長谷川千雨の約束 (Una)
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第一話 2回目の初めて

そばにいて欲しいと言われた。

だから私はそばにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 夜風がほほを鋭く叩く。

 街灯一つ灯らない闇の中、魔帆良大橋の物陰で。彼女はネギ・スプリングフィールドと向かい合っていた。

 足元には淡い光を帯びた魔法陣。人語を解するあまりかわいくない妖精オコジョが描いた、仮契約を結ぶものだ。

 幼い頬を両手で捕え、呆けてわずかに開かれている唇へと顔を寄せていく。

 主観としては二回目の仮契約。

 人生二度目のキス。

 子供相手だから、なんて理由でノーカウントになんかしてやらないと彼女は強く思う。前回は一度目で、今回は二度目だ。それは誰が何と言おうと覆らない。そして両方とも彼女が得た感想は同じだった。

 

 ――やわらけー。

 

 そして、仮契約は成った。

 彼女は新しく手に入れた絆の形を見つめる。オコジョに渡された仮契約カードに描かれた自分は、カメラを意識した頭の悪いアイドルのように能天気な笑みを顔に張り付けている。

 息をつく。

 これで最初の関門は突破できた。

 でもまだ安心はできない。所詮はまだスタートラインに立っただけ。これから乗り越えなくてはならない障害は山ほどある。それは考えるだけで気の遠くなるほど長く、尻込みするほど細い道だ。

 

 ――でも、約束だもんな。

 

 そう、約束したのだ。

 傍観者であり、観察者であり、常識人であり3-Aの数少ない突っ込み要員であった少女が、唯一ネギ先生から与えられた言葉。

 彼女から言葉を与えることは幾度となくあった。そのたびにネギは歪んで、曲がって、折れて。中身の伴わない素人考えの助言に右往左往した揚句に辿りついた結末は予想外で、でも今考えれば当たり前の喜劇だった。

 だから、彼女は約束した。

 

 

 ――絶対、殺してやるからな。

 

 

 彼女は、長谷川千雨は、そのためにここに戻ってきたのだから。

 

「見せてあげますよ先生。アンタの従者がどれだけ強いのか」

 

 自分の従者の言葉に、ネギはコクリと強く頷いた。

 それを見返し、千雨は笑みを顔に浮かべて見せた。

 笑えたはずだ、と千雨は信じることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴様、長谷川千雨か?」

 

 麻帆良大橋入口付近が一瞬だけ光に包まれた。それは、仮契約の執行による魔力の奔流であった。エヴァンジェリンが空から視線を向ければ、そこには英雄の息子、ネギ・スプリングフィールドと、2年以上机を並べていた見覚えのある少女がいた。

 ふむ、とエヴァンジェリンは首をかしげる。たしかぼうやは神楽坂明日菜と契約を結んだのではなかったか、と。疑問の意を込めて己の従者を見やれば彼女もわけがわからないらしい、小さく横に首を振った。

 

「おい長谷川千雨、なぜ貴様がここにいる」

「入場券はもってるぜ」

 

 片頬を釣り上げて、問われた少女が右手に持つなにかを掲げて見せた。

 それは一枚のカード。ネギ・スプリングフィールドと長谷川千雨の契約の証。掲げ持つ表情が語る、我に資格あり。

 

「なるほど。しかし入場はできてもアトラクションは別料金だぞ?」

「言い値で買ってやるさ」

「言ったな? 小娘が。あまりの値段に腰を抜かすなよ」

 

 ふん、とさらに千雨の頬が持ち上がる。笑みにも見えるその表情にエヴァンジェリンは興味を持った。口元には勝算が、目には覚悟が。そしてその震える膝にはエヴァンジェリンへの恐怖が容易に見て取れた。

 

「行け茶々丸。見極めてこい」

「了解、マスター」

 

 隣を飛んでいた従者は、主の指示を聞くや否や自由落下に近い速度で眼下に並ぶ二人の元へと向かっていった。

 ネギを守るように立つ千雨。その姿にエヴァンジェリンは首を捻った。その体つきも、重心のかけ方も格闘技術を習得している者とは思えない。後方支援型の従者ならばすでになんらかの詠唱に入っていなければおかしい。まるきり素人の動き、構え。これではなんの役に立つのか。隣のネギも不安そうな視線を長谷川千雨に送っているが彼女は見向きもしない。ただこちらを睨みつけているだけだ。タッグを組んでいる身でありながら意志の疎通もおろそかにしている。

 これならバカレッドのほうがまだ――そんな侮りが頭に過ぎり、眼下ではついに茶々丸が千雨を己の間合に納めようとして、

 

「悪いな、茶々丸さん」

 

 茶々丸は千雨を素通りした。

 背中のジェットエンジンから得られる推進力を姿勢制御だけにあてて、落下の勢いを殺さないまま茶々丸は長谷川千雨に接近し攻撃を加えようとした。長谷川千雨を素人と見て、しかし油断なくその額にデコピンをぶつけようとしていたのだ。

 なのに茶々丸はそのまま千雨の横を通過し、力の抜けた両足が絡まり転倒。橋のアスファルトに亀裂を走らせながら二転三転し、バウンド込みで十メートルは転がったところでようやくうつぶせの状態で止まった。

 その右手はまだデコピンを構えたままだった。

 そのまま動作を停止した茶々丸を、エヴァンジェリンとネギはぽかんと口を開けて見つめていた。が、千雨はちらりとも視線を向けない。茶々丸が向かってきたときも彼女はエヴァンジェリンから一切目を逸らさなかった。

 

「……何をした?」

 

 エヴァンジェリンが静かに問う。明らかな怒りをその目に浮かべておきながら、声からはむしろ濃い警戒の色が伺える。怒りを極力抑えた冷静な声。彼女は心の重心をどこに置くかを承知していた。

 

「何をしたと思う?」

 

 ふふん、と千雨が鼻で笑う。彼女が恐怖と、そして大きな安堵を得ていることにエヴァンジェリンは気付いている。千雨さんすごいですでも茶々丸さん大丈夫なんですかあれ! なんて騒いでいるネギの肩に腕を回した。そうでもしないと立っていられないのだろう。緊張から安堵への感情の振り幅が大きすぎて筋肉が勝手に弛緩してしまった、俗に言う腰が抜けたというやつだ。

 エヴァンジェリンは先ほどの光景を振りかえった。

 茶々丸を一瞬の交差で戦闘不能にした千雨の技能。そしていつの間にか右手に握られているファンシーな杖。茶々丸の受けた反撃は体術ではない、あの杖、おそらくアーティファクトの効果によるものだろう。仮契約の直後でいきなりアーティファクトを使いこなせるのかという疑問はあるが。

 

「心配すんなよネギ先生、茶々丸さんは別に死んじゃいない。単に意識が落ちただけだ」

 

 つうかあの程度じゃ死なないだろ、と千雨はつぶやいた。それはネギへの言葉ではなくエヴァンジェリンへの確認だ。

 

「……まあ、そうだな。あの程度の衝撃で壊れるほど茶々丸は軟にできていない。それで動かないというなら貴様のやらかした『何かしら』以外に原因は見当たらんな」

「そうかい、なら安心だ。麻帆大工学部もってきゃすぐ目を覚ます」

「ずいぶんとお人よしだな、敵の心配とは」

「先生に似たんだよ」

「え、僕ですか?」

 

 会話を続けながらもエヴァンジェリンの思考は続く。あの一瞬で敵の意識を奪うアーティファクト。おそらく射程距離は短い。もしエヴァンジェリンの今いる位置がすでに射程内なら、こんな悠長な会話は続けてられない。茶々丸とエヴァンジェリン、二人まとめて意識を奪うことができたはずだ。

 接触することで相手の意識を落とす、あるいは操る? ちらりと、千雨たちの背後で横たわる茶々丸に警戒の視線を向けた。なるほど敵にとってこれほど厄介な前衛もない。

 ならばやるべきは魔法戦、遠距離からの魔法の撃ち合い。エヴァンジェリンはそう結論付けた。おそらく千雨は魔法は素人。体からは魔力や気がかけらも感じられない。魔力の蛇口がいまだ開いていないのだろう。魔法を知ってからそれほど日にちが経っていないのだ。

 つまり、魔法戦となれば長谷川千雨は役に立たない。

 

「さて、おしゃべりはここまでだ」

 

 エヴァンジェリンの言葉に、そして体から放たれる魔力の奔流にネギが顔を引き締める。千雨もネギから体を離し、距離をとろうとして、

 

「……なんのつもりだ?」

「なにって、決闘の続きだろ? お前が言ったんだろうが」

「そうじゃない、貴様がぼうやの前に出てどうするつもりだと聞いてるんだ。優しく言ってやるが邪魔だからどけ」

 

 千雨はネギとエヴァンジェリンの間に入ってきた。この状態でエヴァンジェリンとネギが魔法戦を始めれば、千雨は前後から魔法を受けて多分世界で一番面白いミンチになる。千雨の行動にネギも困惑気味だ。

 

「どうするもなにも、従者が主を守るのは当然だろ。それにさっきな、ネギ先生と約束したんだよ。先生の従者がどんだけ強いか見せてやるってな」

「……なに?」

「かかってこいよ、600万ドルの賞金首。私みたいな素人なんて、得意の魔法で一瞬だろ? なんせ私は仮契約しただけの素人だからな。どんだけ手加減されても600年生きたあの闇の福音様の魔法だ、ド素人の私なんか木端微塵だ。あぁいや遠慮すんなよ、覚悟はある。毛も生えていない素人の私にだって矜持ってもんがある、死んでも枕元に立つくらいだ」

「未練たらたらだろうが」

 

 あと素人連呼しすぎだ。

 言いながらエヴァンジェリンは、千雨がこれ見よがしにハンドリングしているアーティファクトの杖を見た。

 魔法を使えば一瞬で終わる。それは千雨の言うとおりだ。自分を素人と蔑み、相手を持ち上げる発言を繰り返して、「こんな自分に本気出しちゃって恥ずかしくないの?」と言っているのだ。そしてそんな素人のアーティファクトを恐れて接近戦を避けるなんて、600歳を超える吸血鬼としての矜持が許すのか。そんな挑発を繰り返している。

 つまり千雨は必死に、悲しくなるほど必死に、エヴァンジェリンを接近戦へと引き込もうとしているのだ。その必死さにエヴァンジェリンは愛しささえ感じた。長谷川千雨は、戦いを前にして震えるこの愚かな素人は、無知であるわけでも危機感が足りないわけでもない。真祖の吸血鬼を敵に回したことの意味を十分把握した上で、まだ生存を諦めていないのだ。

 この決闘が終わって、命があれば向こうの勝ち、なければこちらの勝ち。本来なら勝利条件があまりにもこちらに不利だが、それくらいの差が人間と吸血鬼の間にはある。その圧倒的な差を正確に認識しておきながらもやつは本気で勝ちを狙っている。

 

「私はな、長谷川千雨」

「ああ」

「貴様を素人とは思わん」

「……あ?」

「本気で挑んでくる者には本気で応えるべきだろう。それが決闘の流儀だ。どんなルールであろうとな」

「よしお前の言いたいことはわかった。ここはひとつウノで勝負しようじゃないか二人で。ドローとかスキップの枚数によってはずっと俺のターンとか1ターンキルとかできたりして超楽しい」

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!」

 

 詠唱が始まる。十歳で体の成長が止まった吸血鬼の声は高く、しかし重い。

 

「来たれ氷精闇の精・闇を従え吹雪け常夜の氷雪」

 

 600年の研磨を経て届いた、術式の密度と速度。エヴァンジェリンを観察するネギは、彼女が最強の魔法使いと呼ばれる所以の一端を垣間見た。彼女に比べれば自分は魔法を使えているうちにも入らない。

 

「闇の吹雪!」

 

 それに対し千雨は何をしているのか。ネギが横目で確認すると、彼女は目を閉じ、半ば俯いて何かをつぶやいている。だがその漏れ聞こえる音節は魔法に使われるラテン語ではない、まるで誰かと電話をしているように聞こえる。大魔法が目の前に迫る恐怖で頭がどうにかなっちゃったんだろうかとネギは本気で思う。障壁を張ろうとポケットの中にある練習用の杖を出そうとして、やめた。千雨との約束を思い出したからだ。

その時、ネギと千雨の足元を何かが駆け抜けた。

光り輝く無数の玉が、千雨を囲むように目にも止まらぬ速さで駆け巡る。その速さは軌跡に残像が映るほどである。

 

「アギテ・エクストラクティオー」

 

 

 そしてネギは、千雨のつぶやきを耳にした。

 彼女の後ろに控えているネギの耳にかろうじて届いたそのつぶやき。

 なぜ聞こえたのか、それはネギにもわからない。空からはエヴァンジェリンの放った『闇の吹雪』が轟音とともに迫っていたし、千雨だってネギに聞かせるために口に出したわけではない。むしろネギには聞かれたくなかったはずだ。

 あえて理由を挙げるとすれば、むさぼるように習い覚えたラテン語に対しネギの耳が敏感になっていたからかもしれない。

 魔法も知らないはずの中学生の口が囁いたそれは、ラテン語の響きだった。

 

 

 ネギカ・マギア・エレベア キルクリ・アブソルプティオーニス

 

 

言葉と共に、千雨とネギを守るように、巨大な魔法陣が展開された。

 

 

 

 

 

 

「なんだ? 今のは」

 

 エヴァンジェリンは困惑した。彼女のこんな表情は珍しい。600年を生きた彼女にとって、戦場で起こりうる大抵の現象はすでに経験済みであるからだ。

 長谷川千雨を殺すつもりはなかった。千雨のすぐ横を通過させ衝撃でアーティファクトを手放させ、その隙に瞬動で一気に接近し意識を刈り取る。人間ごときが真祖の吸血鬼に抗ったことは腹立たしいが、闇の福音の復活祝いとして『生存』というささやかな恩赦をくれてやるつもりだったのだ。

 とはいえ今放った『闇の吹雪』は確かに全力だった。全力には全力で相手をする。その意志は変わらない。

 それを、長谷川千雨は、

 

「……止めただと」

 

 千雨に掠めるように横切る瞬間、彼女はアーティファクトを握る右手を突き出したのだ。同時に足元に展開される魔法陣。その陣は半径二メートルほど、さほど大きいものとは言えない。中級の儀式魔法に使われる程度だ。

 だが吸血鬼の動体視力はその脅威を正確に捉えていた。その魔法陣の密度、精密さ。エヴァンジェリンはたまにハカセや超の研究室へと出向くことがあるが、彼女たちが持つパソコンのモニターを滝のように流れる意味不明な文字列。それをエヴァンジェリンは連想した。

 そしてそれが展開すると同時、巨大な障壁が現れ、エヴァンジェリンの全力の『闇の吹雪』が爆音を立てて止まった。

 せめぎ合い、拮抗は一瞬ともたず、最後には爆発して『闇の吹雪』は魔法力を使い果たした。

 闇の吹雪や雷の暴風などの系統の魔法は、大量の魔力を術式で固め一直線に走らせるものである。その売りは回転を加えることで得られる貫通力であり、障壁などの影響を受けて拡散してしまうことはあっても『爆発』をおこすことなどありえない。

 それが爆発した。

 しかも込めた魔力とは到底釣り合わないほど小規模。砂煙が舞ってはいるが周囲への被害はそれほどでもない。ネギが鼻で吸い込んでしまった塵で元気にくしゃみを連発しているくらいだ。

 ただの障壁ではありえない。身を守る盾に宝石を飾るバカがいないように、魔法障壁一つ貼るだけの為にあんな複雑な術式を組む魔法使いはいない。

まるで、魔力が吸収されてしまったような。

 そこまで考えたところで砂煙が唐突に晴れる。ネギがくしゃみのせいで風魔法を暴発させたらしい。彼の魔力制御の甘さに呆れもあるが、今は千雨の状況の方が気になる。

 

「あぁー……いてえ、くそ。起動のタイミングミスった」

 

 声がした。

 聞き間違えではない、どこかひねくれて、でも内に一本の芯がある声。千雨だ。視界の悪い砂塵から姿を現した彼女は、突き出していた右腕から大きく出血していた。

 

「こっち狙ってくると思ったのに、ちょっと狙いを外してただろ。おかげでタイミングずれた。お人よしはどっちだ、ったく」

 

 千雨の変化はそれだけではない。まず目につくのはその肌の色。闇を垂らしたように黒ずんで、人間にはありえない色になっている。次いで気になるのはその髪か。茶色に近いはずの彼女の髪は、ところどころに雪のような白が混じっていた。

 だが外見の変化など大したことではない。つい先ほどエヴァンジェリンは『長谷川千雨は魔力をもたない』と判断したばかりなのだ。なのに今の彼女は暗い魔力をその体に満たし、溢れ出た魔力が冷気となって立ち上っている。

 

「……私の場合は『お人よし』ではない、強者の余裕というんだよ」

「なるほど、その有り余る魔力を分けてくれたわけだな。もっと優しく分けてくれりゃあ良かったのに」

「分けたんじゃない、貴様が強奪しようとして失敗したんだ、自業自得だコソドロめ」

 

 そこまで言って、エヴァンジェリンが目を細めた。

 

「貴様、『それ』をいつ、どこで覚えた?」

 

 エヴァンジェリンの言う『それ』とは、自身が開発し、理想を描き、そして挫折した、存在するはずのない魔法技術。

 闇の魔法。その理想形たる『太陰道』。

 

「聞きたいか?」

 

 得意げな顔を見せる千雨に、エヴァンジェリンは少しイラッときた。

 

「いや、いい」

「……なんで?」

「何を焦っている。単に貴様を殺す前に締め上げる理由ができたというだけの話だ」

 

 『闇の魔法』自体はエヴァンジェリンにとって既に重要度は高いものではない。あれはまだ彼女が弱者に分類されていた頃、人間が行う魔女狩りから逃げることしかできなかったころに、苦肉の策として創りだしたものだ。魔力・術式・精霊の全てを魔法という形にして取り込むことで、魔力だけを用いた身体強化を大きく上回るスペックが手に入る。ただの人間が使えばその副作用に耐えられないため禁術に属する技法なのだが、術式の掌握が無ければただのドーピングと変わらない。600年を生き、一個体としては圧倒的な魔力量と技術を誇る今となってはさしたる意味のないものである。

 だが、それをあえて覚えた人間が目の前にいる。

 その経歴に少しだけ興味が湧いた。

 

「……ああ、そりゃ合理的だな。実に脳筋らしい。安心した」

「ふん、安心とは余裕じゃないか、その体で?」

 

 ニヤリ、とエヴァンジェリンが皮肉げな笑みを浮かべて問う。言われるまでもない、それが千雨の心のうちに湧いた返答だった。だって見ればわかるのだ。闇の吹雪を受け止めた右腕の出血は言うに及ばず。現在進行形で全身の内外に細かい裂傷がビシビシ音を立てて走っている最中なのだ。今日の為に用意した制服やソックスの白い生地が血に浸したように染まりはじめている。メガネにまで血しぶきが飛んで視界の邪魔になる。それでも人前でメガネを外すことと天秤にかけ、結局千雨は外さない方を選んだ。指でレンズを拭おうとも思ったが、闇の吹雪を吸収した千雨の体は文字通り雪のように冷たい。その冷気に触れて、レンズに付着した血液は凍りつき霜のように貼りついてしまっている。

 

「先生、契約執行」

「え、でもあの、血が……」

 

 ネギがうろたえながら千雨を見上げた。千雨はそれに笑みを返し、低い位置にある頭を撫でてやろうとして、止めた。頭皮が凍傷になって禿げたら困る。

 

「大丈夫ですって。私の心配はいりません。約束したでしょう? 私の強さを見せるって。ほら、先生早く」

「はっはい! 『契約執行90秒間・ネギの従者長谷川千雨!』」

 

 千雨の体が光を帯びる。実は千雨にとってこれが初めての魔力供給だった。あたたかい、と千雨は呟いた。冷たい体を包み込むネギの魔力に千雨は一瞬だけひたり、小さく、ほんの小さく微笑んだ。まるで励まされているようだと思う。全身の痛みが引いてくるような気さえした。

 左手を握り、開いて、千雨は獰猛な笑みをエヴァンジェリンに向けた。 

 

「いくぜエヴァンジェリン。アンタを600年物の噛ませ犬に仕立ててやるよ」

 

 千雨の言葉を受けて、エヴァンジェリンもまた笑みを作った。

 

「小型犬のようにキャンキャン吠えるな、ド素人の小娘が」

 

 千雨が跳躍する。月を背にして浮かぶ吸血鬼に向かって、大きく。ネギからの契約執行に加えてエヴァンジェリンの魔力を上乗せした千雨の体は、人間の筋力が出せるパフォーマンスの限界を超えていた。膂力に限れば、今この瞬間彼女は世界でも五指に入る。

対するは最強の名を冠する真祖の吸血鬼。その魔力は人間の限界なぞはるかに上回る。そんな圧倒的上位存在が、油断なく、ただ強者の余裕をもって、千雨の挑戦を真っ向から受けて立った。

 



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第二話 力の王笏の使い方(応用編)

 モニターに映るのは、少女の後ろ姿だった。本当はライブチャットのようにしたかったのだが、ちょうどいいアングルに監視カメラが設置されていなかった。いつものことだと千雨は気にしない。

 

『お久しぶりですね千雨さん』

 

 チャットであるから声はしないし、アングルのせいで表情も伺えない。それでも見えることはある。黒い三つ編みからポロポロこぼれている枝毛とか、ずいぶんと細くなった首筋とか。少女のいる部屋が病室であるとか、座っている椅子が電動式の車椅子であるとか。

 

「久しぶりだな、ハカセ」

 

 少女の名前は葉加瀬聡美。かつての千雨のクラスメイトにして、魔法戦争需要で旧世界一般派トップクラスのシェアを誇る雪広グループの技術顧問である。

 

「で、天下の葉加瀬聡美さんが今日はなんの用だ?」

 

 チャットという形はとっているが千雨はキーボードを打つ必要がない。千雨の展開する電子空間ではただ伝えたいことを思うだけでいい。それを電子精霊群が暗号化し、ハカセのモニターに送ってくれる。それをハカセは一瞬見ただけで解読し、覚え、パソコンからログごと削除する。ハカセの強制的に増築された演算能力と千雨の組み上げた防壁プログラムを組み合わせてできるセキュリティであるが、それは万に張り巡らせたセキュリティのうちの一つにすぎない。

 

『千雨さんに研究協力の依頼を』

 

 ハカセからのレスに千雨は軽くため息を吐いた。基本的に千雨はハカセのこの手の依頼を断ることができない。自分の体を保存し続けるためにかかる費用をハカセが負担してくれているからだ。今の千雨は、傍目にはテロに巻き込まれてこん睡状態に陥った一患者に過ぎない。

 

「なんだ今度は、どんな無理難題を押し付けるつもりだ?」

『義肢です』

「ロケットパンチでも内臓させんのか」

『自分の意思で自在に動かせるものを作りたいなと』

「そんなのもう開発されてるだろ」

 

 千雨が真っ先に思い出す義手と言えばラカンの両腕だ。接合面に傷こそ残っているが、あんだけ派手にネギを殴り飛ばしていたのだ、日常生活に支障が出るとは思えない。

 

『いえ、魔力に頼らずに、です。機械工学だけで同じものを再現したいなと』

「……意思で動く腕をか? でもそれだって確か開発されてたような」

 

 千雨の記憶は定かではないが、21世紀が始まった頃に意志で動く義手の男性が自動車免許を取得した、という記事をどこかで読んだ覚えがある。

 

『まああることはあるんですけどね? そういった機械の義手だと触角を脳内で再現できないんですよ。つまり物を触っても固いのか柔らかいのか、熱いのか冷たいのかも分からないわけで』

「触覚の再現? それこそ無理だろ、魔法なしでなんて。視覚や聴覚なんかは研究が進んでるらしいけどな」

 

 ハカセからの依頼は基本的にソフトウェアの開発である。それは千雨のアーティファクトがその方面に特化しているためであるが、ネットの世界でしか動けない千雨にはそれしかできないという事情もある。

 しかし、触覚の再現。その技術的ハードルの高さは門外漢の千雨には想像するしかできないが、魔法を使わず……つまり念話や気配察知の魔法的技術を用いずにそんなプログラムを作る方法を思いつくことはできなかった。

 そんな自分になぜこんな話題を振ってきたのだろう、と千雨は首を捻った。こうしてハカセと通信しているだけで千雨に迫る危険度が指数関数的に上がる。セキュリティには万全を期しているつもりではあるが、慢心できるほど世界は平和ではない。いつ、千雨の『力の王笏』を上回るアーティファクトが発現するかわからない。

 

『では、千雨さんは魔法をどんなものだと理解してますか?』

 

理解も何も、と千雨は嫌そうな顔をした。魔法学なんてまともに受けたことがない。どうせ魔法なんて使えねーしぃ、と千雨は半分拗ねたような諦めをもっていたためだ。実際彼女の魔力容量は一般人としても圧倒的に小さい。これじゃ覚えるだけ無駄だろ、と言ってネギを困らせた記憶がある。あれはほとんど八つ当たりだった。

 

『魔法とは、魔力を精神力で制御し、術式で精霊に指示を与えることで起こる現象です』

「へえ」

『精神力の高さによって魔力の制御が上がれば一つの魔法に必要な魔力をロスなく供給でき、術式が正確であればあるほど精霊に捧げる魔力量が少なくて済むわけです。そして込められた魔力と術式の正確さの積を『魔法力』と呼びます。その魔法の効果の高さ、持続力を指す魔法用語ですね』

 

 そして、魔法力は枯渇する。呪いや精神操作の魔法は攻撃魔法と異なり持続性がある。持続性の魔法の効果が切れるとき、それは込められた魔力が全て消費されたか、あるいは長い時間の中で術式が綻び魔法としての形態が崩壊したかのどちらかだ。エネルギーが100パーセント保存される機関は存在しないし、壊れないものもない。それは当り前のことだ。

 

『術式とは、精霊たちへの指示とも束縛とも考えられています。詠唱によって術式の形に精霊たちを固定し、そこに魔力を通すことで魔法使いは超常現象を発現させます。術式が設計図、精霊が配線、魔力が電気と考えればいいでしょうか。余談ですが、異なる属性でも同じ種の魔法があるでしょう。魔法の射手や武装解除などの攻撃魔法に見られますね。ああいった属性の違いは設計図ではなく使われる精霊の種類の違いです。人によって感応できる精霊の属性が異なるんです』

 

 それは魔法学の基本中の基本であるわけだが、千雨はその理論が新鮮だった。ハカセの話にのめり込んでいく自分に気付き、それがなんとなく気に入らなくて千雨はあえて素っ気ない風を装った。

 

「で、それがどうしたよ。何の話がしたいんだあんたは」

『電子精霊の活躍の場はプログラムやネットワーク上にとどまらないという話です』

「お前はあれだ、いつも唐突過ぎる。相手の気持ちがわからないことが天才の条件だったりするのか」

『どの精霊にも言えることですが、彼らには司る属性というものがあります。例えば雷属性の精霊なら、その本質は精霊でありながら雷でもあるわけで』

 

 自分の言葉を聞き流して話を進めるハカセの態度に思うところがないでもないが、一方でなるほど、と千雨は頷いた。ネギのオリジナルスペル、雷天大壮を思い出す。その体を雷の上位精霊とすること、それは術者自身を雷にすることと同義であると知識では知っていた。雷であり精霊でもあるということ。つまり、

 

「それが電子精霊なら、精霊と電子両方の性質をもつってことになるのか」

 

 そして自分は、彼らの能力のうち『電子としての能力』、より正確には電気・磁気・電磁波など『物理的な側面しか』扱えていない。『力の王笏』は『電子精霊群の組織的運用』を行うためのアーティファクトだ。ならば電子精霊群を精霊として、ハカセが言うところの『配線』として運用することは不可能ではないだろう。そこに流す魔力が千雨にないだけで。

 

『魔法に使われる術式、その中身は精霊群です。精霊で構築された魔法を発動させるためのプログラム、と言った方がわかりやすいですか、私が何を言いたいか』

「つまり、あれか? 『力の王笏』はネットワークだけじゃなく魔法にも介入できる、てことか? 術式をプログラムに見立てて、その中に電子精霊群を紛れ込ませることによって、魔力の流れを捻じ曲げられると」

 

 胡散臭げな視線をハカセの後頭部に向けるが、そこで千雨はふと思い当たることがあった。

 かつて魔法世界、オスティアにて千雨は完全なる世界が発動しようとしていた「リライト」の魔法に介入したことがある。あのときは生死がかかっていて必死だったため無意識に行っていたが、あの最古にして最大の儀式魔法に干渉する能力は電子精霊の『物理的な側面』のみを使っていては為し得なかったことだろう。

他にも、魔法世界で使われている魔道具。普段から気軽にハッキングしているそれらの機構はもちろん銅線ではなく精霊群で構築されているし。よくよく考えれば、自分は仮契約によって入手できるあのカードだって乗っ取り、他者のアーティファクトを使用できるのだ。

 とはいえ。

 今更そんな可能性に気付いたところでなあ、と千雨は思う。

 魔力の流れを操れたとして、それが何の役に立つのか。それで3-Aが帰ってくるのなら喜びもしよう。だがそれは不可能だ。精霊をどう弄繰り回したところであいつらは――

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 渦まく魔力。挙動ごとに吹き荒れる余波に、ネギが立つ豪奢で長大な麻帆良大橋がギシギシと震えた。

 二人のやり取りを、ネギは息を飲んで見ることしかできないでいた。

 彼女を見上げているだけでネギはその存在感に膝が折れそうになる。

 目を閉じて、意識を落としてしまえばどれだけ楽か。

 でもそれは駄目だ、とネギは自分を叱咤する。

 自分の従者となることを了承してくれた少女が、最強の魔法使いに挑みかかっているのだ、主たる自分が目を逸らしてどうする。彼女も言ったではないか、自分の従者がどれだけ強いのかを見せてやる、と。

 だから自分は彼女を見ていなくてはならない。彼女の勝利を信じて。

 

「……長谷川さん」

 

 つぶやいた唇に何かが付着した。右腕で拭い、見ればいくつかの赤い粉。人肌で溶け始めたそれから鉄によく似た香りが漂ってくる。

 血だ。

 冷気を纏う千雨の体、その皮膚から噴出する血液は冷気に触れると同時に凍結し霰とあなって周囲にばら撒かれている。

 体に走る無数の裂傷。それがなぜ起こるのかネギには見当がつかない。エヴァンジェリンの『闇の吹雪』を消し去ったことと体が驚くほど冷たくなったこと。これらと傷とがどう関わるのか。

 あんなに血をばら撒いていれば死んでしまうのではないか……そんな不安はもちろんある。援護をしたい。本当ならエヴァンジェリンに向かってなにか魔法を撃つべきなのだ。それはネギも分かっている。それが魔法使いの主従がとるもっともスタンダードな戦術の一つだと。でもそれはできなかった。仮契約カードを介した千雨の声が手出しを止めているのだ。

 手を出すな。

 大丈夫だから。

 全部作戦通りだから。

 不安に泣きそうになる自分を励ましてくれる千雨の言葉を聞きながら、ネギはその小さな両手で子供用の杖をきゅっと握りしめ、高速で離れていく少女たちの戦闘を追いかけた。

 

 

 

 

 

 黒衣があっという間に血に染まった。

 その全てが返り血であるが、いまだエヴァンジェリンは一度も千雨に攻撃を加えていない。

 魔帆良大橋のアーチの上を二人は駆けている。千雨は前進、エヴァンジェリンは後退の形だ。千雨の攻撃を右手だけでさばく。時折振るわれるあのステッキには回避を必要とするため、防御に専念しているエヴァンジェリンはどうしても後退せざるをえない。

 エヴァンジェリンが攻撃に回らないのは、単に手加減の度合いを測りかねているからだ。

 千雨の攻撃は重い。子供のケンカのように振り回される両腕は、二重の身体強化もあるのだろうが、それ以上に意志の存在を感じられる。その身に宿る冷気は鋭く、防御に回しているエヴァンジェリンの右腕を少しずつ凍りつかせている。すでに肘まで動きが鈍くなっていた。

 しかしその代償に、千雨の体には、彼女が動くたび、あるいはその攻撃を受けられるたびに傷が増えていく。すでに制服は元の色を忘れるくらい染まってしまっているし、今も右足から何かがちぎれる音がした。どこかの筋が切れたのだろう。

 まずいな、とエヴァンジェリンは吐血を繰り返す千雨を見て眉をひそめた。

 千雨を死なせるわけにはいかない。エヴァンジェリンは千雨に、彼女が修得した『闇の魔法』の出所を吐かせるという目的があるからだ。しかし自壊していく千雨の肉体はどの程度の攻撃であれば死なずに、しかも行動不能になるのか。魔法使いを砲台に例えるエヴァンジェリンである、そんな繊細さを自分に求めたことなど彼女にはなかった。

 千雨の全身に、独りでに走る裂傷。

 それがエヴァンジェリンをジレンマへと追いやり、千雨の拙い攻撃をただひたすら受けに回るだけの臆病者へと貶めていた。

 

「どうしたエヴァンジェリン、何か聞きたいことがあったんじゃねーのか!」

「血を吐きながら喋るな、行儀が悪い。口の中に物を入れて喋るなと教わらなかったのか」

 

 それにしても、とエヴァンジェリンは千雨を片手であしらいながら思考にふける。

 肉体から勝手に血を噴き出す不可解な現象。『闇の魔法』の副作用か? と思うが、そんなことがあるだろうかと首を捻る。人間が使えば確かに副作用はあるだろうが、それは魔素中毒に近い症状がでるだろうとエヴァンジェリンは予想している。『闇の魔法』を覚えて血が噴き出すなど、理論的にありえないのだ。

 よくよく考えれば違和感は他にもある。『闇の魔法』を使えば両腕には闇の紋章が浮かび上がるはずだ。なのに千雨の腕にはそれが見当たらない。着ている制服は半そでで腕が露出しているのだ。どれだけ高速で動こうとも吸血鬼の眼が捉えられないはずがない。

 そして長谷川千雨は魔力を持っていない、つまり魔法が使えないのだ。なのに『闇の魔法』を習得して何の意味がある? 『暗き闇の型』程度の出力アップなら気の運用を覚えたほうがはるかに実用的で安全だ。

 いくつもの疑問がエヴァンジェリンの中で絡み合い、戦闘中に得られた長谷川千雨についての情報と結びついて、彼女に一つの解答を与えた。

 

「ああ、そうか」

 

 答えはあまりにも単純なものだった。考えがそこに至った瞬間、エヴァは攻撃に転じた。大外から振り回される千雨の左の掌を首を傾げてかわし、ほぼ同時にガラ空きのわき腹に膝を叩き込んだ。

 

「っぐ、う」

 

 体の芯を貫く衝撃に、千雨の細い体が浮く。浮き、アーチから体がこぼれ、飛行も虚空瞬動も使えない千雨はなすすべなく重力に引かれて、落ちた。

 

 

 

 

 

『長谷川さん!』

 

 先生の声がするな、と千雨は体の軋む音の中で思った。念話で響くネギの声に、飛んでいた意識を引き上げた。

 橋側に落ちたのは幸運か、それともエヴァンジェリンが加えた手心故か。多分後者だろうと千雨は思う。

千雨の体は橋道のアスファルトを砕いてわずかにめり込んでいた。障壁すら張れない千雨がそれでも生きているのは、体に纏うネギの魔力と掌握した魔法の属性のおかげである。掌握し体に取り込む魔法の属性によってステータスは異なる変動を見せる。今回取り込んだ属性は氷であり、この場合に得られる恩恵は耐久性の大幅な上昇。しかし落下の衝撃のため千雨の術式兵装は解けてしまっていた。

 千雨の術式兵装は攻撃を受ければすぐ空気中に霧散してしまうほど不安定だ。耐えれて一発。エヴァンジェリンが手加減してくれたおかげで、落下まで術式を体内に抑えることができた。

 とにかく念話でネギに大丈夫だと伝え、エヴァンジェリンは、と視線をめぐらそうとして、

 

「なかなか面白いアーティファクトだな」

 

 千雨の顔を見下ろす位置に仁王立ちする彼女がいた。

 千雨からはエヴァンジェリンが麻帆良大橋の柱を背負っているように見える。仰向けで見上げる巨大な橋桁の迫力に千雨は少し感動する。あんなところまで登っていたのか。高さに気付かないほど必死だったのだろう。

 

「いいだろ。やらねえぞ? お気に入りなんだ」

「貴様は『闇の魔法』を修得しているわけではないな?」

 

 千雨を無視したエヴァンジェリンの言葉は、質問ではなく唯の確認だった。故に千雨は無言でいる。勝ってに喋ってくれるのだ。口を挟む必要は、ない。

 

「おそらく貴様のアーティファクトの能力は『術式への介入と制御』、と言ったところか」

 

 やはり無言。それが肯定と同義であると、エヴァンジェリンは判断した。

 

「その能力で私の闇の吹雪に干渉し、体内に取り込み、術式兵装として制御していた。だから貴様の体には闇の紋章が浮かばない、『闇き夜の型』を体得していないのだからな。しかしそのため制御が中途半端になり体内で私の魔法が暴発しかけていた。それゆえのその全身の傷。違うか?」

 

 違わない。敵の魔法に干渉し『術式固定』をかける段階までは、かつてネギが開発した『敵弾吸収陣』を参考にしている。加えて肉体への『術式装填』は、かつてあの筋肉バカが実演して見せた、言ってみればラカン流闇の魔法。それを千雨は自身のアーティファクトである『力の王笏』で魔法を制御し、再現して見せたのだ。

 ただ減点があるとするなら、千雨が介入できるのは魔法の術式だけではないところか。

 

「そして茶々丸を下したのもその能力か。あいつは魔力で動く人形だからな、その術式に干渉すれば機能不全にさせることも容易だろう」

 

 そんな簡単じゃねえけどな、という言葉を千雨は心に思うだけにとどめておいた。あれは完全な不意打ちで、七部衆全員を干渉に向けて、集中力の全てを注いだからこそできた一発勝負のギャンブルだった。もう一度同じことをやれと言われてもごめんである。が、そんなことを正直に言って敵の評価を下げる必要はないと千雨は判断した。

 

「一瞬で他者の意識を落とす。それができるのは茶々丸などの魔法人形だけ。私には効かないということだ」

 

 そこで一旦エヴァンジェリンはため息をついた。そこにはわずかな呆れと、それ以外を占める感嘆の念が込められていた。

 

「……驚嘆に値するよ。貴様からは何の魔力も感じない、恐らく魔法的素養が特に乏しいのだろう。そんな貴様がこの私にハッタリを効かせ、『闇の魔法』を装い、私に手加減を強制させることで時間を稼いだ。すっかりだまされたよ。あと十分かそこらか、結界が復活するまでは」

「……正確には9分22秒だ」

「そうか……それにしても術式装填、それも『太陰道』か。開発と習得にどれだけの修練を重ねたのやら想像もつかんな」

 

 まあ、到底使い物にならんバッタモノだがな、とエヴァンジェリンは締めくくった。うるせえよ、と千雨は口の中でつぶやく。鉄の味がする唾液のせいで言葉にはならなかった。そんなことは言われなくても知っている。

 こんなもの、宴会芸となんら違いはない。差があるとすれば、芸人の命が賭かっているかどうか。リアルタイムで書き変え続けるプログラム、その変更を少しでもミスれば体内で暴れる魔力は途端に『力の王笏』の制御を振りきって千雨の体を爆散させることだろう。

そんな危なっかしいものを『技』とは言えない。危険を装い周囲の笑いを誘う道化師の『芸』にすぎないのだ。

 だからほら、芸に釣られた観客が、のこのこステージに上がってきた。

 自分を見下ろす幼女をさかさまに見上げながら千雨は頬を引き攣らせた。それがちゃんと笑みに見えたかどうか心配だった。体の震えは隠せているだろうか。寒くて体が凍りそうだと千雨は思う。もう術式兵装は解けたのに。それとも血を流しすぎたのか。

 

「確かに貴様は魔力を持たない、年端もいかない少女だ。だがな、貴様には覚悟がある、思いもある。『太陰道』の習得に流した血を思えば私は敬意すら覚える。傷を負いながらも死に屈せず前に進む姿は戦士のそれだ」

 

 だから、とエヴァンジェリンは言葉を続ける。

 

「貴様は私が手ずからとどめを刺してやる。貴様が、長谷川千雨という存在がこのまま出血多量で無様に死んでいくなど見るに堪えん。礼儀として、きっちりその首をはねてやる」

 

 エヴァンジェリンの右腕が光に包まれる。相転移を繰り返して発生するその光は彼女の気性にどこか似ていた。まっすぐで、近づく全てを切り裂くそれは『断罪の剣』。エヴァンジェリンが開発した、近接戦闘において反則的な性能を誇る『全てを切り裂く剣』である。それを発動しただけで、千雨の攻撃によって腕を固めていた氷が粉々に砕け散った。後には傷一つない、きれいな腕があるだけだ。千雨にできたことなど何もなかった。格の違いを見せつけられた気分になった。

 

「近づくな」

 

 その言葉は、背後から忍び寄るネギに向けられたものだった。背中越しに届く氷の冷たさを感じさせるエヴァンジェリンの声に、ネギは足を止めた。顔は涙でぐしゃぐしゃで、声をあげて泣き出していないことが不思議だった。嗚咽をあげそうなのどを無理やり抑え、ネギがなんとかという体で言葉を紡ぐ。

 

「は、長谷川さ……んを、はなっ放してください。僕の血なら、いくらでも」

 

 その様を見て、エヴァンジェリンはふんと鼻を鳴らす。まるでこちらが人質をとったかのような物言いに少なからず気分を害した。が、それも仕方ないことだろうと思いなおす。ネギはまだ子供であるし、何より時代が違う。殺される名誉、生かされる恥など言って理解できるものではないだろう。だからエヴァンジェリンはネギを無視することにした。

 

「誇れ。私に虫のように虐殺された者は数えきれんが、介錯を受けた存在など五人もいない。痛みもなく一瞬で送ってやる」

 

 エヴァンジェリンが輝く右腕を千雨の首筋に当てた。千雨の体が緊張と恐怖で軋んだことが手に取るようにわかる。どんな気丈な人間でも死を前にすれば誰もが怖気づく。エヴァンジェリンはその長くて血なまぐさい生涯から得られた経験則を再確認した。

 

「最後にいい残す言葉はないか?」

「……――ム、ゼ……」

「ん? なんだ、小声で聞こえん」

 

 エヴァンジェリンが千雨の口元に耳を寄せた。戦士と認めた者の最後の言葉をないがしろにする気は彼女にはないから。

 そして、この距離なら。

 

「『我こそは電子の王』」

 

 どういう意味だ? と疑問を表すより早く、寝転がる千雨を中心に魔法陣が展開した。突然足元に生じた光にエヴァンジェリンの精神はいち早く反応、驚くより先に回避を体に命じた。魔法陣の効果はわからないが、その範囲から外れてしまえば、

 

「なっ!?」

 

 今度こそエヴァンジェリンは驚愕した。自分が纏うマントを千雨が掴み、思い切り手前に引き寄せたからだ。千雨の首には断罪の剣が突き付けられていたままであって、エヴァンジェリンから見ればその行動は自殺行為以外の何物でもない。右手に纏う光がなんの抵抗もなく千雨の首の筋肉を裂いていく。動脈を切り裂くギリギリのところでエヴァンジェリンは反射的に『断罪の剣』を解除し、その自分の行動に一瞬唖然として、『力の王笏』の効果によって千雨とともに意識を落とした。



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第三話 エヴァンジェリンさんぱないの!

