長谷川千雨の約束 (Una)
しおりを挟む

第一話 2回目の初めて

そばにいて欲しいと言われた。

だから私はそばにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 夜風がほほを鋭く叩く。

 街灯一つ灯らない闇の中、魔帆良大橋の物陰で。彼女はネギ・スプリングフィールドと向かい合っていた。

 足元には淡い光を帯びた魔法陣。人語を解するあまりかわいくない妖精オコジョが描いた、仮契約を結ぶものだ。

 幼い頬を両手で捕え、呆けてわずかに開かれている唇へと顔を寄せていく。

 主観としては二回目の仮契約。

 人生二度目のキス。

 子供相手だから、なんて理由でノーカウントになんかしてやらないと彼女は強く思う。前回は一度目で、今回は二度目だ。それは誰が何と言おうと覆らない。そして両方とも彼女が得た感想は同じだった。

 

 ――やわらけー。

 

 そして、仮契約は成った。

 彼女は新しく手に入れた絆の形を見つめる。オコジョに渡された仮契約カードに描かれた自分は、カメラを意識した頭の悪いアイドルのように能天気な笑みを顔に張り付けている。

 息をつく。

 これで最初の関門は突破できた。

 でもまだ安心はできない。所詮はまだスタートラインに立っただけ。これから乗り越えなくてはならない障害は山ほどある。それは考えるだけで気の遠くなるほど長く、尻込みするほど細い道だ。

 

 ――でも、約束だもんな。

 

 そう、約束したのだ。

 傍観者であり、観察者であり、常識人であり3-Aの数少ない突っ込み要員であった少女が、唯一ネギ先生から与えられた言葉。

 彼女から言葉を与えることは幾度となくあった。そのたびにネギは歪んで、曲がって、折れて。中身の伴わない素人考えの助言に右往左往した揚句に辿りついた結末は予想外で、でも今考えれば当たり前の喜劇だった。

 だから、彼女は約束した。

 

 

 ――絶対、殺してやるからな。

 

 

 彼女は、長谷川千雨は、そのためにここに戻ってきたのだから。

 

「見せてあげますよ先生。アンタの従者がどれだけ強いのか」

 

 自分の従者の言葉に、ネギはコクリと強く頷いた。

 それを見返し、千雨は笑みを顔に浮かべて見せた。

 笑えたはずだ、と千雨は信じることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴様、長谷川千雨か?」

 

 麻帆良大橋入口付近が一瞬だけ光に包まれた。それは、仮契約の執行による魔力の奔流であった。エヴァンジェリンが空から視線を向ければ、そこには英雄の息子、ネギ・スプリングフィールドと、2年以上机を並べていた見覚えのある少女がいた。

 ふむ、とエヴァンジェリンは首をかしげる。たしかぼうやは神楽坂明日菜と契約を結んだのではなかったか、と。疑問の意を込めて己の従者を見やれば彼女もわけがわからないらしい、小さく横に首を振った。

 

「おい長谷川千雨、なぜ貴様がここにいる」

「入場券はもってるぜ」

 

 片頬を釣り上げて、問われた少女が右手に持つなにかを掲げて見せた。

 それは一枚のカード。ネギ・スプリングフィールドと長谷川千雨の契約の証。掲げ持つ表情が語る、我に資格あり。

 

「なるほど。しかし入場はできてもアトラクションは別料金だぞ?」

「言い値で買ってやるさ」

「言ったな? 小娘が。あまりの値段に腰を抜かすなよ」

 

 ふん、とさらに千雨の頬が持ち上がる。笑みにも見えるその表情にエヴァンジェリンは興味を持った。口元には勝算が、目には覚悟が。そしてその震える膝にはエヴァンジェリンへの恐怖が容易に見て取れた。

 

「行け茶々丸。見極めてこい」

「了解、マスター」

 

 隣を飛んでいた従者は、主の指示を聞くや否や自由落下に近い速度で眼下に並ぶ二人の元へと向かっていった。

 ネギを守るように立つ千雨。その姿にエヴァンジェリンは首を捻った。その体つきも、重心のかけ方も格闘技術を習得している者とは思えない。後方支援型の従者ならばすでになんらかの詠唱に入っていなければおかしい。まるきり素人の動き、構え。これではなんの役に立つのか。隣のネギも不安そうな視線を長谷川千雨に送っているが彼女は見向きもしない。ただこちらを睨みつけているだけだ。タッグを組んでいる身でありながら意志の疎通もおろそかにしている。

 これならバカレッドのほうがまだ――そんな侮りが頭に過ぎり、眼下ではついに茶々丸が千雨を己の間合に納めようとして、

 

「悪いな、茶々丸さん」

 

 茶々丸は千雨を素通りした。

 背中のジェットエンジンから得られる推進力を姿勢制御だけにあてて、落下の勢いを殺さないまま茶々丸は長谷川千雨に接近し攻撃を加えようとした。長谷川千雨を素人と見て、しかし油断なくその額にデコピンをぶつけようとしていたのだ。

 なのに茶々丸はそのまま千雨の横を通過し、力の抜けた両足が絡まり転倒。橋のアスファルトに亀裂を走らせながら二転三転し、バウンド込みで十メートルは転がったところでようやくうつぶせの状態で止まった。

 その右手はまだデコピンを構えたままだった。

 そのまま動作を停止した茶々丸を、エヴァンジェリンとネギはぽかんと口を開けて見つめていた。が、千雨はちらりとも視線を向けない。茶々丸が向かってきたときも彼女はエヴァンジェリンから一切目を逸らさなかった。

 

「……何をした?」

 

 エヴァンジェリンが静かに問う。明らかな怒りをその目に浮かべておきながら、声からはむしろ濃い警戒の色が伺える。怒りを極力抑えた冷静な声。彼女は心の重心をどこに置くかを承知していた。

 

「何をしたと思う?」

 

 ふふん、と千雨が鼻で笑う。彼女が恐怖と、そして大きな安堵を得ていることにエヴァンジェリンは気付いている。千雨さんすごいですでも茶々丸さん大丈夫なんですかあれ! なんて騒いでいるネギの肩に腕を回した。そうでもしないと立っていられないのだろう。緊張から安堵への感情の振り幅が大きすぎて筋肉が勝手に弛緩してしまった、俗に言う腰が抜けたというやつだ。

 エヴァンジェリンは先ほどの光景を振りかえった。

 茶々丸を一瞬の交差で戦闘不能にした千雨の技能。そしていつの間にか右手に握られているファンシーな杖。茶々丸の受けた反撃は体術ではない、あの杖、おそらくアーティファクトの効果によるものだろう。仮契約の直後でいきなりアーティファクトを使いこなせるのかという疑問はあるが。

 

「心配すんなよネギ先生、茶々丸さんは別に死んじゃいない。単に意識が落ちただけだ」

 

 つうかあの程度じゃ死なないだろ、と千雨はつぶやいた。それはネギへの言葉ではなくエヴァンジェリンへの確認だ。

 

「……まあ、そうだな。あの程度の衝撃で壊れるほど茶々丸は軟にできていない。それで動かないというなら貴様のやらかした『何かしら』以外に原因は見当たらんな」

「そうかい、なら安心だ。麻帆大工学部もってきゃすぐ目を覚ます」

「ずいぶんとお人よしだな、敵の心配とは」

「先生に似たんだよ」

「え、僕ですか?」

 

 会話を続けながらもエヴァンジェリンの思考は続く。あの一瞬で敵の意識を奪うアーティファクト。おそらく射程距離は短い。もしエヴァンジェリンの今いる位置がすでに射程内なら、こんな悠長な会話は続けてられない。茶々丸とエヴァンジェリン、二人まとめて意識を奪うことができたはずだ。

 接触することで相手の意識を落とす、あるいは操る? ちらりと、千雨たちの背後で横たわる茶々丸に警戒の視線を向けた。なるほど敵にとってこれほど厄介な前衛もない。

 ならばやるべきは魔法戦、遠距離からの魔法の撃ち合い。エヴァンジェリンはそう結論付けた。おそらく千雨は魔法は素人。体からは魔力や気がかけらも感じられない。魔力の蛇口がいまだ開いていないのだろう。魔法を知ってからそれほど日にちが経っていないのだ。

 つまり、魔法戦となれば長谷川千雨は役に立たない。

 

「さて、おしゃべりはここまでだ」

 

 エヴァンジェリンの言葉に、そして体から放たれる魔力の奔流にネギが顔を引き締める。千雨もネギから体を離し、距離をとろうとして、

 

「……なんのつもりだ?」

「なにって、決闘の続きだろ? お前が言ったんだろうが」

「そうじゃない、貴様がぼうやの前に出てどうするつもりだと聞いてるんだ。優しく言ってやるが邪魔だからどけ」

 

 千雨はネギとエヴァンジェリンの間に入ってきた。この状態でエヴァンジェリンとネギが魔法戦を始めれば、千雨は前後から魔法を受けて多分世界で一番面白いミンチになる。千雨の行動にネギも困惑気味だ。

 

「どうするもなにも、従者が主を守るのは当然だろ。それにさっきな、ネギ先生と約束したんだよ。先生の従者がどんだけ強いか見せてやるってな」

「……なに?」

「かかってこいよ、600万ドルの賞金首。私みたいな素人なんて、得意の魔法で一瞬だろ? なんせ私は仮契約しただけの素人だからな。どんだけ手加減されても600年生きたあの闇の福音様の魔法だ、ド素人の私なんか木端微塵だ。あぁいや遠慮すんなよ、覚悟はある。毛も生えていない素人の私にだって矜持ってもんがある、死んでも枕元に立つくらいだ」

「未練たらたらだろうが」

 

 あと素人連呼しすぎだ。

 言いながらエヴァンジェリンは、千雨がこれ見よがしにハンドリングしているアーティファクトの杖を見た。

 魔法を使えば一瞬で終わる。それは千雨の言うとおりだ。自分を素人と蔑み、相手を持ち上げる発言を繰り返して、「こんな自分に本気出しちゃって恥ずかしくないの?」と言っているのだ。そしてそんな素人のアーティファクトを恐れて接近戦を避けるなんて、600歳を超える吸血鬼としての矜持が許すのか。そんな挑発を繰り返している。

 つまり千雨は必死に、悲しくなるほど必死に、エヴァンジェリンを接近戦へと引き込もうとしているのだ。その必死さにエヴァンジェリンは愛しささえ感じた。長谷川千雨は、戦いを前にして震えるこの愚かな素人は、無知であるわけでも危機感が足りないわけでもない。真祖の吸血鬼を敵に回したことの意味を十分把握した上で、まだ生存を諦めていないのだ。

 この決闘が終わって、命があれば向こうの勝ち、なければこちらの勝ち。本来なら勝利条件があまりにもこちらに不利だが、それくらいの差が人間と吸血鬼の間にはある。その圧倒的な差を正確に認識しておきながらもやつは本気で勝ちを狙っている。

 

「私はな、長谷川千雨」

「ああ」

「貴様を素人とは思わん」

「……あ?」

「本気で挑んでくる者には本気で応えるべきだろう。それが決闘の流儀だ。どんなルールであろうとな」

「よしお前の言いたいことはわかった。ここはひとつウノで勝負しようじゃないか二人で。ドローとかスキップの枚数によってはずっと俺のターンとか1ターンキルとかできたりして超楽しい」

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!」

 

 詠唱が始まる。十歳で体の成長が止まった吸血鬼の声は高く、しかし重い。

 

「来たれ氷精闇の精・闇を従え吹雪け常夜の氷雪」

 

 600年の研磨を経て届いた、術式の密度と速度。エヴァンジェリンを観察するネギは、彼女が最強の魔法使いと呼ばれる所以の一端を垣間見た。彼女に比べれば自分は魔法を使えているうちにも入らない。

 

「闇の吹雪!」

 

 それに対し千雨は何をしているのか。ネギが横目で確認すると、彼女は目を閉じ、半ば俯いて何かをつぶやいている。だがその漏れ聞こえる音節は魔法に使われるラテン語ではない、まるで誰かと電話をしているように聞こえる。大魔法が目の前に迫る恐怖で頭がどうにかなっちゃったんだろうかとネギは本気で思う。障壁を張ろうとポケットの中にある練習用の杖を出そうとして、やめた。千雨との約束を思い出したからだ。

その時、ネギと千雨の足元を何かが駆け抜けた。

光り輝く無数の玉が、千雨を囲むように目にも止まらぬ速さで駆け巡る。その速さは軌跡に残像が映るほどである。

 

「アギテ・エクストラクティオー」

 

 

 そしてネギは、千雨のつぶやきを耳にした。

 彼女の後ろに控えているネギの耳にかろうじて届いたそのつぶやき。

 なぜ聞こえたのか、それはネギにもわからない。空からはエヴァンジェリンの放った『闇の吹雪』が轟音とともに迫っていたし、千雨だってネギに聞かせるために口に出したわけではない。むしろネギには聞かれたくなかったはずだ。

 あえて理由を挙げるとすれば、むさぼるように習い覚えたラテン語に対しネギの耳が敏感になっていたからかもしれない。

 魔法も知らないはずの中学生の口が囁いたそれは、ラテン語の響きだった。

 

 

 ネギカ・マギア・エレベア キルクリ・アブソルプティオーニス

 

 

言葉と共に、千雨とネギを守るように、巨大な魔法陣が展開された。

 

 

 

 

 

 

「なんだ? 今のは」

 

 エヴァンジェリンは困惑した。彼女のこんな表情は珍しい。600年を生きた彼女にとって、戦場で起こりうる大抵の現象はすでに経験済みであるからだ。

 長谷川千雨を殺すつもりはなかった。千雨のすぐ横を通過させ衝撃でアーティファクトを手放させ、その隙に瞬動で一気に接近し意識を刈り取る。人間ごときが真祖の吸血鬼に抗ったことは腹立たしいが、闇の福音の復活祝いとして『生存』というささやかな恩赦をくれてやるつもりだったのだ。

 とはいえ今放った『闇の吹雪』は確かに全力だった。全力には全力で相手をする。その意志は変わらない。

 それを、長谷川千雨は、

 

「……止めただと」

 

 千雨に掠めるように横切る瞬間、彼女はアーティファクトを握る右手を突き出したのだ。同時に足元に展開される魔法陣。その陣は半径二メートルほど、さほど大きいものとは言えない。中級の儀式魔法に使われる程度だ。

 だが吸血鬼の動体視力はその脅威を正確に捉えていた。その魔法陣の密度、精密さ。エヴァンジェリンはたまにハカセや超の研究室へと出向くことがあるが、彼女たちが持つパソコンのモニターを滝のように流れる意味不明な文字列。それをエヴァンジェリンは連想した。

 そしてそれが展開すると同時、巨大な障壁が現れ、エヴァンジェリンの全力の『闇の吹雪』が爆音を立てて止まった。

 せめぎ合い、拮抗は一瞬ともたず、最後には爆発して『闇の吹雪』は魔法力を使い果たした。

 闇の吹雪や雷の暴風などの系統の魔法は、大量の魔力を術式で固め一直線に走らせるものである。その売りは回転を加えることで得られる貫通力であり、障壁などの影響を受けて拡散してしまうことはあっても『爆発』をおこすことなどありえない。

 それが爆発した。

 しかも込めた魔力とは到底釣り合わないほど小規模。砂煙が舞ってはいるが周囲への被害はそれほどでもない。ネギが鼻で吸い込んでしまった塵で元気にくしゃみを連発しているくらいだ。

 ただの障壁ではありえない。身を守る盾に宝石を飾るバカがいないように、魔法障壁一つ貼るだけの為にあんな複雑な術式を組む魔法使いはいない。

まるで、魔力が吸収されてしまったような。

 そこまで考えたところで砂煙が唐突に晴れる。ネギがくしゃみのせいで風魔法を暴発させたらしい。彼の魔力制御の甘さに呆れもあるが、今は千雨の状況の方が気になる。

 

「あぁー……いてえ、くそ。起動のタイミングミスった」

 

 声がした。

 聞き間違えではない、どこかひねくれて、でも内に一本の芯がある声。千雨だ。視界の悪い砂塵から姿を現した彼女は、突き出していた右腕から大きく出血していた。

 

「こっち狙ってくると思ったのに、ちょっと狙いを外してただろ。おかげでタイミングずれた。お人よしはどっちだ、ったく」

 

 千雨の変化はそれだけではない。まず目につくのはその肌の色。闇を垂らしたように黒ずんで、人間にはありえない色になっている。次いで気になるのはその髪か。茶色に近いはずの彼女の髪は、ところどころに雪のような白が混じっていた。

 だが外見の変化など大したことではない。つい先ほどエヴァンジェリンは『長谷川千雨は魔力をもたない』と判断したばかりなのだ。なのに今の彼女は暗い魔力をその体に満たし、溢れ出た魔力が冷気となって立ち上っている。

 

「……私の場合は『お人よし』ではない、強者の余裕というんだよ」

「なるほど、その有り余る魔力を分けてくれたわけだな。もっと優しく分けてくれりゃあ良かったのに」

「分けたんじゃない、貴様が強奪しようとして失敗したんだ、自業自得だコソドロめ」

 

 そこまで言って、エヴァンジェリンが目を細めた。

 

「貴様、『それ』をいつ、どこで覚えた?」

 

 エヴァンジェリンの言う『それ』とは、自身が開発し、理想を描き、そして挫折した、存在するはずのない魔法技術。

 闇の魔法。その理想形たる『太陰道』。

 

「聞きたいか?」

 

 得意げな顔を見せる千雨に、エヴァンジェリンは少しイラッときた。

 

「いや、いい」

「……なんで?」

「何を焦っている。単に貴様を殺す前に締め上げる理由ができたというだけの話だ」

 

 『闇の魔法』自体はエヴァンジェリンにとって既に重要度は高いものではない。あれはまだ彼女が弱者に分類されていた頃、人間が行う魔女狩りから逃げることしかできなかったころに、苦肉の策として創りだしたものだ。魔力・術式・精霊の全てを魔法という形にして取り込むことで、魔力だけを用いた身体強化を大きく上回るスペックが手に入る。ただの人間が使えばその副作用に耐えられないため禁術に属する技法なのだが、術式の掌握が無ければただのドーピングと変わらない。600年を生き、一個体としては圧倒的な魔力量と技術を誇る今となってはさしたる意味のないものである。

 だが、それをあえて覚えた人間が目の前にいる。

 その経歴に少しだけ興味が湧いた。

 

「……ああ、そりゃ合理的だな。実に脳筋らしい。安心した」

「ふん、安心とは余裕じゃないか、その体で?」

 

 ニヤリ、とエヴァンジェリンが皮肉げな笑みを浮かべて問う。言われるまでもない、それが千雨の心のうちに湧いた返答だった。だって見ればわかるのだ。闇の吹雪を受け止めた右腕の出血は言うに及ばず。現在進行形で全身の内外に細かい裂傷がビシビシ音を立てて走っている最中なのだ。今日の為に用意した制服やソックスの白い生地が血に浸したように染まりはじめている。メガネにまで血しぶきが飛んで視界の邪魔になる。それでも人前でメガネを外すことと天秤にかけ、結局千雨は外さない方を選んだ。指でレンズを拭おうとも思ったが、闇の吹雪を吸収した千雨の体は文字通り雪のように冷たい。その冷気に触れて、レンズに付着した血液は凍りつき霜のように貼りついてしまっている。

 

「先生、契約執行」

「え、でもあの、血が……」

 

 ネギがうろたえながら千雨を見上げた。千雨はそれに笑みを返し、低い位置にある頭を撫でてやろうとして、止めた。頭皮が凍傷になって禿げたら困る。

 

「大丈夫ですって。私の心配はいりません。約束したでしょう? 私の強さを見せるって。ほら、先生早く」

「はっはい! 『契約執行90秒間・ネギの従者長谷川千雨!』」

 

 千雨の体が光を帯びる。実は千雨にとってこれが初めての魔力供給だった。あたたかい、と千雨は呟いた。冷たい体を包み込むネギの魔力に千雨は一瞬だけひたり、小さく、ほんの小さく微笑んだ。まるで励まされているようだと思う。全身の痛みが引いてくるような気さえした。

 左手を握り、開いて、千雨は獰猛な笑みをエヴァンジェリンに向けた。 

 

「いくぜエヴァンジェリン。アンタを600年物の噛ませ犬に仕立ててやるよ」

 

 千雨の言葉を受けて、エヴァンジェリンもまた笑みを作った。

 

「小型犬のようにキャンキャン吠えるな、ド素人の小娘が」

 

 千雨が跳躍する。月を背にして浮かぶ吸血鬼に向かって、大きく。ネギからの契約執行に加えてエヴァンジェリンの魔力を上乗せした千雨の体は、人間の筋力が出せるパフォーマンスの限界を超えていた。膂力に限れば、今この瞬間彼女は世界でも五指に入る。

対するは最強の名を冠する真祖の吸血鬼。その魔力は人間の限界なぞはるかに上回る。そんな圧倒的上位存在が、油断なく、ただ強者の余裕をもって、千雨の挑戦を真っ向から受けて立った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 力の王笏の使い方(応用編)

 モニターに映るのは、少女の後ろ姿だった。本当はライブチャットのようにしたかったのだが、ちょうどいいアングルに監視カメラが設置されていなかった。いつものことだと千雨は気にしない。

 

『お久しぶりですね千雨さん』

 

 チャットであるから声はしないし、アングルのせいで表情も伺えない。それでも見えることはある。黒い三つ編みからポロポロこぼれている枝毛とか、ずいぶんと細くなった首筋とか。少女のいる部屋が病室であるとか、座っている椅子が電動式の車椅子であるとか。

 

「久しぶりだな、ハカセ」

 

 少女の名前は葉加瀬聡美。かつての千雨のクラスメイトにして、魔法戦争需要で旧世界一般派トップクラスのシェアを誇る雪広グループの技術顧問である。

 

「で、天下の葉加瀬聡美さんが今日はなんの用だ?」

 

 チャットという形はとっているが千雨はキーボードを打つ必要がない。千雨の展開する電子空間ではただ伝えたいことを思うだけでいい。それを電子精霊群が暗号化し、ハカセのモニターに送ってくれる。それをハカセは一瞬見ただけで解読し、覚え、パソコンからログごと削除する。ハカセの強制的に増築された演算能力と千雨の組み上げた防壁プログラムを組み合わせてできるセキュリティであるが、それは万に張り巡らせたセキュリティのうちの一つにすぎない。

 

『千雨さんに研究協力の依頼を』

 

 ハカセからのレスに千雨は軽くため息を吐いた。基本的に千雨はハカセのこの手の依頼を断ることができない。自分の体を保存し続けるためにかかる費用をハカセが負担してくれているからだ。今の千雨は、傍目にはテロに巻き込まれてこん睡状態に陥った一患者に過ぎない。

 

「なんだ今度は、どんな無理難題を押し付けるつもりだ?」

『義肢です』

「ロケットパンチでも内臓させんのか」

『自分の意思で自在に動かせるものを作りたいなと』

「そんなのもう開発されてるだろ」

 

 千雨が真っ先に思い出す義手と言えばラカンの両腕だ。接合面に傷こそ残っているが、あんだけ派手にネギを殴り飛ばしていたのだ、日常生活に支障が出るとは思えない。

 

『いえ、魔力に頼らずに、です。機械工学だけで同じものを再現したいなと』

「……意思で動く腕をか? でもそれだって確か開発されてたような」

 

 千雨の記憶は定かではないが、21世紀が始まった頃に意志で動く義手の男性が自動車免許を取得した、という記事をどこかで読んだ覚えがある。

 

『まああることはあるんですけどね? そういった機械の義手だと触角を脳内で再現できないんですよ。つまり物を触っても固いのか柔らかいのか、熱いのか冷たいのかも分からないわけで』

「触覚の再現? それこそ無理だろ、魔法なしでなんて。視覚や聴覚なんかは研究が進んでるらしいけどな」

 

 ハカセからの依頼は基本的にソフトウェアの開発である。それは千雨のアーティファクトがその方面に特化しているためであるが、ネットの世界でしか動けない千雨にはそれしかできないという事情もある。

 しかし、触覚の再現。その技術的ハードルの高さは門外漢の千雨には想像するしかできないが、魔法を使わず……つまり念話や気配察知の魔法的技術を用いずにそんなプログラムを作る方法を思いつくことはできなかった。

 そんな自分になぜこんな話題を振ってきたのだろう、と千雨は首を捻った。こうしてハカセと通信しているだけで千雨に迫る危険度が指数関数的に上がる。セキュリティには万全を期しているつもりではあるが、慢心できるほど世界は平和ではない。いつ、千雨の『力の王笏』を上回るアーティファクトが発現するかわからない。

 

『では、千雨さんは魔法をどんなものだと理解してますか?』

 

理解も何も、と千雨は嫌そうな顔をした。魔法学なんてまともに受けたことがない。どうせ魔法なんて使えねーしぃ、と千雨は半分拗ねたような諦めをもっていたためだ。実際彼女の魔力容量は一般人としても圧倒的に小さい。これじゃ覚えるだけ無駄だろ、と言ってネギを困らせた記憶がある。あれはほとんど八つ当たりだった。

 

『魔法とは、魔力を精神力で制御し、術式で精霊に指示を与えることで起こる現象です』

「へえ」

『精神力の高さによって魔力の制御が上がれば一つの魔法に必要な魔力をロスなく供給でき、術式が正確であればあるほど精霊に捧げる魔力量が少なくて済むわけです。そして込められた魔力と術式の正確さの積を『魔法力』と呼びます。その魔法の効果の高さ、持続力を指す魔法用語ですね』

 

 そして、魔法力は枯渇する。呪いや精神操作の魔法は攻撃魔法と異なり持続性がある。持続性の魔法の効果が切れるとき、それは込められた魔力が全て消費されたか、あるいは長い時間の中で術式が綻び魔法としての形態が崩壊したかのどちらかだ。エネルギーが100パーセント保存される機関は存在しないし、壊れないものもない。それは当り前のことだ。

 

『術式とは、精霊たちへの指示とも束縛とも考えられています。詠唱によって術式の形に精霊たちを固定し、そこに魔力を通すことで魔法使いは超常現象を発現させます。術式が設計図、精霊が配線、魔力が電気と考えればいいでしょうか。余談ですが、異なる属性でも同じ種の魔法があるでしょう。魔法の射手や武装解除などの攻撃魔法に見られますね。ああいった属性の違いは設計図ではなく使われる精霊の種類の違いです。人によって感応できる精霊の属性が異なるんです』

 

 それは魔法学の基本中の基本であるわけだが、千雨はその理論が新鮮だった。ハカセの話にのめり込んでいく自分に気付き、それがなんとなく気に入らなくて千雨はあえて素っ気ない風を装った。

 

「で、それがどうしたよ。何の話がしたいんだあんたは」

『電子精霊の活躍の場はプログラムやネットワーク上にとどまらないという話です』

「お前はあれだ、いつも唐突過ぎる。相手の気持ちがわからないことが天才の条件だったりするのか」

『どの精霊にも言えることですが、彼らには司る属性というものがあります。例えば雷属性の精霊なら、その本質は精霊でありながら雷でもあるわけで』

 

 自分の言葉を聞き流して話を進めるハカセの態度に思うところがないでもないが、一方でなるほど、と千雨は頷いた。ネギのオリジナルスペル、雷天大壮を思い出す。その体を雷の上位精霊とすること、それは術者自身を雷にすることと同義であると知識では知っていた。雷であり精霊でもあるということ。つまり、

 

「それが電子精霊なら、精霊と電子両方の性質をもつってことになるのか」

 

 そして自分は、彼らの能力のうち『電子としての能力』、より正確には電気・磁気・電磁波など『物理的な側面しか』扱えていない。『力の王笏』は『電子精霊群の組織的運用』を行うためのアーティファクトだ。ならば電子精霊群を精霊として、ハカセが言うところの『配線』として運用することは不可能ではないだろう。そこに流す魔力が千雨にないだけで。

 

『魔法に使われる術式、その中身は精霊群です。精霊で構築された魔法を発動させるためのプログラム、と言った方がわかりやすいですか、私が何を言いたいか』

「つまり、あれか? 『力の王笏』はネットワークだけじゃなく魔法にも介入できる、てことか? 術式をプログラムに見立てて、その中に電子精霊群を紛れ込ませることによって、魔力の流れを捻じ曲げられると」

 

 胡散臭げな視線をハカセの後頭部に向けるが、そこで千雨はふと思い当たることがあった。

 かつて魔法世界、オスティアにて千雨は完全なる世界が発動しようとしていた「リライト」の魔法に介入したことがある。あのときは生死がかかっていて必死だったため無意識に行っていたが、あの最古にして最大の儀式魔法に干渉する能力は電子精霊の『物理的な側面』のみを使っていては為し得なかったことだろう。

他にも、魔法世界で使われている魔道具。普段から気軽にハッキングしているそれらの機構はもちろん銅線ではなく精霊群で構築されているし。よくよく考えれば、自分は仮契約によって入手できるあのカードだって乗っ取り、他者のアーティファクトを使用できるのだ。

 とはいえ。

 今更そんな可能性に気付いたところでなあ、と千雨は思う。

 魔力の流れを操れたとして、それが何の役に立つのか。それで3-Aが帰ってくるのなら喜びもしよう。だがそれは不可能だ。精霊をどう弄繰り回したところであいつらは――

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 渦まく魔力。挙動ごとに吹き荒れる余波に、ネギが立つ豪奢で長大な麻帆良大橋がギシギシと震えた。

 二人のやり取りを、ネギは息を飲んで見ることしかできないでいた。

 彼女を見上げているだけでネギはその存在感に膝が折れそうになる。

 目を閉じて、意識を落としてしまえばどれだけ楽か。

 でもそれは駄目だ、とネギは自分を叱咤する。

 自分の従者となることを了承してくれた少女が、最強の魔法使いに挑みかかっているのだ、主たる自分が目を逸らしてどうする。彼女も言ったではないか、自分の従者がどれだけ強いのかを見せてやる、と。

 だから自分は彼女を見ていなくてはならない。彼女の勝利を信じて。

 

「……長谷川さん」

 

 つぶやいた唇に何かが付着した。右腕で拭い、見ればいくつかの赤い粉。人肌で溶け始めたそれから鉄によく似た香りが漂ってくる。

 血だ。

 冷気を纏う千雨の体、その皮膚から噴出する血液は冷気に触れると同時に凍結し霰とあなって周囲にばら撒かれている。

 体に走る無数の裂傷。それがなぜ起こるのかネギには見当がつかない。エヴァンジェリンの『闇の吹雪』を消し去ったことと体が驚くほど冷たくなったこと。これらと傷とがどう関わるのか。

 あんなに血をばら撒いていれば死んでしまうのではないか……そんな不安はもちろんある。援護をしたい。本当ならエヴァンジェリンに向かってなにか魔法を撃つべきなのだ。それはネギも分かっている。それが魔法使いの主従がとるもっともスタンダードな戦術の一つだと。でもそれはできなかった。仮契約カードを介した千雨の声が手出しを止めているのだ。

 手を出すな。

 大丈夫だから。

 全部作戦通りだから。

 不安に泣きそうになる自分を励ましてくれる千雨の言葉を聞きながら、ネギはその小さな両手で子供用の杖をきゅっと握りしめ、高速で離れていく少女たちの戦闘を追いかけた。

 

 

 

 

 

 黒衣があっという間に血に染まった。

 その全てが返り血であるが、いまだエヴァンジェリンは一度も千雨に攻撃を加えていない。

 魔帆良大橋のアーチの上を二人は駆けている。千雨は前進、エヴァンジェリンは後退の形だ。千雨の攻撃を右手だけでさばく。時折振るわれるあのステッキには回避を必要とするため、防御に専念しているエヴァンジェリンはどうしても後退せざるをえない。

 エヴァンジェリンが攻撃に回らないのは、単に手加減の度合いを測りかねているからだ。

 千雨の攻撃は重い。子供のケンカのように振り回される両腕は、二重の身体強化もあるのだろうが、それ以上に意志の存在を感じられる。その身に宿る冷気は鋭く、防御に回しているエヴァンジェリンの右腕を少しずつ凍りつかせている。すでに肘まで動きが鈍くなっていた。

 しかしその代償に、千雨の体には、彼女が動くたび、あるいはその攻撃を受けられるたびに傷が増えていく。すでに制服は元の色を忘れるくらい染まってしまっているし、今も右足から何かがちぎれる音がした。どこかの筋が切れたのだろう。

 まずいな、とエヴァンジェリンは吐血を繰り返す千雨を見て眉をひそめた。

 千雨を死なせるわけにはいかない。エヴァンジェリンは千雨に、彼女が修得した『闇の魔法』の出所を吐かせるという目的があるからだ。しかし自壊していく千雨の肉体はどの程度の攻撃であれば死なずに、しかも行動不能になるのか。魔法使いを砲台に例えるエヴァンジェリンである、そんな繊細さを自分に求めたことなど彼女にはなかった。

 千雨の全身に、独りでに走る裂傷。

 それがエヴァンジェリンをジレンマへと追いやり、千雨の拙い攻撃をただひたすら受けに回るだけの臆病者へと貶めていた。

 

「どうしたエヴァンジェリン、何か聞きたいことがあったんじゃねーのか!」

「血を吐きながら喋るな、行儀が悪い。口の中に物を入れて喋るなと教わらなかったのか」

 

 それにしても、とエヴァンジェリンは千雨を片手であしらいながら思考にふける。

 肉体から勝手に血を噴き出す不可解な現象。『闇の魔法』の副作用か? と思うが、そんなことがあるだろうかと首を捻る。人間が使えば確かに副作用はあるだろうが、それは魔素中毒に近い症状がでるだろうとエヴァンジェリンは予想している。『闇の魔法』を覚えて血が噴き出すなど、理論的にありえないのだ。

 よくよく考えれば違和感は他にもある。『闇の魔法』を使えば両腕には闇の紋章が浮かび上がるはずだ。なのに千雨の腕にはそれが見当たらない。着ている制服は半そでで腕が露出しているのだ。どれだけ高速で動こうとも吸血鬼の眼が捉えられないはずがない。

 そして長谷川千雨は魔力を持っていない、つまり魔法が使えないのだ。なのに『闇の魔法』を習得して何の意味がある? 『暗き闇の型』程度の出力アップなら気の運用を覚えたほうがはるかに実用的で安全だ。

 いくつもの疑問がエヴァンジェリンの中で絡み合い、戦闘中に得られた長谷川千雨についての情報と結びついて、彼女に一つの解答を与えた。

 

「ああ、そうか」

 

 答えはあまりにも単純なものだった。考えがそこに至った瞬間、エヴァは攻撃に転じた。大外から振り回される千雨の左の掌を首を傾げてかわし、ほぼ同時にガラ空きのわき腹に膝を叩き込んだ。

 

「っぐ、う」

 

 体の芯を貫く衝撃に、千雨の細い体が浮く。浮き、アーチから体がこぼれ、飛行も虚空瞬動も使えない千雨はなすすべなく重力に引かれて、落ちた。

 

 

 

 

 

『長谷川さん!』

 

 先生の声がするな、と千雨は体の軋む音の中で思った。念話で響くネギの声に、飛んでいた意識を引き上げた。

 橋側に落ちたのは幸運か、それともエヴァンジェリンが加えた手心故か。多分後者だろうと千雨は思う。

千雨の体は橋道のアスファルトを砕いてわずかにめり込んでいた。障壁すら張れない千雨がそれでも生きているのは、体に纏うネギの魔力と掌握した魔法の属性のおかげである。掌握し体に取り込む魔法の属性によってステータスは異なる変動を見せる。今回取り込んだ属性は氷であり、この場合に得られる恩恵は耐久性の大幅な上昇。しかし落下の衝撃のため千雨の術式兵装は解けてしまっていた。

 千雨の術式兵装は攻撃を受ければすぐ空気中に霧散してしまうほど不安定だ。耐えれて一発。エヴァンジェリンが手加減してくれたおかげで、落下まで術式を体内に抑えることができた。

 とにかく念話でネギに大丈夫だと伝え、エヴァンジェリンは、と視線をめぐらそうとして、

 

「なかなか面白いアーティファクトだな」

 

 千雨の顔を見下ろす位置に仁王立ちする彼女がいた。

 千雨からはエヴァンジェリンが麻帆良大橋の柱を背負っているように見える。仰向けで見上げる巨大な橋桁の迫力に千雨は少し感動する。あんなところまで登っていたのか。高さに気付かないほど必死だったのだろう。

 

「いいだろ。やらねえぞ? お気に入りなんだ」

「貴様は『闇の魔法』を修得しているわけではないな?」

 

 千雨を無視したエヴァンジェリンの言葉は、質問ではなく唯の確認だった。故に千雨は無言でいる。勝ってに喋ってくれるのだ。口を挟む必要は、ない。

 

「おそらく貴様のアーティファクトの能力は『術式への介入と制御』、と言ったところか」

 

 やはり無言。それが肯定と同義であると、エヴァンジェリンは判断した。

 

「その能力で私の闇の吹雪に干渉し、体内に取り込み、術式兵装として制御していた。だから貴様の体には闇の紋章が浮かばない、『闇き夜の型』を体得していないのだからな。しかしそのため制御が中途半端になり体内で私の魔法が暴発しかけていた。それゆえのその全身の傷。違うか?」

 

 違わない。敵の魔法に干渉し『術式固定』をかける段階までは、かつてネギが開発した『敵弾吸収陣』を参考にしている。加えて肉体への『術式装填』は、かつてあの筋肉バカが実演して見せた、言ってみればラカン流闇の魔法。それを千雨は自身のアーティファクトである『力の王笏』で魔法を制御し、再現して見せたのだ。

 ただ減点があるとするなら、千雨が介入できるのは魔法の術式だけではないところか。

 

「そして茶々丸を下したのもその能力か。あいつは魔力で動く人形だからな、その術式に干渉すれば機能不全にさせることも容易だろう」

 

 そんな簡単じゃねえけどな、という言葉を千雨は心に思うだけにとどめておいた。あれは完全な不意打ちで、七部衆全員を干渉に向けて、集中力の全てを注いだからこそできた一発勝負のギャンブルだった。もう一度同じことをやれと言われてもごめんである。が、そんなことを正直に言って敵の評価を下げる必要はないと千雨は判断した。

 

「一瞬で他者の意識を落とす。それができるのは茶々丸などの魔法人形だけ。私には効かないということだ」

 

 そこで一旦エヴァンジェリンはため息をついた。そこにはわずかな呆れと、それ以外を占める感嘆の念が込められていた。

 

「……驚嘆に値するよ。貴様からは何の魔力も感じない、恐らく魔法的素養が特に乏しいのだろう。そんな貴様がこの私にハッタリを効かせ、『闇の魔法』を装い、私に手加減を強制させることで時間を稼いだ。すっかりだまされたよ。あと十分かそこらか、結界が復活するまでは」

「……正確には9分22秒だ」

「そうか……それにしても術式装填、それも『太陰道』か。開発と習得にどれだけの修練を重ねたのやら想像もつかんな」

 

 まあ、到底使い物にならんバッタモノだがな、とエヴァンジェリンは締めくくった。うるせえよ、と千雨は口の中でつぶやく。鉄の味がする唾液のせいで言葉にはならなかった。そんなことは言われなくても知っている。

 こんなもの、宴会芸となんら違いはない。差があるとすれば、芸人の命が賭かっているかどうか。リアルタイムで書き変え続けるプログラム、その変更を少しでもミスれば体内で暴れる魔力は途端に『力の王笏』の制御を振りきって千雨の体を爆散させることだろう。

そんな危なっかしいものを『技』とは言えない。危険を装い周囲の笑いを誘う道化師の『芸』にすぎないのだ。

 だからほら、芸に釣られた観客が、のこのこステージに上がってきた。

 自分を見下ろす幼女をさかさまに見上げながら千雨は頬を引き攣らせた。それがちゃんと笑みに見えたかどうか心配だった。体の震えは隠せているだろうか。寒くて体が凍りそうだと千雨は思う。もう術式兵装は解けたのに。それとも血を流しすぎたのか。

 

「確かに貴様は魔力を持たない、年端もいかない少女だ。だがな、貴様には覚悟がある、思いもある。『太陰道』の習得に流した血を思えば私は敬意すら覚える。傷を負いながらも死に屈せず前に進む姿は戦士のそれだ」

 

 だから、とエヴァンジェリンは言葉を続ける。

 

「貴様は私が手ずからとどめを刺してやる。貴様が、長谷川千雨という存在がこのまま出血多量で無様に死んでいくなど見るに堪えん。礼儀として、きっちりその首をはねてやる」

 

 エヴァンジェリンの右腕が光に包まれる。相転移を繰り返して発生するその光は彼女の気性にどこか似ていた。まっすぐで、近づく全てを切り裂くそれは『断罪の剣』。エヴァンジェリンが開発した、近接戦闘において反則的な性能を誇る『全てを切り裂く剣』である。それを発動しただけで、千雨の攻撃によって腕を固めていた氷が粉々に砕け散った。後には傷一つない、きれいな腕があるだけだ。千雨にできたことなど何もなかった。格の違いを見せつけられた気分になった。

 

「近づくな」

 

 その言葉は、背後から忍び寄るネギに向けられたものだった。背中越しに届く氷の冷たさを感じさせるエヴァンジェリンの声に、ネギは足を止めた。顔は涙でぐしゃぐしゃで、声をあげて泣き出していないことが不思議だった。嗚咽をあげそうなのどを無理やり抑え、ネギがなんとかという体で言葉を紡ぐ。

 

「は、長谷川さ……んを、はなっ放してください。僕の血なら、いくらでも」

 

 その様を見て、エヴァンジェリンはふんと鼻を鳴らす。まるでこちらが人質をとったかのような物言いに少なからず気分を害した。が、それも仕方ないことだろうと思いなおす。ネギはまだ子供であるし、何より時代が違う。殺される名誉、生かされる恥など言って理解できるものではないだろう。だからエヴァンジェリンはネギを無視することにした。

 

「誇れ。私に虫のように虐殺された者は数えきれんが、介錯を受けた存在など五人もいない。痛みもなく一瞬で送ってやる」

 

 エヴァンジェリンが輝く右腕を千雨の首筋に当てた。千雨の体が緊張と恐怖で軋んだことが手に取るようにわかる。どんな気丈な人間でも死を前にすれば誰もが怖気づく。エヴァンジェリンはその長くて血なまぐさい生涯から得られた経験則を再確認した。

 

「最後にいい残す言葉はないか?」

「……――ム、ゼ……」

「ん? なんだ、小声で聞こえん」

 

 エヴァンジェリンが千雨の口元に耳を寄せた。戦士と認めた者の最後の言葉をないがしろにする気は彼女にはないから。

 そして、この距離なら。

 

「『我こそは電子の王』」

 

 どういう意味だ? と疑問を表すより早く、寝転がる千雨を中心に魔法陣が展開した。突然足元に生じた光にエヴァンジェリンの精神はいち早く反応、驚くより先に回避を体に命じた。魔法陣の効果はわからないが、その範囲から外れてしまえば、

 

「なっ!?」

 

 今度こそエヴァンジェリンは驚愕した。自分が纏うマントを千雨が掴み、思い切り手前に引き寄せたからだ。千雨の首には断罪の剣が突き付けられていたままであって、エヴァンジェリンから見ればその行動は自殺行為以外の何物でもない。右手に纏う光がなんの抵抗もなく千雨の首の筋肉を裂いていく。動脈を切り裂くギリギリのところでエヴァンジェリンは反射的に『断罪の剣』を解除し、その自分の行動に一瞬唖然として、『力の王笏』の効果によって千雨とともに意識を落とした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 エヴァンジェリンさんぱないの!

『ところで千雨さんは、ご自身のアーティファクトの能力をどのように解釈していますか?』

 

 突然の話題の転換に千雨は一瞬ついていけなかった。戸惑いながらも答えを絞り出す。

「そりゃあ、『幻想空間』の一種を展開することだろ。私は『電脳空間』て呼んでるけど、そこに精神を送ってなんかこういい感じにだな」

『ふっふっふー』

「何だその笑い、チャットでやっても寒いぞ」

『あーもう千雨さんノリ悪いですね。だから友達が少ないんですよ』

「大きなお世話だ」

『あ、大丈夫ですよ私は千雨さんのこと友達と思ってますから』

「本当に大きなお世話だ」

『先ほどの千雨さんの答えですが、実は間違えています』

 

 あ? と千雨は眼を細めた。なぜ担い手である自分に対し間違いを指摘できるのか。

 

『まあそれでも別に困ることはないんですが。でも正確なところを言うと、『幻想空間』は精神の共有で、同じ夢の中に精神が同時に存在します』

「私のはそうじゃないってのか?」

『千雨さんの言う電子空間は『力の王笏』で電子精霊から送られる情報から構成された仮想現実なんです』

 

 ハカセの説明はこうだ。

精神が電子世界に入っているわけではない。精神をデータのようにコピーし、千雨の脳内に投影しているだけ。コピーが見聞きした五感の情報は七部衆が睡眠状態にある本人の脳へ送り、そこから返ってきた反応をコピーにトレースさせる。言ってみれば遠隔操作式のロボットを操っているようなもの。だから、力の王笏の空間内ではデータによる人間への攻撃が可能であり、しかしコピーを破壊したところで本人には何も影響しない。

 

「待て……そんな簡単に、人間の精神をデータ化とか」

『いやですねー千雨さん』

 

 画面の中で、ハカセが肩をすくめた。

 

『オスティア事件覚えていないんですか? 力の王笏を使って精神データを抽出し、それを他人の精神に送ったのは誰ですかー、もう。そうやって明日菜さんの意識を覚醒させようとしたんでしょう?』

 

 千雨は沈黙した。なんと返信すればいいのかとっさに思いつかなかったからだ。

 人間の精神が魔法学的なプログラムによって成り立っているということは魔法世界の研究者からすれば常識以前の前提として認知されていて、その前提から様々な研究分野が発展している。例えば魔法世界の亜人種が旧世界への移住を目的とした義体などだ。あれは、精神をプログラムと解釈したうえでそのデータをインストールする方法を研究する分野である。

 

『エヴァンジェリンさんの『闇の魔法』習得用スクロール。あれに封じてあるエヴァンジェリンさんを模した人造霊魂なんかは、その分野の研究の先駆けと言えるのかもしれませんね』

 

 思い出すのは、ラカンから渡された『闇の魔法』のスクロール。そこから突然出てきた全裸のエヴァンジェリンには度肝を抜かれた。逆に、実はアレがスクロールの中でレトロゲームに嵌っていると知った時は呆れてしまったものだ。

 あのときの、アレが。

 

『人造霊魂。エヴァンジェリンさんのアレは本人と比べて随分と劣化していたそうですが、一個の自我としてのアイデンティティを確立していました。すごいですよね、自分が誰かの劣化コピーであると自覚しながらも、独り延々とスクロールの中で精神活動を行っていたそうじゃないですか。はたしてオリジナルからしてそうなのか、それともそういう仕様の霊魂なのかはわかりませんが』

「……あのさ、ハカセ」

『はいなんですか?』

「ハカセはさ、研究者だから耐性があんのかもしれねーけどよ。私はあくまで一般人なんだ。自分の自我がプログラムでしかない、なんて話題はあんまり精神衛生に良くないんだよ」

 

 特に、そのことをもっとも身近に感じてしまう千雨だからこそ、この手の話題は避けたいのだろう。電子空間に引きこもり、寝たきりの自分の体を常に外から把握している彼女はどうしたって肉体と精神の繋がりが希薄に感じてしまう。千雨が千雨としての個を確立する要因の中に身体の情報は含まれず、つまり自分の精神性だけで自己の確立を維持しないといけない。それなのに精神がプログラムであるということを強調されると、たまに自分が何なのか、何者なのかなんていう思春期にありがちな悩みを数十倍濃くしたような不安に駆られてしまうのだ。

 

『はあ……それで、さっきの話に戻るんですけど』

「義手の話か」

『はい』

 

 その声からは、後ろめたさをまるで感じない。千雨がオスティア事件のあの瞬間に立ち会ったことを知っているはずなのに、相変わらずの能天気そうな声。なんだか腹立たしくなってくる。自覚していないならその無神経さに、自覚しているのならその悪辣さに。そんなに糾弾したいなら正面から責め立てればいいのに、なぜこいつはいつも顔の見えない部屋を選ぶのか。

 後ろ姿しか見せてくれないのか。

 

『千雨さんにしてほしいことはですね、触覚の認識を電子精霊によって解析することです』

 

 千雨は悲鳴をあげそうになった。やめてくれ。なんで私をそんなに苦しめるんだこいつは。電子空間の底で、千雨は頭を抱えてうずくまった。

 五感というクオリアまで0と1で解析できてしまったら、それこそ今の自分がただのデータでしかないと認識してしまう。

 精神がプログラムであるとただ知識として知っていることと、それを実感として認識してしまうことの間隙はあまりにも広い。そして自身がプログラムでしかないと完全に理解してしまえばその人間は発狂してしまうだろうし、千雨は自分がその領域に既に片足突っ込んでいることを自覚していた。だから最近ではそういった類の情報、つまり精神データやプログラムの研究、人工知能についての話題についてもシャットアウトするようにしていた。

 

『私も魔力が使えません』

 

 目の前に投影されたハカセの言葉に、千雨は頭を挙げてモニターに目を向けた。

 

『そんな私が求める義足には、電子精霊を操り魔力を用いず人間の心を解析する千雨さんの能力必要なんです。それがあれば、今世界中で生まれている悲劇の数パーセントでも減らすことができる。そう私は信じています』

 

 現在世界中で行われている戦争は、その規模に反して死者が少ない。『不殺戦争』などと呼ばれていたりするわけだが、それは各陣営のトップの良心によるものではない。魔法使い側は一般兵より圧倒的に死ににくく、一方で魔法使い側の全ての陣営が、敵兵をあえて殺さない方が負傷者の治療に金も手間もかかると知っているからだった。

 だから、ハカセのような両足の欠損などでは今時たいして同情を引けるようなものではなく、そういった患者の社会復帰支援と生活保護による財政の圧迫は一般人側では深刻な社会問題となっていた。

 

『私は、足が欲しいです。生身の足と同じように感じられる足が。だから協力してください』

 

 最後はシンプルな言葉だった。その裏にどれほどの感情が隠れているのか、そのくたびれた後ろ姿からは想像できなかった。

 常に千雨の胸を占める感情。それはネギにも同じものがあるはずだと千雨は思っている。自分さえいなければと、自己嫌悪と呼ぶには少しだけ屈折した感情。

自分さえいなければ、彼女は死なずに済んだ。

自分さえいなければ、彼女達は平和に過ごせていたはずだ。

自分さえいなければ、世界は平和だったはずだ。

頭の中を埋め尽くす、幾つもの自分さえ、自分さえ、自分さえ。

 それを消し去るためにネギは必死になっているし、千雨がネギにつきあっているのも彼と同じ理由からだった。それをハカセは知っている。知っていて彼女はこんなセリフを吐いている。最悪だ、と千雨は拳を握り、思う。こちらの精神的な急所を突くやり方も、その言葉に千雨が断れないことも。

そして、その果てに自分の中で渦巻くこの感情が少しでも消えてくれることを期待している自分が、多分誰よりも最悪だった。

 なあハカセ、と千雨は後ろ姿しか見せてくれない彼女に、心の中で問いかける。

お前は一体、どんな顔で私を友達と呼んだんだ。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 初めは麻帆良湖に落ちたのかと思った。自身が水没する音がして、周囲には気泡が纏わりつき、大小さまざまな魚影が見える。しかし違う。呼吸ができることがおかしいし、視覚的には水中にいる筈なのに体は濡れていない。なにより、

 

「闇の精霊 29柱!!」

 

 どこからともなく現れる魚群が、エヴァンジェリンへと突撃してくるのだ。

 それらはクロマグロであったり、カジキマグロであったりと湖には存在するはずもない種だ。どれも重量にして400キログラムを優に超えるような巨体がその鋭い口をエヴァンゲリンに向けて猛スピードで迫る。それを召喚した精霊たちが駆逐していく。駆逐し終われば間を置かずに別の魚群が迫りくる。今度はシャチとサメの混合群、数は視界を全て埋めるほど。舌打ち一つ、無詠唱で闇の吹雪を4つまとめて正面から叩き込めば、闇と氷の渦に巻き込まれて群れの中心に穴が生まれた。その隙間の果てに、吸血鬼の視力が一瞬だけ人影をとらえた。

 長谷川千雨である。

 

「いたな」

 

 笑みを浮かべると同時にエヴァンゲリンは瞬動。吸血鬼の身に備われている魔力を十全に発揮したそれは、闇の吹雪で生まれすでに閉じかけていた群れの隙間に、その矮躯をねじ込ませた。

 魚群を抜けて開けた視界の先で、長谷川千雨は例の杖を振り回しながら、様々な魚を虚空から作り出している。幾十もの発光する緑の線が千雨の杖の動きに従い曲線を描き、絡み合い、魚影を形作る。それらは千雨のもとから離れ、加速とともに先端から順に魚らしい色と光沢をまとい、エヴァンジェリンへと突貫する。それらを鎧袖一触、爪の一振りで粉砕しながらエヴァンジェリンはさらに加速し千雨に迫る。残りは距離にして1キロ、時間にして3秒――無慈悲な数字が七部衆から千雨の耳に伝えられる。

 

「ひっ」

 

 千雨の表情が驚愕に凍る。

 起動途中の攻性プログラム他3つのアプリの起動をキャンセル、余剰のリソースで別のプログラムを即起動させる。緑のワイヤーが一瞬で解かれ、束ねて一つの巨大な魚影が形成される。

それは魚ではなかった。

千雨の体とは比較するのもばからしい、シロナガスクジラの巨体が一瞬で彼女の目の前に現れた。

 大きく開かれたその口に、エヴァンジェリンは亜音速で突っ込んだ。

 

「暗い、だと?」

 

 バグンと口が閉じ、一瞬で暗闇の中に封じられたエヴァンジェリンは行動に躊躇が生まれる。闇夜の住人である彼女の視覚は光を必要としないゆえに、完全な暗闇の中でも視界に不自由しない。にもかかわらず閉じられた口腔内で、エヴァンジェリンは600年ぶりに暗闇を味わうことになった。

 それはこの空間が、電子精霊を経由する五感でもって認識されるものだからだ。これが単純な幻想空間であれば彼女の眼球は暗闇などものともしないが、電子精霊群によって闇と定義された空間内では、エヴァンジェリンの脳がそこを暗闇と認識してしまうのだ。

 そこにたかるホオジロサメの群れ。クジラ型の攻性プログラムに、多数のサメ型浸食ウイルスを潜ませておいたのだ。動きが一瞬止まったエヴァンジェリンの細い腕に、脚に、髪にマントに脇腹に、サメの鋸歯が突き立てられる。が、

 

「ふん、なんだこの軟弱な雑魚どもは」

 

 文字通りまるで歯が立たない。少女の矮躯を食いちぎろうと、サメの膂力でもってその身を上下左右にのたうたせるがビクともしない。サメ型のウイルスは実はわずかずつエヴァンジェリンのデータ本体に浸食しているのだが、真祖の吸血鬼の精神を構成するデータ量があまりにもデカすぎるため、本体に痛痒を感じさせるほどにも至っていない。

 エヴァンジェリンは腕を広げ、無造作に回転した。それだけでウイルス群のうち半数は彼女の体から振りほどかれ、残りは回転の負荷に耐え切れずその体を引き裂かれた。

次いで再び『闇の吹雪』。今度は8本を、闇の中八方に向けて同時に放つ。数秒の間を置いて、エヴァンジェリンの放った魔法は千雨のクジラ型攻性プログラムを内から破裂させた。

 崩壊したプログラムの残骸から回転の余波をまといながら現れたエヴァンジェリンはすぐさま視線を巡らせる。

 

「まだ逃げるか」

 

 目を向けた先、千雨は大きなエイの上に、魔法の絨毯よろしくあぐらをかいていた。こちらに背を向け、魚類にしてはなかなかの速度で一心不乱に逃げている。

 瞬動。虚空を足場に宙を翔け、クジラで稼がれた距離を一瞬でゼロにした。

 獲った。確信とともに振るわれた爪が、千雨とエイに迫る。戦車を三台まとめて三枚におろせる爪の斬撃が容赦なく女子中学生の柔肌に襲い掛かかり、砕いた。

 

「む?」

 

 ガラスを割るような破砕音がエヴァンジェリンの耳を貫く。千雨の体は細かな金属片のように散らばり、それに連動してエヴァンジェリンを囲む形で、空間全体に亀裂が走る。

 

『ありがとよ、エヴァンジェリン』

 

 声がした。たった今砕いたはずの少女の声。否、ここに至ればだれでも気づく。あれはトラップだった。自分を誘導し、目的の何かを破壊させた。おそらくは障壁。立ち入りを禁じる魔法的な何かを、今自分は破壊してしまった。

 

「長谷川、千雨……!」

 

 嵌められた。利用された。この、600年を生きる闇の福音が。

 やつの目的とする何かが、この先にあるのだろう。そこに至る道を自分がわざわざ作ってしまった。

 

『あんたが防壁を破壊してくれたおかげで、私は本命にたどり着けた。ファイヤーウォールはどうにでもなるけど魔法方面はな、こんだけ硬いとどうにも』

「本命? それは、」

『お礼に、一つあんたにプレゼントだ』

 

 どこからか聞こえる千雨の声に答えながらも、エヴァンジェリンは周囲の気配を探る。魔法で声を届けているならその魔力を辿った先に長谷川千雨はいるはずだ。意識を集中し、魔力に対する知覚を鋭敏にさせる。

 その時、エヴァンジェリンの背筋に悪寒が走った。

 そこで周囲の空間が、より高い音を立てながら一斉に砕け散る。意識を集中させていたエヴァンジェリンは思わず眉をしかめ、一瞬目を閉じてしまった。再び目を開けた先は、先刻まで自身がいた海中から元の麻帆良大橋に様変わりしていた。

 右手には千雨の頭を膝に乗せた、所謂膝枕をしているネギがいる。大量出血している患者の頭を上げてどうすると思うが、それよりネギの表情の方が気になった。彼は呆然とした表情で何かを見つめている。目覚め、立ち上がっていたエヴァンジェリンが目に入っていない。一体なんだ、とエヴァンジェリンがネギの視線を辿ると、その先は麻帆良と外の境界、つまり結界の縁だ。

 エヴァンジェリンが目を細める。

 そこには、一人の男がいた。

 

 吸血鬼としての感覚が告げる。あれが自身を縛る呪いを司る精霊であると。

 魔法使いとしての知識が囁く。あれを叩き潰せば呪いもまた消滅すると。

 戦闘者としての本能が警告する。あれは、極大の脅威であると。

 

 男は白いローブを纏っている。手には長くて頑丈そうな杖を握っている。目深にかぶったフードの端から赤い頭髪が覗いている。

 そこに宿る魔力は、この十五年間ずっと感じていたあの憎らしい呪いのものと同じであった。

 そういうことか、とエヴァンジェリンは納得を得た。先ほど感じた悪寒はこれだったのかと。

 

「これは長谷川千雨のしわざか? だとしたら、悔しいがいい計らいだ……これほど殴りやすい姿はない」

 

 呪いの具現化した姿は、かつて自分に呪いをかけたまま姿を消した『あのバカ』と同じカタチをしていた。

 

 

 

 

 

 

「死ぬかと思った」

 

 グタリと弛緩した体をキーボード型魔法陣に預けて、千雨は誰にともなく呟いた。

 電脳空間内、精神や五感がプログラムとして存在するこの空間では本来千雨は万能の存在であるはずだった。

 電子の王たる自分に電子空間で敵う者などいない。そう思っていた。

 その自信は粉々に砕け散った。

 

「……なんだあれ、あんなの反則だろ」

 

 エヴァンジェリンを構成するデータの大きさと重さ。あんなもの、どうやって立ち向かえと言うのか。

 

「どんだけデータ量があるんだって話だ……」

『まあ吸血鬼ですし』

『600歳ですし』

 

 七部衆が二匹、『こんにゃ』と『ねぎ』があぶあぶ言いながら千雨の周囲を飛び回っている。二匹の言葉を聞きながら、千雨は先の出来事を反芻した。

 そもそも初めからおかしかった。人間を電子空間に引き込む時とは全く異なる手ごたえ。エヴァンジェリンのあまりの重さに電子空間そのものが処理落ちしかけた。人間とはケタどころか単位が違う。それも二つ。恐らく『力の王笏』の持つ処理能力全てを費やしてエヴァンジェリンのデータにクラックをかけても、髪の毛一本を削れるかどうか。宮崎のアーティファクト『いどのえにっき』があればワンチャン、といったところか。

 その精神の重さは人外の吸血鬼ゆえか、あるいは600年を生きたがゆえか。

 

「つくづく規格外だなあ」

 

 全くもって非常識。常識から外れた規格外。あんなもの、まじめに相手にする方がバカげてる。たぶん現実の自分の体は今頃吐血していることだろう、ストレス性の胃潰瘍で。

 だが、それだけの価値はあるはずだ。

 

「調子はどうだ『しらたき』」

『問題ありません、ちうさま。監視カメラ全線を配下に置きましたー』

「よし、映像回せ。『こんにゃ』」

 

 もはや要塞と化した魔法陣の塊の中心で、千雨は矢継ぎ早に指示を出していく。視界の隅にさりげなく投影されるモニターには、対峙する二人の魔法使いが映し出されていた。

 片はエヴァンジェリン、言わずと知れた真祖の吸血鬼。野生の獅子が獲物を見定めた時に見せる、愉悦と食欲の発露たる笑みが口元に浮かんでいた。

 片は赤い髪の青年。ガラスのような目つきに何の感情も籠らない口元。機械じみたその動きは、入学式にて初めて見た茶々丸を千雨に思い出させた。

 

「あれがネギ先生の親父かあ……映画で見たより老けてんなやっぱ」

『あの記録映像より6年ほど経過したものかとー』

 

 そうだなー、とこんにゃに軽く返して、千雨はさらに自分のすべき作業を進める。麻帆良結界への電力供給システムへのハッキング。ダウンしてしまった茶々丸の作業を引き継いだ形だ。これでエヴァンジェリンに制限はない。

 

「記録はどうだ、ちゃんと撮れてるか?」

『はいー、超高画質で常時八方向から撮影が行われています』

『完璧だネ』

『ネッ』

 

 よし、と千雨は頷いた。

 今夜千雨が実行した作戦の目的、その一つは『神木・蟠桃』を守る魔法的防護機構の破壊。蟠桃は自身の大きさ、魔力を取り込み発光する特異さを隠すために様々な防御手段を張り巡らしている。障壁の他にも、例としては認識阻害を周囲にばらまくのもそれだ。蟠桃が存在することでその周囲がオカルトスポットとして有名になってしまうことを避けるため、魔法使いが常駐し機密保護に動いている。

 

 そしてもう一つの目的が、エヴァンジェリンの戦闘アルゴリズムの入手。

 それもなるべく近接戦闘がいい。600年の実践を経て積み上げられ組み立てられ研磨された吸血鬼の戦闘技術。千雨はエヴァンジェリンの600年全てを盗み取るつもりだった。

 そのためにはエヴァンジェリンを本気で戦わせなくてはならない。だがエヴァンジェリンの本気に匹敵する存在がこの世にどれだけいるのか。電脳空間内の自分でも不可能だった。高畑だって無理だろう。それこそ英雄と呼ばれる人種でなければ話にもならない。

 よってお呼びとなったのがこれ、ナギの劣化コピーであった。

 登校地獄の呪いの術式に、ネギの持つ杖に残された術式の痕跡の数々。『力の王笏』でそれらを読み取り、解析し、抽出したデータから再構築したナギ・スプリングフィールドの戦闘経験をデジタルで表現した疑似人格。それはセーブデータからゲームのプログラムをトレースするようなもので、出来上がったものは既製品に比べれば当然劣化が見られるけれど、楽しむ分には問題ない。

 そうして得たナギ・スプリングフィールドの疑似人格は言語を解さない、ただの戦闘人形にすぎないが、今回はそれで十分。それをエヴァンジェリンを縛る登校地獄の呪いの精霊に、アスナ姫と同様仮人格として上塗りし、実体化モジュールを用いてナギの姿で実体化させた。

 あとはエヴァンジェリンにぶつけるだけ。吸血鬼の感覚で目の前の存在が呪いの核であることは一目で看破してくれるはずだし、加えて外見をナギのものにしているのだ、勝手に突っかかってくれるだろう。

五分だ。

戦闘が5分も継続してくれれば、エヴァンジェリンの戦闘アルゴリズムを丸裸にできる。

 

「じゃ、頑張ってくれよエヴァンジェリン」

 

 呪いに縛られた闇の福音と、戦争の英雄の劣化コピー。互いに全盛期に劣るとはいえ、それでも千雨が如き凡人からすればまさに天上の戦いと言えるそれが、今始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いは17秒で終わった。

 エヴァンジェリンの完勝である。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 戦後のあれこれ(もしかして:バタフライ効果)

『千雨さん千雨さん』

「あれ、ハカセか? 珍しいな」

 

 だいたい3か月ぶりの通信である。相変わらず後ろ姿しかこちらに見せてくれない。今日はその長い髪を一本の太い三つ網にして背中に垂らしている。

 

「触覚の構築プログラムはまだ締め切り遠いよな? あれ、勘違いしてたか私?」

『いえいえ、今回はそれとは別件なんです』

 

 ハカセは流れる動きでキーボードを操作して、こちらに画像ファイルを転送してきた。展開すると、それはどこかの建物の見取り図らしい。

 

「なんだこれ?」

『実は千雨さんの電賊としての能力を見込んでお願いがありまして』

「……法律を犯すような行為は慎みたいんだが」

『いえいえ、特に誰かに迷惑をかける話でもないんですよ、多分』

 

 はあ、と千雨はため息を吐いた。

戦争が始まるより前は論文の投稿や学会参加など研究成果の公開という場は当然のように設けられていたのだが、戦争が始まってからはあらゆる技術や研究成果が軍事機密としてプロテクトされるようになった。なので他国の技術情報を手に入れるために、ハカセは時々こうして千雨に『お願い』することがあるのだった。

 

「いやいいけどよ。なんでそれで見取り図? つうかどこだよこれ」

『MITの情報系の研究棟ですね』

「……MITかー」

 

 かつて千雨はMITの研究室に探りを入れたことがある。特に何が目的だったと言うわけではなく、ハカセに依頼されていた新しい電子防壁のプログラミングが行き詰っていて、なにかヒントになるものはないかという、あえて言葉にするなら刺激を求めての探りだった。なにもそのテクノロジーの深い部分まで調べ尽くすつもりはなく、今何を研究していて何ができるようになっているのか、それを知るだけで十分閃きが得られるのだ。

 だがそこで思わぬ反撃を受けた。ある情報系の研究室を保護していたアンチウィルスプログラム。旧世界の電子精霊を用いない技術では千雨の『力の王笏』に敵うファイヤ・ウォールなどあるはずがない。ペンタゴンのセキュリティすらほぼ素通りに近い感覚で突破できるのだから。なのにその研究室のアンチウィルスプログラムは領域に入った千雨を即座に発見し、電脳戦で千雨と互角の戦闘を繰り広げ、退却に徹した千雨を猟犬のごときしつこさと正確さで追い回した。このとき千雨は世界中に展開されていた軍事衛星のセキュリテイをバリケードにしながら逃走し、世界を8周したあげくに一番避けたかった最後の手段、マホネットへの退避をすることでようやくその追跡を巻くことができた。

 あのプログラムは何だったのだろう、と千雨は今でも恐怖とともに思い出す。こちらのばらまくチャフやデコイをことごとく看破し、臨機応変にこちらの逃走経路を割り出し、時には先回りまでしてのけた。

 あの動きはプログラムというより、まるで生きているかのような――

 

『実は、この研究室には妙な噂がありまして』

「……噂?」

『1995年に起きた大規模サーバーテロ、覚えていますか? 覚えていなければちょっと調べてください』

「ああ、いや、覚えてるよ」

 

かつて、あらゆる映像メディアやネットにつながったパソコンで放映された、怪物と少女の戦闘シーン。それを前後して行われた金融機関など情報をメインに扱う施設への破壊活動。千雨は当時の社会の混乱を断片的にだが思い出せる。父親が勤めていた証券会社が危うく倒産というギリギリのところまでいったらしく、そのころの千雨家は非常にピリピリしていた。

 

『そのとき流れた少女と同じ姿をした女性が目撃されていましてね』

「……ああ? 他人の空似じゃねえの?」

『MITにて、女性が入ったはずの部屋から消えたという目撃情報もあります』

 

む、と千雨は押し黙った。

あの事件の直前、世界中で同じ外見をした少年が現れて破壊活動を行った。監視カメラの映像もあり、国際警察はその少年を国際指名手配していて、いまだ捕まっていないどころか目撃情報も手に入っていないらしい。

 

『ただ世界中に流れた映像に映る女性と似ている、というだけなのでその方が指名手配されているわけではないのですが。その「映像の女性」が、指名手配された少年と同じようにある場所から出たり消えたりする、というのは何かある気がしませんか?』

 

まさか、『転移』の技術がMITでは開発されている? 千雨はそう思った。その技術を使って少年が大規模なテロを犯し、同じ技術を持つMITの女性がその少年を止めた。あの怪物と少女の戦闘シーンがなんの意味を持つのかは分からないが。

そして、転移についての考察はハカセも同じだったらしい。

 

『ちょっと千雨さん見てきてくれますか。その転移の噂の正否の確認だけでもいいんですが、できればそのシステムを調べてきてください。あと本当にできればその転移技術をコピーしてきて、あと高望みをすればMITのその転移技術に関するデータは削除してきてください』

「無茶言うなバカ」

 

 本当は侵入するだけでもごめんなのだ。

 が、千雨は心の中にわくわくしている自分がいることも自覚していた。かつて油断と準備不足があったとはいえ、『電子の王』を名乗る自分を敗北一歩手前まで追い込んだプログラム。否、一歩手前どころかあれは敗北と言っていい。マホネットに逃げ込むなど、格闘技の試合に戦車を持ち出すことに等しい。この私が敗北したままであっていいのか。そう自問すれば即座に否の声が胸に響く。

 やってやろうじゃねーか、と千雨は頬を釣り上げた。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 未練があったのだろう。

 エヴァンジェリンは自分の中にある感情を悟った。

 いつかきっと、と思い続けて。諦めるなんて死んでもできない。心の底に沈殿したナギへの思いは、未だ溶解しないまま残っていた。

 登校地獄の呪いは、そんな男が唯一自分に残してくれたもの。こんな考え方はやはり未練がましいのだろう。まるで闇の福音らしくない。呪いにくくられていることも、未練をいつまでも残していることも。

 

 その呪いを断つためにナギの姿を破壊しなくてはならないとは、本当にいい趣向だ、とエヴァンジェリンは廊下を歩きながら苦笑を浮かべた。

 

 信じたくなかった。

 ナギが死んだなどと言われても、いつか会いに来てくれると信じていた。

孤独に飽いた自分の傍にいてくれる誰かを求めていた。だが隣人を求めるには自分はあまりにも有名すぎた。

 近づいてくる者は敵だけ。

 なのに強制的に学園にくくられ、意図せずして平穏を得てしまった。

 ぬるま湯のごとき日常と、その中で与えられる出会いと別れ。世界樹が自身を守るために放つ認識阻害の結界が、エヴァンジェリンへの認識を一般人から誤らせる。『自分と一緒に卒業したエヴァンジェリン』は、目の前にいる『中学一年生の少女』とは別人だと認識させた。三年ごとに繰り返される世界樹による認識の阻害。そんなこと闇の福音には何の意味もない。出会い、裏切られ、別れる。それを何百年と繰り返した自分にはむしろ当たり前のことだと、そう自分に言い聞かせた。

 むしろ孤独であってこその闇の福音。

 にもかかわらず学園長は、メガロ出身の魔法使いとの間に立って緩衝材となってくれていた。サウザンドマスターに倒されたからと本国に懸賞金を取り下げるよう走り回ってくれたのも奴だ。

 麻帆良中学のOB・OGである魔法先生を自分の担任にしてくれていた。皆自分の特殊な事情に理解がある。魔法関係者や魔法生徒は自分への認識阻害が効かないことを知った。

 侵入者の位置の報告という、力が封じられていてもできる仕事を割り振ることで、『エヴァンジェリンは学園の警備に協力している』と、周囲への印象を良くしようと骨を折っていることも知っている。

 それらのことに、感謝している自分がいることも気づいている。

 つまり自分は、今の生活が好きなのだろう。だからそれを守ってくれる学園長やタカミチなど魔法先生に感謝の念が浮かぶのだ。魔法先生などどいつもこいつも甘々なお人よしで、ナギが呪いを解きに来なかったのも、きっとそれが正しいことだと思っていたからか。

 麻帆良でなら、私が光の中で生きることができているとわかっていたから。

 

――だがな、ナギ。

 

 悲しみを覆うような、曰くしがたい笑みを浮かべる。

 

――私はプライドが高いんだ。ただ与えられた平穏など性に合わん。

 

 施しなどいらない。ただ与えられる者は飼われる豚と変わらない。

 弱者に与えることがマギステルマギの役目なら、それを拒絶することは悪の魔法使いの義務だろう。

呪いを勝手に解いて、自分は完全に信頼を失うだろう。メガロメセンブリアへの懸賞金撤回の口実もなくなる。学園の人間たちは落胆するだろうか。信じてたのに、と。

 

――まあ、それも一時のことだ。

 

 それらの信頼は学園長、あるいはタカミチが取り計らうことで得られたものだ。それを今エヴァンジェリンはゼロにした。あるいはマイナスか。だが、

 

――信頼だって、勝ち取るものだろうさ。

 

 笑みは深まり、声が漏れ、ついには高笑いとなる。

 

 ――そうさ、欲しい物は自分の力で手に入れるのさ。なぜなら。

 

「なぜなら我が名は闇の福音、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル!」

「なにしちょるのお主」

「のわあっ!」

 

 後ろには、いつのまにか学園長、近衛近右衛門がいた。呪いが解けてテンションがアッパーはいったエヴァンジェリンに訝しげな視線を向けている。

 

「どうしたのかねこんな時間に。わし今ちょっと忙しいんじゃけど」

 

 よく見れば、普段は整えられているひげやらちょんまげやらが幾分か乱れて見える。書類を抱えて向かう先は学園長室だろう。この廊下の先にはそれしかない。近右衛門の先導に従い、学園長室に通される。

 椅子についた近右衛門の前に立ち、エヴァンジェリンは頬の熱さを自覚しながら、取り繕うため一度咳を挟み、

 

「報告をな。あれだ、呪いが解けたんだ」

「おお、今日は停電の日じゃからの」

「え?」

「え?」

 

そろって首を傾げる。どうも情報伝達がうまくいっていない。

 

「呪い? 魔力封印ではなく呪いの方が解けたのかの?」

「ああそうだ……というかちょっと待てじじい。貴様なんで私が『停電の日に魔力が復活することを知っている』という前提で話す?」

「え、だって知っとるじゃろ」

「いや、というか私の魔力を封じている結界があると知ったのがつい最近だ」

 

学園長は、えー、となんか逆立ちして歩く猫をみたような顔をした。

麻帆良結界に電力を使用するようになったのはおよそ三十年前。それはIBMPCが開発された時代であり、魔法使い側からすれば電子精霊が観測された頃でもある。この頃から魔法と工学の融合に向けての研究が魔法世界でも始まり、その研究成果の一つに電力から魔力を、魔力から電力を生み出す機構があり、学園都市を守る麻帆良結界にはそれが使われている。

 

「そんなわけないじゃろ、今までだって停電になってたわけじゃし。お主が麻帆良に来てからも毎年、年に二回、お主の魔力は復活していたはずじゃが」

「え、いやだって、停電の時は魔法球の中で寝てたし」

「毎回?」

「毎回」

 

 沈黙。

 

「伝え忘れていたわい、すまんの」

「いや、いい。気づいていなかった私が悪い……ん? 停電中でも予備電力が結界に使われているんじゃないのか?」

「それは病院とか、命に関わるものを賄うのでギリギリじゃな。魔法関係者で結界の代わりが務まるのじゃからそちらには回さん。というか停電中に結界のメンテナンスをしとるわけで」

 

 近右衛門は今の会話に違和感を覚えた。思い出し、記憶を三回ほど反芻して確認して、今自分の耳が捉えた違和感の正体に気付いた。

 エヴァンジェリンが、謝った?

