東京喰種:Dear (花良)
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【第1話】

皆さまはじめまして。花良と申します。
ハーメルン初投稿、初の喰種二次、久しぶりの連載物二次小説のトリプルパンチでビビり気味ですが、完結目指して書いていければなと思っております。
最後までお付き合いいただければ幸いです。


 私は母が大好きだった。

 

 とても優しいひとだった。母は絵本を読んでくれて、髪を編んでくれて、怖い夢を見た夜は抱きしめて子守唄を歌ってくれた。女手一つで私を育てるのに、どれだけ大変な思いをしただろう。それでも苦労をおくびにも出さず、いつも春の陽ざしのような笑顔で私を見ていてくれた。愛してる、あなたは私のたからもの。口癖のようにそう言って。

 7歳くらいの頃だったと思う。母はCCG(喰種対策局)の捜査官によって殺された。

 喰種(グール)――――人の肉を喰らう、人の形をした化け物であることが、彼らに知られてしまったから。

 私も駆除される寸前だった。顔から腹にかけての裂傷は、きっと一生消えることはない。痛くて怖くて寒くて、震えが止まらない私の頭上に見るもおぞましい武器が振り下ろされようとした時、大きな背中が前に立ち塞がった。

 

真戸(マド)、ちょっと待った!」

 

 もうひとりの喰種捜査官の人だった。

 熊さんみたいだな、とぼんやりする頭で思う私の頬に、ごつごつしたあたたかい掌が当たった。

 

「もしかしてこの子――――」

 

 記憶は一度そこで途切れる。

 気を失っている間、輸送先で私は治療と、様々な検査を受けたらしい。目を覚ましたのは数日後。白い病棟の中で、状況が呑み込めず呆然としている私の前に現れたのは、あのふたりの捜査官だった。

 身を強張らせる私の前で彼らがしたことは、深々と頭を下げることだった。

 

「本当に申し訳ないことをした」

 

 白い髪の先をベッドのシーツに垂らしたまま、彼は私にこう告げた。

 

 

「君は人間だ」

 

 

 ――――私はあの時、どんな顔をしていたのかな。

 

 

 

 

 9年後。CCGアカデミージュニアにて。

 

 

「ハタミぃ、このあとちっと職員室来いや」

 

 

 担任にそう言われて、波立見恵那(ハタミエナ)はぎくりと身を固まらせた。油を差し忘れたブリキ人形の体でギギギと振り返り、筋張った笑みに頬をひくつかせる。

 

「テ、テテテストはギリ赤点回避しましたけど?」

「ばぁか、1か月前の話蒸し返すほど俺ぁねちっこくねえっつの。客だ客。どこの応接室に通してるかわからんからそこで訊け」

 

 いつもの歯に衣着せぬ口ぶりでそう言って、担任はタバコのパッケージ片手に教室を後にした。あんたは戻らず一服かい……、という突っ込みはさておき。

 とりあえず、叱られる系の案件ではなさげなので胸をなでおろしたが、自分に客とはこれ如何に。エナには当然身寄りはいないし、郊外からわざわざ訪ねてくるような知り合いもない。仮にそんな人物がいたとしても、CCGの息がかかるこの施設に正面切って入ってくることはなかろう。いたらいたで多様なベクトルで怖い。

 

「おお? ついにハタミにも春がぁ!? アカデミーまで押しかけてくるたぁ情熱的なカレシじゃないの! いいねえいいねえ、お熱いねえ!」

「いないってばーもー。どうしてお客さんって情報だけでそういう妄想に辿り着くかなあ」

「妄想とは何だあ聞き捨てならん! たくましい想像力とおっしゃい!」

「はいはいはい。じゃあ悪いけど先に課外行ってて。人多かったら竹刀と防具キープしててくれる?」

「いいともー! 事後報告よろ!」

 

 やたら元気な級友のサムズアップに苦笑を返して、エナは終礼後でざわつく教室から抜け出した。

 ひとりになると、自分を斜め上から見下ろしているような、妙な感覚に陥る。

 あの頃夢見ていたこと。たくさんの「おはよう」と教室のにおい、黒板にチョークをはしらせる時の感触、授業の合間の笑い声。すべてが与えられている今の自分が不思議で、申し訳なくて、どこか滑稽だ。

 あの頃と今の自分に何も違いはないのに。「ヒト」である――――その事実ひとつで与えられる恩恵の、何と豊かなことか。

 早足で階段を駆け下り、まばらに人が行き交う渡り廊下を突き進む。主にテストのせいでいい思い出がない職員室のドアをスライドさせると、先方は第一応接室にいらっしゃるとの旨を伝えられた。

 

(第一ってったら、対お偉いさんの専用部屋じゃん……。ますますどなたさまなの……)

 

 訝しみつつも、同じ廊下を引き返す。第一応接室はここから少し遠い。

 窓ガラスからあふれる日差しが昨日よりあたたかかった。一進一退を繰り返しながら、季節はゆっくりと春に向かって移り変わろうとしていた。

 件の第一応接室の前で一回だけ深呼吸し、ドアをノックする。

 

「どうぞ」

「!」

 

 それまで渦巻いていた疑問のすべてが、ドアの向こうの声を聞いた瞬間氷解した。

 ぱっと満面に喜色を弾けさせて、エナは勢いよくドアを押し開ける。

 

 

「シノハラのおじさん‼ ……と?」

 

 

「こんにちはです~。カッコいい傷ですね~」

 

 

 濃茶のソファには、エナの恩人である篠原幸紀(シノハラユキノリ)特等捜査官と、白い髪にカラフルな服装の少年が座っていた。

 造形という点では、彼はとても美しい。大きなガラス玉のような瞳は人の目を引き付ける何かがあり、つややかな白い肌は精巧な陶磁器を思わせ、ともすれば痛々しく見える体中の縫合糸と併せてよく映えた。だがその好ましさは人形のような物体に感じる類の感情で、決して人と相対した時に湧き出る情念ではない。面差しや眼差しに、人として何か根本的なものが欠落した印象を受ける、そんな少年だった。

 一見して性別が判然としない彼がどうして少年だとわかったのか、エナにもわからない。それでも言葉は口をついてこぼれ落ちた。

 

「……(レイ)ちゃん?」

「やや?」

 

 知らず口にした名前が突破口となった。

 目が眩むほど高い天井。あるかなしかの細い綱。投げ打たれる無数のナイフ。

 それらと戯れるように虚空で踊る、「飼いビト」の男の子。

 そう、私はこの人を知っている。少しだけど言葉も交わしたじゃないか。

 

「玲ちゃんだよね!? ビッグマダムのとこの! わあ~懐かしいなあ、元気にしてた?」

「ん~、どこかでお会いしましたですか?」

「ずっと前、喰種レストランのショーのあとに話したんだよ。覚えてない?」

 

 くるりくるりと目玉を回しながら、少年はしばし黙考していた。数十秒後、ようやく合点がいったというように、掌を拳でぽんと打つ。

 

「あぁ~、飴ちゃんくれた女の子ですか! あの時はどうも~。腹の足しにはならなかったですがおいしかったですー。

 でも君、喰種じゃなかったですか? なんでアカデミーに通ってるです? もしかして、CCGに飼われてるんですかあ?」

「かっ……!? いやいやいや、それに関しては複雑かつ繊細な事情が……!」

「彼女は人間だよ」

 

 割って入ったのは、それまで興味深そうにふたりの話を聞いていた篠原特等だった。

 

「どういうわけか、喰種として育てられていたんだ。育ての親である女性喰種も気づいていなかったらしい。9年前に保護されてからは、ずっとアカデミーで生活してもらってる」

「そーだったんですかー。じゃあ僕とあべこべですねえ」

 

 篠原特等に促されて、エナは向かいのソファに腰を下ろした。篠原は思いのほか沈むソファにまごつくエナを微笑ましげに眺めていたが、おもむろに顔を引き締めて口を開く。

 

「今日、喰種捜査官として君を伺った理由はふたつ。今回の要件が君の出自に関するものであり、私たちの仕事に直結する内容だからだ」

「……!」

「什造。お前は一旦席をはずせ」

「えー、なんでです? 仲間外れはひどいですよー」

「……ありがとうございます。でも、平気です。お話していただけますか」

 

 篠原特等はなおもためらっていたが、居住まいを正したエナの目を見て何かを感じ取ったのだろう。咳払いののち、大人と対話するのと同じ口調で話し出した。

 

「以前も話したように、私は君のご家族の情報を探していた。だがこれが難航を極めてね。

 喰種の子と人の子が取り違えられることがあるはずない。我が子が赫眼(カクガン)を発生させたまま生まれてくることを恐れて、喰種の妊婦は人の産科病院や助産院を利用しないからね。

 仮に取り違えがあっても、人間側の母親は子供が乳児期を過ぎた頃に気づく。だがここ十数年、我が子が喰種であったという報告も君の条件に合致する捜索届も出されていない。

 となれば君のご家族、少なくとも母親は、君を認知していないか、……あるいは殺されているか。

 私は、君を取り上げた助産師が怪しいと踏んだ」

 

 “バロット”という喰種がいると、篠原特等は続けた。

 

「胎児ばかりを捕食する、極めて非道な喰種だ。残された妊婦の死体の状態から、CCGはこの喰種が産科系の医療経験者とみている。

 これは私の推測だが……、“バロット”が人間、喰種双方の世界において助産師に類する仕事をしているのだとしたら、君の母親の出産にも携わっている可能性がある」

「……よくは、知らないんですけど」

 

 絞り出した声はかすれていた。

 

