ラウーロさんに憑依 (須美寿)
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第1話 

「それでは、警官ごと?」

 

 電話の最中に、ゆっくりと「自分」の意識が浮上してくるのを感じる。

ここはイタリアで、今は「仕事」の真っ最中なのだが、今までの自分が行動をしているのと同時に、違う自分の意識がじんわりと広がっていく。

 

 違う自分。

 

 それはここから遠い、日本という国で生まれ育ち、死んだ浦野という男だ。

 三十路を過ぎた会社員で独身、趣味はアニメ視聴と旅行というどこにでもいるような人間。しかしその最後はやや劇的で、歩道に突っ込んできた車から少女をかばうというもの。

 最後の記憶がそこで途切れているので、そこで死んだのだろう。

 

「了解」

 

 今までの自分が会話を終える中で、浦野の人格と知識が拡大を続けていく。これは浦野の知識によれば、転生とか憑依とか言われるような現象だ。残念ながら、神様と出会って何らかのチート能力を授けられるというイベントはなかった。

 しかしながら、今は鳥瞰図のように、車に乗って電話をしている自分が外から見えている。そして、このシーンは浦野の記憶の中にあり、浦野としての自分は焦燥に襲われ始める。

 携帯が鳴り、出る。

 

 

『ラウーロさん、エルザです』

 

 

 紡がれる、ウィスパーボイス。

 俺こと浦野は、ガンスリンガーガールのラウーロに憑依転生してしまったようだ。

 

 

「なるべく大袈裟に殺してこいや。写真を忘れるな」

 

 エルザへの指示を出して電話を切ると同時に、俺とラウーロの意識が完全に統合された。先程までの鳥瞰図のような視点も消える。

 

「うおおお、マジかよ。よりによってガンスリの世界か……」

 

 俺は頭を抱えた。

 

 ガンスリンガーガール。

 

 イタリアが舞台で、体を改造された義体と呼ばれる少女達が主人公のガンアクション漫画だ。義体とその担当官が所属する社会福祉公社は対テロ機関で、五共和国派と呼ばれるテロリスト達を相手に壮絶な戦いを繰り広げる。

 どれくらい壮絶かというと、最終決戦で主人公陣営がほぼ死ぬくらい。

 

 そんな中、担当官俺ことラウーロさんはどうなったかって?

 最終決戦には行ってない。

 というか初登場シーンが死体だよ! 頭吹っ飛ばされてのな!

 しかも殺ったのはさっきのウィスパーボイスだよ!

 

「どうすっかなぁ……」

 

 幸いなことに、原作で出落ち死をキメたエルザとラウーロのエピソードはアニメで前日譚が補完されていて、前世の俺はしっかり視聴済みだ。なので死亡フラグである『エルザを冷たくあしらう』を防げるポイントは分かっている。

 なのだが、

 

「問題はその後だよなぁ……」

 

 この仕事、対テロ機関だけあって常に命の危険がつきまとう。ここで死ななかったとしても他の作戦でうっかり死ぬ可能性はあるし、最終決戦の原発占拠事件に投入されれば生き残るのは厳しいだろう。

 生き残ることを考えれば公社を辞職するのが一番に思えるが。

 

「ラバロ大尉か」

 

 義体の少女達の扱いに疑問を持ち、告発を試みて消された担当官。

 裏切るような素振りを見せなければ見逃されるか? 

 ……甘い考えは止めた方がいい。それに何より、

 

 

「……エルザ・デ・シーカ」

 

 ガンスリの魅力。それはやはり主人公である義体の少女達だ。

 様々な不幸な生い立ちを背負い、体を改造され、条件付けと呼ばれる処置で担当官と社会福祉公社への忠誠を植え付けられ、戦いに赴く少女達。

 彼女たちは戦い傷つく中で、条件付けや負傷を治す薬の副作用により記憶を徐々に失っていく。そして、その寿命も決して長くはない。

 そのことに担当官達はあるいは思い悩み、あるいは割り切る。

 ラウーロとしてだけの意識ならば、自分が生き残ることを優先できた。しかし浦野としての意識と統合された結果、彼女たちをどうにかしたいという思いが、強く湧き上がっている。

 ラウーロとしての知識と経験はそのまま使える。原作ではエルザが単騎突入する場面しかなかったが、社会福祉公社に雇われてるし優秀だったと言われるだけあって、ラウーロは戦闘技術にも長けていた。これに原作知識が加われば、どうにかできるかもしれない。

 

「俺とエルザ、他の担当官と義体、ベッドの上で死ねるように、頑張るか」

 

 そうして、俺は覚悟を決めた。

 

 

「ねえ本部長さん、いい加減国とテロリストと、どっちにつくのが利口か考えてみて下さいよ。あんまりゴネるようだと、あなたも暗殺しますよ? こちらもいろいろと忙しいんでね」

 

 原作(この場合はアニメ1期)通りに、五共和国派を匿う地元警察の本部長への警告の電話をした。この辺りはラウーロとしての記憶と経験で違和感なく行うことが出来た。

 

 電話終えると、控えめに車の窓が叩かれる。

 五共和国派を警察官ごと始末したエルザが戻ってきた。

 

「ラウーロさん」

「終わったか?」

 

 反射的に原作通りの返事をしつつ、エルザを見る。

 三つ編みお下げの金髪にオリーブグリーンの瞳。

 原作だと明記されてないけど、ラウーロの知識だと11歳。

 俺を盲愛していて、ヤンデレ属性(無理心中する級)あり。

 

 そして何より、超可愛い!

 

 いや、さっきまで真面目な事言ってたけど、実物みたらそんな取り繕えんわ。

 俺ロリコンだからもう刺さる刺さる。

 こんな子を冷淡に扱ってたとかマジないわー。

 もうね、原作の原作である同人誌でジョゼ山がエッタちゃん抱いてるんだから何の問題もないよね!

 といった欲望の赴くままな思考が脳内を駆け巡るが、無論表には出さない。それくらいの自制心は備わっているようだ。よかった、ここで変なことしてエルザに幻滅されたらことだ。

 

「とっても簡単なお仕事でした」

「そうか、よくやったな」

 

 原作だとエルザの台詞を途中で遮ったのを最後まで聞き、褒めてみる。

 

「あっ、ありがとうございます!」

 

 褒められたことが余程意外だったのかあたふたと驚きつつも、幸せそうに微笑むエルザ。

 いかん、可愛すぎる。

 

「怪我はなかったか?」

 

 原作で右腕を撃たれていたのを思い出し、聞いてみる。あっちのラウーロは完全にスルーというか気づいてすらいなかったようだしエルザも気にしていなかったけど、義体的にあの程度は怪我に入らないのだろうか。

 と、エルザの表情がみるみるうちに曇っていく。

 

「あ、あの……、一発だけ、当たってしまいました」

 

 恐る恐る報告するエルザ。

 簡単と言っていたのに怪我をしてるから叱られるとでも思ったのだろうか。

 

「できるだけ怪我をしないようにしろよ。パーツ交換すれば直るって言っても、処置に使う薬はお前の体に負担をかける」

「は、はいっ! もう絶対に撃たれません……」

 

 いい返事をするなぁ。これは本気の目だ。

 

「写真は撮ったか?」

「はい」

 

 車に乗り込んだエルザからカメラを受け取る。

 

「まだフィルムが残ってるな……」

 

 原作だと適当に撮っておけよと言いつつ車内から外を撮り、たまたまバックミラーにラウーロが写った写真が撮れた。それが、空っぽのエルザの部屋で唯一の私物になるのだ。

 

 いやー、悲しい。

 

 原作だと、結局彼女がもらったものは名前と写真だけ、ってセリフがあったけど、写真は正式にもらったんじゃなくて現像されたの受け取ってこっそり抜いたとかな可能性が極めて高いわ。

 部屋でライフルの手入れをする手をふと止めて、写真を見て目を潤ませるシーンがあったけど、そんな写真で不憫過ぎる……。

 

「エルザ」

「はい――っ!?」

 

 俺はエルザに顔を寄せると、カメラを自分達に向けた。

「撮るぞ。3・2・1」

 

 カシャと音がする。フィルム式のカメラ、懐かしいな。とか考えていたら、隣でエルザが真っ赤になっていた。いちいち可愛いなぁおい。あっ、なんかいい匂いがする。

 

「公社に戻ったら現像に出しておけ。ああ、最後のは2枚にしてもらうんだぞ。1枚はエルザにやる」

「い、いいんですか?」

「当たり前だろ、お前も写ってるんだから」

 

 俺が頷くと、エルザはカメラを宝物のように両手で包み込んだ。

 感情が希薄と言われるエルザだが、本当に嬉しそうだ。

 あー、どうしよう。俺ロリコンだけど、こんなピュアに慕ってくれる子に手を出せるんだろうか……。原作の原作のジョゼ山ってば鋼メンタル過ぎだろあの野郎。

 

「よし、それじゃあ移動するぞ」

 

 これからの事を考えながら、俺は車のエンジンをかけた。

 

 



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第2話 

うわ、読んでくれた人や投票、お気に入り入れてくれた人がいる。
ありがとうございます。
頑張って続けていきたいと思います。


 トスカーナ州のシエナからE35号線を通ってローマに向かう。順調にいけば2時間30分程度の道のりだ。

 普段と違ってカーラジオはつけていないのだが、エルザはどこか上の空で特に声をかけてくることもない。

 せっかくなのでこれからの行動について考える。

 

 原作通りでいくと、今日から数日後にシエナ県警の本部長狙撃任務がある。明記されていないが、恐らく今日撮った写真を送りつけて脅すが効果がなく、社会福祉公社のロレンツォ課長が暗殺を決定。その後、シエナで銃の用意や狙撃地点の確保などの下準備をした帰りに、ジョゼに狙撃の手伝いを頼む流れになるはずだ。

 その夜、俺はジョゼと飲んで打ち合わせをしつつ親睦を深め、エルザは話をしようと部屋にやってきたヘンリエッタを拒絶する。

 そして狙撃任務の日にエルザがやらかして俺に失望され、クリスマスイブにラウーロさぁん!パァンが発生。

 

 よし、今後の俺とエルザ、他のフラテッロ(兄弟の意味。この場合は義体と担当官を指す)の生存率を上げるために、義体同士親睦を深めるように言い聞かせてみよう。

 俺を盲愛してる関係で義体同士の交流をほぼ絶っているから、嫌われたり敬遠されたりしてるからなぁ。リコに至ってはエルザが殺されて悲しくないのか聞かれて友達じゃなかったから別に関係ありませんというコメントだったし。

 うん、やはりエルザには自分の意思で健全な友好関係を築けるようになってほしい。

 条件付けで何とかなるのかもしれないけど、できるだけエルザの副作用を減らしたいからね。

 

 サービスエリアで休憩がてら軽食を取ることにした。

 銃だの殺人現場を撮ったカメラだのがある車を空っぽにしていくわけにはいかないので、原作のラウーロにセリフにあったようにエルザにパニーニとエスプレッソを買いに行かせた。

 エルザはやはりどこかぼぉっとした感じでパニーニを食べている。

 

「エルザ」

「は、はいっ!」

 

 突然我に返ったようであたふたするエルザ。可愛い。

 

「パニーニはどうだ? 味は薄く感じないか?」

「はい! 美味しいです」

 

 条件付けの副作用は味覚障害から現われる。

 エルザはまだ大丈夫なようで、ほっと胸をなで下ろし、エスプレッソを一口飲む。

 

「なあエルザ、普段他の義体の子とはどんな話をしているんだ?」

 

 そう聞くと、エルザは気まずそうに視線を落とす。

 うん、何も話してないもんな。そりゃ答えられんわ。

 

「……俺はなエルザ、同僚とはたくさん話をするようにしている。変に避けないで腹を割って話せば、良いところが分かったり今まで嫌いだったところが良いところに見えてきたりするからな」

 

「……でも、わたしは」

 

「俺を一番に考えるのは良い。義体と担当官はそうあるべきだからな。だけど、これから俺たちの任務は厳しいものが増えてくるかもしれない。そんな時、一緒に戦うのが他人と仲間じゃ大分違う」

 

 俺はエルザの顔をそっと上げさせる。

 

「だからできるだけ、他の義体とも仲良くしてみてくれ。そうすれば、俺たちがピンチの時に助けてくれる可能性が上がる。こっちも、出来る範囲で他のフラテッロを助ける。優秀な仲間がいるのは、俺たちにとってプラスになるんだ」

 

「……………………」

 

 エルザは黙ってしまった。今まで、俺のためだけを考えて行動していた彼女にとって、大き過ぎる変化だろうからな。あ、そうだ。

 

「それに、自慢話が出来る友達がいないのはつまらないもんだぞ」

 言いつつ、エルザの額にキスをする。

 

「ふわぁっ!?」

 

 真っ赤になって額を押さえるエルザ。あー可愛い。

 本当は唇にしたかったんだけど、前世がDTだったせいかラウーロの経験をもってしてもおでこが精一杯でした。本当にこんなんでエルザとできるのだろうか。なんか不安になってきたよ……。

 

 と、エルザの様子を見ていると赤面しつつ額を押さえていた手をじーっと見つめ、目をつむって唇に当てた。

 それからゆっくりと目を開ける。うわ、何かエロい。

 

「……そうですね、他の義体の子たちとも、もっとお話してみます」

 

「あ、ああ。そうしてみるといい」

 

 突然の妖艶な雰囲気にどぎまぎするが、分かってくれたようでよかった。

 

 それからパニーニを食べ終えると、俺たちはローマの社会福祉公社に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 ラウーロさんが褒めてくれた。

 ラウーロさんが心配してくれた。

 ラウーロさんが一緒に写真を撮ってくれた。

 

 車に揺られながら、わたしの頭の中ではさっき立て続けに舞い降りた幸せがぐるぐる回っている。

 心臓は早鐘を打つように鳴りっぱなしで、今日はラジオが流れていないのでラウーロさんにまで聞こえるんじゃないかと思う程だ。

 そう、今日は移動中いつもついているラジオがついていない。

 せっかく話が出来そうな機会だけれど、今のわたしはさっきの幸せを噛み締めるので精一杯だ。

 

 わたしはラウーロさんが一番大事。他の事なんてどうでもいい。

 そう思って、今まで訓練や任務をしてきた。

 いつか、ラウーロさんがわたしを見てくれると思って。

 

 だけど本当は、ラウーロさんにとってのわたしが一番じゃないことには気づいていたし、この想いが報われなくてもいいとも思ってた。

 ただ、ラウーロさんのお役に立てればそれでいい、と。

 名前をくれただけで十分だ、と。

 

 けれどわたしは知ってしまった。

 ラウーロさんから与えられることが、どれだけわたしの胸を満たしてくれるのかを。

 そして、わたしは怖い。

 今は、消化しきれないだけの幸せに満たされている。

 だけど、この幸せに慣れてしまったら。

 そして、それっきり何も与えられなかったら。

 わたしは、耐えることができるのだろうか。

 

 サービスエリアでパニーニを食べながらも、わたしは幸せに満たされつつそれを失う未来に怯えた。

 

 そんな中、ラウーロさんは自分の考えを聞かせてくれた。

 ラウーロさんがこういうことを話してくれるのは初めてなのでそれ自体は嬉しいのだが、ラウーロさんのことだけを考えてきたわたしにとって他の義体と仲良くするというのは難しいことだ。

 

 ラウーロさんの言うことだから従いたいという衝動と、ラウーロさんのことだけを考えてはいけなくなることへの拒否感。

 

 

 相反する感情から動けなくなったわたしの額に、魔法がかけられた。

 

 

 額に押し当てた手をじっと見つめ、その熱をもっと感じようと唇に当てる。

 そう、このぬくもりを失わないためなら、あらゆるものを利用しよう。

 ラウーロさんと、わたしのために。

 

 



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第3話

感想ありがとうございます! 励みになります!


