その者、かつての導かれし者の一人 (アリ)
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序章〜新たなる旅路〜

 一つ、不恰好に建てられた小屋と何十という十字杭の墓を除いて目を引くものが無い拓けた土地に一人の緑色の髪をした男が佇んでいる。

 小屋を背にしばらくあたりを見回してやや小高い場所へと足を進めて座り込んだ。

 

「あれからもう一年か……」

 

 誰に聞こえる訳でも無く呟くと男はその場に寝転んで天を仰ぐ。

 

「はねぼうし」

 

 男がポツリと呟くと、腰に着けた巾着袋から発生した光が手の上に集まり、一つの形が形成される。そして光が収まると手には二本の羽が装飾された帽子が現れた。年季が入っているように見えるが良く手入れのされているような印象を受ける帽子を男は自分の胸の内に乗せた。

 男の言う一年前、この拓けた場所に小屋は無く、地は荒れ果て、焼かれた家の残骸が幾つも存在し、各所に毒で満たされた沼地が存在する滅びた村の跡地、それこそがこの場所である。

 一年の時をかけて男がほぼ一人で廃墟を片付け、毒の沼を土で埋めてやっと滅びた村から何も無い土地へと姿を変えたところだ。

 

「全部終わったあの日、世界は平和になった。魔物は出ないし国同士の争いも無さそうだよ。

……あの日、俺は確かに君とまた会えたはずだった。でも次に目を覚ましたら君も駆けつけてくれた仲間もいなかった。夢を見ていたんだって言われるけど、俺は確かに君に会ったんだ。

また会いたいよ、君にも、父さん母さん、先生、村のみんなに……」

 

 虚空に向かい言葉を投げかけるも、当然返る言葉は存在しない。

 男は流れる雲を見つめて、心地よい風に当たっていたが体を起こして顔を数回横に振った。そして手にしていた帽子は男が念じると再び光となって巾着袋の中へと消え行った。

 今の自分が過去に戻れたら現在は変わるのだろうか。そんな意味の無い自問自答をしながら墓の前まで移動して膝を折る。

 

「また、旅をしようと思う。

ここの片付けをしながら時々あいつらの所に行って稽古つけて貰ったりもして、素養があったおかげか魔法は全て使えるようになったし、色んな剣技も拳法も協力して編み出して身に付けた。

毒の沼地が消えたら行こうって決めてたんだ、今度みんなに会えた時に話す事を増やすためにもさ。

仲間には偶にここに来て墓の手入れをしてくれると助かるって頼んであるからここがまた無くなる事はないと思う。

だから、俺は行くよ」

 

 墓前に語り終えると男は膝を伸ばしてこの場所を去ろうとする。すると背後で何やら音が聞こえた。

 不思議に思いそちらの方を向くと、そちらには、かつて襲撃された際に自分だけが生き延びらせた地下室へと降りる階段がある。

 なんとなく、最後にそこも見ておこうと思った男は階段を降りる。

 埃とジメジメしたカビの匂いに本来なら不快感を覚えるのだが、男の心中は唯々、悲しみで満ちている。

 この地下室だけがかつての自分の故郷の面影を残す場所だからだ。

 男は思い出す。師に剣の手解きを受けた時のことを。

 男は思い出す。幼馴染のエルフの少女とかくれんぼをした時のことを。

 男は思い出す。村で収穫した作物をこの場所に仕舞う手伝いをした事を。

 男は思い出す。村が襲撃された日に自分だけが地下室に匿われて生き延びた事を。

 

「……なにか、動物でもいたのか?

メラ!」

 

 人差し指を立てて男が呪文を唱えると、指先に小さな火の玉が現れて地下室を照らす。

 以前は倉庫兼修行場となっていた今自分がいるスペースにはなにも見当たらない。凹凸のある荒れた床に足を取られないように気を付けて奥へと進む。

 

「……」

 

 行き着いた先は何も無い壁。しかし男が壁を調べて煉瓦の一つに手を当てて押し込むと、地響きを立てながら壁の一部が扉のように開いた。

 奥にある隠し部屋、その空間こそが男が滅びゆく村で生を拾った場所。そして、最愛だった人と今生の別れをした場所。

 

「なぜコイツがここにある……?」

 

 男は指先の火の玉を消す。暗闇を照らすという意味ではもう必要が無くなったからだ。

 中心に存在する渦のような何かが放つ青白い光によって部屋の中が照らされている。

 本来この場所には無いはずのこの存在を男は知っている。

 それは旅の扉と呼ばれ、その渦に飛び込めばその者を遥か遠くの地へと誘う謎の光の渦。

 

「丁度いい、この旅の扉の先に行くとしよう。

それじゃあみんな、行ってきます。またな」

 

 振り返り、階段の方に向けてそっと言うと男は光の渦の中へと身を投げ入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うっ……何処だここは……旅の扉も消えているし……とりあえず……メラ」

 

 男が転移した先は闇の中だった。

 旅の扉を利用した副作用で頭と腹の中をグルグルと掻き回されたような感覚に酷い不快感を覚えるが、すぐさま先程のように指先に火の玉を出現させる。

 周囲を見回すと、上も下も横も土や岩で固められていてここが洞窟や洞穴のような構造物の中だと思われる事が分かる。それも然程広くはない、少し長い物を振り回したら引っ掛けてしまいそうな程の狭さである。

 

「とりあえず外に出るか。ひのきのぼう」

 

 腰の巾着袋から光が飛び出して、男の手には握る部分に布の巻かれた檜の棒が握られていた。

 布の方を上にして棒を持ち直すと、指先の火の玉を布に当てて松明の代わりとする。男の魔力も無限では無いので、出口までの長さの分からない洞窟で魔力を消費し続けるわけには行かなかった。

 燃える棒を見つめて煙の向きで風の流れる方向を探り、風の吹いてくる方向、出口であろう方に向けて歩を進めた。

 

「中に灯りの松明が無いって事はこの洞窟は自然に出来たものか……周りの気配や変な足跡もあるから、人間じゃない動物か身を潜めている魔物の寝ぐらってところか」

 

 足元を見て独り言を呟きながら暫し歩くと、前方に自身の持つ松明の炎と同じ色の光が見える。

 男はおそらく自分と同じように松明を持った人が動いているのではないかと思い警戒をしつつそのまま歩き続ける。一歩一歩近くに連れてやがてその灯りの持ち主の輪郭が浮かんでくる。

 その人影は頭を全て覆う兜と鎧に身を包んで松明を持つ反対の手には小さめの円盾を装備しているようだ。そして腰には長くも短くもない、中途半端な長さの剣を携えていた。

 その人影が近づいてくるのと同時に、ここに来てから感じていた気配がざわつき始め、敵意が自分に向いているのを肌で感じ取る。

 

「止まれ!」

 

 男はその人影に見覚えがあった。魔物がいた頃、幾度となく戦った事がある、さまようよろいと名の付いた魔物と同じである。

 しかし、さまようよろいは暗闇でも目が通るので松明など持つ必要が無い。だが、先にいる存在がそうではないとは言い切れないため、男は言葉が通じるのであれば魔物ではない、或いはとりあえず害は少ないものと考えて声を出したのである。

 そして、言葉が届いたのかその人影はピタリと足を止めた。

 

「ドラゴンキラー」

 

 言葉は通じたが敵にならない保証は無い。事実、男は鎧から発している敵意が自分の方向に向いているように感じた。

 そう考えて男は巾着袋から竜の頭の意匠が施された手甲に刃の着いた武器を出現させて腕に装備する。

 

「そこをどけ」

 

 それとほぼ同時、鎧は言葉を発して男の方へと向けて駆け出して腰の中途半端な長さの獲物を抜いた。

 

「ふん……断る!」

 

 男は装備した刃を強く握る。

 そして後ろに踏み込み振り向き様に刃を下から上へと振るう。

 確かな手ごたえ。醜悪な面で子供程の背丈の緑色の魔物が縦に裂かれて体が二つ地面に崩れ落ちた。

 

「何だこの魔物……初めて見るな!?」

 

 天に向けた刃を振り下ろすと、付着していた血が良い音を立てて地面に飛び散った。

 

「ゴブリンだ。気付いていたのか?」

 

 いつしか近付いていた鎧が男に話しかけた。

 

「ゴブリン……その名も初めて聞く。

気付いてはいたさ、気配と俺に向く殺気で敵の有無と数くらいは分かる。

それで、お前はさまようよろいか?それとも人間か?」

 

 自分には向いていた敵意が消えて害は無い事を知った男は鎧への警戒を解いた。

 

「さまようよろいとやらが何かは知らん。俺は小鬼を殺す者(ゴブリンスレイヤー)だ」

 

「ゴブリン……スレイヤー?」

 

 男が鎧に受けた第一印象は、妙な奴であった。



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Level 1〜小鬼を殺す者と魔物を殺す者〜

「お前も冒険者か?」

 

 鎧の男、ゴブリンスレイヤーは問いかける。

 ゴブリンスレイヤーを凝視してようやく人間である事を信じた男は、少し考え込む。

 復讐から始まったあの旅路は冒険であったのか否か。

 恐らく、こんな疑問をかつての仲間の前で口に出していたのなら、お転婆王女が「私達は色んなところに行ってきた。たしかに始まりは明るいものではなかったかもしれないけれど、楽しい事もあったでしょ?」などと言ってきそうだ。

 後ろ向きに考えるのは自分の悪い癖だと自嘲して男は首を縦に振る。

 

「気がついたらココにいて一応、今も旅の途中だ。そう言った意味では俺は冒険者だろう」

 

 男の回答にゴブリンスレイヤーは首を傾げる。推測ではあるが、鎧の中では怪訝な表情を浮かべているのであろう。

 

「見たことない顔だが、駆け出しか?等級は?」

 

「等級……なんだそれ?冒険をするのに証が必要なのか?」

 

 ゴブリンスレイヤーは胸元に下げている銀で作られたプレート(認識表)を見せる。

 

「コレをギルドで貰ってないのか?受付に無くすなと言われて必ず手に入るものだ」

 

 慣れない単語に男は自分がいた場所とは遠く離れた場所に来てしまったのだと理解した。

 男は自分が持っていた世界地図にも記されていない地があると噂に聞いた事があったが旅の扉を通った事でその地へと来てしまったのだと推測する。事実、決して通ったからと言って消えるはずのない旅の扉も消えてしまったため、何か勝手が違うとは思っていた事も相成ってその推測を進める手助けとなった。

 

「どうやらとても遠くに来たみたいだな。

悪い、多分俺はあんたが言うところの冒険者って奴じゃないみたいだ。

色々あって、ここに辿り着いたってところだ。今自分がいる場所も分かってない」

 

「そうか、ここはゴブリンの巣だ。向こうへと真っ直ぐに進めば外へと出られる」

 

 そう言ってゴブリンスレイヤーは自分の来た方角を指差した。

 

「ゴブリン、俺がさっき叩き斬った奴のことだよな?手ごたえは全く無かったけど悪い魔物なのか?」

 

「良い魔物が存在するのかは知らんが、良いゴブリンは存在しない。少なくとも良いゴブリンは人前に出てこないゴブリンだけだ」

 

 ゴブリンスレイヤーは淡々と語るとそのまま指を向けた反対、洞窟の奥の方へと歩き始める。

 男はそれに続く形で歩き出して口を開く。

 

「それで、あんたはそのゴブリンを退治するためにココに来たって事か。

なら丁度良い、俺がゴブリンを殺すのを手伝ってやる。その代わり退治が終わったらあんたは俺を街か城まで案内する。どうだ?」

 

「……さっきの身のこなしを見る限り動けるようだな。他に何ができる?」

 

「そうだな……道具を出す、剣術、体術、俺が知る限りの魔法を色々使える。あの程度の魔物なら何十と来ても遅れを取る気はしないな」

 

 腰に着けた袋を叩きながら男は自信を持って答える。

 

「奴らを甘く見るな、ゴブリンは最弱の生き物で馬鹿だが間抜けじゃない。子供程度の知恵と力しか持っていないが、それが武器を持ちこちらを襲って来る。頭に斧を振り下ろされてみろ、腹部を剣で刺されてみろ。それだけで致命傷となり人は死ぬ。

先程その武器を出した要領で防具を出せるなら身を固めておけ」

 

 男は先程斬り伏せたゴブリンを一瞥すると、確かに手には小振りの剣が握られていた。

 

「それもそうだな。敵に出くわした時に一番怖いのは、そいつの強さじゃなくて自分の慢心だものな。

防具は……そうだな……こいつにしよう。やいばのよろい」

 

 腰の巾着袋から現れた光が男を覆い、やがて肩や膝、胸部に鋭い刃の着いたそれすらも武器であるかのような鎧となり身に纏われた。

 

「アイツら、そんなに強くないんだろ?この鎧ならたぶん襲いかかって来て勝手に死んでいくだろう。警戒されて近付かれなくなっても遠距離の攻撃手段はあるから心配しないでくれ」

 

 ゴブリンスレイヤーはそうか、と言うと足元に転がるゴブリンの死体の切断面にどこからか取り出した布を当てて血を染み込ませる。

 男が何をしているのかを問うとゴブリンスレイヤーは淡々と答える。

 

「奴らは匂いに敏感だ。特に女の小水や鎧の金臭さにな、臭いを消す必要がある。コレをお前の鎧に塗る」

 

 彼はやや威圧的にゴブリンの体液を吸った布を男に近づけるが、臭いという言葉に男は一つ閃いた。

 

「ちょっと待った。それなら臭いで誘き出して一網打尽にすれば良いんじゃないか?」

 

「却下だ。奴らは暗闇でも目が効く。お前の鎧の臭いで位置がバレて奇襲をされると厄介だ」

 

 そのまま布を男の鎧に着けようとした所で男はゴブリンスレイヤーの手を掴んで止める。

 

「ならば違う臭いでこちらに誘うのはどうだろう。においぶくろ」

 

 男は腰の巾着袋からこれまた巾着袋を取り出す。取り出された巾着袋の口のは紐で縛られたままで中身は確認出来ない。

 

「これはにおいぶくろって言って中に魔物が好む臭いを放つ粉が入っている。紐を解くか袋を破けば中の粉が噴出されて辺りに臭いが立ち込めるんだ。洞窟の先に松明と一緒に投げて俺が魔法で穴を空け、ここでゴブリン共を迎え撃つ。

俺が魔法を使えば遠距離から攻撃する術もあるし試してみる価値はあるんじゃないか?」

 

 男の言葉でゴブリンスレイヤーは手を止めて考える。暫しの間パキパキと松明の燃える音が辺りに響いて二人に沈黙が続いた。やがてゴブリンスレイヤーは手を下ろして布を地面に捨てる。

 

「良いだろう。術の届く距離と回数は?」

 

「距離と回数?おかしな事を聞く奴だな。

中級までの攻撃呪文なら距離は調節できるようになった。そうだな、下級呪文なら最長100mは行けるだろう。

回数は使うものによって変わるが、下級のメラやギラなら軽く50回以上は撃てると思うが?」

 

「めら?ぎら?聞かない術の名だ。随分と回数が多いが威力はあるのか?」

 

 男はかつての旅で数え切れないほど多くの魔物と闘いを繰り広げた。幾度も斬りつけ、斬りつけられ、防ぎ、防がれ。やがてその経験は一度剣を合わせれば相手の力量を測れる程のものにまでなっていた。

 先程、ゴブリンを斬り伏せた感覚とかつての経験を照らし合わせて男は一つの答えを出す。

 

「ゴブリンが全てあの程度の強さなら、直撃すれば一撃で殺せるな」

 

 

 

 

 ゴブリンスレイヤーは松明を一本取り出して火がついていた松明から火を移して元々持っていた方を洞窟の先へと投げ込む。続いて男が松明よりもやや手前に落ちるようににおいぶくろを投げ込んだ。

 

「最後に作戦の確認だ。破いたにおいぶくろの効果がしっかりと発揮されるのであればゴブリンはこちらに来る。やって来たゴブリンに俺は魔法で、あんたは短剣を投げて攻撃する」

 

「構わん。それでも撃ち漏らした物はお前が対処する。大丈夫か?ゴブリンの持つ刃は雑だが猛毒が塗られている」

 

「大丈夫だ。毒なんざ何回も食らってるし解毒の呪文も覚えてきた。

そして、もしもにおいぶくろの効果が無かった時はあんたの案で俺の鎧をゴブリンの血で汚してから先へ進む。こんなところか、じゃあ行くぞ、バギ」

 

 男が前方へと手を翳し、呪文を唱える。

 すると、真空の刃が幾重にも重なった小さな竜巻が発生してにおいぶくろを引き裂き、中の粉を巻き上げて辺りに不思議な臭いが立ち込める。

 風によって松明の炎は大きく巻き上げられたが消える事は無く、竜巻は風の流れを作り粉と臭いを洞窟の奥まで運んだ。

 ゴブリンスレイヤーの持っている松明の火を消して2人は息を潜めて暫く待つ。

 

「ーーB!GROOB!!」

 

 宝でも見つけたかのような五月蝿く耳に障る下卑た歓喜の声が洞窟の奥から響き渡る。

 どうやら男の策はピタリとハマったようだ。

 不快な鳴き声が近づくにつれて、男は手を翳し、ゴブリンスレイヤーは短刀を手に掛ける。

 松明の揺らめく炎が照らす影が形を変えて性悪な小鬼の形を映し出し、やがてその姿が露わになる。小さく醜い小鬼がノコノコと五匹やって来た。

 

「来たか、じゃあ作戦通りに行くぞ。『ギラ』!」

 

 男の手から帯状の超高温の熱線が放出される。

 断末魔を上げる間もなく小鬼を纏めて三匹消炭に変えて残りの二匹もそれぞれ腕と脚が焼け爛れる。

 すかさずそこにゴブリンスレイヤーが短刀を投擲して小鬼の喉元に命中させて絶命させ、あっさりと小鬼の群れは全滅した。

 しかし続け様に今度は倍以上の数の小鬼の群れが現れる。

 

「おおっ、また随分な御一行が来たな。今度は魔法の範囲を広げる、同じ作戦で行くぞ!」

 

 男はゴブリンに向かって再び手を翳す。

 

「こんなところでイオなんか使えないからコイツを試すか『ヒャダイン』!」

 

 男の掌から今度は極低温の冷気が発せられる。やがて冷気は空気中の水分を固めて無数の氷柱となってゴブリンに襲いかかる。

 鎧や兜といった防具の類を身に付けていないゴブリンはなす術もなく氷柱に身体や頭を貫かれて絶命した。

 

「器用なものだな。炎に氷の奇跡か」

 

「魔法の素養が俺にあったらしい。まあ、修行もしたけどな」

 

 ゴブリンスレイヤーはそうか、とだけ言うとゴブリンが手にしていた落ちている剣を手に取り、持ち主の脳天に突き刺す。そして次には落ちている手斧を持ってまた別のゴブリンの脳天に叩き込む。

 男が呆気に取られているうちに手際良くゴブリンスレイヤーは目の前の、絶命していたであろう全てのゴブリンの頭か心臓を潰して回った。

 

「随分徹底的だな」

 

「ゴブリンは生きていれば死んだふりをして奇襲をかける。それで命を落とす冒険者が何人もいる。

生き延びて渡りになられても面倒だ、ゴブリンは確実に殺して置かなければいけない。尤もコイツらは全員死んでいたがな。

巣の規模からして、おそらくこれで普通のゴブリンは全部だろう。トーテムも無かった、あとはおそらくボスの田舎者(ボブ)がいるだろう」

 

「ほぶ?なんだそれは?」

 

「先祖返りで体が大きくなったゴブリンだ。通常のゴブリンとは比べ物にならない程の膂力を持っている」

 

「最弱の生物だけど強い個体か……キングスライムみたいなものか」

 

 男はどこか間違った自己解釈を終えると、ゴブリンスレイヤーと共に洞窟の奥へと歩を進める。

 暫し進んだ所、開けた場所で大きな何かの影が蠢いているのが目に入る。

 

「おい、アレはなんだ……」

 

 やがて松明の火に照らされてそれが露わになる。

 よく見ると動く存在は二つあった。

 一つは彼の予想通りに、先ほどの小鬼が何倍にも大きくなった身体を持つゴブリン。恐らく、新米の冒険者が相対したら高確率で死ぬ事になるのだろう。

 

「GGOOORROBB!!」

 

 そしてもう一つ、それを見て男の胸中に黒い渦が巻き上がる。

 巨躯のゴブリンが手に持つ鎖、その先には首輪。しかし繋がれているのは犬や獣ではない。

 一糸纏わず素肌を晒した目も虚空を見つめ、意識が混濁しているであろう女性。それも身体中、それこそ顔まで痣や腫れだらけで、至る所に白い汚れた液が付着していて頭からは血を流した跡も見える。もはや、彼女には人としての最低限の尊厳すら存在していなかった。

 

「あれが田舎者だ。人質のつもりなのだろう。武器を捨てろだとか、見逃せだとでも喚いているのか」

 

 ゴブリンスレイヤーは淡々と語る。何度もこの光景は見てきたと言わんばかりに彼は冷静だった。

 

「……アレで最後なんだろ、殺してくる。ほしふる腕輪」

 

 男の巾着袋から緑色の宝玉が4つ装飾された腕輪が出現し、装着された。

 男はゆらり、ゆらりと上体を動かす。

 何度かその動作を繰り返すと、瞬く間にその姿が消える。

 否、男は田舎者の元に一瞬で移動していた。そして、鎖を握る田舎者の手を手甲の剣で切り落とし、鋭利な装飾の鎧の棘を目に突き刺していた。

 男は流れるような無駄の無い動きで体を翻し、そのまま続けて田舎者の首を落とす。異形の化け物は断末魔を上げることすら、いや、自分が死んでいると気付くこと無く絶命した。

 

「終わったぞ、おっといけない!」

 

 無理矢理立たされていた女性がバランスを崩して倒れ込み岩肌へと頭を打ちそうになる。

 男を包む鎧が煙のように霧散し、腰の巾着袋の中へと吸い込まれると同時に、自分の体を女性と岩肌の間に滑り込ませて緩衝材として彼女を支えた。

 

「何をした?」

 

 ゴブリンスレイヤーは二人に近づいて雑嚢から薄手の外套を取り出すと女の体に纏わせる。

 

「簡単な事だ、俺が出せる全力のスピードのさらに倍で走ってデカブツの所へ行って首を落とした。目を潰したのは俺の憂さ晴らしだ。

……ひどい、な『ベホマ』」

 

 男が呪文を唱えると右手が緑色の光を放つ。そしてその手を女性に翳すと、体が光に包まれて全身の傷が塞がった。しかし、傷は癒えても意識は失ったままのようだ。

 

「孕み袋にされたようだな」

 

 ゴブリンスレイヤーは周囲を見回すと、役目は終わったとばかりに地上の方を指差し、出口の方へと歩みを進める。

 

「孕み袋?」

 

 男は女性を背負うと、聞き慣れない不快な言葉を口にして彼の後を追いかける。

 出口までの道中、男はゴブリンスレイヤーからゴブリンの生態について聞かされた。

 ゴブリンは雄しか存在せずに他種族の女に種付けをして数を増やす事。

 ゴブリンは子供以外の何かを生み出す事は無く、食料から武器、子供を作るための女に至るまで他者から奪う事で生きている事。

 やがて徒党を組んだ最弱と呼ばれる生物であるはずのゴブリンが知恵をつけて集団で村や町を襲い人々の生活、命を平気で奪う事。

 そして、それがこの世界ではよくある事。

 なのだという事。

 

「どうした?」

 

 気が付いたら男は足を止めていた。

 放心していたようだがゴブリンスレイヤーに声をかけられるまで気がつかなかった。

 

「いや、なんでもない」

 

 男は一つ嘘をついた。なんでもなくない。

 村が襲われ穏やかな生活が崩れ去る。

 無意識のうちにあの時の自分の記憶が呼び起こされていた。

 やがて、二人は洞窟の出口までたどり着いた。

 闇に目が慣れていたせいか、辛いことを思い出したせいか、外の光に男は少し痛みを感じた。



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Level2〜旅人から冒険者に〜

 洞窟から出て男はようやく日が高々と上がっていた事を知る。

 二人はゴブリンに囚われていた女性を近くの村に送り届けた。

 彼女は意識を取り戻しはしたが、目は虚で焦点が定まらずに視線は宙を彷徨っていた。

 兄弟なのか夫なのか知る由もないが、彼女を受け取った男性は目に涙を浮かべてお礼を述べていた。

 村を後にすると、ゴブリンスレイヤーは今度はお前との約束を果たす。と言って彼が拠点としている町の方へと歩を進める。なかなか距離があるとの話だが夕暮れ時には着くそうだ。

 

「なあ、彼女はどうなると思う?」

 

 田舎者に連れられて来た彼女を見た時から男はずっと気にかかっていた。肉体的には傷は完治させたが心は大きく摩耗し、心が壊れかかっていたように見える。

 

「知らん。だが、ゴブリンに弄ばれた女の行く末は大体が寺院に入るか故郷に引きこもる。ごく稀に元の生活に戻れる者がいる程度だ」

 

「そうか……」

 

 ポツリと呟き、男の表情は暗くなる。

 ならば結局自分は何もできなかったわけだと、男は心の中で自嘲する。 人の命を助けることは誰にでも出来る。だが、心は救えないのだから自分は故郷を襲われた時から何も変わらずに無力なのだと。

 その後、男は自分は遠く離れた地から来たと偽りこの世界の事をゴブリンスレイヤーに聞いた。彼自身この世の事に疎い事が多いのか知らんと断ぜられる事も多かったが気がつけば日は傾き、ゴブリンスレイヤーの言う街の前までやって来ていた。

 

「俺はギルドに報告に行く。お前が冒険者になるつもりならついて来ればいい」

 

 特に行く場所も金も無いため、男はゴブリンスレイヤーについて行く事にする。

 元の世界であれば魔物を殺して解体すれば仲間の商人が店に売りつけて旅の資金を得ていたが、この世界では冒険者になれば魔物や山賊の討伐、遺跡の調査などの依頼を達成すれば報酬として金が貰える。

 戦う事しか出来ない自分が日銭を稼ぐにはちょうどいいと思い、男は冒険者になるつもりだった。

 街の門の中に入り、すぐ近くにある大きな建物。ここが国が運営する冒険者ギルドの支部らしい。

 建物の中に入れば、半分は元の世界にもある宿屋と酒場が一体になった施設、もう半分はカウンターとその奥に見える本棚や書類からどこか城の政務室を思わせる施設だった。

 夕暮れ時という事もあり中は酒に酔い頬を紅潮させた冒険者達の喧騒で賑わっていた。

 道中でゴブリンスレイヤーから聞いた通り、この世界には人間以外の種族が普通にいるようだ。

 ともあれ此処は人間、只人と言ったかが治めている国らしく数は多くないがざっと建物の中を見た限りでも小柄の体に屈強な肉体を持つ鉱人、獣の耳や手といった体の一部が特徴的な獣人、そして。

 

「……っ」

 

 視線の先で談笑する身長差の大きい二人の女性。

 片方は鉱人と同程度の身長だが、華奢な体をしている。しかし、顔立ちは幼さがあるわけではなく、自身よりも少し年齢は上に見える。

 もう片方は長身に美しい線の細身の身体を持つ大変美形だ。まるで絵画から出てきたのではないかと錯覚する程の。

 そして長身の女性には最も特徴的な部分がある。

 尖った耳。

 小さい方が圃人、大きい方が森人というそうだ。

 尤も、森人ならよく知っている。そしてその特長的な形の耳を見ると、男は否が応でも思い出してしまう。

 もう、二度と会えない自分の為に命を散らした愛しい森人の少女の事。

 同時に思い出す。義理ではあったが自分では本当の親だと思っている両親。剣技を教えてくれた師匠。魔法を教えてくれた老子。故郷の村の人々。自分を庇って、皆死んだ。

 滅んだ故郷の事、かの日の人や家や村の植物が炎で焼けた臭い、死臭、毒の臭いまでもが今目の前で再現されているかの如く情景が目に思い浮かぶ。

 

「どうした、森人が珍しいか?」

 

 ゴブリンスレイヤーに声をかけられて漸く正気に戻る。目の前にあった滅びた故郷は消えて冒険者で賑わう酒場戻ってきた。

 

「いや、久しく見ていなくて、懐かしくなっただけだ」

 

 そうか、とだけ言いゴブリンスレイヤーはカウンターの方へと歩いて行くので男はそれについて行く。

 

「あっゴブリンスレイヤーさん。おかえりなさい!

あの、そちらの方は?」

 

 薄い金色の髪を一つに纏めて編み込んだ女性がカウンターを挟んで労いの言葉をかける。身に付けているシャツと青い服、黒いロングスカートは隣にいる者も同じ服を着用している事からこのギルドで働く者の制服である事が伺える。

 女性は男を怪訝な表情で見ていると、ゴブリンスレイヤーはそれを気に止める事なく口を開く。

 

「報告だ、ゴブリンがいた。入り口に二匹、少し進んだ所に三匹、そしてコイツが巣の中にいた」

 

「ええっ!ゴブリンの巣にですか!?

どうしてそんな所に……あの、見たところ怪我は無さそうですが大丈夫なんですか?」

 

 驚愕の表情を浮かべて女性は男の事を恐る恐る気にかける。

 それに対して、男は穏やかな笑みを浮かべて彼女に答える。

 

「お気遣いありがとう。ご覧の通り、傷一つ無く体力も有り余っています」

 

 そう答えて男はギルドまで来た経緯を簡潔に説明した。

 

「離れた場所を繋ぐ扉ですか……転移の術の類でしょうか?

それで、冒険者希望ですね……ええと、すいません少し遅くなってしまうのですがゴブリンスレイヤーさんの報告を聞いてからでもお時間は大丈夫でしょうか?」

 

「はいはーい!冒険者の登録ならこっちで受け付けるよー!」

 

 その困り顔を見て女性と同じ服を着た長い茶髪の女性が読んでいた本を閉じて手を挙げた。

 なにやら片方が頭を下げたり、片方は手を振ったりと合図をし合っているのを尻目に、男は先程まで相手をしてくれた女性に頭を下げると、隣の方へと移動した。

 

「冒険者になりたいんだよね。文字は書ける?書けるならこの冒険記録用紙に記入して、分からなければ教えるから」

 

 金髪の女性と違い砕けた口調の茶髪の彼女に渡された紙に目を通す。幸か不幸か、男の元の世界と同じ文字だったが、意味はよく分からない物がいくつかあった。

 

「なあ、この体力点や技術点というのはなんだ?

