結城リトの受難 (monmo)
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プロローグ

こんにちはmonmoです


 「やっぱ矢吹さんと長谷見さんは神だな……」

 

 真っ暗な部屋の中。ベッドの上に寝っ転がった俺は、スタンドライトの明かりに照らされ、漫画のページをめくる。

 何て事のない、生活のひとコマだ。高校生活最後の夏休みだってのに、過ごした日々がいつも通りの毎日だったと思うと、なんだか泣けてくるが……宿題は一応早めに終わらせたし、残りの予定を家の中の片付けと、本や漫画などに全て注ぎ込んだ俺が悪いのだが、少し楽しかったから良しとする。

 

 そんな読書の一番最後に読んでいたのが、この『ToLOVEる』という漫画だった。

 

 この漫画の簡単なあらすじを説明すると。主人公『結城リト』は、初恋の相手である『西連寺 春菜』に告白しようとするのだが、ひょんなToLOVEるで『ララ』と言う美少女に告白してしまい、その彼女に振り回されていくという、キュートでちょっとHな(本当に『ちょっと』か……?)ドタバタラブコメディーなのだ。

 

 『BLACK CAT』から作者のファンだったが、この『ToLOVEる』が出た時は正直驚きを隠せなかったものだ。なんせ、突然ジャンルが『アクション』から『ラブコメ』に変わったものだから、俺は温度差に大いに困惑した。正直、買おうか買わまいか迷っていた。

 

 それでも、色々あって購入してみるとやっぱり面白い。作者の絵は話が進む事に腕が上がっている凄さを、見て感じる。

 

 

 

 そして恋愛は、いつ見ても楽しいものだ。

 

 

 

 それにしても面白い。この『ToLOVEる』、ヒロインの数がかなり多いというのに、そのどのキャラも色あせないと言うか、存在が薄れていない。その辺やストーリなどを含めて、あの人は凄いんだと思った。

 

 そんな事を考えながら読んでいる内に時計の針は深夜遅くを指していた。あまり夜更かしはしたくない。読み終えた『ToLOVEる』を本棚に戻し、明かりを消してベッドに潜り込んだ。

 

 明日から学校か……ダルいな……

 

 どうしようもない事に溜め息をひとつ。そして俺はゆっくりと思考を止め、眠りに落ちていった。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 チュンチュン……

 

 

 

 朝だ。小鳥のさえずりで目が覚めるとはなんとも珍しい。ちなみに、俺は目が覚めたらすぐに起きれる方だから目覚まし時計は必要ない。

 そんな事はともかく、目を瞑りながら背伸びを1回。ベッドから下りようと、体を右に傾けた。

 

 

 

 ゴン!

 

 

 

 そして盛大に窓ガラスに顔をぶつけたのだった。もっとも、この時はいったい何に顔をぶつけたのかも、わかっていなかったが。

 

 「ゴゥ!!!?」

 

 側頭部へ響き渡る衝撃に、滅多に出ない様な声が漏れた。反動で大きくぶれた俺の体は、自分の部屋に存在するハズのない、ベッドの反対側へと転がり落ちた。

 

 「グぇ…………??」

 

 更に変な声を漏らした俺だったが、瞼を見開いたその景色に、思わず声を詰まらせる。

 

 

 

 「………………………………………」

 

 

 

 視線を右へ移す。次に左へ……。開いた口を閉めないまま、とりあえず視線を戻す。

 全く見慣れない景色。自分の全く知らない部屋。

 

 何がどうなっている?

 

 しばらく体を逆さまの状態でぼんやりとその光景を眺めていたが、徐々に体勢が辛くなってきた俺は、上下反転している世界を元に戻し、まだ痛む頭を抑えながら立ち上がった。

 

 「……?」

 

 少し広く感じるその部屋の周りを見渡してみる。教科書が開きっぱなしの勉強机。漫画などが沢山入った本棚。フローリングの床に敷かれている小綺麗なカーペット。その他エアコン、テレビ、ゲーム機、ビデオデッキ…………一人部屋だとしたらかなり贅沢な部屋だな。

 

 で……ここは何処だ?

 

 俺はベットに飛び乗り、そこに接していた窓を乱暴強く開ける。射し込んでくる朝日に目が眩みつつも、無理をしてまでして瞼を見開いた。

 そこに広がる風景は、全く知らない住宅街。歩いている人の姿は遠くの方にちらほらと見えているが、この距離からでは俺の声はかけられない。いや、声のかけようがなかった。

 

 「……ッ!」

 

 急に込み上がる、言葉にならない恐怖。過呼吸にも近い息遣いのまま、俺は窓を乱暴に閉めると、もう一度部屋の周りを見渡す。そして机の上に開かれた教科書に目を付け、手を伸ばした。ここはいったいどこなのか。もしかしたらこの家の住人の名前が書いてあるかもしれない。そうすれば何かわかる。そんな期待を込めて、俺は教科書をパタリと閉じた。

 

 

 

 『一年 A組 結城梨斗』

 

 

 

 「…………は?」

 

 

 

 結城『梨斗』。つまり……結城『リト』。見間違いかと思ったが、間違いなく結城リト。ハッキリと細いマジックで書かれてあった。

 が、そこに書かれていた名前は実在する筈のない人間。昨日まで俺が読んでいた漫画に出てきたキャラクターの名前だったのだ。

 

 体からドッと汗が噴き出す。喉がヒリヒリと痛くなり始め、咳き込んだ俺だったが、寝惚けていた思考が落ち着きはじめた事もあって、更に嫌な事に気付いてしまった。

 