『ところで千雨さんは、ご自身のアーティファクトの能力をどのように解釈していますか?』

 

 突然の話題の転換に千雨は一瞬ついていけなかった。戸惑いながらも答えを絞り出す。

「そりゃあ、『幻想空間』の一種を展開することだろ。私は『電脳空間』て呼んでるけど、そこに精神を送ってなんかこういい感じにだな」

『ふっふっふー』

「何だその笑い、チャットでやっても寒いぞ」

『あーもう千雨さんノリ悪いですね。だから友達が少ないんですよ』

「大きなお世話だ」

『あ、大丈夫ですよ私は千雨さんのこと友達と思ってますから』

「本当に大きなお世話だ」

『先ほどの千雨さんの答えですが、実は間違えています』

 

 あ? と千雨は眼を細めた。なぜ担い手である自分に対し間違いを指摘できるのか。

 

『まあそれでも別に困ることはないんですが。でも正確なところを言うと、『幻想空間』は精神の共有で、同じ夢の中に精神が同時に存在します』

「私のはそうじゃないってのか?」

『千雨さんの言う電子空間は『力の王笏』で電子精霊から送られる情報から構成された仮想現実なんです』

 

 ハカセの説明はこうだ。

精神が電子世界に入っているわけではない。精神をデータのようにコピーし、千雨の脳内に投影しているだけ。コピーが見聞きした五感の情報は七部衆が睡眠状態にある本人の脳へ送り、そこから返ってきた反応をコピーにトレースさせる。言ってみれば遠隔操作式のロボットを操っているようなもの。だから、力の王笏の空間内ではデータによる人間への攻撃が可能であり、しかしコピーを破壊したところで本人には何も影響しない。

 

「待て……そんな簡単に、人間の精神をデータ化とか」

『いやですねー千雨さん』

 

 画面の中で、ハカセが肩をすくめた。

 

『オスティア事件覚えていないんですか? 力の王笏を使って精神データを抽出し、それを他人の精神に送ったのは誰ですかー、もう。そうやって明日菜さんの意識を覚醒させようとしたんでしょう?』

 

 千雨は沈黙した。なんと返信すればいいのかとっさに思いつかなかったからだ。

 人間の精神が魔法学的なプログラムによって成り立っているということは魔法世界の研究者からすれば常識以前の前提として認知されていて、その前提から様々な研究分野が発展している。例えば魔法世界の亜人種が旧世界への移住を目的とした義体などだ。あれは、精神をプログラムと解釈したうえでそのデータをインストールする方法を研究する分野である。

 

『エヴァンジェリンさんの『闇の魔法』習得用スクロール。あれに封じてあるエヴァンジェリンさんを模した人造霊魂なんかは、その分野の研究の先駆けと言えるのかもしれませんね』

 

 思い出すのは、ラカンから渡された『闇の魔法』のスクロール。そこから突然出てきた全裸のエヴァンジェリンには度肝を抜かれた。逆に、実はアレがスクロールの中でレトロゲームに嵌っていると知った時は呆れてしまったものだ。

 あのときの、アレが。

 

『人造霊魂。エヴァンジェリンさんのアレは本人と比べて随分と劣化していたそうですが、一個の自我としてのアイデンティティを確立していました。すごいですよね、自分が誰かの劣化コピーであると自覚しながらも、独り延々とスクロールの中で精神活動を行っていたそうじゃないですか。はたしてオリジナルからしてそうなのか、それともそういう仕様の霊魂なのかはわかりませんが』

「……あのさ、ハカセ」

『はいなんですか?』

「ハカセはさ、研究者だから耐性があんのかもしれねーけどよ。私はあくまで一般人なんだ。自分の自我がプログラムでしかない、なんて話題はあんまり精神衛生に良くないんだよ」

 

 特に、そのことをもっとも身近に感じてしまう千雨だからこそ、この手の話題は避けたいのだろう。電子空間に引きこもり、寝たきりの自分の体を常に外から把握している彼女はどうしたって肉体と精神の繋がりが希薄に感じてしまう。千雨が千雨としての個を確立する要因の中に身体の情報は含まれず、つまり自分の精神性だけで自己の確立を維持しないといけない。それなのに精神がプログラムであるということを強調されると、たまに自分が何なのか、何者なのかなんていう思春期にありがちな悩みを数十倍濃くしたような不安に駆られてしまうのだ。

 

『はあ……それで、さっきの話に戻るんですけど』

「義手の話か」

『はい』

 

 その声からは、後ろめたさをまるで感じない。千雨がオスティア事件のあの瞬間に立ち会ったことを知っているはずなのに、相変わらずの能天気そうな声。なんだか腹立たしくなってくる。自覚していないならその無神経さに、自覚しているのならその悪辣さに。そんなに糾弾したいなら正面から責め立てればいいのに、なぜこいつはいつも顔の見えない部屋を選ぶのか。

 後ろ姿しか見せてくれないのか。

 

『千雨さんにしてほしいことはですね、触覚の認識を電子精霊によって解析することです』

 

 千雨は悲鳴をあげそうになった。やめてくれ。なんで私をそんなに苦しめるんだこいつは。電子空間の底で、千雨は頭を抱えてうずくまった。

 五感というクオリアまで0と1で解析できてしまったら、それこそ今の自分がただのデータでしかないと認識してしまう。

 精神がプログラムであるとただ知識として知っていることと、それを実感として認識してしまうことの間隙はあまりにも広い。そして自身がプログラムでしかないと完全に理解してしまえばその人間は発狂してしまうだろうし、千雨は自分がその領域に既に片足突っ込んでいることを自覚していた。だから最近ではそういった類の情報、つまり精神データやプログラムの研究、人工知能についての話題についてもシャットアウトするようにしていた。

 

『私も魔力が使えません』

 

 目の前に投影されたハカセの言葉に、千雨は頭を挙げてモニターに目を向けた。

 

『そんな私が求める義足には、電子精霊を操り魔力を用いず人間の心を解析する千雨さんの能力必要なんです。それがあれば、今世界中で生まれている悲劇の数パーセントでも減らすことができる。そう私は信じています』

 

 現在世界中で行われている戦争は、その規模に反して死者が少ない。『不殺戦争』などと呼ばれていたりするわけだが、それは各陣営のトップの良心によるものではない。魔法使い側は一般兵より圧倒的に死ににくく、一方で魔法使い側の全ての陣営が、敵兵をあえて殺さない方が負傷者の治療に金も手間もかかると知っているからだった。

 だから、ハカセのような両足の欠損などでは今時たいして同情を引けるようなものではなく、そういった患者の社会復帰支援と生活保護による財政の圧迫は一般人側では深刻な社会問題となっていた。

 

『私は、足が欲しいです。生身の足と同じように感じられる足が。だから協力してください』

 

 最後はシンプルな言葉だった。その裏にどれほどの感情が隠れているのか、そのくたびれた後ろ姿からは想像できなかった。

 常に千雨の胸を占める感情。それはネギにも同じものがあるはずだと千雨は思っている。自分さえいなければと、自己嫌悪と呼ぶには少しだけ屈折した感情。

自分さえいなければ、彼女は死なずに済んだ。

自分さえいなければ、彼女達は平和に過ごせていたはずだ。

自分さえいなければ、世界は平和だったはずだ。

頭の中を埋め尽くす、幾つもの自分さえ、自分さえ、自分さえ。

 それを消し去るためにネギは必死になっているし、千雨がネギにつきあっているのも彼と同じ理由からだった。それをハカセは知っている。知っていて彼女はこんなセリフを吐いている。最悪だ、と千雨は拳を握り、思う。こちらの精神的な急所を突くやり方も、その言葉に千雨が断れないことも。

そして、その果てに自分の中で渦巻くこの感情が少しでも消えてくれることを期待している自分が、多分誰よりも最悪だった。

 なあハカセ、と千雨は後ろ姿しか見せてくれない彼女に、心の中で問いかける。

お前は一体、どんな顔で私を友達と呼んだんだ。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 初めは麻帆良湖に落ちたのかと思った。自身が水没する音がして、周囲には気泡が纏わりつき、大小さまざまな魚影が見える。しかし違う。呼吸ができることがおかしいし、視覚的には水中にいる筈なのに体は濡れていない。なにより、

 

「闇の精霊 29柱!!」

 

 どこからともなく現れる魚群が、エヴァンジェリンへと突撃してくるのだ。

 それらはクロマグロであったり、カジキマグロであったりと湖には存在するはずもない種だ。どれも重量にして400キログラムを優に超えるような巨体がその鋭い口をエヴァンゲリンに向けて猛スピードで迫る。それを召喚した精霊たちが駆逐していく。駆逐し終われば間を置かずに別の魚群が迫りくる。今度はシャチとサメの混合群、数は視界を全て埋めるほど。舌打ち一つ、無詠唱で闇の吹雪を4つまとめて正面から叩き込めば、闇と氷の渦に巻き込まれて群れの中心に穴が生まれた。その隙間の果てに、吸血鬼の視力が一瞬だけ人影をとらえた。

 長谷川千雨である。

 

「いたな」

 

 笑みを浮かべると同時にエヴァンゲリンは瞬動。吸血鬼の身に備われている魔力を十全に発揮したそれは、闇の吹雪で生まれすでに閉じかけていた群れの隙間に、その矮躯をねじ込ませた。

 魚群を抜けて開けた視界の先で、長谷川千雨は例の杖を振り回しながら、様々な魚を虚空から作り出している。幾十もの発光する緑の線が千雨の杖の動きに従い曲線を描き、絡み合い、魚影を形作る。それらは千雨のもとから離れ、加速とともに先端から順に魚らしい色と光沢をまとい、エヴァンジェリンへと突貫する。それらを鎧袖一触、爪の一振りで粉砕しながらエヴァンジェリンはさらに加速し千雨に迫る。残りは距離にして1キロ、時間にして3秒――無慈悲な数字が七部衆から千雨の耳に伝えられる。

 

「ひっ」

 

 千雨の表情が驚愕に凍る。

 起動途中の攻性プログラム他3つのアプリの起動をキャンセル、余剰のリソースで別のプログラムを即起動させる。緑のワイヤーが一瞬で解かれ、束ねて一つの巨大な魚影が形成される。

それは魚ではなかった。

千雨の体とは比較するのもばからしい、シロナガスクジラの巨体が一瞬で彼女の目の前に現れた。

 大きく開かれたその口に、エヴァンジェリンは亜音速で突っ込んだ。

 

「暗い、だと?」

 

 バグンと口が閉じ、一瞬で暗闇の中に封じられたエヴァンジェリンは行動に躊躇が生まれる。闇夜の住人である彼女の視覚は光を必要としないゆえに、完全な暗闇の中でも視界に不自由しない。にもかかわらず閉じられた口腔内で、エヴァンジェリンは600年ぶりに暗闇を味わうことになった。

 それはこの空間が、電子精霊を経由する五感でもって認識されるものだからだ。これが単純な幻想空間であれば彼女の眼球は暗闇などものともしないが、電子精霊群によって闇と定義された空間内では、エヴァンジェリンの脳がそこを暗闇と認識してしまうのだ。

 そこにたかるホオジロサメの群れ。クジラ型の攻性プログラムに、多数のサメ型浸食ウイルスを潜ませておいたのだ。動きが一瞬止まったエヴァンジェリンの細い腕に、脚に、髪にマントに脇腹に、サメの鋸歯が突き立てられる。が、

 

「ふん、なんだこの軟弱な雑魚どもは」

 

 文字通りまるで歯が立たない。少女の矮躯を食いちぎろうと、サメの膂力でもってその身を上下左右にのたうたせるがビクともしない。サメ型のウイルスは実はわずかずつエヴァンジェリンのデータ本体に浸食しているのだが、真祖の吸血鬼の精神を構成するデータ量があまりにもデカすぎるため、本体に痛痒を感じさせるほどにも至っていない。

 エヴァンジェリンは腕を広げ、無造作に回転した。それだけでウイルス群のうち半数は彼女の体から振りほどかれ、残りは回転の負荷に耐え切れずその体を引き裂かれた。

次いで再び『闇の吹雪』。今度は8本を、闇の中八方に向けて同時に放つ。数秒の間を置いて、エヴァンジェリンの放った魔法は千雨のクジラ型攻性プログラムを内から破裂させた。

 崩壊したプログラムの残骸から回転の余波をまといながら現れたエヴァンジェリンはすぐさま視線を巡らせる。

 

「まだ逃げるか」

 

 目を向けた先、千雨は大きなエイの上に、魔法の絨毯よろしくあぐらをかいていた。こちらに背を向け、魚類にしてはなかなかの速度で一心不乱に逃げている。

 瞬動。虚空を足場に宙を翔け、クジラで稼がれた距離を一瞬でゼロにした。

 獲った。確信とともに振るわれた爪が、千雨とエイに迫る。戦車を三台まとめて三枚におろせる爪の斬撃が容赦なく女子中学生の柔肌に襲い掛かかり、砕いた。

 

「む?」

 

 ガラスを割るような破砕音がエヴァンジェリンの耳を貫く。千雨の体は細かな金属片のように散らばり、それに連動してエヴァンジェリンを囲む形で、空間全体に亀裂が走る。

 

『ありがとよ、エヴァンジェリン』

 

 声がした。たった今砕いたはずの少女の声。否、ここに至ればだれでも気づく。あれはトラップだった。自分を誘導し、目的の何かを破壊させた。おそらくは障壁。立ち入りを禁じる魔法的な何かを、今自分は破壊してしまった。

 

「長谷川、千雨……!」

 

 嵌められた。利用された。この、600年を生きる闇の福音が。

 やつの目的とする何かが、この先にあるのだろう。そこに至る道を自分がわざわざ作ってしまった。

 

『あんたが防壁を破壊してくれたおかげで、私は本命にたどり着けた。ファイヤーウォールはどうにでもなるけど魔法方面はな、こんだけ硬いとどうにも』

「本命? それは、」

『お礼に、一つあんたにプレゼントだ』

 

 どこからか聞こえる千雨の声に答えながらも、エヴァンジェリンは周囲の気配を探る。魔法で声を届けているならその魔力を辿った先に長谷川千雨はいるはずだ。意識を集中し、魔力に対する知覚を鋭敏にさせる。

 その時、エヴァンジェリンの背筋に悪寒が走った。

 そこで周囲の空間が、より高い音を立てながら一斉に砕け散る。意識を集中させていたエヴァンジェリンは思わず眉をしかめ、一瞬目を閉じてしまった。再び目を開けた先は、先刻まで自身がいた海中から元の麻帆良大橋に様変わりしていた。

 右手には千雨の頭を膝に乗せた、所謂膝枕をしているネギがいる。大量出血している患者の頭を上げてどうすると思うが、それよりネギの表情の方が気になった。彼は呆然とした表情で何かを見つめている。目覚め、立ち上がっていたエヴァンジェリンが目に入っていない。一体なんだ、とエヴァンジェリンがネギの視線を辿ると、その先は麻帆良と外の境界、つまり結界の縁だ。

 エヴァンジェリンが目を細める。

 そこには、一人の男がいた。

 

 吸血鬼としての感覚が告げる。あれが自身を縛る呪いを司る精霊であると。

 魔法使いとしての知識が囁く。あれを叩き潰せば呪いもまた消滅すると。

 戦闘者としての本能が警告する。あれは、極大の脅威であると。

 

 男は白いローブを纏っている。手には長くて頑丈そうな杖を握っている。目深にかぶったフードの端から赤い頭髪が覗いている。

 そこに宿る魔力は、この十五年間ずっと感じていたあの憎らしい呪いのものと同じであった。

 そういうことか、とエヴァンジェリンは納得を得た。先ほど感じた悪寒はこれだったのかと。

 

「これは長谷川千雨のしわざか? だとしたら、悔しいがいい計らいだ……これほど殴りやすい姿はない」

 

 呪いの具現化した姿は、かつて自分に呪いをかけたまま姿を消した『あのバカ』と同じカタチをしていた。

 

 

 

 

 

 

「死ぬかと思った」

 

 グタリと弛緩した体をキーボード型魔法陣に預けて、千雨は誰にともなく呟いた。

 電脳空間内、精神や五感がプログラムとして存在するこの空間では本来千雨は万能の存在であるはずだった。

 電子の王たる自分に電子空間で敵う者などいない。そう思っていた。

 その自信は粉々に砕け散った。

 

「……なんだあれ、あんなの反則だろ」

 

 エヴァンジェリンを構成するデータの大きさと重さ。あんなもの、どうやって立ち向かえと言うのか。

 

「どんだけデータ量があるんだって話だ……」

『まあ吸血鬼ですし』

『600歳ですし』

 

 七部衆が二匹、『こんにゃ』と『ねぎ』があぶあぶ言いながら千雨の周囲を飛び回っている。二匹の言葉を聞きながら、千雨は先の出来事を反芻した。

 そもそも初めからおかしかった。人間を電子空間に引き込む時とは全く異なる手ごたえ。エヴァンジェリンのあまりの重さに電子空間そのものが処理落ちしかけた。人間とはケタどころか単位が違う。それも二つ。恐らく『力の王笏』の持つ処理能力全てを費やしてエヴァンジェリンのデータにクラックをかけても、髪の毛一本を削れるかどうか。宮崎のアーティファクト『いどのえにっき』があればワンチャン、といったところか。

 その精神の重さは人外の吸血鬼ゆえか、あるいは600年を生きたがゆえか。

 

「つくづく規格外だなあ」

 

 全くもって非常識。常識から外れた規格外。あんなもの、まじめに相手にする方がバカげてる。たぶん現実の自分の体は今頃吐血していることだろう、ストレス性の胃潰瘍で。

 だが、それだけの価値はあるはずだ。

 

「調子はどうだ『しらたき』」

『問題ありません、ちうさま。監視カメラ全線を配下に置きましたー』

「よし、映像回せ。『こんにゃ』」

 

 もはや要塞と化した魔法陣の塊の中心で、千雨は矢継ぎ早に指示を出していく。視界の隅にさりげなく投影されるモニターには、対峙する二人の魔法使いが映し出されていた。

 片はエヴァンジェリン、言わずと知れた真祖の吸血鬼。野生の獅子が獲物を見定めた時に見せる、愉悦と食欲の発露たる笑みが口元に浮かんでいた。

 片は赤い髪の青年。ガラスのような目つきに何の感情も籠らない口元。機械じみたその動きは、入学式にて初めて見た茶々丸を千雨に思い出させた。

 

「あれがネギ先生の親父かあ……映画で見たより老けてんなやっぱ」

『あの記録映像より6年ほど経過したものかとー』

 

 そうだなー、とこんにゃに軽く返して、千雨はさらに自分のすべき作業を進める。麻帆良結界への電力供給システムへのハッキング。ダウンしてしまった茶々丸の作業を引き継いだ形だ。これでエヴァンジェリンに制限はない。

 

「記録はどうだ、ちゃんと撮れてるか?」

『はいー、超高画質で常時八方向から撮影が行われています』

『完璧だネ』

『ネッ』

 

 よし、と千雨は頷いた。

 今夜千雨が実行した作戦の目的、その一つは『神木・蟠桃』を守る魔法的防護機構の破壊。蟠桃は自身の大きさ、魔力を取り込み発行する特異さを隠すために様々な防御手段を張り巡らしている。障壁の他にも、例としては認識阻害を周囲にばらまくのもそれだ。蟠桃が存在することでその周囲がオカルトスポットとして有名になってしまうことを避けるため、魔法使いが常駐し機密保護に動いている。

 

 そしてもう一つの目的が、エヴァンジェリンの戦闘アルゴリズムの入手。

 それもなるべく近接戦闘がいい。600年の実践を経て積み上げられ組み立てられ研磨された吸血鬼の戦闘技術。千雨はエヴァンジェリンの600年全てを盗み取るつもりだった。

 そのためにはエヴァンジェリンを本気で戦わせなくてはならない。だがエヴァンジェリンの本気に匹敵する存在がこの世にどれだけいるのか。電脳空間内の自分でも不可能だった。高畑だって無理だろう。それこそ英雄と呼ばれる人種でなければ話にもならない。

 よってお呼びとなったのがこれ、ナギの劣化コピーであった。

 登校地獄の呪いの術式に、ネギの持つ杖に残された術式の痕跡の数々。『力の王笏』でそれらを読み取り、解析し、抽出したデータから再構築したナギ・スプリングフィールドの戦闘経験をデジタルで表現した疑似人格。それはセーブデータからゲームのプログラムをトレースするようなもので、出来上がったものは既製品に比べれば当然劣化が見られるけれど、楽しむ分には問題ない。

 そうして得たナギ・スプリングフィールドの疑似人格は言語を解さない、ただの戦闘人形にすぎないが、今回はそれで十分。それをエヴァンジェリンを縛る登校地獄の呪いの精霊に、アスナ姫と同様仮人格として上塗りし、実体化モジュールを用いてナギの姿で実体化させた。

 あとはエヴァンジェリンにぶつけるだけ。吸血鬼の感覚で目の前の存在が呪いの核であることは一目で看破してくれるはずだし、加えて外見をナギのものにしているのだ、勝手に突っかかってくれるだろう。

五分だ。

戦闘が5分も継続してくれれば、エヴァンジェリンの戦闘アルゴリズムを丸裸にできる。

 

「じゃ、頑張ってくれよエヴァンジェリン」

 

 呪いに縛られた闇の福音と、戦争の英雄の劣化コピー。互いに全盛期に劣るとはいえ、それでも千雨が如き凡人からすればまさに天上の戦いと言えるそれが、今始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いは17秒で終わった。

 エヴァンジェリンの完勝である。



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第四話 戦後のあれこれ(もしかして:バタフライ効果)

『千雨さん千雨さん』

「あれ、ハカセか? 珍しいな」

 

 だいたい3か月ぶりの通信である。相変わらず後ろ姿しかこちらに見せてくれない。今日はその長い髪を一本の太い三つ網にして背中に垂らしている。

 

「触覚の構築プログラムはまだ締め切り遠いよな? あれ、勘違いしてたか私?」

『いえいえ、今回はそれとは別件なんです』

 

 ハカセは流れる動きでキーボードを操作して、こちらに画像ファイルを転送してきた。展開すると、それはどこかの建物の見取り図らしい。

 

「なんだこれ?」

『実は千雨さんの電賊としての能力を見込んでお願いがありまして』

「……法律を犯すような行為は慎みたいんだが」

『いえいえ、特に誰かに迷惑をかける話でもないんですよ、多分』

 

 はあ、と千雨はため息を吐いた。

戦争が始まるより前は論文の投稿や学会参加など研究成果の公開という場は当然のように設けられていたのだが、戦争が始まってからはあらゆる技術や研究成果が軍事機密としてプロテクトされるようになった。なので他国の技術情報を手に入れるために、ハカセは時々こうして千雨に『お願い』することがあるのだった。

 

「いやいいけどよ。なんでそれで見取り図? つうかどこだよこれ」

『MITの情報系の研究棟ですね』

「……MITかー」

 

 かつて千雨はMITの研究室に探りを入れたことがある。特に何が目的だったと言うわけではなく、ハカセに依頼されていた新しい電子防壁のプログラミングが行き詰っていて、なにかヒントになるものはないかという、あえて言葉にするなら刺激を求めての探りだった。なにもそのテクノロジーの深い部分まで調べ尽くすつもりはなく、今何を研究していて何ができるようになっているのか、それを知るだけで十分閃きが得られるのだ。

 だがそこで思わぬ反撃を受けた。ある情報系の研究室を保護していたアンチウィルスプログラム。旧世界の電子精霊を用いない技術では千雨の『力の王笏』に敵うファイヤ・ウォールなどあるはずがない。ペンタゴンのセキュリティすらほぼ素通りに近い感覚で突破できるのだから。なのにその研究室のアンチウィルスプログラムは領域に入った千雨を即座に発見し、電脳戦で千雨と互角の戦闘を繰り広げ、退却に徹した千雨を猟犬のごときしつこさと正確さで追い回した。このとき千雨は世界中に展開されていた軍事衛星のセキュリテイをバリケードにしながら逃走し、世界を8周したあげくに一番避けたかった最後の手段、マホネットへの退避をすることでようやくその追跡を巻くことができた。

 あのプログラムは何だったのだろう、と千雨は今でも恐怖とともに思い出す。こちらのばらまくチャフやデコイをことごとく看破し、臨機応変にこちらの逃走経路を割り出し、時には先回りまでしてのけた。

 あの動きはプログラムというより、まるで生きているかのような――

 

『実は、この研究室には妙な噂がありまして』

「……噂?」

『1995年に起きた大規模サーバーテロ、覚えていますか? 覚えていなければちょっと調べてください』

「ああ、いや、覚えてるよ」

 

かつて、あらゆる映像メディアやネットにつながったパソコンで放映された、怪物と少女の戦闘シーン。それを前後して行われた金融機関など情報をメインに扱う施設への破壊活動。千雨は当時の社会の混乱を断片的にだが思い出せる。父親が勤めていた証券会社が危うく倒産というギリギリのところまでいったらしく、そのころの千雨家は非常にピリピリしていた。

 

『そのとき流れた少女と同じ姿をした女性が目撃されていましてね』

「……ああ? 他人の空似じゃねえの?」

『MITにて、女性が入ったはずの部屋から消えたという目撃情報もあります』

 

む、と千雨は押し黙った。

あの事件の直前、世界中で同じ外見をした少年が現れて破壊活動を行った。監視カメラの映像もあり、国際警察はその少年を国際指名手配していて、いまだ捕まっていないどころか目撃情報も手に入っていないらしい。

 

『ただ世界中に流れた映像に映る女性と似ている、というだけなのでその方が指名手配されているわけではないのですが。その「映像の女性」が、指名手配された少年と同じようにある場所から出たり消えたりする、というのは何かある気がしませんか?』

 

まさか、『転移』の技術がMITでは開発されている? 千雨はそう思った。その技術を使って少年が大規模なテロを犯し、同じ技術を持つMITの女性がその少年を止めた。あの怪物と少女の戦闘シーンがなんの意味を持つのかは分からないが。

そして、転移についての考察はハカセも同じだったらしい。

 

『ちょっと千雨さん見てきてくれますか。その転移の噂の正否の確認だけでもいいんですが、できればそのシステムを調べてきてください。あと本当にできればその転移技術をコピーしてきて、あと高望みをすればMITのその転移技術に関するデータは削除してきてください』

「無茶言うなバカ」

 

 本当は侵入するだけでもごめんなのだ。

 が、千雨は心の中にわくわくしている自分がいることも自覚していた。かつて油断と準備不足があったとはいえ、『電子の王』を名乗る自分を敗北一歩手前まで追い込んだプログラム。否、一歩手前どころかあれは敗北と言っていい。マホネットに逃げ込むなど、格闘技の試合に戦車を持ち出すことに等しい。この私が敗北したままであっていいのか。そう自問すれば即座に否の声が胸に響く。

 やってやろうじゃねーか、と千雨は頬を釣り上げた。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 未練があったのだろう。

 エヴァンジェリンは自分の中にある感情を悟った。

 いつかきっと、と思い続けて。諦めるなんて死んでもできない。心の底に沈殿したナギへの思いは、未だ溶解しないまま残っていた。

 登校地獄の呪いは、そんな男が唯一自分に残してくれたもの。こんな考え方はやはり未練がましいのだろう。まるで闇の福音らしくない。呪いにくくられていることも、未練をいつまでも残していることも。

 

 その呪いを断つためにナギの姿を破壊しなくてはならないとは、本当にいい趣向だ、とエヴァンジェリンは廊下を歩きながら苦笑を浮かべた。

 

 信じたくなかった。

 ナギが死んだなどと言われても、いつか会いに来てくれると信じていた。

孤独に飽いた自分の傍にいてくれる誰かを求めていた。だが隣人を求めるには自分はあまりにも有名すぎた。

 近づいてくる者は敵だけ。

 なのに強制的に学園にくくられ、意図せずして平穏を得てしまった。

 ぬるま湯のごとき日常と、その中で与えられる出会いと別れ。世界樹が自身を守るために放つ認識阻害の結界が、エヴァンジェリンへの認識を一般人から誤らせる。『自分と一緒に卒業したエヴァンジェリン』は、目の前にいる『中学一年生の少女』とは別人だと認識させた。三年ごとに繰り返される世界樹による認識の阻害。そんなこと闇の福音には何の意味もない。出会い、裏切られ、別れる。それを何百年と繰り返した自分にはむしろ当たり前のことだと、そう自分に言い聞かせた。

 むしろ孤独であってこその闇の福音。

 にもかかわらず学園長は、メガロ出身の魔法使いとの間に立って緩衝材となってくれていた。サウザンドマスターに倒されたからと本国に懸賞金を取り下げるよう走り回ってくれたのも奴だ。

 麻帆良中学のOB・OGである魔法先生を自分の担任にしてくれていた。皆自分の特殊な事情に理解がある。魔法関係者や魔法生徒は自分への認識阻害が効かないことを知った。

 侵入者の位置の報告という、力が封じられていてもできる仕事を割り振ることで、『エヴァンジェリンは学園の警備に協力している』と、周囲への印象を良くしようと骨を折っていることも知っている。

 それらのことに、感謝している自分がいることも気づいている。

 つまり自分は、今の生活が好きなのだろう。だからそれを守ってくれる学園長やタカミチなど魔法先生に感謝の念が浮かぶのだ。魔法先生などどいつもこいつも甘々なお人よしで、ナギが呪いを解きに来なかったのも、きっとそれが正しいことだと思っていたからか。

 麻帆良でなら、私が光の中で生きることができているとわかっていたから。

 

――だがな、ナギ。

 

 悲しみを覆うような、曰くしがたい笑みを浮かべる。

 

――私はプライドが高いんだ。ただ与えられた平穏など性に合わん。

 

 施しなどいらない。ただ与えられる者は飼われる豚と変わらない。

 弱者に与えることがマギステルマギの役目なら、それを拒絶することは悪の魔法使いの義務だろう。

呪いを勝手に解いて、自分は完全に信頼を失うだろう。メガロメセンブリアへの懸賞金撤回の口実もなくなる。学園の人間たちは落胆するだろうか。信じてたのに、と。

 

――まあ、それも一時のことだ。

 

 それらの信頼は学園長、あるいはタカミチが取り計らうことで得られたものだ。それを今エヴァンジェリンはゼロにした。あるいはマイナスか。だが、

 

――信頼だって、勝ち取るものだろうさ。

 

 笑みは深まり、声が漏れ、ついには高笑いとなる。

 

 ――そうさ、欲しい物は自分の力で手に入れるのさ。なぜなら。

 

「なぜなら我が名は闇の福音、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル!」

「なにしちょるのお主」

「のわあっ!」

 

 後ろには、いつのまにか学園長、近衛近右衛門がいた。呪いが解けてテンションがアッパーはいったエヴァンジェリンに訝しげな視線を向けている。

 

「どうしたのかねこんな時間に。わし今ちょっと忙しいんじゃけど」

 

 よく見れば、普段は整えられているひげやらちょんまげやらが幾分か乱れて見える。書類を抱えて向かう先は学園長室だろう。この廊下の先にはそれしかない。近右衛門の先導に従い、学園長室に通される。

 椅子についた近右衛門の前に立ち、エヴァンジェリンは頬の熱さを自覚しながら、取り繕うため一度咳を挟み、

 

「報告をな。あれだ、呪いが解けたんだ」

「おお、今日は停電の日じゃからの」

「え?」

「え?」

 

そろって首を傾げる。どうも情報伝達がうまくいっていない。

 

「呪い? 魔力封印ではなく呪いの方が解けたのかの?」

「ああそうだ……というかちょっと待てじじい。貴様なんで私が『停電の日に魔力が復活することを知っている』という前提で話す?」

「え、だって知っとるじゃろ」

「いや、というか私の魔力を封じている結界があると知ったのがつい最近だ」

 

学園長は、えー、となんか逆立ちして歩く猫をみたような顔をした。

麻帆良結界に電力を使用するようになったのはおよそ三十年前。それはIBMPCが開発された時代であり、魔法使い側からすれば電子精霊が観測された頃でもある。この頃から魔法と工学の融合に向けての研究が魔法世界でも始まり、その研究成果の一つに電力から魔力を、魔力から電力を生み出す機構があり、学園都市を守る麻帆良結界にはそれが使われている。

 

「そんなわけないじゃろ、今までだって停電になってたわけじゃし。お主が麻帆良に来てからも毎年、年に二回、お主の魔力は復活していたはずじゃが」

「え、いやだって、停電の時は魔法球の中で寝てたし」

「毎回?」

「毎回」

 

 沈黙。

 

「伝え忘れていたわい、すまんの」

「いや、いい。気づいていなかった私が悪い……ん? 停電中でも予備電力が結界に使われているんじゃないのか?」

「それは病院とか、命に関わるものを賄うのでギリギリじゃな。魔法関係者で結界の代わりが務まるのじゃからそちらには回さん。というか停電中に結界のメンテナンスをしとるわけで」

 

 近右衛門は今の会話に違和感を覚えた。思い出し、記憶を三回ほど反芻して確認して、今自分の耳が捉えた違和感の正体に気付いた。

 エヴァンジェリンが、謝った?

