魔法少女まどか☆マギカ[新説]~ヴァルプルギスナハト~ (マンボウ次郎)
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第一話 Walpurgisnacht(ヴァルプルギスナハト)

「……建物が……街が!」

 

 灰色の空を舞う、ビルの残骸たち。黒い雨、嵐のような旋風。

 

「どうしてこんなことに……」

 

 そこに現れたのは、白と紫を基調とした女子制服のような服で、鋭角的なデザインの衣装を身にまとう見知らぬ少女。

 

「誰? この子は何をしているの?」

 

 空を飛び回り、荒廃した街を駆け抜けながら必死で戦っている少女。銃火器や兵器を操りながら時折、不思議な動きを見せている。突然消えたり、突然現れたり、砲撃もまるで複数人で行なっているように、一度に何十発もの砲弾を噴かせていた。

 

 やがてその少女は不思議な動きを見せなくなり、落下するビルの残骸に巻き込まれて消えていった。

 

 ここはどこの街なのか、いつの時代なのか、わからない。そして今日は何月何日なのか、何時なのか、空はどんよりと暗く、厚い雲に覆われてわからない。

 

 世界の終わりのような未曽有の大災害は、突如としてこの街に訪れた。崩壊していく都市を見下ろしているのは……

 

「私……!?」

 

 

 

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「……なつき、……なつき!」

 

 何かで頭をつつかれて、御上那月(みかみなつき)は目を開けた。ゆっくりと顔を上げると、見えてきた右の袖がしっとりと濡れている。

 

「ちょっと、それ! よだれ?」

 

「えっ? うわわわわっ!」

 

 淡いカーキ色のセーターの袖を慌てて隠すと、那月は誤魔化し笑いを浮かべた。袖の冷たい感触で、我に返るまでにそう時間はかからなかった。

 

 ここは……教室?

 

「な~にやってんの。もうすぐ授業始まるよ」

 

「ゴメンゴメン。つい、うたた寝しちゃってた」

 

「うたた寝って……アンタ、結構マジで寝てたっぽいよ? 寝言まで言ってたし」

 

 マジ寝どころか、しっかり夢まで見てました。しかも横顔を見せて熟睡してたとあっては、一体どんな寝顔と寝言を晒していたのか。そう思うと、恥ずかしさで自分が縮んでいくような気がする。

 

「と、ところで……どうしたの、柚葉。何か話?」

 

 喉元過ぎれば、なんとやら。話題を逸らせば、よだれも乾く。那月は午後の授業で使う教科書を取り出しながら尋ねた。

 

「ああ、学校終わったらちょっと買い物に付き合ってよ。どうせアンタ、暇でしょ?」

 

「暇ってことはないわよ。これでも私は何かと忙しいんだから」

 

 何かと、が何なのかと聞かれても答えようがない。暗黙に了解してほしいと思いながら、那月は目線をそらした。

 

「はいはい、家に帰るのがそんなに忙しいのね。つーことで、学校が終わったらいつもの所ね」

 

「ちょっと、私まだ行くって言ってないよ」

 

 強引に話を進められてしまったところで、狙いすましたように授業が始まる鐘が鳴り、柚葉は「じゃね」と言って自分の席に戻っていった。

 

 彼女の名前は宝条柚葉(ほうじょうゆずは)。那月のクラスメイトで、市内でも有数の豪邸に住む本物のお嬢様。

 

 なのだが、ホントか? と疑いたくなるほど普通に普通の中学生。喋り方も乱暴だし、かなり強引だし、勉強嫌いだし……まあ、見た目だけは麗しい、黙っていればお嬢様。サラサラなロングヘアで細身で胸も大きくて……いやでも、あんな性格だから寄り付く男子はことごとく玉砕しているのを知っている。

 

「はぁ……柚葉と買い物って、時間かかるのよねぇ」

 

 窓際の席に座る那月は、ポカポカ陽気の窓の外に目を移してため息をついた。

 

「それにしても、変な夢だったなぁ」

 

 那月は、風に揺れたカーテンをシャーペンで突っつきながら、さっきの夢の事を思い出した。知らない街を見下ろしていたのは、間違いなく自分だった。妙にリアルで、まるで自分がそこにいるような、いや、自分が街を壊していたような……そんな気さえ感じさせる夢だった。

 

「しかし、よだれは失敗だった……」

 

 と呟きながら、ガクっとうなだれた。中学二年にもなって、うたた寝でよだれを垂らしていたなんて我ながら情けない。今時、マンガでもそんな恥ずかしい寝方をしているキャラはいないだろうと思った。マンガは観ないけど。

 

 とりあえず、起こしてくれたのが柚葉で助かったという結論で落ち着かせることにした。

 

 ここは、北夜見市(きたよみし)にある、市立北夜見中学校。どこにでもあるような普通の中学校。普通のクラスで、普通に友達がいて、普通に過ごしている。

 

 が、御上那月は普通の中学生ではなかった。

 

 勉強は、割とできるほう。学年トップをとるような秀才ではないけれど、それなりに勉強してクラスの上位をキープできるレベル。別に自慢じゃないわよ、と自分で自分に言っておく。

 

 運動は大得意。走るのは速いし、何でも器用にできる万能少女。去年の校内マラソンでも学年三位だったし。そのくせ、部活動には入っていない(つまり帰宅部のエース)のは、私は何かと忙しいんだから、と言い張っておく。

 

 何が普通ではないのかというと、それは那月が付けている指輪だった。中学生が学校に指輪をしていくなんて禁止も禁止、それこそ校則違反なのだが、それは他の人間には見えないものだった。指輪には小さな青紫色の石が付いていて、それが頬杖をついている那月の右指で静かに光っていた。

 

 その輝きはどこか不思議で神秘的で、サファイアやアメジストなどの宝石ではない。ましてや、異性に対しては消極的な那月が「彼氏からもらったプレゼントなの、テヘッ☆」的な色恋アイテムでもなかった。

 

「あ~あ、昨日の夜に見つけたヤツを狩りに行こうと思ってたんだけどなぁ」

 

 そんなことを考えながら、午後の授業もウトウトしながら過ぎていった。

 

 

 

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 学校帰りのショッピングは、校則で禁止されている。制服のままウロウロすれば、それこそ北夜見中学の生徒だなんてすぐにわかってしまうのだが、そこは普通の中学校。監視の先生なんて滅多に来ない。

 

 もし見つかっても「ゴメンナサイ先生、ウルウル……(泣)」という、必殺の泣き落とし(ただし、男の先生相手に限る)で乗り切ろうというのは、柚葉のアイデア。

 

「でもそれ、絶対通用しないと思うんだけど」

 

「い~や、那月なら出来る。アンタは感情表現が激しいから」

 

「それ、褒めてるの?」

 

「褒めてるよ。あたしにはそんな恥ずかしいこと、できないもん」

 

「おいおい……」

 

 絶対コイツ、私を人身御供にして逃げるつもりだ、という疑惑しか浮かばなかった。だったら泣き落としよりも、柚葉のお色気で「ゴメンナサイ先生、ウッフン(揺れ)」と豊満なお胸をチラつかせる作戦のほうが、ワンチャンあるんじゃないかと思ってしまう。……中学生のすることじゃないけど。

 

「ところで、柚葉。一体何を買いに来たの?」

 

「誕生日プレゼント」

 

 まさか、オトコか!? いやいや、男子生徒を手玉にとるような柚葉がプレゼントなんて、らしくない、らしくない。コイツはあげるよりも貰うタイプ。むしろ貢がれるタイプ。いや、でもまさか……

 

「お母さんの、ね」

 

「ですよねーっ!」

 

 なぜか安心してしまった。ふたりの興味は、どちらかといえば花より団子だから。こうなったら早いところプレゼントを買って、何か美味しいスウィーツでも食べていこうなんて考えている那月もまた、色恋とは縁の遠いお子ちゃまなのだった。

 

「あ‥‥‥悪い。この買い物、那月に付き合ってもらうのはマズったかな」

 

「どうして?」

 

「いや‥‥‥何でもない」

 

 柄にもなく、申し訳なさそうな顔を見せた柚葉の考えていることは、なんとなくわかっていた。

 

 那月には母親がいない。正確には、母親を亡くしている。那月がまだ小さい頃、事故で帰らぬ人となっているのを柚葉に話したことがあるからだ。

 

「私は別に気にしないよ」

 

 強がりでもない、我慢でもない。まったく気にならないといえば嘘になるが、母親を亡くしていることを柚葉が気にして言葉を詰まらせたのが、逆に申し訳ないと思った。

 

 いい子なんだよ。

 

 口は悪いけど。

 

「で、何を買うつもりなの?」

 

「だからそれを選んでほしいの」

 

 あ、なるほど。

 

「あたしが選んで失敗したら嫌じゃん。アンタが選んで失敗したら、来年の参考になるじゃん」

 

 前言撤回。コイツはズルい子。

 

「毎年考えるのも大変なんだから」

 

 そう言いながら、楽しそうに雑貨屋さんに入っていく柚葉を見て那月は思った。

 

 コイツはズルいけど、優しい子。

 

「仕方がない。それでは、この私が選んであげましょう。フフフ、究極の逸品をね!」

 

「ほう‥‥‥自信たっぷりではないか。ならば、その御礼は『ロイヤル・フォレスト』の苺ケーキでいかがかな?」

 

「わおっ! 南蛮渡来の高級スウィーツではないですか。お代官様、さすがにお目が高い♡」

 

「カッカッカ! お主も欲深き乙女よのぉ」

 

 苺ケーキに釣られて時代錯誤な芝居を披露する中学二年生。そして、乗ってくるコイツも同類。ケーキは南蛮渡来じゃなくて洋菓子だけどね。勢いって、恐い。

 

 結局、ふたりであーだこーだ探しながら選んだのは、二千円くらいのキレイな花柄のハンカチ。柚葉はお嬢様で、家はお金持ちだけど、自分を弁えたプレゼントを選ぶのは偉いと思った。金にモノを言わせて、ウン万円の物を買うような子じゃない。

 

 だから柚葉とは、一番仲良しの友達でいられるのかもしれない。

 

「それじゃ軍曹殿、苺パフェに突撃であります!」

 

「よろしい、那月二等兵。ロイヤル・フォレストに進軍開始だ~!」

 

 やっぱりコイツは、とてもお嬢様とは思えない。

 

 

 

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「で、帰ってくるのはこんな時間‥‥‥っと」

 

 陽もどっぷり暮れた、とゆーかもう夜の八時過ぎだよ!

 

 ふたりのお喋りはエンドレスだった。始まりがなければ終わりもない。いったん話に花が咲いたら、あとは流れること水の如し。それは清らかな清流ではなく、荒れ狂う濁流のように話は止まらない。残弾∞のチート武器のように、マシンガン会話が続けられ、そして最後は

 

「ヤバっ、あたしそろそろ帰らないと」

 

 という柚葉のひと言で戦闘は終結を迎えた。どこまでも唯我独尊な柚葉さん。もう惚れるしかないね。

 

 苺ケーキと無制限のドリンクバーでタプタプになったお腹を抱えて、那月は自宅に帰ってきた。明かりの点いていない、真っ暗な一軒家。

 

「お父さんは今日も残業ですね。お疲れさまです」

 

 那月は母親を亡くしてから、父親とふたり暮らしだった。その父親も、このところ仕事で帰りが遅い。

 

「ということは、今夜も都合がよろしいようで」

 

 二階の部屋に電気を点けて扉に鍵をかけると、女子中学生の戦闘服(いわゆる制服)をハラリと脱いだ。夜はまだまだ肌寒い季節なので、ひんやりとした部屋の空気に那月の白い肌が少し震えた。無垢な下着をあらわにしながら、全身鏡に映った自分を眺めて

 

「う~ん‥‥‥何を食べたら柚葉みたいになるんだろう」

 

 主に胸のあたりを気にしながら、ひとり呟く。

 

 この薄っぺらい膨らみは今日も一段と慎ましく、自己主張に乏しい。明日もきっと、地味に控えめに世の中を渡っていくことだろう。

 

「ま、まあ‥‥‥これはこれで需要があるかもしれないし」

 

「何がだい?」

 

「ブッ! キュゥべえ!?」

 

 部屋の出窓の縁に、猫くらいの白い生き物が座っていた。いや、猫ではない。ウサギでもない。真っ白で四つ足、赤い目、耳から生える長い触手のような羽。

 

 コイツはキュゥべえ。喋っているようにみえて、実は精神感応(いわゆるテレパシー)で意思を伝えてくる。

 

「いつからいたのよ!?」

 

 那月は慌てて上下を隠した。純白の下着だけの恰好を両手で覆い隠せるわけはないのだが、反射的にそうしてしまうのは乙女の恥じらい。つまり条件反射。あまりに早業のせいで、下着の肩ヒモが少しだけズレていた。

 

「何を怒っているんだい? 僕は最初からいたじゃないか。それに気付かないのは君の落度だよ」

 

 ガン見しながら正論を吐くのはヤメていただきたい。とは言っても、コイツは人間じゃないし、さらに性別すら分からない生き物。乙女の下着姿も、薄っぺらい膨らみも、コイツにとってはただの繊維と脂肪でしかない、らしい。

 

 でも、「僕」って言うんだから、どちらかといったら男の子寄りなんじゃないかと思ってしまう。

 

「ちょっと、あっち向いててよ」

 

「なぜだい?」

 

「なぜじゃなーい! いいから、あっち向いてて!」

 

 キュゥべえは、やれやれといった感じで窓の外を向いた。澄んだ夜空に、細い三日月が浮かんでいる。その鋭利な光を、丸くて赤い瞳で見たキュゥべえは

 

「今日は月がキレイだね」

 

 と呟いた。

 

 それはもしかして、月とスッポン的な揶揄ですか? 私がスッポンですか? はいはい、どうせ私の脂肪は貧弱ですよ!

 

「もう、いいわよ」

 

 クローゼットから取り出した服に着替えた那月は、不貞腐れた顔で言った。わかっちゃいるけど、言われると悔しい。見てなさいよ? いつかゴージャスで立派なお胸になってやるんだから。三日月だって、じきに満月になるんだ。そうだ、大豆製品のイソフラボンがいいって誰かが言ってた気がする。

 

 そうして、明日から豆乳を飲もうと誓う那月であった。

 

「それじゃあ、昨日のヤツを探しに行こうか。あの時は不用意に近づいたせいで、取り逃がしちゃったからね」

 

 支度を終えた那月に、キュゥべえが号令をかける。

 

「よし、ついでに豆乳も買ってこよう」

 

 支度を終えた那月は、今日も何かと忙しかった。

 

 那月は、キュゥべえの契約者。こんな小動物みたいなのと何を契約しているかというと、願いと引き替えに魔法少女になること。うんうん、そういうアニメ観てたことあるよ、小さい頃に。変身グッズも持ってたよ。

 

「プリ○ュア、オープンマイソウル!」

 

 みたいなのね。

 

 でも、魔法少女ってのは本当の話。那月はキュゥべえに願いを告げて、魔法少女になっていた。たったひとつの願いをもとに、自らの魂をソウルジェムに変え、魔女と戦う使命を課せられる。それが、御上那月が普通の女子中学生ではない本当の理由。

 

 そしてソウルジェムというのが、右指に付けている指輪に輝く石。宝石でも鉱物でもない、今はこの輝く石が那月の魂。

 

 ソウルジェムに魂を宿し、身体は見せかけだけのタンパク質と脂肪の塊。肉体がどんなに傷付いても、ソウルジェムがある限り回復と再生を繰り返すことができる。

 

 つまり那月の身体は、不死のゾンビ状態ということ。いや、それは例えが悪い。こんなにカワイイ女子中学生がゾンビだなんて……。

 

 那月は鏡に映る自分を見た。肩まで届く、青みがかった黒髪に映えるキューティクル。白い肌にパッチリな目。

 

 その姿にキリッと笑みを浮かべてから

 

「じゃ、行こうか!」

 

 と言って部屋の窓を開け、ベランダの欄干から飛び降りた。

 

 部屋は明かりが点いたままになっていて、入り口のドアには『勉強中! 声掛けないで』と書かれたプレートが掛けられていた。

 

 

 

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 宵の北夜見市。

 

 静かな住宅街を細い三日月が照らしていた。ここは県境の住宅都市で、近代化の進む隣町のベッドタウンとしてたくさんの人が暮らしている。

 

 とはいっても賑やかな街ではないので、夜は閑静なものだった。独自の産業基盤をもたない、大都市への通勤者の居住地。娯楽施設も少ないので、この時間は帰宅を急ぐ人々が足早に過ぎていったり、温かい家庭の匂いが漂う、そんな街だった。

 

「たしか、こっちの方だったよね」

 

 那月は光る石を両手に抱えて、暗い夜道を歩いていた。さっきまでの指輪型のソウルジェムを卵型の石に変え、その光の強くなる方へと進んでいく。

 

 ソウルジェムが放つ光は、特殊な魔力を探知している。この魔力の波動を辿った先にあるのが、魔女の結界。『魔女』っていうのは異形の姿をした化け物で、『結界』という普通の人間には見えない異世界から『使い魔』と呼ばれる部下を伴って現れる。魔女は人間に『魔女の口づけ』という呪いをかけ、呪いを受けた人間を自殺や交通事故などに駆りたててしまう。

 

 なんだかお伽話みたいで、那月も最初は信じられなかった。でも実際に『魔女』や『使い魔』を目の当たりにし、そいつらが本当に『魔女の口づけ』という呪いをかけている姿を見てからは、その現実を素直に受け止められた。

 

 そして魔法少女は、魔女を狩らなければならない。それが那月とキュゥべえの契約。願い事を叶える代価として、魔女と戦う使命を課せられる。それが魔法少女の運命。

 

 何より、魔法少女は魔女を狩らなければ生きていけない。

 

「近いね」

 

 那月の足元でキュゥべえが立ち止まった。ソウルジェムの光が、強い。

 

「たぶん昨日のヤツだ。いいかい那月、焦らず慎重に行くんだ」

 

「わかってるわよ」

 

 ゆっくりと歩を進めると、見えてきたのは暗い病院。明かりは点いておらず、もう何年も前に廃院となった建物だった。舗道の上から那月たちを照らす外灯がチカチカと点滅している。

 

 いかにも何かが出そうな場所だった。

 

「なんで、よりにもよってこんなところに……」

 

 こんな場所、恐くない……わけはない。

 

 冷えた夜風が、雑草だらけの荒れた敷地を吹き抜ける。不規則に点滅する外灯の光が、静かな稲光のように閃く。足元の影がフッと消え、パッと現れ、それを繰り返している。

 

 B級ホラー映画だったら、この後はゾンビでも出てくるんじゃないかと思えてくる。

 

 あ、ゾンビは私だ……。そんなツッコミをほんの少しの勇気に変えて、那月は廃院の扉に手をかけた。

 

 

 

続く




いよいよスタートしました。オリジナル小説・第二弾

魔法少女まどか☆マギカ[新説]
~ヴァルプルギスナハト~

「ヴァルプルギスナハト」というのは、ワルプルギスの夜のドイツ語読みです。

まどマギ本編に登場する舞台装置の魔女(ワルプルギスの夜)は「最凶最悪」と呼ばれ
絶対的で圧倒的な力を持つ魔女で有名ですが、その成り立ちは明らかになっていません。

今作では、その「ワルプルギスの夜」について
いつ産まれ、どのように存在し、そしてどこへ向かっているのかを
オリジナルストーリーで描いていきたいと思います。

前作の[再臨の物語]を読んでいただいた方、
今作から初めて読まれる方、
私の作品はまだまだ素人レベルですので、読みにくい部分や分かりにくい表現など多々あるかと思いますが
私も書きながらゆっくり成長していければと思っていますので
ご容赦くださいますようお願いいたします。

また、感想のコメントも大歓迎でございます。
ダメ出しや辛口なコメント、誤字脱字の指摘も、もちろんOKです。

今作の「ハナト」は
全24話、18万文字程度を目指しております。
基本は毎週月曜日に1話ずつアップする予定ですが、進行度合いにより遅れる場合もありますので
その際は「あ、コイツ追いついてないな」と思っていただければ(;^ω^)

ということで、これから約半年間
「ナハト」をよろしくお願いいたします!


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第二話 蒼 ユリ(あおい ゆり)

 廃院の扉は雨風に晒されて、至るところが錆び付いていた。そりゃそうだ。もう何年も使われてないからね。こんな場所に入ろうとするのは、やんちゃな若者が肝試しをするくらいでしょ。

 

 たしかに肝試しにはちょうどいいかもしれない。場所が場所だけに、幽霊とか亡霊とか出ちゃうのかな。リアル過ぎて全米が震撼しそう。あまりの恐怖で失神しても、ここの病院にはお世話になりたくないけどね。

 

 まあ、そのくらい普通の人は来ないだろうってところ。誰もが避けて通る場所だからこそ、魔女にとっては都合がいい隠れ場になってしまうらしい。

 

 那月は入口のガラス扉に手をかけてみたが、それはガタガタと引っかかるだけで開けることはできなかった。

 

「やっぱり鍵がかかってる」

 

 真っ暗な病院の中を覗いてみても、誰もいないし何も見えない。いや、もし誰かいたら……それはそれで恐いって。

 

「那月、結界の入り口がその扉とは限らないよ。ソウルジェムをよく見て」

 

「オッケー♪」

 

 努めて明るい返事をするのは、ホントに恐いから。今だけはこのお饅頭みたいな生き物が一緒にいて助かると、那月は心の中で思っていた。

 

 ソウルジェムの光は建物の左手側に寄っていた。こうやって細かな方向まで特定できるのは、那月の魔力探知が慣れてきている証拠。

 

 ゆっくりと、壁づたいにグルリと回り、生い茂る草をかき分け、廃院の横手のほうへ歩いていく。後ろからカサカサと乾いた草の音が聞こえてくるのは、キュゥべえがついてきてるから。正直、目で見えてる前方よりも、見えない後ろの方が恐いんだよね。冗談でも驚かすのはヤメてね、心臓の鼓動が痛いくらい緊張してるんだから。

 

「あれは……」

 

 正面の入り口から二十メートルほど歩いたところで、救急用の入り口があった。足元は割れた路面から雑草がボソボソと生えている。

 

 扉は両開きのガラス張りになっていて、二枚の扉が丁度合わさるところに

 

「あった!」

 

 黒いガラス玉のような、丸いシンボルがくっついている。それは電気を帯びているようにパチパチと放電していて、少しだけ黒いモヤがかかっていた。

 

「キュゥべえ、これだよね」

 

「どうやら間に合ったみたいだね。まだ孵化していないようだ」

 

 これが結界の入り口。今はまだ孵化していないから放っておいても害はないけど、このまま放置すればやがて魔女が産まれる。

 

「てことは、結界が開く前ってことね。こっちから乗り込んで退治していいんでしょ?」

 

「ずいぶんとはりきってるじゃないか。でも、油断は禁物だよ」

 

「わかってるって」

 

 そう言って那月は丸いシンボルに指を近づけた。黒いシンボルに触れた瞬間、まるで暗黒が広がるようにモヤが立ち込めていく。それはあっという間に辺りを暗く染め、那月とキュゥべえを別世界へといざなった。

 

「魔女の結界……ここは、病院の中?」

 

 那月たちが足をつけているのは、さっきまでの荒廃した病院の敷地ではなかった。白い霧が立ち込める、赤と紫と白のタイル床。カラフルというよりは、不気味な色合いの通路。壁も天井も同じように色づき、微かに消毒薬の匂いがした。病院の中のように見えるここは魔女が異空間に創りだした根城で、魔法少女達から身を守るバリケードでもある。

 

 そして、外の人間には見えない異世界。

 

「それにしても、魔女の結界って……」

 

 これまで何度か魔女の結界に足を踏み入れた那月だが、そこは不気味で気味の悪い世界ばかり。魔法少女といえば、もっとファンタジーでメルヘンチックな世界を想像してたのに、魔女の結界といったら

 

「いつもグロテスクな所ばっかり」

 

「仕方ないよ。結界は、魔女を象徴するモチーフが描かれる空間だからね。魔女の心象風景が投影されていることが多いんだ。でも中には、もっとコミカルな結界もあったりする」

 

「コミカルねぇ……どっちにしても気色悪いのに変わりはないんだから、早いところ片づけて帰りたい」

 

 今日は柚葉との買い物やお喋りに付き合ってしまったので(主にお喋りだが)あまり時間がない。自分の部屋には鍵を掛けてきたけれど、居留守がバレたらさすがに怒られる……(汗)

 

「一応、私の門限は七時なんだから」

 

「それは最初から過ぎていたじゃないか」

 

「うっさい!」

 

 そんなコミカルなやり取りをしながら、魔女の結界を奥へ奥へと進んでいく。結界内は入り組んでいて、たいていは魔女が最深部にいるはずだった。

 

 通路の両側には固く閉ざされた扉がいくつもあって、その上には見たこともない文字で何かが書かれていた。日本語でも英語でもない、世界中のどの言葉にも当てはまらなそうな文字。読めないけどたぶん、レントゲン室とか、点滴室とか、そういうことだと思う。

 

 ここまで使い魔の一匹も現れないのは、この結界がまだ産まれて間もないからだろう。魔女の手下である使い魔は、魔女が産み出す。魔女本体がまだ成長しきっていないので、使い魔を産み出す魔力がないのかもしれない。

 

「ここで行き止まり……か」

 

 通路の一番奥。白い霧がもっとも濃く、視界の悪い行き止まりには『霊安室』と案内板が貼られた扉があった。ここだけはなぜか日本語で書かれている。

 

「魔女がここでお待ちしてます、っていうこと?」

 

「どうやらそうらしい」

 

 不気味な廃院の行き止まりに霊安室。やっぱりこれはホラー映画だ。それもベタベタなやつ。扉の中にはきっと、ゾンビ的な魔女がオドロオドロしく待ち構えているに違いない。顔は土色に腐ってて、白目むいてて、皮膚は傷だらけで、血まみれのゾンビが出てくるんだ。

 

 こ、恐い……。

 

 那月は足元にいるキュゥべえをチラっと見ながら

 

「……キュゥべえ、先に入る?」

 

 顔面蒼白にビクついて、目が泳いで、皮膚は鳥肌だらけで、汗まみれで言った。

 

「君は、自分が魔法少女だって忘れたのかい? 魔女を倒さないと、僕たちはここから出ることもできないんだよ」

 

 確かに。これじゃお化け屋敷の中でキャーキャー言ってる女子だ。しかも隣にいるのはステキな彼氏じゃなくて、お饅頭みたいな小動物。こんなデートは嫌だ。

 

「はぁ……仕方ないか」

 

 那月は怯える気持ちをため息で吐き出すと、ソウルジェムを握りしめ

 

「じゃ、行くよ!」

 

 と声を出して、勢いよく扉を開けた。

 

 扉の中はドーム状になっていて、そこら中に十字架の墓石がたくさん刺さっている。立ち枯れた木、ボサボサの雑草、荒れた地面。見上げた天井には夜空に満月の絵。これはまるで……まるで……

 

「思いっきりゾンビが出るお墓場ですけどーーー!!」

 

 さっき吐き出したはずの恐怖感を、もう一度飲み込んでしまった那月だった。それも、ゆっくりじっくり噛みしめて。もう恐いのはお腹いっぱいだよ。

 

「気を付けて、那月。来るよ」

 

 十字架の墓標がひとつ、ガタガタと揺れ出した。地面がモコモコと持ち上がり、墓石が倒れ、その中から薄紫色の小さな手が……

 

「うひゃーー!」

 

 目をグルグル回して叫ぶ那月の前に出て来たのは、ボロボロになった緑色の服を着て、青い髪をボサボサに乱したゾンビの

 

「……子供?」

 

 小さい。あまりに小さい。まるで幼児のような体形の小さなゾンビ。それもムスっとした幼な顔で二頭身とか、デフォルメされるにも程がある。両手でドクロを抱えているけど、それもイジワルそうにケタケタ笑ったおもちゃみたいなガイコツ。

 

 背景と似合わないコミカルなコイツが……

 

「魔女なの?」

 

「油断しちゃダメだ。ここが結界の中だということを忘れないで」

 

 うん、わかってる。でもね……これは

 

「カワイイ♡」

 

 思わずホッコリするカワイらしい魔女の登場に、那月は目尻が緩みっぱなしだった。カワイイ物には目がないの。特にこういう小さいキャラは大好き。こんな妹が欲しかった、なんて場違いな想像にふけっていると、今度は他の十字架の根元からもボコボコと何かが生まれてきた。

 

 カワイイのがもっとたくさん出てくるのかな?

 

 ……否。

 

 あとに出てくるのは、ドクロ、ドクロ、ドクロ。イジワルそうにケタケタ笑ったおもちゃみたいなドクロがたくさん。

 

「う~ん、コイツらはあんまりカワイくない」

 

 カワイイのはゾンビの子だけ。あれが魔女本体で、ドクロたちは使い魔なのかな?

 

「那月!」

 

「うん、それじゃ……始めようか!」

 

 那月は左手に持つソウルジェムを横一線に薙ぎ、さらにそれを高く掲げた。青紫色のジェムがまたたき、身体をまばゆいラベンダーカラーの光が包むと、魔法少女に変身した。

 

 白と青紫、ふたつの色をあしらった衣装。それは夜空に真っ白な月が映えるようなコントラスト。膝丈まであるスカートと、肩当から揺れる柔らかいフリル。命の宝珠であるソウルジェムは、右手首に付ける炎を象ったブレスレットに収まっている。

 

 つま先からゆっくりと着地した那月は、グルリと辺りを見回した。

 

 魔女本体と思われるゾンビの子供と、そこらじゅうに浮遊しているドクロが十数体。ゾンビ魔女は動く気配がないが、ドクロたちはゆらゆらと揺れながら今にも襲いかかってきそうな雰囲気だった。

 

「ねえ、キュゥべえ」

 

 那月は視線を変えることなく、すぐ後ろにいるキュゥべえに声を向けた。

 

「この魔女は、何ていう名前なの?」

 

「コイツは『腐敗の魔女』だね。遂げられなかった願いが腐りきって、未練にしがみつく魔女だ」

 

「腐敗の魔女、ね」

 

「そういえば、君はいつも魔女の名前を聞いてくるね。何か理由があるのかい?」

 

 というキュゥべえの問いかけに、それまでジっと魔女を見つめていた那月はチラっと振り向いて、深い海のような碧眼を覗かせた。

 

「私はこれからあの魔女を狩るんだよ。名前くらいは知っておきたいからさ」

 

 さっきまでのコミカルな那月とは別人のように鋭い表情で、声のトーンも低い。

 

「ふぅん……」

 

 那月が目を逸らしたのをきっかけに、ドクロたちが一斉に襲いかかってきた。が、那月もキュゥべえも慌てることなく、那月は鋭い視線を持ったまま、キュゥべえは赤い瞳を見開いたまま、お互いの心を見つめ合っていた。

 

 そこに顔だけのドクロが迫り、大きく口を開けて那月にかじりつこうとした瞬間。那月は「ハッ!」と声を漏らして素早く飛び上がった。魔法少女として身体能力が上がっているので、その跳躍は人間のそれではない。ひと飛びで数メートルも浮き上がった。ドクロたちの突進は空振りに終わり、しかし尚も空中を旋回して那月を追う。

 

 飛び上がった那月は空中で反転し、頭を下に向けたまま右手をかざした。その視線の先には、間近に迫るドクロが数匹。

 

「那月、君は……」

 

 重力に従って落下する那月と、自在な舞空で浮上するドクロが合わさる直前。那月はかざした右手を素早く払った。その右手でドクロを払いのけたのではない。右手の動きにつられてドクロが壁の方へ吹き飛ばされた。

 

「魔法少女としての能力はとてつもない」

 

 まるで念力で飛ばされたようなドクロたちは、勢いよく部屋の壁にブチあたって粉々に砕けた。まるで、もろいツボを叩き割ったようにアッサリと。

 

「その観念動力(かんねんどうりょく)も、普通の魔法少女にはありえない能力だ」

 

 観念動力とは、意思の力だけで物体を動かす能力のこと。つまり、テレキネシス。

 

 那月は身体をひねって着地すると、残りのドクロたちにも右手をかざす。浮遊しているドクロたちは金縛りにあったように動かなくなり、那月のテレキネシスで同じように壁に叩きつけられ粉砕された。

 

 残るは、腐敗の魔女ただひとり。

 

「そして、彼女がもっとも特異な魔法少女だと思われる所以は……」

 

 ドクロの手下をすべて倒し、那月は部屋の中央に佇むゾンビ魔女に目を向けた。ムスっとした表情を変えずにいた腐敗の魔女に、魔力がみなぎる。ひとつだけ抱えたドクロの目が怪しく光り、魔力の波動が辺りを包んだ。

 

 ゾンビ魔女の身体が、ジワジワと腐り始める。顔がミチミチと裂けてゆき、髪の毛は抜け、幼女のようだった身体はいびつに伸びていく。それは可愛らしさの欠片もない、腐った魔女。腐敗の魔女。

 

 那月は黙ってそれを見ていた。身構えずに自然体で、ゆったりと優雅に、美しい碧眼で見つめていた。

 

 それを後ろから眺めているキュゥべえは、今から那月がどうやってあの魔女を狩るのか分かっていた。これまで何度か魔女を倒してきた那月の姿を思い返し

 

「まだ魔法少女になってひと月余りだというのに、あの魔力のコントロールは恐るべき存在だ」

 

 表情を変えず、ただ赤い瞳を微かに揺らめかせて言った。自らが創り上げた御上那月という魔法少女を称えるように、そしてこれからの御上那月を恐れるように。

 

 腐敗の魔女は遂に正体を現した。小さなゾンビではなく、体長は五メートルに届きそうな巨大な身体を晒し、今にも垂れ落ちそうな片目で那月を見据え、抱えていたデフォルメ姿のドクロは骨の身体を形成して右肩にしがみ付いている。

 

「もう、いい?」

 

 那月は透き通るような声で尋ねた。それはキュゥべえに聞いているのか、腐敗の魔女に聞いているのか、両者に言っているのかわからなかった。

 

「フォンォォォォーーーーーー!!」

 

 腐敗の魔女が、空気の抜けるような乾いた叫び声をあげる。それが皮切りだった。

 

 那月は一気に駆け出す。地面を蹴り、大きく躍動しながら飛ぶように走る! その碧眼に映るのは、正面で両腕を振りかぶる腐敗の魔女。が、敵は魔女本体だけではなかった。

 

 魔女の肩にしがみつくドクロと同じ、成長し身体を得たガイコツが何体も、墓の中から姿を見せた。

 

「まだ魔力に余裕があったみたいだね。でも……」

 

 腐敗の魔女が産み出した新たなドクロたちを見てキュゥべえは「あの程度の使い魔じゃ、那月の足止めにもならない」と思った。もちろん、那月も同じ考えだった。駆ける足は止まらない。そしてあと一歩で攻撃の間合いとなるところで、那月は右手を肩の後ろに構えた。

 

 那月の背中に、波打つ光が見えた。それは細く鋭い銀色に発光し、右手に握られる。

 

 揺らめく刃が深紅に輝く、美しき細剣フランベルジュ。

 

「はぁぁぁっ!!」

 

 まるで炎のように揺れる刀身を、片手で一気に振り下ろす。那月の魔力を帯びたフランベルジュは、足止めに現れたガイコツたちを一瞬で焦がし、その後ろに控えていた腐敗の魔女をも一刀両断にした。

 

 燃えるように切り裂かれた魔女は、乾いた金切り声を上げながら崩れていく。ベチョベチョと垂れ落ちた肉体は紫色の液体に変わり、やがて地面に溶け、そのまま消えていった。

 

 その光景を見つめる那月の目は、変わらず碧く澄んでいた。右手にダラリと下げたフランベルジュは炎の揺らめきを失い、そこから紫色の液体がポタリと垂れる。それは、剣が静かに泣いているようだった。

 

「任務完了」

 

 那月は冷めた声で言った。

 

 普段は明るくコミカルな那月が、魔女と戦う時はなぜか冷徹になる。そして、人が変わったかのように攻撃的になる。そんな那月は、キュゥべえが「少しだけ気にかけている嫌な部分」でもあった。

 

「さ~て、今夜の狩りはこれでお終い♪ ねぇ、キュゥべえ。帰りに豆乳買っていくのに付き合ってよね」

 

 戦いが終わればまた、人が変わったかのように普段の那月に戻る。果たしてどちらが本当の那月なのか、今のキュゥべえにはわからなかった。

 

「って、あれ? 結界が消えないのはどうしてだろう……」

 

 魔女の結界は、魔女本体が作り出す異空間。ドーム状の内部空間は、未だにB級ゾンビ映画のセットみたいに健在だった。魔女が消えれば結界も消えるはずなのに……

 

「はっ! 那月、魔女はまだ生きてるよ!」

 

「え?」

 

 ハッと振り向いた那月をめがけて、骨だけの身体が襲いかかった。

 

 アイツは、ゾンビ魔女にしがみ付いていたドクロの片割れ……!

 

「しまった、あっちが本体だったんだ!」

 

 キュゥべえも那月も見誤っていた。姿を巨大化させたゾンビが魔女本体だと思っていたが、実はそうではなかった。腐敗の魔女……その正体は、すべての肉体を腐らせ、骨にまでなったガイコツ魔女だった。

 

「危ない! 那月!!」

 

 那月の目の前で、ガイコツ魔女の指先が黒い鉤爪となって振り下ろされる! 右手のフランベルジュがピクリと反応した時、

 

ギャ―――ン!

 

 という激しい音をたてて、ガイコツの鉤爪が砕け散った。いや、正確には激しく砕かれた。青くて細長い『何か』が、寸でのところでガイコツ魔女の両腕を砕いた。那月の目と鼻の先、太刀風が那月の鼻をかすめる距離で。

 

 砕けた骨の破片がゆっくりと宙を舞い、その傍らには銀色の長い髪をなびかせる少女の横顔。

 

「詰めが甘いわ」

 

 氷のように冷たい声で、少女は言った。手に持つ『何か』は、先端の丸い円から十字が伸びる、槍のような武器。

 

「あの子は……」

 

 キュゥべえはその姿に見覚えがあるのか、そこで言葉を止める。

 

 十字槍の少女は目にも止まらぬ連撃で、ガイコツ魔女の身体を砕き、砕き、砕き、最後は頭だけになったドクロを槍のしなりで弾き飛ばす。ドクロの頭は壁に当たり、跳ね返って那月の足元に転がった。

 

 その動きは、那月とは違った種類の洗練された強さだった。身のこなし、武器の扱い、一撃の破壊力。どれを見ても、熟練した遣い手だとひと目でわかる戦いぶりだった。

 

「あなた、この街の魔法少女かしら?」

 

「そうだけど、アンタ誰よ」

 

「那月!」

 

 キュゥべえが慌てて那月を止める。いつもはのらりくらりなキュゥべえが声を荒げるのは珍しい。が、那月は構わず突っかかった。

 

「よくも私の狩りを邪魔してくれたわね。アンタの手助けなんていらなかったんだから」

 

「あら、そう? 危ない所だったみたいだけど」

 

「そんなわけないでしょ!」

 

 叫びながら那月は、傍に転がっていたドクロの頭をフランベルジュの先端で貫いた。脳天を串刺しにされたガイコツ魔女は断末魔の声を上げると、パーンという音とともに粉々に飛び散って消えてしまった。

 

 魔女の身体が消滅し、結界が解かれていく。ゾンビ映画に出てくる墓場らしき場所から、荒廃した病院と三日月の夜空に空間転移が起こる。

 

「だいたいアンタ、なんで横槍を入れてくるのよ。まさかグリーフシードを横取りしようってんじゃないでしょうね」

 

 そう言いながら、那月は傍に落ちている黒い宝珠を指さした。これは魔女が落とす嘆きの種(グリーフシード)で、魔法少女が魔女を倒した際に得られる報酬であり、 魔力の消費で濁ったソウルジェムから穢れを吸って移し替えることができる。

 

 十字槍の少女は、那月の指先に向かって視線を移しグリーフシードをチラっと見た。それからまばたきをひとつして

 

「いいえ、これはいらないわ。それよりあなた……」

 

 今度は那月の姿を舐めるように見ると

 

「危ない子ね」

 

 射すくめるかのような鋭い目を向けた。

 

「なっ! どういう意味よ!?」

 

 澄んだ碧眼で睨みつける那月の目と、鋭利な針で刺すような少女の薄墨色(はいいろ)の目が合わさる。ほんの数秒間、お互いの視線だけが衝突していた。

 

「まあいいわ」

 

 十字槍の少女は自分から幕を引くように目をつむるとうすら笑みを浮かべ、音もなく、動作もなく、那月の肩に槍の穂先を当てた。十字の先端が、スッと那月の肩に乗る。衝撃も重さも感じないほどに。

 

 槍の先端でポンっと肩を叩かれて、那月はやっとそれに気付いた。

 

「――――っ!!」

 

 那月には何も見えなかった。繰り出す瞬間、肩に乗る瞬間、腕の動きも予備動作も、何もかも。

 

「その時が来たら、私が殺してあげる」

 

 十字槍の少女はそう言い残すと、フワっと飛び上がった。飛び上がるというか、浮き上がるというか、とにかく優美に宙に舞うと、廃院の屋上に立ち那月を見下ろした。

 

 銀色の髪が風に揺れ、暗い夜空を斬るような三日月を隠す。

 

「そのグリーフシードは譲るわ、あなたが使いなさい。それと……魔力の使い方を誤らないようにね。これは忠告よ」

 

 と言うと、細くしなやかな身体をひるがえし、そのまま廃院の向こうへと姿を消した。

 

 那月は前髪を垂れ下げて、ギチギチと歯ぎしりをする。こぶしを握り、フルフルと震えながら

 

「ぐ……っ! ぐ……っ!! アイツは、アイツは一体何だったのよぉーーー!!」

 

 ゴォォォォ! という音が聞こえるくらいに

 

 ガォォォォ! とケモノが吠えまくるように

 

 怒っていた。

 

 いきなり横槍を入れられ、恩着せがましい言葉を吐き捨てられ、「あなたアブナイ子ね」などと罵られ、挙句の果てに「私が殺してあげる」とぬかしたあの女!

 

「キュゥべえ!」

 

 もはや怒号。というか、八つ当たり。

 

 やり場のない怒りを向けるに格好の餌食となってしまったキュゥべえは、返事をする気もなさそうだった。

 

「帰るよ!」

 

 那月は足元のグリーフシードを乱暴に拾うと、プイっと踵を返して歩きだしてしまった。

 

 そのまま無言で歩き続け、夜の北夜見市をズンズン進み、家の前まで来てから突然

 

「あーーーっ!?」

 

 ご近所迷惑も甚だしい叫び声をあげた。

 

「豆乳買うの忘れたーーー!!」

 

 これはいつもの那月だ。と、キュゥべえは少し安堵した。

 

 

続く



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第三話 薄墨色の雨(はいいろのあめ)

「ぬぬぬぬぬっ!」

 

 翌日、那月はまだ怒っていた。机の上に両手のこぶしを乗せて、憤怒の大魔神と化していた。顔に浮き上がる血管、燃えたぎる眼、熱を帯びた身体。あまりの怒気で頭から湯気が立っているかもしれない。

 

「何やってんの?」

 

 ジトっとした目で問いかけてきたのは柚葉。場所は教室、時刻は昼休み。いつものランチタイムで昼食をペロリと平らげた那月は、怒り心頭だった。

 

「相変わらず喜怒哀楽が分かりやすいなぁ、那月二等兵は」

 

「ぐ、軍曹殿……」

 

 このやり取り、まだ続いてたんだ。

 

「機嫌が悪そうだね。もしかして、アノ日?」

 

「ブッ!」

 

 教室の中で、それをデカい声で言わないでいただきたいっ。私たち女子中学生だよ? JCだよ? アノ日もコノ日もあるけどさ、違うんだよぉーーー!

