。長かった。長かったよ、人間」

 

 でも。

 崩れ落ちながら。

 それでも、微笑みながら。

 愛しいものに包まれて、オティヌスは告げる。

 

 

「ーーーー私はさ。お前にもう一度出会えたときには、もう、きちんと救われていたんだよ」

 

 

 消える。

 その右手から、幻想(少女)が消えていく。確かにあった感触は、少年の腕からすり抜けていき、やがて世界へと拡散していった。

 間に合わなかったのではない。

 死の運命は誰であっても変えられない。

 だが上条は、生前その死にすら立ち会えなかった。だけど今度は、立ち会えた。

 上条当麻には、神様のような力はないけれど。

 大切な誰かを見送ることは、出来たのだ。

 

「……じゃあな、オティヌス」

 

 上条は、オティヌスの消えた世界を見つめる。

 そして名残惜しむかのように、その夕陽が落ちるまで、世界が滅ぶまで……ずっと、眺めていた。

 静かに、一人きりで。

 少年は世界の終わりを見届ける。

 

 

 

 

 

 そして、藤丸立香はそこにいた。

 そこは何の変哲もない、海浜公園だった。夕焼けが地平線に落ちていき、次第に濃紺の夜が蓋をするように世界を覆っていく。

 そんな、何処にでもあるような光景で。

 藤丸は見つけた。

 

「……全く。だから言ったろ、レオナルド? 所長を怒らせるのは不味いってば。八つ当たりで僕の仕事が増えるんだからさあ」

 

「おいおい、サボり癖がついてる君には丁度いいんじゃないか、ロマニ? まあ流石の私もほら、少しは手伝うからさ。代わりに今度私が何かあったら手伝ってくれたまえ☆」

 

「えぇー……?」

 

 公園の外に伸びている道。そこを歩いていく男女こそ、藤丸が別れを言うべき相手だった。

 ロマニ・アーキマン、レオナルド・ダ・ヴィンチ。藤丸がもう二度と、どんなに願っても会えない二人。

 分かっている。この二人は藤丸の知っている二人ではない。だから、こんなことを言ったって、彼らは困るだけだ。

 

「大丈夫ですか、先輩? やはりもうボーダーに戻った方が……」

 

 マシュに首を振って返す。

 確かにこんなことは無駄でしかない。

 けれど、踏み越えるなら。

 やはり言わなければならないだろう。

 

「……あ、あの!」

 

「ん?」

 

 藤丸はベンチから立ち上がり、二人の前に飛び出た。

 すると、頭の中で巡っていたことが、全て吹っ飛んだ。あれだけ考えていた別れの言葉が、全部抜け落ちた。

 

「ぁ……そ、の」

 

「? どうしたんだい?」

 

「いや、……」

 

 言いたいことがありすぎるのに、言えないことの方が多かった。選ぼうとすると、選択肢からどれも外れていってしまう。

 彼らも困惑しているだろう。いきなり声をかけられたかと思えば、ずっと俯いているのだ。

 と、マシュが間に入って取り持つ。

 

「あ、あの、ごめんなさい。その、なんでもないんです。はい、なんでも」

 

 行きましょう、と二人がその場を離れようとした、そのときだった。

 痺れを切らしたロマニが、やや困り顔で、

 

「そんなに焦らなくても大丈夫だよ、()()()()()()()

 

「…………え?」

 

 思わず、藤丸が顔を上げた。

 そんなわけがない。あり得ないと。

 でも。 

 そこには、藤丸立香を知っている二人が、確かに居た。

 分かるのだ。その一挙一動が、自分と同じ時間を歩いてきたのだと。二人は見慣れた仕草をしながら、

 

「死んだと思ってたのに、僕ら揃ってオティヌスを名乗るサーヴァントに蘇生させられたかと思えば、君とお別れしろって言ってきて。全く、急展開にも程があるというか」

 

「ま、私達は藤丸くんと一応お別れしたんだけどねえ。お節介な神様もいるもんだ、ありがたい話だけど」

 

「……本当に」

 

 ロマニと、ダ・ヴィンチなのか。分かっていても信じられない。だって、こんな、あり得ないだろう。

 夢で何度も見てきた光景が、目の前にあっても、迂闊には信じられない。そうやって目を開いてきたからこそ、藤丸やマシュは裏切られて。

 

