かぐや様は演じない~仮面を被ったかぐや姫~ (燃月)
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【第01話】☆かぐや様は白黒つけたい①

 

「暇だな」

 

 再チェックを終えた書類の束を執務机の上で揃えながら、白銀御行は誰に言うともなく呟いた。

 つい口をついて出てしまう『眠い』とか『寒い』とか――条件反射のようなその程度の意思表示。

 ふと出た独り言のようでいて、周りに居る者の耳に届く絶妙な声量。

 

 例え相手からの反応がなくとも、『あー、聞こえなかったんだな、なら仕方ない。うん、別に喋りかけた訳じゃないし』と自身の心の安寧を保つことが可能であり、ともすれば、会話の取っ掛かりを得ることできる!

 

「そうですね。少々手持ち無沙汰なのは否めませんね」

 

 その呟きに対し四宮かぐやは同意を示した。

 聞こえていなかったとスルーすることもできたが、ここは相手からの“アピール”に応じておく。

 

「とはいえだ、早々に帰宅しては、他の生徒への示しがつかない。生徒会役員がさぼっていると思われるのもなんだしな……」

 

「効率が悪くとも、遅くまで残業している方が頑張っているように思われる、なんてのは現代社会の悪習ですよね」

 

「そ、そうだな……まぁこうして仕事に追われることなくゆったりできる時間は貴重だ」

 

 少し冷めた紅茶を飲み干し、白銀はこれ見よがしに椅子に腰掛けたまま腕の柔軟を開始する。

 やることがないからストレッチでもしておこうの図である。

 

 

 現在、室内には白銀とかぐやしかいないという状況。だがそこに甘い雰囲気はない。

 基本的にこの二人は、黙々と集中して作業することを好む。お喋りしていなければ場が持たないということはなかった。

 だが、やはりそれは仕事をしている場合に限る。特に仕事もなく、じっと座っている状態では多少の気まずさが生まれるものである。

 

 何より、好意を寄せ合っている者同士であり、しかも二人きりという絶好のシチュエーション!

 互いが互いに、この機を活かしたいと思うのは必定。

 

 そんなこともあり、さっきからこの暇だなー何かしたいなーでも自分から提案するのもなんだしなーみたいなやり取りなのである。

 

 しかし何も起こらない。ただただ不毛な時間を浪費するだけ。

 『別にこっちは好きじゃないけど、どうしてもというなら付き合ってあげてもいい』というのがこの両者のスタンス。

 自分は何もせずとも、相手が勝手に告白してくるだろうという幻想を抱き続け、半年もの月日を無為に過ごしてきたのだ。普通に生活し、普通に過ごせば当然何も起こらない。

 

 起こそうとしないが故の無駄な六ヶ月。発展性などあろうはずがない!

 

 そうした期間を経たことにより、ようやく危機感を募らせ思い至る!

 こんな調子では、在学中に付き合う事など不可能なのだと!

 

 両者の思考は、『付き合ってやってもいい』から、『如何に相手に告白させるか』という段階へ移行していた。

 

 そういう観点で言えば、こうして生徒会室に留まって、相手からのアクションを期待しているだけでも進歩したと言える。

 

「四宮、悪いがおかわりを頼めるか?」

「はい、構いませんよ」

 

 要望に応え、紅茶のおかわりを用意しに向かうかぐや。

 その準備の最中、横目で白銀の様子をつぶさに観察しながら思考を巡らせる。

 

(仕事も終わってやることもないけれど、生徒会役員としての体面上、早々に帰宅するという選択肢はとれない。だから生徒会室で時間を潰すしかないというのは、尤もらしい理由ですね。わかりますよ、ええ、わかります。二人きりというこんなまたとない機会をふいにするなんてできませんよね。だって会長は私のことを狙っているのですから! ですが、会長に“これ以上”を期待するのは無駄でしょう。でしたら、こちらもそろそろ“予定通り”行動させて貰うとします)

 

 あながち間違ってはいないのだが、かなり過剰に解釈している感は否めない、自身の事を棚に上げた論理展開はさておき――

 

「どうぞ、熱いのでお気をつけ下さい」

「ああ、ありがとう」

「いえ」

 

 おかわりの紅茶を口に運び、一息つく白銀。

 

「うん、美味い。それにしても、ほんとに今日はやることがないな」

 

 その再三の暇々アピールを受け、大義名分は十二分に得たとかぐやが満を持して打って出る!

 

「でしたら、何か手頃なゲームでもいかがでしょう?」

「ゲーム? というと、またトランプでもするのか?」

「それでも構いませんが、今日は何か別の物を見繕ってみましょうか――確か藤原さんが持ち込んだ何かしらのゲームがあったはずです」

 

 そう言ってかぐやは戸棚へ向かい引き戸を開け、ごそごそと中を物色し始める。

 収納ボックスの中には、外国製のボードゲームが乱雑に詰め込まれており、それをかき分けながらかぐやは目についた品物を読み上げていく。

 

「ええーっと………………お互いルールを知っていて、公平なものとなると…………そうですね、よくあるルーレットを回して遊ぶ人生ゲームみたいなものや、これはモノポリーですかね? それにダイヤモンドゲーム、UNOにジェンガ、ああオセロなんかもあるみたいですね。会長はどれがいいですか?」

 

「ふーむ……そうだな………………その中だったらオセロでいいんじゃないか?」

「はい、ではそうしましょう」

 

 戸棚の中に上半身を突っ込みながらオセロを取り出し、白銀からは後姿しか視界に入らないことを認識した上で、かぐやは一人ほくそ笑む。

 

(計画通り!)

 

 某デスノートの所有者とまではいかないまでも、なかなかにあくどい表情である。

 決してラブコメのヒロインがしていい類の表情ではなかった。まぁ四宮かぐやの立ち位置は『ヒロイン』ではなく『主人公』なので何も問題はない。

 

(会長は自らの意図で選んだと“錯覚”しているでしょうが、ふふ、会長がオセロを選ぶのは、私の思惑通りなんですよ)

 

 さて――お察しの通り、この状況はかぐやの策略によって仕組まれたものである!

 

(二人で対決することを念頭に置けば、大勢で盛り上がって遊ぶことが前提とされる類のゲームを選択肢から除外するのは当然ですし、遊び方が豊富で勝負事に向いているトランプは前以て候補から外してあります。となれば、オセロが選ばれる目算が高くなるのは必然でしょう。まぁジェンガあたりが選ばれる可能性もなくはないですが、それはそれで対策はしてあるので何も問題ありません)

 

 生徒会メンバーである藤原書記が持ち込んだゲーム類のチェックは予め済ませており、かぐやは初めから白銀とのオセロ勝負を目論んでいたということだ。

 

 かぐやは蜘蛛の如く、用意周到に視えない糸を張り巡らし、標的を罠に誘い込む。

 陰ながら、巧妙に――対象の行動・思考を御した上で、かかった獲物を仕留めるために!

 

 とはいえ白銀とて短絡的に選んだわけではない!

 

(ふっ、四宮。お前は知らないだろうが、俺はオセロで一度も負けたことがないんだよ。頭脳勝負であればお前とだって対等以上に渡り合ってみせるぞ!)

 

 己が頭脳への誇りと、確かな過去の実績!

 それが白銀の自信の源。

 

(いやぁ懐かしい。小さい頃、(けい)ちゃん相手に連戦連勝を重ねて、よく泣かせてたっけな。ハンデ戦でも勝っちゃうだもん。俺、強すぎ! あー昔はよく一緒にゲームしてたのに……つーか最近はゲームどころかロクに口もきいてくんないけど…………反抗期だからな)

 

 ちょっぴりセンチメンタルな気分に浸りながら物思いに耽る白銀。

 

 『圭ちゃん』というのは白銀の妹の名前であり、つまりこれは幼少の頃の武勇伝みたいなもの。遠い昔の話である。

 

 妹との対戦で得た自惚れによる過信の産物――自信の源として全く当てになりはしなかった!

 

 白銀の現在の力量は…………推して知るべしというしかない。

 

 

 

 

○●

●○

 

 

 ここで両者のパーソナリティについて触れておこう。

 

 秀知院学園生徒会副会長、四宮かぐや。

 

 日本の経済界を牛耳る四大財閥の一つとして名高い『四宮グループ』。その本家本流『総帥・四宮雁庵(がんあん)』の長女として生を受けた、正真正銘の令嬢。

 

 血筋ゆえの生まれ持った資質、加えて幼少の頃より『四宮家』の名に恥じぬ令嬢として、数多くの稽古事を強いられ、徹底的な英才教育を叩き込まれた彼女はその全てを体得し、ありとあらゆる分野で華々しい功績を残す、紛うことなき『天才』と成った。

 

 また、凛々しく端整な顔立ちをしており、その美貌は羞花閉月と称するに相応しい。

 更に令嬢として厳格に育てられたことで身に付けられた、洗練された立ち居振る舞い。

 

 正に、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花――そんな才色兼備な存在として周りからは認知されている。

 

 が!

 

 その認識は間違いである!

 

 一見、非の打ち所のない彼女ではあるが、美しい花には棘があるものなのだ。

 いや、『四宮かぐや』という人間性を深く知る人間ならこう指摘するかもしれない。

 『棘』などではなく『猛毒』だと。

 

 もっと分かり易く、ありていに言ってしまえば、腹黒い。それはもう途轍もなく真っ黒なのである。

 

 四宮家による帝王学――人格や人間形成を矯正するほどに苛烈な『教育』が起因してのことか、彼女は無意識に他者を見下し利用しようとする悪癖を持っていた。

 

 目的のためには手段を選ばない。利己的で人並み以上にプライドが高い――それが四宮かぐやという人間だ。

 

 

 そんな規格外のスペックをした“四宮副会長”の上の役職に就く男こそ――秀知院学園生徒会長、白銀御行。

 

 ただこの肩書きだけで、彼のなした偉業を推し量ることは到底できはしない。

 より正確に言及すれば、秀知院学園の歴代三人目となる『混院(こんいん)』の生徒会長なのだ。

 

 秀知院学園はかつて、貴族・士族の上位層を教育するための機関として創立され、現在では富豪名家に生まれ、国の将来を背負うであろう逸材が数多く修学している名門校として名を馳せている。

 また大きな特徴として挙げられるのが、幼・初等部から大学までの一貫校であるという点だろう。

 

 そういったエスカレーター式に進学していった生徒を『純院(じゅんいん)』、それに対し外部入学の生徒を『混院』と称し、『混院』を蔑む根深いヒエラルキー問題が蔓延していた。

 

 混院であるという烙印は、それだけで学園内での立場を悪くするもので、目立った行動を取れば、陰口を叩かれ、排他的な扱いを受けることも想像に難くない。

 

 そういった逆境にも関わらず、どうして白銀御行は生徒会長になることができたのか?

 

 それはやはり、彼の優れた知性を認めざるを得なかったからであろう。

 

 秀知院学園高等部の偏差値は77前後と極めて高い水準を誇っており、秀知院の生徒にとって学力とは最大のステータスとなっている。

 

 その学力が数値として提示される学年模試に於いて、白銀は不動の一位として君臨しているのだ。大多数の生徒から一目置かれるのは勿論の事、一定数いた不平を鳴らす純院生徒を黙らせるには十分すぎる武器として機能していた。

 

 それともう一つ、効果的に作用していたのが、彼の持つ威圧感。

 

 顔立ちは比較的整っており美形ではあるのだが、如何せん、目付きが凶悪過ぎる。

 その研ぎ澄まされた眼光は、自覚なしに他者を圧倒する。期せずして反対意見を封殺する結果に繋がったのだ。

 その結果、一般生徒からは近寄り難い畏怖の対象として見られている。

 とは言え、生徒会長としての確かな実力から信望は厚く、どんな時でも冷静沈着にして質実剛健――秀知院学園を代表するに相応しい傑物であるというのが生徒や教師からの共通認識だった。

 

 が!

 

 その認識も間違いである!

 

 この男、完全無欠を絵に描いたような人物として取り沙汰されているが、その実、致命的なまでにポンコツな欠陥製品!

 言うなれば『調律が狂いに狂って部品も欠落した金メッキのピアノ』(by少女F)!

 

 勉学と生徒会長としての実務能力に関しては優秀であり問題ないのだが、その他の部分ではあまりにあんまりな…………この件に関しては追々明らかになっていくことだろう。

 

 また、外見から受ける剣呑な印象とは違い、善良なお人好しでとても面倒見がいい。

 しかし、こと恋愛に関して言えば、プライドが高く偏屈な恋愛観を持っている。

 

 というのも、白銀御行はモテる。

 それなりのルックスと優れた知性、加えて『秀知院学園生徒会長』という絶大なブランド力から結構モテる。

 

 悲しいかな、世の女性は肩書きに弱いものなのだ。

 いや、男性だって、特定の肩書き(看護師やメイドだったり)に倒錯した感情を抱くのだから似たり寄ったりであるとは、公正な立場として明記しておかなければならないだろう。

 

 とまぁ、なまじモテてしまうが故に、自分が選ぶ立場の人間――こと恋愛に於いて、頂点に君臨していると思い込んでいる節がある。

 

 

 

 統括として、両者ともにプライドが高い人間であるということがお解りいただけただろうか?

 

 増長し、お殿様感覚が芽生えてしまっている白銀御行。

 生粋のお嬢様であり、言うなれば気位が高いお姫様である四宮かぐや。

 

 互いに自身のことを上位者に位置づけているので、自ら告白することなどあり得ない!

 相手から告白してくるのが至極当然の流れというもの!

 

 重ねて繰り返そう!

 

 【恋愛とは告白した方が負け】――それが絶対の(ルール)でありこの世の理。

 

 誰がなんと言おうとも、それが当人達にとっての不文律なのは間違いない!