 

「ま、まあね‥‥‥」

 

 が、怒りの矛先を柚葉に向けるわけにはいかないし、詳細を話すことはできないし、那月は「アノ日」に乗っかった。

 

「アノ日です」

 

「それはそれは……ご愁傷様です」

 

 ケタケタと笑う柚葉の顔を見て、那月も釣られて笑ってしまった。いや、笑うしかなかった。

 

 那月は自分が魔法少女だなんて、誰にも言ってない。というか……言えないよね、バカだと思われるもん。中学生にもなって「実は私、魔法少女なんですテヘペロ」ってカミングアウト、無理だ。誰が信じるかって話。中学二年生だけに、厨二病も甚だしい。

 

 それに……

 

 命を落とすかもしれない危険なことをしてるなんて、親友に言えるはずない。

 

 けど、話したいっていう気持ちはある。誰かに知ってもらいたい。親にも親友にも話せない秘密を抱えているのは、決して楽ではないから。

 

「てかさ、那月」

 

「ん?」

 

「昨日はサンキュね」

 

 お母さんの誕生日プレゼントを一緒に選んだ御礼の言葉。シンプルなひと言だけど、柚葉の気持ちが目一杯に詰まった言葉だった。

 

「軍曹殿の頼みとあれば、いつでも協力を惜しまない所存であります!」

 

 ここで見事な敬礼。

 

「それまだ続いてたのか~」

 

 のどかな昼休みの教室に、ふたりの笑い声が響いていた。

 

 さっきまでの怒気も憤怒も大魔神も、簡単に吹き飛ばしてくれた柚葉。この瞬間を壊してしまうかもしれないカミングアウトは、やっぱりしなくていい。厨二病な発言でバカにされるかもしれないけど、仮に……もし……信じてもらえちゃったとしたら、柚葉に心配をかけるのは嫌だ。那月はそんな気持ちを握りしめて、魔法少女という言葉を飲み込んだ。

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

 午後の授業は得意の国語。目をつむっても二百点は取れる科目。この国に生まれたからには、自国の文字と文学を嗜むのは当然ですね(ニッコリ)

 

 はいはい、自慢ですよ。数学は嫌いだけどねっ。

 

 那月は授業の内容や板書を無視して教科書をペラペラとめくりながら、気になる部分を適当に書き出していた。これだけで文字や文章が頭の中に浸透していく。漢字も文法も、書くことで脳内に絡めとることができる。

 

 多分、必死で勉強すれば他の科目もすべて満点を取れるんじゃないか。那月はそんな感じがしていた。

 

 キュゥべえと魔法少女の契約をしてから、身体能力と共に学習能力も上がっている気がする。それは魔力が成せる効力なのか、集中力がみなぎっているのかはわからないけど、少しずつ人間とかけ離れた存在になっているのかもしれない。そうとも思っていた。

 

 外はどんより曇り空。昨日はあんなに晴れていたのに。

 

 教室の窓は閉められていて、薄いレースのカーテンがしんみりと垂れ下がっていた。

 

「那月……那月……」

 

 眠気の充満する午後の教室に、那月を呼ぶ声がする。声、じゃない。頭の中に直接聞こえるこの感覚は、テレパシーだ。

 

「キュゥべえ? 近くにいるの?」

 

 他の人間には聞こえない精神感応の送り主は、白いお饅頭ことキュゥべえ氏の声だった。

 

「学校には来ないでって言ってるのに」

 

 那月もまた、テレパシーで声を投げかける。魔法の使者であるキュゥべえとは、このテレパシーで言葉のやりとりができる便利な一面があった。

 

 勝手に言葉が送られてくるのは厄介だけど。

 

「今朝は慌ただしくて伝えられなかったからね。僕からひとつ忠告だ」

 

 確かに今朝は急いでた。ちょっとだけ寝坊したよ、昨夜は帰りが遅かったせいでね。てか、居留守がお父さんにバレなかったのは奇跡と魔法の賜物だね。でも「忠告」っていうフレーズで、キュゥべえの話の内容はなんとなく予想できますけど。

 

「……何?」

 

 那月は窓の外に目を向けてため息をつくと、ツンツンに尖ったテレパシーを飛ばした。

 

「昨日の子、憶えているかい?」

 

 予想どおり。横槍を入れてきたあの女のことね。

 

「忘れる方がおかしいでしょ」

 

「さすがに記憶力はいいみたいだね。そう、昨夜の病院でのことだ」

 

 おいおい、バカにしてんのか……。コイツは時々、人間の感情を理解していない発言をするから困る。あ、キュゥべえは人間じゃないから仕方ないのか。それから私がイラついてるのは、アノ日が原因じゃないからね。むしろアノ日でもない。

 

「君も気付いているだろうけど、彼女も魔法少女だ」

 

 そんなの見りゃわかるって。あんなキテレツな動き、『魔』以外の名前が付く生き物がしてたら世界が仰天だわ。と、テレパシーには乗せずに心に留めておいた。

 

「彼女の名前は蒼ユリ(あおい ゆり)、隣町の見滝原市を縄張りにする魔法少女だ」

 

「ふぅん……。で、あのキテレツ女がどうしかした?」

 

「彼女には、関わらない方がいい」

 

 なんだそりゃ。

 

 この白いお饅頭はいつも言葉が足りない。のらりくらり、隠し隠し、一枚一枚を順番に剥がしていくように説明するのが得意なんだよね。

 

「ああ、電波でサイコな感じだったからねぇ。私もできれば関わりたくないかな。でも隣町の魔法少女なら、もう会うこともないんじゃない?」

 

「いや、彼女は君に目を付けたようだ。近いうちにまた接触してくるかもしれない」

 

 目を付けたって、どういう意味ですかっ!? もしかしてストーカー的な? それとも暗殺者的な? まさか禁断の愛的な……いやいや、私の心は柚葉のモノ。御上那月は一途な女、浮気はしない主義。

 

「彼女が最後に言い残した言葉を憶えているかい?」

 

 おや、私の記憶力をさらに試そうってことかしらぁ? まあいいさ、みなまで言うな。どうせヒマな午後のひと時、お饅頭の戯言に付き合ってあげよう。

 

 えっと……「その時が来たら、私が狩ってあげる」と、ぬかしてい・た・ん・だ! あのキテレツ女は!!

 

 ノートの上で、シャーペンの芯が折れた。

 

「いや、その後だよ」

 

「その後?」

 

 確かグリーフシードを押し付けられて「魔力の使い方を誤らないように」とか言ってたような。実は途中から頭にきてて、よく憶えてないんだけど……

 

「それだよ」

 

 那月ちゃん天才。言葉は飲み物。ゴクゴク飲めて、スラスラ出てくる。喉越しスッキリ、ビロードのような滑らかさ。ビロードって何だろ?

 

「那月、その意味がわかるかい?」

 

「……え?」

 

 その意味って言われても、あの時は油断して魔女本体を見誤って、だからキテレツ女に横槍を入れられて……

 

「彼女は君の力を認めたんだ。魔法少女としての君の才能を見抜いたんだよ。そして未来の君に忠告した。命を粗末にするな、ってね」

 

「ずいぶんと上から目線だよね」

 

「いや、僕は決して過大評価するつもりはない。けどね……」

 

 キュゥべえの話はいつも一本調子だ。声のトーンも変わらないし、言葉に抑揚がない。まるで機械が喋っているようで感情が見えないが

 

「彼女は、僕たちの知る中で過去に前例のないイレギュラーな魔法少女なんだ」

 

 今は、今だけは微かに声が震えているような、何かを恐れているような、そんなキュゥべえの声を初めて聞く気がした。

 

「何それ? あの女のキテレツな所が、ってこと?」

 

 でも、その雰囲気には乗りたくない。呑まれたくない。那月は本能で察知する危機感を打ち払うように、冗談を上乗せして送り付けた。

 

「真面目な話だよ。蒼ユリは、有史以前から続く魔法少女の歴史で唯一無二。あの子に敵う魔法少女は、この世には誰ひとりいない。彼女は魔力の桁が違う。見えている世界も、存在している次元も違う。あれは僕たちの産み出した、最高にして最悪の魔法少女だ」

 

 窓にひと粒、雫が落ちてきた。

 

 ポツリ……ポツリ……

 

 やがて薄墨色(はいいろ)の空は次第に暗く澱み、雲と雲の隙間からあふれ出た雨が窓をつたう。その雫が一滴、那月の額からも流れた。

 

「へ、へぇ。つまりアイツは、最強のキテレツ少女ってことね」

 

「大袈裟な話だと思うかい?」

 

「アンタは隠し事はするけど、ウソはつかない。でしょ?」

 

 このお饅頭は、そういうヤツ。ひと月も一緒にいれば嫌でもわかる。

 

「彼女には手を出さないほうがいい。那月が昨日の夜にあれだけ突っかかっても見逃してもらえたのは、君がこれから生きていく中で二度とない幸運だったのかもしれない」

 

 見逃してもらえたって?

 

「あの子は魔女や魔女の結界どころか、街を丸ごと消し飛ばすくらいの力を秘めてるんだ」

 

 街を消し飛ばすって?

 

「今の君の力じゃ、五秒と立っていられないだろう」

 

 私が秒殺だって?

 

「もしまた彼女に会うことがあったら……いや、必ず接触してくるはずだよ。その時は黙って、おとなしくやり過ごすんだ。いいね」

 

 あの高慢なヤツに耐えろ、と。

 

「……了解」

 

 那月は土砂降りの雨に向かって声を出した。

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

「帰宅部組の那月部長、今日もお勤めご苦労さんでした」

 

「柚葉の姉御さんよぉ、間違えてもらっちゃ困りますぜ。あたしゃあ部長ではござんせん。帰宅部のエース、『ハートのエース』こと御上那月でござんすよ」

 

 アタシら一体、どこの組のモンだ? 任侠映画は観たことないし、出演予定もありません。

 

 でもね、柚葉と交わすこのやり取り、嫌いじゃない。

 

「それじゃあ、今日は『ハートのエース』こと御上那月サマと一緒に帰ろうかな」

 

「昨日も一緒だけどね~」

 

 柚葉と一緒にいると、いつも真面目になれない。悪い意味じゃなくてね。素の自分っていうか、飾らないっていうか、とにかくふざけて笑って毎日が楽しい。そんな親友が、私にはいる。

 

 見滝原の蒼ユリ? ハッ! あんな高慢ちき、あの性格じゃ友達もいないでしょ。

 

 最高にして最悪の魔法少女? ハッ! 電波でサイコなキテレツ女でしょ。

 

 私を秒殺?

 

 ……うん、確かにあれは勝てないわ。

 

 那月は昨夜の十字槍の感触を思い出してしまった。蒼ユリの槍の軌道、腕の動きも予備動作も、何ひとつ見えなかった。肩にポンと当たるまで気付かなかった。そして、金縛りにあったみたいに一歩も動けなかった。もしあれで身体を一突きにされていたら……今頃はあの廃院でゾンビに看病されてたかもしれない。

 

 ……うん、そりゃ笑えないわ。

 

「………‥…………らしいよ? 那月もマジウケるでしょ」

 

「いや、だから笑えないって」

 

「は?」

 

「は?」

 

 土砂降りの住宅街、那月の横では柚葉がひたすらしゃべくり倒していた……っぽい。

 

「ちょっとあんた、聞いてなかったでしょーーー!」

 

「ひえーー! 先生ゴメンナサイ……ウルウル(泣)」

 

 必殺の泣き落とし作戦が発動してしまった。

 

「それはあたしに通用しないっ」

 

「ならば、これならどうだ!」

 

 先生ゴメンナサイ……ウッフン(微動)

 

 仲良く傘をさすふたりの間に沈黙が流れた。ざんざんと降る雨だけがうるさかった。

 

「は?」

 

 しまったーーー! 勢い余ってやってしまったーーー!!

 

「那月さん、今のは一体? まさかとは思うけど、そのペタンコで許してもらおうとしたんじゃない、よね?」

 

「ペタンコ言うなーーー!」

 

 那月は膨れ顔でプンスカしながら傘を回して、水しぶきを飛ばした。クルクル回した遠心力で、傘から溢れる雨水を柚葉に浴びせる。

 

「どうだ、水もしたたるいい女子めーー!」

 

「あはは~、それ褒め言葉じゃん」

 

 そんなのわかってるよ。柚葉のセクシーダイナマイツバディは褒める以外に言葉が見つからないからね。

 

 強力無比な水攻めに、柚葉がたまらず逃げだす。逃げられたら追いたくなる。バチャバチャと水たまりを踏み荒らしながら追いかけっこをした先で、柚葉が突然、

 

「キャッ!」

 

 と、傘を放り投げて尻もちをついてしまった。そんな可愛らしい声、初めて聞いたんだけど。いやいや、今はそれどころじゃない。

 

「柚葉っ! どうしたの、大丈夫?」

 

 柚葉とぶつかって転び、同じように尻もちをついているのは赤いランドセルを背負ってる、小学生の女の子?

 

「イテテ……ゴメンね、大丈夫?」

 

 全身がズブ濡れになりながら、柚葉は女の子を起こしてあげた。那月は急いでふたりを傘に入れる。

 

 この子、年齢は十歳くらいかな。小学生らしいカワイイ服装だけど、転んだせいでスカートに泥が付いてひどく汚れてしまった。

 

 でもその前に、この土砂降りの中で傘もさしていなかったし、力なく起き上がったのはいいけれど、目の焦点が合っていないような気がする。

 

 見た目は普通の女の子だけど、何かおかしい。

 

「平気? どこか怪我してない?」

 

 柚葉が一生懸命に声をかけても、答えは返ってこなかった。見たところ目立った傷もないし、頭を打ったわけでもなさそうだけど

 

「……っ!」

 

 この子、首筋におかしなアザが……!

 

 これは転んだ拍子にできたアザじゃない。楕円の中に幾何学的な文様が入り混じる

 

「魔女の口づけだ!」

 

 那月は思わず口走ってしまった。

 

「え? マジョの、何だって??」

 

 聞きなれない言葉を耳にした柚葉が顔を寄せて尋ねる。マズった。あまりに非現実的でキテレツなことを言ってしまった。何とか誤魔化さないと……

 

「あ、えっと……『マジでよく血が出ず良かった』と言いました」

 

 これは厳しいっっ! 無理がある!

 

「ああ、ホント良かった。ゴメンね、お姉ちゃんがよそ見してて悪かった」

 

 激しい雨音のせいで、よく聞こえなかったらしい。生まれて初めて雨の恵みに感謝する御上那月、十四歳。

 

 でも、あの文様。魔女の口づけは、普通の人間には見えないってキュゥべえが言ってた。自分には見えてるものを、柚葉に見えないものとして過ごすのは難しい。

 

 柚葉はハンカチを取り出して、女の子の顔や身体を拭っていた。スカートに付いた汚れも出来る限り取ってあげようと、真っ白でキレイなハンカチを泥まみれにしている。けれど、女の子の反応はやっぱりおかしかった。あの目は何も見ていないし、何も見えていない。

 

 魔女の口づけを受けている、それはこの子の命が危ないということだ。事故や自殺に駆り立てられて、道路に出て車に轢かれてしまうかもしれない。高い建物から飛び降りてしまうかもしれない。このままでは、いつ命を落としてもおかしくない。

 

「柚葉、この子と一緒にどこかで雨やどりしてて」

 

 那月は自分の傘を柚葉に預け、今にも走り出そうと背を向けた。

 

「ちょ……っ! アンタはどこ行くのよ!?」

 

「ワケは後で話すから。この子が変なことしないように見ててあげて」

 

「どういうこと? ちゃんと言いなさいよ!」

 

 柚葉は、駆けだそうとする那月の腕を強く握って止めようとするが

 

「お願い……!」

 

 那月の碧眼が、それを押し返した。普段はふざけてばかりいる那月の目が、眼光鋭くたぎっている。燃えるような眼で見られて、柚葉は握る力が抜けてしまった。那月が何を必死になっているのかわからないが、それを止めることもできなくなる。

 

 柚葉と友達になって一年、こんな顔は見せたことがなかったかもしれない。

 

「わかった。あたしの家がすぐ近くだから、そこで待ってる」

 

 柚葉は諦めたというよりも、那月の眼に押し負けた感じで手を離した。

 

「用が済んだら、あんたもウチに寄ってくんだよ。そんなビショビショの服じゃ、風邪ひいちゃうからね」

 

「うん」

 

 こんな曖昧な説明で納得してくれる……わけないよね。でも、『魔女の口づけ』を受けているということは、近くに『魔女』がいるはず。それも、孵化して『結界』を抜け出ているヤツが。そんな話をするわけにはいかないし、信じてもらえるわけないし、それに

 

「心配しないで。すぐ戻るから」

 

 柚葉を巻き込むことも、心配をかけることも、したくない。これは私の役目。『魔女』を狩るのは……

 

「私がやらなきゃいけないの」

 

 そう言い残して、那月は走り出した。

 

 『魔女の口づけ』は、一度受けてしまったら取り消せすことはできない。あれは刻印でもなければイタズラ書きでもない。魔女に噛みつかれたようなものだ。そうして受けた『呪い』は神経毒のように全身に回り、脳を侵し、言葉と行動を支配する。『呪い』を解呪するとしたら、魔女本体を倒すしか道はない。

 

 そして、魔女の呪いは無差別だ。大人、子供、男女関わらず、誰かれ構わずに振り撒かれる。たとえ小さな子供だろうと、病人だろうと怪我人だろうと、魔女は一切容赦をしない。手当たり次第に『呪い』を与え、罪もない人間を死へといざなう。

 

「そんなヤツ……絶対に許さない」

 

 那月は十字路を右に曲がり、柚葉たちから見えなくなったところでソウルジェムを取り出した。青紫色の宝珠は強く発光し、近くに魔力の波動があることを伝えている。いや、ソウルジェムを見なくても、この世のものとは思えない重苦しい気配が満ちている。

 

 夕刻の太陽は厚い雲に覆われ、まだ五時前だというのに辺りは妙に暗く陰々としていた。真っ黒な空から止めどなく降り注ぐのは、その陰気に染められた薄墨色(はいいろ)の雨。

 

「この街の魔女は、私が狩る」

 

 色めきを失ったモノクロームな街の中で、那月の目とソウルジェムだけが碧く光っていた。

 

 

続く



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第四話 魔力を前へ!(ちからをまえへ!)

 私がまだ小さかった頃、それこそ小学校に上がる前の話。ひとりっ子の私はお母さんが大好きだった。いつも甘えて遊んでもらって、一緒にお風呂に入って、お母さんの布団で寝る。お誕生日を祝ってもらって、プレゼントを貰って、お礼に『おてつだいけん』と拙い文字で書いたお助けカードを手渡す。

 

 お母さんと一緒にいる、お母さんのお手伝いをする、お母さんの優しい笑顔を毎日眺める。そんな暮らしがずっと続くと思っていた。

 

 でも私に物心がついてから、お母さんと幸せに過ごす日々は長くなかった。

 

 私が五歳になった次の月、お母さんは事故で帰らぬ人となった。

 

 幼い私には、お母さんに何が起きたのか理解できなかった。『事故』に遭った原因は分からない、と聞かされた。『事故』なのか『自殺』なのかもはっきりしない、とも聞かされた。目撃者はいない、理由も分からない、と。

 

 そう言われても、私には受け止めることができなかった。

 

「事故って何?」

 

「お母さんはどこにいったの?」

 

「お母さんはいつ帰ってくるの?」

 

「お母さんは……」

 

 すぐに冷たい身体で帰ってきた。

 

 白い肌でいつも綺麗だったお母さんは、透き通るように美しかった。青みがかった黒い髪の毛は漆のように艶やかで、指先はしなやかに、しかし細い身体は氷のように冷たかった。

 

 お父さんは目にいっぱいの涙を浮かべて、それでも涙をこぼすまいと顔を上に向けて、私を抱きしめてくれた。

 

 私はそこで初めて

 

「お母さんは死んだ」

 

 とわかった。

 

 最期にお母さんを見たその日、首筋に丸いアザのようなものがあったのを憶えていた。

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

「あれはきっと、『魔女の口づけ』だったんだ」

 

 那月はズブ濡れのままソウルジェムを見ていた。碧い光がゆっくりとまたたき、魔力の波動を映し出す。

 

――近くにいる。

 

 ソウルジェムの魔力探知で分かるのは、魔女がすぐ近くにいる、ということだけ。嘆きの種(グリーフシード)から産まれ、結界を抜け出た憎き魔女が、どこからか那月を見ている気がした。

 

「お母さんを殺したのは誰だ」

 

 薄墨色(はいいろ)の雨が降り続く中、辺りを見渡すが特に変わったところはない。ざんざんと落ちてくる雨の音だけが那月の耳に響いていた。

 

「なんで私のお母さんを殺したんだ」

 

 ソウルジェムの光が徐々に強くなる。

 

「お母さんは何も悪くないのに。……あんなに優しかったのに……あんなに大好きだったのに」

 

 大きな雨粒で路面の泥水が跳ねた。

 

「お母さんを殺したのは……」

 

 その時、那月の背後で濁った泥水がドロドロと盛り上がっていった。それは那月の膝丈を超え、背丈を超え、高く大きく立ち上がっていく。半透明だった泥水が魔力によって実体化する。巨大なイチョウの葉のように一本の足で身体を支え、ナメクジのようにネットリとした身体に、透き通るような黒い斑点が散りばめられている。泥色というか、土気色というか、とにかく気味の悪い色と見た目。

 

 グリーフシードより産まれし異形の化け物が那月の後ろを覆いつくしたとき

 

「お前かーーーー!!」

 

 那月は振り向きざまに魔法少女へと姿を変えると右腕をしならせ、揺らめく炎の剣『フランベルジュ』を振るった。が、実体化した魔女は泥水で形成されていて、液体を切り裂いた那月の剣に手応えはなかった。横一文字に裂けた泥水は上下真っ二つに割れたが、ダメージを与えた感触はない。魔女は魔力による肉体形勢を解かれたようにドロリと路面に溶けた。

 

「ちっ!」

 

 泥水の流れを目で追うが、路面の雨水と一体化してしまって捕捉できない。那月は舌打ちしてから周りを見渡してみるも、そこら中が水浸しで雨水も泥水も一緒くただった。

 

 雨はいよいよ強さを増し、那月の視界を薄墨色(はいいろ)に染めている。

 

 路面の大きな水たまりが揺れた。あそこか?

 

 いや、あれは雨水で跳ねているだけだ。じゃあ道脇の排水路にザブザブと流れ込んでいるところ。あそこか?

 

 見渡す限り、すべての水という水が揺れ、波打ち、しぶきを上げている。

 

「那月、そこはもう魔女の結界だ。君は魔女のテリトリーに入り込んでいる」

 

 頭の中にキュゥべえの声が聞こえる。そういえば今日は学校まで来ていたんだ。

 

 すでに那月の周りは、夕雨の街ではなくなっていた。重苦しい空から降り注ぐ大粒の雨と一緒に、赤や青や黒色の傘がくるくると舞っている。着られていない緑色のレインコートが、その傘をキャッチして踊る。襲ってくる気配はないが、あれは使い魔だろうか。

 

 その向こうに見えるのは『くの字』に折れ曲がった家屋や電柱や道路標識。それらを這い上がる、目玉のような渦巻きを持った大きなカタツムリ。

 

 気味の悪い、いびつな空間。現実世界を逸脱した配色とオブジェ。独特の世界観。

 

「…………」

 

 那月は右手に強く力を込めてフランベルジュを構えていた。キッと睨むように鋭い視線を移しながら、見えない魔女の姿を探す。

 

「君のフランベルジュは炎の魔力だ。この魔女を相手にするのは分(ぶ)が悪いよ」

 

「……さい」

 

 濡れた前髪の隙間から、那月の碧眼が揺れる。

 

「うるさいっ!!」

 

 轟轟と響く雨音をかき消すほどに、那月は叫んだ。

 

「魔女は私が狩る。アンタは黙って見てなさい!」

 

 声を荒げてキュゥべえの精神感応(テレパシー)を断ち切ると、那月は真上に飛んだ。瞬間、路面から再び泥水の魔女がその姿を現す。魔女は足元から仕掛けてきた。

 

 が、那月は刹那に反応したのか、その気配を察していたのか、一瞬で魔女の上をとった。フランベルジュに魔力を込めると、波打つ刀身は炎の光を帯びる。

 

「斬れないなら、その身体ごと燃やしてやる!」

 

 炎の刀身を一気に振り下ろし、魔女の身体を一刀両断にした。刃物で斬るというよりは、炎の熱で焼き切るといった感じだった。液体が沸点を超えて蒸発する……のは裂けた『面』だけで、残りの身体はまたしても路面に溶けた。

 

 実体がない……というわけではないが、剣で斬れないうえに中途半端な熱では蒸発しない身体を持った魔女だった。雨水に紛れれば液体のよう。実体化すれば、粘着質な身体を形成する。

 

「厄介な魔女だね。これじゃあキリがない」

 

 戦いを手助けすることのないキュゥべえはどこかで見ているのだろう。だが、キュゥべえにも魔女の実体は見えていない。それは那月も同じだ。雨水と同化してそこら中を動き回り、見えない死角から襲ってくる。

 

 那月はもう一度、辺りを見回した。

 

 雨は止む気配がないし、雨水は溜まる一方だった。行き場のなくなった水は路面に充満している。この水自体がすべて魔女の身体になりえるとしたら……

 

「那月! また足元だ!」

 

 那月の足にドロドロとした粘液が絡みつく。それは一気に膝から腰、胸から頭の先までを包み、全身を覆いつくした。まるで魔女の身体に沈むように、那月は魔女の中で溺れてしまった。

 

 魔女の不気味な姿態が、その姿を現した。

 

 半透明な身体に浮かび上がる黒い斑点は、すべてが目玉。一本足で立っているように見えるのは、軟体のように伸びた身体の一部。背丈はゆうに那月の倍以上はあった。

 

「ゴボゴボ……っ」

 

 魔女の身体に取り込まれた那月は息ができない。そのうえ、液体なのか粘液なのかわからない中で身体の自由を奪われ、身動きが取れなくなっている。

 

「コイツは……無楯(たてなし)の魔女だ」

 

 キュゥべえは魔女の全姿を見て言った。

 

 無楯とは、アメフラシの別名。身を守るために盾を必要とせず、刃で切り裂いても実体化を解くことで身体に損傷を負わない特異な魔女。雨を降らし、その水に打たれた人間に自らの呪い『魔女の口づけ』を与える。

 

「本来は海辺の地域にしか現れないはずの魔女が、なぜこの街に」

 

 北夜見市は海に面していない都市だった。

 

「それにしても……」

 

 炎の魔力を宿した那月の剣は、液状化した魔女の中に取り込まれてその威力が発揮できない。液体の中では炎を生み出すほどの魔力を練れないし、何より呼吸のできない那月は攻撃よりも生命維持に魔力を使わざるを得なかった。魔法少女は息ができなくても『死ぬ』ことはないが、酸欠による脳機能の低下は免れないからだ。

 

「魔法少女にも、意外な弱点があったようだね」

 

 キュゥべえは呑気なことを言っていたが、那月は必死だった。たしかに息ができないからといって『死ぬ』ことはない。魔力で肉体の生命活動を維持することはできる。が、身動きの取れない中では反撃も脱出もできない。手足を動かそうにも、魔女の身体が粘液のようにまとわりついて指先を動かすのが精一杯だった。

 

 このままでは、どちらかの魔力が尽きるまでの根気比べか? いや、そんな生易しいものではなかった。

 

 那月の目の前で、何かが開いた。細いトゲをウヨウヨと動かす口が開いた。魔女が身体の外側で口を開けたのか……

 

――そうじゃない!

 

 トゲのような歯が那月の頬をなぞった。これは……身体の内側に口が開いている! どういう構造なのか、無楯の魔女は那月を丸呑みにできそうな口を開けていた。那月は手足を動かせない。反撃もできない、脱出もできない。

 

 那月は目を見開いた。こんなところで殺されるのか。こんなヤツに喰われるのか。魔法少女は身体を傷付けられても『死ぬ』ことはないが、あの口で右腕のソウルジェムを喰われたら『死ぬ』。無楯の魔女が狙ってるのは那月の身体ではなく、那月の魂。魂を喰らって魔法少女を殺す。

 

 魔女は身体の内部にうごめく不気味な口をゆっくりと移動させた。まるで那月の魂から香る生命の匂いを嗅ぎつけるように、ゆっくりとゆっくりとソウルジェムの方に。

 

 そうして、右腕の前でピタリと動きが止まった。

 

「喰われる……っ!」

 

 もう生命維持に魔力を割いている場合ではない。呼吸はいらない。延命もいらない。今は魔力を研ぎ澄まし、すべての力を右腕に込める!

 

「ぬぐぐぐぐぐっ!」

 

 ソウルジェムを激しく輝かせ

 

「こんなヤツに負けてたまる……かっ!」

 

 右手を前へ!

 

 剣を前へ!

 

 魔力(ちから)を前へ!!

 

 魔女は……

 

「私が狩るんだ!」

 

 渾身の力で剣を押し出したところに、無楯の魔女がトゲの歯を突き立てて喰らいつく。波打つフランベルジュの刃でそれを受け止めようとした瞬間、何かが魔女の身体を貫いた。細くて青黒い何かが、魔女の身体を一瞬で突き抜けていった。矢のように魔女の身体を射貫いたそれは路面に突き刺さって、しなるように揺れた。

 

 肉体構成を破られた魔女は、再び液体となって崩れる。魔女の体内で溺れていた那月は路面に放り出された。

 

 まさに九死に一生。魔女の餌食となる寸前で救われた那月は、膝をついてぜえぜえと息を整えていた。息ができる。身体も動く。右腕のソウルジェムも無事だ。

 

 しかし、あの細くて青黒い物は……

 

 那月はその発射元へと目を向けた。道路の反対側にある電柱の上を見つめ、キッと睨む。こんな横槍を入れるヤツは、ひとりしかいない。

 

 が、

 

「那月、魔女はまだ生きてる。戦う相手を間違えちゃダメだ」

 

 キュゥべえの声で我に返り魔女を探すが、またしてもその姿は雨水に溶け込んでしまっていた。もう一度あんな醜態を晒したら、次はない。

 

「ふぅ……ソウルジェムが汚れるから、あんまりやりたくないけど……」

 

 那月はスッと立ち上がると、

 

「また同じ目に遭うのは嫌だし、それこそ次は横取りされるでしょうね」

 

 右手に握るフランベルジュに強い魔力を込めた。剣に炎が舞い、それは勢いよく立ち上がる。薄墨色(はいいろ)の雨を溶かしながら、

 

「中途半端な魔力じゃ足りない。全力で消滅させてやる」

 

 轟轟とした炎を噴かせる剣を横手に構えた。

 

 雨水に溶け込んだ魔女は、どこにいるのか分からない。また足元から襲ってくるかもしれないし、背後を取られるかもしれない。いや、あの魔女はその気になれば、降り注ぐ雨のひと粒ひと粒からも姿を現すかもしれない。水という水すべてが、魔女の身体だと考えてもいい。

 

 しかし那月は、そのすべてを捉えようとしていた。

 

 右手に剣を握り、左手を上にかざす。瞬間、空間が歪み、魔力がうねる。

 

「はぁぁぁっあ!」

 

 裂ぱくの気合で振りかざした左手が放つのは那月の異質な魔力、観念動力(テレキネシス)。意思の力で物体を動かす能力だが、その対象は『個』ではなく『全』に向けられた。結界を埋め尽くす雨水『すべて』を持ち上げてみせた。

 

「な、なんて魔力の使い方をするんだ。空間内の液体をすべて念動させるなんて……!」

 

 キュゥべえの驚きは当然だった。物体を動かす観念動力の域をはるかに超える強大な魔力。魔女の結界内に『溜まりに溜まっていた水』すべてを持ち上げ、空中の一点に大きな水の球体を作り上げた。どこかに潜んでいる無楯の魔女も、あの中に押し込められているに違いない。

 

「どこにいるかわからないなら、いる場所を限定させればいいんでしょ? そして……」

 

 那月はギリっと空を見上げ、今度はフランベルジュを握る右手に魔力を集中させる。

 

「刃で斬れない、炎で焼けないなら、丸ごと蒸発させてしまえばいい」

 

 フランベルジュが燃えたぎる。剣に炎が集約され、刃は白い輝きを放った。摂氏数千度にもなるであろう熱を帯びた細剣が、那月の手に握られていた。あまりの高熱で、周りの空気が歪んで見える。

 

 那月は高く飛び上がると、雨水の球体に向けて白熱の刃を振るった。超超高熱の一振りで液体は沸点を超え、気化した水蒸気すらも跡形なく消し去る。くぐもった断末魔の叫びが響き、そこで戦いは決着した。

 

 魔女の消滅で、結界が解かれる。ゆらゆらと、ふわふわと、まぼろしが消えていくように、辺りは降り止まぬ土砂降りの街へと戻っていった。これであの女の子も、魔女の口づけから解放されるはずだ。

 

 那月は足元に転がった嘆きの種(グリーフシード)を拾い上げると

 

「無楯の魔女……コイツも違った」

 

 と呟いた。そして路面に突き刺さった青黒い槍を抜く。先端の丸い円から十字が伸びる、細くて寒々とした槍。その冷えびえとした感触が身体を駆け抜けると、ゾクっとした悪寒に襲われた。

 

「またあのキテレツ女……」

 

 その悪寒を払いのけるように那月は槍をビュッと投げた。尖った穂先が空気を切り裂き突き進む。矢のように飛ばした先には

 

「最後のは見事だったわ」

 

 それを片手で受け止めて、衝撃を吸収するようにクルクルと槍を回した魔法少女。

 

「でも、力の使い方が下手ね。あなた魔力は強いけど、そんな戦い方をしているとすぐに『堕ちる』わよ」

 

 蒼ユリ。相変わらず高慢なヤツだ。

 

「アンタの指図は受けないわ。今回はちょっぴり助かったけど、余計な手出しはいらないって言ったでしょ!」

 

「那月!」

 

 蒼ユリの高飛車な態度にイラついている那月は、キュゥべえの静止を振り切って続けた。

 

「だいたい、アンタはどうして私に付きまとうのよ。アンタは見滝原の魔法少女でしょ? 自分の街で遊んでいなさいよ。それとも人助けが趣味かしら?」

 

「威勢がいいのね。私はあなたに興味があるのよ。あなたの力に興味があるの」

 

「ハッ! 私はアンタに興味はないわ。これ以上付きまとうっていうんなら、アンタも狩ってあげましょうか?」

 

「あら、本気で言ってるの? どうせ儚いその生命、ここで絶ってあげてもいいのよ?」

 

 蒼ユリが、薄ら笑いを浮かべて那月を見下ろす。那月は地に立っていて、蒼ユリは道端に立つ電柱の上にいるので、見下ろされているのは間違いなかった。しかし那月が感じていたのは、もっと高いところから見られているような、自分が遥か高いところを見上げているような、そんな感覚だった。

 

 手が、震える。

 

 膝が、震える。

 

 那月は本能で察していた。コイツは強い。いや、強いなんてレベルじゃない。魔力の桁が違う。次元が違う。世界が違う。

 

 たしかに那月の炎の魔力は強い。観念動力も強い。おそらく、魔法少女の中でも突出した才能と能力を秘めている。が、蒼ユリの魔力は何かが違う。見えない力に圧倒される。見つめられるだけで、恐ろしさのあまりひざまずきそうになる。

 

 魔法少女としてのスペックを比べたときに、自分の力を百としたら、蒼ユリは千か万か。それくらいのイメージだった。

 

 あの薄ら笑みを浮かべる眼は、蟻を見下ろす巨象だ。兎を追い詰める獅子だ。那月がいくら全力で抗ったところで、窮鼠が牙を剥くことはできても、一匹のネズミは象を噛み殺すことなどできない。あっという間にその巨体に踏み潰されて、屍となるのがオチだ。

 

 那月はそれを本能で悟ったが、感情で抗った。

 

 震える身体をグッとこらえ、右腕に魔力を込める。手には炎のフランベルジュ。無楯の魔女を倒した全力の炎で、この高慢な女(ヤツ)に一矢報いてやる。

 

「ネズミだって、象に傷を負わせるくらいできる!」

 

「ダメだ那月、君には敵いっこない」

 

――蒼ユリには、手を出さない方がいい。

 

 とキュゥべえは言っていた。那月も本能では「勝てないかもしれない」と感じている。でも「勝てない」としても「負けたくない」感情が突き動く。なぜだろう……コイツは敵ではないが、同じ魔法少女なのに相容れない。あの高慢な態度も、高飛車な物言いも、氷のように凍てつく瞳も、何もかもがシャクに障る。

 

「見てなさい、その余裕たっぷりな顔に吠え面かかせてあげるから」

 

 那月はダッと地面を蹴り、一瞬で蒼ユリの懐に斬り込んだ。

 

 

続く



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第五話 やがて呪いとなる願い(Ein Fluch)

 懐深くに斬り込めば、那月の間合い。

 

 槍が相手なら、至近距離の接近戦が有利だ。相手の間合いの内側で、斬撃と灼熱のコンビネーションを見舞ってやる。

 

 大きく振り下ろした那月の刃を、ユリの槍が正面で受け止める。那月は苦笑いを浮かべて

 

「私の全力を簡単に受け止めてくれちゃって、やっぱアンタ凄いよ」

 

 ギリギリと剣を押し当てる。ギチギチと押し込む。が、その刃は槍の穂先で止まりユリには届かない。

 

「でもね……」

 

 剣が炎を噴いた。炎の魔力をまとうフランベルジュは、斬るというよりも焼け焦がす魔力でその力を発揮する。

 

 紅蓮の炎が、那月とユリを包み込んだ。

 

「どう? キテレツ少女さん。私は自分の炎で焼かれることはないけど、アンタはそうはいかないでしょ」

 

 真っ赤に燃える炎がふたりを飲み込んだ。那月は炎の魔力を宿しているので、自分の炎に熱気は感じない。が、那月の周りは灼熱の塊と化した。空を焼き、天をも焦がす業火の魔法。

 

「さっさと降参しないと、本当に焼け焦げちゃうわよ!」

 

 と言いながらも、那月は相手を殺すつもりはない。半ば脅しの炎で自分の力を見せつけるつもりだった。しかしユリは表情を変えないまま平然と、冷ややかな笑みを浮かべている。

 

「この……っ、冗談じゃ済まされないわよ!」

 

 そんな余裕ぶった顔を見せられては、もう脅しでは済ませない。こうなったら本気の魔力で少しくらいヤケドを負わせて、痛い目に遭わせてやる。

 

 那月のソウルジェムが激しく輝いた。フランベルジュが放つ炎の光が白い閃光となり、ふたりを飲み込む。

 

 と、

 

 パーン! という衝撃と共に、吹き飛ばされたのは那月だった。痛烈な勢いで弾き飛ばされて、そのまま地面に激突する。那月は路面に激しく叩きつけられ、身体中の骨という骨がバラバラになった感じがした。辛うじて意識は保ったが、激痛で身体が動かない。

 

 そこへ空中からユリが追撃を向ける。細い槍の穂先を、那月の身体に目がけて繰り出した。この閃突はかわせない。回避が間に合わない。那月は咄嗟に左手に残った魔力で槍の軌道を変えようとした。観念動力(テレキネシス)で、槍の穂先をズラす……間に合え!

 

 ガキーン!

 

 槍の穂先は那月の親指と人差し指の間をすり抜け、右頬にひと筋のかすり傷を付けて路面を突いた。頬からタラリと赤い血が流れる。串刺しになることは免れたが、頬をかすめた十字槍の感触に那月は戦慄した。

 

「これであなたは一度死んだ。ふふ……次は外さないわよ」

 

 薄墨色(はいいろ)の瞳が、冷酷に言った。三日月のように美しく、鋭利な眼が那月を見下ろしていた。長い銀髪からポタリと雨の雫が垂れる。この細くてしなやかな身体の、どこからこんな攻撃を繰り出しているのか。

 

 いつの間にか雨は止み、どんよりとした雲の下で、ネズミは巨象に踏み潰されていた。

 

 しかし、

 

「アンタも危ないところだったね」

 

 那月は倒れたまま、口を歪めて見上げた。ユリの肩口がハラリとめくれている。といっても、服の端がほんの少しだけ斬れた程度。断面には薄い焦げ目が残り、ユリの白い肌が露出していた。が、身体に傷は見えない。

 

「お見事ね。私に傷を付けた魔法少女は、あなたが初めてよ」

 

 そう言われて、那月は心の中で苦笑した。

 

 傷を付けたって? 服が数センチ斬れただけじゃないか……。鍔迫り合いから弾かれて、勢い余ったフランベルジュの切っ先が偶然かすっただけだ。強がりで「アンタも危ないところだったね」と言ってはみたが、そのセリフにリボンを付けた皮肉で返してくるなんて、バカにするにもほどがある。

 

 ていうかコイツ、槍の穂先はワザと外したんじゃ……

 

 ユリの追撃の軌道は、那月の観念動力(テレキネシス)で逸れたようには見えなかった。直線的に那月の横をかすめたかに感じた。

 

 もしかして、コイツのほうが紙一重の脅しだったんじゃ……

 

 ユリは十字槍を引き抜くと

 

「今日は引き分けでいいわ。お互い傷ひとつでの痛み分けってことでどう?」

 

 引き分け? 痛み分け? 冗談じゃない。やっとのことで服の端に傷を付けた私と、『ワザと』外して『かすり傷にした』コイツとじゃ、力の差は歴然じゃないか。これは素直に降参するしか……

 

「ハッ! 余裕かましてると、次は丸焦げにしてやるわよ」

 

 降参なんてするわけないっ!

 

「ふふ……楽しみにしてるわ。でもその前に……」

 

 ユリは魔法少女を解いて、なんとも上品な制服姿を見せると

 

「あなた中学生でしょ? 年長者には敬語を使うべきね」

 

 と、相変わらず高飛車に言い放った。

 

 ユリが着るブレザーの胸には、若葉のようなデザインに『一(いち)』の文字が入った校章。あれは、北夜見市に住む那月でも知っている見滝原の超有名学校、見滝原第一女子高等学校、通称『見滝原一女』の制服。

 

 ぐっ、コイツ高校生か……。

 

 見滝原一女といえば、県下ナンバーワンの名門女子高で淑女貴女の集まるお嬢様学校。トップクラスの成績者でも入学は超難関と言われ、将来は医者か弁護士か官僚かという、この国を担う才女を輩出している。

 

 そしてこのキテレツ少女、よく見たら憎たらしいほどの美人ときたもんだ。才色兼備を地でいくチートキャラじゃないか。さらに魔法少女界でもナンバーワンだなんて、世の中の秩序をぶち壊すバランスブレイカー。

 

 何もかもが那月の上を行く、この高慢で高飛車なキテレツ少女……いや、年上の高校生っていうなら少女とは呼びたくない。間違っても「先輩」などと媚びた呼び方は避けるとして……百歩譲って「蒼さん」か「ユリさん」?

