残姉のためなら弾丸疾走! (天澄)
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#1.丸山色の生態

「――うそぉぉ!?」

 

 朝から自宅に響く叫び声をBGMに、少年――丸山(まるやま)(しき)はゆったりとコーヒーを二つのカップに注ぐ。

 片方はミルクと砂糖を多めにするのを忘れずに。もう一つのカップは、起きてくる時間ではない一人のため、まだ空のままにしておく。

 

 注ぎ終えた香ばしい匂いを上げるカップをテーブルへと置けば、丁度その頃にドタドタと大きな音を立てながら二階から一人の少女が降りてくる。

 

「もー!! なんで色くん起こしてくれないの!?」

 

「僕は何回も声をかけたよ。それでも起きなかった姉さんが悪い」

 

 慌てた様子の色の姉――丸山(あや)とは対照的に、色は至って落ち着いた様子で席へと座る。目の前には出来たての証拠として湯気を放つスクランブルエッグやトーストをはじめとした朝食たち。

 我ながら完璧な時間計算――内心で熱い自画自賛をしながら、色はトーストを一口齧る。

 

「叩き起してくれればいいじゃん!」

 

「以前それをやったら乙女の部屋に勝手に入るなって怒ったのはどこの誰でしたっけね」

 

「うっ……だ、誰だっけなぁそんなこと言ったの!」

 

「自分が言ったことも覚えてないのか、これだから残姉は……」

 

「あー! また残姉って言った!!」

 

 怒りながら洗面所の方へ飛び込んでいく姉を、色は冷めた目で見送る。

 朝食はもうちょっと遅い完成の方が姉のためにはちょうどいい時間だったか。この程度も読み切れない無能め。

 

 心の中で、手のひらくるり。

 

「ど、どうしよう……また千聖ちゃんに怒られちゃう!」

 

「はいはい、だからって朝食抜きは許さないからね」

 

「え、で、でも時間が!?」

 

「アイドルは身体が資本。ちゃんと朝食べてエネルギー補給しないと後が大変だよ」

 

 そう言いつつ、色はざっと手を洗う。それからリビングにあらかじめ用意しておいた櫛を持って、姉を朝食の用意された席へと座らせる。

 

「僕が髪は整えてあげるから。姉さんは朝食を食べてて」

 

「うぅ……ごめん、ありがとう……」

 

 大人しく朝食を食べ始めた姉の髪を、色は手つきは優しく、顔は真剣そのものですいていく。

 

 ――何だこの髪、綺麗過ぎんだろ。本当に僕と同じ人類?

 

 なお内心はこんなものであったが。

 

 しかしそんな内心を表には一切出すことなく、色は洗面所へと一度移動し、寝ぐせ直しを持ち出してくる。

 姉の朝食にかからないよう、ちゃんと角度を考えて、しっかりと髪の根元を湿らせて、丁寧に寝ぐせを抑えていく。

 

 姉のこの寝ぐせ、というかそれが付いてしまう原因の寝相の悪さをどうにかできないか、と思いつつ湿らした姉の髪を乾かすのも忘れない。

 これで姉のかわいさが更に際立った、さすが僕。

 

 再び、手のひらをくるり。

 

 心の手のひらの回転率を跳ね上げつつ、色は次の準備に入る。

 色の姉はいわゆるアイドル、というやつだ。だから本当はその正体を隠さなければならない。

 しかし姉は自己顕示欲が強いのか、見つけて欲しいと変装し切れていない格好でいつも外に出てしまう。それが姉の愛らしいところではあるのだが、それでは事務所の人に迷惑がかかる。

 

 故に、色の仕事は姉が納得して、かついい感じに街行く人々が『あれ……丸山、彩?んん……?』となるラインを突く変装を用意することだった。

 

「まぁ、今日はこのあたりか?」

 

 大きめの黒縁メガネに、ニット帽。髪型は先ほど、いつもよりしっかりとすくことでふんわり感を消して見事なストレートにした。

 