 

 

 

 ただしそれは『現時点の』とだけはしっかりと注釈しておこう。

 

 

 

○●

●○

 

 

 『オセロ』――言わずと知れた二人用盤上遊戯(ボードゲーム)

 

 対戦の場となるオセロ盤は、8×8のマス目。

 勝負の駒には、オセロ石という一面が黒、もう片面が白の小円盤型の石を使用する。

 

 盤面の中央の4マスに、同じ色が隣り合わないよう黒白2つずつ石を置いて、先手が黒、後手が白の石を持ち、ゲーム開始。

 

 自色の石で相手の色の石を挟み、 着手後に挟んだ石を自分の色にひっくり返す。それを交互に盤面が埋まるまで繰り返し、最終的に自色の石が多い方が勝ちとなる。

 

 基本的な遊び方はたったこれだけであり、小難しいルールは一切なく、子供からお年寄りまで幅広い年齢層が楽しめるシンプルなゲーム性をしている。

 とは言え、奥が深く未だにコンピュータによる全解析は達成されていない。

 【覚えるのに一分、極めるのに一生】が、 オセロのキャッチフレーズとして採用されている所以である。

 

 

 

「それでは、先に二勝した方が勝ち――ということでよろしいですか?」

「ああ。暇つぶしには丁度いいだろう」

 

 応接用のソファに腰を下ろした白銀が鷹揚に頷くと、

 

「私は会長と本気の手合わせをしてみたいところです」

 

 対面に座ったかぐやがオセロの準備をしながら、にこやかな笑顔でそんな提案をするのだった。

 

「ほぅ、俺と本気で?」

「ええ、本気の真剣勝負を」

 

「……オセロなんて、ただのお遊びの延長だろう?」

「確かに老若男女に親しまれる、気楽な遊戯としての側面もありますが、その一方で、囲碁や将棋といった高い思考能力が必要とされる、マインドスポーツに分類されています。んー……そうですね、興が乗らないと言うのでしたら、以前のババ抜き勝負同様『勝者は敗者に何でも一つお願いごとが出来る権利』を特典に設けましょうか?」

「うーむ――」

 

(――どういうつもりだ? 俺としては四宮との発展を期待しての、軽い余興ぐらいのつもりだったんだがな……何かを企んでいるのか?)

 

 即答することを躊躇い、かぐやの真意を推し量ろうと顔色を読みながら沈思する白銀。

 対し、その怪訝な眼差しを感じ取ったかぐやが、自身の“意図”を話し始める。

 

「この学園――いえ、全国トップクラスの英知を誇る会長に挑戦できるまたとない機会になると思ったのですが…………駄目でしょうか?」

 

(ふっそういうことか――)

 

「――まぁやるからには勝ちにいくつもりだ。別に構わないぞ。賭けにも乗った」

 

 白銀が抱いた微かな違和感は、聞こえがいい“方便”に流されてしまう。

 こういった些細な思考の誘導も、かぐやの人心掌握術の成せる技と言えよう。

 

「それは、よかった。以前の勝負では私が負けてしまいましたから、その雪辱戦にもなります」

「雪辱って…………ババ抜きなんてものは運の要素が強すぎる。一応心理戦という要素もあるのだろうが、勝利のうちに入らないさ」

「負けは負けとして受け止めますよ。とは言え、オセロは運に左右されない純粋な『頭脳勝負』――そういう点で言えば、知力の優劣を競う定期考査と通ずる所がありますね」

 

「はは、おおげさだな」

「後塵を拝する私としては、ここは是が非でも会長に勝っておきたいところです」

 

 

(馬鹿を言え! オセロと定期考査を同列に語るなどふざけたことを! 絶対に打ち負かしてやる!)

 

 表面では和やかな談笑ムードを取り繕いつつも、水面下では荒々しい憤慨モードで、対抗意識を燃やす白銀だった。

 

(これで下準備は万全ですね。怪しまれずに賭け勝負に持ち込めました)

 

 そんな白銀とは対照的に、かぐやは淡々としたもの。計画が思い通り進んでいる事に、心の中で一人ほくそ笑む。

 

 

 ここで一応、先ほどから話題に上がっている『ババ抜き勝負』の件について解説しておくと、数日前、この二人はババ抜き対決で賭けを行い、勝者の特権として敗者に対し『何か一つお願いできる』という趣向のゲームをしていたのだ。

 

 その結果、白銀が勝利している。

 

 ただし、かぐやは自らの意志で敗北を狙い、敢えて負けることで相手側からの『お願いごと』を誘導しようといたので、ゲームの勝敗自体に特別な感情を抱いている訳ではなかった。

 

 しかし今回のかぐやは、全力で勝ちにいくつもりだ。

 

 

 ということは、勝者の特典を利用して、白銀を追い詰める策略を用意している?

 

 否!

 

 そんなもの用意していない!

 

 なぜなら、自分がして欲しいことを相手にお願いするという行為は、極めて俗物的なアピール行為に他ならないからである!

 

 どうしたってそこには特別な『好意(いみ)』――が生じてしまう!

 『相手へのお願い』とは『相手へのアプローチ』として処理される可能性があるのだ!

 

 かぐやとしては、そんな危険を冒す訳にはいかない。

 

 ならば彼女はこの勝負に何を求めているのか!? それは!!

 

『何か一つお願いできる……そう言えばそうでしたね。うーん…………とは言っても会長に勝てたことで、もう十分満足できちゃってますし、あ、ではオセロを片付けて貰っていいですか? それが私からのお願いということで』

 

 これがかぐやの思い描く構想!

 敢えて勝者の特権を無駄遣いする! 勝った上で相手に慈悲を与える、上から目線の愉悦!!

 

 それに何よりこれは、相手側に負い目を感じさせ、強制的に貸しを作ることができるのだ。

 今後の立ち回りに於いて大きなアドバンテージを得られ、精神的優位に立てる!

 

 断じて、定期考査で学年二位に甘んじ続けたことで積もった鬱憤を、発散しようなどという小さい理由などではない!

 

 

 

○●

●○

 

 

 パチパチパチと石をひっくり返した音が小気味よく室内に響き、ゲームはほぼノータイムで進行していく。そうして中盤に差し掛かったあたりでかぐやは確信した。

 

(この勝負――貰いましたね)

 

 素人目に見れば、勝負の趨勢を読み切るには、まだ早過ぎる段階と言えよう。

 

 しかし、対決を仕組んだのはかぐや張本人なのだから、当然対策も抜かりない。

 

 この日の為に、オセロに関する入門書・参考書・オセロ高段者による著書を読み漁り、事前研究は勿論のこと、専属近衛(メイド)相手に対人戦も十分にやり込んでいる。

 

(ふふ、序盤の『定石』は一通り押さえていますし――)

 

 『定石』というのは、長年の研究によって導き出された、最善とされる決まった石の打ち方のことを言う。

 

(――『オセロの鉄則』だって心得ています)

 

 『オセロの鉄則』で最も有名なものが『隅をとったら有利』。

 こんなものは誰もが知るところであるが、他にも序盤は『一石返し』に徹し、最小限の石を返し、『中割り』を意識する。

 他にも多種多様なセオリーが存在し、かぐやはその高水準な頭脳で、そういった戦術をほぼマスターしていた。

 

 だからこそ、定石から外れた手を打った時点で、白銀は劣勢に立たされており、そこからもセオリーを蔑ろにした稚拙な手が連続した時点で、かぐやは自身の勝利を疑いないものとしたのである。

 

(後は着実に打ち進めれば、私の勝利は盤石でしょう。終盤からようやく熟考し始めたようですが、手遅れです)

 

 

 そして、かぐやの読み通り――

 

「くっ……やるな四宮」

「いえ、偶々です」

 

 ほぼ盤面は黒が占拠しており、圧倒的大差で先手番であるかぐやの勝利となった。

 

「いや、謙遜するな。圧倒されたよ」

 

 どうにか平静を保ち、かぐやに対し賛辞の言葉を送る白銀であるが、

 

(うわぁーーーーー! 負けた―! ボロ負けじゃん! 結構自信あったのに!! もしかして俺って弱いの!?)

 

 内心ではあまりの惨敗に、呆然自失状態に陥っていた。

 ショックで打ちのめされ、否応なくネガティブな感情に支配される。

 

(まずい……これは非常にまずいぞ。このまま次も無様に負けようものなら――)

 

 

『あら……学園屈指の頭脳を誇る会長相手ですから、挑戦者の気持ちで挑んだのですが、これはとんだ期待外れでしたね。勉強が幾らできても、それを活かせる頭がないのであれば宝の持ち腐れもいいところ。応用がきかない低能、上に立つ者としての適性を疑わざるを得ません。思考の柔軟さでは幼稚園児以下……』

 

 白銀の脳裏に鮮明に浮かび上がってくる、あの底冷えする眼差し。

 そして人の尊厳を侮蔑し、憐み、嘲笑いながらこう切り捨てるのだ!

 

 

『お可愛いこと……』

 

 

(あーーーーー!)

 

 動悸が激しくなり、身悶えたい衝動が全身を駆け巡るも、どうにか抑え込む。

 

(くそ、単純なゲームと侮っていた…………いや違うな。そんな次元の話じゃなく、俺と四宮の間には純然たる力量差が存在している。悔しいが、全く歯が立たなかった。完敗だ。四宮が言っていた通り、オセロは運に左右されない純粋な『頭脳勝負』。そりゃ素人同士が勝負すれば、まぐれ勝ちもあるだろうが……オセロにも世界大会があるというしな。ならば、そういった手練れと素人では勝負にならないのは当たり前の話だ)

 

 白銀の脳内で、凄まじい勢いで自己分析が開始されていた。

 

(考えろ。白銀御行! 何がいけなかった? 何が敗因だ!?)

 

 頭の中のオセロ盤で、つい先ほどの勝負を振り返り、精査していく白銀。

 常人ではあり得ないが、白銀の頭脳はそれを可能とする!

 

(中盤から終盤にかけては、ほぼ俺に選択肢はなかったからな。石が置ける場所が限られていた。そういう風に四宮が打ち回したんだ…………であればどうしたらいい?)

 

 自問自答を繰り返し、独自の理論を構築していく。

 

(ならば序盤――初期段階での配置が重要ということか……四宮の早打ちに流されて、直感で打ってしまっていたからな。根幹がしっかりしなければ、枝葉は伸びず、根本から腐れ落ちる。枝分かれさせる為にはしっかり根を張る必要がある……なるほど。中々に奥が深い)

 

 

「それではそろそろ二戦目を開始いたしましょうか?」

「ああ」

「では先手と後手、どちらがよろしいですか?」

「ふむ…………そうだな。では、そのまま俺は後手でいかせてもらう」

「そうですか、わかりました――では、始めましょう」

 

 そう言って、かぐやが一手目を着手する。

 

(あら?)

 

 白銀は盤面を見据え、初手から考え込んでいた。

 

「随分と慎重ですね?」

「後がないからな。悪いが少し考えさせてもらうぞ」

「ええ、構いませんよ」

 

(精々お悩み下さい。幾ら悩んだところで結果は目に見えていますが)

 

 しかし、そんなかぐやの余裕は、徐々に霧散していく。

 

(これは『兎定石』の進行になっていますね……悪手とされる手も――回避されてしまいましたか)

 

 かぐやがノータイムの早差しでプレッシャーをかけるも、白銀は全く意に介さず、自身の間をキープする。

 そしてしっかりと盤面を見極め、細心の注意を払いながら打ち進めていく。

 それはまるで、一歩一歩足場を確認しながら、暗闇の中を前進していくかのようだ。

 

 静寂が場を包み込み、言い知れない緊張感が肥大する。

 

 ゆっくりと、だが着実にゲームは進行し――その最中、かぐやの手が止まった。

 

(まさか…………そんなことって!?)

 

 かぐやは驚きを隠せない。

 なぜなら、かぐやの知る“定石通り”にゲームが展開していたからだ!

 つまり、それの意味するところは、白銀も“最善手を打ち続けている”ということの証明に他ならない!

 

 中盤になれば、定石から外れた多様な手が存在しているので、かぐやとしてもここからは未知の領域となる。序盤で相手の悪手を誘い、優勢にする計画だっただけに、手痛い誤算であった。

 

 だが、そんなことよりも重要な点がある。

 

 繰り返そう。『定石』というのは、長年の研究によって導き出された、最善とされる決まった石の打ち方のことを言う。

 

 かぐやは“ただ学んだ定石通りに打っていた”だけだ。

 対し、白銀は、己の思考能力で解を導きだし、最適解に辿りついたのだ!

 

 その事実が重く圧し掛かり、かぐやは精神的に追い詰められていた!

 

(やはりこの人は凄い……)

 

 盤面を睨み付けるような、鋭い双眸に気圧される。

 かぐやの中で、羨望と畏怖の感情が綯い交ぜになって溢れだしていた。

 

(会長は何処まで先を見通しているというのです!?)

 

 心中で問い掛けるも、当然答えは返ってこない。

 

 かぐやは知る由もなかった。

 白銀が懸命に抗い続け、一心不乱にこう考えていたことを!

 

 

(お可愛いは嫌だ! お可愛いは嫌だ! お可愛いは嫌だ!)

 

 

 その鬼気迫った表情は、かぐやに対し効果的に作用していた。

 

(くっ……どの手が最善手!?)

 

 動揺と焦りで、思考が纏まらないかぐや。

 まさか己の幻影に怯えた相手の表情で、自分自身が恐怖しているとは夢にも思わない。

 

 

 そうして一進一退の攻防が続き――

 

「ふぅー…………これでどうにかイーブンだな」

 

 僅差ではあるが、白銀が白星を掴みとる!

 薄氷を踏む思いで制した紙一重の勝利に、安堵のため息をつく。

 

「いい勝負でしたね。あ、紅茶のおかわり用意してきますね」

 

 そそくさと対戦の場を離れ、白銀から距離をとった上で、強く歯を食いしばる。

 

 この女、珍しくも本気で悔しがっていた。

 それもそのはず。このオセロ対決は、本気で勝ちにいった勝負である。更には入念な対策と事前準備までした上での敗北。それがプライドの高いかぐやにとってどれほどの醜態で屈辱的なことか!

 

(うう……会長、貴方は紛うことなき天才です――私の前に立ちはだかる強大な壁)

 

 

 そう――忘れてはならない! 

 

 白銀御行。

 

 この男は、勉学一本で秀知院学園生徒会長の座にまで登りつめた傑物であり、四宮かぐやの頭脳さえも凌駕する存在であるということを!

