ムゥの宝箱 (西風 そら)
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0 世界の何処かとプロローグ
『ジャックは架空の雑誌』という事で、お見過ごし下さいませ
世界のどこかとプロローグ
ヒゲ親父
:ちょっと待て、小学生やて? マジで??
職安マン
:フカシだろ。
ハムたろ
:フカシって何ですか?
Sept
:君が嘘を言っているって事。
――管理人によりこの書き込みは削除されました――
ヒゲ親父
:わわっ、まてまて、身バレやめれ!!
Sept
:管理人さん、早く消してあげて。
サルタヒコ
:あ、管理人殿、神速対応、あざっす。
テレビ天使
:・・どうやら本当の子供みたいね。
職安マン
:まいったな、ガチ小学生かよ。
ハムたろ
:小学生だと書き込みしてはいけなかったのですか。
ヒゲ親父
:いけないって事はないんだけどね。
あのね、顔の見えないインターネットの世界には、悪い人もいっぱいいてね。
えーと、デタラメ言う人がいっぱいいるの。
ヒゲ親父
:でも、相手が見えなくて皆同じ文字でしょ。どれがデタラメか分かんないでしょ。
そんな所に君が入って来るの、オッチャン達は心配なんだわ。
テレビ天使
:ヒゲさん、優し。
Sept
:年齢偽って大人ぶりたいガキンチョなんて一杯いるのに、正直でいいじゃないですか。
バカ正直過ぎるのも心配だけれど。
ハムたろ
:僕はただ、『火の鳥好きな奴集まれ』の文字が目に入ったから。
大好きな漫画なので、コメントしました。
職安マン
:昭和中期の漫画と平成小学生の接点が分からん。
ハムたろ
:おばあちゃんちにありました。小さい時、読んで、大好きになりました。
職安マン
:今時の漫画を読んでる君らにしたら、昔の漫画って物足りなくない?
見開きでドゴーンってブン殴んなくていいのか?
テレビ天使
:くすす
ハムたろ
:今の漫画、あんまり見てないです。母親が超絶漫画嫌いなので見られないです。
小さい頃、おばあちゃんちで、父さんの子供の頃の漫画を読んだきりです。
テレビ天使
:Oh……
職安マン
:母親定期……
ハムたろ
:このサイト、僕の好きな漫画の名前がいっぱいあって、嬉しかったです。
学校で僕の好きな漫画の名前言っても、誰も知らないんだもん。
サルタヒコ
:そりゃそうだろうな……
ヒゲ親父
:なあ、オッチャン達でルール作って、
そのルールの中で君と交流したいんやけど、どうやろか?
勿論、君に守らせるだけやなくて、オッチャン達も守るルールや。
ハムたろ
:はい、いいです。
ヒゲ親父
:んじゃ、ルールその一。
ネットの中で、分からん事とか困った事があったら、
一人で判断しないで、オッチャン達に相談すること。
ハムたろ
:はい。
テレビ天使
:うちらは~?
ヒゲ親父
:ハムたろの相談には真面目に答える事。
あと、こいつが来てる時はネットスラング禁止。『ら』抜き言葉も禁止。
サルタヒコ
:ちょっと待て!
職安マン
:それは無理っぽ!
テレビ天使
:あはは~ がんばろうね~
職安マン
:ハムたろ、いるー?
ハムたろ
:はい、います。
サルタヒコ
:即だな
テレビ天使
:宿題やったの~?
ハムたろ
:連立方程式分かんないから投げました。
サルタヒコ
:パソコン開くのは宿題済ませてからって約束したろ。
ハムたろ
:またSeptさんに教わろうと思って。
サルタヒコ
:あいつ、メインは別スレだからな。
それに今、自分で立てたスレで忙しいみたいだ。
職安マン
:ハムたろ、この間、少年ジャックの『CROW』好きって言ってたじゃん。
サルタヒコ
:何じゃと? ハムたろ、いつの間にジャックなんぞ読むようになった?
ハムたろ
:Septさんに、ウェブ版の定期講読の申し込み方を教えて貰ったんです。
定期講読ならちょっと安くなる事と、コンビニでの支払いのやり方と。
お陰で、学校で友達の話題に入れるようになりました。
サルタヒコ
:そかそか、ならば良かったな。
職安マン
:それでな、『CROW』のアニメ、母親がマンガ嫌いだから見られないってヘコんでたろ?
公式サイトで一期分、期間限定で公開するらしいから、パソコンで好きな時間に見られるぞ。
ほい、公式のURL
http://www.*********//
ハムたろ
:本当ですか! うわあ! すぐ見に行きます。
テレビ天使
:お~い、ハム君、先に宿題~。
サルタヒコ
:行っちまった。
――管理人によりこの書き込みは削除されました――
――管理人によりこの書き込みは削除されました――
Sept
:だから、小学生にそういうのを教えるのはどうかという話をしている。
――管理人によりこの書き込みは削除されました――
職安マン
:削除されたようだな。管理人の判断もそうだって事だ。
Sept
:違法サイト知ってる自慢をやりたいのなら、子供のいない場所へ行って幾らでもやってくれ。
テレビ天使
:どうどう、Septちゃん、熱くなりすぎ。相手は多分もういないよ。
サルタヒコ
:おーい、管理人殿、俺らは構わんから、この辺まるっと削除しといてくだされ。
あいつが朝起きてパソコンを開く前に。
ヒゲ親父
:・・俺らって、こんな良識人だったか?
テレビ天使
:さぁてね……
テレビ天使
:ねえ、ハム君。『サナギ』のメカニズム知ってる?
ハムたろ
:蝶になるやつですか?
テレビ天使
:そそ、蝶って元の芋虫に、似ても似つかないでしょ。
それって、サナギの殻の中で、一回ドロドロに溶けてるんだよぉ。
ハムたろ
:はい……
テレビ天使
:だから、サナギは絶対に衝撃を与えたり揺さぶったりしちゃイケナイの。
変な形の成虫になるか、最悪、羽化出来なくて死んじゃうんだって。
ハムたろ
:えっと、僕が聞いた事の答えは?
こっちで答えてくれるって言われたから来たんです。
テレビ天使
:ヒゲさん達さ、君の事、サナギみたく思ってるんだよ。
ハムたろ
:僕、やっぱり皆の負担になっているんですね。
テレビ天使
:どうだろね、あたしが見た限りでは、負担には見えないけれどね。
当たり前の事を当たり前に出来る事が、みんな、すごく嬉しいみたいだよ。
ハムたろ
:嬉しいんですか?
テレビ天使
:みんな、理想の自分でいたいんだよ、ネットの中では。
テレビ天使
:あたしを含めてね。
テレビ天使
:ハム君は、必要な人だよ。
ハムたろ
:はい。
テレビ天使
:このスレは、昔あたしが立てた非公開の捨てスレだから、丸ごと削除しておくね。
さ、雑談スレの方に戻ろっか。
職安マン
:あ、来た来た。ヒゲ親父さん、メリクリー!
ヒゲ親父
:メークリスマスっと、ちょっと待って、遡って読むから。
ヒゲ親父
:おっハムたろ終業式か。通知表どうだった?
ハムたろ
:下げたらパソコン取り上げられるから、それなりに頑張りました。
職安マン
:母親定期…
ハムたろ
:一つ報告があります。
小説サイトにアカウントを作って、小説の投稿を始めました。
サルタヒコ
:ノート二十冊分書き溜めていたって奴か?
ハムたろ
:はい、中学に入ったら始めようと思っていたんです。ちょっと前倒しで。
ヒゲ親父
:サイトとか自分で探したのか?
Sept
:僕が少し手伝いました。
ヒゲ親父
:わわっ、びっくりした。おったんか、Sept。
Sept
:ハムたろに相談を受けて。年齢制限が無くて、システムが使いやすく、
運営の評判が良いサイトを抽出して、教えてやりました。
サルタヒコ
:ご苦労さん、さすがだな。
ヒゲ親父
:そうか、やるって決めたのはハムたろ自身か。そうかそうか。
ハムたろ
:ネットの中に僕の確たる場所を、作っておきたかったんです。
そうしたら、僕が何処へ行っても、皆さんとずっとつながっていられる気がして。
サルタヒコ
:?? お別れみたいな言い方だな。
ハムたろ
:ここだって永遠じゃないでしょ。
ヒゲ親父
:……そうだな。
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1 白シャツとゆで卵
*原作との変更点:小杉さん配属二年目→入社二年目。
肩の力を抜いて、楽しんで頂ければ、嬉しゅうございます
白シャツとゆで卵・1
福田慎太は軽く機嫌が悪かった。
ちょっとした契約の手違いで、出版社まで出向く羽目になってしまったのだ。
「ゴメ~ン福田クン、本当は僕が間に立ってやり取り出来ればいいんだけれど、今、手間の掛かる新人の面倒見ててさ~」
担当の雄二郎は電話口で謝ったけれど、明らかにあまりゴメンとは思っていない。
「まったく……担当たるもの、作家に気持ちよく仕事させる為に、常に粉骨砕身しろってんだ。
ま、ろくに目を通さずにサインした俺も悪いんだけどよ」
「これで完了だ。すまなかったな、手間を掛けさせてしまって」
『週刊少年ジャック』編集部の談話ブース。
雄二郎の代理で立ち会ってくれた班長の相田が、書類をトントンと揃えて総務行きのファイルにしまった。平日の午後とあって編集デスクに人が少なく、手空きの彼が引き受けてくれたのだ。
「今度うまい物でも差し入れてくださいね」
「はは、それは雄二郎に言え」
さて、こんな日は寄り道しないでサッサと帰るに限る。
ゲンの悪い日って、面倒事が狙ったように転がり込んで来るモンだからな……と、立ち上がった所で、向こうのブースから聞き覚えのあるハイトーンボイスが響いた。
「わかりませーん! 何でソウナッチャウですか?」
衝立(ついたて)の上から、よく見知った寝癖の赤毛がピョンと飛び出す。
「師匠……?」
そちらに行って覗くと、椅子に立ち上がっているのは、やはり先輩作家の新妻エイジだった。
福田より二つ年下だがデビューは先で、悔しいけれど今の所、実績は一桁上を行かれている。
アシスタントに入って漫画論を戦わせた仲でもあり、福田は尊敬と親しみを込めて『師匠』と呼んでいる。
「あ、福田センセ! 聞いてください、この人がワカランチンなんですー」
テーブルには、福田と同じ部分でつまずいている書類と、困り果てた顔の入社二年目の小杉。
こちらも雄二郎の代理で立ち会っているのだろうが、上手く説明出来ずにアワアワしている。
福田は片手を額に当てた。まったく雄二郎さん、俺はともかく、師匠にはちゃんとフォローしてやれよ。この人の社会人力の低さ、分かってんだろうが。
「あのさ師匠、ここの所の書式が変わったから…」
今しがた自分が書き直した部分を、重ねて説明してやる。
「うおっ、そうだったですか! ラジャーです、福田センセ、天才です!」
「よせやい」
小杉は恐縮しながら礼を言い、相田に叱られながら、席に戻って行った。
あの人も二年目なんだから、このぐらいちゃっちゃと説明しろよな。
そういえば、今年配属された新入社員も、夏を越して仕事に慣れ始めた頃合いだろうか。
毎年毎年、大変なこった。万年自営業の自分には縁遠い世界だが。
「福田センセ! 今週の『GIRI』面白かったですぅ。最終コーナー見開きギャギャギャーンッで、手汗ドババーってなりました」
「ウホッ嬉しいぜ師匠、あれ、気合い入れて描いたんだ」
今やジャックの看板とも言えるエイジだが、作家が失いがちな一読者としてのスキルをナチュラルに持ち続けてくれている。絶対にお世辞は言わない彼なので、誉められれば素直に嬉しい。それだけで、まあ、来た甲斐もあったかな。
雑談しながら部屋の反対側の出口に向いた所で、廊下の方からバタバタと足音が響いた。
「誰か、誰かその人を捕まえて!!」
「こら、勝手に入るな!!」
――ガンゴンドン!!
けたたましい音と共に、入り口のドラゴンボールの立て看板が、大きく揺れた。
なんだ、なんだ??
ステンレス製のゴミ箱とそれに蹴つまずいた人物が、フリーザを倒してぶっ飛んで来て、書類満載の机に突っ込んだ。
唖然と眺める視線の中、後から追い掛けて来た男性が彼の身体を掴もうとする。
先の男性はバネ仕掛けのように飛び起きて、追跡者の腕を掻い潜り、そのまま走り出した。
おいおい、こっちへ来るじゃねぇか?
通路をドリフトしながら迫って来るのは、白シャツから枯れ枝みたいな腕を突き出した男。
土気色の顔、痩けた頬、顔の半分を覆うザンバラ髪の中から覗くギョロンとした目。
あー、あれだ、最近流行りの動きの早いゾンビだ・・って、違うだろっ?!
誰だぁ! こんな奴入れたのはっ!?
白シャツとゆで卵・2
白シャツの男は、片手を服の裾から突っ込んで、胸元に何かを隠し持っている。
すわ! 凶器!?
福田は反射的にエイジの前に立ちはだかった。
だが心配には及ばず、男は二人の数メートル手前でまたゴミ箱に蹴つまづいた。
――ドガ! ドン! ゴロロロ
勢いよく転がって来た男が二回転半した所で、福田が両足首を掴んで止めた。
「お、おい……大丈夫かよ?」
白シャツは仰向けで鼻血を流し、口を大開きにしてぜぇぜえ言っている。
近くで見ると、意外と年若い……下手したら高校生じゃねぇのか?
「紙?」
エイジが、周囲にヒラヒラ舞っている白い紙を不思議そうに眺めている。
男が懐に抱えていたのは何十枚かの紙束で、転んだ拍子にそれがブチまけられたのだ。
「すみません、その人を離さないでください!」
後から追い掛けて来た男性が、足をもつれさせながら駆け寄ろうとして、先の男が転がしたゴミ箱を踏んで、こっちは後ろ向きにひっくりコケた。
――ベシャドゴン! ぺこ
ぺこは下敷きになった何かのフィギアが壊れた音だ。
「あうう・・」
腰をさすりながら上半身起こしたのは、ゆで卵みたいな丸顔にズリ下がった瓶底メガネの若者。
遊栄社の社員証を下げている。
何かめっちゃ既視感があると思ったら、水木しげるのキャラシステムに、確かこんなのがいた。
「おい、何だこれは。お前、どこの部署だ!?」
相田が頭から湯気を上げながら、散らかった機器をまたいでやって来た。
「す、すみませ……」
ゆで卵が謝る前に、入り口に年配の男性が現れて叫んだ。
「すまない相田さん、うちの若いのが…うわぁ、こりゃ酷い」
「お? おぅ、佐波寅(さばとら)さん、あんたン所の新チャンか?」
今現れた佐波寅と呼ばれた男の特徴あるスダレ禿げは、福田にも見覚えがある。同じ遊栄社の幼年向け雑誌『ジャリーズランド』の班長で、新年会だかで名刺を貰った覚えがある。
「久祖(きゅうそ)君、どれだけ問題を起こしたら気が済むんだ。謝罪しなさい、ジャック編集部の皆さんに。ほら早く!」
スダレ禿げは、尻餅をついているゆで卵の所に大股で近付き、頭を押さえ付けた。
(今、謝ろうとしたのを遮ったのはあんただろう)
福田は白シャツの足首を掴んだまま、ちょっとイラッとした。
それにしても、こいつ、いつまで捕まえてりゃいいんだ?
「まったくうちの新人は、トンだポンコツで。去年優秀な新人に当たったお宅が羨ましい」
離れた所に突っ立っていた小杉が、いきなり話題にあげられてビクッとした。確かに彼は、新人としては最速で新連載を立ち上げて評判になったが、たまたま割り振られた作家が優秀だっただけだと、本人は思っている。
「いやはや、うちはハズレクジを引かされた。こいつなんか、ゴミですよ、ゴミ!」
福田のイラッが倍増した。何があったか知らんが、他所の部署の大勢の前で、自分トコの新人をそこまでこき下ろす事ないだろう?
「ねぇねぇ、これの次のページはないですか~?」
その場の緊迫をぶち壊す、間延びしたハイトーンボイス。
振り返ると、エイジが周囲の喧騒などどこ吹く風で、先程散らばった紙をのんびりと集めている。
この騒ぎの中、何やってんだよ、師匠!
「あ、あったあった、これだ……わおぅ!」
それは横書きの文書で、エイジはページ番号を確認しながら拾っては、楽しそうに読んでいる。そして福田に海老のように押さえられたままの白シャツを覗き込んだ。
「これ、アナタが書いたですか?」
「・・・・・・」
白シャツは鼻血をたらしながら目を見開いている。
「は、はいはい、はいいっ!!!」
代わりに答えたのはゆで卵だった。
「彼……公星(こうぼし)君が書いた小説です。ど、ど、どうですかっ?」
エイジは横目でゆで卵を見やってから、白シャツに向いて言った。
「面白いです、ボクは好きです」
白シャツは呆然としている。
「ホントですか? 僕は今、これを原作に短期連載の企画を立ち上げているんです」
ゆで卵は頬を紅潮させながら、四つ這いでこちらに向かって来た。
「へえ~、それは楽しみです~」
幼年誌で小説の漫画化とは珍しいな。しかしそれで何でこんな騒ぎになるんだ?
「冗談じゃない! まだ出来るつもりでいるのか? ボツだ! ボツに決まってるだろ!!」
スダレ禿げが叫んだ。
「何でですぅ?」
エイジが紙束を丁寧に揃えながら、スダレ禿げの方を見もしないで聞いた。
「この大作家先生は、我々の用意した作画担当をお気に召さないそうだ。理由を聞いてもとにかくダメだの一点張り。挙げ句に、いきなり原稿を抱えて逃げ出すとか。そんな社会常識の無い奴と仕事が出来るか!」
うぁ、確かにそいつは酷いが……
福田はひっくり返したままの白シャツに話し掛けた。
「本当か? 不満あるんなら、逃げてないでちゃんと話せ。自分の作品が大切なのは俺も解る。
だけれど、ここに仕事をしに来たからには、お前はもうプロの端くれなんだぞ」
白シャツは、福田の言葉に一瞬真顔になったが、すぐにフイと目をそらせた。
「そいつにプロ意識なんぞあるものか」
スダレ禿げが口を歪めて吐き捨てた。
「ネットの素人小説サイトなんかでのたくってた、ド素人だ」
「ネット……」
周囲のジャック編集部員が低い声で呟いた。彼らは去年、インターネットという代物に手痛い目に遭ったばかりで、ネガティブイメージを持っている。
「俺は反対したんだ。そんな、どこの馬の骨かも分からん奴を拾ってもロクな事にならんって。
ほら案の定こんな勘違いコドモだった」
「!!」
ゆで卵が顔を上げて抗議の表情をしたが、この惨状を引き起こしてしまったのは事実なので、言葉を出せずに唇を噛んだ。
「あ――そんじゃ、ボクが描いてもイイですか?」
その場の全員が「は??」となって凝視する中、エイジは後ろの椅子にストンと腰掛け、白シャツを覗き込んだ。
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2 白シャツとゆで卵
現在と微妙に違うみたいですが、原作に沿います
白シャツとゆで卵・3
「本当ですか? 新妻先生!」
驚きのあまりリアクション出来ないゆで卵を押し退けて、スダレ禿げがしゃしゃり出た。
「本当に我が誌で描いて頂けるんですか?」
「描いて頂ける訳ねぇだろっ!」
相田が割って入った。
「新妻エイジはジャックの宝だ!」
そう、ジャックの連載作家が結んでいる専属契約は遊栄社との物なのだが、実質『ジャック専属』って考えるのが暗黙の了解だ。
本来、作家は自営なんだから、どこと仕事をしようが自由な筈だ。
が、例えば福田は、担当の雄二郎に、鼻ったらしの小僧の頃から、手取り足取り漫画のイロハを教わった。
エイジには天賦の才能があったが、田舎に埋もれていた彼を発掘して上京させ、一人前の社会人になるまで面倒見たのは、ジャック編集部だ。
作家と担当・編集の間には、他からはちょっと分からない、独自の繋がりが存在する。
いくら『CROW(クロウ)』の連載が終わって余裕があるといっても、いきなりこんな事を言い出すエイジに、福田は違和感を覚えた。
だから足を掴んでいる白シャツが、「ニイヅマ……エイジ……」と呟いて全身総毛立たせているのに、気付かなかった。
「同じ社内で作家の貸し借りはアリだろ? 第一、新妻先生が乗り気でいらっしゃる」
スダレ禿げは頑張る。
「あ――のぉ――」
再び、エイジがその場を切った。
「ボクがそっちで描く事になったら、担当さんは当然この人になるんですよね?」
エイジは椅子にガーゴイル座りになって、床に四つ這いのゆで卵の方にクルリと回った。
「トンでもないっ、天下の新妻先生の担当を新卒なんかに任せられるものですか。私かベテランの誰かに」
「えー、だってボク、この原作が気に入ったのに、それをコキ下ろす人とはちょっとォ」
「い、いや、コキ下ろすも何も、私はまだ内容を読んでいませんし。でも先生がそこまでお気に入りなら」
(何だこいつ?!)