それに呪文は種類を書けばいいのか?」

 

「むう、ちょっとなんで向こうは敬語で私はタメ口なの?」

 

「彼女が先に敬語で話してきたからな。俺は基本的に相手がどう話してきたかと何をされたかで話し方を決めるようにしている」

 

 男は視線を紙から茶髪の女性の目へと移して答える。

 茶髪の女性はハイハイ、と言うと用紙カウンターに置いて説明をする。

 四苦八苦しながらも用紙の記入を終えて女性に渡すが、内容を見て鼻で笑われる。

 

「はははっ、あのねぇ。ギルド(うち)もこれを参考にして情報を管理してるの、デタラメを書かれたら困るんだけど」

 

「デタラメ?言われた通りに書いたさ、聞いた体力点だのは言われた事を参考にして、技能は特に無いし、金も持ってないのは事実だ」

 

「その辺はどうでもいいの!戦士のくせして呪文をたくさん使えるのが本当だとしても回数をサバ読まないでって言ってるのよ!」

 

 女性はそう言って用紙を男に突きつけて呪文の欄を指差す。

 そこには多くの呪文、回数は最も強力なもので20回程度と書かれていた。

 

「いや、それが事実なんだが……かと言って証明するにも時間かかるしな」

 

 男が頭をひねって考え込んでいると、見兼ねたようにため息をついて女性は首から下げた鎖で繋いである天秤のような装飾の十字架に手で触れる。

 

「ハイハイ、それじゃあ一応聞いてあげるけど、ここに書かれているのは本当なんだね?」

 

「ああ、万全の状態ならギガデインだろうとベホマズンだろうと20回は使えるはずだ」

 

「はぁっ?」

 

 信じられない、と言った声を漏らして彼女は驚愕の表情を浮かべて口を手で押さえる。

 どうしました。と、ゴブリンスレイヤーの報告を受けていた金髪の女性がこちらの方を気にかける。どうやら報告の方は終わったらしい。

 気がつけばゴブリンスレイヤーの姿も無かった。

 

「コレ、ちょっと見てもらえる。ちなみに嘘はついてないみたい」

 

「ええっと……コレはっ!?でも貴方がそう言うなら本当なんでしょう……」

 

「そうなるかなぁ、ギルド長には後で報告してみるよ。

ああごめんごめん、やっぱり俄かには信じられなくてさ。私も長いこと受付の仕事してるけど術を生業としている職業の人でも10回以上使える人なんて見たことなかったからさ」

 

 そう言って茶髪の女性は白磁の小さな板に紙に書かれたものと同じ内容を記入する。

 少々時間を待つと終わったようで紐のついた白磁の板を男に差し出す。

 

「はい、コレが君の認識票だよ。なにかあった時に身元を照合する物になるから失くさないでね」

 

 男は認識票を受け取ると自身の目の前まで持って行き品定めをするかのように見る。

 

「ゴブリンスレイヤーの物とは素材が違うみたいだな。階級みたいなもので差があるのか?」

 

「そうだよ!

等級が全部で十段階あって、君のは白磁で一番下で第十位の等級。

ちなみに白磁から上に順に黒曜、鋼鉄、青玉、翠玉、紅玉、銅、銀、金、白金ってなってる。

だけど、白金は史上で数人しかいない伝説みたいなもので次の金等級も国の有事の際にお呼びがかかる冒険者なんだ。だから実質在野の最上位は銀等級だね」

 

「へぇ、と言うとアイツは第三位の冒険者だったのか。成る程どうりで……いや、世話になった、今後もよろしくお願いしたい」

 

「頑張ってね、君の活躍祈ってるよ!」

 

「あっ、ちょっと待ってください」

 

 男は認識票をポケットにしまい込み、礼を言ってギルドを後にしようとしたが今度は金髪の女性に呼び止められる。

 

「呼び止めてしまってすいません。ゴブリンスレイヤーさんから報告は受けたのですが貴方にも確認を取りたくて、お時間よろしいでしょうか?」

 

 特に予定も無い男は快く引き受けるが、彼女の丁寧な対応で思った程時間はかからなかった。しかし、質問に対して帳簿に記録する量の方が多いのだが、流れるように会話をしながら記帳する様に彼女の手際の良さが見て取れる。

 

「彼の言った通りです。報告に誤りはなさそうですね」

 

「ありがとうございました。私も貴方の今後のご活躍をお祈りします。

……ところで、ゴブリンスレイヤーさんになにか思うところでもありましたか?」

 

 女性に言われて、男は先程ポツリとどうりでと零した事を思い出した。

 

「いや、身のこなしはそこまで眼を見張る事はなかったけど、短剣の投擲技術は素晴らしいものがありましたからね。それに最弱の生物に対しても非常に詳しく油断のカケラもない。

見てくれこそ汚れているかもしれないが動きを阻害しないでゴブリンの攻撃を防げる最小限の防具に狭い洞窟で振るに適した少し短い剣。

そして何より」

 

「何より?」

 

「ゴブリンの知識の無い俺の作戦を飲んでくれましたからね。その際にキチンと状況を把握した上で元の彼の作戦よりも有効だと判断してくれたみたいですし。

弱者相手への油断もなく、その場に適した装備、そして臨機応変な判断力と自分の考えが最も優れているとは限らないと驕らない考え方と度量があって彼は最上位の等級にいるのだと、納得してたんです。

……なんて、駆け出しの身分の俺がなにを言ってるんだって怒られますか。いや、失礼しました」

 

 男はかつて多くの人と出会い別れた死と隣り合わせの旅をした経験から相手の事をよく見てしまう癖と見極める眼がありゴブリンスレイヤーをそのように評価したが、今の自分はレベル1の下っ端なのだと思い出して出すぎた事を言ったと自嘲した。

 しかし、女性の方は驚いた様子で目を丸くして口を手で押さえていた。

 男が何かあったかと尋ねると、女性は間の抜けた顔を晒していた事を恥じて顔を赤めた。

 

「いっいえ!あの人ををそんなに評価する人を始めて見ましたので!

……実際、貴方が言った様にゴブリンスレイヤーさんあの見た目とゴブリン退治しかしないから色んな人に下に見られてしまうんですよ。それこそ新人の冒険者さんにまで。

まあ、あの人はその辺は気にしていないみたいなんですが……」

 

「うん?なぜ下に見る事があるんです?

最弱の生き物でも、それは戦う術のない人からしてみたら、それこそ数が多いから脅威じゃないのですか?」

 

「正確には数が多く攻めてきた時だけちょっとした脅威扱いされるんです。

一匹の被害は作物や家畜が盗まれてしまう程度ですので」

 

「それでも、被害は出ている。それに、退治しても退治してもいなくならないからゴブリン退治の依頼が出続けて彼がそれを請け負っている。誰かがやらなきゃいけない事をしている人間を称賛こそされど蔑むのは間違いかと。村や町の入り口の見張り番や城の門番が蔑まれないのと同じように。

……それに一つの村が壊滅する程の危険性のある生物を軽視するのはやはりおかしい」

 

 男がそう零した言葉を聞いて、女性は穏やかな笑みを浮かべる。

 

「貴方も、あの人みたいにどこか変わっていますね。大体の人はゴブリンを脅威だなんて思いませんのに。

それこそ、冒険者の皆さんは一回か二回ゴブリン退治をしたらあまり見向きもしなくなります。

でも、私個人としては貴方の考え方素晴らしいと思いますよ」

 

 その言葉と彼女笑顔を見て、心に温もりを感じた男は口角を上げて返す。

 

「さて、俺はそろそろ失礼します。宿も探さないとですから」

 

「ああ、それでしたらこのギルドの二階は宿泊施設にもなっているんです。お部屋の空きも有りますが、利用されますか?」

 

 思わぬ僥倖、しかし男には一つ問題があった。

 

「是非お願いします……と言いたいところですが無一文でして。

アテが無いわけではないんですが、先に道具屋か武器屋で持ち物を売れば宿泊費くらいにはなると思うので」

 

「それでしたら、ご安心ください。装備品を取り扱っている工房がギルドに併設してあるのでそちらに行かれてみてはどうですか?」

 

 良い事は重なるのか、渡りに船で男は女性に工房の場所を教えてもらう。

 しかし、女性は不思議そうな表情で男に尋ねる。

 

「あの、失礼ですが荷物はどうしているんです?まさか外に?」

 

 その問いに男は再び口角を上げる。

 そして頭の中で『せいすい』と念じると腰の巾着袋から光が出て男の手の上で小瓶の形を生成する。小瓶の中には液体が入っていて男はその瓶をカウンターの上に置いた。

 金髪の女性は唖然として小瓶と男を交互に見比べる。

 

「スッゴイ!今のどうやったの!?」

 

 茶髪の女性もそれを見ていたようで興味津々で男に聞いてきた。

 

「この袋には色々な物が99個まで入るんだ。これはせいすい。体に振りかけると一定時間弱い魔物に遭遇しなくなるシロモノ。

せっかくだからこれはプレゼントに置いていきましょう。ありがとうございました」

 

 唖然としたままの金髪の女性と物珍しそうに小瓶を手にとって見る茶髪の女性に礼を言うと男は工房へと向かった。

 その先の工房で余っているので売ろうと思って出した『破邪の剣』という、魔法の素養がない者でも何度も超高温の熱線を放つ事が出来る刃こぼれもしない剣でまた一騒動起きるのだが、そんな事は男には知る由もなかった。



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Level3〜ゴブリン退治は白磁向け〜

 

「うーん……朝か……」

 

 シーツと毛布の温もりがもう一度睡眠へと魅力的に誘うが、眠い目を擦り自分に掛かっているそれらを払いのけて身体を起こし、大きく伸びをする。

 大きく口を開けて欠伸をして漸く意識を覚醒させてベッドから立ち上がり身支度を整える。

 

「しかし、『はじゃのつるぎ』で工房の親方と丁稚の子供があんなに騒ぐとは思わなかったな。幸い他に客は居なくて俺が売ったことは隠して貰えるみたいだが」

 

 普段の簡素な服へ袖を通しながらボヤくが、考えればこの世界は魔法が数回使えればいい方なのに、あの剣の効果を考えれば無理もないと思い、自身の過失だと思い至る。

 

「しかし、高いといえどあの剣は市販されてるんだがなぁ。まあ、当面のこの宿の滞在費を確保出来たからヨシとするか」

 

 言葉は通じる。文字も同じ。されど幾つも違うこの世界の理や文化に早く慣れなければと感じつつ、身支度を終えると、部屋を出る。

 宿泊施設はギルドの二階にあり、吹き抜けの廊下から下を見ると階下は人々で賑わっていた。

 昨日は手続きや工房でのやりとりに疲れてしまい部屋を取ると直ぐに眠ってしまったが、壁や床越しに夜は夕方の倍以上は人々で賑わって居たのは知っていた。

しかし、賑わい方に違いはある。夜は宴のようにとにかく騒ぐといった風ではあったが、今はやる気や希望に満ちた活気が溢れるといった風である。

 

「確か仕事の依頼は掲示板に貼られてるって言ってたけど……まだ随分人が居るな」

 

 少々遅く起床したのだが、依頼書が貼り出されてから時間があまり経過していないのか、掲示板の前では多くの種族や職業の人が入り乱れている。

 しばらくその様子を見ていると、何人もの人々が依頼書を片手にカウンターの方へと移動して今度はそちらの方に長い列が出来ていた。

 掲示板の方の人が疎らになったのを確認すると、男は階段を降りて掲示板に貼られてる依頼書に目をやる。

 乱雑に取られた紙の切れ端を残したそこには十数枚程度の依頼書しか残っていなかった。

 更に今の自分、白磁等級(レベル1)の冒険者が受けられる仕事は見たところ下水道のネズミやゴキブリと呼ばれる虫の退治、そして。

 

「ゴブリン退治、か」

 

 ポツリと呟いてその依頼書に手を伸ばすが、自分がこの仕事をこなしても良いのかと考える。

 新人冒険者に推奨される依頼ではあるが、ゴブリンスレイヤーの仕事を横取りしてしまうのではないかと一瞬頭によぎる。

 しかし、ゴブリン退治の依頼が無くなることは稀との話も聞いたのでとりあえず二枚の依頼書を持って、金髪の受付嬢の列に並ぶ。

 その頃には人も少なく、ほんの少し待つだけで自分の番がやって来る。

 

「はい次の方どうぞ。ああ、おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」

 

「おかげさまで、すっかり体力も回復出来ましたよ。

さて、依頼を受けたいんですが……コレ、俺でも受けられますか?

まだ掲示板には三件ほど残ってはいましたがもし、俺が受けたことで彼に不利益が生じるならば受けるつもりはありませんが」

 

 受付嬢に依頼書を渡す。

 そこに書かれた内容に受付嬢の表情は曇る。

 

「お一人で、ゴブリン退治……ですか……」

 

 彼女が言い渋るのも無理はない。

 何人もの冒険者がこの依頼を持ってきて、彼女はそれを受理して送り出す。

 だが最弱の祈らぬ者討伐に向かい、帰ってこなかった冒険者が何人もいることを知っているからだ。

 目の前の男が多くの術を使えるとしても、それが必ず帰ってこれる保証にはなっていない。どんな仕事にも危険は付き物だが、一人となればその危険は大きくなる。

 しかし冒険者の決断はどこまでいっても自己責任。受付嬢である彼女に止める権利は無いが、言い淀み苦い顔をするのは彼女の優しさからなのだろう。

 

「やっぱり問題が?」

 

「いえ、そう言う訳ではないのですが……やはり最初は他の冒険者さんと一緒に行かれた方が良いかと思いまして……それに貴方斥候の経験は無いと言ってましたし、巣に入るのは危険かと……」

 

「大丈夫じゃない?

旅人くん術をいっぱい使えるし、本人もそれを望んでるんだから。

まあ、報酬は減るけど二人で行った方が私も良いと思うよ」

 

 昨日手続きを担当した茶髪の女性が話に割り込んで来る。

 なにやら監督官なるものと兼任しているらしく、今日はそちらの仕事があるなんて言っていたが受付をしているあたり、そちらの仕事は昼過ぎからのようだ。

 そして彼女とカウンターを挟んだ先では一人の青年がこちらを見ていた。

 動きを損なわない程度に軽量な鎧に身を包み、首の後ろに兜を掛けて腰には剣を一振り差している事から戦士職である事が伺える。

 

「という訳で、君も今日は一人でしょ。新人の面倒でも見てあげたら?」

 

 監督官が手をヒラヒラと振ると、その自由な様子に溜息をついて戦士風の青年が歩み寄って来る。

 

「よう、新入りなんだってな。

見たところ俺と同じくらいの歳で単独みたいだが、今日はまあ俺も同じだな。

ゴブリン退治に行くんだってな、良かったら一緒にどうだ?

俺は斥候の経験も多少はあるしな」

 

「それは助かるよ。腕には自信があるが、来たばかりでこの辺の土地勘が全く無い。

是非ともお願いするよ。

一応魔法戦士でギルドに登録してるけど、回復の魔法とかも使える」

 

「はあっ!?新入りなのに上級職かよ、頼もしい奴だな……ところでさっき言われてた旅人って言うのは?」

 

「ああ、ここに来る前に旅をしていたから旅人ってあだ名を彼女に付けられたんだ。好きに呼んでくれて構わないさ。

まあ、よろしく頼む」

 

 旅人、そう呼ばれた男は青年戦士に向かって右手を差し出す。

 青年戦士もこちらこそ、と返して二人は固い握手を結んだ。

 

「さて、二人になって一人はゴブリン退治の経験者。これなら行っても大丈夫ですよね?」

 

 手を離して旅人は承諾を得ようと受付嬢に顔を向ける。

 受付嬢はどこか安心したように穏やかな笑みを浮かべた。

 

「そうですね。それではこちらの二件の依頼を受理させていただきます」

 

 続けて受付嬢は依頼内容の確認と報酬の説明と意思の確認を二人へと促したので二つ返事で答えると、今度は承認の手続きが行われた。

 

「これで正式に依頼は受理されました。どうぞお気をつけて」

 

「ありがとうございます。よし、行こうぜ!」

 

 青年戦士は旅人の肩を叩き、踵を返して先に歩を進める。

 それに続くように旅人は受付嬢に一礼、隣で手を小さく振っていた監督官に小さく手を挙げて応えて青年戦士の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 二人の男は1件目の依頼を手早く終えて草原を歩いていた。2件目の依頼であるゴブリンの巣を潰すためである。

 

「さっきの仕事ははぐれゴブリン退治だったから楽だったな」

 

「はぐれゴブリン?逃げはしたがすばしっこくも硬くも無かったぞ?」

 

「なにいってんだ?

巣穴を失ったゴブリンの事だ。もしかしたら寝ぐらを転々として経験を積んでる渡りってやつかもしれなかったかもしれないけどな」

 

「随分と詳しいな。まるでゴブリンスレイヤーみたいだな」

 

「アイツを知ってるのか?

実は俺、アイツと同じ日に冒険者になったんだ。偶々一年くらい前に一緒にゴブリン退治になってな、その時に色々と教えて貰ったんだ」

 

 二人は談笑しながら進む。

 旅人が昨日ゴブリンスレイヤーに助けられた事、旅人のふくろがとても便利そうだと言う事、そして冒険とはなかなか思い通りに行かないと言う事などを話しているうちに、目的の場所へと辿り着く。

 

「アレが巣穴か、何かの遺跡みたいだな」

 

「俺には墓にも見えるな、まあ何でもいいだろう。女性が拐われたという情報もある。急ごう」

 

 先程までの、談笑していた時の雰囲気と打って変わり旅人から気の抜けた笑顔や油断が一切消える。

 青年戦士は先のはぐれゴブリンを退治した際、獲物は三匹で指示こそ自分が出したが、旅人は命令を発した直後にはゴブリンを屠っていた。

 自身がどのように動けば良いのかを理解していた事やその時の身のこなしから、等級こそ自分の方が上だが戦闘の経験、腕、思考は彼の方が遥か上である事を肌で感じていた。更にはこのように常時との意識の切り替えも眼を見張るものがあり敬意こそ覚える。

 

「見張りは一匹か、とは言っても俺は戦士、遠距離の攻撃手段を持たない。お前は何かあるか?」

 

 朽ちた石造りの建物、天井には穴が空き、入り口の扉が片方無いのが重ねた年数を物語る。

 入り口の両脇に立つ大きな石柱がかつては立派な玄関であった事が伺えるが、今となってはゴブリンのねぐらである。

 人間が築いた物に興味などない、槍を持つ一匹のゴブリンが入り口の前で退屈そうに欠伸をして醜悪な顔を晒していた。

 

「あるぞ、『クロスボウ』」

 

 ふくろから旅人の手に機械式の弓矢が現れる。

 青年戦士は同じ仕組みの物を見た事があったが、自身が知る物よりも随分と大きいものであった。

 

「からくり弓か、良いもの持ってるな。使えるのか?」

 

「ああ。それより、あのゴブリンを殺した後はどうする?」

 

 旅人は弓に矢を掛けてゴブリンに向けて構えるが、目にかかる緑色の髪が邪魔なのか手で後ろの方に払いながら青年戦士に聞く。

 

「中に入り、ゴブリンが眠っていたりして動かなかったら個別に潰していこう。

広範囲の攻撃ができるって言ったな?起きていた場合は俺が盾になって詠唱の時間を稼ぐからゴブリンを魔法で攻撃してくれ」

 

「詠唱に時間はかからない、でも余りにも多かったら討ち漏らす可能性もある。その時は近づくゴブリンを頼めるか?」

 

「ああ、任せろよ」

 

 青年戦士のその言葉を合図に、旅人は機械式弓の引き金を引いてゴブリンに向かって矢を射出する。

 人が引く弓よりも強い力で引かれた弦から放たれた矢は風向きなど意にも介さんと言わんばかりに風を切り、ゴブリンの頭に直撃して絶命させる。

 

「『やいばのよろい』『はがねのつるぎ』『てつのたて』『てんくうのかぶと』」

 

 袋から光が発せられて旅人の身に纏われると、多くの鋭い突起がある鎧、鋼で出来た剣、鉄で出来た盾が装備される。しかし光こそ纏ったが頭部のみは元々身につけていたサークレットから変化は無かった。

 本来なら特異な出来事の筈だが青年戦士がそれを見るのは今日2回目の事で、慣れないことに驚きはしたが、あまり大きな反応もしない。

 

「本当、後衛の人間の装備じゃねぇな。準備できたみたいだな、行こうぜ」

 

 ボヤくように呟いて青年戦士が先に進む。

 周囲に気を配ってゆっくり進み、頭に矢が刺さって死んでいるゴブリンを一瞥して、石の扉の陰から中の様子を伺う。

 大きな物音はせず、下卑たイビキと寝息が耳には入ってくる。中を覗くと、大きな広間のような場所に天井から漏れた光が当たる場所にはいないが、影となる場所に転々と10匹程度のゴブリンが眠っていた。

 

「ゴブリンは寝てるみたいだ、奴等にとって今は夜らしいからな。だが、拐われたって女は見当たらないな……もしかしたら、最悪な事になっているかもしれない」

 

 最悪な事。

 それは昨日ゴブリンスレイヤーが旅人に教えてくれたよくある事。

 女は慰み者にされて身体を弄ばれ、子を産むための孕み袋にされる。

 他にもゴブリンは男女問わずに刃物や鈍器で暴行を加える。そして時には火炙りにし、時には殺害した後に身体を吊るし上げ戯れに欠損させる。また時には単純にその死肉を喰らう。時には捕虜を生き長らえさせて宴の余興のように徐々に惨たらしい目に遭わせて精神を崩壊させて殺す。

 自分が知っているのは皆が自分のために死んだ事。もしかしたら故郷の皆が同じような目に遭っていたのかもしれない。

 そう考えると、旅人の手には自然と力が入る。

 

「入るぞ。

……力抜いとけよ。お前が強くても、無駄な力入りすぎてたら動きが鈍るぞ」

 

 青年戦士は肩に手を置こうとしたが、鎧の突起に阻まれて言葉をかけるだけに留めて音を立てずに建物の中へと入る。

 旅人は静かに一笑すると、肩を上げ下げする。力が抜け切ることは無いが幾分マシになり、青年戦士に感謝をして彼の後を追う。

 ゴブリンに侵入を気付かれることは無かった。

 二人は顔を見合わせて頷くと、お互いに離れてゴブリンの腹部や頭に刃を突き立てて回る。

 一つ、二つ、三つと回数を重ねて広間のゴブリンを駆逐する。

 生き残りはいないだろうと判断して部屋を探索するが、建物の劣化とゴブリンの巣となっていたため至る所が汚かったものの、大きく荒れている訳ではなく、血痕や骨といった人がいた形跡は見当たらない。

 おそらく比較的最近この場所がゴブリンの巣になったであろう事が伺える。

 

「見たところ、連れ去られたって女は痕跡も含めて見当たらないな。この巣にいたゴブリンじゃないのに連れ去られたのか?」

 

 建物の外観からこの広間以外には部屋は存在しないと判断した青年戦士は、現状からそう判断して自身の推理を零す。

 しかし、旅人は睨むようにして入り口とは反対の壁の方を睨むように見ていた。

 青年戦士は旅人の視線の先を見るが、特に異変は見当たらない。

 

「なにか、見つけたのか?」

 

「見つけたわけじゃない。ただ、嫌な匂いというか気配がするんだ」

 

 そう言って旅人は視線の先に歩いて行く。すると大きな石の後ろに回り込むと手を挙げて青年戦士を手招きした。

 青年戦士がそちらに向かい確認すると、石の陰になって見辛くなってはいたが、地下へと続く階段がそこに隠されているかのようにあった。

 

「行こう。この先にいるかもしれない」

 

 旅人の言葉に頷いて、斥候役を務める青年戦士は先に階段を降りる。その後ろにどこからか松明を取り出して火を付けた旅人も続く。

  階段を降りるに連れてゴブリンの巣の特有の血肉や淫行の跡などが混じった醜悪な匂いが鼻をつく。

 二人が顔を顰めながら階段を降りた先は一つの通路だった。

 そして先に進むに連れて臭いの元であるかつては人だったものの肉塊や血、ゴブリンの汚い体液が狭い通路の彼方此方に散らばる。

 

「……冒険者だったのが多いみたいだな。認識票が沢山ある」

 

「……帰りに拾おう。せめて認識票だけでも持って帰ってやろう」

 

 足元にある様々な種類の認識票を踏まないように二人は先へと進む。

 そしてそう歩かないうちに通路の終わりに近づき、その先は燭台が壁に打ち付けられて蝋燭の炎が灯る上の広間よりは小さいがそれなりに大きな空間になっていた。

 

「誰か居るみた……っ!?」

 

 目を凝らして奥を見た青年戦士は、大きな一つの影を目にして言葉が詰まる。

 一つの影は二つの人が重なり大きく見えていた。片方の者がもう片方の者の首を掴んで締め上げて宙に浮かせて出来た影だった。

 締め上げられて居る方はおそらく今回連れ去られたという女性だろう。

 そして、締め上げて居る方が問題だ。どこにそんな力があるのかと、黒いローブを身に纏い骸骨の様なこけた頰の顔と細い腕を覗かせる。また全身を怪しい禍々しい暗い靄に包まれていて女性を掴む手には反対に光を放ち、生命力の様なものを吸い取っている様に見える。

 青年戦士は即座に悟る、アレは妖術師の類で自分達が出られる幕では無いと。

 青年戦士は以前、廃坑の地図を製作する依頼で同じような存在に相対した事がある。その時は四人の仲間と協力して上手いこと妖術師から逃げ切る事が出来た。

 だが今回はどうだ、二人しかいない上に前衛職専門の自分と、魔法こそ使えて力量も上だが白磁の男。

 分が悪過ぎる、連れ去られた娘は助けられない、撤退するという判断は間違っていないはず。そもそもゴブリン退治であんなのに遭遇するのは致命的な失敗(ファンブル)だ。

 そう何度も自分に言い聞かせる様に心中で繰り返す。

 

「おい、彼女は気の毒だが撤退」

 

「『ーー』!」

 

 旅人の方へと振り返り、青年戦士が言葉を発したと同時に聞き取れない程小さく、高速で言葉を旅人は繋ぐ。

 鎧が光となって消失すると同時に、旅人自身の姿も青年戦士の視界から消えた。

 

「ウグッ!?グワアァァ!!!?」

 

 地下に突如響き渡る大きな掠れた様な声の断末魔に思わず顔を顰める青年戦士。その声は先の空間の方から発されていた。

 そちらに目を向けると、先程まで後ろにいたはずの旅人が妖術師の手を剣で切断していた。

 重力に従って体が地に落ちる娘を旅人が抱えて再び姿が消える。

 いや、信じられないが、超高速で自分の元へと走って来たのを青年戦士は辛うじて視界の端に捉える事が出来た。

 

「すまない、アレを見てられなくて指示を待たずに動いた。衰弱しているけど、この娘は生きている」

 

「お前、一体……いや、すごいな……」

 

 青年戦士は多くの驚きに言葉が追いつかず、絞り出されたのは心に湧き出た一言に纏められた言葉だった。

 旅人の尋常ではない身のこなしも、未知数の妖術師相手に迷わず娘を助けに行った事も、そんな明らかに自分よりも上の体術を持っていても自分を立ててくれる事もその他多くの事も含めてそう思った。

 そして同時に致命的な失敗(ファンブル)決定的な成功(クリティカル)に変わるかも知れないと。



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Level4〜共闘〜

 

 

「……逃げられると思うか?」

 

「無理だろうな。ココは奴の本拠地(テリトリー)だ、それにああいった奴からは大抵逃げられない」

 

 青年戦士の案に旅人は苦言を呈す。

 旅人は拠点を構える敵からは逃げられない事を経験で知っている。敵の本陣奥深くまで侵入し、逃亡が難しい事は自明の理である。

 

「それに見ろ、もう腕がくっつきそうだ」

 

 青年戦士が妖術師の方に目を向けると、地に落ちた腕を拾い上げて傷口同士を当てていた。

 切断面は体を覆うものよりも濃い黒い靄で覆われる。

 数秒の間をおいて靄が晴れると妖術師の腕は確かに何事も無かったかのように元どおりになっており、押さえていた腕を離しても落ちないのだから完全に回復している事が伺える。

 

「ぐぬぬ……許さんぞ人間共ォ!!

魔神将の魔道書たる我の食事を邪魔した挙句、腕を落とすなド……この屈辱、貴様等の命程度では償いきれんワァァ!!」

 

 怨嗟にまみれた言葉と同時に妖術師を覆う靄が火山の噴火の様に大きく吹き出し、業火の様に揺らめいた。

 

「おいおいヤベェぞ!アイツの言葉が本当なら魔神将の側近なんて俺達に……!?」

 

 青年戦士は言葉を発するのを思わず止める。

 強大な相手を前にしても臆する事なく旅人が目を見開いて妖術師を睨みつけているからだ。

 

「……食事、だと?」

 

「ヌゥ……我は先の大戦で大きく力を削がれたからナ、貴様等人間共(家畜)から生気を奪う事で取り戻したておったと言うのに……貴様等ごときが邪魔をしおっテ!!」

 

「……それで、ゴブリン退治に来た冒険者は捕らえて、全員殺し終えたから村から娘を拐わせたのか?」

 

「兵としては役に立たん小鬼共だガ、我の食事を取って来させるにはまずまずダ。女の生気は美味く力となル。だが、勘違いをするナ、我は命を奪い尽くしはしなイ。

搾りカスの抜け殻は小鬼にくれてやル。どうなろうと知った事では無いガ、家畜の悲鳴を聴くのは我には最高に愉悦であったワ」

 

 そう言って、妖術師はその時を思い出したかの様に不気味に口角を釣り上げる。

 奴の戯言を聴き、歪に笑う様を見て、旅人の中で何かが切れる音が聞こえた。

 世の中は弱肉強食、旅人もそれは痛いほど分かっている。故にピンキリだがある程度の力がある冒険者がその末に命を落とす事は悲しく思うし、祈らぬ者に対して憤りこそ持つが摂理だと理解している。

 だが、ただ平和に暮らしている村人達は違う。戦う術など持ってはおらず、ただ運が悪かったという理由で身を危険に晒され、剰え無抵抗のまま純潔を散らされて死に至る事には理解も納得もできるはずが無い。

 

「『はじゃのつるぎ』

それを貸す、友から譲り受けた物だから絶対に無くすな。強い心を持って掲げるか振れば熱線が出る。背後からゴブリンが出たら迎撃してくれ。

その娘は頼んだぞ」

 

 旅人はふくろから一振りの長剣を手にする。

 柄や鍔などに十字架の意匠が施され、中でも特異なのはその刀身も先の方で十字架の様に横に広がりまた細くなるという物であった。

 旅人は変わった形の剣を青年戦士に投げると、剣は足元に突き刺さる。

 同じ形の剣を青年戦士はつい昨日、目にしていた。工房に炎の魔法が込められた、血肉を浴びても刃こぼれのしない魔剣が仕入れられたと聞き見に行ったからだ。

 かつて駆け出しだった頃の自分が求めた魔剣(武器)が今目の前にある。

 緊張と興奮で震える手で青年戦士は剣を掴んだ。

 

「……借りていいんだな、任された!

……お前こそ、自信たっぷりだがあの妖術師を倒せるんだろうな?」

 

 地面から剣を引き抜いた青年戦士は軽く振り、手に持った長さと重さを確認しながら旅人に問う。

 そして感覚で分かる、この剣を持ってすれば妖術師は無理でもゴブリンなら物の数では無い事が。

 魔剣、そして白磁から大きく力が逸脱した旅人、この二つの戦力ならばこの状況が好転すると踏んだ青年戦士に最早撤退の文字は無かった。

 

「無論だ、俺の後ろに攻撃すら通させない。ただ、後方からの奇襲だけが心配だ。

彼女が死んだら俺達の負けだ!!」

 

 旅人は新たに鎧を纏う事無く、それどころか装備していた腕輪も外してしまった。そして剣と盾を構えて妖術師と相対する。

 それに対して妖術師は片腕を天に掲げた。

 

「貴様等ごときが作戦を立てても無駄ダ!