「……藤丸くん、マシュ」

 

 ロマニがその手を、ゆっくりと差し出す。握れというのだろうか。恐る恐る、藤丸とマシュはその手に自分の手を伸ばした。

 指先で、その手の平に触れる。

 柔らかくて、そこには確かに血の通った、熱があった。触れても火傷しないが、心を満たし、溢れさせるには十分な、熱があった。

 

「……ああ、……」

 

 握る。二人はその手を大事に、折れないように握り締める。たったそれだけで、信じられないほど簡単に、少年少女から涙が出た。

 爆発的に膨れ上がった感情は、それまでの比ではない。

 二人はそのまま、ロマニに抱きついた。

 触れ合える。

 この熱は、この人達は、虚像なんかじゃない。

 

「あぁ、あぁああ、ぁ、あ……!!」

 

 ロマニは何も言わなかった。

 ただ、泣きじゃくる二人を受け止めていた。

 

「……ごめん、ごめんドクター……!! 俺、ドクターの守ってくれた世界を守れなかった……!! 俺が、俺達が守らなきゃいけなかったのに!!」

 

「……はい……!! 私、デミサーヴァントなのに、シールダーなのに……!! カルデアを、スタッフの皆さんを守れませんでした……!!」

 

「……いいんだよ、二人とも。だって、君達は今、必死に取り戻そうとしてるんだろ? むしろ、また二人にそんな重荷を背負わせてしまったことを、許してほしい。君達には、もう戦ってほしくなかったから」

 

 と、そんな二人の後ろから、どん、と衝撃がきた。ダ・ヴィンチだ。彼女は頬を膨らませると、

 

「おいおい私もいるんだぜ? そこはほら、ダ・ヴィンチちゃーん、って鼻水垂らしながら来てくれないとさあ」

 

「ダ・ヴィンチちゃん!!!!」

 

「うおわほんとにきた!? あはは、そうだろうそうだろう、存分に汚すがいいとも!!……ほんと、よく頑張ってきたね、二人とも」

 

 それは、気まぐれな神様が起こした、本当の奇跡。

 この世界でしか起こり得ない、最初で最後の再会だった。

 そして、四人は話をした。

 内容はロマニとダ・ヴィンチがいなくなってから、今までのこと。語り尽くせば夕陽が落ち、そして夜すら明けるだろう。しかしそんな時間はない。だから出来るだけ手短に話した。

 それでもあっという間に、時間は過ぎて。

 時間にして、十五分程度だったか。

 

『……ミスター・藤丸、ミス・キリエライト。そろそろ時間だ。ボーダーに戻ってきてくれ』

 

 ホームズの通信と共に、公園のど真ん中でステルス機能をオフにしたシャドウボーダーが現れた。

 当然、ダ・ヴィンチはともかく、存在自体を知らなかったロマニは驚いて、

 

「うぉ!? そ、装甲車? しかも魔術による隠蔽と光学迷彩の併用……ああ、もしかしてこれがシャドウボーダー? ははあ、なるほど。いかにも君の設計ってフォルムだな、レオナルド」

 

「いやあ、それほどでも。しかし実際に動いてるところを見ると、やはりこう、滾るね! 自作のミニチュアで遊ぶのも格別だけど、原寸大は最高だ! うーん、メンテも行き届いてるし、私の置き土産も頑張ってるようだね」

 

「うん。ダ・ヴィンチちゃんは頑張ってくれてるよ。寝る間を惜しんでるところとか特にそっくり」

 

 本当に、話していれば時間が足りなくて。きっと世界が崩壊しても、話してしまいそうなほど心地よくて。

 だからこそ、会話を打ち切ったのは藤丸からだった。

 

「……今までありがとう。ダ・ヴィンチちゃん、ドクター」

 

 改めて、二人を見据えて。少年は頭を下げて。

 

「二人がいたから、俺達はここまで来れた。二人が支えてくれたから、送り出してくれたから、俺達は今、ここにいます。だから、ありがとう」

 

「……いいや、礼を言うのはこちらの方だよ。君達が誰よりも戦ってくれた。だから僕達は、そんな君達が生きて帰ってこられるように支えてきたんだ。だろ、レオナルド?」

 

「そうだねえ。ほら、藤丸くんは勿論だけど、マシュも結構危なっかしいし。見ていて飽きないけど」

 

