吾輩はディナゲートである (カヴァス2001世)
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吾輩はディナゲートである

 我輩はディナゲートである。名前ははまだ無い。グリフィンの人形に無様鹵獲され、無力化の名目で身体を弄られ通信装備と武装を無力化されたのが数ヶ月程前の事である。

 

 

 ある時戦場で偶々出くわした人形――後で知ったことだが、この人形が吾輩の生活の面倒を見る事になるWA2000なる人形である――と視線が交錯した瞬間である。吾輩は仲間とはぐれ、哀れ戦場を彷徨っていた時、突如物陰から飛び出して来たのがこのWA2000だったのだ。吾輩の姿を見つけるとピタリと動きを止めたこの娘はじっと吾輩を見下ろした。

 

 

 吾輩はすわ今生の終わりかと覚悟を決め、潔く目前の人形の瞳をじっと見つめた。六十秒余りの時が過ぎた時だ。そろそろ何か抵抗の一つでもするべきかと居た堪れない気持ちを醸成させていた吾輩に向けて、突如娘が「実はコイツってかわいいかも」などと宣ったのだった。それからの数十分に及ぶ吾輩の逃亡劇は、まさに全ての鉄血人形に讃えられるに値するものであったろうが、さしもの吾輩であっても圧倒的な性能の差には抗う事あたわず、遂には鹵獲されるに至ったのである。WA2000の娘が言うには「一体だけになって群れからはぐれてたから保護したのよ!」らしいが余計なお世話である。

 

 

 そうして吾輩は生来の天敵の根城に囚われの身となったのである。この時の我輩は憎きグリフィンの虜囚の身に落ちても尚諦めず、虎視眈々と反撃の機会を探していた。しかし忌々しくもグリフィンでの生活は大変安定しており、使い捨ての様に戦場に投げ出される事も無い日々に次第に敢闘精神を無くした事は幸か不幸か迷い所であろう。クリスマスやハロウィーンには仮装をさせられ、人形や人間に可愛がられるのも悪い気はしていない。

 

 

 この頃初めてグリフィンの人形の日常というものを垣間見た。戦場で我輩達ディナゲートを悪魔もかくやの形相で追い回す人形の姿しか知らない我輩にとって、その間抜けな姿は虜囚の身を慰める格好の喜悦であった。

 

 

 例えば一つはWA2000の娘である。まずもってこの娘は人間の心が分かっておらぬ。ベッドの上に寝転び吾輩を抱え込みながら「どうしよう、また指揮官にひどい事言っちゃったわ……」とのたまう姿のなんと面倒な事か。並々ならぬ頻度で指揮官なる男に思いもしない嫌われ口を言い、その度に我輩を抱きしめて延々泣くのでいい迷惑であるという他ない。ある日のそれは輪を掛けてひどいものであった。聞くと、それは先日のバレンタインの日の事であったそうだ。

 

 

 バレンタインとは思いを秘めた者が、その思い告げると共に思い人にチヨコレートを渡す日であることは最早確認の必要もない周知の事実であるが、この娘はチヨコレートを素直に渡す事も出来ないらしい。

 

 

 バレンタイン前日の娘は自室を忙しく動きまわっていた。指揮官なる人間の男に思いを寄せるこの娘は、その日一杯を休暇にすると馴れない作業に右往左往しながら男にチヨコレートを自製した。そこそこに綺麗な包装を施すと、神妙な面持ちでデスクに向かって日頃の感謝と秘めたる好意を手紙にしたためたのだった。部屋でゴロゴロと温い布団に落ち着いていた吾輩を叩き起こしては、やれ上手く作れたかとか上手く包めたかとか自分が手紙なんて変ではないかとか吾輩に聞いてきたのを覚えている。その頃には娘の好意と奇行――好きな相手に嫌われ口を言うのは奇行と呼ぶ他ない――を知っていたので、漸く素直になるつもりかと安心した束の間であった。

 

 

 バレンタイン当日になり、これで漸く寝苦しい毎日から開放されるのだと何の疑いも抱かなかった事は楽観と言う他ないと今にして思うばかりである。この娘はあろうことかチヨコレートも手紙も渡さず、それどころか「あんたにチョコレートとか渡すわけないでしょ。期待してた? 気持ち悪い! 私達をそういう事の対象に見るのは止めて頂戴! 凄く不愉快よ!」と言ったらしいのである。この情報は偶々その現場を目撃していたお隣に住む白いディナゲートのお白から聞いたのだが、なんでも指揮官の男は表情を歪ませ大層落ち込んでいたらしい。こうまでされては仕方のない事ではあるが、それ以来男は娘を避けて過ごし、会話も極めて事務的に終始、目も合わせないという徹底ぶりである。