何故我が貴様等が話す事を許していたと思ウ?

貴様等が死ぬ運命に変わりはないからダ!!

我が全盛の7割程度の力しか無くとモ、貴様等を屠るには十分過ぎるほどダァァ!

カリブンクルス(火 石)……クレスタント(成 長)……』」

 

 妖術師が呪文を詠唱すると、掌に小さな火の玉が浮かび上がる。

 そして詠唱を続けると小さな火の玉は膨れ上がり巨大な火球となる。更には身体に纏う黒い靄が伝播し、まるで黒い太陽がこの部屋に現れたのではないかと錯覚させる。

 業火から放たれる熱風に部屋の温度も急上昇する。とてもではないが長時間は耐えられないだろう。

 

「GOORROOBBB!!」

 

 同時に部屋の入り口にゴブリンが5匹、田舎者が1匹唸る様な声を上げて押し寄せてくる。

 旅人は一瞬だけ背後に目をやり状況を把握する。

 妖術師の火球が発する熱風に晒されているが、村の娘の胸が上下していて生きている事は確認出来る。

 青年戦士はゴブリン達に向かって構えるが、背中に感じる熱が気になるのかチラチラとコチラを見ていた。

 そして熱風も気にせず果敢に部屋に入ってこようとするゴブリン。病的なまでに自分本位で忠誠心など皆無な生物である小鬼が火傷を恐れずに向かってくるという事はあり得ないだろう、おそらく目の前の妖術師が何か仕組んでいると旅人は判断する。

 

「背中は預けた!君がゴブリンを通さない限り奴の攻撃もまた俺を通る事は無いと知れ!!」

 

 旅人のその言葉で青年戦士は覚悟を決めてゴブリンに向けて破邪の剣を振るうと、一筋の熱線が放たれて過半数のゴブリンを消し炭に変えた。

 数刻前にお互い会ったばかり、本来ならばそんな相手の、ましてや自分よりも等級が低い男の言葉なんて決して信用出来るはずは無い。

 それでも、何故だか分からないが背後の男ならこの局面も覆せる。その為には自分もやらなければいけないのだ。そう思わせる不思議な力が旅人からは感じられた。

 残る数匹のゴブリンと田舎者に向かってさらに青年戦士は剣を振った。

 

「戯言の続きはあの世で語レ!!『ヤクタ(投射)!』」

 

 妖術師が掲げていた手を旅人に向けて振り下ろすと、ゆっくりと巨大な火球が旅人に向けて飛ぶ。

 

「『マホステ』!」

 

 それに対して旅人は呪文を唱えると同時に火球に向かって走り出し、その姿は豪炎に飲み込まれてしまった。

 

「グハハハ!!口ほどにも無いナ!纏めて消え去……ヌゥッ!?」

 

 妖術師は違和感を覚えた。火球に勢いをつけて押し出そうとするが自分の意に反して動く事が無かった。

 それどころか全てを焼き尽くす様に思えた豪炎は徐々に小さくなり、中には一つの紫色の影が浮かび上がる。

 

「それはこちらの台詞だ!」

 

 炎の真ん中に立つ紫色の霧を身に纏った旅人が剣を真横に振り抜くと、火球は見る影もなく消え去り、部屋の焼き尽くさんばかりの熱気すらも同時に消失した。まるで旅人の纏う紫色の霧に吸い込まれるかの様に。

 

「バッ……バカなっ!我の火球(ファイアボール)を消し去っただと!?

おのれ!『サジタ()……ケルタ(必中)……ラディウス(射出)……』」

 

 妖術師は次の術の呪文を詠唱すると、右腕に黒い靄が多く集まり魔力と黒い靄が凝縮された漆黒の闇と化す。

 見下していた人間相手に自身の術が効かなかった事に動揺こそしたものの、硬直はせずに即座に次の行動に移るあたり妖術師も多くの経験を積んだ猛者だという事が伺える。

 

「『力矢(マジックミサイル)』!』

 

 妖術師の闇が腕を離れるて宙に浮かぶ、すると次の瞬間にも闇は幾重にも別れて旅人へと飛ぶ。大きさこそ先ほどの火球に比べればとても小さく、人間の頭一つ程度のものだが、数多の闇が雨の様に躱す隙間など無い密度で旅人へと襲いかかった。

 当然それを避ける事は出来ず闇は一つとして逸れる事なく旅人へと向かう。

 今度こそ勝った。

 そう思った妖術師であったが、渾身の魔力を込めた術の対象は消えるどころかゆっくりとこちらへと歩みを進める。

 またもや火球と同じ様に闇は紫色の霧に阻まれ、旅人に傷一つつけることも叶わない。

 

「ヌゥ貴様は後回しだ!『サジタ……ケルタ……』」

 

 妖術師が詠唱を始めたその瞬間、旅人は一気に駆け出して妖術師に剣を振るう。

 それに対して今度は切られてなるものかと、妖術師は詠唱を防いで掌から魔力の刃を出現させ旅人の剣を受け止める。

 

「おのれ小癪ナ!」

 

「やるな、だがお前の相手をするとアイツと約束したからなっと!」

 

 迫合いとなっていたところを旅人が上手く切り返して剣を振り上げると、妖術師の腕が肩口から切り裂かれて地に落ちる。

 耳をつんざく妖術師の叫び声を気にも止めずに旅人は流れるような動きで盾で顔面を殴りつけて追撃を行う。

 妖術師の身体が宙を舞い、音を立てて地面に叩きつけれられるが、大きく息を荒げて傷口を抑えてぎこちなく身体を起こして立ち上がる。

 更には荒ぶる様に揺らめいていた黒い靄はまだ全身を覆ってこそいるが、勢いは燃え尽きる前の薪の火の如く弱いものになっていた。

 

「見たところ、その黒いヤツはお前の魔力を強め、防御力……いや、回避率を向上させるものみたいだな。

今のも、最初のも、身体を真っ二つにしてやるつもりだったが剣筋を逸らされた。

だが、もう見切った。あと一太刀でお前は死ぬ」

 

 旅人が言い終えると同時に、田舎者の雄叫びが響き渡る。おそらく小鬼は全部倒したのだろうと、振り返る事なく旅人は理解した。

 

「人間ごときが……おのれ……我こそはーー……!」

 

 何かを言い終える前に、旅人は剣を真横に振り抜いていた。

 そして、やや間を空けてゴトッと音を立てて物言わぬ妖術師の頭が地面に落ち、体と共に灰となって消え去った。

 体のあった場所には灰に塗れた大きな宝箱が一つ置かれていたが、旅人の興味はそれよりも背後の娘の安否と青年戦士と田舎者だ。

 振り返ると同時、青年戦士が田舎者を切りつけて熱線を浴びせる。そのまま大きな断末魔を挙げて田舎者の骸は倒れ伏し、絶命した。

 決着はついた。

 二人の冒険者に傷は無く、救出の対象だった村の娘も生存。巣穴の小鬼と田舎者、果てには致命的な失敗(ファンブル)で遭遇した妖術師も討伐した。

 既に死んだ冒険者もいたようだが、現状出来る最善の結果だったと言えよう。

 旅人は装備をしまいながらそんな事を考えていると、肩で息をする青年戦士は破邪の剣を地面に突き刺して杖の代わりにしてゆっくりと腰を下ろす。

 

「やったな!」

 

 二人の視線が合うと、青年戦士は満足げに顔を緩ませて親指を立てて旅人に向ける。

 旅人は静かに笑い、同じように親指を青年戦士に向けて返し、賞賛と労いの言葉代わりとした。

 

 

 

 

 

 

 辺境の町の入り口に二人の男、一人は特に変わりはない余力を大きく残している様子の旅人。もう一人は大きな布袋を背負ったひどく疲れた様子で覚束ない足取りの青年戦士だった。

 青年戦士の持つ袋の中身は妖術師の宝箱の中身であった大量の金貨の半分が詰められていた。

 もう半分は旅人のふくろの中に納められている。

 

「……なんか、疲れた」

 

 旅人は昨日町に着いた時もこんな時間だったなと考えていると、不意に青年戦士が口を開いた。

 

「そうか?村からここまでルーラで来れたから俺は楽だと思うが……まあ、多くのゴブリンを相手してもらってたからな。助かったよ」

 

「そこじゃない。お前がいろいろと規格外な事に驚く事に疲れたって言ってるんだ……お前本当に白磁の魔法戦士か?本当は王都の高名な賢者か何かじゃないか?

転移に長距離の高速飛翔なんてどこで覚えたんだよ。しかも遺跡からそう遠くない村までなんて無駄遣いまでしてさ。

それが使い手がいないくらい希少な事くらい俺でも知ってるぞ」

 

 興味本位で半ば呆れるように青年戦士は言ったが、気がついたら旅人の足は止まり、物憂げなどこか暗い面持ちで立ち尽くしていた。

 旅人は、自分の知る文字が有り言葉が通じる人間がいる事で、自分がこの世界では異端である事を無意識に失念していた。

 この世界ではダンジョンから離脱する呪文(リレミト)町や村へ高速で空を飛んで移動する呪文(ルーラ)は非常に珍しいらしい。

 

「……まあ、俺も恩恵に預かって思ってたよりもずっと早く帰って来れたから特に追求はしないし周りにも言わないつもりだ、魔剣の事も含めて。

お前のお陰で予想外の大稼ぎをさせてもらったしな!

でも、いいのか?妖術師を倒したのもお前だし、俺が一人でゴブリンの相手を出来たのも魔剣を貸してくれたからなのに、宝は折半だなんてよ」

 

 旅人のどのように上手い言い訳をしようか真剣に考えていた様子を深刻な事情があると勘違いしたのか、青年戦士は別段気にしない素振りをして持っていた麻袋を手で軽く叩いた。

 

「……すまないな、この後酒場で話せることは話すよ。

報酬に関しては当然の事だと思うけどな、君ならあの剣を上手く使える、それだけの力と判断力を持ってると思って貸したまでだ。

それに、俺が妖術師と対峙出来たのは後顧の憂いが完全に絶たれていたからだ」

 

 報酬の山分けは最初に決めた事だと続けると、旅人は腕組みをして静かに笑った。

 

「だが、賢者だなんて全くの見当違いだな。俺がそんな畏まった頭の固いお偉さんに見えるのか?

だとしたら、判断力を買って剣を貸した事は俺の間違いだったか?」

 

 そう言って旅人はギルドとは別方向へ向けて歩き出す。

 

「おい、どこに行くんだよ?」

 

「ちょっと野暮用でな。先に報告を済ませて飲っていてくれ」

 

 手をヒラヒラと振って青年戦士を背に旅人は歩き出す。

 この辺境の街を歩いていると嫌でも目に入る大きな建物。その前に辿り着いた旅人はポツリと口を開いた。

 

「俺がいた世界よりも立派な教会……いや、神殿だったか。まぁ、神を信仰してるってところは同じか。なんだか似てる様にも思えるしな」

 

 こちらの世界ではどうかは知らないが、元の世界では教会は昼夜問わずに開いていたし、まだ夕暮れ時だから大丈夫だろうと扉を開けて旅人は中に入る。

 中は静かなもので一人も見当たらない。

 勝手に礼拝堂を見つけるために見て回っても良いが、この世界の常識がそれを許さなかった場合の事を考えて旅人は考え込む。

 すると、視界の端で黄色いなにかが動いているのに気がつく。視線を向けると、一人の少女が屈んで懸命に拭き掃除をしていた。

 

「もし、少し時間を頂けないか?」

 

「ひゃい!?」

 

 とても集中していたのか、少女は驚きながら勢いよく立ち上がる。間の抜けた返事をした事に顔を赤らめながら旅人の方へと向かい直る。

 少女は可憐だが、体は随分と華奢で上背も旅人に比べたら随分と低い。しかし、年齢はそれほど大きくは変わらなそうだった。

 

「あの、どんなご用件でしょうか?」

 

「忙しいところに申し訳ない。おいのりをしたいんだが、初めて来たもので場所が分からなくてね。

案内、してもらえないかな?」

 

「それでしたら。こちらへどうぞ」

 

 少女は穏やかな笑みを浮かべて体を反転させると、長い金髪を鮮やかに揺らして先導する。

 

「助かるよ」

 

「いえ、お気になさらないでください。

……あの、冒険者の方ですか?」

 

「ああ、まだ駆け出しだけれどね。

今日が初めての仕事だった。

冒険自体は以前からしていてね、その時から無事に帰ってこれたら教会や神殿に来るようにしているんだ」

 

「素晴らしい習慣だと思います。

私も、来年で成人になるので冒険者になろうと思っています。

着きました、こちらが礼拝堂です。」

 

 入り口からそこまで遠くなかったのか、大きな立派な祭壇と女神の様な像を構えて、多くの長椅子が用意されている部屋へと着いていた。

 

「ありがとう、助かったよ。祭壇の前で祈らせて貰っても大丈夫かい?」

 

 少女のはい、という言葉を聞いて旅人は祭壇の前で片膝をついて目を閉じて手を合わせる。

 しばしの間祈りを捧げ目を開けると、傍にまだ少女がいる事に気がついた。

 何があったのかと聞きたそうな顔をしていたので、旅人は立ち上がり口を開いた。

 

「旅先で、おそらく先に出立した冒険者の認識票を見つけてね。亡骸と敵の言葉からそこで死んだんだろう。

俺に何ができるわけでもないが、せめて祈ってやれば足しにはなるだろうと思ってさ」

 

「……未熟な身ですが私にも祈らせてください」

 

 そう言って少女は両膝をついて手を組み、祈りの言葉を紡ぐ。

 その真摯な姿に儚さと美しさを覚えつつ、旅人はその様子に思わず見惚れていた。

 そっと、少女は手を解いて祈りを終えたのだと旅人は悟った。

 

「……あの世で喜んでるだろうな。しがない駆け出し冒険者じゃない、本物の聖職者の祈りを送って貰えたんだからさ」

 

「そっそんな事、わっ私はまだまだ未熟者です!」

 

「いや、俺だったら嬉しいと思ってね。悪いけど、もう少しこの場所を借りるよ」

 

 旅人はそう言って祭壇から離れて隅の方で片膝をついて手を合わせる。

 少女はその様子を怪訝な表情で眺めていると、今度は先ほどに比べてすぐに立ち上がり自身の方へと戻ってきた。

 

「あの、どうして移動してからお祈りをしたんですか?」

 

「ああ、今のは報告だからかな」

 

「報告、ですか?」

 

「あー……怒らないで聞いてほしいんだけど、俺は神を信仰してるわけじゃない。いるとは思っているけどね。

今祈らせて貰ったのは、神殿や教会は(こう言った場所)あの世に近い気がするからなんだ。

それで節目節目で報告をしてる。今日も無事に過ごせたと、俺の大切な、俺のせいで死んだ人達にね」

 

 旅人の少し悲しそうな表情と重い言葉に、何があったのかは分からない、それでも凄惨な事を体験したのだろうと悟って少女は思わず口を手で押さえてしまった。

 そして口から手を離して恐る恐る旅人に問う。

 

「あの、その、もう……大丈夫なんですか?」

 

「気を遣わせてしまったみたいだね。

色々とあってさ、大丈夫……ではないかもしれない。でも、だからこそ俺は全力で生き抜かなければいけない……死んであの世で殴られながら罵声を浴びせられるまでね……それで、許されたら生きてる間に起きた事を話す。

おっと、すまない、急に変な事を聞かされて困ったろう。今聞いた事忘れてくれ」

 

 思い出したかの様に明るい笑顔を作って旅人は少女に頭を下げる。

 その時、少女は旅人の背後から暖かい、穏やかな気配を感じた。憎しみや恨み等は皆無の多くの暖かい気配を。

 

「……そんな事ないです。貴方の事を恨んでなんかいませんよ。

きっと、みなさん安らかに眠っています」

 

 思った事を少女はそのまま口から零した。

 まるで自身の信仰する地母神の加護の様な暖かく優しい思いを感じた少女は確かにそう確信した。

 

「……なんだって?」

 

 とても優しい気持ちに包まれていた少女に、旅人の無機質な言葉が冷たい風の様に吹き荒れた気がした。

 確かに少女には確信があった。

 しかしそれは彼女自身にしか分からないものだ。

 目の前の男(旅人)からすれば何があったのかも知らない相手に、軽はずみな事を言われて怒らないはずがないと少女は気付き、肩を震わせた。

 

「その……ごめんなさ」

 

「フッ、ありがとう」

 

 旅人からの思いもよらない言葉に少女はへ、と間の抜けた声を出してしまう。

 

「気休めでもなんでも、俺の為に言ってくれたんだろう?

人から、それも聖女からみんなが安らかに眠ってるなんて言われて悪い気分はないさ。

君は、優しい人なんだね」

 

 そう言って、震える少女の緊張を解すように旅人は彼女の頭を撫でる。

 さてと、と一声出して旅人はふくろから金で装飾のされた赤いルビーを取り出して少女の手に握らせる。

 

「仕事中に時間を取らせて悪かったね。これをお礼に差し上げよう。冒険者になるなら微力ながら力になる。

『まもりのルビー』と言って、守備力が上がるお守りさ。もし、君の宗教の戒律とかに引っかかるなら売って路銀にでもすれば良い」

 

「そっ、そんな!こんな高価な物を頂けません!」

 

「気にしないで、俺からの詫びと礼なんだからさ。それから、コレを寄付するから神殿のお偉いさんに渡しておいてくれ」

 

 またも旅人はどこからともなく大きな布袋を取り出す。

 大きさにして先程青年戦士が担いでいたものの半分ほどの物だ。

 

「えっ、あの、ちょっと!」

 

「それじゃ、頼んだよ!」

 

 矢継ぎ早に取り出された物に困惑する少女を見計らって旅人はルビーをしっかりと握らせて渡すと、踵を返して足早に外へと向かう。

 背後で慌てふためく少女を尻目に旅人は神殿を後にした。



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Level5〜堅苦しいのは……〜

 

 冒険者になり妖術師を討伐してから、片手の指を折り切る程度の日数が経過したある日の昼前、辺境の街から少し離れた川のほとりで旅人は一人、上半身は何も身につけずに焚き火をしていた。

 火の近くには幾らか湿っている旅人の服が木の枝に引っ掛けて乾かすように立てかけられている。

 

「……地下のネズミ退治、どうしても服と体に臭いが付いてしまうみたいだな。

とはいえ、水浴びをして服を脱いだままは寒いな。『ぬののふく』」

 

 ふくろからいつも着ている普段着を取り出してそれを着ながら一人でぼやく。

 今日は何やら昼過ぎから監督官にギルドに来いと言われている。

 そのため昼までは暇だと朝にはゴブリン退治に精を出し、ルーラですぐに戻って来たらまだまだ時間が余っているではないかと、白磁の冒険者に推奨される下水道のネズミ退治に行った次第だ。

 本来白磁の冒険者であれば丸一日潜ってやっと規定の数のネズミを倒せるものだ。しかし旅人はすぐにその数の倍のネズミを骸に変え、ついでに群れで現れた巨大な虫も呪文で焼き払い、これまたあっさりと一仕事終えた。

 だが、そのネズミ退治が良くなかった。外に出て自身に下水道の悪臭が染み付いてしまっていたのだ。

 

「人と会うってのにあの臭いはダメだよな……まぁ、時間には間に合いそうだから良いけどさ」

 

 一つくしゃみをして少し肌寒さを感じつつ、旅人は服を炙って湿り気を取り続ける。

 暫くの間続けて服が乾いた事を確認して袋にしまうと、旅人は焚き火を消して街へと向かう。

 ギルドへと向かう途中、旅人は街の喧騒に耳を傾ける。

 活気溢れる店主の呼び込みや、夫人の井戸端会議、追いかけっこをする子供達に荷車を引く女性。今すれ違った装備を固めた一党はこれから冒険か、それとも帰るところか。

 自分の世界と比べて魔物が出るあたり今は本当に平和とは言えないのかもしれない。それでもこんな穏やかな日常が有ることは素晴らしい等と考えていると、早くもギルドの前に着いてしまった。

 

「あっ、おかえり旅人くん。

もしかして、意気揚々と出てったけど時間が間に合わなくて帰ってきたのかな?」

 

 扉を開けると、下水道に潜る前に対応してくれた監督官が旅人を迎える。

 あまりに早いお帰りに監督官はどこか悪戯っぽい笑みを浮かべてはいるが、旅人は一笑に伏した。

 

「ネズミなんて物の数じゃないさ。ホラ、依頼完了の署名もらってきてる」

 

 下水道のネズミ退治は基本的に街ないし国からの依頼である。

 どうやって仕事を終えたかを判断するかは、死体から耳を落として証拠とする。そして、それを下水道の入り口からほどほど離れた場所にいる国の役人に渡して確認の署名をもらって依頼完了とする。

 また、仕事を終えるまでの速さと、多くのネズミの耳のせいで役人は旅人を恐怖と嫌悪感の混じった白い目で見ていたが、当の本人は知る由もなかった。

 

「むぅ、そっか!お疲れ様!」

 

 自分の予想が外れたからか、監督官は一瞬不満げな顔をして唇を尖らせるも、すぐ様笑顔に戻り署名を受け取ると報酬の金貨一枚を旅人に渡す。

 

 

「あの臭いの代償が金貨一枚か」

 

「文句言わない。一番危険が少ないお仕事なんだから仕方ないでしょ?

それに、旅人くんなら一日中潜る必要ないんだからまだマシでしょ」

 

 確かに、元の世界最弱の生物(普通のスライム)を倒したところで得られる物は少ない。そう思えば妥当だなどと考えながら旅人は金貨を指で弾き上げて掴み取る。

 その後、彼女も今は手が空いていて暇なのか暫し談笑をしていると、話の節目で急に手を叩いて立ち上がった。

 

「さて、そろそろ準備もできたろうから二階に行こうか」

 

「ん?それはまたどうして?」

 

「あれ、言わなかったっけ?

これから君には面談を受けてもらうの、何か心当たりはない?」

 

 普段の明るい物言いのなりを潜めて監督官は真剣な表情で旅人に問う。

 その言葉に旅人は心当たりはないとハッキリは言えない。過ごしてきた世界の違いから知らず知らずのうちに何かをやらかした可能性が否定できないからだ。

 

「……多分ないと思いたい」

 

「ふーん……まあ、行こっか。最悪、この街ではもう冒険者出来ないかもしれないね」

 

 言い淀む旅人を訝しみ、冷たい視線を向けて監督官は先行して二階へ上がりある部屋の前で旅人を待たせて先に中へ入って行った。

 一人になり、旅人は先程突きつけられた言葉に動揺する。

 蓄えこそあるから飢える事は無いだろうが、まだ数日しか過ごしていないこの街を気に入ってはいたのだ。この街を拠点に各地へ行ってみようと思っていた矢先にあんな事を言われて大きく落ち込む。

 深刻さは違うが、かつての旅で女王の治める国で濡れ衣を着せられ仲間が一人囚われた事を思い返す。

 

「どうぞ、お入りください」

 

 受付嬢の声が扉の向こうから聞こえて旅人は正気に戻り、扉を開いて中へと入る。

 正面には国の政務官が使うような机に受付嬢が座り、旅人から見て右には監督官が椅子に座っている。

 また、受付嬢の左には旅人にとって面識はないがギルドで見かけた事のある一組の男女が座っていた。

 一人は見るも立派な槍を片手に携え、青い鎧に身を包み、長い後ろ髪を一本にまとめた美丈夫な男。

 筋骨隆々とは言えないが、無駄な筋肉をつけずに引き締まっている身体と旅人を睨みつけて値踏みをするような鋭い視線から強者の気がひしひしと感じ取れる。

 もう一人は魔術に長けた者が着るローブを扇情的に崩して身につけて黒い三角帽子を被る魔女。すれ違う男が十人いれば八人は振り返るような素晴らしい肉体と顔を持つ美女だ。

 こちらは男とは対照的に柔和な笑みを浮かべて旅人の様子を見ている。

 

「どうぞ、お掛けになってください」

 

 部屋に入るなりいつまでも立っている旅人を怪訝に思った受付嬢は着席を促す。

 盗みの濡れ衣を着せられて尋問された経験が頭から離れない旅人は、場の緊張感からかどこか不審な足取りで椅子に座った。

 その際に不意に槍の男と目があった。

 

「……あんだよ?」

 

 機嫌でも悪いのか不快感でも覚えたのか、威圧するように槍の男は口を開いた。

 

「いや、なにも無い」

 

 事実、ただ視線が合ったので旅人はそう答えるしか無かった。

 その様子を見て隣の美女はクスクスと笑う。

 

「お二人は立会人ですので、お気になさらないでください。

それで、今回貴方の昇級の件ですが」

 

「昇級……?」

 

「呆れた、やっぱり聞いてなかったんだ。

今日来る事を伝えた時、随分急いでいたみたいだけど自分の事なんだからしっかり聞いておいてよ」

 

 旅人が当時の事を思い出してみると、確かゴブリン退治を終えて一度ギルドへ戻って来た。

 すると、掲示板にまだ依頼が残っていたので彼女へと報告を手早く済ませて、本日の昼過ぎにギルドに来いと言われた事しか記憶していなかった。

 そしてつい先程まで監督官には会う事が無かったため、まさか昇級なんて件で呼び出されるとは思っても見なかった次第だ。

 

「……申し訳ない。ギルドに顔を出す事しか聞いていなかった」

 

 それならば、さっき教えてくれても良かったのではないかと頭を過るが悪いのは自分かと、素直に頭を下げる旅人を見て、隠す様に顔を背けて監督官はクスクスと笑っていた。

 他の職員に言伝を頼まなかった辺り、話を聞かない男にささやかな仕返しを込めていたのかもしれない。

 そんな二人を呆れた様に見ながら、一つ受付嬢が不自然な咳払いで話を元に戻す。

 

「あー、いやあ、しかし等級が上がるなんて思ってもみませんでした。俺はてっきり」

 

「てっきり、なんですか?まさかやましい事でも?」

 

 場の硬すぎる空気に耐えられそうにない旅人は思わず口を開くが、それに対して受付嬢は貼り付けた様な笑顔のまま冷たく言い返す。

 結局、自ら墓穴を掘って自信が危惧していた方向へと話を進めてしまっていた。

 

「……俺は田舎の方の出です。育ちの違いで自分では常識でもこちらでは非常識なんて事をしでかしているかも知れません。

この歳で恥ずかしい話ですが、世間をよく知っていないので無意識に間違いを犯しているのかもしれません。

もちろん、知らなかったで済ませるつもりはありません。その時は、償いをします」

 

 旅人が言い終えると、受付嬢は監督官に目配せをすると、応える様に彼女は首を横に振る。

 また立会人の槍の男は依然不機嫌な顔で、女の方は穏やかな顔でやり取りを見ている。

 

「今のところ、貴方が心配している様な事はありません。

さて、昇級の話ですが、今日までに達成した依頼の内容、取得した報酬額から貴方は十分に黒曜等級の資格は有ると私達は判断させていただきました」

 

「今日までって、まだ数日しか経っていませんよ。昇級にはそれなりに時間がかかるって聞きましたが?」

 

「……自分が数日でどれほどの依頼をこなしているのか分かってます?

普通は依頼は早くて一日に一件、それこそゴブリン退治でも遠出をすれば移動の時間もあって数日かかる事はあります。

それを貴方は初日こそ一件だけで、その後は近場ばかりですが、受ける依頼を日に日に増やして昨日なんて文字通り丸一日の間依頼をこなして十件も達成しているんですよ。

……はっきりと言ってしまえば異常です。

無事だったから良かったものの、過労で倒れたり他の人が真似をしたらどうするんですか?」

 

 進んで引き受けてくれる事に感謝はしていますがと付け加えるが言葉の節々から、呆れや困りといった感情が聞き取れる。

 

「ギルドが真夜中でも常に人が居て、体力には自信があり問題ないと踏んで昨日は明け暮れたんですが、他の人の影響なんて考えてませんでした……すいません」

 

 旅人は元の世界で馬車があったとは言え、魔物と戦いながら何日も続けて歩いた経験が有る。この街付近に出る祈らぬ者よりも強い存在が闊歩している世界でだ。

 魔力の消費こそあったが体力的にはまだまだ依頼はこなせていたとすら考えてはいるが、受付嬢の言葉も正論のため旅人は胸に刻む。

 旅人の素直に聞き入った様子に溜飲が下がったのか受付嬢の表情は微かに綻ぶ。

 

「話を戻しますね。確かにゴブリン退治ばかりだともう少し時間はかかったと思いますが、貴方の場合は最初の時の妖術師の討伐が大きいですね」

 

「まさか一人で魔神将の側近を倒すなんてね。

連れ去られてた娘さんも無事に助けたしすごい事だよ!

まあ、運が良かったかどうかで言えば、ゴブリン退治に行ってそんなのに出くわすんだから良くは無いんだろうけど」

 

「……今の言い方だと、幾つか訂正をさせてもらいたい」

 

「と、言いますと?」

 

 賞賛を得ているのにあまり喜びを見せない旅人に対して怪訝な表情で監督官は聞き返す。

 

「無傷、というわけではないさ。彼女、身体こそなんともないだろうが、心には傷が残ってる事だろう。

それともう一つ、決して俺一人の功績ではない。

彼が背後から来るゴブリン引きつけてくれたから俺は妖術師に集中できた。その結果、全員命を拾うことが出来た。

そして、それは貴方達のおかげです」

 

 旅人のその言葉に受付嬢と監督官は顔を見合わせて目を丸くするが、御構い無しとでも言うかのように旅人は言葉を紡ぐ。

 

「あの時一人で行こうとしていた俺を止め、彼を紹介してくれたのは他でもない貴方達です。貴方達のおかげで全員が命を拾い冒険から帰って来ることが出来た。

改めて礼を言わせていただく、ありがとうございました」

 

 旅人は立ち上がると深々と頭を下げた。

 その行動に思わず受付嬢も立ち上がってしまう。

 

「そんな、頭をあげてください!私達はお二人に仕事の斡旋をしただけですから!」

 

「それでも、俺はそう思っているんです」

 

 旅人は顔を上げると、穏やかな表情をしていた。

 同時に、本心から出た言葉なんだろうと受付嬢は直感する。

 ギルドの職員になって冒険者からお礼を言われる事は多々あったが、それよりも杜撰な扱いを受け、心無い言葉を投げかけられた事の方が圧倒的に多かった。

 こんなに心を込めて礼を言われたのはいつぶりだろうと、受付嬢は悪くない寧ろ心地よい気分になると同時に、面談のため凛とした態度で相対しようとしたが、目の前の男(旅人)が相手だと上手くいかないと僅かながらやりづらいとも思った。

 そんな様子を監督官と美女は笑みを浮かべて見ており、槍の男は舌打ちをしてカッコつけ野郎が、と零して悪態をついた。

 両者が落ち着きを取り戻し受付嬢が先に座り、旅人も促されて椅子に座る。

 

「さて、今までの話で貴方の人格的にも昇級に問題はないと分かりました。

最後に一つ、冒険の準備以外でどんな事に報酬を使っているんですか?