さっきまでは全部ゆで卵にひっかぶせて、他人事を決め込んでいたくせに、旨味があると思った途端にこれかよ。しかも、あれだけ蔑んでおいて、実は読んでいないだと。
福田が一言文句を言ってやろうと身を乗り出した……次の瞬間、足元の白シャツが、バッタみたいに暴れた。
「うああああ―――!!」
奇声を上げながら福田の足元をくぐり抜け、エイジの手から原稿を引ったくるや、野生動物みたいに机を飛び越え出口に走り、倒れたフリーザの向こうへとダイブした。
「新妻エイジなんか、新妻エイジなんか、絶対にダメだああぁ――っ」
という衝撃の台詞を吐きながら。
「こ、公星君!!」
ゆで卵が立ち上がって、よろけながら追い掛けた。
「きゅうそ!!」
スダレ禿げは声だけ発したが、その場を動かなかった。
バタバタと階段を駆け降りる二つの足音が遠ざかる。
「あーあ、まだ全部読んでなかったのに」
エイジがさも残念そうに、椅子をキィキィと揺らした。
「すみません、なんとお詫びしたらいいやら。あのコドモ、先生の価値が分かっていないだけです。すぐに言い聞かせますから。執筆のお話、忘れないでくださいよ」
「忘れさせて貰いますよ!」
相田がエイジを椅子ごとガラガラと引っ張って、スダレ禿げから遠ざけた。
「だいたい何なんだ? あのおかしな子は。原作担当者として招いたんじゃないんですか?」
ジャックの宝をクサされれば、相田だって気分が悪い。
「それは久祖が」
こらこら、また責任逃れか?
「そもそも久祖がネットで拾ったとか言って、あの原作を持ち込んだんだ。他に企画も無い時期で、編集長がGOを出しちまった。あいつの教育係で補佐せにゃならん俺の身にもなってくれ」
この場の者があまり同調してくれないので不満がつのったスダレ禿げは、つい口を滑らせた。
「あいつ、夏に例のあの事件をやらかした張本人なんだよ。挽回しないと後がないんで、なりふり構っていない。俺だって巻き込まれたくないんだ」
福田がとうとうブチ切れた。
「うっせぇ、いい加減にしろ! 子供向け雑誌を作ってる身なら下のモンぐらい庇え。グダグダ、グダグダ、みっともねぇ!」
「福田君……」
相田が横から肩に手を置いた。
「巻き込んで済まなかったね。タクシー呼んであげるから、新妻君と一緒に帰りなさい」
「お、おう?」
見ると、他の編集部員達は各々散らかった物を片付け始めている。皆、うつむき加減で無言だ。
「わぁい、タクシー、タクシー!」
エイジがニコニコと腕を組んで来た。
「ね、福田センセ、さっきボクの前に立ちはだかって庇ってくれたでしょ。カッコ良かったです。メドローアぶちかますかと思いました」
「よせやい」
「今の啖呵(たんか)もカッコ良かったデス。皆さんもそう思ってますよ、多分」
「…………」
白シャツとゆで卵・4
二人がエレベーターホールに出ると、またしても異(い)なる光景にブチ当たった。
壁にもたれて座り込んでいる恰幅のいい男性は、福田のよく知った人物だ。
「中井さん?」
反対側で正座して頭を下げているのは、先程駆け去ったゆで卵。
「すみません、すみません、すみません」
「俺は仕事だって呼ばれたから来たのに」
原作者に拒否られた気の毒な作画担当って、あんたかよっ?!
「本当に引き合わされてすぐなんだ。一言も喋る前だよ。名前を紹介されて、さて色々聞こうかなって構えた瞬間、あいつが立ち上がって、ダメです! って叫んで…」
階下へ降りるエレベーター。
乗っているのは、福田、エイジ、そして目も当てられない程ショボくれた中井。
ゆで卵は、作家に逃げ切られた事を上司に報告に行った。
可哀想に、また責められている事だろう。
「ナンでですかねェ。絵師ガチャで中井さんが当たったら、大当たりの部類だと思うんですが」
「師匠、絵師ガチャなんて言葉、よく知ってるな」
「素人にまでナメられるなんて。メジャーじゃないって辛いよな」
「…………」
中井拓朗の名前で世に出た作品はごく僅かだ。だが、彼の作画能力は非の打ち処がない。
アシスタント歴が長いだけあって、どんなジャンルでも器用にこなし、絵に関しては、作家仲間の間でも一目置かれている。
「まあ、俺もあんな暗そうな兄ちゃんとの仕事なんか願い下げだ。可愛い女の子だったらよかったのに」
性格がこれじゃなきゃ、『絵に関しては』って付けなくても済むんだが。
中井が言うには、原作の公星は最初そんなにおかしな感じではなかったらしい。
久祖が新人編集だという事で上司の佐波寅が傍らに着いていたのだが、部下を遮っては勝手に喋り出すので、そっちの方が雰囲気悪くて心配だったという。
「静かに新人を見守ってやるって事が出来ない人だったな。で、原作兄ちゃんが叫んだ後も、居丈高に叱りつけてな。とうとう兄ちゃんがパニクって飛び出した。俺が見た感想はそんなんだ」
「へ、へえ……」
酷い現場だ、中井さん災難だったな。
「んで、階段に逃げた奴を久祖が追い駆けて、佐波寅さんはブツブツ言いながらも『下で待ち伏せる』ってエレベーターで降りて行ったんだ」
なるほど、だから挟み撃ちにされた公星は、間の階のジャック編集部に逃げ込んで来たのか。
「ポツンと残された俺の身にもなってくれ」
「そいつぁ……気の毒だったな」
エレベーターが階下に着いた。
外はすっかり暮れて、ガラス越しに待機タクシーの灯りが見える。
三人は訪問者カードを受付に返し、玄関ホールから外に出た。
来る時は降っていなかった小雨がパラついている。
二台のタクシーが各々に、エイジと福田の名を確認してドアを開いた。
「あーあ、連載作家様はイイよな」
「中井さん」
福田はドアに手をかけたまま止まっている。
「よかったら乗って行ってください、俺、電車で帰りますんで」
「え? そんなつもりじゃ」
「いや、野暮用を思い出したんですよ。じゃ、師匠、さよなら!」
福田は二人が返事をする前に、小雨ににじむ街灯りの中へ、慌ただしく駆け消えた。
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3 コーラとゴーヤ茶
コーラとゴーヤ茶・1
遊栄社玄関から十数メートル離れたビルの陰。
降り始めた雨を気にする素振りもなく、濡れそぼったまま、通りを凝視している者がいる。
その透けた白シャツの肩を、背後から、ペンダコのあるごつい指が掴んだ。
「ひっ」
「ここでウダウダしているくらいなら、さっき逃げなきゃよかったろうが」
掴まれた白シャツの少年は、身を低くして逃れようとした。
「逃がすかよ」
福田は素早く彼の前に回り込んだ。
師匠に対する態度もアレだが、あのメンタルの弱い中井さんを追い込んだのが許せねえ。
あの人が落ち込むと、周囲の者がどんだけ面倒くさい目に遭うと思ってんだ。
「大人にワガママかまして振り回すのは楽しかったか? 幾つであろうと、自分の作品引っ提げて出版社に来たのなら、子供ブリッコは通用しねぇんだよ」
白シャツが思いの外暴れるので、福田は羽交い締めて人通りのない方へ引っ張ろうとした。
そこへ……
「おい、何やってる?」
運の悪い事に、巡回中の警察官だ。
加えて運の悪い事に、福田の風体は、何もしていない時でも職質に引っ掛かるナチュラルヤンキーだ。
(しまった)
些細な事でもネットで大袈裟に拡散される昨今、警察沙汰はまずい。
「ちょっと交番まで来て貰って、話を伺いましょうか?」
そう言いながら警察官は無線を手に取った。
(やばいやばい)
「先輩、ほら、やっぱ飲み過ぎですって、おまわりさんに怒られますよ」
いきなり白シャツが叫んだ。
「すみません、大人しくさせますから」
「こ、こら~後輩の癖にナマイキだぞぉ~」
福田も慌てて話を合わせた。
警察官は肩をすくめて、気を付けて帰りなさいと、去って行った。
雨の中で肩を下ろす、残された二人。
「……大根ですね…」
白シャツがポソッとつぶやいた。
「す、すまん・・じゃなくってっ!!」
叫んだ福田の語尾をかき消すように雨が激しくなり、雨宿りに走る周囲の動きが慌ただしくなった。
「ドリンク、以上でお揃いですか? 追加・延長はそちらの内線でお申し付けください」
従業員は、大きなソファに離れて座る二人の男性を怪訝そうにチラ見してから、扉の向こうに消えた。
「やっぱ、こういう所で唄わないと、怪しまれるんですかね」
「しょうがないだろ、サ店がどこも一杯だったんだから」
びしょ濡れの上衣を衣紋掛けに引っ掛けながら、福田は素っ気なく言った。
「怪しまれっぱなしなのも気分悪いんで、一曲唄っときますね」
「は? おい、ちょっと待て」
止める間もなく少年は、慣れた手付きでタブレットを操り、程なく賑やかなアニメのオープニングが流れ出した。
(『CROW』かよ!!)
今さっき失礼かました先輩作家のアニメソング…どんな神経してたら唄えるんだ?
呆気に取られる福田の前で、三番まで完璧に唄いきった白シャツは、ふぅと息をついてコーラのストローをくわえた。
「……」
じっと見ている福田の視線に気付いて、少年はストローを離して炭酸息と共にポソッと言った。
「ボク、『CROW』大好きなんです」
「ほお・・そいつぁ師匠も喜ぶだろうよ」
なんだかもう、何て反応したらいいやらだ。
「やっぱり?! 『GIRI』の福田慎太さんですよねっ!」
いきなりテンション高く叫ばれて、福田はたじろぎながら、ああ、と答えた。
「ジャックの巻末コメで、新妻エイジを師匠呼びするの、よく見かけてたから。ホントに普段から師匠呼びなんですね。あ、今週の『GIRI』めっちゃカッコ良かったです」
「そいつぁどうも」
お喋りなくらい喋るじゃねえか。何なんだよ、さっきの編集部でのダンマリは。
「その大好きなアニメの原作者に、よくぞあんな失礼なマネが出来たもんだな」
少年はサッと顔色を変え、急に脱力してソファにうつ伏せた。
「そ、そう、こんな時じゃなきゃ、天にも昇る気持ちだったのに・・」
さっきのテンションはどこへやら、蚊トンボみたいな声だ。
「お前さんにどんな事情があるのか知らんが、事情があるからって何をやっても許される訳じゃないからな。え? 何とか言え」
ペシャンコのまま反応しない白シャツ。
おいおい?
こいつ、ハイとロウの差が激しすぎる。しかもスイッチが分からん。
「ううう・・唄っていいですか・・?」
「はあ? なんだそりゃ?」
「僕、唄ってテンション上げないと、喋れなぃ・・」
ふざけんな!!! お前はどっかのロボットアニメから来た異世界住人かっ!!??
コーラとゴーヤ茶・2
「先月の中頃、僕の投稿している小説サイトの個人ページに、遊栄社の編集部員を名乗るアカウントからのメッセージが届きました。コミカライズに興味があるなら、折り返し連絡をくださいと」
『CROW』二期のオープニングを歌い終わり、白シャツはホコホコした顔でやっと本題を話し始めた。
「こういう昨今ですから。手放しで喜ぶよりもまず、本物かどうかを疑いますよね」
「そうだな」
順調に喋ってくれている彼のテンションを下げないように、福田は最低限の相づちだけを入れる事にした。これ以上あの妙な高音を聞かされたら、耳がどうにかなる。
「で、遊栄社の番号を調べて電話してみたんですが、案内メッセージばかりで全然繋がらない。
時間を変えて何回か掛けてもダメでした」
最近、モンスターを越えたクレーマーが頻発するから、そうなっちまったらしいな。
奴ら、こういう真っ当な問い合わせをしたい子達にトバッチリが行く事を考えないんだろうか。
「それで僕……あ、普段から小説サイトの人達がチャットしているスレがあるんですけど、そこで思い切って相談してみたんです。そしたら、住人の一人が、自分が単発アシスタントに行く漫画家先生が、遊栄社で仕事してたかもって」
「ほお」
今時の子は何でもネットにおもねるんだなと思ったが、それで繋がる場合もあるんだな。
「その先生のフェイスブックを教えて貰って連絡取ったら、思いの外親身になってくれて。自分の担当に頼んで、遊栄社内部に該当者がいるか調べてくれたんです。その日のうちに、ボクにメッセをくれた久祖さんは実在していて、メッセも確かに送ったと、本人に確認を取ってくれました」
「そうか、よかったな」
「ええ、本物と分かって嬉しかったです。好きで書いてはいるけれど、誉められた事なんかないし、ましてや大手出版の編集部員が目に止めてくれるなんて、夢みたいだ…と・・」
言ってる言葉とは裏腹に、白シャツの声に元気がなくなって来た。
「ど、どうした?」
「嬉しかったのは、一瞬だったんです・・」
「??」
白シャツは黙ってスマホを取り出し、ひとつの画面を開いて、福田に差し出した。
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4 コーラとゴーヤ茶
コーラとゴーヤ茶・3
「先週はなんか、大変な現場に居合わせちゃったみたいですね」
トーンの切り屑散らばるマンションの一室。
目の前に出された異様な香りを発する液体を眺めながら、福田は、ああ、と返事をした。
「なに……これ?」
「ゴーヤ茶。カヤちゃんが最近健康オタクでさ。他にもシイタケ茶やらタンポポ茶やらに棚を占領されてる。少し持って帰りませんか?」
高木は話しながら、両手に二つのカップを持って部屋の奥へ歩いた。
そちらでは彼の相棒の真城が、年季の入った大机に張り付いて、カラー原稿を塗っている。
彼らは原作(高木秋人)と作画(真城最高)を分業する二人一組の、亜城木夢叶(あしろぎむと)という漫画家だ。
福田やエイジと同じく、ジャックの主力連載を担っている。
福田より三つも年下のくせに、高木の方は妻帯者だ。
「サンキュ、シュージン。漫画家なんか不健康極まりないんだから、色々考えてくれてんだろ。文句言ったらバチが当たるぞ。福田さんすみません、これ塗っちゃいたいんで、作業しながら聞かせてください」
「いや、こちらこそすまんな。原稿あがって一段落のタイミングを見計らって来たつもりだったんだが」
高木が戻って来て、福田の向かいのソファに座った。
「で、話って何でしょう? 先週の編集部の騒動は伝え聞きましたけれど、俺らには関係なさそうですが?」
「うん……」
福田はどういう切り口で話そうかと、言いよどんだ。
「最初に言っておくが、お前らにとって気持ちのいい話じゃないんだ」
高木は不安な顔になり、真城は表情に出さないが黙々と色ペンを動かしながら耳を傾けている。
「そして、さっき高木が言ったように、お前らには直接関係ない。だけれど耳に入れて置いた方がいいと思ったんだ」
顔をしかめながら苦い茶をすすり、福田は先週遭遇した編集部の事件から話し始めた。
「ずいぶんエキセントリックな子ですね。まあでも俺も、俺の原作に石沢が絵を付けるなんて話になったら、原稿抱えて逃げ出すかもしれん」
高木の言葉に奥で真城がククッと吹き出した。
石沢ってよく分からんが、二人の共通の知り合いなんだろう。
「福田さん、その子と直接話したんですか?」
高木が茶を継ぎ足しながら聞いた。
「ああ、カラオケボックスでな。ロゥになる度にアニメソング聞かされながら。お陰で『CROW』一期から四期までの挿入歌、フルで聞かされたぞ」
「ははは・・」
「これを見せられたらロゥになるのも理解してやれたんだがな」
福田はスマホを取り出し、あらかじめショートカットに入れておいた記事を呼び出して差し出した。
「あ? これ……」
「知っているか?」
「はい、『PCP』がリアの事件と被ったりしないように、毎日大まかなニュースはチェックしていますから。それにこの記事、遊栄社の名前が入っていたし」
「なになに? シュージン」
奥の机で真城が騒ぐ。
「真城は知らないのか?」
「ああ、サイコーには、こういう濁ったの見せたくなくて」
昨今の漫画家は、物知らずではやって行けない。
ピンポイントの情報を得るにはインターネットが便利なのだが、これが諸刃の剣だ。
ついうっかりエゴサーチなんぞやっちゃった日には、作品に支障をきたすどころか、破綻させて立ち直れなくなった作家も……なんて、怖い話も聞く。
福田も自分なりに気を付けてはいるのだが、高木というフィルターを持っている真城を、ちょっと羨ましく思った。
高木がスマホを持って行って彼に渡した。
「ぐげ!? 何だよこれ、子供のラクガキ?」
「これでも遊栄社の『ジャリーズランド』に掲載された、歴(れっき)とした商業作品なんだ」
「嘘だろ??」
渡された液晶画面には、コマ割り漫画の画像が何点かと、それに対する批判記事が表示されている。
漫画は一見、西洋の歴史物っぽかったが、幼児ウケだけを狙ったような下ネタの下品な絵で埋め尽くされていた。しかもかなり雑だ。
「これがなんでニュースになるの?」
「これ、ある国の神話上の英雄の話なんだけどさ、見ての通りのお下劣漫画で、内容も神話関係なく、ただ茶化しておちょくって終わってんの。それだけなら質の悪い作品ってだけで済んだんだけれど、間が悪いことに、その国から来日中の超有名アーティストが、その神話を礎(いしずえ)にした宗教の敬虔(けいけん)な信者だった」
「うへえ」
高木は要約が上手いな。福田は記事の解説は彼に任せる事にした。
「更に運が悪い事に、そのアーティストと一緒に来日した子供がジャリランを買って来て、子供経由でこの作品を見たらしい。そんで『子供に何て物見せるんだ!』って怒り狂って」
「あちゃあ」
「そのアーティスト真面目な人だから、『子供向け雑誌』ってのが怒りのツボだったらしい。
更に『自分の来日のタイミングで発売するとか、ケンカ売ってんのか』とまで言い出して、怒りのツィッターに信者&自称有識者が油を注いで、大炎上」
「うーん、後半言いがかりっぽいけど……所変われば大事にしている物は違うもんな。怒りはごもっともなんだろう。うわっ『国際問題に発展か?』とまで書いてある?」
「その辺は誇張だと思うぞ。大使館レベルで動いたって話はないし。でもアーティストが影響力のある人だったからね。次の号で謝罪文が入ったよ」
「…………」
真城は口を結んで暗い顔になった。小学生のイタズラ頭脳戦漫画を描いている自分達だって、常にその筋からのバッシングは受けている。
「作者の人は?」
「遠藤メンデル先生って中堅作家。昔からジャリランでこんなんばっか描いてる人みたい。福田さん、知ってますか?」
「俺もよく知らない。今は謹慎中らしいけれど、雑誌としては付き合いも長いし、ほとぼりが冷めたら復活させるみたいだよ。それは雄二郎さんから聞いた」
机の所の二人は他人事ながらホッとした。
そりゃ勿論、発表した作品の責任を、作家はとらねばならないのだが、これまでの積み重ねもこれからの未来も全てオジャンにせねばならぬ程の大悪行にも思えない。
「それで……」
福田は、ここからが本題と、指を組んで座り直した。
「この作品の担当編集が、件の久祖(きゅうそ)って新人だったんだ」
コーラとゴーヤ茶・4
再び数日前のカラオケボックス
福田がスマホの記事を読んでいる間、白シャツはまたタブレットを操作して、今度は『CROW』のエンディングを唄っている。物悲しくなるからそのバラードはやめろ。
「僕の為に動いてくれたその先生は、調べる途中で気になる物に行き当たったと、その記事を教えてくれたんです。記事には書いていないけれど、この作品の担当者は久祖(きゅうそ)さんだと」
「ふむ、確かにこれを見たら不安になるわな。でも今回の企画とは関係ないだろ? お前の作品もお下劣にされてしまうと心配になったか?」
「関係、大アリなんですよ」
白シャツが勢いよく立ち上がったので、落っこちたマイクが〈〈ゴン〉〉といった。
「ボクの小説は、この神話の英雄が活躍する話なんです!」
「・・!!」
「現代社会の主人公が古代の神々の世界に迷い込んで、彼と出会って親友になり、二人で協力して様々な困難に立ち向かう……って話です。神話も僕なりに調べて、脚色して取り入れています」
「………」
「たまたまだと思いますか?」
……たまたまだと思う方が、能天気だわな……
「それに先生に言われて気付いたんですが、小説サイトでこの英雄の名前を検索したら、僕の小説がトップに来るんです。マイナーな人物ですから」
「お前、だけど……」
「・・なんだ、そうか、そういう事だったのかって、頭の先から力が抜けました・・」
隈をつくった目をうるませながら白シャツはソファに突っ伏し、芋虫みたいに丸くなった。
「よくよく考えたら、僕の小説なんて、大した数字も取ってないのに・・・ランキングにも入った事ないし、誰もしおりを挟んでくれないし・・・浮かれちゃって、バカみたい・・・・」
「お、おい、しっかり、気を確かに持て! そうだ唄え! 今度は『CROW`s SKY』が聞きたいなっ! ほらほら!」
マンションの一室。
冷めたゴーヤ茶のカップを両手で握って、高木は大きく息を吐いた。
「福田さん、優しいな」
真城が奥の机で規則的なマジックの音を響かせながら言う。
「そうか? お前だって多分、目の前であんなに小動物みたいに震えられたら放っとけないぜ」
「久祖さんの思惑は、汚名の挽回……でしょうかね」
顎に指を当てながら高木が言った。
「その英雄が日本人の子供と仲良く活躍する話を、今度はちゃんと神話に基づいて真面目に展開させれば、世間に対して反省アピールは出来るでしょうね。あわよくば、例のアーティストに許しの言質(げんち)を貰えれば、万々歳って所かな」
「少年漫画を地で行く筋書きだな。シュージン的にはどう思う?」
「俺だったらそんなご都合な筋は考えない」
「へえ」
「そもそもこういう記事って、一部の奴らが誰かをつるし上げる材料を見つけては、騒ぎたいだけなんだ。世間が忘れるまで放っとくのが一番なんだよ。下手にほじくり返すのがもっとも良くない。どんなに良作を載せても、あげ足取りしかされないと思う」
亜城木夢叶の連載作品『PCP』は、日常の中での些細なイタズラを完全犯罪と称して実行する小学生が主人公だ。『子供と犯罪』という言葉に過剰に反応する自称良識派に、常に目の敵にされている。原作の高木は、その辺の流れは身にしみて分かっている。
「そうだな」
福田が先を続けた。
「これも雄二郎さんに聞いたんだけれど、ジャリラン編集部って年配の人が多いから、そういう危機感を言い出す人がいないらしいんだ。編集長が一番ネットに疎い。何か起ってから慌てて大騒ぎするのが常だって」
「うわぁ・・」
雄二郎さんの社内情報ダダ漏らし具合も「うわぁ」だけれど。
「危なっかしい企画なのに編集部にその自覚がないって事か。確かにちょっと怖いかも。その公星(こうぼし)って子も、そういうのが分かっていたの?」
「ああ、さっき高木が言った事、まんまその先生に言われたらしい。最初から斜に見られると分かっている環境の中に、大切な作品を晒す勇気があるのか? 静かに書いていたサイトも荒らされるかもしれないんだぞ、と」
「脅すなあ…」
高木が肩をすくめた。
「じゃあ何で話を受けて出版社に出向いたんだ」
「うん、唄い終わってテンションマックスの時を狙って、その質問をぶつけてみた」
「そりゃ……やっぱり夢見ちゃいますから」
ハイテンポなサビリフレインを唄いきって息を弾ませながら、白シャツは言った。
「たとえ利用の為に適当に選ばれただけだとしても。コミカライズされるチャンスなんて一生の内にあるか無いかですモン」
まあ、それは分かる。
「さっき言った先生。その人も、せっかくの機会なんだから受ける受けないはボクの自由だと言ってくれました。そして、不安がっている僕にアドバイスをくれたんです」
「どんな?」
「作画担当に気を付けろと」
「??」
福田の話を聞いていた高木と真城も、頓狂な顔をして首をひねった。てっきり最初に契約書を確認しとけとか、編集者との折衝のコツとか、そういうのを予想していたのだが。
その時の福田もそんな顔をした。
「作画担当って、編集部側が決めて用意するんだよな?」
「はい、作画に誰を宛がってくれるかで、編集部のこの企画への本気度が測れるって」
「………」
なんか、漫画家側からしたら嫌な言われ方だけれど、その通りではある……
「一番安心していいのは、遠藤メンデルだって言われました」
「なっなんで??」
言っている奴の意図が分からない。
「編集部が、企画の危なっかしさもちゃんと踏まえた上で、それでも世間に対して真摯な反省アピールをしたいなら、遠藤メンデル以外考えられないって」
「ああ……」
確かに、そうかも……
「そして次に安心なのは、ジャリランのレギュラー作家。次はベテラン編集が大事に育てている新人。大切な手持ちの作家を使ってくれるのなら、この企画も丁寧に扱ってくれる。万が一の時にもそれなりに守ってくれるだろうと」
「むぅ……」
画力とか実績とか二の次なのか。
「赤信号は、ジャリランに関わりのない作家を外部から引っ張って来た場合。何かあったら、泥だけ被せられて簡単に打ち捨てられるだろうって」
「いや、そんな言い方……」
「もし外部作家が来たら、全力で逃げろと言われました」
「…………」
「…………」
そこまで聞いて、高木と真城は止まってしまった。
言っている事が飛躍し過ぎじゃないか?