 

「うっさいわね! いいから早く自分の街に帰りなさいよ! それから私の狩りにちょっかい出すのやめてくれる!? アンタの手出しは余計なお節介よ!」

 

 敬語も敬称もない「アンタ」で上等。

 

 年上だから何だってんだ。ここは私の街だ。この街の魔女は私が狩るんだ。どこかにいる『歯車のようなシンボル』を持つ魔女を殺すために、私は魔法少女になったんだ。

 

 思いっきりタメ口で「アンタ」呼ばわりしたが、ユリは怒る様相もなく流れるような視線を那月に向けた。

 

「バカは長生きできないわよ? ま、あなたのそういうところは嫌いじゃないけれど」

 

 私はアンタが大っ嫌いです! 二度と来るな、この公式チートめ!

 

 ユリは長い銀髪をひるがえして那月に背を向けると

 

「それと……」

 

 ――ちゃんとグリーフシードで浄化しなさい。あなたのソウルジェム、少し濁ってるわよ。

 

 と言いながら、カツカツと靴の踵を鳴らして去っていった。いかにもお嬢様らしい、優雅でしとやかな歩き方。足が長い。身体が細い。でも胸は、あんまりなかったように見えた。

 

「ふっふっふ……ひとつ引き分けた」

 

 那月は仰向けに倒れたままニヤリと笑った。戦いの緊張感が解けたのか、いつもの那月に戻っていた。

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

「あの子、何を願って魔法少女になったのかしらね」

 

 制服姿の蒼ユリが、雨上がりの北夜見市を歩いていた。その後ろを、キュゥべえがヒョコヒョコとついてくる。

 

「他人の願いを教えるのはルール違反だよ。君も知っているだろう?」

 

「あら、そうだったかしら。ただあの子、魔力の種類が普通の魔法少女と違う。炎を生み出し、物体までも操るあの力。あれはまるで……」

 

「魔法少女よりも魔女に近い、と言いたいんだろう?」

 

 ユリは最初から、那月の異質な魔力に気付いていた。もちろんキュゥべえもそれは分かっている。

 

「ベクトルの違う魔力を同時に解放できる子は、那月の他にはいないだろうね」

 

 魔法少女の魔法は、基本的にひとりにひとつ。ひとつの魔法を応用していくつかのバリエーションを持つことはあっても、普通は多重能力なんてあり得ない。が、那月は『炎(フランベルジュ)』と『観念動力(テレキネシス)』ふたつの魔力を同時に操っていた。そんなことができる魔法少女は見たことがなかった。

 

 ユリは少しだけ思案してから

 

「もしかしてあの子、『やがて呪いとなる願い』で魔法少女になったのかしら」

 

 と呟いた。

 

 『希望』というベールの中に『呪いの種』を包んで、魔法少女になったのではないか、と言った。

 

 魔法の使者であるキュゥべえは、どんな願いもひとつだけ叶えてくれる。金も地位も名誉も、幸も不幸も何もかも。その結果、過去を変えてしまうことになろうとも、悲惨な未来を描くことになろうとも、キュゥべえの知ったことではない。どんな不条理な願いでも、どんな非生産的な願いでも、必ず叶えてくれる。

 

 その少女が魔法少女になること。そして魔女と戦う使命を背負うこと。このふたつさえ成れば、たとえこの世界が滅びても構わない。

 

 那月が何を願ったのかを、キュゥべえは答えなかった。ユリが言ったとおり「やがて呪いとなる願い」だったのかどうかを、否とも応とも答えなかった。

 

 だがユリは、キュゥべえの答えなど最初から期待していなかった。どうせ言わないだろうと。ただ、否とも応とも答えなかったのは、当たらずとも遠からずといったところだと確信した。確信したうえで

 

「そんな願いを叶えるなんて、あなたロクな死に方しないわよ」

 

 目を細めてキュゥべえを見下ろした。さげすむような眼で、不敵な笑みを浮かべてキュゥべえを見下ろした。

 

「君は何を言っているんだい? 僕らの存在は『個』ではなく、ひとつの意識を共有する『端末』でしかない。だから僕には『死』という概念は当てはまらないんだよ」

 

 声に抑揚なく、機械のように答えてくる。この『端末』は、否なら否、応なら応と言う。何も答えないのは図星だからでしょ?

 

 分かり易いヤツね……

 

 ユリは声には出さず、口の中でふふっと笑った。そして

 

「あの子はきっと、とんでもない魔女になるわね」

 

 と言いながら、陽の沈む方へと歩いて行った。

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

 あれから那月はすぐに起きあがり、柚葉の家に向かった。もちろん、魔法少女の姿は解いて。

 

 蒼ユリとの対決は魔女の結界が解けた後、現実世界でやっちゃったんだよね。ついカッとなって、街中で魔力を使って道路を破壊しちゃって、人に見られてなきゃいいけど。

 

「誰もいなかったから大丈夫だと思うけど……」

 

 ハリウッドの特撮映画も真っ青な魔法バトルが、こんな閑静な住宅街で繰り広げられたなんて知られたら、新聞やニュースを賑わす程度じゃ済まないだろう。叩きつけられてできた道路のヘコみは放置してきたけどね。だって私の魔法じゃ直せないもん。

 

「あれはきっと雷が落ちたんだよ。ピカって光って、ドドーーンて落ちたの」

 

 雷は道路に落ちるっけ?

 

「ま、まあいいや。それよりも早く柚葉のところに行かないと。参ったなぁ……何て説明しよう」

 

 あの時、女の子を押し付けて「いいから待ってろ」なんて突き放しちゃったからなぁ。きっと怒ってるだろうなぁ。泣き落としも、色仕掛けも、効かないだろうなぁ……あ、色仕掛けは封印したんだった。あれは失敗だった。

 

 ガクっとうなだれるズブ濡れ少女が、長い塀の横を駆け抜ける。そうして那月が足を止めたのは、近代的な住居が立ち並ぶ北夜見市の一角にある広い敷地の邸宅前だった。そこには大きな木目の表札に仰々しい文字で

 

『宝条』

 

 と掲げられていた。この塀の中には、新興住宅地の中でもひと際目立つ古いお屋敷が建つ。威圧的な表門の向こうに見える家屋には、瓦屋根に無数の襖。荘厳な庭園の奥には蔵まで完備。

 

 この武家屋敷のような重苦しい家に住んでいるのが、口が悪くてズルい女、勉強嫌いで強引炸裂ガールの宝条柚葉さん、十四歳。

 

「う~ん、似合わない」

 

 何をどう間違えたら、こんなお武家様の屋敷みたいな家にあんな現代っ子が生まれてしまうんだろう。ご先祖様もビックリしてるんじゃないかな。柚葉の家には今まで何回かお邪魔したことがあるけど、まるで戦国時代にタイムスリップしたような気になるんだよね。

 

 恐る恐る、インターホンを押します。重厚な表門に、これまた似合わない近代的なインターホン。これがなかったら「御免!」って叫ばなきゃいけないのでしょうか。

 

「……はい」

 

 すぐにしおらしい女性の声が答えてきた。大人の色気があふれる、遠慮深くて奥ゆかしい声。

 

「柚葉さんのお友達の、御上那月です」

 

「あら、那月ちゃん。待ってね、いま開けるから」

 

 という優しい声からしばらくして、着物姿の女性が出迎える。柚葉のお母さんだ。

 

「いらっしゃい。柚葉は部屋にいるから上がって」

 

 もう、とびっきりの美人。豊かな髪を持ち上げ、帯をキリっと締めて、口元のホクロがセクシーポイント。今どき着物を着ている人は珍しいけど、柚葉のお母さんはいつもこの恰好だった。

 

 似合うなぁ、思わず見蕩れてしまう。

 

 そのうしろ姿を眺めながら表門をくぐり、玄関の式台まで案内されたところで那月は自分がビショビショだったのを思い出した。

 

 さすがにこのままお邪魔するのは……

 

「あの……すみません。雨に濡れてグッショリなんで、何か拭くものをお借りできますか?」

 

「あら、本当。今日はどうしたのかしらね、柚葉もさっきの子もみんなズブ濡れで」

 

 お母さんはにこやかに笑いながら、懐から綺麗なハンカチを取り出すと

 

「すぐにタオルを持ってくるから、先にお顔だけ拭いておいてね」

 

 と言って那月にそれを手渡し、奥へと入って行った。

 

「あれ、これって……」

 

 この花柄のハンカチは、柚葉と一緒に選んだ誕生日プレゼント。

 

「さっそく渡して、使ってもらってるんだ」

 

 自分が買ったものじゃないけど、何だか嬉しかった。気持ちを込めたプレゼントは届くんだなぁと思った。だったらこのハンカチは、私が汚しちゃいけないね。

 

 那月は、艶やかな牡丹の花が咲くハンカチがちょっとだけ羨ましかった。お母さんのハンカチが羨ましかった。

 

 フカフカの大きなタオルを借りて、玄関で靴を脱いでから式台に座る。そのままズブ濡れの頭を拭っているところに、後ろからドスドスと重たい足音が近づいてきた。タオルに顔を埋めたままの那月には見えなかったが、大きなお屋敷を踏みしだくようなこの荒れた足音は、

 

「なつきーーー!」

 

 あ、柚葉さん。やっぱり怒ってらっしゃる?

 

 タオルをかぶったままの那月の腕を、柚葉が無言で引っ張る。家の中へと強引に引っ張る。

 

 これは怒ってる。いつも明るくて口達者な柚葉が黙ってるのは、だいたい怒ってる時。普段なら「あたしの服を貸してあげるから着替えなよ、サイズは合わないと思うけどw」とか、「ペタンコな下着は持ってないの、ゴメンねw」とか、ふざけてくるのに。

 

 那月は後ろ向きに引っ張られるまま廊下を進み、階段をのぼり、二階の部屋へ。

 

 あ~あ、濡れた靴下で歩いたから廊下も階段もビチョビチョ。

 

 二階の奥には、柚葉のお部屋。甘い匂い、黄色と水色のカラフルな壁紙、ラブリーなぬいぐるみがお出迎えしてくれる、女子中学生の秘密の花園。

 

 そして部屋の中には……

 

「じゃ~~~~ん!」

 

「誰!? このカワイイ子!」

 

 肩が少し出たキュートなトレーナーに、フリフリのミニスカート、あまり長くない髪をサイドテールに結んで……って

 

「この子、さっきの女の子!?」

 

 柚葉とぶつかった小学生の女の子が、トンデモ可愛いアイドルっ子みたいに大変身していた。この子が着ているのは……?

 

「あたしの小さい頃の服があったからさ、着替えさせてあげたの。ね、弥生ちゃん」

 

 恥ずかしそうに頬を赤らめている女の子の名前は、柚葉によると立花弥生(たちばな やよい)、小学五年生の十歳。

 

 土砂降りの中で見た時とはあまりに違う、もう別人のように違う、まさに秘密の花園に咲く一凛の花。女の子の周りにハートマークがキラキラ舞って見える。これはもう……

 

「か……か……カワイイ♡」

 

 那月ちゃんドストライク! かわゆいロリ萌えっ子がど真ん中にズバっと決まってストラックアウト。こんな妹が欲しかった!

 

「さすがにあのまま帰すわけにはいかなからね。この子の服は洗濯中。すぐに乾くと思うから、そしたら那月が家まで送ってあげてよ」

 

「ももも、モチロンですとも! こんなキャワイイ子をひとり夜道で帰すなんて、私にはできませんっ!」

 

「帰り道でイタズラしちゃダメだぞ~」

 

「お代官様、お見通しでしたか」

 

「ふっふっふ……越後屋、お主も悪よのぉ」

 

 そんな時代錯誤なやりとりを(この家には似合うけど)弥生は黙って眺めていた。

 

 ちゃんと『魔女の口づけ』は消えたみたいだね。

 

「よかったね」

 

 那月は思わず心の声を漏らした。この子は魔女の口づけを受けたことや、自分が何をしていたかの記憶はないはずだが、

 

「……うん」

 

 と静かに頷いた。あまり嬉しそうでないのは、やっぱり憶えていないからだろうか。それでも、弥生を救うことができた那月は、初めて自分を誇らしく思えた。

 

 そんなふたりを横から見ていた柚葉は、何が「よかった」のかは聞いてこなかった。あれから那月が何をしていたのか、なぜ弥生を預けたのかも聞いてこなかった。

 

 怒ってなかったんだね。

 

 柚葉にしてみたら、ぶつかってズブ濡れにしてしまった子に着替えをあげて、私も戻ってきたからそれでオッケー、万事解決なのかな。それとも、聞かれても答えられないことを察しているのか。

 

 もし聞かれたら「この子の親を探してました」っていう無理やりな答えは用意していたんだけど。そんな嘘をつかないで済んだのは、柚葉の優しさなのかもしれない。

 

「那月も着替えていきなよ。そのままじゃ風邪ひいちゃうからね」

 

 そういえば私、未だにズブ濡れでした。

 

「あたしの服を貸してあげるからさ。サイズは合わないと思うけどw」

 

 あうっ! そのセリフは……

 

「あと、那月に合うペタンコな下着は持ってないの、ゴメンねw」

 

「ペタンコ言うなーーー!」

 

 ムキーーーっ! と目を吊り上げて柚葉を押し倒そうとした那月だったが

 

「……クシュン!」

 

 濡れっぱなしの制服で身体が冷えたらしい。くしゃみをひとつして、鼻をズズっと鳴らした。

 

「ほ~らね」

 

 と言った柚葉の手が、那月の右頬に何かをくっつけてくる。これは……絆創膏?

 

「どこで何をしてたのか知らないけどさ、そんな傷を付けちゃったらカワイイ顔が台無しだよ」

 

 頬の傷、気付いてたんだ。濡れた髪で隠れてたのに、柚葉は何でもお見通しなんだね。

 

「うん、ありがと」

 

 こんなにあったかい日常、壊したくない。この街を、柚葉や弥生ちゃんや他の人たちを魔女から守るのは私の役目だ。

 

 そしていつの日か『歯車のシンボル』を持つ魔女を見つける。『歯車の魔女』を殺す。

 

 それが、私が魔法少女の契約を交わした『たったひとつの願い』だから。

 

 那月の指輪に光るソウルジェムに、ほんの少しだけ黒い揺らめきが舞った。

 

 

続く



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第六話 償い(つぐない)

 ひと月前の春休み。桜の花が舞う季節。

 

 夕暮れを歩く那月は、キュゥべえと名乗るおかしな生き物から

 

「どんな願いもひとつだけ叶える代わりに、魔女と戦う魔法少女になって欲しい」

 

 と言われた。

 

「いやいや、誰がそんな話を信じるっての」

 

 そんな子供みたいな話を信じられるわけないじゃない。魔法少女「ごっこ」をする年齢でもないんだし。

 

 何でも願いを叶える? それがホントなら、今頃みんな億万長者か王様になってるって。

 

「そういう願いで億万長者になった子もいるし、昔の女王となった子もいた。どうだい那月、本当の奇跡を見てみたいとは思わないかい?」

 

 ちょっと、どうして私の名前を……それに今『話していないことまで会話に繋がって』るのはどういうこと?

 

「これは精神感応、つまりテレパシーだよ。思考脳波を同期させて意思を伝達させているんだ。といっても、今はまだ僕が中継している状態だけどね。少しは信じる気になったかい?」

 

 と、この小動物は口を動かさずに喋ってくる。コイツの声は全部がテレパシーだったのか。そして私の心の声まで聞こえていたなんて、そんなマジカルなことがあり得るんだ……

 

 ということは、魔法少女は「ごっこ」じゃないってこと?

 

 ということは「願いを何でも叶える」ってのも本当の話?

 

「ね、ねえ。キュゥべえっていったよね。もしも、もしもだよ……死んだ人を生き返らせて欲しいって願ったら、それも叶えることができるの?」

 

「その願いを君が望むなら、ね。ただし、それはあまり勧められない。僕が願いのアドバイスをするのはルール違反なんだけど、死者の蘇生はリスクを伴うんだ。その人の記憶や人格に大きな欠陥が生じる可能性がある」

 

「まったくの別人になっちゃうってこと?」

 

「死後の時間が経てば経つほど、魂の記憶は現実世界と乖離(かいり)していくからね。その可能性は高くなる」

 

 生き返ったところで、記憶や人格が生前とズレてしまっていては本末転倒……ということか。

 

 じゃあ、『魔女』っていうのは何?

 

 魔女の口づけ?

 

 原因不明の死?

 

 それは首筋に浮かぶ印(しるし)?

 

「た……例えばどんなのがあるの?」

 

「それは魔女によって様々だよ。幾何学的な文様だったり、現実にある何かを象ったものだったりね。君は、願いや魔法少女よりも魔女の口づけが気になるのかい?」

 

「それ、小さい頃に見たことがあるかもしれないの」

 

 あの時、突然『原因不明の死』を遂げたお母さんには『首筋に印(しるし)』があった。あれは確か、黒い歯車を薄いピンクのレースで包んだような形。はっきりとは憶えていないけど『歯車のシンボル』だったのは間違いない。

 

「普通の人間には見えないものなんだけどね。もしそれが本当だったら、君は小さい頃から魔法少女の素質があったのかもしれない」

 

「それで、魔女の口づけには『歯車のシンボル』みたいなのもあったり……する?」

 

「魔女の口づけは、魔女本体の姿や性質によって、ある程度の形が決まっているんだ。でも、ほとんどの魔女は魔法少女によって倒されていくから、過去の魔女が持っていた印(しるし)はすぐに忘れられてしまう」

 

 けれど……

 

「中には、どんな魔法少女も太刀打ちできないほどの強大な魔力を持っていて、ずっと語り継がれている魔女もいる」

 

 すべての魔法少女を返り討ちにして生き延び、その存在だけが口伝されている魔女。いつ産まれて、どこに身を潜めているのかもわからない。これまで何人の魔法少女が、その魔女の犠牲になったかもわからない。それが、

 

「君の言う『歯車のシンボル』を持つ魔女だ」

 

「…………!!」

 

「君の見た印がそれだったかはわからないけどね。似たような印を持つ魔女がいてもおかしくはない」

 

「そいつは今もどこかにいるってこと?」

 

「アレを倒せる魔法少女は存在しないよ。少なくとも単身ではね。隣街にひとり、恐ろしく強い魔力を持った魔法少女がいるけど、彼女でも無理だ」

 

 誰にも倒せない魔女……

 

 『歯車のシンボル』を持った魔女……

 

 そいつが、お母さんを殺した魔女……!

 

 那月はうつむいて前髪を垂らした。中から覗く碧眼が、無機質に揺れている。

 

「ねえ、どんな願いも叶えてくれる。そうだったよね」

 

「もちろんだよ。君が魔法少女になってくれるならね」

 

「魔法少女は、魔女と戦うのが役目なんだよね」

 

「そうさ。魔法少女は、魔女を倒さなければならないからね」

 

 那月はうつむいたまま前髪を垂らしていた。中から覗く碧眼が、どこか一点を見つめている。

 

「わかった……じゃあ、願いを言うよ」

 

 東の空に月が浮かび、西の空には春の陽が落ちていく。那月の足元から長い影が伸びていて、キュゥべえの小さな身体を飲み込んでいた。

 

「私の願いは……」

 

 

 

 

――『歯車のシンボル』を持つ魔女を、殺すこと

 

 

「契約は成立だね」

 

 陰影の中でキュゥべえの赤い眼がまたたく。それは不思議な彩りでもあり、妖しい輝きにも見えた。

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

 今日からは、待ちに待った五月の大型連休。つまりゴールデンウィークです。

 

 それは学生たちの心のオアシス。「しっかり勉強して過ごしましょう」なんて先生は言うけれど、勉強だけが青春じゃない。部活動に精を出すも良し、家族で旅行に行くも良し、自由な時間を満喫するのが「花の中学生活」といえるでしょう。

 

 とはいっても那月は帰宅部だし、お父さんは相変わらず仕事。花の中学生活初日は、いつもの『ロイヤル・フォレスト』で柚葉とのトークショーを繰り広げるのであった。

 

 那月の注文は苺ケーキとオレンジジュース。柚葉はベイクドチーズケーキとロイヤルミルクティー。まるで子供のおやつと大人のティータイムのような組み合わせがテーブルに並べられ、トークショーがいざ開戦。

 

 開口一番、柚葉の先制口撃。

 

「那月とかけて、この間の弥生ちゃんと解きます」

 

「そ、その心は……?」

 

「どちらも小さいのがカワイイでしょう」

 

「ぶっ!!」

 

 カワイイという言葉の使い方は間違ってません。確かに弥生ちゃんはカワイイ。歳の割に背が低くて幼く見えるし、あの時の髪型(サイドテール)はメガトン級のロリ萌え爆弾。できればお持ち帰りしたいくらいだった。

 

 対して、私への「カワイイ」は……

 

「まあまあ那月、大きいだけが人生じゃないって。それにアンタはまだ成長途中かもしれないじゃん」

 

「ナルホド……」

 

 やはり柚葉も、私のお胸は「これから成長する」と踏んでいる様子。そう、私は晩成型。大器は晩成する。きっと大人になっていくにつれて、ゴージャスに成長するのだ。そしていつかは柚葉を追い抜いてみせる!

 

 那月はテーブルの向かいにあるふたつの膨らみに目を向ける。それは那月のモノとは対照的に、はち切れんばかりに激しく自己主張していた。

 

「……無理だ」

 

 ポテンシャルが違う。次元が違う。あの迫力はまさにスペシャルダイナマイツ。しかも、一年前と比べてさらに大きくなっているような気もする。

 

 待てよ……?

 

 私が成長するということは、柚葉もこれからさらに成長する可能性もあるわけで、ということはスタートからすでに出遅れている私は永久に柚葉には追い付けない、と。

 

「完敗です」

 

 那月は負けを認めざるを得なかった。

 

「はいはい、カンパイね。ジュースと紅茶で乾杯したいなんて、那月はやっぱり成長途中のお子ちゃまだねぇ」

 

 といって那月のグラスにティーカップをカチンと合わせる柚葉。

 

 私の「完敗」を「乾杯」に変換してくるそのセンスに感服。これはもう、

 

「称賛に値します」

 

 柚葉を褒め称えるしかできなかった。

 

「小学三年生の時は、私も那月と同じくらいのサイズだったかな」

 

 私の「称賛」を「小三」に変換してくるその感性に脱帽。これはもう、

 

 ……やめよう。

 

 これ以上の口撃には耐えられないっ。那月のヒットポイントはもうゼロよ!

 

「そういえば那月、弥生ちゃんは無事に送り届けたの?」

 

 怒涛のおっぱい論争に終止符が打たれ、話題は先日の弥生ちゃんの話に。

 

「も、もちろん。あの子はああ見えて小学五年生だからね、自分の家くらいはちゃんとわかってたし」

 

 柚葉の家から弥生ちゃんの家はさほど遠くなかった。無事に送り届け、弥生ちゃんのお母さんに事情を説明して「借りた服は洗って返します」という伝言をもらっていた。

 

「お主、道中でいかがわしいマネなどしておるまいな?」

 

「お代官様、滅相もない」

 

「あのような可憐な女子(おなご)は、お主の好物だからのぅ」

 

「ふぉっふぉっふぉっ、さすがお代官様。何でもお見通しでございますな」

 

 越後屋の那月は可憐な少女が大好物ですが、柚葉お代官様の前では悪だくみもできません。隠れて狼藉を働こうものなら「市中引き回しのうえ、打ち首獄門」を言い渡されてしまう。

 

 お上には絶対服従な那月であった。

 

「って、噂をすれば!?」

 

 窓の外を歩く少女の姿を見つけたのは柚葉だった。大きな紙袋を手に下げて、可憐な服装で歩く

 

「弥生ちゃん!」

 

 あの時と同じようにサイドテールに髪を結び、キラキラした笑顔でこちらに気付いた。そのまま店内に入り、急いで駆け寄ってくると

 

「ゆずは! なつき!」

 

 柚葉の隣に飛び込んできた。

 

「この間の服を返しに行くところだったのです。ちゃんとお母さんに洗ってもらったのです」

 

 紙袋の中には、キレイにたたまれた柚葉の服が入っていた。ちゃんとアイロンまでかけられて、新品のように整って仕舞われている。

 

「あたしにはもう着られないから、使ってくれてもよかったのに」

 

「ホントなのですか?」

 

「うん、弥生ちゃんに似合ってたよ」

 

 うんうん、確かに似合ってた。柚葉の服はちょっと派手だけど、弥生ちゃんはアイドルみたいにカワイイから何を着てもベストコーディネートだよ。今日の服も、ベースが白いシャツで襟と袖がピンク色。まるで苺ケーキみたいで

 

「食べちゃいたい♡」

 

 苺コーデの弥生を見て、目尻がダダ下がりの那月であった。

 

「弥生ちゃん、このお姉ちゃんには気を付けた方がいいよ。弥生ちゃんみたいなカワイイ子が大好物だからね」

 

「なつきは、わたしを食べちゃうのですか?」

 

「きっと弥生ちゃんのことを苺ケーキみたいで美味しそうって考えてるよ」

 

「な、なにぬねの!?」

 

 なぜわかった? まさか柚葉にもテレパシー的な能力が備わっているとでもいうのか!?

 

「よだれ出てるよ」

 

「はッ!」

 

 半開きの口元から勝手に垂れていた。そして危うく喉から手まで出してしまうところだった。これじゃまるっきりヘンタイさんじゃないか。無意識って、恐い。

 

「なつき、よだれ垂らしてるなんてばっちいのです。えんがちょなのです」

 

 この小学生「えんがちょ」なんて古(いにしえ)の高等魔法を使うとは、侮れん。本物の魔法少女である私でも使えない、バイキンの感染を防ぐための特殊なバリア魔法ですよ?

 

「キャハハ! えんがちょ、えんがちょ!」

 

 一緒になって「えんがちょ」を唱える柚葉さん。これで私は『よだれバイキン』の女王感染者となったわけだ。ふっふっふ……その「えんがちょバリア」が解けた瞬間、キミたちも真の恐怖を味わうことになろう。せいぜい抗うがいい。

 

「えんがちょ」で隔離された那月は、青褪めた顔で現実から逃げ出していた。

 

「でも、なつきはわたしを助けてくれたから許すのです。えんがちょ切~った」

 

「助けてくれたって……那月が? 弥生ちゃんを?」

 

「そうなのです。わたしの『えんがちょ』が効かない呪いを消してくれたのです」

 

「それって、この間のこと?」

 

 確かに、魔女の口づけを解呪したのは魔法少女の那月。でもそれは普通の人間には気付けないはずなのに。それに今、弥生ちゃん「呪い」って……

 

「な、何のことかなぁ……柚葉とぶつかった時に頭でも打っちゃったのかな」

 

「大丈夫なのです、わたしは分かっているのですよ。にゃは☆」

 

 弥生ちゃんは両手で猫のような仕草をして、あどけない笑顔を見せてきた。もしかして魔女の口づけを受けた記憶があるのか。自分の命が危険に晒されていたのを憶えているのか。でもキュゥべえは「魔女の口づけは普通の人間にはわからない」って言ってたはず。

 

「まあまあ、何にしても怪我してなくて良かった。あたしたちがふざけてたのが悪かったからね」

 

 柚葉も訳が分からないといった感じだったが、見た目以上に子供っぽい弥生ちゃんがファンタジックなことを言っているだけと思ったようだ。「えんがちょ」というワードの延長線と考えたのかもしれない。だから軽く受け流すようにして、あの時のことを謝ると

 

「そうだ、弥生ちゃんも一緒にケーキを食べていかない? お姉ちゃんたちがご馳走しちゃうから。いいでしょ、那月?」

 

「ももも、モチロンですともっ!」

 

 可憐な少女の参戦は大歓迎です。大好きな苺ケーキがふたつに増えて幸せです。

 

「いいのですか?」

 

「あたしたちのせいで迷惑をかけちゃったからね。何でも好きなものを頼んでよ」

 

 柚葉は、こういうところに気が利くんだよね。クラスの男子生徒は虫けらのように扱うけど。

 

「それじゃあ、お言葉に甘えて頂くのです」

 

 スイーツのメニューを開いた弥生ちゃんは、指を差しながら選び始めた。ロイフォのケーキはどれも美味しいからね。種類も豊富だし、ファミレスとは思えない本格的なスイーツが揃ってる。

 

「うんうん、どんなケーキがいいのかな? 私と同じ苺ケーキがいい? 柚葉のチーズケーキはちょっと大人っぽいかな? それともモンブラン?」

 

「えっと……この『のうこうまっちゃあんみつ』がいいのです」

 

 見た目も喋り方もロリっ子な小学生が注文したのは、濃厚な抹茶のアイスにさらに抹茶を注ぐという大人なスイーツ。説明書きには……抹茶アイスはふくらみのある香りと甘み。そして、まろやかな口当たりの小豆が豊かな風味を重ね、口の中に静かな感動が広がる

 

「濃厚抹茶あんみつ………………シブいね」

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

 あれからスイーツとドリンク(弥生ちゃんはほうじ茶を飲んでた。これまたシブい)でお喋りを堪能してから、ロイヤル・フォレストを後にしたのは夕方だった。柚葉はピアノのお稽古があるとかで、五時前には帰らないといけないらしい。

 

 あの性格でピアノのお稽古って……似合わない。

 

「じゃあ弥生ちゃん、今日も一緒に帰ろうか」

 

 柚葉は先に帰ったから、弥生ちゃんを家まで送っていくのは私の役目。というか義務。いや、むしろ願望っ!

 

 コワイお代官様はもういない。ふっふっふ……これは弥生ちゃんを独り占めするチャンス。

 

「ありがとうなのです。でも、わたしは食べられないのですよ」

 

「あっはっは……ヤダなぁ、さっきのは冗談だってば。苺ケーキみたいでカワイイと思っただけだよ。特にそのプニプニしたほっぺが柔らかい生クリームみたいで……」

 

「やっぱり食べる気なのですー! なつきはえんがちょ、えんがちょ~」

 

 ふたりでキャッキャしながら追いかけっこ。カワイイいいなぁ……ホントにこんな妹が欲しかった。あんな事がなければ、もしかして私にも妹か弟がいたかもしれないのに。

 

 でも今は、弥生ちゃんが妹みたいに思える。まだ知り合って間もないけど、三つ年下だから妹みたいなものだよね。この街に私がいる限り、もう二度とあんな目には遭わせないからね。

 

 サイドテールを揺らして走る背中にそんな約束を込めていると、弥生が突然立ち止まった。那月は危うくぶつかりそうになる身体をギリギリで止め「どうしたの?」と尋ねると

 

「なつき、この間はありがとうなのです。でも、ひとつだけお願いがあるのです」

 

 那月に背を向けたまま、少し真面目な声で言ってきた。

 

 さっきは柚葉もいたからその話は途中で終わらせちゃったけど、もしかして弥生ちゃん……憶えてるの?

 

「なつき、わたしはあれが初めてじゃないのです。何度も同じ目に遭っているのです」

 

「同じ目に……って」

 

「あれは、魔女の口づけ。そしてなつきは、キュゥべえとの契約者なんですよね」

 

「な……っ!」

 

 魔女の口づけも、キュゥべえも知っている? どうして?

 

「わたしは、今まで何回も何回も呪いを受けてきたのです。でもいつも、むつみに助けてもらっていました」

 

「むつみ?」

 

「はいです。むつみも、キュゥべえとの契約者。マホウショウジョだって言ってました」

 

「魔法少女……!」

 

 この街には、私の他にも魔法少女がいるってこと? これまで何度も魔女の呪いを受けて、その度に「むつみ」という魔法少女が魔女を退治していた、と。

 

 弥生は立ち止まったまま、那月に背を向けていた。その小さな背中は、自分の中に溜め込んでいる何かを必死で吐き出そうとしているようだった。

 

「そして、キュゥべえはわたしに言いました。わたしは魔女を引き寄せる体質なんだそうです。だからむつみがいつも守ってくれていたのです。でもむつみは……」

 

 そこで弥生は言葉を止めた。言葉を詰まらせた。

 

「弥生ちゃん……」

 

 那月は、弥生の背中に手を伸ばした。弥生の言葉をここで止めたかった。次にどんな言葉が発せられるのか、わかってしまったから。だからもういい。無理しなくていい。言わなくていい。たぶん……いや、きっと……むつみという魔法少女は……

 

「むつみは、死にました」

 

「――――――!」

 

 今年の桜が咲く前に、むつみは死んだ。最期は魔女との相打ちだった、とキュゥべえから聞かされた。魔女の口づけを受けた弥生を救うために魔女と戦い、そして命を落とした。魔女の息の根を止めたことで呪いは消えたが、代わりにむつみは帰らぬ人となった。

 

「わたしのせいで、むつみは死んだのです」

 

「そ、そんな……」

 

 弥生の声は震えていた。背を向けたまま両手のこぶしを強く握り、小さな身体を震わせていた。弥生は今にも崩れてしまいそうだった。

 

「むつみがマホウショウジョになったのも、わたしのせいなのです。わたしが一緒にいなければ、こんなことにはならなかったのです」

 

「一緒に、って……」

 

「立花 睦美(たちばな むつみ)は、わたしのお姉ちゃんです」

 

「弥生ちゃんの、お姉さん!?」

 

 立花睦美は、妹の弥生ちゃんを守るために魔法少女になり……そして魔女に殺された。彼女の願いは「妹を守る」こと? 願いを叶えて魔法少女になったのに、守りきることができなかった?

 

「だからわたしは、むつみに謝らないといけないのです。むつみのところに行って、ごめんなさいを言わないといけないのです」

 

「どういう……意味?」

 

「魔女に殺された者の魂は天に召されない、そして魔女の呪いで死んだ者も同じだと聞きました」

 

「弥生ちゃん、何を言ってるの?」

 

「魔女の口づけは、わたしをむつみのところに連れて行ってくれるのですよ。大好きだったむつみにもう一度会って、ごめんなさいと言いたいのです」

 

 弥生ちゃんは魔女の呪いで『死ぬこと』を望んでいる? 魔女に殺された睦美に会うには、それしか方法がないと? 自分を守るために魔法少女になり、自分のせいで命を落としてしまった睦美に謝りたい……と。

 

「なつき、この間は本当にありがとうなのです。でも、これ以上わたしに関わらないでほしいのです。わたしの邪魔をしないでほしいのです」

 

 次の魔女が現れたら、その呪いに導かれて睦美のもとに行く。魔女の口づけという烙印を、姉への贖罪として受け止める。この小さな背中は、大きな償いを背負っていた。

 

「今日は楽しかったのです。美味しいあんみつを食べさせてもらって、ふたりとお話ができて、とても嬉しかったのです」

 

「ダメだよ、弥生ちゃん……」

 

「もうすぐ、北夜見市に強い魔女が現れるのです。それはとても強い魔女なのです。その時が来たら、わたしはむつみに会いに行くのです」

 

「ダメだってば!」

 

 那月は、弥生を後ろから抱きしめた。膝をつき、両手を回して、強く強く抱きしめた。

 

「お姉さんは、弥生ちゃんを守るために魔法少女になったんだよね? 弥生ちゃんが大切だから、弥生ちゃんを守り抜こうと決意したんだよね?」

 

「そうなのです。むつみは、優しくて強いお姉ちゃんだったのです」

 

「だったら、お姉さんの願いを無駄にしちゃダメだよ!」

 

 弥生の贖罪の心はとても大きくて重い。何重にも鎖に巻かれ、締め付けられている。感情が暴走し、それは一直線に、ひたむきに、闇雲に、『償い』という悲劇的な結末を目指してしまっている。

 

「だってそうでしょ? お姉さんは、命懸けで弥生ちゃんを守ろうとした。弥生ちゃんに生きて欲しいと願った。最後の最期まで、生き抜いて欲しいと願っていたはずだよ」

 

「なつき……」

 

「お姉さんは、弥生ちゃんに謝ってほしいんじゃない。生きて欲しいんだよ。自分の分まで一生懸命に生きて欲しいんだよ」

 

「そう……なのですか?」

 

 那月は涙をポロポロと流していた。大切な人を失う辛さが、痛いほどわかるから。

 

 弥生の頭に自分の顔をくっつけて、溢れる涙を押し付けて、弥生を贖罪の鎖から解き放とうとした。弥生の『償い』は「ごめんなさい」で解かれるんじゃない。

 

「たぶん、お姉さんの願いは『弥生ちゃんを守りたい』じゃなくて、『弥生ちゃんの幸せを守りたい』だったんじゃないかな。……私はそう思うよ」

 

「わたしの幸せを、守る……」

 

「そう。だからね、弥生ちゃんは『ごめんなさい』じゃなくて、こう言えばいいんだよ」

 

 

――ありがとうって

 

 

 幸せを願ってくれて

 

 魔女の呪いから守ってくれて

 

 お姉ちゃんでいてくれて

 

 ありがとう――。

 

 

「むつみ……むつみ~」

 

 弥生は声を上げて泣いた。柔らかい頬に、温かい涙が止めどなく流れた。それは弥生を縛る冷たい鎖を溶かしていく。

 

「ありがとうなのです。むつみ……」

 

 弥生の抱えた『償い』は、大粒の涙と一緒に流れていった。

 

 

 

続く



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第七話 命の天秤(いのちのてんびん)

「大丈夫、これからは私が弥生ちゃんを守ってあげるからね」

 

 この街を、みんなを守るのは私の役目だ。罪もない人たちに呪いを与え、不幸な死へと導く魔女は

 

「私が狩るんだ」

 

「なつき、ありがとうなのです。なつきも、優しくて強いマホウショウジョなのですね」

 

「うん、魔女なんかには絶対に負けない。見ててね、私は一番強い魔法少女になって世界中の魔女を退治してみせるから」

 

「世界中の魔女を、なのですか?」

 

 弥生は少し驚いたように目を見開いた。魔女や魔女の口づけを知っている弥生からしてみたら、大袈裟な言葉に聞こえたのかもしれない。まだ見ぬすべての魔女を退治するなんて、大ぼらを吹くような話かもしれない。

 

 でも、

 

「そうしたら、弥生ちゃんも『魔女の口づけ』を受けることはなくなるでしょ?」

 

 それが、弥生ちゃんのお姉さんの願いだから。不幸にも魔女との相打ちでこの世を去ってしまったけど「弥生ちゃんの幸せを守りたい」と願ったお姉さんの祈りは、まだ死んでない。死なせちゃいけない。

 

 那月は、弥生をクルリと振り向かせた。その肩に両手を置き、しっかりと目を見て、強く言った。

 

「お姉さんの願いは消えないよ。だから私はどんな魔女にも負けない。私がすべての魔女を倒して、弥生ちゃんの幸せを守ってあげるね」

 

 弥生の瞳に、睦美の顔が蘇った。優しかった睦美、強かった睦美、最後まで自分を守ってくれた睦美。その姿が那月の顔に、那月の声に重なった。

 

「むつみ……」

 

 立花睦美は死んだが、その祈りは生きている。睦美の代わりに、那月が守ってくれる。

 

 亡き睦美の魂が、そう言っているようだった。

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

「ちょっと、キュゥべえ!」

 

 夜道を歩く那月は、後ろからヒョコヒョコとついてくるキュゥべえに冷たく言葉を浴びせた。

 

「アンタ、いろいろと隠し事をしてるでしょ」

 

「急にどうしたんだい?」

 

 弥生ちゃんのことを知っていたのはいいとして、お姉さんの願いが完全に遂げられていないのはどうしてか。『願い』と引き換えに『魔法少女』になったはずなのに、その願いが半ばで途切れてしまったのはどうしてか。

 

「簡単なことじゃないか。立花睦美は戦いに敗れた、ただそれだけのことだよ。彼女は永遠の命を願ったわけではないからね」

 

「そんな簡単に言ってくれるけど、それで『願い』が叶ったっていえるの? 魔女と命懸けで戦わなきゃいけない代わりに、何でもひとつ『願いを叶える』約束でしょ?」

 

「彼女の『願い』は叶えたさ。魔法少女になることで、妹を守る『力を得た』んだからね。少なくとも睦美は、それを受け入れていた」

 

「そうは見えないんだけど!?」

 

 次第に強くなる那月の声に、キュゥべえは「はぁ……」とため息を吐くと

 

「那月、君は物事を感情で捉えているんだ。立花睦美は、自らの力で魔女の呪いを打ち払い、妹の命を守る。そのために魔法少女になった」

 

 普通の人間では、魔女と戦うことはできない。魔女の呪いを打ち消すことはできない。弥生を守ろうとするなら、魔法少女になる以外の選択肢はない。魔力を行使する相手に立ち向かうなら、こちらも魔力で立ち向かう魔法少女になるしかないからだ。

 

 那月は感情的だが、キュゥべえは論理的だった。ひとつひとつ順を追って辿り着く答えを、ゆっくりと、憎たらしく説明してくる。

 

「願いを叶えることで魔法少女になる。これ以上に整然とした結果はないじゃないか」

 

「だったら、すべての魔女をこの世から消してあげればよかったじゃない! そうすれば弥生ちゃんに呪いが掛かることもないし、お姉さんだって死ぬことはなかったはずでしょ!?」

 

「それは無理だよ」

 

 キュゥべえは「いいかい?」と区切りを入れてから

 

「魔法少女は、魔女を倒すために存在しているんだ。言い方を変えれば、魔女を倒さなければ生きていけない。この意味がわかるかい?」

 

 魔女を倒して、グリーフシードを手に入れて、穢れを癒して、また魔女と戦う。これが魔法少女のサイクル。『魔女』そのものが消えてしまっては、このサイクルは成り立たない。

 

 じゃあ、魔女も魔法少女もいなくなれば……?

 

「いや、それはあり得ないよ」

 

 キュゥべえはきっぱりと否定した。

 

「どうしてよ」

 

「魔法少女がいる限り、魔女がいなくなることはない。なぜなら、君たちはいずれ魔女となる存在だからね」

 

「なっ……!」

 

 路地を曲がったところで那月はふいに立ち止まり、振り返ってキュゥべえを見た。透き通った碧眼には驚きの色が隠しきれない。

 

「私たちが、いずれ魔女になる? どういうこと?」

 

「君たちは、魔力を使うとソウルジェムが濁る。魔法少女の魔力は『減算』ではなくて、穢れの『加算』という形で蓄積されていくからね」

 

 魔力を使った代償として、穢れが加算されていく。小さな魔力には小さな穢れが、大きな魔力には大きな穢れが。

 

 那月は数日前の蒼ユリの言葉を思い出した。ユリは「あなたは魔力の使い方が下手、そんな使い方をしているとすぐに堕ちる」と言っていた。あれは那月の戦い方を言っていたのだろう。あの時は全力で魔力を開放し、その代償として大きな穢れを溜め込んだ。

 

 その穢れは、無楯の魔女が落としたフリーフシードで浄化したので「堕ちる」ことはないが、ユリの言っていた「堕ちる」と言う意味は……

 

「そうして蓄積された穢れが限界に達したとき、ソウルジェムは割れ、中に宿る魂は魔女として生まれ変わるんだ。事実、立花睦美は魔女に殺されたわけではない。彼女はソウルジェムの穢れが限界を超えて、自分自身が魔女となってしまったんだ」

 

「ちょ……っ! それってどういうこと!?」

 

 弥生ちゃんは、魔女と戦って命を落としたって言ってた。魔女の口づけに毒された弥生ちゃんを救うために魔女と戦い、苦戦の末に魔女と相打ちになった、と……

 

「いや、あれは僕がそう伝えただけだよ。魔法少女でないあの子には、事実を伝えるよりも救われる話だろう?」

 

「嘘を、ついたの?」

 

「結果的には、そうなるね」

 

 魔女を引き寄せる体質の弥生を救うために、実姉が魔女になってしまった……そんな真実を伝えるよりも、呪いを解呪するために相打ちとなって果てた。悲劇のヒロインとして、美談として遺したほうが、弥生にとってはいくらかマシということ?