 

「それなら停電の日くらいは麻帆良結界周辺の警備に参加させてもよかったんじゃないか?」

「……ん、いやそれは無理じゃ」

「無理? 何故だ」

「大停電で麻帆良結界をいったん解除するのはの、魔法生徒の演習をしているからじゃ」

 

麻帆良には世界樹という強力な魔力を宿す存在がある。それに引きつけられた低級霊や妖の類は麻帆良結界に邪魔されて中に入ることができない。だがそのままでは麻帆良の外側に妖魔が溜まる一方である。なので麻帆良ではそれらの駆除と魔法生徒の演習を兼ねて年に二度結界を解除し、彼らに防衛戦の訓練を施している。

一つの拠点の防衛技術。それは難民キャンプや紛争地帯での医療テントを守る上で最も必要とされる力だ。

 

「なるほど、じゃあ停電の時間帯が8時から12時という時間なのもそこか」

「丑三つ時を挟むと霊や妖が活性化してしまうからの。魔力に引き寄せられるほど低級であっても万が一はある。ああそれと話は変わるんじゃが」

「なんだ?」

「あの呪いをどうやって、誰が解いたのかが気になっての」

「長谷川千雨」

 

 借りができた、とエヴァンジェリンは思う。

 いつか返さなくてはならない大きな借りだ。

 借りとは、呪いが解けたことではない。それは奴の作戦のうちで、ネギを襲う理由を自分から無くすためでしかない。奴が悪の魔法使いを利用して、何らかの目的を果たそうとしていること。そしてそれを一部であれ果たさせてしまったことだ。奴の目論見どおりに自分が動いてしまった。

 まったくもって気に入らない。

 弱いくせにこの闇の福音に歯向かい、最強状態の自分からこうして逃げおおせた。自分を利用するというおまけまでつけて。

 ニタリ、とエヴァンジェリンの顔が歪む。その笑みと呼ぶにはあまりに禍々しい表情の裏で心に誓う。

 奴が何を企んでいるのかは知らない。だがそれが麻帆良に害を為すものであったなら躊躇しない。麻帆良はこのエヴァンジェリンの領域なのだから。

むしろそうなってほしいとすら思う。そうすればこの借りを、熨斗を付けて返してやれる。

 

 ――闇の福音を舐めるとどうなるか、身をもって教えてやる。

 

とかなんとか考えてるエヴァンジェリンの表情を見て、悪い顔じゃなあ、と近右衛門は思った。

 

「長谷川千雨、というと今麻帆良病院で治療を受けている生徒じゃな? 報告はあがっとるよ」

 

学園の魔法先生たちは、警備の面から生徒たちを四つに分けて対応している。

一つ目はもっとも数が多い一般生徒。魔法も気も知らず使えもしない、魔法を秘匿すべき一般社会に生きる学生である。

二つ目は特殊生徒。魔法やその風俗についての知識はないが、一般人からは逸脱しており麻帆良の外では異常者として扱われかねない生徒を指し、3-Aでは相坂さよや葉加瀬聡美がそこに分類される。また、我流あるいは家系として独自の魔法や気、それに準ずる技術を習得している生徒も含まれ、古や長瀬楓などがそれに該当する。

三つ目は魔法生徒。彼らはクラスの警備の為に各クラス二、三人ずつ配属されている。その実力はなるべく均等になるように割り振られていて、3-Aでは神鳴流の桜咲刹那と見習いの春日美空がそこに含まれる。あと龍宮真名がいるが、彼女は神楽坂明日菜と近衛木乃香に何かあった場合に即対応してもらうという契約を学園と結んでいる臨時の傭兵扱いであり、魔法生徒としての仕事をしているわけではない。まあ人手が必要な時はたまに刹那と一緒に警備の仕事を回されたりはするが。

四つ目は要注意生徒。これはさらにVIP扱いと危険人物の二つに分けられ、前者は神楽坂明日菜と近衛木乃香、ザジ・レイニーデイに雪広あやかの四人が、後者はエヴァンジェリンと超鈴音の二人が挙げられる。こういった生徒は毎年数人現れるのだが、警備・監視の都合上学年ごとに一つのクラスに集められる。

そして千雨はそのなかの一般生徒に属する、特筆すべき点のない生徒の一人だった。

 

「彼女がどうかしたのかの?」

「奴が呪いの精霊を実体化させてな。それを私が粉砕してやった」

 

なんと、と近右衛門は素直な驚きを見せた。しかしすぐ矛盾に気づく。

 

「じゃが、治療にあたった魔法先生からの報告では、彼女は一般人としても魔力容量が低い方だとあったが。そのため治癒魔法をかけすぎると余剰魔力で身体に異常がでると」

「ああ、奴は魔力容量が低い、まともに魔法が使えんほどに。だが他人の術式に介入するアーティファクトを得た。ぼーやと仮契約することでな」

「ふむ、それを使って呪いをいじり、精霊を実体化させたと」

 

 確かに、精霊の実体化自体は難しいことではないし、術式を多少いじるだけでいいから魔力も必要としない。問題なのはいじる術式の構成の把握だ。だがサウザンドマスターがかけた登校地獄の呪いの術式はもはやオリジナル魔法と言ってもいいほどめちゃくちゃな改変がされていた。エヴァンジェリンを麻帆良の警備員とするために麻帆良に縛る術式がまず加えられていて、さらに呪いを麻帆良結界とリンクさせ、結界を超えた侵入者の存在をエヴァンジェリンに伝える機能を付加させた。

そんな複雑な術式のアレンジをナギはその場の思いつきでやってのけたのだ。その術式構成を正確に把握することからして難しい。なにをどういじれば精霊を実体化できるのか近右衛門は検討もつかなかった。はたして長谷川千雨という生徒が手に入れたアーティファクトはどんなものなのだろう。

 

「しかし仮契約、か。それも一般生徒と」

 

これが例えば、出生の理由から魔法組織の庇護を終生必要とする神楽坂明日菜や近衛木乃香であれば問題はなかった。彼女たちなら、ネギから魔法がばれても麻帆良学園あるいは関西呪術協会の中で守ることができる。

しかしネギが選んだのはなんのとりえもない、あったとしても常識の範囲を超えない一般生徒だった。いずれは学校を卒業し、麻帆良から離れていくだろう少女である。

 

「彼女がもとから魔法を知っていた、という可能性は?」

「ないな。二年間同じクラスだったが、そんな素振りを見せたことはない。それにぼーやとの接点もほとんどないしな」

「それはなんとも、不思議じゃのう」

 

 なぜそんな生徒が自分から首を突っ込みネギと仮契約を結んだのか。魔法を知って間もないはずなのに、エヴァンジェリンの呪いに介入できるほど術式に精通している、という点も矛盾している。

 

「ああ、これは学園側としても長谷川千雨本人に話を聞く必要があるだろう?」

「まあのう」

「そしてその内容はこれから警備に参加する私にも聞く権利があるよな?」

「む、お主警備員の仕事をするのか?」

「ああ。結界の外に出れば魔力が復活するからな」

 

ほほう、と近右衛門は驚きの声をあげた。そして同時に困惑する。

 

「なんだその顔は」

「いや、意外だと思っての。てっきりナギを探しにでも行くのかと」

「ナギは死んだ。現実にも、私の中でも。その知らせを私に伝えたのは貴様だろう」

 

 その声はどこかすっきりしていて、今までのエヴァンジェリンからは考えられない声色だった。ナギの話題をエヴァンジェリンに振るのは電子レンジに生卵を入れるくらい危険なはずなのだが。

 

「お主がそれを言うとはのう。一番その……なんじゃ、あーほれ、未練? があるっぽかったのに」

「ふん、心境の変化ってのがあったのさ」

「何があったんじゃ? いや何がと言えば今夜何が起きたのかも聞いておきたいのじゃが」

 

ああそれか、とエヴァンジェリンは大したことはないとでも言うような口調で、

 

「なに、私とぼーやが決闘したのさ」

「ほ!?」

「麻帆良大橋でぼーやを追い詰めたところで長谷川千雨の妨害にあってな、ぼーやを逃がしてしまい、その隙に二人は仮契約を結んだ。そして長谷川千雨がでしゃばり、自滅し、しかし私に見逃してもらうために登校地獄の精霊を実体化させた。それをぼこぼこにしているうちに、ぼーやと長谷川千雨は私から逃げおおせ、結界が再起動した。と、まあそんな流れだ」

 

どうしたもんか、と近衛門は額を抑え、呻いた。

 

「あー、そのなんじゃ、エヴンジェリン。質問していいかの?」

「なんだ」

「長谷川君じゃったかの? その子は全身傷だらけという話じゃが、それはお主が? 自滅、とはどういう意味で使っている言葉なんじゃ?」

「あれは本当に自滅だ。私は一発膝を入れてやったくらいで、それ以外の傷は……なんだ、説明しずらいな。まあ、強い魔力で体を酷使した副作用と言ったところか。闇の魔法と言ったところで話が複雑になるだけだしな」

 

 マギアエレベア。その言葉についての知識を近右衛門は大して持っていない。エヴァンジェリンが数百年前に編み出した固有技法、という程度だ。

 

「体を酷使、というのはエヴンジェリンと戦うためかの?」

「そうだ。が、それは奴が選んだ道だ。自分から決闘に介入してきて、最もリスクの高い手段を奴は選択したんだ。私はそれに応えただけだ」

「そう、その決闘、というのは?」

「ぼーやが私に果し状を叩きつけ、それを受けてやったんだ」

「ネギ君からなのか」

「いやでもあれだ、その前にかなりぼーやに追い込みかけていたからな私」

「追い込み? ああ、桜通りのことかのひょっとして」

「生徒の一人の血を吸ってな。それでぼーやを誘って戦闘に持ち込み、完封してやった」

「やっぱり吸っておったのか」

 

 エヴァンジェリンはうまくやっていた。『桜通りに吸血鬼が出る』と、ネギが赴任してくるより以前から女子寮内に噂を流しておく。当然その噂を聞いた魔法生徒は自分の担当教官である魔法先生に報告し、桜通りに監視の目を向ける。ナギの息子が来る直前なのだ、彼らはその手の噂に対して過敏とも言える反応を見せた。そしてエヴァンジェリンは魔法関係者の監視があるうちは噂を流すにとどめ、実際に動くことはしなかった。何も起きぬまま、犠牲者がいないにも拘らず『友達の友達から聞いたんだけど』から始まる被害報告が増加していき、そして魔法先生らはいずれ『桜通りの吸血鬼』が麻帆良で生まれては消えていく怪談話のひとつに過ぎないと判断する。彼らは多忙だ。麻帆良は広大で、その割に警備に回せる人材は少ない。ただの噂話をいつまでも気にとめておけるほど彼らは暇でも酔狂でもないのだ。

エヴァンジェリンが動き出したのはそれからだ。

一度何もないとチェックが入れられた場所は、それ以後は監視が逆に薄くなる。

 標的とするのは満月の夜、一人で下校する女子生徒。背後から近づき、眠らせ、二の腕辺りに犬歯を一本だけ刺して血をすする。これなら季節外れの虫に食われたようにしか見えないし、一回に吸うのは200ミリリットル、献血と変わらない量だ。吸い終われば生徒の意識を半覚醒のまま女子寮に向かわせ、いつの間にか玄関にたどり着いて首を傾げる生徒を蔭から確認してエヴァンジェリンも帰路に就く。

 一晩に血を吸うのは一人まで。一人の獲物にかける時間は1分未満。その二つがエヴァンジェリンが魔力収集を行う間に自分に定めたルールである。

 血を吸われた生徒もせいぜい『桜通りを歩いていると一瞬めまいがした』程度にしか感じず、このことを教室で会話のネタにしようとそれを聞いた魔法生徒は『ああ、またか』以上の感想を持てない。

 

「……なぜネギ君を襲った? 一般人の少女を襲ってまで」

「呪いを解くためさ。奴の血にはスプリングフィールドの魔力が宿っている。それを使って呪いの術式を破壊するつもりだった」

「そんなことができるのか」

「まあ、魔力の質の似てる似てないなんてのは吸血鬼にしかわからん感覚だろうな。魔力を味覚で味わう吸血鬼でしか」

 

 そもそも人間にはそんな発想自体浮かばないだろうが、吸血鬼は魔力の質について非常に鋭敏な五感を持つ。だからネギの魔力は登校地獄の呪いの精霊をごまかせるほどに似ていると気づくことができたし、ナギのコピーが現れた時もそれが呪いの精霊が具現した姿であると見抜くことができた。

 

「呪いを解くためとはいえ、生徒を巻き込んだのか」

「悪かったよ、罰は受ける」

 

ちなみに、今回眷族化した生徒四人はすでに治療を施してある。

 

「……随分と殊勝な態度じゃが、罰と言ってものう」

 

 エヴァンジェリンはすでに登校地獄の呪いが解けており、その力は間違いなく世界でも五指に入る。そんな存在に罰など与えられるはずがない。司法権は力があるからこそ行使できる権利だ。本国の軍隊すら返り討ちにできる存在を誰が裁けるというのか。

というかそもそも、なぜ麻帆良に残るのかわからない。十五年も自分を束縛していた呪いが解けたのだ、自分なら間違いなく今まで貯めた財力をフルに使って世界一周や二周はするだろうと思う。なのにエヴァンジェリンはあろうことか、

 

「じゃあこうしよう。一定期間、麻帆良の夜の警備を私一人で引き受けよう、もちろん無償でな。魔法先生らには休みでもくれてやれ」

 

などと言いだした。

 

「いやしかし、魔法先生になんと言ったものかのう」

「そのまま真相を教えてやればいいさ」

「なに?」

「私が生徒を襲い、ネギ・スプリングフィールドを脅迫し、さらに一般人の生徒を複数人巻き込む戦いをした。その結果登校地獄の呪いを解いた」

「いや、しかしそれは」

「いいんだよ、それで」

 

 そう告げて、エヴァンジェリンは近右衛門に背を向けた。もう用件は済んだということだろう。絹のような金髪を優雅になびかせながら、エヴァンジェリンは学園長室から退出した。

 

 

 

 

 

 窓の形に切り取られた淡い月明かり。部屋を照らす光はそれしかなく、目の前に眠る少女のぼんやりとした輪郭しか見えない。

 ネギはベッドで静かに眠る少女、千雨の傍に置いた椅子に腰かけ微動だにしない。二人の魔法先生に断って、ネギは病室に残ることにした。

 彼の心のうちを占めているのは罪悪感と後悔だ。

生徒に、こんな大変な怪我をさせてしまった、と。

魔法を使っても全治4日。もしかしたら傷跡が残ってしまうかもしれず、右足に多少の後遺症が残る可能性があると瀬流彦から説明を受けた。

自分のせいだ、とネギは目を強く閉じた。

自分を守るために戦ってくれた少女。笑顔で励ましてくれた少女。

彼女を思うと胸がバーベルかなにかで潰されているかのように苦しくなる。彼女がこのまま死んでしまったら、二度と眼を開けてくれなかったら。そんな妄想が頭をよぎるたびに不安でたまらなくなる。

自分が素直に血を吸われていたら。

助かりたいと願わなければ。

スタンさんを思い出す。自分を守ろうと盾になり、石になってしまった彼を。何度も考えたことだ。自分がさっさと殺されていれば、少なくともスタンさんは石にされずにすんだ。

父を思う。あの父は本物ではない、それはネギでも一目でわかった。人間よりはるかに無機質で何の感情ももたない、まるで人形のようななにか。なぜ父に似た人形が現れたのかはわからないが、それでもその姿は、身に纏う魔力は、悪魔に襲われた雪の日を強烈にフラッシュバックさせた。

周りの人は大丈夫だ、心配いらないなどと言う。でもそれが嘘だということを幼き日のネギは理解していた。

今もどこかで、村の皆は石のままなのだと。

そして誰も教えてくれないのは自分に気を使っているのだということも。

だからネギは石化を解くための治癒魔法を練習した。でも自分にはその才能はなくて、罠にかかったオコジョの小さな傷を治すのが限界だった。自分に治癒魔法の適性はないと教師にはっきりと言われ、諦めざるを得なかった。だから次に自分は力を求めた。村を襲った悪魔の群れを一人でせん滅する父親の姿。あの力があればスタンさんは石にならずにすんだし、ネカネお姉ちゃんも足を失わずにすんだはずだ。だから必死に勉強して、禁書庫にも忍び込んで寝る暇も惜しんで勉強して、その甲斐あって二年も飛び級して魔法学校を卒業して、

なのに、エヴァンジェリンに手も足もでなかった。

無様に負けた。千雨さんに助けてもらった後も自分はなにもできなかった。今も、自分はこうして見ていることしかできない。

なにがマギステルマギ。

自分の無力さにネギは消えてしまいたくなる。体を小さく縮みこませて、そんなことで消えてしまうはずがなくて、握られた拳の上に涙が落ちた。

否、逃げてはだめなのだ。

長瀬楓に励まされて、逃げてはならないと悟った。わずかな勇気が本当の魔法だと思いだして、一人で頑張ろうと誓ったから。その誓いを破って結局また自分は他人の優しさに甘えて、助けてくれた優しい誰かを傷つけた。

 逃げてはならない。

そして二度と頼ってはならない。明日菜にも、千雨にも。

そう決意しなければならないことがあまりにも悲しくて、ネギはまた涙を落した。

そういえば父はどうだったのだろう。そんなことをふとネギは思った。

あんな異常ともいえる魔力を持ち、悪魔の軍勢を蹂躙できる父は、仲間がいたのだろうか。必要ないだろうと思う。あれだけの力があれば何でもできる。守れないものなんて何もないはずだから。

 いやそれとも、仲間を守れるくらい強くなって初めて仲間を持つ資格が得られるのだろうか。

 

「あ、れ……?」

 

唐突にネギの意識が薄れてくる。いきなり訪れた睡魔にネギは抗うことができなかった。

眠り、何も考えないことが一番の救いだと、きっと無意識にわかっていたのだろう。

ネギの意識が落ちていく。ゆっくりとネギの頭が落ちて、千雨が眠るベッドの淵を枕に小さな寝息を立て始めた。

 それを確認してから、ベッドに横たわる少女、長谷川千雨が目を開いた。

 

 

 

 

 

 

連絡を聞いて、近右衛門はすぐさま病院に駆け付けた。その後ろには治療を担当した瀬流彦もいる。本来は副担任である源しずなも連れてくるべきだったが、夜の病院であることを考慮して二人で向かうことにした。

病室に入ると、そこには明らかに困った顔をしている千雨と暗い顔で俯くネギがいた。ベッドで上体を起こしている千雨が二人に気付き、助けを求めるように視線を送っている。よく見ればネギは泣いているらしい、ひくひくと喉を鳴らしながら体を震わせている。

どうしたんじゃ、と近右衛門は首を捻る。目覚めたことが嬉しくて泣いている、というわけではなさそうだ。

 

「さて、初めましてじゃの長谷川千雨君」

「あ、はい、初めまして」

「大きな怪我を負ったそうじゃが大丈夫かの?」

「そのことなんですが、なんのことだかさっぱりで」

「……ん?」

 

見れば病院着から露出している腕にはなんの傷跡もない。聞いた話では全身くまなく傷だらけだったとのことだが、まさかもう完治させたのか。いや、それができないという報告を瀬流彦から受けたのだし、その瀬流彦は近右衛門の後ろで目を丸くしている。

 

「それで、なんで私は病院にいるんでしょうか。ネギ先生に聞いても何も答えてくれなくて」

 

記憶の処理を? という疑問を込めて瀬流彦を見るが彼は青くなった顔を横に振った。

ならば事故での記憶喪失、頭を強く打ったか。魔力の残り香も感じないし、魔法によるものではないだろう。

なるほど、ネギの姿にも納得がいった。自分を守ってくれた相手が記憶を失えばそれはショックも大きいだろう。

ただ問題は、どこまでの記憶が残っているのかということだ。

 

「君は魔法というものを知っているかの?」

 

千雨の顔を近右衛門は閉じかけた瞼の隙間から観察する。その表情から虚実を読み取るためだ。

関西呪術協会から単身関東魔法協会へと乗り込み、その権力闘争の荒波を乗り越え協会の理事の一人にして麻帆良学園の長という人材育成機関のトップの座に就いた男である。中学生の言葉に虚実がどの程度の割合で混じっているか、それがどんな種類の嘘なのかを見抜くことは造作もない。それは魔法によるものではなく、経験によって培われた技術であった。

 

「魔法、ですか?」

 

そして、首を若干傾げ、眉を顰める千雨の表情は、困惑以外の感情を映していなかった。なにをいきなり? そんな言葉が聞こえてきそうな表情だ。

それは魔法を知らない人間のリアクションである、と近右衛門は確信した。

これは魔法のことについても完全に忘れている。

 

「いや実はわし魔法が使えるんじゃよ、ほれ」

 

言いながら、何もないはずの手のひらから小さな造花をポンと出現させ千雨に差し出す。

 パームトリックを使った見事な手品だった。

 

「手品、お上手ですね」

「趣味なんじゃよ手品が。指先を動かすとボケ防止にいいらしいしの」

「はあ」

 

 さて、と近右衛門は一拍置いて、

 

「記憶に混乱があるとのことじゃが、君はどこまで記憶があるのかの」

「えっと、学校から部屋に帰って、しばらくパソコンをいじっていたんですけど停電の時間が近づいたんでさっさと寝ようとして……そこまでです。感覚としてはそこで寝てしまったんだなと思うんですけど」

「そんなはずありません!」

 

 ネギが、涙をこぼしながら激しい剣幕で千雨に噛みついた。

 

「長谷川さんは停電の時僕と一緒にいたんです! それで僕を助けてくれてそれで、」

「落ち着きなさい、ネギ君。長谷川君は怪我人じゃぞ」

 

 は、とネギは学園長の言葉に我に返る。そして自分の態度に恥いったように目を伏せ、小さくごめんなさいと言ってまた椅子に座った。

 病室が静寂に包まれる。微妙な空気になってしまい、それを嫌った近右衛門がごほん、と咳払いを一つ、

 

「どうやら階段から落ちたらしい、と聞いておる。停電で暗い中を下の階に降りようとしたところで足を滑らせたらしい、と」

「え……」

「そうなんですか」

 

 もちろん嘘である。が、彼女は元一般人で、魔法について知ったのもごく最近のはずだ。ここで魔法について忘れてしまったのならその存在は一般生徒と変わらない。そんな少女にまた魔法について教えることはないだろうと近右衛門は判断した。少なくとも記憶が戻るまでは。

 

「まあ、怪我も大したことなさそうじゃし、記憶の混乱は一時的なものじゃろうな。落ち着いて生活すればいずれ」

「戻るんですか!?」

 

ネギが切迫した顔で立ち上がり、近右衛門に詰め寄った。近右衛門はその迫力を正面から受け止めて、

 

「まあ正直わからん。じゃが共通しておるのはあまり無理させてはいかんということじゃ。無理に思いだそうとせず、まずは落ち着いていつも通りの生活を送ることじゃ」

「そう……ですか」

 

 ネギは力なく呟き、肩を落とした。見ているだけで痛々しくなるその姿に、学園長はそ

っと溜息をついた。

 

 

 

 

 

 翌日の昼ごろに千雨は退院することができた。

 記憶の混乱があったということでMRIやレントゲンなどで脳を調べてみたが異常はなく、ショックによる一時的な健忘と診断された。その後医者に言われたことは学園長に言われたことと大差ない。ただ若干の肌荒れから不規則な生活は控えるようにと、記憶のこととは何の関係もない注意をされた。

 あと、なんでも自分は全身血まみれで制服を一着駄目にしてしまったらしい。

停電で部屋が真っ暗になった瞬間の記憶はあるし、そのあとはネットもできないからすぐ寝ようと思っていたはずなのだが、なぜ昨夜の自分は制服を着ていたのだろう。

なので千雨は退院した足で制服の注文をしに行こうと頭の中で計画を立てた。注文して、帰りにパソコンショップに寄ろう。イヤホンが最近聞こえづらくなっていたし、外付けHDDも新しいのが欲しいと思っていたところだ。

だが千雨の歩みは普段より幾分遅い。

その原因は、千雨の隣を歩くネギにある。

退院する段になって寮まで送りますと千雨に告げたネギは、病院ロビーからずっと無言で千雨の隣を歩いている。若干顔を俯かせ、力ない足取りでとぼとぼと。送ってもらう側の自分がなぜ相手の歩く速さに合わせねばならないのか、と千雨はだんだん腹が立ってきた。さらにネギは時折千雨の顔を横眼でちらりと見上げては視線を戻すを繰り返していて、そのうじうじした態度がまた千雨のイライラを募らせた。気づかないフリもそろそろ限界だった。

 

「なんですかネギ先生」

「え?」

「いえ、何か言いたそうにそわそわしてましたから」

「え、いえ別に」

「そうですか」

 

 なるほど言う気はないらしい。なら相手にする必要はないだろう、と千雨は判断して、

 

「じゃあ私こっちなんで」

 

 指差したのは麻帆良の繁華街のある方向だ。

 

「あれ、でも寮は」

「制服とかパソコンの部品とか、いろいろ見ていきたいんです」

「あ、それじゃあ僕も」

「一人で見たいんです」

「……あ、そうですかすみません気がきかなくて」

「いえ」

 

 ネギの歩みが止まる。いらいらしていたためかちょっと言葉がきつすぎたかと千雨は思い返し、せめて挨拶くらいはちゃんとやろうと、千雨は数歩進んでから振り返った。

 

「じゃあこれで」

「はい、お大事に」

 

 ここでようやく千雨は正面からネギの顔を見た。

あのあと……学園長がネギを連れて退室したあと、千雨は早々に眠ってしまったが、ネギは一晩中泣き続けていたのだろう。目が赤く充血してうっすらと隈ができている。メガネに涙の跡がついている。一体何に泣いているのか千雨には見当もつかない。いや、自分が怪我をしたことに対して泣いてくれているのだろうとは思うが、ここまで泣き腫らすほど深い関係を彼と築いた覚えはない。

 それとも、自分が失ったという数時間の為に彼は泣いているのか。

 そしてそれを失った自分に気を使わせないようにと、彼は今笑みを浮かべようとしているのか。

 勘弁してくれ、と千雨は空を仰いだ。何をやらかしたんだ昨日の私。

 

「先生」

「は、はい?」

「そんなに無理して笑わなくて結構ですよ」

「え」

「人前で泣かない努力は認めますけど、そんな愛想笑いを浮かべる必要はないでしょう、

先生はまだ子供なんですから」

 

 声がどうしても不機嫌になる。正直この子供先生にはあまりいい感情を持っていないのだ。コスプレを見られたし、人前で脱がされたし。素顔をほめられたことは少し、ほんの少しだけ嬉しくないこともなくはないかなという感じではあるのだが、でもやはりトータルで見ればこんな非常識の集大成みたいな存在にはなるべくお近づきになりたくないというのが本音である。私に近づくなら肩に乗せてるペットを檻に入れるところから始めろと言いたい。

 

「そ、そんな」

「昨日の夜、先生とどんなやり取りをしたのかなんて私にはわかりませんが」

 

 ネギが息を飲む気配が千雨にもわかった。

 

「その……私は大丈夫ですから。特に不便もないですし。だからそんなに気にしないでください」

 

 我ながら不器用だと千雨は思う。

 ネギが知っている自分と今の自分は、きっとネギの中では別人なのだろう。それがわかっていて、今の自分では何を言っても意味がないとわかっていて。慰めることなんてできやしないのに、それでも何か言葉をかけずにはいられなかった。

 偽善だな、と千雨は心の中で吐き捨てた。

 

 

 

 

 

 

女子寮に一人帰ったネギは、ドアを開けると同時に明日菜に怒られた。

 

「ちょっとあんたどこいってたのよ! 連絡なくて心配し……ねえ、ネギあんたどうしたのよ、ひどい顔して」

 

 明日菜の言葉に応えず、ネギは自分のスペースとして使っているフロアに敷いている布団にもぐりこんだ。その様子に気を使ってくれたのか、明日菜は何も言おうとしない。代わりにネギの肩から降りたカモとこそこそと話しながら、足音を殺して部屋を出て行ってしまった。一人にしてくれるその気遣いが今のネギにはありがたかった。

千雨は自分を追い払いたかったのだろう、とネギは思う。それはそうだ、特に何を話すでもなくただついてくるだけ、邪魔くさかったのだろうし迷惑だったのだろう。

何を話したらいいかわからなかった。あの夜のことは話題に出せないし、魔法についても同様だ。魔法に関することを忘れた彼女を一般人として扱うよう学園長に言われたからだ。するともう話題がなかった。

自分は今まで千雨とろくに会話もしたことがなかったことに気付いた。

あのとき、優しく笑いかけてくれた千雨の表情を思い出し、先ほどの不機嫌そうな表情と比較してしまい、ショックがさらに大きくなった。

もう別人なのだ。

自分の為に命を賭けてくれた彼女はもういないのだ。

千雨の言葉に、その思いは大きく確固としたものとなった。鉛のような罪悪感がのしかかる。それは一秒ごとに重さを増していて、もうネギは潰れてしまいそうだった。

あの時の千雨に謝ることはできない。あの千雨はもういないから。

それは、死んだことと同じではないか。

僕が殺したんだ。

ごめんなさい、と何度繰り返してもその声は彼女には届かない。届いたところで意味がない。だって彼女は覚えていないのだから。謝られても困ったように首を傾げるだけだろう。

そうである以上謝罪の言葉に意味なんてない。それでもネギは謝り続けていた。

許してほしいから。背負った罪の十字架を少しでも軽くしたいから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その部屋は散らかっている。

 様々な工作機器と観測機器、所狭しと並べられた部品とあらゆる場所に積み上げられた図面の束。

麻帆良工大研究棟の一室。休日にもかかわらずそこには二つの人影があった。

二つの影は部屋の電気を消し、プロジェクターから投影された映像を眺めている。

麻帆良大橋を俯瞰する景色から一気に視界は降下して行き、メガネをかけた少女に一瞬で迫る。しかしその直後に視界はブラックアウトし、映像はそこで止まってしまう。

 薄暗い部屋に沈黙が降りる。

映像を見つめていた影の片方、超鈴音が沈黙を破った。

 

「なるほどそういうことカ」

「なにがですか?」

 

 もう一人の白衣の少女、葉加瀬聡美が超に問いかける。超は映像を巻き戻し、千雨が握る杖を指差して、

 

「茶々丸にとって千雨サンは相性最悪の相手ということヨ」

「というと?」

「あのアーティファクトネ」

「? 子供向けのおもちゃみたいですけど、あれがそんなすごいアーティファクトなんですか?」

「未来でも、あれの恐ろしさは伝説として語り継がれているヨ。その担い手は最強の電賊、電脳世界の暴君、電子の魔王など、二つ名には枚挙の暇がないネ。エヴァンジェリンよりも有名だたヨ」

「はあ~……え、千雨さんが、ですか?」

「それはわからないネ。あのアーティファクトは確かにレアだが歴史上一人しか発現しなかったというわけではないし、電子の魔王がいつごろの人間なのかもはっきりしていないネ。平和な日本で女子中学生やってる長谷川サンがあの魔王だなんてちょっと想像できないヨ」

「ああそっか、なんだびっくりした」

「話を戻すが……千雨サンが持つアーティファクトは電子精霊の制御を行うものネ、茶々丸のAIプログラムを稼働させている量子コンピューターをフリーズさせることは可能ヨ」

 

茶々丸のAIには量子コンピューターが使われているが、その超電導など電子の動きは電子精霊の制御によるところが大きい。量子コンピューターに必須である『電子の揺らぎ状態』を制御するにはそれがもっとも安定しているためだ。

 

「そんなことができるんですか、あのアーティファクトは」

「未来では電子精霊の制御技術が一般的になてたネ。その応用範囲はあまりに広い。量子コンピューターにERP通信システム、医療用ナノマシンにサイボーグ技術など。生活必需技術といわれるもの全てが電子精霊の恩恵を受けていたと言ても過言ではないネ。肉体のサイボーグ化が当たり前になていたし、精神がプログラムであるとわかってから脳まで丸ごと義脳に変える者まで現れた。その方がスペックの拡張がしやすいからネ、戦場で生き残るには生身を捨てたほうが効率がよかたヨ」

 

ほうほう、と葉加瀬は超の話に興味深そうに頷く。未来技術の話は葉加瀬にとっては宝の山だ。新鮮なインスピレーションを次々と得ることができる。

 

「そのサイボーグ技術の開発には電子精霊の統括が必須。そして電子精霊群の制御法開発に携わった者の中に、のちに電子の魔王と呼ばれる者がいたらしいヨ」

 

 サイボーグ技術の始まりがいつの時代なのか、正式な記録は残っていないが、魔法戦争と呼ばれる魔法世界から旧世界への侵略が始まってからというのが定説だ。一説にはある科学者が設計した医療用の義手に使われた電子精霊制御技術を旧世界の各国が兵器に転用したのではないか、と考える学者もいた。そういった歴史について超は特に興味がなかったが。

 

「あのアーティファクトは電子精霊群の操作権限の最上位に位置する、まさに電子の王の名に相応しい権力を担い手に与えるアーティファクト。ゆえにその名は『力の王笏』。わかるかなハカセ、あらゆる技術が電子精霊によって成り立っていたネ。無敵を誇っていた機械化兵士も、情報を守護・管理する量子コンピューターも、あるいはどんな隙間からでも忍び込み暗殺を実行するナノマシンも、電子の魔王の前には無力だたらしいヨ。逆にその制御権を乗っ取り戦場をかき回した。電脳世界の暴君は、現実世界だって指先一つで破壊しつくすことが可能な、本物の魔王でもあたらしい」

「そ、そんな恐ろしいアーティファクトなんですか」

「ま、使い手によるネ。長谷川サンはただの女子中学生、戦場にでることもないヨ。それに時代も悪い。今の技術水準であのアーティファクトにできることはせいぜい情報を盗むくらいじゃないか? 機械化兵士もナノマシンも存在しないだろう? 量子コンピューターだってここにしかない。長谷川サンが魔王となることは不可能ネ」

 

 まあそれでも十分脅威となりうるがネ、と超は締めくくった。

 それにしても、と超は茶々丸に目を向け、ため息混じりに呟いた。

 口元は楽しそうに、しかし目は笑っていない。敵を見定め、対立を覚悟した戦う者の眼光が宿っている。

 

「見事な手際ネ、まるで量子コンピューターの構造を把握しているみたいだヨ長谷川サン?」

 

 

 

 

 

 ずるり、ずるりと湿った音が響く。

 濡れた何かを引きずるようなその音は、壁に体を預けながら歩く少女から発せられている音だ。

 血まみれの病院着、その下は全身が包帯で包まれている。痛みと疲労で、少女は壁に寄り掛かっていなければ立つこともできないほどに消耗していた。少女の息は荒々しく、時折苦悶の呻きが混じる。

 少女の名前は長谷川千雨という。

 暗く、明かりのない地下通路。千雨の歩く先には下水が流れる水路があるはずで、自分の周囲1キロに千雨以外の人間はいないことも七部衆に確認させてある。来る途中にあった監視カメラも掌握済みで、映像と音声を固定させている。それでは人通りの多い場所ではすぐにばれるが、めったに人の通らない地下通路ではそれで十分だった。千雨が本気を出せばリアルタイムで映像を編集して全くの別人としてカメラに映ることもできるのだが、今はそこまでする必要はない。

 そして千雨はどの侵入口からも一番遠い地点にたどり着くと、ようやくその重い足をとめた。

 壁に背を預け、そのままずるずると千雨は地面に横たわる。こつん、とこめかみが地面のコンクリートに触れた。

 シン、と静寂の音が鼓膜を揺らす。聞こえるのは静寂と、自身の喉から溢れる荒い吐息だけだ。

 治癒しきれなかった傷が熱を持っていて、冷たい地面に熱を奪われる感触が心地いい。

 暗くて、静かで、冷たい。そんな環境が心地よく感じるあたり自分は根っからのボッチだなあと千雨は小さく声を出して笑った。笑え、と自分に命じた。そうでなければ自分に絶望してしまう。

 戦闘プログラムの作成、それが今回の目的である。

 一度『力の王笏』にとりこみ、精神をリンクさせることで戦闘時の精神プログラムの動きを観測し、本人が無意識に行っているだろう戦闘行動をパターン化し、プログラムの形に落とし込み、プロトコルに落とし込む。

 どんな達人であっても五分もあればその戦闘パターンの大体は把握できる。なのにエヴァンジェリンとナギのコピーの戦闘は、十七秒しか続かなかった。

 パターンとして把握できたのは、エヴァンジェリンの経験のおよそ0.7%と言ったところで、つまりあれだけ死ぬ思いをして、血反吐を吐いて得られたものがエヴァンジェリンの0.7%程度の強さ、ということである。せいぜい瞬動がうまくなるとかその程度だ。

割に合う話ではなかった。

喚き散らしたい衝動に右手が勝手に拳を作り、独りでに震える。唇が歪に歪んでいるのがわかる。くけけ、と口から何故か笑いが漏れた。

 

――落ち着けよ長谷川千雨。

 

声が、千雨の頭の中で響いた。

それはもう一人の自分、脳内で作りだした疑似人格。エヴァンジェリンが用いた人造霊魂の作成技術を応用させて作った、千雨の14歳の時の精神クローンである。

 

――失敗なんて、いつものことだろ。

 

しかしクローンとは言ったところで、できることはただ言葉を発するだけだ。感情をこめるだとか、そういった精神活動を行えるほど高度なプログラムを作ることは千雨にはできなくて、ただ無愛想に、その場に合った言葉を発することしかできない。だが千雨にはこの声だけで十分だった。当時の自分のような、冷たく愛想のない声を聞くことで千雨はいつでも彼女たちのことを思い出せるから。

バカどものバカ騒ぎを傍観していた自分の声。自分が傍観者であることを再確認できる。

胸に渦巻いていたうねりが、あっという間に引いていった。

自分は傍観者で、自分の心すら傍観できる。できなくてどうすると千雨は思う。彼女たちを最後まで傍観し続けた自分に、いまさら何ができるというのか。

 

「いっつもこうだなあ、私は」

 

 いつもいつも失敗ばかりで、何をしてもしなくても後には後悔が付きまとう。もはや千雨にとって、失敗と後悔は親友のようなものであった。

 だから、彼女の割り切りは早い。

 失敗したものはしょうがない。それに失敗とは言ってもあのエヴァンジェリンの0.7%である。使い方次第でいくらでも戦力となるだろう。

 いつまでも呆然と時間を潰しているわけにはいかない。まずはエヴァンジェリンに防壁を破壊させたことでアクセスできるようになった、神木・蟠桃へのハッキングと魔力源の確保。次に戦闘プロトコルの作成。やるべきことはやまほどあるのだ。

 やるか、と千雨は仮契約カードを手に取り、詠唱を始めた。

 小さな小さな声。痛みのため唇もろくに動かさずに唱えるそれは、エヴァンジェリンと闘った時よりも小声だったかもしれない。

 

長谷川千雨は誰よりも強くならなくてはならない。

自分はネギ・スプリングフィールドの唯一にして最強、無二にして万能の従者とならなくてはならない。

 それは、あのバカたちとの約束であった。

 



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幕間1 エピローグのようなプロローグ

傍にいて欲しいと言われた。

 だから私は傍にいた。

 

 

 

 

 

ネギは一人赤い岩肌の丘で佇んでいる。その横顔は完全な無表情だ。いつのころからかネギは表情を忘れて、あらゆる感情を表に出すことをしなくなった。茶々丸さんの方がよほど人間らしいですね、と冗談めかして言ったのはいつのことだったか。

 

『僕は間違っていたのでしょうか』

 

 聞こえてくるのはネギの声。雷天大壮の術式の改良に成功し、千雨の操る七部衆が一匹『ねぎ』と量子的にリンクすることで千雨は常にネギと繋がっている状態にある。この状態ならERP通信のテクノロジーを利用して火星と地球の間でも会話が可能だ。『力の王笏』のスペックが七分の一落ちてしまうことは正直痛いが、それだけの価値はあると千雨は思っている。

 せめて自分だけでも、ネギの傍にいられるから。

 

『僕は、間違っているのでしょうか』

 

 電子空間内で、千雨は『ねぎ』の聴覚情報からネギの声にわずかな震えが混ざっていることに気付いた。足元に一粒の水滴が落ちたことを『ねぎ』の知覚領域が捉えた。

 泣いているのか。

 ネギの視線の先には一面に広がる赤い荒野と、地の果てまで累々と転がる屍の山。地平線では今まさに日が沈もうとしているところで、茜色に染まる空を一陣の風が駆けた。ピクリともしない兵士たちの体から四角い何かが風に乗り、小鳥の群れのように舞いあがる。そのうちの一つをネギが掴み取る。

 それは死んだ仮契約カードだった。

 描かれる姿は細身の男で、主の欄には女性の名前が書いてあった。恋人だろうか。

 空を見上げれば、紅から藍色へと変わる空の下で仮契約の証が渦を描いていた。あの一枚一枚が、物のように転がっている兵士たちの人生を語っていた。

 皆生きていた。

 でももう死んだ。

 何のせい? 誰のせい?