「こ、これでも日々成長していますので、お二人を心配させるようなことはないかと……!」

 

「あー大丈夫大丈夫、単なるロートルの過保護だよ。マシュも藤丸くんも気にしてなくてよろしい。ほら、ボーダーに乗った乗った」

 

 ドタバタと藤丸とマシュは二人に背中を押されて、ボーダーの前まで移動する。

 もうお別れ。その最後に、何を言うべきか。藤丸はずっと考えてきたが、やっぱりここはこう言うべきだろう。

 ボーダーのハッチを開けてから、藤丸はもう一度ロマニとダ・ヴィンチに視線を戻す。

 泣きそうになる目頭を、何とか抑え込んで……そして、なるべく笑顔で。マシュと一緒に、藤丸は叫んだ。

 

 

「ーーーー行ってきます!! ダ・ヴィンチちゃん、ドクター!!」

 

 

 大きく手を振ると、二人は同じように笑顔で、大きく手を振り返した。

 

「いってらっしゃい!! 藤丸くん、マシュ!!」

 

「困ったときは彼女()に頼ってくれたまえ!! その時は絶対に、万能の天才が何とかするさ!!」

 

 ガコン、という音がした。

 それはハッチが閉じて、あり得ない再会が、終わったことを知らせる音だった。

 

「……もう、大丈夫だねえ」

 

「うん、大丈夫さ」

 

 自信に満ち溢れたダ・ヴィンチに、ロマニは万感の想いを込めて、首肯した。

 

 

「あの子達は、僕達が支えなくてもーー自分の足で、未来へ歩いていけるよ」

 

 

 

 

 そして。

 シャドウボーダー内、司令室。

……ようやくここに、戻ってきた。

 一番上部の席に座るゴルドルフ新所長。その下方で優雅に座るホームズ、運転席ではムニエルがいつものように腕を頭の後ろで組んでおり、離れた電算室からダ・ヴィンチがこう言った。

 

「さて、積もる話はあるけれど、全ては帰ってからにしよう。君も随分お疲れだしね」

 

「うん……そうだね。そうしてもらえると助かるよ」

 

「よーし、それじゃあ虚数潜航行っちゃおう! シャドウボーダー外部装甲に論理術式展開。実数空間における存在証明(ハーケン)着脱(ハズレ)!」

 

 残る異聞帯は四つ。つまりこれから、藤丸立香はそれだけの人々を踏み越えていかなければいけない。

 それでも、藤丸立香はこれからも戦い続ける。

 みんなで生きていきたいから、一人で死にたくないから。平凡な少年はこれからも戦い続ける。 

 

 

「……帰ろう、俺達の世界に」

 

 

 これにて、寄り道は終わり。

 しかし少年の物語は続いていく。

 愛と希望の物語は、いつまでも続いていく。

 その果てが、何処に辿り着くかは分からない。次の瞬間にはバッドエンドになる可能性だってあるだろう。

 けれど。

 横並びになれば、少年の隣にはいつも誰かがいた。

 頑張れ、と背中を押す人々がいた。

 負けるな、とここまで繋いでくれた人々がいた。

 だから。

 ただ今日を、歩き続けよう。

 

 

「ーーーー明日を、取り戻しにいこう」

 

 

 平凡な少年は、たったそれだけで。

 世界を救う、主人公(ヒーロー)になれるのだから。

 

 

 






実はあともう1話だけ続くんじゃよ。


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あるいは……(Three_Days_Later)

 

 そこは、まるで海中のようだった。真冬の寒さも真夏の温さもない。漂うという行為を長続きさせるだけの温度、流れ、そして静けさが、その空間にはあった。

 それは宇宙にも似ているが、違う。あれは自然の苛烈さで生命を追い詰めるが、ここはさながら頭を撫でるように、漂う生命から気力を奪い尽くす。

 虞美人は、そんな空間を、一人でさ迷っていた。

 

(……、)

 

 人間に負け、異聞帯から脱出して。それからずっと、虞美人はこの空間を浮かんでいる。何処かに行くわけでもなく、本当に、ここで漂うことしかしていなかった。

 考える、必要があった。

 一度、自分を見つめ直す必要がある。虞美人はそう悟り、自分でこの空間に飛び出した。

 一体、あれからどれだけの時間が経ったのか。虞美人には分からない。それでも、たっぷり時間はある。だからゆっくり、一つ一つ考えた。

 項羽のこと。自分の中で渦巻いていた、憎悪のこと。そしてカルデアならば、全てが解決するかもしれないということ。

 