 社会福祉公社に戻った俺はエルザを写真の現像依頼に行かせ、課長に今日の任務の報告に向かった。

 写真で脅しても変わらない可能性が高いので暗殺の方向で動いておくように指示を受ける。数日後に暗殺のGoサインが出るくらいだから、ほぼ既定路線だったのだろう。

 関係部署に狙撃場所の確保や装備の手配の連絡をし終えたあたりで、封筒を抱えたエルザがこっちに走ってきた。

 

「おおエルザ、写真は現像してもらったか?」

「はい。すぐに脅迫文と一緒にシエナの警察署に届くように手配するそうです」

「分かった。まあ、結局のところ暗殺になりそうだけど、段階は踏まないといけないからな」

「ラウーロさん、あの……」

 

 エルザが何やらもじもじしている。はい可愛い――じゃない、ああそうか。

 

「最後に撮った写真はどんな感じになった?」

「こ、これです」

 

 ぎくしゃくとした様子で封筒から写真を取り出すエルザ。

 受け取って見てみると、少し軽そうに笑う俺と、顔を真っ赤にして驚いた表情のエルザがほとんどくっついて並んでいる。

 自撮りにしては結構良い写真になったと思う。それが、2枚重なっている。

 しかしながら、これを現像した公社の職員はどう思っただろうか。凄惨な殺人現場の死体の写真が並んだ最後にこの幸せツーショット。しかも焼き増し指定。

 原作アニメでラウーロが、ヘンリエッタを構い過ぎるジョゼに「例の噂とか、本当なのかよ」と言うシーンがあったけど、俺もいろいろ噂されそう。

 仲間だぞジョゼ山ぁ! 義体ックスの奥義を伝授してください!

 

「あの……、ほ、本当に頂いてもいいんですか」

 

 やくたいもないことを考えている俺に、消え入りそうな声で尋ねるエルザ。

 考えてみるまでもなく、今までのラウーロはエルザに物を与えたことなど一度もない。そんな状況下なのだから、写真の現像を待ちながら時間が経つにつれて、いろいろと考えが巡り、不安になったのだろう。

 よしよし、これからは俺が欲しいものは何でもあげるからな。

 

「もちろんだ。ああ、でも――」

「あっ」

 

 逆接が出た瞬間、エルザの瞳からハイライトが消えた。

 うおぉ、なんたる反応速度。これはちょっと怖いぞ!

 

「エルザの部屋に写真立てってあったか? あればいいんだが、ないなら買いに行こう――」

「ないです! 綺麗さっぱり何もありません!」

 

 食い気味に、女の子的にはどうなのかという主張を全力でするエルザ。

 うんうん、それじゃあ素敵なやつを買いに行こうね。

 それにしても、だったら原作のエルザの写真立てはどこからどうやって手に入れたものなのだろう?

 他の義体からもらったというのはないだろうし、今となっては謎である。

 

 

 公社から車を出して、ローマのそこそこ大きな本屋に来た。

 文具コーナーに行くと、写真立てが並ぶ一角があった。落ち着いた雰囲気のものから可愛さを前面に押し出したものまで、それなりにデザインの種類がある。

 さてエルザはどれにするんだろうと思ったら、エルザは写真立てではなく俺に期待のまなざしを向けている。

 ふと、前世の実家で飼っていた犬を思い出した。ごはんを前にお座りと命令されて、いつよしと言われるかを待っていたときの犬の様子と、今のエルザが被る。

 

「エルザはどういうのがいいんだ?」

「ラウーロさんが買ってくださるなら、どれでも嬉しいです!」

 

 やっぱりかぁ。

 エルザにとって、ものが写真立てだろうが何だろうが関係なく、俺が与えたものであるという事だけが重要なのだ。

 そこまで慕われるのも悪くはないが、やはりエルザにはもっと視野を広く持って、自分で考えられるようにして欲しい。

 

「そうだな……、じゃあこうしよう。エルザの写真立ては俺が選ぶから、エルザは俺用の写真立てを選んでくれ」

 

 ふと思いついたことを言ってみると、エルザは分かりましたと返事をし、もの凄く真剣に写真立てを見ながら検討し始めた。やはり俺のため、となると何でも頑張ってくれるんだなぁ。

 しかし、今までこういったものに興味をもってこなかったからだろうか、どれにしたらよいのか分からないといった風にうんうん悩み始める。

 

「ちなみに、俺は落ち着いた色合いの方が好みだ」

 

 ヒントを出すと、天啓を得たような表情になって該当するものを見比べ、その中から1つを選んだ。選ばれたのは、ダークブラウンのシンプルな写真立て。

 

「これにします」

「うん、いいのを選んだな。他にも候補がいくつかあったようだが、どうしてこれにしたんだ?」

「あの、ラウーロさんの髪の色と同じだったから」

 

 あー、そう来たか。

 ……じゃあ、俺はこうしよう。

 

 俺は目当てのものを見つけて手に取った。

 オリーブグリーンの縁の写真立て。

 

「やっぱり、エルザにはエルザが選んだやつをやるよ。俺はこれにする」

 

 突然の前言撤回に不思議そうな顔をしたエルザは――、

 

「エルザの瞳と、同じ色だからな」

 

 真っ赤になってうつむいた。

 

 

 

 

 

 寮の部屋に戻ったわたしは、ラウーロさんからもらった写真をラウーロさんからもらった写真立てに入れた。

 写真を見つめる。

 自然と、笑みがこぼれてくる。

 ああ、この宝物をどこに置こう。

 

 今まで、ラウーロさんを想いながら銃の手入れをし、眠るためだけにあったわたしの部屋。それが今は、ラウーロさんからもらったものを収めるという役割が出来た。

 そうなると、いろいろ考えなければいけない。

 今わたしの部屋にあるのは、ベッドと椅子とクローゼット。

 写真立てを置くのにぴったりの場所があるとは言えない。

 窓辺にもスペースはあるけど、日光で写真が痛んでは困る。

 寮の空き部屋に、箪笥か何かがないか見てみよう。

 

 やっぱり、ラウーロさんは凄い。

 今まで何とも思っていなかった部屋を、大切な場所に変えてくれたのだから。

 

 わたしは、ラウーロさんの手元にある写真と写真立てを想う。

 ねぇラウーロさん、わたしの瞳の色の写真立てに収まった、わたしが一緒に写った写真は、ラウーロさんの大切なものになれますか?

 

 



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第4話

うお、評価バーに色が! ありがとうございます!

明日は仕事が忙しいので、次回更新は土曜日になると思われます。


 シエナでの五共和国派襲撃任務から数日が過ぎた。

 朝の段階で課長から正式に暗殺の任務が下ったので、ヘンリエッタ・ジョゼ組と共同で当たることを提案し、許可をもらう。

 

 その後、エルザと一緒に細々とした任務や狙撃地点の下見と確保などの下準備を済ませて公社に戻ればもう夕方。

 原作の流れだと、そろそろ訓練帰りのヘンリエッタ・ジョゼと出会うタイミングなのだが――と思っていると、道の左端に2人の姿が見えた。

 やはり今日だったようだ。

 クラクションを軽く鳴らし、車を止める。

 

「よお、ジョゼ」

「ラウーロ。トスカーナで五共和国派を追っていたんじゃなかったのか?」

 

 原作通りの会話をしつつ、ヘンリエッタの様子をさりげなく観察する。

 初めはジョゼの影に隠れる形になっていたが、少し体を前に出して車内を、エルザの方を見ているようだ。

 気配で、エルザもヘンリエッタの方に顔を向けたのが分かった。

 おお、原作だとガン無視で正面を見ていたけど、俺の説得の効果があったようだ。

 しかし、何やらビクっとしてジョゼの影に引っ込むヘンリエッタ。

 エルザ、お前どんな顔で見たんだ……。

 

「お前達、今週は暇だったろ? 良かったら手を貸して欲しいんだ。課長の許可はもうとってある」

「分かった」

 

 内心、エルザとヘンリエッタの更なる関係悪化を恐れつつも会話を続けていく。

 しかしこんな急なお願いをあっさり聞いてくれるあたり、原作ラウーロも言ってたけどジョゼはいいヤツそうだ。

 

「そいつはありがたい。エルザにも、フラテッロ同士で仕事をする経験をさせたくてな」

 

 俺がそう言うと、ジョゼは実に意外そうな表情をした。

 原作ではこの夜の飲みで、ラウーロがエルザに対して冷淡すぎないかと指摘するくらいだから、それはそうだろう。

 

「このまま寮に戻るなら乗せていくぞ? 重いだろそれ」

 

 2人は銃の訓練帰りなので、大きなケースを持っている。

 後ろの席は空いているし、大変そうなので誘ってみた。原作で、同じ方向に行くのにそのまま行っちゃったのが引っかかってたんだよね。仕事の協力をお願いした立場だし。

 

「お、そう――、いや、そんなに長い距離じゃないから訓練がてら歩くよ」

 

 提案に乗りかけたジョゼが頬を引きつらせつつ断った。

 これは、俺の隣から放たれる負のオーラと無関係ではあるまい。

 

「そうか、それじゃ、後でな」

 

 担当官としては、他の担当官に殺気を向けるんじゃないとお説教しないといけないところなのだが、あまりのプレッシャーに気圧されてしまい、スルーするより他なかった。

 

 車を出しながらちらと視線を向けると、2人だけの空間を守れた事による満足からか満面の笑みを浮かべるエルザ。

 

 うん、可愛い。

 可愛いけどダメだよエルザちゃん! 

 

 エルザが他の義体と親睦を深めることは本当にできるのだろうか……。

 原作通りならば今夜エルザの部屋をヘンリエッタが訪ねてくるのだが、いろいろと心配である。

 あんまり仲良くしろ仲良くしろとしつこく言うのも逆効果な気がするので重ねては言わないが、うまくいくといいなぁ。

 

 

 

 

 夜、公社御用達のバーに俺とジョゼは来ていた。

 杯を交わしつつ、こちらのこれまでのトスカーナでの任務の説明と、シエナでの狙撃任務の詳細を話す。

 

「狙撃か……」

「ん? なんだよ。ヘンリエッタは狙撃は下手くそなのか?」

「いや、人並みには上手いよ。だけど、僕や他の義体の前だと、いいところをみせようとして力むかもしれない」

 

 原作通り、やや悩む様子のジョゼ。やがて、杯の酒を飲み干し、決断する。

 

「やるか。ヘンリエッタにも自信をつけさせたいしな」

「苦手な事にはチャレンジさせた方がいいぜ。俺も、今回の任務でエルザに少しでも仲間意識を持って欲しいと思ってるんだ」

 

 俺も杯を空けると、ジョゼと自分の杯に酒をついだ。

 

 ジョゼはまた意外そうな顔をして、それから微笑んだ。

 

「なあラウーロ、今までのあんたはエルザに冷淡だと思っていたけど、どうやらそうじゃなかったみたいだな」

「いや、その通りだ。今までの俺はエルザに対して冷淡――無関心といってもいいくらいだった。ついでに言うとジョゼ、お前のことも嫌いだったぜ? いっつも義体の事を気にかけて、いろいろやべぇ噂がある歪んだヤツって思ってたからな」

 

 ほぼほぼ原作通りの発言なのだが、並べてみると酷いなラウーロ。

 

「おいおい、だったら仕事や飲みになんか誘うなよ」

 これにはジョゼも流石に苦笑い。

 

「『だった』って言っただろ? 今は――、うん、尊敬してます。いろいろな意味で……。師匠と呼びたいくらいです」

「……なんだか、嫌われてた方がマシな気がしてきたよ」

 

 突然の敬語と師匠呼ばわりに嫌な予感を覚えたらしいジョゼ。正確には別な世界線のお前のことなんだが、こっちのお前も才能あると思う。

 

「まあ冗談はさておいてエルザのことだが、そうだなぁ……。あの子の気持ちから、もう目を逸らせなくなったってところだな」

 

 杯を空けつつ、しみじみと言う。

 

「……そうか」

 

 まさか憑依転生うんぬんな話ができるわけがないのでそれっぽい事を言ってみるが、こんな説明で理屈じゃなく魂で理解したぜ感を出せるあたりやっぱジョゼさんはホンモノだと思う。

 

「実際の話、あの子はこっちの都合で施した条件付けの影響で、俺に対して盲信に近い愛情を抱いている。それを無視して、ただの道具として使うなんてのはなかなか耐えられるもんじゃない。少なくとも、俺には無理だった」

「……そうだな」

 

 杯を空にすると、ジョゼがついでくれる。

 

「贖罪、いや同情か、義憤とも言えるか。とにかく、エルザを含めた義体の子達には、少しでも多く幸せを感じられるべきだと思ったんだよ。そうでなきゃ、あまりに釣り合いが取れないじゃねえか」

 

 勢いがついて、再び酒を飲み干す。

 あれ、結構飲んじゃったな。少し酔ったかもしれない。

 

「驚いた。ラウーロは、義体の子達の事を真剣に考えているんだな」

 

 感銘を受けたような表情のジョゼ山師匠。

 そうだろうともそうだろうとも。

 

 よし、ここで我々と義体の今後を考えた上での重要な議題について共に検討しようではないか。

 

「なあジョゼ……」

「なんだ?」

 

 更に真剣な表情になった俺に呼応し、表情を厳しくするジョゼ。

 

 

 

「義体とすけべしちゃったら、ビアンキ先生のメディカルチェックでバレるかな?」

「何言ってんのお前?」

 

 

 

 酔っててよくわかんないけどなんかめっちゃ説教されてる。

 解せぬ……。

 

 

 