 自分の声が違う。やる気のなさそうな、低い『俺』の声じゃない。活発で元気そうな男の声に変わっていた。

 

 「……う……ぇ……?」

 

 何が何だかわけわからなくなった俺は、込み上がる正体の掴めない恐怖に煽られて、逃げる様に部屋から飛び出した。所々壁にはぶつかり、階段を転がり落ちる。それでも俺は足を止めずに駆け出した。

 

 そして、不意に見つけた洗面所。俺は夢中になって走っていたにも関わらず、一瞬だけ見えたソレに全ての行動がピタリと中断された。

 

 来た道を振り返る。逆再生する様に戻る足並み。恐ろしかった。自分が自分でないと目で感じてしまったこの感覚は、今までの人生の中で最大の恐怖だった。

 ヨロヨロと痛む体を押さえながら、俺は恐る恐る洗面所の中…………そして、そこにある鏡の前に立ち尽くした。

 

 「……………………………」

 

 無言のまま、鏡に映る『彼』を眺める。恐る恐る、自分の右手に頬を当ててみると、鏡の中の『彼』は左手で自分の頬を押さえた。酷く真剣な眼差しで俺を見てくるソイツの眼は、僅かに怯えているのがわかる。

 

 黙っていればカッコいい二枚目の顔に、特徴的なオレンジ色っぽい跳ねた髪型。それは『彼』以外、誰でもない。

 鏡に映った姿は『俺』ではない。

 

 

 

 「冗談……だろ……?」

 

 

 

 俺は『ToLOVEる』の『結城リト』になっていた。



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第一話

 自分は直前まで何をしていただろうか。

 

 思い浮かぶのはひとつの漫画本。そして、それを読んでいた自分の姿。記憶の中の自分は間違いなく、自分の部屋の自分のベッドの中で眠っていた。なのに、うだる様なこの現実。目の前には『俺』じゃない『俺』の姿。

 

 時間にして数分、鏡の中の結城リトとメンチを切り合った俺は、自分のやってる事になんだか馬鹿馬鹿しくなってしまって、とりあえずさっきまで自分が眠っていた部屋へと戻った。少々、危険な足取りで。

 結城リトの部屋に着いた俺はベットに座り込み、叫びたくなる様な意識を落ち着かせようとする。が、当然ながら全く治まらない。治まる訳がない。

 

 この状況はいったい全体何なのだろうか。吐き気を催す頭痛、激痛。苛立っていたらマズい、何も考えられなくなる。ともかく、色々と大変な事になっているという実感は、俺の意識を通じて嫌でも伝わってくる。この自分の体であって自分の体でない違和感。さっきからの気持ち悪さは、これが原因だろう。ハッキリと言うが、今俺は『結城リト』になっているのだ。何故? わからない。俺が知りたい。

 

 口元に両手の平を押さえ、ゆっくりと酸素を吸い込み、吐き出す。繰り返していないと過呼吸になりそうだった。そうしていれば少しは落ち着けた。

 

 ……数分ぐらい経っただろうか。無理矢理にでも気持ちを切り替えようとしてみようと、周りを見回した。

 そういえば、今はいったい何時だろうか。時間が知りたくなった俺は、壁に飾ってある掛け時計を見た。

 長針と短針は6時半を示す。まだ少しだけ早い朝だ。もっと詳しく知りたくなった俺は、ベットの横に置いてあった結城リトの物であろう黒いガラパゴス式携帯電話を掴み取り、開いた。

 

 6月の……日曜日。妙に不思議な感覚だった。寝た日も日曜だったのに、起きてもまだ日曜だったなんて…………何か変に得した気分だ。実際は得なんぞ全くしておらず、この状況下から逃げたい俺の現実逃避だったのだが……。

 

 「あーーーあーーあー……ッ!」

 

 自分の聴覚は無情にも正常。頬を軽く引っ叩いてみたが、バッチリ痛い事を実感するなり、俺はベッドにぶっ倒れた。感情のままに垂れ流れた喚き声は段々と小さくなって、消えた。

 

 窓からは朝日が直接俺に当たり続け、視界がぼやけてくる。でも、本当は自分の目から出てくる液体を、自分自身で誤摩化したかったに違いない。ぼやけの原因は、久しぶりに流した、俺の涙だった。

 

 本当に久しぶりに泣いた、俺の涙だった。

 

 歪みに歪んだ世界を見つめたまま、俺は目から出せるだけの水分を垂れ流し、無言のまま泣き続けていたのだが、やがてその流す水も無くなると、俺はふと……窓の外を眺めた。窓ガラスへ微かに映っている結城リトの目は、見る影もなくやつれている。

 

 

 

 これからどうすればいいのかと、俺は他人事の様に考えていたのだ。

 

 

 

 俺は、主人公『結城リト』の様に純情過ぎた心など持ってはいないし。ヒロインの一人である『西連寺 春菜』に恋心を抱いているわけでもない。

 そんな場違いも等しい俺に、この世界でいったい何をどうしろと言うのだ? まさか、『結城リト』の様に生きて逝けとでも言うのだろうか!? 冗談じゃない!!

