ぎぶみー・ゆあ・りんぐ (しゃち)
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一話
結婚はやめとけ。アレは人生の墓場だ。
成る程常套句だ。独り身から家庭持ちへ昇華した男達が皆口を揃えて語り継いできた、座右の銘だ。
それにも関わらず、アラサーに至ると性欲抜きに妻という存在に強い憧れを抱くのは何故だろうか。いや、それはきっと世の中が寂れているせいに違いない。
世界の崩壊。
事の発端は三十年以上前に遡るが、当時の俺はまだ離乳食を……卒業した頃か。つまり何も覚えていない。気がつけば軍人になり、特殊部隊に配属され、その時の縁故でこの
話の展開を是正しよう。
とどのつまり、争いに携わる人種から脱却できずいい加減疲れた俺は、狭いワンルームの一角に置いた傷だらけのテーブルに丹精込めて作った夕飯を並べ帰りを待ってくれるような嫁さんが欲しい。
とはいえ、給料だけが取り柄の傭兵さんにもらわれてくれる女性など今となっては金剛石よりも希少価値が高い。やりたいこともできないこんな世の中、好き好んで未亡人になるリスクを上昇させる人間などいるものか。せめて遺族年金が手厚ければと福利厚生制度を嘆くが、時すでに遅しとはこのことを指す。
可能性があるとすれば同業者ぐらいかなあ。
と、思っていたのは今は昔。
「こーれどうすっかなあ……」
茜色の光線束が染める執務室の中央。変わらず指揮に書類作成、人形のケアと仕事に追われる俺を沈黙と共に眺めているのはリングケースを根城とする一つの、銀の輪。クルーガー殿から「お前もそろそろ落ち着く頃合いだろう」と提供されたブツだ。聞けばペルシカ殿が拵えた新型の人形用後付装備だとか。趣味の悪さを疑わざるを得なかったのを肯定する。
データが欲しいのでなるべく早く誰かに渡して運用してくれ、と仰せ付かったはいいものの、安易な選定を許されない形状が億劫にさせる。あれから早二日。候補の一人も挙げぬまま時は過ぎるばかり。だってこれどこからどう見ても結婚指輪じゃん。これ渡すの実質的にプロポーズじゃん。人形を嫁さんにするのは盲点だった……。
「指揮官、今お時間よろしいでしょうか?」
比喩なしに頭を抱える俺に、来訪者が一人。声のトーンと喋り方からその正体はM4A1だろう。努めていつもの声色を作り、入室許可を預ける。
「失礼いたしま──指揮官、お疲れですか?」
「ん?ああ、いや大丈夫だ。そんなに顔色悪かったか?」
「少し……。あの、ご無理はなさらないでください。私も姉さんも、AR15もSOPIIも心配しますから……」
M4の気遣いに感銘を受けた俺の涙腺が決壊直前の状況下にあると気づいたのは遅れての出来事だった。問題児だらけの我が隊の中でM4は数少ない良心、希望の星である。これからも彼女のために誠心誠意仕事に取り組む所存であります。
大天使エムフォエル、その優しさは荒野の如く渇いた指揮官の心を潤すと云う。ついうっかり指輪について話したのは純然たる事故であって彼女の善良性につけ込んだわけではないと宣言しておこう。
「ありがとう。体調の方は本当に大丈夫なんだ。ちょっと選択を迫られたというか、決めなければならないことがあってな」
「決めなければならないこと、ですか?」
「まあ、これなんだけど。指輪──」
「ご、ご結婚なさるので、ですか!?」
「いつになく食い気味」
興奮気味のM4をなだめる中、彼女が珍しく見せた女の子らしい一面に新鮮さと安心感を覚える。
微笑む男が体重を預ける机上には失態が広がっていた。つまるところ、言葉足らずがM4の周章を招いたのだ。これが戦場なら死にも直結する。
敢えて冗長な説明を講じたのは、そんな己を省みる行為だったのかもしれない。
「いやな、どうやらペルシカ氏が開発した新型の人形用後付装備らしいんだ。なんでもシステムに好影響を与えてスペックアップを図るらしい。具体的な情報はまだ開示できないらしいからこれ以上は俺からも何も言えんが、まあ悪いもんじゃないだろう。形状以外な。だから俺が誰かと結婚する予定とかは一切ないから安心……?してくれて構わない」
「そ、そうですよね!ごめんなさい。私ったら、はしたない姿を……。うん、そうですよね。指揮官が私達を置いて行くなんて、そんなことしませんよね。うぅ、とんだ勘違いを……」
「いやいや、誤解を招く言い方をしたのはこっちだ。謝るよ」
華奢な双手を頰に押し当て恥じらう少女に、不覚にも胸の高鳴りに似た感覚が芽吹く。
それはダメだ。大天使エムフォエルは部下であり相棒でありまた娘のような存在なのだ。可愛い以上の感情を持つことは禁じられている!