 人間、街中ですれ違った相手をはっきりと認識したりなどしない。ぱっと見の印象を変えてしまえば、疑問に思うことはあっても確信を得られることは少ないだろう。

 故に色は、毎朝こうして姉のシルエットが変わるように服や髪を整えていた。

 

 はい変装、と姉に用意したものを渡せばありがとうと受け取られる。どうやら無事、姉の合格ラインにも達したらしい。

 

「どう、似合ってる?」

 

「ま、僕が選んだんだから当然の結果だね」

 

「もー、素直に褒めてよー……」

 

 かわいいかよ、やはりうちの姉が至高。むしろこの最ッ高にかわいい姉に、自分のような愚弟がいるのが間違いなのでは? よっしゃ、死のうぜクソ野郎の僕。

 

 心の手のひらが、唸る。

 

「忘れ物はない? 特にハンカチとティッシュ、こないだも忘れてたでしょ」

 

「大丈夫、大丈夫。昨日ちゃんと用意して……して……」

 

 玄関までやってきて、ポケットとポーチ。両方を漁った姉の声がしぼんでいく。その段階で、ああこれは忘れたな、と色は察し、用意してあったハンカチとティッシュを差し出す。

 

「忘れないよう、枕元に用意して、そのままおいてきちゃった……」

 

「そんなことだろうと思ったよ。はい、用意しといたよ」

 

「うぅ……なにからなにまでありがとう……」

 

 まぁ実際は、毎日用意しているのだが。いくら姉とはいえ、うっかりやらかす日までは流石に読み切れない。

 そのため、いつうっかりがあってもいいように用意しておくのは、弟としての嗜みだった。

 

「お弁当、持ったね?」

 

「大丈夫、せっかく色くんが用意してくれたんだもん。ちゃんと持ったよ」

 

 姉のちゃんと持ったは信頼ならないのだが、と思いつつも色は大丈夫だろうと判断する。先ほど確認した限り、弁当を用意していた場所にはもう何も無かったし、うっかりを疑い続けていてはキリがない。

 

 時間もないことだし、大人しく送り出すことにして、靴を履く姉を見守る。気を付けておかないと、この姉は靴を履いて立ち上がる瞬間にすら転びそうになるのだった。

 

「時間押してるからって、無茶しないように。……それじゃ、いってらっしゃい」

 

「――いってきます!」

 

 アイドルらしい、輝く笑顔でそう言って姉が玄関から出ていく。

 

 ……出ていってから、しばらく。姉が忘れ物などで帰ってこないことを確認してから。

 

んああああー!! 彩ぢゃんがわいいよぉ!!」

 

「兄貴、朝からうっさい」

 

「あ、マイシスター。ちょっと待っててね、すぐに朝ごはん用意するから」

 

 これが、丸山色の朝の一幕。

 

 

 

 

 妹の朝食も作って、テレビに映る姉を見て悶えて。洗面所で身だしなみを整えて、テレビに映る姉を見て死んで。

 時間が押してきたので慌てて登校の準備を済ませていたら、妹に姉の映るテレビを消されてブチギレた。

 

 そんな風にして、ギリギリ時間で教室へと辿り着く。

 

「皆、おはよう」

 

「おっはよー!」

 

「うぃーっす、色ー」

 

 挨拶を返してくれた級友たちに、意識的に爽やかな笑みを浮かべつつ軽く手を振って応じる。

 

 色がアイドルの弟であることを、学校の人々は知っていた。己の評価がアイドル丸山彩の評価に関わる場合があるのを、色は知っていた。

 だから色は、模範的な高校生を演じるようにしていた。

 

「色くん、毎日朝ギリギリだよねー」

 

「まぁ姉と妹の朝ごはんと、お弁当を作ってるから余裕がなくてね」

 

「わ、凄い。私なんかお母さん任せだよー」

 

