梧桐樹は転生者である。
いや、こんな出だしで始めるのも何だが、本当にそれ以外に表現のしようがないのだ。
トラックに轢かれた記憶も無ければ、神様を名乗る何かに出会った記憶も無い。気が付けばオギャーと赤ん坊、見る間見る間に成長し今では立派な小学六年生。
小さい頃は時の流れが遅く感じるという話だが、流石に羞恥心や諸々の事情により記憶を飛ばすことに専念した甲斐あって、朧気だった自我を表層へと浮き上がらせたのは九歳の頃だった。
このぐらいの歳になると中には大人びた性格の子供も出てくる。俺もそんな中の一人として周囲に認識させることに成功したのだ。
前世では灰色の青春に崖っぷちの受験戦争、苦行とも言える就職活動を体験したのもあり、今回は彩のある学生時代を送りたいと奮起してみることにした。積極的に行事やイベントに参加し、幾つか習い事にも手を出すことで将来に役立てようと考えたのだ。最終的に落ち着いたのは水泳だが、インストラクターのお姉さんの水着姿に魅かれたのではない、断じて。
おかげで学校やご近所さんからの評判は上々、両親共に疑う事無く本当に良く出来た子だと俺を愛してくれている。そんなこんなで少しマシな人生を目指し頑張る少年が、俺こと梧桐樹なのだ。
前世の記憶から挫折や失敗も経験済み、多少失敗したところで前世より悪くなる人生などそうそうありはしない、そう信じていた。
そんな事情が一変したのはつい先日のことである。
小学校も六年生へと上がり、来年には中学生。高校、大学、就職と将来を見据えれば、中学もそこそこ良いところに行くべきなのかと一人悩んでいた。まぁ、それも無駄に終わった訳だが。
まだまだ若く三十代、働き盛り男盛りだった父が死んだ。
通勤途中、ナイフを持ったキチガイヤローに刺され、呆気なくこの世を去ってしまう。十数人と出た犠牲者の内の一人として、父の名前がニュースで読み上げられるのを母は呆然と眺めていた。
何かの間違いだと自分に言い聞かせていた母に止めを刺したのは警察からの電話だ。
現実を認め意識を手放した母に代わり、俺が警察との遣り取りを交わしたのを憶えている。魂とかそんなのはこれでも父と同じく三十代、転生のように理解不能な事態に比べれば、二人目の親が亡くなったことなんて現実に起こりうる範囲内の出来事でしかない。
警察との遣り取りを終え、気絶した母を無理矢理叩き起こし、指定された警察署に向かったのだ。
遺体安置所で悲劇のご対面。
無残な姿になってしまった父に泣き付く母、それを少し離れてボンヤリと見守る俺。
痛ましい表情でこちらを窺う警察官のうざったいこと、こちとら現実を認識してるっての、電話で遣り取りしたの誰だと思ってんだよ。微妙に防音が効いてないのか、周りからの泣き声も煩かったし。
今まで育ててきてもらってあれだが、結局のところ俺にとって今の両親とは、育ててくれただけの赤の他人なのだ。
これが記憶まっさらで今の両親しか憶えてなければ普通に親子を演じていたのだろう。だけど前世での記憶があり、その両親を生み育ててくれた親だと知っている俺にとって、今の両親はぶっちゃけ間借りしてる家の家主でしかない。
これが十年近く自我を薄く保っていた理由だ。
多分、最初から俺の自我を表面に出していれば、良くて虐待、最悪育児ノイローゼか何かで殺されていただろう。だから利発的な子供でも不自然ではない歳まで我慢したんだけど……だってのに畜生め。
葬儀や何やらを終えて、一息吐いた俺を待っていたのは心理カウンセラーによるカウンセリングだった。
あまりにも反応が薄かったせいで、PTSDを疑われたのだ。余計なお世話だよ……
母はおろか、葬儀に参列した親戚や学校関係者からも心配されてしまい、一時休学するしかない事態に陥ったのは苦い思い出だ。
そして後から思うに、これは運命の選択というやつでもあったのだろう。
通院を始めて二週間、バスに揺られて通うのに苦痛を感じるようになった頃、被害者遺族の会やらなんちゃらが発足されていた。
被害者が多過ぎるし、その分遺族も増えることになる。そのせいもあってか意見調整やらなんやら纏める役が必要だとか、俺には関係ない話だったので聞き流していたが要約すると、母こと梧桐薫はこれに出席参加せにゃならんと、ご苦労なことで。そんでもって通院にも慣れ、カウンセリングの経過も良好である俺に今回は一人で行くことになるが大丈夫か、という話だった。うん、心配してくれるのは有難い、だが余計なお世話だ。
まぁ、そんなこと態々口に出して言わんが、婉曲に大丈夫であると伝え一人病院に行くことにした。こういう時、親族が微妙に遠い位置にいると頼みごとし辛いよね。
毎度の如く顔を会わせる受付のおねーさんと挨拶を交わし、カウンセラーと何時も通りの、当たり障りのない話をして病院を後にする。
適当に言葉を濁し、今でも父がひょっこり顔を出すんじゃないかって思ってるんです、何てことを言うと微妙な顔をしてくれる。多分良い先生だ、現実感が追いついてないと判断してくれるといいんだが。今日あたり、父のことで母に泣き付いてみせれば疑いも晴れるだろうか、そんなことを考えていた、この時までは……
今更の話だが、我が家は街の郊外から少々外れている。
あと数年もすれば近くに広めの道路が完成し、周辺も住宅が立ち並ぶ予定らしい。今の内ならお買い得ですよと、不動産屋の謳い文句に負け二十年ローンで買い引っ越したのが二年ほど前、丁度俺が自我を表に出し始めた頃だった。
校区が変わらなかったおかげで転校する必要はなかったが、行動範囲が広まる頃に郊外から更に移動してしまったことで住んでいる筈なのに街の中心をあまり知らないという有様だ。習い事や旅行などは両親の運転する車が移動手段だった。実際のところ、街の中心にある病院にカウンセラーがいなけりゃもうしばらくは行かなかったんじゃないだろうか。
カウンセリングを終え、母も居らず一人自由の身。
時刻は昼前、渡されたお金には昼食の分も含まれていた。夏はまだ遠いとはいえ、暗くなるまでには十分な時間がある。そうなれば、少しばかりのストレス発散にと街を散策するのは当然の話だろう。コンビニの握り飯で早めの昼食を済ませ、ぶらぶらと歩き始めたのだ。
大き目の本屋を眺め、良い感じの喫茶店を見つけ、アレ方向に偏った品揃えのレンタルビデオ屋、よく分からない絵が飾られた画廊、あと八年は必要な居酒屋など、目を付け記憶するのに夢中だった。
だからなのだろう、人通りが徐々に途絶え、真昼の中心街に静けさが漂っていることにさえ気付きもしなかったのは。
乾いた音が鳴り響いたのは、そんな異様な雰囲気に包まれている時だった。
軽くパンと短い音。
日本ではよほど特殊なお仕事に就かない限り、そう滅多なことでは聞く機会に恵まれないであろう音。その時は何の音じゃろ祭りかな、なんて暢気な思考をしてた訳だが。
こっちかな、と覗き込んでみりゃ倒れた男に向けて女の人が続けて鉛玉撃ち込んでる訳ですよ。あ、これ修羅場じゃねーかって固まったね。
幸いなことにこっちに背を向けてたから助かったけど、逆から顔出してたらどうなってたんでしょ。
後姿だから顔はよく分かんなかったけど、ショートの黒髪にスーツ服、ボディラインからして多分スレンダー、でも貧相な身体つきって訳じゃなくて理想の体型って言葉が似合うタイプ、身体だけでも80点台は確実、顔も好みだったら満点あげれるんじゃねって感じ。いや、俺の好みとかどうでもいい話だし。
とりあえずやり過ごすように体を隠して聞き耳立ててみたのさ。好奇心ってやつね、たまに殺されるけど。
で、聞いてたら何か尋問ってか拷問? 始めちゃったのよ。何処の所属だフリーのサマナーか、隠蔽が杜撰だったな悪魔に任せたのが運の尽きだ、何の目的であんな真似を、膝下ではないとはいえ葛葉を甘くみたか。いや、ここ一本外れてるとはいえ大通りの近くですよ、そんな場所でこんな荒事始めないで、ってか何か無茶苦茶重要な単語出なかった?
さ、さまなー?
あ、あくまー?
く、くずのはー?