が、しかし。言葉一つで心理の働きを制御できようか。感情のビッグバンは自制心のリミッターを破壊し、「M4に指輪わたしてーな」と思わせるまでに至る。刹那の思考、抵抗、葛藤。目的なく指輪を凝視する俺と、その俺を観測するM4。
やがて彼女は開口するが、顔はまだ羞恥を色を残している。
「その、指揮官は結婚願望とか……お持ちなのですか?」
問いから、俺が指輪へ注いだ執念は余程のものだったと伺える。誤魔化しの効かなさを悟った。
「んーまあねえ。仕事が仕事だし帰る家と迎えてくれる嫁さんには憧れるかなあ」
「そ、それでしたらえ、えむ、えむえむ……えむむ……えむふ……」
何やら奇怪な呪文を唱え出したM4。
いや、もしやM4をもらってくださいとか言ってくれるのではないだろうか。
心の臓が加速する。言うべき言葉に思案を巡らせ始めた、その瞬間──。
「え、M16姉さんはいかがでしょうか!」
俺は心の底から神の存在に感謝することになる。
急速に冷え行く脳髄と、妙に浮かれ気分だった数秒前までの己を祝う。
「あーいや、別に指輪渡したからって結婚するわけじゃないからな?まあ形状が形状だしシステム名も『誓約』とかで思いっきり意識されてるけど……」
「で!し!た!ら!お相手は慎重に選ぶべきです!その点M16姉さんなら……きっと指揮官の結婚、もとい誓約相手として不足はないと、贔屓目なしに考えます。確かに少々酒癖に問題はありますが、ええ、きっと……」
妙齢の女性の外見をする人形から真剣に婚姻についてアドバイスされる、自らの不甲斐なさに涙が止まらない。
趣旨が変容している気がしなくもないが、ひとまずM4に礼の言葉を述べることにした。
「ありがとう、参考にするよ。ああそうだ、全く話は変わるんだが。以前AR15に渡すと約束していた作戦報告書がまとまったから、悪いけどおつかい頼めるか?」
「はい、承知いたしました」
仕事モードに切り替わったM4が一礼し、廊下へと消える。
その背中を見送る男には、結婚という言葉の意味について再考する必要がある。
その後のことはまだ、知らない。知りたくない。
☆
指揮官に結婚願望がある。
運良く離席のタイミングにありつけた私の演算装置は、先刻取得した一つの事実を延々と処理・反芻している。
指揮官に、結婚願望がある。
それは私の深層で蠢いていたバグに活力を与えた。
私は戦術人形。それも特別モデル。命じられたまま鉄血人形を葬り、言われるがまま戦えばいい。私の存在価値は戦場において十全に高まる。逆説的に、それ以外の物事など必要としない。
にも関わらず、あの時私は想像してしまった。何かの雑誌で一見し、記憶装置に保管していた煌びやかな純白の衣。ウェディングドレスなる装いをし、指揮官の隣に立つ自分の姿。突然姉さんの名前を出した理由はイメージの自分がひどく妬ましく、また妄想の言語化が「恥ずかしさ」によって阻まれたからだ。
「AR15、いる?」
「うわ……なにその顔。ひどいわよ」
「……やっぱり?」
隠そうともしない悪態。揺れた髪から微かに桃の香りが漂う。それが私の決心を少しずつ、固める。
「あのね、大事な話があるの」
ひとまず話そう。
その後のことはまだ、知らない。知ろうとも思わない。
要約
指揮官「結婚したいし御誂え向きに変なシステムできたけど相棒兼娘みたいなやつらに指輪渡す(実質結婚)ってうーん」
M4「欲しい。けどまずはAR15に相談しよう」
AR15「それは本当なのかしら!!?!?!!??!?」
後々渡したくな理由が全く別のものに変わるとは指揮官は夢にも思うまい。
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二話
「君、誓約システムの実験を頼まれたんだって?悪いことは言わない、今すぐ断った方がいい」
そう語る先輩指揮官の光彩に、最早光はない。
☆
クルーガーとの密会から三日目の朝。つまりM4への暴露を昨日の出来事する日の、時刻は午前九時だ。冷え込む基地へ刺すように注がれる日光を全身で浴びるヒト型達は、それぞれのToDoに気が休まらない。