編集部だって、大切な掲載枠の一つをそんなに雑に扱いやしないだろ?
何か変だ。
編集サイドに対する、その頭からの不信と敵意・・
「なあ、その、公星君にアドバイスしている先生って……」
高木が腫れ物に触るように、そっと聞いた。
奥の真城は色ペンを握りしめて、口をギュッと結んでいる。
「七峰透さんです」
恐々聞いた福田の質問に白シャツは小さな声でサラッと答え、またタブレットに手を伸ばした。
コーラとゴーヤ茶・5
キュッと音がして、奥の机の真城が色ペンに蓋をしている。
今の心情で原稿を続けちゃいけないと判断したんだろう。
高木が恨めしそうに福田を見た。
「だから最初に気持ちよくない話だって断ったろ?」
空のカップを罰悪く弄(いじ)くりながら、福田は肩をすくめた。
真城の七峰嫌いは予想していたが、いやはや本当に心底毛嫌いしてんだな。
七峰透……
去年の夏にジャックでデビューした若手漫画家。
投稿時から画力構成力共に新人離れしていると定評があり、難なく連載枠をもぎ取った。
中学生時代からの亜城木夢斗ファンという事で、最初は二人になついていた。
が、漫画の作り方で二人にダメ出しされると態度を豹変させ、それ以来わざとネタを被せて来たり、何かとネチネチ絡んで来る。
大の編集者嫌いで、漫画は漫画のエキスパートだけで作ればいいと豪語している。
場数を踏んだベテランならともかく、頭でっかちのルーキーがそれを振りかざしたって、イタいだけなんだがな……と福田は思う。
漫画家だった亡き叔父との思い出を大切に、叔父と同じ土俵での漫画作りに真剣に取り組んでいる真城からしたら、尚更許せない物があるのだろう。
七峰の連載は、亜城木夢斗を意識しすぎて迷走し、自滅してしまった。
今は遊栄社系列の月刊誌にポツポツ描いていると聞く。
「それで福田さん、俺ら的には、えっと、どうしたら……」
高木が身構えながら聞いた。
オーバーワーク気味の真城を余計な事に巻き込みたくないんだろう。
「いや、特にどうとも。情報として知っておいた方がいいと思っただけだよ。何も知らずにうっかり関わって、いきなり七峰透に行き当たっても、嫌だろ?」
「ああ……」
高木は不安そうに真城を見た。
「うん、ありがとう、福田さん。中途半端な噂で入るよりも、こうやってちゃんと知っておいた方がよかった」
真城が明るく言ったので、高木もホッと肩を降ろした。
「結局その企画、どうなるんです?」
「このままじゃ流れるだろうな。原作者が嫌がってるんだから、どうしようもない」
高木は口を結んで鼻から息を吐いた。余計な情報さえ入らなければ、その子は選ばれた事を素直に喜び、つつがなく漫画化に踏み出せたろうに。
「放っとけばいいんじゃない?」
真城のサクッとした言葉に、二人は振り向いた。
「賞に投稿とかじゃなく、たまたま拾われただけで、積極的にプロになりたい訳でもないんだろ?
そもそも中井さんが外部作家ってだけで、あいつに言われたマニュアル通りに逃げ出すなんて、自分が無さすぎるよ。俺は同情しない」
「ああ、そうだな」
福田があっさり肯定したので、ドキドキしていた高木は胸を撫で下ろした。
「真城も高木も、本当に、奴には関わらない方がいい」
土産に渡された大きな紙袋を下げてマンション玄関を出た所で、福田は今一度、五階の灯りを見上げた。
これでまあ大丈夫だ。
真城はああ見えて、人一倍、情にほだされやすい男だからな。万が一この件に関わって七峰透とブチ当たったら、ムキになって対抗しようとするのは目に見えている。
あらかじめ奴が絡んでいる事を伝えておけば、最初から関わろうとはしないだろう。
何せこの件は厄介だ。
どのくらい厄介かというと、話を最後まで聞いてしまったら、絶対に放っておけなくなるくらい、厄介なのだ。クソ忙しい連載作家が関わるモンじゃない。
そんな面倒くさい目に遭うのは俺一人で十分だ。
カラオケボックスの話には、まだちょっとだけ、続きがある。
「いくら外部作家だからって、七峰に言われた通りに逃げ出すなんて、相手に対してあんまりだと思わないか?」
真城が言った疑念を、当然福田だってぶつけていた。
「中井さんだってあんな外見だけれど、結構ナイーブなんだぞ。それにお前さんは知らないだろうけれど、あの人は……」
「知っていますとも! 『hideout door(ハイドアウトドア)』の中井拓朗さん!!」
白シャツがスイッチの入ったマイクを抱えたまま凄い勢いで立ち上がった。
「悪魔に魂を売ったがごとし神域の点描! 肉筆時代最後のいぶし銀!」
「ほ、ほお……」
知らない所で凄い呼ばれ方されてたんだな、あの人。
「取りあえずそのエコーを切ってくれ。耳に来る」
『hideout door』は、蒼樹紅(あおきこう)原作・中井拓朗作画の、彼の唯一の連載作品だ。
蒼樹が美人女子大生だった事もあり、ノリに乗った中井の作画は福田が嫉妬を覚える程の絶品だった。アンケートが取れずに打ち切られたが、単行本が一部マニアの間で謎の高評価を博していると聞く。
「じゃあ何で逃げ出したんだよ?」
「僕、小学生じゃないですよ? 『全力で逃げろ』を本当に走って逃げる事だなんて思っていません」
白シャツは、氷水だけになったコーラをすすりながら言った。
唄い終わった直後だから饒舌なターンだ。
「中井拓朗の名前を紹介されて、心臓をギュッと掴まれたような衝撃を受けました。この人があの神絵師の! って。そして一瞬夢見ました。この人なら大丈夫なんじゃないか? もう何もかも忘れてこの人に描いて貰っていいんじゃないかと」
「おう、俺はそれで良かったと思うぞ」
「でもやっぱりダメでした」
「なんで??」
ストローをガジガジかじりながら、白シャツはグラスの底を見つめる。
「あの人……久祖さん、あの人は、この企画の意図を打ち明けようとしていたんだと思います」
「え?」
「でも、話し始める度に、ハゲの上司の人が大きな声で遮って…」
「………」
「ああ、これは本当にヤバイヤツだ、ヤバイからこんなに必死に隠そうとしている。僕だけじゃなく、中井拓朗にも隠そうとしている……」
白シャツの顔がまた青ざめて来たが、フラフラしながらも振り絞るように喋り続けている。
「その瞬間、背筋がざあっと冷たくなりました。僕はプロを目指して努力して来た訳でもない。ただコミカライズに憧れて、ふわふわした気持ちでここに来てしまった。そして、神絵師の中井拓朗をこんな危ない事に巻き込もうとしている。この人にこの後、後ろ指を差されてあざ笑われる黒歴史を作ってしまうかもしれない。ダメだ、これは絶対にダメだ!」
「………」
「ダメだと言っても、あの上司の人は契約書類を出して話をどんどん進めようとする。怖い、阻止しなきゃ、やめさせなきゃ! 気が付いたら原稿を抱えて走り出していました」
「………」
いかん、適当な相づちが出て来ない。
「新妻エイジを巻き込むなんて、もっともっとダメです・・」
その辺りでさすがに電池がきれて、白シャツはぷしゅうとしぼんだ。
「・・あの、福田さん・・」
「なんだ?」
「中井拓朗と新妻エイジに、僕が本当は二人とも大好きなんだって……逃げたのは僕の考え無しが原因だったから……だからごめんなさい…って、伝えて貰えないでしょうか」
「お、おう、分かった、引き受けよう」
白シャツはそこで初めて、隈の出来た瞳に正気を戻して、安心したようにソファにうずもれた。
ああそうか、逃げ帰らずに路地で雨に打たれていたのは、中井とエイジにその一言を伝えたかったからなのか。
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5 ツクシとスギナ
小杉さん、秋名愛子の担当就任
原作・2018年 → 本作・2016年 よしなにm(__)m
ツクシとスギナ・1
都心のオフィス街の喫茶店は、地代に対するナンチャラ還元率とやらで、狭い店内に席をギチギチに詰め込みがちだ。
その点、路地一本入った古いこの店は、表通りの喧騒から取り残されている。
平日昼下がりでも概(おおむ)ね席にありつけるので、近隣出版社の社員の間で、打ち合わせの穴場として重宝されていた。
今その一角で、ジャックの編集部員小杉が、膝に置いた両手の中にじっとり汗をかいている。
対面には、彼の担当作家の秋名愛子。
ジャックの人気連載、『+Natural(プラスナチュラル)』の原作者。
才媛という言葉が服を着て歩いているような彼女は、純文学畑の出で、あちら方面でも将来を嘱望されているという。
正直何をトチ狂って少年誌で異能力バトルファンタジーを書いているのか分からない。
だが下地の違う彼女の書くバトルは切り口が斬新で、確かに面白いのだ。
小杉の冷や汗は、秋名の迫力に圧されているせいではない。
原因は、彼女の後ろの席の二人組の他社の編集者だ。
こちらに丸聞こえの声の大きさ同様、会話の内容も横柄だった。
「で、その持ち込みがオンナだった訳よ」
「うお、災難だったな」
「こっちは、昼飯の時間が押してんのにさ。オンナの描く漫画なんかモノになる訳ねぇんだから、見るだけ時間の無駄だってーの」
ありがちな『オンナノマンガ論』だ。
小杉だって、漫画の仕事をしていたら、そこかしこでこの手の会話には遭遇する。
問題はここに、これから出来れば和やかに打ち合わせに入りたい女性作家が居る事だ。
秋名にも後ろの会話は聞こえている筈なのだが、眉をヒクと動かしただけで特に反応はしない。
逆に、気にしてドギマギしている小杉に冷ややかな視線を向けた。
「私(わたくし)が、くだらない戯れ言をいちいち気にすると思っているのですか?」
「え、あっ、いいえっ、いいえっ」
「雑音は無視して、さっさと打ち合わせに入りましょう」
「そ、そうですねっ」
無視出来ていないくせにっ!
「じゃあ、この台詞はモブAでこっちはモブB……サヤノがこれを聞いたのは、後々の伏線って事でいいですね?」
赤ペンでメモしながら確認を取る小杉を、秋名がジッと見つめる。
「秋名先生、何か?」
「いえ、前担当の三港(みうら)さんは、そういう事は聞いて来なかったもので」
「そうですか。えっと、作画の新妻先生って、たまに思いもよらない質問を投げかけて来られるので、何でも答えられるようにしておこうと思いまして」
「私の文章では伝わらないのでしょうか?」
「どんなに優れた小説家でも、読者に100%は伝えられない。いい所六割だと言われています。
しかし作画担当は読者とは違う。残りの四割を出来うる限り埋めるのは、僕の仕事だと思っています」
秋名がまたジッと見てくる。
「えっと?」
「そういうのって、服部さんのご指導ですか?」
「僕個人の考えです。煩わしいですか?」
「いえ、目新しかったもので。あの、私は、自分の中にない新妻先生テイストも、毎週楽しみにしておりますのよ」
「へえ」
それはちょっと意外だ。自分のイメージからはみ出すのを嫌がる人かと思っていた。
「でも、小杉さんのお考えは理解出来ました。初期に服部さんに、漫画原作と小説の書き方の違いを指導頂いたのに、最近おろそかになっていたのかもしれません。次回から、今仰られた事を頭に置いて、分かりやすい文章を書くように心掛けますね」
あ、話が通じた、嬉しい。三港さんがエラく脅かすから最初はビビったが、ちゃんと話せば分かってくれる女性(ひと)じゃないか。
――ゴツン
秋名の椅子に、背後の男の椅子の背が当たった。
この店は席の間に余裕があるので、故意でなければそんな事は起きない。
案の定、男は思い切り足を伸ばして椅子を斜めにもたせかけている。
秋名はまた眉を動かしただけで、振り返りもしない。
さっきから、彼女の背後の男が、身体を不要に大きく揺すりながら『オンナノマンガ云々』の同じ話をループしているのには気付いていた。
明らかにこちらを意識しての嫌がらせだ。
背後の女性が何処かの作家だと分かって、チョッカイを出したいんだろう。
困った輩だ。
注意したって彼女を不快にする台詞を吐かれるだけだ。そもそもそれが目的なんだろうし。
ここは無視してとっとと切り上げよう。
「では、今回はこの辺でお終いにしましょうか」
「そうですね」
秋名は素直にテーブルの仕事道具を片付け始めた。
「優れた女性作家なんてこの世に大勢いるのにね。僕、高橋留美子さんとか大好きですよ」
彼女を励ましたいのと、後ろの憎たらしい男性に一矢報いたいのとで、何気なく口にした一言。
それが余計だった。
秋名のコメカミにピシッと線が入った。
「私(わたくし)は、高橋留美子さんではありません」
「??」
「高橋留美子さんでも荒川弘さんでも塀内夏子さんでも長谷川町子さんでも萩尾望都さんでも、J・K・ローリングでもありません」
「え? えっと??」
「貴方、尾田栄一郎さんが優れた漫画家だから同じ男性の貴方も自信を持てと言われて納得しますか?」
うひゃあ、なんか地雷踏んだ、地雷踏んだ―――っ!!
「分かります。その辺の幼稚園児みたいなアホはどうでもいいけれど、自分の信頼したい担当がそんなテンプレートな台詞しか言えないのでは、失望して当たり前です」
秋名の頭の上から声がして、ぶつけられていた背後の椅子が押し除けられた。
見上げると、背の高い明るい髪色の青年。
台詞(セリフ)同様、着ている物も身だしなみも、小洒落(こじゃれ)ていて隙が無い。
「な、七峰くん・・」
ツクシとスギナ・2
(七峰さん?)
秋名はテーブルの横に立つ青年を見上げた。
去年、高木や真城やあの辺の人たちが、わちゃわちゃと大騒ぎしていた相手がその名前だった気がする。見た所、ひょろっと線の細いお坊ちゃんタイプだけれど。
「そういえば、こんな面白い話があります」
青年は前髪をかきあげて、勝手に話し始めた。
「少し前、週刊の少年漫画誌は、今の四誌の他にもう一誌ありました。タイトルを聞けば誰でも知っている鉄道SFファンタジー等、数々の個性的な作品を輩出した、マニアに人気のある雑誌でした」
小杉は口をパクパクさせ、椅子を押されたイヤミ男は(その位知っている!)という顔をして、こちらを睨み付けている。
「いかんせん、マニアック路線に走りすぎ、尻すぼんで休刊となりました。編集部が解体になり、部内の片付けをしていた時のお話です。誰かが悲鳴を上げました。『これの担当した奴誰だ!』。彼の前には未分類の原稿の山。そこに埋まっていたのは、高橋留美子氏のデビュー前の持ち込み原稿だったとさ」
「……」
話の意外性につい呆けてしまった秋名の頭越しに、青年は小杉に話しかけた。
「高橋氏の初期からの才能の片鱗は素人でも分かります。その持ち込み原稿はまともに見られる事もなかったのでしょうね。例えば『オンナノマンガなんかより自分の昼飯が大事』なんて理由で」
椅子に半身ねじってこちらを向いていた男が、ツイと目をそらした。
「ああ、そうかもしれないね。でもその場で終わった事の責任を追求するのは、茶番だ」
小杉は毅然と言った。
「さすが発行部数日本一のジャック編集部員。余裕ですね~。じゃあ、小杉さん、同じ編集部員として、持ち込みを担当した編集部員がその場で何を思ったか、推理して教えてくださいよ」
「えっと」
そう来るか? しかし小杉もこの青年相手に引いてはいけない事を学習している。 何せ去年、彼の連載を担当出来たのはいいが、筆舌に尽くしがたい程振り回されて、身心共にボロボロにされたのだ。
「ううんと……その持ち込みをキチンと拾っていれば、今の片付け作業をしていなかったかもしれないなあと、彼は非常に悔しがったんじゃないかな」
「ノンノンノンノン!」
七峰は人差し指を小刻みに左右に振った。
確かに、仕草の一つ一つが鼻持ちならないかもと、秋名は思った。
「ホッとしたんですよ、彼は多分、ホッと胸を撫でおろしたんです」
「ええ? 何で?」
「高橋氏はプロへの執念の強い人だったから、それしきでくじけず、他所にも原稿を持ち込んで、そちらで花開いた。その編集者は、自分が担当していたらどうだっただろうと想像して、一瞬ゾッとして、彼女が他所に行ってくれて良かったと、ホッとしたんですよ。何しろ自分達の雑誌は休刊になったんだ」
「いや、おかしいだろ、担当してみたかったと悔しがるだろう、編集者なら」
「あわや高橋留美子を野に埋もれさせかけたような者に、悔しがる資格なんて無いです。小杉さんもまだまだサラリーマンだなぁ」
「~~~~!!」
いつの間にか、後ろの席の男性二人組は居なくなっている。
・・っていうか、周囲の出版関係らしき者たちも、茫然と七峰を見ている。
悪目立ちし過ぎだ。
「あのさ、七峰くん、君との約束は四時じゃなかった?」
小杉がその場をぶった切った。
「はい、久しぶりに小杉さんに会えるのが嬉しくて、早目に来ちゃいました」
青年は悪びれなくニッコリ笑った。
先ほどまでの不敵な顔とギャップがありすぎて怖い。
「僕はあっちの席で待っていますね。お邪魔して申し訳ありませんでした、秋名先生」
「あ、いいえ……」
さすがの秋名も、呆気に取られて何も言えない。
「そうだ、秋名先生、ひとつだけ」
「はい?」
「『+Natural』のノベライズ版、読みました。頭脳戦をメインに置いた所にインテリジェンスを感じさせて、非常に読み応えがあった。『さすがは秋名愛子』ですね」
「………」
青年は奥の席に去って行ったが、秋名はそちらをぼぉっと見ている。
あのタラシが! 口の上手さじゃ敵わない。
僕だって勿論読んだし、素晴らしいと思ったさ。
ただ、女性は口に出して言わなければ分かってくれないという事を忘れていただけだ。
小杉は大きく息を吐いて、冷たくなったコーヒーをイッキ飲みした。
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6 ツクシとスギナ
ツクシとスギナ・3
「そんなにふてくされなくてもいいじゃないですか」
秋名を見送って戻って来た小杉を、七峰はイタズラっ子な目で見上げた。
「僕が後ろの席にずっと居たの、気付かなかったくせに」
「分かる訳ないだろ、背中に目がある訳じゃあるまいし」
「素敵でしたよ、気難しい女性作家相手に一生懸命打ち合わせをする小杉さん。まるで地雷源を匍匐(ほふく)前進するブルース・ウィルスのようでした」
「七峰君、きみ、性格悪いね」
「そんなまさか、今気付いたんですか?」
駄目だ、またこの若者のペースに巻き込まれてしまう。
ウェイターにコーヒーを注文し、小杉は深呼吸して彼に向いた。
「さて、七峰君、今日僕が君を呼び出した理由(わけ)……だいたい想像付いてるよね?」
「分かりません、何でしょう」
この食わせ者! そっちがそう来るなら……
小杉は書類ケースから分厚い紙束を引っ張り出した。
「前に中途になっていた新作のプロット、これをちゃんと仕上げちゃおうと思ってね。終わるまで帰さないよ」
「・・・・・・」
「どうしたんだい? 僕は君の担当だ。担当が作家と作品について話し合うのは当たり前だろ。僕は自分の晩御飯より君の作品が大事だよ」
七峰が額に手を当てて首を振った。
「はあ……分かった、分かりましたっ、小杉さん。僕が悪うございましたっ」
「本当に悪いと思っているのか」
紙束をケースに戻しながら、小杉は上目で若者を睨んだ。
「だって、そんな事態に発展するなんて誰が想像出来ますか。あの子が原稿抱えて逃げ出して、ジャック編集部内で大捕物をやらかすなんて」
「どうもこうも君が彼に余計な事を吹き込んだからだろ……?? って、七峰君、ジャック編集部内で大捕物の話とか、何で知ってんの?」
「僕の情報源は小杉さんだけじゃないんですよ」
七峰はスマホをヒラヒラさせて、悪い顔をした。
大方、バイトの学生か掃除のおばちゃんあたりに『イイ方の顔』を見せて取り込んでいるんだろう。この男のジャックへの執着(ストーキング)は異常だ。
今回の事だって、とっとと上に進言して彼を遊栄社から遠ざけて貰うべきなんだけれど……
残念ながら、悔しいけれど、僕は彼の漫画家としての才能に惚れ込んでしまっている。
彼を手離したくないんだ、こんちくしょう!