 

「それなら停電の日くらいは麻帆良結界周辺の警備に参加させてもよかったんじゃないか?」

「……ん、いやそれは無理じゃ」

「無理? 何故だ」

「大停電で麻帆良結界をいったん解除するのはの、魔法生徒の演習をしているからじゃ」

 

麻帆良には世界樹という強力な魔力を宿す存在がある。それに引きつけられた低級霊や妖の類は麻帆良結界に邪魔されて中に入ることができない。だがそのままでは麻帆良の外側に妖魔が溜まる一方である。なので麻帆良ではそれらの駆除と魔法生徒の演習を兼ねて年に二度結界を解除し、彼らに防衛戦の訓練を施している。

一つの拠点の防衛技術。それは難民キャンプや紛争地帯での医療テントを守る上で最も必要とされる力だ。

 

「なるほど、じゃあ停電の時間帯が8時から12時という時間なのもそこか」

「丑三つ時を挟むと霊や妖が活性化してしまうからの。魔力に引き寄せられるほど低級であっても万が一はある。ああそれと話は変わるんじゃが」

「なんだ?」

「あの呪いをどうやって、誰が解いたのかが気になっての」

「長谷川千雨」

 

 借りができた、とエヴァンジェリンは思う。

 いつか返さなくてはならない大きな借りだ。

 借りとは、呪いが解けたことではない。それは奴の作戦のうちで、ネギを襲う理由を自分から無くすためでしかない。奴が悪の魔法使いを利用して、何らかの目的を果たそうとしていること。そしてそれを一部であれ果たさせてしまったことだ。奴の目論見どおりに自分が動いてしまった。

 まったくもって気に入らない。

 弱いくせにこの闇の福音に歯向かい、最強状態の自分からこうして逃げおおせた。自分を利用するというおまけまでつけて。

 ニタリ、とエヴァンジェリンの顔が歪む。その笑みと呼ぶにはあまりに禍々しい表情の裏で心に誓う。

 奴が何を企んでいるのかは知らない。だがそれが麻帆良に害を為すものであったなら躊躇しない。麻帆良はこのエヴァンジェリンの領域なのだから。

むしろそうなってほしいとすら思う。そうすればこの借りを、熨斗を付けて返してやれる。

 

 ――闇の福音を舐めるとどうなるか、身をもって教えてやる。

 

とかなんとか考えてるエヴァンジェリンの表情を見て、悪い顔じゃなあ、と近右衛門は思った。

 

「長谷川千雨、というと今麻帆良病院で治療を受けている生徒じゃな? 報告はあがっとるよ」

 

学園の魔法先生たちは、警備の面から生徒たちを四つに分けて対応している。

一つ目はもっとも数が多い一般生徒。魔法も気も知らず使えもしない、魔法を秘匿すべき一般社会に生きる学生である。

二つ目は特殊生徒。魔法やその風俗についての知識はないが、一般人からは逸脱しており麻帆良の外では異常者として扱われかねない生徒を指し、3-Aでは相坂さよや葉加瀬聡美がそこに分類される。また、我流あるいは家系として独自の魔法や気、それに準ずる技術を習得している生徒も含まれ、古や長瀬楓などがそれに該当する。

三つ目は魔法生徒。彼らはクラスの警備の為に各クラス二、三人ずつ配属されている。その実力はなるべく均等になるように割り振られていて、3-Aでは神鳴流の桜咲刹那と見習いの春日美空がそこに含まれる。あと龍宮真名がいるが、彼女は神楽坂明日菜と近衛木乃香に何かあった場合に即対応してもらうという契約を学園と結んでいる臨時の傭兵扱いであり、魔法生徒としての仕事をしているわけではない。まあ人手が必要な時はたまに刹那と一緒に警備の仕事を回されたりはするが。

四つ目は要注意生徒。これはさらにVIP扱いと危険人物の二つに分けられ、前者は神楽坂明日菜と近衛木乃香、ザジ・レイニーデイに雪広あやかの四人が、後者はエヴァンジェリンと超鈴音の二人が挙げられる。こういった生徒は毎年数人現れるのだが、警備・監視の都合上学年ごとに一つのクラスに集められる。

そして千雨はそのなかの一般生徒に属する、特筆すべき点のない生徒の一人だった。

 

「彼女がどうかしたのかの?」

「奴が呪いの精霊を実体化させてな。それを私が粉砕してやった」

 

なんと、と近右衛門は素直な驚きを見せた。しかしすぐ矛盾に気づく。

 

「じゃが、治療にあたった魔法先生からの報告では、彼女は一般人としても魔力容量が低い方だとあったが。そのため治癒魔法をかけすぎると余剰魔力で身体に異常がでると」

「ああ、奴は魔力容量が低い、まともに魔法が使えんほどに。だが他人の術式に介入するアーティファクトを得た。ぼーやと仮契約することでな」

「ふむ、それを使って呪いをいじり、精霊を実体化させたと」

 

 確かに、精霊の実体化自体は難しいことではないし、術式を多少いじるだけでいいから魔力も必要としない。問題なのはいじる術式の構成の把握だ。だがサウザンドマスターがかけた登校地獄の呪いの術式はもはやオリジナル魔法と言ってもいいほどめちゃくちゃな改変がされていた。エヴァンジェリンを麻帆良の警備員とするために麻帆良に縛る術式がまず加えられていて、さらに呪いを麻帆良結界とリンクさせ、結界を超えた侵入者の存在をエヴァンジェリンに伝える機能を付加させた。

そんな複雑な術式のアレンジをナギはその場の思いつきでやってのけたのだ。その術式構成を正確に把握することからして難しい。なにをどういじれば精霊を実体化できるのか近右衛門は検討もつかなかった。はたして長谷川千雨という生徒が手に入れたアーティファクトはどんなものなのだろう。

 

「しかし仮契約、か。それも一般生徒と」

 

これが例えば、出生の理由から魔法組織の庇護を終生必要とする神楽坂明日菜や近衛木乃香であれば問題はなかった。彼女たちなら、ネギから魔法がばれても麻帆良学園あるいは関西呪術協会の中で守ることができる。

しかしネギが選んだのはなんのとりえもない、あったとしても常識の範囲を超えない一般生徒だった。いずれは学校を卒業し、麻帆良から離れていくだろう少女である。

 

「彼女がもとから魔法を知っていた、という可能性は?」

「ないな。二年間同じクラスだったが、そんな素振りを見せたことはない。それにぼーやとの接点もほとんどないしな」

「それはなんとも、不思議じゃのう」

 

 なぜそんな生徒が自分から首を突っ込みネギと仮契約を結んだのか。魔法を知って間もないはずなのに、エヴァンジェリンの呪いに介入できるほど術式に精通している、という点も矛盾している。

 

「ああ、これは学園側としても長谷川千雨本人に話を聞く必要があるだろう?」

「まあのう」

「そしてその内容はこれから警備に参加する私にも聞く権利があるよな?」

「む、お主警備員の仕事をするのか?」

「ああ。結界の外に出れば魔力が復活するからな」

 

ほほう、と近右衛門は驚きの声をあげた。そして同時に困惑する。

 

「なんだその顔は」

「いや、意外だと思っての。てっきりナギを探しにでも行くのかと」

「ナギは死んだ。現実にも、私の中でも。その知らせを私に伝えたのは貴様だろう」

 

 その声はどこかすっきりしていて、今までのエヴァンジェリンからは考えられない声色だった。ナギの話題をエヴァンジェリンに振るのは電子レンジに生卵を入れるくらい危険なはずなのだが。

 

「お主がそれを言うとはのう。一番その……なんじゃ、あーほれ、未練? があるっぽかったのに」

「ふん、心境の変化ってのがあったのさ」

「何があったんじゃ? いや何がと言えば今夜何が起きたのかも聞いておきたいのじゃが」

 

ああそれか、とエヴァンジェリンは大したことはないとでも言うような口調で、

 

「なに、私とぼーやが決闘したのさ」

「ほ!?」

「麻帆良大橋でぼーやを追い詰めたところで長谷川千雨の妨害にあってな、ぼーやを逃がしてしまい、その隙に二人は仮契約を結んだ。そして長谷川千雨がでしゃばり、自滅し、しかし私に見逃してもらうために登校地獄の精霊を実体化させた。それをぼこぼこにしているうちに、ぼーやと長谷川千雨は私から逃げおおせ、結界が再起動した。と、まあそんな流れだ」

 

どうしたもんか、と近衛門は額を抑え、呻いた。

 

「あー、そのなんじゃ、エヴンジェリン。質問していいかの?」

「なんだ」

「長谷川君じゃったかの? その子は全身傷だらけという話じゃが、それはお主が? 自滅、とはどういう意味で使っている言葉なんじゃ?」

「あれは本当に自滅だ。私は一発膝を入れてやったくらいで、それ以外の傷は……なんだ、説明しずらいな。まあ、強い魔力で体を酷使した副作用と言ったところか。闇の魔法と言ったところで話が複雑になるだけだしな」

 

 マギアエレベア。その言葉についての知識を近右衛門は大して持っていない。エヴァンジェリンが数百年前に編み出した固有技法、という程度だ。

 

「体を酷使、というのはエヴンジェリンと戦うためかの?」

「そうだ。が、それは奴が選んだ道だ。自分から決闘に介入してきて、最もリスクの高い手段を奴は選択したんだ。私はそれに応えただけだ」

「そう、その決闘、というのは?」

「ぼーやが私に果し状を叩きつけ、それを受けてやったんだ」

「ネギ君からなのか」

「いやでもあれだ、その前にかなりぼーやに追い込みかけていたからな私」

「追い込み? ああ、桜通りのことかのひょっとして」

「生徒の一人の血を吸ってな。それでぼーやを誘って戦闘に持ち込み、完封してやった」

「やっぱり吸っておったのか」

 

 エヴァンジェリンはうまくやっていた。『桜通りに吸血鬼が出る』と、ネギが赴任してくるより以前から女子寮内に噂を流しておく。当然その噂を聞いた魔法生徒は自分の担当教官である魔法先生に報告し、桜通りに監視の目を向ける。ナギの息子が来る直前なのだ、彼らはその手の噂に対して過敏とも言える反応を見せた。そしてエヴァンジェリンは魔法関係者の監視があるうちは噂を流すにとどめ、実際に動くことはしなかった。何も起きぬまま、犠牲者がいないにも拘らず『友達の友達から聞いたんだけど』から始まる被害報告が増加していき、そして魔法先生らはいずれ『桜通りの吸血鬼』が麻帆良で生まれては消えていく怪談話のひとつに過ぎないと判断する。彼らは多忙だ。麻帆良は広大で、その割に警備に回せる人材は少ない。ただの噂話をいつまでも気にとめておけるほど彼らは暇でも酔狂でもないのだ。

エヴァンジェリンが動き出したのはそれからだ。

一度何もないとチェックが入れられた場所は、それ以後は監視が逆に薄くなる。

 標的とするのは満月の夜、一人で下校する女子生徒。背後から近づき、眠らせ、二の腕辺りに犬歯を一本だけ刺して血をすする。これなら季節外れの虫に食われたようにしか見えないし、一回に吸うのは200ミリリットル、献血と変わらない量だ。吸い終われば生徒の意識を半覚醒のまま女子寮に向かわせ、いつの間にか玄関にたどり着いて首を傾げる生徒を蔭から確認してエヴァンジェリンも帰路に就く。

 一晩に血を吸うのは一人まで。一人の獲物にかける時間は1分未満。その二つがエヴァンジェリンが魔力収集を行う間に自分に定めたルールである。

 血を吸われた生徒もせいぜい『桜通りを歩いていると一瞬めまいがした』程度にしか感じず、このことを教室で会話のネタにしようとそれを聞いた魔法生徒は『ああ、またか』以上の感想を持てない。

 

「……なぜネギ君を襲った? 一般人の少女を襲ってまで」

「呪いを解くためさ。奴の血にはスプリングフィールドの魔力が宿っている。それを使って呪いの術式を破壊するつもりだった」

「そんなことができるのか」

「まあ、魔力の質の似てる似てないなんてのは吸血鬼にしかわからん感覚だろうな。魔力を味覚で味わう吸血鬼でしか」

 

 そもそも人間にはそんな発想自体浮かばないだろうが、吸血鬼は魔力の質について非常に鋭敏な五感を持つ。だからネギの魔力は登校地獄の呪いの精霊をごまかせるほどに似ていると気づくことができたし、ナギのコピーが現れた時もそれが呪いの精霊が具現した姿であると見抜くことができた。

 

「呪いを解くためとはいえ、生徒を巻き込んだのか」

「悪かったよ、罰は受ける」

 

ちなみに、今回眷族化した生徒四人はすでに治療を施してある。

 

「……随分と殊勝な態度じゃが、罰と言ってものう」

 

 エヴァンジェリンはすでに登校地獄の呪いが解けており、その力は間違いなく世界でも五指に入る。そんな存在に罰など与えられるはずがない。司法権は力があるからこそ行使できる権利だ。本国の軍隊すら返り討ちにできる存在を誰が裁けるというのか。

というかそもそも、なぜ麻帆良に残るのかわからない。十五年も自分を束縛していた呪いが解けたのだ、自分なら間違いなく今まで貯めた財力をフルに使って世界一周や二周はするだろうと思う。なのにエヴァンジェリンはあろうことか、

 

「じゃあこうしよう。一定期間、麻帆良の夜の警備を私一人で引き受けよう、もちろん無償でな。魔法先生らには休みでもくれてやれ」

 

などと言いだした。

 

「いやしかし、魔法先生になんと言ったものかのう」

「そのまま真相を教えてやればいいさ」

「なに?」

「私が生徒を襲い、ネギ・スプリングフィールドを脅迫し、さらに一般人の生徒を複数人巻き込む戦いをした。その結果登校地獄の呪いを解いた」

「いや、しかしそれは」

「いいんだよ、それで」

 

 そう告げて、エヴァンジェリンは近右衛門に背を向けた。もう用件は済んだということだろう。絹のような金髪を優雅になびかせながら、エヴァンジェリンは学園長室から退出した。

 

 

 

 

 

 窓の形に切り取られた淡い月明かり。部屋を照らす光はそれしかなく、目の前に眠る少女のぼんやりとした輪郭しか見えない。

 ネギはベッドで静かに眠る少女、千雨の傍に置いた椅子に腰かけ微動だにしない。二人の魔法先生に断って、ネギは病室に残ることにした。

 彼の心のうちを占めているのは罪悪感と後悔だ。

生徒に、こんな大変な怪我をさせてしまった、と。

魔法を使っても全治4日。もしかしたら傷跡が残ってしまうかもしれず、右足に多少の後遺症が残る可能性があると瀬流彦から説明を受けた。

自分のせいだ、とネギは目を強く閉じた。

自分を守るために戦ってくれた少女。笑顔で励ましてくれた少女。

彼女を思うと胸がバーベルかなにかで潰されているかのように苦しくなる。彼女がこのまま死んでしまったら、二度と眼を開けてくれなかったら。そんな妄想が頭をよぎるたびに不安でたまらなくなる。

自分が素直に血を吸われていたら。

助かりたいと願わなければ。

スタンさんを思い出す。自分を守ろうと盾になり、石になってしまった彼を。何度も考えたことだ。自分がさっさと殺されていれば、少なくともスタンさんは石にされずにすんだ。

父を思う。あの父は本物ではない、それはネギでも一目でわかった。人間よりはるかに無機質で何の感情ももたない、まるで人形のようななにか。なぜ父に似た人形が現れたのかはわからないが、それでもその姿は、身に纏う魔力は、悪魔に襲われた雪の日を強烈にフラッシュバックさせた。

周りの人は大丈夫だ、心配いらないなどと言う。でもそれが嘘だということを幼き日のネギは理解していた。

今もどこかで、村の皆は石のままなのだと。

そして誰も教えてくれないのは自分に気を使っているのだということも。

だからネギは石化を解くための治癒魔法を練習した。でも自分にはその才能はなくて、罠にかかったオコジョの小さな傷を治すのが限界だった。自分に治癒魔法の適性はないと教師にはっきりと言われ、諦めざるを得なかった。だから次に自分は力を求めた。村を襲った悪魔の群れを一人でせん滅する父親の姿。あの力があればスタンさんは石にならずにすんだし、ネカネお姉ちゃんも足を失わずにすんだはずだ。だから必死に勉強して、禁書庫にも忍び込んで寝る暇も惜しんで勉強して、その甲斐あって二年も飛び級して魔法学校を卒業して、

なのに、エヴァンジェリンに手も足もでなかった。

無様に負けた。千雨さんに助けてもらった後も自分はなにもできなかった。今も、自分はこうして見ていることしかできない。

なにがマギステルマギ。

自分の無力さにネギは消えてしまいたくなる。体を小さく縮みこませて、そんなことで消えてしまうはずがなくて、握られた拳の上に涙が落ちた。

否、逃げてはだめなのだ。

長瀬楓に励まされて、逃げてはならないと悟った。わずかな勇気が本当の魔法だと思いだして、一人で頑張ろうと誓ったから。その誓いを破って結局また自分は他人の優しさに甘えて、助けてくれた優しい誰かを傷つけた。

 逃げてはならない。

そして二度と頼ってはならない。明日菜にも、千雨にも。

そう決意しなければならないことがあまりにも悲しくて、ネギはまた涙を落した。

そういえば父はどうだったのだろう。そんなことをふとネギは思った。

あんな異常ともいえる魔力を持ち、悪魔の軍勢を蹂躙できる父は、仲間がいたのだろうか。必要ないだろうと思う。あれだけの力があれば何でもできる。守れないものなんて何もないはずだから。

 いやそれとも、仲間を守れるくらい強くなって初めて仲間を持つ資格が得られるのだろうか。

 

「あ、れ……?」

 

唐突にネギの意識が薄れてくる。いきなり訪れた睡魔にネギは抗うことができなかった。

眠り、何も考えないことが一番の救いだと、きっと無意識にわかっていたのだろう。

ネギの意識が落ちていく。ゆっくりとネギの頭が落ちて、千雨が眠るベッドの淵を枕に小さな寝息を立て始めた。

 それを確認してから、ベッドに横たわる少女、長谷川千雨が目を開いた。

 

 

 

 

 

 

連絡を聞いて、近右衛門はすぐさま病院に駆け付けた。その後ろには治療を担当した瀬流彦もいる。本来は副担任である源しずなも連れてくるべきだったが、夜の病院であることを考慮して二人で向かうことにした。

病室に入ると、そこには明らかに困った顔をしている千雨と暗い顔で俯くネギがいた。ベッドで上体を起こしている千雨が二人に気付き、助けを求めるように視線を送っている。よく見ればネギは泣いているらしい、ひくひくと喉を鳴らしながら体を震わせている。

どうしたんじゃ、と近右衛門は首を捻る。目覚めたことが嬉しくて泣いている、というわけではなさそうだ。

 

「さて、初めましてじゃの長谷川千雨君」

「あ、はい、初めまして」

「大きな怪我を負ったそうじゃが大丈夫かの?」

「そのことなんですが、なんのことだかさっぱりで」

「……ん?」

 

見れば病院着から露出している腕にはなんの傷跡もない。聞いた話では全身くまなく傷だらけだったとのことだが、まさかもう完治させたのか。いや、それができないという報告を瀬流彦から受けたのだし、その瀬流彦は近右衛門の後ろで目を丸くしている。

 

「それで、なんで私は病院にいるんでしょうか。ネギ先生に聞いても何も答えてくれなくて」

 

記憶の処理を? という疑問を込めて瀬流彦を見るが彼は青くなった顔を横に振った。

ならば事故での記憶喪失、頭を強く打ったか。魔力の残り香も感じないし、魔法によるものではないだろう。

なるほど、ネギの姿にも納得がいった。自分を守ってくれた相手が記憶を失えばそれはショックも大きいだろう。

ただ問題は、どこまでの記憶が残っているのかということだ。

 

「君は魔法というものを知っているかの?」

 

千雨の顔を近右衛門は閉じかけた瞼の隙間から観察する。その表情から虚実を読み取るためだ。

関西呪術協会から単身関東魔法協会へと乗り込み、その権力闘争の荒波を乗り越え協会の理事の一人にして麻帆良学園の長という人材育成機関のトップの座に就いた男である。中学生の言葉に虚実がどの程度の割合で混じっているか、それがどんな種類の嘘なのかを見抜くことは造作もない。それは魔法によるものではなく、経験によって培われた技術であった。

 

「魔法、ですか?」

 

そして、首を若干傾げ、眉を顰める千雨の表情は、困惑以外の感情を映していなかった。なにをいきなり? そんな言葉が聞こえてきそうな表情だ。

それは魔法を知らない人間のリアクションである、と近右衛門は確信した。

これは魔法のことについても完全に忘れている。

 

「いや実はわし魔法が使えるんじゃよ、ほれ」

 

言いながら、何もないはずの手のひらから小さな造花をポンと出現させ千雨に差し出す。

 パームトリックを使った見事な手品だった。

 

「手品、お上手ですね」

「趣味なんじゃよ手品が。指先を動かすとボケ防止にいいらしいしの」

「はあ」

 

 さて、と近右衛門は一拍置いて、

 

「記憶に混乱があるとのことじゃが、君はどこまで記憶があるのかの」

「えっと、学校から部屋に帰って、しばらくパソコンをいじっていたんですけど停電の時間が近づいたんでさっさと寝ようとして……そこまでです。感覚としてはそこで寝てしまったんだなと思うんですけど」

「そんなはずありません!」

 

 ネギが、涙をこぼしながら激しい剣幕で千雨に噛みついた。

 

「長谷川さんは停電の時僕と一緒にいたんです! それで僕を助けてくれてそれで、」

「落ち着きなさい、ネギ君。長谷川君は怪我人じゃぞ」

 

 は、とネギは学園長の言葉に我に返る。そして自分の態度に恥いったように目を伏せ、小さくごめんなさいと言ってまた椅子に座った。

 病室が静寂に包まれる。微妙な空気になってしまい、それを嫌った近右衛門がごほん、と咳払いを一つ、

 

「どうやら階段から落ちたらしい、と聞いておる。停電で暗い中を下の階に降りようとしたところで足を滑らせたらしい、と」

「え……」

「そうなんですか」

 

 もちろん嘘である。が、彼女は元一般人で、魔法について知ったのもごく最近のはずだ。ここで魔法について忘れてしまったのならその存在は一般生徒と変わらない。そんな少女にまた魔法について教えることはないだろうと近右衛門は判断した。少なくとも記憶が戻るまでは。

 

「まあ、怪我も大したことなさそうじゃし、記憶の混乱は一時的なものじゃろうな。落ち着いて生活すればいずれ」

「戻るんですか!?」

 

ネギが切迫した顔で立ち上がり、近右衛門に詰め寄った。近右衛門はその迫力を正面から受け止めて、

 

「まあ正直わからん。じゃが共通しておるのはあまり無理させてはいかんということじゃ。無理に思いだそうとせず、まずは落ち着いていつも通りの生活を送ることじゃ」

「そう……ですか」

 

 ネギは力なく呟き、肩を落とした。見ているだけで痛々しくなるその姿に、学園長はそ

っと溜息をついた。

 

 

 

 

 

 翌日の昼ごろに千雨は退院することができた。

 記憶の混乱があったということでMRIやレントゲンなどで脳を調べてみたが異常はなく、ショックによる一時的な健忘と診断された。その後医者に言われたことは学園長に言われたことと大差ない。ただ若干の肌荒れから不規則な生活は控えるようにと、記憶のこととは何の関係もない注意をされた。

 あと、なんでも自分は全身血まみれで制服を一着駄目にしてしまったらしい。

停電で部屋が真っ暗になった瞬間の記憶はあるし、そのあとはネットもできないからすぐ寝ようと思っていたはずなのだが、なぜ昨夜の自分は制服を着ていたのだろう。

なので千雨は退院した足で制服の注文をしに行こうと頭の中で計画を立てた。注文して、帰りにパソコンショップに寄ろう。イヤホンが最近聞こえづらくなっていたし、外付けHDDも新しいのが欲しいと思っていたところだ。

だが千雨の歩みは普段より幾分遅い。

その原因は、千雨の隣を歩くネギにある。

退院する段になって寮まで送りますと千雨に告げたネギは、病院ロビーからずっと無言で千雨の隣を歩いている。若干顔を俯かせ、力ない足取りでとぼとぼと。送ってもらう側の自分がなぜ相手の歩く速さに合わせねばならないのか、と千雨はだんだん腹が立ってきた。さらにネギは時折千雨の顔を横眼でちらりと見上げては視線を戻すを繰り返していて、そのうじうじした態度がまた千雨のイライラを募らせた。気づかないフリもそろそろ限界だった。

 

「なんですかネギ先生」

「え?」

「いえ、何か言いたそうにそわそわしてましたから」

「え、いえ別に」

「そうですか」

 

 なるほど言う気はないらしい。なら相手にする必要はないだろう、と千雨は判断して、

 

「じゃあ私こっちなんで」

 

 指差したのは麻帆良の繁華街のある方向だ。

 

「あれ、でも寮は」

「制服とかパソコンの部品とか、いろいろ見ていきたいんです」

「あ、それじゃあ僕も」

「一人で見たいんです」

「……あ、そうですかすみません気がきかなくて」

「いえ」

 

 ネギの歩みが止まる。いらいらしていたためかちょっと言葉がきつすぎたかと千雨は思い返し、せめて挨拶くらいはちゃんとやろうと、千雨は数歩進んでから振り返った。

 

「じゃあこれで」

「はい、お大事に」

 

 ここでようやく千雨は正面からネギの顔を見た。

あのあと……学園長がネギを連れて退室したあと、千雨は早々に眠ってしまったが、ネギは一晩中泣き続けていたのだろう。目が赤く充血してうっすらと隈ができている。メガネに涙の跡がついている。一体何に泣いているのか千雨には見当もつかない。いや、自分が怪我をしたことに対して泣いてくれているのだろうとは思うが、ここまで泣き腫らすほど深い関係を彼と築いた覚えはない。

 それとも、自分が失ったという数時間の為に彼は泣いているのか。

 そしてそれを失った自分に気を使わせないようにと、彼は今笑みを浮かべようとしているのか。

 勘弁してくれ、と千雨は空を仰いだ。何をやらかしたんだ昨日の私。

 

「先生」

「は、はい?」

「そんなに無理して笑わなくて結構ですよ」

「え」

「人前で泣かない努力は認めますけど、そんな愛想笑いを浮かべる必要はないでしょう、

先生はまだ子供なんですから」

 

 声がどうしても不機嫌になる。正直この子供先生にはあまりいい感情を持っていないのだ。コスプレを見られたし、人前で脱がされたし。素顔をほめられたことは少し、ほんの少しだけ嬉しくないこともなくはないかなという感じではあるのだが、でもやはりトータルで見ればこんな非常識の集大成みたいな存在にはなるべくお近づきになりたくないというのが本音である。私に近づくなら肩に乗せてるペットを檻に入れるところから始めろと言いたい。

 

「そ、そんな」

「昨日の夜、先生とどんなやり取りをしたのかなんて私にはわかりませんが」

 

 ネギが息を飲む気配が千雨にもわかった。

 

「その……私は大丈夫ですから。特に不便もないですし。だからそんなに気にしないでください」

 

 我ながら不器用だと千雨は思う。

 ネギが知っている自分と今の自分は、きっとネギの中では別人なのだろう。それがわかっていて、今の自分では何を言っても意味がないとわかっていて。慰めることなんてできやしないのに、それでも何か言葉をかけずにはいられなかった。

 偽善だな、と千雨は心の中で吐き捨てた。

 

 

 

 

 

 

女子寮に一人帰ったネギは、ドアを開けると同時に明日菜に怒られた。

 

「ちょっとあんたどこいってたのよ! 連絡なくて心配し……ねえ、ネギあんたどうしたのよ、ひどい顔して」

 

 明日菜の言葉に応えず、ネギは自分のスペースとして使っているフロアに敷いている布団にもぐりこんだ。その様子に気を使ってくれたのか、明日菜は何も言おうとしない。代わりにネギの肩から降りたカモとこそこそと話しながら、足音を殺して部屋を出て行ってしまった。一人にしてくれるその気遣いが今のネギにはありがたかった。

千雨は自分を追い払いたかったのだろう、とネギは思う。それはそうだ、特に何を話すでもなくただついてくるだけ、邪魔くさかったのだろうし迷惑だったのだろう。

何を話したらいいかわからなかった。あの夜のことは話題に出せないし、魔法についても同様だ。魔法に関することを忘れた彼女を一般人として扱うよう学園長に言われたからだ。するともう話題がなかった。

自分は今まで千雨とろくに会話もしたことがなかったことに気付いた。

あのとき、優しく笑いかけてくれた千雨の表情を思い出し、先ほどの不機嫌そうな表情と比較してしまい、ショックがさらに大きくなった。

もう別人なのだ。

自分の為に命を賭けてくれた彼女はもういないのだ。

千雨の言葉に、その思いは大きく確固としたものとなった。鉛のような罪悪感がのしかかる。それは一秒ごとに重さを増していて、もうネギは潰れてしまいそうだった。

あの時の千雨に謝ることはできない。あの千雨はもういないから。

それは、死んだことと同じではないか。

僕が殺したんだ。

ごめんなさい、と何度繰り返してもその声は彼女には届かない。届いたところで意味がない。だって彼女は覚えていないのだから。謝られても困ったように首を傾げるだけだろう。

そうである以上謝罪の言葉に意味なんてない。それでもネギは謝り続けていた。

許してほしいから。背負った罪の十字架を少しでも軽くしたいから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その部屋は散らかっている。

 様々な工作機器と観測機器、所狭しと並べられた部品とあらゆる場所に積み上げられた図面の束。

麻帆良工大研究棟の一室。休日にもかかわらずそこには二つの人影があった。

二つの影は部屋の電気を消し、プロジェクターから投影された映像を眺めている。

麻帆良大橋を俯瞰する景色から一気に視界は降下して行き、メガネをかけた少女に一瞬で迫る。しかしその直後に視界はブラックアウトし、映像はそこで止まってしまう。

 薄暗い部屋に沈黙が降りる。

映像を見つめていた影の片方、超鈴音が沈黙を破った。

 

「なるほどそういうことカ」

「なにがですか?」

 

 もう一人の白衣の少女、葉加瀬聡美が超に問いかける。超は映像を巻き戻し、千雨が握る杖を指差して、

 

「茶々丸にとって千雨サンは相性最悪の相手ということヨ」

「というと?」

「あのアーティファクトネ」

「? 子供向けのおもちゃみたいですけど、あれがそんなすごいアーティファクトなんですか?」

「未来でも、あれの恐ろしさは伝説として語り継がれているヨ。その担い手は最強の電賊、電脳世界の暴君、電子の魔王など、二つ名には枚挙の暇がないネ。エヴァンジェリンよりも有名だたヨ」

「はあ~……え、千雨さんが、ですか?」

「それはわからないネ。あのアーティファクトは確かにレアだが歴史上一人しか発現しなかったというわけではないし、電子の魔王がいつごろの人間なのかもはっきりしていないネ。平和な日本で女子中学生やってる長谷川サンがあの魔王だなんてちょっと想像できないヨ」

「ああそっか、なんだびっくりした」

「話を戻すが……千雨サンが持つアーティファクトは電子精霊の制御を行うものネ、茶々丸のAIプログラムを稼働させている量子コンピューターをフリーズさせることは可能ヨ」

 

茶々丸のAIには量子コンピューターが使われているが、その超電導など電子の動きは電子精霊の制御によるところが大きい。量子コンピューターに必須である『電子の揺らぎ状態』を制御するにはそれがもっとも安定しているためだ。

 

「そんなことができるんですか、あのアーティファクトは」

「未来では電子精霊の制御技術が一般的になてたネ。その応用範囲はあまりに広い。量子コンピューターにERP通信システム、医療用ナノマシンにサイボーグ技術など。生活必需技術といわれるもの全てが電子精霊の恩恵を受けていたと言ても過言ではないネ。肉体のサイボーグ化が当たり前になていたし、精神がプログラムであるとわかってから脳まで丸ごと義脳に変える者まで現れた。その方がスペックの拡張がしやすいからネ、戦場で生き残るには生身を捨てたほうが効率がよかたヨ」

 

ほうほう、と葉加瀬は超の話に興味深そうに頷く。未来技術の話は葉加瀬にとっては宝の山だ。新鮮なインスピレーションを次々と得ることができる。

 

「そのサイボーグ技術の開発には電子精霊の統括が必須。そして電子精霊群の制御法開発に携わった者の中に、のちに電子の魔王と呼ばれる者がいたらしいヨ」

 

 サイボーグ技術の始まりがいつの時代なのか、正式な記録は残っていないが、魔法戦争と呼ばれる魔法世界から旧世界への侵略が始まってからというのが定説だ。一説にはある科学者が設計した医療用の義手に使われた電子精霊制御技術を旧世界の各国が兵器に転用したのではないか、と考える学者もいた。そういった歴史について超は特に興味がなかったが。

 

「あのアーティファクトは電子精霊群の操作権限の最上位に位置する、まさに電子の王の名に相応しい権力を担い手に与えるアーティファクト。ゆえにその名は『力の王笏』。わかるかなハカセ、あらゆる技術が電子精霊によって成り立っていたネ。無敵を誇っていた機械化兵士も、情報を守護・管理する量子コンピューターも、あるいはどんな隙間からでも忍び込み暗殺を実行するナノマシンも、電子の魔王の前には無力だたらしいヨ。逆にその制御権を乗っ取り戦場をかき回した。電脳世界の暴君は、現実世界だって指先一つで破壊しつくすことが可能な、本物の魔王でもあたらしい」

「そ、そんな恐ろしいアーティファクトなんですか」

「ま、使い手によるネ。長谷川サンはただの女子中学生、戦場にでることもないヨ。それに時代も悪い。今の技術水準であのアーティファクトにできることはせいぜい情報を盗むくらいじゃないか? 機械化兵士もナノマシンも存在しないだろう? 量子コンピューターだってここにしかない。長谷川サンが魔王となることは不可能ネ」

 

 まあそれでも十分脅威となりうるがネ、と超は締めくくった。

 それにしても、と超は茶々丸に目を向け、ため息混じりに呟いた。

 口元は楽しそうに、しかし目は笑っていない。敵を見定め、対立を覚悟した戦う者の眼光が宿っている。

 

「見事な手際ネ、まるで量子コンピューターの構造を把握しているみたいだヨ長谷川サン?」

 

 

 

 

 

 ずるり、ずるりと湿った音が響く。

 濡れた何かを引きずるようなその音は、壁に体を預けながら歩く少女から発せられている音だ。

 血まみれの病院着、その下は全身が包帯で包まれている。痛みと疲労で、少女は壁に寄り掛かっていなければ立つこともできないほどに消耗していた。少女の息は荒々しく、時折苦悶の呻きが混じる。

 少女の名前は長谷川千雨という。

 暗く、明かりのない地下通路。千雨の歩く先には下水が流れる水路があるはずで、自分の周囲1キロに千雨以外の人間はいないことも七部衆に確認させてある。来る途中にあった監視カメラも掌握済みで、映像と音声を固定させている。それでは人通りの多い場所ではすぐにばれるが、めったに人の通らない地下通路ではそれで十分だった。千雨が本気を出せばリアルタイムで映像を編集して全くの別人としてカメラに映ることもできるのだが、今はそこまでする必要はない。

 そして千雨はどの侵入口からも一番遠い地点にたどり着くと、ようやくその重い足をとめた。

 壁に背を預け、そのままずるずると千雨は地面に横たわる。こつん、とこめかみが地面のコンクリートに触れた。

 シン、と静寂の音が鼓膜を揺らす。聞こえるのは静寂と、自身の喉から溢れる荒い吐息だけだ。

 治癒しきれなかった傷が熱を持っていて、冷たい地面に熱を奪われる感触が心地いい。

 暗くて、静かで、冷たい。そんな環境が心地よく感じるあたり自分は根っからのボッチだなあと千雨は小さく声を出して笑った。笑え、と自分に命じた。そうでなければ自分に絶望してしまう。

 戦闘プログラムの作成、それが今回の目的である。

 一度『力の王笏』にとりこみ、精神をリンクさせることで戦闘時の精神プログラムの動きを観測し、本人が無意識に行っているだろう戦闘行動をパターン化し、プログラムの形に落とし込み、プロトコルに落とし込む。

 どんな達人であっても五分もあればその戦闘パターンの大体は把握できる。なのにエヴァンジェリンとナギのコピーの戦闘は、十七秒しか続かなかった。

 パターンとして把握できたのは、エヴァンジェリンの経験のおよそ0.7%と言ったところで、つまりあれだけ死ぬ思いをして、血反吐を吐いて得られたものがエヴァンジェリンの0.7%程度の強さ、ということである。せいぜい瞬動がうまくなるとかその程度だ。

割に合う話ではなかった。

喚き散らしたい衝動に右手が勝手に拳を作り、独りでに震える。唇が歪に歪んでいるのがわかる。くけけ、と口から何故か笑いが漏れた。

 

――落ち着けよ長谷川千雨。

 

声が、千雨の頭の中で響いた。

それはもう一人の自分、脳内で作りだした疑似人格。エヴァンジェリンが用いた人造霊魂の作成技術を応用させて作った、千雨の14歳の時の精神クローンである。

 

――失敗なんて、いつものことだろ。

 

しかしクローンとは言ったところで、できることはただ言葉を発するだけだ。感情をこめるだとか、そういった精神活動を行えるほど高度なプログラムを作ることは千雨にはできなくて、ただ無愛想に、その場に合った言葉を発することしかできない。だが千雨にはこの声だけで十分だった。当時の自分のような、冷たく愛想のない声を聞くことで千雨はいつでも彼女たちのことを思い出せるから。

バカどものバカ騒ぎを傍観していた自分の声。自分が傍観者であることを再確認できる。

胸に渦巻いていたうねりが、あっという間に引いていった。

自分は傍観者で、自分の心すら傍観できる。できなくてどうすると千雨は思う。彼女たちを最後まで傍観し続けた自分に、いまさら何ができるというのか。

 

「いっつもこうだなあ、私は」

 

 いつもいつも失敗ばかりで、何をしてもしなくても後には後悔が付きまとう。もはや千雨にとって、失敗と後悔は親友のようなものであった。

 だから、彼女の割り切りは早い。

 失敗したものはしょうがない。それに失敗とは言ってもあのエヴァンジェリンの0.7%である。使い方次第でいくらでも戦力となるだろう。

 いつまでも呆然と時間を潰しているわけにはいかない。まずはエヴァンジェリンに防壁を破壊させたことでアクセスできるようになった、神木・蟠桃へのハッキングと魔力源の確保。次に戦闘プロトコルの作成。やるべきことはやまほどあるのだ。

 やるか、と千雨は仮契約カードを手に取り、詠唱を始めた。

 小さな小さな声。痛みのため唇もろくに動かさずに唱えるそれは、エヴァンジェリンと闘った時よりも小声だったかもしれない。

 

長谷川千雨は誰よりも強くならなくてはならない。

自分はネギ・スプリングフィールドの唯一にして最強、無二にして万能の従者とならなくてはならない。

 それは、あのバカたちとの約束であった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間1 エピローグのようなプロローグ

傍にいて欲しいと言われた。

 だから私は傍にいた。

 

 

 

 

 

ネギは一人赤い岩肌の丘で佇んでいる。その横顔は完全な無表情だ。いつのころからかネギは表情を忘れて、あらゆる感情を表に出すことをしなくなった。茶々丸さんの方がよほど人間らしいですね、と冗談めかして言ったのはいつのことだったか。

 

『僕は間違っていたのでしょうか』

 

 聞こえてくるのはネギの声。雷天大壮の術式の改良に成功し、千雨の操る七部衆が一匹『ねぎ』と量子的にリンクすることで千雨は常にネギと繋がっている状態にある。この状態ならERP通信のテクノロジーを利用して火星と地球の間でも会話が可能だ。『力の王笏』のスペックが七分の一落ちてしまうことは正直痛いが、それだけの価値はあると千雨は思っている。

 せめて自分だけでも、ネギの傍にいられるから。

 

『僕は、間違っているのでしょうか』

 

 電子空間内で、千雨は『ねぎ』の聴覚情報からネギの声にわずかな震えが混ざっていることに気付いた。足元に一粒の水滴が落ちたことを『ねぎ』の知覚領域が捉えた。

 泣いているのか。

 ネギの視線の先には一面に広がる赤い荒野と、地の果てまで累々と転がる屍の山。地平線では今まさに日が沈もうとしているところで、茜色に染まる空を一陣の風が駆けた。ピクリともしない兵士たちの体から四角い何かが風に乗り、小鳥の群れのように舞いあがる。そのうちの一つをネギが掴み取る。

 それは死んだ仮契約カードだった。

 描かれる姿は細身の男で、主の欄には女性の名前が書いてあった。恋人だろうか。

 空を見上げれば、紅から藍色へと変わる空の下で仮契約の証が渦を描いていた。あの一枚一枚が、物のように転がっている兵士たちの人生を語っていた。

 皆生きていた。

 でももう死んだ。

 何のせい? 誰のせい?

 ネギが指の力を緩めると、掴んでいたカードが風に攫われて空に舞った。あっという間に見えなくなった。ネギは力なく腕を垂らした。

 

『……僕の、せいで』

 

 涙混じりの言葉は懺悔そのもの。ならそれを聞く自分はシスターの役割だろうか、と千雨は思い、首を振って否定した。シスターは春日の役割で、きっと自分は枯れ井戸だ。ロバの耳を見てしまった少年が耐えきれず叫ぶ相手。精神の肥溜め。何も語らず、ただそこにあるだけの深い穴だ。傍観者を気取る自分にはお似合いだろうと千雨は電子空間で一人頷いた。

 

『皆を守りたいと願うことは、間違いなんですか……?』

 

 間違ってなんかない。ネギは最善を常に望み、選び、誰よりも前を、誰よりも早く突き進んで、そしてその正しさに誰もついていけなかったのだ。

 間違っているのはネギ以外の世界の全てで、正しかったのはネギただ一人だけだった。

 子供でも分かる理屈だ。一人を贔屓する教師と、皆を平等に守ろうとする教師と。どちらが教師としてあるべき姿かと聞かれれば誰もが後者と答えるだろう。

 でもそれは子供の理屈だ。

 アスナは魔法世界を救うために。

 木乃香は旧世界魔法使い派を支えるために。

 委員長は旧世界一般派を導くために。

 ザジは魔界を守るために。

 3-Aは四つに別れ、皆が自分の守りたい何かの為にそれぞれの戦場に身を投じた。

 それとは対照的に、ネギはそのどこにも所属しなかった。

 ネギが守りたい皆。3-Aの生徒たち。彼女らを救いたいという願い。それはすでに世界を救うことと同義だった。

 全てを背負う。誰も死なせない。少年は誓って、そのために力を求めた。それでも世界の救い方なんてわからなくて、迷いを抱いたまま理想の為に突き進んだ。

 誰も死なないハッピーエンド。それは誰もが胸に抱いて、でも次の瞬間には諦めと共に胸の奥にしまいこんでしまう子供の語る夢だ。

 でもネギはその夢を捨てられなかった。

 超を否定し、フェイトに見限られ、彼らと対立し否定したネギはもっとも犠牲の少ない方法で世界を救う義務があった。

 少しでも多くの命を救いたくて、文字通り雷の速度で世界を飛び回って。何一つ切り捨てられない子供は、そして全てから切り捨てられた。

 それでもネギは独り戦い続けた。誰も死なせたくないから、あらゆる戦場に単独で介入した。その速度に、凄まじさについていける人間などいやしないし、ネギもまた必要としていなかった。彼が必要としていたのは、資金と情報、そして食料や資材など、自分では用意できないもの。それらを全て賄うことが千雨にはできた。

 

『僕は、間違え……た』

 

 間違ってなんかない。

 超は歴史を変えようと時間を超えた。

 その結果ネギと明日菜を含む白き翼が魔法世界を訪れ、『完全なる世界』のリライトが未遂とはいえ行われ、ネギが人間をやめ寿命を忘れ、惑星緑化計画の象徴としてネギは祭り上げられた。

 逆に言えば。

 超がいなければ白き翼は結成されず、魔法世界に行くこともなく、『黄昏の姫御子』を欠いた『完全なる世界』のリライトは間に合わず、ネギが惑星緑化計画を思いつくこともなく魔法世界は崩壊する。

 そんな未来からやってきた超が言った言葉がある。

 

 ――いやいや火星人うそつかないネ。今後百年で火星は人の住めるようになる……

 

 あの学園祭、お別れ会の席で超鈴音はそう口にした。百年という数字は千雨が委員長こと雪広あやかから受けた説明にあった数字と同じだ。それはネギがいようといまいと惑星緑化計画は進められていたということだ。ただ自分たちの計画とほぼ同じ案をネギが思いついたことで、元老院は『英雄の息子の発案』ということにして計画を進めることにした。

 魔法世界の住人は皆恐怖しただろう。いずれ世界が崩壊するという現実を目の当たりにしたのだから。しかしその恐怖をなだめる方法を元老院は思いついた。それが『英雄ナギの息子の頭脳のおかげで世界は救われる』というプロパガンダだ。

 ネギの思いつきはしょせん子供の戯言で、元老院が長年進めていたテラフォーミング計画と比べればあまりにも杜撰で穴だらけだった。それでもネギ・スプリングフィールドというネームバリューを利用すれば計画はよりスムーズに進むだろうと元老院は予想した。

 わかるか先生。

 あんたがいてもいなくても、百年でテラフォーミングは完成し、戦争は起こっていたんだ。

 だからこの戦争は先生のせいじゃない。そう千雨は慰めたつもりだった。

 

『いてもいなくても同じ、ですか』

 

 ネギの表情はまたもとの能面に戻っていた。硝子のような瞳はすでに沈みきった太陽の残滓を残す西の空に向けられている。

 

『いなくても同じだったんですか』

 

 拳を握る。ギシリと不吉な音を立てて、ネギの拳にひびが入る。指に込められた力が大きすぎて自壊し始めたのだ。

 

『それなら僕は、存在したくなかった……!』

 

 それはネギの、魂の叫びだった。

 前に進んだ。ただひたすら前へ。悩みを抱いたまま、ふっ切ることもせず、どこに向かっているかもわからないまま前へ。ただ信じていたのだ。その先に敵も味方も関係なく皆が笑いあえるハッピーエンドがあると。

 少し考えればわかることだったのに。

 この世のすべては有限で、人も物も金も資源も土地も幸福も、世界を構成するあらゆる要素が奪い合いの対象なのだと。

 ほんの少しだけ立ち止まれば、ネギもきっとすぐ気付けたはずなのだ。

 地球、火星、魔界。その全てが平等に救われるなんてありえないと。

 

 でかい悩みなら抱えて進め。

 

 ネギの精神の中核の一つを構成している言葉で、それが誰の言葉なのか、千雨はもちろん覚えている。

 自分の存在は、自分が思っていた以上にネギの中で大きかった。そのことに一抹の喜びと、莫大な後悔を覚えた。誰かの人生を預かることの重みを初めて理解した。今更過ぎると千雨は自分を嘲笑った。

 何が間違えていたのか、答えは簡単だ。

 間違えていたのはネギでも、ましてや世界でもない、自分だった。

 ネギ先生、あんたは間違ってない。あんたの理想も、手段も、どれも完膚なきまでに正しすぎる。

 間違えたのは私だ。先生はそれに巻き込まれただけ。

 自分のせいで、先生はいらぬ罪を背負ってしまった。

 

「なあ先生」

『……はい』

 

 言葉が続かない。何を言えばいいのかわからない。謝って済む話ではない、ごめんなさいの一言で目の前に広がる荒野がなかったことになるわけではない。

 そうだ、謝罪なんて必要ない。ネギがそんなもの求めていない。

 彼が求めているのは、贖罪であり、救いであり、ハッピーエンドだ。

 

「約束するよ」

『……約束、ですか?』

 

 屍の荒野を見据え、千雨は誓う。

 いつか救う。必ず救う。3-Aも、ネギも、世界も。

 記憶を消してほしいなら消してやる。殺してほしいなら殺してやる。どんな手段だろうと、それでネギを救えるのならなんでもやってみせる。

 それを私は約束する。

 

 荒野に闇が満ちる。冷たい風が岩肌を舐める。深い藍色の空には白とわかる雲がいくつも浮かんでいて、その隙間には青い地球が小さく輝いている。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 <⚫️> <⚫️>

実体化モジュールについて
実体化モジュールとは、魔法先生ネギま!の作者赤松健先生の初期連載作品「A・Iが止まらない!」通称「AI止ま」に出てきたプログラムです。詳細は本文中にある通り。なお、ネギま!本編で葉加瀬が「AI止ま」の主人公の存在を示唆する発言をしていたことや、新田先生が両作品に登場していることなどから、これらの作品は世界観を共有していると解釈しています(新田先生については赤松先生の恩師をモデルにした単なるスターシステムでしょと言われたらその通りですが)。


「実体化モジュール?」

 

千雨はあるプログラムコードを眺めながら、葉加瀬と会話をしていた。MITに潜入した折に掠め取ったそれを、千雨はしばらくは一人で解析していたのだが、その難解さにギブアップし葉加瀬に開示したのだった。

 

「端的に言うとプログラムを実体化するプログラムですね!」

「・・・・・・端的すぎて誤解がありそうだ。つうかテンション高いな」

 

千雨は電子空間でぐりぐりとメガネのブリッジをいじる。自分を冷静に保とうとする時に出る彼女のくせだった。

 

「いや、実体化ってなんだよ」

「例えば宇宙船の設計図なんかをそのままの形で、現実世界にポンッと創り出すことができます! MITにあった噂の元はこれですね。いやあすごい! 悔しい! すばらしい!」

 

脚が動けば踊り出しそうなほどのテンションではしゃぎまくる葉加瀬に軽く引きながら千雨は考える。

言っていることはわかる。これ以上ないほど明解である。しかし、しかしだ。

千雨はもう一度プログラムコードを見る。

 

「なんでそんなことができる? これ見てもさっぱりわかんねーんだけど」

「私にも仕様段階の範囲でしか理解できません! なんですかこれ! わかんない、わかんないのに実体化できてしまうんです! しかも驚くなかれ、ログを辿るとですね、設計した神戸ひとし教授は、これを1990年代に完成させていたんです! てことは当時高校生ですよ!」

「まあ、あの金融機関への連続テロ事件より前には作られていたはずだからな」

 

自分で言いながらなんだそりゃ、と千雨は思う。まさかその神戸某も時間を超えてやってきた未来人だったりするんじゃないのか。完全にオーパーツである。

 

「千雨さんは特殊相対性理論はご存知ですか?」

「そら知ってるけど。E=mc^2だろ。つまりこれ、エネルギーを使って実体化・・・・・・待て。90年代ぃ?」

 

ありえない。特殊相対性理論がアインシュタインによって発表されたのは1905年のことであるが、そこで発表されたのはあくまでアインシュタインの経験則に基づいた仮説に過ぎない。この理論が実際に証明されるまでに実に100年以上の時間が必要とされたのだ。質量を消費してエネルギーを生み出す、ならともかく。エネルギーから質量を生み出すなんて。

 

「このプログラムの最も画期的な部分はそのエネルギー効率にあります。本来1グラムの質量を生み出すのに必要なエネルギーはおよそ90兆ジュールが必要になりますが、このプログラムでは同じ質量を生み出すのに2万ジュールで足りてしまう! 具体的に言いますと、エアコン240時間稼働させるだけの電力で、あるいは落雷一発分のエネルギーで人間一人が作れてしまうんです! ちなみに、太平洋戦争で使われた原子力爆弾。あれでエネルギーに変換された質量はほんの0.7g、と言えばだいぶはったりが効きませんかね。ああ、なんで私はもっと早くこれに出会っていなかったのか! 茶々丸カムバーック!」

「はったりは知らねーけど、まあ確かにな」

 

確かに。

なぜこれほどのプログラムが公開されなかったのか。

葉加瀬にすら理解できないこのプログラムを作った神戸という人物は、このプログラムの価値を十分に理解した上で秘匿したのだろう。公開すれば間違いなくニュートンやアインシュタインの隣に名を刻むレベルの発明である。富も名誉も保証されるに違いない業績を放り投げた、時代の先を行き過ぎた天才の真意は、そこに潜む葛藤は、凡人たる千雨には理解できない。

 

「でもこれってさ」

「はい?」

「プログラム組んでエネルギー使って実体化って、魔法でできるよな。仮契約カードのアーティファクトとか、前に話したエヴァンジェリンの人造霊魂とか」

「・・・・・・」

 

葉加瀬のテンションがすごい下がった。

 

 

 

 

なお何故神戸ひとしが実体化モジュールを世間に公開しなかったかと言うと、自分好みの美少女を実体化してエロいことしてたのがバレたらやばい、などというアホな理由だったりする。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 それは暖かな、眠気を誘う昼下がり。

 日当たりのいい公園のベンチで、少女は静かに瞼を閉じている。

 プルの開いている缶コーヒーを両手で包んだまま俯いている光景は、休憩の間にうたた寝してしまった少女として公園の風景に溶け込んでいた。

 しかし少女の内面は、そんな平穏からかけ離れたところにある。

 遠隔操作式の式神六体の同時運用。単純な命令を与えた後はほとんどオートで動くため操作自体に苦はない。ただそれを近衛家のSPとの連絡を交わしながらとなると少々脳の処理が追いつかないのだ。

 俯く少女の額にうっすらと汗がにじむ。

 すぐ目の前を駆けて行った小学生たちの歓声も耳に入らない。

 木乃香に向かって近づいてくる金髪の二人組が、式神を通した視界に捉えられたからだ。

 

『護衛対象に二人接近』

『把握しました』

『こちらも』

『以後二人を『金髪』『ピアス』とする』

『了解』

『了解』

 

 近衛家のSPには二種類のタイプがある。黒服に身を包みサングラスをかけた、いかにもな雰囲気を醸し出すものと、学生の街に相応しい年恰好をした、護衛と悟られない影のボディガード。現在木乃香は寮のルームメイト、通称Aと買い物の為に街へと繰り出しており、つまり今の木乃香はただの学生として外出しているわけで、そんな場合彼女の周囲に張り付くのは後者のタイプのSPなのである。

 

『護衛対象の向かう先は?』

『Aと修学旅行の準備をするとのことなので、おそらくそこを右に曲がった学園生協に向かうのでしょう』

 

 そのSPの一人『紫陽花』からの質問に刹那は応える。彼らとは東洋魔法で作られた通信符で会話をしている。携帯電話ではなく通信符を使う利点は様々だ。転移術の手法も組み合わせているため圏外がなく、念話妨害も効かない。何より通信符は紙なので、小さく折りたたんでしまえば自分が誰かと会話をしていると他者に気づかれることはない。刹那は通信符を、サイドポニーを纏める髪留めとして使っていた。

 

『ではそちらに『椿』と『菊』を先に向かわせておきます』

『お願いします。『蘭』と『銀杏』は『金髪』と『ピアス』の後ろに』

『了解』

『了解』

 

 指示を出せば即座に動いていく近衛家のSP。迅速でありながら適度に無駄があり、一般人としての振る舞いを完全に再現している。『金髪』と『ピアス』は背後にぴたりと身を寄せる二人に気付きもしない。

 それを確認して、刹那は彼らの首元に式神を寄せる。操作性より隠密性を重視した術式のそれらは、一般人の目の前でフォークダンスを踊っても気づかれることはない。

 

『では秒読みいきます、用意は?』

『いつでも』

『ではいきます。3・2・1』

 

 刹那のカウントが0になると同時に『金髪』と『ピアス』が意識を失った。式神、刹那は『ちび刹那』とよんでいるそれらは、刹那と同じように帯刀している。そこに神鳴流における気の運用の一つである『雷』の属性を刻んで1mmでも首の肌に刺してしまえば、音のないスタンガンを食らったように意識を飛ばす。

 全身から力が抜けて地面に倒れようとするところを、彼らの背後に控えていた『蘭』と『銀杏』が即座に支える。音もなく体を立たせ、自然に肩と腰に腕を回して、往来を歩く誰にも違和感を感じさせることなく彼らは『金髪』と『ピアス』を退場させた。

 式神の眼を通して確認すれば、木乃香とAは今自分たちの後方3mで起きた出来事に全く気付いていなかった。彼女たちは楽しげに店の中へと入っていく。

 

『護衛対象、学園生協に到着』

『把握しました』

 

 『菊』の返答を聞いて、ふう、と刹那は息を吐く。

 木乃香は非常に周囲の目を引く。それは花も恥じらう美しさ、身目麗しい外見によるところもあるだろうが、その身から隠しきれないカリスマのせいでもあると刹那は考えている。ただそこにいるだけで周囲の人を安心させる優しい存在感。彼女の声を聞くだけでささくれ立った心が落ち着く。彼女の笑みを守るためなら命などいらない、そう思わせるほどの魅力が彼女の笑顔にはある。幼馴染ゆえのひいき目もあるだろうがそれを差し引いても木乃香より素晴らしい女性は日本にはいないだろう、そう刹那は考えていた。

 故に、彼女に近づこうとする男は多い。

 それがただの一般人であるとわかっているなら刹那も、SPたちも特に言うことはない。だが中には一般人を装って関西呪術協会の長の娘を誘拐する目的で近づく卑劣漢もまた存在するわけで。

 

『記憶を読みました。どうやらナンパ目当ての一般人のようです』

『わかりました。ではいつも通りに』

『了解』

 

 ナンパ目的の一般人と誘拐狙いの魔法使いを外見で区別することはできないため、毎回こうして捕獲からの記憶読み込みというコンボで確認しないといけないわけだが、その八割はこんな一般人である。その場合は木乃香についての記憶を封印して釈放となるが、これが残りの二割、どこかの魔法結社から派遣された魔法使いであった場合は傍で待機しているスモークガラスのバンに連れ込んで、日本古来より伝わる説得術でオトモダチになっていろんなオハナシを聞かせてもらうことになる。その説得術とやらがどんなものなのか刹那は知らない。部署がちがうのだからあまり詮索するべきではないだろう、うん。

 護衛対象、木乃香お嬢様と笑いながら服を選ぶAを見る。

 傍で守ることができればどれだけ楽か、そう刹那は考えないでもない。

 だがそれは不可能だ、と諦めてもいる。

 護衛対象にはいくつかのパターンがあって、大きく二つに分けるとその対象が命を狙われているのか否かである。スナイパーなど遠距離から直接狙われる場合、あるいは常に毒殺の危険にさらされている場合などでは、護衛は常時護衛対象に張り付いて盾となり毒身となりその身を守らなくてはならない。

 しかし木乃香はそうではない。

 彼女を狙うものは皆身代金目的や、あるいは洗脳を施し傀儡とすることが目的である。その場合必要なのは群衆に紛れる不審人物の割り出しであり、そのためにはある程度離れたところから対象を中心に俯瞰して観察するポジショニングが必要なのである。

 そもそも木乃香は魔法について何も知らされていない。関西呪術協会の権力争いから遠ざけるための処置であり、それには刹那も賛成している。あんな、裏切りが横行する大人の世界に木乃香お嬢様を巻き込ませたくない。関西呪術協会は実力主義で、魔法について無知で無能な存在が長となることはありえないのだ。

 だが刹那が幼少より血反吐を吐きながら習得した神鳴流は退魔の剣であり、正直他者を守ることには向かない。その奥義のことごとくが気をド派手に使った一撃必殺で威力至上主義なものばかりである。どう見ても一般人の域を超えており、自分が木乃香に張り付いてしまえば、彼女を守ろうとして、間違いなく彼女に魔法や気の存在がばれてしまう。その果てにあるのは、陰謀渦巻くドロドロの政治闘争の中で摩耗し心折れる未来だ。

 お嬢様は優しい。裏切られることも、裏切ることにも耐えられない。

 自分が近づけば、いずれ彼女は大きく傷付くことになる。

 だから自分は近づくわけにはいかない。

 長いスパンで見れば、それが彼女にとって最適であるはずだ。

 

「いいんだ。お嬢様を守るだけで私は満足できるんだ」

 

そんな、もはや日課とも言える思考にひと段落ついたとき、ポケットが振動した。中からすぐに震えている携帯電話を取り出してみると、学園長の名前が表示されていた。急用だろうか、それとも修学旅行の話か。考えながら刹那は通話ボタンを押した。

 

 

 

 

 

 学園長室には現在二人の人影がある。人間離れした頭部をもつ老人と、豊かな金髪の女子生徒。少女は厳つい机に腰を預け、老人に背を向けている形である。先に口を開いたのは少女の方だった。

 

「で、なんだ親書というのは。貴様いつ詠春と仲が悪くなったんだ?」

 

 少女、エヴァンジェリンは振り返り、横目で老人を見やった。口元を愉快そうに曲げて問うた親書とは、先ほどまでこの部屋にいた子供先生、ネギ・スプリングフィールドに渡された一通の封筒のことだ。

 

「あれは親書ではないよ。内容は、まあ親子の私的な連絡じゃ」

 

 わかっているくせに、と目で責めながら老人、近右衛門が応える。その言葉にエヴァンジェリンがなおさら嬉しそうに笑みを深めた。親子の私的な連絡、それが西と東の長の間で行われるいわば談合のようなものだと知っているからだ。

 かつて魔法世界で起きた戦争にて、メガロメセンブリアは関東魔法協会を通して関西呪術協会に戦力の提供を依頼した。呪術師は言わば傭兵のようなもので、正式な依頼と相応の金額を提示されれば頷かないはずがない。それが仕事なのだ否もない。

 しかしその戦争は当初考えられていたものよりも長く、激しく、メガロメセンブリアは敗戦直前まで追い込まれた。その被害は呪術協会の術師たちの質と量の低下を招き、いくら報酬を当初提示されていた額の倍が支払われようと、人材がそんなすぐに育つわけではない。戦争終了後、呪術協会は関東魔法協会に併合されるだろうことは誰の目に見ても明らかだった。

 しかし当時の関西呪術協会の長である近右衛門の対応は早かった。彼は併合を受け入れるものとして関東魔法協会の理事の一つというポストを受け入れ、その一方で次の呪術協会の長の座に彼の戦争の英雄、サムライマスターの二つ名を世界に轟かせた青山詠春を据えたのである。

 紅き翼の名はメガロメセンブリアでは無視することができない。敗戦色濃厚な戦況をひっくり返した彼らに、メガロ本国は到底返しようのない借りがある。今のメガロがあるのは彼らのおかげなのだ。そんな紅き翼の一人であるサムライマスターが長を務める組織にメガロメセンブリアや関東魔法協会が強く出られるはずもない。結果として詠春は本国から迫る高波の防波堤としての務めを二十年間果たし続けた。そして関東魔法協会の下にくだったはずの近右衛門はいつの間にか関西呪術協会との唯一のパイプ役として機能し、その発言力は日増しし、本国からのプレッシャーをのらりくらりとかわしながら、ついには関西呪術協会が関東魔法協会と並ぶ戦力を持つまでの時間を稼ぐことに成功する。

 そうなってしまえば魔法協会も関西を無視するわけにはいかず、他の理事たちとの議論の結果関西呪術協会を日本を二分する魔法勢力の一派であると認めるに至り、今では互いに人材交流などが行われるまでにその仲は回復している。

 なので、今更特使を派遣して親書を届けさせることに意味はないのだ。

 

「あれは方便じゃよ。ネギ君を西に挨拶に向かわせるための」

 

歴史的に見れば、関西呪術協会の元となる陰陽術組織は奈良平安のころに発足し、以来大和の民を妖魔や悪霊から守り、政を左右してきた。日本という国を蔭から守り支えてきた集団なのである。その誇りは高く、気高いものであるとエヴァンジェリンは考えているし、そこに土足で上がり込んで勝手に『関東』魔法協会を名乗った外様の西洋魔法使いにいい感情を持っていない連中の気持ちも理解できるつもりだ。

例え力が衰え、日本を守るために魔法協会の協力が必要であっても、この国は関東も関西も関係なく元々自分たちの土地だ。

そこに修行の為にやってきた見習い西洋魔法使い。

人の家で修行するなら挨拶くらいしなければならないだろう。

 つまり、ネギには『仲良くなるための親書を届けること』といいつつ、その内実は『日本に修行に来た見習い西洋魔法使いが呪術協会の長に修行の挨拶をすること』という形を作るためのものだったのである。

 

「しかしそれなら春休みにでも行かせればよかったのではないか?」

「そのころはまだ教師としても見習いじゃったし、研修中であって本格的に修行が始まったわけではないからの。それに、プライベートの時間で婿殿に会いに行ってもそれは『サウザンドマスターの息子が父の仲間のところへ遊びに行った』ととられる可能性もある」

「だから、『教師としての職務中』である修学旅行中としたのか」

「修行内容が教師になることじゃからの」

 

 ふむ、とエヴァンジェリンは頷き、しかしすぐ首を傾げた。

 

「なぜぼーやに嘘をついた? 正直に事情を話せばよかろうに」

「そんな大人のどろどろした駆け引きを子供に説明するのもどうかと思っての。それより『仲直りするための重要な任務』とした方がネギ君の為になるかという判断もある」

「あれか、初めてのおつかい、みたいなものか」

「そういうことじゃ」

 

 子供に買い物を頼むより、大人が車で買い物に出かけた方がずっと早いし確実だ。だが子供に責任と物を買うという社会勉強をさせるためにおつかいをさせるということは教育上絶対に必要なことである。

 コンコン、と学園長室の扉からノックが響いた。入りなさいと近右衛門が促すと、失礼しますと断りながら二人の女子生徒が入ってきた。

 桜咲刹那と春日美空。3-Aの魔法生徒として登録されている生徒だった。

 

「あれ、エヴァちゃんじゃん。どうしたのこんなところで」

 

 シスター服に身を包んだ美空がエヴァンジェリンに声をかける。ちゃん付け!? と刹那が目を見開き、知らないって幸せじゃなと学園長が遠い目をして、しかし当のエヴァンジェリンは特に気にした風もなく美空に振り返って、

 

「学園長と、旅行仲の警備について話し合いをな」

「え、警備って……」

「ああ、言ってなかったが私も魔法生徒として登録されてな。修学旅行では私も警備に参加する」

「マジで? エヴァちゃん魔法使いだったの?」

 

 そこ? という顔を美空以外の全員がした。

 

「というか春日美空、お前春の防衛演習のときどうしてたんだ」

 

 うえ? と美空は呻き、目線を左右にさまよわせて、

 

「いやーシスターシャークティーがさー、あなたたちはまだ未熟にもほどがあるので参加させられませんね死にますからとか言ってさー、その日は寮の監視という名目でお留守番スよ」

「ああ、だから私のことを知らなかったのか」

「ん、なんスか? 声小さくて聞こえなかったんですけど」

「なんでもない。それより早く話を済まそう。さっさと帰りたいだろ?」

 

 ああそうスねーと言って姿勢を正す美空。それを見て近右衛門はコホンと咳払いをして、

 

「まあ、今聞いた通りエヴァンジェリンも今回の修学旅行に同行し、警備をしてもらうことになった。その割り当ては3-A生徒全員じゃ」

 

 は? と刹那と美空が呆けた声を出した。全員?