「助産師の喰種も、……珍しいかもしれませんけど、この東京にひとりだけ、というのはないと思います。なぜその喰種が私と関係があると……?」

「ここ数ヶ月の“バロット”の動きを見ると、ある規則性があることがわかった。

 君は保護されるまで、都内各地を転々としていたと言っていたね? 君たちの足取りと“バロット”の移動痕跡が、ぴたりと一致するんだ」

 

 すう、と背筋が寒くなるのを感じた。

 

「何らかの事情があり、“バロット”は君を探している。ご丁寧にも、君たちが移り住んだ場所を順番に辿りながら。……ならば、我々はその先回りをして“バロット”を捕らえたい」

「……つまり、更なる情報提供をしてほしいと、そういうことですね?」

「そうだ」

「…………わかりました。でも、ひとつだけ条件があります」

 

 篠原の両目を、いとけなさが残る少女の眼光が射通した。

 

 

 

「“バロット”の探索に、私も同行させてください」

 

 

 

「なっ……!?」

「直接話を聞きたいんです。もし“バロット”が本当に私の出生に関わっているのなら。

 ――――どうしてそんなことをしたのか。なぜ私だったのか」

 

 

 

 ともすれば無機質にも見えるエナの蒼白な表情に潜む、深い苦悩の色を見て取り、篠原特等は押し黙った。

 脳裏にかつての光景が蘇る。末期の痙攣に身を震わせる婦女と、泣きじゃくりながら母にすがりつく幼子。

 息苦しいほど重い沈黙を破ったのは、少年の少し不機嫌そうな声だった。

 

「いいじゃないですかあ~篠原さん。篠原さんの予想がビンゴなら、この子を餌に“バロット”をおびき寄せられるでしょ? 仕事がスムーズにはかどって大助かりですー」

「おい什造! いくら候補生とはいえ、この子はまだ」

「殺されそうになったら、僕が殺してあげますよ。それで問題ないでしょ?」

 

 置いてけぼりを喰らって拗ねているのだろうか。部下の辛辣な物言いに篠原は頭を抱えてため息をはく。思わずエナは吹き出した。あの何事にも動じないシノハラのおじさんが目に見えて手を焼いているのが、なんだかおかしくて。

 

「そうだね。じゃあ餌らしく、足手まといにならないよう頑張ります。よろしくね、玲ちゃん」

「はいは~い。よろしくです~」

 

 お互いに差しのべた手を握り合う。

 その様子を、篠原は呆気にとられ見つめていた。報告書どうしよと、頭の片隅で考えながら。

 

 

 

 

 ――――しっかし驚いた。什造と恵那が顔見知りだったとは。世界は割と狭いもんだなあ。

 ――――ジューゾー?

 ――――僕の今の名前ですよー。鈴屋什造(スズヤジュウゾウ)二等捜査官ですー。

 ――――そ!? え、ちょ、どういう風の吹き回し!?

 

 玲――――什造はへらへらと笑うばかりだった。記憶にある彼と変わらない、屈託のない笑顔だった。

 

「……玲ちゃんは」

 

 ぐち、と口内のモノを噛み切りながら呟く。携帯は課外授業欠席の旨を連絡してすぐしまってしまった。まだ日も暮れていないのに自室のカーテンをぴったり閉め、エナは早めの“夕食”を摂っていた。

 

 

 

「なんで捜査官なんかになっちゃったんだろうね」

 

 

 

 机の上には血塗れの生肉を乗せた皿と、「3月分」とだけ書かれた白いパッケージが置かれている。

 

 

 

 




「……この手のデリケートな仕事は、女性捜査官にお任せするべきだと思うんだけどねえ」
「篠原さーん。展開の都合ってやつですよー」
「?」


というわけで、第1話でした。
エナの名前の由来は産後母体から排出される胎盤などを指す「胞衣」から。
“バロット”は孵化直前のアヒルの卵を茹でた中国とか東南アジアの料理のことです。うっかり画像検索するとトラウマ確定なので注意されたし。

5話くらい、長くても10話以内に収まればなーと思っております。拙作ではありますが、楽しんで読んで頂ければなと思います。


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【第2話】

○ざっくり登場人物紹介
・波立見 恵那
 CCGアカデミー候補生。16歳。自身が人間だと知らないまま幼少期を喰種の母に育てられる。出生の謎を探るため、篠原・鈴屋ペアの“バロット”捜索に協力する。
・エナの母(“カワセミ”)
 故人。喰種。娘が人間と知らないまま愛情を注ぎ育てた。真戸上等捜査官に討伐される。
・“バロット”
 篠原・鈴屋が追う喰種。胎児のみを捕食する偏食家で、医療経験者。エナとの関係は?



・鈴屋什造
 二等捜査官。19歳。良くも悪くも無垢。飼いビト時代にエナと面識有り。
・篠原幸紀
 特等捜査官。奔放すぎる鈴屋に手を焼く。駆除されかけたエナを助けた恩人で、慕われている。


 ごくり、と喉を鳴らす。どこかでスズメの鳴き声が聞こえた。

 淡い陽光が室内の薄闇を取り払い始め、机上に並べられた本日の献立がその全容を露わにする。ごはん、味噌汁、卵焼きにおひたし。絵に描いたような日本の食卓の定番メニューが、一人前よりも少なめの量で並べられていた。

 傍らで腕を組み仁王立ちするおばちゃんが、地響きのような声で命ずる。

 

「…………お残しは許しまへんで」

「ジーザス……」

 

 朝である。清々しい一日の始まりである。

 CCGアカデミージュニア内の食堂にて、波立見恵那(ハタミエナ)は重々しいため息をはく。味噌汁から立ち上る湯気がほわりと揺れたが、それだけだ。状況は何も好転しない。

 一回、二回、三回と深呼吸を繰り返し、怖気そうな心を落ち着ける。落ち着け、はやるな、約束の時間までまだ余裕はある。早く片付けようとして一気に詰め込めば喉を詰まらせて逆に危ない。昔もよく練習したろう。割り切れ。これは食事じゃない、栄養補給だ。

 息を、止める。

 

「……っ‼」

 

 合掌。おばちゃんの頬を汗が滑る。箸を逆手にひっつかみ、ぞぶりとご飯に突き立てた。

 そのまま口腔に押し込んで、

 

 飲

 

 

「えぅろろろろろあおぅろろろろえぇえええぇええええ‼」

「あ――――――――……」

 

 

 知ってた、と言わんばかりの視線が悲しい。

 おばちゃんに背中をさすられながら、エナは寄せては返す強烈な吐き気に激しく咳き込んだ。

 

「言ってるじゃない。味噌汁がダメなら水でいいから、先に喉を潤しなさいって」

「や、今日はちょびっとだけお米がおいしそうに見えたので、行ったろーやないかいと……」

「言い訳しない!」

「あい……」

 

 毎日2食分行っている、普通食の摂取訓練。

 CCGに保護されてから毎日挑戦しているが、未だに心身が人の食べ物を受け付けない。おかげで週に二日は点滴のお世話になる有様だ。級友たちからは、エナはやせてていいねと言われるが、エナからすれば腹が減れば食べることができるみんなが羨ましい。

 エナにとって、食事は苦痛だった。それは唯一体が拒絶しない食材においても例外ではない。月に一度、特例で提供される“アレ”の包み紙を渡されるたび、自分がひどく情けない生き物のように思えるのだった。

 

「ちゃんと食べきりなさいよ? 一応(・・)消化できるはず(・・)なんだから」

「……。はい」

 

 本人に悪意がないことはわかっている。それでも、言外に含まれた棘に胸がつんと痛んだ。

 朝練前の男子生徒が、わいわい騒ぎながら食堂に駆け込んでくる。これでもかと食券を突き出してくる小僧どもから速やかに券を受け取り、おばちゃんはいそいそと厨房へ姿を消した。

 暖簾をくぐる瞬間、ちらりとこちらへ向けた瞳がこう言っていた。

 

 

 

 ――――この子、本当に人間?

 

 

 

 ぐっと口元を拭う。

 気づかれないように胸を何度か叩いて、今度はおひたしに箸を伸ばす。

 

 

 

 

 〔CCG〕20区支部、第二会議室――――。

 

 

「来ないねえ」

「来ませんねえ」

 

 

 腕時計を覗くたび、篠原の顔に浮かぶのは困ったような苦笑いだ。もう一時間が経つか、経たないか。エナの学生生活を考慮し、打ち合わせを休日に指定したのが逆にまずかったようで、しびれを切らした篠原が電話を掛けたのが30分前、什造の「忘れてましたあ」の一言に膝をついたのもまた30分前である。

 

「すまんね、こんなに待たせちゃってさ」

「いいえ! 久しぶりに沢山おしゃべりできて楽しいです」

 

 嘘じゃない。主に話していたのは互いの近況についてだ。篠原の方については機密事項の関係で詳細が掴めない話もあったが、元教官の名調子は飾らずも滑らかで、自然と語りに引き込まれた。……エナの生い立ちを慮って、わざとぼかしたり茶を濁してくれている部分もあるのだろう。その心遣いが申し訳なくもうれしかった。

 篠原は再び時計を見やり、やおら席を立つ。

 

「こんなにかかるとは思わなかったな……。恵那、悪いけど部屋を移ろう。次にここを使う奴らがいるんだ」

「はーい。えと、カバンカバン……」

 

 ガチャ、とドアが開く。やっと来たかと視線を向けた篠原の顔がかすかに引きつった。鉢合わせになることがないよう、早めに動こうとしていたのだが。

 

 

「失礼。先の案件が早く片付いたので……」

 

 

 篠原に言いかけて、女性はロの字型に並べた長机の奥側に座るエナを凝視する。獲物を見るような冷徹な眼光に、思わずエナは鞄を抱え腰を浮かせてしまった。

 

