女神転生ⅣFINAL短編集 (アズマケイ)
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誰がカナリアを殺したの(ナナシとハレルヤ)

世界は腐敗に満ちていた。

 

 

足の踏み場もないほどのコープスたちであふれている。どのコープスも中央にあるどろりとした球体めがけて行進し続けている。巨大な水たまりのような、泥のような、強烈な刺激臭がする黒いものが蠢いていた。鳥肌が立つのは当然のこと、アサヒは大きく後ろに下がる。悲鳴はナナシの手に遮られ、我に返ったことで居場所を知らせるフレンドリーファイアは免れた。ありがとナナシとアサヒは申し訳なさそうに肩をすくめる。ナナシはいつものことだと流した。

 

 

無数の蠢く死体の塊。不気味なうめき声。状態異常に備えて呪文を唱えるチロンヌプの愛らしい鳴き声を合図に、ゾンビの弱点と相場が決まっている火炎攻撃がもたらされた。ある者は銃で、ある者は魔法で、ある者は斬激で。あまりに多くのコープスたちである。広範囲魔法を使われたらその威力はどれだけ重ねがけされることか。精神を集中させていたナナシにアサヒがエールを送る。幼なじみの応援ににやりと年相応な笑みを浮かべた。

 

 

足りないマグネタイトは流した血の分だけ供給されたダグザのマグネタイトで補う。超特大の異界魔法がコープスたちをおそった。

 

 

「さっすがリーダー!やるじゃん!オレも負けてらんないな!」

 

 

目に見えて蒸発したコープスたち。パーティの志気は上昇する。ふたたび大砲のような広域魔法のために準備する体制に入ったナナシの邪魔をすまいと、彼らは思い思いの攻撃方法で戦果を稼ぐ。

 

 

コープスの目撃情報が多発していた。特定悪魔の大量発生は異変の兆候だとご指名である。依頼主が阿修羅会の時点で知らなかったハレルヤはきょとんとしていた。ボスのオレが知らないってどういうことだと一悶着あったのは別の話、あるべき手段で跡を継がなかった若き2代目の苦難は続く。

 

 

閑話休題。

 

 

困ったことに目撃情報は地下である。コープスそのものは呪殺魔法に気をつければ問題はない。さほど驚異の悪魔ではない。しかし数が尋常ではないのだ。焼いても焼いても減らない悪魔。さすがにナナシほどの威力は望めない彼らでも、数を積み上げればそれなりに目減りする。

 

 

最期の遺体を焼き払い、ようやくコープスの群は消滅した。

 

 

お疲れさま、とアサヒがナナシにチャクラドロップを渡す。いいかげん飽きてきたお馴染みのあめ玉を砕き、ナナシは息を吐いた。オレもほしいとよってきたハレルヤの分はチロンヌプが諸共強奪してしまう。おいこらチロ、と逃げまどう唯一の仲魔を追いかけ始めたハレルヤを笑っていたノゾミはスマホをみる。トキはノゾミを見上げた。

 

 

「また逃げられた・・・」

 

「そーね、コープス多すぎて近づけないもの、仕方ないわよ」

 

「で?あの球体はなんだったんだ?まだわかってないのか?」

 

「調査中ですって」

 

「シェーシャの時はすぐ判明したのに今回はずいぶんと遅いじゃないか。また発生地が送られてくるのか?きりがないな」

 

 

これで数日をまたぐ任務である。さすがにガストンもうんざりと言った様子でグンニグルによりかかる。ナナシ以外マツダの存在が忘れ去られた彼らは、シェーシャの討伐の功績が商会本部の技術力だと刷り込まれている。そんなオーバーテクノロジーがあるわけもなく、コープスを呼び寄せる謎の黒い球体をたたく任務はまだまだ続きそうだ。

 

 

ようやくチャクラドロップにありつけたハレルヤは、大きく息を吐いた。

 

 

「なあ、リーダー。ぶっきみだよな、あの丸い奴」

 

 

たしかに不気味である。クリシュナを封印したあの球体ではないが、浮遊しながら静止し、こちらになにもしてこない。攻撃しても手応えがない。特定の攻撃以外は吸収するらしい。しかもターンごとにランダム。弱点アナライズが機能しないせいで破壊前に逃げられてしまう。コープスを呼び、なにをするでもなく中央に鎮座するのは非常に不気味だ。ナナシが告げるとそれもあるけど、とハレルヤはいう。

 

 

「なんかドクドクいってるだろ、あれ。近づくとどんどんおっきくなるのがなんかこえーと思わねえ?」

 

 

世界の繭の心臓部を思い出す、とハレルヤは顔をしかめた。鼓動だ。脈打つ鼓動だ。あの球体の中に何かいる。それだけは確かだからより不気味でたまらない。そう告げるハレルヤはふと周囲の視線が集中していることに気づいた。

 

 

「え、なんだよ、お前等」

 

「心臓の音?なに言ってるんだ、コープスどものうめきしか聞こえないだろ」

 

「同感だ」

 

「ちょ、それほんとなの、ハレルヤ?私、そんな音聞こえないよ?」

 

「あ、人間には聞こえないとか?」

 

「いいえ?アタシも聞こえないけど」

 

「幽霊にもな!」

 

「えっ、えっ、なんだよそれ!?余計に怖いじゃねーか!なあなあ、リーダー!リーダーは聞こえるよな!?な!?」

 

 

ナナシはうなずいた。えーうそ、とアサヒは驚く。みんな似たような反応だ。幻聴ではないとわかって安心したのかハレルヤはうれしそうだ。しかしナナシの表情は硬い。休憩を宣言したナナシに従い、パーティはばらける。ナナシはハレルヤを呼んだ。

 

 

「どーしたんだよ、そんな顔して?」

 

「ハレルヤ、ひとつ聞いていいか?」

 

「ん?なんだよ、改まって」

 

「ハレルヤが阿修羅会に入ったきっかけ、もう一度教えてもらっていいか?」

 

 

しばらくの沈黙あと、あー、とつぶやいたハレルヤは頬をかいた。

 

 

「べつにいいけど?まじでどうしたんだよ、リーダー?」

 

「いいから話せ。そしたら決める」

 

「なんだよそれ。ま、いいけどさ、もう公然の秘密だし」

 

 

ハレルヤは不思議そうに語る。堕天使の父親と人間の母親の間に生まれた半人半魔だ。その秘密を物心つく頃から教えられ、決して明かすなと言われた。ばれたら想像を絶する迫害が待っている。女手一つで育てた母親はある日ハレルヤを残して蒸発した。極貧生活だったから、常に飢えとの戦いだった。阿修羅会のタヤマに(おそらく赤玉製造機として)拾われ、デビルチルドレンだったから犠牲にはならなかったが、構成員になった。目立たないように生きてきた。なんで知ってること話さないといけないのか、ハレルヤは疑問を投げた。

 

 

ナナシはハレルヤをみる。ハレルヤはたじろいだ。この目は一度見たことがある。三竦みだったヤマトでフリンの声に呼応して特攻する人たちを止めようとして石を投げられた時に見た目だ。苛烈な色を宿していながら驚くほど感情が凪いでいる。ものすごく怖い目だ。真実だけを容赦なく見通している。

 

 

「喉、乾かないか。最近」

 

「は?え、なんで?」

 

「いいから」

 

「あー、うん、まあ?月に1度、くらい?無性にのどが渇くときはあるけど。やっぱ悪魔の力を解放する回数増えたから、疲れてんじゃね?我慢したらなんとかなるよ」

 

 

ナナシは目を細めた。スマホで何かを確認する。

 

 

「もし任務が夜まで長引いたら帰れ」

 

「えっ、なんでだよ、リ」

 

「静かにしろ、聞かれたら困る」

 

「お、おう、ごめん?」

 

ナナシは声を落とした。

 

「最初に言っとく。あれはコープスじゃない」

 

「は?え、まじで?」

 

「よく似てるが違う。あれはスライムだ。種族としてのスライムじゃない。マグネタイトが足りなくて実体化できなくなった悪魔のなれの果てなんだ」

 

「まじか。え、でもなんで隠してるんだよ?」

 

「あのスライムは今の東京にはいちゃいけない悪魔なんだ。今の東京は実体化できなくなるなんてまずない」

 

「なんか原因があるってことか?」

 

 

ナナシはうなずいた。

 

 

「もしかして、あれが原因、とか?」

 

「ああ。あれはマグネタイトを吸収してる。あいつらは引き寄せられてるんじゃない。枯渇したマグネタイトを回収しようと寄り集まってるんだ」

 

「え、え、じゃあ、あの中にはそのマグ、なんとかってやつがたくさんあるってことだよな?やばくね?」

 

「だから帰れって言ってるんだ」

 

「なんでそうなるんだよ?」

 

「お前が悪魔の力を使えるからだよ。今まで経験したことない飢餓に耐えられるのか?」

 

「・・・・・・ああ、そういう」

 

「そういうことだから、」

 

「やだね」

 

「おい、ハレルヤ」

 

「心配すんなって、リーダー。やばくなったら逃げるからさ」

 

 

しばらくの押し問答の末、無理矢理押し切ったハレルヤはクエストを続投した。実際にその飢餓を経験したとき、幼少期に似たような感覚があったことを思い出すのはここで確定したのである。シェーシャの大穴により月の概念が復活した東京では、満月になるたびに悪魔が高揚して我を忘れることなど閉鎖空間東京育ちのハレルヤは知るわけがないのだ。

 

 

「・・・・・・マグネタイト貪るのもいいかげんにしろ、バカ野郎」

 

「りー、だ、っ!?」

 

 

緑の光がこぼれ落ちる。離れろ、と殴られ、あわてて距離をとる。ナナシは痛みに顔をゆがめながら、無理矢理広範囲魔法を発動した。球体はとどめの一撃により砕け散る。生まれ落ちるはずだった何かは、怒りにまかせたナナシの煉獄によって塵も残さず焼き払われた。口の中に残る鉄の味。拭っても拭ってもとれない鉄の香り。むせかえるような鉄のにおい。ハレルヤはそれを知っている。脳裏をよぎる強烈な頭痛のあと、ハレルヤは意識を手放した。伸ばされた手にかみついた痕が残っていたのが最後の記憶だ。

 



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貴方の目玉が食べたい(フリンとナナシと時々アリス)

ラミアから差し出された目玉を手に入り口に設置された機械においてみるが、エラー音が響きわたる。肩をすくめたフリンはラミアに返す。あら残念、とラミアは妖艶にほほえんで右目を再びはめ込んだ。また呼んでねとウインクを残してラミアはガントレットにもどる。機械のすぐ横には電子掲示板があり、東京と東のミカド国の言葉が並んでいた。

 

 

目玉を差し出さなければ出られない、と書かれている。制限時間は60分、もう秒刻みで減っている。

 

 

どうやら仲魔の目玉はダメらしい。

 

 

フリンとナナシは無言のまま目を合わせる。慣れた手つきで短刀を手にしたナナシを見て、フリンは軽く首を振った。メンドクサそうにナナシは頭を掻いた。

 

 

「すぐに回復してくれれば死にはしないだろ」

 

 

ダメだ、と言葉少なくフリンはいう。言葉こそ短いが明確な否定だ。若干の咎めが入っている。ナナシは肩をすくめた。こうなったらフリンはてこでも動かない。無理に敢行すれば、容赦なくフリンは物理的な意味で立ちふさがるだろう。

 

 

「まだ神殺しの感覚が抜けてないみだいだな、ナナシ。今の君は普通の人間なんだ。死んだらもう復活できない。もっと命を大事にした方がいい」

 

 

これだから今のナナシは目が離せないのだ。もっと落ち着いて考えるべきだと告げると面白くないのかナナシはぶっちょう面だ。神殺しのときに許されていた禁忌が延長でいまでも使えると思い込んでいる節がある。人間ではなくなったときにもう戻れないと覚悟を決めていたせいもあるだろう。拍子抜けな程あっさりと人間に戻してもらえた。どうも不本意だったようだがフリンにはどうでもいいことだ。ナナシは共感を望まない人間だと踏んでいる。どんな形であれナナシはナナシという人間を認識させればそれでいいらしい。だからアキラという前世に絡めた発言には眉をひそめるし、ナナシの向こうにアキラを見て期待しようものなら侮辱だと怒る。感情のままにつっぱしってきた少年は、これからも個人を全体より優先させる人間であり続けるだろう。そのわけのわからないパワーに惹かれて人は集まる。ナナシが望もうと望まなかろうと。ナナシはフリンと同じ目線では絶対にいないはずの人間だ。だから悪くないと思うのかもしれない。出会って日が浅いがフリンは少なくてもナナシが生き急ぐそのあり方を惜しいと思うくらいには気に入っていた。

 

フリンはそもそも目玉をえぐり出せば、痛みと流血からショック死するともっともらしい理屈を捏ねる。今のナナシは自分の考えている以上に弱いと。理論武装の強固さはこちらの方が先輩だ。理屈が通っていて、自分に向けられた言葉ならナナシは拒絶しない。ただバツが悪くなると沈黙して目をそらす。あー、と言葉を探しながらナナシはフリンを見上げた。

 

「そうはいうけどな、フリン。ほかに方法はあるのか?」

 

「今、考えてる」

 

「そっか。なら待つか?」

 

「そういう君はなにかないのかい?ずいぶんと平然としてるけど」

 

「提案したら却下した奴がなにを。まあ、あるにはあるけど面倒なんだよ。こっちの方が手っ取り早い」

 

「面倒でもお互いに痛い思いをしなくてすむなら、そっちの方がよくないか」

 

「わーったよ。ちょっと待ってろ、交渉してみる」

 

「交渉?」

 

 

疑問符を投げるフリンに、ナナシはスマホを起動させた。召還されたのはアリスである。ずいぶんとなついているようで、きゃっきゃと無邪気にじゃれついている。だっこをせがまれ、手を広げる少女を抱き上げたナナシは、ご機嫌なアリスをみた。

 

 

「なあに、お兄ちゃん。バトルでもないのに、なんのご用?そこのお兄ちゃん殺したらいいの?」

 

「違う違う。ここに閉じこめられたんだ。オレかフリンの目玉がないと出られないらしい。だからくれ」

 

「えーっ、返してくれないの?お兄ちゃん好きにしていいっていったじゃん」

 

「仕方ないだろ、こんなとこで死ぬ予定じゃないんだ」

 

「ならー、対価、くれるよね?お兄ちゃん。アタシにお願いするんだから、それなりの対価とお兄ちゃんのオメメの代用品頂戴。そうじゃなきゃあーげない」

 

「前よりレートあがってねえ?」

 

「だってお兄ちゃんダグザのおじちゃんと契約解いちゃったでしょー。もうお兄ちゃんのコレクション増えないんだもん、プレミアついちゃった」

 

「プレミアって・・・・・・ったく仕方ねえな。なにがほしいんだよ」

 

「えっとねー、えっとねー、待って。ちょっとかんがえるー」

 

 

予想外のプレゼントにご満悦なアリスは笑っている。可憐な容姿に不似合いな、過激すぎる発言が素通りする。慣れた様子でナナシは適当に相づちを打っていた。だからいやだったんだよ、というつぶやきに、フリンは顔がひきつっている。説明を求めるフリンにナナシは見ての通りと淡々としたものである。フリンもアリスは知っているし、悪魔合体で作成したから全書にも載っている。しかし、ナナシのつれているアリスは少々、いやかなり屍鬼に分類されるフリンのアリスとは性質が違う気がしてならない。

 

 

「東狂で迷子になってたから声かけたらなつかれたんだ」

 

「東狂?あそこは魔人しかいないって、イザボーに聞いたんだが、違うのか?」

 

「ほかの悪魔もいるにはいるけど、すっげえ強い。まあ、こいつは魔人みてえだけどな。ほら」

 

 

さしだされたスマホには、魔人と明記されている。

 

 

「どっか別の世界で魂が砕け散ったらしくて、その欠片がこいつなんだってさ。赤おじさんと黒おじさんとかいう悪魔が引き取りに来たんだけど、嫌がってよ。なんかオレを気に入ったらしくて、飽きるまで一緒にいるって言いやがった」

 

「ほんとは今すぐにでも死んでほしいんだけど、お兄ちゃんに勝てないから、お兄ちゃんが死ぬの待ってるの。死んだら好きにしていいって約束だもんね!おじいちゃんになったら嫌だから、ダグザおじちゃんから時々もらってたお兄ちゃんのコレクションに入れて、ずっとお友達にするの!すてきでしょ?」

 

「コレクションってまさか、ナナシの体のパーツかい?」

 

「うん、そうだよー」

 

「まあ、吹っ飛んでもダグザがなおしてくれたし、それくらい必要経費だし」

 

「うふふ」

 

「前から思ってたが、ナナシは(へんな奴に)よく好かれるんだな」

 

「その間はなんだよ、フリン」

 

「気にしないでくれ、気のせいだ」

 

 

苦笑いするフリンをじとめで見上げるナナシだが、アリスはお願い事が決まったようでナナシを呼ぶ。

 

 

「ふたりの殺し合いがみたいな!」

 

「却下」

 

「えーなんで」

 

「僕も今ここでナナシと戦う気はないよ」

 

「んー、なら、鬼ごっこしましょ。お兄ちゃんたちが鬼ね」

 

 

すてきな提案でしょうと無い胸を張るアリス。フリンは返事を返す前にナナシをみる。従来のアリスより遙かに苛烈な言動が目立つ魔人まで堕ちた少女の破綻した思考回路で生まれた鬼ごっこ。おそらくまともな遊びではない。ナナシは思考を巡らせる。

 

 

「あー・・・・・」

 

 

フリンをみる。

 

 

「ま、大丈夫だろ。フリンなら」

 

「やったー!これだから大好き、お兄ちゃん!」

 

「待ってくれ、ナナシ。どうして一度僕をみたんだい?あとルールは?」

 

「さっきオレの提案却下した口がなに言いやがる。野郎とのたれ死ぬなんてごめんだ」

 

「それについては僕も大いに賛同する。でも説明してくれないと困るよ、ナナシ。僕は今の状況に何一つついていけない」

 

 

ナナシはアリスを降ろした。アリスは目を閉じて、両手で顔を覆う。いーち、と数え始めた。ナナシは全力疾走で走り出す。フリンのしる鬼ごっこではすでにない。伴走することはたやすいが、フリンは背後から迫り来るすさまじい重圧に悪寒が走る。

 

 

「ルールは簡単、鬼は逃げるだけ。さあ、いこうぜ、フリン。死にたくないなら」

 



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洗濯竿は悪魔に限る(アサヒとナナシ)

「なっとらん、実になっとらん!」

 

 

勝手にナナシのスマホから出てきたアザゼルは、憤怒の形相でアサヒをにらむ。え、え、と戸惑いがちに瞬きするアサヒとぎょっとするナナシを見比べて、アザゼルは鼻を鳴らした。

 

 

「まだ神に盲目だった頃、男には争いを女には化粧を教えて堕落させたものだが、その末裔がこのざまとは実に嘆かわしいぞ、小娘!もう我慢ならん、貴様には化粧の基礎からたたき込んでやる!覚悟しておれ!」

 

 

俵担ぎされたアサヒは悲鳴を上げる。必死でスカートを押さえながら、降ろしてよ、と抵抗するが、天使長も勤めたことがある堕天使に勝てるわけもなく視界が高くなる。ずかずかと入ってきた悪魔に同居人の少女は悲鳴を上げるが、ナナシの仲魔だとアザゼルが自己申告するものだから、目を丸くする。いったいなにをしてるの、と彼女から投げられた問いに、ナナシはアザゼルに聞けと返すほか無い。突然スイッチが入ってしまった堕天使の暴走をナナシと少女はみているしかなかった。

 

 

なにやらがちゃがちゃと奥にある棚を物色していたアザゼルだが、お目当てのものが無かったようで引き返す。おろしてえっと羞恥に染まる幼なじみを担いだまま、アザゼルはナナシの前に戻ってきた。ちなみにナナシはさっきから見えそうで見えないアサヒの太股をガン見している。

 

 

「おい、ナナシ。しばらく借りるぞ、小娘をな。物資が足りんのなら調達するまでよ。なに、貴様の手はわずらわせん、ちいとばかし休暇をもらうぞ」

 

「暗くなるまでには帰れよ」

 

「あいわかった」

 

「なんで平然とおっけーしちゃうの、ナナシ!?助けてよおっ!!」

 

「この際化粧の仕方教えてもらえよ、アサヒ。オレはきれいになったお前がみたい」

 

「え、あ、そ、そう?ならがんばっちゃおっかなあってそうじゃなくてええっ!」

 

 

いやああっという悲鳴が遠ざかっていく。ナナシは一部始終を傍観しているしかなかった同居人の少女に目を向ける。

 

 

「洗濯物くれ、洗うから」

 

「あ、うん、お願いねナナシ」

 

 

悪魔の奇襲によって4人から2人になり、だいぶん軽くなった洗濯かご。ナナシは平然と回収すると女の子部屋から出て行った。

 

 

「アサヒ、×××、いるか?」

 

「いるよー。なにー?」

 

「洗濯物。両手ふさがってんだ、開けてくれ」

 

「はいはーい、お疲れさま」

 

 

同居人の少女が開けてくれた瞬間、ものすごい勢いでアサヒが飛び込んでくる。

 

 

「もういやああっ!ナナシ助けてよおっ!私、お嫁さんにいけなくなっちゃうーっ!」

 

 

洗濯かごで前がふさがっているのをいいことに、アサヒはナナシの後ろに隠れる。はあ?と振り返ろうとするが、アサヒはその後ろ姿にひっしと抱きついて離れない。同居人の少女はくすくす笑っている。どうやらアザゼルの化粧指南はなかなかのスパルタなようだ。

 

 

「遅かったな、人間」

 

「なにしてんだよ、お前ら」

 

「なに、基礎化粧品についてレクチャーしていただけだ、気にするな。興味を持ったなら少しでもなれておかねば、困るのは貴様だぞ女。さっさと出てこい、深夜まで掛かる気か」

 

「もうやだっていってるのにっ」

 

 

ううう、と消え入りそうな声で抗議するアサヒだが、アザゼルの教育的指導と同居人の少女の助けが入らないところからして、正論の嵐だと頭はわかっているようだ。わけのわからないことに巻き込まれたと他人事のように思いながら、ナナシはいつもの場所に洗濯かごをおく。いつもありがとね、と少女は笑った。ナナシが入ったことで化粧教室に逆戻りしてしまったアサヒは若干涙目である。

 

 

「せ、せんたくもの、洗濯物畳むからちょっとまって!お願いだからまって!ちょっと休憩しよ、ね?」

 

「仕方あるまい、早くすませろ、女」

 

 

アザゼルのおーけーが出たことでアサヒは大きくため息をついた。なにやってんだか、とナナシはあきれ顔である。そそくさと洗濯かごから自分のものを選別しはじめたアサヒと少女を見届けて、きびすを返そうとしたナナシの後ろで黄色い悲鳴が上がる。

 

 

「なにこれ?なにこれっ!?ナナシ、どうしたの今日の洗濯物すっごくふわふわだよ!?」

 

「すごい、しかもすっごくいい匂いがする!ね、どうしたの?なにしたの?魔法みたい!」

 

「汚れ落ちてるー!すごい、もうとれないって諦めてたのに!」

 

 

タオルやお気に入りの洋服を持ったまま、ナナシのところにやってくる彼女たちの目は輝いている。

 

 

「すごい、すごい!ヘアリージャックの毛みたい!ふっわふわー!」

 

「すっごい着心地よさそうだよね、明日が待ちきれないんだけど、アサヒ!」

 

 

口々に賞賛の嵐である。ナナシも満更でもなさそうに口元をゆるめる。

 

 

「ね、ほんとにどうやったらこうなるの、ナナシ!」

 

 

アサヒの、もっともな疑問にナナシは答える。

 

 

「東のミカド国に行ってきたんだよ」

 

「あ、わかった!あの国でいい洗剤とか柔軟剤とか買ってきたんでしょ?天然のなんとかっていうの売ってた気がする!」

 

「はずれ」

 

「え、ちがうの?」

 

「ちげーよ。いい天気だったから、あの湖の畔で干してきた」

 

「えっ、わざわざ?」

 

「わざわざ」

 

「洗濯物干すために?」

 

「フリンから釣りに誘われてたからついでにな。昼寝したかったからちょうどよかったんだ。気にすんな」

 

「そっかあ、ありがと、ナナシ!」

 

「え、ちょ、ちょっと待ってえっ!フリン?フリンって言った、ナナシ!?フリンってあの救世主の?希望の星の?嘘でしょ?」

 

「うそじゃねーよ。ちゃんと釣れた魚も持って帰ったしな。ほら、みやげ」

 

 

クーラーボックスには下処理をすませ、あとは調理するだけの状態になっている魚が入っている。同居人の少女は赤くなる。不思議そうにアサヒとナナシは少女をみる。

 

 

「いやああっ!よりによってフリンに私の下着見られるなんてええっ!!」

 

「別にフリンは気にしてなかったけどな」

 

「私は気にするのーっ!っていうかその情報はいらなかったよ、ナナシ!普通に傷つくからね、私の乙女心が主に!」

 

 

取り乱す少女の言葉に、ようやく状況を悟ったアサヒもつられて顔が真っ赤になる。

 

 

「ふん、その感性があるならば、今すぐにでも着飾る術を学べ女。オレが言っていたマナーというのはそういうことだ」

 

 

意地の悪い笑みを浮かべるアザゼルに、アサヒはこくこくうなずいた。

 

 

「それにしても大荷物だな、人間よ」

 

「せっかくならと思って、あらかた持ってったからな」

 

 

アサヒたちの部屋の前にはナナシの仲魔が鎮座している。山積みの洗濯物、そして布団、毛布、カバーなんかが乱雑に積まれている。どうやら荷物持ち要員のようだ。

 

 

「オレガホシタンダ、ニンゲン。キョウハグッスリネムレルゾ!オヒサマポカポカイイキモチ、コレサエアレバヨルモアンミン!」

 

 

得意げに笑うのはヴァスキである。

 

 

「アムリタツクルトキトクラベタラ、トッテモラクチンナシゴトダッタゾ、ニンゲン!オレサマオヒルネシテゴキゲン!ニンゲンモツリデキテゴキゲン!センタクモノカワイテ、ミンナゴキゲン!アオーン!」

 

 

ほめろ、ほめろ!とじゃれつくヴァスキにナナシはぽんぽん頭を撫でた。ヴァスキはうれしそうに笑う。すり寄るたくさんの手を適当に相手していたナナシは、後ろで広がる阿鼻叫喚には振り返る気もない。無情にも閉められた扉に、アサヒは崩れ落ちる。

 

 

そそくさと自分の部屋に帰ったナナシは、はやく食わせろとうるさいヴァスキに片づけを手伝わせる。カセットコンロを準備しながら、二段ベッドに常設している隣の部屋専用の盗聴カップに手を伸ばした。

 



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悪魔討伐の話(オール)

死神イシュタム。マヤ神話の自殺の女神である。首にロープを巻き付けてぶら下がる首吊り死体の姿で現れる彼女が好むのは、自殺した者、戦死した者、生け贄、神官。両目は閉じられ、顔は腐り始めているが、導きに応じた者はあらゆる苦しみから解放されて暮らすことが約束されているという。

 

 

その死神が閉鎖空間東京のあるシェルターに拠点を置いてから、もう25年が経過していた。頻繁に目撃されるようになってから、もう長いことたっている。25年も続く悪魔同士の対立や人間同士の覇権争いに疲弊しきった人々に呼応して呼び寄せられたのではないか、と言われているが定かではない。

 

 

甘美な死の言葉に誘われた数え切れない人々の命を奪っていき、その結果が集団自殺である。いや、ある意味無差別の殺戮と言った方がいいのかもしれない。生存者がいない今、当時のことは闇の中だ。人々の営みが忘れ去られたシェルターは、備蓄も十分確保されたまま時が流れた。

 

 

天使と悪魔の全面戦争を間近に控え、避難シェルターの確保に追われるハンターの例に漏れず、ナナシに依頼されたのはそんな曰く付きのシェルターだった。貴重な食料源である悪魔はもちろん植物まで確保できなければ、いずれ人は飢えて死ぬ。現況であるイシュタムを掃討しなくてはいけない。

 

 

送られてきたデータを入力する。ナナシたちは未踏の地であるターミナルに転送された。転送完了の電子音が聞こえる。ナナシたちが立て付けの悪い扉を開くと、真正面には機械が鎮座していた。悪魔の姿は見えない。

 

 

低いコンピュータの唸る音が響いている。静寂が支配する薄暗いこの空間ではやけに響いた。あたりを警戒しながら、電源を探る。ターミナルにほど近いところにスイッチがあった。あたりが一様に明るくなる。コンピュータの前には大きなモニタが設置され、電源が復旧したことでスイッチが入ったらしい。砂嵐のあと、ノイズ混じりの映像が流れ始めた。引き寄せられるようにナナシは前に経つ。

 

 

それはニュースや新聞、今は無きマスメディアの情報を乱雑にまとめた映像だった。

 

 

2010年頃から奇怪な事件が立て続けに起こり、猟奇的な殺人事件が多発し、行方不明者が急増する。不穏な、オカルト的な噂が流布しはじめる。震度5以上の大きな揺れがありながら震源地が特定できない奇妙な地震が東京を中心に頻発した。吉祥寺は謎の大災害に巻き込まれ、政府は戒厳令を発動、自衛隊によって封鎖されてしまう。地震はやまない。交通機関は寸断され復旧のめどが立たず、避難命令が出たが輸送手段のめどが立たないのか連絡がない。混乱した人々はSNSや掲示板で情報を求めた。しかし、信憑性ある情報は真っ先に死に、根拠のない無作為な言葉に埋め尽くされていく。そのうち、DSC、通称悪魔召還プログラムと呼ばれるアプリとANS、通称悪魔分析プログラムというアプリが勝手にスマホや携帯、ノートパソコンにダウンロードされる事件が相次ぐ。そして、某国から発射された核攻撃、それを防ぐように覆い尽くされる岩盤の動画が降り注ぐがれきに埋められたところで映像は終わっていた。

 

 

「なにこれ、なんだか怖いね」

 

「ずいぶんと古い映像が残ってたものね。まさか当時の映像が見れるなんて思わなかったわ」

 

「なんかこえーな」

 

「そうだね。今は岩盤って邪魔でしかないけど、あのときはそうじゃなかったのかな」

 

ナナシは沈黙したまま、静かに愛刀に手をかける。

 

「どうしたの、ナナシ」

 

「さがってろ、アサヒ。新手だ」

 

 

ナナシの視線の先には黒い死神がいた。いつの間にか消えたモニタ。その中から現れたのは討伐依頼がでているイシュタムで間違いないだろう。

 

 

「貴方たちもこの世界の苦難から逃れたいのね、かわいそうな人の子よ。死は誰にでも平等にやってくる。さあ、手を取りなさい。いきましょう、無の世界へ」

 

 

妖艶にほほえむ死神の声が響きわたる。イシュタムが手をかざすと、その先に魔法陣が形成され、チェルノボグ、ピュートーン、ラクシャーサが召還された。

 

 

「勝手に決めつけんじゃねーよ。オレの人生がどうかなんてオレが決めるんだよ。てめーに決められてたまるか」

 

 

ナナシの返事は即答だった。たった1年しか学べなかった師匠の遺言が今のナナシを形作っている。

 

何事も最後まで諦めるな。決して諦めなければ、いつか希望が見える。そして、希望は決して人を見捨てない。

 

今は亡き戦友からの言葉だと聞いていた。いつかナナシに託したいとも言っていた。その理由を知ることは永遠にないが、それでも構わない。

 

 

「オレは諦めが悪いんだよ。少なくても、お前の手を取った奴よりはずっとな。だからここで死ね。今日からここは錦糸町の奴らの避難所だ」

 

 

すさまじい閃光が炸裂する。閃光弾にも似た特大魔法の洗礼を皮切りに、ナナシたちの死神狩り、掃討作戦は始まった。

 

 

イシュタムたちの討伐には半日を要した。

 

 

最後の1体を撃破し、遺物を回収したナナシたちは錦糸町の人外ハンター商会に帰還する。任務を終えた証として、スマホの写真を提出すると、提示された通りの報酬と貴重な能力アップのお香が支給された。

 

 

翌日、同じ依頼がナナシのスマホにやってくる。どうやら取り残しがいたらしい。あらかた掃討したはずなのだが、珍しいこともあるものだ。召集に応じてくれた仲間たちを首を傾げながらも、もう一度シェルター内に再侵入する。イシュタムは平然とした様子でナナシたちの前に立ちふさがる。どうやら同じ個体のようで、ナナシに聖なる光でなぶられた憎悪から真っ先に攻撃してきた。少々苦戦しながらもなんとか撃破し、出現場所とおぼしきコンピュータやディスプレイを丁寧に破壊し、ふたたびナナシたちは帰還する。報酬はやや減少したが、復活したイシュタムのデータを提出した分が補填され、全体的には黒字になった。

 

 

さらに翌日。

 

 

今度こそ、別のクエストを受注しようと試みたナナシだったが、飛び込んできたのは再々調査の依頼である。3度目ともなれば嫌な予感しかしない。案の定、イシュタムが復活したという悲報である。埒があかない。これは一度相談した方がよさそうだ。ナナシはみんなを召集した。さすがに3回も同じ任務が続くとうんざりといった様子の面々だが、イシュタムの討伐が先である。

 

 

すっかりなれてしまった討伐のルーチンをこなし、ナナシはあたりを見渡した。

 

 

「やっぱりどこか別の場所から転送されてるのかしら?」

 

「でも回線は見あたんないぜ?」

 

「魔法の遺物はわからん。お前たちに任せる。オレは見張りでもしてるから、何かわかったら呼べ」

 

「ああ、わかった。よろしく」

 

「いわれなくても」

 

「回線はすべて切断したはずだ。転送は考えられない」

 

「そうだよねえ。うーん、でも私パソコンに詳しくないしなあ。どう思う?ナナシ」

 

 

投げられた質問に、ナナシはぺたぺたと冷たい機械をさわりながら、考えているから静かにしてくれと告げた。うん、とうなずいたアサヒはあたりを見渡す。

 

 

『なにを悩んでいる、小僧。よく考えろ。ターミナルはそもそも魔界からエネルギーを供給しているんだぞ。壊したものはもはや選択肢には入らないはずだ』

 

「それはわかってる」

 

 

ナナシは上を見上げる。煌々と電灯があたりを照らしていた。

 

 

「アサヒ」

 

「なに?」

 

「伏せてろ」

 

「え?って、きゃあっ!?」

 

 

おもむろにガラクタを投げつけたことで、火花が散る。ガラスの砕け散る音がして、あたりは一瞬で真っ暗になった。

 

 

「ちょ、おい、リーダー、なにしてんだよ!?」

 

「うるさい、ハレルヤ。静かにしてくれ」

 

「でも・・・・」

 

「いいから」

 

 

悲鳴をあげそうになって、口をふさがれていたアサヒは、ばしばし手をたたく。赤らむ顔は見えていないだろうが、恥ずかしいものは恥ずかしい。息を殺す後ろ姿を手探りで探り当て、手を離してくれとのばそうとした。だんだん目が慣れてくる。そのうち、電気が復旧したのか、あたりは明るくなった。アサヒはあわててナナシから離れる。ナナシは我関せずと上を見上げたままだ。

 

 

「やっぱりか。本命はこっちだ」

 

「どういうこと?ナナシ」

 

「そーだぜ、リーダー。ちょっと教えてくれよ、一人で納得してないでさ」

 

「イシュタムを復活させてる奴がわかったんだよ。犯人はこいつだ」

 

 

ナナシがにらむのは電灯だ。疑問符がとぶ2人を後目に、ナナシはノゾミを見上げる。

 

 

「ここの電気はどっからか知ってるか?」

 

「うーん、そうねえ。さすがにそういうことは、本部に聞いた方が早いんじゃないかしら。フジワラさんがターミナルを設置したはずだもの」

 

「じゃあ、聞いてくれ」

 

「聞きたいことは貴方が聞いた方がいいんじゃない?」

 

「オレの向こうにアキラを見てる奴なんて二度と会いたくねえよ」

 

「ふう、仕方ないわね。メール送るから待っててくれる?」

 

「なるべく早く。イシュタムがまた復活しちまう」

 

「はいはい」

 

 

ノゾミは苦笑いして、メールを送る。

 

10分ほどして、人外ハンター商会から返事がきた。

 