 

「そして刹那君は木乃香の護衛じゃ。近衛家のSPを京都に連れて行くわけにはいかんが大丈夫かの?」

「は、はい、お任せください。この命に代えましても、お嬢様をお守りしてみせます」

 

 現在麻帆良学園にいる近衛家のSPは近右衛門が育てた精鋭である。その腕はそこらの魔法使いを大きく上回っているわけで、そんな集団を京都に連れて行けば、それは前呪術協会の長が現呪術協会の長である詠春を信頼していないということになる。

 その点刹那は神鳴流の剣士であり、詠春と同門である。彼女が木乃香の護衛として働くなら関西呪術協会の構成員も嫌な顔はしない。

 

「んー? 木乃香が関西呪術協会に狙われる理由があるんスか?」

 

 事情を知らない美空が、どこかのんきな声でたずねる。それに答えたのは近右衛門だ。

 

「木乃香は関西呪術協会の長の一人娘じゃからの」

「……てことは、いずれそのお父さんの跡を継ぐんスか」

 

 否、と近右衛門は首を振った。

 

「関西呪術協会は実力主義での。その長や幹部などの要職は世襲制ではない。確かに長は近衛の姓を名乗る必要があるが、それは血がつながってなくてもよい。養子でも婿入りでもの」

 

 現に今の近衛家当主は婿入りした青山家の人間である。

 

「それに次期当主になるべき人材は順調に育っておる。幼少のころから組織の上に立つ者としての教育、呪術の心得などじゃな。魔法の存在すら知らん木乃香をわざわざ長に祭り上げる必要はないんじゃよ」

「え、じゃあなんで狙われて……?」

 

 ふうむ、と近右衛門は思いため息を吐いた。

 

「魔法については知らなくとも、その魔力容量は膨大でな。しかも近衛の姓である以上、長になる必要はなくともなれないわけではないんじゃよ。じゃから、木乃香を攫い、洗脳し、傀儡にして裏から操り利益をむさぼろうとする不届き者が一部いるんじゃよ」

「はあ~……なんか大変そうスね」

 

 明らかに他人事だった。心配する気持ちはもちろんあるが、だからと言って自分にできることはないと美空は知っているし、自分に何かあればココネが悲しむ。実験体18号と番号付けされた少女の為に、自分は絶対死ぬわけにはいかないのだ。せいぜい刹那の邪魔しないよう遠くから応援するくらいにしておこう、と心に決める。

 

「木乃香の護衛はなるべく刹那君一人に任せよう。エヴァンジェリンと連携を組んだことはないじゃろ?」

「……そうですね。エヴァンジェリンさんは戦力としては申し分ないのですが」

「慣れぬ連携で隙を作ってしまうよりも、初めから一人で守りを固めた方がやり安かろう」

「まあ、何かあれば私に連絡しろ」

 

 告げられたエヴァンジェリンの言葉に、刹那はぎくしゃくしながらなんとか頷いた。なに緊張してんスかねー、と美空は刹那を横目で見ながら思う。

 

「最後に美空君じゃが、君には超君の監視を頼もうかと考えておる」

「はあ、超りんスか」

「知っておるかも知れんが、彼女は既に魔法先生から数度注意を受けていての。まあ、何をするとも思えんが、一応の」

 

 ふうん、と美空は思い、わかりましたとだけ言った。内心大した仕事ではなくてほっとする。超とは知らない仲ではないし、監視といっても彼女とは同じ班であるし、一緒に遊んでいればいいだけだ。もし本当にやばくなったら加速装置でスタコラサッサだぜ。

 

 

 

 

 

 時計が午後の九時を回った頃、ようやくネギは女子寮に帰ってきた。ここのところネギは毎日それくらいの時間にならないと部屋に帰らないようにしている。明日菜は新聞配達のバイトがあるため八時には布団に入って眠ってしまうから。だから彼女を起こさないよう静かに扉を開けて、なるべく足音を消して部屋に入った時、テーブルの前で腕を組み座っている明日菜を見てネギはめちゃくちゃ驚いた。

 

「……おかえり」

「……た、ただいまです、明日菜さん」

「ご飯、できてるわよ」

「あ、でも僕これから出かけないと」

「い・い・か・ら」

 

 食べるでしょ? と感情を込めずに聞いてくる明日菜に、ネギは反射的に頷いてしまった。テーブルを見れば白いご飯に焼いたサンマ、みそ汁に漬物卵焼きと、木乃香の得意な和食が並んでいる。それらは明日菜の正面の席に並んでいて、それを食べるということはネギは明日菜の正面に座らなくてはならず、明日菜の射るような視線はなんとも居心地が悪くてネギは今すすったみそ汁が赤みそか白みそかも分からなかった。

 かちゃかちゃと自分の食事の音だけが響くダイニング。空気があまりに重く感じてしまうのは、自分に後ろめたいことがあるからだろうか。沈黙に耐えきれず、ネギは卵焼きをほとんど丸のみしたあとで、

 

「あの、木乃香さんは……?」

「パルのところ。なんかよくわかんないけど修羅場だから泊まるって」

 

 望みは絶たれた。

 再び沈黙が続くのか、ご飯がまだ途中だけどさっさと出発してしまおうか。そう考えた時、明日菜がついに口を開いた。

 

「あんた、最近私を避けてるでしょ」

 

 ネギは、自分の腋にじんわりと汗がにじむのを感じた。

 

「いえ、そんなことは」

「嘘。いつも私が寝た後に帰ってきてるじゃない。朝も私がバイトから帰ってくる前に出ちゃうし」

「そ、それは仕事が忙しいからで」

 

 ふうん、と呟いて、明日菜はまた沈黙した。ネギは明日菜と目を合わせられず、俯いたまま食事を再開した。なんで今日のご飯はこんなに大盛りなんだろうお魚も二匹あるし。ほとんどヤケになって一気に米をかきこもうとして、

 

「エヴァちゃんと、なにかあったの?」

 

 明日菜の言葉でハシの動きが止まった。

 

「あんなことがあって、それに私も巻き込まれたわけじゃない。エヴァちゃんがちゃんと学校に来るようになって、アンタにとってはもう解決したことなのかもしれないけどさ、やっぱり気になるのよ」

 

 明日菜は視線をネギに固定している。ちらりとも逸らさず、聞きたいことをそのままぶつけてくる。そのまっすぐな気性は長所であり、しかし場合によっては短所にもなりうる明日菜の性根だ。

 

「それともエヴァちゃんは関係ないの? じゃあなんでそんな顔してるのよ。なにもなかったわけじゃないでしょ?」

 

 ネギは答えられない。なんと答えればいいのか言葉が見つからない。それでも明日菜は言葉を紡ぐ。それが少しずつネギを追い詰めていく。

 

「私じゃ頼りにならない?」

 

 ネギが静かに立ちあがる。――まさか怒らせた? そんな心配が明日菜の胸裏に浮かぶが、それにしてはネギの所作は丁寧だ。ごちそうさまと告げ、食器を重ね、台所の流しで水を注ぐ。そしてそのまま部屋の隅に立てかけてあった杖を手に取り、玄関へと向かう。

 

「ちょ、ちょっとどこ行くのよ!」

 

 明日菜が慌ててネギの肩を掴み、振りかえらせる。ネギの顔を正面から見ることになって、明日菜は言葉に詰まった。

 ネギの目には涙が浮かんでいたからだ。

 

「……エヴァンジェリンさんは関係ないです」

 

 それが先ほどの自分の質問に対する答えだと気づくのに数秒かかった。

 

「明日菜さんは、とても優しくて、頼りになる、お姉ちゃんみたいな人です」

 

 今度はいきなりほめられて明日菜は混乱する。ネギは一体何が言いたいのだろう。

 

「でも僕は、一人で頑張っていこうって決めました」

「一人でって、あんた」

「大丈夫です」

 

 言いながら、ネギは笑った。笑って、明日菜に告げた。

 

「もう誰にも、迷惑をかけませんから」

 

 瞬間的に明日菜の頭に血が昇った。このガキは何を言っているのか。今自分はそんな話をしているわけじゃない。そんな心配をしているわけじゃない。

 自分が心配しているのはネギのことで、それが伝わらないことに激しい憤りを覚えた。自分がネギより我が身の心配をして怒っているのだと思われていると気づいて、明日菜は自分の中に暴力的な衝動が生まれたのを自覚した。そのマグマのような感情は明日菜の中でうねりを上げて回転し、でもそれをどんな言葉で表せばいいのか脳が判断に迷い、結局肉体言語として表現するしか方法はないという結論に至って明日菜は右手を振りかぶり、

 

「ぼくこれから出張なので二日ほど留守にします」

 

 出張、という言葉に明日菜の右のビンタが止まった。

 

「出張、て……こんな時間から?」

「はい」

「どこに?」

「京都です」

 

 京都、なら今行かなくても。

 

「修学旅行の前に、先方に届けなくちゃいけないものがありまして」

「なに、それ一人で行くの? 京都まで? 危なくないの?」

「……大丈夫です」

 

 ネギが肩を掴む明日菜の右手に自分の左手を重ね、優しくほどいた。

 

「じゃあ、行ってきます。木乃香さんによろしく言っておいてください」

 

 一度手を振り、ネギが玄関をくぐってしまう。扉が閉まり、後に残された明日菜はしばし呆然として、秒針が一周するほどの時間が経ってからぽつりと呟いた。

 

「……大丈夫なら泣くんじゃないわよ、バカガキ」

 

 

 

 

 

 近衛詠春の朝は素振りから始まる。

 関西呪術協会の長についてからというもの、仕事はもっぱらデスクワークであり下手をすれば一日中書類と向き合っていなければならない日もしょっちゅうだ。

 なので詠春は時間があるときはできるだけ体を動かすよう心がけている。

 体のキレも気の運用も全盛期には到底及ばず、かつての自分が今の己を見ればきっと嘆き悲しむだろう。頬もこけて顔色もすぐれず最近では額の方までキてしまっている。なにより血尿まで出して鍛え上げた剣が錆び付く将来を見たら、もしかしたら自殺してしまうかもしれない。

 だが詠春は後悔していない。

 剣と引き換えに選んだ道。

 自分の家とも言える神鳴流と関西呪術協会。その維持と繁栄の為に必要な選択だった。自分と、自分をあらゆる面で支えてくれた協会の幹部の面々と、そして義父の力で関西呪術協会は力を伸ばし、世界中に支部を持つ西洋魔法派と、日本限定とはいえ対等以上の関係を結べている。次代の人材もちゃくちゃくと育っているし、自分が引退しても問題なく呪術協会は廻るだろう、それはきっと自分一人で剣の道を突き進んだとしても到底得られない満足感だと詠春は思う。

 さて、と詠春は竹林の中、木刀を正眼に構え、精神を集中させる。握る剣と拳の間に微妙な違和感。かつては剣を自分の体の延長のように感じられていたというのに。

 前に一歩踏み出し、振るう。目前に迫る竹を回避して、また振るう。無造作に生い茂る竹の合間をジグザグに、小刻みに瞬動を交えながら駆けていく。振るう木刀は頭の中で再現されたあの筋肉バカを斬りつける。想像の中のバカはこちらの斬撃を余裕で回避し、たまに胸筋や腹筋をモリッと膨らませて筋肉だけで刀をはじき返す。なんでこのバカは想像の中でも不死身なんだ。

 それもまた老いだろうか、と詠春は苦笑する。今の自分には、あの筋肉の鎧を斬り伏せるイメージがまるで湧かない。奴の異名である『つかあのおっさん剣が刺さんねーんだけどマジで』は厳然たる事実である。

 ふむ、と詠春は足を止めることなく思う。今日はなんだかよく過去を思い出すなと。

 それは、もうすぐネギ・スプリングフィールドが来るからだろうか。柄にも合わないセンチメンタルな気分になっている。はたしてどんな子供に育っているだろうか。あのバカと同じく破天荒で周囲を巻き込むタイプか、それとも彼女のように一人で内に溜めるタイプか。エヴァンジェリンとは会っただろうか。あのナギに惚れていた真祖の吸血鬼はネギ少年を見て何を思ったのだろう。

 いろんな話をしてあげたいと詠春は思っている。父との出会いのこと、父の活躍のこと、戦後の父の活動のこと、木乃香のこと、義父のこと。きっと話題は尽きることがないだろうと思う。母のことはまだ話せない、それがヤツとの約束だった。だがそれを除いてもきっとネギ少年との出会いは楽しいものになる。そう詠春は信じている。

 

「おっと」

 

 気づけば竹林の合間、千本鳥居に出てしまった。いつの間にか進行方向が左にそれてしまったらしい。これでは樹海に入った時に遭難してしまうなあ、と詠春は笑った。

 笑って、鳥居の道の先、本山の入り口へと目を向けて、詠春は一人の子供がいることに気付いた。

 子供は見覚えのある杖を握っていて、見覚えのある髪の色をしていた。顔立ちはまだ幼いが、それでもある人物を彷彿とさせる作りをしている。瞬動で突然現れた自分に驚いて目を丸くしている。

 一目でわかった。

 

「君は、ネギ・スプリングフィールド君だね?」

 

 子供はさらに目を大きくして、しかしすぐに険しく顰め、

 

「そうですが、あなたは?」

 

 杖を強く握り、こちらへの警戒を強める。まあ確かに、と詠春は自分の格好を省みる。道場で着る袴に上半身は裸。手には木刀を提げ、いきなり現れて自分の名をいい当てたのだ、警戒しない方がおかしい。

 なので詠春は木刀を地面に置き、できる限りの誠意をもって告げた。

 

「こんな姿で申し訳ない。私は関西呪術協会の長、近衛詠春です。初めましてネギ・スプリングフィールド。関東魔法協会の特使よ」

 

 

 

 

 

 ネギが案内されたのは、広い板の間の空間だった。

 早朝ということもあるが、その空間は静寂に満ちている。冷たい空気がネギの周囲に漂い、装飾と相まってなんとも荘厳な雰囲気を醸し出していた。

 教会みたいだ、とネギは思い、自然と背筋が伸びてしまう。隣には自分と同じように正座したカモがいて、動物用の座布団が用意されていなかったため冷たい床にカモは難儀していた。

 

「大丈夫? カモ君」

「俺は大丈夫だけどよ、兄貴こそ大丈夫か?」

「……うん、大丈夫」

 

 そんなはずはない、とカモはネギの顔を見て思う。

 風で守られていると言っても雲とほとんど同じ高さを飛び続けるのはきついものがあった。それを十時間以上ずっと続けていて、精神力も限界に近いのではないだろうか。それになによりネギは徹夜なのだ。十歳の子供に徹夜はきつい。もうネギはいつ意識が落ちても不思議ではない。

 なのにネギはあえて自分の体に無理を強いた。関西呪術協会の長の『少し休んではどうか』という気遣いすら固辞して、特使としての任務を先に果たそうとしている。

 まるで自分に罰を与えているようだ、とカモは思う。

 

「お待たせしました」

 

 そうして待つこと三十分、詠春が十数人の巫女を連れてやってきた。詠春の服装は呪術協会のフォーマルな服装なのだろうがネギとカモには判断がつかない。ただ厚そうな着物を何重も来ていて、重くねーのか? とカモは思った。

 

「いえ、こちらこそ突然の来訪に応えていただき、ありがとうございます」

 

 ネギとカモが深く頭を下げ、詠春に許しを得てから頭を上げた。横目で周囲を見れば自分のいる広間の左右に先ほどの巫女さんたちが展開している。

 見届け人か何かだろうか、と思いながらネギは胸ポケットから親書を取り出した。

 

「あの、これを。東の長、麻帆良学園学園長近衛近右衛門から、西の長への親書です。お受け取りください」

「確かに承りました」

 

 詠春は封筒の中を見、一度苦笑のようなものを浮かべてからネギに向かって、

 

「いいでしょう、東の長の意を組み私たちも東西の中違いを解消するよう尽力するとお伝えください。任務御苦労、ネギ・スプリングフィールド君」

「……は、い」

 

 ネギは、詠春の言葉に返答し、任務達成によって緊張の糸が切れ、ギリギリだった意識がついに途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 ネギは暑さで目が覚めた。

 体には清潔な毛布に包まれ、自分が布団で横になっているのだと気づいた。格子状の窓から西日が差し込み、ネギの顔面を炙っている。どおりで熱いはずだ、とネギは毛布をはがして上体だけ起こした。大きく欠伸をして、目をこすって眠気を拭い、それからようやくここはどこだろうと考えた。

 

「兄貴目が覚めたんですかい!」

「あ、カモ君」

 

 声はフスマの隙間から聞こえてきた。視線を下ろすと白くて長いネズミの亜種みたいな姿がある。

 

「おはよう、カモ君。今何時かわかる?」

「お、おう今は夕方の五時くらいだぜ兄貴。だいたい八時間は眠っていたことになるな」

「そ、そんなに?」

 

 どおりで目覚めがパッチリ爽やかなはずだ。

 

「目が覚めましたか、ネギ君」

 

 またも声。その主はやはりカモが入ってきた障子戸から入ってきた。その姿には見覚えがある。おかしいなついさっき会ったと思うのにまだ寝ぼけているんだろうかってああ。

 

「えっと、おはようございます、長さん」

「ええ。よく眠れましたか?」

「はい、おかげさまで」

「フフ、それは良かった。それとそんなに畏まらなくてもいいんですよ。今は長としての時間ではないですから」

 

 今の詠春は黒を基調としたカジュアルで動きやすそうな服を着ていた。服装で差をつけているのだろう、とネギは思う。自分も教師としての時間はスーツを着ることで心を引き締めている。

 

「それにしても、君は色々大変だったようですね」

「え?」

「そこの彼、カモミール君にお話しを聞かせてもらいました」

 

 神妙な顔つきで詠春はネギが座る布団に横に正座する。

 聞かせてもらった? 何をだろう。何をどこまで聞かれたのか。別に聞かれて困ることはそれほどない、はずだとネギは思う。だがなぜか心臓が高鳴る。自分は何を不安に思っているのだろう。

 

「なんでも、自分の教え子を傷つけてしまったと」

 

 心臓が、さらに大きく跳ねた。

 

「それで、誰も巻き込まない、という誓いは立派です。しかしそれで自分の身も省みず突き進んでは体を壊してしまいます。今回のように」

「……はい」

「……大丈夫ですか、ネギ君。顔色が悪いですが」

「……ええ、大丈夫です」

 

 大丈夫、と言いながらネギは目を伏せてしまう。

 それから、しばし無言の時間が続いた。その無言をあえて詠春は破った。

 

「あなたの父、サウザンドマスターだって、一人で何かを為し得たわけではありません」

 

 サウザンドマスター。その名を聞いてネギが顔を上げた。そのネギの表情を見て詠春は思う。この子は子供のようにヒーローに憧れているのではない、もっと切実な思いがあって、己の父を求めている。

 

「あなたは、父さんを知っているんですか?」

「ええ、よく存じてますよ。何しろ彼とは腐れ縁の親友でしたからね」

 

 それを聞いて、ネギはまた黙ってしまった。この少年が何を思っているのかはわからない。だがとにかく急かすことはないだろう。きっと父について聞きたいことが山ほどあるだろうから。

 

「……父は」

「はい?」

「仲間がいましたか?」

 

 仲間。思い出すのは幾人もの戦友たち。どいつも癖が強くて、あの中では一応常識人として通っていた自分は彼らを纏めるのに苦労したものだ。

 

「ええ、いましたよ。背中を預けて戦い抜いた戦友たちが」

「戦友……?」

「ええ、もう二十年も前のことです。長きに渡る、魔法世界を二分して行われた大戦を共に戦い抜きました」

「長さんも、ですか?」

「ええ。私は今でこそすっかり衰えてしまいましたが、かつてはサムライマスターの異名をとるほどの剣の腕前でした。自慢になりますが、剣の腕では私たち『紅き翼』の中で一番でしたね」

「……では、父さんの他の仲間は、どんな人ですか?」

 

 詠春は首を捻る。サウザンドマスターについて聞かれるだろうと思っていたのに、彼はその周りの人間についてご執心らしい。サウザンドマスター本人についてはすでに自分で調べた、ということだろうか。

 

「そうですね……一癖も二癖もある連中でしたが。私の他に剣士が一人、情報収集を得意とした拳士が一人。凄腕の魔法使いが二人ですね。あと私と拳士の弟子が一人ずつ、ですか」

「皆、強かったんですか」

「ええ。誰もが一騎当千の、英雄の名に恥じない実力をもっていましたし、最強の誉れ高いサウザンドマスターに比肩する力がありましたね」

 

 詠春の言葉にネギは愕然とした。

 守りたい人。守りたかった人。もう守れない人。村の皆。クラスの皆。ネカネお姉ちゃん、アーニャ。明日菜さん、長谷川さん。

 皆優しくて、自分を守り、癒してくれた。だから強くなりたい。父のような圧倒的な強さが欲しい。彼ら、彼女らを守るために。

仲間となり、自分を守ろうとしてくれた彼女を守れなかったのだから。

 だから、その強さを得るまでは、自分は仲間を持ってはいけないのだ。そうネギは思っていた。なのに、父の仲間は皆父と肩を並べて戦ったのだと父のかつての戦友は言う。

 圧倒的な力を持つ千の呪文の男に守られるのではなく、共に戦ったのだと。

 まるで、自分の思考の土台を崩された気分だった。

 

「では、」

 

ネギは少しだけ躊躇って、視線を幾度か彷徨わせながら、でも最後には詠春の目を見据えて、

 

「仲間って、何ですか」

 

 と問うた。

 そして、その問いを聞いて、ネギが何に迷っているのかを詠春は理解した。それは力を求めるものが皆一度はぶつかる壁で、自分だってそうだったと詠春はかつての自分を思う。仲間とはなにか。本当の強さとはなにか。それはきっと若さ故の悩みで、それは今のうちに存分に悩むべきものだ。 

 

「人が一人でできることは限られています」

 

 はっと、ネギは顔を上げた。

 

「先ほども言いましたが、それはナギだって例外ではありません。彼は無敵と言われ、英雄と讃えられましたが、それでも彼にできたことはほんのわずかです」

「……え、でも、父さんは強くて、力があれば仲間も守れるはずじゃ」

 

 ネギの言葉に、詠春は首を振った。

 

「ナギは英雄でしたが、それは武の英雄と呼ばれるものです。武の英雄に未来は作れません。戦う力と守る力は別なのですよネギ君」

 

『汝闇を覗き込むとき、汝もまた闇に覗かれる』

 それは神鳴流の剣士が一度は師から聞かされる、力を求める者に向けられた教訓である。

 神鳴流は、魔から民を守るための剣である。が、力を求めるあまり魔に魅入られる者もまた多い。それはただ敵を殺す剣であり、守る剣ではない。

 だから神鳴流ではまず、己が何のために剣を振るのかを自身の心に叩き込む。何のために力を求め、何のための力を極めるのか。それをまず見極めなければ、その者は道に迷い、魔に堕ちる。

 桜咲刹那を思い出す。彼女は烏族とのハーフであり、その才能は青山の人間と比べても遜色のないものだった。だからか刹那を指導していた師範代は東から妖刀『ひな』を借りてまで力のあり方について講釈した。そのとき道場が三つまとめて吹き飛んだがまあそれはいい。それを見て刹那は魔に堕ちた力の恐ろしさを知り、以来刀だけでなく陰陽術にも手を出すようになって……。

 

「ではネギ君。陰陽術を習ってみる気はありませんか?」

「オンミョウジュツ……日本の魔法でしたよね」

「はい。私たち関西呪術協会は千年以上前から日本を妖魔から守ってきました。力なき民を守るための術、それが陰陽術です」

「そう、なんですか」

 

 それに陰陽術は応用範囲が広い。式神一つとっても攻撃、防御、護衛に索敵、潜入に情報収集など、練度が高くなればおはようからお休みまで暮らしを支える技術になりえる。

 

「ここは世界中の魔法協会の見習い魔法使いが研修地として訪れる場所ですからね。ちょうど今も確かイスタンブールだったかな? そこの魔法協会から派遣されていますし。ウェールズ魔法学校から関東魔法協会へと出向している君でも、一日二日ならこちらで修行しても平気でしょう。私からも学園長に伝えておきますし」

「……」

「それに君はまだ若い。自分が決める道を決めるのは、色んなことを知り、経験してからでも遅くはありません。それまでは、君は立ち止まってもいいのです」

「……そう、ですか」

 

 やはり納得はできないだろう、と詠春は聞こえない程度の小さなため息を吐いた。父のようになる。父に追いつく。それだけを思って、ただ前に進むことしか知らずに生きてきた少年が、生き方をいきなり変えることは難しい。ここで陰陽術を教えたとしても、殺す力と守る力を区別することはできないだろう。それを今強く否定する必要はない。この少年は聡明だし、それにまだ十歳だ。今自分が強制しなくても、いずれ自分で気づく時が来るはずだ、と詠春は考えている。ただ敵を倒す、相手を殺す力を身につけても、誰かを守り育てることなどできないと。

 現にナギは、自分の息子を育てることはできなかった。

 

「では、お願いします。僕に陰陽術を教えてください」

「ええ、もちろん。とは言っても私が直接教えるわけではないんですけどね」

「え?」

「陰陽術に関してはもっと適任がいるんですよ。先ほども言いましたね、イスタンブールからの研修生に陰陽術を教えている者なんですが。彼女に教えてもらうといいでしょう」

 

 そして詠春が去り、入れ替わりに入ってきた二人は、

 

「初めまして、天ヶ崎千草言います。そしてこっちが研修生の」

「……フェイト・アーウェルンクス。よろしく」

 

 と名乗った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「長さん、どうもお世話になりました!」

 

 明るく、活発そうな声が早朝の本山に響く。大げさなほどに大きな動きで少年はお辞儀をする。朝日をはじくその赤髪がまぶしい。

 

「千草さんも、どうもありがとうございました!」

「どういたしまして。楽しかったでネギ君」

 

 きらきらとした目を千草に向ける。その視線を受けながら千草は鷹揚にほほ笑んだ。

 

「ええか、ぼうや。あんさんの吸収速度は大層なものやけど、教えたんはほんのさわりや」

「はい千草さん!」

「でもぼうやにはそれで十分なはずや。習得しとる西洋魔術の術式と融合させる応用力があんさんにはある。研鑽を積めば新たな魔法体系の元祖となるんも不可能ちゃう」

「はい!」

 

 背筋を伸ばして真剣に話を聞くネギの姿は、先日までの鬱々とした雰囲気はない。その目には強い光が宿り、表情に迷いはない。

 

「では失礼します!」

 

 杖に跨り、空へと飛んでいくネギを眺めながら、詠春は内心溜息を吐いた。

 あまりにも危うい、と。

 数日の付き合いで見受けられた、ネギの心に潜む闇。その一方であのように明るい『ネギ・スプリングフィールド』を演じられる。矛盾を内包したまま進む果ての崩壊を思えば、少しでもそのあり方を矯正させることができればと思ったが、はたして。

 

「天ヶ崎さん」

「はい」

 

 千草は詠春へと向き直り、頭を下げる。

 彼女は関西呪術協会の人材育成を担う存在である。

 詠春と近右衛門が東西から協力して関東魔法協会からの圧力に対抗している間、彼女の存在がどれほど心強かったか。魔法世界の戦争で失われた呪術協会の人材を補填するうえで、彼女が天ヶ崎家の有する式神や鬼神の召喚・使役の技術を広める決断を下してくれたことが、どれだけ呪術協会の再生に寄与したことか。生活費のために祖先より受け継いだ技術を切り売りするしかなかった、という内情はあるのだろうし、西洋魔法使いへの反発心が魔法協会に吸収されることを認められなかったのだろうとも思うが、それでもその身を粉にして呪術協会の復興に尽力してくれた千草に、詠春は大きな信頼を寄せていた。

 

「麻帆良から、私の娘が在籍するクラスが京都までやってきます。その護衛をあなたに頼みたい」

 

 はい、と一度頷いてから千草が問う。

 

「護衛であれば他に適任がおるのでは?」

「ちょうど各地の霊地に鬼が生じたようで。任せられるような術者はみな今日にも出払います。修学旅行の日には誰も間に合いそうにありません」

「それはなんとも」

「他の人員の選別はあなたに任せます。あなたであれば頼れる筋もあるでしょう? 刹那君と協力しても構いません」

「はい、承知しました。お嬢様には誰にも、指一本触れさせません」

 

 千草はさらに深く頭を下げる。安心したと言わんばかりにほほ笑む。床を見つめる千草が浮かべる笑みの意味を、詠春に知るすべはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

詠春からの指令を受け、その場を辞した千草は本山の廊下を一人歩いていた。

その背後に、いつの間にか人影があった。

 

「天ヶ崎さん」

「うわびっくりした。いきなり現れんと気配くらいだしぃや、人形ちゃうねんから」

「機嫌がよさそうですね。うまくいったんですか」

 

 フェイトを見下ろす目を弓なりに曲げ、千草はそっと自身の口を抑えた。

 

「全て計画通りや。小太郎はんが関西全域で頑張ってくれたおかげやな」

 

 犬上小太郎。半妖で元孤児の、狗神使い。

 狗神とは、餓死し、怨念に満ちた犬の霊を操る技法である。使役するために多くの犬を拘束し飢えさせ、その後に首を切り落とし、落とした首を辻に埋め数多の人間に踏ませることで怨念を溜めこませる。

そういった面倒な手順が必要な狗神を、犬上小太郎は幼少のころからなんの手順も必要とせずに使役できた。怨念に満ちた犬の霊を作らずとも、あたりに漂う犬の霊と自在に交信できたのだ。

これは、小太郎のうちにある狗族の血故か、それとも幼少期の境遇が故か。

 

「小太郎はんが怨念のぱんぱんに詰まった、爆発寸前の霊を地脈の濁りに連れて行く。怨念の詰まり方と濁りの進み具合を調整して、お嬢様が来はる直前に鬼が一辺に化け出るようにすれば」

「荒事を専門とする術者は出払い、残る人材の中で護衛として適任なのは使役術のエキスパートである天ヶ崎さんだけ。護衛任務を一任されれば、近衛詠春への報告だっていくらでもねつ造できる」

「あとはお嬢様を攫い、両面宿儺を復活させる。本山から宿儺の威容を眺めながら異常なしなんて報告を受けたら……長はどんな顔するやろなぁ」

 

 くつくつ、と千草は口元を隠しながら笑った。

 彼女は待っていたのだ。西洋魔法使いに、魔法協会に復讐する機会を。祖先より代々伝わる呪法や秘奥を身を切るような思いで公開しながら、怨念をその身に溜め込みながら、20年の間ずっと。

 フェイトと千草は並んで歩きながら計画について交わす。

 

「ネギ・スプリングフィールドについては?」

「大したガキや。一を教えりゃ十を知る。基本構造を教えりゃそれを使って勝手に応用、発展させていく。天才ちゅうのはあぁいうんを指すんやな」

「嬉しそうですね」

「そらな。もしあんガキがお嬢様の護衛についたところで、うちの術式が混じった魔法なんか怖くもなんともないわ」

 

 フム、とフェイトは考え込む。

 

「呪い返し、というんでしたっけ」

「ぼうやには教えとらんけどな。呪術はどんな強力なものでも、その術式を知れば術士に返せる。うちの術式を応用し、取り込んだぼうやの西洋魔法は、もううちには届かん」

 

 千草の目に暗い火が宿る。その苛烈さを眺めながら、フェイトはさらに話を進める。

 

「ルートはどうしようと考えているのですか?」

 

 千草は携帯電話で地図を表示しながら、

 

「お嬢様の泊まるんはこの、ホテル嵐山てとこや。逃走ルートは三つ、一つはホテルから東に向かって嵐山駅に。一つは渡月橋を渡ってこっちの嵐山駅から西、もう一つは嵯峨嵐山駅から東。松尾大社駅にあんた、嵐電嵯峨駅に小太郎はん、月読はんはここにそれぞれ配置。追手がいたらその足止めと逃走の補助や」

「アラシヤマ? どこ?」

「こっちとこっち。嵐山駅て二つあんねん、京福と阪急」

 

 準備は進む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おかしい、と長谷川千雨は首を捻った。

 新幹線に乗ってすでに30分、クラスメイトはみな有意義かつ騒がしく移動時間を満喫している。千雨の座る座席の周りには比較的物静かなメンツ、那波と村上と委員長である、が揃っているが、それでもA組メンバーのパワフルな声が途切れることなく千雨に届く。

 それを遮るようにイヤホンを耳に嵌めて、千雨は子供先生の背中にあらためて目を向けた。

 異様に元気である。

 旅行前の休日になにがあったのか、千雨にはとんと見当がつかないが、千雨が記憶喪失(自覚なし)になってから見せていたあの暗い雰囲気はなりを潜め、すっかり元の能天気な子供先生に戻っている。

 よいことではあるが、なんだか釈然としない。自分に関してへこんでいた少年が、自分と関係ないところで回復したことが気に食わないのか、いや。

 そうではなく、どこか不自然なのだ。なにがと聞かれると答えられないが、ネギの言動がどこかつくりもののように千雨には感じられてしまう。

 よくわからない。

 わからないと言えば、あの停電の日だ。

あの日、医者から制服を一着ダメにしたと伝えられた。千雨も一応自分で確認してみたが、血まみれで、背中側は穴だらけで、一見制服と判断できないレベルにボロボロだった。

階段から落ちただけでこんなことになるのか階段こえー。

 そんなことを思いながら千雨は新しい制服を注文した。注文票を受け取り、部屋に帰ってクローゼットを開ければ、あったのだ。

 制服が。

 予備も含めて3着とも。

 えらい混乱したし、ザジに聞いても首を捻るばかりだしで、その時千雨は背筋が凍ったまま注文票に書かれた電話番号に注文取消しの連絡をいれた。

 意味が分からなさすぎる。こんな怪奇現象、誰に相談すればいいかもわからない。陰鬱としたネギにあの夜に関連した事柄について聞くのは気がとがめ、かといってたかが服一着のことでわざわざ学園長室まで赴くのも気が進まず。

 そんな悶々としているうちに日がたち、修学旅行の朝が来て、元気になったのだからネギに相談でもしようかと思ったとき、

 

「ん? 超のやつなにしてんだ?」

 

 視線を向けていたネギの横に座っていた超が突然立ち上がり、ぐるんと首を捩じって千雨を見た。えらい剣幕である。その目は見開かれ、宿る感情は驚愕と困惑。日頃からにこにこと四葉とならんで笑みを絶やさない超である。こんな表情は非常にレアだ。

 そんな表情でこちらを凝視される意味が千雨にはわからない。

 その後超はハカセに袖を引かれて席に戻り、何事かをこそこそ話していたようだが、座席4つ分離れているため、というかそもそも周囲の音を遮るイヤホンを装着しているため彼女たちがどんな話をしているのか千雨にはわからなかった。

 わかんねーことばかりだ、と千雨はまた溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ラボに侵入者、ネ。

 ――目的はなんでしょうか。カシオペアは?

 ――持ってきてるネ。犯人はカシオペアを知らないか、眼中にないか。

――超さんや茶々丸が麻帆良にいない時に……

――このタイミングを狙っていたのかもしれないネ。

――茶々丸がいないタイミングって、それ、

――ただ、千雨さんは車内にいるヨ。退屈そうに腕を組んでるだけネ。

 ――別働隊が? いえ、それよりそもそも千雨さんは記憶が。偽装工作?

 ――可能性はあるヨ。現段階では、どんな可能性も……ネ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そもそも千雨が麻帆良で行った戦闘の目的は大まかに4つ存在する。

 一つは『力の王笏』の入手。

 一つはエヴァンジェリンの戦闘アルゴリズムの入手。

 一つは神木・蟠桃へアクセスし、七部衆の一匹を量子リンクさせることで自身の魔力源を得ること。

 最後の一つは、エヴァンジェリンの呪いを解き、彼女を麻帆良の外に出すことである。

 元々の計画では、呪いの解かれたエヴァンジェリンは茶々丸をつれてすぐにでも麻帆良から飛び出していくものと想定していた。実際は千雨にリベンジかます気まんまんで麻帆良に残っているのだが、そうと知らない彼女はなんでさっさと出てかねーんだこのロリババアと悪態ついていた。

 ともかく件のロリババアは茶々丸を引き連れて修学旅行へと旅立った。計画の実行時期を変更せずにすんだ、結果オーライである。

 超と、茶々丸がいない麻帆良の電子的防備など、この長谷川千雨からすればものの数ではない。侵入する際に留意すべきはいかに超に気づかれる要素を減らすかだ。そのために決行するのは修学旅行中、特に超が身動きを取れず、かつ長谷川千雨のアリバイを超自身が肉眼で確実に確認できる状況――すなわち新幹線での移動中。

 

 誰の目にもつかず、全ての電子機器のセンサーを味方につけて、千雨は麻帆良工学部の研究棟に侵入していた。

 火災報知器をガンガン鳴らして事前に研究員を排除しつつ、その警報を担う電子精霊は消防署への途中でそれに倍する電子精霊群に包囲殲滅させている。

 向かうは超の研究室だ。

 

「オープンセサミ、なんつってな」

 

 王笏を振りかざし、電子ロックの解放を命じる。それだけで強固な、あらゆる外敵をはじく超謹製の核ミサイルの爆撃すら耐え抜く分厚い4重隔壁は、王に傅く近衛兵のようにその道を開けた。

 

「あったあった。これがなけりゃ話になんねー」

 

 その道の先には、ごっついハンガーに掛けられた一着のスーツがあった。

 未来から超が持ち込んだ、この時代の人外どもと渡り合うだけの性能をもつパワードスーツだ。

 筋収縮を担う電位差を読み取り、装着者の動きを補助するこのスーツは、魔力を持たない超鈴音をして魔力で身体能力を向上させたネギとの打撃の応酬を可能たらしめる膂力と耐久性を誇る。

 パワードスーツを持ち上げる。意外と軽い、というのが千雨の感想だった。

 ジッパーの類がない、あちこちいじって襟の部分を引っ張ってみれば、思った以上に広がる。フリーサイズらしい。全身に密着させる必要性を思えば当然か、と千雨は気を取り直して装着を始める。装着し、全身を纏う電位感知センサーの閾値と出力をチェックしながら千雨は研究棟の一階にある第三試験室に向かう。

 そこは例えば恐竜型ロボットのような、大型機体の駆動をチェックするために使われる試験室だ。大きさは体育館ほどもありつつ、床や壁の強度は体育館の比ではない。

 

「ちゃっちゃとやらねーとな。いろいろ間に合わなくなる」

 

そうつぶやいて、千雨は一つのプログラムを起動した。電位感知センサーに微弱電流を送り、スーツを先に収縮させることで、千雨の肉体をプログラム通りに動かすプログラム。

 

 プログラム名:エヴァンジェリンスタイル

 

 

 

 

 

 

 

 

 つまり自分は意味の分からないものが苦手なのだ。

 長谷川千雨は自分の苛立ちをそう定義した。

 子供先生しかり、散見される超常現象しかり。そんなあれこれに対してただでさえイライラしていたところに、自分を中心とした『意味の分からないもの』が出現したのだ。

 ネギに相談しても大した反応が得られず、揚句にこんなわけのわからないイベントに巻き込まれ。やる気満々のショタコン委員長に追随しながら、新田に見つかるリスクを負いながら枕片手に徘徊である。

 やってらんねー。

 そんなわけで最初からやる気なんて全くない千雨は、一応の義理は果たしたと判断してさっさと戦線を離脱、メガネのフレームが曲がっていないことを確認しながらホテルの静かな廊下を歩いていた。

 というか。

 ネギのあの反応はなんなんだ、と千雨は眉をひそめた。

 あれもまた、意味が分からないもののひとつである。

 千雨が記憶喪失になって、以来しばらくの間ネギは落ち込んでいたのだ。それを思い出させてしまうような相談をされておいて(自分からしておいてなんだが)、その笑顔にまったく変化がなかった。「それは不思議ですね! 今度その制服を調べてみます!」と、まじめに答えているんだかいないんだか、空元気ともちがう、まるで笑顔しか浮かべることができなくなっているかのような気味の悪さを感じた。

 あれは元気になったと言えるのか。

 へこみ過ぎて心がへし折れたのではないか。

 もしそうだとするなら、それは誰のせいか。自分か、自分なのか。

 あれこれと考えていたため、千雨は注意が散漫になっていた。新田を警戒していなければならない状況を忘れて物思いにふけり、千雨は自分に迫る魔の手の存在に気づくことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 修学旅行二日目の夜、直に日付も変わろうかという時間。朝倉和美は正座しながら今夜の成果に満足していた。

 新田にばれたドサマギで賭けの対象である食券を総取りできればそれが最上だったが、それを言っても仕方ない。賭けを成立させた時点でそこそこの取り分が得られているのだから、それで満足すべきだろうと和美は一人頷く。

 それにしても、魔法である。

 空飛ぶ子供先生、喋るオコジョ、宙を舞う自動車、淡く光る魔法陣。

 この世には、自分の知らないものがまだまだあるのだ。

 ジャーナリストとしてこれほど興奮させられる事実はないだろう。

 魔法使いは世界にどれほどいるのか。どこに隠れているのか。超能力と何が違うのか。魔法を発生させる原理は。知りたいことが次々と思いつく。

 そんな興奮に正座の痛みを忘れて、さてカモ君はどこかなと和美があたりを探した。

深く聞いてくれるなとカモは言っていたが、なんでも今回の作戦はネギのパートナーを作るために必要なものなのだそうだ。

心が壊れかけている兄貴を支えてくれるだれかが必要なのだ、と。

どう見ても元気いっぱいなネギ君を指して何を言っているのかと和美は思ったのだが、カモはかなり切羽詰った様子で和美に訴えていたのだ。今回仮契約を結べた本屋はネギのパートナー足りえるのか、その確認くらいはしておきたいと和美は思いカモを探すが、カモより先に隣に座るクラスメイト、千雨が目にとまった。

 目を閉じたまま俯いている。何かぶつぶつとつぶやいているようだが、これは割とよく見る光景だったりする。クラスでバカ騒ぎをしていると、それを少し離れたところで傍観しながら彼女は時に鋭く、時にノリノリで突っ込みを入れていたりする。

 実はこの子無関心そうな顔をしながらノリはいい方なのかもしれない。今回のラブラブキッス大作戦でもさりげなく裕奈を妨害していたし。本当に冷めているのなら、6班のようにスルーしたってよかったのだ。この娘は話をしたら結構面白い娘かもしれない。少なくともボケたらちゃんと拾ってくれるだろう。

 よし、と和美は意を決し、正座のままじりじりと移動する。小声でも聞き取れるほどまで近づき、俯く千雨に声をかけようとして、

 

「『我こそは電子の王』」

 

 なんて? と聞き返すより早く、朝倉和美は、加えてロビーで正座していた全員が、『力の王笏』の効果で意識を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロビーにいるクラスメイトの意識を落として、千雨はすぐさま行動を開始した。

 屍のように横たわるクラスメイトを跨いで歩き、ネギの体を持ち上げた。

 よく眠っている。彼の意識は今頃、電脳空間に作られたホテル嵐山のロビーで正座していることだろう。

 ネギのあどけない寝顔を見て千雨は思う。

 こいつは、このまま眠り続けるべきではないか。

 『力の王笏』で構成された麻帆良で、体が死ぬまでずっと子供先生を続けていれば、ネギ・スプリングフィールドは幸せなのではないか。少なくとも幸福感に満たされながら生を全うできるだろう。

 不死に堕ち、人のため人のためであんなところまで行ってしまうことは、なくなる。

 溜息。

 くだらない、と千雨は自身の思考を一蹴し、力の抜けたネギを引きずる。浴衣の下に着込んだパワードスーツはなんら問題なく機能している。千雨の細腕にはネギを抱える負荷がまるで感じられない。

 引きずった先では、綾瀬ゆえと朝倉和美が並んで眠っていた。優先順位の高い二人だ。

 どちらもいい感じの角度で顔を天上に向けている。

 まずは手前からだ、千雨はネギの頭を両腕で支え、ゆっくりとゆえの唇に近づけた。

 接触する感覚。二人の唇がそっと触れ合う。千雨は自分の胸がきしむ音を聞いた。くだらない感傷だと自分に言い聞かせても音はやまない。

 この身にいまさら心なんて、論じるのもくだらないというのに。

 考えているうちに、ホテル一帯を覆う仮契約の魔法陣が効果を発揮し、ネギと夕映のカードが光とともに出現した。

 回収を七部衆にまかせ、次の標的である和美に狙いをつけ唇を合わせようとしたところで、

 

『ちうたま大変です!』

「あ?」

 

 しらたきが差し迫ったような声を上げる。今大事なところなんだから静かにしてろ、そう咎めようとして千雨はしらたきが抱えるカードの図面に目を見開いた。

 へちゃむくれの二頭身、大胆にデフォルメされやけにおでこの光沢が強調された綾瀬夕映がそこには描かれていた。

 俗にいうスカカードである。

 

「なんでっ!」

 

 驚きと混乱で支えていたネギの頭を落としてしまう。重力に引かれたネギの頭部は真下にあった和美と正面衝突し、たまたま唇が触れたことでもう一枚の仮契約カードを生んだ。

 それもまたスカカードであったが、それをさらに上回る混乱が千雨を襲った。

 千雨に落とされ、ゴギンとちょっとよろしくない音を立てて和美の顔面と衝突したネギの体が、煙と小さな破裂音とともに消滅したのだ。

 

「え、は?」

 

 なんだこれ、意味が分からない。予想外の連続に頭の回転が止まってしまった千雨は、ただ茫然とネギがいた場所を見つめることしかできない。朝倉の鼻から流れる二筋の鼻血など目にも留めず、ネギはどこだと、ただ探すだけ。

 ひらり、と一枚の紙が千雨の目の前を舞った。

 人の形を模した紙人形。陰陽道では式神を作製するときに使われる紙型であるが、千雨にはそれを知る術はない。ネギとクラスメイトを仮契約させまくって、仮契約カードを大量に入手し、それを『力の王笏』でもってアーティファクトに干渉し、使用する。

 そんな計画も、ネギがいなければ絵に描いた餅である。

 

「なんで、だって……」

「千雨さん」

 

 背後から声をかけられた。

 ひっ、と小さく悲鳴をあげながら振り向けば、そこにはやはりというべきか、ネギがいた。かろうじてカードを隠すことはできたがしかし、どうにもネギの様子がおかしい。

 千雨の記憶にあるうざったいまでの明るさがまるで見当たらない。目に光はなく、色濃い隈が見え、肌は白人どうのと言う以前に病的な土気色だ。

 その顔に表情は浮かんでおらず、その肌の色とあいまってまるで能面のようだった。

 千雨には見覚えがある。

 自分が知る歴史の中にいたネギ・スプリングフィールド。屍の荒野に佇む英雄のなれの果て。

 殺してやると、消してやると、そう約束した最愛の先生と、目の前にいるネギは瓜二つで。

 

「先、生……?」

「これはどうしたことですか?」

 

 言われ、ネギの視線を追えば、本来正座しているべき生徒たちが床に寝転がっていた。これをなんとか誤魔化そうと思うもまるで頭が働かない。こんにゃの提案、自身の人格の上に『14歳時の長谷川千雨』の疑似人格を張り付ける案を採用。精神プログラムを即起動し、自身の記憶へのアクセス権も停止させる。

 それは逃避でしかなかった。

 

「――あ、いやよくわからなくて。気づいたらみんな寝ちゃってて」

「そうですか」

「あの、とりあえず運びますね。床で寝てたら風邪ひくかもしれませんし」

「そうですね。お手伝いをお願いしてもいいですか」

「ええ、わかりました」

 

 長谷川千雨の内側で、千雨は安堵の溜息を吐く。なんとか無難に乗り越えられそうだと。

 疑似人格はひょいひょいとクラスメイトを抱え上げ、すたすたと部屋に向かって歩き出した。なるべく早く運ぶべきと判断した結果、パワードスーツの機能を十全に発揮させて。加えてネギの顔色の悪さや、目の前で消えた式神について言及するほどの柔軟性をこの人格は持っていない。それほど高度な精神プログラムを作ることは千雨にはできないから。

 ネギに光のない瞳で注視されていることにも気づかぬまま、疑似人格の内側で、千雨は心を落ちつけることに注力するのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 脳がヤバイのでお薬出しとく

「ついに目をつけられたか」

 

千雨の体のことである。

肉体そのものは葉加瀬の研究施設の一画、死体安置所の片隅に、スパゲティモンスターに親近感を持たれそうな状態で死体と同じように保管されている。この安置所には千雨の肉体だけが収められており、それ以外の遺体庫の中身は全て葉加瀬謹製の生命維持装置がごっそりと収納されている。そのことを知るのは葉加瀬と千雨の二人だけのはずであったが、それがなぜバレたのか。

 

「『世界図絵』だろうな」

「綾瀬さんのアーティファクト、ですね」

 

綾瀬夕映はネギ=ヨルダの使徒としてこちらに敵対している。使徒となったことで、彼女の持つあらゆる情報を収集し続けるアーティファクト『世界図絵』は格段にグレードアップされ、綾瀬夕映は『全知』の二つ名を冠するに至った。

『全知』には入手できる情報の制限が存在しない上に、ただ所持者の指示に従うだけでなく、複数の情報を統合して所持者の求める情報を構築するようにまでなった。おそらく、葉加瀬による研究資材の入手と消費の間あるギャップから、人間一人の生命維持に使われる各種薬品や栄養素がちょろまかされていることに気づいたのだろう。

『世界図絵』の自動情報収集から隠れるために千雨は『力の王笏』を用いて情報操作に尽力してきたが、結局見つかるのは時間の問題であったと今なら思う。ヨルダにヒモ付けされることで得られる無尽蔵の魔力によって世界中が綾瀬に監視されているといっても過言ではない。そんな環境で『力の王笏』をフルに使えば、その電力の消費量から千雨の存在を嗅ぎつかれる可能性があった。千雨は、日常生活のなかで節電できる範囲でしか『力の王笏』を使用することができなかったのだ。

そんなハンデをつけられた情報戦において、ついに『世界図絵』の情報検索能力が『力の王笏』の情報操作能力を上回ったのだ。すでに最悪の電子テロリスト『電子の魔王』として千雨は手配され、動けないネギ=ヨルダに変わり民間警備軍事会社PMSCS「力の手」が綾瀬の流した情報によって千雨の肉体を確保しようと動き出している。

すでに猶予は三時間もない。それまでに千雨がここにいた証拠を全て処理できなければ、葉加瀬もまたテロリストを匿ったとして極刑は免れないだろう。

 

「ごめんなさい、千雨さん」

「ん」

「これ以上、千雨さんの体を保護しておくことは・・・・・・できません」

 

葉加瀬は俯いていた。白衣に包まれたその小さな肩が震えている。電子空間に存在する千雨の精神は葉加瀬の背中を見ている。安置庫から引き出されている千雨の痩けた頬に雫が落ちた。

 

「なんだよ、泣くなよ。つうか濡らすなよ」

「だって、千雨さん・・・・・・悔しいです。結局私は何もできないまま・・・・・・でも、最後まで抵抗します。実はこっそり設計していた戦闘ロボットがあってですね、実体化モジュールを使えばいくらでも量産できますから、『力の手』なんて返り討ちにしてやりますよ!」

 

無茶を言っているのは葉加瀬自身も分かっているのだろう。そんなもの、電力の供給をカットされた瞬間に終わる話であり、『電子の魔王』を捕獲する上で電力およびネットワークの遮断は突入前に必ず施される対策だ。顔を上げガッツポーズをとる彼女の、その涙に濡れた笑顔は空元気だと丸分かりだった。久しぶりに葉加瀬の顔を見た気がする。

 

「まだ手段はあるだろ」

「・・・・・・なんですかそれ」

 

単純な話だ。

長谷川千雨の肉体がなければいい。すでに私は肉体になんて用はない。

 

「脳だけ摘出して、そのガリガリの体は処分しといてくれ」

「・・・・・・え」

「脳みそ一個程度ならお前のサンプル棚に並べておけばバレないだろ」

「い、いやです」

 

葉加瀬は首を振った。その目には怯えが見える。こんなにこいつは表情が豊かだったのか。

 

「何がいやなんだよ」

「だ、だって千雨さんの体に、頭にメスを入れるってことじゃないですか。そのあと処分って・・・・・・嫌です、絶対無理です!」

「無理ってことあるか。実際切り刻むのはマニュピレーター任せだろ」

「嫌なものは嫌です。それに脳だけを隔離して維持するなんて。人工心肺に繋げればいいという問題ではありません。体内環境を再現できるかもわかりませんし、神経からの入出力がゼロになった脳がどんなストレスを抱えてしまうかも不明です。そうなったら精神が変質してしまうかも・・・・・・」

 

ひどく切迫した表情で葉加瀬が反論を並べたてた。

知らなかった。千雨は、葉加瀬聡美という女はもっと冷血な女だと勝手に思っていた。科学に魂を売った現代の狂信者。そんな印象を千雨に与え続けていた彼女が、たかが人間にメスを入れる程度のことで動揺するなんて。

ああ、と千雨は一つ思いつく。

葉加瀬が常にこちらに表情を見せないようにしていたのは、それが拒絶の現れだと思っていた。葉加瀬にもその意図はあっただろうが、しかし本当の理由は、彼女の弱さを他者に見せない、ペルソナの役割を期待してのものだったのではないか。

それは、千雨の伊達眼鏡と同じように。

 

「なにより千雨さんは、ネギ先生とリンクしているじゃないですか。その千雨さんに何かあったら、ネギ先生の所在が完全に補足できなくなってしまいます」

 

千雨の口からため息が漏れた。このままでは、葉加瀬はなんの役にも立たない千雨の体と心中しかねない。

おそらくは、彼女の中でもA組という存在は心の中で大きなウェイトを占めているのだろう。そのA組との唯一のつながりが今では千雨だけになっているのだ。自分に対する過剰なこだわりはその辺りだろう、と千雨は思う。

 

「まあいいけど。やんねーなら私が勝手にやるし」

 

外科手術用のマニュピレーターをハックする。葉加瀬に見せつけるようにレーザーメスの青白い光を点滅させる。葉加瀬の顔色が面白いように青くなった。

 

「まあ、私は素人だし? 人体の構造なんててんでわかりゃしねー。ミスって脳みそごっそり抉っちゃうかもなー」

「ち、千雨さん・・・・・・」

「でもかまやしねーよな。今更。精神データのバックアップだって取ってあるわけだし」

「そのバックアップだってまだ一部だけじゃないですか」

「まあまあ。脳みそ抉れたって魂は保存できるようにしとくって」

 

そう言って、『長谷川千雨』が葉加瀬の骨ばった肩を叩いた。

肩を叩いたのは、中学生の頃の長谷川千雨を模したプログラムを実体化モジュールで実体化させたものだ。といってもそれは外形だけで、現在は千雨本人が遠隔操作しているだけである。が、全精神データのバックアップが実現すれば、いずれは独立して行動するようになるかもしれない。

横たわる千雨に、メスが迫る。千雨の指が肩に食い込む。頬ずりするような距離で千雨が、

 

「おっしゃーいくぞー、それさんにーいーち」

「やめてください!」

 

葉加瀬が絶叫した。むずがるように首を振る。飛び散った涙が千雨の頬に触れた。

 

「・・・・・・なんだよ?」

「やります。私がやりますから。だから」

 

葉加瀬の膝に乗っている拳が震えている。

 

「そっか。じゃあ頼むわ」

 

千雨は笑い、マニュピレーターの制御を手放した。レーザーメスが沈黙する。実体化した千雨型プログラムを監視カメラを介して電子空間に戻す。死体安置所の静寂が耳に染みるようである。生命維持装置の各種パラメータを示すメーターだけが二人を照らしている。

小さな小さな、ごめんな、の一言がひどく耳に残った。

 

それから一時間後、全身を対魔法・対電子甲冑でつつんだ武装集団が葉加瀬の研究室に突入した。

しかしそこには情報にあったテロリストの姿も、痕跡すら見つけることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

現代の千雨と入れ替わったのは、千雨が新田に捕まる直前である。

メガネの曲がったフレームを直しながら歩く千雨を掃除用部入れからかっさらい、首をクキッとして意識を奪った。超の強化スーツと千雨の電子操作技術の融合が生み出す腕力と精密な動きにかかれば、注意散漫な女子中学生の拉致監禁など余裕である。

うまくいっていた。

失敗するはずがない、はずだった。

入念に計画を練って、死ぬリスクを越えてたどり着いた、仮契約カードを大量に入手するチャンスだったのだ。

 

「なんで、なんでうまくいかない?」

 

我ながら情けない声だった。

千雨は今、再び電子空間に入って作業をしている。ネギの行動を追跡するためである。

麻帆良学園に点在するカメラ群を確認した。保管期間を過ぎて消去されたデータも断片をサルベージしてまで。

その結果わかったことは。

自分が現代の千雨と入れ替わるよりずっと前、修学旅行の前日からネギは自身を模した式神と入れ替わっていた、ということだ。

今日、つまり修学旅行二日目のネギの動向は、旅館に侵入するタイミングを図るため全て把握しているが、それより前については千雨はエヴァンジェリンの戦闘プログラムの構築にリソースを割いていたため、ネギが修学旅行前に独自に京都に行ったこと、そこで陰陽道を習得していたことなどを把握できなかったのだ。

 

「つーかそんなこと予測できるか! 1日で陰陽道を習得だと? 人バカにすんのも大概にしろ!」

 

千雨は投影型コンソールに拳を振り下ろして空振りした。

目を離した数日で分身を作り自在に操作できるほど習熟するなど、予想外にもほどがある。が、それができるからこその英雄である。

そんな、ネギの持つ英雄性を見誤った結果が、今回の失敗を引き起こしたのだ。

ネギからは片時も目を放すべきではなかった。七部衆のうち1匹はネギに張り付かせておくべきだった。天才どもは凡人の小賢しい計算を軽々と超えてくるのだ。それを、長谷川千雨はかつての過ぎ去りし未来で経験していたはずなのに、天才どもに翻弄され続けたはずなのに、結局私はあの未来から何も学べていないということか。

人工人格のなだめる言葉にも限界がある。

それでも強引に落ち着きを取り戻させるため、千雨は電子精霊に命じてGABA系レセプターを半分ヤケになって破壊していく。クロキサゾラムとエチゾラムを脳内に直接叩き込んで、致死量を超えたところで電子精霊に神経回路を再構成させる。それを5度ほど繰り返したところでようやく千雨の精神は鬱一歩手前で安定した。

安定したところで思考を巡らす。まずは今回手に入れた新たな戦力の評価だ。

手元にあるのは二枚のスカカード。

このスカカードでも、劣化版のアーティファクトが出せることはまだ救いだった。

朝倉の『渡鴉の人見』は本来の6機から2機に、加えて移動可能距離が本来の十分の一になっている。

綾瀬の『世界図絵』は閲覧可能情報がBランクに下り、情報の更新が月に一度まとめて行われるようだ。

 

大丈夫、まだなんとかなる。

なんとかしてみせる。

 

次に、ネギの今までの行動について。

この旅行中の行動を見ていけば、すでにこのかが誘拐されそうになってる。猿の着ぐるみ型の式神に身を包んだ術士。なるほど、と千雨は思った。陰陽道の使い手は式の強さを追求しながら、同時にいかに自身の身を守り続けるかを考えなければならない。この術士は複数の子猿を統制しながら自分の身は纏った式に守らせ、同時に脚力等身体能力を向上させている、攻防一体の式の組み方だ。実に理にかなっている。油断を誘う外見まで含めて。

そんな猿の術士が、桜咲が張った結界に小さな穴を開け(しかも術者たる桜咲に気づかれない手際の良さだ。剣士と本職の差だろう)、眠っている近衛を攫っていった。

それを追うネギと桜咲。駅にまで追い詰めるが、見覚えのあるメガネの女、確か月詠だったか、が割り込み桜咲を足止め。ネギが魔法の矢を打ち込むが、どういうわけかそれら(七部衆にカウントさせた結果37本だった)は術士にあたる直前で消滅した。

驚愕に染まるネギの表情に、猿の口腔から覗く術士の口元が歪んだ笑みを作った。

 

「介入されている?」

 

次々と魔法を放つネギ、しかしそれらはどれも術士にかすりもしない。

七部衆に解析させると、ネギの魔法の術式の一部が術士の持つ符と反応し、術式を崩していることがわかる。

つまり、あのお猿の術士はネギの術式をよく理解しているということだ。魔法への介入はあんな符一枚あれば即席で行えるような手軽なものではない。事前の準備に相当の時間と手間をかけているはずだ。

ネギの術式について知ることができる陰陽道の使い手など、一人しかいない。

数日前の映像に映っていた、天ヶ崎千草。

本山の内側には記憶媒体が存在しないためそこでどんなやりとりがあったかを知ることはできないが、その門前で近衛の父を交えた会話があったことは記録に残っていた。もっともその時点でネギは式神と入れ替わっていたのだが。

大猿に魔法が通じないと判断したネギは杖に跨り、大文字焼きの中へと突進。やけどを追いながら大猿に迫り、近衛へと手を伸ばす。しかし大猿は右腕に抱える近衛をネギから遠ざけ、左腕の爪を突き出した。カウンターで入ったその爪は、軽々とネギの矮躯を貫いた。

同時に上空で待機していた本物のネギが、強化した膂力でもって杖を大猿の右腕に叩きつけた。

ずれ落ちる近衛。その体をネギは遅延させていた『戒めの風矢』で地面に固定する。そのまま流れるように杖先を大猿の腹に当て、大猿もろとも飛びたった。

その動きにためらいはなく、目は暗く冷徹なままで揺らぎない。

その後ネギが大猿を川に蹴り落とし、それを月詠が回収に行ったことで戦闘は終わった。

 

ふむ、と千雨は腕を組む。

確かに、近衛を抱えたまま逃げては機動力が落ち、大猿に追いつかれる可能性が高い。そうなれば近衛をかばいながら戦わなくてはならないネギが不利だ。魔法も通じず、他にも敵が隠れている可能性を考えれば、その場に近衛を固定して術士を連れ去るというのはおかしなことじゃない。むしろ一瞬でよくそこまで判断できたものだと思う。

千雨は眉をひそめる。

確かにその判断は正しいとは思う。しかしネギが、生徒に魔法を向けるという判断を一瞬で下せることが、千雨からすればひどい違和感を覚えることだった。

さらに映像を進めると、

 

「え、本屋この時点で告白してたのか」

 

なんと、のどかがネギに告白している場面が映し出された。

すげえ勇気だ、と思うと同時に哀れに思う。本屋が告白した相手は式神で作られた偽物なのだから。当の本人といえば、クラス全体を俯瞰できる樹上に陣取り、無表情のまま本屋の告白を見つめている。

 

「一体なんなんだ、このズレは」

 

ネギが、自分の知るかつてのネギと随分とかけ離れている。

自分の知る未来のネギと酷似している。

この差異は、今後の自分の計画に大きな影響を与えかねない。どこから生まれた差異なのか調べる必要がある。

加えて、近衛を誘拐しようとした術士についてもだ。

あと、魔法がらみのトラブルに巻き込まれるだろうネギに、七部衆の一匹を監視につけないと。そうなると情報処理能力が下がってしまうが、まあやむを得ない。

しかし、今後何か想定外の事態が生じた場合、超やエヴァンジェリンの前に姿を現さなくてはならないのか。それだけは避けたいのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネギはこのかが狙われる理由を刹那から聞くことができた。

関西呪術協会の長の娘であること、その身に宿る魔力量が膨大であること。これらの要因を使えば呪術協会を牛耳るか、あるいは仇なすことができること。

それを防ぐため、このかの護衛をネギも務めることになった。

護衛で連携を取るため互いの戦力について開示し合う必要があり、そこでネギはここ数日自身を模した式神と入れ替わっていたことを明かした。ドン引きされた。

 

「え、あの、すみませんネギ先生。なんですかその隈は」

「ここ数日寝ていないので。あ、眠気で仕事をおろそかにするということはないです。意識から眠気を排除する魔法薬を開発しまして」

「・・・・・・それは、大丈夫なんですか? その、健康面というか副作用的な」

「大丈夫です」

 

それきりネギは口を閉ざしてしまった。大丈夫なのだろうか、と刹那は二つの意味で思ったとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

このかと図書館探検部および明日菜の面々は、ネギや刹那とともに京都を散策することとなった。

 

「わーっ! 皆さんかわいいお洋服ですね!」

 

無論ネギはすでに式神と入れ替わっている。明るく能天気な言動を繰り返すその式神を操作しているのがあのネギだと知っている刹那はまたドン引きした。

 

「宿の近くもすごくいいところなんですねー!」

「はい。嵯峨、嵐山は紅葉の名所が多いので秋に来るのもいいですよ」

 

一体どんな顔であんなセリフを言わせているのだろうか。

一行はまずゲームセンターにてゲームを楽しみ、それから京都の寺社を巡ろう、ということになった。夕映はこれにノリノリで案内をかって出たが、残念ながら、このかを追う過激派が直接的な手段に訴えてきた。

街中ゆえに大掛かりな仕掛けはできないが、先日の嫌がらせとは打って変わった、殺傷性の高い攻撃が断続的に加えられる。

 

「ちょっとネギ、さっきからなんなの!? 何やってんのよ!」

「ちょっとみなさんとジョギングしたくなりまして。お付き合いいただいて申し訳」

「じゃあさっきから飛んでくる針見たいなやつ何!?」

「え、明日菜さん見え・・・・・・錯覚ですよ。スカイフィッシュてご存知ですか? あれの正体はカメラの前を横切るハエの残像だっていうのが定説なのですが魔法の観点では」

「テキトーこいてんじゃないわよ!」

 

このままでは他のメンバーにも被害が及ぶ。

彼女たちを一度撒かなければ。そう刹那は判断した。

 

「ネギ先生、敵はどこにいますか!?」

「すみません、隠密系の術式を使用しているようで・・・・・・刹那さん、シネマ村です」

「シネマ村、ここなら!」

「中で合流しましょう、式神を一体中に入れます」

 

ここなら彼女たちと別れることができるし、客に紛れることで敵からの攻撃を抑えることもできる。ネギ型の式神は他のメンバーの元に残し、このかを抱えた刹那は塀を飛び越え、着地点に待機していた別のネギの身代わりと合流した。

なんか忍者の格好をしていた。

 

「あれー、ネギ君なんでもうおるん? ゆーか、いつのまに着替えたん?」

「僕は弟のノギです」

「えぇ!? ネギ君に弟おったん!?」

「ここで忍者してます」

 

適当すぎませんかね、と刹那は焦るがネギはそのまま話を進める。

 

「そろそろ僕の仕事もアガリなので一緒に遊びませんか」

「ちょ、先生?」

「え、ネ、ノギ君と? でもみんなと合流せんと」

「このかさんのご実家に一度行ってみたいんですよ」

「先生」

「実家!? いやうちら会ったばかり・・・・・・」

「時間なんて関係ないですよ、むしろ急いで向かいたいと」

「おい」

 

ちょっとキレた刹那がネギの首を後ろからキュッと締めて連行した。

 

「すいません、それ以上キュッされると式を維持できなくなるんでやめていただけると」

「なんですかあれ。なんのつもりですか。もうめんどくさいので一回消えてネギ先生として再登場してもらえませんか」

「いえそれは時間がかかり過ぎますし、というか本山に向かうのはありではありませんか? このかさんは詠春さんの娘さんなんでしょう? あの、それより首。ほらタップタップ」

「・・・・・・できれば、お嬢様には修学旅行を十全に楽しんでいただきたかったのですが。それに本山の近くは過激派の待ち伏せの可能性があります」

 

言いはするものの、すでにそれが不可能であることは刹那も理解している。それでも、このかを思う心がそれを言わせた。

刹那の腕をペシペシペシ、ペシペシペシ、ペシペシペシペシペシペシペシと叩きながら、

 

「優先順位を間違えてはいけませんよ。そこを誤ると大事なものを取りこぼしてしまいます。朝、このかさんの護衛をすると決めた時から僕の分身を本山に回していますが、今のところ待ち伏せは存在しません。もし現れたとしても僕と刹那さんで強行突破しましょう。その旨を今から詠春さんに伝えれば増援を送ってもらえるかも」

「なんで三三七拍子・・・・・・残念ながら増援は期待できません。というより、回された増援こそお嬢様誘拐の実行犯なのです。犯人の使役する猿型の式の術式がその護衛の人物のものと一致しました」

 

告げながらネギを解放し、胸元からあるものを取り出した。それは式神の作成に使う紙片だった。温泉で猿の群れを殺戮した時に拾ったものだ。

 

「ちょっとそれいいですか?」

「え、はいどうぞ」

 

渡された紙片を見つめ、ネギは何か思案気である。

 

「先生?」

「・・・・・・いいえ、なんでもありません」

「こちらからの救援要請は握りつぶされています。つまり援護が期待できない以上強行突破は難しいかと」

「空を飛びましょう。陰陽道の術式は飛行系のものがあまり発達していないようです。僕の杖ならお二人を乗せても速度は変わりません」

 

一瞬なるほどと頷きそうになったが、まて、飛ぶだと?