くずのはーであくまーでさまなー、うん、正直叫ばなかったのが不思議でしょうがない、多分拳銃のせいで脳の機能が麻痺ってたのが良かったんだと思う。でなけりゃ叫ぶ、誰だって叫ぶ、いや知ってるやつしか叫ばないか。
こ こ メ ガ テ ン の 世 界 か よ
うん、アレだ、俺この瞬間まで普通に同じような地球に転生したと思ってました。
そーだよねー、悪魔とかサマナーとかドップリ裏っ側ですもんねー、おいそれと一般人が知っちゃ駄目ですよねー。
アレ、オレ、マジ、シヌ?
理不尽の嵐で倒れなかった自分を褒めてやりたい。
メガテンの世界は正直やばい、一歩間違えれば北斗の世界よろしく核が降ってくる。その後に待ち受けるのは悪魔が平然と闊歩する一般人お断りの世界だ、核が落ちるの西暦何年だっけ!?
万が一、核が落ちなくても普通に悪魔が存在してる世界やぞ、転生特典どころか一般ぴーぽーな俺にどうしろというのだ。アレか、眠れる何かがこのあと目覚める予定なんですかね!?
……ちょっと錯乱した、声出てないだろうな。
少しでも情報を得るために聞き逃さないようにしてみたら割と衝撃の事実が判明。何か拷問されてるヤツの使役してる悪魔が通り魔を操ってたらしい、操ったってか通り魔やらせて使い捨てただけみたいだけど。
よく分からんがお姉さんいいぞ、もっとやれ。苦しめ抜いたあと回復させてもう一回だ。
聞いてる感じ雇われでもなく愉快犯でもない、ましてや宗教に傾倒する狂信者ですらない。典型的な悪魔に使われるサマナーってやつか、お姉さんもそれを感じたのか尋問から痛めつける行動にシフトしてる。
それは置いとくとして、俺はある種の期待感に包まれていた。
操られていたとはいえサマナーである男を無罪放免で済ませる訳がない。下手をすれば表沙汰になっていたかもしれない事件を懲罰程度で許すのか?
葛葉で使う?
悪魔に簡単に操られちゃうような奴を?
どちらにせよ、お姉さんのハッスルっぷりを見るに男の未来が明るくないのは確実。
ここで重要なのはお姉さんの性格だ。キッチリした真面目さんか、サパッとした大雑把か、ジットリな陰湿ちゃんか、あの痛めつけ振りを見るにサパッとしてそうなんだけど。
この人通りの無い静けさは何かやって作っているのだろう、だが流石に大通りにいる沢山の人をどうにかする訳にはいかない筈だ。
となると手段は二つ、足が来るのを待って男を乗せるか、もう一つはさっさと処理してしまい、荷物の回収を指示するかの二通り。
どっちだろーなー、俺にとって望ましいのは処理して回収に丸投げすることだ。そうすれば……
望外の幸運に恵まれた、何か妙なモンが働きかけてんじゃねーのかと疑いたくなるぐらいにうまくいった。
殴り疲れたお姉さんは更に細い路地へと男を連れ込み、乾いた銃声が一発。
少し時間を掛けて出てきたのは一人、お姉さんだけだ。その後、携帯を取り出しどこかへ連絡を掛け始めた。口ぶりからして回収担当かな。処理、人払い、回収、矢継ぎ早に指示を出し、何か揉めてんのか口論になり、苛立たしげに地面を蹴るとどこかへ行ってしまった。
何かの罠じゃねーかとしばらく呆然とするほどうまくいくんだもん。
戻ってこないのを確認して急いで路地に入る。
嫌な予感がする、入りたくない、こっちじゃなくてもいいよね、別の道があるんだからそっちにしよう。
多分これが人払いだろう、用があって入る必要があるという意志がなきゃ今にも回れ右してしまいそうだ。そんなものには負けず目的の物を探す……までもなく見つけた。お姉さん、人払いに自信持ってるのはいいけど、せめて何かで覆うとかして隠すぐらいはしようぜ。普通に脳漿ぶち撒けてる死体とコンニチワしてビビったわ。
なむなむーとすら口ずさまない、コイツは死んで当然の屑だ。
多分、通り魔にされてしまった奴にさえ今では同情してしまう、コイツさえいなけりゃ真っ当な人生を送れたかもしれないのに。蹴りの一発でも入れてやろうかと思ったが、靴に血が付くのは嫌なので諦める。
血が付かないように慎重に懐を探る。路地から出てきたお姉さんはCOMPらしきものを持っていなかった。
つまり、この死体は、後生大事に、COMPを、持ち続けている、可能性が、非常に高い。
そして俺は賭けに勝った。
命すらベットしていない安っぽいギャンブル。
だが、もしかしたら命を託すことになるかもしれないモノを得られる唯一のチャンスなのだ。しかも、何でか知らんがコイツ二つも持ってやがった。いいねいいね、一つしかないものが無けりゃ気付くかもしれないが、二つある内の一つが無いだけならバレる危険性が一気に下がる。
もしかしたら弾が当たって壊れてるんじゃないかと不安になったが、幸いにも二つ目のCOMPには一発も当たっていないようで傷一つない。
一つはアームターミナル型。
ジャケットのせいで気付かなかったけど、少し触ればすぐに分かった。だからお姉さんはもう一つを見逃した訳だ、こんなもん着けてる奴がもう一つ持ってるなんて考えねえよ。オマケに脱がせるのも面倒臭え、そのまま放置されたのにも納得だ。
二つ目は携帯電話型……時代を先取りし過ぎだろコイツ。
この時代にしては先を行き過ぎてる携帯が気になり弄ってみたらCOMPだった。流石に召喚プログラムに機能を取られすぎてるのか、電話としては機能しないみたいだ。だが、秘匿性と携帯性を考えるとこれしか選択肢はない。
携帯電話型のCOMPを抜き取り、更に懐を弄る。
時間が無いのは分かっているが、俺は戦う術を持たない一般人なのだ。最低でも一回は切り抜けられる何かが欲しい。そして、この手の輩は切り札を幾つか備えていても不思議ではない。
弄る手が、内ポケットに入っていた石ころを探り当てた。
数瞬の逡巡でそれが何かの検討をつけ一目散に走り出す。
俺も地理に疎いとはいえ回収に来る奴も地元の人間とは限らない、オマケに死体という荷物を回収しなければならないのだ、車という足は不可欠。最低でもバンタイプ、死体ということを考えれば霊柩車なんてオチかもしれない。
くだらない妄想に笑いを零しそうになる。だが、ここはまずい。死体が近く、もしかしたら回収役がすぐそばまで来ているかもしれないのだ。
吊り上がる頬を噛み締めて堪え、噴出しそうになる嗤いを呼吸に変えて走り出す。当てもなく、何処かへ向けて。
車も入れないような路地を選んで走り抜ける。
こんな時、子供であるということは有利に働いてくれる。大人が全速力で走ってれば何事かと印象に残り、場合によっては警察に止められたりする破目に遭うかもしれない。だが子供なら悪戯でもしたのか、遅刻でもしそうなのかと他愛もない考えのまま日常に溶け込み消えてしまう。
五分、十分、子供の足と体力で、可能な限り走り続ける。
付き纏う死の恐怖が俺の足を止める事無く走らせ続けた。
辿り着いたのは名前も知らない小さな公園。
そこにあったベンチに倒れ込むように体を横たえる。心臓が痛く、肺に酸素が入らない、それでも俺の表情は安堵で緩みきっている筈だ。ポケットに入った、COMPと石ころを握り締めているのだから。
――――ああ、俺は、勝ち取った。
梧桐 樹(ごとう いつき)
称号『異邦転生者』
レベル0
力1
知1
魔1
耐1
速1
運1+255
特殊能力
【転生者】
外の世界からの転生者。
【原作知識・低】
前世で記憶した知識。
【■■】
■■■■■。
【■■■■■■】
■■■■■■■■■■■■■■■■。精神異常無効。
【■■■■■】
■■■■■■■■■■■■■■■■。呪殺無効、破魔弱点。
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Ⅱ
荒い呼吸が落ち着くのをベンチに座り待ち続ける。
駆け込んできたかと思えばベンチに倒れ込んでしまった俺に、子供たちを遊ばせていた奥様方が不思議そうな顔を向けているがそれはスルー。これがあと2、3年もしていたら不思議そうな顔ではなく、不審そうな目で見られていただろう、子供でよかった。
とりあえず現状、命の危険が迫っているということは無いだろう。子供のはしゃぎ回る声が途絶えたら危険信号だが。
それにしても、若さというのは素晴らしい。あれだけ肉体を酷使したのに、既に体調が戻り始めている。
これがインドア派だった前世の肉体なら十分も全力疾走すれば酸欠で力尽きていたのは確実だ。水泳をやってるおかげで多少体力があるのかもしれない。今後は続けられそうにないのが残念でしかたない、先生の水着姿が拝めなくなってしまうとは。
まぁ、それもこれも、メシアとガイアがもっと派手にドンパチやってないのが悪いんだ。
お前らのせいで世界がぶっ壊れるんだから、もっと分かりやすく暴れろよ。そのせいでこの歳になるまで全然気付かなかったぞ、オイ。帰ったら駐日アメリカ大使が誰か調べにゃならん、トルーマン、あれ、トールマン、どっちだっけ?
