「わたしは神様が嫌い」 (アビ田)
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誕生

前作品に間を置いてどうしても納得行かなかったので、再構成の形で筆を取ることにしました。
バドエン厨抜けて幸せになれるのか悩みどころですが、温かい目で見てやって下さい。


 昔々、神様から楽園を追い出された哀れな女性がいました。

 

 

 女性はアダムの(あばら)から作られた「イヴ」という存在です。

 神様は二人に言います。

 

 

『アダムよ、地を耕しなさい。イヴよ、子を産みなさい』

 

 

 二人に言われた言葉は罰でもありました。

 二人はエデンから堕とされる前に、神様が食べてはならぬと言っていた禁断の果実を食べてしまったのです。

 

 

 二人はしかしその罪を受け入れ、地上で自分たちの(その)を築き、幸せに暮らしましたとさ_____

 

 

 

 

 

 

「おしまい」

 

 

 そう言って、いつもの朗読をシスターは終えた。

 周囲の子供はシスターの教えに従い、感謝の言葉を告げる。

 

 

「「私たちを生んでくださって、ありがとうございます!」」

 

 

 シスターは微笑み、子どもたちに遊びに戻っていいわ、と言った。

 すると蜘蛛の子を散らすように、かしましい声を上げて子どもたちは駆けていった。

 

 そこで一人ポツンと残された、端に座る子ども。

 

 茶髪にぴょこんと生えるアホ毛が特徴的な少女だった。

 

 

「またあの子ね…」

 

 

 シスターは溜息を吐き、少女に近付く。少女が手に持っているのは童話の本だ。

 少しは神様に興味を持ってもらいたいと、シスターは思った。

 

 

「マリア、また絵本ばかり読んでいるのね」

 

「………」

 

「聞いてるの?」

 

 

 柔らかい頰がムニムニといじられていれば、少女特有の声が漏れた。

 

 

「はにゃー?」

 

「はにゃー、じゃないの。もう、またあなたは本ばかり読んで…少しはみんなと遊んで来たらどう?」

 

「お外で遊んでるより、本を読んでいる方が楽しいもん。それにシスターのお話もちゃんと聞いてたよ」

 

「じゃあ遅いけど、一緒に神様に祈りましょう?」

 

「それはイヤ」

 

 

 清々しい笑顔で断ったマリアに、シスターは深くため息をついた。

 

 

 

 

 

 この小さな田舎町は海沿いにできている。昔は貿易が盛んだったらしいものの、数世紀前の海賊荒らしでめっきりその交易が途絶えてしまった。

 

 しかし人々は交易した食物で何とか知恵を出し合い、こうして数百年も生き伸びてきた。

 村自体はその間独自の文化を形成し栄えてきた。

 

 そんな村の中央にそびえるのが、この教会。崇める神は聖母マリア。

 

 そもそもこの町の西の海には、一段と輝く『マリス・ステラ』と呼ばれる星がある。

 

 この周囲の人々は古くからこの星に祈り、どんな困難も乗り越えて来たとされている。

 

 教会からは海を一望できないため星が見えないが、数十年前は本当に崖の上に教会が建っていたらしい。

 それも火災によって無くなってしまったらしいけれど。

 

 しかしその場所には今もなお、碑石が建てられている。

 

 

『アヴェ・マリス・ステラ』の曲が刻まれている。

 月に一回は子供達を連れてそこで歌うのが、この教会のきまりでもある。

 

 

 

 この少女_____マリアはしかし、どれだけ手を尽くしても、歌ったり石碑に行こうとしない。

 

 大抵本を読むか、ぼーっと、生き物と戯れているのだ。

 

 一瞬鳥葬かと思うほど鳩がマリアの上に乗っていた時は、流石のシスターも悲鳴を上げた。

 

 

「まったく、あなたは神様のご加護で救われたっていうのに……」

 

「親が石の前に捨てただけじゃん。わたしね、神様は信じてないけど、シスターやみんなは好きだよ」

 

 

 マリアは数年前、石碑の前に捨てられていた子供だ。

 何も身に纏わず、ただポツンと座っていた。それを保護したのが、この教会で一番歳を経ている老シスターだった。

 

 

「だっておかしいでしょ?神様がいるんだったら、親にわたしを捨てさせたりしないわ」

 

「そんなこと言うから、マリアは体を壊しやすいのよ」

 

 

 改めてみると、この教会が信仰する神様、つまりマリア様の名前を付けた老シスターも中々にすごい。

 

 そんなことをシスターが思っていれば、隣で大きなくしゃみをする音。

 

 

「ほーら、言わんこっちゃない」

 

「えへへー」

 

 

 シスターはマリアに自分の上着を着せ、暖房の点いている部屋まで向かった。

 

 まだまだ寒い、冬のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 雪がしんしんと降るある日。

 

 マリアは上機嫌に街を歩いていた。老シスターが子どもたちにお小遣いをくれたからだ。

 

 一人を好むマリアは友だちを作りたがらない。ゆえに他の子どもがグループを組んで移動している中、彼女はひとりだ。

 しかし気分は上々。それに伴って、少女のアホ毛も揺れる。

 

 周囲の視線を物ともせず、ショーウィンドウに張り付く。

 少女に視線の先には、白と赤に輝くケーキがあった。

 

 人の数倍食欲旺盛なマリアは、食に対して貪欲だった。美味しいものを食べられればいいと思うものの、質よりは量を重視している。

 

 でも今回ぐらい……と、悩むアホ毛は揺れ続ける。

 

 

「やっぱり飴でいいや」

 

 

 キャンディ状の飴が入った袋を買い、少女はそれを抱えて歩いた。

 純粋に小分けにされた飴ならみんなと分けられるからと、そういう理由だ。

 

 

 それにしても寒い。体の弱い少女にこの大寒は天敵だった。免疫が下がってしまうのだ。

 早く帰ろうと少女は走って、曲がり角に差しかかる。

 

 

 ーーーードン!

 

 

 案の定ぶつかり、飴の入った袋は宙を舞って、固い音が響いた。

 

 ボリボリと何かを食べるような音。

 驚いてマリアが頭上を見上げれば、なんと金色の丸い何かが、自分の飴を食べているではないか。

 

 

「………」

 

「ガウ!」

 

 

 少女が怒りに体を震わせた直後、今度は顔面にその金色の物体が衝突してきた。踏んだり蹴ったりである。

 

 猫のようにすり寄ってくるそれに爪を立てて抵抗していれば、上から男の声が聞こえた。

 

 金色の物体はその声を聞き、名残惜しそうに少女から離れた。名前は「ティム」と言うらしい。もちろん飴の仇である存在を、名前で呼んでやる気などさらさらマリアにはない。

 

 そこまできて、ぶつかったことを思い出した少女は、男に頭を下げる。

 

 

「ご、ごめんなさい!ぶつかって…」

 

 

 マリアが顔を上げた先の男は、真顔でこちらを見ていた。

 

 燃えるような赤い髪。

 仮面に髭、そして眼鏡………

 

 

 

 怖い。

 

 ファイナルアンサーだった。

 

 

「キャアアアアアアアア」

 

「うるせェ…あっ、おい」

 

 

「うなるぜ私の足ィ!」とのたまった少女は見事にすっ転んで、気絶した。

 

 辺りには一部始終を見ていた人物たちの苦笑いと、赤髪の男の深い溜息が聞こえた。

 

 

 

 

 

 *****

 

 _____ガウ!

 

「んーにゃうるさい……」

 

 _____ガウガウ!!

 

「うるさいぃ……」

 

「ガウ!!!」

 

「うるさいって言ってん………うわぁぁあああああ」

 

 

 視界を開ければ、一面暗闇。何事かとマリアが周囲に手を探らせば、冷たい金属のような感覚が。それにこの声は………。

 

 

「何これ何これ食われてる!?!」

 

「静かにしなさい、マリア!」

 

 

 シスターに一喝され、マリアは渋々止まった。大人しくしていると、自分を食べていた…というより、犬のようにじゃれついていたティムが離れた。

 

 ここはどこだと、少女が目を配らせていれば横にはシスター。

 そしてテーブルを挟んだ向かいのソファーに、あの赤髪の男が腰かけている。

 

 混乱するマリアを見兼ね、シスターはことの顛末を話した。

 

 

「気絶した貴方を、神父様が運んで来てくださったのよ。ちゃんとお礼を言いなさい」

 

「ウソだッ!こんな怖い顔の神父様がこの世にいるわけないもん!!」

 

「失礼よ!」

 

 

 若干顔を赤くしたシスターは、「おほほ」と笑い、拳骨をしたマリアの肩を小突く。

 神父の男は少女が最初に見た無表情とは違い、女性受けしそうな笑顔を見せている。

 

 この人、ゼッタイ女ったらしだ。

 

 そう思いながら、マリアはお礼を言った。残念ながら異性にときめく感情を、思春期もまだな少女は持っていない。

 

 それにしてもと、少女の鋭い視線の先が、ティムに向く。

 

 

「私のキャンディ返しなさいよ!」

 

「ガウ……」

 

「返して、この飴ちゃんドロボウ!!」

 

「ガウゥ……」

 

 

 切なげに鳴くティム。この珍妙なゴーレムがマリアの飴を食べた事を知っているシスターは、呆れたように頭を押さえた。

 

 

「…おい、お前」

 

「え、何?」

 

「マリアって言ったか」

 

「うん、そーだよ神父様」

 

 

 ティムの頰を抓ったまま、振り向いた少女。するとそこには、男の手にマリアが買ったものと同じ飴の袋があった。

 マリアは驚いて、男を見る。神父は淡白に、侘びだ、と告げた。

 

 ぱぁぁっと、少女の周りで舞った花。視線の先は男ではなく飴だが。

 

 シスターはそのチョロさ具合に、呆れを通り越して笑ってしまう。

 

 マリアはお礼を言いながら飴を受け取ると、そういえばと、思い出したように口を開く。

 

 

「そういえば神父様、ふしぎな感じがする」

 

「………これか?」

 

「ん?んー……そう!コレコレ!」

 

 

 おもむろに男が取り出したのは、一丁の銃。煌びやかな装飾がなされていたが、いきなりの危険物にシスターは悲鳴をあげた。いかんせん、こんな田舎に危険物など(くわ)ぐらいしかない。ガチの代物に耐性がなかった。

 

 

「じゅ、じゅじゅ、銃!?本当にあなた神父様じゃないんじゃ……」

 

 

 この手のひらの返しよう。マリアの胡乱な目が、シスターに突き刺さる。

 

 

「シスターはショージキ(、、、、、)者だけど、そんなだからいい相手が見つからないんだよ」

 

「だ、だって怖いじゃない…」

 

「子どもの後ろに隠れるなんて、なさけないったらありゃしない」

 

 

 大のオトナが少女の後ろに隠れている図は、中々に強烈である。

 ため息をついたマリアは、興味深々に銃を見た。やはり、不思議な感じがする。

 

 一向に怖がりもしないマリアに男は片眉を上げながら、いくつか質問をしていく。

 

 

「最近この街で、何か異常なものを見たことはあるか?」

 

「特にない。……あ、でも、東のオーウェンさん家はあまり行かないようにしてる。血の匂いがするんだ」

 

「……その感覚はいつからある?何かきっかけになったもの、もしくは事象に心当たりはあるか?」

 

「うーん…昔からだよ。記憶があるときから、ずっと。きっかけもよくわからない」

 

 

 その様子を淡々と、シスターは見守った。あまり喋らない子だと思ってはいたが、ここまで異常な子どもだとは思わなかった。

 

 

「最後だ。お前自身が、何か不思議な経験をしたことはあるか?」

 

「うーん……強いて言うなら今かな。なんかね、外にいっぱい感じる」

 

 

 シスターは悲鳴を上げた。幽霊?悪魔??言い方的にそう捉えた彼女は、失神した。元々極度のビビリである。

 

 

「あれ、シスター?シスター??」

 

「きゅー」

 

「ダメだこりゃ」

 

 

 シスターは仕方ないと、マリアは神父を見る。

 少女自身不思議に思っている。今まで血の匂いを感じることは度々あった。それは子供だったり、老人だったり。

 

 いつもシックスセンスのようなものが働いているのかと、本で調べながら思っていた。

 

 しかし今日はどうだろう、いつものように血の匂いがするが、それとは違う何か別の存在を男から感じ取ったのだ。

 

 ただ少女は、()()を好きになれなかった。まるでそれは、神を前に祈ることを強要されているようだったから。

 

 

 辺りには鼻を覆いたくなるほどの血の匂い。昨日まではなかった。元凶はこの男かもしれないと、マリアは思った。

 

 

「神父様って、何者なの…?」

 

「見ての通りだ」

 

 

 やはり、この男はエセ親父に違いない。不躾な感想を抱きつつ、少女は眉を寄せる。

 

 血の匂いの中に、何か得体の知れないものが混じっている、そう感じたからだ。

 

 

「ねぇ、神ぷ…むぐっ」

 

 

 手袋をした手で口を塞がれた。

 黙っていろとのことらしい。

 

 一瞬視界に眩しさを感じたと思えば、目の前に床以外の壁といったすべてのものが無くなり、外の景色が覗いていた。

 辺りには黒煙が上がっている。

 

 どうやら街が、血の匂いのする奴らに襲われたらしい。

 

 霧散していく埃を手で払いながら、少女は目を凝らした。うさぎのような男と、機械のようなグロテスクな何かがいる。血の匂いの元はあの機械からだ。

 

 

「クロォースゥー・マァ〜〜リアン♡ここで会っタが100年目♡」

 

「この後デートの約束があるんでね。デブに付き合ってるほど暇じゃないんだ」

 

 

 あ、この男の本性がこれか。

 

 そう思いながらマリアは、シスターを抱き寄せるようにして、その様子を見ていた。

 繰り広げられるバトルに呆気に取られていれば、その視界を遮るように紫の煙が漂う。

 

 次第に濃くなるそれは、数歩先が見える程度の視界を残す。

 

 

「うわ、ほぼ何も見えない……って、アレ?」

 

 

 先程まで己の側にいた、シスターの感触がない。少女が周囲を見渡すと、声がした。

 

 

「こっちよマリア」

 

「シスターどこ?怖くないから、出ておいでー」

 

「………」

 

 

 視界の先に出てきたのはシスター。

 

 ビビリのくせに、なぜ勝手にうろちょろするのか。

 マリアは伸ばされたシスターの()()()()()()()を薙ぎ払い、側にあったガラスの破片をつかんだ。

 

 

「どうして逃げるの、マリア?」

 

「シスターはもっと、田舎っぽい顔してるわ。あんたの顔は都会から引っ越してきた顔よ」

 

 

 独特な基準で物を言いつつ、少女はガラスを握りしめた。

 

 

「シスターを……どこにやったの」

 

「キャキャキャキャ、この町はもうお終いさァ!!」

 

「………シスターはどこって、わたしは聞いてるの」

 

 

 ビリッと、素肌を襲う悪寒に、バケモノはそこから飛び退いた。

 恐ろしい何かを見た気がした。

 

 ゆらりと揺れた光景は、裁きを行う執行者そのもの。

 

 恐怖の感情を拭うようにバケモノは跳躍し、煙を縫うように少女を狙う。

 

 右、左、右。

 

 錯乱させ背後に回り、一気に爪で体を貫こうとして___、

 

 

「がっ、あ゛っ………」

 

 

 煙が晴れる。視界を奪っていたものが消え、辺りの黒煙や炎がありありと窺える。

 マリアの周囲には、気絶しているシスターが転がっていた。

 

 気絶していた彼女は、呻き声を上げて起き上がる。

 

 

「マ、マリア!?マリアァーーー!?」

 

「こっちこっち、シスター」

 

「何だ、無事なのねマリ………」

 

 シスターが背後を向いた時、少女の腹から白い禍々しい何かが突き出ていた。

 

 その切っ先は自分の形に似たバケモノを貫いている。

 時折、痙攣すようにその肢体が動いた。

 

 

「マリア……そ、それ何?」

 

「何だろうね?多分、あの神父様のと同じものだと思うけど」

 

「ぎ、ぎさま゛ぁ……エグゾ、ジスど…!!」

 

 

 エクソシスト?と、呟いた少女は、自分の体のそれを引き抜こうとする。

 

 そのとき、脳裏に不思議な言葉が浮かぶ。

 唱えよと、内の何かが囁く。

 

 まるでそれは神へ捧げる、祈りの言葉のようだ。

 

 

「堕罪を持つ者よ、呼吸し、生きよ。神の御許しの下、我は創生する___

 

 

 

 

 

 _____神ノ剣(グングニル)

 

 

 

 言葉と共に現れたのは、黄金の大剣。

 

 眩いそれは暗く立ち込める周囲の闇をかき消すように煌めいた。

 

 剣の鞘部分には、アバラをあしらったような突起が無数にある。

 

 大きな大剣は大槍のようでもある。自身の体の二倍はあると思われるそれを、マリアは軽々と持った。

 

 放たれた衝撃で地面に落ちたバケモノは悲鳴を上げた。

 少女は静かに歩み寄る。

 

 なぜこんな少女にと、バケモノは思った。同時に恐ろしい何かが、目の前に存在している錯覚に襲われた。

 

 

「さぁ、お前の罪を数えよう」

 

 

 そうして、マリアは数えていく。

 

 

 一、この街を傷付けた。

 

 二、街の人々を殺した。

 

 三、シスターを傷付けた。

 

 四、わたしの平穏をお前たちは壊した_____、

 

 

 

「よって罪人に刑を言い渡す_____死刑」

 

「う、ウルセェェェェェェェお前が死ねェェェェ!!!」

 

 

 伸びる爪を剣で弾き、少女は下から上に、一直線に切り裂いた。

 

 ごうごうと、血の雨が降る。

 

 既視感にマリアが目を細めていれば、横から肢体を掴まれた。

 なんだと思っていれば、隣にはシスターもいる。

 

 二人は仲良く、ティムに食われていた。

 

 

「キャアアアアア」

 

「シスター落ち着いて!」

 

 

 上空高く飛ぶティムは向けられるバケモノの猛追を交わしつつ、街の外れまで飛んで行った。

 

 途中で少し息を切らす神父から、連絡が入る。

 

 

【そのまま、お前らは保護してもらえ】

 

「誰に?」

 

 

 問い掛けた答えは戻って来ず、ぶつりと切れた。どうやら戦っている最中らしい。

 

 飛ぶ中ふとマリアは思い出し、エクソシストというバケモノの言葉を思い出した。

 

 

 少女自身、自分の中にある不思議な存在は昔から知っていた。

 

 それがずっとあの機械のようなバケモノの存在を、血の匂いを伴って知らせていたことも、神父の持つ銃が自分のこの剣と同じものであろうことも、理解できた。

 

 エクソシストとは、悪魔を倒す存在だ。

 それくらいならマリアも知っている。

 

 もしそうなら、神父はエクソシストなのかもしれない。

 

 そしてあの機械が悪魔で、自分は恐らく悪魔を倒す力を持っているのだろう。

 

 信じる、信じないの話じゃない。実際目にしたのだから、事実なのだ。

 

 でも少女はそれ以上に、許せないことがあった。

 

 

「エクソシストって神様に仕えるんでしょ!?わたし絶対イヤッーーーー!!!」

 

「ちょ、マリア暴れない……あっ!!」

 

 

 急に暴れ出したマリアはティムの歯からすっぽり抜け、落ちて行った。

 

 少女は自分のこの力が、エクソシストにならなければならないという強制力を持っていると、野生の勘で感じ取った。

 

 

 

 _____ドボン。

 

 

 マリアは海に沈もうとする中、憎々しいほど輝くマリス・ステラを見た気がした。

 水の中なのに耳には歌声が響く。

 

 

(絶対歌ってなんかやるもんか。祈ってなんてやるものか)

 

 

『ーーー♩』

 

 

(わたしを一人ぼっちであそこに置いた神様が悪いんだ)

 

 

『ーーー♩』

 

 

(わたしには、何も、ないんだから)

 

 

 少女の意識はだんだんと、掠れて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 ある日訪れた伯爵によって、海に臨した街は壊滅的な被害を受けた。

 

 

 その中で埋まっていた一人の少女。

 

 寄生型のイノセンスを持つ存在。

 

 

 あの後ティムに助け出された少女は、意識を取り戻した後も断固拒否の意を示した。

 

 結局そのまま教団へ連れて行くことはせず、クロスは少女の手を取った。

 

 

 

 今は生き残った子供たちとシスターたちに、マリアは手を振っている。

 

 そのままイノセンスを持っている存在を置いておくことはできない。

 また、伯爵はあの時突如現れたイノセンスに驚いた様子を示していた。

 

 大体イノセンスを持つもの同士、共感覚がある。

 

 こいつは同じ存在だと、力の強いものほどその傾向が強い。

 

 少女自身もあるようだ。

 また、寄生型には稀に特有にAKUMAを感じ取る者がいる。

 

 はっきりとではないが、何となく気配を察知出来るのだ。

 

 

 確かにイノセンスだ。

 しかし悪魔が発動直前まで感じ取れないイノセンスなど、それが伯爵となると、さらに疑問が残る。

 

 

 

「行こ、神父様!」

 

「…あぁ」

 

 

 少なくとも、この謎の存在はまだ教団に預けるべきではないだろう。

 

 己で歩める意志と強さを持った時、少女は自身の道を進めるとクロスは判断した。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 乗り物に揺られる中、遠ざかる少女に星々は歌い掛ける。

 

 

 

 

 

 そして天に最も輝くマリス・ステラは、まるで少女の誕生を祝うように、優しく照らした。




マリア
神様嫌い。大食感。ゴーイングマイウェイで生きていく。


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赤いカーネーション

前回お気に入り感想等ありがとうございました。

Dグレ最新刊、表紙師弟でメガネパリーン。師匠かっけェ…。


 神父様と行動し始めてから、数ヶ月経った。

 

 

 本名は「クロス・マリアン」。黒の教団の元帥云々と言っていた。

 普通のエクソシストよりも偉い人らしい。

 

 偉いのか?そう疑いたくはなるけれど。

 

 酒の香りと紫煙の匂い。あとつけられた香水だ、女物の。

 

 

 そんなの侍らしてフラリと街ごとに、夜に出掛けては朝方に帰ってくる。

 

 一度難癖言われて男に絡まれていた時に見えたおそろしい顔に、「ああこの人、生粋の女好きなんや」なんて、遠い目で思った。

 

 わたしの能力について興味があるのか、血液採取もされた。科学者でもあるらしい。

 

 もうどれが本職なのか分からないから、とりあえず神父様。貫禄が「様」を付けろと、言っている気がする。

 

 

「雨やまないなぁ…」

 

「ガウ」

 

 

 そんなわたしはここ数ヶ月で、ティムキャンピーと仲良くなった。

 

 神父様が帰って来ない間のお守りらしいんだけど、この子、結構かわいい。

 

 

「ティム、お出かけしよっか」

 

「ガウ!」

 

 

 赤いレインコートを着て、軽く助走を付ける。そのまま走って水溜りに着地した。

 

 

「ふーん、ふふん」

 

 

 くるくると、踊るようにステップを決める。

 ピチャピチャ奏でる水音と、降る雨が、音を足して素晴らしい合奏になる。

 

 

 昔から一人の時は、こうして遊んでいた。

 

 音楽を奏でるのは教会の中でも一番上手かった、シスターたちよりも。

 

 古いパイプオルガンを弾くのは趣味の一つでもあった。

 

 

「ティム、撮ってる?」

 

「ガウ!」

 

 

 終わったら再生して音を聞こう。このゴーレムはそこらのラジオよりよっぽど性能がいい。こんな小さいクセに。

 

 作ったのは神父様だと言うんだから、驚きだけど。

 

 人通りの少ない通りを歩いていれば、わたしより小さな子どもがうずくまっていた。

 

 

 鼻を掠めるのは血の匂い。

 雨に濡れて微かだけど、感じる。

 

 

「さぁさみなさま、ごちゅーもく」

 

 

 タップを踏みながらジャンプして、子どもの前に降り立った。

 世界は今わたしを中心に回っている。そんな奇妙な優越感を抱いているのは、なぜだろう。

 

 

()()はお好き?」

 

「……ウン」

 

「そう、わたしはどっちも好きだよ。甘いのも、降ってるのも」

 

 

 目の前でくるくると回転していれば、少年は下に向けていた顔を上げた。

 虚ろな目。左右非対称に寄っている。

 

 ギシリと嫌な音を立てて、わたしの前に現れた機械。

 

 向けられた弾丸はすべて、発動したわたしのイノセンスで返した。

 

 

神ノ剣(グングニル)

 

「オカア、サン」

 

 

 神父様からある程度の知識は教わった。それと戦う方法も。

 

 ティムによる地獄の追いかけっこ(捕まったら食われる)をしながら、剣を振るう。当てていいのかと迷ったけど、どうやらティムキャンピーには再生能力があるらしい。

 

 

 だから前よりはマシに戦える。自分から戦いに行くわけじゃないけど、実戦は積んでおいて損はない。

 

 弾丸が当たる前に、子どもの顔面に神ノ剣(グングニル)を突き立てる。

 

 鳥の肉みたいに柔らかくない。ガキンと、硬質な音がした。

 

 

「オカ……サ、ン」

 

 

 そう言って、悪魔は死んだ。きっと母親の魂を呼んだんだろう、この子どもは。

 

 でも同情はしない。だって呼んだ子どもも、子どもを残して死んだ母親も、どっちも悪いから。

 

 

 運命を呪うなんて間違っている。運命なんて変わるわけが、変えられるわけがない。わたしもきっと、神様の僕にされるんだ。

 

 どうせエクソシストになって、もっと多くの悪魔と戦わなきゃならないんだろう。

 

 だから必要のないことは考えない。

 わたしが考えるのは今日のご飯と、明日のご飯。余裕があったら明後日の分も。ただそれだけでいい。

 

 

 巨大なお肉を想像していたら、グゥと、お腹が鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 キッチンにて。

 

 

「ティム少佐、これからあの飲んだくれ神父様のご飯を作ります!」

 

「ガウ、ガウ!(サー、イエッサー!)」

 

 

 マリアは少なからず、というかかなり理解していた。

 

 彼女の師であるクロスは、気を抜けば三食酒。食べても昼にパンやスープのみという、いつ死んでもおかしくないTHE不健康ライフを送っている。

 

 機械じゃないんだからと、少女は半ば本気でキレかけていた。

 ゆえに本日のミッションは、クロスにご飯を食べさせる。

 

 元々マリアは教会にいた頃に三食では物足りず、こっそり夜中に厨房に忍び込んでは、料理を作っていた。

 

 才能なのかレシピを見れば大抵作れる。しかし時折やらかすのが玉にキズだ。

 

 今回は自分の分ではないため失敗しないように、酒を取り扱った料理を作っていく。味見は流石に出来ないので、そこはティム任せだ。

 

 

「ティム、どう?」

 

「グル…」

 

「じゃあこれは?」

 

「グルルルル…」

 

「んにゃ、じゃあこれ!!」

 

「………ガウ!」

 

 

 ティム的に合格ラインに達したらしいと、マリアは飛び跳ねた。

 

 実際どれも美味しいのだが、ティムが欲ばって美味しくなさそうな顔をしていたに過ぎない。

 

 この少女にして、このゴーレムありである。

 

 

 今は昼。クロスが帰って来たのは朝方なので、そろそろ起きてくるだろう。

 

 マリアは料理を慎重に運びながら、男が眠る部屋の前にまで来た。酒の匂いがやはりきつい。イノセンスに目覚めてから、五感がさらに鋭くなったように思える。クロス曰くそれもまた、体内にあるイノセンスが原因なのだろう、とのこと。

 

 

「においだけで酔っちゃいそう…」

 

 

 少女は口で呼吸をしながらノックし、返事がないので少しだけ扉を開けた。

 

 開ければ濃くなるアルコールの匂い。うへと、間抜けな声が漏れた。

 

 

「………」

 

「ガウ?」

 

 

 ベットにはシーツから覗くのは赤い髪と、別の色の髪。

 そっと、扉を閉めたマリア。その詳細はともかく、一つの部屋の、それも同じベッドに男女がいるという光景に、子どもの自分が立ち入ってはならないと察した。

 

 

「…ティム、戻ろう。これはおまえが食べていいから」

 

 

 わざわざ小声で彼女が話したというのに、嬉しさのあまり、ティムは大声で叫んだ。

 

 

「ガウ?ガウガァァ!!」

(訳:食べていいの!?やった!!)

 

 

 瞬間、中から聞こえた、男の唸り声。

 

 

 バカ!!神父様はてー血圧なのに!!!

 …と、口には出さず、急いでティムの口を塞いだマリアは逃げ去った。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 ゼェハァ、と漏れる声。

 

 片方だけ靴を履いた少女と、脇に抱えられた丸い黄金の物体。

 

 場所は駅内。古いそこは無人駅のようで、誰もおらず、少女は椅子にもたれかかった。

 

 

「ティムの〜〜おバカ!」

 

「ガゥ…」

 

 

 ほっぺをムニムニしながら、眉を吊り上げるマリア。

 

 恐らくさっきのアレでクロスの機嫌が悪くなったろうと踏んだ少女は、夕方になるまでここで時間を潰そうと決めた。

 

 空を見上げれば小鳥。口ずさめば大量のそれがこちらにやってくる。

 子供の頃から少女を裏切らない友だち。それが動物だった。

 

 

 人間より純真で綺麗な生き物なのだろうと、マリアは思う。両親に捨てられたという過去が、少女を人間不信にさせる理由の一つである。

 

 

 ___ピィ。

 

「へー、南の噴水の場所には毎日エサをくれるお婆さんがいるんだ」

 

 ___ピィピィ。

 

「巣が落とされて、赤ちゃんが死んじゃったの?そしたら、その人間の目でもつついてやればいいんだよ!」

 

 

 まるで会話をしているような物言い。ティムはじっと、その様子を見ていた。

 

 そこに鳴った足音。一気に鳥たちは飛び去った。

 

 

「あー……」

 

 

 うなだれながらマリアが横を見上げると、紳士そうな、恰幅の良い男がいた。

 

 

「何してるんですか?」

 

「小鳥と話してたの!おじさんが来たから逃げちゃったじゃん…」

 

 

 それはすみませんね、と言い、男は赤いカーネーションを取り出した。

 お詫びであると、笑ってそれを差し出す。買ったはいいが、渡す人がいなかったらしい。

 

 そんな男の表情が、歳不相応に子どもっぽいと、マリアは思った。

 

 

「おじさんキレイな格好してるけど、もしかして貴族の人?」

 

「あれ、バレちゃいました?散歩してたら、迷子になっちゃったんです」

 

 

 マリアは手のひらでカーネションを弄りながら、赤い色をじっと見つめる。

 

 綺麗な色だ。

 

 

「お嬢さんは、なぜこんな所にお一人で?」

 

「ん、わたし?わたしは師匠っていうか……親的な人が怖いから、ここにいるの。絶対今カンカンになって怒ってるよ。あのガキどこ行ったァ!_____って感じで」

 

「ンフフ、怖い人なんですね」

 

 

 そりゃあもうと、手を大きく開いて、少女は誇張した。いや、本気で怒った時は、誇張した以上の怒髪天をクロスは見せる。

 薄々、この貴族の男はおしゃべり好きなのだろうと、マリアは感じていた。

 

 そのまま楽しく話していれば、辺りは夕焼けに彩られている。

 

 

「そろそろ帰らなくちゃ。お腹空いたし」

 

「気を付けて帰って下さいね」

 

 

 そう言って、ステッキを持ち立ち上がる男性。

 

 見上げれば男の顔は逆光を受け、少女から見るとその姿が真っ黒く映る。

 その時一度見たことのある、伯爵の姿が脳裏を過ぎった。

 

 

「……?」

 

「どうしましタ?」

 

「うーん?んー……何でもない」

 

「………」

 

 

 男の手が伸びた。ティムは歯を鋭くし威嚇するものの、マリアはゆるりと笑って制止する。鋭い歯で噛みつかれでもしたら、男の手が血まみれになる。そうなれば相手は貴族だ。何をされるかわからない。

 

 

 _____クシャリ。

 

 

「はにゃ?」

 

 

 そのまま手袋を付けた男の大きな手で、頭をかき混ぜるように撫でられる。

 マリアは目を回しながら唸った。

 

 

「や、やめてよぉーーー!!」

 

 

 数十秒続いた後ようやく止み、そのままマリアは倒れた。両目には渦巻きが浮かんでいる。

 

 

「フフ、また会えたらいいデスネ」

 

「なにするのさー…」

 

 

 そのままステップを踏みながら去って行く男の後ろ姿を見つめながら、マリアは変な人と、感じた。

 

 刹那、一瞬大量の死臭と血の色に、周囲が染め上げられた気がした。

 

 慌てて目を擦れども、そんな匂いも光景もない。

 

 

 ただ沈みゆく夕陽が燃えるように、地平線にあるのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、夜。

 

 

 帰れば仏頂面のクロスがテーブルに肘を付き、度数が異常な酒を飲んでいた。

 肝臓がバケモノである。本当にどうして死んでいないのか。

 

 

「し、神父様、ただいま」

 

「…あぁ」

 

 

 少女は不思議な貴族の男からもらった赤いカーネションを右手に握りつつ、キッチンに向かう。

 腹が減っては戦は出来ぬ。昔読んだ本の中のお気に入りのワンフレーズだ。

 

 内心では勝手に夜遅くまで出掛けていたことを、クロスに咎められないか心配だった。

 

 

(神父様怒ってるかな……もう、ティムってば)

 

 

 そんなマリアの心境などつゆ知らず、ティムは晩食はまだかと、待ちきれなさそうに尻尾を振っている。

 

 

 マリアはガラスのコップを取りキッチンの端にカーネーションを飾った。

 綺麗だなと、改めて思う。

 

 眺めていれば、大きな影ができる。クロスが横で眉を顰めていた。

 

 

「…Love for mother」

 

「ラブフォーマザー?」

 

「母への愛だ。この花の花言葉だ」

 

「へー、神父様って博識なんだね。でも花よりは食べ物がいい」

 

 

 まさしく花より団子。

 マリアは買っておいたパンに、バターを乗せただけのものを手に取った。晩食の前におやつだ。

 

 それにクロスはやはり寄生型かと、好奇心の目を向ける。

 

 

 どこかずれている光景だが、これがいつもの二人だった。

 

 

「買ったのか、それ」

 

「えっとねーもらったの、貴族の人から。買ったけど渡す人もいなかったんだって」

 

 

 晩食中、マリアは今日のことをのんびりと告げる。しかし食べるスピードは早い。

 

 暗黙の内に二人は昼の出来事について流していた。

 

 

「食べ物与えられても、ホイホイ付いていくんじゃねぇぞ」

 

「もぐっ?……はーい!」

 

 

 手を上げて、宣誓の形。

 

 あ、絶対聞いてないなコイツ。そう思いながらクロスはまた、酒瓶を空にする。

 そしてそのまま持っていたグラスをマリアに向けた。

 

 

「わたし飲めないよ…?」

 

「…」

 

 

 どうやら酌らしいと汲み取ると、マリアは少々重い一升瓶を持ち注いだ。

 液体の揺れる動きで一瞬ふらついたが、クロスが背中を掴んだことでことなきを得る。

 

 

 

 そして、翌朝。

 

 マリアはまたもやご飯計画を失敗したことに気付き、唸りながら三度進めるのである。

 

 

「ティムは当面キッチンへの立ち入り禁止!」

 

「ガウゥ…」

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 神父様と旅してから1年と、ちょっと経った頃。

 

 黒の教団に神父様は戻るとかで、わたしは彼のパトロンをしている、「マザー」と呼ばれる女性の元に預けられた。

 

 

 女性というか、まぁ老女だ。

 見た目から、歳は老シスターと同じくらいだと思う。

 

 

 厳しく叱るけれど、時折みせる優しさは温かい。あとわたしと歳の近い「バーバ」という子供もいる。歳上なのか歳下なのかは別として、身長がわたしより高い。

 

 っていうか、わたしあんまり身長が伸びてない…。

 

 

「マザー、洗濯物とりこんだよ」

 

「おや、じゃあ昼食も頼むよ」

 

「はーい」

 

 料理担当はわたしだ。力仕事はバーバで、裁縫とか繊細な作業はマザー。

 

 料理をしていれば、吊られて奴がやってくる。よく神父様との旅の途中で色々やらかしてくれたアイツだ。

 

 

「ガウ!」

 

 

 ヒューンと、音を立てて飛来して来るそいつを軽くあしらう。もう慣れたもんだ。シチューもいい塩梅にできあがっている。

 

 そう言えば、この間ちょっと味見したら、いつのまにか鍋の中身が全部無くなっていたことがある。不思議に思っていたら、自分の口元にシチューがついていたのだ。本当にあの時はたまげたものだった。

 そのため、マザーから味見禁止令が出されている。

 

 

 そろそろいい頃合いだ。

 

 出来た食べ物を皿によそって、ティムに運ばせる。流石にヤツは盗み食いはしない。するんだったらこの子は正々堂々と、目の前で食べる。

 

 そして全部並べ終えたら、揃った二人と一緒に食べはじめる。

 

 

 バーバやマザーは神への祈りを捧げるけど、わたしは手のひらを合わせて食材に感謝するだけ。

 神は相変わらず祈らないし、感謝もしない。エクソシストにも絶対なりたくない。

 

 このわがままがいつまで通るか甚だ疑問だけど。

 

 

 食事を終えたら日課の散歩。街の周囲を見て日々血の匂いを探す。

 

 殺すのに快感を得たとか、そんなマッドを開眼させたわけじゃない。

 

 

 心の中で声がするんだ。アイツらを殺せと、多分わたしのイノセンスが言っている。

 

 もしかしたら神様がイノセンスを通して、語りかけてるのかもしれないけど。

 

 

 

 或いは老人、或いは子供のAKUMAを殺して、日常を過ごす。

 

 何も変わらない毎日。平穏が一番いい。

 

 そう願いながら、ベッドの上で目を瞑った。

 

 

 明日の朝食は、何にしようかな。

 

 


 

【イノセンスお勉強会】

 

「寄生型って大食いが多いんだ…じゃあ神父様は豪酒だから寄生型だね!」

 

「……違ェ」

 

 

先生がめちゃくちゃ苦労する。



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影法師ピョン

 陽気な空の下、マリアは買い物カゴを持ち、鼻歌を歌いながら歩いていた。

 

 

 

 少女はステップを踏みながら、少し前のことを懐かしむ。

 

 

 マザーやバーバは優しい人たちだ。

 

 二人と過ごしていると、自然と教会で過ごしていた日々を思い出す。

 

 

 少女がいつも「シスター」と言っていた女性や、教会の子どもたち。

 大抵は、捨て子を心優しい老女のシスターが引き取ってくる。マリアもそうだった。

 

 

 

 少女は自分の親の顔を覚えていない。他の子どもたちも、似たような境遇の子ばかりだ。

 

 中には親に執着を残す子どももいるが、マリアは違う。少なからず好いてはいなかった。

 

 

 どうして自分を捨てた親に好意を持てるだろうか、いや、否だ。

 

 

 しかし嫌いだとも思わない。根本的に興味がないのだ。

 元々好きなものも少ない上に、興味のあること以外にはとことん希薄だった。

 

 

 そんな少女も教会や、今共に暮らす二人。そしてクロスやティムキャンピーに対しては、わりかし好いた感情を持っている。

 

 心が温まるのだ。動物たちと過ごす時に感じるような、温かさ。

 それがマリアは好きだった。

 

 

 

 今の生活はいい。このままエクソシストにならず、生きたい。

 そう思いながら、商店街に赴く。

 

 

 そして橋を渡ろうとした所で、ティムから『___ガガ』と、ノイズのような音が漏れた。まさか故障だろうか。

 

 慌てて飛んでいるティムを捕まえた。

 

 

「ティム、どうしたの?変な物でも食べた?」

 

『____か』

 

「シャベッタ!!?」

 

 

 驚いた拍子に、マリアは地面にティムを叩きつける。悪いことをしたとは思うが、突然のことに開いた口が塞がらない。

 

 

『落ち……着…け』

 

「……!神父様……?」

 

 

 内蔵された通信機能かと、一人納得する。驚いた自分が恥ずかしいと感じながら、マリアは再度ティムを手に取った。

 

 

「神父様、どうしたの?」

 

『簡潔に言うぞ、教団に来い』

 

「……ん?」

 

 

 

 _____エクソシストになれ。

 

 

 

 ……あぁ、ついにこの時が来てしまったと、マリアは項垂れた。思えば自分の人生は短かったと、これから死地に行くような顔つきになる。

 

 だから、逆に考えることにした。

 

 

「よし、逃げよう」

 

 

 通信先から『は?』と、俺様な男から珍しい声が聞こえる。

 

 

 マリアは知っていたのだ。

 男と過ごした一年と少し。その間、クロスが教団から逃走していたことに。

 

 逃走というよりは、ずっと任務をしていた、と言い張っているだけだが。そんなこと、マリアには関係ない。

 

 いい見本があるなら、真似るだけ。

 子は親に似るというし、責任はすべて保護者(クロス)に押しつけてしまえばいいのだ。

 

 

「ティムおいで、私はまだエクソシストになんてならない!神様が無理やりなれって言うまではね!!」

 

 

 すっかりマリアに懐いているティムも嬉しそうに返事をして、通信を切った。クロスが怒ろうと関係ない。彼女はもう少しの自由を謳歌したいだけだ。

 

 

 買い物カゴを持ったまま、マリアは走り出す。子どもが一人でと、普通なら思われるだろう。

 しかし野生児の気がある彼女にとって、むしろ人との接触の方が億劫だった。

 

 それに少女自身もクロスと旅をし、少なからず価値観が変わった。

 

 

 ___世界にはまだ、本では得られないものがある。

 

 

 未知を知ったマリアは、好奇心の扉を開けようとしていた。

 

 

 どこでもいい、どこへだっていける。きっと、この相棒とだったら。

 

 

 

 

 

 

 

 一方、連絡を切られたクロスは溜息を吐いていた。

 

 もう少し女だったら淑やかにと思うものの、あの野生児には言っても聞かないだろう。すでに旅をした中で分かりきっている。

 

 

 来い、とは言ったものの、まだ教団本部にはマリアについて報告をしていない。

 

 恐らく寄生型のはずが、体外に出て武器化するイノセンス。強く装備型の特徴が出ている。

 また、ノアやアクマに発動時まで感知されなかった点。明らかに今までのイノセンスに無いパターンだ。

 

 もしや少女の内にイノセンスの存在を悟らせない、ジャミングする()()()()があるのではないかと、男は睨んでいる。

 

 

 

 そして、最もたる憂慮事。

 

 

 伯爵がマリアに接触を図ったことだ。

 

 

 前に少女がクロスに見せた、赤いカーネーション。その時はどうとも思わなかったものの、次に千年伯爵と対峙した際に、向こうが発した言葉で一気に警戒心が起こった。

 

 

 

 _____彼女、喜んでくれましタか?

 

 

 

 明らかに、目を付けられている。

 

 

 目的が何かは分からないが、少女を狙っていることは確かだ。

 しかしならば、花を渡した時に殺さなかったのもおかしい。

 

 それらを踏まえてマリアを保護すべきだと、連絡をしたのだ。

 

 マザーの場所にいたままでは、己のパトロンも少女も危険にさらすことになる。

 

 

 思いきり逃げられてしまったが。いったい誰に似たのかと、クロスは自分のことは棚に上げ、眉間に手を当てた。

 

 

 まぁ、伯爵も手は出さなかったのだから、急に殺されることはあるまい。

 今は久しく帰った男に、教団は逃さまいとしている真っ最中だ。当分逃げられる気がしない。

 

 

 取り敢えず今は、少女に寄り添うティムに同行を見張らせつつ動くしかないと、クロスは結論づけた。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーーーー

 

 

 マリアが旅に出てから、3〜4年が経った。

 

 

 流石にお世話になったバーバやマザーに無断で出て行くのは気が引けたのか、置き手紙を残した。

 今でも偶に旅した場所の風景を撮り、手紙に添えて送っている。

 

 

 幼さを残していた少女も、女性に近付いた。

 

 寄生型はエネルギー消費が激しい。数年の内に不安定な旅の中で、その体躯はモヤシに近付いている。身長も女性にしては高い方になったため、余計にだ。

 

 

 何が言いたいかというと、花よりも食。

 そして、食のためには金。

 

 

 マリアは見事に、やんちゃな方向に育っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ある街の市街。

 

 スラムの通りにはヤクで溺れた人間や、身寄りのない者たちがいる。その中に一人、パーカーの帽子を被った人物は、倒れる体躯を避けながら歩いていた。

 

 そこに金目のものを狙う男たちが現れ、いかにも弱そうな人物に目を付ける。

 

 

「おいアンチャン、金貸してくれや」

 

「ひひ、寄越せ寄越せ!」

 

 

 急に現れたゴロツキに、「アンチャン」呼ばわりされた人物は振り返る。

 目元は窺い知れないものの、やはりこいつはいいカモになりそうだと、男たちは口角を上げた。

 

 

「頭を下げててね」

 

 

「あ?何……」

 

 

 そう言い、パーカーの人物は、胸元に手を伸ばす。

 

 まさか銃かと、男たちが思ったところで、辺りに先程まで倒れていた人間が一斉に起き上がった。

 

 

 虚ろな目。

 

 

 次の瞬間、その彼らがこの世の者ならざる姿に変わる。

 

 キリキリと、まるで機械が不具合を起こしたような音。二人が耳を瞬間的に塞げば、眼前に銃口が向けられていた。

 

 悍ましい、バケモノが無数に現れた。

 

 

「ギャアアアアアア!!」

 

「あ、兄貴ィィィィ!!!」

 

 

 咄嗟に倒れるようにしゃがみこむ二人。

 そんな男たちを横目に見つつ、パーカーの人物は胸元に出現した黒い渦の中に手を沈めた。

 

 

 そして囁く。

 

 

 

「_____イノセンス、発動」

 

 

 

 するとパーカーを着た胸内からズズと、黄金の大剣が現れる。

 

 すっかりびびった男たちだったが、その異常な光景に倒錯した。

 まるで何かの宗教絵のような、神秘さを感じたのだ。

 

 

「お礼はあなたたちの有り金で、宜しくねん」

 

 

 そう言い、パーカーの帽子が剣を振るう風圧で取れる。

 

 細さと中性的な顔で一瞬判断しかねたが、男たちがアンチャンと呼んでいた人物は、紛うことなきネーチャンだった。

 

 

「兄貴!!めっちゃ上玉ですぜ!!」

 

「バカお前、んなこと言ってる場合か!……うおおお!!」

 

 

 飛んでくる瓦礫に二人はコントもどきを繰り広げつつ、恩人の女性にお礼を言うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 鼻歌が辺りに響く。

 

 

 有り金を受け取った女は、上機嫌に歩いていた。

 その側に少し不機嫌そうなティムキャンピーが飛び回る。

 

 

「そんなに怒らないでよ」

 

「ガウガウ!!」

 

「わざとあの人たちを、あの場所に誘導しただろって?こんなか弱い女性を狙うのが悪いんだよ」

 

「ガガウ!ガウ!」

 

「……アンチャン扱いは、ちょっと利いたけど……いやでも、淑やかに生きるなんて無理デショ」

 

 

 だって生きるのだけで大変だもの、とマリアは言った。

 

 

 数年の内に彼女は、沢山のものを見た。

 

 

 風光明美な景色。人間の作った人工物。どれも少女の開いた好奇心をくすぐった。

 

 しかし旅をして良かったと思うものの、社会を甘く見ていた節があった。

 

 

 まず子どもが一人でと、誘拐されそうになったり、金欠だったり、手っ取り早く金を稼ごうとした博打で命を狙われかけたり。

 

 

 勝負ごとに異様な強運を持つマリアは、よく狙われた。

 AKUMAよりも社会で生きる方が、よっぽど彼女にとって過酷な道だった。

 

 

 それゆえにこんなにもワイルドに育ってしまったのだが、特にそれに後悔もしていない。

 

 

 やっぱり自由は楽しいと、そう思うのだ。

 

 

 

 再度帽子を被り、安くて量の多いジャンクフードを食べようと、彼女は表通りに足を運ぶ。

 

 そこで声が掛かった。

 

 

 振り向けば、旅の中でよく出会う人物の姿があった。ストーカー的なあれではと最初の内は思ったが、それはないと、直ぐに結論付けた。

 

 

「お久し振りですね、お嬢さん」

 

「貴族さん、こんにちは」

 

 

 大分前に赤いカーネーションを授けた貴族の男。マリアは名前を聞いたことがないし、男から聞かれたこともない。

 

 だから『お嬢さん』『貴族さん』

 

 必然的に、そう呼び合うようになった。

 

 

「今日はまた迷子?」

 

「いえ、舞踏会にお呼ばれしてたんです」

 

 

 ふーんと、彼女は頷く。確かに富裕層の住む場所がこの街にもあったと思い出した。

 

 

「貴族は大変だね。あっちこっちにお呼ばれして、優美を演じなきゃならないんだから」

 

「楽しいですよ?どうです、そろそろお受けしませんか?」

 

「んー、養子はちょっとねぇ。もっと別の子にしたらどうなの?」

 

 

 そう、ストーカー云々の疑いが消えた理由がこれだ。

 

 

 聞けば、子供に恵まれなかった家庭らしい。そんな中、偶然マリアを見つけ、不思議な運命を感じたそうだ。

 

 だから養子にしたい、と。最初にそう言われた時の彼女は腰が抜けたが、そりゃあ驚きもする。

 

 

「それに、もうわたし大体10代後半よ?大人って言っても差し支えないもの」

 

「残念です…」

 

 

 あからさまに、しゅんとする男。マリアは慌てて弁明した。

 

 

 別に貴族の男が嫌いなわけじゃない。寧ろ好きな方だ。

 

 しかし少女は今は逃げているものの、いずれ必ずエクソシストにならなければならない。

 神が決めた道から、そして運命から逃れることは出来ないと諦めきっている。

 

 

 もし自分が招集されれば、二度と貴族さんには会えない。迷惑を掛けたくないのだ。それくらい目の前の人物を良く思っていた。

 

 マリアからすれば、それは珍しいことである。

 

 

「こうして貴族さんと会うのは楽しいよ。だからまた会いましょう、ね?」

 

「優しいですね…」

 

 

 貴族の男はやはり、感情豊かだ。

 二人は暫し、談笑する。

 

 

 太陽のもと。男の伸びた影は、兎のような形をしていた。

 

 


 

【送られた写真を見るマザーとバーバ】

 

 

「全く、あの子思いっきりあいつの悪いとこに似たね…」

 

「でもマザーの顔嬉しそうだべ〜」

 

「ふん…元気にしてりゃあ、それでいいさ」

 

 

写真にはひまわり畑の中、ニッカリ歯を見せる一人と一匹の姿があった。



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昇る朝

区切りいとこで〜って思った以上に長くなりました。


 その出会いは突然だった。

 

 

 マリアが旅の中、偶然立ち寄った田舎町。そこで懐かしい姿を見かけた。

 

 ご飯を何にしようか悩みながら歩いていたその時、庭で花壇に水をやる女を見つけたのだ。

 

 

「はにゃ、どっかで見覚えがあるよーな…」

 

「あら、何かご用……! マリア、マリアじゃない!!」

 

 

 首を傾げマリアが突っ立ていれば、ジョーロを投げ出し、駆け寄って来たその人。

 記憶がぼんやりとする中、唐突にその名が浮かぶ。

 

 

「シスター…?」

 

「ふふ、そうよ。今はもうシスターじゃないんだけどね」

 

「シスターが、シスターじゃない?」

 

 

 理解が追い付けないマリアに、自分の薬指を見せるシスター。

 その指には綺麗な指輪が輝いていた。

 

 つまり、シスターはめでたくゴールインしたのだ。

 

 

「ウソ!? おめでと、シスター! にしても、よくわたしって気付いたね」

 

「気付くに決まってるじゃない! 大きくなったのに…相変わらず貴方ってネガティブなのね、食以外に対して」

 

 

 なにおう、と少女が思っていれば、昼飯に誘われた。

 

 ぜひと、目を輝かせる少女にため息を溢しつつ、シスターはマリアを家に招き入れた。

 

 

「結婚てことは、もうシスターは辞めちゃったんでしょ? あの街から嫁いで来たってことで…」

 

「そういうことになるわ。それより見て、これが私の彼よ!」

 

 

 20代半ばにして、少々痛いそのテンション。苦笑いしながらマリアはその写真を見る。

 お相手は中々にハンサムだった。

 

 まぁしかし、クロスよりは劣るなと、判断基準が少しおかしい部分はある。

 

 

「…ねぇシスター、一つお願いがあるんだけど」

 

「何かしら?」

 

「あのね、今日泊まってってもいい?」

 

「それは……あの人がダメって言いそうだから、ごめんなさい。その代わり、この街の知り合いで民宿やっている人がいるから、そこの主人に話しておくわ」

 

 

 無料になるようにね、とウインクして、シスターは美味しそうなご飯を持ってくる。

 マリアは喜びながら、それを平らげた。

 

 

 そして、談笑しながら過ごす。いつのまにか陽は落ちていた。

 外から旦那であろう男の帰宅を告げる言葉と同時に、玄関の開く音が聞こえる。

 

 

「あら、彼だわ」

 

「ん? じゃあわたし帰るね。お邪魔しちゃ悪いから」

 

「…なんか、ごめんなさいね」

 

「いいのいいの」

 

 

 シスターの旦那に会釈しながら、逃げるようにマリアは帰って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 夜道を歩く中、少女はポツリと呟く。

 

 

「血の匂い……」

 

 

 

 

 

 *****

 

 街に滞在してから数日。

 わたしは旅行者として田舎町を物色していた。

 

 

 旅人は珍しいのか、町の人々はお節介をやいてくれる。

 

 細っこいんだからもっと食えと、餌付けもされた。

 

 

 調べてみれば、シスターは1年前に嫁いで来たらしい。

 

 美人だと、騒ぐおじさんたち。美人か? と思うわたしに、中身がいい子なんだと酒臭い男たちは言っていた。

 

 

「旦那の方はな、これまた好青年でな。偶然怪我をしていた嫁さんを助けたのが、きっかけらしい。女の方から猛アタックされたそうだ」

 

「あー…それはすごく、シスターらしいや」

 

 

 そう言えば彼女と知り合いなのかと、男たちにさらに騒がれる。

 そんな感じだと、返しておいた。

 

 

「えんらいべっぴんさんじゃ。どうだ、おれの()()()にならねーか?」

 

「いやいや、儂の愛人に…」

 

 

 酔っ払いどもめ、情報収集しに来た場所を間違ったかな。

 伸ばされる手を次々と叩き落として行く。さながらモグラ叩きだ。

 

 

 その後、総菜屋でおやつのコロッケ10個とメンチカツ20個を買ってティムに持ってもらい、食べながら歩く。

 

 向かう場所は、シスターの旦那が働く工場。

 

 

 到着すれば、汗を垂らしながら溶鉱する人物を発見。一度見たことがあったから、すぐに分かった。

 

 

「……あれ、君は確か…」

 

「こんにっちはー」

 

 

 笑顔を振りまいて来た好青年。もしかしたらシスターより若いかもしれない。

 

 

「実は、シスターとの馴れ初めを聞きに来ました」

 

「マリアちゃんだっけ? 仕事が終わってからでもいいかな」

 

「いいですよー、待ってます」

 

 

 そして、待つこと1時間。今はタオルを肩にかけた旦那と一緒に歩いていた。

 

 

「この間、彼女から君のことを聞いたよ。面白い女の子だって」

 

「照れますにゃ〜。この間は泊まりたかったんだけどなー」

 

「? 滞在してる間くらいなら、別に泊まっていっても構わないよ。旅ってのは金が掛かるからね」

 

 

 どうやら旦那は、若い頃に旅をした経験があるらしい。なるほどね。

 見たところ彼自身は、わたしが泊まるのはOKらしい。

 

 ならなぜシスターはあんな風に言って、断るような真似をしたんだろう。

 

 しかし悩みは解けぬままシスターの家に着き、答えは結局分からなかった。

 

 

「貴方、お帰りな、さ………マリア?」

 

「ただいま。君との馴れ初めが聞きたいって、話してたんだ。可愛い子だね」

 

「テヘッ!」

 

 

 ぺろっと舌を出して、可愛い子ぶった。でもシスターの顔色はよくない。

 

 いや別に、旦那を取ろうとかそういうんじゃないから…!! 

 

 

 そう思いつつ、追っ払われるように追い出された。

 

 クソ、わたしより旦那の方が大切だっていうの……。

 

 

 口を尖らせてもどうにもならない。

 

 外の寒さだけじゃないものに、身震いした。

 これ以上考えたくない。小石を蹴れば、周囲にぶつかり跳ね返る。

 

 そして、ガツンと頭にクリーンヒット。悶えながら脇の牧草に倒れ込んだ。

 

 

「あぁぁぁぁ、もう!!! 神様のイジワル!!!! 死ねっ!!」

 

 

 

 ジタバタと暴れる。

 そのとき視界に入った夕焼けと混じった夜空が、イヤに不気味で美しかった。

 

 

 

 

 

 *****

 

 街の外れの教会。

 

 そこで彼女はやはり、手を握っていた。

 

 

 ゴォーンと、鳴る鐘。やっぱり彼女は結婚した今でも、心はまだシスターなんだ。

 

 

「シスター、隣いい?」

 

「…いいわよ、どうせ貴方は祈らないんでしょうけど」

 

「うん、まぁね」

 

 

 笑って返せば、ため息を吐かれる。わたしが祈ることは一生ないのだと、彼女も分かっているんだろう。

 

 

「……ねぇ、シスター。シスターは今幸せ?」

 

「何言ってるのマリア、当然じゃない。あの人と出会えて、こんなにも幸せなのに」

 

「…そっか」

 

 

 前の祭壇を見る。

 そこに飾られているのはキリスト像。

 

 よくもまぁ、神の前でそんなことが言えるね。

 

 

「シスター、昔言ったと思うけど、わたしはシスターのことが大好きだよ」

 

「なぁに急に、真剣な顔しちゃって」

 

「シスターに何があったかは知らないけど、このまま貴女を生かすことは出来ない」

 

 

 渦巻く胸の中から、神ノ剣(グングニル)を取り出す。

 

 愚かだ。あなたって本当に、本当に、どこまで。………どこまで。

 

 

「血の匂い。気持ち悪いぐらいの血の匂いがするの、貴女から」

 

「…そう。でも大好きな私を、マリアは殺せるの?」

 

「正確には()()()()()、だよ。バケモノのお前を、わたしが愛するとでも?」

 

「あら、随分冷たくなったのね」

 

 

 そう言い、シスターは立ち上がった。

 剣を持ち構えるわたしの前に、ゆっくり歩み寄る。

 

 

「祈ったのね、伯爵に。誰を失ったの? いったい誰の名前を叫んだの?」

 

「愚問ね。あの時、伯爵様があの街を襲った時、私の唯一の肉親が死んだのよ」

 

「……!」

 

「だから祈ったの。ただ、それだけのことよ」

 

 

 冷たい目をして彼女は言う。元から温度なんて、心なんてなかったかのように、冷たい。彼女の目が。

 

 頰から伝わる汗が止まらない。神父様の話に聞いたことはある。でも遭遇したのは二度目だ。

 

 

「……レベル2。自我を得たAKUMA。どれだけ多くの人間を殺したの」

 

「さぁ、覚えてないわ。だってお腹が空くんだもの」

 

「あの青年も、シスターは殺す気なのね」

 

「彼は違ウワ!!」

 

 

 彼女の皮が完全に剥ける。その姿は正しく、AKUMA。

 

 

「彼ハコンナ私ヲ愛シテクレタ!!」

 

「その愛は認められるべきものじゃない。シスター、貴女は神に捧げたはずの純潔を、どこまで穢す気なの」

 

「煩イ!!! エクソシストガ!!!」

 

 

 いくつもの触手が、バケモノの体から現れる。

 

 

 避ければ先程までいた地面が抉れる。

 神のお膳で元シスターがやることじゃない。

 

 

 息を大きく吐いて、神ノ剣(グングニル)を握り締める。

 避けながら壁を駆け上がって、天井に到達した後、そのまま思いきり足に力を込める。

 

 

「ソンナ攻撃、効クカ!!」

 

「っ…!!」

 

 

 脳天から貫こうとした瞬間、突如壁から触手が出てくる。

 

 分離して活動出来るのか…! 

 

 

 そう思った束の間、壁に思いきり叩き付けられた。吸ったはずの空気が一瞬で口から漏れて、ジュワジュワという音が耳に入る。見れば、肌が溶かされている。

 

 

「痛っ………た!!」

 

「死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ。彼トノ生活ヲ邪魔スル奴ハ、全員死ネ!!」

 

「……シス…ター」

 

 

 ああ、そっか。邪魔されたくなかったから、わたしを泊めたくなかったのか。

 

 独り占め? 独占したい気持ちってことかな? …うーん、愛か……。わたしにはまだ、よく分かんないよ。

 

 

 走った痛みに瞑った目を、大きく開く。

 

 

 首に触手が巻き付いて、ギリギリと締める。普段戦うレベル1とは比べ物にならない強さ。

 

 こんな無様な姿を晒して、よく初めてイノセンスを発動した時、レベル2のAKUMAを倒せたもんだ。

 

 

 尚も、首が締まる。

 

 ああ…これは、駄目かもしれない。

 

 

「シ、ス……」

 

「死ネェェェエエエエ!!!」

 

 

 

 

 _____ドン!! 

 

 

 

 何かがぶつかる音。

 

 

 急に自由になった肢体に驚きつつ前を見れば、シスターに突っ込んだ男性が居た。

 

 普通の人間にあの触手の溶解は耐えられないのか、すでに体の半分が溶けて、異様な色を成している。

 

 恐らくずっと、ここに来るわたしたちを尾けていたんだろう。

 

 

「ア、アァァァ、ア、アナタ……何デ……」

 

「…も、う。やめ……よう、これ以上……たのむ。殺さない……で、くれ」

 

 

 

 

 

 それはきっと、禁断の愛。

 

 

 

 

 AKUMAとヒトが、愛を誓い合った姿なのだ。

 

 二人の出会いをわたしは詳しく知っているわけじゃない。

 

 

 でも、美しいと思った。許されざる愛を神のお膳で見せ付ける、その姿は反逆者と言っていい。

 

 

「……キレイ」

 

 

 剣を握り締める。

 内では、イノセンスが禁忌を成した存在をまとめて殺せと、呟く。

 

 

 許されないからこそ、そこに一種の美しさを感じるのだろう。

 陶酔するわけじゃない、でも甘美だ。

 

 

 これ以上、シスターを苦しめたくはない。

 彼もすでに絶命している。

 

 AKUMAを生かしちゃいけない。

 このAKUMAは多くの人間を殺したんだ。

 

 

 だから…だからね、シスター。もうこれ以上、罪を重ねなくていいんだよ。

 

 

「ア、アァ、アナタ、アナタ……」

 

「お前の罪を数えよう」

 

 

 ドロドロに溶けた肢体を持ちながら、こちらを一瞬、シスターは見た。

 

 

 笑って_____「ごめんね」と、言っていた。

 

 

 それは神にか、わたしにか? それとも死んでしまった彼にか? 

 

 

 分からない、分からないけどとにかく、殺さなきゃ。壊さなきゃ。

 

 

 罪を数える間も、シスターはずっと動かなかった。

 

 ただ泣きながら、謝り続けていた。

 

 

 

 愚かな修道女、そんな言葉が頭を過ぎる。

 

 そうだ。確かに彼女は、愚かだ。

 

 

 

 

 

「おやすみ、シスター」

 

 

 

 

 

 *****

 

 穏やかな風。

 

 そこから聞こえるピアノの音に、街の人々は目を細めた。

 

 

 

 マリアは様々な思いを馳せながら、鍵盤の上で指を踊らせる。

 弾くのは眠りの歌。

 

 それは、形を無くした一人と一匹のバケモノに贈る鎮魂歌。

 

 

「禁断の恋なんて、シスターもやるじゃない」

 

「グルルル!」

 

 

 マリアが夢中になって弾く中、側にいたティムが唸り声を上げた。

 その声に気を取られ彼女が振り返れば、そこにいたのはかつて見た、千年公の姿。

 

 

「止めちゃうんデスか?」

 

「……貴方に贈っている歌じゃないもの。用がないなら帰って」

 

「残念デス♡」

 

 

 千年公はマリアに歩み寄る。その側には無数のAKUMAもいた。ただで帰す気は、向こうにはないようだ。

 少女も手を止め、己のイノセンスを取り出す。

 

 体外に出るまで気配の知れない()()に、千年公は好奇心の目を向ける。

 

 

「やはり不思議デスネェ、そのイノセンス」

 

「わたしだって知らないわ、こんなもん」

 

 

 その言葉に伯爵は大笑いした。マリアもマリアで、伯爵の側にいた傘が急に喋り出したことに驚いた。

 

 

「何それ何それ!? ちょー可愛い!!」

 

「ヒィィィィィ!! エ、エクソシストが近寄るなレロ!!!」

 

「ほ、欲し………ちょうだい!!」

 

「あげませんヨ♡」

 

 

 速攻で伯爵の後ろに隠れる傘。マリアは眉を下げ、口を尖らせる。

 

 

「ンフフ♡やっぱりこっちに来ませんカ、お嬢サン♡」

 

「やっぱり貴方……貴族さんだったのね」

 

 

 随分前に見た、夕焼けの中一瞬浮かんだ、伯爵の姿。

 彼が人間なのか、はたまたバケモノなのかは、マリアには分からない。

 

 しかし間違っても、その誘いに乗ろうとは思わなかった。

 

 例え死のうとしても、その決意は揺がないだろう。

 

 

「…どうしてわたしなの、どうせエクソシストにならなきゃいけない運命なのに」

 

「神を嫌うエクソシストなんテ、滑稽じゃないデスカ♡」

 

「………」

 

 

 伯爵は続けて、気になってしょうがないのだ、と続ける。

 

 これは新手のストーカーより陰湿だ。マリアは眉を顰めつつ、黄金に煌めく剣の先を相手に向ける。

 

 

 頭に過るのは、シスターの死に顔。

 

 

 胸に渦巻く殺意に、改めて少女は感じた。己がやはり、シスターを好いていたことに。彼女がAKUMAになっても、その気持ちは変わらなかった。

 

 

「…シスターは、わたしのお姉ちゃんみたいな人だった。なのに…千年伯爵、貴方のせいで彼女の幸せが壊れたんだ」

 

「ンフフ♡愚かな人間二、吾輩ハ救いの手ヲ差し伸べたまでデス♡」

 

 

 少女の黒い瞳が紅く煌めく。獣のような瞳に、伯爵の笑みが溢れた。

 

 壊す楽しさ。それを内に秘め、AKUMAを動かす。

 

 

 襲い掛かるは弾丸の雨。それを剣でいなしながら、マリアは走る。

 

 

 先程の傷は癒えていない。本物の戦場とはこういうものなのだ。

 死にそうだろうが、弱かろうが、死は平等に襲う。

 

 だからこそ人々は生きるために、あるいは守るために戦う。

 

 溶解され、肉が見える足に負荷をかけようが構わない。

 

 

 少女の感情と共に、剣は姿を変える。

 

 

 

 そこにあるのは強い怒り。

 

 

「人の命を玩具のように奪う貴方を、わたしは許さない!!」

 

 

 

 その脳裏に過るのは、神前で祈らないマリアにため息を吐いていたシスターの姿。

 そして少女が顔を背けた先に映っていたは、聖母マリア像。

 

 

 

 

 

 

 _____マリア、戦いなさい。

 

 

 

 そんな声が聞こえた。

 

 

 

 場が一気に神聖な空気に包まれた。

 伯爵は驚きの目を向けながら、変化して行くマリアの様子をじっと見つめる。

 

 

 

 

形状変化(フォルムチェンジ)、神ノ剣_____原罪ノ槍(オージナル・シン)

 

 

 煙の中から現れた大剣は、先程の二倍以上ある巨大な槍に変化した。

 黄金の剣には紅いラインが無数に走り、肋を模していた部分はマリアの手に巻き付くように()きている。

 

 また目元には、血を塗りたくったような縁取りがなされていた。

 

 

 伯爵はイノセンスから感じる悍しいまでの深い執着に、笑いが止まらない。

 

 

 _____ハートの存在。

 

 

 数年危惧してきたが、その可能性が一気に跳ね上がった。

 

 

「さぁ、殺シまショウ♡」

 

 

 伯爵が手を伸ばすと同時に、更なる弾丸の雨が降る。

 

 マリアは避けながら、距離を徐々に詰めて行く。

 

 

 そして立ち止まり、思い切り砲丸投げの要領で槍を投げた。

 

 それを容易く伯爵は避ける。

 後ろにいたAKUMAの数体は、飛んできた槍によって消滅した。

 

 辺りには煙が舞っている。視界の悪さに伯爵は機嫌を悪くし、弾丸で晴らそうとすれば、後ろ___それも至近距離から、音が。

 すぐそこには、マリアがいた。

 

 

「伯爵たま、後ろレロォ!!」

 

「_____ンフ♡」

 

 

 

 ガッと、呻き声が上がる。腹を蹴られたマリアは吹っ飛び、地面に叩きつけられた。

 

 

「が、はっ……」

 

「芸ガないデスねェ♡そんなものニ、騙されるわけないデショウ♡」

 

 

 きゅるんと体を一回転させ、伯爵は喋る傘_____レロを持ち踊る。

 

 

 あぁ、楽しい。エクソシストが痛みに呻く様はなんと心が躍るのだろう。

 そんな歪んだ考えだ、伯爵の内にあるのは。

 

 対してマリアは、急速に鈍っていく思考に舌打ちした。

 

 

 丸い体型の体が、まるで重力のないかのように近づく。

 

 経験も力量差も全く違うのだ。それでもと、少女は血が滲むほど強く唇を噛む。

 

 

「わたしは……思ったんだ。シスターみたいな不幸な人間を、救いたいって……」

 

 

 

 マリアは立ち上がる。震える体を何とか堪えように、掌を握りしめた。

 

 

「ちょこザイナ♡」

 

 

 

 そう言うと同時に、伯爵が持っていた傘が剣の形に変化した。

 そのまま剣はマリアの腹を貫く。ズプリ、と。

 

 

 瞬間、激痛が走る。

 

 

「あああああぁぁあぁああああああああああ」

 

 

 痛い、痛いいたい、いたい、いたいいたィいいたい

 

 続く言葉は、もはや意味をなさない悲鳴。

 

 

 辺りに響く絶叫に笑いながら、伯爵がとどめを刺そうとしたところで、一発の銃声…いや、何発もの弾丸が突如襲いかかった。

 

 反射的に伯爵は後方に下がったものの、まるで生き物のようにその弾丸が後を追いかける。

 

 

「邪魔デスネェ〜〜♡」

 

 

 伯爵は剣で追跡する弾丸を薙ぎ払う。

 そのまま華麗にAKUMAの上に着地し、犯人である人物を笑いながらも睨め付けた。

 

 ぐったりと動かなくなったマリアの前に立ちはだかるのは、赤髪の男。

 

 少女はぼんやりと瞳に映るその姿を見ながら、「神父様」と、小さく呟く。

 

 それに男は目を細め、己のもう一つのイノセンスを発動した。

 

 

「!」

 

 

 伯爵が目を見開く。

 急いで弾丸の雨を降らそうとしたものの、男のイノセンスの能力によって姿を視認出来なくなった。

 

 額に浮かぶ青筋。ハンカチを噛みながら、伯爵は地団駄を踏んでいた。

 

 

 

 

 

 *****

 

 マリアは虚ろな思考の中、香った酒の匂いに懐かしさを覚えた。

 ぼんやりとその名を呟けば、帰ってきたのは思い浮かべた人物通りの声。

 

 

 まさか。目を開ければ、そこには数年前に別れた師_____クロスの姿があった。

 

 はにゃと、疑問が浮かぶ。一体なぜこの男がここにいるのか。

 尚も湧き出る血を吐きながら、燃えるような色の髪を見やる。

 

 

「神父……さ、なんで…?」

 

「仕事だ」

 

「うそ、だ…」

 

 

 実際には、数年の余地を経て緩くなった監視をかいくぐり、任務後に逃走しただけだ。

 

 そして少女の回収を、と思いマリアの持つティムを辿って来てみれば、とある場所に滞在していた。

 

 

 エクソシストの勘で、何か怪しいと調べてみれば、そこは教団でもここ一年の間で不審な失踪が増えている街で、調査対象になっていた場所ということがわかった。

 

 

 案の定着いてみれば、街に蔓延る大量のAKUMA。

 それは伯爵の連れて来たオモチャたちであった。

 

 AKUMAを破壊しながら探れば着いた場所、それが町外れの教会。

 

 もうすでに建物は男の弾丸と、伯爵の攻撃のせいで倒壊してしまったが。

 

 

 

 マリアはクロスを見ながら、安心感を覚えた。

 強い存在、そこから来る安心感。弱い自分とは大違いだ。

 

 

「わたし……弱い…」

 

「アホか。お前ごときが千年伯爵に勝てるわけないだろ」

 

「そ、ぅ……だね」

 

 

 イノセンスを破壊するため切り開かれた腹からは、鮮血がしとどに垂れる。

 それに伴い、少女の肌はどんどん白くなっていく。

 そこに彩るように流れる紅はどこか美しい。

 

 まるで女が口紅を塗っている情景のようだ。

 

 

「美人になったな」

 

 

 あ、たらしだ。そう開こうとしたマリアの口から出たのは、血。

 

 吐かれたそれが男の肌を伝う。少女は死を覚悟した。腹の傷とはまた別の意味で。

 

 しかし不思議と、心は穏やかだった。

 

 

 重くなる瞼を瞑ろうとして_____声がした。

 

 

 

 

 

 _____戦いなさい、マリア。

 

 

 

 

 またあの声だ。

 

 

 自分を戦場に駆り立てる声なのだと、マリアは感じていた。

 

 内のイノセンスが囁くのだ。

 そしてそれは、神からの言葉でもある。

 

 

 

(嫌だ、神の僕になんてなりたくない。エクソシストになるぐらいだったら、このまま自由を失うのだったら、死んでしまいたい)

 

 そう思いながら、ついにマリアは意識を失った。

 

 

 

 沈んだ暗闇の向こうでは、ただ神へ捧げられる歌だけが頭の中に反響していた。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

 _____戦いなさいマリア。

 

 

 

 

 

 どこからか響く声に、マリアは目を覚ました。

 

 

 痛みに呻きながら、己の腹を探る。

 死んだんじゃなかったっけと、クリアになって来た思考で傷の部位を撫でた。

 

 

 しかし、塞がってる。

 それに驚いて飛び起きた瞬間、激痛が走った。

 

 

「い、い゛〜〜っ!! いででで!!」

 

 

 脂汗が頰を伝う中、大人しくしてろと、頭を叩かれた。

 少女を叩いた犯人は、仏頂面で立っている。

 

 マリアが巻かれた包帯の下を恐る恐る見れば、キズが塞がっている。だが何か違和感を感じる。

 この感じは……。

 

 

「イノセン……ス?」

 

 

 思わず顔を歪める。強い執着をソレから感じたからだ。

 

 そんなに神様は彼女を戦わせたいのか。いや、だがおかしい。彼女がイノセンスを発動させようと思っても、うんともすんとも言わない。

 

 少女が混乱していると、ティムキャンピーが包帯の上に心配そうに擦り寄る。

 痛みに彼女がうめいても、なかなか離れない。

 

 相棒に悪いことをしたかなと、マリアは目を伏せた。

 

 

「発動出来ないのか?」

 

「……うん。そうみたい」

 

 

 顎に手を当て、何か考えているクロスは放っておき、マリアは腹が減ったためベッドを降りようとした。

 

 しかし襟根っこを掴まれ動けなくなり、首が容赦なく締まる。

 

 

「し、しまっ、首、しまっ…!」

 

「お前は本当に……色気より食い気か」

 

「〜〜〜!!」

 

 

 クロスは深い溜息を零すが、マリアには関係ない。三途の川が近づいてきている。

 現状はいたずらをして、首の皮を掴まれ宙にぶら下がる子猫だ。

 

 身長は伸びたものの、埋まらない差というものがある。

 

 

「とりあえず、お前は本部に連れて行く」

 

「!?!」

 

「あ?」

 

 

 クロスの有無を言わさぬ眼光に、マリアは思わず竦む。

 どうやら師の方は、勝手に逃げたことをまだ根に持っているらしい。

 

 

 そして掴まれていた体がようやく降ろされた。

 

 何やら真剣な話があるらしい。食は少し我慢だと、ベッドに座らされたマリアは自分に言い聞かせる。

 

 

「お前は伯爵に完全に目を付けられたはずだ。壊されたのに尚も形を崩しながら残ってるイノセンスなんざ、聞いたことがない」

 

「……神様が言ってるの」

 

「は?」

 

「「戦いなさい、マリア」って」

 

 

 漆黒の目から覗いた煌めきに、クロスは一瞬目を見開く。

 

 

「壊されても、戦えと言ってるの。きっと逃げた罰。死んでもなお、戦えと神様が言っている。わたしの………罰」

 

 

 まるでそれは、神に選ばれた存在というより、神に呪われた少女だ。

 

 イノセンスが使えない今、AKUMAと応戦する術はない。

 ただでさえイノセンスの存在を感じられないマリアは、ただの一般人だ。

 

 

 でもと、彼女は続ける。

 

 

「わたしは神に仕えない。これからも、一生。でもね、戦いたいと思ったの」

 

「…それは、誰にだ?」

 

無辜(むこ)の民」

 

 

 マリアは立ち上がり、窓の外を見つめた。

 

 朝露が窓を濡らしている。その奥にはまだ、暗闇が覗いている。

 

 

「シスターや子どもたち。そんな弱い人間が、伯爵のオモチャにされて死ぬのを、初めて嫌だと思った。……うぅん、違う。きっとずっと、前から思ってた」

 

「……」

 

「その考えを肯定すれば戦うことになる。わたしは目先の自由に囚われて、自分勝手な奴になっていた。でももう、そんな甘い考えはしちゃいけない。逃げちゃいけない。わたしはだって、選ばれてしまったんだから、神の道具に。だから……戦わなくちゃいけない。強制されるならわたしはわたしの意志で、この道を選ぶ。選んでやる。────この腐った現状を、ぶっ壊してやる」

 

 

 黒から一瞬、瞳が血に染まった色に変わる。

 

 神に呪われた色なのだろうとクロスは思い、目を閉じた。

 

 

「お前はきちんと、自分の道を歩けるようになったんだな」

 

「…当たり前でしょ、もう子どもじゃないもん」

 

「ッハ、ガキだろ」

 

「ぬぅ……!」

 

 

 体はでかくなっても、中身が相変わらず幼い。胸の方は指摘してやるべきではないだろう。ただ、貧相だ。

 

 吸えていた煙草をティムに押し付け、クロスは立ち上がる。

 

 覚悟が決まったなら、歩むべき道を指し示す必要がある。

 

 

「なら進め、自分の道を。エクソシストとしては戦えないが……いや、逆に隠しておいた方がいい。今の教団は不穏だ。バレたら確実に人体実験行きだ」

 

「え、怖…」

 

 

 マリアは顔を歪めて口を抑える。オーバーリアクションだが、本気でマジかと思った。伯爵に勝ちたいとはいえ、人間の倫理を超えている。

 

 

「それでもお前が戦いたいと言うなら、道はある」

 

「?」

 

「ファインダーになれ。エクソシストと共に戦う存在だ」

 

「…!」

 

 

 なるほど、その道もあるかと、マリアは頷いた。

 

 神は嫌いだが、それ以上に今は自分の見つけた理由のために戦いたいと、そう思った。

 

 

「_____分かった、わたし……ファインダーになる! 戦うわ」

 

 

 朝日がちょうどその時、昇った。

 マリアを照らすようにその姿を映す。

 

 逆光になった姿に眩しそうにクロスは目を細めながら、少女の数奇な運命を想った。

 

 

 

 神に愛され、戦うことを強いられた哀れな少女。

 

 しかし様々な色のクレヨンで塗り潰されたような色の瞳は、今は綺麗な紅色に染まっている。

 

 

 

 昇った陽のように、少女の戦いはまだ始まったばかりなのだろうと彼は思いながら、新しい煙草の火を付け紫煙を吹く。

 

 マリアはその様子を見ながら、もういいかなと、空腹の腹を摩った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 _____戦いなさい、マリア。

 

 

 

 

 

 少女の運命は、動き出す。

 

 


 

【包帯】

 

「神父様って、やっぱり不器用だよね。ここら辺とか…」

 

「………ハァ」

 

「え、な、何でため息?」

 

 

 

鈍感過ぎてこいつ将来危ないなと、真摯に思ったクロスだった。



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ロード。




 黒の教団本部。

 

 

 クロス・マリアンの弟子であるアレン・ウォーカーは、一悶着あった後、無事にエクソシストとなった。

 

 現在はリナリー・リーというツインテールの少女に、本部の案内を受けている。

 

 到着した場所は食堂。

 そこでは料理長を勤めるジェリーの様々な料理を食べることが出来る。

 

 

 リナリーが驚くほどの量を食べながら、アレンは美味しい美味しいと、目をキラキラさせた。周囲はその食いっぷりに引いていたが。

 

 

「ア、アレンくんって、よく食べるんだね…」

 

「ふぁっふぇおいふぃいんふぇふもん! (だって美味しいんですもん!)」

 

 

 二人が談笑する中、隣にひょろ長いファインダーが現れる。

 持っている皿の量はアレンには負けるが、相当の量だ。

 

 その食事の中に、自身の好きなみたらしがあるのをアレンは目敏く見つけ、声を上げた。

 

 

「貴方も好きなんですか、みたらし!? 美味しいですよね!!」

 

「……!? ごほっ!」

 

 

 唐突に話し掛けられたファインダーは、勢いよく噎せた。

 それにリナリーは苦笑いする。しかしフードから覗いた久しい顔に、目を見開いた。

 

 

「マリアさんじゃない! いつの間に本部に戻ってたの?」

 

「あー……やぁ、リナリーちゃん。えっと、数日前にね」

 

「………」

 

 

 アレンは一人取り残されたまま、黙々と食べる。

 マリアさん。リナリーの知り合いだろうかと、腰掛けているその体躯をマジマジと眺める。

 

 ファインダーは大抵包帯を巻いているが、それにしてもミイラ男レベルにマリアは巻いている。そのせいか、線の細さがよく目立った。

 

 フードを被っているため、体型以外の情報が読みにくい。身長はアレンよりもあるだろう。

 男性にしては声が高いため、中性的な感じが否めない。

 

 

 彼が観察している間に一通り話し終えたのか、リナリーがマリアを紹介した。

 

 

「アレンくん、この人はマリアさんって言うの。私が教団に入る前より長く居て…確か、10年ぐらいだったかな? よく昔はお話してくれたの。結構前にアジア支部に飛ばされちゃったんだけど、また戻って来てくれて嬉しいわ!」

 

「よっろしくね〜」

 

 

 そう言い、マリアの手が伸ばされる。アレンは喜んでその手を握り返した。

 意外にも握った手の感触は、男にしてはスベスベしていて柔らかい。

 

 おっとりというか、少し不思議な感じはするが、良い人なのだろうと少しの時間で知れた。

 

 

 最初の内はリナリーと談笑していたマリアも、すぐにアレンと意気投合した。

 

 

「僕も大食いなんですよ。よく昔はお金を稼ごうとギャンブルして……」

 

「あー、分かる。わたしも結構食べるから。食費を稼ぐために命辛々な毎日を送ってたよ」

 

 

 似た過去を持つ二人はすっかり盛り上がり、ヒートアップする。

 リナリーは二人が仲良くなってよかったと、のんびりジュースを啜った。

 

 

「聞いて下さいよ! 僕の師匠、トンカチで人の頭を殴って逃走したんですよ!? 酷くないですか!!」

 

「そりゃあ酷い…。わたしの恩人も尊敬はしてるんだけど、本当飲兵衛で、女性に目が無くて……」

 

 

 ──実際、二人の師は同じである。

 

 ゆえに盛り上がりも凄いのだが、まさか同じ人物について語っていると思わない二人は、愚痴の応酬が続く。

 

 元々アレンの入団時に引越しでドタバタしていたマリアが気付かなかっただけだが、教団内ではそれなりにクロスの弟子という事で、アレンは話題に上がっている。

 

 マリアも弟子に近いが、クロスの紹介を通じて黒の教団のファインダーになったわけではないため、マリアがクロスと関わりがある事を知る者はいない。

 

 少女の身の安全のため、闇の深い自分と関わりがない方がいいという、クロスの判断でもある。

 

 

 また、マリアは情報に疎い部分が元からあった。

 

 そのため奇妙な会話は続き、二人は最後にお互いの拳を突き合わせた。

 

 

「また一緒に食べよね。アレンくん」

 

「はい! 色々聞いて下さってありがとうございます、マリアさん!」

 

 

 手を振りながら、食堂を後にするマリア。

 アレンは溜め込んでいた師匠のストレスを少し発散でき、上機嫌だ。

 

 

「ふふ、マリアさん、優しい()()だったでしょ?」

 

「はい! ………え?」

 

「…ん?」

 

 

 首を傾げ合う二人。

 

 その後、アレンはマリアと再び合った際、土下座の勢いで深々と頭を下げた。

 

 

「ごめんなさい! 僕としたことが男性とばかり……これじゃあ、紳士失格だ…!」

 

「あ、うん……。気にしないで、身長のせいでよく男って間違われるし。その、胸の凹凸も無いからね、わたし…」

 

「本当にすみませんっ…!!」

 

 

 遠い目をしたマリアに、アレンはひたすら謝るのだった。

 

 

 

 

 

 ーーーーー

 

 ファインダーになってからおよそ10年。

 

 わたしは20代半ばになった。

 元々自分の年齢は知らないため、正確には分からない。

 

 

 未だイノセンスの発動は出来ない。ただ本部のイノセンスを格納する存在、ヘブラスカには一度お目にかかったことがある。

 

 わたしを見るなり不思議そうに首を傾げていたのでこっそり尋ねたけれど、本人にもよく分からない、と言われた。

 

 あの反応は気付いていたのか、いなかったのか。結局聞けずじまいだった。

 

 

 

 現在のわたしのイノセンスは、体の一部になっているらしい。神父様から聞いた。

 瓦解したイノセンスが、わたしの臓器を修復するのと同時に混ざってしまったそうだ。

 

 ゆえにイノセンスが発動出来ないのか、定かではないけれど。

 

 

 

 黒の教団に入ってから、様々な地に赴き、人々を救ってきた。

 

 しかし守れた数よりも、目の前で死んで行った数の方が多い。それは同職の人間にも言える。

 この職の中で生き残れてきたのは幸運と言えよう。

 

 それが仮に神の思し召しだとしても、知ったことではない。

 

 

 わたしはわたしの決めた道を歩む、そう決めたのだ。

 たといそれが神が敷いたレールの上であろうと、わたしは歩いてやる。

 

 

「あっ」

 

「ア?」

 

 

 次の仕事のため歩いていれば、目の前で光り輝いたのはキューティクルロン毛。

 えっと…彼は、そう、神田だ。

 

 

「大きくなったね、神田くん! ほら、わたしの飴ちゃんを受け取るんだよ!」

 

「死ね…下さい」

 

「遠慮しないでほら、のど飴だよ〜」

 

「ウゼェ、アジア支部に帰れ」

 

 

 彼は昔、リナリーちゃんと食堂で話していた時に出会った。

 何の気に障ったのかは分からないけど、絡まれた。

 

 若かりし頃の何とやら、なのだろう。わたしも結構ヤンチャしてたし。

 

 最近入ったアレンくんと同じで、最初神田はわたしのことを男性と勘違いした。それはまぁ、まだ…許す。

 

 でも女性の胸倉を掴んで、青筋浮かべたら許すわけにはいかない。そんな少年にわたしが取った行動は一つ。

 

 

 ブン殴った。

 

 

 教育だ。男はいいにしても、女性に手を上げるのはいけない。神父様を見習いなさ…いや、あの人を例に挙げちゃダメだ。

 

 ともかく、こっちも危ない世界を歩いてたんだ。

 その時は腕っ節だけなら、ファインダーの男連中にも負けなかった。

 

 数年ぶりに見た彼は自分より背が高くなっている。子どもって成長が早い。

 

 

 そんな事を思っていれば、神田はわたしが先程居た食堂に向かった。

 

 

「絶対、アレンくんと気が合わなさそう。まぁリナリーちゃんいるし、大丈夫か」

 

「ガウ!」

 

「ちょ、しっー! だよ、ティム」

 

「グル…」

 

 

 襟元から出てきたのは、コイン程のサイズしかないティムキャンピー。

 

 相棒としてずっと側に着いてくれている。

 サイズは隠れ易いよう、自身から小さくなった。どういう原理なのかは製作者に聞いてほしい。

 

 しかし誰に似たのか、お転婆だ。わたしに似た? 何を仰る……わたしに似たなら、もっとキュートに育っているはず。

 

 

 冗談はさておき、仕事の用意だ。

 

 女性のファインダーは稀有なため、嬉しいことに一人部屋である。

 アジア支部から越してきた部屋は未だ、ダンボールが積み重なっている。片付ける暇なんて無いんだよ、畜生め。

 

 

 

 バックパックを背負い、暇潰し用の本を持って部屋を出る。

 ちなみにダンボールの中の殆どは、趣味で集めてる自分の蔵書。ジャンルは問わない。

 

 持った本を開けば、赤いカーネーションの押し花が挟まれている。

 それはかつて、この世の終焉を目指すバケモノから貰った花だ。

 

 

「どうして、捨てられないんだろうなぁ……」

 

 

 憎いし、嫌いだし。でも、なぜなのか。ゴミ箱にこれをついぞ捨てられないまま、年月ばかりが流れる。

 

 

「ハァ…」

 

 

 徐に本を閉じて、わたしは任務に向かった。

 

 

 

 

 

 ーーーーー

 

 任務後、次の任務として、アレンくんたちを巻き戻しの街まで送り届ける命を仰せつかった。

 

 リナリーと任務で出会うことが多いわたしは、黒の教団室長であり、彼女の兄でもあるシスコンの思想をひしひしと感じている。

 

 

(どんだけリナリーちゃんの側に男を置きたくないんだよ…)

 

 

 電車に揺られながら、ぼんやりと思う。

 隣にはリナリーが眠っている。前にいるアレンくんは、わたしと同じように車窓からの風景を眺めていた。

 

 

「そういえば、アレンくんてギャンブルしてたんだっけ?」

 

「え、はい。そうですけど…」

 

「ふふ、じゃあトランプしようよ。何か賭けるわけじゃないけど」

 

 

 持っていた黒いトランプを取り出す。中身のマークは赤い仕様になっている。

 中々洒落てるだろ? と言えば、アレンくんは微かに笑った。

 

 

「マリアさんは珍しいですよね。ファインダーの人はフレンドリーな人が少ないことが分かったので、尚更思うんです」

 

「わたしみたいな気さく奴、多い方が迷惑でしょ。神田くんなんかめっちゃ、わたしの事嫌いだし」

 

「神田…ハハ……」

 

 

 遠い目をするアレンくん。ついで以前の任務先での神田に対する愚痴を、ノンストップで語り出す。

 やはり、馬が合わなかったのだろうか。

 

 

「でも…一応、良い奴ですよ」

 

「そっか、そりゃあ良かったね」

 

 

 友達とは言い難いが、お互いを認めはしたんだろう。

 わたしも釣られて微笑んだ。

 

 

 そのままわたしは、アレンくんとポーカーをした。

 途中ムキになりイカサマを仕掛けた彼の手をひっぱ叩きながらも、楽しく遊ぶ。

 

 

「つ、強い……!」

 

「ふふふ…そう簡単に勝たせないよ」

 

 

 長閑に過ぎて行った移動時間だった。

 

 

 

 

 

 列車移動をし、馬車に揺られて街の前に着き、わたしは二人を見送った。

 

 一般人は入れないらしいが、イノセンスを持つ二人が街の中に入って行くのを見た。

 戻って来ないし、きちんと侵入できたんだろう。

 

 ということは、イノセンスを所有する者は中に入れるということ。

 街全体からイノセンスの気配を感じるし、間違いない。

 

 

 つなり、わたしも入れる。しかし自分の身の方が大事だ。万が一にでも入らない。

 

 バレたら人体実験でしょ? 知ってるんだからな、昔、咎落ちの実験とやらを行ってたの。

 絶対なりたくないよ。そんな危ない被験体に。

 

 

 今はコムイ室長になってから教団の闇は薄れたが、念のためだ。今後もイノセンスが復活しない限りは、ファインダーとして活動させてもらう。

 

 そうして10年やって来たんだ。

 

 

 

 送り届けた後は二人が戻って来るまで、近くの町で待機。何かあったら連絡で応援を呼ぶ予定だ。

 まぁ、あの二人なら大丈夫でしょう。

 

 その後近くの町へ戻ろうと、乗ってきた馬車に乗った。

 

 舗装もろくにされていない道のため、えげつなく揺られる。

 気持ち悪さに唸っていたら、急に馬車が止まった。衝撃で頭から窓枠にぶち当たった。痛い。

 

 

「急に、何!?」

 

「そ、それが道路の前に、子どもが蹲っておりまして…」

 

「子どもぉ?」

 

 

 馬車から降りて、外を眺める。

 確かに御者(ぎょしゃ)の男の言う通り、数メートル先に子ども…少女が蹲っていた。

 

 どうしたのだろうか、近付いて声を掛けようとすれば、ティムが急に飛び出てきた。しかも人前でバカでかくなりよった。

 

 

「グルルルル」

 

「こら、急に出ちゃダメでしょ! 今は関係者がいないからよかったけど…」

 

 

 ティムはわたしと少女の前に立ちはだかるようにして、唸る。ゴーレムというよりはイヌだ。

 

 何とか押し退けて、少女に近付いた。そこで見たことのある奴が目に入る。

 

 

「あ、傘ちゃん」

 

 

 キミは伯爵の持っていた傘じゃないか。

 わたしがあの時の少女だと気付いていないのか、レロレロ言ってた可愛い傘は喋らない。

 

 

「んー…まぁいいか。キミ一人?」

 

「……」

 

 

 少女は伏せていた顔を上げた。地面には蟻の死骸が無数にある。

 どうやら蹲っていたのは、蟻を見ていたかららしい。

 

 にしても服が良い。どこかの裕福な子どもか。しかし尚更なぜこんな場所に……取り敢えず、送り届けるべきだろう。

 

 その前に明らかに風貌が怪しい奴だから、先に包帯を解いておくか。

 

 帽子を取り、顔が分かりやすいよう包帯を解いた。これで目鼻立ちは分かりやすい。

 

 

 

 その間少女は傘の先で、蟻を踏み潰し始めた。先程もやっていたのだろう。

 

 殺すか殺さないかの瀬戸際で潰す。

 

 

 そうして離せば死に切れない蟻の肢体がピクリと動き、数十秒もがき苦しんで、ついに動かなくなる。

 

 その様子をつまらなさそうに少女は見て、わたしの方を向く。表情は先程と違い楽しそうだ。

 

 

「お前はこれ見てどう思った? 助けたいと思った?」

 

「別に、何とも思わないけど」

 

「人間は助けたいと思うのに?」

 

 

 目線が合わないので、わたしもしゃがんだ。

 

 

「命は平等だけど…虫は嫌いなのよね。だからどうでもいいし、人間とは別」

 

「ふーん、変なの」

 

「キミ、名前は?」

 

「ロードだよ、()()()

 

「そう………ん?」

 

 

 ん? やっぱり伯爵とお知り合いの方かな? 逃げなくちゃいけないアレかな? 

 

 しかし、その考えを阻むように裾を引っ張られた。

 

 ちょ、そんな寂しそうな顔されたら逃げたくなくなるじゃない…。これでも子ども好きなのよ、わたし。

 

 

「大丈夫だよ。千年公、今はお前のこと殺そうとしてないから。寧ろちょっと拗ねてる感じするもん、お前の話すると」

 

「そ、そうなんだ……」

 

 

 訳が分からないが、取り敢えず大丈夫ならいいか。

 一先ず伯爵の仲間ということは、この子どもも普通じゃないということだろう。

 

 

「千年公に許さないって怒ったでしょ、前に。きっとそれで拗ねちゃったんだ」

 

「…いいの? そんなことペラペラ喋って」

 

「いいのいいの」

 

 

 明らかにさっきから傘がロードちゃんのことを止めようと動いている。しかし口を塞がれている。

 

「ムー! ム──!!」

 

「もしかしてロードちゃんは、イノセンスを狙ってるの? あの街のやつ」

 

「へぇー、やっぱ分かるんだ、アレが何なのか」

 

 

 どうしてか、ロードちゃんにぎゅっと抱き締められた。

 そんでとうとう傘がキレた。

 

 

「ロードたま!! 得体が知れないから、あんま関わっちゃ駄目レロ、その人間と!! 伯爵たまが言ってたレロ!!」

 

「うるさい傘〜。うーん…やっぱ千年公と違って、ボクは変な感じしないな。イノセンスの感じもしないし。でもそれだけじゃない、人間とはちょっと違う感じがする」

 

 

 眼下で、殺す殺さないの応酬が続く。怖ェよ。

 取り敢えずと、ロードちゃんはわたしの目を見た。

 

 

「ちょっと寝てて」

 

「え、何_____」

 

 

 

 その瞬間、わたしの意識は途絶えた。

 

 


 

【コムリン】

 

列車内でコムリン事件の話をするアレン。

 

 

「僕の部屋が……」

 

「どんまいどんまい」

 

 

そう言って、ロイヤルストレートフラッシュを出すマリア。

 

アレンはかなり凹んだ。



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愚者のパーティ

ご拝読いつもありがとうございます。
因みにシスターはレベル3に近いレベル2だった裏設定があります。


 パースが意味を成さない、歪められた空間。

 モノトーンで作られた世界が延々と続いている。

 

 マリアが目を開ければ、そこにはロードを模したかのような物体がいた。

 それは床から生えて、彼女を見つめている。

 

 

「ここは…どこ? あれ…確か、話の途中で意識が飛んで……?」

 

『ここはボクの世界だよ。お前の意識だけ、こっちに持ってきてんの』

 

「…現実世界じゃないってこと?」

 

『そ。まぁお前には今日は用は無いから、観客として見ててよ。僕がエクソシストと遊んでる様子をねぇー』

 

 

 エクソシストとは、アレンとリナリーのことだろう。

 マリアは空間に浮かぶ外の映像を眺める。

 

 そこにはロードと戦うアレンの姿に、人形のような衣装を施され椅子に座っているリナリーが映っている。

 その側には、知らない女性が床にへたり込んでいた。

 

 

 リナリーはまるで意識がないかのように、虚な目で全く動かない。

 対して知らない女性___アレンに「ミランダ」と呼ばれた人物からは、イノセンスの気配がする。

 

 この不思議な街を作り出していたイノセンスと似ている。おそらくは彼女が適合者なのだろう。

 

 

 

「うわぁ…。わたしが、あっちのわたしがフリッフリな衣装を着ている………」

 

『お前も街に入れたっていうことは、やっぱりイノセンス持ちなんだね』

 

 

 人形に変化したロードは、マリアのシャツを捲った。腹には肋が浮き出ている。

 

 貧相な体と思いつつ、視線を彷徨わせども、イノセンスの気配は一向に感じられない。

 

 

『…やっぱ変なの』

 

「わたしからしたら、敵なのにわたしを殺さないロードちゃんの方がおかしいと思うけど」

 

『殺さなーい。だって伯爵のお気に入りだもん、お前』

 

「え゛っ」

 

 

 瞬間、マリアの顔が引き攣った。

 

 お気に入り? 冗談じゃない。

 これ以上関わられたら、心臓が幾つあっても足りない。

 

 第一、今の複雑なマリアと体内のイノセンスの状況を作り出したのは、千年公が彼女のイノセンスを破壊したせいである。

 

 正直もう面倒はごめんだ。

 

 

「何で伯爵はわたしに、執着に似た感情を抱くの?」

 

『それはねー……』

 

「それは…?」

 

 

 ゴクリと、喉を鳴らすマリア。

 それにロードは微笑し、眉を下げた。

 

 

『長年千年公の側にいるボクでも、分かんねェの』

 

 

 切なげな表情を浮かべた人形に、マリアは一瞬不思議な感覚を覚えた。

 イノセンスではない、()()()の感覚。

 

 感じた事のないそれに首を傾げども、答えは見つからない。

 

 

『どうしたの、マリア?』

 

「? ……分からない」

 

『ふーん…ま、いいや』

 

 

 先程まで生きていた人形が、無機質な物に戻る。

 

 それをマリアは抱きしめながら、暗闇の中ぼんやりと映画鑑賞をするように、身体を小さくしてアレンたちが戦う様子を見つめた。

 

 見えるのはロードやAKUMAに蹂躙されるアレンや、ミランダがイノセンスを発動させ、時を巻き戻す場面。

 また、その能力のおかげで目覚めるリナリーの姿。

 

 

 みんな懸命に戦っている。

 しかしその中に彼女は加勢する事も出来ず、ただ見ている事しか出来ない。

 

 

 所詮ファインダーは、エクソシストと違い代替が利く物なのだと、改めて痛感した。

 襲うのは圧倒的な虚無感。

 

 

「わたし、何の役にも立てないね…」

 

 

 下を向き、マリアは胸元に強く拳を当てた。

 

 考えれば考えるほど、役立たずだと、自分が惨めになるばかりだった。

 

 

 

 

 *****

 

 千年伯爵の家族とも言えるノアの使徒の一人、ロード・キャメロット。

 彼女と遭遇したアレンは、必死に戦っていた。

 

 

 近付こうにも、レベル2のAKUMAがその接近を許さない。

 

 子どもの純粋な狂気をそのまま身に宿したロードは、アレンを弄ぶ。

 そんな少女がAKUMAの一体に命令したのは、自爆。

 

 つまりAKUMAに内蔵された魂は救済されず、救われないまま死ぬことを意味する。それはAKUMAの魂を見る事が可能なアレンにとって、残酷な内容だった。

 

 

 ロードはリナリーによって爆発から助け出されたアレンを見て、笑う。

 

 傘の上に座りマリアを抱き締めながら、愚かなエクソシストを上から臨んだ。

 

 

「あーあ、他のも殺られちゃったや」

 

 

 残っていたAKUMAも破壊されてしまった。

 睨め付ける二人を、ロードは楽しそうに見る。

 

 一方能力を発動し、リナリーとアレンの状態異常を健全であった状態まで()()()()()()()()()ミランダは、ロードに抱き締められている女性を見つめた。

 

 

「あ、ああ、あなたは…そ、その人を…どうする気なの?」

 

「えー、持って帰って、ボクのコレクションにしちゃおうかなぁ。折角外から持ってきたんだし」

 

「駄目レロ!! これ以上伯爵タマのシナリオを壊したら、いくらロードタマでも怒られちゃうレロ!!!」

 

「ちぇ、冗談だよ。今回は遊べて楽しかったし」

 

 

 ロードは地面に降りると、抱き締めていたマリアを横たえた。

 

 

「キャハハ! また遊ぼうねェ、エクソシストども」

 

 

 ロードは能力で作った扉から去って行く。

 それと同時に彼女によって作られていた空間も崩れはじめた。

 

 浮遊感と共に床に続く暗闇に落ちれば、元いたミランダの場所に戻っていた。

 

 アレンたちはミランダの能力が解け、()()()()()()()状態から戻り、床に崩れ落ちた。

 流れる血がフローリング一面を浸している。

 

 

「ど、どど、どうしましょう、早く医者を……」

 

 

 その声に重ねるように、大きな欠伸声が聞こえた。

 驚いてミランダが後ろを見れば、そこには目をパチクリする女性の姿が。

 

 

「あ、あのっ…貴女は、アレンくんたちの仲間なんですよね?」

 

「………」

 

 

 数瞬彷徨っていた視線は、ミランダの瞳に合わさる。

 吸い込まれるような紅い瞳に、一瞬彼女の背筋に寒気が走った。

 

 美しいけれど、どこか恐ろしい。

 

 ミランダは思わず後ずさろうとしたが、突如痛みが走り、怪我をしていた掌に気を取られた。

 その間、何度か瞬きを繰り返したマリアの目は、いつもの漆黒の瞳に戻っていた。

 

 

「……はにゃ、ここは…………あ、アレンくんとリナリーちゃんが死んでる!?」

 

「し、死んでないわ」

 

 

 転けながら二人の肢体に慌てて近付くマリアには、恐ろしさのカケラもない。むしろフレンドリーで気さくな人物に見える。

 

 

(さっきのは、何だったのかしら……)

 

 

 そうミランダは思いながら、助けを呼ぶべく管理人の元へと向かった。

 

 

 

 

 

 *****

 

 ロードちゃんにフルボッコにされたアレンくんや、わたしの精神を覗いた要領で精神を壊されていたリナリーちゃんの容態も、大分良くなって来たらしい。

 

 わたしと言えば、他人から引かれる程度にはピンピンしている。

 しかし正直ラッキーとは言っていられない。

 

 何でかって? ああいいですとも、教えてやろうじゃありませんか。

 

 

『ねェマリア、宿題おせーてよー』

 

「………」

 

 

 そう、問題はなぜか知らないが、巻き戻しの街であった少女に懐かれてしまったことだ。

 

 少女___ロードちゃんは、千年伯爵の家族というか、仲間というか…少なくとも黒の教団側の敵である。

 人間だけれど、特殊な能力を持っていて…散々体験しているのでこれについては何も言うまい。

 

 

 いや人間というより、人間を超越した存在なのだろうと思う。

 そんな彼らが【ノア】という存在なのもつい最近聞いた。そこまでバラしていいのか、わたしでさえ不安になる。

 

 また理由は不明だけど、ロードちゃんはわたしを伯爵側に引きずり込もうとしている。

 そんなものペットかロードちゃんの玩具な未来しか思い浮かばないから、断固拒否だ。

 

 

『マリア、マリア〜〜』

 

「あぁん、もう! 夢にまで出て来て、わたしの疲労を増やさないでよ……」

 

『ダメぇ…?』

 

 

 うっ、上目遣い…だと!? 

 

 

 身長差がある分、わたしの腹辺りにロードちゃんの顔がくる。

 絶対この子、わたしが子どもに弱いって情報知ってて誑かしてるよ。千年公に怒られちゃうよ? 一応わたしとロードちゃんは敵なんだからね。

 

 

『だってぇ、マリアはボクらのことを殺したいわけじゃないんでしょ?』

 

「ん? …どういうこと?」

 

『だぁーかーらぁ〜、マリアは人間を救いたいだけであって、ノア(ボクら)を潰したいわけじゃない、そうでしょ?』

 

「んー……」

 

 

 確かに彼らをわざわざ殺したいとは思わない。そもそも殺せる力もない。

 

 昔千年公に許さないって言ったのは…まぁ、アレはわたしの大切な人が殺されたから向けた言葉であって、平穏な心の状態じゃ波立つ気持ちは起きない。

 

 

「……あぁでも、シスターが殺されたはずなのに殺した相手に憎悪を抱いてないなんて、変と言えば変か…」

 

『マリア、ここはー?』

 

「ん? ここは___」

 

 

 教えていれば、ロードちゃんは人の説明を聞かず、じっとわたしの顔を見つめる。

 

 

『マリアはきっと、神に踊らされてるんだよ』

 

「踊る? わたしは自分の意志でこの道を歩いているつもりだけど」

 

『その決心はマリアのものだけど、神がそうなるよう道を意図的に作ったんだ。可哀想なマリア……』

 

「…大丈夫?」

 

 

 息を詰めるように、わたしの瞳から離れない綺麗な漆黒の瞳。

 わたしはそれを理解した上で歩んでいるのだから、気にしなくていい。

 

 その代わり神には絶対に忠誠心を誓ってやらない。ザマァ見やがれ。

 

 

『分かんないよ、どうして敵なのにこんな気持ちになるんだろ………分かんないよぉ、マリア…』

 

「えぇい、待て待て、泣きなさんな」

 

『う゛ぅー……』

 

 

 何でだろう。アレンくんたちと戦っていたときはあんなに狂い振りを見せていたのに、今ここにいる少女は何とも普通の子どもらしい。

 

 可愛い………ッハ! いけない。明らかに絆されようとしているじゃないか。

 このままじゃロードちゃんの人形コースになってしまう。

 

 

『マリア、なでなでして……』

 

「……うぐっ」

 

 

 ……駄目だ。うん、今だけ、今だけ甘えさせてあげようじゃないですか。

 

 

 

 しかし、二度あることは三度ある。

 

 わたしは結局ロードちゃんに毎回会う度に絆されることになる。

 

 

 

 あの可愛さは反則だよ。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

「___ろ、起きろマリア!」

 

「うにゃ………いたっ!」

 

 

 突如拳が飛んできて、頭に食らった。

 衝撃に体を起こせば、見知った顔のファインダーがいる。

 

 さっきまでロードちゃんの宿題を見てて……あれ、ここは夢…? 

 

 

「ねぇ、ちょっとわたしの頰抓ってよ」

 

「ほぉー…仕事中いい度胸じゃねェ……か!」

 

「………い、いだだだだっ!!」

 

 

 うん、痛い。夢じゃないね、現実だ。

 

 こんな馬鹿なことしてたら思い出した。

 わたし任務中に思い切り寝てたんだ。

 

 いやでも、言い訳はさせてよ。巻き戻しの町の仕事の後、そのまま仕事っていうのは、かなり鬼畜じゃない? 

 

 ちなみに今は中の部屋でシスコムイ室長と、目元が黒いパンダのような小柄のお爺さん、確か、「ブックマン」という人が話し合いをしている。

 

 防音の結界が張ってあるため、中の会話は聞こえない。

 かなり重要な話をしているのだろう。

 

 

「ハァ…故郷に帰って妹の顔見てェ…」

 

「わたしはご飯食べたいでぇーす」

 

「お前、相変わらず食うよなァ……」

 

 

 彼とはそれなりに長い付き合いだ。

 とは言っても2、3年の付き合いだけれど、それでもこの職種だと相当長い。何せ死ぬのが当たり前の職種だからね、特にエクソシストに同行するファインダーってのは。

 

 それで、鈍感なこのお隣さんは、わたしのことを未だ男だと思っている。

 だからあんたにアプローチしてる看護婦にも気づかないんだ。

 

 

「……ん?」

 

「何だ、どうした?」

 

 

 その時、和やかな雰囲気の中、突如違和感を感じた。

 

 

 

 血の────匂い? 

 

 

 

「ッ、やばい!!!」

 

「あ? 急に何…」

 

 

 鳥肌が無数にできる。

 

 血の匂い、血の匂い、血の匂い────、

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()がする!! 

 

 

 

 

 

「今すぐ応援を……ちょっと! 返事……」

 

 

 反応しない彼に苛立ちつつ聞こえた発砲音の方を向けば、そこには血溜まりと、赤一色に染まったファインダー服があった。

 

 AKUMAのウイルスに侵された彼の身体はもうない。肉も、骨も。

 

 

 血の匂い。また血の匂い。

 まるで酔ったようにざわざわと、鳥肌が立つ。

 

 

『エグゾ……ジズズズジズ……エグッ♡? ジズズズ! △◀︎』

 

 

 そのAKUMAが何を言っているのか、途中から理解できなかった。

 

 目の前にいるのはレベル2。しかもかなりの数がいる。

 

 部屋の中には眠っているリナリーちゃんや、黒の教団アジア支部トップのコムイ室長がいる。冷静に考えて、失うわけにはいかない。

 でもご老人──いや、彼はエクソシスト──が、中にいる。一瞬見た時にイノセンスの存在を感じた。

 

 

「けれど……ここで引けって? 何の役にも立たず? そんなの御免だよ」

 

 

 たとえ死のうとも、わたしは何もせずただじっと見ているのが一番嫌なんだ。

 アレンくんやリナリーちゃんたちが戦っている中、何もできなかった自分。

 

 自分が無力な存在だと自覚するのが嫌だ。

 わたしは、わたしは、強くありたい。

 

 誰かの前に立って、守る存在に────人々を救う存在で在らなくてはならない。

 

 

 

『退かねェぜ、この人間? ギャッハハハ、バカだバカ』

 

『ゴゴゴゴ殺ぜゴゴゴ、ゴ』

 

『相変わらずお前、レベル2なのに何言ってるか分かんねェな…』

 

 

 AKUMAが頭上で会話している。その中の一体がわたしに銃口を向けた。

 

 何もできない。AKUMAを一定時間結界の中に閉じ込めることが可能な結界装置(グリズマン)を張った所で、保つのは精々一体のレベル2を一時的に抑えておける程度。

 レベル2が数体いるこの状況では無意味だ。

 

 

 でも、わたしのちっぽけな誇りに懸けて、腕を大きく広げる。

 

 その行動にAKUMAは嘲笑する。笑いたければ、いくらでも笑えばいい。

 それでもわたしは_____、

 

 

 

『死ね、ニンゲェン』

 

 

 

 

 

 _____たとえ無力でも、人々を守るために戦いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

「コムイよ、敵の始末は終わったぞ」

 

 

 そう呟いたのはブックマン。

 AKUMAの強襲に遭ったものの、逆に敵を蹂躙したのだ。

 

 それに呆然としながら、リナリーの肩を抱くコムイ。

 先程顔まで飛んで来たAKUMAの首は、ブックマンの攻撃によって容易く破壊された。

 

 

「…た、助かりました」

 

「気にするでない。代替の利かぬ者もいる、そなたもその一人じゃ」

 

「代替……」

 

 

 そこでふと、コムイは妹と仲の良かったファインダーの存在を思い出す。

 彼女にはこの部屋の前の見張りを頼んでいた。

 

 妹の日常会話に頻繁に出てきた女性だったため、よく覚えていたのだ。

 その女性ファインダーには、よく妹と共に任務を与えていた。

 

 慌てて彼がソファにリナリーの肢体を置き、廊下を見に行こうとすれば、ブックマンに止められる。

 

 

「見られたものではない、コムイよ」

 

「しかし、私には聖戦を請け負う者としての責任があります」

 

「…ならば儂は止めぬ」

 

 

 廊下に出て見れば、周辺を血に染めた場所にファインダーの服が一つ落ちている。

 横を向けば、少し先の方に壁に減り込んでいるファインダーの……。

 

 

「うっ、つ………」

 

「言ったであろう、常人に見られたものではない」

 

 

 コムイは顔を青くして急いで部屋に戻り、部屋にあったゴミ箱に胃の中の物を零した。

 

 ブックマンはため息を吐きながら、AKUMAが言っていた伯爵の聖戦の幕開けを告げる発言に、思考を巡らす。

 ちょうどその時、部屋の外から何かが落ちる音がした。

 

 

「…何じゃ?」

 

 

 そして突如同時に感じた、イノセンスの気配。

 

 禍々しい程の()()に、警戒しながらブックマンが己の装備型イノセンスを持ち部屋の外に出てみれば、気配の先は先程腹を抉られていたファインダーだった。

 

 

「………」

 

 

 意識はないのか喋らない。着ている服も全身血濡れだ。

 しかし包帯が解け長い髪から覗く瞳が、やけに血のように紅かった。

 

 驚くべきは、AKUMAによって負傷したはずの傷口がどんどん修復されていくこと。

 

 

 _____悍ましい。

 

 

 ブックマンはとてつもない執着を、そのイノセンスの存在から感じ取った。

 

 

「どこからイノセンスが…いや、それよりもイノセンスが持ち主の傷を癒すなど……」

 

 

 不明な点が多い。

 しかしまずは治療が優先だと、異変に気付き駆けて来たコムイと共に、壁からファインダーの肢体を下ろす。一人でも十分だったほど、その肢体は軽かった。

 

 

 

 イノセンスはまるでその死を許さんとばかりに、尚も彼女の傷口を塞ぐように波打っていた。

 

 


 

【宿題】

 

 

「マリアはティッキーよりチョー頭良いよね〜」

 

「ティッキーって、家族の人?」

 

「ティッキーはね、モジャモジャしたグルグル喫煙者だよ」

 

「モジャ…グル……?」

 

 

 

 

 

「ぶえっくしょぉぉい!」

 

 

話題にされてる本人は、盛大にくしゃみしてる模様。



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ティムティムキャンピーキャンピー

閲覧いつもありがとうございます。方舟編をどう消化しようか悩み中です。。


 

 目覚めれば手に錠がされていた……という実験落ちではなく、普通にベッドの上で治療を受けていた。

 

 

「……生きてる」

 

 

 掌を動かしてみたが、問題なく動く。

 

 土壇場でイノセンスが復活しないか希望的観測もあったけれど、やはりそういうありがちの主人公要素は、わたしにはないようだ。

 

 ただ、非情な現実が目の前にあるだけ。生きてるだけでラッキーと思わなきゃ。

 

 

 AKUMAに腹パンされた箇所を触る。

 

 昔、千年伯爵に腹を切られた時と同じような状態だ。

 イノセンスが肌の上からでも分かるほどに脈打っている。

 

 ケガした部分をイノセンスの組織がカバーしているのだ。

 

 数ヶ月すれば自然と消えたので、今回もその内消えるだろう。

 流石に「女に傷は駄目だろ」って神父様が言ってたし、治ってもらわなきゃわたしとしても困る。

 

「うげっ」

 

 動こうと思ったら凄まじい目眩がした。

 そういえば、点滴受けてるじゃん。

 

 あー…気持ち悪い。唸っていたら、頰に何かが擦り寄る気配がした。

 その正体は────、

 

 

「ティムー!!!」

 

「ガウ!!ガウガウガウ!!!」

 

 

 わたしの天使ちゃん。

 

 どういう原理かは知らないけど、ティムをメチャクチャ泣かせてしまったみたいだ。枕の横が水溜りになっている。中に水を溜められる機能でも付いてるのかな?

 

 

「ごめんね、ティム」

 

「ガウゥ……」

 

 

 感動の再会を果たしていれば、扉が開いた。

 訪問者は室長とブックマン。それと、眼帯をした少年の三人。赤毛のキミは初めましてだな。

 

 

「起きたかい、マリアさん」

 

「……えぇ、まぁ」

 

「そうかい。思ったより元気そうでよかったよ」

 

 

 そう言うと、室長は安堵の表情を浮かべる。

 彼は一見冷酷そうに見えて、実は誰よりも甘い人だ。

 

 上に立つものとして室長は常に己の心を律し、感情を押し殺している。

 

 例えば、以前とあるファインダーが同朋の死に対して、室長に「貴方に心はないのか」と言ったことがある。

 ファインダーの男を室長が冷静に対処した後、ふと彼の横顔が見えた。

 

 その顔には、誰よりも死を悼む眼差しがあったのだ。

 

 

 後日談ではあるが、騒いでいたファインダーの男は、わたしが顔面を殴り喝を入れておいた。

 

 甘い考えに浸っているヒマがあるなら、死んだ同胞の分まで進むべきだ。

 それが残された仲間の役目って、ヤツなんだ。甘いだけの人間は、教団には不必要。

 

 

「考えているところ悪いが、話をさせてもらいたい」

 

 

 考え込んでいたわたしを見かねて、ブックマンが口を開いた。

 

 

「お話し頂けますかな、貴女のイノセンスについて」

 

「しっ、室長……わ、わたしはアレですか?話した後に実験送りになっちゃうんですか…?」

 

「ハハ…その点は大丈夫だよ。処遇は上ではなく、私が持っているからね」

 

「よかった…!」

 

 

 咎落ちの実験やらイノセンスの媒体実験やら、考えるだけで恐ろしい被験体にはされなさそうだ。

 

 というか神父様ごめんなさい。苦節10年、とうとうバレました。

 

 

 

 

 その後、自分の生い立ちは大まかに。イノセンスの部分については仔細に話した。

 勿論ノアと関係があるなど、都合の悪いことは話さない。

 

 神父様と関わりがあるのは、もうティムが出てしまったせいで隠せない。

 そこはもう諦めるしかないだろう。

 

 

「ふむ、つまり今回イノセンスが助けたのは二度目ということか……」

 

「寄生型ならばAKUMAのウイルスは勿論、イノセンスが寄生している部分のキズを自己修正した事例はあるにはある。しかし寄生している部分ではなく、宿主の別の部位の負傷を癒すなど………あり得ん」

 

「…ふむ……」

 

 

 わたしの身体のことについて話しているのに、当人が置いてかれてるんだけど。

 

 そういえばブックマンの隣にいるもう一人の青年は、話に介入せず傍観している。

 目がハートなのは気のせいかな。

 

 

 

「イノセンスがエクソシスト当人の傷を治すなど、今までに無い例だ。彼女自身のイノセンスの性質も初例だ。もしやハートの可能性もあるのかもしれぬ…」

 

「……」

 

 

 ハートはあり得ないな。

 だったらヘブラスカが絶対に指摘しているはずだもの。

 

 

「──以前ヘブラスカが言っていたんだ。不思議なイノセンスに会ったと」

 

「え?…あっ、バレてたんですね」

 

「うん、ただ貴女だとは知らなかったよ。ヘブラスカはこう言っていたんだ

 

 

 

 _____その人間は神に愛されている、とね」

 

 

 

 ……………。

 

 

 ………ッハ!

