スクールアイドルの信条 (ちりめ)
しおりを挟む
プロローグ
明けない夜はない、という格言がある。常識的に見ればそれは当たり前だ。あくまでもこの言葉の真意は、どんな絶望を前にしても、希望は必ず存在する、といったところだろう。家の屋根上に立ちながら、朝日を拝む俺、沖田華乃
「また登ってる~、降りておいで~、華乃ちゃん」
「姉様…その呼び方…はい」
うちの家系は、代々、テンプル騎士団と呼ばれる裏組織のメンバーだ。しかし、うちの8代前、沖田家を歴史にした沖田総司、彼の父親は当然ながらテンプル騎士だったが、母親はアサシン教団という、テンプル騎士団とは敵対する組織に属していた。所謂、禁断の恋というやつだ。色恋は経験がないので知らないが
「華乃ちゃん華乃ちゃん、今日は穂乃果ちゃんと海未ちゃんがうちに朝のお迎えにくるからね~」
その時からうちはアサシンの家系へと変貌した。昔から鍛冶がそれなりに強いこともあってか、アサシンに鞍替えしてからは、彼らの主力な暗殺武器、アサシンブレードの製作を任されるようになった。うちの家では、12になる前に、鍛冶の技術か、アサシンとしての本格的な教育を受けるかのどちらかになる。俺は二人目だったこともあり、現在では相対的な価値が低い鍛冶を中心に、最低限のアサシンの技術を教えられた。姉様は、教団のアサシンになるつもりだったそうだ
「ねぇねぇ、華乃ちゃん、今日はお姉ちゃんが朝ご飯作ったんだよ、どうかな?」
味噌汁…昨日作ったやつを温めなおしたものと、魚の煮付け。少し辛くて米に合う。やはり米loveだ
「うん、美味いよ、姉様なら、料理番組にでても完璧にこなせるよ」
「そんなに褒められると…は、恥ずかしいかな…」
「言い出しっぺのくせして」
姉弟の糖分85%くらいの朝、たまにある。でも、そんな姉様は、音ノ木坂の廃校を阻止しようと、日夜スクールアイドルとして活動している
「今日も忙しくなるねぇ、華乃ちゃん♪」
「楽しそうですよ?」
「うん♪」
この間もライブだーと騒いでいたし、本当に楽しいのだろう。表現としては幼稚かもしれないが、やっぱり、姉様のいるスクールアイドルグループ、μ'sの皆を見ていると、キラキラしていて格好良かった、これは率直な意見だし、本音だ
朝食を終えて、いつでも行けるとなる頃はまだ五時半、それが日常と化している半面、狙っているというのも否めない。それもそうだろう。ゲームだ。いい歳こいてと思われるかもしれないが、仕方のない。やはり楽しいのだ
暫くして
「あっ、帰ってきた!」
「ん」
姉様がそういうと、俺は窓から手をだし、そいつが乗れるようにする。ほぼそれが完了すると同時に、そいつは腕をがっしりと掴んで体を預ける
「セヌ、おかえり」
「おかえり~♪」
「ーーーッ!!」
セヌはうちで飼っていた鷹で、俺が一人になってからも側にいてくれた親友だ。ちなみに雄だ
「セヌが帰ってきたなら、そろそろかな?」
時計を確認すると、丁度ぴったり、七時だ
バッグを持ち、靴を履きながら姉様にいつもの一言
「今日は?」
「遅い…かな」
「りょーかい。母さんは昨日から泊まりだよね?」
「うん、そうだよ。私は海未ちゃん、穂乃果ちゃんと行くね」
「穂乃果姉さんに引っ張られ過ぎて遅刻するなよ」
「うん、わかってるよ」
「ならいいんだが、いってきます」
「いってらっしゃい♪」
とまぁ、これがいつもの日常。セヌは基本夜行性で、学校までは腕に乗せるが、校門で別れ、家で眠り、夕方に起きて飛び回るという、かなり合わない生活習慣をしている。
姉様とは駅までは一緒だが、俺は共学の高校に通っている。女子校なら男子校、では映えない話だ
駅前を横にまがり、軽く名物と化した鷹と登校する俺。前にSNSで鷹を腕にのせた美少女、なんてのを見たときは泣きそうだった。女かよ。姉様の趣味だ、完全に。俺は知らん。そんなに女っぽいか?