 

 

 

 




《作中のオセロ用語解説》

◆『一石返し』
 石を1個だけ返すこと。とりあえず悪手になりにくい。
 初心者が最初に身につけるべき戦術とされる。

※補足→基本的にオセロの序盤は石を取り過ぎない方がいいとされている為。


◆『中割り』
 置かれている石の内側の石を返すことにより、自分の手数を増やし、相手の手数を殆ど増やさない序盤から中盤の重要な戦術。

※補足→中盤では、自分の打てる場所の数が多い方が有利とされている。


◆『兎定石』
 主流とされる四大定石の一つ。初めて定石を覚える人はこれから始める人が多い。
 統計的には上級者よりも中級者が好んで使用している。

※補足→他の四大定石『牛定石』『虎定石』『鼠定石』


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【第01話】☆かぐや様は白黒つけたい②

 屈辱で騒めき立つ心を律し、己の置かれた状況を冷静に分析する。

 

(勝敗は一勝一敗の五分。ですが……一戦目の圧勝から、二戦目は僅差での敗北。比べるまでもなく、会長の腕前が飛躍的に向上していました……このまま次戦に挑めば、敗戦は避けられないと考えるべきですね)

 

「さて、先手後手の選択権は四宮にあるが、どうする?」

「そうですね…………」

 

 間を取り逡巡する。

 だがそれはかぐやにとっての逡巡であり、常人と比較すれば刹那の思考といって差し支えない。

 

(オセロでは先手と後手による勝率はほぼ均衡しているらしいですからね。どちらを選んでも構いませんが、会長が白番に慣れてきていることは考慮すべきでしょうか? 先手後手を入れ替えれば、序盤の悪手が期待できる……ただ、その期待が裏切れた時の精神的ダメージは計り知れない。同じ轍を踏むことは避けた方が賢明でしょう。隙を作らない為にもここは黒番のままでいく。何より私自身が黒番の方を得意としていますからね――)

 

「――では、黒でいかせてもらいます。何事も初志貫徹が大事ですからね」

「ふ、そうだな。よし、じゃあ始めるとするか」

 

 そうしてオセロ勝負の三戦目が開始された。

 

 序盤は全く同じ試合展開――両者共に奇を衒わず『兎定石』の進行で打ち進める。

 確立された手順をなぞるだけの作業なので、共に脳への負担は軽微――その合間にかぐやは中盤以降の立ち回りについて思案していた。

 

(オセロに勝つ上で重要な要素は高い思考能力。それに次いで集中力。二戦目の敗因は、私の集中力が途切れたがゆえ、ええ、決して実力で劣っていた……訳ではありません! もう平常心は保てています。ここは中盤の攻め方で翻弄して押し切る! 私の全身全霊をかけて会長を倒す!)

 

 序盤は完全に定石通りに進行し、千変万化に手が多様化する運命の中盤戦へと突入する!

 ここでの立ち回りが極めて重要となってくる!

 

 白銀が考え込むタイミングを見計らい、かぐやが仕掛けた! 

 

「会長が勝ったら、いったいどんなお願いをなさるおつもりですか?」

 

 盤外から放たれる、不意をつく一手!

 

「ん? ……いや、まだ何も決めてないが……いきなりどうした?」

「いえ……正直、勝てる気がしていないので、負けた時の心構えをしておこうかと……二人きりですし……あまり(はずかし)めないでくださいね?」

 

 かぐやは頬を紅潮させながら、か細い声で白銀に訴えかける。

 自分自身の表情、仕草、声音――その全てを完全に掌握した上で初心な女を演じきる、四宮家の帝王学が編み出した、一子相伝の交渉術!!

 

「ば、馬鹿を言うな!」

「ですが、どんなお願いをなされるのか、私としては気が気ではありません」

 

 指先で唇を艶めかしくなぞり、蠱惑的な眼差しで白銀を流し見る姿は妖艶の一言。

 

 スキル『純真無垢(カマトト)』――弐ノ型『色仕掛け(コアクマ)』発動!!

 

 女の武器を躊躇なく切る! とどのつまりは小狡い盤外戦術!

 故意に対戦相手の集中力を妨げる、マナー違反な行為。

 かぐやとしてもアンフェアな行いであることは弁えている。

 

 しかし、引く訳にはいかない! これは()るか殺られるかの真剣勝負!

 『勝つためには手段を選ぶな』――それが四宮家の血脈を継ぐ者の心得なのだから!

 勝負は盤上だけで行われるものではないのだ!

 

「どんなって……いや、そもそもだ! いかがわしいお願いや、無茶な要求はしないという話だったはずだろ!?」

「そうですね……ですが、その取り決めは前回の勝負に限った話です。今回はそういった制約を付けるのを失念していました…………あぁ私の落ち度という他ありません」

 

「え? じゃあ何でも――」

(――ありなのか!? あんな格好やこんな格好させることも!)

 

「まぁ、秀知院学園を代表する会長相手ですから、無用な心配ではあるのですが」

 

「あ……あぁ、全くその通りだな」

(くそ! 予防線を張りやがった!)

 

「はい。それは重々承知しています。とはいえ、私に拒否権はありませんから」

 

「おいおい、人聞きの悪いことを言ってくれるな」

(何っ! いいの! 駄目なの! どっちなの!?)

 

 

「あらあら。これは無粋でしたね。会長ほど紳士的な殿方はいないというのに――はい、会長の番ですよ。どうぞ」

 

 浮ついた精神状態の白銀を、すかさず急き立てる!

 

「うむ…………ここで、どうだ」

(あ、しまった! 悪手とまではいかんが、これはあまりいい手ではなかったな……くそ)

 

「そこですか。ではこう返します」

(いい感じに狼狽えていますね。あぁ愉快)

 

 相手の顔色を一瞥し、効果覿面であったと確信したかぐやは、ご満悦といったところ。

 対し白銀は、自身の打ち損じを挽回すべく、懸命に頭を働かせている。

 

(駄目だ。集中しろ集中! こんな見え透いた罠に惑わされるな。俺の自制心よ、しっかりしてくれ!!)

 

 心中で活を入れ、感情をコントロールしようとするも、

 

「はぁ、ドキドキしてきました」

 

 合間合間に挟み込まれる、吐息混じりの甘い呟きに思考が掻き乱される。

 あられもない格好で恥じらうかぐやの虚像がチラつき、思考がままならない。

 

(落ち着け……)

 

 だからこそ、白銀はじっくり腰を据え、長考態勢に入る。

 

(じっくり時間をかければ…………どうにか考えは纏まる)

 

 しかし、それを許すかぐやではなかった!

 

(立ち直らせる隙は与えませんよ)

 

「もうそろそろ部活動も終わり始める頃ですね」

「ん? もうそんな時間か」

「確か会長はバイトがあったはずですよね?」

「ああ」

「でしたら、あまり勝負が長引いてもいけませんし、ここからは時間制限を設けましょう。大会などの公式戦では対局時計が用いられていますからね。構いませんか?」

「そう……だな。構わないぞ」

 

「では今から一手、一分までということでよろしいですね」

「……了解だ」

 

 半ば強引に同意を取り付けたかぐやは、携帯電話(ガラケー)を取り出し、タイマー機能を準備――そしてオセロ盤の横に設置した後、手早く起動。液晶画面でカウントダウンが開始される。

 

「はいスタートです」

 

 白銀は無言で頷き、脳をフル回転させる。

 

(慌てるな。一分もあれば十分だ。えっと…………どこが最善だ? ここだと……いや、それは駄目だな、ならこっちは……悪くはないが……他の手はどうだ? って時間経つの早いな!? もう三十秒切ってるじゃねーか! やばい! 全然余裕ねーぞこれ!)

 

「……ならここ……いや、こっちだ」

 

 そうして思考時間を半強制的に奪われた白銀は、検討不十分な一手を打ってしまう。

 

「なるほど。そうきましたか。ではこう返しましょう」

 

 ここにきてかぐやはノータイムの早指し。

 流れる動作でタイマーを再起動させ、追い詰めにかかった。

 

 白銀は制限時間である一分をほぼフルで使いながら、どうにか打ち進めるが、苦悶の表情で一杯一杯といった有り様。

 

 形勢はかぐやの圧倒的有利――

 

(しぶとい……)

 

 ――という訳でもない。

 

 集中力を欠いた状態で、尚もしぶとく食い下がる白銀の凌ぎに、かぐやは辟易していた。

 早指しを控え、戦況把握の為に自身の持ち時間を消費し、戦局を見極める。

 

(切羽詰まっている割には、そこまで悪くはない手を返してきますね。これだけ精神を揺さぶっても、崩れないのは流石です。やはり侮れない)

 

 まだこの状況では優勢とは言い切れない。

 

(最後の一押しが必要みたいですね)

 

 それがかぐやの下した結論。

 

「では、ここで――」

 

 と、かぐやが石を持ち、盤面に着手するその直前、突如オセロ盤の横に設置された携帯が震えだす。

 

「え!? まだ時間は!?」

「ああ、違うぞ。ただのバイブ機能のようだ」

「あ、そうみたいですね。取り敢えず時間切れになる前に打たせて頂きます」

「おう。で、携帯は確かめなくていいのか?」

「はい構いません。ただメールが届いただけのようですし、今は勝負の決着を優先しましょう」

 

(さぁ、ここが勝負の分かれ目ですよ。私の読みでは、好手はただ一点のみ。他は悪手ないし、あまり有効な手ではありません。会長はお気づきですか?)

 

「もう終盤ですから、お互い気を引き締めないといけませんね」

 

 軽い会話で相手の意識に割り込み、妨害工作を仕掛けるかぐや。

 

「ああ、そうだな」

 

 だが、白銀は盤面に集中しきっており、ほぼ聞き流している状態。

 

「ではタイマーを起動させてもらいますね。と、その前に会長、一つお伝えしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「ん? どうした改まって?」

 

(ここが勝負所。今の会長の集中力は生半可なものではありません。だからこそ敢えてタイマーを作動させる前に、こちらに意識を引き付ける。あとは多少強引だろうと、男の本能に直接訴えかけるだけでいい!)

 

「会長が勝ったら…………あの……その時は……優しくして下さいね」

 

 どうとでも解釈できる意味深発言! 

 

「え!? それってどういう……意味だ?」

 

 深読みすればするほどドツボに嵌る底なし沼。思わせぶりなだけで、そこに明確な答えなどありはしないのだ!

 

「い、言えません!」

 

 頬を赤らめ、恥ずかしそうな素振りでタイマーを押し、顔を隠すように俯くかぐや。

 

「ちょ!」

 

(待て待て。あんなに赤面して優しくって、つまりアレだよな? いいのか? いやほんとにそうなのか? もし勘違いしてたら……って違う! 今は勝負中なんだ、しっかりろ。あーどこに打ったらいいだー、うーむ……優しくかぁ……もしかして今日で俺、あー駄目だこれ。まったく集中できん!)

 

 石を持ったまま、あたふたと視線をさ迷わせる。

 そして、残り時間十秒を切ったところで、

 

(もう破れかぶれの出たとこ勝負だ! ええい、ままよ!)

 

 完全にただの直感――大振りな動作でおざなりな一手を打ちに入る!  

 石の置かれるであろう軌道を先読みしたかぐやは、口元を手で隠し口端を吊り上げる。

 

(それは悪手ですよ。会長)

 

 その後の展開を読み切り、かぐやは勝利を確信する!

 だが、白銀が着手するその間際――突如生徒会室の扉が勢いよく開け放たれた!

 

 

「あぁーーーーー!! ずるーーーい!! なんで二人でオセロしてるんですかぁ!?」

 

 非難めいた口調でありながら、どこか間の抜けた愛らしい声。

 頭部に装着した、大きな黒リボンが特徴的な生徒会役員であるこの少女。

 

「藤原書記!?」

 

 その予期せぬ乱入者に気を取られ、白銀は呆然と硬直してしまう。

 時間としては僅か数秒にも満たない。けれどその僅か数秒が白銀にとっての命取りとなる!

 

 無慈悲に鳴り響くアラーム音。

 

「しまった!」

 

 己の失策に気付くがもう遅い。

 一分という制限時間内に着手し終わらなかった白銀の敗北! これにて勝負あり!!

 

 

 ルール上そう押し通すことも勿論可能なのだが、

 

「いえ、これは気になさらないでください。ここは一時中断ということにしましょう」

 

 流石のかぐやでも、この状態で勝利を主張するほど落ちぶれてはいない。

 

 苦虫を噛み潰したような面持ちで、無機質に鳴り続けるアラームを止め、その流れでメールボックスを確認すると、専属近衛(メイド)である早坂から簡潔な報告が届いていた。

 

 内容は以下の通り。

 

『申し訳ございません。対象(フジワラ)を取り逃がしました』

 

 

 そう――忘れてはならない! 

 

 藤原千花(ちか)。                         

 

 この女は、どこからともなく出現し無自覚に場を掻き乱す生物であり、四宮かぐやの策謀をとことん台無しにする存在であるということを!

 

 

 




 次回、藤原書記本格参戦!


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【第01話】☆かぐや様は白黒つけたい③

 生徒会書記、藤原千花。

 

 成績はいたって平均的であるものの、生徒会役員に抜擢されたことからも、優秀な人間であることは疑う余地がない……かは判断が難しいところであるが、その人当たりの良さから交渉事や根回し、情報収集などの方面で活躍しているものと思われる。

 

 天真爛漫を絵に描いたような明るい性格をしており、きな臭い雰囲気が漂う生徒会に於いて、清涼剤の役割を果たすムードメーカー。

 彼女が居るだけで、生徒会の空気が和らいだものになるのは確か。

 

 可愛らしい容姿に加え、屈託のない笑顔で、分け隔てなく優しさを振りまくその姿は、正に天使そのもの。

 一般生徒からの評判も良く、特に男子生徒からは熱烈な人気を博していた。

 

 また、『稀代の天才ピアニスト』として脚光を浴びた過去を持ち、ピアノ経験のある同世代の人間からは、憧憬の対象として崇められている。

 繊細なタッチで奏でられる、色彩豊かな心打つ音色、その卓越した技巧は未だに界隈で語り草になっているという。

 

 人を惹き付けてやまない魅力を持っており、のほほんとした雰囲気で、一緒にいると楽しい気持ちになってくる――そんなマスコット的存在として多くの人から親しまれている。

 

 が!

 

 その認識は大間違いである!

 

 彼女と深く接し、本質を知った人間は痛感することになる!

 

 あ、コイツ――やばいぞと。

 

 天真爛漫と言えば聞こえはいいが、本能の赴くままに好き勝手やっているだけなので、彼女の行動を予測・制御することは極めて困難。

 更に恐ろしいまでの天然気質であり、言動が突拍子もなく、何を仕出かすかわからないトラブルメーカー! 

 

 過去には『稀代の天才ピアニスト』として持て囃されていたようだが、現在の彼女を例えるなら、規則性もなく縦横無尽に暴れ狂う『稀代の天災テンペスト』!

 

 或いは『劇薬が詰め込まれた歩く火薬庫』!