というか、メシアとガイアが台頭するのって核が落ちた後だっけ、落ちる前は悪魔がちょろちょろしてたけどメシアメシア、ガイアガイア言ってなかったような気がする。あかん、十年以上昔の話だから憶えてねー。
大体、メガテンの世界だって気付いたら今の姓なんて何かのフラグに思えてしかたない。チクショウ、頭がパンクしそうです。
メモ取ろうにもこんな場所で重要キーワード書き殴る訳にもいかねえ、万が一誰かに見られでもしたら、即死亡フラグだ。
そもそもの問題として、今年で既に西暦1997年だってことにある。
仮に1999年に落ちるとしても、あと二年しかない。
既に誤射ってるのなら問題なし、デビサマルートに進んでるってことだ。誤射ってなければ明日にでも核が振ってくるかもしれない。そういえば、その前にクーデターが起きてたような……とにかく、最短だと明日にでも、長くても二年程度が俺に残された準備期間だってことだ。
悪魔との契約に武器の調達、やることが盛り沢山ですね。こんなときは子供の身が恨めしいぜ、時間的拘束に移動範囲の制限、こちらの事情に理解のある保護者役を見つけなければならない。
場合によっては全人類に死亡フラグが乱立するってどんな糞ゲーだよ。
なによりメガテンの恐ろしいところは、一度事が起きてしまえば後はもうどしようもない、悪い方に転がるだけ転がって最後にようやく解決するってことにある。しかも解決したあとは悪魔どもに無茶苦茶にされた世界、元の生活に戻れる保障が欠片もありゃしない。
いや、そうでもないのか?
葛葉あるし、ライドウあたりがトールマンの処分を……だからクーデターのゴタゴタでライドウ動けないのか。
クーデター起きたらトールマンが核ミサイル発射する前に倒さなきゃいかんのか、チクショウ、ヒーローってどこにいるんだよ。……ゴトウ取り押さえたらライドウが解決してくれないかな。
結局、予兆としてクーデターが当てにならないのは痛いな。ゲーム的な描写だけじゃクーデターから核までの時間的猶予が分からない。そうなると先にトールマンを暗殺するしか手はないのか……
俺の未来は手に入れたばかりのCOMPを使い、地力をどこまで伸ばせるかにかかっているのだ。
とりあえず、家の近所に手頃な異界がありますように。存在は確定しているが、利益とかあんのか分かったもんじゃない神様に祈りを捧げてみる。
ベンチに座り込んで頭を抱えてうんうん唸ってたら奥様に心配されてしまった。
あ、いえ大丈夫です。そうだ、ついででなんですけど、ここらへんで大き目の図書館って知りませんか。
心配してくれた奥様に図書館の場所を聞いてみる。
ちょっと考えてみれば、ミサイルの誤射未遂なんて大事件が起きてたらいくら同盟国が相手とはいえ隠しきれる筈がない。ニュースにもなっただろうし、そうなれば記録として残されていて当然だ。過去の新聞記事に載ってたって不思議じゃない。
逃げた方角が良かったのか、歩いて五分程度の位置にあるらしい。ありがとう、おねーさん。
可愛らしい奥様にお礼を言って図書館へと向かうことにする。公園の時計で確認したが時刻は二時前、帰りの時間を考えるとあまり長く調べることはできない。それでも、家の近くにある寂れた図書館で調べるのに比べたら情報量は断然マシに違いない。ドキドキとハラハラ、キリキリに苛まれ俺は図書館へと歩き出す。
辿り着いた図書館は大き目とは微妙に言い難いものだったが、街の規模を考えれば十分なのだろう。家の近くにある図書館よりも大きいし、こんなもんだろうと諦めることにする。
幸いにも貸し出し口の近くにあった検索用の端末には誰もいない。調べる単語がアレなので、できれば近くに人がいない方が嬉しいのだ。
端末に入力する単語はミサイル、誤射、メシア、ガイア、ゴトウ、クーデター、アメリカ大使、トールマンと、打ち込んだ単語を覗かれていたら、どんな目で見られるか分かったもんじゃない危険ワード連発である。ちゃうねん、しゃーないねん、家の近くにある貧乏図書館、端末すら置いてないからここで見付けておかないと手探りで調べる破目になりかねないんだ。
あ、ついでにファントムのことも調べておこう。あいつら影薄すぎ、門倉と西次官だっけ? 会社の名前なんて忘れちまったよ。
ごーしゃーごーしゃー、みーさーいーる、ごしゃー。物騒な鼻歌をご機嫌で歌ってみる、もし聞かれでもすれば危ない子確定だ。
検索完了、状況終了。
ミサイル、誤射なし、状況イエロー。
メシア&ガイア、台頭済み、状況レッド!
アメリカ大使、トールマン、状況詰んだ!?
やべえ、動揺しすぎて端末の前で変な声出そうになった。顔色もアカンっぽいのか、貸し出し口のお姉さんも心配そうにこっちを見てる。
だ、だいじょうぶデスヨ。ボク、頑張ってイキテいけるカラ。……うん、声が裏返る。
ふら付きそうになる体を支え、端末を初期画面に戻してその場を去ることにした。順番待ちの人が並んできたし。
人気の無い場所を選んでイスに座る。
やっべー、最悪の想定として数日を考えたけどマジでそうなるかもしれない。頭痛がしてきた、お腹痛い、吐き気がする。なんかもー、始まる前から駄目っぽい。
あまりの詰みっぷりに、図書館に来る前の意気込みが全部吹き飛んだ。
いやね、90年代も半分以上過ぎてるし、とっくに誤射ってると思ってたんだよ。最悪、大使がトールマンじゃなけりゃ核の炎に包まれることもないだろうって安心できたのに。メシアもガイアもピリピリしてるッポイから、何か切欠があれば連鎖的に事態が進行してメガテンルートが確定してしまう。
くっそ、あのお姉さんと接触しなかったの失敗だったかな。あー、でもいきなり話しかけて信じてもらえる訳ないだろうから、あの男と一緒に処分されて誰もいなくなるのは嫌だ。それを考えると今の状況はベターと言えなくもない。
あまりの混乱っぷりに頭を掻き毟ってしまったぜ、落ち着け。
現状の確認をしよう。
目的、メガテンルート阻止。
手段、ゴトウ及びトールマンの暗殺。
戦力、無し!
伝手、無し!
装備、無し!