 

 一旦思考を落ち着かせる。とにかく……なっちまったモノは事実であって、俺自身どうする事もできない。これが何かタチの悪い夢なら、覚めるまで待ってやってもいいが、この現実感といい何かといい……俺が居るのは間違いなくリアルの世界だ。なら、この『結城リト』になっている以上、ToLOVEるに巻き込まれるのは確実。彼にはもうそういう天性……いや、主人公故の運命とも言える様なスキルが存在する。これから始まるのはオープンスケベ、セクハラの連続であろう。

 そんな引っかかるだけ『痛い目』を見る運命なら、俺はそんなToLOVEるなんぞ遭いたくない。巻き込まれるのもゴメンだ。

 しかし、そのためにはどうすればいいのか……

 

 「リトー、ごはんできたよー」

 

 無言で天井を見つめたまま、考え事をしていると、下の階から聞き慣れない少女の声が聞こえた。もっとも、『俺』はこの声の主を知っているんだがな……

 

 『リト』と呼ばれた事には『俺』が行かなければならない。

 

 「…………………………………。……行くか……」

 

 まるで戦場にでも出撃するかの様な覚悟を決めた声で、俺はベットから立ち上がると、もう一度階段を――今度はゆっくり気を落ち着かせながら一段ずつ下りていく。飯を食いに行くにしては、いささか緊張しすぎているのは自分でもわかっていた。

 

 ふと、過る。『俺』はもう名前で呼ばれる事など、ないんじゃないかって。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 「おはよーリト」

 

 その子はいつもと変わらないのだろう……色合いの暖かそうなパジャマの上からのエプロン姿と、朝の日差しにも負けないぐらいの明るい笑顔で、ダイニングキッチンに立っていた。

 

 「お……おはよ」

 

 それがすごく直視出来なくて、ぎこちなくそう返して彼女から視線をずらす俺。何か行動をして気を紛らわしたかったから、目についた冷蔵庫から牛乳を取り出して、ハムエッグとトースターが並べてあるテーブルの椅子へと座った。

 思えば、他人の家……ではなく、一応ここは自分の家と言う事になるのだが、冷蔵庫を開けた時は、他人の家で失礼な事やってしまった罪悪感が、しっかりと自分に絡み付いた。身体は結城リトでも、心は相変わらずらしい。

 だが、俺はそのわだかまりにかまっている暇はなかった。なぜなら……

 

 「ふぅ、珍しいね、リトが早起きするなんて」

 

 

 

 今、俺の目の前には超絶的な美少女が、こちらに笑顔を向けているからなのである。

 

 

 

 この子の名前は『結城 美柑』。主人公、結城リトの『妹』である。特徴は毛先になるほど段々とバラバラにウェーブしていくその黒い髪。性格は見た目に反してしっかり者だ。エプロン姿に貫禄あるのは気のせいなのだろうか?

 

 それにしても、『リト』…………。今、当たり前の様に呼ばれたが、俺は見た目が『結城リト』であって中身は違う。おまけに自覚も無い。それでも、彼女を騙している様な気分が、嫌でも感じる。

 

 「リト……」

 

 「え? 今なんか言った?」

 

 ヤバい、声に出ていた様だ。とりあえず、彼女とのコミニュケーションのために、俺は焦りながらも『言い訳』と言う名の話を考える。

 

 「いや……何かさ、リトって名前、結構変だなって思って……」

 

 「朝からそんなコト考えてたの?」

 

 しょうもなさそうな顔で俺を見てくる美柑。良かった。どうやら俺が演じているリトは、美柑の知っているリトと変わらないらしい。原作では二人っきりの時の話など、ほとんどなかったから、どうしようもなく不安だった。

 俺は顔に出さず、一安心する。しかし、その心には当然の如く、モヤモヤと偽善の念が張り付いた。そして恐らく、これが外れる事はないのだと、瞬間的に悟った。

 

 その後はお互いにハムエッグトーストを頬張りながら名前の話をしていた。俺の話を聞いて普通に笑う美柑はとても愛らしい。しかし、この笑顔は本来『結城リト』が見ているものなのだと思うと、それ以上に苦しかった。

 俺はそれをなけなしの精神力で我慢した。今の俺に救いの手など、あるわけないのだから。

 

 「そう言えば、リト?」

 

 「ん?」

 

 「朝、なんかすごい音が聞こえたんだけど……」

 

 「あ、あぁ…………ちょっと寝惚けてて……階段から転げ落ちたんだ……」

 

 「えぇ〜……リト、現実と妄想の区別ぐらいつけてよ〜。妹として恥ずかしいから」

 

 「ハハハ…………ゴメン………」

 

 そんな話をしながら、俺と美柑は朝食を綺麗に平らげた。

 

 「ごちそうさまっ」

 

 「俺も……」

 

 「洗うよ、ホラ」

 

 と、美柑は俺の持っていた皿をヒョイと取り、流しのシンクへと運んでいった。

 

 「あぁ…………ありがと」

 

 やる事がなくなってしまった。ここに座ったままは何だか嫌だったから、背中を向けて皿洗いを始めている美柑にそう言って、俺はキッチンから出た。ただその時、美柑が不思議そうな顔で俺を見ていた事には、気がつかなかった。

 

 俺は階段を上り、自分の部屋……と言ってもまだ数時間程度しか経っていないリトの部屋なのだが、そこに戻ると再びベットの上へと寝っ転がった。そして、特に寝る事もなく、ただただ天上を見た。眠くはなかった。

 

 「………美柑……可愛かったな……」

 

 小学生相手に少々危険な事も考えながら、俺は自分のやるべき事を頭の中で整理する。もし、この世界が本当に夢でなかったら、俺はこの先ずっと『結城リト』として生きていかねばならないのだから。

 