今から25年ほど前のこと。今はなきメシア教との抗争で劣勢になっていたガイア教の過激派が、封印していた邪神を復活させようとした時の儀式の遺産がまだ生きていることが判明した。このシェルターを管理する自立した独立発電所とコントロールするコンピュータに仕込まれた悪魔召還プログラム。それが諸悪の根元である。発電で得たエネルギーをマグネタイトに変換することで、イシュタムを何度も復活させている。このプログラムにはセキュリティがくまれており、そこにハッキングするウィルスをマツダが放ったところである。これから発電所の場所を教えるから、そこにいるであろう本体のイシュタムを討伐してほしい、ときた。

 

 

「えーっと、つまり、発電所は壊しちゃだめってこと?」

 

「そうなるわね。これから避難するのに、ライフラインが使えないと大変だもの。仕方ないわ」

 

「えー、でも面倒だな。イシュタムが人質にとったらどうすんだよ、発電所」

 

「我々がイシュタムと戦うのはこれで4度目だ。その分利がある。問題はないだろう」

 

「ナナシ、なにか策はないのか?」

 

「マツダがDDSを止めてるんだ。その間はイシュタムは復活できない。再起動する前に無力化してしまえばいいだろ」

 

「無力化ってどうするの?」

 

「仲魔にすればいい」

 

「は?」

 

 

おそらく誰もが同じような声を出していたに違いない。

 

そして彼らは、ナナシに召還されたオベロンによるセクシーダンスを拝む羽目になる。魅了状態になったイシュタムは前後不覚なまま、オベロンとナナシの甘言に乗せられ、あっさりと仲魔になってしまったのだった。

 

ウィルスと人智の及ばない戦いを繰り広げたイシュタムがそのウィルスを取り込むことでさらなる進化を遂げ、電霊として再臨していたと知るのはその後だ。故郷の楽園に帰るため新たな体を再構築し、スマホを自由に闊歩してはダグザに怒られているのだがそれはまた別の話である。

 



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3度目の埋葬(フリンとナナシ ①)

21世紀初頭、南極に突如シュバルツバースと呼ばれる謎の巨大空間が出現した。あらゆる物質を飲み込み、拡大を続ける超常現象の脅威に為す術はなく、事態を重く見た国連は、有人探査機を送り込む最終プランを決行。シュバルツバース調査隊を設立し、4隻編成の最先端揚陸艦隊は人類の運命を決める奇妙な旅に赴いた。残念ながら帰還したのはたった1隻、殉職したゴア隊長の遺志を引き継ぎ、帰還したタダノヒトナリという日本人を中心としたレッドスプライト号だけである。彼らが持ち帰ったデータは直ちに解析され、シュバルツバースを縮小させる計画は順調に進行し、世界の危機は去ったかに見えた。

 

 

しかし、裏ではその機密情報についてA国とC国の対立が激しさを増し、国際情勢は不安定になりはじめる。A国の苛烈な要求とC国との関係悪化による経済的な不安定さに挟まれた日本の将来を憂いたある男が、A国とつながることでその機密情報を入手。それを利用して日本を変えようとした。世界はすでにシュバルツバースの時代から悪魔の手に堕ちているとも知らないまま。

 

 

そして来る201x年、東京を未曾有の惨禍が襲った。男があらゆる手段をもって完成させたはずの未来の日本の希望となるはずだった永遠のエネルギー生成機が暴走、魔界と人間世界をつなげてしまったのである。突如、あふれ出した悪魔の大群。それらを強引に解決しようと東京に打ち込まれた核兵器。ある青年の犠牲によって空が岩盤に覆われ、人々は辛くも核の脅威から救われた。しかし、悪魔と共に幽閉されてしまった人々は、地下での生活を余儀なくされる。

 

 

そして時は流れ、203X年。人々は25年ぶりに太陽を拝む。天使と悪魔の最終戦争は終幕し、人々はようやく、これから、を考えることができるようになった。これはそんなある日の出来事。

 

 

 

 

湾岸エリアと呼ばれる場所がある。かつて行政、商業、文化などの広域的な拠点として栄える中心地のひとつだった。しかし、今は悪魔が跋扈する無法地帯である。隆起した岩盤が北から東に迫り、南から西にかけては海。公共機関が破壊され、老朽化が進む一方の海上を走る道路と地下鉄を徒歩で移動しなければほかのエリアに行けない湾岸エリアは、まさしく人工の孤島だった。悪魔の軍勢が魔界から沸き出してきた時の惨状は25年たった後も残されたままだ。下町情緒あふれる古きよき江戸の風情と、新しい町並みが混在し、高層マンションが映えた町は、当時を偲ばせるものは皆無だ。人がいなくなった街は風化もはやい。

 

 

人間がいない湾岸エリアは、もともと悪魔しかいない有様だった。しかし、スカイタワーを天使勢力が占拠したことで、もともと住み着いていた悪魔は追い出され、ここに流れ着く。最終戦争にまで至ると日を重ねるにつれて、悪魔が増えすぎて蟲毒状態となり、おぞましいほどに強い悪魔が跋扈するようになった。かつて4万人もの人間が住んでいたとはとうてい思えない。そんな、人が住めない土地となったにも関わらず、この先にある南砂町にはターミナルが設置されていた。主な利用者は高レベルの悪魔を退けることができる腕利きの人外ハンターである。早々に放棄された湾岸エリアは、慢性的な物資不足に悩まされる東京の人々にとって、ある意味で宝の山なのである。

 

 

今日もまた、ターミナルが起動して、ハンターが降り立つ。

 

 

フリンとナナシだ。フリンは久しぶりに足を踏み入れた南砂町を見渡す。

 

 

「なるほど。ここにできたのか、ターミナルは」

 

「フリンが設置しろっつったんだろ?なんでまた」

 

「それどころじゃなかったからね。フジワラさんに頼みはしたけど、まさかこんなに早く設置してくれるとは思わなかった」

 

「まあ、たしかにそうか。毎日、毎日、フリンのニュースばっかりだったしな」

 

 

たわいもない話をしながら、2人の足は東狂に向かう。

 

 

「ところで、誰の差し金だよ」

 

「なにがだい?」

 

「しらばっくれんな。あっちが忙しいのわかってんだぞ」

 

「それはお互い様だろう?」

 

「オレはいいんだ。やること変わらないし」

 

「でも、前は一人じゃなかった」

 

「あれが特別だっただけだろ」

 

「僕はそうは思わないよ、ナナシ。みんな心配してるのは知ってるだろ?」

 

「知ってる。ほっといたら一日通知が鳴り止まないから切るくらいには」

 

 

15年間太陽をあびたことがなく、主食が悪魔の肉のナナシは東京の民に漏れず、ミカド国の民と比べて非常に脆弱だ。やせて頼りないラインには、致命傷を負うたびに蘇生されてきた名残が残っている。箔をつけるために残されたのか、ふさがれた傷のぶんだけくぐり抜けた修羅場の数を物語っている、とフリンは思う。

 

 

たった1ヶ月で名をあげた新たなる希望の星は、平和になった東京で一人クエストをこなす日々が続いているらしい。なんとかしてくれ、とイザボーに泣きついたアサヒのメールを受けて、フリンは今ここにいる。マスター見習いとして働き始めたアサヒを始め、ほかの仲間たちも所属している組織に戻り、抱えている問題を少しでも前に向けるために歩み始めている。かつてのように集まることは難しいが、連絡手段は多い。ナナシがクエストに尋常じゃないほど数をこなしているとなれば、休めと仲間たちがうるさいのは目に見えていた。東京から悪魔の脅威を取り除き、復興を加速させるため、各地を奔走するナナシの現状は、部外者はかねがね好意的だが、仲間内にはもっぱら不評だ。

 

 

「よけーなことしやがって」

 

 

ナナシはぼやく。

 

 

「なにを焦ってるんだい?」

 

「焦ってねえよ」

 

「でも、顔色が悪い。寝てないだろ、ナナシ。もう君は人間なんだ、ノゾミさんとは違う」

 

「わかってるよ、そんなこと」

 

「なら、ナナシ、君をそこまで駆り立てるものは何だ?」

 

 

ナナシは答えない。黙秘権を行使する、とやけに鋭くなった眼光が見上げてくる。アサヒの事前情報がなければフリンはナナシを捕まえられなかったし、ナナシはいつものように一人で東狂に赴いていただろう。

 

 

東狂、という異空間が出現した、という話はアサヒから聞いていたフリンである。白い男が言うには、フリンやナナシ、あるいはアキラやフリンの前世が現れずに人類が滅び、魔人だけが闊歩する平行世界らしい。白い男と聞いてフリンは背筋が凍ったのだ。旧世代の人類の意識の集合体との邂逅は、フリンにとってヨナタンとワルターと敵対することが決定した重要な局面だった。すべてを無にかえしてほしいという嘆きを退けた先で、フリンはイザボーとミカド国と東京を救う中庸の道を選び取った。ありえたかもしれない未来、前世の因果、すべてを見せられた先でフリンが選んだのは救世主としての道だった。あらゆる想いを内包してフリンはここにいる。

 

 

だが、ナナシはどうだ。神殺しとしてダグザと契約したのも、アサヒを助けたいという想いひとつだった彼の前に現れる理由は。どうして白い男がナナシの前に現れる必要がある。ナナシはフリンとは違う立場で物を見る少年だ。彼はいつでも自分や周りにいる人間といった個人を優先する。たとえ全体的にみれば不利益であったとしてもだ。フリンはできない。救世主である、と自覚した時点でできなくなった。自制している部分もある。フリンは全体を優先することが課せられ、それを苦としない思考をする人間だ。だから白い男たちが現れたとフリンは思っているため、ナナシの前に現れたというその意図が全く読めない不気味さと、ナナシの行動の関連性が克明で、フリンはいてもたってもいられなかったのだ。

 

 

ナナシはここだ、と立ち止まる。誰もいない。珍しいこともあるもんだ、とナナシはつぶやいた。いつもはこの辺にいる、と指さす先には虚空。時空がゆがみ、空間がねじれ、いびつな周囲は時間の流れがおかしい。シェーシャと初めてあったときのような、違和感がある。どうやらここでナナシを待っている白い男は、フリンがお呼びではないようだ。東狂に入ったら別の場所に飛ばされることも念頭に、慎重にフリンは初めての東狂探索に突入したのである。

 

 

わずかな浮遊感の先で、フリンが見たのは、ありし日の東京だった。

 

 

「これ、は」

 

 

アサヒから聞いていた世界ではなかった。荒廃しきった街並みでも、脈打つ悪魔の体内のように不気味な血塊の山でもない。映像でしかみたことがない。ありし日の東京だった。フリンは息をのむ。雑踏のただ中に彼はいた。

 

 

「ナナシ、これ、は」

 

 

激しい頭痛がフリンを襲った。そこにいたのは、ナナシではない。フリンはよく似た男を知っている。面影がある。ただ酷く幼い。年齢はナナシくらいだろうか。

 

 

「だから言ったんだよ、くるなって」

 

 

ぽつりとつぶやいたナナシの声は、今にも消え入りそうだった。

 

 

「あんたが今ここにいるのがたまらなくうれしくなるから。だから嫌だったんだ」

 

「・・・・・・君、は」

 

「どんどんアキラに浸食されてんだよ。オレはオレだ。アキラじゃない。でもここはそういう世界なんだ。終わらせなきゃいけない。オレがナナシである間に」

 

 

ナナシは何度もここに赴いているのか、どんどん先に進んでいく。どうやらナナシはこの世界に入るたびに、判断に必要な情報はすべて頭の中にある状態で始まるようだ。今のナナシと同じ服を着ていることに、ようやく気づいた時には、悪魔討伐隊の拠点にいた。ナナシはフリンがみたことのない表情になる。ノックを数回、ずいぶん若い男の声がする。ナナシはノブを回した。なれた様子で様々な所作をこなしたナナシは、男を見上げる。フリンは知っている。おそらく若かりしころのツギハギだ。

 

 

「アキラ、どうしてそいつがいるんだ。一人で来いと言っただろう」

 

「仕方ないじゃないですか。僕だって不本意ですよ。でも様子がおかしいって入り口で張られたらどうしようもないじゃないですか」

 

「もっと慎重にやれとあれほどいっただろう。やはり手を引くか?」

 

「いやですよ。絶対に手を引いてなんかやるもんか。ツギさんが協力してくれないなら、フジワラさんのところに行くまでです」

 

「部外者に情報を漏らすなと何度も言ってるだろう」

 

「そもそもせっかくの非番に呼びつける方が悪いんですよ」

 

「そう拗ねるな、アキラ。おまえがやると言ったんだろう、男なら有言実行だ。いいな」

 

「はいはい、わかってますよ。ケンジさんとキヨハルさんが来てないだけまだいいじゃないですか。この人の口の堅さはツギさんだって知ってるでしょう?」

 

「昨日の今日だ。謹慎くらってる間はさすがにアイツラも大人しくしてるだろう。仕方あるまい、ここにつれてきたということは、話す覚悟はあるんだろう?」

 

「ええ、もちろん。ところで、その情報は確かですか?」

 

「諜報部が特定した情報だ、信憑性は折り紙付きだ。安心しろ」

 

「了解です」

 

 

ナナシのガントレットが情報を入手する。ナナシはフリンの見たことのない笑みを浮かべた。

 

 

「さあ、共に往きましょう、××××さん」

 

 

差し出された手をフリンはその手をとった。



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3度目の埋葬(フリンとナナシ ②)

ナナシは神殺しとなる数日前から、夢を見ていた。悪魔討伐隊の拠点から岩盤が覆われる様子を目撃したことに始まり、東のミカド国建国を決意するまでをアキラ本人の視点から経験してきた。

 

 

変化が生まれたのは、2度目の打ち上げの翌日からだ。

 

 

アキラと周囲の人々に重点が置かれ始めたのである。ある時はツギさんと共に悪魔の軍勢に取り囲まれ、ほかの仲間たちを誘導する役目を果たすため離別。再開したツギさんが仲魔に逃げられた上で大立ち回りを演じ、死んだ仲間の皮膚を自らに移植してツギハギになってしまった。一見すると恐ろしい形相になったツギさんをツギハギと呼び始める。

 

またある時は同じ学校に通うはずの姉が帰ってこないということで、姉と特別な仲だったキヨハルと共に探し回る。繭が打ちあがるのを阻止するためにケンジと天使を殺戮し、墜落した繭をかき分けて必死で姉を助けようとしたこともある。フリンによく似た青年に親しげに呼びかけられ、手を取ろうとする。共通点はいずれもアキラと呼ばれており、ナナシもそれを当然としていること。それ自体は神殺しの時代からあった。問題は、その感覚が抜けないということだ。しかも時間を重ねるにつれて記憶や想いが鮮明になり、ナナシの頭の中で混じり合い、融合し、昇華しようとし始めている。正直、ナナシは今感じていることがどこまでアキラとしてなのか、ナナシとしてなのか、わからなくなりつつある。迫り来る恐怖と葛藤しながら、仲間たちを思い描くたびに知らない誰かと重なり、無性に泣きたくなる衝動に駆られる嫌悪に苛まれながら、ナナシはここにいる。

 

 

そこに現れたのが、白い男だった。難しい話をした。よくわからなかったが、東狂にくれば解決の糸口がつかめるだろう、といわれた。夢に恐怖すら覚え始めていたナナシは、慢性的な睡眠不足になっていた。そこで足は自然と湾岸エリアに向かったのである。

 

 

ここにくるのは3度目だ、とナナシはいった。

 

 

「今度こそ、ケリを付けようと思ってたんだよ」

 

「そんなに強い敵なのか?」

 

「ああ、初見殺しにもほどがある」

 

「仲魔はどうして召還しないんだい?」

 

「そのせいで負けたんだよ」

 

「なんだって?」

 

「フリン、絶対悪魔を出すなよ。そんで近づくな。攻撃すんなら銃か火炎だ」

 

 

ナナシは足を止めた。悪魔が巣くうために異界と化した結界を突破すると、そこにいたのは、ただ荒廃しきった街並みが広がる。フリンがアサヒに聞いていた東狂の風景そのものだ。場所を特定できるようなものは残されておらず、わかるのは誰もいないことだけだ。人間はいない。ただ蟲毒状態となった世界で生き残るために融合し続け、恐ろしいほど強化された悪魔が跋扈するだけだ。話には聞いていた。この先にはそれぞれの拠点を支配する魔人がいる。

 

 

『アキラ』

 

 

フリンは顔を上げた。どこかで聞いたことがある声だった。目を走らせる。フリンの動体視力でかろうじて姿をとらえることができるほど、高速で動く影。人型のようだ。いや、人間から変質した異形、コープスを連想させるような外見をしている。

 

ナナシは一度突破したことがある悪魔の為か、対応が迅速だ。フリンは銃を構えた。ナナシが精神を統一し始めた以上、前衛を守るのはフリンの役目だ。

 

 

『アキラアキラアキラ』

 

 

数日、幻臭に悩まされるとナナシが愚痴るのも納得の刺激臭である。本来あるべき目がなくなり、穴があいているところから、液体が垂れ流されている。喉をふるわせるオゾマシい声が脳内にがんがんと響きわたる。フリンが引き金を引くたび、ただれた部位が弾け飛ぶが、影は構うことなくフリンの前に近づいてくる。

 

どろりとしたものは近くにあったすべてを飲み込み、周囲は黒い水たまりとなる。物質に関係なく泥の中に溶けてしまう。飲み込んだ物をマグネタイトに変換するふざけた性能があるらしく、ナナシは1度仲魔をすべて溶かされて敗北を喫したらしい。機動を遅くしようと足の部分を重点的に攻撃するが、あり得ない体格になって近づいてくる。

 

『どこ、どこ、アキラ』

 

アキラを探しているらしい悪魔を見つめるナナシは、悲壮感に染まっている。流れるものがある。フリンは見ない振りをした。

 

ナナシから放たれた魔砲はすべてを焼き払う。

 

女によく似た悲鳴が聞こえた。アキラを探し回る死屍と化した人間である。目がある場所から出る黒い液体は、這いずり回る体制になってもあふれ続けている。その泥をすべて蒸発させるほどの超火力が襲う。これでマグネタイトを補給する手段をたたれた。

 

「フリン!」

 

ナナシの声が飛ぶ。いいのか、と振り返ると、早くしろとナナシは口走る。

 

「ああ、わかった。君の期待に応えてみせよう」

 

刹那の思考の後、フリンの一閃が死屍を一刀両断した。血をきれいに払いのけ、愛刀を背にやったフリンはナナシを振り返る。

 

「ナナシ、あれは・・・・」

 

「まだだぜ、フリン。あれは本体じゃない」

 

きっぱりと告げたナナシは物言わぬ亡骸に一別もくれず、歩き出す。

 

「昨日はここで死んだんだ」

 

「そうか、わかった」

 

フリンは後を追った。ナナシの肩がふるえていることには、気づかない振りをした。

 

この異界を形作っている主が見えてきた。ここまでくれば、薄々脳裏をよぎる光景があったフリンはさして衝撃を受けることなくその光景を見上げる。フリンはこれを2度見たことがある。時空も時間も場所も違うが、ひとつは東のミカド国のシンジュク村で。もうひとつは東京の新宿御苑で。

 

ナナシは歩みを止めない。フリンが出会ったアキラの経歴が確かなら、ナナシはすでに知っているのだ。この包帯に巻かれた巨大な繭の中に広がる蜂の巣の空間がどういうところなのか。人間がひとつひとつの穴に閉じこめられ、環境に適応できるように強化し改造を施した場所。植物の種子や動物も運んだ巨大な選ばれし者を運ぶための船。墜落し、形を成していないもの。あるいは建築途中だったもの。どちらかしか見たことがなかったフリンは、完成品のそれに乗り込むのは初めてだった。

 

正六角形を隙間なく並べた空間が広がっている。その中はどれも空っぽだ。回遊型の階段をぐるぐると上っていくと、中央に位置する動力源不明の発光体があたりを黄金色に輝かせた。その真下には大きな球体が浮遊している。わずかに揺れているのがわかる。ナナシは何もいわないまま、精神を統一しはじめた。

 

ガラスが砕け散るような、きれいな音がした。球体の中に満たされていた、この繭の中にいたはずの人間のスープが溶けだし、すこしずつ形を作り始める。体が組成される。すみからすみまでスープが流れ込んでいき、とけ込み、一体の悪魔、いや魔人として一体化していく。とても静かな空間だった。

 

 

「我ガ名ハ魔人サトゥルヌス。誰モガ同ジ量ノ時間ヲ持ッテイル。貴様ラ人間ハ過ギサッタ日々を思イ出スノデハナク、過ギ去ッタ瞬間ヲ思イ出スノダ。過去ノコトハ過去ノコトダトイッテ、片ヅケテシマエバ、ソレニヨッテ、貴様ラハ未来ヲモ放棄シテシマウコトニナル。サア、【次コソハ】ト自ラヲナグサメヨ。ソノ【次】ガ貴様ラヲ墓場ニ送リ込ムソノ日マデ」

 

 

「フリン!」

 

「ああ、ナナシ。共に往こう!」

 

 

救世主たちの戦いは始まる。

 

熾烈を極めた激闘の果てに、雌雄は決した。

 

呪怨を残し、魔人サトゥルヌスは姿を消した。フリンは大きく息を吐く。

 

「大丈夫かい、ナナシ。一度本部に戻ったほ・・・・・ナナシ?」

 

じわりじわりと目尻から熱いものがこみ上げてくる。ぬぐってもぬぐってもあふれてくるそれに、感情の高ぶりも押さえきれなくなってきたようで、ナナシはそのまま崩れ落ちた。フリンが初めて見たナナシの泣き顔だった。わあわあ泣きわめくナナシに近づき、衝動がすっかり引くまで背中をさすってやる。優しい眼差しのまま、フリンは何もいわなかった。うぐ、ひく、と嗚咽をもらしながら、もらった布でぐしぐし乱雑に顔を拭い、目を真っ赤にしたナナシは何もいわない。帰ろう、と手を差し出され、こくこくうなずいたナナシは手を取った。



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3度目の埋葬(フリンとナナシ ③)

「寝たのか」

 

「ええ」

 

 

泣き疲れて寝入ってしまったナナシを抱えたまま、フリンはあたりを見渡す。ここに寝かせてやれとツギハギに指されたのは、その先にある応接室だ。今日は来客の予定はないといわれ、ありがたくそうさせてもらうことにする。

 

よほど気を張っていたのか、ほとんど気力で今まで行動してきたのか。糸が切れたように眠ってしまったナナシは、まったく起きる気配がない。少々心配になるが、規則正しく腹は上下しているし、呼吸も聞こえる。慢性的な寝不足といっていた。アキラとしてのあらゆる平行世界を見せられたのは、正真正銘の祝賀会から。すでに数週間たっているとフリンは記憶している。人間は睡眠を3日とらないと死ぬらしいが、睡眠を妨害され続けたにも関わらずここまで動けた強靱な精神に感服するしかない。

 

フリンは静かに扉を閉めた。

 

 

「すまんな、××××」

 

「いえ」

 

 

フリンは首を振る。

 

 

「本来ならアキラから聞くべきなんだろうが、その様子だとあいつはなにもいわなかったようだな」

 

「ええ。僕はただ彼がやりたいことを手伝っただけです」

 

「そうか。お前には知る権利があるが、どうする」

 

「どうして僕に?」

 

「なんだかんだでアキラはお前を慕っているからな。それとなく見てやってほしい」

 

「じゃあ、いくつか質問しても?」

 

「ああ」

 

 

フリンは適当なイスに腰掛ける。ツギハギは緑色の液体が入ったコップを渡した。白い湯気が立っている。フリンは見たことがある。これは【緑茶】というやつだ。おそらく本物だろう。レプリカでしか味わったことはなかったが、口に付けると今まで飲んだことのない味がする。ただ今のフリンの体は×××××の味覚である。おいしいと感じるし、落ち着くと感じるし、とても懐かしい感じがする。フリンはすべてを地続きだと思っている。だからナナシのような疲弊はしないのだろう。だからといってナナシにフリンと同じ価値観をもてとか、強要するつもりはない。無理をすればナナシが壊れるのは目に見えている。ただナナシをアキラと呼びたくはなくて、彼と言い続ける。

 

 

「彼はいつからあんな感じなんです?」

 

「お前も気づいているだろうが、1ヶ月前からだ」

 

 

ツギハギは目を伏せた。

 

姉が行方不明になり、それを探すために入隊したアキラは、メシア教団の繭の製造計画を知り、阻止するために動いていた。しかし、それはメシア教団派のキヨハルとガイア教団派のケンジの対立で思うように動けず、結局××××をはじめとした一部の人間だけで行動した。繭は空高く舞い上がり、戻ることはなかった。姉を助けることができなかった後悔をアキラはひきずっている。そんなアキラの苦悩に呼応するように、ある日、強力な悪魔の反応があった。それが最初だとツギハギは言う。おそらくナナシが一番最初に見始めた悪夢だろう。これをきっかけにナナシは東狂に通い詰めるようになったようだ。

 

 

「どんな悪魔だった?」

 

「繭にいた人間の魂がたくさん入ったコープスの女と、サトゥルヌスと名乗る魔人でした。時間についていろいろと語っていました」

 

「サトゥルヌス・・・・またやつか」

 

 

ツギハギはおもむろに立ち上がると、デスクにあるファイルを引っ張り出し、ぱらぱらとめくり始める。

 

 

「これはアキラの提出してきた報告書だ。こいつか?」

 

 

差し出された写真にフリンはうなずく。ツギハギは唸った。

 

 

「お前も知っているだろうが、魔人は存在自体は確認できるが出現場所や遭遇条件がわからない正体不明の存在だ。アキラは万人に等しく凶事と死をまき散らす害悪だと言ったがな。やつは一定周期で現れるようだ。今のところ、アキラしか会えていない」

 

「サトゥルヌスは聞き慣れない名前です。なにかわかりませんか?」

 

「一応、調べてはみたが確証はない。クロノスじゃないかと思うが、な」

 

 

フリンも魔人と対峙したことはあったが、サトゥルヌスという魔人は始めてみた。それに東狂という異次元とつながる前、魔人は恐ろしく低い確率で出現する正体不明の悪魔という認識でしかなかった。この世界の死の気配に引き寄せられたのか、それとも蟲毒を繰り返す悪魔の地帯となった湾岸エリアに同じ未来をみたせいか。魔人しかいなくなった世界がここともつながり始めているのをフリンも目撃した。きっとアキラはそれをいっているのだろう。このままこの世界と東狂がつながり、魔人が跋扈するようになれば待っているのは破滅の未来しかない。穴は小さいうちにふさがなければならない。ナナシはそう思っているのだ。この世界が東狂との関係を絶たなければ、ナナシに流入するアキラの思念は止まらない。

 

 

「俺は反対なんだがな、できればアキラには魔人と戦ってほしくはない」

 

「なぜです?」

 

「あいつらが名乗る名はすべて【死】そのものだ。本来、人間が太刀打ちできる相手じゃない。考えすぎかもしれんが、【死】そのものを退けたら、あいつはどうなる。人間でいられるのか?」

 

 

フリンは言葉を返すことができなかった。

 

この世に生まれて死なない命はない。死は避けられない運命だ。しかし、ナナシとフリンに関しては、流転する運命にある、とクリシュナたちから告げられた。しかもナナシに関してはすでに死んだはずの魂が転生するのをわざと捕らえ、無理矢理現世に押し戻し、組成した体に組み込んで、神殺しになった経緯がある。今でこそ結果的に人間となっているが、1ヶ月間にわたって人間ではなかった記憶は強烈に刻まれている。フリンの不安材料でもあった。

 

ツギハギの言うとおり、魔人が【死】そのものなら、ナナシは襲いかかる死の運命に自ら勝負を挑んでいることになる。ツギハギが見せてくれた調査書には、フリンが見たこともあれば討伐したこともある魔人が含まれていた。偶然出現していた魔人と違い、死んだ世界にいる魔人は【死】そのものだ。きっと性質はちがうはず。次から次とこの世界に根を張ろうとする魔人を退けてきたというのだから、フリンはなにもいえない。ナナシにとっては死ぬことよりもアキラになってしまうことの方が怖かったに違いない。

 

白い男はナナシになにをさせるつもりなのか、想像するだけで薄ら寒くなる。迫り来る死をはねのけた先に待っているのは、死を否定し、死を克服した存在だ。それは人間といえるのだろうか。いつか死ぬから生命は尊いのだ。それを否定したら、生命ではない。人間でありながら不死性を獲得してしまうおぞましさをツギハギは予感しているのだろう。

 

今、ナナシが必死で討伐しようとしているサトゥルヌスは、時を司る魔人だという。ただでさえ人間からはずれた精神に傾倒しつつあり、生命の理からもはずれていく道を邁進しているナナシが、時間すら否定する存在となったら、残された道はなんなのか。フリンにはわからなかった。

 

 

「止めないんですか」

 

「サトゥルヌスに関してはアキラが目の色変えて探し回るから難しい」

 

 

ツギハギはため息をついた。

 

 

「はじめに出現したときは、車輪を抱えた女と共にいたらしい」

 

「それは」

 

「ああ、アキラの姉とうり二つだったそうだ」

 

「悪魔化したんでしょうか」

 

「わからん。だが、繭を運んだのは天使どもだ。あの繭から出てきた成れの果てがあの悪魔だとしたらやりきれんな」

 

「一度討伐したんでしょう?どうして復活するんです?」

 

「それも含めて不明だから、正体不明という分類となっている、と俺は見ている。【死】という概念そのものだから、自然現象と同じで消滅という概念がないのかもしれん。ただいえるのは、魔人サトゥルヌスと共に現れる女はアキラの姉とよく似ていることは確かだ。はじめはその亡骸を埋葬したんだがな、サトゥルヌスが出現するたびにそれは突然消失する。もしかしたら、アキラは姉の魂があの魔人に捕らわれているとでも思っているのかもしれん」

 

「一度討伐したなら悪魔全書に載るのでは?」

 

「女の方は載るんだが、肝心のサトゥルヌスは載らんのだ」

 

「つまり、討伐できていない?」

 

「ああ。アキラのガントレットを操作してみろ。やつも覚悟の上だ、それくらい怒らんさ」

 

 

フリンは更衣室に置き去りにしていたガントレットを持ってくる。ツギハギは見慣れない機材をつなぐと、ボタンを操作する。悪魔全書が起動した。ミドーは繭の女の特殊合体が解禁されたとアナウンスするが、魔人サトゥルヌスの名前はない。ツギハギも予想の範疇だったようで肩を落とした。繭の女のすぐ隣には車輪の女がいる。フリンは目を見開く。

 

 

「どうした、××××。ああ、似てるだろう?まったく、あの魔人も趣味の悪い眷属をつれているものだ」

 

 

フリンが驚いたのはそこではない。車輪の女をフリンは見たことがあるからだ。東のミカド国にある修道院や教会、アキュラ王の建築したとされる建物には、かならず設置されている聖人だ。田舎生まれのフリンは聖人の名前に疎いためわからないが、特徴的だから覚えている。ソロネによく似たデザインだが、あきらかに人間の女だった。車輪に張り付けにされ、拷問にかけられるデザインがよく使用されていたはずだ。逸話をしらべればなにかわかるかもしれないが、それは重要なことではない。東のミカド国において信仰の対象になっている聖人なのが衝撃だったのだ。アキュラ王が建築した歴史的な建物に存在する聖人である。姉とうり二つならば、おそらく東のミカド国に連れ去られた姉の最後はきっとこういった末路だったのだ。おそらく、ナナシは平行世界のアキラの行動を連日連夜見せられ続けているから気づいているはずだ。平行世界における姉の成れの果てを魔人は連れているのだと。

 

 

ナナシはアキラの思念の流入を止めるため、アキラの思念に協力しているようだ。姉の魂を解放するには、サトゥルヌスを倒すほかない。しかし、サトゥルヌスは時間という概念が神となった存在だ。時間を超越することなど物理的に可能なのだろうか。でも、何らかの方法で克服しなければ、延々とサトゥルヌスは復活し続ける。フリンはすっかりさめてしまったお茶を飲み干した。

 

さっきまで閉じられていたはずの扉がわずかにあいていたからだ。ツギハギは立ち上がる。フリンはその気遣いに感謝して、応接室に向かった。

 

 

「よう、フリン」

 

 

泣き顔を見られてしまった気恥ずかしさからか、やけにナナシは視線を合わせない。頬が赤らんでいるのがわかる。目が赤いのをみられたくないのかもしれない。

 

 

「その、ありがとな」

 

「ああ、どういたしまして」

 

 

バツ悪そうにナナシは頬をかく。

 

 

「久しぶりに寝れた。こんだけ気持ちいい目覚めは久しぶりだぜ」

 

「それはよかった」

 

「これでスティーブンのおっさんがいなけりゃ、もっとよかったんだけどな」

 

「スティーブンが?」

 

「ああ。話があるんだってよ。銀座のマサカド公んとこで待ってるっつってた」

 

「そうか。行くんだろう?」

 

「おう。このタイミングで来られたら、行くしかねえしな」

 

 

フリンは笑った。

 

 

「もちろん僕も行こう、ナナシ。君の背中は僕が守ってみせるよ」

 

「はあ?なにいってんだよ、アンタ。いきなりんな恥ずかしい台詞いうなよ、気持ちわりいな」

 

「そうかい?僕はただ君に前だけ集中してもらいたいだけなんだが」

 

「なんかアンタがどんなキャラかようやくわかってきた気がする」

 

「それはよかった」

 

「俺はよくない」

 

 

フリンはなんとなくナナシの頭をなでる。ぞわっとしたらしいナナシは、なにするんだ、と払いのける。フリンは笑ってしまう。ようやく年齢相応なナナシが見られた気がしたのだ。もちろんそんなこと知らないナナシはたまったもんじゃない。みっともないところを見られた。しかも目が覚めたらやたらフリンが上機嫌だ。やけに世話をやきがるナマブの気配がする。お兄さんのような、先輩のような、やさしげな眼差しが嫌だ。やけに馴れ馴れしいのも、勝手が違う。距離をとるナナシは、フリンがおちょくってるんだと感じた。逃げるように応接室を出たナナシはフリンが来る前にツギハギのところに向かったのだった。



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箸の使い方がなってないぞ君達(ガストンとナナシとハレルヤ)

十字軍の隊長を一目見た瞬間、ナナシの好感度はどん底まで急降下した。

 

 

でかい。

 

 

理由はそれだけで十分である。

 

 

悪魔を主な食材として日々生活する東京の人々は、野菜は贅沢品、缶詰となれば最高級品となる扱いだ。すべての料理に悪魔が混入する以上、無駄に耐性はできるが、健やかな成長などとうてい見込めない。生まれたときから太陽を知らない子供は例外なく、閉鎖空間となる前の人々より体格は恵まれず、ラインは細く、色白だ。庇護してくれる両親や親族がいれば、もっとましかもしれない。だが、ナナシは生まれも育ちもろくにわからない孤児だった。さいわいマスターに拾われたが、それまでの衣食住なんて最低辺である。7歳までその生活しか知らなかったナナシは、今でこそアサヒを見下ろすほどまで成長したが、脆弱な印象を受ける体格までは変えることができなかった。ニッカリの下についてからマナブにくっついて、様々な鍛錬を積んだが体格は思うより改善しかなった。マナブやニッカリには孤児時代に培った生存本能が敏捷さや判断に直結していると褒められはしたが、異界魔法の拾得を勧められた時点でハンターとしての戦闘スタイルは決定したようなものだった。今でも暇を見てはかつての2人から課せられた鍛錬に精を出すが、18だというデカブツに3年で追いつける気がしない。

 

 

ガストンという男は、そこにいるだけでナナシのコンプレックスを刺激する要素の塊みたいなものだ。愛されて育った、恵まれた環境なのがよくわかる。霞ヶ関まで送り届けるという任務を請け負った時点で、さっさと終わらせようとナナシは心に決めたのだ。

 

 

腹が減ってはなんとやら、とナナシたちは先に食事にありつくことにする。十字軍は商会が用意したものを並べられている。ずいぶんと豪勢だが視界に入れると自分の小ささを自覚するので、ナナシはなるべく前の皿に集中する。ある程度会話も弾み、半分くらい食べすすめたところで、席を立つ音がした。喧嘩でも売りに来たんだろうか。それとも下々の食事に興味でもわいたのか、ガストンはナナシたちのテーブルにやってきた。

 

 

「なんだ、これは?」

 

「は?なにがだよ?」

 

 

ハレルヤは疑問をとばす。ついさっきまで、レプリカに阿鼻叫喚だった彼だが、さすがに30分も経過すれば慣れはしないが耐性はできたらしい。青ざめてはいるがなんとかこらえている。

 

 

「東京の民はここまで資源がないのか?!」

 

 