 

 迂闊に手を出せば暴発し、とんでもない被害を被ること請け合いである。

 取り扱いが非常に難しく、気付かぬうちに近くに寄ってくる、厄介な特性のおまけつき。

 

 

 とまぁ散々な評価を述べ立ててきたが、基本的には思いやりのある良い子であり、困っている人がいれば親身になって助けてあげる善良な人間。

 まぁその所為で今後厄介なことに巻き込まれるのだが、それはまた別の話。

 

 

 

○●

●○

 

 

「あ、もしかして勝負の邪魔しちゃってましたか!? わぁーごめんなさいごめんなさい!」

 

 ゲームに割り込んでしまったことに気付き、深々と頭を下げての謝罪を繰り返す。

 

「気にするな。生徒会室でオセロに興じていた、俺たちが悪いわけだしな」

「そう言ってもらえると助かります…………でもやっぱり私も混ぜて欲しかったですよ。二人だけで楽しんでるなんてズルいです!」

 

 藤原が少し不貞腐れた表情で、愚痴を溢す。

 

「つってもなー、お前は部活動の方に顔を出していた訳だろ?」

「それはそうですけど、今日は仕事がないってかぐやさんが言ってたから――オセロするって教えてくれてたら、飛んできたのに!」

「そうですか、ごめんなさい。そこまで気が回りませんでした」

 

(折角厄介払いしたのに、何で戻ってくるのかしらこの子は?)

 

「ところで、お前はどうして生徒会室にやってきたんだ? 忘れ物か?」

「あー部活が終わって帰ろうとしたんですけど、生徒会室の明かりがついているのに気付いて、気になちゃって」

 

(光に寄って来るってあなたは蛾なの?)

 

「そういえば、ここに来る途中、奇妙な物音が聞こえてきたんですよ!」

「なに!? それはどういうことだ!?」

 

「それがですね、確かめる為に追っかけ回したら逃げられちゃって、確認できませんでした。袋小路に追い込んだはずなんですけどねー」

「逃げたって、結構ヤバい怪奇現象なんじゃ……? つーかお前が逃げるべき事象だろ、それ」

 

「新たな『学校の七不思議』の目撃者になれるかもと期待したんですけど。残念です。ただ、チラッと人影のようなものが見えた気がするんですよね。もしかして忍者ですかね!?」

「何を馬鹿なこと言っているんですか。そんなことあるわけないでしょう。大方、人影か何かを見間違えたんですよ」

「そうですかねー」

 

(あーそれ早坂ね。藤原さんを怖がらせて追っ払うつもりが、逆に追っかけ回されるなんて不憫な)

 

 かぐやとて、藤原という生命体の摩訶不思議さは、人一倍理解している。

 自身に仕える専属従者(ヴァレット)である早坂が、最善を尽くしてくれたことは百も承知。

 早坂が『対象F』の行動を監視し制御する役目を担っていたとはいえ、任務失敗は当然起こりえること。労いの言葉をかけることはあれ、失敗の責を問うことなどあり得ない。

 

 

「で、オセロはどっちが優勢なんですか? もうちょっとで終わりそうですけど」

「んーどうだろうな? まだ何とも言えん……取り敢えず決着をつけてしまうか。四宮、一時中断ということだったが、俺は持ち時間を使い切ってしまっている。どうすればいい? 最初から仕切りなおすか?」

 

「いえ、ここまで打ち進めていますし、今回の一手に限り、三十秒の持ち時間で打ち直し――ということでいかがでしょう?」

「四宮が異存ないというのなら、それでいかせてもらおう。悪いな」

「会長に非はありませんので、お気になさらず」

 

(ええほんとに。悪いのは藤原さんだけです。とんだお邪魔虫だわ)

 

 

 そんなこんなで、中断されていた三戦目の勝負が再開される。

 

「それじゃ残り三十秒からスタートです! ぽち!」

 

 かぐやの横に陣取った藤原が、タイマーの操作を請け負っており、自身のスマホを取り出し操作している。かぐやのガラケーはお払い箱となっていた。

 

(ふむ。ここは一見、好手に見えるが、後のことを考えると分が悪くなるか――)

 

「残り二十秒!」

「藤原、気が散るからやめてくれ。あと秒数が見えるように携帯はオセロ盤の横に」

「え? 秒読み係ってこういう仕事じゃ!?」

 

 秒読み係としての藤原がお払い箱となっていた。

 

(ここも似たようなもんか。あとはこっち――角を取られるデメリットはあるが、その先の展開次第で十分盛り返せる)

 

「よし! ここだ!」

 

 仕切り直しの一手は、しっかり制限時間内に打ち終わっている。

 

「さぁ勝負はここからだ!」

「ええ……そうですね」

 

 かぐやは人知れず歯を食いしばる。

 白銀は、数ある選択肢のなかで、唯一の好手を選んでみせたのだ。

 かぐやには解る。これは偶然などではなく、自らの判断で切り開いた一手だと。

 

 横やりがなければ、ほぼ間違いなく悪手に打っていた。

 

 だがそれに対し、不服を唱えることなどできはしない。

 両者合意のもとの仕切り直しであり、着手し終えた手を打ち直したいと、白銀が要求してきたのでもないのだから。

 

(まずいですね。場の空気がリセットされ、会長の思考が研ぎ澄まされています。藤原さんが観戦しているから、『奥の手』も使えない! 状況は最悪。ですが会長が言った通り、勝負はここから! 勝機はある!)

 

 かぐや決死の覚悟で白銀に挑む!

 小細工なしの頭脳(ちから)頭脳(ちから)のぶつかり合い!

 

 

 

 そして、その十分後! ようやく勝敗が決する!

 

「わぁ会長凄いです! かぐやさんに勝っちゃいました!」

「勝つには勝ったが、ほんとぎりぎりの勝利だな。はぁー疲れた」

 

 勝者! 白銀御行!!

 

「やはり会長には力及びませんでしたか」

「いや実力は拮抗していた。次勝負したらどうなることやら」

「そうですね、次は負けませんよ」

 

(もぅーー!! あと一歩だったのにー! 何でこうなるの! あ、そうか。何もかもあの鬱陶しい羽虫の所為ね……羽をもぎ取らなくちゃ)

 

 澄ました表情で対応するかぐやではあるが、内心では地団太を踏んで悔しがっていた。ついでに藤原を呪う!

 

「ふっふっふー。会長、かぐやさんを倒したぐらいで、いい気になっちゃ駄目ですよ?」

「何を言っているんだお前は?」

「わかりませんか? 私は“かぐやさんよりも強い”ってことですよ!」

「嘘つけ!」

「嘘じゃないですよーだ! 一緒にお泊り会した時に勝負して、全戦全勝だったんですから! ねぇかぐやさん?」

「えーそうですね」

 

(手を抜いて遊んであげたのに……いい気なものね。この子、頭に(うじ)でも湧いているのかしら? あぁ違うわ、この子自身が蛆なのね。納得だわ。あーちゃんと潰しておけばよかった)

 

「にわかには信じがたいが…………本当なのか。そう言えば、藤原が所属しているのはTG(テーブルゲーム)部だったな。なるほど、オセロもボードゲームの一種、専門分野ってことか」

 

「その通りです! とは言え、かぐやさん随分と眠そうでしたから、本調子じゃなかったのかもしれませんけどね」

「そうだな、その可能性は大いにあるな」

 

(何で私はわざと負けてあげた相手から、フォローされているの? この不快害虫。視界に入らないで欲しいわ。いえ、いっそのこと根絶やしにしましょう)

 

「あーまたお泊り会したいなー」

「まぁ機会があれば」

 

(そんな機会、一生訪れませんが)

 

「あ、かぐやさん! 髪、いじらせて下さいよぉ! ヘアアレンジして遊びましょー。かぐやさんの髪、すっごく奇麗で長いから色々楽しめるんですよねー」

「いえ、そういうのはもういいです」

「なんで嫌がるんですかー。普段はメイドさんが結ってるから、お泊り会とかそういう時じゃないと触れないのにぃ!」

「お構いなく」

 

(あなたの玩具(おもちゃ)にされるなんて真っ平よ)

 

「もぅーかぐやさん、つれないですねー。お団子頭にパイナップルヘアー、あと編み込みとか他にも色々試したいことあるんですよ!」

「そうなると長いじゃないですか。結構です」

 

(はぁー煩わしい。この子に構っている暇はないわ。今、私が考えなければいけないのは、会長の『お願い』をどう誘導するかということです。勝つ前提でいましたからね…………結構煽ってしまいました……会長も男、無茶な要求をしてくることもあり得ます…………って私は何をされるんです? え、ちょっと待って。そんな覚悟できてないわよ!?)

 

 かぐやプチパニック!

 

 絶対の覇者であるべき『四宮』の宿命を背負ってきた彼女は、基本的に勝つと決めた争いごとには勝利し続けてきた。故に、負けた時のことなど考える必要はない! 考える必要性がなかったのだ!

 つまり! 負けた時の耐性が皆無なのである!

 

「さて、四宮――勝者の特権を行使させてもらうが構わないか?」

「……ええ、それはもちろん」

 

(怖い! どうしましょう! 藤原さんのいる前でいったい何をさせようというんですっ!?)

 

「え!? 何です何です!? 勝者の特権って?」

 

 当然のこと、藤原がこんな面白ワードに興味を示さないはずがない!

 

「ああ、なに、俺と四宮で賭けをしていてな、オセロで勝った方が、相手に一つお願いできるって話だ」

「わぁ! いいなぁ会長! いったいかぐやさんに何をお願いするんです? 普段絶対してもらえそうもないこと頼んじゃいましょーよ!」

 

(この寄生虫……会長に取り入って余計な戯言ばかり――なんでいつもいつも私の邪魔をしてくるの? 邪魔なモノは徹底的に排除しなくちゃ。ええ、この世から)

 

 藤原への呪詛が、殺意の域に達しかけていた!

 色々余裕がなくなり、精神状態が不安定になっているかぐやとは対照的に――白銀は落ち着き払った態度で、軽く顎を引き、考えを巡らせいた。

 

「ふむ。どうしたものかな」

 

 勝者の貫禄を漂わせ、眼光鋭く敗者を見据える姿は、威風堂々たるもの――圧倒的威圧感を醸し出す!

 

 

 がしかし! それはまやかしである!!

 

(あー……勝ったら四宮に際どい格好をさせてやろうかなんて考えていたが……そんなのどんな顔して頼めばいいんだよ!? 紳士的な顔で言ったって変態じゃねーか! 今後の生徒会活動に支障がでるわ! 下手すりゃスキャンダルで退学沙汰だぞ!)

 

 それはあくまでも、傍から見た印象でしかなく、内心とリンクしている訳ではないのだ!

 基本的に白銀は『小心者(チキン)』で『意気地なし(ヘタレ)』なのである!

 

 この男に、面と向かって如何(いかが)わしいお願いができる程の豪胆さが備わっていれば、とっくにこの二人は付き合って物語は終わっている。

 

(だからといって、他に何をお願いすればいい? どんな頼み事をしたとしても、どうしたって何か意味ありげになってしまうからな)

 

 

 『相手へのお願い』とは『相手へのアプローチ』に変換される可能性がある――かぐやと似たり寄ったりな思考回路を持つこの男も、同じ発想に行き着き、同じ結論に至っていた。

 

 白銀としても、そんな危険を冒す訳にはいかない!

 

 攻めの一手を封じられ、これでは打つ手がない! 

 だが、白銀は“つい今しがた天啓を受け”この状況を打破する発想を得ていた。

 

 計画性とは無縁の、直感からの閃き!

 

 その着想の源泉は――

 

(藤原! ナイスな働きだ。お前のお陰でどうにか乗り切れそうだ。あとは上手く誘導するだけ)

 

「うーむ、しかし、パッとは思い浮かばないもんだな…………そういえば藤原。お前さっき、四宮にして欲しいことがあるとか言っていたな?」

「あ、そうですそうです! 私かぐやさんと一緒に変な写真撮りたいんですよ! なんかトリックアート的なので、面白そうじゃないですか?」

 

「違う! そうじゃない! 自分の発言を思い出せ!」

「んー? ああ、かぐやさんのヘアアレンジをしたいって話です?」

「そう、それだ」

 

(くそっ、少し不自然な流れになったが……まぁいいだろう)

 

「俺としては、二人には仲良くしてもらいたい。四宮的には不本意だろうが、俺からのお願いは『藤原の望みを叶えてやってくれ』というものだ」

 

「つまり、藤原さんから人形扱いされるのを、甘んじて受け入れろと?」

「……一種の罰ゲームだ。一方的が嫌だというなら、四宮も藤原の髪で思う存分遊んでやれ。まぁほんとに嫌だというなら強要はしないし、他の案を考える」

 

「…………はぁ、仕方ないですね。私に拒否権はありませんから」

「え!? いいんですか!? やったぁー」

 

「ということで、決定だ。あぁ一応罰ゲームという名目だからな、直接でも写真でも構わないが、様変わりした姿を拝ませて貰うぞ」

「はい! これは腕の見せ所ですね! アレンジのしがいがあるってもんです! ありがとうございます! 会長、かぐやさん!」

 

 思わぬ形で願いが叶い、大はしゃぎする藤原を隠れ蓑に、白銀もまた独り喜びを噛み締めていた。

 

(くくく! うまくいったぞ!)

 

 話の表層だけをなぞれば、藤原のわがままを叶えてあげた、寛大な心を持った白銀の心意気を称賛する場面。しかし実際には、自身の私利私欲を満たそうとしているに過ぎない!

 

 至極端的に言ってしまえば、この男、髪型を変えたかぐやの姿に興味津々なのである!

 

(もし俺が四宮のイメチェン姿が見たいなどと、素直に伝えようものなら…………)

 

 

『あらあら、まぁまぁ、会長、そんなに私のツインテール姿が見たいのですか? 随分と風変わりな趣味をお持ちなことで……』

 

 例によって白銀の脳裏にフラッシュバックする、憐みと嘲りが混在した冷めた視線。

 そして、薄っすらと微笑を忍ばせ、こう告げるのだ!

 

『お可愛いこと……』

 

 

(……こうなることが目に見えているからな)

 

 だからこそ白銀は“藤原の望みを叶える”という名目で、『勝者の特権』を活用したのだ。

 自分はどうでもいいけど、仕方ないから藤原の願いを叶えてやろう――そんな建前で自己弁護を図る姑息な手段! 男らしさの欠片もない!