 では今、俺が優先的にやらなければならない事。それは結城リトの通う学校『彩南高校』を探し出さなくてはならないという事だ。今日は日曜であって、明日は間違いなく学校である。遅刻を覚悟で探すなんて色々と危険すぎる。

 この状況を見て実感して察するに、どうやら今は原作開始時よりも前の時間なのだろう。折角日曜日に来れたのだから(別に好きでこの世界に来た訳ではないのだが……)ひと通り、見て回った方が良いかもしれない。彩南町の商店街とか、少し興味はあるし。

 

 「動くか……」

 

 俺はベットから跳ね起き、備え付けのクローゼットだろう扉を開けた。

 そして、俺はそこでしばし感動した。なぜなら、その中にはリトが自分なりに考えたのであろう、おしゃれな洋服が綺麗に収納されていたからなのである。

 

 思い出せば、リトの服装は結構格好良かった気がする。今はもう見る事はできないが、目の前に並んである服が彼の優れた美的センスをしっかりと証明してくれた。

 

 俺はクローゼットから適当な服を引っ張り出して、着替える。当たり前だがサイズはぴったりで、別に変なニオイなどしない。それどころか、優しい洗剤と太陽の香りがする。美柑が洗っているのだろう。凄いな。

 少しだけ気分は和らいだ。俺はクローゼットを閉めると、リトの物だった黒いバッグを肩にかけ、さっきよりも全然軽く感じる足取りで、階段を下りていった。

 

 居間では美柑がテレビを見ていた。髪の毛は頭の上のやや後ろ側で纏め、服装もパジャマではなく、ユルそうな部屋着へと変わっている。

 さすがに何も言わないまま家を出るわけにはいかないので、俺は彼女に声をかける事にした。が…………少し躊躇する…………と言うか、段々緊張してきた。普通に『美柑』って言えばいいのだが、あって間もない彼女を名前、しかも呼び捨てにするなんて少々気が引ける。少なくとも、今の精神状態のままでやる事じゃない。

 だが、このままでは何も出来ない。だから意を決して美柑に声をかけた。

 

 「みっ、美柑……俺……出かけてくる」

 

 「えっ、ドコまで?」

 

 俺の方へ顔を向け、驚いた様な表情で俺を見てくる美柑。そこを聞いてくるのか、と内心焦りながら何て返そうかと俺は考える。もちろん、自分の学校探してくるなんて口が裂けても言えるわけがないし、ただ日曜日に学校へ向かう理由も早々考えつくものでもない。

 

 「ちょっ、ちょっとそこら辺……?」

 

 「なんで疑問系なのよ……」

 

 ジト目で俺を見る美柑。可愛いちゃ可愛いが、いかせん気分は晴れない。

 やっぱりマズかったかと思っていたら、彼女は「まぁいーや」と、のんびりした口調でテーブルの上に置いてあったエコバッグを俺に渡してきた。

 

 「ついでだから朝市の買い物行ってきて。中にメモと財布入ってるから」

 

 「……わかった」

 

 どうやら、そういう事らしい。個人的な目的でもあったのだが、別に買い物系統の場所へ寄る予定もあったし、なにより『美柑』の頼みである。『結城リト』なら間違いなく引き受けると思ったから、俺は素直に彼女のバッグを受け取った。

 

 「いってらっしゃーい」と言う美柑の声に、「いってきまーす」とおうむ返しみたいな挨拶を返して玄関に向かう。段差に座り、絶対にリトの物だろう、黒に赤色の模様が入ったスポーツシューズに足を突っ込んだ。

 

 うん、ぴったし。間違いなく彼の物。

 

 ゆっくりと玄関を開けて外へ出ると、太陽の光が自分をめいいっぱいに照らしてくれた。大きく背伸びをして、ついでに大きくあくびもして、俺はふと横を見る。視線の先には名前もわからない、様々な植物が植えられた植木鉢が並んでいた。

 

 この『結城リト』の趣味の中に、『植物の水やり』というものがある。彼の家は植物などが多いのだが、親は滅多に帰らず、妹は家事全般をやっているため、自然にそう言う世話は彼がやる様になったらしい。

 ちなみにヒロインの西連寺春奈曰く、それはリトの優しさだそうだ。

 

 まぁ、俺には知ったこっちゃないけどな……

 

 と、考え事をしていた自分自身にツッコミをいれ、俺は庭へと向かう。結局、俺が結城リトなのだから、俺がやるしかないのだ。

 

 ふむ、パッと見渡すと数はあるが、多いってほどでもなさそうだ。俺は庭の水道にシャワーのホースを繋ぎ、植木鉢の束に向けて水を撒いた。

 太陽に照らされてキラキラと輝く水は、俺に虹を見せて植物達へと落ちていく。結構綺麗な光景だ。

 

 水の加減なんか知らないが、こんなもん……だよな?