「その傷。父が言っていた“カワセミ”の元飼いビトか?」

「!」

「アキラ……」

「すまない、露骨すぎたな。捜査への協力感謝する」

 

 微笑を浮かべて、アキラと呼ばれた女は長机を回り込んできた。微笑みながらも瞳に宿す光はそのままに、アキラはエナに握手を求める。

 手を伸ばさなければ、頭ではそう思うのに、いつか見た誰かの双眸と重なって体が動かない。アキラの方も長くは待たなかった。クリーム色の髪を翻しながら引き返し、エナのはす向かいの長机に腰掛ける。

 

「アキラ! まだ部屋には特等たちが……!」

「おお亜門、休日出勤お疲れさん」

 

 大きい。

 息せき切って会議室に駆け込んできたのは、上背が篠原よりありそうな若い男性捜査官だった。誠実そうな印象を受ける端正な顔立ちが、エナを見とめ歪む。それがどういった感情ゆえか直視する勇気がなくて、たまらずエナはうつむいた。

 

「そんじゃ、私たちは第一に……」

「波立見恵那。16歳。CCGアカデミー候補生」

 

 そそくさと部屋を出ようとしていたエナの足が止まる。恐る恐る振り返った先にいたヒトは、ぞっとするほど美しく凍るような笑みを浮かべていた。

 

「7歳まで喰種として飼われながら都内を流れ歩き、“カワセミ”討伐後の身元をCCGが保護。以来、自己同一性(アイデンティティ)と食性の是正、及び喰種世界との接触断絶のためCCGアカデミーの施設内のみで育つ。……違いないな?」

 

 頷くこともできないエナに構わずアキラは続ける。

 

「だが前者2点に関しては、保護から10年近く経った今も改善されたとは言い難いと」

「アキラ……。お前、」

「自分が人間だと受け入れたくないのか」

 

 ひゅ、と喉が鳴った。

 

「捜査の協力条件として、篠原特等に無理やり同行を要求したと聞く。外の世界が恋しいか? 喰種としてしがらみなく生きていた頃が懐かしいか? 自分を囲う檻から抜け出して、あるがまま生きたいと考えたことはないか?」

「アキラ!」

「そう思っていても不思議でない相手が、本当に信用できるのか。私はそれを懸念しているだけだ」

 

 亜門の怒声に微塵も動じず、アキラはただエナを見つめていた。篠原は双方の顔を見比べ困り顔だ。長い沈黙ののち、張りつめた緊張の糸を破ったのはエナの方だった。

 挑むような面持ちで、エナはアキラの目の前でカバンの中身をぶちまけた。机上に携帯や筆箱の中身が派手な音を立てて散乱し、そうして散らばったもののひとつを乱暴にひっつかむ。

 両手で持ち、アキラの眼前で開く。

 A4サイズの、よくあるキャンパスノートだった。

 時折イラストを交えて、びっしりと文字が書きこまれている。

 

「これ、私がいたところ、見たものの情報とかを、時系列順に思い出せるだけ書き出してみたんです。場所の名前がわからなかったり、いつのことかわからなかったものは別冊に書いてます」

 

 半ば押しつける形で差し出す。アキラはためらいなく受け取り、無表情にノートをぱらぱらとめくった。一通り目を通したあと、上目遣いにエナを見る。

 

「おっしゃる通り、私は未だに普通の食事が出来ません。おいしくないし、口に入れた瞬間吐き気が来るし、食べたことで体調が良くなってるのかもわからない。

 喰種の特徴である赫眼(カクガン)赫子(カグネ)が発現しないのは、赫包(カクホウ)が未発達なだけかもしれない。ラボの皆さんが言うことを信じていないんじゃありません。でも私自身が、自分が喰種でないことを実感できるものは何もないんです」

 

 今まで誰にも言ったことがなかった思いを吐き出していることに、戸惑いと、恐怖と、快感を覚えながら、エナは声を張り上げた。

 

 

 

「私は、自分が人間なのか知りたい。人間だと言ってくれる人たちを信じられるようになりたい。そのために本当のことを知りたいんです。この一点において、嘘偽りはありません‼」

 

 

 

 肩で息をしていた。顔が上気しているのを感じる。穴があったら入りたいぐらいだったが、同時にアキラの反応を見るまでは梃子でも動きたくなかった。

 こんなに懸命に話したのに、まるで厚いガラスの壁にあるみたいにアキラは反応を見せなかった。興奮がおさまれば後に残るのは真っ赤な羞恥心で、視線が泳ぎ、そわそわと体が動く。いたたまれなくなり、ついに目をそらそうとした時、アキラはゆっくりと口を開いた。

 

「いくつか質問があるんだが……」

 

 ぐっと身構えたエナに、アキラはノートのあるページを指さしながら問うた。

 

 

「この三角錐はもしや東京タワーか?」

「あ、です……」

 

 

「全身串刺しでうなだれてるこの方は?」

「ラ、ラ○ュタのロボット兵……」

「トゲトゲしてるの腕だけじゃなかった?」

 

 

「一区にこんな禍々しい体毛で脱糞している牛のオブジェなどあったか?」

「これ脚です……」

「僕、秋ぐらいに見たことあるですよ~」

 

 

 うわっ。

 いつ来てどこまで聞いていたのか、常時に輪をかけてぼさぼさ頭の什造がエナの隣でノートに注目していた。飛び退く彼女のことはお構いなしに、

 

「牛さんの像に、人の顔とか富士山とか描いてるです。楽しかったですよ~」

「おいお前、ジューゾー‼ 身だしなみには気を遣えとあれほど……‼ さてはお前さっきまで寝てたな!?」

「快眠でした~」

「貴様……!」

「まあまあ。亜門、まあまあまあ」

 

 混沌深まる第二会議室に、アキラの笑い声が響いた。皆がぽかんとする中、アキラは片腕で腹を押さえて肩を震わせている。

 

「いや、すまない。何だかおかしくてな。

 波立見恵那、お前にもだ。大人げない物言いをした。申し訳ない」

「え……。あの、その」

「確かに、こんな絵じゃ何を指しているか本人以外にわからんな。お前を連れ出して、虱潰しに調べるしかあるまいよ」

 

 急に謝られて気持ちの整理がつかない。あたふたするエナを尻目に、アキラは椅子を引いて立ち上がった。

 

「お詫びではないが、私たちが第一会議室に移ろう。あちらの机に散らかしてある書類を寄せれば充分使えるだろうしな。行こう、亜門上等」

「だから、なぜおまえが決める……」

 

 さっさと会議室を出たアキラの背中を諦念交じりの眼差しで追って、亜門上等はエナへと視線を映した。申し訳なさそうな、やさしげな笑顔。

 

「部下が不躾な真似をした。俺の方からも謝らせてくれ。すまなかった」

「い、いやいやいや! 怪しまれるのも当然ですから!」

「……昔のことを、ノート1冊分思い出すのは難儀だっただろう。大した根気だ。きっといい捜査官になれる」

「えへへ……」

 

 曖昧に笑うエナの頭をくしゃりと撫で、篠原に一礼したのち、亜門上等もアキラに続くように会議室を立ち去った。何だか嵐が過ぎ去ったあとのようで、しばし放心状態に陥るエナだった。

 パンパンと、篠原が両手を打ち鳴らす音で我に返る。

 

「はいはい、じゃあやっと全員そろったことだし、ミーティング始めよっか。って言ってももう時間が時間だし、要点だけ絞って説明するぞ! 什造、恵那がカバンの中身片づけるの手伝ったげて」

「えー。自分にやらせりゃいいでしょー」

「お前には迷惑かけた分をどこかで挽回しようって発想はないの?」

「あ、いいですいいです、パパッと済ませますから!」

 

 散らばった物を拾い集めることことしばし、何とか話し合いの場としての体裁が整えられたのち、エナは配られたレジュメに目を通す。その隣でさっそく什造はペーパーの隅っこに落書きをしはじめた。

 

「“バロット”についての概要だ。

 元々は他所の区が担当していた喰種だったが、担当捜査官が別件で殉職したことに加え、奴の行動拠点が20区に移ったため、私たちの担当になった」

「7区のジュントクトーとジョートーですよねー。お給料もらってる身なんだからちゃんと働けってんです。僕は楽しくなるからいーですけどぉー」

「什造、機密事項だから。

 推定年齢は70代、女性。ターゲットにしているのは主に妊娠7~9ヶ月の妊婦の胎児。これまでの被害者数は、CCGが把握しているだけでも300は下らない」

「それって赤ちゃん込みの人数ですか~?」

「……いや。出生前の子供は数にカウントされない。悔しいことにね。

 最後の目撃情報は6日前、重原(かさはら)小学校付近の河川で」

「あ」

 

 ふたりの注目がエナに集まる。当人は思わずつぶやいてしまい、話の腰を折ったことへの申し訳なさで身を縮めていた。篠原は穏やかな声音で「いいよ。どうした?」と話を促した。

 

「あの、昨日ノートに書いたんです。6つの頃だったかな、重原小学校の近くで野宿したことがあって。その時私が学校に行きたいってゴネまくって、母を困らせてしまったなって……」

 

 ぽんと、篠原が自分の膝を叩いた。

 

「それだ。やはり“バロット”は君にゆかりのある場所を訪れているようだな」

「はい。でも……」

 

 それを知っているのは――――。

 

 

 

 

 同刻。〔CCG〕20区支部内、渡り廊下。

 亜門(アモン)鋼太朗(コウタロウ)上等捜査官の説教を遮る形で、真戸(マド)(アキラ)二等捜査官は問いかけた。

 

「亜門上等。あのノートの内容、ちゃんと目を通したか」

「おい、話を逸らす気ならもっとましな……」

「これは私の“勘”だが……、」

 

 

 

「あの娘、我々にすべてを教える気はないぞ」

 

 

 

 窓の外で、木々が春風に揺れていた。




鈴屋二等が言っていたイベントが気になったそこのあなた! 「丸の内カウパレード」で検索だ!
次回こそ什造と篠原とのきゃっきゃ回、のはず! 予定!