 

「それで、魔女になってしまったお姉さんは……?」

 

「あれは君が倒したじゃないか。憶えているかい? まるで小さな妹に寄り添うようにしていた魔女のことを」

 

 小さな妹に寄り添う魔女。妹を守ろうとした願いが朽ちてしまった魔女。希望の祈りは絶望で腐敗し、肉体を失ったガイコツのような……

 

「腐敗の……魔女……?」

 

「立花睦美は、妹に呪いを植え付けた魔女を倒したけど、そこで魔力が尽きてしまったんだ。グリーフシードで穢れを浄化する暇もなく、自らも魔女へと堕ちてしまった」

 

 あの時、廃院の中にあった魔女の結界。可愛らしかったゾンビの使い魔は、睦美の心象が投影された弥生の姿?

 

「嘘よ……!」

 

「嘘じゃないさ」

 

「だって、あの魔女は…………」

 

「仕方ないさ、君は『あの魔女が誰なのか』なんて知らなかったからね」

 

 たしかに、あの時は何も知らないし、知る由もない。弥生ちゃんに出会っていないし、お姉さんのことなんてもちろん知らない。魔女の結界を見つけて、魔女と遭遇して、「腐敗の魔女だ」と聞いて、私が退治してやろうとしただけ。

 

 あれは『歯車の魔女』ではなかったけど、たいした魔力じゃなかったし、ただ単純に狩ってやろうとしただけ。情けも慈悲も感情も持たないまま、ただその生命を絶ってやろうとしただけ。

 

 そして蒼ユリに滅多打ちにされた瀕死のドクロに、アッサリと、簡単に、何のためらいもなく、フランベルジュでトドメを刺した。

 

「そんな……私が殺したの?」

 

「あの時は、もう立花睦美ではなくなっていたんだ。人としての意識もなければ自我もない、腐敗の魔女だ」

 

「私が、お姉さんを殺したの?」

 

「放っておけば、やがて呪いを振り撒く存在だからね。魔女は、魔法少女に倒される運命なんだ」

 

「私が、私が、剣を突き立てて……殺した」

 

 立ち止まったままの那月は小さく震えていた。

 

 あの時は、人を殺めたつもりは微塵にもなかった。でもあの魔女は弥生ちゃんを守ろうとしたお姉さんだったの? 弥生ちゃんの幸せを願って魔法少女になり、穢れの限界を超えて魔女になってしまったお姉さんだったの?

 

「私、弥生ちゃんに約束したの。必ずあなたを守ってあげるって。最期まで弥生ちゃんを守ろうとしたお姉さんのために、お姉さんの祈りを無駄にしないために、世界中の魔女を退治してあげるって、約束したの」

 

 でも、そんな約束は結ばれるものではなかったんだ。私が弥生ちゃんの大切な人を奪ったんだ。

 

「私が、この手で殺したんだ」

 

 那月は表情(いろ)を失った。美しい碧眼は透明感をなくして薄墨色に澱み、唇は血の気が引き、顔は蒼白になって震えていた。ワナワナと、フルフルと、身体を痙攣されるように強く震えていた。

 

「あまり深く考えても仕方のない話じゃないかい? 君は魔女を殺した、ただそれだけのことさ。」

 

「やめてっ」

 

 那月を見つめるキュゥべえの眼が、妖しく光る。

 

「君が過去に殺した他の魔女だって、元を辿ればみんな魔法少女だったんだからね」

 

「やめてっっ!」

 

 キュゥべえの真っ白な顔に影が差し、陰影の中から赤い眼だけが浮き上がるように那月を見ている。那月の心を覗くように、那月の心をえぐるように、その小さなふたつの眼(まなこ)が見上げている。

 

「後悔しているかい? でも、それが君たちの運命だ」

 

「う……ううっ……」

 

 那月は両手で顔を覆ってしまった。額に爪を押し立てて、皮膚を削り取りそうなくらいに力を入れて、苦し気な声を漏らした。

 

「そのくらいにしておきなさい、インキュベーター」

 

 フワっと、柔らかい髪をなびかせてキュゥべえの前に降り立ったのは

 

「蒼ユリ!」

 

 魔法少女の服に身を包んだ蒼ユリだった。まるで付け狙っているように、いつも那月の前に姿を現す。しかし今は魔女との戦いの最中でもない。ユリが突然現れた理由は、キュゥべえには分からなかった。

 

「あなた、この子を魔女に堕とすつもり?」

 

「まさか。僕はただ、事実を話しているだけさ。魔女へと『堕ちる』のは、君たちには逃れられない運命だからね」

 

「運命……ね。それにしては、今ここで『堕とそう』としているように見えたけれど」

 

 この「堕とす」というのは、ユリ独特の言い回しだった。しかし那月の耳には聞こえていない。那月に聞こえているのは、睦美を殺してしまった苦しみを自問自答する自分の声だけだった。

 

「――どうして殺した? ――なぜ殺した?」

 

 そんな自責の念だけが、頭の中をループしている。

 

「見なさい。魔力を使わなくても、心の穢れでソウルジェムは濁るのよ。相変わらず人間の心が理解できていないわね」

 

 ユリの指差す先には、那月の右指にあるソウルジェムの指輪。魂の宝珠であるジェムには、黒い揺らめきが舞っていた。

 

 那月は、自分の犯した過ちが許せない。たとえあれは不慮の出来事だった、知らなかった、相手が魔女だから仕方がない……と言われても、そんなのは言い訳にしかならない。

 

「何なの? 魔法少女って何なの?」

 

 そんなひとり言を繰り返すだけで、ユリの存在にすら気付いていない様子だった。

 

「気にすることはないわ。魔法少女は欠陥だらけなのよ。インキュベーターの持ち込んだシステムは矛盾だらけなのよ。私たちにとってはね」

 

「……うるさい」

 

「感情をコントロールしなさい。心に抱く闇は、あなたの魂を穢す」

 

「アンタに、何がわかるってのよ……」

 

 那月は顔を覆ったまま、言葉だけを返した。返事をしているようで、頭の中の言葉が口から漏れているようで、どこか虚ろだった。

 

「これだけは言っておくわ、よく聞きなさい。今あなたに堕ちてもらっては困るのよ、あの魔女を倒すまではね」

 

「どいつもこいつも……私の運命を、勝手に決めるんじゃない!」

 

 怒号と共に、那月のフランベルジュが薙がれた。那月は一瞬で魔法少女に姿を変えると、ユリに向かって剣を振るっていた。彩色を失い黒ずんだ瞳で、ためらいもなく刃を剥いた。

 

 キーーーン!

 

 と、甲高い音を立ててフランベルジュが止まる。ユリの槍に受け止められて、寸でのところで刃は届かなかった。小さな火花が、那月の瞳に反射する。

 

「落ち着きなさい。あなたのジェムは、穢れに染まっているわよ」

 

 表情(かお)も変えないまま、ユリが言う。那月が剣を振るったことも、自分に刃が向かれたことも、驚いていない様子だった。

 

「アンタもやがて魔女になるなら、その前に私が殺してあげるわ!」

 

 那月の眉間に、強い怒気が込められた。ギリっと歯を剥きだし、フランベルジュを持つ手に力がみなぎる。

 

 ユリは「チッ」と舌打ちをしてからキュゥべえを睨み

 

「これはあなたの責任よ。軽率な言葉で絶望を招いたわね」

 

 と吐き捨てた。

 

 その隙に、那月は左手に魔力を込める。観念動力(テレキネシス)で辺りの空気が揺れ、空間を支配する。

 

「魔力で空気を動かしている?」

 

 ユリは咄嗟に刃を外すと地面を蹴り、宙に逃れた。

 

 が、那月の魔力は大気そのものを念動させていた。風を起こすというか、空気を動かすというか、そんな生易しいものではない。まるで見えない力でユリを縛り付けるように、大気の流れを操っていた。

 

 澱んだ空気の結界が、ユリの身体から自由を奪う。宙に浮いたままのユリは、見えない鎖でがんじがらめにされたように身動きが取れなくなった。

 

「街中でそんな魔力を使ったら、他人(ひと)を巻き込むわよ」

 

「構うもんか!」

 

 那月は地面を強く蹴り、フランベルジュを振りかぶった。渾身の一閃が、魔力で拘束されたユリに振り下ろされる。

 

 ユリはカッと目を見開き、その刃に斬られた。身体の自由を奪われ、防御も反撃も敵わないのか、斬られるままに斬られた。フランベルジュの切っ先に皮膚を裂かれ、肉を斬られ、左の肩から右の腰にかけて激しい血しぶきが舞う。

 

「うぐっ……!」

 

 さすがに痛みは感じる。魔法少女は肉体の損傷を魔力で修復できるので致命傷には至らないが、この傷はダメージが大きい。ユリは苦痛に顔を歪めた。表情を歪めたまま地面に降り立ち、傷口に手を当てると

 

「魔女ではなく、人を斬った感触はどう?」

 

 と、意外な言葉をかけてきた。

 

 魔女ではなく、人を斬った感触――?

 

 傷口から血が噴き出し、ユリの服を真っ赤に染めている。細い足をつたって垂れ流れた血液が、足元に溜まっていく。普通の人間なら立っていることすらできない激痛だが、ユリは魔力で痛覚を和らげて意識を保っていた。

 

 やがて魔女となる魔法少女は、人ではないかもしれない。それでもまだ、人としての意識を持っている以上、魔力を宿した『人』であることは間違いない。那月は魔女ではなく、その『人』を斬った。

 

「あ……う……」

 

 逆上した那月は、感情のままに生身の人間を斬った。刃が肉体を斬り裂いたこの感触……顔についた生温かい返り血……そのすべてが、生きている人間を斬った証。

 

 那月の右手からフランベルジュが滑り落ちた。赤く染まった細剣はカランカランと音を立ててアスファルトの路面に踊り、そして静かに伏せる。

 

「もし私が魔女だったら、あなたはこうして私を斬ったでしょう? あなたが斬らなければ、私は人間を殺してしまうのだから。大勢の人に魔女の口づけを与えて、罪もない人々を殺してしまうのだから」

 

「……でも、アンタは魔女じゃない」

 

「そうね、私は『まだ』魔女じゃない。私は人間で、やがて魔女になるかもしれない魔法少女」

 

「ご……ごめんな……さい」

 

 那月の身体から、力が抜けていた。やり場のない悲しみも怒りも、逆上した感情も、ユリを斬り裂いた感触で抜け落ちていった。

 

「謝罪の言葉はいらないわ。でも、これだけは覚えておくことね。あなたは魔女を殺して、人を守った。もしあの魔女を生かしていたら、多くの人間が不幸な死へと導かれていたかもしれない」

 

 うなだれている那月を見つめながらユリは言葉を続け

 

「魔女を殺すことと、魔法少女を生かすことは、天秤にはかけられないのよ」

 

 と言った。天秤ではなく、一方通行なのだと言った。流れる川のように、進み出したら止まらない運命の一方通行だと言った。

 

 魔法少女は、やがて魔女になる。それは逃れることのできない運命。

 

 そして魔女は魔法少女に殺されることで、呪いの運命から解き放たれる。

 

 だから……

 

「立花睦美を殺したことは、あなたの過ちではない。あなたは腐敗の魔女を殺したことで、彼女を救ったのよ」

 

 那月はハッとして顔を上げた。

 

「私が、睦美さんを救った……?」

 

 そうだ、もし私が魔女になってしまったら……なりたくはないけど、もし私も魔女になってしまうんだとしたら、人々に呪いを与える存在になんてなりたくない。もし私が魔女になってしまったら、人に危害を加える前に殺してもらいたい。

 

 一度魔女になってしまったら、戻ることはできないのだから。

 

 那月は、心のモヤが解けていくような感じがした。睦美の命を絶ち、弥生の大切な姉を奪い、弥生の幸せを壊したことは、絶望なんかじゃなかった。腐敗の魔女を倒したことで街の人たちを、弥生を、睦美を救ったんだ。

 

「私は、間違ってなかった……の?」

 

「ええ、そうね」

 

 ユリの声は相変わらず冷たい。しかし那月はその言葉に、これ以上ない安らぎを感じていた。

 

「あ、ありがと……」

 

 那月は垂れ下がった前髪で視線を隠しながら、小さく呟いた。

 

 憎たらしいヤツだが、今はコイツの言葉に救われた。それに、コイツの言っていた「堕ちる」という意味も分かった気がする。絶望で魂が穢れて「堕ちる」感覚が、確かにあった。ふと我を忘れて斬りかかったけど、コイツのおかげで戻ってこられたのかもしれない。

 

 ユリは「フッ」と軽い笑みを浮かべ

 

「あなたらしくないわね。まあいいわ、これであなたにも手伝ってもらう理由ができたのだから」

 

 と言って目を細めた。

 

「手伝う?」

 

「ええ。とある魔女を倒すのを、ね」

 

 協力して魔女を倒す? そんなのアンタひとりでやればいいじゃない。アンタは最強の魔法少女なんだから、私の手助けなんて必要ないでしょ。

 

 と言いたいところだったが、那月は言葉を飲み込んだ。

 

「ふふ、嫌なら断ってもいいのよ?」

 

 見透かされている。命の借りを作ってしまったのだから、断れないのを分かって言っている。コイツは良いヤツなんだか、嫌なヤツなんだかわからない。

 

 そんな困惑した表情を浮かべる那月に、ユリはこう言った。

 

「近い将来、そう……数か月から一年以内といったところかしら。この街にとてつもない魔女が現れる。私ひとりでは勝てそうにないから、あなたの力が必要なのよ」

 

「アンタが勝てない魔女?」

 

「ええ。今まで誰も、どんな魔法少女も勝てなかった最強の魔女。回り続ける愚者の象徴、と呼ばれているわ」

 

「それって、まさか……」

 

「あなたも聞いたことはあるでしょう? そいつは舞台装置の魔女。通称『ワルプルギスの夜』、歯車のシンボルを持つ魔女よ」

 

 

 

 

続く



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第八話 猪を喰わらば皿まで(鍋とコンロで猪鍋を)

 回り続ける愚者の象徴、舞台装置の魔女。

 

 この世の全てを戯曲へ変えてしまうまで、無軌道に世界中を回り続ける。

 

 普段は逆さ位置にある人形が上部へ来た時、暴風の如き速度で飛行し、瞬く間に地表の文明をひっくり返してしまう。

 

 歯車のシンボルを持ち、通称「ワルプルギスの夜」と呼ばれる史上最強の魔女。

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

「ユリさま、あんなヤツの助けなんて本当に必要なんですの? ワタクシには足手まといにしか見えませんけど」

 

 深手を負ったユリに向けて、癒しの魔法を当てる少女。白いセーラーブレザーに赤い大きなリボンを付けた制服姿で、長い金髪を後ろで束ねている。

 

 ここは見滝原市にあるユリの家。大きなタワーマンションの最上階にある一室で、ひとり住まいのユリが暮らす部屋。といっても、ベッドとイスがひとつあるだけで生活感がまるでない寝室。他の部屋も、最低限の家具しか置かれていない、とても女子高校生の家とは思えない殺風景なものだった。

 

「そうね、あの子は猪のように突っ込むだけの未熟な魔法少女。でもあの魔力は、あなたの上を行くわよ」

 

 ユリの身体に刻まれた深い傷跡が、その威力を物語っていた。ユリもユリとて、ただ黙って斬られたわけではない。左肩にあるソウルジェムを傷付けられないよう那月の剣の軌道を読み、致命傷を避けるために魔力で防護膜も張っていた。

 

 にも関わらず、あの一撃でこれだけの傷を負ってしまった。それは剣の威力もさることながら、那月の魔力コントロールが長けている証拠でもあった。あと数センチ、傷が深ければ――

 

「あの場で倒れて、醜態を晒していたかもしれないわね」

 

「ユリさまがそんな目に遭うなんてあり得ませんわ」

 

 ユリに服を差し出し、イスにちょこんと座る少女。傷口の癒えたユリは下着姿のままベッドから立ち上がると

 

「それにしてもあの子、本能は猪だけど理性はちゃんとしていたみたいね。あの剣の一撃は、単純に斬撃のみだった」

 

「どういうことですの?」

 

「あの子は炎の魔力を持っているのよ。あの斬撃に炎の魔力を使われていたら、私は灰になっていたかもしれないわ」

 

「ふん、きっと逆上してそんな余裕がなかっただけですわ」

 

「……そうかしら」

 

 ユリは白いシャツに袖を通しながら、那月の一撃を思い出した。

 

 あの時、那月はたしかに逆上していた。キュゥべえの言葉に我を失い、魂に絶望を抱き、なりふり構わず斬りかかってきた。けれど、ユリのソウルジェムには刃を当てなかった。切り口も、切っ先を当てるだけで殺すつもりは感じられなかった。逆上して炎の魔力を使うことを忘れていたとしても……

 

「心のどこかでブレーキを踏んでいたのかもしれないわね」

 

「どちらにしても、ユリさまを守るのはワタクシの役目ですわ。そんなイノシシ女は必要ありませんの」

 

「ふふ……頼りにしてるわよ、ミコ」

 

 ユリはシャツのボタンを留めてからチェック柄のスカートをはき、黒いソックスに足を通す。見滝原一女の制服だ。あまり派手ではないが、シャツには小さな校章が縫い付けられ、スカートはディテールが細かいデザインの清楚な服装。

 

 それを眺めている「ミコ」と呼ばれた少女は、少しだけ白い歯を見せた。それから自信たっぷりは顔を浮かべると

 

「たとえワルプルギスの夜が現れたとしても、ワタクシの『防護魔法』とユリさまの『魔女殺しの槍』に敵うはずありませんから」

 

「そうね。ミコがいなければ、私はワルプルギスの夜には絶対に勝てない」

 

「あら? ユリさまもようやくワタクシの実力にお気づきになったようですわね」

 

 イスの背もたれを大きく揺らして、得意げになってふんぞり返るミコ。普段から他人を褒めることがないユリに「ミコがいなければ」なんて言われたからには、有頂天もいいところだった。

 

 頭の後ろで腕を組み、イスの前足を浮かせたところで

 

「ふぎゃっ!?」

 

 バランスを崩して倒れてしまった。それも、受け身を取ろうと変な体勢で床に激突したものだから、見事に顔から着地して鼻を強打。ベチャッという痛々しい音を立てていたが

 

「たはは……これはお見苦しいところを……」

 

 起き上がったミコの顔には怪我ひとつ、というよりも、強打した鼻からは血の一滴も垂れていなかった。ただ、微かに赤い『かげろう』のようなものを揺らめかせるだけだった。しかしそれもほんの一瞬で、傷もなければ痛がる素振りも見せずに恥ずかし笑いを浮かべる。

 

 そんなひとり芝居を見ていたユリは

 

「それだけ治癒と防御に長けた魔法少女は、あなた以外にはいないでしょうね」

 

 と言った。鼻の骨が折れるのではないかと思えるほどに強打した傷が、あっという間に癒えていた。それも、傷が癒える瞬間すら見えないほどの早さで。

 

「私には治癒能力がほとんどない。ミコがいなければ、私の身体は生身の人間と変わらない」

 

「その分、ユリさまは攻撃に特化していますわ」

 

 ミコはひっくり返ったイスを戻していた。顔面を打ち付けた床には、血の跡すら付いていない。鼻を強打した瞬間に治癒が始まり、出血が起こる前に完治しているようだった。

 

 それは、魔法少女ミコが持つ驚異の再生能力だった。

 

「いずれにしても」

 

 ミコは乱れたスカートをパッと整え、鞄を手に持つと

 

「ワタクシは、死ぬまでユリさまをお守り差し上げます。あなたの盾として」

 

 深々とお辞儀をしてから「それでは、また明日」と言って部屋を出ていった。玄関の扉が閉まり、カチャッとオートロックの掛かる音がした。

 

 

 左苗ミコ(さなえ みこ)十三歳。市立見滝原中学の二年生。

 

 ミコは一年前、魔女の結界に迷い込んだ。その魔女は『糸繰り(いとくり)の魔女』で、呪いによってミコをマリオネットのように操った。それを知らずに助けようとした魔法少女のユリを、ミコは後ろから刺した。魔女が作り出したレイピアで、背中から心臓を串刺しにした。

 

 心臓を突き刺されたユリは治癒が追いつかないまま、それでも辛うじて魔女を倒す。倒しはしたが、肉体の生命維持にどんどん魔力を削がれ、ソウルジェムに大量の穢れを溜め込んでしまった。

 

 そこへ『魔法の使者』を名乗るキュゥべえが現れ、ミコに「願いと引き換えに魔法少女になる」ことを持ちかける。

 

 魔女の呪いでユリを刺したミコは、恩人の命を救うために「この人の傷を癒して欲しい」という願いで契約を交わした。

 

 だからミコの能力は『癒しの力』

 

 それも、普通の魔法少女の比ではない強力な癒し魔法を身に付けた。

 

 しかしミコは、武器を持つことはなかった。あの時、魔女の呪いで操られていたとはいえ、ユリを刺したことが大きなトラウマとなっていたからだった。武器を持たずに癒しの魔法と、それを応用した『防護魔法』を使う。ミコの『防護魔法』は、どんな強力な攻撃も完璧に防ぐ防御盾だった。

 

 そうして魔法少女になったミコは、命の恩人であるユリを「必ず守り通す」と誓った。

 

――ワタクシは、死ぬまでユリさまをお守り差し上げます。あなたの盾として

 

 ユリの為なら、どんな敵が相手でも『盾』となり守ってみせる。

 

 愚直なまでにユリに添い遂げると言い出したミコに負けて

 

「あなたの根気には負けたわ。あなたがそうしたいと望むのなら、そうしなさい」

 

 と、こうして毎日ミコが来ることを許した。

 

 ユリはブレザーを羽織ると、長い髪を片手でなびかせた。美しい銀色の髪が、音もなく揺れる。部屋の窓に掛かるカーテンの隙間から、見滝原の夜空にひとつの流れ星が見えた。

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

「ここが北夜見中学? 田舎くさい学校だこと」

 

 連休明けの放課後、北夜見中学校の正門前にミコはいた。白いセーラーブレザーに赤い大きなリボン、白のチェックが入ったスカート。ミコが着ているのは、見滝原中学校の制服。

 

 数年前に大きな改装が行なわれた見滝原中学は、豪華な設備と煌びやかな校舎が特徴だった。それに比べて昔ながらの校舎が建つ北夜見中学は、ミコにしてみれば前時代的な学校に思えた。

 

「ま、見滝原は都市開発が進む近未来都市。こんな片田舎と比べたら可哀そうですわね」

 

 見慣れない制服を着た少女が校門前で仁王立ちしている姿に、下校を始める北夜見中学の生徒たちは怪しげな視線を送っていた。

 

「ふん、生徒の制服も地味だこと」

 

 そんな地味な制服を着て校門を過ぎようとしていた女子生徒に

 

「ちょっとあなた。少しお聞きしたいのですけれど」

 

 と、臆面もなく声を掛けた。

 

「えっと……何かご用でしょうか」

 

 眼鏡をかけた、いかにも大人しそうな少女が困ったように返事をする。

 

「御上那月という子がいるでしょう? 呼んできていただけませんかしら」

 

「みかみ……なつきさんですか。ごめんなさい、分からないです」

 

「あなた、自分の学校の生徒なのに分からないの?」

 

「はあ、すみません」

 

 女子生徒は、なぜ自分が謝るのかと少し不満そうな顔をして去っていった。

 

「まったく、早くしないと間に合わなくなってしまうのに。仕方ありませんわね」

 

 ミコはブツブツとひとり言を口にすると

 

「百メートルくらいなら、校舎の中まで届くでしょう」

 

 と言って、両手を腰に当てて目を瞑った。

 

 

 その頃、那月は教室の中で帰り支度をしている最中だった。いや、帰り支度をしながら柚葉とのお喋りに夢中だった。

 

「だからさ、那月も一緒に遊びに行こうよ。弥生ちゃんも誘ってさ」

 

「柚葉と弥生ちゃんと三人で?」

 

「そうそう。見滝原は大きな街だからさ、遊んだり買い物する所もいっぱいあるんだよ」

 

「見滝原ねぇ……」

 

 柚葉が言い出したのは、休日を使って隣の見滝原市に出掛けようという話だった。

 

「ちょっと遠くない?」

 

「大丈夫だって。電車で行けば二駅、バスでも三十分くらいで着く距離だよ」

 

 学生たちの遊ぶ場所が少ない北夜見市。中学生の行動範囲といえば、フォイヤル・フォレストでケーキを食べたり、小さなショッピング施設で買い物をする程度。しかし近年になって都市開発が進む見滝原市は、ここ北夜見市に比べて大きなショッピングモールや娯楽施設が多いらしい。

 

 那月は見滝原に行ったことがない。話を聞く限りでは、煌めく街並みが立ち並ぶ見滝原に興味は津々なのだが

 

「見滝原といえば、蒼ユリのテリトリーなんだよねぇ」

 

「え、誰の何だって?」

 

「いやいや、こっちのこと。それより今日は私、早く帰らないといけないから……」

 

――――――――!

 

 その時、どこからか那月を呼ぶ声がした。

 

 この頭の中に響く声は……?

 

「――那月、御上那月!」

 

 精神感応(テレパシー)だ!

 

 一体、誰が?

 

「あなたにお話がありますの。正門前でお待ちしておりますので、すぐにいらして頂けます?」

 

 ハキハキと丁寧な言葉遣いで語りかけてくる……この声は、キュゥべえじゃない。この街で私にテレパシーを入れてくるのは、キュゥべえか蒼ユリくらいしかいないはずなのに。聞いたことのないこの声は、他の魔法少女?

 

「ちょっと! 聞いていますの? 時間がありませんから、急いで頂けます?」

 

 なんだ、この『丁寧だけど妙に腹が立つ』言葉遣い。あの高慢ちき(蒼ユリ)よりもさらにムカつく喋り方。

 

「うっさいわね、アンタ誰よ!」

 

 正門の方向へギッと睨むように、那月もテレパシーで言葉を返す。

 

「あら、ちゃんとお返事できますのね。イノシシ女と聞いていたので、テレパシーもロクに使えないのかと思いましたわ」

 

「イ、イノシシ女!?」

 

 那月は思わず声を出した。

 

「な、何? どうしたの?」

 

 喜怒哀楽の『怒』を前面に押し出す那月を見て、柚葉が驚いたように聞いてくる。

 

 テレパシーを感じ取れない柚葉にとっては、教室内の誰もいない方向に睨みをきかせる那月は、いけない電波をキャッチしているアブナい少女に見えていいるのかもしれない。

 

 なんとか誤魔化さないと……

 

「あ、ああ~~~何でもない、何でもない。今年の干支は何だったかなぁ……と思って」

 

 これは厳しいっっ! 無理がある!

 

「イノシシ、だね」

 

 と、柚葉が答えた。同時に

 

「イノシシ女!」

 

 と、脳内にも聞こえた。

 

 声とテレパシーで「イノシシ」をダブらすなっ!

 

 那月は再び正門の方角へギリっと睨みを入れて

 

「はいはいはいはい! いま行くからそこで待ってなさい!」

 

 と、これはちゃんとテレパシーで送る。これ以上、声とテレパシーを同時に相手したら頭がこんがらがってしまう。

 

「ということで、ゴメン柚葉。今日は私、大事な用事があるから先に帰るね」

 

「何が『ということ』なのか、さっぱりわからないんだけど」

 

 だあああぁ! 噛み合わないっ!!

 

「イノシシで思い出しちゃったの、夕飯の材料を買いに行かないと。今日はお父さん、早く帰るって言ってたから」

 

「今夜は猪鍋(ししなべ)?」

 

「そうそう、猪鍋。じゃあ柚葉、また明日ね!」

 

 那月は鞄を抱えて急いで教室を出る。頭の中に出てくるのは、干支のイノシシを丸のまま鍋で煮込むイメージ。猪鍋って、そんなワイルドな感じだったっけ?

 

 とにかく、声とテレパシーを同時に受け答えるのは無理だと分かった。

 

 詰まるところ、声もテレパシーも頭の中で言葉に置き換えているわけで、意思伝達の意味合いとしては同じようなもの。例えるなら、日本語と英語を完璧に話せる人が、日本語の会話に英語で即答するみたいなものだろうか。つい釣られて日本語で答えちゃうことだってあるんじゃない?

 

 そんなどうでもいいことを考えながら、階段を下りて昇降口へ。革靴を履き、正門に近づいたところで

 

「あなたが御上那月ですの?」

 

 両手を腰に当てたまま、仁王立ちする少女が目に留まる。見たこともない制服を着て、長い金髪をポニーテールに結ぶ少女。背丈は低いが、制服を着ているところを見ると中学生だろうか。

 

「お初にお目にかかりますわ。ワタクシ、左苗ミコと申します」

 

 ミコと名乗る少女は礼儀正しく、自分の名前を名乗ってきた。言葉は礼儀正しいが、声には棘がある。顎を少し上に向けて、いかにも相手を見下した目線(背が低いので見下せてないけど)と偉そうな態度。さっきのテレパシーといい、明らかに「お友達になりにきた」わけではないのが明白だった。

 

「さっきの声はアンタのね。人のことを散々『イノシシ、イノシシ』って……一体何の用よ」

 

「猪のように突っ込むだけしか能がない、と聞いていたもので仕方ありませんわ」

 

 ぐっ、何だコイツは……ケンカを売りに来たのか?

 

「初対面なのに随分な言い草じゃない。誰がイノシシみたいだって言ってんのよ」

 

「ワタクシの主(あるじ)様ですわ。そんなことより、単刀直入に申し上げます。ワタクシはあなたの力が信用できませんの。主様はあなたの力が必要だと仰っていますけど、本当に主様の助けになるのかが疑問ですの」

 

「ぜんっぜん単刀直入じゃないわよ! 主様? 助け? 何のことだかサッパリ分からないんだけど!?」

 

 那月は上半身を乗り出して突っかかった。偉そうな口の利き方と意味不明な挑発で、イライラのボルテージが高まっていく。

 

「イノシシのようにいきり立ってますのね。やはり聞いたとおりの単細胞、猪突猛進を絵に描いたようですわ」

 

 鍋を抱えて鼻息を荒げたイノシシが、今にも突進しそうだった。ついでにネギとコンロも背負ってれば猪鍋の完成。

 

 不敵に笑うミコと、ケダモノのように目をひん剥いた那月が対峙する横を

 

「何やってんの?」

 

 と言って柚葉が通りかかる。

 

 だあああぁ! このままでは猪鍋パーティーが始まってしまう。収拾がつかなくなる前に

 

「行くわよ!」

 

 那月はズカズカと歩き出した。

 

 テレパシーを使ってくるってことは、コイツも魔法少女だ。柚葉の前でおかしな会話を繰り広げるわけにはいかない。きっとコイツは……

 

「ちょっとお待ちなさい、御上那月。同じ魔法少女として、今日はあなたの実力を測りに来たんですのよ」

 

 ほら来た! 何の遠慮もなしに「魔法少女」とか言ってくる。

 

 足早に遠ざかっていく那月を追いかけて、ミコが大声で叫んだ。さらに

 

「ソウルジェムの反応を見たところ、魔力の強さはそれなりにありそうですわね」

 

 また来た! 今度は「ソウルジェム」だとか「魔力」だとか言ってくる。そんな専門用語をデカい声で言いふらすんじゃない!

 

 那月に追いついたミコは、横から那月の顔を覗くようにして

 

「でも、それだけじゃ不十分ですわ。実際に魔女と戦って、あなたの魔法の力を見極めないとワタクシは納得できませんの」

 

 もうヤメて! 「魔女」とか「魔法」とか大っぴらに言わないで! 下校中の生徒たちがいるんだよ?

 

「あーーーーーわかったわよ! 何だか知らないけど、それ以上喋らないで!」

 

 那月はクルリと振り向いて、ミコの言葉を遮った。目の前には、ニヤリとする金髪少女の顔。

 

「あら、何がわかったんですの?」

 

「だ~か~ら~……アンタの話に付き合ってあげるから、ま……魔法……(ゴニョゴニョ)の話はもうやめなさい」

 

 すぐ横を通り過ぎる生徒に聞こえないよう「魔法少女」をゴニョゴニョと濁した。

 

「最初からそうして素直にしていれば、余計なことを言わずにいて差し上げたものを」

 

 コイツまさか、私をその気にさせるためにワザとあんなことを?

 

 ミコは「ふふふ」っと笑いながら

 

「騒いで追い立てれば、イノシシは必ず向かってきますわ。まんまと誘いに乗って頂けましたわね」

 

 思惑どおりの展開に満足したのか、したり顔をしていた。

 

「ぐっ……! 姑息な」

 

 まるでコイツの手の上で転がされてるみたいで悔しいけど……乗ってしまったものは仕方ない。ちゃっちゃと終わらせて帰ろう。夕飯の支度をしなきゃいけないのは本当だし。

 

「で、私は何をすればいいの?」

 

「これからあなたに、魔女を退治して頂きます」

 

「魔女? そんなのどこにいるのよ。ここ何日かは、それらしき気配なんて感じないけど?」

 

 那月はクルクルと辺りを見回してそう言った。実際、無楯の魔女を退治してからは、近くに魔力の波動を感じることがなかった。

 

「はぁ……やっぱりあなたはイノシシですわね。ここからは少し離れていますけれど、なかなか強そうな魔女の気配がありましてよ?」

 

 ミコの目線は那月の後ろの方、そのずっと先を見つめるように、琥珀色の瞳を向けた。

 

「ま、ワタクシの魔力探知はあなたの比ではありませんから。刃を剥くだけしか能がないあなたに感じ取れないのは、無理もないですわ」

 

 と、嫌味たっぷりな言葉を吐いたミコだったが、次に口を開くと表情が変わった。

 

「なかなか強そうな魔女の気配、とは控え目に言ってですの。直線距離にして、ここからおよそ三キロメートル。これだけ離れてもチクチクと刺すような魔力の波動が伝わってくるなんて……」

 

 ミコは右指にある指輪型のソウルジェムを「ヒュン」という音とともに卵型のジェムに変えた。黄色い宝珠が、薄く薄く発光している。

 

「これは魔女ではなく、もしかしたら『魔女喰い』かもしれませんわね」

 

 

 

続く



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第九話 魔女喰い(まじょぐい)

「魔女喰い?」

 

 そんな言葉、聞いたことがない。普通の魔女とは違うの?

 

「まったく……あなたは何も知りませんのね。魔女は呪いから産まれた化け物。そして『魔女喰い』は、魔女が魔女を喰って出来上がった、複数の魔女の集合体とでもいうべき存在」

 

「何それ? 魔女の上位互換みたいな感じ?」

 

「当たらずとも遠からず、といったところですわ」

 

 ソウルジェムの光を西の方角にかざしたミコは、横目でチラっと那月を見た。

 

「ただし、上位互換という言葉では足りませんわね。魔女を喰った魔女は、魔力エネルギーを乗算させますの。つまり魔女喰いの魔力は足し算ではなく、掛け算」

 

 魔女を一匹喰らった魔女の魔力は、普通の魔女の倍以上。二匹喰らえば四倍以上。倍倍で乗算される魔力には限界がなく、魔女喰いは無限に魔力を増す。ただしそんな魔女喰いは本当に稀で、遭遇することはほとんどないという。

 

「魔力の波動から察するに、この魔女喰いはおそらく『ランク2』程度……あなたでもギリギリ勝てるかもしれないレベルですわ」

 

 ミコは、那月の反応を見るように顔を伺う。

 

「いかがです? 相手にとって不足はございませんわよ?」

 

「ふん、ランクがどうとかレベルが何だとか知らないけど、この街の魔女は私が狩るのよ」

 

 自信たっぷりにそう答える那月を見て

 

「さすが、あなたは魔法少女の鑑ですわね。それでは、この魔女喰いはあなたが退治していただけると」

 

 それまでソウルジェムの反応に険しい顔を浮かべていたミコは、ニコリと笑みを浮かべる。

 

「あったり前じゃない!」

 

 西の空に目を向けた那月は、今にも駆け出しそうだった。

 

 実は、ミコは今まで『魔女喰い』と戦ったことはない。魔女が魔女を喰うとか、魔力エネルギーを乗算させるとか、それらはすべて蒼ユリの受け売り。魔法少女としての戦歴が長いユリですら、今までほんの数回しか『魔女喰い』に出会ったことはないらしい。

 

 聞いた話では、ユリが出会った魔女喰いはほとんどがランク2だったという。この『ランク』というのはユリが自分で決めた指標らしいが、つまり『ランク2』は魔女を一匹喰った魔女のこと。ユリほどの手練れになれば、ランク2程度の魔女ならば簡単に退治してしまうようだが、さすがに『ランク3』の魔女喰いは相当に強かった、と聞いている。

 

 『ランク3』とは二匹以上、複数の魔女を喰った魔女。

 

 そして『ランク4』になると、それはユリですら出会ったことがないと言っていたが、単独の魔法少女では太刀打ちできないほどの魔力を持つ。

 

 さらに『ランク5』と呼ぶ最上位の魔女喰いも存在する、とユリは言っていた。

 

「まあ、今回の魔女喰いはおそらく『ランク2』程度。御上那月がワタクシよりも強い魔力をお持ちなら、なんとか勝つことはできるかもしれませんわね」

 

 と、ミコは心の中で呟いた。さらに

 

「最悪、ワタクシの『防護魔法』があれば、ふたりで討ち死にするなんてことにはならないでしょう」

 

 ソウルジェムで魔力の波動を辿り、魔女喰いのいる方へと進みながら、そんなことを考えていた。

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

「ねえちょっと、本当にこんな雑木林の中に魔女がいるんでしょうね!?」

 

 陽も落ちて、暗闇に染まる林の中を那月とミコは進んでいた。

 

「このまま、真っすぐですわ。あと二百メートルほど」

 

 ミコの手にあるソウルジェムの光だけが、辺りを薄暗く照らしている。

 

 ここは北夜見市の外れにある市営の雑木林で「クヌギの森」と呼ばれ、昼間は市民の散歩コースになっている。しかし遊歩道から林の中に入ってしまうと、その先は草木をかき分けて進む獣道のようだった。

 

 膝丈ほどの草の中を、黄色い光を放つジェムの明かりで進んでいく。ミコが進み、そのすぐ後ろを那月が歩く。

 

「ちゃっちゃと終わらせないと、私これから買い物して帰らないといけないんだからね」

 

「……余裕ですわね。ここまで近づいても魔力の波動を感じませんの?」

 

 ミコのソウルジェムは、魔女が放つ魔力の波動に反応して強い光を放っている。

 

「さすがにここまで来れば、私だって分かるわよ。たしかに普通の魔女に比べたら強そうな感じだけど、負ける気はしないわね」

 

「あら、強がりで言ってますの? あなた、複数の魔女をいっぺんに相手したことがおありになって?」

 

「あるわけないじゃない、魔女はいつも一匹でしか現れないんだから。でも、魔力を乗算させるとか言ってる割には大したことなさそうね」

 

「ふふ、吠え面かいても知りませんわよ」

 

 魔女喰いを見たことがないミコにとって、これだけ強い魔力の波動を感じるのは初めてだった。まるで魔女が二匹も三匹も固まっているような、魔力の塊が膨張しているような、そんな感覚を覚えていた。

 

「あった! あそこですわ」

 

 ミコが指差した先。雑木林の端っこがフェンスで遮られた向こうにあるのは、風力発電の風車だった。街中の至るところにある、なんの変哲もない普通の風力塔。

 

「おやおや~? 私たちを待ちきれずに使い魔がウヨついてるじゃない」

 

 那月の視線の先……高くそびえる風車の根元に、とんがり帽子をかぶって荷車を押すような黒いシルエットが数体。太った身体で空っぽの荷車をヘイコラと押しながら、風車塔の根元をグルグルと回っている。目と口だけが白くまたたいて、影のような身体の存在を浮き上がらせていた。

 

 そのすぐ上の方を、これまた黒いコウモリのシルエットが浮遊している。

 

 薄暗い中に黒い生き物。目を凝らさないとよく見えないが、あれはどう見ても人や動物ではない。そして風車の根元にある扉には、魔女の結界への入り口を示す黒いシンボルがくっついていた。

 

 那月はフェンスの網目に手をかけて

 

「ここまでは普通の魔女と変わりはないわね。使い魔がいて、魔女の結界を守ってる感じ」

 

 上から覗きこむように見て言った。

 

 背の低いミコは

 

「魔女喰いといっても、元々は魔女ですわ。ただ魔力が格段に強いだけで、グリーフシードを宿して使い魔を操る。そして呪いを振り撒き、人間を死へといざなう」

 

 フェンスの網目の隙間からそれを見て言った。

 

「そして、魔女になる前は魔法少女だった……」

 

 那月はフェンスを強く握った。指に絡まる網目がひしゃげ、ギチギチっと音を立てる。

 

「シッ! 静かに! 音を立てては見つかってしまいますわ」

 

 魔女喰いとの戦いに向けて魔力を温存したいと思っているミコは、不用意に音を立てた那月を責めた。できることなら余計な戦いは避け、使い魔をやり過ごし、魔女本体を直に叩きたい。それは、防御型の魔法少女であるミコの戦いの本能でもあった。

 

 が

 

「ふん、ナマっちょろいこと言ってんじゃないわよ。使い魔だって成長すれば魔女になる。アイツらは一匹たりとも生かしておかないわ」

 

 那月の考えは安直だった。安直で実直だった。

 

 魔女と使い魔はすべて私が倒す。魔女を止めることができるのは魔法少女だけだから。魔女を止めてあげられるのは、私だから。

 

 バカが付くほどにクソ真面目なことを言う那月に、ミコは半分呆れながら

 

「主様の仰るとおり、あなたは長生きできない人ですわね。それに……」

 

 チラっと上を見上げて

 

「もう、見つかってしまいましたわ」

 

 フェンスの網目に手を掛けたまま「はぁっ」と溜息を吐いた。

 

 那月とミコの頭上に、薄っぺらいシルエットのようなコウモリの使い魔が一匹。目だけが白く、飛び回るというよりも羽ばたいているだけで、しかし明らかにこちらを敵として認識している。キーキーと鳴く声で合図を送っているのか、風車塔の根元にいる他の使い魔たちもこちらに目を向けた。

 

「ちょうどいいじゃない。まとめて狩ってやるわ」

 

 那月はニヤッと笑みを浮かべるとフェンスの網目に足を掛け、そのまま飛び上がってソウルジェムを掲げた。身体をラベンダーカラーの光が包み、一瞬で魔法少女へと姿を変える。つま先からフェンスの上に着地し、右手にフランベルジュを構えた。

 

「ま、勇ましいのは良いことですけれど。蛮勇と呼ばれないよう、お気をつけあそばせ」

 

 それを見上げていたミコも、右手にソウルジェムを掲げた。眩い光が身体を包み、レモンイエローの輝きをまとって魔法少女の姿を見せる。飛び上がって那月と同じように、フェンスの上に着地した……はずが

 

「うわわわわっ!」

 

 っとバランスを崩して、フェンスの向こう側に落ちてしまった。それも、頭から真っ逆さまに。

 

 ベチョっという音で地面に落ちたミコを見て

 

「ちょっとアンタ、何やってんのよ!?」

 

 あまりの不器用な動きに、那月は使い魔よりもミコに目を奪われてしまった。

 

「あたたたた……こ、これはお見苦しいところを……」

 

「大丈夫なんでしょうね? 私の足手まといにならないでよ?」

 

「バ、バカなことを言わないでくださいませ! ワタクシはちょ~~~~っとだけ運動が苦手なだけで、魔力はあなたと同じくらいなんですのよ!」

 

 魔法少女がふたりも揃って、使い魔と戦う前にそんな茶番を演じていた。これがお芝居や演劇なら、相手は茶番が終わるまで待ってくれるのだろう。しかし、コウモリの使い魔と荷車の使い魔はそうではなかった。

 

 ドジを踏んでいる魔法少女に向かって、使い魔たちが一斉に襲いかかる。

 

 コウモリの使い魔が空から飛来する。

 

 荷車の使い魔はそのまま突っ込んでくる。

 

「危ない!」

 

 フェンスの上から那月が叫んだ時には、ミコが使い魔に囲まれていた。

 

「まったく……」

 

 ミコはまだ座った状態。武器も手にしていなければ、受け身も取れない無防備な姿。

 

「こちらに向かってくるということは……」

 

 使い魔たちの突進には目も向けず、ただ身体の周りには魔力の光をまたたかせ

 

「ワタクシの方が弱いと判断した、ということですの?」

 

 全身が黄色い光に包まれた瞬間

 

「でも、お生憎様ですわ」

 

 使い魔たちは何かに弾かれたように、パーンとすっ飛ばされた。使い魔の身体がミコに接するか、接しないかのはざま。ほんの一瞬だけ、黄色い魔力の魔法陣が見えたような……その魔法壁に跳ね飛ばされた使い魔たちは放射状に散り消えた。

 

「ワタクシの魔法、甘く見てもらっては困りますわよ」

 

 ミコはゆっくりと起き上がると「ふんっ」と息を吐くようにして髪を払った。

 

「い、今のは……?」

 

 見たこともない魔法を目の当たりにした那月は、口を開けて驚いた。

 

 魔法で障壁を作って、使い魔の突進を弾き返した?