「作家の卵の子を助けたいなんて、珍しくマトモな事を相談して来たと思ったら、これだ」
「久祖(きゅうそ)って編集者に確認を取ってくれたのには感謝していますよ。まあ、彼のスキャンダルは、別ルートから知ったんですが」
七峰はもう一度スマホをヒラヒラさせた。
・・ったくもう、どいつもこいつも、守秘義務はどこへ行った??
「で、僕を呼び出した本当の用事は何です? 久祖に確認を取って貰ったお礼に、一回だけ言う事をきくって約束をしていたから、今日ここに来たんですよ」
そう、今、書類ケースの中にある未完成のプロット。本来なら、これを完成させる為にその約束を使いたかったのだ。でも今は……
「公星君に連絡取れないか? メッセージフォームも閉じちゃってるし。久祖がまだあきらめていないんだ」
「へえ?」
七峰が意外そうに頬杖から顔を上げた。
「同じ部署でもないのに、ずいぶんとご親切な事だ。編集者ってそんなに暇なんですか?」
「うん……」
「??」
自分の嫌味に言い返して来ない小杉に、七峰は神妙な顔になった。
「実は、君の用事で会いに行った時、ちょっと雑談してね。そしたら妙にウマが合って、その日に飲みに行ったんだ」
「えっ、久祖と友達になっちゃったんですか?」
「そう呼べる程のものでもないと思う。ただ、歳も近いし、好きな漫画がだいたい同じでさ。漫画談義だけで何時間も話していられて……うん、凄く楽しかったんだ」
「……」
「その彼が酷い惨状だったあの時、側に居たのに、僕はビビって何の助け船も出してやれなかった」
まあ、入社二年目の若造に口出しする余地なんかなかっただろうが。
「公星君の気持ちは勿論大切だけれど、久祖にもう一度チャンスを与えてやって欲しいんだ」
真剣な眼差しの小杉を斜めに見上げて、七峰はもう一度頬杖を付いた。
「でもねぇ、騙すみたいな感じで編集部に招いたんでしょ? 挙句、彼が逃げ出してしまうなんて、よっぽど怯えさせる追い詰め方をしたんじゃないですか?」
「公星君がそう言ったのか?」
「違いますけどね。あの子は『この件はもうお終いにします』ってメールをくれただけです。彼がそう決めたのなら、僕もこれ以上は連絡しません。まあ、約束ですから、『久祖が連絡を取りたがっている』とだけは送りますが……期待しないで下さいよ」
「その……メールアドレスを教えて貰う訳には行かないのか?」
「僕を何だと思っているんです! 嫌がってる子のメアドを教えるような恥知らずだとでも?」
そこは七峰は真顔で言い、小杉も慌てて「すまない」と謝った。
「はっきり言って、あんなお下劣漫画を作ってしまうような連中に、あの子を娶(めあわ)せたくないんだ。勿論僕はあの子の保護者でもなんでもない。ただ、あいつ、思いっきりバカ正直で世間知らずで、だから僕が護ってやらなきゃならない……」
あれ?? 今、なんか、物凄く七峰透らしからぬ台詞を聞いたような?
まさか、僕の気のせいだ。
「あのぉ・・」
不意に、テーブルの横に一人の男性が立った。先程まで近くの席に一人で居た客だ。
小杉と七峰は顔を見合わせた。どちらの知り合いでもないようだ。
「何か?」
七峰が威嚇するように聞いた。
「先程の貴方の高橋留美子の持ち込み原稿の話が面白かったもので、つい聞き耳を立てていました。失礼しました」
「……」
喫茶店で他人の話を盗み聞きなんてマナー違反もいい所だが、そもそも七峰が、イヤミ男を撃退する為とはいえ大勢に聞こえる声でパフォーマンスしたのだから、文句は言えない。
男性は、五十代半ば、白カッターにループタイ、鹿の子模様のジャケットと、身なりはキチンとしているのだが、姿勢が悪いのでヨレヨレ感が否めない。
そして何より、ごま塩頭に大きなベレー帽、そこはかとなく漂う哀愁……
漫画家の方ですか? と小杉が聞く前に、男性の方が先に口を開いた。
「私、遠藤メンデルと申します」
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7 ツクシとスギナ
って突っ込みは寛容に呑み込んで、暖かく見守ってやって下さいませ。
ツクシとスギナ・4
七峰は半分腰を浮かし、小杉は椅子を引いて立ち上がった。
「は、はじめまして、私、ジャック編集部の……」
「いやいや、仕事上ではないから。私が勝手に声を掛けただけだから、お気遣いなく」
慌てて名刺入れを引っ張り出そうとする若者を、遠藤は柔らかく制した。
「久祖君の名が聞こえてしまったもので。不躾(ぶしつけ)で申し訳ない」
「本当に不躾ですね、盗み聞きなんて」
「七峰くぅん、きみがそれを言うか? あ、立ち話も何ですし、どうぞお掛け下さい」
小杉が彼の座っていたテーブルから椅子を持って来た。
遠藤は七峰の方を見て躊躇したが、「どうぞ」という彼の言葉に、遠慮がちに腰掛けた。
この人の描く自由奔放なキャラクターからは随分イメージが遠いなと、小杉は思った。
「それで、僕達に何か有益な話でも持って来てくれたんですか?」
「な・な・み・ね・くんっ!! その目上の方に対する言葉遣いとか、本当のホントに何とかしないと、いつか東京湾に浮かぶよっ!」
「東京湾は嫌だな、もうちょっと綺麗な海にしてください」
ぷ・くくく・・という笑い声に、二人は振り向いた。
「いや、失礼。いいなあ、貴方達、本当に仲良しなんですね」
「「は!!??」」
二人は同時に大口を開けた。
「冗談じゃない、何でこんな学歴だけの坊っちゃん編集と」
「こっちこそ、こんな頭でっかちの屁理屈小僧なんか…」
口喧嘩するほどに遠藤がますます笑顔になって行くので、二人は勢いを削がれて口を閉じた。
「羨ましいですよ。私はそんな風に担当さんと喧嘩した事がない…」
「……」
「……」
夕方の路地裏の喫茶店は丁度ダウンタイムに入った所で、人も音もまばらだ。
窓から入る斜めの夕陽がスポットライトのように、テーブルで組まれた遠藤の年季の入ったペンダコ指を照らしていた。
「この仕事をかれこれ三十年以上やっているけれど、そんな風にポンポン言い合える担当編集なんて、漫画の中だけの存在だと思っていた。だから、さっきからの貴方達のやり取りに、つい聞き入ってしまったんです。いいなあ、羨ましいなあ、って」
「「羨ましくなんかないですよっ」」
二人の若い声がハモって、また遠藤にクスクス笑われた。
「えーと、でも、打ち合わせとかは? 作品を作る時に会って話しますよね、担当の人と」
笑われっぱなしの照れ隠しも兼ねて、小杉が聞いた。
「私は児童向けテレビ番組雑誌の出身でね。ヒーロー物の大先生のアシスタントをやっていた流れで仕事を貰えたから、担当さんが来ても先生と話している方が多くて。打ち合わせよりも先生のOKの方が大事な感じだったな。独立してからも、原作とのズレの照らし合わせがメインだった。原作ファンの子供達は細かいデイティールに厳しかったからね」
「……」
「ジャリーズランドに移籍した時、丸々オリジナルをやれる事になって嬉しかった。それでつい、今までやれなかった下品方向にハッチャケてしまったんだ。そしたらそれが自分でもビックリする程大当たりしてね」
「こ、子供って、基本、大人が眉をしかめる物が大好きなんですよね」
頑張って相づちを打つ小杉の横で、七峰は不機嫌そうに鼻から息を吐いている。
「編集部でも予想外だったらしい。担当者も喜んで、良いです素晴らしいです、このまま行きましょう、ってなって。作家年数だけは長かったから、ベテラン認定されちゃったのかな。以降、ネームは出すけどほぼフリーパスで、倫理基準に触れそうな時だけ連絡が来て、後は丸投げされていた。毎月、挨拶して原稿を渡すだけ。楽といえば楽なんだけれどね、はは……」
遠藤は自嘲気味に口角を上げた。
小杉は、頬杖を付く七峰を横目で見た。
彼にとっては遠藤も『負け組』なんだろうか?
だが、作家の作品をいいですいいですと受け取るだけの編集者は、彼の理想だった筈だ。
「そんな私にも、最近困り事が出来た」
二人は顔を強(こわ)ばらせた。例の事件の事だろうか?
「娘がね……反抗期もあるんだろうけれど、『お父さんの漫画が恥ずかしい』って言うんだ」
小杉は拍子抜けし、七峰は頬杖から顔を落っことした。
「あ、心で笑っただろう」
「いっ、いえいえいえいえっ」
「君等も親になったら分かるさ。他所の子供が喜ぶ漫画は描けるのに、自分の可愛い娘には嫌われる。どこの誰に酷評されるより、遥かに堪(こた)えるんだぞ。今まで何やって来たんだろう……って、遠い目になったりするんだぞ」
ま、まあ、確かに、子供は容赦ないからな……
「でも、遠藤先生、まだまだお若いじゃないですか。これからどんどん、お子様が誇れるような漫画もお描きになれるでしょう?」
「小杉さん甘いなあ。一旦貼られたお下劣漫画家のレッテルは、生半可じゃ剥がれないですよ」
一生懸命フォローしてるのに、ちょっと黙ってろ、この茶髪!
「下品を売りにしても、それを土台に大作家になった方もいらっしゃるじゃないですか。永井豪先生とかジョージ秋山先生とか。代表作を聞かれたら、ほとんどの漫画ファンは下品じゃない方の名作を答えるでしょう?」
遠藤が目を真ん丸にして小杉を見た。
そして、右手を額に当てて愉快そうに笑い出した。
「ははっ、あははは」
「な、何ですか、遠藤先生。僕、変な事言いました?」
「いや失礼、……いやね、まったく同じ台詞を言われたんだ」
「誰に……ですか?」
「今年から担当になった、新人編集君に」
「…………」
ツクシとスギナ・5
小杉と七峰は同時に顔を上げた。
「久祖君……ですか?」
「うん、そう」
遠藤は目を細めてうなずいた。
「最初の挨拶訪問の時、何かの話の流れで娘の事を愚痴ったら、いきなり君と同じ事を言われた。永井豪だのジョージ秋山だのって。どこか私の知らない所で流行っているのか? 君らが子供の頃とも明らかに世代が違うだろ?」
「あ、それは、僕が彼の受け売りだからです。彼と飲みに行った時、そういえばそんな話をしました」
「なんだ、小杉さん、パクリだったの? ほんのちょっと感心したのに」
うっさい、黙れ。
二人のやりとりをまたにこやかに眺めながら、遠藤は話を続けた。
「一緒に来た前担当の佐波寅(さばとら)さんには叱られていたけれどね。知った風な口をきくなと。まあ、私も最初は、頭でっかちの漫画オタクの若者ぐらいに思っていた」
そりゃ初対面で、伝説級大作家を引き合いに語ったりしちゃったら、そうなるだろうな。
「それが、何日か後に、彼、私の児童雑誌時代の作品を大量にプリントアウトして持って来たんですよ。何処から捜し出したのやら」
「!!」
「テレビ番組雑誌に載った物なんてほぼ単行本化もされないし、私の手元にすら残っていなくて、忘れてしまっているような物もあったのに。いくらネットで便利な時代といえど、並大抵じゃない」
いや、ネットでも断片的な画像ぐらいしか拾えないだろうし、並大抵どころじゃない気がする。
「それらを並べて、ほら先生はこんなに引き出しを持っている、イメージチェンジなんか容易いですよ。この絵柄なんてどうです? こっちの絵柄なんか女の子ウケしそうです、とか、熱心に…それはもう熱心に」
「……」
「確かに色んな原作に寄せた絵を描いて来たから、絵柄の描き分けは得意だ。それに気付かされたら、何だか本当にイメージチェンジ出来そうな気がして来てね。学生時代に本名で、学習雑誌の読み物に挿し絵など描いていたんだが、そんな物まで持って来たんだ、彼」
ちょっと待て、幾ら何でも高性能すぎないか? 久祖君。
「『世界の英雄烈伝』とかいうシリーズだったかな。そういえばこの神話の英雄のエピソード好きだったな、なんて挿し絵を見ながら懐かしく話したら、じゃ、それをやってみませんか? って」
それが遠藤先生がいきなり英雄物なんか描こうとした経緯か。
やっと繋がったが……ちょっといろいろビックリした。
隣では七峰が、珍しく口を結んで黙りこくっている。
「幸いジャリーズは西洋の歴史物がなかったから、企画自体はすんなり通った。その後二人で、資料を漁って、プロット作って、ネームを練って……あの時間が一番楽しかったな……」
楽しかったと言いながら、遠藤は寂しそうに目を伏せた。
「えと、掲載作品を拝見しましたが、あの……」
「うん…… もうちょっと彼とやれていたら、君達みたいに喧嘩も出来たのかな……」
「…………」
遠藤は目を伏せたまま、組んでいた両手をテーブルに付いた。
「いや、お喋りが過ぎた。久祖君の名が聞こえて、ついムキになって弁護しに来てしまいました。例の作品の出来が悪かったのは、私が至らなかったせいだ。彼は何も悪くない。どうか、私の駄作で彼を評価しないでやって下さい。お願いします」
壮年の漫画家は、大きなベレー帽を脱いで、若い二人に頭を下げた。
遠藤が去った後、小杉と七峰はしばらく無言で向かい合っていた。
ウェイターがコーヒーのお代わりを継ぎ足しに来る。
「で、小杉さん、分かりますか?」
七峰がつっけんどんに口を開いた。
「何を?」
「それだけの手間と情熱をかけて作っていた作品が、あんな出来栄えで掲載された理由です」
「………」
小杉が無言なのは全く分からない訳でもないからなのを、七峰は察していた。
「長年これでいいと現状維持だった作家を、入社したての新人担当がいきなりフルチェンジさせる。歓迎はされないだろうな。万が一成功しちまったら、それまでの担当が立つ瀬を失う」
「……うん……」
多分『新人担当の指導者』から、相当な横槍が入ったんだろう。
作品の良し悪しに関係あるのかどうかも怪しい、妨害のようなダメ出しが。
〆切のタイムリミットが迫って、作家が疲れて折れてしまうまで。
「あの爺さん人がよさそうだったから、長年付き合った前担当の顔を立てない訳には行かなかったんだろうな」
いつもは言い方に注意する所なのに、小杉はその気持ちになれなかった。
「遠藤先生は復帰するけれど、多分担当替えになるだろうって相田さんが言ってた」
新しい担当が誰になっても、遠藤はもう冒険しようとはしないだろう。
「面白くないな」
七峰が眉間にシワを寄せて呟いた。
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8 芋ようかんとメンチカツ
芋ようかんとメンチカツ・1
漫画家の仕事って、白い原稿用紙にペンを走らせている時間がメインだと、ほとんどの奴がそう思っているだろ。
その前に話作りって作業があるんだよ。四六時中頭の中に原稿用紙があって、話を絞り出してはコマを割ってキャラを動かし台詞を喋らせている。
頭の中で出来上がったら、原稿用紙の半分の大きさの紙にラフで具現化する作業だ。
担当者に見て貰わにゃならんからな。んで、OK貰って、やっと原稿用紙に向かえる。
あ、原稿にかかる前のそのラフを、ネームっていうの。
作家によるのだろうが、そのネーム作業がたまにペン入れよりもヘビィだったりするんだよ。
原作付きをやっている奴だって、あっちはあっちならではの苦労があるだろうし、まるっと楽している訳でもないと思うぜ。
分かったか、週刊連載漫画家なんて夢の中でも仕事してるぐらいじゃなきゃ追っ付かないんだ。机に向かっていないから休日だなんて、ゆめゆめ思っちゃいけねぇぞ。
「はあ、すみません・・」
「いや、別に謝らんでもいいのだが」
「でも、福田さんだって、今、そのネームって奴をやっている時期なんですよね」
「まあ、そうだけれどよ。これから行く先での注意事項を喋ったまでだ。俺には気を使わんでいい。自分の好きで動いているんだから、俺のは自己責任だよ」
昼下がりの東京近郊某私鉄。
福田は公星と並んで、線路の継ぎ目の規則的な振動に揺られていた。
土曜とあって車内はガラガラで、立っている客もまばらだ。
「お前が昼間は土日しか空いてないんだから、しょうがない。っていうかお前、マジで高校生だったんな」
「平日の方がいいなら、学校バックレてもよかったのに」
「それはイカン。俺だって真面目に学生やってたクチじゃねぇから人の事は言えんが……やっぱりイカン」
「学校ってそんな大事ですか?」
「うん、学校が大事って話じゃなくて……えっとな、これから行く訪問先の相手が、高校生が学校サボって自分の元に訪れてるなんて知ったら、要らん気を回して心配するだろ? 要するに、他人の気持ちを慮れって事」
「ああ、そういう事なら納得します。福田さんって見た目と違って案外大人なんですね」
「ひとこと余計だ」
電車が目的の駅に到着し、男二人、駅前アーケードを並んで歩く。
「その紙袋、手土産か?」
「はい、舟和の芋羊羮。ネットの知恵袋サイトで、手土産ならこれが鉄板だって」
「……」
それって、オバチャンご用達のサイトじゃねぇのか?
気が利いてるのか利いていないのか、分からん奴だな。
程なく、瀟洒(しょうしゃ)なデザイナーズマンションの玄関に到着した。
「中井拓朗って、凄い所に住んでいるんですね」
「ぶっちゃけて言うと、居候だ。マンションは平丸一也って漫画家の持ち物で、中井さんはそこで住み込みアシスタントをしている」
「えっ? 『ラッコ11号』の? すごい! あ、じゃ、手土産、平丸一也にもあった方がいいですよね? 芋羊羮、二箱しか用意していない」
「新妻師匠の分もここに置いて行っていいんじゃない? 後で師匠んトコに行く前に何か買えばいいと思うよ。吉祥寺だから店も多いし」
「き、吉祥寺に舟和、あるでしょうかっ!?」
「だから、絶対に芋羊羮じゃなきゃイケナイって訳じゃないからっ」
この情報過多不自由時代の申し子め。
「それよか、中井さんを前にしてちゃんと喋れるか? 大丈夫か?」
「はい。福田さんに会う前に朝カラで二時間唄って充電して来ました。大丈夫です、イケます」
「そうか、頑張れ」
カラオケボックスで、中井と新妻宛てに「本当は大好きなんです、ごめんなさい」の伝言を頼まれた福田だが、ちょっと考えてから公星に提案してみた。
「お膳立てしてやるから、お前が直接謝らないか? 元々そうするつもりだったんだろ?」
「えっ、いいんですか?」
「ああ、ジャリランの内情なんかは喋らん方がいいが、その辺は俺が上手くフォローしてやる。あと二人とも忙しい身だから、沢山の時間は取れないぞ」
「やった! やった、やった!!」
「だからミーハー根性はしまっとけ。謝るのがメインだからなっ」
・・ってな感じで、本日の運びとなった。
中井にも新妻にも、「公星少年は極度の心配症で、憧れの作家を前に急に自信をなくしてパニクってしまった」ぐらいに伝えてある。あながち嘘でもない。
謝りたいという申し出に、二人とも快く承諾してくれ、しかも外ではなく自宅を指定してくれた。イイ奴らだな、さすが福田組。
俺が伝言するだけなら簡単だけれど……何だかな、こいつにちゃんと謝らせてやりたかったんだ。
あーあ、保護者みたいじゃん、俺。そんなガラじゃねぇのによ
芋ようかんとメンチカツ・2
「あらまあいらっしゃい、さあ入って入って。高校生ですって、何年生? 一年? 凄いわね、高校一年生で原作者の卵なんて。平丸さんが高一の時なんて、何をしてました? ふふふ。え、あらあら、お気遣いなく……きゃあ舟和の芋羊羮! 嬉しいわ、お芋ってお肌と美容の優等生なのよ。お茶入れますね。中井さんも手を休めてくださいな。ダイエット中でもこれなら大丈夫ですよ、うふふ」
平丸宅に平丸が居るのは当たり前なのだが、蒼樹紅(あおきこう)まで居るとは思わなかった。
謝りに来たというこちらの意向はガン無視され、今、アールグレイの香りに包まれて、和やかなお茶会が開催されようとしている。
「あ、蒼樹紅……」
公星は、崇拝する『hideout door(ハイドアウトドア)』の原作者にいきなり遭遇して、目が泳いでいる。
いかん、中井に謝る前に、余分なスタミナを消耗するんじゃねぇ。
中井がインクで汚れた手を洗って、居間に入って来た。
今だ、喋れるうちにとっとと謝っとけ、あとは勇気だけだ、ほら行け。
福田に突き飛ばされた公星は思いの外よろけて、中井の腹にぶつかって跳ね返された。
―― ぽよん。
大爆笑する一同。いやコントやりに来たんじゃないから。
「酷いなあ福田君、あの夜彼を見つけていたのなら、僕にも教えてくれればよかったのに。お陰で深夜に電話を貰うまでドン底気分だったよ」
中井が愚痴りつつも、出された芋羊羮を平らげて行く。
「ドン底気分だったんですか? 晩御飯三杯お代わりしたくせに」
平丸が小指を立てて紅茶をすすりながら、片目を閉じた。
蒼木はクスクス笑っている。
「すまん、中井さん。最初は締め上げてヒィヒィ言わせてやろうと思ってたんだ。あんたはともかく、師匠を暴力沙汰に巻き込めないだろ」
「俺はいいのかよ」
また一同大爆笑。
福田の横で肩をすぼめている公星が、彼の袖をちょちょっと引っ張った。
(あの、僕はどのタイミングで謝ればいいのでしょう?)