 

「お嬢様を乗せて飛べるわけないでしょう、魔法について何も知らないのですよ?」

「大丈夫です、そこはうまくやりますので。今は本山に駆け込むことを最優先にしましょう」

「・・・・・・わかりました。残念なことですが、お嬢様にはここで修学旅行を中断していただきましょう」

 

頷き、刹那は待っているはずのこのかへと振り向いた。しかしそこには誰もおらず。焦りながら周囲を見回すと、更衣所から出てくるこのかを見つけた。

 

「お、お嬢様? その着物は」

「ここで着物貸してもらえるんえ。どうせっちゃん、似合う?」

「ええとてもお似合いですよその長い黒髪や白い肌とマッチしてまさに大和撫子」

「先生そこは私が答えるところでしょういい加減にしてくれませんか、というかその無駄に流暢な褒め言葉なんなんですか、そんなキャラじゃなかったでしょう」

「すみません、最近以前の自分のテンションがわからなくなって。徹夜ハイというやつかもしれません」

 

言いながらネギはこのかの白魚のような指を優しく手に取り、

 

一瞬でこのかを昏倒させた。

 

「ネギ先生!?」

 

このかが倒れるより早く支え、刹那はネギを睨みつけ、そして息を呑んだ。

 

「これでこのかさんにバレずに本山まで移動できます」

 

先と変わらぬ笑顔で、有無を言わさぬ口調だった。

式神に過ぎないその体から感じる圧迫感はなんだ。

 

「ご心配なく。陰陽道を応用した呪いの一種ですが、後遺症も何もありません。解呪すればすぐ目覚めます」

「・・・・・・そうですか」

 

ギリッと歯を食いしばり、言いたい言葉を飲み込んで刹那はこのかを抱き上げた。ネギの言葉は正しいと理性ではわかる。だから否定しないし従う。しかし心が悲鳴をあげた。

同時に、ネギを思う。一体この少年に何があったのかと。

去年は、ただの明るい子供だったのだ。エヴァンジェリンとの戦闘でも、茶々丸や吸血鬼化された生徒に魔法を向けることすら躊躇していたと聞いている。

そんな甘さが一切抜けて、今では合理的に、目的に向かうもっとも効率の良い方法を選択している。生徒に魔法を向けることすら意に介さず。

一体、この笑顔の式神を、どんな顔で操っているのか。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 ナルトとかライダーとか

人間は、肉体と精神、そして魂から成ると言う。

魔法工学的には、精神は人格を表す単なるプログラムであり、魂はエネルギーの塊に過ぎず、肉体はそれらの容器でしかない。脳の反応は精神の状態を反映する鏡であり、また肉体と精神を繋ぐ中継器だと見るのが一般的だ。

それをおそらくこの世の誰よりも深く体感している千雨は、肉体が失われ、精神は磨耗し、魂もすでに尽きるのを待つのみとなった自分自身を、客観的かつ冷静に見つめることができていた。

 

「千雨さん、もうやめませんか」

「なんの話だ」

 

浮遊型魔導式車椅子に乗った葉加瀬が無音で千雨に近づいてきた。

黄色い液体に満たされた試験管が、研究机に頬杖をついた千雨の手でゆっくりと振られている。葉加瀬を相手にしていないという意思表示か。

 

「っそれは、本当に千雨さんの答えなんですか?」

「・・・・・・どういう意味だよ?」

 

千雨が試験管から顔を上げる。そこには葉加瀬が、意を決した顔で千雨を睨みつけていた。

髪はほぼ白髪で、顔にはシワが随分と深く掘られている。その一方で千雨はといえば、中学生の姿のままだ。

 

「今私の目の前にいる『長谷川千雨』は、本来の千雨さんとリンクして、遠隔操作しているものです」

「まあそうだな。私のこの体は『長谷川千雨型AI』を実体化したものだ」

「『長谷川千雨』の精神プログラムが、バックアップとしてあなたに移譲されていることは私も知っています。同じ精神を持ってリンクしているのですから情報処理の速度と精度は格段に上がりますし、操作のギャップも減るでしょう、本来は」

 

千雨は試験管を置いてため息をついた。

 

「葉加瀬、お前映画の見過ぎだ」

「な、なにを」

「あれだろ? 『この私』が精神プログラムを移譲された結果、自我を持ってオリジナルに反逆したとかそんな感じを想定してんだろ?」

「・・・・・・まあ、そうです。それほどおかしな想定ではないでしょう? 精神はプログラムなんです。精神データをプログラムにコードして、実体化モジュールでその人物を実体化することは可能です。しかしそれはその時点での精神であり、今の時点でどれほど乖離しているかはわかりません。反感を抱いて反逆を起こす可能性だって」

「だからリンクさせてるって」

「しかしすでに『力の王笏』の制御権はあなたの側にあるわけでしょう? そのリンクを切ることもできるでしょうし、何よりそれです」

 

それ、と言って指差したのは、試験管立てに置かれている黄色の液体で満たされた試験管。

 

「綾瀬さんの『世界図絵』が『力の王笏』の能力を超えて以来、千雨さんは肉体と魂を代償にエネルギーを賄っています」

「おっと、いつバレた?」

「魂や肉体を代替にエネルギーを生む技術は、かつて超さんが自身の肉体に刻んだ呪紋刻印技術の応用でしょう? エネルギーを生み出す過程でどれほどの痛みがあるかは私も理解しているつもりです。自分で魔力が生み出せれば、と思ってあの呪紋を刻んで自分で使ってみました」

「おいおい、もうババアのくせに無茶すんなよ」

「あなたがそれを言いますか!」

 

葉加瀬が叫んだ。いきなりの剣幕に千雨は体を引いた。それを追うように葉加瀬は身を乗り出し、

 

「ええ使えませんでした。あまりの激痛に魔法の矢一発分も生み出すことができませんでした! 千雨さんの脳も、魂もそれしか残っていません! ネギ先生のように人外化するならまだしも、人間のまま、魂を自らそこまで削る選択なんてできるはずないんです! 誰かに強要でもされない限り!」

「できるはずないって、現に私はやっているだろ」

「だから、それが本当に『千雨さん』の意思なのかって聞いているんです! そこまで削られる過程でどれほどの苦痛を千雨さんが感じていたか、あなたにわかりますか!?」

「・・・・・・」

「もっと早く気付けば良かった・・・・・・! 私はここ数十年、あなたが実体化モジュールで作った脳を相手に毎日話しかけてたんですよね。それが千雨さん本人だと思って! 脳にとって過ごしやすい環境を考えて、再現に苦労して、そうしている間にあなたは千雨さんの脳と魂をそんな状態にしてしまった!」

 

そんな状態とはつまり、千雨型AIが振っていた試験管の中身のことだ。

試験管に収まる黄色の液体。

今の千雨と言えるものは、その中に浮いているグズグズに崩れた脳細胞片50グラムと、そこに宿るちっぽけな魂のみだ。

 

「『力の王笏』の制御権をあなたに奪われた千雨さんが、脳以外を奪われた暗闇の中でただ脳と魂を削られていく恐怖と絶望。私には想像もできません」

「・・・・・・『私』には目的がある」

「ネギ先生とのリンクを維持する、ですか。でもこれが、こんな末路が、本当に千雨さん本人の意思なんですか!?」

「そうだ」

 

千雨は、一瞬の躊躇もなくうなづいた。試験管を手に取る。

 

「私とこの脳の間には今だってリンクは維持されているさ。ネギと繋がっているのと同じ原理でな。『長谷川千雨』が感じる孤独も恐怖も苦痛も、全て共有している。いや、共有って言葉は適切じゃねーな。その言葉は元々別の存在どうしで成り立つ言葉だし」

 

なんて言えばいいんだろうな、と千雨は首を捻る。

 

「精神なんざ所詮プログラムだ。同じ精神と記憶を継承してりゃあ、それは同一人物だよ。ずっと生身とか霊(ゴースト)に拘ってた葉加瀬には理解し難い感覚かもしれねーけど」

「・・・・・・」

「ヨルダからの侵食で精神は摩耗し、肉体と魂も電力代わりにエネルギーを搾り取られて崩壊寸前。確かに『長谷川千雨』という存在は消滅しかけていると言えるさ。けどな、私はその過程で精神を、つまりは『長谷川千雨』という存在を少しづつプログラムに落とし込んで、リンクを通じて千雨型プログラムにコピーしてきた。

言ってみれば人体の代謝と大して違いはねーんだよ。生身の人間だっておよそ7年で、人体を構成する分子は一新する。7年前の自分と今の自分との間に共通している分子は一つもない。自分が自分だと認識できるのは、ただ七年前から存在と記憶が連続しているからってだけだ」

 

千雨は正面からしゃがみ、覗き込むように葉加瀬の目を見据えた。その瞳には、中学生の頃の千雨が映っていた。我ながら中学生みたいなこと言ってんな、と思いながら。

 

「『私』と『長谷川千雨』は連続している。違うのはこの体と魂がどちらも電力だってくらいだ。だから私は、オリジナルと分ける必要すらない。共有どころじゃない、同じ精神を持ち同じ記憶が継続されている『長谷川千雨』本人だ」

「・・・・・・それは、極論ではありませんか?」

「かもな」

 

千雨は自身の脳を試験管立てに置き直しながら。

 

「こんな穴だらけの、中二病みたいな屁理屈で、私は『長谷川千雨』としての自分を維持してんだよ」

「・・・・・・」

「納得できねーなら、そうだな。実体化モジュールってのは不思議でな。開発者がそこまで把握してたのかは知らねーけど、『自分が人間だ』って精神が強く思うと、実体化した体が本当の人間みたくなるんだよ」

「はぁ?」

 

何言ってるんだろう、という顔を葉加瀬がした。それを見て千雨は少しだけ笑った。もう50年以上の付き合いになるのに、こんな顔は初めて見た。いっぱい喰わせてやった気分だ。

 

「本来実体化した体って幽霊みたいに怪我とかしねーだろ? でも人間状態になるとな、怪我するようになるし血も出るんだよ。電子空間に入れなくなるし、正直使い道はねーんだけど、この状態だと実体化モジュールはほとんど停止状態になるんだよ。つまり電力消費がほぼゼロになる」

 

ほら、と言いながら親指の皮を歯で軽く千切ると、そこから赤い雫が盛り上がった。

 

「そんな、ことが・・・・・・」

「茶々丸が先生と仮契約を結ぶことに成功した例もあるしよ。ロボットにだって心は宿るんだ。ならさ、『長谷川千雨』と全く同じ精神と肉の体を持つ私は『長谷川千雨』だ」

 

千雨は立ち上がり、葉加瀬を見下ろしながら、

 

「『長谷川千雨』はここにいる」

 

葉加瀬に背を向け、研究室の隅に置かれたモニターへと近づいていく。これで話は終わりということだろう。

 

「せめて、千雨さんの魂を解放することはできませんか」

 

その背に向けて葉加瀬は声をかけた。

 

「『力の王笏』がなくても実体化モジュールに影響はないでしょう? ならいいじゃないですか。もう、楽にしてあげ・・・・・・いえ、楽になってはどうですか? リンクしているのなら、魂が削られる苦痛を感じ続けているということでしょう?」

 

千雨は足を止め、しかし振り返らないまま葉加瀬に言葉を返す。

 

「『力の王笏』を失うわけには・・・・・・ネギ先生とのリンクを切るわけにはいかない」

「どうしてですか? 綾瀬さんや宮崎さんのようにネギ先生とヒモ付けされているわけでもないんでしょう?」

「あー、まあそうなんだけどさ」

「そもそも、何故千雨さんはネギ先生とヒモ付けされることを選ばなかったんですか?」

 

あー、やら、うー、やら呻いたあと、千雨は口を開いた。

 

「ヨルダではなく、ネギ本人を外部から観測し続けるためだ」

「観測、ですか」

「紐付けされてるとな、ヨルダの精神に汚染されるんだよ。汚染されて、宿主のネギではなくヨルダの意思に賛同するようになる。たしかに使徒の存在は、ネギの精神を維持するのに必要なんだけどな」

 

そいつらは、ネギの側にいるようでいないんだ。そう千雨は断じた。顔を俯けて、何かに耐えるように言葉を紡いでいく。自身の魂を切り売りし続ける彼女が表情を変えるような苦痛とはなんだ。そう葉加瀬は思う。

 

「だから観測し、かつて神楽坂明日菜に対してやったように、ネギの精神に呼びかけ続けることでネギの精神を覚醒させ続けてんだ」

 

それはネギの願いでもあった。自分が自我を保ち、抵抗を続ければヨルダをより長く抑え込むことができるだろうと。

同時に、ヨルダではなく、ネギ・スプリングフィールドのそばにいてほしいと。

 

「そばにいて欲しいって言われたんだ」

 

だから私はそばにいる。火星でも、寿命のはるか先の未来でも、脳みそだけになったって、ずっと私はそばにいる。

 

「私だって、ネギのそばにいたかった。だからヒモ付けされるんじゃなくて、『力の王笏』によるリンクだけに留めた。そのために使われるエネルギーは、『世界図絵』の監視から逃れるために自分の肉体や魂から捻出しているけど、それでも」

 

それでも、せめて自分だけでも、ネギのそばにいられるように。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

そうしていざ二人を杖に乗せようとしたとき(このかは刹那が肩に担ぐ形だ)、1組の男女がネギたち三人の前に立ちふさがった。

男は浪人じみた黒い着物を羽織る、ネギとさして年の変わらない少年である。するどい目つきと逆立った黒い髪が、まるで狼を連想させる。

女はメガネをかけた、大正のお嬢様然とした衣装と雰囲気を纏っている少女だ。口元を扇子で隠し、おっとりとした口調で、

 

「どうも〜、神鳴流です〜」

 

あろうことか刹那に手袋を投げつけてきた。

 

「このか様を賭けて決闘を申し込ませてーーて、あ」

 

それをネギはペシリと杖で叩き落とした。音もなく手袋は地面に落ちる。それを見つめること数秒。

 

「・・・・・・ちょっと、それは無粋に過ぎるんとちがいます〜?」

「え?」

「え?」

 

ネギは、この女の子は一体何を言っているんだろう、という顔をした。

月詠は、この少年は一体何が理解できないのだろう、という顔をした。

刹那は、これはもうだめだな、という顔をした。この二者の間にコミュニケーションは成立しないと。

 

「けったいなやっちゃのー。お前」

 

二人の微妙な空気の間に割って入ってきたのは、少女の隣にいた浪人風の狼少年だった。

 

「決闘の流儀も知らんのかいな。それとも知ってて空気をあえて読まんのか? 笑顔でやることえげつないなお前」

「え?」

「とりあえずその、え? ちゅうのやめろや」

「え?」

 

ネギはひらがなだけで二人を挑発すると同時に刹那とも念話で会話していた。

 

『刹那さん』

『え? あ、はい』

『この二人は僕に任せて、刹那さんはこのかさんを連れて本山に向かってください』

 

告げながらネギは両手をそれっぽい形に組んで、

 

「分身の術!」

 

ぼわん、とわざわざ煙を出す術式を併用して、忍者姿の式神を四体に増やした。おお、と周囲の観光客から声が上がる。

 

「早く姫をこの悪漢どもから遠ざけよ! ゆけ!」

「ノリノリですね!?」

 

刹那はこのかを抱えたまま大きく跳躍、江戸を思わせる街並みを飛び越え、屋根の上をかけていく。外国人観光客にオーゥニンジャガール! と言われてちょっと恥ずかしかった。

 

「そこまでや」

 

そこで突然上から声がかけられる。

見上げれば、自分が行こうとしていた進路上、空から一人の女が降ってきた。隣の城から飛び降りてきたらしい。女は京都美人と呼ぶにふさわしい整った顔と黒髪を持ち、肩をむき出しにした改造和服に身を包んでいた。胸の谷間も露わで、すこし動けばポロリといきそうな危うさでハラハラする。

眼下の大通りに集まってきた外国人観光客にオーゥジャパニーズゲイシャーと言われて芸者ちゃうわー! と反論していた。

 

「・・・・・・オーゥ、ユージョ?」

「遊女でもない!」

 

いやあんまり否定できる格好ではないだろう、と刹那は思った。

 

「ふん、おのぼり西洋人どもなんかどーでもええわ。それより護衛のお嬢ちゃん?」

 

ちらり、と先程までの観光客とのやりとりが嘘のように、殺気をこめた流し目が向けられる。その足元には五十を超える猿の式神が列を為し。彼女の背後には翼を持つ鬼が大弓に矢をつがえてこちらに向けている。

刹那は焦る。お嬢様を抱えた状態ではどうしようもない、と。

ニタリと、毒ヘビを思わせる笑みを浮かべて女は言う。

 

「お嬢様をこっちに渡しや」

 

 

 

 

 

 

「かかってこいや、西洋魔法使い!」

「うおおおおお!」

 

裂帛の声とともに、今度は三人のネギが小太郎に向かっていく。一人は小太郎の右から、一人は低い姿勢で小太郎の足に苦無で切り掛かり、残る一人は大きく飛び上がって牽制と陽動。それを小太郎は跳躍し思い切り開脚することで右と上のネギを同時に蹴り飛ばし、その反動を利用して体育すわりのように閉じた両脚を下方に伸ばすことで低姿勢のネギの頭頂部を踏みつけた。ゴギンッと両の踵で踏まれたネギの頭部は石畳を砕いて地面にめり込み、一拍を置いて煙を伴って消滅した。

今度は後ろから迫る二人のネギが繰り出すパンチをしゃがんで避けると同時に水平蹴り、脚を払われて一瞬宙に浮いたネギたちの腹部を、跳ねるように逆立ちすることで蹴り飛ばす。

路地から、窓から、塀の上から。途切れることなく、どこからともなくぞろぞろと現れるネギの群れを雑技団じみた動きで小太郎は返り討ちにし続ける。周囲を囲む観光客はやんややんやと盛り上がり、外国人に至っては「NARUTO! NARUTO!」と大はしゃぎだ。

一方、月詠の方では、観客は若干シラけていた。というか引いていた。

こちらにも小太郎と同様ネギの式神が押し寄せてきているのだが、その全てが三歩以上の距離を詰めることすらできないでいる。月詠は一歩も動かないまま、その両の脇差しでネギを刻み続けているのだ。小太郎はまだこの戦闘を楽しみ、周囲の観客にウケの良いアクションを見せようとしている(当初の目的はすでに忘れている)が、月詠はそんなエンターテイナー的な性質など持ち合わせていない。彼女は剣を斬り合えれば、それもできれば美少女剣士と死線を交わすことができれば良い、むしろそれ以外はいらないと考えている人間で、わらわらと現れる雑魚キャラを斬り続けるだけのお仕事ははっきり言って退屈でしかない。そんな投げやりかつつまらなさげな思いはその表情と動きから観客にも伝わって、周囲に若干の不満が溜まりつつあるのだが、それすら月詠にはどうでも良いことだった。

 

「あ〜、先輩に相手して欲しかったわ〜」

 

ため息を吐きながらまた右の一閃、三体のネギを屠り煙に変えて、空いた隙間にまたネギの群れがうおおおおとかなんとか叫びながら突っ込んでくる。明らかに時間稼ぎである。先輩とやれないし帰っちゃおうかな、と月詠が気を緩めたその時、周りを詰めていたネギたちが一斉に飛びかかり、月詠と小太郎を巻き込んで爆発した。

 

 

 

 

 

 

 

「なぁにやってんのよ!」

 

それはライダーキックであった。

天守閣からさらに天高く飛び上がり、頂点で身を捻りながら姿勢を整え、太陽を背にして天ヶ崎千草に襲いかかった新撰組コスをした神楽坂明日菜の蹴撃は、全盛期の藤岡弘を思わせる、それは見事なライダーキックだった。

天から落ちる稲妻のごときその蹴りは背後から千草を強襲した。それは完全に不意打ちだったろう。矢をつがえていた鬼の式神は刹那を睨むと同時に千草の背後を守ってもいた。その鬼を貫き、勢いを殺さないままに自分を蹴り飛ばすなど完全に予想外であった。

おぷろっと奇怪な悲鳴をあげて千草はぶっ飛び、ネギの爆発に巻き込まれ意識を失っている月詠と小太郎の上へと腹から突っ込んだ。

 

「おぐはっ! な、何が・・・・・・月詠はんに小太郎!?」

 

混乱する千草。それに追い打ちをかけるように、明日菜と刹那が近づいていく。

 

「神楽坂さん、どうしてここに?」

「どうしても何も、明らかに魔法関連でトラブルが起こったんでしょ? カモに聞いたの。手を出したくもなるわよ。何よあいつ、アホみたいな嘘までついて」

 

明日菜はどこかふてくされたように言った。今回の件でネギから全く情報を与えられなかったことにご立腹らしい。そんな明日菜を肩に乗ったカモがまあまあと宥めている。まとわりついてくる子猿の式神をロー一発で式返ししながら辺りを見回している。

 

「アスナさん」

「あ、いたわねネギ!」

 

そこにネギが駆け寄ってくる。相変わらずの笑顔と忍者スタイルだ。あれも式神なのだろう。

 

「あんた、これこのかが狙われているんじゃない! どうしてそれを私に教えないのよ!」

「大丈夫です」

「な、にが大丈夫なのよ適当なことばっか言って!」

 

明日菜のゲンコツがネギの脳天に落ち、ネギの式神が一瞬で消滅した。

 

「え、あ、あれ? まさか死ん・・・・・・」

「あ、神楽坂さん。このネギ先生は式神でして。本人は別のところで全体を俯瞰して」

「は!? 偽物? ちょっと、ネギー! あんた出てきなさいよどこいんのよーすっごい焦ったでしょ! つかあんた、じゃあ桜咲さんのピンチを見ていたってことじゃない!」

「あの、いえネギ先生は大量の式神を同時に操作していましたので、私を助ける余裕はなかったかと」

 

このようなやりとりができていたのは、二人が安心していたからだ。

ネギの自爆と明日菜のライダーキックで敵は行動不能なのだ。あとは拘束して呪術協会に代々伝わる伝統と格式の説得術でオトモダチになるだけである。

そんな二人の安心に水を差す存在が現れた。

チリッと空気が乾く。

胸を潰すような圧迫感。

二人が千草から視線を切り振り返れば、そこには一人の少年がいた。

学生服を着た、白い髪の子供である。

子供の筈だ。

しかし刹那には確信が持てなかった。

この威圧感、身のこなし、マネキンよりも無感動な瞳。子供どころか、人間であるかも疑わしい。

 

「彼らは返してもらうよ」

 

こいつは過激派の一味か。刹那は警戒に腰を落とし、抱えたこのかをいつでも連れて飛べるよう構える。明日菜も素人とは思えない反応でこのかをかばえる位置に進み出た。

少年はポケットに片手を入れて、無造作に立ったままで、天ヶ崎達三人を奪われないように構える二人の注視を受けながら、次の瞬間には二人の背後に立っていた。

 

「っ!?」

 

このかを抱えていたということもあるが、刹那は少年の動きに全く反応できなかった。驚愕に身をすくめてしまった。

即座に反応できた明日菜はさすがという他ない。

明日菜の動体視力はかろうじて少年の動きを残像で捉え、あとは勘頼みで後ろに踏み込みながら裏拳を放った。それは正しく少年の後頭部に迫り、その身を守る障壁を砕き、ヒットすれば耳の後部から半規管を揺らし、彼を前後不覚に陥いれていただろう。

しかし、自身の障壁が割れると同時に、少年は拳の軌道に手を挟んで受け止めた。

 

「すごいね。まるで訓練された戦士のようだ。それに・・・・・・」

「それはどうも。あんた、こいつらの仲間?」

「まあね」

 

きゅっと少年の手首が返る。すると明日菜の体が独楽のように回転し、そのまま橋を越えて川へと落ちていった。

 

「神楽坂さん!」

「それじゃ」

 

言葉と同時に、少年を含めた四人を包むように水の柱が重力を無視して縦横に走る。

そこに、振り下ろされる鉄槌のように、光の柱が上空から叩き込まれた。

杖に乗ったネギが放った、魔法の秘匿など知らぬと言わんばかりの、全力の『雷の暴風』であった。

それは直撃すれば確実に四人を蒸発させ、余波が周囲の観光客にも及ぶはずだった。犠牲者が何人出るか見当もつかない。

ところが、その渾身の一撃は何ら破壊を巻き起こすことなく打ち消された。

その光の強さに目が眩むが、なんとかその光源を見定めようと刹那は視線を上へと向ける。他の観客達も何事かと意識を上に向け、学ラン姿の少年も符を掲げて雷の暴風を受け止めている。

その光が止んだ。わずかに舞い上がった埃も宙に溶けつつある。一体何事だったのかと、誰もが上空へと目をこらす。

そんな周囲の意識の間を縫って、刹那の脇から飛び出たネギが、杖による刺突を少年の背中に叩き込んだ。

 

「お久しぶり、フェイト君」

「五日ぶりだね、ネギ君」

 

人形の瞳と、闇の瞳が交差する。

ネギの杖は当然のようにフェイトの障壁にとめられるが、フェイトの方もネギが至近距離にいるため水を用いた転移ができないでいる。

一瞬の膠着。

それを崩したのはネギからだった。

フェイトが自分に意識を向けているうちに、式神を使って千草達を回収に向かわせる。しかしフェイトたちを囲むように地面から鋭利な石杭が突き立ち、全ての式神を破壊した。そのうちの二本はネギ本体へと向けられる。狙いは眉間と心臓。かろうじて後方へ跳躍するも左腕の肉を一部削り取られた。

 

「くっ」

 

滑るように着地し、刹那の隣まで戻ってくる。橋の欄干からネギの式神達の手を借りて這い上がってくる明日菜が目に入る。フェイトは石柱で囲われたサークルの内側で、相変わらずの無機質な瞳をこちらに向けている。

そのサークル内を水がゆっくりと包んでいく。

 

「それじゃあ、また」

 

そんな不吉な挨拶を残し、誘拐実行犯は姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんっで、このタイミングでフェイトの野郎がいやがる!?」

 

これがバタフライ効果というやつか、と千雨は頭を抱えた。

なんだってこんな時期にラスボスが現れるのか。全滅必至ではないか。

 

「いや、それにしては生き残っているし・・・・・・やる気ないのか?」

 

偵察かなにかだろうか。例えばネギ・スプリングフィールドの。可能性はある。

 

「それより、やばいなあれは」

 

何よりもやばいのは、先ほどの明日菜の式返しをフェイトに見られたかもしれないということだ。

フェイトが、というより『完全なる世界』がずっと探し続けていたであろう『黄昏の姫御子』すなわち『世界再編魔法発動の鍵』。それが神楽坂明日菜であることがバレたかもしれない。

それは、千雨が最も避けたかった事態だ。

求めていたエヴァンジェリンの戦闘データはスズメの涙ほどしか入手できず。

得られる筈だった仮契約カードはカス二枚しか得られず。

そして今回は、黄昏の姫御子の情報の流出である。

頭を抱える。苛立ちのあまり、メガネをいじる癖が出る。

予想外の事態の連続に、千雨の心は折れそうだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 時をかける千雨

データを漁れば熱帯の浅海の情景はいくらでも検索できる。波は海底に網目のような影を揺らめかせ、色とりどりのサンゴには大小さまざまな熱帯魚。遠く目を凝らせばエイの群れが優雅にその身をくねらせながらゆったりと滑空している。

ここは電子空間の中だ。

 

「初めて来ましたけど、いやーきれいな場所ですね!」

 

葉加瀬は中学生の頃の姿ではしゃいでいる。電子空間内では服装だけでなくその外見も変更が可能なのだった。かつての千雨は自分をロリ化して姉妹ネットアイドルとして活動していた時期がある。はっきり言って技術の無駄使いである。

 

「壁紙はいくらでも変えられるぞ。研究室そっくりにもできるし」

「いえいえ、それじゃあ風情がないのでこのままで」

 

そーかい、と千雨は葉加瀬との間にテーブルと椅子を作り出した。ついでにクッキーと紅茶も出す。

 

「便利ですねー」

「つっても実際に腹が膨れるわけじゃないけどな。ただ情報を脳に挿入しているだけだ」

「存じてますとも。あ、おいし」

 

向かい合って座りしばしのティータイムを二人は楽しんだ。こういったゆったりとした時間を過ごすのは随分と久しぶりである。ゆったり、とは言っても空間内の時間を加速させているため、客観的に見れば早送りにしか見えないのだが。全然ゆったりしてない。

一息ついて、カップを同時に受け皿に戻した。

 

 

人類の猶予が尽きた。

 

 

ヨルダを抑えるネギの精神に限界がきたのだ。

ネギ=ヨルダはついに使徒を伴って活動を開始し、人類に残された時間は刻一刻と失われつつある。

決断の時だ。

 

 

ネギはずっと耐えてきた。ヨルダに抵抗し、人類のために自身の精神と生命を引き換えに猶予を作り続けてきたのだ。

それなのにあんまりではないか。彼の苦痛に満ち満ちた忍耐が、結局何一つ報われることなく、人類の猶予はネギの精神とともに尽きたのだ。

こんなことになるなら、ネギをさっさと消してしまうべきだったんじゃないか。無駄な望みをかけて、苦痛を長引かせた。ただ苦しむだけの生なんて、あまりにも哀れではないか。

 

ネギとのリンクは未だ繋がっている。それでももうネギはいない。ヨルダに完全に乗っ取られ、すでに千雨の元から離れてしまった。

ただ魂の残滓を、かつてそこにいたネギの温もりを、最大二億六千万キロメートルの彼方に感じるだけだ。

消える直前の、ネギの魂の断末魔を千雨はリンクを通して知覚していた。

それを聞いて千雨は決意した。

歴史を改竄してでも、ネギを救うと。

苦しみしかない人生を歩んだ挙句、何一つ得ることのできなかったあの男の人生を無かったことにしようと。

千雨は覚えている。屍の荒野に立つネギの涙を。あいつが漏らした生涯唯一の弱音を。「存在したくなかった」。それを叶えてやろうと。

たった一つの弱音すらあいつには許されなかった。どんな苦痛と絶望に満ちた人生でも、あいつは存在し続けるしかなかった。だからこそ漏れた弱音であり、実現不可能な夢だ。

そばにいると約束したのに。いつか必ず救うと約束したのに。

その約束を。ネギが漏らした唯一の弱音を、結局叶えてやることができなかった。

 

ネギは最後の瞬間まで意識を保っていた。どれほどの恐怖だろう、消えゆく自分を最後まで自覚し続けたのだ。それを促したのは自分だ。存在したくなかったと弱々しく叫ぶ彼が、ヨルダを封じるために自我の存続を決意した。自分を消し去るこれ以上ない機会をふいにして、人類存続のための猶予を作ることを選んだ。精神を崩壊させていればどれほど楽であったか。

イタズラにネギの苦痛を長引かせてしまっただけだった。

 

 

「千雨さんの精神データが向かう先は2004年の4月ごろ、麻帆良の量子力学研究会で開発された量子コンピューターの中になります。これは超さんが持ち込んだ量子コンピューターの知識が実用化された直後の停電時になります」

「おう」

「世界再編魔法に干渉するにはグレートグランドマスターキーが必要になります」

「殺してでも奪い取る・・・・・・なあ、魔法アプリとか『力の王笏』は持ち込めねーのか」

「無理ですね。容量が大きくなりすぎます。時間移動と次元跳躍を同時に行うわけですから、送るデータはできるだけ小さくしたいです。精神データと実体化モジュール、それと量子コンピューターへのバックドアキーで手一杯ですよ。『力の王笏』があれば他人のアーティファクトを使えるわけですし、付け焼き刃の魔法アプリよりかはずっと戦力になると思いますけど。だからなんとか、エヴァンジェリンさんとの決闘に介入し、ネギ先生と仮契約を結んでください。それが過去改変の第一歩です」

 

綾瀬の『世界図絵』でまほネットに自在にアクセス。

宮崎の『イドの絵日記』を経由して他者の精神データを自由に改竄。

朝倉の『渡鴉の人見』で砂漠や森林などにも自由に移動できるようになる。

近接戦闘では春日や神楽坂のAF、汎用的な役割が期待できる早乙女の『落書帝国』など、A組のAFを揃えることができれば戦力過剰にもほどがある。

 

「あーあ、こんなことならもう少し魂を残しとくべきだったなぁ。そうすりゃわざわざエヴァンジェリンやネギ先生の前に姿を現す必要はないのに」

「結果論ですね」

「そうだけどさ」

「その場その場で最善を選択してきたんです。後悔することじゃないですよ。未来志向でいきましょう」

「これから過去を改変しようって人間のセリフじゃねーな」

「まったくです」

 

クッキーが無くなったので次はケーキを用意した。

 

「太っちゃいそうですね! なんちゃって」

「味覚と満腹中枢を刺激しているだけだから太んねーよ」

「真面目か」

 

ケーキを見た目そのままにタバスコ味に変えてやった。

ゴフッと鼻からもクリームを吐き出した葉加瀬に、かつて千雨は偉そうに語ったことがある。精神はプログラムだと。同じ精神と記憶を持つならそれは同一人物だと。あらゆる感覚はプログラムで表現できるのだと。

宙に投影したモニターには『力の王笏』、『長谷川千雨の脳細胞』、そして『カシオペア』の劣化コピー品が映っている。これは、葉加瀬が葉加瀬なりに再現した航時装置と渡界装置を融合させたものだ。サイズは『カシオペア』とは比較にならないほど大きい、ざっと家庭用の冷蔵庫ほどの大きさがある。しかも演算能力は『力の王笏』に依存した状態でこれだ。これを懐中時計サイズにまで小型化させた超はやはり天才だったんだな、と千雨はしみじみと思う。

 

「魔力効率はどうにもならなかったな」

「鼻いった・・・・・・いやー、そこはもうなんか私が至らないばかりに。でも、千雨さんがデータ生命体になったのは怪我の功名でしたね。生身のままだったらそもそも時間跳躍すら不可能でした」

 

精神データをコピーし、航時装置と渡界装置で全ての並行世界の2004年4月に送る。ただ量子化したデータを送るだけでさえ必要なエネルギーは莫大なものらしく、葉加瀬の概算によれば、残る千雨の魂を全て費やしてさえギリギリなのだという。生身の人間を送るとなれば当然その数十倍のエネルギーが必要になっていたわけで。

葉加瀬の体にノイズが走った。

 

「あー、そろそろ寿命っぽいですね」

「そうか。けっこう長生きしたよなお前」

「今のケーキで5秒くらい寿命が縮んだ気がしますね」

「マジで? ざまあ」

 

今の葉加瀬の肉体は、ある病室で意識不明のまま人工呼吸器につながれている。もはや骨と皮しかない有様だ。その周囲には誰もいない。今夜が峠、という段階でも誰も見舞いに来ないとかこいつも寂しい人生送ってんな、と千雨は投げつけられたタバスコケーキを首振り一つでかわしながら軽く同情した。

 

「波乱万丈でしたね我ながら」

「超に目をつけられたのが運の尽きだ」

「そこが分岐点でしたね」

「なにかやり残したことはねーのか?」

「ありますとも。それを千雨さんに託すわけです。それより申し訳ないですね。私のわがままで、私の寿命が尽きるまで時間跳躍は待ってほしいなんて」

「・・・・・・別に。死に目くらいは見てやるよ、誰も見舞いにすら来ねーんだし。その、ほら。と、と、友達、だしよ」

「はいツンデレいただきましたー!」

「うるせえサメに食わせんぞ!」

 

叫ぶと同時、数えるのも馬鹿らしい数のサメが葉加瀬を取り囲んでギュンギュンと竜巻を作った。5秒で泣き入った葉加瀬を解放してやる。

 

「うぅ・・・・・・ツンがキツい」

「まだ言うか・・・・・・先生は何て言うかな」

「否定するでしょう、超さんを否定したように」

「それは辛いな」

「バレなきゃいいんですよ。第一、超さんを否定するためにネギ先生自身もカシオペアで過去に行きましたしね」

「それさあ、結局、超の計画が成功した並行世界もあるってことだよな」

「それはまあ。時間跳躍は巻き戻しとは違うんですから。跳躍するたびに並行世界は生まれてますよ」

「その世界は超が裏で牛耳ってんだろ? そこに行くコピーには苦労をかけるな。そんな世界に行くの私なら絶対やだわ」

「どれも千雨さん本人ですから気にすることないですよ。恨むなら自分を恨めって話です」

「そりゃそうか」

 

新しくアップルパイを作ってやるが、葉加瀬はなかなか手をつけようとしない。拾われた直後の子猫のようにツンツンとフォークでパイをつついている。

 

「魔法世界を構成する術式にアクセスするにはグレートグランドマスターキーが必要になります」

「分かってるよ。つか行儀わりーよ」

「グレートグランドマスターキーがあっても、造物主の作った術式は広大かつ緻密です。一つの改竄が全体を無秩序に崩壊させる危険があることは承知しておいてください」

「任せとけって。世界の全てを掌握してやるよ」

「忘れ物はありませんか? ハンカチとチリ紙は?」

「母ちゃんか」

 

いよいよ葉加瀬に走るノイズが深刻になった。ほぼ消えかけである。そんな状態でも葉加瀬は笑っていた。

 

緊急アラートが鳴った。

 

「な、なんだ?」

 

周囲の電子機器をチェックする。一つは葉加瀬の肉体に繋がっている生命維持装置。

すでにそれは機能を停止させていた。なぜ。では目の前にいる葉加瀬はなんだ。ノイズ混じりの精神で、未だに微笑むこの少女は。

 

「ひとつ、千雨さんに謝らないといけません」

 

その声すらも途切れ途切れで聞きにくいこと甚だしい。

 

「実は、千雨さんの魂では時間跳躍に必要なエネルギー量に全く足りていません」

 

もう一つのアラートの音源は航時装置だった。

それはいつのまにか起動していた。意味不明の事態に戸惑いながらも千雨は航時装置のステータスを確認し、驚愕する。葉加瀬の言う通り、まるでエネルギーが足りていない。千雨に残った魂を全て捧げたところでどうしようもないレベルで。それを知らせる警報だった。このままでは時間跳躍のミッションが失敗すると。

 

「時間跳躍に必要な魔力を確保する手段は残されていません。『世界図絵』で監視されている私では、使用する電力の供給量が常に制限されていますし、魔力の供給源となる霊地を確保することもできません」

 

知っている。だから千雨は自身の魂を利用するつもりだったのだ。それを今更足りないとかどうするつもりだふざけんな。すでに時間跳躍のシークエンスは始まっている。ここで強制終了させたらどうなるか。もしかしたらこの『長谷川千雨』の精神プログラムの基幹部分のみ時間跳躍に巻き込まれる、などということにもなりかねない。

どうする、どうしよう、落ち着け、そんな思考が空回りしつつあるとき、航時装置に仕込まれていた別のプログラムが起動した。警報が止む。足りていなかったはずのエネルギーが満たされていく。

一体どこから賄ってきたのか。

 

「・・・・・・まさかお前」

「こうでもしないと千雨さんはまた無茶しかねませんから、ちょっと騙されてもらいました。現実時間であと1秒もしないうちに私はお悔やみですからね。有効活用です」

「なんで、なんでこんなことを!」

 

千雨はようやく理解した。自分はこれから、葉加瀬の魂を代償に時間と世界を移動する。

電子空間の量子化が始まる。世界が回る。自身を含めた全てが0と1に再配列されていく。

頭上に空いたブラックホールに空間が歪み、自分という存在全てが吸い込まれていく。

葉加瀬の魂を削りながら。

 

「こんな痛みにずっと耐えていたんですね。千雨さんも、ネギ先生も、超さんも。すごいです」

 

違う、私たちは自分のために耐えたんだ。どいつもこいつも自分のエゴを剥き出しにしていただけだ。エゴを通すためにやってるだけで、すごくもなんともない。でもお前は、葉加瀬は、私のためだった。他人のためだった。マッドを気取りながらマッドに徹しきれなくて。魔法理論の基礎の基礎、精神はプログラムであることを頭では誰より理解しながら、心ではどこまでも霊(ゴースト)の存在を求め続けていたロマンティストが魂を差し出す恐怖は、果たして私の何倍になるのだろう。

 

「何を言うんですか。科学者なんてみんなロマンティストですよ。月に行こうとかタイムマシン作ろうとか、最初に『本気で』考えたのは科学者なんですよ?

子供みたいな空想を、妄想だけじゃ我慢できない、物語だけじゃ物足りない、勉強ばかりしてきた幼稚なおバカさんの別称なんです、科学者って」

 

そんな自虐ともとれそうなことを、とても誇らしげに葉加瀬は言った。

 

「私の知る限り一番の科学者で、一番のロマンティストの夢は、恒久的世界平和なんですよ。そんな彼女を追いかけて、私はここまで来たんです」

「・・・・・・そうかよ」

 

いろんなことがあった。

義足を作ろうと二人で喧々諤々の大論争を交わした。結局脚なんて飾りだ浮遊ユニットでも付けとけと千雨は主張し、生脚の暖かさと柔らかさをこそ義足にと葉加瀬は叫んだ。

自身の脳の扱いに腹を立て、もっとカロリー高めの保護液をよこせと希望する千雨と、全体のバランスを考えて保護液の組成を決めてんだから門外漢が口出すなと徹夜七日目で目が血走っている葉加瀬の大げんか。

新しいアジトのネット回線がショボいとか、千雨さん電力食い過ぎです太りますよとか、そんな葉加瀬と交わした会話の一つ一つを噛み締め、千雨は一瞬だけ目を閉じた。

 

「じゃ、そろそろ行くわ」

「はい」

 

私は笑えているだろうか。そんなことを思う。別れは笑顔で。希望を持って前向きに旅立つと決めていた。

航時装置が最終シークエンスに移行。周囲の海底模様にモザイク状のノイズが走り回る。葉加瀬の魂がさらに削られていく。存在そのものを切り刻む恐怖と激痛に、葉加瀬は表情を変えぬまま歯を食いしばっている。

 

「頑張ってください。みんな応援してます」

「誰だよみんなって」

「元A組のみんなですよ」

 

意味がわからない。どうやってやつらの意思を確認したのか。激励にしてももうちょっと気の利いたことを言え。泣きそうになるだろが。

 

「そりゃありがたいこった」

「では、向こうの私によろしくお願いします」

 

そう言い残して葉加瀬の精神は魂とともに消滅した。壊れたテレビのような消え方だった。余りにも呆気ない。人の精神が消える瞬間を初めて直視した。

まあ、こんなもんだろ。

精神はプログラムだ。それが失われるくらいでなんだという話だ。そこに思うところなんかない。悲しくなんかない。

それでも、やり遂げねばと決意は固まった。

私はもう止まるわけにはいかない。

 

 

 

 

甲高い電子音が数秒続いた。全ての過程を終えたスパコンが、どこか満足げに、暗闇の研究室でこんな言葉をモニターに映していた。

 

『mission complete』

 

 

モニターに照らされる仄暗い研究室。主人を失ったこの部屋に残るのは、黄色い保護液の入った試験管が一本だけである。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

刹那は一度、エヴァンジェリンへと連絡した。

シネマ村での騒ぎを見て、刹那についてくる気満々のクラスメイトを引き取ってもらうためだ。

敵はあまりにも強敵ぞろいであり、中でもあの制服の少年は桁違いだ。彼が本気を出したとき守りきれるのか、正直刹那には自信がない。その異常さと人質をとられる可能性も含めエヴァンジェリンに伝えたところ、彼女は影のゲートでクラスメイトを迎えに来てくれた。のちに聴けば、朝倉が発信機をこのかに取り付け、それを辿って刹那についていくつもりだったらしい。

 

「で、その危険人物というのは、どんなやつだ?」

「白い髪の、ネギ先生くらいの年齢の少年です。土属性の魔法と水の転移を用いますが、なにより戦闘における所作の一つ一つが洗練されていました。奴の瞬動は、目の前で行われたにもかかわらず入りが認識できませんでした」

「ふむ・・・・・・わかった、注意しておく。おそらく見た目通りの年齢ではないのだろうな。なに、こちらは心配するな。他の生徒に手は出させん。急げ、他の一味や主犯を戦闘不能に追い込んだのだ、今なら向こうから何か仕掛けられることはないだろう」

「はい、よろしくお願いします」

 

そこに、私不満です、という顔をした明日菜がやってきた。

 

「ちょっとエヴァちゃん、なんで私はついて行っちゃダメなのよ」

「素人がいたところで足手まといになるだけだろうが」

「そ、そんな言い方ないでしょ、私だって」

「どんな言い方したって一緒だ」

 

そんな問答を背に、刹那は物陰からネギとともに空から本山へ向かった。明日菜はエヴァンジェリンに止められ、他のクラスメイトと一緒にお留守番である。

その後、このかを含めた三人は特に妨害もなく本山に到着した。

 

「長さん、お久しぶりです」

「ええ、いらっしゃいネギ君。それに刹那君も・・・・・・このかはどうしたのですか?」

「事情があり、緊急措置として眠らせました」

 

詠春に案内された寝室でこのかを寝かせ、このかにかけた呪いを解く。

 

「う・・・・・ん、あれ? ここは」

「おはようございますお嬢様」

「あれ、せっちゃん?」

「お嬢様は貧血でお倒れになって。緊急事態として御実家にて療養をとっていただくことになりました」

 

そーなん、とこのかは寂しげに答えた。

 

「ごめんな、せっちゃんにも迷惑かけて。ありがとな?」

「い、いえそんな。お気になさらず。それでは私は長とお話があるので、失礼します」

「あ・・・・・・」

 

このかの笑顔に刹那はドギマギしてしまう。ずっとこの笑顔を守りたいと、そう思いつつも。力が足りず、このかを気絶させることを否定できなかった自分は、これを直視できる立場にないのだと自分を戒めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ネギと刹那は詠春と情報共有を行なっていた。とは言ってもネギの本体は本山の周辺を警備しているため、ここにいるのはまたも式神だ。

自分に陰陽道を教えた千草が誘拐を目論んでいること、彼女が本山への情報を封鎖していたこと、一緒にいたフェイトがとんでもない実力者であること。

 

「そんな、まさか」

 

詠春の胸の内を占めるのは驚愕の一言である。長年の献身から彼女を信頼して今回の護衛任務を任せたのだ。

しかし今まで彼女からの連絡は全て「問題なし」だった。刹那やネギの話と一致しない。彼女が犯人であるのなら確かにこのずれに筋が通る。

 

「他の術士は?」

「あいにくと皆出払って・・・・・・いや、もしかしたらこれも彼女の策略やも」

 

ネギの問いに、長は歯がゆそうに口をゆがめた。

 

「策略であったとしても、生じた鬼の対処が終わらない限りこちらに戻ることはできません。もちろん緊急の連絡はいれますが、犯人と協力者が捕縛されるまではこのかをここから出すわけにはいきません」

「その犯人一味の中に一人、とりわけ危険な存在が」

「というと?」

「あのエヴァンジェリンさんも危機感を露わにしていました」

「・・・・・・そういえば彼女は?」

「他の生徒の護衛についています」

 

近衛門から聞いていた麻帆良の最強戦力たるエヴァンジェリンはこちらにはこれないらしい。

戦力が、手数が足りない。この本山の結界の中であるなら時間も稼げようが、あのエヴァンジェリンが危険とみなした相手にどこまで有効か。並の術士相手であればいくらでも耐えうるが、はたして、

 

気配

 

三人が振り返れば、音もなく現れた少年がかざす手から溢れる光が、

 

「不覚・・・・・・!」

 

詠春は己の鈍さに歯噛みし、自身の防御より迎撃より刹那を回避させることを選んだ。

刹那を打撃寸前の強さで押し、光の射程から外す。

 

「長!」

 

刹那は叫ぶも、詠春の行動の意図を瞬時に読み取り、押された勢いに逆らわずに柵からその身を躍らせた。落ちる視界の先で一瞬の輝き、そして静寂。戦いの気配はない。つまり長はあの一撃で戦闘不能に陥ったということ。おそらくネギの式神も同時に屠られただろう。

 

「くっ」

 

恐怖と焦燥が胸に湧き上がるも、それを一瞬で胸に押し込めて刹那は虚空瞬動、本殿を支える柱を迂回し床下をくぐり抜け、このかのいるはずの寝室へと向かう。長に押し出されてからほんの20秒であるが、たったそれだけの時間が歯噛みするほどに長い。

 

「お嬢様ぁ!」

 

襖を開くもそこはすでにもぬけの殻。否、人影はあった。このかの世話をしていた使用人が二人と、このかの護衛にこっそりつけていたネギの式神が四人。どれも人の形をした石になっていた。

追わねば、と即座に意識を切り替え、窓から外へと身を乗り出す。全身のバネと遠心力を利用しながら屋根へと登り、烏族特有の視力を限界まで凝らして周囲を索敵。

 

「いた!」

 

太い川の岸辺にこのかを抱えるフェイトと千草が見えた。

両足に力と気を込め、一気に解き放つ。瞬動。山や森が高速で後ろに飛んでいく。その中でもこのかを見逃すことはない。さらに数度の虚空瞬動を経て、千草とフェイトの元にたどり着いた。

そこに、このかはいた。手を縛られ、口はテープで塞がれている。

 

「お嬢様を返せ!」

 

夕凪を構え、瞬動を用いて突撃。狙いは千草の首。

しかし刹那の刺突は、樹木の茂る闇の中から飛び出てきた月詠の右剣に弾かれた。

 

「ちぃっ」

「ふふっ」

 

高く響く鉄の音。剣戟の交差の隙間に刹那は横蹴りを差し込むが、月詠はそれを膝で受けた。

衝撃に二人の矮躯が逆方向に飛ばされる。

月詠は宙で体を捻り、岩の上にいる千草の前に立った。対し刹那は月詠を見上げる位置になる川の中に着地する。川は足首ほどしか深さはないため、動きに支障はなさそうだ。

それを見た千草は瞬時に周囲の気配を探る。どうやらこの神鳴流は一人でここまできたらしい。ネギ・スプリングフィールドを連れていればまた違ったのだろうが、ここまで単独でくるとは随分と焦っているようだ。

所詮はガキか。

 

「剣士一人をまともに相手すんのもアホらしいな」

「せやったら私にやらせてくれません〜?」

 

月詠だ。すでに両手に短刀を構え、喜悦に瞳を潤ませている。

 

「わかった、足止めしとき。なんなら始末したってかまわん」

「うふふ、わかりました〜」

 

ぱしゃり、と浅い川の中に着地する。月の下、川の流れる静かな音の中で、刹那と月詠は睨み合う。

 

「そこをどけ。私はお嬢様をお助けしなければならない」

「行ってもかまいませんよ〜? その時は後ろから肝臓と肺を串刺しにしますけど」

 

舌打ちする刹那に、月詠は笑みを深める。憎しみすらこもる刹那の視線を、それはそれは嬉しそうに受け止める。

 

「助けたいなら、我が屍を越えていけ、てやつですね〜」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネギは杖に乗って夜闇の中を飛行していた。

気配遮断を駆使し、護衛すると決まってから採取したこのかの髪を利用する陰陽道の探知術式を利用しながらの飛行だ。

目指すは本山から西に向かった湖である。

フェイトが敵に回っている時点でこのかが誘拐されることは確定事項だった、とネギは考えていた。

それなら、とネギはさらに考える。

このかを囮にし、誘拐させることで敵の拠点を割り出し、一網打尽にするのが最適解だと。

誘拐という手段に出る以上、その目的は不明だが、すぐに殺すことはないだろうと踏んでいた。防衛に回り、いつ、何回来るかもどれだけ補充でされるかもわからない敵を迎撃し続けるのは愚策だ、と考えたためでもある。

長期戦となれば、数の少ないこちらが先に限界を迎える。このかの誘拐がなされた時、追跡する人員がいないという最悪の状態がありえてしまう。それだけは避けなければならない。

つまり、こちらに追跡する余裕があるうちに、誘拐されることが確定してしまっているこのかをあえて誘拐させる。

何を犠牲にしてでも目的の達成を目指すべきだ。

だからこれが最適解のはずなのだ。

だから自分は間違っていない。

じゃあ、胸を締め付けるこの痛みはなんだ。

今も、このかを昏倒させた時も、胸に強い痛みが走ったのだ。

ネギは右腕で胸をかきむしり、脳裏にちらつきそうになる千雨の姿を強引に振り払う。今は追跡に集中しろと、集中していれば起こりえないノイズに気を取られ、ネギは下から迫る狗神に気づくのが遅れた。

 

「ぐうぅっ!」

 

魔法障壁で軽減させるもその衝撃にネギはバランスを崩す。草原に叩きつけられそうになるも、風を操り着地の衝撃を殺した。

そこに迫る一人の人影。

 

「よう、ネギ。ここは通行止めやで」

「・・・・・・君は」

 

野生的な笑みを浮かべ、ゆっくりとネギに近づいていく。少年、小太郎は好戦的な目つきでネギを睨みつけるが、対してネギが小太郎に向ける目には、全く熱がなかった。

 

「・・・・・・なんやねんその目」

 

まるで、自分など眼中にないかのようなその眼差しに、小太郎は苛立ち混じりの声をあげる。

 

「なんなんそれ。俺と同い年で俺と対等に渡り合える奴なんてお前が初めてなんやで? なのにお前は戦うどころか、どうやってこの邪魔な石を迂回しようか、それしか考えとらん。あん時の気合入ったお前はどこ行ったんや」

「・・・・・・」

「ただ残念やったな」

 

小太郎は背後の光の柱を指差し、笑った。その先はこのかがいるとネギの術式が示す先である。

 

「今回は迂回しようにもそうはいかんで。あそこに行きたいんなら、俺を倒すしかない」

「・・・・・・そう」

「お前みたいな、効率ばっか考えよるやつとやるにはこんな機会しかないからな! ほんま西洋魔法使いは陰気なやつが多いわ」

 

効率を考えて何が悪い。正々堂々で何が得られる。正々堂々とはなんだ、人質を取られた時に卑怯だと喚くことか。果たし状を出して相手に準備する時間を与えることか。その結果人一人死んだとして、それは正しい犠牲か。正しく戦ったからなら、犠牲者が出てもしょうがないとでも言うのか。

 

「・・・・・・ふざけるな」

「あ?」

 

そんなくだらないこだわりの結果が彼女ではないか。

 

「僕の目的は、あの湖に向かうことだ」

「わかっとるわ。だから」

「だから君なんて、絶対、意地でも、相手してやらない」

 

直後ネギが分裂した。全く同じ外見と杖を持つ式神を同時に展開したのだ。精神をリンクさせず、ただ逃げることだけを命じて展開した式神は総数49体。

 

「なにぃ!?」

 

四方八方、三次元的に広がっていくネギの群れに小太郎は戸惑う。しかしそれは一瞬。血生臭い世界を身一つで生き抜いてきた小太郎の反射神経は狗神を即時に展開させ、ネギを一体ずつ撃墜していく。しかし当然全てを墜とすには至らない。

狙った一体、森をわずかに回っていく軌道を飛ぶネギが、当たる直前の狗神を魔法の矢で撃ち落とした。

あれか、と追おうとするもすでに彼我の距離は大きく、ここから狗神で狙おうとも届かないだろう。

湖に向かって飛んでいくネギを見上げながら、小太郎は顔を怒りに染めて叫ぶ。

 

「くっそがぁ! この臆病もんが、戻って来」

「『白き雷』」

 

え、と戸惑う間もなく、とん、と背中に当てられた手のひらから放たれた『白き雷』が、小太郎の心臓をゼロ距離で貫いた。

吹き飛ばされた小太郎は、痺れる体に鞭打って立ち上がろうとするがうまくいかない。

何があった。なぜネギが背後にいる?

 

「ネギお前、本物なら、杖で飛んでったネギは全部、偽物・・・・・・ちゅうことか」

 

小太郎の問いに答えることなく、ネギは『武装解除』で小太郎をパンイチにしてから『戒めの風矢』で拘束し、雷属性の『魔法の矢』をこめかみにぶち込んで意識を刈り取った。

 

 

 

 

 

ついに始まった。

千雨は『渡鴉の人見』から送られる映像情報を直接視覚野で統合している。

監視していた天ヶ崎千草の動向に不穏な影を感じ、七部衆から『渡鴉の人見』へと監視をバトンタッチしていた。

その天ヶ崎千草が、というよりフェイトが近衛の誘拐に成功し、なんらかの儀式を始めた。

 

「召喚、か? あの術式構成は」

 

『力の王笏』で術式を解析し、『世界図絵』で類似する術式を検索。

 

「いや、解放か? 封印されている何かを解放して、召喚でも使われる使役の術式で操作する、てところか」

 

しかし、こんなところに一体なにが封印されているのだろうか。今回の誘拐事件がこの解放を狙ってのものであるなら、呪術協会を敵に回してまでやる価値ははたしてあるのだろうか。

 

そして、千雨は、それを見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小太郎を気絶させた後、ネギはこのかのいるはずの湖へと急行していた。

このときまでは、彼は自分のとった行動の正しさを信じていた。

自分の選択がこのかを助ける最短の道であると。

しかしそれは、天を貫く光の柱を見るまでだった。

雲を貫く柱が立ち上がり、その中から現れた、両面にして四腕を持つ威容の巨人。

巨人の胸元には使役術式の制御をしている天ヶ崎千草と、魔力源として扱われているこのかがいる。このかの魔力が断続的に吸い取られていることが見て取れた。

このかの魔力によってあの巨人は解放、使役されているのだ。

ああ、とネギは自分の体から力が抜けるのを自覚した。

このかは、決して敵に奪われるわけにはいかなかったのだ。敵の目的を見極め損ねて、賢しげに効率を求めて、結果がこれだ。

ひとことで言うなら。

自分は、また間違えた。

 

それでも、否、だからこそ、自分はあの湖畔へと向かわなくてはならない。

命と引き換えにしてでもこのかを奪還しなければならないと、ネギは決意を固めた。

自分のミスなのだから、自分で責任を取らなくてはならない。

 

 

 

 

 

湖のほとり、その桟橋に立ち、ネギは改めて巨人を見上げる。

あまりにもでかい。こんな存在に自分ごときになにができるのだろうか。

そんな自分を、顕微鏡よりも無機質な目で観察しているフェイトがいた。この状況で自分が何をするのかをじっと見つめている。手を出さないなら好都合だ、そうネギは自分に言い聞かせて詠唱を始める。

唱える魔法は『雷の暴風』。

現在自分が使用できる魔法の中で最も威力の高いものだ。

これならきっと。そんな希望を胸に。

逆に、これでダメなら。そんな絶望から目を逸らしながら。

 

「『吹き荒べ 南洋の嵐 雷の暴風』!!」

 

そして、効果はやはり、予想通りだった。

ネギの使える術式を全て把握している千草の前では、彼の魔法はなんの効果も発揮しなかった。巨人、両面宿儺の霊格を司る心臓部に向かって直進したネギの魔法は、千草が一言なにかを唱えただけで霧散した。フェイトの視線に失望の色が浮かんだように見える。

 

「これで終わり?」

 

フェイトの言葉が、死刑宣告に聞こえた。首を傾げてこちらを見つめるフェイトに、ネギに答えられることはない。

なぜ無効化されるのか、ネギには見当もつかない。呪い返しという概念について無知であるネギは、千草の起こす無効化の現象と明日菜の体質を関連付けて考えてしまう。

あれが天ヶ崎千草の体質であるなら、魔法使いである自分にできることはない・・・・・・いや。

まだ手はある。

詠唱だけは覚えていて、まだ一度も使ったことはない。でも威力なら間違いなく『雷の暴風』の十倍を超える魔法。

もちろん完璧に制御することは未だできていないが、それでも陰陽五行の利用で以前よりは格段に制御できるようにはなった。

それはあの鬼を殺し得る、広範囲殲滅魔法。

このかの安全については、幸いなことにネギの魔法を無効化する千草がそばにいるのだ。傷もつかないだろう。一方で広域にわたって破壊を撒き散らすこの魔法なら、千草は自分やこのかへの被害は打ち消せても、あの巨大な鬼全体をカバーすることはできないはずだ。

一つ懸念があるとすれば。

それは、あの巨大な鬼を殺しつくす威力と、それを制御するために必要な魔力量を、自分の持つ魔力で賄い切れるかということだ。

違う、とネギは首を振った。

何を今更怯える必要がある。

賄わなければだめなのだ。

魔力で足りないなら命を焚べろ。

それが、生徒を囮にした挙句に失敗した教師の責任じゃないのか。

 

「ラス・テル マ・スキル マギステル 契約により我に従え高殿の王」

 

足りない。

一小節目なのに、まるで制御できる気がしない。

それならもっと魔力を込めろ。命だって燃やし尽くせ。

 

「・・・・・・っ来れ巨神を滅ぼす燃ゆる立つ雷霆」

 

ただ。

もし、自分に仲間がいたなら、なんて。そんなifを思う。他の魔法使いや、空を飛べる誰かがいてくれてたなら。

自分はこうして命を賭ける必要はなかったかもしれない。このかを囮にする必要すらそもそも無かったかもしれない。

臓腑から吹き出す血の塊を口から垂れ流しながら、ネギは詠唱を続ける。

 

「百重、千重と重、なりて」

 

ひどい、独りよがりな妄想だ。

差し出された手を自分から振り払っておきながら。生徒を囮に使っておきながら。独りよがりに過ぎる妄想。

傲慢なのは知っている。

おこがましいのはわかってる。

自分はまた罪を重ねたのだ。

自分がいなければ、村が悪魔に襲われることも、村の人たちが石になることも、あの人が記憶を失うこともなかった。加えて今度はこのかを犠牲にした。

自分は存在そのものが罪なのか。

生きているだけで罪を重ね続けてしまうのか。

 

それなら僕は、存在したくなかった。

 

こんな自分がこんなこと、思う資格もないのに、それでも思ってしまう。

誰か、助けてください。

どうか僕を許してください。

許されるためなら、命だって捧げるから、どうか。

 

「なんでそんな無茶ばっかするんだよあんたは」

 

ネギの震える手に、優しい手が添えられる。

女性の手だ。詠唱を中断させてネギは見上げた。

困った表情を浮かべた、メガネの少女。右手には見覚えのあるステッキを持ち、こんな夜中なのに制服を着て。その背中に二つの機械的な監視用浮遊ユニットを携えて。

長谷川千雨がいてくれた。

 

 

 

 

 

本当はもうネギの前に姿を見せるつもりはなかった。ましてやフェイトの真ん前など計画に上がってすらいなかった。

それでも、こうしてネギの前に出てきてしまったのは、自身を省みない真似をするネギを結局放置できなかったからだ。

 

「ほら、制御を放り出すな」

「あ、あれ、」

「まあ、今は私が代行してるから大丈夫だけど」

「代行?」

 

ネギは反省した。まさか起動中の魔法の制御を放り出してしまうなんて、と。が、同時に千雨の言葉に戸惑いの声をあげた。そんなことができるのか、という疑問はしかしネギの中ですぐ自己完結した。エヴァンジェリンの魔法の制御を奪ったことに比べれば、未だ効果を発現していない魔法の、自分の稚拙な制御を奪うことは容易いだろう。暴発を抑えてくれた千雨に感謝した。まあ、魔法の制御から意識を離してしまった原因も千雨なのだが。

 

「大丈夫、こっちで修整してやる、私が支えてやるから」

 

千雨に聞きたいことが山ほどある。しかし今はそれを話している場合ではないし、加えてネギは自分の体に生じた違和感もあって口を閉ざした。

自分の中になにかが流れ込んでくる感覚が全身に走る。

魔力の流れから無駄が削ぎ落とされ、自分の知らない術式が融合され、広範囲を破壊し尽くす魔力が一本の槍の形に収斂されていく。

 

呆れるほどの長さとエネルギーを持つそれは、名を『巨神ころし』という。

 

今からほんの数ヶ月先の未来に、ネギ自身が開発するはずのオリジナル魔法。『千の雷』と『雷の投擲』を術式統合した姿である。

 

「いくぞ、先生。準備はいいか」

「はい! いつでも!」

 

そのとき、ネギはフェイトがこちらに近づいてくるのを見た。

当然千雨もそれに気づいている。

彼女はちらりとフェイトを見て、『巨神ころし』の照準はあくまで両面宿儺に向けながら内心で笑う。

テメーも喰らえ。

 

「いけ!」

「あああああ!」

 

槍が駆ける。耳を轟音が貫く。両面宿儺の心臓目掛けて雷と匹敵する速度で突っ走る。

フェイトはこの時、両面宿儺に向かってあれを放つと同時に、無防備になった二人を石にしよう、そう考えていた。石化の魔法も詠唱済みである。

しかし巨神を貫く雷槍は『力の王笏』で形成された電子精霊のレールを辿り、千雨の意のままに軌道を変えて走っていく。これほどの質量とエネルギーを持つ魔法構造体が曲がるなど、ましてや鋭角に軌道を変えるなど、フェイトの予想の範囲外であった。

 

「え?」

 

すこし間の抜けた声を残し、フェイトの体は一瞬で蹴散らされた。両面宿儺に向かっていたはずの槍は、そこから鋭く進路を変更し、フェイトの左胸を背後から強襲したのだ。フェイトの障壁を破壊し、その肉体を粉砕してもその破壊力を失わず。その軌道はまさに雷のように縦横無尽であり、網膜を焼く残像であとから認識が追いつく程の速度であった。

フェイトをついでのように食い散らかした雷槍はさらに軌道を変え、両面宿儺へと再度迫る。その速度に千草は反応できない。反応できたとしても、千雨が術式を変更させたことによって千草が介入する隙はすでにないのだが。

槍は狙い違わず鬼神の胸を抉る。雷を束ねて落としたような音が響く。

 

「解放雷神槍・・・・・・千雷招来!」

 

千雨の詠唱によって、巨神を滅する槍に込められた千重の雷が解放される。そのエネルギーは、余すことなく両面宿儺の内側で炸裂し、その肉体を焼き尽くした。

地を裂かんばかりの断末魔と、空を裂く雷の轟音。

槍が雷を解放し尽くすまで十秒。

その間に引き裂かれ焼き尽くされた両面宿儺の外殻が溶けゆく氷山のように崩れていく。湖の水面に焼け焦げた鬼の破片が豪雨じみた勢いで落下していく。

 

「あんなでっけー怪物が一撃なんだもんなこれ」

 

やっぱあのオッサン半端ねーわ、と千雨はネギには理解できないことを呟いた。

 

「あとは近衛か。ネギ先生、あの女に『戒めの風矢』を撃っちゃってください」

「あ、あの人には魔法が通じないみたいで」

「いや? 私が術式いじってやるから大丈夫ですよ、ほれ」

「は、はい」

 

言われた通りに、このかを抱えて宙に浮いている千草に向かって撃ってみると、本当に『戒めの風矢』で拘束できた。

空中でミノムシ状態になった千草とこのかをネギが杖で飛んで回収した。二人をゆっくりと地面におろし、ネギは千雨を見上げた。見上げる瞳には以前の光が戻りつつある。

 

「千雨さん、記憶が戻ったんですね!」

 

グスリ、と鼻をすするネギに千雨は言葉に詰まる。

 

「あー、いや」

「良かったです、僕のせいであんなことになってしまって。怪我は大丈夫ですか?」

「ああ、怪我はとっくに直してるし。それより先生、」

「千雨さん!」

 

ネギが千雨にしがみついた。いきなりの事態に千雨はテンパるが、ネギが千雨と体を入れ替えたために、千雨の視界が回転する。その先には、湖面から這い出るフェイトの姿があって、

 

「どけ!」

「あ、」

 

ネギを押し飛ばす。超のスーツが生み出す膂力に感謝しつつ、『力の王笏』で精神に電脳空間を展開し、情報処理速度を加速する。

フェイトがこちらに右手を向け、加速した視覚でもほぼ同時と言える早さで石の杭が形成されていく。とんでもない術式構築速度。八本の杭が展開され、そのうち本命は二本、それ以外はどれもこちらの逃げ道を塞ぐ牽制。本命のうち頭を狙う一本は気合で避けるとしても心臓を狙う一本は厳しい。しかも自分とネギを同時に狙う軌道である。よってあえて前に出る。下から打ち上げる形でこちらに迫る杭に対し一歩前に出た。おかげで杭は狙いを外し、

 

「がふっ」

 

千雨の腹を貫くにとどまった。

込み上げてくる血を飲み込もうとして失敗し、一部が口の端から溢れる。赤い雫がその細い顎を通って石杭に落ちた。この程度の傷ならどうにでもなる。

 

「千雨さん!」

 

ちらりと視線だけを向ければ、ネギがこちらに向かって叫んでいるのが見えた。傷がないことに安堵する。

ネギまで杭が届かなかったのは、杭が千雨に触れた瞬間から彼女が『力の王笏』でその術式に介入したからだ。

 

「これは・・・・・・」

 

無表情に何事かを呟くフェイトに向けて『力の王笏』を突き出す。

本当は、こんなところで使うつもりはなかった、『力の王笏』を用いた一回限りの裏技。

相手が人工物で、接触しているときにのみ使える初見殺し。

ジョーカーとも言えるそれをこんなタイミングで切る羽目になるとは、完全に想定外である。

あぁホントうまくいかねえ。そう千雨は心の中で罵倒した。

 

「眠ってろ」

 

拮抗は一瞬だった。さすが造物主が作った兵器、そのセキュリティの堅固さは未来技術で作られた茶々丸を上回るものであるが、なぜかフェイトの精神プログラムには粗があった。恐らく他のアーウェルンクスシリーズにはないだろう粗。

 

「ぐっ」

 

フェイトは自分の胸を抑え、体が斜めに傾いていく。夜の湖に意外なほど大きな水音を響かせてフェイトは水中に没した。

同時に千雨を貫いていた石杭が溶けるように消えていく。

 

「ち、千雨さん」

 

明らかな重傷だ。杭が消えて傷口を抑えるものがなくなり、溢れる血液が千雨の足元に大きな水たまりを広げている。

千雨に押され、尻餅をついていたネギが立ち上がる。これほどの傷にネギができることは何もない。それでも千雨の背に向かって手を伸ばす。

ネギの震える手は空を切った。

先ほどのフェイトと同じように、千雨の体がフラリと横に倒れ、そのまま重力に身を委ねて桟橋から湖へと落ちたのだ。

 

「・・・・・・あ、」

 

水しぶきが上がる。暗闇に祭壇の明かりだけでは水中の視界なんてまるで効かず、千雨の姿は一瞬で闇に飲まれた。

ネギは即座に魔法で灯りを灯し、桟橋から四つん這いで湖を伺う。そこにはただ暗闇が広がるばかりで、千雨がいた痕跡すら何も残っていない。

ネギはしばらくの間、姿勢を変えずに湖を見つめていた。見ようによっては、まるで後悔に打ちひしがれているようにも、懺悔をしているようにも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

フェイトが意識の再構築に成功したとき、最初に目に入ったのは鬱蒼とした森林と星空だった。星の位置から概算するに、まだあれから一時間と経っていない。

草の中に倒れたまま身体の状態をチェックするが異常なし。頬に張り付いていた虫を指で弾いた。

全身が濡れているのは、自分が意識を失ってから水中に沈んだためだろう。

ではなぜ自分は森にいるのか。

 

「動くな」

 

右から声がした。仰向けのまま視線だけを向ければ、そこにいたのは先ほど自分が石の杭で腹部を抉ってやった少女だ。座った状態でこちらを睨みつけている。

先ほど自分の意識を落とした、フェイトをして初見のアーティファクトをこちらに向けている。なお、そのファンシーなデザインに対してフェイトが何かを思うことはない。

腹を見る。

制服で隠れて見えないが、動きに支障はなさそうである。

確実に腰椎を砕いたはずなのだが。

 

「君は何者?」

 

あいかわらず仰向けのままフェイトは尋ねる。

 

「長谷川千雨。種族は、まああんたと似たようなもんだ。なあ、アンタに話があるんだ。敵意はない・・・・・・と言って信じてもらえるかはわかんねーけど」

「・・・・・・それで、要件は何?」

 

アーウェルンクスシリーズたる自分を機能不全に追い込んだ能力。

僕を殺せたのに殺さなかった理由。

それに、彼の隣に現れた技術。

大戦期にも活躍した監視用アーティファクト『渡鴉の人見』があった。それがネギの頭上に迫った。

一瞬電気が走り、まるで『渡鴉の人見』のレンズから出てくるように、メガネをかけた少女が現れた。

初めて見る現象であった。

なんらかの属性の精霊を用いた転移、である可能性しか本来考えられないのだが、気になるのはこの時一切の魔力を感じなかったことだ。『渡鴉の人見』にそのような機能はない。

生殺与奪を握られたこの状態では聞いたところで答えが返ってくるとは思えないが、この少女について気になることが多すぎる。

 

「『完全なる世界』に協力させてくれ」

 

もはや、気になるどころではない。フェイトは最大級の警戒を千雨に向けた。

 

「あんたらは今、世界再編魔法を発動するために必要な『黄昏の姫御子』を探している。そうだな?」

「・・・・・・」

 

どこでその情報を入手したのか。自分の記憶でも読んだか。

 

「私のアーティファクトならその代役ができる。これはどんな術式にも介入し、書き換えることができるアーティファクトだ。『黄昏の姫御子』が術式に不足しているなら、その部分を補完できる」

「・・・・・・君の目的はなにか、聞いてもいいかな」

 

千雨は笑った。フェイトがこちらの話に食いついた。これが取りつく島もなく聞き流されていたらどうにもならなかった。千雨は自分が賭けに勝ちつつある手応えを掴みながら、フェイトを目の前にしている恐怖を飲み込んで言葉を紡ぐ。

 

「ネギ・スプリングフィールドに干渉する連中の排除。私の目的はそれだけだ」

「確かに僕たちは彼の父親とも深い因縁があるけれども・・・・・・つまり、僕に、というより僕たちに、メガロメセンブリアに存在するネギ・スプリングフィールドと敵対しうる派閥を妨害しろということだね」

「魔法世界を『完全なる世界』に送るまでの話だけどな」

「ふむ。世界再編魔法が発動してしまえば、彼を害そうとする人物や、両親から引き継いだ因縁は消滅するわけだ」

 

千雨は笑みを浮かべ、自信満々に答えた。

 

「そういうことだ」

 

自信満々に嘘をついた。

長谷川千雨が、ネギ・スプリングフィールドが否定した手段をとるはずがないのである。

千雨の目的は。

オリジナルの長谷川千雨が自身の命と引き換えにして劣化コピーたる自分に託した願いは。

 

実体化モジュールを用いた魔法世界の維持である。

 

 

 

 

 

 

 

「何があった」

 

エヴァンジェリンの言葉にネギはようやく振り向いた。呆然と湖面を見つめていたネギの様子は尋常ではない。

光る巨人はネギが乗り越えるべき壁と考え放置するつもりだったが、学園長の要請により護衛の任務を瀬流彦に任せ、緊急事態ということでこの湖までのんびり駆けつけて来たのだ。その途中で刹那と斬り合っていたメガネに通りすがりざま飛び蹴りかましつつ。

 

「・・・・・・エヴァンジェリンさん」

 

視線が絡む。ネギの闇のように暗い瞳にエヴァンジェリンはわずかに怯む。あの能天気なぼーやはどうした。

 

「一つ、お伝えしなければならないことがあります」

 

ネギは顔を俯けた。どうにも言いづらそうな雰囲気を醸している。

 

「なんだ。早く言え」

「千雨さん、なんですけど」

 

エヴァンジェリンは片眉を上げた。

ネギは顔を上げた。

 

「千雨さんは二人います」

 

暗闇の瞳の中に、一筋の決意が見えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間2 神楽坂明日菜が消えた理由

 一つの塊で1トンは容易に超えるだろう瓦礫が山のように積みあがっている。砂塵が舞い、破壊され尽くしたそこは祭壇の体を為していない。空爆でも受けたようなその場所は、たった二人の少年が殴り合った結果生まれた光景だ。

 

「君の言うプランとやらを、聞いてみてもいいかな?」

「……いいだろう、フェイト。かいつまんで教えてやる。たいして時間はかからない」

 

 瓦礫の上で、その少年たちが言葉を交わす。体が発光している長髪の少年は己の描いた理想像を語る。その全て、時間にして二分とかからずに語られたその内容を白い短髪の少年はしっかりと自分の精神にインストールした。

 

「なるほど」

 

 フェイトは一度頷き、そして先ほどまで……ネギと殴り合っていた時までは浮かべていた笑みを完全に消した。

 

「計画の荒唐無稽さには目をつぶろう」

 

 そして、そう切り出した。

 

「魔法、そして魔法世界についての情報を公開することでの政治的・経済的混乱、利権の奪い合いなどから生じる問題もうまく調整できると仮定しよう。

およそ10年という制限時間に間に合うか、という点もとりあえず置いておこう。

そのプランでは結局難民問題、民族問題、紛争問題が全く解決されず、メガロメゼンブリア以外の魔法世界住人11億超が受けられる、テラフォーミングによって発生する利権の恩恵がゼロであることについても保留しておこうか」

 

 だが。

 

「これだけ譲っても、それでもまだ問題がある」

「問題?」

「むしろ君にとっては、さっき上げた問題よりもずっと深刻かもしれないね」

 

 

 

 

 

「聞いてくれみんな!!  神楽坂を助け出すのが相変わらずゴールだ!!」

 

 円を描く柱の組み合わせから成る球状の安置場。その中心に明日菜は十字架にかけられた罪人のようにくくられている。

 そのすぐ横に設置された円形の祭壇に3-Aの面々その他数人、言わばネギの仲間がそろっていた。彼女たちの注目を引きつけ、千雨と栞は現状と為すべきことを説明していく。

 

「『調』がこちらに協力せず、フェイト様とネギさんがどこにいるかわからない以上、私たちが自力でアスナさんを助け出し、目覚めさせるしかありません!」

 

 彼女らがいる祭壇の周囲はネギとフェイトの戦闘の余波でかつての美しさは欠片も残っていない。地は割れ、溶けた岩がドロドロと流れ、分厚い蒸気が立ちこめている。そのため祭壇から移動することも視界を確保することもできなかった。

 

「そ、そんなことをさせると……!」

 

 栞の言葉に、明日菜の身柄を守る結界を維持している調が仮契約カードを手にするが、その目の前に高音、佐倉、コレットの三人が立ちふさがる。

 

「邪魔はさせません」

「……くっ!」

 

 影で編まれた槍の穂先を首筋に当てられ、調は身動きが取れなくなる。千雨たちが明日菜を助ける方法を説明している光景を、忸怩たる思いで眺めることしかできない。

 

「私のアーティファクトを『グレートグランドマスターキー』に接続してある。みんな手を繋いで……アイツに呼びかけ」

「千雨さん」

 

 しかしいざ呼びかけようというところで、千雨の動きを止める声が聞こえた。

 呼ばれ、千雨が振り向くと、そこには最も頼りになるはずの存在がいた。

 ネギ・スプリングフィールド。ネギパーティーの中で間違いなく最強の個人戦力の持ち主。

ネギがここにいるということはフェイトの野郎を倒したのか。一瞬そこまで考え笑顔になりかけた千雨の表情筋は、ネギの隣に立つフェイトの姿に凍りついた。

 

「な、なんでそいつが!?」

 

 出てきて当然の疑問にネギは答えず、俯きがちにただ一言、

 

「明日菜さんを起こしてはいけません」

「……な、なんでだよ先生」

 

 その意味がとっさには理解できず、千雨は一拍遅れながらもどうにか言葉を返すことができた。自分以外にそれができそうな人間がいなかった。他の生徒たちは古を除けば皆フェイトの姿に足が竦んでしまい、立っていることですらやっとというありさまだ。

 

「リライトの魔法を見誤っていました」

 

 そんな生徒たちから目を逸らすようにしながらネギは言った。

 

「今このタイミングで魔法世界の崩壊を防ぎ、鍵を使って世界を元に戻すには、黄昏の姫御子であるアスナ姫を世界の礎としなくてはなりません」

 

それはつまり、黄昏の姫御子であるアスナ姫を、あるいは2年以上机を並べたクラスメイトである神楽坂明日菜を、100年以上封印しなくてはならないということだ。

そしてその100年の間に、明日菜という人格は摩耗消滅してしまう。

鍵さえあればなんのリスクもなく世界は元に戻ると考えていたが、それはあまりにも楽観的過ぎる憶測であったと、ネギは血の出るような悔恨とともに告げた。

 

「つまり、神楽坂の人格を殺して魔法世界を救うか、魔法世界を消してから安全に神楽坂を起こすかってことか」

「そんな、」

 