 

「ワタクシの魔法は『絶対防護魔法』。どんな攻撃も防ぐ、完璧な魔法障壁ですわ」

 

「すごい……」

 

「あら、あなたもやっとワタクシの実力にお気付きになったようですわね」

 

「でも今の、アンタがコケなきゃ私が一発で吹き飛ばしてたのに」

 

 褒められたと思ったら即落とされる。助走をつけて恥をかいてしまったミコは

 

「う、うるさいですわ! 運動は少しだけ苦手だと言ったでしょう?」

 

 顔を赤らめてから風車塔の方を指差し

 

「ほら、使い魔はまだ残ってますわ。次はあなたの番ですわよ」

 

 と言って、那月の視線を誘った。

 

 風車塔の根元に残っているのは、コウモリの使い魔と荷車の使い魔が一匹ずつ。他はすべてミコの魔法障壁で片付いているが……

 

「待って! アイツら、何かおかしい……」

 

 ふたりが見つめる先で、使い魔たちがおかしな行動に出ていた。

 

 片方の使い魔が

 

「使い魔を……喰ってる!」

 

 コウモリの使い魔が、荷車の使い魔を喰っていた。

 

 バリバリと、まるでガラスを噛み砕くように。

 

 ムシャムシャと、咀嚼しながら喰っていた。

 

「あっちが魔女喰いの使い魔ですわね」

 

 喰われている荷車の使い魔は、抵抗せずにただ喰われているだけ。やがて黒いシルエットの身体はペロリと喰われ、丸々と膨れ上がったコウモリの姿だけが残った。

 

「本当に、魔女が魔女を喰うんだね」

 

「ですから、あれは使い魔。でも、こんなおぞましい光景はワタクシも初めて見ますの」

 

 共喰いとでも言うのか、使い魔同士で喰って喰われている姿に、那月もミコも驚きを隠せない。使い魔同士に敵味方があるかはわからないが、魔法少女と相対した時に一方が一方を喰う意味があるとすれば

 

「あれでコウモリの使い魔は魔力を乗算させた、と見て間違いないですわね」

 

 ミコの読みは間違っていなかった。コウモリの使い魔に魔力がみなぎる。肥大した身体からは手足が生え、四肢を地面に付けて獣のような姿になった。

 

 尖った耳と、鋭い牙。頭はコウモリそのものだが、胴体は荷車の使い魔を模したような姿。お腹がポッコリ出ていて、しかし手足は爬虫類のようにゴツゴツしている。何かと何かを交配させて出来上がった、というよりも『出来損なった』ようにいびつで異形でバランスの悪い生き物。

 

「グ、グロテスク……」

 

 フェンスの上から見下ろす那月に向けて、使い魔の赤い眼が光る。

 

「来ますわよ!」

 

 ジリッ……とミコが身構える。

 

 コウモリ(のような)使い魔は手足を屈めて力を込めると、物凄い勢いで那月に飛び掛かった。

 

「速い!」

 

 が、目で追えない速さじゃない。

 

 那月は左手に魔力を込め、使い魔が振りかぶった爪に焦点を合わせた。鋭い爪が赤く発光し、真紅の軌跡を描いて振り下ろされる!

 

 瞬間、那月は左手を正面にかざした。右手は炎をまとった細剣フランベルジュを、ダラリと下げている。

 

「素手で受け止める気ですの!?」

 

 それを見てミコが叫ぶ。ミコのように防護魔法で防ぐのではなく、剣で受けるのではなく、素手で?

 

「そんなワケないでしょ」

 

 使い魔の爪が那月の左手に合わさる瞬間、魔力がうねり大気が揺れる。

 

 那月は左手を素早く払うと、その動きに合わせて使い魔の爪も真横に流れた。赤い爪は空を切り、那月には毛筋ほどの傷もない。腕の動きを無理やり捻じ曲げられた使い魔はバランスを崩し、フェンスに激突した。

 

「まさか、今のが観念動力(テレキネシス)?」

 

 なぎ倒されたフェンスから高く飛び上がった那月は、なおも左手に魔力を込める。態勢を崩した使い魔を空中から見下ろすと

 

「そ。意思の力でアイツの攻撃を逸らしたの」

 

 と言って、今度は左の掌をクルリと反転させ

 

「こんな使い方も出来るんだよ」

 

 五本の指を合わせるようにくっつけた。

 

 ひしゃげて倒れたフェンスがビキビキと音を立てると、まるで海苔巻きで使い魔を包むように巻き込む。金網でグルグル巻きになった使い魔は、一瞬で身動きが取れなくなった。

 

「な、なんて魔力の使い方! 物体そのものに魔力を伝えているんですの?」

 

 がんじがらめにされた使い魔は腕力でフェンスを引き剥がそうとするが、那月の魔力が込められた金網はビクともしない。

 

 そこへ、那月が空中からフランベルジュを構えて落下する。揺らめく刀身に炎をまとわせ振り下ろすと、使い魔をフェンスごと一刀両断にした。

 

 黒い身体が赤く燃え、熱の波紋が広がるようにして使い魔は消滅した。

 

「な、なんて魔力……戦い方は雑ですけれど、ユリさまの仰っるとおり……強い!」

 

 一部始終を見届けていたミコは、言葉を発せずに驚嘆とした。あのコウモリ使い魔は荷車の使い魔を喰っていたから、並の使い魔よりも格段に強かったはず。それを、いとも簡単に一刀の元に切り伏せた。

 

 しかもミコが見たのは、観念動力(テレキネシス)と炎の魔力(フランベルジュ)を同時に操る異才な力。ベクトルの違う能力を同時に繰り出す、那月の才能。ユリから話は聞いていたが、実際に目の当たりにしたその力は想像を超えていた。

 

「でもあんな能力、普通の魔法少女にあり得るんですの? ユリさまは『魔法少女よりも魔女に近い』と仰っていましたけれど、あれはもう『魔女そのもの』と言ったほうが……」

 

「ほら、片付いたんだから早く次に行くよ」

 

 那月はフランベルジュを肩に担いで、ミコを急かしていた。自分の力をひけらかす素振りも見せず、誇ることもなく「今日は早く帰りたい」という『戦いとはまったく関係のない』気持ちだけを逸(はや)らせて。

 

「え、ええ」

 

 ミコは黒焦げのフェンスを見た。鋼鉄のフェンスがぐるぐるに巻かれ、それが見事に真っ二つになっている。断面は焦げているが、切り口は綺麗な直線を留めている。まさに非の打ち所がない一撃だった。

 

 と、その時。

 

 轟、という地響きと共に地面が揺れた。大地を震動させる直下型の地震のように轟、と。

 

 さらに轟! と縦に揺れ、那月たちは身体が一瞬浮き上がるような感覚になった。

 

「地震?」

 

 ミコはよろめきながら足元を辿り、腕を回してバランスを保った。激しい地響きで、木々の鳥たちが一斉に飛び立つ。木の葉が舞い、森がざわめいた。

 

「違うみたいよ」

 

 風車塔を見上げた那月は、ミコよりも先に『そいつ』を見つけていた。

 

 風の力でタービンを回して発電する、白い風力発電。その根元が大きく盛り上がり、風車塔が傾く。ローターのブレード部分は黒い羽根となり、塔を覆うように広がっていく。

 

「出た!」

 

 那月たちの目の前にあったのは、風力発電の風車塔ではなかった。それは、うねりながらそびえる黒い巨塔。大きく広がる黒い羽根は、コウモリのそれ。

 

「これが、魔女喰い……ですの?」

 

 目はない。口もない。顔と呼べる部分はどこだかわからない。黒い塔のところどころに窓のような隙間があって、そこだけが白く抜けている。

 

「たしかに、普通の魔女とは違った魔力の波動を感じる。魔力の色が混ざってるような……」

 

 那月はコウモリの魔女から感じる魔力を、そんなふうに感じていた。魔女の身体から発せられる魔力の源が、ひとつではない。ある色に違う色を加えて、それが混ざり合ってまだらになっているような、そんなイメージだった。

 

「思ってたよりも魔力の波動が強いですわ……これでランク2の魔女喰いなんですの?」

 

「ふん、強いか弱いかはどうでもいいわ。要は魔女なんでしょ? 今日は時間がないんだから、さっさと始めるわよ!」

 

 那月は右手のフランベルジュをギリっと握ると、余裕の笑みを浮かべた。

 

「相変わらずのイノシシですわね。まあいいですわ、お手並み拝見といきます」

 

 そう言ってミコは両手に魔力を込める。レモンイエローの光を掌に広げながら一歩後ろにさがると、那月の向こうに黒い巨塔を見ていた。

 

 

 

続く



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第十話 仮初めの協力戦(かりそめのきょうりょくせん)

 ふたりの前に現れたのは、紛れもない魔女の姿。大きな黒い羽根を広げ、コウモリと風車塔を合わせたような魔女が高くそびえる。

 

「コイツが魔女喰い? 普通の魔女と変わらないじゃない」

 

「見た目は魔女と同じですわ。けれど、先程の使い魔のように『コウモリの魔女』が違う魔女を喰って出来上がった『魔女喰い』に間違いありませんわね」

 

 那月の後ろから、魔女喰いを冷静に分析するミコの声。身体の形や色はコウモリを模しているから、コウモリの魔女が原形なのは当たっているかもしれない。あの黒い羽根、真っ黒なシルエット、今にも飛び立ちそうなフォルム。

 

 那月はその姿から、根元が地面にくっついているのが弱点と見ていた。塔の付け根を起点として攻撃をしてくるなら、その先端までの長さが間合いと考えればいい。

 

 もともとこの風車塔は小型のもので、高さは二十メートルほど。魔女に姿を変えても背丈は変わっていないので、攻撃の範囲もその程度だろう。そして、今はまだ間合いの外。あと一歩踏み込めばコイツの間合いに飛び込むことになるが、さてどうやって仕掛けようか……

 

 と思っているところへ

 

「――――っ!」

 

 魔女喰いの身体から何かが伸びた。いや、伸びたというよりも、何かが飛び出てきた。黒い身体の一部が射出され、それは一直線に那月の横をかすめる。その黒い『何か』が後ろにいるミコを狙ったものだと気付いた那月は

 

「避け……!」

 

 と叫びながら振り向いた。矢のように発射された『何か』は、一瞬でミコの肩を貫いていた。

 

「あ……ぐっ! 油断してましたわ……」

 

 那月の身体よりも長い『何か』が、ミコの肩を貫通したまま地面に突き刺さっている。それは槍投げの槍のように細くて長い、黒い物体。

 

「ちょっとアンタ! 大丈夫!?」

 

 真っ赤な血をにじませ、肩を貫かれたミコは苦痛に顔を歪めていた。

 

「これくらい平気ですわ。ワタクシは防御に特化していますから」

 

 とは言いながらも、あと数センチ身体の内側に刺さっていたら致命傷になりかねない傷。いくら防御に特化しているといっても……

 

 そんな心配をよそに、ミコは平然とした表情に戻ると

 

「ワタクシのことはいいから、魔女喰いの動きに注意しなさいな。『これ』が何だか分かりませんが、あなたなら避けられるはずでしょう?」

 

 レモンイエローの光に身を包み、肩に刺さった黒い『何か』を癒しの魔法の反作用で打ち消した。肩口の傷もみるみる癒えていく。

 

 ミコの言う『防御特化』はダテじゃない。あんな重傷がほんの数秒で完全に癒えていた。ひとまず安心した那月は魔女喰いに向き直ると

 

「アンタも口だけじゃないみたいね。なら、役割分担するわよ。私がオフェンス、アンタがディフェンス、いいわね?」

 

 フランベルジュを強く握り、背中でミコに叫んだ。

 

「誰があなたに協力すると言いましたの? あの魔女喰いはあなたが退治する、そういうお約束じゃなくて?」

 

「こんな時に何言ってんのよ!? この場にいたらアンタだって狙われるんだから協力しなさいよ!」

 

 強敵を前にして一致団結していない魔法少女コンビ。が、那月はもう振り向くことはできなかった。あの黒い『何か』は速いうえに威力が高い。脇見をしていたら、次は自分もやられてしまう。

 

「まったく……仕方ありませんわね。あなたもどちらかといえば『攻撃特化』のようですから、ここは仮初めの協力戦ということにしてあげますわ」

 

「仮初めでもなんでもいいわよ。アンタの魔法であの攻撃を防いでくれれば、あとは私が……」

 

 那月はフランベルジュに炎を噴かせ

 

「叩く!」

 

 魔女喰いの正面から突っ込んだ。

 

「そんな不用意に!」

 

 ミコは慌てて魔力を開放し、防護障壁の魔法陣を生み出した。それを指先で薙ぐように弾くと、黄色い魔法の膜が那月を覆う。と同時に、魔女喰いからまたも黒いモノが射出された。しかも、今度は一本ではない。那月の斜め上から降り注ぐように、何本もの射出物が迫る。

 

 那月はカッと目を見開き、フランベルジュで薙ぎ払った。噴き出す炎が弧を描き、数本の黒い槍が燃え尽きる。が、そのすべてを焼き尽くすことはできなかった。立ち消えた炎の中から二本の黒い槍が、那月の右腕と左足に向かって飛来する。

 

 那月は左足を蹴って高く飛び上がった。黒い槍が一本、那月の足下をすり抜けていくが、残りの一本が右足のふくらはぎをかすった。

 

 バチン! という音がして那月の足に衝撃が走る。

 

 が、そこに黄色い魔法陣が浮かび黒い槍を弾いた。那月の足には傷ひとつ付いていない。

 

「これは……?」

 

「ワタクシの魔法ですわ。防護障壁をあなたの身体に同調させて、魔力の膜を張っていますの」

 

 那月の右足にかすった魔女喰いの攻撃は、ミコがあらかじめ張っていた防護障壁によって打ち消されていた。

 

「やっぱアンタ凄いじゃない! これで攻撃を受けても大丈夫ってことね」

 

 那月は魔女喰いの目の前に着地すると、後ろを振り向くことなく感嘆の声をあげた。

 

 魔女喰いまでの距離は、およそ十メートル。この至近距離でまた黒い槍を射出されたら避けきれないが、防護魔法が張られているのなら安心できる。

 

「と言いたいところですけど、そう何度も……とはいきませんの。その魔法の効力はせいぜいあと一回ですわ」

 

「何よ、ケチな魔法ね」

 

 と言って那月は魔女喰いを見上げた。また次の攻撃が来る前に、何か突破口を考えなくては……

 

「なら、あとひとつ……その魔法を私に貸すことはできる?」

 

「貸す?」

 

「そ。さっきの使い魔で見せたように、盾みたいに使わせてくれない?」

 

「それは……構いませんけれど」

 

 ミコは防護障壁をまたひとつ作り出し、那月に向けた。黄色い魔法陣が盾のように左腕に装着される。

 

「言っておきますけど、その盾も二度が限界ですわよ」

 

「はいはい、覚えておくわ」

 

 右手にフランベルジュ。左腕に魔法盾。攻防一体の那月がオフェンス。後ろから後方支援でミコがディフェンス。攻撃特化の那月と、防御特化のミコ。ふたりのコンビはバランスがいい。

 

「回数制限がなきゃ、完璧なんだけどなぁ」

 

「人に頼ってばかりいないで、魔女喰いを倒すことを考えなさいな」

 

 バランスはいいが、仲は決して良くない。仮初めの協力戦。

 

「それじゃ、第二ラウンド……行くわよ!」

 

 那月はまたしても正面から行く。ダッと駆けると、フランベルジュに炎をたぎらせ切っ先を横向きに構えた。

 

「また正面から!」

 

 ミコは呆れたように声を漏らすと、いくつもの防護障壁を目前に広げた。自分を防ぐ分と、那月に向ける分。ディフェンスの役目をまっとうしようにも、毎回こうも正面突破をされては魔力がいくらあっても足りない。

 

 魔女喰いもまた同じように黒い槍を連射してくる。この至近距離では、避けることは出来ない。

 

 那月は魔力を込め、観念動力(テレキネシス)を込めた左手を振るった。

 

 避ける必要はない、テレキネシスで軌道をズラす!

 

 那月の魔力で数本の槍が横に逸れた。

 

「次!」

 

 右手でフランベルジュを薙ぎ、炎を噴かせて槍を払う。紅蓮の炎に焼かれ、数本の槍が燃え尽きた。

 

「次!」

 

 左腕に張られた魔法盾で、残りの槍を受け止める。パーン! と弾かれた槍はたちまち消え、魔法盾もすぐに効力が切れた。

 

 そして目の前には魔女喰いの黒い身体。

 

「ラスト!」

 

 那月は裂ぱくの気合でフランベルジュを振り上げ、魔女喰いの身体に切っ先を突き当てて飛び上がった。塔の根元からてっぺんに向かって、炎の柱が立ち上がっていく。これが斬撃と炎の細剣『フランベルジュ』の真骨頂。

 

 縦一直線に切り上げられた魔女喰いは炎に巻かれ、金切り声をあげた。

 

「やった……!」

 

 空に浮いた那月は、空中から炎の柱を見下ろした。魔女喰いは真っ二つに裂かれたうえ、超高熱で焼かれていく……

 

「まだですわ!」

 

 とミコが叫んだ、次の瞬間

 

 魔女喰いを巻いていた炎の中から、四方八方に黒い槍が飛び出した。

 

 まるでハリネズミが体中の針毛を放射させたように、無数の黒い槍が那月たちを襲う。

 

「なっ!」

 

 那月は慌てて左手に魔力を込め、観念動力(テレキネシス)を向ける。嵐のように向かってくる攻撃の軌道を逸らし、さらにフランベルジュを振るって炎を薙ぐが……

 

「足りない!」

 

 テレキネシスとフランベルジュの炎だけでは防ぎきれない。無数の黒い槍が那月に迫る……これは避けられない。

 

「防護障壁!」

 

 後ろからミコが魔力を放ち、那月の前に防護障壁を張った。魔法陣が幾重にも重なり、那月の身を守る。まるで水面に猛烈な雨が打ち付けられ、しぶきをあげるようにして黒い槍が消えていく。防護障壁が切れると同時に、嵐のような攻撃が止んだ。

 

 ミコも防護障壁で身を守ったが、身体の前に残っているのは淡く光る最後の一枚だけだった。

 

 そして魔女喰いは

 

「コイツ、傷口が治っていく……!」

 

 那月の斬撃で裂かれた身体が、みるみる再生していく。その身には燃えカスがチラチラ揺れているだけで、身体の傷はすっかりふさがってしまった。

 

「魔女喰いは、強い再生能力を持っていますから」

 

 その姿を見て、後ろからミコが呟く。

 

「再生能力?」

 

「ええ。普通の魔女にもありますけれど、あそこまで自己修復できるのは高ランクの魔女喰いの特徴ですわ」

 

 自己修復といっても、あれは早すぎる。斬られた直後に修復されて、傷口すら残っていない。

 

「ちょっと、それじゃアイツを倒すことはできないじゃない」

 

「ユリさまならば、あの再生能力を使われずに倒すことができるのですが……」

 

 並の攻撃では魔女喰いの再生能力を凌駕するのは難しい。魔女喰いは(魔女も同じだが)グリーフシードという魂の宝珠を身体に宿し、そこから魔力を得て肉体を形成している。物理的なダメージによってグリーフシードと肉体の結合が途切れると魔女喰いは『死ぬ』ことになるが、あの再生能力を超える力で粉砕しなければ……

 

「御上那月! あなた、ご自分の魔力の限界は把握しています?」

 

「何よ、いきなり」

 

 魔女喰いは悠々と羽根を広げると、その大きな身体に魔力を纏った。

 

「いいから! 時間がありませんの」

 

「ま、まあ……なんとなくだけど」

 

 那月の返事を聞く前に、ミコは再び防護障壁を作り出していた。黄色い魔法陣を何枚も何枚も、そのすべてを重ね合わせて分厚い魔法壁にし

 

「生半可な攻撃では、魔女喰いの再生能力に追いつきませんの。出し惜しみはナシにしませんこと?」

 

 と言って片手で魔法壁を弾き、那月の身体に向かって飛ばした。ミコの魔法が那月の身体に吸い込まれ、黄色と青紫色が混じり合ったカラーに包まれる。

 

「これは……?」

 

「防護魔法を、あなたの魔力に転化させました。これであなたの魔力は絶対値が上がりますわ」

 

 本来、ミコの魔力は防御特化。癒しの魔法や防護障壁は攻撃能力にならないが

 

「ワタクシの魔力を託します。やってみてくださいな」

 

「すごい、力がみなぎるよう……!」

 

 魔力の譲渡なんて初めて見る。これはたぶん、癒し魔法の応用なのだろう。魔力を当てて傷を癒すには『癒しの力』を相手の身体に送り込むわけだから、その原理を応用して『魔力』を身体に送り込んでいるのだ。

 

「ただし、もう一度はできませんわ。それで仕留められなかったら、次はありませんわよ」

 

「わかってる!」

 

「それと……」

 

 ミコは全身の力が抜けたようにガクっと膝を落とした。それでも何とか態勢を保ち

 

「魔力の限界を超えないように注意なさい。いくらワタクシでも、穢れたソウルジェムを癒すことはできませんから」

 

 と、真面目な顔で言った。魔法少女の魔力は減算ではなく、穢れを加算するシステム。魔力を使えば使うほどソウルジェムは濁り、穢れを蓄積する。それが限界を超えてしまうと『魂の宝珠』は『嘆きの種』となり、魔女へと堕ちる。

 

「大丈夫。全力を出しても『堕ちる』ことはないから」

 

 無意識にユリの言葉を使っていることを、那月は気付いていなかった。

 

 

 黒い魔塔。

 

 魔女喰いは強い再生能力を持っているので、生半可な攻撃では仕留めることができない。那月のフランベルジュが振るった炎の斬撃は、大きなダメージを与えたように見えた。が、真っ二つに裂けた身体はすぐに元どおりになっている。

 

 あの再生能力を打ち破るには、同じ攻撃じゃダメだ。あれを二度三度と繰り返したところで『再生能力を凌駕』しなければ、倒すことはできないだろう。

 

「ということは……」

 

 那月は魔力を極限まで高め、炎の力を剣に込めていく。

 

「再生できないくらいのダメージを与えればいいわけね」

 

 魔女喰いは黒い羽根を広げると、それを大きく伸ばして空を覆った。

 

「それも、一撃で」

 

 刀身が波打つ細剣、フランベルジュが輝く。炎の魔力が集約され、刃が白熱の光を帯びる。一撃で仕留めるなら、最高の魔力で、渾身の攻撃を繰り出すほかにない。自らの魔力を最大限に高め、再生できない、再生させない、文字どおり「一瞬で消滅させる」

 

「アイツの力を借りて魔力を高めるなんて、まるで私も魔女喰いみたいね」

 

 那月の皮肉めいた言葉と共に、両者に気迫がみなぎる。

 

 魔女喰いから発せられる魔力の波動で、大気が揺れ始めた。強い魔力が空気に気流を生み出し、小石や落ち葉が螺旋に巻かれて上空へとのぼっていく。

 

「す、すさまじい魔力……」

 

 魔女喰いの魔力は、ミコの想像を超えていた。その強い魔力が空間に作用し、魔女喰いの背中に光の輪が浮かんでいる。

 

「あれは……魔力輪(まりょくりん)?」

 

 それはオーロラのように淡く発光し、細い円を描いている。後光輪とでも言うのか、神々しく、禍々しく光る魔力の輪。

 

 ミコはあの魔女喰いを『ランク2程度』と踏んでいた。ソウルジェムで探知したのは、せいぜい魔女二体分くらいの魔力だったからだ。しかし今、目の前にいる魔女喰いは『ランク2』ではない。

 

「あの魔女喰いの力……見誤っていましたわ」

 

 あれは『ランク3』だ。二匹以上、複数の魔女を喰った魔女喰い。背中を照らす魔力輪がその証拠だ。

 

 

 ――もし、私のいないところでランク3以上の魔女喰いに出会ってしまったら、とにかく逃げなさい。

 

 単身でランク3以上に挑むのは危険だ、とユリは言っていた。

 

 ――どうやって見分ければよろしいのです?

 

 魔女喰いに出会ったことがないミコには、その区別がつかない。

 

 ――背中に魔力の輪を持っていたら、そいつはランク3以上よ。

 

 二匹以上、複数の魔女を喰った魔女喰いは、魔力の桁が違う。それを表すのが『魔力輪』だと言っていた。

 

 

「つまり、あの魔女喰いはランク3……いえ、ランク3以上」

 

 もし出会ってしまったら、とにかく逃げなさい。その言葉がミコの頭をよぎるが

 

「今ここでワタクシが逃げても、御上那月は退かないでしょう」

 

 那月の身体にみなぎる魔力。ランクもレベルも関係ない、すべての魔女は私が狩る。そんな気迫というか、闘争心というか、すさまじい殺気を放っている。

 

「すみませんユリさま、どうやらワタクシは逃げることができなそうですわ。御上那月を連れてきたのはワタクシ。それを置いてひとりで逃げるなんて……ユリさまでも、そのようなことはなさいませんわよね」

 

 限界ギリギリまで魔力を使っているミコは、もう戦いを助けることはできない。あとは那月の力を信じ、託すしかない。相手はランク3以上の魔女喰い、ふたり分の魔力で足りるか……。

 

「どうなろうと、最後まで見届けてまいります」

 

 まさかランク3以上の魔女喰いに出会ってしまうとは考えていなかった。魔女喰いに出会うこと自体が稀なのに、ユリですら「手強い」と言うほどの相手に遭遇してしまうとは。

 

 後戻りはできない。

 

 逃げるわけにもいかない。

 

 魔女と戦う時は、いつも覚悟をしているはずなのに。いくら癒しの魔法に長けていても、命はひとつ。リセットもコンティニューもできない。

 

 この時ミコは、初めて死の恐怖を感じていた。

 

「な~に心配してるのよ」

 

「え?」

 

 ミコの心を読むように、那月の声が聞こえた。

 

「アンタまさか、私が負けると思ってるんじゃないでしょうね」

 

 那月の手には、炎の魔力を集約させたフランベルジュ。あふれる熱量が細い刀身に凝縮され、真っ白な輝きを放っている。いや、輝きを放つという言葉では足りない。まるで太陽の光をその手に握っているような、その激しい輝きで辺りは昼間のように明るい。

 

「な、なんて魔力ですの……!」

 

「ここまで魔力を開放するのは初めてなの。巻き添えを喰らわないようにさがってて」

 

 あふれる熱波で空気が焼け、酸素が薄い。すさまじい熱気がミコの肌をチリチリと焦がす。

 

「ちょっと……そんな魔力、出鱈目(でたらめ)ですわ! この辺り一帯が燃えてしま……」

 

「いくわよ!」

 

 ミコの言葉が終わらぬうちに、那月はもう駆けだしていた。真正面から魔女喰いに向かって走り、地を蹴って飛び上がる。

 

 そこに魔女喰いが放つ黒い槍の連射が、宙に浮いた那月に迫る。が、那月の目には映っていない。その碧眼が捉えているのは、魔女喰い本体。

 

 疾風のように放たれた黒い槍は、那月の身体に届かない。フランベルジュが発する熱量が魔女喰いの魔力を凌駕し、その手前ですべての槍が焼け溶け、一瞬で消滅する。

 

「あまりの高熱で、魔女喰いの魔力すら溶かしているんですの?」

 

 と、今度は魔女喰いの羽根がねじれる。黒い羽根が渦を巻き、屈強な太い腕となった。那月の身体の数倍はある大きな拳が突き出される。真横から、殴りつけるように繰り出された拳を

 

「左手ひとつで!?」

 

 那月の左手が素早く振り払うと、それだけで黒い腕がはじけ飛んだ。

 

「なぜですの? 何もしていないのに……」

 

 片腕を飛ばされた魔女喰いは奇声を上げ、しかし尚も、もう片方の腕を振るってくる。が、これも那月の左手に払われてあっさりと吹き飛んだ。

 

「まさか、あれは観念動力(テレキネシス)?」

 

 強すぎる観念動力で、肉体構成をも消し飛ばしている。

 

 魔女喰いは両腕をもがれ、その巨体が丸出しになった。腕の再生が始まっているが、那月のフランベルジュが先。真っ白な刀身が美しい弧を描いて振り下ろされる。

 

 ミコは咄嗟に最後の力を振り絞り、小さな魔法障壁をひとつ作り出した。そこに身を屈めるようにしてふんばり、『巻き添え』に備える。

 

 輝く一閃が振り下ろされた。刃渡り八十センチほどの刃が、魔女喰いを両断する。

 

 カッ!

 

 っと音が消え、白い閃光が魔女喰いと一緒にミコをも飲み込んだ。

 

 それからようやく爆音と衝撃波が広がり、視界は白く掻き消える。

 

 直径二百メートルほど。この魔女の結界内だけに広がった閃光と爆風は、外(現実世界)には漏れていない。まるで北夜見市を照らす灯篭のように、街の中でポっと光り、そして消えていった。

 

 

 

続く



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第十一話 花と雫(はなとしずく)

「で、御上那月はどうだったのかしら?」

 

 翌朝。

 

 ここは見滝原市の郊外。川沿いの道を歩く蒼ユリと、その後ろをついていく左苗ミコ。よく晴れた朝で、眩しい日差しと柔らかい風に沿道の草花が揺れている。

 

「どうもこうもありませんわ。あんなの出鱈目(でたらめ)ですの」

 

 朝の通学時間。見滝原一女の制服で歩くユリと、見滝原中学の制服で歩くミコ。ふたりは精神感応(テレパシー)で会話をしていた。

 

「出鱈目に強かった。そういうことかしら」

 

「強い……ええ、たしかに強いですわ。あれが結界の中でなければ、あの一帯は焼け野原になっていたでしょう」

 

 那月のフランベルジュが一閃した時、熱波と爆風が魔女の結界内に吹き荒れた。すべてを焼き、すべてを吹き飛ばす凄まじい威力。あの時、ミコは咄嗟に魔法障壁を作り出して身を守った。絶対防御の魔法盾で巻き添えは免れたが、結界の中は何もかもが燃え尽きていた。

 

「魔女喰いはランク3だったのね?」

 

「ええ、魔力輪がありましたので。それに、落としたフリーフシードは三つ。ということは、魔女を二匹喰った魔女喰いということですわよね」

 

 ランク3の魔女喰いは強い再生能力を持っていたが、再生する間もなく、再生させる身体も残さず、まさに一瞬で消滅した。那月の一撃で跡形もなく消え去った。

 

 そして魔女喰いが落としたグリーフシードは三つ。もともとの本体分と、他の魔女を二匹喰った分。合わせて三つ。

 

「ランク3の魔女喰いを一撃で仕留める。それだけの魔力を使っても、御上那月は『堕ちる』ことはなかった?」

 

「ええ。それどころか……」

 

 

 

 

 魔女喰いは両腕をもがれ、その巨体が丸出しになった。腕の再生が始まっているが、那月のフランベルジュが先。真っ白な刀身が美しい弧を描いて振り下ろされる。

 

 ミコは咄嗟に最後の力を振り絞り、小さな魔法障壁をひとつ作り出した。そこに身を屈めるようにしてふんばり、『巻き添え』に備える。

 

 輝く一閃が振り下ろされた。刃渡り八十センチほどの刃が、魔女喰いを両断する。

 

 カッ!

 

 っと音が消え、白い閃光が魔女喰いと一緒にミコをも飲み込んだ。

 

 それからようやく爆音と衝撃波が広がり、視界は白く掻き消える。

 

 魔法障壁と、その後ろに身を屈めるミコだけを残し、すべてが焼けた。

 

 魔女の結界は消え、視界が開ける。

 

 宵の北夜見市。暗がりの中に見えたのは、フランベルジュを肩に背負う魔法少女。

 

「ふぅ……ちょっとやり過ぎたかしら」

 

 顔色ひとつ変えずに辺りを見回し、ひとり呟く魔法少女は

 

「あれ? グリーフシードが三個?」

 

 足元に転がった嘆きの種(グリーフシード)を拾い上げると

 

「ああ、他の魔女を喰った分ね。三個あるってことは、二匹を喰った魔女喰いだったの?」

 

 それぞれのシンボルを隅々まで見つめている。

 

「歯車のシンボルは……あるワケない、か」

 

 少し残念そうな表情を浮かべると

 

「これ、ふたつアンタにあげるわ。だいぶ魔力を使ったんでしょ?」

 

 と言ってグリーフシードを放り投げた。

 

「ひとつは私にちょうだいよね。私だってちょっと濁ったんだから」

 

 右手首にあるソウルジェムに目を凝らし

 

「ああ、そうでもないか。一応、力は抑えてたから。アンタにもらった分の魔力もあったし」

 

 それから魔法少女の姿を解く。

 

「って、いっけない! もうこんな時間。早く買い物して帰らないと……」

 

 さっきまでの気迫も闘争心も殺気もどこかに消え失せ

 

「アンタも早く帰りなさいよ? それと、フェンスを壊したのは内緒だからね!」

 

 言いながら駆け出していた。

 

 静寂の下にペタンと座るミコを置いて、那月はさっさと走り去ってしまった。

 

 ミコは土と泥にまみれ、尻もちをついて座り込んでいる。

 

 腰が抜けて動けなかった。

 

 ミコは咄嗟に作り出した魔法障壁の隙間から、那月の一撃を見た。フランベルジュが振り下ろされ、高熱の一閃で魔女喰いを両断する。そこまでは最初の攻撃と変わらなかった。

 

 しかし、あの一撃はそれだけではなかった。白熱の刃から閃光が走ると、凝縮された熱源が爆発的に広がり、魔女喰いの身体をチリひとつ残さずに焼き尽くした。あれでは再生能力など役には立たない。何しろ、再生する身体も魔力も、空間ですら焼いてしまったのだから。

 

 魔法障壁で身を守っていたミコは辛うじて巻き添えを免れたが、障壁がなければミコ自身も消し飛ばされていたかもしれない。

 

「出鱈目ですわ……」

 

 呆然としたまま、小さく呟いた。

 

 

 

 

「御上那月は、全力ではありませんでしたの」

 

「力を抑えてランク3を圧倒した、ということね?」

 

 最初のうちは、魔女喰いの力を測りかねていたのかもしれない。普通の魔女とは違う。しかし、どの程度の強さなのかわからない。魔力探知が未熟なのだから仕方ないのだろう。

 

「おそらく、ユリさまと同じですわ。全力で魔力を使ったら、街を壊してしまうと考えたのでしょう」

 

「そうね。強すぎる力は諸刃の剣……敵を屠るだけではなく、味方も巻き添えにするわ」

 

 凛とした姿で立ち止まったユリは、顔を横に向けて遠くを見つめた。長い銀髪が揺れて、漂う香りがミコの鼻をくすぐる。

 

「ユリさま? どうなさいましたの?」

 

 と、これはテレパシーではなく言葉を発する。

 

 ユリの見つめる先は、川向こうの工業地帯。そこから立ち上る排煙が空を覆っていく。黒い煙が晴天を穢す不純物のように広がっていき、西の方角だけが少し暗かった。

 

 ほんの少しの間それを見つめていたユリは再び歩き出し

 

「他に、何か気付いたことはあった?」

 

 とテレパシーで問いかける。

 

「他に……と言いますと?」

 

 ユリに釣られてミコも歩き出す。

 

「御上那月は『呪い』を願って魔法少女になった。本人は気付いていないでしょうけど、あの力は魔法少女というよりは魔女に近い」

 

「魔女に近い……そうですわね。まるで魔法少女の姿をした魔女、いえ……魔女喰いと似た雰囲気を感じましたわ」

 

「魔女喰いと似た雰囲気?」

 

「ええ。魔力の強さでいえば、ユリさまの方が圧倒的に上。贔屓目なしに、そう断言できますわ。でも御上那月はそれとは違う。実は、最後の一撃の前にワタクシの魔力を分け与えていましたの」

 

「あら、あなたが魔力譲渡をするなんて……どういう風の吹き回しかしら」

 

 それは……「逃げられない戦いでしたから」とミコは言葉を口にした。それから

 

「ワタクシの魔力を攻撃に転化させていたとしても、あの威力は強すぎますの。あれは、まるで魔力を乗算させていたように……」

 

「魔女喰いと同じように?」

 

 魔力譲渡は、本来なら『魔力の足し算』にしかならないはずなのに

 

「御上那月は、ワタクシの魔力を乗算させていたように見えましたわ」

 

 それは魔力の掛け算。

 

 数字で表すなら、那月の魔力を「十」としてミコが譲渡した魔力を「五」とするなら、足し算で「十五」。しかし乗算(掛け算)だと「五十」になる。ミコは、それだけ飛びぬけた力を感じた。

 

「なるほど、それで『魔女喰いのようだ』と」

 

「もし御上那月が魔女へと堕ちてしまったら、とんでもない『魔女喰い』になってしまうのでは……」

 

 ふたりの会話は、ここで途切れた。

 

 無言のまましばらく進むと、川沿いの道が二手に分かれている。左手にある『聖(ひじり)大橋』と書かれた大きな橋の前で、ユリは足を止めた。橋を渡った先にはユリの通う見滝原第一女子高等学校。右手に曲がるとミコが通う見滝原中学校。ふたり一緒の通学路はここまで。

 

 初夏の柔らかい風で、ユリの髪が揺れる。

 

「その時は、私が全力で殺してあげるわ」

 

 氷のような冷笑と甘い香りを残して、ユリは橋の向こうへと歩いていった。

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

 見滝原市。

 

 近代化の進むこの大きな都市に、未曽有の大災害が訪れる。

 

 回転する上昇気流を伴う巨大な積乱雲『スーパーセル』と呼ばれる現象が起こり、竜巻や激しい雷雨が街を襲う。真っ黒な雲が空を覆いつくし、昼間でも夜のように暗い。

 

 街の人々は災害用の避難所に逃れ、ただ茫然と成り行きを見守っていた。

 

 巨大な自然災害に、近代技術を凝らした建物は枯れ木のごとくへし折られる。崩壊したビルが竜巻に乗って宙を舞う。何十トンもある瓦礫が、まるで木の葉のように浮かび上がっていた。

 

(またこの街だ……)

 

 街が闇に染まるこの光景は、前にも見たことがある。いつだったか憶えていないが、あの時は崩壊していく街に少女がいた。白と紫色を基調とした、不思議な動きをする魔法少女。

 

 摩天楼が連なる、街の中心地を通り抜けた。私が通った後には、ビルの残骸だけが残される。私がすべてを巻き上げ、何もかもを破壊していく。

 

 すると、地上にふたりの少女が現れた。

 

 ふたりは何か喋っているが、声が小さくて聞こえない。

 

(あれ、私……浮いてるんだ)

 

 この時、初めて自分が空に浮いていると気付いた。

 

 上空から見下ろしているから遠くてよく見えないが、あのふたりはこの前の少女とは違う。黄色を基調とした少女と、ピンク色を基調とした少女が瓦礫の上からこちらを見ている。あの衣装……この人たちも魔法少女なんだろう。

 

 と、大気を穿つような轟音と共に、何かが弾けた。

 

(私に、攻撃してきてる?)

 

 黄色の魔法少女が、大きな大砲を構えている。

 

「……フィナーレ!」

 

 もう一度、大きな発射音が響き、砲撃は真っすぐに向かってくる。

 

(どうして私を撃つの?)

 

 爆音を轟かせた砲撃が身体に当たる。が、不思議と傷みは感じなかった。

 

「……な砲撃じゃ……わ! ……さん、一緒に……」

 

「はい! ……さん、わかりました!」

 

 ふたりの声が微かに聞こえる。

 

 黄色い少女がリボンを伸ばすと、それを足場にしてふたりが駆けだした。

 

 同い年くらいの少女なのだろうが、ふたりとも妙に小さい。

 

 いや……違う。

 

 私が大きいんだ。周りの建物も模型のように見える。

 

「鹿目さん、いくわよ!」

 

「はい、マミさん!」

 

「ティロ・フィナーレ!」「えいっ!」

 

 黄色い少女は巨大な砲撃を、ピンクの少女は淡く光る矢を、同時に発射してきた。

 

(やめて! どうして私を撃つの? 私も同じ魔法少女だよ?)

 

 しかし、声が出ない。

 

 代わりに、私の魔力がうねりをあげた。大気が渦巻き、巨大な旋風を起こす。

 

 ふたりの攻撃は巻き起こる大気の渦に巻かれて掻き消えた。

 

「そんな……まったく歯が立たないなんて!」

 

「マミさん、危ない!」

 

 私の手から、巨大な炎が走った。魔力の溜めもなく、予備動作もなく、一瞬で生み出した炎はすさまじい勢いでふたりを飲み込む。

 

(違うの! これは私がやっているんじゃないの!)

 

 私の意思とは関係なく、私はふたりに反撃していた。

 

 巨大な炎に討たれたふたりは、黒焦げになりながら高層ビルに激突した。あまりの衝撃で、ビルの上半分が崩れ落ちる。

 

(お願い、逃げて! これは私の意思じゃないの)

 

 崩れたビルの断面に、満身創痍のふたりが見えた。あの炎の一撃で、黄色い魔法少女は立ち上がれないほどのダメージを受けてしまっている。ピンク色の魔法少女は昏倒しているようで動かない。

 

 また、私の魔力がうねりを上げた。

 

 崩落したビルの上半分が、渦巻く大気の流れで上空高くに持ち上がる。

 

 大きい。

 

 あんな重量を持ち上げる魔力が私にあるわけないのに……

 

 気流に乗って、ビルが落下する。

 

(ダメ! やめて!)