他人事のように語る指揮官も、その実義務の管理下にある。勤め。それはもう慣れたからいい。目下の懸念は二種類の光源に照らされ腹立たしいまでに輝きを放つ、このシルバーリングだ。
誓約。それは指揮官と戦術人形の絆を深め、一段上の力を授けてくれる……らしい。
伝聞調なのはこのシステムがまだ実験段階という事実からしている。確かに指輪の魔法に魅入られた人形達が例外なく好戦績を残しているとは指揮官も耳にしているが、果たしてそれは本当にリングの加護なのか。単なるメンタルの思い込みでは、と彼は訝しむ。
外付けリングがシステム・リミッターを解除するとは考えづらい。ならばやはり彼女達の精神とも呼べる器官に錯覚を起こさせるのが主作用と考えられる。
つまり指揮官は、実質的な婚姻関係になってでも使う必要があるのか、制度そのものに懐疑的なのだ。単なるネックレスとかアクセサリーリングなら話はまた変わってくるが。
「指揮官、いらっしゃいますか?」
途方にくれる彼の耳朶を声が打つ。ドア越しでもくぐもらない、美しく力強い女の声。その主がAR-15だというのは疑いようもない。
「どうした?今日は待機のはずだが」
「いえ……先日のお礼をと。作戦報告書、ありがとうございました。頂戴した分はしっかり働いてお返ししたいと思います」
めっちゃ律儀でええ子やん……。
いい加減自分の涙腺の緩さを実感するアラサーの瞳に、妙にそわそわしたAR-15の姿が映った。もしかしてもっと欲しいのか、欲張りさんめと茶化そうとした男は、その数刻後に面食らうことになる。
「あ、あの!その、えっと……」
言い澱み方がM4によく似ていた。
「よろしければ少し、ほんの少しだけお話しませんか?コミュニケーションを積み重ねておいた方が戦場での意思伝達や連携に好影響が出ますから……」
なるほど、至極合理的な意見だ。
戦術人形は与えられた命令を完璧にこなす兵士。だが命令誤認が生じない保証など誰もしてくれない。人間だろうと人形だろうと、結局意思を持つのなら相互理解を図って損はないのだ。
戦闘技術の研鑽にのみ腐心するのではなく、今自分に求められるものを正確に把握し、得ようとするAR-15の姿勢は一個の指揮官としても、一人の人間としても非常に好ましく思える。
こういう時贔屓したくなるのが人間の単純さの表れだろう。桃色の彼女に着席を促すと同時、棚の奥から秘蔵のコーヒー豆を取り出した彼は、自らを紛うことなく生の人間だと笑った。
「それは?」
「へへっ、今となってはレアなモノホンのコーヒー豆だ。たーんと味わえよ?」
「そんな貴重なものを私に……!?感激です!」
そんな些事で感激しててこの娘の将来は大丈夫なのだろうか。お父さん心配になりますよ。
コーヒーマシンがけたたましく唸り声を上げる。友人からの頂き物だが、彼曰く、以前どこかでやった密輸取締任務で手に入れたものらしい。軍人がちゃっかりくすねていいのかと甚だ疑問に思うが、時勢に鑑みれば仕方がないのかもしれない。
「どうぞ。ああ、ペルシカ殿が飲むダークリキッドよりの一億倍は飲めるものだから安心してくれ」
「ありがとうございます。……ええ、アレは正直お断りです」
そう言ってAR-15はカップの縁に口をつけた。味を讃える小さな呟きが聞こえたのは、言うまでもない。
「さて、定番の質問で申し訳ないが。最近の調子はどうだ?」
「はい。トラブルはありません。部隊の人形達とも互いに手を取り合い、時に研鑽し合う健全な関係を構築できていると自負しています。ちょっとクセモノ揃いですけどね」
「違いない」
返答した彼の脳裏には、一人ずつ順番にそのクセモノの顔が過っていた。諸悪の根源スコーピオン、言い回しが怪しいPPK、露出狂疑惑のC96、
せめてもと差し出した菓子には、その気苦労に対する労いの意が込められている。
「そういえば指揮官。戦術人形用の新装備が支給されたと耳にしましたが、本当なのですか?」
(ふ、触れてきた……!?)