 生徒の中の誰かが、おそらく木乃香あたりの呟きが聞こえた。

 

「じゃあ先生は、私たちにここで世界が崩壊していく様を見てろと?」

「いえ。ポニョさんに言えば、僕たちはすぐにでも地球に帰ることができるでしょう」

「そういう話じゃねえよ! 魔法世界を見捨てて、12億人を切り捨てて、日常に戻れっつーのかよ!? てめー自分が何言ってんのかわかってんのか!」

 

ネギの胸倉をつかむ千雨。どれだけ強くなろうとその体は十歳の矮躯でしかなく、千雨の細腕でも、されるがままのネギを持ち上げることができた。千雨の剣幕に、隣にいた木乃香が駆けより千雨をなだめようと肩に手をかける。ネギは顔を俯けたままぽつりと、

 

「わからないです」

「わかんねーって、ぁあ!?」

「だって、しょうがないじゃないですか。ずっとお世話になっていました、慰めてくれました。時には添い寝だってしてくれて、励ましてくれた。僕のために怒って、泣いて、笑ってくれた。そんな人を犠牲にする選択肢なんて、選べるわけないじゃないですか!」

「それは、そうだけどよ! 他に手はねーのかよ! あんた天才だろ!? 英雄の息子だろ! あんだけ自信満々に『止める手立てがある』なんて啖呵きっといてなんだよそれ! 私たちはあんたの言葉を信じてここまで死ぬ思いで来たのに! こんな時に泣いてんじゃねーよ!」

「あまり責めるな、君。少年はまだ10歳なのだから」

「うるせーよ今話し、て……?」

 

 そこには、絶望が集っていた。

 先にネギとフェイトが倒したはずのニセフェイトたち、デュナミス、ラカンの見せた映像にあったかつて紅き翼と闘っていた面々に1番2番のフェイトなど。まさに悪の組織のオールスターの集合であった。

 下半身を斬り飛ばされたはずのデュナミスが、敵であるはずのネギに向かって不自然なほど優しい声をかける。

 

「選ぶことができないという者に無理に選択を強いることはないだろう。少年は何も選ばず、何もしなくていい。ただ黙って見ていれば、それで全ては終わる。大丈夫。世界を滅ぼすのは少年ではない、悪の組織である我々だ。そして少女よ」

 

 今度は千雨へと視線を向ける。それだけの動作で千雨の体はビクリと反応し、ネギの体を地面へと下ろした。

 

「その少年にとって『神楽坂明日菜』という疑似人格は家族のようなものだったのだろう? 情の移った疑似人格の為に、見知らぬ幻を見捨てるという、感情を持つ人間なら当然の判断ではないかな?」

 

 千雨は、子豚の授業の話を思い出した。

 一年間名前までつけて育てた子豚を捌くことは抵抗があるが、どこかの屠殺場で解体した豚でできたトンカツは何の躊躇もなく食べられる。別に千雨が神楽坂明日菜という少女を動物として見ているわけではないが。だがその存在が人の手によって生まれたものであるという点では、もしかしたら家畜も魔法世界人も疑似人格も、同じなのかもしれなかった。

 さらに2番が皮肉気というにはあまりに歪みきった笑みと共に言葉を叩きつける。

 

「旧世界の大人たちには口裏合わせてこう言えばいい! 『一生懸命頑張りましたが、敵が強くて世界の崩壊を防げませんでしたごめんなさい』とな! ハハハ、なに子供の君たちに本気で期待している大人などいやしないのだ、気にすることはない!」

「黙って、2番」

「は? ……3番、貴様!」

 

 2番の言葉を遮って、フェイトがネギの前へと進む。その背に向けて右手を向けた2番であったが、デュナミスに咎められ歯ぎしりを鳴らしながら矛を収めた。

 

「ネギ君」

 

 カツン、と靴の音を響かせて、ネギの顔を覗き込むようにフェイトが額がぶつかるほどの距離まで接近した。千雨はつい一歩下がる。それでも、胸倉をつかむ右手は離さなかった。離すべきではない、いま離してしまえばネギは壊れてしまうと、そんな予感があった。

 

「君の今までの頑張りは、神楽坂明日菜を助けるためだろう? 彼女を救うために自分がどうするべきかを考えればいい。

いつか聞いた問いを今改めて聞こう。ネギ君、君は幻想の世界の為に仲間を犠牲にするのかい?」

「……僕は、」

 口ごもる。答えられないのだろう、と千雨は思う。誰も犠牲にしないと、宿敵であるフェイトですら殺さずに全てを解決するのだと叫んだ子供に、どちらを犠牲にするか選ぶなんてできるはずがないのだ。さっきはつい感情的になって叫んでしまったが、デュナミスの言うとおりこれは仕方のないことなのかもしれなかった。

 

 

 

「ふざけんじゃないわよ!」

 

 

 

 その叫びは、その場にいた全ての視線を集めた。上。

 祭壇に封じられていたはずの明日菜が、破魔の大剣を振りかぶり、ネギとフェイトを引き離す位置に飛び込んできたのだ。

 

「あああっ!」

 

 喉が裂けんばかりに吐き出された気合いと共に振るわれる横薙ぎの一閃に、フェイトは迷わず回避を選んだ。黄昏の姫御子の体質を体現した、魔法無効化のアーティファクト『ハマノツルギ』。これをもって振るわれる斬撃は自分の持つ障壁など何の意味ももたない。防御などしようとすればその防御ごと斬り伏せられるだろう。しかもその斬撃の鋭さは以前の比ではない。おそらくアスナとしての記憶を取り戻したためだろう、最強の枠に十分以上収まる剣の腕を明日菜は思いだしていた。

 

「あ、すなさん……?」

「こぉんの……バカネギ!」

「あぶろっ!?」

「お、おい神楽坂!?」

 

 振りかえりざまの明日菜のチョップを、彼女の復活に呆然としていたネギは避けることができなかった。脳天を抑えてネギが明日菜を見ると、彼女は釣り眼気味なその両目をさらに釣り上げてネギを睨んでいた。

 

「何考えてんのよあんた! 言ったじゃない、魔法世界の人たちだって皆大切なんだって! なにをうじうじ悩んで、挙句に選べないって……バカ!」

 

 明日菜から捲し立てられる言葉の群れにネギと千雨は目を見開いた。

 

「現状を、把握しているんですか?」

「……うん。聞こえてた。千雨ちゃんのアーティファクトのおかげでね。あんたのうじうじした声も、考えていることも全部……バカ!」

「え」

 

 今千雨は、『力の王笏』と『グレートグランドマスターキー』を接続して、明日菜に呼びかけようとしていたところだったのだ。クラスメイトたちの明日菜への思い、あるいはその精神データは『力の王笏』によってデジタル信号として処理され、『グレートグランドマスターキー』を経由して明日菜に届けられていた。その信号の中には、千雨に胸倉を掴まれていたネギの精神データも当然含まれていた。

 

「で、でも今からリライトをキャンセルして世界を元に戻すには明日菜さんが礎にならないといけないんですよ!? それには100年の眠りにつかないといけなくて、そんな長い期間明日菜さんの人格がもつはずなんです、つまり死ぬってことなんですよ!?」

「大丈夫!」

 

 大丈夫。それは明日菜が以前も口にした言葉で、アスナとしての記憶を取り戻してもそこは変わらないらしい。

 

「な、なにが」

「私は消える気なんかない。絶対また会える。私を信じて!」

 

 無根拠で、理論もなく、でも自信にあふれていて聞いた者を安心させる。まるで魔法のような言葉だと千雨は思った。

 というか、百年分の記憶を取り戻しても変化しない疑似人格ってことは、もしかしたら本当に百年の封印も耐えられるのではないか。そんなことを千雨は思った。明日菜の『大丈夫』に引きずられているのか、こっちまで思考がポジティブになった気がする。

 だが、それじゃあこのガキは納得しねーんだよなと、千雨はネギをちらりと伺った。

 

「でも!」

「そんなことより、あんたはやんなきゃいけないことがあるでしょ」

「え」

 

 しかしそのネギの反論を、明日菜はさらに言葉を重ねることで封殺した。

 

「世界を平和にすんのよ」

「世界を、平和に?」

「そうよ。世界を背負うんでしょ? ナギの跡を継いで。私が目覚める100年後までに、世界を平和にしときなさい。それができて初めてナギを超えたことになるんじゃないの?」

「え、う」

 

最後に一度明日菜は頬笑み、ネギの頭を撫で、そして高らかに詠唱を始めた。

 

 

 

――造物主の掟最後の鍵

我黄昏の姫御子 創造主の娘 始祖アマテルが末裔――

 

 

 

 創造と再生を担うその詠唱は厳かに、そして染みるように魔法世界へと浸透していく。完全なる世界へと捉えられた魂が一つ、また一つと元の世界へと再構築されていく。『ハマノツルギ』と『グレートグランドマスターキー』を両手に携え、世界を構築する元となる魔力と共に舞う姿は、神聖にして不可侵な、神を祭る神楽の儀を思わせた。

 

「駄目です明日菜さん!」

「させん!」

 

 突然始まった詠唱にネギが叫んだ。が、それ以上のことは何もできなかった。千雨に服を掴まれていたというのもあるが、既に自分は選択することを放棄したという後ろめたさが、彼から行動力と決断力を削ぎ落していた。

2番たちも慌てて明日菜に飛びかかった。彼らはあまりにも急な展開に、アスナという存在の重要さに、そして『ハマノツルギ』の危険さに行動を起こせなかったのだ。だが行動に入れば彼らは早い。特に2番と5番は雷化のスキルを保持している。詠唱が終わるまでに容易くアスナの意識を奪い、再儀式を行って祭壇に戻せる。問題はリライト発動までの時間だけであるはずだった。

しかし。

 

「ぐ、あ……!?」

 

明日菜を止めようとするフェイトたちがいきなり倒れた。

 

「な、なんだこれは! 力が、魔力が抜けていく! ……ま、まさか主が? あ、ああ、ぐああ!」

 

一堂に会していた新旧の幹部たちの体が、石化し砕けていく。そうしている間にも明日菜の詠唱は続き、そして終えた。

 

 

 

――世界を元に――

 

 

 

「なぜだ、なぜだ主よ! リライトは、魔法世界の救済はあなたの悲願ではなかったのか!」

 

 叫びながら、2番はあることに気付く。

 

「そ、そうか……あの男、奴か! 奴が主の意識を、ああああああ! なんという理不尽な存在だ! くそう! ふざけやがってたかが人間風情が! 貴様さえ、貴様さえ存在していなければ、世界は救われていたはずなのにいいいい!」

 

壮絶な断末魔をあげながら2番が、そして他の幹部たちも崩れていく。

フェイトたちの原型がほぼなくなって周囲の瓦礫と区別がつかなくなった頃、その中心から黒い人影が現れた。

その威圧感。魔力を全く持たない千雨ですら、あのフェイトたちと比してもなお別格と感じられるその存在。警戒することもできない。しても無駄だと本能が告げている。その黒いローブの前で、千雨は、他のメンバーは、身じろぎひとつとることができなかった。

フードが外れる。暗い影に隠されていたその相貌が明るみに出る。

そこから現れたのは、かつての英雄にしてネギの父。ナギ・スプリングフィールドのものであった。

 

「と、うさん?」

 

ナギは無言のまま、明日菜へとゆっくり近づいていく。人と、その他の動植物全ての再生を終えた明日菜は、なんの躊躇も見せずにナギの手をとった。二人の体はどちらも塵と化しつつある。フェイトたちと違うのは、二人の意志でどこにでも自分の体を再構成できることだ。おそらく二人はこれから墓守人の宮殿の最深部で体を戻し、長い眠りにつくことになるのだろう。

 

「まって……待ってください、明日菜さん」

 

ナギと手をつないだ明日菜は、塵になりながらネギに振りかえる。

その顔に不安の色は何もない。自分が消えてしまうなど欠片も思っていない。ネギが世界を平和にしてくれると信じていて、だからこそ自分が眠りにつく価値があるのだと、その自信に満ちた瞳が言っている。

 

「私が目覚めたとき、平和になってなかったら承知しないからね!」

 

最後まで笑いながら明日菜が消えた。

伸ばされたネギの手は虚空を掴み、手のひらには何も残っていなかった。

 

「あ、うあぁ……ぁ」

 

がくり、とネギの膝から力が抜けた。膝をつき、何も映さない瞳を空に映る麻帆良学園に向ける。

約束したのに。

あの少女を守ると。

ラカンとの約束であり、父が守れず、守りたいと願った少女を、自分もまた守りたいと思った。

それは、ネギ自身が自らの胸に刻んだ誓いだったのに。

 慟哭と共に流れる涙は、いつまでも枯れることはなかった。

 言葉にできぬ後悔の中で、ネギは父に、ラカンに、クラスメイトに、そして何より明日菜自身に向かって、ただひたすらに詫び続けた。

 

 

 

 

その後、オスティアではクルトの指揮の元で表彰式典が執り行われた。

多くの魔法世界の住人が集まり、その全員が世界を救った英雄の登場を待ち焦がれている。誰もが自分たちの生還を喜び、新たな英雄を祝福している。

だが、耳をつんざく歓声もネギには届かない。まるで機械のように、今のネギはクルトの指示に従うだけだ。

英雄を讃えるクルトの紹介も、あまりにも虚しくネギの心に響いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 あんたあの子のなんなのさ

長谷川千雨が二人いる。

その言葉は少なからずエヴァンジェリンに衝撃を与えた。

 

「なぜそう思った?」

 

風と虫の音を聞きながら、エヴァンジェリンはネギの暗い目を見据えて話を促した。

 

「先程、ここに長谷川さんが現れました」

「なに?」

「記憶も戻っていて、あの時のアーティファクトで助けてくれました」

「ちょっと待て」

言いながら、エヴァンジェリンはこめかみに指を当てた。そのまま数秒、目を閉じていた彼女は眉根にシワを寄せて、

 

「今貴様のペットに確認させた。長谷川千雨は旅館にいる。30分前の点呼の時にも姿を確認しているそうだ」

 

ペットことカモは旅館でネギに擬態している式神の肩で、式の動きの補助を行なっている。

 

「そうですか」

「ここに、いたのか? あいつが。記憶を取り戻した奴が」

「はい」

「何をしに? 今度は何をやらかした?」

 

ネギは一瞬視線を逸らした。

 

「僕を庇って、腹部を貫通する大怪我を負って、湖に沈みました」

「・・・・・・」

「しかし、不思議なんです。長谷川さんが湖に落ちてすぐ、僕は出せる式神を全て出して彼女を引き上げようとしましたが、どこにもいないんです」

「いない?」

「消えてしまいました。まるで煙のように。どれだけ探しても」

「召喚は試さなかったのか?」

「召喚、ですか?」

 

エヴァンジェリンは不快そうに表情を歪め、松明の灯りで生まれる足元の影に腕を突っ込んだ。

影のゲートを介して取り出されたのは、旅館にいるはずのカモである。

 

「おいイタチ」

「いえあっしはイタチではなく由緒正しいすいませんなんでもないです」

 

カモはエヴァンジェリンに首根っこをつまみ上げられながら、彼女の眼光の鋭さに即頭を下げた。

 

「なぜカードの機能についてぼーやに教えていない?」

「だ、だってですね、千雨の嬢ちゃんが唯一の従者でしてね、それがその、あんなことになっちまって。そしたらほらカードの機能とか話題にしづらいじゃないですか。思い出させちゃいますし、魔法を忘れた嬢ちゃんを召喚したり念話で会話することもない以上あえて藪を突く必要もないかなって」

 

つまりはエヴァンジェリンのせいである。

 

「・・・・・・まあそうだな」

「気を使わせちゃったねカモくん」

「い、いえそんな、こちらこそ配慮が足りず」

「ともかく一度やってみろ。それで呼び出せれば良しだ、締め上げて全てを吐かせる」

「やってみますが長谷川さんに乱暴はさせません」

 

断固たる口調でエヴァンジェリンに釘を刺して、ネギはカードを宙に掲げ従者召喚の詠唱をする。が、なんの反応もなかった。

 

「距離が離れすぎだな」

「・・・・・・可能性の話ですが、従者が死亡していた場合はどうなるんですか? 遺体が召喚されたりするんでしょうか」

「その場合はカードの背景が空白になりただのカードになる。つまり召喚やAFなど全ての機能がカードから剥奪される。このカードを見るに長谷川千雨は存命だ」

「そうですか」

 

ネギはため息をついた。

 

「仮契約カードにはなんと書いてある」

「え、はい」

 

カモと交換するようにしてエヴァンジェリンが受け取った仮契約カードには、アイドルのような衣装に身を包みポーズを決めている、笑みを顔に貼り付けた長谷川千雨が描かれていた。

 

「長谷川千雨、だな。別人が魔法で変装したわけでもなく」

「はい」

 

仮契約は魂の契約だ。いかな能力だろうと、自身の精神を変成させる能力が仮にあったとしても、それですらカードに写る姿を偽ることはできない。

 

「普通に考えれば、長谷川のやつが治癒と長距離転移の魔法を使える、ということにしかならん。まあ、召喚機能で呼び出せない以上、旅館にいる長谷川千雨と、貴様と仮契約を結んだ長谷川千雨は別人ということではあるが。なぜ貴様はやつが二人いると考えた? 召喚機能を知るより前に」

「先程僕は、長谷川さんにカマをかけました」

「ん?」

 

エヴァンジェリンは首を傾げた。

カマをかけた? 自分を救い、引き換えに記憶を失った少女と再会した直後に? 再会の挨拶を交わしながら?

 

「僕は彼女にこう聞いたんです。『怪我はもう大丈夫ですか?』と」

「んん?」

「それに対して長谷川さんはこう答えました。『ああ、怪我はとっくに直してる』」

「・・・・・・なんだその気持ちの悪いやりとりは」

 

違和感。

ネギやエヴァンジェリンにしてみれば、長谷川千雨の怪我が治っていることなど、入院した時点でわかっていたことだ。

長谷川千雨が真に記憶喪失であったのなら、記憶を取り戻す前後で記憶は連続しているはずだ。怪我もなく、京都までの道のりを一緒に過ごしてきたのだ。ネギが、長谷川千雨の怪我が治っていることを知っていることを、長谷川千雨は当然のこととして認識していなくてはならない。今更1週間も前に完治した怪我について聞かれたところで、いやお前知ってるだろなんだ今更、などと奴なら言うだろう。

それにも関わらず、まるで怪我について初めて話題に出すかのように言葉を返す長谷川千雨の振る舞い。

これを合理的に解釈すれば、二度にわたり命を賭けてネギを守った長谷川千雨と、今旅館にいるであろう長谷川千雨は、記憶を共有していない、ということになる。

ネギは指を三本立てる。

 

「この段階で考えられる可能性は三つ。一つは、記憶喪失を装おうとして失敗した、一つは二人一役の入れ替わり、最後の一つは二つの人格が出入りする解離性障害。この三パターンです」

「さっきの時点で一番可能性が高いのは一つ目の装っていた、だな。後半の二つはなんというか荒唐無稽だ、可能性としてゼロではないというだけで」

「僕もそう思っていました」

 

ですが、とネギは言う。

 

「旅館の二日目、深夜に皆さんが大騒ぎしてましたよね」

「ああ、あのラ・・・・・・なんでもない。あれな、あれ」

 

さすがにラブラブとかキッスとか大作戦とかいう単語を口にするのは恥ずかしかったらしい。

 

「その時僕はあえて本体で千雨と鉢合わせしました。自分で言うのもなんですが、今の僕の人相は先週の自分と比べてかなり変わっています」

「そうだな。病人かリビングデッドか悩むところだ」

「そんな僕を見ても、長谷川さんは全く反応しませんでした。心配する言葉の一つもかけることなく」

 

だからなんだ、とエヴァは思った。

 

「隈を浮かべた10歳児を前になにも声をかけないなんて、長谷川さんの性格上ありえません」

 

エヴァンジェリンはちょっと引いた。このぼーやはあの女に依存しすぎではないかと。そこまで依存するほどに追い詰めたのは自分だが。

 

「あー、つまり、だから、あの夜旅館にいた長谷川千雨は偽物だと?」

「はい。おそらく彼女は自分の偽物を作れるのでしょう。それは恐らく僕の式神と同じように、パターン化した受け答えしかできず、融通がきかない。だから僕の顔色について何も言及せず、僕の前で生徒を軽々と持ち上げて部屋まで送り届けた」

「素の身体能力では人間一人を抱え上げることなど無理なはず、と気づかなかったか」

「加えて傷の件があります」

「確か、長谷川千雨は一般的な治癒魔法をかけられただけで体内に篭った魔力が暴走するほど魔力容量が低い。にも関わらず全くの無傷な状態にまで一夜で回復していた。この疑問は爺とも話していたが、なるほど。病院で偽物と入れ替わり、本物の長谷川千雨は抜け出していたということか」

 

しかし、とエヴァンジェリンは腕を組み唸った。

 

「長谷川千雨が二人一役で入れ替わっていた、と考えるのが一番自然だが、そうなると一つの疑問が残る」

「普段の、今旅館にいる長谷川千雨は何者か」

 

エヴァンジェリンは頷いた。

 

「皆さんが大騒ぎしていた夜から何度か長谷川さんをチェックしたのですが、どのタイミングでも彼女は人間なんです。式神や魔法による分身であれば、近づけば放散魔力を感じ取れるはずです」

「私の目から見てもな。式神やらが学園を歩き回っていたら私や魔法先生がすぐに気づく・・・・・・どうにも奴の能力にはまだなにか隠し事があるようだな。奴に関して説明しきれない部分がある」

「・・・・・・はい」

「能力といえば治癒に関してもそうだ。ここに来た奴は決闘での怪我はとっくに直している、んだったな? その上で腹を貫通する怪我を負ったと」

「僕の腕が余裕で通る大きさです」

 

エヴァンジェリンは眉を顰める。それは、人間にとっては致命傷もいいところだ。にも関わらず、千雨の仮契約カードは失効しておらず、本人は召喚の有効圏の外まで転移している。自力で治したのであれば随分と強力な治癒魔法だが、

 

「・・・・・・あるいは敵に治療され連れ去られた可能性もあるな」

「その場合でも、少なくとも命は保証されているということでしょう」

 

そう言いながらネギは固く拳を握った。その拳は小さく震えている。口では平気そうにしながら、内心では千雨のことが気が気でないのだろう。

 

「自力で転移していた場合、長谷川さんは奴、フェイト・アーウェルンクスに今後狙われることになります。連れさらわれていた場合も、その犯人はフェイトかその仲間の仕業と見て間違いないでしょう」

「・・・・・・待て、アーウェルンクスだと?」

「何か?」

 

エヴァンジェリンは押し黙り、数秒を思考に費やした。

 

「・・・・・・アーウェルンクスとは、かつての大戦を手引きした組織にいた幹部の名だ、と聞いている」

 

私は直接遭遇したことはないが、とエヴァンジェリンは付け足した。彼女の言葉にネギもまた思考に沈む。

 

「・・・・・・大戦」

 

ネギは魔法世界で起こったそれについて長から聞き及んでいる。自身の父にして英雄、ナギ・スプリングフィールドが身を投じた戦争であると。あの村で一度だけ見た、あの圧倒的な力を持つ父と互角の戦力がかつて敵の中にいたと。エヴァンジェリンの言葉が正しいとすれば、千雨は今後どれほどの危険に晒されることになるのか。

背筋が凍った。

 

「エヴァンジェリンさん」

「なんだ」

 

一度息を吸い、吐いて、ネギは正面からエヴァンジェリンを見据えた。その暗い瞳にエヴァンジェリンは興味を持った。良い墜ち方だと内心感嘆した。まだまだ足りないものも多いが、多少弄くり回せば、その容赦のなさと自身の命すら省みない在り方を昇華させ、誇り高い悪として華開くだろうと。『立派な魔法使い』として信仰されるナギの息子を、闇の福音が悪の魔法使いとして育てる皮肉な光景が脳裏に過ぎる。あまりにも愉快な光景だ。だから、

 

「僕を弟子にしてください。戦い方を教えてください」

 

ネギの真摯な申し出を聞いた時、即決でそれを受けることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水を利用したフェイトの転移によって、二人は香港に来ていた。千雨の記憶には実際に香港まで来た記憶はなく、なんとなく雑多で騒がしいイメージがあった。九龍城砦とか個人的に超イカす。が、フェイトに連れられて来た場所は高級レストランが多く収容されているハイソなビル街であった。よく考えたら九龍城砦はとっくに取り壊されてたな、と千雨は時空ボケを自覚した。ちなみに時空ボケとは時間跳躍を行った際にその時代にはすでに存在しないものを有ると誤解したり、逆にまだ無いものを既に有ることを前提に思考してしまうことである。気をつけねーとな、と千雨は自身を戒め、フェイトとの会話に入る。

 

「で、ゲートポートまであとどんくらい歩けばいいんだ?」

「もうすぐ、そこの小さめのビルだ」

 

案内されたビルは、このきらびやかなビル街の中では比較的こじんまりとした、しかしその内装には随分と金のかかっていそうなものだった。埋没しそうでありながらよく見れば一見で入ってみようとは思えないほどに格式張っている。さらに玄関の配色がなんとなく不気味で近寄りがたい。

 

「風水を利用した人避けと認識阻害だよ。配色や物品の位置で術式を組み上げ、魔力は地脈を利用している。物理的に人間の精神に影響を与える効果も複合させている、西洋魔法にはない発想だね」

「まさか街中にゲートを作ってるなんてな」

「逆だよ。もともとあったゲートポートの周囲に人間が進出してこうなったんだ。イギリスとの領土のやりとりのどさくさでね。ところで、ゲートの解放時間までまだだいぶある。それまで食事でもしよう」

「デートの誘いか? 心に決めた人がいるんですごめんなさい」

 

フェイトはため息をついて歩を進めた。千雨は赤面した。クソいらねーこと言った。

 

 

 

フェイトに案内されたのはゲートポート用ビルの隣に立つビルの屋上レストランだった。流石にこんな高級そうな場所に制服で入るのは無理だ、と思うのだがフェイトはなんら頓着することなく出迎えたウェイターと言葉を交わしている。予約していたアーウェルンクス云々。というわけで千雨は自身の服を一瞬で制服からそれらしいドレスに変えた。世が世ならハイパーオプションプログラム#4と呼ばれるものである。

ウェイターに案内され、二人は縁に近い席に座った。香港の夜景を一望できる良い席であるが、生来の引きこもり気質を未だに引きずる千雨はその光景は感動より恐怖の対象である。うわたっけー、こえー。

 

「君の」

「あ?」

 

おっと、と千雨は意識を目の前の人形に戻す。悪の中ボスを前にしてやって良いことではなかった。

 

「今の服の入れ替えといい、彼の隣に現れたことといい。その技術はなんだい? 人の魔力を使わない、という点では風水に近いのか、とも思ったけれど、見比べてもまるで関連性が見出せない。それは一体なんなのかな?」

「・・・・・・科学だ。基本は電力を利用して奇跡を起こす。魔力のない私が使える唯一の武器だ」

 

ふむ、とフェイトは呟く。その表情には全く変化がない。数秒の沈黙がたまらなく恐ろしい。この時代のフェイトはここまで不気味だったか。不気味の谷を直視している気分だ。

千雨は、ネギに執着を持つようになってからのフェイトしか知らない。魔法世界で初めて見たフェイトは、確かに笑い声をあげるのが笑えるほどに下手くそであったがそれでもまだ行動の一つ一つに感情が付随していたように思う。

ウェイターが配膳したコーヒーで唇を湿らせてからフェイトは問う。

 

「君がネギ・スプリングフィールドに執着するのはなぜ?」

「黙秘する」

 

千雨も自分が即答したことに戸惑った。本当ならここで適当な理由をあげるなりネギについて惚気るなりして時間を稼ぐことができたのだ。なのに、それをしなかった。したくなかったのだ。

 

「じゃあ、ネギ・スプリングフィールドが君に執着するのはなぜ?」

「・・・・・・」

 

フェイトの言葉を咀嚼するのに五秒かかった。

 

「・・・・・・はあ?」

 

咀嚼した上で、結局意味がわからなかった。

 

「執着? ネギ先生が私に?」

「違うのかい?」

「いやー、ねーだろ。気に入られるようなことしてねーし」

 

エヴァンジェリンとの決闘があるが、あれだって結局自分は何もできなかったし、ネギにはほとんど何も言葉をかけなかったのだ。

 

ーーでかい悩みなら抱えて進め。

 

あの言葉がネギの未来を決定付けたのだ。そう千雨は確信していた。

今の段階ならまだネギにはさほど悩みはなく、自分も大した言葉をかけていない。

身を犠牲にして守った? 否、長谷川千雨はなんの後遺症もなく学生生活を再開させている。確かにネギの視点では戦闘によって記憶を失ったことになるし、それが後遺症と言えなくもないが、たかが一時間かそこらの記憶である。精神にも魂にも肉体にも損傷のない、十全な状態の長谷川千雨がいるのだ。ネギが気にかける要素は何一つないだろう。

それにだ。

 

「この私が先生に気に入られることはねーよ」

 

千雨は断言した。過去を変えようと企む自分がネギに好かれるなどありえない。あってはならないとすら思う。そんな自虐が、千雨の思考を無自覚なまま歪ませていた。

 

「つーかよ、聞きたいのはこんなことなのか? もっといろいろあるだろ」

 

世界再編魔法についてとか、それを実行する方法だとか。フェイトの気を引くために随分と危ない情報をチラ見せしたのだ。それらについて聞いてくれないと千雨としては肩透かしである。

 

「待って。もう少しで来るはずだから・・・・・・来た」

 

フェイトが手をかざし千雨の言葉を遮る。その視線を辿って振り向けば、自身の背後に一人の少女が立っていた。

 

「よく来たね栞さん」

 

ウェーブのかかったショートの髪に、エルフのように尖った耳。頭頂部には細いリボンを巻いている。身にまとうドレスはシンプルなものだが、少女のおっとりした雰囲気によく似合っていた。

千雨の血の気が引いた。

 

「フェイト様の命に従い馳せ参じました」

「義体の調子はどう?」

「何も問題ありません。さすがキュクロポスの最新型、と言ったところです」

 

キュクロポスとは確かアリアドネーに本拠地を置く、義肢や外骨格など医療工学を専門にする研究施設だったと千雨は記憶している。葉加瀬の依頼で義肢を設計する際に忍び込んで研究データを拝見したことがある。さすが魔法世界の最高学府というだけあってその設計思想の斬新さは千雨の研究を大いに前進させてくれたものだ。

 

「ハセガワチサメ、紹介させてもらうよ。彼女は栞。一言で言えば読心能力者だ」

 

知っている。だから千雨は顔を見た瞬間から自身の人格と記憶を隔離して人造人格を新しく構築している。以前から常在させていた女子中学生型人工知能をベースにして、『力の王笏』と世界再編魔法の情報、さらにオリジナルの長谷川千雨が抱いた目的を付加。

それらの作業を行いながら千雨は動揺を完璧に押し殺して尋ねた。

 

「読心能力?」

「協力してくれる、という君の話がどこまで本当かわからないからね。彼女に触れてもらった状態で僕の質問に答えてもらう」

「なんだ、触れてないと心を読めないのか?」

「そうだね。その代わり彼女の読心は魔法世界全土を見渡しても抜きん出ている。なにせ深部記憶まで読み取れるからね」

 

まだだ、まだ人造人格が完成しない、このままでは応答に齟齬が生じる。もう少し時間を稼がなければならない。

 

「深部記憶ってなんだよ」

「例えば一度歩いただけの街並みのような、短期にも長期にも分類されない感覚記憶。あるいは記憶の第一段階である記銘にすら至らなかった記憶のデブリ。そういったものすら拾い上げることができるということさ」

 

はたしてそんなところまで即席のAIで再現できるかは完全に賭けになる。

 

「なんで教えてくれるんだ? 私の記憶を読みたいなら何も言わずにこの栞さんとやらに読ませるべきじゃねーのか」

「どちらにしたって結果は同じだよ。それに、そんな不意打ちのような真似をして、協力してくれるかもしれない相手の不興を買いたくない」

「心読ませる時点で不興を買うとは思わねーのか、乙女心を暴くんだぞ?」

「理性的な君なら必要な儀式だと割り切ってくれると信じているよ」

 

けっ、と千雨は舌打ちして振り返った。

 

「ほれ、立ってねーで席座れよ、ウェイターさん困ってんだろ」

「あ、ええそうですね」

 

千雨の隣、ウェイターに引かれた椅子に座り、栞がフェイトの顔を伺う。

 

「もう少し説明することがある。栞さん、例の魔法具は持ってきた?」

「はい、こちらです」

 

言って、テーブルに置かれたのは、ワシの意匠を象った天秤のようなオブジェだ。手のひらサイズで、その内側から凄まじい魔力を感じ取れる。

千雨は努めて冷静さを装って聞いた。

 

「これは?」

「鵬法璽という。契約を遵守させることを魂に強制させる魔道具だ」

「契約ね。とりあえず内容を書面にしてまとめてくんねーかな」

「栞さん」

「はい。こちらです」

「用意のいいこったなくそう」

 

じっくり読もう。5周はしよう。そう思ったがフェイトがあっさりと書類をとりあげた。

 

「契約内容は、

フェイト・アーウェルンクス(以下甲)は以下の項目を遵守する。

1、ネギ・スプリングフィールドおよびその関係者に危害を加えないこと

2、ネギ・スプリングフィールドおよびその関係者に害を為す可能性があるものがいた場合それを止めること

 

長谷川千雨(以下乙)は以下の項目を遵守する。

1、世界再編魔法の実行

 

といったところだね。これでいいかい?」

 

正直な話、契約魔法など魂や精神をいくらでも書き換えられる千雨からすればなんら障害にならない、はずだ。自信はない。これもまたギャンブルであるが、勝てばでかい。なにせネギの安寧が絶対的に保証されるのだ。自分は契約に囚われず実体化モジュールを用いて魔法世界を再構成し、その後もフェイトは契約に従ってネギを守らざるを得なくなる。

 

「あと、ネギ先生に敵対しそうな勢力や個人をリストにしたものが欲しい。あんたらが手を出さないといっても、勝手に暴走する奴らがいるかもしれねーだろ」

「わかった。あとでまとめておくよ」

 

ちらり、とフェイトは栞に視線を送った。それを受け、栞は千雨の手を取る。同時にかろうじて間に合った人造人格を起動する。

 

「では質問を始めようか」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話 ライアー・ライアー

魔法世界において、そこはある種の禁忌であった。

廃都オスティア。一般人からすれば数多の民が犠牲になった、錯乱した王女による国土崩壊テロの中心地であり。事情を知るメガロメセンブリア上層部からすれば『赤き翼』に弱みを握られた挙句歯牙にもかけられず一蹴された、屈辱の汚点の象徴である。どちらにとっても会話に登らせることすら厭う土地である。だから、潜伏するにはこれ以上ない土地であるとも言える。

オスティアの中心にそびえ立つ墓守人の宮殿。その最上階のかつてはダンスホールとして使われた空間。その中央に鎮座されている円卓にて、『完全なる世界』の面々のほとんどが顔を揃えていた。

 

「黄昏の姫御子の代理品、か」

 

デュナミスが思案げに呟く。フェイトの説明を聞き、その場にいる全員が疑問を抱いている。それを代表してデュナミスが問う。

 

「使い物になるのか、それは」

「栞さんに確認してもらったよ」

「は、はい」

 

フェイトの隣に座っていた栞が答える。

 

「彼女のアーティファクト『力の王笏』は、電子精霊を自在に操作するものです。それを用いればあらゆる魔法の術式に干渉・編集ができるようでして。彼女が言った『グレートグランドマスターキーがあれば世界再編魔法も実行できる』という言葉も信憑性が高いです」

「電子精霊、とは雷属性の精霊とは違うのか?」

「違うようです。具体的な話はちょっと、彼女の記憶でも専門用語が多くて私には理解しきれるものではなく。そのスペック的には、あの」

 

言い淀む栞に代わりフェイトが、

 

「スペック的には、僕の精神を一瞬で機能不全に落とすほど、だよ」

 

フェイトの言葉に皆驚きの声をあげるが、この事実を知った時の驚きが最も大きかったのは栞であった。フェイトの精神には『造物主』によって施された精神防壁が施されており、『魅了』や『傀儡』といった精神操作系の魔法はおろか、読心能力を持つ自分や姉ですらどれだけ頑張ってもその内面を覗くことができなかったのだ。それを一瞬で突破し操作するなど普通では考えられない。

 

「テルティウムよ、貴様が今正常に機能している保証はあるのか?」

「それは、今の僕が長谷川千雨に操作されている可能性を言っているのかな」

「操作までいかなくとも、何かしら思考に偏向がかかるようになっている可能性もあるだろう」

 

は、とフェイトの従者である少女たちがフェイトを見る。全員がフェイトを案じる目を向けている。それらを受けてフェイトは若干の居心地の悪さを感じた。

 

「・・・・・・自己診断機能によれば問題はない、はずだけど」

「診断機能自体が編集されている可能性もあるな。後でメンテナンスを受けろ。おい耳娘よ」

 

栞のことである。ちなみにデュナミスは暦を猫、焔をツインテなど身体的特徴で呼称することが多い。

 

「は、はいデュナミス様」

「件の長谷川千雨の記憶ではそこのところはどうなのだ?」

「えっと、一度意識を落としただけで、こちらの信頼を下げるようなことはしない、という意思はありました」

「では問題ない、ということか?」

「た、ただ」

 

栞は僅かに言い淀んでから、意を決したように口を開く。

 

「彼女の内面には色々と不可解なところがあるんです。彼女が『千の呪文の男』の息子に執着する理由がわからない、とか」

 

長谷川千雨とネギ・スプリングフィールドの接点は、一度部屋に侵入されてコスプレのまま屋外に連れ出されて全裸に剥かれたくらいである。自分が彼女の立場であれば間違いなく焔に頼んであの少年の眼球を焼いてもらうだろうと栞は思う。にも関わらず長谷川千雨は、その後『闇の福音』を敵に回してあの少年を庇っている。

 

「あと・・・・・・」

「なんだ?」

「あ、い、いえ。なんでもないです」

 

栞は続きを口にしなかった。

栞が千雨の心に触れて何よりおかしいと感じたのはその精神である。

ノイズが全くない、全ての記憶が整然としすぎている。感情に至っては、栞自身なんと表現すれば良いのか戸惑うところであるが、あえて言語に変換するなら『角ばっている』と表現するのが一番近い。

どんな人でも感情は波のようなもので、常になだらかな変化をする。対して千雨の感情は段階的で、凹凸がはっきりしすぎていて、その凹凸を限りなく小さくすることで人の精神を再現しているような、今までに栞が見たことのない動きをしていて・・・・・・気持ち悪い、と栞は思ったのだ。吐き気が臓腑からこみ上げるほどに。

まるで人間の真似をするゴーレムのよう、と栞は思うのだが、それをフェイトの前で言うことはできなかった。人工物という点ではフェイトも同様であり、それを否定するようなことを口にすることは自分で許せなかった。

デュナミスは栞の煩悶を気にした風もなく話を進める。

 

「英雄の息子との繋がりは分からなくとも、能力的には問題ないということでいいのだな? 黄昏の姫御子が見つからず、タイムリミットが迫っている以上、あのメガネの少女で妥協する選択肢も現実的と言えるのではないか」

「も、もちろん監視を付けてですよね?」

「鵬法璽を使っているのだろう? であれば監視は不要ではないか、ただでさえ我らは人手不足だ。定期的に進捗を確認すれば十分だろう」

 

まずいかも、と栞は焦る。

鵬法璽をごまかす方法があるかもしれない。

あの長谷川千雨という少女が彼女自身の精神を操作して、栞の読心能力をごまかしている可能性があるのだ。

例えば栞が持つアーティファクト『偸生の符』は、他者の精神をコピーし術者の精神に貼り付ける能力を持つ。

陰陽道では式神に自身の精神の劣化コピーを貼り付け、オート機能を付加するといった技術がある。栞のアーティファクトはその発展系とも言えるがしかし、陰陽道とは違い、異なる人格を自身に貼り付ける技術では、それを解除する主人格が上書きされ一生元に戻らない危険性や、二つの人格および感情が混同して最悪精神が崩壊してしまう恐れがある。

一つの体に複数の人格を持つことは非常に危険なのだ。

そのため、魔法世界ではそういった『人格の添付』などのような、精神の基幹部分を直接編集するような魔法の研究は禁止され、その資料は封印されている。

フェイトとともに極秘に開発した『偸生の符』にも、二つの精神に同時に強い揺らぎーー例えば怒りや絶望、恋愛感情などーーが生まれた時、それらが混合される前に自動で解除されるようセーフティがかけられている。

長谷川千雨が精神を偽装する技術を持っている可能性は、ある。

しかし、これらは全て栞の憶測に過ぎない。繰り返しになるが異なる精神を一つの体に収めることは非常に危険で、資料も少なく、実行する人間が存在するなど常識的に考えてありえないのだ。精神の動きが吐き気を催すほど気持ち悪いから鵬法璽をごまかせるかも、ではあまりに根拠が薄すぎて、デュナミスやフェイトの前で口にするのは憚られた。

 

「いえいえいえ、契約で縛られていたとしてもモチベーションの違いがクオリティに直結してしまうじゃないですか」

「『完全なる世界』に移行させるのにクオリティもなにもないだろう」

「世界の在り方を左右する最終工程ですよ? そこを部外者に任せっぱなしなんて不安ではないですか」

「・・・・・・まあ、そう言われればそうだな」

「ですよね! でしたら、わ、私が監視します!」

 

今は焔に長谷川千雨の監視が任されている。何か不穏な動きをした場合、ただ思うだけで対象を焼き尽くすことができる彼女が監視として最適であるためだ。ただそれでは後手に回る可能性がある。何かの企みに対して先手を取れるのは思考を読み取れる栞しかいないし、千雨の精神の特異さに関して確信が持てたらフェイトに報告しよう、それまでは自分が監視をしようと栞は決めた。

 

「ど、どうしたにゃ栞。さっきからやる気まんまんで」

「そ、それはそうですよ、やる気に満ち溢れてますよ、むしろ暦はやる気ないのですか?」

「いやもちろん私もやる気あるにゃ! でも栞のはなんか・・・・・・痛い」

 

痛い!? と愕然とする栞をスルーしてフェイトが、

 

「それじゃあ栞さん、彼女の監視をよろしく」

「は、はいわかりましたフェイト様」

 

フェイトの中には一つの懸念がある。魔法具を使って魂を縛ったとして、もし彼女がアーウェルンクスシリーズと同じであるなら、という可能性。

 

ーー種族はまああんたと似たようなもんだ

 

軽口のように彼女は言っていた。あれが真実だとすれば、彼女に契約魔法など、魂レベルの契約でも意味はない。例えば自分であれば、あの程度の契約ならアンインストールが可能だからだ。

 

「僕らにはもはや彼女に頼る以外の手段がなくなりつつある。もちろん本物の『黄昏の姫御子』の捜索も同時に進めるけれど期待はできない。彼女がなにかを企んでいたとしても、その企みの裏をかいて目的を達成するしかない」

「計画に支障がなければ放置でも構わん。たしかにメガネの目的やその手段を知ることができるならそれに越したことはないが、今優先すべきは『黄昏の姫御子』の確保と、ゲートポート破壊の工作だ」

 

デュナミスの中での千雨の呼称は『メガネ』に決まったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ダイオラマ魔法球、ですか」

「そうだ、ここで修行をつけてやる」

 

ネギは現在エヴァンジェリン宅の地下にいた。薄暗い地下室で自ら発光する、巨大なボトルシップ。中には帆船ではなく、まるでリゾートビーチに建てられた貴族の別荘のような、精巧な宮殿の模型が収められている。

もちろん単なる模型ではない。

ネギとエヴァンジェリン、そして彼女の従者である茶々丸の三人が、その城のような別荘の中にいた。

 

「これがあの模型の中なんて」

「この中は異界になっていてな。時間の流れも外界とは異なる、完全に遮断された別世界だ。こういった異界の時間密度は中の魔力密度に比例するわけだが、これの場合は外の24倍、中の1日が外の一時間程度にしかならん」

「なるほど、ここなら24倍の速さで修行が進むわけですね」

「代わりに24倍の速さで老けるがな」

 

あ、とネギが呟いた。

 

「もしかしてタカミチが老け・・・・・・おじ・・・・・・えっと」

「老け顔と言っていいぞ。その通り、あいつもここでかなり修行していてな、戸籍上の年齢より実際はだいぶ年いってるぞ」

 

気を扱う分老化は遅れるが、とエヴァンジェリンは付け足す。

 

「ちなみに、一度入れば中で一日経過しなければ外に出られん。それで、何時から何時まで使用するか予定を立てるか。貴様は教師として仕事をする必要があるからな。夜8時以降か? 次の朝6時まで10時間と見れば」

「いえ、それには及びません」

 

ん? とエヴァンジェリンは振り向き眉をひそめた。

 

「授業は僕の精神をコピーした式神に行ってもらいます。本体である僕自身は修行を担当するということで」

「・・・・・・中に入れば外界と遮断される。式神の操作はできなくなるが」

「教えるだけならオートでいけます。多少バカになりますが、そこは術式を多層化させて分業させればなんとかなるかと」

 

ふむ、とエヴァンジェリンは少し思案し、

 

「それならば無休で修行をつけられるな」

「いえマスターは授業に出てくださいよ、まだ学生でしょう」

「あ? 今更なにを言っている、中学三年生などもう5度目だぞ、そんな無駄なことする必要などあるか」

「だめです、僕は教師でもあるので、サボりは認められません」

「貴様はサボるのだろうが」

「いえ? ちゃんと生徒を導き教え、事務仕事だってこなしますよ、僕のコピーが。カモ君も付けていますし、滞りなく職務を遂行してくれるでしょう」

 

ぐぬ、とエヴァンジェリンは口ごもる。

 

「私がいない間貴様はなにをするつもりだ? 組手ならまあ相手はいないことはないが」

「マスターがいない間は自分なりに術式の開発を進めるつもりです」

「開発ぅ?」

 

なんのこっちゃ、とエヴァンジェリンは首を捻る。十歳にも満たない子供が新たな術式を開発できるほど魔法の歴史は浅くない。

本来は。

しかし今エヴァンジェリンの前にいるのはネギ・スプリングフィールドである。あらゆる世界線で英雄に、あるいは世界を滅ぼす魔王に至る存在である。

 

「まずはこれをうまく使う方法を考えようと思ってます」

 

ネギは言いながら懐から一枚の紙を取り出した。陰陽五行を刻んでいる札である。それに魔力を通し、一言二言ぼそぼそと唱えた。呪術の造詣に乏しいエヴァンジェリンにはそれがどのような意味かはわからなかったが、それによって引き起こされた現象を見てその言葉の意義は一目瞭然だった。

札が輝き、それを媒体として中から飛び出てきたのは、雲を突くような巨人。大きな水の音とともに着地した、ただそれだけで地は激しく揺れ、浜に大きな波が押し寄せる。

京都でネギが長谷川千雨とともに肉体を破壊したはずの飛騨の鬼神、両面宿儺である。

 

「ぼーや、これを調伏したのか!?」

「はい。調伏し、魂を召喚符に封じました。京都の封印の解除にはこのかさんの膨大な魔力が必要だったようですが、存在を維持するにはそれほどの魔力は必要ないようです」

 

エヴァンジェリンは半分呆れて両面宿儺を見上げ、一つ気づいた。

 

「維持だけか? 使役するには至っていないのか」

「はい。これではただの巨大な『気』の塊です」

 

ネギは先の札を鬼神に向けかざす。それだけで鬼神は札に吸い込まれ消えた。

 

「フェイトと対決する可能性がある以上、やつと渡り合えるだけの力を身につけなくてはなりません。それには魔法を交えた戦闘技術を習得し僕自身を強化することはもちろんですが、同時に抜本的な戦力の増強が必要です。これはそれを実現させるための手段の一つ」

 

戦力の増強、と聞けばまず思いつくのは仮契約である。従者を増やし、前衛を任せながら主人側は後方から大魔法を打ち込むというのが定石である。または近接戦闘と魔法攻撃を同時にこなす魔法剣士型の戦い方もあるが、それだって従者に自分の戦闘を補助させるのが一般的だ。

 

「ぼーや、お前従者をつくる気はないのか?」

「ありません」

 

ネギは全くためらいを見せずに首を振った。

 

「フェイトのような危険人物を敵に回す可能性が高いんです。気軽に巻き込むわけにはいきません」

 

ネギの脳裏に過るのは、自身を守るために石になるスタン老。そして、自分を庇って石の槍に貫かれ、湖に沈んでいく千雨。この二者の姿だ。

 

「関西呪術協会の本山を落とし、長を一蹴する実力。石化など、扱う魔法の殺傷力。少なくとも一般人を従者にすることはできません。僕は一人で、強くならなければならないんです」

 

ネギからどんどん負の気配が増していく。瞳に宿る闇はさらに深く、あたりにばら撒かれるネギの魔力は大気を汚染するスモッグさながらに重く禍々しい。常人であれば呼吸も苦しくなるような濁り方だ。

そんな魔力の奔流を正面から受け、エヴァンジェリンは笑みを深めた。ネギの適正を見出したからだ。もしやすれば、このぼーやは我が秘術を継承するに値する、と。

本来ならこんなことは思いつきもしなかっただろう。しかし最近、自身の古い日記を読み返すような経験をしたのだ。長谷川千雨。紛いなりにも再現された、かつて思い描きながらも挫折した魔法技術。かつて生存のためにがむしゃらに求めた力。あれに再び挑戦するもよし、ぼーやに課題として与えるもよし。どちらにせよ、まずは目の前で闇に沈みつつある英雄の息子にあれを教えてやるべきだ。

かつての自分のようなひたむきさで力を求めるこのぼーやになら、くれてやるのも悪くない。

 

「ぼーや」

 

その顔に浮かぶ表情は、笑みと呼ぶにはあまりにも歪んでいる。おとぎ話に出てくる悪い魔女さながらだ。

もし見込み違いで死んでしまったり怪物に堕ちてしまっても、まあそれはそれだ。

 

「貴様に最適な魔法がある。一人で戦うために私が編み出した技法だ」

「なんでしょうか」

「『闇の魔法』といってな。習得には命を賭ける必要があるが、どうする?」

「やります」

 

ネギは即答で、魔女との契約に頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

失敗したのか、と千雨は後悔した。

自身が持つ14歳当時の本物の記憶と、未来技術で作られた人工知能で構成した人造人格であったが、やはり即席であったためか。この栞という少女は、自分の心理を読んでいる間ずっと顔色が悪かった。たまに口を抑えて嘔吐を抑えるような仕草にちょっとどころではないショックを受けたのだが、そんなことよりなぜ尋常ではない反応をされるのか、の方が重要であって。

人造人格の裏で考えた結果、やはり栞の不調は人造人格の不具合を読み取ったからではないか、という結論に至った。

しかしだからといって何か対策が建てられるわけでもない。千雨は依然として、人造人格の防壁の裏側から、長谷川千雨型に実体化されている体を操作している。

鵬法璽での契約を終えて、香港のゲートを通り、墓守人の宮殿の一室で待たされた後、千雨はデュナミスと対面している。ちなみに、千雨のとなりに座った栞には再び左手を握られ、真後ろで仁王立ちで腕を組んでいる焔にはそのツリ目でギンギンに睨みつけられている。銃口を突きつけられている気分になる。焔の能力をまだここでは聞いていないので、ビビる様子を見せるわけにはいかないのがさらにきつい。

 

「フェイトはどうした、んですか?」

「様を付けろデコスケ野郎」

「ちょ、焔」

「奴は調整を受けている。少し不具合がおきてな」

「ふうん? あいつでも体調悪い時とかあるんですね」

 

後ろのツインテールが機嫌悪いのはそのせいかと一人納得している千雨を、デュナミスの仮面越しの視線が射抜く。やはり探られているのか、と千雨は喉を鳴らした。

 

「・・・・・・これが貴様が注文していた、ネギ・スプリングフィールドに害を為す可能性のある存在のリストだ」

「どうも」

 

テーブルを滑らせて渡された紙束に千雨は空いている右手を使ってさっそく目を通す。情報は精神に直接書き込めるため、一瞬見れば十分なのだが、さすがにそれだけで突っ返しては怪しまれるので、邪魔にはなるが目を通した後そのままゲートポートの売店で買ったショルダーバックに突っ込んだ。

 

「それで、計画はいつ頃から始めるんです? 私としては出来るだけ早く始めて欲しいところなんですが」

「無論そのつもりで計画は進めているが、貴様には何か急がねばならない事情でもあるのか?」

「・・・・・・地球の暦でいうところの6月中旬までには計画を終わらせたいんですけど」

「なぜだ」

 

千雨は黙った。

中旬の終わり。6月20日。

それは忘れもしない、麻帆良祭が始まる日である。

それまでにこの魔法世界を電力依存の世界に書き換えて、麻帆良への魔力の流れを根本から絶つ。火星から魔力を全て排除する。そうすれば、世界樹に溜まる魔力を利用した超の認識改変魔法による計画は頓挫するだろう。が、それをどこまで言うべきかを一瞬迷って、

 

「言う気がないのならよい」

「え」

「興味もない。どうせ、今月中に計画の第一段階は実行される。黄昏の姫御子の代理が見つかったのだ、計画を進めるのは当然だろう」

 

どういうことだ、と千雨は内心首を傾げた。自分が心を読まれることを拒んでいることは向こうも気づいているはず。それならもっと交渉や尋問でこちらの目的や正体に関する情報を引き出そうとしてくるだろうと予想していた。

それがないということは、可能性は三つ。一つは今デュナミスが言っていたように興味がない。二つ目は読心を遮っていることがバレていない。三つ目は、全て分かった上で泳がされている。どれかを判断するだけの材料は揃っていない。

 

「なにする予定なんですか?」

「まずは世界中に12箇所あるゲートを破壊する。そうすることで旧世界側からの援軍を遮断させ、またゲートから旧世界へと流出していた魔力を、ここの地下にある休眠状態のゲートに集中させる」

 

魔力は濃度の高い方から低い方へと濃度勾配に従って拡散する。旧世界、つまりは地球よりも、全てが幻想で作られている魔法世界のほうが魔力濃度は圧倒的に高い。ゲートを破壊していけば、魔法世界全体に散っていた魔力は唯一の出口となった旧オスティアのゲートに殺到することになる。

 

「工作にも時間がかかるからな、実行するのはおよそ2週間後、詳しくは追って連絡する。では耳娘、世話は任せる」

 

そう言って席を立ったデュナミスと、その後を追う焔の後ろ姿を見送り、千雨はわずかに混乱した。

・・・・・・もしかして、バレてない? 二つ目?

 

「あの、ハセガワチサメさん」

 

声はすぐ隣から。そういえばいたんだった、というか手をずっと握られていたのだった。

栞は千雨に視線を向けず、俯いた状態で声をかけてきた。

 

「あなたにお聞きしたいことがあります」

「い、いやそれはいいんだけどさ、顔色悪いぞ、大丈夫か」

「・・・・・・あなたのせいなんですけどね」

「マジかよ私の体臭そんなにキツい? じゃあ風呂入るから手ぇ離してくれ。めっちゃ体洗ってくるから」

 

やはりそうなのか、と思いながら千雨は栞の読心から逃れるため軽口を叩くが、栞の指は逆に千雨の手を握る力を強めた。

 

「あなたは何者ですか」

「長谷川千雨、14歳」

「あなたの精神は、一体なんですか。どのような生まれならそんな形になるんですか」

 

どんな形だよ、と千雨は思う。そんな抽象的な話をされたって答えようがない。

それが栞にも分かったのだろう。自分の感覚を言語化できない歯がゆさに小さく唸り声をあげている。

そして、顔を上げた。まっすぐに、至近距離から見つめられる。涙の滲む瞳に見据えられて、精神の奥底に展開した電脳空間で千雨はわずかに怯んだ。もちろんそれを体に反映させたりしないが。

 

「私は、」

「ん?」

「私たちは、あなたを信じていいんですか?」

 

余計な反応をしないようにと意識しすぎて、千雨は体の動きを一切停止させてしまった。それは逆に、今の状態に心底驚いているかのような挙動だった。

 

「あなたが心を隠しているのはわかります。でも、それを知っているのは私だけです。ほかの誰にも言っていません。それは、あなたが世界再編魔法を実行できる能力を持っているのは事実だから」

 

栞は一瞬目を逸らしそうになるのを耐え、千雨の瞳を正面から直視し続ける。

そこから少しでも千雨の心を読み取ろうとしているかのように。

 

「もしあなたが本当に世界を変えてくれるつもりで、心を隠すのは全然別の理由であったら、フェイト様やデュナミス様と、いえ他のどのメンバーとも、対立させてしまうようなことを言いふらしても、全く意味がないどころか、黄昏の姫御子が見つからない以上計画の頓挫に繋がる」

 

逆に、と栞は唇を食いしばった。

 

「逆にあなたが鵬法璽の契約すらごまかせる術を持っていて、私たちをただ利用するだけで、世界再編魔法を行うつもりがないんだとしたら」

 

栞の唇が震えた。

 

「わからないんです。誰にも相談できないんです。相談したせいで、もしかしたら世界再編の唯一の手段であるあなたを失ってしまうかも、なんて思うと」

 

栞の両手で左手を包まれ、まるで祈るかのように、最後には頬に涙をこぼしながら栞は叫ぶように告げた。

 

「お願いですハセガワチサメさん。どうか約束してください。世界を救うって。もうこの世界に悲劇を生み出さないって!」

 

尊い祈りだと思う。美しい涙だと思う。左手を握る指の震えにこもる願いは、どれだけ強いのか千雨にはわからない。

それを間近で見せつけられて、千雨は小さく微笑み、ただ一言。

 

「任せろ」

 

見る人を安心させるような笑顔を外殻に作らせ、自分に対して激しい吐き気に襲われながら、千雨は堂々と嘘を吐いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話 テロとか不法入国とか(準備編)

この計画が私の全てだ。

言葉だけでは止まらない。

一体、誰の言葉だったろうか。覚えていないし、そいつが何をやらかすつもりだったのかもわからないけれど、とても共感できる言葉だと千雨はまどろみの中で思った。

 

自身の中にある記憶野の最適化のために、千雨は定期的に自身の意識をシャットダウンする。半覚醒状態のまどろみが千雨は好きだった。最適化を終えた一部だけで自我を無理やり起動させることで体感できるこれが。たまに自分でも予期しない、記憶野の奥底に沈んだ記憶の断片を想起してくれるから。

A組の連中の馬鹿騒ぎが。それを眺める綾瀬の溜息とバカばっかですという呟きが。騒ぎを静める委員長の張りのある声と、先生の泣き声と。

そんな記憶の泡方が次々と、次々と浮かんでは弾けて消えていく。

その中で、一際深いところから、一つの記憶が浮上した。

それは、ある意味で長谷川千雨の始まり。

ネギ・スプリングフィールドとの出逢いだ。

世界が嫌いで、伊達眼鏡で顔を覆って。自室に閉じこもって外界から自分を守って、ネットの世界こそが自分の居場所だなんて嘯いて。

そんな長谷川千雨の狭い世界に、何重にも張った壁なんて全て無視してズカズカと入り込んで。私の手を握って外に連れ出した。

そのあと裸に剥かれたけれど、A組の連中はからかいながらも気遣ってくれて。あれ以来A組と少しずつ打ち解けるようにもなって。

 

思い出した。言葉などでは止まらぬよ、と大きく啖呵を切ったのは、超だ。超鈴音。

なぜか彼女は、葉加瀬や古と会話する傍で自分にもよく話しかけてきた。A組の馬鹿騒ぎに胃を痛めていると、どこからともなくやってきて漢方やらハーブティやらを淹れてくれたのだった。

なぜあんなに気を使ってくれたのだろう、と今さらながらに思う。

茶々丸が長谷川千雨のパソコン技術について知っていたのも、もとは超から話を聞いたかららしいし、超がいなくなってからは茶々丸が千雨を外に引っぱり出したものだった。

未来から来たあの天才の気持ちなど、凡人たる長谷川千雨に慮ることなどできるはずもないが、それでも、止まれない意地と覚悟は理解できる気がする。

ここに来るまでに、長谷川千雨は多くの物を犠牲にしてきたのだ。

自分の魂も、葉加瀬の命も、ネギ・スプリングフィールドの生涯も台無しにして、今の自分がある。

幾つのものを、人を、心を、祈りを踏みにじってきたと思っている。

そうでないと進めなかったのだ。足の下に何が落ちているのか、あえて目を逸らしながら、はるか先のありもしない希望だけを見て、必死に足を前に、前に。

そうやって、先だけを見据えて進んできた千雨が、あらためて理解した。

歩を進めるその足の下には、無数の屍があるのだと。

こんな道を、歩き続けなければならないとい思うと足がすくむ。

歩くごとに悲鳴が、怨嗟が聞こえるのだ。常人が理性を保ったまま歩ける道程ではない。

世界を変えて。実体化モジュールによって電力依存の世界に変えて、この世界に生きる全ての存在から苦痛を消し去る。

そうすることで、ネギを英雄にさせない。

それがどれだけの人を、心を、思いを踏みにじる行為か、千雨はもちろんわかっている。その罪深さに目眩がする。足もすくみ、へたり込みそうになる。

それでも、止まるわけにはいかない。

だって長谷川千雨は約束したから。

必ず殺してやると。その存在を消してやると。

誰よりも頑張って、誰よりも耐え続けて、それなのに何一つ報われないまま、苦痛に塗れて終わった人生を無かったことにしてやると。

だから千雨は、何を犠牲にしようとも、止まるわけにはいかないのだ。

 

そうでなければ、葉加瀬も、『長谷川千雨』も、報われない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔法世界の中でも指折りの防壁も、『力の王笏』の前ではないも同然であった。

ゲートポートの警備ローテーション、見取り図、警報機の配線構造・・・・・・あらゆる情報が指先の動き一つで集まってくる。目の前で次々と極秘情報をかき集めていくその手腕に、監視についていた栞や焔は唖然とした。フェイトですら、それらの情報をまとめて提出したときは「おぉ・・・・・・」と小さく声を上げたほどである。

 

「これで、ゲートポートの破壊工作は数日中に実行できますね」

「そりゃ結構」

 

栞の言葉に千雨は目をそらす。どうにも居心地が悪い。

 

「正直我々にはそういった情報関係の人材がいませんでした。フェイト様一人で力押しできるから不要だったというのもありますが、効率が上がるに越したことはありません。お陰で本来の計画よりずっと早く始められますし、フェイト様の危険も減ります」

 

キラキラしている。

千雨を見る目がめっさキラキラしている。

そんな目で見ないでほしい、と千雨は切に願う。

私はお前を踏みにじる。お前の願いを、祈りを、エゴでもって台無しにする。

千雨の計画、世界を実体化モジュールで再構成することが叶えば、この世界の差別も、戦災も貧困も格差も、何一つ解決しないまま放置される。

ただ、ネギを英雄にしたくないというそれだけの理由で、栞の抱く願いを踏みにじるのだ。

 

「あ、それとですね。テロを実行する際は千雨さんも同行したほうがいいだろう、とフェイト様が仰ってました」

「あー」

 

ちなみに、千雨と栞はずっと手を繋いでいる。自身の潔白を証明するのに都合が良いため千雨は許可したが、正直精神的に辛いものがある。こんな精神攻撃をされるとは思っていなかった。まさか風呂まで一緒とは。

せめて名前呼びはやめて欲しい。もっとよそよそしく苗字でお願いしたい。

 

「千雨さんの電子精霊を操作する能力があればゲートポートの掌握は一瞬ですしね。報告書にありましたけど、遠隔操作でゲートの破壊はできないんでしたよね?」

「ああ。ネットワークから切り離されているからな。直接触れんことにはどうしようもない」

 

ゲートの転送に用いられる魔力は、魔法世界から旧世界へと流れる魔力の蓄積によって行われる。これが外部から制御された魔力インフラであれば今からでも2秒で12箇所同時に破壊してやれるのだが、ゲートポートは勝手に溜まるオドの蓄積量が一定になったときにゲートを解放する、ダムのような仕組みになっている。その制御はゲートポートの施設だけで間に合うため、制御系のシステムが外部とネットワークで繋がっていないオフラインだった。そのため、それを破壊するには直接出向かないといけないのだ。

 

「それでも、あれだけ大きな施設を触れただけで機能不全にできるなんて、やっぱり千雨さんはすごいです」

「・・・・・・どーも」

「そのときは私は留守番になってしまいますが、頑張ってくださいね」

 

ぎゅっと両手で千雨の手を握って、満面の笑みで栞は千雨を応援した。

突発的に死にたくなった。なんとなく天井を仰いで思う。

だれか助けて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エヴァンジェリン」

 

その日最後の授業を終え、エヴァンジェリンは茶々丸を連れて教室を出るところだった。

声をかけられ振り返れば、そこにはクラスメイトが一人、普段は見せない真剣な表情で立っていた。

 

「珍しいな、お前が私に声をかけるとは。先生方の監視があるんじゃないのか?」

「少しいいカ?」

「歩きながらならな」

 

超がエヴァンジェリンに並び、その僅か後ろを茶々丸が随行する。校舎を出れば、湿った空気が彼女の長い金髪にまとわりつく。空は厚い雲に覆われ、今にも降り出しそうだ。

 

「誰にも聞かれてないぞ」

「盗聴器の存在も確認できません、超」

「謝謝」

 

三人はほぼ口を動かさないままで会話する。

 

「ネギ坊主はどこネ?」

「気づいてたか」

「私だけじゃないヨ、龍宮サンと、あと委員長もちょと勘付いてるネ」

「すごいなあのショタコン・・・・・・」

 

エヴァンジェリンから見てもネギの式神は大したものである。会話や仕草の人間臭さは言うまでもなく、放散魔力を吸収する術式で魔力の香りが漏れるのを極限まで抑えている。龍宮のような特殊な魔眼でもなければ初見であれを見抜くことはできまい。実際学園長や高畑すら欺いて教職を続けているのだ。あの二人が式神を相手に会話している様はちょっと愉快だった。

というか、気づける委員長がおかしいのだ。

 

「あと多分長谷川サンも。不機嫌そうな顔でネギ坊主を睨んでるヨ」

「よく見てるな。私は気づかなかったぞ、長谷川の様子など」

「・・・・・・それで、どこにいるか知ってるネ?」

「私の家だ」

 

だろうな、と超は内心でうなづく。ダイオラマ魔法球を使っているのだろう。自分がいざ計画を実行する際には、ネギ・スプリングフィールドとその仲間たちを嵌めるトラップとして利用させてもらうつもりだ。

 

「何日ネ?」

「10」

 

超は目を見開いてエヴァンジェリンを見た。

エヴァンジェリンに弟子入りしてから、つまりネギが学校に来なくなってからすでに十日。

その間、ネギはダイオラマ魔法球に入りっぱなしだったということになる。

時間が24倍の速さで流れるその空間で十日間。ネギは240日分の修行をこなしたことになる。

ククク、とエヴァンジェリンが笑った。邪悪に頬を釣り上げて超に言う。

 

「見てみるか? ぼーやがどこまで堕ちたか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

巨大な腕が二本、肩甲骨から生えている。牙が伸び、額からは角が二本伸びている。肌の色は元は白であったのだろうが、その上を黒い渦がいくつも蠢いているように流動的に変化しており、纏う空気は禍々しいにもほどがある。ただでさえ『闇の魔法』は周囲に黒い威圧を与えるのに、そこに日本を代表する鬼を取り込んだのだからその重圧は見るもの全ての心臓を鷲掴みにせんばかりの重さがある。

頬はこけ、目は落ち窪み、その瞳にはまるで理性を感じられない。口の端から唾液を垂らして、周囲の全てに噛みつかんと暴れている。10歩の距離が開いていてもその威圧感に膝が折れそうになる。

なんだこれは。

それが超鈴音の感想だ。

これが未来の英雄か、と。

 

「あ〜、お久しぶりです〜」

 

エヴァンジェリンに話しかけたのは、メガネをかけた少女だ。ゴスロリ服に身を包み、四腕の獣を二本の刀で地面に縫い付けてその背に座っている。あの禍々しい怪物の上で、平然と挨拶を告げる少女の異常さに超は目を見張る。

 

「月詠、今どんな感じだ」

「大分抑え込めるようにはなってきたんですけど、まだどうしても『受け入れられない』みたいで〜」

「ふむ」

「受け入れちゃえば楽しいんですけどね〜」

「皆が皆お前のようなアホではない」

 

少女がエヴァンジェリンから一瞬だけ超に視線を向けた。

その目を見て超は察した。

彼女は壊れている。

ただ人を切ることにのみ己の存在理由を見出す外道。

そんな人斬りに、まるで路傍の石を見るかのような目で見られたのは、超にしてみれば幸運である。興味を持たれなくてよかったと。アレすごいめんどくさそうヨ。

月詠の狂気に触れて『めんどくさそう』で済むあたり超もまたある種の狂人であった。

 

「こんな獣と斬り合っても面白くありません」

「やはり無茶だったか。鬼の中でも悪鬼の類だしなこれは。しかしこいつの適性からいって一番強力なのはこれだしな」

「エヴァンジェリン」

「ん?」

 

超が問いかける。

 

「これは何ネ?」

「ぼーやが『闇の魔法』で両面宿儺を取り込んだ成れの果てだ」

 

鬼神の魂と精神を、魔法における魔力と術式に見立て、掌握する。

もちろんこれは両面宿儺が肉体を失い、信仰によって神格を得た鬼神だからできることで、存在を肉体に依存している普通の生物や妖魔には不可能だ。

言ってみればこれは降霊術や神降ろしに近い。霊が降りやすい体を作り、掌握した魂を兵装として纏うのだ。

両面宿儺によって作成した術式兵装を、ネギはそのまま『両面宿儺神(リョウメンスクナノカミ)』と呼んでいた。

 

「これは、戻るのカ?」

「さあな」

 

エヴァンジェリンは軽く肩をすくめた。

 

「このまま死んだらそれまでの男だったということ。死なず、完全な獣に身を堕とせば、まあこのまま飼ってやるのもいいな」

「・・・・・・無責任じゃないカ?」

「奴が選んだ道だ。親切にもリスクを説明してやった上でのな。選択は常に命がけで、前に進むのに対価を払うのは当然のことだ。違うか? 超鈴音」

 

超は、いつのまにか詰めていた息を吐いた。

どうも自分は、いつのまにか日和っていたらしい。暖かな時代で、暖かな生徒とバカをやっているうちに。

気を引き締めて超は思考を巡らす。

仮にここでネギ・スプリングフィールドが死ぬか、あるいはエヴァンジェリンのペットになったとして、果たして自分の計画にどんな影響があるか。

何もない。

自分の計画が成った場合、当然ネギにもその責は及ぶだろう。その規模の大きさからもしかしたら終身オコジョ刑もあるかもしれない。

オコジョ刑に処された人間は、1年ほどで精神に異常をきたすという。

ハムスターと同じような生育状況。食事は毎食味のしない固形飼料で、おがくずの足場に糞尿を垂れ流し。飼育箱は全面が鏡ばりで、目を開けているだけで自身の人間としてのアイデンティティを削っていく。初めの頃はオコジョの体に慣れず動くことすらままならず、しかも毎週のように奉仕活動として孤児院で子供の相手をしなければならない。オコジョから見れば巨人のように感じられる、人間の子供のだ。

そうした懲役を終え出所し、人間の体に戻ったとしても、その頃には歩き方や指の使い方、言語すら忘れてしまっている場合がほとんどだし、子供の笑い声を聞いただけで暴れるようになる。

たとえ自分の先祖であるネギ・スプリングフィールドがそうなってしまったとしても、超鈴音には果たさなくてはならない目的がある。

言ってみれば、年端もいかない少年が理性のない獣と化すこの状況は、超鈴音からすれば早いか遅いかの違いでしかないのだった。

 

「ま、ちょと残念だただけネ。いろいろと話したいこともあたヨ」

 

そもそも、ネギのことが気になったのも単なる感傷でしかないのだ。

ふ、と超は微かな笑みを見せた。その笑みの意味は、エヴァンジェリンにはわからない。しかし意識が僅かにネギから超に寄った。

その時である。

 

「あ」

 

月詠が僅かな驚きを含む声をあげた。

まさかタイミングを見計らったわけでもないだろうが、ネギが背中に乗っていた月詠を跳ね飛ばし、硬い石畳に縫い付けていた刀から肉体を引きちぎって拘束から脱した。

ネギの絶叫が魔法球全体を揺るがす。吹っ飛んだ月詠はあーれーとか言いながら強風に舞う木の葉のように転がっていく。

ネギが突っ込んで来る。持ち前の魔力と『闇の魔法』で強化された筋力の相乗効果で生み出された加速は余所見をしていたエヴァンジェリンの反応を僅かに上回った。

エヴァンジェリンは『断罪の剣』を瞬時に起動し、ネギを串刺しにして動きを止めようと図る。あと一瞬早ければネギの腹を貫いていただろうそれを、ネギは右の背腕を犠牲にするだけでエヴァンジェリンの脇をすり抜けていった。