 

 声にならない叫びもむなしく、ふたりが横たわるところに『それ』は突っ込んだ。

 

 瓦解する街を見下ろして、甲高い笑い声が響く。

 

「なにが可笑しいの?」

 

 あのふたりは助からないだろう。炎の一撃だけで相当な重傷を負っていたんだ。そこに巨大なビルの塊で潰されてしまっては、身体もソウルジェムも粉々になっているかもしれない。

 

 また、けたたましい笑い声が響いた。

 

「なにが可笑しい!?」

 

 心の声を強く叫ぶが、声になっていない。聞こえてくるのは、人のものとは思えない不気味な……私の笑い声。

 

「なにが可笑しいのよ!!」

 

 

 

 

 聞こえていた笑い声は、いつの間にか規則的な機械音に変わっていた。那月が目を開けたそこは、宵闇の都市ではない。窓から陽の光が差し、目に映るのは見慣れた天井。

 

「ここは……私の部屋」

 

 けたたましい機械音は目覚ましの音だった。時刻は六時四十分を差している。

 

 いつもなら「あと五分……」という延長希望を唱える那月だったが、今日は目が覚めている。というか、意識がやけにはっきりしていた。

 

「夢……だったの?」

 

 枕元の時計に手を伸ばし、目覚ましを止める。身体は汗でびっしょりだった。

 

 悪夢にうなされたせいなのか、頭痛がひどい。

 

 そうだ、今の夢は……

 

「あの時と同じ」

 

 いつだったか、学校でうたた寝をしていた時に見た夢と同じだ。見知らぬ街を見下ろす私。崩壊していく都市。

 

 だた、前とは違った少女たちがいた。前とは違う、魔法少女がいた。

 

 夢の中に見知らぬ魔法少女がいて、私を撃ってきた。轟音を響かせた砲撃。魔力が発光する矢。

 

 あのふたりは私と戦っていたの?

 

 ――魔法少女は、魔女と戦う運命だからね

 

 キュゥべえの言葉が頭をよぎる。

 

「それじゃあ、私が魔女なの?」

 

 那月は自分の右手を見た。

 

 中指に光る指輪(ソウルジェム)が、カーテンの隙間から差し込む日差しで輝いている。

 

 穢れのない透き通った輝きを見つめていると、吸い込まれそうになる。

 

 ――魔法少女は、やがて魔女となる存在だからね

 

 またキュゥべえの言葉が頭をよぎった。

 

「いや、あれは夢だ……私は魔女になんかならない。世界中の魔女は私が殺すんだ」

 

 ズキン、と頭痛がした。

 

 頭の血管が膨張しているような圧迫感と、軽いめまい。額ににじむ脂のような汗。

 

「風邪でもひいたのかな……」

 

 那月はこの日、学校を休んだ。

 

 

 

続く



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第十二話 マジカルツイスト(彼女が水着にきがえたら)

 七月。

 

 強い日差しと蒸した空気で、肌がジットリする季節。いくら薄着で過ごしても、暑さは変わらない嫌な季節。

 

「夏は嫌だよね~」

 

 グデっとした顔で、今にも溶けてしまいそうな那月。

 

「そう? 暑いのは気持ちいいじゃん。汗をかくと、生きてるなぁって実感しない?」

 

 サラサラのロングヘアをなびかせて汗を弾く柚葉。

 

「わたしも暑いのは平気なのです。お日さまカンカンで元気になるのです」

 

 大きな麦わら帽子から「にゃは☆」っと満面の笑みをのぞかせる弥生ちゃん。

 

 今日は日曜日。以前に柚葉が言い出した「三人で見滝原に遊びに行こう」計画が、遂に発動していた。

 

 北夜見市から見滝原市までは、電車でふた駅、バスでも三十分くらい。見滝原市に向かうバス停が近くにあるので、今回はバスで行こうと決めていた。バスが来るまでの間は炎天下に晒されるので、暑いのが苦手な那月はすでにグッタリだった。

 

「これならもっと涼しいうちに行っておくべきだったなぁ……」

 

 

 

 

 見滝原に行くのがどうにも気乗りしない那月は、『見滝原計画』を先延ばしにしていた。発案者の柚葉が「いつ行く?」と聞いても

 

「う~ん、そのうちね」

 

 といつも受け流していたのだが、そこは機転の利く柚葉さん。なんと、先に弥生ちゃんを誘って日にちを決めてしまっていた。

 

「七月の最初の日曜日、弥生ちゃんオッケーって言ってたよ」

 

「な、なにぬねの? もう決めちゃったの?」

 

「そ。アンタの返事を待ってたらお婆ちゃんになっちゃうからね」

 

 柚葉さん、それ言い過ぎ!

 

「てことで、三人で見滝原に行くからね。那月二等兵、準備を怠るでないぞ?」

 

「ぐ、軍曹殿……夏場の行軍は危険であります」

 

「案ずるでないぞ二等兵。作戦は完璧である」

 

 ということで、半ば強制的に見滝原侵攻が決定してしまった。

 

 

 

 

 で、柚葉の考えた作戦というのが

 

「夏だからプールに行こう」

 

 というものだった。見滝原市に最近できた、大型の遊泳場。七月に遊びに行くなら丁度よい施設。

 

「しかもさ、北夜見市の市営プールと違ってすごく大きいんだよ」

 

 といって、パンフレットを見せてくる柚葉。目をキラキラと輝かせながらそれを見る弥生ちゃん。

 

「大きな滑り台があるのです。みんなで滑るのです」

 

 巨大なウォータースライダーで、高さ二十メートル、長さ三百メートルにもなる『マジカルツイスト』が人気らしい。

 

 何それ、怖そう……。

 

「あ、バスが来たよ!」

 

 見滝原と北夜見市を往復するバスで『見12系統・見滝原南口行』と掲げられている。始発が見滝原なので、バス自体が見滝原で製造されたオシャレな車両。レトロな作りとモダンな雰囲気で、車長は短いが車高があり、バスには珍しく車上にオープン席が設置されている。

 

「なつき、一緒に二階に行くのです」

 

 ドアが開いた瞬間に駆け上がっていく弥生を追いかけて

 

「あ~弥生ちゃん、走っちゃダメだよ!」

 

 那月も乗り込む。

 

「よ~し、みんなで二階に座ろう」

 

 柚葉もノリノリだった。

 

 なんで暑い日に暑いところに座るんですか?

 

 冷房の効いた車内に座ろうよ……

 

 出発早々に暑さバテを感じる那月であった。

 

 夏の風というのは生ぬるい風が吹くわけで、熱風を浴びても涼しくなるわけありません。さらに直射日光も容赦なく照らすわけで、車上のオープン席はまさに灼熱地獄。

 

 冷房の効いた車内で快適な旅ができると思っていた那月は、溶けたアイスクリームのようにグッタリしていた。

 

 片や、暑さウエルカムの夏色少女ふたりは元気ハツラツ。流れる景色を指さしながら、やれ「あそこのケーキ屋さんが美味しい」とか「川を渡ったから見滝原に入った」とか、キャイキャイと騒いでいる。

 

 そんな三人を乗せて、バスは見滝原プールに到着した。

 

 

「うわぁ……」

 

「大きいね~」

 

 照りつける太陽の下に広大な敷地。空色の入場門。ここは見滝原市が都市開発の一環で建設した、大型遊泳施設の

 

 見滝原ワールド・マジカルラグーン

 

『子供から大人まで楽しめる魔法の海』というキャッチコピーで作られただけあって、遊泳プールはもちろん、アトラクションエリアやアクティブエリアなど多彩なエリアを持つ、まさに水のテーマパーク。

 

 入口のゲート上にはタコのようなキャラクターが描かれている。なぜにタコ?

 

「中学生二枚と、小学生一枚ですね」

 

 チケット売り場のお姉さんも、タコのキャラクターが入った帽子をかぶっている。

 

「那月、あのキャラは『ミータくん』て言うみたいだよ」

 

「ミータくん?」

 

「見滝原だからミータくん、なのかな。ああいう『ゆるキャラ』は、アンタの趣味でしょ?」

 

 チケットの支払いをしながら交わす会話が、売り場のお姉さんにも聞こえたようで

 

「園内でグッズも販売していますので、よろしかったらお土産にいかがですか?」

 

 と笑顔で勧めてくる。

 

「ええっと、ありがとうございます……」

 

 ちょっと待って柚葉さん。このタコさん、ゆるキャラっていうより『タコの使い魔』みたいなんですけど。頭の上に葉っぱが生えてるし、タコと植物がミックスされてるような……。

 

「タコさんカワイイのです! わたしも欲しいのです!」

 

 どうやら弥生ちゃんにはストライクみたい。見事に喰いつきました。

 

「よ~し、じゃあ後でお土産屋さんも見てみよー!」

 

 と言って拳を振り上げる柚葉さん。ふたりともテンション高いね……。

 

 暑さでヘバっている那月は苦笑いしか出てこなかった。

 

 

 

 水着に着替える更衣室は、一流ホテルのフロントのような作り。受付でロッカーキーを借りて向かった先は

 

「豪華!」

 

 曇りガラスの中が個室になっていて、ロッカーはもちろん、シャワー、シャンプーなどのトイレタリー、バスタオル、ドライヤー、アメニティグッズなど、至れり尽くせり。これでひとり分のロッカー室っていうからまた驚き。

 

「那月、こんなので驚くのはまだ早いよ?」

 

 隣の個室から柚葉の声が聞こえる。曇りガラスを隔てた向こうでは、すでにお着替えが始まっている模様です。

 

「なつきも早く着替えてプールに行くのです」

 

 反対側の個室では弥生ちゃんもお着替え中。みなさん行動が迅速ですね。

 

 なんて思いながらも、新品の水着を用意してきた那月。フリルの付いたパステルカラーのドット柄。カワイらしいデザインがお気に入り。フリフリのゆるふわ感で胸元と腰回りをキュートに演出。

 

 そして弥生ちゃんは肩ヒモの付いたワンピース型の水着。胸元のリボンと腰回りのフリルがチャーミング。白色ベースでフチがピンク色、左腰の部分に小さなハートのワンポイントが入った

 

「苺ケーキの水着バージョン!」

 

「なつきがまたわたしを食べる気なのです~!」

 

 おっと、いかんいかん。またヨダレが……

 

「はい、お待たせ」

 

「出たーーー、柚葉のセクシーダイナマイツ!」

 

 ビキニですよ、ビキニ。なにその揺れる谷間!?

 

 この人は本当に中学生でしょうか。まさかドーピングしてないよね?

 

「ゆずは、おっぱい大きいのです! わたしのママと同じくらいなのです!」

 

「へぇ、弥生ちゃんのママも大きいんだ。それじゃあ弥生ちゃんも大人になったら大きくなるかもね」

 

「な、なにぬねの!?」

 

 苺のショートケーキだと思っていた弥生ちゃんがメロン畑に成長するですって?

 

「那月も大人になったら成長するんだよね~」

 

「あうっ!」

 

 プールに来たのは失敗だった……。

 

 

 

 滑る、落ちる、うねる! まるで魔法のようなウォータースライダー『マジカルツイスト』

 

 注意書き「高齢者や小学三年生未満の人は利用できません。幼児は保護者同伴でお願いします」

 

『見滝原ワールド・マジカルラグーン』の大人気アトラクションには、そんな注意書きがあった。高さ二十メートル、長さ三百メートルもある巨大なウォータースライダー。階段をのぼり、頂上まで来るとさすがに

 

「た、高い……」

 

 建物の七階くらいある高さのてっぺんは、マジカルラグーンのパーク内を一望できる見事な眺めだった。ここから一気に滑り降りるんだけど、このスライダーが凄い。

 

 急降下からのツイストを三回転

 

「速い速い速いよーーーーっ!」

 

 宙返りレーンを経て

 

「落ちる、落ちるーーーーっ!」

 

 そこからさらに急降下でジャンプ

 

「飛んでる! 落ちるっ!」

 

 最後は魔法の渦に巻かれていくようにプールにダイブ

 

「目がま……わ……る……ぅぅぅ!」

 

 するアトラクション。

 

 というよりは、絶叫マシン。

 

「キャハハハ!」

 

「面白いのです、もう一回やるのです!」

 

 柚葉と弥生ちゃんには丁度よいスリルらしく、滑り終わった途端に

 

「よし、もう一回行こう!」

 

 と言って

 

「なつきも来るのです!」

 

 私を引きずって二回目のマジカルツイスト。

 

「速い速い速いよーーーーっ!」

 

「キャハハハハ!」

 

「落ちる、落ちるーーーーっ!」

 

「楽しいのです~!」

 

「飛んでる! 落ちるっ!」

 

「もっともっとー!」

 

「目がま……わ……る……ぅぅぅぅぅ……」

 

 過激なアトラクションは、何度も続けて乗るものではありません。三回目が終わったところで

 

「ごめん柚葉、弥生ちゃん。私はちょっと休憩……」

 

「だらしないぞ、那月二等兵。そんなんじゃ戦闘機は乗りこなせない!」

 

「いや、ちょっと……酔った……」

 

 戦闘機に乗るどころか、ほふく前進で日陰に退避。

 

「なつき、大丈夫なのですか?」

 

「うん。少し休めば平気だから、ふたりで遊んでて」

 

 なんとか木陰のベンチに辿り着いたものの、ウォータースライダー酔いで戦闘不能です。

 

「あらら、那月二等兵は戦線離脱か。弥生ちゃんは大丈夫?」

 

「わたしは平気なのです。もっと滑りたいのです」

 

「よし、じゃあ私たちはもう一回滑ってこよう!」

 

 そう言い残してマジカルツイストに向かっていくふたり。すごいね、ぜんぜん酔わないんだ。

 

 というか、私だって魔法少女の時は飛んだり落ちたり回ったり、よく考えたらウォータースライダーよりも過激な動きをしてるのに。なんで戦ってる時は酔わないんだろう。まあ、戦いの最中に『魔法少女酔い』してたら魔女に負けちゃうけど。

 

 マジカルバトルでは酔わないけど、マジカルツイストでは酔っちゃうのか。

 

「そんなことを考えてたら余計に気持ち悪い……」

 

 那月は目を閉じてウトウトし始めた。

 

「最近、寝つきが悪いからなぁ。そのせいかなぁ」

 

 いつの間にか、意識が遠のいていった。

 

 

 どれくらいの時間が経ったろう。ほんの少し眠っていたような気がするけど……

 

 ボンヤリと意識が戻ってきた那月は、ベンチに横になったまま目を閉じていた。木の葉の間から降り注ぐ木漏れ日が、チラチラと煌めいているのが感じられる。

 

 と、誰かが隣に座ってきたような感じがした。

 

 頭がボンヤリしたままの那月は、それでも目を閉じたまま動かずにいた。

 

「誰だろう……柚葉かな」

 

 眠っているような、覚めているような、フワフワした意識の中に、隣から声が聞こえてくる。

 

「ねえ那月、アンタ何か隠し事してるでしょ」

 

 柚葉の声だ。私が……隠し事?

 

 声は耳に入るが、意識は薄い。言葉は頭に届くが、答えが言葉にならない。

 

「弥生ちゃんの時だって何をしてたか言わなかったし、それにこの傷」

 

 指先が、頬に触れた。

 

「薄い切り傷。どうして治らないの? 何か月も経つのに、傷跡じゃなくて傷口のまま」

 

 そういえば、蒼ユリに斬られた頬の傷。小さな傷だけど、いつまで経っても治らない。

 

「最近は顔色も良くないし」

 

 このところよく眠れないし、おかしな夢もたまに見る。私が魔女になっている夢。

 

「何か悪い病気じゃないよね……」

 

 病気、そんなんじゃないと思う。ただ私は……

 

「何かあるなら言ってよ。あたしたち友達でしょ?」

 

 友達……そう、柚葉は友達。

 

「なんかさ、アンタが遠いところに行っちゃうような……そんな気がするんだよね」

 

 私が遠いところに……それって引っ越しちゃうとか、そんなんじゃない……よね。

 

「黙って行かないでよ?」

 

 私はどこにも行かないよ。

 

「あたしたち、親友でしょ?」

 

 柚葉の言葉は、そこで途切れた。後に聞こえてくるのは、ウォータースライダーの水の音と、人々の楽しそうな笑い声。そして……

 

 少しだけ、すするような息づかい。

 

 どうしたの柚葉。

 

 泣いているの?

 

 徐々にはっきりとしていく意識の中で、それはたしかに聞こえた。

 

 

 

「ゆずは、買ってきたのですよ」

 

「お、弥生ちゃんサンキュー!」

 

「これはなつきの分なのです」

 

「よーし、それじゃあ弥生ちゃん……(ボソボソ……ボソボソ……)」

 

「わかったのです」

 

「それじゃあ、行くよ~、せ~の~」

 

 ん?

 

 何か顔に……

 

「冷たーーーーっ!!」

 

 冷えたジュースを顔の両側に当てられて、那月は飛び起きた。

 

 柚葉と弥生ちゃんの挟み撃ち。無防備で無抵抗な傷病兵になんてことするんだ。

 

「キャハハハ!」

 

「なつき起きたのですー!」

 

 おいおい、ふたりとも無邪気に笑ってくれちゃって。

 

「おはよ那月。さっきの聞いてた?」

 

「さっきのって?」

 

「いや、聞こえてなかったならいいんだ」

 

 柚葉は少しだけ寂しそうな顔を見せた。それからジュースの口を開け、ゴクゴクと喉を鳴らすと

 

「弥生ちゃんと一緒に、那月を驚かしてやろうって。ね、弥生ちゃん?」

 

「なつき驚いてたのです。面白かったのです!」

 

 ふたりで「イェーイ!」と言ってジュースを乾杯。過激に起こされた那月は、ボーッとしたままふたりを眺めていた。

 

「これはなつきの分なのです。わたしが買ってきたのですよ」

 

 と言って、弥生ちゃんが炭酸飲料を手渡してきた。よく冷えた缶には『炭酸強め・マジカルスプラッシュ』と書かれていて、例のマスコットキャラクターのミータくんが弾ける炭酸をアピールしている。

 

 よく考えたら私も喉がカラカラ。木陰で寝てたけれど、身体は汗でビッショリ。

 

「弥生ちゃん、ありがとう」

 

 そう言ってプルタブに指をかけ、プシュっと開栓……

 

「うひゃーーーーっ!」

 

 勢いよく炭酸が吹き出し、マジカルなスプラッシュが顔面に直撃。や、弥生ちゃん……炭酸ジュースは振っちゃダメだよ……。

 

「お、弥生ちゃん。あたしでもそこまでのイタズラは出来ないぞ~?」

 

「違うのです、これはゆずはが教えてくれたイタズラなのです!」

 

 このふたり、完全に狙ってたな?

 

 ウォータースライダー酔いも、眠気も吹き飛ぶイタズラが二連発。青空の下にキラキラ光る笑顔が三つ。

 

 そうしてマジカルラグーンでたっぷりと遊んでから、陽が傾き始めたころに帰路についた。

 

 

 

 帰りのバスに揺られてすぐに、弥生ちゃんは眠ってしまった。水着の入ったバッグに『ミータくん』のキーホルダーを付けて、スヤスヤと寝息を立てている。散々はしゃいだから疲れたのだろう。まだ小学生だもんね。

 

 車上の席は風を切り、ふたりの髪をなびかせる。

 

「ねえ那月。あの時の話、本当に聞こえてなかった?」

 

 柚葉が顔をそむけて言ってきた。日差しは次第にオレンジ色に変わり、暑さも和らいでいく。

 

「な、何の話?」

 

 何のことか分かったが、なぜかとぼけてしまった。

 

「眠ってたから聞いてなかった?」

 

「ああ、やっぱり柚葉が何か話してたんだね。ごめんごめん、ウトウトしてて聞こえなかった」

 

 ……嘘をついた。本当は聞こえていた。

 

 あれは夢だったのかと思ったけれど、柚葉の表情を見てたらそうじゃないと気付いた。

 

「そっか……聞いてなかったんだね」

 

 反対側に顔を向けて、流れる景色を見ている柚葉。どんな顔をしているの?

 

「えっと、あれでしょ? 弥生ちゃんとイタズラの打ち合わせをしていたんでしょ?」

 

 また、嘘をついた。それは柚葉が誤魔化すために付け加えたセリフなのが分かっていたのに。

 

「はは……そうだね、そんな話もしてたよ」

 

 言葉では笑っているけど、柚葉の声は笑っていない。

 

 ――そんな話『も』してた

 

 私のことを心配している……んだよね。もしかしたら、柚葉は何か気付いているの?

 

 私が魔法少女だってこと。

 

 いや、魔法少女なんて知らないはずから、私が何か隠していること。

 

 私が最近、少しおかしいこと。

 

 左苗ミコとの会話だって聞かれてただろうし、あれから何度か学校を休んでる。今までこんなことなかったのに。

 

「那月さ、最近変わったよね」

 

 柚葉は相変わらず顔を向こうにしたまま言ってきた。

 

「今年の春くらいから、かな。何か抱え込んでるっていうか……ツラそうっていうか……」

 

「そんなこと……ないと思うけど」

 

「やけに明るかったり、塞ぎこんでたり。どこか遠いところを見てたり」

 

「そんなことない……と思うけど」

 

 バスが停車した。階下ではドアが開いて、人が降りていく。

 

「何かあったの?」

 

「何も……ないよ。最近は体調が悪い日があるけど、別に病気ってわけじゃないし」

 

「そっか。悪い病気ってわけじゃないんだね」

 

「うん、だから何も心配することはないよ」

 

 バスの扉が閉まる。ここから川を越えれば北夜見市。

 

 車が一台、バスを追い越していった。後続に車はなかったが、バスはまだ発車しない。

 

「ウソなのです」

 

「え……!?」

 

 突然、目をつむったままの弥生が喋りだした。

 

「ウソつきなのです。なつきはウソつきなのです」

 

「や、弥生ちゃん?」

 

 目は穏やかに閉じられ、顔も安らかだ。しかし、弥生は寝言を言っているように口だけを動かしている。

 

「どうしたの弥生ちゃん。起きてるの?」

 

 那月は弥生の身体を優しく揺らすが、反応はない。

 

「ウソつきなのです」

 

「ホントだね」

 

 隣で柚葉がうなずいた。

 

「ちょっと、柚葉までどうしたの?」

 

 バスはまだ発車しない。乗車する人も、降車する人もいないが、ただエンジンをかけたまま止まっていた。

 

「ウソつきなのです」

 

「嘘つきだね」

 

 ふたりの言葉はそれしかなかった。

 

 弥生は目を閉じたまま、柚葉は光沢のない瞳で那月を見据えたまま

 

「ウソつきなのです」

 

「嘘つきだね」

 

 ただ同じ言葉を繰り返していた。

 

 

 

続く



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第十三話 魔女殺しの槍(まじょごろしのやり)

 寝言のように「ウソつき」と繰り返す弥生。

 

 そして

 

「本当は聞こえていたんでしょ? それなのに、なぜ嘘をつくの?」

 

 曇った瞳で詰め寄ってくる柚葉。

 

「ふたりともどうしたの? 弥生ちゃん、起きてるの?」

 

 沈むように座っている弥生を揺すっても反応はない。那月に肩を揺らされて、弥生の小さな身体は崩れるようにバスのシートに倒れた。生乾きの髪の毛が木製のシートに広がると

 

「――――っ!」

 

 その首筋に、黒っぽい紋様が見えた。これは

 

「魔女の、口づけ……!」

 

 アザでもない、傷でもない、紛れもない呪いの刻印。

 

「それはウソじゃないのです」

 

 目を閉じたままの弥生が、にやけたように言う。

 

 この言葉……魔女に操られているんだ。さっきから「ウソつき」と連呼していたのは、魔女の呪いに言動を支配されていたんだ。

 

「弥生ちゃんは、また魔女を引き寄せてしまったんだ!」

 

 那月は心の中で叫んだ。この辺りに潜む魔女が弥生に引き寄せられ、いつの間にか呪いを振り撒いていたんだ。

 

「もしかして柚葉も……?」

 

 力なく寝転んでいる弥生から視線を移すと、那月のすぐ横に柚葉が立っていた。立ち上がったまま那月を見下ろしていた。

 

 もしかして、柚葉も同じように魔女の口づけを受けているのか。ふたりで「ウソつき」と言っていたのだから、弥生ちゃんと同じように呪いを受けてしまっているかもしれない。

 

 長い髪に隠れて、柚葉の首筋が見えない。那月は手を伸ばして

 

「柚葉、ちょっと見せて……」

 

 髪の毛に触れようとすると

 

「触らないで!」

 

 差し出した手がパーンと払いのけられた。柚葉の瞳は曇り、表情が険しい。

 

「嘘つき。アンタは嘘つきだよ。あたしに触らないで」

 

「そうなのです。なつきはウソつきなのです」

 

 停車したバスは動かない。辺りには車も人影もなく、まるで無人の街中に取り残されてしまったようだった。

 

「しまった……こんなところで魔女が出てくるなんて」

 

 よくよく考えたら、あり得ないことではなかった。北夜見市にだって、ここ見滝原にだって魔女はいる。いつもはひとりでいる時や、同じ魔法少女と共闘することはあっても、無関係の人間と一緒にいる時に魔女が現れることだってある。想像していたことだ。

 

 が、それは唐突だった。何の準備も、心構えもしていない。

 

「今ここで私が魔女と戦ったら、柚葉にも知られてしまう?」

 

 いや、魔女の口づけに毒されているのであれば

 

「魔女さえ倒せば、その記憶は消えるかもしれない」

 

 那月は右手にソウルジェムを出した。柚葉の記憶が残るかどうかよりも、ふたりが魔女の口づけを受けてしまったのは事実だ。放っておくことなど出来るはずがない。

 

 夕闇に沈む見滝原の街に、赤い気泡が舞った。オレンジ色の夕陽は色濃く変わり、何もかもが赤い世界へと変わっていく。魔女の結界が口を開いたのだ。

 

 ためらっている場合じゃない。一刻も早く魔女を狩らなければ、ふたりの命が危ない。

 

「柚葉、ごめん。後でちゃんと謝るからね」

 

 右手に持つソウルジェムに視線を落とし、宝珠を輝かせたところで

 

「お待ちなさいな」

 

 と、どこからともなく声がした。この、丁寧だが相手を見下したような言い方は……

 

「防護障壁!」

 

 バスの車上にいる那月たちをすっぽりと包み込むように、黄色い魔力膜が張られた。

 

 この声は、左苗ミコだ。しかし姿が見えない。

 

 那月は周囲を見回してミコの姿を探した。弥生は目を閉じたままだが、柚葉も同じように辺りを見回している。

 

「これは神隠しみたいなものよ。不運にも迷い込んでしまったわね」

 

 黄色い防護障壁のすぐ外側から、もうひとりの声。バスの車上の縁に降り立ったのは、薄墨色(はいいろ)の服を纏う少女。

 

「あなた達には関わりのないこと。助けてあげるから、そこで黙って見てなさい」

 

「蒼ユリ!」

 

 背を向けて立つユリが、先端の丸い円から十字が伸びる槍を構えている。

 

「ちょっと、どうしてアンタがこんなところに……」

 

 言いかけた那月の言葉を断ち切るように

 

「あなた……誰かしら?」

 

 ユリが冷たい言葉を浴びせる。さらに

 

「言ったでしょう? 黙って見ていなさい」

 

 と言って一気に跳躍した。舗道の外灯に足をつけ、そこからさらに飛び上がる。建物の壁面を蹴り、そこからさらに飛び上がる。

 

 あっという間に五階建てのビルの屋上に立ったユリを

 

「あんなところから何をするつもりなの?」

 

 那月は目を細めて見上げる。その横では、柚葉がじっと那月を見つめていた。

 

「ミコ!」

 

 ユリの声が聞こえる。いや、これは……精神感応(テレパシー)だ。

 

「はいですの!」

 

「あなたのところから見える?」

 

「いえ、魔女は見えませんわ。ただ、この魔力の波動は……」

 

「ええ。魔女喰いね」

 

 ふたりのやりとりが、テレパシーに乗って聞こえてくる。どうして私にも聞かせるのだろう。

 

「ユリさま、ワタクシがおびき出します」

 

「任せるわ」

 

 ミコの声はどこから聞こえているのか分からない。テレパシーだけが那月の頭の中に響いている。

 

 と……

 

 那月たちが乗るバスを中心にして、黄色い魔力の膜が開いた。ミコの魔法『防護障壁』が、巨大な風船を膨らますように街の一角に広がっていく。

 

「さあ、出ていらっしゃいな」

 

 どこかに潜んでいる魔女を、魔力の膜で絡めようというのか。放射状に広がっていく防護障壁はぐんぐん大きくなり、朱に包まれた一帯をレモン色に染める。

 

「いましたわね」

 

 バチーン! と帯電したような音がして、くぐもった魔女の声が響く。障壁に引っかかってあぶり出された魔女に

 

「ユリさま!」

 

「ええ」

 

 建物の屋上から飛び降りたユリが、十字槍で閃突を浴びせる。

 

 オオカミのような顔をした魔女が、ユリの十字槍で身体を貫かれていた。オオカミのよう……といっても、身体はゆうに二メートルはあるだろう。長い手足に毛むくじゃらの身体は獣のよう。その手には大きな杖を持っている。

 

「狼(オオカミ)の魔女?」

 

 那月はその見た目から安直に想像したが

 

「いいえ、あれは魔女喰いですわ」

 

 姿の見えないミコのテレパシーが頭の中に聞こえてくる。

 

 ユリの槍で突かれた魔女喰いは、そのまま地面に落下して叫び声をあげた。身体の真ん中、ちょうどお腹のあたりを一突きにされ、紫色の血を吹き散らしている。

 

 グルル……と、獣のような声をあげる魔女喰いを、街灯の上から見下ろすユリ。薄墨色の視線を送りながら、冷ややかな口元で槍をビュっと振ると、刃先についた血のりが飛び散った。

 

 そのまま追撃を向けるのかと思っていたが、ユリは微動だにしない。

 

「あれが魔女喰いなんだったら、再生される前に攻撃しないと……」

 

 魔女喰いには強い再生能力がある。それは那月も経験済みだから、なぜユリが追撃を向けないのか不思議だった。

 

「大丈夫ですわ。ユリさまの槍は特別ですから」

 

「特別?」

 

 血吹雪をまき散らしながら道路の真ん中に立つ魔女喰い。その傷跡は……

 

「傷が……再生しない?」

 

 魔女喰いの再生能力なら、あんな傷などすぐにふさがってしまうはずなのに。

 

「どうして……」

 

「ユリさまの槍、あれは『魔女殺しの槍』ですの」

 

「魔女殺しの槍?」

 

「そうですわ。あの槍は、魔力による再生能力を打ち消す力がありますの。だから魔女の再生能力は、ユリさまの攻撃には無意味」

 

 姿の見えないミコが、いつもよりも饒舌だった。ユリ「さま」なんて呼び方をしているから、きっとあの高慢ちきの腰巾着なんだろう。神輿を担ぐのに声も張り切っている。

 

「どんな魔女をも滅する魔女殺しの槍と、それを扱う強靭な精神力。そして磨き上げられた槍捌き。ユリさまに敵う者などいませんの」

 

 ミコの言葉は自信に満ちていた。

 

 と、流血の止まらない魔女喰いが咆哮をあげる。それはユリへの威嚇か、苦痛に耐える叫びか、牙を剥きだしてユリを睨んだ。体中の毛が逆立ち、獣の目が怪しく光る。

 

「魔力を高めましたわね。あれが限界だとしたら、やはりコイツは『ランク2』」

 

 この魔女喰いには『ランク3』以上の印(しるし)となる魔力輪は見えない。つまり、魔女を一匹だけ喰った魔女喰いなのだろう。それでも普通の魔女に比べたら格段に強い魔力なのだが

 

「ユリさまの敵ではありませんわ」

 

 もはや勝負あった、と言わんばかりにミコの声は安心している。

 

 魔女喰いは手に持つ杖をかざした。柄の先には、片目の潰れた人の顔のようなものが象られている。その杖を大きく振り下ろすと、ユリに向かって杖の中の顔が飛び出した。

 

 不気味な顔だけが伸びていき、ユリに迫る。

 

「危ない!」

 

 那月が叫ぶが、ユリは動じない。

 

 右手に下げた槍をピクリと動かすと、目にも止まらぬ速さで振り上げた。瞬間、杖の顔が大きく口を開ける。ユリの槍は空を斬り、杖の顔が開けた口の中に飲み込まれてしまった。

 

「えっ!?」

 

 それを見ていた那月は思わず声をあげる。あれだけ余裕を見せていたユリが、あっけなくひと飲みにされてしまった。魚が餌を丸飲みするように、一瞬でユリの姿が杖の顔の中に消えた。

 

「ちょっと! 喰われちゃったわよ?」

 

 那月が焦った声を出す。が……

 

「喰われてしまいましたわね」

 

 それに答えるミコの声は平静だった。冷静に、落ち着いてテレパシーを飛ばしてきた。その声は那月だけに聞こえているはずだが

 

「この人もウソつきなのです」

 

「弥生ちゃん?」

 

 未だに目を閉じて眠ったままの弥生が、再び口を開いた。

 

「ええ、ウソですわ」

 

 と、再びミコのテレパシーが飛んだ次の瞬間、杖の顔が真っ二つに斬り裂かれる。顔の内側から裂けるように、その醜い顔が半分に割れた。紫色の血が外側に飛び散り、それと一緒に黒いシンボルが飛んでいった。

 

「ランク2程度の魔女喰いがユリさまを喰らおうなんて、百年早いですわね」

 

 ドロリと崩れ落ちた顔の中から、ユリが姿を現す。まるで何事もなかったかのように平然と、余裕の表情を浮かべたまま魔女喰いの前に降り立った。そうして

 

「終わりね」

 

 と冷たい声を発すると、ユリの槍が舞った。

 

 一瞬で間合いを詰めると槍を回し、魔女喰いの身体に激しい連撃を見舞う。その槍捌きは美しく優雅で、しかも異常に速い。十字の穂先がいくつもの残像を描き、回転させる遠心力での打撃を加え、魔女喰いの身体を襲う。

 

 まさに猛攻とよべるユリの槍撃乱舞に、魔女喰いは成すすべもなく打ちひしがれた。紫色の血しぶきがまるで花吹雪のように散り、魔女喰いの身体は削られていく。

 

「す、すごい……!」

 

 この槍の扱いは古武術か何かか。見たこともない槍捌きは観る者をも圧倒した。

 

 魔女喰いは鮮血に染まり、身体はボロ雑巾のようになっている。魔力による肉体再生も起こらない。反撃する力も見えない。

 

 ユリは最後に、魔女喰いの喉元を槍で突いた。

 

 先端が十字に伸びる『魔女殺しの槍』

 

 その刃先が魔女喰いの身体を貫き、抜け出た穂先には黒いシンボルが刺さっていた。それは黒い宝珠、嘆きの種グリーフシード。ユリは槍の刃先で、魔女喰いの魂を突き刺していた。

 

 魔女喰いの叫び声が響く。それは獣の声というより、くぐもった女性の金切り声。

 

 ユリの槍に突かれたグリーフシードはパーン! と弾け、砂のように散り消えていった。同時に魔女喰いの身体も、音もなく崩れていく。

 

 まさに圧倒だった。ランク2の魔女喰いが、文字どおり「手も足も出ない」

 

 ユリに対して傷ひとつ付けることができない。

 

 これが、キュゥべえに「歴代最強」と言わせる魔法少女。

 

 魔女喰いは消え、朱に染まっていた魔女の結界も元の見滝原に戻っていく。弥生の首筋にあった魔女の口づけは消え、静かな寝息を立て始めた。夕陽は西の空に沈み、道路沿いの街灯に明かりが灯る。

 

 宵の見滝原市は再び動き始め、人や車の流れが那月たちの横を過ぎていった。

 

「御覧になりました? これがユリさまの実力ですわ」

 

 と、ミコがテレパシーを飛ばしてくる。未だに姿は見えないが、きっと勝ち誇った顔をしているに違いない。

 

「ミコ」

 

 向こう側の歩道から、制服姿のユリがミコを呼ぶ。いつの間にか『普通の女子高校生』に戻り、往来する人の流れに見え隠れしていた。

 

「はいですの!」

 

「行くわよ」

 

 言葉少なくユリは歩き出し、そこでふたりのテレパシーも途切れた。どこかにいるミコも、ユリについていったのだろう。

 

 車内に発車を促すアナウンスが流れ、バスの扉が閉まる音がする。排気ガスを出さないクリーンエンジンが吹き、那月たちを乗せたバスが動き出すと

 

「はぁ……」

 

 那月は大きなため息を吐いた。

 

 今回はあのふたりに助けられた。おかげで自分が魔法少女だと知られずに済んだし、柚葉も弥生ちゃんも無事だ。魔女の口づけは消えたことだし、柚葉もあの不思議な戦いは忘れてしまうだろう。

 

 どっと疲れが噴き出した那月の横で、柚葉が道路の向こうを眺めていた。流れる景色に過ぎていくユリの姿を追っていた。

 

 柚葉のその手に、黒いシンボルが握られていたことは誰も気付いていなかった。

 

 

 

続く

 

 



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第十四話 赤信号の交差点(あかしんごうのこうさてん)

投稿が1日遅れてしまいました(´・ω・`)


 七月は期末月なので、中学校ではテストの時期です。

 

 いわゆる『期末テスト』というやつで、学期末に行われる定期試験。もちろん成績に反映される大事なテストで、北夜見中学では学年順位まで発表されてしまう。

 

 そんな試験が来週から始まるというのに……

 

「柚葉はお休みかぁ」

 

 見滝原プールの翌日、柚葉は学校を休んでいた。

 

 先生は「体調不良」と言っていたが、今まで学校を休むなんてことのなかった柚葉が欠席するなんてどうしたんだろう。

 

「昨日はマジカルラグーンで大はしゃぎしてたから、風邪でもひいたのかな」

 

 魔女の口づけは解呪されたから、そのせいではないんだろうけど。というよりも、呪いが消えたなら記憶もなくなっているはず。あれからバスに揺られて元気がなかったから、少し疲れていたのかもしれない。

 

「帰りに柚葉の家に寄ってみよう」

 

 那月は窓際の席でシャーペンをクルリと回し、そんなことを考えていた。

 

 

 放課後。

 

 那月が昇降口から出ると、校門の前に弥生が立っていた。ランドセルを背負って待っていたようで

 

「なつき!」

 

 と笑顔を向けて駆け寄ってきた。

 

「弥生ちゃん、どうしたの?」

 

 北夜見中学と北夜見第二小学校はさほど離れていないので、中学生と小学生が登下校に顔を合わせることは珍しくない。が、弥生の家は那月の通学路と方向が違うので、放課後に会うのは初めてだった。

 

「なつき、昨日はごめんなさいなのです。知らない間に、わたしはまた魔女の口づけを受けてしまっていたのです」

 

「あ、ああ……」

 

 那月は辺りを見回しながら

 

「そいういう話はここではちょっと。他の生徒もいるからね」

 

 下校を始める他の生徒たちを避けるように、弥生の手を引いた。

 

 左苗ミコもそうだったけど、大っぴらに専門用語(魔女の口づけ)を振り撒くのはカンベンしてね。私は自分が魔法少女だって知られたくないし……弥生ちゃんは知ってるからいいけど。

 

 精神感応(テレパシー)で会話できればいいんだけど、弥生ちゃんは魔法少女じゃないし……そういえば『魔法少女じゃないのに、魔女に狙われてしまう』のはなぜだろう。

 

「そうだ弥生ちゃん、これから柚葉の家にお見舞いに行くんだけど、一緒に来る?」

 

 弥生ちゃんの家と柚葉の家は方向が同じだし、歩きながら小声で話せば大丈夫だろう。

 

「ゆずはは病気なのですか?」

 

「ううん、たぶん風邪を引いたんだと思うけどね。学校を休んじゃってるから様子を見に行こうと思ってさ」

 

「そういえば、昨日の帰りは元気がなかったのです」

 

 やっぱり弥生ちゃんも気付いてたんだね。いつも元気な柚葉が無口だったし、学校を休むなんてよっぽど具合が悪いのかな。

 

 ふたりは柚葉の家に向かって並んで歩き出した。

 

 弥生ちゃんの話によると、昨日の魔女の口づけはいつどこで受けてしまったのか憶えていないらしい。遊び疲れてバスで眠ってしまい、気づいたら夢遊病のように「ウソつき」と口にしていた。

 

 でも、それを憶えているってことは

 

「途中から意識があったってこと?」

 

「よくわからないのです。でも、魔女の口づけを受けたのは憶えているのです。とても恐くて悲しい気持ちになるから、それだけはいつもわかるのです」

 

「ふぅん……」

 

 魔女って、何なんだろう。呪いで人間を死に駆り立てる……っていうのは知ってるけど、魔女はどうして人間を殺そうとするのかな。そういう存在って言われたらそれまでだけど、少なくとも「魔女にとって何か有益なこと」だとしたら、魔女が人間を殺すことは「食事」みたいなものなのだろうか。

 

 魔女自身が生きていくための本能なんだろうか。

 

 交差点の信号が赤に変わった。

 

 那月たちが向かう道は人も車も動きを止め、それを横切る道が動き出す。ひとつの流れが止まれば、もうひとつの流れが始まる。

 

 私たちと同じだね。魔法少女は魔女を殺すことで、次の交差点まで進んでいける。赤信号に道を阻まれたら、また魔女を殺して進めばいい。でもどこかで『永遠の赤信号』に閉ざされたら、それは魔女に堕ちるっていうこと。横切る道は、新たに始まる魔女の道。そして、その魔女もまた……どこかで流れが途切れていく。

 

 そうやってぐるぐると街を廻り、世界を廻り、時代を廻り、魔法少女と魔女のサイクルが続いている。

 

 今、私が歩いている道はどこに向かっているんだろう。この道は、『歯車の魔女』がいる交差点へ続いているのだろうか。

 

 『歯車の魔女』は、どこかの巨大な交差点で『永遠の赤信号』を灯しながら待っているのだろうか。

 

 交差点の信号が青に変わった。

 

 目の前を横切る道は流れを止め、那月たちが向かう道が動き出す。ひとつの流れが止まれば、もうひとつの流れが始まる。

 

 私の道が動き始める。

 

 弥生が足を踏み出し、それに続いて那月も歩き始めた。

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

「あれ!? 那月どうしたの? 弥生ちゃんまで一緒に」

 

 二階の部屋で布団にもぐっていた柚葉は、顔だけを覗かせていた。

 

「急に来ちゃってゴメン。あ、横になってていいよ」

 

 那月は慌てて起き上がろうとする柚葉を制して、部屋のドアを閉めた。

 

「ゆずは、病気なのですか?」

 

 心配そうな弥生ちゃんの声を聞くと

 

「いや、病気ってわけじゃないんだけどさ。なんだか身体がダルくて少し熱っぽいから、学校は休んじゃったんだよね」

 

 柚葉は頬をポリポリと掻きながら、パジャマ姿の身体をゆっくりと起こした。ベッドの枕元には体温計と空っぽのコップ。カーテンは閉められたままで、部屋の中は薄暗かった。

 

「待って、いま電気を点けるから」

 

 ベッド横のタッチセンサーに手をかざすと、部屋に照明が灯る。白い光に照らされた柚葉は、なんとなく顔色が悪かった。

 

「ふたりで来てくれたんだ」

 

 チラっと弥生ちゃんに目を向けた柚葉の声も、元気がないような気がする。いつもなら「私のお見舞いを口実に弥生ちゃんを誘ってくるとは、不届きなやつめ」と冗談のひとつでも言ってくるのに

 

「悪いね」

 

 と、申し訳なさそうに小さく息を吐いた。そんな『らしくない』態度のせいか、会話も空気もどこか息苦しい。まるでこの部屋だけ重力が強くなっているように重苦しい。

 

 そんな重苦しさを払いのけるように

 

「まったく、柚葉らしくないなぁ。昨日のプールではしゃぎすぎたからだよ」

 

 那月はイジワルっぽく言った。散々はしゃいでいたのは本当のことだったが

 

「え? 昨日のプールって?」

 

 きょとんとして柚葉が聞き返した。

 

「見滝原のマジカルラグーンだよ。あれだけ絶叫スライダーに乗って大はしゃぎしたから、疲れちゃったんでしょ?」

 

「マジカルラグーン? 絶叫スライダー? あたし、そんなところに行ってないよ?」

 

「え?」

 

 どういうこと? 弥生ちゃんと三人で見滝原に行って、マジカルラグーンで遊んだじゃない。まさか、魔女の口づけのせいで一日の記憶まで消えちゃったの?