 

 本来であれば、こんな見え見えの建前に欺かれる女ではない。

 だが、何をされるのか分からないという恐怖に怯えていたかぐやは、この発言を鵜呑みにしてしまう。

 

(はぁーよかった。一時はどうなることかと思いましたが助かりました。まぁ藤原さんからいいようにされるのは癪ですけれど、別にヘアセットを任せるぐらい、どうということはありませんからね。寧ろこれは、会長を仕留める好機(チャンス)なのでは……?)

 

 プチパニック状態から脱却したことで、ようやくかぐやの頭脳が冴え渡り始める!

 

(そうです。この私の美貌を活かさない手はない! あまり着飾るのは趣味じゃありませんが、髪型を変えることでまた違った印象を与えて会長を篭絡! 男子からやけに人気のある藤原さんなら、自然とそういった髪のセットも身についていることでしょうし……いける! 藤原さんのお陰で上手くいきそうな気がするわ)

 

 

「さて、もうそろそろ俺はバイトに向かわなければならん。今日はこの辺でお開きにさせてもらうぞ。四宮への罰ゲームの件はまた後日、都合がいい日にということで構わないか?」

「はぁ、気は進みませんが、敗者はただ従うのみです」

「はぁーい! じゃあ後片付けは私に任せてください! 本日のお礼ということで!」

「そうか? 悪いが先に帰らせてもらう。じゃあお疲れ」

「はい、お疲れ様です」

「さよならー!」

 

 バイトへ向かう為、白銀が退出し、残った女子二人で後片付けに取り掛かる。

 

「かぐやさんもゆっくりしてていいですよ。なんか無理やりお願い訊いてもらっちゃった感じですし、そのお詫びということで」

「お詫びなんて必要ありません。その思いやりの心だけで十分です。偉いわね」

「えへへーかぐやさんに褒められちゃいましたぁ」

 

 嬉しそうに相好を崩す藤原に向け、かぐやは続ける。

 

「ええ、あなたは人の役に立つ尊い存在よ。誇っていいわ」

「おぉそこまでですかぁ?」

「そう言うなれば益虫ね」

「えき……ちゅう?」

「知らない? 人間の生活に利益をもたらす昆虫の呼称よ」

「ふぇ!? なんかそれ、あんまり嬉しくないんですけど!」

 

 

 オセロ勝負で敗北し、罰ゲームを受けることになったかぐやではあるが、そのイベント自体を利用し、白銀を陥れる下準備が整ったと、上機嫌であった。

 

 だが、それは浅はか極まりない失策! 

 かぐやは重要な点を見落としていることに気付いていない!

 

 

 理由は至って単純(シンプル)である……かぐやの髪型を、好き勝手アレンジする権利が、藤原千花に握られているのだから……。

 

 

 

 

【本日の勝敗:藤原の勝利】

 なんやかんやで労せず一番の利益を得たため

 

 

 

 




※『本日の勝敗』は、作者の主観でしかないので、読んだ方個人個人で色々な意見があると思います。
 違った見解があれば教えて頂けると嬉しいです。


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【第02話】☆白銀御行は演じたい①

「悪いな藤原書記。急に呼び出して」

「それは全然構わないんですけど――えーと、何か持っていく物でもあるんですか?」

「いや別に荷物の運搬を頼もうというわけじゃないんだ」

「ん? じゃあ何でこんな場所に?」

 

 藤原書記の言う『こんな場所』とは、一般生徒はまず立ち寄らない『資材室』のことで、普段は使用されることがない備品が詰め込まれていた。

 湿ったカビの臭いが鼻につき、カーテンの隙間から差し込む陽光に照らされ、埃が舞っているのが見て取れる。

 

 人気がない薄暗い部屋で、二人きりという状況。

 それはまるで告白するために呼び出したかのような――そんな邪推を抱きかねないシチュエーションではあるが、この二人の間にそういった類の空気が流れることはなかった。

 この両名、お互い相手のことを、まるで異性として認識していないのである。

 

 実際問題、白銀は愛の告白をしようというわけでもないので、特に緊張した様子もなく本題を切り出した。

 

「実はな、演劇部の部長から劇に出てくれないかと頼まれてな――本来なら断るところなんだが、あの人、押しが強いだろ」

「あーあの部長さんですか。そうですね、私も何度か助っ人で出演してますから、よくわかります。なんか断り辛いんですよねぇ」

 

「そうだろ? それでだ。演技経験もないド素人である俺に、その役が務まるのか自信がなくてな……つっても、まだ返答は保留中なんだけどな」

「なるほど」

 

「一応、自主練習はしてみたんだが、どうも上手く演じれているのかわからなくて、客観的な意見が欲しいと思ったわけだ」

 

「おぉ! じゃあ会長の演技を見せてもらえるってことですか?」

「察しが良いな。でも、あまり期待するなよ?」

 

「いやいやー期待しちゃいますよ。どんな演技を見せてくれるのか楽しみです!」

「まぁ百聞は一見に如かずだ――じゃあ始めるぞ」

 

 目を閉じ大きく息を吐きだし、姿勢を整える。

 

 それを少し離れた場所から見届ける藤原は、役に入り込む白銀の姿に思わず息を呑む――それほどまでに異彩な空気を身に纏っているのだ。

 一癖も二癖もある曲者たちが集う私立秀知院学園――そのトップに君臨する生徒会長白銀御行。

 その肩書は伊達ではない。普段から大勢の生徒の前で、威厳を振りまいてきたのだ。

 

 一切萎縮することもなく、悠然とした所作で演技を開始する。

 

 時間としては一分にも満たない、切り詰められた内容。

 物語としての全体像は見えてこず、評価は難しい。

 だが、それでも――

 

「凄いです会長! ここまで役に入り込めるなんて、なかなかできることじゃありませんよ!」

 

 どこか現実離れした白銀の怪演振りに、惜しみない拍手を送り続ける藤原であった。

 

「そうか? 実は妹からは駄目だしされ過ぎて、自信がなくなっていたんだが、思いのほか好評のようなだな」

「圭ちゃんは会長に対して評価が厳しいですからね……面と向かって褒めるのが照れくさいんですよ」

 

 安堵の表情を浮かべる会長に、藤原は優しく語りかける。

 

「そういうものか」

「はい。それにしても、今度の劇はSF要素を盛り込んだ内容になるんですね! 会長は特殊メイクでもするんですか? それとも着ぐるみだったり?」

 

「SF要素? そんな話は訊いていないぞ? つーか着ぐるみってまた訳の分からんことを。まぁ特殊メイクはあるかもな。喧嘩のシーンもあるし血のりとかは使いそうだな」

 

「へーじゃあ素顔のまま演じるんですね」

「化粧ぐらいはするかもしれんがな」

「まー昨今では寄生型が主流なのかもですね。盲点でした。確かにそれなら説得力があります。よく考えられてますねぇ」

「……寄生型って、お前はさっきから何を言っているんだ?」

 

 どこかボタンを掛け違えたような噛み合わない会話に、お互い顔を見合わせる。

 

「……ちょっと待ってください。そういえば会長が何の劇に出るのかも、何の役を依頼されたのかも訊いてませんでした」

「そういえばそうだな。一応これは内密にな」

「はい、それは勿論」

 

「作品名は、あの有名な戯曲『ロミオとジュリエット』だ」

「ロミオとジュリエット……………………ほんとにSF要素は入ってないんです?」

「変なとこにこだわるな。さっきも言ったがそんな話は訊いていないって。まぁ現代風にアレンジは加えられるということだけどな」

 

「それで会長は何役なんですか?」

「うむ、それがな。大役で恐れ多いが、主役のロミオ役という話だな」

「えぇ!? 会長がロミオ役!?」

「まぁ驚くのはわかる」

「驚いてはいるんですけど、ちょっと状況が上手く呑み込めていないというか、混乱しているというか…………え? あの、さっきと同じ演技をもう一度してもらってもいいですか? さわりの部分だけで構いませんから」

 

 釈然としない表情で疑問符を浮かべ続ける彼女の要望に応え、再び同様の演技を繰り返す。

 藤原自身が褒め称えた、渾身の演技を――

 

 

「ボクハセンゲンシマス、ミワタスカギリ、キギノコズエヲハクギンイロニソメアゲル、アノウツクシイツキノヒカリニカケテ!」

 

 

 それは棒読みとは一線を画す、まるで機械音声のような抑揚のない声音。

 そう、言うなれば、扇風機の前で声を震わせながら行われる『ワレワレハ、ウチュウジンダ』的な何か!

 

 空気が静止したかのように、静寂が場を支配。

 キャパシティオーバーした情報を整理、理解するのに数秒の時間を要した。

 

「……それがロミオの演技だと、そう言い張るわけですか…………なるほどなるほど」

 

 そして時間差で衝撃が駆け抜けた!!

 

 

「断って!!」

 

 

 藤原――堪らず絶叫!

 

「ど……どうしたんだ急に!?」

「一秒でも早く断りに行ってください! ダッシュです!」

 

「いや……お前、あんなに絶賛してくれたじゃないか!? 何でうちの妹みたいなこと言い出すんだよ」

「とんだ騙し討ちです! てっきり宇宙人を演じているのかと思ってましたよ!」

 

「はぁ!? どこに宇宙人要素があったというんだ! 俺は真面目にやっているんだぞ!」

「真面目にやってアレになることが恐怖です! 全ての表現者達への冒涜です! 謝って下さい!」

 

「……そこまで言うか。そりゃ初心者だから(つたな)いところはあるだろうけどさ、それは追々上達していってだな」

「そんな次元の話じゃないんですって! なんでちょっと出来てる前提で話しているんですか! ちゃんと自身の演技力を認識して下さい! その上でしっかりと悔い改めて猛省するべきです!」

「…………んー」

 

 不服そうな白銀の態度に、藤原は呆れたように頭を振った。

 

「はぁ……口で言っても埒が明きませんから、ちょっと動画で撮影してみましょう――さっきのもうワンテイクお願いします。自分自身の目で確かめてみればいいんですよ」

 

 

 そんな流れで、スマホで撮影された録画映像を確認した白銀は、絶句する。

 

「……………………え? お前、何か音声加工した?」

「そんな時間あると思います? 無加工無編集、これが会長の真実(リアル)です。受け入れてください」

 

 人は自身の声を直接聞くことは出来ない。実際自分の認識している声と、周囲の人が聞いている声は全くの別物なのである。カラオケなどで、自身の声を初めて聞いた時に感じる、違和感の正体がコレだ。

 

 故に、自分の演技を客観的な視点で認識することもできない。

 だが、白銀自身の感覚では、思い描く理想のイメージを再現できている――はずだった。そう“思い込んでいた”、しかし録画機能により、非情な現実――確たる証拠を突き付けられ、白銀は失意のどん底に堕ちていく。

 

 

「あぁ……はあぁ……もう嫌だぁ……」

 

 精神的にやられ、ネガティブモードに陥った白銀は、埃まみれの床に座り込み――うじうじと嘆きの言葉を撒き散らす。

 

「落ち込む気持ちは分かりますが、別にいいじゃないですか。今回はただ断ればいいだけなんですから」

「………………」

「演劇部の部長さんは変な人ですけど、ちゃんと話は通じる方ですし――強制されている訳でもないんです。というか、相手側に迷惑がかかっちゃいますよ?」

「…………迷惑か……そうだな」

 

(……俺も断るのが最善だとは頭では分かっている。だが、そういう訳にはいかんのだ!)

 

 そう。白銀にはロミオ役を断れない――否! 何としてもロミオ役を演じなければならない理由があった!!

 

(ジュリエット役には、四宮が抜擢される! 演劇部部長から聞いた確かな情報だ。まだ打診している段階だそうだが、四宮は前々から演劇部の助っ人に駆り出されているからな、まず間違いなく引き受ける。そうなった時、他の有象無象なんぞにロミオ役をやらせる訳にはいかない!)

 

 それが白銀御行の本心であり、藤原には絶対に語れない裏事情であった。

 

(生徒会の業務だって滞る。できればこんな柄じゃないことしたくない! というか、あんな悲惨な演技力しかないんじゃ猶更だ! 人前で醜態を晒すのなんて御免だし、断ってしまいたい!) 

 

「もし断り辛いんだったら、私から言ってあげてましょうか?」

 

(だが、これは意地だ! 俺の我が儘を押し通させてもらうぞ!)

 

「それには及ばん。断る時は自分の意志で断る。返事をするまでまだ期間はあるからな、何事も挑戦だ。断ることは簡単だが、最初からできないと諦めるのも違うだろう?」

 

 これは相手を言い包めるために用いられた、正論のようなものだ。

 

「んーそれは素晴らしい心がけだとは思いますけど…………あの奇妙奇天烈な演技力でどうするつもりなんですか?」

 

 対する藤原は、正真正銘の正論で難色を示す。

 

(くそ、なんて尤もな意見なんだ! 確かにこんな残念極まりない演技力のままではどうにもならん。それに、もしこんなお粗末な演技を四宮に見られようものなら――)

 

 

『あの……会長、ふざけるのも程々にして、真面目に演じてくださいますか――――え? 真面目にやってコレなんですか? はぁ……そうなんですか』

 

 白銀の脳裏に忽然と現れる、演劇衣装を身に纏ったかぐやの姿。

 いつもの嘲笑とはまた別物の、少し引きつった笑みを浮かべ、気遣うようにこう言うのだ。

 

 

『……お(いたわ)しいこと』

 

 

(同情されてしまう! うわ、いつもよりダメージ大きいな!)

 

 

「確かに俺の演技力は壊滅的かもしれん! だが、まだ猶予はある! 死ぬ気で特訓すればどうにかなるはずだ!」

 

「特訓……ですか」

「なぜ後退(あとずさ)る?」

「わ、私は、ぜぇーったいに、手伝いませんからね!!」

 

「……いや、何も言ってないんだけど――そんな警戒するな。そりゃ、お前は教えるのが上手い。藤原のような優秀な指導者がいてくれた方が心強いのは間違いないけどな」

「ッ!?」

 

「でもこれは自分で解決すべき問題だ。俺の我が儘にこれ以上付き合わせるつもりはないさ。悪いな時間を取らせて。俺はこのままここで練習していくから。藤原はもう帰ってもらって構わないぞ。ほんとに助かった、ありがとう」

 

「……うううう」

 

 ここは白銀の言葉に従い、素直に帰ってしまうのが得策――そんなことは誰よりも理解しているのだ!

 だが、この白銀のしおらしい態度は、正に『押してダメなら引いてみろ』!