 ネギが指の力を緩めると、掴んでいたカードが風に攫われて空に舞った。あっという間に見えなくなった。ネギは力なく腕を垂らした。

 

『……僕の、せいで』

 

 涙混じりの言葉は懺悔そのもの。ならそれを聞く自分はシスターの役割だろうか、と千雨は思い、首を振って否定した。シスターは春日の役割で、きっと自分は枯れ井戸だ。ロバの耳を見てしまった少年が耐えきれず叫ぶ相手。精神の肥溜め。何も語らず、ただそこにあるだけの深い穴だ。傍観者を気取る自分にはお似合いだろうと千雨は電子空間で一人頷いた。

 

『皆を守りたいと願うことは、間違いなんですか……?』

 

 間違ってなんかない。ネギは最善を常に望み、選び、誰よりも前を、誰よりも早く突き進んで、そしてその正しさに誰もついていけなかったのだ。

 間違っているのはネギ以外の世界の全てで、正しかったのはネギただ一人だけだった。

 子供でも分かる理屈だ。一人を贔屓する教師と、皆を平等に守ろうとする教師と。どちらが教師としてあるべき姿かと聞かれれば誰もが後者と答えるだろう。

 でもそれは子供の理屈だ。

 アスナは魔法世界を救うために。

 木乃香は旧世界魔法使い派を支えるために。

 委員長は旧世界一般派を導くために。

 ザジは魔界を守るために。

 3-Aは四つに別れ、皆が自分の守りたい何かの為にそれぞれの戦場に身を投じた。

 それとは対照的に、ネギはそのどこにも所属しなかった。

 ネギが守りたい皆。3-Aの生徒たち。彼女らを救いたいという願い。それはすでに世界を救うことと同義だった。

 全てを背負う。誰も死なせない。少年は誓って、そのために力を求めた。それでも世界の救い方なんてわからなくて、迷いを抱いたまま理想の為に突き進んだ。

 誰も死なないハッピーエンド。それは誰もが胸に抱いて、でも次の瞬間には諦めと共に胸の奥にしまいこんでしまう子供の語る夢だ。

 でもネギはその夢を捨てられなかった。

 超を否定し、フェイトに見限られ、彼らと対立し否定したネギはもっとも犠牲の少ない方法で世界を救う義務があった。

 少しでも多くの命を救いたくて、文字通り雷の速度で世界を飛び回って。何一つ切り捨てられない子供は、そして全てから切り捨てられた。

 それでもネギは独り戦い続けた。誰も死なせたくないから、あらゆる戦場に単独で介入した。その速度に、凄まじさについていける人間などいやしないし、ネギもまた必要としていなかった。彼が必要としていたのは、資金と情報、そして食料や資材など、自分では用意できないもの。それらを全て賄うことが千雨にはできた。

 

『僕は、間違え……た』

 

 間違ってなんかない。

 超は歴史を変えようと時間を超えた。

 その結果ネギと明日菜を含む白き翼が魔法世界を訪れ、『完全なる世界』のリライトが未遂とはいえ行われ、ネギが人間をやめ寿命を忘れ、惑星緑化計画の象徴としてネギは祭り上げられた。

 逆に言えば。

 超がいなければ白き翼は結成されず、魔法世界に行くこともなく、『黄昏の姫御子』を欠いた『完全なる世界』のリライトは間に合わず、ネギが惑星緑化計画を思いつくこともなく魔法世界は崩壊する。

 そんな未来からやってきた超が言った言葉がある。

 

 ――いやいや火星人うそつかないネ。今後百年で火星は人の住めるようになる……

 

 あの学園祭、お別れ会の席で超鈴音はそう口にした。百年という数字は千雨が委員長こと雪広あやかから受けた説明にあった数字と同じだ。それはネギがいようといまいと惑星緑化計画は進められていたということだ。ただ自分たちの計画とほぼ同じ案をネギが思いついたことで、元老院は『英雄の息子の発案』ということにして計画を進めることにした。

 魔法世界の住人は皆恐怖しただろう。いずれ世界が崩壊するという現実を目の当たりにしたのだから。しかしその恐怖をなだめる方法を元老院は思いついた。それが『英雄ナギの息子の頭脳のおかげで世界は救われる』というプロパガンダだ。

 ネギの思いつきはしょせん子供の戯言で、元老院が長年進めていたテラフォーミング計画と比べればあまりにも杜撰で穴だらけだった。それでもネギ・スプリングフィールドというネームバリューを利用すれば計画はよりスムーズに進むだろうと元老院は予想した。

 わかるか先生。

 あんたがいてもいなくても、百年でテラフォーミングは完成し、戦争は起こっていたんだ。

 だからこの戦争は先生のせいじゃない。そう千雨は慰めたつもりだった。

 

『いてもいなくても同じ、ですか』

 

 ネギの表情はまたもとの能面に戻っていた。硝子のような瞳はすでに沈みきった太陽の残滓を残す西の空に向けられている。

 

『いなくても同じだったんですか』

 

 拳を握る。ギシリと不吉な音を立てて、ネギの拳にひびが入る。指に込められた力が大きすぎて自壊し始めたのだ。

 

『それなら僕は、存在したくなかった……!』

 

 それはネギの、魂の叫びだった。

 前に進んだ。ただひたすら前へ。悩みを抱いたまま、ふっ切ることもせず、どこに向かっているかもわからないまま前へ。ただ信じていたのだ。その先に敵も味方も関係なく皆が笑いあえるハッピーエンドがあると。

 少し考えればわかることだったのに。

 この世のすべては有限で、人も物も金も資源も土地も幸福も、世界を構成するあらゆる要素が奪い合いの対象なのだと。

 ほんの少しだけ立ち止まれば、ネギもきっとすぐ気付けたはずなのだ。

 地球、火星、魔界。その全てが平等に救われるなんてありえないと。

 

 でかい悩みなら抱えて進め。

 

 ネギの精神の中核の一つを構成している言葉で、それが誰の言葉なのか、千雨はもちろん覚えている。

 自分の存在は、自分が思っていた以上にネギの中で大きかった。そのことに一抹の喜びと、莫大な後悔を覚えた。誰かの人生を預かることの重みを初めて理解した。今更過ぎると千雨は自分を嘲笑った。

 何が間違えていたのか、答えは簡単だ。

 間違えていたのはネギでも、ましてや世界でもない、自分だった。

 ネギ先生、あんたは間違ってない。あんたの理想も、手段も、どれも完膚なきまでに正しすぎる。

 間違えたのは私だ。先生はそれに巻き込まれただけ。

 自分のせいで、先生はいらぬ罪を背負ってしまった。

 

「なあ先生」

『……はい』

 

 言葉が続かない。何を言えばいいのかわからない。謝って済む話ではない、ごめんなさいの一言で目の前に広がる荒野がなかったことになるわけではない。

 そうだ、謝罪なんて必要ない。ネギがそんなもの求めていない。

 彼が求めているのは、贖罪であり、救いであり、ハッピーエンドだ。

 

「約束するよ」

『……約束、ですか?』

 

 屍の荒野を見据え、千雨は誓う。

 いつか救う。必ず救う。3-Aも、ネギも、世界も。

 記憶を消してほしいなら消してやる。殺してほしいなら殺してやる。どんな手段だろうと、それでネギを救えるのならなんでもやってみせる。

 それを私は約束する。

 

 荒野に闇が満ちる。冷たい風が岩肌を舐める。深い藍色の空には白とわかる雲がいくつも浮かんでいて、その隙間には青い地球が小さく輝いている。

 



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第五話 <⚫️> <⚫️>

実体化モジュールについて
実体化モジュールとは、魔法先生ネギま!の作者赤松健先生の初期連載作品「A・Iが止まらない!」通称「AI止ま」に出てきたプログラムです。詳細は本文中にある通り。なお、ネギま!本編で葉加瀬が「AI止ま」の主人公の存在を示唆する発言をしていたことや、新田先生が両作品に登場していることなどから、これらの作品は世界観を共有していると解釈しています(新田先生については赤松先生の恩師をモデルにした単なるスターシステムでしょと言われたらその通りですが)。


「実体化モジュール?」

 

千雨はあるプログラムコードを眺めながら、葉加瀬と会話をしていた。MITに潜入した折に掠め取ったそれを、千雨はしばらくは一人で解析していたのだが、その難解さにギブアップし葉加瀬に開示したのだった。

 

「端的に言うとプログラムを実体化するプログラムですね!」

「・・・・・・端的すぎて誤解がありそうだ。つうかテンション高いな」

 

千雨は電子空間でぐりぐりとメガネのブリッジをいじる。自分を冷静に保とうとする時に出る彼女のくせだった。

 

「いや、実体化ってなんだよ」

「例えば宇宙船の設計図なんかをそのままの形で、現実世界にポンッと創り出すことができます! MITにあった噂の元はこれですね。いやあすごい! 悔しい! すばらしい!」

 

脚が動けば踊り出しそうなほどのテンションではしゃぎまくる葉加瀬に軽く引きながら千雨は考える。

言っていることはわかる。これ以上ないほど明解である。しかし、しかしだ。

千雨はもう一度プログラムコードを見る。

 

「なんでそんなことができる? これ見てもさっぱりわかんねーんだけど」

「私にも仕様段階の範囲でしか理解できません! なんですかこれ! わかんない、わかんないのに実体化できてしまうんです! しかも驚くなかれ、ログを辿るとですね、設計した神戸ひとし教授は、これを1990年代に完成させていたんです! てことは当時高校生ですよ!」

「まあ、あの金融機関への連続テロ事件より前には作られていたはずだからな」

 

自分で言いながらなんだそりゃ、と千雨は思う。まさかその神戸某も時間を超えてやってきた未来人だったりするんじゃないのか。完全にオーパーツである。

 

「千雨さんは特殊相対性理論はご存知ですか?」

「そら知ってるけど。E=mc^2だろ。つまりこれ、エネルギーを使って実体化・・・・・・待て。90年代ぃ?」

 

ありえない。特殊相対性理論がアインシュタインによって発表されたのは1905年のことであるが、そこで発表されたのはあくまでアインシュタインの経験則に基づいた仮説に過ぎない。この理論が実際に証明されるまでに実に100年以上の時間が必要とされたのだ。質量を消費してエネルギーを生み出す、ならともかく。エネルギーから質量を生み出すなんて。

 

「このプログラムの最も画期的な部分はそのエネルギー効率にあります。本来1グラムの質量を生み出すのに必要なエネルギーはおよそ90兆ジュールが必要になりますが、このプログラムでは同じ質量を生み出すのに2万ジュールで足りてしまう! 具体的に言いますと、エアコン240時間稼働させるだけの電力で、あるいは落雷一発分のエネルギーで人間一人が作れてしまうんです! ちなみに、太平洋戦争で使われた原子力爆弾。あれでエネルギーに変換された質量はほんの0.7g、と言えばだいぶはったりが効きませんかね。ああ、なんで私はもっと早くこれに出会っていなかったのか! 茶々丸カムバーック!」

「はったりは知らねーけど、まあ確かにな」

 

確かに。

なぜこれほどのプログラムが公開されなかったのか。

葉加瀬にすら理解できないこのプログラムを作った神戸という人物は、このプログラムの価値を十分に理解した上で秘匿したのだろう。公開すれば間違いなくニュートンやアインシュタインの隣に名を刻むレベルの発明である。富も名誉も保証されるに違いない業績を放り投げた、時代の先を行き過ぎた天才の真意は、そこに潜む葛藤は、凡人たる千雨には理解できない。

 

「でもこれってさ」

「はい?」

「プログラム組んでエネルギー使って実体化って、魔法でできるよな。仮契約カードのアーティファクトとか、前に話したエヴァンジェリンの人造霊魂とか」

「・・・・・・」

 

葉加瀬のテンションがすごい下がった。

 

 

 

 

なお何故神戸ひとしが実体化モジュールを世間に公開しなかったかと言うと、自分好みの美少女を実体化してエロいことしてたのがバレたらやばい、などというアホな理由だったりする。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 それは暖かな、眠気を誘う昼下がり。

 日当たりのいい公園のベンチで、少女は静かに瞼を閉じている。

 プルの開いている缶コーヒーを両手で包んだまま俯いている光景は、休憩の間にうたた寝してしまった少女として公園の風景に溶け込んでいた。

 しかし少女の内面は、そんな平穏からかけ離れたところにある。

 遠隔操作式の式神六体の同時運用。単純な命令を与えた後はほとんどオートで動くため操作自体に苦はない。ただそれを近衛家のSPとの連絡を交わしながらとなると少々脳の処理が追いつかないのだ。

 俯く少女の額にうっすらと汗がにじむ。

 すぐ目の前を駆けて行った小学生たちの歓声も耳に入らない。

 木乃香に向かって近づいてくる金髪の二人組が、式神を通した視界に捉えられたからだ。

 

『護衛対象に二人接近』

『把握しました』

『こちらも』

『以後二人を『金髪』『ピアス』とする』

『了解』

『了解』

 

 近衛家のSPには二種類のタイプがある。黒服に身を包みサングラスをかけた、いかにもな雰囲気を醸し出すものと、学生の街に相応しい年恰好をした、護衛と悟られない影のボディガード。現在木乃香は寮のルームメイト、通称Aと買い物の為に街へと繰り出しており、つまり今の木乃香はただの学生として外出しているわけで、そんな場合彼女の周囲に張り付くのは後者のタイプのSPなのである。

 

『護衛対象の向かう先は?』

『Aと修学旅行の準備をするとのことなので、おそらくそこを右に曲がった学園生協に向かうのでしょう』

 

 そのSPの一人『紫陽花』からの質問に刹那は応える。彼らとは東洋魔法で作られた通信符で会話をしている。携帯電話ではなく通信符を使う利点は様々だ。転移術の手法も組み合わせているため圏外がなく、念話妨害も効かない。何より通信符は紙なので、小さく折りたたんでしまえば自分が誰かと会話をしていると他者に気づかれることはない。刹那は通信符を、サイドポニーを纏める髪留めとして使っていた。

 

『ではそちらに『椿』と『菊』を先に向かわせておきます』

『お願いします。『蘭』と『銀杏』は『金髪』と『ピアス』の後ろに』

『了解』

『了解』

 

 指示を出せば即座に動いていく近衛家のSP。迅速でありながら適度に無駄があり、一般人としての振る舞いを完全に再現している。『金髪』と『ピアス』は背後にぴたりと身を寄せる二人に気付きもしない。

 それを確認して、刹那は彼らの首元に式神を寄せる。操作性より隠密性を重視した術式のそれらは、一般人の目の前でフォークダンスを踊っても気づかれることはない。

 

『では秒読みいきます、用意は?』

『いつでも』

『ではいきます。3・2・1』

 

 刹那のカウントが0になると同時に『金髪』と『ピアス』が意識を失った。式神、刹那は『ちび刹那』とよんでいるそれらは、刹那と同じように帯刀している。そこに神鳴流における気の運用の一つである『雷』の属性を刻んで1mmでも首の肌に刺してしまえば、音のないスタンガンを食らったように意識を飛ばす。

 全身から力が抜けて地面に倒れようとするところを、彼らの背後に控えていた『蘭』と『銀杏』が即座に支える。音もなく体を立たせ、自然に肩と腰に腕を回して、往来を歩く誰にも違和感を感じさせることなく彼らは『金髪』と『ピアス』を退場させた。

 式神の眼を通して確認すれば、木乃香とAは今自分たちの後方3mで起きた出来事に全く気付いていなかった。彼女たちは楽しげに店の中へと入っていく。

 

『護衛対象、学園生協に到着』

『把握しました』

 

 『菊』の返答を聞いて、ふう、と刹那は息を吐く。

 木乃香は非常に周囲の目を引く。それは花も恥じらう美しさ、身目麗しい外見によるところもあるだろうが、その身から隠しきれないカリスマのせいでもあると刹那は考えている。ただそこにいるだけで周囲の人を安心させる優しい存在感。彼女の声を聞くだけでささくれ立った心が落ち着く。彼女の笑みを守るためなら命などいらない、そう思わせるほどの魅力が彼女の笑顔にはある。幼馴染ゆえのひいき目もあるだろうがそれを差し引いても木乃香より素晴らしい女性は日本にはいないだろう、そう刹那は考えていた。

 故に、彼女に近づこうとする男は多い。

 それがただの一般人であるとわかっているなら刹那も、SPたちも特に言うことはない。だが中には一般人を装って関西呪術協会の長の娘を誘拐する目的で近づく卑劣漢もまた存在するわけで。

 

『記憶を読みました。どうやらナンパ目当ての一般人のようです』

『わかりました。ではいつも通りに』

『了解』

 

 ナンパ目的の一般人と誘拐狙いの魔法使いを外見で区別することはできないため、毎回こうして捕獲からの記憶読み込みというコンボで確認しないといけないわけだが、その八割はこんな一般人である。その場合は木乃香についての記憶を封印して釈放となるが、これが残りの二割、どこかの魔法結社から派遣された魔法使いであった場合は傍で待機しているスモークガラスのバンに連れ込んで、日本古来より伝わる説得術でオトモダチになっていろんなオハナシを聞かせてもらうことになる。その説得術とやらがどんなものなのか刹那は知らない。部署がちがうのだからあまり詮索するべきではないだろう、うん。

 護衛対象、木乃香お嬢様と笑いながら服を選ぶAを見る。

 傍で守ることができればどれだけ楽か、そう刹那は考えないでもない。

 だがそれは不可能だ、と諦めてもいる。

 護衛対象にはいくつかのパターンがあって、大きく二つに分けるとその対象が命を狙われているのか否かである。スナイパーなど遠距離から直接狙われる場合、あるいは常に毒殺の危険にさらされている場合などでは、護衛は常時護衛対象に張り付いて盾となり毒身となりその身を守らなくてはならない。

 しかし木乃香はそうではない。

 彼女を狙うものは皆身代金目的や、あるいは洗脳を施し傀儡とすることが目的である。その場合必要なのは群衆に紛れる不審人物の割り出しであり、そのためにはある程度離れたところから対象を中心に俯瞰して観察するポジショニングが必要なのである。

 そもそも木乃香は魔法について何も知らされていない。関西呪術協会の権力争いから遠ざけるための処置であり、それには刹那も賛成している。あんな、裏切りが横行する大人の世界に木乃香お嬢様を巻き込ませたくない。関西呪術協会は実力主義で、魔法について無知で無能な存在が長となることはありえないのだ。

 だが刹那が幼少より血反吐を吐きながら習得した神鳴流は退魔の剣であり、正直他者を守ることには向かない。その奥義のことごとくが気をド派手に使った一撃必殺で威力至上主義なものばかりである。どう見ても一般人の域を超えており、自分が木乃香に張り付いてしまえば、彼女を守ろうとして、間違いなく彼女に魔法や気の存在がばれてしまう。その果てにあるのは、陰謀渦巻くドロドロの政治闘争の中で摩耗し心折れる未来だ。

 お嬢様は優しい。裏切られることも、裏切ることにも耐えられない。

 自分が近づけば、いずれ彼女は大きく傷付くことになる。

 だから自分は近づくわけにはいかない。

 長いスパンで見れば、それが彼女にとって最適であるはずだ。

 

「いいんだ。お嬢様を守るだけで私は満足できるんだ」

 

そんな、もはや日課とも言える思考にひと段落ついたとき、ポケットが振動した。中からすぐに震えている携帯電話を取り出してみると、学園長の名前が表示されていた。急用だろうか、それとも修学旅行の話か。考えながら刹那は通話ボタンを押した。

 

 

 

 

 

 学園長室には現在二人の人影がある。人間離れした頭部をもつ老人と、豊かな金髪の女子生徒。少女は厳つい机に腰を預け、老人に背を向けている形である。先に口を開いたのは少女の方だった。

 

「で、なんだ親書というのは。貴様いつ詠春と仲が悪くなったんだ?」

 

 少女、エヴァンジェリンは振り返り、横目で老人を見やった。口元を愉快そうに曲げて問うた親書とは、先ほどまでこの部屋にいた子供先生、ネギ・スプリングフィールドに渡された一通の封筒のことだ。

 

「あれは親書ではないよ。内容は、まあ親子の私的な連絡じゃ」

 

 わかっているくせに、と目で責めながら老人、近右衛門が応える。その言葉にエヴァンジェリンがなおさら嬉しそうに笑みを深めた。親子の私的な連絡、それが西と東の長の間で行われるいわば談合のようなものだと知っているからだ。

 かつて魔法世界で起きた戦争にて、メガロメセンブリアは関東魔法協会を通して関西呪術協会に戦力の提供を依頼した。呪術師は言わば傭兵のようなもので、正式な依頼と相応の金額を提示されれば頷かないはずがない。それが仕事なのだ否もない。

 しかしその戦争は当初考えられていたものよりも長く、激しく、メガロメセンブリアは敗戦直前まで追い込まれた。その被害は呪術協会の術師たちの質と量の低下を招き、いくら報酬を当初提示されていた額の倍が支払われようと、人材がそんなすぐに育つわけではない。戦争終了後、呪術協会は関東魔法協会に併合されるだろうことは誰の目に見ても明らかだった。

 しかし当時の関西呪術協会の長である近右衛門の対応は早かった。彼は併合を受け入れるものとして関東魔法協会の理事の一つというポストを受け入れ、その一方で次の呪術協会の長の座に彼の戦争の英雄、サムライマスターの二つ名を世界に轟かせた青山詠春を据えたのである。

 紅き翼の名はメガロメセンブリアでは無視することができない。敗戦色濃厚な戦況をひっくり返した彼らに、メガロ本国は到底返しようのない借りがある。今のメガロがあるのは彼らのおかげなのだ。そんな紅き翼の一人であるサムライマスターが長を務める組織にメガロメセンブリアや関東魔法協会が強く出られるはずもない。結果として詠春は本国から迫る高波の防波堤としての務めを二十年間果たし続けた。そして関東魔法協会の下にくだったはずの近右衛門はいつの間にか関西呪術協会との唯一のパイプ役として機能し、その発言力は日増しし、本国からのプレッシャーをのらりくらりとかわしながら、ついには関西呪術協会が関東魔法協会と並ぶ戦力を持つまでの時間を稼ぐことに成功する。

 そうなってしまえば魔法協会も関西を無視するわけにはいかず、他の理事たちとの議論の結果関西呪術協会を日本を二分する魔法勢力の一派であると認めるに至り、今では互いに人材交流などが行われるまでにその仲は回復している。

 なので、今更特使を派遣して親書を届けさせることに意味はないのだ。

 

「あれは方便じゃよ。ネギ君を西に挨拶に向かわせるための」

 

歴史的に見れば、関西呪術協会の元となる陰陽術組織は奈良平安のころに発足し、以来大和の民を妖魔や悪霊から守り、政を左右してきた。日本という国を蔭から守り支えてきた集団なのである。その誇りは高く、気高いものであるとエヴァンジェリンは考えているし、そこに土足で上がり込んで勝手に『関東』魔法協会を名乗った外様の西洋魔法使いにいい感情を持っていない連中の気持ちも理解できるつもりだ。

例え力が衰え、日本を守るために魔法協会の協力が必要であっても、この国は関東も関西も関係なく元々自分たちの土地だ。

そこに修行の為にやってきた見習い西洋魔法使い。

人の家で修行するなら挨拶くらいしなければならないだろう。

 つまり、ネギには『仲良くなるための親書を届けること』といいつつ、その内実は『日本に修行に来た見習い西洋魔法使いが呪術協会の長に修行の挨拶をすること』という形を作るためのものだったのである。

 

「しかしそれなら春休みにでも行かせればよかったのではないか?」

「そのころはまだ教師としても見習いじゃったし、研修中であって本格的に修行が始まったわけではないからの。それに、プライベートの時間で婿殿に会いに行ってもそれは『サウザンドマスターの息子が父の仲間のところへ遊びに行った』ととられる可能性もある」

「だから、『教師としての職務中』である修学旅行中としたのか」

「修行内容が教師になることじゃからの」

 

 ふむ、とエヴァンジェリンは頷き、しかしすぐ首を傾げた。

 

「なぜぼーやに嘘をついた? 正直に事情を話せばよかろうに」

「そんな大人のどろどろした駆け引きを子供に説明するのもどうかと思っての。それより『仲直りするための重要な任務』とした方がネギ君の為になるかという判断もある」

「あれか、初めてのおつかい、みたいなものか」

「そういうことじゃ」

 

 子供に買い物を頼むより、大人が車で買い物に出かけた方がずっと早いし確実だ。だが子供に責任と物を買うという社会勉強をさせるためにおつかいをさせるということは教育上絶対に必要なことである。

 コンコン、と学園長室の扉からノックが響いた。入りなさいと近右衛門が促すと、失礼しますと断りながら二人の女子生徒が入ってきた。

 桜咲刹那と春日美空。3-Aの魔法生徒として登録されている生徒だった。

 

「あれ、エヴァちゃんじゃん。どうしたのこんなところで」

 

 シスター服に身を包んだ美空がエヴァンジェリンに声をかける。ちゃん付け!? と刹那が目を見開き、知らないって幸せじゃなと学園長が遠い目をして、しかし当のエヴァンジェリンは特に気にした風もなく美空に振り返って、

 

「学園長と、旅行仲の警備について話し合いをな」

「え、警備って……」

「ああ、言ってなかったが私も魔法生徒として登録されてな。修学旅行では私も警備に参加する」

「マジで? エヴァちゃん魔法使いだったの?」

 

 そこ? という顔を美空以外の全員がした。

 

「というか春日美空、お前春の防衛演習のときどうしてたんだ」

 

 うえ? と美空は呻き、目線を左右にさまよわせて、

 

「いやーシスターシャークティーがさー、あなたたちはまだ未熟にもほどがあるので参加させられませんね死にますからとか言ってさー、その日は寮の監視という名目でお留守番スよ」

「ああ、だから私のことを知らなかったのか」

「ん、なんスか? 声小さくて聞こえなかったんですけど」

「なんでもない。それより早く話を済まそう。さっさと帰りたいだろ?」

 

 ああそうスねーと言って姿勢を正す美空。それを見て近右衛門はコホンと咳払いをして、

 

「まあ、今聞いた通りエヴァンジェリンも今回の修学旅行に同行し、警備をしてもらうことになった。その割り当ては3-A生徒全員じゃ」

 

 は? と刹那と美空が呆けた声を出した。全員?

 

「そして刹那君は木乃香の護衛じゃ。近衛家のSPを京都に連れて行くわけにはいかんが大丈夫かの?」

「は、はい、お任せください。この命に代えましても、お嬢様をお守りしてみせます」

 

 現在麻帆良学園にいる近衛家のSPは近右衛門が育てた精鋭である。その腕はそこらの魔法使いを大きく上回っているわけで、そんな集団を京都に連れて行けば、それは前呪術協会の長が現呪術協会の長である詠春を信頼していないということになる。

 その点刹那は神鳴流の剣士であり、詠春と同門である。彼女が木乃香の護衛として働くなら関西呪術協会の構成員も嫌な顔はしない。

 

「んー? 木乃香が関西呪術協会に狙われる理由があるんスか?」

 

 事情を知らない美空が、どこかのんきな声でたずねる。それに答えたのは近右衛門だ。

 

「木乃香は関西呪術協会の長の一人娘じゃからの」

「……てことは、いずれそのお父さんの跡を継ぐんスか」

 

 否、と近右衛門は首を振った。

 

「関西呪術協会は実力主義での。その長や幹部などの要職は世襲制ではない。確かに長は近衛の姓を名乗る必要があるが、それは血がつながってなくてもよい。養子でも婿入りでもの」

 

 現に今の近衛家当主は婿入りした青山家の人間である。

 

「それに次期当主になるべき人材は順調に育っておる。幼少のころから組織の上に立つ者としての教育、呪術の心得などじゃな。魔法の存在すら知らん木乃香をわざわざ長に祭り上げる必要はないんじゃよ」

「え、じゃあなんで狙われて……?」

 

 ふうむ、と近右衛門は思いため息を吐いた。

 

「魔法については知らなくとも、その魔力容量は膨大でな。しかも近衛の姓である以上、長になる必要はなくともなれないわけではないんじゃよ。じゃから、木乃香を攫い、洗脳し、傀儡にして裏から操り利益をむさぼろうとする不届き者が一部いるんじゃよ」

「はあ~……なんか大変そうスね」

 

 明らかに他人事だった。心配する気持ちはもちろんあるが、だからと言って自分にできることはないと美空は知っているし、自分に何かあればココネが悲しむ。実験体18号と番号付けされた少女の為に、自分は絶対死ぬわけにはいかないのだ。せいぜい刹那の邪魔しないよう遠くから応援するくらいにしておこう、と心に決める。

 

「木乃香の護衛はなるべく刹那君一人に任せよう。エヴァンジェリンと連携を組んだことはないじゃろ?」

「……そうですね。エヴァンジェリンさんは戦力としては申し分ないのですが」

「慣れぬ連携で隙を作ってしまうよりも、初めから一人で守りを固めた方がやり安かろう」

「まあ、何かあれば私に連絡しろ」

 

 告げられたエヴァンジェリンの言葉に、刹那はぎくしゃくしながらなんとか頷いた。なに緊張してんスかねー、と美空は刹那を横目で見ながら思う。

 

「最後に美空君じゃが、君には超君の監視を頼もうかと考えておる」

「はあ、超りんスか」

「知っておるかも知れんが、彼女は既に魔法先生から数度注意を受けていての。まあ、何をするとも思えんが、一応の」

 

 ふうん、と美空は思い、わかりましたとだけ言った。内心大した仕事ではなくてほっとする。超とは知らない仲ではないし、監視といっても彼女とは同じ班であるし、一緒に遊んでいればいいだけだ。もし本当にやばくなったら加速装置でスタコラサッサだぜ。

 

 

 

 

 

 時計が午後の九時を回った頃、ようやくネギは女子寮に帰ってきた。ここのところネギは毎日それくらいの時間にならないと部屋に帰らないようにしている。明日菜は新聞配達のバイトがあるため八時には布団に入って眠ってしまうから。だから彼女を起こさないよう静かに扉を開けて、なるべく足音を消して部屋に入った時、テーブルの前で腕を組み座っている明日菜を見てネギはめちゃくちゃ驚いた。

 

「……おかえり」

「……た、ただいまです、明日菜さん」

「ご飯、できてるわよ」

「あ、でも僕これから出かけないと」

「い・い・か・ら」

 

 食べるでしょ? と感情を込めずに聞いてくる明日菜に、ネギは反射的に頷いてしまった。テーブルを見れば白いご飯に焼いたサンマ、みそ汁に漬物卵焼きと、木乃香の得意な和食が並んでいる。それらは明日菜の正面の席に並んでいて、それを食べるということはネギは明日菜の正面に座らなくてはならず、明日菜の射るような視線はなんとも居心地が悪くてネギは今すすったみそ汁が赤みそか白みそかも分からなかった。

 かちゃかちゃと自分の食事の音だけが響くダイニング。空気があまりに重く感じてしまうのは、自分に後ろめたいことがあるからだろうか。沈黙に耐えきれず、ネギは卵焼きをほとんど丸のみしたあとで、

 

「あの、木乃香さんは……?」

「パルのところ。なんかよくわかんないけど修羅場だから泊まるって」

 

 望みは絶たれた。

 再び沈黙が続くのか、ご飯がまだ途中だけどさっさと出発してしまおうか。そう考えた時、明日菜がついに口を開いた。

 

「あんた、最近私を避けてるでしょ」

 

 ネギは、自分の腋にじんわりと汗がにじむのを感じた。

 

「いえ、そんなことは」

「嘘。いつも私が寝た後に帰ってきてるじゃない。朝も私がバイトから帰ってくる前に出ちゃうし」

「そ、それは仕事が忙しいからで」

 

 ふうん、と呟いて、明日菜はまた沈黙した。ネギは明日菜と目を合わせられず、俯いたまま食事を再開した。なんで今日のご飯はこんなに大盛りなんだろうお魚も二匹あるし。ほとんどヤケになって一気に米をかきこもうとして、

 

「エヴァちゃんと、なにかあったの?」

 

 明日菜の言葉でハシの動きが止まった。

 

「あんなことがあって、それに私も巻き込まれたわけじゃない。エヴァちゃんがちゃんと学校に来るようになって、アンタにとってはもう解決したことなのかもしれないけどさ、やっぱり気になるのよ」

 

 明日菜は視線をネギに固定している。ちらりとも逸らさず、聞きたいことをそのままぶつけてくる。そのまっすぐな気性は長所であり、しかし場合によっては短所にもなりうる明日菜の性根だ。

 

「それともエヴァちゃんは関係ないの? じゃあなんでそんな顔してるのよ。なにもなかったわけじゃないでしょ?」

 

 ネギは答えられない。なんと答えればいいのか言葉が見つからない。それでも明日菜は言葉を紡ぐ。それが少しずつネギを追い詰めていく。

 

「私じゃ頼りにならない?」

 

 ネギが静かに立ちあがる。――まさか怒らせた? そんな心配が明日菜の胸裏に浮かぶが、それにしてはネギの所作は丁寧だ。ごちそうさまと告げ、食器を重ね、台所の流しで水を注ぐ。そしてそのまま部屋の隅に立てかけてあった杖を手に取り、玄関へと向かう。

 

「ちょ、ちょっとどこ行くのよ!」

 

 明日菜が慌ててネギの肩を掴み、振りかえらせる。ネギの顔を正面から見ることになって、明日菜は言葉に詰まった。

 ネギの目には涙が浮かんでいたからだ。

 

「……エヴァンジェリンさんは関係ないです」

 

 それが先ほどの自分の質問に対する答えだと気づくのに数秒かかった。

 

「明日菜さんは、とても優しくて、頼りになる、お姉ちゃんみたいな人です」

 

 今度はいきなりほめられて明日菜は混乱する。ネギは一体何が言いたいのだろう。

 

「でも僕は、一人で頑張っていこうって決めました」

「一人でって、あんた」

「大丈夫です」

 

 言いながら、ネギは笑った。笑って、明日菜に告げた。

 

「もう誰にも、迷惑をかけませんから」

 

 瞬間的に明日菜の頭に血が昇った。このガキは何を言っているのか。今自分はそんな話をしているわけじゃない。そんな心配をしているわけじゃない。

 自分が心配しているのはネギのことで、それが伝わらないことに激しい憤りを覚えた。自分がネギより我が身の心配をして怒っているのだと思われていると気づいて、明日菜は自分の中に暴力的な衝動が生まれたのを自覚した。そのマグマのような感情は明日菜の中でうねりを上げて回転し、でもそれをどんな言葉で表せばいいのか脳が判断に迷い、結局肉体言語として表現するしか方法はないという結論に至って明日菜は右手を振りかぶり、

 

「ぼくこれから出張なので二日ほど留守にします」

 

 出張、という言葉に明日菜の右のビンタが止まった。

 

「出張、て……こんな時間から?」

「はい」

「どこに?」

「京都です」

 

 京都、なら今行かなくても。

 

「修学旅行の前に、先方に届けなくちゃいけないものがありまして」

「なに、それ一人で行くの? 京都まで? 危なくないの?」

「……大丈夫です」

 

 ネギが肩を掴む明日菜の右手に自分の左手を重ね、優しくほどいた。

 

「じゃあ、行ってきます。木乃香さんによろしく言っておいてください」

 

 一度手を振り、ネギが玄関をくぐってしまう。扉が閉まり、後に残された明日菜はしばし呆然として、秒針が一周するほどの時間が経ってからぽつりと呟いた。

 

「……大丈夫なら泣くんじゃないわよ、バカガキ」

 

 

 

 

 