ど、どうぐ、石ころ。
じょうほう、むしくいのげんさくちしきー。
おい、オイ。
アカンて、いや、ヒーローまじヒーロー。COMP一つであんな大立ち回りよくできるわ、下手すりゃメシアとガイア両方敵に回すんだぜ、俺には真似できない。やばい、確認したら更に気落ちした。
もう最悪生き延びることだけに専念して、事態の解決はヒーローとかライドウに丸投げしようかな。うん、それがいいや、なんてったって俺は一般人だし、COMP持ってるだけで超人でもなんでもないし。
今の俺、絶対、死んだ魚みたいな目してる。
イスに腰掛け、目の前にある机に倒れこむ。
体中の力が抜けて立ち上がれない、きっと魂とかも抜けかけてるに違いない。
そのままかなり時間を無駄にしてしまった。多少時間が経ったとはいえ、帰るにはまだ早い。事態が事態だけに少しでも情報が必要だ。
とはいえ、今すぐ何かをという気分にもならない。首尾良くCOMPゲットして絶頂期かってぐらいテンション高かったけど、図書館きてからストップ安、上場廃止も脳内で検討中なぐらいの下落振りだ。よくよく考えたら俺死んだ時の記憶無いじゃん、すぐ傍まで迫っている死の危険はこれが初めてかもしれない。
全力ダッシュの時は結構勝算あってのことだ。お姉さんどっか消えてしまったのは回収役の到着に時間が掛かるから暇潰しにでも行ったのだろう、あんな場所で死体と待ち惚けなんて俺だって御免蒙る。もし、回収役がすぐに来るんだったら待ってても問題はない筈だ。だからあの時、焦ってはいたが時間的な猶予は問題ないと見込んでいた。
それを自覚すると、体が小刻みに震えているのにも納得がいく。何時爆発するのか、そもそも解除手段があるのかすら分からない爆弾が頭上にあるってのは嫌な気分になる。
あぁ、ちなみにライドウから続くメガテンの世界だってのは確定済みだ。何せ、大正が15年以降も続いてたことの違和感に今更気付いたんだから。
そんな訳で気分を落ち着けるため、適当に本棚を眺めている。
神話関連や都市伝説の本を読んでおくのもいいかもしれない、由来を持ってる悪魔とか結構多いし、何かの役に立つかもしれないので探してみるのもありだろう。
で、何となく目に留まったのが猟奇事件特集の本だった。
あの通り魔は逮捕されてるが、動機不明、精神健常、だけど犯行の記憶が喪失とかなりアレらしい。
捕まってるけど、悪魔による仕業というのは葛葉から伝えられると考えたら、どういう扱いで裁判とか終わらせるつもりなのか気になる。異常者による通り魔で終わらせるのか、普通に殺人犯扱いで見ぬ振りか、心神喪失として無罪にするのか、事実を知っていると無罪にしてやってもいいとさえ思ってしまう。というか本当に被害者だよな、あいつ。
でも流石に死者だけで十四人って庇い切れるのか、海外の銃乱射事件並みに殺してるから、よっぽど無茶やらんとどうしようもないぜ。
あるいはスピード裁判で死刑にして、裏からどこかへと逃がしてあげたりするのだろうか。それでも当人や家族は救われないよな、操られてても殺したのは自分の手でやった訳で、周りからもそういう扱いを受ける訳だし、狂った挙句にメシア教とかに傾倒しなきゃいいけど。
将来的に大量殺人犯として記録されるであろう男に憐憫を覚える。
それはそれとして、本が気になったのは男の扱いからだ。常軌を逸しているとはいえ、普通のというのもアレだが、ただの通り魔殺人。それでも父の体が穴だらけになっていたのを考えると、猟奇的な犯行ということになってしまうのだろうか。
具体的にどんな事件が載っているのか気になった俺は本を手に取った。
開いたページを捲りながら目次に戻り、ついーと目を滑らせる。
比較的、有名どころの事件は大体似通って起きているらしい。巻末には未解決事件や捜査中の事件が纏められていた。といっても、四分の一ほどを占めており、この内のどれだけに悪魔が関わっているのか想像するだけで気が沈む。
ペラペラと流し読みしていた時、とうとうその文字を見つけた。
井の頭公園殺人事件。
我が目を疑い、思わず二度見どころか三度見、四度見してしまったのは内緒だ。
本を持つ手がプルプル震える。ヤバイ、こんな本見ながら笑うとかありえない。急いで人気が無い場所に移る。ニヤケる顔が戻んない、マジでー、ひゃっほー、足運びがスキップになるのはご愛嬌ってやつだ、それぐらい嬉しくてしかたない。そうだよな、一回落として持ち上げるのは基本だよな。
逸る気持ちを抑えながら目的のページを開く。
事件は1994年四月某日に発生。
三年も前だったのか。丁度自我を表層化させ始めた頃で夢現だったし気付かずにスルーしてたな、こりゃ。
ということは、ゴトウとかトールマンとかも葛葉とヤタガラスが解決したのか、ご苦労様でした。……あれ、てことは今のトールマンってなんなの?
ぬか喜びですか、そうですか……
うん、最悪発端だけ起きてそのままズルズルと引き延ばしも考慮しにゃならんな、解決してねー。
この場合、どっちを狙うべきだ、クーデター起こすゴトウか、ミサイルぶっぱのトールマンか。考えるまでもねえ、トールマン一択だ。ゴトウは自衛隊やらに期待しよう、まて、ゲームでゴトウと戦った記憶が……い、異能者とか葛葉の管轄だし、放置するってことで。
でも、いきなりクーデターもどきが起きて周辺国から干渉されるのも困る。メガテンルートを防いでも、日本が暮らし難くなったら本末転倒ってやつだ。ロの字とか、大陸とか、出っ張りとか、我先にと乗り込んでくる奴らには事欠かない。そうなったらアメちゃんだって黙ってないだろう、終いには結局核が降りそうだ。
ゴトウをどうにかして諌められないもんかね。まあ、そう簡単に片付くならクーデターなんて起こさないか、次いこう。
メシアとガイアが野放しな理由。
メシアは分かる、あれで主義主張はそこらの宗教と大して変わらないからな、やってることはカルトそのものだけど。いや、天使がアレなだけなのか、ゲームのせいで碌でもないイメージしかない。
それに、拠点があるのは日本だけじゃないだろうし、表向きの理由とか証拠がないと捜査もできなけりゃ解散に追い込むなんて以ての外ってやつかね。モチーフになってる宗教のことも考えると、下手しなくても規模がでかそうだ。
だけどガイアは理解できない。なんで野放しなんだよ、ちょっと突付けば絶対にボロが出るだろ、ヤタガラス仕事しろ、せめて日本から追い出せ。
それともあれか、互いに潰し合わせるために戦力を均衡させてると見るべきか。それでも何かもうちょっとやりようってもんがあるだろ、本のタイトルなのにカルトやら裏側とかの文字が躍りまくってたんだけど。
どちらにせよ、俺にとっては両方とも目障で仕方ない宗教なんだが。
チクショウ、大体なんで東京でやるんだよ可笑しいだろ、日本でメシア復活させんじゃねーよ
ゲームだと仕方ないで済ませられるけど、現実でやられると納得いかねー。小説版とか解説本で納得行く説明があったんでせうか、それとも忘れてるだけでゲームにも出てきたのかな。
とりあえず現状としては、懸念事項の発端が三年前に発生済みで、何らかのトラブルで事態延期の可能性が高い。……先が予測不可能で厄介になってる。
何だろう、これ、ゲーム通りに進んでた方が楽だった気がしてきた。
ゲーム通りなら頑張ってゴトウとトールマン殺せば解決な訳だろ。いや、実際その通りなのかは知らないが、さしあたっての元凶とか標的がハッキリしている分まだマシといえる。
今現在、どうなっているのか全然予測が付かない。最悪、別の人間、ってか悪魔が計画を進行してるかもしれない可能性だってある。そういう意味では、メシアとガイアが対立してピリピリしてるのは好都合だ。上手いこと扇動して互いに潰し合わせ、最後だけライドウあたりに頑張って貰えばいい訳だから。
問題は、その最後の場面が全然想像できないってことだ。
ゴトウは滅ぼすとかそういう思想じゃなかった筈だけど、クーデター起こすってこと考えると武力行使を厭わない危険人物。
トールマンはいうまでもねえ、メシアの思想を象徴するような奴だ、危険人物通り越して抹殺対象。
厄介なのはヒーロー勢だ。あいつら本人の思想次第だから、最終的に何処に付くのか分かりゃしねえ。オマケに敵対勢力は確実に滅ぼしやがる、死神集団といっても過言じゃない。下手にロウやカオスルートに進まれたら手が付けられん。
あと忘れてたけどファントム……は、まあいいや。スプーキーズがどうにかすんだろ。
落として上げて、また落とされた気分だ。
何か色々と疲れた、今日はもう帰ろう。もし、戒厳令が敷かれたら東京から離れよう、もうそれでいいや……
この日、俺はどうやって帰宅したか憶えていない。
ポケットにはその日得たCOMPと石ころがちゃんとあったことから、白昼夢を見た訳ではないことだけは確かだ。
帰宅した俺を、母は温かく出迎えてくれた。
何かあまりにも落ち込んでる姿に、どうしたのかと微妙に慌てながら聞いてきたけど……知らんがな。とりあえず母に抱き付いて、上がり下がりの激しかった今日一日を無かったことにしたいと願う、後半部分だけよろしく。……あ、涙が出てきた。
結局、当初の予定通り、母に泣き付いて今日という日を終わることする。
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Ⅲ