「よぉ、元気か、この幸せ者めが!」
後ろから背中をバシンとかなりの音を立て叩かれた
「あだっ!てめぇ…」
同級生だ…こいつは姉様のファンらしい
「なぁ、サイン、頼むよ、マジで。ことりちゃんのサイン!」
なんだこいつ、ほんとに
でも、そんな日常が、子供の俺を殺してくれる。闇に葬ってくれる、ずっとそう思っていたかった。それはある日、即ち俺の家族たち、そして殺しあった数多のテンプル騎士、アサシンたちの対立の血で濡れた黒い歴史
いかん。朝からブルーな気分なのはよろしくない。健康的にも一日の気付けにも
「南!お前、後ろ!」
「は?……え……?」
腹のなかに音が響いた。ザクッとも、ドスッとも聞こえた。その男は、フードをつけていたんだ。俺を、刺した男は
(お前らが…いなければ」
「さらばだ、偉大なるアサシンの子たちよ。偉大なる、マスターアサシンの子、そして仇敵、テンプル騎士マスター、ローグアサシンのシェイの忌みの血を継ぐもの」
今、なんて?
姉様の平穏もきっと壊れる。このままじゃ、全部
なら殺してやる。アサシンも、テンプル騎士も
俺が生き残った暁には、ローグアサシンに、ローグ騎士として
___________
「華乃ちゃん、ねぇ!華乃ちゃん!」
「姉様、うるさい…姉様?」
俺って…生きてる?
「起きた!わかる?ここ、真姫ちゃんの病院!」
「よーくわかった、愛のある解説ありがとう、離してくれ」
姉様が抱きつきながら聞いてない説明をしてくる。俺は生きてる。それは間違いないが、ただ、死んでいないだけだ
「ねぇ、華乃ちゃん、私達、今度が最後のライブなんだ。最後の曲。三ヶ月だよ、こんなに寝てたんだよ」
「え?」
姉様達が最後…?
あぁ、よくしてくれたみんなに、顔が向けられない
姉様も顔を曇らせている。当たり前だろう俺が起きた、そしてμ'sの最後。泣くだろう、当然だ
「ねぇ、姉様。俺、最後のわがままを言ってもいいかな」
自分でもきっと言うべきでないとわかっていて、俺は虚しい傷の舐めあい、慰めを選ばず、心の底に捨てたはずのかつての因縁を受け入れた
終わりが大分変
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
Contact・Sequence01
あと投稿ペースまじですみません
姉様たちにだした提案、それは俺の生まれた町、内浦に帰るという話だ。
わがままというよりは、姉様を巻き込みたくなかったから。実際には数年間隠れ回ったので、ここまでかかったのも、アブスターゴやアサシンの目はバカにできないレベルなのは間違いないだろう
「覚えてないな…」
とはいえ、内浦の家なぞ既に燃えカスが残っているかどうかさえわからないため、沼津に安いアパートを借りた。バイト片手間、奴らへの警戒といったかんじになる。俺は死んだことにしたほうがよいというので、司法の力を濫用してここに俺がいる
しかしながら、沼津駅前に部屋を貸してくれるという大家さんが待ってるという話だが、いざ来てみると、まぁいないこと。
「探した方が良いかもな」
確認のため、上から見渡せるような場所がないか周りに目を這わせてみる
「……?なにしてんだ、あの娘」
駅前できょろきょろと明らかにこのあたりに慣れていない風だ。鮮やかな赤髪、かなり落ち着いた雰囲気が目立ち、それが第一印象だった
なんとなく、声をかけてみようと思った。もちろん、警察沙汰になれば、こっちの苦労は水泡に帰すのにだ
それでも、一度目標を後先見ずに定めれば、足どりは速い。群衆と一体化して目立たないように歩きながら目的の場所まですらすらと進む
ものの数秒で、その場でおろおろとし続ける少女の元へとたどり着く。成人男性が駅前の少女へ近づいているなんて通報のあった日には、俺の社会的名誉に多大な損害がでる。既に納税義務もろくにはたしていないのに名誉とはこれいかに
そんな話は外野へ押し退け、少女へできるだけ明るみのある無理の無い声で話しかける
「君、どうかしたのか?」
口調や表情にはでていないが、今更のようにやらかした、という後悔が押し寄せてくる
「えっ、…えっと…」
まずい。あからさまに困惑している。これはやらかした。仮にも仇敵とはいえ、アサシンの末端としては恥というものではなかろうか。いや、それ以上だ。勿論、これがアサシンがやらかした、という事実だけなら清々しいのだが、自分の身にふりかかる不幸は蜜ではなくヘドロである
「その…切符…なくしちゃって…」