 あらいけない、わたしったら死んだ目になっていましたわ。

 

 神に愛されるなら悪魔に愛された方がよっぽどマシである。

 死後の魂は地獄でいいから、即刻神を滅ぼして来てちょうだい、サタン。

 

 

「そんな顔しないでくれ。ヘブラスカも悪気があって言ったわけじゃないんだ。彼女自身もその感覚が不思議だと言っていたんだ。愛され方が尋常じゃなかったらしい」

 

「……ヘェー」

 

 

 もう嫌だ。このままどこか遠くへ行きたい。癒しっ子のロードちゃんに会いたい。

 

 というか、わたしはこれからどうなるんだろう。

 傷の件はこれでいいとしても、今後の処遇を判断するのは室長だよね…?

 

 

「し、室長……わたしケガ以降イノセンスが使えなくて……」

 

「それについては問題ないよ。今後もファインダーを続けながら、少しずつ治していこう。イノセンス自体はあるんだ、必ず元に戻るよ」

 

「し、室長……」

 

 

 何て優しいんだ。前提がイノセンスとして働く未来というのがあるけど、それ抜きに優しい。

 シスコンな所が無ければ、きっとこの人はモテただろうに。天は二物を与えないのだ。

 

 

「取り敢えず今は、怪我の治療に専念して欲しい。もし治れば頼みたいことがあるからね」

 

「分かりました!不肖マリア、室長の命とあれば、たとえ火の中水の中──」

 

「ソレ、本当かい?」

 

「えぇ、本当の本気ですとも!」

 

「いやぁー、助かるよ!じゃあアレンくんたちと一緒に、クロス元帥の捜索お願いするね」

 

「はい!………ん?」

 

 

 

 

 

 _____えっ?

 

 

 

 

 

 *****

 

 そんなわけでケガが快癒した後……というか傷自体はもう大丈夫なのだけれど、大人しく出来ないわたしは逃げ出そうとして婦長に捕まった。

 

 よくお世話になっていた婦長。常連のわたしに素敵な笑顔を浮かべてらっしゃる。

 

 

「あぁもう……また貴女ですか、Ms.マリア」

 

「えへへ、今回は腹をやられちゃいました」

 

「…………」

 

 

 地獄のような空気はさておき。今はそのまま一緒に来た眼帯の青年___名を「ラビ」と言う人物と共にいる。

 彼は別名『ブックマンJr』とも呼ばれている。

 

 Jr.と言っても、ブックマンの本当の息子ではなく、ただの後継者らしい。

 

 

「改めて宜しくさァ。マリア……さん?」

 

「言い難いなら呼び捨てで大丈夫だよ。キミ、さん付け苦手なタイプそうだし」

 

「助かったさァ。じゃあ俺のことも普通に呼び捨てでいいさ」

 

「了解。宜しくね、ラビ」

 

 

 お互い握手を交わした。

 ビジネスパートナーになるのだから、しっかり挨拶しておかないとね。

 

 あくまであちらはこの聖戦を記録する立場なんだから、そこに私情を挟んじゃいけない。

 

 というか、さっきからやたらとこの子そわそわしているんだけど、どしたんだろ。

 

 

「マ、マリアは歳いくつなわけ?スゲェ気になってたんだけど…」

 

「あぁ…データベースには詳細に載ってなかったか。多分20後半位よ」

 

「っし、年上!」

 

 

 どうしてキミはガッツポーズをしているんだい…?

 ラビはわたしの胡乱な視線に気づき、咳払いを一つ溢してから急に真面目に話し出す。

 

 

「あんた、結構面倒そうなイノセンスを持ってるよな」

 

「そんはこと、もう耳にタコが出来るほど自分で言ってきたよ…心の内でね」

 

「ジジイも目ェ光らせてたさァ…まぁ、あんま悪目立しないよう気を付けろよ。今は千年伯爵も教団潰しにガチになって来てるし」

 

「気を付けるよ」

 

 

 それから幾らか話をして、ラビくんは帰った。

 ちなみに彼は18らしい。わ、わわ……若…。

 

 

 その後入れ替わるように扉のノブが回って、アレンくんとリナリーちゃんが来た。

 二人共元気そうで良かった。

 

 この三人はクロス捜索部隊のメンバーでもある。みんなで頑張ろう(遠い目)!

 

 

「にしても何故アレンくんが……んん?」

 

 

 ティムキャンピーが飛んでる?

 いやでも最初に会った時とか、列車に一緒に乗ってる時居なかったような…。

 

 

「ティムキャンピーはマリアさんが居る時、何故か警戒して出て来なかったんですよ」

 

「えっ、わたしのこと嫌い…?」

 

 

 あっちのティムは尻尾がオレンジ。対してわたしのティムは紫。

 

 違うティムキャンピーだとしても、嫌われたとしたらかなりショックだ…。

 

 項垂れていたら、自分のシャツの下でゴソゴソ動く存在がいる。

 ソイツが外にぺっと出た瞬間、金属音が鳴った。向こうのティムと衝突したようだ。

 

 

「グルルルル!!」

 

「ガウガウガウウ!!!」

 

 

 散歩中によそのワンコと喧嘩し始めた犬かな?

 ここはわたしが仲裁を………イテッ、わたしの手を噛むな!

 

 

「え!?ティムが二匹……!?!」

 

「──ッハ!もしかしてアレンくんが言ってた師匠って………」

 

 

 この瞬間、二人の中で神父様___アレンくん曰く、「バカ師の被害同盟」が結成された。

 そりゃあ似てるわけだよ、同じ師匠だもん。

 

 いやはや……情報にはもっと機微にならないとダメみたい。

 

 アレンくんがクロス・マリアンの弟子だって事で教団内じゃ結構な騒ぎになってたらしいよ?まったく気づかなかったわたし、逆にすごい。

 

 

 取り敢えずまだ喧嘩している二匹を離し、お互いの懐にしまった。

 

 相性が悪いようである、この二匹は。

 製作者(おや)は同じなんだから、仲良くして欲しいものだね。

 

 

「ハァ…まぁ何だろ。わたしも参加することになったから改めて宜しく、リナリーちゃん、アレンくん」

 

「はい!宜しくお願いします、マリアさん」

 

「宜しくね、マリアさん」

 

 

 それから雑談やら愚痴を多少言い合って、二人は席を立った。

 

 

 

「ガウ!」

 

「ん?向こうのティムはもう行ったよ。全くお前は……もっと仲良くしなさいよ、同じティムキャンピーなんだから」

 

「ガウ!!」

 

 

 怒ったのか尻尾で頰をペチンと叩かれて、ティムはそっぽを向いた。

 

 どうしようもない頑固者だ。全く誰に似たんだか…。少なくともわたしじゃないはずだ。

 

 

 

 兎に角今は安静にすることと、師匠探しだね。頑張らないと。

 

 それにしても話の途中で気付いたけど、リナリーちゃんやアレンくんはわたしのイノセンスのこと気付いてなかったな…。

 

 まぁ室長も完全にイノセンスが発動できるまで、他の人には黙っていると言っていたし、今はファインダーとして頑張りながら、いつか………いつか必ず、イノセンスを取り戻してみせる。

 

 

「わたしは、戦うんだ」

 

 

 

 

 

 ___人々の為に、この身を捧げるのだ。

 

 

 

 

 

 たとえそれが神に作為された道でも、わたしは止まらない。止まれない。

 

 進み続ける。それが、わたしに残された選択肢。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

「…ブックマン、本当に彼女の処遇はこれでよかったのでしょうか」

 

「中央庁に知れれば即実験室行きじゃ。それに千年伯爵が動き出した今、ヘタに知る者が多ければ多いほど、情報は漏れやすくなる。ハートの可能性があるならば尚更だ。今はその存在を最小限秘匿することに徹するべきじゃろう」

 

「………」

 

 

 室長室にて話し合うコムイとブックマン。

 真剣な様はまるで戦場にいるかのような面持ちだ。

 

 

「クロス元帥の考えを知りたい所だが…おらんからのぅ、どうしようもない」

 

「………」

 

 

 若干胃を抑え思考を巡らすコムイ。

 彼とて女好きのクロスが万が一にでも発見した時逃走しないよう、リナリーを付けたのだ。

 

 マリアの場合は効果は発揮されないらしい、本人曰く。彼女が腕を組んで大仰に頷きながら言っていたくらいだ。

 

 シスコンのコムイからしてみれば捨て身である。

 しかし今は聖戦の最中、四の五も言っていられなかった。

 

 

「では、今は様子見ということで。願わくば彼女のイノセンスが戻ってくれればいいのですが…」

 

「あれは…そう簡単にはいかんだろう」

 

 

 彼女のイノセンスがその身体を修復する際、ブックマンが感じたイノセンスの悍しいほどの執着。

 

 

 神に愛されているという言葉は確かに当てはまっている。

 しかし背筋が凍る程の執着を、果たして本当に愛というのか。甚だ疑問である。

 

 しかしあの執着さがマリアを生かそうと身体を再生させたのも、また事実なのだ。

 

 

 調べなくてはならないことは多い。

 

 発動しなければAKUMAにイノセンスの存在を察知されないことや、アレン・ウォーカーほどではないが、血の匂いからAKUMAを大まかに探知できる能力。

 

 後者に関してだけ言えばアレンと同じ元々のものだろう。

 

 

 最も早いのはクロス元帥に事情を聞くことだが生憎居ない。

 

 踏んだり蹴ったりな状況の中で下したコムイの決断は、元帥の護衛任務の同行だ。

 

 

 人とは窮地の中で爆発的な成長を起こす。室長の男はそれに賭けてみることにした。

 それにマリアは動かないと死ぬ回遊魚染みた性質なのだ。

 

 ならば任務に同行させた方が早い。

 

 

 どう転ぶかは運次第。

 しかし命の危機に瀕する可能性があった場合は、早急にブックマンの判断で戻す。

 

 それが今回の任務の前提である。マリアには知らせていないが。

 

 

「全く、面倒ごとが増えたもんじゃ」

 

「ハハハ…お気を付けて下さい、ブックマン」

 

 

 

 

 

 聖戦は止まることを知らない。

 歯車は回り、いずれマリアに踊る番が来るだろう。

 

 

 神は尚、その手の上で動く存在を笑って見ているのだ。

 

 

 

 

 

 _____戦いなさい、マリア。

 

 

 

 

 

 呪いの言葉は、今日も彼女の耳元で囁かれるのだろうか。

 

 


 

【恋】

 

 

「アレェーンおれ恋しちゃったかもさ〜」

 

「…ラビ………」

 

「すげぇタイプさぁ……年上………」

 

 

 

 アレンは静かに黙祷した。



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「Say love」

クローリー回。
この回はガチに好きです。詳しく読みたい方は是非原作を!
(そうは言っても良さを伝えられない自分の文才…)


 黒煙を出しながら海沿いを走る汽車。

 職業柄見慣れた光景も、クロス元帥探しという名目が付くと、正直げんなりする。

 

 

 神父様___クロス元帥の捜索になぜ現在相成っているかというと、伯爵がハート探しに本格的に乗り出して来たためだ。

 

 つまり、ノアも動き出している。

 

 それなのに相変わらずロードちゃんはわたしの夢に現れる。伯爵に怒られたりしないんだろうか。

 

 

 神父様は別として、元帥クラスの人間は基本自分のものを除き、イノセンスを複数所持している。

 

 それは適合者を探すためでもあり、普通のエクソシストよりも遥かに強い彼らが、AKUMAから守っている節もある。

 

 伯爵はより多くのイノセンスを壊すため、元帥を狙っているのだ。

 また元帥を殺害出来れば、教団側の戦力を大幅に削れる。

 

 実際既に一人、一番歳上だった元帥が殺害されている。

 

 

 故に元帥の護衛となっているのだが、神父様には要らない気がする。

 あの人強いもん、マジで。

 

 だが一応ということで、神父様センサーを持つティムキャンピーを引き連れ、弟子二人が送られたのだ。

 ブックマンとラビ、それにコムイ室長。あとわたしの知らない一部を除いて、わたしの秘密を知る者はいない。

 

 立場としては同行するファインダーだ。

 

 

「マリアさんも大変ね、クロス元帥の知り合いってだけで連れて来られて…」

 

「いいのいいの、アレンくんよりはダメージ少ないから」

 

 

 隣にいるのはリナリーちゃん。

 彼女の前には正座しながら苦悶しているラビがいる。何かやらかしたせいで、ブックマンに強制されてるらしい。

 

 アレンくんもラビの隣で正座しながら魘されている。

 

 借金云々…のワードからするに、師匠の悪夢らしい。

 彼は本当にどんな修行時代を送ったのか。わたしも男だったら借金地獄を見る羽目になってたのかな…。

 

 

「…リナリーちゃん、アレンくんと何かあった?ちょっと機嫌悪そうだけど」

 

「なっ、何もないわよ!」

 

「そう?なら、いいんだけど…」

 

 

 怪しい。巻き戻しの街から二人に距離感があるのは分かってるんだぞ。

 

 恐らくロードちゃんがAKUMAを自爆させた時に、二人が言い争ってたのが原因だとは思う。

 

 

 色々考えていれば、いつの間にか駅に着いていた。暫しの休憩タイムだ。

 車内特有の息苦しさに若干気分を悪くしつつ、一番に外に出た。

 

 横でティムがうろちょろしているので、気を付けるよう言っておく。

 

 

「猫かカラスに食われちゃうよ」

 

「ガウ!ガウガウ!」

 

 

 だいじょうぶだもん!って、お前ねぇ……。ほら、後ろに猫ちゃんいるじゃない────、

 

 

「ニャア──ー!!」

 

「ティ、ティム!!!」

 

 

 そのまま我が相棒を咥え去って行くドラ猫。野を駆けて〜♩……って、言ってる場合じゃない!!

 

 慌てて追いかけ、どうにか捕まえた。

 

 こんのっドラ猫………けど可愛かったので、持っていたおやつの煮干しを上げて、そのままリリースした。

 

 

「本当っにお前ってば…もう何回も言ってるでしょ!特に猫には気を付けなさい、って」

 

「ガウー……」

 

 

 羽をしなしなにさせ、落ち込んだ様子のティム。

 もう、仕方ないな。次はないんだからね。

 

 森に入ってしまった道を戻りながら歩けば、漸く戻れた。しかし汽車がいない。置いて行かれた……だと……!?

 一先ずティムを使ってリナリーたちが持っているゴーレムに連絡を入れようと考えていたら、聞いたことのある声が聞こえる。

 

 これはアレンくんの……。

 

 

「もが────っ!!」

 

 

 謎の集団にアレンくんが引きずられていく光景。

 明らかな事案である。エクソシストの同行者(ファインダー)として彼をそのまま攫われるわけにも行かないから、その後を追う。尾行スキルはそれなりに高い。

 

 

「ティム、お前も気を付け……」

 

 

 ……え、いない?周囲を見渡したら、アレンくんの方にいた。

 わたしよりもアレンくんの方が好きだというの?

 

 

 若干感傷に浸りつつ、わたしは謎の集団を追跡した。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 

「ハァ……ハァ」

 

 

 ついさっきまで、確かにアレンくんを追っていたはずなんだけど…。

 

 

「ここどこ……」

 

 

 見事にわたしは森の中を彷徨っていた。

 

 

 

 

 

 元々ティムがカラスに食われて行ってしまったのを、追い駆けたのが不味かった。

 ひたすら夜の森を歩いているが、飢えた獣の気配しか感じられない。

 

 

「ティムのバカ!本当にもう……」

 

 

 歩いていれば不意に、血の匂いがした。

 今いる場所よりも大分遠くの場所からだ。

 

 探るように歩くと、切り開かれた森の上に浮かぶ城を見つけた。古城だ。

 それが崖の上に聳え立っている。

 

 

「デッカ…」

 

 

 各地を放浪していた時にいくつも城を見たけれども、今迄見て来たものに劣らぬ荘厳さがある。

 

 取り敢えず血の匂いはそちらからするので、城目掛けて歩き出した。

 ティムもその内戻って来るでしょう。

 いつの間にか気付いたら、服の中にいるケースが多いし。

 

 

「んー…やっぱここからか」

 

 

 城の直ぐ周辺には墓地があった。

 濃い血臭の元はここからだ。

 

 変に掘り起こして襲われるのも嫌なので放置するが、恐らく既に死体となっている。

 正確にはAKUMAの骨組みと、被っていた人間の皮。それがここに埋まっている。

 

 

 あと気になるのは城からする気配だ。イノセンスと…こちらもAKUMAの、血の匂い。

 まさか二つが同じ場所にあるなんて不思議でならない。

 

 交わらぬ存在同士。

 

 つい、シスターのことを思い出してしまう。

 

 

 行きたい気持ちは山々だけれど元々アレンくんを追っていたのだし、そちらを先に優先しよう。

 

 

 

 それから幾ばくか壁伝いに歩く。途中で人の気配がしたので、木の影にとっさに隠れた。

 建物の入口に向かい、痩身の男が走って行く。

 

 続いて聞こえたのは嘔吐音。

 

 直後、聞き覚えのある声が聞こえた。

 

 

「おーい!ラビィ、アレンくーん」

 

「えっ、何でマリアさんがここに…!?」

 

 

 どうやらアレンくんは無事だったらしい。

 二人の後方には木の後ろに隠れている謎の集団がいた。彼らは各々武装している。

 

 

 どうやら古城に住む吸血鬼…さっきの吐いてた男性を退治して欲しいと、ここの近くの村人である彼らにお願いされてアレンくんとラビは来たようだ。

 お願いの仕方が誘拐って、どうなの?

 

 ラビは居なくなった弟子ズを探しに来たらしい。

 

 

「パンダが怒ってたさァ、マリア。あんま勝手に出歩いてもらっちゃ困る、ってな」

 

「だ、だってティムがどっかに行っちゃったんだもん…」

 

 

 ラビに文句を言われるわたしを他所に、アレンくんは先程から吸血鬼男に噛まれた部位を見つめている。

 

 

「マ…マリアさんは、僕が吸血鬼になっても軽蔑しませんよね…?」

 

「大丈夫だとは思うよ。あ、でもあんまり近付かないでね。一応もしかしてがあるから」

 

 

 そう言ったらアレンくんは、ショックを受けた顔で地面に座り込んでしまった。

 

 

 

 その後、二人は吸血鬼退治に向かった。

 ラビやアレンくんには町の人たちと待っているよう言われた。だから一旦二人の姿を見送ってから、わたしも城の中へ向かう。

 

 こんな面白そうな事を放っておけって?いやぁ、無理でしょ。

 

 

「貴方は修道士様ではないのでは…?ただの人間にクロウリーの相手は無理です!」

 

「大丈夫だよ。その男の人は、きっと悪い人じゃないから」

 

 

 一応、と言われ、渡された杭と十字架を持って歩き出した。

 クロウリー、それが吸血鬼男の名前らしい。

 

 彼からは確かに、イノセンスの気配がした。

 

 

 城から感じるAKUMAの気配と、イノセンスの存在。

 何かある気がしてならない。己の勘が告げている。

 

 それにアレンくんは現在、AKUMAを認識出来る目を負傷している。万が一の時危ない。

 今迄見えていたものが見えない。それは隙を突かれる一手になりうる。

 

 かといってわたしがどうこう出来る訳じゃないし、ラビとアレンくん自身の強さに任せるしかない。

 

 

 でもわたしはファインダー、エクソシストの同行者。それを忘れないで欲しい。

 

 

 

「…よし、行こう」

 

 

 

 わたしは城の中へ、一歩踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 城内を歩いていたはいいものの、先程から派手な衝突音が聞こえる。

 落ちてくる瓦礫に命辛々逃げている内に、また道に迷ってしまった。

 

 

「もうやだ…」

 

 

 大広間に出た瞬間に力尽きた。お腹空いたよう。エネルギーが足りない。

 

 ティムは居ないし、AKUMAの気配とイノセンスの気配はさっきから移動しているようで、居場所が掴めないし。

 

 腹いせに小石でも蹴ってやろうかと思った所で、歪な気配を感じた。

 

 

 ────イノセンスの気配。

 

 

 しかし、悍しいほどの愛情を感じる。気持ち悪い。

 思わず鳥肌が全身に立った。

 

 

「………まさか、アレンくん?」

 

 

 彼のイノセンスは普通のエクソシストとは違い、どこか禍々しいものがある。

 正直言ってあのイノセンスは嫌いだ。多分自分と近しい物を感じるせいだ。

 

 

 神からの祝福。

 

 愛情だけれど、それは逆に言えば執着心だ。

 

 エクソシストである事を強制し、その人間の人生を歪めるもの。

 神は所詮エクソシストの事など、代替の利く道具の一つとしか思っていまい。

 

 その中で、アレンくんは一線を画して愛されているのだろう。

 お気に入りとでも言うのかな。わたしは神に愛されてるだなんて思いたくないけど。

 

 

 思考に走っていれば、両サイドの壁が凄まじい轟音と共に破壊された。

 

 

「えっ、え、えぇぇ!?!」

 

 

 ラビはクロウリーと、アレンくんはAKUMAと戦っていたようだ。

 

 

「あ、何でいるさマリア!!」

 

「マリアさん、何で勝手に来てるんですか!」

 

 

 滅茶苦茶怒られた。ごめん。

 でもわたしって、じっとしてられない人間なのよ。

 そう言って笑えば、二人は呆れた顔をしながらも、わたしが無事だったことに安堵の息を吐く。

 

 キミたち本当に優しいね…。

 

 

「……愛か」

 

「どうしたんですか?」

 

「…いや、何でもない」

 

 

 視線の先には、ラビの技で負傷したクロウリーの肢体を抱き上げているAKUMAがいる。

 人間の姿の容姿はとても美しい。

 

 二人の様子を見る度に、シスターと彼女の愛した人間のことを思い出す。

 

 

 二人が見つめ合う姿は、まるで恋人のようだ。

 様子から見ても愛し合っているのは一目でわかる。

 

 わたしはきっとこの光景を見るために、ここまで来たんだ。まるで、そう。導かれるように。

 

 

 共存し合えないはずの二つの存在が、今こうして愛を抱き寄り添っている。

 

 だがそんなもの不可能だ。神は許さない。

 

 

 

 _____クスクス

 

 

 

 ほら、笑っている。わたしの耳元で囁く声。

 

 愚かな神に選ばれし人間とAKUMA。

 感情が読めない笑い声は、二人に対し笑い続ける。

 

 それは怒りから来るのか、それとも喜ばしく思っているのか、わたしには分からない。

 

 

 

「………哀れだ」

 

 

 

 アレンくんの治った左目が、AKUMAの魂を映した。

 わたしにも見えているし、クロウリーやラビにも見えているようだ。ラビは気分を悪くしたのか顔が青ざめている。

 

 二人だけの悠久が終わりに近いことを悟ったAKUMAは、転換(コンパース)しAKUMAの姿となって、クロウリーを襲った。

 

 その様子に魅入っていれば、不意に視界がぐらついた。

 

 

「え?」

 

 

 いつの間にか自分の肢体が空中に浮いている。

 

 何々?!植物っぽい奴が床からうようよ生えてるんだけど!!

 剰えわたしを咥えおったぞ、こいつ!!

 

 

「ラビ、この食人花には叫ぶんです!心の底から「アイラブユー」!!!」

 

「はぁ!?」

 

「昔、面倒見させられたんです!この植物を師匠から!!言わないとこのまま食われて死にますよ!」

 

「ま、マジかよ………あ、アイラブユ──!!」

 

「愛してるぜベイべ──!!」」

 

 

 アレンくんとラビも食われているようだ。

 妙に煩いと思ったら、どうやらこの食人花たちに愛を囁けば解放されるらしい。

 

 それって暗黙の内に貶したら食われるって事を意味してない?怖。

 

 

 

 というか、愛って何だろう。

 先程から禁断の愛を育む二人を見ていて思い出したこと。

 

 シスターや人間が共有していた愛。

 

 

 

 愛?…分からない。愛って何だ?

 

 

 

「マリアさん!!マリアさんも「愛してる」って叫ばないと……うおわぁぁぁ」

 

 

 二人はそのまま食人花に咥えられたまま、地下へと引きずられていった。

 対してわたしの目の前では、クロウリーとAKUMAが戦っている。

 

 

 何故、愛し合っているのに戦うのだろう。

 

 シスターのように何故、二人は共に寄り添い合わないのだろう。

 

 

 理解出来ない。どうしてなんだ?

 

 

 

 

 

 そもそも『愛』って、何?

 

 

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 

 雨が降る中、クロウリーは一人佇んでいた。

 

 傷付いた身体よりも、己が愛した女_____AKUMAを殺したことに、大きな喪失感が襲う。

 

 

 

「エリアーデ…エリアーデッ…!」

 

 

 エリアーデ。

 それが彼が殺した、AKUMA()の名。

 

 

「あなたは何故寄り添うことを選択せず、戦ったんですか」

 

 

 クロウリーの視線は下を向いたまま動くことはない。

 それに気にする事なく、側に来たマリアは続ける。

 

 

「わたしが嘗て見た神への冒涜者は、二人で寄り添い合い、死にました。その光景は酷く美しかった。そしてその二人はAKUMAと人間だった」

 

「………」

 

「クロウリーさん、今抱く喪失感は、愛があったが故にですか?」

 

「私、は……」

 

 

 漸く顔を上げたクロウリー瞳は、酷く淀んでいた。

 

 

「…二人で生きる未来など、無理だったのだ。もう私は…生きていたく……ないで、ある」

 

 

 その言葉聞いた瞬間、マリアの内でまるでパーツが埋め込まれたように、思考が進んでいく。

 

 

 

 寄り添う事が出来ないからこそ、殺したのだ。

 

 そのまま共にいれば、神は二人に悍ましい未来を与えていただろう。

 許されない愛___きっとそれこそが、神がクロウリーに与え給うた試練。

 

 その試練を乗り越え、エクソシストになれというのが神の思し召しなのだ。

 

 マリアは顔を歪め吐き捨てるような顔をし、クソ野郎、と神を侮蔑する言葉を頭の中で浮かべる。

 

 

「わたしは愛など分からぬ人間ですが、クロウリーさん。死のうとしているあなたに言いたい」

 

「……何で、あるか」

 

 

 マリアは笑み、その愛を讃える。

 

 

 

「あなたの愛は、血に染まった結末になりましたが、これもまたわたしは美しいと思うのです。人は誰しも禁忌を犯したがる。その心は無粋で、汚らわしい。

 

 あなたも禁忌を犯したのでしょう。でも、神を冒涜するほどの愛を、どうして汚らわしいと言えましょうか。

 

 愛のために貴方はAKUMA_____エリアーデさんを殺した。いや、壊した」

 

 

 

「…そうである。私は、エリアーデを……」

 

「貴方は、エリアーデさんを救ったんだ。伯爵に囚われていた魂を解放した。所詮囚われた上での愛など、脆い。でも彼女は最期に本当に…心からあなたを愛せたんですよ」

 

「そんなわけないである!きっとエリアーデは……私を恨んでいるである…!」

 

「恨んでいても、憎んでいても、たとえ──殺したいと思っていても、愛は消えないものです。愛は不変なのだから」

 

 

 

 床に膝をつき、子供のように泣くクロウリーに近づきながら、マリアは続ける。

 

 

「あなたは、彼女のために殺した。彼女を愛していたからこそ殺した。死のうと思うなんて間違っている。だからそんな顔、しないでください」

 

「う、うぅ………」

 

 

 クロウリーの背中をマリアが摩っている時、漸く食人花から脱出した二人が着いた。

 

 アレンはその様子を見、尚も死にたい、と呟く男の正面に片膝をついて座る。

 

 

 

「だったら、エリアーデさんを……エリアーデというA()K()U()M()A()を壊した事を、理由にすればいい」

 

 

 

 そしてアレンは彼に、エクソシストになる道を示した。壊した事を理由にする。

 そこから始まり、アレイスター・クロウリーはエクソシストとなってAKUMAを破壊し続ける。

 

 そうすれば、エリアーデを壊した理由になるのだと、そう言って。

 

 

「う、う゛ぅ……エリ、アーデッ…」

 

 

 その言葉に、クロウリーは更に大粒の涙を零した。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 

「なぁーんで、あんたはエクソシストになれ、って言わなかったんさァ。そう言うのが、一番クロちゃんの最善だって分かってたんだろ」

 

「…いやぁー流石ブックマン、全部お見通しってわけねぇ。ところでクロちゃんて、クロウリーのこと?」

 

「あだ名さ。中々イケてるだろ?」

 

「うん。まぁ、いいと思うよ」

 

 

 今マリアたちが居るのは駅の停留場。

 この後来る汽車に乗り、別れてしまったリナリーたちと合流する予定だ。

 

 マリアとラビから離れている残りの二人…エクソシストとなる事を決意したクロウリーは、現在アレンが慰めている。

 

 彼は街を出る際に人々に吸血鬼と罵られ、落ち込んでいるのだ。

 

 クロウリーはこれまで村人を何人も襲い、殺している。その遺体は彼の敷地内にある墓地に埋められていた。

 

 しかしマリアが感じた墓地のAKUMAの気配から分かる通り、クロウリーが殺していたのはAKUMA。無意識にイノセンスがAKUMAに反応し、殺していたのだ。その上殺している最中は、彼の理性のブレーキが効かない状態だった。

 

 だがそんな理由など、村人が知る由もないのである。

 

 

「だってエクソシストじゃないファインダーが言うのと、本職が言うのじゃ重みが違うでしょ。それに…」

 

「何さ?」

 

「わたしみたいな奴が言う言葉じゃないのよ。神様が嫌いな、人間がさ」

 

「そういうもんか?」

 

「そういうもんだよ」

 

 

 風が吹き、マリアのフードを攫った。包帯に巻かれた顔が露わになる。

 遠くからは汽車の汽笛が聞こえた。

 

 

「…さ、行こうか。リナリーちゃんたち待たせちゃってるし、急がなきゃ」

 

「また勝手に行動すんなよ。ジジイに怒られるのは俺なんさぁ…」

 

「ふふふ、それは無理かもしれない相談かなぁ」

 

 

 二人で笑っていればマリアの肩にちょこんと、ティムキャンピーが乗った。尾の色は紫色だ。

 

 

「…あ、お前どこに行ってたの!!」

 

「ガウ!」

 

「ガウじゃない!!お前ほんと…もう!心配したんだからね!」

 

 

 一人と一匹の様子を見、ラビは苦笑いを浮かべつつ空を見た。

 

 

 

 一夜過ぎた頭上には、清々しいほどの晴天が覗いていた。

 

 


 

【食人花】

 

 

花を凝視するマリア。それにどうしたのか首を傾けるアレンとラビ。

 

 

『あの白い髪の方は不味そう』

 

『あのうさぎっぽいの美味しそうよねー』

 

 

 

「………」

 

「どうしたんですか、マリアさん?」

 

 

アレンの言葉に笑ってマリアは、何でもない、と微笑んだ。



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ジャングリラ

大変遅くなりました。ストック6話分ほど書いた所で納得行かず書き直ししました。故にストックが現在ゼロ状態です。
次回の投稿もいつになるか不明ですが、気長にお待ち頂けると幸いです。


 夢の中。

 

 今日もまた、少女が立っている。

 夢を司る、不思議な少女。

 

 

『マリア、なんか悩んでるの?』

 

「愛って何かしら」

 

『愛って言っても色々あるじゃん。恋とかー、あとは家族とか』

 

「ロードちゃんがわたしに抱くのも『愛』?」

 

 

 間を置かず、ロードはうん、と頷いた。

 そのまま少女はマリアの膝の上に座る。

 

 

「それってどんな愛?」

 

『んー…アレンのは愛してるの愛だしー、千年公のは大好きの愛だしー、うーんとね〜』

 

 

 夢の中に次々と人形が現れる。

 ロードが言っていく人物の形が模されており、人物が挙げられる度に増え、空中をふわふわと漂う。

 

 

『……うーん。言っちゃダメなやつだから言わない』

 

「何それ」

 

『でも大好きなのは確かだよ、マリア』

 

 

 最後に現れたのはマリアの形をした人形。

 それを手に取ると、ロードは兎のようにジャンプして起き上がり、駆けて行った。

 

 

『やっべー忘れてた、食事会あるんだった。バイバイマリア、また遊んでね!』

 

「うふふ、バイバイ」

 

『…あ、ちょっと待って』

 

「何?」

 

 

 ロードは一旦戻り、手に持っているマリアの形とは違うもう一つの人形を渡す。

 その人形はドレッドヘアーが特徴的で、目はボタンでできていた。

 

 

『さみしい時はね、これをボクだと思ってぎゅーってして!僕もさみしい時はマリアの人形ぎゅう〜〜ってするから!』

 

「ロードちゃん…ふふ、ありがと」

 

『えへへ〜』

 

 

 マリアは嬉しそうに笑うロードを抱き寄せ、頭を優しく撫でる。そして別れのキスを頰にし、去って行く少女に目を細めた。

 

 

 その姿がなくなると、辺りは暗闇に包まれる。

 そこでふと思った疑問。

 

 自分は一体あの少女に、どんな感情を抱いているのか。

 

 

 愛?あい……?

 

 

 

「……愛しい」

 

 

 

 漠然としたそんな感情。

 しかし確かに、そんな感情があった。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 電車の激しい揺れで、わたしの安眠は妨害された。

 

 

「………何で誰もいないの?」

 

 

 先程まで…というか乗って直ぐに寝てしまったので覚えていないけれど、ここには三人居た。わたしとアレンくんと、ラビ。

 なのに四人が座れる個室にはわたし以外誰もいない。

 

 ちなみに初めは別にしようと男衆(但し落ち込んでいてそれどころじゃないクローリー以外)は言っていたけど、そんなの寂しいじゃない、ということで強引に割って入った。

 

 大丈夫。手を出したらティムに指ごと噛みちぎられるから。

 そう言ったら何故かラビが顔を青くして、アレンくんが苦笑していた。

 

 

 思い出していれば、ふとシーツの上に置かれている紙に気が付いた。

 

 

【クロちゃん探してくるさ!】

 

 

「え、どこか行くなって言ってた本人たちが行っちゃうワケ…?」

 

 

 まぁ何かあったとしても、アレンくんの能力があるから大丈夫だと思ったんだろう。頼もしいものだ。

 彼の左目はAKUMAエリアーデとの戦いをきっかけに復活している。わたしも感知能力はあるけど、アレンくんほど性格じゃない。

 

 このまま戻って来るまで本を読もうと思いつつ、バックパックを探った。

 

 

「ん、何これ?人形?……あっ」

 

 

 どういう原理で夢で渡されたものがこの場所にあるのか不明だけれど、ロードちゃんからもらった人形が入っていた。

 ただ、今探している目的の物とは違うので一旦戻して、奥の方に埋まっていた本を取り出す。

 

 

 読むのは宗教論。

 神とは実際いるのか、それとも概念的なものなのか。

 

 数ページして段々瞼が重くなってきて────。

 

 

「ぐぅ」

 

 

 そのまま寝落ちしたわたしは、戻って来た三人に揺り起こされた。

 

 

 

 

 

「マリアさん、マリアさん」

 

「………ムニャ?」

 

 

 はっとして、クセで口元を拭う。よかった、涎は垂れてない。乙女が醜態を晒すわけには行かないからね。

 

 というか、包帯を巻いているから意味のない行為だった。

 

 あと、何故かテンションが戻っているクロウリー。どうやら好奇心補充を終えたらしい。

 彼は汽車に乗って早々、中の探検に出た。これまでずっと古城にいて、汽車に乗ったのが初めてだったらしいのだ。

 

 ラビやアレンくんに何をしていたのか尋ねれば、クロウリーにトランプでイカサマを仕掛けて金品を奪おうとした輩を、アレンくんがフルボッコにしたという。

 

 今から途中で降りる輩たちに逆に奪った衣服を返しに行くらしい。

 付いていけば寒空のもと、下着一枚の数人の男たちと、こちらは着衣してる病弱そうな子供がいた。

 

 

 ……というか、待って?何故そんな面白そうなことにわたしを誘ってくれなかったのさ!!

 

 他人の目に余るほど悔やんでいれば、負けた男たちが顔を引きつらせる。

 

 

(ヤベェ!!ありゃあ、あの中の大将だぜ。俺たち運が良かったな…)

 

(関わってたら内臓まで賭けられてたんじゃねェか!?)

 

(もういい、さっさとズラかろーぜ)

 

 

 ヒソヒソと喋っているみたいだが、全部聞こえてるぞおっさん共。体内にイノセンスが混じっているせいか、五感はこれでもいい方なのだ。

 

 

「わたしもぉ、やりたかったなぁ〜…」

 

「「「ヒエッ」」」

 

 

 おっさん三人は連れていた子供を掴んで、ダッシュで逃げて行った。

 

 グルグル眼鏡の奴は何か思い出したのか、戻ってアレンくんにトランプを投げ渡していた。

 

 カードゲームをやる際見せてもらったけど、中々好きなセンスのトランプだった。

 

 

 

 

 

 その後、無事にリナリーちゃんたちと合流し、クロス元帥を追って中国に入った。

 

 後から聞いたけど、神父様はクロウリーの城にも訪れていたらしい。クロウリーの祖父と面識があったとか。

 それで、金を借りたんだってさ。その金って、アレンくんが払うことになるのかなぁ……。

 

 

 そして山間部に入り、川を小舟で渡っていた。

 小舟にシートを被せ、その下に寝転んで隠れながら進んでいた時、感じた血の匂い。

 

 引くほどAKUMAいる。陸に着くと、そこから戦闘の連続だった。…エクソシストたちがね。わたしは戦力外である。不甲斐ない。

 

 

 AKUMAをある程度一掃し終えたら、情報収集。

 

 ずっと調べ回ってばっかりだったので、途中屋台に寄り大量に品物を頼んだ。ブックマンに観察されてるけど。

 

 

「イノセンスに何か変化はあったか?」

 

「何もないよ。10年以上変化がなかったんだから、そう簡単に変わるわけないさ。ブックマンも何か頼みます?」

 

「そうか…。いや、儂は結構だ」

 

 

 お年だからな、チャイニーズ料理は美味しいけど、こってり感が強い。

 

 時間がないので、10人前程食べて次のところに向かおうとして、リナリーちゃんから連絡があった。

 

 

『アレンくんが有力な情報を手に入れたわ!』

 

 

 着いた場所は遊郭。THE女好きである。

 

 旅の中で、こうも探しビトの人間性を垣間見れるというのは中々ないよね。

 犯罪者だったら跡を残さないよう努めるけど、神父様は更々隠す気ないよね。わたしもう頭が痛いよ。

 

 

 マホジャさんという門番をしていたスキンヘッドの女性に、わたしが襟首を掴まれるトラブルがありつつ、彼らが教団の関係者だったので難なく通れた。

 

 

「じょ、女性だったのか!も、申し訳ないことをした…」

 

「よく勘違いされるので結構ですよ、お気になさらず」

 

 

 ファインダーの格好だと、98パーセントの確率で初見の人に勘違いされるのでもう気にしてない。

 

 中に入ると、所謂絶世の美人というやつの、アニタさんという店主がいた。こりゃああの女好きがほっときませんわ。

 

 そんな彼女から出た言葉は、周囲を驚愕させる。

 

 

「クロス様が8日前旅立たれた船は、海上にて撃沈されました」

 

 

 海は大量のAKUMAの骸から滲み出た毒で犯されていたそうだ。

 

 

 アレンくんは絶対師匠は死んでない、と言い、アニタさんはその言葉に泣いていた。

 彼女、ガチで神父様に惚れてるな。そして神父様は例の如く、女性に貢がせてたのかな…。

 

 その時不意に、袖を引っ張られた。

 

 

「どしたの、リナリーちゃん?」

 

「ま、マリアさんは…大丈夫?」

 

 

 あぁ、わたしを心配してくれてるのか。神父様が死ぬわけないさ。

 強いし、あの千年伯爵から重傷のわたしを連れて逃げた神父様だよ?バカなこと言わないでよ。

 

 それにアニタさんみたいな美女を残して死ぬわけがない。

 

 

 

「生きてるよ、絶対」

 

 

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 海に漂う血の匂い。

 

 マリアは鼻をつまんで唸る。ただ、思ったよりも匂いは少なかった。

 気分を害するほど濃いかと予想していたが、検討は外れた。

 

 甲板に立つ彼女の側では、ティムキャンピーがフランスパンを食べている。

 その様子を横目で見つつ、マリアは暗い空を眺めた。

 

 

「なんか、嫌な感じするな……」

 

「ガウ(もぐもぐ)、ガガウ」

 

「お前は食べながら喋るんじゃないの」

 

「グルゥ?」

 

 

 ティムキャンピーが突然マリアの後ろをじっと見つめる。

 つられてマリアも振り向けば、そこにはアニタとマホジャがいた。

 

 煌びやかな衣装を着ていたアニタの格好は、今は動きやすいラフなものになっている。

 美人は何を着ても美人である。そんなことを思いながら、マリアは差し出された二人の手を順番に握った。

 

 

「初めまして、わたしはファインダーのマリアと申します。この度のご尽力深く感謝いたします」

 

「いいのよ。宜しくね、マリア。あぁ…あとマホジャが無礼をしたようで、申し訳ありませんでした」

 

「本当にすまなかった…」

 

 

 深々と頭を下げる二人に、マリアはオロオロと取り乱す。

 丁寧な扱いは慣れていない。

 

 一先ず協力者(サポーター)二人の協力があって江戸に向かう算段ができた。

 そんな尽力を尽くしてくれた二人に彼女の頭が上がるはずもない。

 

 

「ふふ」

 

「んにゃ?」

 

 

 突然微笑んだアニタにマリアの頭の上で「?」のマークが浮かぶ。

 

 

「あの方がおしゃっていたよりもずっと、愛らしい方ね」

 

「……ふぇ!?」

 

 

 瞬時にクロスが自分のことをアニタに言っていたのだと、察したマリア。

 絶対クソガキ云々──と言われていたに違いない。

 

 

「ティムキャンピーは随分あなたに懐いているのね」

 

「そりゃあ…わたしの相棒ですから」

 

 

 双方はいくばくか会話した後、アニタは船長としての職務に戻った。

 マリアはまたぼんやりと海を眺める。

 

 

「…ん?」

 

 

 不意に遠くで黒い物体が見えた。夏に小虫が球体状になって空中を飛んでいるような、そんな姿。

 次第にそれは形を変えて船の方へと近付いてくる。

 

 ────血の匂いだ。

 

 望遠鏡を持った船員が叫ぶ。

 

 

「AKUMAだ!大量のAKUMAがこちらに向かって飛んで来てるぞ!!」

 

「AKUMAが飛ぶ前方に白い巨大な物体もいます!!!」

 

 

 ティムは異常を察知し己の主人を引っ張った。しかし銅像のように女の肢体は動かない。

 黒い瞳が食い入るように見つめるのはAKUMAではない、白いバケモノの方だ。

 

 荒れる船内。エクソシストたちは急いで臨戦態勢に入る。

 

 

「ガアアア!!」

 

「……」

 

「ガウ!!」

 

「…ティムねぇ、見て」

 

 

 白いバケモノを指して、眉を下げたマリアは笑う。

 

 

「咎落ちだ」

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 咎落ち。

 

 

 それは神を裏切った、もしくは無理やり神域に入ろうとした神に選ばれざるものが迎える末路だと、マリアは考えている。

 

 かつて一度だけ、彼女はその姿を見たことがある。

 薄暗い夜、彼女はまだファインダーになりたての新米だった。

 

 

 

『あーあ、任務疲れちゃったよ。ホントに人使い荒いんだから』

 

 

 まだ広い教団内を把握しきれていなかったマリアは、間違えて立ち入り禁止の場所に入った。

 そこでは、人間の道徳を無視した研究が日々行われていた。

 

 聞こえたのは子供の呻き声と、研究員らしき人物たちの叫び声。

 

 

『あ、ァァ』

 

『実験の失敗だ!!何故だッ!この少年はエクソシストの血縁者なのに!!』

 

 

 マリアは部屋の前で隙間からその様子を見ていた少女_____リナリーの肩を優しく掴み、頭を撫でた。

 当時リナリーはイノセンスの適合者だとコムイの元から離され、一人寂しく教団に縛られていた。

 

 一瞬震えた少女は、自分よりも大きく温かな手を握り返し、涙を流す。

 

 

『あの子、死んじゃう…!!』

 

『そうだね。でも、しょうがないよ。聖戦のためだから』

 

『私に「バイバイ」って、手を、ふってたのに…』

 

『………』

 

 

 少女を慰めるマリアの瞳は、まっすぐに実験の惨状へと向かっている。

 少年は遂に醜く白いバケモノへと成り果てた。

 

 マリアの顔は能面のように動かず、瞳の奥はどこまでも冷めたものに変わっていた。

 

 

『人間は救いようがない生き物だね』

 

 

 その後、マリアは立ち入り禁止の場所にいたことが露呈し、厳重注意と数ヶ月の謹慎となった。

 ひとえに軽く済んだのは、新米ということを考慮されたからだ。

 

 それとちょうどコムイが室長として着任したことも幸運だったと言えるだろう。

 

 

 

 

 

 そして_____久しぶりに見た白いバケモノ。

 

 彼女の内に潜むイノセンスが疼く。

 まるで目の前の神に仇なした存在を、殺せ、と言っているかのようだ。

 

 

「発動させないクセに」

 

 

 AKUMAは咎落ちしたエクソシストのイノセンスを追いかけ、船の頭上を通り過ぎていく。

 一部は船上にエクソシストがいると気付き、攻撃を仕掛ける。

 

 エクソシストは交戦し、サポーターも結界装置(タリズマン)を使いAKUMAの攻撃を防いだ。

 しかし死人は増えていくばかり。

 

 

 血が舞う船の上をマリアはふらふらと歩いた。

 頭が割れるように痛む。神は彼女に囁く。殺せ、と。

 

 詩を読むようにマリアは歌う。頭の中に浮かぶ言葉を、そのままに。

 

 

『愚かな神は囁くのだ。殺せ殺せと囁くのだ。

 

 人間は同族を殺すのだ。聖戦の供物だと人を殺すのだ。

 

 果たしてどちらが愚かなのか、わたしには分からない。

 

 でもこれだけは確かだ。

 

 

 ────どちらも、滑稽なのだと』

 

 

 無性に笑いたくなる。多くの人間が死んでいく中で、彼女は何もできない。誰も助けられない。

 愚かな人間をマリア自身、本当は嫌いなのだ。

 

 けど、守りたい。

 けど、救えない。

 

 

 矛盾だらけの中、一人彼女は踊らされている。踊る場所は神に用意された舞台である。

 だから皮肉を込めて、彼女は歌う。

 

 

「……してよ。発動………してよ!!発動してよッッ!!!!!」

 

 

 しかしやはり、イノセンスはうんともすんとも言わない。

 マリアは後方から吹っ飛んで来たラビに巻き込まれ、角材に思い切り頭を打ち付けた。

 

 ラビはクッションがあってよかったと思った瞬間、踏んづけてしまっているマリアに驚き瞠目する。

 

 

「うおぉぉぉ!!ご、ごご、ごめんさ、マリア!!!」

 

「きゅう」

 

 

 頭から血を流し目を回す女にラビはあたふたとし、怒ったティムに頭を齧られた。

 

 

「ガウガウ!!!」

 

「いっで、ご、ごめんってば!!」

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 曲がりくねった道の上。

 道は地平線の果てまで続いている。

 

 不意に後ろを向こうとして、誰かから待ったが掛けられた。

 

 

「…ここはどこ?」

 

 

 わたしの問いに、夢の中だよ、と声が帰って来る。

 

 

「あなたはロードちゃん?どうして後ろを向いちゃダメなの?」

 

 ────ちがうよ。うしろをむいちゃダメ。

 

「何で?」

 

 ────まえにすすむってきめたんでしょ?だったら、うしろをむくひまなんてない。

 

「そう、だけど…」

 

 

 握り拳を作る。ファインダーになった所で、わたしは一歩も進めていないんじゃないだろうか。

 

 何の役にも立てない。戦うための力が無い。

 それでも守るために戦いたい。

 

 

「結局わたしは、進めていないんだ。イジワルな神様のせいで、イノセンスさえ使えない。どうしてこんなイジワルするんだろ…」

 

 ────いのらないからだよ。

 

「神に忠誠を誓うんだったら、死んだ方がマシだから」

 

 ────クスクス、しねないのにね。

 

 

 その言葉にカチンと来た。

 

 さっきからわたしを煽ってくる奴の顔を見ようとして体を動かそうとしたけど、身体に黒いものが巻き付いていて動けない。

 

 これは……蛇だ。

 

 

「あなたは何なの?まさか神様?」

 

 ────あなたがさす神は、ほんとうに神なのかな?

 

「……どういうこと?」

 

 _____神はしょせん、ニンゲンが、ききんやせんそうといったくるしみのなかで、すがるものをもとめてつくっただけにすぎない。むいしきてきに、いぞんばしょをもとめただけ。ただのがいねんの、たいけいかだよ。

 

「…それを認めたとして、じゃあ一体何故イノセンスがあるの?何故千年伯爵がいるの?それがある事自体、あなたの考えは真っ向から否定される事になるでしょ」

 

 ────クスクス、クスクス

 

 

 何かは笑う。楽しそうに、狂おしそうに。

 一瞬寒気がした。余りにも抽象的だけど怖い。姿の無い恐怖のようだ。

 

 

「結局あなたは誰なのよ」

 

 ────いずれ、わかるよ。

 

「…いずれいずれって、いつまで待てばいいの?わたしは……わたしは、戦いたいのに」

 

 ────そのかんじょうは、ほんとうにあなたのかんじょう?

 

「ウソでできた、わたしの感情だよ」

 

 ────クスクス、ヘンなの。

 

 

 誰が変人だ。それだったらそっちの方が変な人でしょ。

 

 

 ────おろかなうえで、たたかいたいというなら、あなたはまだ、たりてない。

 

「何が?」

 

 ────『愛』がたりない。アイをしりなさい。あい。アイ。愛。

 

「『愛』?それを知った時、わたしはイノセンスを発動出来るの?」

 

 ────クスクス、クスクス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクスクス────。

 

 

 

 

 

 一斉に耳元から大音量を伴って聞こえたのは、そんな笑い声。

 老若男女問わない、誰かが、何かがただ狂ったように笑っている。

 

 怖いのと、まるでわたし自身が侮辱されているようで腹正しい。

 

 わたしだって、懸命に生きているのに。

 

 

「もういい。付き合ってられない」

 

 

 返事はない。

 現実に戻れないかと念じていた時、不意に耳元で声が聞こえた。

 

 

 

 

 

「あなたがしんだとき、わかるわ」

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 起きて早々ティムが高速で飛んで来て、頭を再度打った。

 どうやらわたしたちが乗っていた船は中継地点の港に着いたらしい。

 

 マホジャさんに肩を持ってもらいながら外に出れば、船の外観が幽霊船のようになっていた。

 

 

「んー…なんか夢を見てたんだよな。愛を知れ、とかなんとか……」

 

「だ、大丈夫か…?」

 

 

 そんなに心配されなくても大丈夫です。

 戦っていたエクソシストの方がどうなったのか、辺りを探った。…あれ、アレンくんがいない。

 

 周囲はまるで通夜ムード。

 見た顔があると思えば、アジア支部でお世話になったウォンさんがいる。

 

 一際落ち込んでいたリナリーちゃんが目に付いて歩み寄れば、嗚咽を漏らしながら泣いている。

 ラビはその背中をさすっていた。

 

 

「…何があったんですか、ブックマンJr」

 

 

 ラビは神妙な面持ちで言葉を返す。

 

 

「アレンが咎落ちしたスーマン・ダークを追いかけて、その後ノアと遭遇。……死亡、したさ」

 

「え……?」

 

 

 _____スーマン・ダーク。

 

 その人物が死を恐れ、ノア側にエクソシストやファインダーの情報を売った犯人だった。

 

 飛んでいたアレンくんのティムキャンピーを見れば、わたしのティムが慰めるようにすり寄っている。

 

 アレンくんのティムが記録した映像を見せてもらえば、長身のノアの男にアレンくんが殺される映像が映っていた。

 

 途中で膝が笑い出して、すぐさま視線を逸らした。何だ…コレ?

 ロードちゃんと違って、あのノアはどこか怖かった。本能的に身震いがする。

 

 

「マリアさん」

 

「……リナリーちゃん」

 

 

 年下の彼女に服をぎゅうと掴まれる。リナリーちゃん、優しいもんね。アレンくんが死んで、辛いんだ。

 

 わたしも、辛いよ。

 聖戦で戦う存在が一人欠けてしまった。

 

 それはすごく、悲しいことだ。

 

 

 リナリーちゃんを慰めていれば、ウォンさんから私宛の電話があるらしいと、声を掛けられた。

 電話の相手は室長。皆から少し離れた場所で電話を取った。

 

 

『やぁ、無事かいマリアさん』

 

「はいシスちょ……室長」

 

 

『ん?シス……何?』のシスコン室長の発言は無視して、先を促す。

 室長曰く、アレンくんは生きてるらしい。

 

 …どゆこと?

 

 

『彼も君と同じ、イノセンスが適合者の傷を治した。それもアレンくんの場合は彼の心臓を、だ。これで異例は二件目。それに伴い君のハートの可能性は無いわけじゃないが、薄まったと言っていい』

 

「……それで?」

 

『元々はここで君には本部に戻ってもらう予定だった。ブックマンから相当危なくなっている話を聞いたからね。だがハートの可能性が薄れた今、マリアさん、貴女には選択肢が増えた』

 

 

 一つ、このまま本部に戻る。

 

 二つ、アジア支部に留まり、アレンくんと共にイノセンスを発動させる練習をする。

 

 

 アレンくんはノアにイノセンスを破壊されても、イノセンスの粒子が彼の側に残っていたようで、怪我が回復次第取り戻す訓練をするらしい。

 

 似たような性質を持つ者が近くにいれば、わたしのイノセンスが復活する見込みもあるということだ。

 

 

「わたしは……」

 

 

 これ以上、一人だけ足踏みをしているのは耐えられない。

 救えない、ただのお荷物。

 

 わたしは神の手のひらで踊っている人形だとしても、矛盾を内包した愚か者だとしても、これ以上立ち止まっているのはそれこそ本当の愚者だ。

 

 

「…このままリナリーちゃんたちと進みたいと言っても、ダメですよね」

 

『うん、残念だが』

 

 

 辺りを見回す。仲間を失い悲嘆に暮れる者や、前を進もうと歯をくいしばるもの。

 それぞれが懸命に己の道を進んでいる。

 

 

「………わたしは」

 

 

 戦いたい。戦って、愚かだと思う人間をそれでも救いたい。

 それがきっと、わたしの運命だから。

 

 

「わたし、絶対にイノセンスを取り戻してみせます」

 

『…そうかい、わかったよ。僕の方からバク支部長には連絡しておく」

 

「…はい!」

 

 

 きっと、戦場に戻って来る。今度はファインダーとしてじゃなくて、エクソシストとして。

 神様に祈らない滑稽なエクソシストだ。神め、いくらでも笑うがいいさ。

 

 

 わたしは進む。今度は神によって決められた道じゃない、己の道を歩んでみせる。

 

 

 

 ──────戦いなさい、マリア。

 

 

 

 

「言われなくても、戦ってやるわ」

 

 

 

 この手で、自分で守りたいと思ったものを守るために。

 

 守るため、だけに。

 

 


 

【アジア支部】

 

仲の良いフォーとマリア。その近くに座るバク。

 

 

「オラオラ食えマリアー!!」

 

「(ごっくん)じゃあ後20皿餃子を…」

 

「よく食うな…」

 

「ウルセーチビ!!だからマリアより小せェんだよ!」

 

「何だとフォォォオ!!!」

 

「(煩い…)」



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秒針あと一歩で2:00になる

ジャングリラは「シャングリラ」をもじったもので、理想郷の意味合いがあります。


 右を向けば餃子、左を向けばチャーハン。

 

 その上ここは本場の中国。ジェリーさんの料理も美味しいが、本場の味もやはり捨てがたい。

 極論腹を満たせれば何でもいい、というのがマリアの本音である。

 

 

 アジア支部に着いた彼女が一番に向かったのは、アジア支部の番人である友人のフォーでも、支部長のバクでもなく、食堂だった。

 

 これには付き添っていたウォンも苦笑いした。マリアの食いっぷりは見ていて清々しい。

 食べる作法もその量に対して綺麗なのだ。

 

 

「相変わらずよくお食べになるのですね、マリア殿は」

 

「ウォンさん…美味しいです!」

 

「それは良かったです」

 

 

 目をキラキラさせるマリアに変わらないなと思いつつ、これからの予定をウォンは話す。

 

 

「現在アレン殿はフォーとイノセンスを取り戻すため、戦闘形式での訓練を行っております。マリア殿には間を見て、アレン殿やフォーとの対戦をお願いしたいのです」

 

「えっ、アレンくんフォーと戦ってるの?」

 

「はい」

 

 

 マリアはアジア支部にいた頃、暇を持て余した時はフォーと戦っていた。

 たとえイノセンスが使えなくとも、力を付けようと努力していたのだ。

 

 元からのセンスを伴い、フォーと生身で互角に渡り合えるほどには戦闘能力がある。

 

 それでもAKUMAと実際出くわした際に勝てるわけではない。

 しかしひとえにクロス元帥を探す旅の中で生き残れたのは、その強さ所以だ。

 

 

「食べてる場合じゃ…ないね」

 

 

 そう言い、餃子20個をハムスターのように口に突っ込んで、食べた皿を持ちマリアは席を立った。

 意気込んで食堂を出ようとしたところで、遠くの方で誰かが走って来る。

 

 その人物は廊下にいる人間を吹っ飛ばしながら、暴走列車のごとくマリアとウォンに近づいて来た。

 

 

「マァァァリアアァァァァァァァ!!!」

 

 

 子ども、という言葉が似つかわしい身長の小柄な少女。

 しかしチューブトップとパンツ姿の出立ちがその幼さと相反し、妙な色気を漂わせる。

 

 この少女こそがアジア支部の門番、フォー。

 また現アジア支部トップのバク・チャンの曽祖父が作り出した、守り神の副産物として生まれた存在である。

 彼女はヒトの肉体のような器を持っていないが、擬態能力を駆使しして実体化することが可能だ。

 

 マリアは久しぶりのフォーとの再会に、笑顔を浮かべ手を挙げた。だが当の少女の方は、修羅の如き顔で迫ってくる。

 

 

「オラァァァァァ!!!」

 

 

 そして、番人の少女は女が立つ数メートル離れた手前で飛び膝蹴りを放った。

 が、それを予期していたマリアは、ギリギリでそれを避ける。

 

 フォーはマリアの後ろにいた男を、勢いのままドロップキックで吹っ飛ばし着地した。

 少女は床を派手にふみ鳴らして女に近付く。

 

 

「ぐぬおあぁぁ」

 

「バ、バク様ァァァァ!!」

 

 

 顔に少女の足跡がくっきり残された男の苦悶の声と、その男を心配するウォンをバックに、会話が進む。

 

 

「バクから聞いたぞ、マリア!テメェ、イノセンス持ってたのかよ!!(あたし)のこと騙してたなんてマジで許さねェ!!」

 

「騙してないよ、聞かれてないだけだもん。あとその情報簡単に口外しちゃダメなやつ」

 

「ウッセェ!黙ってたお前が悪い!!」

 

 

 怒る番人と、それを右から左に受け流す女。

 

 

「…ここに来たってことは、覚悟は出来てんだろうな?今度は手加減しねぇぞ」

 

「ふふ、手加減してたの?」

 

「し、してたに決まってんだろ!!」

 

 

 フォーは過去の手合わせで本気を出してはいなかったものの、それなりの力を出して戦い、マリアと互角…といった具合だった。

 

 彼女の秘められた強さは想像以上のはずだ。

 それが開花したらと思うと、自然と番人の口元は弧を描く。

 そんなフォーが見つめる先の女は、瞳の奥で黒く燃えたぎる炎を宿していた。

 

 

「お手合わせ願います、フォー」

 

「おぅ、あたぼうよ!」

 

 

 二人の闘志が高ぶっている中、漸く復活したバクは立ち上がり、フォーを睨め付ける。

 

 

「フォー!今度という今度は許さん!!それに貴様はウォーカーと特訓中だっただろう!!」

 

「ギャーギャーうっさいんだよ、バカバク。ウォーカーは今目ェ回して気絶してるよ」

 

 

 マリアは相変わらずの二人に苦笑いしつつ、深く息を吐いた。

 

 

(頑張らなくちゃ…死ぬ気で)

 

 

 強く握られた手をフォーは横目で見、薄く笑った。

 必ずイノセンスを取り戻させてやると、己の友人に誓って。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 マリアに行われた特訓において置かれた重点は、アレンとは少し異なる。

 

 

 アレンは自分のイノセンスのスタイルを確立させようとしている。

 対しマリアの場合はその一歩手前、発動の感覚を掴ませることだった。

 

 幾度もピンチの中で発言しなかったのだから、むやみやたらに追い込んでも意味はない。

 

 そのため取られたのは、様々な攻めの攻撃。

 

 

 攻撃の仕方によって受ける側は反撃の手を変える。

 その意識が発動の感覚を掴む糸口になるのではと、話し合いの結果出たのだ。

 

 

「ッ…」

 

「おら、どうしたマリア!!随分見ない間に身体がなまっちまったみてぇだなァ!!」

 

「う…うるさい!」

 

 

 上から右から左から、時折フェイントも踏まえてフォーは攻撃してくる。

 今までと違うのは、フォーが()()前提で攻撃を仕掛けてくることだ。

 

 殺意を踏まえた殺しはただの練習とは違う。

 手を鎌状に行われるフォーの攻撃の数々は、マリアを十分に怯ませた。

 

 

「逃げてんじゃねェ!どうすればいいか頭を回せ!!」

 

「分かってるよ!!!……うわっ!!」

 

 

 首元に来た攻撃を避け、マリアは床を蹴り飛ばして大きく後方に下がる。

 悔しいが、戦闘の中で彼女は自分の奥底に眠る恐怖を理解してしまった。

 

 

 伯爵に腹を貫かれた時に感じた痛み。

 AKUMAに攻撃され感じた腹を焼くような痛み。

 

 その痛みの数々が蓄積されて、その結果が今の彼女の「逃げる」という行動に大きく現れている。

 

 戦おうと思う前に、その痛みに対する無意識の恐怖が邪魔をしているのだろうと、フォーは手合わせの中で見抜いた。

 

 まずその姿勢を崩さないと始まらない。

 これまでの外傷が原因となり、マリアの身体は肉体的な痛みに対しひどく拒否反応を起こしてしまっている。

 

 

「…もういい、ウォーカーに代われ」

 

「でもっ!」

 

「マリア、痛みの恐怖ってのは、誰にでもある。でもお前は聞く限り痛みを味わいすぎて、今は体の方が参っちまってる。焦るな、自分のペースでいい」

 

「………わか、った」

 

 

 下を向き、部屋から出て行くマリア。ちょうど入れ替わるように部屋に入ってきたアレンは、彼女の後ろ姿をじっと見つめた。

 

 アレン自身も、今イノセンスを使えずに苦しんでいる。

 その苦しみを10年近く一人で抱えていたのかと思うと、胸が痛むのだ。

 

 そんなアレンの肩が、びくりと動く。背後から放たれる、ここ最近で感じ慣れた番人の少女の殺気。

 

 

「他人の心配するヒマがあったら自分の心配をしな、ウォーカー」

 

「う、わっ!」

 

 

 フォーがアレンに急接近し、今度は二人の戦闘が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 池の前で、マリアはぼんやりと水面を眺めていた。

 夏にはこの池で蓮の花が咲く。

 

 今は咲いていないが、きっと今年も綺麗な花が咲くのだろう。

 

 

「『愛を知れ』…か」

 

 

 夢で自分に語りかけていた存在は、明らかに異質だった。

 ロードではない、でも少女に似た何かを感じた。

 

 ソイツは愛を知れとも、死んだら己の存在がわかる──とも言っていた。

 

 神ではない()()()なのは確かだ。アレが神聖なもののわけがない。

 

 真っ黒で、でもどこか、美しい。

 

 

「わかんない。わかんないし、辛い……」

 

 

 慰みに相棒の影を探したが、ティムは現在いない。

 クロス元帥の探索の手がかりになる存在として、今はリナリー達の元にいる。

 

 マリアの頭がエンストしそうになっていれば、後ろから声がした。

 

 

「…あ、いた!マリア、お隣いいですか?」

 

「えっ?あ、アレンくん…いいよ」

 

 

 彼女がベンチの隅によって場所を空けると、アレンも腰かけた。

 

 

「マリアも大変ですね」

 

「そーだねぇ。神様がここにいたら顔面ぶん殴って殺してやりたいぐらいには………大変かな」

 

 

 ハァー、と深く息を吐くマリアに、アレンは微笑む。

 

 

「あなたはすごく強い人だと思います。懸命に戦って…頑張っている。その姿を見ているだけで、僕も頑張らなきゃ!って、思えるんです」

 

「どうにも、上手くいかないけどね。痛いのが怖いとか、本末転倒だよ」

 

「…フォーから聞いて思ったんですが、それって一種の回避行動なんじゃないかと思うんです」

 

「回避行動?」

 

「はい。痛いのが怖いのは無意識的なものじゃなくて、もっと原始的なものなんじゃないかって。本能的に、とか」

 

「…つまり、わたしの本能が痛みを避けるために、恐怖心を煽っていると?」

 

「はい、多分……だから、いっそ素直に「怖い!」って思って逃げてみたらいいんじゃないですか」

 

「そんなこと言ったって…」

 

「マリアは、怖いっていう感情を抑えつけて戦おうとしてる。それじゃあきっとダメなんです。一回受け入れて見ませんか?弱い自分を、受け入れる」

 

「…!弱い、わたしを………」

 

「あなたは強くあろうとしている。けれど別に弱くたっていいんです。痛みは、誰だって恐ろしいものだから。弱いなら仲間の僕たちが支えます。人間て、そういうものでしょう?」

 

「………アレンくん」

 

 

 心の奥でじんわりと、温かい何かが溢れる気がした。

 

 マリアはずっと自分の秘密を抱え、一人で戦っていた。自分自身や、敵に。

 守る存在は強くなければならない、そう思い続けて、戦ってきた。

 

 彼女の理想の強さはクロスだ。

 

 圧倒的な強さで、敵を蹂躙する。

 千年伯爵と相対した時に見せた男の強さは、彼女に憧憬を抱かせるのに十分だった。

 

 

 しかし共に戦う方法も、間違っていないのだ。

 むしろそのあり方こそ、マリアが真に求めたものなのかもしれない。

 

 

「絶対あの女ったらしのせいだ…。模範にする相手間違ってた………(ブツブツ)」

 

「そ、そうですね」

 

「……ねぇ、アレンくん」

 

 

 マリアは距離を詰めて、アレンの色の変わる瞳を見つめる。

 今は薄い銀色が陽に照らされて、美しく輝いている。

 

 アレンは噛みながら、目を大きくした。

 

 

「な、ななっ、何ですか?」

 

「アレンくんはさ、『愛』って何だと思う?」

 

「愛…ですか?」

 

「うん」

 

 

 それに、アレンは暫し考えるように空を見つめた。

 その間もマリアは少年の瞳を見つめる。

 

 不意にその瞳が敵のノアによって殺されかけ淀んでいた映像を思い出し、あの時感じた恐怖は、壊される感覚を自分に重ねていたからかと、思い至った。

 

 

「寄り添いあって、死を迎える────」

 

「…何?その鬱暗い考え」

 

「死んでも共にいたいと願って、手を取り合う。そんな深い愛だと、僕は思います」

 

「…そっか」

 

「逆にマリアの考える愛って、何ですか?」

 

 

 アレンの質問にマリアは片眉を上げる。

 分からないから聞いてるのだ、と言って口角を上げた。

 

 

「でもね、分かったこともある。例えばわたしがフォーに抱く愛は、友人としての愛なんだ。リナリーちゃんとか、ラビ…アレンくんも」

 

「友人、ですか」

 

「そう。フォーに至ってみれば、もう親友かもしれないな〜」

 

 

 腕を組んで笑うマリアに、アレンは口をもごもごさせて顔を背ける。

 マリアは以前フォーと出会った時のことを思い出した。

 

 

 会ったのは廊下で、よそ見していたフォーがマリアにぶつかってブチギレ、歩いていく彼女の背後を狙って飛び膝蹴りをしようとした。完全に八つ当たりである。

 

 フォーはその時はマリアを男だと思っており、避けられた攻撃はバクに当たった。

 それからなんやかんや組手をする仲になり、二人は仲良くなったのだ。

 

 

「ふふ…ねぇフォー。アレンくんはわたしのこと「マリア()()」って呼ぶのよ」

 

 

 その言葉に、後ろを向いていたアレンの背がびくりと動いた。

 ゆっくり振り返れば、嬉しそうに笑うマリアが目に入る。

 

 

「慰めてくれて、ありがと。つんでれの番人さん」

 

「〜〜〜〜っ、っ………!!!テンメェ、最初(ハナ)から気づいてやがったのか!!」

 

「さぁて、どうかな〜」

 

 

 フォーは擬態を解き元の姿に戻った。

 どうやらマリアの言葉は図星のようで、顔を真っ赤にしている。

 

 子供っぽい…しかし年齢は遥かに自分より上のフォーに笑いながら、マリアは再度ありがとう、と告げる。

 

 

「それにしてもアレンくんは?終わるのちょっと早くない?」

 

「あぁー……お前の恐怖心について悩んでたらよ、間違って開始早々ウォーカーのこと気絶させちまったんだ」

 

「ウワァ……」

 

 

 マリアは苦笑いしながら、頰をかいた。

 自分よりも小さくて、しかし年上の友人は、温かな存在だった。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 それから特訓が続き、マリアに変化はなかった。

 

 アレンも同じで戦場に戻れないことに焦っていたが、彼女はどこか落ち着いていた。

 

 自分の中に力が満ちていて、温かな流れが全身を満たしている。

 

 ゆったりと青空を流れる雲のように、もう少しで何かが掴めそうなのだ。

 それは愛を知っていくのと比例するように、彼女を変えていっている。

 

 果たして決めつけてしまったが、あの謎の存在が悪しきものなのか、悩むようになった。

 

 

 焦りすぎていたのかもしれない。

 自分のペースで考えると、客観的にいろんなものが見えてくる。

 

 

 例えば科学班の見習いの少女の蝋花(ロウファ)はアレンに恋心を抱いている。

 

 バクもリナリーの盗撮写真(バクには言っていない)を持っているのを知っているし、それはリナリーが好きだからだ。

 

 コムイにバレたら殺されるのは確実なので言っていないが、あのシスコンも、謂わば妹を想う愛だ。

 

 

 世界は『愛』に満ちている。

 そう、世界は『愛」でできている。

 

 

 マリアの変化を顕著に感じていたフォーは微笑んだ。

 

 彼女は最近踏み込んで傷つきながらも反撃するようになったし、よく隠そうとしていた弱さも見せるようになった。

 

 

 ────“人間らしくなった”。

 

 

 言い方は変だが、こに表現が番人の中では一番当てはまる。

 

 時折覗いていた冷たい──ファインダーが死に、その棺の周りで泣いている同じ仲間を無表情に見つめていたあの頃よりも、ずっと。マリアという女の存在を、身近に感じることができるのだ。

 

 

 

 

 

「お腹空いた……」

 

 

 本日の特訓を終えてマリアは食堂に向かおうとしていたものの、空腹がたたり道に迷っていた。

 着いたのはおよそ3時間後。

 

 食べ終わった後時計を見て驚いた。

 

 フォーとアレンも特訓を終えたかな、と彼女は部屋の様子を覗きに行こうとし、途中の廊下でアレンと化学班の少女、蝋花(ロウファ)という少女が話している姿が目に入り、咄嗟に隠れる。

 

 

「……ん?」

 

 

 微かに感じた違和感。

 

 アレンに近付かれただけで顔を真っ赤にしていた蝋花が、あんな至近距離でアレンと話せるだろうか?いや、否だ。

 

 

(ということは、あれってフォーか)

 

 

 二人は真剣な表情で話している。様子からして落ち込んでいるアレンに、蝋花に扮したフォーがアドバイスを送っているようだ。

 

 話を終えた後のアレンの顔はすっきりしたものに変わっていた。

 彼もまた自分と同じようにフォーに励まされたのだと思い、マリアは近付こうとした。

 

 その時、擬態を解きアレンから少し離れて水の上に立っていたフォーが叫ぶ。

 

 アレンの名と、自分の名を。

 

 

 

「ウォーカーとマリアを隠せ!!バク────ー!!!!!」

 

 

 

 その瞬間、結界とリンクしているフォーの体内から、一見すれば薄っぺらい金属が一定の間隔で並んでいるものが出現した。

 

 その中から出て来たのは、レベル3のAKUMA。

 ノアが所有する方舟の能力を使い、アジア支部に侵入したのだ。

 

 AKUMAはアレンのイノセンスを壊したノア、ティキ・ミックが送った刺客。

 狙いは男が殺し損ねたアレン・ウォーカーの命である。

 

 

 辺りは騒然とした雰囲気に包まれ、AKUMAの攻撃が無差別に周囲の人間を襲う。

 マリアは糸状の攻撃をギリギリ避けたが、アレンは当たってしまった。

 

 レベル3の能力は糸の先から敵を分解・吸収するもので、攻撃を受けたアレンの身体は今にも崩れそうになっている。

 

 助けに来たバクに頼まれ、マリアはアレンを背負った。

 

 

「今のウォーカーは少しでも衝撃を与えれば、分子レベルで崩壊する可能性がある。…気を付けて運んでくれ」

 

プレッシャーをかけるな

 

「……す、すまん」

 

 

 瞳孔の開いた女の剣幕に、さすがのバクも怯んだ。

 そして彼らが逃げた先で彼が提案した内容。

 

 

「…フォーに足止めをさせ、レベル3がいる北地区を封鎖、隔離する」

 

「バク様!北地区にいる者の避難は完了しました!」

 

「分かった、ウォン!」

 

 

 チャン家のバクはこの地の守り神の力を使用できる。

 アレンはフォーが行くことに反対しているが、マリアは不気味なほど静かだ。

 

 フォーはアレンに別れの言葉を告げ、AKUMAが狙うアレンの姿に擬態する前に、友人に近づく。

 

 

「マリア」

 

「……フォー」

 

 

 背の高いマリアの頰に手を添えて、番人は笑いかける。

 泣きそうな女を、安心させるように。

 

 マリアがアジア支部に来たばかりに時は、感情が今よりもっと乏しいやつだった。

 ここ最近で大きく変わったと思っていたが、実際はここに来る前から大きく変わっていたのだろう。

 

 フォーにとって、マリアというファインダーは、いい奴だった。

 

 大切な、人間の友だちだった。

 

 

「お前なら、歩けるよ。ウォーカーたちと一緒に」

 

「行っちゃダメ」

 

「……バイバイ、あたしと友達でいてくれて、ありがとな」

 

 

 フォーはアレンの姿になり、バクによって閉じられていく壁の向こうに行く。

 マリアは駆け出そうとして、ウォンに羽交い締めにされた。

 

 

「フォー、フォー!!離してウォンさん!!」

 

「……私たちも」

 

「お願いッ、離し──」

 

「私たちも、辛いのです!!」

 

 

 バクに指示され、やむなく暴れる女の首にウォンは手刀をおとし、意識を奪った。

 聖戦においてエクソシストが死ぬことは、一人の番人を無くすことよりも手痛い。

 

 しかしそれはあくまで感情を削いだ上での考えで、彼らは人間。

 その場にいる者はみな仲間を、番人の少女を失うことに涙を堪えた。

 

 一人以外を、除いて。

 

 彼は涙を流さない。その代わりに、一歩進む。フォーが消えた壁の方へと。

 

 

「僕は────進みます」

 

 

 アレン・ウォーカーは体の傷を無視し、歩いていく。AKUMAに魅入られ、神に愛された存在。

 この舞台は、神が彼に用意した舞台。

 

 滑稽な道化師は進み、そして真の自分を手にする。

 

 

「僕は、エクソシストなんです」

 

「ウォー…カー……」

 

 

 バクはまだ少年であるはずの彼の決意に息を呑み、扉を開けた。

 アレンの数奇な運命に、涙せずにはいられずに。

 

 それと同時に彼は、気絶したマリアに視線を移す。

 

 彼女が10年以上イノセンスを発動できないのは、恐らく精神的なもの、肉体的なもの。多くの要因が原因としてあるのだろう。

 

 それ以上にバクは、彼女がまるで神から守られているように思えたのだ。

 

 何かから必死に奪われまいと、その神の執着さは悍ましい。

 けれどそれはイコールで、ハートの可能性を強く示唆しているのではないか、と思うのだ。

 

 普通にイノセンスと共鳴率が低いならば、とうの昔に発動しようとして咎落ちしているに違いない。

 

 

 しかし()()()()()()()()というのは、イノセンスと共鳴させる以前の問題なのだ。

 

 発動すれば何かが起こるのだろうか。

 それも、神が恐れる何かが。

 

 

 だからこそ、その全てを考慮してマリアは失うわけにはいかない。

 今はアレンに託すしかなかった。

 

 

「頼んだぞ、ウォーカー」

 

 

 

 しかしその時、不思議な扉が出現した。

 

 

 それは緩んだアジア支部の結界をくぐり、先ほどの方舟とは違いフォーを介さず現れた。宙に浮く、扉の中から。

 

 ギィと片方だけ扉が開いて、人間たちをギョロリとした目が覗き見る。

 指がひたりと、一本ずつ扉の淵に触れ、全貌を現したのはこちらもレベル3と思わしきAKUMAの姿。

 

 

 

 

 

『お迎え、キィたヨ』

 

 

 

 

 

 


 

 

【女子会】

 

 食堂に集まった女子三人。蝋花・マリア・フォー。

 フォーとマリアは蝋花に詰め寄る。蝋花の意中の相手が女子会中に来たので、名前は出していない。

 

 

「蝋花ちゃんは(アレンくんの)どこが好きなの?」

 

「ホントだぜ、あいつのどこかイイんだか…」

 

「わ、わぁ──!!」

 

 

 神経の図太い二人は全く空気を読まない。蝋花は顔を真っ赤にしながら手をバタバタさせた。

 若干…いや、大いにこの女子会に参加したことを後悔している。

 

 蝋花は必死に話題を反らそうと試みた。

 

 

「ま、マリアさんは好きな人とかいないんですかぁ!!?」

 

「え、わたし?」

 

「おっ、それあたしも知りたい」

 

「え、えぇ…?好きな人なんていないよ」

 

「じゃ、じゃあタイプの人は!!」

 

 

 目をぐるぐるさせ顔を真っ赤にしている蝋花に、マリアはマヌケな声を出しつつ考えた。

 好きなタイプ、好きなタイプ………

 

 

「強いて言えば、自分より身長高い人かなぁ…」

 

「ほぉほぉ、それで?」

 

 

 頷くフォーは、いつのまにかドラマで聞き込みをする刑事のような格好をしている。

 ご丁寧にメモ帳とペンまで持っている。

 

 

「あと、メガネを掛け、て…………」

 

「高身長、メガネですね!」

 

 

 蝋花もだんだん盛り上がってきている。

 

 

「…………」

 

「どうしたんだ、マリア?」

 

「マリアさん?」

 

「………ノーコメント」

 

 

 唐突に拒否権を使用したマリアにブーイングの嵐を送る、とは言っても、全部フォーのものだが。

 

 

「こ、こんな所で止めるなんてずるいですよう!!」

 

「あたしらの仲だろ!!ほら、セイッ!!」

 

 

 セイッ、じゃねぇ。

 そう思いつつマリアは微笑んで、無理やり話題を変えた。

 

 

「フォーの好きなタイプは?」

 

「こ、こいつ無理やり話題を変えやがった!!」

 

「あ、でも、私もちょっと気になります」

 

「う、裏切ったな蝋花!!」

 

 

「好きな人なんていねぇー!!」と叫ぶフォーに、マリアはため息をこぼした。

 いや、まさかそんなはずがないのだ。

 

 

 酒好き…などと、死んだ目をして、彼女は首を振る。

 しかしその耳は露骨に赤くなっており、一部始終を見ていたアレンの食事の手は止まってしまう。

 

 

(マリアさんの知っている人で、高身長、メガネの人って………いや、そんな、そんなわけない。アハハハハハ……………)

 

 

 アレンはマリア以上に死んだ目になりながら、機械のように手を動かした。

 そんな不気味なアレンの様子に同席していたバクは、胡乱気な視線を送る。

 

 

 アレンの脳内では、己の師が銃を空中に向け、高笑いしている映像が流れていた。



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不確定な鏡合わせ

 昔、リナリーちゃんが言っていた。

 

 

『私にとって仲間が死ぬことは、「世界」の一部が欠けることと同じなの』

 

 

 だから危険なことはしないでと、泣きながら言われた。

 

 その時は確か、任務後だった。

 わたしが怪我をした子供を助けようとして、脚にかなり深い怪我を負ったんだ。

 

 側で一部始終を見ていたリナリーちゃんに、ひどく怒られたのを覚えている。

 

 

 

 わたしにとっての世界とは何だろう。

 

 

 目を閉じて想い浮かぶのは、みんなの笑顔。

 笑ってわたしの名前を呼ぶんだ。

 

 

『マリアさん!』『マリア』『バカマリア』『マリアちゃん』『ガキ』

 

 

 そんな彼らがわたしの世界の一部になっていることに気付いたのは、本当に最近のことだ。

 フォーにアレンくんの姿で叱咤(しった)というか…激励かな? ほんと不器用だよ、彼女って。

 

 でもその彼女の想う心が、わたしに変化をもたらすきっかけとなった。

 

 

 ちっぽけだったわたしの世界は、今では両手で掬えばこぼれ落ちるほどに大きい。

 

 生きるための理由にしていた薄っぺらい「守る」という感情は中身を伴って、確かなものになっている。そんな気がする。

 

 ねぇ、神さま。覚悟ってきっと必要なのね。

 自分を曲げる覚悟、それはきっと()()()()()覚悟でもあるんだ。

 

 誰かを、大切な人をもう失いたくない。

 

 わたしに笑いかけてくれたシスターは、もういないけれど。

 それでも、進むよ。

 

 

「守る」ための力、力がなきゃ何も守れない。

 

 だから神さま、言ってやるわ。

 理不尽で大っ嫌いなあなたに、自分の何もかもをかなぐり捨てて言ってやるわ。

 

 私にとってそれは、自分を殺すことと同義なのだから。

 

 

 

 

 

 ここは思考の中なのだろう。

 

 意識すれば祭壇が現れ、目の前に聖母マリア像を(かたど)ったステンドグラスが目に入る。

 歩く度に目に入る透過光の具合が変化し、虹彩が変わる。

 

 そのまま引き込まれてしまいそうだ。

 わたしは祭壇の前で膝をつき、両手を握った。

 

 

 嫌いだ。

 

 お前なんか、理不尽なこの世界を創った神なんか、大嫌いだ。

 

 

 

「神よ、大いなる神よ。我が魂があなたのままにあらんことを。愚かな魂に、神の救済を。神よ、神よ、我らが神よ。(マリア)があなたに祈りを捧げます」

 

 

 

 その瞬間強い光が全身を包もうとしたところで、目の前にあった十字架の棺が鈍い音を立てて開いた。

 

 真っ黒いミイラだ。

 

 けれど二つの顔のくぼみには、人間界には存在し得ない鉱石のごとき輝きを放つ、彩度の高い紅色の眼球が覗いている。

 あまりに綺麗で、場違いに魅入ってしまった。

 

 

『クスクス、クスクス』

 

 

 ミイラは────いや、あいつだ。わたしに『愛を知れ』と言った、アイツ。

 

 ドス黒いミイラの声でわかる。

 年齢や性別さえ感じさせない不思議な声は、アイツしかいない。

 

 楽しそうに笑って、呆然としたままのわたしの腕を取り、そのまま棺の中に引きずり込む。

 抵抗してもアイツは笑うだけだ。

 

 

『神はあなたをのぞみ、ほっしている。あァ、嗚呼────! じゅんすいで何も知らないむく(、、)なオンナ!! でも本当はまっ黒。いくらおとしても、穢れは取れない』

 

「ア…ンタ、何も……の」

 

『ふふ、ふふふふふ。えぇ、いいわ。あなたが神の御前で晒した眇眇たる死と、「愛」を知ったほうびに教えてあげましょう』

 

 

 ゆっくりと眼前の唇が動く。

 くち…びる? 

 

 

 

『あなたは私、私はあなた。堕罪をもった穢れたバケモノ』

 

 

 

 ミイラにはいつのまにか瑞々しい肉と皮が付いていた。

 棺の中だというのに、永遠と闇の中に沈んでいる傍らで見えたのはわたしだ。

 

 

 ────()()()? 

 

 

「……何でっ、え…??」

 

 わからないけど、自分の奥底でジクソーパズル揃っていく感覚がする。

 

 

『最初から最後まで、私はあなた。知らないフリはもうゆるされない。さぁ「愛」を知りましょう、「愛」を。あい、アイ』

 

「っ…愛? そんなの知って何になるのよ…」

 

『もっと知りましょう。もっと私を知りましょう。私は、わたしは、私は_____』

 

「わたしは?」

 

『私は』

 

「わたしは…」

 

『私は』

 

「わた、しは」

 

『わたしは』

 

「わたし」

 

『わたしは』

 

「私は」

 

 

 

 ──────そう、私。私の名前は、

 

 

 

 

 

 

 

Ave Maria(アヴェ・マリア)

 

 

 

 

 

 

 

 あぁ、そうか。彼女は()なんだ。

 

 彼女が何者であるとか、そういった次元にない。

 わたしと()はイコールの存在。

 

 ()()()だから私なのだ。()だからわたしなのだ。

 

 

「そう、そうだ。アヴェ・マリア。それが私の名前。どうして、どうして忘れてたんだろう」

 

 

 瞼を閉じて見えてくるのは、懐かしい故郷の景色。

 

 教会の祈りの時間、子供たちは大いなるマリス・ステラの星に向かって祈っている。

 その光景に目を細め、風に気持ちを託し、子供たちを優しく包む。

 

 

『愛』だ。

 

 世界は『愛』に満ちています。

 

 一雫も愛を零したならば、それは罪となるでしょう。

 愛とは尊いものであり、愚かな人間たちの隣人です。

 

 

 さぁ、もうすぐ夜が来ます。

 輝く星の下、『マリア』は人々に慈しみをもって笑いかけましょう。

 

 

 

 アヴェ・マリア、おはようマリア。

 黄金に煌めくマリス・ステラが私を見つめています。

 

 堕罪を持ちし女の姿を、神に伝えるように照らしています。

 

 

 

 

 

「あぁ、吐き気がする」

 

 

 

 

 

 *****

 

 新たに現れたレベル3の奇襲により、アジア支部はさらなる混乱を招いた。

 

 AKUMAの目的はアレンではなく、ハートの可能性のあるマリアの奪取とみられる。

 バクは守り神の力を使い防ごうとしているものの、一向に事態は好転しない。

 

 既に死傷者は数え切れないものとなっている。

 これ以上仲間を失うわけにはいかない。

 

 

「…ウォン、私が内側から囮となって隔離する。犠牲者をこれ以上出すのは、支部長として許されない」

 

「し、しかしバク様ッ!!」

 

「ウォーカーの方もどうなっているか分からない今、私たちで動くしかあるまい。それに…フォー(やつ)が生きて帰った時、この有様では示しがつかんだろう」

 

 

 そう言ったバクの顔には、強い意志が宿っていた。

 気絶させたマリアを背負っていたウォンは口を噤み、下を向く。

 

 

「外の対処は任せた」

 

 

 他のメンバーと逆方向に走り出したバク。

 その手は震えることなく、しっかりと握られていた。

 

 自分と彼らの様子をじっと見つめていたAKUMAだけを壁の中に閉じ込め、辺りは不気味なまでの静寂に包まれる。

 

 側にいた蝋花(ロウファ)は「バク支部長!」と叫ぼうとして、視界の端に動く何かを見つけた。

 

 

「マ、マリアさん…!?」

 

 

 いつのまにか気絶していた女が立っている。

 

 AKUMAから逃げていたため彼女の靴は片っぽ脱げており、邪魔だと言わんばかりにもう片っぽも脱ぎ捨てた。

 

 ウォンも背負っていた女が急にいなくなったことに驚く。

 

 ひたりひたりと、少し湿気のある地面に彼女の足が触れては離れていく。

 白い肌がやけに地下特有の暗さを混じえて浮いている。

 

 白く浮き彫りにされた姿は、閉じられた壁へと近づいていった。

 

「………なきゃ」

 

 覗いたマリアの目はいつもの黒曜石ではない、真紅の血色である。

 紅をさしていないはずの血をささやかに塗ったような口元が動く。

 

 

「たたかわ、なきゃ」

 

「だ、ダメです! マリア殿、あなたはイノセンスが…っ!?」

 

 

 その瞬間、周囲の空気が震えた。

 イノセンスが、マリアと共鳴している。

 

 

「まもらなきゃ」

 

 

 明らかに周りの声が届いていない。

 いつもバクをからかって爆笑していたフォーの様子を、優しい目で見ていた彼女とはどこか違う。

 

 まるで仲間たちのことが見えていないようだ。──いや、明らかに見えていない。

 

 蝋花はマリアの名前を叫ぶ。

 しかし反応はあらず、白い手が壁に当てられた。

 

 するとAKUMAが通って来たものと同じ扉が出現し、女の肢体を呑み込んだ。

 

 その様子を見ていることしかできなかった蝋花は、ふいに不気味な笑い声を聞いた気がした。

 

 

 

『クスクス』

 

 

 

 

 

 *****

 

 

「は……ぐっ…」

 

『にんげン(ごと)き勝てナィ、馬鹿だネ ぇ』

 

 

 AKUMAはバクの身体を少しずつ嬲り楽しんでいた。敢えて能力は使わない。

 

 このまま傷を増やしていき、この人間の全身が切り傷で覆われて、真っ赤に染め上げて死ぬその瞬間を想像し、哄笑する。

 

 

『ahhハハ、あひゃ、アハ』

 

 

 その異常性にバクは歯噛みし、AKUMAの攻撃を躱した所で鳩尾に蹴りが入り呻く。

 人間とAKUMA、勝てるはずがない。

 

 それでも支部長として、このアジア支部を指揮する者として、守るために戦う。

 

 

「ぐあっ!!」

 

『ア〜?』

 

 

 AKUMAが楽しむあまり力加減を間違えたことで、吹っ飛んだバクの身体は壁にめり込んだ。

 骨の折れる音がし、その悲鳴を何とか飲み込もうとする。

 

 痛みを堪えようとする人間をつまらなさそうにAKUMAは見て、180度首を捻る。

 

 

『何でェ、なんでなんで、なんでなんでもッとサケんで、苦しんで、泣き喚けよォォ、ォォォォオオ!!!」

 

 

 金切り声とともに異形の肢体が一直線にバクめがけて突進し、数十倍も肥大化した腕を振り上げる。

 当たれば一瞬で肉ミンチと化すだろう。

 

「クソッ…!!」

 

 だが折れた箇所が悪かったのか、バクの身体は全く動かない。

 

 逃げようともがく男の姿を捉えAKUMAが恍惚と笑んだところで、その合間を挟むように扉が現れた。

 

 

『……!』

 

「みつ、けた」

 

 

 現れたのは女だ。闇の中に映える、生白い肌を持った女。

 

 突然の来訪者にバクは瞳を大きく開ける。

 周辺は自分の能力で塞いだはずだ。バクが死んだとしても一度塞げば壁も戻らない。

 

 マリアは果たして、このレベル3のAKUMAがアジア支部に進入した扉と似た扉から入って来た。

 

 

 つまり────これは罠。

 

 

 

 AKUMAの指すご主人はノアであり、マリアがアレンと同じ“とある存在の関係者”だとして狙われているのか、はたまた純粋にハートの可能性として狙われているかは不明だが、今この状況は確実に彼女を殺す、または攫うために作られている。

 

 

「マリア、下がりなさい!!」

 

『邪魔ダァよ、おまえ』

 

 

 もっともなく這いつくばりながらも、バクは術を発動しようとしていた。

 だがいち早く気付いたAKUMAが避け、バクの背中を壊れない範囲で踏み付ける。

 

「あ゛ぁっ…!」

 

 洞窟の中でさらにこだまとなって悲鳴は重なる。AKUMAの口角は歪に上がった。

 

 

「逃げ……が、あ゛っ!! ………にげろ、マリア!!」

 

『アーア──アハぁハ!!』

 

 

 悲鳴。笑い声。悲鳴。笑い声。

 

 

 それが渦を巻いて、女の脳に直接注がれる。

 マリアは耳から髄液が溢れていそうな気がして触れてみたが、別に濡れた感触はない。

 

 ただ真っ黒かった思考が、だんだんとクリアになっていく。

 

 

「……あ、れ?」

 

 

 そういえば、マリアは先ほどウォンに不意打ちを食らって気絶したはずだ。

 何故自分はこの場所にいるのだろう? 

 

 何か暗い場所に沈んでいくような夢を…夢? 

 でも近い何かを見ていた。

 

 

 今は不気味なほど彼女の心は静かだった。

 欠けていたジクソーパズルが足され、自分が揃った感覚である。

 

 パズル自体は何の色もない、真っ白なものなのだ。

 

 

 目の前にはレベル3、そして瀕死のバクの姿。

 

 

「守、らなきゃ。────そうだ! 守るために、私は祈ったんだ…!!」

 

 

 マリアの脳裏によぎるのは祭壇の目の前で、神に誓いを立てた自分の姿。

 

 すると彼女の肋付近から枝のようにイノセンスが突き出て、その肢体を覆っていく。

 繭の形を成したそれは、AKUMAの元に近づいていった。

 

『アー…?』

 

 AKUMAは幼子のように小首を傾げて、目の前の球体を見つめている。

 

 

『お迎え、キィたヨ。ごしゅじん様待ってるゥよ。ぱーてぃのお誘ィだぁよ』

 

 

 ボコリと波打つように球体が一瞬肥大化したと思えば、次第に小さくなっていく。

 段々と形を成していき、その姿があらわになる。

 

 

 手に握られた黄金の剣は、女の腹ほどの高さしかない。

 形状はレイピアと酷似しており、柄の部分には肋の形が模されている。

 

 女の頭部は黒いベールで隠され、赤い口元しか見えない分、やけに香をもって目立った。

 

 細い肢体を彩るのは黒いドレス。

 装飾はさほど目立たず、白い方脚が際どい部分から出ている光景は、黒のコントラストと相まって目を引きつける。

 

 

 マリアは愛しいものを見るかのように微笑んで、AKUMAに歩み寄る。

 

 

「誰にお願いされて来たの?」

 

『ごしゅじんサマ、会いたいッテェ ぇ。あいた、イっテ』

 

「ふふ、そうなのね」

 

 

 ご主人、その存在が誰なのか、マリアには見当が付いている。

 

 最近めっきり現れていないノアの少女。

 パーティーという単語が引っかかるが、恐らくマリアのイノセンスを復活させようと企んで、AKUMAを寄越したのだろう。

 

 

 これがパーティーで遊ぶための前戯なのかはわからない。

 そもそもロードの思考など、完全に読めたことは一度としてなかった。

 

 でもあちらが邪魔をするというなら、彼女も戦うしかない。

 

 

『かってルかな? 勝ってルゥかぁナ?』

 

「さぁね」

 

 

 AKUMAがバクの元から離れ、一気に駆け出す。

 不気味な笑い声も意に返さず、マリアは神ノ剣(グングニル)を握る。

 

 

『ハァァ!!』

 

 

 巨大な手足を振るい、AKUMAは女の肢体を潰そうと狙う。

 マリアは大きさに見合わない速さの攻撃を避け、レイピアの形状をした神ノ剣を構える。

 

 繰り出される技は、大剣と比較にならない神速の突きによる攻撃。

 

 

『…!!』

 

 

 避けようとレベル3は後方に下がったものの、巨大化している手足はまさしく自分からマトを大きくしているようなものだった。

 次々と目にも止まらぬ速さの攻撃に貫かれ、ボディから黒い血が吹き出す。

 

 

『ギャアア、アアアアアア、ア、ァ』

 

「そうね、痛いねぇ」

 

 

 不思議と、マリアはもう血の匂いを感じなかった。

 

 反対に自分の何かが消えて、混ざった。そんな気がした。いや、元どおりに直ったような感じだろうか。

 でもその代わりに聞こえる。

 

 

 

【痛●●い゛いだ●、い●●●、●●●●●】

 

 

 

 AKUMAの魂の声が、彼女に救済を求める。

 

 エクソシストとして、アレンのようにAKUMAやノアに感情移入をするのは愚かなことだろう。

 それでも、マリアはそこに一種の自分の守ろうと決意した根源を見出していた。

 

 AKUMAになったシスターの姿。彼女の最期はまるで自分に救いを求めているようだった。

 

 或いは、神に救いを求めていたのかもしれない。

 

 

 エクソシストはAKUMAを壊す存在だ。

 マリアはその上で守ろうと思う。

 

 人間をAKUMAから守り、同時に苦しみの中から壊すことで魂の解放を願う。

 それも一種の守りだ。だからこそ、魂の救済をしなければ。

 

 

 この世界はだって、苦しみだらけだ。

 

 

 マリアは苦しみの中で守り、救済し、愚かな聖戦を終わらせたいと願った。

 それが自分の願いなのだと、ようやく自覚した。

 

 聖戦の終結。それがアヴェ・マリアの望むべき終着点なのだ。

 

 

 

「フゥー……」

 

 

 静かに息を吐き、マリアは剣を強く握りしめる。

 そして跳躍し、悲鳴をあげるAKUMAに頭上から串刺しにした。

 

 

 

「ゆりかごの中で、おやすみ」

 

 

 

 AKUMAは微笑んで、塵となり消えていった。

 

 


 

【故郷】

 

 月に一度の石碑の前での合唱会。

 

 子供たちは夕陽に照らされ紅く輝く海の前で歌いながら、神に祈りを捧げる。

 まるで風が子供たちの祈りを空へ届けるように強く吹いて、上へとのぼっていく。

 

 

「ねぇシスター、今声がしたよ! なんかね、女の人の声!」

 

「オレも聞いた! ざわざわぁって吹いて、ごぅーって突き抜けてった!」

 

「何よそのたとえ〜」

 

 

 子供たちが大騒ぎする中、一番の老シスターは笑って応える。

 

 

「きっと神様がみんなの姿を見て微笑んでいるのよ」

 

 

 その言葉に先ほど豪快なたとえをした少年が口をひきつらせる。

 

 

「神さまが見てんのかー? じゃあ悪さできないじゃん…こんな風に!」

 

「きゃー!!」

 

 

 隣の少女のスカートをガバッとめくり、得意げに笑う少年に少女の怒りの一発が決まる。

 

 喧嘩はおよしなさい、と老シスターは苦笑いを浮かべながら、ふとこの教会が崇める神様と同じ名前を付けた少女のことを思い出した。

 

 

 少女がここを出て行ってから、もう10年以上が経つ。

 

 しかしきっとあの逞しい少女なら大丈夫だろうと、老シスターは瞳を閉じた。

 少女の今を想い、祈りの言葉を捧げる。

 

 

 

「神の母聖マリア様、

 罪深い私たちのために、

 今も、死を迎える時もどうかお祈り下さいませ。

 

 ────そしてどうか我々を、見守り続けてください」

 

 

 

 その言葉に乗せて、ごうごうとまた風が吹く。

 

 

「…今日のマリス・ステラは、なんだか一段と輝いている気がするわ」

 

 

 地平線の上に覗く一段と煌めく星。

 妖しくも、美しく輝くマリス・ステラは、今日も数奇な運命にある少女を見つめているのだ。

 

 

 

 

 

『人々が愚かに生きる中で、貴女は知ることでしょう。

 

 或いは人間の業を。或いは神の慈悲を。

 

 その中で貴女は生き、聖戦のピリオドを打つ存在となるのです。

 

 あぁマリア、愚かなマリア。

 

 戦い苦しみの中で貴女は自分を知り、悩み、そして目覚めるでしょう。

 

 罪深き己の堕罪を知り、この聖戦を終わらせた時、神は貴女に赦しを与えることでしょう。

 

 

 

 さぁ戦いなさい_____マリア』

 

 

 

 

 

 星は今日も、やさしく輝き続けている。



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「バク支部長、大丈夫ですか?」

 

「………」

 

 

 現在マリアはレベル3のAKUMAを倒し終え、重傷のバクの傷に障らないようなるべく慎重に背負って運んでいる。

 

 身長ではバクの方がマリアより小さいため、側から見ると大分奇妙な光景となる。

 それを想像してしまったバクの心の治安は急速に悪くなっていた。168cmは決して、小さくないもん。

 

 フォーがいたら「その無駄に高いプライドが邪魔クセェ」と辛辣に言っていただろう。

 

 

「支部長…?」

 

「オレさ……オホン! 私は大丈夫だ」

 

 

 ほんとか? 疑問に思いつつ、マリアはバクが能力を解いた壁の隙間から出た。

 

 バクはそう言えば、と口を開く。

 

 

「君のイノセンスの形状が聞いていたものと違ったのだが…」

 

「あぁ、………多分、私自身を見つけた結果だと思います」

 

「君自身を、かい?」

 

「えぇ」

 

 

 マリアにも、今の自分の内側を形容するのは難しい。

 

 ただ自分を見つけて、神へ祈ったのは確かだ。

 ふとロードではない何かと対話したような気がするけれど、靄がかかったように思い出せない。

 

 

「支部長、あの…人って、覚悟一つで変われるんですね」

 

「君は何か覚悟したのかい?」

 

「私は…神の道具になる覚悟をしました。勿論気持ちまでは絶対に服従しませんけど、身を投げる覚悟をした」

 

「それは…エクソシストとしての覚悟と受け取っていいのか?」

 

「はい。エクソシストとしての覚悟………エクソシストとしてAKUMAと戦い、聖戦を終わらせる覚悟」

 

 

 真っ直ぐに前を向いて話すマリア。

 バクはアレンとはまた違う数奇な運命を彼女から感じた。

 

 アレンは神に愛され、AKUMAに魅入られている。

 マリアも同様に神に愛されている。

 

 しかし神はマリアを何かから奪われまいと必死なように感じる。

 

 彼女が見つけた自分とは、まさかその恐ろしい何かなのではと、不意に思った。

 しかしその考えも、目の前の光景ですぐに霧散する。

 

 

「バクさん…と、マリアさん?」

 

「ウォ、ウォーカー…! その姿は…」

 

 

 二人の目の前に現れたアレンは、自分のイノセンスをしっかりとモノにしていた。

 その上でAKUMAを倒し、フォーを連れ帰ったのだ。

 

 フォーはぐったりとしているものの、しっかりと意識があった。

 バクが安堵の息を漏らした束の間、マリアの目にみるみるうちに涙が溜まる。

 

 

「フォーのバカッ!! アホ!!! おチビッ!!」

 

「ぁんだと……この、バカ、マリア………」

 

 

 アレンはケンカする二人の仲裁に入ろうとし、パンチをかましたフォーの一撃に当たり地面に伏した。

 

 場は蝋花の悲鳴と、フォー以上にぐったりしているバクを見てムンクになったウォンの悲鳴が相まって、カオスな状況となる。

 

 

 でも、生きていた。

 

 

 全員が欠けることなく、こうしてバカを言い合える。

 それがマリアには宝物のように感じられ、嬉しかった。

 

 涙がポロポロと、ひっきりなしに溢れては落ちる。

 

 

「よかったぁ、よかった……!」

 

「ま、マリアさん…」

 

 

 フォーのパンチで腫れた頰を抑えながら、アレンは傍でオロオロした。

 

 そんな場の様子にバクはウォンに肩を持ってもらいながら、目を細めた。

 

 二人にはこれからもいくつもの苦難が待ち構えるだろう。

 だがきっと彼らなら乗り越えられると、口角を上げて笑う。

 

 だが突如、足元がふらつく。

 

 

「いかん、血が足り……」

 

「えっ? あ……ば、バク様ッ──ー!!」

 

 

 気絶したバクに、フォーは呆れた視線を向け、アレンやマリアは焦った様子で支部長の側に駆け寄る。

 

 血生臭さが残るアジア支部に、平穏が戻りつつあった。

 

 

 

 

 

 *****

 

 番人が眠る大きな扉の側で、マリアは一人盃を煽り、背中を預けるようにして床に座っている。

 

 

『時折忘れるけどよ、お前が酒を飲んでる姿を見ると、成人済みなんだって思い出すよ』

 

「何だ、フォー起きてたの。てか言い方が年寄り臭いなぁ」

 

『うっせ! あたしはズゥよりも年上なんだかんな。それに起きてて悪いかよ、…あ、ウォーカーは大丈夫そうだったか?』

 

「今は検査中だから分からないけど、大丈夫だと思うよ。それより支部長のこと心配すばいいのに」

 

『ハン、バクはそう簡単にくたばんねーよ。そんでマリア、お前の方はどうだ?』

 

「チョー元気でっす」

 

 

 マリアは黒いタンクトップの上に着ていた白衣を捲って、白い二の腕を見せる。

 筋肉がなさそうに見えて、案外猫のような筋肉がある。

 

 

『そういやお前、何飲んでんだ?』

 

「香雪酒。イノセンスを取り戻したお祝いにって、ズゥ老師様がくださったの」

 

 

 先ほどから二人の会話の中で上がる、「ズゥ・メイ・チャン」と呼ばれるアジア支部で料理長をしている老人と、マリアは仲がいい。

 

 ちなみにアジア支部長のバクも名前にバク・「チャン」と続く。この二人は同じ「チャン家」の人間だ。

 

 話を戻し、マリアはアジア支部にいた頃によくズゥ老師の散歩に付き合い、彼が育てている池の蓮を眺めては、共にお茶を飲んでいた。

 

 

『また随分甘い酒だな。どうせズゥ()っ様は、補聴器無くしてたんだろ』

 

「キャベツと共にスライスされてたよ」

 

『マジか…』

 

 

 今は共に酒が飲めないことが惜しいな、とフォーは思った。

 レベル3との戦闘で負傷したため、当分は現界できそうにない。壁の中にいるのもすぐに退屈になる。

 

 

「飲みたいなら扉の前に置いておこうか?」

 

『いらね。今度お前が来た時に一緒に飲むから』

 

「…そっか」

 

 

 静寂が訪れる。マリアは盃に酒を注ぎ、遠くを見つめながら飲み干していく。

 フォーの言葉の裏を、しかと受け止めていた。

 

 

「必ず帰ってくるよ。そしたら一緒に飲もう。酔っ払ってさ、みんなで肩を組んでバカ騒ぎしよう」

 

『べっ、別にお前の心配なんかしてねーし!!』

 

「あっ、出たツンデレ」

 

 

 壁から殺気を放つフォーにケラケラと笑ったマリアは、笑い過ぎて滲んだ涙を拭う。

 

 

蝋花(ロウファ)ちゃんも誘って飲もう。飲み明かして女子会ね」

 

『アイツはまだ未成年だからダメだ。マリアお前…酔ってんのか?』

 

「うふふ、生憎酒豪なの」

 

『自分で言うか』

 

「うん」

 

 

 マリアは立ち上がり、壁に向かい合う。

 笑って「行ってきます」と告げ、残った中身を一気に飲んだ。

 

 

『行っちまえ行っちまえ、酔っ払いの相手なんざごめんだぜ』

 

「酔ってないってばー」

 

『うるせー! 行っちまえ、バーカ!!』

 

 

 不器用なアジア支部の番人の優しさだった。

 マリアは笑顔で手を振って、前を向く。

 

 女の姿が小さくなったところで、不意にフォーの声が聞こえた。

 

 

『無事に、帰って来いよ』

 

 

 その言葉に、マリアは小さく頷いた。

 

 

 アレンの検査の前に先にイノセンスや身体の状態を調べていたマリアは、特に異常な所はなかった。

 

 むしろ一番ピンピンしている。

 

 彼女のイノセンスが発動したのは、本人の言う通り、彼女自身の心境の変化が一番の鍵となっているのだろう。

 

 しかしバクは一応と、コムイに己が感じた違和感を伝えておいた。

 

 抜きん出た頭脳派のコムイとは違い、術といった“見えざるもの”に造詣が深いバク・チャンだからこそ感じ取った、小さな違和感。

 

 

「彼女はオレ様が感じた限りで、何かと混ざったように見えた。以前とは少し雰囲気が変わったように思う」

 

 

 電話先のコムイは興味深げな反応を示しながら、バクの意見を聞く。

 

 

「イノセンスと共鳴していた際、補佐のウォンや科学班見習いの数名が彼女の様子を見ている。その時の状況を、「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」と、口を揃えて話していた」

 

『…バクちゃんは、マリアさんについてどう考えているかい?』

 

 

「「バクちゃん」はやめろ巻き毛ェ!!」と血を吐きながら激昂し、バクは側にいたウォンにつんのめった身体を支えてもらいながら、受話器を強く握りしめる。

 

 

「彼女は彼女のままだと思う。…だがオレにはどうも神が、彼女のその内側の何かを恐れているような気がしてならん。愛してはいるが、怖い。そう感じる」

 

『愛と恐怖…ね』

 

 

 コムイは唸るように考え込んだ。

 

 マリアのイノセンスが復活し、異常がないと分かった今、確実にアレンと共に方舟を使い江戸へと向かうだろう。

 

 コムイとしては反対であるが、まさかあの聞かん坊の元帥の弟子二人が聞くはずがない。

 

 そういったところに胃が痛くなる思いがするが、しかし聖戦の中、ハートの可能性がある存在だから、と出し惜しみしているわけにもいかない。

 

 そんな余裕などないのだ、すでに。

 

 

 現在エクソシストは少ない。

 それに対し伯爵の陣営はこちらと比較にならない強さを持っている。

 

 今回の戦いで敵の勢力を大幅に削がなければ、黒の教団の行く末は……否、人類の行く末はデッドエンドだ。

 

 

 アレンやマリアには進んでもらう。

 進んでもらわなければならない。

 

 

 

『ひとまずマリアさんの様子はしっかりと見ておくよ。バクちゃんが感じた違和感を私も感じたとなれば、その何かの存在が確実になるからね』

 

「だから!! バクちゃんではないと…」

 

『私たちは…彼らが進めるようしっかりと、サポートをしなければならないね』

 

「無視かッ! ……ふん、貴様に言われなくとも分かっている。現在はウォーカーの検査中だ、結果が出次第そちらにも送る」

 

『うん、ありがとね』

 

 

 電話を切り、コムイはもう一つの懸念材料に眉を寄せる。

 

 ノア側がマリアを狙ったという事実。

 

 恐らくはハートの可能性を持つイノセンスを狙ったのであろうが、わざわざ手間のかかる真似をしているのが気にかかる。

 

 そういった徒労をお遊びだと感じているなら別だが、意図的にイノセンスの復活を狙ったように感じられてならない。

 

 復活、その上でマリアが江戸に向かうだろうと予測しているならば、彼女の身が……いや、それだけじゃない。

 

 イノセンスの強制解放を果たし、身を包んだ結晶によってAKUMAの攻撃から逃れ、命を取り留めたマリア以上に現在ハートの可能性を示唆されているリナリー・リーやアレン・ウォーカー、その他のエクソシストの命が危険に晒される。

 

 

 或いはティエドール元帥の部隊を残して、その他のエクソシストを江戸から離脱させることになるかもしれない。

 

 まるでその様子が聖戦の終盤を知らせる序曲のように感じられて、コムイは静かに息を吐いた。

 

 

「あ、そう言えば…」

 

 

 ふと視線を移せば、そこにはバクから送られたマリアのイノセンスの調査結果が記されている。

 

 神ノ剣(グングニル)___それは大剣から形を変えレイピアの形状へと変わり、アレンと似た纏う形のイノセンスになった。

 彼女は黒服に包まれたその姿を「黒衣(ドレス)」と呼んだ。

 

 

 黒衣の能力はまだ未知数だが、必ずや江戸での戦いにおいて大きな活躍を果たすだろう。

 

 どこか確信めいた気持ちが、コムイにはあった。

 

 

 

 

 

 *****

 

「何というか……アレだな」

 

「アレですね…」

 

 

 身体に合うよう採寸されたエクソシスト用の服を着て、その感触を確かめるマリアの横で、バクとアレンは顎に手を当てている。

 

 マリアの服はファインダー服が慣れているからと、ほぼその形を引き継いだものになった。

 色はエクソシストのカラーである黒にはなった。本人としては満足のいく物になったらしい。

 

 

「やっぱりエクソシストというよりあの服は……ファインダーだろう」

 

「まぁ…人の好みですからね」

 

「どしたの?」

 

「「どわぁっ!」」

 

 

 ヒソヒソ話の二人の後ろからひょっこりと現れたのは、話の話題になっていた人物。

 バクは驚いた拍子に折れていた骨に振動が伝わり、悲鳴をあげた。

 

 アレンはウォンに医務室に運ばれていくバクを見送り、視線をマリアに移した。

 

 

「やっぱりさぁ、こういうのは着慣れてるものの方がいいでしょう?」

 

「もしかして包帯もあるんですか?」

 

「えぇ、もちろん!」

 

 

 フードの下、そこには黒い包帯を顔に巻いたマリアの顔が────。

 

 

「うぐっ」

 

「えっ…ど、どうしたのアレンくん?」

 

 

 黒い包帯。そして先ほど見せてもらったマリアのドレス姿と重なって、少年はつい思い出したくないことを思い出す。

 

 

「師匠のイノセンスの、聖母ノ柩(グレイブ・オブ・マリア)を思い出して……ハ、ハハ……」

 

「……あ、アレンくん…」

 

 

「ウフフ借金」と黒くなったアレンに同情しつつ、マリアは戻って来たウォンからイヤリング型の無線機を渡された。

 

 旧来の無線機ゴーレムでは方舟内に侵入できなかったため、急遽バクが以前から作っていた無線機を使うことになったのだ。

 

 

 アレンとマリアはこの方舟の中に、無線機を通して科学班と連絡を取り合いながら入る。

 

 使うのはアレンを襲うためにAKUMAが使用した方舟の扉だ。

 何が待ち受けているかは誰にもわからない。

 

 

(ロードちゃんの扉は、結局壊れてたからな…)

 

 

 マリアが肉体を自在に変形させるAKUMAと戦っていた最中、戦闘に意識が向いていたせいで、いつのまにか扉を壊してしまっていた。

 

 もしかしたらロードの方は拗ねているかもしれない。

 

 ともあれ、今まで止まっていた一歩をようやく踏み出せるのだと思うと、自然と笑みがこぼれる。

 ウォンにもらったイヤリングを右に付けると、同じくアレンももらったイヤリングを左につけた。

 

 

「じゃ…行きます」

 

 

 蝋花たちに呼び止められたアレンより先に、マリアは方舟内に侵入した。

 

 中は白レンガで構成されたような町。

 上には青空が広がっている。

 

 幾分か歩き様子を伝えようとしたところで、耳元で割れる音がした。

 

 

「は? 無線機が壊れたんだが?」

 

 

 無線機がどうやら方舟内に耐えきれなかったらしい。

 アレンの方は壊れていないないかと彼女が後ろを振り返れば、そこには誰もいなかった。

 

「あれぇ……?」

 

 誰もいなくなったというより、勝手にいなくなる。

 それがマリアの十八番である。

 

 

「……迷子の時は、そう、動かないのが一番」

 

 

 冷静に冷静に。場所は通信が途絶えた位置でわかるはずだ。

 待っていればアレンが来るだろう。

 

 マリアは膝を抱え、眩しい日光から逃れるように影になっている場所に座る。

 それにしても、方舟にこのような空間があるのが不思議だ。

 

 

「この世界のどこかと繋がってるのかな? どうなんだろ…」

 

 

 気になる、しかし動いてはならない。

 心の天秤に一人ぐらついていた矢先、前方で黒い影が動いた。

 

 

「……?」

 

 

 白い民家同士にある数十センチほどの隙間から、ほんの一瞬誰かが走っていく影が見えた。

 

 まさかアレンが迷子になったのだろうか。

 自分のことを棚に上げ、マリアは隙間の場所まで近付いて、顔を覗かせた。

 

 左右を見れども誰もいない…と思ったところで、また数十メートル先に誰かの影が。

 

 不思議なそれに釣られてマリアも大股で近づいていく。

 向こうはかなりの駆け足であるのを察するに、子供なのかもしれない。

 

 頭の中の大人しくしているという考えはすっぽ抜け、彼女はだんだんと追いかけっこに夢中になっていった。

 

 

「よし、逆に逃げてみるか」

 

 

 アレンたちが突然いなくなったマリアに焦っていることなど露知らず、侵入した場所からどんどん離れていく。

 

 後ろを振り返れば、やはり子供らしき人物がこちらを覗いている。

 建物の後ろに隠れ、影だけが横にのびて地面に映っている。

 

 影の頭部らしき部分は、ツンツンだ。

 

 

「………」

 

 

 誰が自分と遊んでいるか、マリアはようやくわかった。

 微笑んで名前を呼べば、壁からひょいと顔を覗かすのだろうか。

 

 

「ロードちゃん?」

 

「ロードちゃんじゃないもん」

 

「じゃあよく私の夢の中に出てくるかわいい妖精さん?」

 

「……」

 

 

 ほんの少し、ツンツンの髪が覗いた。

 風に揺られて、少女が着ている白いワンピースが見える。

 

 やはりマリアは何かしら少女の機嫌を損ねる行為をしていたらしい。

 徐に彼女がしゃがむと、後ろ姿のまま少女が出て来た。

 

 

「せっかくボクがパーティーに誘ったのに、マリアがいやがるんだもん」

 

「嫌がってないよ、ただ私もすごく悩んでたから、ロードちゃんに構ってる余裕がなかったの」

 

「……」

 

 

 少女は後ろ歩きのまま少しずつ近付いては、ふと止まって、暫しそのまま立ち竦む。

 

 

「ロードちゃんは、どうして私にイノセンスを取り戻させるようなマネをしたの? ただ会いたいだけだったら、あんな複雑なことしなくてもいいでしょう?」

 

「…ボクも、わかんない」

 

「……わかんない、かぁ」

 

 

 ロードが今までマリアに取ってきた行動は、おおよそ「大好き」がそのまま現れたもので、時折イノセンスに憎しみに似た感情を向けていた。

 

 かつての千年公のように、ノア側に引き込もうとしているのはロードも同じだった。

 

 しかしイノセンスとノアは相いれない。

 だから今まで中庸として夢の中に出てきて、あれやこれや甘えてきたのだろう。

 

 

 今回の行動は今までのものよりひとつ飛び抜けている。

 

 一線を破った、そんな感じ。

 

 マリアを敵のエクソシストとして認識し、イノセンスを復活させた後に壊す遊びをしたいなら、ロード・キャメロットの行動がノアらしい行動であると納得もできよう。

 

 つまるところ、少女が何をしたいのかわからない。

 ロードの行動の矛盾に、マリアは悩んでいる。

 

「ボクね」

 

 そしていつの間にか、ほんの数歩先の距離にまで後ろ姿の少女が迫っていた。

 

 

「マリアのイノセンス嫌いだよ。神の執着が悍ましい」

 

「……」

 

「でも…マリアが悩んでいるのを見ると、ボクも辛いんだ。エクソシストとして戦いたい、そうずっと悩んでたマリアを見てたからこそ、どうにかしたいって思ったの。だから、きっかけを与えた。それで開花するかはバクチだけどね」

 

 

 お前は敵なのにおかしいよね。

 そう言って、ロードは自分の足元に視線を落とす。

 

 

「マリアと一緒にいたいよ。でもマリアはきっとボクたちと一緒にいちゃ苦しむ。だって……お前は、神に愛されているから」

 

「……ロードちゃん」

 

「マリアはボクたちノアのことが好きみたいだけど、ボクも……大好きだけど………でも、道が違うんだ。ボクとマリアは道の違う、敵同士」

 

「………」

 

「ボクは、千年公のために戦うの。でも……でも、マリアは大好きだから、特別に餞別だよ」

 

「私は、守りたいの。それは……人間やAKUMAだったり。きっとノアだって…同じことなの」

 

「…甘いなぁ、アレンみたいに甘い。けど愚か」

 

 

 風が切る音と、マリアの首元にキャンドルの先が当てられたのは同時だった。

 ロードは今にも泣きそうに顔を歪める。

 

 

「ロードちゃん、私は戦いたくな…」

 

「…ここで、この数十分の間で、お前を殺すチャンスは何回もあった」

 

「ロード、ちゃん」

 

「バクは『夢』を(つかさど)るノア、ロード・キャメロット。お前は、エクソシスト。それ以上でもそれ以下でもない」

 

 

 ロードの瞳がノア特有の黄金に輝き、額に聖痕である十字が浮かび上がる。

 白かった肌は褐色に染まった。

 

 

「エクソシスト、次に会う時はエクソシストの子羊たちを狩る、パーティの中でね」

 

「………」

 

 