(……)

 

 安易な救いにすがろうだなんて、虞美人は思っていない。人間のために命を張るだなんて真っ平だし、そんなことのためにまた項羽を死の淵から蘇るせることは出来ない。彼にはもう戦ってほしくないし、誰かのためにではなく、せめて生きるのなら自分自身のために生きてほしかった。

 カルデアなら確かに、項羽と会えるかもしれない。だが、それが意味するのは、いつ終わるとも知れぬ戦いの日々へ、項羽を連れ込んでしまうこと。そんなものに身を投じるのは、虞美人の望んだ再会ではない。

 

(……、でも)

 

 どうしても、思ってしまう。

 もしも会えるのなら。そういった可能性を、いくら否定しようとしても。その一点への渇望が、理性を薙ぎ倒してしまいそうになる。

 虞美人という女は、どうしようもなく不安定だ。長い時の中で、心が死なずに生きてこられたのは、結局のところその超越者らしからぬ側面によるものが大きい。

 項羽という存在が、よくも悪くも虞美人を強くもするし、弱くもする。守りたいと思っても、それが許されないことだと分かっていても、項羽に会えるのならと考えて、行動してしまう。

 だからクリプターになり、世界の敵となっても彼女は構わなかった。

 他人の決めたルールなど知ったことか。この気持ちに嘘はつけないし、愛する人に会いたいという想いが、間違っているはずがないのだから。

 だから、だろうか。

 

ーー俺は、アンタ達を一人残らず地獄に送り返してでも、絶対に止めてやる。

 

 あの、見苦しくて。きっと虞美人などより、よっぽど多くのものに囲まれて生きてきた、甘ったれの人間。

 そんな人間ですら、叫んだのだ。

 ルールなど知ったことか。

 お前の事情など知ったことか。

 それでも自分が生きる、と厚かましく叫んだ。

……そのとき。不覚にも、虞美人はこう思ってしまった。

 自分と、同じだと。

 どれだけ間違っていると分かっていても、自分のことを優先してしまうその罪深さ。だが、決定的に違うのは、あの少年は最後の最後までそれを抑え込んでいたことだ。

 ずっと他人を優先してきた。それはまるで他人に怯えている小鹿のようにも思えるが、だからこそ、そんな彼に助けられてきた人々は、力を貸したのだろう。

 せめてこんなときくらいは、と。

……虞美人には、到底それは真似出来ない。苦しいなら苦しい。痛いなら痛い。すぐそれを出してしまいそうになる彼女とは、あの少年はまさしく正反対で、ああやって対立するのも至極当然のことだった。

 

(……なのに、どうして)

 

 結局、論点はそこだ。

 あの少年は、何故こんな自分に手を差し伸べたのか。それが何度考えても、未だに分からない。こんなところでいつまでも燻っているのは、その答えが一向に出ないからだ。

 何も分からずに、愛を理由に答えを出したら、ダメだ。誰が不幸になろうと知ったことではないが、それでも、また横槍が入れられるのだけは我慢ならなかった。

 もう、大切なものを失いたくない。

 そのために考える。

 

「、…………、……」 

 

 どうして。

 どうして。

 どうして。

 思考は続いていく。流転する。

……そうして、ずっと考えていた。

 すると、

 

「……?」

 

 空も地面もないその空間で、きら、と光るものがあった。しばらく光を浴びてなかったからか、虞美人が紅い瞳を細めたときには、もう光は奈落の底へと落ちていった。

 それが何だったのか、彼女には分からない。いいや、分からないのはそれだけじゃない。何もかも分からないことだらけで、虞美人はもう可笑しくなりそうだった。

 

(……項羽様)

 

 愛する人の名を、心の中で呟く。

 だけど、それすら最早心を落とす要因にしかならない。

 そもそも他者をなぶり続けた自分が、一体どんな顔をして会えというのか。覚悟はしていた。その行いが、項羽にどんな風に見られるのかも。

 しかしいざそれに直面するのも、怖い。

……どうすれば、いいのだろう。

 身から出た錆。確かにそうだと苦笑する。今更悔いたところで遅いのに、虞美人は前に進めない。

 そのときだった。

 