 幸い、姉に似て色は顔はいい。だからそれを最大限利用して、それ相応の性格を演じていれば、男子女子共にウケはよかった。

 

 まぁ実際はテレビに映る姉の見過ぎで遅刻ギリギリなおバカなのだが。

 

 それでも家族にアイドルがいて、またその伝手から演技の上手い人間と知り合えたために、そこら辺を誤魔化す技術が色には十分ある。

 

「おっす、おはよ(あきら)

 

「おー、おはようさん、色」

 

 窓際、一番後ろの席に座る少年――乗本(のりもと)相に向けて、色が簡素な挨拶をして。それに気楽に、相が挨拶を返す。

 色は相の一つ前の席に座りながら、演技ではない心からの笑みを浮かべる。学校において、唯一色が自然体でいられる相手が、相だった。

 

「それで? 今日のギリギリだった理由は?」

 

「テレビに映る姉さん見てた」

 

「いつも通りだねぇ。っと、先生が来たか。本当は俺も、朝話したいことは多いんだ。できるだけ早く来てくれよ?」

 

 そう言ってウインクする相に、気持ちわりぃ、と色は端的に返して教壇の方を向く。

 だがまぁ、気色悪いが悪い気はしない、と色は苦笑した。

 

「――さて、以上でHR(ホームルーム)終わります。級友と親交を深めるのもいいけれど、勉学もしっかりとやること」

 

 そう言って、HRを終えた担任が教室から出ていく。

 あの先生はオンオフこそが大事だと言い、オフならばある程度のおふざけは見逃してくれる先生だ。

 だから、HRが終われば即座に騒がしくなる。そんな喧騒の中、一限の授業の準備をしていれば、ふと肩を軽くつつかれる。

 

「あの……色くん」

 

「ん? どうしたの?」

 

「あれなんだけど……」

 

 クラスメイトの、そこそこ関わりのある女子が指さす先を色が見る。

 ついでに、相もそちらを見た。

 

「しょーじき、パスパレって微妙じゃない?」

 

「まー、最初が最初だったしなぁ……」

 

「彩って人も、トークは上手くないしな」

 

 そこには、雑誌に載っていたらしいパスパレ――Pastel*Palettes、姉の所属するアイドルグループに対して、所感を言い合っているクラスメイト達がいた。

 クラスメイトである色がその彩の弟だと知ってか知らずか。知っているなら結構いい根性してんなこいつら、と思いつつ色は溜息を吐く。

 

「……放っておいていいよ」

 

「え、でも……」

 

 困ったように、チラチラとパスパレについて話し続けるクラスメイト達へ視線を向ける少女を見て、色は無駄にいい子だなこの子、と内心呟く。

 

「何かを見て、そこにどんな感想を抱くかはその人の自由だ。だから僕は特に何か言うつもりはないよ。それに、最初のライブでやらかしたのは事実だしね」

 

「だからって、色くんがいる場で……」

 

「まぁそれを意識的にやっているなら、僕も思うところがないわけではないけれど」

 

 トントン、と教科書とノートの端を机の上で揃えながら、色は笑みを浮かべて、言い切る。

 

「僕の姉は凄いからね。いつか必ず、彼らの評価も覆してくれると信じてる。だから何も問題はないさ」

 

 ――そしてその日の昼休み。

 

「Fuck!! それはそれとしてムカつくもんはムカつくんだよ!!」

 

 またまた手のひらくるり、屋上にて色が叫ぶ。隣で静かに弁当をつつく相が苦笑していた。

 

「難儀だねぇ、優等生を演じなきゃいけないっていうのは」

 

「ホントだよ。僕が優等生じゃなかったら、あの場で胸倉掴んでぶっ飛ばしてたわ」

 

「おや、姉を信じてる、という言葉は彼女を丸め込むための方便かい?」

 

「本心だよ……。納得してるのと、感情は別って話」

 

 色が自作の玉子焼きを口へと放り込む。その荒っぽさに、色の本心を見て相はクツクツと笑っていた。

 