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【第3話】

こりゃあと2話で締められんぞ……。


 

「ねーねー。なにかきかきしてるのー?」

「うん?」

 

 

 どこかの喫茶店だった気がする。

 

 

 まだ開店して間もないというのに、店内はずっと前からこの地に、ひとびとに寄り添い立っていたような、柔いぬくもりをたたえていた。

 その一角で、母娘がテーブルを囲んでいる。どこでも見かける普通の親子だ。特段目立つ言動をしているわけでないのに、ふたりは不思議と一部の客の注目を集めていた。違和感はあるのに、その正体がわからない。奇異というよりは戸惑いに近い視線が、影から窺うように親子の一挙手一投足を追っていた。

 母親は、見せて、見せてとせがむ娘を抱き上げて膝に乗せる。テーブルの上には薄桃色の便箋と封筒、ほのかに湯気をくゆらせるコーヒーカップが置かれていた。

 

「おかあさんね、お手紙を書いてるの。大切な恩人にね」

「おんじん?」

「とてもお世話になったひとって意味。エナもこのひとに助けてもらったのよ? 今度また、お話ししようね」

「エナもー! エナもおてがみかくー!」

「あ、こら!」

 

 少女の腕がカップを弾き、テーブルから滑り落ちたカップはひとたまりもなく砕けた。母親の慌て声、娘が火傷していないか手をまさぐる、彼女の服の裾にコーヒーが滲んでいく。雑巾と箒、塵取りを持ってきた店員たちに向かい、母親の頭が何度も下がった。

 

「よかった、濡れたのは上着だけね。

 重ね重ねすみません、お手洗いを少しお借りしても?」

「いいですとも。化粧室の手洗い場ですと狭いでしょうから、スタッフ用の流しをお使いになりますか? ご案内しましょう」

「いえ、そこまでは……」

「店長、私がお連れします」

 

 渋る母親に、長い黒髪の女性店員がにこやかに先を促す。母親は店側の厚意に預かることよりも、娘をひとり残していくことの方が心配なようだった。

 彼女の不安を察したかのように、店長は柔和な微笑みと共に言う。

 

「大丈夫ですよ。娘さんはちゃんと見ていますから」

「…………そうですか。ではお言葉に甘えさせてもらいます。エナ、いい子にして待ってるのよ」

「わかってるよ~」

 

 唇を尖らせて自分を見上げる娘の頬を撫でて、母親は自分のコートと小さなカーディガンを抱えて店員に連れられていく。少女は一見ふてくされているように見えたが、厨房に消えていく母親を見つめる瞳がふるふると揺れていることに、店長はいち早く気づいていた。

 ふ、と笑みを漏らし、店長は少女の頭を優しく撫でた。

 

「お母さんが帰ってきたら、ちゃんとごめんなさいしようね」

「……おこっちゃわないかなあ」

「じゃあ、お嬢ちゃんが勇気を出せるように、おじさんがプレゼントをあげよう」

 

 丁寧にテーブルを拭き、汚れてしまった便箋と封筒を片付け、しょげる少女を子供用の椅子に座らせる。数分後、店長が持ってきたのは新しいコーヒーだった。

 曇った表情でカップが置かれるのを見ていた、少女の目の奥に銀砂が散る。椅子の上に立ち上がってカップを見下ろし、呆然と店長を見上げ、再びカップの中で起きた魔法に目が釘付けになる。ぴくりとも動かない。

 少女が声もなく感動しているのをわかっている上で、店長は少しだけ意地悪に問いかけた。

 

「飲んでくれないのかい?」

「こわれちゃうもん! かわいそうだよ!」

「ならよく見て、覚えていてくれるかな。ちゃんと忘れないように。

 そのあと残さず飲んでくれると、この子も、私もうれしい。できればぬるくなる前に、ね」

 

 言われて少女はこくりと頷き、律儀にカップを凝視する。それこそ食い入るように見つめ続けて数十秒、思い切ったようにカップを両手でつかみ、一息で半分も飲み干した。

 間。

 そして。

 

「おいし~~い! おじちゃん、これすっごくおいしいよ!」

「そうかい。それはよかった」

「でもちょっとあつい……」

「ははは」

 

 見る間にコーヒーを飲み干してしまった少女の口元を、店長はナプキンで優しく拭き取った。母親が返ってきたのはカップを下げたあとで、濡れてしまったので代わりにと渡された便箋と封筒に、再び頭を下げていた。

 会計を済ませようと立ち上がった母親を、少女が呼び止める。

 少女がいっぱいの勇気を胸に母親に向かうのを、篠原はカップ片手に眺めていた。

 

「微笑ましいねえ」

 

 彼らが再び出会うのは、数か月ののちである。

 

 

 

 

 20区の某駅周辺で、篠原はいつか什造に語ったことを思い出していた。

 

 ――――天使みたいなのが空から落っこちて、この世界で生きるとしたら……。

 

 じっと、微動だにしないエナの背中を見下ろす。9年ぶりの外の世界を前に立ち尽くす後ろ姿の、なんと小さなことか。

 今彼女の瞳には、雲衝くビル群が、縦横に流れていくひとと車の流れが、千々に散らばる看板や液晶の彩色が、どんな風に映っているのだろう。

 あまりにも動かないものだから、肩でも叩いてやろうと手を伸ばした時だった。半ば独り言のような呟きが、かすかに開いた口からこぼれた。

 

「私、アカデミーの施設が窮屈だと思ったことはないです。保護される前は母の隣が世界の全てで、そこに広いも狭いもありませんでした」

 

 伸ばした手が行き所を失い、下げることもできずに宙に置き去りになる。

 

「だけどここは……、うん。この世界は広いですね。本当に大きい……」

 

 呆然としているだけだった背中から、感情が静かに湧き立っていくのを見ているような気がした。その感情が何なのか、推し量るのは難しい。

 あえて言うならば、それは混じり気のない感動なのかもしれない。初めて歩いた瞬間のような、記憶の片隅にも残らない類の昂りを、この子は感じているのかもしれなかった。

 絞り出された声は、震えながらもよく通った。

 

「私、ここで生きたい。ここで生きてみたいです」

 

 空を見上げる頭をわしわしと撫でる。「いででででで」と呻きながら、エナは顔をしかめて篠原を振り仰いだ。

 

「こんなちんけな駅周りだけ見て、なに浸ってるんだ? しっかりしろよ、外出たくらいで固まられちゃあ、こちとら捜査にならんからな」

 

 ちょっと目を見開いてから、エナは面映ゆそうにはにかむ。それまでアタッシュケース片手に周囲をうろうろしていた什造が、どうでもよさげに間延びした声を上げた。

 

「そーですよー。これから“バロット”をぶっ殺なきゃいけないんですからー」

「什造、声。こーえっ」

「おやあ? あれは昨今人気のべあモンちゃんですかねえ? 遠く西の果てからご苦労さまです~。ご挨拶をせねば~」

「え、どれどれ!? ちょっと、待ってよジューゾーくん!」

 

 言うなり、什造は目を剥く脚力で信号機の上に飛び乗り、再度一蹴りで向かいの電柱に降り立つ。周囲の人間がぎょっと身を引く中、首を仰向かせて什造を追いかけるエナの顔には弾けるような笑みがあった。ふたりの笑顔に苦く笑いながら、篠原は子守りを押しつけられた男親の如くあとを追う。

 

 

 

 

 土地勘のない奴が思うまま走り回れば当然こうなる。

 

「本っ当に世界って広い……」

「たかが迷子ですよ~。そんな大げさな~」

 

 ガードレールの上でくるくる回る什造の足元でうずくまる。

 やってしまった。完全にシノハラのおじさんとはぐれた。

 そして現在地がわからない。スマホは携行の許可が出なかった。人がいない、公園とかお店とか、目印になりそうなものも見当たらない。ちなみにその特異な生活環境ゆえ、エナには家屋の住居表示板や電柱の街区表示板を確認するという発想もなかった。

 什造といえば呑気なもので、膝を抱えるエナを気にも留めずその辺の猫と戯れている。頭にきたというより心細さが先に立ち、エナは什造の肩を掴んでぐらぐら揺すった。

 

「ジューゾーくーん‼ 猫ちゃん可愛いのはわかるけど、おじさんや“バロット”探しが先でなくてー!?」

「わ、わ、わ」

 

 ぽってりした三毛猫はするりと什造の手をすり抜け、地面に降りると薄暗い路地の奥に消えてしまった。名残惜しそうにその行き先を目で追う様子に少し呆れ、もう一言釘を刺そうとしたエナを什造の声が遮った。

 

「別にいいでしょう。君だって真面目に“バロット”を探す気はないんじゃないですか?」

「言ったじゃん、本当のことが知りたいって。もちろん私は見つける気まんま、」

「このノート」

 

 カードを開くようにして、什造があのキャンパスノートをエナの眼前にかざした。え、と息を呑む。いつ取ったのか、ちゃんとカバンに入れていたはずなのに。

 

「どの地区にどの程度いたか、何月に何をしたか、ちっさい頃の話なのにすご~く詳しく書かれていますねえ。これ、どこまで本当です? せいぜい保護直後の事情聴取で話したくだりくらいなんじゃないですか?」

「何を根拠に……!」

「だってこれ、住んでたアパートとか行きつけのお店の名前とか、ほとんど書いてないですよ? どうしてそんなことより、いっぺん行ったきりの公園やおうちの情報の方が多いんですかね?」

 

 どこかでガラスが砕ける音がした。

 

「母親が喰種なら、お世話になったひとも喰種が多いでしょうねえ。君、彼らのことを僕たちに知られたくないんでしょう? “バロット”狩りのついでに、親しくしてくれてたひとたちまで殺されちゃあ悲しいですもんねえ?」

「…………それ、ジューゾーくんがひとりで考えたの?」

「同僚の受け売りです~」

 

 アキラか。

 什造に話しているということは、無論上司である篠原特等や亜門上等にも話しているだろう。自分は泳がされていた?