 

「もしかして、憶えてない……の?」

 

 魔女喰いは蒼ユリが退治したから、呪いは解呪されたはず。魔女の口づけを受けた時の記憶は消えても、他のことは憶えているはずなのに。まさか、呪いが消えてない……?

 

 強張る那月の顔を見ながら、柚葉の顔が徐々にニヤけていく。

 

「な~んて、ウ・ソ・だ・よ~~」

 

「は?」

 

 那月を指差しながら、キャハハっと笑う柚葉。

 

「や~い、ダマされた」

 

 あうっ! こんな時に笑えない冗談を飛ばしてくるなんて、柚葉さん……だいぶ元気じゃないですか?

 

 ケタケタと声を出して笑っている柚葉を見て、なんとなく重苦しかった空気が一変した。和やかな雰囲気を取り戻したところで、柚葉の冗談に驚いていた弥生も

 

「ゆずは、ウソつきなのです」

 

 と、安心したように言う。が、その言葉に

 

「――――――っ!」

 

 ビクっと柚葉が反応した。まるで何か恐ろしいものを見てしまったように、身体を硬直させている。

 

「ゆずは?」

 

 息を呑みながら視線を逸らし、言葉を詰まらせていた。瞳が揺れ、顔から血の気が引いている。

 

「大丈夫なのですか?」

 

「どうしたの柚葉。やっぱり具合が悪いの?」

 

 怯えるような顔を見せる柚葉は

 

「うん、ちょっと横になるね」

 

 と言って布団を手繰り寄せた。それからチラっと枕元にあるコップを見て

 

「那月、悪いんだけど水を汲んできてくれないかな」

 

 そのまま布団に潜り込んでしまった。

 

「う、うん。わかった」

 

 明らかにいつもの柚葉とは違う。柚葉は直情的で何でも思ったことを口にする性格だから、含んだ言い方をするような子じゃない。でも今は、心の中に何かをせき止めているような、言いたいことを飲み込んでしまっているような、そんなふうに見える。

 

「ちょっと待っててね」

 

 那月はコップを手に取ると、弥生を部屋に残して階下へおりた。

 

 リビングには誰もいなく、綺麗に片付いたキッチンは静まり返っていた。鏡のような水栓蛇口のハンドルを持ち上げると、水道の水が溢れ出す。透き通った水が、ガラスのコップに満ちていく。

 

 那月はその水を見つめながら、柚葉の言葉を思い出した。

 

 ――あたし、そんなところに行ってないよ?

 

 あんな冗談を言えるんだから、すぐに元気になるのかな。それとも、具合が悪いのを隠すためにわざとあんなウソを……?

 

 ――ゆずは、ウソつきなのです

 

 弥生ちゃんが言っていた言葉。そして、魔女の口づけに侵されている時にも言っていた言葉。

 

「え?」

 

 あの時は柚葉も魔女の口づけを受けていて、魔女喰いが倒されたことで記憶は消えているはずなのに『ウソつきと言われて驚いていた』

 

 弥生ちゃんはきっと、何も考えずに言ったんだ。柚葉の冗談に、冗談で返していたんだ。でも柚葉は「ウソつきなのです」と言われて

 

「あの時のことを思い出した?」

 

 ……違う。

 

「憶えているの?」

 

 記憶は消えていない。いや、消えていないんじゃなくて

 

「そもそも、魔女の口づけなんて受けてたの?」

 

 あの時、弥生ちゃんの首筋には魔女の口づけがあった。幾何学的な紋様が刻まれ、死に至る呪いを受けていた。でも、柚葉の首筋は見ていない。いや、見せてもらえなかった。

 

 そして柚葉は

 

「魔女喰いも、蒼ユリも、左苗ミコの魔法も、すべて見ていた……」

 

 そういえば、蒼ユリはこう言っていた。

 

 ――これは神隠しみたいなものよ。不運にも迷い込んでしまったわね

 

 あれは私に言っていたんじゃない。私は魔法少女だから、魔女の結界も分かっているし、そもそも「神隠し」なんて言い方をしなくてもいい。

 

 ――あなた達には関わりのないこと。助けてあげるから、そこで黙って見てなさい

 

 あなた『達』?

 

 私『達』?

 

 私と……

 

「柚葉に言っていたの?」

 

 那月はハッとした。弥生ちゃんは魔女の口づけを受けていて、夢遊病のように「ウソつきなのです」を繰り返していた。柚葉も同じように「嘘つき」と言っていたから、ふたりとも魔女の口づけを受けているのだと思っていた。でも

 

「柚葉は、魔女の口づけを受けていなかった……!」

 

 蒼ユリは『非日常的なことに巻き込まれた柚葉』に「これは神隠しみたいなものだ」と言ったんだ。

 

 あそこで私が魔法少女になったら、すべて知られてしまう。だから「私も柚葉も無関係な人間だから、あなた『達』は黙って見ていなさい」と言ったんだ。

 

 それにユリの存在に気付いた私に対して、こうも言っていた。

 

 ――あなた、誰かしら?

 

 つまり「あなた(私)も無関係だ」と言っていたんだ。

 

「蒼ユリは、柚葉が呪いを受けてないことを分かっていたんだ」

 

 だから「神隠し」なんて言葉を使って、他人のように振舞っていたんだ。

 

 どうして気付かなかったんだろう。いや、そんなことはどうでもいい。魔女喰いが倒されたことで呪いが消え、記憶が消え、一件落着かと思っていたのに……

 

「もう、隠し通せないくらい巻き込んでしまった」

 

 那月はコップの水に映る自分の顔を見つめたまま動けなかった。巻き込みたくなかった。柚葉を巻き込みたくはなかった。

 

 たぶん柚葉は、うすうす感づいていたんだろう。私が魔法の契約をしてから、それまでと何かが変わったことに気付いていたんだろう。ただそれが何なのかは分からなかったにしても、どこか遠くに行ってしまうのかもしれないと思っていたんだ。

 

「でも、柚葉には言えなかった。柚葉にだけは言えなかった。心配をかけたくなかったし、巻き込みたくなかったし、でもこれじゃ……」

 

 那月は意を決して部屋へと戻った。

 

 コップを手に階段を上り、柚葉の部屋の前まで来たところで

 

「……なのです。わたしも……」

 

 微かに弥生ちゃんの声が聞こえた。柚葉と何かを話しているのだろうか。

 

 軽くドアをノックしてから部屋に入り

 

「ごめん柚葉、遅くなっちゃって」

 

 水の入ったコップを柚葉に手渡す。無言でそれを受け取った柚葉は、口をつけないままコップを抱えた。

 

「で、でね柚葉。ちょっと話したいことがあるんだけど……」

 

「悪いんだけどさ!」

 

 那月の言葉は途中で塞がれた。

 

「あたし、やっぱり具合が悪いからさ。今日はもう帰ってくれないかな」

 

 俯いたままの柚葉は冷たく言った。目も合わさず、那月にそう言った。

 

「う、うん」

 

 その声はどこか他人行儀で、まるで「アンタとは話したくない」と言わんばかりの心の壁があるようだった。

 

 すぐに弥生が立ち上がり

 

「ゆずは、お大事になのです」

 

 と言って部屋を出ようとした。それ以上は何も言えなくなった那月も

 

「じゃあ、また明日……」

 

 隅に置いてあった鞄を持つと、それ以上は何も言えずに柚葉の家を後にした。

 

 

 外はすっかり夕焼けに染まり、しかし暑さは和らぐことなくムシムシとした空気に満ちていた。

 

 結局、大事な話ができなかった那月は

 

「ねえ、弥生ちゃん。さっき柚葉と何を話していたの?」

 

 ドアの前で聞こえてきた会話が何となく気になったので聞いてみると

 

「な、何も話していないのですよ。なつきが遅いから、どうしたのかなって思ってたのです」

 

 弥生は少し慌てたように答えた。

 

 遠くから聞こえてくるヒグラシの鳴き声に急かされるように、弥生は足を速める。那月は「家まで送っていこう」と思ったが

 

「なつき、わたしはひとりで帰れるので大丈夫なのです」

 

 背を向けたまま歩き続けた。

 

 どうしたの? なんか弥生ちゃんも変だよ?

 

 那月は、まるで自分だけが置いて行かれているような感じがして不安になった。カナカナと聞こえてくるヒグラシの声が、侘しさを煽ってくる。

 

 そんな那月の心を察したのか、弥生はちょこんと立ち止まると

 

「なつきとゆずはは仲良しなので、何も心配しなくていいのですよ」

 

 と言った。言うとすぐにまた歩き出し

 

「わたしは、みんなの幸せな未来が見たいのです」

 

 小さな背中を揺らして走っていった。歳の割に幼い身体を一生懸命に繰り出し、それにつられて赤いランドセルも揺れていく。そんな後姿を、那月は黙って見送った。

 

 

 

続く



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第十五話 偃月の刃(えんげつのやいば)

 柚葉は次の日も学校に来なかった。

 

 担任の先生には相変わらず「具合が悪い」としか言っていないようで、詳しいことは分からない。

 

「もしかして、私と会いたくないのかな」

 

 昨日の帰り際、柚葉は少し変だった。明らかに私と話すことを避けているような、そんな壁が感じられた。

 

「でもなぁ……ここまで来たらちゃんと説明しないと、私だって話しづらくなっちゃったからなぁ」

 

 避けられてしまっても、このまま放っておくわけにはいかないよね。お互いギクシャクしたままじゃ関係が悪化していくだけだし。もともとは私が「心配をかけたくない」と思って黙っていたけど、結局それが原因で「心配をかけている」のは事実だから。

 

「帰りにもう一度、柚葉の家に寄っていこう」

 

 来週は期末テストだってあるんだし、このまま柚葉が学校に来なかったら成績に影響してしまう。

 

 私のせいで迷惑の上塗りをするわけにはいかないもんね。

 

「とは言っても、なんて説明したらいいんだか……」

 

 実は私、魔法少女やってます……って?

 

 命を懸けて、魔女と戦ってます……って?

 

 今まで黙っていたのは、柚葉に心配をかけたくなかったからです……って?

 

 まあ、最後のはいいとして――「魔女と戦う魔法少女です」ってのは単刀直入すぎるか。だったら蒼ユリのように『神隠し』的な言葉を使った方が信じてもらえるかもしれない。

 

 いやいや、もう正直にすべてを話そう。頭にお花が咲いていると思われても仕方ない。中途半端なごまかしを入れて後でこじれるなら、バカだと思われても正直に言った方がいい。

 

 柚葉ならきっと分かってくれる。

 

 それから今まで黙っていたことを謝って、もう二度と魔女の呪いが及ばないように街のパトロールもちゃんとやろう。最近はあまりやってなかったからなぁ……

 

 那月は学校が終わってから柚葉の家にやってくると、いつものようにインターホンを押した。

 

 が、いつまで待っても返事はない。普段は柚葉のお母さんが家にいて、あの艶っぽい声が返ってくるのに

 

「いないのかな」

 

 もう一度、インターホンを押す。優しい機械音の後に聞こえてくるのは、うるさい蝉の声だけだった。

 

 宝条家は高い塀に囲まれているので、中を窺うことはできない。家に誰かいるかとか、車があるかとか、とにかく塀の外からでは何も分からなかった。

 

「病院にでも行ってるのかな。体調が良くならないから診てもらってるとか」

 

 夏の強い西日に照らされて、那月の額から汗が垂れた。このまま待っていても、いつ帰ってくるかも知れない。

 

 夜にでも電話してみよう――そう考えて、那月は家路についた。

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

 魔女や使い魔は、日が暮れてから活動することが多い。夜を好むのは陽の光を嫌うせいか、月の輝きに導かれるのか、とにかく昼間は住処(魔女の結界)に隠れ、夜になると獲物を探して彷徨い始める。

 

「おかげで学校と魔法少女の両立ができるわけだけど」

 

 昼間は学校があるから、魔女を探している暇はない。

 

「もし魔女が夜行性じゃなかったら、私たちは魔法少女なんてやってられないもんね」

 

 自宅で夕食を済ませた那月は、部屋のドアに『勉強中! 声掛けないで』のプレートを付けて出かけていた。魔力の波動を辿り、魔女や使い魔を探すパトロール。

 

 那月の足は自然と柚葉の家に向かっていた。

 

 学校帰りに寄った柚葉の家は、誰もいなかった。病院にでも行っているのかと思ったが、夜になって電話をかけても『誰も出ない』のでは、心配になって仕方がない。

 

 いや、電話に出ないからといって柚葉の体調がどうだというのは分からないけれど

 

「様子を見るだけでも行ってみよう」

 

 見に行ったからどうなるわけではないし、こんな時間に押し掛けるつもりもないけれど、せめて部屋に明かりが点いているのでも確認すれば安心できるかもしれない。

 

 右手にソウルジェムをちょこんと乗せて、魔力の波動を探りながら那月は歩く。柚葉が心配だから見に行く、ついでに魔女探しのパトロールなら無駄足にはならない。

 

 夜道を照らす街灯をくぐり、ひと気の少ない住宅街を進む。遊歩道を過ぎて並木道が開けたところで

 

「こんな時間に何をしているんだい?」

 

 那月のすぐ後ろから、喉を絞ったような声が聞こえた。声……というか、脳内に直接聞こえてくるこの精神感応(テレパシー)は

 

「ああ、キュゥべえ」

 

 このところめっきり姿を見ていなかったキュゥべえだった。

 

「久しぶりだね、那月。パトロールとは珍しいじゃないか」

 

「って、アンタこそ今まで何してたのよ」

 

 弥生ちゃんの一件以来、顔を合わせることがなかったが、そういえば「あの時はちょっと険悪なムードだったんだよね」と那月は思い出した。キュゥべえの言葉に我を失い、蒼ユリに斬りかかるなんて『暴挙』に出たわけだが

 

「僕という個体は君の前にだけいるわけじゃないからね、それぞれ役割はあるんだ。それよりも、しばらく見ないうちにずいぶんと成長したじゃないか」

 

 あの時のことをまったく気にしていないかのように、のらりくらりと、わけのわからないことを言ってきた。

 

「私は何も変わってないわよ」

 

「そうかい? 僕らは魔女を見つけることはできないけど、君たちの魂を覗くことはできるんだ。君の魂は『魔法少女として』だいぶ成長しているように見えるけどね」

 

 コイツは相変わらず言葉が足りない。「魔法少女として成長した」っていうのは、魔力が強くなったってこと? それとも「刻々と魔女に近づいている」ってこと?

 

 キュゥべえの真意を図りかねる那月は、心の中で呟いた。そんな那月の考えを知ってか知らずか、いや、そんなことはどうでもいいという感じでキュゥべえは

 

「まあ、それはいいとして……」

 

 小さな四肢を繰り出すと、那月の横に並んで歩き出した。それから赤い瞳で那月を見上げ

 

「君にひとつ、知らせておくことがあるんだ。ここで会えたのはちょうど良かったよ」

 

 感情の起伏がないままに、勝手に話を続けてくる。

 

「これまでこの街には、君以外に魔法少女はいなかった。けれど今日、新しい子と契約をしてきたんだ。それを君に伝えておこうと思ってね」

 

「へえ……」

 

 那月は素っ気ない返事をした。

 

 コイツが誰と契約をしようが関係ない。見滝原にだって蒼ユリや左苗ミコがいるんだから、他に何人の魔法少女がいてもおかしくないんだから。

 

「本来なら、同じテリトリーに魔法少女はふたりもいらないんだけどね。ここは大きな街ではないし、魔力の維持に必要なグリーフシードだってたくさん手に入るわけじゃない」

 

「じゃあ、どうして新しい魔法少女の契約をしたのよ」

 

「本人が望むなら、それを叶えるのが僕らの役目だからね。もともと素質はあった子だけど、なかなか『うん』と言ってもらえなかった。彼女に何か心境の変化があったんだろう」

 

 だから、どうしてわざわざ私に報告してくるんだろう。新しい魔法少女がいたって、別に仲良くしなきゃいけないわけじゃないでしょ?

 

「それで、私にどうしろっての? 新人さんの教育係にでもなれって?」

 

 住宅街の十字路を曲がると、立ち並ぶ長い塀が見えてきた。そこには市内でも有数の豪邸、宝条家の敷地が広がっている。

 

「さすがに勘がいいね。なり立ての子は魔女に負けてしまうこともあるんだ。魔法少女は、魔力の使い方を覚えるまでは弱い存在なんだよ。君のように才能ある子は多くない。だからしばらくの間は、君に面倒を見てもらおうと思うんだ」

 

「悪いんだけど、私も暇じゃないのよね」

 

 那月は立ち止まると、塀の向こうに視線を上げた。高い塀に囲まれているので敷地の中は見えない。内側にある大きな木が、上半身だけその姿を覗かせていた。

 

「まあ、無理強いはしないよ。魔法少女同士は協力し合う関係ではないからね。ただひとつ付け加えておくとしたら、その子は君のよく知っている子なんだ。そのうち出会うこともあるだろうから、その時に考えてくれればいい」

 

「え?」

 

 振り返ったところに、キュゥべえはもういなかった。脳内に直接聞こえてくるテレパシーを置いて、魔法の使者はどこかへ行ってしまったようだった。

 

「私の知っている子って……」

 

 もう一度、広大な敷地に向き直った那月の前には

 

『宝条』

 

 と仰々しく書かれた表札が掲げられていた。

 

 

 

 まさか、柚葉が?

 

 那月はすぐに魔法少女に姿を変えると、高い塀に飛び乗り、そのまま一気に跳躍すると家屋の屋根上に着地した。ちょうど柚葉の部屋の真上、敷き詰められた屋根瓦を音もなく歩き、足元を見下ろしたところで

 

「――――!」

 

 ベランダから遠くを見つめる柚葉がいた。両手を欄干に置き、静かに夜空を向こうを見つめている。

 

 那月は息を殺し、その手を見ると

 

(ない……。ソウルジェムは、ない)

 

 魔法少女が身につけているはずのソウルジェム、それを指輪型にしたものは柚葉の指には付いていなかった。

 

(ということは、柚葉じゃないんだ)

 

 柚葉の家の前でキュゥべえから告げられた「君のよく知っている子だ」という言葉から

 

『今ここで、ここに住む子と魔法少女の契約をしてきた』

 

 のかと勘違いした――いや、勘違いさせられたが、柚葉ではない。もしここに魔法少女に『なり立て』の子がいたとしたら

 

(私もそうだったけど、きっと一晩中ソウルジェムを眺めている)

 

 が、柚葉はただ黙って遠くを見つめているだけだった。

 

 よかった、というべきなのだろうか。少し残念というべきなのだろうか。

 

 もし柚葉が私と同じ魔法少女に『なってしまったら』……

 

「この先ずっと、命を危険に晒すことになっちゃうんだよ?」

 

 でも、もし柚葉が私と同じ魔法少女に『なってくれていたら』……

 

「私も魔法少女だって、すんなり言えるんだろうな」

 

 安心したような、ガッカリしたような、どちらの気持ちもあって、どちらの気持ちもない。とにかく柚葉が家にいて、ベランダに出ているということは重篤な様子でもないことが分かった。それだけで少し、肩の荷がおりたような気がした。

 

 那月は「ふうっ」と安堵のため息を漏らしてから、音もなく飛び上がった。家屋の裏手側にあたる塀に着地すると、魔法少女の姿を解き

 

「明日は学校に来てね、柚葉」

 

 と、小さく声を向けた。

 

 もちろん、ここからでは柚葉の姿は見えない。家屋の反対側にあるベランダには声も届かない。ただ、明日こそは柚葉にちゃんと話をしよう、と心に決めた。

 

 

 

 

 その時、背後に気配を感じた。

 

「誰!?」

 

 道路の先、街灯が照らす薄明かりの向こう。これは通りかかる人の気配か、はたまた犬や猫の気配か。

 

 いや、違う。

 

 微弱だが、邪悪な魔力の波動を感じる。魔女――というには弱々しい、小さな魔力。どこぞの使い魔でもうろついているのか。

 

 那月は街灯の先の暗がりに目を凝らした。

 

「何かいる……」

 

 薄暗い夜道に黒っぽいモコモコしたものが動いた。動物のようにも見えるその体は、大きな綿あめのようにフワフワと、モコモコとしていて、短い脚を繰り出しながらピョコピョコと跳ねている。

 

 ずんぐりむっくりとした、羊のような

 

「使い魔だ」

 

 街灯の明かりに入ったそいつには、赤い頭からペロンと舌を出すのが見えた。

 

「こんなところに使い魔が一匹だけ? 魔女の結界も見当たらなければ、魔力の波動も感じなかったのに……」

 

 羊の使い魔は那月の存在に気付いていないのか、道にでも迷ったようにウロウロしていた。街灯の奥に消えたと思ったら、また明かりの下に来てキョロキョロと辺りを見回している。

 

「なんか、すごく弱そうなヤツだけど」

 

 あんな弱そうなヤツでも、放っておけばやがて魔女に成長する。普通の人間には見えない存在だが、もし誰かが通りかかって餌食にでもされないように

 

「退治しておくか」

 

 まるで家の中に現れた害虫を駆除する、そんな程度にしか聞こえないセリフを吐いた。

 

 那月は再び魔法少女に姿を変えようと、ソウルジェムを手にしたところで

 

「?」

 

 街灯の陰から、何かが出てきた。それは大きな刃物で、音もなく、気配もなく、スッと風を斬るように使い魔の真上から刃が落ちた。

 

 赤黒い偃月(えんげつ)――半月よりも細い、三日月のような形の大きな刃が、一瞬で使い魔を狩り取った。偃月の刃にからめとられた使い魔は水風船が破裂したように弾け、そのまま萎んで消えてしまった。

 

 那月にはその刃しか見えなかった。まるで暗がりの異次元から刃だけが伸びてきたように、使い魔が狩り取られた。

 

 そして偃月の刃は再び暗がりの中に戻っていく。

 

 音もなく、気配もなく。

 

 刃の先が暗闇の中に消えようとしたとき

 

「待ちなさいよ」

 

 那月は塀から飛び降り、道路の真ん中に立ちあがって呼び止めた。

 

 刃の切っ先がピクっと、あたかも電気に打たれたように一瞬だけ、小さく動く。

 

「アンタもしかして、キュゥべえの言っていた『新しい魔法少女』なの?」

 

 返事はない。

 

「心配しなくていいわよ、私も同じだから」

 

 偃月の刃は動かない。切っ先だけがわずかに見えたまま、那月の様子を窺うように固まっている。

 

「それにしても、陰(かげ)に隠れて使い魔を狩るなんて、ずいぶんと陰気なことしてるじゃない。それがアンタの戦い方っていうんなら何も言わないけどね」

 

 那月は別に、挑発しているわけではなかった。

 

 ただ、さっきのキュゥべえが言っていた『新しい魔法少女』に少し興味はあるし、『自分のよく知っている子』ならばそれが誰なのかも気になる。

 

「出てらっしゃいよ。アンタ、私のこと知ってるんでしょ?」

 

 と、優しく諭すように言った。

 

 那月にしてみれば、同じ魔法少女として初めての後輩になるわけだ。といっても、那月も魔法少女歴は三か月ちょっと。やっと初心者マークが取れた程度だが。

 

「別にアンタの獲物にちょっかい出そうってわけじゃないわよ。私たちは協力しあう関係じゃないらしいけど、かといって敵対することもないでしょ?」

 

 しかし、偃月の持ち主は姿を見せようとはしなかった。代わりに切っ先をちょこんと、まるで初対面の挨拶でお辞儀をするように軽く垂らすと、静かに闇の中に消えていった。

 

「あっ」

 

 那月は急いで駆け寄るが、街灯の陰にその姿はない。支柱に隠れているのでもなく、忽然と姿を消していた。

 

 姿を見せず、偃月の刃で使い魔を狩り取った……そう、あれは魔法少女だ。キュゥべえは「君のよく知っている子」と言っていたが、それにしては正体を隠しているような感じがする。相手は那月の存在に気付き、那月だと分かっているはずなのに

 

「知られたくないから出てこなかったのかな」

 

 それとも、何か隠れる理由があるのか。

 

 那月は辺りを見回してから、重厚に連なる塀の向こうに目を向けた。

 

 キュゥべえが新たに契約した魔法少女が、

 

 陰から偃月を伸ばしで使い魔を狩った。

 

 ここは柚葉の家の前。

 

 ――その子は君のよく知っている子なんだ

 

「まさか、そんなはずないわよね」

 

 蒸し暑い七月の夜。ひと気のない道に、じっとりとまとわりつくような風が吹き抜けていた。

 

 

 

続く



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第十六話 ともだち(beste Freundin)

「実は私、魔法少女やってます」

 

「は?」

 

 翌日の放課後、ここは学校の屋上。

 

 那月は壮絶なカミングアウトを、ど真ん中に直球でズバっと投げ込んだ。

 

「だから私ね、魔法少女なの。キュゥべえっていう変な生き物と契約して、魔女と戦うことになっちゃったの」

 

 那月の表情は真剣そのもの。上半身を前のめりにし、柚葉の顔を覗き込むように語り続ける。

 

「どんな願いもひとつだけ叶う代わりに、魔法少女になって魔女と戦わないといけないの」

 

 柚葉は片足を一歩引いて、口を歪めている。そんな柚葉に詰め寄るように、那月はさらに続けた。

 

「魔女っていうのは異形の姿をした化け物で、普通の人間には見えないんだけど、呪いを振り撒いて人間を殺そうとしているの」

 

 身振り手振りを交えて、魔女の姿を伝える。

 

「魔女を倒すとグリーフシードっていうのが貰えるんだけど、それでソウルジェムの穢れを癒す……っていうか、つまり回復しないと私も死んじゃうの」

 

 那月の言葉はさらに熱を帯び、感情たっぷりに話し続ける。

 

「でね、この間のプールの帰りにも魔女が出てきちゃって、その時は他の魔法少女が助けてくれたんだけど……柚葉も見てたでしょ? 知らない子が飛んだり跳ねたりして、魔女を退治するところ」

 

 見滝原プールの帰りは柚葉も一緒だったので、蒼ユリが魔女を退治するところを見ていた。

 

「だからね、その……」

 

 ひと通り済ませたところで、那月は言葉を詰まらせた。目を伏せると萎んだように俯いて、ウジウジと『らしくない』姿を見せた。

 

 言ってみれば、ここまでの話はただの説明であって、本当に伝えたいのはそんなことじゃないんだよね。

 

 柚葉は黙っていた。何も言わず、黙って次の言葉を待っていた。

 

「今まで隠してて、ごめん」

 

 ようやく『本当に言いたかった言葉』が、那月の心の底からしぼり出された。魔法少女うんぬんとか、魔女と戦ってどうのとか、そんなことは結果の話であって、今日この壮絶なカミングアウトの前置きでしかない。

 

 今まで伝えられなかった、話さなければならなかった、本当に言いたかった言葉が言えた。

 

 ほんの少しの沈黙をおいて、柚葉が答える。

 

「何を言い出すかと思ったら『私、魔法少女です』って……那月さんの頭には、お花でも咲いてるのかな」

 

「いや、だから……」

 

「願いを叶えて魔女を退治する? 呪いで人間が殺される? ソウルフードで回復する?」

 

「あの、柚葉さん? ひとつだけ伝統料理の話になっちゃってる」

 

「うんうん、そういうアニメ観てたことあるよ、小さい頃に」

 

「アニメみたいだけど、現実なんだってば」

 

 いろいろと突っ込みどころを突っ込まれてみると、自分がどれだけ恥ずかしいことを言っているのか気付かされる。

 

 柚葉は腕を組み、少しだけ首を傾げると

 

「で?」

 

 追い打ちをかけるように迫ってきた。

 

 そんな「で?」って言われても、ここまで正直に話してしまったんだから、もう後には退けないよ。

 

 困った顔をするしかできない那月に、柚葉はもうひとつ言葉を繋げた。

 

「今までの那月と何が違うの?」

 

「何が違うって言われても……魂をソウルジェムに預けてるから肉体は不死のゾンビみたいなもので、でも魔女との戦いに負けたら命がないっていうか……」

 

「そうじゃなくて」

 

「そうじゃない? えっと……何だろ…………結局私は私のままだから、何が変わったっていうわけじゃなくて……」

 

「そう!」

 

 柚葉は「それ!」と言わんばかりに那月を指差した。人差し指をビシッと向けて、那月の心を差すように

 

「那月は那月なんでしょ? 北夜見中学の二年生で、勉強も運動も得意で、胸はペタンコな魔法少女ってことなんでしょ?」

 

 ちょっと柚葉さん、今ここで「ペタンコ」は関係ないのでは……?

 

 苦笑する那月に、柚葉が一歩近づく。伸ばした指先が那月の鼻を突っつき、鼻先をプニっと潰して

 

「つまり御上那月は、魔法少女だけど御上那月。中学二年にもなって魔法とか魔女とか子供っぽいこと言って、甘いものと可愛いロリっ子が大好きで、胸がペタンコなことを気にしてて、大事な話を隠してて、素直なんだかひねくれてるのか分からなくて……」

 

 ちょっと柚葉さん、この期に及んで言いたいことが出てくる出てくる……

 

 鼻先を押し込まれたまま、那月は冷や汗を流した。言われるがままだけど、ひとつも間違っていないから言い返せない。

 

 でも――と、柚葉は言いたいことをそこで止めると

 

「あたしの友達の、御上那月なんでしょ?」

 

「とも……だち……?」

 

「そ、友達。もっと親しく言うなら親友。アンタはあたしの友達で、親友で、ついでに魔法少女だったってことでしょ?」

 

「ま、まあそうだけど……」

 

 柚葉は指先をチョンと押し込んだ。鼻先を潰された那月は両手で鼻をおさえ「あうっ!」とよろめく。そんな那月に背を向けた柚葉は

 

「じゃ、今までと大して違わないってことだね」

 

 あっけらかんと言った。後ろに手を組んで、サラサラの長い髪をなびかせながら

 

「魔法少女になろうが、那月は那月なんだよ。……ったく、何を隠しているのかと思ったらそんな事だったんだもんな~」

 

「そ、そんなことって……一緒にいると柚葉だって危ない目に遭うかもしれないんだよ? 私だって命の保証はないんだし……」

 

 なんとも楽観的なことを言う柚葉に、那月は必死で「魔法少女は危険なんだよ」とアピールする。現に、見滝原プールの帰りは魔女に襲われているわけだし、この先同じ目に遭うことだってあり得るわけだ。

 

「その時は、那月があたしを守ってくれるんでしょ?」

 

「そりゃ、もちろんそうだけど……」

 

「魔女が出てきたら、那月がやっつけてくれるんでしょ?」

 

「それが私の役目だから……」

 

「ということは、何も心配はいらないと」

 

 柚葉は背を向けたまま、金網のフェンスに手をかけた。

 

「ねえ那月。誰にでも、他人には言えない秘密はあるじゃん。あたしだって隠し事のひとつやふたつはあるしね」

 

 背中で語る柚葉に、那月は無言でうなずく。

 

「だけどね、そういう秘密は『他人には見えないもの』だから秘密っていうんだよ。隠せなかったら秘密じゃないし、嘘をついて隠そうとしたら相手を傷つけるだけ。それが親しい相手なら、なおさらね」

 

「ご、ごめん」

 

 柚葉の言うことはもっともだ。

 

「どうせアンタのことだから『心配させたくない』とか思ってたんだろうけどさ、知らずに心配してるより、知ってて心配してるほうがよっぽど楽だと思わない?」

 

 命を危険に晒すのなら余計に、だ。

 

「でも、アンタはちゃんと話してくれた。普通だったら恥ずかしくて言えないような話なのにね」

 

「信じて、くれるの?」

 

「そりゃ信じるしかないでしょ。見滝原の帰りに見たのは衝撃だったからね」

 

 たしかに、あの時見たのは『信じられない』ほど衝撃的な出来事だった。信じられないものを実際に見たのだから『信じざるを得ない』んだ。

 

 でも、柚葉はそうは言わなかった。

 

「ま、あんなのを見たかどうかじゃなくてさ。アンタが必死で話してくれたんなら、例えそれが魔女でも魔法少女でも、天変地異でも世界の終わりでも、それを信じるのが親友じゃない?」

 

「柚葉……」

 

「そう。例えば、那月のおっぱいがあたしよりも大きくなりました――って言っても、アンタが本気で話してくれたらあたしは信じるよ」

 

「柚葉……さん!?」

 

 キャハハっと笑う柚葉。例え話が現実的じゃないんですけど?

 

 まあ、魔女や魔法少女だって似たようなものか。現実的じゃない。現実的じゃないけど、柚葉は『実際に見たもの』よりも私の話を信じてくれた。そして

 

「命が危険だなんて言われたら、それはすごい心配だけどさ……あたしはアンタを信じるんだよ。大丈夫、那月なら大丈夫……ってね」

 

 その言葉に、那月は体の奥から熱いものがこみ上げた。頬が紅潮し、鼻の中がむず痒くなり、胸がいっぱいだった。

 

 ああ、この子が柚葉でよかった。柚葉に会えてよかった。柚葉に言えてよかった。

 

「……うん」

 

 そしてただひと言、そう頷いた。

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

 その夜、那月は「できるだけ日課にしよう」と決めたパトロールに出掛けた。

 

 魔女探しは、基本的に足頼み。どこに潜んでいるか分からない魔女を探すには、歩いて歩いて魔力の波動を探っていく。ソウルジェムで魔力探知できるのは限られた範囲なので、魔女や魔女の結界に近づかなければならない。

 

 魔力探知に秀でている左苗ミコは数キロメートル離れた魔女を見つけられるが、那月が探知できる魔力の波動は二百メートルがせいぜいだった。

 

 だから歩く。

 

 魔女がどこにいるか、見当がつくものではない。いやそれよりも、いるのかいないのかすら分からない魔女を探すのは骨が折れる。

 

 とはいえ、今夜はただ闇雲に探すのではなかった。

 

 昨夜、柚葉の家から出てきた時に見かけたヘンテコな使い魔。あの時、魔力の波動は感じなかったが、使い魔がいたということは近くに魔女の結界があるのかもしれない。

 

 当てもなく探すよりは、確実にいる(いた)場所を探したほうが効率はいいだろう。仮に、あの近くに魔女の結界があったとしたら、柚葉の身に危険が迫る可能性もあるわけだ。

 

 それに

 

 ――あの時の魔法少女

 

 闇の中から偃月(えんげつ)の刃で使い魔を狩り、闇に消えた魔法少女。もしあの少女が魔女の痕跡を探してあの場に現れたのなら、近くに魔女の結界がある可能性は高い。

 

「とにかく今日は、柚葉の家の周りを調べてみよう」

 

 もしあの辺りに魔女の結界があるのなら、また柚葉が狙われてしまうかもしれない。

 

「柚葉も弥生ちゃんと同じで『魔女を引き寄せる体質』だったりして」

 

 なんて、楽観的に言えることじゃないんだけどね。

 

 

「ま、またいる……」

 

 昨夜と同じ場所。高い塀が立ち並ぶ道端に街灯が灯っている、その街灯の支柱の脇に、昨夜と同じ使い魔がいた。

 

 大きな綿あめのようにフワフワと、モコモコとしていて、短い脚を繰り出しながらピョコピョコと跳ねている。ずんぐりむっくりとした、羊のような使い魔。

 

 相変わらず道にでも迷ったようにウロウロしながら、支柱の奥に隠れたり出たりしていた。

 

 ――ということは

 

 ここまでまったく同じシチュエーションが重なると、もうひとつも期待してしまうというか……

 

「あの陰から昨日の魔法少女が出てきたりして」

 

 那月は街灯の奥をじっと見つめる。辺りには通りかかる人もいなければ、人影もない。

 

 細い街灯の支柱に人が隠れることはできないはず。

 

 羊の使い魔が陰に入ると、その姿が少し隠れる。

 

 クルリと反転した使い魔がピョコンと跳ねる。フワフワモコモコの身体が明かりに照らされた時、まるで昨日の出来事を再現しているかのように、使い魔の後ろから偃月の刃が伸びてきた。

 

「いた!」

 

 支柱の陰から赤黒い刃が現れたのを、那月はジッと目を凝らしながら近づいた。

 

 街灯はもう目と鼻の先だ。人の顔よりも細い支柱の向こうには誰もいない。見えているのは刃だけ。よく見ると、赤黒いそれは大きな鎌の刃のようだった。

 

 鎌といっても、草刈りに使うような農機具ではない。生き物を丸ごとぶった斬るような巨大な刀身は、まるで血に染まったかのような深く濃い赤色。鮮やかな赤というよりは、黒みの強い深緋(こきあけ)色だった。

 

 背筋の寒くなるような不気味な刃が、ゆっくりと振りかぶられ

 

「――――っ!」

 

 音もなく振り下ろされた。

 

 使い魔はパツン! と弾け、あっという間に萎んで消える。そうして使い魔を狩り取った大鎌の刃は、またゆっくりと陰の中に戻っていった。

 

 何もかもが昨夜と同じ。だが

 

「ちょっと待って!」

 

 那月はすぐに走り寄り、街灯の向こうに回り込んだ。そこに見えたのは、立ち並ぶ塀にあるヒビ割れ、その継ぎ目に消えていく大鎌の刃。まるで塀の向こう側から刃が貫通していて、それが中に戻っていくような光景だった。

 

 とはいっても、本当に貫通しているわけではない。塀にあるヒビ割れなんてのは些細なもので、とても大鎌の刃を出し入れできるような隙間はない。ヒビ割れの隙間から刃を通そうなんて無理な話だし、そんなことをしたら塀が割れるか刃が引っかかるか、とにかく物理的に不可能だ。

 

 しかし大鎌の刃はヒビ割れの隙間にスッと消えていった。

 

 そんな、ほんの一瞬の出来事。

 

 姿も見えなければ、そこにいた痕跡もなかった。

 

 那月は塀のヒビに手を当てた。ほんの少しのヒビ割れが塀の至ることろに付いている、その中のひとつ。こんなところから大鎌の刃を出し入れするなんて

 

「まるで異空間から刃が伸びてきたみたい」

 

 辺りを見回してみても、それらしき人影は見当たらない。塀の向こう側にも気配はないし、どうやら今夜も逃してしまったらしい。

 

「きっと新しい魔法少女なんだろうけど……それにしても陰気なことするわよね」

 

 声をかけても姿を見せようとしないのは、まるで那月を避けているようにも思える。ただ、使い魔を狩っているのだから魔法少女なのだろうけど。

 

 それよりも、使い魔がウロついているんだから、やっぱり魔女の結界が近くにあるのかもしれない。

 

 謎の魔法少女はとりあえず保留だ。昨夜に続いて今夜も使い魔が現れたんだから、そっちを先になんとかしないと。

 

「よりにもよって柚葉の家の目の前だし」

 

 那月はそう言ってソウルジェムを取り出すと、魔力探知を始めた。

 

 青紫色のジェムが静かに、ゆっくりとまたたく。魔力の波動に反応し、塀づたいの先に何かを探知した。

 

「やっぱり! 近くにいるんだ」

 

 ソウルジェムが射し示すのは、柚葉の家とは違った方向だった。那月は内心「家の中に結界ができていたらどうしよう」と考えていたが、ジェムの光はそれとは別の方へと向けられていた。

 

「こっちか」

 

 那月は塀に沿って歩き出す。ソウルジェムが探知するのは、魔女が放つ特殊な魔力の波動。魔力探知に慣れていない那月の探知能力では、方向と大まかな距離感くらいしか分からなかった。

 

 五十メートルほど歩いただろうか。住宅街の十字路にさしかかると、魔力を探知する光の向きが那月から見て左側へと変わった。そこは柚葉の家の塀も、直角に左側へと折れ曲がっている。

 

 那月は十字路を左に曲がり、ジェムの指し示す方へと歩いた。柚葉の家を左側に見ながら、ソウルジェムの光が示す方へと進む。

 

 柚葉の家を通り過ぎて、また十字路に差し掛かると

 

「あれ? また左側に向いてきた?」

 

 おかしなことに、ジェムが示す方向が一定じゃない。那月の魔力探知に反応する距離にあるのは間違いないのだが、光の示す方へと進むとまた方向が変わっていた。

 

「どういうこと?」

 

 那月は足を速めた。ソウルジェムが示す先へと小走りに進み、また十字路に差し掛かると向きが左へと変わる。

 

 柚葉の家がある辺り一帯をグルリと一周すると、再び街灯の元へと戻ってきてしまった。

 

「まるで柚葉の家を取り囲んでいるみたい……」

 

 魔力の波動がある場所へと近づけばソウルジェムは光を強めるのだが、那月の手にある青紫色の光はぼんやりと朧に揺れるだけ。近づこうとも距離が縮まらず、追いかけても届かない空の星のように、いつまでも遠くに感じられた。

 

 高い塀の前で、さっきの街灯がしんみりと道路を照らしている。

 

 その支柱の向こうに、羊の使い魔が顔を出した。

 

「また……同じ光景?」

 

 わけがわからなかった。

 

 近くに魔女の結界があるはずなのに、ソウルジェムの探知では見つけられない。それどころか、また同じ場所で同じ場面に遭遇してしまった。

 

 さっきと同じ使い魔が出てくれば、それを狩る者が現れる。

 

 街灯の向こうから偃月の刃が伸びて、使い魔を狩り取った。

 

 そして深緋色の刃は陰の中に消えていく。

 

 同じことが繰り返される。

 

 これは夢でも見ているのか。

 

 これは現実なのか。

 

「ちょっと……恐くなってきた」

 

 使い魔や魔女は恐くないが、何が起きているのか分からないこの状況は恐怖だ。おかしな現象がループして、まるで抜け出せない迷路に迷い込んでしまったようだった。出口の見えない暗闇の中で、正体の見えない影を追いかけているようだった。

 

「よし、もう一度だけ魔力の波動を辿ってみよう。ただし……」

 

 那月は落ちている小石を拾うと、塀の壁面に小さく『☆』のマークを刻んだ。

 

「これでまた戻ってきて、もしマークが残ってれば私の魔力探知がおかしいだけかもしれないよね。でも、もしマークが残ってなかったら……」

 

 それはそれで、すごく恐い。

 

 那月は自分の想像に自分でゾッとしてから、再び塀に沿って魔力の波動を追っていった。

 

 

 

続く



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第十七話 夢現(ゆめうつつ)

 那月はもう一度、ソウルジェムの光を辿って魔力の波動を追った。

 

 朧に揺れるジェムの光は、またしても左へ、左へと逸れていく。

 

 十字路を左に曲がり、また次の十字路を左へ。

 

「さっきと同じ。なんかこういうのって、どんなに走っても辿り着けない、ぼやけた夢を見ているみたい」

 

 みっつ目の十字路を左に曲がると、街灯が照らす場所に戻ってきた。

 

 するとまたも羊の使い魔がいて、その後ろから深緋(こきあけ)色の刃が伸び、音もなく使い魔を狩り、また塀の中に消えていく。

 

 ここまでは予想どおり。

 

 問題は、街灯脇の塀に書いた『☆』マークだ。

 

 那月は急いで駆け寄り、街灯の支柱を抱くようにして塀を覗き込むと

 

「ない……」

 

 そこにマークはなかった。書いた痕跡も、傷跡も、何もない。

 

 那月は異様な緊張感に襲われた。

 

 使い魔がいて、魔法少女が狩って、それを見ていた自分。

 

 グルリと回って戻ってくると、同じことがそっくりそのまま繰り返される。

 

 同じことを繰り返しているのは、使い魔と深緋の刃なのか。

 

 それとも自分なのか。

 

 これは夢なのか、現実なのか。

 

「まさか、もう魔女の結界に引き込まれてるの?」

 

 辺りに人影はなく、ムシムシした弱い風に「ジーーーー」と虫の鳴き声が乗ってくる。魔女の結界独特のおどろおどろしさというか、魔女の心象を投影したようなコラージュ風景は見られない。

 

 そこはいつもの北夜見市の、見慣れた柚葉の家の前だった。

 

 那月は深呼吸をひとつすると、ソウルジェムを強く握った。

 

 同じことを繰り返しているのに、塀に付けたマークが消えている……ということは『同じ時間を繰り返している』のか。それにしては『時間が過ぎている感覚』はある。

 

 何か、おかしい。

 

 その時、どこからか声が聞こえた。

 

「落ち着いてください」

 

「――――!」

 

 しっとりとした、大人の女性の声。

 

「ここはすでに魔女のテリトリーです。見た目は現実世界そのものですが、起きていることは夢現(ゆめうつつ)。ぼんやりと、ぼやけた感覚があるでしょう?」

 

 これは……

 

「声じゃない! テレパシーだ!」

 

 那月の頭の中に直接聞こえてくるのは、魔力を介して伝わってくる精神感応(テレパシー)だった。

 

「これは夢であり、現実でもあります。見えないものが見え、見えるものが見えない魔女の結界」

 

 この声はどこかで聞いたことがある。が、誰かに似ているようで誰にも似ていない、思い出せそうで思い出せない声だった。

 

 那月は声の主を探して辺りを見回す。道の先、向かいの家、街灯の陰。しかし右にも左にも、見上げた先にも、人の姿はなかった。

 

 声の主は続ける。

 

「もうすぐ、あの人を宿主としてグリーフシードが孵化します。魔女が、産まれようとしています」

 

「宿主? あの人? 誰のことを言っているの!?」

 

「この家に住む、宝条柚葉さんです」

 

 声、がした。テレパシーではなく、大人の女性の肉声。

 

 ハッと振り返ると、街灯の下に赤黒いローブを着た女性が立っていた。

 

「宝条柚葉……彼女はグリーフシードを長く持ち過ぎました。あの時拾ったものを持ち帰っていたのです」

 

「柚葉が? あの時? どういうことよ!?」

 

 ローブを着た女性はスラっと背が高く、しかしフードで顔を隠していた。中世ゴシックのような真っ黒いローブには、ところどころに偃月の刃と同じ色のラインが入っている。ふくよかな胸、腰のくびれは引き締まり、凹凸のある身体の曲線美が浮き出ていた。

 

 そしてその手には、背丈と同じくらい大きな鎌――深緋色の刃が不気味に伸びる、まるで死神が持つ大鎌のようなものを持っていた。

 

「グリーフシードは負の感情を吸い上げ、再び魔女へと成長しました。あと一日早ければ孵化を止められたのですが……」

 

 大きなフードで目を隠し、口元だけを見せて静かに語る女性……いや、魔法少女か。

 

 少女と呼ぶにはあまりに大人びているが、胸元のネックレスに光る逆五角形のソウルジェムがその証だった。

 

 見たこともない女性。この人がキュゥべえが新たに契約したと言う魔法少女――?