「……え?」

 

 また、光が落ちてきた。

 しかも一つじゃない。それは次々と落ちてきて、何処かへ流れていく。それこそ、流星群のように。

 虞美人には、その光景と似たものを知っていた。

 あの少年を助けた、数多の英霊達。彼らは流れ星のように飛来し、少年のために命を捨てて戦った。全員が例外なく。

……あの瞬間。同じ渇望を抱いていたのに、それでも大勢に囲まれる少年を見て。

 どうして自分は、ああなれなかったのだろう、と虞美人は少しだけ思ってしまった。

 別に大勢に祝福されたかったわけではない。

 ただ、結局思い返しても。

 虞美人という女は、ずっと一人だった。

 ずっと、一人ぼっちだったのだ。

 

「……、ああ」

 

 そういえば。

 あの戦いの後。少年はこんなことを言っていた気がする。

 

ーー俺達の違いなんてない。だから俺は、やり方はともかく、あなたの願いは叶えられるべきだと思う。

 

 皮肉なのだろうなと、そう思っていた言葉。

 だけど、冷静になった今。思い返すと、その真意を虞美人は受け止められる。

 

「……、そうか」

 

 虞美人は手を伸ばした。

 過ぎ去っていく星達。そこに、届かないと分かってて、なお手を伸ばす。

 

「お前……本気で、私を憐れんでいたのか」

 

 奪い、奪われて。

 そんなことを日が昇っても、落ちても、繰り返して。そうして少年の中に残ったのは、きっとそれだったのだ。

 分かり合うこともない?

 そんなはずはない。

 だって、その喪失が、怒りがあったから、お互いあそこまで戦ったのだ。

 譲るものかと、額を突き合わせてきたのだ。

 

「……はは……」

 

 思わず、虞美人は笑ってしまった。

 そりゃあ、あんなことを言いたくもなる。

 人は、好悪抜きにしても、感情移入してしまうときがある。例えばそう、相手の願いが自分と似通ってなんかいれば、特にそうだ。

 だとすれば。

 その姿を同じだと共感した虞美人も、また、少年に。

 

「……ああ……道理で、勝てないわけね……」

 

 虞美人は忘れてしまっただろうが。

 それは、広義的に言えば……理解と呼ばれるもので間違いなかった。

 刹那を生きる少年と、不死者の女。同じ願いを持っていたからこそ、お互いを認められなかった。

 しかし、認められないからと言って、理解を放棄することではない。

 だから、虞美人は負けたのだ。

 最後の最後で、理解してしまったのだから。

 

 

「ほんと……バカね、私」

 

 

 伸ばした手は、空気を掻き分け、ふわふわと伸びる。しかしその指は当たり前のように空を切り、光は何処かへ去っていく。

 答えは出た。

 行き先は最初から決まっていた。

 なら、こんなところで漂っている理由はもうない。

 そうして虞美人は、自分の命を手放した。

 

 

 

 

 

 そして、それは『いつか』のことだった。

 

(……きた)

 

 英霊の座から分離し、まるで夢から引き戻される感覚。虞美人にとってそれは未知のものだったが、何が起こっているかは予想がついた。

 英霊召喚。

 こちらの意思を確認するそれは、間違いなくカルデアの、英霊召喚システムによるものだった。

 光を通して現世に向かいながら、虞美人は考える。

 恐らくカルデアの連中は、まさか本当に虞美人が召喚に応じたなどとは思ってはいないはずだ。あれからどれだけの時間が経ったかは知らないが、驚くに違いない。

 その間抜け面を拝めるだけでも、まあ悪くはないだろう。

 そう、考えていた。 

 

「……」

 

 光が収まる。

 召喚が完了した。五感が戻った瞬間、目を開けて。

 虞美人は、言葉を失った。

 

「……え?」

 

 彼女を待っていたのは、平凡な少年でも、そのサーヴァントである盾の少女でも、長年観察して得た情報しか知らない、元同僚達でもない。

 たった一人。

 たった一人の、人とも思えぬ人だった。

 

「……うそ」

 