小声で言うのだが、皆には丸聞こえだ。
「お茶のお代わりは如何かしら」
野苺模様の丸いポットを持って、蒼樹が彼の横に立った。
「私、昔、ストーリーキングって賞に応募して作品が漫画化される事になった時……物凄く不安だったわ」
公星は顔を上げて、お茶を注いでくれる彼女を見た。
「だって、どんなに望んでも、自分じゃない人が描くものは、絶対に自分の思い通りにはならないもの。そんなのワガママでしかないのは分かっていても、不安でザワザワして、気持ちがどんどん尖って行った」
「……」
公星だけでなく、中井も平丸も、目を丸くして彼女を見ている。
「でもね、自分じゃない人の描いた作品は、自分には無い物、自分では気付けなかった物に満ち溢れていたの。自分だけの作品以上の物になったのよ」
お茶を注ぎ終わって彼女は、今度は中井の方に向いた。
「それを気付かせてくれた中井さんに、本当に感謝しているの。えと、ちゃんと謝った事なかったから……この際、便乗させて貰おうかな。あの頃はワガママですみませんでした、中井さん」
彼女の言葉が終わるや否や、公星が凄い勢いで立ち上がった。
「ぼぼ、僕も、すみませんっ、すみませんでしたっ、中井さんっ」
「せっかく蒼樹さんにいい言葉貰ったのに。余韻に浸(ひた)らせてくれるとかの気遣い無いのかよ、あのガキ」
「彼女が公星を謝りやすいように誘導してくれたんだろ。さすが女性は台詞まわしが上手いよな」
中井と福田は居間のテーブルを挟んで向かい合わせに座り、公星はキッチンに立つ蒼樹を手伝っている。
平丸は、「さっきのユリたんの台詞が超インスピレーション~!!」とか言いながら、テーブルの端でネームを描きなぐっている。あ、ユリたんは蒼樹紅の本名(青木百合子)だ。
「まあ、あいつ、元気が出たみたいで良かったな」
「あれ、中井さん、心配してくれてたの?」
「そんなんじゃないけど……福田君の電話で、改めて昼間のあいつを思い出したんだ。若いのに目の下真っ黒で、ビクビク挙動(キョド)って。確かに普通の精神状態じゃなかったんだろうな。そんな話を平丸センセにしたら、今日、蒼樹さんを呼んでくれたの。原作者経験があるから、何か力になれるかもしれないって」
「……」
「中井さん、ペナルティ! それは黙ってる約束だったでしょ。まあ僕は他人の事なんかどうでもいいんだけれど。ユリたんの慈愛溢れるお姿を堪能出来ればそれで満足というか……」
平丸は動かしていた鉛筆を止めて、眉をしかめて顔を上げた。
「だからぁ、そんなのはやめてぇ。そういうの僕のキャラじゃないからぁ!」
福田が椅子から立ち上がって、二人に向かって直角に頭を下げていた。
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9 芋ようかんとメンチカツ
芋ようかんとメンチカツ・3
「お腹すく匂いですね……」
「言うな、考えないようにしてたのに」
夕刻の吉祥寺商店街。
アーケードの一角に蟻のような行列が延び、福田と公星はそこで蟻の一員となっている。
「だって蒼樹紅はあんなに喜んでくれたじゃないですか」
改札を出て頑(かたく)なに芋羊羮屋を探そうとする公星を、
「まあ待て、師匠に美容もお肌のハリも必要無い」と、福田は止めた。
こいつの妙なこだわりに付き合ってたら、身がもたん。
「じゃ、じゃあ、吉祥寺駅ナカ・手土産で検索してみます」
「だからぁ!」
少年が弄(いじ)くるスマホを、福田は頭の上に取り上げた。
「もっと有効かつ原始的な使い方があるだろうが、この機械には!」
おもむろに自分のスマホを取り出し、エイジの名前をクリックする。
「あ、師匠? 今駅着いた。何か手土産持ってくけど、食いたいモンある?」
これでいいんだ、これで。
どうせ師匠は、小洒落た店の名前なんか記憶している訳ないんだから、コンビニチキンとかのジャンクでお手軽な物をリクエストするに決まっている。
・・・そして今、男二人、主婦やOLに囲まれて、蟻の行列に加わっている。
「もしもーし、師匠? あのさ、人が凄い並んでて、最後尾四十分待ちで、それじゃ約束の時間に間に合わないから…」
「構いませーん、ノープロブレムです。その店いつもいい匂いさせてるのに、行列が面倒っちくて、なかなか買えなかったんですよ。福田センセが引き受けてくれて大喜びです。必ず二十個お願いしますねー。わーい、メンチカツ、メンチカツ~!」
だから、メンチカツにこんな大行列なんて聞いてねえぞ。ハメやがったな、師匠!
「新妻エイジって自由な人なんですね」
公星にボソッと言われたが、言い返す気力が湧かなかった。
「そういえばお前、あれからジャリランから連絡来るか?」
行列の手持ちぶさたに、何気なく聞いてみた。
「ないです。個人情報を書く前に逃げちゃったんで。小説サイトのメッセージフォームも閉じちゃって作品公開のみにしてるんで、あちらからは連絡の取りようがないと思います」
「久祖さんにもメアドすら教えていなかったの?」
「最初から用心せざるをえなかったので」
「……」
「僕の事なんかとっとと忘れて、他の原作を見つければいいと思います。あの英雄は日本ではマイナーだけれど、誰も全く取り上げていない訳じゃないですから。でなきゃ、僕は何処で知ったんだよって話です」
……こいつにしてみたらそうなんだが。
厄介なのは、新妻エイジがこいつの小説にお墨付きを付けちまった事なんだよな。
お陰で今や、久祖より佐波寅の方が、公星を求めて右往左往しているらしい。
大人気だった『CROW』の後継作を待望されている師匠がジャリランで描くなんて、ジャック的にはあり得ないだろうが、なにしろ本人が乗り気な所を見せちゃったからなあ。
本誌アンケート十週連続トップの作家に描いて貰えるなんて、佐波寅にしたら千載一遇のチャンスだろうし、その餌になる原作は絶対に押さえておきたい所なんだろう。
ま、奴がいくら頑張った所で、こいつが自分から晒さない限り、連絡先が知られる事もあるまい。
「蒼樹さんとキッチンで随分仲良く話してたけど、ライン交換なんぞしていないだろうな」
「まさかまさか! 女の子キャラの書き方を教わっていたんです。僕、女子って全然分かんないですから」
「はは、そうか。そういえばお前、自分は脆弱(ぜいじゃく)な癖に、書いてるキャラクターはみんな骨太で豪快なんな」
「えっ、小説、見てくれたんですか?」
「ああ、この間教えて貰った、ジャリランに持って行ったエピソードだけだけど」
公星が目を見開いてマジマジと見て来るので、福田は戸惑った。
「なんだ? 俺、そんなに男前か?」
「いえ……小説見るよって言ってくれる人は割と沢山いて、一応URL教えるけれど、実際に見てくれる人なんかほとんどいないから……」
「そうか? まあ俺は見るって言ったら見るよ。サクサク読めて面白かったし。主人公の熱血バカっぷりが最高だったな。ああいう理屈より先に身体が動いちゃう奴、俺は大好きだ」
「てへ、ありがとございます。若いくせにキャラがレトロだってよく言われます」
少年は素直な笑顔になった。おお、笑うと子供じゃん、……まあ、子供なんだよな。
「しかし作品リスト見てびっくりした。すっげえ量だよな」
「最初の方は小学生の頃に書いたものですから、下手ッピですよ」
「小学生……」
そんな頃から一つのシリーズを書き続けていたのなら、他人が思うより、こいつにとってこの小説は重いんだろうな。
「僕、ちっちゃい頃、父方のおばあちゃんちに入り浸っていたんです。古い家で、大きな納戸に木箱が沢山。開けると本がギッシリ詰まってて」
お? こいつから話を始めるなんて珍しいな。
「カッコイイ表紙の児童文庫がいっぱい、少年探偵シリーズとか。漫画も、冒険王やマンガ少年、ガロとかCOMってのもあったかな。父さんが子供の頃の物だって」
「ほほぉ、おばあちゃん物持ちがよかったんだな」
母親って元来、子供の漫画を捨てる生き物なのにな。
「僕にとっては秘密基地の宝箱でした。休みの度にバスで通って、日がな一日本に埋もれて。僕が物語を書く事が好きなのも、きっとそこから来ているんだと思います」
遠い記憶を手繰りながら、少年は目を細める。
「昔の漫画誌、読んでみたいな、今度持って来てくれよ」
「あ……」
公星は申し訳なさそうにうつ向いた。
「すみません、おばあちゃんが亡くなった時、家ごと処分しちゃったらしいです」
「へ、へえ……それは勿体なかったな。少しでも貰っとけばよかったのに」
少年は更に顔を下に向けた。
「はい……でも、父さんの物を家に持って帰ったら、母親が嫌がったと思うし……」
・・・!!! いかん、超取扱い注意物件じゃねぇか!
「そ、そうか、いや、なんかスマン、えーと……」
慌てる福田の前で、伏せていた顔を急に上げて、少年は舌を出した。
「なんちゃって」
「は??」
「やあい、本気にした本気にした」
「バ、バカ野郎! 今のはふざけてやっちゃダメな奴だ!!」
「僕が何年フィクションを書いてると思うんです? えへへ、福田さんでもしんみりするんだぁ」
周囲の女性陣に咳払いされたので、そこで追い駆けっこする訳には行かなかった。
福田は振り上げた手を降ろし、公星はすました顔で隣に戻って来た。
ちょっとマトモに話をしてくれたと思ったらこれだ。まったく……
香ばしい匂いをさせてメンチカツが揚げ上がり、列が進んで、やっと注文カウンターにたどり着いた。
「二十個」と言うと同時に後ろのオバチャンに舌打ちされたが聞こえないふりをして、二人は大きな包みを抱えてそそくさと行列を離れた。
芋ようかんとメンチカツ・4
『(株)エイジ』とマジックで書かれた表札の横の扉を、福田がノックもせずに開いてズカズカと上がり込む。
「師匠ぉ~、来たよ~」
次の瞬間、
「ズガーン! ギャギャーン!」
の雄叫びが響き、怖々後に続いていた公星はビビって立ちすくんだ。
「気にすんな、ここんちはこれが平常運行だ」
奥の仕事部屋で、寝癖の赤毛が背中を向けて、鉛筆を振り回している。
「ドシュドシュ! いらっしゃいですー、今いい所なんで、ちょっと待ってくださーい、シュピーン!」
(ネームってやつの最中だったのでしょうか?)
おどおど聞く公星を、まあ座ってろと座布団に押さえ付け、福田は飲み物を取りにキッチンに向かった。なんせ、ここんちはすべてセルフサービスだ。
「ん?」
いつもは目を背けたくなるカオスなシンクが、ピカピカに掃除されている。
「師匠、誰か来てたの?」
「ハイ~、小杉さんが来てました~」
ああ、あの人、『+Natural』の担当だっけ。
休日出勤の上に作家んちのシンクまで磨いて帰るなんて、雄二郎さんに爪のアカを分けてやって欲しいぜ。
福田がペットボトルを持って戻った所で、
「シュビシュピスパーン! 完成っ!」と、エイジがネームを描き終えた。
うーん、と、伸びをしながら、椅子の上でクルリと回った正面に、公星が狛犬(こまいぬ)みたいに待ち構えていた。
「あのっ、先日はっ、大変失礼しましたっ! ごめんなさいっ、すみませんっ!」
平丸宅で謝るタイミングを失して往生したから、ここではイの一番に謝ろうと心に決めていたんだろう。生真面目っつーか何というか……
肩をすくめて福田は、ペットボトルの栓をひねりながら椅子の上のエイジを見た。
彼はキョンとしている。
「あのォ、ボク、何かされました? そんなに謝られるような事」
公星が頭を下げたまま唾を飲み込んでいるのが分かる。新妻エイジみたいな大物作家は自分ごとき小物の言う雑言など気にも止めていなかった……とでも受け取っているんだろうな。
師匠は多分単純に、『まったく気にしてないから忘れちゃっただけ』なんだと思うけど。
「そ・れ・よ・り!」
エイジが眉をつり上げて、彼に向かって両手を突き出した。
「持って来てくれました?」
「……・・・」
いかん、こいつまた喋れなくなってる。
福田が慌てて代わりに答えた。
「メンチカツならここに……」
「ちーがーう――!!」
差し出した両手をそのまま上に振り上げて、エイジは椅子の背をバンバン叩き出した。
ますます硬直する公星。
いや師匠、あんたに慣れていない奴相手にそれは勘弁してやってくれ。
「メンチカツ以外に何か頼まれたか?」
「だーかーらー」
椅子の上でカエルみたいに跳び跳ねるエイジ。
「この間のつーづーきー。アナタが書いた、あの小説の―! 途中までしか読んでなくて、続きが気になってしようがないんです! まさか、持って来てないんですかっ??」
公星が硬直したまま、目を真ん丸にしてうなずく。
「うそでしょお――! 当然持って来てくれると思って、それを楽しみに、頑張ってお仕事済ませたのに、じゃあいったい、何をしに来たんですかっっ!?」
・・しばし沈黙の後、福田がそぉっと呟いた。
「こいつの小説なら、ネットで公開してるから、誰でも簡単に読める筈……スマホでも……」
「ボクはー! ネットとかやってませーんっ! スマホなんか持ってませーんっ! 『誰でも』じゃないでーすっ!」
福田はハッとした。
そうだ、師匠は通話以外に端末を使わないから、いまだにガラケーなんだ。
パソコンも使わない。『ネットで公開しているから、見たかったら見られるだろう』って考えは、通用しないんだ。
「師匠、すまん、その通りだった。俺のスマホで読む?」
エイジが福田をキッと睨んで、椅子を降りてズカズカ歩いて来た。
「その平べったいの、勝手に色々動いて、支配されてる気分になるから、大っ嫌いなんです! いつの間に、そいつの家来にならないと、『誰でも』から外されちゃう世界になったですかっ?!」
「……」
思いっきりツバが飛んでくる。
こっちにも非があるのかもしれないけれど、そんなに怒らなくても……
――??
二人の間に細い腕が伸び、公星が割り込んで来た。
「あ゛あ゛のぉ・・」
動きがカクカクで目が座っている。こいつにしたら、決死の行動なんだろう。
「ぞ、ぞごに、あるのは、プリンターでずよね・・」
震える指が差したその先……積み上がった雑誌の奥に、ビニールが掛かったままの立派な機械が鎮座している。
「ああ? 雄二郎さんが買って来たです。ボクは使う事ないんですケドね」
言われている間に公星はフラフラ立ち上がり、機械を覗き込んだ。
「ご、ごれ、スマホに繋げてプリント出来るやづでず・・」
「エッ! この機械で、小説、紙に印刷出来るですか?」
エイジがコロッと笑顔になった。
「でも、ケーブル・・」
周辺は色んな物が堆積していて、もし接続ケーブルが存在しても、発見は困難そうだ。
「じだ……下に、コンビニ、ありまじだ……買っで来まず・・」
「お、おう、頼むわ」
福田の返事を背中に、少年は扉を開けて転がるように出て行った。
残った福田とエイジ。
エイジはいつの間にかメンチカツの袋を開けて、大口でかじり付いている。
「師匠ぉ~……」
「福田センセを助けようと、必死だったですね。健気です、カワユイです。センセが世話を焼いてあげたくなるのも分かります」
「そんなんじゃねぇよ」
福田もメンチカツを掴んでガシガシかじった。
「プリンターぐらい使えるようにしとけよ。あると便利たぞ」
「なくても不便じゃない間はいらないデース」
「この頑固者。時代に置いて行かれるぞ」
「手塚治虫先生は、自販機や自動改札の使い方、知らなかったそうですよ」
「はぁ?」
何でいきなり大レジェンドが出て来る?
「面白いと思いませんか? あんだけ未来の話を書いて、立体交差やロボット社会をいち早く登場させていた御仁が、現実の文明には無関心だったなんて」
「無関心って事はないだろう。知る機会がなかっただけじゃないか? 清貧時代には自販機なんか無かっただろうし、大御所になったら、常に誰かが代わりにやってくれる生活だったんだろ」
「ふむ、ナルホド」
「師匠、まさか、自分もそんな感じの大御所になるからいいんだって思っているのか?」
「ボクはどうせ過去の物になって行く必要のない文明モドキを覚えるよりも、そのエネルギーを漫画の中の未来に注いでいたいだけですよ。そして将来、『こんな事も出来ない』って笑われる大作家になってみたいですねぇ。なりますケド」
福田は鼻から息を吐きながら、三つ目のメンチカツを頬張った。
この人が言うと本当になりそうで怖いわ。
「まあ白状すると、さっき福田センセ達が来る前に、丁度そんな話で盛り上がっていたんですよ」
「小杉さんと?」
「ハイ」
玄関が開いて、公星が戻って来た。
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10 芋ようかんとメンチカツ
芋ようかんとメンチカツ・5
「コンビニに最新のマルチコピー機があったんで、プリントして来ちゃいました」
「うおおお! 文明、ブラボーです!」
エイジは大喜びで小説の紙束を受け取ると、椅子に座って読み始めた。
必要のない文明モドキじゃなかったンか?
「お疲れ、プリントしたのは、こないだのエピソードだけ?」
メンチカツを頬張って咳き込む公星に、福田がペットのお茶を差し出してやる。
「はい、全部は無理だし。ケーブルも買って来たんで、必要になったら使って下さい。
おいしいですね、これ」
読む事に集中しているエイジの方をチラと見てから、声を潜めて福田は聞いた。
「出る時より元気じゃねぇか。まさかエレベーターの中で唄ったりしてねぇだろうな」
「ああ、その手もありました」
「お前な……」
「あんだけ椅子バンバン叩いて追い立てられたら、もうプリントする事しか頭からなくなりますよ。けど、コピー機の前で印刷された紙が出て来るのを眺めてたら、何か唄った後と同じように、気分が高揚して来たんです」
「へえ?」
「これ、待っててくれる人がいるんだなあ、椅子バンバン叩いて…って」
「そ、そうか、ははは」
福田は横目でもう一度、椅子の上のエイジを見た。
まったく……ただネット小説のプリントアウトが欲しいだけなら、小杉さんでもアシスタントの若いのでも、頼めば何とかしてくれただろ?
……敵わねぇな、この人には。
「わーお! 面白かったですぅ!」
エイジがニコニコして紙面から顔を上げた。
「ラスト、変にひねらないでストレートな所が気持ちイイです。幼年誌にピッタリですね」
公星が硬い顔になった。
慌てて福田が口を挟む。
「そういえば、師匠が描きたい素振りなんか見せるから、佐波寅さんが本気にして、ジャック編集部を困らせているらしいんだ。早いめに撤回してくんないかな」
「あらら、この企画を実現する気はないんですか?」
「はい……せっかく誉めて貰ったのに、ごめんなさい」
公星にしては頑張って答えた。言えない部分もあるからしようがない。
「はあ~、勿体ない」
エイジは椅子をギコギコ揺する。
「師匠、皆が皆プロを目指している訳じゃない。ただ書きたいだけで書いている子もいるんだよ」
「そうじゃなくて~」
エイジが真顔で振り向いた。
「ボクが、描いてみたいと思ったのは……原作が面白いのもありましたけど……この企画に興味が湧いたからなんデス」
「??」
まさか師匠はネットの噂など知らないだろ??
「原作を誉めた時、四つ這いでこちらに這って来た、あの編集の人。熱血漫画の主人公みたいなキラキラした目をしていました。瞬間、物凄く描いてみたくなりました。こんな目をする担当さんの元で漫画を描いたら、一体どんな物が出来上がるんだろうと」
「……」
福田は一生懸命、あの時の事を思い出そうとした。
展開が無茶すぎて、周囲を観察する余裕なんてなかったが、確かに久祖さんは、自分がボロクソに言われても、原作を誉められただけでえらく嬉しそうだった。
エイジは椅子から降りて、公星の前にちょこんと座った。
「ね、アナタ、担当さんの顔を見て、どう感じたデスか?」
「……」
公星は思い出せなかった。
だって、ネットの情報が先に立って、怖くて誰の顔もまともに見られなかった。
誰かが誰かを揶揄する文字ばっかりが頭に張り付いて、目の前の生きた人間を見ていなかった。
《人ノ心ノ分カラナイ、何カガ欠ケタ冷タイ子》・・
母親にいつも投げ掛けられている言葉が這い寄って来て、また喉に閂(かんぬき)を掛けようとしている。
やにわに福田が立ち上がった。
――ゥアィキャン、ブレィク、ダァアアク―――!!