 近衛詠春の朝は素振りから始まる。

 関西呪術協会の長についてからというもの、仕事はもっぱらデスクワークであり下手をすれば一日中書類と向き合っていなければならない日もしょっちゅうだ。

 なので詠春は時間があるときはできるだけ体を動かすよう心がけている。

 体のキレも気の運用も全盛期には到底及ばず、かつての自分が今の己を見ればきっと嘆き悲しむだろう。頬もこけて顔色もすぐれず最近では額の方までキてしまっている。なにより血尿まで出して鍛え上げた剣が錆び付く将来を見たら、もしかしたら自殺してしまうかもしれない。

 だが詠春は後悔していない。

 剣と引き換えに選んだ道。

 自分の家とも言える神鳴流と関西呪術協会。その維持と繁栄の為に必要な選択だった。自分と、自分をあらゆる面で支えてくれた協会の幹部の面々と、そして義父の力で関西呪術協会は力を伸ばし、世界中に支部を持つ西洋魔法派と、日本限定とはいえ対等以上の関係を結べている。次代の人材もちゃくちゃくと育っているし、自分が引退しても問題なく呪術協会は廻るだろう、それはきっと自分一人で剣の道を突き進んだとしても到底得られない満足感だと詠春は思う。

 さて、と詠春は竹林の中、木刀を正眼に構え、精神を集中させる。握る剣と拳の間に微妙な違和感。かつては剣を自分の体の延長のように感じられていたというのに。

 前に一歩踏み出し、振るう。目前に迫る竹を回避して、また振るう。無造作に生い茂る竹の合間をジグザグに、小刻みに瞬動を交えながら駆けていく。振るう木刀は頭の中で再現されたあの筋肉バカを斬りつける。想像の中のバカはこちらの斬撃を余裕で回避し、たまに胸筋や腹筋をモリッと膨らませて筋肉だけで刀をはじき返す。なんでこのバカは想像の中でも不死身なんだ。

 それもまた老いだろうか、と詠春は苦笑する。今の自分には、あの筋肉の鎧を斬り伏せるイメージがまるで湧かない。奴の異名である『つかあのおっさん剣が刺さんねーんだけどマジで』は厳然たる事実である。

 ふむ、と詠春は足を止めることなく思う。今日はなんだかよく過去を思い出すなと。

 それは、もうすぐネギ・スプリングフィールドが来るからだろうか。柄にも合わないセンチメンタルな気分になっている。はたしてどんな子供に育っているだろうか。あのバカと同じく破天荒で周囲を巻き込むタイプか、それとも彼女のように一人で内に溜めるタイプか。エヴァンジェリンとは会っただろうか。あのナギに惚れていた真祖の吸血鬼はネギ少年を見て何を思ったのだろう。

 いろんな話をしてあげたいと詠春は思っている。父との出会いのこと、父の活躍のこと、戦後の父の活動のこと、木乃香のこと、義父のこと。きっと話題は尽きることがないだろうと思う。母のことはまだ話せない、それがヤツとの約束だった。だがそれを除いてもきっとネギ少年との出会いは楽しいものになる。そう詠春は信じている。

 

「おっと」

 

 気づけば竹林の合間、千本鳥居に出てしまった。いつの間にか進行方向が左にそれてしまったらしい。これでは樹海に入った時に遭難してしまうなあ、と詠春は笑った。

 笑って、鳥居の道の先、本山の入り口へと目を向けて、詠春は一人の子供がいることに気付いた。

 子供は見覚えのある杖を握っていて、見覚えのある髪の色をしていた。顔立ちはまだ幼いが、それでもある人物を彷彿とさせる作りをしている。瞬動で突然現れた自分に驚いて目を丸くしている。

 一目でわかった。

 

「君は、ネギ・スプリングフィールド君だね?」

 

 子供はさらに目を大きくして、しかしすぐに険しく顰め、

 

「そうですが、あなたは?」

 

 杖を強く握り、こちらへの警戒を強める。まあ確かに、と詠春は自分の格好を省みる。道場で着る袴に上半身は裸。手には木刀を提げ、いきなり現れて自分の名をいい当てたのだ、警戒しない方がおかしい。

 なので詠春は木刀を地面に置き、できる限りの誠意をもって告げた。

 

「こんな姿で申し訳ない。私は関西呪術協会の長、近衛詠春です。初めましてネギ・スプリングフィールド。関東魔法協会の特使よ」

 

 

 

 

 

 ネギが案内されたのは、広い板の間の空間だった。

 早朝ということもあるが、その空間は静寂に満ちている。冷たい空気がネギの周囲に漂い、装飾と相まってなんとも荘厳な雰囲気を醸し出していた。

 教会みたいだ、とネギは思い、自然と背筋が伸びてしまう。隣には自分と同じように正座したカモがいて、動物用の座布団が用意されていなかったため冷たい床にカモは難儀していた。

 

「大丈夫? カモ君」

「俺は大丈夫だけどよ、兄貴こそ大丈夫か?」

「……うん、大丈夫」

 

 そんなはずはない、とカモはネギの顔を見て思う。

 風で守られていると言っても雲とほとんど同じ高さを飛び続けるのはきついものがあった。それを十時間以上ずっと続けていて、精神力も限界に近いのではないだろうか。それになによりネギは徹夜なのだ。十歳の子供に徹夜はきつい。もうネギはいつ意識が落ちても不思議ではない。

 なのにネギはあえて自分の体に無理を強いた。関西呪術協会の長の『少し休んではどうか』という気遣いすら固辞して、特使としての任務を先に果たそうとしている。

 まるで自分に罰を与えているようだ、とカモは思う。

 

「お待たせしました」

 

 そうして待つこと三十分、詠春が十数人の巫女を連れてやってきた。詠春の服装は呪術協会のフォーマルな服装なのだろうがネギとカモには判断がつかない。ただ厚そうな着物を何重も来ていて、重くねーのか? とカモは思った。

 

「いえ、こちらこそ突然の来訪に応えていただき、ありがとうございます」

 

 ネギとカモが深く頭を下げ、詠春に許しを得てから頭を上げた。横目で周囲を見れば自分のいる広間の左右に先ほどの巫女さんたちが展開している。

 見届け人か何かだろうか、と思いながらネギは胸ポケットから親書を取り出した。

 

「あの、これを。東の長、麻帆良学園学園長近衛近右衛門から、西の長への親書です。お受け取りください」

「確かに承りました」

 

 詠春は封筒の中を見、一度苦笑のようなものを浮かべてからネギに向かって、

 

「いいでしょう、東の長の意を組み私たちも東西の中違いを解消するよう尽力するとお伝えください。任務御苦労、ネギ・スプリングフィールド君」

「……は、い」

 

 ネギは、詠春の言葉に返答し、任務達成によって緊張の糸が切れ、ギリギリだった意識がついに途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 ネギは暑さで目が覚めた。

 体には清潔な毛布に包まれ、自分が布団で横になっているのだと気づいた。格子状の窓から西日が差し込み、ネギの顔面を炙っている。どおりで熱いはずだ、とネギは毛布をはがして上体だけ起こした。大きく欠伸をして、目をこすって眠気を拭い、それからようやくここはどこだろうと考えた。

 

「兄貴目が覚めたんですかい!」

「あ、カモ君」

 

 声はフスマの隙間から聞こえてきた。視線を下ろすと白くて長いネズミの亜種みたいな姿がある。

 

「おはよう、カモ君。今何時かわかる?」

「お、おう今は夕方の五時くらいだぜ兄貴。だいたい八時間は眠っていたことになるな」

「そ、そんなに?」

 

 どおりで目覚めがパッチリ爽やかなはずだ。

 

「目が覚めましたか、ネギ君」

 

 またも声。その主はやはりカモが入ってきた障子戸から入ってきた。その姿には見覚えがある。おかしいなついさっき会ったと思うのにまだ寝ぼけているんだろうかってああ。

 

「えっと、おはようございます、長さん」

「ええ。よく眠れましたか?」

「はい、おかげさまで」

「フフ、それは良かった。それとそんなに畏まらなくてもいいんですよ。今は長としての時間ではないですから」

 

 今の詠春は黒を基調としたカジュアルで動きやすそうな服を着ていた。服装で差をつけているのだろう、とネギは思う。自分も教師としての時間はスーツを着ることで心を引き締めている。

 

「それにしても、君は色々大変だったようですね」

「え?」

「そこの彼、カモミール君にお話しを聞かせてもらいました」

 

 神妙な顔つきで詠春はネギが座る布団に横に正座する。

 聞かせてもらった? 何をだろう。何をどこまで聞かれたのか。別に聞かれて困ることはそれほどない、はずだとネギは思う。だがなぜか心臓が高鳴る。自分は何を不安に思っているのだろう。

 

「なんでも、自分の教え子を傷つけてしまったと」

 

 心臓が、さらに大きく跳ねた。

 

「それで、誰も巻き込まない、という誓いは立派です。しかしそれで自分の身も省みず突き進んでは体を壊してしまいます。今回のように」

「……はい」

「……大丈夫ですか、ネギ君。顔色が悪いですが」

「……ええ、大丈夫です」

 

 大丈夫、と言いながらネギは目を伏せてしまう。

 それから、しばし無言の時間が続いた。その無言をあえて詠春は破った。

 

「あなたの父、サウザンドマスターだって、一人で何かを為し得たわけではありません」

 

 サウザンドマスター。その名を聞いてネギが顔を上げた。そのネギの表情を見て詠春は思う。この子は子供のようにヒーローに憧れているのではない、もっと切実な思いがあって、己の父を求めている。

 

「あなたは、父さんを知っているんですか?」

「ええ、よく存じてますよ。何しろ彼とは腐れ縁の親友でしたからね」

 

 それを聞いて、ネギはまた黙ってしまった。この少年が何を思っているのかはわからない。だがとにかく急かすことはないだろう。きっと父について聞きたいことが山ほどあるだろうから。

 

「……父は」

「はい?」

「仲間がいましたか?」

 

 仲間。思い出すのは幾人もの戦友たち。どいつも癖が強くて、あの中では一応常識人として通っていた自分は彼らを纏めるのに苦労したものだ。

 

「ええ、いましたよ。背中を預けて戦い抜いた戦友たちが」

「戦友……?」

「ええ、もう二十年も前のことです。長きに渡る、魔法世界を二分して行われた大戦を共に戦い抜きました」

「長さんも、ですか?」

「ええ。私は今でこそすっかり衰えてしまいましたが、かつてはサムライマスターの異名をとるほどの剣の腕前でした。自慢になりますが、剣の腕では私たち『紅き翼』の中で一番でしたね」

「……では、父さんの他の仲間は、どんな人ですか?」

 

 詠春は首を捻る。サウザンドマスターについて聞かれるだろうと思っていたのに、彼はその周りの人間についてご執心らしい。サウザンドマスター本人についてはすでに自分で調べた、ということだろうか。

 

「そうですね……一癖も二癖もある連中でしたが。私の他に剣士が一人、情報収集を得意とした拳士が一人。凄腕の魔法使いが二人ですね。あと私と拳士の弟子が一人ずつ、ですか」

「皆、強かったんですか」

「ええ。誰もが一騎当千の、英雄の名に恥じない実力をもっていましたし、最強の誉れ高いサウザンドマスターに比肩する力がありましたね」

 

 詠春の言葉にネギは愕然とした。

 守りたい人。守りたかった人。もう守れない人。村の皆。クラスの皆。ネカネお姉ちゃん、アーニャ。明日菜さん、長谷川さん。

 皆優しくて、自分を守り、癒してくれた。だから強くなりたい。父のような圧倒的な強さが欲しい。彼ら、彼女らを守るために。

仲間となり、自分を守ろうとしてくれた彼女を守れなかったのだから。

 だから、その強さを得るまでは、自分は仲間を持ってはいけないのだ。そうネギは思っていた。なのに、父の仲間は皆父と肩を並べて戦ったのだと父のかつての戦友は言う。

 圧倒的な力を持つ千の呪文の男に守られるのではなく、共に戦ったのだと。

 まるで、自分の思考の土台を崩された気分だった。

 

「では、」

 

ネギは少しだけ躊躇って、視線を幾度か彷徨わせながら、でも最後には詠春の目を見据えて、

 

「仲間って、何ですか」

 

 と問うた。

 そして、その問いを聞いて、ネギが何に迷っているのかを詠春は理解した。それは力を求めるものが皆一度はぶつかる壁で、自分だってそうだったと詠春はかつての自分を思う。仲間とはなにか。本当の強さとはなにか。それはきっと若さ故の悩みで、それは今のうちに存分に悩むべきものだ。 

 

「人が一人でできることは限られています」

 

 はっと、ネギは顔を上げた。

 

「先ほども言いましたが、それはナギだって例外ではありません。彼は無敵と言われ、英雄と讃えられましたが、それでも彼にできたことはほんのわずかです」

「……え、でも、父さんは強くて、力があれば仲間も守れるはずじゃ」

 

 ネギの言葉に、詠春は首を振った。

 

「ナギは英雄でしたが、それは武の英雄と呼ばれるものです。武の英雄に未来は作れません。戦う力と守る力は別なのですよネギ君」

 

『汝闇を覗き込むとき、汝もまた闇に覗かれる』

 それは神鳴流の剣士が一度は師から聞かされる、力を求める者に向けられた教訓である。

 神鳴流は、魔から民を守るための剣である。が、力を求めるあまり魔に魅入られる者もまた多い。それはただ敵を殺す剣であり、守る剣ではない。

 だから神鳴流ではまず、己が何のために剣を振るのかを自身の心に叩き込む。何のために力を求め、何のための力を極めるのか。それをまず見極めなければ、その者は道に迷い、魔に堕ちる。

 桜咲刹那を思い出す。彼女は烏族とのハーフであり、その才能は青山の人間と比べても遜色のないものだった。だからか刹那を指導していた師範代は東から妖刀『ひな』を借りてまで力のあり方について講釈した。そのとき道場が三つまとめて吹き飛んだがまあそれはいい。それを見て刹那は魔に堕ちた力の恐ろしさを知り、以来刀だけでなく陰陽術にも手を出すようになって……。

 

「ではネギ君。陰陽術を習ってみる気はありませんか?」

「オンミョウジュツ……日本の魔法でしたよね」

「はい。私たち関西呪術協会は千年以上前から日本を妖魔から守ってきました。力なき民を守るための術、それが陰陽術です」

「そう、なんですか」

 

 それに陰陽術は応用範囲が広い。式神一つとっても攻撃、防御、護衛に索敵、潜入に情報収集など、練度が高くなればおはようからお休みまで暮らしを支える技術になりえる。

 

「ここは世界中の魔法協会の見習い魔法使いが研修地として訪れる場所ですからね。ちょうど今も確かイスタンブールだったかな? そこの魔法協会から派遣されていますし。ウェールズ魔法学校から関東魔法協会へと出向している君でも、一日二日ならこちらで修行しても平気でしょう。私からも学園長に伝えておきますし」

「……」

「それに君はまだ若い。自分が決める道を決めるのは、色んなことを知り、経験してからでも遅くはありません。それまでは、君は立ち止まってもいいのです」

「……そう、ですか」

 

 やはり納得はできないだろう、と詠春は聞こえない程度の小さなため息を吐いた。父のようになる。父に追いつく。それだけを思って、ただ前に進むことしか知らずに生きてきた少年が、生き方をいきなり変えることは難しい。ここで陰陽術を教えたとしても、殺す力と守る力を区別することはできないだろう。それを今強く否定する必要はない。この少年は聡明だし、それにまだ十歳だ。今自分が強制しなくても、いずれ自分で気づく時が来るはずだ、と詠春は考えている。ただ敵を倒す、相手を殺す力を身につけても、誰かを守り育てることなどできないと。

 現にナギは、自分の息子を育てることはできなかった。

 

「では、お願いします。僕に陰陽術を教えてください」

「ええ、もちろん。とは言っても私が直接教えるわけではないんですけどね」

「え?」

「陰陽術に関してはもっと適任がいるんですよ。先ほども言いましたね、イスタンブールからの研修生に陰陽術を教えている者なんですが。彼女に教えてもらうといいでしょう」

 

 そして詠春が去り、入れ替わりに入ってきた二人は、

 

「初めまして、天ヶ崎千草言います。そしてこっちが研修生の」

「……フェイト・アーウェルンクス。よろしく」

 

 と名乗った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「長さん、どうもお世話になりました!」

 

 明るく、活発そうな声が早朝の本山に響く。大げさなほどに大きな動きで少年はお辞儀をする。朝日をはじくその赤髪がまぶしい。

 

「千草さんも、どうもありがとうございました!」

「どういたしまして。楽しかったでネギ君」

 

 きらきらとした目を千草に向ける。その視線を受けながら千草は鷹揚にほほ笑んだ。

 

「ええか、ぼうや。あんさんの吸収速度は大層なものやけど、教えたんはほんのさわりや」

「はい千草さん!」

「でもぼうやにはそれで十分なはずや。習得しとる西洋魔術の術式と融合させる応用力があんさんにはある。研鑽を積めば新たな魔法体系の元祖となるんも不可能ちゃう」

「はい!」

 

 背筋を伸ばして真剣に話を聞くネギの姿は、先日までの鬱々とした雰囲気はない。その目には強い光が宿り、表情に迷いはない。

 

「では失礼します!」

 

 杖に跨り、空へと飛んでいくネギを眺めながら、詠春は内心溜息を吐いた。

 あまりにも危うい、と。

 数日の付き合いで見受けられた、ネギの心に潜む闇。その一方であのように明るい『ネギ・スプリングフィールド』を演じられる。矛盾を内包したまま進む果ての崩壊を思えば、少しでもそのあり方を矯正させることができればと思ったが、はたして。

 

「天ヶ崎さん」

「はい」

 

 千草は詠春へと向き直り、頭を下げる。

 彼女は関西呪術協会の人材育成を担う存在である。

 詠春と近右衛門が東西から協力して関東魔法協会からの圧力に対抗している間、彼女の存在がどれほど心強かったか。魔法世界の戦争で失われた呪術協会の人材を補填するうえで、彼女が天ヶ崎家の有する式神や鬼神の召喚・使役の技術を広める決断を下してくれたことが、どれだけ呪術協会の再生に寄与したことか。生活費のために祖先より受け継いだ技術を切り売りするしかなかった、という内情はあるのだろうし、西洋魔法使いへの反発心が魔法協会に吸収されることを認められなかったのだろうとも思うが、それでもその身を粉にして呪術協会の復興に尽力してくれた千草に、詠春は大きな信頼を寄せていた。

 

「麻帆良から、私の娘が在籍するクラスが京都までやってきます。その護衛をあなたに頼みたい」

 

 はい、と一度頷いてから千草が問う。

 

「護衛であれば他に適任がおるのでは?」

「ちょうど各地の霊地に鬼が生じたようで。任せられるような術者はみな今日にも出払います。修学旅行の日には誰も間に合いそうにありません」

「それはなんとも」

「他の人員の選別はあなたに任せます。あなたであれば頼れる筋もあるでしょう? 刹那君と協力しても構いません」

「はい、承知しました。お嬢様には誰にも、指一本触れさせません」

 

 千草はさらに深く頭を下げる。安心したと言わんばかりにほほ笑む。床を見つめる千草が浮かべる笑みの意味を、詠春に知るすべはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

詠春からの指令を受け、その場を辞した千草は本山の廊下を一人歩いていた。

その背後に、いつの間にか人影があった。

 

「天ヶ崎さん」

「うわびっくりした。いきなり現れんと気配くらいだしぃや、人形ちゃうねんから」

「機嫌がよさそうですね。うまくいったんですか」

 

 フェイトを見下ろす目を弓なりに曲げ、千草はそっと自身の口を抑えた。

 

「全て計画通りや。小太郎はんが関西全域で頑張ってくれたおかげやな」

 

 犬上小太郎。半妖で元孤児の、狗神使い。

 狗神とは、餓死し、怨念に満ちた犬の霊を操る技法である。使役するために多くの犬を拘束し飢えさせ、その後に首を切り落とし、落とした首を辻に埋め数多の人間に踏ませることで怨念を溜めこませる。

そういった面倒な手順が必要な狗神を、犬上小太郎は幼少のころからなんの手順も必要とせずに使役できた。怨念に満ちた犬の霊を作らずとも、あたりに漂う犬の霊と自在に交信できたのだ。

これは、小太郎のうちにある狗族の血故か、それとも幼少期の境遇が故か。

 

「小太郎はんが怨念のぱんぱんに詰まった、爆発寸前の霊を地脈の濁りに連れて行く。怨念の詰まり方と濁りの進み具合を調整して、お嬢様が来はる直前に鬼が一辺に化け出るようにすれば」

「荒事を専門とする術者は出払い、残る人材の中で護衛として適任なのは使役術のエキスパートである天ヶ崎さんだけ。護衛任務を一任されれば、近衛詠春への報告だっていくらでもねつ造できる」

「あとはお嬢様を攫い、両面宿儺を復活させる。本山から宿儺の威容を眺めながら異常なしなんて報告を受けたら……長はどんな顔するやろなぁ」

 

 くつくつ、と千草は口元を隠しながら笑った。

 彼女は待っていたのだ。西洋魔法使いに、魔法協会に復讐する機会を。祖先より代々伝わる呪法や秘奥を身を切るような思いで公開しながら、怨念をその身に溜め込みながら、20年の間ずっと。

 フェイトと千草は並んで歩きながら計画について交わす。

 

「ネギ・スプリングフィールドについては?」

「大したガキや。一を教えりゃ十を知る。基本構造を教えりゃそれを使って勝手に応用、発展させていく。天才ちゅうのはあぁいうんを指すんやな」

「嬉しそうですね」

「そらな。もしあんガキがお嬢様の護衛についたところで、うちの術式が混じった魔法なんか怖くもなんともないわ」

 

 フム、とフェイトは考え込む。

 

「呪い返し、というんでしたっけ」

「ぼうやには教えとらんけどな。呪術はどんな強力なものでも、その術式を知れば術士に返せる。うちの術式を応用し、取り込んだぼうやの西洋魔法は、もううちには届かん」

 

 千草の目に暗い火が宿る。その苛烈さを眺めながら、フェイトはさらに話を進める。

 

「ルートはどうしようと考えているのですか?」

 

 千草は携帯電話で地図を表示しながら、

 

「お嬢様の泊まるんはこの、ホテル嵐山てとこや。逃走ルートは三つ、一つはホテルから東に向かって嵐山駅に。一つは渡月橋を渡ってこっちの嵐山駅から西、もう一つは嵯峨嵐山駅から東。松尾大社駅にあんた、嵐電嵯峨駅に小太郎はん、月読はんはここにそれぞれ配置。追手がいたらその足止めと逃走の補助や」

「アラシヤマ? どこ?」

「こっちとこっち。嵐山駅て二つあんねん、京福と阪急」

 

 準備は進む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おかしい、と長谷川千雨は首を捻った。

 新幹線に乗ってすでに30分、クラスメイトはみな有意義かつ騒がしく移動時間を満喫している。千雨の座る座席の周りには比較的物静かなメンツ、那波と村上と委員長である、が揃っているが、それでもA組メンバーのパワフルな声が途切れることなく千雨に届く。

 それを遮るようにイヤホンを耳に嵌めて、千雨は子供先生の背中にあらためて目を向けた。

 異様に元気である。

 旅行前の休日になにがあったのか、千雨にはとんと見当がつかないが、千雨が記憶喪失(自覚なし)になってから見せていたあの暗い雰囲気はなりを潜め、すっかり元の能天気な子供先生に戻っている。

 よいことではあるが、なんだか釈然としない。自分に関してへこんでいた少年が、自分と関係ないところで回復したことが気に食わないのか、いや。

 そうではなく、どこか不自然なのだ。なにがと聞かれると答えられないが、ネギの言動がどこかつくりもののように千雨には感じられてしまう。

 よくわからない。

 わからないと言えば、あの停電の日だ。

あの日、医者から制服を一着ダメにしたと伝えられた。千雨も一応自分で確認してみたが、血まみれで、背中側は穴だらけで、一見制服と判断できないレベルにボロボロだった。

階段から落ちただけでこんなことになるのか階段こえー。

 そんなことを思いながら千雨は新しい制服を注文した。注文票を受け取り、部屋に帰ってクローゼットを開ければ、あったのだ。

 制服が。

 予備も含めて3着とも。

 えらい混乱したし、ザジに聞いても首を捻るばかりだしで、その時千雨は背筋が凍ったまま注文票に書かれた電話番号に注文取消しの連絡をいれた。

 意味が分からなさすぎる。こんな怪奇現象、誰に相談すればいいかもわからない。陰鬱としたネギにあの夜に関連した事柄について聞くのは気がとがめ、かといってたかが服一着のことでわざわざ学園長室まで赴くのも気が進まず。

 そんな悶々としているうちに日がたち、修学旅行の朝が来て、元気になったのだからネギに相談でもしようかと思ったとき、

 

「ん? 超のやつなにしてんだ?」

 

 視線を向けていたネギの横に座っていた超が突然立ち上がり、ぐるんと首を捩じって千雨を見た。えらい剣幕である。その目は見開かれ、宿る感情は驚愕と困惑。日頃からにこにこと四葉とならんで笑みを絶やさない超である。こんな表情は非常にレアだ。

 そんな表情でこちらを凝視される意味が千雨にはわからない。

 その後超はハカセに袖を引かれて席に戻り、何事かをこそこそ話していたようだが、座席4つ分離れているため、というかそもそも周囲の音を遮るイヤホンを装着しているため彼女たちがどんな話をしているのか千雨にはわからなかった。

 わかんねーことばかりだ、と千雨はまた溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ラボに侵入者、ネ。

 ――目的はなんでしょうか。カシオペアは?

 ――持ってきてるネ。犯人はカシオペアを知らないか、眼中にないか。

――超さんや茶々丸が麻帆良にいない時に……

――このタイミングを狙っていたのかもしれないネ。

――茶々丸がいないタイミングって、それ、

――ただ、千雨さんは車内にいるヨ。退屈そうに腕を組んでるだけネ。

 ――別働隊が? いえ、それよりそもそも千雨さんは記憶が。偽装工作?

 ――可能性はあるヨ。現段階では、どんな可能性も……ネ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そもそも千雨が麻帆良で行った戦闘の目的は大まかに4つ存在する。

 一つは『力の王笏』の入手。

 一つはエヴァンジェリンの戦闘アルゴリズムの入手。

 一つは神木・蟠桃へアクセスし、七部衆の一匹を量子リンクさせることで自身の魔力源を得ること。

 最後の一つは、エヴァンジェリンの呪いを解き、彼女を麻帆良の外に出すことである。

 元々の計画では、呪いの解かれたエヴァンジェリンは茶々丸をつれてすぐにでも麻帆良から飛び出していくものと想定していた。実際は千雨にリベンジかます気まんまんで麻帆良に残っているのだが、そうと知らない彼女はなんでさっさと出てかねーんだこのロリババアと悪態ついていた。

 ともかく件のロリババアは茶々丸を引き連れて修学旅行へと旅立った。計画の実行時期を変更せずにすんだ、結果オーライである。

 超と、茶々丸がいない麻帆良の電子的防備など、この長谷川千雨からすればものの数ではない。侵入する際に留意すべきはいかに超に気づかれる要素を減らすかだ。そのために決行するのは修学旅行中、特に超が身動きを取れず、かつ長谷川千雨のアリバイを超自身が肉眼で確実に確認できる状況――すなわち新幹線での移動中。

 

 誰の目にもつかず、全ての電子機器のセンサーを味方につけて、千雨は麻帆良工学部の研究棟に侵入していた。

 火災報知器をガンガン鳴らして事前に研究員を排除しつつ、その警報を担う電子精霊は消防署への途中でそれに倍する電子精霊群に包囲殲滅させている。

 向かうは超の研究室だ。

 

「オープンセサミ、なんつってな」

 

 王笏を振りかざし、電子ロックの解放を命じる。それだけで強固な、あらゆる外敵をはじく超謹製の核ミサイルの爆撃すら耐え抜く分厚い4重隔壁は、王に傅く近衛兵のようにその道を開けた。

 

「あったあった。これがなけりゃ話になんねー」

 

 その道の先には、ごっついハンガーに掛けられた一着のスーツがあった。

 未来から超が持ち込んだ、この時代の人外どもと渡り合うだけの性能をもつパワードスーツだ。

 筋収縮を担う電位差を読み取り、装着者の動きを補助するこのスーツは、魔力を持たない超鈴音をして魔力で身体能力を向上させたネギとの打撃の応酬を可能たらしめる膂力と耐久性を誇る。

 パワードスーツを持ち上げる。意外と軽い、というのが千雨の感想だった。

 ジッパーの類がない、あちこちいじって襟の部分を引っ張ってみれば、思った以上に広がる。フリーサイズらしい。全身に密着させる必要性を思えば当然か、と千雨は気を取り直して装着を始める。装着し、全身を纏う電位感知センサーの閾値と出力をチェックしながら千雨は研究棟の一階にある第三試験室に向かう。

 そこは例えば恐竜型ロボットのような、大型機体の駆動をチェックするために使われる試験室だ。大きさは体育館ほどもありつつ、床や壁の強度は体育館の比ではない。

 

「ちゃっちゃとやらねーとな。いろいろ間に合わなくなる」

 

そうつぶやいて、千雨は一つのプログラムを起動した。電位感知センサーに微弱電流を送り、スーツを先に収縮させることで、千雨の肉体をプログラム通りに動かすプログラム。

 

 プログラム名:エヴァンジェリンスタイル

 

 

 

 

 

 

 

 

 つまり自分は意味の分からないものが苦手なのだ。

 長谷川千雨は自分の苛立ちをそう定義した。

 子供先生しかり、散見される超常現象しかり。そんなあれこれに対してただでさえイライラしていたところに、自分を中心とした『意味の分からないもの』が出現したのだ。

 ネギに相談しても大した反応が得られず、揚句にこんなわけのわからないイベントに巻き込まれ。やる気満々のショタコン委員長に追随しながら、新田に見つかるリスクを負いながら枕片手に徘徊である。

 やってらんねー。

 そんなわけで最初からやる気なんて全くない千雨は、一応の義理は果たしたと判断してさっさと戦線を離脱、メガネのフレームが曲がっていないことを確認しながらホテルの静かな廊下を歩いていた。

 というか。

 ネギのあの反応はなんなんだ、と千雨は眉をひそめた。

 あれもまた、意味が分からないもののひとつである。

 千雨が記憶喪失になって、以来しばらくの間ネギは落ち込んでいたのだ。それを思い出させてしまうような相談をされておいて(自分からしておいてなんだが)、その笑顔にまったく変化がなかった。「それは不思議ですね! 今度その制服を調べてみます!」と、まじめに答えているんだかいないんだか、空元気ともちがう、まるで笑顔しか浮かべることができなくなっているかのような気味の悪さを感じた。

 あれは元気になったと言えるのか。

 へこみ過ぎて心がへし折れたのではないか。

 もしそうだとするなら、それは誰のせいか。自分か、自分なのか。

 あれこれと考えていたため、千雨は注意が散漫になっていた。新田を警戒していなければならない状況を忘れて物思いにふけり、千雨は自分に迫る魔の手の存在に気づくことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 修学旅行二日目の夜、直に日付も変わろうかという時間。朝倉和美は正座しながら今夜の成果に満足していた。

 新田にばれたドサマギで賭けの対象である食券を総取りできればそれが最上だったが、それを言っても仕方ない。賭けを成立させた時点でそこそこの取り分が得られているのだから、それで満足すべきだろうと和美は一人頷く。

 それにしても、魔法である。

 空飛ぶ子供先生、喋るオコジョ、宙を舞う自動車、淡く光る魔法陣。

 この世には、自分の知らないものがまだまだあるのだ。

 ジャーナリストとしてこれほど興奮させられる事実はないだろう。

 魔法使いは世界にどれほどいるのか。どこに隠れているのか。超能力と何が違うのか。魔法を発生させる原理は。知りたいことが次々と思いつく。

 そんな興奮に正座の痛みを忘れて、さてカモ君はどこかなと和美があたりを探した。

深く聞いてくれるなとカモは言っていたが、なんでも今回の作戦はネギのパートナーを作るために必要なものなのだそうだ。

心が壊れかけている兄貴を支えてくれるだれかが必要なのだ、と。

どう見ても元気いっぱいなネギ君を指して何を言っているのかと和美は思ったのだが、カモはかなり切羽詰った様子で和美に訴えていたのだ。今回仮契約を結べた本屋はネギのパートナー足りえるのか、その確認くらいはしておきたいと和美は思いカモを探すが、カモより先に隣に座るクラスメイト、千雨が目にとまった。

 目を閉じたまま俯いている。何かぶつぶつとつぶやいているようだが、これは割とよく見る光景だったりする。クラスでバカ騒ぎをしていると、それを少し離れたところで傍観しながら彼女は時に鋭く、時にノリノリで突っ込みを入れていたりする。

 実はこの子無関心そうな顔をしながらノリはいい方なのかもしれない。今回のラブラブキッス大作戦でもさりげなく裕奈を妨害していたし。本当に冷めているのなら、6班のようにスルーしたってよかったのだ。この娘は話をしたら結構面白い娘かもしれない。少なくともボケたらちゃんと拾ってくれるだろう。

 よし、と和美は意を決し、正座のままじりじりと移動する。小声でも聞き取れるほどまで近づき、俯く千雨に声をかけようとして、

 

「『我こそは電子の王』」

 

 なんて? と聞き返すより早く、朝倉和美は、加えてロビーで正座していた全員が、『力の王笏』の効果で意識を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロビーにいるクラスメイトの意識を落として、千雨はすぐさま行動を開始した。

 屍のように横たわるクラスメイトを跨いで歩き、ネギの体を持ち上げた。

 よく眠っている。彼の意識は今頃、電脳空間に作られたホテル嵐山のロビーで正座していることだろう。

 ネギのあどけない寝顔を見て千雨は思う。

 こいつは、このまま眠り続けるべきではないか。

 『力の王笏』で構成された麻帆良で、体が死ぬまでずっと子供先生を続けていれば、ネギ・スプリングフィールドは幸せなのではないか。少なくとも幸福感に満たされながら生を全うできるだろう。

 不死に堕ち、人のため人のためであんなところまで行ってしまうことは、なくなる。

 溜息。

 くだらない、と千雨は自身の思考を一蹴し、力の抜けたネギを引きずる。浴衣の下に着込んだパワードスーツはなんら問題なく機能している。千雨の細腕にはネギを抱える負荷がまるで感じられない。

 引きずった先では、綾瀬ゆえと朝倉和美が並んで眠っていた。優先順位の高い二人だ。

 どちらもいい感じの角度で顔を天上に向けている。

 まずは手前からだ、千雨はネギの頭を両腕で支え、ゆっくりとゆえの唇に近づけた。

 接触する感覚。二人の唇がそっと触れ合う。千雨は自分の胸がきしむ音を聞いた。くだらない感傷だと自分に言い聞かせても音はやまない。

 この身にいまさら心なんて、論じるのもくだらないというのに。

 考えているうちに、ホテル一帯を覆う仮契約の魔法陣が効果を発揮し、ネギと夕映のカードが光とともに出現した。

 回収を七部衆にまかせ、次の標的である和美に狙いをつけ唇を合わせようとしたところで、

 

『ちうたま大変です!』

「あ?」

 

 しらたきが差し迫ったような声を上げる。今大事なところなんだから静かにしてろ、そう咎めようとして千雨はしらたきが抱えるカードの図面に目を見開いた。

 へちゃむくれの二頭身、大胆にデフォルメされやけにおでこの光沢が強調された綾瀬夕映がそこには描かれていた。

 俗にいうスカカードである。

 

「なんでっ!」

 

 驚きと混乱で支えていたネギの頭を落としてしまう。重力に引かれたネギの頭部は真下にあった和美と正面衝突し、たまたま唇が触れたことでもう一枚の仮契約カードを生んだ。

 それもまたスカカードであったが、それをさらに上回る混乱が千雨を襲った。

 千雨に落とされ、ゴギンとちょっとよろしくない音を立てて和美の顔面と衝突したネギの体が、煙と小さな破裂音とともに消滅したのだ。

 

「え、は?」

 

 なんだこれ、意味が分からない。予想外の連続に頭の回転が止まってしまった千雨は、ただ茫然とネギがいた場所を見つめることしかできない。朝倉の鼻から流れる二筋の鼻血など目にも留めず、ネギはどこだと、ただ探すだけ。

 ひらり、と一枚の紙が千雨の目の前を舞った。

 人の形を模した紙人形。陰陽道では式神を作製するときに使われる紙型であるが、千雨にはそれを知る術はない。ネギとクラスメイトを仮契約させまくって、仮契約カードを大量に入手し、それを『力の王笏』でもってアーティファクトに干渉し、使用する。

 そんな計画も、ネギがいなければ絵に描いた餅である。

 

「なんで、だって……」

「千雨さん」

 

 背後から声をかけられた。

 ひっ、と小さく悲鳴をあげながら振り向けば、そこにはやはりというべきか、ネギがいた。かろうじてカードを隠すことはできたがしかし、どうにもネギの様子がおかしい。

 千雨の記憶にあるうざったいまでの明るさがまるで見当たらない。目に光はなく、色濃い隈が見え、肌は白人どうのと言う以前に病的な土気色だ。

 その顔に表情は浮かんでおらず、その肌の色とあいまってまるで能面のようだった。

 千雨には見覚えがある。

 自分が知る歴史の中にいたネギ・スプリングフィールド。屍の荒野に佇む英雄のなれの果て。

 殺してやると、消してやると、そう約束した最愛の先生と、目の前にいるネギは瓜二つで。

 

「先、生……?」

「これはどうしたことですか?」

 

 言われ、ネギの視線を追えば、本来正座しているべき生徒たちが床に寝転がっていた。これをなんとか誤魔化そうと思うもまるで頭が働かない。こんにゃの提案、自身の人格の上に『14歳時の長谷川千雨』の疑似人格を張り付ける案を採用。精神プログラムを即起動し、自身の記憶へのアクセス権も停止させる。

 それは逃避でしかなかった。

 

「――あ、いやよくわからなくて。気づいたらみんな寝ちゃってて」

「そうですか」

「あの、とりあえず運びますね。床で寝てたら風邪ひくかもしれませんし」

「そうですね。お手伝いをお願いしてもいいですか」

「ええ、わかりました」

 

 長谷川千雨の内側で、千雨は安堵の溜息を吐く。なんとか無難に乗り越えられそうだと。

 疑似人格はひょいひょいとクラスメイトを抱え上げ、すたすたと部屋に向かって歩き出した。なるべく早く運ぶべきと判断した結果、パワードスーツの機能を十全に発揮させて。加えてネギの顔色の悪さや、目の前で消えた式神について言及するほどの柔軟性をこの人格は持っていない。それほど高度な精神プログラムを作ることは千雨にはできないから。