ネギが超に迫る。

構えをとれただけでも超の積んだ功夫が透けて見える。

とはいえそれだけだ。超はたしかに天才ではあるが、目の前で突然展開される圧倒的暴力に対抗する手段などない。パワードスーツは制服の中に着込んでいるが、ステータスに差があり過ぎる。技術や工夫でどうにかなる範疇を超えている。

超が計画を立てるうえで、心の中に一つの私的な願望があった。

もし、この計画の前に立ちふさがる存在がいるとしたら。この時代を代表する宿敵として名乗りをあげる誰かがいるとしたら。それはネギ・スプリングフィールドであってほしい。

そんな誰にも明かしていないささやかな望みがこんな形で成就してしまうなんて。

超は自分の天命を感じながら、迫るネギの鋭い爪を見つめた。自分を止めるそれを最後まで見届けようと肉体の反射をねじ伏せて目を開き続けた。

その爪が止まった。

爪は額の薄皮一枚貫いて、一筋の血が超の形のいい鼻の横を通っていく。

 

「ネギ坊主?」

「ぼーや?」

 

突然の急制動に困惑しながら声をかけるが、ネギはうめき声を上げるだけで反応を見せない。

真正面にいる超だけが気付けた。ネギの目に僅かな理性と、大きな恐怖が宿っているのを。

怯えた子供の目だ。

超はこれと似たような目を、その過酷な人生のなかで何度も見てきた。戦場で逃げ遅れた少年が、粗野な傭兵団に連行される少女が、銃を片手に突撃を強要される少年兵が。

見飽きるほど見てきて、それら全てに情けなどかけなかった。助ける余裕などあるはずもない。いくつもの救いを求める人たちを踏みにじってきた。

でも、今はこの小さな少年を、助けることができるのではないか。

それは偽善というより、人体が持つ反射のように。

ボールが飛んできたらとっさに腕で顔を守るように。

階段から落ちそうになる赤子を見て思わず手を伸ばすように。

超はネギの体を抱きしめた。

 

 

 

そのまま長い沈黙が続いて、

 

「・・・・・・目的を、思い出したんです」

 

ネギが、囁くように言った。

 

「破壊したいわけじゃなかった。それなのに、僕の心には、周囲の敵を全て殺してしまえばいいなんて思っている自分がいました。復讐が僕の根幹に根付いてしまっていた」

 

それは当然のことだろう、超とエヴァンジェリンは思う。ネギのたった10年かそこらの人生は理不尽に満ちていた。明確な誰かではなく、英雄の息子として生まれてしまったが故に生じた周囲の環境全てが理不尽の構成要素なのだ。それ故に発散できない怒りはいつまでも心の中で澱となって積み重なって、いつか来る復讐の時を待っているのだ。

 

「こんな感情を持つ自分なんて千雨さんに嫌われてしまうかも。そんなことを思ってしまって、忌避感がどうしても消えませんでした。千雨さんの隣に立つには綺麗な自分でないといけないって。そうでないと資格がないって。だって千雨さんは強くてカッコよくて素晴らしい人だから」

 

女に夢見すぎネ、と超は思った。

恋する乙女かなんかかこいつは、とエヴァンジェリンは思った。

千雨ってどちらさんどす? といつのまにか復活していた月詠がエヴァンジェリンの後ろで首を傾げた。

 

「でも、思い出したんです。僕は千雨さんを守りたいんだって。嫌われるかもとか、嫌がられるかも、なんて。そんなことに拘って立ち止まっているわけにはいかない」

 

ネギは超から体を離し、超のしなやかな両肩を掴んだ。ネギの顔つきは、体がエヴァンジェリンのものに近づいたからだろうか、先まで見せていた死体のごとき不健康さはなりを潜め、もとの愛らしさと新たに得た精悍さを兼ね備えたものに変わっていた。

そんな顔が至近距離で微笑みながら、

 

「千雨さんを守る。そのために僕は頑張ってきたんだから」

「・・・・・・まるで私に告白するような体勢でなに惚けてるネ」

「え、あ、いやこれは!」

 

あばばばと慌てるネギは、麻帆良に来た当初のものと変わりがない。それを微笑ましく眺めていると、その後ろからエヴァンジェリンが近づいてきた。

 

「おいぼーや」

「は、はいマスター」

「どうやら答えを得たようだな。だが貴様の属性や相性から考えて、『両面宿儺神』はまだ暴走の危険がある。十分に気をつけろ」

「はい!」

「あと、なぜ長谷川千雨を思い出した? このタイミングで。貴様の芯にはあの女がいるようだが、ここで思い出すきっかけはなんだ」

 

エヴァンジェリンに問われ、ネギは照れくさそうに超を見た。

え、嘘ご先祖様に惚れられるとか古い映画で見たネ、と超は思うもそれはネギの言葉ですぐ否定された。

 

「超さんから、少しだけ、千雨さんと同じ匂いがしたんです」

 

何代前の話ネ、と超は呆れた。

良い壊れ方ですえ〜、と月詠は頬を染め、これ千雨への依存をこじらせただけじゃないかな、とエヴァンジェリンは顔をしかめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、とエヴァンジェリンは声をかけた。

魔法球から出たネギたちは、エヴァンジェリン邸のリビングで茶々丸に用意させた紅茶とクッキーを飲み食いしながら会話をしていた。

 

「ぼーや、お前『闇の魔法』の制御のほかにも何か研究していただろう。あれはなんだ?」

「はい。千雨さんを探す術式の開発をしていました」

「ストーカー一歩手前じゃないですか〜」

 

違いますよ! とネギは月詠の言葉を否定するが、魔法で女の子を追跡しちゃうあたりどう見てもストーカーである。

 

「というか、千雨さんは普通に寮にいるヨ? わざわざそんなハイスペックストーキングなんてしなくても」

「いやそっちじゃないぞ超。長谷川千雨は二人いるんだ」

「どういうことネ?」

 

その問いにはネギが答えた。停電の夜から修学旅行での出来事までを超に説明していく。

 

「結局、もう一人の千雨さんが何者なのかはわからないままなんです」

「ちなみにこっちのはそのとき京都で敵側について桜咲刹那と戦っていた傭兵だ」

「あ、そういえば自己紹介もしてませんでしたね〜」

「そうネ。私は超鈴音、未来から来た火星人ね。魔法も使えるよ。寿命と引き換えに放つ『燃える天空』がロマンに溢れてお気に入りネ」

「祝月詠言います〜、言うてもこの名前は世襲制なんで本名とは言えないんですけど」

「祝家は青山家の分家だったか」

「分家と言うには関わりが薄すぎるんですけどね〜」

 

渾身のネタ兼驚愕の伏線をスルーされて寂しく思いながら超は考える。

もう一人の長谷川千雨。魔法に通じ、エヴァンジェリン本人も忘れていた『闇の魔法』を扱えて、何より茶々丸に見せたあの技能。この時代には存在しない量子コンピューターに関する深い知識がなければできない芸当だ。

 

「予想通りと言えば予想通り、カ」

「え?」

「なんでもないヨ」

 

超はごまかしながら紅茶を口に含んだ。

 

「それで、そのもう一人のヒーローぽい千雨さんをどうやって探すヨ?」

「これを使います」

 

ネギが取り出したのは仮契約カードだった。

 

「それの召喚機能はもう試しただろう」

「これに陰陽道の技術を融合させます」

 

仮契約カードの機能は担い手によらず画一的だ。一方で陰陽道にて扱われる呪術は術師の技量によって距離も威力も変化する。

今回ネギが千雨の捜索に利用するのは、護符などに用いられる感染呪術理論である。

感染呪術とはつまり一つであったもの同士は距離が離れても相互に影響し合う、という理屈である。お守りに妻の髪を入れたり、あるいは丑の刻参りで使う藁人形に対象の髪を入れたりするあれである。

 

「このカードも元は一枚から二つに分岐させたものですし、何よりこれは千雨さんとパスが繋がっています。それを軸に捜索用の術式を組んで、理論上僕の魔力なら地球全土をカバーできます」

 

ネギは説明しながらテーブルに置いた紙に魔法陣を刻んでいく。インクに使うのは当然のようにネギの血だ。

 

「いきます」

 

魔法陣が発光し、その中心に置かれたカードが震える。それが10秒ほど続いて、発光は突然止んだ。

 

「あ、あれ?」

「どうした」

「いえ、反応しないんです。ちょ、ちょっともう一度」

 

何度繰り返しても結果は変わらない。地球規模で千雨をストーキングする、ネギの才能と執念を存分に注ぎ込んだ術式で千雨を見つけられない。

 

「どういう、ことでしょう」

「ふぅむ? 死んでいるわけでもなし。術式は私から見ても見事なものだが」

「・・・・・・あー」

 

ネギとエヴァンジェリンが悩む傍、超が何かに気づいた。

 

「どうした」

「何かわかったんですか?」

「いや、これ。あーつまりヨ、千雨さんは火・・・・・・魔法世界にいるね」

「魔法世界、てなんですか〜?」

「ここ地球とは異なる異界だ。なるほど、ぼーやの術式も次元を隔ててしまえば繋がらないか」

 

嫌な予感がする。

超は科学者として当然数字と統計を重視するし、測定された数値の評価に感情を紛れさせるようなことはしない。それでも多くの数字と理論を見比べていくうちに、経験則からくる予感やなんとなくといった感覚もバカにできないと統計上理解していた。

もう一人の長谷川千雨は未来人である。

わざわざ時間を移動して来たのだ、まさか観光というわけでもあるまい。間違いなく彼女は、なんらかの目的のためにこの時代に来たのだ。

 

「なぜそんなところにいるんでしょう?」

「奴らから身を隠すために魔法世界に逃げ込んだか」

「もしかしたら、フェイトはんに拉致されたのかも〜」

 

月詠に煽られ、ネギの思考が加速する。

逃走か拉致か、どちらにしても千雨の安全が脅かされているのは間違いない。怯えながら暗闇に潜んでいるかもしれないし、あるいは隙間風の入り込む牢獄で空腹と寒さと孤独に身を震わせているかもしれない。フェイトが無表情で千雨に拷問しているところを想像して頭に血がのぼる。あるいは治安の悪い地域に入り込み、むくつけき男どもに捕まってしまってあんなことやこんなことが

 

「行ってきます!」

「行き方わかっているのか貴様」

「あー、ネギ坊主落ち着くネ。今までの反動なのかテンション高すぎネ」

 

今にも箒で飛び出していきそうなネギをエヴァンジェリンが紐で椅子に固定し、超が話を進める。

 

「離してください、今にも千雨さんがジャングルで服だけ溶かす粘液を分泌する触手生物に襲われているかもしれないのに!」

「だからといってどこに行く気ネ。安心するネ、魔法世界への行き方は私が知てるヨ」

「本当ですか!」

「もちろんヨ。茶々丸、この時期で一番早いゲート解放はいつネ?」

「三日後、オーストラリアのエアーズロックにあるゲートです」

 

茶々丸はノータイムで答えた。

 

「そんなところにあるんですか」

「じゃあそれで行こうカ。ほれさっさと準備するネ。時は金なりヨ」

「はい!」

 

椅子に縛られたまま指輪型の魔法発動体を使って宙を飛んでいったネギを見送り、超はエヴァンジェリンに向き合った。

 

「エヴァンジェリン、相談があるヨ」

「なんだ? 言っておくが私は行かんぞ。もう子守が必要なアマちゃんではないだろう、ぼーやは」

「そうカ。それはむしろ都合が良いネ」

 

ん? とエヴァンジェリンは首を傾げる。

 

「私はネギ坊主について魔法世界に行くヨ」

「なぜだ? 長谷川千雨については貴様は無関係だろう」

「・・・・・・魔法世界で、必ず何かが起こるネ。恐らくは、世界全体に影響するような何かヨ」

「なぜそんなことがわかる。貴様、長谷川千雨の何を知った?」

「言えないネ、まだ。あえて言うなら勘ネ」

 

しばし睨み合う。空気が軋む。重苦しい雰囲気の中で、月詠が残されたネギの分のクッキーを食べる咀嚼音だけが響く。

 

「月詠、バリボリうるさい」

「おかまいなく〜」

「かまうわアホが」

 

はあ、とため息をついてエヴァンジェリンが先に折れた。真面目にやるのがアホらしくなったのだろう。

 

「で? さっき言った『都合がいい』とはなんだ」

「・・・・・・明日菜さんのことネ」

「神楽坂のことか? あのバカがどうした」

「狙われる可能性があるヨ」

 

エヴァンジェリンの目つきが変わる。

 

「ほう? それは、この私の目をかいくぐって、か?」

「手段は不明でも、確かな情報ネ。とある目的のために拉致されるかもしれない、と」

「詳しいことを言う気はないか。まあいいさ。どうせ麻帆良の警備もいまや私の仕事だ」

「謝謝」

 

ふん、と興味を無くしたようにエヴァンジェリンは再び紅茶を口に運んだ。クッキーはすでに月詠の手で全滅していた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話 テロとか不法入国とか(実行編)

超鈴音は一葉の写真を眺めていた。

閉じたカーテンの隙間から入る朝日だけを光源とする薄暗い部屋で、自身のベッドに三角座りになっている。

そこに写るのは、1組の男女。純白の衣装に身を包んだ、幸福に溢れた結婚式の写真だ。

左に立つ赤い髪の青年はネギ・スプリングフィールド。自身の知る未来でも英雄として知られる男である。

その隣に立つ花嫁。

青年の左腕を遠慮がちにとるメガネの女性の名前を、超はこの時代に来るまで知らなかった。

多くの記録映像が残されていたネギとは違い、その伴侶の名前は歴史の闇に秘匿され、おそらく知るものは一人もいなかったに違いない。

しかし超家だけは、スプリングフィールドの末裔である自分だけは、かろうじてその存在を知るヒントを得ることができた。それが、今超が見つめている写真である。

もちろん名前が書いてあるわけではない。

どんな人物だったのか、その写真から想像することしかできない。

花婿の隣に立っているのに、不貞腐れたような顔で、目を逸らしながらもその腕にかける右手を外そうとはしていないし、こうして正面から堂々と写真を撮らせている。きっとこの少女はへそ曲がりで、素直じゃなくて、喜びをそのまま表現することに慣れておらず、でもその芯に一本筋の通った気の強そうな眼差しを持つ女性で・・・・・・そんな妄想が幼い頃の超の脳を走ったものだった。

この時代に来て、A組に配属され、長谷川千雨を見たときの衝撃は筆舌に尽くし難い。写真の女性をそのまま幼くした、中学生の段階ですでに可愛いというよりきれいと表現される容貌。ある種歴史のブラックボックスとも言える謎の答えがいきなり超の前に現れたのだ。不貞腐れたような顔で、伊達眼鏡とイヤホンで外界を遮断しケータイを弄っている。

あれが、伝説の英雄の心を射止めた伴侶。

そして、自分の祖先。

その人となりを知りたくなるのは当然のことで、超は折につけて千雨との接触を図った。

そうして2年強の観察の結果、長谷川千雨という少女は、特筆することのない普通の少女だった。

へそ曲がりで、素直じゃなくて、感情をそのまま表現することに慣れていない、妄想した通りの少女だった。

そんな先入観から、長谷川千雨がもう一人いるという情報を聞いた時、1つのある可能性に気づくのが遅れた。

もう一人の長谷川千雨がどのような存在なのか。超にとってもっとも都合のいいのは、数十年先の長谷川千雨がこの時代に移動し、年齢詐称薬で若返りこの時代の長谷川千雨と入れ替わった、というものだ。

この場合はどうということはない。たとえ『力の王笏』の担い手であっても、そこからさらに未来の情報技術と茶々丸がこちらにはある。すでに茶々丸の搭載する量子コンピューターにはハッキング対策の防壁を設置してある。対等以上に渡り合えるはずだ。

しかし。

超は写真に写る千雨の顔を撫でた。

最も恐ろしい可能性が超の脳裏を巡る。もう一人いるという長谷川千雨が、あらゆる時間に存在できるような、時間移動を自在に操る存在である可能性。もしかしたら、自分の知る未来において様々な時間軸で起きた『力の王笏』の担い手によるテロ事件は、すべて彼女の仕業なのではないか。自分が持つ技術よりさらに先の技術を持っているのではないか。

つまり、もう一人の長谷川千雨が、あの悪名高き『電子の魔王』であるという可能性。

戦場を敵味方問わず蹂躙し、魔導式兵装の悉くを無力化し。サイボーグテロリスト集団を容赦なく発狂させ。大量破壊兵器の開発を目論む国家を、その兵器を暴走させて国民まるごと蒸発させたこともある。入院中のある要人を殺害するために医療衛星をまるごと機能停止させ衛星軌道から叩き出したとか。23世紀初頭に起きた数十万人を分子レベルに分解したナノマシン暴走テロ『夕闇事件』すら『電子の魔王』の仕業であるという情報もある。

愉快犯というには大掛かりで、義賊というには分別がなさすぎる。これら『電子の魔王』が起こしたとされる事件を羅列すると、そこからは子供じみた八つ当たりのような計画性のなさが見て取れる。目障りな石ころを軽く蹴り飛ばしたような、そんな印象。

果たして自分は、あの歴史に名を刻むテロリスト相手にどこまで通用するのか。

超は大きく息を吸って、吐いた。

とはいえ、これはあくまでも可能性の1つに過ぎない。慎重になり過ぎて自縄自縛などマヌケの極みだ。

まずは情報を得る必要がある。

その結果敵対することになるかもしれない、あるいは手を取り合えるかもしれない。友好的に接するべきか、不安要素の排除を目的に動くべきか。

全ては、もう一人の未来人が何のためにここに来たのか、にかかっている。

なぜ過去に来たのか。なぜ魔法世界にいるのか。どんな手段で、何を代償に、何を成そうとしているのか。

それを見極めなくてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すでに桜の旬は過ぎて久しく、見上げればその枝には青々とした葉が風に揺れ、強い陽光を優しく遮っていた。

一本の大きな桜とともに、丘の上から麻帆良を一望する。

麻帆良中等部の校舎では、ネギの式神がクラスメートと馬鹿騒ぎしている様子が見えた。

長谷川千雨もそこにいる。ネギの式神はオートで動いているが、本体の意識を多少なりとも継承しているのだろう、随分と千雨に対して積極的になっている。生徒に構い倒されて、ズボンまで剥ぎ取られて、泣きながら千雨に助けを求めて。それを千雨は渋々といった態度でネギを背中に庇いながらクラスメイトに軽く説教してズボンを取り返した。お礼を言えば千雨に頭を軽く撫でられてネギは頬を赤くしている。

暖かな時間だと思う。

夢のような日々だ。

でも、とネギは思う。

彼女は自分が求める長谷川千雨ではなく、あそこにいるネギ・スプリングフィールドは偽物である。

別物なのだ。

何より、今の自分にあの中に入る資格はあるのか。人間を辞めつつある自分に。存在するだけで周囲を危険に巻き込む自分に。

人間を辞めたことに後悔はない。

長谷川千雨を守るためならなんでもする。

式神と生徒たちの声を聞きながら、ネギは麻帆良から視線を切る。踵を返し、歩いて行くその後ろ姿は、決別の意志を強く感じさせた。

 

「行くカ、ネギ坊主」

「はい」

 

もう振り返らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

オーストラリアに設置されているゲートへの道すがら、超とネギは情報交換をしていた。

 

「ネギ坊主は魔法世界では有名ネ。魔法世界に向かうとなれば、あらゆる存在に付け回されることになるヨ」

「はい」

「それが千雨さんを狙う奴らだったら目も当てられない、警戒させてしまう。だから、公式にはずっと麻帆良にいることにして、私たちはこっそり密入国ネ」

「はい」

「だからなるべく渡航客の多い便を選んで混ざる必要があるネ。1番早い便に乗れなかったのは申し訳ないと思うガ、これは必要な処置ヨ」

「わかってます。この件については超さんに一任します」

 

密入国のノウハウは任せるヨ、と超は自信満々に微笑んだ。

歩く人影は4つ。ネギと超、加えて茶々丸と月詠だ。

ネギは自分ひとりで魔法世界に乗り込むつもりだったが、そこにまず超が加わり、超の要請で茶々丸も参加。対して月詠は、完全に趣味で参加した。

京都で月詠を蹴り飛ばしたエヴァンジェリンは、彼女が着こなす服の趣味に興味を持った。月詠のおっとりとした雰囲気とタレ目にそのロリータファッションは良く似合っており、湖畔でネギと情報交換を終えたエヴァンジェリンは自身の蹴りで気絶していた月詠を山賊よろしく肩に担いで連れ帰ったのだ。で、月詠とエヴァンジェリンは意気投合した。話をするうちにこんな服を着てみたい、という話になり。月詠がファッションデザイナーとしての意外な才能を見せ、デザインされた服をエヴァンジェリンが得意の繰糸術で作り上げる、というラインができあがった。

そんな月詠は今、黒を基調としたゴスロリ服に身を包み、その腰には二本の刀が下げられている。それらの刀は600年前からチャチャゼロによって多くの騎士や魔法使い、魔物や果てには魔族の血を吸い、魔力密度の高い別荘内にこの15年放置されていた代物だ。

エヴァンジェリンもその存在を忘れていたが、別荘で15年ということは24倍して360年。その間にこれらの刀は魔力を存分に吸い上げ、刀身に含まれる数多の血と混ざり合い、ついには時折奇声をあげる立派な妖刀と化した。

それらを使ってこれまた人斬り談義で気が合ったチャチャゼロと切り結んでいたのだが、やはり月詠としては人を斬りたいわけで。別荘の中で色々な技を身につけるとともに溜まる欲求不満で悶々としていると、あのいい目をした少年が魔法世界なる場所に行くという。

フェイトに興味はないが、この少年には敵が多いらしいし、ついていけば新しく手に入れた妖刀やこっそり手に入れた隠し球の試し切りがてら人を斬ることができるかもしれない。

斬りたい人がいなくても、最悪この少年を斬れば面白そうだ。

そんな思惑を胸に秘め、ニヤニヤハアハアと横目でネギを眺めながら、月詠も魔法世界に行くことにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テロなど慣れたものである。

かつて情報生命体となってからははっちゃけて暴れまわり、ついには『電子の魔王』などと呼ばれるようになった。昔取った杵柄とでも言うのか、情報を収集してからの具体的なテロ計画にも千雨は口を出し、『完全なる世界』の面々からある程度の信頼を得ることができたと千雨は思う。

お陰で、前回よりかなり早めにゲートポート破壊が実行されようとしている。

前回は夏休みに入ってからだったから、二ヶ月は早い。これなら、ネギが魔法世界に来る手段はない。可能性があるとすれば世界再編魔法の最終段階で麻帆良と繋がってしまうあの瞬間だ。すでにゲートの制御システムは掌握している。あとはタイミングを合わせて千雨がソフトを、『完全なる世界』の連中がハードを同時に破壊すればいい。そうすれば繋がりは完全に絶たれ、ネギや高畑、龍宮などというチート連中をこちらに呼び寄せることができなくなる。

実体化モジュールによる世界の書き換えを、千雨は学園祭より前、超がネギにある種の覚悟を与えるより先に完了させなくてはならない。そうすれば超の計画はネギが戦うまでもなく失敗に終わる。しかしそれは同時に、超がこの時間軸に存在する間に計画を実行しなければならないというリスクを負うということだ。

もし超が火星の異変に気づけば、魔法世界に介入してくる可能性があるのだ。それを潰すためゲートはきっちり潰す。アリの一匹もこちらに入ってこれないくらい完全に。

自分も、もう麻帆良に戻れなくなる。

 

ーーあいつは麻帆良で楽しくやっているだろうか。

 

ふいに、そんなことを思った。

メガロメセンブリアの庇護がなくては、ネギはまともに生きられない。その血筋が一般的な人生を許してくれない。

一般的からはかけ離れていても、せめて平穏な人生を送れるように。英雄としてではなく、人として生きて、人として安らかに死ねるように。

それだけが、『長谷川千雨』の願いだ。

 

 

監視カメラの映像をリアルタイムで改竄しながら、千雨はフェイトとともに人目につかない物陰に隠れている。潜入にあたって1番厄介なのは肉眼による目視だ。もう少し時代が進めば、監視や警備などの職に着く人間は皆視覚強化や迷彩看破、チャット通信を行う人工の魔眼を移植する時代が来る。その時代では千雨は周囲の魔眼を全てハックして透明人間になることができたのだが、現代ではそうも行かない。どいつもこいつも生の眼球で目視してくるものだから、千雨のメガネやフェイトが纏うフードに認識阻害の効果をわざわざ付加してもらった。

大小様々な赤褐色の石柱が歪なサークルを描く祭壇を、千雨はフロア一つ高い位置にある到着ロビーから睥睨する。その傍にはフェイトが相変わらずの無表情で佇んでいる。ただそこにいるだけでとんでもない威圧感が漏れている。

つーかこいつ私だけに威圧を向けてんじゃねーか?

周りの通路を歩く客は特に何も反応していないから多分そういうことなのだろう。

自身の気配に指向性を持たせるとか、無駄に器用に脅してくるのはやめてほしいと千雨は思う。基本的にビビりな千雨は先から冷や汗が止まらない、すぐ隣にいるフェイトに視線を向けることすら怖くてできない。先日までは情報収集という自身の役割を楯に、周りの人間を巻き込んで対等なやりとりを演じてきたが、こうして外的要因ゼロのガチタイマンだと途端にヘタレてしまうのだった。

会話もろくに無いため、千雨は仕方なく眼下に設置されているゲートを眺めた。

もっとも監視が緩くなるのは、ゲートが開いた直後。警備員として働く魔法使いが中に不審人物が紛れていないかを監視カメラと肉眼の両方で確認する。もしいれば周囲で張っている魔法使いが袋叩きにするという形だ。

 

「準備はいいかな」

「いつでも」

 

ゲート管理局のデータにアクセスし、次の便がここ一週間で最も渡航客が多い。正直客数人程度の違いならフェイトと自分の前では誤差でしか無いのだが、万全を期すため、より混乱を起こしやすいその便を狙うことになった。

その便が開く瞬間が近づいている。立ち並ぶ石柱に光が宿り、徐々に発光が強くなっていく。広い円盤状の足場に刻まれた魔法陣が回転し、魔力が術式に注がれていく。魔力光がついに魔法陣から溢れ、天を穿つ柱となって数秒。魔力の減衰とともに柱は細まり、その中から数百人の渡航客が現れた。

その中心にいる小さな姿を認めて、千雨の体が凍りついた。

ありえない。ゲート管理局の利用客名簿には目を通した。その中には奴の名前などなかったと確信を持って言えるし、今調べ直してみてもその名前は見つけられない。

それにも関わらず、千雨の視線の先には、最も避けたかった、考えうる限り最悪の光景があった。

 

ネギ・スプリングフィールドが、超鈴音とともにいる。

 

 

 

 

ネギが視線を上げた。その目の下には色濃い隈が浮かんでいるし、頬もわずかにコケている。一週間徹夜してもここまでにはならないという有様だが、それでも少年の親譲りの整った顔立ちと愛らしさは損なわれていない。

心なしか、京都にいた頃より顔や瞳の色が戻っているように思える。

そのネギの目が、千雨を捉えた。

千雨は、全く身動きが取れなかった。

二人の視線が交差する。

ネギにとってもこの再会があまりにも予想外であったが、彼は千雨の姿を認めてほんの数秒で動き出した。

表情が驚愕から歓喜へと変わり、瞬動で一気に千雨までの距離を詰めた。

ネギと対峙する。彼我の距離は2メートルといったところで、ネギは歩を止めた。

 

「千雨さん」

「なんでここにいる」

 

思った以上に冷たい声が出た。

 

「あなたを探しにきました」

「意味わかんねーよ」

 

探す必要なんてないはずだろう。麻帆良には同じ存在がいるのだから。同じ精神を持って、同じことを考える、同じ外見をした無傷で汚れていない長谷川千雨が。

そもそもどうして『長谷川千雨』が二人いることに気がついた。

 

「長谷川千雨は、麻帆良にいるだろうが! なんでこっちに来るんだよ! しかもその腕」

 

千雨の目をまっすぐに見つめるネギの両腕には、『闇き夜の紋様』が刻まれていた。

それは、『闇の魔法』の習得の証。

人の理から外れ、闇の住人として生きることを強いる禁忌の外法。

どうして。

千雨は混乱する頭で思う。

私を探しに来ただと。そんなことのために、お前は人間を辞めたのか。

ふざけんな。

私が今までやってきたことは全部無駄か。

 

「なんで、人間やめてんだよ・・・・・・」

 

ネギが人として生きて、人として安らかに死ねるように。そのために今までやってきたのに。

か細く呟かれた千雨の言葉は、ネギの耳に届いていた。千雨の動揺する様に困惑しながらも、ネギはその暗い瞳をしっかりと千雨に向けて告げる。

 

「僕はあなたを・・・・・・僕のために戦ってくれたあなたを守る力が欲しかったから」

 

意味がわからない。あの程度のことなんて誰でもできるだろう。本来は神楽坂明日菜の役割で、その後もお前はのほほんと過ごしていたじゃないか。神楽坂のために人間をやめるほど思いつめてなどいなかったじゃないか。前回お前が『闇の魔法』を求めたのも、神楽坂のためではなかっただろう。

私は、仮契約をするためにその代役をしただけだ。しかもその後お前の前には無傷の長谷川千雨がいたじゃないか。ちょっと戦って、なんの後遺症も無く生きている長谷川千雨が目の前にいたのに、何をそんなに、人間を辞めるほどの借りを感じているんだ。

 

「麻帆良に、長谷川千雨はいるじゃねーかよ・・・・・・」

「でも、あの長谷川さんは、あなたとは違うから、だから・・・・・・」

 

ネギから告げられた言葉は、この『長谷川千雨』を構成する人工知能に大きな衝撃を与えた。

このプログラムは、自分を『長谷川千雨』であると定義することで機能しているのだ。そこを違えれば自己同一性の認識に支障を来たすことになる。

自分と、あの長谷川千雨は違うと、ネギ・スプリングフィールドは言う。最愛の人の顔と声で。

そんなに、自分と『長谷川千雨』は違うのか。

ここにいる私は、長谷川千雨とは別の存在とでも言うのか。

 

 

 

「じゃあ私は誰なんだよ」

 

 

 

私は何だ。長谷川千雨ではないここにいるこれは一体なんだ。

違う、そうじゃない。ネギの言いたいことはそういうことじゃない。確かに長谷川千雨は2つ存在していて、そのうちの片方だけがネギのために戦ったのだから、それらが別個に存在していると知れば別人と認識するだろう。

当たり前のことだ。

それが分かっていても、ネギの口から、『長谷川千雨』と別人と言われることは、余りにも耐え難い。

千雨は両手で顔を覆い、皮膚に爪をたてた。電力から実体化されている肉体からは血が出なかった。

人間としての自分が揺らいでいる。

頭が痛い。

精神が根元から崩れ落ちそうな感覚。

元々子供のような屁理屈で自分を維持していたのだ。精神データを少しづつ移譲して、連続しているから本人だ、だなんて。

別物に決まっているのだ。肉と魂で構成された人間と、電力とプログラムで動く自分では。

私という存在は『長谷川千雨』にはなり得ない。

じゃあ、私はなんだ。

考えるな。思考を止めろ。思考回路の一部を強制断線。思考を進めるな。これ以上考えれば。

自我が崩壊してしまう。

 

「千雨さ、」

「うるさい」

 

口を開くな。なんの苦しみも背負っていない子供が、あいつと同じ顔で『長谷川千雨』の名前を呼ぶな。

お前は別人だろう。別のネギ・スプリングフィールドだ。だからこいつの言葉に価値なんてない。だから、黙れ。これ以上私を混乱させないでくれ。

 

「ぼ、僕は、千雨さんが、フェイトに狙われるかもしれなくて・・・・・・それで」

「帰れよ! 私は自分であいつに、」

 

こいつと、こいつが連れてきた超鈴音を麻帆良に帰さなければならない。しかしどうやって。まだゲートは繋がっているが、魔力の補充はゲート管制局が握っている。ここではゲートの術式しか弄れないし、魔力そのものがしばらくこの魔法陣付近では枯渇状態なのだ。『力の王笏』があろうとも無いものはどうしようもない。

 

「時間だよ」

 

完全に参ってしまっている千雨の耳に、無慈悲で無感情な声が届く。

 

「警備員たちの監視が全て客に向いた。もう時間がないよ」

 

フェイトが千雨の背後から肩を叩いた。契約相手であるフェイトが一言催促することで、鵬法璽の契約が効力を発揮し、千雨が果たすべき義務を強制的に遂行させようとする。それが実行困難なことであれば実行されるまでにラグが発生し、その隙に『力の王笏』で鵬法璽の契約を自身の魂から削除することもできただろう。しかし不幸なことに、千雨にとってゲートポートの転移システムを破壊し尽くすことは呼吸するよりも簡単なことだった。

一瞬で、ゲートポートの転移陣とその制御システム、魔力供給路と吸魔力ポンプ、監視システムに通報装置等あらゆる機能が再現不可能なまでに木っ端微塵になった。

 

「フェイト・・・・・・!」

 

フェイトを前にしてネギが構えをとる。月詠直伝のその構えは重心が高く、両の掌に魔力を巡らせるそれは中国拳法とはまた異なっていて、千雨には見覚えがない。

 

「何かな、ネギ・スプリングフィールド」

「千雨さんを返せ」

 

ふん、とフェイトは鼻で笑った。次の瞬間にはその姿が搔き消え、千雨の前に躍り出てネギの腹部に足刀を入れた。

それを両腕をクロスさせて受けるが、魔法発動体がまだ預けたままだったため身体強化が不十分であったネギの体は来た軌跡を逆戻りするように吹っ飛んだ。それを茶々丸が受け止め、超と月詠が追撃を牽制するため前に出る。その様子をフェイトは上段から冷徹に見下ろす。

 

「君は、大きな勘違いをしている」

「何のこ、と・・・・・・」

 

ネギが叫ぶも、その声は途中でかき消される。右手を軽く上げたフェイトのさらに上空。吹き抜けとなっているゲートポートの大きな天窓から、幾本もの巨大な石の柱が降り注いできたからだ。

『冥府の石柱』。正六角柱の石の塊で、莫大な質量を持つ魔法構造体を対象にぶつけるというシンプルな魔法である。普通の術者であれば200キログラムの質量を生み出せればいい方だが、フェイトの手にかかればそれは比べるのもバカらしくなるほどの質量が生み出され、それの落下により生まれる運動エネルギーは直撃すれば大抵の魔法的防御も無慈悲に押しつぶす。

そんなものがいきなり陽光を遮るように頭上に現れ、ゲートポートはパニックに陥った。客が多い便であったこともパニックに拍車をかけていただろう。

そんな状況の中で、決して大きくないはずのフェイトの声は明瞭にネギの耳に届いた。

 

「長谷川千雨は自分からぼくたちに接触し、自ら進んでこの作戦に協力してくれているんだよ」

 

石柱の群れが落ちる。ゲートポートの建物が轟音とともに崩れていく。瓦礫と粉塵が豪快に飛び交うその先に、ネギはかろうじて千雨を捉えた。

千雨からフェイトの手をとり、転移魔法で姿を消す様子を。フェイトに逃走を促された時の彼女の顔に浮かんだ、紛れも無い安堵の感情を。ネギの目は捉えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、ネギ坊主?」

 

崩落が一通り収まり、超がゲートポートの残骸の上でネギに話しかけた。

しかしネギは全く反応を見せない。体育座りで顔の下半分を膝に埋めたままだ。

顔を覗き込めば、闇を飲み込んで多少改善したはずのネギの目が、また光を映さないどす黒いヘドロのような闇に戻っていた。

良い目してますわ〜、と月詠は茶々丸の手を借りて瓦礫から這い出ながらはあはあしてた。

超は天を仰いだ。

夕暮れに変わりつつある、懐かしの火星の空だった。




メタ的な解説

赤松先生の作品『AIが止まらない!』のヒロインは実体化モジュールで実体化した人工知能でありもちろん人間ではないのですが、そのプログラムが成長しあまりにも人間に近づきすぎた結果、その体も人間そのものになり、傷を負えば血も流す肉体を手に入れるまでに至りました。つまり赤松作品の人工知能たちは、自分が人間であるという認識が強ければ人間と同じように血を流したり仮契約できるようになり、逆に人間である確信が揺らげば、怪我も流血もしない自律する人型の物体になってしまうわけです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話 尋問

日間ランキング36位に挙がっていました。皆さん読んでいただきありがとうございます。


ゲロ吐きそう。

そんなことを千雨は思う。

実体化された体では吐くことなんかできるはずもないのに。

もはや食べることも、眠ることも必要ない体となって優に150年は超えている。嘔吐の記憶など記憶野の奥底にかすかな断片が残っている程度だ。

吐けるものなら吐いてみろ、人間ですらないくせに。

脳内に構成した電子空間で、そんな自嘲を自身に叩きつけながら、千雨は任務を遂行していった。

魔法世界の各地に残る11箇所のゲートポートを順に破壊した。その過程を千雨はよく覚えていない。片手間にできることであるし、人造人格に任せきりで、千雨はその奥で頭を抱えていたのだ。

なぜネギは魔法世界まで来たのか。

ネギは長谷川千雨を探しに来たという。この、ここにいる『長谷川千雨』を。

『長谷川千雨』の単なるコピーに過ぎない自分を。

なんでこんなことになってしまったのか。どうすれば地球に帰ってくれるか。

それらの疑問が何度も何度も頭をめぐる。袋小路に囚われた思考は一歩も先に進もうとはしない。

進まないというより、むしろこの疑問にあえて拘泥しているところがある。

精神の奥底から沸き上がる感情を押さえつけるために、必死に、あのネギを叩き返す方法を考え続けているのだ。

 

考えてはいけないのに、どうしても、嬉しいと感じてしまうから。

 

生きているネギが、自分の意思で私を求めてくれている。

100年以上側にいながら、摩耗していくネギをただ見ていることしかできなかった。ヨルダに侵食される苦痛を知りながら、最後まで傍観者であり続けるしかなかった。

側にいるという約束を、果たすことができなかった。

そんなネギが、生きて、私を求めてくれている。

そのことが嬉しくて、嬉しすぎて、喜びとともに、途方も無い罪悪感を覚えて。

裏切りではないか。

自身の存在意義すら揺るがす最悪の禁忌。

自分は、あのネギのために存在するのだ。

こんな感情、持ってはいけない。

ここにいるネギと、私のネギは別物なのだ。

それにも関わらずあんな、10歳程度の子供の行動に一喜一憂するなんて。

なんてーー罪深い。

 

「長谷川千雨」

 

ノックとともに扉から声がした。

フェイトだ。墓守人の宮殿の中層にあてがわれた千雨の部屋に、悪の中ボスが訪れたのだ。

 

「なんだよ。戻ってきたばっかで疲れてんだよ」

「どこか、調子が悪そうだと思って。作戦中もどこか上の空だったし」

「ご心配なく。絶好調だよ。寝りゃ治る」

 

だから寝かせろ、という意味で言ったのだが、フェイトはそれを無視して扉を開いた。その背後には栞が俯いて立っていた。フェイトは栞に目線だけで指示し、栞を千雨の隣に座らせる。その栞の細い、微かに震える手が、千雨の手を取った。

 

「なぜ、あそこにネギ・スプリングフィールドがいたのかな」

 

来た、と千雨は思った。

 

「あんなん、私だって想定外だったっつの」

「渡航者リストをわざわざ書き換えて?」

「書き換えなんてしてねーよ」

「ではなぜ彼の名前がリストに載っていない?」

 

ギシリ、と空気が軋む。千雨の手を握る栞の震えがさらに大きくなる。外殻には平静を装わせているが、電脳領域にいる千雨本体は恐怖でガクガクだった。

 

「載ってねーものは載ってねーんだからしょうがねーだろ。こっそり紛れ込んだとかじゃねーの?」

「転移ポートのチェックはそんな甘いものじゃないけどね。認識阻害と空間歪曲の組み合わせで、事前に発行されたコードキーを複数提示しないとそもそもゲートにたどり着けないようになっている」

「はっ、そんなセキュリティ、あいつにとってみりゃ無いも同前だろーよ」

「あいつ?」

 

無表情で首を傾げるフェイトの姿にちょっとかわいいなこいつと千雨は一瞬思った。こちらを威圧してくる殺気を飛ばしてくるのでそんな感想は即座に霧散した。

 

「ネギ先生の近くに女がいただろ」

「月詠さん?」

「誰だよ。あの黒髪の、お団子二つ付けてるやつだよ」

「・・・・・・いたね。彼女がなに?」

 

超鈴音を表す言葉は多い。火星人だの麻帆良の最強頭脳だの超包子オーナーだの、量子力学研究会会長なんてのもあった。だがあの女を最も端的に表現するなら。

 

「天才だよ」

 

この言葉をおいて他にない。

 

「魔法と科学の両方に精通している。それを組み合わせて量子コンピューターなんて完成させちまった化け物だ」

「ふうん?」

「やつと、やつが作った量子コンピューターと、ハッキングプログラムがあればどんな防護壁も意味をなさない。誰にも気付かれずにどこにでも出入りできるし、どんな情報だって盗ってこれる。ネギ先生が転移陣に忍び込めたのもあいつの手引きだろーよ」

「・・・・・・」

「お前らは随分とネギ先生を警戒してるみてーだけどよ、現時点で、最も警戒すべきは超の方だ。あいつが何のためにこんなとこまで来たのかは知らねーけど。やつがこっちに来ちまった以上、この世界はあいつの、超鈴音の手の平の上にあると言っても過言じゃねー」

 

千雨が口にした言葉には、たしかに事実を多く含んでいた。嘘は付いていない。

それでも、千雨は罪悪感で吐きそうになった。

今千雨は、ネギを守るために超を生贄に捧げようとしたのだ。フェイトたちの注意を超に向けさせて、少しでもネギの生存率を上げるために。

 

「ただ、あいつを殺そうなんて考えるなよ? 超はネギ先生の生徒だ。超が殺されるとなったら全力で抵抗するだろうしよ」

「わかってるよ。それに、君との契約で、彼の関係者にも手を出さないことになってるからね。君が心配する必要はないよ」

「・・・・・・」

 

そんな契約いつでも破棄できるくせに。よっぽどそう言ってやろうかと思ったがなんとかそれを堪え、千雨は舌打ちするにとどめた。

 

「まあ、私たちの目的がネットワーク上にも上がっていない以上、超がどんなひみつ道具を持ってきてたとしてもそれがバレることはねーよ。目的がわからない以上こっちを邪魔する手段もなければ動機も生まれねー。何も知らないうちにさっさと地球に叩き返してやるのが一番だ」

「どうやって?」

「え?」

 

どうやってってことがあるか、と千雨は思う。かつてフェイトがネギに契約を持ちかけた時、こいつは言ったのだ。生徒たちと一緒に地球に返してやると。だからこちらの邪魔をするなと。

 

「な、ないのか? 地球に送還する方法」

「あるわけないだろう。あったら魔力が分散してしまう。旧世界との繋がりをここだけにして、魔力溜まりを形成することが今回のテロの目的だよ?」

「でも、じゃあ魔力溜まりができたときにここの、いや」

「なに?」

「・・・・・・ちょっと、これを見てくれ」

 

言って、『力の王笏』で即興で作成した図面を、プロジェクターアプリで宙に投影した。それを指差しながら千雨は説明していく。

 

「ここにあるゲートは休眠状態になっているけど、転移のシステム自体はまだ残っている。魔力供給路はだいぶヘタってるみたいだけど、ポンプと一緒にチェックして壊れている部分があったら私が直す。これが使えれば、計画の前にあいつらを地球に返すことができる」

「・・・・・・無理だね。ここの、吸魔力ポンプが設置されている場所。本来なら地脈に設置してそこを流れる魔力を吸い上げるんだけど、このオスティアはまだゲートを開けるほど地脈が回復していない」

「なんでだ? 地脈にダメージがあったのか?」

「オスティア事件。魔力消失現象が発生した影響だよ」

 

あー、と千雨は呻いた。

 

「じゃあしょうがねー。あいつらを予め帰しておく、てのは諦める。でもあれだ、計画を実行して魔力溜まりがここの上空に形成されたらゲートの開通なんか余裕だろ」

「・・・・・・それは、そうだね」

 

そういえば、と千雨は思い出す。

かつて、千雨の体感では二百年近く前のことだが、世界の命運がかかった最終決戦の場で、空一面に神木を中心にした麻帆良の街並が映っていたな、と。

その後エヴァンジェリンがやって来てこいつらをボコボコにした挙句にまとめて冷凍保存にしたのだった。あのとき麻帆良とこの宮殿は繋がっていて、つまりこいつらの計画は、あのロリババアが麻帆良にいる時点で最初から破綻しているのではなかろうか。登校地獄に囚われていたエンドレス厨二ロリがどうやってここまでやって来たのかは謎だが。まさかあの学園に封じるという呪いは、上方向ならいくら離れてもセーフということなのだろうか。今更ながらに衝撃の事実に気づいた気がする。

そんなことを考えていた千雨に向かって、フェイトがおかしなことを言い出した。

 

「じゃあ最後に地球とつながるときまで彼らに何もせず待っていてもらうように交渉してきてもらおう」

「・・・・・・誰が?」

「君が」

「な、なんで」

 

いきなり振られて千雨は焦る。

冗談ではない。今ネギの前に出て冷静でいられるはずがない。もちろん人造人格に任せてしまえばいいというのはわかっているが、もはや自分があいつを前にしてどんな誤作動を起こしてしまうか分かったものではないのだ。

しかしフェイトは千雨の事情などまったく頓着せずに告げる。

 

「僕らではまともに話を聞いてもらえない可能性が高い。それに契約で縛られているから、戦闘になったらまずい」

「ゲートポートで蹴り入れてたじゃねーか。つーかあれなんだよ。ネギに危害は加えないって契約だったじゃねーか」

「あんなの、優しく脚で押しただけだよ。本来はあの足刀で首を切り落とすことだってできた。『冥府の石柱』でも彼は傷1つ負っていないはずだよ」

「そーかいそりゃ重畳」

 

くそ、と千雨は内心吐き捨てる。

 

「あの契約があるから、君自身が彼の前に出る必要が出た。君の望みを叶えた結果なんだから、そのくらいやって欲しいな」

 

千雨は頷くしかなかった。

考えるだけで気が滅入る。

自分の感情を抑えるのにも、限度はあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネギたちは事情聴取を受けることになった。

とは言っても容疑者としてではない。あくまでテロ発生現場の生存者として、あるいは目撃者としての聴取だ。

聴取を行った衛士によれば、随分と現場は混乱しているらしい。

ゲートポートが崩壊したのはネギたちもその目で見たが、それ以上にあらゆるデータや術式が削除されたことが痛いらしい。監視カメラの画像も、渡航者リストも、転移の術式すら跡形もなく破壊された。さらには、現場からは死体が1つも出ていない。死者がいない、ではなく行方不明者推定300人超。ゲートに詰めていた職員と、この時期の渡航者推移からの推定を合計した概算である。これだけの数の人間が、まるで神隠しにでもあったかのように消えたのだ。瓦礫の下をどれだけ漁っても血の一滴すら見つからない。

しかもそういった事件が魔法世界に12ある全てのゲートポートで起こったのだという。

衛士も相当参っているようで、隈のできた疲れ切った顔で愚痴のように教えてくれた。

超としては幸運であった。

渡航者のリストと死体が失われているから、自分たちがリストにいない密入国者であることはバレていない、バレようがない。ただの善良な被害者として扱ってもらえる。ネギの状態も、テロに巻き込まれたショックで放心状態にある子供そのものであるため、衛士や救助隊の魔法使いたちもそれ相応に扱ってくれた。

さて、と超は腕を組む。ここで自分はどの様に振舞うべきか、と。

ここでネギ・スプリングフィールドの名前を出していいものか。

出せばかなりの便宜を図ってもらえるだろう。ネギが使い物にならない以上、こちらで長谷川千雨、およびエヴァンジェリン曰く『完全なる世界』の残党を追いかけなければならない。ネギの名前とこちらのもつ犯人の情報を出せば、捜査に協力するという名目でメガロメセンブリアの警察組織から情報を得られる立場が手に入るのではないか。

しかし、やはりネギの名前を使うことに躊躇いはある。

まず危険であること。スプリングフィールドの名が持つ影響力は絶大であるが同時に多くの恨みも買っている。危険人物がネギに近づいてくる可能性が考えられる。

次に不法入国であることがバレかねないこと。いくら渡航者リストが失われていると言っても、ネギ・スプリングフィールドが魔法世界にやってくるとなれば、それ相応の準備を魔法世界ではされるはずである。事前に根回しがされ、お偉いさんのスケジュールを調整してネギのスケジュールに組み込むのか偶然を装うのかは知らないが必ずネギとの挨拶と顔合わせがされるはずだ。そういった情報が麻帆良からメガロの上層部に全く伝わっていない、にも関わらずネギ・スプリングフィールドがいるとなればはたして自分たちはどのような扱いがされるか。ゲートが潰されている以上麻帆良と連絡は取れないはずで、ただの連絡の齟齬で処理してもらえるかは正直賭けの要素が大きい。下手をすれば自分と月詠がネギを誘拐したなどと糾弾される可能性だってあるわけで。

悩みながらも衛士と適当に話を合わせていると、取調室の扉が突然開いた。

そこから現れたのは、ひょろりと背の高い男だった。メガネの下から覗く目は柔らかい弧を描いている。一見温和な優男に見えるが、男の歩の進みや重心のブレの無さは、その見た目に反してかなりのやり手であることが窺える。となりに座っていた月詠もさり気なく背を伸ばしている。ちなみに彼女の刀やネギの指輪型魔法発動体などは控え室で保管されていて手元には無い。それでもこの女の危険度は大して変わりはしないのだが。

 

「取り調べ、変わりますよ」

「え、や、はっはい! 了解しました!」

 

今まで取り調べをしていた衛士の反応からして、この男は随分と身分の高い人間らしい。そんな男がわざわざなんの用なのか。生存者一人一人を見て回っているのだろうか。

 

「さて」

 

ネギの目の前に座り、男は組まれた両手で口元を隠す。その目はまっすぐにネギを見据えている。値踏みするその瞳にもネギは反応しない。俯いたまま視線を合わせようとすらしない。

 

「初めまして、ネギ・スプリングフィールド。英雄の息子」

 

ネギが肩を震わせた。超はかろうじて無反応を維持できた。

一目でネギの正体を看破した男は笑顔で言う。

 

「私の名前はクルト・ゲーデル。オスティアの総督なぞをしています」

 

男、クルトは腕を解き、握手を求めて右手をネギに差し出した。

 

「よろしく」

 

クルトの言葉にも応えず、ネギはぼんやりとその手を見つめるだけだ。

ネギが反応しないので、月詠が代わりにその手を握った。微妙な顔をされた。

 

 

 

 

 

「なぜここにいるのか、についてを追及するつもりはありません」

 

クルトはそう断りを入れた。

 

「むしろそのことを私以外に公言しないように。どんな輩が近づいてくるか分かったものではありませんし、ことによっては君たちを私が処罰しなければならなくなる」

 

何の罪かはまだわかりませんが、とクルトは笑みを深める。

つまり、バラされたくなければ言うことを聞け、という話である。

追及しない、ということはこちらには弁明する機会すら与えられないということで、この男がその気になればここでの証言を捏造し、どんな罪でもでっち上げられるということだ。

厄介な相手、それも総督などという立場の人間にネギの存在と入国について知られてしまった。その視線から溢れる気配にどんどんと粘り気が増してくる。周囲を探れば部屋の外に人の気配が10以上。その足取りの重さから武装済み。総督を名乗るのだ、護衛くらいはつけていて当然ではあるがそれにしても物々しい。右を見れば月詠がニヤニヤしだした。まずいこいつ刀無しでもやる気ネ、と超は焦るが正直非武装状態の超に月詠を止めることなど不可能である。今回茶々丸も『力の王笏』対策のため電子戦メインの装備に換装していたため、物理的な戦力としては心もとない。というかそもそも超はそっち方面を月詠とネギに期待していたわけで。自分と茶々丸に腕っ節を求めるなんてナンセンスネ、と超は内心ため息をつく。麻帆良祭を前にアレを起動するつもりはないのだ、痛いし。寿命縮むし。

 

「それで、総督様は一体何をお望みネ?」

「話があるのはそちらの英雄の息子さんなのですが」

 

いえ、とクルトは口ごもり、突然その口元を邪悪に歪め、

 

「あえてこう呼びましょう。かつて自らの国と民を滅ぼした『災厄の魔女』。アリカ・アナルキア・エンテオフュシアの遺児、と」

「そうなのカ!?」

 

会心の笑顔で衝撃の事実を告げたクルトである。が、それに反応したのは超だけで、肝心のネギは月詠と一緒に無反応だった。

100年未来に生まれた超には、歴史の闇に消されたネギの母親について知る術がなかった。アリカ女王については今クルトが言った『災厄の女王』としての経歴しか知らない。それがネギの父親、つまりはナギ・スプリングフィールドの妻ということである。どういう経緯でナギ・スプリングフィールドと恋仲になるのか、是非とも聞きたいところである。

しかし望んでいた反応をネギから全く得られなかったクルトはアプローチを変えることにした。この聴取室を監視カメラで観察した結果(もちろん、この部屋に入る前に監視カメラは停止させていた)、ネギが『闇の福音』の固有技術『闇の魔法』を習得していることがわかった。その精神状態も不安定であることから、彼を挑発して闇に堕とし、復讐を口実に味方に付けるという作戦を立てていた。

この年頃の少年に母親の情報を出せばある程度は釣れると考えていたのだが。

 

「そこまで興味がないようでは、しかたがありません。正攻法でいきましょうか」

「エ、アリカ女王については」

「それはまた今度。実はネギ君にはある事業に協力してほしいと考えているのですよ」

 

クルトはメガネを指で押し上げ、表情を隠す。

 

「メガロメセンブリア元老院。始まりの魔法使いとその意志を継ぐ「フェイト・アーウェルンクス」一派。ヘラス帝国。その全てを打倒し、この世界から6700万人の同胞を救い出すこと。それが我々の目的です」

「なるほどネ」

 

超が頷いた。この時代から、世界の滅亡に抗う人間がいたのか。そんな感慨を抱きながら。

 

「こちらに住む『人間』を地球に逃がす、ということネ」

「君は・・・・・・」

 

クルトが目を見開く。取るに足らない、10代半ばの子供としてしか見ていなかった目の前の少女が、まさか核心に迫る情報を握っているのか。

 

「しかし6700万もの人間が住む場所なんて地球には無いネ。移民か、難民か知らないガ、これだけの人間がいきなり現れたところで土地と資源の奪い合いにしかならないヨ」

「ええそうでしょう。ですがあちらには我らが同胞が世界中に散らばり、あらゆる組織に根を降ろしています」

「その魔法使いたちと呼応し、魔法を用いて地球の科学兵器と戦争、カ」

「戦争や武力の行使などは極力避けますとも」

「極力、ネ」

「・・・・・・我らの同胞は地球の各国政府の上層部に食い込んでいます。政治的な工作で、少しずつ現地に溶けこませていけば」

「それでは間に合わないネ」

 

超は一言でクルトの、メガロメセンブリアの案を切り捨てる。

 

「工作は間に合わず、結局火星に取り残された市民が地球に大挙として押し寄せることになるヨ。そして各地で起こる混乱。魔法使いたちは魔法でもって自らの生存と自治、人権を望み、やってやり返され、ついには泥沼の闘争が始まるヨ」

 

ネギ坊主を仲間に引き入れたいのも、魔法世界での先の組織の打倒だけでなく、地球との戦争の旗頭にでもしたいのだろうと超は予想する。確証もないため、そこまでネギの前で言う気はないが。

 

「・・・・・・まるで見てきたように言いますね」

「今朝の新聞でも開くといいヨ。難民問題なんてそこかしこにありふれる悲劇ネ。それともそんな悲劇は当たり前すぎて目に入らないカ?」

 

片方が魔法という武力を持っているから不均衡と精神的隔意が生まれるのだ。だから自分は地球全体に魔法の存在を広め、純地球産の魔法使いが生まれるようにする。地球人と火星人の間の差を無くす。それでも起こるだろう争いは自分がその財力と科学技術をもって影に日向に介入していく。それが超の抱く計画であった。

ただクルト・ゲーテルという男は、アリカ女王への思いが強すぎて、アリカが救った人間を生かすためなら地球人のことなど頓着しない、どれだけ死のうと必要な犠牲であったと割り切る狂気を抱いている。争い自体をそもそも無くそうとする超とは決して相容れない精神性であった。

 

「あの〜」

 

超とクルトの空気が剣呑になりつつあるなかで、月詠が声をあげた。正直助かった、と超は安堵のため息を漏らす。少し熱くなり過ぎた。

 

「さっきから火星とか地球とか、どういうことです? それに火星から逃げるって」

「ああ、そのことですか」

 

クルトは意外そうな顔をした。てっきりこの世界に関する情報については彼らの中で共有されているのだと思っていたのだ。

 

「単純な話ヨ」

「と言いますと?」

 

本当は、ネギの前でこの話をするつもりはなかった。もう少しタイミングを見て、ネギに与える情報を操作し、印象を変えてから公開し、ネギの協力を得るつもりであった。

しかし、目の前にいるクルト・ゲーテルという男はそんなことに頓着しない。ネギの前だろうと容赦なく、ネギを手に入れるためならどんな情報も開示するだろう。それなら、クルトが口にするより先にこちらから開示して会話の主導権をこちらに引き込む。

 

「この『魔法世界』すなわち『火星に築かれた人造異界』は、あと10年ほどで崩壊するネ」

 

この言葉に対する周囲の反応は様々だ。

クルトは「あと10年」という期間の見積もりに眉を蹙めた。たしかにあと10年では自分の移民計画は間に合わない。しかしその時間は何のデータを基にした数字だとクルトは思考を巡らせる。この時点で主導権を握ろうとする超の思惑は成功していたと言える。

月詠は笑った。あと10年で崩壊する世界であるなら、何をしたって罪に問われないのでは無いか。人を斬りたくて傭兵などやっているのだ。これからの10年は楽しいことになるかもしれない、とひっそり唇を舐めた。

そして、ネギは。

 

「なぜ」

 

初めて口を開いた。

 

「なぜ、6700万人だけなのですか?」

「・・・・・・それ以外の住民は救えないからです」

 

その問いにはクルトが答えた。

 

「この人造異界に住む存在の中で、れっきとした人間なのはメガロメセンブリア市民だけなのです。それ以外の魔法世界人は、魔法世界の崩壊と同時に消え去る、魔法世界と同じものでできた幻想。彼らはこの幻想の世界から出ることができず、魔法世界と命運を共にするしかない!」

 

それは、絶望しかない情報であった。解決不可能の問題である。超も何かに耐えるように唇を噛み締めている。発言したクルトもその目には諦観が浮かんでいる。

しかしネギは全く別のことを考えていた。それは、千雨が何のためにフェイトに協力しているのか、である。

フェイト、というよりアーウェルンクスとは、かつて魔法世界で『完全なる世界』なる組織の幹部の名である、とエヴァンジェリンや近衛詠春から聞いていた。

その組織の目的は『世界の滅亡』であったらしい。

であるから、千雨がフェイトとともに起こしたゲートポート破壊テロは、世界を混乱に陥れるための活動である、と思っていた。

しかしだ。世界は、何もせずともあと10年で崩壊するという。

果たして今回のテロと、消滅した死体。これらと『完全なる世界』の目的はどう繋がるのか。

 

「ネギ君」

 

クルトが話しかけてくる。煩わしい、とネギは思った。

 

「君の両親は。ナギとアリカ様は、この世界を救うためにその命を捧げました。その子供であり、力を持つ君には、彼らの意志を継ぐ義務があるのではないですか?」

「・・・・・・」

「それに、君には復讐の意思はないのですか? 君の住んでいた村を襲ったのは、何を隠そうメガロメセンブリア元老院なのです。君がアリカ様の血を引いていたが故に、あの事件は引き起こされました」

「どういうことネ?」

「メガロメセンブリア元老院の策略により『災厄の魔女』との濡れ衣を着せられたアリカ様の血を引くこと。エンテオフュシアの末裔であること。これらが彼らにとっては大層目障りだったのです」

 

そう! とクルトは拳を握って立ち上がる。椅子が派手に転がるのも無視してクルトは踊るように叫ぶ。

 

「全ては! ネギ君の身に降りかかった悲劇は! アリカ様を利用しようとして挙句に失敗した元老院によって引き起こされたのです! 君には、アリカ様の無念を晴らし、アリカ様が救った民を導く義務がある。違いますか!」

「わかりました」

 

ネギの呟くような声に超は振り返り、クルトは意表を突かれた。

 

「今なんと?」

「あなたの仲間になります、と言いました」

「素晴らしい!」

 

クルトは大げさなほどの身振りで喜んだ。アリカに関して今まで誰とも共有できなかったのだ。その息子と、彼女の無念を晴らすことができる未来にクルトの身は震えた。

 

「ですが、1つだけお願いしたいことがあります」

「なんでしょう。これでもオスティアの総督です。ある程度なら聞き入れることができますよ」

「人を探しています」

 

言いながらネギが胸から取り出したのは、千雨との仮契約カードだ。

机の上に、クルトから見て正位置に置いた。それをなんとはなしに超も眺める。クルトの権力は、人探しには確かに魅力的だ。魔法世界の滅亡云々を抜きにしても、ここはとりあえずクルトの仲間になることもありかもしれない。むしろ、ここでクルトに引き止められ麻帆良祭においてもネギが魔法世界にとどまってくれるのなら、超としては自分の計画の成功率が上がるのだ。

 

「チサメ・ハセガワ・・・・・・彼女は?」

「フェイト・アーウェルンクスと行動を共にしています。あのテロ現場にも現れました」

「ふむ」

「脅迫されてのことかはわかりませんが」

 

少し気になって超が声をかける。

 

「総督は驚かないネ?」

「何がですか?」

「アーウェルンクスの名前を聞いても、ということヨ」

 

ああ、とクルトはうなづいた。

 

「一連のゲートポート破壊テロの中で、死体が1つも出てこなかったことはご存知ですか。これは『完全なる世界』の犯行の特徴なのですよ。タカミ・・・・・・有志の魔法使いが奴らの足跡を追っていたのですが、ついに行動を開始したようですね」

 

困ったものです、とクルトは軽く肩を竦めた。

 

「それにしても」

「何ネ?」

「いえ、まあ『完全なる世界』は歴史ある由緒正しい犯罪組織なわけですが」

 

言いながらクルトは仮契約カードを手に取った。

 

「アーウェルンクスと行動を共にしているということですが、『完全なる世界』に所属しているにしては随分と若いですね。もしかしてこの人物は人間ではない?」

「いや人間のはずだガ、どういうことネ? 見た目くらいいくらでも誤魔化せるヨ」

「いえ、仮契約カードに写る姿を誤魔化すことは不可能です。仮契約は魂の契約ですから、どんな魔法を用いてもその人物の姿と名前を偽ることができないのです。だからこのカードは魔法世界では身分証明書として1番ポピュラーなものだったりするのですが。そちらの世界でいう自動車免許証と同じ扱いですね。これがアーティファクトカードだったりすると一端の魔法使いとして一目置かれたりします」

「エ」

 

超はその言葉に衝撃を受けた。

超のいた未来では何十年以上も前に仮契約など廃れていた。仮契約があれば素人が手軽にアーティファクトや転移などが行えるようになるため、地球側は仮契約を担うオコジョ妖精を見つけ次第捕獲あるいは殺害し、ついには絶滅させることに成功したのだ。その魔法陣についても失伝したため、超は仮契約について細かい仕様を知ることができなかったのだ。

 

「まあ良いでしょう。ネギ君は私たちの計画に協力する、こちらはこの少女の捜索に協力する。ということで契約をしましょう。数日待っていただけますか、なにぶん急だったもので、しかもなにかと混乱してましてね、強制契約の書面を準備するのに時間がかかるのですよ」

 

仮契約カードに描かれている姿がなんの偽りもない姿なのだとしたら、なぜ未来から来たはずの長谷川千雨は14歳の姿で描かれているのだ。

それに、『私は誰なんだよ』という発言。

一体、彼女は何者なのか。

この問いが、彼女の目的を推し量るのに重要な意味を持つのではないか。そんな予感が超の脳を走った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話 誰もが通った道

考えてみれば、これは良い機会かもしれない。

祭りの準備で忙しなく人が往来する街路を歩きながら千雨は思う。

自我が崩壊しそうで。

自分の存在意義が揺らいでいて。

自分が『長谷川千雨』であることに対して、疑いを持ってしまった。

ただでさえギリギリで、ツギハギだらけだった自分の定義がさらにボロボロになって、このままでは実体化しているプログラム本体の動作に支障がでてしまう。

だから、新たな定義を設定しなおさなくてはならない。

自分が『長谷川千雨』であるという自負を失い、ネギへの思いすらこの世界のネギに侵食され。あとは、自分が目的を果たすための道具であること。それしか千雨の中には残っていない。作られる時に設定された目的。自分を定義する根底命題。

すなわち、魔法世界の科学的手法による実体化。

そして始まりの魔法使い、ヨルダ打倒のため世界とそこに住む人類の改変。

それすら、栞のせいで揺らいでしまっているけれど。

雑踏の中を器用にすり抜けながら千雨は呟く。

 

「禊、とでも言うのかね」

 

罪や穢れを落として自身を清らかにすること。

そうだ。

こちらに転送されてから何一つうまくいかない。失敗ばかり繰り返してきた。きっと自分は、自分を構成するプログラムは、『長谷川千雨』をコードする精神からなにか重要な物が欠けてしまったのだろう。

オリジナルと比べて何が欠けてしまったのかは判断できない。

それでも唯一言えることがある。

自分には覚悟が足りないのだ。『長谷川千雨』本人には間違いなくあったであろう覚悟が。区切りをつけなくてはならない。計画の最終段階を前にして、こんなグダグダとした体たらくではダメだ。まして、ここのネギに惑わされるなど。そんなこと、『長谷川千雨』なら絶対ありえないことだ。

そのための禊。

この自分には穢れが染み付いてしまっている。

穢れを祓え。

自分のために火星まで来たネギを、地球に追い返せ。

ここのネギを拒絶することで、自分はきっと目的のために邁進する『長谷川千雨』本来の『長谷川千雨』性を取り戻すことができるはずだ。

 

「よし」

 

千雨は背筋を伸ばし、人垣の隙間から見え隠れする目標を見据えた。

さあ、自分を再定義しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クルト・ゲーテルとの交渉を終え、ネギたちは一度解放された。

暖かな日差しの下、オスティアの街を歩けば陽気に誘われたように多くの人々がはしゃいでいる。耳に入るのは明るい話し声と子供の笑い声。時折花火もポンポンと上がる。どれも何かしらのイベント開催の合図なのだろう。

祭を前にして、街の空気そのものが浮かれている。

 

「これ全部作り物なんですね〜」

 

月詠が周囲をキョロキョロと見渡しながらそんなことを言った。周りには人間だけでなく、犬や猫のほか様々な動物的特徴を持つ多くの亜人種が大通りを交差している。

超の言った、幻想、という言葉に月詠も思うところがあるようだ。

 

「せっかくたくさん斬れると思って来ましたのに、お人形を斬っても楽しくないですわ〜」

「作り物、とはまた違うネ」

「と言いますと〜?」

 

超はアイスクリームを片手に月詠に答える。暑い日にはチョコミントがマストネ、とか思いながら。

 

「始まりの魔法使いが魔法世界を作た。それはいいヨ。でもそれ以来、この世界の全ての存在が互いに影響し合いながら歴史を紡いできた。生命の営みを延々と繰り返し、世代は果てしないほど変わり、物質は世界規模で循環し、進化と滅亡を幾度も経験してきた。すでにその在り方は造り手の意図からかけ離れた、予想も付かない形に変貌しているはずネ」

「はぁ」

「道具は造り手の意図から外れることはできないし、外れるべきではない。対してこの世界はどうカ。もう造り手の手から離れているネ。構成する原子は造り手によるものでも、その組み合わせは悠久の時の果てに辿り着いた奇跡の具現ヨ。もしその内に造り手が自由に押せる自爆スイッチがあたとしても、すでにそれを押す権利は誰にもないネ」

 

超はアイスを舐めた。日差しの下で、氷の冷気が舌を心地よく刺激する。

 

「このアイスも、道に転がる石ころも、全て始まりのなんちゃらさんの意思によって作られた物カ? そんなバカナ。あり得ないネ。みんなみんな、この世界の人間に存在意義を定義された道具か・・・・・・誰からの束縛もなく、無意味にこの世界に生み出され、自分で自分の存在意義を定義するかヨ。それは道具や作り物にはできないことネ」

「ん〜、話長いですえ」

「・・・・・・この世界の人間は、みんな自分の精神を持つネ。幼少期から環境と教育によって形成される精神を。地球の人類と違いはなにもないヨ。あるいはこんな言い方もできるネ。どちらの精神も所詮プログラム、どちらも平等に無意味、だから差をつけることに意味は無い、とネ」

 

とは言え、と超は指を立てる。結局話が長くなりそうな雰囲気に月詠はうんざりし始めるが超は気づかない。アイスを持った左手を振り回して、

 

「とは言え、自分の精神がプログラムだと、完全に自分を納得させることができる人間は恐らくいないネ。どれだけ魔法工学を学び、精神が547のモジュールで構成されていると頭で理解し、それをどれだけ声高に叫んでも。心の奥底で自分の中にオンリーワンの自我が、『自分自身』が存在すると願わずにはいられないネ。もし仮に、自身がプログラムだと100パーセント納得してしまえば、その途端その人の精神は崩壊するヨ」

 

そんなものですかね〜、と月詠は興味なさげに答えた。その態度に超はイラッとしたが、まあ人斬りをまじめに相手にしてもネ、と諦めた。

 

「・・・・・・でも結局受け手の気の持ちようですよね〜」

「ン?」

 

月詠は返却された腰の日本刀の柄を指でトントンと叩きながら、

 

「話を戻すんですけど、魔法世界の人間が人形ではないって説明されたところで、それじゃあ私いっぱい斬ります! て気になるかといったらそうではないわけで。一度人形のようだと思えてしまうと、もう何をしても、どう誤魔化しても人形にしか見えないわけですよ〜」

「あ〜、まあ。結局感情移入できるかという主観の話になるネ」

「超」

 

そこで、ネギと一緒に後列を歩いていた茶々丸が口を挟んだ。超は歩みを止めないまま視線を後ろに向ける。

 

「ン? どしたネ」

「今のお話ですが、それは自身の主観にも当てはまることでしょうか」

「どういう意味ネ?」

「受け手の気の持ちようによって、道具にも人間にもなる。月詠さんはそうおっしゃいました」

「言たネ。ああ、つまりその受け手というのが茶々丸である場合、茶々丸の精神はどうなるか、言うことネ?」

「はい」

 

超は笑った。それは見る者によっては母性を感じさせる優しい笑みであった。今この場に母性を解する人間はいないが。月詠に至っては今なんか笑うとこあったかと首を捻る始末である。

 

「茶々丸が茶々丸の精神をどう定義するか。それはお前が自分で考えることネ。先も言たろう? 自分で自分を定義すべきと。お前の造り手たる私が定義しては、茶々丸という存在が私の意図から外れることができなくなるヨ」

 

超は体ごと振り返り、器用に後ろ向きに歩きながら、茶々丸の眼窩にはめられた二つの高性能レンズを見上げた。

 

「お前は好きに生きろ。私が望むのはそれだけネ」

「・・・・・・了解しました、超」

 

うむ、と超は頷き、そこでふと茶々丸の隣を見た。

ネギの足はいつの間にか止まっていた。既に超たちとは三歩分の距離が開いている。

 

「ネギ坊主?」

「先生?」

 

呼びかけるもネギは反応しない。超から見て左に視線を固定したまま微動だにしない。何があるネ、と超もそちらに目をやると、雑踏の中に見覚えのある姿が混ざりこんでいた。この数年ほぼ毎日目にしていた、麻帆良女子中学の制服。

雑踏がわずかに途切れる。騙し絵のように人混みからその姿が浮き上がる。

 

「・・・・・・よう」

 

不機嫌そうな顔で、こちらを睨むように見つめる、長谷川千雨がそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネギがクルトとどんな会話をしていたかはわからない。監視カメラの類があの時間だけ完全に電源を切られたいたためどうしようもなかったのだ。

だが、あのメガネの言うことなど予想がつく。要するに、魔法世界がヤバいから協力してくれ、という話だろう。

しかもその傍には超がいる。

すでに魔法世界の現状について、ある程度の情報共有が行われていると考えていいだろうと思う。

問題は、ネギがテラフォーミングを思いついているか否かだ。

すぐ近くにあった喫茶店のオープンテラスに席をとり、茶々丸の分を除いた四つの紅茶を用意する。

というか、ゲートポートが封鎖されてしまったら、超は麻帆良祭までに帰れるのだろうか。もちろん自分の計画が成れば超のそれは不要となるがそんなこと超が知るはずはないし。

それともこの天才は、麻帆良へと帰るルートを持っていたりするのだろうか。それならぜひともそれを使ってネギを連れ帰ってほしいのだが。

 

「超、お前随分と落ち着いてんな」

「ん?」

「麻帆良祭までに帰れないかもしれないだろ、ゲート全部塞がってんの聞いてないのか?」

 