 

 蛇口を閉め、水を出し切ってホースを軽く丸めると、元のあった場所へと置き直す。さて、今度こそ行くか……

 

 俺は近くに置いておいたバックを手に取り、見慣れない町を歩き出す。途中、何度か振り返り、帰り道を確認した。迷子とか、シャレにならない。

 

 「いけね、っ」

 

 俺は美柑の言葉を思い出し、バックから彼女の書いた買い物のメモを確認した。年相応の可愛らしい文字が、白紙の上に書き連ねてある。

 

 人参、キャベツ、ジャガイモ……重い物ばっかだな……

 

 腕時計は9時半ぐらいの所を指している。このあまりにも無謀な冒険が、どうか2時間程度で終わりますようにと祈りながら、俺は知らない道を歩いて行った。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 「た……ただいまー」

 

 俺は結城家の玄関を開けて挨拶をした。慣れてない様な雰囲気が出ているのは自分でもわかる。まぁ……これからなんとでもなるだろう。

 そんな事を思っていると、足音を立てて美柑が俺を迎えてくれた。

 

 「お帰りぃー」

 

 「み、美柑……ほら……」

 

 俺は買い物袋が入ってずっしりと重くなったエコバッグを美柑に渡した。

 

 「ありがと♪」

 

 美柑は笑顔でバッグを両手で受け取り、中身を確認すると、更に俺へ呼びかける。

 

 「リトー、お昼焼きそばでいい?」

 

 「ん……あぁ……」

 

 焼きそばは好きでも嫌いでもないのだが、美柑の作る物だからきっと美味しいのだろう。少なくとも不味くはないと思っている。

 過剰な期待しているだろうか?

 

 「……っと」

 

 俺はある事を思い出し、慌てて携帯電話の時間を確認した。

 12時21分。3時間ぐらい出かけていた様だ。1時間オーバーか。

 

 話がズレた。ここに帰ってくるまで何をしたのかと言うと、俺は『彩南高校』を探す間に買い物を済ませ、なんとか学校を見つけた後は、時間を見ながら家まで帰ってきたのだ。

 学校から家に帰るまで、ほぼ30分くらい。学校は8時半ぐらいまでには教室に座っていなければならないのだから、7時45分ぐらいには家を出なきゃならない。とすると、起きるなら7時前後となる。

 

 「楽なスケジュールだな……」

 

 俺は携帯をしまいながら、美柑の歩いていったキッチンへと向かう。彼女はもう焼きそばの準備を始めていた。

 

 「あれ、どうしたのリト?」

 

 朝も見たエプロン姿の美柑がこちらを見て不思議そうな顔をしている。

 リトの奴、暇なら美柑の手伝いくらいしなかったのだろうか……

 

 「あ、いや、暇だから手伝おうかと思って……」

 

 「え!? リ、リト……あんた料理ヘタじゃなかった?」

 

 しまった。そう言えばそうだった。コイツは病人食作るのも下手糞だった事を、俺は今になって思い出した。

 

 「あぁ、そうだったな……ゴメン……」

 

 手伝いは諦めるか……と俺は美柑に謝ってキッチンから出て行こうとしたのだが、その行動を起こす前に、彼女は俺の服の裾を掴んでいた。

 

 「いいよリト。野菜切るの手伝って」

 

 視線を戻すと、嬉しそうに真っ白な歯を見せて笑う美柑。ただ、その笑顔は少し小悪魔っぽい。俺が失敗する事を予想しているのだろうか?

 断る理由もない俺は、彼女と二人で仲良くキッチンに並ぶ事となった。

 

 

 

 因みに、キャベツの白い部分を、細かく切って捨てていたら美柑に怒られた。「好き嫌いしないのっ!」って。

 美柑って妹と言うよりか、姉……もしくは母親に近いモノを持っているのでは? リトが妹に弱いのも、わからなくはなかった。

 

 

 

 そんなこんなで焼きそばを完成させた俺達二人。美柑に「まえに包丁持たせたときは10か所ぐらいケガしてたのに……」と言われたが。「いつまでも下手じゃいられない」と言ったら笑われた。どうやら生意気に見られたらしい。

 ともかく、俺と美柑は皿に盛った焼きそばを運び、テーブルの椅子へと座った。そして、朝食の時と同じ様に手を合わせた。

 

 「いっただきまーす」

 

 「いただきます……」

 

 箸で焼きそばを頬張る。うん美味い。焼き加減なんか丁度良い。そう言えば、包丁持ったの久しぶりにしては上手く切れたな……

 

 「うん! リトがつくったにしては中々……」

 

 「いやいや、焼いたのは美柑だろ……」

 

 と、そんなしょーもない話をしながら俺は焼きそばを頬張りつつ、別の事を考えていた。

 

 とりあえず、飯を食い終わった後は俺の部屋、もといリトの部屋の家宅捜索を始めよう。こんな事態になってしまった以上、俺は彼の事をもっと深く知らなければならない。もしも今前で食事をしている美柑や、これから出会うリトの事を知っているキャラクター達に、彼と矛盾した事など話してしまっては、目も当てられない。

 彼の嗜好や趣味。学校の通信簿とか、アルバムなども見た方が良いのかもしれないのだが、この広い家のどこにあるのかなんざわからないから、後回しにするとして……

 

 「どうしたの?」

 

 気が付くと、美柑がまた不思議そうな顔をして俺の顔を見ていた。いつの間にか考え事に没頭していた様だ。

 反射的に、俺は変な声が出た。

 

 「うぇ!?」

 

 「うぇって……。なんかリト、難しい顔してた」

 

 そう言って俺を見てくる美柑。得に言い訳も見つからなかったので、ここは話を逸らす事にした。

 

 「難しい顔って……こんな顔?」

 

 少しだけユルい変顔をしてみた。ゴメン、リト……

 

 「ぶっ! ちょっと〜、食べてるのに笑わせないでよー。クスクス」

 

 あっ、笑った。やっぱり可愛いな……

 

 日曜の静かなお昼過ぎ、聞こえるのは俺と美柑の笑い声。

 平和である。平和すぎるぐらいだ。これ何の漫画だったか忘れそうなほどだった。もう、ララとか来なくていいんじゃね? とか思ってしまったがそうもいかないのだろう。

 

 早ければ明日から、リトの……いや、俺の……ToLOVEるを抱えた毎日が始まる。

 

 だから、それまではこの時間を大切にしようと、いつの間にか俺は美柑を笑わす事に専念していた。

 

 「はー、笑った笑った」

 

 「もー…………黙っていればカッコいいのに……」

 

 「え? 今何か言っt、

 

 俺がそこまで言った時だった。

 

 

 

 ガチャガチャ、キィィ バタン!