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第5話

わー、たくさんの人に楽しんで頂けているようで何よりです。
頑張って続けていきたいと思います。

この話は三人称視点なのですが、難しいですね……。


 酔って迂闊な発言をしたラウーロがジョゼに説教されている頃、エルザは自分の部屋でいつものようにライフルを磨いていた。

 

 時折手を止めては、空き部屋から持ってきた箪笥の上に置いた、ラウーロと自分の写真を見つめる。

 その表情は恍惚としていて、エルザは自身が幸福で満たされていることを強く確信していた。

 

 しかし、とエルザは考える。

 今までの自分であれば、ラウーロさんへの想いを抱きながらこうしているだけで良かった。この閉じた幸せな世界は、完成されていた。けれど、これからはそれだけでは駄目なのだ。

 

 義体同士の交流。

 

 ラウーロに言われたときは、即座に受け入れることはできなかったエルザだが、盲愛とは別に聡明な面も持ち合わせている彼女は、ラウーロの説得の内容と自分達の現状を分析し、今ではその必要性を十分に理解することができていた。

 

 今後、五共和国派をはじめとするテロリストや敵対組織に関わる任務は増えていくことが予想される。その中で、ラウーロさんと自分が死なないことは勿論だが、可能な限り負傷も避けたい、とエルザは考える。

 何しろ、負傷をすればするだけ、それを直す処置で薬が使われ、副作用がもたらされるのだ。寿命も心配だが、記憶が失われてしまうことを、エルザは酷く恐れた。

 

 最初期の義体で、自分達1期生のプロトタイプとも言えるアンジェリカ。彼女自身に興味はなかったエルザだが、その記憶が減退しているという事実は彼女にいずれ自分にも訪れるであろう未来を想起させる。

 

 できるだけ、そうはなりたくない。

 だがそれが避けられない事ならば……。

 

 ラウーロと自分にとっての最善と、次善の策をエルザは常に考える。

 まずは、負傷を可能な限り避ける為に、他の義体と仲良くなろう。

 次善の策は、もう少し時間をかけてだ。

 

 しかし、つい数日前まではラウーロさんのこと以外眼中になかった自分が、どのように他の義体と接し、交流をすればいいのだろう、とエルザは悩む。

 自分から他の義体に話しかけたことなどほとんどないし、自分に話しかけてくるのはトリエラが連絡事項があるとき程度だ。

 重要性は理解しているが、どうすればいいかが分からない。

 

 ヘンリエッタがエルザの部屋のドアをノックしたのは、まさにエルザがそのように考えているタイミングだった。

 

「誰?」

 

 返事の代わりに開けられたドアと、顔を出すヘンリエッタ。

 

「何か用?」

 

 原作では不機嫌そうに顔を背けながらの発言だったが、エルザはヘンリエッタにきちんと顔を向けて尋ねた。

 口調も、穏やかなものにしようと出来る限り努力する。

 

「ちょっと、お話しようと思って」

 

 前々から、自分達とほとんど話をしないエルザに対してヘンリエッタは苦手意識を持っていた。進んで話しかける気にならないし、そもそも何を話せばいいのかが思いつかない。

 しかし、どうやら今度一緒に仕事をすることになるようだ。

 

 トリエラと、エルザについて話したときに聞いた「苦手な人を避けるのは簡単だし、楽なんだけど……」というトリエラの言葉。そして、あまり覚えていないが自分やクラエスも昔はエルザのようで怖かったという話。

 それが、トリエラと話をすることで変わったならば、エルザも話をすることで変わるかもしれない。

 いきなりは無理でも、理解は深まるかもしれない。

 

 そのような考えから、ヘンリエッタは勇気を出してエルザの部屋に訪れたのだった。

 

 

「……お茶もなければ、ベッドくらいしか座らせられる場所もないけど、構わない?」

 

 頷いて入ってくるヘンリエッタを見て、エルザは磨いていたライフルをケースにしまった。

 

「それで、なんの話をしたいの?」

 

 原作では、ライフルは手にしたまま、ヘンリエッタも立たせたままで「話すことなんてないわ」とにべもない様子だったエルザ。ジョゼと対話を通して親睦を深めるラウーロとは対比の構図のようになっていた。

 

 しかしこちらでは、交流を深める切っ掛けにしようとエルザは彼女にできる最大限の努力をしてヘンリエッタに接しており、2人そろってベッドに腰掛けて話を始めた。

 

「ほら、今度一緒にお仕事するかもしれないから」

 

「……ある程度の任務内容はラウーロさんと準備をしたから知っているけど、決定してから正式に打ち合わせをした方がいいと思うわ」

 

 極めて合理的な回答をしたエルザだが、ヘンリエッタの困った顔を見て、自分が話の接ぎ穂を潰してしまった事に気づく。

 これでは交流を深め、今後の任務中の安全性を高める計画が進まないと内心歯がみをした。

 

「ええっと、お仕事の内容のことじゃなくて。一緒にお仕事するから、エルザの事をもっと知りたいと思ったの」

 

 ヘンリエッタが会話を継続してくれたので、エルザはほっとする。

 

 

「わたしは、ラウーロさんが一番大事。他のことはどうでもいいわ。わたしの時間は、全てラウーロさんのために使うわ」

 

 

 エルザは自分という存在を大変分かりやすく伝えた。

 

 

「エルザは、ラウーロさんのことが大好きなんだね」

 

 

 普通の人間ならばいろいろうわぁとなるエルザの自己紹介だが、ヘンリエッタはわりと普通に受け入れ、自分が理解しやすい言葉で解釈する。 

 

「ええ、勿論よ。ヘンリエッタ、あなたも、自分の担当官のことが好き?」

「うん、わたしも、ジョゼさんのこと大好き」

 

 満面の笑みを見せるヘンリエッタ。 

 

「他の義体の子達よりも?」

「うん、大事な友達だけど、一番はジョゼさんだよ」

 

 すかさず問うエルザだが、ヘンリエッタはあっさりと肯定する。

 

 ヘンリエッタの明確な線引きを受けて、エルザはある程度の価値観の共有が可能であると判断した。勿論、自分がラウーロに抱いている程の愛情とは違うだろう。だが、担当官への慕情や恋心があるのならば、理解ができる。

 

「そこがきちんと自覚できているのなら、あなたとは協力して任務ができると思うわ」

 

 隣に座るヘンリエッタの顔を見て、エルザは言う。

 

 初めて共同で任務に当たるのがヘンリエッタなのは都合がいい、とエルザは思う。

 これが担当官に何ら思慕の情を持っていないであろうリコや時に反発することさえあるトリエラとだったら、難しかったのではないだろうか。

 

 そう考えると、ヘンリエッタ・ジョゼ組を選んだラウーロさんは凄い、とエルザはますますラウーロへの尊敬の念を強めるのだった。

 だからこそ、ここまでお膳立てをしてもらっておいて、ぶち壊しにしてしまう事など到底許されることではない。

 ここから成功を積み重ね、他の義体達にはラウーロと自分の役に立ってもらわなければ。エルザは決意をみなぎらせる。

 

「ラウーロさんは、わたしにフラテッロ同士で仕事をする経験をさせたいって言ってくれたわ。だったらその経験は、必ず成功でなければいけないの。よろしくお願いするわ」

 

「う、うん。一緒に頑張ろうね」

 

 瞳に炎を燃やすエルザに、大きなプレッシャーを感じるヘンリエッタだった。 

 

 

 



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第6話

ランキングに居て驚きました!

誤字報告ありがとうございます。助かります!

今回、義体の記憶減退の部分に捏造というかご都合主義が含まれます。ご容赦ください。
最後以外三人称視点です。



 話も一段落し、少しは打ち解けられた実感を得たヘンリエッタはベッドから立ち上がる。

 後はまた明日ねと挨拶をして辞去するつもりだった彼女の視界に、あるものが写った。

 

「わあ、2人で写ってる写真だ。いいなぁ」

 

 箪笥の上の写真を見ながら、ヘンリエッタは羨ましそうな声を出した。

 これに、エルザはラウーロから貰ったものを尊びたいという気持ちをくすぐられる。

 

「この前の仕事の時に、ラウーロさんが一緒に撮ってくれたの」

「そうなんだ! わたしも、ジョゼさんと一緒の写真撮りたいな……」

 

 エルザは、ラウーロに対して抱くのとは別種の満足感が自分にもたらされているのを感じた。

 

――ああ、こういうことなんですねラウーロさん。

 

 他の義体と交流を持つようにという話の時――ここでかけられた魔法を思い出し頬を緩ませるエルザだが、その思い出はそっと置いておいて、今重要な点であるラウーロの言葉を思い出す。

 

 自慢話が出来る友達。

 

 今自分を満たしている喜びの種類を正しく理解し、エルザはラウーロの慧眼にますます恐れ入るのだった。

 

「写真立ても一緒に買いに行ったし、ラウーロさんも同じ写真を持ってくれてるのよ」

「うわー! いいなぁ!」

 

 ヘンリエッタは素直に羨望の声を上げる。

 

 ラウーロさんとの関係を、他人に羨まれる。これは、ちょっとクセになりそう。エルザは身のうちから湧き上がる歓喜と自尊心の高まりに小さく震えた。

 

「あなたがお願いすれば、一緒に撮ってくれるわよきっと」

 

 余裕の表情で話すエルザ。

 しかし、一方的に上から目線では反感を買う、ということをエルザは知識的に知っていた。

 ここは相手の話も聞くのが今後のためになると判断する。

 

「ヘンリエッタは、ジョゼさんから何か貰ったことはあるの?」

「うん、可愛い服をもらったよ」

 

 ――服は、まだ貰ってないわ。

 先程までと打って変わって、自分の中にどろりとした感情が疼くのをエルザは感じた。

 

「へえ、いいじゃない」

 

 渾身の力で平常心を保つエルザ。

 服、服か。ラウーロさんがくれるとしたら、どんな服をくれるんだろう。どんな服が、わたしに似合うと思ってくれるんだろう。

 ヘンリエッタにはお願いすればなんて言えたけど、こっちから頼むなんて無理よ。お願いして断られたら、わたし――。

 

 

「うん、前にジョゼさんと一緒に星を観に行くときにくれたの」

 

 エルザが心を焦がしていることなどつゆ知らず、にこにこと話すヘンリエッタ。

 

「一緒に星を……。それは、夜に2人っきりだったということね」

 

 自分は任務以外でラウーロさんと夜に一緒にいたことはない。 

 

 夜に2人っきり。

 

 そのシチュエーションを夢想し、既に果たしているというヘンリエッタにエルザは嫉妬の炎を燃やす。

 

 

「星を観るんだから、夜だよ」

 

 

 当たり前じゃないというヘンリエッタの言い方。平時ならば別段引っかかるようなものでもないのだが、今のエルザは妙に気に障り、何とか言い負かしたくなった。

 

 

「あら、知らないの? 朝や夕方だって星は見えるわ」

 

 

「……え?」

 

 

 ヘンリエッタが、一瞬固まった。

 これはいけると踏んだエルザは、更にたたみかける。

 

「金星は地球より内側を回っているもの。星を観るからといって、夜とは限らないわ」

 

 勢いで言ってしまったが、自分が内容が殆ど言い掛かりなことを自覚し、エルザは失敗したと思い、うつむく。

 

 沈黙がエルザの部屋を支配する。

 

 

「思い、出した……」

「え? ヘンリエッタ!?」

 

 これは流石に謝るべきかと顔を上げたエルザの目に飛び込んできたのは、ぽろぽろと涙を流すヘンリエッタだった。

 確かに自分が悪いのだが、ここまで泣かれる程の事だたろうかとエルザは慌てる。

 

「ご、ごめんなさい。少し言い過ぎたわ」

 

 対人関係について、知識はあっても実戦経験が少ないエルザは非常に困った。やはり自分には交流を深めるのは無理なのかとも思う。

 

「違うの……。わたし、ジョゼさんと夜に天体望遠鏡で星を観る前にも、一緒にライフルスコープで金星を観て、教えてもらってたの。でも、それを忘れちゃってた……。大切な、大切な思い出だったのに」

 

 泣きながら話すヘンリエッタ。

 その姿に共感を覚えるが、エルザはそれ以上に重要な事に気づく。

 

「でも、わたしとの話の中であなたは思い出せたのよね?」

 

「……うん、ありがとうエルザ。でも、もしかしたらこの思い出も、他の思い出も忘れちゃうのかもしれない。ううん、もういくつも忘れてしまって、その事にきづいてすらいないのかも――」

 

「だから、できる限り共有しましょう。担当官との思い出を話して、時々振り返って。少しでも手放さないように」

 

 エルザは真っ直ぐにヘンリエッタを見つめる。

 これは、独りでは出来ないことだ。

 仲間がいる。

 そして、ヘンリエッタは仲間たり得る。

 

 あくまで自分とラウーロの為ではあるが、エルザはヘンリエッタに価値を見いだしていた。

 

「……できるかな?」

「……やるのよ。わたしとあなたで、お互いの担当官のために」

 

 

 

 

 

 

 バーでジョゼにしこたま説教を食らってから数日、ついに狙撃任務の日が来た。

 俺はエルザと一緒に、駐車場でジョゼとヘンリエッタを待っている。

 

 うん、それにしてもあの夜はどうかしてたな俺。この世界のジョゼと薄い本のジョゼが別人なのは分かっていたはずなのに。

 というか、ラウーロの体、前世の俺より酒に弱い気がする。前世だとあのペースでも大丈夫だったからなぁ。気をつけないと。

 

 などと反省していると、すぐに2人が来た。

 さて、原作だと自分はラウーロに構ってもらえないのに、いちゃいちゃしてるジョゼとヘンリエッタを目の当たりにしてエルザの調子が狂いミスを連発、ラウーロに失望されてパァンにつながった。

 まあ、現時点で俺はめっちゃエルザを構ってるし、万が一失敗しても責めるような気はないので既にその懸念は無いのだが、他の義体と組んだときのエルザがどうなるかは未知数だ。

 今後の任務での生存率にも関わってくるのでしっかりと見定めたいのだが――

 

「ヘンリエッタ、頑張りましょう」

「うん、エルザ」

 

 任務を前に、エールを送り合うエルザとヘンリエッタ。

 え、君たちどうやってそんな急速に仲良くなったの?

 他の義体と仲良くしてみろとは言ったけど、ここまでとは!

 エルザ! 恐ろしい子!