「え?」
思わずふざけた声をあげてしまうが、実際に、今どき切符を買うのか、という言い訳には少し苦しい理由であったりする。だが、よく考えてほしい。最近はICカードにすると特典が付くという話もある。勿論、俺もICカードにしている。バスと電車両方に対応してるやつで、さっき買った
「ICカード、買ってないの?」
「今度、買うつもりだったので…」
「今から買ってきなよ」
「今、学生証がないんです…」
「…どこまで行くの?」
「内浦です…」
しかも結構かかるし
「よし、わかった。探そう」
「え…探す…ですか?」
「ああ、探す。電車いつ?」
「あと3分、くらい…しか」
「買いなおすとかすればよかったのに…よし、俺のやつ貸すから、内浦ついたら駅員の人に渡して。落とし物って」
「えっ、でもそれって」
「遅れるよ、迷惑ならそれで内浦ついてからだ」
ICカードを押し付けながら少女を催促させる。荷物は少なかったし、問題ないだろう
「あ、ありがとう…ござい、ます」
「ああ、じゃあ、また縁があれば」
「あの、私、桜内梨子っていいます…」
少女がぼそぼそと小さな声で自分の名前を告げてきた。ほんとに消え入りそうな声で、周りの喧騒も相まってようやく聞き取れるほどでしかない
「そうかい、じゃあ俺も返事しとこう。沖田華乃、また会うとしたら沖田でいい」
「…!はい!」
梨子ちゃんは意外といい反応を示してくれた。その後はそこで別れ、俺は家主さんを探しに再び駅前をうろつくことにする。普段から根なし草だったこともあり、最低限の生活のため、引っ越しなどと大層に言っても、ボストンバッグひとつに収まる程度である
「ほんとにいんのかよ…」
そろそろ大家さんの存在そのものを疑おうというときだった
「あー、いたいた!沖田君ね?」
後ろから突然声をかけられ、一瞬、背筋に寒気と緊張が走る
「ごめんねー、探したでしょ?」
いかにも主婦やってます、みたいな様の初老の女性がその見た目に反した高い声で俺を労り始める
「でも、実はね、今、水道管が破裂しちゃってて、一週間くらい、その、どこかに泊まってほしいの」
俺の予想からはゆうに80度は反しているであろう一言が盛大にぶちまけられる
こうして、俺の帰郷初日は、星空の歓迎が激しいであろうことが、120%確定してしまった
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
Memory2
「…最悪」
駅近場の公園にあるベンチに腰を下ろし、目の前で無邪気に遊ぶ子供たちを眺めながら、というよりは、視界にいれているだけだが、これからの一週間をどうすごすか、というこの歳らしい、実に不可解かつ最もアクティブに生きるべき時を、一般的な大人と同じように悩んでいた。正直、この歳になってもガキなのは認める
それだけだが、次には繋げない。俺は俺だからな
「ん?」
黄昏ている俺に呆れたかのように入る着信。知らない番号だ。知ってる番号が少ない、が100点の回答なんだけどね
「はい」
「あっ、沖田君?ちょっと時間大丈夫?」
大家さんだ。契約じゃ確認以外では使わないとか書いてたけど、使ってんじゃん
「はい、大丈夫です」
なわけないだろ
「よかった。あのね、やっぱりこっちに来たってあてがないわけなのよね?だったら、せめて居間くらいは使えそうだから、来ないかなって思って連絡したんだけど…」
天は我を見捨てなかった
「ええ!是非とも!喜んで行かせていただきます!」
「そう、よかった。案内するから、駅で集合、それでいい?」
「ええ、では」
会話を切るなり、ベンチから自分でも驚くほどの速度で立ちあがり、駅まで走り始める
かなり早く駅には着いた。当然、待ち人は未だ来ずなので、駅に入り、定期のことを聞くことにする
「ああ、あれ、お兄さんのですか」
「というと?」
「いえいえ、三つ隣の駅で渡されたらしくって」
そういいながら駅員の指す親指の先は内浦ではない
やっぱり引っ越しか。親御さんと待ち合わせだろう
「そうなんですか、まぁ、そういうこともあります」
我ながらボロ全開の苦しい言い訳とともに定期を受け取り、駅を後にする
「あら、沖田君、来てたの?」
「ええ、近くにいたもんですから」
駅をでてすぐに大家さんとは会えた。その後はなんの問題もなくこれからの我が家に着いた
「ここ、あなたの部屋よ」
そう言いながら鍵束から一つの鍵を選んで、扉を開ける大家さんが、よくドラマなんかでみるような風のアパートの一室、二階三号室の扉を開く