 ネギに光のない瞳で注視されていることにも気づかぬまま、疑似人格の内側で、千雨は心を落ちつけることに注力するのだった。

 



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第六話 脳がヤバイのでお薬出しとく

「ついに目をつけられたか」

 

千雨の体のことである。

肉体そのものは葉加瀬の研究施設の一画、死体安置所の片隅に、スパゲティモンスターに親近感を持たれそうな状態で死体と同じように保管されている。この安置所には千雨の肉体だけが収められており、それ以外の遺体庫の中身は全て葉加瀬謹製の生命維持装置がごっそりと収納されている。そのことを知るのは葉加瀬と千雨の二人だけのはずであったが、それがなぜバレたのか。

 

「『世界図絵』だろうな」

「綾瀬さんのアーティファクト、ですね」

 

綾瀬夕映はネギ=ヨルダの使徒としてこちらに敵対している。使徒となったことで、彼女の持つあらゆる情報を収集し続けるアーティファクト『世界図絵』は格段にグレードアップされ、綾瀬夕映は『全知』の二つ名を冠するに至った。

『全知』には入手できる情報の制限が存在しない上に、ただ所持者の指示に従うだけでなく、複数の情報を統合して所持者の求める情報を構築するようにまでなった。おそらく、葉加瀬による研究資材の入手と消費の間あるギャップから、人間一人の生命維持に使われる各種薬品や栄養素がちょろまかされていることに気づいたのだろう。

『世界図絵』の自動情報収集から隠れるために千雨は『力の王笏』を用いて情報操作に尽力してきたが、結局見つかるのは時間の問題であったと今なら思う。ヨルダにヒモ付けされることで得られる無尽蔵の魔力によって世界中が綾瀬に監視されているといっても過言ではない。そんな環境で『力の王笏』をフルに使えば、その電力の消費量から千雨の存在を嗅ぎつかれる可能性があった。千雨は、日常生活のなかで節電できる範囲でしか『力の王笏』を使用することができなかったのだ。

そんなハンデをつけられた情報戦において、ついに『世界図絵』の情報検索能力が『力の王笏』の情報操作能力を上回ったのだ。すでに最悪の電子テロリスト『電子の魔王』として千雨は手配され、動けないネギ=ヨルダに変わり民間警備軍事会社PMSCS「力の手」が綾瀬の流した情報によって千雨の肉体を確保しようと動き出している。

すでに猶予は三時間もない。それまでに千雨がここにいた証拠を全て処理できなければ、葉加瀬もまたテロリストを匿ったとして極刑は免れないだろう。

 

「ごめんなさい、千雨さん」

「ん」

「これ以上、千雨さんの体を保護しておくことは・・・・・・できません」

 

葉加瀬は俯いていた。白衣に包まれたその小さな肩が震えている。電子空間に存在する千雨の精神は葉加瀬の背中を見ている。安置庫から引き出されている千雨の痩けた頬に雫が落ちた。

 

「なんだよ、泣くなよ。つうか濡らすなよ」

「だって、千雨さん・・・・・・悔しいです。結局私は何もできないまま・・・・・・でも、最後まで抵抗します。実はこっそり設計していた戦闘ロボットがあってですね、実体化モジュールを使えばいくらでも量産できますから、『力の手』なんて返り討ちにしてやりますよ!」

 

無茶を言っているのは葉加瀬自身も分かっているのだろう。そんなもの、電力の供給をカットされた瞬間に終わる話であり、『電子の魔王』を捕獲する上で電力およびネットワークの遮断は突入前に必ず施される対策だ。顔を上げガッツポーズをとる彼女の、その涙に濡れた笑顔は空元気だと丸分かりだった。久しぶりに葉加瀬の顔を見た気がする。

 

「まだ手段はあるだろ」

「・・・・・・なんですかそれ」

 

単純な話だ。

長谷川千雨の肉体がなければいい。すでに私は肉体になんて用はない。

 

「脳だけ摘出して、そのガリガリの体は処分しといてくれ」

「・・・・・・え」

「脳みそ一個程度ならお前のサンプル棚に並べておけばバレないだろ」

「い、いやです」

 

葉加瀬は首を振った。その目には怯えが見える。こんなにこいつは表情が豊かだったのか。

 

「何がいやなんだよ」

「だ、だって千雨さんの体に、頭にメスを入れるってことじゃないですか。そのあと処分って・・・・・・嫌です、絶対無理です!」

「無理ってことあるか。実際切り刻むのはマニュピレーター任せだろ」

「嫌なものは嫌です。それに脳だけを隔離して維持するなんて。人工心肺に繋げればいいという問題ではありません。体内環境を再現できるかもわかりませんし、神経からの入出力がゼロになった脳がどんなストレスを抱えてしまうかも不明です。そうなったら精神が変質してしまうかも・・・・・・」

 

ひどく切迫した表情で葉加瀬が反論を並べたてた。

知らなかった。千雨は、葉加瀬聡美という女はもっと冷血な女だと勝手に思っていた。科学に魂を売った現代の狂信者。そんな印象を千雨に与え続けていた彼女が、たかが人間にメスを入れる程度のことで動揺するなんて。

ああ、と千雨は一つ思いつく。

葉加瀬が常にこちらに表情を見せないようにしていたのは、それが拒絶の現れだと思っていた。葉加瀬にもその意図はあっただろうが、しかし本当の理由は、彼女の弱さを他者に見せない、ペルソナの役割を期待してのものだったのではないか。

それは、千雨の伊達眼鏡と同じように。

 

「なにより千雨さんは、ネギ先生とリンクしているじゃないですか。その千雨さんに何かあったら、ネギ先生の所在が完全に補足できなくなってしまいます」

 

千雨の口からため息が漏れた。このままでは、葉加瀬はなんの役にも立たない千雨の体と心中しかねない。

おそらくは、彼女の中でもA組という存在は心の中で大きなウェイトを占めているのだろう。そのA組との唯一のつながりが今では千雨だけになっているのだ。自分に対する過剰なこだわりはその辺りだろう、と千雨は思う。

 

「まあいいけど。やんねーなら私が勝手にやるし」

 

外科手術用のマニュピレーターをハックする。葉加瀬に見せつけるようにレーザーメスの青白い光を点滅させる。葉加瀬の顔色が面白いように青くなった。

 

「まあ、私は素人だし? 人体の構造なんててんでわかりゃしねー。ミスって脳みそごっそり抉っちゃうかもなー」

「ち、千雨さん・・・・・・」

「でもかまやしねーよな。今更。精神データのバックアップだって取ってあるわけだし」

「そのバックアップだってまだ一部だけじゃないですか」

「まあまあ。脳みそ抉れたって魂は保存できるようにしとくって」

 

そう言って、『長谷川千雨』が葉加瀬の骨ばった肩を叩いた。

肩を叩いたのは、中学生の頃の長谷川千雨を模したプログラムを実体化モジュールで実体化させたものだ。といってもそれは外形だけで、現在は千雨本人が遠隔操作しているだけである。が、全精神データのバックアップが実現すれば、いずれは独立して行動するようになるかもしれない。

横たわる千雨に、メスが迫る。千雨の指が肩に食い込む。頬ずりするような距離で千雨が、

 

「おっしゃーいくぞー、それさんにーいーち」

「やめてください!」

 

葉加瀬が絶叫した。むずがるように首を振る。飛び散った涙が千雨の頬に触れた。

 

「・・・・・・なんだよ?」

「やります。私がやりますから。だから」

 

葉加瀬の膝に乗っている拳が震えている。

 

「そっか。じゃあ頼むわ」

 

千雨は笑い、マニュピレーターの制御を手放した。レーザーメスが沈黙する。実体化した千雨型プログラムを監視カメラを介して電子空間に戻す。死体安置所の静寂が耳に染みるようである。生命維持装置の各種パラメータを示すメーターだけが二人を照らしている。

小さな小さな、ごめんな、の一言がひどく耳に残った。

 

それから一時間後、全身を対魔法・対電子甲冑でつつんだ武装集団が葉加瀬の研究室に突入した。

しかしそこには情報にあったテロリストの姿も、痕跡すら見つけることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

現代の千雨と入れ替わったのは、千雨が新田に捕まる直前である。

メガネの曲がったフレームを直しながら歩く千雨を掃除用部入れからかっさらい、首をクキッとして意識を奪った。超の強化スーツと千雨の電子操作技術の融合が生み出す腕力と精密な動きにかかれば、注意散漫な女子中学生の拉致監禁など余裕である。

うまくいっていた。

失敗するはずがない、はずだった。

入念に計画を練って、死ぬリスクを越えてたどり着いた、仮契約カードを大量に入手するチャンスだったのだ。

 

「なんで、なんでうまくいかない?」

 

我ながら情けない声だった。

千雨は今、再び電子空間に入って作業をしている。ネギの行動を追跡するためである。

麻帆良学園に点在するカメラ群を確認した。保管期間を過ぎて消去されたデータも断片をサルベージしてまで。

その結果わかったことは。

自分が現代の千雨と入れ替わるよりずっと前、修学旅行の前日からネギは自身を模した式神と入れ替わっていた、ということだ。

今日、つまり修学旅行二日目のネギの動向は、旅館に侵入するタイミングを図るため全て把握しているが、それより前については千雨はエヴァンジェリンの戦闘プログラムの構築にリソースを割いていたため、ネギが修学旅行前に独自に京都に行ったこと、そこで陰陽道を習得していたことなどを把握できなかったのだ。

 

「つーかそんなこと予測できるか! 1日で陰陽道を習得だと? 人バカにすんのも大概にしろ!」

 

千雨は投影型コンソールに拳を振り下ろして空振りした。

目を離した数日で分身を作り自在に操作できるほど習熟するなど、予想外にもほどがある。が、それができるからこその英雄である。

そんな、ネギの持つ英雄性を見誤った結果が、今回の失敗を引き起こしたのだ。

ネギからは片時も目を放すべきではなかった。七部衆のうち1匹はネギに張り付かせておくべきだった。天才どもは凡人の小賢しい計算を軽々と超えてくるのだ。それを、長谷川千雨はかつての過ぎ去りし未来で経験していたはずなのに、天才どもに翻弄され続けたはずなのに、結局私はあの未来から何も学べていないということか。

人工人格のなだめる言葉にも限界がある。

それでも強引に落ち着きを取り戻させるため、千雨は電子精霊に命じてGABA系レセプターを半分ヤケになって破壊していく。クロキサゾラムとエチゾラムを脳内に直接叩き込んで、致死量を超えたところで電子精霊に神経回路を再構成させる。それを5度ほど繰り返したところでようやく千雨の精神は鬱一歩手前で安定した。

安定したところで思考を巡らす。まずは今回手に入れた新たな戦力の評価だ。

手元にあるのは二枚のスカカード。

このスカカードでも、劣化版のアーティファクトが出せることはまだ救いだった。

朝倉の『渡鴉の人見』は本来の6機から2機に、加えて移動可能距離が本来の十分の一になっている。

綾瀬の『世界図絵』は閲覧可能情報がBランクに下り、情報の更新が月に一度まとめて行われるようだ。

 

大丈夫、まだなんとかなる。

なんとかしてみせる。

 

次に、ネギの今までの行動について。

この旅行中の行動を見ていけば、すでにこのかが誘拐されそうになってる。猿の着ぐるみ型の式神に身を包んだ術士。なるほど、と千雨は思った。陰陽道の使い手は式の強さを追求しながら、同時にいかに自身の身を守り続けるかを考えなければならない。この術士は複数の子猿を統制しながら自分の身は纏った式に守らせ、同時に脚力等身体能力を向上させている、攻防一体の式の組み方だ。実に理にかなっている。油断を誘う外見まで含めて。

そんな猿の術士が、桜咲が張った結界に小さな穴を開け(しかも術者たる桜咲に気づかれない手際の良さだ。剣士と本職の差だろう)、眠っている近衛を攫っていった。

それを追うネギと桜咲。駅にまで追い詰めるが、見覚えのあるメガネの女、確か月詠だったか、が割り込み桜咲を足止め。ネギが魔法の矢を打ち込むが、どういうわけかそれら(七部衆にカウントさせた結果37本だった)は術士にあたる直前で消滅した。

驚愕に染まるネギの表情に、猿の口腔から覗く術士の口元が歪んだ笑みを作った。

 

「介入されている?」

 

次々と魔法を放つネギ、しかしそれらはどれも術士にかすりもしない。

七部衆に解析させると、ネギの魔法の術式の一部が術士の持つ符と反応し、術式を崩していることがわかる。

つまり、あのお猿の術士はネギの術式をよく理解しているということだ。魔法への介入はあんな符一枚あれば即席で行えるような手軽なものではない。事前の準備に相当の時間と手間をかけているはずだ。

ネギの術式について知ることができる陰陽道の使い手など、一人しかいない。

数日前の映像に映っていた、天ヶ崎千草。

本山の内側には記憶媒体が存在しないためそこでどんなやりとりがあったかを知ることはできないが、その門前で近衛の父を交えた会話があったことは記録に残っていた。もっともその時点でネギは式神と入れ替わっていたのだが。

大猿に魔法が通じないと判断したネギは杖に跨り、大文字焼きの中へと突進。やけどを追いながら大猿に迫り、近衛へと手を伸ばす。しかし大猿は右腕に抱える近衛をネギから遠ざけ、左腕の爪を突き出した。カウンターで入ったその爪は、軽々とネギの矮躯を貫いた。

同時に上空で待機していた本物のネギが、強化した膂力でもって杖を大猿の右腕に叩きつけた。

ずれ落ちる近衛。その体をネギは遅延させていた『戒めの風矢』で地面に固定する。そのまま流れるように杖先を大猿の腹に当て、大猿もろとも飛びたった。

その動きにためらいはなく、目は暗く冷徹なままで揺らぎない。

その後ネギが大猿を川に蹴り落とし、それを月詠が回収に行ったことで戦闘は終わった。

 

ふむ、と千雨は腕を組む。

確かに、近衛を抱えたまま逃げては機動力が落ち、大猿に追いつかれる可能性が高い。そうなれば近衛をかばいながら戦わなくてはならないネギが不利だ。魔法も通じず、他にも敵が隠れている可能性を考えれば、その場に近衛を固定して術士を連れ去るというのはおかしなことじゃない。むしろ一瞬でよくそこまで判断できたものだと思う。

千雨は眉をひそめる。

確かにその判断は正しいとは思う。しかしネギが、生徒に魔法を向けるという判断を一瞬で下せることが、千雨からすればひどい違和感を覚えることだった。

さらに映像を進めると、

 

「え、本屋この時点で告白してたのか」

 

なんと、のどかがネギに告白している場面が映し出された。

すげえ勇気だ、と思うと同時に哀れに思う。本屋が告白した相手は式神で作られた偽物なのだから。当の本人といえば、クラス全体を俯瞰できる樹上に陣取り、無表情のまま本屋の告白を見つめている。

 

「一体なんなんだ、このズレは」

 

ネギが、自分の知るかつてのネギと随分とかけ離れている。

自分の知る未来のネギと酷似している。

この差異は、今後の自分の計画に大きな影響を与えかねない。どこから生まれた差異なのか調べる必要がある。

加えて、近衛を誘拐しようとした術士についてもだ。

あと、魔法がらみのトラブルに巻き込まれるだろうネギに、七部衆の一匹を監視につけないと。そうなると情報処理能力が下がってしまうが、まあやむを得ない。

しかし、今後何か想定外の事態が生じた場合、超やエヴァンジェリンの前に姿を現さなくてはならないのか。それだけは避けたいのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネギはこのかが狙われる理由を刹那から聞くことができた。

関西呪術協会の長の娘であること、その身に宿る魔力量が膨大であること。これらの要因を使えば呪術協会を牛耳るか、あるいは仇なすことができること。

それを防ぐため、このかの護衛をネギも務めることになった。

護衛で連携を取るため互いの戦力について開示し合う必要があり、そこでネギはここ数日自身を模した式神と入れ替わっていたことを明かした。ドン引きされた。

 

「え、あの、すみませんネギ先生。なんですかその隈は」

「ここ数日寝ていないので。あ、眠気で仕事をおろそかにするということはないです。意識から眠気を排除する魔法薬を開発しまして」

「・・・・・・それは、大丈夫なんですか? その、健康面というか副作用的な」

「大丈夫です」

 

それきりネギは口を閉ざしてしまった。大丈夫なのだろうか、と刹那は二つの意味で思ったとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

このかと図書館探検部および明日菜の面々は、ネギや刹那とともに京都を散策することとなった。

 

「わーっ! 皆さんかわいいお洋服ですね!」

 

無論ネギはすでに式神と入れ替わっている。明るく能天気な言動を繰り返すその式神を操作しているのがあのネギだと知っている刹那はまたドン引きした。

 

「宿の近くもすごくいいところなんですねー!」

「はい。嵯峨、嵐山は紅葉の名所が多いので秋に来るのもいいですよ」

 

一体どんな顔であんなセリフを言わせているのだろうか。

一行はまずゲームセンターにてゲームを楽しみ、それから京都の寺社を巡ろう、ということになった。夕映はこれにノリノリで案内をかって出たが、残念ながら、このかを追う過激派が直接的な手段に訴えてきた。

街中ゆえに大掛かりな仕掛けはできないが、先日の嫌がらせとは打って変わった、殺傷性の高い攻撃が断続的に加えられる。

 

「ちょっとネギ、さっきからなんなの!? 何やってんのよ!」

「ちょっとみなさんとジョギングしたくなりまして。お付き合いいただいて申し訳」

「じゃあさっきから飛んでくる針見たいなやつ何!?」

「え、明日菜さん見え・・・・・・錯覚ですよ。スカイフィッシュてご存知ですか? あれの正体はカメラの前を横切るハエの残像だっていうのが定説なのですが魔法の観点では」

「テキトーこいてんじゃないわよ!」

 

このままでは他のメンバーにも被害が及ぶ。

彼女たちを一度撒かなければ。そう刹那は判断した。

 

「ネギ先生、敵はどこにいますか!?」

「すみません、隠密系の術式を使用しているようで・・・・・・刹那さん、シネマ村です」

「シネマ村、ここなら!」

「中で合流しましょう、式神を一体中に入れます」

 

ここなら彼女たちと別れることができるし、客に紛れることで敵からの攻撃を抑えることもできる。ネギ型の式神は他のメンバーの元に残し、このかを抱えた刹那は塀を飛び越え、着地点に待機していた別のネギの身代わりと合流した。

なんか忍者の格好をしていた。

 

「あれー、ネギ君なんでもうおるん? ゆーか、いつのまに着替えたん?」

「僕は弟のノギです」

「えぇ!? ネギ君に弟おったん!?」

「ここで忍者してます」

 

適当すぎませんかね、と刹那は焦るがネギはそのまま話を進める。

 

「そろそろ僕の仕事もアガリなので一緒に遊びませんか」

「ちょ、先生?」

「え、ネ、ノギ君と? でもみんなと合流せんと」

「このかさんのご実家に一度行ってみたいんですよ」

「先生」

「実家!? いやうちら会ったばかり・・・・・・」

「時間なんて関係ないですよ、むしろ急いで向かいたいと」

「おい」

 

ちょっとキレた刹那がネギの首を後ろからキュッと締めて連行した。

 

「すいません、それ以上キュッされると式を維持できなくなるんでやめていただけると」

「なんですかあれ。なんのつもりですか。もうめんどくさいので一回消えてネギ先生として再登場してもらえませんか」

「いえそれは時間がかかり過ぎますし、というか本山に向かうのはありではありませんか? このかさんは詠春さんの娘さんなんでしょう? あの、それより首。ほらタップタップ」

「・・・・・・できれば、お嬢様には修学旅行を十全に楽しんでいただきたかったのですが。それに本山の近くは過激派の待ち伏せの可能性があります」

 

言いはするものの、すでにそれが不可能であることは刹那も理解している。それでも、このかを思う心がそれを言わせた。

刹那の腕をペシペシペシ、ペシペシペシ、ペシペシペシペシペシペシペシと叩きながら、

 

「優先順位を間違えてはいけませんよ。そこを誤ると大事なものを取りこぼしてしまいます。朝、このかさんの護衛をすると決めた時から僕の分身を本山に回していますが、今のところ待ち伏せは存在しません。もし現れたとしても僕と刹那さんで強行突破しましょう。その旨を今から詠春さんに伝えれば増援を送ってもらえるかも」

「なんで三三七拍子・・・・・・残念ながら増援は期待できません。というより、回された増援こそお嬢様誘拐の実行犯なのです。犯人の使役する猿型の式の術式がその護衛の人物のものと一致しました」

 

告げながらネギを解放し、胸元からあるものを取り出した。それは式神の作成に使う紙片だった。温泉で猿の群れを殺戮した時に拾ったものだ。

 

「ちょっとそれいいですか?」

「え、はいどうぞ」

 

渡された紙片を見つめ、ネギは何か思案気である。

 

「先生?」

「・・・・・・いいえ、なんでもありません」

「こちらからの救援要請は握りつぶされています。つまり援護が期待できない以上強行突破は難しいかと」

「空を飛びましょう。陰陽道の術式は飛行系のものがあまり発達していないようです。僕の杖ならお二人を乗せても速度は変わりません」

 

一瞬なるほどと頷きそうになったが、まて、飛ぶだと?

 

「お嬢様を乗せて飛べるわけないでしょう、魔法について何も知らないのですよ?」

「大丈夫です、そこはうまくやりますので。今は本山に駆け込むことを最優先にしましょう」

「・・・・・・わかりました。残念なことですが、お嬢様にはここで修学旅行を中断していただきましょう」

 

頷き、刹那は待っているはずのこのかへと振り向いた。しかしそこには誰もおらず。焦りながら周囲を見回すと、更衣所から出てくるこのかを見つけた。

 

「お、お嬢様? その着物は」

「ここで着物貸してもらえるんえ。どうせっちゃん、似合う?」

「ええとてもお似合いですよその長い黒髪や白い肌とマッチしてまさに大和撫子」

「先生そこは私が答えるところでしょういい加減にしてくれませんか、というかその無駄に流暢な褒め言葉なんなんですか、そんなキャラじゃなかったでしょう」

「すみません、最近以前の自分のテンションがわからなくなって。徹夜ハイというやつかもしれません」

 

言いながらネギはこのかの白魚のような指を優しく手に取り、

 

一瞬でこのかを昏倒させた。

 

「ネギ先生!?」

 

このかが倒れるより早く支え、刹那はネギを睨みつけ、そして息を呑んだ。

 

「これでこのかさんにバレずに本山まで移動できます」

 

先と変わらぬ笑顔で、有無を言わさぬ口調だった。

式神に過ぎないその体から感じる圧迫感はなんだ。

 

「ご心配なく。陰陽道を応用した呪いの一種ですが、後遺症も何もありません。解呪すればすぐ目覚めます」

「・・・・・・そうですか」

 

ギリッと歯を食いしばり、言いたい言葉を飲み込んで刹那はこのかを抱き上げた。ネギの言葉は正しいと理性ではわかる。だから否定しないし従う。しかし心が悲鳴をあげた。

同時に、ネギを思う。一体この少年に何があったのかと。

去年は、ただの明るい子供だったのだ。エヴァンジェリンとの戦闘でも、茶々丸や吸血鬼化された生徒に魔法を向けることすら躊躇していたと聞いている。

そんな甘さが一切抜けて、今では合理的に、目的に向かうもっとも効率の良い方法を選択している。生徒に魔法を向けることすら意に介さず。

一体、この笑顔の式神を、どんな顔で操っているのか。

 



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第七話 ナルトとかライダーとか

人間は、肉体と精神、そして魂から成ると言う。

魔法工学的には、精神は人格を表す単なるプログラムであり、魂はエネルギーの塊に過ぎず、肉体はそれらの容器でしかない。脳の反応は精神の状態を反映する鏡であり、また肉体と精神を繋ぐ中継器だと見るのが一般的だ。

それをおそらくこの世の誰よりも深く体感している千雨は、肉体が失われ、精神は磨耗し、魂もすでに尽きるのを待つのみとなった自分自身を、客観的かつ冷静に見つめることができていた。

 

「千雨さん、もうやめませんか」

「なんの話だ」

 

浮遊型魔導式車椅子に乗った葉加瀬が無音で千雨に近づいてきた。

黄色い液体に満たされた試験管が、研究机に頬杖をついた千雨の手でゆっくりと振られている。葉加瀬を相手にしていないという意思表示か。

 

「っそれは、本当に千雨さんの答えなんですか?」

「・・・・・・どういう意味だよ?」

 

千雨が試験管から顔を上げる。そこには葉加瀬が、意を決した顔で千雨を睨みつけていた。

髪はほぼ白髪で、顔にはシワが随分と深く掘られている。その一方で千雨はといえば、中学生の姿のままだ。

 

「今私の目の前にいる『長谷川千雨』は、本来の千雨さんとリンクして、遠隔操作しているものです」

「まあそうだな。私のこの体は『長谷川千雨型AI』を実体化したものだ」

「『長谷川千雨』の精神プログラムが、バックアップとしてあなたに移譲されていることは私も知っています。同じ精神を持ってリンクしているのですから情報処理の速度と精度は格段に上がりますし、操作のギャップも減るでしょう、本来は」

 

千雨は試験管を置いてため息をついた。

 

「葉加瀬、お前映画の見過ぎだ」

「な、なにを」

「あれだろ? 『この私』が精神プログラムを移譲された結果、自我を持ってオリジナルに反逆したとかそんな感じを想定してんだろ?」

「・・・・・・まあ、そうです。それほどおかしな想定ではないでしょう? 精神はプログラムなんです。精神データをプログラムにコードして、実体化モジュールでその人物を実体化することは可能です。しかしそれはその時点での精神であり、今の時点でどれほど乖離しているかはわかりません。反感を抱いて反逆を起こす可能性だって」

「だからリンクさせてるって」

「しかしすでに『力の王笏』の制御権はあなたの側にあるわけでしょう? そのリンクを切ることもできるでしょうし、何よりそれです」

 

それ、と言って指差したのは、試験管立てに置かれている黄色の液体で満たされた試験管。

 

「綾瀬さんの『世界図絵』が『力の王笏』の能力を超えて以来、千雨さんは肉体と魂を代償にエネルギーを賄っています」

「おっと、いつバレた?」

「魂や肉体を代替にエネルギーを生む技術は、かつて超さんが自身の肉体に刻んだ呪紋刻印技術の応用でしょう? エネルギーを生み出す過程でどれほどの痛みがあるかは私も理解しているつもりです。自分で魔力が生み出せれば、と思ってあの呪紋を刻んで自分で使ってみました」

「おいおい、もうババアのくせに無茶すんなよ」

「あなたがそれを言いますか!」

 

葉加瀬が叫んだ。いきなりの剣幕に千雨は体を引いた。それを追うように葉加瀬は身を乗り出し、

 

「ええ使えませんでした。あまりの激痛に魔法の矢一発分も生み出すことができませんでした! 千雨さんの脳も、魂もそれしか残っていません! ネギ先生のように人外化するならまだしも、人間のまま、魂を自らそこまで削る選択なんてできるはずないんです! 誰かに強要でもされない限り!」

「できるはずないって、現に私はやっているだろ」

「だから、それが本当に『千雨さん』の意思なのかって聞いているんです! そこまで削られる過程でどれほどの苦痛を千雨さんが感じていたか、あなたにわかりますか!?」

「・・・・・・」

「もっと早く気付けば良かった・・・・・・! 私はここ数十年、あなたが実体化モジュールで作った脳を相手に毎日話しかけてたんですよね。それが千雨さん本人だと思って! 脳にとって過ごしやすい環境を考えて、再現に苦労して、そうしている間にあなたは千雨さんの脳と魂をそんな状態にしてしまった!」

 

そんな状態とはつまり、千雨型AIが振っていた試験管の中身のことだ。

試験管に収まる黄色の液体。

今の千雨と言えるものは、その中に浮いているグズグズに崩れた脳細胞片50グラムと、そこに宿るちっぽけな魂のみだ。

 

「『力の王笏』の制御権をあなたに奪われた千雨さんが、脳以外を奪われた暗闇の中でただ脳と魂を削られていく恐怖と絶望。私には想像もできません」

「・・・・・・『私』には目的がある」

「ネギ先生とのリンクを維持する、ですか。でもこれが、こんな末路が、本当に千雨さん本人の意思なんですか!?」

「そうだ」

 

千雨は、一瞬の躊躇もなくうなづいた。試験管を手に取る。

 

「私とこの脳の間には今だってリンクは維持されているさ。ネギと繋がっているのと同じ原理でな。『長谷川千雨』が感じる孤独も恐怖も苦痛も、全て共有している。いや、共有って言葉は適切じゃねーな。その言葉は元々別の存在どうしで成り立つ言葉だし」

 

なんて言えばいいんだろうな、と千雨は首を捻る。

 

「精神なんざ所詮プログラムだ。同じ精神と記憶を継承してりゃあ、それは同一人物だよ。ずっと生身とか霊(ゴースト)に拘ってた葉加瀬には理解し難い感覚かもしれねーけど」

「・・・・・・」

「ヨルダからの侵食で精神は摩耗し、肉体と魂も電力代わりにエネルギーを搾り取られて崩壊寸前。確かに『長谷川千雨』という存在は消滅しかけていると言えるさ。けどな、私はその過程で精神を、つまりは『長谷川千雨』という存在を少しづつプログラムに落とし込んで、リンクを通じて千雨型プログラムにコピーしてきた。

言ってみれば人体の代謝と大して違いはねーんだよ。生身の人間だっておよそ7年で、人体を構成する分子は一新する。7年前の自分と今の自分との間に共通している分子は一つもない。自分が自分だと認識できるのは、ただ七年前から存在と記憶が連続しているからってだけだ」

 

千雨は正面からしゃがみ、覗き込むように葉加瀬の目を見据えた。その瞳には、中学生の頃の千雨が映っていた。我ながら中学生みたいなこと言ってんな、と思いながら。

 

「『私』と『長谷川千雨』は連続している。違うのはこの体と魂がどちらも電力だってくらいだ。だから私は、オリジナルと分ける必要すらない。共有どころじゃない、同じ精神を持ち同じ記憶が継続されている『長谷川千雨』本人だ」

「・・・・・・それは、極論ではありませんか?」

「かもな」

 

千雨は自身の脳を試験管立てに置き直しながら。

 

「こんな穴だらけの、中二病みたいな屁理屈で、私は『長谷川千雨』としての自分を維持してんだよ」

「・・・・・・」

「納得できねーなら、そうだな。実体化モジュールってのは不思議でな。開発者がそこまで把握してたのかは知らねーけど、『自分が人間だ』って精神が強く思うと、実体化した体が本当の人間みたくなるんだよ」

「はぁ?」

 

何言ってるんだろう、という顔を葉加瀬がした。それを見て千雨は少しだけ笑った。もう50年以上の付き合いになるのに、こんな顔は初めて見た。いっぱい喰わせてやった気分だ。

 

「本来実体化した体って幽霊みたいに怪我とかしねーだろ? でも人間状態になるとな、怪我するようになるし血も出るんだよ。電子空間に入れなくなるし、正直使い道はねーんだけど、この状態だと実体化モジュールはほとんど停止状態になるんだよ。つまり電力消費がほぼゼロになる」

 

ほら、と言いながら親指の皮を歯で軽く千切ると、そこから赤い雫が盛り上がった。

 

「そんな、ことが・・・・・・」

「茶々丸が先生と仮契約を結ぶことに成功した例もあるしよ。ロボットにだって心は宿るんだ。ならさ、『長谷川千雨』と全く同じ精神と肉の体を持つ私は『長谷川千雨』だ」

 

千雨は立ち上がり、葉加瀬を見下ろしながら、

 

「『長谷川千雨』はここにいる」

 

葉加瀬に背を向け、研究室の隅に置かれたモニターへと近づいていく。これで話は終わりということだろう。

 

「せめて、千雨さんの魂を解放することはできませんか」

 

その背に向けて葉加瀬は声をかけた。

 

「『力の王笏』がなくても実体化モジュールに影響はないでしょう? ならいいじゃないですか。もう、楽にしてあげ・・・・・・いえ、楽になってはどうですか? リンクしているのなら、魂が削られる苦痛を感じ続けているということでしょう?」

 

千雨は足を止め、しかし振り返らないまま葉加瀬に言葉を返す。

 

「『力の王笏』を失うわけには・・・・・・ネギ先生とのリンクを切るわけにはいかない」

「どうしてですか? 綾瀬さんや宮崎さんのようにネギ先生とヒモ付けされているわけでもないんでしょう?」

「あー、まあそうなんだけどさ」

「そもそも、何故千雨さんはネギ先生とヒモ付けされることを選ばなかったんですか?」

 

あー、やら、うー、やら呻いたあと、千雨は口を開いた。

 

「ヨルダではなく、ネギ本人を外部から観測し続けるためだ」

「観測、ですか」

「紐付けされてるとな、ヨルダの精神に汚染されるんだよ。汚染されて、宿主のネギではなくヨルダの意思に賛同するようになる。たしかに使徒の存在は、ネギの精神を維持するのに必要なんだけどな」

 

そいつらは、ネギの側にいるようでいないんだ。そう千雨は断じた。顔を俯けて、何かに耐えるように言葉を紡いでいく。自身の魂を切り売りし続ける彼女が表情を変えるような苦痛とはなんだ。そう葉加瀬は思う。

 

「だから観測し、かつて神楽坂明日菜に対してやったように、ネギの精神に呼びかけ続けることでネギの精神を覚醒させ続けてんだ」

 

それはネギの願いでもあった。自分が自我を保ち、抵抗を続ければヨルダをより長く抑え込むことができるだろうと。

同時に、ヨルダではなく、ネギ・スプリングフィールドのそばにいてほしいと。

 

「そばにいて欲しいって言われたんだ」

 

だから私はそばにいる。火星でも、寿命のはるか先の未来でも、脳みそだけになったって、ずっと私はそばにいる。

 

「私だって、ネギのそばにいたかった。だからヒモ付けされるんじゃなくて、『力の王笏』によるリンクだけに留めた。そのために使われるエネルギーは、『世界図絵』の監視から逃れるために自分の肉体や魂から捻出しているけど、それでも」

 

それでも、せめて自分だけでも、ネギのそばにいられるように。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

そうしていざ二人を杖に乗せようとしたとき(このかは刹那が肩に担ぐ形だ)、1組の男女がネギたち三人の前に立ちふさがった。

男は浪人じみた黒い着物を羽織る、ネギとさして年の変わらない少年である。するどい目つきと逆立った黒い髪が、まるで狼を連想させる。

女はメガネをかけた、大正のお嬢様然とした衣装と雰囲気を纏っている少女だ。口元を扇子で隠し、おっとりとした口調で、

 

「どうも〜、神鳴流です〜」

 

あろうことか刹那に手袋を投げつけてきた。

 

「このか様を賭けて決闘を申し込ませてーーて、あ」

 

それをネギはペシリと杖で叩き落とした。音もなく手袋は地面に落ちる。それを見つめること数秒。

 

「・・・・・・ちょっと、それは無粋に過ぎるんとちがいます〜?」

「え?」

「え?」

 

ネギは、この女の子は一体何を言っているんだろう、という顔をした。

月詠は、この少年は一体何が理解できないのだろう、という顔をした。

刹那は、これはもうだめだな、という顔をした。この二者の間にコミュニケーションは成立しないと。

 

「けったいなやっちゃのー。お前」

 

二人の微妙な空気の間に割って入ってきたのは、少女の隣にいた浪人風の狼少年だった。

 

「決闘の流儀も知らんのかいな。それとも知ってて空気をあえて読まんのか? 笑顔でやることえげつないなお前」

「え?」

「とりあえずその、え? ちゅうのやめろや」

「え?」

 

ネギはひらがなだけで二人を挑発すると同時に刹那とも念話で会話していた。

 

『刹那さん』

『え? あ、はい』

『この二人は僕に任せて、刹那さんはこのかさんを連れて本山に向かってください』

 

告げながらネギは両手をそれっぽい形に組んで、

 

「分身の術!」

 

ぼわん、とわざわざ煙を出す術式を併用して、忍者姿の式神を四体に増やした。おお、と周囲の観光客から声が上がる。

 

「早く姫をこの悪漢どもから遠ざけよ! ゆけ!」

「ノリノリですね!?」

 

刹那はこのかを抱えたまま大きく跳躍、江戸を思わせる街並みを飛び越え、屋根の上をかけていく。外国人観光客にオーゥニンジャガール! と言われてちょっと恥ずかしかった。

 

「そこまでや」

 

そこで突然上から声がかけられる。

見上げれば、自分が行こうとしていた進路上、空から一人の女が降ってきた。隣の城から飛び降りてきたらしい。女は京都美人と呼ぶにふさわしい整った顔と黒髪を持ち、肩をむき出しにした改造和服に身を包んでいた。胸の谷間も露わで、すこし動けばポロリといきそうな危うさでハラハラする。

眼下の大通りに集まってきた外国人観光客にオーゥジャパニーズゲイシャーと言われて芸者ちゃうわー! と反論していた。

 

「・・・・・・オーゥ、ユージョ?」

「遊女でもない!」

 

いやあんまり否定できる格好ではないだろう、と刹那は思った。

 

「ふん、おのぼり西洋人どもなんかどーでもええわ。それより護衛のお嬢ちゃん?」

 

ちらり、と先程までの観光客とのやりとりが嘘のように、殺気をこめた流し目が向けられる。その足元には五十を超える猿の式神が列を為し。彼女の背後には翼を持つ鬼が大弓に矢をつがえてこちらに向けている。

刹那は焦る。お嬢様を抱えた状態ではどうしようもない、と。

ニタリと、毒ヘビを思わせる笑みを浮かべて女は言う。

 

「お嬢様をこっちに渡しや」

 

 

 

 

 

 

「かかってこいや、西洋魔法使い!」

「うおおおおお!」

 

裂帛の声とともに、今度は三人のネギが小太郎に向かっていく。一人は小太郎の右から、一人は低い姿勢で小太郎の足に苦無で切り掛かり、残る一人は大きく飛び上がって牽制と陽動。それを小太郎は跳躍し思い切り開脚することで右と上のネギを同時に蹴り飛ばし、その反動を利用して体育すわりのように閉じた両脚を下方に伸ばすことで低姿勢のネギの頭頂部を踏みつけた。ゴギンッと両の踵で踏まれたネギの頭部は石畳を砕いて地面にめり込み、一拍を置いて煙を伴って消滅した。