(人形から人形装備の話題への自然なシフト……!この機は逃さない!)
相槌を打ち微笑む指揮官の内心も、続く言葉を慎重に探るAR-15の胸中は穏やかではない。そもそもが、昨日M4から伝えられた「結婚指輪型の人形用装備」の真偽を定かにするために、わざわざ訓練を早上がりして主人のもとを訪れたのだ。
仮にその噂が真実だとすれば、それは紛うことなくデリケートな話題だ。食いつき方一つを間違えただけで指揮官に奇異の視線を注がれかねない。
「M4が教えてくれたんです。あの子、ああ見えて新しいもの好きなところがありますから、きっと話したかったのでしょうね」
すかさずM4の名前を出し、あくまでAR-15は生真面目な性格故に親友を介して伝わった噂を確認しにきた、そういう体を装う。AR-15自身が強い興味を示していることだけは、悟られてはならない。
(ええいやはり面倒を呼び込んでくれる指輪だ!どうする、誤魔化すか?どのように?)
対する指揮官には、指輪の存在を開示したくない都合があった。真面目で上昇志向が強いAR-15のことだ、欲しがる確信がある。先刻の通りこれが単なるアクセサリーなら是非是非と託すところだが、プラチナ製で形状もそれっぽい物体を戦術人形に渡す気まずさが彼にはある。
「…….300BLK弾のことか?ことだな。そうだそうだちょうどよかった君に──」
「『指輪』だと、伺っておりますが」
すかさずの追撃が指揮官を襲う。冷徹なる狩人の眼、短いやり取りの中に溶かした情報群が突きつけた言葉の下地となる。
「あ、ああそっちか!悪い悪い、勘違いをしていたよ。誓約システムというらしい。俺も詳しくは聞かされていないが、まあ暗示の類だろうな。効果も保証されてるわけじゃない、実験段階もいいところの装備だよ」
(──なるほど、上手く捌きましたね。『詳細を知らない』という盾を構えつつ、さりげなく私見を事実のように述べてくる。設定上私は指輪の本当の効力を知らない。何故なら指輪だけを見たM4から聞かされた、それだけだから。
ですが指揮官、私は知っています。その指輪をつけた人形の戦績が向上したデータを。なにより指輪を左手の薬指に嵌める行為が意味するものを……!
どの派閥よりも疾く指揮官から指輪を授かることが私達M16姉妹には求められる。姉妹の中で誰がもらおうと恨みっこなし、とにかく指揮官を私達の間へ引きずりこむ必要がある!今この瞬間はまさに私が指輪をもらいつつそれを成す絶好のチャンスッ!逃がさない!)
「暗示……ですか。なるほど、運用に少々危険性を伴いそうですね。となると誰に任せるか、慎重に選択しなければならないと考えます。暗示に振り回されない成熟したメンタルを持つ人形となると……ふふっ、問題児だらけの貴方の部隊では限られてしまいますね」
あくまで強く要求するのではなく、徐々に選択肢を狭めて最終的に自分に至るよう誘導する。それがAR-15の演算装置が導き出した最適な手法だった。
(こいつ……ッ!俺の発言を更に利用して斬り込んで来やがった!クソッ、今だけは君達の真面目さをわずかばかりだが恨む!)
帰結から話せば、彼女はここまで最適解を選択し続けていた。
指揮官はまだ、AR-15がその内に秘める淡い感情に勘づいていない。これまで幾度となく触れた実直さと、「結婚願望はなくもないけど指輪渡すのって結婚申し込むみたいで恥ずかしいし第一相棒兼娘みたいな奴らに渡すのってなんか抵抗がある」という憫然たる機微のために煙に巻き、虚実織り交ぜ語るばかりなのである。
だが手詰まりに歩を進ませつつあるのも事実だった。AR-15の理屈は非常に理解できる。確かに暗示をかけるユニットなら実験台の選択肢は限定される。先述の問題児を全員除外するとすれば、残るのはたったの数体だ。
かつ、二人だけの空間にて遠巻きに自分に任せるような口ぶりで語る。人間心理の脆弱性を突いた巧みな戦術だと舌を巻かざるを得ない。最早指揮官には大人気ない理由を振りかざし断固として拒否するか、AR-15に託すか、実質的には二者択一なのだ。
(かと言って拒否するのはわざわざ立候補してくれたAR-15の気概を無下にするようで少々申し訳ない。しかし渡すのも……うーん……)
(まだ決定打が欠けるか……。いっそこの気持ちを素直に……い、いやそれはまだダメよAR-15!恥ずかしいし変な人形って思われたらどうするの!
