未だ見ぬ夢を待ってゐる (adbn)
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未だ見ぬ夢を待っている

 この本丸の審神者は、必要最小限の刀のみを顕現する方針だ。短刀が六、脇差と打刀と太刀が各三、槍と大太刀と薙刀が各一、の三部隊十八振り。それでもって、その枠は早い者勝ちだ。

 審神者が本丸に着任した瞬間には、打刀と槍の枠は埋まっていた。

 

 短刀が埋まっていって、鍜治場から光忠の太刀が来て、脇差の三振り目が来る前に、薙刀が来た。

「薙刀、静形だ。銘も逸話もないが、そういったものはこれから作ればいい」

 随分でかいやつが来たな、とその時は思ったものだが、実際の背丈は俺と大差なかった。いや、それが十分にでかいのは承知しているが。

 

「世話役には日本号が付くように、と」

 基本的に人の肉体を扱えるようにするのが役目であるので、体格の近い者同士の方がお互いやりやすいのは確かだった。三日月宗近も鶯丸も世話を焼くより焼かれる方が好きな性質で、燭台切光忠は本刃がまだ新入りの部類だった。つまりはそういうことなのだろう。誤算は、あいつが静形の薙刀でオレが槍であったことか。

 

 人の身になれぬうちは戦場には出せないと言えば、こちらの言うことはよく聞いた。だが視線にも態度にも刺々しいのを隠す気はないらしい。

 

 

 

「おい、槍」

「……」

 日本号だ、と訂正する。本丸に来て一週間が過ぎても、この薙刀が俺を名前で呼ぶ様子は見えない。だがその一方で、直接的な手出しはしてこなかったし、今のように向こうの方から話しかけてくることもままあった。これが薙刀で自分が槍である、という一点を除けば長い刀連中との関係と大して変わりはしない。言葉のトーンと視線の鋭さ、それだけだ。何も問題はないのだ。刀連中に心配されるようなことは、何も。

 

 そろそろ隊長職を任されるかもしれないのだというこいつに、いくらか特有の事務処理の話をして、こちらも藤四郎連中の様子を尋ねる。話が段々と逸れてきたところに、新たな質問が飛んできた。

「お前のあの柄は何だ」

 自分の方もそれなりに凝った柄であろうに、そんなことを言う。きらきらしい螺鈿(という言葉をこれが知っているかはさておいて)など戦場では不要ではないかと、李色の瞳が訊いてくる。

「示威だよ。武力でないところのな」

 自分のすべてと、同じように。あの螺鈿は持ち手の権威を語る。武運長久の祈りが込められたはずのこの俱利伽羅龍のように。ただの鋼には過ぎたこの位のように。事実無根の伝承のように。この号のように。

「あと単純に眩しくて目が眩む」

 それもまあ、事実ではある。今となっては光を反射する効果くらいしか意味らしい意味はなかった。あれらが権威ごときで、武威ごときで、引くわけもない。もしそうなら手杵の槍が戦陣に姿を現す、それだけですべて終わっていたはずだ。

 

 

 

 知己は少なくない。思い入れのある兄弟刀があるわけでもない。ただ、己の他は刀ばかりというのが、どうにも。

 

 

 

 織豊の時代、越前。青い燐光を放つ短刀や太刀の中にふたつ混ざった緑褐色の化生の手に握られていたのは、まぎれもなく素槍の類であった。螺鈿の柄を握る手に思わず力が入る。

 

「日本号、槍は任せても?」

「応」

 隊長を務めている蜂須賀虎徹の問いに、考えを巡らせる前に頷いた。練度に見合わぬ戦場であるのならまだしもこんなところで名もない槍なんぞに負けるわけにはいかない。この身が「日本号」であるのなら。

 

 骨喰藤四郎の号令の下放たれた矢を追うように駆け出す。

 

「天下三名槍を恐れないやつだけ、掛かってきなァ!」

 そう高らかに謳いあげれば、一瞬敵方の槍の片割れが狼狽えたように見えた。そいつの腹に一撃、そのままぐいと持ち上げる。臓腑を切り裂かれて動かなくなった肉を振り捨てて、もう一方の槍の足を石突で払う。間合いに入り込もうと宙を泳ぐ短刀を叩き落して倒れこんだ槍に止めを刺す。

 こいつらは案外脆い。ひとがたの影響が強い、というべきだろうか。鋼さえ無事であればどうにでもなるこちらと違い、肉の(あるいは骨の)体を砕かれればいくらもたたないうちに鋼の方も二つに割れ、しばらくすればその破片すらも消え去る。再び動き出した短刀を鶯丸が仕留めたのを視界の端にちらと収めた時には、すでに感じ取れる範囲に動く敵は残っていなかった。

 

 地に投げ出されたこれは、こいつらこそがあいつの言う「槍」だ。薙刀の戦場を奪い取った、実戦用の槍。自分よりはむしろ短刀と似たその穂先を拾い上げてしげしげと眺める。

 

「似ていない」

 平たい声の源は薙刀のそれよりずっと低かった。骨喰藤四郎。日本号とは本丸のはじめからともにいた、元は薙刀の脇差である。

「オレにか?ま、そりゃそうだ。三槍(おれら)は大身の槍だからな」

 特に考えていったわけでもないその言葉を、青黒い返り血を斑らにはね散らした薙刀は聞いていた、らしい。

 