 

 俺とジョゼは2人の関係の変化を不思議に思いつつも、それぞれ車に乗り込み会話を楽しみながらシエナに向かった。

 

 

 

 なお狙撃任務は、何の不調もなかったエルザがほぼほぼ心臓と思しき当たりを撃ち抜いてから、倒れ伏した瞬間にヘンリエッタが追撃のヘッドショットを決めてどうみても間違いないレベルで暗殺に成功。

 

 狙撃後ハイタッチをする2人を俺とジョゼで褒めて、それぞれでシエナを観光して帰りました。

 

 

 

 



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第7話

ぎりぎりだー。



「お、ヒルシャー。ナポリの件はもう片付いたのか?」

 

 任務を片付けてエルザと公社に戻った俺は、本館の廊下でヒルシャーとトリエラに出会ったので話しかける。

 

「ラウーロさん。それが、ターゲットには逃げられてしまいまして……。裁判に出る約束はしたので、後は当日無事に現われるのを祈るだけです」

 

 マリオ・ボッシの保護任務は、原作通りに逃がしてしまったようだ。

 トリエラの表情が一瞬硬くなったので、やはり彼女が見逃してやったのだろう。

 この結果を分かっていた俺だが、任務への介入はしなかった。

 

 マリオに娘さんと会わせてやりたいというのもあるが、この件は、トリエラとヒルシャーの距離が縮まる重要な出来事だ。下手にいじるのはためらわれた。

 

「まあ保護ってのは難しいからな。マリオを狙ってるマフィアをぱーっとぶっ殺せって任務の方が気が楽だぜ」

 

 やれやれと俺は肩をすくめる。

 ちなみに、俺の対荒事メンタルは元のラウーロさんの影響により、結構強い。原作だとラウーロが戦う描写はまったくなかったけど、最近の俺はエルザと一緒にドンパチもするようになって実際何人か撃ち殺した。

 前世の俺では恐らく震えてへたり込むか胃が空になるまで吐きまくるかの二択というような惨状を目にしても、仕事だと割り切ることができた。憑依転生様々である。

 

「トリエラがマリオを襲ったマフィアを何人か返り討ちにしたので、手は出されにくくなったはずです。ああ、そうだ――」

 

 ヒルシャーは眩しそうに微笑んだ。

 

「ラウーロさんが提案した防弾装備のお陰で、トリエラの怪我が少なくて済みました。ありがとうございます」

 

 そう言って頭を下げるヒルシャー。

 律儀というかなんというか、真面目な奴だな。

 そう、原作のこの事件で、トリエラは両腕に3発銃弾を受けていた。今後のトリエラが担当する任務を考えるとたかが3発、されど3発。

 

 お、ヒルシャーのお礼を聞いたトリエラが何だか複雑な、笑顔と困り顔をまぜたような表情になって、ちょっとそっぽを向く。

 大方、ヒルシャーが直球で心配してくれたのを素直に受け止められないのだろう。

 はっはっは、このツンデレさんめ。

 

 まあ何にしても、効果があったのは良かった。

 ウチのエルザもそうなのだが、義体達は腕への被弾率が何げに高い。

 まあ腕を撃たれてもさしたるダメージはないし、頭部を守る必要もあるので、ほいほいガードに使ってしまうのだろう。

 実際眼球を含む頭部を撃たれるよりは大分ましだ。

 

 それでも、確かに大きなダメージにはならないが、できる限り義体達への投薬量を減らしたいので、装備関係で提案をしてみたのだ。

 今までの任務での義体の損傷箇所のデータから腕の被弾率を出して課長に意見を提案し、コートなどの上着の袖や肩部分を中心に防弾性の高い素材を使用した仕事着を作成してもらい任務に出る義体に着させることにした。

 

 ヴァイオリンケースを持った普通の女の子が突然戦闘能力を発揮することでテロリストの虚をつけるということの有用性は分かる。

 いかに見た目が小さな女の子であろうと、あからさまに防弾チョッキなんて着ていたら警戒もするだろう。防弾装備がないように見せておきながら、生身でも防弾チョッキ並の防御力を有するのが義体の強みなのだ。

 

 しかしながら、今の季節は冬。

 女の子が厚手のコートを着ていても、何ら違和感が無い季節である。そのため、これまでの利点をなくさないという意見も合わせて提案したところ採用の運びとなったわけだ。

 夏場はどうするかについてはまた後で考えるとしよう。

 

 

「効果があったなら何よりだ。なるべく、この子らに怪我はして欲しくないからな」

 

 

 言いながら俺は隣のエルザの頭をぽんぽんと軽く叩くように撫でる。

 撫でられたエルザは目をつむり、心地よさそうな表情をする。

 はい可愛い。

 

 そんな俺たちの様子を見たヒルシャーは、トリエラには気づかれないようにそっと自分の手とトリエラの頭を交互に眺め思案するような顔になり、すぐにそれはないなというような表情を一瞬見せてから、手を下げる。

 

 おいヒルシャー、未来のお前が持つ思い切りの良さを発揮できれば、トリエラの頭をぽんぽんするくらい朝飯前だろうが! 諦めんな! 諦めんなよそこで!

 

 とかなんとか考えていると、エルザが頭を撫でていた俺の手をそっととって、腕にぎゅっと抱きついてくる。

 うん、お胸の感触はごくささやかながらも心地よい柔らかさがある。

 これでいい。

 これが、いい。

 更に、すり寄せられるほっぺもぷにぷにとして実に良い。

 

 

 狙撃任務以降、エルザは少しずつだが自分からこんな風に俺に接触してきたり、自分の好みを伝えたりという行動が見られるようになってきた。

 いやもうマジで嬉しいことではあるのだが、それにしても今日はやけに積極的だなぁ。

 

 と、エルザの顔がトリエラの方を向く。

 それを受けて、何やら頬をひくつかせるトリエラ。

 位置的にエルザの顔は見えないのだが、どんなアイコンタクトをしたんだろうか。

 

「ヒルシャーさん、そろそろ行かないと! 報告がおくれちゃいますよ。ラウーロさん、それでは失礼します。装備の件、ありがとうございました」

 

 そう言うとトリエラは、ヒルシャーの手をつかんでずんずんと廊下を進んで行った。

 

 ひょいとエルザの顔をのぞき込むと、可愛く笑って俺を見上げる。

 はい、上目遣い頂きました!

 これは悶える。

 

 そんなクリティカルヒットを受けつつも、しかし俺は見逃さなかった。

 俺を見上げる前のエルザの顔に浮かんでいた、どこかしてやったりといった雰囲気の笑みを。

 

 ヘンリエッタとは随分仲良くなったようだけど、トリエラとはどうなんだろうか。エルザに聞いても教えてくれないだろうし、今度クリスマスのプレゼントを買いがてらヒルシャーに聞いてみよう。

 

 

 

 



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第8話 

誤字報告ありがとうございます! 助かります!

今回は三人称でギャグ回です。一部キャラ崩壊がありますがご容赦ください。


 時は、エルザとヘンリエッタの狙撃任務の翌日に遡る。

 

「お邪魔するわ」

 

 自分とヘンリエッタの部屋を訪れたエルザを目にしたリコは不思議そうな顔をして小首を傾げた。

 エルザが自分達の部屋に来るなど、初めてのことだったからだ。

 

「エルザ。どうしたの?」

 

 ヘンリエッタが特に戸惑いも無く受け答えをするのを見るに至り、リコはますます不思議に思う。昨日初めて一緒に任務を担当したとは聞いていたが、そこで何かあったのだろうか。

 とりあえず、よく分からないときはトリエラに聞こう、とリコは考え、部屋を出た。

 

「昨日のシエナでのお互いの行動を共有しておこうと思ったの」

 

 自分が来たのを受けて人が部屋から出る、割と傷つく行動ではあるが、エルザに関しては何ら痛痒を感じることではなかった。

 

「ああ、そうだね。わたしとジョゼさんは大聖堂に行ってきたよ。中にピッコロミニ家の図書室っていう部屋があって、フレスコ画がとっても綺麗だった。ポストカードを1枚買ってもらったから、きっと忘れないよ」

 

 ヘンリエッタは机からポストカードを取り出し、エルザに見せる。

 

「そうね、これなら行った場所としっかり結びつくから強く記憶に残りそうね」

 

 うんうんと頷くエルザ。

 

「あとはどうだったの?」

 

「あと、ピチっていう太めのパスタを食べたけど、もちもちして美味しかった。食堂のバイキングにも出ないかな。そしたらきっと忘れないのに……」

 

「ピチはわたしもラウーロさんと食べたわ。2人でリクエストをすれば、メニューに入れてもらえるかもしれないわね……。ああ、ピチと言えば」

 

 エルザは意味ありげに言葉を止め、頬を緩ませる。

 

「えっ、どうしたの?」

 

「わたしとラウーロさんで、違う味付けのピチを頼んだの。それで、お互いどんな味か気になるじゃない? だから……」

「それでそれで」

 

 真剣な表情のヘンリエッタと、ささやかな胸を反らすエルザ。

 

 

「あーんをしてお互い食べさせ合ったわ」

 

 

 ラウーロが見たならば額に入れて飾りたいレベルと評したであろうドヤ顔を決めて、エルザは言った。

 

「いいなー! うう、わたしはジョゼさんと同じのを頼んじゃったから……」

「違うものを頼めばそういう事もできるということよ。今度やってみればいいじゃない」

「いいないいなー」

 

「わたしだって、ヘンリエッタがポストカードをもらったのは羨ましいわよ? ラウーロさんとピエンツァに行ってとっても綺麗な村と丘の風景が見られたのは嬉しいけど、形に残るものが手元にないもの……」

 

 先程までの笑顔から、少し憂いを含んだ表情を見せるエルザ。

 

「……そっか、じゃあしっかり覚えておかないとね。わたしも、頑張って覚えてる! あと、エルザがシエナでやったの、わたしも出来たよって言えるようにする! そうすれば絶対忘れないよ!」

 

「期待しているわ!」 

 

 ファイティングポーズをとって決意を固めるヘンリエッタと、その手を包むエルザ。

 

「……あなた達、一体どうしたの?」

 

 リコに連れられてやってきたトリエラが、その光景を見て不審そうな目を向けた。

 

 

 

 

 

「ねートリエラー」

 

 トリエラが自室にて、日課であるくまのぬいぐるみの配置調整を行っているとリコがやってきた。

 

「どうしたのリコ?」

 

 聞き返しつつも、視線はドービーに向けられており、頭の中はもう少し右を向かせるか否かの判断をつけるのにフル回転していた。

 

「……そうなると長いわよ」

 

 ルームメイトのクラエスは全てを悟りきった表情で言う。

 リコは大人しく頷くと、クラエスに本を読んでもらいつつトリエラがこっちに帰ってくるのを待つことにした。

 

「……これだ」

 

 最終的に、それまでの調整を全て放棄。ドービーを逆さまにしてスリービーとハッピーで挟んで固定するという形態をベスポジと判断し、トリエラは帰還を果たすのだった。

 

「待たせてごめんねリコ。今朝はクマポジがなかなかしっくりこなくてさ」

「ヘンリエッタの所にエルザが来たの」

 

 すっきり爽やかといった笑顔で言うトリエラに相槌の一つも入れず、リコは即用件を切り出す。

 

「エルザが? 何かの連絡?」

 

 クマポジの話をスルーされるも特に気にせず、最もにして唯一ありそうな可能性を提示するトリエラ。しかしリコはふるふると頭を横に振る。

 

「私用で来たみたいだったから、緊急事態だと思って」

「仮に私用だとしたら相当な緊急事態ね」

 

 さらりと言うリコと、ドシリアスな表情で深く頷くトリエラ。

 

「これは事件ね。行ってらっしゃい」

 

 義体棟の治安維持は基本的に年長組のトリエラとクラエスに任されており、クラエスは基本動かないので実質トリエラが全部解決することになる。

 

 その立ち位置になってから様々な事件を解決してきたトリエラだが、今回ばかりはどうなるかと思いつつリコを従えてヘンリエッタの部屋へと急行するのだった。

 

 そうして目にする、謎の闘志に燃えるエルザとヘンリエッタ。

 

 

「……あなた達、一体どうしたの?」

 

 

 

 

「トリエラ。ええっとね……」

「ヘンリエッタと、担当官への愛を確認していたのよ」

 

 思わずうわぁという表情をするトリエラ。

 

「今は、お互いのデートでの良かった点と反省点を確認して、次のプランの改善を検討しているわ」

「はい、ごゆるりと。行くわよリコ。なんかクマポジの調整をしたくてムズムズしてきたわ」

「待って」

 

 逃げようとするトリエラを、エルザはすかさず捕まえる。

 

 

「あなたも、我ら『担当官大好き同盟』に入らない?」

「仮にヒルシャーさんを好きだとしてもその同盟に入るのは断固無理」

 

 

 即決で断られ、真夜中にあの日と同じ歩道を無言で辿る時の様な瞳になるエルザ。

 

「エルザ、その名前初めて聞いたんだけど……」

 

 唖然とした表情のヘンリエッタ。

 エルザの鼓動が、凍てついた銀色の月に照らされたかのごとく早鐘を打つ。

 

「凄くいいと思う」

 

 ヘンリエッタの全面肯定により、義体棟内でのパァン事件は未然に回避されることとなった。

 

「分かったわ……。『担当官大好き同盟』改め『担当官大好き連盟』にするから」

「そこに関してはどっちでもいいなぁ」

「……っ! 『担当官愛してる同盟』!? やるわねトリエラ」

「いや、あなた達の上を行ってるわけでもない」

 

「はー、まあそういうわけで、エルザはヘンリエッタと担当官の話をしに来ただけみたいだから問題なさそうよ、リコ。2人も、のろけ話はほどほどにしておくのよ」

 

 用は済んだとばかりに戻ろうとするトリエラ。

 

「待って」

 

 再度呼び止めるエルザ。

 

「トリエラ、あなたを仲間に入れて見せるわ。あなたも心の奥では、担当官に撫でたりいろいろして欲しいと思っているはずよ」

 

 厳かなる宣戦布告。

 

 この日以降、エルザはトリエラヒルシャーの前で特に、ラウーロとスキンシップをはかるようになるのだった。

 

 




キャラソンCDのポカフェリはどれも名曲でした


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第9話

遅くなりました。
この話を書くのに大分迷いまして……。



 クリスマスイブ。

 前世の日本では当日よりむしろこっちが本番とばかりに大騒ぎだが、イタリアを含む西洋諸国では別段そんなことはない。

 10月下旬からクリスマスムードが始まるので、イブだけが特別という意識はあまりないのだ。むしろ、クリスマス当日は家族でゆったり過ごす場合が多いので、イブはそれまでの盛り上がりがおさまる日と言える。

 

 はい、というわけでクリスマスイブです。

 はっきり言うと、原作における俺とエルザの命日です。

 

 クリスマスの日は原作だと俺が「明日も早いんだ」と言っていた通り任務が入っていたのだが、折角なのでエルザとゆっくり過ごしたいと思って頑張った結果予定よりはやく、イブの夕方には片を付けることができた。

 