「まったく。君は本当にお姉さんが好きなんだね、シスコンさん」

 

「別に僕はシスコンじゃない。姉さんが彼氏を連れてきても、よっぽど酷くない限り歓迎する気概だぞ」

 

「気概はあっても、実際にそうなった時どうなるかは分からないと俺は思うけれどね」

 

 そう言われると、色としては何も言い返せない。実際、その場になればどうなるか色自身予想つかないところもあった。

 

 そうやって色と相、二人が周囲に人がいないために素で喋っていると、ふと色のスマートフォンが震える。

 見れば、チャットアプリに新着があるようだった。

 

「姉さん? ……げぇ」

 

 アプリを開いてみれば、姉からの連絡で『お弁当忘れた~』の文字と、泣き顔の絵文字がセットで送られてきていた。

 

 ……確か、今日の姉の予定は一日学校を休んで撮影やインタビューだったか。

 そう色は姉の予定を思い出して、時間を計算する。

 

「……はぁ。ちょっと残姉のところに弁当届けてくる。言い訳任せた」

 

「ん、任された。後で俺に何か奢ってくれよ」

 

「放課後にでもな」

 

 頼れる友人がいるのはありがたい、と思いながら色は頭を掻く。

 一旦家まで帰って、そこから自転車で撮影現場まで行って――

 

「……うしっ!!」

 

 左の手のひらに、右の拳を打ち付ける。気合十分、残姉のため、色はまず自宅へ向かって走り出した。




違うんだ……倉崎はあるちゅ〜ってやつが書けって言うから仕方なく……!!


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#2.丸山色とPastel*Palettes

「おん?」

 

 何でもない祝日。しかし色の姉である彩にはアイドルとしてレッスンがあり、朝から出かけていった後。

 姉を見送ったあと、二度寝していた色が起きてきてリビングに訪れたところ、テーブルの上に何かあることに気づく。

 

 なんだろう、と疑問に思って近づく色。そこにあったのは、本来であれば姉が持っていっていなければならない手さげ袋。

 もしかして、と中身を確認すれば、案の定入っているトレーニングウェア。

 

「まったくあの残姉は……」

 

 そう言いながら色は手さげ袋を持ち上げる。

 色はそれをどうすべきか、少しだけ考えた。

 

 届けるか、届けないでおくか。

 

 たまには痛い目を見るべきでは、とそんな思考が色の頭を過ぎる。

 毎回色がフォローするから、問題なく済んでしまうためにうっかり癖が治らないのではないか。

 

 いつもいつも姉のために頑張るのも疲れるのだ、と色は今回は放置することを決める。

 

 そう判断した色は、手さげ袋をテーブルの端に寄せて、台所へと向かう。

 今朝は姉を見送っただけで、色は朝食はまだだった。

 

 現在の時刻は十時。あまり昼食に影響を出すわけにもいかない、と色は皿に少量のシリアルを入れる。

 姉がいる時はしっかりと料理を作る色であったが、自分一人になると雑になる程度にはズボラであった。

 

「……ん?」

 

 シリアルに牛乳をかけ終えた頃。ふと色は何かの音が聞こえてくることに気づく。

 その音に聞き覚えがあった色は、一旦シリアルの入った皿をテーブルの上へと置いて自室へと向かう。

 

 近づくにつれはっきりと聞こえるようになる音に、色はやっぱりかと思いながら歩調を強める。

 そして自室へと入った色は、音源であった発光もして自己主張をするスマートフォンをその手に取った。

 

「電話……姉さん?」

 

 着信の相手が姉であることを確認した色は、思わず顔を顰める。姉の要件がだいたい読めたからだ。

 

 これ、出ない方が平和だよなぁ、と色は思うも。あの姉からの電話を無視するなどできないために一つ溜息を吐いてから、通話を繋げた。

 

『トレーニングウェア忘れちゃったよぉ~!!色くん助けて~!!』

 