 ロードの覚悟なのだろう。

 それを受け取ったマリアは、辛そうに眉を下げて、黙り込んだ。

 

 

「…じゃあねェ」

 

 

 少女は弱々しく別れの挨拶を告げ、逃げるように己が作った扉から去って行った。

 

 ロード・キャメロットが走りながらふと思うのは、肌で感じたマリアのイノセンスの気配。

 

 今までは、その気配を感じることはなかった。

 しかし先ほど会ったときにははっきりと感じたのだ。

 

 マリアのイノセンスの変化が関係しているのかは分からない。

 

 しかし雰囲気の変わった彼女は、今まで以上にロードの内側を揺さぶった。

 

 

「甘えたい、なんて…バカじゃねーの…!」

 

 

 ワンピースの裾を強く、強くつかむ。

 今までマリアに言っていなかった、少女が抱く愛の種類。

 

 

 

 ロードにとって、それは千年公に似た────けれど少し違う。

 

 甘えたい。

 

 まるでそれは子が親に求めるような、そんな感情だった。

 

 


 

【お見合い】

 

 ある日のこと。ロードは突如マリアの夢の中でお見合いの話を持ってきた。

 

 マリアとしてはどうでもよかった。

 そもそも恋愛って美味しいの? そんな食べ物脳である。

 

 

「えっとねー、これとこれ」

 

「え、強制…?」

 

「うん、あったり前〜!」

 

 

 笑顔で、しかしグイグイ勧めてくるロードに仕方なくマリアは写真の人物を見た。

 

 一人目、ビン底メガネのワイルド男。

(この人物に後に会ったが、この時は渋々写真を見ていたので覚えていない)

 

 

「んー……なんというか」

 

「うん、分かってる。ないって顔だね」

 

 

 勧めた本人が言ってしまうのか、それを。

 続いては二人目だ。

 

 

「ワァ…! イケメンだァ…ッ!!」

 

「うん。顔はね、満場一致でカッコいい」

 

 

 池の鯉を取って焼き魚にする男だけどね、という真実は言わないロードだった。

 二枚目の男性は明らかに上流階級の男である。

 

 しかし大きな問題があった。

 

 

「同じ人物じゃない、これって?」

 

「え! ……何ノコトカナー」

 

「はぁもう…お見合いってさ、普通違う男性の写真を持ってくるでしょ」

 

 

 伊達に長年、マリアはファインダーをやってるわけじゃない。呆れた彼女はロードに宿題を進めるよう叱った。

 

 ちなみに肝心の問題はまだ二問しか進んでいない。

 

 このままでは次の任務の時間までに起きていない、植物人間の状態で見つかることになる。

 

 

「マリアー、物件としてはいいじゃん。せっかく家族になれるのにぃ」

 

「……まさかノアかッ!!?」

 

 

 かくしてロードの家族になっちゃえ計画は終わった。

 そもそもマリアは細胞レベル的に男の顔が無理だった。

 

 苦手とか嫌いとかいう次元じゃあなく、とにかく無理だった。

 だったら千年公の養子になる方がよっぽどいい。なる気はもちろんないけれど。

 

 

 一方でその頃ティキは、いつもの仲間と炭鉱場で作業中、盛大にくしゃみをした。

 

「ぶえっくしょいっ!」

 



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ただいま

 ノアとエクソシストは相容れない。

 結局みんな仲良く、なんてのは無理なんだろう。

 

 でも、それでも私は、夢物語を抱く。

 みんな仲良く平和に生きる、そんな幸せな世界。

 

 

 

 思考の片隅でマリアはそんなことを考えながら、眼下に広がる江戸を視界に入れる。

 

 

「何にもない…」

 

 

 アレンが方舟でマリアを見つけた同時刻、江戸では千年伯爵が率いるノアと、クロス班・ティエドール班が交戦していた。

 

 その際に伯爵の一撃が放たれ、地平線の果てまですべてを消し飛ばしたのだ。

 側にいたエクソシストたちは大きな傷を負った。

 

 マリアは黒衣(ドレス)をまとい、ゆっくりと地面に降り立つ。

 スカートの黒が夜の闇と混じるように揺らめいた。

 

 遠くにいるラビや神田たちはさすがに疲労の色が強い。

 

 またアレンは伯爵に狙われたリナリーを救いに向かった。

 

 

 マリアの心はまだざわざわと波打っている。

 ロードの言葉が耳の中を通って、頭に反響する。

 

 

『僕とマリアは道の違う、敵同士』

 

 

 分かってはいた。彼女の内側のイノセンスが、ロード(ノア)に殺意を持っていたことを。

 

 でもそれ以上に好きだった。

 

 可愛いから、などとそんな単純なものではなく、大好きで大好きで大好きで、深い愛情を抱いていた。

 

 異常だろう。その愛情の理由がマリアでさえわからないのだから。

 

 

 一度彼女は深く深呼吸して、雲一つない夜空に浮かぶ月を見つめる。

 

 

「失う、覚悟。大切なものを自分の手で壊す覚悟」

 

 

 

 ────だって全部を救うなんて傲慢だし、不可能だ。

 

 ────だってアレンくんと違って、私は弱くて不器用だ。

 

 ────だってリナリーちゃんをすぐに助けに行ったアレンくんと違って、私はロードちゃんの言葉に囚われて、動けなかった。

 

 

 

「マリア」

 

「…っ?」

 

 

 固まっていた彼女の肩を掴んだのは、ラビだった。

 少年の手には槌のイノセンスが握られており、それを使って一気に飛んできたらしい。

 

 表情はいつになく真剣で、片方の目には心配の色がのぞいている。

 

 正気に戻ったマリアは表情を取り繕って、から笑いをこぼした。

 

 

「あれ、ノアはどこに……あはは、ごめんね。ぼーっとしちゃって」

 

「……さ」

 

「何?」

 

 

 無理に笑う女の笑みは引きつって、歪だ。

 

 

「あんま、無茶すんなさ」

 

「う、うん」

 

 

 生返事なマリアの声に、ラビは眉を寄せる。

 

 

「伯爵はさっきノアと一緒に消えたさ。次に何をしてくるか分からねぇけど…とにかく行こうぜ。あっちでみんなが待ってる」

 

「…分かった」

 

 

 さり気なく掴んできた少年の手を振り払いはせず、マリアは仲間の方へ歩いていくラビの後に続く。

 

「……なぁ、本ッ当に大丈夫さ?」

 

「え? …あぁ、そりゃあみんなよりは怪我してないよ。ラビ達は……結構怪我してるね」

 

「こんなもんキレたユウの攻撃よりは軽いさ!」

 

「…フフッ」

 

 笑いのツボに入ったマリアは声を押し殺そうとしたが失敗して、吐息をこぼす。

 その様子に、ラビの強張っていた表情筋が和らぎ、安堵の色を見せた。

 

「さっきのマリア、マジで変だったぜ? まるで地蔵みたいだったさ」

 

「……ちょっと悩んでたの」

 

「悩み? いつも何も考えてなさそうな顔し──」

 

「あ゛?」

 

「イエ、ナンデモナイデス」

 

 

 ラビの心臓がきゅん(トキメキの音)ではなく、キュッ(心拍停止)とした。

 

 そうだった。この、高身長でスレンダーな──胸は少年的に少々物足りないが──年上の女は、仮にもクロス・マリアンの弟子である。

 

 いつも紳士然としたアレン・ウォーカーがドス黒い一面を見せることがあるように、彼女もまた師の影響を受けているのだろう。

 

 うさぎ(ラビ)は怯えた。捕食者の微笑みを前にして、膝をガクガク震わせた。

 

 すっかり顔色の悪くなったラビに、マリアは不機嫌に口を尖らせる。

 

 

「…私だって、悩む時は悩むわよ」

 

 

 陰りの色を濃くした女の顔が、地面に向けられる。

 どうしたものかと、ラビは暫し唸る。

 

 思いつく言葉はしかし、一つしかなかった。

 

 

「もっと頼るさ」

 

「…え?」

 

「仲間なんだから、もっと俺たちを頼って欲しいさ」

 

「……」

 

「悩みがあるなら相談して欲しい。戦う時は一緒に戦おうぜ。…それとも、俺たちってそんなに頼りないか?」

 

「…そんなわけ、ない」

 

 

 みんな強い。仲間がいるからマリアも戦える。

 

 

「だったら頼ってくれ。その代わり、俺たちもマリアを頼ってるってこと、忘れんなさ」

 

 

 ラビの言葉に含まれた中に、彼らが──仲間たちが自分を信頼してくれているのだと、彼女は強く感じた。

 

 

「……ダメね、私って」

 

「ダメじゃねぇよ」

 

「ううん、ダメだよ」

 

 

 首を小さく振って、またマリアは下を向く。ギシリと、微かに歯軋りの音がした。

 

 昔からそうだ。捨てられた末に一人で石碑の前にいて、教会にいた時もシスターと関わる以外は一人で過ごしていた。

 バーバたちと住んでいた時も、ファインダーになっても────。

 

 彼女はどこか、他人と一線引き続けていた。

 

 そして今も、その線は引かれ続けている。

 

 

「線が……」

 

「線?」

 

「そう。私と他人を分ける線」

 

 

 他人と一線を引く、その性質はブックマンに似通う所がある。

 

 

「その線の内側に他の人間はいるのか?」

 

「……いなくは、ないかな?」

 

 

 ロードは線の中にいる。あとはシスターくらいだろうか。

 しかしそのシスターはもういない。彼女が殺した。

 

「………あ」

 

「どうしたさ?」

 

 …そうか。

 そうか、そうか。そうなのか。

 

 

「私、失うのが怖いんだ」

 

 

 だから、彼女は内側に他者を入れることを拒むのだ。

 シスターを失った時、己の手で大切な人を破壊した時、マリアの心の中にぽっかりと穴が空いた。

 

 彼女が何よりも恐れているのは、失うこと。

 

 その感情がずっと他のストレスによってうやむやになり、認識できなかったのだろう。

 それが自覚した途端、手が震えた。

 

 弱い弱いと言っていた自分がそれ以上に弱い生き物だったらしいと、彼女は笑おうとして、上手く笑えない。

 かすれた息が漏れるばかりで、視界が歪む。あぁなんて、脆弱な人間なのだろう。

 

 情けなさで、マリアはどうしようもなくなった。泣くことしかできなくなった。

 

「ふっ、うぅ…」

 

「………!!!?! 待っ、えっ……えぇ!!?」

 

 大困惑のラビはあたふたとして、ひとまずその背をさすってやることにした。

 

 女の顔はフードに隠れて見えないが、しゃくる様子は子供のようである。

 

 少年の脳内では「泣く姿もかわいい」「大丈夫か?」「元気出すさ!!」とそれぞれ小さいラビたちが騒ぎあって、ラビFぐらいのやつが「この状況見られたら、確実に泣かせたの俺だと思われるじゃん」と呟いた。

 

「…まぁ、ゆっくりみんなの元へ行こうさ」

 

 ラビがイノセンスを使わないのは、仲間と会う前にマリア自身に心情整理が必要だと思ったがゆえだ。

 

 一緒に歩きてぇとか、やましい気持ちは──まぁ、ある。コイツは煩悩うさぎである。アレイスター・クロウリーが愛したAKUMA、エリアーデにも鼻の下を伸ばしていた男だ。

 

 ラビの内側など露知らず、マリアは少し泣いた後、スッキリした顔つきで少年に礼を言った。

 

 

「ありがとう、落ち着いたよ」

 

「それならよかったさ。それじゃあとっとと戻ろ………って、あれ? ユウとアレンが喧嘩してね…?」

 

「リナリーちゃんを取り合って男二人が争ってるの?」

 

「それは…うん、違うと思うぜ」

 

 

 苦笑いを浮かべた二人は、仲間がいる元へと歩き出す。

 

 マリアは月を見ながら目を細めた。

 

 失うのが怖い。それにロードと戦うことになるかもしれない。

 

 その時、彼女は殺す覚悟を持てるだろうか。

 

 不器用なマリアには、全部を救うなんて出来ない。だから狭い選択肢の中で必死にもがいて生きるしかない。

 

 でも今は、仲間のために戦おうと、そう思える。

 

 

「不器用は不器用なりに、懸命に生きてやろうじゃないの」

 

 

 

 

 

 *****

 

 殺風景になった場所から離れ、現在クロス班・ティエドール班は橋の下にいた。

 

 現状はエクソシスト側が窮地に追い詰められている。

 今後どうするか、その作戦会議が行われた。

 

 ティエドールはぼりぼりと頭をかき、冷静な判断を述べる。

 

「クロス班は撤退すべきだろうね」

 

 現在エクソシストは指で数えられる程しかいない。

 この聖戦を考えれば、体勢を立て直し、別の機会を窺うのも一つの手だ。

 

 真剣に話し合うティエドールとブックマン。二人の様子をマリアは隣でじっと見つめる。

 

 

「今この世に残るエクソシストはヘブラスカに、元帥の私やソカロ、クラウドにマリアン、そして___」

 

 

 ティエドールは説明の中、クロスをわざわざ「あの男」と表現したり、一人だけ苗字呼びしたりと、嫌悪感を露わにした。

 

 なるほど。あの飲んだくれはこの男に相当嫌われているらしい。

 

(まぁ当然か。水と油っぽそうだもんなぁ、ティエドール元帥と神父様は)

 

 人間を人間(女性以外)扱いしない男と、人間どころかこの世の動植物全てを愛してます、な博愛主義の雰囲気を持つティエドールが、仲が良いですだなんてまずあり得ない。

 

 

「ちょっといいかい?」

 

「……へっ?」

 

 

 もさもさした元帥の髪を見つめていた時、その本人から唐突に声をかけられた。驚いたマリアは慌てて姿勢を正す。

 

 

「君が新しいエクソシストの、マリアンの弟子だっけ?」

 

「は、はい。多分……弟子です」

 

「“多分”弟子ってことは、まさか……」

 

「まさか……とは?」

 

 

 ティエドールのメガネが光り、重苦しい圧が発せられる。それはただ、彼女に向けたものではないようだ。

 

 そして続いた「愛人かい?」という言葉に、マリアはもげる勢いで首を横に振る。アレンにも「手を出されているんじゃ…」と疑われているが、本当に“恩人”と“助けられた人”の関係でしかない。

 

 

「そっか、安心したよ」

 

「私はビックリしましたけど……」

 

 

 初めてクロス以外の元帥と会い緊張していたが、その緊張がどこかへ行ってしまった。

 

 ティエドールは温厚じいに見えこそすれ、「元帥」である。

 その言葉の重みを、マリアは重々に知っている。

 

 

「君の意見を聞きたいんだ。参考までにね」

 

「…私でよければ」

 

 

 ティエドールの意図を全て読み取れるわけではないが、なるべく最善策を打ち出そうとしているのだろう。

 

 或いは今の現状で一番厄介なクロスの言動を、弟子であるアレンやマリアを通して分析しようとしているのかもしれない。

 

 時に冷静に人間を「もの」として見るのは、彼女も一緒だ。

 本人がそれに無自覚であっても、既にティエドールはマリアの内面にある冷たさに勘付いている。

 

 目が、あまりにもアレンとは違い、この女はクロスと似ている。

 

 人間を、ひとつの()()として見られる目だ。

 

 

「そうですね…」

 

 マリアの後ろでは気絶していたリナリーが目を覚ましたのか、アレンやラビの声が響く。

 

 彼女はゆっくりと顔を上げる。

 すると、フードの下から紅い瞳がちらりと覗いた。

 

 

「元帥の言う通り、クロス班は引いた方がいいでしょう。聖戦において、一番の損失は教団ならばイノセンス、伯爵側ならば使徒であるノアです」

 

 しかしと、マリアは言葉を続ける。

 

 

「私たちは既に伯爵の用意したカゴの中。そうそう生きて逃げられるとは思えません」

 

「んー、だよねぇ…」

 

 

 ボリボリとクセなのかまた頭をかくティエドール。

 マリアはふと顔を逸らし、アレンたちの方を見つめた。

 

 瞳の奥の色に、先ほど浮かべていた冷たい色とは違う、温かな色が浮かんで、煌星(きらぼし)のように輝く。

 

 ついと、そこでティエドールは眼鏡の奥で目を見開く。そして理解した。

 

(アイツと似ていると思ったが……どうやら、早計だったみたいだね)

 

 マリアの内には冷徹な男とは違う、マトモな人間として一本筋の通ったものがある。

 

 

「大切なんだね、仲間が」

 

「…はい」

 

 

 ティエドールの言葉にマリアは微笑む。

 彼女の大切な仲間。失いたくない、守りたい存在。

 

 シスターやロードだけじゃない。

 アレンやリナリー、神田やラビ、コムイ……教団に来て、数え切れないほどの人間に出会った。

 

 少しずつ、彼女の世界は広がっていたのだ。

 世界が広がった分だけ、大切なものが増えた。彼らも既に、内側に入っていたのだ。

 

 でも増える分だけ、失うこともあるだろう。

 

 白い手が震えるほど強く握られる。

 マリアの様子を見たティエドールは、無精髭を撫でながら笑いかけた。

 

 

「覚悟はできたかい?」

 

「はい。私は守りたいです。仲間を……みんなを」

 

「うんうん。人間ってのは、少し強欲なくらいがちょうどいいよ」

 

 

 強欲すぎちゃあ駄目だけどね、と茶目っぽく続けたティエドールに、マリアも笑った。

 

 一人一人、この場にいる人間を見る。みな傷を負い、それでも生きて帰るために前を向いている。

 そんな彼らを、守りたい。

 

 なぜならば、大切な仲間だから。

 

 

 

「マリアー! リナリーが起きたさ!」

 

「リナ嬢の身体に障る! いい加減に黙らんかッ!」

 

 

 手を振るラビの顔面に、ブックマンの蹴りが入る。

 うおぉぉぉ、と痛みで地面を転げ回る少年に、周囲は笑った。

 

 マリアは起きたリナリーに挨拶する直前、そういえばまだ「ただいま」を言っていないことに気付いた。

 案の定、目が合ったリナリーが頬を膨らませている。

 

 

「帰ってきたら、ちゃんと「ただいま」ぐらい言ってください!」

 

「あはは…ごめんごめん」

 

 

 若干照れ臭い気もするが、ここはやはりストレートに言うのが一番だろう。

 

 

「ただいま、みんな」

 

 

 その言葉に「おかえり」が、当然のように帰ってきた。

 

 どうもそのくすぐったいような感覚が慣れず、マリアは誤魔化すように頬をかいた。

 

 


 

【好き】

 

 クロスと旅をしていたマリア。

 

 女と酒。そして煙草ばかりの男に少女が首を傾げた夕食時のこと。

 場所は滞在している町で見つけた酒場だ。

 

 酒場とはいってもレストランも兼ねているらしく、時間帯もあってか人が多い。

 

 二人が座っているのは隅っこの席だ。

 ちょうど植木もあり、中央からは見えにくい場所に位置している。

 

 マリアは大盛りによそられた皿の前で、椅子の上に膝立ちになった。座った状態では、椅子の低さで食べにくかったためだ。

 

「神父様は本当に酒と女性とタバコが好きなんだね」

 

「うるせぇ。いいからとっとと食っちまえ」

 

「はーい」

 

 酒を浴びるように飲む男に、肝臓はどうなっているのか、と少女は真剣に思った。

 

 きっと肝臓に住む妖精が、魔法でアルコールを消しているのだろう。

 そんな本で得た知識と子供っぽい考えを混ぜて、オレンジジュースをすする。

 

 目の前の肉はいつのまにか三分の一までに減っていた。

 

「神父様はほかに好きなものないの?」

 

「……」

 

 無言、ということはどうやら会話したくない気分らしい。

 マリアも察してか黙り、ナイフを手に持った。

 

 しかし子供の腕力ではいくらイノセンスがあるといっても、巨大な肉の塊を切るのはきつい。

 

 肉と格闘するマリアを尻目に、クロスは残っていたワインを飲み干した。

 既にボトルは五本も開けられている。

 

「うぅ……ぐぬぅ…」

 

「……ッチ、貸せ」

 

「あっ」

 

 見かねたのか、クロスは小さな手からナイフを奪い、肉を切り分け始める。

 マリアはフォークを右手に握りながら、カバのごとく口を開けた。

 

「………」

 

 クロスはマヌケな顔で肉を待機する少女に、なんとも言えない表情を浮かべる。

 

「アホか、自分で食え」

 

「んあ? あー……」

 

 口を開けたまま眉を下げて見つめ続けるマリア。

 無言の押し問答が続き、とうとう先に折れたのは男の方だった。無遠慮に肉が少女の口に突っ込まれる。

 

 マリアは若干えづいたものの、美味しそうにもぐもぐと食べる。さながらハムスターだ。

 

「ひぃんふはまもひぃふはへはいんふぇふか? 

(神父様も肉食べないんですか?)」

 

「食いながら喋るな、行儀が悪い」

 

 礼節もクソもないような男から行儀を説かれた少女は膨らんだ頬で、じっ…と、胡乱げに見つめる。

 

 クロスはため息を吐き、追加の酒を注文した。



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ぎゅうと腹が潰れた

 黒い空。

 

 手を伸ばしたら吸い込まれそうな闇の中、無数の巨人型AKUMAが江戸に現れた。

 

 周囲がざわつく。

 マリアは空を仰ぎ、深淵の中に浮かぶキューブ状の巨大な物体を見つめた。

 

 

 

 

 

 *****

 

 束の間の平穏は、一瞬にして打ち破られた。

 

 江戸に突如として出現した巨大なAKUMA。

 手足が異様に細長く、まるで人形劇に使うカラクリのような見目をしている。

 

 そして何より今危惧すべきことは、地面に吸い込まれるようにして消えたエクソシストの安否だ。

 

 伯爵が現時点でハートの可能性が最も高いリナリーを狙ったと推測できる。

 

 消えたのはリナリーやアレンをはじめとしたエクソシスト5名と、協力者(サポーター)1名。

 マリアも寸前で飛び込んだクロウリーの教団服を掴もうとしたが、伸ばした手は何もつかめなかった。

 

「…マリアさん」

 

 ミランダが、唇を噛みしめる女に声をかける。

 イノセンスを酷使しているミランダの顔色は非常に悪い。

 

「大丈夫ですか、ミランダ」

 

「え、えぇ…でも、アレンくんたちが…」

 

 伯爵は確実に、この場にいるエクソシスト全員の息の根を止めようとしている。

 正直に考えれば、攫われたリナリーたちの生存の可能性は限りなく低いだろう。

 

 女の噛みしめた唇から流れ落ちた血が、ミランダのイノセンスの能力によって巻き戻り、再生する。

 

 先ほどまで瞠目していたティエドールは、マリアたちの方を振り返った。

 

「ミランダや残っている協力者(サポーター)はこの場に残ってくれ。マリと私は大型AKUMAと交戦する」

 

「私やブックマンは…」

 

「ブックマンは記録者としての役割がある。マリア、キミにはこの場の守備を任せる」

 

 まだ実戦経験が薄いマリアを配慮したティエドールの判断だ。

 足を引きずって元帥たちまで危険にさらすことになれば、それこそ本末転倒である。

 

 マリアはすぐに守備に就いた。

 遠方では巨大AKUMAとの交戦が始まった。ミランダたちに近づく小型のAKUMAは剣で破壊していく。

 

 剣の形態は今まで発動した大剣、槍、レイピアの3つのタイプに自由に変化できる。

 

 慣れているのは神ノ剣(グングニル)の大剣なので、使うのもそれだ。

 

 彼女は橋の周囲を移動しつつ次々と破壊していくが、キリがない。

 時折欄干にいる皆の様子を窺う。サポーターたちの表情は軒並み暗い。彼らは震えながら、祈るように戦うエクソシストの姿を見つめている。

 

 守らなければ。

 

 しかし手を握る彼らの姿が、別の姿と重なる。祭壇で、堕罪を持った女が滑稽にも神に祈った光景。

 

 自分とサポーターを重ねたマリアは、顔を歪める。

 

「…ッチ」

 

 忌々しさに舌打ちし、彼女は剣を握り直した。

 

 

 

 

 

 

 破壊、破壊、破壊。

 

 数えきれないほどのAKUMAを破壊した女の息はひどく荒い。大きなケガを負っていないのは幸いだった。

 

「本当にッ…! どんだけ湧いて出てくるわけよ!!」

 

 体を両断され、噴き出たAKUMAの血が白い肌を汚す。

 

 

 その時、マリアの視界がなぜか大きく歪んだ。慌てて彼女が瞳に触れれば、濡れた感触がある。血ではない。手に付着したAKUMAの血で分かりにくいが、これは────。

 

「……涙?」

 

 マリアは、泣いていた。

 

 

「何で……?」

 

 泣く理由など見当たらない。

 困惑する彼女は裾で拭うが、とめどなく雫があふれて、顔を伝う。

 

 歪んだ視界ではまともに正面が見えず、AKUMAの鋭い切っ先が彼女の腕をかすめた。

 

「い……った!」

 

 マリアの体勢が崩れ、地面に落ちる。その隙をねらってAKUMAの猛追が襲いかかった。

 

「やばっ…」

 

 正面の方向、彼女の少し先には仲間がいる。

 

 ミランダはAKUMAの砲撃の先がマリアの脳天だと分かった瞬間、あらん限りの声量で叫んだ。

 

「マリアさん、逃げて!!」

 

 記録していたブックマンは咄嗟にイノセンスを発動し、針を敵に飛ばす。しかし間に合わない。

 

 まるで走馬灯のように、歪んだ視界の光景がマリアの瞳に映る。

 

 涙腺がバカになってしまったのだろうかと、彼女は場違いに思った。

 

 

(こんなところで、死ぬわけにはいかない)

 

 

 五感を使い敵の位置を察知し、神ノ剣(グングニル)で砲撃をはじき飛ばす。

 そのまま空中に飛び、腰を捻るようにして急接近したAKUMAを斬った。

 

 落下するマリアは受け身を取ろうと身体を戻す。

 視界はもう歪んでいなかった。

 

「何だったんだろう…」

 

 そして彼女が地面を向いたところで、それが地面でないことに気付いた。

 見慣れたと言っては語弊があるが、それでも馴染みのあるもの。

 

 

 ロードの扉だ。

 

 

 それが目の前に、しかも開いた状態で存在する。

 逃げるには、もう遅かった。マリアの身体を容易く飲み込むほどにそれは大きい。

 

「マリアさん!!」

 

「マリア殿!」

 

 ミランダとブックマンが叫ぶ。

 手を伸ばす彼らと同じく彼女も手を伸ばして、真っ暗闇に飲み込まれた。

 

 

 

 伯爵の催す方舟の中のパーティー。

 招くように開いた扉が、大きな音を立てて閉まった。

 

 

 

 

 

 ***

 

「ぐえっ!!」

 

 派手な音を立てて私が落ちた先は、図書館のような場所だった。

 

 背中から本の山に落ちたせいで、めちゃくちゃ痛い。

 あまりの痛みにのたうち回っていたら、品のない笑い声がした。

 

「「ギャッハハハハハ!! 「ぐえっ」だってよ!!」」

 

 笑っていたのはビジュアル系の少年二人だ。

 

 一方は片目を隠した黒髪少年で、もう片方は金髪ロン毛少年である。

 なぜか金髪の子には頭に触覚が生えてていた。チョウチンアンコウみたい。

 

 ……チョウチンアンコウって確か美味しいらしいんだよね。一度でいいから食べてみたいな。

 

「ヒィ、デビのアイシャドウ貸して」

 

「ギャハ……あ、待てっ、オレが先に使おうと思ってたのに!」

 

 二人は部屋の中央にある高台に座ってメイクに没頭している。身支度は来客が来る前に済ませてよ、マナーでしょ。

 

「つーか、ここどこだし……!」

 

 ロードちゃんに振り回されてだいぶ怒りゲージは溜まっているけれど、今は状況整理の方が大切だ。

 

 さっきまでAKUMAと戦って大大ピンチだった所から、ロードちゃんの能力でどこかに拉致された。まさか夢じゃないよね? 

 

「いや、痛いわ」

 

 頬をつねったけど痛い。

 

 

 そんな私の行動一つ一つが面白いのか、少年二人が笑いまくっている。

 

 金髪くんはそのせいで手がぶれて、目元のメイクがお粗末なことになっている。

 しかし黒髪の方が一瞬我に返って、私を見つめた。

 

「てかあんた、何で上から落ちてきたわけ?」

 

「ロードの能力で落ちて来たね!」

 

「私に、聞くな……」

 

「うわ、めっちゃキレてるじゃん、このおばさん」

 

「おばっ……ハァ!?」

 

「ヒヒッ! デロたちが爆笑してるからおこなんだよ」

 

 

 フゥー……落ち着くのよ、マリア。敵の口車に乗せられてキレ散らかす場合じゃなないのよ。

 

 

 ロードちゃんの考えなんて今まで分かった試しがないのに、ここ最近、余計に分からなくなっている。

 

 おそらく、少女の言う『伯爵のパーティー』とやらに私を招くためにこんなマネをしたんだろう。

 

 一緒に私もアレンくんたちと来なかったから、自分の能力で連れて来たって考えれば辻褄が合う………

 

 ……いや、落とす必要なくない? 

 

 だいぶ高いところから落とされたから、非常に背中が痛い。

 おまけに攻撃を受けた腕も痛いし、頰も痛い。

 

 いけない。また沸々と怒りが湧いてきた。

 

「デビット待って、あれ教団服じゃね? ローズマークがあるよ!」

 

「あー? ……ホントだ。ファインダーかと思ってた」

 

 私は一体全体どうすればいいっていうの? 

 少年二人はノアのようだし、彼らと戦えとでもいうの? 二体一? 

 

「ハァ………ねぇ、もしかしてここって方舟の中で合ってる?」

 

「あぁ、そうだぜ。ここがお前らエクソシストの墓場になる場所だ!」

 

「ヒヒッ! 皆殺しだぜッ!」

 

 何だ、話はちゃんと通じるのか。

 少し拍子抜けしていたら、ちょうどメイクが終わったのか、二人が立ち上がりこちらを指差して叫んだ。

 

 

「「そんでオレたちはクロスの借金を払わせるために、アレン・ウォーカーを待ってんだよォ!!」」

 

 

 ……ん? しゃ、借金? …………。

 

 

「すごい。怒りが一気に同情心に変わったわ!」

 

「ハァ? 同情するならテメーがクロスの借金払えやぁ!!」

 

「ヒヒッ!! …いや、女性に借金はちょっとアレな感じになっちゃうから、やめとこーぜ、デビ」

 

「アレって何………おっ、おま、何やらしいこと考えてんだッ!」

 

「変な想像させるようなこと言ったのはデビの方だろォ──!!」

 

 仲良く喧嘩し出した二人は、コソコソと話し終えてから「借金は弟子に!!」ということでまとまったようだ。

 

 その弟子=アレンくんみたいだが、君たちの前にすでに弟子(?)はいるんだな、コレが。話がこじれそうだから言わないけど。

 

 

(多分神父様を狙っていたのがこの二人なんだ)

 

 

 けれど返り討ちに遭い、その結果として借金を押し付けられたのだ。

 本当にあの人って聖職者なのか…? 

 

 遠い目をしていたら、後ろから聞き慣れた声が聞こえた。

 

 扉から押し入って来たのは、というか豪速球で飛んできたのは、クローリーに抱えられたアレンくんたち。

 

 ラビが一番先に気付いたのか、私を見て仰天した。

 ついでアレンくんが叫ぶ。

 

「危ないです、マリアさん!!」

 

 飛んでくる彼らの位置は、ちょうど私のいる場所。

 え、ま、ちょ………

 

 

「ヒッ!」

 

 思い切り当たり、私の肢体が吹っ飛んだ。

 

 ……ということはなく、本当にギリギリで、クローリーが止まった。

 

 ブレーキを思い切りかけたらしく、後方の地面がかなりえぐれていて、舞った土埃がフードを通り抜けて顔にかかった。

 

 抱えられていたラビやアレンくんは地面に落とされ、呆然としていれば目の前に手が差し出される。

 

「怪我はないか?」

 

「は、はい」

 

 クローリーがへたり込んでいた私を立ち上がらせてくれた。

 

 いつものか弱い感じのクローリーではないので、AKUMAの血を飲んだのだろう。男への扱いは床に投げ捨てられた少年二人を見るとおり雑だが、女性には紳士である。

 

 彼の背中にはリナリーちゃんがいて、私の顔を見るなり詰め寄った。

 

「ま、マリアさんが何でここにいるんですか!?」

 

「それが…私にもよく分からなくて……」

 

 一応ロードちゃんの能力で連れて来られたことは伝えておく。

 

 ミランダたちが心配だけれど、あちらにはティエドール元帥がいる。だから大丈夫だろう。

 

 

 一番心配すべきは、いまこの方舟の中にいる私たちの方だ。

 

 イライラが募る中、役者がそろったこの場で、ようやくノア二人が名乗った。

 

 

「デビットどぅえす」

 

「ジャスデロだよ、ヒヒッ!」

 

 

「「────二人合わせて「ジャスデビ」だ!」」

 

 

 

 

 

 *****

 

 ジャスデビがアレンたちと遭遇した同時刻。

 

 ゴシック色が強い部屋の中、顔を拭きながら洗面台から戻ったティキは、窓格子に座っているロードを見やった。

 

 少女の顔は本に隠されている。

 いつもの様子とは違い、ロードはどこか呆然としている。

 

 先ほどまではジャスデビの借金に笑っていたが、双子が消えてからはずっとこの調子だ。

 

 普段のロードを知っているからこそ、ティキは何とも言えない心境で見つめることしかできない。

 本当に、どうしたというのだろうか。

 

 

 タオルを投げ捨てた男は、先ほど座っていた椅子に荒々しく腰掛ける。

 ちょうど横の位置、90度ほど首を傾けてみるが、やはりロードの顔は見えない。

 

 しかしふとそこで、ティキは本に添えられた少女の手とは別の方に、小さな人形が握られていることに気づいた。

 

 人形の姿に既視感を抱いたが、思い出せない。

 

「なぁ、どうしたんだよ」

 

「んー…?」

 

 気怠けな声と共に本が退けられる。

 秘されていた少女の顔を見た瞬間、ティキが目を見開く。

 

「……何で、まだ泣いてるわけ?」

 

「……んー」

 

 ロードの手からするりと本が落ちて、床に開いた状態で落ちる。

 本は吹き込んだ風に乗って、数ページほどめくれて止まる。

 

 少女は空いたもう片方の手を人形に添えて、力加減を考えず思いきり握る。そして、腹の部分が強く圧縮されてへこんだ人形に、そのまま頬ずりする。

 

「何かさぁ、神って残酷だなって」

 

「は?」

 

「ふふ、何でもなぁーい」

 

 埋めていた顔を上げ、ロードはティキを見た。

 グルグルと円を描くその瞳から流れ落ちる水滴は、人形の白い服に吸い込まれる。

 

 そこでようやくティキは既視感の正体に気が付いた。

 人形の服が、ファインダーの物とソックリなのだ。

 

 ロードは口角を上げながらゆるりと笑って、ティキから視線を外し、空を見る。

 方舟に広がるのは澄み渡る青空だ。

 

「マリア…」

 

 ボソッとつぶやかれた声は明瞭な音にはならず、男の耳に入ることはなかった。

 

「ね、ティッキー」

 

「何だ?」

 

「ボクね、さっきまではスキンが死んで悲しくて泣いてたけど、今は違うんだ」

 

 テーブルに置かれた菓子をいじりながら、ロードは続ける。

 

 

「今は、嬉しくて泣いてんの」

 

 

 なぜ、そう聞こうとしたが、ティキは口を噤んだ。

 ロードの雰囲気もそうだが、何となく今はこの話題に触れてはならない気がした。

 

 触れたら最後、ロードの涙腺が壊れる気がしたのだ。

 そんなことはあり得ないのに、どうしてかリアルに想像できる。

 

 できてしまう彼自身も、どこか変だった。

 

 

 ティキは涙を流すロードから逃げるように視線をそらす。

 そらした先には、雲一つない青空があった。

 

 それが憎らしくて、煙草を取り出し、紫煙を吹いて雲をつくった。

 

 


 

【ご飯】

 

 ロードの宿題を手伝っていたマリア。

 そこにAKUMAの召使いが料理を運んでくる。

 

『伯爵様ガ今日ハオりょ、料理をおつくりにィ…ガガッ』

 

「千年公のおやつだ〜」

 

 嬉しそうに運ばれてきたマフィンを手に取って食べるロード。

 マリアは思考が追い付いていなかった。

 

「え、伯爵って料理するの…??」

 

「千年公の料理はこの世で一番美味いよ!」

 

 ハングリー女の視線の先には、甘い匂いを漂わせる甘食がある。

 ゴクリ、と鳴った音を聞いたロードは、笑いながらマフィンを手に取り、マリアの口元に近づけた。

 

「ほら、あ〜んして。毒は入ってないから安心してよ。マリアが食べたら千年公もきっと喜ぶから」

 

「………」

 

「マリアが食べないならぁ、ボクが全部食べちゃうけどなぁ〜〜?」

 

「!!」

 

 警戒心の強い猫のように鼻を鳴らしながら、マリアはロードの手にあるマフィンを暫し見つめて──食べた。

 

「う……………うまうま!!!」

 

「ふふ、でしょー」

 

 美味い。美味すぎる。何だ、何なのだこの味は……!! 

 

 で、そこからはあっという間である。

 一分もかからずマリアはすべての菓子を食べきった。

 

 この後いつも通り勧誘めいた言葉を言われるのだが、その時ばかりはかなり真面目にマリアの心は揺れた。

 

「こんな美味しいものを毎日食べられるなんて、ノアもいいな………ッハ! いや、違う私はファインダー…!!」

 

 マリアの食のがめつさを、ロードは微笑んで見つめていた。



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名無しの楽曲

閲覧ありがとうございます。方舟編も進んで行きだんだんロードの様子が…?になっていきます。
個人的な話ですが今季の本誌に若め師匠載ってて、ア゛ッ(死)ってなってました。


 ノアの使徒ジャスデビは、お互いが同一のものを想像した時、それを現実に実体あるものとして生み出すことができる。

 

 銃に種類の違う“(ボム)”を装填し、双子は攻撃を仕掛けた。

 

 

 その能力の難解さゆえ、エクソシストたちはジャスデビの能力が分からずに苦戦した。

 

 彼らは四方に散らばりながら攻撃を躱していく。

 マリアは黒衣(ドレス)をまとい、部屋を円形に囲む本棚の側面を走りながら球を避けた。

 

 しかして、双子の殺意の矛先はほとんどアレンに向かっている。

 

「死ねェ、弟子ィィィィ!!!」

 

「ヒッ! 借金払えェェ!!」

 

 ジャスデビの魂の叫びである。

 死んだ目をしていたマリアはふと、この場に神田がいないことに気づいた。

 

 地面に着地し近くにいたリナリーに事情を聞けば、どうやら彼らを先に行かせて、巨漢のノアと戦っているらしい。

 リナリーの仲間を信じる目に、マリアは優しく微笑んだ。

 

「そうだね。きっと神田なら追いつくよ」

 

「…はい!」

 

 しかし戦っていた最中、アレンが持っていた扉の鍵が双子に奪われた。

 ついでエクソシストたちに「騙し眼鏡」なるものが付けられる。

 

 それは視覚を狂わす力を持つ。床に落ちたものとは異なる大量の鍵が彼らの前に出現した。

 しかもイジの悪いことに、どの鍵も形状が似ている。

 

「俺に任せるさ!」

 

 この時、鍵の捜索を買って出のはラビだった。

 

 “記録する”立場であるブックマンは記憶力に秀でている。時間はかかるかもしれないが、大海撈針に思える荒業も、この男ならば不可能ではない。

 

 そう。例えば美人の女のスカートがめくれたその一瞬なんかも、鮮明に記憶しておくことができるのだ。

 さすがにそのようなことはラビもしていないが。したらパンダ爺の膝蹴りを食らうことになる。

 

「ブックマンってすごいんだなぁ…」

 

 ラビの能力に感心していたマリアは、槌のイノセンスで起こされた竜巻に吸い込まれていった鍵を見つめる。

 

 

「隙アリィ!」

 

「……わっ!?」

 

 ちなみに彼女も騙し眼鏡のせいで、ジャスデビの姿が見えなくなっている。

 背後から首元に伸ばされた手の気配を感じ、前方に飛び退いた。

 

「…?」

 

 振り返ってもそこには誰もいない。

 けれども双子のうちどちらかがいる。見えないだけで、敵の息遣いや声は聞こえるようだ。

 

「もしや金髪ビューティくん?」

 

「ヒッ! デロの髪が褒められた!」

 

 どうやらジャスデロが彼女のすぐそばにいる。

 機嫌を良くしたデロに、その少し後方からデビットの怒鳴り声がした。

 

「バカヤロー! エクソシストに褒められて喜んでんじゃねェよ!」

 

「でも金髪ビューティって…」

 

「オレたちを油断させようとしてんだよ!!」

 

「ヒヒッ…?! ゆ、許せねェ、エクソシストォ…!!」

 

 次の瞬間、銃口から巨大な灼熱の爆弾が放たれた。

 マリアはすぐさま剣を目の前に掲げ、爆弾を両断する。

 

 だが数が多すぎる。一つが目の前で爆発したことで風圧を生み、彼女の体が後方に吹き飛んだ。

 その肢体は倒れた本棚の下敷きになり、大きな音とともに埃が舞う。

 

「「ナイス、シュート!」」

 

 ジャスデビがハイタッチを決めようとしたその時、前からクロウリーとアレンの攻撃が加わった。

 

 

 

 対して、潰された女はよろめきながら本の山から脱する。

 さらに不幸体質のせいか、ギリギリ倒れなかった隣の本棚から一冊の本が落ち、角が脳天に直撃した。

 

「きゅう」

 

 目の前で星が飛ぶこと数十秒。

 

 その間、アレンがクローリーとジャスデビを捕まえたようで、押さえつけられた双子がキレている。

 

 

「あ……だ、大丈夫っスか!?」

 

 そして息も絶え絶えな女にようやく気づく者が現れた。

 チャオジーというアニタの船で生き残った協力者(サポーター)の青年が、マリアの背に手を回す。

 

「ボロボロっスね…」

 

「あっ…ありがとう」

 

 チャオジーの肩を借り、マリアは立ち上が──ろうとして、できなかった。

 

「!?」

 

 床がぐにゃりと歪み、あたり一面が亡者の姿に変わっていく。

 チャオジーと共に呑まれ、彼女の身体が圧迫されて、軋む。

 

 エクソシストの女よりも生身の人間であるチャオジーの方が限界が近く、あまりの痛みに絶叫が響いた。

 

「チャオジー!!」

 

 マリアが叫んだ瞬間、黒衣の形が変化し、寄宿主から離れる。黒い液体はチャオジーの身体を包み込んだ。

 

 球体状に変化したそれは、亡者を押しのけ床に転がる。

 

 だが無防備になったマリアの身体は先ほどよりも勢いよく軋む。

 そして、右腕が周囲にわかるほど嫌な音を立てて折れた。

 

「ぐっ、〜〜ぎ」

 

「みんなっ!!」

 

 尚も潰される仲間たちの姿を見たリナリーは、亡者に向かって駆け出す。

 

 だが彼女は今、イノセンスを使えない状態にある。

 そのまま転倒したリナリーに、デロとデビは背後から襲いかかった。

 

「リナリー!!」

 

 アレンが亡者を跳ねのけ、ジャスデビに向かって駆け出す。

 

 しかしその行く手を阻むように、白い巨体が現れる。双子の能力により想像されたそれにアレンの顔が青ざめた。

 

 

「────千年ッ、伯爵ゥ!?」

 

「「ギャッハハ! しかもブチギレ×笑いモードだぜェェ!!」

 

 

 さらに威力が本物のため、アレンが避けるたびに次々と本棚や床がえぐれていく。

 何とか亡者から抜け出たマリアは、アレンよりも顔が青くなった。

 

 過去のイノセンスを破壊されたトラウマが脳裏によぎり、思わず口元を押さえる。

 

 それでもどうにか震える体に鞭を打ち、怒れる伯爵を一旦アレンとクロウリーに任せて転げ回る球体を追いかける。

 

 至るところから生じる風圧であちらこちらに移動し続けた球体。その中にいたチャオジーは当然グロッキーモードである。

 

 マリアが黒衣を解除すると、青年は隅でキラキラした。

 

「ごめん! 本当にごめん!!」

 

「いえ……ゼェ、助けていただいたので! ……おえっ」

 

 それより、と吐き気の落ち着いたチャオジーは折れた女の腕を指摘する。コートの裾をまくると、患部はひどく変色していた。

 

「すみません、俺のせいで…エクソシスト様にケガを負わせてしまって……」

 

「いいよ、気にしないで。これくらい固定しとけばすぐに治るから!」

 

 マリアは教団服のコートの裾を破り、折れた箇所を固定した。

 しかし痛みまでは誤魔化せず、顔を歪めながら左手に剣を握りしめる。

 

 マリアの利き手は右。状況はさらに悪くなった。彼女は囚われたリナリーを救うべく走り出す。

 黒衣は女の周囲を水のように漂う。

 

 

「はぁ、もう…本当に、今日は散々な目に遭うな…」

 

 夢の少女に振り回され、双子の少年に振り回され、その合間合間で無数のケガを負った。それでも己の恩人の奇行だけは霞んで見えないのだから、彼女も笑えばいいのか分からない。

 

 ただ、そろそろ我慢の限界だ。

 

 そしてその爆発は、双子のリナリーに浴びせた罵詈雑言で振り切れる。

 

 

「黙れよ女のクセに! 犯すぞッ!!」

 

 

 マリアは元々、ジェンダーの差別が嫌いだった。有能ならば男女は問わない教団の本部こそその風潮は薄かったが、世間にいた時はさまざまな経験をした。

 

 やれ少女だからと、やれ女だからと。見下され侮られ、時に気色の悪い視線が体をなぶるように見る。

 思えば体を過剰に隠すようになったのも、この頃の経験が活きているのかもしれない。

 

 女を性処理扱いの道具にしか思っていない男など、交尾にしか脳のない獣とさえ思っている。

 

 これに関して女を取っ替え引っ替えしていたクロスは例外である。魔性と言うべきか、相手の女は男の内面の冷たさを理解した上で惚れ込んでいたのだから。

 

 

 あれでも、聖職者の性行為ってタブーじゃなかったっけ? 

 

 マリアの目がさらに濁った。

 

 

 

 閑話休題。

 彼女は耳を澄まし、双子の場所を特定する。

 

「このっ、クソガキ…」

 

 アレンが一瞬己の師の微笑み(殺意)を幻視した直後、ゴム状になった黒衣が大きくはずんだ。

 

 跳躍した女の左手には剣ではなく、拳が握られている。

 後ろを見ていたデロはマリアの悪魔の笑みと視線があったが否や、悲鳴を上げる。

 

「ギャァァッ! で、でで、デビット後ろ!!」

 

「ア? 何────ぐげぇ!!」

 

 殴ろうとしていたリナリーと、マリアに前後挟まれる形でアッパーを食らったデビットは、鼻血を垂らしK.O.する。

 

「デビーーーッ!!」

 

 マリアは囚われたリナリーを解放すべく、一度戻した剣を取り出す。

 狙いを定めたその刹那、右肩に鋭い痛みが走った。

 

「いった…!」

 

「んのっ、クソヤロォ…!!」

 

 撃たれた、と理解した彼女は斬りかかろうとしたものの、騙し眼鏡のせいで双子の正確な位置が分からない。

 二人から発せられるかすかな音も、暴れる偽伯爵によりかき消されてしまう。

 

 尚も銃声は続き、今度は右足を撃たれる。

 

「マリアさん!!」

 

「……う゛っ」

 

 剣を支えに立ち上がろうとするが、次は右腕に激痛が走る。

 デビットが折れているその腕を踏みにじったのだ。

 

 時折聞こえていた嚙み殺された悲鳴も、女が気絶したのか、とうとう聞こえなくなった。

 

「テメェも、吸血鬼のおっさんも、オレらのことガキガキ言いやがって…!! クソムカつくんだよ!!」

 

「やめて!!」

 

「うっせェ、お姫様は黙ってろ!」

 

 逆上するデビットは持っていた銃でリナリーの顔面を殴り付ける。

 

 呼吸を荒くするデビットの様子を、ジャスデロは後ろでおろおろと見つめた。

 

「デビィ……「女性には紳士に」って、前に千年公が言ってたよぉ…」

 

「っ、だってオレたちのことバカにしてんだぞ! それにこいつらはエクソシストだ! 女だろうが関係ねぇ!」

 

 デロは宥めるようにデビットの背中をさする。

 その時。打ちどころが悪く気絶したリナリーの前方から、小さな声が聞こえた。

 

 それは、声のような。

 

 

「何だ……?」

 

 眉を顰めたデビットは、そして気づく。声の主は腕を踏みにじった女から聞こえる。

 倒れている女の顔はフードと前髪に隠され、口元しか見えない。血濡れのそれがかすかに動く様は妙に艶やかだ。

 

 一瞬息を飲んだ少年は、銃を握って手の震えを無理やり止める。

 

 ジトッとした汗が、デビットのこめかみから落ちた。

 

「ん、うっ……」

 

「デビ、あの女目ェ覚ましたみたいだよ!」

 

「…ッチ、エクソシストって害虫みてぇにしぶてぇな」

 

 女の脳天をぶち抜こうと、銃口の先を向けた二人。

 焦点を合わし、殺意を込めて球を想像する。

 

「最期に遺言はあっかよ、エクソシストォ」

 

「ヒヒッ、おねんねしなぁ!」

 

 デビットは激しく脈打つ己の心臓を紛らわすように、マリアの頭を蹴やる。

 すると、取れたフードから隠れていた顔が露わになる。

 

 うっすら固まった黒い血がその白い肌にまとわりつき、血なまぐさい匂いがデビットの鼻についた。

 

 閉じていた女の瞳が開く。視線はおぼつかなく、ウロウロと彷徨っている。

 

 

「………ッ!」

 

 

 その、赤い口元が上がって、誰もいない場所に向かって微笑む。目元も弧を描く。

 少年の心音が異常なほどバクバクと音を立て、ついには震える息をこぼして、一歩下がった。

 

「……デビ?」

 

 片割れの異変に気づいたジャスデロがデビットの肩を叩く。

 デロは何も感じないのだろうか。

 

 ────この紅い瞳が存在して、そして優しい色を見せていることに、本当に何も感じていないのだろうか? 

 

「なァ、デロ……」

 

「……? どうしてデビットはそんなにこの女にビビってるんだ?」

 

 デビットの思考を読み取った、頭ドラゴンボールボーイが首を傾げる。

 双子で、二人合わせて「ジャスデビ」の彼らでも、今感じているものは違うらしい。

 

 ははっ、とカラ笑いした少年はデビに「何でもねェよ」と返した。

 

 早くこの女を殺してしまおうと、デビットは銃口を改めて向ける。

 

 紅い瞳はなおも、虚空を見つめている。二人を、見ない。

 

 

「────すき」

 

「は?」

 

「え、まさかのデロたちに告白?」

 

「……お前はちょっと黙ってろ」

 

 金髪にぐりぐりと銃の持ち手を押し当てながら、デビの視線は女に釘づけだ。隣ではまだやかましく「えっ、まさかデビもこの女のこと……!?」と言っている。

 

 ボソボソと、女は何か呟いている。デビットが息を殺せば、ジャスデロも口を閉じた。

 

「すき……」

 

「ヒッ! どっちだ? デロ、それともデビ?」

 

「だからぁ、お前〜…!」

 

「私は、こどもがすき」

 

「…………ッハ!」

 

 

 結局はコイツも、ジャスデビをバカにしてるのだ────と、ぷつんと、デビの血管が切れる。途端に先ほどまでビビっていた自身がバカらしくなった。

 

 “何か”を求めていたことにデビット自身は気づかぬまま、凶器を銃から金槌に変え、気の済むまで女をミンチにすることにした。

 

「もういい、殺す」

 

「待って、デビ!」

 

「……あぁ? 何だよデロ、他のエクソシストが来る前に殺しちまおうぜ!」

 

「まだなんか言ってる!」

 

「はぁ!?」

 

 ジャスデロに促され、青筋を浮かべつつデビットはマリアを見つめた。

 

「ぁ」

 

 紅い瞳が、デビットとジャスデロを見つめて、微笑んで────。

 

 

 

「でも、わるいこはきらい」

 

 

 

 瞬間、二人の身体が硬直した。デロは怯んだ程度だったが、デビの方はメイクが落ちるほどに汗をかき、震えている。

 デビットの異変に気づいたデロはその体を揺する。

 

「デビ! …デビッ!!」

 

「……っ!」

 

 硬直から解けた少年は慌てて女の顔に視線を戻した。しかしすでに意識を失っており、薄く開いたままの口元が動くことはない。

 

「大丈夫か? デビが無理なら、デロが殺すよ」

 

「いやいい、オレが…」

 

「でも、この女のことスゲェ怖がってるだろ? だからデビが殺すって」

 

「オ、オレがエクソシストにビビるわけねぇだろ! お前の気のせいだッ!!」

 

 そうだ、あり得ない。ノアの彼らがエクソシストに恐怖するわけがない。

 いや、待て。この感情は「恐怖」でひとくくりにできるものなのか? 

 

 デビットは銃を握り直しマリアに照準を当てようとするが、手が小刻みに震えてしまう。

 

 彼が舌打ちした時、後ろから突風が起きた。

 

 

「「!!」」

 

 ラビがようやく鍵を見つけたらしい。扉が開いた。

 

 

 驚いた二人は後ろを振り向く。

 

 それと同時に騙し眼鏡が消え、散々伯爵と苦闘しボロボロになった二人、アレンとクローリーの渾身のグーパンが双子の顔面に叩きつけられた。

 

「フンッ、これだから餓鬼はイヤなんだ」

 

 殴った拳に付いた血を拭い、クロウリーは忌々しげに呟く。

 アレンは吹っ飛び、本の下敷きになったジャスデビの姿を見つめる。

 

 

 かくして、エクソシスト側の反撃の狼煙が上がったかに思えた。

 

 

 

 

 

「どいつもこいつも」

 

「オレたちのこと「ガキ、ガキ、ガキ」って、フザケてね?」

 

 

 褐色の手が二つ、本の中から現れる。

 

「「遊び(ゲーム)はやめた」」

 

 立ち上がったジャスデロとデビットは互いの頭に銃を向け、撃ち合う。

 

 発砲音とともに、二つの影が混じり渦を巻く。

 黒い渦は次第に大きくなり、アレンたちのいる部屋を包み込んでいく。

 

 暗闇の中、魔の手は始めにクローリーを襲う。勢い余った男の身体は本棚にぶつかり、鮮血で周囲を汚した。

 

 

『ジャスデビ』────彼らは本来二人で一つのノアである。

 

 ジャスデロとデビットが合わさることで、本当の恐怖がエクソシストたちを襲う。

 

 最強の肉体を想像したジャスデビはしかし、いたずらに成功した子供のように笑った。

 

 

『全員、死んじゃえ!』

 

 

 

 

 

 *****

 

「んがっ」

 

 唐突に意識が浮上し、マリアは飛び起きた。

 

 そして、あのデビットとかいうノアにフルボッコにされたことを思い出す。

 よくもこんな麗しい乙女に………と思ったが、蹴られた傷がないことに気づいた。

 

「えっ?」

 

 不審に思い身体を確認しても、身体はおろか教団服にすらゴミひとつ付いていない。

 

 薄暗い中、辺りには誰もいない。

 数歩より先は暗闇に遮られ何も見えない。試しに歩いても、靴音が響くばかりだ。

 

「……死んだ?」

 

 いや、そんなはずはない。ならばここは、何なのだろう。

 

 

 その時、首元に何か蠢く感触がした。

 

 今現在進行形で家出しているティムかと思い、フードを取って、目的のものを掴む。

 しかし出てきたのは、センスの良し悪しがむつかしい、ドレットヘアーの人形だった。

 

「あれ、これって確か…」

 

 マリアが首を傾げると、その動作に合わせ、人形の胸元にある赤いリボンが揺らめく。

 

「……あ!」

 

 それは以前、クロス探索部隊として列車で寝落ちした際、夢の中でロードがマリアにと渡したものだ。

 

 現実にもあったその人形(ロードが能力で荷物の中に潜ませたのだろう)は、教団服のコートの裏ポケットに入れていたはずだ。

 しかし、なぜそれがここに。

 

 彼女が人形の頰を突くと、指の押され加減で表情が変わる。

 

「ふふ、かわいいなぁ」

 

『わっ!』

 

「ぎゃあ!!」

 

 放られた人形が地面に落ちる。

 瞬間的に事情を察したマリアは、人形から離れた。

 

 まさか次に会うときは現実で相見えるだろうと思っていたのに、また夢の中で、とは思いもしなかったのだ。

 

「…ロード、ちゃん」

 

『マリア』

 

 表情が険しいマリアに対し、ロードはどこ吹く風でいつものように微笑む。

 ただ、いつもの甘えたがりの雰囲気はない。そのため余計に何を考えているかわからない。

 

「次はパーティーの中で、ってロードちゃんは言ったわね。だから私もこの方舟に招いたの?」

 

『うん! 楽しいでしょ』

 

「楽しい……かどうかはともかく、ここで会う必要はなかったんじゃないの?」

 

『ううん、それがあるんだな』

 

「?」

 

 じりじりと近寄るロードにマリアが逃げを打てば、唐突に地面が歪んで、足に絡みつく。

 転倒した彼女が呻いていると、すぐ側で人形が見つめていた。

 

『マリア泣いてたでしょ。外でAKUMAと戦ってた時』

 

「………何で知ってるの?」

 

『えへへ、人形通して見てたんだぁ』

 

「プライバシーって知ってる?」

 

『知らなぁ〜い』

 

 盗撮だ。いや、盗聴? 

 顔は険しいが、だんだん赤くなっていく女の表情に、ロードはいじらしく笑った。

 

「それで私が泣いてたことが、何か問題なの?」

 

『ボクもねぇ、泣いたよ。悲しくて。それと…嬉しくて』

 

「…何か、あったの?」

 

 心配の色を見せるマリアの手が、小さな頭に伸びる。

 それを避けることなく、逆に自分から飛び込む勢いでロードはすり寄った。

 

『それと、ティッキーも泣いてた』

 

「ティッキーって確か家族の人だっけ」

 

『うん! あと、ジャスデビの涙って黒いんだよぉ〜』

 

「………それってさっき、彼らがメイクを直してたのと関係ある?」

 

『キャッハハハハ!』

 

 爆笑するロードに、どことなくジャスデビに不憫なものを感じた。

 いつもからかわれているのかもしれない。

 

 ティッキーという人物に関しても、よくどんなイタズラをしたのか、少女の勉強を教えている最中に報告されている。

 

 自分の知らないロードの新たな部分を見た気がして、マリアは微笑ましさを覚えた。

 

 

「……ぁ」

 

 しかしその瞬間、脳裏にアレンやリナリーたちと何気ない会話で笑いあっていた、そんな映像がよぎる。

 そうだ。ここで道草をしている場合ではない。

 

 けれど目の前で楽しそうに笑うロードを見ると、胸が痛くなる。

 

 心中で葛藤するマリアを見て、ロードは一瞬表情を消した。

 冷たい瞳に映るのは、女の胸元_____ちょうどイノセンスがある部分。

 

『マリアは、自分の矛盾に気付いてる?』

 

「え?」

 

『さっき笑ってるボクを優しげな目で見てた。でもアレンたちとのことを思い出してる時も、目が優しかった』

 

「…頭の中、覗かないでよ」

 

『しょうがないじゃん、ボクの夢の中だからわかっちゃうんだぁ。この二つの感情が一緒にあるだけで、変だと思わない?』

 

「それは…」

 

『イノセンスを持ってるけど、ノア(ボクら)に甘い。お菓子みたいに甘いんだ。これも矛盾してる。全部守りたいと思っているのに、人間を()()として見ている自分もいる。……ねぇ、もう、気付いてるんでしょ?』

 

「気付くって、何を?」

 

『ずっと言ってこなかったけど、ボクはマリアのこと家族みたい、って思ってた。だから家族にしたかった。でもエクソシストだから、ボクはノアだから、一線を越えちゃならない。越えたら待つのは崩壊だけだからね。大好きだけど憎くもある、殺したくなることもある』

 

「……」

 

『けど大好き。それがボクがマリアにした行動の全部』

 

 ゆっくりと、マリアは自分の手に触れていた人形の手を離し、下がった。

 

 顔を隠すように下を向くと、白い顔に長い前髪がかかる。

 

 小さな人形は次第に形を変え、モノトーンの色でできたロード本人の形が作られる。

 

 

『ねぇ、マリアは、本当に自分が何者なのか知ってる?』

 

「………」

 

『ボクは知ってる。マリアが何者なのか』

 

「………」

 

『マリアは──』

 

 少女の言葉をそれ以上聞かないように、マリアは耳を塞いだ。

 

 視界と聴覚が閉ざされた世界では、暗闇が広がり自分の心臓の音を強く感じさせる。

 しばしの時間そうしていれば、頰に冷たい感触が走った。

 

 恐る恐る目を開ける。彼女の目前で、口だけある顔が弧を描き微笑んでいる。

 

『逃げるなら、ボクは絶対にマリアを捕まえる』

 

「逃げて、なんて…」

 

『逃げてる。たとえ傷付けてでも、絶対に逃がさない』

 

「だって……ッ! 私は、エクソシストなの…!! そうやってここまで進んで来たのに………」

 

『……』

 

 ロードの手を振り払い、マリアは神ノ剣(グングニル)を取り出す。

 切っ先はロードの形をした存在をを真っ二つにした。

 

 垂れた髪の隙間からどこか寂しげな表情の、消えゆくロードの姿が映る。

 

 

『おねがい。ボクのそばにいて』

 

 

 その言葉を最後に、夢の世界は崩壊した。

 床に飲み込む風圧により、隠れていた女の瞳が露わになる。

 

 

「私は、エクソシストなんだ……ッ!!」

 

 

 自分にそう言い聞かせるように、彼女は叫ぶ。

 

 紅い瞳からは、いくつもの雫が溢れては落ちた。

 

 


 

【禁煙】

 

 ティキの喫煙をどうやめさせようかという議会が、ノア内で(本人除く)発足した。

 

 そして、世の意見を聞くという体でマリアの元に訪れたロード。

 しかしマリアはファインダーの任務疲れで、あまり相手にしない。

 

『マリア、起きてよぉ〜』

 

「……口に棒のアメでも突っ込んでやりゃあいいのよ」

 

『なるほどねぇ、わかった! 試してみるねー』

 

 

 後日、表(人間)との付き合いで帰ってきた後ソファーで寝ていた男の口に、ロードは棒アメを大量に押し込んだ。

 

 数本の先端がティキの喉奥に刺さり、危うく流血沙汰になるところだった。

 

「ゴホッ!! んなもん、誰に教わって来たんだよ……」

 

「文句あるなら禁煙するんだね」

 

 いつもよりそっけない態度のロードに、ティキは渋々手に持っていたジッポを卓の上に置き、タバコを箱に戻した。

 

 その日以降ノアの中で、時折棒アメを食べているティキの姿が見られるようになったとか。



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ハニャワ

閲覧ありがとうございます。方舟編までは夏中に話作り終えたいなと思ってます。秋季からペース落ちそうですが頑張って執筆していきたいです。


 耳に聞こえる草木の音。真っ赤に染まった空。遠くで風がうなり声を上げる。

 そんな中で女性がゆりかごを揺らして赤子をあやしている、温かな情景がマリアの脳裏に浮かんだ。

 

 火がついたように泣き出す赤子の声が聞こえて、思わず彼女は手を伸ばす。

 

 

 

「ヒエッ」

 

「んん……?」

 

 泣いた赤子を抱き上げたはずだが、感触が違う。

 

 そこでマリアは今、自分が触っているのが人の顔であり、それも後ろからペタペタと触っていることに気がつく。

 右の目玉がある部分に、布の感触がある。

 

 現実と夢の狭間で、瞼だけ睡魔に勝てないまま彼女がその行為を続けていれば、こぎさみにその顔が震え出した。

 

 

「ヘッ……へ、ヘルペスミー!!!」

 

 

 腹の底から絞り出されたような声が響く。ハッとして起きたマリアは、まず最初に目前の赤毛に気づいた。どうやら彼女は意識を失い、ラビにおんぶされていたらしい。

 

 耳まで真っ赤な少年に、「不躾に触ってごめんね」と見当違いなことを言う女。

 

 二人の側でリナリーとチャオジーはニコニコとし、アレンはブックマンをゆする新たなネタを見つけて腹黒い顔をした。

 

()ッ!? ……テテ」

 

 背負われたままというのも落ち着かず、ラビに降ろしてもらおうとしたマリアの右腕に痛みが走る。

 反射的にしがみつけば必然と、彼女の胸が少年の頭部に押しつけられる。

 

「……ッ、……!!」

 

 口をパクパクさせ、ブックマンJr.はKOした。

 

 

「あれ、クローリーは?」

 

 空中に浮遊する階段の上にいる彼ら。そこにいるのはラビやアレン、リナリーにチャオジー、そしてマリアだけだ。

 

 彼女はそこで悟った。神田ユウと同じように、アレイスター・クロウリーも残ったのだと。

 

 みなしかし、残った仲間が絶対に来ると信じているようだ。

 

 マリアはラビにお礼を言い、階段の上に降り立った。

 

「…ごめんラビ、重かったよね」

 

「お、重くなんてねぇよ全然!! 羽のように軽かったさ!!」

 

「鍵、見つけてくれてありがとね」

 

「〜〜っ、おう!」

 

 

 そして二人の様子を見ていたリナリーが、そういえば、とマリアを見つめる。

 

「さっきみんなで教団(ホーム)に戻ったら、一番初めに何をするか話してたんです。マリアさんは帰ったら何がしたいですか?」

 

「何をしたいか?」

 

 まず彼女がはじめに思ったのは、「ジェリー料理長のご飯をたらふく食べたい」だった。

 

 それと帰ったら仲間とジョークを言って笑い合いたい。

 あと、フォーと時間を忘れて酒を飲み明かしたい。

 

 瞳を閉じて浮かぶのはそんなありふれた望み。

 

 しかしその中で、ノアの少女にせがまれて宿題を教えていた場面を思い出した。

 

 

「………」

 

 夢の中に現れたロード・キャメロット。

 

 何がきっかけかはわからない。

 一線を引き、その上でマリアと敵対する道を選んだはずの少女は、三度現れ、彼女を伯爵側に引き入れることを宣言した。

 

 マリアはその時はじめて、ロードのノアとしての本質を見た気がした。

 

 ────本当に自分が何者なのか知ってる? 

 

 その答えをマリアは知らない。

 

「……いや」

 

 違う、彼女は知っている。

 

 

「アヴェ・マリア」

 

 

 神への祈りを捧げた女の前に現れたミイラ。

 乾き、干からびた唇から発せられる声。

 

 性別も年齢もわからない声は、「私はわたしであり、わたしは私である」と、そのようなことを言っていた。

 

 不思議とその考えは、すんなりとマリアの中に入る。

 

 忘却していた記憶のカケラから出てきたのは、ミイラの言葉だ。

 

 

『堕罪を持った穢れたバケモノ』

 

 

 思考の渦に呑まれて、マリアを形作る土台がだんだんと崩れていく。

 

 

 (マリア)はエクソシストではないのか? 

 (マリア)は何者だ? 

 

 わからない、わからない──────。

 

 

 

「マリア!」

 

「…!」

 

 頬をリナリーに挟まれ、そこでマリアは我に返った。短時間のうちに汗でぐっしょりと顔が濡れた。

 彼女の異変に周囲も不安そうに見つめている。

 

 息の荒い女を落ち着かせるように、深呼吸したリナリーは声を大にする。

 

 

「マリアだけ言わないのはズルい!」

 

 

 いつも「さん」付けだった呼び方が、変わった。

 

「私だって呼び捨てで呼びたかったんです。距離を感じるのはいやだから」

 

「リナリーちゃん…」

 

「リナリー、って呼んで」

 

 じっと見つめるリナリーにマリアは降参の形で左手を上げ、優しく微笑んだ。

 

「うん。いいよリナリー」

 

「…っ! 嬉しいわ!」

 

 穏やかな雰囲気に、場が包まれる。

 

 マリアは見えた出口を見つめながら、目を瞑った。

 

 

 確かに彼女は矛盾を内包した生き物だろう。自分が何者なのかもわからないのだから。

 

 アヴェ・マリアとはきっと、神に踊らされて、聖戦の舞台で踊る滑稽な人形の一体に過ぎない。

 

 しかし今、彼女はエクソシストだ。

 ならば、エクソシストとして進むのが定めであろう。

 

 だが進んだ先にまだ道があるならば、知りたいと思う。

 

 

「私は、自分を知りたい」

 

 

 それが、マリアの望みだ。

 

 その真意の意図することをわからなかったリナリーやチャオジーは首を傾げたが、アレンとラビは沈黙を見せる。

 

 アレンは孤児だ。両親の顔は知らない。捨てられた後は、大人たちの虐待同然な環境で幼少時代を過ごした。

 

 ラビはブックマンの後継者としてずっと名前を変え、他者と深く関わらず中立であり続けている。

 

 自分の過去を知らない。自分が何者なのかわからなくなる。

 そんな感情を心の奥底で抱いている二人は、マリアが望む「自分を知りたい」という感情に理解を示した。

 

 

 だがしかし、湿った雰囲気の中で空気の読めない奴────いや、傘がいた。

 

 アレンたちが方舟に連れ込まれてから一緒にいるレロは、舌を出して笑う。

 

「ムダレロムダレロ! どんなにあがいたところで、ここでお前らは終わりだレロ〜!」

 

「でも、僕たちは絶対に諦めません」

 

「レ、レロロ……」

 

 アレンの圧にレロは怯み、後ろへ下がったところをマリアにつかまれた。

 

「な、なな、何すんだレロ!!」

 

「このさぁ、カボチャの部分って食べれるの?」

 

「食べれるわけなっ………かじるなレロォォ!!!」

 

 悲鳴を上げる傘と悪どい笑みを浮かべる女にアレンは苦笑しつつ、ひと足先に階段の先にたどり着く。

 

 

 そこでアレン・ウォーカーを待ち受けていたのは、ロード・キャメロットのちゅーである。

 

 アレン本人も硬直し、その場にいたティキも含めみな驚きを見せたが、一番驚いていたのは傘を脅していた女だった。

 

 

「なっ、なな………えぇぇ!!?」

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 最後に待ち構えていたのは、アレンのイノセンスを破壊したティキ・ミックと、ノアの長子であるロード・キャメロット。

 

 既に彼らがいる最上階以外は崩れ、神田やクロウリーが消滅したことを明かされた。

 

 アレンたちはティキに促されるまま椅子に腰掛ける。

 細長いテーブルの上には豪勢な料理が並んでいた。

 

 先ほどのアレンとロードのキス事件に呆然自失のマリアは、チャオジーに背中を押されて座る。

 

「ふふふっ♪」

 

 ロードは口をハニワにしたままの女を見て、楽しそうに笑う。

 レロはしかし、怒り心頭である。

 

「エクソシストとちゅーなんてしちゃダメレロ!!」

 

「えー」

 

 ロードは耳元で騒ぐ傘を無視し、スキップしながらエクソシストたちが座る場所へ近づく。

 

 一瞬、「もしやまた…!?」と身構えたアレンだが、行き先は彼ではなく、アレンから見て右斜めに座っているハニワの女だった。

 

 魂が抜け落ちているマリアに、腰を折ってロードは目線を合わし、思いきり抱きつく。

 

 そうすれば少女の鼻腔に、甘い匂いが広がる。この女の独特の匂いだ。

 胸いっぱいにその甘さを吸い込み、ロードは愛おしそうに目を細めた。

 

「……え?」

 

 そして、やっとこさハニワ女の正気が戻った。

 座った状態で抱きつかれているため不安定な視線をどうにかしようと考えた彼女は、テーブルに左手を伸ばす。

 

 いや、現状は仲間もいるのだから突き放すのが正解か。

 

 ロードの肩を押そうとしたマリアはそこで、少女の瞳に縋るような色があることに気づいてしまう。

 結局、突き放すことはできなかった。

 

「は、離れてよ…」

 

「んーどうしよっかなぁ〜」

 

「どうしようかな、じゃなくて、私とあなたは敵同士──」

 

 彼女の言葉は続かなかった。

 

 伸びた少女の両の手が、ガッシリと女の頭をつかむ。

 ニヤァ、といたずらっ子の笑みを浮かべたロードは、ダラダラと汗をかくマリアに距離を詰めた。

 

 

「んっ」

 

 

 ────アレンに続き、二度目のキス事件である。

 

「な、ななっ……!」

 

 先ほどの一度目は位置的によく見えなかったリナリーだが、今はテーブルを挟んでマリアの正面にいるため、よく見えた。思わず口を両手で覆って、顔を真っ赤にする。

 

「「………ッ!!?」」

 

 一方でアレンとチャオジーは声なき声を上げている。

 

 ティキはロードがアレン以上に執着している女に、「あれが例の」と興味本位で観察している。

 

 そして、一足先に立ち直ったレロとラビは絶叫した。

 

「ロードたまァァァ!!! だからダメって、レロは言ってるレロォ!!」

 

「(実質間接キスだろ)アレンお前こんにゃろう!!」

 

「え、なっ、何で僕!!?」

 

 レロはロードの襟を掴んで離そうと試み、ラビはラビでアレンに噛みつきそうな勢いだ。

 

 カオスな状況にティキは遠い目をしつつ、ナイフで切り分けたステーキを口に運んだ。

 

「うん、美味い」

 

 

 

 

 

 *****

 

 一騒ぎあったのち、みな冷静さを取り戻した。

 

 ロードが楽しそうに笑い離れた後、マリアはアレンとロードがキスした時以上に呆然とした。

 そうしてまたハニワになること数分。

 

 ティキがリナリーに仕掛けた食人ゴーレムをアレンが破壊した音で、ようやく目を覚ました。

 

 その時にはすでにアレンがティキに食ってかかり、戦闘の火蓋が切られていた。

 

「やばい、もう始まってるじゃんねぇ…」

 

 状況が追いつけないまま彼女は辺りを見回す。すると、冷たい色を覗かせるロードと視線がかち合う。

 隣にいたラビが、槌を握りしめる音がした。

 

 

「ボクと遊ぼう、ブックマンJr」

 

 

 少女が手を動かすと、一瞬にしてリナリーとチャオジーが透明なキューブの中に閉じ込められた。ラビの方は意識を失い倒れている。

 

 マリアは咄嗟にラビの身体を支えようとした。だが目の前に鋭利なロウソクが飛ぶ。

 寸前で横に逸れたものの、切れた頰からひと滴の血が流れ落ちた。

 

「マリアは動いちゃダメェ」

 

「…ラビに、いったい何をしたの?」

 

「夢の中でボクとゲームしてるんだぁ」

 

「……」

 

 嫌な予感がする。マリアは肋に手を伸ばしたが、飛んできたロウソクに左肩を貫かれる。痛みでギシッと、歯が軋んだ。

 

 その様子を無表情でロードは見る。

 

「動いたら、ブックマンが悪夢を見ちゃうよ? それと、囚われのお姫様(リナリー・リー)が串刺しになっちゃうかも!」

 

 示されたその場所。二人がいるキューブの周囲に、夥しい数の浮遊するロウソクがある。

 

 動けば即殺すことを意味していた。

 

 マリアは刺されたロウソクを抜き、静かに両手を上げる。

 

「そう、それでいい。マリアの出番はまだだし、あんまり傷つけたくないからさ。ほら! 一緒にアレンとティッキーの観戦でもしよぉ〜」

 

「………」

 

 乗っていた傘から降り、少女はマリアの背中にしがみつき、頭の横から顔を覗かせた。

 

 何か、何か方法はないのか。

 マリアは思考を巡らせるが、有効打を見出せない。時間がこの間にも少しずつ流れていく。

 

 たとえロードに攻撃したところで、本人に現実の攻撃は利かない。巻き戻しの街の一件でアレンとの戦闘を見ていたため、その点は把握している。

 

 なされるがまま、彼女はアレンとティキの戦いを眺めることしかできなかった。

 

 


 

【恐怖】

 

 教会のある朝。マリアはどの子供よりも早く起き、盗み食いのためコソコソと食堂へ向かっていた。

 

 その時、入り口で話し込む老女のシスターと、よく教会にお祈りに来る老人の姿を捉えた。

 その老人はよく夫婦で来ていたが、今日は妻がいない。

 

「えぇ、そうですか。奥様が…」

 

「はい。先月亡くなりましてな…」

 

 マリアはそれを聞きつつ、忍び足で歩いた。

 

 

 

 時刻は過ぎて昼時。

 

 遊んでいる子供たちから離れ、ハングリー少女は一人で本を読んでいた。

 そこに現れたのは、よくマリアの心配をするシスターである。

 

 彼女の浮かべる表情は、いつもの眩しい光を想起させるものとは打って変わり、暗い。

 

「ねぇマリア、ちょっと聞いてちょうだい…」

 

「またフラれたの?」

 

「ち、違うわよ! ほら…よく子供たちに差し入れをしてくれた、老夫婦の方がいらしたでしょう?」

 

「あー…」

 

 思い出すのは、朝方、老シスターと話していた老人の姿だ。

 どうやらシスターはその婦人が亡くなったことを知り、ひどく落ち込んでいるらしい。

 

「で?」

 

「で? って何よ……。あのね、私、さっきその夫妻の家に行ってお祈りをしてきたのよ。よく子供たちに親切にしてくださったから、少しでも奥様が穏やかに眠れますように…って」

 

「ふーん」

 

「それで棺に眠っていらした奥様の顔見たら、すごく穏やかでね。きっと幸せだったんだろうな……って、思ったの」

 

「つまりそんな風に、死ぬ時も幸せに生きられたって思うような、ステキな夫がほしいってことね」

 

「だぁかーらー…! すぐにそうやってマセたことに結びつけるんだから!!」

 

 頰をつねるシスターにマリアはギブアップし、本題を言うように促した。

 

「「死」って、怖くない?」

 

「あぁ、そういうこと」

 

「ま、マリアは怖くない? 私はどうも意識して怖くなっちゃたのよ…」

 

 マリアは死というものをまだ意識したことはない。

 生も死もぼんやりとしていて、まさか恐怖を抱いているわけでもない。

 

 ただ考えとしてはシスターの考えも理解できると、読んでいた本を膝において首をひねる。

 

「わかんないけど、年を取ったら自然と怖くなくなるんじゃない?」

 

「えぇ…本当かしら…」

 

「人間って、生きていくうちに死へと寄り添うものなんじゃないの? 生きながら少しずつ死へと近づいて、身近になっていく死を迎え入れる」

 

「そういうもの…?」

 

「だって、老シスター見てみなよ。いつも誰かの死を見た時に、安らいだ顔でその人の冥福を祈ってるじゃん。老シスターも、シスターみたいに死を感じるはずだよ。でも怖がってないでしょ?」

 

「んー……つまり、私がまだまだマザーと比べて若いってこと…かしらね」

 

「………」

 

 マリアは黙った。シスターの後ろに微笑んで立っている老シスターがいたのだ。

 先ほどの言葉は言い換えると、老シスターを「ばばあ」と言っているに等しい。

 

 この教会で怒ると誰が一番怖いか、少女は知っている。今日の朝も、つまみ食いが結局バレてしこたま怒られた。

 

 ゆえにシスターを生贄にし、ダッシュで逃げた。

 

「え、どうしたのマリ……」

 

「あらあら、仕事をサボって何をしているのかしら?」

 

「ヒィッ!!」

 

 シスターの悲鳴が響く。

 遠くに逃げたマリアは合掌し、昼寝をすることにした。



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昇り竜に(くだ)る雨

 ロード・キャメロットは現実世界と、ロード自身が存在する夢の世界を繋ぐことができる。

 

 マリアがいつも夢の中だと思っていたのは、彼女の夢ではなく、()()()()()の中であった。

 

「フフ、どこまでブックマンは耐えられるかなぁ」

 

 マリアの首に腕を絡める少女は、楽しそうに赤毛の少年を見つめる。

 ロードは夢の中、ラビのブックマンとしての闇を垣間見た。

 

 

 歴史の記録者には感情も、心も要らない。

 

 人間でありながら、道具として己が目で見た世界を記録する。

 戦争ばかりの愚かな人間と、「ブックマン」の自分(ラビ)

 

 必然的に少年は人間を軽視し、自分はブックマン、つまり他の人間とは違うのだと思い始めた。

 

 浮かべていた作り笑顔はしかしいつからか、ニセモノなのかホンモノなのかわからなくなった。

 

 それはいつからだ? 

 

 それは彼がエクソシストとして教団に来て、仲間ができてからだ。

 

 

「……ラビ」

 

 マリアは、虚ろな目で倒れ込む少年を見つめる。

 

 彼女がいる少し先では劣勢気味のアレンの腹に、ティキの攻撃がもろに入った。

 

 ロードは呻くアレンを少し心配そうに見つめたが、すぐに視線を女に戻す。

 その顔はフードに隠れてうかがい知れない。噛みしめた唇からは血が流れ、咎めるように少女の指先が触れた。その感触にマリアの肩が跳ねる。

 

「ダメだよぉ、噛んじゃ。でないとまたちゅーしちゃうからね?」

 

「……わ、かった」

 

 どれほどマリアが「戦えない状況」というものにストレスを抱くか、ロードは知っている。

 可哀想だと抱きしめたくなる反面、エクソシストを虐げることに、ノアのメモリーが悦をもたらす。

 

「どっちが先だろうね。アレンとティッキーの勝敗か、それともブックマンの心が壊れるのが先か」

 

「……私を」

 

「何ィ? 仲間の傷つく姿を見て、もうギブアップ?」

 

「私の心を、壊せばいいじゃない」

 

「────え?」

 

「……? 何、どうしたの?」

 

 ボソボソと呟く女の瞳を見た時、ロードの顔が怯えに変わった。

 黒いはずのその瞳が、紅く染まっている。

 

 少女は手を離しかけたが、それでもまた抱きつく。表情を繕い、マリアの耳元に顔を近づけ、小声で話す。

 

「苦しい? だったら一つ、この戦いを終わらす方法を教えてあげてもいいよ」

 

「方法…?」

 

 ロードはニンマリと笑う。

 

 

「仲間を捨てて、マリアがボクらの家族になるんだ。そうすれば今ここにいる人間たちは生かしてあげる」

 

 

 あからさまにマリアの瞳が揺らぐ。彼女がロードの手を取りさえすれば、仲間は助かる。

 

 だがその手を取ったら、彼女が苦しみながらエクソシストになった意味も、死にたくなるほど嫌いな神へ祈ったことも、それどころか彼女の人生の全てを否定することになる。今までの「マリア」が無意味だったと、マリア自身が決めてしまうことになる。

 

 それは、それは嫌だった。

 

「マリア!!」

 

 リナリーが異変を察知して、仲間の名を呼ぶ。キューブの中は外の音が聞こえないが、透明であるため視覚的な情報は伝わる。

 

 

「私の仲間に手を出さないで、ロード!!」

 

「わぁ、ティッキーが池で取った鯉みたいに元気じゃん」

 

「………ダメだよ」

 

「…ダメかどうかは、マリアが決めることじゃない」

 

「私は、私を否定したくないの」

 

「……ボクがこんなに望んでるのに? そんなイジワルなこと言うと、マリアのこと嫌いになっちゃうよ?」

 

「それでも、私はエクソシストでありたい。これは私が選んだ道だから」

 

 それに、と彼女は続ける。

 

 

「ロードちゃんが私を嫌いになっても、私はあなたのことが大好きよ」

 

 

 渦を描く少女の目が、大きく、大きく見開かれた。

 一度ロードは強くしがみつき、自分の形容しがたい感情を丸ごと女にぶつける。

 

『夢』のメモリーが悲鳴を上げている。嬉しさに、悲しさに、怒りに────。

 すべてが入り混じって、暴走しかかるレベルでロードの頭を犯す。

 

「……ア、ッハハ……! ちょっとッ、ヤバいかも…!!」

 

「ちょっ、く、首しまっ…!!」

 

「マリアマリアマリアマリア…………。その言葉、絶対に忘れないでね。ボクも忘れない」

 

「だか、ら、首ッ……!!」

 

「……………あっ、ごめぇ〜ん!」

 

 慌ててロードが腕を離す。顔を真っ赤にしたマリアは何度か咳き込んだ。

 

「何これ、超ヤバかったぁー! すごいねマリア、ボクをこんなに弄んじゃうなんて〜」

 

「弄んでるのはロードちゃんの方じゃないの…?」

 

「キャハッ! まぁ、そうだね」

 

「………私がノアと関係があることは、みんなに言わないんだね。そうすればもっと簡単に私のエクソシストの道を壊せるかもしれないのに」

 

「それじゃあダメなんだよ。マリアの方からボクらを選んで欲しいんだ」

 

「…甘いよ、ロードちゃん」

 

「マリアに言われたくないなぁ。心も匂いも甘くて、お菓子みたいなマリアにさ」

 

「………」

 

 

 神に祈りを捧げたはずの女は、少女の甘さ、それが心地いいと感じてしまった。

 それに反して、仲間のことも本気で大切に思っている。

 

 マリアの思考が、感情が、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられていく。

 

「本当に、イヤになっちゃうなぁ……」

 

 今彼女の中で一番強い感情は、ロードの甘さに絆される弱くて脆い、自分への苛立ちだった。

 

 

「あ」

 

 

 突如、ロードが声を漏らす。

 少女の視線の先には、頭を抑えるティキの姿がある。

 

 ロードはアレンが発した言葉にティキがキレたのだと瞬時に理解し、自分も含め、ラビとマリアにキューブ型の結界を張った。

 

「やっべぇー、ティッキー激おこじゃん」

 

 男の高笑いとともに、恐ろしいほどの威力を持つ攻撃が少年の肢体を飲み込んだ。

 その体はみるみるうちに真空状態の黒い球体に取り込まれ、アレンの身体が悲鳴をあげる。

 

「アレンくん…!」

 

 仲間の絶叫を聞き、この時マリアは無意識にイノセンスを発動しようとした。

 

 当然、ロードがそれを見逃すはずもなく。わからせるように、無数のロウソクを投げ撃つ。

 

 透明の壁に阻まれることなくすり抜けたそれは、女の体を磔にする。服を巻き込むようにしており体には刺さっていないが、マリアの背にじっとりとした汗が伝う。

 

「次はないから」

 

「………はっ」

 

 

 あぁ、あぁ、あぁ。なんてマリアは無力で。

 無価値で。

 無意味な存在なのだろう。

 

 

 心が折れそうだ。

 まだ、ロードの手を選ぶ選択肢は残されている。アレンの悲鳴が聞こえ、リナリーがその姿に叫ぶ声を聞くほど、グラグラと彼女の意思が揺らいでいく。

 

 悩んで、悩んで、マリアは気づかぬうちに左手で太ももをかきむしっていた。布の繊維が爪の間に挟まる。それでもガリガリとかき続ける。

 

 先ほど唇を噛むのを止めたロードは、ティキとアレンの方に集中している。そのかきむしる音には意識が向かなかった。

 

 

「……っ!」

 

 そして、強いイノセンスの気配を感じた時、ようやく爪の動きが止まった。

 

 その禍々しい気配がアレンのものだと察すると、彼女は息を飲んで黒い球体に視線を移す。

 

 生と死の狭間で、少年がイノセンスとシンクロを強めていく。

 暴れ打つようなそれは、その場にいた全員を圧倒した。

 

 

 そして現れたのは、伯爵を幻視させる大剣を持つ、アレン・ウォーカーの姿。

 

 

 少年は左手のイノセンスを大剣に変化させる。

 その大剣は伯爵の持つ大剣と瓜二つである。違うのはその色だけだ。ティキやロードは目を疑った。

 

 対しマリアは、過去に負った腹の傷のあたりを押さえて、ガタガタと震える。額には脂汗が浮かんだ。

 昔の傷が痛む感覚がする。そのため腹に手をやった。

 

 だが、この震えは何だ? 千年公と似た剣をアレンが持っているから、こんなにも恐ろしいのだろうか? 

 

(どうして? 双子が伯爵を出した時は、ここまで前後不覚にならなかったのに……?)

 

 ついには息さえままならなくなり、必死に酸素を取り入れようとしながら、彼女は強く目をつむる。

 

「ティム……側にいてよ」

 

 家出している相棒のことを思いながら、マリアはそのまましばらくうずくまった。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 覚醒したアレンの対AKUMA武器、神ノ道化(クラウン・クラウン)が空を切る。

 十字の紋様を刻む剣先が男の身体にめがけて振るわれ、胴体を横一直線に切り裂く。

 

 だが、ティキ本人には何の異変もない。

 斬られた部位に手を当てたティキは、出血はおろか服さえ破れていない状況に混乱する。その直後、男の胴体に十字架が浮かび上がった。

 

「あっ、が……!?」

 

 外的な痛みではない。もっと中から()()()()()()感覚に、黄金の目が白髪の少年をとらえる。

 

 

「まさか……ティッキーのノアのメモリーが、斬られた?」

 

 

 ロードの読みは当たりだった。

 

「快楽」のメモリーが破壊されていく。膝をつき、乱れた髪で呼吸を乱す男は、駆け寄る少女を手で制す。

 

「…いい、ロード、このままで……」

 

「ティッキー!!」

 

 ティキ・ミックにとってこの戦いは、一度イノセンスを壊し損ねた少年と白黒付けるためのものである。いくら家族(ロード)であれ、介入されたくはない。たとえそれで、自分が死ぬことになっても。

 

 アレンが静かに見つめる中、ノアの力を失った男は地面に倒れた。

 

「………ッ!!」

 

「あ、ロードたま!」

 

 レロから飛び降り、少女は動かなくなった男に駆け寄る。

 その身体は呼吸しているものの、すでに額の聖痕が消え、肌も白くなっていた。

 

 アレンの剣でノアの力を失ったティキ・ミックは言い換えれば、何の力も持たない「人間」である。

 

 

「ティッキー…」

 

 ノアは人間を軽視し、拒絶する。

 そんなノアは何よりも家族(ノア)を愛する。

 

「………」

 

 家族を傷付けられた今、少女の瞳に浮かぶのはエクソシストへの憎悪と、すべてを巻き込んでメチャクチャにしてでも足りない激しい怒り。

 

「やった! ノアの野郎を倒し────がぁ!」

 

 チャオジーが喜んだ瞬間、数本のロウソクが体に突き刺さった。

 ロウソクの矛先は、ロードとティキ以外の全員に向けられている。

 

「知ってる? ノアにもねぇ、人間みたいに……家族を失う悲しみがあるんだよ」

 

「ロード…!」

 

「アレン、ボクね、怒ってるんだ」

 

 冷たく吐き捨てたロードが向けた視線の先にいるのは、ブックマンJr.である。

 

 

「“ラビ”っていうんだっけ? そいつの心、メチャクチャにしてやるッ!!」

 

 

 悪夢が、加速する。

 

 

 

 

 

 *****

 

 歴史の中で紡がれる死体、死体、死体。

 

 

 仲間の死体に埋もれ、その仲間に殺される悪夢の中、ラビの心は壊れた。

 

 少年の体にヒビが広がる。まるでガラスのように割れたラビの体は、暗闇に沈む血の池に落ちた。

 浮かび上がる破片は、ステンドガラスのように艶やかな色彩を放つ。

 

 アレンの姿に扮したロードは、無表情でそのカケラを一つ手に取ると、手から血が滲むのも厭わずパリンと割った。

 

 

 

 一方で現実の少女は、ティキの身体を抱きしめ残虐に笑う。

 

「本当の悪夢はここからだよ」

 

『……』

 

 淀んだ瞳を浮かべるラビが、キューブから降り立つ。

 

「ラビ!!」

 

 大剣を握りしめたアレン。

 しかしその周囲には、無数にあるロウソクの炎が怪しげに揺らめいている。

 

「動かないでね? 今度はマリアが踊る番なんだから」

 

「でも彼女はケガが…!」

 

「動いたら全員、串刺しにして殺す。あぁでも、アレンなら大丈夫かもね? そこの女と、ただの人間はすぐに死んじゃうだろうけどさァ!」

 

「くっ…」

 

 ロードの言うとおりだ。アレンが動けば、二人は確実に死ぬ。距離的にも助けに入るのは間に合わない。

 

「クソッ…!!」

 

 

 

 一方、マリアは静かに武器を握る赤毛の少年を見つめている。

 

(仲間と、戦わなくちゃいけないの? 私はエクソシストで、ラビもブックマンの後継者であれど、エクソシストなのに……?)

 

 神ノ剣(グングニル)を取り出そうとしない女に、ロードが痺れをきらす。

 

「いいよ。マリアが戦わないなら、全員殺すから」

 

「何で、何で私が……?」

 

「武器を使って殺す気で挑まなきゃ、仲間に殺されちゃうよ? さぁ、早く武器を出せよ。殺す気でラビを殺せッ!!」

 

「嫌だよ、嫌だよ嫌だよっ…」

 

「うあ゛っ!!」

 

「チャオ………うっ!」

 

 キューブの中で倒れていたチャオジーに、また数本のロウソクが刺さった。それを止めようとしたリナリーの腕にも一本刺さり、血がポタポタと流れる。

 

 苦痛に歪む二人の表情を目の当たりにした女は顔を青白くしながら、ゆっくりと胸に手を伸ばした。

 

「じゃあ、始めようか。仲間同士の楽しい殺し合い(ゲーム)を」

 

 マリアが神ノ剣(グングニル)を取り出すと同時に、体内から黒い液体が現れた。それはふよふよと彼女の周囲を漂っている。

 

 

 この黒衣(ドレス)の元である液体は、血液とイノセンスが混じったものだ。

 

 彼女のイノセンスは肋から生成されており、元は骨だ。

 そして骨とは血液の成分を作っている。

 

 ゆえに肋、すなわち骨に寄生するイノセンスが血液を通じて混じったことで、黒い液体が生まれたのだ。

 

 宿主の意思によって、この液体はある程度操作可能である。強度もまた同様だ。

 

 

「ラビ、お願い! 目を覚まして!」

 

 リナリーの声は赤毛の少年に届かない。ラビは地面を蹴り、マリアに襲いかかる。

 一直線に突っ込むかと思いきや、寸前で立ち止まり足をはらってくる。

 

 それを後方に跳びのき、マリアは避ける。右腕が使えないため、着地の際に体のバランスを崩した。

 

 その隙をねらい、巨大化した槌が頭上から降り注ぐ。

 

「ううっ…!」

 

 しかし黒い液体をぶちまけるように拡散させ、ラビの視界を大きく遮る。そのおかげで衝突位置をそらすことに成功した。

 

 転がりながら起き上がった女に、今度は手刀を中心とした打撃が続けざまに襲う。

 

「知らなかったよ! あなたってここまで強かったんだ…ねっ!!」

 

『────死ネ!』

 

 マリアはラビと手合わせをした経験がない。

 

 リナリーやフォーとはそれなりにあるため、ある程度の攻撃パターンや戦いのクセがわかる。

 対してラビの格闘技はブックマンということもあってか、そのクセがない。

 

 ゆえに行動が読みにくく、いくつもの攻撃が彼女の体に当たり、少しずつ疲労を蓄積していく。

 

 さらに、ラビは戦術も多かった。

 

 防戦一方で、心情的にも攻撃になかなか転じない女に、ロードのイライラが募っていく。

 

 

「攻撃しなきゃ、無様に追い込まれるだけだよ!!」

 

 

 そんなにも仲間が大切なのだろうか? マリアはまだ、ロードとエクソシストであることを天秤にかけて、後者に傾いている。

 なぜだ。「大好き」と彼女に言った女の、その言葉は本心であるはずなのに、なぜそれでもエクソシストの道を選ぶのか。

 

 

 ──────あぁ、“仲間”がいるからか。

 

 

 はじめは戦い、殺す気でいた。少女はノアで、女はエクソシストだから。

 

 しかしマリアが何者なのか理解した上で、その思考に至った時、ロード・キャメロットはマリアを仲間と戦わせることに決めた。

 

 自分の手でその大切なお仲間を手にかけた時、その「エクソシストの道」を歩むことはできなくなるだろう。

 そして、その時はあるいは────とも、考えている。

 

 ティキ・ミックがアレン・ウォーカーと雌雄を決することを望んだなら、ロード・キャメロットはマリアと白黒つけることを望んだ。

 

 仲間か、それともロードか。

 

 

 

「マリアさん!!」

 

 その時、アレンが叫んだ。

 

 最上階にたどり着く前にすでにボロボロだった女の体は、さらに傷が増えて地面を赤く汚している。出発前、少年が師のトラウマで死んだ目をしていた隣で巻いていた黒い包帯も、のぞく手足に少々残る程度だ。顔にはもはや首にボロ切れが引っかかるのみ。

 

「大丈夫」

 

 マリアはその一言だけ返す。

 

 槌の攻撃で吹き飛んだ身体を回転し、地面にズザザッ、と降り立つ。

 

 ジャスデビに受けたケガのせいで、血が足りずに頭が回らなくなってきている。

 さらに身体中に走る激痛が、行動を制限する枷になる。

 

(本当に、どうしようか…)

 

 方法はないのか。ロードの手を取る以外で、かつラビ含めて全員を救う方法。ラビを殺す選択肢はそもそもない。

 

 四人を生かせることができるなら、命を消耗しても構わない。

 

 

(難しいね、守ることって)

 

 

 あるいはあの飲んだくれでも確固とした力がある男だったら、この場を切り抜ける方法があるだろう。無力な彼女と違って、それだけの力がある。

 

(…いや、神父様だったら普通にラビを殺────いやいや、そもそもここまで追い込まれる状況にならないか)

 

 この場を切り抜ける方法があるとすれば、ラビの意識を取り戻すしかない。

 

 だがどうすれば戻せるのか。その肝心の思考に割く頭がうまく回らないせいで、どんどんと追い詰められる。

 

 ロード・キャメロットの能力の恐ろしさは、身をもってマリア自身が知っている。幾度と夢の世界に招待されていた彼女だ。

 

 あの夢の中で悪夢を見たが最後、少年の精神がいくら強くても、壊されるだろう。

 

 それでも、マリアは信じたい。

 ラビはまだ、負けていないと。

 

 

「私に言ったよね、ラビ? 俺を……仲間を信じろって」

 

 ラビは槌を構えて一気に距離を詰める。避けなければ、身体が潰されるだろう。

 

 

「私も仲間を信じてる。だから……だから早く、起きなさいよッッ!!!」

 

 

 槌が、降り下されて。

 

 

『お前らハ、仲間じゃない』

 

 

 

 激しい爆音とともに、周囲が煙に飲み込まれる。

 アレンは咳き込み、だんだんと晴れていく視界に目を凝らす。

 

 そこには槌を持って佇む赤毛の少年の姿と、瓦礫に埋もれ、周囲をおびただしい量の血で染める女の姿があった。

 

 血濡れた指は、ぴくりとも動かない。

 

「い……いやぁぁぁああああ!!!」

 

 リナリーのつんざくような絶叫が響き渡った。

 チャオジーもまた目を見開き、言葉をなくしている。

 

『……?』

 

 だが、ラビの様子がどこかおかしい。

 少年は首を傾げて手を握り、何か確かめるような動作をしている。

 

『潰した感触ガ……薄い?』

 

 もう一度、槌が振り下ろされる。

 

 思わずリナリーやチャオジーは目をそらしたが、ラビと同様に何か違和感を感じていたアレンは、ジッと見守る。

 

 

『なっ………!!』

 

 マリアがいたはずの場所には、大量の黒い物体が四方に飛び散っていた。

 

 四散していた血液のようなものは、地面に浮かび液体となって、中央に集まる。

 そこに肉の破片は、一切ない。

 

 事態を飲み込めたラビが動こうとしたその後方。煙が立ち込める中から現れた手が、少年の肩を掴む。

 とっさに振り向こうとしたが叶わず、頰に激しい痛みが走った。

 

 

 

「チェストォォ────ッ!!!!!」

 

『うぐあっ!!!』

 

 

 マリアの拳がラビの右頬にクリーンヒットし、そのまま弧を描いてふっ飛んだ。

 呆然としたアレンが、「チェスト……?」と思わず呟く。

 

『なぜ、後ろに…!?』

 

「攻撃が来るほんの少し前、黒衣にできるだけ衝撃を和らげてもらったのさ。それで煙が上がってる中、自分の姿に変えて囮にして、あなたの背後に回った」

 

『……バカ、なのか』

 

「えぇー……そう、かっ…」

 

 ラビの攻撃を黒衣で和らげたとはいえ、完全に防ぎきることはできなかった。

 

 軽減したにせよダメージはかなり大きい。特に右上半身は教団服が破れ、下に着ているTシャツが露わになっている。

 

 白いはずのシャツは、赤黒く変色していた。

 

 

「こういうさぁ……本だと、ありがちな展開じゃん。でも……ははっ、ダメだったか………ゴフッ!」

 

 女の口から、大量の血が吹き出る。

 

 ロードの言うとおり、マリアは甘い人間かもしれない。

 だからこそ甘い人間なりの方法で手を尽くしてみたが、ラビの様子を見る限り、無駄に帰したらしい。

 

 赤毛の少年の靴音がやけに遠くに聞こえる。

 膝をついた彼女はもう立ち上がる力もなく、だがせめて倒れないように左手に力を込めた。

 

「ふふ………悔いは結構、あるかも…」

 

 技の構えを取ったラビが、槌を下につける。

 

「でも、安心して。私を殺しても、あなたのことは恨まないよ」

 

 微笑んだマリアに、呪文を口にする少年の瞳が合わさった。

 

 

劫火(ごうか)灰燼(かいじん)──────火版!!!』

 

 

 その瞬間、マリアの下に「丸火」の文字が浮かび上がり、火の波が出現する。

 炎は龍のように宙を駆け巡り、彼女の身体も浮き上がる。

 

「………え?」

 

 熱さが、ない。むしろ温かい。

 

 龍はゆっくりと地面に向かい、瞠目する女を下ろした。

 それだけでなく、火版の熱によってロウソクが溶け、アレンたちが解放されている。

 

『……まさか!』

 

 目を見開くラビの意思を無視し、体が動く。

 次に文字が刻まれた場所は、彼の真下。

 

 

「この落とし前は────自分で付けるさァ!!」

 

 

 眠りうさぎがようやく夢の国から戻ったらしい。

 マリアは文句の一つでも言ってやろうとしたが、ガクンと落ちた体を支えきれず、ついに倒れる。

 

 思考が急速に沈む。

 この感覚は伯爵に殺されかけた時と同じだ。「死」へと誘う沈み方。

 

「まぁ、上々の………でき、かなぁ…」

 

 その時、薄く開けていた目の上に、ぼんやりとした影が見えた。

 

 影はさらに色濃くなり、頬にペタペタと触る感触がある。ついでチュッと、柔らかい感触が口元に当たった。犯人は一人しかいない。

 

 

「マリア、寝ちゃダメ」

 

「…………ねぇ、また、ちゅーしなかった…?」

 

「愛情だよ。ねぇダメ、起きて」

 

「無茶、言いなさんな……」

 

「…お願い、頑張って目を開けて。マリア、マリア……!!」

 

 こんな状況を作ったのはロードだというのに、少女の声は震えていて、顔にポタポタと涙と思われる雫が当たる。

 その顔を見ようにも、閉じてしまった瞼は持ち上がらない。少しずつ寒気が増している。しかし少女が触れている部分はひどく熱い。

 

「ふふふ………」

 

 

 愛しいなぁ、とマリアは思った。

 

 

「ごめんね……ごめんね。やり過ぎちゃった」

 

「いま、さらぁ…?」

 

「こんなになるまでしたくなかったのに、ごめんね、ごめんねっ…! ボクのメモリーが、ぐちゃぐちゃで……うぅぅ」

 

 血まみれの教団服に縋り付いて、ロードは顔を埋める。

 

(あぁ、私もギリギリだったけど、ロードちゃんも心がギリギリだったんだ……)

 

 ノアのメモリーがそれを宿す人間に、どれほどの影響をもたらすかわからない。それでもいつもどこか余裕のあるロードが泣きじゃくるほど、強力なものなのだろう。

 

 しかしてこれは、さすがにやり過ぎだ。

 

「さむい…」

 

「マリア? ……マリア!!」

 

 少女の悲痛な声が響く。

 

 

 

「ボクを置いてかないで!!」

 

「………っ、ぁ?」

 

 

 初めて聞いたはずなのに、なぜかマリアは、その言葉を一度聞いたことがある。

 

 いったいいつ、どこで? 

 

 彼女は必死に力を込めて身体を起こし、目を開けた。

 

 そうすれば目元が赤くなっていたロードの顔が見える。

 当のロード自身も、自分の発言に驚いているようだ。

 

「ロード、ちゃん…」

 

 マリアは気力をふり絞って、手を伸ばす。だが、途中で止まる。

 

 彼女の視線の先には、少女の胸から突き出た包丁がある。

 ロードの口から噴き出た血が、マリアの頰にかかった。

 

「……あ」

 

 まだロードと繋がっていたラビが、夢の中からアレンに化けたロードを見抜き、攻撃したのだ。

 ロードはしてやられたように、しかし忌々しさをのぞかせてあざ笑う。

 

「夢の中のボクを攻撃するなんて、侮れないなぁ、次期ブックマン……」

 

「ろーど、ろーどちゃ」

 

「ごめぇん………マリア」

 

 フッと微笑んだロードの身体が、ラビの炎に飲み込まれ、彼女の視界から消え去った。

 

 

「い、いや……」

 

 真っ白になった女の頭が、急速にどす黒く染まっていく。

 

 

 ロードが、ロードが、ロードがロードがロードがロードがロードがロードが──────!! 

 

 

 ゆっくりと、マリアは自分の手を見る。

 少女に触れることが叶わなかった、この左手。この、忌々しい左手。

 

 爪の中にまでこびりつくほど血まみれの手を、服にこすりつける。でも真っ赤だ。

 

 何度も何度も何度も試しても、真っ赤だ。

 

 

「あ、あぁ、あぁぁぁ……!!」

 

 

 その時脳裏に、「堕罪」の文字が浮かぶ。

 

 堕罪を持ちし女。

 真っ赤な手をいくらこすっても消えることのない堕罪。堕罪、堕罪。

 

 

 

 

 

「────マリア!!」

 

「……ぁ?」

 

 

 気が狂れ、絶叫しかけた女の正気を戻したのはリナリーだった。

 少女はマリアの肩をつかんで、悲痛に顔を歪めている。

 

「大丈夫ですか!? 話しかけても返答がなかったから……」

 

「……え、ぁ……ラビ、は?」

 

「ラビなら今、アレンくんに殴られてます」

 

「えっ?」

 

 リナリーが指した場所には、うさぎ男の胸ぐらをつかみ、泣きながら説教しているアレンがいる。

 

「いくら自我を取り戻すためとはいえ、焼身自殺をするなんてバカなんですか!? あぁ、バカでしたねぇ!!!」

 

「わ、悪かったってぇ…!!」

 

「しかも女性をあんなにボロボロにしてェ………!! サイテーですよ!! 紳士の鏡だったマナの垢を煎じて飲ましてやりたいッッ!!!」

 

「マジでそれは謝っても謝りきれねぇと思ってるぅぅ………!!!」

 

 白アレン(いつもの姿)と黒アレン(闇の姿)が交じったアレンは、愛の鉄槌で遠慮なくラビの頬をビンタした。

 

「うわぁ、痛そー…」

 

「ねぇ、マリアさん」

 

「……ん?」

 

 心なしか、リナリーのオーラが黒い。ニッコリと笑む少女に、マリアは「あ、あれ…?」と呟く。

 

 リナリーはキレていた。それも、ものすごく。

 

 

「ラビの攻撃を当たりに行ってましたよね?」

 

「う、う〜ん……?」

 

「当たりに行ってましたよね?」

 

「うぅ、いたた、傷が痛むなぁ」

 

「当たりに、行って、ましたよね?」

 

「…………は、はい」

 

 見ていた方はたまったもんじゃない作戦に出た女に、少女はカンカンだった。

 リナリーは、ケガが治った時はこってり叱りますからね、と目尻を拭う。いつものマリアの調子に戻って安心したのか、その瞳からは次々と涙がこぼれた。

 

 

 穏やかな空気が流れる中、マリアはずっと気になっていた少女の行方を探す。

 

「あ、あのさ、リナリー」

 

「何、マリア?」

 

「ロードちゃ……ロード・キャメロットは?」

 

「……ロードは…」

 

 

 マリアの気が狂れていた間、ロードはラビの攻撃を受け、黒焦げの状態で地面に落下した。

 

 少女が落ちた方向をリナリーが指し示した時、そこには瓦礫の上で佇む真っ黒な人の姿があった。

 

 マリアと、目があったはずの二つのくぼみがかち合った瞬間、黒い人間はニィと、不気味に笑う。

 

 ついで、辺りに気狂ったような笑い声が響いた。

 

 

「キャハ、ハハ、ハ、ハハハハハ!!」

 

 

 笑い声が静まると、ロードはアレンの名を呼んだ。

 少女はキスした人間から分かるとおり、アレン・ウォーカーにも何かしらの感情を抱いている。果たしてそれが何なのかは不明だ。

 

 そのまま少女の肢体が崩れ、炭となって散ってゆく。

 

 その最後、ロード・キャメロットはマリアの精神に、こう囁きかけた。

 

 

 

『Ave Maria』

 

 

 

 ──────おめでとう、マリア。

 

 

 

 その「おめでとう」の意味を、マリアが理解することはなかった。

 

 ただ自分の意思に反し、めちゃくちゃに暴れまわる感情に、口元を押さえて震えた。



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ぼくらは仲間

閲覧いつもありがとうございます。

方舟編脱しました。やっぱ推しキャラ出せると意欲が上がる。ストーリー展開も薄っすら組み込めて来たので焦らず執筆頑張っていこうと思います。相変わらずお話暗いのでごめんなさいと言いつつも、お付き合い頂ければ幸いです。


 ロードが倒れた後、マリアは自力で立てなかったため、チャオジーに支えられて歩いた。

 

「…何だったんスかね、さっきの」

 

 さっきの、とはロードがアレンの名前を呼んだことだ。

 最後に聞こえた少女の声は、やはりマリアにしか聞こえなかったようだ。

 

 アレンに攻められてばかりだったラビは、この件を持ち出しここぞとばかりに反撃する。

 

「アレェーン、お前あの子に一体何しちゃったんさぁ」

 

「何もしてません。女性たちがいる前で変な言いがかりはよしてください」

 

 アレンの肘打ちがラビの鳩尾に入る。

 痛みで赤毛の少年が「ぐぬおっっ!」と苦悶の声をあげた時、ふとマリアと目が合った。

 

 息を飲んだラビはとっさに視線をそらしてしまう。先の今で、とんでもなく気まずい。気まず過ぎる。

 

「そう言えばロードが消えたけど、扉の方は残ってるのかしら…?」

 

 リナリーの呟きに、全員がハッとした。

 一同は急いで塔の天辺に向かう。

 

「俺が先に上の様子を見てくるさ」

 

「お願いします、ラビ」

 

「……なら、私も一緒に行くわ」

 

「え゛っ」

 

 ラビはチラッとアレンに助けを求めたが、向こうは「僕がリナリーを支えるとして、チャオジーは手負でマリアさんを抱き上げるのは無理だと思いますから…」と、遠回しに断った。

 

 心の声で表すなら、

 

(アレン、アレンよヘルプ!!)

 

(せっかくの機会なんですから、とっとといつも通りに戻ってこい、このウサギ野郎)

 

 だろうか。

 

 

「危ねぇからここで待ってて欲しいさ…」

 

「そう言って、本当は私が重いから持ちたくないんでしょ」

 

「いや、全然重くねぇって!!」

 

「じゃあ、持てるね?」

 

「………はい」

 

 観念した少年は、マリアの体を抱き上げる。槌を使って上がる以上、おんぶだと落ちるかもしれない。右腕、それと左肩を負傷しているマリアは今、上手く手に力を込めることができない。

 結果、抱っこの形になる。少年の片手が女の膝裏に回って、もう片方の手が伸縮する柄を握る。両足は下の円柱を足場にした。

 

 それでもマリアからすれば上体が不安定だ。そのため少年の頭に抱きつく。

 

「フゥー……」

 

「大丈夫、ラビ? 顔が険しいけど…」

 

「ちょっと内なる俺と戦ってるだけさ。……つか、何笑ってんさぁ、アレン!」

 

「いえ、別にぃ」

 

 アレンがこれでもかとニヤニヤしている。今日でいったい、いくつのゆすりネタを得られたかわからない。

 

 

「じゃあしっかりつかま……いや、しっかりつかまないでくれさ。行くぞ」

 

「うん………え?」

 

 矛盾したブックマンJr.の一言の後、槌が動き出す。

 

 改めてマリアを持った少年の感想だが、身長の割にやはり軽すぎる。寄生型はアレンのように大食らいが多く、マリアもその手だ。

 しかし体に入れた分のエネルギーが、イノセンスにほぼ取られている。

 

(アレンは分析した感じ、身長や体重、あと筋肉量も加味して、全体のバランスが取れてたけどな…)

 

 人間の身体的情報を読み取るのも、ブックマンであればお手のもの。

 

(……肉がないから胸もねェんさ…)

 

「ラビ、今失礼なこと考えてない?」

 

「はははは、ちょっと空が青いなぁ〜って」

 

「ふーん、真っ暗な天井がラビには青空に見えるんだ。その目玉大丈夫? 私がくり抜いて、新しい目をつけてもらうよう科学班に頼んであげようか? ねぇ?」

 

「大変申し訳ございませんでした」

 

 どうせ胸のことだろう、とマリアは思った。

 こうも頭に押しつける形になれば、さすがに思考がそちらに向かってしまうだろう。相手はしかもティーンであるのだし。あからさまにやましい視線は感じないので、彼女もそれ以上怒ることはなかった。

 

 今はそれより、別に解決しておきたい問題がある。

 

 

「あのさ、別に怒ってないから。さっき額を地にこすりつけて謝られもしたし……」

 

「………でも、よぉ」

 

 操られていたとはいえ、ラビがマリアを傷つけてしまったことは確かだ。

 さらにマリアの方はなるべく傷つけないように立ち回っていたというのに。

 

 その感情の出所を、少年は理解している。仲間へ抱く感情とは違う。

 

 ブックマンの後継者である少年にとって、その感情は本来不必要だ。

 それでも、アレンたちに仲間意識を抱いているように、この感情もまた、彼にとって切り捨てるには大き過ぎるものになっている。

 

「あぁ…めんどくさい。そんなうじうじしてると、ロードがアレンくんにしたみたいにちゅーしちゃうぞ?」

 

「俺を……殺す気か?」

 

「……し、死ぬほど嫌なの? ごっ…ごめん、冗談だから」

 

「………」

 

 に、に…………ニブチンッ、ウワァァァァ!! ────な感じで、ラビは心の中で絶叫した。

 

「じゃあ教団に戻ったら、そっちの手持ちで美味しいものを大量におごる、でどう?」

 

「それで俺のやったことが釣り合うと思えねぇけど…」

 

「それでも足りないと思うなら、さらに美味しいものを私に食べさせてくれればいいから! …あ、お酒でもいいよ? 種類は甘いのでお願い」

 

「……分かったさ」

 

「うん、じゃあ仲直りね!」

 

 嬉しそうに笑った女に、少年は天を仰いで──。結構、悪い気分じゃない。

 

 完全に立ち直ったとは言えないが、それでもブックマンJr.の心は先ほどよりはいくらか軽くなっていた。

 

 

 

 そうこうしているうちに二人は上にたどり着いた。

 

 幸いにも、まだロードの扉は残っている。

 

「扉が残ってる……ってことは、もしかしたらロード・キャメロットはまだ生きて……」

 

 考え込むラビの隣から離れ、剣を支えにマリアは扉の前に立つ。

 

 触れれば冷たい感触がして、手のひらの温度を奪っていく。頬もつけようとしたが、仲間がいる手前、どうにかそれは堪えた。

 無機物であるはずの扉が、脈を打っている気がする。

 

 不思議と一つの確信がマリアの中に生じる。

 

 

(ロードちゃんは生きてる)

 

 

 思わず涙がこぼれそうになる。

 

 その間、ラビがアレンたちに上が安全であることを伝える。

 そして柄につかまったアレンたちを確認し、慎重に引き上げ出した。その時ふと、あることを思い出す。

 

「そういやさぁ、あのロードってノア、アレンのことすげぇ好きみたいだったよな」

 

「……うん」

 

「それに、マリアのことも気に入ってる様子だったな。俺がその……やらかしちまった時も、ずっとマリアの側にいたって、リナリーたちから聞いたさ」

 

「ロード、ちゃんは…」

 

「……()()()?」

 

 女の視線は扉に向かっており、ラビの方を振り返ることはない。

 

 何かあの少女に思うところでもあるのだろうか。

 ラビは視線を下に戻そうとして、そこで引っかかりを覚える。

 

 

 その時ラビが思い出したのは、巻き戻し町の一件である。

 あの件にマリアもファインダーとして同行していた。

 

 事件後のアレンやミランダの報告書には、その時に起きた内容が詳細が書かれている。

 ラビもブックマンとして、ノアが表舞台に現れた巻き戻しの事件は、詳しく調べた。

 

 その町で現れたのが、ロードというノア。

 

(…待て、何か引っかかる)

 

 ブックマンの記憶は仔細に、それも膨大にある。

 その中で、ミランダの調書に気になる点があった。

 

 

(ロードが捕まえていたファインダーの女性=マリアは、リナリーと同じく人形のように着飾られていたとあった。それも、その女性にずっとロードが抱きついていた──と)

 

 

 まるでパンドラの箱を開けてしまったような。いや、さすがにそれは大げさだろうか。

 

 ともかく、得体の知れない“何か”を感じ取ったラビは、さらに思考を進める。

 

 

(ロードが普通の人間、それも初めて会ったファインダーに抱きつくか? ティキ・ミックの件もそうだ。スーマン・ダークから得た情報の人間はファインダーだろうがエクソシストだろうが、全員殺害されている。

 そしてそのティキ・ミックよりもロードの方が残忍性が高い。今までの件を鑑みれば一目瞭然だ。

 

 人間を()()と同等にしか見ていない。

 アレンの場合はエクソシストだ。普通の人間じゃない────、

 

 

 待て……まさか、マリアはロード────ノアと、何かしらの関係があるのか?)

 

 

 瞬間、ぶわっと少年の額から冷や汗が吹き出た。

 

 ノアの関係者は少なからずいる。

 伯爵にAKUMAのボディに必要な素材(ニンゲン)を提供する連中が、酷なことにもいる。それも、この世界に相当な数。

 

 大抵は悪行が露見すれば、教団によって制裁を受ける。

 ケースによっては、伯爵に見切りをつけられ、AKUMAに殺される事例も多い。

 

 そう。千年伯爵にとって、関係があってもただの人間なら、代替が利くものに過ぎない。

 

 例外なのは、裏切り者のノアの協力者と思われるクロスなどごく一部だ。

 

 そんな中で、ロードの執着心さえ感じる行動はやはり、異常だ。

 改めてアレンという存在に疑問が起こる傍ら、マリアにも疑念が湧く。

 

 

 孤児で教会に拾われ、その教会すら町ごと伯爵に壊され、さらにイノセンスを壊された過去。

 

 パンダ爺(ブックマン)が語っていた、イノセンスがマリアに見せた異常な執着。

 

 最近で言えば、アジア支部に出現したティキが送ったAKUMAとは違う別のレベル3。

 

 

「………!!」

 

 

(そうだ…! アジア支部に現れたもう一体のAKUMAは、突如出現した“扉”から出てきた。同様の扉はアジア支部長が壁にこもりAKUMAと戦っていた時も、マリアが中に入ろうとした際に現れたのを、何人もの人物が目撃している…!!)