 頭を撫でてくれた重い手と、やさしい眼差しが脳裏をよぎる。

 でも、おじさんは――――。

 

「偽証罪にぃ~、喰種蔵匿・隠避罪~」

 

 アタッシュケースのスイッチが押下される。

 赤黒い煌めきと共に、喰種捜査官の『仕事道具』が禍々しい姿を形作っていく。

 

 

 

「殺されるには充分な罪状ですねえ~?」

 

 

 

 喰種特有の器官、赫包を原材料にして精製される、対喰種用生体兵器『クインケ』。

 見るも恐ろしい大鎌が、腰を抜かしてへたりこむエナの首を捕らえていた。

 

 

 

「考えてたんですよ~。一生懸命(いっしょーけんめー)探してるエナチャンがくちゃくちゃにされる音を聞けば、“バロット”は飛んで来るでしょうか?」

 

 逆光にあって見えないはずの顔立ちで、欠け月のような口元だけがくっきりと網膜に焼きつく。思考も恐怖も真っ白な闇に覆い尽くされる中、鎌の切っ先の冷たさが、エナが知覚できる唯一の刺激だった。

 

「試してみません?」

 

 どんがらがっしゃんと派手な音がして、頭上から大小様々ながらくたが降ってきた。布団にトタンに屋根瓦、その他諸々が視界を塞ぐほどの物量で土砂崩れのように降り注ぎ、エナはたまらず悲鳴をあげる。何かが降り立つ音、音の主はエナの手を取り、切迫した声で彼女に発破をかけた。

 

「早く! 急ぐんだ‼」

 

 男の人だった。一目でわかる長い足、美しい顔かたち。

 ほとんど引きずられるようにして、エナはその場をあとにする。路地を横切るまで後ろを振り返っていても、あの白い姿はもうもうと立ち込める砂ぼこりで見えなかった。

 右に左に沢山の小道を走り抜け、ようやく止まったのは優に20分は越した頃だった。相手としてはもっと遠くへ行きたかったのだろうが、エナの足取りがおぼつかなくなったのを察して立ち止まる。その場に四つん這いになって荒い呼吸を繰り返すエナの肩に、男の右手が添えられた。

 

「すまない。なるべく距離を取った方がいいと思ってね」

 

 立てるかい?と肩の手が眼前に差しのべられる。喉に絡む唾を何とか飲み下して、エナはその手を掴んだ。滑らかで冷たい手だった。

 

「捜査官に目をつけられるとは運が悪かったね。かわいそうに、怖かったろう」

「……っい、え。ありがと、ござい、ました」

「礼には及ばない。こういう時はお互い様さ」

 

 口ぶりからして、この人は喰種だろうか。淀みない逃げ方から察するに、地元のひとなのかもしれない。

 喰種に助けてもらえるとは夢にも思わなかったが、これは不幸中の幸いだ。この辺りに詳しい人ならば、もしかしたらあの店について何か訊き出せるかもしれない。感謝と淡い期待を込めて、エナは目の前のひとに笑いかけた。

 

 

 

「いえ、本当に助かりまぎぇぐ」

 

 

 

 腕?

 腕なのだろう。今脇腹に刺さっているものは。

 男は優雅に引き抜いた手に絡みつく血液をうっとりと眺め、滴る雫を舌の上で転がす。裂けるまなじり、荒れる吐息、真円に開かれた双眸が見る間に漆黒へと染まっていく。

 

 

 

「トレッ‼ ビアァアァアアアアァアアアアァアアン‼」

 

 

 

 血を吐き、ぐらりと揺れた体が横倒しに倒れる。気を失わなかったのは倒れた衝撃が傷口を抉ったからで、エナは痙攣しながら脇腹を抱えるように身を丸める。

 

 

「何なのだこの味は……ッッ‼ カネキくんとはまた違う……‼ 濃厚かつまろやか、繊細ながらも暴力的な甘味と苦味ッッ‼ くうっ、本当に人間なのか、この生き物は‼」

 

 

 言っている意味が分からない。ただただ怖い。呼吸をするたびに疼く痛みに歯を食いしばりながら、エナは霞む瞳を男に向ける。

 そして、今頃になってやっと、自分が什造といた場所より狭く暗い行き止まりに連れてこられたことに気づいた。きっと叫びも、血肉を啜られる音も届くまい。

 

(こういう状況を、何て言うんだっけ……)

 

 ああ――――。

 袋小路?

 




というわけで、第3話でした。
本筋の時間軸で初登場となる喰種が彼だとは私自身思いもよらなかったです。よかったね月山。
皆さんの脳内でCV.宮●真守が炸裂していたら幸いです。

前門のグルメ後門の死神、さあどうする波立見恵那‼


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【第4話】

 小首をかしげて、什造はエナと謎の男が走り去った方向を見つめていた。お楽しみ中に横槍を入れられ消化不良なのか、不服そうに自身のクインケ、13’sジェイソンをぶんぶん回している。

 

「もうちょっとおびき出せると思ったんですが、持ち逃げされちゃいましたねえ」

 

 とんだ食いしんぼさんです――――。言いかけた什造の横っ面を投げ打たれた大鉈形のクインケが通過した。お、と口を開いた什造の後ろで、スーツ姿の喰種が黒々と染まった眼球をひっくり返して絶命する。後方を一顧だにせず、什造は得物の持ち主へひらひらと手を振った。

 

「篠原さーん! 遅かったですねえ。あの子連れてかれちゃいましたよ~」

「什造! エナから目を離すなとあれほど!」

「でもぉ、見て下さいよこの数!」

 

 ばっと両腕を広げた、什造の背後に数十の鬼火が蠢いていた。

 炯々と照る喰種の眼光が興奮により小刻みに痙攣している。仕事帰りや下校途中と思わしき身なりをしている者もいた。

 人のふりをしてまでも、彼らには手に入れたいもの、行きたい場所、守りたい誰かがあったのだろうに。それらをすべてかなぐり捨てて、彼らは皆一様にただひとつの欲求に支配されていた。

 

「逃げた」

「持っていかれち」

「捜査官」

「こっちもいーい匂い」

「喰って、追うぞ」

「肉」「肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉」

 

「ちょっと連れ回しただけで、こ~んなに寄ってきたんです! あの子、素質ありますですよ~。一班にひとり置いてたらちまっこい下調べも省けそうですね~」

「悠長なこと言ってないで臨戦態勢に入れ! それと私のクインケを!」

「はぁ~~~~~~~~~~~~~」

 

 飛び出してきた喰種数体を、振り向きざまの一閃で薙ぎ払う。

 深紅の軌跡を虚空に描き、什造は喰種たちの恐れを舌上で弄ぶような凄まじい笑みを浮かべた。

 倒れ伏した喰種を足蹴にする。無造作に引き抜いた篠原のクインケを、遠心力に振り回されながらぶん投げた。

 

「いっ!」

 

 投げ渡されたクインケ、『尾赫(びかく)』オニヤマダ壱を逆手に掴み、篠原は突貫してきた喰種の胴を抜いた。倒れる相手と吹き出す血潮の下を潜り抜け、ぱたぱた歩み寄ってきた什造と背中を併せる。うろたえ後ずさる喰種たちを睥睨する篠原の耳に届くのは、どこまでも能天気な部下の声だ。

 

「小物ばっかりですねー。“バロット”っぽいおばあちゃんもいないようですし、当てが外れましたー」

「だとしても脅威であることには変わらない。それを排除し、弱く罪のない人々に平穏をもたらさなければならないのが私たち(CCG)だ。忘れるな」

「あとでもっかい言ってくださ~い」

 

 踏み込む。殺気に気圧された獲物たちの、見るも無残な潰走が始まる。

 

 

 

 

 虫の息のエナを意に介さない、男の一人語りはなおも続いている。

 

「通りがかった時は愕然としたよ。よもやこんな香りがあるのかと! そう、例えるなら煮詰めた生き血を更に濃縮したような、存分に食欲をそそる芳香‼ なぜ捜査官に追われていたか知らないが、まあいい。辛気臭い病院帰りに君に出会えたのは望外の喜びだ」

 

 言い募る男の肩甲骨が不自然に盛り上がっていく。

 凝視するエナの眼前で皮膚を、衣服を突き破り顕在化したのは、紫に緋色の筋が疾る硬質な赫子――――甲赫(こうかく)だった。

 腕にまとわせたそれは渦を描きながら、徐々に巨大な剣へと形状を変える。この捕食器官がじきに自分に向けられる。目を背けたくなる事実と現実の光景を前に、エナは首一つ動かすことができなかった。

 

「あぁああぁあああ、たまらないよ……。弾ける君のはらわたは一体、どんなSaveur(風味)を醸し出すのかい? ……教え(味わわせ)てくれ、僕にいぃいいぃいいい‼」

 