おっしゃ任せろ

 

 手のひら、くるり。

 

 今日も色の手のひらはよく回る。

 色があの姉に涙声で頼まれて動かないわけがなかった。

 

 そのまま姉からいつものレッスン場にいることを聞き出した色は、急いでリビングへと戻り、先ほど用意したシリアルを流し込むようにして完食する。

 姉に必ず朝食は食べておけ、などと言っておいて自分がやらないというのは筋が通らない。

 故に色は急いでいながらもしっかりと朝食を食べた上で外出の準備に入る。

 

 これから色が行くのは姉の仕事場になる。無論、しっかりと身だしなみを整えておかないと、姉である丸山彩の評価まで落ちてしまうかもしれない。

 急いでいても、手抜きをすることは許されない。故に色は手早く、かつ丁寧に身だしなみを整えていく。

 

 整髪料で髪型を整え、ちょっとだけ伸びていたひげを剃る。ここら辺は日頃からやっていることであるため、さしたる苦労もなく終わる。

 服装はいくつか用意してあるテンプレートから選び取るだけゆえ、そこまで悩むこともない。

 

「……あ、差し入れ」

 

 そうやって準備を終えた色は、家から出ようとしてふと気づく。

 姉が世話になっているところに行くのだ、何も持っていかないというのも問題だろう。こういう小さな積み重ねが、少しずつ心証をを良くするのだ。

 

 色はキッチンの冷蔵庫を開ける。基本的にそこそこの頻度で姉がポカをやらかすために、差し入れ用の菓子類に関してはストックがある。今回はわざわざ買う必要性はないため、冷蔵庫から適当な菓子を選び取るだけでいい。

 それから菓子以外にも、個人宛の差し入れを用意して。

 

 あとはいくつか確認したいことと伝えなければならないこともあるので知り合いに連絡を入れて――そうして色は家を出る。

 

 

 

 

 あらかじめマネージャーの方へと話を通してあったために。また頻度的に顔見知りということもあり、色はあっさりと受付を済ませて姉がいるはずのレッスン場へと向かう。

 この時、ある理由から色は気を抜くことができない。周囲を警戒しながら、しかし素早く歩を進めていく。

 色にはどうしても見つかりたくない相手が、ここにはいるはずだった。

 

 そんな風にして建物内を歩く色であったが、何とか目的地であるレッスン場へと辿り着く。

 既にこの中には厄介な人物はいないことは確認済みなので、軽くノック。中から入っていいと許可する声が聞こえてきてから入室する。

 

 レッスン場は鏡で作られた壁が一辺だけあるだけであり、基本的には何もない、シンプルな部屋になる。

 現在は姉を始めとした、姉と同じアイドルグループの面々の荷物が置いてある程度で、実に殺風景な部屋だ。

 とはいえ、ダンスレッスンが行われることを考慮すれば当然と言えば当然なのだが。

 

「失礼します、丸山色です。姉に忘れ物を届けに来ました」

 

「し、色くん助けて……!」

 

 色が挨拶を告げると同時。姉である彩が駆け寄ってきて、情けない声で色の背中へと隠れる。

 その段階で色は何が起きているのかを大まかに察し、申し訳なさげな目線をとある少女へと向けた。

 

「……いつもいつもうちの残姉がすみません、千聖さん」

 

「気にしないで、色くんのせいではないのだし」

 

 そう言って色の目の前で苦笑する美少女は、白鷺千聖。

 クリーム色の柔らかな色合いを持つ髪と、落ち着いた雰囲気。色にとっては姉の面倒も見てくれる頼れる年上のお姉さんになる。

 

「……それで、色くん。後ろにいるあなたのお姉さんを渡してもらえるかしら?」

 

「し、色くん?もちろんお姉ちゃんを売ったりなんて――」

 

「あ、どうぞ、煮るなり焼くなりお好きなように」

 

「色くぅん!?」

 