 

 

 冷たい空気が辺りを支配する。

 槌はどんどん収縮し、もうすぐアレンたちが来る。

 

 マリアがロードと何かしらの関係があることは確実だ。

 そう判断したラビは、でも、と呟く。

 

「仲間、なんさぁ」

 

 マリアは自分の命をかけて、ラビが目覚めることを信じた。

 確かな信頼がなければ、できる行動ではない。

 

 

「あぁ、ったく……」

 

 到着した三人を見ながら、ラビは頭をかく。

 

 マリアが何者であれ、まず自分が信じないでどうするというのだ。

 

 

「さ、早く行こうぜ。ここもいつ崩れるかわからねぇし」

 

「…ぁ、はい」

 

 アレンはラビの声に反応したものの、その視線は未だ下に釘づけだ。

 

「………」

 

 沈黙したアレン・ウォーカーは、直後駆け出した。

 それを慌ててリナリーが止める。

 

「アレンくん!?」

 

「っ…下には、まだティキ・ミックとレロが…!」

 

「でも…」

 

「ティキ・ミックはもう神ノ道化(クラウン・クラウン)の能力でただの人間になった! それに…彼にも、帰りを待っている人間がいるんです!!」

 

 ティキ・ミックは、ノアとしての裏の顔と、人間としての表の顔がある。

 

 残虐性の反面、鉱山で働きバカ騒ぎする仲間がいる。

 アレンたちが表のティキと遭遇したのは、クロウリーが仲間に加わった直後だ。

 

 アレンがポーカーでパンイチにした連中の一人。トランプをアレンに投げたビン底メガネと同一人物である。

 

 ノアの中でも珍しい、人間臭さを持つティキに、アレンの心は揺らいでいる。

 これがただ残虐なだけのノアだったら、切り捨てられたかもしれない。だが「人間」のティキ・ミックをアレンは知っている。

 

 その男が自分のイノセンスを一度壊した奴だとしても、それでも、助けたかった。

 

 

 リナリーとラビは困惑したが、許容する。

 唯一、チャオジーが食ってかかる。

 

「何で助けるんスか? だってアイツらはAKUMAとグルになって、アニタ様やみんなを殺したのに……」

 

「チャオジー…」

 

「アレンさんだって、アイツにイノセンスを壊されたんでしょ? どうして「助けたい」なんて言うんスか…!?」

 

 重い空気が流れる。

 リナリーは気まずさのあまり視線をそらした時、女の後ろ姿が目に入った。それが、ゆっくりと振り返る。

 

 

「アレンくん。君って、確かに私より甘いね」

 

「…彼らはノアであるけれど、僕らと同じ人間でもあるんです」

 

「だから? だから助けるの?」

 

 足を引きずって、剣を杖代わりに一歩一歩、マリアはアレンと距離を詰める。

 

 

「連れて戻ったところで、ノアは中央庁に拘束される。尋問と拷問。あぁきっと、死を迎えるより凄惨な未来が待ち受けているでしょうね。それでも、助けるの?」

 

 そして、二人が向かい合う。

 

 

 確かにアレンの考えもわからなくはない。しかし実際問題、マリアは教団の闇を見たことがある。咎落ちがその例だ。

 

 それに、間もなく伯爵が助けに来るだろうと推測している。

 

 ロードはノアのメモリーは破壊されたはずのティキ・ミックを抱きしめ、エクソシストに怒りを見せた。

 

 ノアではなくなったとわかった上で、愛情を見せていたのだ。

 

 ノアは、家族を唯一に愛する。

 

 それを考えれば、心配はいらないと判断した。

 

 

 それより今一番に考えるべきは、自分たちの安全である。

 

 早くしなければ、本当にみな方舟の消滅に巻き込まれる。

 

 

「アレンくん…」

 

「アレン…」

 

 リナリーとラビは唇を噛むアレンを見つめる。二人は静かに、少年の言葉を待つ。

 

「僕は、僕は……!!」

 

 アレンの対AKUMA武器、神ノ道化はノアのメモリーだけを殺し、人間自体は殺さない。

 ヒトもAKUMAも────ノアでさえも、救済を望む。そんな少年の感情は、荒波に飲まれたが如く揺れ動く。

 

「僕はそれでも、ティキ・ミックを助けに行きたい…!」

 

 どんな奴であれ人間である以上、目の前の命をみすみす見逃すことは、アレンにはできなかった。

 

 だがその時、頬に衝撃が走る。

 

「………ッ!?」

 

 マリアがアレンにビンタを食らわせたのだ。

 

 何をするんですか! ──とアレンは言おうとしたが、既視感のある瞳に睨めつけられ、動けなくなる。

 いつもは柔らかな色を宿す黒い目が、冷たい色を孕ませている。

 

 

「…ははっ、そうですよね…。あなたも、師匠の弟子でしたもんね」

 

「私が言えたものじゃないけれど、君のは甘過ぎる。甘過ぎて自分だけじゃなく、周りさえ傷つけている。考えなよ、アレン・ウォーカー」

 

「………すみ、ません」

 

「…いいよ。後でお返しに一発叩いていいから」

 

「それは死んでもできませんしやりません」

 

 

 マリアに腕を引かれたエレンは、その後に続く。

 けれどそれでも一瞬立ち止まって、後ろを振り返ろうとした。ほかの三人はすでに、扉の前にいる。

 

「おいで、アレン」

 

「────ッ?」

 

 優しささえ感じる女の言葉が、少年の耳に入って、脳に刻まれる。

 唾を飲み込んだアレンはのろのろと前に進み出した。

 

 

「……っ、アレンくん! マリア!!」

 

 

 だがその瞬間、アレンがいた真下から床を突き破り、ムカデの足のような触手が複数現れた。

 驚きに固まった少年の肢体を、それが絡めとる。

 

 とっさにマリアの手を離そうとしたが、遅かった。

 

 触手は少年の体を這って女にまで伸び、二人は暗闇の底へ吸い込まれる。

 

 そして一瞬の静寂が、彼らに訪れた。



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なくしたもの

閲覧いつもありがとうございます。
ネタ提供ありがとうございました!今回は拗ねた千年公の小話です。大分長くなってしまった…。

※本文の後半人によっては気分を害すシーンがあるのでご注意ください。


 上から落とされたマリアとアレン。

 落ちた際に扉も巻き込まれ、粉々に砕けた。

 

「ぐ、うぅ…」

 

 何メートルもある高さから落とされたアレンは、扉の残骸を握りしめる。

 

 一方で空中で拘束が解けたマリアの肢体は、柱に勢いよく激突した。

 

「かはっ……!」

 

 衝撃で肺から酸素が一気に抜ける。衝撃で脳が揺れ、意識が朦朧とした。

 切れた頭からはつうと、固まった赤黒い血の上に新しい赤が重ねられる。

 

 吹っ飛んだ女の側にいるレロは、まだかまだかと千年公の姿を探す。

 

「伯爵タマァ……なんで来てくれないレロォォ…」

 

「う、っ……」

 

「ヒィ! エクソシストが起きたレロ!!」

 

「この……声は、傘……?」

 

 ずり落ちたマリアは、手元を探り傘の柄をつかむ。逃げ遅れたレロはピーピー騒いだ。

 

「エクソシストがレロに気安く触るなレロ!!」

 

「あぁ、このカボチャ美味しそう……」

 

「ギャァァ! ヤメレロォ──ッ!!」

 

「あれ? 何これ固っ…」

 

「コッ、コイツ……! 冗談じゃなくて、マジでレロのことが食い物に見えてるレロッッ!!?」

 

 顔(?)の部分がよだれでベトベトになった傘は、すっかり大人しくなる。

 心なしか、「もうレロはお嫁に行けない…」みたいな空気を出してやがる。

 

 

「ねぇ、今どうなってんの…?」

 

「………今レロか?」

 

 瞼を開けるのも辛そうな女に、レロは仕方がないと、辺りを見渡す。

 別に絆されたわけではない。ただ本気でまたかじられるのが嫌なだけである。

 

 

 中央には人影がある。

 

 土埃の隙間から覗いた顔はティキ・ミックで、ポツンとそこに佇んでいるようだ。

 

「レロロォー!! ティキタマ助けてレ、ロ……?」

 

 煙が完全に晴れた時、レロは絶句した。

 

 男の背中から、ムカデの脚のようなものが何本も──、しかも長く巨大な触手が周囲を蠢いている。

 

 その姿を見たアレンは驚愕した。

 

「ティキ・ミック…なのか?!」

 

 ノアのメモリーは確かに神ノ道化(クラウン・クラウン)によって破壊されたはずだ。しかし、男の掌には聖痕が現れている。

 さらに奇妙なのは、ティキ本人に意識がないところだ。

 

 目が虚ろで、その瞳は何も映していない。

 

 

「あ、ああああ、あああアアアア』

 

 

 顔を覆った男の姿が変貌していく。

 

 

 そして現れたのは、一本角の黒い仮面を付け、長い黒髪をうねらせる男の姿。腰布が風に煽られて揺らめいている。

 果たしてその男を「ティキ・ミック」と呼んでいいものなのか。いや、背中から生えた羽はあまりにも人間からかけ離れている。

 

 言うなれば、黒いバケモノ。

 

『────ハァ』

 

 ソイツは口の端を吊り上げ、ひっ迫するアレンに襲いかかった。

 

 

 

 一連の様子を見つめるレロはパニックになり、グルグルと意味もなく回る。柄をつかんでいた女の手は途中で外れていた。

 

 この時点でレロは逃げられるはずなのだが、妙に女が気になってしまい、移動できずにいた。これが傘デレであろうか。

 

「ど、どうしようレロ…。ティキタマが暴走しちゃったレロ!!」

 

「ね、ぇ、状きょ、おしえて…」

 

「なっ、何でレロが……」

 

 ブツブツと文句を言いながらも、教えてくれる傘である。

 レロは端的に、ノアのメモリーが暴走したティキが、アレンをボコボコにしていることを伝える。

 

「まぁ、お前らの中で一番強そうなあのエクソシストがあの調子じゃあ、すぐにみんな殺されるレロ!」

 

「ノアのメモリーは、暴走…するの?」

 

「場合によるレロが……伯爵タマが前に言ってたレロ。『快楽』を持つノアタマには毎回期待してる、って」

 

「期待……か」

 

 ということは、あのバケモノの姿がティキ・ミックの真の姿なのかもしれない。

 

 ただメモリーが暴走状態であることを踏まえれば、アレは本来、表には出ない姿なのだろう。

 アレンの攻撃によって追い込まれ、その姿が現れたのだとしたら──。

 

 

(本当に、やばい)

 

 

 ちょうどその時、マリアの顔に土埃がかかった。

 

 首だけ動かしどうにか片目を開けた彼女が見たのは、床に転がっているアレンの姿である。

 

 出血がひどく、神ノ道化(クラウン・クラウン)の白いマントには血がベッタリとついている。

 

「アレン、くっ…」

 

「っ………!!」

 

 伏した女を巻き込まないようにと、アレンはすぐに立ち上がり距離を置いた。

 

 マリアもどうにか左手に力を入れて立ち上がろうとする。しかし上半身を起こすこともできない。

 

「………」

 

 レロはそんな女の姿をバカにするでもなく、ただじっと見つめる。

 

 

「…どうしてオマエはそんなに、頑張るんだレロ?」

 

「どうして…って、戦わなきゃいけない、から…」

 

「……どうして、どうしてロードタマや伯爵タマは、オマエなんかに気持ちを揺さぶられてるんだレロ?」

 

「………」

 

 マリアだってそんなことは知らない。

 それに想像でしかないが、ロードや伯爵も自分の感情を正確には把握していないのかもしれない。

 

 わからないけれども、きっと名前をつけがたい感情の答えを探しながら、人間もエクソシストも、そしてノアも生きているのだろう。

 そんな風に彼女は思う。

 

 そういったなかなか答えの出ない悩みは、人生の片隅で行われる問題なのかもしれない。

 

 だが、なんとなくでも、答えを探している。

 

 

「人間のこころって、ふしぎ……だか、ら」

 

「伯爵タマやロードタマを人間扱いするなレロ!」

 

「ふふ…」

 

 プンプン怒る傘は、女の微笑みを見て一瞬固まり、口をへの字にした。

 そして何を思ったのか、マリアの背後に回って背を押し始める。

 

「ほら、さっさと起きあがるレロ!」

 

「えっ、急に何?」

 

「か、勘違いするなレロ! もしもの時のために、オマエをこうして盾にするだけレロ!」

 

 紛うことなき傘デレ。

 それを言ったら本気で傘がキレそうな気がしたので、思うだけに留めてマリアはその好意に甘えることにした。

 

 そうして何とか座る体勢になる。

 

「アレンくんは…」

 

 アレンはティキの前でうずくまっていた。

 腕は深くえぐれ、傷口からしとどに血が流れている。

 

 思わず彼女が手で口を覆った時、ティキ・ミックと目が合ってしまった。

 実際、仮面でその目は見えない。だが、不気味に弧を描いた口元で、マリアは理解した。

 

 

「────ヒッ」

 

 

 本能的な恐怖で、身が竦む。

 ティキの肢体が消えた瞬間、目を閉じて死を覚悟する。

 

 そして激しい衝突音が起こった。

 

「……?」

 

 だが身体に衝撃が訪れない。

 恐々と彼女が目を開けたその先に、槌を持ったラビがいる。上からリナリーやチャオジーを残し、降りてきたのだ。

 

 赤毛の少年の表情に、余裕はない。

 

「遅れてわりぃ! 大丈夫さッ!?」

 

「…だい、じょぶ」

 

「全然大丈夫じゃねぇだろ!!」

 

『ハハァ!!』

 

 新しいエモノがやってきた。そう言わんばかりにティキから殺気が放たれる。

 

 吹き飛ばされたラビは槌を地面のヒビに引っかけ、停止する。

 

「──ッ!? コイツ、速ッ…!?」

 

 正面を向いた先にはすでに、迫り来る拳がある。

 

 槌で防御した拳は、鉛玉のように重い。

 少年の体は衝撃に耐え切れず床に転がり、追い打ちとばかりにティキの蹴りが入った。

 

「ぐっ……!!」

 

 強い。その強さは、アレンと戦った時の男の比ではない。

 

 

 これが『快楽』のメモリーに呑まれたティキ・ミックの、圧倒的な力である。

 

 それはまるで、元帥がレベル1の悪魔を相手取るのと大差ない。

 

 彼らと今のティキでは力量差があり過ぎる。

 

 このままでは、全員死ぬ。確実に。

 

「なんて…強さ、だよ…」

 

 大量の血を吹き倒れ込む赤毛の少年を見たティキは、心からエクソシストが壊れていく様を()しんでいる。

 

 少年二人は、蹂躙される。

 圧倒的な力を前に。

 

 

 

「うっ、うぅ……ぐっ」

 

 マリアは床を這いずり、二人の元へ向かう。その距離は全く縮まらない。

 

 それが悔しくて、もどかしくて。息も絶え絶えな自分がいっそ死んでしまえとさえ、彼女は思った。

 

 

 そんな時、ティキの無差別な攻撃で崩壊した天井から、リナリーとチャオジーが落ちてきた。

 

 リナリーの肢体は空中で触手に捕まる。

 

 チャオジーは幸運にも、落下の途中で触手に何度か当たったことで衝撃が弱まり、何とか生きている。

 

「あっ、うぅ…」

 

 しかして捕まったリナリーは首を絞められ、口元に小さな泡をこぼす。

 足がバタバタと動き、苦しさで少女の目尻に涙が浮かぶ。

 

 ラビとアレンは瓦礫に埋もれて、動けない。

 

「……ぁ」

 

 ティキの腕をつかんでいたリナリーの手が、ゆっくりと、ずり落ちていく。

 

 

 マリアはその光景を見ているだけだ。

 

 地面に転がって、死の順番を待っているだけだ。

 

(違う)

 

 マリアは戦わなければならない。

 

(私は……)

 

 マリアは守らなければならない。

 

(エクソシストだ。だからっ……)

 

 どれだけ苦しもうと、痛みにうめこうと、彼女は立ち上がらなければならない。

 

 

「あっ、あぁぁぁぁ──────このっ、クソッタレイノセンスッ!!!」

 

 

 叫んだ女に呼応するように、液体の黒衣(ドレス)が彼女の四肢に絡みつく。

 そして無理やりに体を動かし、左手が神ノ剣(グングニル)をつかんだ。

 

 全身の痛みで歯がギシギシとひどく軋む。生理的な涙がこぼれる。

 

 マリアは真っ直ぐに、前を向く。リナリーの姿を視界に入れ、駆け出した。

 

 

「私の仲間にッ、それ以上手を出すなぁぁぁ!!!」

 

 

 折れた骨が軋み、血がいたるところから漏れる。

 彼女が通った地面には、血の道ができた。

 

 アドレナリンが出て一時的に痛みが遮断された中、マリアは黒衣(ドレス)の一部を弾力性の高い性質に変化させ、跳ぶ。

 

『カハッ!』

 

 ティキがけしかけた触手はしかし、飛来した神ノ道化(クラウン・クラウン)によって斬られる。

 

 

 

「え」

 

 

 リナリーの肢体が投げ捨てられた直後、黒い物体が動いた。一瞬のことで、マリアの反応は遅れた。

 瞬きのうちに黒いバケモノがすぐ目の前に現れた。

 

 大きく、大きく女の目が見開かれる。スローモーションで世界が動く。

 

 伸ばされた男の手がマリアの頭をつかみ、地面に叩きつける。

 

「ぎ、ぃ………あぁっ!!」

 

 とっさに首の衝撃を和らげようした彼女の右手が地面にめり込む。

 負荷のかかった右上半身は全体の衝撃を受けることになり、折れていた腕に激痛が走った。

 

「〜〜……!!」

 

 声も出ない、とはこのことで。マリアの視界がチカチカとハレーションを起こした。

 

 音が聞こえない。自分がどこにいるかもわからない。ただ、痛みが現実に彼女を引き戻す。

 

 それでも滑り落ちた剣をつかもうとした手が、踏みつけられる。そのままジリジリと圧をかけられれば、新たな痛みが生まれる。

 

「………ぁ、う」

 

 ついにマリアのイノセンスが解けた。長い髪を床にばらまいて、そのまま意識を手放しかける。

 

『────?』

 

 首を傾げたティキが、おもむろにしゃがみ込む。うつ伏せだった女の体を仰向けにして、その顔を覗きこんでいるようだ。

 

 じっと見られていることすらよく分からなくなっているマリアは、頬に触れられた手に笑いかける。

 

 沈む意識とは別に、体の奥がふわふわとしていく。

 

 男の手は指先で愛撫するように白い首から少しずつ下がる。

 黒く鋭利な爪がシャツを裂きながら、ゆっくりと胸に向かって、やがて胸骨で止まる。

 

 

『ァ、ハハ』

 

 

 その笑みで、宙を漂っていたマリアの感覚が現実に引き戻された。

 今ティキ・ミックが触れている場所は。そこは、彼女のイノセンスがある部分。

 

 壊される? 

 

 また、壊される。

 

 彼女の脳裏に伯爵にイノセンスを壊された記憶がよぎって。

 アレンがこの男に左腕を壊された映像の記憶がよぎって。

 

 そしてさらに、記憶がその先へ進もうとする。

 

 

「マリアさん!! 逃げてッ!!!」

 

「っ、あ!」

 

 アレンの叫び声で我に返ったマリアは、体の痛みを無視して横に転がった。

 

 直後、肋のあった位置が鋭い触手で貫かれる。刹那ブチリと、何か嫌な音がした。

 その不可解な音に黒い瞳がティキの足元を見る。

 

 

 

 そこにはマリアの右腕が落ちていた。

 

 

「えっ? あっ………あ、あっ、あ」

 

『キキッ』

 

 欠けた腕を押さえる女の元に、カツカツと黒い足が迫る。

 

「やめてっ!!」

 

 横から入ったリナリーだが、触手に振り払われ、瓦礫の山にぶつかる。

 だがそれでティキの意識が移ったのか、その関心は今度リナリーに向かった。

 

 リナリーのぶつかった衝撃は凄まじく、その衝撃で天井にヒビが入った。ミシミシッという音は大きくなり、ついに崩落する。

 

「リナリーさん!!」

 

 地を蹴って、そんな少女を救おうとチャオジーが手を伸ばす。間に合え、と。

 

 

『ハハッ! ………ァ?』

 

 

 二人を殺そうと動いたティキだが、片足が動かない。

 見れば、ボロボロの女が足にしがみついている。余程の力がこもっている中、力んだせいで右腕の断面からプシャッ、と血が噴き出る。

 

 女の顔は、死人のようだ。

 

「ダメ」

 

『………』

 

「ダメ……」

 

『アー』

 

 首を捻った男は、女を見てまた首を捻り──を何度か繰り返して、その体を蹴り飛ばした。

 

 マリアの肢体は壁を突き抜け、外に出る。

 崩落するこの方舟の外は、文字通り何もない。落ちればそのまま消え、死ぬだろう。

 

 一瞬こちらに向かおうとしていた少年二人の姿が見えたが、マリアは笑って、リナリーの方を指差した。

 

 

「ふたりを、おねがい」

 

 

 

 

 

 彼女にとって今日は、血濡れの一日だった。しかし皮肉にも、空は快晴だ。太陽は遠くて、伸ばした手は届きそうにない。

 

「ちゃんと……まもれ、たかな?」

 

 瞼が重くなる。

 マリアが最後に聞いたのは、黄金に光る相棒の、ひどく懐かしい声だった。

 

 

「グルガァァァァ!!」

 

 

 ティムキャンピーは落ちていく彼女に向かって高速で接近する。

 

 遠くから見れば豆粒ほどだったティムは、近くで見るとヒト一人簡単に飲めこみそうな巨体さである。

 

 黄金の弾丸と化したティムは女を咥えると、今度は上空へ一直線に突っ切る。

 

 マリアは久方ぶりの相棒の存在に目を細めながら、ふと懐かしい酒とタバコの香りに眉を動かした。

 

「…お、まえ、神父さまのとこに、いたのかッ……!!!」

 

「グルルゥ!」

 

 ということは、すぐ側までクロス・マリアンが来ているに違いない。

 

 あるいはマリアが落ちた後、アレンたちの前に現れたのかもしれない。

 

(だったら、みんな大丈夫だな…)

 

 どっと襲った安心感に緊張の糸が切れ、マリアの意識が途切れた。

 

 


 

【すねーク】

 

 とある日の午後。

 

 ロードは飴を舐めながら、ロッキングチェアに座り、せっせと編み物に勤しむ千年公の様子を眺めていた。

 黒一色で統一された部屋には、モノトーン柄の床一面にプレゼントが山積みにされている。

 

 いつもなら鼻歌でも歌って編み物をする千年公はここ最近、ふと何かを思い出してはしょんぼりとしている。

 

「何してんの?」

 

 ロードの背後に現れたのは、最近覚醒した「快楽」のノアを持つ家族、ティキ・ミックである。

 無精髭とセンスを疑うビン底眼鏡を見るに、どうやらまた放浪でもする気のようだ。

 

「ティッキーも好きだよね、人間と戯れんの」

 

「ハハ…まぁどこかの誰かさんよりはイイ趣味してると思うけどな」

 

 人間を「もの」として見て、精神を壊した人間を人形にしているロードよりはよっぽどマシだ。

 

「ロードは何でここにいるんだよ。宿題がテーブルに置かれたままだったけど」

 

「んー? ちょっとねェ…あ、宿題はティッキーが片付けておいていいよ」

 

「いや、何で俺が」

 

 人間嫌いであるのに、普通に学校に行っているロードに疑問を懐くが、ティキ自身も似たようなものなので何も言えない。

 

「ん?」

 

 そこでティキは、ギィギィと派手な音を立てて揺れている千年公に気づいた。荒ぶっておられる。

 

「……お前、また千年公にイタズラでもしたのか?」

 

「ボクのことなんだと思ってるわけぇ〜?」

 

「イタズラ症候群だろ。こいつめ」

 

「いやぁー、頭ぐりぐりしないで〜〜」

 

 ティキの制裁から逃れた少女は、タタタッ、と千年公の元に駆け寄る。

 おっとこれはチクられる流れか? ──と思った男だが、予想とは違った。

 

 千年公の背後に忍び寄ったロードは、思いきり丸々したボディーに抱きつく。千年公は驚いたものの、愉快そうに笑う。

 

「ねぇ、千年公」

 

「何デスカ?」

 

 ロードを見る目はひどく穏やかで、優しい目をしている。

 その様子はいつもの伯爵と何ら変わりないようにティキには思えた。

 

 しかしロードは、伯爵の瞳の奥にくすぶる影を見逃さない。

 

「千年公、なんか悩んでるの?」

 

「ンフフ♡何も悩んでませんヨ」

 

「本当?」

 

 ロードは伯爵に抱きついたまま、さらに顔を近づけ目の前の瞳を凝視する。

 すると伯爵の張りつけたような笑みが消えた。

 

「……分からないんデス」

 

「何が?」

 

「たった一人の少女に、我輩ハ何故、こうも感情を乱されるのカ」

 

 

 己が手で殺した少女。イノセンスを宿す人間を殺したことに対し、感情の動きはない。

 強いて言えば、イノセンスを壊したという狂気と喜びは得られる。

 

 普通ならばそこで完結して、終わる。

 

 ただ数年経った今でもなお、時折記憶の片隅に少女の言葉がよぎる。

 

 

『人の命を玩具のように奪う貴方を、わたしは許さない!!』

 

 

 その言葉すべてが問題なのではなく、「許さない」という部分だけが、小骨のようにずっとつっかえて取れない。

 

 

「……大丈夫、千年公? 考え込んでるみたいだけど」

 

『…エェ、大丈夫デスヨ♡」

 

 少女は絡めていた腕を離すと、ティキの元に戻る。

 

 そうすれば佇んでいたティキの視線と、伯爵の視線が合わさった。

 伯爵は先ほどの雰囲気が嘘のように、愉快げな表情をしている。

 

「ティキぽん、普通の格好なさイ♡」

 

 明らかに縒れたTシャツやら、ダメージ加工じゃないジーンズのことを言われている。

 

 半分聞き流しながら、ティキは首を縦に振った。

 だが突如、横っ腹にロードのタックルが炸裂する。

 

「ぐはっ!」

 

「千年公〜、せっかくだしティッキーに合う正装さ、見繕っといてよぉ」

 

「フフ、いいデスヨ♡」

 

 ロードに手を引っ張られながら、ティキは渋々と後に続く。

 部屋を退出した後、男の脳内によぎるのは、少しの会話の違和感。

 

 ロードは何故千年公を気にかけていたのに、わざと自分に話を逸らしたのか。

 というか生贄にされた。

 

「なぁ、どうしたワケ」

 

「……」

 

 ロードは無言のまま歩く。

 

「…千年公、拗ねてた」

 

「拗ねてた? 何で?」

 

「……ボクにも、分かんない」

 

 下を向き、ポツリと呟いたロード。

 

 

「少女」────と、千年公は言っていた。

 

 

 思い返してみれば、伯爵の様子が少しおかしくなる前に、ある一人の人間について話していたように思う。

 

 神を嫌う、神に愛された少女──と。

 

 ロードの胸の中に、殺意と、ひと欠片の好奇心が湧く。

 伯爵が感情を揺れ動かされる人間というものに、興味が唆られないわけがない。

 

「キャハハ!」

 

 だったら行動に移すまで。

 ロードは上機嫌にティキの側から離れ、傘をお供に華麗なステップで廊下を歩む。

 

「ハァー…」

 

 ティキは機嫌が戻ったロードに短息し、自分も出掛けようとボロのバックを肩に提げた。

 

「宿題ちゃんとやれよ」

 

「えー、ボクちょっと出掛けるからムリぃ〜」

 

 ロードはそう言って、笑った。

 

 

(まずは、千年公が言う「少女」について調べなきゃなぁ)

 

 

 そしてロードは、伯爵が殺したはずの少女………否、女がファインダーとして生存していたことを知る。

 

 その女の任務先の街中、すれ違いざまにファインダー服のフードから見えた表情に、ロードの中で殺意とは違う、形容し難い感情が浮かぶ。

 

 

 奇しくもその感情は女────マリアに抱いた、伯爵と同じ、名前の付かない感情だった。



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霞む境界線

 吸い込まれるような白い虚空に女が落ちていくのを見た直後、アレンとラビは暴走状態のティキと戦闘を繰り広げていた。

 

 仲間を失った。

 目前で起きた事実が、二人に重くのしかかる。

 

「絶対に…お前だけは許さねぇさァ!」

 

 振るわれる巨大な槌。容易くつかまれたそれは柄を持つ少年ごと地面に叩きつける。

 

「ラビ!!」

 

 アレンが神ノ道化(クラウン・クラウン)でティキの腹を斬りつける。

 だが掠っただけで、避けられてしまう。

 

 

 対してリナリーは瓦礫の下敷きになる前に、チャオジーによって救出されていた。

 

 辺りに散らばるのは粉々に砕けた瓦礫の破片。

 チャオジーの腕には円環の形をしたイノセンスが光り輝いている。

 

 それはフロワ・ティエドールの所有していた適合者未定のイノセンスの一つ。己に共鳴する人間を見つけ、方舟まで飛んできたのだ。

 

「これが、イノセンス…」

 

「たっ、助けてくれてありがとう、チャオ………あれ?」

 

 リナリーの言葉は続かなかった。

 自分がいて、チャオジーがいて、それにアレンとラビがいて────そして、一人欠けている。女の姿がどこにもない。

 

「マリア……!?」

 

 そして彼女は思い出す。瓦礫に埋もれそうになった時、宙を舞っていた女の姿を。

 

 その身体が向かった先は、塔の外だった。

 

「っ……マリアッ!!」

 

「リナリーさん、ダメっス!」

 

 チャオジーの制止を振り切り、リナリーは城の外に向かって走り出す。

 彼女の世界がまた一つ、壊れていく音がする。

 

「危ないッ、リナリー!!」

 

「……えっ」

 

 束の間、少女の目前にティキの放った攻撃が迫る。

 

 アレンはとっさにリナリーの間に入り、剣で跳ねのけた。

 衝撃は止まることを知らない。次々と襲う攻撃に、少年の体が軋む。

 

「マナとの、約束なんだ…」

 

『ア、ハハ、ハハッ!』

 

 ティキ・ミックは狂気に満ちた笑みを浮かべ、目の前のイノセンスを破壊することだけに囚われている。

 

 アレンは閉じていた目を開ける。銀褐色が、隙間から差し込む光を受け、まばゆくきらめいた。

 

 絶望の中でも、希望を信じて諦めない。

 

 進み続ける(Walker)のだ。

 それがアレン・ウォーカーという少年の生き方である。

 

 

「僕の命が尽きるまで、戦ってやる!!」

 

 

 その刹那、ちょうど少年の真下に首のないマリア像を象った文様が現れる。

 そこからにょきっと現れたのは、楔に巻かれた棺と、その上に佇むスカルの頭をした人物。

 

 衝撃で吹っ飛んだアレンの片足はその謎の人物につかまれ、宙に浮いた。

 

「何だ、この汚ねェガキは」

 

 アレンの顔から、汗が大量に噴き出る。だらだら、だらだら。今日が命日かもしれないとさえ思った。

 なぜならば、少年は気づいてしまった。スカルの頭の上に乗っている、()()()()()()があるのを。黄金色のソイツは、尻尾をパタパタさせて愛嬌を振りまいている。

 

 ついで聞こえたのは「馬鹿弟子」。

 

 判決が決まった。確定地獄。

 

「お、おお、お久しぶりです。しっ、師匠……」

 

 死にものぐるいで発せられた少年の言葉に、アレンの師────クロス・マリアンは微笑んだ。

 

 

「落とそうか?」

 

 

 

 

 

 *****

 

 窮地に追いやられたアレンたちの前に現れたのは、ついぞ見つからなかった探し人、クロス元帥だった。

 

 棺はクロスが禁術で操る対AKUMA武器、聖母ノ棺(グレイブ・オブ・マリア)であるため間違いない。

 

 ちなみに先ほどまで男の頭はスカルだったが、魔術で仮面を一時的に変化させていただけで、今は戻っている。

 

 一瞬アレンはティムを見たが、クロスにベッタリで全く離れる様子はない。

 

(マリアさん…)

 

 ふとその時、アレンはマリアのティムが彼にべったり張りつき、その様子をハンカチを噛みしめて睨んでいた女の姿を思い出した。

 

 家出していたアレティムと同様、マリティムも行方をくらませていた。

 二人で「どうしたんかね?」と話し合っていたのは記憶に新しい。

 

(……待て、マリアさんのティムはどこだ?)

 

 アレティムがクロスの元にいたのなら、マリティムもいた可能性が高い。しかし今、ここにはいない。

 

 

「あの、師しょ──」

 

 アレンの言葉が途中で止まる。

 

 目の前のクロスが肢体を横に逸らしたかと思えば、巨大なティムキャンピーが少年に突撃した。尾は紫で、マリティムだ。

 

「ぐえっ!」

 

 そのまま少年の肢体は吹っ飛び、リナリーの側に落ちる。

 クロスの汚ねぇもの(男共)に向かう冷ややかな視線の中、アレンは泣きたくなった。いつも貧乏くじを引いている。

 

 リナリーは苦笑していたが、マリティムの口からのぞく生白い手に気づき、息を飲んだ。

 

「マリア…!!」

 

 その手はピクリとも動かない。

 

 巨大なティムはクロスにすり寄り、ガパァッと、口を開ける。

 中からのぞくのはボロ雑巾のような女の姿。

 

 クロスはティムの口の中を一瞥した際、眉間に皺を寄せ、表情を険しくした。

 

 側から見ればとてもではないが、女が生きているようには見えない。

 

「ガフガフ!」

 

 巨体のティムはクロスが指した方向、アレンたちの元へ向かう。

 

 リナリーは急いでティムに近寄ったが、頑なに口を開けない。

 現状は人間一人を、ティムが口に含んでいる状況だ。ちょっとしたデンジャラスな光景である。

 

「おねがいティム、口を開けて! 早く止血しないと…」

 

「グルルル」

 

 ティムはイヤイヤと首を振るばかりだ。

 

 少年二人もしばし暗い顔で見ていたが、ティキ・ミックとクロスの戦いが始まると視線をそちらへ移した。

 

 

 蹂躙していた側が蹂躙される側になる。

「元帥」と呼ばれる人間がどれほど隔絶した力を持つのか、若人たちは知ることになる。

 

 クロスのもう一つの対AKUMA武器である断罪者(ジャッジメント)の弾丸は、対象をどこまでも追跡し、その命をねらう。

 

『ア、アアア、ア』

 

 一転して防戦一方のティキから、狂い笑いが消えた。余裕が失われていく様が分かる。

 

「これが、元帥クラスの戦いか……」

 

「僕たちはまだまだ…弱いですね」

 

 聖母の棺(グレイブ・オブ・マリア)の能力でティキがアレンたちを視認できない中、少年二人は無力さを痛感する。

 

 その間のこと。マリティムの隣にいたリナリーの耳に、かすかな声が聞こえた。

 

「誰? ……あ!」

 

 声のする場所は、巨大なティムの中からだ。

 

 マリアが、マリアが生きている────! 

 リナリーはその声を聞こうとティムにぴったりと頬をつける。

 

 

「………al……sem」

 

 

 それは、何か歌のようなものだ。途切れ途切れであるが、やはり聞こえる。

 不思議とその声を聞く少女の心が穏やかになっていく。

 

 気づけばリナリーもその歌を口ずさんでいた。どこかで聞いたことのあるメロディー。

 いったいどこで耳にしたのかと彼女は考えて、ふと教団の礼拝堂が脳裏によぎる。

 

 仲間の死を受け、泣いていた幼き日のリナリー・リー。

 そんな少女が顔を上げた時、マリア像を模した白い彫刻と目が合った。

 

 

「…ぁ」

 

 そして、気付いてしまった。その、歌の意味を。

 

 

(何で…!? マリアは神を嫌っていたはずなのに…!)

 

 

 口ずさまれていた曲は、聖母マリアを称える賛歌(イムヌス)──────『アヴェ・マリス・ステラ』。

 

 

 

 マリアはずっと、その曲を歌い続けていた。

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 マリアは夢を見た。

 

「……?」

 

 草木の感覚。そこで彼女は倒れていた。

 

「ここは…どこ?」

 

 天国か、それとも地獄か。

 

 立ち上がった女は、果てしなく続く草木をかき分ける。

 ずっと歩き続け、いつのまにか昇っていた陽も傾き、夕暮れ時を迎える。

 

 青々しく茂っていた草木は、いつのまにか小麦畑に変化していた。

 

「ねぇ、誰もいないの? たとえば「ロ」から始まる三文字のかわいい女の子とか?」

 

 どうせロードに見せられているものだろう──と疑ってやまなかったマリアだが、どうにも今回は違うらしい。

「大好きやでー! ロードちゃーん!!」と夕陽に向かって叫んでも、まったく現れないのだ。

 

「……恥ずかし。一人で何やってんだろ…」

 

 

 仕方なく、マリアは疲れた身体を休めようと、目に入った一本の木に腰掛けた。

 

 ここに訪れてから、言い知れぬ不安に心がずっとざわついている。

 一度落ち着こうと顔を上げた時、ついと、視界の美しさに目を奪われた。

 

 

 風に煽られて、きらきらと輝く麦の黄金色。

 

 ただそれだけの光景に、世界中の美しさが詰まっているような気がする。

 

 

「…まぁいいか、ここがどこでも。みんなは神父様がいるから大丈夫だろうし、方舟からの脱出も………神父様がいるから大丈夫!」

 

 クロスへの信頼がやけに高い女である。

 

 風が吹き込んで、長い髪をさらう。

 

 ふわぁ、とマリアは大きな欠伸をこぼした。

 

「?」

 

 しかし誰かの気配がして瞳を開けると、少し先のところで幼い少年が立っていた。

 ハネ気味の黒髪が少年の動きに合わせて揺れる。

 

 小麦畑から頭だけひょっこりとのぞく光景に、思わず彼女は吹き出した。

 

「ふ、ふふっ……ふふふ! 葉っぱまみれじゃない、あなた……!」

 

『べ、別にっ…マリアが寝てるところを、脅かしてやろうとしてたわけじゃねぇーし!』

 

「ふーん…?」

 

 なぜ彼女と初めて会ったばかりの子供が名前を知っているのか。

 

 まぁ、深く考えても意味はないだろう。ここは所詮、夢の中だ。

 

 小麦の中にいた少年は、マリアの手を引っ張ってどこかに導くように歩く。

 その小さな手は力いっぱい握られていて、彼女が迷わないように一生懸命になっているらしい。

 

『ほら、うちに帰るぞ! みんながまた()()()()()()()()って、うるせぇんだから』

 

「私ボケてないけど?」

 

『はいはい。ボケてない奴がボケてるって言うのは、結局ボケてるってことなんだよ』

 

 呆れた顔で言う少年の顔が、何ともまた人を煽るのに特化したような表情で、ヒクッ、とマリアの口が引きつる。

 なんて、なんて生意気なガキなんだろう。

 

 

「……あのさぁ、どこ行くの?」

 

『…はぁ。だーかーらぁ! オレの家で、お前が働く家に帰んだよ!! そんでオレはお前の主人、わかった? どぅーゆーあんだすたんどぅ?』

 

「何だテメェこのクソガキ」

 

 イラッ…の許容量を超えた女の口から、するすると暴言が出る。

 それに少年がきょとんとしたところで、マリアは口を押さえた。さすがに言い過ぎたかもしれない。相手はまだ幼児から脱したばかりのような少年なのに。

 

 しかして少年の口から出たのは、意外な言葉で。

 

 

『…やっぱあんた、()()()なのか?』

 

「だから、ボケてないって言ってるでしょ?」

 

『……』

 

 手を離して女の顔をじっと見ていた少年は、今度いきなり駆け出す。

「え!?」と声を上げたマリアは、慌ててその後を追った。その家とやらに一緒に帰るはずではなかったのか? 

 

「………いなく、なっちゃった」

 

 彼女は黄金色の世界で、ポツンと佇んでいる。どこにもハネ気味の黒髪が見当たらない。

 

「…はぁ」

 

 ひとまずマリアはまっすぐに歩くことにした。少年もずっとまっすぐに向かっていたからだ。

 

 それから夜が来て朝が過ぎ、昼になっても、少年の家に着く気配はない。

 

 夢の中だからだろうか。次第に疲弊という概念がなくなり、ただただ歩く作業が続く。

 そして着いたのは、一度見た木の下だった。

 

「どうなってんの…?」

 

 一気に疲れが押し寄せる。ふらついた彼女は木の根に腰を下ろした。

 

 今は夕方で、地平線が真っ赤に染まっている。

 

 そうしてぼんやりと景色を眺めていれば、茂みから音がした。流れ的にあの子供だろう。

 

「ねぇ、人を置いてどこに行っ……」

 

 そこにいたのは少年ではなく、背の高い青年である。

 その顔は既視感のあるもので。黒い瞳が驚愕の色に染まる。

 

「ティキ、ミック……!?」

 

 イノセンスを──と、彼女は肋に手を伸ばしたが、なぜか発動しない。というより、元からなかったような感覚さえある。

 

 男がいつの間にか、数歩先まで迫っている。

 

 

『マリア』

 

 

 青年はティキのように気怠げな笑みではなく、ニヤッ、という感じで笑う。

 よくよく見れば、あの男よりもいくらか若い見目をしている。身長もマリアが少し見上げる程度だ。

 

「本当なんなのよ、この夢…」

 

『そう言うなよ。この夢は所詮、お前の記憶を元にできてるツギハギの夢なんだから』

 

「ハァ…? 何意味がわからないこと言ってんだか……。この黄金色の小麦畑だって、あの生意気な少年だって、見たことないはずだもの」

 

『あぁ、そのガキってオレだよ』

 

「……んん?」

 

 あの少年が、このティキ・ミックにそっくりな青年? 

 いや、確かに面影がある。

 

「え、何……? っていうことはだよ。私は幼少期のティキ・ミックを想像するほど入れ込んでいるっていうこと…? えぇ……? ない、ないない、あり得ない!」

 

『……そこまで否定しなくてもいいんじゃないか?』

 

「無理! イケメンなのは認めるけど、生理的にダメなのッ!! 空気を読んでみんながいた時には言わなかったけど!!」

 

『ハハ………』

 

 そもそも恋愛をしたことのないマリアだ。

 

 子供の頃に一番身近だったのは人間失格なクロス・マリアンという男であるし、それに次いで接触する機会が多かったのは千年伯爵だ。これでどうやって恋愛をしろというのか。無理だろう。

 

 いやまぁ本音を言えば、飲んだくれの男に憧憬なのかちょいと分かりにくい感情は抱いている。でも、それが恋かと言われれば、「ゔ〜ん……」という感じだ。

 

 そんな一人問答を始めてしまった女のすぐ目の前に、青年が迫った。

 彼女が気づいた時には、至近距離に男の顔がある。そう、生理的に無理な顔が。思わず顔をしかめた。

 

 

『なぁ、知ってるか? あんたの瞳って、血を見すぎたから赤くなったんだぜ?』

 

「んなこと知らないわよ。つーか早く私の夢の中から消えなさい」

 

『おうおう、冷たい奴だな』

 

 男は至極楽しそうに笑う。

 その表情があまりにもイキイキとしていて、リアルで。夢のはずなのに、まるで現実のようだ。

 

『夢で起きたことなんてのはぁ…嘘っぱちのもんだ。でも、()()()()()()()()()()()()()でもある』

 

「ゆりかご?」

 

『覚えとけよ、この夢はロードのものじゃない。マリア自身の夢────つまり、()()()()()を映すゆりかご。マリアが体験する一つ一つの記憶を元にできている』

 

「……!!」

 

 

 マリアが、()()()を見る。

 わたしは微笑む。大剣を握る。そしてその胸に突き刺す。

 

 

『何が真実で、何が嘘か。とても難しい問題ね。今、ティキ(ジョイド)と瓜二つのわたしがマリアを殺すのも、マリアの記憶を元にした本当かもしれない。でももしかしたら、誰かに作られた嘘かもしれない』

 

「い、あ、ぁ」

 

『今、痛いのも嘘かもしれない。本当かもしれない。嘘か真なの? 真が嘘なの?』

 

 わたしの姿が変わる。マリアが顔を青くする。悲鳴が上がる。

 

「アレン、く……?」

 

『アレンにマリアは殺されるのかもしれない。いえ、殺されたのかもしれない』

 

「……っ、()()は、何が言いたいんだよッ!!」

 

 わたしの言葉を遮る。マリアが絶叫する。

 

 怒りと悲痛に満ちた目。それがわたしを見つめる。

 

 ────アレンを、()を見つめる。

 

『矛盾だらけのこの世界で、マリアさんの進む先を僕は見てみたいです』

 

「アレンくんの顔で! 声でッ! 喋るな!!」

 

 僕を見て激昂するマリア。

 僕は笑って、マリアの頰に触れる。

 

 

 

 

 

『戦いなさい、マリア

 

 守りなさい、マリア。

 

 苦しみの中で生きて悩みそうして、この聖戦を終わらせなさい。

 

 それがマリア。それがわたし』

 

 

 

 ()の言葉を聞くと同時に、マリアは力を無くしたように倒れこんだ。

 

 あぁ、可哀想なマリア。滑稽なマリア。「堕罪」を持つ、愚かな女。

 

 


 

【ファミリー】

 

 ある時のリナリーとの会話。

 

「リナリーちゃんはいいなぁ、シスコンがとんでもないけど、優しいお兄ちゃんがいて」

 

「あ、アハハ、シスコン……。えぇ、まぁ、兄さんのああいう所が嫌いだけど、それでもやっぱり私を想っての行動だから、どうしても許しちゃうのよね。コムリン事件の時はちょっと………やり過ぎだと思ったけど…」

 

「コムリン事件? ……あぁ、室長の作った機械が暴走したやつね」

 

「アレンくんにはすごく迷惑をかけちゃったわ…」

 

 コーヒーを科学班に淹れに行くリナリーの隣について行くマリアは、彼女の感情豊かな表情を見ていた。

 しかしふいに立ち止まり、ポツリと呟く。

 

「…家族、かぁ」

 

 彼女にとっての家族。

 

 それはかつて教会にいた子供たちやシスターだったり、或いは短い間でも愛情をくれたバーバやマザー、或いは教団の皆なのかもしれない。

 

 でも、それが違うと思ってしまう自分が、不思議でならない。

 

 

 家族。家族。家族の感覚が、マリアにはどうにも掴めない。

 

 ただ今は教団を「家族」とし、幸せそうに笑うリナリーが、この時ばかりは少し恨めしく思えた。



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ドレミファソラ ド

欠けてるものは?


 ⚪︎⚫︎⚪︎

 

 ファインダーだった頃は、昼夜関係なく忙しなく働いていた。

 

 移動中も資料を読み込んだり、現地の情報を頭に叩き込んだりと、眠る時間も少なかった。

 

 けれど私にはそれくらいしかできなかった。イノセンスが使えなくなっていたから。

 

 守れない。

 私は所詮、エクソシストの同行人。

 

 でもそれが嫌だったというわけでもない。

 むしろ共にエクソシストを支え、戦場に赴くのが生きがいだった。

 

 

 ────戦いなさい、マリア。

 

 

 そう、だから戦う。

 

 守ることが、私の存在意義。

 

 守れずに自分を見失えば、気が()れてしまいそうで恐ろしい。

 

 とうの昔に聖戦の道具に定められてしまった私の運命。

 逃れられないなら、進むしかないでしょう? 

 

 私はエクソシスト。

 AKUMAを破壊し、伯爵を倒し、人類を救済する。

 

 

 

 けれどどうしてそこまで考えた時、胸が張り裂けそうなほど苦しいのだろう。

 

 私の感情がわからない。アレンくんの格好をしたアイツの考えがわからない。

 自分がわからない。

 

「マリア」は何者なんだろう。

 

 私はいったい何なんだろう。

 

 私はどうして生きているのだろう? 

 

 

「あっ、あ、かはっ……!」

 

 

 私はいつまで、アレンくんに殺され続けるんだろう? 

 

 

「だれかっ…」

 

 

 どうしてアレンくんが私を殺すの? 

 

 

「たすけ」

 

 

 私があなたにいったい何をしたというの? 

 

 

「たすけ、て」

 

 

 誰か、誰か。

 

 

 

 

 

 パチンと、音が鳴った。

 

 アレンくんが──いや、違う。アイツが笑っている。

 

 

『知っていますか、マリアさん? 人間は眠っている間、短い夢を何回も見ているんですよ。でも覚えているのは眠りの浅い時に見るものだけ。一つだけしか夢の物語を覚えていられないのは、残念ですよね』

 

 暗闇にいるのは私とアイツだけ。

 夢が終わったのに、また夢が始まる。

 

『あははっ……! 今神は必死だ! 僕にマリアさんを取られたくないッ!! 聖母に捧げる歌なんて、なんて穢らわしくて気色悪いんだろう! アリアが聞く側ならばともかく、歌わせるなんて!! ははっ………あはははは!!!』

 

 アレンくんの声で、でも浮かべる笑顔はアレンくんじゃない。

 コイツは何を言っているのだろう。

 

 コイツが本当に私だっていうの? 私がこんなに狂っているっていうの? 

 

『狂ってる? 大丈夫、マリアさんは普通ですよ。だってマリアさんはただの人間でしかないんですから』

 

 そう言ってアイツは剣を取り出して、私の胸に突き刺した。

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚫︎

 

『自分が分からない。その考え、僕もよく分かります。僕ももう自分が分かりませんから』

 

 また夢だ。

 

『マリアさんの気持ち、よぉく分かりますよ。「分からない」っていう気持ちがよく分かる。だって僕はマリアさんで、マリアさんは僕だ』

 

 真っ黒いだけの空間に転がっている私に、這いつくばる奴が近づく。

 鼻と鼻が触れ合うまでに距離が迫る。

 

 相手の息遣いを感じられることが、おぞましい。

 

『マリアさん。どうして今苦しいか、分かりますか?』

 

 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

 

『ふふふ』

 

 笑ってアイツは、私を刺す。

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚫︎⚫︎

 

 また夢。何度も何度も。

 

『マリアさん、苦しいですか? マリアさんが苦しいなら僕も苦しい。だって僕はマリアさんで、マリアさんは僕だから』

 

 私はいつまで刺されて、殺され続けるんだろう。

 

『苦しいですねぇ。でも仕方ありませんよ。マリアさんは苦しんで苦しんで、苦しみ抜かないといけないんですから』

 

 もうたくさん、苦しんだのに。

 

『ふふふ』

 

 また────、

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚪︎

 

 夢。もう、いやだ。

 今度目を開けた時、アイツは一番私が見たくない姿になっていた。

 

 違う。あの子の世界じゃないのに、何で、何でその姿で。

 

 

『ねぇマリア、マリアはどうして苦しいの?』

 

 見慣れたハネ気味の髪を視界に入れた瞬間、目を固くつむった。

 

『マリアはどうして苦しいの? ボクがマリアに次期ブックマンと戦わせたから、嫌いになっちゃった?』

 

 やめて。

 

 けれど小さな手が私の髪を優しく、ゆっくりと撫でる。

 寂しそうな声で甘く囁く。

 

『それとも、ブックマンと戦った時、心がボロボロになったから?』

 

 だまれ。

 

『本当に痛かったのは、心だけ?』

 

 耐えきれなくなって、目を開けた。

 

 視界に移ったのは、アレンくんの剣を持ったロ

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚪︎⚫︎

 

『夢。夢、夢。気が狂いそうだね、マリア』

 

 

『ボクは神が憎いんだ。エクソシストもイノセンスも人間も何もかも、全部壊れてしまえばいい。ボクが大事なのは家族だけ。愛するのは家族だけ。ボクのノアとしての本能がそうさせる』

 

 

『でも悲しいなぁ。ボクの気持ち、今のマリアには伝わらない。ボクはマリアで、マリアはボクなのに』

 

 

『ねぇマリア、ボクを受け入れてよ。ボクを愛してよ、ボクを求めてよ』

 

 

 無言の私に、アイツは剣を突き立てる。

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 目覚めたらリナリーに刺された。

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 目覚めたらラビに刺された。

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 目覚めたら神田に刺された。

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 目覚めたらミランダに刺された。

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 目覚めたら、目覚めたら目覚めたら────、

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 

 

 

『ボクはね、聖戦を終わらせたいんだ。だからマリアに戦って欲しい。そうして、全てを終わらせて欲しい』

 

 声が聞こえる。だれの声? 

 

『苦しいんでしょ? エクソシストとしてボクと戦うことが、死ぬほど、死んでしまうほど嫌なんだ。でも仲間を、みんなを守りたい。そのために敵は殺さなきゃならない』

 

 うん。

 

『苦しみから解放されたい? この悪夢から逃れたい?』

 

 うん。

 

『じゃあボクを受け入れるだけでいい。そうすれば、マリアはラクになれるよ』

 

 死ねばいい、おまえなんて。

 

『ふふ、だぁいすきだよぉ、マリア』

 

 

 

 何度も何度も何度も、子供が癇癪を起こして物に当たるように、何度も刺される。

 微笑んで、アイツが私を刺す。

 

 

 もう、耐えられない。

 

 

 

 もう────(マリア)はダメだ。

 

 

 

 

 

「たすけて、かみさま」

 

 

 

 

 

 瞬間、強制的に暗闇の世界は途切れ、アイツは闇と交わるように消えた。

 眩い光に包まれて、私の意識は遠のいていった。

 

 

 

 

 

 *****

 

 崩れゆく方舟。

 

 その崩壊はティキ・ミックとクロスの戦闘でさらに加速した。

 勝者は元帥だった。

 

 しかし床が崩落し、ラビとチャオジーはアレンの伸ばした手も届かず、闇の中に消えていった。

 

「ラビッ…チャオジー!!」

 

 床に額をつけ、喉奥から発せられる少年の絶望の声。

 

 マリティムの側にいたリナリーは、ティムの尻尾に絡みとられて無事だった。

 

 落下していくラビたちを見ていた少女の体は小さく震えている。ティムはまるで慰めるように、尻尾の先でポンポンとその頭を叩いた。

 

「てぃ、む……」

 

 それでも少女の涙は止まりそうにない。

 

 

 そんな時、悪魔の声が響いた。

 

 

「ンフフ♡」

 

 

 アレンは目をかっ開き、声の方を見つめる。

 

 そこには生死不明の男を軽々と抱える、ウサギの耳が特徴な────千年伯爵の姿があった。

 その前にはクロスが相対している。

 

 しかし今のアレンに映るのは伯爵の姿だけ。激しい怒りが少年の内を支配する。

 

「伯、爵ゥ────!!!」

 

 大剣を握りしめ、激昂したアレンは高く跳躍した。

 無理に動いた反動で傷口からは大量の血が吹き出す。

 

「よくも…! よくも僕の仲間をッ!!」

 

「ホッホッホ!」

 

 伯爵もまた剣で応酬する。

 

 ぶつかり合うのは形が酷似する二つの武器。

 アレンの神ノ道化(クラウン・クラウン)と、伯爵の大剣。

 

「我輩の剣…!?」

 

 少年の武器を見た瞬間驚愕に染まった瞳はしかして、すぐに弧を描く。

 

 憎悪に囚われた銀褐色の目。

 それが愉快で、笑いながら伯爵は押しきり、アレンの体を吹き飛ばした。

 

「ッ……! 待て、伯爵!!」

 

「待ちませんヨ♡」

 

 千年公は崩落する瓦礫を身軽な身のこなしで跳ね、どんどん降下する。

 

 アレンは追いかけようとしたが、床に縫いとめられたように動けない。聖母ノ棺(グレイブ・オブ・マリア)により体の自由を奪われたのである。

 

「師匠ぉ!!」

 

 なぜなぜなぜッ! なぜ止めるのか────!! 

 

 咎めるどころかその憎悪をぶつけかねない少年はそこで、息を飲む。クロスの赤い瞳は凍てつく氷のようで、アレンの心臓が縮み上がった。

 

「憎しみで伯爵と戦うな、バカ弟子」

 

「っ…」

 

 ガラガラと崩落の音ばかりが、あたりに響き渡る。うさぎ耳の男の姿はすでに遠くへと行ってしまった。

 

 

 “Ave, Maris stella Déi mater alma────”

 

 

「…!? 何だコレ……歌?」

 

 その時アレンの耳に、この場にはいささか相応しくない音が入った。

 

 不思議な声だ。高く透明で澄んでいる印象を受けるが、その歌う主の性別がイメージできない。男のような気もするし、女のような気もする。あるいは子供のようにも、老人のようにも思える。

 

 英語ではないらしく、歌の意味は分からなかった。

 

 

(あぁ、確かこの曲は……マナと旅をしていた時に一度、聞いたことがある…)

 

 義父の男と立ち寄った教会で、アレンとそう歳の変わらぬ子供たちがシスターの指揮に合わせ、歌っていた。

 

 義父の男はその歌を目を細めて聴き入っていて、少年にはそれが不思議に思えたのだ。何せマナという男は、過去の記憶がなかったから。

 

 ある日目覚めたら、突然青年から中年へと変わっていたらしい。

 

 そんな不思議な男とサーカスの雑用をしていた“名無し”の少年が出会って、そして────いくつかの悲劇の末に、“名無し”の少年は自分を「アレン」と名乗り、男と旅を始めた。

 

 少年が壊してしまった、その男とともに。

 

(……マナ)

 

 一瞬過去の辛い記憶がよぎったアレンは顔を歪めた。

 

 その苦痛も奇妙なことに、歌を聞いているうちに和らぎ、穏やかな気持ちになっていく。

 さながらぬるま湯に浸かって、体が疲労から解放されていく感覚と似ている。

 

 ほぉ、と息を吐いた少年はそこで気づく。体が──動くようになっている。

 

「師匠が聖母ノ棺(グレイブ・オブ・マリア)の力を解いたのか…?」

 

 当の男はこれでもかというほど眉間に皺を寄せている。

 

 首を傾げたアレンはついで、リナリーの方を見た。少女は真っ青な顔でマリティムを見つめている。

 

 歌は、その巨大なティムの中から聞こえている。

 

「マリアさんのティムにはそんな機能が? しかも……何か、光り輝き始めたぞ…!?」

 

 発光機能は夜に便利そうだなぁ…と、ズレたことを借金少年が思っている中。マリティムが口を不自然に動かした。

 若干その顔は気持ち悪そうで、グルルゥと、うなり声が聞こえる。

 

 

 もごもご──────ぺっ!! 

 

 

 そうして吐き出されたのは、マリア……の、はずだった。

 

 

「赤黒い……にん、げん?」

 

 

 先ほどまで感じなかったイノセンスの気配が、赤黒い人間が出現した瞬間に現れた。

 そこから比較的距離のある少年の肌がピリついて、その気配の濃さに思わず口元を押さえる。

 

(これは……執着? あれはマリアさんのイノセンスのはずだ。何だこれ、何だこれ……っ、気持ち悪い…!!)

 

 床に落ちたマリア──と思しき物体は、赤子のように地面を這う。

 

 そいつには目も鼻もない。ただ、人間の形をしているだけである。

 

 赤黒い色は血のようで、風が水面を撫でる時のように全体がうぞうぞと蠢く。

 時折置き去りにされる血液の一部も、すぐに本体にひっついて形を成していた。

 

 

 “Solve vincla reis

 Profer lumen caecis────、

 

 

(あぁそうか、わかった。これは…この感情の出どころは、嫌悪だ)

 

 AKUMAの魂を見た時でもこうはならない。

 イノセンスだというのに、ここまで拒絶感を少年に抱かせる。

 

「まるでマリアさんが死んでも、絶対に離さないと言ってるようじゃないか……!」

 

 おそらくマリア本人に意識はない。イノセンスが適合者を動かしている。

 

 赤黒いそいつが向かっている先は伯爵がいる場所だ。

 這う這うだったその体はいつの間にか立ち上がり、ふらつきながら歩いている。

 

 考えられるのは、スーマン・ダークのような咎落ちか。はたまた。

 

 

(マリアさんが生きていたとして、あの状態で発動できるわけがない。けれどスーマンのように、彼女がイノセンスを裏切ったわけじゃない。だったら考えられる可能性は────、

 

 ────イノセンス自身の、暴走)

 

 

 例に挙げるなら、ミランダとそのイノセンスの件である。

 

 ミランダの無意識に祈った「明日が来なければ」という意思に従い、イノセンスはある一定の日を繰り返していた。

 

 エクソシストが強く想うほど、イノセンスも適合者に応え強くなる。

 

「守りたい」と、そういつも語っていたマリア。その心にイノセンスが反応したと考えるのが自然だ。

 

 しかし様子から見るに、とてもではないがマリアに意識があるとは思えない。

 

 

(このままだと本当に彼女が危ない。下手をすればスーマンのように…)

 

 アレンは彼女の元へ向かおうとした瞬間、視界から赤い物体が消えた。

 

「えっ」

 

 いや、消えたのではない。

 目が良いアレンにさえ視認できないほどの速さで移動したのだ。

 

「師匠!! イノセンスでマリアさんの動きを止めてください!!」

 

「………」

 

 苦虫でも噛み潰したように、クロスはアレンを睨みつける。

 先ほどの群雄割拠な勢いは……否、傍若無人な勢いはどこへ行ったというのか。

 

「このバカ師! 何で聖母ノ棺(マリア)を使わないんですかッ!?」

 

「お前が行け」

 

「ハァ!?」

 

「だからお前が行けと言っとるだろうが!」

 

「何で…………あ」

 

 そしてようやく、アレンは胸につっかえていた違和感の正体に気づく。

 

 なぜクロスが聖母ノ棺(グレイブ・オブ・マリア)を使わないのか。

 そしてなぜ、その力によって拘束されていた少年の肢体が動いたのか。

 

 彼が動けるようになったのは、()()()()()()()()だ。

 

 

使()()()()んじゃない! あの声のせいで、使()()()()んだ!!)

 

 

 アレンの身体が動けるようになったのは、クロスが聖母ノ棺(グレイブ・オブ・マリア)を解いたからではない。

 赤い物体が発する歌によって、発動を阻害されていたのだ。

 

 クロスは装備型。

 ここで動けるのは、寄生型で規格外の身体能力を持ったアレンのみ。

 

(……! この感覚は…イノセンスとの共鳴(シンクロ)率が下がっている…?)

 

 そこではたと彼は考える。彼が感じたあの赤黒い物体への嫌悪感に近いものを、自分のイノセンスも感じているのではないか──と。

 

 もしそうなら、マリアのイノセンスは相当厄介なものに違いない。

 

 

「…っ、間に合え…!」

 

 アレンはイノセンスをまとい、最大限の力で地面を蹴やった。

 

 

 

 

 

 一方で伯爵は、華麗なステップで下の扉に向かう。

 そこに光の速さで飛んできたのは、今か今かと主人の伯爵を待っていたレロだ。

 

「伯爵タマァァァァ!!! やっと来てくれたレロォォォ!!!」

 

「さァ、早く新しいお家に帰りまショウ♡」

 

 扉に手をかけた伯爵の耳が、ぴょこん、と動く。

 歌が聞こえる。それも、聖母を讃える歌が。

 

 その歌はかつて、愚かな少女がAKUMAとなった女に鎮魂歌として弾いていた曲である。

 

 賛歌を鎮魂歌として弾くなどなんと滑稽なのだろうかと、当時の伯爵は思った。

 

 

 確か神を嫌っていた子供はイノセンスを壊されながらも生き残り、ファインダーとなったはずだ。

 

 せっせと編み物に励んでいた千年公の隣で、時折であるが、ロードが楽しそうに口にしていたのを覚えている。

 

 ロードの話を伯爵自身も微笑ましく聞いていた。

 件の少女は今、どうなっているのだろう。

 

 最近はロードが小難しい顔をすることが増え、めっきりと話題に上がらなくなった。だからどこかでのたれ死んだのかもしれない。

 

 もしそうなら少し、寂しい気もする。

 

 

 ────なぜただの人間に心を揺さぶられるのか、伯爵は気付いていない。

 

 気付いていて、気付かないフリをしている。

 或いは伯爵の無意識が起因しているのかもしれない。

 

 

 

 賛歌と共に急接近する物体に、伯爵は愉しそうに笑う。

 レロは悲鳴を上げながら、巨体の後ろに隠れた。

 

「ば、バケモノレロォォ!!」

 

「最後にとんだ悪魔ガ出ましたネェ♡」

 

 伯爵は大剣を取り出し、目前にまで迫ったところを両断する。

 だが血液のようなものはその刀身が当たる寸前に割れ、中から黄金の剣が飛び出る。

 

 その剣は、かつて伯爵が破壊したはずのイノセンスだ。

 高い音を立てて行われる鍔迫り合いは長くは続かず、黄金の剣が宙を舞う。

 

 

「お久しぶりですネェ、お嬢サン♡」

 

 

 分裂した赤い液体から、血まみれの人間の顔がのぞいた。

 

 髪も顔も、シャツもコートも、破けた服の下の肌も。至るところが赤い。精気はなく、きれいな闇色だったはずの瞳が、紅く淀んだ色を宿していた。そこからつうと、血の涙がこぼれる。

 

「嬉しそうデスネェ♡」

 

「………」

 

 マリアは、微笑んでいる。

 

 

 液体から成るイノセンスは、のろまな動きで女の肢体を飲み込む。まるで何かを隠すように。

 しかしそのおぞましいまでの執着の下にある本当にわずかな気配に、伯爵は気づいた。

 

 神ノ剣(グングニル)はひとりでに動く。液体によって作り上げられた赤い右手が、大剣を握りしめた。

 

 そんなイノセンスの行動を無駄な悪あがきとしかとらえぬ伯爵は、微笑み返して、マリアに手を伸ばす。

 

 

「ンフフ! そういうことだったんですネェ…フフフフ♡」

 

 

 かつて舞踏会の帰り、気まぐれに花売りの子供から買った赤いカーネーション。

 

 馬車を使って屋敷へ帰らなかったのも、少し風に当たりたかったからに過ぎない。

 流れゆくのどかな人間をぼんやりと視界に入れて、足の赴くままに歩いた。

 

 すべてが偶然でしかなかった。

 

 

 けれども偶然で片づけるには、黒い瞳の少女との出会いは、余りにもドラマチックだろう。

 

 例えるならば、そう。

 

 

「出会うべくして出会った、運命(ディスティニー)というワケですカ♡」

 

 

 なぜ少女に感情を揺れ動かされるのか、伯爵は理解した。

 

 なぜノアの中でもダントツで人間を嫌うロードが、マリアに執着していたのか。

 恐らくは彼女と相対したノア(子供たち)のほぼ全てが、何かを感じたに違いない。

 

 

「神に愛されながら、神を嫌うAgnus Dei(神の子羊)。運命を呪う貴女に、我輩ハ救いの手を差し伸べまショウ♡愚かにも我輩に盾突きながら、主人を守り通せぬ神の道具など、いくらでも壊しテさしあげマス♡」

 

 

 さぁ、おいでなさイ。

 そう言い、伯爵は手を差し伸べる。

 

 女の瞳には相変わらず精気が戻らない。

 しかし左手がゆっくりと動く。

 

 赤黒い液体は激しく脈打ち、大音量の賛歌が鳴り響く。

 

 

「マリアさん!!!」

 

 

 血にまみれた手と、白い革手袋に覆われた手が触れ合おうとした時、アレンの道化の帯(クラウンベルト)がマリアの左手を絡め取り、頭上に引っ張った。

 

 女の後方から接近した少年が見たのは、まるで伯爵が仲間を手に掛けようとしているような光景だった。

 

「ぬっ……うぅぅ!」

 

 生白い腕を掴んだアレンは、液体に手を突っ込み、女の胴体を引きずり出す。

 

 その全身が液体から出た瞬間、ぱしゃんと崩れたそれは、マリアの傷口から体内へ戻っていった。

 同時に聞こえていた歌も、嘘のように消えた。

 

「伯爵、僕は絶対に、お前を許さないッ…!」

 

「ホッホッホ!」

 

 伯爵は地面を蹴り、そのまるまるボディーからは信じられないスピードでアレンと距離を詰める。

 

「は、はっ、伯爵タマ〜〜!! 急いでほしいレロォ──!!」

 

 扉の前で捨てれているティキの隣にいる傘が、冷や汗をかきながら叫ぶ。

 

 

「……!!」

 

 伯爵の視界に映っていたはずの二人の姿が、消えた。直後、数発の銃声が響く。

 

 空を切るのは、獲物を仕留めるまで追い続ける弾丸の雨である。

 

 伯爵は剣でいなしながら後退するが、弾いても弾丸はまた空中を飛んで向かってくる。

 

「ホホッ…!?」

 

 その巨体が、ふいに浮遊感に包まれた。伯爵の眼前に、用意していた扉が映る。すぐに出られるよう開けっぱなしにしておいたのが仇となった。伯爵の体がそのまま中の暗闇に飲み込まれていく。

 

「伯爵タマァ〜〜!!」

 

 レロが慌てて持ち手(ハンドル)の部分をティキの服にひっかけ、閉じ行く扉の中に滑り込む。

 

 誘導されていたのだ、と気づいた時にはすでに遅し。

 

 伯爵のはるか頭上で見えたのは、クロスのいやーな笑みであった。

 

 

「失せろ、デブ」

 

 

 扉が閉まる直前、千年公から身の毛もよだつ殺気が漏れ出た。



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いせいさ

戻って。戻った先にあるものは。


 マリアを抱えて戻ったアレンに待っていたのはクロスの蹴りだった。背中に一発派手なのを食らう。

 その衝撃で少年の腕からマリアの肢体が落ちる。

 

「ガァァ!」

 

 宙を舞う女を待ってましたと言わんばかりに、マリティムがまた飲み込んだ。

 

「なっ、な……何しやがるんですか、師匠!」

 

「ピーピー騒ぐな、蹴りの一つくらいで」

 

「女性を抱えてたんですから、もうちょっと考えてくださいよッ! まったく……」

 

 怒る少年に、クロスはどこ吹く風だ。

 

「いいか、事は急を要する。最後の転送場所であるAKUMAの魔導式ボディーの生成工場(プラント)が消える前に、伯爵から奪い返すぞ」

 

「……何ですって? 魔導式ボディーの生成工場(プラント)?」

 

 ふとアレンが思い出したのは、クロスが請け負っていた任務のことだ。

 方舟に侵入し、その生成工場を破壊することが仕事だった。

 

「きちんと働いてたんですか……」

 

「ア゛?」

 

「いえ、何でもないです」

 

 彼らはその後、アレティムが開いた扉によって生成工場(プラント)へ移動した。

 

 辺りには「生成工場(プラント)の番人」と呼ばれるスカルの死体が無数に転がっている。

 残る銃痕が犯人を示す。

 

 クロスはスカルの死体を踏みつぶしながら、部屋の中央にある卵型の物体に近づく。

 

「これが謂わば核だ。AKUMAのボディーを造る源。こいつの転送後に方舟は消滅する」

 

 不安定な足場を乗り越え、アレンも卵に近づいた。

 

 一方でリナリーはマリティムに運ばれている。時折視線をその口に向け、心配そうに見つめていた。

 

 

「これを奪うって言っても、いったいどうやって奪うんですか?」

 

「お前だ」

 

「……はい?」

 

「お前がやるんだ、アレン」

 

「そうですか。僕がやる────って、ハァ!?」

 

 言っている意味が分からない。魔導に特化したクロスならばともかく、アレンはただのエクソシストだ。

 不思議な呪文を唱え、これまた不思議な現象を起こす力はない。

 

 だというのに、アレンが生成工場(プラント)を奪う? 

 

「…本当に、仰っている意味がわからないんですけど……」

 

「お前にしか出来ないんだ。俺は術で時間を稼ぐ」

 

「だから、本当にッ……!」

 

 弟子の言葉を無視して、クロスが術らしき言葉を唱える。

 それと同時に赤髪の上にいたアレンのティムが動き、開いた空間の中に少年とともに飛び込んだ。

 

 

「師っ、しょ──」

 

 

 そして白い部屋に落とされた少年を待っていたのは、一つのピアノ。

 

 それと。

 

 

『ア レン』

 

 

 鏡に映る、コートを身にまとった黒い影だった。

 

 “それ”は驚嘆するアレンに、ニィと、不気味に口角を上げる。

 

『ココハ誰モ知ラナイ、『14番目』ノ秘密部屋』

 

 アレンは息を飲んで、黒い影を見つめた。

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 歌が。

 

 ピアノの音と共に、歌が聞こえる。

 

 

 閉じていた目を開けると、夕焼けが広がっている。

 紅く彩られた黄金の麦畑が揺らめいて。

 風の音が遠くで聞こえた。

 

 私の側には、夢の中で見た大木がある。

 そこに寄りかかって、私は眠っていたらしい。

 

「………」

 

 立ち上がった時、下から呻き声が聞こえた。

 

『ふ、ふふ、ふふふ』

 

 神ノ剣(グングニル)で腹を刺され、地面に縫い止められている奴がいる。相変わらず笑っている。何がそんなに面白いのだろう。

 

 今はミイラの姿で、黒い血を地面に流している。赤ではないのがまた穢れた色のようで、気持ち悪い。

 

 でも紅い瞳は美しくて、穢れなんて嘘のような色なんだ。

 

 

『バカだなァ? 苦しむのはマリアなのに。あのまま伯爵の手を取ればよかったのに』

 

「…私は、エクソシストだ」

 

『違う。マリアは堕罪を持った女』

 

「────私はこの道を進むって、決めたんだ」

 

『アァア、折角手を伸ばしてあげたのに。()()()、アイツが邪魔をするから。アイツがジャマをしたせいで。ア、アァ、アアァ、アァアア、アハハハハハッ!!』

 

 ミイラはとち狂ったように笑い、四肢を暴れさせる。バタバタと動く手足は地面を殴り、ボキッ、と嫌な音を立てる。力の加減を忘れ去ったように、何度も何度も、何度もその音が続く。

 

 そもそも“アイツ”って誰なんだろう。

 

『殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる』

 

 しまいには首が折れて、奴は動かなくなった。ふふ、と気味の悪い声だけは依然と聞こえる。

 

 

『マリアは痛みの中で戦う。マリア、マリア、愚かなマリア』

 

 

『聖戦が終わるまで、苦しみ続けるでしょう。今が地獄というのなら、その「今」が天国のようだと思えるくらい、マリアはこの先阿鼻(あび)へ向かって進み続けるでしょう』

 

 

『マリアは本当に、愚かですね』

 

 

 そして、それ以上の言葉は許さんとばかりに、剣の雨が降る。

 

 神ノ剣(グングニル)がミイラの肢体を全て多い尽くすまで、黄金の雨は降り続けた。

 赤黒い何かが飛び散って、その中で聞こえるのは悲鳴ではなく、笑い声。

 

 その声がだんだんと変化する。雌雄を感じさせないものから、女性のものへと変わる。

 

 “私”の声になる。

 

 

『さぁ、夢をみよう。マリアの夢』

 

 

 その言葉を最後に、何も聞こえなくなった。

 

 空から今度は紅い雨が降る。世界のすべてを飲み込んでいく。

 

 私の全身も浸かって、意識が遠くへ沈んでいった。

 

 

 

 

 

 *****

 

 アレンは謎の影に導かれるまま、ティムが出した楽譜を見て、白いピアノにメロディーを刻む。

 

 すると、方舟は少年の気持ちに応えるように再生していった。

 

 

 

 

 

「方舟の崩壊が……止まった」

 

 リナリーは眼前の光景に、呆然としていた。

 

 床が直るとマリティムが上に乗っていた少女の体を尻尾で包んで、そっと下ろす。

 彼女が顔を撫でると、ティムは嬉しそうに尾を動かした。

 

 対してクロスは通信機越しにアレンと会話している。ピリついたオーラがあった。

 

「あの……元帥、アレンくんは大丈夫ですか?」

 

「心配ない。騒いじゃあいるが、ショックが大きいだけだろう」

 

「ショック…ですか?」

 

 アレンが何に衝撃を受けたのかリナリーは気になったが、男の口からその答えは得られなかった。

 

 

 

 その後、クロスが弟子に命令し、彼らは14番目の秘密部屋に足を踏み入れた。

 

「…師匠」

 

「お前が何を言いたいかは分かってる」

 

 顔を合わせた師弟は、弟子の一方的な矢印で睨み合いが起こる。

 そしてアレンが言葉を発しようとしたその時、バカでかい声が聞こえた。

 

 

『ごはんですよぉぉぉ!!!』

 

 

 声の主は赤毛の少年である。発生源は白い壁からで、投影されたような映像が流れている。

 クロスの説明で、この映像が方舟内のものだとわかった。

 

『そんな叫んでどうしたんスか、ラビさん…』

 

『大声でアレンの好きなものを叫んでりゃあよ、きっと来ると思うんさァ!』

 

『そんな、アレンさんは犬じゃないんスから…』

 

 映像を見ていたアレンがジト目になる。

 

「人を何だと思ってるんですかね。あのうさぎ野郎は…」

 

「……でも、ふふっ。二人が無事でよかったでしょ? アレンくん」

 

「………まぁ」

 

 アレンは一言うさぎ少年に物申すべく、ピアノを使って部屋を後にした。

 

 続く映像にはクロウリーを抱えた神田も現れ、テンションのうざいラビを睨んでいる。

 

 クロウリーは重傷であったが、「えりあーで…」とうわ言で呟いているので生きているようだ。

 それからティムを連れたアレンも合流し、場はより騒がしくなる。

 

 

「みんなっ……生きててよかった…!」

 

「グフフ(グルル)」

 

 

 零れ落ちる少女の涙を、マリティムが拭う。ちょくちょく見せるこのゴーレムの、なんとイケメンなことだろう。

 いよいよリナリーは声を押し殺せなくなり、子供のように泣き始めた。

 

 

 

 

 

 *****

 

 重体のクロウリーを秘密部屋のベッドに運んだ後、アレンたちは方舟の調査に向かった。

 

 探索メンバーはアレン、ラビ、神田にチャオジーの計四名である。他は部屋に残った。

 

 

「よしっと…」

 

 リナリーはクロウリーの応急処置を終え、額の汗を拭う。ジャスデビに鉄の処女の刑にされた男の体はボロボロだった。

 

 クロスの方はタバコを咥えてティムと睨めっこ中である。

 

 リナリーがマリアの手当てのために開けてもらうよう頼んだのだが、中々口を開けようとしない。

 

 ティムもおそらくマリアを心配し、守ろうとしているのだろう。クロスが金槌で脅しても耐えている。

 

「あの、元帥」

 

「こいつは…」

 

 リナリーとクロスの言葉が重なる。リナリーは口をつぐんで、促すような視線を送った。

 

「イノセンスが戻ったのか」

 

「…は、はい。方舟に来る前、アジア支部で色々とあった末に取り戻しました」

 

 リナリーはそこでふと、思い出した。

 マリアが「クロスの弟子」と言われるたびに、首を捻っていた様子を。

 

 

「その…クロス元帥。マリアは元帥の弟子なんですか?」

 

「…弟子?」

 

「えっと……彼女が元帥の弟子って言われるたびに「ん…?」みたいな顔をしていたので、気になって」

 

「弟子にした覚えはねぇが」

 

「弟子じゃ、ない……?」

 

 それはつまり、何だろう。ティエドールとマリアがしていた会話をちょろっと聞いていた少女の眉間が寄る。

 

 これは名探偵アレンの読みが当たってしまうのだろうか。

「あの人は生粋の女好きですからねぇ…」と語っていた、少年の言葉が。

 

「強いて言うなら助けた方と、助けられたガキだ」

 

「そうですか…」

 

 拍子抜けというか、「恩人と、その恩人に助けられた子供」という言葉を聞いて、リナリーは少し安心した。彼女もまたこの男の酒癖と女好きの酷さを知っている。

 

 

「だが、恩人になる気はねェ」

 

 ピクッと、少女の耳が動く。「どういう、ことなの……?」と首を傾げるリナリーに、この件はおしまいだ、とばかりにクロスはティムに実力行使に出る。

 

「おら、いい加減開けやがれ」

 

「グールールゥー!!」

 

 格闘はしばらく続く。

 

 その後、意固地のティムに諦めた男がリナリーの隣に座り、二人の会話は今は亡きアニタの話へと移っていった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 一方アレンたちは、街の扉を調べて回っていた。

 

 

「にしても何もねェさぁ〜…」

 

 開けても開けても、扉の先は暗闇ばかり。

 落ちればおそらく次元の狭間へ招待されるだろう。そう考えたブックマンJr.の背筋は凍った。

 

「ハァー…大丈夫かねぇ、マリアは」

 

 ラビはみなの前では平然とした顔を繕っていた。しかし女のケガとは別のことで鬱屈とした気持ちになっている。

 

 元凶はアレンが話した内容だ。

 

 

『マリアさんのイノセンスが本人の意識がない中、動いたんです。伯爵に殺される前に救い出せましたが…恐らくは本人の強い意志に、イノセンスが反応したんだと思います』

 

 

 次期ブックマンの立場を考えて、アレンはラビにこの件を話したのだろう。

 

 イノセンスと適合者の結び付きは、本人の意志の強さが大きく影響する。

 それについてはまだ、驚きが少なかった。

 

 気になるのは別のことだ。

 

 

『千年公が彼女を殺そうと、手を伸ばしていたんです』

 

 

 疑問に感じるのは、その時なぜ伯爵が“手を伸ばしていた”のかだ。

 

 これにはアレンの主観が強く、客観性に乏しい。ゆえに第三者視点で話を補う必要がある。

 

(第一殺そうとしていたなら、手なんか伸ばさず、すぐに斬っていたはずだ)

 

 アレン曰く、その時の伯爵の手には剣が握られていなかったという。

 

 本人もそこまで来て少し違和感を感じて首を傾げた。しかしそれ以上に伯爵への憎悪の方が強く、違和感はすぐにアレンの中で流されてしまった。

 

 

 手を伸ばす────。

 

 これは「手を出す」とも考えられるし、「手を差し出す」とも考えられる。

 後者のニュアンスが伯爵の行動にあったのだとしたら、マジにやばい事態である。

 

 

(……もう少し、アレン・ウォーカーから見た視点の話が必要だな)

 

 

 そう結論づけたブックマンJr.は、アレンの前でマリアを心配する素振りを見せ、自然と彼女の話題に持ち込む。

 

「そういやマリアは伯爵の前にいた時、どんな感じだったんさ?」

 

「マリアさんですか? ええっと…」

 

 考え込んでいたアレンは何か思い出したのか、「あ」と声を漏らす。

 

「そうだ! 確か左手が前に出てたような……側に神ノ剣(グングニル)が落ちていたので、伯爵に剣を飛ばされた直後だったのかも…」

 

「そうなんか……。本当に助けてくれてありがとな、アレン」

 

「いえ、そんなこと…!」

 

 今度は飾られたものではない感情を出し、ラビはアレンに礼を言う。

 ブックマンじゃない、ラビ自身の感謝の気持ちだ。

 

 アレンがマリアと伯爵の間に入らなければ、少なくとも彼女は今、いなかっただろう。

 

 

 だがしかし、恐ろしい推測はかなりの確率で真実になりつつある。

 

 マリアとノアの関係性。

 ラビが気付いているのだ、パンダ爺(ブックマン)も既に気付いている可能性が高い。

 

 本部に帰った後、報告は間違いなく行われる。

 さすれば中央庁が出てきてもおかしくはない。

 

(最悪な展開になってきたな…)

 

 伯爵が手を伸ばし、マリアの左手も伸びていた。

 

 それは状況的に、彼女が攻撃を受け、剣を落としたように見えなくもない。

 

 

 だがそれ以上に考えられるのは、()()()()()()()()()()()()()()可能性。

 

 伯爵の伸ばした手を、マリアは取ろうとしていた。

 

 

「ハァー……」

 

「ラビ?」

 

「どわっ!?」

 

 至近距離で聞こえた声にうさぎ少年は飛び上がった。

 階段に座っているラビを、リナリーが不思議そうにのぞき込んでいる。

 

 他のメンバーは扉を回っている最中で、この場には二人しかいない。

 

「ど、どど、どうしたんさ? リナリーはクロちゃんの手当てをしてたんじゃ…」

 

「あっ…あのね。私も手伝おうと思って…」

 

 と言う少女の足はまだ本調子ではない。歩くだけでフラフラと足元がおぼつかない。

 何か言いたげな表情のリナリーに、ラビは出てくる言葉を待つ。

 

 

「…あのね、マリアさんの意識が戻ったよ」

 

「………!」

 

 目を丸くしたラビは視線をさまよわせ、深く息を吐く。

 よかった、と喜びたいのだが、いかんせん先ほど考えていたノアの件のせいで純粋に喜べない。

 

「ぐぬぬぬ……」

 

「だ…大丈夫ラビ? きっとみんなもマリアのこと気になってると思って、伝えに来たんだけど……」

 

「いや、目覚めてめっちゃ嬉しいさ…!」

 

 そうだ。今考えたところで、仕方ないだろう。結論を出すにはまだカードが足りない。

 

 それに「ブックマン」は真実を追い求める者ではなく、聖戦の記録者だ。そのラインを見誤ってはならない。

 

「よかったさァ──!!」

 

 ラビはとりあえず純粋な嬉しさを大声にのせて叫ぶ。

 その隣ではリナリーが小さく笑っていた。

 

 

「ところでマリアのケガの具合はどうだったんさ?」

 

「あぁ、それはクロス元帥が診るっていうから……」

 

「え?」

 

「……? どうしたの、ラビ?」

 

「それは色々と……大丈夫なんさ?」

 

「大丈夫って、…………あ!」

 

 リナリーも仲間が目覚めた喜びの方が勝って思考が回っていなかったらしい。顔を見合わせた二人は、どうしよう、という空気になった。



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呑まれるために飲むのだろうか

閲覧いつもありがとうございます。

方舟編が終わると次第に『マリア』の秘密も明らかになってきます。
構成の仕方苦手なので書いててうんうん唸ってますが、頑張っていきたいです。


 リナリーとクロスが話していた時のことだった。

 

「グフゥフ」

 

 部屋の隅で丸くなっていたティムが突然動き出し、口の中から血まみれの手が飛び出た。

 さらにズルッと、まるで貞子の登場シーンのように少しずつその姿が露わになる。

 

「ガウガ────ペッ!」

 

 気持ち悪そうな顔をしたティムが吐き出すと、血濡れの女が爆誕する。白い部屋に血液のコントラストが生々しい。

 

「ゲホッ、ゲホッ!!」

 

 マリアは激しく咳き込んで、仰向けの状態で視線だけ動かした。

 白い天井が見える。

 

「………ぅ?」

 

 嘔吐感がひどく、体も冗談抜きに全身が痛む。

 

「マリア!!」と聞き覚えのある声が聞こえて彼女がそちらを向けば、リナリーがいた。ついでにクロスがその少女の頬に触れている。アニタの件で泣いていたリナリーの顔には涙の跡がある。

 

「………」

 

 コムイに告げ口してやろう──と、彼女は思った。

 

「ガァァァッ!!」

 

「…! てぃ………〜〜ッッ!!」

 

 嬉しさが爆発したティムがその巨体ですり寄る。傷口を圧迫する攻撃(甘え)がマリアにクリンヒットした。

 かわいい。かわいいけれど。コイツは鬼か? 

 

「ティム」

 

 見かねたクロスがティムの頭をつかむ。

 

「た、たたっ、大変…! 早く治療しなくちゃ!! みんなにも伝えに行かないとっ!!」

 

 オロオロする少女の顔をマリアは見ようとするが、上手く焦点が合わない。それどころか指一本動かせない。

 何か星のようなものがずっと視界で回っている。思わず「さむ」と呟いた。

 

「俺が見ておくから行ってこい」

 

「で、でもっ……」

 

「なに、治療ぐらいはできる」

 

「す、すみません! じゃあお願いしますねっ!!」

 

 慌ただしく駆けていったリナリーに、転ばないようクロスは注意した。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

「起こすぞ」

 

 床の上でくたばっているマリアに一声かけたクロスは、うなじに手を回し、ゆっくりと起こす。

 

 その途中、顔をさらに白くしたマリアが制止の言葉をかけようとして、吐いた。頭が脈打つと同時にひどい頭痛も起こる。

 

(……来世はもっと普通の人生を送れますように)

 

 と、死を覚悟した女の前には血濡れの顔がある。そういえば、昔も一度同じやらかしをした気がする。

 

「ゴホッッ」

 

 内臓からも出血しているようで、気持ち悪さの波と冷えた感覚が同時に迎えた時、今度こそ顔をそらして床に大量の血をこぼした。

 

 回る。世界が回る。

 生きるための酸素を取り入れようとする体が、ヒュゥと、か細い音をこぼす。正直、瞼を開けるのも辛い。

 

 

「…ッチ」

 

 クロスは舌打ちをこぼして顔に付着した血を拭う。

 マリアの上体を起こすのは無理だと判断し、床に戻した。

 

「右腕は……前と同じで、イノセンスが凝固して止血の役目を果たしたか…」

 

 研究者のスイッチが入った男は手当てしながら、興味深そうに状態を観察する。

 

 右腕はイノセンスと肌が結合し、断面が白い。

 

 ついで左腕はシャツがまくられようとした際に声なき悲鳴が上がったため、ナイフで切られた。ここもまた複雑に折れ、腕が全体的に変色している。

 

 あと出血が目立つのは左肩の、双子の弾丸が撃ち込まれた部分。

 止血するためシャツの上からほぼ布切れ状態の団服と包帯を使い、肩を固定する(被覆ほう帯法)。

 

「〜〜〜ッ!!」

 

()ってェ! おいコラ、暴れんな!」

 

 だがしかしお世辞にも器用ではない手際に、足をばたつかせたマリアは何度かクロスを蹴る。

 そしてどうにか応急処置が終わった。

 

 

 

(つーか何だこの人。全然見た目が変わってないんだけど……)

 

 マリアがクロスに会ったのはファインダーになる前なので、約10年前だ。

 だいたいはアジア支部勤めだったので、本部に時折戻っていたこの男と遭遇する機会はなかった。

 

(えっ、だって私の幼少期の時にはすでに成人してたわけだし………怖っ)

 

 どう見繕っても20代にしか見えない男が、新しいタバコに火をつけて、紫煙を吹く。

 注がれるマリアの胡乱な目に、「何だコイツ?」という視線が返された。

 

 

「お前がくたばっている間、伯爵と遭遇した」

 

「……!?」

 

 唐突すぎる。だが、続く内容の方がさらに濃い。

 

「その際にお前のイノセンスが暴走状態にあったが、覚えているか?」

 

「覚え…て、ない」

 

「お前が伯爵に突っ込んでいったことは?」

 

「………? 知らなっ…い、です」

 

 マリアが覚えているのは悪夢を見ていたことくらいだ。

 

 ただそれもところどころ覚えておらず、最後の夢の中、ミイラが彼女自身に言っていた内容が思い出せない。

 

「何故、伯爵に手を伸ばしていた」

 

「えっ?」

 

 いつになくクロスの顔は真剣で、その赤い瞳に見つめられるマリアは視線をさまよわす。

 

「……ぁ」

 

 そう言えば、ミイラはとち狂う中、「手を伸ばした」と言っていた。

 夢でミイラが語っていた内容と現実が、リンクしていたのだ。

 

 そう、手を伸ばした。“アイツ”が────いや、マリアが。

 

 

()っ……!!」

 

 

 その瞬間、ひどい頭痛が起こり、マリアの足が大きく跳ねる。頭を押さえようにも、両手が使えない。

 

 割れるような痛みの中で、あのミイラの声が聞こえてくる。

 幻聴でしかない声が彼女には堪らず、無理やりに左手を動かして、音が聞こえる耳元に手を伸ばした。

 

(ちぎっ、これ、ちぎ……ちぎれば消えっ…!!)

 

 しかし咎めるように伸びた男の手が、彼女の腕をつかむ。

 伸びる黒い爪がギシギシと動き、クロスの皮膚に食い込んだ。

 

 射抜く赤い瞳に、どっと汗をかいていたマリアの呼吸が大きく引きつる。

 

「落ち着け」

 

「……すみま、せん」

 

 ミイラの声はいつの間にか、聞こえなくなっていた。

 

 

 

 彼女は少し悩んで、ミイラの件とティキ・ミックに似た青年の件を話すことにした。

 

 前者は顔色ひとつ変えなかったクロスが、後者の話になった途端、あからさまに眉を寄せる。

 

「神父様?」

 

「……構わん、続けろ」

 

「…? 分かりました。それで、夢の中の事象は、私の体験を元にしたツギハギの夢……らしいです」

 

「………」

 

「……あの、神父様の様子からして、何か心当たりがあるんですか?」

 

 いつもの男らしくない、と言っては変かもしれない。

 だが違和感を感じる彼女は、一歩踏み入った。

 

 

「────Ave Maria(アヴェ・マリア)

 

 

 マリアはミイラの内容については言ったが、その言葉はクロスに言っていなかった。

 また同じ言葉を口にした者がいる。『夢』のノア、ロード・キャメロットだ。

 

 なぜ、クロス・マリアンがその言葉を知っているのであろうか。

 

 彼女の名前でもある、その言葉を。

 

 

「何で、知ってるんですか…?」

 

「………」

 

「神父様!!」

 

 痛みを無視して上体を起こしたマリアは、視界が回りながらもクロスの腕をつかむ。

 

「ラテン語で訳すと「こんにちは、マリア」。または「おめでとう、マリア」。キリスト教ではこの言葉から始まる聖母マリアに捧げる祈祷だ」

 

「聖母……祈祷?」

 

 彼女の中でその「聖母」「祈祷」を思い浮かべるとしたら、子供の頃にいた教会だ。そこでは聖母マリアを崇めていた。

 

 それより気になるのは、何故ミイラやロードがその言葉を彼女に向けたかだ。

 

「しん………」

 

 そこで、今日一番にマリアの視界が回った。

 倒れた体は床に衝突することはなく、クロスが引き寄せたことで事なきを得る。

 

 鼻腔にタバコの匂いを感じながら、脂汗をぐっしょりと浮かべる彼女はそれでも、詰め寄ろうとする。

 

 しかしてマリアがとらえたのは男の、その後方だった。かっ開いた銀褐色の瞳と目が合ったのだ。

 

「し、しし、師っ……」

 

「……! アレッ、ゴホッ!!」

 

 ちょうど、クロスの背後。そこに固まっている五人がいる。神田だけは視線をそらし、見なかったことにしていた。

 

 

 ────突然だが説明しよう! 

 位置的に五人からは、女ったらしがボロボロな女を抱きしめているように見えているのである。

 

 つまりファイナルアンサーは、二人が男女の関係に見える。

 

「何だ馬鹿弟子、戻ってたのか」

 

「ゲホッ、ゴホッ──!!」

 

 血を吐くマリアはこの状況に気づかぬまま、ガチの白目を剥いて倒れる。

 

 それぞれが各々の反応をする中、アレンは「やっぱり手を出していたんだ!!」と叫んだ。

 

 

 かくあれ彼らは戦闘が終わっていたミランダたちと合流し、教団へと帰還した。

 

 

 

 

 

 *****

 

 伯爵たちが乗るもう一つの方舟では、生成工場(プラント)の不完全転送により、当分のAKUMA生産の目処が見込めない状況にあった。

 

『色』のノアであるルル=ベルは、被害の状況を確認する。

 その隣で伯爵はハンカチを噛みながら、クスクスと笑い、壊れた卵を見つめていた。

 

「………」

 

 ルル=ベルは、主人である伯爵の様子をうかがう。

 今、主人の抱く感情は何なのだろうかと、彼女は考える。

 

 その時ふいに、彼女の側に気配がした。そこにはレロを持ったロードが佇んでいる。

 

「ふふふ」

 

 少女は静かに笑っている。何か「喜んで」いるのだろうと、ルル=ベルは判断した。

 

「主人は一体どうなされたのでしょうか?」

 

「んー? クロスの策略で卵に被害が及んだから、ちょー怒ってるんだよぉ〜」

 

「クロス・マリアンの狙いは分かっています。ですが主人はそれとは別に、何かに感情を乱されているように感じるのですが…」

 

 ルル=ベルは視線を戻し、もう一度伯爵を見る。

 

 漏れ出る殺気はやはり、「怒って」いる。

 しかし伯爵が何に対し怒っているのか、彼女は分からない。

 

「千年公はねぇ、家族を奪われたから怒ってるんだよ」

 

「家族…ですか?」

 

「そう。僕らの新しい家族。神が気まぐれに生み出した、新しい子羊」

 

「なるほど」

 

 伯爵は二人の会話など聞こえていないのか、狂ったように怒りながら忌々しいエクソシストたちに呪いの言葉を吐いた。

 

 

「ケガらわしい、腐った羊めガ」

 

 

 

 

 

 *****

 

 本部から帰還したエクソシストたち。その大半は療養することになった。

 

 ほぼ無傷な一名(赤髪)が逃走しかける騒ぎがあったが、そこはリナリーが捨て身の抱きしめ(アタック)でどうにかした。

 

 

 

 一方マリアは体が動くようになって早々に病室を抜け出し、アジア支部に訪れた。

 移動については方舟が本部とアジア支部を繋いだことで、行き来が簡単になったのである。

 

 元職のファインダー服を着て、段ボールに忍ばせた酒を詰めればあとは完璧だ。

 

「フォー! 来たよぉ〜!」

 

「あん? ………ハァァ!!?」

 

 アジア支部の番人は彼女が封印される壁にふらっと現れた女を見るなり、仰天した。

 

「お前アホかッ! 重傷なんじゃなかったのかよ!!」

 

「いやぁ、まぁ動くようにはなったし、フォーと飲む約束をしてたからさぁ。病室を抜け出したことがあの鬼婦長にバレたら怖いけど……」

 

 本部の婦長は、ケガ人は絶対安静を心情にしている。

 マリアも空腹で何度か抜け出そうとして捕まったので、その恐怖がすでに刻み込まれている。

 

「はぁ……ったく、しょうがねぇなァ」

 

 現界したフォーはマリアの隣に座った。表情は心底呆れた様子だが、口角が隠しきれずに少し上がっている。番人もまた、嬉しいのだ。

 

 

 そこから酒が入ったマリアの目が、少しトロンとし出す。

 ファインダー服ではあるがフードと顔の包帯は取っているので、白い頬が朱に染まる様がよく映える。

 

 酒を飲みつつ横目でフォーはその顔を見る。

 

「お前がファインダーだった頃は分かりにくかったけどよぉ…」

 

「何だって?」

 

「こうして改めて見ると……その顔隠しといて良かった、って思うわ」

 

「あっはっは! 初対面の私とぶつかってキレて、しかも人を男と勘違いして、ドロップキックしてきたあなたがそれを言っちゃうの〜?」

 

「う……あん時は悪かったよ」

 

 ちなみに避けられた蹴りは、バクに当たった。

 そこでふと、アジア支部長がいないことを思い出したマリアは、フォーに尋ねた。

 

「そう言えばバク支部長がいないみたいだけど、今どこにいるの?」

 

「アイツか? 本部で早々に会議があるからって、召集されてたぞ。お前って仕事の情報なら抜かりないのに、世情とか別のことになると変にうといよなぁ…」

 

「悪ぅござんしたね、うとくて。でもこんなすぐに会議って……やっぱ、方舟の件か」

 

「あぁ。ただクロス元帥とアレン・ウォーカーも中央庁から目を付けられてるらしい」

 

「神父様は色々知ってそうだもんね……えっ? 何でアレンくんも?」

 

「だって方舟を操縦したのアレンなんだろ? クロスじゃなくて」

 

 もしかしなくとも、アレンは弟子時代にクロスに魔改造されたのではなかろうか? 

 AKUMAを改造して己の手札にさえできる男だ。あり得る。

 

「つーかさ。お前さっきから利き手を使ってねぇけど、左も使えたのか?」

 

「うん? ……んー、まぁケガでさ。まだ本調子じゃなくて」

 

「………おい、ちょっと右手見せろ」

 

「な、何をしますのお代官様ッ! いやぁぁ────!!」

 

「気色悪い声出すな! そんで逃げんな!!」

 

 あっけなくフォーに捕まったマリアは苦笑いを浮かべている。

 番人の外れて欲しかった予感は当たってしまう。

 

 まくられた右腕は赤黒い色で、人間の肌ではない。

 

 

「……何だよ、これ。お前のイノセンスは肋のはずだろ? なら、この腕は何なんだよ」

 

「いやあの………黒衣(ドレス)をね、こう上手く手に擬態させたの。腕がないファインダーだと目立っ──」

 

 空気が重い。黒い瞳が逃げて、二人の視線は合わない。

 そのいら立ちが番人の中で積み上がっていき、ほかの怒りも合わせて小さな体が震えた。

 

 なぜ、なぜこの女は、右腕を失ってなお、笑っているのだろう。

 

 フォーにはその理由が分かる。彼女を心配させないように、マリアは黙っていたのだ。

 いつかはバレるけれど、今はこうして二人で楽しく酒を飲むために。

 

 

「それは、違うだろ…」

 

「…違うって?」

 

「あたしはお前を友人だと思ってんだよ。友人が辛い時は、一緒に泣きもするし、怒ってやる! だからっ………だから、隠してんじゃねェよ!! お前の気持ちを!!!」

 

「………無理だよ」

 

「ハァ!!?」

 

「だって、これからもっと苦しい目に遭うかもしれないじゃない。今苦しくて泣いてたら、未来の私が本当におかしくなっちゃうよ」

 

「だから今耐えるのか? そうやってずっとお前は一人で耐え続けられんのか?」

 

「………」

 

 

 そんなもの、無理に決まっている。

 

 けれどマリアがこれから地獄に向かうのはきっと決まっているのだろう。それはもしかしたら、彼女が生まれた時から神によって定められていたものなのかもしれない。

 

 でもフォーの尖った優しさが、マリアには堪らなく嬉しい。

 

 

「………ぅ」

 

「いいよ。思いっきり泣けよ。私が受け止めてやる」

 

「うぅ……」

 

「そんでパァッと酒飲んで、また明日を生きて行こうぜ?」

 

「あ゛り゛がどぅ…!!」

 

「……ップ、ハハッ! みっともねぇ顔!」

 

 番人は子供のように泣く女を抱きしめて、あやすように背を叩いた。

 彼女も彼女で色々とこみ上げてきて、ズビッと鼻を啜った。

 

 


 

【もしもの話】

 

「もし神父様の顔に吐血したのが私じゃなくてアレンくんだったら、どうしますか」

 

「殺す」

 

「即答…」



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貴女を見つめている

 アレンはラビと食堂で食事をしていた際、リナリーと遭遇した。流れで彼らは相席する。

 少女はいかにも不機嫌、といったふうだ。

 

「リナリー、どうしたんさ?」

 

「何でもないわ」

 

 リナリーの態度はそっけないもので、黙々とチャーハンを口に運んでいる。

 心当たりのあるラビは隣のアレンに耳打ちする。

 

「こりゃーあれさ、マリアが関わってるぜ」

 

「まふぃふぁふぁんが? (マリアさんが?)」

 

 それはラビ曰く、マリアが病室から抜け出し、アジア支部の門番と飲んでいたというもの。しかもその後ケガが悪化したらしいのだから、そりゃあリナリーも怒るだろう。

 

 ちなみに朝とれたてのブックマンJr.情報である。

 

 

「本当にもう! ケガ人がお酒を飲むなんて…!」

 

 怒り心頭の少女の後ろでは調理場が近いこともあり、多くの人が行き交っている。

 

「ん…?」

 

 ふとその時赤毛少年の目に、どでかいお盆の上に、これまたどでかい器を運ぶ女の姿が見えた。

 

 片手で熟練のウェイターのように運んでいる。顔はパーカーのフードに隠れてよくは見えない。しかし側にいる黄金のゴーレムで、誰か分かった。

 

 リナリーを見ていた女の目がラビをとらえると、首を横に振る。

 

(黙っててね、ラビ)

 

(アイアイサー)

 

 ここで少女の前にマリアが現れれば、火に油を注ぐことになる。

 暗黙のうちに行われたやりとりは、しかしてみたらしを頬張る少年によって崩される。

 

 

「あっ、マリアさんだ!」

 

 

 ブンブンと手を振ったアレンに、ラビの深いため息が重なる。

 

「マリア、ですって?」

 

 立ち上がったリナリーは、目を光らせて逃げる女を捕まえに行く。

 

「まだ病室で安静のはずでしょ!!」

 

「病院食が味気ないんだものぉ!!!」

 

「いいから戻ってください!」

 

 鬼ごっこの軍配は少女に上がり、マリアを引きずるようにして二人は食堂を後にした。

 

 これにアレンは苦笑いである。

 

 一方ラビは安堵の息をつく。マリアの容態はリナリーから聞いていたが、やはり実際の目で元気そうなところを見ると安心する。元々リナリーと彼女の病室が同じだったため、室長の命令で男どもは近づけなかったのだ。そして逃亡事件で、次は面会禁止状態になった。

 

「あと目覚めてないのはクロウリーだけですね…」

 

「クロちゃんなら大丈夫だろうさ」

 

「…そうですね。僕らもたくさん食べて、早く傷を治しましょう!」

 

「お前は食べ過ぎなんさ、アレン…」

 

 賑やかな食堂。

 

 ホームの居心地の良さを、彼らは改めて感じた。

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚫︎

 

 方舟から帰還して、数日が経つ。最近はもっぱら人の出入りが多い。

 

 今日は本部で各支部長や元帥、それに中央庁の代表が集まっての大きな会議がある。

 

 

 現状の私は、方舟で神父様と話した内容が喉につっかえている状況だ。

 

 どうにも私のこの悩みは、あの人以外に話せる相手がいない。

 

 自分が何者なのか。そればかりが気になってどうしようもない。

 

 

 それに最近夢を見る。長い長い夢。

 

 

「マリアの夢」────。そんなアイツの声から始まり、長い長い夢が始まる。

 

 けれど一部の夢しか記憶に残らない。

 覚えているのはティキ・ミック似の青年が、黄金の麦畑で佇んでいる光景だけだ。

 

 彼は一体、誰なんだろう。

 

 知りたい。でも知ってしまったら最後、何か怖いことが起こりそうで恐ろしいんだ。

 

「ガウガウ」

 

 ティムは相変わらず元気だ。今は小さくなって、夜の読書に耽る私の隣にいる。

 

 時折どこかに行っているけど、別段気にしなくてもいいだろう。最後はちゃんと帰ってくるから。

 

「私は誰なんだろうね、ティム」

 

「ガウ?」

 

「マリアでしょ? じゃないよ。そんなこと、私が一番知ってるよ」

 

 静かな部屋に、時計の秒針がいやに響く。

 窓の側に設置されたベッドからは、夜が一望できる。

 

 無数の星の中に、あれは────あの星は、今日も輝いて私を見つめているんだろうか。

 

 気味がわるい。

 

 

「ティム、おいで」

 

「ガル」

 

 シャツの上からパーカーを着ると、ティムは定位置のフードの中に入った。

 

 忍び足の技術はムダに洗練されたので、バレる心配はない。

 

 そして看護婦が夜の巡回に来るタイミングを見計って、うまく抜け出した。

 

 ちなみにファインダーの服は、本部に戻ってきた後に没収された。もうこの手を使ってアジア支部に行くのは無理だろう。当分はフォーと会えない。

 

 

 

 どこに向かおうか迷って、無意識に私の足は礼拝堂に来ていた。

 

 しんと静まったこの場には誰もいない。

 

 壁にかけられた大きな十字架の下には、ピアノが一つ置かれている。

 

「何が聞きたい?」

 

 気分で呟いてみたけどもちろん私とティムしかいないから、返答は帰ってこない。それが少し寂しい気もしたけど、観客がいない方がかえって自由に弾けるか。

 なら、私の好きに弾こう。

 

 

「アヴェ・マリス・ステラ」

 

 

 昔教会にいた時、シスターから教わった曲だ。

 壊滅的な演奏センスだったのに、彼女はプロぶって子供の私に教えていた。

 

 そういえば、愚かな修道女の最期に弾いた曲も、この歌だった。

 

「ねぇ。私は誰なんだろう、シスター」

 

 エクソシストなのか。ただの愚かな人間なのか。堕罪を持った女なのか。

 

 わからない。

 

 わからない。

 

 マリアって、いったい何なの? 

 

 その時耳元で、()の声がした。

 

 

 ──────戦いなさい、マリア。

 

 

 

「黙れ!!」

 

 

 ……本当に、アイツの言う通りだ。

 

 マリアは苦しみの中で戦うんだ。

 

 だからこそ考えてしまう。もしあの時アイツが伯爵の……いや、私が伯爵の手を掴んでいたら、私はどうなっていたんだろう。

 

 私はもしかしたら、自分を知ることができたのかな? 

 

「…バカバカしい」

 

 エクソシストがノアに捕まったら殺されるに決まってる。

 

 

 

 気付いちゃいけない。考えちゃいけない。なぜロード・キャメロットが、千年公が「マリア」に興味を示したか探ってはいけない。

 

 ミイラやロードが言った『Ave Maria』の意味を理解してはならない。

 

 

 だって私は、エクソシストだから。

 

 

「ティム、帰ろう。……ティム?」

 

 楽譜台の上にいた相棒の姿がない。

 周囲を見回して、後ろを振り向いた時、ティムはいた。

 

 神父様の、頭の上に。

 

 

 

 

 

 *****

 

 夜の礼拝堂。天窓から覗く月明かりが、ステンドガラスを彩る。

 

「会議……すっぽかしたんですか?」

 

「出た」

 

 クロスはかなりご機嫌斜めなようで、椅子に座るとタバコを吸い出した。

 会議で色々と言われたであろうことは想像に容易いので、マリアは苦笑する。

 

「お前ピアノなんて弾けたのか?」

 

「教会にいた時、シスターから教わったんですよ」

 

「…あぁ、お前が殺した女か」

 

「………あの、もうちょっとその、歯に衣着せぬ物言いどうにかしてもらえませんか?」

 

「ケガの具合はどうだ」

 

「会話のキャッチボールをしてください?」

 

 マリアは呆れながら、概ねは問題ないことを告げる。

 

「他には何か弾けるか?」

 

「いや、特には…」

 

「ならもう一度弾け」

 

「……下手でも文句は言わないでくださいね」

 

 夜の冷たい空気の中に、包み込むようなメロディーが流れる。

 太陽のような暖かさとはまた違う。例えるなら夜に浮かぶ星のような、そんなささやかさ。

 

 マリアの頭の中には暗い海の頭上。そこにマリス・ステラが微笑みように存在する様が浮かんだ。思わず鍵盤を叩きたくなったが、男の反応が怖いので抑えた。

 

 そして、曲が終わる。

 

「………」

 

「………」

 

 期待してはいなかったが、拍手はなかった。

 その代わり、クロスは目を細めて楽譜台の場所を眺めている。

 

 

「……あの、神父様」

 

 話すなら、今しかない。そう考えたマリアは方舟の話の続きを切り出す。

 

「神父様は私が──いえ、「アヴェ・マリア」が何者なのか、ご存知なのですか?」

 

「………」

 

「元帥」

 

「……愚問だな」

 

「なっ……!」

 

 あまりの言いように、握られたマリアの拳が震える。

 彼女が真摯に悩む問題は、「愚問」の一言で片づけられるものではない。

 

 

「お前はもう、気付いているだろう」

 

 

 ────「マリア」が、()()なのか。

 

 

「……っ、はっ…」

 

 何か言おうにも彼女の頭は真っ白になるばかりで、意味もなく口がパクパクと動く。

 瞳からは壊れたように涙がこぼれて、ティムがそっと拭った。

 

「じゃあ、私がエクソシストになった意味は、何だったんですか……?」

 

 顔を覆うマリアの爪が黒く変色し、不快な音を立てて伸びる。

 今にも顔をかきむしりそうなその爪を、ティムが甘噛みして止める。

 

 指の隙間からのぞく女の目は紅い。はたして彼女は今己が笑っていることに、気づいているのだろうか。

 

「お前が決めた道だ。貫くと決めたなら、歩み続けろ」

 

「どれだけ私が、苦しもうとですか?」

 

「…己を知れ。お前が進むにはそれしか残されていない」

 

「助けて…くれないんですか? 私の故郷が襲われた時、伯爵に殺されかけた時、神父様は……助けて、くれたのに」

 

 苦しんだ先に、マリアはどうなってしまうのだろう。そう考えるだけで怖い。

 あのとち狂ったミイラのようになるのだろうか。

 

 

「俺にお前は救えない」

 

「……っうぅ」

 

 子供のように泣きじゃくるマリアの頭を抱き寄せ、クロスは背中を叩く。

 

 その後、ひとしきり泣いた女はぐっすり寝てしまい、ティムが咥えて病室に戻した。



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ぬかるみに足がハマった

知らない方が幸せな時もある。


「はぁ〜……」

 

 穏やかな朝。しかし起きて早々、昨日のことを思い出した女は顔を覆った。

 クロスの前で子供のように大号泣。20代の大人が何というみっともなさ。

 

 自業自得だが婦長にも怒られたばかりなので、気分が憂鬱である。

 

「こうなったらヤケ食いしかない…」

 

 そうと決まれば食堂だ。

 病室の扉を開けたマリアはしかし、固まることになる。

 

 見知らぬ少女が、しかも中央庁の服を着た少女が、無表情で立っている。

 閉じられようとした扉は、少女が靴を滑りこませたことで防がれる。

 

 

「おはようございます、アリア殿」

 

「…お、おはよう」

 

 見たところ、少女の年齢は10代半ば。髪は淡いレモンイエローで、ゆるく巻いている。腰ほどまであるそれは一つに括られていた。

 

「本日からルベリエ長官の命により、貴女の監視をすることになりました。(わたくし)はテワク捜査官。以後お見知りおきを」

 

「……なぜ私が監視されるのか、聞いてもいい?」

 

「貴女は現在、ノアと関係がある可能性の人物として、疑われています」

 

「ゴフォッ!!」

 

 いけないマリアったら。思わず咳き込んでしまった。

 まぁ、怪しまれて然るべき出来事が起こり過ぎているので、仕方あるまい。

 

 

「巻き戻しの街に出現し、また、アジア支部襲撃事件でAKUMAの一体を仕向けた人物である『夢』のノア。彼女の言動から、以前から貴女を怪しむ声が上層部でありました。しかし、今回のクロス元帥やアレン・ウォーカーの一件を経て、貴女への疑念もさらに強まったのです」

 

「…つまり、元帥とその弟子がノアと関わりがあるから、私もそうだろ、って?」

 

「少しでも可能性があるならば、というのが長官のお考えです」

 

「えっと……ノアの関係者、ってことで疑われてるんだね?」

 

「はい」

 

「…そっか」

 

 

 “()()()”程度で疑われているのならまだいい。

 

 

 クロスが言ったように、彼女だって千年伯爵やロードの言動を考えれば、わかっていたのだ。

 

 けれど認められない。「マリア」はエクソシストだ。

 自分で選んだ道を否定したくない。仲間を裏切るような真似をしたくない。

 

 それに本当にそうなのか、疑惑半分だ。確固たる証拠がまだないのだから。

 

 

「あと先に言っておきますが、貴女の監視理由は表向きでは「ハートの可能性があるため」ということになっています。私がその監査兼護衛の立場です。本来の理由は中央庁でも一部の者しか知りませんので、くれぐれも口外なさらないようにお気をつけください」

 

「随分とややこしいなぁ…」

 

「現在はクロス元帥とアレン・ウォーカーの件でも手一杯なのです。さらに貴女への疑念も加われば、教団は混乱を極めます。何より貴女の『ハートの可能性』もまた、強くなっているのは事実です」

 

「……勝手に私の意志と関係なく、イノセンスが動いたから?」

 

「はい。アレン・ウォーカーやリナリー・リーの例で挙げますと、エクソシストが適合者を守るという事例はありました。ですが貴女は、その事例と同様なことが幾度と起こっている」

 

「………」

 

「さらに貴女のイノセンスは適合者が気絶している中、突如動き出し、伯爵に攻撃した。つまりイノセンスが()()()()()()()()()()()()()()。こんな例は、未だかつて一度もない。明らかに貴女のイノセンスは特異なのですよ」

 

 マリアは頭を押さえて、深いため息をついた。

 監視の件はもう諦めるしかない。

 

 なのでせめて、この無表情ガールと仲良くやって行けるよう努めることにした。

 

「仕方ないや。よろしくね、テワクちゃん」

 

「………テワク、()()()?」

 

「うん。テワクちゃん」

 

 これまで無表情だった少女の眉間に皺が寄る。テワクは差し出された女の手を見て、納得のいかない様子で握り返した。

 

 それに少し溜飲の下がったマリアは、疑問に思ったことを口にする。

 

 

「でもさ。いくら何でもノアとの関係性を黙っておくのはおかしくない? 神父…元帥の件やアレンくんの二人がすでに上がってるんだから、もう一人増えたところで混乱の大きさは変わらないと思うけど」

 

「それは中央庁の決定に意を反する、というわけでしょうか?」

 

「いや、そういうつもりじゃないんだけど……」

 

 もしかしたら、と彼女は思う。

 

 マリアとノアの可能性を知るのは、中央庁でもごく一部。そしてテワクを監視につかせた「ルベリエ」という人物は長官の立場であり、この事を知っている可能性が高い。

 

「あなたの長官なら、知っているのかしら?」

 

「……何を、でしょうか?」

 

「…いえ、何でもないわ、テワクちゃん」

 

 

 マリアは何者なのだろう。

 エクソシストなのか。それとも本当に────。

 

 

「あの」

 

 思考に耽りかけた女に、テワクの声がかかる。

 

「どうしたの?」

 

「……「ちゃん」はやめていただきたいのですが」

 

「えっ? でもテワクちゃんって小さいし、可愛いし、私の歳下だし、いいじゃない」

 

「かわっ………わかりました。お好きになさってください」

 

 監査官の可愛らしいポイントを見つけたマリアは、微笑ましげに笑う。

 その顔にテワクは少し驚いた様子だった。

 

 女の顔は優しく、まるで子を持つ親のようなものだったから。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 こうしてマリアの生活に、テワク監査官が加わった。

 食堂で出会したアレンにも「ハワード・リンク」という監査官がいた。

 

「……! リンク兄さ──ゴホンッ」

 

「ほほぉ〜〜?」

 

「…何ですか、マリア殿。その面白そうなものを見たと言わんばかりの顔は」

 

 リンクをとらえた少女の顔は頬を少し染めて、年相応だった。

 しかしてリナリーとアレンが繰り広げる甘酸っぱい気配もある。肝心のリンクの方からテワクへの矢印は感じられない。

 

「テワクちゃんてさぁ…。リンク監査官のことが好きなの?」

 

「……ぶはっ!! な、なな、何を言っ……!?」

 

 顔を真っ赤にした少女はマリアを睨んだ。

 

 当の本人はリンクから差し出された「お近づきの印にケーキ」を、ムカつくぐらいに美味しそうに食べてやがる。

 

「ハァ…マリア殿、貴女には午後にイノセンスの詳しい検査に出てもらいますから」

 

「えっ」

 

「連日の忙しさで延期になっていましたが、ヘブラスカに見てもらいます」

 

「……ほ、ほら! リンクくんのケーキテワクちゃんにもあげるから、だから今回は無しに…」

 

「出 て も ら い ま す か ら」

 

「はい……」

 

 

 一方で、マリアと監査官の仲睦まじい様子(?)を見ていたアレンは、己もリンクと親交を深めようとみたらしを一本差し出した。これは少年にとってのきび団子である。

 

「リンク、みたらしです! どうぞ!」

 

「満腹なので結構です」

 

 ハワード・リンクはテワクよりも攻略が難しいようだ。

 

 

 

 

 

 *****

 

 ヘブラスカにイノセンスを見てもらう間、コムイ同伴のもと、マリアは生きた心地がしなかった。

 

 しかし意外にもあっさりとヘブラスカの診断は終わった。

 

『シンクロ率は96%…。非常に高い数値だ…』

 

「ヘブラスカ、彼女は今ハートの可能性が最も高い人物とされているんだが…。キミは何か気になる所があったかい?」

 

『ハートか…分からない。私も実際に見たことがないからな…。彼女がハートの可能性というのも捨てきれないが、他のエクソシストと差異があるようには思えない。それに、コムイ』

 

「なんだい?」

 

『私にはこの状況で、ハートが姿を現すとは思えないのだ…。目覚めてはいても、この世界のどこかで機を窺っているように思う…』

 

「そうか……。意見を聞かせてくれてありがとう。いやぁーごめんね、立て続けに調べてもらって」

 

『気にするなコムイ…今はお前の方が辛いだろう…』

 

「………」

 

 そう。ハートの可能性が高いのはマリアだけではない。リナリー・リーも示唆されている。

 

 そもそもリナリーにハートの可能性があるなら、同様の理由でリナリーにも中央庁が監視をつけてもおかしくない。中央庁の目がつくのと、もしもの場合に守ってもらえる点を考えれば、一長一短ではある。コムイ的には中央庁への疑心が拭えないので、監視がつかずに良かったと思っている。

 

「マリアさん、監査官とは仲良くやっているかい?」

 

「え? …あぁ、はい。ボチボチは」

 

「そうか。アレンくんは何だか胃が痛そうだったからね」

 

 なぜ、中央庁はこの女に“目”をつけたのか。コムイが感じた違和感をバクや他の支部長や元帥も感じたはずだ。

 バクがその疑問をルベリエに向けた時は、それ相応な理由を述べられ、ぬらりくらりと躱された。

 

(バクちゃんとルベリエ長官の、あの一幕。マルコム・C・ルベリエの方には間違いなく、牽制の意図があった)

 

 

 ────「マリア」について調べてくれるな、と。

 

 

 だからバクもコムイも、それ以上追求できなかった。

 

 そんな冷戦のやりとりが上であったことなど知らない女は、ヘブラスカが伸ばす触手をつかんで縄跳びのように振り回している。

 

「……マリア?」

 

「さぁどうぞ、室長! いつもデスクワークじゃ体も鈍っているでしょう? 動けば悩みも吹き飛びますよ!」

 

『やめてくれないか?』

 

「………もしかしてだけど、僕がリナリーの件で悩んでいると思って気遣ってくれてるのかい?」

 

「あっ、そうだ…! 方舟にいた時に、クロス元帥が泣いてるリナリーちゃんの頬に触れてました!!」

 

「うおおおおっ!!!」

 

 涙と鼻水で一気に汚れた室長の男は、慟哭しながら跳んだ。

 何てこったい、妹の純潔が奪われて(?)いたなんて! 