 

 

 

 ついさっき聞いた事のある音がした。数分前の俺と同じ、今のは玄関の扉が開いて閉まる音だ。「何だ?」と俺の言葉が発する前に、ソイツは軽いのか重いのかよくわからない足取りで俺達のいるダイニングキッチンの前へやってくると、ドアをバン! と強く開いた。

 

 「ようリト!! 美柑!! 元気にしてたか!!?」

 

 「おっ、お父さん!?」

 

 現れたのは結城リトとよく似た髪型に、うっすらと見える男らしい無精髭。額には墨汁の太い字で『大漁』と書かれた白い鉢巻きをしたおっさん。今の美柑の言った台詞からして間違いないだろう。

 

 「お、オヤジ……?」

 

 そう、この元気の良い、もとい暑苦しい人物こそリトの父『結城才培』。連載中の作品を三本も持っている、凄い漫画家だ。

 イヤ、本当に凄いと思うぞ。三本って……化け物かよ……。まぁ、そのせいで家に帰って来る事は滅多にないらしいのだが。

 

 と、そんな事を思い返している内に、いつの間にか俺は焼きそばを奪われ、話も進んでいた。

 

 「……というワケだ!! リト、お前も手伝え!! 小遣いを止められたくなかったらな!!!」

 

 前半は全く聞いていなかったが、この人の言う手伝いなんてひとつしかない。漫画の手伝いである。上記の言葉通り、断ると小遣いが止められるし、リトがこの人の言う事を断るとは思えないので、俺に選択肢は一択しかない。

 

 だがそのまえに……

 

 「とりあえず焼きそばを返せ!」

 

 「おっ、やるのか!? お前も遂に反抗期に突入したか〜!! ガハハハハ!!」

 

 ハァ……何だか酷く疲れてきた……

 

 何とか焼きそばを取り返し、俺はほとんど残っていない皿の上をかき込むと、椅子から立ち上がった。

 

 「おし!! 行くぞリト!!」

 

 そう言って栽培は俺のコップの水を一気飲みして、先に外へと行ってしまった。いちいち声がデカいんだよ、このオッサン……

 て、ヤバいヤバい。見失うと色々と面倒な事になる。俺も急いでコップに水を注ぎ込むと、口の中を流し込む。

 服は…………このままでいいや。

 

 「じゃあ美柑……行ってくる……」

 

 「ふふ、いってらっしゃーい」

 

 面白そうに、少しだけ寂しそうに手を振る美柑に手を振り返し、俺は玄関へと走った。

 

 靴に履き替え外に出ると、栽培が仁王立ちで道の真ん中に立っていた。あの……一応、ここ道路なんだけど……

 

 「よし!」

 

 「よし」って……何が『よし』なんだよ……。おい、まさか……と俺が考えるよりも早く、栽培は背を向けて走り始めたのだ。それはもう、物凄いスピードで。

 

 「走れぇリト!! 俺についてこい!!!」

 

 「ああぁ!! ったく!」

 

 彼の声に負けないぐらいのうだる様な声を上げ、爆走する栽培を追う俺。

 ララが居なくてもリトはToLOVEるの毎日なんだな……と、全力疾走で走る中、俺は感慨深く思っていた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 「たっ……ただ、いま……」

 

 「お、お帰り……だいじょうぶ?」

 

 「な……何とか……」

 

 美柑が心配そうに声を掛けてくれているが、結構ヤバい。まず、栽培……あぁ、もうオヤジでいいだろう……。まず、オヤジの仕事場に行くのに、フルスロットルで数キロ走った気がした。

 その後、着いたら着いたでみっちりと扱き使われ、終わった後に再び帰り道、数キロを歩いたのである。

 

 因みに、なぜ俺が漫画の手伝いが出来たのかと言うと、俺の友達に漫画を書いてたやつがいたので、俺も一緒に手伝っていたからなのだ。家も近かったし。

 

 思い出してほしい。宇宙人達にも手伝わせるくらいだぞ?(彼らも、最初は好きで手伝っていたわけではなかった様だが……)俺が手伝わされたのは、簡単な物がほとんどだった。

 

 それでも辛い事に変わりはない。気が付けばもう8時。すっかり予定が狂ってしまった。美柑はもう晩ご飯は食べたのだろうと思ったのだが、そうでもないらしい。

 

 「リト、今日はリトの好きなからあげだよ」

 

 そう言えばアイツ、好物が唐揚げだったな。

 

 「……本当に?」

 

 「おフロわかしてあるから、さき入ってて。その間に作っちゃうから」

 

 ニッと笑う美柑。リト、お前……幸せ者だな……

 

 

 

 ……どうしてこんな事になっちまってるんだよ……

 

 

 