妖術師を倒した時に大量の金貨を手に入れたみたいですが、貴方は装備の新調もしてないみたいですし、食事も質素な物で済ませてばかりいるとか」

 

 受付嬢は今までの質問と違い、若干雰囲気は軽くなって旅人に尋ねる。

 正直なところ、この問いの重要度はそこまで高くない。ただギルドは冒険者の金の流れを把握したいだけで、自発的に邪教団に寄付している。と言った答えが出ない限りは問題ない。

 直近でそれなりに金を大きく使った買い物か、貯め込んでいると言えば済む話である。

 少なくとも受付嬢はそんな答えを聞いたことは無く、監督官にしてもここで嘘をつかれた事も無い。

 

「……先の事はわからない。ので、後々のために使わずに貯めています」

 

「嘘。至高神の御名にかけてそれは間違いなく嘘だね。

驚いた、君も嘘を吐くんだね。しかもこんな事で」

 

 監督官は胸元の十字架を旅人に見せつけるように手で持ち上げる。

 自信に満ちた口調で嘘を看破されて旅人は思わず狼狽える。

 

「……離れた街の踊り子に値が張った贈り物を」

 

「嘘、しかも看破(センス・ライ)使わなくても分かるくらいにバレバレな。あのさぁ、何に使ったかくらい話したら?」

 

「……すまない、まさか本当に嘘が見破れると思わなくてさ。

いやまあ、そんな事言わなくちゃダメなのか?」

 

 いつまでも言い淀む旅人を見て、立会人である筈の魔女が見かねたようにクスクスと笑って口を開いた。

 

「昨日、ね、ここの、地母神の神殿、に、行ったの、だけれど、数日前、に、大金を、寄付してくれた、冒険者が、いた、そうよ。

その、冒険さん、は、緑色の、髪で、水滴、みたいな、耳飾りを、着けてた、とか」

 

 独特な、間延びするような口調でそう語った魔女を見て旅人は目を丸くした。

 

「はぁ……神殿の神官長さんもギルドの方にお礼に来ましたよ。

……貴方ですよね。どうして嘘なんか吐いたんですか?恥じる事では無いと思いますが?」

 

 溜息をつきながら受付嬢は呆れたように旅人に問い詰める。

 まるで、子供が叱られているかのようなその様を見て魔女と監督官は隠れてクスクスと笑っている。

 観念した旅人は大きく息を吸い込み、吐き出した。

 

「……寺院や神殿には孤児やゴブリンの、あー、いや、心に傷を負った人が多く入ると聞きました。

孤児が生きていく術を学ぶ事も、被害者が心の傷を癒す事にも先立つ物は必要でしょう。

そして俺はすぐに装備を新調する必要は無く、ギルドの宿暮らし。

大金を安全に保管する場所が無いなら必要とする場所へ、まあ雀の涙程度でしょうけどね」

 

 もう、言うことは無い。そう言いたげな様子で旅人は椅子の背もたれに体を預けて天井を見上げる。

 

「今度は本当みたいだね。

やっぱり君は変わっているよ。本当の事みたいな嘘をついて、嘘みたいな本当の事を言うなんてさ」

 

「ふん。神殿に恵んでやって、愉悦に浸り神気取りかよ」

 

 終始不機嫌そうな槍の男が表情を変えずに旅人へと吐き捨てる。

 尤も言葉ほど悪気は無く自分と同じ無頼漢がそのような行動をとった事、そして受付嬢の前でカッコつけているのであろうと思えてつい言葉が出ていた。

 

「……そんなつもりは無い。

だが確かに君の言う通り、俺の取ってる行動は偽善だろう。

世界に何人の孤児がいる?何人のゴブリンの被害者がいる?

……知る由も無いし、事実俺に出来ることは無い。目を背けて手近なところに少しの援助をしているだけの中途半端な行動だ。

気を悪くしたなら忘れてもらいたい」

 

 旅人は槍の男の言葉に怒るわけでも無く、どこか悲しげな表情を浮かべて答えた。

 てっきり言い返されるだろうと思っていた槍の男は毒気を抜かれ、やり場のない不満の感情を吐き出すように舌打ちをする。

 そんな二人の様を尻目に、受付嬢は一つ咳払いをして口を開く。

 

「私が言えた事ではありませんが貴方の行動は立派な事です。現に神殿の方々は感謝しているじゃありませんか。

さて昇級の件ですが、貴方の功績、人格面共に問題ありませんね。

……面談で嘘をついた事を除いてですが」

 

 受付嬢は笑顔から一変、どこか白けた視線を送り、受け取った旅人は気まずそうに頰を指で掻くと頭を下げる。

 

「はぁ、今後はやめてください。あまり多いようだと査定に響きますからね。

そして、おめでとうございます。貴方は今日から黒曜等級の冒険者です。

受付に行けば、新しい認識票が貰えますので今持っている物は返却してくださいね」

 

 本来、諸々の手続きを行い2日ほど経過してから新しい認識票が受け取れて晴れて昇級するものだが、妖術師討伐の功績と、寄付の事の神官長からのお礼もあり今回は特例で旅人なら実績も人格も問題無いだろうとギルド長の公認で手続きは終わっていた。

 

「なんだか、実感が湧きませんが……ありがとうございます。

それならもう終わりですか?」

 

「ええ、面談はこれで終了です。お疲れ様でした」

 

 その言葉を聞いて旅人は立ち上がる。

 

「おい!」

 

 旅人を止めたのは槍の男の声だった。

 どこか居心地の悪そうな顔で槍の男は続ける。

 

「……悪かったな、少し言い過ぎた」

 

 ぶっきら棒に視線を向けずに言ったその言葉に対して旅人は少しだけ驚いた後静かに口角を上げる。

 

「いいや、こっちこそ貴重な時間を取らせたみたいで申し訳ない」

 

 まるで気にしていなかったかの様に、それどころか謝罪の言葉を返し、旅人は相対する人たちに向けて頭を下げて踵を返す。

 まだ昼過ぎで暇だ、余っている依頼を受けて来るかなと、暢気な事を考えて旅人は部屋を後にした。

 

「ふぅ、ありがとうございました」

 

 受付嬢は一息ついて貼り付けた、営業用とも言える笑顔を槍の男と魔女に向けて労いの言葉をかける。

 

「いやいや、受付さんの頼みとあれば俺は何でも引き受けますよ!」

 

 水を得た魚のように活き活きと槍の男は腕を上げ、その様子を見る魔女はどこか不満げな顔をしていた。

 

「でもさ、わざわざ銀等級の二人に来てもらう事は無かったんじゃない?

ギルド長はもしも暴れた時のためなんて言ってけど、旅人君ならそんな心配は無さそうだよ?

ちょっと目つきは悪いけどさ」

 

「……いや、立会人が俺達で正解だった思うぜ」

 

「そう、ね……」

 

 槍の男は監督官の言葉を否定し、魔女もそれに同意した。

 

「ほぼ初対面だからアイツがどんな奴かは知らん。

だが、表情をコロコロ変えてはいたが常に武器を持ってる俺に対しては気を緩めなかった。

それにアイツは魔法戦士なんだろ?なのに丸腰で最後まで居た、素手でも俺達相手になんとか出来るとでも言うようにな……ったく、この俺相手に腹が立つ」

 

 監督官は槍の男の言葉をあまり深く考えなかったが、受付嬢は違った。

 普段から自分は凄い、辺境最強だと声を大にして言う男が、自分が上だと言う姿勢は崩さないものの今日始めて会ったばかりの旅人をそこまで称しているのだから。

 在野最高位の銀等級、それも辺境最強と謳われる歴戦の勇士の二人は彼の只の駆け出しが持つ筈の無い、強者だけが持つなにかを確かに肌で感じていた。

 

「とりあえず、気性は、問題、無さそう、ね。

本性が、あの、様子なら、すぐにまた、昇格、するんじゃ、ないかしら」

 

 魔女の言葉で、受付嬢もあまり深く考える事はやめにした。

 今どうこう考えても何も変わらない。それに現状、彼は人のために動く事の出来る人間であるという印象を持つ。

 とりあえずはそれで良いかと思うと同時に、仕事とはいえ、少々冷たく当たり過ぎたのではないかとふと思い返していた。

 その後、少しの間受付嬢は槍の男に言い寄られたが、仕事を理由に袖にして、監督官と共にまだまだ多忙な業務へと戻る事にした。



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Level6〜暗闇を進め〜

 

 暗闇が支配する廃坑の深部、一つの角灯が照らす灯だけが頼りの空間に一組の少年少女が、大小の石と土でできた行き止まりを背に立ち往生している。

 互いに呆然とした表情から沈黙が続いていたのだろう。それを破ったのは軽装の只人の少年が手で自分の額を軽く小突く音だった。

 

「とりあえず……灯は絶対に消さないでくれ。俺が危険の少ない道を選ぶからさ」

 

 少年が、恐怖からくる声の震えを悟られまいと必死に抑えながら、目の前にいる紅い水晶の装飾の杖を持つ、怯えた表情の圃人の少女の目を見て言う。

 だが少年が本当は言いたかった言葉、死んでも自分が守る、とは口には出せなかった。

 少女は少年の言葉にコクリと頷き、手で帽子を直すと杖を握る力を無意識のうちに強めていた。

 

「必ず、皆さんと合流点して生きて帰りましょう」

 

 少女の言葉に今度は少年が頷いた。

 そして、少年は少女の腰の角灯の灯を頼りに目の前の道を調べながら、更に奥の暗闇から祈らぬ者の接近が無いかを注意深く探知しながら足を前へと踏み出し、少女が後に続く。

 

「そうだな。兄ちゃん達と合流できれば……!」

 

 重戦士と女騎士の2人の銀等級、等級こそ劣るものの経験は豊富で、冷静で的確な判断が下せる半森人の軽戦士、そしてまだまだ未熟で彼等から手解きを受ける自分達の一党で廃坑に住み着いた魔物退治が今回の仕事だった。

 自分の冒険は常に余裕が無いものだが、銀等級の彼等がいれば足手まといを抱えていても無事に終わるであろう、頭目の重戦士に言わせればなんて事ない仕事のはずだった。

 

「ツイてないですね……」

 

 ポツリと零した少女の呟きに、少年は無言で首を縦に振る。

 只々運が悪く、地震による落盤で大小様々な石が道を塞いで一党が分断されるという事(致命的な失敗)が起きてしまったのだ。

 それも、よりにもよって実力者と未熟者という組み分けで。

 しかし不幸中の幸いに、地図によればこの廃坑には多くの出入り口があり、おそらく生き埋めにはなる事は無く、程よい場所にそれはあるので無事に外へは出られるであろう。

 

「……っ、静かに、止まって」

 

 討伐対象だった怪物に遭遇さえしなければ。

 少年は見たくなかった物、地面に刻まれるまだ新しい人型ではあるが人間のそれでは無い大きな足跡を見つけてしまう。

 加えて、足跡の隣に何かを引き摺って歩いた跡。

 恐らく今回の討伐目標だった怪物、巨人(トロル)のものだろう。

 少年は背筋が凍ると同時に固唾を飲む。そして、少女に更に慎重に行こうと伝えようとしたその時。

 

「……Rrr……Oool……」

 

 まるで地鳴りのような唸り声に二人の身は竦んだ。

 間違いない。

 近くに巨人がいる。

 巨人は洞窟などを主な住処にしているがゴブリン程夜目が利く訳ではない。

 更にその頭の悪さから自分達と同じ状況の冒険者が息を潜めてやり過ごす事が出来たという話を聞いたことを思い出す。

 

「……灯を消して、声を潜めて」

 

 されど自分達にとっては途轍もなく大きな脅威である事は変わりない。

 怯えながらも少年は必死にそっと声を絞り出した。

 少女が震える手で厚手の布を角灯に被せて咄嗟に光を遮断しようとした時、少年は視界の端で自分の身の丈程の大きさの棍棒を引き摺る大きな怪物とその肩に蠢く何かを捉える。

 また、巨人とは別の鳴き声が彼の耳に入って来る。

 

「Gooorrbbb!!」

 

 この四方世界に数え切れない程存在する最弱の怪物の鳴き声だ。

 少年は思い出す。

 極稀に巨人(トロル)はゴブリンと協調する事があり、壁役を担うことが有ると。

 そう、夜目が利くゴブリンと、つまり息を潜めるは愚策。

 彼奴等との距離は近く、自分達は恐慌状態にある。

 巨人を倒せる可能性があるとしたら彼女の術だけだろうがこう大きく動揺していては間に合わないだろう。

 危機に瀕しているからかやけに頭が回る等と、どこか他人事の様に自嘲すると、少年は腰の短剣を抜くと意を決して叫んだ。

 

「時間を稼ぐ、急いで後退して呪文を撃て!」

 

 震える手で短剣を握り、少年は大小の怪物と相対する。

 返事はしなかったが、少年の意を汲んで少女は角灯に被せようとした布を捨て去り角灯を地面に置くと、震える足で地を蹴って懸命に来た道を引き返す。

 

「俺が相手だっ怪物っ!」

 

 自分がすべきは時間稼ぎ。少年はそう理解しているのか、道の真ん中に立ち怪物を迎え撃とうと立ち塞がる。

 しかし、そんな未熟な少年の決意も怪物にとってはどこ吹く風。

 巨人はなんとも思っておらず、ゴブリンは指を指して嘲笑う。巨人が居なくて単体ならこの少年にも劣るというのに。

 

「TOOooRrrLl!!」

 

 ゴブリンが肩から飛び降りると、巨人は棍棒を振り上げる。

 下がれ、下がれ、下がれ。

 少年は何度も心の中で自分に言い聞かせて後方に跳ぼうとするが、足が竦んで上手く動かない。

 どうにか足を動かすが、大きな石に足を取られて後ろに倒れ込む。

 

「あっ……」

 

 その瞬間、少年の世界がとても緩やかに流れて自分の身体がゆっくりと地面に向かう。

 頭の中がやけに透き通る感覚を覚え、同時に自分は死ぬと悟った。

 トロルの棍棒は自分に向かって振り下ろされる。

 その後ろでゴブリンは嘲笑を止める事なく様子を伺っていた。

 やがて尻が地面に着くと、そのまま背中も吸われるように地面についた。

 そのまま後方を見れば少女は目を瞑って集中し、呪文の詠唱に入っていた。

 そのまま自分が助からない事に気が付かないで呪文を放ち、あわよくば2匹とも倒してくれ。自分は運が無かったんだ。せめて彼女だけでも決定的な成功(クリティカル)を出して生き延びてくれ。

 醜いゴブリンとは真逆の、他者を思いやる尊い心を込めて願いながら少年は目を閉じて運命を受け入れる。

 

 そして神の振る賽の出目は決定的な成功(クリティカル)だった。少女だけではなく、少年にとっても。

 

 少年は自分の足元で揺れと轟音を感じた。

 巨人が攻撃を外したのか?

 それにしては可笑しい。音は自分の真下ではなくやや離れて聞こえたからだ。

  恐る恐る少年は目を開く。

 そこはもう時間が緩やかに流れる世界では無かった。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 そこに居たのは巨人でもゴブリンでもなく、只人の長い緑の髪をした男が血濡れの剣を片手に自分に背を向けて立っていた。

 そして、自分に死を向けていた巨人とゴブリンは彼から数歩先の地面に横たわっている。

 少年は不意に少女の方へと目をやると、詠唱も中断して唖然とした表情で、杖を固く握り締めたまま立っている。自分と同じ様に状況が飲み込めていないようだ。

 

「えっと……大丈夫じゃなかった……筈です……」

 

 一体何が、と続けようとしたところで、正気に戻った少女が駆け寄り、まだ力が入らない少年の体を起こした。

 

「ありがとう……ございました。

この人が駆けつけてくれなければ私達……」

 

 言葉を詰まらせながら男に礼を言う少女の手は震えていた。

 背中伝いに少女の震えを感じた少年は自分もしっかりしなければと、空元気を起こして男と向き直る。

 

「アンタが、巨人達から助けてくれたんですか?」

 

 未だに巨人の脅威が消え去り、自分が命を拾っている事が未だに信じられないながらも少年は男に尋ねた。

 

「怪我は無さそうだね。君たちがあの魔物を退治するつもりでいたところを、俺が邪魔したので無ければそうなるな。

とりあえず、座ったままで良いから落ち着こうか。ずっと気を張り詰めていたみたいだから休憩した方が良いだろう。

少しの間、俺が魔物が近寄らないようにする」

 

 男は少しの間二人を見て、問題が無いと判断すると、剣に付着した血を地面に振り落とす。そして腕輪を外すとその腕輪は不思議な事に何処かへと消えていった。

 また、地面に置いてある角灯を拾って少女に渡すと、呪文のような何かを唱える。

 すると、三人を囲うように地面に光る魔法陣が現れ、そして消えた。

 

「今のは……貴方は……?

……巨人とゴブリンはどう倒したんですか?

私が目を開けた時には首の無い巨人をゴブリン諸共蹴り飛ばしてましたけど」

 

「今のは魔除けの呪文だ。

変わった事は無いさ、魔物の脇を通り抜き様にゴブリンの頭を潰してから彼の前に回り込み、田舎者(ホブ)の首を斬って、こちらに倒れ込まないようにゴブリンの方に蹴り飛ばしだけだ。

しかしコイツは、やたらとデカイ田舎者だったな」

 

 そう零して男は壁を背にして座り込んだ。

 続けて二人も力なく地面に座り込んだ。

 だが、男の言葉に違和感を覚える少年と少女は顔を合わせて、お互いの考えが同じだと悟る。

 

「あの、大きい方は田舎者なんかじゃないですよ……頭はゴブリンよりも悪けど、ずっと、ずっと強い……巨人なんです……」

 

「巨……人……?別の魔物か?

いや道理でゴブリンよりも手応えがあったわけだ。

身体の色が同じだからてっきり田舎者だと思ったんだが違うのか。勉強になったよ、ありがとう」

 

 苦笑を浮かべて礼を言うと男は照れ隠しに天を仰いだ。

 大物をゴブリンと同程度に手玉にとる男に驚きと呆れと敬意の混じった複雑な感情を覚えつつ、少年は男に質問する。

 

「助けてくれたのは本当にありがたいんだけど、アンタはどうしてこの廃坑に居たんです?

俺達はココに巨人退治に来てたんだけど大きな地震が起きて道が崩れて頭目の兄ちゃん達と離れ離れになっちゃったんだ……」

 

「俺か?俺は神殿みたいな廃墟に、えっとマンティコア?だったかが住み着いたからそれの討伐の依頼を終えて帰ろうとしたら、地震で壁が崩れて地下に続く道を見つけてさ。

人を襲う魔物が住み着いてたらと思って地下に入って少ししたら、遠目に君達を見つけたってところかな」

 

 この男は単独でマンティコアまで退治できるのかと感心すると同時に、とてつもない戦闘力を持っていて自分が出来なかった事を平然とやってのけていて少年は強い劣等感を覚える。

 自分はただ怯えて何も出来なかったのだと。

 

「ところで何故、巨人から逃げずに立ち向かったんだ?

見たところ、君達は魔法使いと斥候で本格的な戦闘には不向きに見えるが?」

 

「……仰る通りです。

駆け出しという訳ではないのですが、私達は一党でも足を引っ張ってばかりで。

それで、あちらの道が塞がってしまったので仕方が無く、私が術を撃つ時間を稼ごうとしてくれたんです」

 

「アンタが来てくれなければ良くて俺だけ、悪くて二人とも死んでたな」

 

「……良くて、死んでたなんて言わないで!」

 

 少女は今にも悲しく泣きそうな表情で叫び、その声は廃坑に響き渡る。

 少年は言い方が悪かったと思い、別の言葉を出そうとしたが、彼女の表情を見て何も口から出てこなくて表情を曇らせた。

 小さな角灯の火に照らされ、周囲は闇に閉ざされた三人が沈黙に包まれる。

 そんな重苦しい空気を破ったのは緑髪の男だ。

 

「反省する事は大切だ、手放しに助かったから良かったなんて言うつもりはないよ。

でも今だけは、命を拾ったことを喜んでくれないか。お互いが言いたい事あるだろうが、それはここを脱出して街に帰ってから話してくれ。

まあ、話を聞くに適切な行動は取れていたんじゃないかと俺は思うよ」

 

 穏やかな顔で、二人を落ち着かせるように男は語りかけ、少年の方に顔を向けて続ける。

 

「君が取った行動、勝てない相手に立ち向かった事を蛮勇や無謀、命知らずと言う人がいるかもしれない。そして、それは決して間違いじゃないだろう。

結果論だが、あの魔物は動きが遅かったから彼女に詠唱させながら君が引き摺るなりすれば逃げながらの攻撃もできたかも知れない」

 

 確かに普段の、一党が全員健在な状態の冒険でこんな行動を取ったら頭目に大目玉を食らうだろう。

 男の事実を並べた言葉を聞いてそんな事が頭をよぎり少年の顔は暗くなる。

 

「だけど、俺はそんな事は無いと思う。

……俺から言わせれば自己犠牲(その行動)は、できない奴はいつまで経っても出来ない。

誇れとは言わないけど、決して恥じるべき行動じゃない」

 

 男は穏やかだが、確かな強い視線を少年に向けて言った後、今度は少女の方へと顔を向ける。

 

「君の不安な気持ちも分かるよ。

……残された方も辛いもんな。

その事は二人とも覚えておいた方が良い。

さて、俺はいつでも動ける。君たちの休憩が終わり次第先を行こうか。

君は斥候だと言っていたな。道の探索は任せるよ。

地下道に罠なんて少ないと思うが、さっきまで俺がいた廃墟のように罠が満載だったら気が滅入る」

 

「神殿の廃墟って言ってましたけど、そんなに多くの罠があったんですか?」

 

「落とし穴につり天井、どこからか矢が飛んできたり足元が爆発したりだな」

 

 男の言葉の後やや無言の時間が訪れるが、少年達はクスクスと笑い始めた。

 その笑みはならばどうして貴方は無傷でここに居るんだ、と言っているかのようである。

 

「ありがとうございます。私達の強張りを解くために冗談まで言ってもらって。

私達も、もう大丈夫です。よろしくお願いします」

 

 小休止を経て気力が戻った二人は立ち上がると男に同行を求める。

 それは快諾されて三人は歩みを進み始める。

 その際に男は苦笑を浮かべて本当の事なんだが、と零したがその言葉は二人の耳に入らずに消えた。

 

 一行は先の見えぬ暗闇の中を進み続ける。

 男の予想通り、罠などは無かったが怪物には幾つか遭遇した。しかし、少年がその痕跡を調べながら移動出来たため、不意の遭遇は一度も起こらない。事前に怪物の接近を知った上で男が対応するため事は危なげなく運べている。

 だが、少女の持つ地図を頼りに坑道を暫く歩いたものの、それとは大きな差異がある。

 先に起こった地震の影響だろう。彼らの身に起きたように落盤して道が塞がれてしまったようだ。

 行き止まりを背にし、男が来たルートで地上に一度戻ろうとした時、奥の闇から一つの赤い灯が三人の目に映る。

 

「下がって、俺の前に出るな!」

 

 男は二人の前に躍り出て剣と盾を構える。

 

「向こうも火を焚いてるんだから人間じゃないの?」

 

「だろうね。でも、善人とは限らない」

 

 少年の疑問に顔を向ける事なく、男は言い放つ。

 前方の灯が近づくにつれて、少年と少女は固唾を呑む。

 どうやら向こうも3人である事が分かる程度に距離は詰められた。

 一人は重厚な黒い鎧を身に纏い、大剣を手に持つ屈強な只人の男。

 一人は軽装で、松明を持ったやや尖った耳が特徴の半森人の男。

一人は先の男とは真反対な白い鎧を纏い、剣と大きな盾を装備する只人の女だ。

 彼方の一行の顔が視認できた少年と少女は目を輝かせる。

 

「兄ちゃんたちだ!おーい!」

 

 手を振りながら駆け出そうとする少年だったが、何かが身体に当たり数歩だけしか前に出られない。

 自分を止めた何かを怪訝な顔で確認すると、それは男が伸ばした盾を持つ腕だった。

 

「見てくれは君達の仲間なんだろうが、一度分断されたんだ。別人の変装や魔物が変化した可能性もあるだろう」

 

 少年が疑問を口にする前に男は答えると、依然相手に剣を向けて警戒を解くことはない。

 

「あー、そいつらウチの一党なんだ。迷惑かけただろう?助かった」

 

 鎧の男は他の二人よりも一歩前に出て大剣を地面に突き刺すと、敵意は無いと手を伸ばす。

 その行動を見て男は剣は向けたまま盾をしまうと、今度は大きな鏡を取り出して彼らの方へと向ける。

 その行動に男以外の五人は疑問符を浮かべるが、当の本人は何かを納得したように鏡をしまい込んだ。

 

「どうやら、魔物が変化した姿では無いようだな。

……お前達がこの子達と共通して知っているこの洞窟に入る前に起きた事柄を問答してくれないか?

悪いが、俺は過去に君達と似た状況に陥り酷い目にあった記憶があるので用心させてもらう」

 

「ええいまどろっこしい、私達の仲間だと言っているだろう!

大体お前こそなんだ!その人相、人を好意で助けるようには見えんぞ!」

 

「落ち着いてください、なんて失礼な事を!

大体彼の言う事も間違いではありませんよ」

 

 疑り深い態度が気に入らなかったのか憤る女を半森人の男が諌める。

 

「えっと……そうだ!俺たちがいろんな人達と徒党を組んで受けた初めての依頼はマンティコアだった?」

 

「あン?何言ってんだ。人喰粘菌(ブロブ)岩喰い(ロックイーター)だろ?」

 

 さも当然であるかのように鎧の男は言い放つ。

 少女の方を見やると、コクリと頷く。

 

「合っています。あの人達は私達の仲間です」

 

 確信めいて言う少女を見て、漸く男は剣を下ろして安堵する。

 そして、涙ぐみながらも仲間達に駆け寄る少年少女を今度は止める事なく穏やかな顔で見守っていた。

 

 

 

 

 

 

「いつもより、なんだか疲れた気がするな」

 

 日課となっている神殿での寄付と報告からの帰り道、旅人は一人呟いた。

 恐らく、短時間とはいえ久方振りに誰かを護りながらの冒険をしたからだろう。自分一人であれば大抵の事を切り抜けられるが、彼ら達ではどうも心許なかった。

 廃坑を出てから別れたが、何事もなければ恐らく彼らの一党の方が先に帰っているだろう。

 そんな事を考えながらギルドの扉を開け中へと入ると、旅人の予想は当たっていた。

 

「おい!こっちだこっち!」

 

 豪勢な料理の並んだテーブルに着く、黒い鎧の重戦士がジョッキを持った腕を掲げて旅人へと声をかける。

 彼の隣には旅人を見た途端白い鎧の女騎士がどこか居心地が悪い表情を見せて座っていて、対面の席には少年斥候、少女巫術師、半森人の軽戦士が笑みを浮かべて座っている。

 

「ああ、報告を済ませたら顔を出すよ」

 

 そう言い残して旅人はカウンターへ向かうと、もう見慣れた顔の監督官が迎えてくれる。

 

「お疲れ様。大変だったみたいだね」

 

「ありがとう。彼らにとってはそうみたいだな。

マンティコアは退治してきたが、あの廃墟はまた調べた方が良い。罠が大量に設置されてたぞ」

 

「ええ?あの廃墟って今までにいろんな怪物が住処にしたりしてたんだけどな……ギルド長には話してみるよ」

 

 手早く報告を終えて少しの談笑を終えると、監督官は奥の部屋から大きめの皮袋を二つ持ってきてカウンターに置いた。

 

「報酬が多くないか?」

 

「あの人達が巨人倒したのは君なんだから君に渡るのは当然だって」

 

「……受け取れないよ。依頼を横取りしたとか思われたくもないしな」

 

「話は聞いてるって言ったでしょ?別に悪い事じゃないし、あの人達が自分から言ってるんだから素直に受け取るか、当人達で話し合ったら?」

 

 旅人ため息をついて皮袋を二つ手に取り、一つはしまい込むと重戦士達が酒盛りをしているテーブルへと近づく。

 

「よう、遅かったじゃねぇか。お前も飲めよ、俺が奢るからよ!」

 

「それよりも、コレは受け取れない君達の物だ」

 

 そう言って旅人はテーブルに皮袋を置いた。

 

「何を言う。私達が倒したんじゃないんだ。お前が受け取るというのが正当だろう」

 

「そうですよ……私達貴方が居なければ死んで居たんですから」

 

「……俺達、なんの役にも立たなかったもんな」

 

 旅人は呆れたようにため息を零すと、皮袋から中身を一つまみ取り出す。それは目分量で六当分にやや満たない量ではあった。

 

「ならばこれだけ頂くとする。これが妥協点だ。

君達が役に立たなかった?冗談はやめるんだな。

魔物を倒すだけが冒険じゃないだろう。確かに巨人とやらは俺が倒したさ、でもその後君達はしっかりと自分の役割を果たしていたじゃないか」

 

 旅人の言葉に少々落ち込んでいた少年と少女の表情は明るくなり、他の3人の顔も驚いた後綻ぶ。

 重戦士は大きく笑って旅人の背中を叩くと席に座らせる。

 

「変わった奴だな、貰える物は貰っておけばいいのによ。まあ、お前がそう言うなら良いけどよ。

だが、もう一つの礼は受け取って貰うぞ」

 

 重戦士はそう言って中身の注がれたジョッキを旅人へと渡す。

 これは断れないと悟った旅人はジョッキを受け取り静かに笑う。

 

「好意で人を助けるように思えない程の、人相の悪い男と飲み食いしたら酒の味も悪くなるんじゃないのか?」

 

 その言葉に女騎士はバツが悪そうな顔をする。

 

「くっ、暗がりで顔がよく見えなかったんだから仕方があるまい!

悪いと思っているし何度も謝っているではないか!」

 

 本当はもう別段気にはしていなかったが、狼狽える女騎士の顔を見て旅人の口角が上がる。

 ふと、少年達の方に目をやると彼らも笑っていた。

 テーブルに着いた者たちがジョッキを合わせて乾杯をする。

 誰かと、飲食の席を共にするのは良いものだと思い、ジョッキの中身を口に流し込んだ。

 そしてしばらくの間、彼ら一党と楽しい時間を過ごすと、旅人は意識を手放した。

 

 

 

 

「……うっ……寝てたのか」

 

 テーブルに突っ伏して眠っていた男は痛む頭をさすって体を起こすと意識を覚醒させる。

 周りを見ると重戦士と女騎士が、少年と少女が寄り添うように眠っていた。

 唯一、半森人の軽戦士が起きていて嗜むようにグラスの中身を飲んでいる。

 

「ああ、目が覚められましたか」

 

 旅人は軽戦士に水の入ったグラスを渡されたのでそれを飲み干した。

 

「ああ……すまない、飲みすぎて眠ってしまったようだ」

 

「酒豪の彼等に着いていけてた方だと思いますよ?この子達にも懐かれたみたいですね」

 

「少しの間だが、一緒に旅をしたからな……一つ聞いても良いか?」

 

 旅人はふと気になっていた。この世界の人間には幾つかの種族がある。

 だが目の前の男は只人と森人のどちらの特徴も得ている、だが悪く言えば中途半端とも言える。

 

「私の生まれの事ですか?最初にあった時、物珍しそうに見ていたから何となく分かりますよ」

 

「……気を悪くしたなら申し訳ない。田舎の出身で俗世に疎くて気になってしまった。

気が済まないなら煮るなり焼くなり好きにしてくれ」

 

「いえいえ、そんな大袈裟な。

貴方の考えている通り、両親がそれぞれ只人と森人です。

場所によっては存在を忌み嫌われる。

ですが幸いにも私はそんな事はありませんでしたが、気をつけた方が良いですよ」

 

 何も気にしていないかのようにそのまま酒を飲み続ける軽戦士をよそに、旅人はそうかとだけ零して立ち上がる。

 

「いやありがとう。

俺は失礼させてもらうが、後は任せても大丈夫か?」

 

「ええ、もう慣れっこですからね。私達ももう少ししたらみんなを起こして行きますから気にしないで下さい」

 

「楽しかった。今度は自分も出すからまた飲もうと伝えておいてくれ。じゃあな」

 

 そう言って旅人はギルドの二階にある自室へと足を運ぶ。

 部屋に入るなり、ベッドに身を投げ出して仰向けになる。

 半森人、種族を超えた愛の形がこの世には存在した。

 もし、考えても仕方がない、意味は無い事だが、自分にも。

 そんな事が頭をよぎるうちに再び旅人は意識を失い、夢の中へと旅立った。



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Level7〜能力、経験点、人格〜

 

 

 

「おめでとうございます。貴方は今日から翠玉等級の冒険者です」

 

 この世界に来てから一月程の時が流れ、たった今旅人の等級は翠玉になる。

 数度の面談を経たからか、受付嬢の態度は凛としたものではあるが最初の昇級審査の時と比べ幾らか軟化もして、当初は苦手意識もあった旅人だが今となってはそれも無くなった。

 

「昇格してもらっておいてなんですが、幾ら何でも早すぎではないですか?