「おお? 『CROWs’SKY』ですね」
エイジがパチパチと拍手した。
「唄うぞ、オラ」
呆然としている公星を引っ張り上げ、一緒に『CROW』のサビを熱唱する。
――フライィトゥ、クロオオゥオウ、ズッ、スカァィイ―――!!
こんちくしょう! 今、やっと気付いたんだ!
師匠が「描く」って言ったのは、この企画のボツをとりあえず止めて置く為だったんだ。
この少年がしっかり顔を上げ、目の前の人間と向き合うまで。
何であの場に居て、俺にはそれが分からなかった?
サビリフレインを唄い終え、福田はドッカと床に戻った。
「ああ~、この唄、喉に来るわ」
「言ってくれればカラオケあったですのに」
公星は少し遅れて、フラリと床に両手を付いた。
パタパタ落ちるのは汗じゃないと思う。
「新妻エイジ……さん」
「ハイハーイ」
「すみませんでした」
少年はエイジの前でゆっくり顔を上げた。
「だから、ボクは、謝られるような事をされた覚えはないデス」
冷たい言い方だけれど、エイジも目をそらさない。
「じゃあえっと……ありがとうございました。僕の小説を読みたいって言ってくれて、ありがとうございました。誉めてくれて、ありがとうございました」
彼はきっとこの言葉を、他の『言うべき人』にも言いに行くのだろう。
「ハァ~イ」
エイジはニカッと笑った。
「まあ、元々ボクがこの作品を描ける可能性は、なかったんですよ」
エイジが椅子に戻って、最後のメンチカツを口に押し込んだ。
「そうなの?」
福田が理由を聞く前に、ペットボトルを取ろうとしたエイジの肘が当たり、小説の紙束がバサバサと落ちた。
「おっと」
床を滑る白い紙を、三人で手分けして拾う。
そして公星は、机の下に落ちていた別の紙を見付ける。
「どうした?」
紙を見つめて動かない公星に、福田も覗き込んだ。
それは何かの雑誌をコピーした物だった。
元本がかなり古い物らしく、コピー面は黒ずんで、活字もかすれている。
「どうして、これが、ここにあるんです?」
公星が上ずった声で呟く。
古臭い活版印刷の誌面上では、古代の甲冑騎士が剣を逆手に持ち、昔の絵にしては、なかなか洒落たポーズをとっている。
「これ、おばあちゃんちの納戸にあった奴と同じだ。『世界の英雄烈伝』。この挿し絵に一目惚れして、僕はこの英雄の物語を書き始めたんだ」
エイジも来て覗き込んだ。
「ああ~、それ、アナタ達の前に来ていた人の忘れ物」
「小杉さんの?」
「いえ、小杉さんと一緒に来た人デス。その人に直接断られたデス。残念だけれど、シンクを磨いてくれた上に、別のオモシロイ話も持って来てくれたので、許してあげました」
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11 サナギとムゥの宝箱
サナギとムゥの宝箱・1
オフィスビルが立ち並ぶ活気溢れる表通りにありながら、味と接客が致命的にカオスなこのファミレスには、周辺の勤め人はまず近寄らない。
同僚との遭遇率がほぼゼロなので、会社の愚痴たらしにはもってこいだ。
にしても、奥の二人掛けの席にいる男の声はちょっと大きすぎる。
「だからさぁ、編集長が最近のガキどもを分かってないから、どうしようもねぇのよ。
児童向け漫画が清く正しく品行方正だった時代のセオリーなんか、通用しねぇんだって」
「ソウソウ」
向かいの男性は手の中のスマホに神経が行っていて、話なんか上の空だ。
同期のよしみで付き合ってやっている他部署のグチよりも、限定ガチャのサービスタイムの方が大切に決まっている。
「新チャンの扱いも前時代的でさ。まあ、新卒が配属されるのなんて何年かぶりだから、しゃあないんだけど。でもいきなり担当持たせろとか、ねぇだろ。なあ、ねぇだろ?」
「ああ、ああ、ねぇよな」
「ヘッドが阿呆だと、割りを喰うのは俺ら中間管理職なワケ。仕方がないから新チャンには、一番無難な、何もしなくてもいい鉄板作家を譲ってやった。そしたら何を血迷ったか、ぜんぜん見当外れな物を描かせてンの。焦ったわ、焦るだろ?」
「ウンウン」
「しかも、編集長が通しちゃったからね。いや、軌道修正してやんのが大変だったよ。
あの作家は下ネタ描いてナンボなのに、あれはねぇわ。あんな物があのまま載ってたら、大変な事になってたわ」
「はぁ」
向かいの男性が、気のない返事をする。
『大変な事にならないように軌道修正した作品』がネット上で叩かれてプチ社会問題になったのを彼は知っているのだが、それを指摘すると、今の数倍の言い訳を聞かされる羽目になる。
そもそもこの男は、もう終わってしまった事をダラダラ言い訳して、自分に同調させて安心していたいだけなのだ。いい加減苦痛なのだが、なにせ今日は目的があって誘ったのだから、中座する訳にも行かない。
カロンカロンと扉が開き、店内に一瞬、外の雑音が入った。
愚痴っていた男は、いち早くそちらを見る。
逆光を背に入って来たのは、明るい髪色の若い男性だった。知った顔ではない。
男は視線を戻して、愚痴の続きを喋ろうとした。
しかし、対面の男がスマホから顔を上げて、自分の背後を凝視している。
振り返ると、入って来た若者が、真っ直ぐこちらに歩いて来ていた。
「ああ、佐波寅(さばとら)さん! お久しぶりです、こんにちは」
涼やかに挨拶されたが、彼に見覚えがない。
「お、おぅ、こんにちは」
誰だっけ?
「お会い出来てよかった。相談したい事があったのです。後でお時間頂けますか? 僕はあちらの席におりますので」
若者はハキハキ話して、佐波寅の向かいの男性にお辞儀をした。
「あ、俺はもう戻るから」
スマホ男性は自分の分の代金をテーブルに置いて、さっさと席を立った。
去り際にほんの僅か、若者の顔をチラ見した。
残った佐波寅にまあどうぞと促され、若者は向かいに座った。
(本当に誰だっけ?)
ラフな風体から見て、保険の勧誘員には見えない。
業界関係者なら、遊栄社主催のパーティーあたりで顔を合わせたのかもしれない。
「相談とはどういった?」
誰かと聞くのもみっともないし、まあ、話しているうちに思い出せるだろう。
店を出た所でスマホ男性は立ち止まり、ゲーム画面を開いた。
『約束通り』要求したアイテムがギフトとして振り込まれている。
「何者なんだろ? まあいいか。あいつを誘い出すだけでこんな激レアアイテムくれるなんて、気前がいいったら。こういう頼みなら幾らでも引き受けてやるぜ」
今朝がたギルドで話しかけて来た、ギフトの送り主のそのアバター。
そういえばプロフを見ていなかったなと開くと、既に退会済みだった。
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12 サナギとムゥの宝箱
サナギとムゥの宝箱・2
遊栄社一階エントランス。
入り口の自動ドアをくぐって、今、白シャツにブレザーの少年が入って来た。
背には学校帰りらしい通学カバン。
今日はザンバラ頭は幾分落ち着かせているが、目の下の隈は相変わらずだ。
一瞬不安そうに立ち止まった後、決意したように視線を定めて、上階へ通じるエレベーターホールを目指す。
「あ、あのバカ……」
こちらは、ロビー脇のギャラリーの陰。
ソファに座って広げた新聞でベタな隠れ方をしているのは、ベタベタな変装姿の福田。
(まずは受付に行って入館手続きしろって教えただろっ。おまけに約束の時間より全然早いじゃねぇか。先方は仕事中なんだから、訪問は約束時間ピッタリにって、あんだけ念を押したのに!)
「大丈夫です。一人で行きます」
昨日の夜、電話して来た公星は、心配する福田に対して、そう言い切った。
エイジの所から帰ったその夜に久祖に連絡を取り、会いに行く約束を取り付けたという。
先日の事を謝って、エイジに言ったのと同じ台詞を、『顔をしっかり見て』言いたかったらしい。
「本当に大丈夫か? その日なら着いて行ってやれるぞ」
「決意が揺らぐから、そゆ事言わないで下さい」
「うん、自分で会いに行くって決意して、ちゃんと連絡して約束出来たんだもんな。お前にしては頑張ったよ」
「あー、いえ、そこは、……先に久祖さんから連絡を貰ったのですが…」
「?? メッセージ機能、使えないようにしてたんだろ?」
「えっと……メッセ入れようと、設定をONにして、文章作ろうとマゴマゴしている間に、向こうから先にメッセが届いちゃって…」
「……ちなみに、何時にONにして何時にメッセ来たか教えてみ?」
「いいじゃないですか、そんな事」
全然大丈夫じゃないじゃねぇか。
そんなんでちゃんと話が出来るのか? また何かしでかすんじゃねぇか?
案の定、警備員に止められてアタフタする公星少年。
前にも一回訪問しているだろうが。覚えてねぇのか、ねぇんだろうな。
あああ、もお! だから放っとけないっつーの。
「何やってるんですか? こんな所で」
福田が座った形のまま飛び上がって振り向くと、ジャック編集の小杉が目をパチクリさせて立っている。受付の方を向いて新聞紙を広げていたから、外から来る者にはノーガードだった。
「小杉さん、頼むっ隠れてっ!!」
福田は小杉の頭を押さえて、ソファの影に突っ伏した。
間一髪、背中を向けていた公星が、周囲を見回して首を傾げている。
勘だけは無駄にいいんだよな、あいつ。
「あれ、公星君でしょ? 久祖に会いに来たのなら、ちょっと早過ぎるような…」
「うん、そう。小杉さん、今日の奴の訪問、知ってるの?」
「朝、久祖に聞きました。で、福田先生はこんな所で何をコソコソしているんです? しかも何ですか、その胡散臭いサングラス)
「これはその、あれよ、親心っつーか……」
鼻の下をゴシゴシこする福田の横で、小杉はクスリと笑って、立ち上がった。
「お、おい」
突っ伏したままの福田に小さくウインクして、彼はスタスタと警備員の方に歩いて行く。
「公星くん!」
清々しい声に、少年はビクンと揺れて振り向いた。
「すみません、僕の知り合いです。ブースに連れて行きます。さ、行こう」
警備員に会釈して、小杉は公星の手を引っ張る。
「あ、あの…」
「久祖に面会でしょ? あいつは今ちょっと上に呼ばれていて、自部署に居ないと思うよ。それに約束の時間にはまだ早いだろ?」
「あ……」
少年はそこで初めてロビーの時計を見上げる。
やっぱり福田に言われた事とか、まるっと忘れていたみたいだ。
「ジャック編集部の小杉といいます。ね、時間まで僕とお茶しない? ご馳走するからさ」
返事を聞かずに小杉は、ロビー奥の談話ブースの一つを確保し、コーヒーを注文した。
「ででででも……」
少年は躊躇して後ずさる。
小杉と初対面ではないのだが、あの時編集部内にいた面子など、覚えていなかろう。
いきなり現れた知らない大人に、警戒心満々だ。
そんな彼の耳元に顔を近付けて、小杉は何かささやいた。
瞬間、少年は感電したように硬直する。
(???)
福田の場所からは、勿論声は聞こえない。
だが、そのひと言で公星の表情が明らかに変わったのは分かる。
魔法にかけられたように大人しくなり小杉に従う少年に、福田は唾を呑み込んだ。
(何の呪文を唱えた? 小杉さん)
ブースの衝立(ついたて)の向こうに去り際、小杉は振り返り、もう一度ウインクして、隣のブースを視線で指した。
(俺に、盗み聞きしろってのかよ…)
福田は眉をしかめて立ち上がった。
サナギとムゥの宝箱・3
福田は忍び足で、小杉達の隣のブースに滑り込んだ。
抵抗は感じるが、あんなに扱いづらい公星を一発で従順にさせた魔法に、正直、興味がある。
雄二郎さんと違って小杉さんは真面目だし、悪ふざけではないんだろう。
「あの……」
おずおずとした公星の声。
「何で、そのハンネを? あっ、もしかして、『ムゥ箱』の住人だった人ですか?」
何だ? ハンネ? ムゥバコ?
「ううん、僕じゃない。久祖が君の事をそう呼んでいたんだ。『ハムたろ』ってハンドルネームで」
「え、え? 久祖さん?」
「うん、学生時代、『ムゥの宝箱』はよく覗いていたんだって」
「ええっ! 本当ですか? ハンネは? まさか、あのスレの誰かだったとか?!」
「いやいや、彼はROM専……読むの専門で、ネットでのコメントはほとんどした事がないって言ってた」
「そうですか……」
ふむ、『ムゥの宝箱』とはネット上のサイトの一つなんだろうな。
そこを、偶然、過去に、公星も久祖も利用していたって事か。
小杉さん、細かい補足ありがとう。
「『ムゥの宝箱』なんて、ほぼ『レトロ漫画を語り合うオッサン達のサイト』なのに、本物の小学生がいて、それが結構古い漫画に詳しくてオッサン達に馴染んでるもんで、微笑ましくて、つい覗きに行ってたんだってさ」
「そう……なんですか、懐かしいなあ、僕が初めてネットで人と話した場所なんです。うわ、思い出したら顔が熱くなって来た」
公星の声がほどけた感じで弾んでいる。
ちっ、俺には唄いながらでなきゃ喋れなかったくせに。
「久祖さん、何で『ハムたろ』が僕だって分かったんでしょう? 今から思うと生意気な小学生だったし、めっちゃ恥ずかし」
心配するな、今でも十分生意気で恥ずかしい奴だぞ、お前。
「小説サイトに投稿を始めたって、スレで報告しただろう?」
「うわっ、本当にヤバい所見られてた。クサイ台詞で宣言した記憶がある」
「ネットの海に放つ言葉には気を付けなきゃ、だね」
「はいぃ・・」
だから何で、俺の前と違ってそんな素直なんだよ、腹立つな。
「その時、スレの仲間に教える為に、小説サイトのURLを貼ったろ? 久祖もちゃっかりコピーして、読みに行ったんだって、君の小説」
「・・!」
「小学生らしからぬきっちりとした文体と、小学生らしい自由な発想力に、妬ましさすら覚えたって言っていたよ」
「そんな、まさか」
「それが、久祖と君の小説との出会い。そして彼は、それ以来の君の小説のファン」
少しの沈黙の後、椅子を動かす音がした。
「そろそろ時間だね。受付で手続きしておいで。ちょっとでも君と話せて良かった」
少年が受付で訪問者カードを貰って上階へ消えた後、福田がノソリと姿を現した。
「小杉さんズルいな、何? その隠し玉。『ムゥの宝箱』って何だよ」
「さあ、僕も見た事ないんです。何年か前に閉鎖されたらしいですから」
「ちぇっ」
後で奴の黒歴史を覗いて笑ってやろうと思っていたのに。
「こっちはアナログに奴に付き合って苦労していたのに、ネットの向こうの文字だけの奴等にあんな弾んだ声出しやがって。ひねくれてもいい? 俺」
小杉は、そこは真剣に首を横に振った。
「あの子の扉を開いてくれたのは福田先生ですよ。メッセージが繋がって、久祖が本当に感謝していました」
「こそばゆい言い方すんなよ……あっ!」
一つの事に気付いて、福田は公星の去った方向を見やった。
「何で下のブースでの面会にしなかったんだ。ジャリラン編集部なんかに行ったら、また佐波寅さんがしゃしゃり出て来て、面倒な事になるんじゃないか? 新妻師匠への未練タラタラなんだろ、あの人」
「ああ、その点は対策済みです。ハブの所へはマングースが行っていますから」
「??」
「おっしゃる通りです! 今時の子供に考えさせる漫画なんか必要ないですよね!」
表通りのうらぶれたファミレス。
よく喋る青年に適当な相づちをうちながらも、佐波寅はまだ彼が誰かを思い出せずにいた。
しかし自分の部署や役職を知っているし、自分が常日頃言っている事にもグイグイ押し入って来る。誰なんだ? 飲みの席ででも意気投合したんだっけ?
「ゆとりに育てられた子供なんて、ゆとりもゆとり。頭も身体も栄養過多でブヨブヨで、小難しい物を消化する力なんかありゃしない。ただ大人の嫌がる刺激物を面白おかしく摂取していたいだけ。そんな連中に情操だの知育だのって考えてやる必要ないですよね」
「いや、君、いくら何でもそれはちょっと言い過ぎじゃないか」
「何を仰いますやら、お下劣漫画の第一人者、遠藤メンデル先生の担当さんが!」
言葉と同時に、青年は数枚のコピー紙をテーブルに並べた。
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13 サナギとムゥの宝箱
サナギとムゥの宝箱・4
目の前の横書きの文書を見て、佐波寅は困惑した。
書かれているのが日本語ではなかったからだ。
英語のアルファベットに似ているが、馴染みのない記号も混じっている。
だがまったく見覚えがない訳でもない。そうだ、これは……
「これは、ある経路から入手した、メールのやり取りのコピーです。送り主は……分かりますよね? 遠藤メンデルの漫画を散々叩いていたアーティストの自宅パソコンから送られた物……Ipアドレスでそれは確定しています」
「・・・!!」
「受信相手は……この最後のメールは遊栄社hp宛てですね。昨日届いた物なんですが、知らされていませんか?」
佐波寅は背筋に冷や汗が流れた。しかし、あの件に関しては自分は安全地帯に居る筈だ。
「俺は……『あの時』は遠藤の担当ではなかったし」
「今現在の話ですよ。遠藤メンデル、三月改編のどさくさに復帰予定。その担当は佐波寅さん、って、ほぼ決まりなんでしょ?」
(こいつ、何でそんな内部情報を・・!?)
確かに、久祖に続けさせたらまたトンでもない事をやらかすに決まっているから、自分が強引に引き取ったんだ。あいつときたら分不相応に、編集長に直訴までしやがったから。
「例のアーティスト野郎、まだ何か苦情を送り続けているのか? 個人の出過ぎたイチャモンに、出版社がいちいち振り回されていたらキリがないんだよ」
「でもこれ、一番最後のメールが、超学館まで上がっちゃったんですよ」
「!!!」
「結構その、『個人の出過ぎた要望』が書いてあるんですよね…」
佐波寅の顔が一気に青ざめた。
超学舘は、遊栄社の親会社だ。
出版以外にも色んな事業を手掛けているから、影響力の強い世界的アーティストから要望を突き付けられたら、それなりの対応をしてしまう可能性が高い。謝罪文の掲載程度では済まされない。
いったいいつの間に、そんな大事になっていたんだ!?
狼狽する佐波寅に、青年は斜めに顔を近付けた。
「作家と担当って一蓮托生だって、僕の担当さんが言っていました・・」
「き、君は誰だ、何者だ!?」
もうみっともないもクソもない。佐波寅はスダレ禿げに汗をにじませて、目の前の青年に問いただした。
ここで青年はスッと身を引き、背筋を伸ばして派手な名刺を突き出した。
「申し遅れました、僕、七峰透と申します」
「ななみね……ジャックで連載していた漫画家の?」
それなら尚の事、ただの若い作家が何でこんな物を入手出来る?
「はい、でもその名刺は、作家ではなく副業用の物です」
「??」
受け取った名刺には、『SHINJITSUコーポレーション 代表取締役・七峰透』の文字。
「……君が社長?」
「はい」
「シン……ジツ? 何の会社だ?」
「基本は、漫画の作画と原作のマッチングプロデュース会社です」
「??」
一瞬気概を削がれたが、何、若造が思い付きで起こした遊びみたいな事業だろう。
その社長様が何でこんなコピーを? と聞く前に、青年の方から話し出した。
「遠藤メンデル先生は、個人的に懇意だったのです。会社の設立に当たって作画講師をお願いしようと考えていたのですが、夏にあのスキャンダルでしょう? 新規事業なので、信用第一。もう大丈夫かなあと『その筋の者』を使って調べさせたら、こんな物が出て来てしまった次第で」
「・・・・・・」
「僕、この事業に真剣なので、ミソを付けたくなかったんですよ」
「・・・・・・」
佐波寅は、まだ、若者を値踏みするようにねめつけている。
「それでですね、えーと、このメール情報、佐波寅さんにとって助かりましたよね? だから、何かの折に、ちょこっとその名刺、思い出して貰えたらなあ、と」
青年は遠慮がちに、机の文書を指差した。
あ、なるほど。大した裏がある訳ではなかった。俺に貸しを作りたかっただけか。
「まあ、覚えておいてやろう」
「あとですね」
何だ、まだ何かあるのか。
「僕、遠藤先生と懇意だって言ったでしょう。出来る範囲でいいから助けてあげて貰えませんか? あの人いい人だから、分かっていて放って置くの、忍びなくて」
「さあてね」
鼻から息を吐いて、佐波寅は斜に構えた。
ふん、遠まわしだが、そっちがメインの目的だったようだな。
「俺の立場ではどうしようもないな。第一、俺はまだ担当と本決まりになった訳じゃない。そんな話を聞いて何でわざわざババを引きに行くか。まあ復帰するとしても、担当は久祖じゃないか? やりたがっていたし。俺の所に来たのは宛て違いだ。残念だったな」
青年が何とも形容しがたい笑みを浮かべて、ジャケットのポケットに右手を突っ込んだ。
サナギとムゥの宝箱・5
談話ブースの机に小杉が置いた外国語のコピー文書を見て、福田は眉間にシワを寄せた。
「こんなの俺に読める訳ねえだろ。高卒ナメんじゃねぇぞ」
「どの学校を出ていたって、読めない物は読めないですよ」
小杉は苦笑いして、新たな紙を重ねて置いた。そちらは日本語だ。
「日本じゃ満足な翻訳ソフトが出回っていない言語ですから。一番最初に受け取ったメールは、久祖が辞書と格闘して翻訳しました」
福田は腰を屈めて、紙面を見つめる。
それは『こんにちは』から始まる、手紙のやり取りのようだった。
「しかし返信する段になって、普通のメールソフトでは上手く打てず、さすがに音をあげて、外国語編纂室にいる先輩に泣きついたんですって……おっと!!」
バイブになっていた小杉のスマホが、ポケットで着信を報せたらしい。
「すみません、急ぎの用事です。それあげるけれど、ぜったい他人に見せないで下さいね」
小杉は電話に出る事もしないで、慌てた様子で玄関へ走って行った。
「……」
福田は鼻から息を吐いて、ブースの椅子にドッカと腰かけ、コピー用紙を手に取った。
どいつもこいつも、俺がクソ忙しい連載作家だって事を忘れていねぇか?
