焼き鳥屋、世界を廻る【短編集】 (葵(仮))
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vol.1 焼き鳥屋と金髪少女
カラカラカラカラカラカララ――車輪の音が静かに響く。
カラカラカラカラカラカラリララ――意味のわからない歌が小さく響いていく。
森の中を二つの影が進んでいく。
男は一人、森を歩いていた。
今にも幽霊でも出てきそうな、うっそうとした深い、深い森を男は歩いていた。
ピタリと、男の動きと歌と車輪の音が止まる。
おやおや、そんなおどけた声と一緒に、男は下を向いていた頭を持ち上げる。
「やぁやぁお嬢さん、こんなところでなにをやっているんだい」
男の目の前には少女がいた。
金髪の、美とつけてもよい少女が呆然としたように、そこに立ち尽くしていた。
少しして、少女はゆっくりと俯いていた顔を上げ、男と目線を交わす。
不意に、少女が口を開いた。
「みんな、死んじゃったの」
少女は脈絡も無く、そんなことを言った。
「はてさて、どうしてだい」
「わたしが殺したの」
「ははぁ、それまたどうしてだい」
「わからないの。気がついたら、お母様もお父様も、お医者様も。みんなみんな、ぐちゃぐちゃになってしまっていたから」
「ほうほう、中々おもしろい。それはそうとお嬢さん、疲れているだろう。さぁおいで、おいしいものをご馳走してあげよう」
男はまるで、今しがたの少女の言葉を聞いていなかったかのように、そう言った。
「……おじさん、変な人」
あっけに取られた少女は、そんなことを言う。
「変? ははは、なるほどなるほどそうかもしれないな。変な人だろう。こんな森の中で血化粧で真赤に変わったドレスを着ているお嬢さんとお話をするなんていうやつはきっと変な人だ」
「そうじゃ、なくて」
「とすると、ははぁなんだろうかね。この“なり”かな? 確かにこんな姿は珍しいだろう。それはそうと、さぁおいで」
まるで少女を無視したかのような言動に、やはり少女はまたあっけに取られるしかなかった。
男は徐に少女に近づき、強引にその手を取った。
反射的に、少女は手のひらに力を込める。
しまった――そう思ったときには遅かった。また、殺してしまうと少女は嘆く。
――が、幾ら待てどもそんな事態は訪れない。
「あ……れ?」
「うん? どうしたい、お嬢さん。緊張しているのかな。あぁ、それとも強引が過ぎたかな」
「え? え?」
狼狽する少女。
男はまるでなんともないように、にこにこと少女を見ていた。
「痛く、ないんですか?」
「痛い? 面白い事を言うお嬢さんだ。これでも鍛えてる方なんですがね、お嬢さんに手を握られて痛いと思ってしまうような、そんな貧弱な野郎に見えていたのかな?」
男は変わらず笑っている。
少女は訳がわからなかった。
されるがままに、少女は腕を引かれていく。
数歩歩いたところで、男は自分と共に歩いていたカラカラという音を出していた、大きな箱――屋台小屋の前についた。ついた、というほどの距離でもないが。
パッと少女の手が開放された。
「少々お待ちを、お嬢さん」
男はグイと斜めっていた屋台の取っ手を持ち上げ、折りたたまれていた脚を出し、安定させる。
屋台の横に掛かっていた折りたたみのイスを一つ広げ、ぽんと定位置においた。
「さぁさぁ、お座りくださいな」
少女は
屋台の中はなにもかも、少女には見覚えの無いものばかり。
そしてなによりも、少女の鼻はもっと好奇心を誘うものを察知していた。
少女が周りに目を光らせていると、台をはさんだ向かいに男がぬっと顔を出した。
「いい匂いだろう」
「う……うん!」
「これはな、“やきとり”ってんだ」
「やきとり?」
「そうそう、やきとり。鳥を焼いて食うんだ」
「鳥さん、焼いちゃうの? 可哀想、だよ」
「そう思うかね。ははぁ、お嬢さんはやさしいな」
男は優しく微笑みながら、そういう。
「お嬢さん、君は御飯を食べる時なにを考えているかな?」
少女はしばらく間を空け、ようやっと口を開いた。
「お、おいしいなぁ、って」
「たはは、そりゃあいい。そう思ってくれるなら作ってくれた人も、材料たちもきっと嬉しいだろうよ」
「材料たち?」
「そう。生き物ってのは、みんななんかしら他の生き物を糧にしてるんだ。だから感謝しなくちゃいけねぇ。おいしいおいしい、うまいうまい、ありがとうありがとうってな。ふふん、お嬢さんには難しかったかな」
「んむぅ……」
唸る少女はなにかを必死に考えているようで、頭に両手を乗せて椅子と一緒にゆらゆらと揺れる。
「わかんない」
やがて少女はしょんぼりとして手を頭から離した。