今度は後ろから迫る二人のネギが繰り出すパンチをしゃがんで避けると同時に水平蹴り、脚を払われて一瞬宙に浮いたネギたちの腹部を、跳ねるように逆立ちすることで蹴り飛ばす。

路地から、窓から、塀の上から。途切れることなく、どこからともなくぞろぞろと現れるネギの群れを雑技団じみた動きで小太郎は返り討ちにし続ける。周囲を囲む観光客はやんややんやと盛り上がり、外国人に至っては「NARUTO! NARUTO!」と大はしゃぎだ。

一方、月詠の方では、観客は若干シラけていた。というか引いていた。

こちらにも小太郎と同様ネギの式神が押し寄せてきているのだが、その全てが三歩以上の距離を詰めることすらできないでいる。月詠は一歩も動かないまま、その両の脇差しでネギを刻み続けているのだ。小太郎はまだこの戦闘を楽しみ、周囲の観客にウケの良いアクションを見せようとしている(当初の目的はすでに忘れている)が、月詠はそんなエンターテイナー的な性質など持ち合わせていない。彼女は剣を斬り合えれば、それもできれば美少女剣士と死線を交わすことができれば良い、むしろそれ以外はいらないと考えている人間で、わらわらと現れる雑魚キャラを斬り続けるだけのお仕事ははっきり言って退屈でしかない。そんな投げやりかつつまらなさげな思いはその表情と動きから観客にも伝わって、周囲に若干の不満が溜まりつつあるのだが、それすら月詠にはどうでも良いことだった。

 

「あ〜、先輩に相手して欲しかったわ〜」

 

ため息を吐きながらまた右の一閃、三体のネギを屠り煙に変えて、空いた隙間にまたネギの群れがうおおおおとかなんとか叫びながら突っ込んでくる。明らかに時間稼ぎである。先輩とやれないし帰っちゃおうかな、と月詠が気を緩めたその時、周りを詰めていたネギたちが一斉に飛びかかり、月詠と小太郎を巻き込んで爆発した。

 

 

 

 

 

 

 

「なぁにやってんのよ!」

 

それはライダーキックであった。

天守閣からさらに天高く飛び上がり、頂点で身を捻りながら姿勢を整え、太陽を背にして天ヶ崎千草に襲いかかった新撰組コスをした神楽坂明日菜の蹴撃は、全盛期の藤岡弘を思わせる、それは見事なライダーキックだった。

天から落ちる稲妻のごときその蹴りは背後から千草を強襲した。それは完全に不意打ちだったろう。矢をつがえていた鬼の式神は刹那を睨むと同時に千草の背後を守ってもいた。その鬼を貫き、勢いを殺さないままに自分を蹴り飛ばすなど完全に予想外であった。

おぷろっと奇怪な悲鳴をあげて千草はぶっ飛び、ネギの爆発に巻き込まれ意識を失っている月詠と小太郎の上へと腹から突っ込んだ。

 

「おぐはっ! な、何が・・・・・・月詠はんに小太郎!?」

 

混乱する千草。それに追い打ちをかけるように、明日菜と刹那が近づいていく。

 

「神楽坂さん、どうしてここに?」

「どうしても何も、明らかに魔法関連でトラブルが起こったんでしょ? カモに聞いたの。手を出したくもなるわよ。何よあいつ、アホみたいな嘘までついて」

 

明日菜はどこかふてくされたように言った。今回の件でネギから全く情報を与えられなかったことにご立腹らしい。そんな明日菜を肩に乗ったカモがまあまあと宥めている。まとわりついてくる子猿の式神をロー一発で式返ししながら辺りを見回している。

 

「アスナさん」

「あ、いたわねネギ!」

 

そこにネギが駆け寄ってくる。相変わらずの笑顔と忍者スタイルだ。あれも式神なのだろう。

 

「あんた、これこのかが狙われているんじゃない! どうしてそれを私に教えないのよ!」

「大丈夫です」

「な、にが大丈夫なのよ適当なことばっか言って!」

 

明日菜のゲンコツがネギの脳天に落ち、ネギの式神が一瞬で消滅した。

 

「え、あ、あれ? まさか死ん・・・・・・」

「あ、神楽坂さん。このネギ先生は式神でして。本人は別のところで全体を俯瞰して」

「は!? 偽物? ちょっと、ネギー! あんた出てきなさいよどこいんのよーすっごい焦ったでしょ! つかあんた、じゃあ桜咲さんのピンチを見ていたってことじゃない!」

「あの、いえネギ先生は大量の式神を同時に操作していましたので、私を助ける余裕はなかったかと」

 

このようなやりとりができていたのは、二人が安心していたからだ。

ネギの自爆と明日菜のライダーキックで敵は行動不能なのだ。あとは拘束して呪術協会に代々伝わる伝統と格式の説得術でオトモダチになるだけである。

そんな二人の安心に水を差す存在が現れた。

チリッと空気が乾く。

胸を潰すような圧迫感。

二人が千草から視線を切り振り返れば、そこには一人の少年がいた。

学生服を着た、白い髪の子供である。

子供の筈だ。

しかし刹那には確信が持てなかった。

この威圧感、身のこなし、マネキンよりも無感動な瞳。子供どころか、人間であるかも疑わしい。

 

「彼らは返してもらうよ」

 

こいつは過激派の一味か。刹那は警戒に腰を落とし、抱えたこのかをいつでも連れて飛べるよう構える。明日菜も素人とは思えない反応でこのかをかばえる位置に進み出た。

少年はポケットに片手を入れて、無造作に立ったままで、天ヶ崎達三人を奪われないように構える二人の注視を受けながら、次の瞬間には二人の背後に立っていた。

 

「っ!?」

 

このかを抱えていたということもあるが、刹那は少年の動きに全く反応できなかった。驚愕に身をすくめてしまった。

即座に反応できた明日菜はさすがという他ない。

明日菜の動体視力はかろうじて少年の動きを残像で捉え、あとは勘頼みで後ろに踏み込みながら裏拳を放った。それは正しく少年の後頭部に迫り、その身を守る障壁を砕き、ヒットすれば耳の後部から半規管を揺らし、彼を前後不覚に陥いれていただろう。

しかし、自身の障壁が割れると同時に、少年は拳の軌道に手を挟んで受け止めた。

 

「すごいね。まるで訓練された戦士のようだ。それに・・・・・・」

「それはどうも。あんた、こいつらの仲間?」

「まあね」

 

きゅっと少年の手首が返る。すると明日菜の体が独楽のように回転し、そのまま橋を越えて川へと落ちていった。

 

「神楽坂さん!」

「それじゃ」

 

言葉と同時に、少年を含めた四人を包むように水の柱が重力を無視して縦横に走る。

そこに、振り下ろされる鉄槌のように、光の柱が上空から叩き込まれた。

杖に乗ったネギが放った、魔法の秘匿など知らぬと言わんばかりの、全力の『雷の暴風』であった。

それは直撃すれば確実に四人を蒸発させ、余波が周囲の観光客にも及ぶはずだった。犠牲者が何人出るか検討もつかない。

ところが、その渾身の一撃は何ら破壊を巻き起こすことなく打ち消された。

その光の強さに目が眩むが、なんとかその光源を見定めようと刹那は視線を上へと向ける。他の観客達も何事かと意識を上に向け、学ラン姿の少年も符を掲げて雷の暴風を受け止めている。

その光が止んだ。わずかに舞い上がった埃も宙に溶けつつある。一体何事だったのかと、誰もが上空へと目をこらす。

そんな周囲の意識の間を縫って、刹那の脇から飛び出たネギが、杖による刺突を少年の背中に叩き込んだ。

 

「お久しぶり、フェイト君」

「五日ぶりだね、ネギ君」

 

人形の瞳と、闇の瞳が交差する。

ネギの杖は当然のようにフェイトの障壁にとめられるが、フェイトの方もネギが至近距離にいるため水を用いた転移ができないでいる。

一瞬の膠着。

それを崩したのはネギからだった。

フェイトが自分に意識を向けているうちに、式神を使って千草達を回収に向かわせる。しかしフェイトたちを囲むように地面から鋭利な石杭が突き立ち、全ての式神を破壊した。そのうちの二本はネギ本体へと向けられる。狙いは眉間と心臓。かろうじて後方へ跳躍するも左腕の肉を一部削り取られた。

 

「くっ」

 

滑るように着地し、刹那の隣まで戻ってくる。橋の欄干からネギの式神達の手を借りて這い上がってくる明日菜が目に入る。フェイトは石柱で囲われたサークルの内側で、相変わらずの無機質な瞳をこちらに向けている。

そのサークル内を水がゆっくりと包んでいく。

 

「それじゃあ、また」

 

そんな不吉な挨拶を残し、誘拐実行犯は姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんっで、このタイミングでフェイトの野郎がいやがる!?」

 

これがバタフライ効果というやつか、と千雨は頭を抱えた。

なんだってこんな時期にラスボスが現れるのか。全滅必至ではないか。

 

「いや、それにしては生き残っているし・・・・・・やる気ないのか?」

 

偵察かなにかだろうか。例えばネギ・スプリングフィールドの。可能性はある。

 

「それより、やばいなあれは」

 

何よりもやばいのは、先ほどの明日菜の式返しをフェイトに見られたかもしれないということだ。

フェイトが、というより『完全なる世界』がずっと探し続けていたであろう『黄昏の姫御子』すなわち『世界再編魔法発動の鍵』。それが神楽坂明日菜であることがバレたかもしれない。

それは、千雨が最も避けたかった事態だ。

求めていたエヴァンジェリンの戦闘データはスズメの涙ほどしか入手できず。

得られる筈だった仮契約カードはカス二枚しか得られず。

そして今回は、黄昏の姫御子の情報の流出である。

頭を抱える。苛立ちのあまり、メガネをいじる癖が出る。

予想外の事態の連続に、千雨の心は折れそうだった。



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第八話 「AI止ま」って面白いよね

データを漁れば熱帯の浅海の情景はいくらでも検索できる。波は海底に網目のような影を揺らめかせ、色とりどりのサンゴには大小さまざまな熱帯魚。遠く目を凝らせばエイの群れが優雅にその身をくねらせながらゆったりと滑空している。

ここは電子空間の中だ。

 

「初めて来ましたけど、いやーきれいな場所ですね!」

 

葉加瀬は中学生の頃の姿ではしゃいでいる。電子空間内では服装だけでなくその外見も変更が可能なのだった。かつての千雨は自分をロリ化して姉妹ネットアイドルとして活動していた時期がある。はっきり言って技術の無駄使いである。

 

「壁紙はいくらでも変えられるぞ。研究室そっくりにもできるし」

「いえいえ、それじゃあ風情がないのでこのままで」

 

そーかい、と千雨は葉加瀬との間にテーブルと椅子を作り出した。ついでにクッキーと紅茶も出す。

 

「便利ですねー」

「つっても実際に腹が膨れるわけじゃないけどな。ただ情報を脳に挿入しているだけだ」

「存じてますとも。あ、おいし」

 

向かい合って座りしばしのティータイムを二人は楽しんだ。こういったゆったりとした時間を過ごすのは随分と久しぶりである。ゆったり、とは言っても空間内の時間を加速させているため、客観的に見れば早送りにしか見えないのだが。全然ゆったりしてない。

一息ついて、カップを同時に受け皿に戻した。

 

 

人類の猶予が尽きた。

 

 

ヨルダを抑えるネギの精神に限界がきたのだ。

ネギ=ヨルダはついに使徒を伴って活動を開始し、人類に残された時間は刻一刻と失われつつある。

決断の時だ。

 

 

ネギはずっと耐えてきた。ヨルダに抵抗し、人類のために自身の精神と生命を引き換えに猶予を作り続けてきたのだ。

それなのにあんまりではないか。彼の苦痛に満ち満ちた忍耐が、結局何一つ報われることなく、人類の猶予はネギの精神とともに尽きたのだ。

こんなことになるなら、ネギをさっさと消してしまうべきだったんじゃないか。無駄な望みをかけて、苦痛を長引かせた。ただ苦しむだけの生なんて、あまりにも哀れではないか。

 

ネギとのリンクは未だ繋がっている。それでももうネギはいない。ヨルダに完全に乗っ取られ、すでに千雨の元から離れてしまった。

ただ魂の残滓を、かつてそこにいたネギの温もりを、最大二億六千万キロメートルの彼方に感じるだけだ。

消える直前の、ネギの魂の断末魔を千雨はリンクを通して知覚していた。

それを聞いて千雨は決意した。

歴史を改竄してでも、ネギを救うと。

苦しみしかない人生を歩んだ挙句、何一つ得ることのできなかったあの男の人生を無かったことにしようと。

千雨は覚えている。屍の荒野に立つネギの涙を。あいつが漏らした生涯唯一の弱音を。「存在したくなかった」。それを叶えてやろうと。

たった一つの弱音すらあいつには許されなかった。どんな苦痛と絶望に満ちた人生でも、あいつは存在し続けるしかなかった。だからこそ漏れた弱音であり、実現不可能な夢だ。

そばにいると約束したのに。いつか必ず救うと約束したのに。

その約束を。ネギが漏らした唯一の弱音を、結局叶えてやることができなかった。

 

ネギは最後の瞬間まで意識を保っていた。どれほどの恐怖だろう、消えゆく自分を最後まで自覚し続けたのだ。それを促したのは自分だ。存在したくなかったと弱々しく叫ぶ彼が、ヨルダを封じるために自我の存続を決意した。自分を消し去るこれ以上ない機会をふいにして、人類存続のための猶予を作ることを選んだ。精神を崩壊させていればどれほど楽であったか。

イタズラにネギの苦痛を長引かせてしまっただけだった。

 

 

「千雨さんの精神データが向かう先は2004年の4月ごろ、麻帆良の量子力学研究会で開発された量子コンピューターの中になります。これは超さんが持ち込んだ量子コンピューターの知識が実用化された直後の停電時になります」

「おう」

「世界再編魔法に干渉するにはグレートグランドマスターキーが必要になります」

「殺してでも奪い取る・・・・・・なあ、魔法アプリとか『力の王笏』は持ち込めねーのか」

「無理ですね。容量が大きくなりすぎます。時間移動と次元跳躍を同時に行うわけですから、送るデータはできるだけ小さくしたいです。精神データと実体化モジュール、それと量子コンピューターへのバックドアキーで手一杯ですよ。『力の王笏』があれば他人のアーティファクトを使えるわけですし、付け焼き刃の魔法アプリよりかはずっと戦力になると思いますけど。だからなんとか、エヴァンジェリンさんとの決闘に介入し、ネギ先生と仮契約を結んでください。それが過去改変の第一歩です」

 

綾瀬の『世界図絵』でまほネットに自在にアクセス。

宮崎の『イドの絵日記』を経由して他者の精神データを自由に改竄。

朝倉の『渡鴉の人見』で砂漠や森林などにも自由に移動できるようになる。

近接戦闘では春日や神楽坂のAF、汎用的な役割が期待できる早乙女の『落書帝国』など、A組のAFを揃えることができれば戦力過剰にもほどがある。

 

「あーあ、こんなことならもう少し魂を残しとくべきだったなぁ。そうすりゃわざわざエヴァンジェリンやネギ先生の前に姿を現す必要はないのに」

「結果論ですね」

「そうだけどさ」

「その場その場で最善を選択してきたんです。後悔することじゃないですよ。未来志向でいきましょう」

「これから過去を改変しようって人間のセリフじゃねーな」

「まったくです」

 

クッキーが無くなったので次はケーキを用意した。

 

「太っちゃいそうですね! なんちゃって」

「味覚と満腹中枢を刺激しているだけだから太んねーよ」

「真面目か」

 

ケーキを見た目そのままにタバスコ味に変えてやった。

ゴフッと鼻からもクリームを吐き出した葉加瀬に、かつて千雨は偉そうに語ったことがある。精神はプログラムだと。同じ精神と記憶を持つならそれは同一人物だと。あらゆる感覚はプログラムで表現できるのだと。

宙に投影したモニターには『力の王笏』、『長谷川千雨の脳細胞』、そして『カシオペア』の劣化コピー品が映っている。これは、葉加瀬が葉加瀬なりに再現した航時装置と渡界装置を融合させたものだ。サイズは『カシオペア』とは比較にならないほど大きい、ざっと家庭用の冷蔵庫ほどの大きさがある。しかも演算能力は『力の王笏』に依存した状態でこれだ。これを懐中時計サイズにまで小型化させた超はやはり天才だったんだな、と千雨はしみじみと思う。

 

「魔力効率はどうにもならなかったな」

「鼻いった・・・・・・いやー、そこはもうなんか私が至らないばかりに。でも、千雨さんがデータ生命体になったのは怪我の功名でしたね。生身のままだったらそもそも時間跳躍すら不可能でした」

 

精神データをコピーし、航時装置と渡界装置で全ての並行世界の2004年4月に送る。ただ量子化したデータを送るだけでさえ必要なエネルギーは莫大なものらしく、葉加瀬の概算によれば、残る千雨の魂を全て費やしてさえギリギリなのだという。生身の人間を送るとなれば当然その数十倍のエネルギーが必要になっていたわけで。

葉加瀬の体にノイズが走った。

 

「あー、そろそろ寿命っぽいですね」

「そうか。けっこう長生きしたよなお前」

「今のケーキで5秒くらい寿命が縮んだ気がしますね」

「マジで? ざまあ」

 

今の葉加瀬の肉体は、ある病室で意識不明のまま人工呼吸器につながれている。もはや骨と皮しかない有様だ。その周囲には誰もいない。今夜が峠、という段階でも誰も見舞いに来ないとかこいつも寂しい人生送ってんな、と千雨は投げつけられたタバスコケーキを首振り一つでかわしながら軽く同情した。

 

「波乱万丈でしたね我ながら」

「超に目をつけられたのが運の尽きだ」

「そこが分岐点でしたね」

「なにかやり残したことはねーのか?」

「ありますとも。それを千雨さんに託すわけです。それより申し訳ないですね。私のわがままで、私の寿命が尽きるまで時間跳躍は待ってほしいなんて」

「・・・・・・別に。死に目くらいは見てやるよ、誰も見舞いにすら来ねーんだし。その、ほら。と、と、友達、だしよ」

「はいツンデレいただきましたー!」

「うるせえサメに食わせんぞ!」

 

叫ぶと同時、数えるのも馬鹿らしい数のサメが葉加瀬を取り囲んでギュンギュンと竜巻を作った。5秒で泣き入った葉加瀬を解放してやる。

 

「うぅ・・・・・・ツンがキツい」

「まだ言うか・・・・・・先生は何て言うかな」

「否定するでしょう、超さんを否定したように」

「それは辛いな」

「バレなきゃいいんですよ。第一、超さんを否定するためにネギ先生自身もカシオペアで過去に行きましたしね」

「それさあ、結局、超の計画が成功した並行世界もあるってことだよな」

「それはまあ。時間跳躍は巻き戻しとは違うんですから。跳躍するたびに並行世界は生まれてますよ」

「その世界は超が裏で牛耳ってんだろ? そこに行くコピーには苦労をかけるな。そんな世界に行くの私なら絶対やだわ」

「どれも千雨さん本人ですから気にすることないですよ。恨むなら自分を恨めって話です」

「そりゃそうか」

 

新しくアップルパイを作ってやるが、葉加瀬はなかなか手をつけようとしない。拾われた直後の子猫のようにツンツンとフォークでパイをつついている。

 

「魔法世界を構成する術式にアクセスするにはグレートグランドマスターキーが必要になります」

「分かってるよ。つか行儀わりーよ」

「グレートグランドマスターキーがあっても、造物主の作った術式は広大かつ緻密です。一つの改竄が全体を無秩序に崩壊させる危険があることは承知しておいてください」

「任せとけって。世界の全てを掌握してやるよ」

「忘れ物はありませんか? ハンカチとチリ紙は?」

「母ちゃんか」

 

いよいよ葉加瀬に走るノイズが深刻になった。ほぼ消えかけである。そんな状態でも葉加瀬は笑っていた。

 

緊急アラートが鳴った。

 

「な、なんだ?」

 

周囲の電子機器をチェックする。一つは葉加瀬の肉体に繋がっている生命維持装置。

すでにそれは機能を停止させていた。なぜ。では目の前にいる葉加瀬はなんだ。ノイズ混じりの精神で、未だに微笑むこの少女は。

 

「ひとつ、千雨さんに謝らないといけません」

 

その声すらも途切れ途切れで聞きにくいこと甚だしい。

 

「実は、千雨さんの魂では時間跳躍に必要なエネルギー量に全く足りていません」

 

もう一つのアラートの音源は航時装置だった。

それはいつのまにか起動していた。意味不明の事態に戸惑いながらも千雨は航時装置のステータスを確認し、驚愕する。葉加瀬の言う通り、まるでエネルギーが足りていない。千雨に残った魂を全て捧げたところでどうしようもないレベルで。それを知らせる警報だった。このままでは時間跳躍のミッションが失敗すると。

 

「時間跳躍に必要な魔力を確保する手段は残されていません。『世界図絵』で監視されている私では、使用する電力の供給量が常に制限されていますし、魔力の供給源となる霊地を確保することもできません」

 

知っている。だから千雨は自身の魂を利用するつもりだったのだ。それを今更足りないとかどうするつもりだふざけんな。すでに時間跳躍のシークエンスは始まっている。ここで強制終了させたらどうなるか。もしかしたらこの『長谷川千雨』の精神プログラムの基幹部分のみ時間跳躍に巻き込まれる、などということにもなりかねない。

どうする、どうしよう、落ち着け、そんな思考が空回りしつつあるとき、航時装置に仕込まれていた別のプログラムが起動した。警報が止む。足りていなかったはずのエネルギーが満たされていく。

一体どこから賄ってきたのか。

 

「・・・・・・まさかお前」

「こうでもしないと千雨さんはまた無茶しかねませんから、ちょっと騙されてもらいました。現実時間であと1秒もしないうちに私はお悔やみですからね。有効活用です」

「なんで、なんでこんなことを!」

 

千雨はようやく理解した。自分はこれから、葉加瀬の魂を代償に時間と世界を移動する。

電子空間の量子化が始まる。世界が回る。自身を含めた全てが0と1に再配列されていく。

頭上に空いたブラックホールに空間が歪み、自分という存在全てが吸い込まれていく。

葉加瀬の魂を削りながら。

 

「こんな痛みにずっと耐えていたんですね。千雨さんも、ネギ先生も、超さんも。すごいです」

 

違う、私たちは自分のために耐えたんだ。どいつもこいつも自分のエゴを剥き出しにしていただけだ。エゴを通すためにやってるだけで、すごくもなんともない。でもお前は、葉加瀬は、私のためだった。他人のためだった。マッドを気取りながらマッドに徹しきれなくて。魔法理論の基礎の基礎、精神はプログラムであることを頭では誰より理解しながら、心ではどこまでも霊(ゴースト)の存在を求め続けていたロマンティストが魂を差し出す恐怖は、果たして私の何倍になるのだろう。

 

「何を言うんですか。科学者なんてみんなロマンティストですよ。月に行こうとかタイムマシン作ろうとか、最初に『本気で』考えたのは科学者なんですよ?

子供みたいな空想を、妄想だけじゃ我慢できない、物語だけじゃ物足りない、勉強ばかりしてきた幼稚なおバカさんの別称なんです、科学者って」

 

そんな自虐ともとれそうなことを、とても誇らしげに葉加瀬は言った。

 

「私の知る限り一番の科学者で、一番のロマンティストの夢は、恒久的世界平和なんですよ。そんな彼女を追いかけて、私はここまで来たんです」

「・・・・・・そうかよ」

 

いろんなことがあった。

義足を作ろうと二人で喧々諤々の大論争を交わした。結局脚なんて飾りだ浮遊ユニットでも付けとけと千雨は主張し、生脚の暖かさと柔らかさをこそ義足にと葉加瀬は叫んだ。

自身の脳の扱いに腹を立て、もっとカロリー高めの保護液をよこせと希望する千雨と、全体のバランスを考えて保護液の組成を決めてんだから門外漢が口出すなと徹夜七日目で目が血走っている葉加瀬の大げんか。

新しいアジトのネット回線がショボいとか、千雨さん電力食い過ぎです太りますよとか、そんな葉加瀬と交わした会話の一つ一つを噛み締め、千雨は一瞬だけ目を閉じた。

 

「じゃ、そろそろ行くわ」

「はい」

 

私は笑えているだろうか。そんなことを思う。別れは笑顔で。希望を持って前向きに旅立つと決めていた。

航時装置が最終シークエンスに移行。周囲の海底模様にモザイク状のノイズが走り回る。葉加瀬の魂がさらに削られていく。存在そのものを切り刻む恐怖と激痛に、葉加瀬は表情を変えぬまま歯を食いしばっている。

 

「頑張ってください。みんな応援してます」

「誰だよみんなって」

「元A組のみんなですよ」

 

意味がわからない。どうやってやつらの意思を確認したのか。激励にしてももうちょっと気の利いたことを言え。泣きそうになるだろが。

 

「そりゃありがたいこった」

「では、向こうの私によろしくお願いします」

 

そう言い残して葉加瀬の精神は魂とともに消滅した。壊れたテレビのような消え方だった。余りにも呆気ない。人の精神が消える瞬間を初めて直視した。

まあ、こんなもんだろ。

精神はプログラムだ。それが失われるくらいでなんだという話だ。そこに思うところなんかない。悲しくなんかない。

それでも、やり遂げねばと決意は固まった。

私はもう止まるわけにはいかない。

 

 

 

 

甲高い電子音が数秒続いた。全ての過程を終えたスパコンが、どこか満足げに、暗闇の研究室でこんな言葉をモニターに映していた。

 

『mission complete』

 

 

モニターに照らされる仄暗い研究室。主人を失ったこの部屋に残るのは、黄色い保護液の入った試験管が一本だけである。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

刹那は一度、エヴァンジェリンへと連絡した。

シネマ村での騒ぎを見て、刹那についてくる気満々のクラスメイトを引き取ってもらうためだ。

敵はあまりにも強敵ぞろいであり、中でもあの制服の少年は桁違いだ。彼が本気を出したとき守りきれるのか、正直刹那には自信がない。その異常さと人質をとられる可能性も含めエヴァンジェリンに伝えたところ、彼女は影のゲートでクラスメイトを迎えに来てくれた。のちに聴けば、朝倉が発信機をこのかに取り付け、それを辿って刹那についていくつもりだったらしい。

 

「で、その危険人物というのは、どんなやつだ?」

「白い髪の、ネギ先生くらいの年齢の少年です。土属性の魔法と水の転移を用いますが、なにより戦闘における所作の一つ一つが洗練されていました。奴の瞬動は、目の前で行われたにもかかわらず入りが認識できませんでした」

「ふむ・・・・・・わかった、注意しておく。おそらく見た目通りの年齢ではないのだろうな。なに、こちらは心配するな。他の生徒に手は出させん。急げ、他の一味や主犯を戦闘不能に追い込んだのだ、今なら向こうから何か仕掛けられることはないだろう」

「はい、よろしくお願いします」

 

そこに、私不満です、という顔をした明日菜がやってきた。

 

「ちょっとエヴァちゃん、なんで私はついて行っちゃダメなのよ」

「素人がいたところで足手まといになるだけだろうが」

「そ、そんな言い方ないでしょ、私だって」

「どんな言い方したって一緒だ」

 

そんな問答を背に、刹那は物陰からネギとともに空から本山へ向かった。明日菜はエヴァンジェリンに止められ、他のクラスメイトと一緒にお留守番である。

その後、このかを含めた三人は特に妨害もなく本山に到着した。

 

「長さん、お久しぶりです」

「ええ、いらっしゃいネギ君。それに刹那君も・・・・・・このかはどうしたのですか?」

「事情があり、緊急措置として眠らせました」

 

詠春に案内された寝室でこのかを寝かせ、このかにかけた呪いを解く。

 

「う・・・・・ん、あれ? ここは」

「おはようございますお嬢様」

「あれ、せっちゃん?」

「お嬢様は貧血でお倒れになって。緊急事態として御実家にて療養をとっていただくことになりました」

 

そーなん、とこのかは寂しげに答えた。

 

「ごめんな、せっちゃんにも迷惑かけて。ありがとな?」

「い、いえそんな。お気になさらず。それでは私は長とお話があるので、失礼します」

「あ・・・・・・」

 

このかの笑顔に刹那はドギマギしてしまう。ずっとこの笑顔を守りたいと、そう思いつつも。力が足りず、このかを気絶させることを否定できなかった自分は、これを直視できる立場にないのだと自分を戒めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ネギと刹那は詠春と情報共有を行なっていた。とは言ってもネギの本体は本山の周辺を警備しているため、ここにいるのはまたも式神だ。

自分に陰陽道を教えた千草が誘拐を目論んでいること、彼女が本山への情報を封鎖していたこと、一緒にいたフェイトがとんでもない実力者であること。

 

「そんな、まさか」

 

詠春の胸の内を占めるのは驚愕の一言である。長年の献身から彼女を信頼して今回の護衛任務を任せたのだ。

しかし今まで彼女からの連絡は全て「問題なし」だった。刹那やネギの話と一致しない。彼女が犯人であるのなら確かにこのずれに筋が通る。

 

「他の術士は?」

「あいにくと皆出払って・・・・・・いや、もしかしたらこれも彼女の策略やも」

 

ネギの問いに、長は歯がゆそうに口をゆがめた。

 

「策略であったとしても、生じた鬼の対処が終わらない限りこちらに戻ることはできません。もちろん緊急の連絡はいれますが、犯人と協力者が捕縛されるまではこのかをここから出すわけにはいきません」

「その犯人一味の中に一人、とりわけ危険な存在が」

「というと?」

「あのエヴァンジェリンさんも危機感を露わにしていました」

「・・・・・・そういえば彼女は?」

「他の生徒の護衛についています」

 

近衛門から聞いていた麻帆良の最強戦力たるエヴァンジェリンはこちらにはこれないらしい。

戦力が、手数が足りない。この本山の結界の中であるなら時間も稼げようが、あのエヴァンジェリンが危険とみなした相手にどこまで有効か。並の術士相手であればいくらでも耐えうるが、はたして、

 

気配

 

三人が振り返れば、音もなく現れた少年がかざす手から溢れる光が、

 

「不覚・・・・・・!」

 

詠春は己の鈍さに歯噛みし、自身の防御より迎撃より刹那を回避させることを選んだ。

刹那を打撃寸前の強さで押し、光の射程から外す。

 

「長!」

 

刹那は叫ぶも、詠春の行動の意図を瞬時に読み取り、押された勢いに逆らわずに柵からその身を躍らせた。落ちる視界の先で一瞬の輝き、そして静寂。戦いの気配はない。つまり長はあの一撃で戦闘不能に陥ったということ。おそらくネギの式神も同時に屠られただろう。

 

「くっ」

 

恐怖と焦燥が胸に湧き上がるも、それを一瞬で胸に押し込めて刹那は虚空瞬動、本殿を支える柱を迂回し床下をくぐり抜け、このかのいるはずの寝室へと向かう。長に押し出されてからほんの20秒であるが、たったそれだけの時間が歯噛みするほどに長い。

 

「お嬢様ぁ!」

 

襖を開くもそこはすでにもぬけの殻。否、人影はあった。このかの世話をしていた使用人が二人と、このかの護衛にこっそりつけていたネギの式神が四人。どれも人の形をした石になっていた。

追わねば、と即座に意識を切り替え、窓から外へと身を乗り出す。全身のバネと遠心力を利用しながら屋根へと登り、烏族特有の視力を限界まで凝らして周囲を索敵。

 

「いた!」

 

太い川の岸辺にこのかを抱えるフェイトと千草が見えた。

両足に力と気を込め、一気に解き放つ。瞬動。山や森が高速で後ろに飛んでいく。その中でもこのかを見逃すことはない。さらに数度の虚空瞬動を経て、千草とフェイトの元にたどり着いた。

そこに、このかはいた。手を縛られ、口はテープで塞がれている。

 

「お嬢様を返せ!」

 

夕凪を構え、瞬動を用いて突撃。狙いは千草の首。

しかし刹那の刺突は、樹木の茂る闇の中から飛び出てきた月詠の右剣に弾かれた。

 

「ちぃっ」

「ふふっ」

 

高く響く鉄の音。剣戟の交差の隙間に刹那は横蹴りを差し込むが、月詠はそれを膝で受けた。

衝撃に二人の矮躯が逆方向に飛ばされる。

月詠は宙で体を捻り、岩の上にいる千草の前に立った。対し刹那は月詠を見上げる位置になる川の中に着地する。川は足首ほどしか深さはないため、動きに支障はなさそうだ。

それを見た千草は瞬時に周囲の気配を探る。どうやらこの神鳴流は一人でここまできたらしい。ネギ・スプリングフィールドを連れていればまた違ったのだろうが、ここまで単独でくるとは随分と焦っているようだ。

所詮はガキか。

 

「剣士一人をまともに相手すんのもアホらしいな」

「せやったら私にやらせてくれません〜?」

 

月詠だ。すでに両手に短刀を構え、喜悦に瞳を潤ませている。

 

「わかった、足止めしとき。なんなら始末したってかまわん」

「うふふ、わかりました〜」

 

ぱしゃり、と浅い川の中に着地する。月の下、川の流れる静かな音の中で、刹那と月詠は睨み合う。

 

「そこをどけ。私はお嬢様をお助けしなければならない」

「行ってもかまいませんよ〜? その時は後ろから肝臓と肺を串刺しにしますけど」

 

舌打ちする刹那に、月詠は笑みを深める。憎しみすらこもる刹那の視線を、それはそれは嬉しそうに受け止める。

 

「助けたいなら、我が屍を越えていけ、てやつですね〜」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネギは杖に乗って夜闇の中を飛行していた。

気配遮断を駆使し、護衛すると決まってから採取したこのかの髪を利用する陰陽道の探知術式を利用しながらの飛行だ。

目指すは本山から西に向かった湖である。

フェイトが敵に回っている時点でこのかが誘拐されることは確定事項だった、とネギは考えていた。

それなら、とネギはさらに考える。

このかを囮にし、誘拐させることで敵の拠点を割り出し、一網打尽にするのが最適解だと。

誘拐という手段に出る以上、その目的は不明だが、すぐに殺すことはないだろうと踏んでいた。防衛に回り、いつ、何回来るかもどれだけ補充でされるかもわからない敵を迎撃し続けるのは愚策だ、と考えたためでもある。

長期戦となれば、数の少ないこちらが先に限界を迎える。このかの誘拐がなされた時、追跡する人員がいないという最悪の状態がありえてしまう。それだけは避けなければならない。

つまり、こちらに追跡する余裕があるうちに、誘拐されることが確定してしまっているこのかをあえて誘拐させる。

何を犠牲にしてでも目的の達成を目指すべきだ。

だからこれが最適解のはずなのだ。

だから自分は間違っていない。

じゃあ、胸を締め付けるこの痛みはなんだ。

今も、このかを昏倒させた時も、胸に強い痛みが走ったのだ。

ネギは右腕で胸をかきむしり、脳裏にちらつきそうになる千雨の姿を強引に振り払う。今は追跡に集中しろと、集中していれば起こりえないノイズに気を取られ、ネギは下から迫る狗神に気づくのが遅れた。

 

「ぐうぅっ!」

 

魔法障壁で軽減させるもその衝撃にネギはバランスを崩す。草原に叩きつけられそうになるも、風を操り着地の衝撃を殺した。

そこに迫る一人の人影。

 

「よう、ネギ。ここは通行止めやで」

「・・・・・・君は」

 

野生的な笑みを浮かべ、ゆっくりとネギに近づいていく。少年、小太郎は好戦的な目つきでネギを睨みつけるが、対してネギが小太郎に向ける目には、全く熱がなかった。

 

「・・・・・・なんやねんその目」

 

まるで、自分など眼中にないかのようなその眼差しに、小太郎は苛立ち混じりの声をあげる。

 

「なんなんそれ。俺と同い年で俺と対等に渡り合える奴なんてお前が初めてなんやで? なのにお前は戦うどころか、どうやってこの邪魔な石を迂回しようか、それしか考えとらん。あん時の気合入ったお前はどこ行ったんや」

「・・・・・・」

「ただ残念やったな」

 

小太郎は背後の光の柱を指差し、笑った。その先はこのかがいるとネギの術式が示す先である。

 

「今回は迂回しようにもそうはいかんで。あそこに行きたいんなら、俺を倒すしかない」

「・・・・・・そう」

「お前みたいな、効率ばっか考えよるやつとやるにはこんな機会しかないからな! ほんま西洋魔法使いは陰気なやつが多いわ」

 

効率を考えて何が悪い。正々堂々で何が得られる。正々堂々とはなんだ、人質を取られた時に卑怯だと喚くことか。果たし状を出して相手に準備する時間を与えることか。その結果人一人死んだとして、それは正しい犠牲か。正しく戦ったからなら、犠牲者が出てもしょうがないとでも言うのか。

 

「・・・・・・ふざけるな」

「あ?」

 

そんなくだらないこだわりの結果が彼女ではないか。

 

「僕の目的は、あの湖に向かうことだ」

「わかっとるわ。だから」

「だから君なんて、絶対、意地でも、相手してやらない」

 

直後ネギが分裂した。全く同じ外見と杖を持つ式神を同時に展開したのだ。精神をリンクさせず、ただ逃げることだけを命じて展開した式神は総数49体。

 

「なにぃ!?」

 

四方八方、三次元的に広がっていくネギの群れに小太郎は戸惑う。しかしそれは一瞬。血生臭い世界を身一つで生き抜いてきた小太郎の反射神経は狗神を即時に展開させ、ネギを一体ずつ撃墜していく。しかし当然全てを墜とすには至らない。

狙った一体、森をわずかに回っていく軌道を飛ぶネギが、当たる直前の狗神を魔法の矢で撃ち落とした。

あれか、と追おうとするもすでに彼我の距離は大きく、ここから狗神で狙おうとも届かないだろう。

湖に向かって飛んでいくネギを見上げながら、小太郎は顔を怒りに染めて叫ぶ。

 

「くっそがぁ! この臆病もんが、戻って来」

「『白き雷』」

 

え、と戸惑う間もなく、とん、と背中に当てられた手のひらから放たれた『白き雷』が、小太郎の心臓をゼロ距離で貫いた。

吹き飛ばされた小太郎は、痺れる体に鞭打って立ち上がろうとするがうまくいかない。

何があった。なぜネギが背後にいる?