 猟奇的ながらも紳士然とした風格を残していた口調が、札を返すように獣の蛮声へと変わる。跳躍、振り下ろされる活きた刃。恐怖に怖気づいて目を閉じる、エナの顔を不意に人影が覆った。

 痛まない体と衝突音にしては鈍い音に対する疑問が、エナの瞼を開かせる。

 

「……?」

 

 男とエナの間に立ちはだかっていたのは白髪の青年だった。歳はエナより上だろうが、さほど離れてはおるまい。彼の腰から伸びる4本の赤黒い赫子――――鱗赫(りんかく)が、男の甲赫を絡めとるように巻きついている。

 

 

 

「…………何をしているんですか、月山さん」

 

 

 

 男を呼びながらも、青年の双眸はエナへと向けられている。

 白い髪の合間から覗いているのは、愁いを帯びた黒い瞳と、紅玉のような冷たい瞳だった。

 不思議と吸い寄せられる一対の目を、馬鹿みたいに見つめる。伏し目がちに視線をそらしたのは相手の方だった。振り返り際に彼の赫子は消失し、男――――月山も戦意はないらしく、矛を収めるように体内に赫子をしまう。

 次いで荒々しい足音と共に駆け込んできたのは、筋骨隆々の男と中学生くらいの女の子だった。男は驚愕の面持ちでごくりと喉を鳴らし、女の子は困惑の眼差しをエナに向けつつ男の陰に隠れている。

 

「おやおや、バンジョイくんたちもこのかぐわしさに誘われてきたのかい? 全く、罪作りなRosa(薔薇)だな、君は」

「急にハイになったお前のケツを追ってきたんだバカ美食家(グルメ)。……まあ気持ちもわからんではねぇが。こんなに濃い匂いがする人間がいるもんなんだな」

 

 言いながらバンジョイもとい万丈(バンジョー)は鼻をつまむ。抑えているつもりなのだろうが、忙しなくエナから流れる鮮血を見やる両目には、じわりと赫眼が発現しつつあった。

 青年は膝をつき、傷に響かないようエナをゆっくり抱き起こす。患部を確認したあと、自らの服を裂いて傷口に宛がい始めた。

 

「ごめん。包帯代わりになりそうなものが他になくて。これで我慢して」

「……う」

「お兄ちゃん、その人何かおかしい……。何だか、私たちのために作られた料理みたい……」

 

 怖がっているのだろう。エナの動向を伺う雛実はか細い声を絞り出す。

 金木は黙考していた。確かに、理性を嬲るようなこの圧倒的な香りは危険だ。気を確かに持たなければ今にも首筋にかじりついてしまいそうになる。

 だからこそ警戒してしまう。道のど真ん中に鯛の姿造りが置かれているようなものだ。金木にはエナが、あからさまな生餌に見えて仕方がない。だとしたら、こんな豪勢な餌を吊るした相手は? あの男(嘉納)を連想するのは果たして早計か?

 悶々と物思いにふける金木の腕の中から、かすれた呟きが聞こえた。

 

「…………私が、人肉を食べているからかもしれません」

 

 布きれを巻いていた手が止まる。

 静まり返る空間においても、エナの声は弱々しく聞き取りづらかった。

 

「母は喰種ですが、私は人間です。そうと知らないまま、私は母に7年育てられました。人だとわかった今も普通食に馴染めず、定期的に人肉を口にしています」

「……Non posso crederci(信じられない).」

「喰種の母が人を育てるような事態がなぜ起こったか、それが知りたくて、私はある喰種を探しているんです。……『あんていく』というお店をご存知ですか」

 

 万丈と雛実が息を呑んだ。

 

「その喰種は、母と私が行った場所を時系列順に巡っているようで、最後に目撃があった場所の次に訪れる可能性があるのがそこなんです。もしご存じなら、場所を教えてくださいませんか」

「…………ヒナちゃん、白鳩(ハト)(喰種捜査官の暗喩)は今どこにいる?」

 

 エナの体がかすかに跳ねる。呼ばれた雛実の目が黒く染まり、ここではないどこかを視ているかのような遠い目つきで宙を見つめる。痛みをこらえるように顔をしかめた。

 

「ここから西に6キロ先でふたり、十数の喰種と交戦しています。ここや、あんていくに近づく素振りはありません」

「とはいえ、その子をあの店に連れていくのは得策じゃないと思うがね。存在そのものが不可解なうえ、こんな子が来れば来店中の喰種が我を忘れて彼女を襲い出すだろう。そこを白鳩に嗅ぎ付けられたら完全に詰みだ」

「説得力の権化みたいな奴が言うとモノが違うな」

 

 万丈の皮肉を華麗に聞き流して、月山はただ主の指示を待っている。金木は品定めに等しい目つきでエナを覗きこみ、感情が読み取れない顔つきにエナはただ身をすくませるしかない。今の彼女は牙の内の小魚に等しかった。

 エナの肩を掴んでいた手が離れ、ポケットの中を探る。あちゃ、という表情をして、金木は万丈に電話を頼んだ。しどろもどろにスマホをいじくる万丈に、月山がぞんざいな態度で操作の仕方を教えている。

 

「店長、お忙しいところすみません。今、あんていくに用があるという人間の女の子を拾ってて。少し訳ありです。……君、名前は」

「……ハタミ、エナ」

 

 金木はそれから二言三言言葉を交わしていたが、意外と早く通話を終えてスマホを万丈に返した。身を強張らせるエナの体を背中に回し、そこまで大きくない体に似つかわしくない力強さで彼女を背負い、立ちあがる。

 

「連れていきましょう。手負いにさせてしまったこちらにも非がある」

「お、おいおいカネキ! いいのかそんなヤバそうな奴……」

「店長がぜひ話をしたいって。なるべく人通りが少ない道を使おう。雛実ちゃん、頼んだよ」

「……うん」

 

 誰も納得していないようだが、金木の言葉に皆が首肯する。一連の流れから何となく、このグループの首領は彼らしいことがわかった。

 イレギュラーが立て続けに起こったが、什造たちを伴わずにゆかりの場所へ行けるのはまたとない吉兆だ。……これで、喰種の知り合いを危険に晒さずに済む。おじさんやジューゾーに知られずに済む。

 まるで蝙蝠みたいだ。イソップ物語だったろうか。獣にも鳥にもいい顔をしようとする卑怯者。

 

「ああ、それと……」

 

 暗い物思いに沈むエナへと顔を向け、ついでのように金木が言う。

 

 

 

「変なマネすれば殺すから、そこのところよろしく」

 

 

 

 びくりと震えた。怯えるエナの股下には、あの触手のような赫子を内包する金木の腰があるのだった。

 

 

 

 

 この時間帯に、人にも喰種にも出くわさず目的地へたどり着くのはかなりの難事だったろうに、先導する雛実の足取りは一度も止まることはなく、ましてや人影を見かけることもなかった。喰種の五感は人を遥かにしのぐが、それでもこの正確さには嘆息も出ない。

 もしや東京湾に連行されているのではないかと危惧し始めた頃、見覚えのある外観の喫茶店が遠目に見えてきた。鼻孔をつく、懐かしいコーヒーの香り。

 

「裏から入るように言われてる。行こう」

 

 皆にそう促した金木の足が、つと止まる。雛実たちと談笑している時でもどこか冷えているかのように感じた横顔が、切なげに歪んだ。

 つりこまれるように視線の先を追う。

 喫茶店の窓から、接客中の女性店員が見えた。

 きれいな女の子だった。笑顔が素敵だなとも思った。顔の右側を前髪で隠しているのがクールに見える分、その笑みがなおのこと魅力的に見える。

 だと思ったのに、その微笑みが営業用だとすぐ気づかされた。女の子が空になった皿を下げている途中、近づいてきた眼鏡の男性店員が何か耳打ちする。すると彼女は、肩を怒らせ目を吊り上げ、ものすごい剣幕で何事かまくし立てていた。不思議とそれが彼女のイメージにすとんと合う。きっとあれが素なんだろう。

 ふ、と息が抜ける音を聞く。

 金木の笑い声だった。会ってから見た彼の顔で、この微笑みが一番柔らかく見える。

 でも、その面差しは何だかとても――――、

 

「物欲しそうな顔」

 

 言ったあと、しまったと口を覆う。相手が喰種だとか命を握られているとか以前に、あまりにデリカシーがない。恐る恐る表情を伺うと、驚いたことに金木はちょっと笑っていた。

 今にも泣きそうな、やさしい笑顔だった。

 この人はとても傷ついているんだろうなと、そう思った。

 店の裏口前で、そっと下ろされる。少しふらついたが、万丈が支えてくれた。彼らは店内に入る気はないらしく、ここでお別れのようだった。

 

「送っていただいてありがとうございました。カネキさん、ヒナミちゃん、エンジョイさん」

「ううん。気にしないで」

「ど、どういたしまして」

「エンジョイ」

「ヘイMiss、僕には礼のひとつもなしかい?」

「むしろ何のお礼を言われると思ってたんです?」

 

 軽口を叩きながら、金木たちは店から立ち去っていく。遠ざかる後ろ姿に何か不吉なものを感じて、思わず「あの!」と叫んだ。

 金木が振り返る。

 頭をフルに動かして、がむしゃらに伝えるべき言葉を探した。

 

「き、気をつけて!」

「……君も」

 

 淡く笑んで、金木は踵を返す。もう振り返らなかった。

 ぼうっと、彼らの姿が見えなくなるまで立ちすくんでいた。夕べの風の冷たさで我に返ったエナは、頬をべしべし叩いて気を落ち着かせる。

 本当のことを言えば、ひとりは怖かった。襲いかかってきた時の月山の顔。このドアの向こうにいるひとたちも、そんな顔で自分に喰らいついてきはしないか。

 それでも――――。

 