ここはそう、そうよ。ゆっくりと答えが私になるように絞り込むべきよ)
「データ取りならある程度自由に動ける人形の方が都合が──」
言い終えようとしたその瞬間だった。執務室に巨石が、目を向けられないほど眩い無邪気さを伴って投じられる。
「あーっ!噂の指輪みーっけ!」
「えっ」
「SOPII!?」
「いただきーッ!」
それは受難の幕開け、なのかもしれない。
実は元々一人称でやってた話を急遽三人称に変更したという裏話。
次回、ヤツが来る。
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三話
『いいか。まず私達の誰かが指輪を手に入れる必要がある。特に404の連中に遅れを取ってはならない』
『指輪を手に入れる、つまり指揮官と強い絆を結んだ人形が私達の中から出ればそれで勝ちなんだ。後のことはどうとでもなるさ』
『ただ、姉妹の中で誰が最初の指輪をもらっても恨みっこはなしだぜ』
☆
それはAR-15にとっての誤算であると同時に、手元にブチまけた失態でもあった。彼女はM4 SOPMODIIの無邪気さを全く考慮していなかったのだ。
(指揮官に協力してSOPIIを確保するか、それとも協力を装ってSOPIIが逃げ切るのをサポートするか……)
皮肉にも二者択一を迫られたのはAR-15だった。
AR小隊が指輪を確保するという根本的命題は達成されつつある。私欲を封じ、このまま指揮官と自分達の絆がなし崩しに深まるのを待つ持久戦に持ち込める。情報アドバンテージにおいてはAR小隊とそれ以外の派閥の間には雲泥の差、そのような展開になれば勝算は膨れ上がる。
しかし、そのためにSOPIIがM16の私室に指輪を持ち去り、かつ指揮官を言い包める惑わしの言葉を用意する時間を稼がなければならない。この場においてそれが可能なのは他でもない、AR-15。
(あまり思考に時間をかけてはいられないけど……一手誤れば私達の関係が崩壊しかねないのも事実。どうする、どちらを取る?)
論理的行動を好むはずの彼女が踏ん切りをつけられずにいるのは、指揮官からの好感度が低下する恐れが後者に付随しているからである。
「あのバカ犬め……!追うぞAR-15!今の状況でアイツが指輪を見せびらかしたらあらぬ誤解を招きかねない!」
指揮官は恐れている。SOPIIの悪意なき情報拡散が招来する未来を。
百歩譲って人形に指輪を渡す、すなわち実質婚姻を結ぶとしても、まず部下全員に正しい認識を持ってもらうことは欠かせない。説明会の一つもなしに指輪が誰かの手に渡れば
「り、了解しました」
これ以上の思考は必要ない。指揮官から賜る命令は絶対。そこに打算も妥協も介在する余地はない。「追え」と指示されたのならば、追うまでだ。
「SOPIIの奴ああ見えて結構計算高いからなあ……」
「バカ犬と侮るなかれ、と言うことですね。正直な話私もあの子の思考パターンは読み切れません……宿舎ペット用のドッグフードでおびき寄せられないかしら」
「時々毒舌吐くところまでM4にそっくりだよな君」
こぼしたような所感が冬空の青へと消える。追走へと目的を切り替えた二人が第一の捜索先としたのは食堂。他の人形ならいざ知らず、SOPIIならば甘味の一つでもと足休めをしていても不思議ではない。
結論から言えば、手配犯の影はそこにはなかった。代わりに、偶然居合わせたスプリングフィールドとWA2000にただならぬ有様を見破られ、尋問の時間が幕を開ける運びとなる。
「あら指揮官、なにかお探しものですか?」
「ちょっとアンタ、食堂ぐらい静かに入って来なさいよ」
「申し訳ない。次は気をつける。それと探しものだ、SOPII見てないか?」
「SOPIIゥ?私は見てないけど。ふぃー……じゃなくてスプリングフィールドは?」
「私も見ておりませんね。彼女が?」
「新装備を持ち逃げし──ムグッ!?」
AR-15の言葉は古傷の掌によって遮られ、行き場を失う。次の一秒にて彼女は己の浅はかさを知り、恥じた。
「へえ、新装備」
「ですか」
食いつくのはスプリングフィールドと、WA2000。人形である彼女達が新装備の五文字を聞き逃すはずはなかった。
(うっかり口に出してしまった!M4のおしゃべりグセが移ったのかしら……。と、とにかく挽回しなくては。スプリングフィールドを……撒けるか?)