 

 

 娘は人の心が分かっておらぬ。

 

 吾輩の観察によると、指揮官の男がWA2000の娘に好意を持っている事は確実であるのだが、娘が素直にならなければ遠くないうちに男は他の人形に好意を移して行くだろう。寧ろ吾輩が来る迄の数カ月に渡って関係が保たれて来た事が一つの驚きである。

 

 

 吾輩から言わせて貰えば、この様に素晴らしき催しに確かに思いを伝えられない事のなんと情けない事か。遠い昔に亡くなった聖ウァレンティヌス殿も報われまい。日頃から眠るとなると吾輩を抱き締め「明日こそは素直になるわ…… ごめんね指揮官……」と声を漏らす姿は悲哀漂うが、事の発端はこの娘にある事を考えると擁護のしようもない。尤も吾輩の武装を去勢し情けない姿に貶した事を吾輩は根に持っているので、全くこの娘の有様には胸がすっとする思いであった。

 

 

 とは言ってもバレンタインが過ぎてからというもの、毎晩毎晩吾輩を抱いて延々と泣き腫らしごめんごめんと言うので終いには吾輩も娘を不憫に思う様になった。

 

 

 娘は全く愚かで馬鹿な性能ばかり高い木偶であり、攫ったディナゲートに名前も付けない無心者ではあるが、男を想う気持ちばかりは認めてやらんこともない。

 

 

 吾輩は娘が渡せずにいたチヨコレートと手紙を指揮官に渡してやる事にした。全くの気まぐれであったが、これで夜の安眠が手に入るなら悪くない労働である。娘が任務に出て居なくなった隙を見つけ、デスクの引き出しの奥の方へ押しやられたチヨコレートと手紙を苦心して引っ張り出すと、指揮官の男の私室のデスクの上に置いた。私室の方はセキュリティレベルがそう高くないようで吾輩でもクラッキングして入る事が出来たのは僥倖である。

 

 

 娘は任務から帰ってチヨコレートが引き出しに入っていない事に気付くと、酷く狼狽して支離滅裂な事を叫びだし吾輩を捕まえ誰が盗ったのかとしきりに問い詰めてきたが、誰がと言われたらそれは吾輩である。そうこうしているうちに部屋を指揮官の男が訪れた。男は勇猛の人の様で、終業して部屋に戻ってからチヨコレートを見つけるなりその足で娘の部屋を訪れたらしい。部屋の扉から鳴った呼び出し音に「こんな時に誰よ!」と言った娘がインターホンの液晶を確認すると、そこには指揮官の男の姿が映っていた。「な、なんで指揮官が……」と言った娘がインターホンの通話ボタンを押して「こんな遅くに何の用事よ……? 迷惑なんだけど……?」と言うので、この娘は何かの病気なのではないかと吾輩は遂に疑いだしたが、娘の手紙を読んだであろう男はそんな事には頓着しない。

 

 

 「ごめん。でも話たい事があるんだ。開けてくれると凄く嬉しい」と言った。男にそう言われると娘には扉を開けるという選択肢しか残らないので、「本当に迷惑なんだからね!」と言いながら扉を開けた。扉をくぐった男が一言目に「手紙読んだよ」と言ったので遂に娘の狼狽は頂点に達し顔を赤くして何やら聞き取れない事を小さく言ったが、男は更に「君が好きだ」と単刀直入に言ったのであった。

 

 

「な、なんで――?」

 

 

「ずっと好きだった。素直になれない君も、面倒見がいい君も、実はアイスが好きな君も、全部好きなんだ」

 

 

「ゥ……ァ……」

 

 

「わ、ワルサー?」

 

 

「…………う、嬉しいわ……指揮官……本当に……」

 

 

 指揮官の男は娘を抱き締めると頬に手をやって薄く接吻した。

 

 

「チョコの味がする……」

 

 

「君の味だよ」

 

 

 その晩娘の嬌声によって安眠する事が叶わなかったのは、これこそ吾輩の誤算であった。



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