 それは、人というには造形が人間離れし過ぎていた。髑髏のような人相と、バサラ髪。ここまでならまだいいが、その下半身は馬のような四つ足で、更に腕は四本も生えていた。そんな造形だからか、身長はそこらの男性の倍以上あり、もし稀代の暴君もいうものに形を与えるなら、その一つがこれだろう。

 しかし、それは違う。

 もう違うのだと、虞美人は伝えてきた。

 

「……そんな、だって……」

 

「……妻よ」

 

 その人は、目線を出来るだけ下げる。

 

「本当に、このような形で再会が叶うとは。幾星霜、この時を待っていた。我は、この時のために、また現世に舞い戻ったのだな……」

 

 彼の名は、項羽。秦王朝を滅ぼし、劉邦と天下を争った西楚の覇王。

 そして、虞美人が何をしてでも会いたかった最愛の人。自らの全てを擲って、守りたかった人だった。

 あれだけ求めていた再会。

 それが、叶った。

 

「……項羽、様」

 

 しかし。

 喜べない。

 虞美人はこの再会を、素直に、喜べない。

 だって、まだ何も清算出来ていない。

 項羽が最も嫌う行為を、虞美人はここに至るまで何度もした。許されようとは思わないけれど、それでもやはり、項羽に会うのなら、胸を張って会うべきだと、そんな思考が出来るくらいには虞美人も冷静になれた。

 なのに、

 

「……すみません、項羽様」

 

 恥ずかしかった。

 これまでの行いが。

 今こうして、全身全霊で自分を思ってここまで来た項羽に対して、虞美人は、合わす顔がなかった。

 

「私は……私は、貴方にそんな風に喜んでもらえるような、女ではありません。私はっ、私は、ただただ皆殺しにしてきた怪物で……!!」

 

「言うな」

 

 だが。

 項羽はそんな虞美人を、そっと、抱き締めた。ともすれば人の胴体ほどありそうな腕でも、そのたおやかな肢体を受け止める。

 黄金の世界では、何度抱き締められても後悔しかなかった。

 だが今は、空へ飛び上がってしまいそうなほど、虞美人の心は晴れやかになっていく。

 

「もう、何も言うな、虞よ」

 

「……項羽、様……」

 

「我も知っている、汝の行いを。知った上で……やはり、それでもこの再会は嬉しく思うのだ。だから何も言うな、虞よ。ただ今は、汝との再会を、噛み締めたい」

 

「…………、はい……っ」

 

 虞美人がゆっくりと、その手を項羽の体躯に触れる。巌のように固い、人ならざる感触は間違いなく、項羽のものだった。

 ぽろ、と頬を伝う滴。次第にそれは止めどなく流れ落ちて、虞美人は顔をくしゃくしゃにしてその体を預けた。

 

「項羽様……! 項羽様、項羽様、項羽様……っ!! 本当に、本当に会いとうございました……!!」

 

「おお、妻よ……長き時の中、孤独にさせて済まなかった」

 

「いえ……! いえ、いいのです! いいのです……!!」

 

 だって、もう一度こうして、会えたのだから。

 虞美人はその言葉を口にせず、ただ、愛する人の胸で喜びを表した。

 

 

 

 

 

 そして。

 藤丸立香はその声を最後に、部屋の音声を切った。

 監視だなんだと言っていたこれも、この様子なら必要ないだろう。藤丸は部屋の扉から背中を離し、その場から去っていく。

 と、

 

「上手くいったみたいだな」

 

「全く。あのくらい素直さを、私の前でも出してほしかったものだ。あの逆ギレ吸血鬼め」

 

 そんなことを言ってきたのは、項羽と同じく、つい最近カルデアに召喚されたサーヴァント達だった。

 ツンツン頭の少年に、長い三角帽、マントですっぽり体を覆った少女。

 上条当麻とオティヌス。あの異聞帯で会った二人も、カルデアに召喚されていた。

 

「うん、良かったよ。やっぱりこうでなくちゃね」

 

 しかしその様子は、あのときとはちょっぴり違っていて。

 

「うーん……何度見ても、変態野郎にしか見えない……」

 

 上条の肩。そこには、何故か十五センチほどにまで縮んだオティヌスが、足を組んで座っていたのだ。

 何でも本来の歴史なら、死んだオティヌスは肉体を再構成し、どうやらこの形になるらしく。

 カルデアの英霊召喚システムは、そちらを主体にしたようで、おかげでちょっとのことではだけてしまいそうな人形と、それを肩に乗せて徘徊する変態野郎の図が出来てしまったわけだ。