すさまじい衝撃を受けているガストンである。ハレルヤはナナシをみる。なんのこと?しるか。ですよね。ナナシはコップから逃げ出そうとしている紫色のスライムを箸で捕まえると、器用にかみちぎった。レプリカはだいたいこんな感じである。素材について深く言及しないのがお約束だ。知ったことで喉を通らなくなり、餓死するのはあくまでも事故責任である。チロンヌプは不思議そうにハレルヤの頭の上でガストンを眺めている。ハレルヤもふるえているガストンを見ているのがメンドクサくなったのか、食べかけのレプリカを箸で突き刺した。皿から逃げ出そうとしたのだ。悲鳴を上げるレプリカを口に放り込む。よく噛まないのがコツだ。

 

 

「なにが、ですか?」

 

 

アサヒは首を傾げる。

 

 

「資源って、なにがかしら?」

 

 

ノゾミは苦笑いを浮かべた。

 

 

「お前たちは棒きれで食べてるだろう!?」

 

「棒きれ?あー、箸のこと?」

 

 

ナナシたちは手元の箸に目をやる。

 

 

「そうだ、それだ!信じられん、そんな棒きれでナイフとフォーク、スプーンの役割まで果たすとは器用なのか、なんなのか・・・・ここまでくると尊敬の域だぞ、君たち」

 

 

熱弁を振るうガストンにナナシは目が点である。ナイフやフォーク、スプーンなんて遺物、食事に使うより換金したほうがよっぽど有意義だ。高い値が付く。

 

 

「あのね、ガストン君。私たちはナイフとかがないから、代用してるわけじゃないのよ?もともと、これを使う食文化なのよ」

 

「信じられん・・・・・」

 

 

絶句しているガストンに、ノゾミは説明を始める。もちろんナナシは興味がないので食事に集中する。ぼーっとしていたらチロンヌプにかすめ取られてしまう。ハレルヤはガストンとノゾミのやりとりににやにやしていたが、ナナシが黙々と皿を平らげていくことで、チロンヌプに狙われていることに気づいてあわてて食事を再開させる。アサヒはノゾミの話が興味をひくのか、箸をおきっぱなしだ。今日、チロンヌプの餌食になるのはアサヒのご飯である。向かいのテーブルで悲鳴が上がる頃、ナナシはガストンに声をかけられた。おそらく一番近かったからだ。

 

 

「おい、君」

 

「なんだよ」

 

「なんですか、だ。敬語を使え、敬語を」

 

「俺は敬語を使わない主義なんだよ」

 

「使えないの間違いじゃないのか?」

 

「使えねえとしてもお前だけには使わねえから安心しろ」

 

「何だと」

 

「ものを頼む態度かよ、あ?」

 

「ちっ、まあいい。これから年上に対する態度を教えてやるとして、この私が直々に頼むんだ。心して受けろ」

 

「箸の使い方だろ?んなの簡単だろ、ほら」

 

 

マスターに箸の使い方は習っている。ねぶり箸とか、刺し箸とか、細かいところは今でもよく怒られるが、箸の持ち方だけは教え込まされたから無駄にきれいなのだ。アサヒがまねするからきれいにやれと怒られたから仕方ない。ガストンは悪戦苦闘している。ちがう、ちがう、と何度もやり直しているうちにガストンが怒ってしまい、こんなものすぐできる、といきまいて箸を持って行ってしまった。バーの備品なのだが。まあいいか、とナナシは席を立つ。さっさと霞ヶ関に連れて行くのが先だ。

 

 

そして数時間もたたずに再開し、なぜか同行することになったガストンは、食事のたびにナナシに箸の上達具合を見せつけてくるようになった。だからどうした、という話だが、ダメだしされたのがよほど悔しかったらしい。そのうち、マスターやノゾミからマナーについて聞くようになったガストンが、いつのまにかナナシやハレルヤたちより箸について詳しくなってしまい、口やかましくなったのは言うまでもなかった。

 

 

「おい、ナナシ」

 

「なんだよ」

 

「ねぶり箸をするな、みっともない」

 

「うっせーな、いいじゃん、それくらい」

 

「よくない。君のような食べ方をするやつがいると、私まで同類だと思われるだろう!」

 

「アンタは俺の母親かなんかか」

 

「やめろ、気持ち悪いことをいうんじゃない」

 

「だからそれがうっせーんだっつーの。わかんねえかなあ」

 

 

うへ、とナナシは舌を出す。今日という今日はハレルヤとナナシのマナーの悪さを改善してやると意気込むガストンに、アサヒとノゾミは顔を見合わせた。ちょっとまて、なんで俺まで。まさかの巻き添え!?毎日毎日うるさいガストンに気圧されて、少しずつ改善してきたハレルヤはナナシを恨みがましい目で見つめる。ナナシはガストンをおちょくるように唐揚げを突き刺した。喧嘩を売っているのかとガストンはナナシにひきつった笑みを浮かべる。べつにー、とナナシはチュパカブラの唐揚げをほうばった。

 

 

『ここまでくるともう意地になってるだけではないか・・・・ガストン・・・・』

 

 

三人のやりとりをちょっとうらやましそうに見つめながら、ナバールはあたりを浮遊する。

 

 

「そこまでいうなら、ちょっとしたゲームでもしてみる?」

 

 

ノゾミは3人に言葉を投げる。バーのマスターに頼んで、お皿を2つ、箸を1つ、そして大豆のレプリカをたくさん持ってきた。

 

 

「子供の時にやった覚えがあるんだけどね。こうやってお箸で小さいものを運ぶのよ。結構難しいでしょ?ちゃんと使えないと運べないってわけ。やってみたら?」

 

 

「やだよ、めんどくせー。俺達に利点ねーじゃん、ノゾミ。こーいうのは景品がねーと燃えねーだろ」

 

「ちょっと待ってくれよ、リーダー。なんで俺まで巻き込む前提なんだよ。まさか俺までゲームする流れ!?」

 

「はいはい、手間のかかるリーダーねえ。なら勝った人の言うことを負けた人は1つ聞くってのはどう?ガストン君が勝ったら君たちはお箸の使い方をちゃんと練習する。君たちが勝ったらガストン君はなにもいわない、みたいな?」

 

「どーする、ハレルヤ」

 

「頼むから俺に参加するかしないか聞いてくれよ、せめて」

 

「やだね、なんで俺だけ参加するんだよ。友達だろ、俺たち」

 

「こんなときだけ強調されてもうれしくない!」

 

 

渋々参加表明したハレルヤを巻き添えに、ナナシはガストンとゲームに興じることにしたのだった。

 

 

「私の勝ちだな、ナナシ!ハレルヤ!」

 

「くっそっ、あと1個だったのに!」

 

「嫌な予感はしてたんだよなー」

 

「恨むなら腕のリーチを恨みたまえ」

 

「こんのやろう、人の気にしてることをべらべらと!」

 

「はっはっは、聞こえないな!私は勝者であり、君達は敗者だ。さあ約束通り、今日から特訓だ」

 

 

ずるずる、と2人が店の奥に引きずられていく。いってらっしゃい、とノゾミは2人を見届けた。にやにや笑いの浮遊霊を見届けて、ノゾミは振り返る。

 

 

「どうします?」

 

「たぶん一日かかるわよね。今日は解散にしましょうか」

 

「はーい」

 

「せっかくだし商店でものぞいてみる?」

 

「さんせーです!いきましょう、ノゾミさん!」

 

 

アサヒが裏切るとは思わなかったとは、ナナシの談である。

 

半日後。

 

 

「おいおい、兄ちゃん。そろそろ店じまいだぜ?いい加減帰る準備をしてくれや」

 

 

バーのマスターは、あきれ顔でガストンに声をかける。

 

 

「ああ、もうそんな時間か」

 

 

そうしたいのは山々なんだがといった様子で、ガストンはソファをみる。少々困り顔の先には、うつらうつら船をこいでいるハレルヤとナナシがいる。闘争心に火がついてしまったガストンの熱血指導は十数時間に及び、はじめこそ悪態をついていた2人だったが、ガストンが本気だと悟ると少しずつ口数が少なくなっていったのだ。やがて淡々と作業をこなす機械と化していた。はじめこそ2人は、逃げだそうとするたびに槍を突きつけられて静止を余儀なくされた。さすがに店内で大捕り物をやらかしたら出入り禁止になってしまう。冷や汗をながし、必死で箸の特訓をさせられていた子供2人にマスターはあきれ顔だ。

 

 

「しゃーねーや。こっちに従業員の部屋があっから運んでくれ。ただし散らかってるのは勘弁してくれよ?」

 

「すまない、感謝する」

 

「おーよ。しっかし、あんたら、どんなつながりだい?まるでバラバラの集団じゃないか。たしか、アンタはあれだろ?ミカド国の」

 

「ああ、そうだったな」

 

「ん?」

 

「いや、なんでもない。毛布はあるか?」

 

「ろくに洗ってねえのしかねーがこらえてくれよ。兄ちゃんみたいに太陽の臭いなんざしないさ」

 

 

嫌みめいた言葉だったが、ガストンは無視した。口元に浮かんだ笑みを隠すのに忙しかったからである。それを一部始終見つめていたナバールは似たような笑みを浮かべていたのだった。

 



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魂の取立て不履行につき(アキラとメフィスト)

創造主が明確な意志を示さないことは、大天使に救済の解釈を強いた。人間を徹底的に管理するのか、人間の統治を見守り不干渉を貫くのか。どちらが神の意志なのか対立は深まり、四大天使とマンセマットの勢力は決裂した。その岐路は、天使の国に現れたアキラという少年である。

 

 

メフィストフェレスがその話を聞いたのは、新たに勢力に名を連ねることになった堕天使の長からだ。人間世界を視察に行った天使長が人間の女と結ばれたことで堕天した。率いる天使たちもみんな堕ちたものだから、天使勢力が抹殺にきた。ほんの1割はマンセマットに下り堕天を免れ、ほとんどがルシファーの勢力に下った。元天使長はマンセマットの元に下った派生から伝播する情報を得て、メフィストフェレスに提供したのだ。

 

 

元天使長は人間を神の望む姿に作り替え、その人間のみが永遠に神を信仰する国を作ろうとした計画のため地上に降りていた。無垢な子供を選別し、誘拐した。動きやすくするために宗教法人の形で東京に根を下ろし、表向きは新興宗教の活動に尽力。裏では人々の意識を根本からねじ曲げる賛美歌の蓄音機をならし、その賛美歌に反応する人間だけを狙った。賛美歌を聞き取ることができるのは、無垢なる魂になる可能性がある人間だけだ。反応を示した子供を中心に誘拐し、秘密裏に建造した繭に幽閉した。巨大な蜂の巣である。六角形の部屋で子供達は問答無用で遺伝子操作を施され、来るべき環境に備えて改造、強化、が行われた。自我を持たない人間ができあがる。神を信仰するためだけに生まれた人間ができあがる。動力源は天使だ。人間でありながら、天使と同じ構成の人間の誕生である。

 

 

神を盲信する人間にするため、自我を奪う徹底したギミックには、光に対する未練も大いにあるメフィストすら感服するほどの無慈悲さだ。さすがは火から生まれた天使、愛すべき元同志。土から生まれた人間が神に愛されたことがよほど気にくわなかったらしい。神は人間を自らを模して作ったから愛すべきなのに。その人間から自我を奪ったらそれは神が自らを模したという事実を貶めていることにも気づかないとは。自我が芽生える、もしくは大天使がいない状況下になると、自動的に神に愛される前の土人形に貶め、強制的に神に盲目にさせるギミックは神を冒涜するにもほどがある。

 

 

天使に造られた子供達は、文明を放棄し、原始的な生活をする選ばれた始まりの民として繭から出され、生活をはじめた。もう300年ちかくたっている。赤子のように無知で、無垢で、真っ白な人間の世界に、突然汚れた旧人類が接近し始めた。神の御心に沿うような人間として生まれ変わる価値もない、汚れた人間だ。異分子は排除されるべきだ。ケガレビトと天使は戦争状態にある。膠着しているのは天使勢力の一部が秘密裏に支援しているから。そんな話だった。

 

 

このときルシファーは柱となるべき人間が討たれ、冷獄に封印されることになったばかり。従者の一人として、その代行を分担して職務にあたる高位な悪魔だったメフィストは、その人間に興味がわいたのである。元天使長は狂言回しを得意とする自分よりもこの職務に向いていると推挙し、道化師の振るまいと変幻自在な術をもつ自分が偵察にあたると自薦した。

 

 

メフィストがアキラに出会ったのは、このときだ。四大天使と背反する思想から神の意志を示そうとするマンセマットがその支援の中心だと判明した時点で、メフィストはアキラが気に入った。マンセマットは大天使でありながら堕天使や魔神の軍勢を率いることを神に許されている。人間を誘惑し、迷わせる、試練を与えることで神への信仰を示そうとする特異な天使だ。天使勢力にいるにもかかわらず、メフィストが忠誠を誓うルシファーに宿命づけられた定義と同じ存在である。そんな大天使がアキラを気に入っている。きっとルシファーも気に入るはずだ。そう思ったのだ。

 

 

マンセマットはメフィストがアキラに協力することに咎めはしないし、なにも言わなかった。ただ光を嫌いながら光に焦がれている難儀な性格を揶揄しただけである。

 

 

「なあ、アキラ」

 

「なんです、××」

 

「頼みがあるんだよ。何年かかってもいい。何百年かかったっていい。俺たちの孫が、曾孫が、ずっと後の世代でもいいから、人間が人間らしく暮らせる国を造ってくれ」

 

「約束します。絶対に、絶対に造ります。僕が王になった暁には、必ず」

 

「それはよかった。俺は、その国の民になってやるよ、アキラ。だから、しばしのお別れだ」

 

「はい。お疲れさまでした。ほんとうに、今まで、ありがとうございました」

 

 

アキラの手の中で冷たくなっていく仲間の手のひら。簡素な邸宅にはいつも静寂があたりを包んでいる。メフィストはいつまでも手を離さないアキラを背後から眺めている。

 

 

「なんだ、メフィスト。一人にしてくれって言っただろ、入ってくるな。ぼくは今君の相手をする気分じゃない」

 

「いやですねえ、私は貴方の願いを叶えて差し上げようと思っただけですのに」

 

「彼はそんなこと望んでない。彼は人間のまま逝かせてやるべきだ。余計な口を挟むな」

 

「一人にしないでくれ。寂しい。そう思ってるのはほかならぬ貴方でしょうに」

 

「うるさい」

 

 

流暢な英語が氾濫するこの国で、ケガレビトの言葉だと禁忌とされている日本語がどれだけ強烈な郷愁を呼ぶか、手を取るようにわかる。メフィストは悪魔だ。わざわざ音を発さなくとも意志疎通は可能だが、取り入るのに必須なものなど知り尽くしている。目尻が潤むアキラをみるたびに、歪な感情が浮かぶ。堕天したことで得たおぞましい本性をさらせば、今のアキラは抵抗しようがなくなるが、それは意味がない。常にメフィストがアキラの前に現れるのは、アキラの姉を誘拐した犯人の姿だった。憎悪と信頼がない交ぜになった複雑な感情は、メフィストを満足させた。

 

 

人間の皮をかぶったその天使は、おぞましいほどに美しい男だったらしい。魅入られるほど妖艶で玲瓏な青年だ。同時に恐ろしい。いつもするりと心の中に入り込んでくる上に、人付きのする穏やかな笑みをたたえていながら、見下している。ただ、メフィストが再現すると、その瞳の奥に欲望を解放することを是とする矛盾した信条が浮かび、抵抗することを待ち望む恐ろしさが付与される。似ていながら全く違う。それがアキラの感情を激しく揺さぶっているようだった。

 

 

アキラの目に濁流のような高ぶりがちらつく。そのくせ怒りでもない、悲しみでもない、ただ驚くほど凪いでいる。そのゆらぎをみるたびに、メフィストの顔は楽しげにゆがんだ。

 

 

「忘れないでくださいよ、アキラ。私はどうあがいても絶望的なこの状況の中でも、最後まであがき続ける貴方が美しいと思っているから協力してさしあげるのです。どうか最後まで私を楽しませてくださいね。くれぐれも私を興ざめさせないように。契約はすでになされました、対価はお忘れなく」

 

「わかってる。アンタの協力がなかったら、ぼくは姉ちゃんの子孫まで殺すところだったんだ」

 

「ええ、ええ、そうですとも。まさしくその通り。ですが貴方は最適解を常に提示してきたではありませんか、なにを悔やむ必要があるのです?」

 

「最適解が幸福とは限らない」

 

「大いに悩んでください、アキラ。その生を終えたとき、時を忘れる最高の瞬間でもって永遠に貴方をもてなして差し上げましょう」

 

「好きにしろ、ぼくは興味ない」

 

「貴方は私と契約したのですからね。貴方の魂は私が貰い受けるのです、くれぐれもお忘れなく」

 

 

封印することしかできなかった大天使の残党に暗殺され、東京の女神に契約の報酬である魂をかすめ取られるとは思わなかったメフィストである。マンセマットがアキラと死後も含めた契約が交わされていることを知ったメフィストは、もっと早くにアキラに近づくべきだったと後悔した。まだ飽きていないお気に入りの玩具が取り上げられた気分である。人間の国の建国を見届けて、メフィストはルシファーの配下に復帰した。

 

 

 

それから時は流れ、ルシファーが核となる人間を軸に無事東京に復活することに成功し、メフィストは代行の職を辞することになった。その報酬としてルシファー陣営から離脱することが黙認されたメフィストは、さっそく継続している契約をたどってナナシの前に現れたのである。

 

 

「遥か時の彼方、大いなる神が現れた瞬間から、光と闇は戦いを続けてきました。ですがねえ、アドラメレク。貴方はカオスの神髄をわかってはいないようだ。カオスとはすなわち力の信奉なのですよ。我々が価値がないと蔑むのはなにもせず流されるままの者達のはず。数の暴力という弱者の力、抵抗しようとする力、権力、暴力、あらゆる力は許容される。少なくても、ここにいるナナシとアサヒ、2人は価値のない人間ではないはずです。その目に光がある以上はね?」

 

「これはこれはメフィスト様、まさかそのガキをかばうおつもりで?」

 

「かばう?なにを言っているのです?私が聞きたいのはそんな言葉ではありません。アドラメレク、私がほしいのは貴男方がナナシ達に対する攻撃をやめるという契約とその保証です」

 

「またいつもの気まぐれですか?」

 

「いいえ、これは本気ですよ、アドラメレク。私は本日を持ってルシファー陣営から離脱いたしましたのでね?」

 

「なんと。それは初耳ですねえ」

 

「よく聞きなさい、アドラメレク。今は大変な修羅場です。言葉を選んで慎重に発言しなさい。ナナシとアサヒへの攻撃をやめろ。そしてその保証をしろ。でなければ今ここで私は貴男方を殲滅する。ナナシの憂いがないよう徹底的に」

 

「ルシファー陣営から離脱したなら私は貴方の命令を聞く理由はないのでは?」

 

「残念ながらこれはルシファー様も許容している。私がなにをしようと勝手だとね」

 

「なんとまあ」

 

「私は謝罪など求めていない。二度目だ、よく聞け。攻撃をやめろ。でなければ攻撃する。時間稼ぎの曖昧な返事は認めない」

 

「これでは交渉の余地がないのでは?」

 

「三度目だ。交渉も対話も終わった。お前が終わらせた。この場に及んで俺の本気がわからないか」

 

「なぜそんなガキにそこまで」

 

「口先でこの俺を誤魔化せると思うなよ。5、4、3、2、1」

 

「仕方ありませんね。しかし、わかりませんね、どうして貴方が」

 

「黙れ、アドラメレク。これは命令だ。実力でねじ伏せられるか、穏便にねじ伏せられるかという選択だ。お前は後者を選んだ。さっさと行け。不満があるなら今すぐにでも殲滅を開始する」

 

 

呆然としているナナシとアサヒの前に降り立ったメフィストは、おそらく彼らが信用おけるであろう人間によく似た皮をかぶったまま笑った。ダグザが鼻で笑う。メフィストは舌打ちをした。今度は3番目か。

 

 

残念ながら契約こそ前世から続いているが、そもそも格上の魔神と東京の女神の契約を前にしては効力が薄い。せいぜい前世との因果でナナシに魂の記憶を想起させる程度だろうか。だが構わなかった。メフィストはナナシの感情の高ぶりを見るのが好きなのである。契約はすでになされている。いつかはナナシの代でも、次の代でも構わない。ナナシの魂が存在する限り、とぎれることはないのだ。

 

 

「私はねナナシ、貴方がやらかすことに興味などないんですよ。貴方がどう立ち上がるか、ただ一点にのみ関心があるんです。おわかりですか?」



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太陽を知らない子供達(アサヒとナナシ)

単なる好奇心だった。アサヒの知る世界はいつも賑わい、喧噪に包まれているのに、彼の周りだけが酷く静かだったから。

 

 

「ねえ」

 

「阿修羅会公認のお店にようこそ、小さなお客様?お使いかしら?」

 

「むぅ、違うよ」

 

「あら、そうなの?」

 

「うん。あのね、聞きたいことがあるの」

 

「なにかしら?」

 

「あのね、昨日、あたしくらいの男の子こなかった?」

 

「さあ、どうかしら。毎日たくさんのお客様がいらっしゃるから、ちょっとわからないわね」

 

「えーっ、知らないの?あたし、見たのに」

 

「ごめんなさいね、小さなお客様。ほかのお客様がいらしたから、また今度ね」

 

 

アサヒの後ろには人外ハンターの男達が列を作り始めている。錦糸町の人外ハンター商会のバーのマスターの娘となれば、所属するハンターはもちろん風の噂でアサヒのことを知る人間は多い。

 

 

「おーおー、マスターんとこの嬢ちゃんじゃねーか」

 

「あ、××おじさん」

 

「おー、よく覚えてたな、アサヒちゃん。さすがだぜ」

 

「あ、ほんとだ。マスター元気でやってる?アサヒちゃん」

 

「うん、元気だよ!」

 

「あそこの見習いの兄ちゃん、どもりは直ったのか?」

 

「うーうん、まだ直ってないよ?」

 

「そーか、ならそれを確かめてくるとすっか」

 

「どうしてこんなとこにいるのさ、お使いかい?」

 

「あ、おじさん」

 

「こーら、お兄さんといえお兄さんと」

 

「おにーさん?」

 

「なんで疑問符がつくかは見逃してやるけど、どうしたんだよ、こんなとこで」

 

 

アサヒは物怖じせずにハンター達に声をかける。

 

 

「ねえ、昨日、あたしくらいの男の子こなかった?」

 

 

ハンター達は顔を見合わせた。アサヒはこてんと首を傾げる。しばらくのアイコンタクトをとった結果、しらない、が答えだった。嘘だなあ、とアサヒは思った。誰も教えてくれないなら仕方ない。追いかけてみよう。そう思った。

 

 

たまにやってくる男の子は、錦糸町の子供ではない。地下鉄は狭い世界だ。悪魔と戦う手段を持たない人間は生まれたときからみんな顔見知りである。アサヒと同じくらいとなればそれこそ指折りしかない。知らないということは外から来た子だ。どうやって?どこから?ちょっとした好奇心は、なかなか見つからないせいで大きくなるばかりだ。

 

 

男の子は数ヶ月後にやってきた。アサヒと同じくらいの男の子だ。ずっと大きな青年たちと一緒だ。たくさんの袋をもって阿修羅会公認のお店に持ち込んでいる。アサヒも見たことがないものがたくさんあった。すごい、どこから持ってくるんだろう?

 

 

こっそりおいかけた。

 

 

青年たちにくっついて、男の子は線路のバリケードを越えて行ってしまった。やっぱり外から来たんだ。アサヒは目が覚めるようだった。外といえば地下鉄の外という前提だったが、食料倉庫もかねている線路の向こうは真っ暗だが、道は続いている。今まで行ったこともなかった。行こうと思ったこともなかった。バリケードの外はアサヒの世界ではない。興味もなかったが、好奇心が勝った。消えてしまった人影を追いかけようとしたアサヒは、見張りの男性に止められた。

 

 

「なにしてるんだ、君。出ちゃダメだよ」

 

「えー、どうして?さっきの男の子達はいいのに」

 

「・・・・・・見てたのか」

 

 

見張りの男性は困ったように頬を掻いた。説明に困っているようだ。

 

 

「ほんとはあの子達もダメなんだよ。地下鉄から出ないのが一番いいんだ」

 

「じゃあ、どうして外に出ちゃうの?」

 

「そうしないと、生活できないからだよ」

 

「どうして?」

 

 

不思議でたまらない。アサヒは首を傾げる。どこまで話したものか、彼は考えあぐねている。しばらくの思考の後、声を潜めて彼は言った。

 

 

「あの子達は、お父さんもお母さんも、ほかに頼れる大人がいないんだ」

 

「そうなの?」

 

「ああ。いろいろあって、君にとってのマスターや見習いの彼みたいな人が誰もいないんだよ。誰も頼れる人がいないから、一人で生きなきゃいけない。それじゃ難しいから、ああやってみんなで行動してるんだ」

 

「ふうん、そうなんだ。すごいね。あたしくらいの子もいるのに」

 

「・・・・・・ああ、うん、そうだね」

 

「どうしたの?おじさん」

 

「ここだけの話、あんまり、あの子達とは関わらない方がいいよ」

 

「どうして?」

 

「あの子達は何でもするんだ。生きるためなら、そう、なんだって。ここから食べ物や物を盗んでくことだってある。君のきれいな服や鞄だってとってくかもしれない。お金になるからね」

 

「そうなの?!」

 

「まだ子供だから目をつむってることもあるんだが、あんまり度が過ぎると俺たちも対応を考えないといけない。困ってるんだ、正直ね。だから、あんまり関わっちゃダメだよ。マスターの迷惑になる」

 

「そっか、知らなかった」

 

「可哀想ではあるんだけどね。俺たちにも生活があるからなあ、難しいな」

 

「難しいね」

 

「そういうわけだから、フェンスは乗り越えちゃダメだよ。ほらほら、戻った戻った。子供は地下鉄で遊ぼうね」

 

「はーい」

 

 

そして半年後、アサヒにとって大事件が起こる。その日は朝から騒がしかった。マスターや見習いの彼からいろいろ持ってくるように頼まれて、あっちこっちに駆け回ったことを覚えている。大人が商会にごった返していて、アサヒみたいな子供から同居している女の子のお婆ちゃんまでみんな忙しかった。人だかりに遮られて何にもわからない。マスターやお婆ちゃんといった大人達が帰ってこない日が一週間を過ぎた頃、マスターはようやく帰ってきた。男の子を連れて帰ってきたのだ。お試しで一緒に住むと。お互いうまくいったらそのまま新しい家族になるといって。じいっとアサヒを見つめていた男の子は、マスターを見上げる。

 

 

「おっさん、誰こいつ」

 

「おっさんじゃないって言ってるだろ、こら」

 

 

べし、と頭をこづかれて、男の子はいてえと叫んだ。

 

 

「こいつじゃないよ。あたしはアサヒって名前があるんだから」

 

「アサヒか、ふーん。いくつ?」

 

「あたし?7歳だよ」

 

「おんなじか。じゃー、呼び捨てでいいや。俺、ナナシ。よろしく」

 

「ナナシ?変な名前だね」

 

「こら、違うだろ。今日からお前は」

 

「だからいらねえっつってんだろ、おっさん」

 

「おっさんじゃねえっての。とーちゃんと呼べ、とーちゃんと」

 

「いきなりとーちゃんはねえわ」

 

「なら親父だな」

 

「マスターでよくね?」

 

「今日から俺がお前の親なんだよ。親をマスターとよぶ子供があるか」

 

「うっわ、うぜえ。一番うぜえやつだ」

 

「うるせえ。俺がせっかく考えた名前をなのれっていったろ?」

 

「だってネーミングセンスねえんだもん、おっさ」

 

「親父」

 

「だっ」

 

「親父」

 

「いひゃいいひゃいわーっははーっは、おはひ!」

 

「よーしよし。男の子がいたら親父って呼ばれるのが俺の夢だったんだよ、いやーうれしいね」

 

「なんだそりゃ」

 

「ねえー、結局名前はナナシなの?」

 

「ナナシでいいや、めんどくせえ」

 

「お前なあ、せっかく1週間悩んだのにそりゃねえだろ。親の気持ち考えろよ、なってねえなあ」

 

「親らしいことまだ1個もしてねえじゃねーか」

 

「言ったな、このやろう。よしわかった。明日からこき使ってやるから覚悟しろよ、ナナシ。男手が足りなくて困ってたんだよ」

 

頭をくしゃくしゃにされながら、ナナシと名乗った男の子は、なにすんだよ!と怒鳴りつけた。

 

「そっかー。よろしくね、ナナシ」

 

「おう、よろしく」

 

「ところでナナシはどこで寝るの?やっぱりお父さんと一緒の部屋?」

 

「そーだな」

 

「親父もあのおっさんも忙しいんだろ?もしかして一人部屋?」

 

「残念だったな、ナナシ。地下鉄はどこも満員だ。人外ハンターやってるマナブやニッカリさんと同室だ。ほら、挨拶してこい」

 

「げ、まじで」

 

「あっはっは、覚えてたか。そうだ、お前が盗んだギターの持ち主だ。こっぴどくしごかれたもんなあ!まずはその手癖の悪さをなおしてこい」

 

「この野郎、最初っからそのつもりで俺引き取りやがったな」

 

「あったりめえだろ。クソガキをまっとうな大人にすんのも大人の仕事だ」

 

 

逃げようとしたナナシをマスターは羽交い締めにする。逃げられないと悟ったナナシはがっくりと肩を落とした。首根っこをひっつかみ、ずるずるとマスターは部屋につれていく。アサヒは急いで隣の部屋に向かった。同居人の少女達とお婆ちゃんに新しい家族を紹介するためだ。新しい一日が始まりそうだった。

 

 

ナナシは何でも知ってる男の子だった。地下鉄から出たことがないアサヒよりずっと。ナナシの話を聞くのは楽しかったし、なんでもできた。ちょっと気をぬくとイタズラしたりアサヒたちをからかったりして怒らせたが、ごめんと謝れるから悪い子じゃなかった。なんだ、怖い人じゃないじゃない。あのおじさん嘘ついたのかな。それともナナシはいい人だからお父さん引き取ったのかな。わざわざ聞くのも変だからアサヒは聞かなかった。

 

 

「おい、ヤーマン。まーた遺物持ち込みやがったな?このままじゃオレたちの寝る場所なくなっちまうだろ。売れよ」

 

「いいだろ、別に。1人部屋みてーなもんだし」

 

「よくねーよ!あちこち駈けまわってやっとベッドに帰れたと思ったらこんな看板あったら寝れないだろう!せめーよ!」

 

「そうだぞ、ナナシ。寂しい想いをさせてすまないとは思うがな、せめてベッドやソファだけは確保してくれないか」

 

「はあっ!?なんでそうなるんだよ!」

 

「はっはーん。なんだ、そうなのかよ、ナナシ!それならそうと言ってくれりゃあいくらでも構ってやったのに!意外とシャイだな!」

 

「ちっげーよ、なんでそうなるんだ!わけわかんねえ!」

 

「今日は一緒に寝ようぜ、ナナシ!雑魚寝した方が落ち着くんだろ?可愛いとこあんじゃねーか、ほらこいよ、ヤーマン!」

 

「なんで俺が飛び込む前提なんだよ、ふざけんな!」

 

「ほらいけ、ナナシ」

 

「うわっ」

 

 

ぎゃいぎゃい賑やかな声が聞こえる。いつも空っぽだった隣の部屋が騒がしい。それだけでなんだか嬉しくなった。

 

 

来たばかりのナナシは早起きだった。マナブのいびきがうるさいとか、ニッカリさんの鍛錬が面白そうだとか理由は並んでたけども、とにかく早かった。いつもアサヒたちが起こされた。商会の雑用はアサヒたちの仕事だからいつも叩き起こされた。悔しくて早く起きようとがんばるのに、すでに準備万端のナナシがノックもせずに入ってくる。お構いなしで起こすからたまらない。そのうちヤケになったアサヒはものすごく早くに寝たことがある。それでもナナシはすでに起きていた。そのうちアサヒは気づいた。ナナシは寝てないんだと。寝てるけど時間が短すぎるんだと。よくよく観察してみれば、お手伝いの休みはうとうとしてる。待機してるときもカウンターの裏側で突っ伏している。昼寝してるから寝れないのだ、きっと。なんか赤ちゃんみたいだ。マスターや見習いの彼は咎めもしないし、常連のお客さんはよく寝てらと小突くし、にやにやしている。アサヒはお手伝いの時間になっても寝てるナナシを起こすようになった。ほっといたらいつまでも寝てるんだ、サボりはずるい。

 

恨めしげな眼差しにアサヒは満足げに笑った。いつも枕で叩いたり、布団から転げ落としたり乱暴な起こし方するからだ。

 

そのうち商会の雑用が増えてきて、ナナシのお昼寝タイムはなくなり、ナナシの睡眠時間も長くなってきた。数年経つとお寝坊さんはナナシの方になっていた。もうすっかりアサヒの朝一番の仕事はナナシの目覚まし時計である。

 

 

いつものようにナナシを起こそうとドアを開けた。

 

 

「ナナシー、起きろー。朝だよー」

 

 

ニッカリさんとマナブは定期の食料調達、マスターたちはすでに朝の仕込みでいない。開店時間までもうすぐだ。アサヒはいつものベッドを覗き込む。

 

 

「いつまで寝てるの、ナナシ。起きてってば、また朝ごはん食べられないよ?」

 

 

おーい、と呼びかける。身じろぐが返事がない。あれだけ早起きだったのに、今のナナシはいつまても寝ている。マスターたちはあんまり怒らない。おかげでとばっちりのアサヒは今日こそ一発で起こそうと体を揺らしたり、毛布をとったりした。

 

 

「うっうっ」

 

「ナナシ?」

 

 

 思わず手が止まる。ナナシが泣いてる。嫌な夢を見てるのかな、とアサヒはあわてて揺さぶる。ナナシが泣くなんて初めて見た。気が動転したアサヒはナナシに何度も呼びかける。尋常じゃない泣き方だ。つられてこちらまで泣きたくなるような、悲痛なものだ。不意に涙がこぼれた。心の片隅で鈍い痛みが生まれる。どうしたらいいのかわからなかった。

 

 

「ナナシ?」

 

 

ぱち、と目が開いた。

 

 

「ナナシ、大丈夫?」

 

「あさひ、う、う、」

 

「ど、どうしたの?どこか痛いの?」

 

 

ナナシは泣きじゃくりながら首を振る。寂しい。苦しい。誰か、誰か傍にいてほしい。嗚咽交じりの言葉にアサヒは何も言えなくなる。誰か呼ぶ?と聞いても首を振られる。ただ握られた手がすがっているようで、アサヒは包み込むことしかできない。ただナナシに涙は似合わない。アサヒはナナシの顔を伝う涙を、指でぬぐった。その指の感触に、ナナシの体中の体温が一気に上昇する。赤くなった。アサヒもなんだか恥ずかしくなって沈黙が降りる。

 

 

「あさひ」

 

「な、なに?」

 

「あさひ」

 

「ナナシ?」

 

 

 ナナシは何度もアサヒを呼んだ。でも心の中の感情が乱れすぎているのか、その先が続かない。もどかしい。もどかしくてつらい。そんなナナシが見ていられなくて、アサヒはナナシを優しく、守るように抱きしめる。

 

 

「あさひ」

 

「なに?」

 

「俺がいなくなったら、みんな心配してくれるかな」

 

 

 言葉を搾り出すようにナナシは言う。アサヒは背筋が凍った。お試し期間がまだ終わっていなかったからだ。

 

 

「駄目!」

 

「アサヒ?」

 

「ぜったい駄目!駄目、駄目なんだから!え、ナナシ、どっか行っちゃうの!?」

 

「いや、いかねーけど」

 

「なら言わないでよ、そんなこと!あたし、ナナシがどっかいったら駄目なんだから!」

 

「本当に?」

 

「ほんとに!ぜったいやだ!だからそんなこと言わないでよ、ナナシ!あたし、怒るからね!」

 

「あ、あははっ。なにマジになってんだよ、アサヒ。そんな怒るなよー」

 

 

ナナシは泣き笑いしながらアサヒの頭を撫でた。後にも先にもナナシが昔のことで泣いたのはこれきりだ。

 

ストリートチルドレンのグループが悪魔の軍勢に食い尽くされ、ほんの数人しか生きのこらなかった事件をアサヒが知るのはハンター見習いになってからである。



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どう足掻いても絶望(フリンとクリシュナ)