眠りに落ちていた意識が覚醒する。
薄ボンヤリと目を開けば朝の陽射しがカーテンの隙間から窺えた。
いつもより起床時間が早いのだろう、昇りきっていない太陽は部屋を完全に明るくしてくれない。柔らかな布団に包まれ、このまま二度寝するのも悪くないとさえ感じてしまう。だが、そういう訳にはいかない理由がある。
首筋を撫でる吐息、鼻孔をくすぐる甘い香り、体を包み込む人の温かみ、背中に当たる薄布越しの柔らかさ、抱き寄せられているせいで身動き一つとれやしない。
一々言わなくたって分かるだろうが、俺は数年振りに母と一緒の布団で過ごしているのだ。
昨日は家に帰った後、徒労感のあまり思わず母に抱き付き涙を流してしまった。一生の不覚である。
父が死んで初めて見せた、そんな俺の弱った姿。
何か琴線に触れたのか、母は異様に甲斐甲斐しく世話をしてくれた。
もうじき十二になろうというのに気にせず風呂にまで一緒に入りそうな勢いだった、必死で止めたけど。気恥ずかしさとかそういう理由ではないのだが、母はそう解釈したようで、なら一緒に寝るのはいいよな、とか言い出して結局枕を持ち込み同じベッドで眠りに就いたのだ。
成長を見越しての多少大きいベッドだったが、女性とはいえ大人と二人で寝るのには窮屈すぎた。そのせいもあってか、寄り添うようにして眠ることになった結果がこれである。
背を向けていてよかった、これが向き合ってたら母だろうと何だろうと構わずに暴走してたぞ。肉体的には母親だが、精神的には若い人妻としか感じてこなかったのだ。
そう、母は美人である。よくもまあ口説き落とせたもんだと父を尊敬したことさえあるほどのいい女。
今は悲しみに暮れて陰のある切なげな表情がたまらない未亡人だが、いつもはキリッとした表情と快活な性格の姐さんタイプ。髪はロングで、たまにポニーテイルにすると印象がガラリと変化するのもまたイイ。肉付きはナイスばでーというほど豊満ではないが、締まるところは引き締まったメリハリの利いた身体付き、少なくとも平均程度はあると確信している。正確なサイズは知らないが。
とまあ、そんな美女が湿ったままの髪で枕持って一緒に寝るぞって……よく耐えれたと己の自制心に驚きである。
風邪引くし、髪も痛むからといって乾かしてあげたのは親子のスキンシップってやつだ。決して、そのままベッド入ったら暴走するから時間稼ぎたかったとか、そういう理由ではない、断じて。
あ、これ逆効果だなーって途中で思ったし。
それでもすんなりと眠りに落ちたのは精神的疲労感が著しかったせいだろう。衝撃の事実連発に、命懸けの窃盗、必死の逃走、ぬか喜びと事態の悪化、よく最後まで倒れず帰宅できたと自画自賛である。
そんな訳で、身動きがとれませんが作戦会議の時間です。
今日は病院の予約もない、学校はしばらく休学の予定、つまり、小学生という身分でありながら昼間の時間を有効に使えるのだ。
差し当たってはCOMPの使い方を学習せねば。
マズイことに、何のソフトがCOMPにインストールされてるのかすら分かってない。
さすがに外で確認する訳にもいかなかったし、帰ったら帰ったでドタバタしてたせいでCOMPのちゃんとした確認作業すらまだなのだ。
今更になって気付いたが、クソ野郎が何処かに所属していて、万が一にも所在地を報せるようなソフトが入ってたら俺どころか母も巻き添え喰らって死んでしまう。それだけは避けたいので大至急調べたいんですけどねぇ、若干明るくなったけどまだ起きそうにない。
あと、首筋に顔埋めないでください、凄くくすぐったいです。
調べ終わったらどこかに異界がないか探さなきゃいかん。
野良っぽい悪魔でもいいけど、今の人間界を普通にぶらつけるやつと契約できるとは到底思えない。そうなると、弱い悪魔がいる手頃な異界が必要になる。都合よく近場にあるといいんだけどなー。
COMPに情報があると嬉しいのだが、容量とか考えるとアームターミナル型の方に入ってても不思議ではない。あっちも欲しかったのに、ちくしょう。
あと、体を弄らないでください、俺は父ではなく貴女の息子です。
そして最大の難関、悪魔との契約だ。
これができなきゃCOMP持ってる意味がねえ。ピクシーだろうとノッカーだろうと、いっそスライムでも構わない、いやスライムは勘弁かな。とにかく、最低レベルの悪魔でもいいから契約して仲魔にしなければ何も始まらない。
ソフトを解析して、異界の場所を見つけ、んでもって単独の悪魔と交渉します。複数? 襲われたら即アウトじゃないですか、何考えてんだよ。
あと、甘い声を耳元で出さないでください、反応してしまいます。
最後に家で可能な準備だけど……正直、無いよりマシ、無くても別に問題ないレベルだよな本当に。
自転車用のヘルメットに防犯用として置いてある木刀、そんなモンぐらいしか一般家庭にはねえよ。
最後の切り札は石ころだ……言ってて悲しくなるけど石ころだ、正確には何なのか分かってないというだけだが。多分、魔石か宝玉あたりだと思うんだけど、あんまり自信がない。交渉に使えれば御の字といったところだ。
あと、泣かないでください、俺も泣きたくなります。
とりあえずこんな感じかな、つーかできることが少な過ぎて準備もクソもあったもんじゃねえ。もう行き当たりばったり、なるようにしかならんな、こりゃ。
そんなことを考えていたら母が身動ぎした。ようやく起床するのか、雀の鳴き声が朝を告げていますよ。ギュッと抱き締めてくる母におはようと挨拶をした。
――――そして滲んでいた涙を拭ってやり、一緒に朝食をとったのがつい数時間前の話である。
えー、現在わたくしはピクシーの集団に囲まれております。
まあ、集団といっても、今にもマグネタイトに還ってしまいそうなほどの瀕死の集団だがな!
正しく死屍累々といった様相である、どうしてこうなったし。あ、また一匹消えた……
とりあえず、どうしてこうなったのか、これまでの記憶が走馬灯のように蘇る……マジでこれ走馬灯じゃね?
俺は朝食を終えると自室でCOMPの解析を始めたのだ。
解析自体は割とすんなりいった、というかソフト自体全然入ってやしなかった。エネミーソナーっぽいのが入ってるだけで、あとは基本的なもんだけだ。本気で召喚機能に容量取られてるなコレ、追加のソフトが入る余裕が無い。
COMPなんだし召喚できないかと期待したがそれも駄目、俺が契約してないから無理っぽい。
こういう時は低級の悪魔が出てくるのが話の流れってやつだろ、年齢的にはケルベロスとか似合うと思うんだけど。でも残念、俺の親父は閣下じゃねえ。いや、閣下が親父とかマジ勘弁。
色々と寒気がしたりもしたが、基本的な部分にマッピング機能があった。残ってた記録と地図を比較してみると、どうやら人気のない近所の山に出入りしてたみたいだ。
懸念事項が一度に片付いてしまった。運命の女神様ありがとう、昨日祈っといてよかったぜ。
ま、異界があるかどうかは運次第なんだけど、それでも当てがあるだけマシな筈だ。
あとは家で出来る準備なのだが……
Q.父親を亡くしたばかりの子供が木刀を持って山へと出掛けて行きました、その子供は一体何がしたいのでしょう。
A.とりあえず親と警察呼べ、まずはそれからだ。
知人に見られたら通報されても不思議じゃねえ、そうでなくても木刀持ってふらついてりゃ怪しんで当然だよ。
結論、COMPと石ころだけでいいや。死線を潜り抜けて、更に警察とお話しの連戦なんて御免です。
そんな訳で、一時間程度で済んだのは好都合ということにしよう。近所つっても自転車で三十分はかかるだろうし、昼までに終わらせることを考えるとそんなに時間はない。サクッと行って、サクッと帰ってこよう、あるいはザクッと死ぬのか。ま、なるようになるさ。
部屋に
それで結構な距離を走って着いたんだけどさ……これ確実にあるって、異界。
つーか葛葉所属ッポイお姉さん、サマナー処分するのはいいけど、ここを放置しておくってどうなのよ。素人目にも明らかだぜ、これ。
カラスのギャーギャー鳴く声はうるせえし、風そんなに強くない筈なのに木がザワついてるし、何よりも問題なのは、すっげー視線が付き纏ってくるでござるよ、ここ。
もしも視線に色が付いてたら視界がカラフルで綺麗だろうなー、アハハ。
脳内の緊急事態警報鳴りっ放しで止まらない。
やべえ、お姉さんにボコられてたから馬鹿にしてたけどあのサマナー結構いい腕してたのかも。それとも何か、俺が弱すぎるからこんなに寒気がすんのか。やだなー、奥行きたくないなー、こっちに一匹だけ寄って来てくれないかしら。それでも行かなきゃ話にならないのが悲しいところです。
良くいえば慎重に、悪くいえば逃げ腰で奥へと進む。
やっべえぇ……すっごく声がします、ヒソヒソどころのレベルじゃねえ、人間、子供、肉、丸齧り、俺が、私が――――踵返して全力で逃げたい。
裏側の世界舐めてました、昨日の盗みなんて子供の悪戯です。普通にピクシーレベルで人間殺せるんだから、子供の俺なんて絶好の獲物じゃないか。というか、敵対行動すら取ってないのに何でこんな殺気立ってるんだよ、マグネタイト不足かよ、俺を食う前に共食いでもしてろ。
いやこの空気、あいつらが悪魔だからっておかしくないか。何か理由がある筈だ、それさえ分かればきっとこの状況だっヒィッ!?