それに鋼鉄に上がる時くらいには協調性を見るために他の冒険者と共に依頼を受ける試練の様なものも有ると聞きましたが俺はやってませんよ?」

 

「そりゃお前、黒曜の時にウチのガキ共助けて無事に探索してたろ?それに一番最初の時も単独じゃ無かったって言ってじゃねぇか」

 

 立会人の重戦士が今更何を言っていると言わんばかりに呆れた表情を浮かべ、それを肯定するように監督官も頷いた。

 

「ギルド長も同じ事言ってたよ。人格面も協調性も問題ないだろうって太鼓判押してたよ……運の悪さは心配していたけどね」

 

 監督官は苦笑を浮かべて乾いた笑みを浮かべた。

 先の重戦士の一党の少年少女を助ける前に行った、マンティコア退治に訪れた神殿の廃墟を探索した際にやたらと遭遇した罠の数々。

 後に本職の鉱人の斥候が調べるとどうやら相当昔の物で尚且つ、特定の重さと動きに反応する特殊な物だったと判明した。加えて余程のことがなければほぼ動くこともないだろうという見解だ。

 つまり旅人は不運にも偶然多数の罠に反応する動きを取っていたのだろう。それも個人で。

 そもそも最初の冒険にしても、白磁の冒険者がいきなり魔神将の側近に遭遇するなんてとんでもない不運である。

 

「それは……気の付けようが無いな。

さて、ありがとうございました。もうこれで良いですね?

なにせ腹が減ってるので失礼したいのですが」

 

 旅人は立ち上がると戯けた様子で訪ねる。

 それに対して受付嬢はクスリと笑って答えた。

 

「どうぞ、お疲れ様でした」

 

 旅人はその言葉を聞いて一礼して、部屋を出て一階の酒場のスペースに赴く。

 昼時という事もあり冒険者達の笑い声、忙しさに踊るように右往左往する数人の女給と料理人との注文の掛け合いが混ざり合い随分と賑やかだと感じる。

 旅人は席に座って手を挙げると、長い髪を一つに纏めた頭に獣の耳を生やした手に肉球を持つ女性。獣人(パットフット)なる種族の彼女は注文票を片手にパタパタと小走りで近づいて来る。

 

「はぁいご注文は?」

 

「水とサラダとパン、あとスープを頼む。一番安いもので構わない」

 

 女給はサラサラと注文票にオーダーを書きこむが、その表情は不満を隠しきれていない。

 

「毎度毎度、売り上げに貢献しなくて申し訳ないな」

 

「そう思うなら偶にはお値段の張るお料理はいかが?

一人の時はいつもこのメニューばっかり。

多くの依頼をこなしてるって噂に聞いてるから余裕はあるんじゃないです?」

 

「……料理長の腕が良いのか、運んでくれる人の華があるのか、ここの料理は美味しいからね。安いもので良いかとついつい思ってしまうよ」

 

「ふーん、一人で食べてる時はつまらなそうにモソモソ食べてるように見えますけれど……まあ、次はお願いしますよ!」

 

 そう言い残してまた女給はまた小走りで去って行った。

 人をよく見ている、などと思いながら旅人はただ料理が運ばれて来るのを待つ。

 旅人は人々の喧騒に耳を傾ける。

 そしてそれを楽しみながら午後からは何をしようか、朝に見た依頼はまだ残っているのか、無ければどうせ余っているゴブリン退治でもしようかなどと考えていて暫く経つと、注文した料理が運ばれて来た。

 

「お待ちどうさまっと、さっ召し上がれ!」

 

 そう言って料理を置いた女給は手をヒラヒラと振ると場を離れた。

 旅人は簡単な物だから早いのかと思いながら、運ばれた料理を口に運んだ。

 よほど腹が減っていたのか、元々食べる速度が速いのか、ものの数分で皿の上は空になり最後に水を飲んで喉に爽快感を求める。

 

「翠玉等級の冒険者様が随分と粗末な物を食ってんだなぁ!」

 

 旅人は聞き覚えのない声に振り返ると、そこには面識どころか見た記憶も無い、乱れた長い長髪で旅人よりも一回り以上の体躯の髭面の男が腕を組み、見下したような目つきで立っていた。

 ふと首元に目をやると、鋼鉄等級の冒険者である事が伺える。

 

「人が何を食おうか勝手じゃないのか?

宗教に明るくはないが、肉や酒なんて以ての外という戒律でそれらを好んで食べない人もいるだろう?」

 

 特に気にも止めない態度で旅人はそう返した。

 出る杭は打たれる。

 自分の昇級のスピードは異例なものだと監督官と受付嬢に審査の度に言われている。

 そして同時にそれを好ましく思わない冒険者もいるという事も。

 例えば、腕には自信があり経験点が足りていても、人格的に問題のある人間はいつまで経っても等級が低いという。恐らくこの男もそう言った類の輩なのだろう。それでも鋼鉄等級になっている辺りはそれなりの腕は持ち合わせているようだ。

 

「まあそうだ、お前の言う通りだ。

だが、こんな物ばかり食っててどうやってそんなに多くの怪物を殺せるのかが気になるぜ。是非、手解きをしてもらいたいものだなぁ」

 

 そう言って男は自身の髭を撫でる。

 まるで自分は運がないだけだ、こんな奴よりも実力はある。腕っ節だけなら絶対にあり勝てると言わんばかりに。

 

「……ここの料理を貶す言い方は止めろ。それでお前は何がしたいんだ?」

 

 静かに言い放つ旅人の言葉に男はニヤリと笑い、腕を組んだまま顎で外の方を指す。

 

「だから言っただろ、手解きをしてくれってなぁ。

俺も今日は仲間が体調を崩してて暇なんだ。お前も単独らしいから時間はあるだろう?」

 

 旅人は良いだろう、と言い立ち上がる。

 

「ちょっと、冒険者同士の私闘は禁止だよ!」

 

 偶然昼食を取りに来たのか、不穏な雰囲気を察知したのか、監督官が近付いて来て二人に注意をする。

 

「私闘?ただ翠玉等級様に手解きをしてもらうだけだ、訓練の一環なんだそれなら問題ないだろ姉ちゃん?」

 

「……本当なの?」

 

「ああ、そのつもりだよ」

 

 大柄の男は正確に問題はあれど多くの依頼をこなして来た相当な手練れである。いくら旅人が早々と昇格をしていると言えども、無事では済まないだろうと監督官に不安が過ぎる。

 それでも当の本人達からそう言われては監督官も何も言えずに下がるしかない。

 

 

 

 ギルドの裏手に大きな広場がある。

 そこで二人の男は距離を空けて対峙し、周りには幾人もの観客が出来ている。

 当人達はあくまで戦いでは無いと言っているのに、観客達はどちらが勝つかと賭け事を始める始末である。

 

「俺は自慢の得物を使わせてもらうが、卑怯とは言わないよな。翠玉等級様よ?」

 

 大柄の男は身の丈にあった大きな戦斧を軽々と振り回す。

 旅人は安い威嚇だなと内心鼻で笑うと男の提案に頷き、自身はふくろから持ち手に布の巻かれた細身の木の棒を取り出して構える。

 

「おい、なんだそれは?」

 

「手解きを受けたいんだろう。ならば剣は必要無い」

 

「……っ!吠え面かいても知らねぇからなぁ!!」

 

 旅人の返答が合図となり、大柄の男は駆け出して距離を詰めると力任せに戦斧を振り下ろす。

 殺しはしないが怪我は負わせると言わんばかりの一撃を旅人身体を半身にして躱す。

 斧は当然力に逆らえずに地面へと突き刺さり、透かさず男は斧の柄を足で押さえると棒の先端を大柄の男の首筋に当てた。

 

「悪くない攻撃だが、当たらなければ反撃を食らって死ぬぞ」

 

 その速さと流水のような精練された動きに大柄の男は声を掛けられて漸く自身致命的な一撃を食らった事に気が付き、手玉に取られた事による羞恥で顔を赤くし狼狽える。

 また、観衆たちはその行動に一喜一憂し歓声を挙げている。さっさと終わらせろ、まだやれるだろうと、彼等は気楽なものだ。

 

「いっ、今のは挨拶代わりに軽く放っただけだ!」

 

 一撃必殺、自分はこれまでこうやって怪物を屠ってきたと言わんばかりに、斧を力一杯真横に振るう。旅人の持つ棒ごと粉砕してやると。

 だがそんな一撃も旅人は苦もなく上に跳躍して躱してそのまま男の背中に蹴りを入れる。

 自身が得物を振るった勢いに体勢を崩された事で無様にも地面に倒れこむ。

 攻防を眺める観衆は先ほどよりも更に盛り上がりを見せる。

 

「攻撃を変えない事を見るに、仲間に恵まれているようだな。

察するにお前が攻撃をして魔物を仕留めればよし、躱されても仲間が迎撃をすると言ったところか。

だが、意固地になって当たりもしない攻撃を繰り返すのは愚かな事だ」

 

 大柄の男は辺境の街の冒険者の中で決して弱い方ではないだろう。

 しかし、旅人は大柄の男よりも何十倍何百倍も強い人を知っている。

 かつて旅を共にした王宮の兵士もある国の王女も、近接戦闘においては自分よりも遥かに強い。

 そして彼等よりも速く、堅く、強い大きな魔物を何匹も屠った旅人にとっては、辺境の腕自慢など相手にはならない。

 

「黙れ……黙れぇ!!」

 

 実力差に絶望したのか、それとも分かってすらいないのか、大柄の男は破れかぶれに戦斧を振り回す。

 恥をかかされた、もはや手合わせだとか、訓練だとか関係なしに、旅人を殺す気で。

 観衆達はそれを見てやり過ぎだと騒ぐ者、止めようとする者、もっとやれと煽る者、三者三様の反応をしていたが次期にそれも皆唖然とした表情に変わる。

 旅人は危なげも無く、戦斧を避け続けているからだ。結果、ほんの少しの痛痒も与えられず只々、時間と大柄の男の体力だけが消費される。

 しかし、この場に一人だけ勘違いをしている者がいた。戦斧を振り回し続けている当の本人だ。

 

「ぜぇ、ぜぇ、やはり、この、動きには、手も足も、出ねぇ、だろう!!」

 

 どうやら後者だ。

 一切反撃されない事を良いことに大柄の男は自分に都合の良い思考に陥っていた。

 そして自身の一番の自慢、腕力を見せつけるために戦斧を大きく振りかぶり旅人へと振り下ろす。その攻撃は間違いなく大柄の男が繰り出せる最大の力と速さを持っていた。

 鈍い乾いたような音が辺りに響き渡る。

 観衆の中には思わず目を覆った者もいるだろう。

 しかし、忽ち全員が驚愕の表情を浮かべることになる。

 たった一人の男を除いて。

 

「うっ……嘘だろ……」

 

 目の前の光景が自分の思い描いたものと違い、大柄の男の口から抜け出すように言葉が出た。

 

「やはり、攻撃自体は悪くない。戦い方は問題外だがな」

 

 そう返す旅人の身体に戦斧の刃が当たる時は永久にやってこなかった。

 旅人は迫り来る戦斧に対して、瞬時に片手で手に持った棒を振るい、戦斧の柄に当てて受け止めていた。

 その放たれた矢のような速い動きを観衆の何人が捉えられただろうか。

 大半の人間には旅人がいつ動いたのかすら分からなかった。そして、先程まで賑わっていたはずの彼等は静まり返り、畏怖の目を向けるまでそう時間はかからなかった。

 一方、一番の間近で事に当たっていた大柄の男はそれでも戦斧に力を込め続けていた。動け、動け、せめてその棒だけはヘシ折ると。

 大柄の男がもう一度、今の攻撃を繰り出そうと力を緩めた一瞬を旅人は見逃さない。透かさず空いている手で戦斧を奪い、刃先を大柄の男の顔の前で止める。

 

「戦い方を変える気が無いなら、本当に仲間を大切にして連携を高めるんだな。

変える気があるのなら、小回りの利く物も携帯すると良いだろう」

 

 それだけ言って旅人は戦斧を地面に突き刺して踵を返して去って行く。旅人は最初から最後まで稽古のつもりでいたのだ。

 大柄の男は力が抜けたのか、糸が切れた人形のように地面に座り込んだ。そして漸く勝てないと悟った。

 観衆達もそれぞれに声を出し始める。旅人を賞賛する声から恐れて暴言に近い事を言う声も上がる。しかし彼等も俗な人間、やがて賭け事をしていた事を思い出してその結果に一喜一憂する。

 

「なあ、お前はアイツの動き見えてたか?」

 

 観衆の内の一人、辺境最高と評される一党を纏める銀等級の重戦士は、隣にいた辺境最強の冒険者と謳われる槍使いへと話しかける。

 聞けば旅人の昇級審査の立会人をこの二人でほぼ交互に行っているらしい、妙な縁もあるものだ。

 

「ああ?ったりめーだろ。俺を誰だと思ってんだ!」

 

 逆にお前は見えなかったのか、と槍使いは重戦士に返すがそこは銀等級の手練れ、当然彼も目で終えている。

 

「じゃあよ、お前……同じ事は出来るか?」

 

「……知るか」

 

 槍使いは渋々、絞り出すようにそう言葉を発してどこかへと去って行く。

 そんな彼の後ろ姿を見ながら重戦士は考える。

 自分に旅人と同じ事が出来たのかと。

 仮に、旅人が持っていた棒が見た目と裏腹に途轍もない硬さであれば、自分も高速で旋回する戦斧を受け止めて相手の無力化は出来るだろう。

 だがもしもあの棒が訓練用の木剣と変わらない硬さだとしたら……。

 

「知るか、か」

 

 彼も恐らくは自分と同じ考えだろうと、頭を掻きながら重戦士もこの場を後にした。



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Level8〜触れてはならない領域〜

 

 

 夕暮れ時、空に星々の光が浮かぶ頃に旅人はギルドへと帰ってきた。

 大柄の男に手解きをした後、掲示板を確認するとやはり時間が遅い事もあり手頃な依頼は残っておらず、人への危険度などを考えて結局ゴブリン退治を行なった次第である。

 

「はい、これで報告も終わりだね。お疲れ様」

 

 旅人に本心が半分、呆れが半分の労いの言葉をかけて監督官は筆を置いて報酬をカウンターの上に置いた。

 

「ありがとう。まあ俺が出来る事はこんな事しか出来ない。

調査とかには向かないのは重々承知しているから、残る選択肢が魔物退治だと言うだけさ」

 

 旅人が報酬を手に取ると、酒場のスペースの方から何やら大きな声が耳に入る。

 

「まさかこんな上等な魔剣が手に入るとは、僻地にも来るものだのう!

こんな寂れた片田舎の工房にはもったいない、私にこそ相応しい!」

 

 立派とも悪趣味ともとれる口ひげを蓄えた高価な鎧を着込んだ男が先日旅人が売り払った破邪の剣を掲げてジョッキを片手に声を高々に上げていた。

 工房の親方に売ってからしばらく商品としては出ていなかったが、手に取って観察する事が十分出来たのか、いつのまにか相当な高値で店に出ていたような記憶がある。

 

「あれ、君が売った魔剣だよね?

あの人、都の方から依頼で来た銅等級の冒険者なんだってさ。

この辺りの地図を寄越せって言ったり、俺は銅等級だぞって威張ってもう態度がすっごく横柄で大変のなんのって、あの剣を手に入れてからは随分とご満悦みたいだけどさ」

 

「それはおかしいんじゃないか。

そっちは冒険者との立場は対等と自分では言っているが、端的に言えば雇い主と雇われ人で君達が上だと認識しているが……しかも、腕に自身があっても人格に問題があれば昇級出来ないんだろ?」

 

「君の考えを私は否定も肯定もしないよ。

でもそうは思ってない人も居るのが事実なんだ。

加えて悪い事にあの人の実家がとんでもない名家みたいでさ、都の方のギルドに多大な寄付をしてるらしくて一線は越えないけど態度は最悪ってこと……残念な事に都の方だと、身元が立派な人はお金の力で多少態度が悪いくらいなら昇級もされるケースがあるの。

当の本人はその名家の末席で言っちゃ悪いけど出来は良くないみたいだけどね」

 

 奴よりも上の等級の冒険者がこの場に居れば幾らか大人しくするんだろう、まあ運が悪かったなと言って旅人は踵を返し、報酬の入った皮袋を手の上で跳ねさせながら去ろうとすると、件の銅等級がまた騒いでるのが耳に入る。

 

「この一月で随分と早く昇級している冒険者がいるから依頼のついでに調べろと言われたが、当人にも会えず不正も無さそうで拍子抜けだのう!」

 

「はっはっはっ、不正が無いと言うのは早計ではないかや?

聞けばその冒険者は最初の冒険で妖術師、後には巨人を単独で退治しているそうじゃないのさ。実に怪しくないかえ?」

 

 年寄りのような口調の魔術師風の妙齢の女が銅等級の男に疑問を呈する。

 首元に銅の認識票を覗かせる事から彼女も銅等級だと思われる。

 と言うと、と零した男に対して魔術師風の女は続ける。

 

「例えば、手懐けた怪物をそれっぽく見せて同行者に勘違いさせると言って手もあるじゃろな。

差し詰め冒険者じゃなくて魔物使い(モンスターテイマー)ってところさね」

 

 酒の勢いとは恐ろしい物である。可能性の低いあり得ない適当な考えが次々と出てくるからだ。

 魔術師風の女の考えは事実無根であり、監督官の看破の奇跡が旅人の功績を証明している。

 旅人は再びカウンターの監督官の方へと向き直り彼女に問う。

 

「もし、アレが俺の事を言っていてその言葉に俺が怒り、痛めつけたら問題になるか?」

 

「昼間も言ったけど、冒険者同士の私闘は禁止、処罰は厳重注意から降格までありえるから……私は君が悪くないって分かっていてもね。

……冒険者資格の剥奪は無いけど、相手は酔って態度の他に気も大きくなってるからね、争いになるのが分かってるなら君が冷静なうちに引いて欲しい」

 

 ギルドの人間が冒険者に肩入れする事は原則あってはならない。

 だがギルドの者も冒険者も人間、感情があるのだ、監督官のこの言葉は旅人を気遣っての事であり、彼もそれを感じ取ったので大人しく自分の部屋へと戻ろうとする。

 

「フハハハ!お前の考えが本当ならば、その冒険者はとんでもないヤツだな。

さらには私と違って育ちも悪いに決まっている。魔物使いを生み出した町だか村だか知らんが住んでいるヤツらもロクデナシと決まっている!」

 

 旅人は足を止めて体を銅等級の冒険者の方へと向けた。そして死んだような虚ろな目でそちらの方を見ている。

 だが表情とは逆に手から血が垂れるほど拳を握りしめていた。

 

「旅人くん!私が注意してくるから!」

 

 旅人の異変を感じ取り、監督官は慌ててカウンターを飛び出して旅人の前に立って必死に宥める。

 その行為は誰のためか、下らない事で功績に傷をつけて厄介な者に目をつけられないようにと旅人のためか、功績からその実力を知っているから銅等級の一党が最悪の事態にならないためか、それとも面倒な自分の仕事を増やさないためか。

 旅人の耳に監督官の言葉は一つも入らなかった。だが彼女の行動に少なからず善意を感じた旅人は静かに監督官に微笑むと首を振って彼女を制して銅等級の冒険者の元へと向かった。

 

「ん、なんじゃお主……緑色の髪に変な髪飾りと耳飾り、魔物使いかえ!?」

 

「ううん?おおうお前がそうか。いい気になっているのは今のうちだ、私達が滞在している間にこの魔剣でお前の化けの皮を剥いでやるからな!」

 

 魔術師風の女はやや狼狽えるが、酔いが完全に回っている銅等級の冒険者は旅人へと座ったまま体を向けて、よほど気に入っていたのかずっと手に持っていた破邪の剣を向ける。

 その際、破邪の剣は僅かに旅人の肌に触れて僅かに傷をつける。それに対しても銅等級の男からの謝罪は無い。

 

「面白い事を言っていたな。誰がなんだって?」

 

「ああ?お前が魔物使……!」

 

 もういい、コイツは言ってはいけない事を言った。人の心の触れてはならない部分を踏み荒らした。

 やけに透き通る頭で旅人はそんな事を考えながら、気が付いたら銅等級の男が言い終えるよりも早く、奴の頭を右手で押さえてテーブルに叩きつけていた。

 ギルド内に大きな音が鳴り響く。衝撃でテーブルから木の食器は床へと落ちて乾いた音が遅れて響く。

 陶器類の食器に被害が出なかったのは幸いか、手加減は出来ていると旅人は冷めた頭で考える。

 続けて銅等級の男が落とした破邪の剣を足で踏みつけて誰も取れないようにすると、腕に力を込めて男を持ち上げる。鎧を着込んだ男を片手でだ。

 多くの人間が旅人の行動を目撃していたが、止めに入るものはいない。

 旅人の気迫に誰もが動くことが出来ないでいる。

 

「があっ……はっ……離せっ……!」

 

 呻き声を混じえて苦しそうに銅等級の男が旅人の腕を掴むがビクともしない。

 苦しいのは当然の事だろう、頭に旅人の手の大きさ程の面積にとても強い圧力がかけられているのだから。

 もし、旅人がもう少し強く力を込めたら男の頭蓋骨は砕けるだろう。

 

「もう一度、言ってみろ。誰がなんだ?」

 

 声に抑揚がなく、只々旅人は無機質な言葉を紡ぐ。

 我に返った魔術師風の女は杖を手に取って旅人に向け、何やら真に力のある言葉を紡ぎ始める。

 誰もが動けない中、相棒の危機と目の前の脅威に動き始めたのはさすがは銅等級と言ったところだが、冷徹に旅人は銅等級の男の体を杖の先に向けて盾にする。

 

「一撃、それで俺を仕留められなかったら、お前もコイツも死ぬ」

 

 変わらず淡々と旅人は言い放ち、その言葉に魔術師風の女は詠唱を止めざるを得なかった。

 本来、等級だけで見れば旅人は幾分下に値する。だが不意打ちとはいえ簡単に銅等級を無力化した上に、何より旅人は他人に有無を言わせないという威圧感を醸し出していた。

 辺りは静まり返り男の呻き声くらいしか聴こえず、魔術師風の女も杖を下ろしたところで再び旅人は口を開いた。

 

「もう一度、言ってみろ。誰がなんだ?」

 

 同じ事を言った瞬間殺す。

 そう言わんばかりに静かに怒りを込めて旅人は繰り返す。

 されど銅等級の男も、呻き声と離せと言うのを繰り返すのみだった。

 

「もう一度、言ってみろ。誰がなんだ?

……一つ試すとしようか。

お前の四肢を折って魔物の巣に投げ込み魔物が近付いて来たところで俺は言ってやるよ。

この人間には手を出すなってな。

それで生き延びたら、俺はお前の言う通りなんだろうよ」

 

 言葉を返す気が無いなら実際に試してやると、旅人が空の左腕を振り被ったところで二つの影が躍り出る。

 

「馬鹿野郎!お前、何してんだよ。コイツ死んじまうぞ!」

 

 1人は、旅人が最初に冒険に出た時に共に妖術師と相対した青年戦士の男だ。

 青年戦士は持てる力を全て込めて、旅人が振りかぶった腕に組み付いてその動きを食い止める。

 この世界で旅人の力を始めて目撃して、その力量を知り、結末が読めているあたり、何処ぞの傲慢な冒険者とは等級が下でも思慮深さは格が違う。

 

「もう俺に手解きする気は無えってかよ。ええ、翠玉等級様よ?」

 

 もう1人は、昼間に訓練と言う名目で気に入らない旅人を痛めつけようとした大柄の男だ。

 大柄の男は必死に銅等級の男を助けようと旅人の腕を掴む。

 昼間、手も足も出ないほどに打ちのめされて己の過信を正され、粗暴な暴れ者も思うところがあったのだろうか。

 後に彼を知る者は以前の彼は決してそんな行動はしなかっただろうと語る。

 

「……『べホイミ』」

 

 旅人は舌打ち混じりに呪文を唱えると、手を伝って緑色の光が銅等級の男を包み込む。やがて光が収束すると旅人は手を離した。

 

「……ありがとう、手間をかけさせた」

 

 情けなく尻餅をついて無様に気絶している、頭を叩きつけられたにも関わらず、不思議と無傷の銅等級の男と呆けている魔術師風の女に一瞥くれる事もなく、旅人は助けに入った2人に感謝を述べるとカウンターの方へと歩き出す。

 そして普段とは似ても似つかない雰囲気の旅人に恐慌している監督官の元に着くと頭を下げた。

 

「本当にすまない、せっかく気を使ってくれたのに怒りに任せて暴れてしまった。

ギルド長にも申し訳がないよ……処分は甘んじて受けるし償いもする。

だが今日は戻らない……明日、また来る」

 

 そう言い残して旅人はギルドから去っていく。

 その背中はどこか寂しく、何かに縋りたいと思っているような弱さを監督官は感じたが、声をかけることはついに出来なかった。

 旅人が居なくなってからしばらくの間、この出来事に衝撃を受けて誰も動くことは出来なかった。

 最初に動き出したのは旅人から解放された銅等級の男だ。自身の頭を手で何度も触れて自分の無事を確かめて傷一つ付いていない事を知った。

 そして短絡的に一つの結論に至った。

 

「ふっ……巫山戯た下郎が!この私を愚弄しおって……誰か彼奴をここに連れてこい、魔剣の錆にしてくれる!」

 

 酒に酔い、悪い夢を見たに過ぎない。無理やり立ち上がらせて言い合いになり自分が足を滑らせて大きく転んだだけだ。

 

「おい」

 

「やめとけ、行こうぜ」

 

 大柄の男はその結論を否定しようとするが、青年戦士は相手にするだけ無駄だと止めた。

 よくもそんな都合の良い解釈ができるものかと呆れ果て、こんな人間が銅等級である事に不満を覚えつつ二人はその場を離れた。

 

「ちっ逃げ去りおって!おい!さっさと片付けて酒を持ってこい!」

 

「災難でしたね。ですが、貴方にも問題はあったと思いますよ?」

 

 床に散らばってしまった料理や食器を片付ける数人の女給に対しても横柄に当たり散らす銅等級の男を見かねて受付嬢は彼の前に立つ。

 

「我らに非などあるはずがなかろう!

皆見ておったはずじゃ!彼奴が我らに声をかけて突如暴れ回った事を!」

 

 魔術師風の女がまるで的外れだと受付嬢を非難するが、彼女は凛とした態度を崩さずに反論する。

 

「確かに彼は過ぎた事をしました、勿論然るべき処置はします。

ですが私が見ていたところ、貴方が先に剣を振るって彼に傷を付けていたように見えましたが。

その事を謝罪しなかったあたり、意図的あるいは少なからず悪意を持って行ったと思えますね」

 

「悪しき魔物使いの彼奴に傷を付けて何が悪いのだ!

不正を用いて成り上がっている者を暴いて貴様らの利にもなろう!」

 

「その事実はありません、全て貴方の妄言です。

確かに彼は短期間で等級を上げていますが、それは相応のいえ、それ以上の功績があるからです。

優秀な監督官が看破の奇跡を用いて審査を行っているので不正なんてありえませんよ」

 

「ぐぬっ……受付嬢が良い気になりおって!」

 

 正論を吐かれ、自身の根拠のない確信を持った考えを全否定されて頭に来た銅等級の男は立ち上がり受付嬢に平手を打とうと手を振りかぶる。

 

「良い気になってんのはお前だ……誰に手を出してやがる!」

 

 銅等級の男の手が受付嬢に当たる事は永久に無い。

 槍使いの男が間に入り、銅等級の男の手を掴んで締め上げる。

 

「受付さん、ここは俺に任せてください。

オラオラ、ここじゃ大声は出しても良いが手荒な真似はすんじゃねえ。大人しく飲んでろ」

 

 彼自身のやっている事はやや手荒でもあるが、痛みに堪える銅等級を見て溜飲が下がるのではあえてその事には何も言わず、受付嬢は槍使いに礼を述べて笑みを向けて職場へと戻る。

 そこでは浮かない顔で机に着く同僚の姿があった。

 

「どうしたんです?」

 

「んー……なんでもないよ……」

 

 上の空で生返事を返す同僚に、普段はよく自分をからかって遊んでいるのにとどこかやりにくい感情を覚えた受付嬢は苦笑を浮かべる。

 

「随分と、彼に肩入れしてるみたいですね」

 

「それ、君が言う?」

 

「はてさて、なんの事でしょうか?」

 

 力なく返す監督官に受付嬢は惚けて答えた。

 まるで可愛らしい子犬が威嚇して甘噛みをするような感覚に受付嬢の顔が思わず綻ぶ。

 

「彼、怒ってるみたいでも、なんていうか、凄く悲しい顔してたからさ。変な事はしないと思うけど……」

 

「まだそんなに遠くへは行ってないと思いますよ。そんなに心配なら、行ってきたらどうですか?」

 

 監督官は受付嬢の方を見て驚いたような顔をすると、何か考え始めるがすぐに結論が出たのか顔を叩いて立ち上がる。

 

「ごめん、ちょっと行ってくる」

 

 小走りで駆け出す同僚を見て受付嬢は穏やかに微笑むと、書類に目を通して筆を走らせる。

 

 

 

 

 

 一人、いつの間にか日が完全に落ちた人通りもまばらな夜道を旅人は歩く。騒ぎを起こしてからどれほど時間が経ったのかもわからない。

 今は亡き人達への思いを馳せ、どこか足元の感覚が覚束ない。

 そしてその思いの次に頭を過るのは、彼女達に悪い事をしたという罪悪感だった。

 夜風をやけに冷たく感じていると、旅人の耳にまさに今案じていた聴き覚えのある声が背後から入る。

 

「ちょっと……待って……待ってって……旅人……くん!」

 

 振り返ると、息を切らして走って近付く監督官の姿があった。髪が大きく乱れたところを見ると全力で疾走したことが伺える。

 

「……どうしたんだ、俺の冒険者資格の剥奪でも決まったのか?」

 

「ちが……そんな……ゼェ……んじゃ……ない……ゼェ……」

 

 旅人の元へとたどり着いて、監督官は膝に手を乗せて息を整える。

 

「……『ベホマ』」

 

 彼女の必死な様を見かねたのか、苦しんでいるところを見たくないのか、どちらにせよ自分の事で走ってきたのだからと回復の呪文を監督官へとかける。

 緑色の光に包まれた監督官は息切れが治り、疲労どころか事務仕事で座り続けた事で得た腰痛までも全てが消え去り困惑する。

 

「それで、どうしたんだ?」

 

「あっ、その……ごめんね……私がもっと早くあの人に注意してれば良かった」

 

「……謝るのは俺の方だ、君の気遣いを踏みにじる真似をしてすまない。君が謝る事は何一つ無い。

あの二人にも手を掛けさせてしまった。止められなければもっと痛めつけていただろう」

 

 穏やかな笑みを監督官に向けるが、瞳は依然深淵のような虚ろなものだった。

 監督官は固唾を飲んで旅人へと聞いた。

 

「ねえ、君が怒ったのって……魔物使いって言われたからじゃないよね?