 ズルズルと。姉が千聖に引きずられていくのを色は手を振って見送る。千聖に関して言うのであれば、姉を悪いようにはしないとある程度の信頼があった。

 

 しかしこれではトレーニングウェアと、折角持ってきた菓子を渡すことができない。

 そのため、色は先ほどのやり取りを少し離れたところで見ていた他のメンバーの元へ行くことにする。

 

「麻弥さん、イヴさん」

 

「お疲れ様です、色さん」

 

「こんにちはシキさん!」

 

 色が軽く手を上げながら声をかければ、メガネの少女からは苦笑しながら。銀髪の少女からは元気いっぱいに返事が返ってくる。

 メガネにミディアムヘアの少女が大和麻弥。比較的常識人であり、色にとっても関わりやすい先輩。

 銀髪のモデル体型の少女が若宮イヴ。フィンランド人と日本人のハーフで、典型的な間違った日本のイメージを信じているタイプ。とは言っても、まだ色にとっては付き合いやすい相手になる。

 

「すいません、麻弥さん。いつもうちの残姉がご迷惑をおかけします」

 

「いえいえ、大丈夫ですよ。むしろ彩さんには助けられることも多いですから」

 

「そう言ってもらえると、姉も喜ぶと思います。……そうだ、これ今回のお菓子です」

 

「わ、いつもいつもありがとうございます。あとで皆さんと一緒にいただきますね」

 

 紙袋に入れてあったお菓子を、色は麻弥へと渡す。今回は冷蔵ものなので後で食べるなら保存に気を付けるように伝えつつ、色はもう一つの紙袋をイヴの方へと渡す。

 

「イヴさん、これBLEACHの続き。突然だったし今貸してる分を返すのは今度でいいよ」

 

「っ! ありがとうございます!!」

 

 イヴと色は同い年であるために、比較的に気軽にやり取りを交わす。

 瞳をキラキラと輝かせたイヴに、色は思わず苦笑しつつも、その喜びように貸したかいがあるとほっこりする。

 

「……あ、そうだった。麻弥さん、これ姉のトレーニングウェアです。今お説教中で渡せないので……」

 

「あはは……」

 

 色は麻弥と二人、千聖に説教を受ける姉を苦笑しながら見つめる。

 とはいえそれは、ちゃんと面倒を見てくれる人が仲間にいるという証左であり。自身が見ていないところでの姉が心配な色としては、実にありがたい事実であった。

 

「そうだ、色さん。よろしければこれ、一緒に食べませんか?彩さんたちはまだ時間がかかりそうですし」

 

「あー……そうですね、そういうことでしたら是非とも――」

 

 そんな麻弥からの、先ほど渡したお菓子の袋を軽く揺らしての提案を承諾しようとして。突如背筋に走った悪寒に、思わず色はレッスン場の入り口を振り返る。

 何の変哲もないただの扉。しかし色には分かった。もうすぐここにヤツが来ると。

 

「……すみません、麻弥さん。やっぱりすぐにでも帰らせてもらうことにします」

 

 手の平が、かつてないほどの速度で翻る。

 

 マズい、ヤツだけはダメだと色の脳内で警鐘が鳴る。

 即座に左の手のひらに右拳を打ち付け、気合を入れる。

 軽く腰を落とし、重心は中心部に余裕を持って。少しだけ脱力し、あらゆる状況に瞬間的に対応できるようにしておく。

 そうして――その瞬間が訪れた。

 

「――ここにいるね、色くん!!」

 

「うっせぇ!! 来んな!! 帰れ!!」

 

 扉を開けて飛び込んできた薄浅葱の髪を持つ少女の動きを、色は咄嗟に見切る。

 飛び込んできた少女が通るルートをざっと割り出し、そこから更に腕が届く範囲を人体の可動域から割り出す。

 加えて。この少女なら予測を超えて対応してくるだろう、という範囲を直感的に掴み取り、回避行動に反映する。

 