ああそのことカ、と超はニヤリと笑った。よくぞ聞いてくれた、といったところだろうか。

 

「帰ろうと思えば、大気圏を突っ切って宇宙を飛んで帰るネ。そのための装備は茶々丸に積んであるヨ」

 

こんなこともあろーかとネ。そう言って超は笑った。

 

「そんなことできんのか?」

 

問えば、超が自身の胸元を親指で差し、

 

「このスーツも、どんな環境でも装着者を保護するフィールドを張るようにできてるヨ。超高空でも宇宙空間でも、火星の荒野でも余裕ネ。それに千雨さんは知てるはずネ、生身での星間移動を成功させる忍者の存在を。彼女のお陰で、単独での星間移動に関しては手法が確立してるネ」

「・・・・・・そういやそうだった」

 

長瀬楓のニンニンという口癖を思い出して千雨はうんざりとため息を吐いた。

あの忍ばない忍者は、あろうことか人類初の生身・単独での地球−火星間移動を成し遂げたのだ。

その後テレビ取材に答えて曰く『修行の成果でござる』。

もうバカかと。やることもバカだし、カメラに向かってなにピースなんかしてやがる、「いえ〜い見てるでござる〜?」じゃねえよ忍べよ。その写真、宇宙開拓史の教科書にお前の名前と一緒に載るんだぞ。The・Ninja : Kaede Nagase て写真の下に振られるんだぞ。

 

「初めて見たときビクリしたヨ。あ、教科書のピースの人! て。あの人見た目全然変わらないネ」

 

偉人との出逢いもこれの醍醐味ネ、と超は笑う。その笑みの裏で超は千雨を見定める。目の前にいる『長谷川千雨』は、少なくとも長瀬楓のピース写真が初めて採用された『図表・宇宙開拓の歴史』第7版が出版された西暦2030年より先を経験している、と。

 

「でもこっちは異界だろ。ただ上に向かって飛んでくだけで宇宙に出られんのか?」

「そこは抜け道がある、というか作るネ。異界構築の術式構造は、規模が変われど土台は大体一緒ネ。魔法世界でもダイオラマ魔法球でも。ダイオラマ魔法球、千雨さんはご存知無いカ?」

 

知っている。言われてみれば、遮断された魔法世界の内側では時間の流れが変わる点も、魔法世界と魔法球で共通している。

 

「異界に穴を開けるその魔法陣なら、外に出るだけなら容易いヨ。その魔法陣はエヴァンジェリン宅にあったものを茶々丸に既に解析させてたネ、こんな」

「こんなこともあろうかと?」

 

超は寂しそうな顔をした。

 

「・・・・・・まあそんなわけだから、ネギ坊主を連れ帰れと言われても無理な相談ネ。その魔法陣で外に出てもそこは火星ネ。悪いなこのスーツは一人用なんだ、てやつヨ」

「・・・・・・そうか」

 

読まれてた。できれば計画が実行される前にご帰宅願いたかったのだが。仕方ない、と千雨は背筋を正す。

じゃあ本題に入ろう、というタイミングで、それは遮られた。

 

「ちょっといいですか〜?」

 

挙手をしながらの発言は月詠だ。月詠は既に席を立っている。

 

「な、なんだ? 月詠さん?」

「この話、私は聞かなくても問題ないですよね?」

「そりゃ、まあ」

 

そりゃあ、いち傭兵に過ぎないこの女が聞いたところで、という話ではあるのだが。というかそもそもなぜこいつはここにいるのだろう。超が雇ったりしたのだろうか。『完全なる世界』の拠点で姿が見えないと思っていたらこんなところにいた。一体どんな差異があればこいつがネギの味方になるのだろう。それともまさかフェイトからのスパイだったりするのだろうか。

 

「では私はこれで失礼します〜・・・・・・お人形に興味なんてありませんし」

 

最後にぼそりと言って、月詠はその場を離れ、角にあったクレープの屋台でトッピングマシマシの注文をしていた。どんだけ腹減ってんだよ、と千雨は呆れ、すぐに意識を切り替える。

 

 

 

千雨の精神には鵬法璽の契約がかけられている。それを解除することはもちろん可能だが、それをすれば契約を握るフェイトに気づかれる。加えて、栞の話から察するに、今この会話はおそらくフェイトに聞かれている。やつのハイスペックは聴覚にも及んでいて、こちらの一言一句がその耳に入っているはずである。である以上、ここでの会話の中で千雨は『完全なる世界』の計画に自ら賛同して行動しているという体で話をしていかなくてはならない。

 

「で、千雨さんは何が目的で姿を現せたネ? こちらとしては探す手間が省けた、というところだガ」

「話し合いだ」

「離婚調停みたいネ」

 

やかまし、千雨は紅茶で唇を濡らして捲し立てた。

 

「これからこの魔法世界そのものに関わる、大規模な計画が行われる。巻き込まれないように、つうか邪魔だから地球に帰ってほしい」

「先も言たが、ネギ坊主を地球に返す手段を私は持てないヨ?」

「手段はこっちで用意する。ただ時期が問題でな。計画が成就される直前にようやく地球へのゲートが一つ開く。だからお前らはそれまで大人しくしてろって話だ。そうすりゃ地球までエスコートしてやるから」

「計画とは何ネ」

「言う必要を感じねーな。魔法世界の問題がお前らに何か関係あるのか?」

「無いとでも?」

 

ち、と千雨は舌打ちした。そりゃあ関係はあるだろう。未来から来た火星人と、魔法世界を救った二人の子供だ。関係の有無で言えばこいつらほど関係のある存在もそうはいない。

それでも、『完全なる世界』の計画について説明する気にはなれない。今の超の反応から、そこまでは情報が届いていないのだろうと千雨は推測した。それはそうだ。超が生きた世界線は、アスナ姫を欠いた世界再編魔法が失敗し、テラフォーミングも間に合わず、純粋な人間種が火星の荒野に放り出された世界なのだ。その世界では『完全なる世界』の面々は、胸に秘めていた祈りなど誰にも知られることなく歴史の裏に消えていったのだろう。

 

「そんなことより、千雨さん」

 

そう言ったのはネギだった。虚を突かれた千雨は背筋をかすかに震わせる。

 

「その計画が完遂されれば、千雨さんは地球に、麻帆良に戻ってこれるのですか」

「そりゃな」

 

千雨はまた嘘を重ねた。

そもそも『完全なる世界』の計画が完遂されることなどないし、実体化モジュールを起動する場合、魔法世界全体の物理法則と魔法法則、そして精神をシミュレートし続ける必要がある。実体化モジュールで演算装置を実体化させてリソースを増やすつもりではあるが、はたして今の自分の精神プログラムを演算させ続けることができるかは正直わからないし、そんなことをする必要があるとも思わない。

しかしそんなことを馬鹿正直に言ってしまえば、ネギは帰ってくれなくなるだろう。

千雨は平静を装うためコーヒーカップに手を伸ばし、

 

「私だって地球出身だからな、こんなファンタジーな世界の行く末に一蓮托生なんてしねーよバカらし」

「フェイトたちの目的は」

 

ネギの声は全く抑揚のない、感情がまるで感じられない。

超の隣に座り、オロオロとした雰囲気を醸す茶々丸のほうが、まだしも人間らしい。

 

「魔法世界の救済、ということでしょうか」

 

手に取ったカップがするりと指の隙間から落ちた。

なんでそこに至った。千雨は超を見るが、彼女の顔も驚愕に染まっている。それはそうだ。超の世界線においては、『完全なる世界』の存在はナギ・スプリングフィールドが英雄へと至る踏み台的な悪役でしかない。やつらの目的について超が知る術は本人たちに聞く以外にないはずなのだ。

 

「先生、何をクルト・ゲーデルに聞いた?」

 

言いながらも、はたしてあのアリカ姫信者が『完全なる世界』を擁護するようなことを言うだろうか、と千雨は首を捻る。やつは『完全なる世界』を含む魔法世界のほとんどを打ち倒すべき敵と認識していた。

 

「クルトさんからは、魔法世界とその住人が火星に位置された幻想であることと、あと数十年で崩壊すること。魔法世界を守るために僕の両親が命を賭けて、それでも崩壊の運命を回避することができていないこと。それくらいです」

 

崩壊の原因は聞いていないのか。

 

「じゃあフェイトたちについては」

「フェイトたち『完全なる世界』、始まりの魔法使いの一派の目的は、一般的に世界を破滅させること、と言われています。それは聞きました」

 

しかしそれには違和感を覚える、とネギは言う。

 

「この世界は時期に消滅します。クルトさんおよびメガロメセンブリアの試算によれば、長くともあと30年程度しかもたないと。フェイトは、そんな世界で何をしているのか。世界の滅亡を企むなら、死体の消滅という現象の意味がわからない。放っておけばいいんです。はっきり言って無駄手間です。

では、彼らの目的が『世界の滅亡』ではなかったらどうでしょう」

 

ネギはそこで二本の指を立てる。

 

「魔法で構成されるこの世界が消滅するとすれば、その原因は2つ考えられます。1つは魔法を構築している術式に綻びが生じている場合。もう一つは魔法に込められている魔力が枯渇している場合。このどちらかです。

始まりの魔法使いの意志を継ぐ『完全なる世界』が起こすテロでは、死体が消滅している。

生命は肉体と魂、そして精神からなる。『完全なる世界』のテロによって肉体が消滅したとき、魂は純粋なエネルギーとして露出するはずです。

魔力が枯渇しつつある世界で、魂という高濃度の魔力の結晶が露出させれば、そのエネルギーはオドとして拡散し、魔法世界の術式に注がれる」

 

仮に肉体を消滅させたとき精神が魂というエネルギーを手放さなかったら、そこには例えば幽霊や精霊といった存在が生まれることになる。

 

「もしフェイトたちのテロがそれを狙ってのものなのだとすれば、彼らの目的は魔法世界の維持、ということになります。紛争地など、死ぬことが決まっている亜人種を選んで魂を刈り、世界維持に利用する。かつての大戦を裏で引き起こした理由もそのためではないでしょうか」

 

もちろんこれはあくまで仮説です。そう前置きして、

 

「千雨さんの立場が『完全なる世界』の中でどのようなものかはわかりませんし、彼らの目的を吹聴できない立場にあるのかもしれません。ですが、魔力の枯渇が魔法世界崩壊の原因であり、それを防ごうとフェイトや千雨さんが動いているなら、自分にはその状況を打破する代案があります」

 

テラフォーミング。千雨にとっては聞くも悍ましいそれを、ネギは口にした。

 

「現実の火星表面を開発することでオドで満たせば、テロなど起こさなくても魔法世界は維持されるはずです。おそらく地球側の協力が必要になるでしょうが、それでも、みんなで協力し合えばきっとうまくいきます」

 

沈黙が降りた。10秒ほど、千雨は腕を組み、目を閉じたまま彫像のように微動だにしなかった。

 

「超」

「何ネ」

「お前が吹き込んだのか。テラフォーミングなんて」

 

怒りを抑え、それでも震える唇を必死に動かしながら、千雨は超に問う。

それだけは、何と引き換えにしても阻止しなければならない道であるのに。

 

「ノー、ネ。私はネギ坊主に何も教えていないヨ。総督が教えようとしたことを代弁はしたけど、それだけネ」

 

そうかい、と千雨は吐き捨て、正面に座るネギをその吊り上がった両目で睨みつけた。

 

「それで、なにが解決するんだよ」

「なにが・・・・・・?」

「『完全なる世界』の目的についてはな、及第点をくれてやる。でも模範解答はな、この世界に生きる全ての人間の精神を別の世界に移動させることだ」

「・・・・・・何ネ、それは」

「その別世界を『完全なる世界』と呼んでる。そこはな、魔法世界を構成する全てを魔力に還元することで半永久的に維持される、それぞれのアニマ、つまり欠落を補完された理想郷を再現した精神世界だ」

 

もはやなりふり構ってはいられない。テラフォーミングでは、ネギがヨルダと関わりを持ってしまう。魔法世界の存在に責任を持つ立場になってしまえば、こいつは必ず最悪の選択をする。

どんな嘘をついてでも、こいつを英雄にはさせない。

 

「それは、逃げじゃないですか」

「そうだな。逃がすんだ。このクソみたいな現実から」

「テラフォーミングを、皆でやっていきましょう。みんなに声をかけて、地球側に魔法世界の危機を説明して、そしたらきっと協力してくれます。そうやって現実と戦っていきましょう」

 

本当に腹が立つ。

あいつと同じ顔で、同じことを口にするガキが。

綺麗な顔で、綺麗事ばかり並べる目の前の子供に対して、心の底から嫌悪感が沸き立つ。

あいつは、その綺麗事を現実に変えて、挙句に現実の汚い部分を全て背負わされて逝ったのだ。それも知らず、この世界の汚い部分も何一つ理解しないままに理想論を並べ立てやがる。

 

「無理だ。この世界は、理不尽に満ちている。誰が悪いとか、何を殴れば解決するとか、そういうこっちゃねー、世界がそうなってんだ。差別や格差や貧困や紛争のおかげで成り立っている肥溜めなんだよこの世界は。世界の上で戦う限り、その理から逃れることは不可能だ」

 

暖かな日差しが千雨を、ネギを照らす。周囲には笑顔が溢れ、数十メートル離れた石段の上では月詠が自身が差す刀より長いサンドイッチをリスのような頬をして噛り付いている。この世に悲劇があることなど知りもせず、世界は幸福で満ちていると無根拠に信じて、世界の裏側においてはなによりも尊く価値のある平和と幸福を浪費している。

 

「幸福が悲劇の上にしか成り立たねーってルールから逃れられない。だから『完全なる世界』の連中は、世界そのものを変えるんだ」

 

殺してきた。はるか未来において、長きに渡り、長谷川千雨は多くの命を、願いを、祈りを踏みにじってきた。

ネギがその命と引き換えに救おうとする世界が、汚いままであることなんて認めるわけにはいかなかった。命を費やすだけの価値があるのだと、自分を納得させたかった。

ネギを対価にする世界は、ネギよりも美しくあるべきだ。

それは、単なる千雨のわがままだった。

そのわがままを叶えるために、千雨は悲劇の根源を消し続けた。差別主義者を潰して、格差を助長するやつらを潰して、紛争地帯は軍隊ごと利権の元を更地にして。この世から悲劇がなくなるように。悲劇を生むことで利益を得ようとするやつらを粛清して回って。悲劇の存在を肯定する世界のシステムそのものにケンカを売り続けたのだ。

この世から悲劇を全て消していけば、あとには綺麗なものしか残らないはずだと。

そうしたら、なんのことはない。

悲劇が無くなった場所には、幸福どころか、何も残っていなかった。

自分のしてきたことは、ありもしない理想を求める醜い癇癪に他ならず。

結局、子供の八つ当たりに過ぎなかった。

 

「現実なんかいらねー。世界なんてくだらねー。こんなくだらねーもん、無くったってだぁれも困りゃしねー」

 

もちろん、魔法世界を消してしまうつもりは千雨にはない。消してしまえば、ネギを庇護する存在もまた消えてしまう。ネギの血筋と才能は、善悪問わずあらゆる存在を誘蛾灯のように引きつける。

ネギの平穏のためには、メガロメセンブリアは必須なのだ。当然ネギにとって害になる議員やら何やらは今こうしている時も自身のアーティファクトと『世界図絵』をフル活用して、不正や犯罪の証拠を集めてメディアや他国の上層部に流して社会的に殺しているし、めんどくさい場合は標的の乗っている高級な個人飛空挺にお願いして墜落事故を起こしてもらっている。

超には理解できないだろうが、差別も紛争も、すでに千雨の興味を引く対象になり得ない。ネギが安穏と暮らせる社会が構成できる世界が作れるなら、「私のネギ」を尽く殺せるなら、他に何もいらないのだ。

 

「でも」

 

千雨の言葉を聞いて、それでもネギは反発する。

 

「どんなに汚くても、僕は本物の方がいいです」

「へぇ」

 

千雨は笑った。ネギから欲しい言葉を引き出せたからだ。

エラーまみれの精神で思考した結果、ネギが自分にこだわる理由については未だに見当がつかないが、それでもネギを諦めさせる方法を思いついたのだ。

自分が長谷川千雨のコピーであると知らないから、ネギは自分に固執するのだ。人工物であると知れば本物の方に戻るだろう。人工物に恋するなんざ黒歴史にもほどがある。

もし告白でもして来ようものなら他に好きな人がいますごめんなさいで済むだろうか。

否、こいつはきっと、それでもいつか自分に振り向かせると、そう言って諦めずに追いかけてくるだろう。

こいつは、何があろうと諦めない。

それくらい、ネギが抱く感情は純度が高く本物なのだ。

そして、本物であるだけに、偽物に対する嫌悪も人一倍である。かつてフェイトを否定したように。ここでまた『完全なる世界』を無根拠に否定するように。

 

「偽物じゃダメか?」

「だってその世界は幻想で、現実じゃなくて、偽物で、本物じゃない。それじゃあ、僕には意味がない」

 

偽物でいいなら、ネギは麻帆良にいる千雨で満足していた。見た目も性格も全く同一であるのだから。ただ記憶を失っただけの同一の存在として扱うことができたはずだ。でもそれじゃあだめなのだ。自分に触れてくれた千雨は別にいるから。自分にとっての本物の千雨を追いかけて、ネギはここまで来たのだ。

 

「そうかよ」

 

そんな切実な思いを込めたネギの言葉は、千雨には届かない。

 

「幻想じゃダメか。偽物は無価値か。本物でないと意味がないか」

 

はっきりと拒絶の意思を言葉に込めて、千雨はネギに言い捨てた。

 

「じゃあ私の存在も無意味だな」

「・・・・・・え」

「意味だの本物だの吠えやがって。こんな言葉、私の在り方に何の関係もねぇんだよ」

 

千雨の頭によぎる、ジャック・ラカンの言葉。

 

ーー真実? 意味?

ーーそんな言葉、俺の生にゃあ何の関係もねぇのさ

 

情けない。

あのオッサンの言葉は、こんな意味ではなかった。あの言葉は自分を貫くもので、自分が幻想であるという真実を見せつけられて、その存在の無意味さを突き付けられて、世界に否定されて、それでも俺は俺だと、世界の理を前に一歩も引かなかった男の言葉だ。

それに対して、私のこれは、唯の逃げだ。世界から逃げて自分の檻に引きこもる自分を正当化するだけのくだらない言葉遊び。

 

「つまり、あなたは」

 

千雨の言葉を聞いて、ネギは自身の言葉の過ちに気付いた。

 

「あなたは、この世界の住人と、同じ?」

「いや、もっと程度が低い」

 

周囲を見渡す。寄り添って歩く男女がいて、赤子を抱いてベンチに座る女性がいて、少女を真ん中にして手を繋いで歩く三人組の親子がいて。

 

「ここの住人にはどれも意思がある。両親の愛から生まれて、自分の生きる意味を自分で定義する『人間』だ。でも私は違う。ある目的のために作られて、それを実行するためのコードの集合で、『長谷川千雨』の劣化コピーで、在り方を定義された道具に過ぎねー」

 

胸が痛い。頭が割れそう。正体不明の苦痛が千雨の精神を軋ませる。

否、と千雨は心の中で否定する。精神はプログラムだ。こんな痛みは気のせいだ。

ここにいる存在は、何者でもない、ただの『長谷川千雨』の残滓に過ぎなくて。

コギト・エルゴ・スム・・・・・・我思う、故に我あり、なんて。あまりにも浅薄な考え。

私がどれだけ思い、願い、焦がれたところで、ここに長谷川千雨はいない。

絶句したネギに割り込むように超が口を挟む。

 

「つまり千雨サン、いや、今私の前にいるあなたは、なんらかの方法で実体化した『長谷川千雨』の精神データのコピー、ということネ? それは魔法的というより科学的に寄った手段で、おそらく未来の長谷川千雨が送り込んだデータ生命体・・・・・・!」

「おいおい超、お前の未来バレはもうちょっと先のはずだろ、さっきだってその辺フワッとさせてたくせに」

「ことここに至ってはそんなことどうでもよろしいネ。てことは、実体化ができるあなたの本当の・・・・・・」

 

なにやらブツブツと思索に沈んでしまった超を放って、千雨は呆然としているネギに振り返り、

 

「なあネギ先生、あんたの言う通りだ。偽物に意味はないってな」

「ちが、ぼ、僕は」

「私みたいなパチモンに懸想するなんてな、アニメやゲームのキャラに入れ込んでるのと変わんねーよ。ちょっと冷静になってよ、客観的に見てみ? たしかに『これ』は三次元だけどよ、元は他人が作ったプログラムなんだ。予め設定された通りの行動をとってるだけで、そこには感情だって存在しねーんだ。

気持ち悪いことやってないで、地球に帰れ。そっちにゃ本物の長谷川千雨が」

 

ーーあ。

 

千雨は、心の中で呟いた。

壊れた。

自身の内側で自壊していくプログラムを呆然と、他人事のように眺めながら、千雨は気づいた。

今、後戻りできない言葉を口にしてしまった。

自分で自分を否定した。他でもない、ネギ・スプリングフィールドに向かって。

ネギに求められていたこと。言い換えれば、ネギが自分を長谷川千雨として認識していくれていることが、自分の最後の生命線だったのだ。

精神がプログラムであるとただ知識として知っていることと、それを実感として認識してしまうことは全く異なる。自身の精神がプログラムに過ぎないと完全に認識してしまえば、その精神はアイデンティティを失い、崩壊してしまう。

それは魔法工学を学ぶ上でもっとも留意すべき禁則事項だ。それを千雨が知らないはずはなく。それなのに今、千雨はよりにもよってネギ・スプリングフィールドに向かって、自身が人間ではないと暴露し、突き放した。

欺瞞の上の矛盾が露わになる。

自分がプログラムだって。感情も存在しない偽物だって。

斜に構えて、口ではそう言いながら、それでもどこかで自分を人間であるととらえていた。だから今の自分を実体化しているこれが人間そのものとして構成されていた。

でも、それが失われてしまう。百パーセント完全に、自分が、自分を構成する精神がただのプログラムであると、そう認識してしまう。ネギとの繋がりが断たれたことで。

ネギとの繋がりを否定してはいけなかった。

感情を否定してはいけなかった。

ネギに抱いたあの感情こそ、自分を人間として繫ぎ止める楔だった。

ネギとの繋がりこそが、長谷川千雨の全てなのだ。そんな当たり前のことを否定してしまった自分が、どうして『長谷川千雨』のままでいられようか。

ネギに求められて感じた喜び。罪深いと否定したあの感情こそ、長谷川千雨としていられる最後の砦だったのだ。

 

ーーお人形に興味なんてありませんし。

 

人を斬ることにしか興味のない女の言葉が、今更胸に響く。

人としての自分が崩壊する音を聞きながら、千雨の意識が途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

エラーに塗れた精神が機能不全を起こす。

ノイズが体を縦横無尽に走り回る。四肢の末端から、体を構成する情報が自壊し、ノイズとなって拡散・消滅していく。

激痛として処理された情報が千雨の精神を侵す。

耳障りな不協和音が千雨の口からほとばしり、周囲の通行人が皆顔を顰め、耳を抑えてうずくまる。およそ人間に出せる声量、声域ではない。テーブルに並んでいたティーカップが一瞬の振動の後にパンッと砕け、喫茶店の店舗に張られたガラス窓全てに同時にヒビが入る。

血反吐のように撒き散らされる崩壊ノイズがネギたちの接近を拒む。

ネギは、一体何が起きているのか、という戸惑いも当然あるが、それ以上に恐ろしかった。

奇声とも言えない騒音と、黒と灰色の塊と、何よりその表情の混濁が恐ろしかった。

人形と人間の中間。表情が溶け落ちている。無表情なのではなく、様々な感情が同時に発露して、形容しがたい表情になっている。

まるで人間の感情など、データに過ぎないとあざ笑うかのような有様で。

千雨が人間ではないという事実を突きつけられるようで。

人として生きる者にとって根源的な恐怖を見せつける千雨の有様に、ネギも、超も、ただ立ちすくむことしかできなかった。

 

「やれやれ」

 

そこに、そんな冷めた言葉とともに、小さな人影が千雨の隣に現れた。

 

「まさかこんなことになるなんてね」

 

人影は、その後ろに二人の少女を連れていた。少女に挟まれるように立つ人影の、人形じみた無表情と乾いた声。

ネギがあらゆる意味で警戒する存在である、フェイト・アーウェルンクスであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話 長谷川千雨の約束ver.2

長谷川千雨が人工物であることは、彼女の言葉の端々と、栞が彼女を読心して得た情報から推測していた。それがネギ・スプリングフィールドとの会話によって確信に変わり、それとほぼ同時にフェイトは自身の従者である栞を仮契約カードを用いて召喚した。

会話の流れから、ことによっては長谷川千雨の精神が危険域に達する可能性を見たためだ。

自分のような人工の存在は、自身の存在意義を明確にしていないと精神が揺らぐ。フェイト自身、己の存在について悩み、それを主へと打ち明けた際に精神が機能不全に陥ったことがある。その時は栞とその姉の共感能力によって精神の再構成に成功した。精神を再構築する際、フェイトは無意識のうちに姉妹の精神を尺にしていたのだ。

もし今回、自身と同じ人工であると判明した彼女がかつての自分と同じ状況に陥った場合に備え、フェイトは栞を呼んでおいた。

 

その栞と、彼女のガード役として暦を脇に、フェイトが千雨の隣に立つ。

突然の登場にネギたちは警戒も露わに構えるが、フェイトはそれに見向きもしない。千雨だけを見つめて、右手を伸ばす。ノイズがフェイトの指を侵食する。彼女の情報操作能力が、魔法世界だけでなく現実にまで干渉しているようだ。フェイトの存在を自壊させる光景にその背後に立つ栞と暦は息を飲むが、当の本人は全く意に介さず、歪む右手でそのまま千雨の目を覆った。

奇怪な音を吐き続ける千雨の耳元に躊躇いなく口を近づけ、何事かを囁く。

 

「ーー、・・・・・・ーー」

 

いくつもの言葉を重ねていくことで徐々に、千雨の崩壊は止まっていく。絶叫は収まり、撒き散らされていたノイズも鳴りを潜めていく。

もちろん、他人の声を聞いただけで人工知能である千雨の精神が安定するはずはない。しかしフェイトの手には鵬法璽があった。千雨の精神を縛る、契約系の魔法具における最高峰のそれ。この魔法具を介して言葉を紡ぐことで、千雨の精神と魂に外圧をかけることで、人の形を強引に維持させる。

 

「栞さん」

「は、はい」

 

呼ばれた栞が、指の欠けた千雨の右手を握りしめる。千雨の精神を精査し、欠落部分をマッピングしていく。栞はそれらを念話でイメージにしてフェイトへと伝え、フェイトがさらに言葉を耳から千雨の精神に流し込んでいく。次第に千雨の体に生じていた欠落も表面上は補完されていく。

フェイトの腕に抱かれ、囁きを聴きながら落ち着きを取り戻していく千雨の様子を、ネギはずっと見つめていた。

見ていることしかできなかった。

 

「何を、したの?」

「別に。ただ、」

 

ネギの問いに、フェイトが視線を千雨に向けたまま、静かな声で応えた。

 

「彼女に必要な言葉をかけただけさ」

 

千雨が失った自身の存在意義を新たに設定し直した、という実に事務的な理由であるのだが、それはネギにはまるで異なる意味に捉えられた。

 

「・・・・・・っ」

 

拳を握る。ネギの脳裏に数日前の光景が蘇る。崩壊するゲートポート、その瓦礫の向こうで、嬉しそうにフェイトの手を取る千雨の姿。

何か言葉を返さなければ。そう思うも、何も思いつかない。自分は千雨に拒絶されたばかりで。フェイトと違って苦しむ千雨を前に何もできず、こうして立ち竦むことしかできなかった。

そんな自分が、千雨を返せ、なんて恥知らずな言葉を吐くなんて、できるはずがなかった。

 

ーー君に何ができる?

 

そんな言葉が聞こえてくる気さえする。懊悩するネギに向けられるフェイトの瞳に見覚えがある。京都で、リョウメンスクナを前になんの手立ても持てずにいた自分に向けられた、何もできないネギへの失望が見て取れる雄弁な瞳。

劣等感がそう思わせているのか、目の前に広がるフェイトと千雨の間に入ることに忌避を覚えるような空気を感じてしまう。

そんな空気を全て無視して、黒い影がフェイトに背後から飛びかかった。

二振りの白刃がきらめく。フェイトは自身の背後に砂の壁を一瞬で構築した。魔力で圧縮された砂塊は鉄を上回る剛性を持つ。しかもそれはフェイトの意思で硬さをそのままに自在に形を変え、下手人を捉えようと食虫植物のように展開する。砂の触手に刀を一本取られ、しかしそれと引き換えに砂の罠から距離をとり喫茶店の屋根に飛び乗った彼女は、実にいい笑顔でフェイトを見下ろした。

 

「月詠さんか」

「お久しぶりどす〜」

 

黒いゴスロリ服に身を包んだ人斬りが、太陽を背に笑っている。眩しそうに目を細め、暦に栞を庇わせてフェイトが見上げる。

 

「何をしに来たのかな?」

「聞く意味あります〜?」

 

全くもって。刀を抜いた人斬りに聞くことではない。

瞬動を三連。残像を残しながら虚実を織り交ぜ月詠はフェイトに迫る。砂の防壁の隙間を縫って放たれた神速の突きを魔術防壁で受け・・・・・・フェイトの左肩に穴が開いた。

 

「これは」

「斬魔剣弐の太刀」

 

技後硬直を狙う砂の触手をひょいひょいと軽い身のこなしで避けながら月詠は言う。

 

「神鳴流の前には、壁や盾など意味ありませんえ」

 

斬りたいものを斬る。本来は無辜の民を傷つけずに魔を調伏するために生まれた技術であるが、人斬りの手にかかれば悍ましい殺戮技巧に堕ちる。

フェイトは一瞬顔を蹙めた。左肩を抉られたために左腕が動かない。あと10センチズレていれば心臓を砕かれ霊格を破壊されていただろうことを考えれば幸運とも言えるが。

それはともかく、現在左腕が動かず、右腕は千雨を抱えている。千雨を置いてその場を離れようにも、

 

「逃しませ〜ん」

 

月詠は常にフェイトの右へ右へと回りながら攻撃を仕掛けてくる。抱えている千雨で死角を作るように。千雨を手放す暇を与えてもらえない。実際の刀身と弐の太刀によって放たれる千雨を素通りする気の斬撃、両方を躱し続けることはさすがのフェイトにも難しい。

 

「千雨さんに当たらんよう気を使わないといけないのが面倒です〜」

「月詠さん」

「なんです?」

「君は、ネギ君の仲間なのかな」

 

月詠はいかにも心外だという顔をした。

 

「いいえ。何度も斬り合った仲どす。いつかあの首をはねたいと思っとります」

 

それがなにか? と問い返す月詠に対する返答は、フェイトの槍のような前蹴りだった。

気を通した妖刀で受け、ブロックで舗装された地面にレールのような跡を残しながら後方に飛んでいく月詠は、刀を持たない左腕を使って音速越えの肘打ちを背後の虚空に放つ。虚空瞬動と同様の現象を肘で生じさせ、フェイトの蹴りから貰った運動量を帳消しにした。

7歩の距離で対峙する。

二人の戦闘の余波ですでにネギと千雨が紅茶を頼んだ喫茶店は見るも無残に崩れ落ち、周囲の観光客は悲鳴をあげながら逃げ惑っている。

 

「あはっ」

 

そんな光景を一顧だにせず、月詠はフェイトだけを見つめて、歪な笑みを浮かべた。

月詠の狂気を前にフェイトは思考する。千雨を手放すことはできない。この空間で、戦闘行為以外の行動は全て致命的な隙になる。元よりここで千雨を手放せばネギに奪還され、計画に大きな遅延が生じることになる。

とはいえ、月詠本人から『ネギの仲間ではない』と言質をとれたのは僥倖だった。お陰で後手に回らなくて済む。これで「はい」と答えられていたら、契約に縛られているフェイトは詰んでいた可能性があった。

フェイトは千雨を抱えながら後方に瞬動。街路を後ろ向きに駆けるフェイトに追随する月詠。その進路上に黒い鉄刀『千刃黒曜剣』がばら撒かれる。

その全てを月詠は神鳴流が奥義『百花繚乱』で斬り払う。ダメージはないがフェイトとの距離が開いた。月詠は内心舌打ちしながら虚空瞬動で遅れを取り戻そうと力を込めるが、その一瞬の隙を捉えフェイトは宙で停止した。

月詠は多少減速していたとはいえ客観的には目にも止まらぬ速度でフェイトを追跡していたため、フェイトの急停止によってその相対距離は一瞬でゼロになった。結果フェイトの右膝がカウンターの形で脇腹に入り、月詠の肋骨を二本砕きその矮躯を独楽のように弾き飛ばした。

錐揉みしながら月詠が叩き込まれた、大通りに沿って並ぶ青果売りの店舗が三つまとめて倒壊する。

死んだか、と思う間も無く、材木と果実の汁を全身に浴びた月詠が、邪魔になる周囲の瓦礫と人を刀で吹き飛ばしつつ立ち上がる。

 

「やっぱり、刀一本じゃ太刀打ちできまへんな〜」

「・・・・・・僕は両腕をふさがれているんだけれどね」

「しかたありません、奥の手といきますわ」

 

月詠は、左手の中指に付けていた指輪を右手で回す。これはエヴァンジェリンから、魔法球の中でネギの相手を10日、体感時間で240日もの間相手にし続けた礼として受け取った、空間圧縮効果を持つ魔道具である。

そこから取り出したのは、一本の黒刀。

かつて京都が日本の首都であった時代、多くの術者と剣士を殺害し京を恐怖のどん底に陥れた、日本史上最悪の妖刀。

その銘を『ひな』。本来は京都神鳴流の本部にて封印されているはずのものである。

 

「・・・・・・それが君の奥の手?」

 

確かに、見るも禍々しい念をばら撒く刀である。魔法世界全土を見渡してもここまでの物はそう多くない。

 

「いいえ?」

 

しかし、月詠は首を振った。妖刀ひなを抜き、その身に宿る怨念を解放し、

 

「これを、こうするんです」

 

月詠は、妖刀ひなの千年を越えて積み重ねられた怨念の全てを『掌握した』。

妖刀ひなの真に恐ろしいところは、己を握った者の精神を犯し、傀儡として操り殺意を振りまく、刀身に宿る『人格』にある。

一千年の時でもって築き上げられた殺意と怨念。月詠は怨念をエネルギー、殺意で構成される人格を術式と見立てて掌握し、自身に装填したのだ。

 

「ああああああああああああ!」

 

ただ妖刀ひなの怨念に身を任せるだけでは得られない力が月詠の身を満たす。月詠の艶やかな茶髪も、その白い肌も、今はヘドロのように汚れた黒へと変貌し、額から生えた角や口からはみ出す牙はまさに悪鬼のそれとなんら違いはない。目は赤く光り、それと同じ輝きが全身を地割れのように走り呼吸とともに明滅している。

土砂の洪水のごとく溢れる月詠の黒い気の本流が周囲を侵す。その黒い気に触れた物が端から腐り、溶けていく。

 

「ネギはんもめんどくさいお人です」

 

破壊と腐敗を撒き散らす怪物へと成り下がった月詠は、その外見からは予想外なほど理性的な声で語る。

 

「色んなこと悩んで、その度に立ち止まって。何でもかんでも考えすぎです。もっと単純に、

受け入れてしまえば楽しいのに」

「君も、それを習得していたんだね」

「習得したのはネギはんよりむしろ早かったですよ〜。エヴァンジェリンはんにも褒められました、お前には誰よりも堕落する才能があるって」

「褒めてないねそれ」

 

ふう、とフェイトはため息を漏らす。

 

「それにしても、どうして月詠さんは僕を斬ろうとするのかな」

「え?」

「君は人斬りだろう? 僕みたいな人形は興味の対象外のはずじゃないのかな」

 

月詠は一瞬きょとんとした顔をして、すぐに笑い出した。体に纏う赤い線が殊更に輝きを増した。

 

「知らぬは本人ばかり、というやつですかね〜?」

「・・・・・・?」

「気づいてません? 今のフェイトはん、とってもとっても、人間らしいですえ?」

 

興奮がとまらない。

ずっと、月詠は退屈していたのだ。

人を斬りたくて斬りたくてたまらないのに、斬るために傭兵稼業に身を窶してしたのに、満足のいく斬り合いなんて全く望めなくて。だからわざわざ魔法世界なる珍妙な場所まで来たのに、そこは幻想と人形が闊歩する無価値な世界で。

目を付けていた少年もどんどん腑抜けるばかりで。

そんな中でやっと、初めて斬りたい相手ができた。

今の彼は京都の時とは比べものにならない。生きている、様々な感情が渦巻いている。怒りと失望と、願望が破れた喪失感。右腕に抱く少女への形容しがたい思い。それは同胞意識かあるいは同族嫌悪か。共感か同情か、はたまた嫉妬か。あらゆる感情が混在しているのに、そうと認識できずに漠然とした不安を自身に感じている様はまるで物心のついたばかりの幼子のようで。

なるほど、と月詠は思う。

あの超という少女は色々と理屈をこねていたけれど、結局は本能の話だ。

匂いでわかる。

あれは人間だ。

とてもとても、斬り甲斐がある。

フェイトの前であの少女を刻んだ時、彼はどんな顔をするだろう?

 

「行きますえ、フェイトはん」

 

簡単に死なんでおくれやす。

右手にひな、左手に銘も無き妖刀をだらりと下げて、月詠はフェイトに向かって飛びかかった。

 

 

 

 

 

辺りの建物を無差別に巻き込みながら、月詠はフェイトを追跡していく。邪魔になる建物を刻み、蹴り倒し、時にはフェイトに投げつける。その力と速度はアーウェルンクスシリーズと十分にタメを張るレベルに至っており、両腕を封じられ、千雨の体を慮って瞬動を加減しなければならないフェイトははっきり言って不利である。

屋根の上を駆けながらフェイトは冷静に思考する。

近接戦闘では圧倒的に不利。長谷川千雨を無傷で回収するには、月詠を撒き、転移を使うための時間を稼がなくてはならない。水属性は不得手であるため、それを用いた転移には5秒の時間が必要。

フェイトに有利な点は、魔法を使えること。

 

「『小さき王 八つ足の蜥蜴 邪眼の王よ 時を奪う毒の息吹を 石の息吹』!」

 

触れた部位から石化を進める魔の霧を、自分の後ろに向かって広げる。しかしそれは月詠が体表から漏れ出している腐敗の闇で防がれた。溢れる闇の濃度が濃すぎて、石化の霧が月詠の体表まで届かないまま彼女は霧を抜けた。

しかしその一瞬でフェイトは物陰に隠れることに成功する。5秒でいい。5秒あれば水を用いた転移が使える。

 

ーー滅殺斬空斬魔閃

 

月詠の小さな呟きをフェイトの人外的な聴覚が聞き取った。

即座に瞬動で距離を取る。ほぼ勘に頼ったこの選択は功を奏し、一瞬前までフェイトと千雨がいた路地裏は、道を挟んでいた複数の建物ごと、大量の水を叩きつけるかのような音とともに粉微塵になって消滅した。

見上げれば、ここ一帯で最も高い時計塔の上で片足立ちする月詠がいた。刀を振るい、巻き起こった風が粉塵をさらっていく。

目が合った。

 

「いたぁ」

「『冥府の石柱』」

 

目を弧にしてフェイトを見つめる月詠に向かって、フェイトは無詠唱で巨大な石柱を召喚する。地面から月詠を斜め上に打ち上げる角度で生み出されたそれは破城槌さながらだ。

轟音が響く。

人一人を殴打して鳴る音ではない。戦場で、城壁を攻め立てる攻城戦で聞いたそれとなんら遜色のない打突音。

もちろんこれであの人斬りを潰せるとは思っていない。フェイトは立て続けに冥府の石柱を召喚し続け、月詠の斬撃で更地になった周辺に墓標のように突き立てていく。怒れる巨人の足音のごとき音と立つことも困難にする断続的な震えが連なる。

狙いは死角を増やし、月詠の視界から逃れること。街並みを作る建物は脆弱過ぎて月詠にとってはなんの障害にもならないが、フェイトの魔力と術式で形成された魔法構造体ならそう簡単に破壊されることはない。

フェイトのそんな目論見は、月詠がばら撒く腐敗と何重にも連なる斬撃によって一瞬でご破算になった。

斬撃を受け、石柱は根元まで大雑把な乱切りにされ、その断片が四方にばら撒かれる。断片とはいえその一つ一つが家屋ほどの大きさであり、それらが街並みを押しつぶしながら跳ね回る。悲鳴がそこかしこから聞こえ、ところどころで火災まで発生し、まるで爆撃を受けたような有様だ。

 

「神鳴流は退魔の剣」

 

そんな光景を生み出しておきながら、月詠はそちらには全く目を向けない。意識すらしていない。フェイトしか眼中にないのだ。結局フェイトが月詠の視線から逃れられたのはほんの2秒ほどであった。

 

「魔法でできた物体なんてええカモです。しかもただの石。鉄すら切り裂く神鳴流には通用しません」

 

おそらく月詠の醸す腐敗の力は、魔法の術式すらも腐らせ崩壊を早めるのだろう。存在自体に綻びが生まれた石柱は、それがどれだけ大きくとももはやハリボテに過ぎない。

ハリボテとなった石柱を撫で斬りにして視界を確保した月詠が、悠々と距離を詰めてくる。

両手に刀を下げた人を喰らう鬼が、彼我を五歩の距離まで詰めた。

面倒なことになった、とフェイトはため息をついた。

隙の大きくなる弐の太刀だけでなく、通常の斬撃に付加される腐敗属性まであるのでは、自身の障壁が役に立たない。

そもそも、長谷川千雨が無傷である必要などないのだ。

世界再編魔法を実行さえしてもらえるなら、それこそ脳髄だけになったって構いやしないし、さらに言えば彼女の体は人工物で、データ生命体とかいう存在らしい。体に穴が開いても平然と再生するような存在を、なぜ自分はむきになって守ろうとしていたのだろう。

目標の再設定。

月詠はここで殺害しておく。

そのために、こちらの枷となっていた長谷川千雨は、首から上が無事なら良しとする。

 

「ふふっ」

「? 何がおかしいのかな」

「だって」

 

月詠はケタケタと笑いながら、

 

「そんな思いつめた顔されるなんて、なんとも人間らしくてたまりまへんわ〜」

「・・・・・・思いつめる?」

「一体、今何を思ったんですか? 何を引き換えに、何を決断したんです?」

 

まあ、と月詠は刀を構え直す。

 

「斬ってみればわかりますえ」

 

月詠は左の妖刀を振るう。拡散斬光閃。閃光のように気を走らせる遠距離の牽制技をさらに拡散させて放つそれは、今の月詠の手にかかればガトリングガンの斉射に近い破壊を撒き散らす。フェイトはそれらを全て身に纏わせる砂の防護壁で受け止め、その内側から『千刃黒曜剣』を形成する。

月詠がひなを上段に構える。そのまま振り下ろせば斬魔剣弐の太刀がフェイトを襲うことになる。

その振り下ろされる腕の軌道上に黒曜剣を差し込んだ。

あらゆる障壁を無視して対象を切り捨てる弐の太刀は確かに脅威だが、対処できないわけではない。

気で形成される刃の軌道は、実際に振るわれた刀が描いた弧の延長のみなのだ。つまり、振るわれる刀の軌道を妨害すれば、弐の太刀はそもそも形成されない。

 

「対処早すぎますえ〜」

「これくらいできなくちゃ悪の組織なんて名乗れないよ」

 

『千刃黒曜剣』を自在に操り、月詠の剣の振りを阻害する。月詠は黒曜剣を一本ずつ腐敗させながら砕いていく。砕き、捌き、受け流しながらフェイトへとにじり寄っていく。

あと三歩。

 

「『万象貫く黒杭の円環』」

「百烈桜花斬」

 

フェイトは四桁に届こうという数の石化の杭を一度に放つ。本来は八方に向かって無差別にばら撒く弾幕のように使う魔法であるが、それを今回は、逃げ道を塞ぐもの以外の全てを月詠に集中させて放った。その全てが人体など貫通して余りある威力と速度を持ち、しかし月詠は致死の散弾の中を二刀を用いた百烈桜花斬で真っ向から突っ切る。杭の弾幕に対する剣戟の結界。その密度は黒杭が優っていたが、一振りにつき5本の杭を撃ち落とす月詠の技量を持って場は一瞬の拮抗を保ち、喜悦に笑う月詠の執念が競り勝った。

あと二歩。

 

「『地を裂く爆流』」

 

地面を爆発させ、その内から溶岩を噴出させる魔法。『万象貫く黒杭の円環』を越えて踏み込んだその足元がいきなり灼熱とともに爆発するのだ、並みの戦士であればそのまま溶岩の波に攫われ骨も残さず蒸発していただろう。しかし月詠は、ひなの怨念を取り込んでいたためか自分に向けられる殺意に敏感になっていた。足元から迫る灼熱の殺意を獣じみた嗅覚で察知し、さらに先、爆発の起きていない、否、起こせないフェイトの至近まで加速することで難を逃れた。

あと一歩。

 

「解放・『石化の邪眼』」

 

しかしそれは囮だった。唯一の逃げ道を残すことで敵を誘い込み、カウンターで不可避の攻撃を叩き込む、狩の常套手段。千雨を抱える右腕から指だけを伸ばし、二重詠唱で完成させ遅延させていた『石化の邪眼』を起動する。それは石化の光線を指より放つ魔法で、発動から命中までのタイムラグはほぼゼロである。見られたら石になる、バジリスクの邪眼の名を冠するに相応しい即死級の魔法だ。それをわずか二歩の距離で、加速しながら放たれたのだ。その絶妙のタイミングはアーウェルンクスシリーズの面目躍如、如何に人間を捨てた月詠といえど決して躱せるものではない。これを回避できる存在などジャック・ラカンくらいのものである。

だから月詠は避けなかった。

その光る指先に危機感を覚えただけで、なんの根拠もなくその予感に身を捧げ、月詠は左の刀を手放した。

空いた左手の平をフェイトの指先へと突き出す。さらに指の間から闇色の気を放出する。

『石化の邪眼』が発動する。

その光は強い指向性を持ち、腕に纏った程度の闇では完全に遮ることはできなかった。掌を保護する気を貫いて、一瞬で肘までを石に変える。あと1秒も経たずに心臓まで石化は進行するだろう。

そんな致死の呪いを帯びた左腕を、月詠は笑みのままなんの躊躇いもなく切り飛ばした。

しかも途中で刀身を捻り、石となった腕を粉々に砕きながら。

フェイトの目が見開かれる。

月詠は先からずっと変わらず深い笑みを浮かべていたのだ。笑みのまま、腕を斬る選択をとった。その狂気に、精神に一瞬の空白が生まれた。

それは人間が驚愕と呼ぶ感情であるが、フェイトはそこまで思い至らない。

月詠が右の刀を弾き、砕けた腕の破片がフェイトと千雨に向かって飛ばされる。一つ一つが弾丸のごとき速度を持って二人に迫る。この程度フェイトにはなんのダメージも与えられないが、千雨はそうではない。そのことに思い至り、フェイトは千雨に向かう7つの破片を右手で弾き、

 

ーー何を考えている。

 

フェイトの中に更なる困惑が生まれた。

 

ーー彼女の負傷はやむを得ないと、そう設定し直したはずなのに。

 

「迷いましたなぁ?」

 

月詠の声に意識を戻す。一瞬のアドバンテージの奪い合いが生死を分ける極限の戦闘において、それは致命的な隙であった。

フェイトの視界に広がるのは、月詠の左腕から噴出した血液。ひなを装填したことで血液まで汚らしい黒色に染まっており、腐敗の属性を備えている。それを危険と判断したフェイトの物理障壁の展開術式が自動で起動し、フェイトの眼前に展開された障壁全面が黒い血に塗れた。

月詠が刀を捻ったのは石化した前腕を砕くだけでなく、上腕動脈を広く傷つける為でもあった。

腕を切りとばす即座の判断。石飛礫による千雨への牽制。血の目潰し。

片腕の犠牲と、三重に重ねた伏線の末に、ついに月詠はフェイトとの距離を刀が届くまで詰めた。

しかしフェイトの視界には月詠の握る妖刀は映っていない。血の影に隠しているのか、逆手にして自身の体の背後に回しているのか。距離が近すぎて見失ってしまった。

フェイトが見たのは、月詠の肩と腰の回転。その動きから推測できる次の攻撃は。

 

弐の太刀も何もなく、長谷川千雨ごとフェイトを串刺しにする突きであった。

 

フェイトは失態を悟った。

ネギの執着具合から、彼らは長谷川千雨を奪還するために動いているのだと思っていたのだ。愚かな、とフェイトは自分を罵倒した。月詠は最初にネギの味方ではないと口にしていたではないか。そもそもこの人斬りに何を期待していた。長谷川千雨に当たらないよう気を使うなど、ブラフに決まっている。

この鬼にとって、長谷川千雨の価値など路傍の石にも等しいのに。

 

「月詠さん!」

 

横から、いきなり人影が躍り出た。

二人にようやく追いついたネギである。

ネギは術式兵装『両面宿儺神』を纏い、その四腕と全身を使って、今にも千雨を串刺しにせんと迫る月詠の右腕にしがみついた。

 

「・・・・・・・ぁあ? あ、」

 

突きが止まり、殺意をフェイトから右腕にへばりつくネギに向けたところで、月詠はフェイトに大きな時間を与えてしまったことに気づくが時すでに遅く、フェイトはすでに瞬動で距離を大きく開け、水を用いた転移の準備に入っていた。

 

「ネギ君」

 

フェイトが呼びかける。その右腕に肩を抱かれる、意識のない千雨を見て、ネギは歯を食いしばる。

 

「とりあえず、礼を言っておくよ。その刀で刺されれば、僕はともかく長谷川千雨はただでは済まなかっただろうから」

「・・・・・・」

「彼女は、僕らの計画の中枢とも言える重要な存在なんだ。それをこうして無傷で回収できたことはとても喜ばしいことだよ」

「喜ばしいのは計画に必要だから、だけですか〜?」

 

月詠が茶々を入れる。フェイトは無言で眉を顰めた。細い水の柱が三本、フェイトと千雨を取り巻く。

 

「聞いたと思うけど、君たちを地球に送り返すのは僕らの計画の最終段階になる。開くゲートの場所も、時も、すぐにわかるようになっている」

「・・・・・・どういうことだ」

「全てが集まる時と場所で、また会おう」

 

フェイトが姿を消した。ぴちゃり、と小さく水が跳ね、後には水たまりが残るだけである。

 

「・・・・・・離してくれます?」

 

月詠が苛立ちもあらわに腕を振りほどきながらネギに吐き捨てる。術式兵装を解除し、妖刀を地面に荒々しく突き立てた。懐から取り出した符を切断された左腕に貼り付けながら、

 

「というか、ウチの邪魔より先に、仮契約カードで千雨さんとやらを召喚すればよかったん違います?」

「・・・・・・それは、できませんでした。カードの機能に向こうからプロテクトがかけられているみたいで、召喚も、通信もできないんです。多分『力の王笏』でカードの術式を弄ったんだと思うんですが」

「ふぅん」

 

聞いておきながらまるきり興味のなさそうな相槌を返す。フェイトとの戦闘を邪魔されたことが相当頭にきているようだ。

くふっ、と月詠が笑った。

 

「どうして邪魔をしたんですか〜? あの少女は本人も仰っていた通りのつ・く・り・も・の。地面をのたうち回るあの様も見たでしょう? 人と人形が入り混じった、冒涜的な姿。それに、どれだけ体が傷ついたところでいくらでも再生できるんでしょう?」

「・・・・・・」

「それなら、あのままフェイトはんごと貫くべきでした。違います?」

「なぜ、剣で突く必要が? 弐の太刀で良かったのでは」

 

はん、と月詠は鼻で笑った。

 

「弐の太刀を放つ隙なんてあの濃密な空間にはありはしませんえ。それにあの手の、存在が肉体より精神に依存しているカラクリ型の妖は、体をどれだけ刻んだって大して痛みを与えられません」

 

月詠は足元に立つ妖刀ひなを引き抜き、ネギにその黒い刀身を突きつけた。禍々しい妖気がその身から湯気のように立ち上っている。

 

「だから、弐の太刀で遠くからちまちま刻むんでなく、この妖刀が宿す狂気を直接叩き込む必要があるんですえ。この刀はかつて術者や剣士を乗っ取り、宿主を変えながら長きに渡り人を斬り続けた呪いの一品。これに触れれば、いくらフェイトはんでも、死にはせんでも動きを止めることはできたはず。それなのに、あーそれなのにそれなのに」

 

あーあ、とわざとらしいほどにがっかりしましたという態度を見せる月詠は、笑顔を絶やさずに、

 

「こうなったら、ネギはんに責任とってもらいましょか」

「責任、ですか」

「もう、ネギはんでええかもな、なんて?」

 

言いながら月詠はネギの顔を覗き込む。目の高さに掲げていた妖刀をネギの首筋に当て、ネギの目をじっくりと見定める。

月詠の顔から笑みが消えた。

 

「あかんわ」

「な、にが」

「こんな腑抜けを相手にしたって面白くもなんともあらへん。そんなザマやから、大事なお姫さんを取られるんとちがいます?」

「・・・・・・!」

 

月詠の言葉の棘を受け、ネギは俯いてしまう。

先の自分の醜態を思い出す。

苦しむ千雨の姿に怯えてしまった自分。

彼女の苦しみを癒す手段を何も持たない自分。

言葉を尽くせばきっと分かり合えると、人が争うのは言葉が足りないからだと、そんな綺麗事を信じて千雨に対して本音をぶつけた。自分が、他の誰でも無いあなたを求めているのだと、それを伝えたくて。

その結果があれだ。

あの長谷川千雨の正体を知った今ならわかる。

自己満足のために吐いた言葉が、自己同一性に悩む彼女を、深く深く傷つけた。

彼女は言っていたではないか。私は誰だ、と。

言葉を尽くすべき、と思いながら、自分は彼女の助けを求める声を全く聞いていなかったのだ。

対して、フェイトはどうか。

あの少年は千雨を理解しているようだった。突然の事態に怖気づく自分と違い、フェイトはなんの躊躇もなく千雨に近づき、言葉を囁くだけで彼女の容態を落ち着かせた。

それに、フェイトが千雨を見る目。まるで、自分にはない千雨との絆が、フェイトにはあるように思えて。

アーウェルンクスシリーズ。始まりの魔法使いによって作られた魔導兵器。

長谷川千雨。未来で作られた、実体化能力を持つ人工の情報生命体。

ああ、つまり。そういうこと、なのだろうか。

 

「はぁ、フェイトはんはカッコよかったどすなあ。怪物からお姫さんを守るナイト様って感じで。本当はあんさんがナイト気取りたかったんでしょうけど、残念でした。ナイトどころか、あんさん言うてましたもんね。なんでしたっけ〜、たしか、本物でないと意味がない、でしたっけ? 実はちょっと聞いてたんですけど、千雨はんが発狂したのってもしかしてそれ」

「月詠さん、八つ当たりはやめるネ」

 

超がようやく追いつき、チクチクとネギを責める月詠を遮った。

超は茶々丸に肩を借りるようにして空に浮かんでいた。茶々丸の背中から吹き出るスラスターの音のせいで微妙に超の声が聞き取りづらい。

茶々丸にエスコートされながら超が着地する。

 

「その妖刀に触れたものの精神が汚染されるなら、千雨さんだて例外じゃないネ。というか、精神の均衡を崩していた千雨さんには致命傷になていたはずヨ。ネギ坊主が止めた判断は間違てないネ」

 

そうフォローを入れても、ネギは俯いた顔をあげようとしない。その鬱々とした雰囲気は今までで1番重症のように見える。ネギの聡明さを考えれば、恐らく、自分の言葉が間接的にでも長谷川千雨の精神にダメージを与えたことを薄々と勘付いているのだろう。

だとすればこれはもう自分の手には負えないネ、と超は肩を落とした。

八つ当たりでネギにトドメを刺した人斬りは、おっとうっかり、なんてほざきながら舌を出した。超はそんな月詠を見つめ、

 

「月詠さんはこれからどうするネ?」

「どう、とは? とりあえず病院行こう思いますけど」

「イヤ〜、これだけ暴れて、間違いなく指名手配されるネ」

 

あたりを見渡せば、まさに死屍累々といった有様である。サイレンが何重にも鳴り響き、救護のためか、魔法使いが空を縦横に走り回っている。

 

「どうでしょ? 見た目化け物でしたし、映像が残っていたところで外見じゃウチとわからないと違います?」

「魔力波長で個人が同定される可能性があるネ。いや、怪我人全員の波長をチェックしてるかはわからないガ」

 

あー、と月詠が思案げに呻く。スカートの裾を千切り包帯代わりにして上腕を圧迫し、気で傷口を塞いでいるが、このままでは色々と不便が出る。

 

「総督さんに頼んで闇医でも紹介してもらうといいヨ」

「んー、あのお兄さんに借りを作るのは気が向きませんけど〜・・・・・・それしかないですね〜。そしたらまたフェイトはんと殺り合えますし。地球に帰る行きがけの駄賃に軽くスパーンと」

「・・・・・・まあ、好きにすればいいヨ。どうせ私には止められないし、止める時間もないネ」

 

こんな災害を、余波で引き起こすような規格外に何ができるというのか。超はため息をつく。最近ため息増えたな、なんて思いながら。

 

「時間が無い、というのはどういうことです〜?」

「ん、ああ」

 

超は目頭を抑え目の疲れを落としながら答えた。

 

「誠に勝手ながら、一身上の都合により、一足先に私は麻帆良に帰らせてもらうネ。宇宙を突っ切って、ネ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

覚醒した千雨が最初に見たのは、青褪めた栞の顔だった。

栞の白い右手は千雨の額に当てられている。どうやら自分の精神データを精査されているようだ。涙に潤む瞳は、困惑の色を湛えて千雨を見つめている。なにごとか、と千雨は額を抑える栞の手を無視して体を起こした。

視線を周囲に向けるとそこは見覚えのある部屋であった。廃都オスティア、墓守人の宮殿で千雨にあてがわれた部屋だ。室内はろうそくの淡い光で照らされ、窓からは星空が見えた。薄暗い部屋には栞だけではなく、フェイトとその従者の少女が揃っていた。

 

「どうだい、調子は」

 

栞の背後に置かれた椅子に座るフェイトが、千雨の意識の覚醒を待って声をかけた。その右手には一冊の本を持っている。パタンと本を閉じ、フェイトは立ち上がって千雨へと歩み寄る。

フェイトの無表情を見上げながら、『力の王笏』で自身と『ネギ』のステータスをチェック。

どちらにも問題はない。

 

「無問題だよ。な? ネギ」

 

フェイトに応えながら、千雨は隣に座る『ネギ』の顔を見上げた。

精悍な顔立ちだった。父親であるナギ・スプリングフィールドに知性を掛け合わせればこうなる、という面貌である。

そんな、すれ違えば誰もが振り向く笑顔で『ネギ』が囁く。

 

「そうですね、千雨さん」

 

見つめ合い、微笑み合う。自分たちの空間を形成している二人に、五人の少女はそれぞれが表情を変えた。嫌悪を露わに眉間に皺を寄せる者。吐き気を堪えるように口元を抑える者。その中で栞は、青ざめる頬に一筋の涙を流した。

しかし、フェイトはその無表情を全く崩さないまま、千雨と『ネギ』の空気を無視して話しかけた。

 

「ハセガワチサメ」

「あ? なんだよ」

 

邪魔すんなと言わんばかりのとんでもない口調である。部屋にいた少女たちは皆度肝を抜かれ、千雨をまじまじと見つめた。

 

「『それ』は、なんだい?」

 

それ、と言って指を指す先には、千雨を依然として笑顔で見つめ続ける『ネギ』だ。

もちろん、これはネギ・スプリングフィールド本人ではない。実体化モジュールで顕現させた、ネギ型AIである。

つまりは偽物。人形に過ぎない。それは見るからに不出来で、表情は笑み以外知らぬとばかりに不動。不気味の谷の深淵を見る者に覗かせる『それ』に対して、しかし千雨は何の疑問も持たずに断言した。

 

「ネギだよ、なんだ今更」

 

何を当たり前のことを、という呆れが千雨の顔に書いてある。ここで暦の猫耳が完全に折れた。

 

「それより、あれからどうなったんだ?」

「あれ、とは?」

「いや、私倒れただろ。あの後」

 

問われ、フェイトはポケットから魔法具を取り出した。鷲を模った天秤、鵬法璽だ。

 

「君の精神が崩壊しかけたことは覚えているかい?」

「んー、なんとなく。なんでそうなったのかは知らんけど」

「・・・・・・経緯はともかく、その時に君の精神を再構築する必要があってね。これを使って、君の精神を強引に縛り付けて、存在意義なんかも設定し直させてもらったりね」

「あー、そりゃ迷惑かけたな」

 

千雨はちらりとベッドサイドの椅子に座る栞に横目を向ける。なんだろう、さっきから顔色が悪い。まるで理解不能の化け物を見るかのような視線を千雨に向けてくる。目が合うと大げさなほどに視線を逸らしてくる。

なんなんだ一体。

 

「とりあえず精神の崩壊は防げたところで帰還して、君を安静にさせていたんだけど、気づいたら『それ』が突然現れてね」

「突然、現れた? ネギが?」

 

千雨は首を捻る。

 

「何言ってんだ? ネギはずっと私のそばにいただろ」

 

部屋に沈黙が降りた。

誰かがたてた息を飲む音が耳につくほどの静寂であった。それ以外皆が、身じろぎ一つしなかった。

そんな沈黙を破ったのは、やはりフェイトだ。

 

「計画に支障は?」

「計画?」

「千雨さん、あれですよ。世界再編魔法。魔法世界の全てを『完全なる世界』に送る」

 

ネギの補足に、ああそうだったと千雨はうなづいた。

この『ネギ』の言動は、基本的に千雨が無意識に組み立てたプログラムに沿っている。それは記憶の中にあるネギ・スプリングフィールドとの会話データを叩き台に、千雨の中にあった願望が練りこまれて作られたものだからだ。

ネギとの繋がりを拒絶して崩れた基幹部分を、新たに作った『ネギ』で補完した。

その結果、随分と歪になってしまったが、それでも『長谷川千雨』としての形をかろうじて維持できている。

しかしこの『ネギ』を作成する時、千雨の精神プログラムは『鵬法璽』の支配下にあった。千雨に意識がなかったこともあり、この時の千雨の行動は全て『鵬法璽』の契約を守るべく動いていた。

故に、『ネギ』の人工知能の思考アルゴリズムは、『鵬法璽』の契約を遵守するように偏向がかかる仕様となっている。

 

「千雨さん、約束しましたよね? 世界再編魔法を実行するって」

「ああ、した。したけどさ」

 

千雨はこくりと頷き、ネギに身を寄せ、

 

「お前は、どうだ? 世界再編魔法を起動した方がいいと思うか?」

「もちろんです。約束ですから」

「んー、そっか」

 

千雨はいつの間にか外れていたメガネを右手の中に再構築し、両目を覆うようにしながらそれをかけた。

顔の上半分を隠しながら一言、

 

「わかった」

 

自分は、ネギのために存在している。

それ以外は何もいらない。

千雨は、『ネギ』と絡め合う指先から伝わる体温に安らぎを覚えながら、『ネギ』と微笑みを交わした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話 ネギ×千雨か千雨×ネギか

プロット練り直すためしばし本作の投稿をお休みします。
もしかしたら十五話と十六話を削除するかもしれません。


エネルギーとプログラムが十全にあれば、どんなものでも実体化できる。

これは魔法工学においてはそれこそ数千年前から実用化されてきた技術であるし、地球においてもいくつもの例が観測されている。

例えば幽霊などがその最たる例だ。

前提として、生命は肉体と精神、そして魂から成る。肉体は器であり、精神はプログラムであり、魂はエネルギーだ。仮に肉体が消滅したとしたら、残されたうち精神はあっと言う間に情報が気化するし、魂はオドの中に拡散しエネルギーは安定状態になる。

 

「で、まあ。その魂と精神が結合しているものを魂魄と呼ぶわけだ」

「そうだね」

 

幽霊や実体化AIはこの前提の例外に当たる。

肉体という器がなくとも、精神が気化せずに魂を縛り、そのエネルギーがオド中に拡散されない現象。これが幽霊という存在の正体である。もちろんほぼ全ての死者の精神が気化するし、気化しないとしても残るのは死ぬ直前の強い感情だけという場合が多い。感情が強すぎて肉体から解放されても気化しないほどに精神が固まってしまうことが稀にあるのだ。その例としてわかりやすいのが番町皿屋敷のあれである。屋敷の住人への怨恨が気化されず、皿を数え続けることをレコードのようにひたすら繰り返す。

皿を数える以外の機能が全て気化し、精神に残されていないのだ。

記憶も、感情も、精神に宿っていたはずのあらゆる機能が取り除かれた、生者の末路の余韻。

幽霊とはそういった『現象』を指す言葉である。

 

「うちのクラスの相坂さよ、わかるか? 調べてるだろうけど、ああいった、生前の人格が肉体の外で完全に保存され、なおかつ学習することで精神構造の変化が許容されるなど例外中の例外と言って良い」

「相坂、というのは、名簿にだけある生徒のことだね。幽霊として存在しているのかい」

「厳密には幽霊の定義から外れてる気もするけどな。ありゃ多分オドの代謝が行われてる」

「厳密な意味での幽霊には代謝ができない? つまり、その精神に縛られている魂のエネルギーが尽きれば幽霊は消滅する、と」

 

千雨はうなづいた。

 

ろうそくが一本灯されている。机上のそれ以外の明かりはなく、窓すら締め切られ、時間の感覚がなくなって久しい。

千雨は今、蝋燭の置かれたテーブルを挟んでフェイトと向き合っている。もちろん隣にはネギを座らせ、手を握って寄り添っている。対面に座るフェイトと向き合う千雨には心強い。

 

世界再編魔法の核となるために必要な黄昏の姫御子。

黄昏の姫御子の主幹部分は、未来において開発される魔素マッピング法によって解明済みであった。

そのデータの一部は軍事企業が擬似魔法無効化フィールド発生装置の開発に転用し、一部は未来の千雨によって過去に持ち込まれている。

そのデータにそって、千雨は『力の王笏』によって魂魄を変質させていく。情報生命体であることはこういう時に便利だ。

魂と精神から無駄を削いで、必要な機能に特化させていく。

記憶を削って容量を増やし。

感情を潰して構造を簡略化し。

ただただ道具のように、あるいは、厳密な意味での幽霊のように、自身を作り変えていく。

世界を変えるために。

ネギのために世界を変える。

ネギのために、ネギのために、ネギのためにーーただその一念をもって。

あらゆる疑念と矛盾が『力の王笏』による自己改造によって流され、圧縮されていく。

疑念を抱かぬように、矛盾に気づかぬように、記憶は隔離され、必要とされる機能以外が失われていく。

自分が失われていく恐怖すら、もはや感じない。ネギがそばにいる、と思うだけで。

時折ネギと視線を交わしながら、ただ過去の妄執に従うだけの存在に堕ちていく。

 

「幽霊、ね」

 

ネギの肩に頭を寄せる千雨を見つめるフェイトの表情は、どこか寂しげであった。

 

 

 

 

 

 

 

『葉加瀬、応答願う。こちら超』

 

その声に葉加瀬は作業を放り出して振り向いた。視線の先には作業机の上に置かれた通信機だ。

葉加瀬は学園祭に向けて作成中であった多脚型ロボット群の調整中であった。周りには茶々丸の姉妹機が侍って彼女の作業をサポートしていたが、やはり超の欠落は痛いなと葉加瀬は思っていたところだった。

あたりに散らばる工具や資材をぴょんぴょん飛び越えながら葉加瀬は通信機に飛びついた。

 

「お帰りなさい超さん! いつ戻ってたんですか!」

『つい今しがたヨ』

「いまどちらに?」

『太平洋のハワイ寄りネ。大気圏突入時にスラスターが1つ壊れてしまってネ、着陸予定地から大きくズレてしまったヨ』

 

いやーまいったまいった、と笑う超の声に、葉加瀬は安堵のため息を吐く。

大気圏突入ということは、魔法世界に行く前に超から言われていた計画の1つであった『学園祭の邪魔になり得るネギ・スプリングフィールドを不法入国した魔法世界に置いていく作戦』が上手くいったということだろう。懸念は、地球と火星という惑星間移動を超が乗り越えられるかという点であった。いくら未来において単独惑星間移動法が確立していたといって、それを誰もが実行し得るわけではない。相応にリスクがあったのだが、超に怪我はなさそうである。

 

「無事に帰って来れたようで安心しましたよ。知ってます? 今地球側では、魔法世界と一切連絡が取れなくなったと魔法使いたちが大騒ぎしているんですよ。超さんも何か大きな事故に巻き込まれたんじゃないかって私心配で!」

『タハハ、それは心配かけたネ。いやもうばっちり巻き込まれたヨ』

「ぇえ!?」

『まあそれについては後々話すヨ。今はそれより何より伝えなくてはならないことがあるネ』

 

葉加瀬は首を捻る。超を迎えにいくために必要な現在位置の正確な座標よりも先に伝えるべき情報とはなんだ。

 

『世界樹の発光時期が恐らく早まるネ、学園祭よりも早く』

 

なんだと、という驚愕は一瞬で押し流され、葉加瀬の脳細胞の回転が一瞬で最高速に達する。

魔法世界との連絡途絶。つまりそれはメガロメセンブリアの地球との窓口に問題が生じた、というレベルではなく、魔法世界と地球をつなぐゲート全てに問題が生じたという可能性。ゲートが閉じられれば、そこを介して魔法世界からの魔力の流れが遮断されたということ。それだけを考えれば世界樹の発光現象は早くなるどころかむしろ遅くなる筈だ。それが早まるということは通常より多くの魔力が短期間のうちに世界樹に集まるということであり、つまりそれは、

 

「・・・・・・火星と地球をつなぐゲートが麻帆良だけになる」

 

結論から逆算すればそれ以外にありえない。

 

『葉加瀬はそのつもりで色々準備を進めてほしいヨ、指示はこうして出すネ』

「わかりました。超さんの迎えに茶々シリーズを一体送りますか?」

『頼むネ』

 

 

 

 

 

 

 

 

思っていた以上に時間がかかった。千雨は作業を進めながら内心で舌打ちする。

『力の王笏』のパワーが落ちていることもあり、魔法世界を構成する『始まりの魔法』の術式の把握と、自己改造に時間がかかってしまった。それでも前回よりは早いのだが。

目の前には懐かしき光景が広がっている。二百年近く前の思い出であるが、それでも懐かしいと思えるのはそれだけ『長谷川千雨』にとってこれは印象的なものだったのだろう。

中学生にとって、世界の命運を決めるという名目は、その人生に大きな影響を与えるほどに強烈であったのだ。

魔法世界全土から集まる魔力の奔流。

可視化されるほどの高濃度の魔力の流れ。

世界の終わりの最前線で知らされる事実。

世界は魔法でできている。

心は術式から成っている。

ある意味これは、千雨のその後の人生を決定づける体験であったのだ。

あの経験がなければ、今こうして自分の魂魄を弄り回すことに耐えきれなかった。

記憶もおぼろげなかつての経験と、当時の長谷川千雨の感情に思いを馳せながら、千雨はグレートグランドマスターキーと『力の王笏』を背にして祭壇に立っている。投影型モニターとコンソールでタイピング、術式を変更、本来の黄昏の姫御子の欠損による術式の不備をスキップ、同時に自身の魂魄改造も並行して行う。

 

「千雨さん」

「ん?」

 

栞だ。祭壇の上で、自分の付き添いとして彼女が侍っている。彼女とは随分と久しぶりだ。この宮殿で目覚めた時以来である。

 

「そういえば世話かけたな」

「え」

「壊れそうになっていた精神を修正するのにあんたも協力してくれたんだろ? フェイトの言い方からして、結構ギリギリだったみたいじゃねーか」

「あ、いえそんな」

 

俯く。何か言いたげな表情であることは千雨にもわかる。一瞬隣のネギと目配せをして、

 

「なんだよ?」

 

ぶっきらぼうに促せば、栞は意を決したように口を開いた。

 

「・・・・・・私との約束、覚えていますか?」

「あん? 世界再編魔法を実行する、てやつか?」

「はい」

「そりゃ覚えてるし、違える気もねーけど」

 

それ以外に、私の存在意義はないのだ。

千雨の言葉に、栞は息を飲んだ。

 

「世界再編魔法を実行すれば、千雨さんも『完全なる世界』に取り込まれます」

「んー、どうだろな。『力の王笏』の演算能力が足りなくて私は消える可能性の方が高いと思うぞ」

「それで、いいんですか」

「いいも何もあるかよ。何が言いたいんだあんたは。遠回しで分かりにくいわ」

「ネギさんのことです。彼のことは、もういいんですか?」

「ネギならここにいるだろ」

 