フリンは走っていた。堕天使の王と神の戦車となったかつての友を屠るため、彼は力を必要としていた。東京の民から希望をかき集めるために奔走した。決戦への覚悟を固め、力を貸してくれる者の前に行くため、銀座に赴いた矢先の強襲である。

 

 

誘い込まれた場所が場所である。想定外の事態に動揺が隠しきれないが、最悪なことに正体不明の敵にとっては最高の戦場らしい。乱入した第三勢力なんて初戦から難敵をぶつけてくれる。こんなところで手の内を明かすのは避けたいが、考慮することが多すぎる。

 

 

ため息を飲み込んだ瞬間、鼓膜を震わせる轟音が響いた。即座に距離を詰めると、なにかが破裂する音がした。一種の安堵と危機感がよぎる。膨大なエネルギー体はいかようにも姿を変える。どれも厄介な術式だ。体の自由を拘束する特性ばかりが目立つ。フリンの護衛のハンターたちは次々離脱し、そこに打ち込まれる特大の雷撃。人の焼ける不快な匂いがただよっている。どれだけの人間を屠ってきたのか、わかったものではない。背後にあった気配が消えた。事変を悟ったフリンは視線を走らせる。どこにいった。

 

 

『やあ、フリン』

 

 

ぞわりと悪寒が走る。勢いよく振り返ると、そこには褐色の青年がいた。かなり距離をとっていたはずだが、彼がフリンの場所を看破するのははやかった。フリンは悪魔を呼び出し銃弾を連射させるが、奇妙な曼荼羅が浮かび上がり強固にされた黄金色の輝きに防がれてしまう。被弾した形跡もない。フリンは追尾してくる雷撃を叩き落とす。ド派手な音を立てて砕け散る高層ビル。貫通した衝撃は想像に難くない。期待はしていなかったが、生かして帰す気はないらしい。撤退が叶うなら今すぐにでもここから撤退したかったが、彼は許してくれないだろう。

 

 

それでもフリンは走るしかない。

 

 

進行方向に現れたのは曼荼羅の障壁だ。衝突する寸前で方向転換し、悪魔にまたがり体を翻す。そして悪魔の力を宿したマサカドの太刀の斬撃が炸裂した。しかし、曼荼羅の向こうの彼を傷つけるには至らない。純然たる悪意は、邪悪さを持たない。光は邪悪に侵された者にしか絶大な効果を及ぼさない。堕天使でも天使でもない以上、純粋なダメージしか与えられない。予想をはるかに超える速さで接近し、フリンの武装の合間を縫って、切断しようとする。フリンは伝家の宝刀を抜いた。どうにかかわすことができた。倦怠感に襲われながら嫌な汗が伝っていく。連発は出来ない。他の仲間に連絡を取りたいが、その猶予すら彼は与える気はないのだろう。連絡で来たところで無意味だ。展開する結界が重厚になっている。

 

 

『鬼ごっこは終わりかい?』

 

 

フリンは全速力で駆けた。大量の黄金色の閃光が舞う。それに追従する形で彼は追いかけてきた。それを確認したフリンは辺りに自然の力を宿した球をばら撒いた。爆発音がして、閃光が走り、辺り一面が氷結と化す。すぐに身を隠し、悪魔の力を借りて直下から太刀を振り下ろした。鈍い音が響く。悪魔は暴風でフリンに迫る彼に一撃を叩き込む。産み落とされた風は曼荼羅を前に散開した。近くの屋上に着地し、体制を整えたフリンは呪詛をばらまく。爆発的に四散した光。曼荼羅が解けた。不愉快で耳障りな音が舞い、鮮血が辺りに散る。できるならそのまま絶命させたかったが、そこまでぜいたくは言えない。これでフリンの攻撃に全力で防衛してくれるはずだ、ここから距離をとって、形勢を立て直せばあるいは。

 

 

 

微かに聞こえた声は、何かを発動させる。生存本能が悲鳴をあげている。フリンが避けられたのは、ほぼ反射的だった。周囲にあるものが粉みじんになる。自らの存在を貶めたかの神への憎悪は、フリンの考える以上に強大だった。復讐心を滾らせた一撃が過ぎ去った周囲が瓦礫と化す。冷静さを失いながらも、精細さを欠きながらも、フリンは太刀を振るう。物言わぬ骸になるのは、友たちをこの手で屠ってからだ。許されざる蛮行だけは阻止しなければならない。ここで終わるわけにはいかない。

 

 

『どうしたんだい、フリン。もう終わりかい?』

 

 

クリシュナは防御などしなかった。躊躇せずフリンの目前まで踏み込み、その大剣を受け止めた。じわりと血がにじむ。目が細められる。積み重なった瓦礫から現れた黄金色の閃光がフリンを貫いた。フリンは吹き飛ばされて滑落する。

 

 

『なぜって顔をしてるね、フリン』

 

「何が目的なんだ」

 

彼は愉快に口元を釣り上げる。

 

『目的?そんなもの、君が一番わかってるはずさ』

 

 

焦点が合わない。完全に感覚がやられている。嬉々としてこちらを見下ろす緑は、フリンが今まで一度も見たことががない狂気に満ちている。身を焦がすほどの激情を滾らせながら彼はフリンに笑いかけた。四散したはずの部位が回復していくのを目撃する。そこまでの絶望をみせられて、フリンは眉をよせた。

 

 

『さあ、起動してみるといい。それが君の答えだ、フリン』

 

 

銀座の交差点だった。見上げるほどの岩が鎮座している。その上には影がおちて表情が見えない彼の姿がある。荒れ狂っていた殺気など、想像すらできない穏やかさを纏っていた。

 

フリンは太刀を手にする。汗がつたう。震える手が太刀をにぎる。

 

 

あたりを静寂が支配した。

 

マサカド公の声が聞こえない。

 

フリンは動揺のあまり顔がひきつる。

 

恐怖が先立つ。あってはならない事態だった。

 

彼の高笑いが聞こえる。

 

『救世主になる覚悟が足りないんだよ、君には』

 

刹那の後悔は幾度もあったが、それ以上に覚悟は決めていたし、殉じる決意はたしかに本物だったはずだ。でもマサカド公の声が聞こえない事実がフリンの心を侵食する。脳天からの雷撃が辺りを焼いた。

 

遠くで錦糸町で出会った少女と少年の声、そしてたったひとりの同郷の少女の悲鳴がする。フリンは意識を手放した。

 



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戦闘狂気(フリンとナナシ )

シェーシャが岩盤に開けた大穴により、東京の一部に空が戻った。その影響で東のミカド国と東京の時間の流れは同じになるだけでなく、太陽、月の満ち欠けという概念が25年ぶりに復活した。その影響はすさまじく、今まで朝、昼、夜、という概念が存在しなかった東京には、時間の流れが克明になった。そして月の満ち欠けは東京の人々に新たな恩恵と脅威を与えた。

 

悪魔が月の満ち欠けの影響を受けることを、東京の人々は知らなかった。25年前の東京を知る人間の中で、悪魔と日常的に接していた人間などほんの一握りだ。今の東京の人々はまず知らないといっていい。シェーシャにより大穴があいたとき、東京各地で頻発したのは、満月の夜に門番をしていた天使側、堕天使側の悪魔が昂揚状態となり、人間を襲うという事例だった。三勢力による会議で一時的な協力関係になったとはいえ、ツギハギたちは門番を任せるのに懐疑的だった。一部の人々は東のミカド国の後ろ盾である天使を信用したり、十字軍のサムライに好意的故にその要請を受け入れた。あるいは堕天使勢力の影響下にある組織は門番を託した。その結果がこれだ。ツギハギの緊急声明により、すぐさま沈静化されたが、この日を境に満月の夜は人間が門番をつとめることになっている。腕の立つ人間でなければ、基本的に地下鉄から出ることはできなくなった。

 

満月時の悪魔は、普段と状況が著しく異なるのである。気分が高揚して狂気に染まる者もいれば、極度の興奮状態にありまともな会話をすることができない者もいる。満月の時、悪魔と会話は成立しないのだ。ごくまれに成功することもあるが、たいてい悪魔達は人間を見つけるやいなや、マグネタイトを求めて容赦なく襲いかかってくる。人外ハンターのみ、ムーン・アダルトというアプリをインストールすることで、満月のみ発生する悪魔との交渉に挑むことができる。特殊なものを入手できたり、仲魔にできたりするが、危険は承知するべきだ。そもそも会話の成功確率は、通常の半分になる。成功してもいつも以上に理不尽な理由で悪魔の扱いが難しくなっている。非常に有効な手段だが、できることなら避けた方が無難だ。

 

そういう理由から、最終戦争が終わり、本格的な東京の復興に着手し始めた東京の人々は月齢に神経をとがらせることになる。今や人間と悪魔はお互いに対立しあい、利用しあい、そして共存しあう複雑な関係性を築いている東京では、悪魔の力なくしてはなにもできない。それぞれの勢力に悪魔が食い込んでいる関係もあり、時々霞ヶ関で行われる全体会議はまず満月に行われることはない。フリンと肩を並べる救世主として注目を集めたナナシだったが、人外ハンター商会の代表はツギハギとフジワラ。ナナシはフリンのように東のミカド国の代表をするわけでもないため、基本的にめんどくさがって表舞台にはでてこない。クエストをこなすハンター家業が似合っていると自称して、アサヒがマスター見習いをする錦糸町に所属して、精力的に活動していた。主な仕事は悪魔討伐である。

 

 

そんなナナシのスマホにメールが届いたのは、帰ってすぐのことだ。

 

フリンからだった。

 

話があるから来てくれ、という。

 

断ろうとスクロールした先に飛び込んできたのは、東狂の文字。本日の議題らしい。なるほど、東狂という平行世界の東京は、ナナシが一番よく知っている。あったかもしれない可能性のひとつ、フリンの前世やアキラが現れず、人類が滅んで悪魔と魔人だけが跋扈する世界。少しずつ浸食している異空間への対処法を探るため、という名目で幾度もナナシは東狂に通い詰めていた。

 

 

「今日って満月じゃねーか」

 

 

ありえるのか、と一瞬迷う。満月にやらないのが暗黙の了解だと、全体会議という不慣れな大人の殴り合いに強制参加のハレルヤからグチを聞かされている。ノゾミもハレルヤも満月の夜は迂闊に出歩けないから仕方ない。全体会議じゃなくて、こまごまとした会議だろうか、会議しかかいてないし。大人の世界に興味がみじんもわかないナナシには疑問符だらけだが、断る理由もない。りょーかい、と軽いノリで返信した。

 

 

「くっそ、今日は休みか」

 

 

いつもなら東狂に突撃して、魔人マラソンを決行する吉日なのだが、仕方ない。フリンと会うのも久しぶりだ。ナナシはアサヒに言付けてでかける。かつての仲間達、ツギハギ、フジワラ、みんな東京を代表する組織の上にいる人間だが、なにかあるとナナシを頼って錦糸町に突撃してくる節がある。ナナシは適当に話をきいて相づちをうっているだけなのだが、たいてい彼らは満足して帰っていく。よくわからないが、頼りにされているらしい。東京の人々にとっては、ナナシより彼らの方がよっぽど希望の星だろうに。気楽な立場である。たまには表舞台に出てこいと強いられたら、のらりくらりと逃げたい面倒くさがりも、気まぐれで顔を出したくなる日もあるらしい。

 

 

つもる話もあるし、と指定された場所に赴く。スカイタワー、フリンと初めて会った場所だ。

 

空にあいた大穴と重なるように満月が堕ちる。月明かりを背にフリンはたっていた。

 

「やあ、ナナシ」

 

高すぎず低すぎない、知れた仲の人間にだけ向けられる声色で名前を呼ばれる。ナナシは駆け足で向かった。

 

「よお、フリン。久しぶり」

 

「そうだね。もう1ヶ月か」

 

「忙しそうだな」

 

「まあ、ね。やろうと決めたんだ、後悔はないよ。考えていたつらさではないけど」

 

フリンは苦笑いする。中流階級出身のフリンは学がない。救世主として、サムライとして、発言する機会が多くなってしまったフリンは、現在進行形でイザボーたちの協力もあり知識を詰め込んでいるところのようだ。ナナシはあきれ顔だ。

 

「相変わらずまじめだなー。大人に任せりゃいいじゃねーか」

 

「いや、これは僕のケジメでもあるんだ。ミカド国も東京も僕の守りたいものなんだ。こんなところでつまづいていられない」

 

「ふーん?ま、頑張れ」

 

「ああ、ありがとう」

 

整えられた前髪からのぞく瞳を細めたフリンは、きれいな笑みを浮かべる。声色は柔らかで優しい。うれしそうだとわかる。

 

「ナナシは相変わらずハンターをしてるんだな」

 

「まーね。俺、フリンと違って復興がどうとか興味ねえし。アサヒがマスター継ぐっていうなら、そっち手伝う方が大事だ。親父との約束はまもらねえと」

 

「ナナシらしいな。安心したよ」

 

「は?」

 

ナナシは眉を寄せた。フリンはこんな笑顔を浮かべる男だっただろうか。とはいっても、ナナシ自体、フリンと直接あって会話をした回数は数えるほどしかない。ナナシがハンター見習いとしてニッカリの元で働き始めて1年後に現れた希望の星は、雲の上の存在だった。ナナシがフリンを呼び捨てにするのは、有名人を呼び捨てにする心理に似ている。もしフリンが難色を示しても呼び方は変えないナナシでも、さすがに呼ばれたときの表情の変化くらいわかる。感情の機敏さにうとい奴は暴力にさらされた幼少期の生活は、無駄にその変化をナナシに伝える。

 

 

フリンは礼儀正しい男だ。誰であっても一定の寛容さと誠実さで応じる。イザボーと会話するときは、穏やかな農村出身ののんびりとした性質がのぞけるが、ナナシがフリンと出会ったのは希望の星としてのフリンだ。テレビで連日放映されていた番組に違わない男だったと記憶している。スカイタワーで1度、ハンター志願をした錦糸町で2度、銀座で3度。いや3度目は直接会話する暇もなかった。怒濤の1ヶ月のうち、たった3度しか会わなかった。打ち上げでやっと4度目。こうしてフリンがナナシの連絡先を知っているのはひとえにイザボーのおかげだ。下手をしたらイザボーの方がフリンよりずっと親しいだろう。

 

だから違和感がにじむ。フリンはこんなに親しげにいう男だったか。幽霊から預かった釣り道具を渡したり、フリン奪還の立役者だったりしたから、ナナシに好感を抱くのは不思議ではないのだが。もしかしたらイザボーにいろいろ聞かされていて、一方的に好感度があがっているのかもしれない。希望の星であるフリンしか知らなかった頃のナナシのように。

 

まあ、別に悪い気はしないし、いいか。

 

ナナシはフリンを見上げた。太陽に愛された国の男はどうしてこうも体格に恵まれるのか。今頃サムライの代表としてお家建て直しと復興に奔走している十字軍隊長を思い出し、複雑な心境になる。

 

「ナナシ」

 

「うん?なんだよ、フリン」

 

「なに考えてたんだい?」

 

うげ、とナナシは顔をしかめた。案外鼻が利くようだ、この男。意地悪な笑みがうかんでいる。

 

「なんでガストンといい、フリンといい、ミカドの奴らはでかいんだよ。あと3年で追いつける気がしねーんだけど」

 

「あはは、そんなことないさ。僕はサムライの中では低い方だ。ワルターは僕と同じくらいだし、ヨナタンは僕たちよりずっと高かった。さすがにガストンよりは低かったけどね」

 

「まじかよ。ワルターとフリンって同じ階級の家だったんだろ?ミカド国で聞いた。ガストンとヨナタンが同じだったら、やっぱ高い地位のやつらがいいの食ってたってことか」

 

「そうかもしれない」

 

「うっわ」

 

巨人の国かよとナナシはひきつる。フリンは肩を静かにふるわせた。

 

案外悪くないな、この距離感、とぼんやりナナシは考える。ナナシは黙っていても人が集まる性質をしている。錦糸町にいても、外にいても、ナナシのまわりはあっという間に騒がしくなる。人間関係は多種にわたるが、今、こうやって二人で話すのは実は今日が初めてだ。ナナシも不思議なほど案外悪くない、楽しいと感じる。アキラの記憶による前世の因果もあるかもしれないが、それを差し引いてもフリンは友人としてしっくりくる存在だと思った。

 

フリンは人当たりが抜群にいいから、きっと取り巻く者達がいる。みんなのために、を実行できるフリンを一歩引いたところから醒めた目でみていたのは事実だ。フリンは優しいから自分を慕う人間の期待に応えようと努力するタイプのようだ。ナナシには考えられないが、それによって人がさらに呼び込まれることを苦痛に感じないらしい。変に構えずお気楽に会話できるのはナナシにとっては好感度が高い。落ち着くと笑うくらいには、ほだされているのかも知れない。

 

「で、どこいくんだよ、フリン?」

 

「そうだね、そろそろ行こうか」

 

手を差し出される。

 

「え?なんだよ?」

 

フリンは笑った。

 

「共に往こうか、ナナシ」

 

「・・・・・・ちょっと待てよ、フリン。なんでそれ」

 

「僕もスティーブンにはお世話になったよ」

 

「まじかよ」

 

ナナシはめまいがした。アキラと同一視はしていない。むしろナナシがアキラと重ねられることを嫌っていると知りながら、同一視してしまいかねない過去夢を暴露するあたり、いい性格している。ナナシは顔をひきつらせた。

 

「取ると思う?」

 

「取らないだろうね」

 

「じゃあ何で出した」

 

「楽しいから?」

 

ナナシは思わずフリンを睨んだ。忘れていたのはナナシの方だ。単なるいい人がかつての友人を屠ると決断するわけがない。フリンは笑みを湛えたまま歩き出す。

 

到着したのは霞が関なのだが人外ハンター商会の本部ではなく、悪魔討伐隊の本拠地だった場所。もうこの時点でフリンは公的な理由でナナシを呼んだわけではないことがわかる。前世に本部と交渉するとき必要な情報源としてしか価値を見いだせないナナシはまず来ない場所だ。

 

「ナナシ」

 

「うん?何だよ、フリン」

 

「ここから僕の独り言が始まるんだけど、黙って聞いてくれないか?」

 

「ずいぶんでけー独り言だな」

 

ナナシは先を促す。フリンは振り返った。

 

「困るだろうから、聞き流してほしい。僕は――」

 

フリンはナナシを正視したまま言葉を続く。ナナシは神妙な面持ちで耳を傾けている。どんな言葉を重ねたところで結果が変わることはない。躊躇っていても仕方がない。どんどん言いづらくなるだけだ。フリンはそう思っているようだ。

 

それは前世からの言葉だった。当時、アキラに抱いていた気持ちとあの決断の謝罪と決断までの経緯。それを夢として見たときの感想と今に至るまでの経緯。とりあえずフリンがナナシを新生の希望以上に好感を持っている理由がわかった。アキラが聞いたら思うものがあったはずだが、ナナシとしては、はあ、という他ない。そもそも興味がない。ナナシの様子はある程度予想していたようで、フリンは大してダメージを受けた様子はない。めんどくさいことにならなくて良かった。そう思いながらナナシは呟く。

 

「で?フリンは俺に何を望んでんだよ?」

 

「なにも、かな」

 

「真面目だな。まあ、ありがたくうけとっとくけど。嫌われるよか楽だ」

 

「いや、嘘だ。――ナナシには何も望んでない。ただ、僕と対等であって欲しいとは思う」

 

「俺に東京の代表やれって?」

 

「違うんだ。ナナシには、強くあってほしいんだ」

 

「よくわかんねえ」

 

「わからなくていい。ナナシにはいつも通り、ハンターを続けてさえもらえれば」

 

「あー、ま、そういうことなら、いいのか?」

 

「それに、ナナシはガストンやハレルヤとよく鍛錬をしてたんだろう?今もたまにするらしいね。僕も混ぜてもらえないか?」

 

「それならそうと言ってくれよ。わかりにくいんだよ、アンタ」

 

静かに呟いたフリンは、鬼気迫るような妙な気迫がある。たじろぐナナシだが、言ってること自体は大歓迎だ。いーけど、と返せば異常なほどうれしそうにしている。心が軋むが、ナナシにはよくわからなかった。ナナシはとても聡く、他人の心の機微にも敏感な自覚がある。なのにわからないのだ。不穏な気配がするが、現状フリンが提示してきたことは問題ない。なら気にするのは早い気がした。

 

「謝るつもりはないよ」

 

「なんで謝るんだよ、いらねー」

 

「聞きたいかい?」

 

「いや、やめとく」

 

「そうかい?残念だな」

 

「ほんといい性格してるな、アンタ」

 

「それはお互い様だろう?ナナシ」

 

「ぜってえ違う」

 

切れかけの電灯が点滅している薄明かりの下、フリンは愛刀に手をかけた。

 

「まあ、それは次の機会として。早速だけど鍛錬といかないか?」

 

「いーぜ、別に。なんか考えるのめんどくなってきたし」

 

「ナナシ」

 

「今度はなんだよ」

 

「もし、その刀を握れないような事態になったら気兼ねなく呼んでくれ。僕はいつでも準備ができてる」

 

「だからなんの話をしてるんだよ、アンタ」

 

「聞きたいかい?」

 

「ぜってえやだ」

 

薄ら寒さを感じながら、ナナシは武器を構える。ただの鍛錬のはずだ、きっと



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名も無き墓標にお墓まいり(ナナシとフリン)

「お互い、悪い冗談みたいな人生だったと思うぜ、正直。でも、アンタも俺もそれを必死で生き延びてきたはずなんだ。悪いけど、俺は俺の道を行かせてもらうぜ?俺はアンタじゃないんだから」

 

 

ミカド国と湖畔が一望できる、小高い丘の上にナナシは立っていた。青空が広がり、風が穏やかに凪いでいる。

 

ナナシは墓石の前にたっている。その墓標は簡素な造りだった。決して大きくはなく、生前の人間を偲ばせる程度の言葉が刻まれている。その墓の下にいる誰かをしる手がかりはどこにもない。ただ年月だけは過ぎているようで、彫り込まれた文字も風化しており、もう解読することはできない。これを建てた人間が資金難だったこともあるし、彼がミカド国の実力者にのし上がると決めたとき、彼が建てることで人々の注目を集め、信仰の対象になることをおそれた。その結果、徹底的に隠匿され、墓の主が誰かを知るのは生前の記憶があるナナシだけ。いつかもっと立派なものにするとツギハギに儚げに笑った彼は先に逝ってしまった。破壊された彼の墓を再建するときに建て直す話もあったが、ツギハギは否定した。彼も彼女もきっとそれを望まない。建ててくれた墓のままで静かに眠りたいはずだ。生前の記憶があるとツギハギやフジワラに勘ぐられているナナシだが、沈黙を最後まで貫いたため、ツギハギの意見が通された。王としての墓からわけられ、1500年ぶりに彼と彼女は埋葬された先で再会した。

 

 

ここを訪れた者はきっと想像すらできないだろう。ここに眠っているのがミカド国の礎を築いた初代国王であり、傍らにいるのが様々な謀略に巻き込まれ二度と会うことが叶わなかった肉親だったなど。たくさんの悪魔や人間に殺されそうになったり、殺したりする血なまぐさい人生に対して、質素すぎる墓はその苛烈な人生などみじんも感じられない。

 

 

ナナシがここにくるのは初めてだ。おそらく、二度とくることはない。何か持って行こうか、考えもしなかった。思った以上にきれいだった。誰か管理しているようで、墓はきれいに掃除され、花が生けられている。あの嵐のように過ぎ去った日々は、焦燥と恐怖と勇気に彩られている。感傷に浸る趣味もないので、気が向いたらまたくる、と思ってもいないことをつぶやきながら立ち去ろうとすると、声をかけられた。顔を上げる。

 

 

「驚いた。まさか、君がここにくるとは思わなかったよ、ナナシ」

 

 

身なりのいい青年がたっていた。端整な顔立ちをしており、体格も恵まれているが、連日の多忙さ故かその表情にはどこか翳りがある。ナナシはうげと顔をゆがめた。一目でわかる。この顔は現実逃避がしたい男の顔だ。親父はしらねえかと阿修羅会の面々に問われて、おざなりに追い返すたび、マジでありがとうリーダーと拝み倒してくるハレルヤとそっくりだ。

 

このごろ、この青年から向けられる感情に違和感を覚えているナナシである。未だに明確な答えは出せないので保留にしているが。フリンの手には見たこともない花がある。ナナシは退いた。フリンはまっすぐ2つの墓前に花を手向ける。律儀な男だ。

 

 

「おいおい、こんなとこにいていいのかよ?明日の全体会議はどうすんだ。まーた中継で恥さらすのかよ、フリン?」

 

「困ったな。イザボー達に見つからない隠れ場所だったのに。今日は見逃してくれないかい?」

 

「ま、いいけどよ。ホープのおっさんに怒られても俺には関係ねえし」

 

「それは言わないでくれないか。今は考えたくないんだ」

 

「ふーん、ま、がんばれ」

 

 

軽口をたたきながら、ナナシはフリンが墓前に向かうのをみていた。ひざを折るあたりで沈黙する。それくらいはできる。なにを思うのか黙祷するフリンである。墓前で行う所作はナナシの知らないやり方だ。ミカド国の慣習なのだろう。物珍しげに眺めていたナナシは、フリンが思いの外長いこと前にいるので静寂が長引いてくると手持ちぶさたになった両手を遊ばせる。それでもフリンは顔を上げないから、だんだん飽きてきて立ち去ろうとした。しかし、その背後でフリンが立ち上がる気配がしたので静止する。まるで狙い澄ましたタイミングだ。

 

 

「もういいのかよ?結構長そうだったけど」

 

「ああ、またくるからね」

 

「へーえ。ここ管理してんのフリン?」

 

「いや、知らない。多分、ツギハギさんたちも来てるんじゃないか?時々すれ違うから」

 

「へー、真面目だな」

 

「気になるのかい?」

 

「いや、なんとなく?ここ来たのも昼寝するためだし」

 

「それはちょうどよかった。僕もいいかい、同行しても?」

 

「別にいいけど。困るのはフリンだけだろうしな」

 

「はは・・・正論を言わないでくれ」

 

 

ナナシはにやにやしながら、先を進む。フリンは苦笑いしながら、ゆっくりと歩みを進める。ナナシも知っていたのか、とフリンは思う。かつては幼なじみと。あるいは同僚であるワルターやヨナタン、そしてイザボーと。絶好のお昼寝場所は今でも健在だ。そういえばイザボーがみんなで一度昼寝をしたと言っていたような。お気に入りの場所だ、ナナシにとってもそうならフリンにとてもうれしいことである、と。

 

 

ちなみにナナシがここに足を運んだのは、なんとなくだ。ツギハギに起こされたアキラの記憶から、時折フラッシュバックする光景が今はどうなっているのか気になっただけだ。なんとなく、に任せて歩いていけば違わぬ風景に出会う。かつてを空目してナナシはまぶしそうに目を細める。あー、ここか、と他人事のようにつぶやいて、ひだまりが心地よい草の絨毯に腰を下ろす。ナナシにとってはただのデータバンクでしかない前世である。たまには有効活用しないと。

 

 

大の字に転がるナナシの横でフリンが腰を下ろす。目を閉じるナナシにフリンは苦笑をにじませながら、寂しげに視線を落とす。

 

「ひどい人がいたんだ。絶望から救い出してくれたくせに、生きる希望を持ってもいいといってくれたのに、結局放り出す。夢を見せてくれるくせに、あっさり捨てていく。ほんとにひどい人だったよ」

 

ナナシはちらとフリンをみたあと、空を眺める。風が強くなってきた。かなりの早さで流れていく。

 

「俺もひでえ話を知ってるぜ。そいつには夢があるんだ。ぜんぶ受け止めて、なんだって力にするんだ。俺はそんなにまっすぐ生きられねえんだよ」

 

それきりナナシは黙ってしまう。

 

神を葬った少年達は、これから一歩を踏み出さなければならない。将来に何の展望を抱くのか、思い出になにを見いだすのか、すべて自ら定義しなければいけない。過去にも未来にもいけず、現在に宙ぶらりんにされながら、あがいていくしかない。そのあがく理由すら、前に進む為なのか、後ろに行くためなのか、誰にもわからない。本人はもちろん、周囲すらわからない。はっきりしているのは、今行る場所はゆっくりと崩落の一途をたどっており、同じ場所に留まることを許してはくれないということだ。自由には責任を伴うことを痛感しながら、彼らは歩んでいく。

 

たぶん、大丈夫だろう。一人じゃなくて、二人もいるのだから。



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明日殺してあげるから生きて(ナナシとアキラの仲魔だった敵)

「おい、ヤーマン。いつまでスマホ弄ってんだ、さっさと寝ろ。まぶしくて寝られねえだろーが」

 

「いいじゃん、少しくらい」

 

「よくねえっての。明日は食料の定期調達だろーが。寝坊してもしらねーぞ」

 

「アサヒが起こしてくれるから、へーきへーき」

 

「いつまでもアサヒに起こしてもらうなよ、子供か」

 

「まだだろ、15だし」

 

「こう言うときだけ子供ぶるなよ」

 

マナブが帰ってからずっとナナシはベッドに寝っ転がり、スマホの画面を弄くっている。よっぽどうれしかったのか、使えるアプリを片っ端から試しているようだ。まあ気持ちは分かるけど、と自分がスマホを貰った時を思い出し、マナブはベッドをのぞき込む。陰が不自然に移り込み、ナナシは顔を上げた。なにをそんな熱心にしてんだ、とのぞこうとするマナブに、ナナシは得意げに画面を見せた。正常に使える数少ないアプリである。

 

「なんだ、マップじゃねーか」

 

「ただのマップじゃねーぜ。地名とか、遺物が落ちてる場所とか、任務の目的地とか勝手に表示されるようにしたんだ」

 

「へー、結構便利そうだな」

 

「だろ?」

 

「ナナシは遺物探すの得意だもんな。こうやってマッピングしてくれるならありがてえぜ。遺物拾いは任せた」

 

「おう、任された」

 

ナナシはスマホとにらめっこした分だけ使いこなしている。やっぱ子供は飲み込みが早いなと笑ったのはニッカリだ。

 

「15はなにごとも中途半端な年齢だ。子供というには大きすぎるし、大人というには労働力として期待できない。だが、子供は子供らしくある時間があった方がいい。スマホに夢中になるのもわかるが、ナナシ。そろそろ時間だ」

 

「はーい」

 

「おいこらナナシ、布団かぶって続けるなよ。目が悪くなってもしらねーぞ。眼鏡なんて高級品、必要になったら大変だぞ」

 

「わかってるよ、後ちょっと」

 

 

こうしてナナシは盛大に遅刻した。

 

空がある東京の夢を見た。猟奇的な殺人事件、経済危機、帰宅難民など様々な社会不安を抱えてはいたが、まだ平和だった頃の東京は、悪魔の存在が知られていなかったようだ。出現する場所も条件もさまざまで、人々の生活を脅かす存在は水面かで勢力を広げつつある。そんな中、悪魔討伐隊は生まれた。今の人外ハンター商会の創立者やナナシの師匠であるニッカリがかつて所属していた組織である。

 

 

悪魔を討伐する組織は、秘密裏に政府機関でも民間機関でも存在していたが、悪魔討伐隊は防衛大臣であるタマガミが創立、指揮した政府機関だった。従来の政府機関は都内のオカルト事件の解決に奔走するが、解決の方法には政府の要請が優先される。それぞれの管轄する省庁の立場で捜査に参加し解決に当たるため小回りが利かない。海外の進めている霊的な兵器の調査や悪魔がらみの国際的な陰謀を政治に持って行ってしまう。続発する政治家に対する悪魔の憑依に、内々で強権を発動する。様々なしがらみを憂いた上での決断だったといわれている。

 

 

悪魔討伐隊の所属は防衛庁特殊2課。タマガミが某国と取り引きして入手したシュバルツバースの情報を元に、霊的な存在を実戦支援に用いる研究を行う部隊だった。霊的な国土防衛のために能力に特化した者を先導役とし、少数部隊の実行部隊を有していた。それが悪魔討伐隊である。主に異界化した地域の解放作戦を担当していた。都内に眠る霊的な力の流れを監視し、日本の未来に関わる霊的な侵略に対応するため、苛烈な実験が行われていたが、ナナシは知らない。すくなくても、アキラは知らなかったようだ。日本の防衛に関わらない些細な事件、とタマガミが切り捨てる事件にしか関わらなかったから。いや、関わった矢先にすべてが終わってしまった。

 

 

悪魔討伐隊の本拠地は霞ヶ関にあった。

 

 

最初期の悪魔討伐隊は、警視庁や自衛隊のエリート、シュバルツバースの調査隊に属していた者などで構成された一種のSWATで、武装に関しては様々な権限を有していた。今のナナシ達のように異界の魔法に優れた人間はいないが、物理的な戦闘能力がとても高い人間が多かった。そこにシュバルツバースにしかいないはずの悪魔が出現するようになり、水面下でその存在が囁かれはじめ、スマホのアプリで爆発的に認知度が高まった。何者化かによって悪魔召還プログラムがばらまかれ、使いこなす若者が出始めた。それがアキラであり、フリンやワルター、ヨナタンの前世だとナナシは知る。

 

 

小さな子供が泣いている。たくさんの人間が倒れていた。むせかえるような血の香りをまとい、誰の血かわからない赤をかぶり、少年は泣きわめいている。その声につられてきた悪魔も人間もなぎ払われてしまう。悪魔召還プログラムがダウンロードされたスマホを握りしめ、お姉ちゃんが天使に誘拐されたと子供が泣いている。フリンとよく似た青年は驚きのあまり目を開く。こんな小さな子供が使役できるわけがない。野獣の雄叫びがあたりにこだました。

 

ナナシが目を覚ましたのは、その濃厚な血のにおいがしたからだ。あまりにも久しぶりな感覚だ。思わず飛び込んだ廊下からは、怒号と悲鳴がこだましている。まさに阿鼻叫喚、いてもたってもいられなかった。

 

ナナシは知っていた。だんだん強くなる血の香り。そこに混じる悪魔の臭い。人間だって異臭がすれば案外わかる。そこにいたるまでに、マスターをかばおうとして致命傷を負い、死んだ先でダグザと出会って蘇生した。神殺しとして蘇生されたためか、ダグザのマグネタイトがナナシを満たしているからか、なおさら香りは強くなる。悪魔の香りだ。

 

そこにいたのは、アドラメレクの眷属だった。

 

「奇妙なものだね。もしかしたら、と思ってはいたんだ。君とはこれで2回目だけど、やっぱり君からはあいつと同じ水を感じる」

 

「水って何だよ」

 

「人間には知ることのできない領域の話だ。人には見えないが、時や場所を越え、つながるもののことだ。かつて私がしるあいつと君は同じなんだ」

 

「そんなの知るかよ、きもちわりい」

 

「それもそうだね。過去は過去、現在は現在、君は君であり、彼でも彼女でもない。どのみち遠き時の果てのことだ、曖昧なのは事実。実際はどうだったかなんてわからない。友達かもしれないし、敵かも知れないし、仲魔だったのかも知れない。戦いの中では思い出せるかも知れないが、私はね、面倒事があまり好きじゃないんだ」

 

「へえ」

 

「私はあくまでもルシファー様のために頑張ってるんだ。それ以外のやっかい事は極力避けたいのが本音だ。私とナナシの関係について明確にしておく必要があると思うんだが、どうだ?」

 

 

くあとナナシはあくびをする。

 

 

「みりゃわかるだろ。お前みたいなやつ信用できるか」

 

「酷いじゃないか。私はみんなと仲良く協力して東京を復興させようとしている心優しい人間なのに」

 

「俺たちに悪魔けしかけといてよく言うぜ。お前みたいな奴は誰一人として信用できないんだよ。こんなやつがハンターだなんてどんな基準なんだか」

 

「君みたいな人間がハンターやってる時点でお察しだろ」

 

「気に食わねえな」

 

「君が実力不足なだけさ。見習いは見習いらしく師匠の後ろでも追っかけていればいい」

 

「俺が顔覚えてるの気づいてた癖に、平然とうちの商会に常連として顔出す面の皮の厚さだけはかってんだぜ、おっさん」

 

「あいかわらず口だけは回るんだね。20にも満たないガキがたいそうな口を利くじゃないか」

 

ナナシは男を見上げる。

 

(神殺しになるとは、こういうことだ、小僧)

 

ダグザの言葉が反響する。

 

(魔界という精神と物質の狭間にある異世界の住人故に、悪魔は本来実体を持たない精神体だ。物質世界たるこの世界にくるには精神体である本体を覆い隠す殻が必要となるのだ。その殻はこの世界で定義される己をもって形作ることが多い。難儀なことだが、血液たるマグネタイトを大量に消費する必要がある。今のお前は感じ取れるはずだ。その残滓を)