その……故郷を馬鹿にされたから?」

 

「ああ、確かにその言葉も腹が立つが……別にどう思われたって構わないさ。

……宗教に詳しくないが、君も何かの神を信仰しているだろう。

それが全て否定され、信仰を踏み躙られ、触れてはならない領域を侵されたらどうだ?

俺にとってそれが神じゃないが、世界で一番優しくて強い人たちが言われもない、心無い言葉をかけられるのは許せなかった」

 

 先程の事か、また別の事を思い出したのか旅人の顔が苦虫を噛み潰したような険しいものになり、また握られた拳からは血が滲んでいた。

 

「……それは、私も、許せないかな。

ねえ、旅人くん……大丈夫?」

 

 自分が信じたものの全てが否定される。

 自分が同じ事をされた考えると監督官は旅人の怒りに同意できる。

 たが、それよりも随分と儚げな旅人に思わず監督官は彼の顔に手を当てた。

 それで幾分憑き物でも取れたのか、旅人の怒りも少し和らぎ、虚ろな目に少し光りが灯る。

 

「ああ、大丈夫だ、ありがとう。

……心配しないでくれ、滅多な事はするつもりはないよ。明日、顔を出すと君と約束したからな。

もう夜中、中には入らないがギルドまで送ろう。その格好、仕事放って来てくれたんだろう?」

 

「あ、うん……ありがとう」

 

 お互いの謝罪から始まった会話も感謝の言葉を掛け合うようになり、旅人の言葉に監督官は顔を綻ばせて二人は来た道を引き返した。

 この世界に来て、旅人にとって彼女との会話は間違いなく心に平穏をもたらす一つだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どことも分からない、街道から大きく外れた草原、そこで多くの怪物の死体を背に旅人は剣を握るゴブリンと対峙していた。

 

「俺に、近付くな」

 

 旅人はそう言うが、言葉など通じない。

 見えもしないのに馬鹿な人間だと、ゴブリンは下劣な笑みを浮かべて旅人に接近して剣を振りかぶる。

 それが振り下ろされる瞬間、ゴブリンの首は胴体から切り離される。

 

「次だ」

 

 旅人は剣に付着したゴブリンの血を振り落とすと、口笛を吹きながら歩を進める。

 かつての旅で仲間の大商人から教わった技術。彼ほど上手く魔物を呼び寄せる事は出来なかったがそれなりに様にはなっていた。

 彼曰く音を出すことが大切という助言を元に口笛を続ける。

 今度は名前も知らない、大型の獣の怪物が旅人の前に現れる。

 

「俺に、近付くな」

 

 当然言葉は通じることが無く、獣の怪物は旅人へと突進する。

 旅人は剣を下から力を込めて振り上げ、怪物の体は両断され少しの間手足や贓物が蠢いたがやがて動きを止めた。

 

「次だ」

 

 そう言って、旅人はまた歩きながら口笛を吹く。

 長い時間、それを繰り返して空が明るんだところで旅人は口笛を吹く事を止める。

 怪物の死体の山の中、今度はその死体が害にならないように炎の呪文で焼き始める。

 

「結局、1匹たりとも止まる事は無かったか……魔物使いか……そんなものの才能、俺にあるはず無いのにな。

そんなものがあれば、魔物を止める力があればみんなは……」

 

 死体をすべて焼き尽くし、炎が草へと燃え移りそうになるのを今度は氷の呪文で消して火事にならない事を確認すると旅人は約束のため街へと歩き出した。

 この日、ギルドを訪れた旅人は正式に青玉等級への降格を告げられる。

 一段で済んだのは監督官と受付嬢のギルド長への掛け合いが大きかったとのことである。だが、結局はすぐにまた昇格するだろうとギルドの役員は思っている。

 そしてもう一つ、冒険者の間で一つの暗黙の了解が生まれた。

 旅人の事を魔物使いと呼んではならない、と。



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Level9〜お節介としたい事〜

 

「はぁ……本当にツイてないなぁ」

 

 日が傾きかけた頃合いの街道にて、目に毒な豊満な胸を持つ赤毛の娘が岩に腰をかけ、四輪の内片側の前後輪が破損した荷車を見ながらボヤくように呟いた。

 なんて事のないありふれた一日、同居人の幼馴染の彼が冒険から帰るのを待ちつつ、叔父の営む牧場の手伝いで街のギルドへの配達の帰りの事だった。

 大きな石などをを轢いた訳ではなく経年劣化によるもので、叔父がそろそろ荷車を点検しないとと呟いていた事を思い出す。

 普段と違い無理をして荷車を曳いてきたせいか、手にはマメが膨れ上がり皮も剥けている。

 ヒリヒリと痛む手を合わせて痛みに堪えて下を向く。

 帰ってからもやる事はあるので、いつまでも休んではいられない。そんな事を考えて俯いていると娘の耳に足音が聞こえてきた。

 

「何か、困り事かい?」

 

 顔を上げると、長い緑色の髪に王冠のような変わった髪飾りを被り、簡素な平服を着た体格の良い男が興味を示すように立っていた。

 首元には紅玉の認識票をかけているのだが、娘に見覚えは無い。だがその認識票によって冒険者である事が伺える。

 目つきこそやや鋭いが穏やかな表情をしていたのでそこまで気にならず、中々の美丈夫である印象を娘は覚えた。

 

「えっと、荷車の車輪が壊れちゃって……何とか曳いて来たんだけど疲れちゃって」

 

 男はなるほどと呟くと、顎に指を当てて馬車と娘を見比べ、状況を把握したのか数回頷いて頭を掻いた。

 

「見たところ、車輪の予備はなさそうだね。家に替えがあるのならいっそ外してしまったらどうだい?

このままでは曳き辛いだろう?」

 

「牧場まで行けば有るけど、外すにしても人手が……」

 

「つまり、外しても問題はないんだね?」

 

 そう言って男は荷台の縁を掴むと、驚く事に片手で荷車を持ち上げてしまった。

 そしてそのまま空いた手で前輪を外すと、続けて後輪も外して荷車を下ろした。

 本来、木や石を車体の下に置いてこの作業を行うのだが、取り替えまで行うとしても二人掛かりで結構な時間を要する。

 それを取り外しだけとは言えあっという間にこの男は済ませてしまった。そもそも一人で簡単に荷車を持ち上げて傾けた腕力に娘は大変驚いた。

 

「すごい、冒険者さんってみんなこんなに力持ちなんですか……?」

 

「どうだろう、他の人は分からないけど、俺は幾らか腕力には自信があるから。

あとそれから……『ベホイミ』」

 

 男は娘へ向けて手を翳し、娘が聞きなれない言葉を口から発する。

 すると男の掌は淡い緑色に光を纏い、そしてその光は娘へと伝播し、娘の両手を覆った。

 娘はとっさに身構えだが光を受けたその瞬間、柔らかな温もりを感じて手がむず痒いような感覚を覚えると光は消える。

 

「自分の手を見てみなよ」

 

 そう言って男は両の手を娘へと向けた。

 恐る恐る娘は自分の手を目の前に持っていくと、掌のマメも皮が剥けた後も元から存在しなかったかのように消えていた。

 体を重くしていた肉体の疲労すらも。

 

「えっどうして……?」

 

「なんとか荷車を曳いてたって言っていたからね。手を痛めていたんじゃないかと思ってさ。

疲れたとも言っていたから体力も回復しただろ?

俺は聖職者じゃないけど、回復の魔法が使えるから」

 

 困惑する娘を尻目に、そう言いながら男は外した車輪を叩いて付着していた土を落として荷台に乗せ、そのまま曳き木の内側へと入り力を込めて傾いていた車体を水平にした。

 

「荷車は俺が家まで運ぼう。君も荷台に乗ってくれ」

 

「ええっ!悪いですよ!

それに……どうして私にそんなに良くしてくれるんです?」

 

「別に君に良くしてるつもりはない、困った時はお互い様だよ。車輪を取ってしまったのも俺だからね。

それに君じゃなくてもこんな道の真ん中で塞ぎ込んでいる人を見かけたら誰でも声をかけるさ。

まあ、若い娘さんが見知らぬ男に親切にされたら疑うのも無理はないか、悪い人間なんて腐る程いるからね。

でも、悪い事をするつもりなんて無い、と言うか必ずバレるし、ギルドには怖ーいお姉さんがいるからやれと言われても絶対にゴメンだね」

 

 戯けたように言いのける男を見て娘は思わず笑ってしまった。

 彼の言う通り、人を疑う事は大切だろう。

 しかし娘は直感する。目の男は信用しても大丈夫だろう。根拠はないが、少なくとも自分には無害どころか安心感すら感じられる。

 

「ふふっ、ありがとうございます。でも、自分で歩きます。なんだか、私が売られちゃうみたいですし」

 

「そうかい、では、行こうか。

ああ、見たところ歳も近そうだ、俺みたいな一介の冒険者には敬語はいらないよ」

 

「ありがとう、えっと……なんて呼べばいいのかな?」

 

「うーん、『魔物使い』とさえ呼ばなければ名前でもなんでもいいさ。

でも……個人的に気に入ってるのは『旅人』、かな」

 

「じゃあ、よろしくお願いします。旅人さん」

 

 男は穏やかな笑みを浮かべると荷車を曳き、娘はコクリと頷いて隣を歩く。

 道中、他愛も無い毒にも薬にもならない無味無臭な会話を繰り返す。それも当然の事だろう、お互い先ほど会ったばかりで共通の話題などあるはずもない、ただ無言の気まずい雰囲気を作らないためのものだが、旅人と名乗った青年はそれを十分に楽しみ、娘も声をかけてくれた彼は良い人なんだと改めて実感した。

 娘は涼しい顔で荷車を曳き続ける旅人を見てとても体力があるのだと驚く。

 伯父の厚意で同じ牧場に下宿している銀等級の冒険者の幼馴染と比べても。

 そんな事を考え、談笑しながら暫し歩いて目的地の牧場までたどり着いた。

 すると、放牧している牛を牧舎へと誘導しているの口ひげを蓄えた中年男性、牧場の主であり娘の伯父の姿を見かけた彼女は手を振って声をかける。

 

「伯父さん、遅くなってごめんなさい。荷車が壊れちゃって遅くなっちゃった」

 

 帰ってきた姪と、隣で荷車を曳く見覚えの無い男に気付いた牧場主は怪訝な表情を浮かべると、牛の誘導を中断して二人の元へと近づいて来る。

 

「ああ、お帰り。大変だったようだが無事で何よりだ。

……それで君はなんだね?」

 

 チラリと旅人の首元の認識票を見て叔父は訪ねる。

 

「ちょっと伯父さん!

この人、私が困ってたら助けてくれたんだよ」

 

 叔父の旅人に対する冷たい態度を娘は諌めるが、見ず知らずの人間を、それも無頼漢に毛が生えた存在である冒険者を疑う事は決して間違った事では無い。

 善人面で人に近付き、無理矢理手を貸してきたと思えば難癖をつけて報酬をせびり取る。

 叔父は長い人生の中でそんな人間の話を幾つも聞き実際に見てきた。そしてそれは冒険者の割合が高かったのだ。

 そして、姪の事をいい子に育ってくれたと大切に思っていて、そういった輩が近寄ると思っただけで耐えられないのだろう。

 

「道すがら、お節介を焼いただけですよ。ただの気まぐれです。

さて荷車の車輪ですが、俺が外してしまったので予備の取り付けまでさせて貰いたいのですが?」

 

 牧場主の冷たい視線なぞどこ吹く風と言わんばかりに、笑みを浮かべたまま平然と旅人は答える。

 その態度も気に入らなかったのか、牧場主は微かな苛立ちを覚えた。

 

「……なにが目的だ。君がそこまでする義理はないだろう?」

 

「伯父さん!」

 

「黙っていなさい!」

 

 姪に強い口調で言ってしまった事を気に病みつつもこの子は良い子過ぎる、誰かに騙されてからでは遅いと考えて険しい顔で牧場主は旅人を見据えた。

 

「……なにがあっても強く、正しく生きろ。

父の遺言(教え)を心掛けて生きているだけですよ。

困っている人を助けるのに理由が必要ですか?

……俺が気に入らないのであれば、半端なままで申し訳ないですが、これで失礼させていただきます」

 

 旅人は笑みを崩す事なく、涼しい顔でそう答えると、引き木の中から出て踵を返して来た道を引き返す。

 旅人の口から出た言葉に、牧場主と娘はどこか彼が物悲しさを含んでいたように感じた。

 どうやら本当に悪気なんてものは無いのであろう。旅人の目と態度からはそう思わせるものが醸し出されていた。

 牧場主は、これも実は作られた仮面で、悪事を働く気があったのなら大した役者だと内心思うが、そうではないのだろうと理解している。

 それでも一度悪態に近いものをついてしまったので、振り上げた手を下ろす場所を探す。

 

「……待ちたまえ。

すまなかったな、君がここまで荷車を曳いて来たのは事実だ、礼はしよう」

 

 牧場主の言葉を聞いて、旅人は足を止めて振り向いた。

 だが、その表情は眉を顰めて複雑そうな困り顔を浮かべていた。

 

「あー、お礼なんて結構、先ほども言った通り、俺がしたいから手伝っただけなんですから」

 

 旅人の顔に浮かぶのは笑みというよりも苦笑に変わっていた。

 無益な行いをやるとは、彼はどうやらただのお人好し、悪く言えば馬鹿がつくほどのそれなのだと、牧場主は少し失礼だと考えながらそう思う。

 

「労働には対価があるものだろう。

それは牧場を営む私達も、君達冒険者も変わりはないはずだ。

……礼を渡す事で貸し借りが無くなるからこちらとしても寝心地がいい。

大した礼は出来ないが、多少の財貨かミルクやチーズといった物なら渡す事は出来る」

 

 牧場主の言葉に旅人は納得はした様子だが、未だに眉を顰めたまま困り顔で苦笑いを浮かべて頰を指で掻いていた。

 

「あっ、あの!」

 

 気まずい雰囲気の中、娘は口を開いた。

 思わぬ所から声が上がったので牧場主も、旅人も思わず目を丸くして彼女を注視する。

 

「物を貰うのが腑に落ちないならさ、ウチでご飯一緒にどう?

私が腕によりをかけて作るから!」

 

 そう言って娘は右手に拳を作って上へと挙げた。

 その様子を見て旅人の困り顔も少しはマシなものになり、静かに微笑んだ。

 

「それは大変魅力的で最高の報酬だね。だけど……」

 

 旅人は牧場主の方を見やり、その先の言葉は言うまでもない。

 あとは牧場主の判断だけだった。

 娘も何かを期待するように叔父の方をジッと見ている。

 

「君がそれで良いならな、この子の作る料理は美味い。楽しみにするといい。

そのかわり、荷車の車輪を取り付けてもらおうか」

 

 彼としても、良い落とし所が見つかったと娘の提案を受け入れた。

 たしかに見ず知らずの男を家に上げるのは抵抗がある。それでも、可愛い姪っ子が言った事を無碍にするなどと言う事はあるはずがなかった。

 

「ありがとうございます。

それじゃあ、早速荷車を直させてもらいます」

 

 そう言って、旅人は再び荷車の引き木に手をかけて娘の案内の元、予備品の眠る小屋の方に向かって行った。

 

 

 

 車輪を外す事に時間がかからなかったのだから、取り付ける事にも時間がかからない事は当然だろう。

 それでも、かつての旅で馬車の点検をしていた時の事を思い出し、どこか懐かし味を感じて顔を綻ばせた旅人にとって作業は少し楽しかった。

 そして旅人は一息つくと、小屋を出て外にある大きな石に腰をかけた。

 そのまま大きく余ってしまった時間潰すために夕陽を只々眺めていた。

 牧場主には作業を終えたら家に入ると良いと言われたが、自身を快く思っていない彼に不快感を与えるくらいなら外で待っていようと決めたのだ。

 幾分時が流れたのかはわからない。ただ、穏やかに流れる時間を旅人は心地よく感じていた。

 

「……穏やかな景色だな。世界中に魔物が闊歩しているとは思えないくらいに」

 

 今この瞬間、自分の見ている平和な景色は元の世界と変わらないのだとそう実感したその時、夕陽を背に一つの人影が目に入り、それは少しづつ大きくなりこちらへと近づいて来ているではないか。

 夕陽を手で隠して目を細めてその存在を確かめると、見てくれは元の世界でもこの世界でも見覚えのあるものだった。

 まだ暑さの残る夕暮れ時なのに、鎧と頭が覆われる兜まで身に付けた者、それは元の世界で見た魔物とは違う、初めてこの世界に来てあった人間だ。

 思わず含み笑いを浮かべて旅人は鎧に向かって手を挙げた。

 

「やあ、久しぶりだねゴブリンスレイヤー。その格好、暑くないのか?」

 

「いや、だがいつ不意打ちを喰らうか分からん」

 

 それもそうか、と返して旅人は立ち上がり大きく背筋を伸ばす。確かに、自分も以前の旅では常に防具の類を身に付けていた事を思い出して、改めてゴブリンスレイヤーの用心深さに感心する。

 

「なぜここにいる?」

 

 顔も隠れていて感情の読みにくい声でゴブリンスレイヤーは旅人に問う。

 

「ここの娘さんが曳いていた荷車にトラブルが起きたみたいでな。

偶然そこを通りかかって手を貸しただけだ。礼に食事をご馳走してくれるそうだ。

しかし、君の家だとは知らなかったよ」

 

「いや、俺の家ではない。下宿しているだけだ」

 

「……そうか。冒険の帰りか?」

 

「ああ、これからまた」

 

 そこでゴブリンスレイヤーは言葉を止めた。

 旅人は、彼が見ているのであろう方角、つまり自身の背後へと顔を向けると牧場の娘が小走りでこちらへと来ていた。

 

「おかえり」

 

「ああ、ただいま」

 

 旅人の目から見て、娘の顔は会ってから一番の穏やかで喜びの含まれた優しい顔をしていた。

余程、彼の帰りを待ちわびていたのだろうという事が見て取れる。

 また、ゴブリンスレイヤーの声も幾らか和らいでいた様に感じ取れ、お互いがお互いの事を大切に思っているのだろうと、何となくだが察した。

 それは実に良い事だ。

 ただいまとおかえり。

 有り触れたそれは旅人にとっては途轍もなく尊く、そして自分には縁が薄い言葉なのだと身に染みる。

 そんな二人を見て、決して妬み嫉みの感情は持っていない。ただ、少し、羨ましいとは思った。

 

「えっと、そろそろ出来るから呼びに来たんだけど、君も食べるよね!?」

 

 嬉々として娘はゴブリンスレイヤーに尋ねるが、彼は首を横に振った。

 

「いや、ゴブリン退治に行く。今から出れば明日の夕方には着く」

 

 そっか、と娘は理解はしているが納得はしていない様子で言葉を零す。その表情は先程と打って変わって悲しみが浮かんでいる。

 ゴブリンスレイヤーの方はどう思っているのかは分からない。おそらくだが、申し訳ないとでも思っているのだろうか。

 そんな二人のやりとりを見ていて、少し心が痛んで居た堪れなくなった旅人は、老婆心が働いたのかどこからともなく地図を取り出して広げた。

 

「それはどの辺の事だ。もしかしたら、力になれるかもしれないよ?」

 

 彼は地図のある地点を指差すと、その場所を見て旅人はニヤリと笑った。

 

「なるほど、すぐ近くの村からの依頼みたいだな。

その村までなら、俺の魔法ですぐに行くことが出来るな」

 

 そこは偶然にも先のマンティコアの住み着いた廃墟からそう離れていない場所で、旅人は件の村に立ち寄った事がある。

 

「……転移の術が使えるのか?」

 

「いいや違う。だが、時間をかけずにこの村までなら飛んで行く事ができる。

つまり君が食事をして少し体を休める時間も確保できて、本来君が移動するよりもずっと早く目的地に到着できる。

明日の夕方ではなく早朝にな。ゴブリンの巣を潰すならそのどちらかの時間なんだろう?」

 

 そして旅人は一度手を叩くと、論より証拠だとゴブリンスレイヤーの肩に手を置いて何やら呪文を唱えた。

 すると次の瞬間、娘は自分の目を疑った。

 二人の姿が一瞬で消えてしまったからだ。

 いや、正確には宙に浮いてそのまま高く空へ飛んで行き、消えた様に見えたのだ。

 そして呆けている間に、再び二人は少々離れた場所に空から戻ってきた。着地するときは舞い落ちる木の葉の様にゆっくりと地に下りていた事が印象深かった。

 娘は開いた口が塞がらないと言った様子で唖然としていた。

 

「どうだ、悪い話じゃないだろう。無論、ゴブリン退治にも手を貸そう」

 

「術はあと何回使える?」

 

「向かう時の分を引いても十数回は使えるから安心してもらって大丈夫だ」

 

「……俺も食事をする」

 

 少し間を空けて彼はそう言った。

 その言葉で娘は正気に戻ったのかみるみる内に表情は明るくなり、良い返事を彼に返していた。

 

「なにからなにまでホントにありがと。あと……お仕事の時、彼の事よろしくお願いします!」

 

「ああ、任せてくれよ。

だけど気にしなくていい。ただのお節介なんだからさ」

 

 そう返した旅人は、先を歩く二人に続いて家の方へと歩を進める。

 お節介焼き、人の為になる事をするのが、正しい生き方なのだと、誰も教えてくれないが旅人はそう思っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 遠くの山から太陽が顔を出し、多くの生きとし生ける者が目を覚まして活動を始めようとするそんな時間に、ある洞窟からゴブリンスレイヤーと旅人は帰還した。

 小鬼の返り血によって血塗れ様相のゴブリンスレイヤーに対して、旅人には血など一滴も着いていないのが対照的だが、自身が痛痒を受けずに返り血を浴びたのならば、それはまた勲章となる。

 

「3匹か、まだここに棲みつき始めたばかりで、犠牲者も居なくて良かったな。被害も少しの作物だけのようだしな」

 

「数が増えると厄介だ。その前に潰すに越した事はない」

 

「その通り、魔物に遭遇する数は少ないに限る。

しかし、ゴブリン……他者を虐げ奪う事で生きるとは……度し難い生き物だな。

しかも楽しんでいるように見えるから、尚更虫唾が走る」

 

 心底嫌悪するかのような苦い表情を浮かべながら、生い茂る草を分けながら旅人は歩を進める。

 それに並んで同じように歩くゴブリンスレイヤーは口を開いた。

 

「奴らは自分がされた事を決して忘れない。

生き延びて知恵を付けたゴブリンはそれを人間相手にしているつもりなのだろう」

 

 返答があるとは思っても見なかったのか、旅人は目を丸くするも、そのまま歩き続ける。

 ゴブリンスレイヤーも共に歩き、そして言葉を紡ぎ続ける。

 

「ある日突然、自分の住処が怪物に襲われたと考えてみろ」

 

 思わず足を止め、旅人はゴブリンスレイヤーの方へと向き直る。

 胸の内が、いや、全身が焼かれるような感覚を覚えるがゴブリンスレイヤーはそのまま続けた。

 

「奴らは我が物顔でのし歩き、友達や家族を殺し、略奪して回る」

 

 平静を保て、例えばの話だ。

 偶然、自分も似たような目にあっただけのたとえ話だ。

 旅人の耳に彼の言葉は確かに入ってきたし理解も出来る。

 だが、同じくらい、胸中がまるで蜘蛛の巣から逃れたい一心で身体を攀じる虫の如く強く跳ね回る。

 

「他にも自分の姉が襲われて嬲り者にされ、玩具にされ、殺されたとする。連中はゲタゲタと笑い、好き放題して家族の死体を放り捨てたとする。

その光景を初めから終わりまで隠れて息を殺して見ていたとする……許せるわけがない」

 

 その後も彼の動きの見えない口は止まらない。

 自ら武器を取り、身体を鍛え、策を練り、報復のためにそれを何度も何度も繰り返す。

 失敗と成功を繰り返し、次はもっと上手くやる事を続けて行くうちに楽しくなる。そして強くなる。

 身に覚えの有り過ぎるに旅人は息をするのも忘れて聞き入っていた。

 

「連中はそうやって増長していく。

事の始まりなんてそんな物だ。つまり、俺は奴らにとってのゴブリンだ。

……どうした?」

 

 彼が自分を案じた言葉で旅人は漸く我に帰る。

 途中までは、自分によく似た境遇のありふれたゴブリンの話かとも思った。だが、最後の言葉で旅人は彼の身に起きた事を悟る。

 旅人は無残に焼き尽くされたような感覚に胸を痛めながら、いつしかカラカラに乾いていた口の中を剥がすように開く。

 

「……なんでもないさ……似たような、経験をしただけだ」

 

「……ゴブリンか?」

 

「いいや、ゴブリンじゃない……それと俺は……それを聞いていた」

 

「そうか」

 

 ゴブリンスレイヤーの返事を境に会話は途絶えた。

 旅人はギルドで彼に対する悪印象の噂をよく耳にしていた。

 銀等級らしくない汚らしい冒険者、雑魚狩り専門で成り上がった男、不気味な偏屈者、小鬼を嬉々として解体する異常者等々、様々な悪評をこれでもかと聞いた事を思い出す。

 実際に旅人自身も、初対面では妙なやつといった印象を持ったが、さまようよろいではないと分かればそう悪いやつでは無いと思っていた。

 

 軽々しくそんな渾名を付けるのは、あんな目にあっていないからだ。

 偏屈者、異常者、それなら自分の大切なものを奪った者を手放しで許せるのか。

 肉体か精神を壊さずに生きていられるのか。

 彼は異常なんかじゃない。寧ろ、自分の強い意志で振り上げた剣を憎い仇に何度も下ろしている。

 それを、如何な理由があれど、やめてしまった自分の方が、よっぽどの異常者だ。

 

「……牧場の彼女、幼馴染と聞いたけど……同じ目に?」

 

「いや、その日は牧場に居た」

 

「そうか」

 

 明るい笑顔を浮かべていた彼女もまた、故郷を失っていた。

 その場に居なくとも、彼女も故郷を失っていたんだ。

 自分が負った傷、ゴブリンスレイヤーが負った傷とも違った傷を彼女も負っているんだろう。

 それがよくある事と言われているのに、旅人は自身の過去と重ねて激しく憤る。

 だが、彼に一つの言葉もかけることは出来ない。

 自分が他者から受けた言葉は殆どが自分に響くことなく、却って傷を抉る事の方が多かったから。

 旅人は大きく息を吸い込んで心中の憤りを飲み込んで抑えると、ゴブリンスレイヤーの肩を掴む。鎧に付着したゴブリンの体液や血で手が汚れる事も厭わずに。

 

「……ゴブリン退治に一日の長がある君に烏滸がましい事かもしれないが、もし、この先、ゴブリン退治で君の手でどうにもならない時は、声をかけてくれ、手を貸そう」

 

 同情でも慰めでも無い。

 ただ、旅人は思いついてしまったのだ。

 彼が死んだ時、牧場の彼女はどうなってしまうのか。

 また逆の事が起きた時、彼はどうなってしまうのか。

 せめて、自分がこの地にいる間は、同じ故郷を失った同士の二人だけは健在でいてほしい。

 一人ぼっちにはならないでほしい。

 一人では殆ど何も出来ない自分に出来る事は、手伝う事しか出来ないのだから。

 

「ああ」

 

 素っ気なくそう返したゴブリンスレイヤーは再び足を進める。

 飛ぶ事を頼まないあたり、気を使ってくれているのだろう。

 おそらく、自分はひどい顔をしていたはずだ。

 意外と、周りを見ているのだなと、頭に上った血を冷ましながら旅人は前へと踏み出す。



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Level10〜何も無い一日〜

 

 

 神官長のお使いで街の道具屋へ包帯を取りに行った帰り道、神殿の少女は思いもよらない人を見つけた。

 その人は街の冒険者なのだから、珍しい事では無いのだが、自分が神殿から出る機会がそう多くないから、ただ街で会うというのが新鮮だった。

 よく神殿に足を運んで寄付をしてくれる、礼拝堂で二回お祈りをする、自分よりも幾分か年上の立派だけどどこか変わった雰囲気の、旅人と呼ばれる青年(お兄さん)

 

「こんにちは。あの、どうされたんですか?」

 

 包帯の入った籠を抱えるように持ったまま横から声をかけると、少しだけ驚いた顔をして彼は少女の方へと顔を向けた。

 

「やあ君か、こんにちは。

少し気になることがあってね……そうだ!君、今腹は減っているかい?」

 

 彼の質問に対して、少女は昼に食事をしてから大分時間が経っていた事を思い出して少し、と答える。

 

「それは良かった!」

 

 そう言って彼は笑いかけると、少女の手を引いて先ほど向いていた方へと歩き出した。

 急な行動に少女は抱えていた籠を落としそうになるが、上手く体重を移動して持ち直して彼の後を追わされる。

 少しだけ歩いて彼は足を止めた。

 そこは通りに建てられた一つの露店だった。

 見たところ、焼き菓子を扱っているのだろうが客は誰一人おらず、店主は眠そうな顔で座っている。

 しかし、店から漂う甘い良い香りが少女にとっては何よりも印象深かった。

 

「店主さん、彼女に菓子を一つ頼む」

 

「へっへい!少々お待ちくだせぇ!」

 

 彼が取り出した銀貨を目をこすりながら店主は受け取ると、意識が変わったのか慣れた良い手つきで調理を始める。

 

「あのー?」

 

 すっかり置いてけぼりの少女は彼に抗議の意味を込めて細い声を出した。

 

「ああ、急にすまない。

日頃世話になってるギルドの職員に差し入れでもと思ってね。どうせなら美味い物の方が良いだろう?

用事の最中に申し訳ないが味見で少しだけ、時間を俺にくれないか?」

 

 苦笑を浮かべながら彼は言う。

 度々神殿を訪れる彼は会う度、気さくに自分に話しかけてくれて冒険の事を話してくれる。

 加えて初めて会った時に高価そうな宝石を譲られ、神殿に多額の寄付をしている。

 良くしてくれる彼の頼みと言って良いのか分からないが、それを無下にする事は彼女には出来なかった。

 

「いえ、大丈夫ですよ。ありがとうございます。

急ぎでは無くて良いと神官長様も仰っていましたので。

でもどうして貴方の物を頼まないんですか?