「お邪魔します」
「やぁね、その言い方」
ギギッと少し軋む扉の音と共に、少し錆び鉄の臭いが鼻につく。窓は誰かがくるまで開けないのは、まぁ防犯上は普通のことだが、なにかと好きじゃない
「その先ね」
俺の後から入った大家さんが玄関からわかりやすく狭い部屋のなかの居間を教えてくれた。わかるよ、これくらい
部屋に入る、というよりは、廊下を通ってきたという方が正しい気がする。そして、畳を踏んだ時に感じた傾いている、という違和感。それに加えて、なぜかさらにつく錆び鉄の臭い。大家さんの制止を振り切り、設備の壊れた部屋のドアを開ける
今は止めているのだろうが、風呂場にある安っぽい給水のための水道管は、破裂、というよりは外からだ。そして、なにも片付けられている風には見えないのに、漏れたはずの水は残っていない。
俺が来るからと確認したのは今日、そのために片付けは一切できていないと聞いた。水道管の一部、大きな破片が見当たらない。細かいのはあるのにも関わらず
まさか
部屋に戻り、違和感を感じた畳の縁に指を入れる
「沖田君、だいじょ…なにしてるの?」
「っ!」
勢いよく畳を持ち上げると…ビンゴだ
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
死体だ。血の臭いか、これ
頭…やっぱり、切れてる。うつ伏せの姿勢。犯人は急いでたな
「とりあえず、警察を!」
「そ、そうね!」
周りの住人への通達と警察への連絡のために外へ出る大家さんを見送り、そのタイミングを見図って、死体の腕に付けられたそれ、アサシンブレードへと手を伸ばす
「オチが見えたな」
死体は左腕にしか小剣は付いておらず、構造も
正面戦闘を想定していない一般的な暗殺型のアサシンブレードだ
小剣はとりあえずバッグへしまいこみ、あとは警察を待つことにする
「最悪だった」
第一発見者はまず疑われるというのは、こういう業界の習わしなのはわかるが、現に危険物を持っている俺は一度食い込まれると面倒になるというレベルではなかったろう
調査が入るわ、周りの住人の視線が痛いわで、警察からの宿泊のお誘いも断って逃げるように出てきた。やだよ、宿直室とか
「君、大丈夫だった?」
またもや後ろから声をかけられ、そろそろアサシンとしての訓練を受けた身としてはプライドがやられそうなんだが
「大丈夫もなにも、問題がありませんので」
「そうなの?泊まるとこないんじゃない?」
「星を見るのは悪くありません」
「そんなこと言っちゃって…もしかしたら、一夜の宿なら、教えてあげられるかも」
「…………聞くだけなら…」
その結果が
「これかよ」
俺は今、寺で仏門に励んではいないが布団に籠っている。怖いよ、夜中まじで
「……明日はいーことありますよーに、阿弥陀様」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
山隠れ
平日は無論、休日とともに、朝ともなると交通アクセスが回る市内のほぼ全域が騒がしくなる、しかしその前、霧さえ立つ時間ともなれば、話は別である。
とてつもなく静かな街は清々しい朝、と形容するには少々不気味にも思えるほどである。ひんやりとしながらも、早朝と呼ぶに相応しい独特の空気を肺に大きく吸いながら俺は境内の掃除に励んでいた。
「これはこれは、精の出ますな」
そこへ昨晩ここへ泊めてくれたこの寺の住職が僧房からこちらへ歩み寄ってきた
「一宿の恩、返さずして足の泥を置いていけましょうか」
住職は優しげな笑みを崩さぬまま
「えらくしっかりされておりますな、良いお心をお持ちだ」
「いえ」
昨晩からなにかと手をかけてくれるが、そんなに人が訪ねるのが嬉しいのだろうか。しかしここを紹介してくれたお姉さんのお陰で助かった。別れ際に渡されたメモには彼女の携帯番号と、困ったら助けを求めてくれという内容が走り書きで書かれていた
お礼も伝えたいのだがどうもこう、昨日初対面の相手に会って伝えるのは流石に、だがこの番号にかけて口頭でただありがとうと言って終わり、というようなものでもない気がする
多少考えすぎな気もするが宿も恩義への返礼も大切なことだ、ろくすっぽな真似をして泣きを見るのは嫌なものだ。しかし
「とりあえず宿だな」
そそくさと寺を後にした俺は、道端の自販機から微糖の缶コーヒーを手にまた近場の公園のベンチに座り、携帯で宿を検索し始めた
