魔法が終わる時 (Mobydick)
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プロローグ

懐かしい場所だ。

 

どういうわけか扉が空いていて助かった。長らく世話になった絵の中の番人は逃げおおせたのだと信じたい。彼女にとって絵の中の人間は殺すに値しないだろうし、まだこの世にいる可能性は充分にある。

 

談話室に入ってみると当然ながらかつての活気は微塵たりとも感じられない。無音である。

精巧できらびやかな蛇の装飾がちりばめられた壁は、いまや飛び付いた血や魔法による焦げあと、(すす)、裂け目で見るも無惨な品物に成り下がっていた。

床もまた然り。大理石は割れていたりくすんでいたりする。

馴染みのある机も脚が折れていたり椅子はひっくり返っているものばかり、幾つかの家具は燃えてしまって、焦げた臭いが少し気になった。

 

私はそれらを見渡し壁の、とある一角に目を()めた。

そこにかけられている絵、私が大好きだった、果たしてどういう意図のものに作成されたかわからない、しかし見る者の足をしばらくそこに縛り付ける美の魔法がかけられている絵は健在だった。自然と顔がほころぶのがわかった。

床に落ちている、無数の天使が飛んでいるところを凍らせてそのまま持ってきたかのようなシャンデリアを踏み抜いて怪我をしないように気を付けながら絵の前へ行ったがそれでも足元でぱりぱりと音がした。立ちどまってしばらく吟味すると、左手を不格好に動かして魔法を使い、それを暖炉のそばに運んだ。

 

古い作りだがほとんど損傷のない煉瓦造りの暖炉。絵に続いてその前にどさりと座り込む。左手でどうにか杖をふって暖炉に火を点すと、横目でちらりと右腕の二の腕辺りを見る。止血こそしてあるものの痛みは止まない。二の腕から先が戻ってくることもない。

私は私の杖腕を奪った美しく愛しく、そして強い魔女に思いを馳せた。

 

彼女はもうすぐにここにやって来て私を殺す。

 

これはもう決まりきったことであるから、私は逃げも隠れもしない。もっとも、したところで全く意味はないので最期のひとときは落ち着いて過ごしたいと言うのも理由のひとつではある。

 

絵に目をやった。私が好きだと言ったこの絵を彼女は嫌っていた。

 

藍色の暗い世界を交差する僅な光の筋。その絵の中央に大きく描かれている、錆のような色をした醜くて生々しく邪教的で不気味なものは果たしてなんなのか、二人で議論した夜もあった。私はそれを人だと言い、君は魔法使いだと言った。

 

そのとき止めていればと、君の気持ちをどこか別の綺麗なところに向けられていたらと後悔することはない。そんなことは不可能だからである。

君はこの蛇寮の中でも常人離れしていてそれでいて社交的で決して驕らない、そういう偉大な人だ。まさにサラザール・スリザリンが望んだ人材と言える。

わずかな時間とはいえそんな君の隣に居させてもらったことを誇りに思う。

 

そう、今はない右の手のひらで君の手の温もりを感じたことがあったっけ。

私は君が少しは躊躇するものだとばかり思っていた、というより期待していた。そこにダンブルドア側の勝機があったのだが君は私が認めたくなかった事実をただ叩きつけただけだった。

君が談話室の扉を開けて入ってきて、そうしたら少し話す時間を貰えるのだろうか。なにも言わずすぐに私を殺しても、私は君を恨まないが、最期に何でもいい、君と話がしたい。裏切り者がおこがましいと思うだろうか。でも私は君が優しいことも知っているのだ。

 

暖炉に広がる炎のぬくもりは微塵も感じられず、もうすぐ死ぬのだなと確信させられた。

もうすぐ死ぬことがわかると何をして良いかわからなくなるものである。

話す相手もおらず、チェスをする相手もいない。勉強をしてもそれこそ無駄である。

早く来てくれと思う一方でなにか暇を潰せるものを探した。

 

程なくして、それは見つかった。我ながらかな良い案に思える。

これならたとえ君がすぐに私を殺したとしても私の考えが君に届く可能性が僅かにある。それを読まずに処分したとしてもこの本の存在自体が、私が君に抱えている嘘偽りのない気持ちを伝えてくれるはずである。

 

そう、私は、君と出会った七年前から今日までのことを文字に起こしてやろうと思い立ったのだ。

 

一文字一文字羽根ペンで綴るのには流石に時間が足りないだろうから君の忌み嫌う魔法を使わせていただくとしよう。

明確な目的が、それも明るい目的ができると私は嬉々として杖を振った。私は手当たり次第に散らばっているイスや机やシャンデリアなどを白い紙に変身させていった。恐らく千枚ほどになったそれらを呼び寄せ呪文で手元に置き、紙の束を作ると、私は一度目をつむって、杖で頭をぽんぽんと叩いて青白い液体を取り出した。それにまた、こんどは少し複雑な魔法をかけて紙に落とす。

 

意識が紙に溢れていくのを感じつつ、私は再び目をつむって、この文章がいったいどんな意味を持っていくのかを夢想した。

 

これは君以外に読まれることを想定していない。

万が一読まれた場合、この文章は叙述詩として語り継がれるだろうが、まあ有り得ないことである。

 

 

君が全ての魔法を使う者を無に帰すゆえ。

 

 

必ずそうなる。男女、大人子供、黒人白人、区別なく。

この物語は君の足跡を凡人目線から眺めたものになる。君がもしこれを手にとって読んでみたら、君があるいてきた道のりが記録してあるから、少しは感動を覚えるかもしれない。

 

 

さぁ、これより始まるは一人の少女が魔法界に終わりをもたらす物語。

 

 

いつになるか、正確なことはわからない。

だが確実に、そう遠くない未来、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この世から魔法使いは消える。

 

 

 

 

 

 

これはその序章。



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