 ――――エナ。

 

 それでも私は、本当のことが知りたい。

 ギッと目を見開く。

 ノックをした。いらっしゃいと、低く穏やかな声がする。エナは腹を据えて、勢いよくドアノブをひねった。




ちなみに今後カネキたちが作中に出てくる可能性は低いです。ごめんね主人公。
というわけで、第4話でした。ルビ多くてしんどかった。
この回で消化しようと思っていたあんていくの話が次回に持ち越しになったのがちょっと残念。

今後はプライベートの都合上、先3話よりも投稿スピードが遅めになります。土日更新を目標に話を進めていけたらと思っていますので、ゆる~く見守っていてください。


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【第5話】

 ぎょろつく視線、荒い呼気、止まらない貧乏ゆすり。

 客の一部に落ち着きがない。誰に迷惑をかけているでもないが、指のささむけのように小さく、癇に障る立ち居振る舞いに対する客の反応はきれいに二分された。伝染する者と、怯える者と。

 そこはかとない異様な雰囲気に不快感を、――――危機感を覚えた客が、ひとり、またひとりと席を立っていく。最後の人間の客が慌ただしく会計を済ませ、乱雑に閉じられた戸に備え付けられたベルチャイムの音も絶えると、のっぺりとした静寂が店内に充満した。

 やがて、もうはばかる必要がないと判断したのだろう。うす汚れた身なりをした客が唾液の糸を引きながら口を開く。

 

古間(こま)さんよお。こりゃあ何の当てつけだ? そんなに俺たちのひもじさをあおって楽しいのかよ……」

「やだなあ水野さん。この魔猿、いついかなるときもお客様に最上のブレイクタイムをお届けすべく、常に心を砕いています。よくご存じでしょ?」

「ですが、皆様への配慮が足りなかったのはこちらの落ち度です。上の階に移してもここまで“におう”とは思わず……。申し訳ありません」

 

 明らかに敵意を向けられているにも関わらず、古間と呼ばれた従業員は飄々とした態度を崩さない。その隣で、長い黒髪の女性店員――――入見(いりみ)は流れる動作でしなやかな肢体を折り曲げるが、水野や他の客の苛立ちは収まる気配がなかった。むしろ人間の目がなくなった分、あふれる食欲を自制できずにいる。恨み節の如き呻き声が、じわじわと店内を黒々と埋めていく。

 

「喰いたい」

「お腹すいた」

「ずるい」

「どうせ自分たちだけで」

 

 一触即発の場面を前に、従業員の反応は様々だった。古間と入見はあくまで冷静に現状の打開策に考えを巡らし、小柄な女性店員、帆糸(ほいと)ロマはあわあわと成り行きに戸惑うばかり。「面倒くせえなこいつら」程度の眼差しで眼鏡の奥から辺りを見回しているのはカウンターに頬杖をつく西尾錦(にしおにしき)で、そんな彼の視線が行きついた先には、荒々しくスイングドアを押しのけて水野に詰め寄る店の看板娘がいた。

 

「本当に悪いと思ってんなら誠意見せろよ。なあ? 喰わせろよ、上に連れてった」

 

 言い切る前に、怒れる鉄拳が水野の口腔を捉えた。

 鈍い音と共に、ワイヤーアクションよろしくすっ飛ばされていく水野。テーブルも椅子もなぎ倒して壁に叩きつけられ、折れた歯を吐き散らして泣きわめいている。そんな客を蹴倒して踏みつけながら、霧嶋董香(きりしまとうか)は低く、低くすごんでみせた。

 

「ゴチャゴチャうるっせえんだよおっさん。こちとら上からのエグい体臭とあんたがぴちゃぴちゃコーヒー啜る音で気が立ってんだ。

 これ以上営業妨害するってんなら、私が直々にブラックリストへぶち込んでやるけど?」

 

 お前らにも言ってんだぞ――――。発現した赫眼で辺りを睨め回しながらトーカは言う。

水野への一発がトリガーだった。一気に気色ばむ客たちを前に古間たちが頭を抱えていた時、ベルチャイムが透明な音を立てた。戸を押して入ってきた人物を見て、ロマは泣きつくような声音で呟く。

 

「ヨモさぁん……!」

「……閉店だ」

 

 ロマの一言は「助かった」と同義だった。四方蓮示(よもれんじ)は仏頂面で「Close」のプレートをつまんでおり、有無を言わさず客たちを店外へ引っ張り出していく。結局力押しになったことに古間たちは内心ため息をつきながらも右へ倣えで、客をなだめすかしながらなんとか全員を外へ押し出した。

 蝶番が取れかけるほど乱暴にドアを閉めた最後の客に、入見は丁寧に頭を下げた。

 

「……またのご来店を、お待ちしております」

「来ねーっスよきっと。あの顔、絶対コケにされたと思ってるって」

「バカニシキ、アンタがずっとクソダリいって顔してたからでしょ」

「手も足も出した奴に言われたかねえよクソトーカ」

「西尾せんぱ~い。そんなにトーカさんと仲良くしてちゃ彼女さんが嫉妬しちゃいますよ~」

「「アア!?」」

「ヒィ!」

 

 ロマの手から片付け中だったカップが滑り落ちる。トーカ、ニシキの怒鳴り声を聞きつつ8枚目、とカウントする古間の横をすり抜けて、四方は上へと目をやった。あたかも天井を透かして先の光景を見ているかのようである。

 

「……何だ、2階にいるのは」

「人間の女の子よ。昔、ほんのちょっとだけうち(あんていく)がお世話していた子」

「そんなことがあったのか」

「……あの時は、まさかそう(・・)だとは思わなくてね」

 

 うんうん、と古間も神妙な顔で頷いている。

 

 

 

 

 その2階で、件の少女と“あんていく”店長、芳村は向かい合って座っていた。

 入り口のドアは開いている。さすがに密閉された部屋での対話は苦しいとの芳村の言からだった。慌てて窓も開けようとしたエナを、芳村は静かに制止した。

 

「ありがとう。だがやめておきなさい。外にいる他の喰種に自分を知られたくないだろう。下のお客様には申し訳ないが、うちの店員ならうまくやってくれるから」

「……はい」

 

 言われるがまま、エナはおとなしくソファに座り込む。穏やかに微笑むその面差しは多少老いていても、記憶にある店長となんら変わらない。それが少しだけエナを安心させる。

 どう切り出すべきか考えあぐねているエナの代わりに、芳村が口火を切った。

 

「結論から言えば、“バロット”なる人物はこの店に来たことがない。私もその方にお会いしたことはないし、どこにお住まいかもわからない」

「……そう、ですか」

としか言えない(・・・・・・・)

 

 え、と顔を上げたエナに、芳村は続ける。

 

「喰種にとって彼女がどういう存在か、少しだけ話そう。

 彼女は何十年も前、危険を覚悟で人間に紛れ、産術を学んだひとでね。彼女の技術があったおかげで、この世に生まれることができた喰種の子供たちは数多い。後進を育てながらも、彼女は今も現役で赤子を取り上げ続けている。その助けを必要としている喰種の妊婦は今も、後を絶たないんだよ」

 

 言葉を一度区切り、芳村は険しい顔でエナに告げた。

 

「……だからこそ、我々が進んでCCGの毒牙に彼女をさらすわけにはいかない。いくら彼女が裏で惨い行いをしていたとしても」

「!」

「風の噂で、君がCCGに保護されたという話は聞いていた。あくまで噂でしかなかったが、君がここに来る少し前、顔に傷のある女の子がCCGの職員たちと談笑していたと、お客様が教えてくれた」

「…………」

 

 膝に置いた自分の握り拳を見つめる。心臓が早鐘を打ち、冷や汗が止まらなかった。

 芳村の言葉に棘はない。しかし、CCGと繋がっているエナに対して心の内はどう思っているかなど考えるまでもなかった。

 腹の傷が疼く。今度こそ私は殺されるかもしれない。そうして怯えるエナに投げかけられた言葉は、秋の風のように穏やかだった。

 

「だが、その内のひとりに脅されていたとも聞いた。金木くん経由で、交わした会話もいくつか聞かせてもらった。

 私たちを庇ってくれたと捉えても、いいのかな」

 

 返答はない。それでも再度顔を上げた彼女の表情が伝えるものは明白だった。

 微笑んで、芳村は立ち上がる。ブラインドを指で押し下げて見える眼下の景色には、多くの人びとが忙しなく街を行き交っている。

 

「懐かしいな。もう10年近く前か、君と君のお母様がここを頼ってきたのは。覚えているよ、君がよく着ていた、お母様のお下がりのカーディガン。……君へのプレゼント」

 

 西日が芳村を照らしていた。

 

「私の好奇心が、お母様を警戒させてしまったようだ。20区から離れてすぐ落命されたそうだね? ……すまなかった」

「……芳村さんはあの時から、私が人間だとご存じだったんですね」

「衣服のにおいでよく隠れていたから、あの時まで確信はなかったが」

「ずっと疑問に思っていたんです。久しぶりに街へ出て、怖い目に遭って、ますますそう思うようになりました」

 

 思えば。

 母はなぜ、頼る先があるでも、特別追われているわけでもなかったのに、次々と居場所を変えたのだろう。

 なぜあれほど頑なに、新しい服を買ってくれなかったのだろう。

 なぜ、どうして――――。

 

 

 

「本当に母は、私が人間だと気づかなかったんですか?」

 

 

 

 芳村は口を閉ざしたままだ。しかし一度言葉にしてしまった疑念は、鎖のようにエナの思考を縛り、絡め取ってしまう。

 月山の言っていたことを思い出す。芳村もうすうす勘付いていたような口ぶりだった。

 衣食住を共にしていた母が気づかなかったはずはない。ならばなぜ、自分を喰種と同じように育てたのだろう。もし仮に人肉を喰べることで食肉としての味が増すという自分の仮説が正しいのなら、……正しいのなら?