 それにより追加の任務が入るということもなかったためそのまま休暇を申請。エルザにどこか行きたいところはないか聞くと、例の公園に行きたいとの答え。

 原作知識持ちとしては、血の海に沈むエルザを思い出してしまい少々気が重いのだが、今のエルザにとっては俺から名前を貰った大切な場所だ。クリスマスイブに行っておくのも良いだろうと思い快諾した。

 

 そして――

 

「ラウーロさん、あなたの全てをください」

 

 今俺は、微笑むエルザに銃を向けられている。

 

 

 

 

 12月23日

 

 クリスマスイブの明日は、今関わっている任務が大詰めとなり忙しい予定なので、エルザへのプレゼントを買いに街へとやってきた。

 そういえば、今日は天皇誕生日だなとふと思う。日本人の前世持ちとしては、東に向かって柏手でも打っておくべきだろうか。

 

「それじゃあまた後で」

 などと考えているとジョゼがデパートの別のフロアを目指して歩いて行く。

 

 買い物には、ヘンリエッタへのプレゼントを買うジョゼも一緒に来ているのだ。

 ヒルシャーはまだ忙しいそうで来なかったが、既にクマを購入済みとのことだった。流石、ドイツ人は計画的というか生真面目である。

 

 俺は装飾品売り場で、羽ばたく鳥をモチーフにしたペンダントを買った。

 ぬいぐるみ系を持つエルザというのも大層可愛いので悩んだのだが、トリエラの二番煎じになってしまうので別の機会に譲ることにした。

 モチーフの理由はエルザのイメージソングから。あちらは空の夢を抱いたエルザが蝶には成れずに死んでゆくというものなので、同じく空を飛ぶ生き物である鳥にした。

 

 蝶にしなかったのは、鳥の方が長く生きられるからだ。

 

 ジョゼは原作通りカメラと日記帳を買った。

 

「カメラと日記帳、か」

 買い物を終えて合流し、カフェでコーヒーを飲む。

 店内に他の客はまばらだ。

 

「ああ。少しでも、思い出を忘れないでいて欲しいからね。ヘンリエッタはこの前、忘れてしまっていたことを、一緒に金星を観たことを思い出してくれたんだ」

 嬉しそうな言葉を言うジョゼ。だが――

 

「そうか、そいつはいい話だ。だったら何で――」

 俺はジョゼの顔に視線を飛ばす。

 

「お前はそんな辛気くさい顔をしてる?」

 

「……………………」

 

 俺の指摘に、ジョゼは押し黙った。

 

「……いや、悪かった。」

 つい言ってしまったが、俺はジョゼに謝罪をした。

 

「俺もな、悩んでんだ。エルザのこと」

 コーヒーを一口飲む。いつもより、苦く感じた。

 

「……どんな風にだ?」

 

「……シエナでの狙撃任務の打ち合わせで飲んだ時に話しただろ、義体の子達には少しでも幸せを、ってやつ」

「ああ、そうだったな」

「……何をもって幸せとするのか、なんてことを考えちまってな」

 俺は、プレゼントの入った包みをそっと撫でる。

 

「褒めたり気遣ったり、贈り物をしたり……。今までしていなかったからってのもあるが、エルザはそういう事に幸せを感じてくれてはいる。だけど――」

 

「………………」

 ジョゼは黙って続きを促す。

 

「足りないと思っちまう。あの子の献身に、応えきれるのかってな」

 

 考えてしまった。

 

 このまま、エルザを大切にしていったとして、任務上の危機を上手く乗り越えられたとして、彼女はいつまで生きられるのだろうかと。

 初めは、不幸過ぎる運命を辿る彼女にぬくもりを与えたかった。

 そうして見せてくれる笑顔が嬉しかった。

 けれど、それが積み重なるにつれて、積み重ねるからこそ、不安に襲われる。

 自分は、エルザを幸せに出来るのだろうか、と。

 

「――ラウーロ、君がそうまで想っているのなら、エルザは幸せだ」

 ジョゼはどこか苦く、自嘲するように言う。

 

「それに比べると、ヘンリエッタは……」

「……お前がヘンリエッタとの間に壁をつくっちまうのは仕方ないさ」

 

 クローチェ事件。

 ジャンとジョゼの両親に妹、ジャンの婚約者が犠牲になったテロ事件。

 兄弟は妹を亡くし、彼女の名にちなんだ名を義体に与えた。

 兄妹という呼称は何の皮肉なんだろうか。

 

「だけどなジョゼ、お前だってヘンリエッタの不幸を知って、そのまま死なせたくないと思ったから選んだんだろう?」

 

「……流石に、諜報あがりはよく知ってるな」

 

「誤魔化すなよ。とにかく、俺とお前は同じスタートで、同じ所で悩んでるんだ。お前にはお前のやり方や考え方があるとは思うが、一緒に頑張っていきたいってのが正直な所だ」

 俺は残っていたコーヒーを飲み干す。

 もやもやを言葉にできたからか、先程の苦さはなかった。

 

「……もう少し、考えてみるよ。自分の気持ちとヘンリエッタのことを」

 そう言って、ジョゼもコーヒーを飲み干した。

 願わくば、こいつも苦みが軽くなっていることを。

 

 

 

 

 

 翌日、俺とエルザは朝から任務に取りかかり夕方には完了。公社に帰還したのは日が落ちた後だった。

 

「さてと、あとは報告をして、今回の任務も無事終了だな」

「はい、簡単でしたね」

「ああ、エルザも怪我がなくて良かった。だがこれからも油断はするなよ」

「はいっ!」

 

 自信があるのは良いことだが、慢心になってしまっては今後いろいろ不味いので一応釘を刺しておく。

 

「仕事の方も一段落したし、明日はクリスマスだ。今から休暇をとってどっか旅行でも行くか。エルザは何か見たいものとか食べたいものはあるか?」

 

「あ、実は行きたい所が……」

 

 そうして告げられたのは、例の公園。

 エルザが名前を与えられ、

 エルザが命を亡くした場所。

 

「ああ、じゃあそこから行こうか」

 脳裏に浮かぶ、血の海に沈むエルザの姿。

 綺麗に編まれた金髪も、血に染まっていて――、

 

「あっ、ラウーロさん……」

 安心したくて、エルザのお下げ髪をさらりと撫でた。

 

 

「エルザの髪は、手触りがいいな」

 この子は、生きている。

 エルザは照れたが、俺はしばらく髪を撫で続けた。

 

 

 

 任務完了の報告と休暇の許可を取り、エルザと一緒に郊外の公園に車で向かう。駐車場に車を止めると、石畳の道を歩く。

 原作とは異なり、俺とエルザは手をつないでいた。別にエルザを警戒しているわけではない。その方がエルザが喜ぶと思ったからで、実際エルザは嬉しそうに歩いている。

 

 そうしてしばらく歩くと、広場についたので入る。

 

「ラウーロさん、この公園を覚えていますか?」

 

 ささやくようなエルザの声。

 

「ああ、勿論だ。『エルザ・デ・シーカ』エルザに名前を付けた場所。大事な場所だ」

 

 そう答えると、エルザは花が咲くように微笑む。

 

「覚えててくださって嬉しいです。この名前は、ラウーロさんに頂いた宝物です」

 

 エルザは数歩進むとこちらに振り返り胸に手を当てて、そっと目を瞑る。

 

「そう言ってもらえると俺も嬉しい。それと、名前には及ばないかもしれないが、エルザの宝物をもっと増やしてやりたいと思ってる」

 

 前日のジョゼとのやりとりを想起しながら、俺は言う。

 エルザには、与えられる限りのものを与えたいとそう思った。

 

「それなら――」

 

 エルザの口が言葉を紡ぐ。プレゼントは既に買ってしまったが、リクエストがあるのならこれから用意もしよう。

 

 

 

「ラウーロさん、あなたの全てをください」

 

 

 

 エルザは俺に真っ直ぐ銃を向け、そう願った。

 その表情に悲壮感は無く、むしろ微笑んでいる。

 

「エルザ――」

 

 俺の脳が急速に考えを巡らす。

 

 それは前世をベースとした何故という思いとエルザの思考心情の考察と、今世のラウーロをベースとしたこの状況下で自己の生命を守るための最善の行動の選択に分けられる。

 

 どちらかだけでは駄目だった。

 

 両方が融合していたからこそ、俺は最適解を導き出すことができた。

 

 

 

 

「セーフティー掛かったままだぞ」

 

「あっ!?」

 

 

 

 エルザの動揺。

 外れる狙い。

 その間に俺は自分の銃を抜き安全装置を外して引き金に指を当てる。

 

 エルザとの距離は遠くて近い。

 銃を蹴り飛ばすには遠いが、エルザの眼球を狙って撃つのは俺の腕ならば可能な近さ。

 

 エルザは本気だ。

 ここで俺を殺すのも。

 ここで俺に――――――。

 

 だから俺はエルザが安全装置を外し再度狙いを付けるその直前に――。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「やめてええええええええええええええええ!」

 

 

 絶叫が夜の公園に響く。

 

 エルザは涙目になりながら銃をふらふらさせていたが、やがてその場にへたり込んだ。銃を力なく下げるエルザを見て、俺も自分の銃を下ろした。

 

「エルザ、お前に殺されるのもお前を殺すのも、プレゼントにはできないよ」

 どうにか紡いだ言葉は、自分の発した声とは思えない弱々しさだった。

 

 銃を回収し、安全装置を掛ける。

 エルザは、放心状態で涙を流し続けていた。

 

 



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第10話

前話のエルザ視点です。
条件付けについて独自解釈があります。


 あの公園に行きたいというわたしの願いを、ラウーロさんは受け入れてくれた。

 わたしに名前をくれた場所だという事も、しっかり覚えてくれているようだった。

 

 こうしてわたしの中に、また一つ幸せが積み重なっていく。

 それはとても嬉しいことで、同時に悲しいことだ。

 

 わたしが先に抱いた恐怖は杞憂だった。

 ラウーロさんが注いでくれる幸せは途切れることなく、わたしの中に蕩々と流れ込んでくる。

 しばらくは、その幸せに身を委ねていられた。

 

 けれど――、わたしは自分の強欲さに、罪深さに恐れおののく。

 

 ラウーロさんは、わたしを大切にしてくれている。

 それはきっと、いつまでも続くことだろう。

 

 

 でも、いつまでもというのは、一体いつまで?

 

 

 ……目を逸らすのは止めよう。

 とっくに分かっていた。

 いや、それも違う。

 分かったふりをしていただけだった。

 ぬくもりを知ったからこそ、理解できるようになってしまった。

 

 この幸せは、ぬくもりは――、

 

 遠くない未来に訪れる、わたしの死をもって幕を下ろすのだと。

 

 幸せだから、温かいから、やがてくる喪失への恐怖はより大きくなっていく。

 

 だからわたしは、決断をした。

 

 

 

 

 公園の駐車場から、ラウーロさんと手をつないで歩く。

 大きな手のぬくもりが心地よい。

 このささやかな灯火が世界の全てで、永遠に続いたなら、どんなにか幸せなことだろう。

 けれども時は刻まれ続け、そうして約束の場所に辿り着く。

 

「ラウーロさん、この公園を覚えていますか?」

 

「ああ、勿論だ。『エルザ・デ・シーカ』。エルザに名前を付けた場所。大事な場所だ」

 

 ラウーロさんはしみじみと、そう言ってくれた。

 大事な場所。

 胸が幸福で満たされていく。

 

「覚えててくださって嬉しいです。この名前は、ラウーロさんに頂いた宝物です」

 

「そう言ってもらえると俺も嬉しい。それと、名前には及ばないかもしれないが、エルザの宝物をもっと増やしてやりたいと思ってる」

 

 僅かな憂いを含んだ、ラウーロさんの微笑み。

 そう、ラウーロさんも考えてくれているのだ。

 

 わたしとラウーロさんの、おしまいを。

 

 そうして、わたしは迷いを捨てた。

 

「それなら――」

 

 自然な動作で、銃を手にする。

 セーフティーはあえて外さない。

  

「ラウーロさん、あなたの全てをください」

 

 わたしはラウーロさんに真っ直ぐ銃を向け、自分の願望を晒した。

 

 無事に銃を向ける事ができて安堵する。

 もしかしたら、条件付けのせいで担当官に対する攻撃的な動作ができないかもしれないという不安があったからだ。

 ただ、セーフティを付けているからこそ可能なのかもしれないという懸念はある。

 

「エルザ――」

 

 ラウーロさんは唖然とした表情を見せる。

 そうですよね。

 あんなに良くして頂いたわたしがこんな事をしでかすなんて、思ってもみなかったですよね。

 申し訳なさでいっぱいになるが、もう止められはしない。

 

 ラウーロさんは驚きつつも、どこか冷静に思考を巡らしている。

 すごいなぁ。

 

 

「セーフティー掛かったままだぞ」

 

 ラウーロさんならきっと、気づいてくれると思っていました。

 

「あっ!?」

 

 わたしは虚を突かれたように一瞬射線を外す。

 致命的な隙だ。

 

 そこから、わたしの思考は急速に巡り、時間が引き延ばされる感覚に陥る。

 

 一番の望みは、このままラウーロさんがわたしを撃ってくれることだ。

 今の幸せに満ちた状態で、ラウーロさんの手で終わらせてもらえる。

 それは、どうしようもないほどに魅惑的な終幕。

 きっと、ラウーロさんは生涯わたしを忘れはしないだろう。

 わたしは、ラウーロさんの中で一緒に生き続けることができるのだ。

 

 だから、本気でラウーロさんを撃ちにいく。

 わたしを殺すしか、止める方法は無いという状況をつくり出す。

 

 思考速度とは裏腹に酷くゆっくりした現実の動き。

 ラウーロさんが銃を抜き、セーフティを外して引き金に指を当てるのが見える。

 そうして、わたしの指もようやくセーフティを解除する。

 ここからだ。

 ラウーロさんとは丁度良い距離を取った。

 銃を奪ったり手放させたりという方法での無力化ができない距離。

 わたしを止めるには、殺すしかないという距離。

 

 わたしは渾身の力で体を制御する。

 ラウーロさんにセーフティの外れた銃を向けようとすることへの忌避感を押し潰す。

 できた。

 わたしの死の覚悟は、条件付けを凌駕した。

 わたしの本気は、きっと伝わっている。

 

 タイミング的には、迷わなければラウーロさんの方が速い。

 

 もしラウーロさんがわたしを撃つことを躊躇したならば、わたしはそのままラウーロさんを撃つ。

 

 最愛の人を、この局面でなおわたしを気遣ってくれる優しい人を、撃つことになる。

 

 そうすれば、わたしは迷わずに逝ける。

 最愛の人を手に掛けた最悪の自分が、絶望の中で自害するのは如何にもお似合いだからだ。きっと地獄へ落ちて、業火で焼かれ続けることだろう。

 

 ラウーロさんの全てを奪い、昏い喜びの中で死ぬ自分。

 それはとても蠱惑的だ。

 