そもそも、自分で確かめてみたら良かったのでは?」

 

「あー……色々あってね。生まれつきって訳じゃないが俺は舌が馬鹿でさ、殆どの場合、味がよく分からないんだ」

 

 はじめに少し言い淀んではいたものの、彼は何事も無かったかのように平然と言ってのける。

 人の五感の一つ、味覚。何かを食べた時に味を覚える大事な感覚。美味な物を食べた時のそれは生きている上での苦痛や辛酸を和らげる事の出来る手段の一つだと、少女は考えている。

 それがもし無かったとしたら。そう思うと、自分はなんと軽はずみな事を言ってしまったのかと、彼が店の焼き菓子を買わなかったのに事情がある事を察せなかったのかと、自己嫌悪に陥り自分の至らなさに口惜しく思う。

 

「俺が悪い事をした気分になるからそんな顔をしないでくれよ。それに、これでも体は大分マシにはなったんだ。

旅を始めた頃はもっと酷かった……だから、気にしないでくれ」

 

 彼は静かに笑って穏やかな顔のまま、諭すように語る。

 そんな彼に対して少女は言葉を紡ぐことが出来ずにしばらく間が空くと、機会を見計らったかのようなところで店主がこちらへと顔を向ける。

 

「へい!お待ちどう様です!」

 

「おっと、これはどうも」

 

 彼は代金を支払って焼き菓子を受け取り、そのまま少女を近くの長椅子へと座るように促した。

 

「食い物が不味くなりそうな話は止めよう。さあどうぞ」

 

 受け取ったそれは包み紙越しでもとても熱を持ち、そしてとてもふわふわとしていて柔らかい物だった。

 少女はしばらくそれを見つめて何かを考えていると、彼は怪訝な顔で訪ねた。

 

「食べないのか?それとも嫌いな物だったかい?」

 

「いえそんな……あの!殆どの場合って言ってましたが、どんな時なら食べ物の味が分かるんですか!?」

 

「……二月程前、ある一党と依頼の先で縁ができてね、その時に飯と酒を奢られたんだが、その時は美味いと思ったよ。

たぶん気心の知れた相手、とまでは言わないけど、知り合いと何かを食べれば分かるんだと思う」

 

 どこか自信のなさそうに推測を語る彼の言葉を聞いた少女は、そうですかと呟く。

 そして手に持っていた包み紙から顔を出している焼き菓子をもう片方の手で持って半分に千切り、包み紙に収まっている方を差し出した。

 自らの手が焼き立ての菓子の熱で火傷を負うことも厭わずに。

 

「っ……私じゃダメだと思いますが……一緒に食べましょう!」

 

 少女は手の痛みに少しだけ顔を歪めるも、心配はさせまいと健気に彼へと笑顔を返す。

 彼女からの厚意を受けた彼はとても穏やかな顔になりまた笑顔を彼女に返し、彼女が差し出した方ではなくて剥き出しの焼き菓子を取り、少女の隣に座った。

 彼は熱さに耐性があるのか、手に取ったそれで顔を歪める事はない。

 

「ありがとう。君は本当に優しいんだな。

だけど、俺なんかのために痛い思いはしないでくれ。

『ホイミ』」

 

 彼の手が緑色の光を放ち少女が同じ光を身に纏うと、火傷独特の手の痛みが徐々に薄れて赤みは無くなり、元々の白い華奢な手に戻っていた。

 

「えっ、あっ、奇跡まで……本当にすみ」

 

 少女が言い終える前に、彼は人差し指を立てて彼女の眼前に持っていく。

 

「このままだと、お互いに謝罪のし合いと礼の言い合いになりそうだ。

俺は君に感謝しているし、ありがたい事に君も俺にしてくれているんだろう?

それならここでお休み、冷める前に菓子を食おう」

 

 少女は下げられた指先を目で追った後、有無を言わさないと言わんばかりの彼の目を見てコクリと頷く。

 自分の視線に気がついた彼が笑顔を向けた後、半分に割った菓子を口に放るのを見て、自分も手に持った菓子を口へと運んだ。

 口に入れた瞬間、温かさのある甘味が口の中を駆け回って思わず顔が緩んでしまう。

 神殿での生活故に甘い物を食べたのなんて久方ぶりだから仕方のない事だと自分に言い聞かせて、ふと彼の方に目を向ける。

 

「甘い……な。そして、美味い」

 

 そう零した彼の顔は、まるで安堵したかのように綻んでいた。

 そして残りの菓子を口へと放り込んで穏やかな表情で味わっていた。

 

「はい、とても美味しいですね」

 

 彼の微力になれた事に少女は少し嬉しくなる。

 二人は少女が菓子を食べ終わるまで談笑して、彼が今度神殿に土産として持っていく事を約束して別れる。

 一人歩く彼の手には袋には手土産用の紙に包まれた焼き菓子が持たれていた。

 今は昼下がり、日が沈むにはまだまだ時間がある。

 

 

 

 

 

 少女と別れた旅人は、暫く街の散策をして気が付いたら、自身の拠点でもあるギルドの方へと足を運んでいた。

 高い金属同士がぶつかり合う音が耳に入ったので何気なしに裏手の広場の方へと行ってみると、何時ぞや洞窟で共闘した一党の面々がそこにいた。

 斥候の少年が息も絶え絶えといった様子で広場の端に座り込み、傍には安堵した様子の巫術師の少女がいた。

 今は銀等級の重戦士と女騎士の二人が互いの得物を打ち合い鍛錬をしている様だった。

 重戦士が大剣を振り下ろすと、女騎士は両手剣で受け、踊る様に大剣を滑らせて刃を自身から逸らすと身を翻して剣を振るう。

 それを重戦士は手甲で受け止めると先程よりも速度はやや落ちるものの、相当な重量があるであろう大剣を片手で振り上げる。

 その大剣の勢いは風を巻き上げ竜巻でも起こすかのように思える剛の剣。

 それをよくも軽々と躱し、時には受け止めるのだから女騎士も銀等級に恥じぬ凄腕の能力を持つ。

 訓練の範囲とはいえ、中々に鋭い剣戟に旅人はついつい目を奪われていた。

 

「見事なものだ」

 

「当然でしょう。うちの頭目とその相方なんですから」

 

 ふと零した言葉に返す者がいた事に旅人は驚き、声が聞こえた背後の方へ体を向ける。

 

「どうもこんにちは、久方ぶりですね。ご健康なようで何よりです」

 

 器用に五つの杯を両手に持った半森人の軽戦士が旅人に笑顔を向けて立っていた。

 

「そっちも息災のようでなによりだ。今日は冒険は休みのようだが精が出るな」

 

「ええ。先程までは私も共に訓練していたのですが、彼がついに疲労で動けなくなってしまいまして。休憩に飲み物でもと思いましてね」

 

「……鍛える事は大切さ。

……肝心な時に何も出来なければ、只々……自分の無力を呪う事しか出来なくなる」

 

 彼等の鍛錬の様子を見ると、脳裏にかつて師と剣を打ち合った記憶が思い出される。

 同時に故郷が滅ぼされた日、自分は匿われるだけで何も出来ず、全てを失った事も。

 

「そうですね……貴方は今日はどうしたんですか?

昇級審査が有るわけでもないのに、この時間に会えるなんて随分珍しい事じゃないですか」

 

 険しい表情にでもなっていたのか、軽戦士は察してくれたようで話題を変える。

 旅人は気を使わせてしまった事に申し訳なく思うが、今はそんな厚意に甘える事にした。

 

「魔物退治に行こうとしたんだが、受付さんにいい加減に休めと怒られしまってな。

遠方へは今度足を運ぼうと決めていたから、今日はアテもなく街を歩き回ってきたところさ」

 

「いい加減にって、どれ程続けて依頼を受けていたんです?」

 

「この街に来た、次の日から毎日」

 

 思い返す必要も無く、旅人は即答する。

 最初の昇級審査で受付嬢に咎められてから、受ける依頼は一日に多くても五件としていたのだが、流石に二月程毎日魔物退治に赴いていたら自分を労れとお叱りを受けた所在である。

 呆れ半分といった様子の視線を軽戦士が向けていたので旅人は続けた。

 

「俺は生まれつき傷の治りが人一倍早くてな。傷も最低限の処置をして眠れば治る。もちろん体力も全て回復する。

さて、そろそろ彼等が君を待ち望んでいる頃じゃないのか?

早く行ってあげると良い」

 

「ええ、そうします。

面白い冗談も聞けた事ですし失礼します。また今度、一緒に飲みましょう」

 

 そう言って軽戦士はお辞儀をすると仲間の元へと駆けて行く。

 冗談では無いのだがな、と一人ごちると手に持ったままの焼き菓子の存在を思い出す。

 どうせ今自分が食べても味など分からないのだからくれてやれば良かったと思うが後の祭りだ。

 暫く呆けていて、視線を手に持っていた焼き菓子から彼等の方へ移すと、皆が杯を手に取り談笑をしていた。

 時に笑い、時に叱責し、そして重戦士は少年斥候の頭を乱暴に撫で回す。

 重戦士の腕を手で掴んで抵抗してはいるものの、彼は満更でも無い様子の笑みが溢れている。

 女騎士は堂々たる態度で軽戦士と少女巫術師に語りかけ、彼等はやれやれと言ったように苦笑を浮かべていた。

 彼等のそんなやり取りを見ていた旅人は、仲間という存在が随分と縁遠いものになってしまったと少し心が締め付けられる。

 だが、この世界に来た事こそ予想外だったが旅に出たのは自分の意思だ。

 たとえ会えずとも、かつての仲間達が元気でいてくれれば、それでいい。

 

「今頃、なにしてるのか」

 

「誰の事をいってるの?」

 

 いつの間にか、今度は監督官が隣に立っていて興味津々といった様子で旅人の顔を伺っている。

 二人も接近を許すとは、周囲を警戒していなければ自分もこんなもんかと、自嘲気味に旅人は笑う。

 

「いたのか。呆けていて気がつかなかったよ」

 

「私もこっそり近付いたからね!

それで、誰の事を考えてたのかな?」

 

「……以前共に旅をした仲間の事をね、病や怪我無く元気にしているのかなってさ」

 

 

「へぇ、ちょっと恋しくなっちゃったんだ。

いろんな怪物をバッサバッサと薙ぎ倒す旅人くんがねぇ」

 

 中々可愛げのある所もあるものだと、監督官は悪戯っぽく笑う。

 そんな含みのある笑顔に対して旅人は特に気にする事も無く答えた。

 

「ああ、みんな良い奴だからな。

それに、その時の仲間がいなければ、今俺は五体満足でこの場に立ってはいないだろうさ」

 

「へぇ、旅人くんがそこまで言う人達か……うん、興味出てきた!

良ければ話聞いてみたいな。お茶でも出すからどう?」

 

「今は仕事中じゃないのか?」

 

「この時間帯は冒険者さんも少ないから手が空いてるんだよ」

 

 そんな彼女の言葉に対して、手に持った焼き菓子の存在を思い出した旅人は丁度いいと、静かな笑いを浮かべる。

 

「せっかくだからお呼ばれしようか。茶菓子もある事だしな」

 

 そうこなくちゃと返す監督官は浮足だって先を歩き、旅人はその後を続いてギルドの中へと足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陽は落ちて空に星々とまだ見慣れない二つの月が空に浮かんでいる頃、ギルドの酒場とは違う辺境の街にある、もっと小汚く荒くれ者の多く集う酒場にいる。

 喧騒の渦の中、着いた卓の上には一本の酒瓶と干し肉の乗った皿が置かれているのみだ。

 

「……今日は良い日だったよな」

 

 そう零して旅人は酒瓶を掴んで中身の酒を煽る。

 曰く中身は酒だと言われて出されたが旅人にとっては水とさほど変わらない。違いは色がついてがいる事と僅かに独特な匂いがする事くらいだ。

 それでも周りが酔いによって気分が高揚し、騒いでいる事と自信が感じる匂いからこれは酒で間違いないのだろう。

 次いで干し肉を口に放り噛み締めるが、塩漬けされているはずのそれは噛めども噛めども味は無く、ただ歯応えのあるだけの物であった。

 ほんの僅か、自身の身体の異常が治っていた事を期待したがやはり変わらず、一人で何を飲み食いしても味は分からない。

 

「……当然の事か」

 

 あの時自分だけが生き延びた。自分のせいで魔物の襲撃が起きたにも関わらず。

 そんな己が唯のうのうと生きていて良いはずはない。寧ろ、この程度の身体の異常ならば少なすぎる。

 自分が常に幸せの中にいる事はあってはならない。

 他に自身の身体に異常が起きたのならそれを受け入れるつもりだ。

 だが簡単に命を捨てる事も、ただ自死する事も、心を壊して虚空を見つめて無意味に生きる事も許されない。

 故郷のみんなのおかげで長らえている命、鍛えられた能力、それは誰かのために使わなければいけない。

 それが、旅人の考えだ。

 

「……要求されたら喜んで差し出すよ。

でも、許されるのなら、偶に感じるこの平穏と幸せは享受させてほしい」

 

 昼間の事を思い出す。

 神殿の少女に会い、菓子を分け与えられてその味を感じれた事。

 重戦士の一党の訓練を見て少し懐かしい気分に浸れた事。

 監督官に誘われて紅茶を飲みながら、その時手の空いていた受付嬢もくわえ、致し方なく嘘を交つつ自身の過去を話したこと。

 その時に頂いた紅茶の味もまた美味かったと、味のしない酒と肉を口にしながら浸る。

 

「……あの子は気を使ってくれたが、味を感じない事は何も悪い事ばかりじゃない」

 

 味覚がないおかげで食の関心が薄くなった。つまるところ、身体に害がなければ腹に貯まればなんでも良い。

 ギルドの女給には悪いが、食費を抑えられる。

 他にも、元の世界から持ってきた食べる事に非常に抵抗があった、酷い味のする種やきのみを苦なく食べられる。

 あとはこれまた味の酷い、飲む人間が限られると言われている安酒で手軽に酩酊出来る事だ。

 他にも何か無いかと頭を回すが、どうにも回転が鈍い。酔いが回ってきたのだろう。

 

「本当に酒だったか……今の俺を見て、みんなはなんて言うだろうか」

 

 特に酒が大好きだった踊り子の彼女が言う事が気になる。

 尤も、自分は彼女と違って好んで飲んでいるのではなく、縋っているのに過ぎないが。

 さて、酔いが回り過ぎて帰れなくなる前にと、旅人は料金を卓に置いて席を立ち帰路に着く。

 質の悪い酒の副作用による頭痛と倦怠感は明日の自分に任せて、今日はとても良い日だったと何度も思いながら歩を進める。



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Level11〜冒険者三人、護衛任務珍道中〜

 

 ある日の昼前、粗悪な酒のせいで少しだけ痛む頭を手でさすりながら、旅人はすっかり人も疎らになった掲示板の前に行き、残り物の依頼を見る。

 こんな時間に残っている物は大抵白磁向けの比較的簡単で報酬の少ないものか、銅以上向けの報酬は相応だがそれ以上の危険があるものだ。

 幸か不幸か、旅人はどれでも受ける事が出来るので、それが自業自得で痛む頭をまた悩ませる。

 

「おやおや、随分と健康的とは呼べない生活をしてるみたいだね」

 

 人も疎らで手が空いているのか、監督官が呆れた様子で旅人に近づいて苦言を呈する。

 

「まあ、否定は出来ない。でも仕事に支障は出ないから多少の怠けは大目に見てもらいたいな」

 

 それなら眠気覚ましにどうだと言わんばかりに監督官は手に持った一枚の依頼書を苦笑を浮かべる旅人に押し付ける。

 

「えーと……商人の荷馬車の護衛か、取っておいてくれたのはありがたいけどなんでまた俺が?」

 

「別に取っておいたわけじゃないよ。少し前に、冒険者さん達が依頼を取って行った後にこの依頼が来ただけだよ。

銅等級以上の冒険者がいる事が条件でそんな時に君が来たからどうかなって」

 

 事の経緯に納得した旅人は再び依頼書に目を通した。

 馬車で移動という事だけを聞けば以前の旅を思い出して楽しそうだとも思うがこれは報酬を貰って行う仕事だ。

 護衛の依頼は行きと帰りを行うものと受付嬢に聞いた事を思い出すが、今回は水の街なるまだ行った事のない街へと送り届けるまでが依頼らしい。

 

「うーん……出来なくはないな。でも万全を期するならあと一人、欲を言えば二人欲しい」

 

「一人だと難しいの?」

 

「俺の目は前に二つ、耳は横に二つ付いているのは見て分かるだろ?

一人で遺跡だのを探索するのなら背後からの何かしらには気が付けるけど、自分よりも大きい物と人を守りながらだとどうしても後ろを警戒してくれる人が必要だな」

 

 旅人はそう言うものの実は手が無い訳ではない。

 魔物除けの呪文を使えば恐らく大半の魔物は近寄る事すらできないであろう。

 だが警戒すべきは魔物だけではなく野盗の類にもだ。

 旅人自身、人間相手に武器を振る事は好まないし、なんらかの事情で子供の野盗が多く出た日には困った物だ。

 ならばいざとなれば最終手段として術でどこかの村や街にでも飛んでしまえば良いが、高速の飛行が馬や商人に恐怖心を植え付けないとも限らない。

 結局、普通に護衛をして目的地までたどり着くのが好手だろうというのが旅人の考えだ。

 

「あっ、それなら彼を誘ってみたらどう?

ほら、君が妖術師を退治した時の冒険に一緒に行った。

今日はお仲間さんが用事があって冒険に行けなくて暇だってぼやいてたよ」

 

 なるほど、と零して酒場のスペースに目を向けると確かに青年戦士は退屈そうに杯を手に何かを摘んでいた。

 中身が酒で無ければ誘うとするかと、旅人は監督官に礼を述べて彼の方へと近寄り、杯の中身が酒では無いことを確認するとテーブルを挟んで反対側の椅子に座った。

 

「しばらく振りだな。

一人みたいだけど、今日はなにか予定でもあるのかい?」

 

 酒の独特な匂いが感じられない事を確認して旅人は問いかける。

 

「よう。まあ、工房にでも行ってみて適当に過ごそうかと考えていたところだが、お前さん達の話も聞こえてたぜ。

馬車の護衛だってな、期間はどれくらいだ?」

 

「今日から出て野営を含めて二日間、依頼主に許可を取れれば俺の呪文を馬に使ってもっと短く出来るだろうよ。

帰りは知っての通りここまで直ぐに戻ってこれる。

それを踏まえて手伝って貰えるか?

もちろん無理なら遠慮なく言ってくれ」

 

 旅人が依頼書を手渡すと青年戦士は受け取り内容に目を走らせる。

 なるほど、と零してニヤリと口角を上げると依頼書を旅人へと返した。

 

「確かに、この内容でお前となら悪くないな。

だがそうだなぁ、もう一人誘いたい奴がいる。

当然分け前も減っちまうが、それでも良いのなら付き合うぜ」

 

「構わない、寧ろ人が増えるなら願ったりだ。誰だか知らないが君が誘う人物なら問題無いだろうしな」

 

 旅人はよろしく頼む、と付け加えて手を差し出し、青年戦士がそれを握り返す事で即席の一党が誕生した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れ前の林道を一つの幌の付いた馬車が通る。

 馬車を曳くのは力が有り余っていると言わんばかりに力強く大地を踏みしめる栗毛色の毛並みが美しい馬。

そして手綱を握るは、旅人よりも五つ程上の依頼主の男、商人らしく最低限の礼儀を持って装飾のされた服を着こなしては荒ぶる馬、曰く長年の相棒と呼ぶ馬を見事に操るものだ。

 そんな彼らの護衛目的で馬車に乗る三人の男、その内の一人である旅人は幌の上に陣取り、馬車の後方から左右にかけて警戒をしている。

 あの後、青年戦士の誘った冒険者と合流して依頼を受けると、依頼主も急ぎの用事との事で待っていたのでギルドにて打ち合わせを行った。

 運ぶ荷の内容、いざと言う時の対処と優先順位を確認、そして旅人の提案する緊急退避の手段と馬の体力を回復させつつ移動して到着までの時間短縮を依頼主が了承した事で辺境の街を出発した次第だ。

 街を出て間もなくは道が舗装されていたが、西に向かうに連れて段々と道が悪くなり草や木、かつて動物であったのであろう骨などが、人や馬によって踏み固められた道の端々に落ちていた。

 

「商人殿、馬の調子はどうでしょう?」

 

 顔を後方に向けたまま旅人は大きな声を出して背後で馬を操る依頼主へと問う。

 

「本当にありがたい事に、貴方が施してくれた術のお陰でとても好調ですな。

相棒もとても喜んでます。それと、ここを抜けて少しすれば野営の予定場所ですな」

 

「ならば、予定通りそこで休みを取りましょうか。

俺の呪文で馬の体力と力が上がっても休憩は必要だ」

 

「ですな。

まあ、お陰さんで昼過ぎに出たら水の街まで三日の道のりを一日半で行けるのだから助かりますな」

 

 提案に商人は肯定の返事を返す。

 まだまだ若輩者の部類に入るのであろう依頼主の商人はどこか冒険者に対する口調がまだ不慣れなようだ。

 辺境の街を発ってから暫く経過したが、幸いにも何事も無く順調に護衛の依頼は事を運んでいた。

 出立前に旅人が依頼主に道中、祈らぬ者が出なかったら無駄金を払った事になるなと冗談めいて聞いてみた。

 それに対して依頼主はそれはそれで結構だと答えた。

 曰く、護衛代を節約して大変な目に、それこそ命を落とした商人は星の数程いるとの事。

 安全に移動ができるのならそれに越した事はなく、冒険者の護衛がいれば気が楽だ。

 そして護衛中は冒険者達は気を張っていなければいけないし時間を貰っているのだからそこに報酬を支払うのは当然の事だと商人は言っていた。

 かつての仲間の商人も同じ事を言うのか、いや、そもそも数多の武具を持ち、十全に知ったそれを巧みに操る彼にそもそも護衛など不要か。

 そんな考えが頭を過り含み笑いを浮かべ、旅人は口を開いた。

 

「との事だ、引き続き警戒は続けるぞ」

 

「了解だ、任せとけ」

 

 馬車の中で前方から馬車の左方向を見ている青年が声を上げて返す。

 

「……言われるまでも無ぇ」

 

 やや遅れてもう一つ愛想の悪いぞんざいな返事の声が聞こえる。

 青年戦士と前方を二分して残る右方向を警戒するのは、何時ぞや旅人に因縁をつけて手合わせをした大柄の斧戦士だ。

 青年戦士の思わぬ人選に旅人は驚いたが、斧戦士も今日は手が空いていたとの事で、居心地が悪そうに文句を一言二言呟きながらも依頼に同行する事を承諾した。

 斧戦士はどうかは分からないが、当の旅人本人は因縁をつけられた事よりもその後に止めてもらった感謝の念の方が圧倒的に大きい。

 あの気勢と戦斧を軽々と操る腕ならば頼りになるとすら思っている。

 

「なんです?貴方さん方一党は仲がよろしく無いので?」

 

「まあ、何分この面子での冒険は初めてですからね。

ただ、安心してほしい。

俺達が護衛をすれば、貴方と相棒と積荷に決して魔物共が触れる事が無い事を約束しよう」

 

「そうですなぁ……たとえ竜がでたとしてもですかな?」

 

「……そいつは願ったり叶ったりだ。

貴重な体験ができるし、竜の鱗も取り放題だ」

 

 商人の軽口に対して旅人は静かに笑って返した。

 しかし、そんな余裕綽々な旅人とは対照的に、竜を相手なんて聞いた二人は異議を唱える。

 

「おいおい、勝手言ってくれるが竜なんか出たら準備もないから逃げ一択じゃないのか?」

 

「……それとも手立てでもあんのかよ?」

 

「簡単な事だ、全力で叩き斬る。

そして竜はデカければデカイ方が良い。

俺はそんな竜が大嫌いだから現れてくれたら気が晴れるな」

 

 カラカラと笑う旅人に対して呆れ混じりの溜息を仲間の二人はついた。

 しかし、依頼主の方はそんな旅人を豪胆な奴と気に入ったのか、それとも口だけは達者だと嘲るのかは分からないが口元に笑みを浮かべていた。

 それから程なくして一行は今日の予定の目的地である草原にポツリとある大きな岩まで辿り着く。

 大きな岩が屋根の代わりとなり雨風を凌ぐには十分な程で背後を壁にできる。

 腕に覚えが有れば夜襲にも対応しやすい確かに野営に適している場所だ。

 余裕を十分に持った移動ができたため、野営の準備も日が沈む前に終える事が出来た。

 その後は商人の振る舞いで、簡単ではあるが焼いた肉やスープを皆が腹に入れる。

 携行食にしては豪華なそれは、護衛中だから酒が飲めないのは何とも残酷な話だと青年戦士が冗談混じりに嘆き、一行はそれなりに愉快な時間を過ごしていた。

 やがて月が昇り休む時間となると、見張りは先ず斧戦士が、次いで旅人、青年戦士の順で交代で行う手筈となった。

 怪物や野党が現れたら必ず全員を起こす事を取り決めて。

 

 

 

 

 些か冷たい夜風に肌を撫でられて旅人の意識は覚醒する。

 眠る前に羽織っていた筈の外套がはだけてしまっていたらしい。これでは寒いはずだと目を擦って再び身に纏う。

 元々、眠りも浅かったため再び眠るのは不可能だと判断した旅人はそのまま立ち上がり、見張り中の斧戦士の元へと赴く。

 

「もう時間だろう、代わろう」

 

「……起きたのか、まだ少し早えぞ」

 

 旅人の方を見向きもせずに斧戦士は無愛想に返す。

 

「なに、充分休ませて貰えたさ。

腹が膨れて一番眠いときに寝させて貰ったんだ、少し早く交代くらいするさ」

 

「へっ、そうかよ。

……一つ聞きてえんだが、何故俺を今回の仕事に誘った?」

 

 護衛の依頼を受けてから今の今まで、二人の間には必要最低限の会話しか無かったため、斧戦士からの思わぬ問いに旅人は目を丸くするが、すぐに口角を上げて答える。

 

「彼の推薦、それに君の腕なら頼りになると思ったからだ。

幸いな事にそちらも数日予定が無いと来たもんだ。

何より、言いたい事もあったからな」

 

 言いたい事?と気怠そうに斧戦士は旅人の方へと顔を向ける。

 その時の旅人の表情は先程までの穏やか、悪く言えば少し気の抜けた様な顔ではなくなり、真剣な表情で斧戦士の方へと向き直っていた。

 

「先日、俺が我を忘れて暴れていた時、彼と共に止めてくれてありがとう。

心から感謝している。

君達が居なければ、多分あの男を殺していた」

 

 深く頭を下げる旅人の言っていることが理解出来ないと言わんばかりに、今度は斧戦士の方が目を丸くした。

 ここまで旅人に無愛想な対応しかしなかった斧戦士も流石に狼狽える。

 

「おいおい、頭なんざ下げるんじゃねぇ!

……俺はお前を殺す気で得物を振った。そんな相手に頭なんざ下げんな」

 

 斧戦士がやけに気不味そうな態度を取っていた事に旅人は納得するが、彼のその言い分は旅人に取ってはどこ吹く風だ。

 

「だとしても、君があの時俺を止めた事実は変わらない。

それに、俺はこうして元気に生きている」

 

「けっ……俺如きの攻撃では自分は死なないって嫌味かよ。

てめえは最近フラッと現れたと思ったらとんでもねえ速さで昇級しやがるし、てめえが悪く言われても気にしねぇ、かと言って人の為には憤る、そんで殺そうとした相手に礼を言うか。

……正直俺はおめえは可笑しい、いや、イカれてるとすら思ってる……だが、同時に悪い奴じゃねぇとも思ってる」

 

 旅人から顔を背けて、相変わらず無愛想に斧戦士は言った。

 その言葉に旅人も悪い気はしなかったのか穏やかな表情で返した。

 

「ふっ、ソイツはどうも。

俺も君はなんだかんだで良い奴だと思っている……っ!!」

 

 斧戦士に言葉を返したと思うと、突如旅人はどこからか剣を取り出す。

 そして眼前に広がる漆黒の平野の方を険しい顔で睨みつけながら、周囲に設置しておいた松明に火をつけ始める。

 

「何かが近付いてきている、相当速いな」

 

「あぁ?俺には何も……いや、確かにそうだな」

 

 旅人の態度に怪訝な表情を浮かべていた斧戦士だが、彼の耳にも漆黒から発せられる音が届いた。

 やけに木々が騒めき出し、肌を撫でる風が嫌な感触を覚える。

 斧戦士も得物を手にして音のする方を警戒すると同時に、残る松明に火をつけた。

 旅人は空いている左手を少し離れて眠っている青年戦士の方へと向ける。

 

「彼も起こすぞ、『ザメハ』」

 

 旅人の手が光を放つと、そのまま同じ色の光が青年戦士を包み込む。

 光が収まると同時、目を覚ました青年戦士は突如その体を起き上がらせて周囲を見渡すように首を振る。

 

「なんだ!どうしたどうした!?」

 

「何かが近付いて来ている、何かまでは分からないがとりあえず君を俺の魔法で起こした。

一応周囲に魔除けの結界を張ってあるが、万が一があったら困る。

すぐに装備を整えて状況によっては依頼主を起こしてくれ」

 

 突如覚醒した意識に戸惑っていた青年戦士も、旅人の説明で状況を理解をしたのか、傍に置いたあった剣を手に取り兜を被ると松明に火をつけて回る。

 その間にも音は一向に近付いてくる。

 やがて、その音は馬が蹄を地に打ち付ける音であると分かった。

 

「依頼主と馬を起こせ!!」

 

 声を上げたのは斧戦士だ。

 近付くのが馬であるのなら、逃げるのに此方も機動力の確保が必要だと判断したのだろう。

 間違っていない。

 逃げの手段を取らざるを得ない場合は自分が時間を稼げば良いと、旅人は思い、彼の判断に頷いた。

 青年戦士は商人を起こしに向かうと、それはすぐ近くまで襲来し音が止んだ。

 

「クソっ……ツイてねぇな」

 

 不意に斧戦士が零す。

 現れたそれは、夜の世界と同じ色をした漆黒の重鈍な鎧を身に纏う大剣を持つ騎士と、普通の馬の倍はある巨躯に漆黒の毛並みをした馬であった。

 しかし、騎士にも馬にも首が無い。

 更には強く、身体が重くなるような暗い圧を放っていて亡者の怪物の類である事は明白だった。

 

「……しにがみきぞくの亜種か?」

 

 槍と盾を携え、馬に跨り死の呪文を唱える豪華な服を着た骸骨の魔物。

 かつての冒険で旅人はそんな魔物を倒した事があったので思わずそんな感想を零す。

 

「何言ってやがんだ!

首無し騎士(デュラハン)じゃねぇか!