 

ナナシはうなずいた。

 

この男は人間じゃない。

 

「なるほど、わかった。なら、交渉といこうじゃないか、ナナシ」

 

「なんだよ」

 

「私はこれから君に真実を話そう。それから君は殺すなり、逃がすなりすればいい。そのかわり、君のこれからの行動を条件にしてくれ」

 

「は?」

 

「交換しないか?」

 

「なんのつもりだよ」

 

「君がなにも知らないまま、誰もかれもに狙われる可能性が高いのが哀れでならないだけだ。もしかしたら、君が大好きな幼なじみやマスター、ニッカリ達に狙われるかも知れない。守り抜くべき相手との戦いなんてとんでもない悲劇だろう。私はそんな悲しい出来事を見たくはない」

 

「白々しいな、相変わらずその自然体な上から目線がむかつく」

 

 

「悪くはないと思うんだが。知りたくはないのか?今まで請いにしていたハンターがいきなり悪魔をけしかけてきた理由。一夜にして仲間達が殺されて、君も今は癒えたようだが瀕死の重傷を負った理由。君が孤児になった理由」

 

「どーでもいいんだよ、ほっとけ。そんなこと、考えたこともなかったし、考えるつもりもねーよ。あんときは生きるだけで精一杯だった。今はやっといろんなことを覚えてきた。やっと人間になれたんだよ、俺は。これからどう生きるかなんて、俺が決める。俺は今まで一度も誰かの為になんて行動したことは一度もないんだよ」

 

「やはり私と君は対立することになりそうだね、残念だよ」

 

「どうだろうな、まだお互いのこともろくに知らねえんだ。よく断言できるな」

 

「でも、君もなんとなく対立していると思っているんだろう?」

 

「ま、否定はしねえよ」

 

「そこで、だ。ここでお互いが足を引っ張り合って、ほかの大切なことが疎かになってはいけない。問題が起きてくるだろう。私たちが対立していると感づいているんだったら、ほかの奴らに目を向けるのが先じゃないか?」

 

「は?」

 

「なんか他に知っておきたいことはあるか?私が探ってきてやろう」

 

「へえ・・・・・・で、見逃せって?」

 

「今の君は私を使役するには力が足りない。だが、私はここで死ぬわけにはいかない。どうだ、悪い話ではないと思うが」

 

「どうせ分霊だろ、お前。本体じゃねーなら、他の奴が代行すりゃ問題ねえだろ。交渉ですらねえ」

 

「いや、それは違うな、ナナシ。たしかに本体に分霊の情報は抜かれるが、分霊は本体を凌駕しうる可能性が一つだけある。仲魔となることだ。私はそれによって物質世界であるこちらでのみ、本体を凌駕している。お前が望めば私が本体となることも可能だ」

 

「・・・・・・なら、アドラメレクの動向」

 

「おっと露骨に私たちを殺そうとしているね。私たちの居場所なら、メフィスト様と交渉すれば教えてもらえるだろうに。まあ、悪くはない。いいだろう」

 

「メフィストが俺を気に入って仲魔になった、なんて誰が信じるんだよ。俺だって信じらんねえよ。ぜってえなんかある。それならあんたとの条件にしたほうがましだ」

 

「なるほどなるほど、メフィスト様が好きそうな思考の持ち主だ。人間だけでなく他の思惑を勘ぐることに関しては一流だね。ただあまりにも無防備だ。今の発言ではっきりと君が私たちを標的にしていることがわかったよ。ルシファー様のお耳にも届くだろう」

 

「元々隠す気もねえしな、安心しろ。いつかお前らみんな殺してやる」

 

「それはいい。仲魔になるか、敵となるか、それも一興だ。楽しみにしているよ、ナナシ」

 



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知らない世界線にて(フツオとナナシ)

我は悲しみの市への入口なり

我は永久なる悩みへの入口なり

我は滅びの民への入口なり

汝らここに入らん者

すべての望みを捨てよ

 

ーダンテ/神曲地獄篇ー

 

199X年に入ってから東京が、いや世界中がどこかおかしかったとフツオは記憶しているサンモール、エコービルでカルト集団の内紛と思われる猟期的な事件が起こった。ガス爆発によって軽子坂高校が突然消失してしまうという奇怪な事件も起こる。一瞬にして校舎ごと消え去ったこの事件でフツオは中学時代からの友人数名が消息不明なままだ。このあたりでネットサーフィンで情報を集めるのが趣味になっていたフツオは、ある掲示板にたどり着く。DDSネットという掲示板には、ウィンドウズが普及する前からパソコンが大好きな人たちが集まっていた。そこではフリーのゲームやプログラムが投下され、議論したり遊んだりする土壌ができていた。そんな掲示板の常連である。自作でパソコンが作れるくらいには技術者の卵だった。そんなある日、管理人であるスティーブンからデビル・バスターと呼ばれるゲームが公開される。友人の代理だというスティーブンはそれをたたき台に、常連達とブラッシュアップしたゲームにしようと提案してきたのだ。もちろん日夜やっていることである。彼らは飛びつき、フツオも寝る間も惜しんで行った。そして完成したDDS掲示板の名をもして作られたプログラム、通称DDSは配布されるにいたる。どうせならゲームのキャラと同じように腕に取り付けるタイプのパソコンを作ろうと言い出したのは誰か、もはやフツオは思い出せない。あっという間に賛同者が集まり、完成したことは知っている。もちろんフツオも参加していた。そして、フツオの元に、ハンドベルトタイプのパソコン、通称COMPが送られてきた。あとはCOMPにDDSをダウンロードするだけ。対応したプログラムを後日配布するという知らせのあと退出したスティーブン。すでに夜中を回っていた。

 

フツオは早く明日になることを願いながら眠りについた。奇妙な夢を見たが詳細は覚えていない。

 

「いつまで寝てるの、フツオ。休みだからって寝坊はダメよ?早く起きてらっしゃい」

 

父亡き後、女手一つで育ててくれた母の声がする。あわてて飛び起きたフツオはパソコンの電源を入れる。くるくる回る砂時計が恨めしいほど遅く見えた。メールが通信ファイルを受け取っている。差出人はスティーブンである。躊躇することなくフツオはメールを開いた。好奇心をそそる意味深なコメントとともに添付されているプログラム。警告するコメントは気にせず、フツオはダウンロードを開始する準備に入ったのだった。DDSは伝承で知られた悪魔と交渉して仲間にするDCS(悪魔会話プログラム)とANS(悪魔分析プログラム)で構成されているゲームだ。ようやくできあがったハンドベルトコンピュータ。うれしくなったフツオはそれを腕につける。そして母の待つ一階を駆け下りたのだった。

 

「おはよう、フツオ。夕べはよく眠ってたみたいね。パトカーがあんなにすごかったのに」

 

母は苦笑いしてご飯を用意していた。

 

「きっとあれは大きな事件ね。テレビでやってないかしら」

 

フツオがテレビをつける。緊急ニュースが入ってきたとアナウンサーの表情がこわばった。井の頭公園で猟期的な殺人事件が起こったらしい。またカルトの仕業かしらと母はぼやく。ここのところカルトの内紛と思われる事件が続発していたが、未だに新しい情報が出てこない。犯人がうろついているかも知れないから吉祥寺の周辺は道路封鎖をするという。半年もこう似たような事件が続くと人間慣れてしまうものだ。ましてカルトなんていう非現実内の内紛である。よほどのことがないと近隣住民はまきこまれない。母もフツオも気にもとめなかったはずなのだが、今日のフツオは違った。今日は出かけない方がいい。フツオが指摘すると、困ったように母は肩をすくめた。

 

「コーヒー豆が切れちゃったのよ」

 

フツオの食卓にいつもならぶ贔屓の個人経営の喫茶店で買っているものだ。そこでしか買えないし、個人経営だから配達はしてくれない。とりおきはしてもらえるが来店が前提だ。フツオはお使いをすると申し出た。めずらしいお手伝いの真意を悟った母は仕方ないわねえと笑う。

 

「それじゃ、いつもの喫茶店に行って買ってきてくれない?残りはお小遣いでいいから。はい、一万円」

 

もらったお札を財布にねじ込んで、亡き父の代わりにやってきたシベリアンハスキーにじゃれついてから、フツオは家を出た。

 

すぐとなりには幼なじみの少女、フツコの家がある。開業医をしているためだろうか。優秀な彼女はフツオと同じ高校ではなく、進学校に進んだため高校に行ってから会う機会が減ってしまった。それでもほのかな恋心を抱くくらいには好きな少女である。それをしってかしらずか、玄関前で枯れ葉の掃除をしていた隣の男性、フツコの父親はおはようと笑いかけてきた。

 

「やあ、フツオくん。げんきにやっとるかね」

 

おはようございます、とお辞儀したフツオに、彼は満足げにうなずいた。母子家庭ながら礼儀正しいフツオは幼少期から気にかけて貰っているのだ。

 

「フツコも元気だよ。残念ながら今日は出かけているがね。また顔を出してやってくれないか、フツコも家内も喜ぶよ」

 

はい、とうなずいたフツオは世間話もそこそこにお使いに向かうことにする。休日の土曜日だというのに、すれ違う人の数が明らかに少ない。地下街にある商店街を目指して階段を下りながら不思議に思っていると、きれかけの電灯の真下に誰かいる。思わず足を止めると影は顔を上げた。

 

小学生、いや中学生の少年がいる。フツオはその顔を認めると、足早に階段を駆け下りる。フツコの弟がいたからだ。

 

「おはよう、ナナシ。どうしたんだ、こんなところで?」

 

もちろんナナシは本名ではない。フツオと同じ掲示板の常連である彼は、ハンドルエームをナナシにしているのだ。仲間内特有の気さくさで、もしかしたら、の期待も込めて聞いてみるが、生意気な笑みを浮かべたナナシはフツオを見上げた。

 

「おはよう。残念だったな、フツオ兄ちゃん。姉ちゃんは来てないよ」

 

「そうなのか・・・」

 

「ひっでーな、あからさますぎるだろ」

 

「ああ、すまない。つい本音が」

 

「ばーか」

 

けらけらとナナシは笑った。

 

「ところでそれなんだよ、フツオ兄ちゃん!もしかしてCOMP?」

 

「よくわかったな、ナナシ」

 

「いいなー。俺まだ組み立てられないんだ。フツオ兄ちゃん、手伝ってよ」

 

「いいよ。そのかわり、最近のフツコのこと教えてくれ」

 

「わかった」

 

ナナシはいつものようにうなずいたのである。買い物に同行することになったナナシは、コーヒーの買い付けをすませたナナシを家に寄ぶ。フツコがいないのは残念だが、フツオはナナシにCOMPを作ってやったのだった。

 

 

 



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英雄転生(ナナシとフツオ)

世界は漠然とした痛みに満ちていた。

 

「待って、止まって、フツオ」

 

彼女は、突然そう叫ぶ。東京に核兵器が墜ちる、30秒を切っている。なにしてんだよ、とワルオが苛立ったようにどなる。死にたいのか、と焦りが先行するあまり、言葉尻はさらに鋭い。いつもはたしなめるヨシオもさすがに彼女を咎める。

 

「なにを言っているんだ、はやく逃げよう」

 

転がり落ちるように階段を駆け下りていたフツオは、ぐいぐいと押し戻し、手をふりほどこうとする彼女の手をきつく握りしめた。彼女はぶんぶん首をふる。今にも泣きそうな顔で、お願いだから止まって、と彼女は何度も繰り返す。フツオは無理矢理立ち止まろうとする彼女に引っ張られる形でアメリカ大使館の廊下で止まった。ワルオたちはフツオと彼女を放っておけず、戻ってくる。すれ違うスタッフは、不思議そうに見つめている。仲間にすらトールマンは核兵器のことを話していない事実に愕然とするしかない。

 

「このままでは二人とも死んでしまうわ。せめて、あなた達だけでも生き延びて!」

 

そう切り捨てて、言葉をきる。彼女の言葉にフツオは目を丸くした。その意味をさとり、ヨシオたちの血の気がひく。なかでも顔面蒼白なのはフツオだ。一瞬呼吸を忘れた。それだけ衝撃だったのだ。ふざけるな、そう思った。これは怒りだ。ここまで少女に強烈な殺意を抱きかねないほど、怒り狂っているのは、この現状をどうすることもできない自分への無力さ。理不尽さにあらがう力をもつ彼女に対する劣等感や嫉妬。さまざまな要因が一気に爆発した、そんなどうしようもない感情の爆発だった。

 

ワルオ達はなにもいえず、双方を見つめている。すべてが崩壊する、足下もろとも崩れ落ちるような、奈落の底に突き落とされたような感覚が走る。それは絶望だった。誰よりも守りたいと願った少女が、手をふりほどき、祈るように胸に手を当てるのを目に、フツオはあわてて彼女にやめろと叫ぶ。勢いに任せた言葉だけが先走る。今までフツオが押し殺してきた感情があふれる。

 

誰よりも彼女の隣にいたい。誰よりも信頼されて、誰よりもみていたい。親友であり、相棒であり、愛する人でありたい。レジスタンスの誰もがほしがった、でもできなかったその場所にいられることが何よりも幸福だった。そんな彼女に言われたくなかった。それだけは聞きたくなかったのに。

 

フツオは完全に我を忘れていた。未だかつてないほどの激情に任せた、支離滅裂な叫びだった。フツオは英雄にも救世主にもなった覚えはない。なるつもりもない。ただ彼女とともにあれるなら。憤りをにじませた言葉を聞いて、彼女は無責任なことをするけど許してほしいとはいわないと笑った。

 

「ふざけるな」

 

それはエゴだとあざけることができれば、どれだけ楽だろうか。君は最低だとせせら笑えたら、どんなに愉快だろうか。でも、そんなこと、世界がひっくり返ったって、できるわけがないのだ。もうほどんど嗚咽混じりの泣き声である。なんとか絞り出す言葉は精一杯だった。

 

「君は今どんな顔をしてるかわかるか?泣いてるじゃないか」

 

「でも、時間がないわ」

 

彼女からとほうもないマグネタイトの光が迸る。あまりの輝きにフツオは目を細めた。瞼の裏に残像が残る。フツオは彼女の名前を呼んだ。手を伸ばしたが、届かない。

 

彼女がなにをしようとしているのかはわからない。でも、これが永遠の別れだとフツオは悟った。ちくしょう、とフツオは叫ぶ。フツオにガイア教の討伐を依頼してきたアメリカ大使のトールマンは、魔神トールの転生体だった。ガイア教の統帥であるゴトウに手をかける寸前、天使勢力の目的が黙示録の再現という途方もない陰謀だと聞かされた。その真意を訪ねて再びアメリカ大使館を訪れたフツオたちを待っていたのは、ICBMの発射というトールの最期の悪足掻きだった。

 

「さよなら、フツオ」

 

彼女は自らの命と引き替えに、瞬間転移の魔法を唱えた。フツオの視界は黄金色の螺旋に包まれた。

 

 

199X年10月某日、悪魔に制圧された東京に向けて、A国からICBMが打ち込まれ、それが合図となり世界中で核戦争がはじまった。のちに大破壊と呼ばれることになる核ミサイルの雨により、世界各国の主要都市は崩壊。その影響による急激な気象の変化はかつての人口を20%にまで減らし、かつての大都市の面影は忘れ去られることになる。旧都市部において生き残ったのは予知していた一部の組織、シェルターに逃げられた人々のみ。シェルター以外はすべて、悪魔が闊歩する世紀末と化した。

 

一番被害が大きかったのは、やはり東京である。国会議事堂めがけて落とされたICBMははるか上空で爆発、太陽の表面と同じ高熱で地下鉄はもちろん周辺はすべて焼き払われ、巨大なクレーターだけが残された。屋外にいた人々は即死、屋内にいた人々も放射能と爆風に晒され為すすべがなかった。爆心地付近では、人々が蒸発した。地下室やシェルターに逃げ込めた幸運な人々、地下街を歩いていた、あるいは地下鉄に乗っていた人々は助かったが、悪魔が侵入する事件も相次いだため、放射能が残る地上を歩くしかないという悲劇もあった。東京の持つ首都機能は完全に崩壊した。

 

核兵器の高熱や爆撃は悪魔をも飲み込んだ。炎に強いはずの悪魔でさえ、核兵器の持つ強烈な磁気嵐により形成していた生体磁気の性質をもつマグネタイトが化学反応を起こして周囲に四散。その影響で肉体を保てなくなるまで一気に枯渇してしまう。マグネタイトの枯渇はスライム化を引き起こし、待っているのは崩壊だ。魔界に逃げ込めさえすれば安全だと確信するのは当然で、東京と魔界をつなぐゲートを求めて、東京中の悪魔が防衛省地下にあるヤマトに殺到、護衛していた悪魔討伐隊は多くの人間が命を落とすことになる。核の嵐が収まると、東京中に広がった死のオーラにひかれ、魔人をはじめとした多くの強力な悪魔がふたたびヤマトからあふれ出すことになる。大破壊を生き延びた人々は、戻ってきた悪魔の犠牲になってしまったのである。

 

そして、悪魔の中でも高位な存在は、東京のいたるところ、特に竜脈が走っていたり、古くからの霊地を居城にして、勝手に統括し始めたのだった。

 

 

日本に墜ちたICBMはひとつではない。予告なく行われた戦争の火種は拭われていき、記録さえ残っていないがそれだけは事実だ。米軍基地などが破壊され、日本中の霊地が活性化した。各地で地震が相次ぎ、火山活動が活発になり、壊滅的な被害を免れて政府機能を代行していた関西区と旧都市である関東区は完全に分断されてしまう。東京は復興のめどが立たないとして、放置されることになったのだった。核爆発と火山活動により巻き上がった大量の粉塵が太陽の光を遮り、核の冬が到来。気温が急激に下がり、雪の結晶が肥大化、この年はすさまじい大雪となった。その結果、関西区も悪魔との争いや連日の大災害に疲弊し、自分たちが生き残ることに精一杯となる。黒い雪に埋もれた東京に救いの手をさしのべる者はいなかった。

 

絶望する東京の人々に救いの手をさしのべたのが、奇跡的に助かった組織の一つがメシア教である。東京崩壊前は、唯一神の奇跡を謳い、黙示録の到来を警告する様はキリスト教系の新興宗教としておもしろおかしく取り上げられることが多かった。時代錯誤な非常に排他的な要素が強い思想だったからである。しかし、神の啓示により黙示録の到来に備えており、伝承に知られた天使の加護により教会に悪魔が入ってこられない事実は被災者であり悪魔の搾取される側になり果てた人々にとって理想郷だった。「聖職者」の集まりであり、人々を惑わす悪魔やそれに荷担する邪教の信者と戦うことが彼らの使命だった。弱者を救済することに見返りを求めないのがルールであり、悪魔を撃退してくれる彼らはとても頼りになる存在だったに違いない。率先して被災者の救済や支援に回ったため、生存者の心の支えになった。しかし、それがマッチポンプであることを知っていた組織がある。ガイア教である。これは様々な新興宗教の団体が連合を組んでいるが、活動するために法人格を獲得した際につけた名称だ。勢力を拡大するメシア教に対抗して作られた組織だが、実際は共通の目的にあつまった緩やかな同盟でしかない。どこの宗教なのかはそれぞれの団体による。なかでもガイアーズ教団は武装闘争を信条とする急進派であり、若い教徒は怒りにまかせて悪魔とともにメシア教会を襲撃。度重なる暴挙に、しだいに怒りを露わにした被災者達は入信する者、あるいは武装して自衛を申し出る者が増えていく。メシア教も天使の加護だけでなく武装ようになっていった。メシア教を頼っていた被災者の怒りを買ったガイア教は邪教として追われることになってしまう。

 

そんな世界となり果てた20年後の東京をまだ彼らは知らない。

 

東京は、世界はこうしてひとつの時代を終えた。核兵器が東京に直撃し、暴風と轟音に巻かれて死ぬはずだったワルオとヨシオは、気づけば金剛神界という時空を越えた先にある異世界に倒れていた。この世界の主だという役小角という男の頼みを聞けば元の世界に帰してくれると聞いた二人は、フツオの仲魔たちを回収しながらフツオを探した。だが、どこにもいない。彼女が決死の想いで紡いだ彼の生を、無情にも摘み取ろうとした者がいたからである。

 

フツオだけが東京に取り残され、肉体を失ってしまったのだ。思念体となったまま消えゆく寸前で《理》をねじ曲げられ、別の宇宙に存在する金剛神界に転送されたのである。

 

 

 

 

 

 

「ここは、どこだ?」

 

幾度も夢に見た世界だ。真っ白な思念体の状態のフツオに、語りかけるのは同じ真っ白なマネキン状態のヨシオでもワルオでも彼女でもない。でもフツオは知っている。

 

「あんたは、スティーブンさん」

 

「や、久しぶりだね」

 

「あんたがここにいるってことは、ここはターミナル?」

 

「残念ながら違うよ、フツオくん」

 

スティーブンは笑った。フツオはこの男の本名をしらない。スティーブンは、DDSネットというの掲示板の管理人であるこの男のハンドルネームだからだ。そこはパソコンが大好きな人たちが集まりコミュニティを形成している場所であり、連日連夜様々なゲームやソフトが公開され、活発な活動が行われる土壌が形成されていた。199X年に自分でハンドベルトの小型コンピュータが自作でつくれる高校生のフツオも、もちろんその掲示板の常連だった。忘れもしない10月某日、スティーブンからデビル・バスターというゲームが公開されたことが、今のフツオをデビルサマナーたらしめている。高校生の友人が作ったプログラムだというそれをブラッシュアップし、より洗練されたゲームにしようと言う呼びかけに、フツオ達は色めき立った。そして完成したDDS。意味深なコメントとともに常連の掲示板の管理人からメールで送られてきたとなれば、自慢のパソコンに入れて遊びたくなるのがマニアというものだ。ただのゲームだと思ってやりこんでいたプログラムが、東京を跋扈する悪魔の解析や交渉という驚異的な威力を発揮するだなんて誰が思う。

 

「ターミナルじゃない?じゃあ、魔界?」

 

「似たようなものだが似て非なる」

 

フツオは疑問をとばす。

 

スティーブンが井の頭公園近くにあった、防衛庁の外郭団体である量子物理学研究所のスタッフであり、瞬間転送装置というオーバーテクノロジーの開発に関わっていたのは本人から聞いていた。物質を電子情報に置き換え、瞬間的に移動させる画期的なシステムの開発者は、悪魔召還プログラムの生みの親だ。本人曰く行方不明になったある高校生のプログラムを拝借しただけらしいが。ついでに、ターミナルが謎の暴走を起こし、ありえない座標と転移ルートを開き、存在しないはずの虚数の座標から悪魔が転移してきたのがすべての始まりだということも知っている。悪魔との邂逅によるトラブルで車いすになったことも。いうなればターミナルが現実世界と魔界をつなげてしまったことがすべての始まりだった。本来なら即座に中止になるはずだったターミナル計画は、スティーブンの上司だったゴトウが継続を宣言したことで続行されてしまった。このままでは悪魔が世界にあふれかえり、すべてが終わってしまう。そう悟ったスティーブンは悪魔召還プログラムを完成させ、ターミナルの技術を外に流出させたはいいが、彼ができたのはここまでだった。言葉こそ濁しているが、ガイア教の息がかかった病院に幽閉されていたスティーブンを助けたフツオはなんとなくその末路を悟っていた。

 

 

「ここは金剛神界だ」

 

「こんご、?」

 

「異世界と言った方がいいだろうか。すまないね、私はこれ以上の干渉は許されていないのだ、フツオくん」

 

「僕は、死んだのか?あの世はずいぶん殺風景なんだな」

 

「《志半ばで力つきし者よ、これより先は、魂が還るところ。恐れることはない》フツオくん、幾度も臨死体験をしてきた君は、今回この言葉を聞いたかい?」

 

「いや、聞いてない」

 

「つまりはそういうことだ。本来君があるべき場所に還れるなら、私はなにもしなかった。それすら絶たれた。これはあるまじきことだ。偽りの神でありながら《理》への冒涜だ。だから私は君をここに呼んだ」

 

「ヨシオやワルオは?それに彼女は?」

 

「それは私が説明すべきことではない。君の目で確かめるべきことだ。違うかい?君があるべき姿を取り戻したらすぐにでも帰してあげよう」

 

「僕はなにをすればいい」

 

「君はまずゆっくりと休むことだ。お休み、フツオくん」

 

「わかった」

 

フツオの魂は眠りについた。

 

そして、フツオは目を覚ます。なにか、衝撃が走った気がしたのだ。飛び起きるとスティーブンがいた。驚かせただろうか、すまないね、と彼はいつものように食えない笑みをたたえて笑っている。

 

「これで準備は整った。君が肉体を取り戻すには、協力者が必要だ。彼の承認は得ている。安心していい」

 

「僕はなにをすればいい?」

 

「君はこれから夢を見るだろう。そして目覚めたとき、君は新しい世界の一部になっている。君はとまどい迷うだろうが、道は自分で切り開くしかない。なにが正しく、なにが正しくないのか。決めるのは自分の意志だ」

 

スティーブンはひとりつぶやく。誰かの転生体だという自覚はあるが、今の自分の記憶がない。それが今のスティーブンの原始の記憶だ。父を亡くし途方に暮れていた幼い男の子に、シベリアンハスキーの子犬を渡したかつての自分を思い起こし、スティーブンは瞑想を始める。

 

「君を待ち受けるのは光の元に選ばれし民の法と秩序か、力を頼る者共が相争う混沌か。君の天秤に二つを乗せて、こぼれ落ちないように歩むか。それは君が決めることだ」

 

スティーブンの前に扉が現れる。

 

「さあ行くんだ、フツオ君。そこでナナシという少年を訪ねるといい」

 



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世界がちっぽけだったから(アサヒとナナシ)

「なんでだよ、ナナシ!お前、俺たちのこと嫌いになったのか?!」

 

「ナナシ、変わったね。前のナナシなら、そんな笑い方しなかった。ナナシを変えたのは誰?あのおじさん?それともあのアサヒって子?」

 

お願いだから帰ってきてと願うしかない。アサヒにとって心臓のばくばくが止まらない夜が続いていた。久しぶりの感覚だ。実に7年ぶりである。お試し期間が終わるまで、ナナシがアサヒの家族になると決まるまで、ナナシがいなくなるんじゃないかと眠れなくなって以来の感覚である。錦糸町のハンター商会でマスターを手伝っていたアサヒとナナシが、ハンターを目指してニッカリに弟子入りして一月。ある依頼を受けたニッカリがナナシとアサヒを置いていったことがある。阿修羅会がらみの依頼のようで、運び屋の仕事には末端の末端であるストリートチルドレンのグループが関わっていたらしい。留守番をごねるアサヒをなだめすかしていた見習いマスターの失言に、ナナシの目が見開かれたのは記憶に新しい。任務から帰還したマナブたちに詰問するナナシは鬼気迫るものがあり、マスターが本気で見習いマスターを怒鳴ったのはゆびおりしかない。その日から人目を憚るようにナナシを知らない男の子たち訪ねてくるようになった。密会場所はいつも決まって電気柵ごし。あるいはハンター商会からナナシの部屋への近道である通気口、その鉄格子ごし。相対する会話が聞こえないか、息を殺してドア越しに耳を傾ける毎日だった。

 

 

 

その過程でアサヒは生まれて初めてナナシが家族になったきっかけを知る。かつてのナナシはストリートチルドレンたちにとって、中心的な存在だったのか、あるいは好かれている存在だったらしい。8年ぶりに会っただけですぐにナナシと気づいて、一緒にいこう、とさそうくらいなのだから。今の彼らは引き取り先とうまく馴染めずストリートチルドレンに戻ったか、居場所を25年前に遺棄されたかつての本拠地に求めて戻ったか、様々な理由はあれど一定数いるらしい。遺物を集める仕事をする孤児たちのグループが、地下鉄の住人に依頼されたハンターが放った悪魔の襲撃を受けて壊滅してから、8年。ずしんとアサヒの中でのしかかるものがあった。

 

 

 

彼らは諦めきれないようで、何度もナナシを説得にはやってきた。アサヒは彼らが嫌いだった。ナナシと彼らの会話は断片的にしか聞こえない。でも表情や仕草からわかる。彼らとナナシがいた時間はアサヒとナナシの時間より長いことは確定している。ナナシがアサヒに見せたことのない笑い方をするのがもやもやする。

 

「ナナシ、今日こそは、一緒に帰ろうぜー」

 

「お前も懲りねーな。もってきたのかよ?」

 

「そんな大金出せるかよ、バカ!つか懲りないな、じゃねぇよ。もっと喜べよ、ナナシ。わざわざこのオレが迎えに来たんだぜ?」

 

「じゃあ帰れ」

 

「じゃあってなんだよ、じゃあって!」

 

「わざわざオレ呼び戻してどうすんだよ。なんとかやってんだろ、お前ら。俺だけいい生活してるのがうぜえからボコりたいって言われた方が安心できるっての」

 

「あいかわらず素直じゃねーな、ナナシ!なんだかんだでまた会えてうれしいんだろ?」

 

「うるせえ。だいたいてめーら、俺がいなくても自立してやってけるじゃねーか」

 

「オレはナナシと違って素直だから言うけどよ、みんなめっちゃ寂しがりやなんだよ。ナナシも知ってるだろ?お前がそっちにいる限り、気軽に会えないのがやなんだよー、わかれよ、ばかー」

 

ナナシがいつも決まって声をあげて笑うのが嫌だった。

 

我慢できなくなったアサヒは、ナナシに聞いた。簡単に言えば、ナナシを勧誘しているのは当時7、8歳のストリートチルドレンのグループで、特にナナシと行動していた子達らしい。そして、仕事をくれるハンターがストリートチルドレンの拠点に興味を持ったとき、その違和感に気付いたナナシに同調してくれた子達。生き残った子達。口が回る性質と幼さを武器に窃盗を繰り返す中で培われた人を見る目をかっている子達。ある意味、あの事件から一歩も足を踏み出せないでいる、8年ぶりに会ったナナシに自分の中で育てあげた理想を求めている子達。

それぞれとの馴れ初めは似たり寄ったり。読み書き計算を教えてあげた、遺物を貸してあげた、地下鉄を案内してあげた、遺物の使い方を教えてあげた。ナナシは当時からさめているというか、落ち着いている子だったらしい。中心的な存在になるのは自然な流れだったようだ。今ならアサヒにすごいと言ってもらうために、あることないこと大げさに語っていたのだとわかるが、当時はまだ分からなかった。どこにもいかないよね、と聞いたアサヒに、ナナシはは?と返した。行くわけないだろ、というつもりだったようだが、アサヒにとっては即答してくれないことの方が嫌だった。錦糸町のハンター商会のカウンターで、アサヒは急にナナシの手を取って、「ずっと一緒じゃないと嫌!!」と叫んだ。みんなもびっくりしていたし、マナブはストリートチルドレンとの密会を聞いて見たことのないような鬼の形相していた。ナナシは恥ずかしくて顔を真っ赤にしていた。「なにいってんだよ、いきなり!」「どっかいっちゃ嫌っていってるの!」「は?行くわけねえだろ、なにいってんだよ」商会はナナシを中心にからかいの輪が広がり、アサヒだけは恥ずかしげもなくにへらーっと笑っていた。マスターだけが怖い顔をしていた。「気持ちはわかるがそういうのまだお前らにははやい。早すぎる。せめてお友達からにしろよ」と低い声でナナシに囁いた。ちなみにアサヒがお友達じゃない幼馴染だとむくれると、生暖かいまなざしのまま、マスターは頭をなでた。

 

それでもストリートチルドレンの子達の熱烈猛アピールは続いた。マスターもニッカリもいい顔をしないが、ナナシの好きにしろというスタンスだった。アサヒとマナブはそれはもう不機嫌だった。マナブはせっかくできた弟分、しかも孤児時代からナナシを知ってるからまともな生活に引き込めたのがうれしいらしい。ナナシは俺の弟弟子だと、ストリートチルドレンにだけはもどしてたまるかとばかりに、普段、どんな相手にでも当たり障りなく接するというのに、ストリートチルドレンに出会うたびに舌打ちをし、悪態を吐く。彼らもその対応は想定内のようで、マナブに陰湿な嫌がらせをしたり、任務でかちあうと邪魔したりしたらしい。アサヒはさすがにそこまでできなかったが、ずっと彼らを睨んでいたことだけは覚えている。ナナシの手を掴みながら。彼らは全く挫けなかった。特にお調子者の彼はよくアサヒとナナシが二人でいると邪魔してきた。

 

「これからニッカリさんと定期調達にいくの。その邪魔な手を退けてくれないかなぁ?」

 

「いいじゃん、一回くらいサボッてもさ。まだ見習いなんだろ、ナナシ?アサヒもナナシも俺たちのとここいよ、歓迎するぜ?」

 

「まだ見習いは余計だ、ばかやろ。すぐ見習いとっぱらってやるよ」

 

「もう一年たつんだよなあ」

 

「まだ一年しかたってないもん!マナブより早く覚えてるって褒められたんだから!ね、ナナシ!」

 

「さすがはナナシだな!」

 

「むう、なんでそうなるの?もう諦めてよ!ナナシとは8年も一緒にいるんだからね!ナナシのことは、ずっとよくわかってるもん!」

 

「へー、じゃあ、なんでナナシがそんなすっげーのか知ってるのかよ?」

 

「はぁ?」

 

「知らないよなぁ?アサヒはナナシか俺たちの仲間だったときのこと知らないもんなぁ?」

 

「お前もう黙れよ」

 

「な、なによ!こっちはナナシのパジャマだってエプロンだって水着だってみたことあるもん!それくらいで自慢しないでよ!」

 

「アサヒも黙れ」

 

「お前さ、幼馴染だからって調子に乗ってない?」

 

「そっちも勘違いしないでよ!ナナシはずっと一緒だって約束したんだから!」

 

「おい……二人とも?」

 

ナナシの無言の圧力により、二人は部屋から追い出されたのだった。彼らとの争いが、いつまで続くのかとげっそりしていたアサヒだが、終わりはすぐにやってきた。半年もしないうちに、彼らは本拠地を変えることになったのだ。阿修羅会の偉い人が彼らの働きを気に入ってくれたらしい。新しい仕事は一つの場所に留まることが無いらしい。ナナシはすごく寂しそうだったから、お見送りに行くことを約束した彼らとナナシを邪魔することはできなかった。短い間だったけど、彼らはナナシにとっては大切な友達だ。アサヒが行っても意地悪を言うだろうが、ナナシを連れて行ってしまうかもしれない。アサヒはついていった。

 

「これやるよ」

 

「……これは?」

 

「錦糸町ハンター商会の連絡先な。ハンターになったらぜってー贔屓にしろよな」

 

「ナナシ、ありがとな!」

 

「そーだ、僕からもナナシにプレゼントしたいものがあるんだ」

 

彼らはそういって有無を言わせず、ナナシの手を取って連れ出した。嫌な予感がしてアサヒもついていく。そこには、引越しの荷物を運ぶトロッコやってきている。すると彼らは荷台へと連れて行った。

 

「ねえ……こんなとこに入っちゃまずいんじゃ……」

 

「間違えてナナシへのプレゼント、入れちゃったんだ。あっ、こっちこっち」

 

「?」

 

「わ、おっきい」

 

「キミも手伝ってよ。これじゃナナシが潰れちゃう」

 

「う、うん」

 

彼らは荷台に乗っていた大きな箱の前で、アサヒとナナシを手招きした。ナナシはレールの上で待てと言ったが、確かに大きい。アサヒはあわててよじのぼる。ガムテープが貼られている箱。二人で開けていると、その痛みと勢いにその場に倒れ、そのまま意識を失った。最後に、小さな人影が笑っているのを、見たような気がする。

 

 

 

シェーシャに食べられて、ナナシたちのおかげで復活できたアサヒがそんなことを思い出したのは、死という感覚が二度目だったからに違いない。今まで忘れていたのは、アサヒにとってあまりに強烈な体験だったため。今思い出したのは、今のアサヒなら受け止められると判断されたためだろう。

 