いいいいま、いま、みみみみもと、ほほののののお、ヒュゴッってええええええええええ!?
目の……前に……血走った……目付きの……ピクシーが……
死ぬ
クルリと反転、ノータイム全力ダッシュ。
それが合図だったのだろう、様子を窺っていた悪魔たちが俺の方に殺到してきやがった。ノッカーっぽいのに、ガキみたいなの、飛んでるのはオンモラキか、じゃあ水色のはグレムリン、追加のピクシーもきたよー、ってダーク属性多いなぁ!?
ピクシー以外が不確定なのは簡単だ、全力疾走中につきCOMP出してる暇がありゃしねえ!
というか交渉する隙もねえ、ってか悠長にそんなことしてたら他のやつに食い殺される。何か後ろの方でドンパチやってる、他の奴らに渡さないために悪魔同士で争い始めたな、いいぞもっとやれ。
一匹になれば交渉もしやすいし、逃げるのだって多少は楽だ。問題なのは交渉できそうなのがノッカーとピクシーだけってのがまた……あ、やばい、追い詰められた。
目の前、回り込んだピクシーの団体さん。上空、オンモラキさん。後ろ、それ以外の騒がしい皆さん。
オレ、オワタ。
すぐにでも食われるかと思ったが、そんなことはなかったぜ。
一匹あたりの量が少なくても満足できるピクシー集団と、一人占めしたい悪魔たちとの乱戦になってます。優勝商品は俺だけどな!
木に背を預け、座り込んでしまった俺の前を炎やら氷、衝撃波に雷とバリエーション豊かな攻撃が飛び交っております。
うーん、ピクシーって色んな魔法使えるのかな、それとも個体ごとに使える魔法が違うのか、十匹以上がチョロチョロ浮かんで移動するからどの個体がどの魔法使えるのか分かんないぜ。ただ、理解できるのは数が多いピクシーが断然有利だってことだけだ。もうちょい強い悪魔がいればそいつの一人勝ちになったのかな、でもやっぱ複数属性のピクシーが有利か。
冷静にそんなことを考えていられる理由は簡単だ、状況があまりにも詰みすぎてる。
ちょっと逃げようとしたら全員から威嚇された、景品は大人しく座ってろってことらしい。
暇なのでCOMP出してアナライズ試してみたけど種族とか名前しか分かんないや、倒すか仲魔にしないと詳細な情報はお預けってことなのか。その機能を使う前にこの世からサヨナラバイバイしてしまいそうなのは残念で仕方ない。
おっと、ここでノッカーが脱落だー、マグネタイトに還ると死体残らないのね。
しかし短い人生だったな。転生したと思ったら極悪な世界、足掻こうとしたら即行で悪魔の餌。前世と合わせても四十に届きやしねえ、来世があるのか知らないが次は安全な世界をリクエストするぜ、神様よう。
さーて、オンモラキが地面に叩き落とされブフで串刺しだー、グレムリンもアギで焼かれてしまったぞー。
母も不幸な人だよなー、旦那が通り魔に殺されたとおもったら息子は行方不明とか、自殺しなきゃいいんだけど。
残っていたガキがピクシーに取り囲まれ、憐れにも魔法でふくろにされてる。つーかピクシーども、笑いながら嬲ってやがる。
オウフ、俺、最後の足掻きにこんなやつらと交渉しなきゃいけないんですかー、無理に決まってるじゃないですかー、やだー。
ピクシーたちにとって最後のライバルであったガキがマグネタイトに還った。ウフフとか嗤いながらこっち向くな、満足してそのままどっか消えてしまえ。
COMPを取り出し、俺サマナー交渉しようぜ、なんて吃りながら命乞いしてみる。
ピクシーども、顔を見合わせたと思ったら意外なことに了承してきやがった、助かるの?
「……そうね、いいわよ。そのかわりね――――アナタのお肉頂戴。キャハハハハハハハハ!」
その代わり条件として肉を食わせろと要求してきやがった、交渉決裂ですね分かります。これあげるからと石ころを差し出してみるが、そんな物よりお肉がいいらしい。新鮮な、子供のお肉。
こりゃーもうどうにもならんし、一か八か肉を食わせ生き残れることに賭けてみるしかないらしい。
おーけーおーけー、お肉あげるから誰か一人仲魔になってくれない、そう口に出そうとした瞬間に声が響いたわけですよ。
「
不意打ちの衝撃波。
俺を取り囲んでいたピクシーどもが弾け飛び消えていく。消えたのは不幸にも――あるいは幸運にもと言うべきなのだろうか――衝撃への耐性を持っていなかった個体だけ。
生き残った数は多いが、それだって何が起きたのか理解できずに唖然としている。
絶体絶命の状況でまさかの天祐、誰が助けてくれたのかと視線を巡らせてみれば犯人を見つけた訳だ。そう、犯人……
俺と同年代かあるいは下ぐらいの背丈、肩口より長い程度に伸ばされた黒髪、昭和ならまだしもこの時代には珍しい着物服、そして特徴的な狐面を被った人型の……恐らく悪魔。
多分、女の子であろう可愛らしい声で生き残っていたピクシーに宣戦布告する……俺には死の宣告を下す。
「あたし、それに用があるの。おまえたちに用はないから、どっか消えていーよ」
肉にありつこうとしていたピクシーたちからすれば激昂もののセリフだろう、俺にとっては死刑宣告ですけどね。
生き残ったピクシーは気付いていないのか、少女を囲むように戦闘体勢をとっている。
アホだ、折角見逃してくれると言ってるのに歯向かうつもりらしい。何がアホかって、あの少女は昨日今日合わせた中でも特等のバケモノだ。多分、いや絶対に、葛葉のお姉さんでもそう易々と退治できる悪魔じゃない。そして、そんな悪魔に興味を抱かれてしまったかわいそうな俺、誰か代わって下さい。
そんな訳で、少女を囲んでいた不幸でアホなピクシーは襲い掛かったんですよ。で、その結果が、こう……ねえ……
グチャッと握り潰されたり、
わー、ぴくしーのなか(み)、あったかいナリ……ねーよ、ピクシーの
一瞬でお仲間が
少女は敵対した相手を態々逃すという慈悲は持ち合わせていないらしい。
空に浮かんで逃げようとしたピクシーを一瞬で掴まえ、俺が背を預けている木に叩きつ、けぇ?
頭上でビチャって弾けた水音がががががががが、何か滴ってる、何か滴ってるうううううううう!?
絶叫する俺を気にもせず、懸命に逃げようとするピクシーを虫でも掃うように落としていく。僅か数十秒と持たずピクシーたちは全滅に追い込まれた訳だ。
苦痛の呻き声を上げ、命乞いをするように小さな体で這いずる。つい先ほどまで俺を殺そうとしていたとは思えない凋落振り、まあこれから俺の身にも訪れるかもしれない姿なのだが。
流れ出る血がマグネタイトに変わり消えていく、同時にそれはピクシーたちの命が残り少なくなっていることを暗示している。
俺に助ける術はないし、仮にあったとしても助ける気はない。
……そんなことよりも問題なのは、俺の目線に合わせるためにか、しゃがみこんだ少女が目の前にいるってことだ。
高位の悪魔であることを証明するかのような存在感に顔が歪む。
この時間が長く続けば発狂さえしてしまえそうなほどの圧力。これで殺意を向けられていれば気を失えるのに、そんなもの微塵も感じないから失神できないし、それがまた殊更に恐怖を煽る。
呻いていた最後のピクシーは力尽き消えてしまった。
残されたのは俺と少女の二人だけ、用があると言っていたから運がよければ生き延びれるだろう……こんなバケモノと遭遇する時点で運命なんかには見離されてるだろうけどな!?