 けれど、同等にラウーロさんに生きていて欲しい自分も確固として存在する。

 ……嘘だ。

 同等なんかではない。

 本当は、ラウーロさんを撃ちたくなんかなかった。

 それならこんな馬鹿げたことを止めればいい。

 理屈では分かっている。

 けれど、このままではやがて確実に訪れる終わりに怯え、ラウーロさんがくれる幸せに耐えきれず、幸せを幸せと受け止められなくなってしまいそうな自分の姿が容易に想像できてしまった。

 そうなってしまうくらいなら、いっそのこと……。

 

 

 ――だからラウーロさん、どうかわたしを殺してください。

 

 

 切なる想いを胸に、わたしは思考を閉じた。

 急速に戻ってくる時間の波。

 わたしの銃は、まだ狙いを付けられていない。

 

 銃を持つラウーロさんの手は一切のよどみなく動き――、

 

 

「やめてええええええええええええええええ!」

 

 

 わたしは叫んだ。叫ぶことしかできなかった。

 ラウーロさんの銃は、あろうことかラウーロさんの頭に向けられている。

 

 どうすればいい? どうしようもない。

 当然わたしは撃ってもらえない。

 わたしがラウーロさんを撃つのも無理だ。

 それよりも速く、ラウーロさんは自らを撃つという確信があった。

 

 殺されることも、殺すことももはや叶わない。

 

 そう意識した刹那、先程まで圧倒していた条件付けの行動阻害が一気に襲いかかってくる。

 

 指は自然に引き金から外れ、目には涙が溢れ、もはや立っていられない程に平衡感覚が狂っていく。

 わたしは、そのまま地べたにへたり込むしかなかった。

 

 そうして、ラウーロさんは頭に突きつけていた銃を下ろした。

 

 

「エルザ、お前に殺されるのもお前を殺すのも、プレゼントにはできないよ」

 

 

 ラウーロさんの声がとても哀しそうに響いた。

 

 そんな声を出させてしまったことに、強烈な罪の意識がわいてくる。

 わたしは自分の体が、とても冷たいもので覆われていくのを感じた。

 

 ――ああ、なんて寒いんだろう。

 

 そのまま、全てが雪の中に消えていくように、わたしの意識は薄らいでいった。

 

 



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第11話

 放心状態になってしまったエルザを前に、俺はとりあえずこの場を離れることにした。偽装の身分証で親子であると証明はできるが、万が一通報でもされたら厄介だ。まあ、クリスマスイブの真夜中にこんな所を通行人が通るとも思えないが、冷え込みも厳しくなってきた。どこか手近な公社のセーフハウスに行くことを決める。

 

 エルザを背負って、車を目指す。

 お姫様抱っこでもしてやりたいシチュエーションなのだが、正直言って義体は華奢な見た目とは裏腹に結構重いのだ。駐車場まではそこそこ離れているのでこのスタイルを選択した。

 

「……真剣に悩みそうだな」

 

 体重について指摘されたらエルザはどんな反応をするだろうかと想像してみる。

 

「ちょっとからかって、怒られる、そんな気安い遣り取りもしてみたいぞ……」

 

 目覚めたエルザとの関係がどうなるかはまだ未知数だが、願わくばそんな未来が訪れますように。

 星空に祈りつつ、俺は車へと急いだ。

 

 

 

 車を1時間程飛ばし、目的の家に着く。複数ある公社のセーフハウスのうち、それなりに近くてあまり利用されなさそうな所を選んだ。

 一応、滞在中を示すサインをドアにしかけ、内側からチェーンロックをかけておく。こうしておけば、よっぽどの緊急事態でも無い限り乗り込んではこないだろう。

 

 エルザをソファに寝かせ、暖炉に火を付ける。

 しばらくすると部屋が暖かくなり、ようやく人心地ついた。

 薪の爆ぜるぱちぱちという音も、気持ちを穏やかにしてくれる。

 

 そうして、エルザの様子をみる。

 涙は止まっているが、目には光が無い。

 

「……エルザ」

 

 呼びかけるが反応は無し。

 目を開けたまま気絶している、のか?

 

「エルザ、エルザ!」

 

 揺すって大きな声を出すが、やはり反応はない。

 嫌な予感が背筋を上ってくる。

 

「……冷たい」

 

 頬を軽く叩こうと触れたエルザの肌は、やけに冷たく感じた。

 

「――どうする」

 

 エルザを毛布で包むと、暖炉の前の安楽椅子に座らせる。

 しかし、これで目覚めるような簡単な事態だとは思えない。

 呼吸が安定しているのがせめてもの慰めだ。

 

 エルザの今の状態として近そうなのは、ラバロ大尉を失った直後のクラエスが思い当たった。

 エルザの心情を考える。俺を殺すか俺に殺されるかを望んで行動し、どちらも叶わなかった。常識的に考えて、そんな事をやらかして今まで通りの関係に戻れるとは思うまい。

 もう二度と会えず、それでも生き続けなければいけない。

 そんな状況下ならば、心神喪失状態に陥ってしまうのも頷ける。

 

 そうであると仮定すると、今の状態のエルザの意識を取り戻させるには、クラエスのように公社で条件付け関係の処置をするしかないという事になる。

 だが、それは選べない。

 公社に担ぎ込んだとして、覚醒処置だけやってもらって後は当人同士で何とかしますんでとはいかないだろう。

 どうしてこんな状態になったのかを聞かれるのは必定だ。

 

 そこで馬鹿正直に「エルザに撃たれそうになったので自分を人質にしたらこうなりました」なんて言ってみろ。

 最悪エルザは廃棄処分。そこまでいかなくても、記憶の消去やら強烈な条件付けの追加やらで寿命をすり減らされてしまう。

 

「何か上手い言い訳はないか……」

 

 俺が性欲を持て余してエルザを襲おうとしたらショックでこうなりました、というのはどうだろう?

 うん、俺が公社をクビになったあと、追加で物理的にクビにされて終わりだな。

 エルザのやったことは誤魔化せてもそれじゃあ意味が無い。

 

「……公社で処置をさせるのは無理だ」

 

 阿呆な事を考えて気分転換を図るも、結論は動かない。

 他の医療機関にかかるというのもできない以上、俺がエルザを目覚めさせる以外の方法はないのだ。

 

 とは言え、一体どうすればいいんだろう。

 俺が習得している医療技術となれば簡単な止血とか心肺蘇生法とかだが、現状では全く出番が無い。エルザの現状は心因的なものだから解決にはカウンセリング的な手法が考えられるが、話が出来ない状態だから困ってるのであってこれまた使えない。

 

 ここで、俺は最近のとある印象的だった出来事を想起する。

 あれはシエナでの狙撃任務から1週間程経った頃、エルザからのスキンシップが増えた辺りの事だ。

 とあるテロリストの拠点の襲撃任務を担当したのだが、下準備の完了からターゲットの予定出現時刻までが数時間空くという事になった。

 朝が早かった事もあり眠気を覚えた俺はエルザに見張りと、何も無くても1時間で起こすように頼むと車で仮眠を取ったのだが……。

 

 

 

 

 

 俺は頬にひんやりとした触感を感じてうっすらと意識を覚醒させた。冷たくて驚いたという程のものではない。むしろ柔らかな感触と相まって心地よいくらいだ。

 寝ぼけ眼をどうにか開くと、視界に金髪のお下げが入ってくる。

 

『……エルザ?』

 

『あっ……、その、そろそろ1時間です』

 

 耳元でエルザのちょっと残念そうな声が聞こえ、頬の感触が離れてエルザの顔が見えた。

 どうやら、頬の冷たい感触はエルザの頬だったようだ。

 

『なかなか斬新な起こし方だな』

 

 こちらとしても気持ちの良い目覚めだったので問題無いのだが、不思議なので言ってみると――、

 

『あの、わたし寒いのが苦手で……。なのでラウーロさんの体温を感じられると落ち着くというか安心するというか』

 

 という答えが返ってきた。

 話によると、俺と手をつなぐのも同じ理由から嬉しいとの事だった。

 ふむ、そういうことなら仕方ない、他に他意はないけどスキンシップしちゃうぞー。

 

 

 

 

 

 という出来事があった。

 それ以来、俺はできるだけエルザとのふれ合いを増やした。まあ、エルザへぬくもりを与える代償に公社の職員から向けられる視線の温度は低下したのだが、等価交換ってやつだ。

 元々胡散臭い目で見ていた1課の連中は元より、同じ2課のフェッロさんまで完全にゴミを見る目で見てるけど、気にしてないもん!

 

 

「……………………やってみるか」

 

 自分の公社での立場を気にしている場合ではない。

 重要なのは、エルザが俺の体温で安心する、ということだ。

 確証は全くないが、できることは全部試すべきだろう。

 俺は覚悟を決めて、心を無にする。

 

 まずはエルザを包む毛布を外す。

 

 次に、コートを脱がす。

 なにせ、室内だからね。暖炉で部屋も暖まったし。

 ここは無心でいけた。

 

 続いて、シャツを脱がす。

 ほら、首元が苦しそうだからリラックスして欲しいじゃない。

 無心だ無心。

 

 更にスカートを脱がす。

 えーと……。

 ええい、自分を誤魔化すのは止めよう。

 

 今から、俺は、エルザを脱がせて、雪山で遭難したときのアレ的なことをしようって言ってんだ!

 

 ……まだ若干開き直り切れてないのはDTだった前世の悲しさよ。

 

 原作3話の表紙でトリエラが着ていたキャミソールっぽい下着(今世ラウーロさん知識だとスリップと呼ぶらしい)とタイツという姿になったエルザを見る。

 このままエルザの意識が戻らないと大変なんだ。邪念を持たず、真面目に取り組まねば。

 

 意を決してタイツを脱がす。

 現われたものに反応するな、これは今現在に関してはただの布だ。

 

 そして、スリップを脱がす。

 現われた、ささやかな膨らみにある桜色の主張。

 はい無理。無心とか無理。フル邪念でガン見してしまう。

 

「――っらぁ!」

 

 とりあえず自分の頬を殴り飛ばして正気を取り戻す。

 

 エルザを今度はお姫様抱っこしてベッドに運ぶと、即自分もパンイチになってベッドに入り、エルザを抱きしめて布団をひっかぶる。

 

 やはり、エルザの全身が冷たい。

 あ、抱き心地が良すぎてヤバい――って邪念を捨てろ俺!

 いろいろ柔らかくていい匂いするけど気を取られるな!

 

「――エルザ、戻って来てくれ」

 

 そうして俺は、あの日のエルザがしたように頬同士を当て、語りかけ始めた。

 

 

 

 

 

 寒さに震えながら、ただ耐えていた。

 それは遠い記憶。

『お前さえ居なければ』

 そんな言葉をぶつけられて、わたしは一人になった。

 火の無い暖炉。

 薄い布切れ。

 最後に食事をしたのはいつだったか。

 心と体が冷たくなっていく。

 

 そんな中、気づけば暖かい場所に居た。

 上等な衣服と満足な食事。

 それから――

 

『エルザ・デ・シーカ』

 

 大切な、1つ目の宝物。

 

 

 それからも、たくさんの宝物を、温もりをもらった。

 大きな温かい手。

 伝わる熱の心地良さ。

 あの冬の日、寒さの中で絶望していたわたしはもういないはずだった。

 

 それなのに、わたしは自分から、その手の温みを離してしまった。

 

 だからわたしは今、あの頃のように寒さに震えている。

 これは罰なのだ。

 いつか消えてしまうからと悲観して、今の大切さを蔑ろにしたわたしへの罰。

 

 消してしまってやっと分かった。

 あの灯火が、いかに自分を温めてくれていたのかを。

 

 だから、これは当然のことなのだ。

 名前の無いわたしに戻り、寒さに耐え続ける。

 そうしてあの時の様にゆっくりと意識が沈んでいき――

 

『――エルザ』

 

 その言葉に、引き上げられた。

 

『戻って来てくれ』

 

 ……そんな資格、わたしには無いんです。

 

『まだ、お前にしてやりたいことがいっぱいあるんだ』

 

 ……もう十分に頂きました。

 

『――俺が、もっとエルザと一緒に居たいんだ』

 

 ――あっ。

 

 その言葉で、ふっと寒さが薄らいだのに気づいた。

 頬、胸、背中、そうして全身に、わたしが離してしまったはずの温もりが戻ってくる。

 いいんでしょうか?

 こんなわたしが、幸せから逃げ出したわたしが、もう一度頂いても。

 わたしは、許されるのでしょうか?

 

 答えるかのように唇に熱を感じ、わたしは明るい方へと手を伸ばした。

 

 

 

 

 東の空が白み始める頃、エルザの瞳に光が戻った。

 焦点を合わせて、しっかりと俺を見てくれている。

 それはとても嬉しいことだ。

 

 しかし、タイミングがいささか問題だった。

 エルザにいろいろ語りかけているうちに今までの思い出とかこのままもう意識を取り戻さなかったらどうしようとか思考が千々に乱れ、感極まってしまった結果勢いで唇にキスをしてしまった。

 

 それに呼応するようにエルザの意識が目覚めたので結果的にはベストな行動かもしれないが、現在の状況を客観的に見ると親子設定を偽装できるレベルの年の差の男が意識の無い美少女を裸にしてベッドに連れ込み抱き締めた上で唇まで奪ったわけだ。これはポリス沙汰ですわ。

 

「エ、エルザ――」

 

 自分のしていることを自覚したら一気に恥ずかしくなってしまったのでエルザからパッと離れたのだが、

 

「――っ」

 

 今度はエルザの方から俺に抱きついてキスをしてきた。

 

「……おかえり、エルザ」

「……ただいま、です、ラウーロさん」

 

 エルザと言葉を交わし、ようやく実感がわいてくる。

 幸福感に包まれながら、もう一度俺の方からキスをした。

 

 




エルザには「寒がり」という設定があるとのことですが、出典の原作同人誌を持っていないのでいろいろ捏造しております。


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第12話 

誤字報告ありがとうございます。

今回は前半がいちゃつく2人、後半が三人称視点で語らう義体達になっております。



 エルザが無事に目覚めてくれた後、緊張の糸が切れたのか俺はそのまま眠ってしまった。しかしまあ、あのまま起き続けて意識が戻ったエルザと同衾していたら高確率で下半身が不味いことになっていただろうから、かえって良かったのかもしれない。

 

 ちなみに、起きたときは何故だか妙にすっきりとした気分で悟りを開けそうな穏やかな心持ちだった。起きてすぐにエルザの笑顔を見られて安心したからだろう。しかし、何というか艶っぽい笑顔だったなぁ……。

 

 その後、折角なので料理とケーキ(パンドーロとパネットーネが有名だが、パネット―ネの方にした)を買ってきてゆったりと昼食の時間を過ごした。

 