あの日、ナナシはこれで二度目だと言った。一度目はわけのわからないままお母さんの口に突っ込まれた拳銃を握らされて、お母さんの手が引き金を無理やり引かせた。二度目は自分の意思だから言い訳できないと笑った。アサヒは血まみれのナナシにすがりついて泣くしかなかった。ストリートチルドレンの子供達は、ある魔神を召喚する儀式の協力をさせられていた。もちろん、悪魔に知識がない子供達は、阿修羅会の男のいうことを信じ込んでいた。ナナシとアサヒが連れてこられた時でさえ、新しい仲間を迎えたことを喜んでいる子達がほとんどだった。この依頼を受けた時点で、全員がすでに悪魔にあやつられていることを除けば、素敵な時間だったに違いない。マグネタイトを効率のいい摂取方法で貪り尽くした悪魔から逃れるためには、まだ依り代の段階だったお調子者の彼に手をかけるしかなかった。トロッコは長い長い旅路だった。おかげでアサヒはくらいトロッコはしばらくトラウマになりそうである。

 

 

「...うう、やな夢みちゃった」

 

 

本来なら隣の部屋にいるはずの声がすぐ隣から聞こえてきては、さすがにぎょっとするナナシである。そこにははだけたパジャマ姿のまま、うつらうつら舟をこいでいる大好きな幼馴染がいた。パジャマからのぞく白い柔肌、無意識に目が行く体のライン。想像することはたやすい、豊満な体。物音に気付いて目をこすったアサヒはナナシを見て微笑んだ。

 

「えへへ、ナナシがいるー。おはよ、ナナシ!」

 

「お、おう、おはよ?何してんだよ、アサヒ」

 

「だってナナシ、死んじゃったでしょ?どっかいっちゃうかもって思ったら落ち着かなくて」

 

「アサヒ、やっぱお前、ばかだろ」

 

「むう、なんでよー!」

 

「アサヒはあのとき庇わなくても大丈夫だったんだよ。俺は神殺しなんだ。死んだって生き返る。忘れたのかよ」

 

「あ」

 

「そーいうとこがあぶなっかしいんだよ、アサヒ。その考えたりないとこがな」

 

「だって、そんな、急にあんなことになったら、何も考えられないよ。勝手に体が動いちゃったんだもん。しょうがないじゃない」

 

「勘弁してくれよ。なんでみんな俺を置いてくんだ」

 

手繰り寄せられた手を握りしめ、アサヒはごめんと静かに謝る。許さねえ、と静かにつぶやいたナナシに抱きしめられる。アサヒはそのままナナシの心音を聞いていた。しかし、視界が反転する。

 

 

「あ、あの、ナナシ..!?.」

 

「そーいうつもりなら仕方無えよな。気を利かせて純潔の乙女でいさせてやったのに、シェーシャに食われやがって」

 

「な、なんのこと!?」

 

「シェーシャが言ってたぜ。最高に美味しかったって」

 

「お、落ち着いてよ、ナナシ!××ちゃんに聞こえちゃう!」

 

「安心しろよ。AVの音漏れしたこと、一度もないだろ?」

 

 

ナナシの奔放さに翻弄されていて忘れていたが、今の状況はかなりやばいんじゃないかと、さすがにアサヒでも思う。あんな夢を見たせいだ。ナナシの心音がないと眠れなかった。アサヒは恥ずかしそうに赤面した。期待に満ちたまなざしを向けられている。受け入れてくれると信じきっている笑顔がある。手をからめられ、しなだれかかる。すでに形を成しているそれを押し付けられる違和感に困惑しながら、アサヒは息をのんだ。

 

「最終確認な。嫌なら蹴飛ばしてでも逃げろ」

 

「いい、よ」

 

アサヒは笑った。避妊具が溜め込んであるのをみて、引きつることになるが、それはまた別の話だ。

 



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知る必要などない話(ダグザ)

かつてアイルランドやイギリスに上陸した4番目の種族、女神ダヌーを母神とする神族、それがダナーンと呼ばれていた神々である。かつてヨーロッパ全土に存在したはずの多神教の神話、宗教構造をもっていたものの、古代ローマと密接な関わりがあった都合上、ローマ帝国の征服やキリスト教への改宗で生き残ることができず、彼らの神話はほどローマ、あるいはキリスト教側の史料のみ伝わっている状況である。これらの影響をうけなかった一部の民族は祖先の神話を今に残すことができたが、それは中世に入ってからである。最初期、彼らはどう信仰されていたのか、知るものは誰もいない。

 

 

キリスト教が伝来する前のその地における信仰なのは間違いないが、神々や超自然的な者達が死後に祭り上げられた王や偉人たちなのか、自然摂理が神格化されたのかはわかっていない。吟遊詩人の語り伝えた多くの物語や詩から知られているが、中世の写本、歴史書から見いだされたものにすぎない。かつて神として信仰されながら、時代を経るごとに格下げされ、単なる来航者として描写されてきた彼らは、キリスト教以前の住民たちの歴史を追いかける役目を背負わされていた。古代イギリスにおける民族紛争の歴史を神話の中に組み込まれる形で、今のダナーンは知られている。その中では魔の力をつかう英雄たちが南からやってきたフォーモリアという巨人族と戦いを繰り広げた。フォーモリアの頭領は邪眼のバロールとよばれる魔王である。彼と光明の神ルーグの対立がいくつもの列伝を造りながら、中核をなしていた。

 

 

 ダナーンは基本的に太陽信仰であり、森羅万象には「霊」が宿ると考えられるアニミズム信仰が発祥である。昇っては沈み、また昇るという太陽の運行と同じように、魂も不滅で転生するというのが中心となる思想だ。死は終わりではなく、次の生への休息にすぎないと考えており、彼らの信奉者の戦士たちが死も恐れない勇猛果敢な戦いぶりを見せたのは、その転生の思想による物だった、とされている。彼らへの信仰の痕跡はヨーロッパ大陸やブリテン島、アイルランドの古代の王家の系譜にも残されているが、それを今に伝えるものはすべて後からやってきたローマ人やノルマン人の文献だ。信仰は途絶え歴史の流れに埋没しキリスト教の中に残された、キリスト教を信じる者達が残した文献にしか推し量ることはできない。

 

 

その結果、彼らを信仰する民族のように地下に逃れ、目には見えないけれど存在する妖精の一族として、地上の世界の鏡像のような世界にいきることになる。もっとも、人や妖精、神という種族が明確に分裂しておらず、非常に近い存在だと考えられていたのが大きな特徴のひとつといえる。そして訪れるのは半神半人の英雄たちが活躍する時代。混血が進み、信仰が途絶えたあと、彼らはアイルランドやイギリスにあるレイライン、東洋でいうところの竜脈から吹き出す魔力で生き抜いてきたが、神の御業戦争による霊地の壊滅的な被害を受け、故郷を追われ、物質世界の漂流を余儀なくされた。

 

 

それは物質世界で存在するために、マグネタイトの供給を確保する戦いでもあった。本来、実体を持たない彼らは水のようなものだ。しかし、物質世界である現実世界に存在し続けるには、器を用意しその中に精神体である己をそそぎ込む必要がある。その器の材料となるのがマグネタイトと呼ばれるエネルギーであり、精神体である彼らそのものでもある。このマグネタイトを作ることができるのは人間、あるいはそれに近しい生命体、そしてアクマだけである。魔界にいれば、いつでもどこでも供給されるマグネタイトである。彼らは様々な感情の発露によって発生するこのエネルギーで自在な存在となれる。しかし、物質世界にいるためには器を維持し続け、しかも枯渇しないように供給もとを確保しなければならない。マグネタイトの供給方法としては、人々の信仰を集める、他の生命体に憑依する、大量の生体エネルギーを器に変換し続ける、という方法があげられるが、彼らにとって効率的なのはケルト神話としてよく知られた姿を形づくることだろう。もっとも、それは人々の信仰、思想、様々な無意識から形成されるもの、伝承を身にまとうことを強制される。魔界にいたころとは全く異なるあり方だ。しかし、それを拒絶することは、ダナーンをはじめとした多くの派生神からマグネタイトやあらゆる情報を伝播される特権を備えた主神クラスの悪魔であっても死を意味する。肉体を持たない悪魔が実体化を維持するためには、マグネタイトを消費しつづける。マグネタイトの枯渇は肉体の崩壊、スライム化、そしてマグネタイトを求めて暴走する本能の固まりと化し、そして消滅を意味する。神の御業戦争によって世界各地の霊地を破壊され尽くした者たちがマグネタイトの供給地を求めて、その首謀者たる勢力の力が及ばない最後の地である閉鎖空間東京に集結するのは当然の流れだった。

 

 

そして、ある野望を達成するための神殺しを求め、わざわざ冥府の道すがらで魂を選定していたダグザが出会ったのが他ならぬナナシだった。それはとても奇妙な流れをたどる水だった。大いなる理という大きな海から離れた水は雲になり雨になり地下水になり川になり海に還る。それが基本的な魂の流れである。しかし、どうやらその水は海に至る川の途中でいつもせき止められ、すくい上げられ、人工的に雨になり大地に降り注ぐことを繰り返している。魂が還るところ、黄泉の国は死者の魂が転生を待つところだ。死の安らぎは人であろうと悪魔であろうと等しく、大いなる理の導きによって訪れる。しかし、その魂は安息を得ることのないまま、大いなる理に還ることができないまま、転生を繰り返している。魂が溶けることをしらない。本来、溶けゆく思念体は色がない。形もない。いずれひとつの水となるため、ゆるやかにほぐれていく。マグネタイトか枯渇した悪魔の最後のように。しかし、ナナシはいびつなほど生前の姿を保った状態で思念体としてダグザの前に現れた。幾度も転生を繰り返した終焉を知らない魂は固定化され、いつしかそれ以外の姿をとれなくなっていた。実体化するためにその存在を固定化されてしまったダグザと奇しくも同じような存在となり果てていた。大いなる理に溶けゆく思念体の往来の最中、ダグザの言葉に耳を傾ける者など本来いないはずなのだ。五感は滅し、実体すら失われ、ただ透明な魂だけがその根元に埋没していくだけの大いなる流れの中で、ダグザがはっきりと姿をとらえることができた。それだけでナナシは特別だった。もはや意味がないはずの生前の名前をはっきりと口にして、はっきりと生き返りたいと意志を示した。このまま大いなる理のところまで歩んでいっても、大いなる意志によってすくいあげられ、現世に帰される運命のナナシである。自らの意志でダグザの手を取ったそれだけがすべてだった。



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ぼくたちオトコのコォ!(ナナシとハレルヤ)

久しぶりにハレルヤからナナシに連絡が入ったのは、閉店間際の錦糸町ハンター商会でアサヒと新しいマスターの帰りを待っていた時だ。若くして阿修羅会を率いることになった15歳は、数多の難題に直面する度にふらりと錦糸町ハンター商会に顔を出す。時間があればアサヒも混じってわいわいしゃべるだけで、相談をしにくるわけではない。部外者であるナナシに、救世主であることを選択しなかったナナシに、その役目を背負わせることはハレルヤも望まないところなのだろう。いつものようにハンター商会でクエストを受けて依頼をこなし、アサヒの手伝いをするナナシに会いに行くことが重要らしい。これはハレルヤだけではない。妖精の女王として本格的に活動を開始したノゾミや人外ハンター商会のトップであるツギハギ、フジワラ。ミカド国に帰ったフリンやイザボー、ガストンも同じだ。所属する場所を離れたトキだけは錦糸町ハンター商会ではなくナナシの部屋に出現することが多いが、もとめるものは同じ。無理矢理ナナシのクエストにくっついていく、もしくはナナシをクエストに連れ出す。共通するのは同じだ。親族による葬儀が行われるからと1週間ほど前、ガストンと一緒にミカド国に帰省したナバールによれば1ヶ月ほど旅行してくるとのこと。脚色まみれの冒険はガストンによる解説とつっこみつきでまた楽しませてくれるだろう。特に大きなクエストの予定もないナナシは、ハレルヤが指定した待ち合わせ場所にむかうことにする。

 

「今から行くの?遅くない?」

 

「へーきへーき、悪魔討伐の依頼じゃないっぽいし。ちょっとした運び屋の仕事だって」

 

「ふうん、そうなんだ」

 

「めっちゃ謝ってるしなぁ。自由がきく時間がとれないんだろ、あいつ」

 

「そっかあ、大変だね。じゃあ、ハレルヤによろしくね、ナナシ」

 

「おう」

 

ひらひら、と軽く手を振って、ナナシは錦糸町を後にした。スマホ画面をアサヒに見せなかったのは、待ち合わせ場所が廃墟と化したラブホテルだったからだ。

 

「ほんとにごめんな、リーダー。こんなとこに呼びつけて」

 

「ま、いいんじゃねえの。今更謝るなよ、めんどくせえ。これで何度目だっけ?」

 

「うぐ」

 

「そういうモンが必要になるのも、復興の兆しじゃねー?」

 

「そ、そうだよな、あはは」

 

まさか阿修羅会がこんなものまで集めてるとは知らなかったんだ、とハレルヤは言い訳する。

 

25年にも及ぶ地下での避難所生活に疲弊しきっていた東京の人々は、ハンターや阿修羅会の護衛が前提だが少しずつ地上に生活圏を広げ始めている。遠方のエリアとの流通ルートも安定し、品ぞろえも充実しつつある。生活にだいぶ余裕が出てきた人々は、その変化を復興ととらえる。ほんの半年前まで今日の生活すらままならず、明日のことなんて考えられなかったのだ。まだまだ安息への道は遠いが、これから、に思いを巡らせる機会は多くなっていく。公共の設備やライフラインの供給が追いつき、仮設の生活スペースはハンターや阿修羅会と遜色ないものが並ぶ日も遠くはないだろう。ハレルヤ達がナナシを捕まえようと連絡を入れてもなかなか会えないのは、復興によるハンター商会の仕事が激増している事情もあるのだ。早々に放棄されたエリアからの支援物資もだいぶ多岐に渡っている。ハレルヤが数ヶ月ごとにナナシに依頼するのは、定期的に送る荷物の収集が主だった。初めて依頼を受けたときは、さすがに聞き返したし、どういうことだよおい、とあきれた。ハレルヤを二度見たナナシだが、回数を重ねればいい加減慣れてくる。具体的には大人の玩具や避妊具といった、性生活に関わるものが中心だ。25年前から生産が終わっているそれらの代用品は、悪魔からの提供だったり、悪魔の一部だったりするが、需要と供給が成り立つ以上、ラブホなどで探すのも大事な仕事である。

 

「なーに言ってんだよ。これも大事な進歩だろーが。余裕出てきたら、今まで我慢できたことだってできなくなるんだよ、人間ってやつは。あるならあるで越したことはねーだろ。治安が悪くなったらなったで俺たちの仕事また増えるじゃねーか」

 

「リーダーのそういうとこは尊敬するぜ、ほんと」

 

「よさそうな奴は拝借しようぜ、ハレルヤ」

 

「そういうとこは軽蔑するけどな!」

 

「なんだよ、めっちゃわくわくしてるくせに」

 

「それはリーダーもだろ!」

 

「あたりまえだろ、俺たちは健全な男の子なんだよ。夢精すら悪魔のせいにしないといけないミカド国と一緒にすんじゃねえ」

 

「あれはおもしろかったよなー」

 

「夢精が悪魔に襲われた仕業とかすげーな、ほんと。間違って持って行くから悪魔から身を守るために牛乳を枕元においとくとか知るかっての。あんな貴重品飲まずに放置とかふざけてんのはそっちだろっていう」

 

「あのときのガストンはほんとにやばかったよな、あははっ!だめ、また思い出しちゃったんだけど、どうしてくれるんだよ、リーダー!」

 

「あれはうちで代々語り継ぐことにするって決めてんだ。ぜってえハンターのおっさんたち大受けするしな」

 

「やめてやれよ、リーダー!ミカドの人たちの風評被害がやばいって!」

 

「腹筋死にそうなハレルヤがいうなよ」

 

「だってーっ!」

 

牛乳騒動のあと、ハレルヤとナナシはただちにガストンをナナシの部屋に連行した。無理矢理持たされたベッド下の本にガストンやナバールが頭を抱えていたのが懐かしい。迷ったあげく、こんな物を貰っても私は困る、と投げ捨てられ、また一悶着あったのはご愛敬だ。このときはガストンがナナシと正反対の性癖だと本人すらまだ知らなかったんだから仕方ない。趣味の合わないエロ本など苦痛以外の何者でもないだろう。可哀想なガストンはお気に入りをだめ出しされてムカついたナナシから、いろんなジャンルを提示されて憤死寸前になるはめになる。違う、そういう意味じゃない、と羞恥からくる照れで赤面した初々しいガストンや少なからず声がうわずっていたナバールも今は昔だ。あー、おまえ等には早かったか、とにやにやできたころが懐かしい。

 

くだらない猥談に興じながら、ナナシ達はラブホテルの部屋を物色する。25年も前だと衛生面でも耐久面でも不安要素はつきないが、こちらには時間などに干渉する悪魔など腐るほどいる。くだらないことをお願いされる悪魔の心境を考えることができるほど、思春期真っ盛りの二人は大人じゃなかった。1回で何十件も周り、何百の部屋も回るのだ。そのうち審美眼が板に付いてくる。ナナシのセンスはそっち界隈では定評があるようで、わざわざ指名してくる猥談仲間もいるらしい。青少年の問題に警鐘を鳴らす市民団体でもないのに避妊具などを配るナナシ達は間違いなく治安の向上に貢献していた。自分の好きなジャンルを確保するのは特権である。

 

「最近ナバールたちも耐性できちゃってつまんないんだよな。今度つれてくか?」

 

「あ、それいいな、名案」

 

いくつも用意した袋に、なるべく綺麗にしてから仕分けする。ぽんぽん出てくる鬼畜な提案に、ミカド国を観光中の二人は悪寒に肩を震わせているだろう。そういった方面に疎かったガストンとナバールがいつもと違う反応をするのが面白かった。味を占めた二人は定期的にそういった話題をふるようになった。健全すぎる精神を持つ青少年に、いけない知識を教える悪い友達の気分である。ナナシもハレルヤも女性経験が豊富である。お互いに暗黙の了解と化したのは、猥談があまりにも具体的すぎるからだった。たとえば悪魔には分霊という概念があって、たくさんの分霊からの情報はすべて本体に還元される。そのせいでハレルヤとナナシが別個体ながら一度お世話になったある女性悪魔と戦うことになったときには、それを女性陣の前で暴露されそうになって真っ先につぶしにかかるはめになったとか。その本体というのがアベの侍らせていた女性悪魔だったとか。経験者でなければ知らないはずのネタが多すぎた。おい未成年、とナバールが頭を抱えたのは、ナナシもハレルヤもそのお相手が15のくせに複数いたからだ。つっこみどころ満載だが、反応したらうれしそうに食いついてくる。うかつに深入りできない。嘘かほんとかしらないが。深夜に起き出してトイレの個室に行こうものなら、手伝おうか、なんてふざけたネタが大好きなナナシである。もしアサヒがいなければ、つきあう女性がいない不自然さが話題になるのは自然な流れだったし、どっちもいけるのか、とハレルヤもはらはらすることになったので結果オーライだった。おかげでシェーシャにアサヒが純潔の乙女だと暴露されたときには、別の意味で男性陣に衝撃が走ったのだが、それはさておき。

 

「結構あつまったなあ」

 

「ここはあたりかー、よかった。前はほんと見つからなかったもんな」

 

「ほんとにな」

 

あとは阿修羅会に持って帰って、綺麗にする仕事が待っている。本来ならハレルヤがするような仕事じゃないのだが、そのやる気を察した部下たちはかねがね理解を示している。ナナシのお墨付きならある程度のクオリティは保証されているからだ。そろそろ帰るか、と二人が廃墟を後にしたのはすでに次の日の朝を迎えていた。太陽が黄色い。そのまま阿修羅会の事務所にやってきたナナシは、たくさんの袋をずっと大人のおじさんたちに渡す。埃まみれの服は洗濯しないといけないし、シャワーがあびたい。長らく警察を自負していた阿修羅会の本部となれば設備は錦糸町より有用だ。ハレルヤ直々の依頼できたのだ、とがめる人間などここにはいない。すくなくてもナナシより強い人間など東京にはいない。ハレルヤに案内される形でエレベータと階段をはしごし、ナナシは私室に通された。適当に服を引っ張り出し、服が乾くまでこれきてくれと渡される。まとめて洗濯に行ったハレルヤを見届けて、ナナシはシャワールームに入った。入れ違いでシャワーを浴びる。

 

「あー、つかれた」

 

ぼふ、とベッドにひっくりかえるハレルヤ。すでにうとうとし始めていたナナシを起こさないよう、ハレルヤも目を閉じた。

 



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執着の魅せ方(ナナシとアサヒ)

おれは吠えた。

 

負け犬はよく吠える、といつだって女は嗤うのだ。でも、これしか知らない。だから、啖呵を切った。届くわけもないのに。まだ夢を見ているくらいには、おれはまだ子供なのだ。今でも。

 

ずりいよ、ばかおんな。おれというものがありながら、何様だてめええええ!育児放棄もいいとこだろうが、いっそのことネグレクトかましてくれれば全部諦められるのに。なんで気まぐれで母親するんだよ、あんたは。物乞いしか知らないくせに。おれに物乞いの仕事押しつけといて、ずたぼろでなんとか帰ってきたガキほっぽらかして、他の男と一夜友にしてしかも朝帰りでとかふざけんじゃねえよこんにゃろうが。今お世話になってるおやっさんになんて説明すりゃいいんだよ。きまじいよ、なんでおやっさんの愚痴とか嫌みとか僻みとか嫉妬とかおれが聞かなきゃいけないんだよ。さみしいとかいかないでとかかまってくれとかいわせてくれもしねえくせにさ。どろどろの昼メロみたいな愛憎劇なんてみせんなよ。たのむからおれだけの母親でいてくれよ。なんであんたはいつだってそうなんだ。おやっさんみたいに、やつあたりとかわかりやすい感情でヒステリックとかで感情のままに過剰に愛してくれたり邪魔だと叫んで突き飛ばしたりしてくれりゃ、ああ、ってわかるのに。未だにあんたがわかんないよ、かあさん。そうしたらさ、様子窺って一過性だってわかるし、我慢もできるし、諦めもできるのにさ、なんであんたはいつだって一貫性があるんだよ。しかも背後関係とか一切見せてくれないんだよ。そのせいで勘ぐっても勘ぐってもあんたがおれに求めてることがわかりゃしねーんだ。勘弁してくれよ、勝手に絶望しないでくれよ、ためいきついてそんな目でおれをみないでくれよ。そのくせわかんないからおれだってどれだけ近づいていいのか絶妙なタイミングで期待させるようなことばっかりするんだよ、ずるいよ、なあ、かあさん。どうやったら、あんたに、みてもらえるんだよ。なんでおれを産んだんだよ、なあ。なきじゃくっても、繰り返しふってくる答えはだいたい、決まっていたのだけれども。

 

 

「また、くだらないことしてるのね、×××。なにしてるの?」

 

 

にひ、とおれは笑ってやった。つま先の小指に塗られたマニキュア。きゅるきゅると新品のそれをふたして、イスに座ってるもんだから自然とおれを見下ろしてくる女に、意地悪く紡いでやる。ああ、なんて。

 

 

「気まずいだろ?」

 

「まだ小さい子供がそんなことするものじゃないわ。生意気ねえ、ふふ」

 

 

どこから仕入れてきたの?うん?と無邪気に笑うので、拍子抜けする。てっきりいつもの人が食えない笑みで頭をなでるんだとばかり思ってたんだけど。やっぱりわからない。

 

 

あんたが大好きなゴシップ記事の連載だよ、とつぶやいた。バツが悪くなって、下を向く。予想した態度で帰ってきた試しがないけど、やっぱり今回も肩すかしで、おもしろくない。

 

正妻が愛人の元にかよう夫との関係に嫉妬しながら、愛人に向かって聡明で堅実な彼女なりの最高の挑発を施した結果が、これなのだ。案外人は足元がお留守で、それこそいやあん、な状況下にならなければ、まじまじと目にすることもない。そこに使いもしない強烈な紫が小指にあったら、一瞬で凍り付くだろう。少なくてもその回は気まずくてよくてお流れ、夫は愛人に詰め寄られ、対応に四苦八苦、と言う訳。

 

 

まあ、こんなことしたところでこの女を独占できるわけもないんだけど、と想いながら。ぬぐおうともしないので釈然としなかったり、相変わらずおれも何を求めているのかわからない。いろんな感情がごちゃごちゃしすぎて、わからない。くすくす、と女が笑うので、おれは顔が引きつるのがわかる。

 

 

「×××」

 

「ん」

 

「賢いあなたは好きじゃないわ」

 

 

またそういう目でおれを見る…。わからない。ほんとうに、わからない。じわり、とこみ上げてくるものがあって、おれはまたうつむいた。

 

 

「いつだって聡明なあなたは、だまされてもくれやしないんだから。本当に、誰に似たのかしらねえ、×××は」

 

「あんただよ」

 

「ふふっ、違いないわね」

 

 

うそつきめ。なんだってこんなときにこんな最悪なうそつきやがるんだよ、この女は。なにが聡明だ、だまされてくれないだ、似てるだ。おれはあんたをなにも知らないんだよ、ばかやろう。乱暴に涙をぬぐうと、くしゃり、と頭をなでられる。

 

 

「あいしてるわ、×××」

 

「嘘つくなよ、ばーか」

 

 

あいしてる、と、ごめんなさい、をはき違えている女にいわれたくなかった。

 

 

 

 

 

自慢じゃないがかあさんは綺麗な人だった。なんでいいところのお嬢様みたいな隠しきれない育ちの良さがあるかあさんが売春婦にまで堕ちたかなんて知らない。まだ10もいかないクソガキが、知るすべはなかった。だれも教えてくれなかったから仕方ない。まあ、いろいろやらかしたんだろう、ってことだけは子供ながらに確信してた部分はあったけど。駆け落ちして男に逃げられたとか、マグネタイトを貯蓄する体質に目をつけられて誘拐されたとか、悪魔から逃げるために生贄にされて逃げてきたとか、口を開くたびに違う話が飛び出すから追求は諦めた。まあ、話を戻そう。

 

 

誕生日って、忘れるんだよな。戸籍があるわけじゃない時点で正式かどうかもあやしいし、腹を痛めて生んだ子の誕生日を知ってるであろう母さん。たよる男たちが揃いも揃って、自分が飲みたい日に誕生日を設定するような奴らだったのが運のつき。毎年祝ってくれてれば、はっきり覚えていられるんだろうけどさ。ころころ変わるんだ。へたしたら、一年に何回もあるんだ、あほらしくなってくるだろ。一時期は天の邪鬼に血がつながってないんじゃないか、って疑ったこともあったけど、本気で殴られたから(「んなこと言うのは血が繋がってなくても家族として生きてる連中に失礼だ」ってさんざん叱られた)、たぶん、繋がってるんだと思う。感覚だよな、このへん。まあ、確かに記憶をさかのぼってみれば、ずっとかあさんといた気がするのは確かだし、信じてみるんも悪くはないかなあ、って思ったわけよ。

 

それでもおれが誕生日を知れたのは、これのおかげなんだ。え?スマホだって?違う違う、この番号だよ。電話。留守電。かあさんがいつも俺が寝てからこっそりおっさんたちのスマホから掛けてたから知ってるんだ。

 

かあさんが世界で1番愛した男の留守電だった。

 

ある日、おっさんがスマホを忘れた日があって、ドキドキしながらかけたからよく覚えてる。無性に感動したことを覚えてる。つか、何人もの男と渡り歩いてきたかあさんの発言の信ぴょう性は、ぶっちゃけ皆無なんだけどな。なんでか知らないけど、この人がおれのとーさんじゃないかって、なんとなく、思ったんだ。とりに帰ってきたおっさんに見つかって、留守電のことがバレて、かあさんはその日1日帰ってこなかったけど。一週間くらいして、かあさんと俺は追い出されて、その地下鉄にいられなくなった。かあさんは悪びれず別の男のところに転がり込んだ。いつものような朝帰り、おっさんはどっかに出かけていない日、なにかないかってかあさんが肌身離さず持ち歩いてるカバンをひっくり返して探したんだ。そしたら見つけた。カバンの下の底に隠してあった。紙切れだった。

 

『×××にしよう、○○○。たぶん、×××はオレの顔なんざ一生知らねえまま、生きてくんだろうが。これだけは譲れないんだ。最後のワガママだと思って許してくれ』

 

激しい怒りに駆られて、なんでだよ!かあさん、て泣きわめいた。あの人は最期まで勝手な人だった。

 

『オレはな』

 

おれにその手紙がばれたと知って、手当たり次第にものを壁に叩きつけながら、ヒステリックに泣き叫ぶんだぜ?

 

『オレはお前が息子であることを誇りに思う。だから、お前も誇りある男になれ。オレは、オレの思う信念を貫き通す。無論そのためなら死も恐れるに値しない』

 

なんかこう、こみ上げてくるものがあって、駆け寄るしかなかったなあ。

 

『お前たちにとって、理解できない生き様をしたかもしれん。だがな、オレは、お前たちを心の底から愛していた。それだけは、忘れてくれるなよ』

 

動きが止まってさ、もう動かねえの。壊れやがったんだ。で、号泣だよ。泣きたいのはおれだよ。ばかだなあ、ってかあさんを叩きながら泣いたんだ。その日から、かあさんは壊れた。おれが壊した。かあさんは泣かなくなった。笑わなくなった。おれを見なくなった。全部が機械的になった。いつも浮かんでるのは無機質で乾燥しきった笑顔だけ。壊れた人形みたいに同じことを繰り返す。おっさんはそんな母さんでも構わなかったみたいだった。ただ、おれにとっては地獄だった。毎日が異様な殺気と興奮に溢れかえってて、びりびりという殺気にも似た緊張感があたりを覆い尽くしてた。よくわからないまま、かあさんの服をつかんで、恐怖から来るふるえを伝えると、なにがあっても平然と笑ってるんだ。もちろん、母さんがなんで壊れたかなんておれが知るわけもない。いろんな男のところにいくかあさんにひたすらくっついていくしか無い。ただ覚えているのは、だいたい数週間から数か月で移動して、二度とオレはその男たちと会うことはなかったことと、母さんがいつも機械じみた笑みを浮かべてたことだけだ。

 

「×××はどうして男の子なのかしらね。男ってのはバカでいけないわ。いつだって女は女しか責めやしないんだもの。大抵水面下で残酷なの。どいつもこいつもバカばっかりだわ」

 

歪み切った親心なんぞ毒にしかならない。このころからかあさんは狂気を孕んだ目でおれを見るようになっていた。おれは怖くて、逃げ出そうと思いながら、ずるずる毎日を過ごしていた。まだ鉄柵の向こうにいく勇気がなかった。

 

 

ほっといてくれればいいのに、どこまで自分の子供を人生の駒にしか考えてないんだろうな。難題吹っ掛けてきやがったんだ。

 

「ねえ、×××。わたしは今まであなたの空っぽな脳みそに徹底的に学と教養と生きていくための術を、全財産はたいて、しかも膨大な時間を費やして叩き込んであげた恩義があるわ。まさかそれが親の義務だとか、くだらないもんだと思って、タダだと思ってたわけじゃないでしょう?投資に決まってるじゃない、投資。で、今まさに一気に返してもらおうって思っているの。やさしいでしょう?死ぬまで養えなんて言わないんだから。一括払い、簡単この上ないわ。何をするかって?簡単よ、あなたの第二の人生を円滑に開始するためのプロセスとして、これからの人生にちょっとばかし独り立ちの手助けとなるようなことをするだけ。ああ、ちょっとばかしヤジ馬どもや知ったかぶり共がアンタを「親不孝者」とでも言うかもしれないけどね、かまわないでしょう?わたしからのお願いなんだもの。自分の生き方のおとしまえは自分でつけるって、悪い話じゃないでしょう。わたしを知ってる人なら、わかるはずだわ。たった7つの子供に殺されるようなやわな女じゃないってことぐらいね」

 

知るかよって話だろ?身勝手なこと言って、オレの銃を口の中に突き付けて、たーん、なんてふざけて笑いやがってさ。茫然自失としてる息子の手を無理やり握らせて、自分の心臓貫きやがったのさ、あの馬鹿女。完全にかあさんの計画通りに物事が進んじまったんだと気づいた時には、後の祭りだ。っつーわけで、墓まで持ってくことがまた、増えちまったってわけ。しばらく、オレはしなくていい良心の呵責と罪の意識にさいなまれるはめになるんだけど、まああとはもう面白くはねえから、いいだろ。

 

「ねえ、ナナシ」

 

「ん?」

 

「なんでそんな話を今するの?」

 

「今のオレ、きっと母さんみたいな目をしてるなあと思ってさ」

 

「なにそれ、どんな目?」

 

「アサヒが欲しそうな目。おれの嫌いな顔してる」

 

「どんな顔?」

 

「こんな顔?」

 

アサヒの口元をなぞりながら、妖艶にナナシは笑う。アサヒはどきどきしている。

 

「マニキュア塗ってやろうか?」

 

「いいよ、そんなの。わたしはナナシが欲しい」

 

「熱烈だなー」

 

「しゃべり過ぎなのよ、ナナシは」

 

むう、とむくれる幼馴染にナナシは笑った。ベッドのスプリングが軋んだ。



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夢見る希望(ナナシとクリシュナ)

ナナシが息を切らしながらやってくる。草原はうんざりするほどに広かった。どれだけ足ばやに歩いても、とても前に進んでいるようには思えなかった。距離感がまるでつかめない。ようやくたどり着いた先にてナナシは眉を釣り上げた。そして声を張り上げるのだ。

 

「どうして毎回毎回迷子になるんだよ、てめーは!」

 

不機嫌な顔をしたままナナシがクリシュナをのぞき込む。眩しそうに目を細めた青年はからからと笑うのだ。

 

「やあ、ナナシ。そろそろくると思っていたよ。ありがとう。これはお礼だ、受け取ってくれ」

 

放り投げられた傷薬。キャッチしたはいいものの、ナナシの眉間に皺がよる。

 

「せめて探してる素振りくらいしろよ、全く」

 

スマホに戻る気配が微塵もないクリシュナにため息ひとつ。ナナシは隣に座った。

 

空が抜けるような青さに澄み切っていて、いっそのこと清々しいほどの

雲一つないくらい晴れきった空が頭の上に広がっている。

 

「戻らなくていいのかい?」

 

「どーせわかってるんだろ、わざわざ聞くなよめんどくせえな。もうアサヒに報告は済んでんだよ。今日の依頼はこれでおしまいだ。あー疲れた、せっかく寝ようと思ってたのによ」

 

「どうせなら日向ぼっこしたほうがいいよ、ナナシ。人間というものは太陽の下で生きるようにデザインされているものだからね」

 

「またわけのわかんねえこと言ってやがる」

 

芝生の、目を背けたくなるような濃い緑の照り返しを眩しそうに見つめながら、ナナシは立ち木が芝生にこんもりとした影に入った。芝生がちくちく足を刺す。撫でれば柔らかいのだが、草を踏む体の柔らかい感触はくすぐったさすら感じた。視線を投げれば草原は砂丘のようにゆるゆかに起伏している。ほとんどあるかないかのわずかな起伏が、平原に掃いたような陰翳をひいていた。海のような平野が広がる。何度見てもここはぱっと青海原に泳ぎ出たような場所だ。

 

乾きを含んだクローバーが、足に快いフンワリとした感触を伝えてくる。野面にはそこここに、低い木立が島のように影をはらんでたむろしている。一陣の風に雑草がいっせいに葉裏を見せ、濃い緑一色の草の海が鈍く銀色に輝く。ほのかな草いきれが鼻に通う。草原が砂丘のようにゆるやかに起伏した。広々と果しない平野にしたたるような緑のかたまりが、青絵具でぬりつぶしたカンバスの上に更に青さを落したように、惜し気もなく豊かな色をかさねている。

 

「何度見ても気持ちのいい場所だ」

 

「だろ?」

 

クリシュナにお気に入りの場所だと教えたところ、迷子になるといつもここまで飛ばされているからいいかげんわざとではないかとナナシは睨んでいる。フリンにいいかげんクリシュナを連れてこないでくれと遠回しに苦情が随分前から出ているがサボりの救世主様はもう少しテレビ慣れした方がいいから放置していた。

 

「本当にいい場所に彼の墓をつくったね」

 

彼と彼女の墓石の隣に最近新しく墓が出来たことをいっているのだ。

 

「好きだったらしいからな、叶わぬ恋だったらしいけど」

 

「好きなお隣さんの彼氏がかの魂の持ち主とはね」

 

「あん時はかなりドロドロだった模様。ちくしょう、どこにいるんだよ......お姉ちゃん......」

 

「おや、まだわかってないのかい?君の幼馴染か年上の彼女かと検討つけていたじゃないか」

 

「まだわかんねえ......どっちも記憶はないっぽいし魔力による判定も微妙。転生してんならマグネタイトで判定できるはずなのに......ああもう。やっぱ普通の人間だから転生しねえのかな」