「はっはっは、まぁ、いつかきっとわかるさ。それまでは……そうだな、今までと同じように、おいしいおいしいっておもっときゃいいさ」
「やっぱりおじさん、変な人」
「ははぁ、そうかいそうかい」
ぽりぽりと、男は呆れたように頭を掻いた。
「さて、お嬢さん。何を食いたい? なんでもいいが、お勧めは、うん……そうさな――“ネギマ”なんて如何かね」
「ねぎ、ま?」
「それにするかい?」
「う~ん…………うん」
「はいよ。ちょいとお待ちなんせぇ」
男はごそごそと台の下を漁り、二本のクシを取り出した。
既にそのクシには鶏肉とネギが突き刺さっていた。
男はまた台の下を漁る。
次に出てきたのは、大きな鍋だった。
ぴくり、少女の鼻が飛び上がる。
「(……あ。この、匂い)」
とんとんと、男が屋台を二回叩くと焼き台がボウと火を噴いた。
その台の上に二本のクシを置く。
――香ばしい香りが少女の鼻をつつく。
たまにくるりとクシを半回転させる事を数回やったのち、男は傍らの鍋の蓋を開けた。
フワリ、今までとは比にならないほどの強い香りが少女の鼻腔に吸い込まれる。
男は二本のクシを鍋の中に突っ込む。
くるりと、クシを鍋の中で一回転。適度にタレを絡ませ、もう一度焼き始める。
少女はただ、その光景をじっと見つめていた。
じっくり、じっくりと焼かれ、生はレアに、レアはミディアムに。
そして今やミディアムからウェルダンになってしまうだろうその瞬間、トンと男が台を叩くとパッと、嘘の様に火が消えた。
クシを手に取り、男はうんうんと一人頷いた。
「はい、お待ち」
陶器の皿の上に乗せられた二本のクシに少女の目は釘付けになる。
香りは未だ少女の鼻腔をくすぐっている。
「熱いから気をつけろい、お嬢さん」
男がそういうも、少女は手を出そうとしない。
男は一瞬訝しむが、あぁなるほどと独り言の様に呟く。
「食べてやらにゃあ、もっと可哀想だぜ? さぁさぁほらほら、ぱくりと一口」
少女ははっとしたように顔を上げた。
ゴクリ、と唾を飲む音。
ゆっくり――ゆっくりと、少女の手がクシに伸びていく。
幼い手が竹で出来たクシを掴む。
どんどん、ゆっくりと、だが確実に口に近づいていく。
そして今――――パクリ。
小さな口に、吸い込まれるようにして焼き鳥が飛び込んでいった。
「あ……あちっ!」
そういいながらも、少女はその熱さに耐え――いや、熱さを忘れたかのように、頬張っていく。
あまじょっぱいタレが口いっぱいに広がっていき、具の味に更なる深みをつける。
やがて一本目のクシの最後の具を咀嚼し飲み込んだあと、こびり付いたタレを舐めとる。
そして二本目へと。
二本目もまた同じように、熱さを無視して頬張っていく。
鶏肉の柔らかさと、それとはまた違ったネギ独特の柔らかさは、見事に功を奏し、食欲を一層引き上げる。
タレを舐め終えたところで、少女は――ふぅと、一息。
「――いい食いっぷりだ、お嬢さん」
「……えっ? あ……あぁ!」
男のからかうような、それでいて嬉しそうな声で我に返った少女は、自分の今の品の無い食べ方を思い返して顔を紅くする。
「いいさいいさ、子どもはそうやって好きに食べるのがいっちゃんいいんだ。それが子どもってもんだぜ」
「……ぅう」
「それにほら――」
「――?」
「楽な気分になっただろう?」
“あっ”と、少女は自分の先ほどまでの状況を思い出した。
だが、今はどうしてか、先ほどのような憂鬱な気分とは打って変わって、心なしか森も明るく見えていた。
「悲しいときは美味いものを食う。疲れた時も、苦しい時も、嬉しい時だって、楽しい時だってな、美味いものを食うんだ。そうすりゃまた、新しいものが見える。何かが出来る。お嬢さん、お名前は?」
「え、エヴァンジェリン!」
「エヴァンジェリン……“福音”、か。いい名前じゃねぇか。大事にするんだぞ」
「おじさんの名前は?」
「なに、ただのしがない焼き鳥屋の親父さ」
少女の視界が歪む。
涙――少女の目からは、いつの間にか涙が流れていた。
いつの間にか、少女は立ち上がっていた。
椅子も屋台も、男も、周りから忽然と姿を消していた。
ごしごしと、ドレスの襟のところで顔を拭う。
不思議な事に、真赤に染まっていたドレスはもとの真っ白なドレスに戻っていた。
少女はゆっくりと、宛てもなく、だが揚々と森の中へと歩を進めていく。
カラカラカラカラカラカララ――車輪の音が静かに響く。
カラカラカラカラカラカラリララ――意味のわからない歌が小さく響いていく。
森の中を二つの影が進んでいく。
続くかどうかは知りませんが、気が向けばまた違う場所での話も書きたいですな。
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