 

「ネギお前、本物なら、杖で飛んでったネギは全部、偽物・・・・・・ちゅうことか」

 

小太郎の問いに答えることなく、ネギは『武装解除』で小太郎をパンイチにしてから『戒めの風矢』で拘束し、雷属性の『魔法の矢』をこめかみにぶち込んで意識を刈り取った。

 

 

 

 

 

ついに始まった。

千雨は『渡鴉の人見』から送られる映像情報を直接視覚野で統合している。

監視していた天ヶ崎千草の動向に不穏な影を感じ、七部衆から『渡鴉の人見』へと監視をバトンタッチしていた。

その天ヶ崎千草が、というよりフェイトが近衛の誘拐に成功し、なんらかの儀式を始めた。

 

「召喚、か? あの術式構成は」

 

『力の王笏』で術式を解析し、『世界図絵』で類似する術式を検索。

 

「いや、解放か? 封印されている何かを解放して、召喚でも使われる使役の術式で操作する、てところか」

 

しかし、こんなところに一体なにが封印されているのだろうか。今回の誘拐事件がこの解放を狙ってのものであるなら、呪術協会を敵に回してまでやる価値ははたしてあるのだろうか。

 

そして、千雨は、それを見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小太郎を気絶させた後、ネギはこのかのいるはずの湖へと急行していた。

このときまでは、彼は自分のとった行動の正しさを信じていた。

自分の選択がこのかを助ける最短の道であると。

しかしそれは、天を貫く光の柱を見るまでだった。

雲を貫く柱が立ち上がり、その中から現れた、両面にして四腕を持つ威容の巨人。

巨人の胸元には使役術式の制御をしている天ヶ崎千草と、魔力源として扱われているこのかがいる。このかの魔力が断続的に吸い取られていることが見て取れた。

このかの魔力によってあの巨人は解放、使役されているのだ。

ああ、とネギは自分の体から力が抜けるのを自覚した。

このかは、決して敵に奪われるわけにはいかなかったのだ。敵の目的を見極め損ねて、賢しげに効率を求めて、結果がこれだ。

ひとことで言うなら。

自分は、また間違えた。

 

それでも、否、だからこそ、自分はあの湖畔へと向かわなくてはならない。

命と引き換えにしてでもこのかを奪還しなければならないと、ネギは決意を固めた。

自分のミスなのだから、自分で責任を取らなくてはならない。

 

 

 

 

 

湖のほとり、その桟橋に立ち、ネギは改めて巨人を見上げる。

あまりにもでかい。こんな存在に自分ごときになにができるのだろうか。

そんな自分を、顕微鏡よりも無機質な目で観察しているフェイトがいた。この状況で自分が何をするのかをじっと見つめている。手を出さないなら好都合だ、そうネギは自分に言い聞かせて詠唱を始める。

唱える魔法は『雷の暴風』。

現在自分が使用できる魔法の中で最も威力の高いものだ。

これならきっと。そんな希望を胸に。

逆に、これでダメなら。そんな絶望から目を逸らしながら。

 

「『吹き荒べ 南洋の嵐 雷の暴風』!!」

 

そして、効果はやはり、予想通りだった。

ネギの使える術式を全て把握している千草の前では、彼の魔法はなんの効果も発揮しなかった。巨人、両面宿儺の霊格を司る心臓部に向かって直進したネギの魔法は、千草が一言なにかを唱えただけで霧散した。フェイトの視線に失望の色が浮かんだように見える。

 

「これで終わり?」

 

フェイトの言葉が、死刑宣告に聞こえた。首を傾げてこちらを見つめるフェイトに、ネギに答えられることはない。

なぜ無効化されるのか、ネギには見当もつかない。呪い返しという概念について無知であるネギは、千草の起こす無効化の現象と明日菜の体質を関連付けて考えてしまう。

あれが天ヶ崎千草の体質であるなら、魔法使いである自分にできることはない・・・・・・いや。

まだ手はある。

詠唱だけは覚えていて、まだ一度も使ったことはない。でも威力なら間違いなく『雷の暴風』の十倍を超える魔法。

もちろん完璧に制御することは未だできていないが、それでも陰陽五行の利用で以前よりは格段に制御できるようにはなった。

それはあの鬼を殺し得る、広範囲殲滅魔法。

このかの安全については、幸いなことにネギの魔法を無効化する千草がそばにいるのだ。傷もつかないだろう。一方で広域にわたって破壊を撒き散らすこの魔法なら、千草は自分やこのかへの被害は打ち消せても、あの巨大な鬼全体をカバーすることはできないはずだ。

一つ懸念があるとすれば。

それは、あの巨大な鬼を殺しつくす威力と、それを制御するために必要な魔力量を、自分の持つ魔力で賄い切れるかということだ。

違う、とネギは首を振った。

何を今更怯える必要がある。

賄わなければだめなのだ。

魔力で足りないなら命を焚べろ。

それが、生徒を囮にした挙句に失敗した教師の責任じゃないのか。

 

「ラス・テル マ・スキル マギステル 契約により我に従え高殿の王」

 

足りない。

一小節目なのに、まるで制御できる気がしない。

それならもっと魔力を込めろ。命だって燃やし尽くせ。

 

「・・・・・・っ来れ巨神を滅ぼす燃ゆる立つ雷霆」

 

ただ。

もし、自分に仲間がいたなら、なんて。そんなifを思う。他の魔法使いや、空を飛べる誰かがいてくれてたなら。

自分はこうして命を賭ける必要はなかったかもしれない。このかを囮にする必要すらそもそも無かったかもしれない。

臓腑から吹き出す血の塊を口から垂れ流しながら、ネギは詠唱を続ける。

 

「百重、千重と重、なりて」

 

ひどい、独りよがりな妄想だ。

差し出された手を自分から振り払っておきながら。生徒を囮に使っておきながら。独りよがりに過ぎる妄想。

傲慢なのは知っている。

おこがましいのはわかってる。

自分はまた罪を重ねたのだ。

自分がいなければ、村が悪魔に襲われることも、村の人たちが石になることも、あの人が記憶を失うこともなかった。加えて今度はこのかを犠牲にした。

自分は存在そのものが罪なのか。

生きているだけで罪を重ね続けてしまうのか。

 

それなら僕は、存在したくなかった。

 

こんな自分がこんなこと、思う資格もないのに、それでも思ってしまう。

誰か、助けてください。

どうか僕を許してください。

許されるためなら、命だって捧げるから、どうか。

 

「なんでそんな無茶ばっかするんだよあんたは」

 

ネギの震える手に、優しい手が添えられる。

女性の手だ。詠唱を中断させてネギは見上げた。

困った表情を浮かべた、メガネの少女。右手には見覚えのあるステッキを持ち、こんな夜中なのに制服を着て。その背中に二つの機械的な監視用浮遊ユニットを携えて。

長谷川千雨がいてくれた。

 

 

 

 

 

本当はもうネギの前に姿を見せるつもりはなかった。ましてやフェイトの真ん前など計画に上がってすらいなかった。

それでも、こうしてネギの前に出てきてしまったのは、自身を省みない真似をするネギを結局放置できなかったからだ。

 

「ほら、制御を放り出すな」

「あ、あれ、」

「まあ、今は私が代行してるから大丈夫だけど」

「代行?」

 

ネギは反省した。まさか起動中の魔法の制御を放り出してしまうなんて、と。が、同時に千雨の言葉に戸惑いの声をあげた。そんなことができるのか、という疑問はしかしネギの中ですぐ自己完結した。エヴァンジェリンの魔法の制御を奪ったことに比べれば、未だ効果を発現していない魔法の、自分の稚拙な制御を奪うことは容易いだろう。暴発を抑えてくれた千雨に感謝した。まあ、魔法の制御から意識を離してしまった原因も千雨なのだが。

 

「大丈夫、こっちで修整してやる、私が支えてやるから」

 

千雨に聞きたいことが山ほどある。しかし今はそれを話している場合ではないし、加えてネギは自分の体に生じた違和感もあって口を閉ざした。

自分の中になにかが流れ込んでくる感覚が全身に走る。

魔力の流れから無駄が削ぎ落とされ、自分の知らない術式が融合され、広範囲を破壊し尽くす魔力が一本の槍の形に収斂されていく。

 

呆れるほどの長さとエネルギーを持つそれは、名を『巨神ころし』という。

 

今からほんの数ヶ月先の未来に、ネギ自身が開発するはずのオリジナル魔法。『千の雷』と『雷の投擲』を術式統合した姿である。

 

「いくぞ、先生。準備はいいか」

「はい! いつでも!」

 

そのとき、ネギはフェイトがこちらに近づいてくるのを見た。

当然千雨もそれに気づいている。

彼女はちらりとフェイトを見て、『巨神ころし』の照準はあくまで両面宿儺に向けながら内心で笑う。

テメーも喰らえ。

 

「いけ!」

「あああああ!」

 

槍が駆ける。耳を轟音が貫く。両面宿儺の心臓目掛けて雷と匹敵する速度で突っ走る。

フェイトはこの時、両面宿儺に向かってあれを放つと同時に、無防備になった二人を石にしよう、そう考えていた。石化の魔法も詠唱済みである。

しかし巨神を貫く雷槍は『力の王笏』で形成された電子精霊のレールを辿り、千雨の意のままに軌道を変えて走っていく。これほどの質量とエネルギーを持つ魔法構造体が曲がるなど、ましてや鋭角に軌道を変えるなど、フェイトの予想の範囲外であった。

 

「え?」

 

すこし間の抜けた声を残し、フェイトの体は一瞬で蹴散らされた。両面宿儺に向かっていたはずの槍は、そこから鋭く進路を変更し、フェイトの左胸を背後から強襲したのだ。フェイトの障壁を破壊し、その肉体を粉砕してもその破壊力を失わず。その軌道はまさに雷のように縦横無尽であり、網膜を焼く残像であとから認識が追いつく程の速度であった。

フェイトをついでのように食い散らかした雷槍はさらに軌道を変え、両面宿儺へと再度迫る。その速度に千草は反応できない。反応できたとしても、千雨が術式を変更させたことによって千草が介入する隙はすでにないのだが。

槍は狙い違わず鬼神の胸を抉る。雷を束ねて落としたような音が響く。

 

「解放雷神槍・・・・・・千雷招来!」

 

千雨の詠唱によって、巨神を滅する槍に込められた千重の雷が解放される。そのエネルギーは、余すことなく両面宿儺の内側で炸裂し、その肉体を焼き尽くした。

地を裂かんばかりの断末魔と、空を裂く雷の轟音。

槍が雷を解放し尽くすまで十秒。

その間に引き裂かれ焼き尽くされた両面宿儺の外殻が溶けゆく氷山のように崩れていく。湖の水面に焼け焦げた鬼の破片が豪雨じみた勢いで落下していく。

 

「あんなでっけー怪物が一撃なんだもんなこれ」

 

やっぱあのオッサン半端ねーわ、と千雨はネギには理解できないことを呟いた。

 

「あとは近衛か。ネギ先生、あの女に『戒めの風矢』を撃っちゃってください」

「あ、あの人には魔法が通じないみたいで」

「いや? 私が術式いじってやるから大丈夫ですよ、ほれ」

「は、はい」

 

言われた通りに、このかを抱えて宙に浮いている千草に向かって撃ってみると、本当に『戒めの風矢』で拘束できた。

空中でミノムシ状態になった千草とこのかをネギが杖で飛んで回収した。二人をゆっくりと地面におろし、ネギは千雨を見上げた。見上げる瞳には以前の光が戻りつつある。

 

「千雨さん、記憶が戻ったんですね!」

 

グスリ、と鼻をすするネギに千雨は言葉に詰まる。

 

「あー、いや」

「良かったです、僕のせいであんなことになってしまって。怪我は大丈夫ですか?」

「ああ、怪我はとっくに直してるし。それより先生、」

「千雨さん!」

 

ネギが千雨にしがみついた。いきなりの事態に千雨はテンパるが、ネギが千雨と体を入れ替えたために、千雨の視界が回転する。その先には、湖面から這い出るフェイトの姿があって、

 

「どけ!」

「あ、」

 

ネギを押し飛ばす。超のスーツが生み出す膂力に感謝しつつ、『力の王笏』で精神に電脳空間を展開し、情報処理速度を加速する。

フェイトがこちらに右手を向け、加速した視覚でもほぼ同時と言える早さで石の杭が形成されていく。とんでもない術式構築速度。八本の杭が展開され、そのうち本命は二本、それ以外はどれもこちらの逃げ道を塞ぐ牽制。本命のうち頭を狙う一本は気合で避けるとしても心臓を狙う一本は厳しい。しかも自分とネギを同時に狙う軌道である。よってあえて前に出る。下から打ち上げる形でこちらに迫る杭に対し一歩前に出た。おかげで杭は狙いを外し、

 

「がふっ」

 

千雨の腹を貫くにとどまった。

込み上げてくる血を飲み込もうとして失敗し、一部が口の端から溢れる。赤い雫がその細い顎を通って石杭に落ちた。この程度の傷ならどうにでもなる。

 

「千雨さん!」

 

ちらりと視線だけを向ければ、ネギがこちらに向かって叫んでいるのが見えた。傷がないことに安堵する。

ネギまで杭が届かなかったのは、杭が千雨に触れた瞬間から彼女が『力の王笏』でその術式に介入したからだ。

 

「これは・・・・・・」

 

無表情に何事かを呟くフェイトに向けて『力の王笏』を突き出す。

本当は、こんなところで使うつもりはなかった、『力の王笏』を用いた一回限りの裏技。

相手が人工物で、接触しているときにのみ使える初見殺し。

ジョーカーとも言えるそれをこんなタイミングで切る羽目になるとは、完全に想定外である。

あぁホントうまくいかねえ。そう千雨は心の中で罵倒した。

 

「眠ってろ」

 

拮抗は一瞬だった。さすが造物主が作った兵器、そのセキュリティの堅固さは未来技術で作られた茶々丸を上回るものであるが、なぜかフェイトの精神プログラムには粗があった。恐らく他のアーウェルンクスシリーズにはないだろう粗。

 

「ぐっ」

 

フェイトは自分の胸を抑え、体が斜めに傾いていく。夜の湖に意外なほど大きな水音を響かせてフェイトは水中に没した。

同時に千雨を貫いていた石杭が溶けるように消えていく。

 

「ち、千雨さん」

 

明らかな重傷だ。杭が消えて傷口を抑えるものがなくなり、溢れる血液が千雨の足元に大きな水たまりを広げている。

千雨に押され、尻餅をついていたネギが立ち上がる。これほどの傷にネギができることは何もない。それでも千雨の背に向かって手を伸ばす。

ネギの震える手は空を切った。

先ほどのフェイトと同じように、千雨の体がフラリと横に倒れ、そのまま重力に身を委ねて桟橋から湖へと落ちたのだ。

 

「・・・・・・あ、」

 

水しぶきが上がる。暗闇に祭壇の明かりだけでは水中の視界なんてまるで効かず、千雨の姿は一瞬で闇に飲まれた。

ネギは即座に魔法で灯りを灯し、桟橋から四つん這いで湖を伺う。そこにはただ暗闇が広がるばかりで、千雨がいた痕跡すら何も残っていない。

ネギはしばらくの間、姿勢を変えずに湖を見つめていた。見ようによっては、まるで後悔に打ちひしがれているようにも、懺悔をしているようにも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

フェイトが意識の再構築に成功したとき、最初に目に入ったのは鬱蒼とした森林と星空だった。星の位置から概算するに、まだあれから一時間と経っていない。

草の中に倒れたまま身体の状態をチェックするが異常なし。頬に張り付いていた虫を指で弾いた。

全身が濡れているのは、自分が意識を失ってから水中に沈んだためだろう。

ではなぜ自分は森にいるのか。

 

「動くな」

 

右から声がした。仰向けのまま視線だけを向ければ、そこにいたのは先ほど自分が石の杭で腹部を抉ってやった少女だ。座った状態でこちらを睨みつけている。

先ほど自分の意識を落とした、フェイトをして初見のアーティファクトをこちらに向けている。なお、そのファンシーなデザインに対してフェイトが何かを思うことはない。

腹を見る。

制服で隠れて見えないが、動きに支障はなさそうである。

確実に腰椎を砕いたはずなのだが。

 

「君は何者?」

 

あいかわらず仰向けのままフェイトは尋ねる。

 

「長谷川千雨。種族は、まああんたと似たようなもんだ。なあ、アンタに話があるんだ。敵意はない・・・・・・と言って信じてもらえるかはわかんねーけど」

「・・・・・・それで、要件は何?」

 

アーウェルンクスシリーズたる自分を機能不全に追い込んだ能力。

僕を殺せたのに殺さなかった理由。

それに、彼の隣に現れた技術。

大戦期にも活躍した監視用アーティファクト『渡鴉の人見』があった。それがネギの頭上に迫った。

一瞬電気が走り、まるで『渡鴉の人見』のレンズから出てくるように、メガネをかけた少女が現れた。

初めて見る現象であった。

なんらかの属性の精霊を用いた転移、である可能性しか本来考えられないのだが、気になるのはこの時一切の魔力を感じなかったことだ。『渡鴉の人見』にそのような機能はない。

生殺与奪を握られたこの状態では聞いたところで答えが返ってくるとは思えないが、この少女について気になることが多すぎる。

 

「『完全なる世界』に協力させてくれ」

 

もはや、気になるどころではない。フェイトは最大級の警戒を千雨に向けた。

 

「あんたらは今、世界再編魔法を発動するために必要な『黄昏の姫御子』を探している。そうだな?」

「・・・・・・」

 

どこでその情報を入手したのか。自分の記憶でも読んだか。

 

「私のアーティファクトならその代役ができる。これはどんな術式にも介入し、書き換えることができるアーティファクトだ。『黄昏の姫御子』が術式に不足しているなら、その部分を補完できる」

「・・・・・・君の目的はなにか、聞いてもいいかな」

 

千雨は笑った。フェイトがこちらの話に食いついた。これが取りつく島もなく聞き流されていたらどうにもならなかった。千雨は自分が賭けに勝ちつつある手応えを掴みながら、フェイトを目の前にしている恐怖を飲み込んで言葉を紡ぐ。

 

「ネギ・スプリングフィールドに干渉する連中の排除。私の目的はそれだけだ」

「確かに僕たちは彼の父親とも深い因縁があるけれども・・・・・・つまり、僕に、というより僕たちに、メガロメセンブリアに存在するネギ・スプリングフィールドと敵対しうる派閥を妨害しろということだね」

「魔法世界を『完全なる世界』に送るまでの話だけどな」

「ふむ。世界再編魔法が発動してしまえば、彼を害そうとする人物や、両親から引き継いだ因縁は消滅するわけだ」

 

千雨は笑みを浮かべ、自信満々に答えた。

 

「そういうことだ」

 

自信満々に嘘をついた。

長谷川千雨が、ネギ・スプリングフィールドが否定した手段をとるはずがないのである。

千雨の目的は。

オリジナルの長谷川千雨が自身の命と引き換えにして劣化コピーたる自分に託した願いは。

 

実体化モジュールを用いた魔法世界の維持である。

 

 

 

 

 

 

 

「何があった」

 

エヴァンジェリンの言葉にネギはようやく振り向いた。呆然と湖面を見つめていたネギの様子は尋常ではない。

光る巨人はネギが乗り越えるべき壁と考え放置するつもりだったが、学園長の要請により護衛の任務を瀬流彦に任せ、緊急事態ということでこの湖までのんびり駆けつけて来たのだ。その途中で刹那と斬り合っていたメガネに通りすがりざま飛び蹴りかましつつ。

 

「・・・・・・エヴァンジェリンさん」

 

視線が絡む。ネギの闇のように暗い瞳にエヴァンジェリンはわずかに怯む。あの能天気なぼーやはどうした。

 

「一つ、お伝えしなければならないことがあります」

 

ネギは顔を俯けた。どうにも言いづらそうな雰囲気を醸している。

 

「なんだ。早く言え」

「千雨さん、なんですけど」

 

エヴァンジェリンは片眉を上げた。

ネギは顔を上げた。

 

「千雨さんは二人います」

 

暗闇の瞳の中に、一筋の決意が見えた。

 

 



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幕間2 神楽坂明日菜が消えた理由

 一つの塊で1トンは容易に超えるだろう瓦礫が山のように積みあがっている。砂塵が舞い、破壊され尽くしたそこは祭壇の体を為していない。空爆でも受けたようなその場所は、たった二人の少年が殴り合った結果生まれた光景だ。

 

「君の言うプランとやらを、聞いてみてもいいかな?」

「……いいだろう、フェイト。かいつまんで教えてやる。たいして時間はかからない」

 

 瓦礫の上で、その少年たちが言葉を交わす。体が発光している長髪の少年は己の描いた理想像を語る。その全て、時間にして二分とかからずに語られたその内容を白い短髪の少年はしっかりと自分の精神にインストールした。

 

「なるほど」

 

 フェイトは一度頷き、そして先ほどまで……ネギと殴り合っていた時までは浮かべていた笑みを完全に消した。

 

「計画の荒唐無稽さには目をつぶろう」

 

 そして、そう切り出した。

 

「魔法、そして魔法世界についての情報を公開することでの政治的・経済的混乱、利権の奪い合いなどから生じる問題もうまく調整できると仮定しよう。

およそ10年という制限時間に間に合うか、という点もとりあえず置いておこう。

そのプランでは結局難民問題、民族問題、紛争問題が全く解決されず、メガロメゼンブリア以外の魔法世界住人11億超が受けられる、テラフォーミングによって発生する利権の恩恵がゼロであることについても保留しておこうか」

 

 だが。

 

「これだけ譲っても、それでもまだ問題がある」

「問題?」

「むしろ君にとっては、さっき上げた問題よりもずっと深刻かもしれないね」

 

 

 

 

 

「聞いてくれみんな!!  神楽坂を助け出すのが相変わらずゴールだ!!」

 

 円を描く柱の組み合わせから成る球状の安置場。その中心に明日菜は十字架にかけられた罪人のようにくくられている。

 そのすぐ横に設置された円形の祭壇に3-Aの面々その他数人、言わばネギの仲間がそろっていた。彼女たちの注目を引きつけ、千雨と栞は現状と為すべきことを説明していく。

 

「『調』がこちらに協力せず、フェイト様とネギさんがどこにいるかわからない以上、私たちが自力でアスナさんを助け出し、目覚めさせるしかありません!」

 

 彼女らがいる祭壇の周囲はネギとフェイトの戦闘の余波でかつての美しさは欠片も残っていない。地は割れ、溶けた岩がドロドロと流れ、分厚い蒸気が立ちこめている。そのため祭壇から移動することも視界を確保することもできなかった。

 

「そ、そんなことをさせると……!」

 

 栞の言葉に、明日菜の身柄を守る結界を維持している調が仮契約カードを手にするが、その目の前に高音、佐倉、コレットの三人が立ちふさがる。

 

「邪魔はさせません」

「……くっ!」

 

 影で編まれた槍の穂先を首筋に当てられ、調は身動きが取れなくなる。千雨たちが明日菜を助ける方法を説明している光景を、忸怩たる思いで眺めることしかできない。

 

「私のアーティファクトを『グレートグランドマスターキー』に接続してある。みんな手を繋いで……アイツに呼びかけ」

「千雨さん」

 

 しかしいざ呼びかけようというところで、千雨の動きを止める声が聞こえた。

 呼ばれ、千雨が振り向くと、そこには最も頼りになるはずの存在がいた。

 ネギ・スプリングフィールド。ネギパーティーの中で間違いなく最強の個人戦力の持ち主。

ネギがここにいるということはフェイトの野郎を倒したのか。一瞬そこまで考え笑顔になりかけた千雨の表情筋は、ネギの隣に立つフェイトの姿に凍りついた。

 

「な、なんでそいつが!?」

 

 出てきて当然の疑問にネギは答えず、俯きがちにただ一言、

 

「明日菜さんを起こしてはいけません」

「……な、なんでだよ先生」

 

 その意味がとっさには理解できず、千雨は一拍遅れながらもどうにか言葉を返すことができた。自分以外にそれができそうな人間がいなかった。他の生徒たちは古を除けば皆フェイトの姿に足が竦んでしまい、立っていることですらやっとというありさまだ。

 

「リライトの魔法を見誤っていました」

 

 そんな生徒たちから目を逸らすようにしながらネギは言った。

 

「今このタイミングで魔法世界の崩壊を防ぎ、鍵を使って世界を元に戻すには、黄昏の姫御子であるアスナ姫を世界の礎としなくてはなりません」

 

それはつまり、黄昏の姫御子であるアスナ姫を、あるいは2年以上机を並べたクラスメイトである神楽坂明日菜を、100年以上封印しなくてはならないということだ。

そしてその100年の間に、明日菜という人格は摩耗消滅してしまう。

鍵さえあればなんのリスクもなく世界は元に戻ると考えていたが、それはあまりにも楽観的過ぎる憶測であったと、ネギは血の出るような悔恨とともに告げた。

 

「つまり、神楽坂の人格を殺して魔法世界を救うか、魔法世界を消してから安全に神楽坂を起こすかってことか」

「そんな、」

 

 生徒の中の誰かが、おそらく木乃香あたりの呟きが聞こえた。

 

「じゃあ先生は、私たちにここで世界が崩壊していく様を見てろと?」

「いえ。ポニョさんに言えば、僕たちはすぐにでも地球に帰ることができるでしょう」

「そういう話じゃねえよ! 魔法世界を見捨てて、12億人を切り捨てて、日常に戻れっつーのかよ!? てめー自分が何言ってんのかわかってんのか!」

 

ネギの胸倉をつかむ千雨。どれだけ強くなろうとその体は十歳の矮躯でしかなく、千雨の細腕でも、されるがままのネギを持ち上げることができた。千雨の剣幕に、隣にいた木乃香が駆けより千雨をなだめようと肩に手をかける。ネギは顔を俯けたままぽつりと、

 

「わからないです」

「わかんねーって、ぁあ!?」

「だって、しょうがないじゃないですか。ずっとお世話になっていました、慰めてくれました。時には添い寝だってしてくれて、励ましてくれた。僕のために怒って、泣いて、笑ってくれた。そんな人を犠牲にする選択肢なんて、選べるわけないじゃないですか!」

「それは、そうだけどよ! 他に手はねーのかよ! あんた天才だろ!? 英雄の息子だろ! あんだけ自信満々に『止める手立てがある』なんて啖呵きっといてなんだよそれ! 私たちはあんたの言葉を信じてここまで死ぬ思いで来たのに! こんな時に泣いてんじゃねーよ!」

「あまり責めるな、君。少年はまだ10歳なのだから」

「うるせーよ今話し、て……?」

 

 そこには、絶望が集っていた。

 先にネギとフェイトが倒したはずのニセフェイトたち、デュナミス、ラカンの見せた映像にあったかつて紅き翼と闘っていた面々に1番2番のフェイトなど。まさに悪の組織のオールスターの集合であった。

 下半身を斬り飛ばされたはずのデュナミスが、敵であるはずのネギに向かって不自然なほど優しい声をかける。

 

「選ぶことができないという者に無理に選択を強いることはないだろう。少年は何も選ばず、何もしなくていい。ただ黙って見ていれば、それで全ては終わる。大丈夫。世界を滅ぼすのは少年ではない、悪の組織である我々だ。そして少女よ」

 

 今度は千雨へと視線を向ける。それだけの動作で千雨の体はビクリと反応し、ネギの体を地面へと下ろした。

 

「その少年にとって『神楽坂明日菜』という疑似人格は家族のようなものだったのだろう? 情の移った疑似人格の為に、見知らぬ幻を見捨てるという、感情を持つ人間なら当然の判断ではないかな?」

 

 千雨は、子豚の授業の話を思い出した。

 一年間名前までつけて育てた子豚を捌くことは抵抗があるが、どこかの屠殺場で解体した豚でできたトンカツは何の躊躇もなく食べられる。別に千雨が神楽坂明日菜という少女を動物として見ているわけではないが。だがその存在が人の手によって生まれたものであるという点では、もしかしたら家畜も魔法世界人も疑似人格も、同じなのかもしれなかった。

 さらに2番が皮肉気というにはあまりに歪みきった笑みと共に言葉を叩きつける。

 

「旧世界の大人たちには口裏合わせてこう言えばいい! 『一生懸命頑張りましたが、敵が強くて世界の崩壊を防げませんでしたごめんなさい』とな! ハハハ、なに子供の君たちに本気で期待している大人などいやしないのだ、気にすることはない!」

「黙って、2番」

「は? ……3番、貴様!」

 

 2番の言葉を遮って、フェイトがネギの前へと進む。その背に向けて右手を向けた2番であったが、デュナミスに咎められ歯ぎしりを鳴らしながら矛を収めた。

 

「ネギ君」

 

 カツン、と靴の音を響かせて、ネギの顔を覗き込むようにフェイトが額がぶつかるほどの距離まで接近した。千雨はつい一歩下がる。それでも、胸倉をつかむ右手は離さなかった。離すべきではない、いま離してしまえばネギは壊れてしまうと、そんな予感があった。

 

「君の今までの頑張りは、神楽坂明日菜を助けるためだろう? 彼女を救うために自分がどうするべきかを考えればいい。

いつか聞いた問いを今改めて聞こう。ネギ君、君は幻想の世界の為に仲間を犠牲にするのかい?」

「……僕は、」

 口ごもる。答えられないのだろう、と千雨は思う。誰も犠牲にしないと、宿敵であるフェイトですら殺さずに全てを解決するのだと叫んだ子供に、どちらを犠牲にするか選ぶなんてできるはずがないのだ。さっきはつい感情的になって叫んでしまったが、デュナミスの言うとおりこれは仕方のないことなのかもしれなかった。

 

 

 

「ふざけんじゃないわよ!」

 

 

 

 その叫びは、その場にいた全ての視線を集めた。上。

 祭壇に封じられていたはずの明日菜が、破魔の大剣を振りかぶり、ネギとフェイトを引き離す位置に飛び込んできたのだ。

 

「あああっ!」

 

 喉が裂けんばかりに吐き出された気合いと共に振るわれる横薙ぎの一閃に、フェイトは迷わず回避を選んだ。黄昏の姫御子の体質を体現した、魔法無効化のアーティファクト『ハマノツルギ』。これをもって振るわれる斬撃は自分の持つ障壁など何の意味ももたない。防御などしようとすればその防御ごと斬り伏せられるだろう。しかもその斬撃の鋭さは以前の比ではない。おそらくアスナとしての記憶を取り戻したためだろう、最強の枠に十分以上収まる剣の腕を明日菜は思いだしていた。

 

「あ、すなさん……?」

「こぉんの……バカネギ!」

「あぶろっ!?」

「お、おい神楽坂!?」

 

 振りかえりざまの明日菜のチョップを、彼女の復活に呆然としていたネギは避けることができなかった。脳天を抑えてネギが明日菜を見ると、彼女は釣り眼気味なその両目をさらに釣り上げてネギを睨んでいた。

 

「何考えてんのよあんた! 言ったじゃない、魔法世界の人たちだって皆大切なんだって! なにをうじうじ悩んで、挙句に選べないって……バカ!」

 

 明日菜から捲し立てられる言葉の群れにネギと千雨は目を見開いた。

 

「現状を、把握しているんですか?」

「……うん。聞こえてた。千雨ちゃんのアーティファクトのおかげでね。あんたのうじうじした声も、考えていることも全部……バカ!」

「え」

 

 今千雨は、『力の王笏』と『グレートグランドマスターキー』を接続して、明日菜に呼びかけようとしていたところだったのだ。クラスメイトたちの明日菜への思い、あるいはその精神データは『力の王笏』によってデジタル信号として処理され、『グレートグランドマスターキー』を経由して明日菜に届けられていた。その信号の中には、千雨に胸倉を掴まれていたネギの精神データも当然含まれていた。

 

「で、でも今からリライトをキャンセルして世界を元に戻すには明日菜さんが礎にならないといけないんですよ!? それには100年の眠りにつかないといけなくて、そんな長い期間明日菜さんの人格がもつはずなんです、つまり死ぬってことなんですよ!?」

「大丈夫!」

 

 大丈夫。それは明日菜が以前も口にした言葉で、アスナとしての記憶を取り戻してもそこは変わらないらしい。

 

「な、なにが」

「私は消える気なんかない。絶対また会える。私を信じて!」

 

 無根拠で、理論もなく、でも自信にあふれていて聞いた者を安心させる。まるで魔法のような言葉だと千雨は思った。

 というか、百年分の記憶を取り戻しても変化しない疑似人格ってことは、もしかしたら本当に百年の封印も耐えられるのではないか。そんなことを千雨は思った。明日菜の『大丈夫』に引きずられているのか、こっちまで思考がポジティブになった気がする。

 だが、それじゃあこのガキは納得しねーんだよなと、千雨はネギをちらりと伺った。

 

「でも!」

「そんなことより、あんたはやんなきゃいけないことがあるでしょ」

「え」

 

 しかしそのネギの反論を、明日菜はさらに言葉を重ねることで封殺した。

 

「世界を平和にすんのよ」

「世界を、平和に?」

「そうよ。世界を背負うんでしょ? ナギの跡を継いで。私が目覚める100年後までに、世界を平和にしときなさい。それができて初めてナギを超えたことになるんじゃないの?」

「え、う」

 

最後に一度明日菜は頬笑み、ネギの頭を撫で、そして高らかに詠唱を始めた。

 

 

 

――造物主の掟最後の鍵

我黄昏の姫御子 創造主の娘 始祖アマテルが末裔――

 

 

 

 創造と再生を担うその詠唱は厳かに、そして染みるように魔法世界へと浸透していく。完全なる世界へと捉えられた魂が一つ、また一つと元の世界へと再構築されていく。『ハマノツルギ』と『グレートグランドマスターキー』を両手に携え、世界を構築する元となる魔力と共に舞う姿は、神聖にして不可侵な、神を祭る神楽の儀を思わせた。

 

「駄目です明日菜さん!」

「させん!」

 

 突然始まった詠唱にネギが叫んだ。が、それ以上のことは何もできなかった。千雨に服を掴まれていたというのもあるが、既に自分は選択することを放棄したという後ろめたさが、彼から行動力と決断力を削ぎ落していた。

2番たちも慌てて明日菜に飛びかかった。彼らはあまりにも急な展開に、アスナという存在の重要さに、そして『ハマノツルギ』の危険さに行動を起こせなかったのだ。だが行動に入れば彼らは早い。特に2番と5番は雷化のスキルを保持している。詠唱が終わるまでに容易くアスナの意識を奪い、再儀式を行って祭壇に戻せる。問題はリライト発動までの時間だけであるはずだった。

しかし。

 

「ぐ、あ……!?」

 

明日菜を止めようとするフェイトたちがいきなり倒れた。

 

「な、なんだこれは! 力が、魔力が抜けていく! ……ま、まさか主が? あ、ああ、ぐああ!」

 

一堂に会していた新旧の幹部たちの体が、石化し砕けていく。そうしている間にも明日菜の詠唱は続き、そして終えた。

 

 

 

――世界を元に――

 

 

 

「なぜだ、なぜだ主よ! リライトは、魔法世界の救済はあなたの悲願ではなかったのか!」

 

 叫びながら、2番はあることに気付く。

 

「そ、そうか……あの男、奴か! 奴が主の意識を、ああああああ! なんという理不尽な存在だ! くそう! ふざけやがってたかが人間風情が! 貴様さえ、貴様さえ存在していなければ、世界は救われていたはずなのにいいいい!」

 

壮絶な断末魔をあげながら2番が、そして他の幹部たちも崩れていく。

フェイトたちの原型がほぼなくなって周囲の瓦礫と区別がつかなくなった頃、その中心から黒い人影が現れた。

その威圧感。魔力を全く持たない千雨ですら、あのフェイトたちと比してもなお別格と感じられるその存在。警戒することもできない。しても無駄だと本能が告げている。その黒いローブの前で、千雨は、他のメンバーは、身じろぎひとつとることができなかった。

フードが外れる。暗い影に隠されていたその相貌が明るみに出る。

そこから現れたのは、かつての英雄にしてネギの父。ナギ・スプリングフィールドのものであった。

 

「と、うさん?」

 

ナギは無言のまま、明日菜へとゆっくり近づいていく。人と、その他の動植物全ての再生を終えた明日菜は、なんの躊躇も見せずにナギの手をとった。二人の体はどちらも塵と化しつつある。フェイトたちと違うのは、二人の意志でどこにでも自分の体を再構成できることだ。おそらく二人はこれから墓守人の宮殿の最深部で体を戻し、長い眠りにつくことになるのだろう。

 

「まって……待ってください、明日菜さん」

 

ナギと手をつないだ明日菜は、塵になりながらネギに振りかえる。

その顔に不安の色は何もない。自分が消えてしまうなど欠片も思っていない。ネギが世界を平和にしてくれると信じていて、だからこそ自分が眠りにつく価値があるのだと、その自信に満ちた瞳が言っている。

 

「私が目覚めたとき、平和になってなかったら承知しないからね!」

 

最後まで笑いながら明日菜が消えた。

伸ばされたネギの手は虚空を掴み、手のひらには何も残っていなかった。

 

「あ、うあぁ……ぁ」

 

がくり、とネギの膝から力が抜けた。膝をつき、何も映さない瞳を空に映る麻帆良学園に向ける。

約束したのに。

あの少女を守ると。

ラカンとの約束であり、父が守れず、守りたいと願った少女を、自分もまた守りたいと思った。

それは、ネギ自身が自らの胸に刻んだ誓いだったのに。

 慟哭と共に流れる涙は、いつまでも枯れることはなかった。

 言葉にできぬ後悔の中で、ネギは父に、ラカンに、クラスメイトに、そして何より明日菜自身に向かって、ただひたすらに詫び続けた。

 

 

 

 

その後、オスティアではクルトの指揮の元で表彰式典が執り行われた。

多くの魔法世界の住人が集まり、その全員が世界を救った英雄の登場を待ち焦がれている。誰もが自分たちの生還を喜び、新たな英雄を祝福している。

だが、耳をつんざく歓声もネギには届かない。まるで機械のように、今のネギはクルトの指示に従うだけだ。

英雄を讃えるクルトの紹介も、あまりにも虚しくネギの心に響いた。

 



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