「ええ、新型のナイフが16labの方から支給されたんです。それをSOPIIが『人形解体に便利そう〜!』と持ち出してしまって。全く困った妹です」
(上手いぞAR-15!SOPIIの性癖を巧みに利用したナイスな誤魔化しだ!残りはスプリングフィールドだけだが……)
ここで二人の思考は一致する。スプリングフィールドM1903、武人とも称される隙なしの人形。彼女を騙し抜くのは至難の技だ。もう一人に関しては話は別だが。
「ふーん、アンタも大変ね。ま、私も見つけたら連絡するから」
「サンキューわーちゃん、助かるよ」
「ありがとうわーちゃん。やっぱり頼りになるわね」
「わーちゃん言うな!」
微かに頬を染めたWA2000の姿に、自然と三人が微笑む。中々胸襟を開かない狙撃手ではあるが、わーちゃんとあだ名で呼ばれるのは嫌いではないのだ。単純に、気恥ずかしい。そこに生来の不器用さと意地っ張りな性質が相乗してつい反感を覚えたと言いたげな口ぶりになるのが、WA2000の悪癖である。
幸運なことに姉兼親友のスプリングフィールドを筆頭に指揮官、同部隊の仲間も理解を示してくれているおかげで、問題を招いた記録はほぼない。
(ナイフ……。16labが今更そのような緊急兵装を供与してくるとは考えにくい。新素材開発の報があれば話は別ですが、直近のニュースにはなかったはず。それに指揮官のあの手。AR-15の発言をわざわざ阻んだ意図とは?答えは一つ。そもそも『新装備の存在を知られること』事態が指揮官にとって不都合だったから。だから彼は反射的に彼女の口を塞いだ、と推測するのが一番自然でしょう。持ち逃げ、つまり持って身軽に逃走できるほど小さい装備……。このなにもないタイミングで指揮官が受け取っても違和感のない兵装種とは……『アレ』、かも知れませんね)
(このままスプリングフィールドが素直に引き下がる……とは思えない。彼女の口が開く前に指揮官を促して脱出を図るか次の言葉を用意しておくべきね。ああ全く、数分前の自分が憎い!)
「指揮官、そろそろ行きましょうか。ごめんなさいスプリングフィールド、わーちゃん、お食事の邪魔をしてしま──」
「お待ちください。SOPIIが持ち出したのは本当にナイフなのですか?あるいはもっと小さい、例えば磁気等で関節に干渉してレスポンスを向上させる『アクセサリー』……とか」
追跡者達を貫く瞳。覚えた賞賛と焦燥は大きい。
場の支配権はほぼ奪われたと見なして問題はない。つまり今注力すべきは逆転ではなく防衛。可能な限り追求をかわし、複数解釈ができる発言を残すか、だ。
指揮官が上手い嘘を、あの紫色の人形の思考をトレースすることによって生み出そうと試みる傍ら、AR-15は打って出る。
「あまり上官達の世界に探りを入れないことよ、スプリングフィールド。……まあやっぱり変よね、今更ナイフだなんて。でも事実なのよ。ホント、ペルシカの考えは解読不能この上ないわ。そう思わない?」
(下手ね、これじゃあ嘘をついていると言っているようなもの。語頭の警告にもならない警告が功を奏せばいいのだけれど)
祈る神など持たぬのが彼女の性分だが、この時ばかりは珍しく神頼みに手を染めたいと熱望する。
一方、引き際を弁えるスプリングフィールドには事態を思うように転向する余裕があった。
(ふふ……嘘は得意ではないようですね、AR-15。ですがこれ以上お二人をいじめるのはその後を考慮すればよろしくない選択でしょう。それに反応から推察できる事柄もあります)
「過ぎた真似でした。どうかお許しを」
敢えて「行け」とAR-15にアイコンタクトで説き勧める。
去り際の敗者が残す眼の光芒。それにゾクリ、と己が内に秘めた武人の血が騒ぎ立てる。
どうやら後進は順調に育っているようだ。無論未熟な点も併せ持っているが。
「なんかすごい攻防を見た気がするんだけど」
「わーちゃん」
「へ?」
「ふふっ、戦争ですよ。それも熾烈を極める、ね」
☆
「なあAR-15、一つ聞きたかったんだが」
「はい、なんでしょうか」
「指輪、欲しかったの?」
「──へっ!?きゅ、急になにをおっしゃるのですか!?」
「ちょっと参考までに」
「え、ええ欲しいです。それが私に更なる高みへ続く道を示してくれるなら、指輪も腕輪も首輪も全部欲しいです」
「指輪に特別な意味が込められていても?」
「気にしません…………………………たぶん」
(ああもうなんで素直に欲しいって言えないのよ!どう見ても今のはチャンスだったでしょう!)