 

 最後は撃沈して、コムイは床にうつ伏せのまま転がった。その様子をマリアは爆笑して見ている。

 

『コムイ…まだ伝えることがあるのだがいいか?』

 

「いいよぉ……。でも立ち直れるまでもう少しこのままで居させて…」

 

『わ、わかった…』

 

 ヘブラスカはそして、語る。

 

『彼女の場合、イノセンスの範囲が骨から血液へと広がっている…。寿命がいくばくか、縮んだ可能性が高い…』

 

 寄生型は謂わば、人体には強力すぎる(イノセンス)を抱えているも同然だ。

 

 マリアはしかし拍子抜けした表情を浮かべる。

 

「何だ、そんなことか。力に代償は付きものだもの。より多くを守るための犠牲ならば、些細なことよ」

 

『……っ』

 

 無垢な子供ように女は笑う。

 

 その在り方が、ヘブラスカには歪に見えた。同時に、彼女から感じるイノセンスの凄まじい「執着」の所以を垣間見た気がした。

 

 どうしてそこまで神はこの女に執着するのだろう。そこにはきっと“愛”がある。粘着質で、おぞましい愛が。

 

 

『お前のその狂おしいまでの生き方が、神は愚かしく、しかし愛おしくてたまらないのだろう』

 

 

 マリアは微笑む。その瞳だけは血のように紅く染まった。

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚫︎

 

 ヘブラスカに見てもらった後、テクワちゃんに少し距離を置かれるようになった。

 監視と監視対象の距離が近い、というお叱りをリンクくんからもらったらしい。

 

 そして、資料を科学班に持って行ったコムイさんを室長室で待っていれば、知らないおじさんが来た。

 

 ケーキを持ったちょび髭のおじさんで、()()()()()を着ている。頭の中で「気をつけろぉぉ!!」とサイレンが鳴った。

 

 

「お初にお目にかかります、マリア。私は中央庁特別監査官、マルコム=C=ルベリエ。そちらのテワク監査官の上司に当たります」

 

「……初めまして」

 

 明らかにお堅い人がケーキって、どういうことなんだ? 待って、ほのかに甘い匂いが鼻腔をくすぐる…。それはアレなの? リンクくんと同じで「お近づき印ケーキ」なの? 私がいただいていいやつなの? 

 

「これはほんの──「ありがとうございますっっ!!」……」

 

 あぁ、美味しい。リンクくんも美味しかったけどこの人のケーキの方が美味しい。テワクちゃんが冷えきった目で見てくるけど気にしない。ほら見てよ、あなたの上司だって微笑むだけで、何も言ってこな……いや、瞳の奥に温度がないな。さすがに自重しよう、今は。どうせケーキは逃げないもの。

 

 

「失礼しました。それで長官殿が、私に何のご用でしょう?」

 

「おやおや…クロス・マリアンとは違い、貴女は随分と常識というものに理解がある」

 

 色々破綻してるあの人と私を比べられてもね。長官殿は理解がある。

 まさかケーキを頬張ってた私への嫌味なわけないだろうし。うん、そう思いたい。

 

「来て早々で申し訳ないが、時間がないのでお暇させてもらおう。………おっと、そうでした。ハートの可能性が高い貴女には関心がありましてな。どうですか? 今度一つ、ゆっくりとお茶でも」

 

「…要件はまさか、それだけですか?」

 

 何とも芝居がかった、お茶のお誘いだ。

 

 この男はやはり、「マリア」について何か知っている。こうして会って確信が持てた。

 

 

「────アヴェ・マリア。では、私はこれで」

 

 

 ………え? 

 

 脳がうまく回らなくなって、長官殿が退室した後、呆然としていたところに肩を叩かれる。

 訝しそうに私を見るテワクちゃんの顔がある。

 

「貴女、アヴェ・マリアというのですか?」

 

 長官の言葉を彼女は私の本名だと思ったらしい。

 

 神父様と同様に、あの男は「アヴェ・マリア」という言葉を知っていた。

 

「ッ……」

 

 頭が、頭が痛む。痛くて、割れそうで………、

 

 

「ガウ!!」

 

「痛ッッ!?」

 

 

 突如シャツの下から出てきたティムが、私の左手を噛んだ。

 やんちゃな相棒を叱っていたら、不思議とその痛みも引いていく。

 

 

 それからコムイ室長は結局ほかの仕事が入り、戻って来れなくなった。

 

 ケーキは逃げないけど私のお腹は待てないので、ウエディングケーキの如き大きさのそれをパクパク食べた。

 

 

 

 

 

 その後、お腹が空いたので食堂に向かった。「さっきケーキを食べていましたよね…?」とドン引くテワクちゃん。あれはほら、おやつだから。

 

 廊下を歩いていれば途中でバク支部長に会った。

 その隣には北米支部長のレニー・エプスタイン氏に、オセアニア支部長のアンドリュー・ナンセン氏もいる。

 

 レニー支部長は気さくな女性で、私より身長が高い。鍛えられたその体に感嘆した。

 そして話しているうちにいつの間にか彼女に気に入られたのか、私も研究所(ラボ)へ連行される。食堂ぉ……!! 

 

「おいレニー、その筋肉でマリアが潰されてるじゃないか」

 

「あら、何よバク? もしかしてこの子ってあなたのガールフレンドなの?」

 

「恋人ではない! ただの知人だ」

 

「そうですよ、レニーさん。バク支部長はリナ──」

 

「うわぁぁぁぁぁっ!!?」

 

「………そんなに叫んでぇ、どうしたんですかぁ? バク支部長ぉ?」

 

「きっ、貴様……ァ! おのれェ……!!」

 

 興奮のあまりじんましんが出たアジア支部長殿は、恨みがましい目で私を見た。

 フォーの気持ちもわかるな。からかいがいがあり過ぎる。

 

「……あれ?」

 

 そこでふと、私はテワクちゃんがいなくなっていることに気づいた。

 

「あら、どうしたの?」

 

「私の監査官が急にいなくなったので、驚いて…」

 

「ラッキーじゃない。ずっと番犬に見られてるよりはいいでしょ?」

 

「でも…」

 

「……あの監査官にとって、私はヘビみたいなものなのよ。ルベリエがバクにとってヘビのように」

 

「…何かご関係があるのですか?」

 

「まぁ、昔ちょっとね」

 

 テワクちゃんにも色々あったのかな。

 今触れるべき問題でもないから、ひとまず流そう。

 

「ところでバク、研究所の方舟についてだけど……」

 

 レニー支部長は、バク支部長と話し出し、私は輪から外れる。今度はナンセン支部長が近づいてきた。

 

「君が会議で挙げられてた『ハートの可能性』の女性だよね? 名前は…」

 

「マリアです」

 

「…マリアか。いい名前だね」

 

 ナンセン支部長はさりげなく人の腰に手を回してくる。微笑みがイケメンも相まって眩しい。

 振り払わず歩いていれば、バク支部長が「!?」みたいな顔をした。

 

「キサマ、結構面食いなのか…」

 

「リナ」

 

「何でも、何でもないからそれ以上言うなッッ!!!」

 

「すっかり手玉に取られてるわね、バク…」

 

 

 

 その後、研究所に到着し、「科学班以外立ち入り禁止」の看板を支部長三人が押しのけて入る。

 

 科学班員は”卵”の解析に忙しいようで、三人の中に私が紛れ込んでいることに気づいていない。

 数人は資料の山に埋もれながら床で死んだように寝ている。静かに黙祷しておいた。

 

「ホォ、これが例の……」

 

 バク支部長は卵をしげしげと見つめる。

 

「本当に不思議だ。未だ人類にない高い科学力の水準値を誇る物体が、数千年前からあったとは…」

 

 

 ────そう、本当に不思議だ。

 

 初見だったけれど、脈打つように動く卵は、本当に中からナニカが生まれてくるんじゃないかとさえ思う。

 

 耳に響く脈の音。ひどく心が安らいで、身体の力が抜けていく。

 崩れ落ちそうになった私を、ナンセン支部長が支えてくれた。

 

「眠いんですか、マリア?」

 

「穏やか、とても…」

 

 バク支部長は一瞬倒れた私を見て驚いた顔をしたけれど、ナンセン支部長が支えに入ったのを見て、また卵に視線を戻す。

 

「眠っていても構いませんよ。起きた時には、()()は終わっていますから」

 

「……そ、う?」

 

 眠い。ひどく眠い。

 

 

「マリア、あなたは今、何を「感じて」いるのですか?」

 

「何を…?」

 

 この男にロードちゃんや千年公と似た気配を感じたから、バク支部長らを守るためにわざわざ付いてきたのに、不思議とイノセンスも神も、その何もかもを忘却してゆりかごの中で眠る赤子のようになれる。

 

「とても穏やかで、幸福な気分」

 

「そうですか。あなたは今、「幸せ」なのですね。私もとても「幸せ」ですよ、マリア」

 

 微笑したナンセン支部長の言葉を最後に、強烈な睡魔に意識が遠のく。

 

 

 こうして────マリア()は眠った。



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愚か者どもの宴

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 あたり一面の黄金色。風がゴォッと吹き抜けると、まるでおしゃべりでもしているように麦畑が揺れる。

 

 その中に、一人の女が立っていた。メイドの格好をしたその人物は、ぼんやりと地平線にのぞく紅い夕陽を見つめている。

 

「私…誰だっけ?」

 

 女は自分が何者なのかわからず、ただ呆然とそこにいる。

 しかし背後でガサガサと何かが近づく音がしたので、そちらに視線を移した。

 

『…いた! おい探したぞ、()()()メイド!!』

 

 黒曜石のようなくりくりとした瞳が、彼女をいっぱいにとらえている。跳ねた髪が特徴な少年は女の腕を引いて歩き出した。

 彼女の腰ほどしか背丈のない少年は、簡単に小麦の中に埋もれてしまう。

 

『カテリーナもお前のことすげぇ心配してたんだからな!』

 

「カテリーナ?」

 

『………お前、自分を雇ってくれた主人も忘れたのか?』

 

「カテリーナって、誰?」

 

 何がおかしいのか。笑ったままの女に、少年は舌打ちをこぼして叫ぶ。

 

『カテリーナはお前の主人! そんで、おれはカテリーナの子供!! わかったか!?』

 

「ふふふ、わかんない」

 

 そう。本当に彼女は分からない。

 ここがどこなのか、なぜこの少年がいきなり現れたのかも。

 

 そもそも彼女は、自分自身の名前さえ分からない。

 

「ねぇ、少年」

 

『少年言うな、ババア』

 

「クソガキ」

 

『何でそこ悪化するんだよ!!?』

 

 女性を「ババア」呼ばわりする子供なんぞ、「クソガキ」で十分である。女の微笑みの下の怒りを察した少年は苦い顔をして謝った。

 

「でさ。私の名前、何て言うんだっけ?」

 

『……お前、とうとうそこまでボケたのか…』

 

 何か物言いたげに少年は視線をさまよわせて、つかむ手に力を込める。

 夕陽を受けて逆光のように黒く染まる女は、そのままどこかへ消えてしまいそうだった。

 

 

『「マリア」────お前は、マリアだ。うちに迷い込んで来たお前を、やさしい母さんが雇ってくれたんだよ』

 

「……あぁ。そうだ、マリアだ」

 

 カテリーナ様に拾っていただいたのだ──と、彼女はようやく思い出した。

 どうして忘れていたのだろう。屋敷で働き始めてから、もう何年も経つのに。

 

「カテリーナ様は今どちらに? ……あ! いけない私ったら、洗濯を頼まれていたのに!!」

 

『っ、ちょ、急に走るなよッ!』

 

 先ほどとは逆で、今度はマリアが少年の手を引き、麦畑の中を駆ける。

 そこでふと彼女は首を傾げた。少年の手を握る、自分の右手。

 

「私に右手ってあったかしら?」

 

『あるだろ、よく見ろよ』

 

「……あれ? あなた………ティキ・ミック?」

 

『誰だそれ? オレは────』

 

 刹那、二人の合間を縫うように一陣の風が吹く。女の長い髪をさらって、緩く結っていた紙紐が解ける。

 生き物のようにうごめく髪が目元に当たった彼女は、とっさに目を閉じた。

 

 そして開けると、なぜか口をまぬけに開けた少年が彼女を見つめている。

 

「どうしたの?」

 

『あ、う、いや……べっ、別にキレイだなんて……』

 

「確かに、この黄金の世界は綺麗ね」

 

 夕陽に彩られる黄金。

 

 きっとこの世界をはじめて見た誰もが、息を飲んで感嘆するだろう。

 それほどまでに美しくて、そしてここが世界の片隅のような、そんな寂しい空気がある。

 

『それもそうだけど、………オレはお前のことを言っ』

 

「あっ、カテリーナ様だ!」

 

 遠くにある屋敷の玄関に佇む女性。その隣には少年の双子の兄もいる。それぞれ行方知れずのメイドと、その女を探しに行った弟がなかなか帰って来ないため、心配しているようだ。

 

 メイドの女は隣の少年のことを忘れ、「ガザガザガザッ!!」と、野生の獣の方がもう少しお淑やかな勢いで突っ走る。

 

「カテリーナ様ァ!! この不肖メイドがご迷惑をおかけしましたァァァ!!!」

 

 草まみれになった女はカテリーナに抱きつくと、長身なのを考慮せず、主人の顔を胸で圧迫する。

 双子の兄の方は側でおろおろとしていた。

 

『ふふっ…マリアは子供みたいね』

 

「えっ、カテリーナ様は私を産んだのですか?」

 

『……え! そうだったの、母さん!?』

 

『違うわよ、二人とも…。産んではないけど、大きな娘を持った気分、ってこと』

 

 そんなやり取りが繰り広げられている間に、少年がようやく麦畑から脱した。

 とんちんかんなことを言う兄とメイドに、呆れた視線を寄越している。

 

 双子の弟に気づいたカテリーナは微笑む。

 

 

『マリアを探してくれてありがとね、────』

 

 

 メイドはその少年の名前を耳にした途端に固まった。

 

『どうしたんだ、マリア』

 

 紅い、血が凝固したような瞳が、不思議そうな少年をとらえる。

 

 少年にはその瞳から紅い液体が流れ落ちたように見えたが、それはただ夕陽に色づけされた透明な涙だった。

 

 

 

「おかえり、────」

 

 

 

 

 

 *****

 

 (しき)のノア、ルル=ベル。彼女は変身能力を持ち、万物に変化できる。それがたとえ人間であろうとも。

 

 

 彼女はオセアニア支部長であるアンドリュー・ナンセンを殺害後、教団本部に潜り込んだ。

 

 目的は「卵」の奪還。また、クロスによって減少したスカルの増員である。

 そして伯爵が怒り狂う原因となっている『新しい家族(マリア)』の奪取だ。

 

 初めは本当なのか不思議に思っていたルル=ベルも、実際に見て納得した。

 

(あぁ…「感じる」。私のノアのメモリーが、確かにそうだと告げている)

 

 彼女がノアだと分かりながらも、マリアは攻撃しなかった。

 卵の気に当てられた女は、ルル=ベルの腕の中で眠っている。

 

 ルル=ベルはマリアの髪に触れ、梳くように撫でた。途中で引っかかることもなく、さらさらと落ちる。

 

「あぁ──!! ちょっと何勝手に入ってるんですか、バク支部長!」

 

 ルル=ベルの前を素通りし、バクに詰め寄ったのは渦を巻くメガネが特徴的な科学班のジョニー・ギル。

 立ち入り禁止の文字を読まなかったのかと、青年は半泣きだ。

 

「もぉぉ! リーバー班長に怒られるの俺たちなんスよ!?」

 

「ハッハッハ! なに、優秀なこの僕が手伝ってやろうというのだぞ? 逆に喜ばないか!」

 

 アジア支部長はオレ様何様バク様だった。ジョニーの胃がどんどん痛くなる。

 レニーもバクを止めるどころか、減るもんじゃないんだから、とさらに中へ押し入ろうとする。

 

「うぅ…誰かこの二人を止めてくれそうな人は……あっ!」

 

 ジョニーが目をつけたのは、常識がありそうなナンセンだ。

 同じ支部長の立場なら、この聞かん坊二人をどうにかしてくれるかもしれない。

 

「あのっ、ナンセン支部長! バク支部長とレニー支部長を外に出してもらえません…………あっ、え゛?」

 

 ブツッと、何か貫ぬくような音が辺りに響いた。同時に、血の匂いが漂う。

 

 レニーやバクの視線が、ジョニーの腹部に集まった。

 

「な゛っ……?」

 

 ジョニーはゆっくりと視線を下げて、驚愕する。彼の腹は鋭い触手のようなものに貫かれていた。

 触手はアンドリュー・ナンセンの腕につながっている。

 

 

 かつかつと、床を鳴らす高い音が響く。

 

 倒れたジョニーを見ることもせず、ルル=ベルは本当の姿を現す。

 

 バクやレニーはあまりに突然のことで動けない。

 

 

 その間、ルル=ベルの後ろに、黒い巨大な扉が出現した。

 そこから這い出て来たのは、その扉を埋め尽くすほどのおびただしい数のレベル3。

 

 人間たちに対し、ルル=ベルは()()を抱きしめ、微笑む。

 

 

「さぁ────はじめましょう」

 

 

 人間たちの悪夢が、始まった。

 

 

 

 

 

 *****

 

 教団に敵襲の警報が鳴り響く。

 

 いち早くAKUMAの気配を察知したアレン・ウォーカーは、卵がある研究室に向かっていた。

 

 方舟を使い侵入すれば、そこには負傷し床に並べられた研究員たちと、その側で立っている数人のスカルがいる。

 

 また無数のAKUMAもおり、卵の近くでは、褐色の肌に額に浮かぶ十字痕の──、ノアらしき女がいた。

 その腕の中には見知った顔がある。

 

「マリアさん…!!」

 

 マリアは黒衣(ドレス)の操作はできるが、まだ神ノ剣(グングニル)を扱える状態ではない。

 

 一刻も早く助けなければならない。しかし、味方の戦力が圧倒的に足りない。

 おまけに次から次へとAKUMAが襲いかかる。

 

 さしものアレンでも状況は劣勢だった。

 

「……っ、まずい…!」

 

 敵の攻撃に当たりかけた少年は、針の攻撃によって事なきを得る。ブックマンが助力に入ったのだ。

 

()け、小僧!!」

 

「ありがとうございます…!」

 

 アレンはAKUMAを破壊しながら、道化ノ帯(クラウンベルト)を敵に巻きつけ、その遠心力で一気に女のノアに接近する。

 

 卵の転送準備をしていたルル=ベルは、アレンを視界に入れると忌々しげに顔を歪めた。

 

「アレン・ウォーカー……!!」

 

 マリアを卵の上に横たわらせた彼女は、アレンに肉迫する。

 

 同時にAKUMAの攻撃も彼に襲いかかり、その隙をルル=ベルがねらう。逆に彼女の攻撃で隙ができれば、AKUMAがねらう。この悪循環だ。

 

「クソッ! 悪魔の数が多過ぎる…ッ!!」

 

 アレンがAKUMAに肢体を拘束されたその時、鞭状に変化したルル=ベルの腕が振るわれる。

 頬に衝撃が走る。その衝撃音は凄まじく、遠方に隠れていたバクたちにも伝わるほどだった。

 

「まずい、ウォーカーが気絶した! このままでは……」

 

「待ちなさいバクッ! 今私たちが出ても意味がないわ!!」

 

「レニー、だがっ…!!」

 

「……元帥や他のエクソシストが来るのを待つのが懸命よ」

 

「その前に敵が卵やハートの可能性のあるマリア、それに方舟の奏者であるアレンを連れて行ってしまう! 俺たちが少しでも時間を稼がなければならないだろう!!」

 

「けどっ…! だったらどうしろっていうのよ!? たとえ出て行ったとしても…」

 

「あっ、あの…」

 

 奇跡的にも致命傷を免れ、二人の応急処置で助かったジョニー・ギル。

 彼は友人でもあるアレンのため、一つの策を語る。

 

「即席で結界装置(タリズマン)を作れば、出ることは可能だと思います…」

 

「……!! そうか、その手があったか! なら今すぐ…」

 

「待ちなさい! 作ったとしても、出た後はどうするのよ! レベル3クラスじゃ、いくら私たちの腕でもどうにかなるとは…」

 

「作る意味は、あります」

 

 ジョニーがアレンの名を呼ぶと言う。そうすれば必ず、彼は応えてくれると。

 

「どうして…そこまで言い切れるのよ」

 

 レニーの疑問に、ジョニーは笑って返した

 

 

「アレンは、俺たちの仲間だから!!」

 

 

 一瞬呆然としたレニーは、頭を押さえる。科学班のはずなのに、非科学的なことを言っている自覚があるのだろうか。この、ジョニー・ギルという青年は。

 

「でも、嫌いじゃないわ。ノってあげるわよ、私も」

 

 そして短時間の制作でありながら、強力な効果を持った結界装置(タリズマン)が発動した。

 ジョニーはありったけの声量で叫ぶ。

 

 

「アレェェェェン!! お願い、目を覚まして!!」

 

「……ッ」

 

 伏していた少年の指が動く。銀褐色の瞳が、血まみれの中でのぞいた。

 刹那、イノセンスが発動する。

 

 拘束するAKUMAを破壊し、大剣を握りしめたアレン・ウォーカーはルル=ベルに斬りかかる。

 

「ぐっ…!!」

 

 とっさに腕を硬化させたルル=ベルは、そのまま吹き飛ばされた。

 

「卵も────大切な仲間も、お前たちには絶対に渡さない」

 

「ッハ……もう遅い! 貴様を伯爵様の手向けにはできなかったが… 卵はすでに方舟の中だ!」

 

「……っ! マリアさん!!」

 

 卵に接近したアレンは、それを囲うように支えるオブジェの先端をつかむ。というより、その先端しかもう残っていない。

 そのままアレンまで引きずられかけた時、ミランダ・ロットーの能力が発動した。

 

時間吸収(タイムリバース)!」

 

 すると卵が逆再生したかのように動き、ズズ…と、浮上する。

 アレンは見えた白い腕をつかみ、一気に引き上げた。

 

「マリアさん!!」

 

 だが女の意識はない。ひどく安らかな顔で眠っている。

 

 その直後だ。アレンの頭上に方舟の別ゲートを使って、四人の元帥が到着した。

 

 一転して窮地に追い詰められたルル=ベルは、血が滲むほど唇を噛みしめる。

 

 

「私たちの家族、お前たちに奪いはさせないッ────!!」

 

 

 

 

 

 *****

 

 アレンは一旦抱えるマリアを安全圏に運ぼうと考えた。

 場所はティエドールのイノセンスによって作られた、絶対防御の内側である。

 

 そこには負傷して科学班が並べられている。彼らの中でかなりの数が選別され、術によりスカルへと変えられてしまった。

 

 アレンはマリアを下ろし、戦いに戻ろうとする。そこで、服を引っ張られた。

 

「……マリアさん?」

 

 意識が戻ったのか、彼女の目が薄っすらと開いている。

 敵の能力によるものかは分からないが、様子が少しおかしい。

 

 黒い瞳が今は血のように真っ赤で、少年は思わず息を呑む。ふらふらと彷徨うその瞳が、彼に合わさった。

 

 

「あなた、だれ?」

 

 

 舌ったらずな声だ。アレンの心臓の音がやけに早い。脈打つ血液の感覚が頭にも伝わって、無性に喉の渇きにさらされる。

 

 やはり何かの能力で、意識が混濁しているのだろう。

 

 でも、なぜ瞳が紅くなっているのだろう? 

 寄生型ゆえ、イノセンスに影響して肉体が変化しているのだろうか? 

 

「僕はアレンです。アレン・ウォーカー」

 

「あれん……。わたしは…?」

 

「あなたはマリア。僕と同じ、エクソシストのマリアです」

 

「まりあ。えくそし………す……ッ!!」

 

 その瞬間、どこか幼げに見えた表情が、「マリア」の顔を取り戻す。

 

「大丈夫ですか、マリアさん?」

 

「…う、うん。だ、大丈夫……」

 

 震える女の手を、アレンは強く握る。仲間が少しでも安心できるようにと、笑って見せる。

 

「今、伯爵側の強襲に遭っています。師匠や他の元帥が戦闘に入っているので、マリアさんはここにいてください。恐らくここが一番安全なので…」

 

「そう……なの? でも私も戦わなきゃ…」

 

「ダメです! さっきまでノアに攫われそうになってたんですよ!!」

 

「マリアは、守らなきゃ」

 

 アヴェ・マリアは戦って、守り、地獄の中で苦しみを味わい、そうして聖戦を歩まなければならない。

 

 だからマリアは、立ち上がらなければならない。

 今、この時も────、

 

 

「僕にッ、守らせてください!!」

 

 

 アレンはマリアの肩をつかんで、そう言った。少年の顔は今にも泣きそうだ。

 

「いつもマリアさんは僕らを助けようとしてくれるじゃないですか…。でも、僕らにだってあなたのことを守らせてください」

 

「……私はそんなに、弱いかな?」

 

「違います! あなたは強くて、優しくて、時折師匠みたいな一面を見せますけど………それ含めた全部があなたらしさなのだと、僕は知っています」

 

「アレンくん…」

 

「それに、弱いのは僕の方です。何か守るものがなければ、簡単に折れてしまいそうですから…」

 

「………」

 

「だから……僕が強くあるために、僕の「守る人」になってくれませんか?」

 

 真っ直ぐに見つめられたマリアは困ったように眉を下げ、小さく頷く。

 ここまで格好よく言われてしまえば、「NO」とは言えないだろう。幻聴のように聞こえるミイラの言葉は無視した。

 

 

「でもなんか、プロポーズみたいな台詞だね」

 

「………えっ!!?」

 

「あぁいや、君が好きなのはリ」

 

「じゃあ行ってきます!!!!」

 

 マリアが言い切る前に、アレンは血の上にさらに赤くした顔で戦場に戻っていった。



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「バカ」

閲覧いつもありがとうございます。
今話に限ったことじゃないですが、大分暗いです。


 元帥たちによる蹂躙劇。レベル3のAKUMAが赤子の手をひねるように壊され、消滅していく。

 方舟の、心身ともに成長する前のアレンたちであれば、レベル3を一体破壊するだけでも命懸けだった。

 

 これがある限界をうち破り、臨界点を越えた者たちの力であった。

 

「忌々しいエクソシストどもめェ!!」

 

 ルル=ベルはミランダを人質にしながら、窮地へと追いやられて行った。

 

 

 

 一方、フロワ・ティエドールの武器、『楽園ノ彫刻(メーカー・オブ・エデン)』で作られた棘で覆われる庭の中。

 そこでマリアは何かの脈動する音を聞いていた。

 

 卵の包み込むような温かさとは違う。

 まるでそれは母の胎の中で、子が早く出たいと蹴っているような、そんな感覚だ。

 

「タップ……タップゥ…!!」

 

 心ここに在らずな女に対し、ジョニーはスカルにされた仲間の死と対面していた。

 

「やだよ、死ぬなよっ…! タップッ!!」

 

 タップ、と呼ばれた骸骨頭は最後に目の前の青年に笑いかけ、塵芥となって消えた。

 その場に崩れ落ちたジョニーは仲間の残骸に額をこすりつける。

 

「う、ぁ、あぁぁ……!!」

 

 いつも弾力のあった腹の肉の感覚を、もう感じることができない。それが途方もなく、ジョニーの胸を締めつける。

 同時に教団を襲ったノアに対し、「どうして?」という気持ちを抱く。

 

「どうして、どうして俺の仲間が死ななきゃいけないんだよ…」

 

「ガウガウ」

 

 何度も何度も地面を殴る青年の手を、黄金のゴーレムが止める。尾が紫なので、マリアのティムだ。

 ティムはバクたちがいる方を小さな手で示す。ティエドールの絶対防御を誇る庭の中とはいえ、耐久性がある。このゴーレムはより安全な方へと誘導しているようだ。

 

「ガウガウッ!!」

 

「うげぇ!!」

 

 ついで、黄金色の弾丸が女の頭にクリンヒットする。

 キレたマリアはそこでようやく正気に戻った。

 

「ガウガーッッ!」

 

「……悪かったよ。ジョニーくん、君も一緒に行こう」

 

「うぅ、ゔゔー…」

 

「泣くなよ。生きてれば、泣く時間は後でいくらでもある」

 

「タップ……ごめんな、ごめんなっ! お前のこと救ってやれなくて……」

 

 ジョニーはマリアの肩を借りて立ち上がり、歩き出す。

 

 しかし女の足が途中で止まる。

 不思議に思った青年は見上げたところで固まった。

 

「どうしたの、マリア? すごく苦しそうだけど……」

 

「声が」

 

「声…?」

 

「赤ん坊が、泣いて………ママが居ないから…」

 

 

 

 

 ────ニン、げ ン。

 

 

 その声は、()()()()だった。

 

 それは人よりも大きい巨大なAKUMAの目玉の中から発せられたもので、マリアにだけ聞こえる赤ん坊の声もそこからする。

 

 瞳の中から伸びた数本の腕が青年をつかむ。

 

「うわあああっ!!?」

 

 ジョニーの悲鳴を聞いた女はハッとして、黒衣(ドレス)で彼の体を包み引きずり出す。

 ブチッとちぎれた腕はしかし異常な速度で修復すると、今度はマリアの首をつかみ、丸呑みした。

 

「あ、あぁ……マリア!」

 

 ジョニーの悲鳴にバクとレニーが気づいた。

 

 事態を察したアジア支部長は、他にも生き残っていた本部の科学班班長を従え、救出作業を始める。

 

 始めに結界を張り、AKUMAの動きを止める。

 そしてその中に入った数名が、AKUMAの口からはみ出ている女の足を引っ張り出す。

 

(こんなところで彼女を死なせれば、フォーに半殺しにされるだろうな…)

 

 傍迷惑な迷子女──アレンとともに潜った女が秒速で消えたので、この時バクは激昂して血まで吐きかけた──は、アジア支部の襲撃が遭った際にバクを救った。

 ここで救えなければ、恩を仇で返すことになるだろう。そいつは何とも格好悪い。

 

「全員、救出を急──」

 

『に、んん げン』

 

「────!?」

 

 バクの言葉を遮るように、不気味な声が結界の周囲に響く。

 

 彼らはAKUMAを見たが、異常はない。

 そして無事にマリアの体を引きずり出し、数名の科学班が結界の外へ出ようとした。

 

 

「うまれる」

 

 

 やけに紅く映る女の口元がそう呟いた瞬間、AKUMAの瞳から無数の手が這い出てきた。

 中にいた数名はすでに外に出ていたため、事なきを得た。しかし。

 

「まずい…結界装置を維持できる電力がもうねェ!!」

 

「何だと!? それは真か、本部の科学班班長ッ!」

 

「俺の名前はリーバーです! アジア支部長!!」

 

 結界装置が壊れればAKUMAが解き放たれる。さすればこの場にいる彼らが全員殺されることになる。

 

「ッ! 総員、ここからただちに撤退せ──」

 

 バクの指示が間に合わない。結界が割れ、次々と伸びるAKUMAの手が人間を貫き、引きずり、咀嚼する。

 

(クソッ…! 本部(ここ)ではオレの封神の術も最大限には活かせない! せめてアジア支部であったなら……)

 

 どうすれば、と高速に頭を回転させる男のその一瞬が、隙を作った。

 迫る手。恐怖がバクの中でよぎった時、彼の体は横に吹っ飛んだ。

 

 

「フォー直伝、ドロップキック!!」

 

「ぐはっっ!」

 

 

 マリアが華麗にバクに飛び膝蹴りを食らわせたのである。間一髪で助かった男はしかし、激昂する。助けてもらったのに三途の川が見えた。

 

「キッ、キキ…貴様ァァァァ!!」

 

「少しでも私が時間を食い止めます。だから逃げてください」

 

「……ッ、だが、貴様はまだ体が本調子じゃなかったはずだろう!!」

 

「えぇ、だからどれだけ持ち堪えられるか分からないから、早く逃げろって言ってんだよチビ支部長」

 

「オレ様はまだ成長期が来ていないだけだ!!!!」

 

「三十路(笑)」

 

「うぐあぁぁっ、こんな時に蕁麻疹が出るようなことを言うなッ!!」

 

 マリアは笑い、かろうじて黒衣(ドレス)で防いだ数名の人間を移動させ、自身にまとわせる。

 黒いベールに隠された顔。影のような漆黒が揺らめきながらドレスとなる。この服こそが彼女の戦闘着。

 

 衣装からのぞく白い肌は蠱惑的で、ベールから紅い口元だけがかすかに見えるのもまた妙な艶がある。

 改めてその姿を見たバクは、息を呑んだ。人を魅了する闇が、ここに存在する。

 

 

「まるで、闇のHoly Mother(聖女)ようだな……」

 

「では、参ります」

 

 黄金の剣が彼女の肋から出現する。

 神ノ剣(グングニル)を握った聖女(マリア)は地を蹴り、AKUMAに挑んだ。

 

 

 それでも声が聞こえる。

 

(────私はエクソシスト)

 

 赤子の声が。

 

(私はエクソシスト)

 

 母を求めている。

 

(私はエクソシストだ……!!)

 

 

 アヴェ・マリアは戦う。

 

 今この時も、マリス=ステラは微笑み、彼女を見つめているのだ。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 戦いの結末はあっけなかった。

 

 バクたちは逃げた先で目の当たりにする。

 AKUMAの死骸を巻き込み、天に伸びる異形の姿を。

 

 その腹は膨れ、まるで子を宿す女のようだった。

 白く発光する身体の腹には、「4()」と刻まれている。

 

 その下部には木の根のような無数の触手が伸び、人間の血を吸っている。

 

 そして壁に縫い止められ、ずり落ちた女の体にはいくつもの穴が空いていた。

 マリアは動かない。しかし口元だけは微笑んでいた。

 

 

 ────レベル4。

 

 

 それは教団にとっても、歴史を記録するブックマンにとっても、史上初の遭遇であった。

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

「本当に無茶をしますね、貴女は…」

 

 遅ればせながら着いたテワクが、気絶している女を運ぶ。ケガを確認したが、やはりと言うか、イノセンスが凝固して血を塞いでいる。かすかに呼吸して、マリアは生きていた。しかし体はボロボロである。

 

「あれが、レベル4…」

 

 頭に円環の輪を浮かばせるレベル4。その体は人間のようで、張ったような腹部は子どものそれに似ている。小さな体格に内臓が詰まっていて膨れている姿と同じだ。

 

 今はアレン・ウォーカーが戦っているが、一方的に追い込まれている。

 

「テワク、ちゃん……?」

 

「起きましたか。誠に申し訳ありませんでした。貴女を護衛することができず……」

 

「……いいよ。あなたにも色々とあるらしいのは知ったから。それより…」

 

 現状はどうなっているのかマリアは監査官に聞き、困惑した様子だ。何せレベル4が出現したのである。

 

「これ以上戦おう、などとは思わないでくださいね。長官にも言われましたので」

 

「………大丈夫? テワクちゃんの首が飛ぶってことないよね?」

 

「私の心配より、貴女の心配です」

 

「でも、あなたもボロボロじゃない…」

 

 道中戦闘に巻き込まれたテワクの服はところどころ破れ、薄汚れている。剥き出しになった肌はしかし、人間の色をしていない。無機質な冷たさがのぞくばかり。

 

 この少女の体は一部、機械でできている。

 

 風呂に入る際にこの事実を知ったマリアは、だからこそテワクの過去に「色々ある」と察したのだ。

 

「生身のエクソシストよりは動けますのでご安心を。いざという場合は私の命を使います」

 

「……バカなこと言わないでね。貴女が監査官で良かったって思ってるんだから」

 

 少なくともあのとっつきにくそうなハワード・リンクよりはマシだ。それに幼さの抜けきらない一面を少女がのぞかせるたびに、そこがマリアに擁護欲に似た感情を抱かせる。

 

 守らなければ──ではなく、守ってあげたい。そう思わせる。

 

 マリアにはこれが不思議な感覚だった。自分に子供がいたら、もしかしたらこのような感情を抱くのではないか、と感じる。

 ロード・キャメロットに抱くものと似ているかもしれない。

 

 

「でも、無事にここから出られるかな?」

 

「…はい?」

 

「だって、赤子は泣くんだもの」

 

 テワクが女の意図を図りあぐねている時、音速よりも早い衝撃波が起こった。部屋全体を揺らし、聞く者の聴覚を狂わせる。空気が震え、床に転がっていたビーカーが割れた。

 

「うぁぁ……! 頭がッ、割れるよう、ですわ……っ!!」

 

 素の口調になった少女は頭を押さえながらマリアを見る。

 

 音の発生源はレベル4で、元帥までも音によって著しくイノセンスとのシンクロ率が下がり、戦闘不能に陥っている。

 

 

「……なぜ、貴女は、笑っているのですか…!?」

 

 

 血の涙を流し、アヴェ・マリアは微笑んでいた。

 愛おしげに紅い瞳が、赤ん坊(レベル4)をとらえている。

 

 そして矛盾した感情にさらされる女の心は磨耗し、苦しめられた。



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箱の中身は何じゃいな

 ────世界は愛で満ちています。

 

 ────戦いなさい、マリア。

 

 ────赤ん坊が生まれました。微笑み、祝福しましょう。

 

 ────戦いなさい、マリア。

 

 ────抱きしめ、愛を捧げましょう。

 

 ────戦いなさい、マリア。

 

 

 マリアは頭の中でこだまする声に今にも発狂しそうだった。

 

「……リア、マリア! しっかりしてくださいっ!!」

 

 テワクが彼女の体を揺すり、声をかける。

 青白い顔の女は不自然に伸びる爪──しかも黒い──で、己の顔を引っかこうとしている。

 その異様な状態に監査官の少女は背筋が寒くなる感覚を覚え、首を振る。

 

「ぐっ……!!」

 

 レベル4が放った攻撃が、無作為にその場にいる人間を襲う。

 マリアは突き飛ばされるようにして、壁に吹き飛んだ。対してテワクは義肢の部分が焼けこげ、その生々しい機械の色が浮かび上がっている。

 

 レベル4はその後、第5研究所(ラボ)を出て、外に侵攻を始めた。

 教団本部内は緊急連絡が入り、可能な者は速やかに方舟のゲートを通じてアジア支部に避難するよう指示が出される。

 

「私たちも行きましょう」

 

「………」

 

 テワクはマリアの手を引く。

 あれだけボロクソに蹂躙されたというのに、この女はレベル4が出て行った場所へ向かおうとしている。

 

「テワクちゃん。戦わない私は、何?」

 

 戦えないわけじゃない。血反吐を吐くかもしれない。さらなる痛みを味わうかもしれない。

 けれどエクソシストはその上で戦う存在だろう。

 

 戦わないマリアはならば、“何者”なのだろう? 

 

 いっそ────いっそのこと、彼女を迎えにきたルル=ベルの手を取れば、これ以上周りの人間が犠牲にならずに済むのではないだろうか? 

 

「……貴女はどうしてそこまで戦場にこだわるのですか? 「戦わなければ、守らなければ」──と。それとも、そこまで貴女を駆り立てる理由が、何かあるのですか?」

 

「………」

 

 クロスの言葉がその時ふいに、彼女の脳裏によぎる。

 

「マリア」が何者なのか、彼女自身が気づいていると、男は言っていた。

 

 もう、もう、知らないふりはできないところまで来ている。

 

 

「……! ……はい、監視対象は現在私とともにおります」

 

 テワクがつけていたイヤホン型の通信機器に連絡が入った。

 少しのやり取りを終えて、通信が切られる。

 

「長官からの命令です。ただちにアジア支部へ向かいます」

 

「………」

 

「…貴女はいつまで悩んで、グズグズしている気ですか?」

 

「分かんないよ……!!」

 

 ハァ、と監査官の少女は息を吐く。

 

「この戦いにいるのは、貴女だけなのですか? 違うでしょう? 他にも戦うエクソシストがいます」

 

 戦う方はいつも、前を向いて後ろにいる守る者のために戦えばいい。

 しかし守られる側の者たちは、そんな彼らを送り出して、待つしかないのだ。時に弱い己に無力感を抱いて苦しむ。

 

 

「待つ方もまた、覚悟がいるのです。戦いに出た者が帰って来ないかもしれない。それでも彼らの「(ホーム)」であるために、唇を噛んで堪えるのです」

 

 

 ぁ、とマリアは小さく声を漏らす。

 

 そうだ、言っていたではないか。アレンが彼女に“守られる側”になって欲しいと。

 それすなわち、ボロボロでも帰ってきた少年に「おかえり」と言ってあげる立場で。

 

 守るものがあるから、戦う者たちは傷ついても諦めずに戦うことができる。

 

 

「私、アレンくんの言うこと、信じてあげられなかったんだ…」

 

 鼻の奥がツンとした。

 ぐちゃぐちゃに悩んでいた女はそこで、一旦思考を止めて、深呼吸する。

 

「…うん、もう大丈夫。行こう、テワクちゃん」

 

「本当に大丈夫なのですか?」

 

「……ごめん全然大丈夫じゃない。みっともなく泣きそう」

 

「…そうですか」

 

 テワクは歩くのも辛そうな女を背負い、歩き出す。

 後ろからは少女の背中に顔を埋めて号泣する声が聞こえる。

 

 

(………上官はなぜ、「マリア」という存在にここまで気にかけるの?)

 

 

 テワクには疑問だった。少なくとも今こうして泣いている女は、大きな影響力を持つ人間には見えない。

 

 しかし時折瞳が紅くなった時、雰囲気が一転して冷たくなる。

 

 その変化は一応、イノセンスの体内で占める割合が大幅に広がったことで、起きるもの──だという風に科学班たちは考察していた。

 

 

(「マリア(彼女)」はもしかしたら、聖戦において何か重要なカギを握っているのかもしれませんわ…)

 

 そう考えるテワクの後ろではいつの間にか、小さな寝息が聞こえている。

 心身ともに疲れきった女は、とうとうダウンしたようだ。

 

「……寝顔は子供っぽいですわね、あなた」

 

 

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 

 夢。

 

 

 

 

 厚着をした少年が廊下を歩いている。堂々と真ん中を歩くその子供に使用人たちは頭を下げた。

 

 窓から覗く景色は一面の銀世界。手を伸ばせば届きそうな曇り空だ。

 

 少年はこれから外に行くつもりだ。

 

 双子の兄は朝から楽しそうな彼を見て、少し羨ましそうだった。少年の片割れは病弱で、今は少し風邪気味だ。だから彼はその兄がいる部屋から雪だるまが見えるように作って、早く治るように祈る気でいる。

 

「おいマリア、ちょっと協力しろ!」

 

 マリア。そう呼ばれる女は、この屋敷のメイドである。

 

 中から返事はない。まだ寝ているのだろうか。他の使用人はすでに働き始めているというのに。

 

「給料ドロボーとはいいご身分なこって…。開けるからなぁ!」

 

 ガチャ、と扉を開けた少年はひっくり返る。

 下着姿の女が、毛布を肩に引っかけて真ん前に立っていた。

 

「なっ、なな………なぁ……っ!!?」

 

 顔を真っ赤にした少年は物言いたげに口を動かす。

 視線はばっちり白い胸元に釘付けで、慌ててそらした先には白い太もも。鼻からつう…と赤いものが流れた。

 

 

「だれ、キミ」

 

 首を傾げる女は本気でわからない様子だ。もう何年も仕えてきた主人の息子を忘れている。

 

「またかよ……」

 

 異様なこの状況はしかし、少年にとっては日常茶飯事のこと。

「お前はマリアで──」と簡潔な説明をして、女がプチ記憶喪失から戻ったところで協力の約束を取り付けた。

 

「ところで何で鼻血出てるんですか?」

 

「……〜〜ッ!! うっせぇ、ババア!!」

 

 少年はこの後このメイドの地雷を踏んで、頭ぐりぐりの刑に処された。

 

 

 

 そして、その夕方。

 

 協力者の女が行方知れずとなった少年は屋敷を探し回った。大きな雪玉を二つ作ったものの、一つを上に乗せられないまま終わった。

 

 女がいたのは倉庫に使われている部屋で、埃の積もったソファーに腰かけ窓を眺めていた。

 

「心配させんなよ、もう!!」

 

「……? キミ、誰?」

 

 それが少年とマリアの日常だった。

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 マリアは少年が赤ん坊だった頃、小麦畑で佇んでいたところをカテリーナが発見し、連れて帰った。

 

 小麦畑の中にいた以前の記憶がなく、医者は認知障害の一種だろうと診断した。

 

 マリアの動作は時折ひどく幼い。

 ついさっきまでできていたテーブルマナーが突然分からなくなって、半べそでカテリーナの腰にしがみつくこともある。

 

 主人のカテリーナはそれに苦笑しながらも、温かい目でマリアを見守っている。

 

 

 だが少年はどうもこの女を好きになれなかった。

 

 こう、何だか見ていると心臓がバクバクして、冷静さが失われていく。だから嫌なのだ。

 

 そんな少年は時々、遠くを眺めるマリアを見かけた。

 

 

 

 雪が過ぎ去り、麦の青芽が芽吹く頃。

 

 掃除の途中で廊下に突っ立っているメイドの女に、少年はそっと近寄る。

 

 女の視線の先には夕陽がある。紅い瞳で同じく赤い陽を見つめる様は息を飲む美しさがある。けれど何故かそこに温度がない。暖かな色に包まれているはずなのに。

 

「………」

 

 少年は思わず白い手を握った。そうしないと、そのままどこかへ行ってしまいそうな危うさがこのメイドにあったから。

 冷たい手が一瞬硬直して、紅い目が少年をとらえる。

 

「…何、見てたんだよ」

 

 マリアは微笑み、いつもとは違う「様」を付けないで、少年の名を口にする。

 

 この時の彼女はマリアであるが、少年は別の得体の知れない()()()だと感じていた。

 

「早く死ねばいいのに。神よ早く死んでくれ」

 

「は?」

 

「夕陽が沈んだら、また次が来る。神が回しているの。明日が来てしまう。だから神が早く死にますようにって」

 

 ただでさえ儚さを滲ませる女が、この少しイかれている時はさらに危うい。

 

「……何であんたは、オレの前にだけ現れるんだろうな? カテリーナにもアイツの前にも現れないのに…」

 

「ふふふふ。さぁ? きっと神のみぞ知ることよ」

 

 マリアは笑い、少年に顔を近づけて、じっと見つめる。

 ふつふつと沸騰するように、少しずつ少年の顔が朱に染まる。妙に甘い香りが追い打ちをかけた。

 

 しかし助け舟の如き声が聞こえて、我に返った。カテリーナが彼と女メイドを呼んでいる。

 

「晩飯だ。ほら、行こうぜマリア」

 

 マリアの目は、またあどけないものへと変わっていた。

 

 

「あなた誰?」

 

 

 そんな、日常。

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 また白銀の季節がやって来る。黄金の麦が風に揺れ、その中を双子の兄弟が駆けていく。

 

 マリアは主人の後に続き、開けた場所でゴザを敷いた。カテリーナの手には昼食の入ったバスケットがある。

 

「ねぇマリア」

 

「はい、何でしょうか?」

 

「マリアは、私のことが好き?」

 

「え……? いっ、いけませんカテリーナ様! カテリーナ様には旦那様がいらっしゃるのに…!! 私は旦那様を見たことがありませんが…」

 

「んもう、ふざけてないで。「ラブ」じゃなくて「ライク」の話よ」

 

「あ、あぁ、なるほど…。えぇ、もちろんでございます。カテリーナ様に拾って頂かなければ、私はそこら辺でのたれ死んでいましたので」

 

 そう、とカテリーナは呟いて、嬉しそうに笑う。

 

「ならあの子たちは好き?」

 

 カテリーナの視線の先には、麦畑を駆け回っている双子の姿がある。

 愛おしげに見つめるカテリーナに、マリアもそちらに視線を移す。

 

「カテリーナ様の御子なら」────そんな理由がなくとも、双子のことは好いている。

 

「好きですよ。彼らももちろん」

 

「そう…よかった」

 

 なぜ突然そんな話をしたのだろうかと、メイドの女は疑問に思った。

 そう言えば主人の表情が少し暗い。何かあったのだろうか。

 

「あのね……。次期当主が、まだ若いけどサイラスになるそうなの」

 

「サイラス?」

 

「私の弟よ。前にも話したじゃない」

 

 研究ばかりで、執事にも「変人だ」と噂されているカテリーナの弟。

 しかし己の主人や双子以外と関わりを持とうとしない女は、その話を耳にすることはあっても、これまで右から左に聞き流していた。

 

「というか、その弟君と会ったことがないような気がします」

 

「本当? あなたのこと嫌ってるみたいなのは知ってたけど……」

 

「私がボケてるからですか…?」

 

 露骨に落ち込んだメイドの女に、カテリーナは頭を撫でて励ます。

 

「あなたはあなたよ。ちょっと抜けていても、そこ含めて愛嬌なんだから」

 

「……! か、カテリーナ様ァ!!」

 

 感極まった女は主人に抱きつき、犬の如くすり寄った。双子よりも言動が子供っぽい。

 

「ねぇ…もし何があっても、あなたはあの子たちの側にいてあげてね」

 

「はい! カテリーナ様のご命令なら」

 

「命令じゃないわ。お願いよ」

 

「お願い?」

 

 カテリーナは微笑み、またマリアの頭をひと撫でした。

 

 

「あなたなら、きっと私以上にあの子たちを愛せるから」

 

 

 それはカテリーナが何もないマリアに贈った言葉だった。

 

 人は「愛」を通して変わる。

 そう信じるカテリーナは、「愛」を通して、マリアにも変わって欲しいと願った。

 

 専属の侍女として、長くこのメイドが側にいるからこそわかる。

 

 マリアには本当に何もない。記憶も、何もかも。

 

 その全てが、薄っぺらの紙の上で消えかかっているインクのように見える。

 

「あなたも大切な私の家族よ」

 

「……家族?」

 

「えぇ」

 

 カテリーナの言葉をマリアは理解できていない様子だった。

 

 

「母さん見て! バッタが取れたよ!!」

 

「オレはヘビ取ったぜ!!」

 

 

 その時、ゲテモノを捕獲した双子が麦畑を駆けてきた。

 病弱気質の兄は左手に足のもげたバッタを。元気過ぎる弟は両手にがっしりと掴んだヘビを。

 

「ヒッ! ………」

 

「おっ…お気を確かに、カテリーナ様ァァ!!!」

 

 意気揚々な子供たちに対して、母親は卒倒してしまう。

 カテリーナが最後に見たのは、双子の兄の頭でピクピクと痙攣するもげたバッタの足だった。

 

「「母さん!?」」

 

 ゲテモノを持った二人は、追い討ちをかけるようにカテリーナを囲む。一瞬蘇った女は、きゅう…と、また目を回して倒れた。

 

「お二人とも……覚悟はいいですね?」

 

 微笑だメイドはげんこつを握った。

 

「いっで!! 何でオレだけ?! マナは??!」

 

「だってマナ様は女の子よりか弱いから」

 

「えっ……?」

 

「何だよそれ! ()()()()()だろ、クソババア!!」

 

 弟はヘビの頭をわしづかみ、ブンブンとマリア目がけて振るう。

 だがこのメイドの女は無駄に身体能力が高い。躱され続けた末、彼はつまずいて転んだ。

 

 オロオロしていた兄は、転けた弟の手を引っ張って起こし、カテリーナに謝りに行く。

 

 マリアは腕を組み、その様子を見つめながらよぎる穏やかな感情に、これがもしや「愛」なのか? ──と、胸に手を当てた。

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 マリアがカテリーナに拾われから随分と月日が経った。

 

 当初は記憶障害を持つ女にカテリーナのみならず、他の執事や使用人も優しく接していた。

 しかし人々は次第にメイドの女を好奇な目で見て、恐れるようになった。

 

 マリアは何も変わらない。少年だった双子が青年に近い年頃になっても、何も変わらない。

 

 見目が変わらず、少女のように笑い、「カテリーナ様」と言う。

 

 執事たちはそれを見る度に、嫌悪の表情を浮かべた。或いは、魔女なのでは──と、疑う者もいた。

 

 

 マリアの周囲にある「害悪」に、少年は舌打ちこぼす。

 女は今日もカテリーナの部屋にあるソファーに腰かけ、外を眺めていた。

 

「あら……あなただぁれ?」

 

「カテリーナの息子」

 

「…あぁ!」

 

 もう何十回も、何百回も同じやり取りが繰り返されてきた。

 少年は幾分も縮んだ背丈で彼女に近づき、女の顎をすくう。

 

 少年の表情はひどく余裕が無い。とっくの前にメイドの女に抱く感情が恋なのだと理解した。

 自覚してからの行動は早かった。

 

 好きだ好きだ、とまるでわがままな子供のように言っていた最初の頃。冗談だと相手にもされなかった。

 

 少し成長してからは格好つけるようになった。こっそり買ってきたバラの花束を兄に見られて、「(……ニコッ!!)」とされたこともあった。メチャクチャ恥ずかしかった。

 少年の感情が本物らしいとようやく分かった女は、それでも流し続けた。

 

 

 そうして二人の駆け引きが続いて、今に至る。

 

 もう無理やりキスしてやる、ぐらいに少年は追い込まれている。

 

「………」

 

「……あの、いつまでこうしてる気?」

 

「〜〜ッ、うっせェ!」

 

 見つめ合いが数分続いて、結局少年は行動に移せず撃沈した。

 顔を離そうと思っていたところで、ちゅっ、と頬に軽い感触が当たる。

 

 見れば、ニヤ……という感じで笑う女の顔があった。

 

 

「…………ババア変態死ねっっ!!!」

 

 

 部屋を吹き飛ばす勢いで少年は出て行き、クスクス笑う女の声だけが部屋に残された。

 

 

 

 想いを寄せれども、なかなか叶わない。

 しかしこの関係がどこか居心地がいいと思っている節も彼にはあった。

 

 マリアがずっとメイドとして側にいるという考えがあったからこそ、尚更。

 

 

 だがその均衡が崩れる。

 

 

 

 ────カテリーナが死んだ。

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 記憶のないマリアを気味悪がりもせず、温かく接してくれたカテリーナ。

 

 マリアにとって彼女は唯一無二の主人であり、恩人でもあり、母親のようでもあった。

 

 カテリーナだった肉体は肌が黒く変色して、見るも無残な姿になっている。

 

「カテリーナ様…」

 

 今は朝日が昇る前。夜明けが来ればカテリーナの遺体は埋葬されるだろう。それも恐らく遠くに。

 

 マリアは冷えた黒い手を握る。

 

「なぜ、なぜですか、神よ。なぜ私から奪ったのですかッ!! カテリーナ様を…………カテリー……」

 

 言葉は途中で止まる。

 黒い手を見つめる女は、ついで主人の顔を見る。

 

 

「カテリーナって、だれ?」

 

 

 マリアには、何もない。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 夢を見るマリア。彼女は夢の中で、さらに夢を見ている。

 真っ白な空間に一人座り込み、頭を押さえてうずくまっている。

 

 

「違う、違う、ちがうちがうちがう!! こんなの()じゃない!! 知らないッ! 知らない…」

 

 

 否定の言葉を続ける女の耳に、靴音が響く。

 

 そこにはティキ・ミック────いや、夢の中で見た双子の弟がいる。名前の方はどうにも思い出せない。

 

 男は笑うと、また一歩彼女に近づく。

 

 

『愚かなマリア。お前には何もない。あるのはただの気が狂うほどの“愛”だけ』

 

「違う、私には感情がある! 私は自分で自分の道を進んで来たんだ!!」

 

『神に愛され、踊らされ、壊れた人形が踊り続けられるわけがないというのに、神も酷なことをする』

 

「黙れ…!!」

 

『可哀想に、お前の運命は絶望しかない。神の道具になることを選び、必死に進んで来た。確か、無辜の命を救いたい…だったか? ハハッ! ………だが、お前の望みはどこまでも叶わない』

 

「黙れッ!!!」

 

 男はマリアの肩を抱き寄せると、背中を撫でた。

 

『オレはお前だから』

 

「だまってよ……」

 

『マリアの『守りたい』も、全部“()”から来てるんだ。マリアは愛せずにはいられない。何もないけれど、“愛”に飢えている。マリアは壊れてるんだ』

 

「知らない、私はそんなの知らない」

 

『嘘付け。お前はかつてのシスターに家族の『親愛』を抱いた。伯爵やロードに『愛情』を抱いた。仲間たちに『友情』を抱いた。AKUMAと人間の愛の悲劇を見た。エクソシストとAKUMAの悲劇さえも。お前の全てに、『愛』が関わっていないとどうして言える? マリアは、『愛』をなぞらえて生きているじゃないか』

 

「……()()()が言ったんでしょ。「愛を知れ」って」

 

 マリアが男を睨め付けた途端、青年は笑みを深めた。

 その姿が男から、メイドの女に変わる。

 

 二人の容姿はさほど似ていない。ただ血のような瞳だけは瓜二つだ。

 

 

『マリアはじきに思い出すでしょう。忘れている「マリア」の記憶を」

 

「アンタが言った、「Ave Maria」って言葉は……」

 

『あぁ、それ?』

 

 随分と前にミイラのバケモノがマリアの夢の中で投げかけた言葉、「Ave Maria」。

 

 

『「おはよう、マリア」────目覚めの挨拶にはピッタリでしょう? うふふふ…』

 

 

 あぁ。もうマリアは、彼女は、自分を騙し続けることができない。

 ゆっくりと、メイドの女の口が開く。心底楽しそうに笑っている。

 

 

 

『貴女は神の使いマリス・ステラに愛された────、

 

 

 

 ──────ノア、「聖母(マリア)」』

 

 

 

 

 

 メイドの女は、固まった女をやさしく抱きしめた。

 

『さぁ、聖戦を終わらせましょう、マリア』

 



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秘密の茶会

「僕が教育しちゃるーー!!」
「うるさいのう、お父様」
「僕が教育し直しちゃるーー!!」
「ほんと兄サンキショイ」
「ほら…デザイアス、ボンドムの二人はどうだのぅ?」
「えっ………論外」

「「ひでぇ!!」」

実質パパンは伯爵なノア一家(いや、ママンか?どっちでもエエけど)。

(本編とは一切関係ありません)


現在アルマ=カルマ編。
多分ここらでお話が一気に進むかなと。ワイズリーくん出てこいヤァ!


「グルガウ!! グルルル!!」

 

「こら、ティムキャンピー! 重傷者に噛みついてはいけませんわ!!」

 

「グルルルル!! ガァァァァ!!」

 

 ひどい倦怠感の中で目を覚ましたら、視界が真っ暗だった。

 

 さてはティムだな。案の定だった相棒をひっぺがえす。

 薬品のにおいが鼻につく。病室らしいのだけれど、妙に頭が働かない。

 私の体には無数のチューブやらが腕に取り付けられている。

 

「安心して下さい。既にレベル4との戦いは収束しました。取り敢えず貴女は、絶対安静です」

 

「テワクちゃんさっき「〜ですわ!」って言ってなかった?」

 

「気のせいです」

 

「私のこと「殿」じゃなくて呼び捨てで呼んでたのも?」

 

「えぇ、気のせいですわ………ッハ!!」

 

 思わずニヤけた面をしたら、顔を真っ赤にしたテワクちゃんが睨んできた。それなりに彼女も私に気を許してくれるようになったのだろう。

 

「意識の方は問題ありませんか?」

 

「…? うん、大丈夫だけど」

 

「そうですか…。まぁ、冗談をおっしゃるくらいですから、確かに問題なさそうですね」

 

 どうやらアレンくんの報告で、「意識障害が見られたため、ノアに何かされた可能性がある」とあったらしい。

 確かに大分あの時は取り乱していたかもしれない。

 

「ではこれまでの経緯の続きを……と行きたいところですが、長くなるのでお茶でも淹れて来ましょう」

 

「茶菓子!! プリーズ!!!」

 

「……分かりましたよ。その代わりちょっとだけですよ」

 

「ありがとうツンデレテワクちゃん!!」

 

「私は「つんでれ」じゃありませんわッッ!!」

 

 テワクちゃんはプンスカしながら出て行った。

 部屋に残されたのは私とティムだけ。上体をベッドに戻したら、スプリングが軋む。

 小さな相棒は胸の上に乗って、じぃとこちらを見つめる。

 

 

「滑稽だね。「マリア」の望みは誰かを救うとか、そんなんじゃなかったんだ」

 

 

 守りたいという感情は「マリア」の本願の副産物に過ぎなかった。

 アヴェ・マリアの望むこと、それは聖戦の終結。

 

 愚かだね。私は本当に、敷かれたレールの上で踊ってただけなんだ。

 でももう、考えなくていいんだ。自分が何者なのか知ってしまったから。

 

「私が私でなくなって、狂ったとしても……お前は私の側にいてね」

 

「ガウ!」

 

「ふふ……お願いだよ」

 

 私もいつか、本当にあの狂ったメイドの女のようになるのだろうか。

 

 自分を知れば知るほど、私を形作る土台が壊れていく気がした。

 

 

 

 

 

 *****

 

「色」を司るノア、ルル=ベルの襲撃により、教団本部は甚大なる被害を受けた。

 

 

 AKUMAのボディを造る「卵」は敵に奪われてしまったものの、エクソシストの連携した攻撃により壊すことはできた。

 

 伯爵側は直すにしても相当な時間がかかると予想されている。その間に教団側は今の体制の計り直しを余儀なくされた。

 

「被害の大きさもさることながら、伯爵に本部の場所がバレてしまった以上、本拠地の移転は確実に行われるでしょう」

 

 またテワク曰く、レベル4の破壊に一役買ったのがリナリー・リーだったと。

 エクソシストの血を媒介にしてできた彼女の武器は、「結晶型」と名づけられた。

 

「進化か。おぞましいねぇ」

 

 紅茶の湯気が揺らぐ。

 どこか他人事のように呟く女の横顔が、妙にテワクの記憶に残った。

 

 

 

 

 

 *****

 

 とある舞踏会にて。

 

 

 頰を赤らめる数人のご令嬢の真ん中に、長い黒髪を結えた美青年が立ち、愛想のいい笑みを振りまいている。

 今日の舞台の主役がこの男だと言わんばかりだ。

 

「ミック候、久しく会っておりませんでしたが、お元気でしたの?」

 

「お久しぶりですね、マダム」

 

 いつもの薄汚れた服とは違い正装を着こなすティキ・ミックは、周囲の誰もが見惚れるほどの美丈夫だ。

 遠目からその様子を眺めるロードは、隣の男──義父のシェリルに頭を撫でられながらニヤニヤを隠さない。

 

「ティッキーモッテモテェ〜〜」

 

「そりゃあモチロン、僕の格好いい義弟(おとうと)だからね」

 

「ボクの方がティッキーの側にいるあの人間よりも、ぜーんぜん可愛いのに」

 

「ロードより可愛い存在なんてこの世にいないさ!」

 

 愛娘にベッタリなシェリルをよそに、ロードは手すりから飛び降り、千年公の元へ向かった。

 

 

 

 舞踏会の後には、悪役たちのティータイムが催される。

 甘党の千年公は角砂糖を飽和するまで紅茶に投入する。ロードでさえ、「うわ…」と引く光景だ。

 

 伯爵を主体として会話の中心に挙げられたのは、ハートや「14番目の協力者」についてであった。

 

「「ハート」は確実に目覚めています。教団側にハートを見張らせるため多少の痛手は必要でしたが、ギブアンドテイクを考慮すれば寧ろ儲けものでしょう」

 

「千年公も策士だね。エクソシストは誰が「ハート」なのかと仲間内で疑い合う。躍起になればなるほど、(ハート)にとっては動きにくくなる」

 

 カップを優雅に持つシェリルはその所作とは対照的に、口元が怪しく弧を描いている。

 

「千年公、暗いけど大丈夫ぅ?」

 

 内側を見透かすような少女の瞳が千年伯爵に向けられる。揺れる水面をぼんやりと見つめていた伯爵は、目を丸くした。その表情は愛嬌が滲み出て、ずいぶんと幼く見える。

 ロードはシェリルの膝から降りると、伯爵の顔をのぞきこんだ。

 

「心配なんでしょ、家族のこと」

 

「…えぇ」

 

「ボクには千年公の考えてること、なーんでもお見通しなんだからねぇ」

 

 ちなみに任務に失敗したルル=ベルは、いま現在かなり落ち込んでいる。

 

「その…新しい家族っていうか、新しいノアってよ、14番目みたいに黒の可能性ってないわけ? あの女もエクソシストだし、イノセンスと手を組んでる可能性もあるんじゃねぇの?」

 

「それもそうかもね。さすが僕の弟♡」

 

「ちょっと近付かないでくれる兄サン? いや、ほんと、マジで」

 

 腕を絡めてきたシェリルを蹴り、ティキは物理的な距離を置いた。

 

 

「家族と一緒にいたいと思うのは、変ですか?」

 

 

 伯爵は穏やかな笑みを浮かべる。

 黒か白か、それすら関係なく「家族」なのだと、そう思っているように感じられる微笑だ。

 

「……千年公〜」

 

 ロードは喉の溜飲が下がると同時に、伯爵に思い切り抱きついた。

 

「おやおや。甘えたですか、ロード?」

 

「ふふ、いっぱい甘やかしてよぉ」

 

 微笑ましげな空気の中、時が流れる。

 

 

 

 

 

 そして茶会が終わった。大臣としての役目があるシェリルも居なくなり、花が咲き誇る庭にはティキとロードしかいない。

 伯爵は腰掛けたまま、完全にお昼寝モードだ。

 

 ティキは何もすることがなかったため、花を眺めながら庭園を歩くロードの後に続いた。

 

「千年公はあぁ言ってたけどさ、ロードはどう思ってるだ? あの女のこと」

 

「あの女じゃないよ、「マリア」だよ」

 

 ジロッ…と睨む少女に、両手を上げた男は了承する。

 

「お前はいつから違和感を持ってたんだよ。結構前から…マリアのこと気にしてたっぽいし」

 

「…ずっと前からモヤモヤはしてたよ」

 

「俺はあんまどうとも思わなかったけどな」

 

「ティッキーはアレンを倒すことばっかり考えてたもんね」

 

「うっ、ソレはあんま言うなよ…」

 

 伯爵から頼まれ、14番目の関係者を殺し回っていたティキ。

 

 アレンの生存は予想外であったし、尻拭いのためにかなり力を弄した。

 最悪伯爵のプッツンが予想できたので尚更だった。彼が「快楽」の力に覚醒したので、最終的にチャラな雰囲気にはなったが。

 

「神が新たに…気まぐれに生み出したノア。ボクの「夢」やティッキーの「快楽」みたいにどんなメモリーを持っているかはまだ分からない。それにもしかしたら、ボクらの害悪に足り得る存在になるかもしれない」

 

「…それ全部踏まえて、伯爵は受け入れるっていうんだろ? 多分、お前もさ」

 

「うん、当ったり前〜。マリアは絶対に神に渡さない。そもそもあそこまで神に愛されながら踊らされているのも、変だったんだ」

 

 ロードは棘を気にせずバラを掴み、手のひらで握りつぶした。

 切れた部分からは血と、バラの破片が落ちる。

 

「“ノア”だからこそ、神に愛されていた」

 

「普通イノセンスだから、じゃねぇの?」

 

「違うよティッキー。真に神に選ばれた者はボクたち“ノア”なんだ。エクソシストじゃない」

 

 バラの残骸がじりじりと、ローファーの靴底に踏みにじられる。

 

 

「ボクさ、言ったんだよマリアに。『Ave Maria』って」

 

 

 方舟の際、神田との戦いに敗れて死んだ「怒」を司るノア、スキン・ボリック。

 

「怒」のメモリーはどのノアよりも激しく、メモリーに自我が侵されやすい。

 そのため、ノアの中でもスキン・ボリックは顕著にイノセンスへ憎しみを抱いていた。

 

 そんな彼が死んだ時、ノアのメモリーを持つ者はみな揃って涙を流した。

 強い「怒」のメモリーに反応し、各々のメモリーが泣いていたのだ。

 

 その時ロードは、マリアに渡していた人形越しに彼女が泣いているのを見た。

 前触れもなく自分たちと同じように涙を流したマリア。決定的な決め手はそこだった。

 

 自分の感情を揺るがすマリアという存在。その存在に、理由が付いた。

 

「ノアだからこそ、ボクや伯爵、ジャスデビやルルも感情を揺さぶられたんだ。まぁジャスデビは、特にデビットの方が反応してたみたいだね」

 

 

 だからこそロードは『Ave Maria』と口にした。

 新しく目覚めた家族に、祝福の言葉を。

 

 

「『Ave Maria』────おめでとう、マリア。ボクから新しい家族に贈った、お祝いの言葉さ」

 

 

 踏み潰したバラから視線を移したロードの微笑みに、ティキは喉を鳴らす。

 口は笑っているのに、少女の瞳は今にも泣きそうだ。

 

「…どうしたんだよ、そんな泣きそうなツラして」

 

「へへ、何でかなぁ…分かんないや。分かんないことばかりだ」

 

 

 新しい家族。そうであるはずなのに、ロードは沸き起こる嬉しさの反面、胸の内に沈む悲哀に、自分でさえ首を傾げたい。

 それにまだ、マリアに対し疑問に思うことがある。

 

 死にかけていたマリアに、少女が言った言葉。

 

 

『ボクを置いて行かないで!!』

 

 

 新しいノアならば、そんな言葉を投げかけるのはおかしい。

 

 何故自分がそう言ったのか、ロードにも分からない。

 ただ脳内に一瞬過ぎった「置いて行かれる」。その感情は確かに、紛れもなくあった。

 

「マージで、分っかんないなぁ…」

 

 答えは出たはずだ。だがさらに深まる疑念に、ロードは一人頭を悩ます。

 

「マリア…会いたいよ」

 

 

 切ない声が、羽ばたく白い鳩と共に空へと吸い込まれた。



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すやぁ

 本部の移転が正式に決まった。そのためどの部署も整頓作業に追われている。エクソシストも例外ではなく、片づけ作業を行っていた。その中の一部は荷物運びとして駆り出されている。

 

 マリアも自室の片づけを行っているのだが、本棚、あるいはダンボール箱にぎっしりと詰まっているその量はなかなかにある。

 ケガのせいで本調子でない彼女の代わりに、荷物運びはテワクが行った。

 

「宗教本の隣に料理本を置いている貴女の気が知れません」

 

「私もダンボールを大量に積んでも、平気で運ぶテワクちゃんが凄すぎてビビってるよ」

 

 しかも中身はみっちり詰まった本だ。

 

 

 そしてテワクの活躍もあり、片づけはスムーズに終わった。

 

 あとの残りを監査官が運びに行った間、「部屋で待っていてください」の言葉を無視し、マリアは外をうろついた。

 そこで偶然ミランダと出会す。歳の近い二人はあまり会話したことがない。

 

「持ちますよ、ミランダ」

 

「あ、マリアさん…。だ、大丈夫です! このくらい自分で……!!」

 

 しかして荷物は持ち上がれども、その足取りはひどくおっかない。苦笑したマリアが片手で器用に持ち、運ぶのを手伝う。ミランダは申し訳なさそうに恐縮した。

 

「本当にごめんなさいね……」

 

「いえいえ。誰にでも得意・不得意がありますから。それに私にできないことがミランダにできるなら、遠慮なく頼みますし」

 

「私に……できること?」

 

「あぁー、たとえば私は裁縫ができません。ミランダは裁縫できます?」

 

「え、えぇ。裁縫ならそれなりに……」

 

「ははぁ、すぐに見つかっちゃいましたね。じゃあ今度ボタンが取れたり靴下に穴が空いたら、ミランダにお願いしちゃいますね!」

 

「……! ま、任せてちょうだい!」

 

 どこか暗かったミランダの表情も、目的地につく頃には幾分かマシになっていた。

 ところで、とマリアは思う。この荷物はどこから持って来たのか。ミランダの物にしては、珍妙なものが多い。

 

「あぁ、それは科学班から……」

 

 と、ミランダが言ったのと、ダンボール箱に不安定に入れられた瓶の一つが落ちたのは同時だった。

 

 ガシャンと、大きな音が鳴る。

 もくもくとした白煙が晴れていくと、そこには床に倒れている女の姿があった。

 

「マ、マリアさん!?」

 

 マリアはぐっすりと眠っている。割れた瓶のカケラには、いかにも怪しげなドクロのマークがあった。

 こうして迷惑千万なコムイ・リーの被害者が新たに生まれた。

 

 

 

 

 

 *****

 

「ハァ〜〜……」

 

 テワクはクソでかいため息を吐く。

 何せ戻った時、部屋に監視対象がおらず、探したところぐっすり寝ていたのである。

 

「いえ、彼女が言うことを聞くと思っていた私が迂闊だったのですわ…。どうしましょう、またリンク兄さまに叱られたら……」

 

 気落ちした彼女は、おぶったマリアを連れて元凶であろう科学班に向かった。

 すでに中には科学班──ではなく、コムイの被害者が複数いた。科学班班長であるリーバーは事情を知ると、またか、とぼやいた。

 

「あの巻き毛野郎(コムイ室長)が作ったもんだ。中身の入っていた容器があれば、どんなもんかおおよそわかるが……」

 

「それなら割れてしまいましたが、一応あります」

 

「本当に悪いな。……あぁ、これか」

 

 マリアが摂取したのは、元は仕事の逃走用にコムイが作ったものらしい。球体の中に液体を入れて、それを投げる。すると割れた後に中身が即座に気化して、対象者を眠らせる──というもの。

 

 しかしてこれを食らった人間は長くて数日間も起きず、科学班の2分の3が被害に遭い、仕事が回らなくなったことで残ったメンバーが協力し、巻き毛の男を捕まえた。その時の特級呪物がこれというわけだ。

 

「絶対に長官に報告させていただきますわ」

 

「ぜひそうしてくれ…」

 

 科学班の面々は元班長のコムイを慕ってはいるが、同時に数多の被害に遭ってきたので、親の仇より憎んでいる節がある。

 死んだ目のリーバーに、テワクは少しだけ同情した。

 

 

 

 

 

 しかしてこれはまだ、巻き毛男による被害の序章でしかなかった。

 

 その後、「コムビタンD」なるウイルスに感染した人間が現れ、急速に広まった。感染方法はゾンビと同様、感染者に噛みつかれたらジ・エンド。

 

 現在不在のクロスのぞいた三名の元帥がこれに感染した時点で、詰みゲーだった。

 

「絶対に絶対に絶対に許しませんわ!! コムイ・リー!!! ………室長ッ!!!」

 

 テワクはしかし、マリアを抱えながらも無数のゾンビどもから逃げ続けた。お堅いキャラも完全に捨てた。身体面においてはリンクより秀でている。

 

「「マリア」を必ず守りなさい」というルベリエからの命令もあったため、文字どおり死ぬ気で頑張った。彼女は札で簡易的な結界を作り、気配を探れぬようにすることもできる。

 

 これに巨体化したティムの助力も加わり、二人は引っ越しの手伝いに来たバク支部長の助け舟が来るまで、どうにか生き延びることができた。マリアはずっと寝ていたが。

 

 一方巻き込まれ、ワクチンを作るハメになったバク・チャンは叫んだ。

 

 

「二度と手伝いになんぞ来てやらんからなぁぁぁ!! コムイぃぃぃ!!!」

 

 

 魂の慟哭である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 

聖母(マリア)」の夢。

 

 

 その日は、雨だった。

 

 

 

 名前の分からなくなった主人の墓に、飽きもせずメイドの女は毎日訪れる。

 

 雨は容赦なく傘すら持たない女の体を濡らす。そこに影が差した。

 

 

「マリア」

 

 

 黒い傘を傾け、彼女を覗き込むのは双子の弟。

 

 少年はまだあどけなさを少し残すが、もう青年に近い。

 

 成長した体は腕を回せば華奢な女の体を容易く包みこめる。それでも身長だけはまだ抜かせていない。

 

「ほら、帰るぞ」

 

「どこに?」

 

「…いいから、帰ろう。お願いだ。風邪引いちまう」

 

 無理やりに手を引き、少年は歩いて行く。

 途中でマリアは疲れたのかうずくまってしまったので、彼が仕方なく背負った。雨に長時間当たったにも関わらず、その体は熱い。こりゃあ風邪を引くな、と病弱な兄の経験則から思った。

 

「ねぇ、あなたマナ様に似てるけれど、もしかして私の主人の旦那様?」

 

「…もう、カテリーナの名前も覚えてないのかよ」

 

「カテリーナ?」

 

 以前だったら、名前を出せばマリアはすぐに思い出した。しかしもう「カテリーナ」の名前にすら反応しない。

 唯一覚えているのは少年の名前と、彼の兄であるマナくらいだ。

 

「オレは…いや、いい。どうせ言ったって、お前はすぐに忘れちまうだろ」

 

「?」

 

 いずれは、カテリーナの息子の名前はおろか、マリア自身の名前まで忘れてしまうのだろうか。

 そう考える度に、少年は恐ろしくなる。

 

「マリアは何もかも忘れちまうのかな? 記憶のないあんたにとっては、その方が幸せなのかもしれない。けど、オレやマナにとっては苦痛なんだよ」

 

 人魚姫は泡となって消えたという。

 メイドの女もそうなってしまうのではないかと、少年の頭に一抹の不安がよぎる。

 

 

()は、寂しい?」

 

「…!」

 

 久しく見なかった「ナニカ」が、振り向いた少年の顔をのぞき込む。真っ赤な目が二つ、薄暗い世界で彩度をもって輝く。

 白い腕が、少年の首に絡む。一瞬ドキリとして顔を赤らめた少年は、次の瞬間には絞まる苦しみに喘ぐことになる。息が、息ができない。

 

 

「ねぇ、()のおねがい、聞いてよ」

 

 

 人間の理性を誑かしてドロドロに溶かすような蠱惑的な声が、少年の耳に入り込む。目尻に涙が浮かんだ。まるで、蛇に体を絡み取られて捕食されているようだ。

 

「おねが、ぃって、なん…」

 

 赤い唇がゆっくりと弧を描く。その動きが鮮明に少年の瞳に刻まれる。

 

 

 二人の周囲では風が吹き荒れ、地面に生えた雑草を激しく躍らせていた。

 

 

 

 

 

 それからまた、時が経つ。

 

 

 ある夜、誰も迎えに来なかったため、メイドの女は墓石の前で眠っていた。

 

 その場に現れたのは、少年だった。

 メイドの女は気配に気づき、体を起こし────、

 

 

 

「死ね」

 

 

 

 腹に大剣が突き刺さる。

 それを少年が刺したのだと分かると、女は血を吐いて悲痛に顔を歪める。

 

「何でっ、なん…なんで、あなたが………あなた、あなた? あなたは……?」

 

 誰だ、この男は。この男? この男は……

 彼女は思考を巡らせるが、思い出せない。

 

 大剣が抜かれる。そしてまた、刺される。その繰り返しだ。

 

 

「愛してるよ、マリア」

 

 

 そう言って少年は────ネアは、マリアを殺した。

 

 ネアの頰にはマリアの腹から吹き出た血が当たり、一筋の赤い軌跡を作る。

 

 闇を支配する上には、満天の月が光り輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 マリアは、ネアに殺されたのだ。



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『聖母』マリア

『コムビタンD』事件から数日後。

 

 マリアは新しい教団(ホーム)に向かっていた。

 移動手段は船。マリア以外にはテワクや、数名の教団関係者しかいない。

 

 時刻は夜。海は暗闇に彩られている。

 

「体調は問題なさそうですね。あの巻き毛室長が作った薬品の後遺症もないようですし」

 

「…うん」

 

 曖昧な返事が、水面の揺らめきに合わせて溶け込む。

 

「ねぇ、何でアレンくんも一緒じゃないの? 彼に方舟を使ってここと旧本部を繋いでしまえば、わざわざ移動しなくて済むのに」

 

「それは着けばわかります」

 

「……そう」

 

 新しい本部にはルベリエや、先に招集されたクロスがいる。双方で密談を行っていた可能性が高い。

 

 マルコム=C=ルベリエは以前、マリアに「お茶でもどうか」と誘った。着けば「お茶会」という体裁の、何か重要な話がなされるのだろう。

 

 

メイドの女(マリア)は、ネアに殺された……)

 

 

 夢の中で時には少年、時には青年の姿で現れたティキ・ミックとよく似た男────『ネア』という存在。

 

 夢にしては殺された感覚があまりにも生々しく、夜の木々がかすかに揺れる音も、虫の声も、血生臭い匂いも、何もかもが鮮明だった。まさしく“死”の感覚だ。

 

 あれはきっと前に「聖母」のメモリーを持っていた人間の記憶だ。時代背景から考察しても、数世紀前、というのは考えにくい。

 

 

(何故、ネアはマリアを殺したの? そもそも彼は何者なの? ティキ・ミックと容姿が似ているのはこの際どうでもいい。それにネアはどうしてアレンくんと同じ剣を持っていたの……? 分からないことが多すぎる…)

 

 

 記憶の迷宮の中に、彼女はすでに入り込んでいる。

 

 

 

 

 

 *****

 

 ただの茶会のはずが、ルベリエの周囲には「(カラス)」と呼ばれる黒づくめの集団がいる。

 対してマリアは拘束はされていないものの、すぐ側には数名の鴉が控えていた。

 

 テワクは黒づくめと同じ格好で隅に待機している。

 

 顔を引き攣らせる女に対し、長官たる男は悠然と白い陶磁器に口をつける。

 

「お掛けになっていただいて構いませんよ」

 

「……失礼します」

 

 テーブルにはケーキと湯気の立つカップがあった。取っ手を持ち少し揺らせば、ハーブの香りがふんわりと漂う。喉を通して伝わる熱が、長時間の移動で冷えた女の体を温める。ほぉ、と吐かれた息は白い。

 

「貴女は確か、神を嫌っているのでしたな?」

 

「突然ですね。…まぁ、心底大嫌いですよ」

 

「神に信仰心はありますかな?」

 

「無いと言いたいところですが、エクソシストである以上、多少の信仰心はあります。嫌悪と信仰心はまた違うものですから」

 

 話の核心にはまだ触れられない。じりじりと追い込まれるような感覚に、マリアは痺れを切らす。

 

「ルベリエ長官。あなたは私に以前、「アヴェ・マリア」と言った。それは………」

 

「術によって防音はなされています。この会話が外部に漏れる事はありません」

 

「……「アヴェ・マリア」は、私の真名です。私の正体をあなたはすでにご存知だとお見受けします。ですが、なぜその名を知っておられたのですか?」

 

「────『聖母』」

 

「!!」

 

 やはり、この男はマリアの知らない内容まで知っている。吊り上がった目はカップの水面に向いている。微細な動きで男の顔がぶよぶよと崩れ、静寂を保てば元の形に戻る。

 

「貴女は聖戦の闇について考えた事はおありかね?」

 

「闇、ですか?」

 

「聖戦において内包される闇は、誰もが知り得る事ではない。しかし一つ、私は知っています。この聖戦において、闇に生きる『聖母』の正体を」

 

 マリアは思わず身を乗り出したが、数枚の札が腕や足に張りついた途端に、その部分が鉛のように重くなった。

 

「…何ですか、コレ」

 

「おっと、言い忘れておりました。あまり軽率に動かれると鴉の者が術を行使します」

 

「そういう大切なことはあらかじめ伝えておいてくださる?」

 

「ですから、「言い忘れて」いたのですよ」

 

 マリアはこの男がヘビのようだと思った。

 バクが嫌っているらしいのも頷ける。確実に獲物を仕留めるタイミングを窺っているような、そんな薄気味悪さが拭えない。

 

「あなたの目的は何なのですか? 私を………ノアの因子を持つと分かった上で、話の場を設けている。まさか彼らへの人質だとでも言うのですか?」

 

「人質? 滅相もない。貴女にそのような無礼を敷くわけには参りませんよ」

 

「………ずっと無礼では?」

 

「はっはっは。面白い冗談をおっしゃいますなぁ」

 

 かく言う男の目は一切笑っていない。

 

「そう言えば、貴女の故郷は千年伯爵によって壊滅的なダメージを受けたと聞きました。そこの教会兼、孤児院の出であったと」

 

「そうですが……それが何か?」

 

「教会はマリアを信仰していた。マリア、マリア………そう、「()()」マリアを」

 

 マリス=ステラが臨める街の教会は、キリストの母であるマリアを崇めていた。聖女たる女は「聖母マリア」と呼ばれる。

 

 そもそも黒の教団とは元々、世界の終焉を阻止するためにヴァチカンの命によって設立された、直属の対AKUMA軍事機関である。

 そしてヴァチカンはカトリック派。プロテスタント派ならば「聖母マリア」とは呼ばない。基本的に聖人聖女を信仰しないためだ。

 

 

「敬愛なる(イエス)()に、我々は等しく信仰を捧げましょう」

 

 

 マリアの額から、汗が一筋流れる。

 

「ま、待って、待ってください。『聖母』が神の…母? マリアは()()()()()じゃないんですか? だって、その言い方はまるで……」

 

 

 ────()()()()()()と、言っているようではないか。

 

 

 新しいノアならば説明がつくのだ。

 

 新しく出現したからこそ、はじめ伯爵たちは分からなかった。

 

 だがイエスの誕生となれば、約2千年も前の話になる。「新しい」という言葉は全くもって似つかわしくない。

 

 

 ──いや、薄々とだが矛盾はあった。

 

「新しいノア」であるはずなのに、“マリアの夢”として見る記憶の断片。

 その夢を見ること自体、以前から『聖母』がいたことを裏づけていた。

 

 

「ノアはAKUMAを生み出すために、AKUMAの元となる“悲劇”を作り出すべく、人間の歴史に度々介入する事がある。殊に聖母は、歴史の転換点が起こる際に姿を現します」

 

「……アヴェ・マリアとは、いったい何なのですか?」

 

「『聖母』とは有史以来、または有史以前から聖戦の裏側に潜む存在」

 

 一瞬の静寂が、室内を支配する。

 

 

「聖戦に隠れた存在『聖母』。もっとも深い裏に潜み、千年伯爵とともに世界を終焉に導く。同時にイエスを産み出した存在でもある。

 ────様子から察するに、貴女は『聖母』という言葉は知っているようだが、聖母の過去についてはお知りでないようだ」

 

 

 ギチギチと、不可解な音が鳴る。音の出所は女の爪からで、黒く鋭利なそれが白い腕をかきむしっている。赤い線の上に赤い線を重ね、流れた血が床に落ちる。

 その様子を見たルベリエは眉を寄せた。

 

「そういうこと。だからあなたは私を『ハートの可能性』などと偽った。神の母であると知れれば、聖戦はノアに傾くでしょう。人間は聖母を擁するノアに傾倒し、教皇の威信が失われる。下手をしたら伯爵の策略により、宗教戦争が起こるかもしれない」

 

 でも、とマリアは続ける。

 

「ノアは聖母を覚えていません。あちらは恐らく私を「新たなノア」と思い込んでいる」

 

「それについては知りませんな」

 

 サッパリだ、というようにルベリエは首を振る。

 

「私が知っているのは先ほど申し上げたとおり、『聖母』が歴史の節目に表舞台に姿を現すこと。また、キリストの「母」であるということ。ただ記憶については憶測できるがね」

 

 ノアには記憶をのぞける使徒がいる。その者の仕業でノアが聖母について記憶をなくしているのではないか──と。

 ただし伯爵にその力が利くとは考えにくい。その点はわからなかった。

 

 

 

「あなたは、私に何を望むというのですか?」

 

「……貴女が来る前に、ここで少しクロス元帥と話したのですが、色々と『聖母』について興味深い内容を聞けました」

 

「神父様と?」

 

「聖母の目的は“聖戦の終結”であると聞きました。そして、もう一つ」

 

 カチャンと、皿の上に置かれたカップの音が鳴る。

 

「あの男は「聖母はノアから逃げた」と言っていました。真相までは分からない。だが聖母は“真っ黒”ではなく、“限りなく灰色に近い黒”であるのだと考えられる。そして今、貴女はイノセンスを持っている」

 

「……」

 

「私はこう考えます。聖母はノアを裏切り、ハートと手を組んだのではないかと」

 

「なぜ?」

 

「その理由を私に聞かれましても。ご存知なのは()()でしょう?」

 

 は、はは、と声が上がった。

 見開かれた紅い目がルベリエをとらえる。捕食者側だった立場の男がその一瞬、背筋に寒気を覚えた。鴉が動こうとしたが、それを手で制す。

 

 女の雰囲気が一変した。

 

 

「なぜマリアが家族を裏切るのでしょう? マリアは「愛」せずにはいられません。マリアは家族を愛しています」

 

 腕の肉をえぐっていた爪が今度は顔に立てられ、ボリボリとかきむしる。異様なことに、腕の傷は蒸気を発するように少しずつ修復されていく。

 

「愛がある限りマリアは裏切りません。マリアは……ま、マリ…………わ、()は……?」

 

 女は背を丸めて、膝に顔を押しつけた。かすかにその体が震える。白くなるほど握られた手は、血の色に隠されて元の色を失う。

 

 

「────戦いましょう、マリア。守りなさい、マリア。苦しみの末に聖戦を終わらせましょう」

 

 

 再び上がった顔には張りつけられたかのような笑みがある。

 

マリア()は聖戦の終結を望みます。悠久の時は未だに終わりません。家族といたからマリア()は死ねないの? どうすればマリア()は死ねるのでしょう。は、ははっ……!! 穢れたオンナ。見てくださいこの目、穢らわしい色でしょう? 血の色ですのよ。ふふっ………ふふふふ。あははははは!!!」

 

 マリアが身を乗り出した瞬間、夥しい数の術札が展開され、次々と張りつく。そうして身動きの取れなくなった女の体は倒れ、派手な音を立てて卓上のものを散乱させた。

 

「終わらないの終わらない終わらないの終わらない終わらない。陽が沈んだらまた明日が来ます。何度も何度も。神に祈りましたよ。神よ死ねと」

 

 女の精神がメモリーに呑まれかけている。その片目だけが黄金に染まっている。

 

「…貴女はどちらの味方だ。我々(ハート)か、それとも千年伯爵か」

 

マリア()は壊れています。マリア()は聖戦の終結を願っています。マリア()が憎きハートの手を取ったというのなら、それは違います。神がマリア()を愛してやまないだけよ」

 

 目を細め、笑みを浮かべる様は妖しく、妖艶だった。

 ルベリエはその時、目を見開いた。女の瞳から、透明な液体が流れたのだ。

 

 

「早く聖戦を終わらせましょう、人間」

 

 

 無理やりに伸ばされた手は術札までも血で汚している。白い手袋をしたルベリエの手の上に、その手が重ねられる。

 紅と黄金の瞳から視線をそらすことが許されない。そんな張りつめた空気が存在する。

 

マリア()は壊れています。壊れ切った果てに、今のマリア()が生きています。もうこの運命から逃れることはできないでしょう。マリア()は神の傀儡。とても吐き気のする(すばらしい)人生だわ」

 

 

 その言葉は暗に、『聖母』がハート側であることを意味していた。

 

 

 

 

 

 *****

 

 マリアが目覚めた時、既にルベリエも、黒づくめの集団の姿もなかった。部屋はそのままだ。

 ソファーに沈む彼女の体には毛布がかけられている。

 

「あったま、クソ痛い……」

 

 上体を起こした彼女の目と、テワクの目が合った。あからさまにビクついて視線を逸らした少女にマリアは苦笑する。やはり怖がられたのだろう。マリア自身も途中から意識があやふやで、脳の中で聞こえるミイラの声がそのまま彼女の口から出ていた。

 

「今はもう大丈夫だから。だからそんなに露骨に反応されると傷ついちゃうよ〜?」

 

「……すみません」

 

「ははっ。いいって。私も自分に引いてる最中だから」

 

 二人の横では、残された菓子をティムキャンピーがムシャムシャ食べている。食べカスまでつけたソイツはマリアの頭の上に乗ると、ゲップした。

 その二者の光景は監査官をしているテワクが見慣れたもので、女はゴーレムの頬を引き伸ばしている。

 

「人の頭の上でなんてことを!!」

 

「ガウガッ──!! ………げぷ」

 

「………ふっ」

 

 妙な安心感に、少女の口元がほころんだ。

 

 

「マリア、私はあなたの監査官ですわ」

 

「え? う、うん…。今更なこと言うね」

 

「それ以上でもそれ以下の立場でもありません。ですからたとえあなたが変わっても、私は命令どおりに監視します」

 

「……そっか」

 

「はい」

 

 一度考えてしまえば、あえて堰き止めていたことが雪崩れ込んでくる。マリアはティムを抱きしめた。

 

 “仲間”が彼女をノアと知ったら、どう思うだろう。“家族”が「マリア」がかつて裏切り、イノセンスの側に渡ったと知ったら、どう思うだろう。

 後者はミイラ女のニュアンス的に、彼女の本意でなったわけではなさそうだった。神に操られてエクソシストになった──というような事らしい。

 

 しかしどの道、裏切りは裏切り。

 

 仲間に恐怖され、家族に憎まれ、そんな未来が見えてしまう。漠然とした恐怖が襲う。

 

 マリアはどこまで中途半端で、そして────、

 

 

「愚か、ですわね」

 

「……ふふ、そうだね」

 

「きっと、きっと運命から逃れる道だってあるはずですわ。それなのにあなたは……ッ、どうしてそこまで進もうとするのですの!?」

 

「甘いなぁ、テワクちゃんは。監査官でしょ? 存外長官殿があなたを選んだのも、子どもっぽさが私に刺さると思って──」

 

「私は子供っぽくありませんわ!!! ……ッハ! 話をそらさないでくださいましっ!!」

 

「そう真っ赤にならないでよ。ふふ」

 

 マリアはゆっくりと窓の外を差す。それにつられてテワクも視線を移す。

 そこには深い闇がある。窓を開ければ潮の匂いとともに海の音が聞こえて来るだろう。

 

 雲ひとつないその天上には、無数の星が煌めいている。

 

 

「マリス=ステラが、私を見ています」

 

 

 テワクはそれ以上、何も言うことが出来なかった。

 

 


 

【お酒】

 

 アルコールは二十歳から、なんて言葉がある。

 

 食堂にてマリアがおやつにと思っていた菓子を、偶然彼女からもらったテワクが一口食した。

 それが間違いだったのだと、マリアは後々思った。

 

 

「リンク兄しゃま……」

 

「テワク、離れなさい」

 

「大好きでしゅ…」

 

「テワク…!」

 

 

 菓子は菓子でも、それは酒菓子だった。

 食した数秒後には少女の顔が真っ赤になり、いつもの吊り上がった目がトロンとトケた。

 

 あまりの変化にマリアは菓子を持ったまま固まった。

 

 そしてその時、ちょうど訪れたアレン。ということは彼の監視をするハワード・リンクもいる。

 

 テワクはリンクを視界に入れた瞬間、宛ら子供のように抱き着いた。

 その後のリンクの焦りっぷりといったら、今まで監視されていたアレンでさえ見たことがないものだ。

 

「ま、まさかマリア、テワクに飲酒させたのですか!?」

 

「え? 酒は飲ませてな……あっ、ごめん。これ酒菓子だった」

 

 リンクに指摘され、そこで漸くマリアは自分の食していたものにアルコールが混じっていることに気づいた」

 

「テワクちゃんてお酒に弱いんだねー」

 

「………」

 

 マリアの隣では、アレンがテーブルに置いてある酒菓子を見たまま固まっている。

 

「どうしたの、アレンくん?」

 

「あ、いや、何でも……」

 

「…あぁ! ふふ……君も大人の階段を上りたい年頃というわけだね? ほら、遠慮せずに食べなさい」

 

「待っ、ちょ」

 

 マリアはアレンの口に酒菓子を押し込んだ。

 その瞬間アレンは白目を剥き、泡を吹いて倒れる。

 

「え!!? ……でもちょっと面白いな。死にかけの虫みたいで」

 

「ウォーカーに何をしているのですか貴女ッッ!!! テワクもいい加減離れなさい…!!」

 

「リンク兄しゃま…けーあいすべき私の兄しゃま……」

 

 笑う女に、泡を吹く少年。それとイチャイチャ(?)し合っている監査官二人。

 

 偶然蕎麦を持ち通りかかった神田は、無言のままスルーし、一人遠くの位置に腰かけた。

 

 虚しくもそこにツッコミ担当のウサギはいなかった。



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メシア

 ────彼の者、遥か昔大帝国を築き、捕虜にされたユダヤの民を解放せし。

 

 聖書(タナハ)におき彼の者は、「救世主(メシア)」と呼ばれている。

 

 

 


 

 ⚪︎⚫︎⚪︎

 

 マリアの夢。

 

 

 カテリーナに拾われてから幾ばくか月日が経った。その日、メイドの女は鼻歌混じりに廊下の掃除をしていた。

 

「〜♬」

 

 なぞられるメロディーは『アヴェ・マリス・ステラ』の曲。

 なぜ記憶喪失のはずの彼女がその歌を知っているのか、と疑問を抱く者はその場にいない。

 

 そして一階の掃除を終え、二階に上がろうとしたところでカテリーナの声が聞こえた。上からだ。

 カテリーナは何か怒っているようで、中途半端に残ったトレーを持って降りてくる。そこでマリアと目が合った。

 

「や、やだ……。さっきの話聞いてた?」

 

「はい。ものすごい剣幕で「ちゃんと食べなさい!!!」とお怒りになっていましたね」

 

「は、はは…」

 

 カテリーナは苦笑いしながら、「弟がね」と愚痴をこぼす。

 

「研究ばかりで食事なんて二の次なのよ。…本当に困った弟だわ」

 

「弟……カテリーナ様も双子なのですか?」

 

「え? 私と弟は結構歳が離れてるわよ」

 

「そうですか」

 

 それよりと、カテリーナは息子たちと一緒に外へ出かけようと提案する。マリアも了承した。

 

 

 そうとなれば早く掃除を終わらせなければならない。

 せっかち気味に階段をかけ上る彼女の靴が、スカートの裾を踏んだ。その瞬間視界が反転する。

 

「わっ……と、ぎゃあっ!!」

 

 そのままマリアは転げ落ち、下の壁に激突した。

 

「いったぁ〜〜…」

 

 ぶつけた所々が痛みはするが、幸いそこまで大きな怪我はなかった。とりあえず、淑女失格な逆大の字の格好から起き上がらなければない。

 そこでふいに階段から軋む音がした。メイドの女は天井を仰いでいた視線をさらに90度上に動かして、音の出所を探る。

 

 最初に足が見えた。恐らくカテリーナの弟だ。大きな音を不審に思い、部屋から出てきたのだろう。

 

「………あっ!!」

 

 逆さまの体勢だった女は思い出したように給仕服の裾を押さえる。スカートの下が丸見えだったのでは!? ──とあたふたしたが、丈が長い仕様なのでその心配はなさそうだ。

 

 遠くからはカテリーナの声がする。

 

 立ち上がったメイドの女は再度階段の上を見たが、すでにそこには誰もいなかった。

 

「………」

 

 しかし自分を捉えていた()()()だけは、やけに脳裏に焼き付いていた。燃えるような色だ。

 

 

(どこかで見たことがあったような…?)

 

 

 主人の心配する声が聞こえると、一瞬浮かんだその考えもすぐに霧散した。

 

 

 

 

 

 *****

 

 後日、本部の移転が終了した。

 それと同時に、教団幹部とエクソシストに()()()()が告げられる。

 

 それはアレン・ウォーカーが異端審問にかけられた際、弟子と会話したクロスが明かしたアレンの──、アレン自身さえ知らなかった秘密であった。

 

 

 ルベリエが揃った人々の前で公表した内容。

 

 それはアレン・ウォーカーが、────『14番目』の宿主であるということ。

 

 

 また今は方舟を操る唯一の存在としてノアを()うものの、もしアレンが『14番目』として目覚めた場合は彼を即刻殺すこと。それがエクソシストに無期限の任務という形で与えられた。

 

 リナリーやラビ、そこにいた誰もが息を飲む。

 しかしアレンは皆を見つめ、決意を示す。

 

 

「『14番目』が仲間を傷付けるなら、その時は僕を殺してください。奴が教団を襲うというなら、僕が必ず止めてみせる」

 

 

 アレンの意思に頷く者、下を向いて震える者。反応はそれぞれだ。

 

 その中でパーカーのフードをかぶった女はどこか上の空だった。隣にいたテワクが肘で小突く。今朝からずっとマリアはこの調子で、食事も取らずベッドに潜り込んでいた。ここへ連れて来るのにも大変苦労した。

 

「……普段は、愚痴ばかりおっしゃっていたのに」

 

「………」

 

 

 今朝のことだ。

 

 昨夜はアレン・ウォーカーの異端審問が行われていた。それに同席していたのがクロスだった。

 

 その後、自室に戻った男を何者かが襲撃し、銃殺した。部屋の前には中央庁の息がかかった見張りが二名いたが、早朝までなぜか眠っていたらしい。クロスの遺体を発見したのはこの内の一名で、一方は長官を呼びに行き、もう一方は銃を片手に突入の準備をした。この直前、窓ガラスが割れたような音がしたとその人物は証言している。そして部屋に押し入った時には、クロスの遺体は消えていた。

 

 犯人は不明であり、部屋には男の割れた仮面や断罪者(ジャッジメント)、それに致死量の血痕が残されていた。

 

 不可解なことに、銃殺に使用された銃はクロス自身のイノセンスだと推測されている。断罪者(ジャッジメント)の適合率はゼロパーセントであり、宿主がいない──つまり、クロス・マリアンが死んだことを示している。

 

 さらに遺体も窓から何者かに持ち逃げされている。

 

 

 朝から挙動不審なティムの様子に気づいたマリアはその後を追いかけて、偶然ルベリエとコムイが話していた内容を聞いてしまったのだ。この事件は内密にするよう釘を刺されている。

 

 彼女にとってクロスは恩人で、複雑な感情を抱かせる人物で、“力”を体現する憧憬の的でもあった。

 アレンには悪いが、今は『14番目』の件を気にすることができない。

 

 

 

 それからマリアは監査官に世話を焼かれるまま、食堂へと訪れた。食べれば少しは回復するだろうとのテワクの考えだ。

 

「ケガはほとんど完治したのですから、お好きに食べていいんです」

 

「………」

 

「はい、貴女の好きな肉です」

 

 切り分けられた肉片の一つをテワクが差し出せば、大口が空いた。こうすれば食べるらしい。

 

(ハァ……だいぶ私も、絆されてしまっていますわ)

 

 時間としては長くない。だが接するうちにこの女の包容力が、自然と少女のある感情を揺さぶる。

 その感情がどういったものなのかテワクは疑問だったが、『聖母(マリア)』と聞いて得心が行った。

 

 親を持たない彼女は、この女の母性に惹かれている。

 愛を与えて、与えられる。そんな親と子の当たり前にあるべき関係を求めたくなっている。

 

 

(ルベリエ長官は致命的なミスを犯した私を処分しなかった。あながちマリアが言っていた「私の子供っぽさが彼女に刺さるから選んだのかもしれない」──というのは、的を射ているのかもしれませんわ。……納得は行きませんけど)

 

 

 思考に耽っていたテワクはチラリとマリアを見る。

 すると美味しそうに肉を食べていた。ティムキャンピーが。

 

「えっ?」

 

 いない。マリアがいない。いつ席を立ったのか全く気づかなかった。

 

 慌てて食器を片づけた彼女はすぐにティムに女の場所を案内するよう頼む。それくらいのことならこのゴーレムには朝飯前だ。

 しかし食堂を出る前、テワクはアレンの隣にいるリンクと出会してしまった。事態を悟った青年の顔に影ができる。

 

「監査官ともあろう者が、まさか監視対象を見逃した……なんてこと、ありませんよね?」

 

「り、りり、リンク兄さま……」

 

「その呼び方も辞めなさいと言ったはずでしょう。公私は分けなさい。「リンク監査官」です」

 

「ご、ごめんなさい………」

 

 アレンは怒られる少女の横で、目をパチパチさせながら自分の監査官を見ていた。この少女と接している時のリンクは仕事人間から一転して、素の表情を見せる。思わず口元が緩んだ。

 

「…何を笑っているのですか、ウォーカー」

 

「いえ、新鮮なリンクの姿だなぁ、と思って」

 

「言ってる場合ですか…」

 

 その後、気を引き締め直した少女は食堂を出て廊下を駆けて行った。

 

「テワクさんはリンクにとってどんな人なんですか?」

 

「テワクですか?」

 

 きょとんとした顔で少しの間をおいて、リンクは「家族ですよ」と答えた。

 

 それに深入りしようとしたアレンは一度立ち止まり、聞くのをやめる。人間、どこに地雷があるかわからない。好奇心で軽率な話題を出すのは憚るべきだろう。

 

 

 食堂は今日も人で賑わっていた。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 対して同時刻、庭のベンチに腰かけるブックマンと後継者の姿があった。ブックマンは新聞に目を通し、ラビは背もたれに寄りかかって天を仰いでいる。二人が使うのは「ブックマン」間の二人にしかわからない言語だ。情報の漏洩を防ぎたい時などに使われる。

 

 話題に出ていたのは『14番目』の件。ラビはブックマンとの会話で時折のぞく聖戦の奥深い闇に肝を冷やした。

 

『しかし「マリア」か……』

 

『……ノアと関わりがある云々の話か? 本部の襲撃事件で、何らかの関係は確実だと思うが…』

 

『ム? …いや、そうだな』

 

『なんだよジジイ、歯切れが悪いな』

 

『お前こそずっとボケッとした顔をしとるじゃろう。この色ボケ兎めが』

 

『色ボケ言うなよッ!!』

 

 ラビは確かに今日はぼんやりとしている。集合があった時に見た女がどこか上の空だったせいだ。『14番目』の件を訪れる前から知っていたのかとも思ったが、どうも反応からして違う。クロス暗殺事件の話はまだ、中央庁が即座に対応したためこの二人の耳に入っていない。

 

『小僧、今お前は「エクソシスト」だが、ブックマンとしての本質を見誤るでないぞ』

 

『…分かってるさ』

 

『お前のそのマリア殿に向ける感情もだ。優先すべきが何であるか、確と胸に刻んでおけ』

 

 渡り鳥のように、巡る先々で彼らは立ち位置を変える。この聖戦を記録するために。伯爵側だったこともある。

 

 後継をもうける点では結婚もまた一つの方法だ。しかしそこに恋愛感情が付随することは滅多にない。記録者の在り方はそのような掴みどころのないものだ。

 

「しかし、お前は胸派ではなかったか」

 

「スレンダーでもいいだろ、スレンダーでも!!!」

 

「ねぇ」

 

 言語を二人が戻した途端に声がかけられる。肩を跳ねさせたラビは立ち上がったまま固まる。ブックマンも驚いた様子だ。

 

「ま、まままっ、マリ────!!?」

 

「どうしたんじゃ、マリア殿」

 

「ピアノのある場所に行きたいの。どこに行ったらあるかしら」

 

 女の顔はフードに隠れてよくは見えない。

 

「ピアノなら礼拝堂に一つ置かれておったのを見かけたぞ」

 

「礼拝堂……」

 

「行きたいのならば儂が案内しよう」

 

「ありがとう、おじいさん」

 

「……おじいさん?」

 

 妙なマリアの言い方にラビが反応する。しかしブックマンが手で「しっしっ」と追い払うような動作をするので、すぐにそちらに意識が向く。

 

「別に俺が案内したっていいだろ」

 

「お前がさらにボケたら儂に介護させる気か? 馬鹿者め」

 

「ははぁ……俺の方がボケてるように見えてるジジイの方がボケ、ぐえっ!」

 

 トドメにブックマンの蹴りを食らった青年は地面に伏してピクピク震える。会心の一撃が決まった。

 去る二人の後ろで、「鬼パンダ──!!」と怨嗟のこもった声が聞こえる。

 

「ところで何を弾く気なんじゃ、マリア殿」

 

 女の口元が弧を描く。ちょうど吹いた微風にフードが煽られ、その下の瞳が顕になった。

 血のような色。その二つが老人をとらえる。ブックマンは首筋に刃物を当てられたような感覚を覚えた。

 

 

「アヴェ・マリス・ステラを」

 

 

 その日礼拝堂で、聖女を讃えるイムヌスのメロディーが流れた。



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I am

 クロス暗殺事件から3ヶ月後。

 

 イノセンス絡みと思われる事件があり、マリアは神田、アレン、マリの計四人のエクソシストと、2人の監査官が付きパリに向かっていた。

 現在パリは12月ということもあり、街は雪で覆われている。

 

 恩人の死にしばらくの間落ち込んでいた彼女も、この頃には気持ちの落としどころを見つけていた。

 

 

「確か派遣された科学班のメンバーも、ことごとく事件の犯人にされてるんだっけ」

 

「はい。「怪盗G」と呼ばれる存在で、捕まる人間は毎回異なり、その誰もが「自分は犯人ではない」と主張しているそうです。警察も取り調べの間に新しい怪盗Gからの予告状が届いたりと、相当苦戦していると伺っていますわ」

 

 テワクは書類を見ながら淡々と答える。しかし時折その視線が前方のリンクに向く。何気に監査官二人が同じ任務に同行するのは初だった。

 

「リンク兄さまは今日も素敵ですわ…」

 

 少女の瞳は恋する乙女だ。

 マリアは苦笑いしながら、列の後方をゆっくりと歩いた。

 

 前方からはいがみ合う神田とアレンの声が聞こえ、マリは二人の仲裁に躍起している。

 

「…ん?」

 

 その時ふいに、道路を挟んだ向かい側の歩道で子供が泣いていることに気付いた。

 

 本能的な衝動と言っていいかもしれない。道路に飛び出て危うく車に轢かれそうになった彼女は、怒髪天の運転手に謝罪して子供に歩み寄る。

 

「ううっ、ぐすっ…痛いよぉ……」

 

「大丈夫?」

 

 少女が足首を押さえて泣いている。

 その隣では友だちと思しき少女が心配そうに見つめ、もう一人いた少年も同じように不安の色を覗かせている。少年の頰には、殴られたような痕があった。

 

 マリアは雪よけでかぶっていたフードを取り、つとめて優しい声色で事情を聞いた。

 

 どうやら少女は男とぶつかり転んでしまったらしい。当たって来たのは向こうで、その事に怒った「ティモシー」という少年が殴られた──と。

 

「そっか……みんなよく頑張ったね」

 

 マリアは微笑み、少女二人の頭を撫でる。ヘアバンドを頭につけた少年だけ警戒して逃げた。

 

「あっ、ティモシーが逃げた!」

 

「綺麗なお姉さんだからはずかしいんでしょ〜〜」

 

「ばっ……! ち、(ちげ)ェし!!」

 

 ケガをした子供もクスクス笑い、すっかり泣きやんだ。ただ歩くのが難しそうだったため、マリアがおぶって家まで送り届けることになった。聞けば三人は孤児院の子供のようだ。

 

「そっか。じゃあみんな私と同じだね」

 

「……あんたも?」

 

 あからさまに少年の表情が変わる。ティモシーの視線は少女を背負う時から不自然に動かぬ右腕に注がれている。マリアは普段、科学班の計らいで作られた装飾義肢をつけている。

 

「それって親にやられたの?」

 

「えっ? …あ、違う違う。これは前に事故でケガしただけだから」

 

 そもそも私捨て子だし、と続いた内容にティモシーの顔が歪んだ。今にも泣きそうだ。

 

「……っ、ごめん、嫌なこと聞いちまって…」

 

「い、いいよ! 全然気にしてないから!! だから泣かないで……ねっ?」

 

 少年の髪にマリアの手が触れる。壊れ物を扱うような手つきに、ティモシーは不思議な感覚を抱いた。胸の内からポカポカとする。その感覚を言葉にするのはとても難しい。だからせめてお礼だけは言った。

 

「……ありがと」

 

「ふふ。どういたしまして、ティモシーくん」

 

 

 その後、四人は孤児院に向かっていたが、「エミリア」という院で働く女性を迎えに行く予定だったことを思い出した少年が、輪から外れて去って行った。

 

 マリアもマリアで今更勝手に仲間から離れてしまったことに気づいたが、まぁいいか、と開き直った。最悪ティムキャンピーの居場所を辿れば、彼女に行き着く。

 

 

 

 しかし彼女は知らない。

 この時アレンたちに自分の存在が忘れられていたことに。

 

「このクソモヤシ!!」

 

「はいはい。すぐにそうやって神田は暴力に訴えるんですねぇ〜?」

 

「頼むから喧嘩はやめてくれ、二人とも……」

 

「リンク兄さま…」

 

「テワク、距離が近いです」

 

 彼らがマリアがいないことに気付くのは、少し先のことである。

 

 

 

 

 

 *****

 

 ハースト孤児院。

 

 それがティモシーたちが暮らす孤児院であった。

 

 院長はマリアにお礼を言い、紅茶の一杯でもと誘う。

 マリアは最初こそ断っていたが、子供たちにせがまれてお邪魔することにした。

 

 

 来客用の部屋は小ぢんまりとしている。

 

 彼女の前には院長が座っている。その他数名の子供たちは扉の隙間から中の様子を覗いていた。

 

「あらら…ごめんなさいね。お客さんが珍しいから、みんな興味津々みたいだわ」

 

「構いませんよ。それより少し気になったことがあるのですが…」

 

 マリアが気になったのは孤児院の中に所々あるキズだ。子供が付けたであろうキズだったり、単純に建物の劣化だったり。

 

「子供がいるとはいえ、あまりに修復されていないといいますか…少し、変だなぁと」

 

「………」

 

「あのっ、だからと言って貶してるわけでは…!!」

 

「いえ…違うの。自分の不甲斐なさを感じてしまっただけよ」

 

 院長は子供たちに遊びに行くよう話し、扉を閉じる。もの寂しさを感じさせる背中だ。

 

「実はこの孤児院がもう少しで閉鎖するんです。財政難で、経営自体が難しくなってしまって……。本当に、あの子たちには申し訳ないと思っています」

 

 堪えるように院長は言った。

 ぼんやりとその様子を見つめるマリアの瞳に、かつてのシスターの姿が過ぎる。お人好しで、どこまでも優しい。

 

「子供たちは他の施設にバラバラに預けられるんですね」

 

「……えぇ。みんなが家族でいられるのも、あともう少しだけなの」

 

「そうですか…」

 

 

 マリアの時は教会がボロボロに壊れて、それでもその場所が街にとっては大切な場所だったため、復興の目処は立っていたと思う。

 

「聖母マリア」を信仰していた教会。考えたくないことが脳裏によぎってしまう。

 

(「聖母(マリア)」を信奉する場所に私が拾われたのも、私が「マリア」と名付けられたのも………本当に全部都合が良すぎて仕込まれているとしか思えないじゃない)

 

 運命というものか。神に仕組まれたルート。そこをマリアは歩いている。

 

 ならばこの孤児院や院長の女性、ティモシーという少年たちも運命に沿って生きているのだろうか。『14番目』の宿主であるアレン・ウォーカーも、また。

 

「これも神のお導きであるなら、仕方のないことですね…」

 

 院長は胸に提げられたロザリオを握る。

 紅い瞳が温度を宿さぬままその光景を見つめた。

 

 

 

「「いんちょーせんせぇ〜〜い!!」」

 

 

 その声と共に、突如扉が開いた。

 側にはケーキを持った女性と、子供たちがクラッカーを持って笑っている。

 

 目を白黒させる院長に、「エミリア」と呼ばれる女が、掛け声を言う。

 

「せぇーの!」

 

 その言葉の後に、子供たちは院長の誕生日を祝い合唱した。

 歌が終わると、院長はメガネを取り涙を拭って、テーブルに置かれたロウソクの火を吹き消す。

 

 突然のことに目を白黒させていたマリアも、微笑ましい光景に微笑んだ。

 

 

 

 

 

「もう帰っちゃうの、マリア?」

 

 来客の足にへばりつく子供たち。すっかり懐いたようだ。マリアは苦笑いしながらどうにか出口に向かう。

 

「こら! あなたたち、マリアさんに迷惑をかけないの」

 

「えー、エミリアのケチー!」

 

「ケチババアー!」

 

 ケチババア、と叫んだのはティモシーだ。エミリアは口角を上げると拳を握りしめ、少年を追いかけ始めた。二人はそのまま去ってしまう。

 

「じゃあ、私はこれで失礼します」

 

「えぇ、気を付けてね。凍結した路面は滑りやすいから。あと高い所から落ちてくる氷柱にも用心してね」

 

「は、はい…」

 

 マリアの出が教会育ちと知ってから、院長は目に見えて優しくなった。お土産に菓子までもらっている。

 

「やだやだ! マリア行かないでー!」

 

「あそぼ、マリア!!」

 

「ここにしゅーしょくしろよぉー!」

 

 院長は微笑むばかりで子供達に埋もれた彼女を助けそうにない。このなつき具合は『聖母』のメモリーが影響しているのかもしれない。それにしたってモテ過ぎだが。

 

 

「まりあ、行っちゃやー!」

 

 

 倒れたマリアの顔をぺちぺち叩いてきたのは、一番最年少と思われる4〜5歳の少女。

 

 黒髪に跳ねた髪。どことなくロードと似ている少女に彼女は固まる。心臓が早鐘を打つ。抱きしめたい衝動は子供たちの重みで物理的に抑えられた。

 

 その後も少女は「まりあー」だとか、「ちゅき」と言ってくる。

 そこにティモシーを成敗し終えたエミリアが戻って来て、ようやく彼女は助けられた。

 

「マリアさんごめんなさいね。この子は特に甘えんぼで──「泊まります」………えっ?」

 

 子供たちの瞳が光り輝く。

 

 

「一泊します」

 

 

 その瞬間、わぁぁっ、と孤児院の中で歓声が上がった。

 

 

 

 

 

 *****

 

 夜の10時ごろ。

 

 マリアは寝入った子供たちに毛布をかけ、そっと部屋を出た。

 

 階段を降りたところでちょうど寝巻き姿の院長と出くわす。少し皺のある手にはコップに入ったミルクが白い湯気を出していた。

 

「よければあなたもどう?」

 

「あぁ…じゃあお言葉に甘えて。あと一つ、聞きたいことがありまして」

 

「私に話せることならいいわよ」

 

「ティモシーくんのことについてなんですけど…」

 

 

 

 テーブルの上には湯気の立つコップが一つ。

 院長は両手にもう一つのコップを持ちながら、目を細めた。

 

「…ティモシーはね、彼がもっと小さい頃………ここに来る前に、ある事件にあったの」

 

「事件ですか?」

 

「彼の父親が窃盗犯でね、警察に捕まりそうになって追い込まれたのが原因でしょう。証拠隠滅を謀り、ティモシーに盗品を飲み込ませたの。幼い子供に…本当に、ひどい話よ……」

 

「その人間はどうなったのですか?」

 

「父親は…エミリアの父親、ガルマー警部と言うのだけれど、彼が捕まえてくださったわ。もう既に刑も執行されて、牢屋の人生よ。以前から悪さをしていたのか、相当重い刑に処されたと警部から伺ったわ」

 

「…そうですか。ティモシーくんも大変だったんですね」

 

「……?」

 

 何か含みのあるマリアの言葉に、院長は首を傾げる。

 

()()()()()

 

「…!」

 

 少年はマリアの前でずっと頭にヘアバンドを付けていた。ゆえにその隠された額の下を彼女は見ていない。

 しかし()()()()()()()()はありありと感じた。おそらく寄生型の可能性が高い。

 

 マリアが実際に額の下を見たのだと勘違いした院長は、重い口を開ける。

 

「ティモシーがここに来た時にはすでに、額に小さな水晶玉のようなものがあったんです。私や他の子供たちがバカにすることはありませんが、他人というのは冷たいもので、ティモシーを口汚く罵りました。彼はその頃から額を隠すようになりました…」

 

「………」

 

「あの子は口が悪いしイタズラばかりするけれど、根はいい子なの。他の子供たちの面倒見もいいし…」

 

「ティモシーくんは辛かったでしょうね。きっと、院長先生も……」

 

「……っ!」

 

 院長は目尻に涙を溜め、顔に手を当てる。

 

「私のシスターも、とても優しい人でした。問題児気味だった私に良くしてくれて……子供たちに分け隔てなく愛情を注ぐ人だった。あなたのように。ただ一つだけ違うのは、女性的な魅力が彼女にはなくてですね……」

 

 ポロポロ泣いていた院長は最後の方で呆けたような顔をした。

 

「ふふ…私なんてもうおばちゃんよ。冗談でもありがたく受け取っておくわね」

 

 それに、と院長は続けて。

 

「女の幸せが結婚だけとは限らないわ。私には女の幸せよりもっと大切なものがあるから」

 

 院長の視線の先には、壁に貼り付けられた彼女の似顔絵があった。

 

 この幸福でできた箱庭がそう長くないうちに壊れる事実が、マリアにはもの悲しく感じられた。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 それから話は終わり、マリアは案内された屋根裏で眠ることになった。急きょ客人が泊まることになり、院長や子供たちが協力して掃除した部屋だ。マリアも手伝おうとしたが他の子供に捕まってできなかった。

 

 寝巻きはエミリアが用意してくれたものを借りている。身長の違いで丈が短い。

 

 ベッドに横になれば多少の埃臭さは残っていたが、そこまで気にはならなかった。

 

 月明かりがマリアの顔を照らす。相棒もまた彼女の頭の上に止まり、おやすみモードだ。

 

 

「偶然、では片付けられないよなぁ…」

 

 

 フランスで多発する「怪盗G事件」。

 狙われるのは金目の物ばかりで、売れば相当な金になる。

 

 次に財政難で閉鎖するハースト孤児院。金があれば閉鎖は免れる。例えば()()()支援金が渡されたり──なんてことがあれば。

 

 最後に────ハースト孤児院に住む、ティモシーという少年。

 

 彼はイノセンス持ちであり、怪盗G事件の資料をファインダーの頃の癖で読み込んでいたマリアは、犯人が共通して子供らしい行動を取ることが多いことに気づいている。

 つけ足すなら少年の父親が「窃盗犯だった」ということも留意しておきたい。

 

「というか、ここまで来れば黒確なんだよなぁ……」

 

 能力はおそらく他人に乗り憑るものだろう。そう考えれば次々と現れる怪盗Gや、その人間が子供らしい言動を取るのにも説明がつく。

 

「ガウガァ?」

 

「ん…? 報告はしないよ。彼らの幸せを壊したくないし、その権利は私にないもの」

 

 ティモシーがエクソシストになって教団と交渉すれば今後この孤児院は安泰だろう。悪いことをしなくても済む。

 

 けれど彼女はその選択を強いたくない。

 それがたとえ少年がイノセンスの力を持ってしまった時点で、神の望むままに進められる運命を歩まされているのだとしても。

 

「彼の選択は、彼自身に任せましょう」

 

 おやすみ、と声がする。

 紫の尻尾がそれに応えるように、あるいはあやすように、マリアの頭を撫でた。



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ダンス・ダンス

 翌朝。

 

 マリアは子供たちに突撃されて起床した。服はこれまた借りた修道服に着替えて、歯を磨き、朝食を食べて──と一日の始まりを迎える。

 

 シスター姿の彼女を見た院長は目をぱちくりさせた。驚くほどにその姿は様になっていて、まるでこれまで修道女として働いていたように見えたのだ。

 

「本当に働いて欲しくなっちゃうわ…」

 

「ははは……。まぁ自分でも思った以上に合っててびっくりしました」

 

 服は謝礼も込めて後で教団伝いに返そうと思ったが、お古だし気にしなくていいわ、と押し切られてしまった。

 子供たちの残ってアピールの誘惑にも耐えて、マリアは午前中に孤児院を出ることに決めた。

 

 

「何読んでんだ、マリア?」

 

 朝食時。トーストを齧りながら朝刊に目を通す女の横から、ひょっこりとティモシーが顔をのぞかす。少年には何か探るような視線があった。

 

 チラ、と少年を見たマリアは怪盗G事件の記事を見せる。

 

 ティモシー=怪盗Gなら、彼を探っているアレンたちとルーブル美術館で遭遇した可能性が高い。であれば、彼らの服にあった教団の人間である証「ローズクロス」を目にしたに違いない。そのマークはマリアが着ていた服にももちろんある。

 

 少年は疑うはずだ。「この女も奴らと同じ組織の人間なのでは?」と。

 しかし行動に移さないのは、彼自身の心が揺らいでいる現れだ。

 

「昨夜ルーブル美術館に怪盗Gが国宝を盗みに入ったんですって。あの噂の怪盗Gよ? でも今回は失敗しちゃったみたいね」

 

「へぇ〜……厄介な邪魔者でも入ったんじゃねぇの?」

 

「怪盗Gはお宝を集めてどうする気なのかしら……」

 

「……きっとイイ事のためだよ。マリアはこういうのに興味があんだな?」

 

「そういうティモシーくんも“お勉強嫌い”な割には、新聞を読むんだねぇ」

 

「なっ!! ううっ……エミリアから聞いたのか?」

 

「ふふふ、ちゃーんと勉強はしとくんだよ」

 

 頭を撫でられる少年は罰が悪そうに口をすぼめた。

 

「……マリア、あんたは…」

 

「君たちを助けたのは本当に偶然なの。それは信じて」

 

「………わかったよ」

 

 皿にあったソーセージを一つ盗んだ少年は、とととっ、と逃げるように去って行った。

 

 

 それからエミリアや他のシスターも孤児院に着く。恩返しに仕事を手伝うマリアは、例の新聞を破り取っていたティモシーの姿を見かけた。

 

 これで今朝、孤児院に匿名の寄付が来たというのだから、思わず苦笑いしたくなる。

 

 

 

 その一方でアレンたちの方はというと、犯人の特徴的な泣き声を追跡したマリがおおよその目星をつけていた。最後にその声が途絶えたのはとある孤児院の場所だ。

 

 ちなみにマリアがいないことに皆が気づいたのは、ルーブル美術館にいた時だった。

 

 テワクがその際にティムの場所を探知して探しに行こうとしたが、女の居場所がその孤児院だったことと、すでに夜遅かったことから、翌朝を待つことになった。

 

 黒いオーラをたぎらせる監査官と再会した女は、だらだらと冷や汗を流した。

 

 

 

 

 

 *****

 

 テワクのお説教タイムの後、マリアは子供たちに引きずられていった。

 

「……えげつなくモテモテですね」

 

「助けてくれぇ〜〜」

 

「マリア、次かくれんぼ!!」

 

「ちがうよぉ、おままごとするの!」

 

 監査官の少女の口角が上がる。孤児である彼女にとって孤児院の子供はシンパシーを抱きやすく、そんな彼らが女に向ける気持ちもまた理解できる。できてしまう。

 

「…まぁ、話は向こうで行っていますし、一旦私もそちらにいますわ」

 

「いいの? 私の監視役なのにぃ」

 

「……その、子供たちが警戒しているようですので」

 

 じろっーとした視線がテワクに向いている。彼女同様、突然訪れたアレンたちにも似た反応だった。ティモシーの件で、色々と表で騒ぎがあったからだろう。「なんかあやしい人…」という認識だ。

 

「気を遣わせてごめんね」

 

「いえ、では」

 

 部屋にはシスターの服を着た彼女と、子供たち。

 楽しく遊ぶ中で、一瞬マリアの動きが止まる。

 

 燃えるような、焦げ臭いにおい。瞬きのうちにその感覚は消え、子供の声に意識が引っ張られる。澄んだ目が不思議そうに彼女を見つめている。

 

「どうしたの、マリア?」

 

「……何でもないよ。それよりいっぱい遊びましょうか」

 

「「「わーい!!」」」

 

 元気な声は、アレンたちの方にまで時折聞こえた。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 子供の泣き声が聞こえる。

 

「マリア!」

 

「きゃあああっ!!」

 

 

 

 事は部屋に一人のシスターが入って来たところから始まる。

 

「院長にあなたを呼んでくるよう頼まれまして…」と聞いたマリアは、子供たちに遊びの終わりを告げた。

 ブーイングの声が上がる中、響いたのは数発の銃声。

 

「え……?」

 

 彼女の腹から血が流れる。その背後には銃を持ち、口角を上げるシスターの姿があった。

 

 それと同時に外の景色が真っ黒く染まる。自然の色ではない。建物を囲うのはスカルによって作られた特別製の結界。方舟の力や、アレンのAKUMAを視る目を使えなくさせるものだ。さらに出入りできるのはAKUMAのみという徹底ぶり。レベル4が建物の頭上で怪しく笑う。完全に彼らは閉じ込められた。

 

「っ……黒衣(ドレス)!!」

 

 パニックになった子供たちが黒い液体に包まれる。覆いきれなかった分はティムが巨大化して咥えたり、尻尾で絡め取った。

 

 再度銃声が響く。その弾は目標に当たることなく黄金の大剣で防がれた。

 舌打ちをこぼしたシスターの女はしかし、来る増援に余裕を取り戻す。レベル2とレベル3のAKUMAが複数体、壁を突き破り現れた。

 

『げぇ、コッチにもエクソシストいんじゃねェの』

 

『レベル4様が奴らを抑えてくださるんだっけ? 他にも任務があるっぽいけど』

 

『わぁい、ガキどもだぁ! ブッ殺してェ〜〜!!』

 

 神ノ剣(グングニル)が動き、AKUMAたちが表情を引き締める。直後ゴォンと音が鳴り、床に穴が空いた。ちょうどこの下には地下の部屋がある。それを見越しての破壊だ。

 

(こんな狭い空間じゃ大剣を振り回すには不利だ。しかもレベル4って……!!)