 両手で顔を覆うエナを痛ましそうに見下ろしていた芳村が、ドアの陰からこちらを伺う視線に気づいた。おもむろにそちらへ歩き出し、肩を軽く叩く。

 

「ちょうどよかった。トーカちゃん、少し頼まれてくれるかな」

「はァ!? 私はちょっと立ち寄っただけ……!」

「いいから」

 

 芳村は小さく耳打ちをする。トーカは不服そうに口元をひん曲げていたが、ちらりとうつむいているエナを一瞥すると、大仰なため息を吐いて階段を駆け下っていった。芳村もあとに続いて部屋を出る。

 いくばくもせず戻ってきた芳村の手には、濃茶の染みがついた薄桃色の便箋と封筒が握られていた。

 

「それ……」

「中を見たら、どうしても捨てられなくてね。読んでご覧」

 

 震える手で手紙を受け取る。三つ折りにされた便箋を開く、それだけにたくさんの時間と気力が必要だった。

 思い切って開けた9年前の手紙には、コーヒーの染みの合間に、懐かしい筆跡でありふれた日常が綴られていた。

 

 

〈拝啓 迎春の準備にお忙しいことと存じます。寒さが厳しい日々が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。

 20区に移り、ようやく一息つきました。こちらの皆様は本当によくしてくださって、先日も娘がきれいなビー玉をたくさんもらって大喜びしていました。

 恵那は元気にしています。この頃はブランコよりもシーソーの方がお気に入りのようで、知らない子にも元気に声をかけて遊んでもらっています。誰もいないときは私が片側を押して持ち上げるのですが、これが結構重くて。あんなに軽かった子がと思うと、不意に泣いてしまいそうになりました。

 助産院の皆様はお変わりありませんか。新人の谷口さん、腰を抜かさず出産に立ち会えるようになりましたか。先月そちらの近くで捜査官が

 

 

「ん」

 

 

 コトリと音がして、テーブルの隅に大きめのコーヒーカップが置かれた。曇ったエナの目の奥が微かに煌めく。カップを見つめ、呆けた顔でトーカを見上げた。未だ機嫌の悪そうなトーカは鼻息荒く、

 

「礼なら入見さんに言いな。描いてくれたのあの人だから」

 

 そう言ってそっぽを向く。エナは再びカップに視線を移し、中で起きている魔法に目を皿にする。

 鳥を象ったラテアートだった。羽にかわいい星の模様がある。微動だにせず描かれた鳥を凝視するエナを横目に様子を観察していたトーカが、嫌味のひとつでもと口を開きかけた時、白くなった手がためらうようにカップの取っ手を掴んだ。

 そろそろとカップを口元に運び、ゆっくりと内容物を口内に流し込む。

 やがてカップを受け皿に戻し、少し崩れた鳥の絵を見つめながら、ぽつりと呟いた。

 

「おいしい……」

 

 言葉と共に、涙が一筋。

 

「あ、っ」

 

 押さえた方の逆の目からも、とめどなく。

 しゃくりあげるエナの背が丸まる。

 すり切れるほど両目を拭う中、正直な気持ちがあふれた。

 

 

 

「おかあさん……」

 

 

 

 嗚咽を漏らすエナの手に、あたたかい手が置かれた。芳村の手だった。それ以上は何もせず、何も言わず、エナが泣き止むまでただ寄り添ってくれた。

 トーカは腕を組み、壁にもたれ、むすっとした顔であらぬ方向を向いている。彼女もまた、エナが落ち着くまでずっと部屋に残っていた。

 

 

 

 

 ――――これをどう使うかは、君に任せよう。

 

 

 記憶と街灯の明かりを頼りにほの暗い道のりを歩きながら、エナは母の手紙を覗きこんでいた。

 

 ――――そして、これは私事なのだが……。

 

 ちょっと困ったような言い方が、なんだか印象に残っている。

 

「また、この店に来てくれるかな。その時にひとつ、頼みたいことがあるのでね」

 

 頷き、エナはトーカに向き直った。まさか彼女も裏口まで来てくれるとは思わなかった。

 

「私、このお店までカネキさんに連れてきてもらったんです。その時に彼、あなたを見てましたよ」

「……!」

「すごくやさしそうな顔でした」

「…………キモッ」

 

 ぼそっと吐き捨てた顔は赤らんでいた。でもその横顔はどこか辛そうで、本当は寂しいんだろうと思う。何か言おうとして黙り込んでいるとトーカの両手が伸びてきて、強制的に回れ右をさせられたのち背中を思いっきり押し飛ばされた。傷に響いてたまらずうずくまったエナに向けられた「行きなって」というふて腐れた声が、エナが最後に聞いた彼女の声だ。

 

「さてと、駅までは……」

 

 はぐれたら最初の駅に戻るようにと言われていたのを、今更ながら思い出す。足取り軽く月山や什造と走った道を辿り歩くエナの前に、ふたり分の人影が立ち塞がった。

 

 

「あぁああ~! やあっと見つけた~! もー、どこ行ってたんだい、君は!?」

「はい?」

「そういう言い方はやめなさい。彼女にとっては久方ぶりの外なのだから。羽目を外したくなるのも無理はない」

 

 

 知らない相手だった。背の高い方は泣きぼくろのある男で、背の低い方は右足が義足で、不自然に顔の凹凸が少ないつぎはぎの男。背の低い男の姿が異様すぎて思わず後ずさりするエナに、相手は気さくに話しかけてくる。

 

「失敬、自己紹介が先でした。私はキジマ式、准特等です。こちらは旧多二福(ふるたにむら)一等」

「あ、ああ! CCGの方でしたか」

 

 とっさに手紙を背後に隠す。取ってつけたような笑顔のエナに、キジマは頬が裂けるような笑みを浮かべてにじり寄ってくる。

 

「本来ならば、ここ(20区)は我々の管轄外なのですがね? 先に篠原特等から20区に喰種が大量発生したとの報を受けて、たまたま近場にいた私どもがこうして馳せ参じたわけです」

「へ、へえ~……。それはご苦労様です」

 

 どうにかして距離を取りたいエナと、それを許さないキジマ。

 

「それで、今回はとても面白い現象が発生したのです。バラした喰種は皆、飢餓状態に類似した症状を起こしていたにもかかわらず、彼らの胃袋にはある程度の内容物が存在していました。そこそこ腹は満ちていたはずなのに、空腹を感じ人を襲ったと。

 そして、彼らは一様にこう言うんです。『いい匂いがした』と。彼らが暴走した区域は、あなたが篠原特等らと歩いたルートとほぼ合致するんです」

 

 助けてを求めて旧多を見る。しかし旧多は申し訳なさそうな笑みを浮かべるだけだ。絶望が一気に押し寄せて、視線を戻すと顔が触れあいそうになるほどキジマが距離を詰めてきた。

 

「い……ッ!?」

 

 縄状の捕縛用クインケ、『尾赫』テトロが放たれ、転倒したエナを地面へ縫い止めた。逃れようと死に物狂いで身をよじるエナを、キジマはさも愉快そうに見下ろしている。

 

「か弱き人々を喰種の牙から守るのが私たち(CCG)の仕事。そんな私たちに、……いえ、人間にとって、いるだけで喰種を凶暴化させる君の存在は極めて有害です。

 ですが、君をさばく為にはいささか障害がありましてね」

 

 クヒ、クヒとキジマは嗤った。

 

 

 

「邪魔なんですよ。あなたの“人権”が」

 

 

 

 くぱあ、と、キジマ以上に凶悪な笑みが旧多の満面に咲く。

 頼りない街灯の光に、便箋と、宛先の住所が書かれた茶染みの封筒が晒されている。

 

 

 

 

 高層ビルの屋上、ちょうど旧多たちの直上に、小柄な女が座っていた。

 女なのだろう。全身に包帯を巻き、ローブをかぶっているので、傍目にはわかりづらいが。

 彼女はビルの縁で子供らしく足をぷらぷらさせながら、歌うように言葉を紡ぐ。

 

「フフフッ。……知らぬが仏の秘め事を、覗かでおれぬか、徒花よ」

 

 足元で少女の悲鳴が聞こえる。泣きながら叫んでいる。まともな言葉にはなっていなかったが、明らかに誰かへ助けを求める声だった。

 

「あんよがじょーず、あんよがじょーず。進んだその先羊水(ミズ)の中。くろぉいくろぉい肚の底」

 

 あなたは生まれ直さなくてはいけないわ――――。愉しそうに呟いて、彼女はゆるりと立ち上がった。

 

 




エナ子「ラテアートひとつ下さい」
トーカ「おまたせし……」
ゾッ
エナ子「おいしかった」
ヨシ美「何がかいてあったの?」
エナ子「さあ……。興味ないから……」
ヨシ美「そっか……」



この回のために、エナにはここまで一貫して「母」と呼ばせてきました。構想当初から書きたかったシーンがまた一つ消化できて良かったです。
しかし、猫かぶってた頃の旧多の口調が全然わからない……。誰だこいつ状態になってないかな……。

というわけで、第5話でした。次回以降話のエグみが増していくのでご注意ください。

今回はラテアート、もといカフェラテに関する裏話を活動報告に上げています。知らなくても本筋に一切関係ないので、気が向いた時にでも見ていただければ。あ、違います。ヨシ美のCV. 今井麻美とかじゃないです。ほんとほんと。


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