 それから近くの街を散策し、夕食を済ませた。

 セーフハウスに備え付けてある服の中でもゆったりしてくつろげる物に着替え、俺とエルザは暖炉近くのソファに並んで座る。1枚の毛布を持ってきて、2人で肩に掛けた。

 暖炉の火が燃え、薪のはぜる音が静かに聞こえる。

 

「エルザ、プレゼントだ」

 

 俺は小さな包みをエルザに渡した。

 

「ありがとうございます」

 

 エルザは嬉しそうに微笑み、早速包みを開ける。

 

「ペンダント、ですね。鳥が可愛いです」

 

 じっと眺めたあと、ペンダントを首にかける。

 

「似合ってますか?」

「ああ、可愛いぞ」

 

「……ごめんなさい、わたし、プレゼントを用意していませんでした」

「こうして一緒に居られるのが、何よりのプレゼントだ」

 

 そう答えると、エルザは俺の腕を抱いて体を寄せてくる。

 

「……ラウーロさん。わたし、怖かったんです。幸せを、喜びを一つもらう度に、それをいつか無くしてしまうのが。『いつか』が、そんなに遠くじゃないことが」

 

「……エルザ」

 

 思わず名前を呼ぶ。それしか出来なかった。

 けれど、何もしないでいたくはなかったんだ。

 

「だから、あんな事をしてしまいました」

 

 俺は体の向きを変え、エルザを後ろから抱きしめる。

 

「でも、今は間違っていたと思えます。この温かさは、ラウーロさんとわたしの、両方が生きているからあるんだって、わかったから」

 

 エルザの手が、俺の手のひらを彼女の腹部に導く。

 俺にとっては心地よい冷たさだが、彼女にとっては心地よい温もりに感じられているのだろう。

 

「ラウーロさん、わたしは頑張って生きます。戦いの中か、公社のベッドの上になるかは分からないけど、最期の最後まで、生きます」

 

 エルザの決意の込められた言葉が、胸に溶けていく。

 そうか、こういう気持ちになるのか。

 自分が、随分な無理を言っていた事に気付く。

 エルザが、どれだけ強いのかに気付く。

 

「だからラウーロさん、最期まで、わたしに温もり(幸せ)をください」

 

 いずれ自分の手から零れ落ちる小さな幸福。それを恐れず、生きる事を誓ってくれたエルザに応える為に、俺は彼女を強く抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 年が明けた。

 前世の感覚だと行く年来る年を観ないと年明けを感じられないのだが、イタリア住まいの今世では仕方がない。

 ちなみに、公社の年明けは組織の性質上一般的なイタリアでのそれよりも大分大人しく、古い電化製品を投げ捨てるような事はしない。

 赤い下着を元日に身に着けるというのも、少なくとも他の担当官達はやっていないし義体に贈りもしないそうなので控えておいた。うん、赤の下着ってのはエルザのイメージじゃないな。

 

「ラウーロさん、今年もよろしくお願いします」

 

 年が明ける時、エルザは公社の俺の部屋に居た。

 クリスマスの時の暖炉前のように、2人並んで毛布に包まる。俺の手は、エルザのお腹に添えられていて時折ゆっくりと撫でる。

 あの日以来、こうすると気持ちが落ち着くそうで、エルザが俺の部屋に来る率はかなり上がっていった。

 なお、原作同様担当官の部屋がある廊下はばっちり警備対象なので、俺についての噂はもうこれまでのジョゼを抜いて圧倒的だ。

 別にやましいことはしてないのに。

 ……お腹を撫でるのとかたまにキスするとかはやましくない、はずだ。駄目か。

 

「ああ、いい年になるといいな」

 

 エルザの体温を感じながら、今年の出来事を思い出す。

 暮れに、会うとは思っていなかった一課のフェルミとガブリエリと出会った。原作ではエルザの事件を切っ掛けに始まった義体についての調査だったが、この世界でもこの時期に起きた。

 歴史の強制力という奴だろうか。

 思い返せば、あれだけエルザへの態度を改めても、ベクトルこそ逆だが公園での事件は起きかけたのだ。

 こうしてエルザと共に生きられている事に感謝しつつ、本来の歴史を覆すにはちょっとやそっとの努力では足りないという事を肝に銘じる。

 これから、しっかりと計画を練らなければいけないな。

 

 原作における大きな出来事は、トリエラとピノッキオの対決、サンドロ・ペトラ組を始めとする2期生の導入、それから――。

 

「ラウーロさん?」

 

 アンジェリカの死を思い――いや、そこからエルザの事を想い、気持ちが沈んだのを鋭敏に感じ取ったのだろう、エルザがこちらを気遣った声をかける。

 

「何でもないよ」

 

 それは安心させるためなのか誤魔化すためなのか、俺はそっと、エルザの唇をふさいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 義体棟の食堂。

 公社の義体達は、任務や担当官と外出する等の場合を除き、基本的にここで食事をする。

 新年を迎えてしばらくしたその夜は、エルザとヘンリエッタ、トリエラの3人が一緒のタイミングになった。

 以前のエルザであれば、食事のタイミングが他の義体と重なっても一切会話をすることなく黙々と食事をしてすぐに部屋に戻っていたが、今の彼女は他の2人と一緒のテーブルについていた。

 

「ヘンリエッタは、年末の休暇でジョゼさんとシチリアに行ったのよね? どうだった?」

 食後のお茶を楽しみながら、近況報告会を開くエルザとヘンリエッタ。担当官大好き同盟にはまだ未加盟だが、一応付き合うトリエラ。

 

「ジョゼさんの別荘に泊まったけど、すごく素敵なおうちだったなぁ。シチリアも、とっても綺麗な景色だった」

 

 嬉しそうに島での出来事を話すヘンリエッタ。

 

「あ、そういえば一課のフェルミさんとガブリエリさんっていう人が来て、私とジョゼさんに色々聞いていったよ」

 

「私とヒルシャーさんの所にも来たわ。あの人達、休暇中のヘンリエッタ達の所にまで押しかけたの?」

「わたしとラウーロさんの所にも来たわ。折角ラウーロさんがいかに素晴らしいかについて話したのに、途中で帰った失礼な人達よ……」

 

 恍惚とした表情で語り始めたエルザに面食らい早々に退散した2人を思い出し、エルザの瞳に昏い炎が燃える。

 

「まあ、うちと一課は仲が悪いみたいだからね。表向きは義体の情報共有を深めるって話だったけど、私たちの欠点でも探りに来たんじゃない?」

 

 エルザの様子を見た後だったせいかヒルシャーへの愛情について長々と聞かれたトリエラも、あまり良い感情は抱かなかったようだ。

 

「そうなんだ。私は、料理を教えてもらったからそんなに悪い人達には見えなかったんだけどな」

「料理……。ジョゼさんに食べてもらったの?」

 

「うん、トマトスープのパスタと、貝のマリネと野菜のカポナータを作ったの。ジョゼさん喜んでくれたよ」

 

 笑顔で語るヘンリエッタを見て、エルザは料理の練習をしようと心に決めた。

 

「でも――」

 

 ヘンリエッタの表情が少し曇る。

 

「別荘に着いた時、ジョゼさんは私の銃を取り上げたの。『普通の女の子はこんなもの持ってない』って」

 

 ヘンリエッタの言葉を聞き、トリエラは表情を歪め、エルザは表情を消した。

 

「でも、私たちは義体だから――。普通の女の子じゃジョゼさんの役には立てないのに」

 

 涙を流すヘンリエッタ。

 トリエラは何か言おうとし、押し黙った。自分自身、ヒルシャーから何を演じることを望まれているのか、分かっていないと感じていたからだ。自分への「条件付け」が緩い事は知っている。それは、ヘンリエッタが言われたように、できるだけ「普通の女の子」として扱いたいというヒルシャーの想いなのだろうか。

 戦うための義体にしておきながら勝手な事をという反発を抱くと同時に、反発を抱けるという事こそが、ヒルシャーが自分の心を大切にしようとしてくれている事の証左であると感じ、トリエラは何も言えなくなる。

 

「わたしたちは戦う為に創られた義体、それは事実だわ」

 

 エルザが口を開いた。

 

「でも、それだけの存在でいて欲しくない。担当官全員がそうではないでしょうけど、わたしのラウーロさんはそう思ってくれている。ヘンリエッタのジョゼさんも、トリエラのヒルシャーさんも、きっと」

 

 ペンダントを優しく握り、エルザは言った。

 

「必要なら担当官の為に戦い人を殺せるわたしたちだもの、担当官の為に普通の女の子のように振る舞う事だって、できるわ」

 

 堂々たるエルザの宣言。

 

「……できるの、かな? ジョゼさんが望むように」

 

 ヘンリエッタは素直に希望を見い出し、

 

「……それを、ヒルシャーさんは望むのかしら」

 

 トリエラは同一の存在が相反する振る舞いをするという矛盾に、疑問を感じた。

 

 確信と希望と疑問。

 少女達の想いを包み込み、公社の夜は更けていく。

 

 

 



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第13話 流星雨

 エンリコ・ベルディーニ事件は、原作通り片が付いた。制圧に向かった3組は、全員怪我一つなく任務完了とのこと。善きかな善きかな。

 

 なお、戻って来たヘンリエッタからスペイン広場でジェラートを食べた話を聞いたというエルザが羨ましそうにしていたので、今度暇を取れる時は食べに行く約束をした。考えられるイベントとしては、口元についたジェラートをなめ取るとかだが、公衆の面前でそんなんやったらリアルでポリスメンが召還されそうだから自重しよう。

 

 応援にお呼びが掛からなかった俺とエルザは、他の任務も無かったので公社で書類仕事をこなしていた。五共和国派関係の情報は欧州を中心に様々な国から入るのだが、こっちで翻訳をしないといけない情報も結構あるのだ。ちなみに、俺はフランス語とドイツ語、エルザはドイツ語ができる。

 

「流星雨観測の引率?」

 

「はい。みんなで明日演習場に行って空を眺めようという話になっていて。ジョゼさんが引率してくださるそうですが、ラウーロさんも一緒がいいなと思って」

 

 エルザからそんな可愛いお誘いを受けた。

 これはあれだ。

 当日ジョゼが仕事が忙しくなってヘンリエッタがベッドで泣くやつだ。

 原作だとヒルシャーとアルフォンソが引率役になるも、トリエラ・ヘンリエッタ・リコ・クラエスの義体4人が盛り上がったり語らったり歌ったりしてるのを遠くから見ているという様子だった。

 そこに俺が追加で配置されるとどうなるか。

 うん、エルザは絶対俺を離さなそう。俺だけ義体達のそばに居るか、エルザだけみんなから離れて俺の所に来るかの二択となると色々気まずい。うん、事前に義体同士の親睦を深めるよう言っておこう。あ、お開き後に2人だけで星を見るのもいいな。それも言えば大丈夫だろう。

 

「分かった、俺も一緒に行こう」

 

「ありがとうございます! とっても楽しみです!」

 

 笑顔で寮に戻るエルザを見送りつつ、アニメ版の流星雨のエピソードを思い出す。

 行っておくか。

 

 

 

「ようマルコー、ちょっといいか?」

 

「どうしたラウーロ?」

 

 2課のオフィスにいたマルコーに声をかける。

 

「ちょっと頼みがあってな。仕事が片付いたらバーに付き合ってくれよ」

 

「丁度片付いた所だから構わんが……」

 

 いぶかしげなマルコーを伴い、俺はバーに向かった。

 

 

 

「明日流星雨が見られるってのは知ってるか?」

 

「ああ、ニュースでやってたな」

 

 グラスを傾けつつ、話を始める。

 

「エルザ達が演習場で流星雨観測をするんで、俺はその引率に行くんだ」

 

「……それで」

 

 マルコーが興味なさげに酒を飲む。

 

「アンジェリカも誘いたいって話なんだが、まだ外出許可は出ないだろ?」

 

「そのはずだ」

 

「だからマルコー、アンジェリカの部屋で一緒に夜空を見てやってくれ」

 

 俺の頼みを聞いて、マルコーは苦い顔をした。

 

 原作だと病室から1人で流星雨を見ていたアンジェリカだが、アニメ版ではマルコーが来ていた。アニメ版オリジナルのクラエス囮事件があったからこその流れなのだが、この世界ではその事件は起きていない。このまま何事もなければ、マルコーは原作通りの行動を取るはずだ。夜にアンジェリカの病室を訪れる事はないだろう。

 原作におけるアンジェリカの最期は、自分にとっては哀しいけれど納得のできるものだった。甦る過去の記憶・ペロとの再会・彼女の口から紡がれるパスタの国の王子様。

 だけど叶うことならば、もっとより良いものになって欲しい。

 

「……断る。最近のお前は随分自分の義体に入れ込んでいるようだが、俺にまで押しつけるな」

 

 予想通りの返答だった。

 

「マルコー、あんたの気持ちは分かる。アンジェリカは最初期の義体だ。薬の副作用で自分が教えた事がどんどん消えていく。興味や熱意が消えるのも仕方が無いだろうさ。だけど、それでもだ。アンジェリカに良くしてやってくれ」

 

 俺がそう言うと、マルコーはグラスの酒を一気にあおり、こちらを睨む。

 

「分かってるなら何故そんな事を頼む?」

 

「あの子は何も悪くないから――なんて陳腐な事を言うつもりはない。冷たいようだがアンジェリカの為でもない。これは俺の為の保険なんだ」

 

 俺もまた、グラスの残りを飲み干すと、マルコーに強い視線を送った。

 

「保険だと?」

 

「……エルザにもいずれ、記憶障害は出る」

 

「……エルザの義体化は後の方だったとはいえ、一期生は避けられんだろうからな」

 

 エルザの事を言うと、マルコーの口調がこちらを気遣ったものに変わる。基本的に、善人なのだ。だからこそ、辛い思いをする。

 

「俺は、最期までエルザに幸せを与えてやりたいと思ってる。けど、実際にあの子の記憶が消えていった時、自分がどうなっちまうかは正直分からない。今のあんたみたいにならないとも限らねえ」

 

「………………」

 

「だから、さ。今こうしてあんたに頼んでおけば、俺がもしそうなっちまった時に言ってくれるだろ? 『俺に頼んだ時のお前はどうした』とかさ。人にやらせておいて、自分はしない何てことはできないはずだ」

 

「エルザは幸せだな……」

 

「エルザに幸せを与えられるのは、俺だけだからな」

 

 言いながら、俺はマルコーのグラスに酒を注ぐ。

 

「……考えておく」

 

 俺の注いだ酒を時間をかけて空にした後、マルコーはそう言った。

 

 

 

 

 

 翌日。

 原作通りにジョゼには仕事が入り、トリエラはアンジェリカの見舞いの後でヒルシャーに引率を頼んだ。元々俺が居たのに加えエルザも参加したので、公安資料のイタリア語訳作業は流星雨観測の予定時刻まで大分余裕を持って完了した。