 

 それに第一優先で守るべき子供たちがいる。まず彼らの安全から確保しなければならない。レベル4とはアレンたちが交戦しているのだろう。

 撃たれた部位は弾が体内に残っているようでひどく痛む。出血も多い。だがそれを気にしている場合ではない。

 

「ティム、先に行け!」

 

「ガウガァァ!!」

 

 このAKUMAたちを破壊してから──と思った矢先、マリアの動きが鈍くなる。体の自由が急速に奪われた。

 

「………ッ!?」

 

 足から力が抜け、立っていることがままならなくなる。AKUMAの能力か、と気づいた時にはすでに遅い。

 

『6秒間だ。ボクにこの目で見つめられた奴は肉が硬化して生き人形になる。いくらエクソシストでも、防ぎ用はねぇってわけ』

 

 黒衣ならな自由に操作できるゆえ、大剣を持たせて戦うこともできよう。しかし子供たちの守護に回している。

 いや、そもそも────。

 

 人形と化す体。思考そのものが緩やかに停止し、イノセンスとのシンクロができなくなる。

 

「ティ、ム…どうにか、みんなをっ……」

 

『ガキども守るのに必死だなァ』

 

『そうだ! コイツの目の前で一匹ずつ殺してこうぜ!』

 

『いいねいいねぇ』

 

 倒れた女の体はぽっかりと空いた穴の中に落ちて、ガシャンと派手な音を立てる。体こそ繋がっているが、四肢の一部が衝撃であらぬ方向に曲がった。残る痛覚が鋭敏に電流となって頭に突き刺さる。声さえ上手く出せない。

 

「だ、め……子ども、たちは……」

 

 頭上には複数の目が見下ろしている。人間の女もそこに混じって下衆な笑みを浮かべていた。

 

 この女は伯爵と通じる「ブローカー」の人間で間違いない。ブローカーは情報やAKUMAの材料となる人間を提供する代わりに、多額の金を得る。AKUMAを手引きしたのもこの女だ。

 

()、してない……の?」

 

 院長が太陽のように子どもたちを照らしていた裏で、暗闇に紛れてコソコソとネズミが動き回っていた。

 

「子らは、愛すべきもの……で、す」

 

 暗闇を塗りつぶすように、ズズ…とうごめく存在がある。しかして頭上にいる女はその変化に気づかない。AKUMAたちだけが表情を変える。エクソシストへ向けた嘲りが恐怖へと転じた瞬間だ。

 

 これは、この気配は。

 

 

 ────その“おかた”をころせば、おまえたちもころします。

 

 

 その瞬間、レベル4の命令が彼らの脳内に下された。向こうに“目的の人物”がいなかったがための命令である。

 

 エクソシストの女のはずが、今AKUMAたちが目にしているものは違う。黒い渦は女の影から生まれ、一瞬にして伸びたその闇がシスターの女に突き刺さった。胸を穿たれた女は「あ、え?」と声を漏らす。

 

 

「赦しません」

 

 腕に刺さる。

 

「赦しません」

 

 足に刺さる。

 

「愛を冒涜しましたね」

 

 黒い影が次々と女の体に刺さり、針のむしろのようになるまで刺さり続ける。

 途中まで聞こえていた呻き声もやがて途絶えた。それでも蹂躙は続く。

 

 そして影が離れた頃には、あたり一面飛び散った肉と血でひどい有様になっていた。

 

『ぁ……あ……』

 

 レベル2は能力を解き、床に頭を擦り付ける。他のAKUMAも同様な仕草を取る。

 

 収束する黒い渦は女の影の中に消え、何事も無かったかのように静寂が残された。血のような片目とは異なり、もう片方の瞳は深淵の中で眩くきらめいている。息を飲む音が聞こえた。

 

 

「かわいらしい、AKUMA(いとし子)たち」

 

 

 微笑んだ女はその言葉を最後に気を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 

 

 マリアは夢をみ

 

 

 

 

 

 マリアは血溜まりの中に倒れていた。メイドの服は着ていない。

 

 足は素足で、白かったであろうシャツが夥しい赤で染め上げられている。

 

 揺らめく影のようなものが無数の棘となり、その肢体を何度も貫く。黒い棘は女の影から伸びている。

 

 鮮血が、鮮血で上塗りされる。

 

 

 今あるのは、「終わる」という感覚だけ。

 

 微笑めばまた、口から血が漏れ出る。

 暗闇があともう少しで訪れる。そんな時声がした。

 

「────リア」

 

 幼い少女の声。この声を、マリアは知っている。

 

 目を開ければ、泣きじゃくるロードがいた。いや、姿は見慣れた少女の姿ではない。

 しかし、間違いなくその人物は『(ロード)』だ。

 

 少女はしゃがみこむと、マリアの服に顔を埋める。

 

 

「ボクを置いて行かないで、マリア……!!」

 

 

 マリアはロードの涙を拭おうとしたが叶わず、「終わる」感覚に身を委ねた。

 

 

 ひどく、幸福だった。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 アレン、神田、マリの以下三名がレベル4と一階にて交戦。

 その隙にテワクは院長と数名の子どもたちを連れて地下室へと移動した。その後ろから少し遅れてティモシーとエミリアを抱えたリンクが続く。

 

『おぉ、新しいニンゲンが来たぞ〜』

 

 通路でテワクが遭遇したのは件の「6秒」の力を持つAKUMA。その背後に他のレベル2とレベル3もいる。

 状況は芳しくないだろう。結界が張られる前に聞こえた銃声音に嫌な予感はしていた。子どもたちといたはずのマリアの姿はない。あの女ならば襲撃されたと理解した時点でまず、子どもたちの安全を守るために地下に移動させるだろう。

 

 しかしこうしてAKUMAが健在ということは、幾つかの要因が重なり敗北した可能性が高い。ノア側に連れ去られるのは絶対に阻止しなければならない。

 

「テワク、ここは私に任せて先に行きなさい!!」

 

 テワクの思惑を感じ取ったリンクが視線で促す。守護対象と一般人。優先すべきは前者だ。

 だが幼少期から教育された「(カラス)」の人間だとはいえ、ハワード・リンクは人間。レベル2一体ならばどうにか抑えられても、レベル3を相手取るのは無理だ。

 

 ただ、()()()()()テワクなら、不可能ではない。

 

 

「……お願いします、リンク兄さま」

 

「リンク“監査官”です!!」

 

 術を唱えるテワクの袖から札が出て、身体にプラスの負荷が加わる。本来の人体なら壊れる強化でも義肢ならば問題ない。こうしてヒトの領域を超えた一閃があっという間の速度で繰り広げられる。いない、とAKUMAたちが気づいた時にはすでに少女の姿は後方。ついでに服を突き破って腕からのぞく刃物がレベル3の片腕を斬り落とした。

 

『……! あの女ァ、人間のクセしてオレの腕をッ!!』

 

「待ちなさっ……くっ!」

 

『お前の相手はボクらだよ〜〜』

 

 少女は厄介な一体を引き受けて行ってしまった。まったく公私を分けていないだろう──と、内心リンクは悪態づく。

 場にはレベル2のAKUMA二体。守るべき対象は複数。

 

 勝機は────微妙だ。

 

 翻弄されていた件のAKUMAの瞳はすでにとらえる対象を固定している。だが不意にそのピントを外した。

 

()()()ぉ、()()()()()()()()()って言われたし……ボクイイ事思いついたぜェ』

 

『おっ、何だ何だ?』

 

『それはなぁ…………あのホクロの人間で遊ぶんだ!!』

 

 エクソシストとの戦闘はレベル4が買って出ており、イノセンス持ちの少年を捕獲するのが任務だった彼ら。消化不良は否めず、殺したさでうずうずしている。そこに普通の人間よりは頑丈そうな奴が来たのだ。すぐに殺してはつまらない。それに男を痛ぶれば、守られている人間も恐怖に悲鳴をあげる。殺すわけではないので問題ないはずだ。

 

『そうと決まれば……()ってやるぜェ!!』

 

『すぐに壊れてくれんなよ、ニンゲン』

 

 ニタニタと笑うAKUMAたちに、自然と青年の眉間に皺が寄った。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 室内は灯りがないことを踏まえても暗すぎた。まるで深淵の中だ。

 その中心には眠る子どもたちと、少女の頭を優しく撫でるシスターの姿がある。その少女はロード似の子どもだ。

 

 勢いのまま扉を突き破ったテワクはその光景を目の当たりにして、硬直した。

 

「……マリ、ア?」

 

 この部屋の異質さ。部屋全体を覆うこれはいったい何なのか。まるで脈打つような気配さえある。温かくて、けれどその誘惑に負けて子どもたちのように眠ってしまうことが末恐ろしく感ぜられる。

 

 まるで、まるでこの中は胎の中のようだ。

 

『この(アマ)ァァァ!!』

 

 気を取られていたテワクの背後にレベル3が迫る。反応の遅れた彼女の頭に、AKUMAの拳がめり込まんとする。さすれば硬い骨はパンケーキのように容易く崩れ、そこからデロッとした脳髄がぶちまけられる。

 術も、物理攻撃も間に合わない。

 

 

「黙れ」

 

『……ッ!!』

 

 

 闇に縫い留められたレベル3が少しずつ、その中に沈んでいく。

 なぜ、という声を漏らすAKUMAに女は微笑みで返す。

 

「子どもたちが起きてしまうでしょう?」

 

『お、お待ちくださ、このニンゲンはオレが必ずや仕留め……!!』

 

「黙れと言っただろう」

 

 沈み、その姿は跡形もなく消えた。

 

 子どもたちの安らかな寝息が聞こえる。テワクの体は震え、顔からはびっしょりと汗が噴き出す。

 

 違う。この女は明確に「マリア」ではない。

 

 子らに向けるその微笑みは似ているように見えるが、もっと愛情を溶かし続けた末に真っ黒になったものが滲んでいる。

 それは言うなれば、狂気の愛。

 

 マリア、と再度テワクの口が動く。懇願の孕んだ声色だ。

 

「あなたもおいで」

 

「……マリア、しっかりしてください」

 

母の胎(ゆりかご)の中でおやすみ」

 

「ウォーカーたちやリンク兄さまが戦っているんです!!」

 

「おいで」

 

「あなたは……仲間が死んでいいんですのっ…!? 院長やエミリアという女性に、ティモシーも殺されてしまいますわ!! 

 

 院長、という声に一人の子供が反応し、眠い目をこすって顔を起こす。

 ぼんやりとしながらも「いんちょーせんせぇ…?」とペタペタと探るように床を触る。

 

 その手が今度は修道服の裾に触れた。ぴくりと女の肩が動く。黄金だった片目がゆっくりと血の色に戻る。

 ゆるやかに瞬く瞼。マリアの呼吸は次第に荒くなり、全身が震え出した。

 

「ぁ、あ………ああっ」

 

「あれ、マリア?」

 

「んん……? 何でわたし寝てたの?」

 

「ああああああっ」

 

 ビキビキと動く手には長く鋭い黒爪がある。その手がマリア自身の顔をえぐろうとした瞬間、横に入ったティムがうなり声をあげて噛んだ。

 テワクも慌てて駆け寄る。そこで彼女は部屋が元に戻っていくことに気づいた。闇は少しずつ収まり、女の影の中に戻る。

 

「…マリア、マリアですの?」

 

「ハァ、ハッ………ははっ」

 

「しっかりなさい!!」

 

「………あ」

 

 子どもたちも女の側に駆け寄り、不安そうに声をかける。なおも震えるマリアの左手はがっしりとティムの尻尾をつかんでいる。

 テワクに背をさすられる内に、その呼吸は正常に戻って行った。

 

「……ご、めん。取り乱した」

 

「いえ、大丈夫ですわ」

 

 

 

 そんなやりとりがあった二人の裏では、ボロボロになっても守り続ける青年の後ろ姿を見ていた少年に、変化が起きた。

 

 

「────兄ちゃん!!!」

 

 

 ティモシーはイノセンスを発動する。



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愛玩蝶

地べたで蠢く蝶がいる。
羽の取れた、哀れな虫。


 その片鱗はすでにあった。私自身が一番理解している。

 

 来た覚えのない場所にいたり、あるいは自分の意識がありながら喉からするりと思っていることと違う言葉が出たり。

 私の中にもう一人私がいるような感覚で、着実に自分が自分でなくなっていく。

 

 私が『聖母(マリア)』になっていく。

 

 バレる訳にはいかないからその場その場で誤魔化しているけれど、ブローカーとはいえ人間を殺してしまった。その記憶は残っているのだから嫌なものだ。

 その上、罪悪感が湧いて来ない。こんなもの、笑うしかないでしょう。

 

「テワクちゃんは子どもたちをお願い」

 

「待ってください! 今のあなたは不安定ですわ!! 私が……」

 

「大丈夫。ティムも一緒にいれば少しは安定するから」

 

「ガウガウ!」

 

「しかし敵はあなたのことも狙っています…!」

 

「だからいいんじゃない。ちょうどいい囮になる」

 

 ティモシーくんのイノセンスの気配が強まったのを感じた。多分発動したのだと思う。同時にこの中に“奇妙な存在”も入って来た。敵か味方か分からないけど、急いだ方がいい。

 

「……わかりました。私はあなたを信じますわ」

 

「ありがとう。しっかり守ってあげるから、待っててちょうだい」

 

 腹の出血は大丈夫。もう止まった。残った弾は後で取り除けば問題ない。イノセンスも発動できる。

 黒衣(ドレス)は残して行──くことはできなかった。

 

「私が守るから大丈夫ですわ」

 

「…じゃあ、私もテワクちゃんの言葉を信じますわ」

 

「ケンカを売っているのなら後で買いますわ」

 

「へっへっへ〜……いて」

 

 小突かれて、そのまま笑って走り出す。

 

 

 

 廊下には戦闘の痕跡がありありと残されていた。その隅で固まっていた院長先生と数名の子どもたちを見つけ、テワクちゃんたちの方に行くよう指示する。というか待って、ティモシーくんが倒れてるんだが。

 

「それが……よくは分からないのだけれど、バケモノ同士で突然戦いが始まって…」

 

 AKUMA同士で起こった戦闘は苛烈し、一体が上に吹っ飛んでその後をもう一体も追った。リンク監査官もその後を追い、エミリアも「ティモシー…!」と叫んで上に行ってしまったらしい。

 

 なるほど読めてきた。ティモシーくんがAKUMAに取り憑いて戦い、そのことにエミリアも気づいたのだろう。

 

 

 院長たちが向かうのを見届けてから階段を駆け上る。一階はボロッボロでレベル4のものと思しき弾痕がそこら中にある。アレンくんたちは…みな手負いだ。

 

 ティモシーくんらしきAKUMAは無事で、側にエミリアとリンク監査官もいる。そして()装束の服を纏った人物が例のヤツ。その人物がティモシーくんに異形の手を伸ばしていて、それを監査官とエミリアが二人で止めている。

 

 そしてリンクくんの話を聞いた男は手を下ろした。一応味方みたいだ。

 

 

『……!! みつけましたぁ、まりあ!』

 

 

 そうこうしている内にレベル4と視線が合った。

 

 アレンくんと神田がその瞬間に動き、マリはその援護に回る。そりゃあお目当ての人がいたら一直線に来るよね。

 神ノ剣(グングニル)を握る。視界の端で黒衣がちらちらと揺れ動く。

 

 向こうは私を殺せない。同時に骨から血液にまで至ったこの厄介なイノセンスを壊すことも難しいはずだ。その上でレベル4が取る方法は……。

 

 

『────悪魔叫(あくまきょう)!!』

 

 

 絶叫が響く。三人の身動きが止まった。そう、戦力を奪って意識を刈り取ろうとしてくるよね。

 肌から伝わる振動が脳を侵す。でも動けない程じゃない。耳栓はすでにしてある。

 

『……!? なぜとまらなっ…』

 

「何言ってるか聞こえないわよ!!」

 

 形状を変化できる黒衣は便利だ。

 

 向こうがマシンガンの両手を構えるうちに間合いに入り込み、斬りかかる。避けたところを次はアレンくんの大剣と神田の刃が狙い撃つ。それでも無理ならマリの弦が無理やりに隙を作って、そこを私が──と、コンボ技だ。

 

 下手に殺せない私がいるから余計にレベル4はやりにくい。このまま押し切ってその時をねらう。破格の強さを持つ敵の首を取る瞬間を。

 

 

「「えっ」」

 

 

 ガギィンと、大剣同士がぶつかり合う。驚く私に、アレンくんはそれ以上に困惑している。

 

 何が起こったの? レベル4に斬りかかった神ノ剣の間に入るようにして、彼の剣が衝突した。タイミングが合わなかった、は理由にならない。明確に割って入った。

 

「す、すみませんっ!! 神ノ道化(クラウン・クラウン)が急に動いて……」

 

「……う、ん」

 

 背筋がゾワゾワとして、体の芯から冷たくなる。上手く視界の焦点が合わなくなって、縋るように相棒の名を呼んだ。

 ティムは尾を使って私の首に巻きつく。グルグル、という音が振動してわずかに心拍数が下がった。

 

 その隙をしかし、レベル4は逃さない。

 

 

 エネルギー砲が神田を吹き飛ばし、もう片方のマシンガンはアレンくんを執拗に狙い撃つ。

 ならば、と思い背後から狙った剣先は180度回った顔の歯で防がれた。

 

「怖っっ!!!」

 

 レベル4の標的は特に厄介な力を持つ神ノ道化。つまりアレン・ウォーカー。この結界内は少し考えれば、方舟の力を使えないとわかる。逃げられるならすでに逃げてるって話だ。

 

 先ほどのできた隙で連携が崩れ、再びレベル4が暴れ出す。

 

 加減されているであろう蹴りを食らった私も吹っ飛んで、壁に衝突した。知ってる? 神ノ剣は私の肋の一部でできてるから、腹に蹴りを食らうとモロに内臓にダメージが入るんだよ? 

 

「ゴハッッ」

 

『っ、しまっ……!!』

 

「マリアさん!!」

 

 壁にずり落ちた私にAKUMAなティモシーくん、それにエミリアとリンクくんが駆け寄って来るのが見える。

 

 星が回って、それでも剣を突き刺して立ち上がる。今も傷を内側から治そうとするイノセンスのうごめきを感じて気色悪い。

 

 視線の先ではアレンくんが剣を操作し、レベル4に背中から突き刺すのが見えた。

 そのままAKUMAの肢体は前方にいた彼も巻き込み壁に縫いつけられる。

 

 アレンくんの口から血がこぼれる。ノアのメモリーを持つ少年に、あの剣は毒となった。

 

 絶叫が聞こえる。

 

『大丈夫か、ねーちゃん!?』

 

 声が。

 

「マリアさん、顔が真っ青よ…?」

 

 

 アレンが微笑む。

 

 彼の髪は黒だった? 

 あそこまでわがままに跳ねていたっけ? 

 風の匂いがする。

 目を閉じれば黄金の世界が、夕焼けに染まって。

 

 そこに、立っている。大剣を持った少年が。

 

 その下で、愚かなメイドが死んでいる。

 

 その少年も、死体も、剣も、その世界も、すべてが血のように赤かった。

 

 

 

 

 

 

 

「────モヤシッ!!!」

 

 

 微睡から一気に覚醒した時のような浮遊感とともに、脱力していた四肢が動いた。

 私の前には目をパチクリさせたアレンが立っている。少年の手には引きずられた剣があり、その首には神田の剣が突きつけられている。

 

 レベル4はすでに事きれていた。二人が協力して倒したらしい。

 

「なぜこの女に近寄った」

 

「………え?」

 

「…ウォーカー、あなたは神田の呼びかけにも答えず、無言でMs.マリアのもとへ向かっていましたよ」

 

「そう…なんですか?」

 

 銀褐色の目が、私を見る。黒じゃない、黄金でもない。

 

 でも、でもでもでもでもでも────。

 

 

「お゛えっ……」

 

 

 吐き気を押さえることができなかった。ほぼ血のそれが床にビシャッとぶちまけられる。

 体が震えて、涙が止まらない。気持ち悪い。

 

 この剣がそうなのだ。そうだったのだ。『聖母』を殺し尽くした剣だった。

 

 アレンは、アレンがあの子だった。14番目が、ネア。あの子の気配を感じた、さっき。だからとても嬉しいの。

 

 怖くて、気持ち悪いのに、嬉しいの。

 

 どれがいったい「マリア()」の本当の感情なの? わからない。

 

 

『おいテメー! 近づくだけでマリアが吐くって……いったい何したんだよ!!』

 

「………サイテー」

 

「…ウォーカー、君の紳士ヅラはエセだったということですか?」

 

「待っ……僕は何もしてません! 師匠とは違うんですッ!! 信じてください!!!」

 

 騒ぐ周囲の声が遠ざかっていく。

 

 

 

 あぁ。

 

 おかえり、ネア。

 

 

 

 

 

 *****

 

 レベル4の撃退後、建物周囲に張られていた結界が外にいた科学班によって解除された。

 

 結界はアレン・ウォーカーのAKUMAを視る左目を封じたり、方舟の使用を阻害する効果があった。またAKUMA以外が出入りできないよう細工もされていた。

 

 一般人のケガはすり傷など軽傷な者が多いが、念のために教団で検査入院をすることになった。唯一、一名のシスターの死亡が確認されている。

 

 ティモシー・ハーストはこの件を機に、エクソシストになることを決意した。

 ただし条件として、怪盗Gの損害賠償やハースト孤児院の恒久的な支援の維持を教団側に取りつけた。もれなくコムイの胃が死んだ。

 

 

 

 一方とある病室では、ベッドの上で子どもたちが絵本の読み聞かせを聞いていた。

 ある子どもはよだれを垂らして寝ていたり、ある子どもは興味津々で話を聞く。

 

 

「お星さまの王子は言います。「ぼくはもう、帰らなければならないんだ。」王子のひとみからはキラキラとかがやく小さな星がこぼれました」

 

 

 時刻は8時ごろ。異常もなかった子どもたちは新居が決まるまでの間、院長とともにロンドンに移り住むことになった。今日が教団を離れる最後の夜だ。

 ランプの明かりがゆらゆらと揺れる。一人一人とまた眠りに落ちて行く。

 

 包帯だらけの体で朗読する女の隣で、監査官の少女も思わずあくびをこぼしそうになった。

 

 今この空間は、驚くほどぬるま湯のような安らぎに包まれている。

 

 

「星が今日もあの子に語りかけます。「ぼくはいつも君を見守っているからね。」────おしまい」

 

 

 そして読み聞かせが終わった頃には、全員眠っていた。

 

 苦笑したマリアは布団をかけ直し、彼女自身の病室に戻る。部屋を出る前にすれ違った看護婦は中の様子をのぞき、微笑ましそうに笑った。

 

「寂しそうですわね。あの子どもたちも、あなたも」

 

「…まぁね。ティモシーくんにはエミリアが残ることにしたようだから、安心かな」

 

 月明かりが二人を照らす。その距離が少しずつ開いていく。

 

「あれ……。どうしたの、テワクちゃん? 顔が暗いけど…」

 

「…いえ」

 

 ハースト孤児院に現れた緋装束の男。テワクはその男を知っている。リンクよりも、ずっと。

 二つの黒い目がじっと彼女をとらえている。その言葉を紡ぐ必要はない。けれど、言葉にせずにはいられなかった。先ほどの部屋の温もりを感じてしまったから、余計に。

 

「……兄様が、いたんですの」

 

「リンクくんが?」

 

「違うんです…。血の繋がった、私の本当の兄様ですわ」

 

「ふーん………えっ、兄妹がいたのテワクちゃん!!?」

 

「う、煩いですわね…」

 

 名は「マダラオ」と言う。二人の兄妹、それにリンクと三人の子どもたちを合わせた六人は鴉になる前、いつも一緒だった。

 しかし中央庁直属の戦闘部隊の駒として教育を受けるようになってから、彼らはいつしか人形のようになった。

 それでもルベリエの命を受けリンクと再開した少女は、ひとしおに喜んだ。

 

「お兄さんとは話せたの?」

 

「………」

 

「あらま。中央庁(そちら)のドライな部分を考えると、滅多にないチャンスだったでしょうに」

 

「…仕方のないことです」

 

「まぁ、あの男がテワクちゃんのお兄さんって言うなら、そう遠くないうちに会えると思うよ」

 

「何を根拠に…」

 

「あの人間、一部ヒトじゃない」

 

「……は?」

 

 そう言えば、とテワクは思い出す。マダラオを見つけて「??」となっていた彼女の横で、リンクは険しい顔をしていた。

 あの表情の理由は、彼もまたマリアが話したことと同様の見解を持っていたからかもしれない。

 

「あの時異様に感覚自体を制限されるような感じがあったから、詳細はわからない。しかし中央庁が表立って動かした以上、教団側にも伝えられるはずよ」

 

「………」

 

「あなたのそれも、愛ゆえね」

 

 バッと、テワクの顔が上がる。

 

 血の如き瞳が二つ、薄闇の中に浮かんでいた。張り付けたような笑顔も交えて。



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DiRTY

第三(サード)エクソシス」────人体生成により半AKUMA化した四名が、教皇の御下命により役務に就くことになった。

 これは破壊された“卵”のカケラを入手し、ルベリエが内密に進めていた計画である。

 

 実験については北米支部のレニー・エプスタインの指揮のもと行われた。

 

 

 これを知ったテワクの動揺といったら凄まじく、ぼんやりと考え込むことが多くなった。

 

 卵のカケラの件をテワクは知らなかった。ルベリエ直属に動く彼女が、だ。卵の入手に動いたのはリンクのはずで、それがまわりに回って第三エクソシストの計画に至る。リンクもただ命令に従ったに過ぎない。彼とて複雑な心境だろう。だがどうも以前のように「リンク兄さま」と言えなくなった。

 

 マリアもマリアでアレンに対しアレルギーを発症し、出くわすと速攻で逃げるようになった。

 

 対し孤児院の件でアレンはマリアを怖がらせたのだと思い、謝ろうと躍起している。逃げる者と追う者。それを見たリナリー・リーは少年に白い目を向けた。

 

「………」

 

「まっ、マリアさん! お願いです話だけでも!!」

 

「そちらの監視対象の奇行を止めてくださりませんか、ハワード・リンク監査官」

 

「……わかっています」

 

 こんな冷たい光景がたびたび教団内で見られるようになった。

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚫︎⚫︎

 

 

 最近ストレスが尋常じゃない。

 

 アレンくんが悪くないのは知っているけど、彼の有するメモリーのせいで少し接近されるだけで蕁麻疹が出るようになった。晴れてバク支部長の仲間入りだ。

 

 テワクちゃんもあんなに「リンク兄さま、リンク兄さま」と騒がしかったのに、「リンク監査官」とビジネスの付き合いしかしなくなった。そのせいか、リンクくんも調子が悪そうに見える。

 

 

 

「問題です。ストレスが溜まったらどうすればいいでしょうか」

 

「……お前な〜…」

 

 場所はアジア支部。荷物運びを手伝う名目で訪れた私は、フォーの元へ来た。

 

 酒も大量に持って来た。持ちきれない分を渡したマイ監査官には白けた表情をされたけど、止めはされなかった。ちょっとだけ中央庁に反抗的になったよね、テワクちゃん。

 

「まぁちょうど私も飲みたい気分だった。今日はいくらでも付き合ってやる」

 

「イエ〜イ!!」

 

「……思ったけどよ、お前のその酒癖ってクロs」

 

 おしゃべりな口には度数の一番高い酒瓶を突っ込み、パーティーが始まる。呆れ顔のテワクちゃんは、長くなることを見越して持ち込んだ書類仕事をしている。

 

 途中からなぜかバク支部長も乱入し飲み始めた。あなた一応ここのトップだよね? 

 

「おのれェェ……あのルベリエ(ヘビ男)め!!」

 

「バク支部長、そのヘビ男直属の部下がここにいるってこと、忘れてないですか?」

 

「人体のAKUMA化などと腐ったマネをッ!! しかもレニーに………」

 

 酔ったバク支部長は聞き覚えのない「第二(セカンド)」という言葉を漏らす。アジア支部でファインダーをやっていた当時でも聞いたことのないワード。もしかして機密要項だろうか。

 

 さすがにフォーが止めに入る。

 

「おい。酔うのはいいが、喋り過ぎは看過できねぇぞ」

 

「私がイノセンス持ってることを大声で話したフォーがソレを言っちゃうんだ」

 

「……あ、(あたし)はいいんだよ、私は」

 

 ふーん。…っま、どこにしたってその「第二(セカンド)計画」然り、咎落ち然り、倫理を無視した実験が行われた過去があるってわけだ。バク支部長に薄暗い過去があったのは意外だけど。

 

 

「力には、代償が必要ですものね」

 

 監査官のその一言で、場が静まった。

 

 

「テワク、ゴウシ、トクサ……そしてマダラオ兄様。彼らは「第三エクソシスト」の役務を尊い使命だと考えておりましたわ」

 

「テワクちゃんいつの間に会ってたの?」

 

「……偶々廊下で会ったのです。あなたがアレン・ウォーカーから逃げている最中に」

 

「え、何でお前ウォーカーから逃げてんだ?」

 

「へへ、白髪アレルギーになっちゃって」

 

 フォーにダル絡みされていた時、バク支部長はふと何かに気づいたようにテワクちゃんをじっと見る。

 惚れたのか? 歳下の少女(リナリー)に目がないのは知ってるけど。

 

「テワク、君の名はテワクと言うのか?」

 

「……えぇ、それが何か?」

 

「………」

 

 やけに真剣な表情だ。見慣れた情けない支部長の顔じゃない。

 

「オレ様には北米支部にも伝がある。元部下の繋がりだが……そこでレニーが以前、今回のものとは異なる人体実験を行っていた、と聞いたことがある」

 

 エプスタイン家は()()()()()に精通する家系らしい。

 ゆえに、中央庁から薄暗い命を任されやすい。

 

 テワクちゃんの体の多くは機械だ。

 

 

「『非エクソシストの人間をAKUMAに通ずる人体兵器として運用する方法』………だったか。選ばれたのは今際の少女。その実験がどうなったかは分からなかったが…」

 

 

 バク支部長の瞳が再び彼女をとらえる前に、その間に割って入る。

 

「ッ………マ、リア?」

 

「この子が怯えているじゃありませんか」

 

「…何でお前、殺気出してんだ?」

 

「大丈夫です。私が守ってあげますからね」

 

 震えを押さえ込む可哀想な少女を抱きしめて、その頭を撫でた。

 しかしなくなるどころか、その震えは目に見えて現れ、あまつさえ悪化して行く。

 

 あぁ、あなたを怖がらせるものがいるのですね。

 

 ならこの()が、殺してさしあげ────、

 

 

 

「私は大丈夫です」

 

 

 痛むほど腕をつかまれる。同時にティムキャンピーにも頭をかじられた。

 

 ……えっ? 何で私自分の監査官と相棒にいじめられてんの? 

 

「痛い痛い!! なに、何事!!?」

 

「…どうやら酔っぱらってしまったようですね。そろそろ本部に戻りますよ」

 

「待って! まだ全然飲んでないッ!!」

 

 そのまま私は俵持ちされて二人の顔を見ることになった。

 支部長は冷や汗をかいていて、フォーは難しそうに私を見ている。

 

 小声でテワクちゃんに話しかけた。

 

「……もしかして何かやばいことしそうだった、私?」

 

「さぁ。貴女はいつもの貴女でしたけれど」

 

 はぐらかすような答え。でもどこか彼女には安堵というか、嬉しそうな色があった。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 夢の中。

 

 

 マリアは地面に伏していた。

 夢の内容は以前見たものと同じで、『(ロード)』のメモリーを持つ少女が彼女の顔を覗き込んでいる。

 

 少女が呟く内容も同じ。マリアは血を吐きながら目を瞑る。

 

「終わる」感覚に身を委ねて、意識が遠のいていく。

 

 

『ぼくを置いて行かないで、マリア』

 

 

 少女の言葉が、膿のように体に残るような気がした。

 目を開けようとすれども、瞼すら動かすことがままらない。

 

 そうしてアヴェ・マリアは、深い眠りに就いた。

 

 

「愛してる」さえ、呟けずに。



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夢の中の夢の中の夢の中の

 目覚めは唐突だ。

 

 

 深夜真っただ中。ロンドンにある橋のたもとで、一人の青年が頭を押さえて蹲っていた。

 そこに偶然通りかかった警官二名が青年に近付く。

 

「またスラムのガキが変なもんでも食ったのか?」

 

「おい、大丈夫かよ(アン)チャン」

 

「うぅ、うぅぅ、う゛」

 

 青年はとうとう地面に倒れた。

 呆れながらも警官の男はうつ伏せだったその体を仰向けにした。

 

 すると青年の顔が露わになる。ボサボサの無精な髪の隙間からのぞく額。そこに、三つの目がある。

 

「ヒィ!!」

 

「こ、コイツ……バケモ」

 

 向けられた銃の照準が合わさることはなく。また、警官二人の悲鳴も最後まで続くことはなかった。

 男二人の穴という穴から血が吹き出す。

 

 物言わぬ死体をつまらなそうに見つめた青年は、ゆっくりと立ち上がった。

 

「久しぶりだのう。…だが目覚めの空気としては、ちと血生臭い」

 

 白かった青年の肌が褐色に染まり、瞳の色も黄金に変わる。ボロ雑巾のようだった服もついで変化していった。

 

 

「35年ぶりか。随分と長い時間眠っておったようだ」

 

「ンフ♡」

 

 今度は空間そのものが変わった。青年の横にはシルクハットからのぞくウサギ耳が特徴的な、丸いフォルムの異形が佇んでいる。

 

「今回はお寝坊ちゃんでしたネ、ワイズリー♡」

 

「ムム…それもこれも「14番目」のせいだのう」

 

 青年────否、『智』を司る魔眼の持ち主、ワイズリーが現世に戻るのは35年ぶりだ。転生したノアの中では一番遅い。

 

 その原因は35年前に伯爵とロードを除くノアたちが14番目に殺され、メモリーが破壊された影響が出ていたためである。

 

 

 仲間が復活し揃ったからか、嬉しそうに跳び回る千年公にワイズリーは口元を緩めた。

 

 

 

 

 

 

 ノアのメモリーは第一使徒『千年伯爵』を含め、13個ある。

 

(ラースラ)』を司るスキン・ボリックは神田ユウとの戦闘に敗れ死んでしまったが、その他のノアは全員集結した。

 

 聖戦の終止符(ピリオド)を打つべく、伯爵は進み出す。

 

 

 そんな中、ワイズリーの視線は『快楽(ジョイド)』のノア、ティキ・ミックに注がれた。

 既視感。男の姿は35年前の“ある男”を彷彿とさせる。その姿を知る者は千年公とロード、そして脳を覗きメモリーの過去を知れるワイズリーくらいだ。

 

 ロードは人差し指に口を当てる。「その件は黙ってて」ということらしい。

 少女の姿は相変わらず35年前から変わっていない。

 

 自然と二人は横に並んだ。ニコニコと笑う少女に、青年は首を傾げる。

 

「あのねぇ、ワイズリー。千年公も話すと思うけど、新しい家族ができたんだ」

 

「………新しい家族?」

 

「そう。でも()()()じゃないよ、最近発覚したの。新しく生み出された、神の仔羊。覚醒もすでに進んでる」

 

 

 ──────「マリア」って言うの。

 

 

 その瞬間、周囲の温度がグッと下がった。

 限界まで大きくかっ開かれた青年の瞳。唇はかすかに震え、褐色の手が白く塗りつぶされるほどに握られる。

 

 ドス黒いメモリーの気配を察知した千年公が声をかけ、そこでようやく我に返ったワイズリーは小さく謝罪する。大丈夫だ、と。

 伯爵はそれでも心配の色をのぞかせていた。

 

「まだ目覚めたばかりで、メモリーが安定してないのかもねぇ。ボクが様子を見とくよ」

 

「無理はいけませんヨ、ワイズリー」

 

「……承知した」

 

 

 ────マリア。

 

 その女は神に愛されながらも神を嫌う、イノセンス持ちの人間だった。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 会合が終わってからも青年の様子は不安定だった。千年公も『14番目』の声が聞こえたらしく、情緒不安定になっていた。

 ロードは千年公を眠らせてから、ワイズリーの元を訪れた。

 

「ヤツめ、奴め奴め奴め……」

 

 ブツブツと呟き、頭を抱えながらうずくまる青年。少女は徐にカラフルな包装のされたキャンディーを取り出して、カササ、と音を立ててから青年の口に放り込む。

 

「………甘いのだ」

 

「こういう時こそ糖分だよね〜」

 

 多少はワイズリーも落ち着いたらしい。食べ終わるとまたキャンディーを催促して──というやりとりが続いた。

 泣き腫らしたワイズリーの顔は鼻水と涙で悲惨だ。ロードにそれを指摘されると、彼は側にあったカーテンで顔を拭う。

 

「…ワイズリーさぁ、マリアのこと何か知ってるの?」

 

「………」

 

「反応を見てたらそうとしか思えねーもん」

 

「……アヴェ、マリス・ステラ」

 

 その後に続くのは、聖母を讃える讃歌のメロディー。

 なぜその歌をチョイスしたのかロードには分からなかったが、ワイズリーが「マリア」について何か知っているのは確実になった。

 

「“奴”が壊し損ねたのか……はたまた、神の寵愛ゆえなのか。それとも………その両方なのか」

 

「よく………分からないんだけど」

 

「当然だ。おぬしはおろか、千年公さえ覚えていないことだのう」

 

「……ワイズリーがボクらの記憶をいじったの?」

 

「おぬしらについてはな。しかし千年公は()()()()()()のだ」

 

「え…?」

 

 ロードたちの記憶に手を加えたのは「マリア」のためで、伯爵が自分から「マリア」の記憶を手放したのは、伯爵自身のためだった。纏めればそういうことらしい。

 

 千年伯爵は悪“役”だ。伯爵の弱さを知っているロードは小さく震える。

 

「ワタシはおぬしに選択を二つ掲示できる。知らないまま幸福でいるか、知って後悔するか」

 

「……チョー不穏な選択じゃん」

 

「…そうだの。だが、おぬしには「知る」権利がある。ワタシはそこを尊重したいと思う」

 

 決めるのはロードだった。

 ワイズリーの魔眼を使えば、青年のメモリーの記憶を覗くことができる。さすれば少女は「マリア」が何者なのか知るだろう。

 微睡の中にいた方がきっと幸せだ。けれど、視ない選択肢は彼女にはなかった。

 

 

「……ボクさぁ、最近夢を見るんだ」

 

「『夢』を司るおぬしが…かの?」

 

「そう」

 

 その時のロードはマリア()()()()()に抱きついている。

 女の姿はノイズのようにブレており、確とした全体を見ることは叶わない。

 

 血溜まりの中で、微笑むマリアは眠りに就こうとする。

 その眠りは、今生の別れを告げるものだ。

 

 

『ボクを置いて行かないで、マリア!!』

 

 

 そこでロードは気付く。自分が言った言葉は、箱舟の時にマリアに向けた言葉と同じであるということに。

 

 

「多分それは、ボクのメモリーの記憶。だからね、知らなくちゃいけないんだ」

 

「……」

 

 ワイズリーは何も言わず、ただ静かにロードを見つめた。

 

 

「そうしないと…マリアがどこかに行っちゃいそうで、怖いから」

 

 

 今にも泣きそうな顔で微笑む少女をワイズリーは静かに抱きしめ、頭を撫でた。

 

 

 

 そしてロードは、夢をみる。

 

 

 



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おてても繋げない

 場所、中国・黄山(ホワンシャン)

 

 ラビやブックマン、チャオジーやマリ、そしてマリアが任務に赴いていた。

 

 マリはレベル4の傷がまだ残っているため、今回は後方の拠点で敵の位置を把握し、前線で戦う仲間に知らせる役目を担っている。

 

「うへぇ…最近任務が多くて死にそうさ」

 

 現在教団はイノセンスを見つけようと躍起になっている。そのためエクソシストは連日仕事に駆り出され、疲労が溜まる者が続出している。

 

「……」

 

 チラ、とラビは闇の聖女とも言うべき姿の女を見る。

 黒衣(ドレス)の裾が生き物のようにうごめく。纏う影、と言っても差し支えない。そこから覗く生白い肌と紅い口元がこれまた扇情的なのだ。

 

「戦場でボケッとしとるな!!」

 

()ってェ!? 殴んなよ、ジジイ!!」

 

 

 

「あのやかましいのがブックマンの次期後継者だとは…」

 

 騒ぐ兎を胡散臭そうな目で見つめる監査官の少女。テワクもまた今回の任務に同行している。

 彼女の隣では虚空をとらえたまま動かない女がいる。

 

 マリアはこうしてもの思いに耽ることが増えた。

 

(「死」の感覚と、私を見る『ロード』と思しき少女……。あれが『聖母』の記憶なのだとしたら、恐らくはカテリーナのメイドになる前の記憶なのかもしれない…)

 

 疑問はその他にもある。

 

 

 なぜネアはマリアを殺したのか。

 

『聖母』に破滅願望があったことも気にかかる。愛している家族と別れてまで、終わることを望むその理由は何なのか。

 そんな「マリア」に、このような生き方を強制する“神の愛”というのも理解できない。これまで体験した痛みや苦しみを考えたら、愛とは程遠い。

 

(……やっぱり、記憶が戻るのを待つしかないか)

 

 記憶が戻れはそして、彼女自身も消えて行くのだろう。

 皮肉に笑った女に、側で様子を見ていたテワクが片眉を上げた。

 

「…少しは気楽に考えたらどうですの」

 

「んー? いやぁ、帰ったら何を食べようかと考えてましてね」

 

「………あなたが知っているかは知りませんけど、嘘をつく時に耳が赤くなっていますのよ」

 

「えっ!?」

 

 思わずマリアは手鏡で己の顔を確認する。赤いは赤い。AKUMAの返り血で。

 

「嘘つき…」

 

「嘘じゃありませんわ。嘘をついたさっき、耳が血で赤かったですもの」

 

「……この反抗期め」

 

「誰が反抗期ですかッッ!!!」

 

 そこでテワクは大声を出したことに気づき、ハッとする。周囲から「ニコ…!!」とした視線を注がれている。少女の顔はたちまち朱に染まった。

 

「くっくっく………ん?」

 

 チョロいな、とマリアが思った時、ふと空気の流れが変わった。

 他の人間はまだその変化に気づいていない。

 

 

「何か、変………!!」

 

 

 そして────、地面が黒い渦を描いた。

 

 そこから現れたのはおかっぱ頭が印象的な男と、ターバンを頭に巻いた青年。褐色に金の目、額に浮かぶ聖痕が二人がノアであることを示している。

 

 

「全員やるぶ?」

 

「殺さないのう、フィードラ。さてはおぬし、千年公の話を聞いていなかったな」

 

「ぶぅはちょっと寝てたぶ…」

 

「そうか…。ブックマンとその後継者は捕獲するんだのう。そこにいる男にはボワズでも仕込んでおけ。ワタシは今日やる事が多いのだ」

 

「わかったぶー!」

 

 フィードラ、というおかっぱ頭が出したその舌には、無数の目のような物が付いていた。

 思わずラビはおえ、と顔を歪める。

 

「なんちゅーグロテスクな……マリとの連絡は取れたさ?」

 

「先から試しておるが駄目なようじゃ。何かノイズのようなものに遮られておる。恐らくはあちらも儂らの音を聞き取れておらぬだろう」

 

「敵の狙いはマリアか? …つか、あのターバンって俺とキャラ被ってね?」

 

 その間ブックマンがラビと連携を取り交戦に応じ、チャオジーがマリアの護衛につく。

 しかしその行手を阻むように伸びた舌が青年の体を突き飛ばした。チャオジーはあっけなく突出した岩肌に体を打ちつける。

 

「あ゛ぁっ……!!」

 

「行かせてやらないぶぅ〜〜」

 

 対しターバン頭の青年はブックマンと応戦するフィードラから視線を外し、悠然とした足取りでマリアの元へ向かう。

 

 一歩距離が縮まれば、その分だけ女の足が後ろに下がる。マリアの表情には警戒と別の感情が滲む。内側から『聖母(はは)』のメモリーが訴えかける。愛しましょう、と。抱きしめてその頭を撫でて、溢れんばかりの慈しみを捧げる。

 

「止まりなさい、ノア……!!」

 

 攻撃に転じることのできないマリアの前に、テワクが立ち塞がった。

 

「そなたに用はない、人間。疾く失せろ」

 

「無理なご相談ですわ。あなたたちに彼女を渡すわけには参りません」

 

「たかが人間の分際で……いや、待て。確かおぬしは第三使徒(サードエクソシスト)の仲間だったかのう?」

 

「…!」

 

「なるほど。そう考えれば「カンダユウ」は今回の主役であるが、おぬしでも使い用によっては面白いものが見れそうだ」

 

 青年の嘲笑う表情に、監査官の少女のこめかみがピクリと動く。

 

 

「しかし今は「マリア」の方が大事なのでな────眠るが良い」

 

 

 青年が手をかざした瞬間、テワクの脳に衝撃が走った。激しい頭痛。立っていられないほどのその痛みに、少女は涙と鼻水で顔を汚しうずくまる。

 

「っ、う……ぁ」

 

「時が来るまで、幸せな幻影を拝むといい。まぁ、千年公はおぬしの悲劇なんぞ見向きもしないだろうがのう」

 

 痛みと格闘する少女の体はやがて力を失い、地面をつかんでいた手が中途半端に開いたまま止まった。

 

 ピチャピチャと、浅い水面を踏む足音がマリアに迫る。

 青年は女の名を呼ぶ。甘えの孕んだ声にゆっくりと白い顔が持ち上がる。紅い目が、青年をとらえた。

 

「マリア」

 

「来ないで…」

 

「マリア」

 

「来ないでよっ…!!」

 

 こんな時でも呪われた女の声が聞こえる。

 戦いなさい、守りなさい、と。そして苦しみながら生き、聖戦を終わらせなさい──と。

 

 伸びた黒爪がその声から逃れるように白い肌に食い込んだ時、咎めるように青年の手が触れて。

 

 

「マリア、大丈夫だ」

 

 

 優しさを滲ませる声が女の耳元を通り、熱く茹っていた脳を落ち着かせる。ドクドクと脈打つ音は、マリアの手に触れる青年にも伝わっている。

 

「あぁ…本当に、生きておるのだな」

 

「………」

 

「そう怖がらないでくれ。ワタシは何もしない。「マリア」の味方だ。だから一緒について来てくれないかのう?」

 

「嫌、だ…」

 

「何、ノア(こちら)側に連れて行こうとしておるわけではない。少なくとも今はまだ、な。少しだけワタシと話してほしいだけなのだ」

 

「ダメかの、母上…?」と、上目遣いに青年は彼女を見た。自分がどう動けば子供らしく見えるか、計算され尽くしたようなあざとさだ。不覚にもこれに胸打たれてしまったマリアである。しかしそれでも、と抵抗を見せる女に青年は札を切る。

 

 

「よいのか? ワタシは魔眼のノア、『(ワイズリー)』だ。ワタシならば知っているぞ。おぬしを────()()の過去を」

 

「……!!」

 

「知りたくはないか、マリア。何故おぬしが今神の道具となり、憎きハートの元へいるのか。何故狂ったメイドが何も覚えていなかったのか。疑問はたくさんあるだろう。ワタシなら、おぬしが求める答えを全て与えてやれる」

 

『聖母』の────アヴェ・マリアの過去。

 

 マリアが知りたいと願い、しかしその記憶を思い出すたびに彼女自身が消えて行く恐ろしさに怯える日々。いくら平然を装っても、側で監視するテワクにはバレてしまっている。

 

 ただクロスの言うとおり、進む以外に彼女には道が残されていない。

 

 

 マリアはゆっくりと呼吸を繰り返し、ワイズリーの瞳を見つめた。

 

「…私は、知りたい。『聖母』のすべてを」

 

「………」

 

 ぎゅうと、青年が抱きつく。どちらも冷たい温度だった。探るようにして動く青年の右手は、女の胸骨の位置に触れる。指先がトントンと、リズムを刻むようにその場所を叩く。ここがマリアの、イノセンスがある場所。

 

 絵面的にはしかしワイズリーが女の胸に触れているので、かなりひどい。

 

 戦いの最中に一瞬その状況を見たラビは、「セクハラターバン野郎!!」と叫ぶ。ワイズリーはスルーしたが。

 

「では行こう、母上」

 

 青年が指を鳴らすと同時に、二人の下に扉が現れる。

 ロード、と紡ごうとした女の言葉は、扉の中に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 マリアが目覚めた時、白い空間が目に入った。大きさとしては6畳ほどの小さな部屋。そこにあるベッドに彼女は寝ていた。

 

「ここは…どこ?」

 

 その白さは、旧方舟の中と酷似している。一つだけある窓をのぞくと、その下には青空と一面に広がる血の色をした海がある。外の音は何も聞こえない。窓は開かないし、外につながる扉もない。

 

 しかしてはじめて来た場所であるはずなのに、妙に既視感がある。

 

 

「ここは旧方舟の中にある、母上の部屋だ」

 

 

 彼女の隣には落ちた場所が悪く、頭にでかいタンコブを作った青年が立っている。

 

「奏者であろうとも入ることは叶わず、また方舟が消失しようとも、この場所は影響を受けない。母上しか入れない特別な部屋だ」

 

「……え? キミ、思いきりいるんだけど…」

 

「母上が許可した人物だけは入れるんだのう。ワタシ、それにロードも入れる」

 

「ふーん…?」

 

「ロードは甘えただから、母上に駄々をこねて入れてもらったのだ。ワタシは…まぁ、“共犯”というところだ」

 

「……共犯?」

 

()れば、わかる」

 

 二人が横に並ぶと、女の方が高くなる。青年にとって少し見上げるその違いは甘えるのにちょうど良い。

 

「……のう、母上はもし記憶を思い出した後、どうするのだ?」

 

「…私は聖戦を終わらせる。そしたら……正直、その先はまだ考えてない。でも聖戦が終わった後には、私もこの苦しみから解放されるって信じてる」

 

「我々と戦うのか?」

 

 射抜くような青年の視線。マリアはしかし、その瞳から目を逸らさない。

 

 

「いいえ、戦わない。私はノアを愛しているから。自分に嘘は吐きたくないの」

 

「…無理だ。エクソシストとノアは相入れない。ワタシは()()()()()()過程を知っている。神が『聖母』に向ける愛の正体も知っている」

 

 憎い、とワイズリーは語る。

聖母(はは)』をノアから引き離した神が憎いと。そしてそれと同等に憎く思う男がいる。その男にマリアは心当たりしかなかった。

 

(『14番目(ネア)』か……)

 

「……“奴”のことは思い出しておるのだな。ということは、キャンベル家のメイドだった頃も思い出しておるのか?」

 

「えぇ、メイドだった頃は思────ん?」

 

「どうしたのだ?」

 

(………ティキ・ミックの顔がネアなのはどうして?)

 

「ム……ジョイドのことか?」

 

 マリアは部屋の隅に逃げた。きょとんとした青年は不思議そうに彼女を見ている。

 このノア、どうやら人の思考を覗けるらしい。プライバシーもクソもない。ドン引きだ。それが顔に出ていたのか、青年は慌てて取り繕う。

 

「わ、ワタシにもプライバシーくらいは守れる! だから嫌いにならないでほしいのう…」

 

「……勝手に覗かないでよ」

 

「分かったのだ」

 

 部屋の隅からベッドに移動した女は横になった。彼女の空間だと言うなら、存分にくつろいでいいだろう。

 青年はその様子を窺うようにして、端の方にちょこんと座る。

 

「ねぇ、ワイズリーくん。『聖母(マリア)』はどうして壊れちゃったの?」

 

「……母上には“罪”がある。そうして長い時を過ごした末に、壊れた。というより壊れ続けて、もう、ボロボロになってしまったのだ」

 

「罪」────。その言葉が彼女の中で引っかかる。

 

 彼女を表す罪と言ったら、ミイラが語った「堕()」という言葉だろうか。

 そう言えば、神ノ剣(グングニル)を発動する時にも「堕罪」という言葉が思い浮かぶ。

 

 

「堕罪を持ちし者よ。神のお許しの下、我は創生する……」

 

「………何の言葉だのう?」

 

「え? 私がイノセンスを発動する時に、思い浮かぶ言葉だけど…」

 

 瞬間、ワイズリーの空気が変わる。

 

 殺気のこもった殺伐とした空気が重くのしかかる。頭を押さえる青年の瞳が何重にもブレたように見えたマリアは逃げず、むしろその背をさすって青年の呼吸が落ち着くのを待つ。

 

「…大丈夫?」

 

「神は……神はどこまで母上を侮辱すれば気が済むのか……ッ!! 憎い、憎い憎い憎い!!!」

 

『智』のメモリーそのものが怒りと憎悪に震え、その宿主である青年を蝕んでいる。

 ティキ・ミックの暴走を見たマリアはすぐにそれが分かった。

 

 抱きしめて、頭を撫でて、そうしてどれだけ時間が経っただろう。

 外の光景は相変わらずで、時間の流れが分からない。この空間だけ世界から切り離されて、永遠に止まったままのような気さえしてくるのだから不思議だ。

 

 まだ鼻をズビズビとさせながらも、一応青年の荒ぶりは落ち着いたようだ。甘えた声が白い空間に響く。

 

 

「ははうえ。ワタシと、ワタシたちと一緒にいてくれ…」

 

「………」

 

「母上は神の傀儡となった。それでもやはり、ワタシたちと共にあって欲しい」

 

「……ワイズリー」

 

「愛しているならば、どこにも行かないでくれ。家族(ノア)だけを愛し、微笑み、慈しんでくれ……」

 

 それはきっと『智』の本音だ。

 また泣き出した青年の頬にそっと、死人のような手が触れる。マリアは優しく微笑んだ。

 

 

ノア(あなた)と共にいたら、『聖母()』が終わりません」

 

 

 凝固した血のような瞳が、うっそりと弧を描く。

 

 

「どれだけの月日が経ちましたか? 終わりません。私が終わりません。終わらない。いつになったらこの悠久が終わるのでしょう。終わりません。この果てしない繰り返しが続く限り私に安らぎなどありま終わらない終わりませんどうすれば私が終わ終わりません終わりません終わらない終わらない終わらない終わらない────」

 

 

 伸びた爪が、ワイズリーの肩をえぐる。白い衣装が赤く色づいた。

 

 メモリーに犯された女が、青年にグッと顔を近づける。

 

「夢を見ましょう、マリア」

 

「母上」

 

「そうしたら、マリアは一つになります」

 

「…母上」

 

「夢を見ましょう」

 

「……のう、母上」

 

「ワイズリー、夢をみせなさい」

 

「……マリア」

 

 張り付けたような笑みが先ほどの温もりを戻すことはない、

 ワイズリーは肩に食い込む指を外させ、強く女に抱きついた。唇は震え、「あぁ」と声を漏らす。

 

「ボロボロになってしまったな、母上」

 

「うふふ」

 

「すまなかった、母上…」

 

「アハハッ」

 

「ごめんのう、ごめんのう」

 

「ハ、ハハ、ふふふ」

 

 

 大好きだ、と青年が呟くと、当然のように「愛している」と返ってくる。

 体を離したワイズリーが女の顔を見ると、そこにはたっぷりと含んだ愛情と、狂気と、虚無が渦巻く紅い目があった。

 

 

 魔眼の能力を受けたマリアはそして、過去の記憶をたどる。



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くりすまぁす

閲覧いつもありがとうございます。

最近ドロヘドロのアニメ見て、こりゃあエモいと一人滾ってました。久し振りにダークで趣味ィな作品に出会えたので漫画買いたいです。顔面ズル剥けが中々に最高でした。


 青空の下、海の側に佇む一つの教会。

 

 潮の流れに乗るように、一人の女性の声が聞こえる。

 

 

「昔々、神様に楽園(エデン)から追い出された哀れな女性がいました。

 

 女性はAdam(アダム)の肋から作られた、『Eve(イヴ)』という存在です。

 神様は二人に言います。

 

『アダムよ、地を耕しなさい。イヴよ、子を産みなさい』

 

 二人に言われた言葉は、罰でもありました。

 

 二人はエデンから堕とされる前に、神様が食べてはならぬと言っていた禁断の果実を食べてしまったのです。

 

 二人はしかしその罪を受け入れ、地上で自分たちの(その)を築き、幸せに暮らしましたとさ」

 

 

 

 おしまい。とは言わず、老女のシスターは本を閉じた。

 

 すると子供たちはいつもの言葉を言う。

 

「「私たちを生んでくれてありがとうございます!」」

 

 元気な子供たちを見て、シスターは皺を深くするように微笑んだ。

 それから子供たちがそれぞれ遊びに行く姿を見届けると、席を立つ。綺麗に揃った白髪が、太陽の光を浴びて煌めいた。

 

 しかし一人だけ、老女の後を追う子供の姿がある。

 

 

「あら、どうしたの?」

 

「母上も物好きだと思ってのう」

 

 ターパンを頭に巻いた少年は、本を手に取る老女を見つめる。

 

「物好き? …そうかもしれないわね。人間を破滅に導く存在が子供を育てているのだもの、おかしいわねぇ」

 

 何故かしらねぇ、と続ける女の姿はいつの間にか年老いたものから、妙齢の女の姿に変わっていた。

 

「千年公も時折世界を敵に回したとは思えぬ一面を見せるが、母上も母上だのう」

 

「アッハッハ! ふふ…彼は意外と打たれ弱いのよ。それにわたしはねぇ、ワイズリー。人間は嫌いだが、子供は好きなんだ」

 

 女はワイズリーの頭をひと撫ですると、再度文字に目を移す。捲ったページにはちょうど世界地図が載っている。

 

「母上はそろそろ動く気なのか?」

 

「さぁ、どうでしょう」

 

 コツコツと、女の指先が地図を叩く。そこはちょうど「聖地」がある場所だ。

 

「最近千年公が東ローマの皇帝に接近しているが、それに関係あるのだな」

 

「また多くの人間が死に、たくさんの悲劇が生まれることでしょう」

 

 物騒な言葉とは裏腹に、女の顔には笑みが浮かんでいる。

 そこに人間の死を悼む様子はない。鼻歌さえしそうな始末だ。

 

 ワイズリーはそんな母をじっと見つめる。楽しそうだ、と思う反面、かすかに引っかかるものがある。それはずっと前から感じているが、正体は分からずじまいだ。

 

「母上、あまり無理してはいけぬぞ」

 

「あら、大丈夫よ。憎き神を殺すその時まで、わたしは生きるわ」

 

 

 女は────『聖母』アヴェ・マリアは、そう言った。

 

 ワイズリーはまだ、聖母の異変に気付くことはなかった。

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎

 

 

(ワイズリー)』は、第5使徒である。

 

 

「ワタシは5番目────正確には、4番目に生まれたのだ」

 

 

 時は遡ること7000年前。第1使徒『千年伯爵』を守るため、12人のノアが出現した。

 

 しかし伯爵はハートの戦いに敗れ、大洪水が起きる。

 12人のノアは箱舟に乗り、現人類の祖先ともなる第二のアダムとなった。

 

「おぬしは覚えていないだろう。そもそも12人の使徒とは、『聖母』によって生み出されたのだ」

 

 

 聖母の能力────それは「創生」。

 

 能力を用いてノアを生み出し、伯爵を守る存在を作り出した。

 それは聖母にとってハートが天敵であり、彼女単体では抵抗し得る力を持っていなかったためである。

 

 

「…だが、「創生」には代価が必要だった。母上はずっと黙っていたが、母上にはあるべきはずのものがなかったのだ」

 

 

 

聖母(マリア)』には、感情がなかった。

 

 

『智』の代わりには「智」を。

『夢』の代わりには「夢」を。

 

 そうして聖母は己の感情を捧げ、伯爵を守るための騎士(ナイト)を創り出した。

 

 残ったのは、彼女を『聖母』たらしめる「愛」の感情。

 

 

「「愛」だけでも母上はワタシたちに微笑み、慈しんだ。「愛」するがゆえに怒りもし、泣きもした。だが肝心の中身がないのだ。少しずつ少しずつ、母上は壊れていったんだのう…」

 

 

 いつからか泣かなくなった。

 いつからか怒らなくなった。

 

 いつからか、感情を見せることがなくなった。

 

 代わりに綺麗な、透き通る目で言うのだ。

 

 

 ────終わらないなぁ、と。

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 聖母は、悠久の時を生き続けている。

 

 

 

 白い空間。

 

 そこは方舟に隠された聖母の部屋であり、彼女のメモリーが眠る“ゆりかご”でもある。

 

 

 聖母は「アヴェ・マリス・ステラ」の曲を弾いていたが、途中で手を止めた。

 

 感情が動かなくなり必然と表情も変わらなくなったが、部屋に入ってきた()()()()を目に入れた途端、優しげに微笑む。

 

 

「ロードちゃん」

 

 

 そう呼べば、『夢』の少女は嬉しそうに駆け寄り、母を抱きしめた。

 

「マリア!」

 

 このゆりかごに入ることができる者は、『(ロード)』しかいない。

 

 寵愛、と言っていいだろう。殊にマリアは『夢』を司るということもあってか、一番子供らしいロードを好いていた。

 

 またロードも転生する都度、聖母を思い出しては母の姿を探した。

 

 聖母は聖戦の裏に隠れた存在であり、めったに動くことはない。ノアの中で知っている者は千年公とワイズリーくらいのものだ。

 しかしロードは必ず、マリアを忘れることはなかった。

 

「マリアだ〜〜い好き!!」

 

「ふふふ。わたしもい〜〜っぱい大好きよ」

 

 聖母は『夢』に甘い。

 

 この事実をワイズリーはどこか羨ましく思っていた。

 彼とて伊達に数千年の記憶を覗けるわけではない。魂の方は老練の域をとうに超えている。

 

 それを知っていながら、聖母は微笑むのだ。

 

 

「ワイズリー、愛していますよ」

 

 

『聖母』に、母に愛される。その度にメモリーは喜び、胸を締めつける。

 

 これはノアが家族だけを愛する、という根幹の理由にもなっている。

 

 その原石が聖母だと考えれば、与えられる愛は甘美であると同時に、強すぎるために毒にもなり得た。

 

 

 当時のワイズリーは、()()()()()()、と思っていた。

 薄っすらと違和感の正体に気づき始めていても、見て見ぬ振りをして母の愛を享受した。

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 いつからだろう。

 聖母は「おわらない」と、何度も言うようになった。

 

 

 おわらない、おわらない。まだおわらない。

 

 

 

 その日もまた老女の姿をした聖母は、子供たちに読み聞かせていた。

 

「さぁ、朗読は終わりよ。みんな遊んでらっしゃい」

 

「「はーい!」」

 

 子供たちはいつものように元気良く飛び出していく。そしてまたいつものように、ワイズリーだけが残る。

 

「母上、今日は何の本を読むのかのう?」

 

 女は本を手に戻ったまま、自室にも戻らずただ佇んでいる。

 首を傾げた少年が近づこうとした矢先、パサッ、と本が落ちた。

 

 落ちた衝撃で本が開き、ちょうどアダムとイヴが映るページが開く。

 そこには裸であることを恥じた二人が、イチジクの葉で体を隠す絵が描かれている。

 

 

「おわらない」

 

 

 ただ一言、聖母は言う。

 

 一部始終を見ていた『智』の少年は喉を鳴らす。これまで感じ続けていた違和感の正体が今、これ以上知らんぷりは許さないと言わんばかりにワイズリーの目の前に叩きつけられた。

 

 小さな体が恐怖で竦む。頼むから違ってくれ、と『智』の子供は祈るような気持ちだった。

 

 

「わたしの堕罪、おわりません。おわりません」

 

 

 聖母は微笑み、開いた本を踏み潰した。

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎

 

 

「Ave, Maris stella

 Déi mater alma

 Atque semper Virgo────」

 

 

 ワイズリーと共に『智』の記憶を巡っていたマリアが呟く。「アヴェ・マリス・ステラ」を。

 

 歌は続き、最後の歌詞に至る。

 それは以下のような意味だ。

 

 

『めでたし、海の星

 いと優しき神の御母──────、

 

 

 めでたしの言葉を

 ガブリエルの口より受け

 我らに平和を与えたまえ

 

 

 

 ────()()()の名を変えられて』

 

 

 

 そして、歌が止む。

 ワイズリーは黙り込んだ女を見て、「エヴァ」について語り出す。

 

 

「「Eva(エヴァ)」は「Ave(アヴェ)」の表記揺れだのう。ヘブライ語では「命」を意味する。

 

 マリアは名を変えたのだ。そのことを人間は古くから何らかの形で伝えようとしてきた。紙が普及する前からだのう。その中で最も馴染み深かったのが、歌だった」

 

 

『聖母』の正体を後世に残すために。

 だがあからさまではつまらない。だからこそ歌を詩のような形で残した。

 

「母上よ、思い出せ。お主の罪を。そなたの────原罪を」

 

 ワイズリーの言葉に、ゆっくりとマリアの顔が動く。血に染まったドス黒い色の瞳が、ゆらゆらと宛もなくさまよっている。

 

 

「 堕罪を持つ……者よ。呼吸し、生きよ。神の御許しの下、我は創生する。………私は、私? ──────は、ははっ、は、ハハハ……はははは…!!」

 

 

 叫ぶように笑い、ベッドを叩いて、マリアは何度も爪で腕や顔をかきむしった。

 そうして何度も自傷を繰り返しても、彼女の体は再生していく。

 

 まるで──そう。まるで、彼女の“罪”を浮き彫りにするかのように、治る。消えられず、終わることがない。

 

 それこそが、女の“罪”。

 

「大丈夫。大丈夫だ、母上」

 

 ワイズリーは自傷を続ける手を止めさせ、あやすように背中を叩く。その上で哀れな母に囁く。

 

 

「おぬしは「呼吸し」、「生きる」者であり、神によってアダムの肋から作られた存在だ」

 

 

 青年の手が女の肋の位置に触れる。そこからじんわりと伝わる熱に、ワイズリーは忌々しげに舌打ちをこぼす。

 

「イノセンスを発動する時に唱えるその言葉も、()のように巻きつく武器の形状も、ワタシには全て皮肉に見える。ゆえに神が悍しく、憎くて堪らない」

 

「………」

 

 マリアは何も答えなかった。

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 壊れた母上。

 

『聖母』は「呼吸し」「生きる」者。

 

 永遠に生き続け、番のアダムを失ってなお、“堕罪”に蝕まれ生き続けている。

 

 そんな聖母は、憎き神を滅ぼすため世界を終焉に導いているのだと、ワイズリーは思っていた。だが、それは違った。

 

 

 

 それは古い『智』の記憶。

 

 聖母は小鳥と戯れ、あどけない笑みをみせていた。飢饉に喘いでいる子供の手を取り、衣食住を分け与えた。

 子供ではない人間にさえ、時折情をみせていた。

 

 ノアであると同時に、聖母は聖人君子めいた清らかな部分を持ち合わせていた。

 感情が薄まるにつれてその一面は失われていったが、元来の聖母は、どこまでも純粋な人物だった。

 

 人間よりも、よっぽど高尚な“人間”だった。

 

 

 そんな女は堕罪を受け、アダムとともに下界に園を築いた。だがアダムは消え、聖母が死ぬことはなかった。

 

 聖母は神に愛されている。悍しいほどに愛され、結果「生きて」いる。

 その愛の究極の形が、今のイノセンスを入れられ、傀儡となった彼女の姿だ。

 

 終わらない「生」にはじめも聖母は憎悪していたのだろう。だが、その感情もすでにない。

 

 

 壊れきって、「生きて」いる。

 

 

 ワイズリーはもう気づいていた。

 

「おわらない」と呟く母が、何度も何度も終わりを求めて彷徨っていることを。何度も何度も、己が手で自分を終わらせようと血を流すことも。

 

 だからこそ、言ったのだ。

 

 

 

「母上は……死にたいのか?」

 

 震える唇を堪え、部屋を自身の血で真っ赤に染め上げた聖母に尋ねた。

 女は無表情だったが、ふいに口を開く。

 

「わたしはずっと、おわりたいのですよ」

 

「それじゃあ、母上は…母上が聖戦を終わらせる意味は……」

 

「神が滅べば、堕罪はきえるでしょう」

 

「っ、母上…!!」

 

 思わずワイズリーは母の腕を掴んでしまった。ハッとして顔を上げれば、聖母は愛おしげに微笑んでいる。

 

「わたしを心配してくれているのね。愛しているわ」

 

「…っ、やめて、くれ」

 

「ワイズリーワイズリー、ワイズリーワイズリーワイズリー。『智』の子よ。わたしにはあなたが必要です」

 

「母上、お願いだ」

 

「ワイズリー」

 

 

 ────わたしの共犯になりなさい。

 

 

 甘く、どこか艶めいた声で聖母は言った。

 

 “母”には逆らえない。逆らえば、「愛」してもらえない。

 

 メモリーが沸騰する錯覚に陥る『智』の子は涙を流しながら、小さく頷いた。同時にこの時ワイズリーは聖母の協力者となり、ゆりかごへ渡る権限を得た。

 

 

 すでに聖母は壊れきり、そこには聖母ではない「ナニカ」がいた。

 

 それは恐らく、死に取り憑かれたバケモノだったのだろう。

 

 

 

 バケモノはそうして、己を殺すための計画を進めた。

 ノアを真の意味で「愛」してくれる聖母はもうどこにもいない。

 

 そして、聖母は己を殺した。

 

 殺して、殺して殺して殺して、殺し続けた。

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎

 

 

 半ば封じていた過去を思い出したワイズリーは、何も喋らず、ただ静かにマリアの手を握っている。

 

「おぬしにわかるか、ワタシの気持ちが。ワタシは罪を負ったのだ。母上を殺してしまった罪を……」

 

「…わい、ずり」

 

「母上なんて嫌いだ。でも、それ以上に大好きだのう……」

 

 青年の頭が痛み出す。まだこの後にも仕事がある。まだ見せていない部分があるが、これ以上はマリアも彼自身も保たないと判断した。

 

「……ごめんね、ワイズリー」

 

 女の片目が綺麗な黄金に染まっている。それに気づいた青年は息を飲んだ。しかし中途半端で、もう片方は血の色を残している。

 

「ねぇ、私が死ぬ前に……ロードちゃんがいたの」

 

「………知らん」

 

「私を呼んでいた」

 

「……母上はどうせ、ロードが一番好きなのだ」

 

 青年の不貞腐れた声色に、マリアの目が丸くなる。

 

「死ねなかったのも、存外ロードの言葉が心残りになって死ねなかったのではないか?」

 

「私はみんなを愛しているわ」

 

「フンッ…どうだかのう」

 

「……確かにロードちゃんには特に甘いかもしれない。でも愛している中に、甲乙を付けるのは違うわ。…家族なんだもの」

 

「おぬしにはわかるまいよ。母に愛されることが、どれだけワタシたちにとって幸福なのか」

 

「…まるで、私が『聖母』じゃないみたいに言うのね」

 

「事実だろう。おぬしは母のメモリーこそ持っているが、まだ人間の価値観が大きく残っておる。覚醒こそすでに始まっているが」

 

「………」

 

 何か言いたげな女の視線に、ワイズリーは眉を寄せた。

 

 

「あぁもう…何だ! 言いたいことがあるなら言えばいいだろう!!」

 

「……あなたは、『聖母』を愛してるのね。でも、()()()のことを見てはいない」

 

「…何?」

 

「あなたが見ているのは『聖母』だけ。愛し、慈しみを捧げる母を求めているに過ぎない。本当の()()()を見てはいない」

 

 ワイズリーは女の物言いに嫌気がした。

 彼自身はロードとは違い、少し身を引いてマリアを観察している部分がある。

 

 まだ『聖母』としては完全ではなく人間の部分を多く持つ女を、心から受け入れる気にはならない。

 そう。完全な『聖母」として覚醒するまでは。

 

 

家族(ノア)はみな、わたしを見ない」

 

「…おぬしは母上じゃない。まだ、完璧な母上じゃない」

 

「だから、ちがう。わたしは最初から()で、()()()だった。全部マリアなんだ」

 

 マリアの瞳が次々と変化していく。

 紅に、黒に、黄金に────。

 

 固唾を飲んだ青年の口から、ついと疑問の言葉が溢れる。

 

「おぬしは、いったい何なのだ? 『聖母』……なのだろう?」

 

「わからない。全部思い出したわけじゃない。でも、これだけはわかる。()()()()も、死にたがりのバケモノも、全部マリアなんだ。いや…」

 

 

 

『イヴ』なの。

 

 

 マリアは疲れた様子で、微かに笑った。



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トルソ

欠落した人間美。すなわちトルソ。


 白い部屋の中。精神的な負荷が大き過ぎたのか、マリアはバッタリと倒れてしまった。

 ワイズリーがそんな女をベッドに横たえさせ、毛布をかけたタイミングで扉が出現する。

 

「…マリア、大丈夫だった?」

 

「正気に戻るまでは…ちと時間がかかるやもしれんな」

 

「ねぇ、ワイズリー」

 

「何だ?」

 

 ジリッと少女は距離を詰める。糾弾するような剣幕に青年のこめかみから冷や汗が流れた。

 

「ワイズリーは本当にさ、()()()()()()見せるつもりがあるの?」

 

「………」

 

「ワイズリィ〜…」

 

「……母上にとって、知らない方がいい記憶もある」

 

 青年の思惑はロードにバレバレだったようだ。

 

「それってワイズリーの都合じゃないの? 『聖母』のために──って言って、都合の良いところだけ思い出させて、ノアに引き込みたいんでしょ」

 

「都合の良いところだけ…か。ならば、「死」を求め狂った母上のところまで見せはせんだろう」

 

「今のマリアには「感情」がある。それを利用して、神への憎しみを引き出そうとしている。そうすれば一気に覚醒が近付くから」

 

「…それが悪いのか? 母上は神のものではない、ワタシたちのものだ。ワタシたちの────家族だ」

 

 

『聖母』はノアを愛して愛して、愛している。

 だが反対にノアも『聖母』を愛しているのだ。

 

 お互いが愛で縛りあっている。その関係が危ういものだと少女は気づいている。

 

 

「ボクたちが依存し続けてたらダメなんだ」

 

「依存…。違うな、ノアの本能に刻まれている性質だ。母はワタシたちを愛し、ワタシたちは母を求める。この関係は唯一無二で、揺らぐことはない」

 

「揺らいだじゃないか。マリアは壊れて、死のうとした」

 

「煩い!」

 

 針で刺した風船が割れて一気に水が溢れるように、最大まで緩められた青年の瞳から涙が零れる。

 白髪の神に触れた少女の手がヨシヨシ、とあやすように撫でた。

 

「ワイズリーはマリアを殺した罪に苛まれてたんだね。一人で……ずっと」

 

「うぅ……」

 

「だからこそ、今度こそは一緒にいたいんだよね」

 

 こういう時はちゃっかりと長子らしい一面をロードは見せる。

 ブスくれていた青年も皮肉の一つや二つを呟きはしたが、本心から慰められることを嫌だと感じているわけではない。

 

 

「それで…結局ワイズリーはマリアに全部を見せるの?」

 

「…今は少し間を置いた方がいいと思うのう。現状の母上の状態について、ワタシたちは何も分かってはおらんのだ」

 

「……そっか」

 

 懸念すべき存在はしかし残っている。ノアが一同に介した時、伯爵はAKUMA越しに14番目の覚醒を感じ取った。

 

「ヤツは母上を殺した。であるというのに、『聖母』はまた神の悪戯によって蘇った。それはつまり、ヤツが完全に殺さなかったと言っているようなものではないか……!!」

 

 神はきっと壊され尽くしても残っていた『聖母』の残骸を集めて、そこにイノセンスも仕込み、彼女に「生」を与えた。

 生きなければならない堕罪。同時に神の深い(のろい)がマリアには纏わりつく。

 

「答えはどれなんだろうね」

 

「……何がだ?」

 

「だって、アイツはマリアを愛してたから」

 

 少女の言葉の後、ワイズリーはそれ以上何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 長い夢を見ていた気がする。

 

 この世の天国のような楽園で、わたしはその人と過ごしている。

「イヴ」と名を呼ばれる。わたしの半身。わたしの番。

 

 

『おいで、イヴ』

 

 

 この楽園が悠久に続けば、どんなに幸せだっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

「ねぇマリア、覚えてる?」

 

 ワイズリーが別の仕事に向かった後、ロード・キャメロットは白いベッドの上に腰かけていた。

 時折女の目尻から流れる水滴を拭って、壊れ物を扱うようにその頭を撫でる。

 

 

「ボクね、マリアが死んだ時すごく辛かったんだ。悲しくて、どうしようもなくて……ボクを置いて行ったマリアが憎くもあった」

 

 

 ワイズリーの記憶を見た当初、ロードは混乱した。

 

 少女の思考を塗りつぶすように暴走するメモリー。それでもどうにか彼女は自我を保った。

 よっぽどマリアの方が、苦しいに違いないと思ったから。

 

「マリア……マリアは何を思ってるの? ボクはわからない。どんどんわからなくなる。マリアのことなら何でも知ってるし分かると思ってたのに、今は全然わからないんだ」

 

 マリアはイヴであり、(キリスト)を産んだ処女懐胎の女であり、『聖母』だ。

 

 それでも────それ以上に、ロードにとって「マリア」は、これまで接してきた女の印象が一番強い。

 何だかんだで少女に甘くて、エクソシストとしてノアの彼女を殺す覚悟を持つこともできない。

 

 

 ねぇ、と少女は独り言のように呟く。

 

 

()()()、ボクが呼び止めたからマリアは死ねなかったの? ボクのこと、恨んでる? …ハハッ、まぁ、起きなきゃ答えてくれないよねぇ…」

 

 少女は立ち上がる。

 このまま母が苦しみのないまま眠っていて欲しいと思う傍ら、いつものように抱きしめてもらいたい気持ちを、ぐっと飲み込む。

 

「ボクもう行くねぇ。千年公と一緒に北米支部に用があるんだ。ワイズリーも今頃、第二使徒(セカンドエクソシスト)の人間を捕まえてるかなぁ…」

 

 

 ────じゃあ、行ってくるね。

 

 

 扉が閉まった後、もそもそと女の服から這い出てきたティムキャンピーはぺちぺちとマリアの頬を叩いた。

 

 まだ彼女は、夢の中。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 同時刻、世界各地で任務に向かっているエクソシストの元にノアが現れる事態が起こっていた。

 

 マリアがいた中国・黄山(ホワンシャン)は既に壊滅的な状況である。

 

 マリが現場に向かった時にはすでにブックマンとラビはノアに誘拐され、チャオジーは意識不明の状態に陥っていた。

 

 対しアレンや神田、第三使徒(サードエクソシスト)のトクサ・マダラオがいるJordan(ヨルダン)にもノアが現れていた。

 

 

「よぉ元気か、少〜〜年」

 

「っ、ティキ・ミック…!!」

 

 大量のAKUMAとの戦闘後、休憩を挟んでいたアレンたちの前に出現したのは、第7使徒の『(マーシーマ)』とティキの義兄でもある第4使徒『(デザイアス)』のシェリル・キャメロット。

 そして第3使徒『快楽(ジョイド)』を司るノア、ティキ・ミックであった。

 

 ティキは出現と同時に、近くにいたトクサの両腕を手刀で切り落とす。

 アレンは負傷した男を庇うように前に立つ。

 

「お前、生きてたのか…!!」

 

「そんな連れねェこと言うなよ、少年。まだこうしてピンピンしてるってのに、死んだことにされてたらさすがの俺も悲しいぜ?」

 

「…僕らに何の用だ」

 

「なに、大した用じゃねぇよ」

 

 

 ────ただの、エクソシスト狩りだ。

 

 

 そう告げ、ティキ・ミックは口角を上げた。

 

 

 

 一方、場所は同じくヨルダン。教団陣営の拠点があるテント付近にて。

 そこの守備を担っていたのが神田だ。

 

「…っ!?」

 

 突如感じた血臭。

 それがテントの方から漂うものだと察知した神田は急いで向かった。

 

 着けば、広がっていたのは白いテントに付着した人間の夥しい返り血の光景。地面にも鮮血が染み込んでいる。

 

 咽せるほどの死臭と血のにおいに、思わず神田は鼻を覆った。そこら中に転がる死体を避けて生存者を探すものの、かすかに息のある者もいなかった。

 

 

「おぬしが「カンダユウ」か?」

 

「────!」

 

 

 神田の後方。先ほどまでいなかったはずのターバンを頭に巻いた青年が、岩の上に腰かけている。暗闇の中で浮かび上がる黄金の瞳が怪しく弧を描く。

 

「何だ、テメェは」

 

「フム…ビンゴのようだのう。だったら話は早い」

 

 青年は腕を前に出し、開いた掌を向ける。神田はとっさに刀の鞘を握った。

 

 

「おぬしの脳、今宵のパーティーに使わせてもらうぞ」

 

 

 その青年の言葉を最後に、神田の意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 ノアが世界各地で出現していた同日。

 

 アメリカにある黒の教団・北米支部では、「第三使徒計画」の本格導入のため、研究会議が開かれていた。

 

 

「被験体の名称は「アルマ=カルマ」。AKUMAの卵核に唯一融合した母胎ですわ。彼の細胞が今回開発された4名の第三エクソシストに使用されています」

 

 

 説明を行うのは北米支部の支部長でもあるレニー・エプスタイン。

 被験体は地面に埋め込まれた透過素材越しにその姿を拝むことができる。全身のつぎはぎ痕が実験の痛々しさを物語っている。

 

「すでに意識はございませんので、近寄っていただいても構いませんわ」

 

 レニーは集まった面々が観察しやすいように一歩下がる。

 

「なんでこんな子供が母胎なんかに…」

 

 そう呟いたのはジョニー・ギル。

 彼はリーバー・ウェンハムの助手としてこの研究会議に参加している。

 

 研究会議にはその他にもアジア支部長のバクや、ズゥ老師も訪れている。彼らの表情は険しい。

 

 また、マルコム=C=ルベリエも鴉を引き連れこの場を視察している。

 

 そもそもレニーに「第三使徒計画」を持ち出したのがこの男であった。ゆえにこの場に同席するのは当然と言える。

 

 ただし本部を襲撃された際、ルベリエが破壊された「(プラント)」のカケラをリンク監査官に集めさせたことを知る者はいない。

 

 

「そりゃあ彼が第二(セカンド)エクソシストだからだよ」

 

 

 ジョニーの問いに答えたのは、黒の教団本部の第二班班長、レゴリー・ペックだ。よくリナリーの尻を見ている命知らずな男である。

 ペックはメガネを指でくいっ、と上げる。

 

「アルマ=カルマは九年前、教団が造り出した人造使徒なんだ。まぁしょせん()()()()()だけどね」

 

 その続きはレニーが語る。

 

「常人ならばAKUMAの卵核エネルギーに肉体が耐え切れず、壊死してしまいます。しかし高い再生能力を持つセカンドならば話は別です」

 

 詳しい情報は彼らが渡された資料にある。

 ジョニーは分厚い紙束ををめくって、該当する部分に目を通す。

 

 

「「第二エクソシスト」……。人造使徒計画で生み出された二体の被験体。その名前はアルマ=カルマと────ん?」

 

 

 その途中、言い争う声にジョニーの意識が霧散した。

 

 どうやらレニーとバクの支部長同士が口論している。二人の足元にはズゥ老師がうずくまり、アルマ=カルマを見つめていた。老人の瞳からはひっきりなしに涙が溢れている。

 

「アルマ……まだお前は現世(ここ)に留められておったのか…」

 

 ズゥ・メイ・チャンはルベリエを睨め付けた。

 

「なぜアルマの生存を知らせなかった、マルコム!!」

 

「おや…こちらとしても、そちらを気遣ったつもりなのですがな」

 

 当時セカンドの実験を行ったのはチャン家とエプスタイン家である。

 実験はしかしアルマ=カルマの暴走により、研究者職員46名が殺害された。この死亡者の中には当時チャン家やエプスタイン家の当主だった人間も含まれる。

 

 

 ジョニーは汗ばんだ手で、ページをめくる。

 

(二人の被験体は殺し合った…)

 

 

「彼らは“ともだち”だったそうですね」

 

 ルベリエの声が聞こえる。

 

 

(生き残ったのは、一人の被験体だけ)

 

 

「私たちが()()()()()を殺し合わせたんじゃぞ!!」

 

 ズゥの声が聞こえる。

 

 

(被験体の名前は────)

 

 

「っ、ゔえ゛ぇ」

 

 

 ジョニーは耐えきれなくなり、隣に居たペックの白衣に嘔吐した。

 見かねたルベリエは、彼らに退室するよう命じた。

 

 

 

「大丈夫かジョニー?」

 

「うっ…ずみまぜ…はんちょー……」

 

 リーバーに背中をさすられながらも、ジョニーの頭の中には資料の内容が離れなかった。

 

 

(被験体の名前は────YU(ユウ)

 

 

 

YU(ユウ)」は「ALMA(アルマ)」が再生しなくなるまで、友だちを殺し続けた。

 

 

 

 

 

 そしてジョニーがトイレにこもり、その周囲で追い出された面々が騒いでいた時のこと。北米支部全体に突然警報が鳴った。

 

 

『敵襲、敵襲!! 敷地内にアンノウン。AKUMAではありません。次々に支部を包囲する結界が突破されています!!』

 

 

 その警報を聞いた全員が驚く中、()()()()は悠然と結界内を進んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

「アルマ=カルマはあそこだよぉ、千年公〜」

 

 

 ドレッドヘアーが特徴的な人形姿のロードは、黒いピラミッドを指差す。人間姿の伯爵はチラリとその先を見て、帽子(シルクハット)をかぶり直した。帽子の上にいた人形は「わわっ!」と慌ててしがみつく。

 

「なんか今日の千年公は上機嫌だねぇ」

 

「ンフフ、そうデスカネ?」

 

 ワイズリーがマリアを無事にゲットしたことを知った伯爵は、ぴょんぴょん跳ね飛びそうなくらいには嬉しそうだった。一回目(本部襲撃時)と二回目(孤児院の時)は失敗したので、その喜びも殊更だ。

 

 

「気を引き締めてよぉ。14番目に会うんだから」

 

「えぇ、そうデスね。14番目に会え…………」

 

 

 小躍りしそうな雰囲気が打って変わって、千年公はうずくまってしまった。おじさんがちいかわのようにプルプル震えている。

 

「どうしたのさ、千年公!」

 

「14番目に会うと思ったら怖くッテ…」

 

「もぉー情けないなぁ」

 

 そしてロードに励まされた伯爵は何とか復活した。

 

 

「…ってか、千年公はアレン(14番目)に会うのは怖いけど、マリアに会うのは平気なんだね」

 

「怖イ? どうしてデスカ?」

 

「ううん、別に…。嬉しいならボクはそれでいいんだ」

 

 

 ロードは『聖母』に関する記憶を取り戻してから、マリアに会うのが怖かった。

 

 聖母を思い出していない伯爵は、今も()()()()()と共に過ごせることを信じて疑わないのだろう。

 

 神はしかし、彼女から家族(ノア)までも取り上げようとしている。

 イノセンスを植え付けたのも、きっとそれが理由の一つだろう。

 

「大丈夫ですか、ロード?」

 

「うん……大丈夫。ボクも緊張してるのかなぁ〜」

 

 笑って誤魔化す人形に千年公は首を傾げたが、それ以上追求することはなかった。

 

 

(千年公は『聖母』のこと、思い出さない方が幸せだから)

 

 

 マリアも壊れているのだろう。

 けれど、千年伯爵も壊れている。

 

 

 

「そろそろ行きましょうカ」

 

「うん」

 

 立ち上がった伯爵の上で、ロードは微笑した。

 

 


 

【お料理】*マリアがノア側、平和時空*

 

 

 伯爵が珍しく風邪を引き、マリアは料理に奮闘した。

 

 基本その腕は伯爵と比肩するほどである。しかし完璧にこなす伯爵と違い、この母は天然とドジっ子の才能がある。

 

 ゆえに時々、ダークマターを作り出すことがあった。

 

 

 キッチンにピンクのエプロン(伯爵の)を付けて、いざ、準備万端。

 ちょうどその時、彼女の目に入ったのは一つの缶詰だった。

 

 缶詰の正体はシュールストレミング(※世界一臭い食べ物と称される)。ジャスデビがいたずら用に買ってきて、そのまま使い忘れたものである。

 

 劇物扱いされるそれを開封し、マリア本人は「あれ、なんか(にお)いキツい?」程度で済ました。さらに謎の才能で臭いを何割か消すアクアビットや、他の食材と調和させることで彼女は臭いを完封してしまった。

 

 しかし劇物は臭いが無くなっただけで、劇物のままだった。

 

 劇物の乗った皿を彼女が運んでいる最中、運悪く今回の被害者が来た。ティキ・ミックだ。

 

「おっ、美味そうじゃん」

 

 ペロッと味見した瞬間、ティキ・ミックは白目を剥いて卒倒した。

 

「ええっ!!?」

 

 焦るマリアをよそに、一連の様子を偶然見たロードが双子を呼び、三人で泡を吹く男を見ながら爆笑した。

 

 三人はその後、母に怒られた。ティキはお詫びにパーティー眼鏡をもらった。

 

 

「何スか、コレ…」

 

「え? だってあなた、そういうの好きでしょ?」

 

「「「ぎゃはははは!!!」」」

 

 ロードと双子はまたしても大爆笑した。



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創生(イコール)

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

「あら? 昼食なのにネアが来ないわね…」

 

 カテリーナは首を傾げ、双子の弟の方を探すことにした。

 兄の方は生来の病弱体質もたたって最近寝込んでばかりだ。そんな兄を思い、弟の方はまた外の木に登りマナが眠る部屋を見つめているかもしれない。

 

 パタパタと忙しなく彼女が駆けていた矢先、洗濯カゴを持ったマリアと出会した。

 

「カテリーナ様、どうされたのですか?」

 

「ネアが来なくてね。もしかしたらいつものあの場所にいるんじゃないかと思って…」

 

「いつもの…あぁ、木のところですね。ならわたしが見てきましょう」

 

「…じゃあ、お願いしていいかしら?」

 

「えぇ。カテリーナ様もお忙しいですし」

 

 マリアは洗濯カゴを戻し、外へと一歩踏み出した。扉を開けるとたちまち風が彼女の髪をすくい、上へ上へと巻き上げようとする。空気を吸うと、少し冷たい感覚が肺に広がる。ほぉ、と吸った分だけ息を吐けば、白いもくもくが景色の中に溶けて消えて行く。

 

 冬の匂いがした。葉っぱがチラホラと落ちて、掃き掃除をしなければ、とメイドの女は頭の片隅で思った。

 

 すっかりと頭が寂しくなった木の上に少年はいた。無防備にさらされたその背中は心なしか、いつもより小さい。

 

 ネア様、と彼女が声をかけると、少しずつその体が振り返る。

 

「カテリーナ様が心配していらっしゃいま……え?」

 

 少年の目は真っ黒で…いや、瞳はおろかその口の中も真っ黒だ。開いたその口が動いて、音を紡ぐ。その言葉の意味を理解した瞬間、マリアの背筋が凍った。

 

 

「カテリーナは死んだダロ』

 

 

 木の上から飛び降りた子どもの肢体がぐんと伸びる。

 見覚えのある男の顔。しかしアレンのイノセンスを壊した男よりも顔の輪郭はやや丸さを残し、少年と青年の狭間にあるアンニュイな雰囲気を漂わせている。

 

「あ、あなたは誰? ネア様はどこに…」

 

『ハハッ! オレヲ覚エテイナイノカ? オマエガ?』

 

「…知りません」

 

 咎めるように、あるいはその罪を突きつけるように、男は馬乗りになって女の首を絞める。

 酷薄とした笑みは女の呻き声を聞くうちに崩れ、無表情になり、最後は堪えるように唇を噛みしめる。

 

 メイドの女は途中から抵抗をやめ、静かに肢体を投げ出した。

 

 

『オレガ憎クナイノカ』

 

「憎いわ」

 

『…ジャア何故抵抗シナイ』

 

「抵抗したらあなたが喜んでしまうでしょ?」

 

『……オレニソンナ特殊ナ趣味ハネーヨ』

 

「あら、どうかしら」

 

 ここは『聖母』の夢の中なはずだ。しかして彼女の前には侵入者がいる。その疑問に答えるように男が口を開く。

 

『オレハオ前デ、オ前ハオレダ。オレガ中ニ入レルノハ当然ダロ』

 

「夢の中に入って来るほどママが恋しいのね。まぁ、目覚めたいの一番にわたしの元へ来るくらいだもの。でも生憎大きい子どもは論が………えっ、何? 急に人をうつ伏せにし────ぐわああああっ!!」

 

『色気モクソモネェ声ダナ』

 

 所謂逆エビ固めというやつで締められた女はバシバシ床を叩き、降参の合図を送る。しかし相手が退く様子はない。

 

 両足を掴む男からはちょうどめくれたスカートの際どい部分まで見え、じとっ…とした視線が生白い太腿の先の、少し丸みを帯びた部分に注がれている。故意にその先を拝もうとスカートの裾を掴んだ男には制裁が下された。

 

 反った体をさらに反らせて男の顔に蹴りをぶち当てたマリアは、相手が退いた隙に地面を転がる。

 

「………変態」

 

()ッ……テェナ!!』

 

「メイド時代は履き忘れることも結構あったんだからやめてよ」

 

『………ハ?』

 

 男の中で宇宙が舞い降りて、ビッグバンが起こった。つまりメイド時代の姿な今の女はそういうことなのだろうか。履いてらっしゃらない? 

 

 というか、あの頃に接していた女は時折下着をつけ忘れていたのか。いや、思い返せばカテリーナが顔を真っ赤にして彼女を連れて行ったこともあったような。

 

「ねぇ、早く出て行きなさいよ」

 

『………』

 

「そんな、鼻血なんて出してないでさ」

 

『うっせぇ…』

 

 地べたに座り込んだ男は、いつの間にか少年の姿に戻っていた。鼻血をシャツの袖で拭おうとして、差し出されたハンカチをひったくる。

 メイドの女はその様子をわずかに口角を上げて見つめた。

 

「君はなぜ、わたしを殺したんだい?」

 

『…それは、お前が忘れている記憶の中にある』

 

「ワイズリーがまだ見せていない記憶ってこと?」

 

「違う。それはオレだけが知っている』

 

「ふーん…そっか」

 

『……あんたは』

 

「んー?」

 

『あんたはオレを殺したくないのか?』

 

 ネアはだって、マリアを殺した。

 殺したけれど、殺し損ねてしまった。だから彼は目覚めて“その気配”を感じた時、彼女を殺そうとした。すぐにアレンに戻ってしまい、殺せなかったが。

 

「家族は殺せないよ。たとえ裏切り者だとしても、わたしを殺したとしても、「愛」する以上は殺さないし、殺せない」

 

『………』

 

「君がメイドの女に向けたのも愛だろう。つーか、死ぬ前に「愛してる」って聞いたし。……よくよく思い出せば君って結構態度にラブを出してたな。どうしてわたしは気づかなかったんだ……」

 

『…それ以上言うんじゃねェ』

 

「ふふ…。まぁ、何だ。君がわたしを完全に殺せなかったのも、そこに愛があったからだろう」

 

 ピクリと少年の眉間が動く。「でも本気で殺す気だった…」と呟く声は、もごもごとした口の中で発せられたせいで聞き取りにくい。

 

 少年は本気だったとしても、無意識にブレーキが働いたのだとしたら────。

 

 

 愛ね、とメイドの女は微笑んだ。

 

 その顔を見た少年は息を飲む。あぁ、と彼は思う。女の血のような瞳はかつてと何も変わらない。未だ彼女は地獄の中で喘いでいる。

 

 そう考えた時にはすでに、ネアの手の中に大剣が握られていた。

 

 

『オレが必ず…殺すから』

 

「ふふふ……」

 

『今度こそは……絶対に』

 

「アハハッ!!」

 

『オレが壊して、壊し尽くすよ』

 

 女の瞳は真っ黒に染まり、そこから黒い血がボタボタと垂れ流しになる。

 

 剥き出しになった『聖母』に、立ち上がった少年は大剣を振りかざした。鈍い光が剣先から覗く。

 

 刺しては引いて、刺しては引いて。そんな単調的な繰り返し。

 堕罪に染まった女の血で地面が穢れていく。

 

 

 

『オレはあんたで、あんたはオレだから。同時にオレはマナで、マナはオレだけど』

 

 

『……なぁ、まるでイヴとアダムの子のようだと思わないか?』

 

 

『イヴ、神に(あい)された女』

 

 

『愛してる、マリア』

 

 

『待ってるから』

 

 

 少年は微笑む。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 白い部屋の中で起き上がる女の姿があった。

 

 その周囲では黄金のゴーレムが忙しなく飛び回る。その頭をひと撫でして、アヴェ・マリアは立ち上がった。

 

 

「行こう、あの子(ネア)の元へ」

 

 

 女の両目が一瞬、黄金の色を宿した。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 北米支部にて。

 

 現在そこに伯爵を含む数名のノアが侵入し、その場にいた人間はすべてシェリルの念動力により拘束された。

 

 また方舟のゲートから出現したアレンや、今回アルマ=カルマを目覚めさせるエサとして、意識のない神田ユウがワイズリーによって運ばれた。

 

 彼らがいるのは研究会議が行われていた場所。つまりアルマの眠る研究室である。

 

 

 捕われたトクサを追い、ティキと戦闘を繰り広げながらこの場に降り立ったアレンは、一瞬理解が遅れた。

 しかしすぐに深刻な事態が起こっていると分かり、少年は軽薄な笑みを浮かべるティキの胸ぐらを掴む。

 

「説明してください! いったいこれは……」

 

「まぁ、落ち着けって。ちょっとしたパーティーだからよ」

 

「パーティーって……」

 

 アレンが騒いでいれば、棺の上に腰掛けていたシェリルが口を開く。ちなみにその棺の中にはティキに両腕を切断されたトクサもいる。

 

「二人ともさぁ、いい加減に下を見たらどうだい?」

 

「「ハァ? 下……」」

 

 二人の下にはなんと、踏んづけられて伸びている千年伯爵がいるではないか。

 戦闘中にアレンが使った方舟のゲートは、幸か不幸か伯爵の真下だった。

 

 そして千年公は吹き飛ばされ、さらに二人の踏み台になったわけである。

 

(わり)ぃ〜千年公。わざとじゃねェーんだ、マジで」

 

「すごいね、言葉にまったく謝罪の意がないよ」

 

「ちゃんと反省してるって、シェリル」

 

 ティキは退いたが、混乱の真っ只中なアレンは以前突っ立ったままだ。

 

「少年。言い忘れてたけど、俺たちはお前を迎えに来たんだぜ?」

 

「は? 迎え────」

 

 瞬間、頭を掴まれた少年の体が地面に叩きつけられる。彼の頭上には丸い巨体が鎮座していた。

 

 

「アレェン、ウォーカー♡」

 

「伯…爵ッ…!!」

 

 

 ここに因縁の二人が揃った。

 

 伯爵はすでにアレンが14番目の宿主であり、その覚醒に気づいている。むしろ伯爵の目でもあるAKUMAを通して「おはよう」と告げたのは、14番目の方だった。

 

 否定の言葉を口にするアレン・ウォーカー。その口調が、表情が、一瞬にして変わる。まるで別人のように。

 

 

「ソノ通リダヨ、兄弟」

 

 

 伯爵の体はあからさまに硬直し、首にかかる腕に手を添えて、14番目は距離を詰める。

 

 

「オ前ヲ殺シテ、オレガ「千年伯爵」ニナル────!!」

 

「…ソレが、お前の望みなのデスネ?」

 

 伯爵の言葉に14番目が頷こうとした所で、アレンの意識が戻った。少年は、吼える。

 

 

「ちっ、がう!!!!!」

 

 

 ゴツンと、鈍い音が響いた。

 

 頭突きをかまされた伯爵は後ろに倒れ、アレンはふらつきながらも立ち上がる。クロスのトンカチ打撃と比べれば、なんて痛くないのだろう。

 

 そんな二人の一幕を興味深そうに見ていたワイズリーは、人形のロードに語りかける。その一瞬、一陣の風が彼の前を横切った。

 

「あやつ中々面白いのう、ロード………んん? ロード?」

 

 

 ロードが、いない。

 

 ────ロード泥棒が現れた!! 

 

 

 ロード泥棒の犯人は人形の服のリボンを取り、長い黒髪を後頭部で一つに結わえる。神田に捕まった少女はあらぬ蛮行を受けて「えっちー!!」と騒いでいた。

 

「の、のの、の……」

 

 ワイズリーにシェリルのにっこりとした笑みが突き刺さった。

 

「し、仕方がなかろう! ワタシは戦闘タイプではないのだ……!!」

 

 そう。ワイズリーは肉弾戦をホイホイとこなせるティキなどとは違い、裏から暗躍して悪どい笑みを浮かべるような頭脳タイプだ。

 

 そんな頭脳タイプの青年は能力を使った時、ロードまで巻き込んでしまった。

 

 

「ねぇアレ、ロードも巻きまれちゃってないかい? ねぇ、ワイズリー。ねぇ、ワイズリー………?」

 

「す、すまんのだ──ッッ!!」

 

 

 蛇に睨まれたカエルのように魔眼の青年は平身低頭で謝ったのだった。

 ちなみにこの二人はそのうち義理父と養子の関係になる。



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飢えに付き

閲覧ありがとうございます。
今季の本誌早速読んだんですが、感想が「本誌ィィーー!!本誌ィィィィ!!!(師匠ッーー!!ロードちゃんーーー!!!)」でした。
なるべく原作辿ろうとしつつ未完結なので、終盤はオリジナル&考察入ってますが、やはり一ファンとして原作の進みが楽しみです。


「…い、……おい!」

 

「……っ、あ」

 

 場所は黄山(ホワンシャン)

 テワクは駆け付けたマリに揺り起こされ、目を覚ました。

 

「大丈夫か、監査官」

 

「何、ですの? ………あ」

 

 瞬間少女の脳裏に、ノアによって見せられた映像が過ぎる。

 

 それはかつて孤児で貧しいながら、兄のマダラオや仲間たちと暮らしていた光景。六人はいつも一緒で、家族だった。

 

「マダラオ兄様…?」

 

 しかしその幸せは壊れる。

 

 テワクに温かい眼差しを向けていた兄が、血を吹いて地面に倒れる。

 幼い少女は血を浴びながら必死に手を伸ばして、兄の腹の傷を押さえた。

 

 それでも血は止まらず、泣き叫ぶ彼女の視界に入ったのは、黄金の大剣を持った紅目の女だった。

 

 

 

 

「マリ、ア…」

 

 

 女の肌は褐色に染まり、ノアと同じ聖痕が額に浮かんでいた。

 

 違う。それは幻だと、テワクは首を振る。

 彼女がノアに幻覚を見せられていた間、マリアはあのターバン頭の青年に連れ去られたはずだ。

 

「混乱しているところすまないが、状況を説明してもらえないか? チャオジーはいたが、マリアやブックマン、それにラビも忽然と姿を消したんだ」

 

「……ブックマンの二人もですか?」

 

 ひとまずテワクは簡潔に起こったことを説明し、拠点にある方舟のゲートを使って本部へ帰還した。

 

 その後、世界各国で同時多発的にノアが出現したことを知る。

 彼女の目的地はヨルダンに決まった。そこにはリンクやトクサ、そして兄のマダラオもいる。

 

「……私情を挟むなんて、監査官失格ですわね」

 

 あまり自身の感情を出さなかった兄ではあるが、テワクにとっては唯一無二の、血の繋がった家族だ。

 

 それにもしノアが見せた光景────マリアがマダラオを殺した映像に意味があるのだとしたら、彼女がヨルダンにいる可能性は十分にある。

 

「急がないといけませんわ」

 

 震える拳を握りしめ、テワクはヨルダンへ繋がる方舟のゲートを潜った。

 

 

 

 

 

 ヨルダンの拠点。そこは血生臭いにおいが充満していた。生存者はナシ。

 

 ついで前線へ向かったテワクはリンクと鉢合わせすることになった。

 

「なぜここにお前がいる」

 

「離してください」

 

「…私はウォーカーたちと連絡がつかなくなり、近辺を探っていた所だ」

 

「離して……っ!!」

 

「落ちつけ、テワク」

 

 彼女が抵抗しても、リンクの手は離れない。そして男の瞳の中に心配の色があることに気づいた少女は目を見開いて、かすれた声で謝った。

 

「少しは落ちついたか?」

 

「……はい」

 

「ならいい。お前がここにいるということは、何か目的があって来たのだろう?」

 

「…実は──」

 

 

 テワクから一通りの事情を聞くと、リンクは疑問に思ったことを呟く。

 

「お前がノアの映像で見せられた、Ms.マリアがマダラオを殺したという場所に見覚えはあるか? もしかしたら何かのヒントになると思うのだが…」

 

「……ぁ」

 

「覚えがあるのだな?」

 

「あれは、()()()は────北米支部。…壁の造りに、見覚えがあります」

 

「なるほど、そういうことか…。第三使徒(サードエクソシスト)の研究が行われていた場所だ」

 

「………」

 

 その時ぎゅっと、リンクの上着の裾が引っ張られた。見ればテワクの瞳が揺らいでいる。

 

「…そう、だったな。お前にとって北米支部は…」

 

「……もう、昔のことですわ」

 

「ならどうして震える?」

 

「………」

 

「咎めたいわけじゃない。ただ今は、一刻も早くお前の監視対象を見つけるべきだ」

 

「…はい」

 

「それに、マダラオの元へ向かうのだろう?」

 

「っ」

 

「ならば私も共に向かおう。何か嫌な予感がするしな。それに恐らく、ウォーカーも北米支部にいる可能性が高い」

 

「いいん……ですの?」

 

 おずおずとしたようにテワクが言う。

 少女の胸中を察してか、リンクは努めて表情を柔らかくする。

 

 そこに仕事男の顔はない。家族を想う、一人の青年の姿があるばかりだ。

 

 

「一人では怖いかもしれない。しかし二人なら、きっと大丈夫だ」

 

 

 握られた手を、少女は啜り泣きながらも強く握り返した。

 

 

「…行きましょう、北米支部へ」

 

「あぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 北米支部。

 

 神田やアレンの意識がない中、部屋の壁に沿うように会議に参加した人物が並べられている。

 

 アルマの目覚めにはまだしばし時間がかかる。

 ティキは欠伸を一つこぼし、そう言えば、と呟いた。

 

(マーシーマ)の方はどうなってるんスか? 残ってた第三何ちゃらと戦ってたハズだけど…」

 

「ティキぽんと違って、ついさっきちゃんと捕らえたそうデスヨ♡今こちらに向かってマス♡」

 

「千年公はまだ少年の件を持ち出すのかよぉ…」

 

 冷や汗を流すティキの一方で、シェリルが疑問を投げかける。

 

「別に連れて来る必要はないんじゃない、千年公? ゲストはアレン・ウォーカーと神田ユウだろうし」

 

「ワイズリーが遊びたいらしいんデスヨ♡今回は一番働いてもらっていますからネ、ご褒美デス♡」

 

「僕もかなり働いてると思うけどなぁ、千年公」

 

「一番働いてないのはティキぽんですネ♡」

 

「俺いじりすんのやめてくんない?」

 

 雑談に花を咲かせるノアの傍では、黒の教団側の人間たちが表情を険しくしていた。

 

 

 

「のっ!?」

 

 

 そんな折、突如ワイズリーが声を上げた。直後、意識がないはずのアレンが拳を握りしめる。そのまま少年が向かうのは神田の元だ。

 

 この時のアレン・ウォーカーは神田の過去を見ていた。

 そして友だち(アルマ)を殺して苦しむユウの姿を見て、激しい怒りに駆られたのだ。

 

 それがまさかアレンの目覚めるきっかけになるとは、ワイズリーも思いもしなかったが。

 

 

「君のド短気はッ!! どこに行ったんですかァ!!!」

 

 

 少年の拳が神田の額に炸裂する。

 それと同時に、神田の額にあった魔眼のマークが割れ、ワイズリーの能力が切れた。

 

「のぉぉぉぉ!!!」

 

 魔眼にダメージを負ったことで、『智』のノア特有の頭痛が発生してしまった。

 

 しかし能力が解けるのが一歩遅かった。

 突如出現した無数の巨大な管がアレンを襲い、シェリルごと棺の中に入っていたトクサを吹き飛ばす。

 

 管はそして、多くの人間の自由を奪った。

 

 それが伸びる先におわすのはアルマ=カルマである。

 

「何が起こって…」

 

 呆然とするアレンに、近くにいたバクが叫んだ。

 曰く、アルマの憎悪がダークマターでできた卵核(らんかく)のエネルギーに変換されていると。

 

「変換って、まさか…!!」

 

 このままでは、アルマ=カルマがAKUMAになる。

 

 

 アレンは咄嗟にアルマの元へ駆け寄ろうとしたが、彼から発せられる光により目をやられてしまう。

 

「アルマッ………!!」

 

 瞬間、爆発が起こった。

 

 

 爆発した中央に浮遊する割れた卵。そこから抜け出た青年は地面に降り立つ。

 

「ユウ…?」

 

 アルマは“友だち”の姿を探す。しかして彼の内にある卵核がさらにほの暗い感情と結びつき、絶大なエネルギーをもたらす。その結果が先ほどの比にならない大爆発。その光を浴びた者は一瞬にしてAKUMAウイルスに感染し、粉微塵と化した。

 

 術やイノセンスによってその衝撃から何とか逃れた者たちは、AKUMAと成り果てた青年を目の当たりにする。

 

 

「ユウ、久しぶりだね」

 

「……」

 

 アルマの呼びかけに返答はない。セカンドである神田の体は超再生によって異常な速度で回復していく。

 

「ユウのせいで、僕はAKUMAになっちゃった」

 

「…だったら俺がまた、破壊(こわ)してやるよ」

 

 

 そしてまた、YUとALMAは殺し合う。

 

 伯爵の用意した、演目(シナリオ)の中で。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 一方アレンは大爆発により、はるか後方に吹き飛んでいた。

 起き上がった彼の目の前には、術札を咥えたトクサがいる。

 

「トクサ!!」

 

「無事…ですか、ウォーカー……」

 

 アレンの肉盾となった男の体はボロボロだ。その傷もセカンドほどではないものの、ゆっくりと回復していく。

 

「どうして僕なんかの盾に!!」

 

「はっ……! 僕()()()、ではありませんよ。あなたは大切な使徒様だ。死なれては困ります」

 

「でも僕は、みんなを守れなかったのに…」

 

 先の爆発により多くの者が死んだはずだ。だからこそ、少年の心に暗い影が差す。トクサの呆れたようなため息がすぐ近くで聞こえた。

 

 ちょうどその時、アレンの耳に付けていた通信機にバクの声が入った。

 

『ウォーカー……ウォーカー聞こえているか!? こちらはサードが飛ばしてくれた衛羽(まもりばね)により無事だ!』

 

「えっ」

 

 バクたちを守ったのは──と、アレンは仏頂面の男を見る。

 

「…私にはこのくらいが精一杯です。ですからウォーカー、貴方は貴方にしかできないことをしてください。それが貴方の使命でしょう」

 

「…うん! 分かったよ!!」

 

「頼みまし────?」

 

「トクサ? ……トクサッ!?」

 

 アレンは話の途中で倒れた男に駆け寄る。トクサの肢体はぼこぼこと膨れ上がり、歪に変形していく。

 

 アルマ=カルマのAKUMA化により、彼を母胎として作られたサードエクソシストの体も共鳴し、暴走しているのだ。

 

 助けようと動いたアレン・ウォーカーの体は、まるで拒絶されるように弾き飛ばされる。

 

 仲間のマダラオに助けを求めるトクサに、伯爵は嘲笑した。

 

「無駄デスヨ。()()()()はエクソシストの手により、破壊される運命なのデス♡」

 

 

 人間がAKUMAの細胞を取り込もうとした代価。

 それが今、精算されるというのだ。

 

 たとえエクソシストに破壊されず生き残ったとしても、その先は伯爵の玩具と成り果てる運命が待ち受ける。

 

 その証拠のように、アレンのイノセンスは彼の意思に反しトクサを攻撃した。

 イノセンスがサードエクソシストを「敵」とみなした瞬間だった。

 

 

 

 トクサだけではない。世界各地に点在する他のサードエクソシストの肉体も変形していく。

 

 それはマーシーマによって、北米支部に連れて来られたマダラオも同じはずだった。しかし彼の体はまだ変化していない。

 

 それを疑問に思ったシェリルは、頭痛から復活したワイズリーに問いかける。

 

「この人間を用意させたのって君だろ? 何で他は変わってるのに、コレだけ変わってないんだい?」

 

「千年公に頼んで抑えてもらったのだ。ただそれは肉体だけの話で、意識の方はアルマの憎悪に影響しておる」

 

「ふーん…。何を企んでるかは知らないけど、千年公に迷惑はかけないでよ」

 

「分かっておる」

 

 ワイズリーは周囲を見ながら、目的の人間を待ち望む。

 

「早く来ないかのう〜」

 

『聖母』の隣にいた存在であり、今のマリアから「愛」を与えられている人間。

 ヒトでありながら、家族のものである母の愛を享受している。

 

(…フン、嫉妬とはワタシらしくない)

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

「何ですの、コレ…」

 

 テワクとリンクはゲートが北米支部の付近にしか設置できなかったため、切り立った岩肌の上に降り立った。

 

 ちょうどその時、最初の爆発が北米支部のある方角で起こった。

 

 近づく最中に二回目の爆発も起こる。二人が施設の近くに到着した時にはすでに、北米支部は瓦礫とウイルスに侵された人間で死屍累々といった惨状だった。

 

「……! ウォーカーはやはりここにいたか!」

 

 リンクの読み通り、アレン・ウォーカーがいた。

 少年はアルマ=カルマと神田の間に入りながら戦っている。

 

 いや、戦っているというより、まるで二人を止めようと動いている。

 

 

「やっと来たか」

 

「「!!」」

 

 二人の後方に、ターバン頭の青年が髪をかきながら立っていた。

 

「貴方……マリアをどこに連れ去ったんですの」

 

「ほぉ。身内を最初に尋ねない辺り、おぬしは仕事人なんだのう」

 

「……リンク兄さま、アレン・ウォーカーの元へ向かってください。向こうの狙いは私のようですので」

 

「………」

 

「私は大丈夫ですわ。「監査官」としての責務をどうか全うしてくださいまし」

 

「…わかった」

 

 駆けて行くリンクにわずかでもターバン頭の青年が視線を送ることはない。

 その魔眼の向く先は、少女に絞られている。

 

「ただの人間にノアも興味を示すのですね」

 

「興味か。まぁ、あながち間違ってはおらん。しかし興味というよりは…もっと浅ましい感情だのう」

 

「…浅ましい?」

 

「こちらの話だ。人間、今宵はおぬしにぴったりの余興を用意してある」

 

 ワイズリーが側に控えるレベル4に指示を出す、するとAKUMAは抱えていた男の肢体を投げ出した。

 

「に、兄様!!」

 

 伸ばした少女の手に、一陣の蹴りが襲いかかる。驚いたテワクは致命傷となる前に体勢を変え、横に転がる。

 

「お前……! 兄様に何をした!!」

 

「おぉ、口調が荒くなったな。ワタシは何もしておらん。言うなれば人間の禁忌に触れた業が、今その身に降りかかっているに過ぎん」

 

「ふざけないで!!」

 

「ふざけておるのは理もろくに守れぬ人間ども、貴様らだ」

 

「っ……ノア、貴方の目的はいったい何なのですか」

 

「目的? そんなものはない。ワタシはただ、おぬしの悲劇を見たいだけだのう」

 

 マダラオの瞳は虚で、妹が呼びかけても反応しない。

 

「すでにアルマ=カルマはAKUMAと成り果てた。この人間もかろうじて人間性は残っておるが、すぐに元の人格は跡形もなく消える」

 

「兄様……兄様お願い。テワクがここにいます…」

 

「哀れなものだな」

 

「────黙れ!!」

 

 

 少女の手から革手袋を突き破り、鋭い刃物が覗く。その刃はしかし、ワイズリーには届かない。

 兄が間に入ったことで思考の鈍った少女の腹に、重い蹴りが入った。ゴギンッと、人間であれば通常は鳴らない音が響く。

 

「ぅ……ぐ」

 

 テワクは腹を押さえ、数歩後退する。

 

 母胎のAKUMA化が済んだ今、サードエクソシストはAKUMAのようにノアの命令に従う。

 

 そのことに少女は気づいてしまった。それでも泣くことだけはしなかった。

 

「かつておぬしは任務中、この人間を庇い、一度死にかけた」

 

 ワイズリーはテワクを指差し、マダラオに命令する。

 

 

「その人間を殺せ」

 

 

 マダラオはAKUMA細胞が埋め込まれている自身の左腕を鋭い鉤状に変え、テワクに襲いかかる。

 

 テワクは術を展開しながら攻撃を躱しているが、サードエクソシストである兄の方に分がある。

 少しずつ押され、身体の節々が血で染まっていく。

 

「兄様、おねがい。おねがい…」

 

「どうしたのだ? 反撃しなければ死ぬぞ」

 

「いやです、テワクは戦いたくありません……」

 

「ほぉら、疾く殺し合え」

 

 それでも攻撃に転じない人間に、ワイズリーは呆れた様子でため息を吐く。

 

 

「改造されたその義肢を活かせば、殺せなくはないだろう?」

 

「……あなたは、愚かですのね」

 

「…何?」

 

「家族を守りたいと願って得た力を、傷つけるために使うくらいなら────死んだ方がマシですわ」

 

 

 テワクは幼い頃からマダラオやリンクに守られてばかりで、泣き虫だった。おまけに人一倍の寂しがりやだ。

 

 そんな彼女は拾われ、「鴉」として育てられた。

 

 しかしある時任務で兄を庇った彼女は体の多くを失い、待つのは死だけとなった。

 

 そんな彼女は、朧げな意識の中でルベリエに持ちかけられたの話を受けた。一人ぼっちのまま行くことが、嫌だったから。

 

 それに何より、弱くていつも兄やリンクに守られっぱなしの自分が嫌だった。

 

 

 行われたのは、内臓や体を機械にして、エクソシストでない人間がAKUMAに対抗し得る力を得られるか────という実験。

 倫理面で騒ぐ人間もいるにはいたが、その点、孤児の出である鴉の人間ならば問題はなかった。

 

 

 テワクは人体実験された鴉の中でも、一番の成功例となった。

 

 内蔵された義肢は、個体によるがレベル3さえ破壊できる力を持つ。

 無論彼女が幼い頃から教育を受けた鴉という点も、突出した戦力を引き出せる理由に挙げられる。

 

 だが、実験の代価は大きかった。

 

 実験を担当したのはレニー・エプスタイン。これは北米支部にて秘匿に行われた。

 

 実験において行われた改造。神経をどのように繋げばよりスムーズに義肢を動かせるか、など。

 

 何百回と行われたその試行錯誤の中で少女は痛みに絶叫し、いっそのこと死んだ方がよっぽどいいと願った末に、実験は終了した。

 

 

 

 

 

「面白いのう」

 

 そんな少女の根っこの部分を嘲笑うように、ワイズリーはニィ、と口角を上げる。

 

「………」

 

 しかし胸の内の嫉妬は消えるばかりか、増していくように感じられる。

 

 

 ただの人間に母が笑いかける光景。

 

『智』の子はずっと罪に苛まれ、孤独に苦しんでいたというのに。

 

 

(なぜだ。なぜ母上はワタシたちの側にいない。母上の側にいるべきなのは人間の小娘ではない。われわれ家族(ノア)だ……!)