青年がポケットから取り出したスマホが明滅して、発信状態である事を示している。
佐波寅は怪訝な顔で彼を見た。
「なあ、もう用事がないようなら、俺は会社に戻りたいんだが」
「あ、もうちょっと、もうちょっとだけ」
青年は、スマホの発信を切り、立ち上がろうとする佐波寅の腕を抑えた。
「ね、僕が何でこんな会社を作ろうとしているか、知りたくありませんか?」
「特に興味はないな」
不機嫌に吐き捨てる佐波寅に、青年は目を光らせて抉(えぐ)るように顔を近付けた。
「・・あんたらの仕事を奪ってやるんだよ」
「なに? なんだと?」
いきなり豹変した青年に、佐波寅は口をぽかんと開いて一瞬ひるんだ。
「向上する必要がないからあんたら変わんないんだよ。あんたらに必要なのは競合相手だ」
「は? キョウゴウ? 競合相手なら、ライバル誌や他出版社と常に凌ぎを削っている。知った風な口を聞くな」
「会社単位の話だろ? 遠藤先生に何があってもサラリーマンのあんたらは無事なんだ。しかもあんた、あの人の才能に惚れてるとかじゃなく、ただ新人に結果を出されたくなくてガキンチョみたいに取りあげてるだけじゃないか。作家を何だと思っていやがる!」
何なんだ、この青年の豹変ぶりは。しかしビビっている所を見せてはいけない。こんな二十歳(はたち)そこそこの小僧に言われっぱなしにさせておく訳には行かない。
「こ、子供だな、社会を知らない子供の屁理屈だ。君は幾つだ? 目上に対する口のきき方も知らんのか?」
「ほぉら、図星を指されるとすぐそのパターンになる。その頭のバーコードに登録でもされてんのか? 本当に口のきき方を知らないってのは……」
「七峰君、そこまーで――!!」
息せききって駆けて来た男性にいきなり頭を押さえられ、七峰はテーブルに額をぶつけた。
「小杉さん、痛いし・・・おーそーい――――っっ!!!」
サナギとムゥの宝箱・6
「すまない。スマホ画面で君に言われた作業をやってたら、目の前を隈を作った子供がフラフラ通り過ぎて行ったもんで…… いや、それは置いといて」
小杉は慌ただしく七峰の隣に割り込み、佐波寅に頭を下げた。
「失礼しました。ジャック編集部の小杉です。担当している七峰の口の聞き方がアレで申し訳ありません」
二人のやりとりを憮然と見ていた佐波寅だが、礼をする小杉に返事も返さないで睨み付けた。
「ふん、作家と担当が雁首揃えてお子様ランチか」
「そんな事仰らないで。佐波寅さんには相談しなきゃならないことがあったんですよ。
七峰君、ちゃんと相談出来た?」
「それが、小杉さぁん」
青年の声がまたガラリと変わった。さっきの野生動物みたいな黒い気配は微塵もない。
こいつ何なんだ・・・気持ち悪い・・・
「この人、遠藤先生の担当にはならないみたいですよぉ。小杉さん、僕にガセ教えました?」
「ええ~っ?」
「遠藤先生の担当じゃないのなら、この人に用はないんじゃないの?」
佐波寅がテーブルを叩いて立ち上がった。
「いい加減にしろ!」
「ああ、ああ、水が水が」
小杉が倒れそうになったグラスを慌てて押さえる。
「七峰くん、その口の聞き方なんとかしなさいっていつも言ってるでしょ」
「うるさいなぁ、あんた僕の母親ですか? それより遠藤先生の担当は引き続き久祖さんらしいですよ」
「ジャック編集のお前まで、何で遠藤がそんなに気になる!?」
「はい!」
こぼれた水を拭き終えた小杉が、清々しく答えた。
「七峰君の会社……SHINJITSUコーポレーションでマッチングした遠藤先生がらみの企画がなかなか面白くてですね、うちの会議に提出しようと思っているんです」
「はああっ? き、君は、編集者としてのプライドがな・い・の・か・・!?」
「うちの編集長、漫画は面白ければいいって人ですから」
シレッと言う小杉に、佐波寅は青くなって赤くなった。
「え、遠藤はジャリーズの作家だ! 勝手に……そんな、仁義に反した事が許されると思っているのか!」
「だからぁ、『仁義を通して』遠藤先生の担当者に相談しておきたいって小杉さんが言うから、わざわざ捜してこんなファミレスくんだりまで来たのに、宛て違いだったんだもん。無駄足だわコーヒーは出がらしだわで、最低」
「まあまあ、七峰君、久祖なら話は簡単だよね。この企画を聞いて面白がっていたし。それに思い返してみたら佐波寅さんも、『作家の貸し借りはアリ』って寛大な方だったじゃないか。これで大手を振って遠藤先生に話を持って行けるね、ああ、よかったよかった」
「~~~~!!!」
佐波寅は何とか、この飄々と話す若者二人の表情を崩す言葉を投げかけてやろうとした。
しかし考えている間に、先に七峰がポケットの機械を取り出した。
「あー、一応さっきの『遠藤はババ』発言、録音してますから。はいはい、確かにこんな編集部外の雑談なんか効力ないですよね。でも、聞く人が聞いたらどう思うんでしょうね、これ」
「き、貴様ら・・!!」
立ち上がったままの佐波寅がワナワナ震える。
「え、え、遠藤を使いたいが為に、俺をハメたのか! 姑息な事やりやがって。デタラメのコピーまで作って・・」
「デタラメじゃないですよ」
七峰が外国語の紙束を取り出して、バサバサ振った。
「正真正銘、本物です。例のアーティストの家のパソコンから送られたメール。最新のは超学館系列のエライ人まで行っちゃって、今、騒ぎになっている。僕は嘘なんか一つもついていない。貴方が勝手に早合点した事はあったかもしれないけれど」
「~~~!!!」
「あれ? 七峰君、日本語訳の方の紙は? 渡したよね」
「渡されましたけど」
「何だと!」
目をむいている佐波寅を見上げ、七峰はゆっくり言った。
「貴方が遠藤先生を心配し出したら、大丈夫ですよホラこれ、ってタイミングで出すつもりだったんです。なのに貴方、ホンのカケラもその言葉を口にしてくれないんだもん…」
「佐波寅さん」
今度は小杉が真顔で正面向いた。
「これのせいで、久祖は上に呼び出されて、散々絞られている。会社に内緒で誰とどんなやり取りをしていたか、外国語編纂室経由で全部バレてしまったから。でも自分のやった事に背中を向けたりしない。彼は……」
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14 最後の手紙と最終話
が、あと一話、おまけの『Cpart』が続きます。
ついでに、あと二話、おまけの小噺をご用意しておりますので、
もう三夜、お付き合い頂けたら、嬉しゅうございます。
最後の手紙と最終話
*****
こんにちは
ホテルのフロントの人が届けてくれた名刺を、お父さんはゴミ箱に捨てたけれど、
僕が拾って、このメールを書いています。
僕は、日本のコミックが大好きです。
自分の部屋の本箱いっぱいに持っています。
今回、お父さんと一緒に日本に行ける事になって、とても嬉しかった。
日本の本屋に行って、沢山の中からコミックを選ぶのを、楽しみにしていました。
僕は、日本語は分からないけれど、『ひらがな』と『カタカナ』は読めます。
だから、本屋で、表紙にお父さんの好きな英雄の名前を見つけて、ワクワクしました。
これを見たら、お父さんもきっと、日本のコミックを好きになってくれるだろうと。
そう思って、買って帰りました。
だから、ごめんなさい。
こんな事になってしまったのは、僕のせいです。
*****
re:
こんにちは
メールをありがとうございます。
あなたが謝る事はない。
あなたとあなたのお父さんを傷付けてしまったのは私です。
本当にごめんなさい。
*****
re:re:re:re:
今日は、お父さんが、僕のコミックを捨てようとして、大変でした。
泣いて懇願して、何とかやめて貰えました。
コミックを捨てられたら、僕、家出しちゃう。
*****
re:re:re:re:re:
それは困った。
でも家出はダメです。
お父さんに、日本のコミックの良い所も知って貰わなくては。
*****
re:re:re:re:re:re:
お父さんは、日本のコミックは暴力的で卑猥で下品だって言います。
そうじゃない良い所もいっぱいあるのに、僕の話を聞いてくれません。
ねえ、キュウソさん、コミックを作るお仕事をしているのなら、
お父さんの好きになれるコミックを作ってください。
*****
re:re:re:re:re:re:re:
例えば……
かの英雄が、神話の世界に迷い込んだ現代の子供と、一緒に冒険する話なんかは、
お父さんは好きそうですか?
*****
re:re:re:re:re:re:re:re:
なにそれ? 面白そう。
そんなのあるんですか?
*****
re:re:re:re:re:re:re:re:re:
一人の日本の学生さん……
その人が、あなたと同じくらいの、子供の頃に書いた、小説です。
*****
re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:
すごい! 僕と同じくらいの子供が書いたお話!
それ、コミックにしてください。
お父さんに見せてあげたい。
僕も読みたい。
*****
re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:
なかなかすぐにという訳には行きません。
私の一存で作品を作る事は決められないのです。
でも努力をします。
今、その原作を書いた学生さんに、連絡を取っています。
*****
re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:
ねえ、キュウソさん、まだ?
*****
re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:re:
すみません。
*****
――遊栄社・サービスセンター宛て――
Dr・MASHlRlTOさんへ。
お願いがあります。
Dr・MASHlRlTOさんは、コミックの会社の偉い人だって、
『Dr・SLUMP』の中に書いてありました。
キュウソさんという人が作っているコミックを、急がせてください。
お父さんに読ませてあげたいのです。
早くしないと、僕の大切な日本のコミックが、捨てられちゃう。
談話ブースの中で最後の一枚を読み終えた福田は、しばらくそこを動かなかった。
ペタペタと聞き覚えのあるスニーカーの音がする。
話を終えた少年が、今降りて来たのだろう。
ブースの横を通り過ぎた彼はいささか惚けているようで、衝立の奥の福田に気付かない。
これと同じコピーを、上階で久祖に見せられたのだろう。
声をかけようか?
いや……
躊躇している間に、少年の「ヒッ」という悲鳴が聞こえた。
続いて聞き覚えのある男の声。
「待て! あ、違う、待って、公星センセイ、待ってください!」
いかん、佐波寅だ。
玄関で鉢合わせしたらしい。
「マングースとやらは何やってんだ」
慌ててブースを飛び出そうとした福田だが、少年の「あの!」という声に身体が止まった。
「この間はすみませんでした」
福田からは見えないのだが、佐波寅の唾を呑み込む音が聞こえたような気がした。
「僕は、僕の担当の久祖さんと一緒に、作品を作る事にしました。頑張りますので、どうか遠くからそっと見守っていてください」
少年の声は震えていたが、最後までちゃんと言い切った。
思わず喉から音が出そうになったのを必死で押さえて衝立から顔を出すと、玄関ドアが今閉まった所で、佐波寅が一人茫然と突っ立っていた。
あいつはもう放っとけない子供じゃない。
プロの端くれで、俺らと肩を並べた競合相手だ。
宵の街を、学生鞄を背負った少年が歩いて行く。
ファミレスを出た所で二人は彼を見かけたのだが、少年の方は気付かなかったみたいだ。
「七峰君、声をかけなくていいの? 君はずいぶん気に掛けていたのに、彼、君の顔も知らないんだろ?」
「いいんですよ、僕は所詮、ネットの向こうの存在ですから」
「変に意地はるよね、君って」
子供は気に掛けてくれた大人の事なんかすぐに忘れてどんどん未来へ行ってしまうけれど、大人の方は、慕ってくれた子供の事をしつこく覚えている物なんだ……
人混みに押されながら地下鉄の階段へ消える少年に、七峰は小杉に聞こえないよう、口の中で小さく呟いた。
「最初に連絡貰った時は、僕だと分かって頼ってくれたと喜んだのに。たまたまだったなんてさ。薄情な奴だよ、ハムたろ……」
~fin~
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15 おまけの1 ~Cpart~
C part
「ところで七峰君、僕は、えーと……どうしたらいいのかな?」
ファミレスの階段下で、小杉がかしこまって聞いた。
「何の話です?」
上の空だった七峰は、取り繕うように聞き返した。
「マングース役を引き受けてくれる代わりに、言うことを一つ聞くって約束したろ?
何でも言ってくれ。社規に触れない範囲でお願いしたいけれど」
「じゃあいいです。社規に触れない範囲じゃ、頼める事なんてないですからね」
「むしろ何を頼むつもりだったんだ……」
七峰は灰の空を見上げ、大きく息を吐いて肩をすくめた。
「ん~、じゃあ、アレ、やっちゃいましょうか」
「アレって?」
「プロットですよ、小杉さんのカバンに入っている、やりかけのプロット。忘れているぐらいなら、もういいんですね?」
「えっ、へっ? いやいやいやいや、やろうやろう、勿論やるよ!」
「んじゃ、いつもの喫茶店に行きましょう。コーヒーの口直しもしたいし」
七峰は先に立ってサッサと歩き出した。
小杉も慌てて着いて行く。
「でも、どしたの? 急に」
「小杉さんと仕事をやるなら、今の内しかないですから。僕、これから忙しくなるんです」
「そ、そう……はっ! まさか、うち以外の雑誌で描く予定だとか!?」
「ホント、小杉さんって発想が貧困だなあ」
先を歩いていた七峰が、眉をしかめて振り向いた。
「来年になったら、SHINJITSUコーポレーションを本格始動させるんですよ。その下準備で、これでも忙しい身なんです」
「へ? あれって、口から出任せの会社じゃないの?」
「あるんですよ、もう作家もスタッフも、事務所も整っています」
驚愕の眼(まなこ)で立ち止まる小杉に、七峰は引き返して耳元で言った。
「一年前、前の連載がポシャった直後から、準備を始めていたんです。まあ、あの時は、今と全然違う目的でしたが……」
「??」
「いや、それはもういい」
再び歩き出しながら、七峰は続けた。
小杉もまた着いて行く。
「遠藤先生のような老練作家に、良質な原作を提供出来る会社。公星のような心許ない子供に、適切なサポートをしてあげられる会社。専属という籠の中で袋小路に入ってしまった作家が、垣根なく頼れる第三者。そういう会社が……あってもいいでしょう?」
一年前の小杉なら、「それは担当の仕事だ」と言い張っただろう。
が、今の彼は黙って彼の言葉を聞いている。
「そうそう、ついでに、作家に逃げられた担当の相談にも乗ってあげる会社」
「あははは」
「笑っていていいんですか? 本気で小杉さん達の存在を脅かす会社になっちゃうつもりですよ」
「だったらこっちも負けない仕事をすればいいだけだろ」
ツラッと言い切る小杉に肩をすくめて足を止め、七峰は今度は彼と並んで、大通りを曲がった砂利道を歩き始めた。
「担当の巡り逢わせで、作家の人生が左右されるなんて、本当にダメだ。絶対にダメだ。誰もが僕みたいに担当に恵まれる訳じゃないんだ」
・・・・・・・
「ん?」
「何です?」
「ね、今の、最後の所、もういっぺん言ってくれる?」
「~~!! 何だっていいでしょう、茶化さないでください!」
「え~っ、もういっぺんでいいから聞きたい~、ね、なっなみっねくう~んっ」
「あああっ、きれいに締めたかったのに、台無しだ! そんなだからあんた、KYって言われるんだっ」
「そんな事言わないで、ねぇ、ねぇ」
路地裏に遠ざかる二人の頭の上に、色付いた街路樹が舞う。
風は一瞬冷たく、もう次の季節への入り口を告げていた。
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16 おまけの2 ~あの時そこには~
あの時そこには
トーンの切り屑散らばる、マンションの一室。
亜城木夢叶の片割れの真城が、一生懸命掃除をしている。
「手伝えよ、シュージン。さっきから何やってるんだよ」
「うん……」
相棒の高木は、ソファに座ってパソコンを睨んだきりだ。
「これから来る相手の事を調べているのなら、趣味が悪いぞ」
「そんなんじゃないって」
高木はパソコンから目を逸らさないまま答えた。
「それに例の作品、ジャリランの見本(みほん)本見せて貰ったけど、なかなか良かったじゃないか」
「中井さん補正が効いているんだろ。なのに、高校生原作者って前面に押し出し過ぎだってーの」
真城は掃除の手付きが乱暴になった。
「俺達だってデビューの時はそんな感じだったじゃないか。……なあ、彼が来てもそんな顔してるなよ。一応仕事なんだから」
「『高校生原作者の先輩を訪ねて』って対談企画か。俺、打ち合わせ中に逃げ出すような子とシュージンが同じテーブルに並べられるのも嫌なのに」
「いいじゃん、仕事として割り切れば」
真城の熱とは裏腹に、高木は心ここにあらずな感じで液晶に見入っている。
「だったら掃除手伝えよ。だらしない仕事場だって思われるのも癪(しゃく)だろ」
「うん……」
「だからあ!」
相変わらず上の空な高木の肩を引っ張って、真城はびっくりした。
「・・・」
「な、何で泣いてんだよ、うわっ鼻水、汚なっ」
「だ、だっで・・・」
高木の指差す液晶には、ネットのチャット欄らしき画面。
「またネットかよ」
「違う、これ、服部さんに貰ったUSBメモリ」
「??」
見ると、パソコンの横に小さな記憶媒体が差し込まれている。
服部は、今の連載『PCP』の担当で、デビュー時から世話になった、二人の最も信頼する編集者だ。
鼻をかんだ高木が、画面をスクロールして最上段に戻した。
「何かのサイトのチャット画面のコピーだと思う。レイアウトとか多分そのままなんだろうけど、ネットじゃないからトップ画面に移動は出来ない。このページだけ」
「……」
真城も目が吸い寄せられた。
最上段のスレッドタイトルが、『亜城木夢叶を応援するスレ』で、すぐ下のコメントに、
:夢叶さんの作画担当の方が入院されました。
・・・とあったからだ。
「俺が倒れた時の? 4年前?」
「『TRAP』休載の報せが出た日付だな」
高木がスクロールして見せた。
:夢叶さん、早くよくなって
:ゆっくり治してください
:元気に戻って来るまで待っています
:鶴折りました
(という下に折り鶴の画像)
:俺も折ってみた。
:私も
:うちは100羽折りました
・・てな感じで、色とりどりの鶴の画像が並んでいる。
「へえ、こんな事してくれてたんだ。ネットでもこんな場所もあるんだな」
高木が、更に下へスクロールして行く。
:夢叶さん戻って来た。
:おかえりなさい。
:身体は大事。無理しないでね。
:待ってたぜ、やっぱり『TRAP(トラップ)』がなきゃ。
「うわ、嬉しいなあ。手術明けのヨレヨレだった俺に見せてやりたい」
一瞬喜んだ真城だが、下の段に行くと、顔を曇らせた。
:『TRAP』切るなんて信じられない。
:ジャック編集何やってんだ。
「『TRAP』が打ち切りになった時だ…」
あまりいい思い出ではないので、真城は目をそらした。
「真城、ここ」
高木の声に、目を上げる。
:夢叶ロスの皆さんに朗報。25号で、亜城木夢叶復活。
:おかえりなさい、夢叶さん。
:待ってたよ。
:おかえりなさい
「『TEN』の時だな」
「俺達にとっても長かったよな、ファンの人達もそうだったんだな」
「うん……」
:今度はぜったいアンケート送ろうぜ。
:同じ轍は踏まない。アンケート必須。
:みんなで夢叶さんを連載枠に呼び戻そう。
「俺、さっき、ここで泣いたの」
「ん……」
真城もちょっとグッと来ていた。
:三冊買ってアンケート送った。更に朗報。次号にも夢叶さん載るよ。嬉しすぎ。
:やった! 完全復活だね。
:早く連載~。
:いやいや、身体が第一ですよ、夢叶さん。もう無理はしないで。
「嬉しいなあ、俺達も嬉しかったよな」
「ああ」
二人は掃除も忘れて、思い出に浸りながら画面に見入った。
高木にして不思議だったのは、このスレッドには、他でありがちな、からかいや汚い言葉がほとんどなかった事だ。これなら安心して真城にも見せられると思った。
:よかった、今度はエグい奴だ。『Futune Watch~未来時計~』最高!
:やっばりこうでなくっちゃ『TEN』で心配になったけど。
:うん、不安感ハンパなかった。
:引き出しが多いって事でしょ。夢叶さんのギャグもたまにはいいじゃない。
ずっとは困るけど。
:ねえ、もしかして、二号連続、違うタイプの読み切りが載ったのって、
読者の反応を見比べる為だったりして。
:・・・あ・・!!
スレッドはそこで途切れていた。
「中途半端だな」
「ねえ、シュージン、その一番下にある数字は?」
「あ、二ページ目以降がある」
クリックすると、折り畳まれていた続きのページが開いた。
:やべっ! 先号にお小遣い使いきっちゃった。
:Web版契約してるのに、わざわざ紙の本買ってアンケート送ったのに!