叶わないとは理解しつつも、思わずにはいられなかった。
ねがわくば、くるしまずにおわりたい
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Ⅳ
目と目が合い、張り詰めた空気により世界が凍りつく。
狐面を被っているから直接的に合っている訳ではないのだが、それがまた緊張感を高めていた。
目の前の少女が果たして何を考え、どこを見ているのか、それが俺にはサッパリ理解できない。だがそれでも視線を逸らせば殺されてしまうのではないか、そんな考えがこびり付いて離れないのだ。もし、万が一にも機嫌を損ねてしまえば一溜まりもないのは消えてしまったピクシーたちが実証済み。
僅かな予兆も見逃さず、望むものを躊躇いもなく差し出し、殺意を抱かれないためにも歓心を得なければならない。
それなのに、少女は何一つ口にしてくれない。
ただこちらをジッと見つめているだけ。
視線に直接的な力があるかのように俺の心はガリガリと削られる。このままもう数十秒と続けば、あるいは精神に異常をきたしていたかもしれない……
だがそうはならず、俺の限界を見定めていたかのようにお願い事をしてきた。
「おまえに頼みたいことがあるんだけど……あたしのおねがい、きーてくれる?」
答えなど決まっている。
最後まで聞き取る事無く、恐らく頼みたいこと辺りで既に頷いていた。口が渇き、ろれつも回らず声が出そうにない。それを拒否と取られたくないがために必死で頷く。
傍目には滑稽な姿に映るかもしれないが、俺にとっては生死を左右する一大事だ。
少女の残虐性は余すところなく見させてもらった。拒否などしようものなら頷くまで甚振られても不思議じゃない。これは、お願いという名の命令なのだから。
そして少女のお願いは単純だった。
俺が今いる山の周囲一帯には、悪魔を外へ出さないように隔離し閉じ込める結界が張られているそうだ。少女ほどの強力な悪魔であっても……いや、むしろ少女を目的としているためにか、少女では結界を解くことができないのだとか。
そして同時に、内部で発生した悪魔たちも外部に出ることができず、いつの間にか山の一部が妙な異界もどきに繋がってしまったので、ここに留まるか異界に移るかどうするべきかと意見が割れてい“た”らしい。
少女としてはどちらもご免なので、山から抜け出すためにも結界の要を俺に破壊しろということだ。
俺一般人です、ピクシーに殺されかけるほどの貧弱っぷりです、そげなもん破壊しろ言われたってできそうになかとです。
「人間なら動かすだけでこわせるから、だいじょーぶだもーん」
あ、そですか、分かりました、全身全霊で全うしたいと思います。だからおねがいころさないで。
さり気無く命乞いもしてみる。
「うんうん、死なないように面倒みてやるからあんしんしろ」
やったー! 生き延びたー!
命の保障してくれた、悪魔からも助けてくれる。あとはやっぱり気が変わった、なんてことがないのを祈るだけだ。……結局この子次第じゃないですかー、やだー!?
こう、喜んでいいのか今一分かんない状況に悩まされつつ、要とやらを壊しに少女と連れ立って歩き始めるのだった。
しかし、ここの悪魔どもは何か命知らずが多い気がする。
目が血走って会話にならないピクシー、何言ってんのか分かんねー色彩豊かな人魂っぽい連中、樹木に擬態して喰おうとしてきたやつ、逆ナンもどきを敢行してきた無謀なカエル面、等々。
少女と並んで歩いてるってのに、どいつもこいつも気に留めず俺に襲いかかってくるのだ。まあ、少女の手がブレたかと思えば、弾けるような水音がしてどこかに消えちゃうんですけどね。どこに行ったのかナー。
戦闘のいろはも碌に分かっていない俺でさえ、隣の少女が序盤に遭遇したら詰むレベルの悪魔だってことは理解できる。それなのに同類の悪魔が理解できないとはこれ如何に。
あれか、気配とか抑えて獲物を釣ってるってやつか。でも、それを今やる必要はあるのでしょうか、ちょっとお聞きしたいけど怖いからできない、ちくしょう。
おかげで交渉しようにもさっぱり、会話自体が成立しないってどういうこと?
久方振りの新鮮なお肉を前に理性が吹き飛んでんだろうか、でもあのピクシーたちとは会話……にはならなかったけど意思の疎通はとれてたよな。
一つ目の要に辿り着く前に十回近く襲われ、交渉する間もなく弾けたのが五回、残りは肉を要求してきたのでこの世からお引き取り頂いた。僅か数分の間に起きた話です。低級のショッパイやつばっかだから問題ないけど、強いのがきたら戦闘の余波で死にそうな気がする。
「んー? ほかの悪魔はかなめを動かすのにじゃまだったから殺しちゃった。のこってるのは弱いやつだけだ」
あ、さいですか。
やべえ、この子がいなかったら、どっちにしろ俺死んでたっぽい。ほかの悪魔とやらがどれだけのやつか知らないが、少なくともあの集団より一回りは強かった筈だ。これ、計画最初の一歩目で、足盛大に踏み外してるよね。
俺、もしかしてもの凄く運が悪いんじゃなかろうか、お祓いとかするべきなのかもしれない……生きて帰れたら。
やっと一つ目の要とやらに着きました。
弾け飛んだ悪魔の数は三十を超えてから数えてません。なにコレ、悪魔ってこんなに餓えてるもんなの、そんな奴らと交渉して従えちゃうサマナーってマジパねぇ。俺? サマナーじゃありません、COMP持ってるだけの一般人です、同じにすんな。
で、目の前にあるのが結界の要とやらなのですが、コレどうにかしたら後ろにいる少女が外に出てしまうんですよね、究極の選択だ。
やっぱ嫌だと拒否する、殺してでも動かさせる。
諾々と従い動かす、やっぱり気が変わった死ね。
約束通り助かる、外の世界に少女が解放たれた。
……あれ、これ、詰んでね?
今死ぬか、あとで死ぬか、先が全然読めない状況に陥るか、もし生き延びられても調査の手は入るだろうし、そうなったら例え俺が子供であろうと処分されてしまうのは目に見えている。
思考が麻痺してここまできてしまったが、万が一に賭けて結界の外へと逃げるべきだったんじゃないだろうか、その方がまだ俺にとって先があったのに。
あの残虐性を外でも振るい、どれだけの屍を積み上げるのか、退治しようとする葛葉辺りと盛大に戦いを繰り広げるのだろう。頭も良さそうなコイツを仕留めるのにどれだけ犠牲が出るのか、もしかしたらそのせいでゴトウやトールマンを止められず、メガテンルートに進んでしまうのかもしれない。
そう考えると、俺はとんでもない過ちを犯しているのでは……
「どうした、はやくしろ」
あ、はい動かしまーす。
それはそれ、これはこれ、俺の命は他人の命には変えられない。俺が今、この瞬間を生き延びることを優先させるべきだ。大体、悪いのはこんな人里近くに悪魔を封印した連中だ、僕は悪くない。
声がかけられると同時に体は動いていた。うん、我ながら正直な体よね。
要とやらは草臥れた墓石のような形をしている。
これを持ち上げろと言われたら到底不可能な話だ、しかし転がすように動かすだけなら子供でもそう難しくはない。悪魔が触れると弾かれ、低級だとそれだけで消滅してしまうそうだ。だけど人間である俺なら問題はないとのこと、正直恐る恐るだったが、触れても何ともないのを確認し……勢いよく蹴り倒した。
ごめんなさい、ただの八つ当たりです。
重量感のある音を立て要が横倒しになったのを確認すると少女の方に顔を向ける。
……うわぁ、見なきゃよかった。
少しずれた狐面から見える口元が、弧を描いて嗤っているのだ。こっちを見ながらそういう笑い方されると、違うとは分かってても、俺を見てそんな表情を浮かべているのではないかと思えてしまう。冒頭の硬直の比じゃないくらいに体が凍り付いている。
「うん、結界がよわまったな。つぎのかなめにいくぞ」
そう声がかけられ、硬直が解けた。
声を聞いた限りでは、機嫌は非常に良さそうだ。この状態を維持できれば殺さないで見逃してくれるかもしれない。頑張れ俺、負けるな俺、でも心が折れそうだよ。一挙一動が凄く怖いです、固まった笑顔のままで歩き出した少女の後を追う。
次の要まで少々遠いそうなのでどの辺に幾つあるのか道中聞いてみた。ら、やっぱりそうか、と思ってしまった情報が発覚。
「はんぶんくらいは前にきたしょーかんしが動かしてたから、あと2、3こで抜けだすにはじゅーぶんだ」
やっぱりか、マップのデータからして半月以上前から出入りしてたみたいだけど、それについても聞いてみた……予想はついてるが。
「こーやって動けるよーになったのはさいきんだもーん。それまではずっとふーじられてたからな」
おーけーおーけー、あのクソ野郎がこの子を封印から解いたらしい――――ばかじゃねえの、馬ッ鹿じゃねえの!?