 

 

 その間、マダラオの一撃によって太腿の肉がえぐれ、地面に小柄な体が転がった。

 

 テワクは痛みに喘いだ。

 そして呼びかけても応えてくれない兄に、とうとう涙をこぼした。

 

 

 そんな二人の様子を、ワイズリーは無表情に見つめる。

 

 彼の心はどうにも癒やされそうにない。



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手がね、届かないの

「兄、さま…」

 

 

 少女の腹には鋭い鉤爪が突き刺さっている。

 血を大量に吐きながら、兄さま、兄さま、とうわ言のようにテワクは呟く。

 

 そうして縋るように、少女は兄に抱きつく。世界でたった一人の、同じ血を持つ家族。大好きな兄。

 

「テワクは……テワクは強くなったんです。兄様に守られてばかりの…テワクじゃ……もう、ないんです」

 

 ほんの一瞬、抵抗していたマダラオの身体が止まった。ついで虚ろだった瞳に薄っすらと光が差す。

 

「にいさま……」

 

「テワ……ク?」

 

 ずり落ちていく少女の肢体を、マダラオは掴んだ。

 そして彼は気づく。自分の変形した腕が妹の腹に突き刺さっていることに。思わずそれを抜き取ろうとすれば、耳を塞ぎたくなる悲鳴が上がった。

 

「すまない、すまないっ…!!」

 

「やっと、しょう、きに…」

 

 変形していた腕が収縮し、あるべき形を取り戻す。ついで彼は腹に札を貼りつけ、止血を試みた。しかし出血が多過ぎる。普段の冷静さを手放した男の目には憎悪の色が浮かび、ターバン頭のノアを睨む。

 

「ホォ、辛うじて意識を取り戻したか。だがおぬしではワタシに勝てん」

 

「………」

 

 無言のまま、マダラオは立ち上がる。ワイズリーはレベル4に命令した。

 

「痛ぶってやれ」

 

『わかりましたぁ、のあさま』

 

 レベル4が口からエネルギーの弾を放つ。間一髪でそれを避けた男はレベル4に肉薄する。

 

 アルマ細胞を埋め込まれた部位は、接触することでAKUMAを吸収する力を持つ。

 

 マダラオは細胞が移植されている左腕をレベル4に向けるが、体に触れることすら叶わない。その間にレベル4の拳が太腿に当たり、鈍い音を発して数十メートル後方に吹き飛んだ。

 

『ふつうのにんげんよりはかたいですねぇ』

 

 天使の如きAKUMAの羽が開いた刹那、広がった距離は一瞬にして縮む。地面にマダラオが落ちる前に、上からレベル4が踏みつける。ガハッと、腹を潰された男の口から血が噴き出た。

 

 噛み殺すような悲鳴が、何度も聞こえる。

 テワクは遠くなりかけていた意識の中、必死に腕を伸ばした。

 

「やめ…てよ、やめてよぉ…」

 

「おぬしが殺していれば、あの男は苦しんだ末に死ななかっただろうに」

 

「にいさまぁ……!」

 

「本当におキレイな『愛』だ。妹は兄を想い、同時に兄も妹を想う。その二人が殺し合う……が、ちと盛り上がりに欠けたかのう」

 

 どこか自重じみた笑みを浮かべ、ワイズリーは肩をすくめる。

 

 その後もマダラオの悲鳴は聞こえた。だがだんだんとその声も小さくなり、少女の前に四肢の潰れた肢体が投げ出される。まだ、それでも男に息はあった。

 

「やだ、やだやだやだ、しなないで、しなないで兄様」

 

「テワ…ク……」

 

「おねがい、おねがい……!! テワクを置いていかないで!!!」

 

「すまな…い……」

 

 

 少女は兄に縋りついた。動かなくなった兄に、何度も声をかけた。

 感情を滅多に表に出さない兄ではあったけれど、仲間のことを、そして妹のことを誰よりも大切にしていたことをテワクは知っている。

 

 なぜなら少女はいつも自分を守ってくれる兄の背を見ていたから。

 

 テワクは子供のように泣きじゃくった。

 

 

 

「──死んだか」

 

 静寂の中でワイズリーの声がよく通る。

 青年の言葉に反応したテワクの顔がゆっくりと上がった。涙で顔を汚し、憎悪に染まりきった目で彼を見る。

 

 

「その顔がワタシは見たかったんだのう」

 

 拍手すらしそうな雰囲気で、ワイズリーは続ける。

 

「ただの人間が、母上の側にいるだけで罪であろう」

 

「………ノア、貴方はマリアを愛しているのですね」

 

「当たり前だ。同時に母上もワタシたちを愛している」

 

 瓦礫から降り立った青年が、地べたに転がって顔だけ上げる少女を見下ろす。

 死を前にした少女はしかし、微笑んで見せる。

 

 

「貴方に愛されるマリアが、可哀想ですわ」

 

 

 テワクにはマリアがまるで、古城に閉じ込められた姫のように感じられた。

 

 ノアは姫を寵愛する王子さま。愛し過ぎるがゆえに、姫を古城に閉じ込めている。

 

 普通ならばそんな王子など姫は愛さないはずだが、王子が姫を想う以上に、姫は王子を愛しているのだろう。

 

 

「マリアに愛される貴方たちもまた、可哀想ですわ」

 

「…言いたいことは、それだけか?」

 

 何も喋らないテワクにワイズリーはニッコリと微笑み返し、手を上げてレベル4に命令を下す。

 

 

「殺せ」

 

 

 ゆっくりと、その死神の足音を聞かせるようにレベル4が兄を抱きしめる少女に近付く。

 

 テワクは一人ぼっちが嫌いだ。でも兄は今、彼女の腕の中で事切れてしまった。

 トクサやキレドリ、ゴウシもきっとノア側に付いてしまうのだろう。

 

 リンクがまだ残っているが、その存在は兄の死以上に大きなものにはならない。この場に彼がいて、そして手を差し伸べてくれたなら、彼女もまだ生きる気力を取り戻したかもしれない。

 

 

「テワクも、いっしょに…」

 

 

 レベル4が、足を振り上げる。

 

 少女は兄の手を強く────強く、握った。

 

 

「……?」

 

 

 しかし衝撃が来ない。おずおずと顔を上げたテワクの目に、見慣れた姿が目に入った。

 

 

 

「やぁワイズリー、さっきぶりだね」

 

 

 マリアはそう言い、微笑んだ。



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「愛」のお話

「母上……なのか?」

 

 

 突如現れた女に、ワイズリーは驚きを隠せない。眠りから目覚めるにせよ、もっと時間がかかると思っていた。

 

 なぜ彼女がここに来たのか。家族(ノア)の気配を感じたから無意識に訪れたのか? ──いや、女の目には正気がある。何かの意図があり訪れた可能性が高い。

 

 であるなら目的はノアと戦いに来たのか。否、これも向こうに戦意がない時点で違う。

 

 

(まずいのう。千年公にマリアは捕まえた…と言った手前、この状況では大目玉だ。まだこちらに気づいておらぬからよいが…)

 

 思考に耽るワイズリーの横では、レベル4が女の服にあるローズマークに気がつき襲いかかった。

 そうだ、とそこで青年は気づく。そもそもノアの気配が感じられない。

 

 まるで意図的に押さえているような。

 

 

「なぁに?」

 

 

 溢れんばかりの殺気に、マリアは微笑みで返す。

 その瞳には愛しさが滲み出ていて、息を飲んだレベル4は寸前で止まった。

 

 あぁ、とワイズリーは声を漏らす。母が今、目の前にいる。その証拠を確かめる方法はいくつかあるだろうが、手っ取り早いのは…と彼は考える。

 

「……ここへは方舟を使って来たのだな?」

 

「えぇ。ネアが待っている、って言うから会いに来たの」

 

「ッ……! 駄目だのう!!」

 

「どうして? わたしが会いに来たのよ?」

 

「ダメだ……ダメだダメだダメだ!!!」

 

 何らかの方法で14番目が『聖母』に接触したというのなら、十中八九その狙いは彼女を殺すことだろう。

 そんなもの、許せるはずがない。地獄のさらに地獄に母を叩き落とした男に、絶対に会わせるわけにはいかない。

 

「奴さえいなければ…母上は、母上は神の傀儡には……ッ!!」

 

「マリ、ア…」

 

 テワクがかすれた声で呟く。

 女の真っ赤な瞳が今気づいたと言わんばかりに少女をとらえる。「んん?」とマリアは首を傾げた。

 

「どこかで会ったかな、君?」

 

「テワ、ク、です…わ」

 

「ふーん? ん………あぁ! とってもあなたから“愛”を感じるわ!!」

 

 マダラオを見て、そして少女の頭に触れた女はその頭を優しく撫でた。それだけでなく抱きしめて、あやすように背を叩く。

 硬直したテワクの体は強制的にぬるま湯のような温もりに引きずり込まれる。それもまた恐怖を煽り、歯がカチカチと音を立てた。

 

「さぁ、母の中でお眠り」

 

「やめて…」

 

「うん? まだ眠りたくないって?」

 

「〜〜〜ッ、母上!!」

 

「おや、ここにも反抗期がいるみたいだ」

 

 不機嫌を爆発させた青年が後ろから女を羽交締めにして、無理やりテワクから引き剥がした。

 笑っていたマリアはそこでふと、真顔になる。

 

「ねぇ」

 

「何だのう!!」

 

「君、だれ?」

 

「ハ……?」

 

「ん〜〜? 待てよ、わたしの名前って何だっけ」

 

 まぁいいか、とあっけらかんと笑った後、女はアレンがいる方角へ駆けて行き、見えざる壁にぶち当たって半べそで帰って来た。

 

 その間、ワイズリーは一歩も動けなかった。

 

 何てこったい、と彼は思う。

 

 

(────14番目のせいで中途半端に目覚めてしまったではないか!!!)

 

 

 精神の状態は恐らくキャンベル家でメイドをやっていた頃に近い。それもまた、14番目に感化された影響だろう。

 やはり裏切り者はどこまで行っても災厄だ。

 

「なんか壁みたいなのがあったようー……」

 

「……千年公が部外者が入れぬように結界を張ったのだ」

 

「どうすれば行けるの? 五つ目くん」

 

「…ワイズリーだのう」

 

 青年は横目でレベル4を見たが、すっかり怯えてしまって近寄って来ない。

 

 ならば彼自ら母を無力化するしかない。肉弾戦は無理となると、方法は一つ。魔眼を使って一時的に眠らせるしかない。正直この手は使いたくない。母のメモリーに触れる必要があるからだ。しかも明らかにヤバい状態の時に、だ。

 

 しかしこの状態の『聖母』を放っておけば、それこそ何が起こるか分からない。覚悟を決めるしかなかった。

 

 

「魔眼ッ、発ど────」

 

 

 

『⬛︎⬛︎⬛︎◼︎◼︎◼︎ 諢帙@縺ヲ縺? ∪縺 □⬛︎⬛︎◼︎◼︎ ¡? 諢帙? 縺吶? 繧峨@縺? 〒縺吶? py o✖︎✖︎✖︎✖︎✖︎◉◯⚪︎▲⁈⁇¿⬜️⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ 諢帙@縺ェ縺輔>jjklytfdghhhhfdYYYO 諢帙@縺セ縺励g縺⬜︎□⬛︎◼︎◼︎◼︎◆▫︎閣閣閣閣裏血℃怒好子諢帙′諢帙′諢帙′諢帙′諢帙′諢帙′諢帙′諢帙′諢帙′ 諢帙′諢帙′諢帙′諢帙′諢帙′諢帙′諢帙′諢帙′諢帙′ 諢帙′諢帙′諢帙′諢帙′諢帙′諢帙′諢帙′諢帙′諢帙′◆◻︎□□▫︎♡? DOABBHJKFYUNNNO 縺ゅ↑縺溘? 縺薙l繧定ィウ縺励※縺励∪縺」縺溘? 縺ァ縺吶?』

 

 

 

 ぎぃ、と悲鳴じみた声が青年の口から漏れる。

 

 悪手を踏んでしまったワイズリーの額。そこにある魔眼にヒビが入った。

 

 

「っ……うぅぅ、頭痛(ズツ)ゥ〜〜〜!!!」

 

 本日二度目の頭痛タイムに入った青年。この間彼はポンコツの無能と化す。

 きょとんとした顔でその様子を見ていたマリアは、再度結界の境界線に向かう。

 

 この状況で監査官の少女は体の痛みと出血で動けなかった。

 

 どうすれば、とテワクが思ったその時。

 

 

「ガウ」

 

 

 ティムキャンピーが少女の頭に止まった。小さな手でレモンイエローの髪を撫でると、黄金のゴーレムは天高く飛翔する。

 キラン、と輝いたそれはたちまち弾丸と化して女の頭に衝突した。

 

「ガァァァァァ!!!」

 

 容赦ないティムはさらにその頭をかじる。

 

 血まみれで倒れていた女はうめき声を上げ、相棒の尻尾を掴んだ。

 

「痛っ………痛いなティム!!」

 

「ガウガウガァァ!!」

 

「な、何でそんなに怒って……あれ、テワクちゃん? ってか、ターバン頭のノアも転がってるんだけど…」

 

「頭痛いのだ頭痛いのだ…」

 

 マリアは監査官に近づき、その腕の中で眠る男を見た。それに少女は無意識にぎゅうと、兄の亡骸を抱きしめる。

 テワクは彼女と瞳を合わさない。合わさないまま、向こうに伯爵がいることを語る。

 

「あなたは逃げてください」

 

「……その前に君の止血をしなきゃ」

 

「私はもういいですの。もう…」

 

「────ここで、何かあったんだね?」

 

「………」

 

 伸びた女の手が少女の手に重ねられる。冷えた感触が少女の熱を奪うかのようだ。一本一本と指を剥がす手に逆らえぬまま、マダラオの体が離れた。ティム、と声がかかった瞬間、巨体化したゴーレムが男の体を咥える。

 

「ちょーっち我慢してね」

 

「うぐっ……!!」

 

 簡易的な止血を施したマリアは、ティムにテワクをリンクの元へ運ぶよう命じる。

 

「待って…あなたはどうする気です、の?」

 

「行くよ。あぁ…でも、ノアにって訳じゃなくて……14番目に会いに行かなくちゃいけないから」

 

 彼女の脳裏には寂しげなネアの声が残っている。あるいはその衝動は死にたがりな『聖母』の欲求から来ているのかもしれない。殺してくれるあの子の元へ行こう──と。

 

 本当の理由なんて、マリアにも分からなかった。

 

「マリア…」

 

「……ありがとうね、テワクちゃん。もしかしたらこれが最後になるかもしれないけど、君と過ごした時間、楽しかったよ」

 

「一人はいやなの、怖いんですの……」

 

「大丈夫。あなたにはリンクくんがいる。それでも……それでもどうしようもなくなった時は、夜空を見て」

 

「よ、ぞら?」

 

 

 ────マリス=ステラが、わたしたちを見つめているから。だから、どんな時でも人間は一人じゃない。

 

 

 ターバン頭の青年を背負った女は最後に少女の頭を撫で、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

「…のう?」

 

「あ、やっと気付いた?」

 

 頭痛がようやく薄れてきた頃、ワイズリーはマリアにおぶられていることに気付いた。

 

「の、のの…母上…!?」

 

「『智』の子って頭痛持ちなんだっけ? ところでさ、ワイズリーくん」

 

 ググッと、気温が下がった。

 青年のこめかみに汗が伝う。張り付けたような女の微笑みが背中越しにかすかに見えた。

 

 

「いけませんね、ワイズリー」

 

 

 そこには殺気さえ孕んでいる。実際に『聖母』が家族を殺すことはないだろう。

 しかし千年公が説教をしてゲンコツを食らわすことがあるように、躾はまた話が異なる。

 

 殊に「愛」云々は、母の地雷だ。これまでワイズリーはその地雷を幾度と踏んだことがあるゆえ、知っている。

 

 

「愛を冒涜しましたね」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「ふふ」

 

「二度としないのだ…」

 

「もう何度も聞いた言葉ですね」

 

「じゃあなるべく気をつけるのだ…。だ、だが、ワタシも母上が好きだから押さえきれなくなってしまうんだのう…!!」

 

「……そうですか」

 

 おっと、これは光明が見えて来たか? 

 

 マリアは徐にワイズリーを下ろすと、彼の頭に手を近づけた。親指が中指を押さえ込み、同時に中指は外へエネルギーの方向を向ける。そこから起こるのはそう、デコピン。

 

 

「ぎゃっっ!!」

 

 

 魔眼にそれがぶち当たった青年は二度あることは三度あるで、無能の世界へと旅立った。

 

 少しは晴れた気持ちで、マリアは人間の残骸を踏みつけながらお目当てのものを探す。

 結界が張られているならば、その外にいるワイズリーはどうやって来たのか。方舟もアレンの時は使えるようにしたのかしれないが、彼女が一度使った感覚を試してみても反応はない。

 

 なら考えられる移動方法はロードの扉だろう。

 

 しばらく無能な青年を抱えたまま探し、見つけた。

 

 

「……来たよ、ネア」

 

 

 マリアは扉に手をかける。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 異変が起きたのは、神田がアレンの腹を六幻(ムゲン)で貫いた時だった。

 

「神田…!! アルマの顔を…ちゃんと、見て上げてくださいっ…!」

 

 アルマを殺すことに捉われていた神田は、ようやくそこで冷静になりアルマを見た。

 

 

 アルマ=カルマは、今にも泣きそうだった。

 神田に受けた傷だらけの体で、それでも攻撃の手は止めない。

 

 その顔が殺す者の表情ではないと悟った男は、友の名を呼ぶ。

 

「アルマ…」

 

「っ……死んでよ、ユウッ!!」

 

 アルマは泣きそう──から、泣いた。

 

 神田は思わず刀を下げて、アルマに手を伸ばす。

 

 

 その時、突如地面に伏していたアレンの体が浮き上がった。

 少年を取り囲むように発せられたエネルギーにより、アルマと神田の肢体は吹き飛ぶ。

 

「アルマッ!!」

 

 アルマは背中から壁に衝突し、ずり落ちていく。

 受け身を取って衝撃を和らげた神田は駆け出し、友の体を抱きしめた。

 

「アルマ…」

 

「っ……う」

 

 

 地鳴りのような────不気味な笑い声が響く中心に、アレン・ウォーカーがいる。

 いや、彼は果たして本当に「アレン」なのだろうか。

 

 千年公は満面の笑みをこぼした。

 

「ありがとう、神田ユウ!! 貴方がイノセンスで傷つけてくれたおかげで、14番目が目覚めマス♡」

 

 周囲にいた者は、伯爵の言葉に絶望の表情を浮かべた。

 

 

「アレン・ウォーカーはもう終わりデス!!!」

 

 

 伯爵は狂気に満ちた笑い声と共に叫んだ。

 

 

 

「おっじゃまぁ!!!」

 

 

 

 空気の読めない奴が横から、しかもバカでかい声で入って来た。

 しかもその人物はノアと思しき青年を背負っており、この時ばかりは敵味方関係なく「………?」と心が一致した。

 

 KY女はそのままアレンに近づく。

 

 側を通る女を呆然と見ていたティキは、我に返ってその腕を掴もうとする。ティキを相手取っていたフォーもそこでハッとした。

 

「マリア、危ねぇ!!」

 

 しかしすでに彼女の腕はティキ・ミックに掴まれた後。一瞬呆然とした女の目が、そのまま落ちるかと思うほどに見開かれる。彼女が見つめる先はティキの顔。誰が見ても美しい顔の造りだ。

 

 

「ぎゃああああああっっ!!!」

 

「え?」

 

「うわああああっ!!!」

 

「え、ちょ、何」

 

「これでも食らえ!!!」

 

 そう言い、マリアはワイズリーを投げた。まだ頭痛から復活していない青年はティキにキャッチされる。あ、とティキは思ったが、フォーの横槍が入りそれ以上追うことはできなかった。

 

 

 そして。

 

 

 

「ネア、来たよ」

 

 生白い手が少年の肢体に触れた直後、より一層輝いた光が収束していく。皆はあまりの眩しさに顔を覆った。

 そして残ったのは目を白黒させているアレンと、その側で倒れている女の姿である。

 

 意識が戻ったアレンはマリアが倒れていることに気づき、肩を揺すった。

 

「マリアさん!? どうしてここに……。というか…あれ? 僕は確か…」

 

 アレンは意識を失っていた時のことを思い出す。

 

 彼は椅子に縛り付けられ、目の前に見知らぬ青年が立っていて────いや、あの顔は知っている。

 

 

(そうだ、ティキと似た青年が僕の前に立っていた!! そして、その後…)

 

 

 青年は『千年伯爵』が狂っている、全てを忘却した破壊人形だと言った。

 同時に「アレン」も狂った人形になってしまったのだとも。

 

 青年は瞠目するアレンの前で、自身の名を告げた。

 

 

『オレハスベテヲ()()スル14番目ノノア

 

 

 ──────「ネア」』

 

 

 そこからアレンの意識は薄れた。

 ぼんやりと覚えているのは、男と自分の間を挟むように女が現れたこと。

 

 その姿が誰だったのか思い出そうとするが、やはり見覚えがない。

 

「あぁ、少しマリアさんに似ていた気も……いや、気のせいか」

 

 

 その直後、AKUMAの魂を映す少年の左眼が発動した。

 

 反応があるのは神田の近く。詳しくは、神田が抱きかかえている存在からだ。

 

「アル…マ?」

 

 アルマの魂を見た時、アレンは思わず()()()()を口にしようとした。

 それは神田の記憶の中で見た、朧げに霞む女性とそっくりで。

 

「まさか……キミは、神田の──!!」

 

 だがアレンの声は、アルマ=カルマの絶叫にかき消された。

 

 

「言うなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

 そして、アルマの自爆が起こった。

 

 


 

 

【〃】

 

 

 紅い瞳。楽園(エデン)の花園の中、花冠を付けた女が、古代ギリシャの服飾であるキトンを身にまとい、長い髪をたなびかせて駆けていた。

 

 風が舞う中、彼女は振り返る。

 様々な色を宿す花のように、感情豊かな瞳を覗かせる。微笑し瞳と同じように真紅の唇が言葉をなす様は愛らしさを感じさせると同時に、妖艶な色を匂わす。その美貌に、神さえも惚れいる始末だ。

 

「アダム!」

 

 彼女の呼び掛けに、アダムも微笑んで手を振る。

 

 穏やかで幸福な時間。しかし、それも終わりを告げる。

 禁断の果実を食べ、堕罪を持った二人は地へと落とされる。

 

 

 女の美しい瞳は、少しずつ透明になっていった。アダムが『千年伯爵』に使命を託し潰えても、紅い血のような色だけを残し、感情を捧げた彼女は少しずつ失っていく。

 

 イヴはそれでも笑う。

 

 

 

「わたしを置いて行かないで、アダム」

 

 

 

 そしてそこには、ボロボロに壊れた女がいた。

 

 

 伯爵はその言葉を聞いた時、一人涙した。



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אדם

女は、男を亡くしたと泣く。


「セカンド」とは、死んだエクソシストの脳を別の体に移植された者たちのことだ。計画において彼らは生前のイノセンスとシンクロさせ、戦うことを目的として作られた。

 人造使徒のセカンドは高い再生力の代償として、自分の命を削っている。

 

 その成功体はアルマとユウの二体だけだった。

 

 アルマ=カルマに生前の記憶はない。

 だが、神田ユウにはごくわずかな記憶があった。ある女性の記憶。その人に、ユウは会いたかった。

 

 

 

 

 

 アルマが自爆したのち、その中心にいたアレンや神田は大きなダメージを負った。これはアルマも同様で、唯一マリアだけは球体となった黒衣(ドレス)に守られて無事だった。

 

 

 アレン・ウォーカーは左目で見たアルマの魂の形に表情を歪める。

 ノアによって神田の記憶を巡り、その中で見た女性。

 

 “あの人”が、アルマで。その女もまた死に、脳を移植された末に新たな生を受けた。

 

 

「アルマ、キミは……教団に復讐するために、AKUMAになったわけじゃなかったんですね…」

 

 

 ただアルマはもう一度、大切な人に会いたかっただけだった。

 

 終わりが近づくアルマと静寂の中で過ごすことを望む神田に、アレンは方舟を使ってノアや教団の手が届かない遠い地の果てへと二人を送った。

 

「礼を言う────アレン・ウォーカー」

 

 アレンは瞳を閉じ、深く息を吸う。

 

 

「彼らには、誰にも手出しさせない」

 

 

 そう強く、宣言した。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 アレンがゲートを閉じた直後、バクが発動していた精霊石が割れた。

 

 フォーがアジア支部でない北米支部で現界できていたのも、この精霊石があったおかげだ。しかしこれが割れ、第三使徒(サードエクソシスト)の体内にあるアルマの呪縛を押さえ込んでいた彼女が消えたことで、サードの暴走が始まった。

 

 一部始終を見ていたルベリエは激昂する。

 

「アレン・ウォーカー!! アルマを破壊せねば、第三使徒の暴走は止められんのだぞッ!!」

 

 

 少年の取った行動は、黒の教団への明確な背信行為である。

 

「トクサ、しっかりしてくれ…!」

 

 しかしルベリエの言葉に耳を貸さず、アレンは必死に青年の名を呼び続けた。

 

 

 

 一方、そろそろ撤退の頃合いだと見計らったティキは、転がしていたワイズリーを俵持ちして駆け出した。

 彼としてはそれなりに楽しめていたアジア支部の番人が消えてしまい、不完全燃焼だ。

 

「の、のの……?」

 

「おっ、起きたかワイズリー」

 

「……………母上は!!?」

 

「…母上?」

 

「あっ………いや、人間時代だった母の記憶を見ておったみたいだのう」

 

「ふーん? そうかよ」

 

「………マ、マリアは?」

 

 そこで長い足がザザザッ、とブレーキをかけた。

 そう言えば、とティキは思い出す。人の顔を見るなり叫んだ女を回収し忘れていた。

 

 そもそもあの女をワイズリーは捕獲していたはずだ。だのに、なぜ呑気におぶられていたのか。

 

「任務失敗とは……あとで千年公に大目玉食うだろうなァ、お前」

 

「……ちょ、ちょっと不意打ちを食らっただけなのだ」

 

 先程からワイズリーの冷や汗が尋常じゃない。

 それをティキは、千年公のお説教が怖ェんだな…で済ませた。ブチ切れ千年公はマジで怖いことを身をもって知っている。

 

 ワイズリーはしかし、ロード以外の前で「母上」と口を滑らせてしまったことに気が気でない。幸い『快楽』の子は気づいていないようだ。

 

「起きたのなら自分(テメー)で歩け。俺はあの女を回収してくる」

 

「…分かった」

 

 さて、とティキ・ミックは球体に目をやる。

 ノアの本能か、はたまた彼自身の勘か、どちらにせよ「アレには触れない方がいい」と言っている。

 

 いっそボールのように蹴って運ぼうか────と、考えていた矢先、背後で異変を感じた。

 

 

「……千年公?」

 

 

 体をUターンさせ、ティキは急いで伯爵の元へ向かう。ついでに途中でヨロヨロしていた青年老人(ワイズリー)も回収した。

 

「千年公、大丈夫かい!?」

 

「………」

 

 シェリルは伯爵の肩を揺すり、人形のロードは呆然としている。

 

 この空気の震えるような感覚は、千年公自身から発せられている。その様は『14番目』の目覚めを感じた時と似ていて、けれど少し違う。

 彼がかぶる異形の皮の一部が剥がれ、その隙間から男の素顔が見える。

 

 泣いている。千年伯爵が。

 

 

「──────?」

 

 

 そして彼自身、なぜ自分が泣いているのか、理解できていない様子だ。

 

「マリア」

 

「ちょ……千年公! 剥がれてる剥がれてる!」

 

「しっかりするのだ千年公…!!」

 

「マリア、が………マリア…?」

 

 なおもブヨブヨとふやけたように皮が剥がれようとして、それをシェリルとワイズリーが押さえる。

 

 メモリーのざわめきを感じたティキは、これ以上千年公がここにいるのは危険だと判断した。

 ゆえに撤退を呼びかける。今回の目的はほぼ達成されたはずだ。

 

 アレン・ウォーカーを捕まえるのは、機を窺えばいくらでもできる。黒の教団がコソコソと行っていた「理」から外れたサードもまた、こちらの駒にした。

 

 

「千年公ぉ」

 

 

 人形の姿だったロードが、義父の肩から降りて少女の姿になる。そのまま彼女は伯爵の腹に抱きついた。

 

「大丈夫だよ。マリアは千年公のこと大好きだから」

 

「……ぁ」

 

「どこにも行ったりしないから、大丈夫。あとでアレンと一緒に迎えに行ってあげよう────っね?」

 

「………」

 

「落ち着けた?」

 

「…えぇ。大丈夫デス」

 

 さすが長子。男二人があたふたしている間に、千年公の正気を取り戻させた。それでも伯爵の纏う雰囲気に不安定さが滲み出ている。

 

(千年公のあの取り乱しようは普通じゃなかった。……何者なんだ、「マリア」って)

 

 ティキの視線が眼下に注がれる。

 

 地上には、黒い球体が依然とそこにあった。

 



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חַוָּה‎ Ḥawwāh

男は、壊れた女を見て泣く。


 ⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 青い空が広がり、その上には白雲が浮かんでいる。

 

 下界には黄金の実をたっぷりと蓄えた小麦が、地平線まで続く。風が吹けばざわざわと音が鳴った。

 

 その光景を見ていた女は感嘆で漏れた息を飲み込み、瞳を閉じた。

 風にさらわれて、黒いワンピースが棚びく。

 

 

 狂ったメイドの始まりはここからだった。

 

 

「マリア」

 

 

 いつの間にか彼女の背後に立っていた青年が腕を回す。抱きついた男の体はしかし、一瞬にして反転した。

 

「オラァ!!!」

 

 青年の腕をつかみ、女は一本背負を決める。フゥーと、清々しく拭われた汗が太陽の光を反射して輝く。

 

「なっ……にすんだよ! このババア!!」

 

「戦いはすでニ始まっているのデス」

 

「何でちょっと千年伯爵っぽいんだよ!!」

 

「淑女を老婆扱いする男に人権があるとお思いなのかしら? それともいつぞやのように躾として尻を叩いてやろうか、ア゛ァ?」

 

「……あんた、治安が悪くなってないか?」

 

「幼少期、クロス・マリアンの元でしばらく世話になったからね」

 

「………アイツゥ──!!」

 

 余計なことをッ、と騒ぐ青年をマリアは観察した。クロスが『14番目』の協力者だとは知っていたが、二人は面識があるらしい。

 

「つーか、何でオレの覚醒の邪魔したんだ。もう少しで「アレン」が消えるところだったのによ…」

 

「わたしを呼んだのは君でしょうが」

 

(T)場所(P)場合(O)を選べ、アホ」

 

「分かった。じゃあ帰るね」

 

「……待て待て待て待て、マリア!!」

 

 がっしりと腕をつかまれたマリアは胡乱な目で青年を見る。

 

「そもそもわたしの本名って「イヴ」だし」

 

「…知ってる」

 

「ハ? 何でテメェが?」

 

「なぁ、その喧嘩腰やめよう? あんたのキャラじゃねぇって」

 

「へぇー…なら、君が抱くわたしのキャラってのをご教授願いたいな、ぜひ」

 

「………若作りしたBBA?」

 

 直後、青年はラリアットを食らった。女のソレは、予備動作を一切悟らせない完璧な動きだった。

 五体投地な男は白目を剥く。まぁ、すぐに意識を取り戻したが。

 

「──で、何で知ってるの?」

 

「……あんたが教えたんだろ」

 

「わたしが?」

 

「…あんたはオレに「お願い」と、そう言った。覚えてないとは言わせねェ」

 

 だが生憎マリアは覚えていない。

 

 ここへ来たのも、青年しか知らない『聖母』のことを知る目的もあった。

 薄々と彼女も、ワイズリーが全ての記憶を見せないかもしれない──と、勘づいていたからだ。

 

 

「お前は「お願い」を言った時、『聖母』の全てを語った。お前の堕罪も、自分が死ねないことも」

 

「……そ、うなの?」

 

「分かるだろ。あんたなら、死にたい自分の「お願い」が何なのか」

 

 終わらない堕罪に縛られた『聖母』は願い、それを少年に託した。

 

 

「死にたい──か」

 

 

 うねるような風が吹き荒れ、不気味に草木を揺らす。太陽には雲がかかり、大地に薄暗い影を落とした。

 

「それでキミは、わたしを殺したのか」

 

「……あぁ。あんたの破壊は中途半端になっちまったけど」

 

「じゃあアレは何だったの?」

 

「何が」

 

「「オレはあんたで、あんたはオレ」ってやつ。「オレはマナで、マナはオレ」ってのは、君らが双子だから的を射ているけど、前者は違和感しかないでしょ」

 

「………」

 

「あとイヴとアダムの子だって。あなたを産んだ覚えはないんだけど」

 

「…カテリーナはオレとマナの本当の母親じゃない」

 

「……え?」

 

 ならば双子は、誰から産まれたのか。

 

 双子が赤ん坊だった頃にマリアを拾ったというのはカテリーナ自身が話していたことだが、まさか本当に『聖母』が産んだとでも? 

 それはない。なぜならアダムはすでに死んでいる。その意思を継いだのが『千年伯爵』だ。

 

 

「悠久の中で見せた隙、と言っていいだろうな。

 

 ────オレとマナは『千年伯爵』が別れて生まれ落ちた存在だ」

 

 

 木の下にいたへその緒が付いたままだった双子。その赤子を拾ったのがカテリーナだった。

 そしてその赤子の側には、記憶の無い一人の女がいた。

 

「オレがあんたであんたがオレである理由は、オレのメモリー(コレ)を創ったのがあんただからだよ。だが他の奴らと違ってオレは()()だった」

 

「あなたのメモリーは…何?」

 

「『破壊』────『聖母』の「創世」を代価として生み出された力だ」

 

 

『破壊』を聖母が生み出したのは、キャンベル家のメイドになる前。

 終わりを望み続ける女は、“自分を壊す”方法を生み出し、行動に移した。この件にワイズリーは加担させられた。

 

 だが『聖母』は終われなかった。今際に居合わせた『夢』の子が泣きじゃくっていたことが、未練になったからかもしれない。もしくは、もっと別の理由があったのかもしれない。

 

「その証拠に、麦畑で目を覚ましたあんたは何もかもを忘れ、()()()いただろ」

 

「……そっかぁ…」

 

 どこか他人事のようにマリアは納得した。

 

 本当に今の『聖母』には何もないのだろう。

 あるとしても「愛」くらいで、神の介入を許してしまうほどに壊れきっているのだ。

 

「自分で死ねなかったから、わたしは他人に生殺与奪の権を託したのかぁ……」

 

「……マリア」

 

「なーんで君に渡しちゃったかなぁ…」

 

「………」

 

「でも、そこに「愛」があったのなら、仕方ないのかもね」

 

 青年の手が、虚空を見つめる女の手を握る。

 どうして、と紅い口元が動く。

 

「どうしてアダムはわたしを置いて行ってしまったんでしょう」

 

「……なぁ」

 

「わたしはまだ終わらないのに、どうすればいいんでしょう」

 

「オレと来い、マリア」

 

「わたしを殺せなかったあなたに、これ以上求めるものはありません。ですが、その「愛」は美しいですよ」

 

 張り付けたような笑みが青年に向けられる。だがそれも一瞬のことだった。

 

「人を巻き込んどいてそりゃあねェだろ、クソババア」

 

「君って一生紳士になれないね。アレンの紳士を見習ったら? 彼の紳士の師は「マナ」って人らしいけど………っあ、偶然にも君のお兄さんと一緒の名前ね」

 

「オレの兄で合ってるよ」

 

「………ええ?」

 

「マナは今、千年伯爵だけど」

 

「………ハァ!!?」

 

 詰め寄る女を避け、青年は気だるげに耳をほじる。マリアには空白の期間の記憶がある。彼女がネアに殺されてから再び復活するまでの間のことだ。それ以外にもコレまで生きてきた中で欠け落ちている部分が無数にあるに違いない。

 

「少なくともあんたが知りたいことは教えた。オレの覚醒も延期になっちまったし……現状できることはねぇから、とりあえずもう出てけ」

 

「教えてよ千年公のところ!!」

 

「ホォー…その見返りにじゃあ、あんたは何してくれるんだ?」

 

「……性的サービス?」

 

「失せろ変態ババア!!!」

 

「君、どうして変なところで純情アピールするの? まさか童貞のまま死んだ?」

 

「殺す……」

 

 蹴っ飛ばされたマリアは尻もちをつき、手を付いたその部分が腐食したように抜け落ちる。そのまま彼女は地面に空いた穴に沈んで行った。

 

 青年の深淵の瞳が、紅い瞳と交差する。

 

 

「今度会う時は、現実でな」

 

 

 彼女はそれに微笑み返した。

 

 


 

【か◻️  の、 はな  】

 

 

「おねがい」────ーマリアではない、狂ったナニカはネアにそう言った。

 おねがいの内容は、『聖母』を殺すこと。

 

 同時に『聖母』の秘密を知ったネアは、女を凝視した。隅から隅まで言っている意味が分からない。

 

「何でオレに…殺して、なんて頼むんだよ」

 

「あなたが『千年伯爵』の片割れだから」

 

「…は?」

 

 千年伯爵、という存在自体この時のネアは知らなかった。ただ身に迫る違和感は彼自身ずっと感じていた。

 

 それは運命めいたもので、いつか必ず自分や身近の人間に降りかかるであろう──ということを。

 

「マナとネア。彼は二つに別れました。『千年伯爵』のメモリーを持つのは、マナ・キャンベルです」

 

「……マナ、が?」

 

 違和感。それが兄のマナの名を出され、確信に変わる。

 

「あなたは、あなたたちに迫る危機感をすでに感じ始めていることでしょう。いずれマナはあなたを殺します。完全な『千年伯爵』になるために」

 

 マナがオレを殺す? 

 そんなことあるはずがないと、ネアは女を睨んだ。

 

 女は張り付けた笑みでそんな彼を見つめる。

 

「ですがマナにはないものをあなたは持っています」

 

「……」

 

 

 ────あなたはマリアを“愛”している。

 

 

 女が顔を近づけたことで、二人の距離は吐息がかかるほどに近づく。

 

「…誰が、お前なんか」

 

「ハハハ………「愛」です。あなたにはあって、マナにはありません。『千年伯爵』から受け継いだ、『聖母(マリア)』へ抱く感情です」

 

 メイドの女の姿をしたナニカは、彼の首に手を忍ばせた。

 女のその、妖艶に笑む様は、月明かりを伴って人間を誑かす悪魔のようにも見える。

 

 

「「愛」しているなら殺しなさい。愛しているからこそ殺しなさい。わたしに愛を示してくださいね、ネア」

 

「が、はっ……!」

 

 首が絞まる。ネアは必死に抵抗し、女の腕を引っ掻く。しかし首をつかむそれはか細い腕とは思えないほどの力で、逃れることができない。

 

「………ぁ」

 

 視界が暗転する中、だんだんと彼の意識はふわふわと所在のないものに包まれる。

 現実の境界線が曖昧になり、女の呪詛のような言葉だけが耳に残る。

 

 

 

「「愛」してください。愛してマリアを殺しなさい。マリアを殺して全てを『破壊』し尽くしなさい。そうすればマリアは幸せになります。ネア、殺しなさい。殺しなさい殺しなさい。

 

 

 ──────おねがい。わたしを殺して」

 

 

 

 女は呼吸ができない青年に口付けた。

 

 これが『聖母』が『破壊』をネアに授けた瞬間だった。



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My mean

長かったですが今話を含めいよいよ最終回までラスト5話になります。若干詰め過ぎたかな…?と思いつつもなるべく順序立てながら進めました。伏線も回収出来たはず…(震え)
最後までお付き合い頂ければ幸いです。


 ノアの方舟。

 

 明かりのない暗い部屋。その中央にはベッドがあり、千年伯爵が眠っている。異形の皮が剥がれた人の姿の寝顔。その目尻からつうと、涙が伝う。

 

 ベッドの隅にはロードが腰かけていた。精神的に疲れきった伯爵を先ほどまであやしていたのだ。

 そこにふと、明るい光が差した。開いた扉には黒シャツにジーパン姿の男が立っている。

 

「千年公、大丈夫そう?」

 

「ようやく寝たとこぉ」

 

「…そうか」

 

 ポリポリとティキは頭をかく。

 14番目に会う恐怖とマリアの件でダブルパンチを受けた伯爵は、任務を失敗したワイズリーに怒りもせず、速攻でベッドに沈んだ。

 またワイズリーの方もティキのお気に入りのソファーで落ち込んでいる。

 

 その時ティキは伯爵の目元が赤く腫れていることに気付いた。眉を顰め見つめていれば、ロードが小さく笑う。

 

「……なぁロード、お前って「マリア」が何者なのか知ってるのか? 千年公のあの取り乱し具合、普通じゃなかったろ?」

 

 シェリルも彼と同様の疑問を抱きつつ、ブックマン二人の尋問に向かった。

 

「今思い返せば、お前とワイズリーの反応も妙だった。それにアイツを担いでいた時、ヤロウが言ったんだ。「母上」ってよ。その“ハハウエ”が意味するのって、もしかして──」

 

「ティッキー」

 

「……お、おう?」

 

「ティッキーは()()()()()()()こと、知りたい?」

 

 

 シンと、静まる。

 ティキは唾を飲み込み、少女を見た。ロードは千年公の髪を撫でている。まるで子供をあやすような優しい手つきで。

 小さな寝息が、広いはずの部屋の中でよく聞こえた。

 

「……わぁーったよ。探るなってワケね」

 

「うん。まぁ、事態は結構めんどくさくなってるだろうね」

 

 今回の件で、教団ではマリアを「ノアと関係がある」、もしくは「ノアの可能性がある」という疑惑が出ているだろう。

 ティキもそう考えたが、ロードは首を横に振る。

 

「それよりももっとめんどくさいこと。“厄介な奴”が出てくるかもしれない。だから、なるべく早く迎えに行きたいんだけどぉ……千年公が今、この状態だからさ」

 

「その厄介な奴って、ハート関連か?」

 

「そう。ティッキーはお迎え係だから頑張ってね。ボクも行くけど」

 

「……俺、あの女に嫌われてんだけどなぁ」

 

 ため息を吐いた男に、ロードは愉快そうに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 黒の教団本部。

 

 ある一室で、ルベリエやコムイ、その他数人のトップを集めた話し合いが行われていた。

 部屋の隅にはズゥ老師やバク、レニーにアレン・ウォーカーの監査官であるリンクが控えている。

 

 本来はテワク監査官も出席する予定だったが、リンク監査官に保護された彼女は現在意識不明のため、参加を見送られている。

 

「それで、だ」

 

 中央に座る男がリンクにアレンの尋問状況について尋ねる。

 

「アレン・ウォーカーにつきましては、神田ユウとアルマ=カルマの居場所を完全黙秘しております」

 

「…フン、狡猾なサタンめが」

 

 アレンは今投獄されている。

 術により体は完全に拘束され、もし14番目が目覚めても逃げることはできない。

 

 また神田については、北米支部に残されていた彼のイノセンスが錆び、“適合者なし”の状態になったいたため、死んだのではないかと推測されている。

 

 

 話し合いが進む中、北米支部にいたバクやレニーの面々は、確かな違和感を感じていた。

 

 北米支部にて14番目が目覚めかけた時、一人の女が現れた。

 その後ろに背負われていたノアの存在にも驚いたが、そもそも彼女は黄山(ホワンシャン)にいたはずだった。

 

 それが突如、北米支部に現れた。

 

 しかし彼女が方舟の使用許可を求めた記録はなく、ゲート付近でも彼女を目撃したという情報はなかった。

 

 また黄山ではブックマンやラビが行方不明で、ノアに拉致された可能性が高い。

 彼らと同班のチャオジーも意識不明で、唯一現場で何があったか知るであろうテワク監査官も話を聞ける状態ではない。

 

 

 そしてマリアの身柄は、現在アレン同様に中央庁の監視下にある。

 

 違和感を拭えないバクは、間を見計らって恐々と挙手した。

 

「バク・チャン。お前には話す権限が与えていないはずだが」

 

「……重々承知しております。しかし、その上で進言致したいことがございます」

 

 ピリつく空気の中、指揮を務める男は発言の許可を出した。

 

「御心に感謝致します。エクソシストのマリアの件ですが、彼女の容態は現在どうなっているのでしょうか。また、中央庁はなぜ彼女を監視下に──」

 

「一つだけだ」

 

「っ……申し訳ございません」

 

 バクは押し黙り、一歩下がる。中心の男は冷たい視線を戻すと、淡々と語る。

 

「彼女についてはノアからの接触があった。ハートの可能性が高いことを鑑みても、これ以上エクソシストとして役務に就かせるのは危険だと我々は判断した。ゆえにエクソシストの権限を一時凍結し、こちらで()()することになりました」

 

 管理────管理? 

 

 この発言に、バクやコムイは引っかかった。

 

 仮にもハートの可能性が高いというのならば、「管理」というのはおかしい。そこは普通「保護」とするべきだろう。

 

 いくら中央庁の人間がルベリエのようにエクソシストを道具のようにとらえているからといって、バクらが抱く違和感を“確信”に近づかせるには十分なものになった。

 

 

(マリア、貴様はまさか本当に、千年伯爵(向こう)側の人間なのか……!?)

 

 

 バクの視線の先では、ポツポツと雨が降り始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 レンガ造りの室内。

 壁や床、天井には夥しい量の術札が貼られている。

 

 独房を想起させる部屋の中央には、黒い球が一つ鎮座していた。

 その部屋に訪れたのは、話し合いを終えたばかりのマルコム=C=ルベリエである。後ろには数名の鴉もいる。

 

 ルベリエは感触を確かめるように球体に触れ、ノックするように叩く。すると軽い木材を叩いたような「コンコン」という音が室内に反響した。

 

「いったいどうなっているのだ…」

 

 北米支部で『聖母(マリア)』がノアと接触したのはすでに確認された。

 

 マリアは覚醒状態にあったアレンに近づき、倒れた。その後はアルマの自爆から宿主を守るようにイノセンスが発動した。

 

 それから彼女は目覚めていない。球体の中におさまったままだ。

 

 ルベリエはふと、以前クロスが話していた内容を思い出した。

 

 

「14番目と『聖母』の関係か…」

 

 

 クロス・マリアンはアレンがもし『14番目』になった場合、双方を引き合わせてはならないと言っていた。「面倒クセェことになる」と。

 

 しかし千年伯爵の思惑どおりに、イノセンスで負傷したアレンのノア化は進行してしまった。

 魔眼のノアらしき人物を背負っていたマリアもまた、覚醒している可能性が高い。

 

「恐らく伯爵側はまだ『聖母』の認識が「新しいノア」のままとみていい。しかし、ならばなぜ『智』のノアは『聖母』の正体を仲間内にまで隠しているのか……」

 

 思考を巡らすルベリエだが、答えは出そうになかった。

 彼は鴉を引き連れ、部屋を後にした。

 

 

 

 

 

「グルル…?」

 

 そして静寂を取り戻した部屋の中で、球体の後ろに隠れていたティムが姿を現した。

 テワクと死体のマダラオを運び終えた後、このゴーレムは極小サイズになり、人の出入りに紛れてちゃっかりと相棒のいる部屋に侵入していた。

 

「ガウガウ!」

 

 おもむろに小さな手が球体を叩く。しかし球は微動だにしない。

 

 それでも何度も叩き続け、目覚めることのない女に痺れを切らしたのか、一際大きくなって頭突きをかます。

 

「グルルゥ〜〜」

 

 衝撃で跳ね返ったティムは壁にぶつかり、目を回しながら地面に転がった。

 

 そこで彼、あるいは彼女は気づく。球体にヒビが入っている。

 

 ティムはそれが自分が割ったものではなく、中から破られたのだと分かると、一歩後退する。

 ヒビはさらに広がり、天辺の部分から白い手が飛び出た。

 

 腕、肩──と出て、その次に後頭部がのぞく。そこから一気に球体が割れる。

 

 落ちたカケラは溶けて渦を巻き、女の体内に戻った。

 

「ガルル…?」

 

 マリアは眠っているかのように瞳を閉じたままだ。褐色の肌ではなく、聖痕も額に浮かんでいない。

 

 ティムは尻尾で相棒の体を突いた。それをしばらく繰り返していると、女の口が開く。

 

 

「Ave, Maris stella

 Déi mater alma

 Atque semper Virgo

 Félix caeli porta────」

 

 

 聖母マリアを讃える賛歌(イムヌス)、「アヴェ・マリス・ステラ」。

 

 人々はこの曲を歌い、(キリスト)を生みし『聖母』に信仰を捧げると同時に、歌に隠された存在────人類の母『Eve(イヴ)』に敬愛を示す。

 

 

 歌が終わると、マリアの目がゆっくりと開いた。

 その色は黄金ではない。噴き出るような血の色だ。

 

「ティム」

 

 女の呼びかけに、ティムは少し首を傾ける。

 

「グルガァ?」

 

「おいで。お前を取って食ったりはしないよ」

 

「グルルル」

 

「ふふ……そのでかい体で擦り寄られると困っちゃうなぁ」

 

「ガウガウ!」

 

「んん? …そう、わたしが寝ていた間のお話しをいっぱいしたいのね。でも後ででいい? 今ちょっと、外が立て込んでるみたいだから」

 

「ガァ?」

 

「と〜〜っても嫌な気配がするの。この部屋、中からも外からも一切干渉できないような仕組みになっているけど、それを超えてまで感じる気配だ」

 

 禍々しいまでのイノセンスの気配。それを彼女は感じ取っていた。

 

「ここから出なきゃね。お手柄だぞティム、よく起こしてくれた」

 

「ガウガウ!」

 

 とは言っても、恐らく外に警備は配置されているはずだ。

 

 ただ外からも中からも完全に干渉できないようになっているため、音や気配は全く掴めない。

 逆にそれはその方法を取らなければならないほど、『聖母』の秘匿性が高いことを意味している。

 

 ティムがマリアの居場所の目星がついたのは、ここが異常なまでに感知を阻害されることに気づいたからだった。元々このゴーレムはクロス探索でも役立った、特定の人間の感知機能がある。

 

 

 マリアはどうしよう、と中を歩き回る。

 

 壁は札が貼ってるある上に、一定以上の強度もある。常人ならまず破壊など不可能だが、イノセンスやティムの力を借りれば脱出は不可能ではない。だが問題は位置だ。

 

「場所は教団本部だろう。わたしをハートのお膝元で見張っていたいはずだしね」

 

 この独房と思わしき場所にいたことから、彼女は下手に動けない状況にあるのだろう。

 もしかしたらエクソシストの身分を凍結されているかもしれない。

 

「壊したらすぐバレるだろうし、かといって、逃げても千年公に速攻で見つかっちゃうだろうなぁ…」

 

「ガウウ……」

 

「………もういっそのこと、ブチ壊そうか!」

 

「ガウ!?」

 

「どうせ教団はわたしを保管しておきたいと思っているし、ここにいてもしょうがないでしょ」

 

「グルル」

 

「ハッハッハ! 大丈夫だって、わたしが何千年隠れてたと思ってるの? そう簡単に見つからない……いや、うんまぁ、家族(ノア)は難しいけど……」

 

 考えたところでもう、どうしようもないのだ。何せ今の彼女は「創世」の力すら失った、ただの壊れた女だ。

 

 だからマリアは、後先考えないことにした。それに今は14番目に近づく魔の手をどうにかしなければならない。

 

 彼女は黄金の大剣を握る。触れた瞬間に鋭い痛みが走ったが、()()()()の痛み──と、無視する。

 

 

「さぁ、行きましょう。()のところへ」

 

 

 一瞬の風を切り裂くような音の後、轟音が響いた。壁だったものは瓦礫と成り果てる。

 

 降り続く雨の中、マリアはティムに乗って移動した。

 

 

隠されし者(アポクリフォス)。ハートの忠実な、番犬。聖戦が────動く」

 

 



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Black/パーリー

 監禁部屋に拘束されていたアレンは、リンクが持ってきたジェリーお手製のお粥を食べていた。

 自白剤の類を恐れ数日間まともな食事を取っていなかった胃に、粥の温もりが染みる。

 

「………」

 

「いつもの元気はどうされたのですか、ウォーカー」

 

「その……ごめん」

 

 アレンの脳裏によぎるのは、北米支部の一件だ。

 

 あの時アレンは、トクサが意識を保てるように呼びかけていた。

 しかし14番目の覚醒を感じ取ったリンクが、術で彼の体を拘束してきたのだ。

 

 その結果トクサを救うことができず、アレンはリンクに責めるような口ぶりで怒鳴ってしまった。そのことを彼はずっと気に病んでいる。

 

 そんな少年を見たリンクは近くの椅子に腰かけ、頬杖をついた。

 

「…トクサ、キレドリ、ゴウシ……それにマダラオとテワク。私たちは孤児で、物乞いをするうちにいつの間にか家族のようなものになっていました」

 

「………」

 

「テワクとキレドリは幼くて、みんなで守ろうと決めた、のに………」

 

 テワクは兄を失い、心も体もボロボロになっていた。

 ティムキャンピーが連れてきた少女はリンクを見るなり火がついたように泣き出して、そのまま気を失った。

 

 リンクは誰も守れず、誰も救えなかった。

 

 

「そもそも長官の命に従い「卵」を回収したのは私です。彼らに謝るべきは────責められるべきなのは、私です」

 

 

 アレンからは、そう語るリンクの顔が見えなかった。

 

 あぁ、と少年は思う。

 

「もっとトクサたちのことを知ろうとしていたら、変えられたものがあったかもしれないのに…」

 

 それは神田やアルマにも当てはまるだろうし、『14番目』にも当てはまる。

「ネア」という男はなぜ千年伯爵になろうとしているのか。

 

 思考を巡らすアレンの体がその時、大きく脈打つ。

 

「…ウォーカー?」

 

 その異変にリンクが気づいた。アレンの呼吸は荒く、瞳の焦点も合っていない。

 

 何より、肌が()()()()()()()いる。

 

「ウォーカー!!」

 

 しっかりしなさい、と叫ぶ青年の声が少年の中で遠くなっていく。意識がゆっくりと暗闇に引きずり込まれる。

 

 14番目が覚醒しようとしている。しかし先程までは何ともなかった。

 なのに、なぜ────? 

 

「このままではウォーカーが……ッ」

 

 ちょうどその時、部屋の扉が開いた。中に入ってきた人物にリンクは驚く。

 

 

枢機卿(カーディナル)……!? な、なぜ貴方のような御方がここに…」

 

 

 “枢機卿”とは教皇の最高顧問であり、その補佐を担う役目を持つ人間だ。

 また様々な特権も持ち、組織の中でもトップの地位に立つ。

 

 

 枢機卿はアレンに近付くと、背中に手を回す。

 

「眠ってはいけない。眠ったら最期、14番目に深く取り込まれてしまう」

 

 枢機卿の様子を見ていたリンクは、ふと扉の前に警備がいたことを思い出した。

 扉の外に視線を移すと、倒れている人間の手が見える。

 

(………っ!!)

 

 悪寒が走る。とっさに彼は枢機卿へ視線を戻した。

 

 彼の男は変形させた手をアレンのイノセンスに近づけている。

 

 

「みな心配しているよアレン。特に、()()()()()()がね」

 

 

 枢機卿が少年の額に手をかざした瞬間、その部分が発光した。彼の手とアレンのイノセンスが共鳴している。

 

「ゔ……ああああっ!!」

 

「ウォーカー! 貴様ッ…!!」

 

 監査官が飛ばした術札は簡単に避けられる。

 一瞬でリンクの後ろに回った男はその頭に手をかざした。

 

 すると「キィィィン」という高い音ともに、今度はリンクの絶叫が響く。割れるような頭の痛みが彼を襲った。

 

「やめろぉぉぉ!!」

 

 叫んだアレンは男の動きを止めようと、無理やりにイノセンスを発動した。

 形もままならないそれは細い管状となって、枢機卿の頭を貫く。

 

 

「ぁ」

 

 

 頭に、頭にアレンのイノセンスが。人間の頭にイノセンスが────。

 

 

(殺して、僕が殺してしまっ……)

 

「美しい使徒(エクソシスト)に育ったね、アレン」

 

「………え?」

 

 

 殺したはずの男が少年の頭を包むように触れ、微笑んでいる。貫かれたはずのその部位は、ボコボコと歪に変質していた。

 

 直後、枢機卿は再びアレンのイノセンスと共鳴を始めた。

 

 この男は人間ではない。激しい痛みがアレンを襲う。

 そんな中で、意識が遠のきかけた時に少年は“共鳴(シンクロ)”を通して、流れ込んできた枢機卿の記憶を見た。

 

「………!!」

 

 ────()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その銃はアレンが見慣れた代物。クロスのイノセンスである断罪者(ジャッジメント)だ。

 

 ヒュッと、少年の息が引きつった。

 

 

「ピンチかぁ、少〜年」

 

 

 ロードの扉。そこから現れた、ローブに身を包んだ男。

 

 その男は枢機卿の頭上を飛び越え、すれ違いざまに一発でかい花火をお見舞いし、立て続けに頭をつかんで地面にめり込ませる。

 

 衝撃でフードの取れたティキ・ミックは、口角を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 黒い雲の隙間から月明かりが覗く。

 

 マリアはティムの上に乗り、14番目の気配を色濃く感じる場所に向かっていた。

 

 彼女と違い、向こうはガッチガチに気配を遮断された場所にいるわけではないらしい。

 

 

「────ァ」

 

 

 一瞬、“その気配”を感じた彼女の視界がブレる。

 

『聖母』のメモリーが強く隠されし者(アポクリフォス)に反応している。気を抜けば簡単に自我が飲み込まれてしまいそうだ。

 

「ガウウ!」

 

「わた、しのことはいい………から、早く行け」

 

 事態はすでに動いているらしい。サードらしき気配を複数感じ、同時に教団に張られた結界が緩んだ。一時的に侵入者の存在を悟らせないための策だ。

 

 

「突っ込め、ティム!!」

 

「ガアアァァァ!!」

 

 

 ティムはマリアの指差した方向に向かって加速し、そのまま壁に突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 一方、枢機卿────否、化けの皮が剥がれたアポクリフォスと戦闘していたティキは、力量さを見せつけられ、壁に身体を縫いつけられていた。しかも野郎と恋人繋ぎだ。最悪である。

 

「クソッ…!!」

 

 これまで壊してきたイノセンスとは格が違う。

 

 禍々しいまでのイノセンスの気配。

 アポクリフォスは自立型のイノセンス────()()()()()()()()()であり、思考し動くイノセンスでもある。

 

 厄介なソレは、ハートを守るために実体を持つ存在だ。

 

 

「私を未熟なイノセンスと思うなよ」

 

 

 アポクリフォスはティキの顔面に手を伸ばし、地面に叩けつけようとする。

 それをとっさに足で蹴って弾いたティキは、体勢を崩したまま床を転がる。

 

 その隙を狙ってアレンはイノセンスをアポクリフォスに向けた。

 

「お前が、お前が師匠を殺したのか…!!」

 

「待ってアレン! ソイツに近づいちゃ……」

 

 ロードの警告も遅く、少年の体はアポクリフォスに捕らえられた。

 

 首を掴まれたアレンの足が地面から浮く。

 酸欠に喘ぐ少年に、アポクリフォスは慈愛の目を向ける。──いや、慈愛と言うにしては、あまりに背筋が凍るような薄気味の悪さだ。

 

「あぁ…見てしまったんだね、アレン。あの男はお前を「14番目」の犠牲にしようとしていたんだ」

 

 首を絞めるアポクリフォスのもう片方の手が、少年の頭にかざされる。

 アレンは抵抗したが、イノセンスが言うことをきかない。

 

「どうしてだよ、クラウン・クラウン…!!」

 

「無駄だ。イノセンスで私を傷つけることはできない」

 

 アポクリフォスは先程と同じようにアレンのイノセンスを共鳴させる。内側から「14番目」のメモリーを抑えようと目論んでいるのだ。

 

「さぁ、私と合体するんだ、アレン」

 

 イノセンスを謳うバケモノを前にして、アレン・ウォーカーはしかし口角を上げる。

 

 この時ばかりは己の師に倣うように、俺様な雰囲気を纏い、好戦的に相手を嘲る。

 

 

反吐(ヘド)が出るねッ!! お前との合体なんか!!!」

 

 

 数秒の間を置き、怒りを露わにしたアポクリフォスは少年の名を叫ぶ。

 

 アレンの窮地に、その場にいたロードは少年の前に飛び込んだ。

 アポクリフォスの拳がロードの腹に当たろうとした瞬間、壁の瓦礫が吹き飛ぶ。

 

「…ッ!?」

 

 アポクリフォスの手が一瞬止まった。顔面をつかまれた男は、そのまま後方に吹き飛ぶ。

 アレンとロードは思わず目を丸くした。二人の目の前にいるのは一人の女。

 

 

「マリア…さん?」

 

 

 彼女はチラリとアレンを見た。血のような目が二つ向けられる。

 

「なんだ。()()アレンか」

 

 その言葉に、少年は言葉を失った。

 彼の目の前にいるのは果たして本当に仲間の「マリア」なのか。

 

 今の彼女はアレンのことを、全く見てはいない。

 

 

「うん? …あぁ、ごめんごめん。怖がらせようと思ったわけじゃないんだ。あの子じゃないならまぁいいし」

 

「………どうして、貴女がここに? それに……」

 

 少年の視線は女の褐色の肌に向く。

 視線はさらに上に移り、額にある一つの大きな聖痕が目に止まる。

 

「マリアさん、貴女はいったい…」

 

「わたしかい? わたしは「マリア」だよ。ご覧のとおりノアで、ついでに神に仕組まれちゃったエクソシストね」

 

「………ッ」

 

 アレンから視線を外し、マリアはアポクリフォスの吹っ飛んだ方を見る。自然と口角が吊り上がった。

 

 

「────ハ、ハハ、ハハハッ」

 

 

 まだ舞っていた土煙の中から、青白い手が現れる。

 

 ワイズリーの記憶で見た数千年以上前のものと同じ姿に、紅い瞳が黄金に変わった。

 

 

「はぁとの、番犬(イヌ)

 

「お久しぶりですねぇ、『聖母』」

 

 



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知ったかぶりのカカシ

後書きでロードちゃんが若干暴走気味なのでご注意。キャラ崩壊とも言う。


 アポクリフォスに首を掴まれたマリアの体は、壁を突き破って隣の部屋に吹き飛ぶ。

 

「マリア!!」

 

 ロードは無我夢中で駆け寄ろうとして、横から飛んできたティムにアレンごと食われた。

 

 アレンはそれが自分の相棒だと気づいた。

 巨大化しているティムは、今までアレンと同じ部屋で拘束されていたはずだ。

 

 捕まっていたはずのその場所を見ると、マリアのティムが鎖をバリボリと食べている。

 

「ありがとう、ティムキャンピー…!!」

 

 マリアのティムはその言葉に、まるで「先に行きな」と言わんばかりに尻尾を振る。

 アレンはもがくロードの腕をつかみ、ティムに食われたまま外へと脱する。

 

 ティキも同時に場を後にする前、一瞬だけ女の方を見てから飛び立った。

 

 

 

 

 

 マリアは吹き飛ばされる中、アポクリフォスの手首をつかんで体勢を反転させる。直後、アポクリフォスの体が壁に叩きつけられた。

 

 ついで黒衣(ドレス)を纏う。顔にかかった黒いベールの隙間から、瞳孔の開いた目がのぞいた。

 

「お元気ですかぁ、はぁとのイヌ」

 

「相変わらず貴女は狂っているようで、何よりだ」

 

「アッハハハハハ!!!」

 

 黒衣が細長い針の形状になり、アポクリフォスを包囲する。

 放たれたそれはしかし、当たる前に奇妙な方向に曲がった。逆に針は軌道を変え、彼女の体を串刺しにする。

 

「私にイノセンスは利かない。そんなことも忘れたのですか?」

 

「は、はははっ………痛いですね」

 

 マリアは自分に突き刺さった針を引き抜く。

 負傷したはずの傷は不思議なことに、肉を焼くような音ともに再生する。

 

「堕罪」を持ち、その結果呪われた体の特性である。

『聖母』が覚醒した今、その性質が如実に現れていた。

 

 ならば、と彼女は黒衣を引っ込めて影を操る。無数の腕が暗闇から這い寄り、逃げる男の足をつかもうとする。

 

「小癪なマネを…」

 

 速度は伸びる腕の方が早い。ついにアポクリフォスをその一本がとらえた。だが触れた腕は熱湯をかけられた氷のようにたちまち溶けていく。

 

 アポクリフォスは“イノセンスそのもの”。普通のイノセンスとは違う。禍々しいその存在に影が押し負けた。

 

「………」

 

 一瞬の逡巡。マリアは肋から神ノ剣(グングニル)を引き抜いた。

 

「ムダなことを」

 

 アポクリフォスは鼻で笑い、避けることなく待ち受ける。

 大剣は異形の手に触れた瞬間、形を歪ませた。

 

 そのままアポクリフォスは女の腹を貫く。そしてアレンと同じように強制的に彼女のイノセンスと共鳴させる。

 

 唯一違う点があるとすれば、アポクリフォスが行うのは“守る”ためではなく、“壊す”ための行為であるということ。

 

 

「神から祝福を受けし『聖母』。このまま蝋人形と成り果てるがいい」

 

 

 黄金の目はしかし、うっそりと弧を描く。強制的な共鳴の影響で目や口からは血が流れている。

 異形の頭に触れたマリアは、そのまま力を込めて潰した。

 

 

「さぁ、「愛」を感じなさい。愚犬」

 

 

『聖母』と接触している部分から、アポクリフォスの体内にノアの細胞が入り込んでくる。

 

「っう……!!」

 

 アポクリフォスは触れていた右手を手刀で切り落とし、後方に退く。顔にどっと汗が浮かんだ。

 

「忌々しい真似を……」

 

「貴様は「愛」を知るべきです」

 

 二者の距離が近づく。冷や汗をかいていた男にはしかし、どこか余裕がある。

 それにマリアは片眉を上げた。

 

「壊れたわたしでも、あの子らが逃げる時間くらいは稼げます」

 

「さぞ()()()()()は、他のノアよりも愛しいのでしょうねぇ」

 

「………何が言いたい」

 

「たかが空の器でしかない『聖母』に、私が負けるはずがないということだよ」

 

 その瞬間、アポクリフォスは女の足を払う。

 マリアは体勢を崩したものの、ギリギリ制御の利く黒衣で体を支える。そして地面に落ちていた神ノ剣を引き寄せた。

 

「どんな芸を見せてくれるのですか、犬の貴様は」

 

「フン、痴れ者が」

 

 正面を突っきり接近するアポクリフォスに、彼女は大剣を横一直線にふりかざす。

 

 相手にイノセンスが利かないのは重々承知。ゆえに敵の意表を突く材料として使う。

 だが想定と異なる動きが起きた。アポクリフォスは神ノ剣の攻撃を避けない。

 

 小さな違和感を彼女が感じたその時、足に何かが巻きついた。

 

「!?」

 

 ノア細胞に犯され、アポクリフォスが切り落とした腕。

 それが黒く変色しながらも、尋常ではない力で彼女の右足を地に縫い止めている。

 

 意識を下に取られたその隙に、頭に衝撃が走る。

 

 男の一撃が脳天に当たった。衝撃は凄まじく、頭蓋骨の中身があたりに散乱する。

 

 跳んだ女の肢体をアポクリフォスは追う。

 転がっていた黄金の瞳がその拍子に踏み潰された。

 

「ガアア!!」

 

 ティムは二人の間に入ったが、「邪魔だ!」と殴られ、壁にめり込んだ。

 

 アポクリフォスは血が付くことも厭わず、再生する脳味噌に直接触れる。

 

「不死のバケモノ。貴女は滅多に聖戦の表に出て来ない。ですが蓋を開けてみれば、すでに『聖母』は「創生」さえ失った神の傀儡ではありませんか」

 

「………」

 

「それが神の「愛」と言うのなら、これ程滑稽なことはありませんねぇ」

 

 アポクリフォスは再生する脳味噌を潰しながら続ける。

 

「それにバケモノの貴女が()()の真似事など……愚かしい」

 

 女の左手が、かすかに動く。

 アポクリフォスがまた頭を潰せば、左手は途端に動きを止める。

 

「それでも貴女が生き続けるのは、何のためか。「創生と破壊」────「生と死」を司るからこそ、この世に存在しておられるのか。不思議ですねェ、『聖母』」

 

 脳が再生しきっていない中、マリアの左手が動き、アポクリフォスの手をつかんだ。

 その間に高速で彼女を構成するパーツが再生していき、黄金の瞳が覗く。

 

「愚問です…ね、アポクリフォス。わたしは愛しいと思う者たちのために生きています。生きることに意味があるから、進むのです」

 

()()()()()()()()者たちのために、かね?」

 

「っ……!」

 

 細い喉から、ひゅっ、と息が漏れた。

 

「本当の貴女を愛する人間などいない。或いはバケモノを、或いは人間の姿をした『聖母』を見て愛するだけ」

 

「黙れ」

 

 アポクリフォスは顔を近づけ、女の耳元で囁く。

 

 

「お前の琴線はそこにあるのだよ、イヴ」

 

 

 アポクリフォスが再度イノセンスと共鳴を図ったと同時に、マリアの内側に映像が流れた。

 

 それは銃を持ったアポクリフォスの視点で、目の前には照準を向けられている男の姿がある。

 

 

「────!!?神父さ、ぁ」

 

 

 イノセンスとアポクリフォスの共鳴が始まった。

 メモリーが破壊される中、彼女はただ手を伸ばす。

 

 死んだはずのクロスの姿と、『聖母』の記憶の中で見たある人物の幻影が重なる。

 

 

 ()()()が、『聖母』ではない──────マリアを、イヴを見ていた。

 

 

 

 

 

「さい、ら…」

 

 

 

 

 

 壊され続けた『聖母』のメモリーが消え去ると同時に、女の額から聖痕が消える。

 

 肌は元の死人のような色に戻り、瞳には淀んだ色が浮かんでいた。

 

 

 女の肢体を見下ろし、アポクリフォスは立ち上がる。

 人間たちが来る前に姿を枢機卿に戻し、アレンの元へ向かう。

 

 ついでと、監査官一名と()()()()()()()()を負傷させ、ノア二名と共にアレン・ウォーカーが逃げたことを連絡する。

 

 これによりアレンはエクソシストとの権限を凍結され、現時刻よりノアと識別されることになった。

 

 警報が教団内に鳴り響き、アレン・ウォーカーの捕獲命令が出される。

 

 

「逃しはしないよ、アレン」

 

 

 死神は眼鏡をかけ直した。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 一方、逃げていたアレンたち。

 森に入った頃、突如ティキとロードが教団の方を向いた。それを疑問に思ったアレンは声をかける。

 

「…どうしたんですか?」

 

 固まったロードの代わりにティキが口を開く。

 

「女の気配がなくなった」

 

「それは…どういう意味ですか?」

 

「『マリア』の気配がなくなった。これで分かるか?」

 

「……!ッ、まさかアポクリフォスに……戻らなきゃ!!」

 

 ティムの口から這い出ようとしたアレンに、ティキは冷ややかな目で見る。

 

「さすがの俺でもあのバケモノには勝てる気がしねェ。イノセンスを持ってるお前なら尚更だ、少年」

 

「じゃあ、どうしたら……そ、そもそも!僕はお前たちと逃げる気はない!!」

 

 アレンは回ってきた頭で、ようやく現状を理解することができてきた。

 

「ッ……!?」

 

 しかし突如少年のイノセンスが動き出す。同時にアポクリフォスの気配を強く感じた。

 アレンのイノセンスがアポクリフォスに彼の居場所を知らせているのだ。

 

 冷や汗をかくティキは、判断を仰ごうと少女に視線を移す。──が、先程までティムの口の中にいたその姿がない。

 

「ハァ!?おいおい…ロードの奴勝手にどこ行きやがった……」

 

 現状の判断はこの男に委ねられた。

 

 頭をガシガシかいて、最終的に切り落とそうと、ティキはアレンのイノセンスに手を伸ばす。

 

「…ッ、やめろ!!」

 

 ティキは叩かれた手を見る。ッハ、と笑う声がした。

 垂れ目がちの男の瞳にはアレンがよく見た楽観的や好戦的なものとは違う、呆れや、軽蔑の色さえ浮かんでいる。

 

 

「何で笑うんですか…」

 

「だってそうだろ。どこまでも中途半端で、俺が慈善でその厄介な腕を切り落とそうとすれば拒む」

 

「当たり前だ!だって僕は…」

 

 

「エクソシスト、か?タチの悪いメモリーを持って、あのバケモノ野郎に狙われるイノセンスも持って、それでも尚「自分はエクソシスト」だなんて甘いことを言うのか?今一番タチが悪いのは14番目でも、アポクリ野郎でもねェ────、

 

 周囲を振り回し、混乱を招くお前じゃないのか?アレン・ウォーカー」

 

 

 アレンは反論の一つもできず、ただ拳を握りしめて震えることしかできなかった。

 

 重い沈黙が流れる中、ロードの扉が出現する。

 

 少女が引きずってきたのは、虚な目をした女だ。体中が血塗れで、服はボロボロになっている。その側では離れないと言わんばかりに、薄汚れたティムキャンピーがしがみついていた。

 

「マリアさん!!」

 

 少年は女の呼吸をみた。

 息はしている。しかし見覚えのある状態に、背筋が凍る。

 

 

 それはまるで、スーマン・ダークのような状態。

 

 体はある。しかしすでに、心がない。

 

 

 ロードはマリアに触れていたアレンの手をやんわりと退かした。

 泣くこともせず、ただじっと黙っている。しかしふいに口を開く。

 

「ティッキー……ボクじゃ持てないから、持って」

 

「俺がか?コイツはもうノアの気配がない…」

 

「もって」

 

「…わかったよ」

 

 ティキに背負われた女の四肢が力なくぶら下がる。

 

「ロードは…彼女をどうする気なんですか?」

 

「どうもしない。ただ……ただ一緒に、帰るだけ」

 

「マリア、さんは……」

 

 心が、死んでいる。

 けれど少女の顔を見たアレンは、それ以上言葉を続けることができない。

 

 ロードはまるで、迷子になった子どものようだ。

 

「マリアはボクらの家族。ハートにも神にも渡さない。もう誰にも、手出しさせない」

 

 扉を出現し、彼女はティキに先に行くよう促す。

 

 そうして二人の背を見送った少女は深く息を吸う。

 少年に振り返ったその顔は今にも泣きそうで、それでも限界まで注がれた水面のようにギリギリのところで堪えている。

 出されたロードの声は震えていた。それにアレンまで釣られて泣きそうになる。

 

「アレン」

 

「……何ですか」

 

 少女はアレンに抱きつく。戸惑う少年の声が上がった。

 

「ろ、ロード!?」

 

「────『立ち止まるな、歩き続けろ』」

 

「えっ?」

 

「ネアが、マナに残した言葉だよ」

 

「……ネアが、マナに?」

 

「うん。……内緒だからね」

 

 名残惜しげに少女は一歩一歩と下がり、最後に小さく手を振って扉の中に入った。すると扉は消え、アレンと相棒のティムだけが残される。

 

 教団にアレンの居場所はない。ノアにだって、迎えに来たはずの男がキレて冷たい言葉を浴びせられた。

 

 今のアレン・ウォーカーは中途半端だ。無知で、愚かしい。

 

 それでも彼の中によぎるのは、マナとの約束。ロードはきっとアレンが迷子にならないように“その言葉”を教えてくれたのだ。

 

 

「僕は止まらない。進み続けるよ」

 

 

 月を見上げた少年の銀褐色の瞳が、一際輝いた。

 

 


 

 

【俺の家族が】いっぱいしゅき【怖ェ】(主人公ノア側)

 

 

快楽(ジョイド)』のノアことティキ・ミックは悩んでいた。

 

 

 自分の顔が母に生理的に無理、などと宣われるのは流石に慣れたが(いや、やっぱり慣れてないかもしれない)、ロードのマリアに対するラブがエグいのだ。

 

 千年公に対してもラブがヤバいのは知っている。それ以上のラブが視覚に働きかけて見えるのだから、堪ったものではない。

 

 

「マリア大好き大好き大好き大好き大好きぃ……」

 

「………」

 

 ティキがロードの宿題を渋々手伝っている中、お隣では机に頬をくっ付けた少女が項垂れている。

 というのも、どうやら母が所用で不在らしいのだ。

 

 今の少女は目に見えて死にそうである。下手に発言すると地雷を踏むので、彼は黙々と問題を解く。

 

(……アレ?そもそも何で俺がロードの宿題を解いてんだ…?)

 

「マリアマリアマリア……」

 

「…なぁ、別にそこまで落ち込むことないだろ?二度と帰って来ないわけじゃあるまいし」

 

『聖母』にはうっかりしたら自殺に走る厄介な性質があるのはティキも知っている。だが彼女がノアを「愛」しているからこそ、自分たちをそう簡単に捨て置くとも思えない。

 

「うっさい!ティッキー死ね!!」

 

 少女のグーパンがティキの腹に炸裂した。結構イイところに入り込んだ。

 

「うっ……」

 

「どうしよう……マリアがまた死んじゃったらボク、ボク…!!」

 

「…悪かったって。頼むから泣くな、シェリルに見られたら殺される」

 

 その時、扉の開く音がした。

 

「ただいマンゴー!!」

 

 クッソ寒い帰宅の挨拶にが終わった直後、「ぐえっ」と呻き声がした。

 

 ロードに飛びつかれたマリアは床に座り込む。

 対しロードは千年公に甘えるルル=ベルのように、胸に顔を埋めている。ロードやワイズリー以外は簡単に出来ない甘え方だ。たまに双子も無理やり抱きしめられているが。

 

「お帰り〜〜〜」

 

「うん、ただいまロードちゃん」

 

 ロードは母に対し、やはりラブい。

 

 だがティキからしてみれば、そのロードの愛情を受け入れ、逆にそれ以上の愛をもって『夢』の子を歪ます母の方が、少し恐ろしく思えるのだ。

 

 

(母親ねぇ…)

 

 

 彼が子供だったらもっと純粋に甘えられるのだろうか。

 聖母が持つ「愛しい」という感情は、成人済みの男からすれば気恥ずかしいものがある。

 

 ゆえに少々、子供のロードが羨ましくもあった。



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救わず、救われず

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 海の側に佇む一つの教会。

 その教会が崇めるのは聖母マリア。

 

 夜になれば、その街を照らすマリス=ステラの星が輝く。

 

 教会のまとめ役である老シスターは、孤児や親に虐待を受ける子供を集めて教育を教える少し風変わりな女性だった。そんな彼女は街の皆からも慕われていた。

 

 しかしそれは彼女の表の顔。

 

 

 裏の、『聖母』の顔を持つ女は、人間を等しく()()のように感じていた。

 慈しむのも愛おしく思うのも、それはひとえに『聖母』のメモリーがあるからだ。

 

 狂おしいまでの“愛”と、感情が欠落していることを自覚する狭間で、彼女の精神は極限にまで壊れきっていた。

 

「死にたい」と願い自死を繰り返しても、堕罪に縛られた肉体では死ぬこともできない。

 

 危うい一線の中で、『聖母』は世界を終焉(デス)に導こうとしていた。

 

 

 

 そんなある日のこと。

 一人の若いシスターがマリアの元へ駆け込んできた。

 

 この時『智』のノアはおらず、彼女は一人で読書に耽ることが多かった。

 

「あら、どうしたの?」

 

「ま、マザー!あの、それが……」

 

 シスターの後を付いていくと、上質な服を着た幼い少年がベッドに眠っていた。

 

「この子、教会の前で倒れてたんです」

 

「……富裕層の子供を狙った誘拐かしら?でも、それだったら教会の前に置いとくわけないものねぇ」

 

 若いシスターは水を持ってくる、と慌ただしく駆けて行った。

 

 マリアはところどころ怪我のある少年の体を見る。

 身なりからしてどこぞの裕福の家の子であるのは確かで、荷物には聖典の記された分厚い本があった。

 

「へぇー…赤毛の子はよくそばかすがあるけれど、この子にはないのね」

 

 テキパキと彼女が治療をしていたその時、少年の目が開いた。

 髪と同じ色の瞳があたりを見渡して、最後にマリアをとらえる。

 

「今何時だ?」

 

「お昼ぐらいよ。えぇーと…それよりあなた、どうして教会の前に倒れていたの?」

 

 少年は痛みに小さくうめきながら上体を起こす。

 どこか好奇心と貪欲さが見え隠れする赤い目は、子供らしとはかけ離れたものだ。

 

 

「家出だよ」

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 少年はやはり富裕層の子供で、家出をした後に流れ着いたのがこの街だったらしい。

 教会の前で倒れていたのは物乞いのためだった、と。だが力尽きて倒れてしまった。

 

 

 それから家出少年が教会に居ついて一週間ほど経った。

 

 少年は名はおろか、名字も明かさない。「帰されるから」の一点張りだ。

 興味津々で近寄ってくる子供も全員無視していた。

 

 そんな協調性のカケラもない少年に、マリアは何かなす術はないか考えた。

 

 

 言わば、神童とでも言うのだろう。

 彼女の蔵書を読んでいる時が一番子供らしい表情を見せる。

 

(また勝手に人の本を……)

 

 本だらけの女の自室は子供でも滅多に入ってこない。単純につまらないからだ。

 そんな部屋でソファーに座り、家出少年は読書タイムに没頭している。

 

 紅茶を持っていたマリアはカップを少年の頭の上に置いた。だが、全く微動だにしない。

 

「別に怒りはしませんけど、人の部屋に入るなら許可ぐらいは取ったらどうかしら?」

 

「なぁ、マザー」

 

「何?」

 

「あんたの笑顔、キモいよな」

 

「……はい?」

 

 マリアの口角が引きつる。失礼千万な少年はまた活字の海に潜ってしまった。

 

 

(可愛くないガキ……)

 

 

 その時、ノックの音がした。シスターが顔をひょっこりと覗かせる。

 

「マザー、今日は月に一度の歌の日ですが…」

 

「………あ!ごめんなさい、忘れてたわ」

 

 すっかりオフモードだったマリアは急いで準備をする。

 ふと少年にも声をかけたが、向こうは唇を尖らせて本で顔を隠した。

 

「歌詞がわからないなら楽譜があるから、一緒に行きましょう?」

 

「神は信じてない」

 

 結局少年は参加しなかった。

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

「ねぇ………さすがにそろそろ名前教えてくれてもいいんじゃない?」

 

 少年が訪れてから三週間。

 未だ名前を教えようとしない家出少年に、マリアは痺れを切らした。

 

 少年は持っていた本を口当たりまで下げ、ジトッ…とした目を向ける。

 

「人に名前を聞く時は、先にあんたが名乗れよ。みんな「マザー」って呼んでるが、それって敬称だろ」

 

「一応この教会じゃあ一番の責任者なんだから、構わないでしょう?」

 

「じゃあ教えない」

 

「………はぁ、分かりました。「マリア」よ、マリア」

 

「名乗るなら普通フルネームだろ」

 

「あなたどうやったらその歳でそこまで図々しくなれるの?」

 

 アヴェ・マリアよ、と彼女はため息をついて答えた。

 ただ、「アヴェ」の方は忌み名だから周りには言わないで欲しい──と、それらしい理由を付ける。

 

「ふーん…アヴェか」

 

「で、わたしの名前は言ったわよ。あなたの名前を教えてちょうだい」

 

 少年は本を顎のあたりまで下げる。

 

 

Cyrus(サイラス)

 

「サイラス……何?」

 

「苗字は忌み名だから教えない」

 

「…………ねぇ、怒りますよ?」

 

 その後少年に逃げられ、マリアは名前しか聞けなかった。

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 雨。

 

 いつもは外に遊びにいく子供たちも室内で鬼ごっこをしたり、おままごとをして過ごす。

 

 この日ばかりは外へエネルギーを発散できない子供たちが、彼女の自室にまでお構いなく侵入してくる。

 そのため彼女は仕方なく、外へ出かけることにした。

 

 黒い傘が雨粒を弾く。

 

(千年公……)

 

 暗い海が視界の先でうねりを上げている。曇天は空を遮り、マリス=ステラのまなざしを遮っているかのようだ。

 

『聖母』の愛は彼女さえ狂わすほどに重く、深い。それに当てられたノアは最悪メモリーに精神を呑まれる。

 彼女が家族と離れて暮らす理由は、その予防線を敷くためでもあった。

 

「久しぶりに会いに………ん?」

 

 ふいに彼女の服が引っ張られた。

 

 後ろには濡れ鼠になったサイラスの姿がある。

 

「どうしたの?」

 

「……あんたの部屋、居られねぇから」

 

「へぇ?………ブフッ!アッハッハ!!」

 

 なるほど。居場所がないため、この子供はついて来たようだ。

 中々笑いのおさまらない女に、少年の胡乱な視線が刺さる。

 

「どこに行くんだ?あんまり普段出かけないだろ」

 

「古い知人のところよ」

 

「…おれも行っていいか?」

 

「ダメよ。女には秘密が多いんだから」

 

 マリアは傘を渡し戻るように言い、人っこ一人歩かない薄暗い道の中へと消えて行った。

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 死にたいなぁ。

 死にたい。

 死にたいわ。

 死にたい。

 アダム

 死にたい

 アダム

 アダム

 アダム

 

 アダム

 

 

 

 内側のメモリーが暴れる。

 

 人間がたやすく入る遠心分離機に生きたまま入れられ、中身が潰れて液体となり体外へ出て、残るのは皮と骨だけになるような、そんな度し難い苦痛。

 

 衝動が暴れ狂う日、マリアはいつも休んだ。

 

 

 

「……だぁれ?」

 

 彼女が山積みの本が崩れたソファーの上で横になっていた時、ノックの音がした。

 

 誰も入らぬよう釘を刺しておいたはずだ。おそらく──と考えていた予想は当たり、扉の前にはサイラスがいた。

 

「……何」

 

「ちょっとさ」

 

 部屋に押し入った少年は背を向ける。その細いうなじに女の目が行った。

 

 

 ──────殺してしまいましょう。

 

 

 彼女の影が渦巻き、ランプの光がチカチカと揺れる。影の中から剣を抜こうとした彼女の手はしかし、ふと止まる。

 少年は何かゴソゴソと探し、お目当てのものを見つけたのか振り返る。その手には楽譜があった。

 

 少年は子供らしい笑顔を浮かべる。

 

「『アヴェ・マリス・ステラ』の曲が聴きたい気分なんだ」

 

「…神は信じてないんでしょう?」

 

「あぁ、神は信じてない。でもマザーの演奏は嫌いじゃない」

 

「……普通に「好き」って言えないの?」

 

「「好き」は愛してる女にいう言葉だろ?」

 

「…マセてるねェー……」

 

 何とも言えない表情の彼女に、少年が背を押す。

 

「弾いてよマザー」

 

「…はいはい、分かりました」

 

 マリアは渋々と礼拝堂の中央に設置されたパイプオルガンの元へ向かう。

 

 シワが目立つものの白く細長い手が、白と黒の盤の上を踊って美しいメロディーが奏でる。

 少年は特等席だと言わんばかりに、最前列に座った。

 

 礼拝に訪れていた客も演奏を聞きつけ、顔を覗かせたシスターたちも耳を澄ます。子供たちにとってはちょうどいい子守唄になった。

 

『聖母』の衝動はその時には鎮まっていた。

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 夢の世界にあるのは夜の浜辺と、黒い海。

 

 そこで一際輝く星の光がマリアを照らす。

 一陣の大きな風が吹いて、黒いワンピースを揺らした。

 

 吸い込まれるように裸足のままその星に近づいていけば、必然と彼女の体が海の中に沈んでいく。

 

 

『クスクス クスクス』

 

 

 彼女を導く星が笑っている。

 だが、本当に笑っているのはマリアだ。彼女の体はとうとう海の中に消えた。

 

 暗い水面から白い手がにゅっ、と伸びて天へ向かう。

 

 

『クスクス クスクス クスクスクス』

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 少女が笑うような声が聞こえ続け、マリアは目を覚ました。

 

 ひどく喉が渇いた。

 喉の渇きと呼応するように、袖を捲って肌を引っ掻き始める。

 

 伸びる黒爪でえぐり続け、肌からはひっきりなしに血が伝う。

 頭に付けていたウィンプルという白い頭巾を捨て、彼女は顔面の皮を剥ぎ取った。

 

 ついで肉の焦げるような音と匂いが室内に響く。

 老女の顔から変わり、年若い女の────素顔の『聖母』がそこにいた。

 

「ふ、ふふ、ふふふふ」

 

 うごめく影から黄金の大剣が現れる。それを握りしめると、マリアは覚束ない足取りで部屋を出た。

 服装は修道服から黒いワンピースへと変わる。

 

 

(あい)しましょう」

 

 

 渇きを癒すには、人間の血を浴びるしかない。それ以外に何も考えられない。

 

 夜の廊下にぺたぺたと歩く音と、剣を引きずる音が響く。

 誰ともすれ違わないまま、彼女は礼拝堂に着いた。

 

 吸い寄せられるようにその足はパイプオルガンの前へ向かう。

 

 椅子に座った彼女は何を弾こうかと考えた。

 

 

「アヴェ・マリス・ステラ」

 

 

 夜にも関わらず、客がいた。祈祷用の席に家出少年が座っている。

 

「もう就寝の時間は過ぎてますよ」

 

「夜型なんだ」

 

「あぁ。だからそんなに小さいんですね」

 

 その身長は彼女の腰ほどだ。嫌味を感じ取った少年が眉を寄せる。

 

 マリアは剣を壁に立てかけ、リクエストされた曲を弾き始めた。

 

「知ってる?この街には聖母マリアを象徴するマリス=ステラの星があるの」

 

「…あぁ。マリス=ステラと、聖マリアを信仰する教会。それとここのマザーの名前は「アヴェ・マリア」」

 

 偶然にしては面白い、と少年は語る。

 

「『アヴェ・マリス・ステラ』の歌詞の“Mutans Evae nomen────エヴァの名を変えられて”。はじめてカテリーナに教えられた時、ここだけ変な詩句だと思った」

 

「カテリーナって母親?」

 

「………姉だ」

 

 途端に少年の顔は苦虫をつぶしたような顔になった。苦手なのかもしれない。

 

「それで?『アヴェ・マリス・ステラ』が聖マリアと関係があると思ったサイラスは、同じくマリアに関係があるマリス=ステラの臨めるこの街に来たわけですね」

 

「アヴェ・マリアは──いや、お前は名前を変えたのか?」

 

 演奏が止まる。

 女の瞳が紅色から黄金に変わる。額には聖痕が現れ、肌が褐色に変貌していった。

 

「好奇心は猫をも殺すと言うでしょう?君は知らないのかしら」

 

「…イヴ」

 

「………ふぅん?」

 

「EvaやAveの音の響きと似てる。あと、ここで読まれる「アダムとイヴ」の本」

 

「ふふふ、よく分かったわね。大正解よ」

 

「何で()()()()()()()()()んだ、あんた?」

 

「……は?」

 

 サイラスは椅子から降り、マリアに近づいた。

 

「まるで、誰かに見つけて欲しいみたいだな」

 

「誰に?」

 

「…さぁ、アダムじゃないのか?あんたがイヴなら」

 

 彼女は一瞬きょとんとして、ついで爆笑した。

 アダムはすでに死んだ。だのにいったい、何をこの子供は言っているのか。

 

「じゃあ、あなたがわたしのアダムになってくれるというの?」

 

「少年趣味かよ、キメェ」

 

「確かに子供は好きだけど、そーいう意味の「好き」じゃないわよ」

 

 あぁ、とマリアは思った。

 

 愛しいと思う反面、背筋が伸びるような不思議な感覚に包まれる。

 赤い瞳が彼女の何重にも重なった皮を暴いて、その中身を剥き出しにするようなこの感覚。

 殺すには少し惜しい気もする。

 

「それで君は『マリア』の秘密を暴いて、死ぬ覚悟はできてるのでしょう?」

 

「ハァ?まだ死なねぇよ」

 

『聖母』に微笑まれながら、サイラスは続けた。

 

 

()()()()()()()()()まで、おれはまだ死ぬ気はない」

 

 

 少年の言葉を聞き、マリアは目を丸くする。

 賢い癖に、頭のネジが外れたことを言う。

 

 緩む頬は自然と出たもので、久方振りに心から笑った気がした。

 

 真理を見るというのは本気だろう。何とも愚かで、恐れ知らずな人間であろうか。

 

「ふふふ、興が冷めてしまったわ。もう帰りなさい」

 

「………」

 

「そう警戒しないで。わたしはたかが人間一人に執着するほど暇じゃない。だからもう二度とここには来ないことね」

 

 黄金の瞳が、一瞬少年を()()として見る。

 すぐに紅い瞳に戻ると、少年の襟を掴んで引きずった。そのまま外に出ると、宙へ子供の体を投げる。

 

「痛ってぇな…!」

 

「あぁ。あとこれあげるわ」

 

 少年に向かって、マリアは普段付けているロザリオを投げた。

 サイラスが眉を寄せ、投げられた物を掴む。

 

「神、信じていないんでしょう?だからあげます」

 

「……嫌がらせかよ」

 

「皮肉よ」

 

 自分も神を嫌っているから、とはマリアは言わなかった。

 

「じゃあねぇ、いつか真理が見られるといいですね」

 

「……フン」

 

 サイラスはロザリオを乱雑に服のポケットに突っ込むと、振り向かずに歩き出した。

 ハネ気味の赤毛が夜風に吹かれて揺れるのを、マリアは目を細めて見ていた。

 

 

Cyrus(サイラス)ねぇ。キュロスの名を持つ子供か……いったい誰の救世主(メシア)なんだか」

 

 

 ハートか、それとも千年伯爵か。

 

「わたしのメシアにならないかなぁ……なんて、あるわけないわよねぇ」

 

 ただいつか本当にこの世の真理を暴いたならば、神も黙ってはいないだろう。さすれば人道から外れ、呪われる。

 

「まぁ、わたしほど呪われている人間もいないか!」

 

 ハハッ、と彼女は自嘲気味に笑って、大剣を影に戻した。

 息を吐いたマリアは、心臓に胸を当てる。ドクドクと脈打つその音に目を細めた。

 

 

「……?変ね。どうしてこんなに………こんなにもたかが一人の人間なんかに…」

 

 自分を見ていた赤い目が、瞼の裏にこびりついて離れない。

 あの目は彼女を────イヴを、どこまでもまっすぐに見ていた。

 

「……あっ、そうか」

 

 “イヴ”を見ていたアダムはいない。いや──神に復讐を誓ったその時から、アダムもまた彼女だけを見ることはなくなった。

 ノア(子ら)も同様に『聖母(はは)』を求めるこそすれ、イヴ自身を求めているわけではない。

 

 世界でたった一人だけのこされてしまったような寂しさ。

 

 誰もイヴを、見てくれない。彼女は今も生きてここにいるのに。

 

 死ねない。どこまで行っても死ねない。

 

 

 死ねない。死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない────!!

 

 

「フッ、フ、ハハハハハハ」

 

 

 闇から大剣が現れる。

 

 彼女は腕を斬った。再生する。

 彼女は足を斬った。再生する。

 彼女は臓物を取り出した。再生する。

 彼女は脳みそを引きずり出した。再生する。

 

 何度何度自分を殺しても、再生し続けた。

 

 そしてとうとう地面に額をこすりつけて笑うことしかできなくなった女は、一瞬表情を消す。

 

 見上げた先には、マリス=ステラが微笑んでいた。

 

 

 

「アダム…ねぇ、アダム……わたしをひとりにした。アダム、わたしはまだ生きてる。死ねないよぉ。まだ生きてるの?まだ生きてる、どうやったら。まだ生きてる。まだ、まだ、まだッ────!!!!」

 

 

 

 もう、つかれました

 

 

 

 

 

 その言葉とともに彼女の最後のネジが──『聖母』の何かが、壊れた。

 

 こうして死を乞うバケモノが生まれた。彼女は微笑んで笑うのだ。少女のように。

 

 

 バケモノはそして死を求め、最期の歩を進めた。

 家族が罪で苦しんでも、泣いても、構うことなく進み────、

 

 

 ────『破壊』を経て、死への扉を開いた。

 

 




⚫︎備考⚫︎

Cyrus(サイラス)(英語版原作の表記)の名前の由来がキュロス二世。
キュロス二世のキュロスは表記揺れで「クロス」とも表記される。


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「愛してる」

 礼拝堂を模した部屋の中。

 

 棺桶の中には女の肢体を埋め尽くさんばかりの色とりどりな花が添えられている。

 

 その横では、棺桶に体を預けるようにして人の姿の千年伯爵が眠っている。

 伯爵の掌には花を入れる途中で泣き疲れたのか、赤いカーネーションが握られていた。

 

 花言葉は「Love for mother」。

 

 その意味を知って入れようとしていたわけではない。伯爵はただ純粋な思い────かつて少女だった女性に渡し、喜んでいた姿が思い浮かび、入れようとしていた。

 

 伯爵の側には壁に寄りかかるワイズリーがいる。

 魔眼の瞳はただ静かに、二人を見ていた。

 

 

 その時、礼拝堂の扉が開く。

 現れたのはワイシャツにジーンズというオフの格好をしたティキ・ミックだ。沈痛な面持ちのワイズリーとは違い、良くも悪くもティキは普段のままである。

 

「死んではねぇけど、実質死んだような扱いだな」

 

「……そこに座れ。ワタシが魔眼でこの場で斯様な発言ができるおぬしの根性を叩き直してやる………」

 

「い、いや、だって…声に出さなくてもどうせバレるだろ?」

 

「………」

 

 舌打ちしたワイズリーは視線を戻した。ティキは頭をかき、部屋に入る。

 

「シェリルがロード探してたんだけどさ、知らない?「アレン・ウォーカーに唾を付けられたかもしれないのにッ!!」──って、キレてブックマンJr.に当たってたぞ。ありゃあ相当痛そうだったぜ」

 

「…ロードは棺桶の中だのう」

 

「えっ…?」

 

 ワイズリーの指差す方向には確かに、花の中からひょっこりと少女が顔だけ出して眠っている。

 よくよく見れば、黒猫の姿をしたルル=ベルもその中にいた。普段は(ヒョウ)だが、大きさからして入れなかったのだろう。

 

 奇妙なノアのすし詰めだ。

 

「本当に好きなんだな、この女のこと」

 

「ワタシが、か?」

 

「まぁ、それもそうだが、ロードもルル=ベルも……特に千年公がよ」

 

「当然だ。「家族」だからのう」

 

「……家族ねぇ」

 

 本当に()()()()()なのか、ティキの中で疑問が募る。

 

『快楽』のメモリーが言っている気がするのだ。ずっと求めて、欲する存在だと。

 

 気づきながら、それでもティキは言わない。ロードが言っていた「千年公が苦しむこと」という発言があるからだ。

 

「ジョイド」

 

「何だよ」

 

「突っ立ってるなら、寝てる千年公にかける毛布の一枚ぐらい持ってくるのだ」

 

「自分でやればよくね?」

 

 とは言いつつ、ティキは近場にあった部屋から毛布を持ってきた。

 起こさないようにゆっくりかけると、ふいに伯爵の、花を握る方とは反対の手が動いた。

 

 何か探るように動き、マリアの左手を握りしめる。

 

「………」

 

 ティキは繋がれたその手に目を細め、壁に寄りかかった。

 

「何だ、出て行かないのか?」

 

「まぁ、気分ってか……詳しくはわかんねぇけど、見ときたいっていうか…」

 

「記憶はないはずのクセに、よく言うのう」

 

「ハァ?まぁ……お前と違って転生ごとの記憶があるわけじゃねぇさ。でも()()()って感じがするんだよ」

 

「…そうかのう」

 

 ティキとワイズリーは暫しそのまま、礼拝堂の中で佇んでいた。

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 マリアは死んだ。

 

『破壊』でメモリーを壊し尽くし、死んだ。しかし最期に聞いたロードの声が、耳に残っている。

 

『ボクを置いてかないで、マリア!!』

 

 もう家族にさえも感情が動かないと思っていた。

 だが泣きじゃくるロードがこの上なく()()()()思え、最期に口を開こうとした。

 

 

 あいしてる

 

 

 あいしてるわ

 

 

 あいしてる

 

 

 しかし何度も呟こうとしても、声が出ない。

 泣いているロードに向けて何度も何度も「あいしてる」と言う。

 

 だがやはり、声帯を通ってそれが音にはならない。その間もロードは泣き続ける。

 

 全ての子供も、シスターも殺し尽くし、鮮血で彩られた教会が燃えていく中、ロードはマリアから離れようとしない。

 

 愛してると言わなければ。愛してると、愛してると言って、言って………。

 

 

 ────言って?

 

 

 このまま、愛してると言えずに死ぬ。

 

「死」への幸福感は、おぞましいほど内側から溢れてくる。

 でもそれ以上に、ロードへ「あいしている」と、たったその一言を言えないことが、今は辛い。

 

 

 あいしてる。あいしています。あいしてるわロードちゃん。みんなをあいしてる。ノアをあいしてる。わたしは、わたしは、わたしは────!!

 

 

 

 それを最期に、『聖母』の意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

『イヴ』

 

 

 誰かが、そう呼んだ。

 

 暗闇の中にいたマリアが目を開ければ、そこには黄金の世界が広がっていた。体を動かすという感覚はない。

 

「イヴ」と、誰かが呼んでいる。今にも消え入りそうな声で、ずっと呼び続けている。

 

 

(せんねん、はくしゃく)

 

 

 声の方に意識を向けると、そこには夕暮れの黄金に囲まれた一本の木の下で、伯爵が泣いていた。マリアと同じように悠久を生きる千年伯爵の素顔は、青年の顔つきであった。

 

『イヴ……なぜ、なぜ死んでしまったのですか。イヴ………!!』

 

(だって、おいていった。アダムも、わたしをおいていった)

 

『イヴ……私を、置いていかないで…』

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、彼女の中で何かが弾けた。

 

 アダム、伯爵?アダム──────伯爵?

 

 

 壊れた記憶の中で辿っていくのは、アダムが『千年伯爵(メモリー)』を誰かに託している光景。

 

 その誰かは真っ黒い影の形をしており、人型だという以外は性別はおろか素顔も判然としない。その影が少しずつ霧散し、やがてアダムのみが残る。

 

 アダムの顔と、千年伯爵の顔が重なる。

 

 

(…………ちっ、ちがう、ちがうちがう、ちがう、アダムは死んだ、アダムは死んだ!!!!アダムは死んだアダムは死んだアダムは死んだ!!!!!)

 

 

 マリアは死ねない けれどアダムは死んだ

 アダムは死ねる マリアだけが死ねないの マリアだけが死ねない

 アダムは死ねるから、マリアもいつか死ねる

 

 アダムが死ねないなら、マリアは死ねない

 

 死にたいのに死ねない だから、だから、だから──、

 

 

 ────だから、アダムは死んだ。

 

 

 

(そもそもアダムは、いつ死んだの?)

 

 

 

 アダムがどのようにして死んだのか、マリアは思い出せない。

 

 アダムが死んだなら、マリアも死ねる。アダムの肋でできているイヴは、アダムの死と同時にイヴの死になる。

 

 アダムは確かに、イヴを置いて死ぬことを詫びていたはずなのだ。神を憎い、とも言っていた。

 

 確かに言っていた。それが嘘だったら、嘘だとしたら、マリアの中で「死ねない」という事実が本当になってしまう。

 

 

 だからイヴは、アダムは死んだ、と言うのだ。

 

 

 

 目の前にいたアダム(千年伯爵)は、沈む夕日と黄金を視界に入れ、「イヴ」と泣き続けた。途中からは謝りだし、その姿はとてもではないが、人類を終焉に導く悪の姿には見えない。

 

 そうして、全てに絶望したのかもしれない。

 イヴを憎んだのかもしれない。

 

 しかし消え行くアダム(千年伯爵)の内側を、マリアは感じ取った。

 それは深い、深い────、

 

 

 

 

『愛しています、イヴ』

 

 

 

 

 その場に残ったのは黄金の世界と、コーネリアの木の下に横たわる双子の子供。

 

 そして黒いワンピースを着た、壊れた女。

 

 

『…あら?』

 

 

 声のした方をマリアが見れば、そこには黒髪の女が立っていた。その女の視線の先には双子の子供がいる。

 

 女性はドレスの裾を摘みながら、慌てて駆け寄る。

 マリアがぼんやりとその光景を眺めていれば、今度は女性の瞳がマリアを捉えた。

 

『貴女はもしかして、この子たちのお母さん?』

 

 マリアは首を振る。

 女性はマリアの幼い、けれどどこか危うい何かを感じ取り、取り敢えずは家に連れて帰ることにした。

 

 近づくと、マリアの背は女性よりも高い。

 まるで少女がいきなり大人になったような、そんな妄想を抱かせるほど、女性にはマリアが不安定に感じられた。

 

『貴女、お名前はなんて言うの?』

 

『な……まえ?』

 

 さっき●●●●が、マリアを「●●」と言っていた。

 

 しかし自分の名を呼んでいたその誰かは黒く塗り潰され、思い出すことができない。

 

 そんな中、少女の声が聞こえた。

 

 

 ────ボ●を置いて●●●●

 

 

 

『まりあ』

 

 

 

 カテリーナは「そうなのね」と、マリアに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 マリアが目を開ければ、目の前には白い空間が広がっていた。

 

 ベッドの上の体を起こせば、そこが『聖母』の“ゆりかご”なのだと知れる。

 

「………」

 

 手を握ると、そこには感触がある。だが現実の感触とは少し違う。少なからずワイズリーといた時とは違い、今は精神だけがこの場に存在するのだろう。

 

 確か精神はアポクリフォスに攻撃され、壊れてしまったはずだ。

 

「……よくわからない状況だな」

 

 考えても答えは見つからず、ひとまず起き上がろうとして何かを蹴った。

 

「!?」

 

 ベッドの隅に逃げた後、恐る恐る目を開ける。すると長い黒髪が見えた。青年が頭だけベッドに乗せるようにして寝ている。

 その顔はネアとよく似ていた。

 

「マナ……?」

 

 幼少期の面影がある。何よりこの顔は、千年伯爵の()()()に似ている。

 

「……ぁ」

 

 そうだった、と彼女は荒くなる呼吸を必死に抑える。

 千年伯爵はアダムだった。長い間封印していた『聖母』のパンドラの箱が開かれてしまった。

 

 冷静さを取り戻すまでにかなりの時間を要し、マリアは眠る青年を叩き起こした。

 

「おはよう!!!」

 

「………痛ッッ!!?」

 

「おはよう!!!」

 

「え?僕は……えっ?」

 

「おはよう〜〜〜!!!」

 

「あ…おはようございます……?」

 

「よろしい」

 

 マナは目の前の女が「マリア」だと知ると、余計に混乱した。彼女はネアに殺されたはずだった。

 そもそも彼は『千年伯爵』のメモリーに犯され、その精神はとっくの昔に壊れてしまったはずだ。

 

「わたしのことはまぁ、死に損ないだと思ってくれればいいわよ」

 

「ぼ、僕は『千年伯爵』になってしまったはずで……」

 

「あぁ。それは知ってるよ。アレンって子を宿主にして復活しそうなあの子から聞いた」

 

「え、ネアが……?というか、「アレン」ってもしかして…」

 

「あなたの知る子供で間違いないわ」

 

「………そう、ですか」

 

 マリアは一つ、気になっていたことを尋ねる。アレンのことについて思い悩む様子の青年に。

 

「わたしが死んだ後、あなたたち二人はどうなったの?」

 

「……『破壊』を手に入れたネアは、()()()()に、僕を殺そうとしました」

 

 マナはなぜか、少し照れくさそうに言う。

 完全な『千年伯爵』になる前に、ネアはマナを殺そうとした。

 

 

 それはネアが、マナが『千年伯爵』となりネアを殺せば、マナ自身が傷つくとわかっていたから。

 

 ゆえに『千年伯爵』を守ろうとするノアと敵対して、二人で逃げて逃げて────結局最期は、マナがネアを殺してしまった。

 

 そうして、『千年伯爵』は再び息を吹き返した。

 

 

「ネアは僕らの運命を生み出した『聖母』を恨んでいましたよ。『聖母』が死ななければ、『千年伯爵』も消えなかったって。でもそれがなかったら、「ネア」と「マナ」が生まれなかったのも事実だって、苦い顔して僕に言ってました」

 

「………そっか」

 

 どこか儚い笑みを浮かべた女は、頬をかいた。その手を見たマナが息を飲む。

 

 白い手は、うっすらと消えかかっていた。

 

「あな、たは……」

 

「おっと、タイムリミットが近づいてる感じかな。そろそろあなたも出て行きなさい。つーか兄弟揃って無断で人のメモリーに侵入して来んじゃねぇよ」

 

「あなたそんな感じでしたっけ!?」

 

「キャラがブレるのはしょうがないでしょ。自分のあるべき姿(キャラ)に迷う。まるで人生みたいね」

 

「いいことを言ってるんだか言ってないんだか、微妙なこと言いますね…!!」

 

「ネア共々ツッコミ役か。バランスが悪いじゃない。あなたがボケになりなさい」

 

「そんなこと言っている間に僕の方がどんどん消えてるんですけど!?」

 

「ねぇ、マナ」

 

 優しい声色で、瞳を細めた女は言う。

 

 

「アレンとネア、どちらも大切なのは分かりますが、そのせいでアレンが苦しんでいるということを、ゆめゆめ忘れないでくださいね」

 

「っ……」

 

「それを「罪」と呼ぶのなら、まだあなたが消えない────「生」にしがみつく理由になるでしょう」

 

 彼女が手を振った後、少し泣きそうな顔をしていた青年の精神が消えた。

 

 

 

 

 

 部屋に残されたのは彼女一人。

 

 マナが入って来たのは驚きだったが、彼が千年伯爵(アダム)ならばここに入ることができるのも不思議ではない。本人にそんな意思はなく、偶然入ってしまっただけかもしれないが。

 

 右手はすでに消え、両足も薄れている。

 

(ようやく……か)

 

 ベッドに横たわると睡魔に襲われる。

 

 ようやく、ようやく聖母(彼女)が待ち望んだ悠久の終わりが訪れる。アポクリフォスに突貫したのも、無意識にメモリーを破壊されることを望んだからかもしれない。

 

(でも何か………何か、忘れている気がする)

 

 だんだんと脳みそが溶けていくような生ぬるい感覚が体の中に広がり、その溶けたものがシーツに染み込むように意識が沈んでいく。

 

 微睡の中で、“死”が歩み寄ってくる。

 

 

「マリア」

 

 

 声が聞こえた。

 彼女が重たい瞼を開けると、そこには泣きもせず、ただ真っ直ぐに彼女を見つめる少女の姿がある。

 

「えっと……」

 

 名前が思い出せない。

 マリアにとって、その少女はとても大切な人だったはずなのに。

 

 大事な、大事なナニカ。

 触れて、抱きしめて「●●●●●」と言わなけれならない。

 

 いや、言いたいのだ。心の奥底から湧き出るこの感情を伝えたい。

 

 彼女は涙を流して少女に手を伸ばした。透明なその手ではしかし、少女に触れることは叶わない。

 

 

「マリア」

 

 ────ちゃ、ん

 

「マリア」

 

 ────ちゃん…!!