 

 しかしその姿は、那月には見覚えがなかった。

 

「ちょっとアンタ、さっきから言ってることがよく分からないわ。あの時って何? 柚葉がグリーフシードを持っているってどういうこと?」

 

「詳しい説明は歩きながらにしましょう。急がないと間に合わなくなります」

 

 ローブの魔法少女は、那月を誘う(いざなう)ように歩き出した。

 

 高く連なる塀に沿って、これまで那月が何度も辿った道を進んでいく。那月は半信半疑のまま付き従った。

 

 宝条家の塀が折れ曲がる十字路を左へ――曲がるとすぐに、ローブの魔法少女が静かに語り出した。

 

「この魔女は孵化していないので、私たちに危害を加えることはありません。弱い使い魔を産み出しているだけです。……今は、まだ」

 

「アンタさっき、柚葉がグリーフシードを持っているって言ったわよね。あの時、拾ったって……」

 

「ええ。あなたの気付かないところで手に入れてしまいました。それがとても恐ろしいものだとも知らずに」

 

「いつ? どこで?」

 

「二日前の、見滝原市です」

 

「それって……見滝原マジカルラグーンのこと!? もしかして、帰り道に現れた魔女喰い……!」

 

 語気を強める那月の前で、ローブの魔法少女は淡々と答える。

 

「あの時、蒼ユリが退治したのは魔女喰いでした。魔女喰いは複数の魔女の集合体ですから、いくつかのグリーフシードを宿しています」

 

「でもあれは、アイツがトドメを刺して……グリーフシードも粉々になったはずじゃ……」

 

「ひとつは『魔女殺しの槍』によって砕かれました。が、もうひとつの行方にあなたは気付いていなかったのです」

 

「もうひとつ……?」

 

「宝条柚葉はそれを拾い、持ち帰ってしまいました。グリーフシードは彼女の『負の感情』を吸い上げ、魔女へと成長した。つまりこれから私たちが退治するのは、柚葉さんが産み出した魔女なのです」

 

「柚葉が魔女を……産み出した?」

 

 ローブの魔法少女はふたつ目の十字路で立ち止まった。それからゆっくりと周囲を見渡し、また左へ曲がって歩き出す。

 

「いま私たちがいる魔女の結界は、夢と現実の区別が曖昧な場所。見えないものが見え、見えるものが見えない、夢現(ゆめうつつ)の世界」

 

 すべてを知る語り部のように、ローブの魔法少女は続けた。

 

「昨夜、あなたが見ていたのは本当の私の姿です。が、先程あなたが見ていたのは私の姿ではありません」

 

 ついさっき那月が見た『羊の使い魔を狩る大鎌』は、見えないものが見えていたのだ――と言う。

 

「あなたが描いた『☆』マーク。あれは消えてしまったのではなく、時間が逆行しているのでもありません」

 

 街灯の脇に残したマークが消えていたのは、見えるはずのものが見えていないのだ――と言う。

 

 そして、まるで現実世界のようなこの場所は……

 

「私たちには、この魔女の結界も見えていません」

 

 魔女を産み出した宝条柚葉が、夢と現実が曖昧な『魔女の結界』を構築してしまったのだ――と言った。

 

 みっつ目の十字路に差し掛かり、ふたりはまた左へと足を向けた。少し先にはあの街灯が灯っているのが見える。

 

 と、ローブの魔法少女がここで足を止めた。

 

「このまま魔女が孵化すれば、柚葉さんは魂を取り込まれてしまうでしょう」

 

「なっ……何でそれを早く言わないのよ!」

 

 キッと目を吊り上げた那月が、街灯の方へと走り出そうとした瞬間

 

「これが魔女のいる内層への入り口です」

 

 宝条家を囲う高い塀、その向かい側に……

 

「どうして!? 柚葉の家がもうひとつ……!?」

 

 道を境に宝条家の向かい側に、もうひとつの宝条家。まるで鏡に映ったように左右対称で、しかし紛れもない宝条家の佇まいがそこにあった。

 

「本来ならば見えないはずのものが見えました。気を付けてください。あの街灯から出てくる羊の使い魔を見たら、また夢現(ゆめうつつ)の世界に戻されてしまいます」

 

 羊を数えて夢に堕つ――夢現(ゆめうつつ)の世界を見せていたのはあの使い魔だった。

 

「さあ、行きましょう」

 

 ローブの魔法少女は静かに歩き出した。足音もなく、まるでこの魔法少女も夢なのかと思わせるほど儚い足取りで。

 

 那月は目を伏せ、街灯の方を見ないように進む。

 

「使い魔の足音が聞こえる……!」

 

「ええ、すぐそこにいます」

 

 街灯に背を向け、ふたりが立ち止まる。後ろでは羊の使い魔がヒョコヒョコを動いている気配が感じられた。

 

「大丈夫です。あの使い魔は襲っては来ません」

 

「どうして分かるのよ」

 

「これが……私が得た魔法少女としての能力ですから」

 

 ローブの魔法少女はそう言うと、街灯のちょうど真後ろにある塀に埋もれていた黒いシンボルに手をかざした。

 

 魔女の結界が口を開き、ふたりを異空間へと導く。

 

「アンタの能力?」

 

「私はキュゥべえに願いを告げ、その祈りによって未来を見る力を得ました」

 

 渦を巻くように空間が揺らめき、ふたりの視界がぼやけた。

 

「未来を……見る? アンタ一体、何を願ったの?」

 

「……みんなの幸せな未来が見たい、と」

 

「え? ちょっと、それって!」

 

 

 

 視界が開けた先は、魔女の結界。

 

 ここは柚葉の心象が投影された、夢現(ゆめうつつ)の世界。

 

 仄暗い空間にいくつもの階段が伸びていて、何匹もの羊の使い魔が駆け上がっていく。

 

 青白くぼんやりと光る、不思議な階段。そこは、まるで夢の中にいるような幻想的な空間だった。

 

「柚葉は? 柚葉はどこ?」

 

「ここは結界の内層部分です。柚葉さんはこのさらに奥、最深部で意識を眠らせています」

 

「夢を……見ているの?」

 

「夢と現(うつつ)の狭間で、あなたを待っているのです」

 

 結界の中にいくつも伸びている階段――ローブの魔法少女はそのひとつに足を乗せた。他の階段には目もくれず、まるでこの先に柚葉がいるのを確信しているかのように上り始めた。

 

「ねえアンタ、さっき魔法少女への願いは『みんなの幸せな未来が見たい』って言ってたわよね」

 

 那月はローブの魔法少女に続いて階段を上る。まぼろしのようにぼんやりと光る階段は意外としっかりとした造りだが、足音の響かない不思議な感触だった。

 

「ええ」

 

 階段の途中で、羊の使い魔を追い越した。モコモコとした毛をフワフワさせている、小さな羊。赤い頭からペロンと舌を出し、愛くるしい顔で那月たちを見ている。

 

 那月は視線を逸らし、羊の使い魔をやり過ごしてから言った。

 

「私の知っている子も、同じことを言っていたわ」

 

「きっとその子も、大好きな人の幸せを願いたかったんでしょう」

 

「アンタ、その子のこと知ってるの?」

 

「……ええ、知っています」

 

 長い階段は右へ、左へグルリと回り、時には上へ、下へとうねっていく。しかしどんなに身体が逆さまになっても、那月たちは落ちることはなかった。

 

 やがてまばゆい光とともに長い階段は終わりを告げる。

 

 視界が真っ白になり、あまりの眩しさに那月たちは目を閉じた。そして再び目を開けると……

 

「ここは……どこなの」

 

 地平線の彼方まで、色鮮やかな花畑が続く世界。

 

「ここが結界の最深部。柚葉さんの心の中、と言っていいかもしれません」

 

 澄み切った青空を草花のパステルカラーが彩る、広大な平原。まるでこの世の楽園のような美しい場所に那月は目を奪われた。

 

 淡い花びらが風に揺れ、甘い香りが漂う。

 

「この香り、どこかで――――――――!」

 

 那月が香りのする方へと振り向くと、真っ白なワンピースを着て長い髪をなびかせる

 

「柚葉!」

 

 宝条柚葉が立っていた。

 

 花のような甘い香りは、柚葉の部屋に香る、あの匂いだった。

 

 柚葉はその呼びかけに振り向こうとせず、足元の青草を踏みしめていた。

 

「こんなところで一体何を……?」

 

 那月が急いで駆け寄ろうとすると、ローブの魔法少女がそれを制した。

 

「近づいてはいけません。まだ魔女は孵化していませんが、この様子では……」

 

 その時、風が止み柚葉の髪が背中に垂れた。

 

「ああ、なんだか気分がいいや」

 

「――柚葉?」

 

 背を向けたままの柚葉が清々しい声を出した。

 

「那月もさ、ここで一緒に暮らそうよ。魔法少女なんて危ないことはやめてさ」

 

「何を……言っているの?」

 

「ここはツラいことも悲しいこともない世界なんだよ。人を疑うこともない、傷つくこともない、夢みたいな世界」

 

 そう言って、すぅーっと深呼吸をしてみせる。

 

 それから両手で空を仰ぐようにして

 

「見てよ那月、キレイでしょ? こんな素敵な景色がずっと、ずっと続いているんだよ」

 

 まるで「この壮大な世界は私のもの」と言っているようだった。

 

 どこまでも広がる美しい花畑。淡いパステルの花びらから香る甘い匂い。夢のような世界はまさに楽園そのもの。

 

 しかし

 

「違うよ。ここは現実の世界じゃないし、夢の世界でもない。魔女が作り出したまやかしの世界なんだよ」

 

 那月は落ち着いて言った。

 

 柚葉は見せられているんだ。魔女の映す夢現(ゆめうつつ)のまぼろしに魅せられているんだ。

 

「……魔女?」

 

 柚葉は何か不吉な様子で腕をダラリと下げると

 

「魔女って、これのこと?」

 

 右手に黒いシンボルを取り出した。

 

 黒い稲妻がパチパチと光る、小さなシンボル。それは見るからに邪気をはらみ、負の感情の蓄積によって今にも孵化しそうな……

 

「グリーフシード!」

 

「へえ……これがグリーフシードっていうんだ」

 

「早く、それを離して! グリーフシードは魔女の卵、もう孵化しかかってる!」

 

「どうして? これはあたしの嫌な気持ちを吸い取ってくれたんだよ。恐ろしい気持ち、疑う気持ち、悲しい気持ちも――全部。だからさ、那月もここで一緒に暮らそうよ。遠いところに行かないでよ。あたしと一緒にいてよ。あたしの傍に……いてよ」

 

 そう言って振り向いた柚葉の目から、血のような赤い涙が垂れた。

 

 小さな雫が足元に落ちると、一輪の花が朱に染まる。すると甘く可憐な花は、死肉のような色彩と質感の毒々しい花に変わった。

 

 毒花の中心に大きく口を開ける、夢現(ゆめうつつ)の花。

 

 と、柚葉の手からグリーフシードが零れ落ちた。黒い嘆きの種が、スローモーションで落下する。

 

 那月は思わず手を伸ばし駆け寄ろうとすると、柚葉が小さく呟いた。

 

「那月、ごめんね。嘘つきはあたしだ」

 

 

 

続く



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第十八話 未来を切り拓く(みらいをきりひらく)

「那月、ごめんね。嘘つきはあたしだ」

 

 柚葉の手からグリーフシードがこぼれ落ちた。

 

 瞬間――激しい旋風が舞い、那月とローブの魔法少女は大きく吹き飛ばされた。黒い稲妻が走り、グリーフシードに亀裂が入る。

 

 パーン!

 

 とガラスが弾けるような音と共にグリーフシードの外面が割れ、その中には魔女の魂となる嘆きの種が姿を現した。

 

 柚葉の身体が宙に浮き、漆黒の影が包み込む。

 

 顔を上げた那月の前に現れたのは、赤と白のまだら模様に死肉のような色彩と質感、甘い香りの巨大な毒花。

 

 そして花の中心部分には

 

「柚葉!」

 

 およそ人とは思えない、黒く濁った上半身を覗かせる柚葉の姿があった。毒花の中に下半身を埋め、気を失っているようにグッタリとしている。

 

「遂に姿を現しました。これが、夢現(ゆめうつつ)の魔女です」

 

 那月のすぐ横でローブの魔法少女が言う。

 

「これが、魔女……? 夢現の魔女?」

 

 魔女――と言われても、中心部分の少女は柚葉だ。

 

「柚葉が魔女になっちゃったの?」

 

「いえ、魔女自体は個体として生命を持っているので、柚葉さんと魔女は別です。ただ……」

 

 毒花の中心から『咲く』柚葉が、ゆっくりと身体を起こした。

 

「あの魔女は柚葉さんの『負の感情』で成長し、実体化しました。つまり、柚葉さんの魂を取り込んで生きているのです」

 

「柚葉の魂を……取り込んでいる?」

 

 負の感情に満ちた穢れに染まる、柚葉の身体。黒い揺らめきが体内に彩り、それが透けて見えるような上半身。

 

 青白い目が輝き、その身体に魔力がみなぎる。

 

「私たち魔法少女と同じ、魂をグリーフシードに宿しているのです」

 

「それじゃ、あの魔女を殺したら……」

 

 毒花が高く立ち上がる。

 

 その身体は人の形のようで、しかし足はなく、死肉のような色彩と質感が一体化したような魔女――夢現の魔女。

 

「柚葉!」

 

 毒花の側面から、まるでムチのようにしなる何かが繰り出された。人間の腕よりも太い、深い緑色に発光する触手のようなものが、風切り音を立ててふたりを襲う。

 

 那月はまだ『魔法少女』になっていない。

 

「危ない!」

 

 ローブの魔法少女は那月を庇うように前に出ると、見るからに重量のありそうな大鎌を軽々と振るい、触手を斬り落とした。

 

 切断された面から青黒い液体が噴き出す。

 

「キィィアアアアアァァァ!!」

 

 痛みに耐えるような、少女の金切り声が響く。

 

「やめて!」

 

 那月はローブの魔法少女に手をかけた。

 

「あれは柚葉なんでしょ? 身体を傷つけられて柚葉の声が聞こえるよ! 痛い、痛いって叫んでるよ!」

 

「しかし、魔女を倒さなければ私たちが殺されます」

 

「そんなこと言っても……」

 

 一本の触手を斬り落としたのも束の間、今度は毒花の四方八方から何本もの触手が伸びた。

 

「那月、一緒に戦ってください。あれだけの攻撃が来たら、あなたを庇っている余裕なんて……」

 

 何十本もの触手がゆらゆらと、那月たちを狙っている。一本一本が意思を持つように、不規則に揺れながら宙を泳いでいる。

 

「できない……私にはできないよ! 柚葉をこれ以上傷つけるなんて、私にはできないよ!」

 

「心配しないでください。あの魔女を倒しても柚葉さんは死にません」

 

「どうしてそんなことが言えるの? あの魔女は柚葉の魂を宿しているんでしょ? 私たちのソウルジェムが壊れたら死ぬように、魔女を殺したら柚葉の魂を殺すことになるんでしょ?」

 

 魂とは、生命そのもの。魂を狩ることは、生命を狩るのと同じ、だ。

 

 しかし

 

「いえ、私には見えています。柚葉さんが生きている未来が見えています」

 

「そんな……私に見えないものをどうやって信じろっていうのよ!」

 

 那月はヒステリックに叫んだ。親友の変わり果てた姿を目の前にし、それを救う手立てが『那月には見えていない』

 

 と、宙を漂う触手が一斉に襲いかかった。正面から、斜め上から、横から、すべての触手がふたりに向かって伸びる。

 

 それを見たローブの魔法少女は、那月の制止を振り切って前に突っ込んだ。大鎌を振り回し、触手をバッサバサと刈り取っていく。

 

 深緋(こきあけ)色の刃が舞い、何本もの触手が散っていった。斬り落とされた断面から、まるで血の雨のように青黒い液体が飛び散る。

 

「や、やめて!」

 

 その姿を見ていた那月は懇願するように叫んだ。触手の一本一本が落ちる度に、柚葉の痛みの声が聞こえてくるようだった。

 

「那月、私を信じてください!」

 

 激しく動き回りながら触手を斬り落とすローブの魔法少女。

 

 が、相手の手数が多すぎる。夢現の魔女が伸ばす触手は、斬られても斬られても新たな触手が生えてくる。

 

「私の能力は未来を見る力。そしてこの大鎌には……」

 

 そう言った瞬間、深緋(こきあけ)の刃をすり抜けた触手が一本、那月の背後に回った。触手は素早く那月の身体にグルリと絡まり、強く締めつける。

 

「うぐっ!」

 

 そのまま、身動きの取れなくなった那月を高く持ち上げた。

 

「いけない!」

 

 ローブの魔法少女は大鎌をひるがえし、慌てて那月を助けに入る。ザバッと触手を切断し、那月の束縛が解けたところに新手の触手が襲い掛かった。

 

 那月は草花が茂る地面に落下したが、今度はローブの魔法少女が触手の餌食となってしまった。

 

 何本もの触手が、ローブの魔法少女を拘束する。

 

 腹部に巻き付き、大鎌を持つ右手に巻き付き、両足に巻き付き、さらには細い首にも巻き付いた。

 

 辛うじて左手だけは自由が残されたが、触手の強い締めつけをはがすことはできず、まるで空中ではりつけにされたような恰好になってしまった。

 

「が…………は…………っ!」

 

 ギチギチと締めつける触手は、容赦なく手足や首を引き千切ろうとしている。やがて力の抜けた右手から大鎌がスルリと落ち、深緋(こきあけ)の刃が那月の横に突き刺さった。

 

 那月の頭上には、苦痛に顔を歪めるローブの魔法少女。フードがめくれ、長い髪の毛を振り乱している。

 

「やめて……」

 

 那月は夢現の魔女に向き直ると、悲痛な声を漏らした。

 

「お願い……柚葉!」

 

 那月は夢現の魔女に呼びかけた。もはや人とは呼べない姿になり果てた宝条柚葉に呼びかけた。

 

「もうやめて! 私は遠いところになんか行かないから……いつも傍にいるんだから……!」

 

 毒花の中心に咲く柚葉に呼びかけた。

 

「無駄です、魔女に声は届かない」

 

 上空からかすれた声が落ちてきたが、那月は構わず続ける。

 

「だから戻ってきてよ、柚葉。いつもの場所に、いつもの柚葉に戻ってきてよ」

 

 黒く穢れた柚葉は、まっすぐに那月を向いているようだった。ただ何も言わず、表情(かお)もないまま那月を見ているようだった。

 

「那月、お願いです……剣を取ってください。魔女を倒しても柚葉さんは死にません……私を信じて……」

 

 首に巻き付く触手が喉を強く締めあげ、苦し気な声はそれ以上の声にならなかった。

 

「私にはできないよ……柚葉に剣を向けるなんてできないよ」

 

 その時、柚葉の目から白く光るものが流れた。ふたつの眼から黒い頬をつたい、一直線に流れる涙が見えた。

 

「柚葉……」

 

 それは柚葉の心が映す感情の現れなのか。那月の声を聞き、それに反応しているのか。

 

 しかしその涙の後には、ひしゃげるような音と割れんばかりの悲鳴が聞こえてきた。

 

「ああああっ!」

 

 グチャっという生々しい血肉の音と共に、触手に縛られていた肉体が引き裂かれた。

 

「え?」

 

 それは空中ではりつけにされたまま、片腕と片足、そして胴体を『もがれた』ローブの魔法少女。

 

 服は破け、骨も肉も無理やりに引き千切られた無残な身体が、那月の前に放り投げられた。

 

「――――っ!」

 

 ドサっと無機質に横たわった肉片から、鮮血が止めどなく溢れている。被っていたフードがめくれて見えた顔は

 

「弥生……ちゃん?」

 

 立花弥生、その人だった。

 

 いや、小学五年生の弥生ではない。二十歳を過ぎた大人の女性――弥生がそのまま大人になったような、しかしはっきりと面影のある美しい顔。

 

「はい……弥生です」

 

 弥生はゴボっと血を吐き、苦しそうに答えた。

 

「でもどうして……その姿は……」

 

「……私は願いを告げて、十三年の時を経ました。それが私の能力……十三年後までを知るのが、私の『未来を見る力』です」

 

 魔力による肉体修復が始まり、身体から噴き出す血液は血煙のように立ち上がっている。

 

「ですから……ゴホッ! 柚葉さんを救ってください……それができるのは、あなた……だけ……です」

 

 弥生は途切れ途切れの声を漏らすと、そこで目を閉じた。

 

「弥生ちゃん!」

 

「私は大丈夫です。願いの特性で、十三年間は死ぬことがありませんから」

 

 と、精神感応(テレパシー)が那月の頭の中に聞こえた。意識を深く沈め、肉体の治癒に専念しているのだろう。

 

 ボロボロの身体はゆっくりと、しかし確実に癒えている。

 

「那月、魔女は魔女です。柚葉さんの姿をしていますが、柚葉さんではありません。楽園のようなこの世界も、柚葉さんの身体も、見えないものが見えている――魔女が見せるまぼろしです」

 

 那月は振り返って、夢現の魔女を見た。

 

 涙に濡れる宝条柚葉を見た。

 

「そうか。魔女に剣を向けることは、柚葉を傷つけることじゃないんだ」

 

 そう呟くと、ソウルジェムを横一線に薙ぎ、さらにそれを高く掲げた。青紫色のジェムがまたたき、身体をまばゆいラベンダーカラーの光が包む。

 

 白と青紫、ふたつの色をあしらった衣装。それは夜空に真っ白な月が映えるようなコントラスト。膝丈まであるスカートと、肩当から揺れる柔らかいフリル。命の宝珠であるソウルジェムは、右手首に付ける炎を象ったブレスレットに収まっている。

 

「今、柚葉を助けられるのは私だけ」

 

 つま先からゆっくりと着地した紺碧の魔法少女。右手には炎の細剣、フランベルジュ。

 

「弥生ちゃんの言葉どおりなら、魔女を殺しても、柚葉は死なない」

 

 炎の魔力を込めると、刀身を白銀に輝かせた。

 

「だったら私が……私が魔女と戦う!」

 

 ダッと飛び上がり、夢現の魔女に振りかぶった。

 

 毒花の外側から長い触手が伸びる。不規則に揺れながら那月を取り囲むように繰り出されるが

 

「ごめんね柚葉」

 

 フランベルジュが弧を描くと、那月を囲んでいた触手が一瞬で焼け落ちた。

 

「キィヒャアアアアァァァ!!」

 

 痛みに悶えるような奇声と共に、切り刻まれた触手の断片がボトボトと落ちる。

 

 大きく開く腐肉の花びらに着地した那月は、中心に咲く柚葉の姿を捉えた。

 

「柚葉がこんな目に遭うのも、私のせいなんだよね」

 

 フランベルジュに炎がたぎる。摂氏数千度の炎を纏い、周囲の空間が蜃気楼のように揺れる。

 

 そこへ夢現の魔女が再び触手を伸ばし、今度は尖った先端を突き立てて閃突を向けた。

 

 が

 

 那月は左手で観念動力(テレキネシス)を繰り出す。太く強靭な触手は、まるで真空の刃のような渦に切り刻まれ、あっという間に掻き消えた。

 

「でも、いま助けてあげるから!」

 

 腐肉のような花びらも大きく削れ、柚葉の身体が剥き出しになっている。

 

 あと一歩踏み込めば炎撃の間合い。

 

「未来は決して絶望ではありません。それは那月、あなたが切り拓くからです」

 

「私が……切り拓く……」

 

 那月はフランベルジュをゆっくりと振り上げ

 

「みんなの幸せな未来を、どうか叶えてください」

 

「私たちの幸せな未来を、叶える――!」

 

 魔女の本体。毒花の中心に咲く柚葉に、振り下ろした。

 

 波打つ刀身の斬撃で、闇に染まった柚葉が真っ二つに裂ける。紅蓮の炎が魔女の身体を包んだ瞬間――周囲の音が消え、柚葉の顔が少しだけ笑ったような気がした。

 

 そこから、轟! という音を立てて爆風が広がり、断末魔の叫び声と共に夢現の魔女は焼き尽くされた。

 

 

 

 魔女の消滅で結界が消えていく。

 

 澄み切った青空、パステルカラーの平原、どこまでも続く楽園のような世界、そして甘い香り……。

 

 

 

 やがて視界が白く染まり、異空間からの転移が始まると

 

 ドサッ!

 

 と、那月の前に赤いドレスを着た少女が落ちてきた。

 

 まるで血のような赤色を着た少女には、左肩から右の脇腹にかけて一直線に切り裂かれた跡がある。

 

 噴き出した鮮血が真っ白なワンピースを朱に染め、蒼白な顔には飛び散った血の跡。

 

 足元に広がっていく血だまり。

 

「柚葉……?」

 

 那月は膝をついてその身体に触れた。

 

 両目は閉じられ、ぬくもりが徐々に消えていくのが感じられる。

 

「柚葉!?」

 

 足元の血だまりが、まるで腐肉の華が咲くように広がっていく。

 

 

 

「どうして? 私は魔女を斬ったんだよ? どうして柚葉が血を流しているの?」

 

 

 

 ――魔女を倒しても柚葉さんは死にません

 

 

 

「弥生ちゃんもそう言ってたんだよ?」

 

 

 

 ――私には、柚葉さんが生きている未来が見えています

 

 

 

「弥生ちゃんは見えていたんだよ?」

 

 

 

 生命の鼓動はやがて絶え、那月の手に静かな死が伝わった。

 

 

 

 ウソ…………

 

 

 

 私が殺したの?

 

 

 

 私が柚葉を殺したの?

 

 

 

 私が…………

 

 

 

 ふたりだけがポツンと残された世界に、誰にも聞こえない悲鳴が響いた。

 

 

 

続く



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第十九話 無慈悲なもの(むじひなモノ)

「おっはよう那月!」

 

「柚葉!?」

 

「おやおや? どうしたのかな那月さん。鳩が豆鉄砲を食ったような顔して」

 

「だって……柚葉は私が…………そうだ、傷口……! 大丈夫なの!?」

 

「傷口? 那月、まさか寝ぼけてるんじゃないよね?」

 

「寝ぼけてなんかないよ。昨日のこと、あれは夢……だったの?」

 

「昨日のこと、ねえ……。一体何があったのよ」

 

「何があったって……憶えてないの? 魔女を倒すのに私が柚葉を……」

 

「殺しちゃったの?」

 

「――――え?」

 

「あたしのことを殺したんでしょ?」

 

「ちょっと……柚葉?」

 

「こんなふうにさ!」

 

 そこには、目を閉じ息の絶えた血まみれの少女が倒れていた。

 

 夢現の魔女を斬り、結界が解かれていく中で、宝条柚葉の屍がそこにあった。

 

「ひどいよね。アンタ約束したじゃない、あたしのことを守ってくれるってさ」

 

「違うの」

 

「自分が幸せになりたいからって、友達を殺しちゃうんだ」

 

「違うの!」

 

「だって……見てみなよ、アンタの手」

 

 

 ――血に濡れて、真っ赤だよ

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

 全ての運命の不幸を無くそうとする、地上をマホウで埋め尽くし、

 全人類を戯曲の中へ取り込もうとする、動く舞台装置。

 

 この世の全てが戯曲ならば悲しい事など何もない。

 悲劇ではあるかもしれないけれど、ただ、そおいう脚本を演じただけ。

 ワルプルギスの夜で芝居は止まって、もう地球は一周だって回転しない。

 物語は転換しない。

 明日も明後日も、ワルプルギスの夜。

 

(魔法少女まどか☆マギカ プロダクションノートより)

 

 

 

 ――大型で猛烈な台風3号『オフィーリア』は、勢力を強めながら列島に向かっています。国は災害対策本部を設置、進路にあたる住民に避難を呼びかけています。

 

 ――中心気圧は……最大風速は……時間あたりの雨量は……に達する見込みです。

 

「こんな気象現象として観測されるなんて、一体どれだけのヤツなんですの?」

 

 左苗ミコは台風の接近を知り、蒼ユリのもとへと向かっていた。

 

 近年稀に見る巨大な台風……その気象状況から、世間ではそんなふうに伝わっていた。

 

「ここから数百キロは離れているというのに、この魔力の波動」

 

 見滝原市ではすでに冷えた空気と木々の小枝を揺らす風が立ち込め、台風の接近を感じさせている。

 

「これが『ランク4』と呼ばれる魔女喰いですのね」

 

 ミコはこの台風がただの気象現象ではなく、魔女喰いの襲来だと気付いていた。

 

 ランク4――それは蒼ユリでも出会ったことのない超大型の魔女喰い。複数の魔女を喰らい成長した姿は、人の目にもはっきりと見える自然災害として認識される。

 

 桁違いに強力な魔力を持ち、その魔力ゆえに肉眼でも観測できるスーパーセル(通常の数倍から数十倍の規模に発達し、竜巻や激しい雷雨を伴う巨大な積乱雲)を生み出す。

 

「これが最凶最悪の魔女喰いと呼ばれる、ワルプルギスの夜……」

 

「ええ、予想よりも早く来るようね」

 

 ここは蒼ユリの部屋。

 

 ユリはシャワーを浴びていたのか、濡れた髪を拭きあげていた。

 

「ただ、アレが来るのはここではないわ」

 

 長い銀髪からしたたる水が、足元のフローリングに垂れる。

 

「北夜見市、ですのね」

 

「思ったとおりね。あの街には、ワルプルギスの夜を呼び寄せている魔法少女がいる。そしてワルプルギスの夜も感じているんでしょうね」

 

 窓が風に煽られてカタカタと音を立てている。雨はまだ降っていないが、風の勢いはどんどん強まっていた。

 

 ミコはソウルジェムを取り出すと、黄色く光る揺らめきに目をやった。

 

「単独の魔法少女では決して敵わない魔女喰い、ですわよね」

 

 魔力の波動はひしひしと伝わっている。これだけ離れたところから感じられるということは、もしかしたら世界中のどこにいても魔力を探知できるかもしれない。

 

 しかし、ワルプルギスの夜は何の前触れもなく突然、海洋上に現れた。

 

 見滝原市・風見野市(かざみのし)・六千石町(ろくせんごくちょう)など、北夜見市を中心とした近隣の地域には避難勧告が出されている。

 

 災害用シェルターに避難する者、地域を離れる者などが街中にあふれているが、避難勧告の発令が迅速だったおかげで、人々の混乱は少ないようだった。

 

「巻き添えを避けていただけるのはありがたいですが……」

 

 ミコは部屋の窓から街を見下ろしている。

 

「まるで戦争でも始まるかのようですわね」

 

 嵐の前の静けさ――そんな様子の見滝原市で、今はユリとミコだけが平然としているのかもしれない。

 

「無慈悲な暴力という意味では、戦争も魔女も同じね。ただ魔女が相手では、交渉も和平もない」

 

 髪を乾かし、見滝原一女の制服に身を包んだユリが静かに言った。

 

「ワルプルギスの夜が来るのは明日の未明。列島を横断するようにまっすぐに北夜見市に向かっている」

 

「もしワルプルギスの夜を倒すことができなかったら、どうなりますの?」

 

「そうね……その時は北夜見市とその周辺の街が、いくつか吹き飛ぶくらいかしら」

 

「責任重大、ですわね」

 

 ミコは苦笑いを浮かべる。

 

「ワルプルギスの夜は、はるか昔から存在する魔女喰い。これまで数えきれないほどの魔女を喰らい、数少ない『ランク4』の最上位に君臨している」

 

 古くから魔法少女たちに口伝されている、ワルプルギスの夜。回り続ける愚者の象徴で、その性質は『無力』

 

「史上最強の魔女が『無力』だなんて、皮肉もいいところね」

 

 

 

 ――舞台装置の魔女、通称ワルプルギスの夜。

 

 有史以前から生き残る魔女喰いは、長い年月……それこそ数千年の間に無数の魔女を喰らい続けてきた。

 

「もともとは『演劇の魔女』と呼ばれる、力の弱いひとりの魔女だったのよ。魔法少女に狩られるはずの無力な魔女」

 

「それがどうして最強の魔女喰いと呼ばれるように?」

 

「演劇の魔女……彼女はこの世で一番最初に産まれた魔女だった。一番最初に魔女に堕ちた魔法少女、と言った方が正しいのだけれど」

 

 この世で最初の魔法少女は、この世で最初の魔女になった。

 

 きっとそれは、インキュベーターにとって新しい発見だったのかもしれない。

 

「魔法少女は魔女へと堕ちる際に、莫大な感情エネルギーを放出するらしいわ。そして、そのエネルギーを回収するのがインキュベーターの役割」

 

「それはワタクシも存じておりますが……」

 

 ミコは納得のいかない顔を浮かべ

 

「でもどうして、最初の魔女が未だに生き続けていますの?」

 

「魔法少女は魔女を狩り、グリーフシードを手に入れて穢れを浄化する。それが私たち魔法少女のサイクル」

 

 グリーフシードに穢れを移し替えることで成り立つ、魔法少女システム。

 

「でもこのシステムには、ひとつだけ盲点があるのよ」

 

「盲点?」

 

「魔法少女が溜め込んだ穢れは、グリーフシードが再び魔女へと孵る(かえる)ための養分とも言えるわ。でも私たちの穢れを吸ったグリーフシードは、どうして魔女にならないの?」

 

「それは……インキュベーターが回収しているからですわよね」

 

「ええ、そうね。異次元に処分することで、再び魔女へとならないように――あなたもそう聞いているでしょう? だから誰も疑うことなく、穢れを吸ったグリーフシードをあの生物に託している」

 

「魔女が増えてしまっては困りますもの」

 

 ミコは素直にうなずいた。

 

「魔女はワタクシたちに害をなすものですわ。いなくなって困るものではありませんが、増えてしまったらワタクシたちの身が持ちませんの」

 

 世の中が魔女だらけになってしまったら――そんな光景を想像して、ミコはブルブルと身体を震わせてみせた。

 

「ですから、グリーフシードを回収し処分しているのは合理的と言えるのかと」

 

「本当に処分しているのなら、ね」

 

「ど、どういうことですの?」

 

 ギョッとしたミコは、その言葉の意味を奥歯で噛みしめた。そしてゆっくりと感じてきた苦い味を、恐る恐る口にしてみる。

 

「まさか……インキュベーターはグリーフシードを処分しているのではなく――」

 

「利用しているのだとしたら?」

 

 穢れを吸ったグリーフシードなど産業廃棄物も同然、犬も喰わないシロモノ。そんなものを利用するなど考えられない……はずだが

 

「魔女は穢れに満ちたグリーフシード、つまり嘆きの魂を喰らうことで魔女喰いへと『進化』する。それじゃあ、魔女に餌をやっているのは誰?」

 

 ミコは沈黙した。今まで誰がこんなことを思いついただろう。

 

 魔法の使者であるインキュベーターは魔法少女を作り、やがて魔女へと堕ちたものを魔女喰いへと作り変えている。

 

「おそらく演劇の魔女は、そうやってグリーフシードを喰い続けてきた。悠久の時を経て、最弱の魔女は無数の魔女の集合体となり、やがて最強の魔女喰い(ワルプルギスの夜)と成ってしまった」

 

「でも、何のために?」

 

 窓の外で、パッと光が走った。雷雲が、立ち込めている。

 

「簡単なことよ。魔法少女を殺すためね」

 

 それから、ずっと遠くの方で雷鳴が轟いた。

 

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

 

 夜半を過ぎて、風は勢いを増してくる。

 

 北夜見市を中心とした各市町村には厳戒態勢が敷かれ、大型台風の上陸に備えがなされていた。

 

 北夜見第二小学校の体育館は災害用シェルターを兼ねていて、地下に建造されているシェルター内には大勢の市民が避難してきている。

 

 その中には、御上那月と父親の姿もあった。

 

「な~に、台風くらいじゃこのシェルターはビクともしないさ。那月が小さい頃にも似たようなことがあったけど、地下シェルターは安全だったからね」

 

 家族ごとに仕切られた一角に座り、災害情報の電光掲示板を眺めている那月。決して広いとはいえないスペースで、すぐ横に座る父親がそう言った。

 

「一日もすれば台風は抜けていくはずだから、少しの辛抱だよ」

 

 電光掲示板には台風の被害状況や、避難してきた家族の名前が表示されている。

 

「那月、恐いかい?」

 

「うん、少しね」

 

 那月は膝を抱え、ボーッと掲示板を見つめている。

 

「父さんも恐くないって言ったら嘘になるけどな、シェルターにいれば安心さ」

 

「うん」

 

「そういえば、前にもこんな台風が来た時……その時は母さんも一緒だったな」

 

「え…………?」

 

「あの時はお前が泣いて泣いて、大変だったんだぞ」

 

 昔話を語る父親は、遠い目をしていた。

 

 今は亡き、お母さんの記憶――那月がまだ小学校にあがる前の話。そういえば、そんなことがあったような……

 

「お、宝条さんのところも避難してきたのか」

 

 ふいに、電光掲示板に流れた文字を父親が見つけた。

 

 ――宝条貴文・宝条詩織・宝条柚葉、避難完了

 

「あそこの家は地区長だからな。最後まで地域の避難誘導をしていたのか」

 

 ――北夜見市南区、全家族避難完了

 

 掲示板は那月の暮らす地区の避難完了を知らせた。

 

「那月の友達もみんな避難してきたようだな。まるで家族で修学旅行にでも来ているみたい……」

 

 と言った父親の横に、那月はもういなかった。

 

 

 

「柚葉!」

 

 シェルターの入り口付近まで走ってきた那月は、雨合羽を着て簡単な荷物だけを抱えている柚葉を見つけた。

 

 多くの住民が避難してきているので通路は狭く、壁づたいに父親と母親、そして柚葉が一列になって歩いている。

 

 那月は隙間をぬって走り寄り、柚葉の後ろから手を伸ばした。

 

「柚葉!」

 

 那月の目に一瞬、夢現(ゆめうつつ)の世界で朱に染まった姿がよみがえる。が、触れた肩は温かく、たしかに『生きている』柚葉がそこにいた。

 

「よかった、弥生ちゃんの言ったとおりだった……本当によかった」

 

 那月は心から安堵した。実は那月も、あれからのことはほとんど記憶にない。魔女の結界が消え、現実世界に戻ってからどうやって帰ってきたのか。あれから何をして過ごしていたのか。

 

 気付いた時には避難勧告に従い、父親とふたりでシェルターに来ていた。

 

「ごめんね柚葉、私のせいで変なことに巻き込まれて。でも、魔女は退治したし、もう二度とあんなことには……」

 

 那月はまくし立てるように話しかける。安心したのか、言葉が止まらない。

 

 しかし、柚葉の返事はこうだった。

 

「……すみません、どなたですか?」

 

「え……?」

 

 振り向いた柚葉は、申し訳なさそうな目で言った。

 

「私の知っていた方でしたらごめんなさい。でも私、何も憶えていないんです」

 

「ちょっと柚葉……こんな時に冗談は……」

 

 その時、シェルター内の照明がパツンと消えた。

 

 周囲の住民たちから、驚きと不安の声があがる。と同時に予備電源が作動したのか、薄暗い照明に切り替わった。

 

「いえ、本当に憶えていないんです。私、昨日から高熱を出していたようで医療施設にいたんですけど、施設がいっぱいになってしまって、それで熱の下がった私は父と母と一緒にここに」

 

 と言う柚葉の表情は真剣そのものだった。とても冗談を言っているようには見えない。

 

「台風で避難する人の中には医療介護が必要な人がいるので、症状の軽い私は一般の避難所に行くようにって……」

 

「嘘……」

 

「だからその……ごめんなさい。もう行きますね」

 

 そう言って柚葉は、先に行ってしまった父母の方へと走っていった。

 

「どういう……ことなの?」

 

 那月は呆然と立ち尽くした。

 

 この手で殺めてしまったと思った柚葉は生きていた。しかし、記憶を失って何も憶えていない。那月のことを憶えていない。

 

 遠く――薄暗い中に消えていく柚葉の背中を、那月はずっと見つめていた。

 

 

 

続く



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