:なんでギャグの方、先に載せたんだよ、罠だろ。
:それぐらい考慮してくれるでしょ…
:考慮してくれなさそう。亜城木夢叶にギャグ描かせる時点で。
:夢叶さんが実はギャグ好きで描いたのかもしれないよ。
:ありえん。明らかに『Futune』の方が筆がノッテるだろ。
「…………」
「筆がノッテるとかノッテないとか、ちゃんと見られてるんだなあ…」
「っていうか、ギャグとエグいの両方載せて読者の反応を比べるって、まんまバレてたんじゃん。ジャックの購買ターゲットよりちょっと上の年齢層の人達なんだろうけど……怖ぇよ」
***
:うそだろ?
という書き込みに日付を見ると、読み切り版の『ひらめき!タント君』が載った『ジャックNEXT』の発売日だ。
:亜城木夢叶、ずっとこれで行くのかなあ…
:がっかり……
:春の読み切り二連続のアンケ、ギャグの方が良かったのかなあ?
:まさか、ネタ古いし、スベリまくってたじゃん。
スクロールしながら高木が悲愴な顔になった。
しかし真城も「もうやめておこう」と言えずに、その先に対する好奇心に負けていた。
:僕らのせいかなあ。
復活第一段に浮かれて、内容関係なく、アンケ送りまくっちゃったから。
:それはないだろう。全部を集計する訳じゃないんだから。
:ねえ、『TRAP』から担当の人変わったの?
:同じ人の筈。でも、元々『TRAP』の企画を作ったのは、別の編集さんとらしいよ。
「!!!」
二人は顔を見合わせた。
「シュージン、このメモリ、服部さんに貰ったって?」
「うん、でも、服部さんも貰い物だって言ってたんだ。中身を確認もしないで僕らに渡す人じゃないから…… 推測だけど、服部さん、二ページ目がある事に気付かなかったんじゃないかな」
「……」
:はあ、なるほど……
:・・・あ、察し。
:どおりで。
:『TRAP』みたいな傑作が失速した理由が……
真城がテーブルをダン!と叩いた。
高木が恐々彼を伺うが、画面を睨み付けてスクロールを促している。
もうこうなったら、最後まで見切ってしまうしかない。
しばらく過去作の感想等が続いて、そして二月。
『タント』の新連載の号が発売された日付だ。
また非難ごうごうの書き込みが始まるのかと思いきや、意外や、コメントは一つだけだった。
:みんな、僕は、今日決めた事があります。
僕は、漫画家になる。
そして、担当抜きで漫画を作るやり方を確立してみせます。
担当の巡り合わせで作家の人生が左右されるなんて、本当にダメだ、絶対にダメだ。
今日まで楽しかった、ありがとうございました。
スレッドは、そこで唐突に終わっていた。
「…………」
「…………」
しばらく固まっていた二人は、ピンポンというチャイムに呼び戻された。
「はじめまして、宜しくお願いします」
服部に連れられて入って来た大人しそうな少年は、ソファに座る前に礼儀正しく挨拶をした。
(思ったより普通だな…)
目の下にうっすら隈はあるが、福田に聞いていた鬼気迫るイメージはない。
「えっと、取材の前に、服部さんに聞きたい事が。昨日くれたこのUSBメモリ、誰から貰ったんですか?」
身体の大きな服部は、のんびりとパソコンを覗き込んだ。
画面はスレッドタイトルのある最初に戻してある。
「あ、これ? 遠藤メンデル先生だよ」
「??」
真城と高木は顔を見合わせた。
「遠藤先生も別の誰だかに貰ったって。『亜城木夢叶ファンの集いらしいんだけど、自分はパソコンなくて見られないから、確認して問題なかったら、亜城木先生にあげてください』って渡されたんだ。一応ウィルスチェックもしたんだが……何かあったのか?」
「いえ……」
「そうそう、真城君が入院した時の折り鶴画像! いいよな、ああいうの」
やはり二ページ目以降は知らないようだ。ファンレターと同じ感覚で渡してくれたのだろう。
「でも何で遠藤先生が? ジャリランの作家さんでしょ?」
「うん、今、小杉が担当していて、編集部にいらしたんだ、その時に……」
「??」
「おっとすまんすまん、まだ社外秘だった、忘れてくれ」
「???」
そこで服部のスマホが鳴った。
「え? ……ああ……分かります……はい……そこで待っていて下さい」
鞄を持って立ち上がる。
「カメラマンさんが道に迷ったそうだ。すまない、ちょっと迎えに行って来る」
「あ、はい…」
玄関まで服部を見送った二人は、もう一度顔を見合わせた。
なんだよ、このデジャヴ感・・・
そう、過去、まったく同じこのシチュエィションで、七峰透は仔ウサギから古ギツネに豹変したのだ。二人は恐々、ソファの少年を振り向いた。
彼は変わらず仔ウサギのように畏(かしこ)まっているのだが…
「あ、ダメ!」
開いたままのパソコンをじっと覗き込んでる。
高木が駆け寄って閉じようとしたが、「セットさん……」という声に手を止めた。
***
「セットさんだ」
「し、知っているの!?」
「はい、これ、『ムゥの宝箱』のスレッドですよね。スレ主の名前……ほら、ここ。Septさん、こんなスレ立ててたんだぁ」
高木はもう一度パソコンを見直した。
真城も慌てて隣に来る。
「これ、『セット』って読むの?」
「はい、本人に教えて貰いました」
「この……スレッド主? と、知り合いなの?」
「えと、このサイトはもう閉鎖されているので、昔の事ですが。よく宿題教えて貰いました、算数とか理科とか」
「……」
『TRAP』終了の頃なら、確かにこの子は小学生だ。
「あっ、すみません、懐かしくて、つい」
少年は罰悪そうにパソコンから離れた。
「いや、いいよ、丁度その人の事を詳しく知りたいと思っていたんだ」
真城の言葉に、少年は堅い顔になった。
「ネットの中だけの付き合いだったし……」
ああ、これが、福田さんの言ってた『めんどくさい部分』だな。
高木が、当たり障りのない会話に切り替えようと考えている横で、真城が直球を投げた。
「このスレッド、何か不自然だよね。皆の言葉がずいぶん画一的できれい過ぎるっていうか。まるで『作られた』スレッドみたいに」
(おい、ズケズケ聞きすぎだって)
高木は慌てたが、少年はムッとして答えた。
「『ムゥ箱』は管理人さんが厳しかったんです」
「サイトの管理人? が、気にくわない奴を片っ端から追い出したの?」
「いえ、ちょっと違くて。マナーにうるさいっていうか。僕なんかもしょっちゅう削除喰らってたし」
「小学生の君の書いたものも?」
「子供だから余計にマークされてたと思う。いっぺんなんか、w入れただけで消された」
「何だそりゃ。wくらい、普通に使うだろ」
「wは嘲(あざけ)りの意味があるからって、他の大人の人達に説明されました」
そういう説もあるんだろうけど、そんな言葉狩りみたいな事をやってたら、削除だらけになって、人が居なくなっちまうだろ?
「他に使ってる人もいるのに、僕だけ消されたんです」
「へえ?」
嫌われてたのか? と言いそうになって、口をつぐんだ。
「で、不満グチグチ言ってたら、『君は意味を知らずに、ただ人の真似をして使っているからだろう』って」
「……」
「ああ、思い出した。それ、Septさんに言われたんだ」
少年は堅い顔を崩して、ちょっと微笑んだ。
「今は分かるんです。どのサイトに行っても、皆に信用されている人は、w使ってないもの。そういうのって、あの時教わらなかったら、今も気付かなかったと思う」
「……」
「そんな削除大魔神がいても住人がそこそこ残っているんだから、例えスレが画一的にになっても、きれいな文章だけを読み書きするのが好きな人って、意外といるんじゃないでしょうか」
「……」
すげぇ、真城が言い負かされてる。
高木は、頭の中に、昨日貰ったこの少年のプロフィールを引っ張り出していた。
受賞歴なしの平凡な高校一年生……だったよな。
「お、俺、お茶入れて来るわ」
重い空気から逃れるように、高木はキッチンに向かった。
はぁ、息が詰まる。
「ね、君、七峰透と知り合いなんだって?」
「サイコー! お茶っ葉どこだっけ!?」
油断も隙もない真城に、高木が慌てて大声を被せる。
(今日はその話題は持ち出さない約束だっただろ?)
「えー……どうしよう」
少年は困惑の声色だ。
「何? 七峰に何か口止めでもされてんの?」
「いえ、師匠が……」
「師匠? 新妻エイジ?」
「いえ、僕の師匠は福田さん。福田慎太師匠。この間、師匠呼びする許可を貰いました」
「……」
福田の苦笑いが目に浮かんだ。
「師匠が、亜城木夢叶先生の前では、七峰さんは『名前を言ってはいけない人』だから、細心の注意を払えと」
悪の魔法使いかよ!
「福田さんらしいな」
真城が指を組んで少年に向き直った。
「両方知っている君だからこそ、率直な意見を聞きたいんだ。このSeptと七峰透が同一人物じゃないかと俺は思うんだけど……どう?」
「サイコー!!」
短絡過ぎるだろ! それは本当にやめとけっ!
高木は真城の肩を掴んで、キッチンに引っ張って行った。
(今日は俺の取材なんだ。頼むから波風立てないでくれっ)
(シュージンだって気になるだろっ)
キッチンでゴタゴタしている二人の耳に、静かな声が届いた。
「そういえば……確かに似た所は、あるかもです」
二人、絡まるようにソファに駆け戻る。
「どんな所??」
少年は二人の顔を交互に見てから、素直に話し始めた。
「他人の事でビックリするほど熱くなっちゃう所」
「んん?」
「Septさんって、自分は何を言われても飄々としている癖に、親しい人が何かされると、めっちゃ怒るんです」
「へえ」
「僕がスレッドで、『ガキは黙ってろ』的に理不尽に絡まれたりしたら、Septさんが乱入して来て、相手をガーッと論破して追い払っちゃう。そんで管理人さんの禁止ワードに引っ掛かって、自分がペナルティ喰らったり」
「うひゃ」
「そんな事は何回かありました。で、思い返すと、七峰さんも、そんな所あるなって」
「……」
「今回、最初に編集部との間に誤解があったんですけど。僕がただただショックで茫然としている間に、七峰さんの方が先に、グワーって怒り出して」
「……」
「『お節介』って言葉は当てはまらないな。えっと、あれです。『放っとけない体質』!!」
「そ、そう……」
「でもやっぱり、他人ですよ。Septさんなら、僕の小説サイトと名前を知っているから、最初に連絡した時点で、僕だって気付いてくれる筈だもの」
インターホンが鳴って服部がカメラマンを伴って戻って来た。
カメラマンに挨拶して細々した段取りをこなしながら、高木はぼおっと考えていた。
このメモリが自分たちの目に触れたのは、たまたまの偶然だ。服部さんが二ページ目に気付かなかったのも、自分たちが気まぐれでつい最後まで見てしまったのも、操作された物ではない。誰の意志も介在しない、偶然なんだ。だったら出所が何処なのかとか、もう深く考えず、忘れてしまっていい物なのかもしれない。
ただ、のどに引っ掛かった小骨のように、どうしても心に障る。
あの青年がここで古ギツネに変身し、担当抜きの漫画の作り方を嬉々として語り出した時……自分は何て言ったんだっけ……?
やはり気持ちが他所へ行ってしまって、高木はその日のインタビュー、何を喋ったのか覚えていない
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17 おまけの3 ~エンドロールのその後に~
これまで読んでくださった方に、感謝感謝です。
エンドロールのその後に
大都会の隅っこ、オレンジの街頭に浮かぶ煤(すす)けた歓楽街、路地奥の小さなバー。
今、雪を払って入って来た男に、とまり木の男がにやけながら振り向いた。
「買えた?」
「おお、勇気いるわ~、これ持ってレジに行くの」
「だろだろ」
「俺と会うの分かっていたんだから、一緒に買っといてくれれば良かったのに」
「何を言うか、勇気を振り絞ってレジへ突撃するまでがワンセットじゃ」
「何がワンセットなんだか」
レジ袋から引っ張り出されたのは、飲み屋に似つかわしくないカラフルな幼児コミック。
「雪、どう?」
カウンター内のママが、熱いオシボリを差し出す。
「んん~、注意報出たからな。ヤバイかもしれん」
「ヒゲ親父、来られるかなあ」
「新幹線だろ? まだ止まってはいないと思うんだけれど」
店内に他に客はおらず、年季の入った飴色カウンターの上で、男達は買ったばかりの雑誌をいそいそと広げた。センターカラーの扉絵で勇ましい英雄の絵姿が踊り、その隅に記された小さな名前を、彼らは目を細めて眺める。
「天使ちゃんに連絡貰うまで知らなかったよ。幾ら漫画好きでも『ジャリーズランド』まではチェックしていないからな」
「うふふ」
「これが切っ掛けでまたこうして集まれたんだから、ハムたろに感謝だな」
「あの子は大物になると思うとったぞ」
「またまたぁ」
男二人、新しいインクの匂いを散らせながら、物語をパラパラとめくる。
どのページも躍動感溢れる美しい絵に満ちている。
「でも良かったよな、ハムたろ。作画の中井拓郎って、あいつが大絶賛していた漫画家じゃん」
「っていうか、皆で大絶賛しとったよな。『神域の点描』とか『いぶし銀』とか」
「ああ、言ってた言ってた」
「絵を担当する人って、選べるのかしら? もし希望を聞いて貰えたのだとしたら、あの子、大事にして貰っているのね」
三人はしばし、カウンターの上の小さな雑誌を肴にグラスを傾けた。
「そういや、あいつはやっぱ来ないのかい? Sept」
「うん、一応、昔の連絡方法を使って呼び掛けたが……どうじゃろな。亜城木夢叶のスレッドを閉めてから、あいつ、音沙汰なくなってしもうたろ」
「ああ、あれ、良いスレッドだったのに。肝心の亜城木さんの漫画が皆の思ってるのから離れて行っちまったからな。荒れる前にスッパリ閉めてよかったと思うよ。スレごと全削除はビックリしたけど」
「気が付いたら跡形も無うなってたもんな」
カロカロとマドラーを回しながら、ママが静かに言った。
「彼はこういう集まりに来るタイプじゃない気がするわ。そもそもお酒が飲める歳になっているかどうかも怪しいし」
「えっ?」
後から来た方の男性が、頓狂な声を上げた。
「そうなの?」
「そうでしょ」
「サルタヒコさん、分かってた?」
「中高生だとは思うとったよ、一生懸命背伸びしてたが」
「ほえ~~、若いとは思ってたけど、そこまでとは」
「擬態の上手な子だったわよね、ハム君と違って」
扉の向こうでキュッキュと雪音がして、白い外気と共に大荷物の男性が飛び込んで来た。
「あけましておめでとうさん!」
「いやもう鏡開きだし!」
「サンタクロースがプレゼント持って来たで!」
「だから一月だし!」
男性は旅行カバンから十冊近くのジャリーズランドを引っ張り出した。
「ほぉら子供達、お年玉や」
「こいつ、そこのコンビニにあった奴、買い占めて来やがった!」
白髪混じりの髭を鼻の下で切り揃えた男性は、荷物を隅に置いて、カウンターの三人目の客になった。
「こんな面白いモンもあったぞ」
と言って置いたのは、最新の少年ジャック。
「ハム少年の対談記事が載っとる」
「おお! 連休で今日発売だったか。ほほぉ、亜城木夢斗相手に対談など、あいつ、いっちょ前の作家みたいじゃのう」
「ちぇっ、顔出しは無しか。ま、未成年だしな」
対談記事は無難な物で、読み終えて本を閉じた男三人は、改めて表紙を見て、同時に声を上げた。
「んんん??」
「何じゃこりゃ!」
「ヒゲ親父お気に入りの遠藤メンデルじゃないか!」
「うわ、気付かなかった。……『レディCROWの小さな冒険』だと? うわあ!」
ヒゲの男性は慌てて目次を見て、ページを繰った。
「『CROW』のスピンオフか。新妻エイジがよく許したな」
「『原案・監修、新妻エイジ』になってますやん」
「新妻エイジより、ジャック編集部がよくやらせたな。メンデルさん、夏に不運なトラブルに見舞われちまったから。こんな、ジャックのお宝コンテンツを描かせて貰えるなんて」
ママも来て覗き込んだ。
「そうね…… 出版社の、『作家は見捨てず大切にする』って意志表示だったらいいわね」
「ああ……」
「なるほど、うん、きっとそうだ」
誌面には、力強いタッチの、カッコ可愛い主人公。
「ヒゲ親父、メンデル贔屓だもんな」
「この人ほどヒーローの決めポーズが上手い人おらんで。そうこれこれ、子供の頃、こういう由緒正しい大見得(おおみえ)に、ワクワクしたもんや」
男性は誌面を指さしながら、子供みたいはしゃいだ。
「新妻エイジも欄外コメントで言ってるね。『メンデル先生のカッコイイ絵を見せられてビビッと来て、即OK出しました』だって」
「うん、そうなんや、こういう絵を描いてこそメンデルなんや。嬉しいなあ、遊栄社にもこっちのメンデルが好きな編集さん、ちゃんと居てくれはったんや。嬉しいなあ、嬉しいなあ」
集いの主人公はハム少年の筈だなのだが、彼の話題は、しばし隅に追いやられた。
ヒゲの男性が自分の世界から戻って来るタイミングを見計らって、ママがタグの着いたボトルをカウンターに置いた。
「ロックでいいかしら」
「ああ、すまんな、年イチぐらいしか来れんのに、キープしといてもろて」
「ううん」
ママは静かに真鍮のボトルタグを指でなぞった。少年が「どこへ行ってもつながっていられる」と示した拠り所と似ているな……と思った。
あの後あの子は『ムゥ箱』から遠のいてしまったけれど、「僕はここに居る」と教えて去った事で、皆に寂しさを残さなかった。
「ね、メンデルで思い出したけど。春にムゥさんから、連絡来た?」
「ああ、あれな。来たで来たで」
「ええっ? 管理人さんと連絡取ってるの?」
先に居た二人の男は顔をあげ、息せき切って聞いた。
「いやいや。『ムゥの宝箱』の前身の、ちゃっちぃ漫画ブログの時代、常連同士でメアドの交換だけしてたんや」
「うわ、ぬるい時代だな」
「個人的なやり取りなんぞ普段はせんから、忘れとったぐらいなんやけど。今年の春に、管理人さんから初めてのメールが来たんや」
「ほぉ、あの無口な御仁(ごじん)が」
「『お願いします、遠藤メンデルの素材あったら、何でも送ってください』って」
「……」
「あの人が物を頼むなんてよっぽどなんやろうと、『メンデル友の会』に召集かけて、ありったけの雑誌、スキャンして送ったった」
「相変わらず謎の人脈だな、ヒゲ親父・・」
「あたしも送ったわ。ついでに、持っていそうな人にもチェーンメールしといた。何で必要になったかは知らないけれど、役に立っていればいいわね」
「お礼メールは来たけれど、『ありがとう、感謝します』だけ。相変わらず、愛想のないお方やわ。ま、あの人には大層楽しませてもろうたから、お役に立ったらそれでええねん」
『ムゥの宝箱』は不思議なサイトだった。管理人がほぼ口をきかないのに、古い住民はいつも彼の息吹を感じていた。
「じゃ、それだけ? 一瞬、『ムゥ箱』復活かと思ってドキドキしたわ」
「ははは、それはないやろ。『ムゥ箱』閉める時の理由が、ひっくりコケたやん」
「『就職活動に専念する為』だと。はああっ?? だよ」
「学生だったんかーい! ってな」
「あそこまで安定したサイトを一方的に閉じる事に、ずいぶん非難もあがったよね。でも、子供の頃から夢だった職業があるって言われたら、じゃあ頑張ってとしか言えんわな」
「最後までマイウェイなお方やったな」
四人はしばし、共通の「愛すべき御仁」に思いを馳せる。
顔も何も知らない、コメントのやり取りすらした事のない相手だけれど。
夢が叶って元気で働いていてくれたらいいな、と思う。
「誰かに継がせりゃいいじゃんって意見もあったけど。スッパリやめてくれて良かったと思うよ。あの時の衝撃がなかったら、年甲斐もなく『オフ会』やろうなんて言い出せなかったもんな」
「天使ちゃんが、お店やってるからおいでって言ってくれて、渡りに舟」
「結構勇気が要ったのよ。絶対、幻滅させるから」
「ハンネが『テレビ天使』な時点で、そんな大それた幻想は抱かないさ。でもな……」
「ああ、まさかな……」
「……なによ」
「こんなに妖艶な美女だったとは」
「そうそう」
「なによなによ!」
ママはむくれて、ボトルの向こうに顔を隠してしまった。
男三人でしばしそれを宥(なだ)める。
「ま、ムゥさんの管理しないサイトなんて、『ムゥの宝箱』じゃない」
「そうそう、何やかや言いつつ、皆あの、削除大魔神・猫丘ムゥを、好いとったんや」
「ふふ、フルネーム久々に聞いた」
「へええ、初耳。なんだその可愛い苗字」
「やばい!」
スマホの天気予報を覗いた男性が声を上げた。
「大雪警報になった。電車止まるぞ」
「…………」
今から駅に走れば、動いているうちに電車に乗れるかもしれない。でも……
「今日、絶対に帰らなきゃならない人~」
ママが明るく片手を上げ、皆を見回してニッコリした。
「じゃ、久々にオールで語り合いますか」
「いいの? 天使さん」
「せっかくのハム君作家デビュー記念の集まりだもの。あたし達の大切な宝物の…… 閉店札出して来るわね、うふふ」
そう言ってカウンターから出て来たママは、確かに妖艶な美女だ。
喉元の青い剃り跡がちょっぴり残念なだけで。
~fin~
2019・1・17
読んで頂いてありがとうございました。
読者様と、
バクマン。という名作を世に生み出してくださった原作者様に、感謝です。
P・S 拙作にも関わらず、感想をありがとうございます。返信下手なもので、ここにて感謝の言葉を述べさせて頂く事で、どうかお許しください。
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