 

「はは、こちらに拉致されて悪魔と無理やり結婚させられた女がまともに輪廻転生できるとでも?」

 

「だよなあ......」

 

アキュラ王の子孫にも彼女の子孫にもそれらしき人間はいなかったから、やはりあの二人のどちらかが姉なのだろうかとぼんやりナナシは考える。

 

ナナシがアキラの姉をなんとなく探しているのはナナシの中にある残留思念がだいぶ凝り固まってきているからだ。時々叶えてやらないと夢という手段でもってアキラはナナシを上書きしようとしてくる。厄介な前世である。

 

珍しく感傷的なナナシを尻目に光ったりかげったり幾通りにも重なったたくさんの丘の向こうに、川に沿ったほんとうの野原がぼんやり碧あおくひろがっている。

 

風だけが草原を吹きわたっていた。まるでこの草原が風の特殊な通り道であるかのように見えた。風は重要な使命を帯びて先を急いでいるんだとでもいうように、あともふりかえらずに草原を走り抜けていく。

 

「ちょっといいかい、ナナシ」

 

「あ?なんだよ、いきなり」

 

「せっかくだから聞いておきたいんだけどね。僕は仲魔として神の討伐に参加させてくれたことをこれでも感謝しているんだ。違う形とはいえ分霊として多神連合の悲願を叶えてくれたことを」

 

「表向きのな」

 

「表向きだけじゃないさ、おかげで僕は久しぶりに輪廻転生としてクリシュナ以外の姿に自在になれるようになったんだから。だからこそ聞いておきたいんだよ」

 

「なにを」

 

「意外だな、と思ったのさ。君がこちらの道を選ぶなんて」

 

「そうか?」

 

「ああ、ダグザの神殺しとしてそのまま世界の破滅を計り、神の座に着くのだと思っていたよ」

 

「否定はしねえよ。シェーシャにアサヒを、てめーにフリンを殺されなきゃ、きっと俺はダグザと同じ道を歩んでた。直前までそのつもりだった」

 

「覚悟が足りなかったのかい?」

 

「あー............興醒めしちまったんだよ、世界を終わらせるなら自分の手でやりたかったのに土壇場で1番相手をしたかった2人を尽く外的要因に殺されちまった。萎えるに決まってんだろ。そもそも俺がダグザに従う気になったのはフリンと殺し合いがしたかったからだ。あいつが本気で殺しにくるのはほんとに人類の敵にするしかないからだろ。なのにてめーが余計なことをするから」

 

冷ややかな眼差しにたまらずクリシュナは吹き出した。

 

「なんて子供じみた理由だ。それならサタンやメルカバーの手をとればよかっただろうに」

 

「やなこった、フリンの代役なんざ願い下げだ」

 

「なるほど」

 

「つーかフリンがてめえに捕まる時点で萎えてたんだけど」

 

「なんだって?人類の希望に過剰に期待しすぎたのかな?」

 

「はは、ある意味そうかもな。スティーブンに呼ばれて異世界にいった先で俺に会わない世界線のフリンにあったんだ」

 

「ほう」

 

「まじで強かった。一緒に戦って目眩がするくらい強かったんだ。でも2回目に会ったこっちのフリンはてめーに捕まった」

 

「君のせいだというのになんていいぐさだ」

 

「違う、根本的に違うんだ。あのフリンの世界線だと俺はアドラメレクに殺されちまったに違いない。希望が自分1人だと信じて止まない目だった。そもそも叶わない夢だったんだよ。それなら長い目で見てフリンの強さを待つしかねえだろ」

 

「戦争が終わった今、これ以上フリンが強くなることはないんじゃないか?」

 

ナナシは笑うのだ。

 

「たまにはいい仕事するんだよ、前世の記憶ってのはさ」

 

「?」

 

「大天使共の置き土産の起動を俺は待ってるんだ」

 

「!」

 

クリシュナは笑うのだ。

 

「本当に君はいい趣味をしているね」

 

「うるせえ、人類がデモニックジーンを把握してる前提で計画立てて負けたてめーに言われたかねえよ」

 

「そうか、夢を見ることにしたわけだね、君は」

 

「そういうこった」

 

「でも大天使たちが死に絶えた今、そもそも導火線に火がつかない可能性もあるんじゃないか?」

 

「いいんだよ、賭けはすべきだ。これは俺とダグザの賭けなんだ。勝手にアキラと賭けなんてしやがったダグザに対する意匠返しでもあるんだから」

 

「なるほどね、だから君は東狂に通いながら強さを求めているわけか」

 

「そういうこと。ダグザから新しい世界について考えておけと言われたときに思ったんだ。スティーブンに教えてもらったアラカナ回廊を使えば俺はまたあのフリンたちに会える。新しい世界を作ってあのフリンたちが生まれてくるのを待つか、会いに行くかを考えたらどう考えても後者の方が楽に決まってるだろ?それに早い」

 

「そうか、どうやら君に対する評価を改めなくてはいけないようだね」

 

「そりゃどうも」

 

「ただ」

 

「ただ?」

 

「後ろで聞いてるもう1人の人類の希望に対して君は説明責任を果たさなくてはならない。それだけは確かだね」

 

「......!!!」

 

がし、と肩を掴まれたナナシはフリンが無言のまま力を込めてくるのを実感する。ああこれは途方もない修羅場が待っているに違いない。目眩がした。



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バカな子ほど可愛い(アサヒとナナシ)

普段は晴れた日の澄んだ水面のように照り輝いているアサヒの顔に恐れとも悲しみとも見える影が広がっていった。彼女の目は一瞬凍りついたように見えた。瞳がふっとその色を失い、静かな水面に木の葉が落ちた時のように表情が微かに揺れる。

 

「嘘だよね?嘘だっていってよナナシ」

 

目の前で自分を庇って死んだナナシを思い出したのか、アサヒはナナシ にすがりつく。

 

「ダグザがいってることは事実だぜ」

 

「そんな、ぁ......いつもみたいに、嘘だって言ってよぉ......ナナシ、ナナシ」

 

アサヒは別人のようにやつれていく。不安。悲しみ。恐れ。そうした押し隠すことのできない幾つもの感情が混ぜこぜになって、べったりと顔に張りついていた。

 

ナナシは瞼がひきつった。なんだか、すごく気持ちが悪い。ひきつった場所だけが痺れて自分の身体から剝がれ落ちていくみたいだ。

 

アサヒは生まれて初めて心の底から恐怖が這い上がってくる。黒々と光る地底の虫のような恐怖だった。彼らは目を持たず、憐みを持たなかった。そして地の底にひきずり込もうとしてくるのだ。云い知れぬ戦慄が、全身の皮膚を暴風のように這いまわり、駆けめぐるのを感じ初めた。歯の一枚一枚がカチカチと打ち合うのを止める事が出来なくなった。

 

怖くて動けなかった。言い知れぬ恐ろしさで涙がにじむほどだった。体が硬直して、ぎしっとこわばった。そしてか細い声で言うのだ。

 

「ダグザがいなければ......あのときダグザが......!」

 

アドラメレクによりナナシが死んでおり、ダグザの傀儡人形だと聞かされたアサヒは動揺する。

 

「アサヒ」

 

「だって、だってえ......ううう!」

 

頬を捕まえて上を向かされ、アサヒはそれでも泣き止まない。

 

「アサヒも俺があんとき死んでりゃよかったっていうのか?アサヒが死ぬかもしれないって思ったからダグザと契約したのによ」

 

「ナナシ......ナナシ、そんな、ううう」

 

手を重ねながらアサヒはいよいよ泣き出してしまうのだ。それだけナナシに想われていることがうれしくて、それ以上にナナシがナナシでなくなってしまっている事実が嫌でたまらない。でもどこにもいかないという約束をナナシが守ってくれたことも事実で。ぐちゃぐちゃにかきみだされる感情の中でアサヒはナナシを見ることしかできないのだった。

 

「お前にまで言われちゃ立場ねーな」

 

「ごめん、ごめんなさい、違う、違うのナナシ、いなくならないで!もう言わないから、言わないからお願い!」

 

ナナシの冷めた目が恐ろしくてたまらなくなる。そしてアサヒは遅れてナナシに対してとんでもない暴言を吐いていたことに気づくのだ。

 

ナナシは怒らない。一時期は彼の中に激しく息づいていた幾つかの感情も急激に色あせ、意味のない古い夢のようなものへとその形を変えていくのが見えるようだった。希望と闘志が影のようにうすれていく。気持ちの落ち込みが定期的に、まるでつむじ風の如く、丘の上からふっと襲ってきては、ものすごい勢いでやる気や自信を、根っこから吹き飛ばしていく。

 

ナナシは溜め息をついた。零れた溜め息がさらに自分の能力のなさを実感させるのか、感情が抜け落ちた先にはなにもうかがえない。虚無だけが存在している。吐いた息が地面に積もるのであれば、ナナシの身体はとっくに埋まっている。窒息死だ。

 

生ぬるい温度につつまれた期待や抵抗や欲望や不安などがいきなり吹き飛ばされてしまった。空虚で、がらんどうで、空気だけがそこに入れられているかのようにも感じられる。

 

アサヒは悟る。なにかとんでもない地雷を踏み抜いたことを悟る。ごめんなさいと繰り返すアサヒにナナシは笑うのだ。ぞっとするほど穏やかな笑みだった。

 

「意味もわかってねえくせに、ごめんなさいってバカにしてんのか?」

 

「ナナシ......」

 

「アサヒがこうなのは昔からだけどさ、ほんと変わんねえよなお前。ムカつくのも無駄だってわかってるのにイラついちまうのが腹立つ。まあいいや」

 

するりとアサヒの頬からナナシの手が遠ざかっていく。

 

「さあて、いくかアサヒ。人外ハンター商会の創始者様たちからの判決を聞きにいかなきゃいけねえからな」

 

向かうは歌舞伎町の喫茶店である。うん、とうなずいたアサヒはついていくのだ。ナナシという少年は待ってよと叫んでも立ち止まってくれたことはないがペースはあわせてくれることをアサヒは誰よりも知っている。

 

 

 



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ほくそ笑む希望(ナナシとアサヒ)

東京はいつでも暗い。太陽を閉ざされてから早くも25年が経過している。固い岩盤のおかげで気温や湿度は一定に保たれていることはある意味幸運なのかもしれない。電気の力でそれらの環境はいくらでも調整することが可能だからだ。

 

全てのガラスを失った窓枠のペンキはすっかりはげおちて変色し、壁は各所でぐずぐずに崩れ落ち、鉄扉は赤く錆び、石壁には落書きがある。

 

のっぺりとしたコンクリートの壁には冷凍倉庫に使われていたころの名残りの配線や鉛管がもぎり取られたままところどころにぶら下がっていた。様々な機械やメーターやジャンクション・ボックス、スイッチのあとには、それらがまるで巨大な力でむりやりむしりとられたかのように、ぽっかりと穴があいていた。

 

生ぬるい風がナナシの頬をかすめていく。

 

地下鉄の入り口階段を下っていくと、地上の騒がしさが徐々に遠ざかった。地下鉄が無数に通る東京の地盤がすかすかだとすれば、軽くゆさぶってやるだけで、ずさんに作られたアリの巣のように、ごそっと地面が陥没するのではないだろうか、と思うほど入り組んでいて、戦争が終わっても悪魔と共生するために人々は今なお住んでいるのだ。

 

人外ハンター商会に顔を出すとすでに用事を済ませていたアサヒがぶんぶん手を振りながらかけてくる。

 

「おそいぞー!」

 

「仕方ねえだろ、悪魔討伐と素材集めだぞ。お使いとは雲泥の差じゃねえか」

 

「ふっふっふー、じゃんけんに弱い自分を恨みたまえ!」

 

「アサヒのくせにむかつく」

 

「いたあい!ひどい、なんでデコピンするのよ!チョキ出すナナシが悪いんでしょー!」

 

涙目なアサヒにナナシはしてやったりだ。

 

「それはそうとね、やったよ、ナナシ!新しい悪魔が使えるようになった!」

 

経験を積んだことでニッカリの使っていたスマホを引き継いでいたアサヒは、新しい悪魔が力を貸してくれるようになるたびにこうして報告にくる。

 

「またニッカリさんに近づけた!早く強くなってニッカリさんやマナブの仇を取らなきゃね!」

 

「次はなんだ?」

 

「パールバティ!」

 

ナナシはしばし沈黙する。

 

「どしたの、ナナシ?」

 

「なあ、カハクとピクシーはアサヒが捕まえたんだよな?」

 

「ううん、違うよ?仲魔集めの時のマップにピクシーとカハクがでなかったでしょ?あたしが持ってたからだよ。いったでしょ?あたしもスマホに入ってた仲魔 どうにか使役できるようになったよって」

 

「まじか、まじかあ......。カハクにピクシーにクシナダヒメ、パールヴァティにヴィヴィアン…......レベル帯を無視して好みの悪魔で固めてたんだな、ニッカリさん」

 

だからアドラメレクなんかに遅れをとったんじゃねえだろうなといいかかった言葉は喉元で止まるのだ。さすがに言えるわけがない。あの世にいったら聞いてみるのもありだろうか。

 

「そうかなあ?ニッカリさん剣技が主体だから補助回復要員に悪魔を集めてただけじゃない?」

 

「他にもスキル使える奴はいくらでもいるんだよなあ......」

 

「???」

 

「まあ、よく似合ってるからいいと思うぜ」

 

「そう?ありがとう?でもさ邪神、堕天使、邪竜、魔王ってナナシも仲魔偏りすぎてない?」

 

「なんかこいつらだと悪魔会話うまくいくからこれでいいんだよ」

 

「ふうん。そういえば仲魔で思い出したんだけどね、ナナシ。やっと揃えられたんだね、仲魔。よかったよかった」

 

「まあな。ダグザの野郎、全部の仲魔消しやがって」

 

ナナシはぼやく。いくらかかったと思ってやがる。アサヒはたくさんのクエストを受けたことを思い出し、うんうんとうなずいた。神殺しにはなにかと入り用だとマッカをはじめとした狩場を用意してくれた任務は未だにスマホに残ってはいるが、なんとなく荒稼ぎする気にはならなかったのだ。

 

観測の力を人間に授けたのは四文字様ではなく大いなる理だ。これに真正面から戦いを挑むよりは人間殲滅して人間を神殺しの傀儡にしたてる方が楽だとダグザが考えるにはどれくらいの月日が流れたのやら、とナナシは思う。その計画完遂の悲願のためにひたすら計画練ってコマになりそうなやつを探しまくってたに違いない。その過程で神殺しはフリンだ!となるがそれより大事な神にふさわしい人間を選ぶのが大変だったんだろうなあたぶん、と元神殺しは思うのだ。ダグザは語らない悪魔だった。思惑も直前まで知らなかった。悲願を語られたらナナシも天秤が傾いたかもしれないがダグザの悲願のためにはナナシが自分の意思でその道をつかみ取らなくてはならなかったようだ。悲願の直前に裏切られたらそりゃ仲魔削除もしたくなるよねダグザとは今となっては思うがそれとこれとは話が別なのだ。

 

(まあ、殺し合いできたからよかったよ、ダグザ。神殺しになってからその日が来ることをずっとずっと待ってたんだ、俺。計り違えた時点でダグザの負けだったんだよ)

 

あの高揚感を噛み締めながらナナシはこれからも生きていくことになるのだ。




終末アナーキーガストン固定じゃそれくらいの気概がないとやっていけない。


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来世に期待(4フリンとナナシ)

それはまさに死闘というに相応しい激闘だった。ワルターと合体したルシファーのカオス軍が占拠する市ヶ谷駐屯地にて繰り広げられた対決はフリンに軍配があがったのだ。できればもっと希望の聖杯を満たしたかったがそれよりも先に天使と悪魔の軍勢がヤマト目指して進軍を開始したから仕方ない。中途半端なままフリンはここにいた。雌雄は決した。将門の太刀をしまい、先を急ぐ。

 

その先でフリンはメルカバーを目撃した。

 

フリンはしばし言葉を失い、口を軽く開いたまま、ただぼんやりとその方向を眺めていた。自分が何を見ているのか、意識を定めることができなかった。輪郭と実体とがうまくひとつに重ならなかった。まるで観念と言語が結束しないときのように。

見ていると目まいがしてくる異様な風景だ。

 

 

それは不思議な光景だった。入口からじっと中をのぞきこんでいると、まるでその中にだけ冷やりとした肌あいの別の時間性が流れているように感じられたのだ。そして彼らは自分たちを巻きこまんとしている。あるいはもう既に一部を巻きこんでいる。魔法陣が形成され、ヤマトから溢れ出る魔界のゲートがさらに拡張し、その新しい体系に喜んで身を委ねたこの空間は更なる地獄を召喚する。

 

仲魔が一瞬で溶解した瞬間、フリンは東京諸共自分も消し飛ぶことを悟る。大天使共が大アバドンを解き放ってしまったのだ。

 

全ては白に塗りつぶされた。

 

世界は暗転し、気づけば奇妙な空間にいた。天使と悪魔の軍勢に追いかけまわされていてろくに状況を飲み込めない。仲魔は全滅してしまい、蘇生するとマグネタイトが枯渇する。魔法主体のフリンには無理な要求だ。ジリジリ追い詰められていくのを感じながらフリンはなにも逆転の手立てがないまま逃げ込んだ先が行き止まりだ。舌打ちをして将門の太刀を抜いた。

 

「なぜこんなところに子供が......?くっ......ここは危ない離れるんだ!」

 

フリンは12、3歳くらいの子供を見つけた。注意をうながしつつも敵の軍勢との間合いを測る。その度に白羽が稲妻のように閃く。刃物が陽炎のようにきらめく。

 

「ぐっ......!」

 

あまりの数に近づかせないのが精一杯で1部の悪魔が新たなる標的に嬉々とした様子で迫り来る。しまっ、と口にしかけた言葉は飲み込まれた。少年は親の仇のようにナイフを天使の一体に突き刺したのだ。総毛立つような白刃の光がみえた。氷刃のような白い裸の刀がぎらぎら光る。会心の一撃だったのか緑色の煌めきを残して天使は切り捨てられてしまった。月光の中に氷のようにきらめきつつ振り回される刀の光が、言いようもないほどおそろしい。フリンは目を見開いた。

 

「君......戦えるのか!?」

 

少年はキョトンとした様子でフリンを見つめる。

 

「正気で言ってんのか、フリン。俺の事忘れるとかやっぱ人外ハンター期待の新人も庇護対象でしかなかったってことかよ」

 

そう不満そうに口にしながらも少年の白刃が虹を曳いて陽光を切る。フリンと天使たちの十文字に交錯する剣と剣にたがわぬ様子で、金属音が響き渡り、剣と剣が闇の中で火花を散らして交錯する。稲妻のような剣さばきだ。魂を吸い込むかのように研ぎ澄まされた大刀が掛け声とともに打ち下ろされるたびに首は毬のように飛ぶ。あるいは鬼神のごとく振り、天使や悪魔を切り倒しながらフリンに助太刀しようとやってくる。

 

「ならすまない、僕に協力してくれ。こいつらを倒すには君の力が必要だ!」

 

「わかった」

 

うなずいた少年は天使達の間合いが近くなると一気に悪魔を召喚する。見たことのない悪魔たちばかりだったがそのびりびりとした濃厚な殺意を嫌というほど感じる。これは子供と侮る方が失礼に値するような実力が見えかくれした。これで天使と悪魔の軍勢がふたつに分割されるとするなら、なんとかやれるかもしれない。フリンはなけなしのアイテムを手に魔法を発動する準備に入った。

 

やがてなんとか天使と悪魔の軍勢を退けることが出来たフリンは、息ひとつ荒らげる様子もない少年にお礼を言いながら話しかけた。

 

「君は僕を知っているのか?」

 

「ああ、希望の星といわれてた。俺はアンタに憧れてハンターを目指したんだ」

 

「そうか、それで......どうやら君と僕はまだ出会ってないらしいな。君ほど腕がたつなら忘れないはずだから」

 

「そりゃ光栄だな。錦糸町にきたことは?」

 

ナナシと名乗った少年は静かに笑うのだ。不思議な響きの名前である。フリンは首をふる。聞けばスカイのすぐ近くの人外ハンター商会がある地下鉄らしい。ほかの駅よりも規模が小さいとのことで見逃してしまっているようだった。中途半端な形で聖杯に希望を満たせないまま来てしまったから、まだ見てもいないサブクエストのひとつにでも彼の名前があるのかもしれない。こんなに腕がたつのだから。

 

「錦糸町だね?わかった、尋ねてみるよ」

 

「その様子だとたぶん無理だろうけど、もし会えたらそっちの俺にもよろしく」

 

意味深に笑うナナシを不思議に思いながらもここに飛ばされた事情を把握したフリンはエンノオズノのところに向かうことにしたのだった。

 



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過去は未来に復讐する(アサヒと同室の女の子ハンター)

アサヒより先に人外ハンターになっていた彼女は、クエスト先で悪魔の軍勢と戦闘になり、重症を負ってターミナルを通じて戻ってきた。意識はなく祖母や友達と懸命に看病した結果、なんとか一命はとりとめたのである。

 

「わわわっ、どうしたのその髪!」

 

アサヒは驚いて同居人の少女のところに近づいてくる。どこにもいないと思ったらハサミ片手にザクザク切っているではないか。

 

「あはは、イメチェンていうか、我慢できなくて切っちゃった。だって血がなかなか落ちないんだもん」

 

「あー......」

 

悪魔の軍勢から死にものぐるいで逃げてきた彼女は傷の浅さのわりに大量に出血するところばかり怪我をしていたため髪は血で汚れてしまっていたのだ。水が貴重な東京では拭うのが手一杯で乾燥し切った髪はボロボロになってしまったようだ。たしかにそれなら潔く切った方がいいに違いない。

 

「あーあ、これからリハビリだね」

 

有り合わせのもので作られた止血の跡やギブスもどきの足を見ながら彼女は笑う。武器も折れてしまっているし、人外ハンターとして復帰するのはまだまだ先のようだ。

 

「そんなこといってないで、早く寝よ?治らないよ!」

 

「あははっ、大袈裟なんだからアサヒは」

 

もう、とアサヒは頬を膨らませるのだ。自分が先輩だからっていつも先輩風ふかして。まだ見習いになってから日が浅い自分の立場はわかってはいたものの、こうして態度や口に出されると拗ねたくもなる。アサヒは戦闘が得意なわけでも遺物収集が得意なわけでも事務屋の仕事が得意な訳でもない。持ち前の負けん気と行動力ならあるのだがイマイチ発揮できているような自覚が持てないのだ。どちらもマナブやナナシに劣る自分がいる。

 

父であるマスターを説得してやっと錦糸町で1番ベテランハンターの師事をすることが出来るようになったのだ。もし才能がないと烙印を押されたが最後、二度と外に出る手段がなくなる。それは嫌だった。彼女のようにハンターになりたいのだ。母の死後までやっていた父の背中を追いかけるために。

 

アサヒはふと我に返る。どれくらい治療にかかるのか聞いてきたからだ。

 

「全治3ヶ月かあ......」

 

ガックリと彼女は肩を落とす。

 

「スマホがあるだけまだましね......武器も新調しなきゃいけないし、お金たりるかなあ」

 

すごいなあと思うと同時にこんなふうになりたいとも思うのだ。

 

「ねえ、リハビリも兼ねて私達のところに来ない?ニッカリさんにきいてみてあげよっか?」

 

「ほんとに!?ありがとう、アサヒ!」

 

「もう、ちゃんと怪我治してからだからね!」

 

その日から彼女はスカートをやめて動きやすい服になり、リハビリをより一層取り組むようになる。

 

「アサヒとナナシにだけいいこと教えてあげる。私の切り札」

 

そういって彼女は悪魔を召喚した。

 

『レメゲトン』とは悪魔や精霊などの性質や、それらを使役する方法を記したグリモワールの一つ。

 

グリモワールとは、フランス語で魔術の書物を意味し、特にヨーロッパで流布した魔術書を指す。悪魔や精霊、天使などを呼び出して、願い事を叶えさせる手順、そのために必要な魔法円やペンタクルやシジルのデザインが記された書物を指すが、魔術を行う側の立場から書かれた悪魔学書、魔術や呪術などに関する知識、奥義を記した古文書、書物全般のことを指す場合もある。

 

『レメゲトン』は5部からなるが、もともとそれぞれ別個に成立し後に合本されたもので、相互の関連は薄い。

 

その中でも第1部にあたるのが『ゴエティア』だ。悪魔についての書であり、ソロモン王がいかにして悪魔を使役し名声を得たかを記し、その悪魔の性質や使役方法を述べる。レメゲトンのなかでも特に有名で、しばしばこれ単独で『レメゲトン』『ソロモン王の小さき鍵』と呼ばれる。Goetia とは、古代ギリシア=ローマにおける「呪術」「妖術」を指すギリシア語 γοητεία(ゴエーテイア)のラテン語形で、ルネサンス期には悪霊の力を借りる儀式魔術とほぼ同義であった。これは今日の魔術でいう喚起魔術、すなわち悪魔などの人間より下位の霊的存在を使役する魔術作業に相当する。

 

そこに記されているのがボディスという悪魔だ。『ゴエティア』によると、60の軍団を率いる序列17番の地獄の大総裁にして伯爵とされる。 アガリアレプトの配下にあるという。

 

アガリアレプトはルシファーの配下の悪魔である。6柱の上級精霊の1柱であり、将軍・司令官を勤める。精霊の第2軍団を指揮しており、ブエル、グソイン、ボティスを配下に持つ。

 

その3大幹部の1人であるボディスは、召喚者の前に醜い大蛇、マムシの姿で現れ、現在・過去・未来の知識を与える。他には争いごとを調停する力を持つといわれる。召喚者が望めば、鋭い剣を持ち、大きな牙と二本の角を生やした人間に似た姿になるという。

 

「そっかあ、じゃあこれは人の姿なんだね」

 

アサヒは彼女が召喚した悪魔をキラキラした目で見上げる。ボディスと呼ばれた男は無言のまま静かに肯定した。

 

「すごいね、いつの間にこんな凄い悪魔使えるようになったの!?」

 

彼女は笑うのだ。どうやらアサヒが知らない間にずいぶんと交渉が上手い人外ハンターになっていたらしい。ルシファーに忠誠を誓っていたはずの堕天使を仲魔にできるなんてさすがである。アサヒの記憶が正しければニッカリに師事していた彼女は回復補助係にして自分は主体的に動いていたはずだったが独立してからはどうやら立場が逆転したらしい。ほかの悪魔はあいかわらず回復補助に特価した悪魔ばかりだというのに不思議である。ナナシは何も言わなかったがボディスをじっと見つめていた。明らかに彼女の使役する悪魔のレベル帯と合わない違和感だけがそこにはあった。



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過去は未来に復讐する(チームエコー)

ニッカリが苦い顔をしている。

 

「ニッカリさんまたクエストッスか?」

 

マナブに声をかけられたニッカリはばつ悪そうな顔をした。

 

「すまんな、お前たち」

 

ここのところ一緒に連れて行ってもらえないアサヒたちは不満が溜まっていたが、ニッカリがいなければ外に出ることすら出来ない。ニッカリ曰く新宿の地下に依頼人がいるとのこと。回数を重ねるという事は相当難しいクエストに違いない。

 

そのうちマナブのところにも彼女のところにも新宿の地下に来て欲しいという依頼がくるようになった。ニッカリと来いというクエストだ。彼らがニッカリがとめる。どうやら既に死んだやつからスマホを確保したやつが連鎖的に被害者を増やしているようだ。

 

ニッカリはマナブたちをつれてクエストに向かった。

 

そこは新宿下にある鍾乳洞だった。

 

洞窟内のしんと沈んだ湿気のある空気が掠める。洞窟の入り口が墨を塗ったように漆黒である。先を進むとエメラルドグリーンの地底湖があり、煌々としたオレンジ色の光をくるんだ長いトンネルが続いている。

山の断層を突き抜けるトンネルだ。

風を切る音が変わった。水中に潜り、息を止めている気分になる。外の景色が出現すると、一瞬の息継ぎが許されたような開放感を得られる。

 

数本の鍾乳石しょうにゅうせきの柱は、襞打ひだうつ高い天井の岩壁から下っていた。

 

濃厚な血と腐敗臭がする。壁と言わず天井と言わずまるで噴霧器で吹き飛ばしたような血しぶきだ。鮮やかな赤い血しぶきの跡と違い、実際の飛沫はその血を流した者の痛みの強さとは比例せず、乾いてただ点々と、海老茶色に変色して散っている。黒血がその腹から、斑々はんぱんとして大地に広がっているような錯覚に陥る。ちょっと虫むしばんだように腐くさったところへ渡り鳥のふんらしい斑まだらがぽっつり光る。そしてずるずるにくさりかけたのを食べたせいか躯中に虫がわいたようになっていた。

 

湿っぽい臭いを放っている死体、腐敗した杏の匂いに近い死体の臭気が立ち込めている。一握りの灰になってしまった髑髏が暗いほら穴のような目でにらみつけている。吐き気をもよおすほどの死肉の腐臭や全身が丸太のように硬直した死体、死骸が、柔らかい作りかけの粘土細工のように生々しい。目や鼻から一筋二筋、血の流れている凄惨な死体やきたならしい漆喰の人形のような女のむくろが転がる。

 

首を切り落とされた座ったままの死体は、ボタンで蓋の開く電気ポットのようだった。首の端の皮一枚で繫がり、まるで頭部そのものが、首から出る血液の柔らかい蓋であるかのように。

 

 

ナナシは死体を見慣れているわけではなかったが、怯えてはいない。現実感がなかった。生真面目な兵隊の人形が体をよじって倒れているだけに見える。身体から力が抜けていた。魂が蒸発してしまったかのようだった。死骸そのものより、誰かが殺したという事実が怖い。そこにある意思や感覚が怖いとアサヒは震える。

 

死人は、その死んだ後のちに於ても、その無感覚の感覚によって、時間の流れを感じているとすれば、一秒時間も、一億年も同じ長さに感じている筈である。又そう感ずるのが死後の真実の感覚でなければならぬので、すなわち一秒の中うちに一億年が含まれていると同時に、宇宙の寿命の長さと雖いえども一秒の中うちに感ずる事が出来る訳である。この無限の宇宙を流れている無限の時間の正体は、そんなような極端な錯覚、すなわち無限の真実の裡うちに、矢の如く静止し、石の如く疾走しているものに外ならないのである。

 

傷あとが死斑と共に、煌々こうこうたる白光下に照し出されると同時に、そのままの色と形の蛇や、蜥蜴とかげや、蟇がまとなって、今にも彼女の皮肌の上を匐はいまわり初めるかと疑われるくらいだ。

 

死骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、土を捏こねて造った人形のように、口を開あいたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。

 

腐爛した子供の死骸が二つ、裸のまま、積み重ねて捨ててある。はげしい天日に、照りつけられたせいか、変色した皮膚のところどころが、べっとりと紫がかった肉を出して、その上にはまた青蝿が、何匹となく止まっている。そればかりではない。一人の子供のうつむけた顔の下には、もう足の早い蟻ありがついた。

 

屍体はみな腐爛して蛆うじが湧き、堪たまらなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。

 

そこにはフランス中部に実在するローヌ河に棲むとされるドラゴンが待ち構えていた。海獣『リヴァイアサン』と怪物『オナクス』の間に誕生したとされるタラスクというドラゴンだ。獅子の頭部、鋭く尖った尻尾を持ち、亀の甲殻のような背中には無数の棘があり、毒ガスを吐きながら燃え盛る糞を撒き散らす。人間の子どもや若い女を捕まえ、喰らう獰猛な性格らしく牙をむく。

 

「くるぞ、構えろ!」

 

ニッカリの掛け声にマナブやナナシたちは武器を手にした。

 



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過去は未来に復讐する③(チームエコー)

どーんというダイナミックな音が粉々になって全身にぶつかってくる。爆音が、頭の真上、鍾乳洞すれすれをかすめていった。予想外の大音響が空気をかき混ぜる。けたたましい破裂音がして、アサヒは目眩がした。頭が割れるような音だ。大風の海のような凄まじい物音が、鍾乳洞に垂れ下がる氷柱にヒビを走らせる。たまらず耳を塞いだアサヒだったが後ろからいきなり浮遊感を感じた。

 

「きゃあ!」

 

視点が一気に上昇した。ナナシの緑のつなぎが見える。落っこちそうになりたまらずナナシにしがみついたアサヒは、そのまま近くの岩場に逃げ込めた。どうやら巨大な氷柱がたくさん降ってきたようで足場がものすごく狭い。

 

「な、ナナシ、ありがとう」

 

気にするなとぽんぽん帽子に手を当てながらナナシはその向こう側を見つめる。恐る恐るアサヒも覗き込むとニッカリとマナブ、そして彼女が交戦状態だった。

 

 

ふたたび音が爆発したように一瞬だけ広がる。枕元で雷が落ちたくらいの爆音だ。猛烈な爆発音が耳の穴になだれこんで来る。どうやら巨大なタラスクはその巨体を回転させて全ての攻撃をなぎ払い、轢き殺そうとしているようだ。そして、ニッカリたちが物理反射でカウンターダメージを狙うと学習能力があるようでその報復とばかりにタラスクは電光のようなすさまじい色彩を放った。

 

地軸もろとも引き裂くような爆発音がして鍾乳洞が揺れる。すぐそばで唸りつづける爆音に脳をやられて、地球を頭にささえたような重たい感じに苛まれているのかマナブたちの顔色が悪くなっていく。

 

「どうしよう、どうしよう、ナナシ!このままじゃ生き埋めかみんなミンチにされちゃうよ!」

 

予想以上の大音響で音楽が鳴る。大きな音に鍾乳洞全体がが共鳴してがらがらと鳴り始める。そして土埃がふってきてアサヒは咳き込んだ。大きな音によろけるくらいに圧され暗闇を破くみたいに、なにかが切断される音が大きく響く。耳に余る大きな音を立てて、タラスクの、あるいは男、女の苦悶の声がこだました。

 

耳をもつんざく程、大きな雷鳴が轟き、どおんと地を震わせて爆音がとどろいた。あたりの賑わしさを頭から叩き伏せるように力ずくの音楽が破裂している。

 

「ナナシ、どうしよう」

 

アサヒの目には思案顔のナナシがいた。そしてナナシはおもむろにアサヒの手を取り近くに深深と突き刺さる氷柱によじのぼると登ってこいとばかりに手招きする。スカートがめくれないように注意しながらアサヒはなんとか何メートルもある氷柱を登り切った。

 

 

 

銃声が響き、弾丸は金属音を伴って乱れ飛ぶ。鋭い発砲を浴びせる。重い金属的な衝撃音が二度、深夜の鍾乳洞に響いた。機銃掃射が空間に穴をあけながら過ぎる。弾丸が雨のごとく飛来するがタラスクは倒れる気配すらない。銃が花火のような音を立てて撃ち出されるが硬い装甲に阻まれて豆を炒るような音がするのみだ。思ったより軽くはじけるような銃声が響く。銃声が闇を切り裂く。はずみをくらった小さな動物のように、弾倉が軽い音で回転する。掃くように水面を渡る弾着の水しぶきが起こった。

 

ナナシはアサヒを連れて氷柱に飛び移る。そして大火を吐くタラスクの真下にいくと安全装置を外す。引き金に触れて、搾る。銃が火を噴く。撃った機関銃の反動で肩に衝撃が走ると同時に、乾いた音が響く。どん、と破裂するような音がしたのはその時だ。勢い良く、鉄の杭を壁に打ち込むような、瞬間的ながら激しい響きが聞こえた。

 

タラスクの絶叫が聞こえる。

 

すさまじい機関銃声が起った。それはこっちからの掩護射撃と、敵からのと錯綜し、雹の降るように入り乱れた。引き裂くような機銃の音がして空気をはね返すように響き渡る。拳銃の引き金を引いた。反動が来る。銃声が響く。夜中の銃声は、重く鳴った。

 

タラスクの絶叫がより強くなる。

 

爆発で起こった熱気で焦げる。地響きがして、西北七八百メートル辺りのところに黒煙の柱が立ちのぼった。

 

「やった!」

 

「よっしゃあ!」

 

「待て、まだトドメをさしてない!」

 

ナナシがまだ落ちていない、グラグラしている氷柱に発砲する。タラスクの甲羅に引っ込められるはずだった長い首に巨大な氷柱が突き刺さる。そしてニッカリたちの銃声が響き渡り、やがて歓声があがったのだった。

 

「やったねナナシ!......ってきゃうっ!」

 

嬉しそうに飛び跳ねるアサヒだったがあやうく足を滑らせて落ちそうになる。

 