意外と宿が多いのは驚いた。その中で、少し遠いが地元近くの旅館が目に留まる
「十千万?へぇ」
なんとなく良さそうな雰囲気にひっかかったのも手伝って、トントン拍子で決めてしまった
「よし、決まったなら行くか」
思い立ったが吉日と、すぐに立ち上がって空の缶をゴミ箱へ放り込む。缶用のゴミ箱は口が広いので入りやすい、そのためかめちゃめちゃな投げ方でもがしゃんと缶同士のぶつかる音が、しっかりとホールインワンを伝えてくれる
「……?」
少し歩くなり感じる違和感、えらく気になる足音。仮にもアサシンとしての教育は受けているのだ、これがただの考えすぎというには危機感欠如もいいところだろう
「…気のせいでありますように」
ささやかな祈りを呟き、目の前の路地裏に入り、そこから動く。相手は不自然な尾行をするわけにはいかない分、一瞬遅れて路地裏に顔をだすのを狙い、壁にかかっているダクト目掛けて壁を駆け上がり、相手が過ぎ去るのを待つ
追跡者は三人、顔はわからない、性別は恐らく二人男一人女、走り方からしか断定はできないが三人ともフォームは正しく無駄がない、訓練されている、欠点は
「注意散漫ってところかな」
やれやれ、と思いながらダクトの上を進み、路地を抜け商店街に入る。相手と同じ方向ではあるが相手は走り、更には追跡もしていた分、こちらがダクトを壊さない用にちまちま進んでいたのでは距離が開ききっているはず
路地裏を抜ける直前で飛び降り、そのまま涼しい顔で商店街に入り、駅へ向けてすたすた歩く
そこからはとんとなにもなく、実に平和に駅まで到着することができた、気を張りながら進んでいたことを思うと、拍子抜けしてしまったが、なにも起きないのが一番だ。バスと電車を乗り継ぎ、内浦に到着することができた、ここまで完璧だった
しかし今はまだ昼過ぎ、宿に入るには少し早いだろう、気は進まないが、今は亡き実家にでも顔をだそう
昔より舗装が進んだ道を歩きながら海に目をやる
なんとなく、ただそれだけだがどこか懐かしさと寂しさを感じる。思い出は、体もしっかりと覚えているようだった。ただただ痛んだだけだが
しばらく歩き山道に入る。山の中腹にある家を目指してまだまだ歩く。正面の無機質なコンクリートを視界に入れながら
風は穏やかで、どこか涼しさも感じるが、あまりにそんな感覚は早いだろう。ここでの最後の思い出は夏の日だった、忘れたくて仕方ない
「…ん、ついたか…」
例え悪いことであろうとも、考えごとをしながら歩くのは距離と時間の感覚を鈍らせてくれる。今はそれがありがたかった
まさしく田舎の家、それに相応しい佇まいをした木造家屋、幽霊でも出そうな、夏の肝試しにも使えそうなくらいに荒れている。原型が保てている理由が思い付かない程には酷いものだ
立て付けの悪い引き戸に手をかけ、力を込めて引くが、ガタガタ音を立てるだけで開きそうにない。今度は戸を軽く持ち上げながら引くと、ようやく少しだが隙間ができた。そこに手をかけて押し、ようやく快適に通れるような程に開いた扉の先、苦労の先にあった玄関もがらんと寂しいものだ、靴はまだいくつか残っていて、あたりに散乱している。
靴箱の上の熊の置物から視線を感じるような気がして、すぐに目線をそらし、靴のまま段差を上がり、入ってすぐ右手の襖を静かに開ける。埃と澱んだ空気は酷いが、立て付けはまだマシなようだった
本当に生家なのか疑わしいほどに居心地が悪い。最悪だ
かつては居間として活用されていた部屋の真ん中には大きな漆塗りの台があり、ペンと紙、うちわに線香の跡、折られている途中の折り紙が残っている。最早面影ではなく不気味さを強調するオブジェクトの一種と化している台や遊んだままの床の物を避けながら押し入れを開け、下段の奥の壁を押す
軽い手応えと共に壁が沈み、向こう側への押戸に変わる。屈んだ姿勢から、今度は埃を被り、這いながら奥へ進む
その先は小さな部屋がある、とても小さく、子供一人の寝室程度、というくらいの広さしかない。
しかし、そこは長い年月を経ているとは思えない、少なくとも俺はそう思った 。綺麗なままだった、いや、なにもかもが、空気さえもが流れていない、全てがあの時のまま、ここだけが、時間の止まっていた様だった
沖田家が、常に明かさないアサシンとしての側面を、ここに収束していた場所。忌避してやまない場所が、一番心地良い場所である事実に、とてつもない困惑を覚えた。ここを知るのが、もう俺だけなのも
目次 感想へのリンク しおりを挟む