 

 

 透明になっていた手が、輪郭を取り戻していく。

 

 触れて、見て、そして言って欲しい。

 

 

「よんで」

 

「……?」

 

「わたしをよんで、わたしをみて。わたしは………わたしはここにいるの。わたしは「生」きて、この世界にいるの。ここに、ここにいるの」

 

 

 ただ自分を見て、そして名前を呼んでくれたら、彼女はそれだけでいい。

 

 それ以上、何もいらない。

 

 誰かに見てもらえなければ、誰かに呼んでもらえなければ、この世界にいないのと同じだ。

 透明人間じゃない。死にもせず「生」き続けているからこそ、己の存在を認めてもらいたい。

 

「生」は誰かに触れられてこそ、真に花開く。

 

 

 

「イヴ」

 

 

 

 少女がそう言うと、イヴは嬉しそうに笑った。

 手を握ったロードは、少女の姿になった女を抱きしめる。

 

 

「もういい。もういいんだよ、イヴ。いっしょに帰ろう。

 

 千年公もね、ワイズリーもティッキーもルルも、みんな待ってるよ。ボクらが嫌いなら、殺してもいいから。それでも…それでもボクらは、イヴといたい。

 

 ……ごめんね、ごめんね。いっぱい壊れるまでひとりぼっちにして。ずっとずっと、ボクらはイヴを見てあげられなかったんだ。ただの()()()()()を、見てあげられなかった……!!」

 

 

 謝り続けるロードの頭を、イヴは優しく撫でた。

 彼女はどこか困ったように笑っている。

 

 ロードは鼻を啜ると、弱々しく彼女の手を引っ張る。

 

 イヴはベッドに座ったまま、立ち上がろうとしない。まるで何かの言葉を待っているように。

 

「イヴ」

 

 その言葉に、ゆっくりと彼女の顔が上がる。

 

 

「いっしょに、生きよう」

 

 

 それにイヴは目を丸くし、そして一筋の涙を流して笑った。

 

 

「うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

「………?」

 

 鼻腔をかすめる花の香り。

 それに重い瞼を開け、伯爵は周囲を見回す。

 

 彼はそこで自分が礼拝堂にいたことを思い出した。部屋の隅ではワイズリーとティキが仲良くそろって眠っている。ワイズリーは床に転がり大の字に。対してティキは体を壁に預け、天井を仰ぐようにして寝ている。長い足が窮屈そうに折り畳まれていた。

 

「………」

 

 懐かしいような感覚に、伯爵は目をこする。長い夢を見ていたような気がする。夢の内容こそ覚えていないものの。

 その時彼はふと、握っていたはずの手がないことに気づいた。

 

 焦燥が募る。あの手を離してはいけない。繋いでいなければどこかに行ってしまう。

 

 その真意は伯爵にもわからない。ただ本能に従って、棺桶の中にあった手を握り直す。

 すると、強く()()()()()()

 

 

「…マリ、ア?」

 

 

 黒いワンピースを身に纏った少女が、じっと伯爵を見つめている。

 肌は暗闇の中で青白く見える。それと紅を塗ったかのような唇と、深紅に濡れた瞳。

 

 長い髪は少女が座っている状態で、花の中に埋もれている。

 

「おいで」

 

 少女はそう言い、微笑む。

 伯爵はようやく少女の姿が、幼いマリアの面影と似ていることに気づいた。

 

 ポロポロと彼の瞳から涙がこぼれる。伯爵が小さな体を潰さないように抱きしめると、少女の手が大きな背中に回る。

 

「相変わらず泣き虫だなぁ」

 

「マリア、マリア……!!目が覚めたのですネッ……!」

 

「あはは、あんまりギュウギュウされると潰れちゃうよ」

 

 少女は地べたに座り、猫背になっている伯爵の頰に触れて、薄い髭を撫でる。

 

「……壊れちゃったねぇ」

 

「…?何がデスカ?」

 

「ううん、何でもない。何でもないの………千年公」

 

 密着した体からは、双方の心音が届く。

 体を心配してくる伯爵の言葉を聞き流し、少女はその音に耳を澄ませた。

 

「わたしは聖戦を終わらせるために生まれたんだ、千年公」

 

「知ってマス」

 

「千年公はわたしのイノセンスを壊したし、マリス=ステラの街を襲った。シスターの悲劇も作り出した。そしてわたしは彼女を殺して……まぁ、たくさんあったなぁ」

 

「…何が言いたいのデスカ?」

 

「ふふ。それを全部ひっくるめて、「ごめんね」を言うのはわたしの方なのよ」

 

 少女の意図が分からず、伯爵は首を傾げる。

 千年公の様子に、もうアダムが直ることはないのだろう──と思いながら、マリアは目を開けた。

 

「今度は、今度こそ一緒にいます。あなたが世界を終焉に導く姿を、見守りましょう。そしてネアと伯爵────二人の運命をわたしが見届けます」

 

「マリア…」

 

 少女の肌が褐色に染まり、額に一つの大きな聖痕が浮き出る。

 黄金の瞳が仄暗い闇の底で輝いた。

 

 

 

「わたしはEve(イヴ)Maria(マリア)────『聖母』のノア。

 

 

 神さまが嫌いな、愚かな人間だよ」

 

 

 

 すでに日は傾き、空には満天の星がのぞいていた。




日は昇り、そしていずれ沈むと月と共に星空が覗く。

マリス=ステラ_______()()はこの世界の行く末を見つめている。


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番外
0×0=0


番外編です。話的に最新刊辺りまでを書こうかと思ってます。そのため原作ネタバレ入ってくると思うので苦手な方は注意してください。あとタグを少し変えました。


 枢機卿(アポクリフォス)の権限により、アレン・ウォーカーはノアと断定された。

 

 教団から逃走する身となった少年は彼を追って来たリナリーに別れを告げ、方舟を使いマザーの元に訪れた。

 

 

 マザーはケガを負ったアレンの体に視線を向け、一拍置いてから部屋へ招き入れた。

 

 クロスのパトロンである彼女はアレンが14番目の宿主であることを知っていた。ゆえに大まかの事情は把握している。

 少年に座るよう促し、マザーは紅茶を出した。

 

 夜も更けてきた頃合いのため、バーバは目を擦りつつアレンにハグした後、眠りについた。

 必然とリビングに残るのは、アレンとマザーの二人のみ。

 

「まぁ…なんだい、せっかく来たんだ。少しはゆっくりしていきな」

 

「僕もそうしたいんですが、教団に追われる身になったので長居はできないんです」

 

「……無茶はするんじゃないよ。それにしても…なら、何でお前はここに来たんだ?」

 

「実は…昔マナが使っていたピエロの道具を借りたくて来たんです。逃走するにもお金は必要なので」

 

 要するに、食いぶちを稼ぐために必要な物を取りにきたらしい。

 

 偶然にも日にち同じく、マザーは家の掃除をしていた。その時バーバにクロスの部屋の整理をさせた際、大道芸の道具を見つけている。

 

「そこら辺に置いてあるから、勝手に持っていきな。どうせ使う奴はいないからねぇ」

 

「ありがとうございます!」

 

 それから暫し二人は、談笑に花を咲かせた。

 マザーはクロスの襲撃事件を聞いた時、驚いたものの薄々予想していたことではあったので、そこまで取り乱すことはなかった。

 

 それよりもふと気になったのは、短い間だったがここで共に過ごした少女のことだ。

 

 

「アレン、あの子は元気かい?」

 

「あの子って、誰のことですか?」

 

「マリアだよ、マリア。アンタも教団にいたんだから、少しは知ってるだろ?確かファインダーをやってたはずだが…」

 

「マザーはマリアさんのこと知ってたんですか!?」

 

「知ってたも何も、あの子はアンタと同じでここに一年間だけだが住んでたんだよ。クロス(アイツ)から聞いてないのかい?」

 

「………いえ、何も」

 

 アレンは姿を消してさえも迷惑千万な己の師に遠い目をした。

 そもそも修行時代に「マリア」の名前すら聞いたことがない。

 

 

 席を立ったマザーは、しばらくしてから少し古めのアルバムを持って来た。整理をしていた時に出てきた代物だ。

 皺がれた手がパラパラとページをめくり、指差す。

 

「ほら、コレだよ。あの子が家出をしていた時、よく送って来たんだ」

 

「マリアさんが子どもだ…!」

 

「当たり前だろ。誰だってガキの頃はあるんだ」

 

「ハハ…そうですよね」

 

 どれもティムと映っているものが多く、その中で少女は無邪気に笑っていた。アレンにとってはそれが新鮮だった。

 だからこそ、写真の笑顔とは正反対な冷たい女の笑顔が脳裏に過ぎる。

 

 

「……マザー」

 

「どうしたんだい?」

 

「彼女はイノセンスが戻ったんです。だから僕と同じエクソシストになったんですよ」

 

「……!そうかい、あの子のイノセンスが……」

 

 感慨深そうにマザーは目を細める。当然の如く今はどうなっているのか尋ねられ、アレンは言葉を濁した。

 

 マリアがノア側の人間だと知ってしまえば、マザーはきっと悲しむだろう。

 アレンに対しても辛そうに、でもどこか受け入れるような顔をしているくらいだ。

 

「……」

 

 マザーは黙り込む少年を見つめる。仔細は知らないが、薄っすらと察せた。

 

「…マリアは教団には、もういないんだね?」

 

「………!」

 

 マザーも事情は知らない。彼女にとってマリアの像は大食らいだが手伝いもよくし、笑顔が眩しい子どもだった。

 

 しかしその反面、バーバは気付いていなかったが、時折少女は冷えた目をしていた。

 

 

 ────()()()()()()、とでも言えばいいのか。

 

 

 言葉だけでは表しにくいが、人間を老若男女関係なく「人間」として見ていた。

 人がアリを見て、「あぁ、アリだ」と思うのと同じような感じで。

 

 

「アイツが拾って来たくらいだ。何かあるだろうとは思っていたさ。あたしも詳しくは知らないが、「当分預かってくれ」と言われて、面倒を見ていたんだよ」

 

「そう…なんですか」

 

「あぁ。まぁ途中で変に好奇心を発揮させて、家出しちまったけどね」

 

「家出って……師匠じゃないんですから…」

 

「言っとくがアレン、あんたも大概だからね。本当にアイツはアレンといいマリアといい、面倒ごとは昔っから全部あたしに押し付けるんだ。こっちは堪ったもんじゃないよ」

 

「は、ハハ…」

 

 それより、とマザーは薄汚い少年に問答無用で風呂に入って来るよう告げた。

 土や血が付着した体は確かに、お世辞にも綺麗とは言えない。

 

 バーバのサイズのでかい服を渡されたアレンは、蹴っ飛ばされるようにして風呂場に追い込まれた。その後、浴室からは「痛ァ!!」という声がちょくちょく聞こえた。

 

「ハァ……」

 

 リビングに一人になった老婆は、紅茶を飲みながらアルバムを見つめる。

 

 ふとそこで思い出したのは、複雑な色を宿していた男の赤い目だった。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 クロスが14番目の宿主であるアレンを見つけた頃。

 

 当時のアレンは捨て子だった。その異様な左腕から「赤腕」と呼ばれ、サーカスで雑用として働いていた。この時すでにアレンは、ピエロを勤めるマナとも出会っていた。

 

 ティム越しにアレンを観察していたクロスは、時折マザーの元へと訪れ酒を盗んでいた。

 

 

 

 その日、マザーは編み物をしていた。

 時刻は少し昼を過ぎた辺りで、バーバは畑仕事に行っており、家には彼女しかいなかった。

 

 穏やかな日常が破られたのは、ほんの一瞬の出来事。

 

 突如足で扉を蹴破ったのは、いかにも不機嫌を露わにした赤髪の男。

 神父が浮かべるものではない顔付きに、マザーは唖然と扉の残骸を見つめた。

 

「今時猿でも扉くらい開けられるってのに…」

 

 彼女の小言を無視し、クロスは着ていた礼装を床に脱ぎ捨てる。シャツ姿になった後は、そのままズカズカと自室に入ってしまった。

 

 ついでドカドカと、室内を荒らす音が聞こえる。

 

「また家具壊してんのかい、あんた……」

 

 扉を開けて見れば、そこには何かを探しているクロスがいた。タンスは倒れ、ベッドまでもがひっくり返っている。

 呆れて物も言えないマザーに気づいたのか、クロスが顔を上げる。

 

「マザー」

 

「ハァ…何だい?」

 

 男は真顔のまま、口を開いた。

 

 

「マリアの私物、全部出せ」

 

 

 

 

 

 マザーの第一声は先よりも苛立ちの混じった「ハァ?」である。

 文字どおり、意味が分からなかった。

 

 だが不機嫌なこの男をそのままにすると本当に家が丸ごと壊されそうなので、彼女は渋々マリアが使っていた私物を見つけ出した。

 

 唯一アルバムにあった写真だけは念のため…と残し、持って行くとクロスがいない。

 外から焦げた匂いがしたため慌てて飛び出せば、本やら何やらがパチパチと音を立てて燃えていた。

 

 勢いを増していく炎の色は、正しく男の髪の色を体現するかのようだ。影に覆われたその後ろ姿には、何か異様な────底冷えするものがある。

 

 

「…………なに、してんだい?」

 

「………」

 

 クロスは無言のままマザーからマリアの私物をひったくると、炎の中に入れた。

 みるみる内に物は燃えていく。

 

 しばし二人は、燃え盛る炎を見つめていた。

 

 感じる重い空気に居た堪れなくなりマザーは、口を開こうとする。そこに重なるようにしてクロスが呟く。トーンはほぼ独り言のものだ。

 

「…14番目が」

 

「それが、何かあったのかい?」

 

「……アレンを見て、14番目を思い出した。それだけならまだよかった」

 

 普段の豪胆な男とはかけ離れた様子に、マザーは口を紡ぐ。

 長いことパトロンをやっている彼女でも、あまり見たことがない表情だった。弱さ、とでもいうのだろうか。

 

「アレンがマナといた。ただ他愛もなく話していた、それだけだ。ネアとマナ────だから、余計なことまで思い出しちまった」

 

 炎と同じ結われた赤い髪が、微かに動く。

 

 

「神に、(のろ)われた女」

 

 

 その真意がマザーの理解に及ぶことはない。

 ただ真理を見て、呪われた男が言うにしては少し滑稽な気はした。

 

 

 全て燃え尽きて灰になった頃、マザーは燃えカスを見つめる男を杖で小突いた。

 

「で、気は済んだのかい?」

 

「全く」

 

「アンタねぇ……散々部屋をとっ散らかして、それを言うのかい」

 

「バーバに片付けさせりゃあいいだろ」

 

「……本当にイイ性格してるねぇ」

 

「ハッハッハ!今更だろ」

 

 いつもの俺様に戻った男は先ほどまでの様子は何処へやら、豪快に笑う。

 そのまま足で灰を踏みにじり、タバコを取り出した。踏まれた拍子に灰が宙を舞う。

 

「悩むのなんざらしくねェ。運命に囚われてたらキリがない」

 

「「マリア」には……何かあるのかい?」

 

「……何もねェさ。文字通り何もない。だからこそアイツは足掻いてるんだろうよ。何も知らないなりにな」

 

「…アンタはあの子に隠しておく気なんだね」

 

「今知ったら壊れるだろうな。教えなくとも壊れる。だが今まで変調はなかった。恐らくは14番目の目覚めと共に、「マリア」も覚醒する」

 

 男の口調は、まるで少女が死ぬかのような口振りだった。

 

「あの子は………」

 

「“死ぬのか”…か?まぁ、死ねたら幸せだろうな。それにもう神にイノセンスを植えられている。完璧に八方塞がりだ。どうにも出来やしないし、どうにかする気も俺にはない」

 

「薄情だねぇ、アンタ。あの子も女の子だってのに、ドライなもんだ」

 

「……どういう意味だ」

 

「それともアレかい?“親心”って奴かい、アンタに?そりゃあないだろうに」

 

「だから、どういう、意味だ」

 

 詰め寄るクロスに、マザーは知らん顔をする。

 

 赤い瞳の奥には様々な感情がある。それを見逃すほど彼女は年老いてはいないし、無駄に長く共にいるわけではない。ただ、関わろうという気は彼女にはない。あくまでクロスとはパトロンの関係であるから。

 

 しかし別としてマリアは、我が子のように思ってしまう気はある。ゆえに少々、この男に苛立ちを抱いているのかもしれない。

 

 

(どうにもできやしないだって?「助けたい」()をしているクセに、頭の方が先に回っちまって行動に移さないんだろう)

 

 マザーは内心思う。

 

 ただ「どうにもできない」という意味から、本当にクロスでさえ手段がないのかもしれない。

 

 話の流れから、鍵を握るのは今までの会話からすればアレン────つまり「14番目」なのだろう。

 

「やっぱりあの子をファインダーになんてさせるんじゃなかったよ。だからあたしゃ反対したんだ」

 

「だがあいつが選んだ道だ」

 

「掲示したのはアンタだろうに」

 

 マザーの言葉に、男は何も答えない。視線はこちらではなく、空に向いていた。いつの間にか白い影がチラチラと覗いている。今晩は寒くなるだろう。

 

 

(神から逃れられない運命なのだとしたら、あの子は………)

 

 

 下界に舞う雪は、まるで地上に縛られた者の堕罪を露わにするように降り積もっていった。



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わんわんお

 家族と過ごし始めてから三ヶ月経った。

 

聖母(メモリー)』の暴走は今の所ない。もしネアが目覚めれば違うのだろうけど、あの番犬がアレンのイノセンスと共鳴した影響で、当分はあの子も目覚められないと思う。

 

 

 ちなみに、今のわたしは幼児化している。

 

 メモリーが体内にあるイノセンスの影響を受けて大人の体を保てないせいだ。イノセンスは使えなくはないけど、使うと体に負荷がかかる。ノアの力は影の力だったら普通に使える。

 

 イノセンスを破壊することはできない。寄生型のこの体はその汚染が全身に広がってしまっているから。

 つまりまぁ、どうしようもない。

 

 

 

 

 

 三ヶ月。されど三ヶ月。

 

 悠久を生きる身としては、本当に短い時間。でも薄っぺらな永遠よりは、よっぽど密度が濃い。

 

「マリアー、遊ぼ〜」

 

「その前に宿題しなよ」

 

 今日も今日とて、わたしは『夢』の子に引きずられている。今では彼女の方が身長が高くなってしまった。

 

 それと、わたしは千年公の養子ではなくジョイドの養子になった。身分を証明するのは必要だからね。

 

 千年公の子供は遠慮した。で、断られた彼はしばらく落ち込んでいた。

 選ばれた「お義父さん(笑)」の方は心底嫌そうな顔をしていたけど。その嫌がる顔見たさに選んだ節はある。

 

 魂は違うけれど、ジョイドの肉体はネアのものだ。

 

 35年の空白を知ることはできるのだろうが、わたしや千年公の地雷が爆発するかもしれないことを考えたら、わざわざ知ろうとは思わなかった。

 

 

「マリア?」

 

 ふいに耳元で声がした。ロードちゃんが心配そうにわたしを覗きこんでいる。

 

「大丈夫?」

 

「うん。ちょっと考え事してただけ」

 

「ふぅーん…まぁいいけどぉ」

 

 ぎゅっと、ロードちゃんに抱きしめられた。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 事態が動いたのはその数日後。

 14番目の気配を察知し、ノアが動き出した。

 

 今回アレン、及び14番目を捕獲するに辺り、ノアの過半数以上が参加することになった。

 

 理由としては、アレンをストーカーするアポクリフォスの存在が大きい。仮にノアがアポクリフォスと一対一の状況に追い込まれれば勝機はない。ゆえに人員が多く割かれている。

 

 ロードと同じく留守番組になったマリアは、あからさまに拗ねていた。

 この女、肉体に精神が引きずられているのか、言動も子供らしくなっている。

 

「何でわたしはダメなの…」

 

「しょうがない、ロードが千年公に直談判してたからのう」

 

 部屋の隅で拗ねる少女を、懸命にワイズリーが宥める。

 

「もういい、自分で行くもん」

 

「ま、待つのだマリア、ロードはおぬしが怪我をするのが心配なんだのう。それに14番目に会うことを懸念しておるのだ」

 

「わたしが?」

 

「そうだ」

 

「……そうだね。うっかり14番目に会ってわたしが殺されたら困るもんね。でも、参加する千年公がもし暴走したらどうするの?」

 

「のの、それは……そうだが」

 

「ならさぁ、分かるでしょー?ワイズリー」

 

 少女の人差し指が、ツンツンと青年の胸を叩く。

 

「あなたたちの“存在意義”は、わたしを守るためじゃなくて千年公を守ることにあるんだから」

 

「……重々理解しておる」

 

「ねぇねぇ、ワイズリー」

 

 うるうるとした紅い目はトドメと言わんばかりにワイズリーを見つめた。

 

 

「わたし千年公が心配なの。だからさぁ、一緒に行っていいでしょ?」

 

 

 これに「NO」と言えるワイズリーではなかった。結局マリアは彼の説得もあり、今回の作戦に同伴できることになった。

 

 そしてこの話を聞いたロードは一気に不機嫌になった。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 14番目の覚醒の兆しが顕著に現れた同日、作戦は決行された。

 

 アポクリフォスの捕獲にはジャスデビやシェリル、マーシーマが向かう。対し14番目の捕獲担当がワイズリーとティキだ。

 千年公はマリアと馬車の中で待機となる。二人は途中までワイズリーたちと一緒だ。

 

「ふぁ…」

 

 馬車に揺られる中、少女は眠たげな目をこすった。隣で編み物をする千年公に時折頭を撫でられる。四人が乗る熱で馬車は程よく温まり、とうとうマリアは伯爵の膝の上に倒れた。

 

 少女の前に座るティキはじっと義理娘の顔を見つめる。

 

(つか、何でコイツがここにいるんだ……?)

 

(千年公のストッパー役だ)

 

(げっ、この野郎…また俺の頭の中のぞきやがって……そもそも本当に使えんの?思っくそ寝てるけど)

 

(………多分、大丈夫だのう)

 

 見かねたティキが腹を揺すって起こそうとしたが、少女は完全に夢の中だった。

 

「我輩は気にしませんヨ。揺れが心地良かったんでショウ」

 

「でもよ、千年公…」

 

 穏やかに微笑む男とその膝で眠る少女の光景はまるで本当の親子のようだ。

 けれどどこか、別の何かをティキは感じた。それを言語化するのはとても難しい。

 

(例えるなら……そうだ)

 

 

 箱庭。二人だけの、穏やかな世界。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 午睡をしていた最中、マリアは聞こえた大声に目を覚ました。叫んでいるのはティキだ。

 

「おい起きろぉ!!ワイズリー!!!」

 

 開いた扉のそこには青筋を浮かべた男が立っている。

 どうやら先程までティキが外で14番目の気配を探っていたらしい。

 

 一方で馬車で千年公を見張っていたはずのワイズリーは、「のの…?」と寝ぼけ眼である。

 

「の?千年公が……」

 

「そうだよ、どこか行っちまったんだよ。どうしてくれんだテメェ」

 

 ティキはワイズリーに詰め寄って黒い顔を浮かべる。

 その二人のどさくさに紛れ、四つん這いの姿勢でティキの横を通り過ぎた少女は、外へ脱した。

 

「早く行かなくちゃ…」

 

「どこ行くぶぅ?」

 

 そこで声をかけられる。声のした方には木の棒で地面に絵を描いているフィードラがいた。彼は通信役として参加している。

 

「上手だねぇ、フィードラ」

 

「これが千年公だぶー、それでこれがロードだぶー」

 

 マリアと思しき人物はそのロードに抱きつかれていた。基本的にエブリデイくっつかれているので、間違ってはいない。

 

 しかしどうしたものかと彼女は考える。フィードラは片手でマリアの手を握り、「危ないぶぅ」と引き止めている。

 マリアとしては早く千年公を追いたかった。彼女も爆弾持ちだが、千年公も負けず劣らずの地雷持ちである。暴走したらノアでも止めるのが大変になる。

 

 何かないかと探った時、コートのポケットに包装紙に包まれたキャンディーを発見した。ロードに貢がれたものだ。

 

「フィードラ、おてて出して。いいものあげる」

 

「ぶぅ?」

 

 促されるまま、両手を椀のようにしたフィードラの手にキャンディーが乗る。

 それを嬉しそうに食べた青年を尻目に、多少の罪悪感を抱きながらもススッ、と彼女は離れた。

 

 ちょうどその時、ジャスデビたちから連絡が入った。キャンディーを乗せたフィードラの舌が蠢き、そこから双子の声が響く。騒いでいた男二人の視線もそこに集中した。

 

「双子ちゃん!!」

 

『ジャスデ………おいっ!「双子ちゃん」言うな、このチビッ!!』

 

『ヒヒッ!アポ野郎は捕まえたぜ、今連行中だよぉ!』

 

『後で覚えとけよちび助!!!』

 

『「ちび」じゃなくて「マリア」だよ、デロ』

 

『うっせぇ!おめーらも早く来い!!』

 

 そこで通信は終わった。ティキはワイズリーの胸ぐらをつかみ、遠慮なく揺する。

 

「テメェの魔眼で早く見つけろぉ!!」

 

「の、ののの、魔眼発動ォォ!!!」

 

 太陽拳のポーズで魔眼を発動させたワイズリー。

 二人の仲睦まじい(?)様子を微笑んで見ていた少女は、感じ取った気配の方向に視線を移す。

 

 

「……っあ、千年公が今「アレン」と接触した」

 

 

 一瞬の沈黙。ギギギ、とティキの顔が動いた。ワイズリーを投げ捨てた男は少女に詰め寄る。先の今でキレ散らかしている男の形相は中々のもので、マリアは逃げた。

 

「どうやってわかったのか知らねェが、千年公の居場所を教えろ!!」

 

「その顔で近づくな!マリアが怖がっておるではないか!!」

 

「ぱぱこわぁい……(笑)」

 

「いやアイツ笑ってるからな?絶対に心の底で」

 

 ワイズリーが羽交い締めにしたことでティキが止まる。

 

(うーん、本当にヤバそう)

 

 少女の口が動き、何か呪文のような言葉を口にする。その瞬間方舟のゲートが現れ、マリアが飲み込まれた。

 

「「え」」

 

 目を丸くした二人は固まる。

 

「は、方舟を使ったんだのう!!」

 

「ハァー………オーケー、分かった。アイツが何で方舟を使えるかはスルーするとして、どうすんだ。明らかに千年公と少年のところに行っただろ」

 

「……ワタシが超特急で千年公を探すしかない」

 

 ワイズリーは冷や汗をかきながら、再度魔眼を発動した。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

「オレたちは元は()()()だった。

 

 ────「()()()()」だったんだよ」

 

 

 

 アレン────否、目覚めたネアは伯爵の頰に触れ、優しい笑みを浮かべた。

 混乱する伯爵はネアの手を振り解くことすらせず、ただ唇を震わせる。顔面は蒼白し、額からは冷や汗が流れた。

 

「なぁ、覚えているだろう、()()。オレたちが過ごしたキャンベル家の屋敷を。黄金に煌く麦畑を。そしてオレたちが()()()()()()、共に生きた17年間を」

 

「ちが、わ、我が輩ハ……」

 

「あんたほんとうに、忘れているのか?」

 

 歪に吊り上がった笑みが、伯爵に向けられる。

 

 自己を保つため、無意識に自分の存在理由(レゾンデートル)を再確認する千年公のその姿には、いつもの道化めいた余裕は一切感じられない。

 14番目とは、彼にとって天敵である。

 

 ついには動かなくなった男に、ネアは困ったように眉を下げた。

 伯爵は気付いていないものの、彼は二人の周囲にある不穏な気配を察知している。

 

 またアレンのイノセンスが現在進行形でアポクリフォスに居場所を伝えている。ここで悠長にしている暇はない。

 

「お〜いマナ、マナってば」

 

「…何で、お前は……我が輩を「マナ」と呼ぶのデス……?」

 

「……やっぱ、覚えてないかぁ」

 

 自嘲が混じったネアの表情を見て、伯爵はさらに混乱する。

 

「理由はカンタンだよ。この世で「マナ」はあんただけだから。そしてオレを、あんたがこんな風にしたから」

 

 ネアは手を広げる。普段は銀褐色に輝く瞳が、今は白目を含め真っ黒に染まる。

 強まる破壊(ノア)のメモリーの気配。少年の口が避けんばかりに開く。

 

 

()()()()()。あんたを破壊(ころ)せれば、オレはそれでいいんだよ」

 

 

 一歩一歩と距離を縮めるネアに、伯爵は頭を抱え、「ちがう」と何度も叫ぶ。

 恰幅の良い体の周りには、いつも着ているウサギを想起させる“皮”が浮かび上がり、その肢体を包んでいく。

 

 ネアが目を細めながら手を伸ばしたその時、不意に人間の気配がした。

 

「っ……!!」

 

 しまった、と口にする間も無く、結界装置(タリズマン)が発動する。

 

(……ッチ、マズったか。マナに気を取られてファインダーの接近を許しちまった……)

 

 ネアの体は結界装置により拘束された。彼はどうにか脱そうと試みるが、指一本も動かせない。己に近付いてくる数名のファインダーに舌打ちしながら、横目で伯爵を見やる。

 

 今はまだ混乱しているのか、伯爵に動きはない────と思ったその時、目が合った。

 心配そうに自分を見つめる伯爵(マナ)に、彼は苦笑する。いつも着ている“皮”は崩れ、顔半分を覆うのみになっている。

 

「ね、ネア…?」

 

 結界装置に近づく伯爵。しかし寸前でファインダーが前に出て阻まれる。いつもと人間姿の伯爵の容姿が違うこともあるが、それ以上に14番目確保に焦っていることもあり、ファインダーはまだ中年の風体をした男が伯爵であると気づいていない。

 

「どいてろ、オッサン!!」

 

 ファインダーの男は伯爵の体を押す。するとあっけなくその体は倒れた。

 

「マナ!」

 

 尻もちをついた瞬間、伯爵の雰囲気が変わった。

 本日何度目かの舌打ちを漏らし、ネアは声を荒げる。

 

「ッチ……クソ!そこの人間ども、さっさと逃げろ!」

 

「……は?アレン、テメェ何言ってやがる」

 

「だからァ、早く逃げろって言ってんだよ!」

 

 ネアの忠告にファインダーは鼻で笑い、ろくに取り合わない。「コイツら…」とキレかけた彼は、下から聞こえた()()()()に固まる。

 

 

 

「ばぁ」

 

 

 

 既視感のある姿に、ネアは目を丸くする。

 脳裏に過ぎったのは、子供の頃、病弱だったマナが弟を驚かそうと、カテリーナのスカートの下から這い出てきた光景だ。

 

 今は少女の姿をしているが、この女もカテリーナの側で自分たちを見ていた。

 

 

 ネアは少し頰を赤らめた。少女は今、彼の股下で四つん這いになっている。

 

「なんちゅーところから出てきてんだよ……」

 

「わたしも想定外だよ」

 

「おい待て!そこで立とうとすんな!!」

 

「ん?…あぁ、はいはい」

 

 マリアは姿勢を低くして地面を這う。立ち上がった時には、少女の着ているコートの膝辺りはすっかり汚れてしまった。

 

 彼女はネアが結界装置に拘束されているのを把握すると、影を伸ばす。

 

 その影は次々と人間たちに突き刺さり、絶命させた。ついでに結界装置も破壊する。

 拘束が解かれたネアは地面に倒れた。

 

「マリ、ア…?」

 

 先程までの伯爵の殺気が嘘のように消えた。

 頰に触れた大きな手をマリアは振り解こうとせず、むしろ握り返す。

 

 それを目に入れた瞬間、ネアは悟った。

 

 

 ────あぁ、あんたは結局、自分の運命を受け入れちまったのか。

 

 

 神の傀儡となり、自分の使命を受け入れたのだろう。

 ブックマンとは比にならない、果てのない「傍観者」としての道を。

 

 ネアは感情を殺すように、唇を噛んだ。

 

 

「全く、勝手にどこかに行っちゃダメなんだからね!」

 

「わ、我輩はただネアに会いたくテ……」

 

「言い訳はいいです〜。ワイズリーもジョイドも心配してたんだから、ちゃんと謝ってあげてよ」

 

「……はい」

 

 マリアはぐいぐいと、伯爵の背を押す。

 

「さぁ、帰るよ。道草してまた教団の奴らが来たらめんどくさいし」

 

「でもマリア、ネアが……」

 

「そうだけど……でもどうするの?連れて帰るの、それとも殺すの?」

 

 その問いに伯爵は黙り込む。そもそも彼がここに来たのは本当に無意識だった。

 14番目の気配を感じた瞬間、足が勝手に動いていたとしか言いようがない。

 

「ここにいたらダメ、帰るの」

 

「……分かりましタ」

 

 渋々と頷く伯爵に、マリアは微笑んだ。

 

 このまま留まっていると本当に危険だ。いくらノアが数名がかりでアポクリフォスを封じているとはいえ、いつあの犬が拘束を逃れるか分からない。何より二対で『千年伯爵』を為すネアとマナが揃っているこの状況。とても『聖母(イヴ)』の精神によろしくない。(アダム)を求める本能で頭が爆発するかもしれない。いや、割とマジで。

 

 

()()、どこに行くんだよ」

 

 

 ピタリと、少女の歩みが止まった。

 

「…ネア」

 

「お前の分身より、マナの方が大事か?随分連れねぇな」

 

「黙りなさい」

 

 紅い瞳が、黄金に輝く。白い肌は褐色に染まり、額には一つの大きな聖痕が浮かぶ。

 怒りを露わにする聖母(はは)に、ネアは笑みを崩さない。

 

「そもそもオレとマナの35年ぶりのデートを邪魔するって、あんたも大概空気を読めないよな。それとも何、もしかして伯爵にジェラシー感じちゃったわけ?だったらいくらでもあんたならデートしてやるよ」

 

「……黙ってよ」

 

「あんたの覚悟なんて知ったこっちゃない。オレはオレの進みたいように進む。あんたがこの手を掴まないなら、何度だって差し伸べる。それでも掴んでくれないなら、無理やり掴んでやるさ」

 

 ネアはわざとらしくローファーの音を立てて接近する。

 

「……っ」

 

 一瞬、本当に一瞬だった。

 

 本気で己を(ころ)そうとする少年の瞳に、マリアは心を奪われてしまった。

 目の前に掲示された“死”に、心が揺さぶられる。

 

 

「!」

 

 

 だが、突如体を抱き寄せられ、沼の底から一気に意識を引き上げられた。

 

「……千年公?」

 

「わたさ、なイ────渡さない渡さない渡さなイ!!」

 

 瞬間、ネアに伯爵の体から伸びた何本もの触手が襲いかかる。

 

 ネアは後方に避けたものの大きく体勢を崩す。続いてきた二波は手を地面につけ、体を横にそらすことでギリギリ躱した。

 彼の頬に冷や汗が伝う。だが笑みだけは崩さない。

 

「オイオイ、マナってロリコンだったわけか?………つーか何でマリアは小さくなってんだよ」

 

「え、今更その話題?」

 

「ネアァァ!!!」

 

 伯爵は攻撃の手を緩めない。

 マリアは身動ぐが、がっしりと抱きしめられているせいで抜け出せない。

 

「くる……苦しいってば、千年公!!」

 

 千年伯爵(アダム)の本能だ。(つがい)を奪われまいと必死になっている。

 

 ネアは何とか攻撃を避けていたものの、手数の多さで捕まってしまった。腹を刺された男の口から夥しい血がこぼれる。

 

「やはり貴方は邪魔デス、ネア」

 

「ハハハ…そうだよなぁ、()()()()の本能だ」

 

 

 ネアは反撃に出ようと、イノセンスの発動を試みる。しかしノアのメモリーと相反し、思うようにいかない。そんな時。

 

「っな…?!」

 

 伯爵の周囲に無数の札が飛ばされ、その動きが止まる。

 ネアは思わず感嘆したところで自分の体にも札が飛ばされた。

 

「え゛っ」

 

 彼の体はそのまま頭上に飛んで行った。

 ネアは状況が全く飲み込めない中、自分を助け出した男の脇に抱えられているジョニー………ではなく、その反対に抱えられている少女を見つめる。

 

 ちなみにジョニーはアレンを探すべく、神田(アルマの最期を見送ったのちに戻ってきた)とともに教団から逃れていた。

 神田はこの場にいないが、ジョニーは精神が14番目に乗っ取られていなかったアレンと一度合流している。しかし現在は伯爵の攻撃に遭い、気を失っていた。

 

 

「やあ、久しぶりだねリンクくん!」

 

 

 マリアは自分を抱えている男、ハワード・リンクに笑いかけた。

 

 

(何で中央庁のイヌがここにいんだよ…)

 

 突然の乱入者に、ネアは頭が痛くなる気がした。



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(イヴ)です

「女の子にこの扱いはなくない?」

 

 フィードラの強襲後、逃げた先でマリアは札で拘束されて空を仰いでいた。遠い目をする少女の隣には、同じように拘束されて気絶しているジョニーがいる。

 

 そこから少し離れた場所では、リンクとネアが会話していた。

 

 

 リンクはマリアの存在についてルベリエから聞いているらしい。一言二言会話した際、彼女を「聖母」と呼んだ。

 その時、リンクの目的が14番目の新たな協力者として、ネアの護衛に当たることも聞いている。

 

 そんなことを思いつくのは、大体一人だ。

 

 聖戦に勝つためならばエクソシストや己さえも駒として冷徹に扱える男────マルコム・C・ルベリエである。

 

 

 その一方で、ネアはドン引きしていた。ティムキャンピーやアレンの記憶を介し、ハワード・リンクについては知っていた。

 

 だが問題なのは突然現れたその男が、地に片膝をつけて「新しい14番目の協力者です」などと宣ってきたことである。

 

 これがドン引きせずにいられるだろうか。いや、いくら温厚なマナでも顔を引きつらせるに違いない。

 

 というかそもそもこの男は、アポクリフォスの攻撃を受けて死に体だったはずだ。

 

「んー……リンクくんさぁ、なんか体に()()()()ない?」

 

「…ズゥ老師から授かった術式によるものでしょう」

 

「授かった?」

 

「自己の命を吸わせ、それを他者に分け与える力です。ズゥ・メイ・チャンは最後にその力を私に託しました」

 

「あぁ…亡くなったのね、彼」

 

 元々かなりの高齢だった。加えて術の特性を考えれば長生きした方だろう。

 

「………オレを差し置いて他の男と会話か」

 

「え?…………ぎゃっ──!!」

 

 ジリジリと怪しい手つきのネアが拘束された少女に迫る。犯罪臭の漂う絵面に半目になったリンクは、彼女の拘束を解除した。

 すると少女のアッパーが少年の顎に炸裂する。

 

「っけ、ゴミがよ」

 

「………………『聖母』、お初にお目にかかります。我が主君ルベリエの命により、14番目の新しい協力者となりました。リンク・ハワードです」

 

「…おっといけない。淑女の皮、淑女の皮。あなたの長官はわたしが生きている情報は得ているのね」

 

「はい、鴉の情報から。貴女は黒の教団において、死亡扱いとなっております。長官は「マリア」が伯爵側に渡ったことも周知です」

 

「ふぅん……で、どうする気なの?捕まえるなら拘束を解いたのはいただけないと思うけど」

 

「最初から貴女を教団に連れて行く気は御座いません。私の命はあくまで14番目の守護ですので」

 

 リンクの意図が読めず、マリアは首を傾げた。

 

「『聖母』と『破壊』を引き合わせてはならない──と、長官から承っております。14番目は「伯爵を倒す」という点では、黒の教団と目的だけは一致しています。ゆえに貴女は黒の教団側にいてはならず、必然的に伯爵側に置くべき、というのが長官のお考えです」

 

 話を聞いていた彼女は思わずネアを見る。向こうもまた目を丸くして彼女を見ていた。

 

 

「うーん……まぁ、あなたの強さは本物のようだし、ネアのことお願いするね」

 

「勝手に決めんなよ、ババア!!」

 

「だって君を守ってくれる人いないじゃない」

 

 ネアの協力者であるクロスは行方不明で、その他の14番目の関係者はほとんどティキにより殺されている。

 

 いくら35年前に伯爵とロード以外のノアを殺し尽くした14番目であれど、流石に今回は不利だ。

 

 何よりネア自身に、予想外のイレギュラーが起きている。

 それでも伯爵(マナ)破壊(ころ)す目的に変わりはないが。

 

 

「リンクくん」

 

 マリアは立ち上がると、(かしず)くリンクに視線を向ける。

 

「テワクちゃんは元気?」

 

「…重傷でしたが、現在は順長に快方に向かっています」

 

「そっか。それで、あなたはあの子を一人にするのですか?」

 

 その瞬間、空気が張りついた。リンクのこめかみに汗が浮かぶ。下げる頭を上げて、今この重々しい圧を発する少女の顔を見ることができない。ネアもまた眉を寄せている。

 

「わたしはあなたに彼女を任せたつもりでした。一人ぼっちは嫌だと言ったあの子を、一人にするのですね?」

 

「……おい、マリア」

 

「それは冒涜です。“愛”の冒涜です。赦されざる罪です」

 

「ノアの気配がダダ漏れになってるって、あんた…!」

 

「お黙りなさい」

 

 少女の肩をつかもうとしたネアは、下から伸びた影に足をつかまれ転倒した。

 影は少女を中心にして地面や壁に這い寄って行く。リンクの体もまた、中途半端にその中に沈んだ。

 

「……テワクなら、大丈夫です」

 

「なぜ?」

 

「離れていても、私たちが家族であることは変わらないからです」

 

 影が止まる。ズズズ、と戻って行くそれに、リンクは浅い息を吐いた。

 恐れの感情を押し殺しながら見上げた青年と、少女の瞳がかち合う。マリアは優しく微笑んでいた。

 

「愛ね。ふふ……これだからわたしは、人間というものを嫌いになれないのよ」

 

「ふざけんなよ、マリア…」

 

「………“愛”がふざけてると言いたいのですか?」

 

「ちげーよ、あんたの気配のせいで──」

 

 しかし、ネアの言葉は続けなかった。

 リンクと少女の間を縫うように、頭上から一人の男が現れる。

 

 

「マリア見つけたぶ──ー!!」

 

 

 フィードラは寄生蟲(ボワズ)という、特殊な舌を伸ばしてリンクに殴りかかる。これを第三者の体内に仕込ませると、彼の意のままに操ることもできる。また通信用にも役立つ。

 

 リンクはとっさに札を飛ばし、攻撃を防いだ。

 

「それと千年公をかいほうするぶぅ!」

 

「…言われなくとも、今の一撃で解いてしまいましたよ」

 

 フィードラの攻撃でリンクの集中力が散漫になったことで、伯爵を拘束していた術が解けた。

 

 

 状況が動く。ネアは伯爵の元に他のノアが近づいていることを察知した。

 そのまま彼は少女の腕をつかんで駆ける。

 

「離してぇぇ──!!」

 

「ババアは黙ってろ!!」

 

「どっからどう見ても少女じゃん!!」

 

「だぁー!次喋ったら物理的に黙らすからな」

 

「熱いちゅーで?」

 

「投げ落とすぞこのヤロウ!!!」

 

 ネアは文句を言う少女を抱え直し、伯爵(マナ)の元へ向かった。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 ネアが明かした「マナ」について。そして(イヴ)を求める狂気に染まった本能。

 

 伯爵は大きく精神を削られ、憔悴仕切っている。静かに涙を流す伯爵に、ようやく居場所を突き止めたワイズリーが抱きつく。

 

「もう大丈夫だ、千年公。ワタシたちと帰ろう」

 

「ネ、ア…わ、我が輩は…我が輩ハ「マナ」じゃなイ……」

 

「千年公…」

 

 その間、方舟が二人の真下に出現する。ワイズリーが二度と伯爵と14番目を会わせまい──と心に誓った直後、今一番憎むべき者が現れる。

 

 

「マナッ!!」

 

 

 現れたネアは、建物の上から伯爵を見つめる。

 ワイズリーは伯爵を抱きしめながら見上げると、ネアに抱えられている少女に気づいた。

 

「ははう………マリア!!」

 

「あ、やっと来たんだワイズリ〜。それとパパも」

 

「………おい、今どの顔を見て「パパ」つったんだ、あんた」

 

「あの、わたしが生理的に無理なイケメンの長身男だよ」

 

 ワイズリーとネアの頭が痛くなる。方や呑気な母に、方や自分の顔そっくりな男を「パパ」呼びしてる事実に。

 この中でノーダメージなのはティキだけで、タバコを咥える彼はワイズリーの前に出た。

 

「こっちは俺に任せろ。千年公のことは任せた。今の千年公を宥められるのは、お前かロードしかいなさそうだし」

 

「……ダメだ。おぬしと14番目が揃うのは」

 

 

 伯爵と14番目、そして1()4()()()()()()()()()姿()を持つティキ。

 

 

 ここまで「アダム」の要素が揃ってしまった今、マリアを置いて去るのは危険だ。ティキならば14番目からマリアを奪取するのも、容易ではなくとも可能だろう。しかし状況が悪い。

 

(母上も千年公もこれ以上壊れるのは御免だ。……だが、ワタシは、ワタシが優先して守らなければならないのは…)

 

 苦渋の決断の末、ワイズリーはティキにこの場を任せることにした。

 

「マリアに一つでも傷がついたら、ロードに言うからのう」

 

「……結構洒落になんねぇな、それ」

 

 ロードのマリアへのラブっぷりを思い出した男は、苦笑いする。

 

 

 

 とりあえず、マリアの奪取+無傷は最低条件だ。

 

(しかしアイツを人質にされたら面倒だな…)

 

 実際はネアがまだ信用ならないリンクの側に置いておくより、自分の側に置いた方が安全だと判断したため持っている。

 

 それを知る由もないティキは、煙草を吹かしながらネアに接近する。

 

 辺りには『快楽』のノアの選択・拒絶により、空気を踏みしめる音が響く。

 

「お前が「14番目」か」

 

「……」

 

 ネアは男の顔を見て、鼻で笑う。

 

「何、どうしたのネ────あっ」

 

 遅ればせながら、マリアも気づいた。ネアと、その()()が揃った。

 

 14番目に壊された記憶がフラッシュバックする。こうして軽口を叩いてはいるが、殺してくれなかった恨みはメモリーに刻まれている。その上、痛みも。

「堕罪」を持つ『聖母』を殺すには、おぞましいまでの“破壊”が必要だった。それに痛みはもちろん付きまとう。

 

 だからこそその延長線でティキの顔が苦手だし、ネアのことも恨んでいる。

 

 

「うぅぅ〜〜……」

 

「………」

 

 ぎゅうぅぅ、と抱きついてくる少女に、ネアの顔に影ができた。

 その不穏な空気をティキが察知する。

 

「お前、まさか…………ロリ…」

 

「違ェよ、頭湧いてんのかテメェ」

 

「ハァ…ほんと少年の顔でその感じ、調子狂うわ」

 

 二人の距離が縮まる。

 ネアは暴れるメモリーに静かに耐える少女を、強く抱きしめた。



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聞こえない/止まらない

誤字脱字報告いつもありがとうございます(_ _)
メリバコースの結末を考えていたのですが、原作が終わっていないこともあり上手く帰結しなかったので、番外は一応ここまでで終わりにしようかと思います。ネタが何か浮かべば書きたい所存です。


「アレン?」

 

 ネアやティキの視線が集まる中、ジョニーが精神はネアのアレンを見つめている。

 彼はリンクの術が解けたことで目覚め、それから声のした方に来たのだ。

 

 少年の瞳に浮かぶのはノアと同じ黄金の色。肌も褐色に染まり、ジョニーを見つめる目は酷く冷たかった。

 

「アレン…」

 

 もう一度、ジョニーは友の名を呼ぶ。

 

 その時だった。

 

 

 まるで彼の言葉に応えるかのように、イノセンスを発動していたネアの左手がジョニーに伸ばされる。口から紡がれた言葉はネアか、それとも────。

 

 

「ぼく を よん で」

 

 

 次の瞬間、弛緩した少年の体が倒れる。そしてそのまま建物の屋上から落ちた。

 

「アレンッ!!」

 

 ジョニーはアレンの手を掴もうと伸ばす。だがあと一歩の所で届かず、勢いを殺しきれなかった彼も落下する。

 

 この時ジョニーは必死すぎるあまり、少年の腕の中にいる少女に気づいていなかった。

 

「ふふ」

 

 友“愛”を感じた『聖母』は微笑む。素晴らしい──と。消えたはずのアレンが、友の言葉に息を吹き返した。

 ならばその“愛”に見合った対価を払うのは当然のことだろう。

 

 影は地面と距離が離れすぎているため生じず、操ることができない。

 

 彼女が取れる方法は一つだ。

 

 

「イノセンス、発動」

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 黒が辺りを覆い尽くす。

 

 蜘蛛の巣のように建物に突き刺さった黒衣(ドレス)は、三人の体を絡め取った。

 まさしく蜘蛛の糸につかまったような姿のジョニーは目を白黒させた。

 

 ゆっくりと降下した繭は、彼らを地面に下ろす。収縮したそれはドレスの形へと変わった。

 

「マリア……?」

 

 黒いヴェールの下で、紅い口元が弧を描いている。

 

 その一部始終を見ていたティキは、追いかけていた途中で固まった。

 少女だったはずの人物が、デカくなっている。

 

「………成長期?」

 

 そんな的外れな感想を抱くと同時に、彼はメモリーのざわつきを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 ────アレン。

 

 

 ネアではない()()()()()()声に導かれ、アレンは目を覚ました。

 仰向けの状態の少年は視線を動かす。見えたのは今にも泣きそうな友の顔だ。

 

「じょ、ジョニー?」

 

「〜〜ッ、良かったァ!!」

 

 ジョニーに抱きつかれ、混乱しながらもアレンは体を起こす。その時、視界に黒い布のようなものが入った。

 

「素晴らしい友愛ですね」

 

 崇高なものでも見るかのように二人を見つめる女。その姿に驚いたアレンは、女が倒れ込んできたことでさらに驚いた。

 

 

「ゲホッ!!」

 

 

 イノセンスが解けたマリアの顔は真っ青で、目や鼻、口……至るところから血が流れている。

 呼吸も不規則で、意識を失っていた。服は黒いワンピース一枚で、今の寒さに喧嘩を売るような薄着だ。

 

「ヤッベ……ロードに殺される…」

 

「え?何ですか、ロードに殺される、って…………ええ!!?」

 

「おっ、少年に戻ったっぽいな」

 

「ティキ・ミック…!どうしてお前がここにいるんだ!!」

 

 アレンは不安定な状態のイノセンスを発動させ、ティキの胸ぐらを掴み、地面に叩き付ける。

 

 不意を突かれた男は抵抗もままならず、背中を強かに打ち付けた。だがアレンのとっさの行動だったため、さほどダメージは入っていない。

 

 どうやらアレン本人は伯爵と出会って以降の記憶がないらしい。

 それもそうだろう。先程まで14番目(奴さん)が顔を出していたのだから。

 

「つーかさ、そろそろ返してもらうぜ?()()()()

 

「え?」

 

「いや、俺の娘って言った方がいいのか?」

 

「………?」

 

「言ってる意味がわかんねぇって?俺も同じ気持ちだわ」

 

 

 会話はそこまでで、我に返ったアレンがジョニーの襟首をつかんで後ろに飛び退く。マリアもまた少年の腕の中にあった。

 

 射抜くような視線。それを正面からティキは見据える。

 このまま“家族”持ち逃げされれば、色々と面倒なことになる。それを考えるとひどく億劫な気持ちになる。

 

 

「まぁそれ以上に、14番目に渡すわけにはいかねぇんだわ」

 

 

 伯爵の心を壊す14番目。

 

 ────憎イ。

 

『マリア』から一線を画して愛されるノア(14番目)

 

 ────憎イ。

 

 

 重なり合う14番目への憎しみが、『快楽(ジョイド)』のメモリーを犯す。

 吊り上がる口元をティキは手で覆い隠した。

 

(こりゃあ少年を連れて行く前に、うっかり殺しちまうかもな…)

 

 ティキの明確な殺気を感じ取り、アレンが息を飲む。

 イノセンスが本調子でないアレンを殺すのは、今のティキだったら造作ない。

 

 

(────!)

 

 

 刹那、ティキの背後から迫り来る気配。刀身が一筋の光の軌跡を作り出す。

 

「生きてたのか、神田ユウ…!」

 

 ティキは武装した黒い拳で刀を受け止める。流れるようにして反対の手で攻撃しようとした瞬間、柄の部分から()()()()()()()

 

 彼は驚き後ろに下がろうとしたが、勢いよく巻きつく植物に体をつかまれた。

 

「──ッチ!」

 

 直後、発光した神田の体が崩れ、動植物に変わる。そこでようやくティキはその正体に気づいた。

 

「ティエドールかッ!!」

 

 ティエドール元帥のイノセンスである楽園ノ彫刻(メーカー・オブ・エデン)

 その能力で植物を操り、神田を創り出していたのだ。

 

 

 

 一方、アレンはネアの精神世界にいたせいか、ひどい目眩に襲われていた。

 その横でジョニーはマリアを抱えたまま、アレンを心配そうに見つめている。

 

「アレン、大丈夫?」

 

「うん。多分……ッ」

 

 アレンが蹲ったところで、ジョニーは彼の背中をさすろうとマリアから手を離してしまった。

 支えを失った彼女の体は地面に転がる。

 

「うっ……」

 

 微かな声が漏れる。未だ焦点の合わない紅い目から、血の涙がこぼれた。彼女の視界の先には植物に拘束されたティキがいる。オールバックにしていた髪は戦闘のせいでひどく乱れていた。

 

「………あ」

 

 マリアの異変に気付いたアレンは、吐き気を堪えて手を伸ばす。しかし、届かない。

 

「マリアさん!」

 

 アレンとジョニーの体は地面から出てきた植物に囚われる。植物は馬車に変わると、二人を乗せてこの場を離脱する。

 

 アレンの視界には、ティキに駆け寄る女の後ろ姿が映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 ティエドールのアート・オブ・エデンで作られた神田が爆発しようとした刹那、ティキの腕に黒い布が巻きついた。

 

「うおわっ!」

 

 ギリギリの所でティキは爆発を回避したが、後ろから迫りくる爆風の余波は避けきれなかった。

 

 彼は横に吹っ飛んだ状態で体の向きを変え、地面と水平の体勢になる。そして足場の空気を“選択”し、踏ん張って風圧に耐えた。

 

「ヒデェ事してくれやがるぜ……ったく」

 

 爆発の中心となった場所は、派手なクレーターができていた。爆発の音を聞きつけ、黒の教団の人間だけでなく一般人も集まって来るだろう。

 撤退の判断を下したティキはふと思い出す。

 

「あっ」

 

 マリアがどうなったのか、急いで周囲を見渡す。

 最悪、爆風のどさくさに紛れて連れて行かれてしまったかと思ったが、すぐ側にいた。

 

 血を吐いている状態で。

 

 

 先程ティキを引っ張り出した時、腕に巻きついた黒い布のようなもの。とっさの判断でマリアはまたイノセンスを使ってしまった。

 無理に無理を重ねた結果の重症である。

 

「おい、しっかりしろ!」

 

「……ぁ」

 

「死ぬな、俺が(ロードに)殺される!!」

 

「だいじょうぶ?」

 

「いや、アンタの方がまずいだろ…」

 

「ね、あ」

 

 ティキはそこで固まる。

 その名前が誰を指すのか、彼は暫しの間を使って理解する。舌ったらずなその声がその名前を呼ぶたびに、心臓が煩くなる。

 

「ねあ」

 

「…俺は「ネア」じゃない」

 

 らしからず、ティキの声が震える。

 

 “名前”とは人や物に付けられた名に過ぎない。全ての事象には名があり、名付けた概念を明確化して区別する。

 そして同時に人を自由にもし、縛りもする。

 

「ねあさま、かてりーなさまが、よんでいらっしゃいましたよ」

 

「……ハァ」

 

 今回はとんだ貧乏クジを引かされたものだと、ティキは憂鬱な気分になった。

 まぁ、もうどうにでもなれと、持ち前の能天気さを発揮した男は新しい煙草を取り出す。

 

「ねあ?」

 

「………」

 

 ティキはじっと見つめてくる瞳を見返し、無造作に女の頭に手を置く。

 そして親が子にするようにポンポンと叩くと、腕を引っ張り立ち上がらせた。

 

「ほら、帰るぞ」

 

 崩れていた髪を乱雑にかき上げ、ティキは歩き出そうとする。しかし女の方は全く動かない。少し苛立たし気に振り返ると、女の視線はティキの顔に固定されていた。

 

「…マリア?」

 

 眉間に皺を寄せた彼がそう言った瞬間、女の瞳に確かな生気が宿る。

 

「………ジョイド?」

 

「見ればわかるだろ」

 

 ティキが歩き出すと、ようやくマリアも歩き出した。

 

 ただ帰るにしても方舟を操作できる伯爵は、現在進行でお布団コースになっているだろう。ゆえに迎えに来るのはロードだ。だが例外がこの場にいる。

 

「なぁ、あんた確か方舟使え……」

 

 その時ティキの視線に映ったのは、血だらけの女の後ろに現れたゴシック調の扉だった。

 

 

「マリア!!」

 

 

 かくして、ティキ・ミックの死亡フラグが立った。

 

 


 

【ポーカー】&裏表紙ネタ

 

 

「そういやアンタも、俺が列車の中で少年とポーカーしていた時いたんだよな?」

 

「……ん?」

 

 千年公の影響でお菓子作りにハマっているマリアは、新郎新婦が入刀するサイズのケーキを作っていた。相変わらず胃袋はブラックホールである。

 鼻歌が聞こえるそのキッチンにふらりと立ち寄ったのがティキだ。

 

「そうだけど……何で急にそんなこと聞いてきたの?」

 

「あぁいや…少し気になってよ」

 

 ティキにとって目前の、一応「娘」な少女は、不確定要素の多い人間だ。同族意識はあるが、やはり敵対関係だった事実に引っかかりが残っている。

 

 彼女に対し友好的なノアが多いが、シェリルや(マイトラ)のように中立な者もいる。

 

 嫌悪感を丸出しにしているのはデビッドぐらいだ。というかアレはどちらか言えば、反抗期の子供のような印象を受ける。

 

 

 かく言うティキは、恐らく中立の立場である。ノアは基本的に伯爵にイエスマンなので、その決定に否定する者は滅多にいない。それがなくとも、みな一様にメモリーの本能に従って、『マリア』という存在を認めている。

 

 謎の多い少女に探りを入れようとする者はいない。ワイズリーやロードがそれとなく圧をかけているからだ。

 

 だが彼としては少々味気ないので、ギリギリのラインを見定めたくなった。

 

 絶壁に挟まれた場所で命綱なしの綱渡りをするように、スリリングな展開を楽しみたくなるのはこの男の悪い癖でもある。

 

 

「純粋にお前について知りたいのさ」

 

「それはわたしの趣味とか、過去について?それとも、()()()()()()について?」

 

「前者の方だ」

 

「……まぁいいよ。聞きたいことがあるなら、答えられる範囲で言ってあげる、()()()

 

「………」

 

 最後の明らかにからかいの混じった言葉に、ティキの顔が引き攣る。

 その表情が面白くて仕方ない少女は手元の作業を続けながら、満面の笑みをみせた。

 

「少年といいアンタといい、クロスの弟子って何でそんなに腹黒くなるワケ?」

 

「腹黒いんじゃなくて逞しいんだよぉ、パパ。どこぞで男の身ぐるみを剥いだ挙句に、当時15歳の少年にボロ負けにされた誰かさんに言われたくないなぁ。それも、多勢で挑んで負けてるんだもの。本当にどこにそんなお馬鹿さんがいるんだろ〜〜」

 

 ピキッ、と男のこめかみに青筋が浮かんだ。

 

 ノアからいじられキャラとして特にロードからからかわれ、いじられ慣れているティキ・ミックでも、我慢の限界がある。それで言うと、家族になったばかりのこの少女は、彼のストレスゲージを高速で溜めている。「パパ」呼びもそうだし、やたらと煽ってくる。

 

 マリアとしては、単純にティキの反応がネアを揶揄っているようで面白いからやっているだけだったりする。

 

 

 

「ホォー……?」

 

 

 つまるところ、ティキはかなりキレていた。

 

「そこまで言うんだったら、勿論俺よりポーカーが強いんだろうな?」

 

「まぁ、そこそこには?」

 

 マリアはベラをさっと動かしクリームの生地を整えると、乗っていた台から降りた。

 それからエプロンを取って手を洗い、ててて、とトランプを持つ男の側に駆け寄る。

 

 

 ここで履修しておきたいのは、彼女がアレンよりも勝負事に強いという点である。そしてその事実をティキは知らない。

 

 以前に列車から降りてアレンたちと別れた際、ファインダーだったマリアとエンカウントはした。そして勝負に参加できず悔しんでいた女に、「こいつヤベェ」とは思った。

 

 しかし悲しきかな。アレンの印象が強く、すでにその部分は忘れてしまっていた。

 

 

 テーブル越しに向かい合う二人。

 

「シャッフルする前に、仕掛けがないか見せて」

 

「あ?何もねぇって」

 

「ん!」

 

「…分かったよ、ほれ」

 

 マリアはトランプを確認し、イカサマの類がないことを確認する。

 その手つきが妙に小慣れているので、ティキは「あれ………?」と思った。

 

「あのさぁ、もしかしてとは思うんだが………おたくって少年とご同類?」

 

「パパもさっき言ってたじゃん」

 

「?」

 

「「クロスの弟子って何でそんなに腹黒くなるワケ?」って」

 

 ここに来てようやく冷や汗を流すティキ・ミック。しかし時すでに遅し。ここはもう虎が牙を剥く檻の中である。

 

 

「さぁ、何を賭けるジョイド?(いつも)と同じスタンスで、身ぐるみを剥ぐのでもいいよ」

 

 そう言う少女は黒いワンピースのみ。一回負ければそれで終いであるし、男ならともかく「女」と「子供」がかすってツーアウトだ。

 

「俺の命が奪われない方向にしよう?」

 

「んー?じゃあ、前にアジア支部のポーカー大会やった()()にする?結構ね、フォーが強くて楽しかったんだぁ」

 

「待ってアレって何」

 

「負けた人が科学班見習いの服を着るの。最終的に勝ち負け関係なくみんなノリで着たり、着せられたりして……アレンは顔が死んでたな」

 

「少年が?」

 

「うん。だって“女子用”だからね。よし、そろそろ始めようかジョイド」

 

「………」

 

 少女が見分していたカードはシャッフルされ、すでに分けられようとしている。思わずその手を止めさせたティキは悪くない。

 

「そんな血も涙もない争いより、平和的にする方が絶対楽しいと思うぜ?」

 

「アハハ!何言ってんの、危険であればある程ジョイドは燃えるでしょ?」

 

「俺の娘なら父親の言うことを聞け…!!」

 

「やだぁー。反抗期だからわたし」

 

 カードを奪い合うことしばし。最終的に途中から部屋に来た伯爵(人間姿)やワイズリーが混ざり、脱衣ポーカーが始まった。もちろんマリアは免除である。

 

 

「イカサマは無しですヨ♡」

 

「何……だと……!?」

 

 

 元々マリアは賭け事に関してだけは強運を持つ。しかしクセでイカサマを仕掛けたその手を、千年公がつかまえた。上には上がいるということだ。

 

 ちなみにワイズリーとティキはパンツ一丁で部屋の隅に転がっていた。

 一番の被害者は、ここに来ただけで巻き込まれたワイズリーだった。

 

「あんまりだのう…」

 

 なお学校から帰ってきたロードがその光景を見て、爆笑するのはそれから30分後のことである。



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ノアの日常

お久しぶりの番外編。ノアと主人公の短編三つ。

最後の【歌】はどうしても書きたかった話で、若干本編との齟齬があるかもしれません。まぁ、番外ってことでユルシテ…。

他にも舞踏会などいくつか書きたい話があり、気が向けばまた更新します。


【双子と少女】

 

 

 ジャスデロとデビット。二人で一つのメモリーを形成する双子は、もっぱら夜遊びに明け暮れていた。

 

 貴族であるノアの生活は優雅の一言。一般家庭より教養も自由な時間もある。世界を破滅に導くことさえ除けば、上流階級な一般人の枠組みから外れない。

 

 ただ優雅なのは千年伯爵やシェリルなど一部のメンツで、他はワイズリーを筆頭に優雅の「ゆ」の字もない連中もいる。

 

 ティーンで絶賛今を楽しんでいるジャスデロとデビットの場合は、社交界に参加することもない。政治など、表ないし裏の情勢を操っているのは千年公とシェリルである。

 

 

 そんな折、二人に口煩く言う者が現れた。

 夜遊びについて「程々ニなさイ♡」と黙認していた千年伯爵。だが一人の少女は夜中に帰ってきた双子に対し、仁王立ちで立ち塞がる。眠そうに目を擦って、枕を抱えながら。

 

「ッケ、お前につべこべ言われる筋合いなんてねぇっての」

 

「ヒッ!ガキはおねんねの時間だよ!」

 

「ふーん……後で後悔しても知らないよ」

 

 意味深に、何か含みを持った物言いをするマリア。

 それに双子が訝しげな視線を向けつつ耳を傾けたところで、少女は人差し指を立てた。

 

「知ってんだよ、わたし。双子ちゃん(キミら)が夜中に寝ているにも関わらず、早起きだって」

 

 ジャスデロとデビットは日によってだが、ナポレオンの三時間よりも睡眠時間が少ないことがままある。

 早起きの理由はメイクに時間がかかるためだ。昼寝を取るには取っているが、それでも健康的な生活とは程遠い。

 

「確かに二人は見違えるほど大きくなったさ。もうホント、まるで巨人みたい」

 

「お前がチビになったんだろ」

 

「ヒヒッ、そうそう」

 

「ムー、チビじゃないもん!……それでぇ、ジャスデロくんとデビットくんは18歳じゃん?」

 

 双子の身長は伸びはしたが、それでも年下のアレンよりは低い。何なら一つ下のワイズリーの方が高い。

 マリアは二人の周囲を名探偵さながら、ゆっくり回る。

 二人の顔には、いつの間にか冷や汗が浮かんでいた。

 

 

「二人とも思ってんでしょ。「オレたちはまだ成長期だから大丈夫だ!」────って」

 

 

 その考えが甘いと、彼女は続ける。

 

「ここで突然ですが、ノアの中で身長が高い人たちを挙げましょう。千年公にティキ(ジョイド)シェリル(デザイアス)などなど」

 

 このメンツの共通点は、睡眠時間が多い。ティキの場合は双子と同じように夜の街に出かけることが多いが、その分昼に惰眠を貪っている。昼寝を含めたら半日以上寝ている者までいる。千年伯爵である。

 

「それに朝風呂より夜に入った方が、睡眠の質がグンと上がるんだよ」

 

「…別にオレらがどう過ごそうが、お前には関係ねーだろ。なっ、デロ」

 

「いっぱい寝ると、翌朝のキューティクルが半端ないよ」

 

「ヒッ!デロはすぐに寝るよ!」

 

「ちょ……こンっの裏切り者ォ!」

 

「そう言いつつデビも心が揺らいでるんだよ、マリア」

 

「言うなバカッ!!」

 

 ジャスデロの頭をひっぱ叩いたデビットは、唸りながら少女を見た。

 彼の瞳に映ったのは、某ピンク髪の超能力者で、偽装家族をやっている少女ばりのにやり顔を浮かべるマリアの姿。

 

「あぁー…これはもうマジにオレ怒っちゃったわ。蜂の巣の刑だわ」

 

「ヒヒ、マリアに手ェ出したらロードに殺されるぜ?前に寝ている顔に落書きしようとして、ベッドの中にいたロードに見つかって……………ヒ、ヒヒィ……」

 

「それじゃあ、オレはこのイライラをどうすりゃいいんだよ!」

 

 他人の不幸が蜜の味なジャスデロとデビットの好物。それを生み出す方法はイタズラしかあるまい。

 

 ティキあたりでもまた標的にするか。

 明日(というかすでに時間的に明日なのだが)の双子の予定が決まったところで、真っ直ぐに頭上に挙げられる小さな手が一つ。

 

 

「わたしもやる!」

 

「何でお前がノリ気なんだよっ!」

 

「ヒヒッ、ガキになって言動まで子どもっぽくなってるね!」

 

「マリアちゃんはね、がっこうにいかされるときはロードちゃんよりふたつもしたなんだよ」

 

「学校行ってたのかよ」

 

「違うよ。行かされてるんだよ」

 

 成人女性から年端も行かない少女にジョブチェンジしたマリア。別名、年齢詐称女(ティキ命名)。

 

 ロードと千年伯爵から圧をかけられた彼女は、渋々スクールバックを持ち、ロードに手を繋がれて学校に通っている。

 

「つーか何歳なんだよ、お前。それにどうして小さくなってんだ。ワイズリーは「イノセンスの影響で…」とか言ってたけど、イノセンス壊せねェのかよ」

 

「わたしのイノセンス壊したい?デビットくんは」

 

「…………別に、オレはやんねぇ」

 

 壊すことはできるだろう。でも消すことはきっと不可能だ。そも伯爵が動いていないことからも、双子は言われずとも、うっすら理解している。

 壊せばよりイノセンスは少女に絡みついて、その体を害すと。まるで、獲物を絞め殺す蛇のように。

 

「ふふ、イジワル言っちゃってごめんね。──さっ、そろそろメイクを落としてお風呂に入って、寝ようよ。お風呂はちゃんと沸かしてあるからね!」

 

「ヒッ、デロはキューティクルヘアーを目指すよ!」

 

「………ガキ扱いすんな、ババア」

 

「ア゛?」

 

 一瞬の静寂。二人の前を扇動して歩いていた少女の歩が、止まる。ついでに、少女の声帯から聞こえてはならない重低音が聞こえた。

 

 ニッコリと笑うマリアの笑顔に、デビットは激おこの伯爵を幻視した。

 

 

 

 閑話休題。

 

 

 翌日。午前中に各々アイディアを出し合い、ティキに一週間連続でイタズラを仕掛けた双子と少女。

 

 イタズラの内容は定番の大穴ドッキリから分かりづらいものまで、多種多様。一週間の災厄ウィークを終えたティキ・ミックに、三人からさらに、どんなイタズラが仕掛けられていたかの問題も出されたのだった。

 

 さすがにこってり伯爵に叱られたのは、言うまでもない。

 

 頭にたんこぶを作った双子と、おやつを抜きにされた少女。

 この一週間で彼らに悪友の友情のようなものが生まれたとか、生まれなかったとか。

 

 

「ヒヒッ!でも何でマリアはイタズラに参加しようと思ったんだ?」

 

「ん?そりゃ、アレだよ」

 

「アレ?」

 

 

 思い出作り。

 

 窓の外の青い空を見つめながら、少女は言った。

 

 

 とある日の、双子と少女の話である。

 

 

 

 

 

 

 

【風呂】

 

 

 シェリルの養子となった少年、ワイズリー。

 この親子は正反対な性格である。

 

 教養も高く神経質で潔癖な一面を持つシェリルに対し、ワイズリーはとにかくマイペースだ。

 根っからのズボラーな少年は、たとえ自分の体から異臭が漂い始めても気にしない。これまで義理の愛娘を溺愛していた男に、胃痛をもたらしたのだ。

 

「いい加減ッ風呂に入りなさい、ワイズリー!」

 

「イヤだのぉ〜〜〜!!」

 

 潔癖パパVSお風呂大嫌い義理息子の戦いが、今日も幕を開ける。万物を操ることのできるシェリルは力を使ってでもワイズリーを浴槽に入れようとするが、服を剥ぐ段階で逃げられてしまった。

 相手はヒトの精神に介入できるワイズリーだ。分が悪い。

 

 逃走を果たした魔眼の少年は、キャメロット邸をぶらぶら歩く。

 そうしてまた一日が終わる。いよいよワイズリーの風呂に入っていない記録が更新されかけた折のこと。

 

 こういった場合、シェリルが白旗を挙げ千年公に助け舟を求めるのが定番になりつつある。さしもの少年でも、千年公には敵わない。渋々風呂に入る。

 

 だが、今回は別の方向からアッパーを食らった少年は、青天の霹靂と言っても過言でないほどの変貌を見せた。

 

 

「生ゴミみたいな臭いするね、ワイズリー」

 

 

 ロードに引きずられ、風呂に連れて行かれるマリアが発した言葉。若干鼻声なのは、彼女が手で鼻を摘んでいるからだ。

 シェリルから逃げていたワイズリーは、見事に固まった。

 

 歯に衣着せぬマリアの物言い。だが少女からしてみれば、実際に臭ったのだから仕方ない。

 

 この一言が心にグサッと来たワイズリーは悩んだ末、風呂に入ることを決めた。

 ただし、シェリルに一つ条件を出して。

 

 

「マリアと一緒に入りたいのう!」

 

 

 件の少女は、いつもロードと共に入っている。というより、ロードに捕まって入っている。たまにルル=ベルを混じえ、女子で入っていることもままあった。

 

 これがワイズリーには羨ましい。古い「(ワイズリー)」のメモリーの記憶では、「聖母(マリア)」と入浴を共にしたことは何度もある。

 少年の中では湯船を共にしても問題ない。マリアもワイズリーが強請れば「いいよー」と、二つ返事で返すだろう。

 

 だがシェリルと、偶々通りかかったティキも「それってどうなんだ?」という、懐疑的な視線を送る。

 マリアの姿は今ロリボディ。シェリルの対ロード用パパセンサー(?)は、めざとく反応する。

 

「ワイズリーは少女趣味だったわけかい?まさか僕のロードとも……」

 

「違うわい、おぬしと一緒にするな。ロードを見てしょっちゅう鼻血を出しているおぬしが、な」

 

「そうだぞぉ、変態(兄サン)

 

 ドン引きなシェリルに対し、ワイズリーとティキの冷ややかな視線が刺さった。ティキは若干楽しんでいる。

 実際シェリルはドSの、義理娘溺愛男である。ついでに顔面偏差値の高いティキにキッスをかまそうともしてくる。つまり、そう。紛うことなく変態だった。

 

 ちょうどその時、廊下にバタバタと走る二つの足音が響いた。

 

 

「もお〜……さすがにロードちゃんはわたしにベタベタしすぎっ!!」

 

「待ってよマリア!!」

 

「わたしだってたまには一人でゆっくり入りたいもん!」

 

 廊下に佇む男三人のもとへ、体にバスタオルを巻いた少女二人が駆けてきた。シェリルはロードを見て「!?」と驚き、ティキは面倒な空気を察知する。だが逃げる前に、ティキの後ろにマリアが隠れた。

 

「わたしジョイド(お義父さん)といっしょに入る!」

 

「えっ、無理」

 

「ティッキーとなんてダメ!何されるかわからないし!千年公とだったらいいよ!!」

 

「無理、って言ったの聞こえなかったか?それと俺にあらぬ容疑かけるのやめてくんない?」

 

「たまにはデザイアスと入ってあげなよ、ロードちゃん!」

 

「無視すんなよ、おい」

 

 いやだ、と言おうとしたロードは、後ろから感じた黒いオーラにハッとする。

 ショックを隠しきれないシェリルが、今まさに膝から崩れ落ちそうになっていた。さながら、この世の終わりのように。

 

「お、お父っ様…」

 

「ロードが僕のこと、ロードが僕のこと、ロードが僕のこと、ロードがロードがロードがロードが────」

 

「ぼ…………僕、お父様といっしょにお風呂入りたくなって来ちゃった!」

 

 上目遣いの娘のサービスに、途端にシェリルの機嫌が直る。彼は花を飛ばし、娘を抱き上げた。

 そのまま風呂に行く二人に手を振るマリア。シェリルの肩口から顔を覗かせ、頬を膨らませたロードの姿が遠ざかっていく。

 

「いいのかよ?あの調子だと絶対に面倒な拗ね方するぞ、ロード」

 

「でも毎日のように、ロードちゃんに密着24時されろっていうの?わたしでもさすがに疲労困憊だよ……」

 

 おはようからおやすみまでロードと一緒の生活。

 マリアもいくら愛しているとはいえ、彼女もまた一人の人間。個人の時間が欲しい。

 

「のの……マリア、さっき言っておったが、本当にジョイドと一緒に入るのか?」

 

「えっ?ムリ」

 

「ソレ、俺のさっきのセリフなんだが」

 

「いや、別に一緒に入ってもいいけど、お義父さまの顔がムリだからムリってこと」

 

「ハァ………あのさ、俺だってキレるんだからな?」

 

 身内からの扱いが雑になっているティキは、拳でぐりぐりと少女の頭を攻撃する。加減されたその威力はほぼない。

 

「そういやワイズリーがよ、あんたと一緒に風呂に入りたがってたみたいだけど」

 

「えっ、千年公じゃなくてわたしと?」

 

「の、ののの!?なぜ言ってしまうのだ!」

 

「ふーん……」

 

 少女の口元が弧を描く。嬉しそうに笑うマリアは、ワイズリーの手を握った。

 

 

 

 かくして少年は、母と風呂を共にすることになった。

 よほど嬉しかったのか、少女から女性の姿へと一時的に体を戻したマリアは少年の髪を洗いながら、鼻歌を歌う。

 

「母上は随分と上機嫌だな」

 

「うふふ。だってあなたが久しぶりにこの母に甘えてくれたんですもの」

 

「……だが、今の状態で体を戻しても大丈夫なのか?肉体に負担が…」

 

「大丈夫よ。結構吐血するだけだから」

 

「そうか、結構吐血を……………全然大丈夫じゃないではないか!!」

 

「あははっ、吐血くらいで──ゴフッ!」

 

 

 浴室が、まるで殺人現場の有様になったのは言うまでもない。

 それでもマリアは、風呂に出るまで姿を戻すことはなかった。体を綺麗にするはずが、結果としてワイズリーの体は真っ赤に汚れた。

 

 しかしその温い血に、少年が妙な安心感を覚えてしなったのもまた、事実である。

 

 

 死にたがりだった母はこうして、家族(ノア)と共に、今を生きている。

 

 

 

 

 

 

 

 

【歌】

 

 

『────♪』

 

 黄金色の小麦が風に揺られる中、それに混じって女性の歌声が響く。

 ベランダのロッキングチェアに揺られながら、女は毛糸で編み物をする。

 

『カテリーナ様は歌われるのがお好きですね』

 

 編み物をするカテリーナの側に立つのは、キャンベル家のメイドの女。黒い瞳をジッと、己の主人に向けている。

 

『気持ちが落ち着くの。それに歌はスゴいのよ』

 

 古い、それこそ紙に残されていないような記録も、先人が残した歌によって伝聞され、残されている。あるいは教会に集まって歌う少年少女の聖歌。あるいは、幼子を眠りに就かす子守唄。

 

 人間に結びつき、その心を魅了する。それが歌。

 少なくともカテリーナは、そのように考えている。

 

『あなたも何か歌って欲しい曲があるなら、歌ってあげ………あっ』

 

 そこでしまった、というようにカテリーナは口を押さえる。最近彼女が拾ったこのメイドは、このキャンベル家で働く以前の記憶が一切ない。

 それこそ、自分の名前以外を除いて。

 

 

『──────アヴェ・マリス・ステラ』

 

 

 メイドの口から滑り落ちたのは一つの曲の名前。

 聖母に捧げる歌だ。

 

『あら、どこでその曲を知ったの?』

 

『………?わかりません。でも、何となく頭の中に浮かびました』

 

『そう…なら、私が張り切って歌ってあげるわ!』

 

 一旦手を止め、ロッキングチェアからカテリーナは立ち上がる。双子の赤ん坊のために作っていた編み物は椅子の上に置かれた。

 

『じゃあ聞いていてね!』

 

『はい』

 

 フンス、と鼻を鳴らすカテリーナを見たメイドの顔は、無表情だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 

「むにゃ……」

 

 マリアは、瞳を擦りながら体を起こした。

 辺りを見回せば周囲はうすら赤く染まり、真上にはより暗い色が広がっている。その中にぽつんと、一番星が出ていた。

 

「起きたんデスか?」

 

「ん?…………うわっ!」

 

 少女はすぐ真上から聞こえた声に視線を向ける。そこには人間の姿の千年伯爵の顔があった。

 

 伯爵はキャメロット邸のバルコニーでロッキングチェアに座り編み物をしていたようで、マリアはさらにその膝の上に腰かけ寝ていたようだ。

 

 先まで置く場所がなく少女の体の上に乗せられていた編み物一式は、彼女が飛び起きた拍子に吹っ飛んでいる。

 虚しくも残されたのは伯爵の両手にある二つの棒と、編み物の一部のみ。

 

「あ、そうだ。わたしってば、千年公のお腹を枕にして本を読んでたんだっけ……」

 

「随分ぐっすり寝テいましタね」

 

「うん、だって枕に弾力があるから」

 

「………」

 

「……ハッ!べ、別に千年公が太ってるってわけじゃなくて、これは世では「ぽっちゃり」認識だから!ぽっちゃり!」

 

「………グスン」

 

「あぁ、千年公が泣いちゃったぁ…」

 

 確かに同じ身長のティキと比べれば体つきに差があるが、枕にするならば多少太っている方が都合がいい。その点で言えば、千年伯爵の腹はマリアにとって100点満点である。

 

 ちなみに、ノアの中で一番涙腺が脆いのが誰なのか選ぶとするなら、満場一致で千年公が選ばれる。

 

「うぅ、泣かないでよう……そうだ!」

 

 マリアはふと夢で見た歌を思い出し、伯爵に抱きつきながら歌う。

 少女の手では絵面的に抱きしめるというより、しがみつくような格好になる。

 

 その歌は、聖母のイムヌスではない。かつて壊れたメイドが仕えていた女がよく歌っていた曲。

 その曲の名前をマリアは知らない。あるいはこの歌は、あの主人自身が作ったものだったのかもしれない。

 

 とても良い曲であると、少女は思う。

 それはひとえに、心から歌を愛する女が紡ぎ出す歌声だったからこそ、気に入ったのだろう。

 

 

「────♪」

 

 

 その歌に、伯爵は一瞬固まり、目を細める。

 

「何の曲デスカ?」

 

「────、さぁ?知らない。でもとてもいい歌でしょ」

 

「……えぇ、いい歌ですネ」

 

 しばしキャメロット邸のバルコニーで、少女の歌声が響いた。

 

 夜が深まるまで、あともう少し。それまで少女と伯爵は、束の間の時間を過ごす。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 

「何だか上機嫌だのう、マリア」

 

「そーお?」

 

 キャメロット邸の書庫。多くの蔵書があるその部屋で、夕食を終えたマリアは読書に耽っていた。

 いつもならロードがべったりしているが、今日はシェリルとその妻、三人で出かけている。彼女は現在家族サービス──否、パパサービス中だ。

 

「千年公と二人っきりって、あんまりなかったから」

 

「なるほど。だから上機嫌なのか」

 

「…まぁ、わたしのメモリーの状態じゃ、アダム()と一緒にいることが結構危ないんだけど………今日は何て言うのかな。すごく、穏やかに過ごせた」

 

「ふふ、そうかのう」

 

 文字を追っていた視線を止め、マリアは空中をぼんやり眺める。

 

 黄金の世界。そこで歌うカテリーナ。懐かしい光景。

 今日見た夢は、初めて見るものだった。

 

 

「────♪」

 

 

 徐に少女は、夢の中の歌を口ずさむ。

 その瞬間、「え」と、ワイズリーの口から発せられた言葉。

 

「…何?」

 

「い、いや、何でもないのだ」

 

「何でもなくないでしょ。どうして急に汗をかくのよ」

 

 ワイズリーの額からはうっすら汗が滲んで、こめかみを伝う。少年の表情をじっと見つめたマリアは本を置き、ジリジリ近寄った。逃げを打つ少年に。

 

「何さ何さ、何かまずいことでもあるの?」

 

「い、いやぁ……」

 

「ひどい、わたしに隠し事するのぉ…?」

 

 キュルンと、瞳を潤ませマリアは泣いたフリをする。嘘泣きは側から見れば一目瞭然だが、うっ、と少年は分かりきったトラップに嵌る。

 

「……は、母上、どうしても話さないとダメか?」

 

「えぇ。だってあからさまに怪しいし、気になるよ」

 

「うーん……」

 

 ワイズリーはマリアの頭に手を乗せ、そのままポンポンとリズムを刻む。

 唸るような声が続き、少年は深く息を吐いた。

 

「怒らないなら話すのう」

 

「わたしが怒る前提の話なの……?」

 

「その……母上にはまだ、隠していたことがあったというか…」

 

「ハ?」

 

「うっ…!お、怒るならワタシは話さないのだ!」

 

「怒らないから話しなさい。いいですね?」

 

「その口調、絶対怒られるのだ……」

 

 床の上に正座させられたワイズリー。マリアは少年の前に腕を組んで立った。だが少女の見た目ゆえ、恐怖よりも愛らしさの方が勝っている。だが、少年の内では恐怖に軍配が上がる。

 

「──で、魔眼のあなたが秘密を作るなら、大方記憶関連のことなんでしょうけど、このわたしに何を隠しているのかしら?」

 

「………その、マリアの記憶をだな」

 

「わたしの記憶?」

 

「ちょっと、いじっておったのだ。ワ、ワタシが」

 

「………え?」

 

 マリアの──いや、この場合は「聖母」の記憶か。

 それをワイズリーはイジったのだという。

 

 しかして「智」が他のノアの記憶に介入することができたとしても、千年伯爵や「聖母」には記憶をいじることはできないはずだ。

 

 あくまで彼がまだエクソシストだった頃のマリアに「聖母」の記憶を見せることができたのは、彼女が完全に覚醒していなかったからだ。今となっては彼女の記憶をどうこうするのは難しいだろう。

 

 

「ただ、唯一例外があったのだ。それはキャンベル家でメイドをしていた頃の「聖母」だ」

 

「…!あぁ、なるほど。そん時壊れてたからねぇ、わたし」

 

「壊れ、()、コワ………………14番目ェ……!!」

 

「急にネアへの復讐スイッチ入れるのやめようね、ワイズリーくん」

 

 額に聖痕が浮かび褐色肌に染まるワイズリーをあやすように、少年の背を叩くマリア。

 歯を軋ませていたワイズリーは落ち着きを取り戻し、一つ咳をこぼした。

 

「それで、わたしが壊れてたからこそ君が「聖母」に介入できたのは分かったけど、わたしの記憶をどう変えたの?」

 

「それは……あの女だ」

 

「女?」

 

 

 ──────カテリーナ・イヴ・キャンベル。

 

 

 今度はマリアが目を丸くし、固まった。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 

 あるいは「イヴ」の名を持つ彼女がネアとマナを拾ったのも、一つの運命だったのかもしれない。

 

 ミドルネームにあたるこの「イヴ」。

 

 ミドルネームを付ける習慣は古代ローマから来ており、18世紀にその習慣がヨーロッパ諸国に広がった。特に貴族の間で広がり、彼らは生まれた我が子に好きな名前、もしくは聖人の名前を付ける際に迷った時、二つの名前を付ける、という形で習慣化されて行った。

 

 この場合ファーストネームの「カテリーナ」は、イタリア語で“純粋な”を意味する。

「イヴ」は聖人ではないが、中世ごろから国によって聖名祝日が祝われてもいる。

 

 

 

「え、う、え、……あれ、カテリーナ()って「イヴ」だったっけ?あれぇ…?」

 

「母上、落ち着け。母上はキャンベル家のメイドではないだろう」

 

「えっ?わたしはカテリーナ様の……………あ、そうね。メイドじゃなかったわ」

 

「ハァ……」

 

 途端にマリアの様子がおかしくなった。これだからワイズリーは教えたくなかったのだ。

 

「ホホホ…ごめんなさいね。んで、察するにカテリーナ・キャンベルのミドルネームを忘れさせたわけ?確かに当時のわたしが「イヴ」って言葉を聞いたら、どうなるか自分でも分かったもんじゃないけど」

 

「それも理由の一つだが、カテリーナがキャンベル家の当主を退いた後の部分も記憶を改竄しておる」

 

「ホォ?」

 

「睨まないで欲しいのう…」

 

 カテリーナは当主の座を弟に渡した。

 そしてそれから歳月が経ち、彼女は病気で死んだ。元の美貌が見るも無惨に、真っ黒に。流行病ということもあり、その遺体は体を布で覆われ、その側でメイドの女は冷たい手を握り、座り込んで泣き────、

 

 

「多くの人間を殺す流行病に罹った人間を、屋敷に残しておくと思うか、母上」

 

 

 貴族だからこそ、使用人も多くいる。当主になった弟や、双子も。

 赤ん坊と壊れた女を拾ったことを踏まえても、優しきカテリーナならば屋敷に残るだろうか。伝染病を他の人間にうつしてしまうかもしれないのに?

 

 それに彼女の墓は、屋敷からはるか遠い場所にあった。流行病に罹った人間が埋められる、いわば集合墓地だ。そこに骨が埋められた。別に屋敷で死んだなら、わざわざ遠い場所でなくともよかっただろう。伝染病の遺体でも、ある程度距離を置けば────それこそあの黄金の世界の片隅にでも、よかったはずだ。

 

 彼女の好いていた、あの世界に。

 

 

 

 

 

「ふ、ふふ、ふふふふふふ」

 

 

 マリアは笑う。覗いた口の隙間は真っ黒に染まり、両目からは血が流れる。瞳も白眼を含め、黒く彩られる。

 ガリガリと、伸びる爪で彼女は頬をかいた。当然そこからは血が流れ、ワイズリーは慌てて少女の手を掴む。

 

「カノジョ、歌が好きでした。歌」

 

 カテリーナの黒くなった手を握り埋葬までの一夜を過ごしたあの出来事が、偽りならば。

 彼女が当主をやめ、その間過ごした日々がニセモノならば。

 

 果たしてその時壊れたメイドはどう過ごしていたのか。

 双子がまだ幼かった頃、優しく接していた使用人たちの態度が変わった理由は本当に、メイドの女の姿がずっと変わらなかったから、恐れたのだろうか。

 

 

「カテリーナは当主を退いた後、屋敷にはいなかったのだ」

 

 

 いなくなったカテリーナ。

 その時壊れたメイドは、何を「カテリーナ」と呼んでいたのだろう。誰を、「カテリーナ」と呼んでいたのだろう。

 

 壊れた聖母。彼女にとって人間は老若男女問わない。いや、愛護すべき子どもを除きすべて等しい。

 

 であるなら彼女には、判別能力がない、と考えていい。

 

 そんな彼女は人間を見て言うのだろう。

 

 カテリーナ様、と。

 

 

 

「…母上」

 

 ワイズリーは呼吸の上手くできぬ少女を抱きしめ、抱え上げる。

 幼子をあやすように少女の背を叩き、彼は書庫を後にした。

 

 

 ワイズリーは少女の頭に手をかざす。

 

 彼は一つ、黙っている。

 

 確かにワイズリーが「聖母」の記憶をいじることは難しいだろう。

 だが、かつてのメイドの女よりも、今のマリアの方が壊れている。

 なぜなら壊れきった末に、今の「マリア」がいるのだから。

 

 

 

「悪夢はもう良いだろう、母上」

 

 

 

 忘れてしまえばいいのだ、悪夢など。

 

 少年はカテリーナと壊れたメイドが共にいた記憶を消す。

 マリアはカテリーナの歌を聞いてはいない。

 そして赤い瞳を持つ少年と屋敷で会ったことも、覚えていない。

 

 聖母(イヴ)に救世主は居ないのだから。それこそ、ノア以外に────千年伯爵(アダム)以外に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 果たして「聖母(イヴ)」の名を持つカテリーナ・キャンベルの墓は、どこにあるのだろう。

 

 彼女の柩は、どこにあるのだろう。



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ノアの日常2

今回は短め。ウィンター号発売日だぜ。
次がこのお話の幕引きになると思います。番外はまた気が向けば書くかもしれません。


【パパと娘】

 

 

 学校から帰宅して、さっさと自分の宿題を終わらせてからロードちゃんの宿題を手伝っている。

 

 わたしはともかくロードちゃんは35年以上生きているんだから、義務教育で習う範囲は一通りできるはずだ。しかしその上で、わからない、と言う。

 

 つまりこれは、彼女の甘え。わたしにかまって欲しくて仕方ないんだ。

 この──何といじらくして、愛らしいことか。

 

 ただ、面白見たさでやっている部分もある。その最たる被害者がわたしの義父(パパ)だ。

 そんなパパの格言が、「たし算とひき算ができれば人間生きていけんだろ」である。こわい。

 

 とは言いつつ、ロードちゃんの宿題を解いている様子をたまに見るから、少なくともジュニアスクールで習う程度はできるでしょ。

 

 

「いや、普通にティッキーが解いた問題間違ってるよ」

 

「え……?」

 

「だからボクが後で直してんの」

 

「えぇ……?」

 

 本格的にジョイドに義務教育を受け直させなきゃダメだ。そもそもあの放浪癖の男が、ノアに覚醒する前に学校に通っていたとも思えない。

 

 それを言うとあの肉体はネアのものであるはずだから、今のジョイドの精神は記憶と共に新たに植え付けられたものかもしれないとか、思考の堂々巡りに陥る。仮に本当に植え付けられたものなら、そんな所業ができるのは千年公しかいない。

 

「うぅ…」

 

 プシュウ、と音を立てて机に突っ伏したわたしの頭を、右手でペンを回しながらロードちゃんが撫でてきた。

 

「そんなにボクの宿題難しかったぁ?」

 

「わたしが宿題で悩んでるわけじゃないって、わかって言ってるでしょ……もう」

 

「そんなにいっぱい悩まなくていいんだよ、マリア」

 

 

 母を苦しめるものがいるなら、母を脅かすものがいるなら。

 

 わたしに害をなすもののすべてを滅ぼしかねない真っ黒な瞳が至近距離にまで近づいて、めいいっぱい抱きしめてくる。

 

「よしよし、大丈夫。ボクがいるからねー」

 

「わたし子どもだけど、子どもじゃないんだけどなぁ…」

 

 ロードちゃん、わたしがこの姿になってからすっかりお姉さんムーブを気にいってしまった。もちろんそれ以上に甘えてくるけどさ。

 

 

 

 ギュウギュウ抱きしめられて窒息が脳裏に過ぎった時、方舟が動く気配があった。

 

 ちょうど現在、14番目捕獲隊メンバーによる鬼ごっこが開催されている。今日もまた失敗に終わりそうだ。ネアが捕まったら、それはそれでからかい倒すつもりである。

 

 デザイアスは大臣の仕事のため此度は不参加で、ジョイドにワイズリー、フィードラの三人が参加中。

 千年公は以前の一件以来、ノアからネアとの接触禁止令が出されている。彼はションボリしていたが、仕方ないだろう。

 

 

「落ち着くのだ、ジョイド!!」

 

「い、痛いぶう〜〜!」

 

 しかして、今日は様子が違った。いつもならフィードラ以外疲労困憊の体であるのに、ジョイドを抑えるように男二人が引きずられている。

 

「…あっ、ティッキー自我がメモリーに飲まれかけてんじゃん!」

 

 ようやくわたしから離れたロードちゃんが、椅子からひょいと降りてジョイドの元へ近づかんとする。

 

「危ないよ、ロードちゃん。ワイズリーとフィードラに任せておこうよ」

 

「でも、ティッキーが心配だからさ」

 

「じゃあわたしも行く」

 

「ダメ!マリアじゃ簡単に吹っ飛ばされちゃうから」

 

 ロードちゃんも似たような体の強度だと思うけどな。いくら現実世界の肉体にケガを負っても、平気だからって。

 

 

 結局付いて行こうとしたけど、ロードちゃんが呼んだ千年公に捕まった。

 わたしは彼とティータイムを取ることになり、そのままふくよかな腹を枕にして寝た。安眠だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 

 場所はこぢんまりとした駅内にあるベンチ。真っ昼間、わたしともう一人以外ヒトの姿はない。

 

 いやまぁ、どうしても来るのを譲らなかったドレットヘアーの人形が一体、わたしの手荷物の中にあるんだけど。

 

「ど」が付く田舎にいる現在地。電車もいつ来るかわからない。書かれているはずの時刻表は雨風にさらされた影響で、ちょうどその部分が見えなくなっている。

 

 

「よかったねェ、しばらく休暇が取れて」

 

「何でお前がいるんだ…」

 

 

 ジョイドはそりゃあもう、本当にウンザリって顔でため息をつく。パパが娘と旅行に出かけることの何がおかしいと言うのだろう。

 

 ただしこの旅は行き当たりばったりの、恐ろしいほど無計画な上で成り立っている。

 

 いつも天パ気味の髪をさらに磨き上げた、浮浪者の出立ちの男。端正な顔も無精髭と瓶底メガネに隠されて、もはや元の面影もない。

 

 

「だけど、よくこの状況で千年公も許してくれたよなぁ」

 

「健全なる精神は、健全なる肉体に宿るってやつだよ、パパ」

 

「おう」

 

「………」

 

「…おい、そんな冷めた目で俺を見んな。意味はわかってるよ、流石に」

 

「………」

 

「つまり、健全な心は健全な体に宿る、って意味だな」

 

「…………体が健康であれば、それに伴って精神も健康であるってこと」

 

「へぇー、アンタ俺より頭いいな」

 

「うふふ、当然ですわ。この世界の大多数がお義父(とう)さまより頭がいいでしょうね」

 

「ヒデェこと言われてるわ、一応義理の娘に」

 

 双子だったら秒で激昂しそうなものを、ジョイドはさほど気にした様子もない。これで内心本当に大して傷ついていないのだから、とんだ大物だ。

 

 

 飄々として、掴みどころのない。その性格は元来の性格でもあり、メモリーに影響もされている、両方のものなのだ。

 

 でも、だからこそ一つの物事に捉われ過ぎていると、この男の精神はたちまち大波に攫われるが如く不安定と化す。最近はずっとノアの仕事でオモテの、一般の人間として根無草の生活を過ごせていなかったから、その均衡はより崩れやすくなっている。

 

 要するに、ストレスが溜まってるってこと。

 

 心が健全でない。

 

 

 

「さっきの「健全なる精神の…」のついでに、ジョイドに蘊蓄(うんちく)を授けてあげるよ」

 

「おぉーどうぞ」

 

「わたしが話した「健全なる精神は、健全なる肉体に宿る」には元ネタがあってね」

 

 1〜2世紀のローマの詩人、ユウェナリスという人物の『風刺詩』の一節から。その中に、人間が神に対して、健全なる体に健全なる精神が与えられるよう祈るべき──とあり、これが「祈る…」の部分が省かれて、今のような形で使われるようになった。

 

 

「この「健全の精神と肉体」が真に神に授けられているとして、精神と肉体を別個のものとして考えられるから、(14番目の肉体を持つ)あなたに正常に適用されるかわからないけど…」

 

「?いや、俺は俺だろ」

 

「……そうね。ジョイドはジョイドね。顔が気に食わないだけで」

 

「アンタほんと嫌いだよな、俺の顔…」

 

 肉体と、精神。これに魂を入れたら三位一体。

 

 わたしの精神は極地までぶっ壊れて、その末で肉体は一度滅んだ。けれども新たな神の肉体()を用意されて、そこに魂を入れられた。それがかつての、まだなーんにも思い出していなかった頃のわたし。しかし『聖母』の精神(メモリー)が舞い戻り、今のわたしがいる。

 

 

「あっ」

 

 

 遠くで濛々(もうもう)と、黒い煙が森の頭上に覗き見えた。ようやく汽車が来たらしい。

 

 ジョイドのダルダルなズボンを支えているサスペンダーを引っ張って知らせる。彼の顔を見たら、思ったより近くに瓶底メガネが存在を主張していて驚いた。

 

 14番目(あの子)の顔が、頭の中で回る。

 

 

「…なに、アンタが考えてるかは知らんが。というか、何を抱えているかは知らないけどな」

 

「……何よ」

 

「俺たち家族から見て、心も肉体も健全とは対極に位置してそうなアンタにこそ、休む時間が必要だと思うぜ」

 

「今がその時よ」

 

「俺と旅をすることが、か?だったらロードやワイズリーと連んだ方が、アンタ的には幸せなんじゃないのか?」

 

「…勘違いしているようだけど、確かにあなたの顔は嫌いよ。けれどあなた自身は好き、愛している。だって家族だもの」

 

「……………お、おう。急なデレだな」

 

「それに、思い出はいくつあってもいい。でしょ?」

 

「思い出ね…」

 

 旅の途中で、ジョイドはオモテで親交のある人間たちとも会った。その時ばかりはわたしも息を潜ませて、ロードちゃ……人形ちゃんと遊んでいた。

 

 

 ──────思い出を持って、マリアはどこへ行っちゃうの?

 

 

「ロード…?」と、ジョイドが辺りを見回した。ロードちゃんには連れてくる代わりに、人形役に徹するよう約束したんだけどな。

 

 汽車はすでに着いた。車掌がわたしたちが乗り込むのを眉を顰めて待っている。

 

 

 

「“始まり”に向かって」

 

 

 

 始まりの前には当然、終わりがある。

 終わった後も、一つの星の光だけは潰えることはない。

 マリス=ステラ。

 

 わたし(あなた)だけは輝き続けて、新たな命の門出を祝うのでしょう。

 

 そうして世界というものは、飽くことなく繰り返し続けている。



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【終幕】舞踏会

お久しぶりです。番外編は一応これでラストです。


「…武道会(ぶどうかい)?」

 

「いえ、舞踏会(ぶとうかい)デス」

 

 

 休日、キャメロット邸にある庭の小池。

 

 瓶底メガネ姿なティキ(パパ)の釣りに付き合っていたら、おやつの入ったバスケットを片手に千年公がやってきた。

 ちなみに千年公はオフの時は人間の姿である。

 

 ネアの肉体(ティキ)(多分)とアダムの因子(千年公)に挟まれて少し気分が悪くなったから、バスケットだけ盗んで退散しようとした。

 その矢先に舞踏会デビュウの話を持ちかけられたのだ。

 

「つーことは、大々的にお前が俺の養子だってことが知られるわけか」

 

「独身の子持ち男でも、その顔だったら引くて数多だよ」

 

「メンドクセー…」

 

 令嬢に集られるのが内心では億劫なパパは、社交界が好きではないらしい。

 わたしも人間がたくさんいるところはあまり行きたくないなぁ。

 

 乗り気じゃないわたしたちに、千年公は「ニコッ…」と笑みで返した。

 いくら嫌がっても参加させられるね、これは。わたしの体調が良くなかったら無しになると思うけど。

 

「せっかく新しい“家族”のお披露目の機会なンですから」

 

「んー……千年公が言うなら、しょうがないなぁ」

 

 目の前にあった中年太りの腹に抱きついて、抱っこしてもらう。そのまま千年公に甘えていたら、後ろで激しく水のはねる音がした。

 

 

「コイツァ大物だ!」

 

 

 ジョイドの釣り竿がこれ見よがしにしなっていた。瓶底メガネ男の死闘は数分続いて、釣れたのは鯉である。それをこなれた様子で丸焼きにし始めたパパ。何してんの? 

 

「千年公と……お前も食うか?」

 

「ダメだよ! 衛生的に──「いただきマス♡」………千年公!?」

 

 食べるの!? 本当に食べちゃうの千年公!!? 

 戸惑っていたら、男二人はすでに何匹か釣れていた魚も火であぶり出した。幻覚か、魚の目から涙が流れた気がする。

 

「なんだか美味そうなにおいがするのう…」

 

 どこからともなくワイズリーもやって来た。この子、今の時間はシェリル(デザイアス)とマナーのお勉強中じゃなかったっけ?

 

「フフン、逃げてきたのだ」

 

「知らないからね、怒ったデザイアスはねちっこいのに」

 

「その時は千年公に助けてもらうのう」

 

 その間も順調に調理は進んで、間もなくして焼き魚が完成した。

 

「どうぞ、マリア」

 

「わぁ! あっ、ありがとう千年公……」

 

 わたしには一番大きいものが渡された。

 

 

「うまいっ!」

 

 

 想像以上に美味しかった。思い返せばマザーの元を離れて各地をフラフラしていた数年の間に、同じようにワイルドな食生活を送っていたな。なつかしい。

 

 アレは生きるために必要なエネルギーを摂らなけれなばらなかったから、仕方なかった。今は貴族の家柄ということもあり、食に困窮することはない。

 

「のどに骨が刺さらないよう、気ヲつけてくださいネ」

 

「はぁーい!」

 

「すっかり子どもの姿が板についたのぅ、マリア…」

 

「中身はパパと同じくらいだもん!」

 

「フッ…」

 

 おいそこ、瓶底メガネの君、鼻で笑うんじゃない。絶ッッ対、「年齢詐称女」って思ってるでしょ? 

 ワイズリーも胡乱な目をしない。実際に今の体で生きた年月は二十年といくらかだもの、嘘は言っていない。

 

「ウエーン、パパとワイズリーが意地悪するよう、千年公!」

 

「フ、フフッ……棒読みすんな…!」

 

 ツボったらしいジョイドはむせたのか、途中で大きく咳をこぼす。魚の小骨が喉に刺さってしまえ。

 

 

 そうして四人で団欒していられるのも、あと少し。

 

 数分後、ガチ切れのデザイアスが襲来したことで、場は解散となった。首根っこを掴まれて回収されるワイズリー。ジョイドも池の魚を密猟した罪で怒られていた。

 

 千年公は注意された程度で解放されて、わたしと昼寝することになった。この時には所用でいなかったロードちゃんも合流して、二人で千年公のお腹の上で眠った。

 

 穏やかな午後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 

「ボクとダンスの練習をしよう!」

 

 マリアが舞踏会にはじめて参加する話を聞いたロードは、いの一番にダンスの相手を申し出た。今度のパーティーでは子供同士で踊る催しがある。

 

 中身は大人でも、子ども姿のマリアはもちろんこれに参加することになる。

 

「ボクが男の子役するから」

 

「ダンスかぁ…」

 

 マリアがお貴族のパーティーに出たのは、覚えている限りで数百年単位で前のことだ。淑女とは何たるかを心得ているが、過去の教養や知識が今でも役立つかと問われれば、要所要所だ。役立つ部分もあるし、役立たない部分もある。

 

 少なくともダンスの作法や技術は大きく変わっているだろう。ゆえに練習なしでぶっつけ本番というわけにはいかない。

 

「じゃあ今度のダンスの授業楽しみにしててね、マリア!」

 

 

 

 そしてダンスの授業初日。

 

 ダンスの指導はこの手の類に精通しているシェリルで、お貴族勉強のためにワイズリーも参加させられた。

 

 ロードは芭蕉服姿で、髪をオールバックにしている。一方でマリアはデコルテが強調された漆黒のドレスだ。下にいくほどその色に深緑のグラデーションが入り、動くたびに装飾された宝石がキラキラと輝く。

 

 事前にAKUMAが採寸した大きさで、寸分の狂いもなく製作された衣装。マリアのドレスはロードが選んだ。

 

 他にもいくつか見繕ったドレスがあくまで練習用なのだから、家柄の裕福さがうかがえる。

 

「ワイズリーが死んだ顔なのはどうして?」

 

「ここのところ、厳しく僕が貴族の作法を教えてるからだよ」

 

 シェリルはニコッ…と義理息子の方を見て笑う。芭蕉服でもターバンは相変わらずなワイズリーが頭を押さえた。

 

「はぁ、はぁ、おえっ……ず、頭痛がして来そうだ……」

 

「まぁ最近逃げてばかりだったからね、諦めなよワイズリー」

 

「辛辣なのだ、マリア…」

 

「ではそろそろ始めようか」

 

 

 最初はダンスの大まかな種類の説明が入り、その中でも社交界用のダンスの話に移る。

 

 最低限の技術を覚えるところからスタートして、お手本をロードと腰を下ろしたシェリルが見せて、それを真似る形でマリアは踊った。やはりうん百年前とは大きく違う。

 

「ロードちゃんと踊れてニッコニコだなぁ、デザイアス……」

 

「ののの? ロードとデザイアスの手本を見てから踊るなら、儂とマリアで踊れば良いのではないか?」

 

「ハァ?」

 

「マジトーンでキレるな、ロードよ」

 

 どの道踊るにせよ、ワイズリーとマリアでは身長差があり過ぎる。ロードとでさえマリアは小学低学年と高学年ほどの差があるのだ。

 

「マリア、もっとくっ付いていいよ」

 

「う、うん……あっ! ごめんね、靴踏んじゃった…」

 

「大丈夫、全然平気だよぉ。疲れたらいつでも言ってね」

 

 慣れない形での踊りと慣れない子供サイズの体で、マリアはミスを連発した。

 それをロードもワイズリーも微笑ましく見つめ、シェリルは写真機を片手に鼻血を流す。

 

「スゥー……フゥー……。芭蕉服姿も可愛いなぁ…さすがボクの愛娘……少女二人で踊る姿は絵になるなぁ………」

 

「その少女二人の空間をぶち壊しにするな、義理父(オトウサマ)

 

 なおも「パシャ! パシャパシャシャシャッ!」という音が授業の終わりまで続いた。

 

 くたびれたマリアは肉体に引きずられて、とうとう眠ってしまった。仕方なくシェリルが抱っこして、ロードが横に続く。ワイズリーはその後方で写真機を持ちながらゆっくり歩いた。

 

 眠る少女をチラチラ覗きこむロードに、シェリルは前々から思っていたことを尋ねる。

 

「ロードは本当にこの子が好きなんだね」

 

「うん。千年公と同じくらい大好きだよ」

 

 それは言い換えれば、「メチャクチャ好き」ということ。

 ノアのメモリーの『(デザイアス)』らしく嫉妬心を浮かばせるシェリルに、ロードは子供らしからぬキレイな微笑みを見せる。

 

 

「ダメだよぉ、お父様。お父様がボクのことだ〜い好きなのは知ってるけど、マリアのこと傷つけたら絶対に許さないからね」

 

 

 そう言って、ロードは空いている方のシェリルの腕に抱きついた。

 今度はあざとく、あどけなく笑う。

 

「もちろんお父ッ様のこともだ〜〜い好き!」

 

「はぅ…! 僕の愛娘がこんなに可愛い!! ワイズリー、ボケっとしてないで今この瞬間のロードを撮るんだ!」

 

「人使いが荒いヤツだの…」

 

 パシャと音が鳴り、一見すれば娘二人と父親の仲睦まじい光景が撮れる。

 写真機から出たその一枚をじっと見つめたワイズリーは、男の腕の中で眠る少女の姿を見つめた。

 

 幸せそうに、眠っている。

 

「どうしたんだい、ワイズリー?」

 

「……何でもない、デザイアス」

 

 ターバンを目元まで下ろし深い息を吐いた青年は、目をつむった。

 

 あぁ、なんて穏やかなのだろう。彼らはこの世を破滅(デス)に導かんとしているのに。

 

 魔眼の瞳からこぼれた雫が布に滲んだ。

 

 

「憎いぞ、神よ」

 

 

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 

 舞踏会当日。前日からソワソワしてあまり眠れなかったマリアは、侍女AKUMAに朝から入浴やら化粧やら着替えやらで、お昼を迎える前に一度おやすみの世界に入った。

 

 AKUMAは相手がノア様ということもあり、オロオロして起こせずにいる。

 そんな中、ひと足先に身支度を終えたロードが部屋に突撃した。そして眠る少女の姿を見るなり声を荒げる。

 

「今日の主役はマリアなんだよ! 寝ちゃダメだって!!」

 

「ムニャ………雲は全部わたあめでできてるの!?」

 

「んもう〜! 幸せそうな夢見てないで、起・き・て!」

 

 ワイズリーや双子あたりだったらしばいて起こすが、ロードは能力を使って雲をムシャムシャしていたマリアを夢から引きずり出した。

 

「……んん? おはよう、ロードちゃん」

 

「もうこんにちは、だよ」

 

「うん、おやすみ……」

 

「だから寝ちゃダメだってば──ッ!」

 

 結局おやつ時までマリアは起きず、馬車で会場に向かう際も呆れた様子のティキの目の前で眠っていた。

 

 今回舞踏会に参加するのはキャメロット夫妻とその娘(シェリルとロード)。それにティキとマリアに千年伯爵だ。

 

 ワイズリーは留守番だった。まだ人様の前に出せるような仕上がりではない。何せ少し前までホームレスボーイ(ノアに目覚める前)である。

 しかも数千年分の知識があるくせして、この男は究極のズボラーだった。

 

 

「起こさなくていいんスか、千年公?」

 

「着いてからでいいでショウ」

 

 馬車には相席で千年伯爵も乗っている。伯爵が視線に映しているのはマリアだ。

 一応義理父ではなく伯爵の膝を枕にして、少女はすやすやと寝息を立てている。

 

 当日の彼女の衣装は、淡い桃色のドレスだ。胸元で一段と輝く大きなルビーは少女の瞳の色に合わせたもので、勝るとも劣らぬ輝きを放っている。

 

御髪(みぐし)が乱れてしまったので、後で直さないといけませんネェ」

 

「呑気なヤツだな、誰のためのパーティーか分かってんのかねぇ」

 

「ティキぽん、その口調もしっかり直してくださいネ♡」

 

「…はいはい、分かってますって。いつも通りにやらせていただきますよ」

 

 マリアはティキ・ミックの義理娘ということになっているが、その後見人は千年伯爵という設定になっている。

 本来なら伯爵の養子になるはずだったが、マリアがティキを選んだことでこのように少々複雑なことになった。

 

「着いたぞー、かわいいけどかわいくない俺の義理娘ちゃん」

 

「う゛うぅ………」

 

「おい、仮にも父親の手をはたき落とすなよ」

 

「マリア、着きましたヨ」

 

「うーん……」

 

 千年公が揺り起こすと、ようやく紅い目がのぞいた。血のようなその色が辺りをキョロキョロと見回して、そこが馬車であると理解したようだ。

 

「もう着いたの? ってことは、今は夕方近いのか…」

 

「会場に入ったら、一旦髪を直しましょウ」

 

「え? …あはっ、本当だ! ボッサボサー!」

 

 窓にうっすら映った自分を見てマリアは笑う。その後ティキに手を引かれて会場に入った。

 

 彼ら(ノア)専用の休憩室では、伯爵の指示を受けた侍女AKUMAにより、少女の乱れた髪があっという間に直される。

 

 その間、後から着いたキャメロット一家が登場する。マリアはスカートの裾をつまみ、貴族然とした会釈をした。

 ノアではないキャメロット婦人がいるので表面上を繕った彼女だが、せっかくの挨拶はロードの突進で中断される。

 

「ぐえっ」

 

「ティッキーより様になってるよ、マリア!」

 

 直された髪が再度乱れ、ロードは謝ってから夫妻とともに部屋を出て行った。

 そして所用でいなかった千年公とティキが戻った頃に、今度こそ髪の直しが終わった。

 

「時間がかかり過ぎてねぇ?」

 

「女性の用意は時間がかかるものなんですヨ、ティキぽん」

 

「いや、抱きついたロードちゃんにグシャグシャにされて…」

 

「「………」」

 

 二人の同情のまなざしがマリアに刺さる。

 

「それよりそろそろ時間でしょ? 行こう行こう」

 

「途中で寝るなよ、頼むから」

 

「たっぷり寝たから大丈夫だよ、パパ」

 

「ハンッ、どうだか」

 

 

 

 パーティーはそして滞りなく進み、ダンスの時間になった。大人たちが見守る中、緊張したり純粋に楽しんだりと、子供たちは演奏に合わせて華やかに踊る。

 

 それぞれのドレスが動きに合わせてふわりと舞う様は、さながら色とりどりの花が咲き誇るような鮮やかさだ。

 

 マリアもロードも相手を変えながら、次々と踊っていく。

 練習では失敗の多かったマリアも、相手の靴を踏む──というような大きな失態を犯すことなく無事に踊り終えた。

 

 あとは食べるなり、飲むなり、談笑に花を咲かすなり、自由な時間だ。

 

「んー……」

 

「…あら? ミック侯、どうやら桃の妖精さんがおねむの様ですわ」

 

「おや、本当ですね」

 

 義理父の隣で愛想よく振る舞っていたマリアは、船を漕ぎ始める。

「やっぱジョイドの敬語超似合わない…」と思いつつ、寝ぼけてそれを言葉に出すことはなかった。

 

 

「我輩が連れて行きましょう」

 

 

 どうすっか、と悩んでいたティキに救いの手を出した千年公。

 小さな体を抱き上げて、そのまま星がちらつくバルコニーへ出た。夜風に当たれば、少しは眠気も覚めるだろう。

 

 対し残されたティキは娘がいなくなったことで、一気に女性たちに囲まれた。事情があってティキがマリアを引き取ったことになっているので、そこらの話を詳しく知りたい婦人や、その美貌に惹かれる令嬢たちの餌食になったのである。

 

「すごいねぇ。義理娘とは言っても、娘がいてあのモテっぷりとは」

 

「逆に前より増えてる気がするなぁ〜」

 

 それを遠くから愉快そうに見ていたシェリルとロードの助けが入ることは、ついぞなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚪︎⚪︎⚪︎

 

 

「…あれ、また寝ちゃった?」

 

 冷たい風が肌を撫で、その感触でマリアは目を覚ました。

 

「ごめんね、千年公。最近何だかすぐ眠くなっちゃうんだぁ」

 

「構いませんヨ。寝る子は育つと言いますから」

 

「……千年公、わたしの精神年齢覚えてるよね? 見た目そのままの子供じゃないからね?」

 

「我輩の養子にしたかったんですケドねェ…」

 

 伯爵はまだ養子の件を引きずっているらしく、あからさまにしょぼんとする。

 

「言ったじゃん、千年公の養子になるのは嫌だって。でも千年公が嫌いだから断ったわけじゃないからね? むしろ大好きだから」

 

「じゃあ何故ですカ?」

 

「なぜって、そりゃあ、えぇと……」

 

「………」

 

「あぁもう、悪役がそんなすぐに落ち込まないでよ!」

 

 そもそもティキ・ミックの養子になったのも、ネアに似た男の反応見たさという、大分捻くれた理由があったからだ。

 反対に千年公の養子が嫌なのは、我が子のように扱われたくないから。

 

 イヴはアダムの骨から作られた。彼女はアダムの分身であれど、子ではない。

 

 子というのは、女の胎から生まれるものだ。男の肋からは生まれない。

 それが人間という生命の在り方だ。

 

 

「わたしはね、千年公の家族でありたいけど、子供じゃ嫌なの」

 

「……兄弟がいいということデスか?」

 

「兄弟は違うよ。千年公ってみんなのパパポジションじゃん」

 

「では………何でしょう?」

 

「ふふ…さぁ、何だろうねぇ」

 

 マリアはとぼけて見せて、考え込む千年伯爵ににんまりと口角を上げる。

 

 バルコニーには二人以外に人はおらず、背後から煌びやかな光が眩しいくらいに差し込む。

 中の様子をうかがった少女はその光に目を痛めて、何度か瞬きを繰り返した。

 

「寒いなら上着を貸しましょウ」

 

「大丈夫だよ。ちょっと下ろして」

 

 優美な合奏が流れ込んで、外の冷えた空気に溶けていく。雲に遮られぬ月明かりがやんわりとマリアを映す。

 中の華やかな明かりから逃れるようにして暗闇へ踏み入れた少女は、一瞬夜の色と混じって姿を消した。

 

 驚いた千年公が慌てて一歩前に出る。

 

「マリア…!?」

 

 だが、次の瞬間には弧を描いた紅い瞳がまた光の中に佇んでいた。

 

 深淵に染まるドレスをまとい、その闇と交わらぬ白い肌がやけに妖しい。

 長い、金とも銀とも取れる白い髪が揺らめく。

 

 ぺたりと、素足が地面に触れて、中の光を遮るようにその足元から伸びる影が中と外を分断した。

 そこが、二人だけの空間になる。

 

「……マリアなのですか?」

 

「ふふふ……どうだろう。元の自分の姿なんて、どれが本当だったか覚えてないから。でも、今はこの姿がいいと思ったのよ」

 

 数えきれないほど姿形を変えて、聖戦の裏に潜んできた。

 確かなのは性別が女ということだけで、あとはひどく曖昧だ。

 

 

「踊りましょ、千年伯爵」

 

 

 微笑んだマリアに虚をつかれた表情だった伯爵は、膝をついて、白いその手を握る。

 

「踊りが下手でも、笑わないでくださいネ?」

 

「どうかしら。それは千年公のエスコート次第よ」

 

 クスクスと少女のようにマリアは笑い、促されるままゆったりと踊り始めた。

 瞳を閉じればかつて同じように男と踊った記憶がよぎる。

 

「そう言えばマリアは、「マリア・ミック」にするのですカ?」

 

「……あ、待って、ちょっと鳥肌立っちゃった」

 

「え?」

 

 何だ「マリア・ミック」って。いや、養子になるのだから仕方ないだろう。ワイズリーだって正式に言えば、キャメロット家の養子だから「ワイズリー・キャメロット」だ。

 

「というか「マリア・ミック」以外に選択肢があるの?」

 

「……? マリアの本名は「イヴ・マリア」でしタよね?」

 

「えっ? あ、あー………そうね。覚醒した時、一度本名を名乗ったわね」

 

 これまで言及されたことがなかったので、すっかり彼女も忘れていた。

 あぁそうだ確かに、棺の中で目を覚ました時に、「Eve(イヴ)Maria(マリア)」と名乗っている。

 しかしてこれは両方名前のようなものだ。

 

 もっと正確に言うなら、「イヴ」が本名で、「マリア」が彼女のメモリー名だ。

 

「…うん。マリアでいいわ、マリアで」

 

「「イヴ」という名は、あまり好きではないのですね」

 

「……呼ばれたくないだけよ」

 

 一番「イヴ」と呼んで欲しい相手は何せ、そのイヴのことを覚えていない。

 そしてこの先も思い出すことはないだろう。それだけはマリアにも分かる。完全に壊れたものが元に戻ることはないのだから。

 

「ねぇ千年公、まだ踊りの途中よ」

 

「おや、そうでしたね」

 

 パーティーが終わるにはまだまだ時間がある。だからその終わりまで、楽しめばいい。今、この瞬間を。

 

 

「────あぁ」

 

「…? どうしたの、千年公?」

 

「いえ、もしかしたら、と思っただけです」

 

 

 家族であるけれど、親と子供ではない。兄妹でもない。なら、その家族とは何を指すのだろうか。

 

 白い髪に触れた伯爵は、眉を下げる。

 

「困りましたネェ」

 

「ほら、困っちゃうから言わなかったんだよ。それより踊ろうって」

 

「フフ、分かりました」

 

 そして最後に疲れて幼体に戻った少女は、伯爵の腕の中でうつらうつらとした。

 

「千年公、もし寂しくなったら、空を見てね」

 

「空ですか?」

 

「そう、空。いつでもわたしが見守ってるから」

 

「…マリアが死ぬ前に、我輩がこの聖戦を終わらせて見せまショウ。ですから今は、ゆっくりお眠りなさい」

 

「ふぁ〜い…」

 

 月夜に照らされて二つの影が映し出される。

 

 

海の星(マリス・ステラ)」が、二人をのぞいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日もどこかで、聖マリアを讃える讃歌(イムヌス)が歌われていることだろう。

 

Ave Maris Stella(アヴェ・マリス・ステラ)(めでたし、海の星)』。

 

 海の星は人々を見守っている。これまでも、これからも。

 

 ゆえに我々は祈りを捧げましょう。神は貴女を祝福しています。

 

Ave Maria(アヴェ・マリア)」──────こんにちは、マリア。

 

 

 ずっと貴女は、人々を見守っていることでしょう。

 

 聖戦が終わった先も、悠久を歩み。

 

 ひとりで孤独に、見守り続けていることでしょう。

 

Ave Maria(アヴェ・マリア)」──────おめでとう、マリア。

 

 神は貴女を愛しています。

 

 

 

 さぁ、祈りましょう。

 

 聖母マリアに少しでも、救いがあらんことを。



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