「あ、ありがとう......ごめん、大丈夫」

 

恥ずかしそうに顔を赤らめたアサヒはナナシに捕まりながら氷柱を降りていく。ようやく地面に足がつくと硝煙の匂いが立ち込める鍾乳洞の周りを見渡した。

 

タラスクの亡骸が転がっている。ニッカリたちが解体を始めている。随分時間がかかりそうなので、ナナシたちは周囲の遺体から遺物を回収することにした。

 

「スマホやアイテムはないね、持って行かれちゃったのかな」

 

そうだろうとナナシは返す。そして遺物拾いが得意なナナシはアサヒが見つけられなかったものを拾っていく。

 

「それなに、ナナシ?」

 

そこにはボロボロの手記があった。

 

 

今にも風化しそうな手記があった。



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過去は未来に復讐する④(チームエコー)

それは《大道寺》という古くから続く名家で有数の資産家である女たちの悲鳴だった。16歳になると気が狂い、未来の知識を得る代わりに頭がおかしくなり、男として振る舞い始めるという。代々この一族は、女が16歳になる前に殺害する風習がある。 なぜなら、16になると「鬼」が憑くらしい。大道寺家の者はこの事を「鬼憑き」と呼んでいた。

 

「でも1920年で終わってるね。へー。《葛葉ライドウ》って人が《鬼憑き》討伐したんだ」

 

《葛葉ライドウ》の言葉にニッカリは顔を上げた。

 

「どうしたの?」

 

「本当に?」

 

「はい」

 

手記を見せるとニッカリは目を丸くした。

 

「《葛葉》、聞いたことがある。悪魔討伐隊にいたやつがそうだ」

 

「それほんとに!?」

 

「マジっすか、ニッカリさん」

 

「......だがなぜ倒されたはずのタラスクがここにいる?」

 

誰もが沈黙した。

 

「《葛葉》ってなんなんすか?」

 

マナブの疑問にニッカリは口を開いた。

 

葛葉一族は「日の本の守護者」とも呼ぶべき存在である。かつての「鬼が闊歩していた」平安の世の頃に誕生し、 以来千年以上の永きに渡り「国家」を守護して来たらしい。組織に所属するのは「悪魔」を召喚し、使役 する「悪魔召喚師(デビルサマナー)」や、 彼らをサポートする強力な巫女や術師であり、その力は人間界でも最高レベル。 使用する術は「神道」や「陰陽道」「悪魔召喚プログラム」等、時代や流儀により違っている。 寧ろ、共通しているのは厳格な戒律や使命に支えられた「魂」である様である。宮廷で鬼祓いの「追儺の儀式」を行うなど宮廷に仕えた陰陽師集団が原型の国家を霊的に守護する悪魔召喚師の組織だ。

 

「だが悪魔討伐隊にいた葛葉はケンジと共にガイア教にくら替えしたはずだ。御業戦争のあとは《葛葉》一族もろとも消息不明だ」

 

「ここにこんな手記が残ってるってことは、昔大道寺家の土地だったのね。明らかに最近じゃないレベルで白骨化してる遺体があるし」

 

「ナナシと探してみたけど、ニッカリさんたちを呼んだ依頼人がいた様子はないよ?」

 

「なるほど、こうやって人外ハンターを餌食にして贄を得てタラスクが大人しくなった隙にスマホなんかを回収していたんだろうな。なんてことだ」

 

ニッカリは苦い顔をする。

 

「もし葛葉が生きているなら、人外ハンターの戦力をどさくさに紛れて削ごうとしているんだろう。スマホをたどればどう見ても同士討ちだ」

 

マナブは舌打ちをする。

 

「ニッカリさんを執拗に呼びつけるってことは当時を知ってる古参だからっすか、ふざけやがって」

 

「悪魔討伐隊のメンバーで残ってるのって幹部かベテランばかりでしょ?それは困るわね、ニッカリさん、本部に緊急連絡しても?」

 

「ああ、頼む。ついでにこのタラスクの、搬送を頼む。本部に応援を頼んだから暫くしたら来てくれるはずだ」

 

「わかりました」

 

「さて、俺たちはまずこの場所がどこに通じてるか調べる必要があるな。そしてわかり次第封鎖だ」

 

「了解っす。さあて、いくかナナシ、アサヒ」

 

頷くナナシはアサヒの手を取り歩き出す。イチャつくなよとマナブがにやにやしながら笑うものだから、もう大丈夫だよナナシとアサヒは顔をあからめるハメになった。

 

今回発見された全長800メートルほどに及ぶこの鍾乳洞は岩盤に覆われる前の東京にあったものがさらに広がってできたものらしい。一石山大権現(いっせきさんだいごんげん)と呼ばれていて、大自然を神と崇めて過酷な苦行を行う場だったらしく、名残が洞内のいたるところに残されていた。

 

 

奥に入るにつれて涼しい風が体に当たり、とても寒い。岩盤に覆われている東京も気温は年中低いがさらに低い。外の気温との寒暖差が激しすぎる。幸いナナシたちは軽装ではないがそれでもやや寒いため次来る時は羽織れる上着を持って行った方がいいかもしれない。ただ洞内は狭い道や急な階段などもあるので、進んでいくうちに体が暖かくなってきた。洞内は無風なのでそこまで寒さを感じない上に湿度は85%らしいから、それも影響しているのだろう。

 

 

ニッカリさん曰く鍾乳洞は石灰岩の中にできた洞穴のことで、雨水の中に含まれている炭酸ガスによって石灰岩が溶解されてできたそうだ。天井のいたるところは「氷柱」のようなものが伸びているが、これは鐘乳石と呼ばれるものらしい。1センチ伸びるのに、約60年かかるのだが、それも東京が岩盤に覆われて雨というものが降らなくなったことで測度が遅くなっているとのこと。洞内には「縁結び観音」という縁結びにご利益がありそうな観音像があったりなぜか三途の川があったりした。どうやら昔の名残のようだ。

 

「三途の川って死んじゃった時に渡る川じゃないの?」

 

「こんなに狭いなら渡るの楽だな」

 

「ちゃちな三途の川だなあ」

 

そして、洞穴の一番奥に「十二薬師」の像が安置されていた。ここからさらに鍾乳洞は続いていて、ようやく出口にたどり着く。

 

洞窟探検を終えて出口から外にでると、アサヒたちは空気が違いすぎて不思議な感覚になる。鍾乳洞の中がよっぽど澄んだ空気だったことに気付かされた。

 

「市ヶ谷駐屯地前か......なるほど、通り抜けられるわけだな」

 

今、ガイア教が本拠地をおく場所がある目と鼻の先にある。ニッカリは苦い顔をしていた。



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過去は未来に復讐する(チームエコー)

「えっ、マジっすかそれ」

 

「ああ、ツギハギからの情報だ。間違いないだろう」

 

「マジか......まじかあ」

 

マナブの声に釣られてやってきたアサヒとナナシは、ニッカリにどうしたのか聞いた。

 

「どうしたも何も聞いてくれよ、ヤーマン。今回の事件の容疑者だった葛葉の野郎なんだけどさ、もう死んでるんだとよ」

 

「えっ、それほんと!?」

 

「ああ」

 

「ただ葛葉一族に死は意味をなさない。魂だけで存在し続けられる秘術の使い手だと聞いたことがあるからな、すでに死んでいるとしても代々葛葉たちは死なないそうだ。ほかの肉体に憑依することがよくあるらしいからな、問題が解決したわけじゃない」

 

「それって人間なの?」

 

「全くだ......とんでもない一族だ。古来より悪魔召喚プログラムも無しで悪魔を使役してきたらしいからな、規格外だ。俺たちの一般常識は通用しないのかもしれん」

 

「こりゃまたとんでもねえ話になっできたぞ......」

 

ニッカリたちの報告により人外ハンター商会本部から各支部に注意喚起がなされているものの、未だに類似事件は後を絶たないのである。犠牲者はもちろんスマホの盗難も後を絶たない。ニッカリがため息をつくのも無理はなかった。

 

「ただ、葛葉たちは特別な方法で悪魔を使役するからな、ほかの体に憑依したとしても体が死んでる以上マグネタイトの供給ができないことになる。悪魔召喚プログラムは使えないはずだ。マナブたちも悪魔召喚プログラムも使わずに悪魔を使役してる奴がいたら報告するんだぞ」

 

「了解ッス」

 

「わかりました!」

 

ナナシもうなずく。既に事件はニッカリたちを離れて本部による案件となっている。特別に優秀な人外ハンターたちでチームがつくられ、あるいは護衛をつけられている。いずれ犯人は上がるだろうとのこと。

 

「さあ、今日も遺物集めにいくとしようか」

 

「はーい!」

 

「今日はどこに行くんすか、ニッカリさん」

 

「そうだな、今日はスカイツリー周辺に行くとしようか」

 

 

 

 

 

その日、アサヒはナナシに呼び止められた。

 

「えっ、ボディスが気になる?」

 

ああ、とナナシは頷いた。彼女の悪魔召喚プログラムを見る機会があったのだが、どうやら使役できるとは到底思えないレベルらしい。変なところはなかったかと言われてもアサヒは首をかしげた。

 

「いつにも増して訓練するようになったけど、あんなに大怪我したら当然じゃない?」

 

だがナナシは腑に落ちない顔をしている。断片が混じりあってしまった二種類のパズルを同時に組み立てているような気分らしい。どこか違う世界にまぎれこんでしまったような、別世界に踏み込んでしまったような。なにかを忘れているような気持ち悪さがあるようだ。痛みはさして激しくはなかったけれど、まるで体が幾つかの別の部分に分断されてしまったような異和感をナナシに与えつづけていた。

 

 

味噌汁もどきの砂が抜けきっていないあさりを噛みしめて、じゃりっときた時と同じ、ものすごい違和感。なにといわれたら難しいが、頭の中が警戒しているようだ。

 

もっともそれは誰がどう眺めまわしても苦労といった類いのものではなかった。メロンが野菜に見えないのと同じことだ。そのままに一種の奇妙な対照をあらわして、何となく現実世界から離れた、遠い処に来ているような感じがするという。視覚から遠ざかって、これ一つ周囲と調子外れに堅かたいものに見えた。

 

アサヒはしばらく黙っていた。ナナシに何かしら不明瞭な響きを感じとったのだ。しかし彼女はその点についてはそれ以上あえて言及しなかった。変な感じがしたのだ。何かがずれているような、釈然としない、何とも言えない感じだった。ナナシの不信感がアサヒにも感染しただけかもしれないが、アサヒはなんとなく話をしてみようと思った。

 

「そうだねえ......あの子が受けたクエストはニッカリさんたちがよくしってるんじゃないかしら?心配させるといけないからって私には何も教えてくれないのよ」

 

寂しそうにアサヒと同室の老女は笑う。彼女の祖母でありアサヒにとっても家族みたいな人だが知らないなら仕方ない。

 

「アサヒが知らないのに私にわかるわけないよ」

 

同室の女の子には力になれなくてごめんねと謝られてしまった。

 

「え、クエスト?なんでまた」

 

「いいから教えてよ、親父。あたしもあの子みたいになりたいの」

 

客入りが少ないタイミングを見計らって父親に聞いてみたアサヒは、まいったな、と困ったような顔をするのを意外に思う。

 

「ありゃ真似しろとはいえねーなあ......」

 

ここだけの話だぞとマスターはおしえてくれた。彼女が大怪我をしたクエストは実はニッカリさんたちにより露見した葛葉が関与を疑われる事件だったこと。仲間は全滅し彼女だけしか生き残らず、あまりのショックにより記憶を失っていること。ニッカリがこのクエストから身を引いたのは彼女の身を案じたためであること。

 

「怪我したのは自分の技量のなさだと思い詰めちまってるらしいからな、あんまり問い詰めてくれるなよ」

 

ぽんぽん肩を叩かれ、アサヒははあいと頷いたのだった。



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過去は未来に復讐する⑤(チームエコー)

女の目の前で枯れた花が落ちるように、あっけなく仲間たちが息を引き取る。ふっと糸が切れたようにひどくあっけない、朽ち木の折れるような死が転がっている。朝露の消えるようなはかない臨終だ。天使や悪魔の前では、人間は誰しもが虫のように、なんの造作ぞうさもなく死んでしまう。

 

「誰よあんた」

 

かろうじて吐けた強気の言葉にさえ、瞳の奥に怯えが見えると死の恐怖が笑いかけた。

 

「もしあなたがここで生きながらえたとしても、あなたはここで死ぬ。なぜなら運命は言っているからだ、あなたはここで死ぬべきだと。さあ選びなさい、未来をねじ曲げるために無駄な足掻きをするか、ここで野垂れ死にするのかを!」

 

女は必死で考えた。悪魔の言葉が、仲間の断末魔が、走馬灯のように頭を駆け巡る。いくつもの情景が頭の中に現れては消える。男の顔が遠い稲光のように明滅する。流れ込んできた未来の光景を映画のフラッシュのように突然鮮明に思い出す。これまでの出来事が突風のように頭の中に吹き荒れる。女は屈した。死にたくなかったのだ。

 

 

自分はもうこれで死ぬなと悟り、そして、悟った瞬間、それまでの人生の様々なシーンがばたばたと音をたて、目の当りに、細部まで明瞭に、頭の中に閃いていったのが無性に怖くて怖くてたまらなくなったのである。

 

悪魔の笑い声がこだました。

 

その日から女は呪いにかかった。自分の知らない遠い祖先が犯した罪から続くケガレ、人類が誕生し物事の「白」と「黒」をはっきり区別した時にその間に生まれる「摩擦」をヒシヒシと感じてしまうのだ。

 

この鼓の死んだような音色……その力なさ……陰気さの底には永劫えいごうに消えることのない怨みの響きが残っている。人間の力では打ち消す事の出来ない悲しい執念の情調こころがこもっている。無間地獄の底に堕ちながら死のうとして死に得ぬ魂魄のなげき……八万奈落の涯をさまよいつつ浮ぼうとして浮び得ぬ幽鬼の声……これが呪いの言葉だった。

 

 

黒い息吹が立ちのぼってくるのだ。その気分が頭を離れない。服を着たまま波にさらわれて、どうでもよくなって沖へ泳いでしまうような、その、濡れた体にはりついてくる衣服のような感触だった。あのとき感じたものを景色にするなら、たとえば風に揺れる果てしない銀のすすきが原、それから、ただ青いサンゴの深海。そこですれ違う色とりどりの魚たちの、もはや生き物ではない静けさ。 あんな世界が頭にあったら、まともな思考回路が働くはずがなかった。

 

女が見せられたのは、おぞましい大きさの蛇に生きたまま食い殺される未来だった。アサヒたちが悲しんでいるところが見えた。あるいはその蛇が希望の星と呼ばれる青年に変異しているのに誰も気づかず、天使と悪魔と人類が争奪戦を繰り広げる、なんとも滑稽な未来の先でナナシが悪魔の手先となり女が死ぬ未来だった。最後が別の悪魔の手先となり人外ハンター商会のものたちを皆殺しにしていくナナシに殺される未来だった。いずれも過酷な未来だ。どうしてナナシに殺される確率が高いのかはわからないが、どうやらどの未来においてもアサヒが1度死ぬらしいことがわかった。なんとなく足を踏み外した理由がわかったのは、いつもアサヒとナナシがいるところを見ているからかもしれない。

 

 

解けない自己暗示を、人は呪いと言う。その呪いを解消しない限り、それは虫歯みたいに女を死ぬまで苦しめつづける。何年も洗濯していないほこりだらけのカーテンが天井から垂れ下っているような気すらしていた。

 

「強くならなきゃ......」

 

未来の先でナナシの周りには誰もいなかった。マスターもマナブも女も同居している女の祖母もアサヒも誰もだ。ナナシに手を降したところでボディスが見せてきた未来ではささやかな差異でしかない気がしたのだ。他の悪魔が若手の人外ハンターに目をつけてしまったら未然に防ぐことなど到底できないだろうし、防ぐにしても女は弱かった。弱かったから死んでいた。先延ばしにするくらいなら確率を少しでも下げたいと思ったのである。

 

その日から女は強くなろうと決意した。どうやらボディスが言っていた無駄な足掻きを見せてみろというのはこの事のようで、そう宣言した女のスマホに無駄んで入り込んできたのだ。気に入ったから協力してやるとかなんとか抜かしているが悪魔召喚プログラムを介して契約が成立していない時点で、女にとっては単なる監視役、あるいは憑依してきたはた迷惑な存在でしかなかった。

 

「何が迷惑だ、こちらがわざわざ舞台をお膳立てしているというのに」

 

心底心外だと悪魔は憤慨する様子を隠しもしない。卑しい笑みを浮かべたままなのだから器用なものだ。女は悔しかったが反抗したところでどうしようもないのはわかっていた。あの日、あの瞬間に悪魔の甘い言葉に耳を傾け、死の恐怖から逃れようとしてしまった段階で女に自由な意思など初めから用意されているわけがなかったのである。

 

女は内心嘆きながらタラスクの遺体を仲間と共に人外ハンター商会に運ぶことにしたのだった。



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真面目な救世主(皆殺しEND後)

かつてナナシと呼ばれていた少年は、目の前に立ち塞がる新たなる神殺しにとって、自分はどう見えているのだろうかとふと疑問に思う。自ら屠った旧世界の15歳の少年なのか、かつて自分がなり変わった神という存在なのか、それともこの神殺しが自分を新たに再定義した全く新しいなにかなのか。今のところ、力が制限された気配はないし、姿形が変容した様子はないから、堕とされたわけではないらしいが、時間の問題だろうか。

 

もっとも、傀儡となった旧世界の神殺しと女神を抹殺しなければ、自分までその刃はまず届かないというどうあがいても絶望としかいいようがない現状がそこにはあるわけだが。

 

まず、すべての力をひきあげてこちらに刃を届かせようとした気配がしたから、自分が予備動作の段階で威圧して潰したのだ。そして、その隙にこちらの神殺しは女神目掛けて渾身の一撃を繰り出そうとした神殺しを一瞥するだけで、それは全てを威圧する。動きを制限する。女神が物理攻撃だと看破して反射するバリアか、能力をすべて低下させるか問うてきたから、後者を指示した。

 

それだけで相手の神殺しは自らの陣営の立て直しに追われてしまい、攻撃まで気が回らなくなってしまう。

 

ゆえに今度はこちらが攻撃に転じる。

 

宇宙の星々の下に広がる強烈な赤い花畑の真ん中で、相手の神殺しは気づいてしまったのか愕然としている。

 

自分の手が動かない。足が動かない。呼吸ができない。そしてそのすべての原因が、足元に絡まる無数の手の様な何かだという事に。今回の挑戦者たちは疲弊を隠しきれないでいたが、誰もがその視線につられて下を見た。恐怖に染まった悲鳴が上がった。驚くのも無理はない。挑戦者たちのリーダーであろう神殺しだけでなく、自分たちまで正体不明のなにかに拘束されると同時に、その身体が暗闇の中に飲み込まれようとしているのだから。

 

束縛された誰もがその手の様な何かから逃れようと無我夢中でもがいたが、暗闇にのまれないようあがいたが、無駄だった。原理不明の闇はあらゆるものを吸収し、束縛を解くことができないまま、身体はズブズブと暗闇の中に入っていく。そしてそうこうしている内に、身体の半分が闇にのまれてしまった。

 

真っ赤な花畑の真下は宇宙が広がっているのだ。そこが抜けたら堕ちるしかない。完全にのみこまれた挑戦者たちを見届けてから、こちらの神殺しは巨大な剣を鞘におさめる。女神は跡形もなく闇にのまれて消えた挑戦者たちのいた場所まで歩いていく。

 

こつこつと透明なガラスを歩くような音がした。

 

「ね、ナナシ。どこにいっちゃったのかな、みんな」

 

「どっからきたのかしらねーけどさ、たぶんスティーブンのおっさんのところじゃないか?」

 

「また?懲りないね、あの人も」

 

かつてと同じ笑顔で聞いてくる女神だが、在りし日を再現しているにすぎない。虚空を見つめる瞳はどこまでも虚だ。でも気にするようなやつはどこにもいない。ここはそういう世界だ。自分が望んだから。今も昔もこれからも。

 

「殺さなくてよかったのですか、主殿」

 

「一撃も入れられなかった奴らにか?わざわざ手の内明かさなくてもいいだろ。面倒だ」

 

「そうですか」

 

「そうそう、出直してこいってやつだ。おれらもそうだっただろ?」

 

「こちらはダグザ殿の黄泉がえりでしたから、あくまでも戦略的撤退でしたがあちらはそんな力すらなかったようですが」

 

「心配症だねえ、うちの神殺しは」

 

「......」

 

「そんな顔すんなよ、お前のせいじゃないって」

 

「......ですが、世界をつくらなかったゆえに誰もあなたを知らないはずなのに挑戦者が絶えないのは間違いなく自分のせいですから」

 

「フリンのせいというか、フリンの魂の因果律のせいというか」

 

「......やはり自分の......」

 

「だからそんな顔すんなって。人間じゃなくなったら神殺しじゃなくなるんだからさ。フリンが人間な以上、血迷うこともあるし後悔だってあるだろ。それが人間なんだから。それがうっかり別世界まで波及しちゃって似たような平行世界が発生しちゃうだけなんだからさ。退屈しないからありがたいんだよ、可能性の世界をみれるのは楽しいぜ?あー、もしかしたらこんな未来があったかもなーってさ」

 

「ですが、そのせいで主殿のお手を煩わせてばかりです」

 

「フリンは真面目だなあ」

 

何度目になるかわからない問答を笑いながらかえす。おわりを願ってるのは事実だろうに、なにを取り繕う必要があるのだろう。寝首をかける立場でありながら無数に作り出される平行世界の自分におわりを託すなんて回りくどいことをするなんて、本当に旧世界の救世主さまはどこまでも真面目だといわざるをえないのである。

 

「ねー、ナナシ」

 

神殺しとの会話に勤しんでいたら、ほっとかれてると思ったのか女神が後ろから飛びついてきた。

 

「いいこと思いついたんだけど、新しい子産んでもいい?」

 

「どんな戦法思いついたんだ?」

 

「えへへ、あのねー」

 

赤い花びらが散る。風もないのに舞い上がったそれはやがて虚空に消えていった。



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交わらぬ未来(4フリンとスティーブン)

 

「やぁ」

 

背後から、ふいに声をかけられたものだから、フリンは弾かれたように振り返った。穏やかな声だった。臨時休業中のハンター商会のカウンターの明かりしかついていないはずの店内だ。片付けてくると奥の調理場にひっこんでいったマスターと見習い以外、ここには誰もいないはずだった。とっさに武器を構えようとして、フリンは手を止めた。

 

「あなたは......たしか、スティーブンさん」

 

「久しぶりだね、フリンくん」

 

「助けていただいて、ありがとうございました。何度お礼をいったらいいか」

 

「いや、なに。それはこちらにも目的があったからだよ、気にしないでくれ」

 

さきほどまで誰も居なかったはずのフロアの真ん中に、車椅子に座った男性、スティーブンと呼ばれた男がこちらを見上げていた。

 

フリンがお礼をいったのは、悪魔と天使の全面戦争の最中に襲撃を受けて死にかけたときに、スティーブンが不思議な力を使って異空間に転送してくれたおかげで助かったからだ。そこでフリンは異世界で自分と同じような立場の少年たちと出会った。

 

それが今まさに夜遅くだというのに、錦糸町駅というあまりにも小さな人々の拠点とハンター商会を訪ねるきっかけになったのである。

 

「......スティーブンさん」

 

「なんだい」

 

「彼は、ナナシは、いってましたよね。その様子だとたぶん無理だろうけど、もし会えたらそっちの俺にもよろしくって」

 

「そうだね」

 

「それは、こういう意味だったんですか」

 

「そのようだね。彼はわかっていたんだろうさ、はじめから」

 

「......だから、あんな顔して笑ってたんでしょうか」

 

「だろうね」

 

「......遅かったのか、もっとはやくにきていれば」

 

「慰めにしかならないかもしれないけど、ナナシくんは嬉しかったと思うよ。ハンター見習いにすぎない自分にわざわざ人類の希望たる救世主がきてくれたなんて」

 

「......彼は、あったかもしれない未来からきたハンターだったのか」

 

「そうだね。ナナシくん、いってたよ。おれの知ってるフリンよりずっと強いって、キラキラした目でね」

 

「それは......まあ、そうでしょうね。そっちの僕はひとりじゃないんだ。強さとひきかえに別の強さを手に入れた」

 

「無い物ねだりはよくないよ、フリンくん」

 

「わかっています。僕にできることは、道半ばで倒れたナナたちの分まで生きることだけだ」

 

あとで墓場の場所を聞かなければならないとフリンは思う。運悪く悪魔の幹部の偵察に見つかり、数日前に全滅したという錦糸町駅所属のハンターたちのチームが弔われた場所を。人類の救世主様がなんでハンター見習いのナナシを知ってるんだろうとふしぎそうな顔をしていたマスターには到底説明できそうにはないが。

 

「うん、うん、それでいい。それでいいんだ。君はこれからも悪魔や神が蔓延るこの世界において、悪魔と神の闘いに身を置くことになるんだからね。きみはひとりじゃないよ、イザボーくんたちがいるんだからね」

 

「わかっています」

 

「君はこれからも何度となく大きな選択を強いられるだろう。混沌か、秩序か、はたまた中庸か。中庸すらもひとつではないがね。どれを選ぶかは君の自由だ」

 

フリンはうなずいた。

 

「今回も君の中庸を選ぶなら、僕も少し、協力してあげよう」

 

「それはどういう意味ですか?」

 

「答えるのは今ではないね」

 

「そうですか」

 

君の中庸という曖昧な言葉にひっかかりを覚えるが、スティーブンはこれ以上話を広げる気はないらしい。もう時間のようだねと笑いながら話を切り上げてしまった。

 

「東京の救世主たりえる君が、これから何を成すのか。僕はずっと見守っているよ」

 

次の瞬間にはスティーブンは姿を消していた。そういえば、今回は東京の女神はいなかったな棒切れで車輪を回す少女の幻影を思い出しながら、ぼんやりとフリンは考えていたのだった。



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夢みる希望②

我々が戦争を終わらせなければ、戦争が我々を終わらせるだろう。

 

地球上に存在していた約1万5000発の全ての核兵器が全世界に着弾するより先に、我々はこの言葉ともっと真剣に受け止め、向き合うべきだったのだ。

 

人類が誕生して以来、有史から何千年にもわたる罪を、最期まで人類は止めることが出来なかった。

 

20XX年、長きにわたる3度目の世界恐慌の果てに、世界は核の炎に包まれた。かつて地球上には平均人口10万人の4500もの都市があったが、1都市を破壊するには核弾頭3個で十分だった。全都市を破壊するには1万3500個の核兵器が必要で、なお1500個が余った。

 

それでも発射された全核兵器が同時に爆発し、直径50キロの火球が生まれ、その衝撃波によって半径3000キロ内の何もかもが吹き飛ばされた。その爆音は世界中に鳴り響き、圧力波がその後数週間にわたり世界中を駆け巡った。キノコ雲は大気圏の果てに達し、宇宙のすぐそばまで迫り、燃やし尽くすほどの火災を発生させた。

 

放射線によって爆発半径内にあるあらゆる生き物が死に、数百キロの範囲はもはや人が住めない場所になり、完全に破壊され、世界中が放射線物質で汚染された。人類が滅亡することはないにしても、しばらくは放射線による病気で苦しんだ。

 

吹き飛ばされた瓦礫の一部は宇宙に到達し、後には直径100キロのクレーターが残され、ほとんどの大型動物が死に、地球全体に火災旋風が起きる。さらに未曾有の巨大地震が世界を襲い、都市を破壊された。灰の雲が地球をおおい日光を遮る。核の冬が到来し、その後何十年にもわたり気温は氷点下にまで下がり、地球上の大型動物はすべて絶滅した。

 

国際宇宙ステーションも爆発で吹き飛ばされる瓦礫によって破壊されるので助からなかった。

運よく地下や水中にいたとすれば、少なくとも食料が尽きるまでは生き延びられるかもしれないが、生き延びた人類はいなかった。

 

その炎は現世だけにとどまらず、あの世までも焼き払い、行き場を失った思念体が現世に溢れかえった。

 

黙示録の予言の通り、破局を迎えたかにみえる我々の世界だが、かの書とは違い、まだ続きがある。

 

ひとりの少年の自己犠牲によって起動した霊的国防兵器タイラノマサカド公が東京上空を何キロにも及ぶ岩盤を形成して覆ったために核兵器の雨から助かったのだ。

 

ただし、エネルギー問題を解決するために市ヶ谷駐屯地地下に建設された無限発電所ヤマトにより魔界と繋がっているせいで湧き出してきた悪魔とともに東京の人々は閉じ込められてしまったのである。

 

それから数年後、有志たちが地道にスカイツリーを掘り進め、太陽を拝むことができた。しかし、スカイツリーでつながる岩盤の真上に原始的な生活をしている国ができており、大天使が統治していた。大天使は東京の人々が近づくことを嫌い、虐殺してきた。そのせいで25年もの間、東京の人々は太陽を拝めない日々が続いていた。

 

転機が訪れたのは、東のミカド国から訪れたサムライという騎士団の代表をしていたフリンという青年が、東京の人々の不遇に理解を示したからだ。ただし、同僚だったワルターという青年は悪魔王の思想に傾倒、ヨナタンという青年は4大天使の思想に傾倒し、ともに殉教。前者はルシファー、後者はメルカバーという大悪魔と大天使になってしまった。

 

悪魔と天使の代理戦争の舞台となった東京で、フリンはスカイツリーから東のミカド国までのトンネルを掘り進めた有志が立ち上げたハンター商会という人々の力を借りて、その戦争を終わらせるべく日夜奔走していた。

 

ナナシは初めこそ東京の救世主となったフリンを後方支援している錦糸町に所属するハンター商会の最古参であるニッカリに師事する見習いだった。

 

そのころから奇妙な夢を見るようになった。それはアキラと呼ばれる少年の夢だ。ある少年が自らの首を刎ねて悪魔に食わせ、東京を岩盤で覆うのを市ヶ谷駐屯地のモニター越しにみる。あるいは満月の夜にその少年からアキラと呼ばれて、命を変えても守りたいものがあるんだと話を聞かされる。スカイツリーからひたすら岩盤を掘り進め、みんなで太陽をおがむ。大天使と抗争になり、受け入れて欲しければ文明を捨てて原始的な生活を受け入れろと脅迫される。今のハンター商会の代表となっているツギハギとフジワラという男と結託して、アキラと一部の仲間たちだけが東のミカド国に残り、大天使の目を欺きながら人の統治を目指し、2人は東京でその時が来るのを待つと約束してわかれる。

 

寝不足気味のナナシを心配するニッカリにアキラについて聞いたことがあったのだが、2度とその名を口にするなと言われた。どうやらフジワラとツギハギはアキラとの約束を誰にも明かさなかったようで、ハンター商会では東のミカド国に亡命した裏切り者あつかいされているようなのだ。ニッカリはハンター商会の前身である悪魔討伐隊に自衛隊として参加していた過去があるため、ニッカリがしらないとなるとトップシークレットということになる。東京はようやく人間代表としてハンター商会が勢力として躍り出ているが、少し前までは悪魔討伐隊が所持していた霊的国防兵器という人造の悪魔を使役する勢力がいくつもあり、その企みを公にするわけにはいかなかった。フリンがその勢力を全て潰してくれたため、ハンター商会としてようやくアキラのことを聞ける環境になったのもあるのだろう。だがいまだにハンター商会はアキラの裏切りを訂正する気配はない。なぜなら想像以上に時間の流れは残酷だったのだ。

 

これはフリンたちからもたらされた事実なのだが、どういう原理かは知らないが東のミカド国と東京は致命的な時間の流れのずれがあり、なんと25年しかたっていないにもかかわらず東のミカド国では1500年も経過していたのだ。つまり、60倍も時間の流れが違うのだ。東京で1日過ごすと、東のミカド国では2ヶ月経過することになる。アキラは東のミカド国を建国した初代国王となっており、すでに死んでいたのだ。暗殺された噂もあると言う。

 

アキラは姉を天使に連れ去られ、拉致された人々がフリンたちの先祖になったことを知っていながら大天使を封印することしかできなかった。皆殺しにしたいにもかかわらず、それだけの力をつけてクーデターを起こしたにもかかわらずだ。その理由をナナシは夢で見てしまった。

 

それはアキラ率いるサムライ衆が大天使たちを殺そうとした矢先に起きた。大天使を残らず殲滅すれば姉の末裔たちは1人残らず悪魔化して全滅すると宣告されたのだ。それが事実であると東のミカド国生まれのサムライが悪魔化するのを見せられてしまったアキラたちは、大天使たちを封印することしか出来なかったのである。

 

なんと天蓋に覆われた東京の上に住み始めた人間に大天使は予め改造遺伝子を仕込んだのである。その人間たちは東のミカド国の始祖だ。デモニックジーンという、文明に触れすぎると悪魔化する時限爆弾のような遺伝子を組み込まれ、神の忠実な下僕として生きながらに転生していたのだ。

 

デモニックジーンは東のミカド国の民の90%以上が感染しているとされているが特定の条件が満たされない限り、感染者の症状は進行しない。

 

発症条件は大天使が近くに存在しない、感染者の文明接触が一定量を超過。この2つの条件を満たすことで発症する。また一度発生者が現れると当該条件を満たしていない者も感染・発症する。

 

この状態へ移行すると瞳が赤く変色し、脳が異常活性化することが分かっている。それに伴うドーパミンの過剰分泌によって発症者は興奮状態となり、接触中枢が刺激されることで人間同士の抗争がやがて共食いにまで発展する可能性もある。症状が更に進行すると異常活性化が全身及び人間の形態を維持できなくなり、それと共に人間の形態では考えられない能力向上が認められるが、その変化に対し発症者の肉体が耐えられない。

 

途中天井へと上がった東京の民の血が入ったことでその遺伝子が受け継がれずに済んだ者もいるようだが少数である。また東京の民であっても当該症状は感染することが分かっているが感染経路は不明だ。生体マグネタイトを介し感染しているのではないかという説もあるが、詳細は不明である。

 

サムライたちが選ばれる基準は、東京の人間の血が入り、デモニックジーンが受け継がれなかった人間なのだとうかがえる。

 

今、4大天使はメルカバーになってしまっている。メルカバーが倒されたら東のミカド国の人々はデモニックジーンが発動して死ぬんじゃないだろうか。サムライたちは東京のかつての便利なもの、いわば文明の利器目当てに東京に来ているのだから。

 

ナナシがアキラの夢で知ったことをフリンたちが知っているとは思えなかった。このままいったら東のミカド国は一夜にして死ぬのではないか。

 

夢とは思えないアキラという人間の生涯を知ったナナシの目はかがやいていた。

 

「......無限発電所ヤマトがトリガーにならねーかな。サムライたちは大丈夫だろうから、終わったら東のミカド国にいかねーとな。メルカバー死んだら大混乱になるだろうし、どさくさに紛れてみにいかねーと」

 

『東京の人間も感染する可能性があるのを忘れるな、小僧』

 

「わーってるよ、見るだけだ見るだけ。偽物が本性あらわしたら、たぶん時間はほとんどねーもんな」  

 

スティーブンからの依頼で金剛神界という異世界でフリンみたいな少年たちと出会ったナナシは、こちらの世界のフリンとあの世界で出会ったフリンは別人だと思った。あのフリンだったらクリシュナたちに負けなかったはずだ。アサヒが人質にとられたとはいえ、多神連合に誘拐されるはずがない。それだけ隔絶した強さがあった。この目で確認した事実である。こちらの世界のフリンがそこまで強くなれる可能性があるのなら、また会ってみたい。戦ってみたい。殺し合い、してみたい。奪還されたばかりの救世主は目を焼くような強さには到底追いついていなかったが......というか奪還されたフリンは明らかに偽物だ。

 

イザボーが違和感をもっているし、最近のフリンは東京の人々を陽動して戦いに駆り出そうとしている。救世主として信仰を集めようと、殉教させようとすらしているようで不気味なのだ。なによりもナナシがあったときと同じ気配がしないのだ。

 

あのフリンと違うなら今のフリンはどこにいるのやら。救世主に対する理不尽すぎる失望をむけるナナシである。

 

『......アキラの夢をみていながら、そう考えるのはお前だけだろうよ、小僧』

 

「うるせえ」

 

金剛神界で強いねと、これだけ強いなら覚えているはずだから、まだ出会ってないに違いないと笑ってくれたフリンのおかげで満たされた自己顕示欲に味をしめてしまったクソガキにダグザは目を細めて笑った。

 



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