明らかに手に負えない悪魔だろうが、何考えてんだ!?
封印から解いてくれたお礼に仲魔になってくれるとでも、ねぇよ、どんなゲーム脳してんだよ。それともあれか、うろついてる悪魔からここまで強力なのが封じられてるとは思ってなかったってか、ころすぞ。いや、もうしんでましたね。だが、もういちどころす。
……落ち着け、少女が凄い不思議そうな目で見てる。
とにかく、葛葉のお姉さんに喋ってたことは全部出任せだったって訳だ。何を考えてか、あるいは封印の綻びを誤魔化すために事件を引き起こして目を逸らそうとでもしたのか、まあ、やり過ぎたせいもあって即行で処分されちまったがな。
そう考えると、俺が来ていなくても将来的には何時か暴発してた可能性が高い。
突然近くの山から高位の悪魔が飛び出していたかもしれないと考えると、この辺で暴れないようにお願いできるかもしれない現状は好都合かも。余所の土地に起動した爆弾を投げ込むに等しい行為だが、んなこと知ったこっちゃねえ。俺が住む街やその近辺が無事で安全ならそれでいいんだよ。
隣近所に死地があって喜ぶのは
うーん、俺はいつのまに召喚師(笑)から爆発物処理係に転職してしまったんだろう。まあ、普通の爆弾と違って、何度でも爆発するおぞましい代物だがな。処理班のライドウさん、運搬するんで処理お願いします。キョウジとか他の四天王でもかまわんです。
何だろう、これ以上ないってぐらいに気が沈む。いや、この山入ってから沈みっぱなしなんだけどさ。
次の要が待ち遠しい。何でかって、もう悪魔との交渉を諦めたからだよ。
二個目の途中だってのに弾けた悪魔が確実に百匹超えました。遭遇率高すぎ、ペルソナでもここまでいかねーぞ。誰かエストマ使えるやつ持ってこい。
あ、会話できたやつ? 十匹もいねーよ、殺気立つにも程ってもんがあるだろ、あの野郎出入りしてる時なにやらかしたんだ。
高確率で遭遇する血走った目のピクシーは最早トラウマレベルです。俺は今後、ピクシーとだけは交渉とかできそうにない。
あまりにも変なので首を捻ってたら少女が聞き捨てならないことを口走ってくれたんだけど――
「それにしても、おまえへんなやつだなー。まんげつの日に悪魔とこーしょーするなんて、ふつーはむりだぞ」
ゑ?
まん……げつ………………満、月?
……あーあー、そうかそうか、まんげつかー、そりゃ昼間とはいえ満月じゃ無理だなー………………って、まんげつうううううううううううううううううううううううううううううう!?
俺の大絶叫に少女がビクリと身体を震わせたのに少し萌え――ちっげええええええええええええええええええ!?
項垂れるように両手と膝を地面に着き、慟哭の叫びを上げる。
よりにもよって、何故今日なのか、しかもこの状況で、こんな時に限って。
いやね、普通の小学生は月をそうそう眺めたりなんてしません。
新月だから造魔は使えないなとか、今日は三日月だからベルセルクで行くかとか、満月だから悪魔と交渉は無理だな、なんて発想を普通の小学生はしません。
だから俺が今日満月だってことを失念してたとしても不思議じゃないんだ。ってーか、その日の月齢を正確に把握してる人間は関係する職業か趣味をお持ちの人だけだと思う。
まー、そのせいで、こんなじょうきょうにおちいってるわけだけど。
あれか、入ってすぐのサバトも満月のせいかよ。
もし今日が満月じゃなけりゃ適当にピクシー辺りと契約できて、コイツに目付けられる前にお家に帰れたんじゃなかろうか。そう考えると何で月齢に頭が回らなかったのかと、痛すぎるミスにちょっと絶望してしまう。つーか絶望してます、悔し涙というか慚愧の念で一杯です。
半べそになってる俺の頭を少女が優しく撫でてくれる。
泣いてる原因の一つがお前だよとか、そもそもお前がいなけりゃ泣いてねえよとか、でも助けてくれてありがとうみたいな……ちょっと胸キュン。
いかん、しょうきをうしないそうだ。
目を擦りながら歩く俺。そんな俺の手を引き要へと誘導する少女。
傍目には微笑ましく映るのだろうか、やってることは実際かなりアレなのだが。
精神が体に引き摺られる勢いで涙がボロボロ出てきて歩くこともままなりません。手を引かれ、ここにあるから動かしてなどと誘導され二個、三個と要を動かし、あと一個どうにかすれば抜け出せるところまできたようです。もうおうちかえりたい。
「さいごのいっこはすぐそこだ、いい子だからもーちょっとがんばろーな」
見た目同年代か下ぐらいの女の子に慰められる中身三十越えの
しにたい、例え相手が悪魔だろうが見た目幼い娘に慰められるとか……まじしにたい。
襲い掛かる悪魔をマグネタイトに変えながら辿り着いた最後の要。
壊したらコイツが外に出るとかもうどうでもいい。早く解放されてお家に帰りたい。別に殺されたっていい、帰れるなら。なんかもー、頭の中グチャグチャでまともな思考になりゃしねーよ。なんで俺こんなとこきて頑張ったんだよ、現状が加速的に悪化する一方じゃねーか。
自暴自棄とはまた違うのだろうが、大分おかしな考えで行動に移したんだろう、気が付いたら目の前にある要を突き飛ばすような感じで動かしていた。
そこでようやく正気に戻った訳です。
要が倒れる瞬間がスローモーションになって見えるんですよ、意味が分からない。何でこの状況に生命の危機を感じるのでしょうか、なにこれ俺死ぬの……あ、そーでした、少女次第では嬲り殺されるんでした。
だってあれだろ、出ることを優先してたから俺を襲わなかったけど、満月に影響されてる悪魔が用無しになった人間を生きて帰す訳無いじゃないか。
それに気付くと同時に血の気が一気に引く。貧血で倒れないのが不思議なぐらいの勢いです。足がカクカクと震えて止まらない、唇も真っ青な筈だ、もう一押し何かあれば多分漏らす、喉の奥から酸っぱいのがこみ上げてきた。
嫌な沈黙と妙な緊張に耐え切れず、窺うように横目で少女を見――見なきゃよかった、見なきゃよかった!?
さっきまでの少女はあれだ、狐面着けてる以外は普通の人間と大差なかったんだが……いつのまにかしっぽがさんぼんもはえてらっしゃるー、ふさふさもふもふですてきですね。
死んだ、俺確実に死んだ。
仮に、ここで殺されなくてもいつか制裁される。封印してた組織とか、サマナー野郎を処分したお姉さんとか、葛葉にヤタガラスとか、もしかしたらメシアやガイアにも狙われるかもしれない。
狐面と三尾でやっと気付いたわ、何でお前こんな場所にいるんだよ、魔界にいるんじゃねーのか、人間界で封印されてたってどういうことだ、とか色々あるがそういうのどうでもいい。どれだけのレベルか知らないが、それなりに大物なコイツを封印から解いて野放しにして許す訳が無い、絶対調べ上げて俺に辿り着く。
何も知らない子供が操られて仕出かした悪戯じゃ済まされない、オマケにCOMPなんて余計な物を持ってるんだ、目的があってここに来たと見做される。そうなったら尋問、拷問コースは確実だ、それに耐えられる自信はない。
お姉さんならまだいい、だが、もしもメシアやガイアに捕まりでもしたら……
お先真っ暗な未来に絶望する俺。
茫然自失という言葉がよく似合う姿だろう、多分今なら何をされても反応しないで終わりそうだ。
だが、そんな俺を気にもせず、封印から解き放たれた身体で嬉しそうにくるくると回り、喜びの感情を溢れさせながらトドメの一言を告げてくれた。
「これでじゆーのみだ。面倒みてやるやくそくだからな、おまえと一緒にいってやる。あたし……うん、あたしチェフェイ、コンゴトモヨロシク」
わあい つよそうなあくまか゛なかまになったそ゛ うれしいなあ
結論、この世界の神様は祈ってもご利益なんてありゃしねえ。
――とりあえず、ろくでもない運命を用意してくれた女神様、一発殴るからその面ちょっと貸せ。
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