 これは恋の駆け引きとして有名な作戦(テクニック)ではあるが、場合によっては相手に頼み事をするときにも有用な手段となる。

 

 無理を押し通そうとするような、無作法な相手に対してなら、手厳しく突っぱねることは容易い。

 しかし、相手の事情を(おもんぱか)り、迷惑をかけまいとする篤実(とくじつ)な相手だったならば、手助けしてあげたくなり、庇護欲を掻き立てられるものなのだ。それが人間の(さが)と言えよう。

 

 白銀は決して狙ったわけではないのだが――図らずもそんな感じになっていた。

 更に加えて無自覚の褒め殺しの合わせ技で、藤原の心の障壁は次々破壊されていた。

 

 だが彼女の脳裏に焼き付いて離れない、あの地獄のような日々。

 

 バレー特訓で見せた絶望的運動センスのなさ。それを改善する為に、身を粉にして全身傷だらけとなった。

 音痴克服に挑んだ時は、不愉快極まりない歌声を、永続的に浴びせ続けられ難行苦行を強いられた。

 

 今回も同等の地獄が待ち構えていることは確実。

 

「…………会長一人じゃどんなに頑張っても……期日までに上達することは、無理じゃないですか?」

「だろうな。それでも精々足掻いてみるさ」

 

「…………オファーを受けた相手から断られるなんて、みっともないです。それでもいいんですか?」

「良くはない。でも、やれることをやった上でのことなら納得はできる」

 

「だったら…………ちゃんとやれることだけはやってみましょうか」

「ん? それは……どういうことだ?」

 

 だとしても、藤原千花という人間は、困っている人を見捨てることができない、心優しい少女なのである。 

 地獄の底まで引きずり込まれると知った上で、つい手を差し伸ばしてしまう――『献身』と『慈愛』の化身。

 

 

「……だから、“今回だけ”手伝ってあげます」

「お前はそれでいいのか?」

 

「良くはないです。でも会長は一人だと無茶しちゃいそうですし、優秀な指導者がいた方が心強いんでしょ?」

 

 或いは、母親としての義務感なのかもしれない。

 こうして、二人の特訓の日々が始まったのだった。

 

 




『(ジュリエット様)。僕は誓言します。見渡す限り、樹々の梢を白銀色に染めている、あの美しい月の光にかけて』

 作中の宇宙人言葉の翻訳です。
 このフレーズに心動かされました。
 ただし、それを台無しにしていくスタイル!



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【第02話】☆白銀御行は演じたい②

「はぁ……どうしましょう…………」

 

 猛特訓の甲斐もあり、白銀の演技力は、どうにかこうにか改善はされていた。

 だが、それはあくまでも『改善』であって、決して人様の前でお披露目できるような代物ではなく、藤原は現状の停滞具合に焦燥を募らせていた。

 

「会長って、感情を込めないただの朗読だったら、めちゃくちゃ上手なんですけどね。普段から人前で演説なんかもしているからですかね、発声方法や活舌に関しては非の打ち所がありません」

「まぁこれでもスピーチなんかは得意な方だからな」

 

「その長所をここまで台無しにできる、致命的な演技力が問題で困ってるんですけどね……正直、意図的にへっぽこな演技をしているんじゃないかと疑っているぐらいです。ヘリウムガスを吸ったりだとか、ボイスチェンジャーを仕込んだりなんてしてませんよね?」

「うっ……言いたい放題言ってくれるな――って、言い返す権利もないんだけど…………俺って何をやってもダメダメだし」

 

 その厳つい外見に反して、繊細な心を持っている白銀は意気消沈した面持ちで、しゅんと項垂れる。

 この男の精神(メンタル)は豆腐でできているのだ。

 

「そんな露骨に落ち込まないで下さい。あまり認めたくはありませんが…………意外なことに、会長の演技力は決して低い訳ではありません」

「え? ……そう……なのか?」

 

 予期せぬ発言に、白銀は驚いた表情で顔を上げる。

 

「でも、演技力が問題なのに、演技力が低くないって、なんかそれ矛盾してないか?」

 

「まぁそうなんですが、なんて言えばいいんですかねぇ……会長は自分で思い描く理想の演技と、実際の演技がかけ離れているというか――門外漢なので、確かなことかは分かりませんけど、演技が駄目な人って、感情を表現しようとすると、緊張して固くなってしまうってのが最たる原因だと思うんですよ。その点、会長は特に緊張した様子もないですし、台詞もそれほど棒読みって感じでもない。そうですねぇ……言ってしまえば、周波数があっていない壊れたラジオみたいな感じなんですよ!」

「壊れたラジオって、また妙な例えを」

 

「基礎的な練習を繰り返すだけじゃ、もうどうにも……この根本的なズレをどうにかしないことには」

 

「どうにかって……」

「叩けば直ったりしませんかね?」

 

「直るか! ったく、物騒な奴め」

「じゃあ、どうすればいいんですかー」

「叩くってのは最終手段だ。まずは故障箇所を見つけて修理し、その上で周波数を調整……ってそんなことが出来れば苦労してないわな……はぁ」

 

 自分で言っていて悲しくなる中身のない会話に、白銀は肩を落とし嘆息するしかない。

 

「ん? ………………ズレ………………調整………………あ! そうです! 会長をポンコツな楽器だと思えばいいんじゃ!?」

 

 暗闇の最中、一筋の光明を見つけたかの如く――これは名案とばかりに、藤原が手を打ち付けながら歓声を上げる!

 

「お前は人のことを何だと思っているんだ!?」

「そうですね、『壊れたラジオ』改め、今から私は会長のことを『調律が狂いに狂って部品も欠落した金メッキのピアノ』だと思うことにします!」

「そう言う意味で言ったんじゃねーよ!! 馬鹿にしてんのか!?」

 

「いえいえ馬鹿になんてしていません。私は本気で言ってますよ」

「いや、本気で言われたんだとしたら、未だかつてない最上級の侮辱を受けたことになるんだが…………まぁいいだろう。その感じ、何か妙案でも浮かんだのか?」

 

「はい、ここは発想の転換です!」

 

 白銀の問いかけに自信ありげなしたり顔で、藤原はそう言うのであった。

 

 

 

「で――具体的には?」

「んーただの思い付きなので、上手くいくかは分かりませんけど……それでも構いませんか?」

「ああ、やれることはなんだってやる。お前の直感を信じよう」

 

 白銀の迷いのない真っ直ぐな言葉に、満足そうに頷く藤原。

 

「では会長。試しに、“宇宙人になりきって”ロミオの演技をしてみてください」

 

「………………は? 意味が解らないんだが?」

(コイツの突拍子もない発言は、今に始まったことじゃないが、これはどういうことだ?)

 

「深く考えなくていいんです。自分のことを宇宙人だと思って、ロミオの台詞を言ってみるだけでいいんです! ほらほら時間もないんですから、ちゃちゃっと始めちゃってください」

 

 色々苦言を呈したい白銀ではあったが、出かかった言葉を飲み込み、釈然としない面持ちのまま演技を開始する。

 

 

 そして――

 

「どうだった?」

「んー違うなぁ――でもまぁ私の読み通りではありましたね」

 

 わけ知り顔でそう答える藤原に、白銀は苦笑いを浮かべて返す。

 

「良かったのか悪かったのかよくわからん評価だな」

「じゃあ今度は『ロミオが宇宙人に寄生されている』というていで演じてみてください」

「どういう状況ッ!? お前は俺に何をさせようとしているんだッ!?」

「後でちゃんと答えてあげますから、はい演技スタート!」

 

 有無を言わせぬ剣幕に押され、言われるがまま指示に従う白銀。

 それをじっくり観察し、メモ帳に走り書きを加えていく藤原。

 

「なるほど、こうなりますか。流石一筋縄ではいきませんね。ではアプローチを変えてみましょうか。次は10歳ぐらいの子供に成りきってロミオの演技をしてみてください」

「子供!? 待て待て! それはどういう――」

「質問は後! あ、『ロミオが宇宙人に寄生されている状態』は維持(キープ)して下さいね。はい!」

 

 そして、更に藤原の注文は続いていく。

 

「もう少し大人っぽく」

「今度は年老いた感じで」

「今より低い声になるよう意識して」

「少し悲しんでいるイメージで」

「キザな感じを全面に押し出して」

「心持ち台詞を巻き気味で」

「そこは一拍間を置いて」

「昨日、嫌なことがあったなーと思い浮かべながら」

 

 年齢、状況、声の出し方などなど――注文内容は事細かに指定されていく。

 命じられるがまま、延々と。

 

 

「よーーーやく形になってきましたね」

「なぁ俺はいったい何をやらされているんだ? いい加減、理解できるように教えてくれ」

 

 事前説明もなしに、言われるまま同様の演技を繰り返すよう強要された白銀にしてみれば、それは当然の疑問。

 

 それに対して藤原は、したり顔でこう返すのであった。

 

「さっき言った通りですよ。私、気付いたんです! 会長の演技は決して悪いものじゃない。言うなれば、“ただ盛大に音階がズレているだけ”。であればあとは簡単です。ズレているなら、上手い具合に調整すればいい。調律が狂っているというのなら、会長を楽器みたいに『調律(チューニング)』すればいいだけの話なんですよ!!」

 

 

 

 ◆◇◆◇

 

『チューニング』!

 

 

 テレビやラジオなどに於いて、特定の放送局を選択するために、電波の周波数を合わせる操作であったり、楽器の音程を正確に合わせる作業のことを指し――『同調』『調整』『調律』といった意味合いを持った語句。

 

 また広義的には、性能を最大限引き出すように、手を加え個人の好みに沿った改造を施すことを言う。

 ざっくり簡単に言ってしまえば、良い感じになるよう何かを調整するということだと解釈してもらって構わない。

 

 

 そんなこんなで鬼コーチと化した藤原の指導は続く。

 

 ただ、口で言うほど容易なものではない!

 これは天才ピアニストして名を馳せた経歴を持つ藤原の、類稀なる音楽センスの成せる技と言えよう。

 感情表現や声音のズレを絶対音感を用い軌道修正――彼女ならではのどこか特異で、独特な感性が遺憾なく発揮されたかたちだ。

 

 その姿はさながら、匠の技術を有する一流の調律師のようであった!!

 

 

 

 ◆◇◆◇

 

 ――それから数日が経過。

 

 

「どうだった?」

「……良かったです…………あの奇天烈宇宙人から、ここまで真っ当なロミオになれるなんて……」

 

 藤原の奮闘は言わずもがな、例えポンコツであっても並外れた学習能力の高さで、飛躍的変貌を遂げた白銀。この男の子は、手はかかるがやれば出来る子。

 初期値が限りなく低い――寧ろマイナスなだけで、伸びしろは無限大。保護者の育て方次第で、如何様にも成長する可能性を秘めている。

 

「はぁー疲れたー。まぁこれで胸を張って、ロミオ役を引き受けられますね、ぱちぱちぱちぱち」

 

 資材室に置いてあった机に突っ伏し、疲労困憊ながらも拍手で賛辞を送る藤原。

 苛烈極まる特訓の影響で、ダウン寸前ながらも、ようやく肩の荷が下りたと緩み切った安堵の笑みを浮かべていた。

 

「そうか? どうも自分ではあまり上手くできている感じがしないんだがな」

「いえいえ、これは大したものです。もう少し微調整を加えれば、もの凄い役者が誕生しちゃうかもしれませんよ!」

 

 精神を擦り減らし、艱難辛苦の苦行を乗り越えて、手間ひまかけて育成したひよっこが、舞台で脚光を浴びる。そんな未来図を思い描き、喜びを露にする藤原であったのだが――

 

 

「ほぅ。お前がそう言うなら安心だ。なら、見せかけだけでもちゃんと出来てはいるんだな」

 

「…………見せかけ……だけ?」

 

 ――ふと出た何気ない言葉に、みるみる表情が曇っていく。

 

「ど、どうした藤原?」

「いえ…………そうですよね、そう……なっちゃいますよね…………」

 

 普段は見ることがない、酷く思い詰めた面持ち。

 それは何か、途轍もない過ちを犯してしまったかのような。

 

「会長、ごめんなさい!!」

「待て待て。なんで俺は謝られているんだ? 少し落ち着け」

 

 唐突な謝罪に面喰いながらも、藤原を気遣うように優しく声をかける。

 

「あの……私……間違ってました。演技は心なんです! その大事な心を蔑ろにした見せかけだけの演技じゃ、何の意味もないのに!」

 

「いや、そうは言うが、これだけ様になったのはお前のお陰なんだ。十分、意味があることだと俺は思うぞ」

「……だけど……やっぱりよくないです。会長は……納得できるんですか? なんの想いも込もってない、形だけの芝居で誤魔化して」

 

 

「誤魔化すつってもなー、俺的にはそれなりの演技ができるだけでも万々歳なんだけど。ほら……元があんなだし、高望みはできないかなって」

 

「た……確かに…………それを言われるとアレですけど…………でも駄目なんです! それなりの見れる演技になってるだけで、感情を打ち震わせる本物の『表現』とは言えない! 観てくれる方達にも失礼です!! ちゃんと魂のこもった想いをぶつけなきゃ人の心に届かない! それが一番大切なことなんです!」

 

 白銀の自虐発言に僅かに気勢を()がれるも――それでも彼女の熱い想いは堰を切ったように溢れ出す。

 それが『表現者』として生きてきた、藤原千花の譲れない矜持なのである。

 

 

(“魂のこもった想いをぶつけなきゃ人の心に届かない”――か)

 

「ふっ、情けない。どうやら肝心なことを見落としていたようだ。正直、演技のなんたるかを理解するには至っていない! だが――藤原。お前の想いはしっかりと伝わった!」

 

 己の身勝手な我が儘に、献身的に付き合ってくれている少女の訴えが、白銀の心を揺り動かした。

 

「ああ、そうだ。ロミオの心情――それを理解せずして、表現などできるはずがなかったんだ! だったら後はもう、俺自身の問題ということだ」

 

 

 

 ◆◇◆◇

 

(ただ当たり障りなくロミオ役を演じられればいい、四宮と共演できるだけでいい――なんて考えに陥ったが、違う、そうじゃないだろ!! そんな形だけの演技を披露したところで何になる! 本来の目的を見失うな!)