 とにかく、今は美柑の厚意に甘えて、風呂に入る事にした。

 脱衣所に持ってきた着る服をそこら辺に置き、脱いだ服を洗濯機に中に放り込む。そして小さめのタオルを一枚持って、俺は結城家の風呂場へとお邪魔した。

 シャワーで体を洗い流し…………この場面は必要ないだろう。男のバスタイムなんぞ誰得、と思ったのでここは少し省略する。

 ひとつだけ言うとするなら、他人の家の風呂場に入ると、シャンプーはどれを使えば良いのかわからなくなる。そう言う状況に俺は陥っていたのだ。

 

 その後、風呂から上がった俺は、またしょーもない話をしながら、美柑の揚げた唐揚げをおかずにご飯を食べた。

 あっ、美柑の揚げた唐揚げは、今まで食べていた唐揚げよりダントツで美味かった。何と言うか、揚げ加減が絶妙。思わず「美味しい」って口に出したら、笑われた。

 

 ダメだな俺……この世界を……すっかり楽しんでやがる……

 『結城リト』は許してくれるだろうか。問い尋ねる事も出来ない心の片隅で、そんな思いが回転を続けていた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 飯も食った。歯も磨いた。気が付いたら9時を過ぎていた。だが今、俺はリトの部屋を探索している。オヤジのおかげでほとんど時間が無くなってしまったので、俺は片付けの楽そうなものを漁っていった。彼の事を知るために。

 見つかった彼の物は、ゲーム、教科書、その他諸々等、時間割表を見つけられたのはラッキーだったが、少し散らかってしまった。まぁ、問題ないだろう。この程度なら片付けは簡単だ。

 で、今、そのゲームでリトのデータを見ていたのだが。

 

 「……リ、リト……お、お前……『アカム』も『ウカム』も倒してんのかよ……」

 

 前の世界で俺がやっていたゲームと同じ様な物を見つけた。某、あの有名すぎる『アレ』だ。見た目は少し違っていたがパッケージに『狩魂』って書いてある辺り、アレで間違いないだろう。『アレ』である。

 そのデータを見ていて俺は感動していたのだ。すげぇよリト。ゲーム得意は伊達ではないらしい。

 

 そんなこんなでリトのデータを閲覧している内に、時計の針はもう11時を指していた。さすがに初日で遅刻は勘弁したい(と言ってもリトは普通に登校してたと思うが…) 何だか、小学校低学年の頃の遠足の前日みたいな気分を思い出した。

 

 そんな不安を背負いながら俺は周りの物を片付けて、リトの学校用の鞄に明日使うであろう教科書類を入れ、部屋の電気を消した。そして窓の外からの明かりを辿って、ベットへと潜り込む。

 

 

 

 「…………………………」

 

 

 

 当然の如く、眠れない。

 

 色々な事があった。ありすぎた、と言った方が正しいかもしれない。不安は俺から溢れそうで、正直、大声を上げて泣き出してしまいたかった。

 

 もし、ここで寝て。目が覚めたらどうなるのだろう。全て元に戻るのだろうか……? それとも……

 

 そんな難しい事を考えている内に、俺はいつの間にか眠りについてしまった。



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第二話

 朝、何かを焼いている様な、料理の音で俺は目覚めた。

 

 

 

 ゴン!

 

 

 

 そしてまた昨日と同じ場所、ガラスの窓に顔をぶつけたのだった。どうやら癖になっているらしい。いつか割ってしまわないか心配だ。

 

 ガンガン痛む頭を押さえて、無言のまま数分。眠気の覚めた俺はキョロキョロと周りを見回す。

 

 やはり、そこは結城家の家で……俺は結城リトの部屋のベッドの上に居た。何も変わらなかった。何も変わらなかったのだ。

 

 俺は安心をしたのか、はたまた絶望したのか、自分でもよくわからない溜め息を吐き出し、ベットから下りて時計を確認した。7時5分前。時間だけは丁度良い。

 

 未だ慣れない足取りで階段を下り、洗面所で結城リトのツラを睨んでから顔を洗い、キッチンへと向かう。音で予想した通り、そこにはもう美柑が朝食の用意を始めていた。

 

 「おふぁよ〜リト」

 

 「……おはよ、美柑……」

 

 お互いに眠そうな挨拶をして、俺は冷蔵庫から牛乳を取り出す。美柑はと言うと、昨日と同じ模様のエプロン姿で朝食を作っている。

 牛乳をコップへと注ぎ、口の中の不愉快なモヤモヤと一緒にそれをひと飲みして、俺は今日の事を考えることにした。

 

 遂に『登校日』となってしまった。普通に楽しみと言ってしまえば楽しみ……と言うのは、ほんの建前で、実際にはそれに比例するぐらい、いやそれ以上の不安が俺の中で蹂躙している。

 しかし、この体である以上、逃げ出すわけにもいかない。俺がどう上手くToLOVEるを乗り切るかで運命は左右されてしまうのだろう。恐いが、頑張るしかないのだ。

 

 「できたよー」

 

 そんな事を考えている内に朝食ができた様だ。俺は椅子から立ち上がり、食器を運ぶ手伝いをする。

 テーブルの上には卵焼き、味噌汁、焼き魚、ほうれん草、が並んだ。和食だった。なら牛乳は口に合わないだろうと思い、俺は冷蔵庫に牛乳をしまうと、中から2Lサイズのペットボトルのお茶を取り出した。

 そして再び椅子に座ろうとしたところで美柑に声をかけられたのだ。

 

 「リトー、はい」

 