 一部の男連中と、人形を愛でる女性サーヴァント達からは大変人気だが、当の本人は上条にべったりなので、藤丸のその視線も鬱陶しいらしく、

 

「おい、いつまで見てる。お前のような奴に私を見る資格を与えたつもりはないぞ、カルデアのマスター」

 

「いや、だって滅茶苦茶目立つしなあ。どうあっても視界に入っちゃうというか」

 

「言っておくが、この姿でも貴様のその二つ付いてる目ん玉を掻き乱せるくらいの力はあるからな? 何なら片方潰しとくか? 魔神に潰されたとなれば箔がつくぞ? ん?」

 

 ジト目でそんなことを言っている隻眼の魔神だが、いまいちサイズのせいで恐怖感が伝わってこない。とはいえ怒っているのは本当のことなので、藤丸は平謝りするしかなかった。

 

「ごめん、悪かったよ。君が気にしてることだった」

 

「ほら、藤丸もこう言ってることだし、許してやれよオティヌス。大体自分が目立つのは分かってるんだろ? そんなに視線が嫌なら、俺の肩よりフォウの背中に跨がってた方が目立たないんじゃないのか?」

 

「お、お前は四つ足のあのビーストどもを舐めすぎだ人間……! いいか? お前らで言えばワイバーンが火を吹きながらじゃれついてくるようなものだ! そんなデンジャラスゾーンに誰が好き好んでいくか、私はここから離れんぞ!!!!」

 

「いや、俺の肩なんだけど……まあ、いいか」

 

 そうして三人(内一人は妖精さん)は廊下を歩いてると、ところで、と上条が切り出した。

 

「あの虞美人って人、ほんとここに来るまで早かったなあ。まだあれから三日(・・)しか経ってないだろ?」

 

 そう。

 実はあの異聞帯を切除してから、まだ数日しか経っていない。あの渋り具合からして、藤丸も次の異聞帯までは召喚されないだろうと思っていたのだが、

 

「ここに帰ってすぐ項羽と君達が召喚されたときから、何となくは察しがついてたけど……それにしたって、早かったなあ」

 

 たった三日である。三日坊主なんて言葉があるものの、それにしたって目の前でされると、まあ目も止まらぬ早業というか。

 流石に不憫に思ったか、オティヌスがすかさずフォローを入れた。

 

「ま、英霊の座は時間の概念がないからな。未来で登録された英霊が、現代で召喚される事案も少なくない。現にこのカルデアにもそういう英霊はいるし、あの女も『いつか』の未来で、カルデアに召喚されてもいいと考えたのだろう。ただ」

 

「ただ……? 何さ、オティヌス?」

 

 藤丸に問われ、魔神は呆れ半分に、

 

「この間の悪さからして、あの女は相当残念なヤツだ。覚悟しておくといいマスター。恐らくとんだトラブルを引き起こすぞ、あの女は」

 

「うーん。まあ、それなら大丈夫だよ」

 

 そうして、舞台は次のステージへ。

 けれどそれは、もう語るまでもないだろう。

 少年と少年が再び交差したときから、既に物語は始まっているのだから。

 

 

「ーーーーいつも通り、何とかなるさ!」

 

 

 









というわけで。
Lostbelt No.10033 黄金少女迷宮 ゲスタ・ダノールム、これにて完結です。
半年間、拙作にお付き合い頂いてありがとうございました。ここまで来れたのも、皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。
元々異聞帯の設定が禁書とシンパシーがあったので、そこから書いてみた作品でしたが、いつの間にか藤丸後輩とぐっさん先輩が殴り合い異世界してましたね。なんで???
このお話は、藤丸立香というどんな風にも変化するアバターが、もしも我慢強いだけだったら、という感じに書いてみましたが、いかがだったでしょうか?まあ普通の少年ですから、清濁あって当然だよね!ということで、それこそ見るに堪えない点があったかと思います。
でも、こんな平凡な少年が好きだと言って頂けるのなら、これ以上ない喜びです。ちなみに自分は好きです。頑張れ藤丸立香。

そんなところで。
今回は改めてありがとうございました。
また次の作品でお会いできたらな、と思います。

次は獣国の皇女様で一つ書きたいなあ。


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