 

 夜。俺とヒルシャーとアルフォンソ、エルザ達5人とで演習場へと向かった。

 リコはやはりやたらテンションが高くトリエラにひっついていたが、エルザとも会話をしていた。少しは友情度が上がっているといいんだが。

 それからしばらく、空を眺めつつ話をしていた5人だったが、おもむろにトリエラがヘンリエッタをお姫様抱っこし、第九の合唱が始まる。

 エルザはドイツ語の発音も綺麗だなと思いつつ、少し離れた場所から見守る。

 そのうち、アルフォンソが笑い出した。

 

「どうした? アルフォンソ」

 

「普段テロリストどもをなぎ倒し三カ国語を話す小娘が、今度はこのくそ寒い中ベートーヴェンですよ?」

 

 そう言ったあと、アルフォンソはほろ苦い表情になる。

 

「……義体にしておくのがもったいない」

 

 アルフォンソはアニメ版寄りの性格のようだ。

 

「そうだな」

 

 俺は首肯し、ヒルシャーも複雑な表情を見せる。

 

 流星雨と、少女達の合唱。

 素晴らしい組み合わせながら、ほんのひとときに鮮烈な輝きを見せる流星と義体達の在り方が重なる。

 少女達に少しでも幸あれと、俺は流れ星に願った。

 

 

 

 

 

 

 なお、その後もうちょっと2人で星を観ていくと言って残り、いちゃいちゃした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 公社施設にあるアンジェリカの病室の前に、マルコーは来ていた。

 ドアを開ける手をふと止め、職務上必要だからという理由以外で、アンジェリカの所に来るのはいつ以来だったかと考える。

 

――エルザに幸せを与えてやれるのは、俺だけだからな。

 

 昨晩のラウーロの言葉を、マルコーは噛み締める。

 アンジェリカに幸せを与えてやれるのはお前だけだ、そう言われた気がした。

 

 ラウーロは義体を始めから完全に仕事の道具として扱っていた担当官だったが、2ヶ月程前から急に方針が変わったらしい。

 最近の『条件付け』処置の際は、可能な限り投薬量を減らすよう担当のベリサリオ博士に頼んだという話をマルコーは聞いていた。

 

 以前の自分のようだなと思いかけるが、非番の日に頻繁に連れ出したり夜な夜な宿直室に連れ込んだり等、それまでジョゼについて囁かれていた噂があっさり消し飛ぶレベルの事案を抱えている男なのでやっぱり違うと思い直す。

 そんな随分とアレな人物ではあるが、それでもラウーロの言葉はマルコーの胸に響き、彼をここに来させた。

 

 マルコーがドアを開けると、アンジェリカは第九を聞きながらステアーAUGを抱えてベッドに横たわっていた。

 

「マルコーさん」

 

 窓の外を見ていたアンジェリカはマルコーの来訪を知り、嬉しそうに微笑んだ。

 その笑顔を見て、マルコーは胸に痛みを覚える。アンジェリカを、目を逸らさずに見たのはいつ以来だったか……。

 

「今、流れ星がたくさん降ってるんですよ」

 

 アンジェリカがCDコンポの音量を下げながら言う。

 

「……ああ、一緒に見ようと思ってな」

 

 マルコーは自分でも驚くほど素直にそう言った。直前までは何かしらの理由を付けようかと思っていたのだが。

 

 アンジェリカの笑みが深くなる。

 

「ありがとうございます。1人でちょっと寂しかったので、とっても嬉しいです」

 

 マルコーはアンジェリカから銃を預かるとケースに戻し、ベッドのそばの椅子に腰を掛ける。

いくつもの流星が光るのを2人は黙って眺める。

 病室に流れる第九番。

 

「アンジェリカ、何か願い事はしたのか?」

 

 沈黙に耐えかねた、わけではない。

 いつかのように、マルコーは自然に聞いていた。

 

「はい。はやく退院して、お仕事ができますように、って」

 

 ごく自然なアンジェリカの表情。

 

「そうか……」

 

 『条件付け』の業の深さに、マルコーはため息をつく。しかし直ぐに顔を上げ、挑む表情をつくる。

 忘れていた何かが、彼の体にわき出してくる。

 

「このリボンは、プリシッラに貰ったものだな」

 

 そう言いながら、マルコーは昔のようにアンジェリカの頭を撫でた。

 

「そう……でしたっけ……?」

 

 絶えて久しかった担当官とのふれあいに、アンジェリカは幸福感を覚える。

 

「退院祝いに、新しいリボンを用意しておく。好きな色を考えておけよ」

 

「好きな色……、え~っとえ~っと」

 

「すぐにじゃなくていいさ」

 

 慌てて思考を巡らすアンジェリカに、マルコーは苦笑する。

 

「あっ……」

 

 久しぶりに見たマルコーの笑みに、アンジェリカもまた笑顔になる。

 

「アンジェリカ、面白い話を聞かせてやろう。むかしむかし――」

 

――彼女はもう、あの物語を覚えてはいない。

――だったら、何度でも聞かせるまでだ。

 

 マルコーは自分の胸に、再び熱が宿るのを感じた。

 

 

 



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第14話 夕焼けと湖

 エルザと合流し、仕事に出かけようとしていたらジャン・リコ組ともう1人、松葉杖をつく眼鏡の男性と会った。

 

「やあジャンさん。今日はオルヴィエートの方に行ってきますよ。……そちらは、フィレンツェの事件の会計士さん、でしたか?」

 

 勿論知っているが、初対面なので聞いておく。

 

「ああ、フィリッポ氏だ」

 

「事件について聞いていますよ。撃たれたそうで、大変でしたね。お怪我はもう大丈夫なんですか?」

 

 初対面なのでちょっとかしこまって話す。

 

「まだ杖は必要ですが、大分良くなりましたよ」

 

 会話をしつつ、フィレンツェの事件について考える。

 この事件について、俺はどう対応するかをかなり迷った。

 

 原作において社会福祉公社の最終決戦となる新トリノ原発占拠事件。

 その首謀者にして、社会福祉公社がつくられる原因となったクローチェ事件の主犯である男、ジャコモ=ダンテ。

 こいつをアフリカから呼び出し、大規模なテロを起こさせた黒幕であるクリスティアーノが初めて登場したのが、このフィリッポ会計士が関わったフィレンツェの事件なのだ。

 

 初めは、どうにか理由をつけてこの時点でクリスティアーノを捕縛してしまえないかと考えた。しかし、それでは不確定要素が大きくなり過ぎる。

 生身で義体と互角に戦えるピノッキオが、敬愛する「おじさん」が捕まったと知ればどう動くか。当然奪還に動くだろうから、関係者の暗殺やテロ事件を起こして解放を迫るだろう。見せしめに公社職員を暗殺してまわるなんて可能性も捨てきれない。

 そこにフランコ・フランカの爆弾コンビが合流したり、最悪ジャコモと組まれたりしたらもう正直言ってどう対応したらいいか全く分からなくなってしまう。

 

 それに、クリスティアーノを今の時点で捕縛したところで、どの道他のルートでジャコモが呼ばれるような気もする。

 何せクリスティアーノの更に上には、彼をジャコモと接触させてクローチェ事件を起こした大物がいるのだ。

 ああくそ、そいつが誰だったか覚えていればどうにかなったかもしれんが、ハゲだったことくらいしか記憶にない。

 いや、そもそもあれは、クリスティアーノの協力があったからこそ証拠固めができて逮捕まで至ったのだろう。

 今の状況で俺が「あのハゲがクローチェ事件の黒幕だったんだよ!」とか言い放った所であっさり口を封じられて終わりだろう。仮に公社が俺を信じて動いても、証拠を掴む前に隠蔽されるのが関の山だ。

 

 という風に思考を巡らせた結果、リコも大した怪我はしてなかったこともあり、フィレンツェの事件については介入しないことにしたのだった。

 

 そんなことを思い出していると、向こうからアンジェリカが走ってきた。

 原作と異なり、泣いていない。むしろ笑顔である。

 訓練時の髪型であるポニーテールが楽しげに揺れていて、髪の毛を束ねているヘアゴムには小さな赤いリボンがついていた。

 

「こんにちは!」

 

 元気に挨拶をし、走って行くアンジェリカ。

 どうやらマルコーは俺の頼みを聞いてくれたようだ。

 

「やあアンジェリカ。急に張り切り過ぎるなよ」

 

 そう返しつつ、俺は微笑んだ。

 アンジェリカの来た方からマルコーも歩いてきたので、軽く手を挙げておく。向こうも、ちょっと手を挙げて返してきた。2人の関係がまた良い感じになる事を祈ろう。

 

 しかし、原作におけるジャンさんの名台詞である「泣いたり走ったりして成長することもあるだろう」はこの世界では生まれないようだ。

 考えてみると、俺の介入によって名言がいろいろ消えている気がするな。やはり、名言というのは悲劇と共にあるものなのだろうか

 

 走って行くアンジェリカに対してリコが応援の言葉をかけ、まだあまり交流のないエルザは黙って見送る。アンジェリカの入院前に面識はあるはずなのだが、交流には至っていなかったようだ。まあ以前のエルザの様子ならば仕方あるまい。

 原作だと空き部屋になったエルザの部屋がアンジェリカの部屋になるのだが、この世界ではエルザと相部屋ということになるだろう。

 大丈夫かなぁ……

 エルザには、俺を思いながら銃を磨くという習慣があるが、相部屋になると集中を乱されるとかで不仲にならないだろうか。アンジェリカが寮に戻るのはまだ先だが、ううむ、心配だ。何かこう、娘を心配するお父さんの気持ちが解った気がする。

 

 エルザの他の義体との友好関係を観察すると、ヘンリエッタ・トリエラと親しく、クラエス・リコ・ベアトリーチェとはそれ程でもない。

 基準が分かりやす過ぎるぞエルザ……。

 アンジェリカのマルコーに対する思いは、恋愛というよりはクラエスのラバロ大尉に対する親愛に近いだろうから、ガールズトークで盛り上がるってこともなさそうなんだよなぁ。

 エルザの交友関係を心配しつつ、俺たちは仕事に出かけた。

 

 

 

 

 その後、五共和国派による暗殺について捜査をしたり暗殺の危険がある検事や政治家を護衛をしたりという任務が続いた。

 なお、エルザとのスペイン広場でジェラートの約束はきっちり果たした。

 ちなみに、よく考えるとイタリアだとキスは挨拶代わりなわけで、俺とエルザの偽装身分は親子なわけで、追い打ちを掛けるように周囲ではあっちこっちで恋人やら友達やら親子やらがキスしまくりな状況なわけで……。

 そこでエルザに、

 

『ラウーんんっ、お父さん。ジェラート付いてるよ』

 

 と言われつつキスされた。

 超ドキドキしたんだけど、主な原因が人前のキスにあるのか父娘プレイにあるのか敬語じゃない口調にあるのかは謎だ。

 その後のお返しのほっぺにちゅームーブは極めて自然にできたけど、平静を装うのに内心非常に苦労した。

 メンタルが奥ゆかしい日本人な俺としては結構どぎまぎしますよそりゃあ。

 やっぱこういうのは部屋で二人きりの時がいいな。なお公社内の噂はもう手の施しようがないので諦めた。

 

 

 

 

 

 そうこうしているうちにジョゼとヒルシャーはフランスへ出張に行くことになった。

 例の曰く付きという触れ込みの万華鏡とシュタイフベアを土産で買ってくるんだよな。

 俺も何かエルザにプレゼントしようかなと思うも、単に2人に張り合ってものを贈るというのも何か違う気がするので考えを改める。

 

 その代わりというわけではないが、仕事の帰りにふと、ブラッチャーノ湖に立ち寄った。

 ローマから近い夕焼けが綺麗な湖だと知ってはいたが、今までなかなか来る機会がなかった。今日は天気も良いし、時間帯も丁度いいので遠回りをしようと思いついたのだ。

 湖の畔にあるアングイッラーラ・サバーツィアという街に着くと車を駐車場に置き、ちょっとした展望台に行って、エルザと並んで夕焼け空と湖面を眺める。

 

「うわぁ~」

 

 エルザが感嘆の声を上げる。

 エルザがこういった反応を示すというのは少し意外な気もしたが、思えば流星雨観測のときも結構興味深そうな様子だった。

 自然関係が好きなのかもしれない。

 

「空も湖も、綺麗ですね」

 

「……ああ、綺麗だな」

 

 お前の方が綺麗という定番のネタがとっさに浮かばない程のいい景色だった。

 空と湖面は柔らかな橙からピンクへゆっくりと色を変えていく。

 この自然の営みが、この湖が出来てから途方もない年月に渡って繰り返されてきたのだと思うと、人間という存在が小さく思えてくる。

 自然が誰に言われたからでもなく美しい光景をつくり続けているのと比べると、争いと不幸を振りまく人間の、なんと業の深いことか。

 

 そんな事を考えていると、手のひらに伝わるひやりとした柔らかい感覚。

 エルザが手をつないで来たのだ。

 横を見れば、上目遣いで嬉しそうに見つめてくるエルザ。

 そうだな、ちっぽけな俺だが、エルザの小さな幸せを守る為に頑張らねば。

 周囲に人も居なかったので、並んでいた立ち位置を、エルザを後ろから抱きしめる状態にして、空と湖を一緒に見る。

 つないだ手は温まってきたが、頬に触れるとこちらは冷たい。

 そのうちに空は紫色に変わり、夜が訪れる。

 

「また来よう。向こうの岸辺にはお城もあるみたいだぞ」

 

「はい。ラウーロさん、今日は綺麗な夕焼けと湖を見せてくれてありがとうございます」

 

「ああ、他にどこか行きたい所があったら教えてくれ」

 

 一応聞いてみるが、エルザの返事は決まっている。

 条件付けによる担当官への服従の弊害だ。

 

「ラウーロさんが連れて行ってくれる所が、わたしの行きたい所ですよ」

 

 屈託のない表情でそう答えるエルザ。

 そんないつもの遣り取りをしたのだが――、 

 

「でも、わたしも考えてみますね」

 

 今日はそんな言葉が付け足された。

 

「おお、そ、そうだな。思いついたら教えてくれ」

 

「はい!」

 

 条件付けの投薬量を最低限にしてもらった成果だろうか。

 俺に盲目的に従うのではなく、自分の意思を少しでも出せるようになって欲しいと思っていたが、一歩前進と見ていいだろう。

 

 夕焼け空と湖のように、何万年と続いてくれなんて無茶は言わない。

 少しでも長く、エルザが自分らしく生きて欲しいと、俺は瞬き始めた星に祈るのだった。

 

 




ようやく原作3巻に入れました。


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