「ありがとう。っと、じゃあ俺はこっちの方行くから、AR-15は左手を頼む」
「…………承知しました」
「き、急にテンション下がったな」
「いえ。少々自己嫌悪に陥っていただけですので、お気になさらず」
一難去ってはまた一難。人生も警察ごっこも順風満帆には進まぬ。一つ目の戦場を背に、バディと二手に分かれた指揮官はわずか三分後に強く感じた。その訳柄は目と鼻の先で拘束されている指名手配犯とその確保者、特に後者にある。
色素の薄い肌。透明感漂う銀髪。若草色の瞳は、特殊部隊然とした装いの上でも美しさを保つ。
彼女の名はHK416。この場にて最も遭遇したくなかった人形の一人である。
「よ、よお416。二週間ぶりぐらいか。どうしたんだ?SOPIIを抑えたなんてしてよ……」
動揺のあまり上擦る。幽鬼の如き枝垂れ髪の奥で光と怒りを帯びた楕円が蠢いた。その白い指に摘まれたのは、プラチナのリング。
「ねえ指揮官。私、任務の帰りだったんです。報酬を受け取るついでにメンテナンスと、貴方にも顔を見せておこうと思って基地内を歩いていました。そうしたら出会い頭にM4 SOPMODIIが突っ込んで来て……それだけならいいんです。躾ければ終わる話ですから。でもね、指揮官。私見たの。コイツの右手の中指に嵌ってる、この輪っか。どう見てもエンゲージメントリングよね?それも16rabが試製した新型の人形用拡張装備。ねえ、指揮官」
──これ、なあに?
彼女には嘘をつけない。いや、ついてはいけない。
前触れなく訪れた窮地だが、指揮官の思考は辛うじて正常な稼働を続けていた。
偽りなき真実の告白。それはある種の懺悔だったとも受け取れる。
「み、見ての通り誓約システム用の指輪ですが……」
「は?」
「え、いやその」
「は?」
「だからその、あの……」
「指揮官、私はもうじき冷静さを失います。その前に筋道立った説明を。場合によっては貴方を撃たなければならないということをお忘れなく」
怒気を隠そうともしたい416の詰問に指揮官はたじろぐ。嘘偽りなく事情を明かすのは簡単だ。しかし真実とは時に残酷な武器となるようで、「うっかり取られた」と言えば異なる怒りを買うこととなる確信がある。
「お、怒るなよ416。別にSOPIIに渡すと決めたわけじゃないんだからさ……なあ?SOPII?」
「うぇっ!?わたしに振るの!?」
「元はと言えばオメーが俺の隙を見て奪って行っ……あ」
二の轍を踏むとはまさにこのこと。先刻AR-15が犯した失態と寸分違わぬ醜態を晒した。しかし万事は後の祭り。彼を待っていたのは読み通り高い代償の支払いだった。
「へえ……。指揮官はドジなのね。いいわ、私が教育して差し上げましょう。さあこちらへ。SOPIIはもう行っていいわよ。むしろ行きなさい」
「は、はい……」
「あ!裏切り者!」
「だって416怖いんだもーん。じゃね、指揮官。また遊んでね!」
「裏切り者ォ!!」
ぐい、と耳を引っ張られ、指揮官は行き先を知らされぬまま景色が巡る様を見る。その胸には器量の小さい恨み言と不安と、それまで少し距離を感じていたAR-15と親しくなれた──ような気がする嬉しさが混沌としていた。
一回戦 vsAR-15:SOPIIが介入したものの押され気味だったので実質負け
二回戦 vsSOPII:416の乱入により引き分け
三回戦 vs416:
春田さんに勝てるビジョンが見えない
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