 

 藤原との特訓に区切りをつけた白銀は、即座に行動を開始。

 

(正直、観客云々はどっちでもいいが、四宮には――四宮だけには中途半端なものを見せるわけにはいかないからな。やるからには徹底的にやってやる! 生半可な演技じゃない。俺の全身全霊の演技を見せつけてやる! そしてあわよくば俺の演技で胸キュンさせて、その流れで、告られ!! 完ッ璧だ!」

 

 秀知院学園の図書室だけでなく、最寄りの図書館からも、『ロミオとジュリエット』に関する書籍を手あたり次第に集め――出来うる限りの時間を用い『ロミオ』の人となり、境遇、過酷な運命を調べ上げる。

 

(知れば知るほど、身につまされる境遇だな。お家の事情で隔てられる愛し合う二人。許されない恋……か。モンタギュー家とキャピュレット家みたいなお家同士の対立ではないが、俺と四宮の家柄の違いは、きっと問題視される筈だ。そんじょそこらの金持ちじゃない。あの『四宮家』のご令嬢だ。どんな困難が待ち受けているか分かったもんじゃない)

 

 ロミオの心情をトレース。

 

(であればこそ、四宮と一緒にいることを望むなら、乗り越えなければならない試練だ! お家の事情になんて負けてたまるか! 形だけを真似るんじゃない! 自分自身と重ねるんだ!)

 

 深く深く理解していく。

 

 

 

 ◆◇◆◇

 

 

 

 更に数日が過ぎ――場所は同じく外れの資材室。

 

 観客は藤原ただ一人。不安げな眼差しで、伺うような視線を向けてくる。

 子供の発表会を見届ける母親のような有様で、そわそわとどうにも落ち着きがない。

 心配で堪らないといった胸の内がありありと見て取れる。

 

 それを察した白銀は、落ち着いた声音で、自信ありげに微笑むのであった。

 

「なに、心配することはないぞ。なんたって今回はうちの妹から太鼓判を押されているからな」

「え! あの会長に人一倍辛口な圭ちゃんからッ!?」

「あぁ――あまり自分でハードルは上げるのもなんだが『文句のつけようがないほど完璧』って絶賛されたな」

「なんと! ほぅこれは期待しちゃいますよ」

 

 それなりに白銀妹との付き合いがある藤原にしてみれば、この前情報は心強い。

 基本、兄に対しては手厳しい評価しかしないと、経験上よく知っているのだ。

 

 

「じゃあ早速。俺の全力の演技を見届けてくれ」

「はい! 会長の成長、しっかり確認させてもらいます」

 

 雰囲気作りのために、遮光カーテンを閉め切り、床に携帯電話のライトを設置し簡易の舞台照明に仕立てる。その光源の中心で、集中力を高める儀式のように、白銀は目を閉じ深呼吸を繰り返す。

 

 

(さて…………心配ないと藤原には言ったが、やはり緊張してしまうものだな。くそ、気負うな。肩の力を抜け。ジュリエットへの想いを、感情を、そのまま吐き出せばいい! 演じようとするな。そうだ。俺自身がロミオになればいいだけなんだ!)

 

 

 演じるのは『ロミオとジュリエット』――物語の終盤。

 

 眠る様に事切れた最愛の人(ジュリエット)。その亡骸を前に、絶望し、嘆き、慟哭(どうこく)する。

 ねじ切れるような心の締め付けを、全身全霊で演じ上げる!!

 

 魂を込めに込め、喉に痛みを覚えるほど声を絞り出した。

 心血を注いだ渾身の熱演を終え、白銀は急き立てるように問いかけた。

 

「はぁはぁ――ど、どうだった!? 藤原!?」

 

 粗くなった呼吸を整える時間さえも惜しみ、評価を確認するも――当の藤原は止め処なく溢れ出る涙を拭い、泣きじゃくっていた。

 

 それでもどうにか嗚咽混じりに言葉を絞り出す。

 

「うっ……ぐすん…………がい、じょう」

 

 藤原の脳裏では走馬灯のように、あの特訓の日々がフラッシュバック。

 耐えに耐え抜いて、悪戦苦闘しながらもようやく辿り着いた終着点。

 それを思えばこそ、様々な感情が零れ落ちてしまう。

 

 

 それは感涙の雫。

 

 

 

――否!! 

 

 

 そんなものでは決してない!!

 

 

「どぼじでざいしょのごろより、あっがぢでるんでじゅか……」

 

 

 あまりに酷い出来に(むせ)び泣いているだけだった。 

 

 

 

 

 藤原が泣き止み、どうにかこうにか容体が安定するのに数分の時を要し、そして――

 

「え? 駄目……だった?」

「……駄目とかそういう次元じゃなく、ただの悪夢……断末魔の叫びです………………あぁ……吐き気と……寒気がします…………これ、ある種の拷問ですよ」

「拷問ってお前、それは何でも言いすぎだろ」

「言いすぎなもんですか! ボリュームが振り切れて音割れしたデスボイスを、無理やりヘッドホンで聴かされたような不快感でしたよ!」

「お前の言った通り……魂込めて演じたのに」

「なんで不貞腐れてるんです。あと私が悪いみたいな言い方やめて下さい。こっちは魂を持って逝かれそうになったんですからね!」

 

 

 調律(チューニング)とは繊細で緻密な精度が求められるもの。

 自主性を重んじるがあまり、分別のついていない子供に最後の仕上げを任せた結果が、この生き地獄である。

 

 藤原は己の失策を嘆くと共に、白銀の妹である圭が練習を辞めさせるための方便として、演技を褒めるという苦渋の決断を下したことを察するのであった。

 

「まぁ…………仕方ない。悪いけど、再調整よろしくな」

「え?」

 

 死んだ目をした藤原が、虚空を見つめ、世の不条理を呪う。藤原千花の受難は継続と相成った。

 

 

 

 

【本日の勝敗:藤原の敗北】

 教育方針、並びに害悪級のポンコツ具合を見誤ったため



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【第03話】☆早坂愛は説き伏せたい①

 四宮家使用人――早坂愛。

 

 四宮グループ幹部の娘であり、幼少の頃より英才教育を施された生粋のメイド。

 ただし、メイドと一口に言っても、掃除、料理、洗濯といった雑用に類する家事を担当することはほとんどなく、役職で言えば近侍(ヴァレット)にあたり彼女が仕えるのは“四宮かぐや”ただ一人のみ。

 

 つまり、“四宮かぐや専属”の、かぐやのためだけに宛がわれた存在と言えた。

 

 身の回りの支度や着替えの手伝いなどの業務の他にも、近侍(ヴァレット)という役職上、かぐやに付き従うことが義務付けられている。

 かぐやの意向で傍を離れることはあるものの、基本的には直ぐに駆け付けられる範囲で待機するのが大原則。

 それは屋敷の中にいる時だけでなく、外出時も含めてであり、それこそ学園内にいる時も例外ではない。ただ、二人の関係は極秘であるため、早坂は(いち)秀知院生徒に扮して、かぐやの警護にあっていた。

 

 大雑把に言ってしまえば、早坂の職務は、『四六時中かぐやのサポートをすること』である。

 

 

 更には――使用人の中で一番の古株である彼女は、四宮別邸の統括業務も担っており、他の使用人の取り纏めも任されていた。

 屋敷の清掃チェック、料理長との打ち合わせ、来賓への対応などなど――その仕事内容は多岐に渡り多忙を極める訳であるが、主人であるかぐやからの要望は、出来うる限り叶えるよう厳命されているため、かぐやの思い付き次第で仕事内容はどこまでも増えていく。そう――それはもう際限もなく…………。

 

 それもひとえに、早坂自身の能力が秀でており、卓越した幅広いスキルを所持しているが故。

 どんな無茶振りであっても、的確な対処ができてしまう――悲しいかな、それが仇となり、注文内容がエスカレートしていくという悪循環が起こっているのだ。

 

 仕事を手早く終わらせると、その穴埋めのように仕事が増えていくという悪夢!

 

 それはさて置き、そういった積み重ねにより、かぐやからは全幅の信頼を寄せられていた。

 

 主人であるかぐやとは同い年ということもあり、2歳までは共に育てられ、その後かぐやが本邸に移されたため、数年の離別期間経てはいるが、7歳の折に再会を果たし、その折に正式な主従関係を結んでいる。

 

 初等部の頃から現在に至るまで、ずっと(かたわ)らで主人を支え続ける従者。

 

 はたから見ればワガママなお嬢様に振り回される小間使い、それこそ劣悪な主従関係を絵に描いたような感じではあるが、その実、そこに身分の差といった隔たりはなく、気心のしれた姉妹のような関係を築いている。或いは、同性の幼馴染といったところだろうか。

 

 深い絆で結ばれた家族以上に最も近しい存在――四宮かぐやに忠誠を誓う優秀なメイド、それが早坂愛なのである!

 

 

 そんな彼女は、今日も今日とてかぐやからの要望に応え、とある調査を終え、その結果の報告に向かう途中であったのだが――

 

 

(さてと。あとはかぐや様に報告を済ませるだけ…………なんだけど…………)

 

 

 

 ――今まさに!

 

 

 

(やめておきましょうか)

 

 

 職務放棄しようとしていた!!

 

 

 

 

(はぁでも……『詳細は掴めませんでした』って事で簡単に納得してくれるような方じゃないんですね。あー絶対小言、言ってきそう)

 

 小馬鹿にした態度でマウントを取ってくる主人の姿が脳裏に過り、早坂の表情が歪む。 

 

(とういか、私の能力を低く見られるのも癪だし……はぁ割り切るしかないか)

 

 渋々といった様子ではあるものの、どうにか自身の中で折り合いをつけ、歩みを再開させる。調度品が等間隔に設置された長い廊下を、楚々とした足取りで歩いていく早坂であった。

 

 

 

 

 ◆◇◆◇

 

「かぐや様。失礼致します」

「あら、どうかしたの?」

「数日前に頼まれていた件の報告に伺ったのですが」

「えーと何か頼んでいたかしら?」

「………………白銀会長の様子を探ってこいと仰っていたじゃないですか」

 

 主人であるかぐやから調べてくるよう要請されていたのは――ここ最近の昼休み、生徒会室に顔を出さない白銀の動向調査。

 大抵の場合、白銀は昼食後の昼休みには生徒会室で雑務を行う。

 

 クラスが違うかぐやにしてみれば、放課後以外では、この昼休みが顔を合わせることができる数少ない貴重な時間なのであった。

 それがここ数日全く顔を出さないものだから、かぐやは気が気でなかったのである!

 

「あーそう言えば、そんなこと頼んだかしらね」

 

 だが当然、そんな素振りは一切みせることなく、心理学の専門書を読み進めるのに集中し、素っ気ない口調でそう答えるのがかぐやクオリティー!

 

 

「………………そうですか。読書の邪魔をしてもいけませんし、また折を見て報告に参ります。では」

「待ちなさい」

「はい?」

「折角調べてきてくれたのだから、聞いておこうかしら。丁度切りのいいところまで読み終えたところですし」

 

 が、実際はこの女、気になってに気になって仕方がない!

 寧ろ、この報告をずっと待ち続けており、読んでいた専門書の内容なんて全く頭に入っていなかった。

 

「…………」

 

 ここでいちいちかぐやの建前に突っ込みをいれていては話が進まないと判断を下した早坂は、出かかった言葉を飲み込み、さっさと報告を済ませることにした。

 

 

 が、調べ上げた詳細を全てそのまま報告するような真似はしない。

 

人気(ひとけ)のない資材室で、書記ちゃんと一緒に演劇の練習をしていました――なんて、言えるわけがない)

 

「どうやら、部活連にも参加している部長の方から直々に依頼を受けたようで、今はその依頼の準備の為、クラスメイトの方と一緒に準備に取り掛かっている感じでみたいですね」

 

「多忙な会長に余計な仕事頼むなんて」

「まぁ白銀会長にしか頼めない重要な案件のようですし、致し方ないのではないかと」

 

 嘘はついていない。

 事実を歪曲させた言い回しで、曲解するよう仕向けたが、断じて虚偽の報告は行っていない!

 

 やましい行為がなかったであろうとはいえ、年頃の男女が密室で二人きり、そんなことをありのまま伝えたら、主人であるかぐやが余計な勘繰りを入れかねない。猜疑心を助長するような情報を提供するべきではなく、無用な憂い事を背負わせないよう配慮するのも、優秀なメイドとしての責務なのである!

 

 

(まぁ実際問題、真剣に演技の練習に取り組んでいるみたいだし、あの二人の間に色恋はあり得ないでしょう。なんか書記ちゃん日に日にやつれていっているし…………演技指導している方が疲労困憊になっていく状況が少し解せないけど、書記ちゃんの生態は理解しようとするだけ無駄か)

 

 早坂が情報を探り出したタイミングは、二人が特訓を始めて数日が経過した段階。

 白銀の初期の惨状については、あずかり知るところではない。

 近い将来、その身をもって味わうことになるが――それはまた別の話。

 

 

(さてと、これで報告を切り上げたいところだけど、遅かれ早かれ会長がロミオ役に抜擢された事実は明るみになる――あぁこれほっといたら、後々絶対面倒になるヤツだ)

 

 言うなればこれは時限爆弾。適切な処理をしなければ、爆発は必定!

 

(会長がロミオ役を引き受けようとしている件は伝えておかないとマズいか。厄介なことを言いだしそうだし、私への負担が半端ない)

 

 そして爆心地から近ければ近いほど被害が大きくなるのは明白!

 

(ならここは……書記ちゃんのことは絶対に悟られないように……)

 

 故に対象(フジワラ)――俗称『劇薬が詰め込まれた歩く火薬庫』の情報の隠蔽は必須!

 

(話が(こじ)れる前に手を打っておかないと)

 

 だが猶予はある!

 であればこそ、まだ対処は可能ということ!

 

(よし。全力で言い包めよう!)

 

 

 

 四宮かぐやに忠誠を誓う優秀なメイドは、即決即断で保身に走った。

 

 

 

(ただ伝えるにしても、これは順序が大事――)

 

「そういえばかぐや様。演劇部の部長さんがお困りのようですよ?」

望月(もちづき)先輩が?」

「はい――ほら、前にジュリエット役のオファーを蹴ったじゃないですか。代役探しに難航しているとか。引き受けてあげたらどうです?」

「嫌よ。あれは正式に断ったはずでしょ」

 

 (にべ)も無くかぐやは突っぱねる。

 

「なんで誰とも知れない相手と恋人役を演じないといけないの、そんなの御免だわ」

 

 そう! かぐやは知らない! ロミオ役に白銀が抜擢されていることを!

 そして白銀も知らない! かぐやがジュリエット役を辞退していることを!