死を振り撒く怪物だ……どうする、逃げんのか?」

 

「うーん、アレがどう出てくるかな」

 

「怪物ですかな……冒険者さん方、なんとかなりますかな?」

 

 呑気な事を言う旅人の背後で商人も目を覚ましたようだ。

 隣で愛馬が嘶くが、飼い主は矢張り怖いのか、その声は少し不安に震えていた。

 

「おい!どうするんだよ!」

 

 青年戦士は声を上げるが、旅人は何も答えない。

 それを好機と見たのか、首無し騎士は巨馬を駆り一向に向かい突撃する。

 疾く、重く、そして強いその威力たるや間違いなく進路上の物を踏み潰し、殲滅、蹂躙するであろう。

 対して、青年戦士と斧戦士は依頼主を守ろうと強く得物を握ると商人と首無し騎士の直線上に立ち、商人はその物言わぬ圧に押されてしまい目を堅く閉じて愛馬に抱きつく。

 そして旅人は……剣を地に刺し、腕を組んで迫る首無し騎士を只々睨みつけていた。

 首無し騎士は全てを消し去ると言わんばかりに大剣を突き出して馬を加速させる。

 

 暗闇の平地に轟音が響いた。

 首無し騎士の馬が舞上げた土煙が辺りを包み込む。

 そして、旅人は鋭い目つきのまま口角を吊り上げて笑っていた。

 

「中々の攻撃だが、お前に越えられるものかよ」

 

 土煙が晴れた頃、旅人以外の全員が目を疑う。

 首無し騎士の突撃は一向と大きく距離を残して見えない壁に阻まれる。

 壁に激突した筈だが、痛痒を受けていないのは亡者故か、首無し騎士の実力か。

 首無し騎士は一度下り距離を取る。

 顔が分からないので推測だが、一人も命を奪えなかった事に憤りを覚えているのではないか。

 

「お前、『聖壁』(プロテクション)の奇跡が使えたのか!?」

 

「いや、こいつの場合それじゃないだろう」

 

 力が抜けて持っていた斧を地に下ろして斧戦士は旅人に問うが、彼よりも少し付き合いの長い青年戦士は似て非なる何かだろうと察する。

 

「その『聖壁』とやらが何かは分からないが、魔除けの結界(トヘロス)は張ってあると言っただろう。

まあ、あと数回同じことをされたら破れちまうだろうな。

さて、商人殿。

この結界を捨ててあの騎士から逃亡を図る事と、この場で奴を撃退する事、希望はありますかな?

もちろん、もう奴には結界に触れさせない、個人的には後者をお勧めしましょう」

 

 旅人は落ち着いた口調で、商人に安堵感を抱かせるように静かに笑ってみせた。

 意地と気を張っていた商人であったが、とてつもない勢いで迫る首無し騎士の突撃にスッカリと身体の力が抜けてしまい、ストンと尻を地面に落とした。

 

「はっ……ははは……その提案、乗らせて貰えますかな」

 

 しかし、首無し騎士にも動きがあった。

 天に大剣を掲げると、大地が激しく揺れた。

 立っていられない位強い揺れが収まると、数多くの骸骨が地面から身を這い出して現れる。

 

「質で勝てないと分かれば数で勝負か……だが生憎、俺はお前達の天敵だ、『ニフラム』!」

 

 旅人が地より出でる骸骨に向かって白く光る手を翳す。

 光は旅人の手を離れて骸骨の群れへと向かうと巨大な球状となって進む。

 暖かな白き光の球は五十は居たであろう骸骨の半数以上を飲み込み、それらを光の彼方へと消し去り、光も収束した。

 同時に、光る煙のような何かが天へと昇って行くのを斧戦士達は見た。

 

「思ったよりも減らせたようだな。

俺があの首無しをやる、どっちか骨を頼む!残る一人は商人殿に付いて護ってくれ!」

 

「ふん……俺がやる。

てめえ一人に美味しいところをくれてやれるか」

 

 そう言って斧戦士は旅人の隣に並び立つ。

 青年戦士は呆れたと言った様子で勝手に話を進める二人を尻目に商人の前に移動する。

 

「またそれを貸す、商人殿を頼んだぞ!」

 

 旅人はふくろから破邪の剣を取り出して青年戦士の足元へと投げ、更にふくろから鉄の盾を取り出して装備する。

 地に刺さったそれを彼が手にしたのを見て、旅人は斧戦士の方へと顔を向けた。

 答えるように斧戦士が小さく鼻を鳴らしたので、二人は歩を進めて結界の外へと出る。

 

「行くぞ、アレは俺達の敵ではない!」

 

 かくして、闇の帳を数本の松明の火が照らす中、死を振り撒くという首無し騎士の一団と、三人の冒険者の戦いが幕を開ける。



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Level12〜強敵を討て〜

 

「さて、術師らしい事もしておくか。

『ピオリム』『スクルト』」

 

 旅人が腕を横に薙ぐと、一行の体がまず緑色、次いで薄紅色の順で発光する。

 それぞれが体に走る活力に違和感を覚えるも、旅人は敵の方を見たままそれを制する。

 

「全員の動く速さと守備力を向上させた!

時間経過で効果は切れるからあまり過信するな。

その時か傷を負った時は大声を出せ!俺が再度強化と治癒を請け負う!」

 

 旅人は端的に説明をすると、そのまま駆け出し、一瞬のうちに首無し騎士の懐に入り込み剣を振り上げる。

 しかし、敵も中々の手練れのようで、その疾き一撃を盾で受け止めると、今度は首無し馬が旅人を大地事踏み潰さんと蹄を振り下ろす。

 大きな地鳴りを起こしたそれは、只々血を踏めしめたのみで、軽々と旅人はそれを躱し大きく距離を取る。

 

「首無し騎士相手に一撃離脱たぁやりやがるな。

……俺もやるかぁ!」

 

 戦斧を手に斧戦士は骸骨の群れへと駆け出すが、まるで装備の重量と体重が半分になり、更に背中に羽根でも生えたかのように身体が軽く感じた。

 されど大きな違和感は無く、動きに異常も出ない事を確認しながら腕に防具がわりに巻いていた鎖を少しだけ解いた。

 急な接近に対応が遅れる骸骨供を尻目に、群れの中へと飛び込んだ斧戦士はその場で大きく両手で持つ得物を横に振るい、骸骨を端から折り砕く。

 腕力までは上がらないかと斧戦士が思案すると、骸骨の一体が粗悪な剣を彼へと振り下ろす。

 

「おい!」

 

「なんて事ねぇよっ!!」

 

 青年戦士の声と同時に、問題はないと斧戦士が返す。

 戦斧を片手に持ち替えて、振るった勢いのまま身体を回転し、そのまま解いておいた腕の鎖の端を鞭の様に背後の骸骨の腕と顔に叩きつける。

 哀れ不意打ちを狙った骸骨の一撃は虚しくも届く事なく、骨は地に崩れ去る。

 

「ほうっ、やるじゃないかっ!!」

 

 首無し騎士と首無し馬による人馬一体の連撃に対して上手く身を翻し、時には盾で受け流しながら旅人は感嘆の声を上げた。

 

「どっかの、お節介野郎のっ、お陰でなぁっ!!」

 

 力強い戦斧による一撃と牽制程度ではあるが骸骨相手には充分効果的な鎖の一撃を巧みに行いながら斧戦士は旅人に返す。

 残り十数と骸骨の数を減らしたところで斧戦士も大きく距離を取り一度体勢を立て直す。

 

「ちっ……全部アイツの手の平の上ってのは気に入らねぇ……指揮も術も呆れるほど有効な事もなぁ!!」

 

 含んだ笑みを浮かべてポツリと悪態を零す斧戦士は再び骸骨へと向かって駆け出し、自慢の剛腕で得物を振い、三体の骸骨を砕く。

 そして先程と同じように、後方に回り込んでいた骸骨に向かって鎖を放つが、相手は姿勢を低くして空を切ってしまう。

 

「しまっ……!」

 

 無防備な状態から骸骨の剣が振り下ろされようとしたその時、強烈な熱線がその身を飲み込み骨は灰と化した。

 斧戦士は自身の間近を強烈な熱線が過ぎ去った事に背筋を凍らせつつ、それを放った青年戦士の方に視線を向ける。

 

「後ろは任せろ!お前は前の骸骨を倒せ!」

 

 青年戦士はこちらからの攻撃は結界を通り抜けると確かな確信を持って破邪の剣の熱線を放つ。

 聖壁とは違うと旅人は言っていたが、彼は白い光の術を結界の内から放っていた、即ち内からの攻撃は通過するという同じ性質を持つのだろうと思っていたが的中のようだ。

 まだこの魔剣を使うのは2回目なのに思った箇所へ熱線を上手く飛ばせたのは少々予想外であったが。

 

「フン!俺に当てたら承知しねえぞ!」

 

 鼻を鳴らし、悪態を崩さずに再度骸の群れへと駆ける。

 そして、次々と骸骨を砕きながら前へと進み、敵に背後を取られた時は振り向かず視界の端で骨が消炭となるのを捉えていた。

 二人の方を見て、心配は無いなと感じた旅人は改めて首無し騎士と対峙する。

 

「さて、どう出る似非しにがみきぞく。

尤も、先に手を出した時点でもうお前に逃げの選択肢は消失したがな。

力でも数でも劣り、残る手立てはいかがな程か」

 

 顔の無い相手が聞こえているのかは分からないが、旅人は芝居掛かった口調で首無し騎士を挑発する。

 その態度に憤りを覚えたのか、それともなす術なしと判断したのか、首無し騎士の一手は初めと同じ、首無しの巨馬の馬力と自身の豪槍の相乗攻撃の突進である。

 

「そう来るだろうな!」

 

 旅人は鼻で笑いながらそう吐き捨てると自らも迎え撃つ形で駆け出す。

 旅人自身の何倍もの体躯を持つ馬と騎士、それに比例して装備の大きさも段違いだ。

 真っ向から迎え撃つなど、10人が見たら10人は無謀や愚行だと言うだろう。

 そして、間も無く漆黒の世界に重い金属の轟音が響き渡る。

 

「中々やるじゃないか」

 

 硬く閉ざされた城門すらも容易く破壊するであろう、首無し騎士の一撃は旅人の盾によって正面から受け止められた。

 旅人にダメージはほぼ無し、目立つ点があるとすれば土煙を上げて大地に二本の線を引いた足元くらいだろう。

 首無し騎士は確かに強い、出目が良かったのかは分からないが、衝突した旅人が僅かに後方に退げられる程度には。

 

「……だが、全く足りんさ」

 

 だがどう高く見積もっても、かつての世界で戦った、目覚めたばかりの地獄の帝王や魔族の王は疎か、その側近の魔物達にすら及ばず、野外やダンジョンで出くわす魔物と大差が無い。

 地獄の帝王の巨大な剣は目の前の敵よりもずっとずっと大きく速かった。

 異形となった体を何度も進化させた魔族の王の腕の力は目の前の敵よりももっともっと強かった。

 油断や慢心は無い、多くの戦闘の経験が目の前の敵を倒す事に問題は無いという答えが導き出されたに過ぎない。

 そして旅人は、距離を置こうとする首無し騎士達を逃がす事なく追随し、手にしていた剣を振り上げて首無し馬ごと首無し騎士を両断した。

 

「元は人間だったのか、それとも最初からそうだったのか、俺には知る由もない。

……次はそんなのになるんじゃねえぞ」

 

 誰に聞こえる訳でもない言葉を風に乗せて、旅人は首無し騎士へと手を翳し、先程骸骨の群れの半数を消した光(ニフラム)を放つ。

 戦いの跡を残し、温かな光に飲まれて首無し騎士と首無し馬は光の彼方へと消え去った。

 

「そっちも終わったみたいだな!」

 

 背後から言葉が聞こえると、青年戦士が手を挙げているかと思えば、離れた場所で斧戦士は得物を杖代わりにして肩で息をしていた。

 どうやらお互いに片がついたようだと、旅人は彼らの元へと向かおうとしたその時、何やら乾いた這い擦るような音が下から聞こえる。

 

「何か分からないが、気を抜くな!一度結界の中に戻るぞ!」

 

 旅人が大声で呼びかけ、それぞれが緩みかけていた気を再度引き締める。

 結界の外に出ていた旅人と斧戦士が戻り合流したところで、先程の不快な音の正体が発覚する。

 

「ゼェ……ゼェ……おいおい……今度ぁなんだってんだ!」

 

 肩で息をしながら斧戦士が吠えるように言う。

 一行が目を向ける先、結界からやや離れた場所に斧戦士が砕いた骸骨の破片が集合し、黒い霧に包まれる。

 やがて霧は大きな形を形成して消え、そこには一個の巨大な骸骨が出来上がっていた。

 

 

「キングスライムみたいな奴らだな」

 

「ゼェ……ゼェ……粘菌(スライム)がどうしたって!?」

 

「そんな事言ってる場合じゃないだろ、ありゃ飢者髑髏(ジャイアントスケルトン)だ!

で、どうするんだ?結界の中でやり過ごすのか?」

 

 どこか暢気な反応な旅人と斧戦士に注意をする青年戦士。

 だが彼自身、戦いの緊張の中で旅人が次はどんな手を打つのだろうと少々心が躍る。

 また、結界の中で経緯を見守っていた商人も彼と同じ気持ちではあった。

 

「いや、マズイな」

 

 だが、当の旅人から帰ってきたのは苦言であった。

 

「ふぅ……あれだけデカイと流石に破られんのか?」

 

 息を整えた斧戦士は手で額の汗を拭いながら旅人に問う。

 そんな彼の言葉に対して旅人は首を横に振る。

 

「多分だが、アレに結界を破る力はないだろう。

単体での強さならさっきの首無しのほうが上だろうな。

だが、アイツには高さがある」

 

「それの一体何がマズいのですかな?」

 

 愛馬と馬車の準備を終えた商人が険しい顔の旅人に聞く。

 自分がこんな顔をしていては依頼人が不安になると、旅人は眉間に寄せていた皺を解くように顔の力を緩める。

 

「以前試したんだが、俺の結界はある程度の範囲を球を半分に割ったの形に張られてるんだ。そして悪い事に……結界が遮るは魔物のみだ」

 

 そう言って旅人は人差し指を立てる。

 一同がその方向に目を向けると、先には星空を覆う岩の天井、自身らが野営地に選んだ大岩。

 

「いっ、岩が落ちてくるのなら、早く逃げた方が良いのではないですかな!?」

 

 商人が提案すると同時に、巨大な骸骨はゆっくりとだが、大きな音を立てて歩を進める。

 その音に商人は体を震わせるが、安堵させるように青年戦士は口を開く。

 

「落ち着いてくれよ、商人さん。

逃げが最善の手ならコイツはもう行動を始めてるだろうさ」

 

「余裕な態度が気に入らねぇけどなぁ。

それで、どうすんだ?」

 

 商人よりもほんの少しだけ付き合いが長いだけだが、青年戦士と斧戦士に焦燥感と呼べるものは殆ど無い。

 ほんの少しの付き合いでもこの旅人の様子なら大丈夫だと、一種の信頼をしていた。

 

「策って程でもないさ、シンプルに行くぞ。

俺がかけた術の効果は残っているな?アレは跳力も上がるからな。

助走をつけて盾の上に飛び乗ってもらい俺が押し上げ、そして君達のどちらかが奴の頭上から全身全霊を込めた強烈な一撃を与えて倒す。

残った一人は空中の攻撃手の援護だ」

 

 アレだけデカイと倒したら気が晴れるな、含むように笑いながら言ってのける旅人に対して、二人の冒険者は今度は呆れることは無く笑みを浮かべる。

 じっくりと迫り来る巨大な脅威を前にしても三人の冒険者に恐れは無い。

 

「フン、美味えとこは俺がいただくとするかぁ。

ヘタなところに打ち上げんじゃねぇぞ」

 

 斧戦士は鼻で笑うと、先ほどまで武器として使っていた鎖を腕に巻きつけて肩慣らしにと獲物を手に取り数回振るう。

 

「たくっ、そんな言い方じゃ借りた手段とはいえ遠距離で攻撃できる俺がまた援護に回るしかないじゃないかよ。

まあ、援護と商人殿の警護は任せときな!」

 

 破邪の剣を手にした青年戦士はそう返すと、商人に向け、自分が貴方を守るという意思を込めて頷いた。

 三人の会話が途切れたところで、何度目かわからない地鳴りが起こる。

 気がつけば巨大な骸骨はもう近くへとやってきていた。

 誰かが声を発する訳でもなく、互いに顔を見合わせてその表情から笑みを消す。

 互いに顔を見合わせて頷くと、まずは旅人が動いた。

 巨大骸骨のやや手前まで移動すると、左腕に装備した盾を上に構えて片膝を地に着け、斧戦士への合図として2回ほど盾を手で鳴らす。

 

「っしゃあ!行くぞぉ!」

 

 気合を入れた声を漏らした斧戦士は武器を片手に旅人の元へと助走をつけて思い切り盾の上へと飛び乗り、旅人ごと踏み潰すかの如く強く踏みつける。

 

「……『バイキルト』っ!」

 

 盾に衝撃を受けて、彼が上へと跳ぶ瞬間にタイミングを合わせて旅人は立ち上がるを加えて盾を大きく押し上げて斧戦士ごと空へと飛ばす。

 斧戦士の体は瞬く間に巨大骸骨の頭部の上まで打ち上げられる。

 空中でなんとか姿勢を正して斧を大きく頭上に構えるが、巨大骸骨もただ聳え立つだけではない。

 上昇を終えた斧戦士を羽虫を落とすが如く、不気味な音を立てながら巨大な腕を振り上げる。

 予想はしていたが、いざ自分に脅威か降りかかるとなると斧戦士も背筋が凍り付き、冷や汗が頬を伝う。

 そして想像するは地面に叩きつけられる自分の姿だ。

 

「そのまま行けえぇっっ!」

 

 青年戦士の咆哮と共に、巨大骸骨の振り上げた腕は破邪の剣から発せられた熱線によって肩口から焼き切られて無惨にも大地に引き寄せられる。

 先に脳裏をよぎった斧戦士が迎撃される未来が訪れる事は無い。

 準備は全て整った。あとは自分が目の前のデカブツを叩き壊すだけだと、斧戦士は得物を握る両手に力を込めて振り下ろした。

 斧戦士が雄叫びを上げながら繰り出す会心の一撃は、巨大骸骨を頭から砕く、砕く、砕く。

 枯れ木を枝打ちするかの如く、微かな抵抗を感じはするが問題にはならない。だが、その微かな抵抗が斧戦士が地へと落下する速度を少しずつ落としていた。

 そして、瞬く間に巨大骸骨が中心から二つに分かれると同時に、それを行った男は斧を地面に叩きつけてから片膝を着き、長く感じた空中の活動を終えた。

 

「ふぅーっ……ふぅーっ……!!」

 

 自分が飢者髑髏にトドメを刺した。

 腕っ節に自信はあったが鋼鉄等級からなかなか上がれなかった自分が今までで一番の大物を仕留めたのだ。

 興奮が冷めず、敵を屠った腕と高所から着地した足がやけに痺れているのが分かる。

 少しの間呆けていると、依頼主の商人と青年戦士が何やら叫んでいた事に気がつく。

 逃げろ、上だ。

 すでに抜け切ってしまったが残った力で顔を上げると、頭上には迫り来る骨の雨が空を覆っていた。

 ああ、こういった油断と最後の詰めの甘さが自分の至らない昇級出来ない理由かと、やけに時間の流れが遅く感じる中で斧戦士は回顧する。

 一つ、二つと自身の周りに骨が落ちたところで、生き延びれたら次に活かそうと目を閉じると同時に体が先ほどの様に宙にいる心地に陥る。

 

「全力の攻撃、お見事だ」

 

 離れた場所で大きな音がしたと思えば少しの間隔を空けて耳に入るのはどこか気に入らないと思い続けていた男の声だった。

 気が付けば斧戦士は旅人に抱えられていつの間にか崩れ落ちさる巨大骸骨の下から遠く離れた位置にいた。

 

「悪い、俺にかかっていたピオリムの効力が切れて重ね掛けをしていたら君を連れ帰るのがギリギリになってな」

 

 言い終えると同時に旅人は斧戦士を地に下ろす。

 思えば、何時ぞやこの男は鎧を着込んだ銅等級の男を片手で持ち上げていたのだ。そう考えると、自分を連れて戻って来る事などわけはなかったのだと斧戦士はどこか冷めたような笑みを浮かべた。

 

「へっ、なんだよ、お前一人で全部終わらせられたんじゃねえのか?」

 

「そうかもしれない。

だが俺と彼と君が全力を出せた結果、依頼主の商人殿にも俺たちの誰にも被害は無い。

俺が一人でやったらこの最善の結果にはならなかっただろうさ」

 

 そう言って腰を下ろしている斧戦士に向けて旅人は手を差し出した。

 

「フン……何かも思い通りかよ。っとに気に入らねえな!!」

 

「そうなったのは君達の力が高いからだ」

 

 旅人は握り返された手を掴んで斧戦士を引き上げる。

 そして彼の肩を叩いて称えると、二人は胸を撫で下ろしている青年戦士と興奮冷めやらないといった様子の商人の元へと歩を進める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーい!ここだ!」

 

 只人、獣人、圃人、あるいはその半分の特徴を持つ多くの人で賑わう酒場で一つの声が立ち入った旅人を呼び込んだ。

 座して待ちながら手を挙げている青年戦士と斧戦士の元へと向かい、頭を一度下げてから椅子へと座った。

 

「悪い、待たせてしまった。だが、先にやっていてくれと言ったと思ったが」

 

「馬鹿野郎、一時の一党とはいっても頭目抜きでおっ始められるわけねぇだろうが」

 

 呆れた様にやや不機嫌な態度で斧戦士は旅人に返すと、そのまま近くを通り過ぎた圃人の女給にエールを三つと料理の類いを幾つも頼んだ。

 

「頭目……俺がか?」

 

「他に誰がいるんだよ。元はお前の依頼だし指揮もお前が取ってただろ。

それにそこまで時間はかからないと踏んで俺が待ってるように提案したんだが、些か今日は遅かったな?」

 

「ああ、この街の一番でかい神殿に行ってみたら中が思ったよりも広くて奥まで行き過ぎてしまってな。急いで戻ろうとはしたんだがその先で出会った人と少し話してたら予想より遅くなった。本当に悪かったと思ってる」

 

「気にすんじゃねぇよ。早く帰って来ると見誤ったコイツの落ち度にしといてやるからよ。

んな奥まで行ったなら、剣の乙女にでも会ったのか?」

 

 斧戦士は再度頭を下げる旅人に対して鼻で笑って軽口を返す。

 旅人はバツが悪そうひ苦笑を浮かべると、彼が言った剣の乙女とやらを頭の中で思い浮かべる。

 その異名の剣という部分に何処となく闘争な面を感じた旅人の想像の結果は、かつての旅の仲間の武闘派な王女が扱えもしない剣を両手に持って笑顔で魔物の群を片端から屠るという物騒なものであった。

 我ながら貧困な上に短絡で思慮の浅い考えだと内心で自嘲しつつ、自分が会った人は目を帯で覆っていた丁寧な言葉遣いのお淑やか印象の持つ薄着を身に纏った美女だったので別人だと結論付ける。

 

「いや、そんな人はいなかった」

 

「そりゃそうだろうよ。剣の乙女なんて大層な人にそう安易と会える訳ないわな。

おっ、来た来た。さっ始めようぜ?」

 

 数々の料理が卓の上に並べられ、全員にジョッキが渡ったところで、青年戦士はそれぞれに乾杯を促した。

 

「それじゃ、無事に依頼を終えた事に」

 

「大物を仕留めた事に」

 

「オレ達やあの商人さんの今後の繁栄に」

 

 乾杯。

 そう声とジョッキを、合わせて冒険者達は一斉に酒を煽る。

 喉を鳴らして疲れた身体に流し込まれたそれはまさに命の水のようであった。

 

「……美味いな」

 

 孤独を感じている時、一切の味を感じることの無い旅人はあまりの酒の美味さに思わず呟いた。

 一人の時にどんなに高価な物や粗悪な安い物を口に入れても何も変わらずに味を感じずにいる旅人がだ。

 少なくとも、今回旅を共にして魔物を協力して倒したこの二人には幾分心が開けたのだろうか。

 

「お前、味覚あったんだな」

 

 少し驚いた顔をする青年戦士にそっと静かに笑って返事をすると、三人は昨日からの冒険の話と目の前の料理の数々を肴に次から次へと酒を煽り続ける。

 首無し騎士や巨大骸骨といった大物を仕留めた事、その後商人は興奮して夜は眠れなかった事、そのお陰で旅人が術を掛ける相手が馬だけでなく眠い目で手綱を握る商人も増えた事、夜が明けてから水の街までの道中で青年戦士が人一倍気を張っていたが特に何も起きなかった事、そして商人は別れ際にまたこの面子に依頼をしたいが緊急の一党であったので約束は出来ないと言ったらえらく落ち込み愛馬に慰められていた事、あの商人は近い将来成功を納めそうだと旅人は踏んだ事など、次から次へと言葉は紡がれた。

 長い時間三人の男達は話を続けつつ料理と酒に舌鼓を打ち、時には吟遊詩人の詩にも耳を傾けていた。

 だが話の肴は尽きずとも料理の方はそうはいかない。

 やがて終わりが見えた頃に旅人は付き合ってもらったお礼にと自費でこの酒場で一番高い、鉱人が只人の口に合うことを突き詰めたという名酒を振る舞う事にして品を待っているところで、ようやく会話の流れが途絶えた。

 

「おい……すまなかったなぁ……昨日は結局言えずじまいだったからよ」

 

 機を見計ったかの様に斧戦士は旅人の目を見て口を開いた。

 旅人は何のことかと聞き返そうとした時、斧戦士は続けて口を開く。

 

「間を空けずに次々昇級していくお前を見てお礼ぁ心の底から妬んで憎みもした。

なんでお前みたいなキザったい野郎が昇級して、俺ぁずっと鋼鉄のままなんだってな。

その結果があの絡み方だ。

最初は痛めつけようとしただけだったが、終いには本気で殺そうと斧を振ったさ」

 

 結局一発も喰らわせられなかったがと軽口を挟むが悲痛な表情を浮かべたまま語り続ける斧戦士に、酒が入っている筈の旅人も青年戦士も茶化す事は無く真摯に耳を向ける。

 酒に酔うと言い難い事でも容易く出るものだ。

 

「だがよ、あん時お前に歯が立たなかった事、昨日からの依頼をこなして納得したんだ。

今の俺なんかじゃ腕も心もコイツには敵わない。お前はなるべくしてなったんだとな。

本当にすまなかった」

 

 三人の間に沈黙が流れ、やや間を置いてから件の名酒と三つの杯が卓に置かれた。

 周りは他の客の声で騒がしい筈なのに、置かれた杯と酒瓶の音がやけに透明に聞こえる。

 旅人が無言で杯をそれぞれの前に置いてから一息ついて口を開いた。

 

「昨日行った事だが、あの時暴れようとしていた俺を止めてくれた君達に感謝している。

だから、気に病むのはここまでにしてくれないか」

 

 水に流そうと旅人のする提案にそれでも斧戦士の顔は曇ったままだ。

 

「言い難い事なら言わなくてもいいが、塞ぎ込んで溜めてるくらいなら全部吐き出しちまえよ」

 

 青年戦士が軽く斧戦士の肩を叩くと、荷が少し下りたのかポツリポツリと口を開いた。

 

「……手前の不甲斐なさがやけに身に染みてな」

 

 そこから斧戦士は語り続けた。

 自分は功を焦り過ぎていたのだと。

 斧戦士は故郷ではそれなりに裕福な農民の次男坊であった。

 よく出来た兄と弟が、いて自分は落ちこぼれであったが、それでも弟は自分を慕っていたという。

 だが、斧戦士が親と勘当同然の喧嘩別れをして家を飛び出し冒険者になって二月程が経った頃、弟は流行り病で死んだらしい。

 その事を知ったのは弟が死んでから兄から送られてきた手紙でだ。

 とても慕ってくれていたのに、死に目に会えず、病で苦しんでいる時側に居てやる事すら出来なかった。

 

「俺ぁ何もしてやれなかった……だからせめて、あの世でアイツが誇れるような冒険者になりかったが鋼鉄止まりだ。

情け無ぇ話だ。イラつくのはお前に当たって良い理由にもなってねぇしよ」

 

 時々、言葉を詰まらせながら斧戦士は言い終え、手で顔を押さえて天を仰いだ。

 酒の勢いに任せて自分の心の中の口が開いたようだ。

 

「……俺も、家に場所が無くて冒険者になったクチさ。

まあ殆ど連絡取っていないが家族は健在だ。

俺は家の方に心残りは無い。

大変な時もあるけどなんとか毎日を過ごしてて悪くはないと思う」

 

 斧戦士の苦虫を噛み潰したような悲痛な様子に感化されたのか、続いて青年戦士が口を開いた。

 最初に結成した一党は壊滅してしまったとの事だ。

 ある冒険で巨大な魔物と遭遇し、幸にも彼と僧侶は無事だったが、戦士は片腕を喰われてしまい、斥候はその身を喰われてしまった。

 

「その後……その怪物を倒すために徒党が組まれて俺も参加した。

俺が倒したわけじゃないが、怪物は死んだ。

少しは踏ん切りつけられたと思うが……今でも思い出すよ」

 

 自分の未練を今度は言葉を振るわせながら青年戦士が語る。

 だが、本人が言った通り、幾分心の整理はついているから斧戦士程は表情は暗く無いが、彼の口振りと震える手から心の傷は浅く無い事が伺える。

 彼らの辛い思いに共感したのか、自身のそれも吐き出したくなったのか、只々酔った勢いでクチが緩んだのかは分からない。

 旅人も口を開いたという事が一つの事実だ。

 

「俺は……多くの人に命を救ってもらって今日まで生きてきた。

……とても、良くして貰ったのに、俺は何も返せなかった。仇は取ろうとしたんだが結局上手くいかなくてな……今すぐにでも八つ裂きにしてやりたい存在が三つ程、今も生きているのに、俺は何も出来ないでいる」

 

 静かに、天を仰いで旅人はそう語った。

 悲壮と憤怒の感情が胸中に満つるも、それらが漏れ出ない様にそっと蓋をするために息を一つ吐いて押し殺す。

 

「……とんでもなく強いお前でもそいつらは倒せないのか?」

 

 今にも暗い地の底へと沈むように塞ぎ込みそうな旅人を気遣ってか、青年戦士は声をかけつつ、酒瓶の蓋を開けると各人の前に置かれた杯へと中身を注いだ。

 

「……ここに来る以前に旅をした仲間達がいるんだが。俺は彼等にはこの先の人生、幸福がある事を願っている。

先に言った三つの内、二つは殺せば少なからず世の中に影響が出ると思う……その結果、彼等の暮らしが脅かされるのはゴメンだからな」

 

「……残る一つはどうなんだ?」

 

 少し落ち着いた様子で今度は斧戦士が旅人へと問う。

 

「……多分だが、俺の大切な人達はそれを望んでいないだろうな」

 

 旅人はそう言って目の前の杯を手にして上に掲げて言葉を続ける。

 

「まあせめて、今回の依頼の達成も含めて、俺達の成した事が向こうにも知られていて、今もなんとか元気でやっているという便りになればいいな」

 

 旅人は掲げた杯を彼等の前へと差し出し、また二人も杯を前に出して合わせると、その思い思いを酒で胸の中へと流し込んだ。

 過去にどんなに辛い事があってとしても、先に大きな困難が待ち構えていたとしても、今を生きている限りは這ってでも前に進まなければならない。

 それが、彼等にできる精一杯なのだから。



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