 未だ見ぬ修正主義者側の同種を見た時、この薙刀はどう思うのだろうか。確固たる一である日本号自身と違い、それは彼の内の一振りであるかもしれないというときに。

 

 

 

「おい、槍」

 ふと、その声に思った。あいつらが決して来ないというのなら、一振りくらいは、そういう俺がいてもいいだろう。陛下に位をいただく前の、献上されるよりもなお前の、もう誰も知らない頃の槍がいても。それもオレだったことに変わりはないのだから。

「……なんだ」

「珍しいな……」

 はじめ、何を言われているのか分からなかった。少ししてから、呼び方を訂正しなかったのは初めてのことだったと気が付いた。

「……号も位もない、無銘の槍だった頃を思い出しただけだ」

「無銘だったのか」

 そう呟いた声は驚愕を湛えていて、常の棘も随分と柔らかなものに替わっていた。さすがにそこで、献上品だったからだとは言えなかった。

「……ああ」

 結局、だれがオレを打ったのかすら、俺は知らない。刀剣男士(おれたち)はものがたりからできている。

 

 

 

 槍、と呼ばれる。この本丸で俺をそう呼ぶのは一振りきりだ。

「虎を見なかったか」

 五虎退の連れている子虎を、俺は顕現以来見たことがなかった。偵察も隠蔽も五虎退の方が圧倒的に高い。あの賢い虎たちは、オレの纏う同種の血の匂いに気が付いたのだろう。

「知らん。生憎だがまともに見かけたこともねえな。酒の匂いが苦手なんだろ」

 俺は、本当に「日本号」が虎を殺したことがあるのか知らない。だが、あの白くてふわふわした粟田口の小さいのが寄ってこないのは間違いなくそのせいだろう。後藤基次という名前の男の、この曖昧な記憶の、語られ続けたそのものがたりの、せいなのだろう。

「そうか」

 それだけ言って、内番服姿の薙刀は足早に去っていった。

 

 

 

 刀剣男士とは幻想だ。ひとが物に見る夢を、人型に押し込めたもの。

 

 この、古今の名刀の身が集まる場で一振りの槍がただ「槍」と呼ばれるのであれば、それにふさわしいのは自分だけだと日本号は確信していた。この国の名を背負う最高の槍、右に出る物のない三位の槍。東西二名槍といわれる前から、天下三名槍の名を与えられるよりも先に、オレはそういったものだった。

 

 天下一の、正三位の位持つもの。

 頭上に翳せば病すら祓う、虎退治の大身槍。

 黒田の日本号。

 俱利伽羅龍の無銘の槍。

 そのどれも等しく、確かにオレだった。

 

 

 

「この日本号を恐れないやつだけ掛かってきなァ!」

 向かってきた遡行軍の刀を叩き折る。十分な練度さえあればそんなことすら可能だった。敵の攻撃を柄で受けてあたりに螺鈿を撒き散らして、お返しだと向こうさんの血で地面を染め上げる。この瞬間だけが、この俺が確かに槍だという証左だった。槍は皆、戦うものであるはずなのだ。この本丸では証明の叶わない命題。

 

 此処の本陣を制圧した後は、暫く短刀や脇差に頼りきりになるのだという。それを思えば少し惜しい気になった。この体は夜目が利かないので致し方のないことではあるのだが。

 

 

 

 このところ、ずっと遠征が続いている。夜の京都を抜け出せるまで、太刀の出番も長柄の出番もない。俺にできるのはその()が昼の野戦であることを願うことだけだった。

 

「刀の考えることはわからん」

 そう言いながら、薙刀が俺の隣に座る。何があったのかは知らないし聞かない。槍と薙刀も結局のところ違うものなのだから、聞いても仕方がない。

「ま、オレたちは長柄だからな」

 そんな風に嘯いて、無尽の丸徳利から手酌していた先の大ぶりの猪口を持ち上げる。

「飲むか?」

 即座に断られる可能性も考えていた。薙刀はたっぷり五秒も悩んで、それからひったくるようにしてこちらの手から猪口を奪った。

「……貰う」

 こんな時でも親の仇にでも向けるような鋭い声なのには、一周回って呆れてしまった。

 

 

 

「おい、槍」

「おう、どうした薙刀」

 自分は槍、あれは薙刀。それで区別には十分だった。そういう本丸だ、ここは。戦わない物はいない。長柄は二振り。であればこれで十二分。

 

 

 

 山姥切国広に、いい加減あれを静形と呼んだらどうだと言われた。短刀にも、脇差にも、太刀にも、すでに訊かれたことだ。

「『静形』ねえ……あいつがオレを、そうさな、『龍の槍』とでも呼んだら考えてやるよ」

 その日が永遠に来ないことを、俺はきっと知っていた。俺が戦い続ける限り、たとえほかの槍を顕現したとしても、オレはあいつから見れば槍でしかない。彼にしてみれば戦う槍はすべて等しく、薙刀から居場所を奪った物なのだから。

 



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