なあ、と千雨は自分の腰を後ろから抱きしめる『ネギ』を見上げた。

栞は息を飲んだ。

千雨が『ネギ・スプリングフィールド』を実体化させてから、同僚の従者達は触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに千雨に積極的に関わろうとしなくなった。フェイトは世界再編魔法の進捗について確認するため定期的に千雨と対話しているが、その度に関係ない話に付き合わされて最近では少し辟易としていた。だからか、フェイトはあくまで事務的な対話に終始させているため、こうして『ネギ』という存在について千雨に直接聞き出そうと行動するのは栞だけなのだった。すでにその試みは10度を越えていた。

 

「それは、偽物じゃないですか。そっちじゃ、ないです」

「・・・・・・だから、意味わかんねーって言ってんだろ!」

 

一瞬で千雨は沸点を超えた。グレートグランドマスターキーを素人丸出しのへっぴり腰で振り回す。曲がりなりにも戦闘訓練を受けていた栞にはかすりもしない。あっと言う間に千雨の息が切れ、へたり込みそうになったところを『ネギ』に支えられた。今は祭壇の上で、周りに何もないからこの程度ですんでいるが、これが千雨の部屋などで爆発した場合は枕やら蝋燭台やら手当たり次第に投げつけてきて会話にならなかったのだ。

だから、今、ここでの会話が最後のチャンスなのだ。そう栞は覚悟を決めてきた。

 

「千雨さんの、記憶を見ました」

「・・・・・・だから?」

「千雨さんの精神を修復した時に、防壁が壊れていて、その中身を読み込んでしまいました」

 

だからなんだよ、と千雨は思う。

道具の自分に過去など関係ないだろう、と。

 

「なぜ、あなたはあそこまで自分を」

「あ?」

 

栞の声は震えていた。胸に詰まる感情が出口を求めて荒れ狂い、声と一緒に漏れ出てきた。

 

「どうしてあなたはそこまで自分を殺せるのですか。長い間、百年以上も耐え続けて、あの日から、ずっとずっと、自分のためにしたことは1つもなかったじゃないですか」

 

あの日。それは、ヨルダの攻撃からネギを庇い、長谷川千雨が植物状態となった日のことである。

以来千雨は葉加瀬の補助の元、『力の王笏』でもって外界と繋がりを持ち続けた。

その記憶の大部分は、自己同一性の欠落や魂を削る苦痛に埋もれている。

その過程を、栞はその強力な読心能力で垣間見てしまった。

そばにいる。たった一言で言い表せる約束のために、そしてそれを破ってしまったために、長谷川千雨という少女は百年を超える苦痛に耐えたという事実を知った。

 

「あなたの幸せはどこにあるんですか?」

「・・・・・・そんなもの」

「私が、何より気にしているのは、ああまでして守り続けた約束が、あなた自身の手で壊れかけていることです。未来のネギ・スプリングフィールドの目的は、世界の再編ではなかった。地球と火星が手を取り合って平和を作り上げていく世界でした。それが、あなたの手で潰えようとしている」

 

栞は、泣いていた。

長谷川千雨は、この時代で、魔法世界を『実体化モジュール』で存続させる方法を取ろうと足掻いていた。そこに宿る意志と覚悟を得るまでの過程を、栞は読心能力でもってその深層まで体感してしまったのだ。

 

「脳と魂を削る苦痛に耐えて。親友の命を代償にして時代を超えて。そうまでして叶えたかった願いとネギ・スプリングフィールドへの思いが、あなた自身の手で踏みにじられる」

 

栞にも、恋する相手がいる。フェイトに命を救われ、彼の使命と意志を知り、彼のために生きると誓った。この身も命も、フェイトのために費やすと決めた。

その意志の強さは誰にも負けない。

そんな自負は、千雨の過去を知って木っ端微塵に砕けた。

そばにいる。

ただそれだけのために、長谷川千雨はあった。

純粋だと思った。この世で一番尊いと感じた。大それた願いとは決して言えない、願いと言うにはあまりにもささやかなそれに伴う苦痛。自分にも同じことができるとは到底思えない。

そんな彼女の意志が、本人の手で穢されようとしている。

 

「・・・・・・いや、でも、約束したから。あんたとだって」

「ええ、言いました。あなたの事情も知らず、騙されていることにも気付かず、一方的に約束させてしまいました。でもあの時、あなたは私に嘘をついた時、どれほど傷ついていたか、今になってようやくわかった」

「あー?」

 

全くピンときていない千雨の表情を見て、栞はようやく悟った。

もう、どうしようもないのだと。

目の前にいる千雨には、もう壊れているのだと。

鵬法璽によって再構成されたために、契約に不要な部分がそぎ落とされた結果だ。

栞は思う。

千雨が、長谷川千雨の意志を穢すのは、自分の責任でもあるのだ。

こんな形にしてしまったのは、自分だ。

全てではないにせよ、その責任の一端は間違いなく自分にもある。千雨の精神の修復に少なからず関わったのだから。

目の前の、困惑した千雨の有様こそが、栞の罪を表していた。

 

「千雨、さん」

 

言葉が続かない。

謝って済む問題ではない。すでに手遅れなのだ。時間を止めることはできない、あとは世界再編魔法が実行されるまでを待つしかない。どんな謝罪をしたところで、長谷川千雨の願いの破滅はもはや避けられないのだ。

それでも、言わずにはいられなかった。

 

「ごめん、なさい・・・・・・!」

 

千雨に背を向け、栞が走り去った。それを追いかける気にもなれない千雨は、ただその場に立ち尽くしている。

ただ、何故か。

栞の言葉に、胸の奥で熱いなにかが生じた。

そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔力の奔流は全世界で観測された。

尋常な事態ではないことは各国上層部の誰もが理解するところではあったが、だからといって何をすれば良いかと対策の話になると誰もが困惑の声を上げた。

ともすれば荘厳とも言えるこの現象の原因は何か。どんな害があるか。人為的なものか自然現象なのか。まったく謎の魔力流の発光現象の対処に、世界は上から下までただ右往左往するか、あるいは呆然と立ち尽くすだけであった。

そんな中で唯一動けたのが、クルトの率いるオスティアだ。

クルトはこれが即座に『完全なる世界』による世界の終わりの始まりであると悟る。クルトから各方面へと情報が伝えられ、しかしそれに即応できたのは、かつてサウザンドマスターと友誼を交わした少数のみであった。

それでもなんとか艦隊の体をなしたクルトたちは、魔力流の集う先、『完全なる世界』が拠点としているであろう『墓守人の宮殿』へと船首を向け空を疾走していた。

 

「まずいですね」

 

クルトがつぶやく。

彼が眉間に皺を寄せて睨むのは、モニターに映る万を超える悪魔の群れだ。

 

「先程から何発も主砲を打ち込んでいるのですが、数が減りません」

 

クルトの言葉に、艦内の誰もが口を噤む。無尽蔵に湧き出す悪魔の波状攻撃に絶望が広がり始める。

 

「ネギ君、君にはこれに対処する手があるそうですが」

『はい』

 

ネギはクルトが乗る主観の船首に立ち、墓守人の宮殿を睨んでいた。

 

『ただこれは範囲が広いため、小型艇など貸して頂けたら』

「・・・・・・小型艇に乗ってあの悪魔の群れに飛び込むと?」

『はい』

 

無茶だ、という声が艦内にざわめきとともに響く。

 

「・・・・・・」

「総督! 子供を戦場に放り込むなど人道的にも」

 

隣にいた艦長が叫ぶ。同時に通信士が、

 

「提督、小型艇が一機、許可なく出撃しています!」

「月詠さんですか」

 

 

モニターには、今しがたクルトの乗る艦から出てきた小型艦に飛び乗るネギが映っていた。

はたしてどうするつもりなのかと、乗組員が固唾を呑んで見守る。視線が集まる先で、甲板に立つネギは何事かを唱え、一枚の紙を放った。

同時、モニターをホワイトアウトするほどの光の柱が立ち昇った。

それは魔力流に荒れる空域であってもなお際立つ光量を誇っていた。

 

「あ、あれは」

 

ざわめきが大きくなる。

光柱から出てきたのは、天を衝く二面四腕の大鬼神、両面宿儺であった。

 

『ヲオオォォオオオオオオォオオオオオ!!!!!』

 

鬼が哭いた。

それだけで嵐が吹き荒れる。

両面宿儺の背面に位置し、魔法障壁を展開している艦隊は震度5相当の震えと窓が数枚割れる程度で済んだが、直撃を受けた周囲300メートルの悪魔は分子レベルまで分解され、500メートル圏内のものはその体に幾重ものヒビが走り機能を停止させて地上へと落下していった。

両面宿儺の使い方を模索する中で、ネギが考案した案は3つある。

一つは『闇の魔法』で取り込む。

一つは両面宿儺という器に魔力を限界まで溜め込んでの投下、爆発。

一つは両面宿儺を、京都の時のような不完全な形ではない、サウザンドマスターことナギ・スプリングフィールドとサムライマスター青山詠春の二人掛かりでも倒しきれなかった完全な姿で召喚し、式神として使役する方法。

これほどの鬼神を使役するには大量の魔力が必要となる。近衛木乃香の魔力ですら完全な実体化はできなかった。できたとしても多大な負荷がかかり、戦闘どころではなくなるだろう。

そこでネギは、周囲のオドや拡散される余剰魔力を取り込む循環魔力回路を開発し、両面宿儺の式に組み込んだ。

その結果が、今目の前で繰り広げられている光景だ。

両面宿儺が顎門を開く。循環魔力回路で取り込み精製されたオドが口腔に収束する。

今この場は、魔法世界の発生以来もっとも魔力濃度が高い。そんな中で循環魔力回路がフル回転させればどうなるか。

悪魔の群れに穴が空いた。

鬼神の砲撃は、鬼神自身の身の丈を超える太さまで膨張した。その中に宿る魔力の密度は周囲の空気がプラズマ化するほどの高さで、墓守人の宮殿を掠める軌道で突き進むそれは音速を超え、大気を引き裂き衝撃波をばら撒きながら悪魔の群れを蹂躙した。

はたしてこの一撃で何千の悪魔が蒸発したのか、見当もつかない。

クルトを始め、艦隊からは一言も声が出ない。あまりの規格外な存在に皆が呆然としている。両面宿儺は依然とそこに存在し、メガロメセンブリア最新鋭の戦艦が誇る主砲の最大出力に匹敵する魔力弾を、その四腕からばら撒き続けている。

あの恐ろしかった悪魔の群れがまるで相手になっていない。

それでも、グレートグランドマスターキーでプログラムされた悪魔たちは、ただ無感情に宮殿に接近している艦隊へと突撃し、艦隊を守らんと立つ両面宿儺に蒸発させられる。

結果として、両面宿儺の前に出れば無限に湧き出す悪魔と無尽蔵の魔力を持つ鬼神の挟み撃ちに合うことに気づいた艦隊は、ただ魔力燃料を消費しながらその場に留まっていた。

それがネギの思惑通りであると気付かずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

両面宿儺の砲撃によって開いた穴をくぐり抜け、ネギと月詠を乗せた軍事小型偵察艇は墓守人の宮殿へと到着した。

南東の方角に突き出た祭壇には、それを眺める千雨とフェイトがいる。

小型艇から降り立ったネギと月詠の二人は、それぞれがそれぞれの表情でフェイトと千雨を見た。月詠は三日月のように口元を曲げてフェイトに殺意塗れの視線をぶつけている。ネギは千雨に対する申し訳なさやフェイトと千雨の関係など、

千雨もまた葛藤を抱えるネギを見る。その眼差しに熱はなく、見ると言うより観察と言った方が近い。

しばしの沈黙が四人の間に降りる。

千雨は思う。自分と、この不健康そうな子供の間になにがあるのかと。

事前に説明されたフェイトの言葉を聞くに、なにやら自分との間に並々ならぬ因縁があるらしい。

しかしこうしてそいつを目の前にしてもなにも思い出さない。その髪の色が『ネギ』に似ているのがなんだか腹立たしくすらある。それ以外はまるで似ても似つかないが。

そのように感じる一方で、千雨を見つめるネギの表情に千雨は首を捻る。

何だってこいつは、こんな表情で自分を見つめるのか。千雨は疑問に思う。その表情に浮かぶのは、焦りと緊張。

なぜそんな感情を自分に向けるのか。戸惑いながら、疑問の答えを求めてネギを観察する千雨に対し、意を決したネギが震える唇で沈黙を破った。

 

「あの、僕・・・・・・千雨さんに、謝らないとって」

「あ? 何をだ」

「何を、て・・・・・・」

「いや、そもそも誰だよあんた」

 

「・・・・・・え?」

 

ただでさえ顔色の悪いネギの頭部から血が引いた。

この時のネギに与えられた衝撃は計り知れない。血の気が引きすぎて貧血を起こすところであった。

 

「まさか、千雨さん、記憶が?」

 

また、千雨は記憶を失ってしまったのか。自分の言葉で自我を崩壊させた彼女がこうして会話できるまでに回復していることは喜ばしいが、その代償として、また千雨は記憶を失ってしまったのか。

実際には麻帆良での一件は、記憶喪失ではなく現代の千雨と入れ替わっていただけであったが、自分のせいで人の記憶が失われる、という事態がネギに与えた心理的外傷はあまりに深かった。自分に関わる存在は皆不幸になるのではないか、なんてことをまじめに考えるほどに。

それでもネギは一縷の望みをかけて、千雨に告げた。

 

「僕は、ネギです。ネギ・スプリングフィールド」

「は?」

 

数秒の沈黙を挟んで、目の前の少年が何を言ったのかを理解して、千雨は舌打ちしながら『力の王笏』を振った。

すると一瞬閃光が走り、ネギの視界を潰す。フェイトの前で目を瞑る危険性を理解しているネギは瞼を無理やり開かせて視界を確保すると、千雨のとなりに、一瞬のうちに一人の青年が立っていた。

赤い髪をした、どこか自分の父であるナギの面影を持つ青年は、しかしどこか気味が悪い。その笑みを浮かべた表情も、目の動きも、仕草の一つ一つもどこか偽物のよう。精巧なマネキンと表現したくなるような『それ』。

 

「バカなこと言ってんなよ。ネギはここにいんだろが」

「・・・・・・は、え?」

「オレオレ詐欺かなんかか? でももうちょっと本人に似せる努力くらいしろよ、髪以外共通点ゼロじゃねえか。なあネギ?」

「そうですね千雨さん」

 

言葉が出ない。

悍ましい、という感情があった。人形相手に蕩けるような愛を囁く少女の姿が、生理的に受け付けられなかった。

まさか、千雨さんには、僕のことがそう見えていたのか。千雨さんのためにやってきた自分の行動は、彼女から見れば悍ましいとしか見られていなかったのか。

もしかしたら、彼女は自分への当てつけのために、人形相手にあんな態度をとっているのでは・・・・・・否。あの千雨の幸せそうな表情が、嘘や欺瞞といった可能性を全て潰した。

長谷川千雨は、あの人形のような青年がネギ・スプリングフィールドであると、本心から思っているのだ。

それは、記憶を失うよりもなお悪い。

ネギのことを覚えていない、ではなく。存在を否定されたのだ。お前はネギ・スプリングフィールドではないのだと。

あの時の千雨さんはこんな気持ちだったのか。そうネギは悟った。自分の存在を否定される苦しみを今ようやく理解できた。

耐えられなかった。ネギは固く瞳を閉じて涙をとどめようとしたが、喉から溢れる嗚咽はどうにもならなかった。必死に耐えようとしている分、大泣きするよりも哀れみを誘った。

ネギは聡い。一を聞いて十を知るを体現する存在だ。その聡さが、自分が何をしても無駄だとネギに悟らせていた。自分がネギだと、自分こそが本物だと、そんなのは偽物だとわめき散らしたところで、千雨の耳には全く届かないだろう。周囲の、恐らくは『完全なる世界』の構成メンバーだろう少女達も傷ましげに俯いている。特にあの尖った耳をした、千雨が暴走した時にもフェイトの隣にいた少女は今にも泣きそうである。きっと彼女も、この千雨の状態をなんとかしようと努力したのだろう。

それでもダメだった。

もはや言葉だけでは、彼女はどうにもならない。そして自分には言葉以外に千雨に与えられるものはない。

泣き声に気づき、『ネギ』からネギへと視線を移した千雨は、涙を堪えようとする少年の姿に居心地の悪さを覚えた。あ〜あ、とでも言いたげな月詠の視線に腹立たしく感じる。私がなにしたっつーんだよ。

 

「お別れは済んだ?」

 

フェイトだ。

彼の視線は上空へと向けられている。ネギの葛藤も千雨とのやりとりにも興味がないと言いたげだ。

 

「開いたね」

 

フェイトが無感情に麻帆良を見上げながら言う。

傍らに、黒曜石に似た質感の肌を持つ悪魔を数匹従えて。

フェイトの視線を追って空を見上げる。

魔力の奔流で光が複雑に屈折と干渉を繰り返した結果、頭上は晴天でありながら星空に似たきらめきで溢れていた。

それが、消えていく。

蜃気楼のように、魔力ときらめきの天元が薄れ、代わりに姿を現したのは、懐かしの麻帆良学園、世界樹を中心とした倒の全景であった。

 

「まさか、こんな形で繋がるなんてね。そういえば、麻帆良の地下に休止しているゲートがあったね。それとあの大樹の魔力を溜め込む性質とが干渉しあった結果かな?」

 

フェイトはネギへと視線だけで振り返り、

 

「地球に帰還するなら、あそこに向かってまっすぐ飛んでいけばいいだろう。ただ、魔力乱流が発生している。非常に危険だ。だから、ここからは彼らにエスコートしてもらって。君たちが乗るその船を完璧に守ってくれる」

 

フェイトに対し膝をついていた悪魔たちが一斉にネギへと振り返り、コクリと会釈した。同時に背中から大きな翼を生やす。いかにも飛行が得意そうなフォルムの翼だ。

 

「待って」

 

小型艇への乗船を促すフェイトに否を告げ、ネギは涙を袖で強引に拭って再度千雨に向き直った。嗚咽に震える喉を気力で抑え、

 

「千雨さん、先日、僕はお聞きしました。『完全なる世界』の計画が終わったら麻帆良に戻ってきてくれるのかと」

「知らんわそんなん」

 

ネギの必死の問いかけにも、千雨はにべもない。千雨の目には、目の前の少年は自分の『ネギ』の名を騙る詐欺師なのだ。その声は敵意と憎悪を混ぜた冷たい拒絶の色に染まっていた。

 

「残念だけどな、そりゃありえねーんだわ」

 

私は戻れない。世界再編魔法の要求するリソースを計算した結果、この長谷川千雨の精神プログラムは『力の王笏』の演算の元、『完全なる世界』にとりこまれることになる。それもいい、と千雨は考えている。『ネギ』と一緒に、『完全なる世界』で永遠に過ごすのだ。それは、とても、とても幸せなことだと思う。

 

「そもそも私はこの計画のために作られた人工知能なんだって、あんた知らねーのか?」

 

ネギは首を振る。そもそもネギは。これからなにが起こるのかすら把握していない。

 

「そっか。まあそうなんだわ。未来の長谷川千雨が作った使い捨ての道具、なんだわ私は」

「なぜ、千雨さんそっくりなんですか?」

「そりゃ長谷川千雨の精神をコピーしてっからな。そっから無駄なもん削ぎ落としてデータ軽くして。つっても仮契約で『力の王笏』が発現できるくらいには『長谷川千雨』でないとダメなんだけど。そんだけだ」

 

それきりネギは俯いてしまい、言葉が途切れた。正直、これは単なるネギの未練だった。『完全なる世界』が何をしようとしているかは知らない。でもここで地球に帰還した場合、二度と魔法世界に戻ることも、まして千雨と再び会うこともできないだろう、という冷徹な推測が頭の隅にあったのだ。それを無意識に把握してしまい、まるで時間稼ぎのようなことをしてしまった。

千雨が別の誰かのコピーであること。自分が彼女を傷つけてしまったこと。自分をネギと認識してくれないこと。様々なことが重なりすぎて、ネギには自分がどうすればいいかも考えられないまま、ただ促されるままに、フェイトに未練がましい目を向ける月詠とともに背後の飛行艇へと乗り込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさかこんなどでかい穴が開くなんて思わなかたネ」

「あちらが魔法世界というやつですか」

 

超はため息混じりにつぶやく。操縦桿から右手を放し、ぺしんと自身の額を叩いた。彼女たちが乗っているのはアンチグラビティシステムを用いたディーンエンジンを搭載した、未来技術の結晶。大気圏内外両用の超高速飛空挺超包子マーク付きである。

 

「地下に配置していたタナカさん達がみんな無駄になたヨ」

「まあまあ、もしかしたら学園祭で使うことになるかもしれませんし」

 

超は地下に隠れ家兼研究所を作る際に、当然その全域について調査していた。網状に広がる地下水道だってマッピングしてあるし、その中には麻帆良の地下に存在したゲートの存在だって把握していた。

それが休止状態であったことも承知していたし、火星から漏れ出す魔力が世界樹に蓄積する現象が未だ続いていることも、超は麻帆良に帰還後すぐに確認した。

『完全なる世界』のテロで魔力が濃度勾配に沿って地球側に溢れようとするなら、まず間違いなく地球と火星を未だ繋ぎ止めている麻帆良地下の休止ゲートを介することになると。

つまり、ネギが地球に帰還するルートは、麻帆良の地下になるはずだ。

葉加瀬がケラケラと笑いながら言う。目の下のクマを見るあたり、完全に徹夜ハイの状態だ。

 

「下から来るぞ、気をつけろー、なんつって!」

「と見せて実は上から、ネ。ひどいフェイントもあったものヨ」

「なんで未来人がそんなネタ知ってんだよ」

「異文化圏に溶け込むには言語と常識を学ぶ必要があるからネ」

 

さあ、と超は後ろを振り返る。

 

「お願いしておいてなんだガ、私にできるのはここまでネ千雨さん」

「ああ」

「後を、頼むヨ」

 

千雨は右の親指と薬指を使い、顔を隠すような仕草でメガネを押し上げ、告げた。

 

「任せろ」

 

言いながら、不敵な笑みで震えを隠しながら、千雨は自分の横に立つ少年を見下ろした。

少年もまた千雨を見上げて笑っている。

 

「な、ネギ」

「はい、千雨さん!」

 

ネギが自分の右胸に触れる。

千雨もまた、スカートの右ポケットを軽く叩くことで応えた。

二人の間にだけ通じるサインだ。

そこに仮契約カードが収められていることを二人は知っている。

カードから熱が伝わってくる。

それは、目の前にいるネギが、正確にはネギに作られた式神が、たしかに魂を持ってそこに存在しているという証だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話 デカい悩みは抱えて進め

やっぱり投稿を続ける形で。


世界が終わりつつある。

空を走る何束もの魔力流が互いに干渉しあって渦を為す。

魔法世界各地で発生し始めた魔力流の渦は、周囲の魔力流を束ね、取り込み、その半径を拡大していく。

それを抑えようと各国の軍が出動し障壁を展開するも、竜巻の規模を大きく逸脱したそれは障壁を軍艦ごと飲み込み、ついにはスーパーセルもかくやといった様相を見せる。

パニックを起こし逃げ惑う群衆。転びまろびつ駆ける彼らの中でそこかしこに将棋倒しが発生し、踏み潰され圧迫されたりといった事故が多発する。

世界が、終わりつつある。

 

 

 

 

 

 

 

各地に発生する魔力の竜巻を超える濃度の魔力乱流が吹き荒れる、墓守人の宮殿上空。

ネギと月詠が乗る偵察艇は数体の悪魔によって吹き荒れる瓦礫から守られながら、小型艇に備えられている精霊による自動制御の力によって魔力乱流を巧みに乗り越えながら、上空に広がる麻帆良へと向かっていく。

そうしていざ地球へ、という段階で、大振りな岩塊が船に迫る。悪魔の膂力ではそれを弾き飛ばすことはできない。彼らのうち二体が協力して岩塊の軌道を逸らそうと試み、結果その背後にへばりつくようにしていた、光学迷彩を施された超包子印の肉まん型飛行艇の接近を許してしまった。

空飛ぶ肉まんからアンカーが飛んでくる。

甲板や整備用の手摺を捉え、巻き取られていくアンカーによって、二隻の船はその距離を縮めていく。この段になってようやく事態を認識したネギが操縦席から甲板へと飛び出てきた。

 

まずネギは甲板に鎮座するどでかい肉まんに目を見開き、その壁面の一部がプシュッと空気の抜ける音とともに四角く下向きに開くのを見て、うわっと声をあげた。

開いた縦長の長方形の穴をくぐり、階段となったそれを降りてくる二人組。彼らを見て、ネギは、一時呆然とした。

正直意味がわからない。

 

「・・・・・・長谷川さん」

 

一瞬の間を置いてネギは目の前の少女が、本来麻帆良にいるはずの『本物の』長谷川千雨であることに気づいた。

なぜあなたがここにいる。衰弱と混乱で霞む頭でネギは思う。

 

「おう、ネギ先生か? なんか顔色すげーわりーけど大丈夫かそれ」

「は、はい。体に問題はありません」

「な、ならいいんだけどよ。なんかやべーことに巻き込まれてんだって? 超から聞いたよ」

 

千雨は方頬を釣り上げるような笑みで、ネギに告げる。

 

「助けに来たぜ、ネギ先生」

 

千雨の手にはアーティファクトカードが握られていた。長谷川千雨が描かれた、自分の持つ仮契約カードと同じデザインのそれ。

ネギはひどく混乱していることを自覚しながら、千雨に問いかけた。

 

「そちらは、僕の式神ですよね?」

「ああ。先生が作ったんだって? すげえな魔法って」

「・・・・・・仮契約を?」

「まあ成り行きで。図書館島にドラゴンに出くわしたりとか、おっさん悪魔を追い返したりとかいろいろあって」

 

赤面している。成り行きだけの関係でないことは明らかすぎて、恋愛ごとに疎いネギにすらその思いが理解できた。

しかし、しかしだ。

その相手は、自分が作った、自分を模した式神である。つまり目の前にいる長谷川千雨は、人工物と仮契約をしたということ。

そんなことは本来不可能なはずだ。

あるとするなら、仮契約が成立するほど式神の精神が人間に近づいたということか。

未来で作られたという、あの長谷川千雨と同じように。

 

「でも、その、そちらは、式神なんですよ?」

「そうだな」

「僕が作った、人工物で、人形で、僕の、偽物です」

 

偽物だ。偽物なのだ。自分が作った式神で、代替に過ぎない。

自分にはできなかった。長谷川千雨が偽物であると告げられて、近づくことを躊躇した。

偽物に、人形に愛情を抱くことは悍ましいことなのだと、千雨本人から見せられて、こうして地球へと逃げ帰ることになった。

自分はこのざまだ。

それなのになぜこの少女は、こんなことができる。

なぜ、この長谷川千雨からは、あっちの千雨が醸し出していた悍ましさ、気味の悪さがないのか。

いくつものなぜがネギの脳裏を駆け巡る。

それなのに、目の前の少女は。

 

「知ってる」

「なのに、どうして? そんな、当たり前のように」

「いや、当たり前ってこたねーよ。いろんな葛藤はあったよ。式神って、ようはプログラムじゃねえか。そんな存在にマジになるなんてあれだろ、アニメとかゲームのキャラにマジになってんのと変わんねーんじゃねえかって」

 

同じ長谷川千雨だけあり、似たような例え方をするなあとネギは思った。

 

「そりゃいろいろ考えるさ。他人からみたら恥ずかしいんじゃねーかとか、正気を疑われんじゃねーかとか、本物は別にいるのにとか。オカルトに踏み込んじまって、平穏なんか遠ざかることになるし、正直冗談じゃねーよって思うわ。

でも、さ。仮契約できるってことは、人間らしい魂とか精神があるってことで・・・・・・いや、それも結局言い訳でさ」

 

耳まで赤くして、ガリガリと頭をかいて、言い澱み、逡巡に逡巡を重ねて、

 

 

「好きになっちまったんだからしょうがねーだろ」

 

 

ぼそり、と。ともすれば聞き逃してしまいそうな声で口にした。

 

「好きになったというのは、『式神のネギ・スプリングフィールド』を、ですか」

「そーだよ繰り返すんじゃねーよ」

 

あーくそ、と視線を逸らしながら、

 

「自分の気持ちに正直に、なんてすぐ割り切れるなら苦労しねーよ。それができねーから悩んでんだって話で、割り切るにはいろんなこと考えすぎちまうんだよ。私みたいな性格は。我ながらめんどくせー性格してんなとは思うけどさ。そんなのどうしようもねーし、変えられるもんでもねーし。

だから、私は思うんだよ」

頬に朱が走ったまま、それを誤魔化すように笑みを作って、彼女は言った。

 

「でかい悩みなら抱えて進めって」

「・・・・・・っ」

「無理に割り切ったって良いことねーし、だからって答えが見つかるまで立ち止まるわけにもいかねー。なら進むしかねーだろ。めっちゃ苦しい思いをするだろうし、理解を得られないかもしれないし、辛くて立ち止まることもあるだろうけど、それでも」

 

千雨が、傍に寄り添って立つ式神のネギの頭に手を置いた。

 

「こいつを選んだことに後悔はしねーから」

 

この時。

ネギの胸に沸いた感情は、一言で言えば嫉妬であった。

なぜ、そこにいるネギが自分ではないのか。

なぜ、そこにいる千雨が彼女ではないのか。

嫉妬であり、羨望であり、そして希望であった。

 

「長谷川、さん」

「うん?」

 

唾液を飲んで、乾いた喉を湿らせた。

 

「僕は、前に進めるでしょうか」

 

問いかけるネギの目を見据え、千雨は笑った。

 

「進む気満々のくせにヒトに訊くなよ」

 

千雨の言葉に、ネギも笑った。

 

「・・・・・・はい」

 

久々に、笑えた気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ああ、そいつは人間ではない』

 

態度のデカい金髪ロリの言葉を、初めは理解できなかった。

理解することを脳が拒否していた。

 

『人間じゃねーってんなら、こいつはなんなんだよ』

 

ベッドに寝かされたネギを指して千雨は問う。ネギは、微動だにしない。呼吸すらないのだ。

まるで、部屋中に並べられている人形たちのように。

手首をとる。温もりがある。人と変わらない体温。それがなによりも違和感を覚えさせる。

なぜなら、ネギに呼吸がないことに気づき、エヴァンジェリンの自宅であるという森中のログハウスに運び込んでから、すでに1時間は経過しているのだから。

 

『ふむ、さすが良くできているな。学校の連中の誰も気づいていない。魂魄構造もまるで人間そのものだ』

『なんだよ、わかるように言えよ!』

『ま、まあまあ姐さん落ち着いて、闇の福音にキレるとかちょっと非常識っスよ』

『うるせえなオコジョが人間様に常識語んじゃねーよ! つうかオコジョが喋んなよ!』

『ひでぇ』

 

横たわるネギの枕元からオコジョが言う。まあまあなんてジェスチャーを見せるところが実に腹立たしい。

 

『そいつはただのオコジョではない。オコジョ妖精といってな。そのからだは肉体よりむしろ精神に寄っている魔法生命体だ』

『妖精だぁ?』

 

何言ってんだこのロリは、と千雨は小馬鹿にした表情を見せた。

 

『ムカつく顔だな。ヤツを思い出す』

『いや誰だよ、八つ当たりとかやめろよ』

 

エヴァンジェリンが指を鳴らした。なんだ、と思う間も無く千雨は自身に起きた異常に気づく。

 

『体が・・・・・・!』

『言っておくが催眠術だとか、そんなチャチなものと一緒にするなよ? 魔法はこの世に厳然として存在する技術だ。一般には秘匿されているがな』

『いや、別に魔法については・・・・・・じゃあ、先生がこうなっているのも魔法のせいってことか?』

『まずコレは本物のネギ・スプリングフィールドではない。魔法で作られたぼーやの模造品だ』

 

千雨はこの時、夜の病院で交わした学園長との会話を思い出した。

違和感はあったのだ。いきなり目の前でパームトリックを見せてきた。

あれはおそらくカマをかけてきたのだろう・・・・・・待て。

あの時、ネギは学園長に向かってなんと言っていた。細かくは覚えていない。しかし、自分が記憶を失ったとされるあの夜、千雨がネギを助けたと、そう言ったのだ。しかし千雨にその記憶は無く、その痕跡とされる制服は自分のクローゼットの中に揃っていた。

 

『もう一人の、私』

『ん?』

『もう一人私が、いるのか? そいつがネギ先生を何かから助けた、とか』

 

心の片隅で思っていたことだ。誰かが自分のフリをしていたのではないかと。そんなことは不可能だと考えて切り捨てていたが、現にネギそっくりの偽物が目の前にいるのだ。

エヴァンジェリンは千雨の拘束を解いて、

 

『察しがいいな。そうとも、ぼーやはもう一人の貴様に命を救われた。もう一人の長谷川千雨がその後姿を消したため、それを探すためぼーやは麻帆良を離れた』

『じゃあ、こいつは、その身代わりってことか?』

 

うむ、とエヴァンジェリンは頷いた。

 

『それにしても、改めて見てもすごいなこれは。たかが身代わり程度のことにここまで緻密な人造霊魂を拵えるなど、ずいぶんと凝り性というかなんというか』

『・・・・・・いつからだ』

 

ネギの式神を観察していたエヴァンジェリンが、千雨のつぶやきに振り向いた。

 

『何か言ったか?』

『いつからだよ。その、身代わりと本物が入れ替わったのは』

『修学旅行の直前からだな』

 

ひでぇ、と千雨は思った。

 

『エヴァンジェリン、あんたこいつを魔法でできた偽物って言ったよな』

『言ったな』

『それは、ロボットのようなものか? つまり、感情もなく、プログラムってものが魔法にあるのか知らねーけど、そういうもので動いてるのか?』

 

だとしたらあんまりだと千雨は拳を握った。

あの修学旅行からいろんなことがあったのだ。本屋が告白したことはクラスメイトから聞いていたし、ネギの言葉の1つ1つに多くの生徒が笑い、感じ入り、委員長に至っては涙を流したりすることもあったのだ。自分とてネギと言葉を交わし、オカルトなあれこれに巻き込まれながらも絆を深めてきた自覚があったのだ。正直に言えば、未熟ながらもひたむきに頑張り続けるネギ先生に惹かれていたと言えなくもなかったりするのだ。

それも全て嘘か。

偽りの感情とでも言うのか。

千雨の葛藤が込められた問いかけに、エヴァンジェリンはただ一言、

 

『さあな』

『さあ、て』

『私が知るわけないだろう、他人がどんな気持ちでいるのかなど』

 

エスパーじゃあるまいし、と彼女は鼻で笑う。

 

『いやそうじゃなくて、こいつに心があるかって話を』

『じゃあ貴様に心はあるのか?』

『・・・・・・あるだろ、そりゃあ』

『それが定説です、か? 便利な言葉だよなあれは。一切の反論を封じたつもりになれる詭弁だ』

 

エヴァンジェリンは腕を組んだ。仁王立ちであるが、タッパが足りなくて威厳は感じられない。

 

『心の存在を客観的に証明することなどできない。主観でしか観測できない、どころではない、本人の主観を構成するものだからな。さらに言ってしまえば、自他問わず、自我が存在すると感じるのは貴様の気のせいだ』

『自他って、自分のもかよ? ああつまり、脳神経が見せる幻ってことか』

『自他共にな』

 

エヴァンジェリンはベッドの脇にある、えらく気味の悪い人形を1つ持ち上げて言葉を続ける。テディベア程度の大きさながら、今にも笑いながら人に斬りかかってきそうに禍々しさがある。

 

『人形に自我はない、と人は当たり前のように言うだろう。だが愛着が湧けば扱いも丁寧になる。傷をつけてしまって悲しくもなれば、特に意味もなく修繕し、満足感を得ることもあるだろう。貴様にはそういった経験はないか?』

 

言いながらエヴァンジェリンから人形を手渡される。触れてみてようやく、人形の両手に握られているククリナイフが本物であることに千雨は気づいた。

 

『まあ、なくはねーけどよ』

『この世で最も愛着のあるのは『自分自身』だ。だから脳が分泌する神経伝達物質に反応して感情なるものを誘発させる。『心』と呼ぶ何かしらの存在を錯覚しながらな。結局心の有無などその者の考え次第、愛着の差に過ぎないということだ』

 

少なくともこの人形に愛着を持つことは一生ねーな、と千雨は思った。

 

『逆に愛着を持たず、人間だろうとマネキンを砕くように殺せる人間は大して珍しくもない。なあチャチャゼロ』

『ケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケ!!』

『ぎゃああっ!?』

 

突然口をカタカタカタカタと震わせながら奇声をあげた人形を、千雨は悲鳴をあげてぶん投げた。人形は天井にぶつかってからあらぬ方向にバウンドしてベッドに落ち、手に握る二刀のナイフがカモを挟むように両脇数ミリの位置に突き刺さった。カモは声も出せずに全身の毛を逆立たせた。

 

『な、なんだそれ! なんだそれ! なんだそれ!』

『オイオイ、モウ少シ丁寧ニ扱エヨ、イテージャネーカ殺スゾ』

『それなどと言うな、私の600年来の戦友だぞ?』

『何が600年だ中二病かクソロリが!』

 

そこでカモが恐る恐る口を挟んだ。

 

『千雨の姐さん、このお方はですね、本当に600歳を超える真祖の吸血鬼でしてね?』

『・・・・・・吸血鬼?』

『しかも元は600万ドルの賞金首で、今でこそ深い事情があって中学生やってますけど、本来は泣く子も黙る、魔法世界のナマハゲとして寝物語に語られる、知らない者はいない常識レベルの危険人物で』

『だから人間様に常識語んなって・・・・・・』

 

千雨に悲鳴をあげさせたことがよほど嬉しいのか、エヴァンジェリンはニヤニヤと笑みを浮かべながら人形を拾い上げた。

 

『さて、一泡吹かせたところで本題に入るか』

『結局八つ当たりじゃねーかロリババア』

『次ババアと呼んだら殺すぞ。今、こいつにはまず魔力が足りていない』

 

エヴァンジェリンはベッドに眠るネギを顎で指して言う。

 

『魔力、か』

『そうだ』

『で、それが足りねーとどうなんだよ、イオナズンが使えねーとかか?』

『消滅する』

 

千雨が口を噤んだ。

 

『な、んだよいきなり。消滅?』

『魔力で作られたと言ったろう? 込められた魔力が尽きればそりゃ消えるさ。ああいや、貴様に言うならもっと適した言い方があるな』

 

エヴァンジェリンはズイ、と顔を千雨に近づけた。身長差から見上げる形になっているのに、先程と違って妙な圧力を感じる。

 

『あと二時間ほどで、このぼーやは死ぬ』

 

千雨の額に汗が滲んだ。

 

『・・・・・・死ぬ、て。そいつは、偽物なんだろ? 人間じゃないって』

『お前が偽物だと思うのならそうなのだろう。お前の中ではな』

『んだよ、それ』

『私はこのチャチャゼロを戦友だと思っている。600年に渡り背中を預けていくつもの戦場を渡ってきた。こいつは人形であり、魔法仕掛けのカラクリだがな、そんなことはどうでもいいのだ。私の中ではな』

 

ほれ、とエヴァンジェリンが布団をめくれば、ネギの指先が薄く透けていた。

 

『透けて・・・・・・』

『どれだけ精巧に作られていても、こうなることは当然の理だったな』

『長持チシタ方ジャネーノ?』

 

ケケケケケ、と殺人人形が笑う。エヴァンジェリンも、千雨を眺めながら口を三日月のように裂けさせる。何がそんなにおもしれーんだ、と千雨はエヴァンジェリンに聞こえるように舌打ちした。

思うところはある。いろんな葛藤や悩みが胸に渦巻いて、正直感情の整理が全くついていない。何が正解か見当もつかない。

でも、だ。

 

『どうすりゃいいんだよ』

『何がだ? 女子中学生の漠然とした人生相談なぞ私は知ったことではないぞ』

『こいつを! 助けるにはどうすりゃいいんだって訊いてんだよ! それともそんな方法わかんねーか? 600年ものの吸血鬼ってのはやっぱフカシか』

『やはりムカつくな貴様ら』

 

ふん、と鼻で息を大きく吐いて、エヴァンジェリンは一言で解決策を述べた。

 

『仮契約だ』

『パ、なんて?』

『オコジョ、説明しろ』

 

へい! とカモは命じられて背筋をピンと立てた。

 

『仮契約というのはですね、魔法使いとパートナーの間にパスを繋いで、二者間で魔力供給や念話ができるようになるって術式でして』

『魔力供給・・・・・・つまり魔力を先生に分けるってことか、アニメチックだなぁ』

『ですがね、姐さん。見たところ姐さんには魔力がえらい少ないみたいで、正直仮契約したところで』

『あ? いや別に私が仮契約だかをする必要はねーだろ?』

『貴様がしなけりゃ誰もしないがな』

 

え、と千雨が目を見開く。

 

『何を驚く? そいつはネギ・スプリングフィールドの模倣品にすぎん。目の前で消滅したところで心を痛める者もおるまいよ』

『そ、そんなことはないだろ。うちのクラスの連中なら』

『ぼーや本人を慕っている生徒は多いだろうさ。だがその偽物で、ずっと自分たちを騙していた、とあってはどうかな』

『そんなことまで説明する必要はねーだろ! 適当に騙くらかして、魔力だかなんだかを持ってる奴を、つうかエヴァンジェリン、あんたがやりゃいいじゃねーか』

『そんな義理も愛着もないな。加えて、これには魔力の枯渇だけでなく、術式の綻びが見える』

 

つ、とエヴァンジェリンがネギの表面に指を走らせる。ネギの皮膚が一部解け、内側から緑色に淡く光る、ローマ字に似た文字が浮かび上がった。

 

『もともとこいつを構成する術式はここまで長期に渡って式神を顕現させられるようなものではない。ぼーやがアレンジを加えたお陰で今までその形を保持できていたのだろうがな、それもついに限界というわけだ』

 

エヴァンジェリンの細い指が円を描くと、綻んでいたネギの皮膚が元の形に戻った。緑の文字列もその中へと埋もれていった。

 

『魔力の不足も崩壊した術式から漏れたせいだな。というか、周囲のオドや放散余剰魔力を取り込む術式が加えられているな。なんだこれは。この術式だけで歴史に名前が残る偉業なのだが』

『・・・・・・』

『だがまあ、突貫工事というか、細部に甘さがあるな。むしろ、この式神は耐久実験のつもりだったのだろう』

『なんだよ、実験て』

『つまり、新しく開発した魔法がどれだけ機能し続けるか、を調べるための観測装置なわけだな、これは』

 

くそったれ、と千雨は悪態を吐いた。人間をメモ帳か何かと勘違いしてんじゃねーのか。ヒト一人作って試し書きか?

 

『ただ仮契約をするだけでは救えない、ということだ。魔力を供給するだけでは術式のほころびから溢れ続けるだけだ』

『じゃあ、もうどうしようもねーのか・・・・・・?』

 

沈痛な声が千雨の口から漏れた。カモも思わず俯いてしまう。

 

『可能性があるのは、貴様が仮契約をすることだ』

 

千雨が胡乱な目をエヴァンジェリンに向けた。

 

『なんで、私だよ』

『もう一人の貴様がいる、という話が先程出たな。そいつは、紛れもなく『長谷川千雨』そのものだった。クローンか魔法的コピーか、未来からやってきた貴様かは知らんがな』

『おい待てそれ私いろいろやばくないか、知らねーうちに何かに巻き込まれてる気配バリバリなんだが』

『そいつが本物のぼーやと仮契約を交わした。その結果得たアーティファクト、つまり魔法的な特殊能力を持つアイテムを仮契約によって得られるわけだが、それが『術式を自在に操る能力』を担い手に与えるものだったわけだ』

 

数秒、千雨は思考を巡らす。

 

『それを使えば、先生を助けられるのか?』

『可能性がある、というだけだ。不安要素として、あと二時間弱で貴様がどこまでそのアーティファクトを使いこなせるようになるかもわからん、というのがまず1つ』

 

エヴァンジェリンが指を一本ずつ立てていく。

 

『2つ目に、このぼーやの偽物が仮契約を結べるほどの精神構造を所持しているか。そもそも仮契約自体できない可能性がある。貴様の言うように、単なる機械が仮契約を結ぶことなど不可能だ。

3つ目に、仮にそれだけの精神構造があったとして、貴様とこれとの間の仮契約で望み通りのアーティファクトが発現するか。

4つ目に、貴様にそれだけの覚悟があるか、だ』

『なんだよ、覚悟って』

『仮契約を結べば、こちら側に巻き込まれるぞ? 貴様は自分のテリトリーを脅かす存在を殊の外毛嫌いしていただろう。これ以上これに関われば、貴様のちっぽけな部屋1つ分のテリトリーなど一瞬で吹き飛ぶぞ』

 

なぜこいつは自分の内面に関してここまで詳しいのか、と千雨は疑問に思うも、それはなんのことはない。麻帆良大橋での一件からエヴァンジェリンは千雨について調べていた、というだけのことだ。

 

『仮契約という儀式の持つ意味も言っておこう。これはな、魔法世界においては主従の忠誠を表すものであったが、今ではすっかり形を変え、恋人探しの口実になっている』

『は、はあ?』

『こいつと仮契約を結んだ、という事実が知られれば、そういう目で見られるということだ。ああ、あと仮契約の方法はな、専用の魔法陣の上での口づけだ』

『な、な・・・・・・』

 

顔を赤くして戸惑う千雨を、エヴァンジェリンは睨みつけた。

 

『勘違いするなよ、これはそんな赤面するような話ではない』

 

エヴァンジェリンが再び指を走らせ、ネギの胸部から術式を露出させる。人間であれば心臓があるべきそこで流動する文字列の様は、まるで歯車のようだと千雨は思う。

 

『これと、この人工物と、そういった関係であると見られるということだぞ』

『・・・・・・いや、お前だって人形のことを戦友だのなんだの言ってたじゃねーか』

 

などとまぜっ返してみるが、それでも千雨の中にわずかな葛藤が生まれた。葛藤が生まれてしまう自分が、とても汚いものに思えた。嫌悪感すら湧いた。

人工物、たとえば千雨とて馴染み深いアニメや漫画のキャラクターに、本気で恋することなどありえないと自分では思っている。ネットでたまに見受けられる、行き過ぎたファンの発狂具合を見てうわぁ、なんて感じていたりもする。

手のひらにじんわりと汗が滲んだ。

目を閉じたままのネギを見る。

綺麗な寝顔だと思う。

その唇に口づけることで、自分の人生があらゆる面で大きく変わってしまう。

その唇が動いた。

 

『・・・・・・千雨、さん』

『先生!?』

 

瞼も薄らと開く。焦点の合わない瞳が、千雨へとかろうじて向けられる。

 

『すいません、千雨、さんには・・・・・・ご迷惑を』

『な、何が迷惑だよ。体調悪いんだろ、寝とけよ』

 

起き上がろうとするネギを抑えて、千雨は布団をかけ直した。

 

『すみません。こんなことに、巻き込んでしまって』

『気にすんなよ、私と先生の仲だろ』

『先生として、責任持って、脱出させますので』

 

脱出? なんのことだ、と千雨は眉を潜めた。エヴァンジェリン邸から脱出させる、という話だとしたら腑に落ちない。ここがエヴァ邸だと認識できるのなら、隣にいるエヴァ本人も認識しているはずではないのか。エヴァンジェリンも怪訝な顔をしている。

 

『あのドラゴンは・・・・・・ワイバーンの亜種で、それほど飛行速度は』

『まて、ドラゴンだと? こいつはなんの話をしている?』

『・・・・・・あ』

 

わかった。

それは、修学旅行から麻帆良へと戻ってきた直後。ネギの変わりように違和感を覚えた千雨がネギを訪ね、そこからなんだか妙に懐かれて。ネギ先生の過去だとか事情を聞いて、なんとなく同情心が湧いて、図書館島の地下に向かうというこいつに着いていって。そこでファンタジーの権化とも言える、ドラゴンと遭遇した。

その時の、こいつの言葉。

必ず守る。身と引き換えにしても、必ずあなたを日常に戻す、と。

 

『大丈夫、ですから。僕が、必ず・・・・・・』

『・・・・・・ばか、かよ』

 

もっと考えるべきことがあるだろう。自分の体が消えかけてんだぞ。この期に及んで、なんで私の心配するんだよ。

 

『・・・・・・エヴァンジェリン』

『なんだ』

『その、仮契約ってやつ。やるよ』

 

少女は吸血鬼を正面から見据え、宣言した。

その目を見て、エヴァンジェリンは笑った。十年かそこらしか生きていない少女の目に宿る、覚悟が見えたからだ。

 

『だから、その専用の魔法陣てやつ、用意してくれ。どうすりゃいいんだ?』

『オコジョ』

 

エヴァンジェリンに言われ、カモがベッドの下に一瞬で魔法陣を描いた。桃色の淡い光がネギを包む。

 

『ここで、キスすりゃあいいのか?』

『そうだ』

『そうか』

 

エヴァンジェリンから視線を外し、千雨はネギへと向き直る。

 

『だが本当にいいのか? 貴様の人生を差し出すほどの価値が、これにあるのか?』

 

千雨は答えない。

 

『それに、先にも言ったことだが、これと本当に仮契約できるかどうかは未知数だ。いいのか? もし仮契約が結べなければ、これが単なる物でしかないことの証明になるが』

『・・・・・・意地悪いな、さっきと言ってること違うじゃねーか』

『今のこれの寝言、これは過去に実際言った言葉だな? 術式の崩壊が進んで、記憶が削れていっている。おそらく、そのドラゴンと出くわした記憶以外が全て失われて、その時間を壊れたレコードのように繰り返すだけだ』

 

つまり、今の寝言こそこのネギが人工物としての側面が大きいことの証明だと、エヴァンジェリンは言う。

 

『そのことを貴様自身の手で明らかにするくらいなら、どちらか不明のまま消滅するに任せた方が、綺麗な記憶として残るのではないか?』

 

ああつまり完全に他人事なんだな、と千雨は理解した。まぜっ返して楽しんでいるだけだ、と。自分がどんな反応をするのかを楽しんでいるのだ。

 

『正直、よくわかんねー』

『ふむ?』

『迷いとか、躊躇とか、いろいろあるさ。それでも、立ち止まってるわけにはいかねーだろ』

 

それにさ、と呟くように言いながら身を屈め。

 

『自分を構成するものが失われていって、最後に残ったものがあるなら、それはきっと、そいつにとって一番大切なものなんじゃねーかな』

『・・・・・・たまたまかもしれないぞ?』

『そう思うならそうなんだろ、あんたの中では』

 

いまだうわ言を繰り返すネギに顔を近づけて。

 

『偽物とか関係ない。こいつと、このネギ先生との繋がりが、私にはあるんだよ』

 

あなたを守る、と。正面から目と目を合わせながら告げられたあの言葉を思い出しながら。

千雨は、ネギと契約を交わした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話 因縁の対決×3

誤字報告ありがとうございます。


思ったんです、話が長い割に展開遅いなって。なのでこれからはもっとサクサク進める形でいきます。といってもあと3話くらいですけど。


メガロメセンブリアから借りパクする形になった小型艇、その操縦席にいた月詠にこのまま地球に帰っても良い旨を伝え、ネギたちは超包子製の高速艦に乗り込んだ。

 

「超さん」

「お久しぶりネ、ネギ坊主」

「お久しぶりです、ネギ先生」

「私はあまり久しぶりって感じじゃありませんね」

 

艦の中では、超と葉加瀬、加えて茶々丸が操縦席についていた。内装は、ネギが今乗っていた最新鋭の小型艇よりも随分とSFチックだ。艦の外壁に取り付けられた無数のカメラの画像を統合して、まるでガラスの箱に入っているように360度全体に視界が開けている。見えない魔法の絨毯に乗っているように感じる。その中に置かれる5つの厳つい席はまるで空に浮かんでいる様だ。それらの前に、ボーリング玉ほどの大きさの透明な球が置かれている。なんでも、それに手を置けば搭乗者のイメージを艦が読み取り、セミオートでイメージ通りの起動をしてくれるのだそうだ。

 

「まずはこれを見るネ」

 

超が球に触れるとそれは一瞬発光し、壁一面に映っていた艦の外部映像の一部が、魔法世界の主要都市の現在の状況を映し出した。

魔力が失われていく。魔法世界崩壊の兆しが世界中で観測され、猛威を振るう。五万人の避難者を収容していた避難所をまるごと消しとばし、4000床の大病院を塵と帰し。亜人連合国家の中心であるヘラス帝国の首都もすでに火星の荒野に吞み込まれている。

 

「これが、今の魔法世界の現状ネ」

 

超は魔法世界から脱出する直前、いくつもの探査・記録用端末をばら撒いていた。地球との間のゲートが開いた瞬間から端末からの情報を受信および分析し、開いたゲートの位置と魔法世界で発動した『完全なる世界』の計画についてのおおよそを把握していた。自分の辿って来た歴史にはなかった、世界の存亡がかかった一大事に興味が尽きない。

一方でネギは、魔法世界の行く末に特別な興味はない。

しかし、今ネギには千雨に伝えたい言葉ができた。

無駄に悩んで、すれ違って、もしかしたら手遅れかもしれないけれど。

もう、迷わない……否。悩みながらも、歩みを止めない。

勇気を出して、前へ。

 

「そんで、これをやらかしてるっつーもう一人の私はどこにいるんだ?」

「あのお城のどこかヨ」

 

超の言葉とともに、視界の隅に小さく映っていた黒い建物が拡大された。その側面画像が数枚、異なる角度から映されたものも並べられる。

 

「建築の基本ガン無視だな。なんで逆三角よ」

「『墓守人の宮殿』。ファンタジーならではの構造ネ。あー、魔法のフィールドに阻まれて、この内部まで探査端末が届かないネ。得られる情報はこれが限界ヨ」

「千雨さんはこの、宮殿の中心に位置する塔の最上階にいます」

 

ネギが『墓守人の宮殿』が拡大されたモニターに近づき指を指した。

 

「最上階には南に突き出した祭壇があります。その手前には魔法陣が描かれた台座が円状に配置されてまして、そのあたりなら僕たちが今載っているこの艦も着陸できるかと」

「じゃあさっと行ってさっと長谷川さんを拉致りましょう。この船には魔法的、光学的迷彩は装備してあります、私たちの自信作です。どんなセンサーだって騙くらかしてみせますよ!」

「ダメヨ葉加瀬、それはおそらく不可能ネ」

 

墓守人の宮殿を見つめるネギが言う。

 

「あちらにいる千雨さんの前では、どんな迷彩や防壁も無意味ヨ。長谷川千雨に発現する『力の王笏』は、科学、魔法両方を支配するネ」

「ああ、そういえばそうでした。ほんと厄介ですね。なんなんですか」

「私を見ながら言うなよ」

「まあ世界再編魔法に多くのリソースを割いているはずだガ……つまり、ヨ」

 

超の視線が、まだ14歳に過ぎない千雨に向く。

 

「今この中で、『電子の魔王』に唯一対抗できるのは『長谷川千雨』をおいて他にいないネ」

「あの、『電子の魔王』とはなんですか?」

 

首を傾げる黒ネギに超が答える。

 

「未来における長谷川千雨の異名ネ。史上最悪のテロリストとしてその名が刻まれているヨ」

「えっ」

「えっ」

 

ネギ二人が同時に千雨を見た。超からある程度の情報を聞かされていた千雨は気まずそうに目を逸らし、

 

「……んだよ。未来の話だろうが未遂だ未遂。今の私にそんなことする動機ねーよ。つーかなにがあったら私がそんなことになるんだ?」

「本人に聞きたいところですねぇ。千雨さんてわりかしヘタレですのに、テロ起こした挙句に世界消滅の引き金とか、はっちゃけすぎですよ」

「ヘタレ言うなや」

「ヘタレでしょう。ネギ先生にあれだけ懐かれて、満更でもない顔しといて人に聞かれたら『すすす好きじゃねーしぃ!?』とか……あれ委員長にケンカ売ってましたよね」

「血の涙を流してました」

 

葉加瀬の言葉に茶々丸も同意する。千雨は大勢が不利と判断したのか、視線をあらぬ方向に逸らして『力の王笏』を一振りし、

 

「あー、あの宮殿の障壁にハッキングできたぞー」

「も、もうですか?」

「さすが『電子の魔王』ネ」

「だからちげーつってんだろ。こうして、こう、おりゃっ」

 

言いながら千雨はさらに超謹製肉まん型飛空挺のモニターを支配して、手に入れた画像情報を表示させた。

 

「いや、おりゃっ、でハッキングされると立つ瀬ないネ……」

「じ、自信作なのに」

「じゃあもっと防壁に金かけとけよ、てか茶々丸さんが守ってなけりゃこんなもんだよ。で、誰だこれ」

 

映された動画は、ネギが言っていた祭壇のものだ。そこにはフェイトと、千雨と、見覚えのない赤毛の青年がいた。まるで宇宙服を簡易化したようなスーツを着込んでいる。どこか超が身につけている強化スーツに似ている。それを見て超が叫ぶ。

 

「ネギ・スプリングフィールド!?」

 

まさに、歴史に名を残す世界を救った英雄、ネギ・スプリングフィールドの姿だった。

 

「は? ネギはここにいるだろ。黒いのときれいなのが」

「あ、あれは、人間ではないです」

「どういうこと? 黒いの」

 

黒い方のネギがモニターに映るネギを指差し、沈んだ声で言う。式神のネギがどういうことかと問いかけていると、超がはっと顔を上げた。

 

「そうか、実体化させたネ? 新しいネギぼーずを」

「どんどん僕が増えてきますね。一匹見たら30匹なあれみたいですね」

「自分を害虫に例えるってどうなのよ」

「見てくださいよ千雨さん、本物の僕なんて黒い分余計にアレっぽくて。えへへ」

「なんで笑ったんだ今。話戻すけど、なんのために増やしたんだ?」

「護衛、カ? あれは未来において太陽系最強の座に君臨する存在ヨ」

「コピーの僕だから言えますけど、そんな強いわけないですよ。たかがコピーですよ?」

「なんでお前って時々自虐入れるの?」

「……恐らく、恋人としてです」

 

黒ネギの言葉に全員が振り返った。

 

「あちらの『ネギ』を相手に仲むつまじく、していて……僕を、ネギと認識してくれませんでした」

「ん? それはシカトしてるとかじゃなくてか?」

「いえ。誰だお前は、という態度を自然ととられていて。僕が誰か分からず、あちらの僕を最愛の相手のように振舞っていて」

「あの、これ僕が言っていいものかとは思うんですけど」

 

周囲に暗いオーラを垂れ流しながら沈鬱に呟く黒ネギの言葉をまるっとスルーして、式ネギが年相応の明るい声で言った。

 

「このおっきい僕って、随分デキが悪くないですか?」

 

言われて映像をよく見れば、確かにその表情をはじめとした、挙動に違和感がある。動きの一つ一つにおかしな点はない。いきなり変顔をするわけでもない。だがそれらの自然な動きの繋がりにぎこちなさがある。

 

「僕なんかは千雨さんが調整してくれたおかげで随分人間らしい振る舞いが板についてきたという自負がありますけど、そんな僕とは比べるのもおこがましいレベルじゃないですか。表情の造形とかもうちょっとこだわってくれないと」

「ちょと、千雨サン。おたくのお子さん随分と毒が強いヨ」

「調整間違ったかな。直す時ギリギリだったし」

「きっと千雨サンの好みが色濃く反映されて……そうカ」

「好みてお前……どうした」

 

小声で千雨と会話しながら、超は一つの可能性を思いついた。

 

「調整ヨ」

「何が」

「認識の改変、阻害、偏向。呼び方はなんでも良いガ、明らかに人間離れしているあれを自分の恋人と認識し、ネギボーズをネギと認識できなかった。プログラムに調整を加えられているヨ」

「調整……」

 

黒ネギの呟きが口からもれた。

 

「崩壊した精神プログラムの修正時に手を加えられた可能性があるネ。あそこのネギ・スプリングフィールドの言動は全て、やつら『完全なる世界』にとって都合のいいもののはずヨ」

「で、その大ネギの言葉に盲信する魔王か」

 

ということは、と式神ネギは呟く。

 

「今のあっちの千雨さんの状態が、もともとの千雨さんの意志とは違っているかも、ということですね」

「なんかややこしーことになってんなあ、あっちの私」

「千雨さん、他人事みたいな言い方しちゃダメですよ、自分のことでしょ?」

「無茶言うなよ葉加瀬……」

 

まあいいや、と千雨は声を張る。

 

「このまま世界の滅亡を放置すんのも後味わりーと思ってたところだ」

「あっちの千雨さんを取り返すか大きい僕を破壊すれば、本物の僕のあれこれとか世界の危機とか、全て解決するということですからね」

「こっちのやることはわかりやすくていいな」

 

隣に立つネギも千雨に同意し、震える千雨の右手をネギが握った。照れ隠しなのか、ニヤリと軽く微笑み合う。二人の様子にネギは若干黒い気配を無意識に滲ませたが、すぐに引っ込めた。

さて、と超が手を叩いた。

 

「情報と目的を共有したところで作戦を立てるネ。先程千雨さんが言ったように二手に分かれるのもありヨ。茶々丸、あちらに動きは?」

「ありません。今私たちは超上空の、しかも魔力流の中を浮遊する岩片の裏に陣取っていることで姿を隠せています」

「あのメガロメセンブリアの船が麻帆良に向かってくれたのもカモフラージュになってましたね」

「二手に分かれるか。囮と本命」

「そうネ。『電子の魔王』の監視をくぐり抜けるには、同じアーティファクトを持つ千雨さんがまず必要ネ」

「『力の王笏』でも、この大きさのものを電子的魔法的に隠すのは無理だぞ」

「船および私たち科学組は囮役、カ。ま、こっちも戦闘に使えるカードは持って来てるネ、派手に」

「あ、あの」

 

黒ネギが手を上げて発言の許可を求める。はいネギ君、と式神のネギが発言を促した。

 

「陽動の役割なら、僕が一番適任です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に気づいたのはフェイトだった。次にようやく周囲を監視していた千雨が声をあげる。

 

「何らかの巨大な力場が収束中! 魔力溜まりのはるか上空!」

 

フェイトが即座に上方に向けて障壁を張る。それを千雨が術式に干渉してさらに強化した。障壁の大きさは、千雨とフェイトのいる墓守人の宮殿の南に繋げられている離塔を優に覆う大きさだ。

咆哮。

耳を劈くそれと同時に落ちて来た、千の雷をはるかに超えるエネルギーの鉄槌。

障壁による防御によって塵ほどもダメージはないが、周囲への影響は甚大である。宮殿の一画が砲撃の輻射熱で融解しつつある。はたして宮殿内にいたデュナミスたちはどうなっているのか。

 

「お、おいフェイト。やばくないかこれ」

 

さらに悪いことに、フェイトに防御を強要する咆哮は、時間が経つごとに衰えるどころか障壁にかかる圧力が上がっている。

 

「発生源がこっちに近づいて来てんだ!」

 

砲撃と障壁が削り合う隙間から目を凝らせば、巨大な鬼の姿をフェイトの目が捉えた。鬼は牙が見えるその口を大きく開けて、周囲から吸収した魔力をエネルギーに変えてフェイトへと打ち出している。鬼は砲撃を続けながら二人がいる祭壇に向かって落下してきており、このままでは一帯があの鬼に蹂躙されてしまう。『渡鴉の人見』で転移しようにも、このアーティファクトで転移できるのは情報生命体である千雨だけであり、それではグレートグランドマスターキーを置いていくことになってしまう。

 

「『冥府の石柱』」

 

8本の石柱を同時召喚、それらを亜音速で鬼神に向けて打ち上げる。うち4本は鬼の四腕によって掴み取られるが、残りはみな鬼の体を貫いた。

砲撃が減衰していく。

 

「やったか?」

「いや、霊核は破壊できていない」

 

フェイトは視線を上空に向けながら、なおも障壁に魔力を注ぎながら言った。

 

「だから君は早くここから逃げて」

「守ってくれると思ってたぜ」

 

声は千雨の背後から聞こえた。

その人物は千雨が振り向くと同時に飛び出し、一瞬で千雨を掻っ攫った。

千雨の目が捉えた人影は三つ。

一つは自分を抱える者。一つはその拉致犯の乗る杖を操る者。最後の一つは、上空からの砲撃を防ぐフェイトに、二千本の魔法の射手を束ねた前蹴りを背後から金的に打ち込んでいた。

 

「誰だテメ、何しやがる!」

「うるせーな、黙ってついてこいよ」

 

揺れる視界の中でなんとか顔を上げれば、それは自分と同じ顔だった。

同じ顔で、同じメガネをかけて、麻帆良中学の制服を身にまとい、その手には自分と同じアーティファクトを持っていた。

過去の自分が、自分を抱えている。それを認識した瞬間、千雨の中に言い知れぬ感情が爆発した。なぜここにいるのか、どうやって自分とフェイトの警戒網を突破したのか。そういった様々な疑問が一瞬で押し流され、千雨は反射的に叫んだ。

 

「ネギ!」

 

杖術に風の魔法を併用させて、亜音速で移動する千雨たち3人に、さらに一人が並走した。

未来のネギ・スプリングフィールド、その模倣品であった。

式神のネギの判断は早かった。大ネギが右腕を振りかぶるのとほぼ同時に跨いでいた杖を蹴り大ネギへと飛びかかった。

大ネギの拳が式ネギの体を貫通する。

明らかな致命傷。

しかし式ネギは式神である。しかも千雨によってその生存能力を大幅に上昇されている。

戦闘力よりなにより、まず生き残ること。死ににくく壊れにくいこと。

それを念頭に調整された彼の体は、腹部に穴が空いた程度ではなんら影響しない。

しかもかろうじて背骨の破壊は回避している。

式ネギは腹を貫く腕を両腕で抱え込み、右足で大ネギの腋を、左足で横顔を蹴り飛ばす。さらに背を思い切りのけ反らして、変形の腕十字を極めた。

が、この大ネギには痛みを感じる機能が備わっていなかった。

極められている腕を大きく振りかぶり、杖に乗る現代の千雨にむかって式ネギごと振り下ろした。

二人の千雨が弾け飛ぶ。

式ネギは自分の主である千雨をかばいながら二人で祭壇を転がっていく。身体強化と風の魔法でなんとか速度を落とす。

対して未来の千雨は大ネギに優しく横抱きにかかえられ、見つめあってすでに二人の世界に入っていた。

フェイトの方を見れば、黒ネギの金的は腿の間に展開された障壁に阻まれ、カウンターの足刀を食らって大きく吹き飛ばされていた。

同時に、上空から砲撃していた式神・両面宿儺がその姿を消す。騒音が止み、耳に痛い静寂が残った。

 

「なんで、あのスピードに追いつけたんだ?」

 

現代千雨が口を開いた。誰に問うでもない、困惑が自然と口からまろび出たのだ。

 

「知らねーのか? 知らねーよな。お前何にも知らねーもんな」

 

いつの間にか、大ネギを伴った未来の千雨が、式ネギと今千雨を見下ろしていた。

未来の千雨が、過去の千雨を嘲る。嘲笑を交え、誇るように。

 

「ネギはな。私のネギはな。太陽系最強なんだよ。その強さの基本はな、速度だ。こと速度の点において、ネギを上回る存在なんてこの世に存在しねーんだ。音速すら超えられねー杖なんかで『なんで追いつけたんだ』ってか?」

 

千雨は笑った。愚かだ。笑えるほど愚かで、何も知らないアホだ。ネギを知らない長谷川千雨など存在していていいはずがない。こんな存在は生きているだけ無駄ではないか。酸素の無駄ではないか。こいつのために消費されていいものなど酸素1molだってありはしない。

 

「見せてやれよネギ」

「ラステル・マスキル・マギステル」

 

始動キーの後は、現代の中学生に過ぎない千雨の耳には余りにも早口で聞き取れなかった。つまりはそれだけ術式構築速度が異常であるということ。大ネギが横に突き出した右手には、素人の千雨から見ても頭おかしいとわかる莫大なエネルギーが球状に固定された。

それを、大ネギは握り潰した。

掌握。

『千の雷』の術式とエネルギーを取り込み、自身の体を雷の精霊と同格に押し上げる術式『雷天大壮』。

長谷川千雨はずっとそばにいた。ずっと見続けていた。ネギの戦いと、苦悩と、後悔の連続を。それらは全て千雨の記憶野の奥に大切に大切にしまわれていて、それが精神プログラムの修復と同時に外に溢れた。

その結果生まれたネギ・スプリングフィールドの疑似人格には、当然はるか未来までの戦いの歴史が収められている。

それだけではない。その術式構築速度は『力の王笏』に代理演算させることで常人にはありえない高速かつ並列処理が可能で、扱うエネルギーは魔法世界全土から集まる魔力流を拝借している。

現代の千雨は、生まれて初めて見る『規格外』に、笑った。絶望を通り越して、引きつった笑いしか出てこなかった。目の前の大ネギがいかなる存在か、そしてその強さの源泉が何かを『力の王笏』による精査で知ってしまったのだ。

計算外だった。ただの、千雨への愛を囀る人型テープレコーダーのような存在だと勘違いしていた。本来の計画であれば、フェイトを黒ネギが足止めしている間に未来の千雨を攫って、魔法世界の崩壊を止めさせるはずだったのだ。それなのに、それを止めたのが太陽系最強だとかほんと泣けてくる。

過去の自分が絶望している様に満足したのか、未来千雨は歪な笑みを浮かべながら、

 

「じゃあ死ね」

 

千雨の言葉に合わせて、大ネギが現代の千雨に手を突き出す。

その時、複数のことが同時に起こった。

再び現代の千雨を庇うために立ちふさがった式ネギの胸部を、大ネギの抜き手が抉った。

しかしその指が式ネギの術式基幹部を破壊する前に、『雷天大壮』で加速した大ネギが未来千雨の背後に一瞬で回り込んだ。その勢いのまま千雨の足元に向かってサッカーボールキックを見舞い、千雨の影から這い出てきたエヴァンジェリンがそれを両腕で受け止めた。

それを見越したタイミングで、フェイトと対峙していたはずの黒ネギが両面宿儺を装填した邪鬼の姿で迫った。瞬動の勢いを利用して放つ右の両腕を用いた二発の打撃は、エヴァンジェリンに脚を固定されていたため身を捩ることも許されなかった大ネギの顎と心臓を撃ち抜いた。その勢いがあり過ぎたためか、吹き飛ぶ大ネギと絡み合いながらエヴァンジェリンと黒ネギ、そして大ネギの腕にぶら下がる式ネギが祭壇から落ちていく。

 

「ネギ! くっそ、」

 

フェイトは何してやがる……怒りとともに視線をフェイトに向ければ、そこには見覚えのある黒ゴス少女が、二刀でもってフェイトの握る岩剣と鍔迫り合いをしていた。

 

「お久しぶりですフェイトはん」

「二度と会いたくなかったよ月詠さん」

 

剣が弾かれる。岩剣の影から出てきたのは、

 

「いけずやわ〜、約束通り、その首を刈り取りに来ましたのに」

 

そんなことをのたまう月詠の右剣がフェイトの首ではなく膝を狙って払われる。それを一歩後退して避けたフェイトは距離を取るべく『石の息吹』を無詠唱で放つ。左剣の一振りで払いのけた月詠に向かって千刃黒曜刀の斬撃が見舞われ、二人の戦闘はあっという間に音速に迫り、フェイトの後退に誘導されて祭壇の西へと向かっていく。

あっという間の出来事だった。

ネギとフェイト。太陽系最強格二人に身を守らせていたはずが、なぜか今ではひとり孤独に祭壇の真ん中で立っている。

呆然と、ネギが落ちていった先を眺めていた。まさか落ちた程度では死ぬまい、そう思うものの今、確かにエヴァンジェリンがいた。万が一があるのか、そんな不安が首をもたげ、ネギの落ちた方へと歩みだそうとして、

 

「おいおいどうすんだよ、自慢のお友達は行っちまったぜスネ夫君」

 

後ろから、過去の自分の声がした。

過去に背を向けたまま千雨は吐き捨てる。

 

「黙ってろよ。見逃してやるから消えろクソガキ」

「何イラついてんだよ、更年期かクソババア」

 

苛立ちが勝り、千雨は振り返った。この時代にきて初めて、過去の自分を正面から直視した。

地面を転がったせいだろう、頬に擦り傷がついて、額から流れた血が左目を塞いでいた。破れた制服の下には超の着ていたスーツと同じ物が見えている。そのおかげで傷は軽いもので済んだのだろう。そうでなければあれだけの距離を転がったのだ、頭を強く打ったり膝の皿を割ったり、そうでなくとも脳震盪で意識を保ってなどいられないはずだ。

それでも過去の自分は傷だらけだった。傷だらけのまま立ち上がっていた。その姿が無性に癪に触った。まだ何も諦めていない、その瞳の輝きが腹立たしかった。

決めた。

こいつはここで殺しておこう。

 

二人の千雨が睨み合う。西部劇の決闘にも似た緊張感が場を満たす。二人が握る、電子精霊の最上位命令権を担う『力の王笏』を突きつけあい、電脳空間での戦いが始まる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。