 

 前提としてかぐやは、白銀はロミオ役を絶対に『引き受けない』と思っていた。だからこそ、演劇の中のお芝居だとしても、白銀以外の男と恋愛関係を演じるなんて許容できなかった。

 

 対し白銀は、かぐやがジュリエット役を絶対に『引き受ける』と思っていた。だからこそ、演劇の中のお芝居だとしても、自分以外の男とかぐやが恋愛関係を演じるなんて許容できなかったのである。

 

 結果だけを見れば、噛み合わない二人ではあるが、理論展開は非常に似通っており、その実互いのことを想い合っているからこその()れ違いと言えよう。

 

 

 

 

 恋愛とは()れ違ってなお(こす)れ合い、だからこそ燃え上がる――。

 

 

 

 

 




 早坂さんは主人に忠誠を誓う優秀なメイドです! はい、復唱。

 アニメのアホの子化したかぐや様がお可愛いこと!
 早くこっちでもアホの子化しなくては(使命感)


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【第03話】☆早坂愛は説き伏せたい②

「お気持ちは解りますが、あの方にはいろいろ融通を利かせて貰っています。先月だって――」

「その件なら、既に予算の工面も働きかけましたし、出演依頼も一度はちゃんと引き受けました」

「『愛憎の女達』でのかぐや様の演技に魅了されたからこそ、もう一度舞台に立った姿を見たいんじゃないですかね」

 

 『愛憎の女達』というのは、演劇部の定期公演で以前に上演されたサスペンスホラー作品であり、かぐやと藤原の二人は、この舞台に助っ人として参加していたのである。

 

 芝居の中とはいえ、恋敵である藤原を刺殺し、怨嗟の声を浴びせるかぐやの熱演振りは、界隈で語り草になるほどのリアリティで、あまりの迫真の演技に、あちらこちらで恐怖の悲鳴があがるほどだったという。

 

 事実として、かぐやの舞台上での活躍をもう一度見たいという声は多い。

 

「そんなの知りませんよ。あれで十二分に借りは返しているはずです」

「貸し借りなしというのなら、ここはまた今後を見据えて、恩を売っておくのもいいのでは? 一考する価値はあるかと」

 

「嫌だと言っているでしょう。あなた少し執拗(しつこ)いんじゃない?」

 

 再三の進言に煩わしそうに顔を顰めるかぐや。若干の苛立ちが籠った声音とともに、(いぶか)しんだ視線を向ける。

 

「何か隠しているんじゃないでしょうね?」

 

 そして嘆息混じりに追及するのであった。

 

「はい、隠していますね」

「そう、隠しているのね…………え!」

 

 さも当然とばかりに発せられた言葉に、思わずスルーしてしまいそうになったが、幾ばくの間を経て気付く。

 

 これは紛れもない情報伝達の故意の隠蔽。場合によっては謀反(むほん)と取られかねない背信行為と言えた!

 

「隠してるのッ!? どういうことよそれ!?」

 

 信頼していた従者の言葉に、狼狽えながらも問い詰める。

 

「いえ、隠しておいた方がいいかなぁと」

 

 特に悪びれた様子もなく、即答する側近のメイド。

 

「いいわけないでしょ! ちゃんと包み隠さず伝えなさい」

「ですが、かぐや様が『なんで教えちゃうのよ!』とか言ってきそうですし」

「私をなんだと思っているの…………早坂。これは命令よ。いいから白状なさい」

 

 

「はぁ……強制されては仕方ありません」

 

(これで言質は取れた、と)

 

 早坂はこくりと頷き、渋々といった感じで重い口を開いた。

 とは言っても、意図的にそういう風に演出して見せているだけで、これは彼女の想定した通りの展開。

 

「端的に言うと、白銀会長、『ロミオ役』を引き受けるそうですよ」

 

 なので、特に躊躇することなく核心に触れた。

 

「え!?」

「正確には、まだオファーを受けた段階で、返答は保留中のようですが、十中八九引き受ける流れになるかと」

「嘘!? 会長ロミオ役引き受けちゃうの!? なんで!? 確かにそういった話は小耳に挟んだことはありますけど、絶対に断わると思ってたのに!」

 

 生徒会業務が滞ることを嫌う白銀を、間近で見てきたかぐやにしてみれば、これは想定外!

 唖然とした様子で目を白黒させている。

 

「どうして隠してたの!? すぐに知らせなさいよ!?」

「繰り返しになりますが、かぐや様が『なんで教えちゃうのよ!』とか言ってきそうだからです」

「言う訳ないでしょ! あと微妙に精度の高い声真似をやめて! あぁもう! どうしたらいいの!?」

 

 頭を抱え、椅子に腰かけたままバタバタと地団太を踏み取り乱す。

 

「このままだと白銀会長、他の女と恋愛劇を演じることになりますね。例えば――――書記ちゃんとか」

 

「藤原さんが!?」

 

 スッとかぐやの表情に陰が差し――

 

「…………許せない。あの姑息な泥棒猫。普段は全く色恋に興味ないフリをして、隙あらば掠め取る機会を(うかが)っていたのね…………男を(たぶら)かす色欲まみれの阿婆擦(あばず)れ…………そうだわ…………本物の毒を盛って永眠させてあげましょう」

 

 おどろおどろしい声で呪詛を垂れ流す。

 

「いえかぐや様、これは例えばの話ですからね」

 

 主人の悪鬼羅刹の様な形相に、早坂は自身の判断が正しかったことを確信する。

 

(よかった……マンツーマンでレッスンしてるなんて伝えてたら…………怖ッ)

 

「まぁ、どこの馬の骨ともわからない相手じゃなく、ロミオ役が会長と判ったんですから、これで万事解決ですね。今から引き受ければ、何も問題ありません」

「駄目よ! 一度断ったのに、そんな恥知らずな真似! それに今更前言を撤回したら、会長と共演したいが為に引き受けたみたいになるじゃない!!」

 

「正しくその通りじゃないですか――会長と共演したくはないんですか?」

「したいかしたくないかで言えば、したいと言えなくもないような気がしないでもないですけど」

「どんな言い回しですか…………はぁ……私の説得に応じていれば」

「なんで教えちゃうのよ! 私に知らせないままで説得しなさいよ!」

 

(うん、こんな感じになるって思ってました)

 

「善処はしましたけど、かぐや様が言えって強要したんじゃないですか」

 

 優秀なメイドは抜かりなく、先手を打って自己正当化を図っていた。

 

「……それはそうですが」

 

 責めるような物言いに、かぐやはしゅんと項垂れる。

 どう見ても主人と従者の構図ではなかった。

 

「というか、まだオファー段階なんですから、かぐや様が会長目当てで引き受けただなんて誰も思いませんって」

「だとしても望月先輩には誤解されるでしょ!」

 

(誤解じゃないでしょ、なんて正論言っても仕方ないし――)

 

「それこそ問題ないでしょう。あの人はそもそも、かぐや様と白銀会長の主演を意図してこの演劇を企画したっぽいですし。願ったり叶ったりな訳で、わざわざ周りに吹聴するような方でもありません」

「そうだったんですね…………最初からそうと言ってくれれば」

 

 

「というこは、引き受けるんですね?」

「いえ、引き受けるのは……だって……『ロミオとジュリエット』の結末って…………うーん……」

「ん?」

 

 もごもごと言い淀み、歯切れの悪いかぐやの態度から――

 

「あぁ、こういうことですか? 会長とラブロマンスで共演はしたいけど、『ロミオとジュリエット』がバッドエンドだから、それが心情的に耐え難いと」

 

 ――付き合いの長い優秀なメイドは、一連の葛藤を正確に読み取っていた。

 女心は複雑なのである。

 

「全っ然違うから! 多忙な会長をこんなことに巻き込むのは駄目なんです! 勝手に人の心を推察しないで!」

 

「じゃあどうするんです? 会長が他の女性と共演するのも嫌だし、自分が演じるのも嫌。それでは埒が明きません。このままだとホントに会長と書記ちゃんとで共演しちゃうことになっちゃいますよ?」

 

(さぁここまで危機感を煽れば、いい加減かぐや様だって折れるでしょ。さっさと素直になって一緒に共演したいって言えばいいのに。本当に面倒な人)

 

 そう! 早坂の真の狙いは主人と白銀を共演させることにあった!

 なんやかんや言いながらも、心の奥底では白銀とのラブロマンスに憧れている。

 だが例によってプライドが邪魔をして素直なれない困った主人の背中を押す。

 

 不承不承であっても、多少強引であろうとも、これこそがかぐやの願いなのだと――早坂はそう確信していた。

 

(悲劇譚が受け入れられないというのなら、脚本を(いじく)ればいいだけ。かぐや様の出演を交換条件にすれば、此方の要望を受け入れさせることは容易なはず)

 

 

 

 全ては早坂の目論見通りに事は進む―― 

 

 

 

 

「…………だったら早坂! あなたが私の代わりに劇に出て!」

 

 

 

 

 ――――はずだった。

 

 

 

 

 

「……………………はい?」

 

 

 

 正気を疑う発言に、早坂の思考は固まる。

 

 

 

「……………………え?」

 

 

 

 言っている意味が解らない。何言ってるんだこの阿呆は――――そんな感情で埋め尽くされる。

 

 

 早坂!! 突然の窮地!!

 

 

「……ちょっと待ってください! かぐや様は、会長が他の女性と共演するのが嫌なんでしょう!?」

「別に嫌なんてことはありませんけど…………でも、まぁ放置したままでは悪い虫がつかないとも限りませんからね。その点早坂なら信頼がおけますし」

「いや、だからかぐや様が引き受ければ丸く収まる話じゃ――」

「いいえ、私は断りました。四宮の人間に二言はありません」

 

 プライドが高く意固地――それが四宮かぐやの最たる特徴なのである。

 

 

「いやいや、代わりって、私の学校での立ち位置知ってるでしょ? ウチ、全然そんなキャラじゃないし! 演劇で主役なんて無理無理! ぜーったい無理だし! かぐやちゃんマジおーぼー!」

 

 瞬時にギャルモードに切り替え、かぐやの要求を拒絶する。

 それも束の間、すぐメイドモードに戻し、教え諭すような声音で語りかける。

 

「いいですか? 私はかぐや様を陰ながらお護りすることが使命なんです。学園内で目立つ行為は御法度。私とかぐや様の関係は絶対に秘密――これは他でもないかぐや様からも厳命されていることですよ?」

 

 

「…………それは――」

 

 

 ようやく無茶を言っているのが理解できたのか、かぐやの勢いが弱まった。

 

 

「――そうだけど! 早坂、あなた変装得意じゃない! どうにか別人を装えばいけるんじゃない!? 特殊メイクでも整形でも掛かる費用の心配はいらないわよ! 私に任せなさい!」

 

 だが、無理難題を言い出すことこそかぐやの真骨頂!

 消えかかった火種が、瞬く間に炎上する。

 

「誰がこんなことの為に整形なんてしますか。第一そんなリスクの高い真似できるワケないでしょう。演劇はOBや親族の方の来場もあって、不特定多数の目に触れます。罷り間違って“四宮本家の者”にバレでもしたら、私の首が飛びます」

 

「顔バレがマズいなら、顔を隠せるように仮面でも被れば解決でしょ!」

「仮面を被って劇とかできるわけないじゃないですか。脊髄反射で反応しないで下さい」

 

「そんなことないわ! 『オペラ座の怪人』なんて有名な作品もあります。『ロミオとジュリエット』と上手く融合すれば、斬新な物語が出来上がるかもしれません。脚本なんていくらでも弄れますしね」

 

 奇しくも、脚本を(いじく)ってどうにかするという解決策が一致していた。

 

「もし声でバレるのを危惧するというのなら、私が声をあてましょう。セリフを事前に録音して音声を流す手法は幾らでもありますからね。それぐらいの協力なら私も厭いませんし、仮面で口元を隠せば不自然さも緩和される。あぁそれなら、会長も台詞を覚える必要がありませんし、負担が軽減できる!」

 

 

(マズい……このままじゃ押し切られる――言ってることは支離滅裂な妄言の類だけど、かぐや様が天才なのは確か…………どんな不可能なことであっても、実現可能なレベルに落とし込んで調整できる。このままじゃ本当に代役に仕立て上げられてしまう! …………仕方ないか……ここはプラン変更するしかない!)

 

 劣勢を悟った早坂は、かぐやと白銀を共演させるという当初の目的を諦め――己が安寧の為、理論武装を展開する。

 

 

「ですが、そもそも演劇部の部長さんは、代役なんて認めないと思いますよ」

「なぜです? 舞台がお流れになるのは避けたいはずでしょう?」

「それはですね、あの方はかぐや様と会長との共演を望んでいるからです。ええ、間違いありません。常々二人はお似合いだと、会長の相手はかぐや様以外あり得ないと仰っていました!」

 

(実際、あの部長さんそんなノリだけど)

 

 早坂の経験上、取り敢えずお似合いだと煽てればどうにかなる!

 

「へーそうなのね、ふーん、もぅ望月先輩ったら、良くわかっているじゃない」

 

 身体をくねらせ満更でもない様子のアホをしり目に、早坂は畳みかけるように言葉を紡ぐ。

 

「かぐや様が引き受けないという以上、心苦しいですが、演劇事体を取り止めにするという方向で、働きかけましょう」

「……それはちょっといくら何でも」

 

「別に気に病むことはないと思いますが。かぐや様が乗り気じゃない時点で、どの道この話は頓挫していたはずです。そもそもまだ企画段階だったようですし、あくまでも打診を受けただけなんですから。断られることも想定内でしょう」

「…………いえ、だとしても、こちらの無理を押し通す訳ですから…………後日私の方から埋め合わせはしておきます。借りは作りたくありませんからね」

 

「そうですね。はい、それがよろしいかと」

 

 

 

 結果――早坂の手引きによって演劇『ロミオとジュリエット』の定期公演は中止の運びと相成った。

 

 そしてかぐやの良心の呵責による贖罪はというと――文化祭で行われる予定の演劇。その出演依頼を引き受けることで落ち着いたのであった。

 

 

 それが四宮かぐやの運命を左右する、重大なターニングポイントとなることなど知る由もなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本日の勝敗――

 

 

「会長、オファー受けてきたんですよね? どうでした? 演技みてもらったんでしょう? 今の会長の演技は一流役者と引けを取りませんからね。会長の演技に驚いていたんじゃないですかぁ?」

「あ、ああ……それなんだがな」

「どうしたんですか……まさか断られちゃったんですか!?」

「いや、そうじゃなく、演劇事体を取りやめたそうだ」

「はい?」

「あれだけ苦労して特訓したのに……はぁ全く、理不尽な話だ」

「……ええ……ほんとですね」

 

 

 ――藤原の敗北。

 

 

 

 

 



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