 左へステップ。同時に身を捻り、少女に対して肉体の側面を向け、相手が触れられる範囲を絞り込む。

 それに対し、少女は空中で前方へと流れるエネルギーを流すように身を捻り、着地。そして流したエネルギーの指向を調整することで再接近に利用してくる。

 

 再度ステップによる回避――愚策。先ほどの焼き直しになると判断。

 正面から受けて、払う。そうして離脱のタイミングを伺う。色はそんな流れを頭の中で組み立て、迫りくる少女の右手を下からすくい上げるようにして左手の手首で逸らす。

 続いて伸びてくる少女の左手を今度は逸らすのではなく、少しだけしゃがみ込むことで空ぶらせ回避する。ついでにしゃがんだことで、先ほど逸らした少女の右手が色を抱き込むようにして戻ってきていたのを回避した。

 

 このままだと終わりがない。そう判断した色は、少女の両手が空振ったことで生まれた次の行動までの空白を利用し、色は少女の目の前で両手のひらを打ち合わせる。

 猫だまし――古典的でありながらも、意表を突けばほぼほぼ確実に相手を怯ませることができるアクション。

 これにより生み出された少女の意識の間隙。そこへ滑り込むようにして潜り込み、その一瞬をもって色は部屋外への脱出を済ませる。

 

 逃げられた。そう理解した少女が、怯みを振り切り色を追って廊下へと飛び出す。

 右、左。どちらに行ったか。迷うような仕草を少女が見せる。

 

「……と見せかけて上っ!!」

 

 そう言って突如天井を見上げる少女。しかしそこに色の姿は欠片もない。

 

「あれー……? 色くんならそこにいそうな気がしたんだけどなー?」

 

 そう呟いた少女は、どこ行った、と言いながらそのまま扉の傍から離れ廊下の曲がり角へと消えていく。

 ……それからしばらく。少女が戻ってくる様子がないのを確認してから、開かれたレッスン場の扉と壁の間に隠れていた色がその姿を現した。

 

「いや、マジで何なんだあの人……。何で僕が最初隠れようとしたところバレてるの……」

 

 色は最初、部屋から飛び出した段階で天井に張り付こうと思っていたのだ。

 捕まえたい相手が逃げた、そう慌てている状態でまさか天井にいるだろうなんて発想は普通は出てこないだろう、と思っていたのだが。

 

「直感がヤバいって言ったのを信じてよかった……。やっぱあの人の思考回路は読み切れん」

 

 割とそもそも自分の天井に張り付こうという発想もおかしいという事実を認識しながらも、色はそれを棚に上げて先ほどの少女の読めなさに恐怖する。

 

 氷川日菜。色の姉が所属するアイドルグループ、Pastel*Palettesに所属するアイドルの一人。……ではあるのだが。

 言動が些かエキセントリックというか。何やらるんとくる……色なりに解釈するなら面白そう、興味深いと言われて以降、どうにもやけに色のことを振り回してくるために、色は彼女のことを関わると疲れる相手と認識していた。

 

「悪い人、ではないんだけどなぁ……」

 

 マイペースというか、自由人というか。悪意によるものではないために色は彼女を嫌えず、また彼女とのやり取りに楽しさも感じているため強く文句を言うこともできず。

 そしてそれを日菜が見抜き、本気で嫌がられていないならと絡むのをやめないために、こうして毎回出会う度に小競り合いが発生するのだった。

 

「ま、今日は僕の勝ちってことで」

 

 左手を軽く宙で振るいながら、色は溜息を吐く。

 捕まれば日菜の勝ち、次の互いに暇な日に色が日菜の要望に付き合う。捕まらなければ色の勝ち、次の互いに暇な日にカフェやどちらかの自宅などで二人でゆったりと過ごす。

 そんな決まりが、暗黙の了解として二人の間には存在していた。

 

 なんやかんやで色と日菜は、仲良しなのだった。




まさかバンドリ原作で戦闘描写擬きを書くことになるとは……。


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