 と言って、美柑は華美な風呂敷で包んだ四角い箱を俺に渡す。中身は弁当だろう。手に取っただけでも、中からは美味しそうな匂いがするからだ。

 思えば、リトの昼食は弁当だったな……と、俺は原作の記憶を思い返す。俺はコンビニなど、そこら辺で飯を買っていたし、別にそれも悪くはなかったのだが、これからは美柑の弁当にお世話になる様だ。そう思うと、何だか苦笑いが出てきそうで、無性に空しくなった。

 

 「いっただきまーす」

 

 「いただきます……」

 

 そんな大して内容もない事を考えるのを止めた俺は、弁当を膝の上に乗せて置いて、朝飯に箸をのばした。やっぱり美味しい。中でも卵焼きが並外れて美味い。

 

 そんな朝のひと時を、俺はゆっくりと過ごしていた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 気が付けば時計が示していたのは7時半。ヤバいヤバいと心の中で慌てながら、俺はリトの制服を着込むと、荷物を最終確認する。

 

 「………うん」

 

 忘れ物はなさそうだ。もし、これで今日が何か特別な物を持ってくる日とかだったら、素直に諦めるしかない。

 

 そんな事よりも、俺にはこの制服の方が不可解で、不安に感じていた。いや、形としてはただの制服なのだが、その色合いは抹茶色のズボンに、カスタードクリームみたいな色をしたブレザー。着込んだ見た目は、完全に和風スイーツみたいで何だか可笑しい。着る前に見た瞬間、笑ってしまうほどだ。

 

 そんな愚痴を思う間も少なく、俺は最後に美柑の弁当を鞄に入れると、玄関へと向かう。

 美柑は昨日と同じく、ダイニングでテレビを見ていた。学校が近いのか、眠気も覚めて、余裕そうな表情だった。

 

 「美柑、行ってくる……」

 

 「ん、いってらっしゃーい、リト。きおつけてねー♪」

 

 俺のぎこちない挨拶に全く不信感を抱かず、彼女は俺に優しい返事を返してくれた。本当に、自分はこの世界で『結城リト』として生きて行かねばならないのだろうか。酷く不安になったが、それでも先程まで感じていたプレッシャーは、ある程度軽くなった様な気がした。

 

 俺は玄関へ出ると、そのまま道路には出ず、庭の方へと回る。忘れてはならない。植物の世話はリトの役割なのだ。

 

 鞄をそこら辺の端に寄せ、俺は昨日の様に蛇口へホースを繋ぐと、植木鉢の植物達にシャワーを浴びせた。太陽は昨日と変わらず、さんさんと空で光り、水はその光に反射して俺に虹を見せる。

 

 それはとても穏やかな感覚で、こんな生活も悪くないと思ってしまった自分がここにいた。冷静になった後で、その思考は蹴っ飛ばしてしまったが。

 

 「ふぅ……」

 

 水を撒き終えた俺は、ホースを片付けて、腕時計を見る。丁度、7時45五分。まだまだ全然間に合う時間だった。

 が、油断もできないので、俺は素早く鞄を背負うと自分の家……『新しい家』を飛び出した。

 

 これから行く『彩南高校』には俺の知っている『ToLOVEる』のキャラ。西連寺、籾岡、沢田、猿山、その他諸々、言い切れないほどの人物がいる。

 果たして上手くやっていけるのだろうか……。ダラダラと垂れそうな不安を胸に募らせながら、俺は住宅街の並ぶ道を歩いて行った。

 

 足取りは、昨日の時よりは随分軽く感じた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 大通りに出て進むに連れ、自分と同じ制服を着た人が増えてきた。どうやら急ぐ必要はなさそうだと、俺はそのまま商店街の中を歩いて通る。まだどの店も開いてはいないが、準備を始めている人達を見ると、「これから頑張るぞ」と言う気迫が見て取れた。こういう商店街の一面が楽しくてしょうがない。前の世界では、身近にこんな場所はなかったから。

 

 そんな事を思いながら商店街を抜けて、十数分。目的地が見えてきた。

 

 目の前の馬鹿にデカい学校。名前は『彩南高等学校』。昨日も見たはずなのだが、俺は正門に近付いて、今一度看板を調べた。

 うん『彩南高等学校』 間違いない。今日からここが、俺の通う高校である。

 

 俺は携帯をマナーモードに切り替えると、普通に正門を通り、先生であろう人達に適当な挨拶をしながら校内を進んで行った。

 

 下駄箱に着くなり、俺はまずリトの下駄箱を探し始めた。こう言う事は素早く、慎重に、なるべく怪しまれない様にやらなくてはならない。

 1年の棚を端から端まで、ザーっと調べていくと目的の場所は案外早く見つかった。ご丁寧に名前まで書いてあったその下駄箱を開き、俺は中の上履きを取り出して靴を入れる。そしてそれに履き替えたあと、丁寧にパタンと閉めた。

 

 これで難関は終わり、教室へ……ではなく、今度はその教室を探さなくてはならない。地図でもあればいいのだが、そんな都合良く貼ってあるわけないだろう。俺は前の学校の記憶を思い返し、一番、真新しそうな校舎から探そうとした。

 

 その時だった。

 

 「よォリト!」

 

 突然、肩を叩かれ俺はビクッと小さく飛び上がる。完全に気を抜いていたので本当にびっくりした。

 

 「ッハハハハ! なんだよ。おっ前、驚きすぎ!」

 

 俺は恐る恐る、首を、ギギギギギ……という音でも立てそうな動きで振り返って見た。

 

 そこには、ツンツンと尖った髪型をした、愉快な猿顔の男子生徒が俺に向かって笑いかけていたのだ。

 

 「猿山……」

 

 彼の名前は『猿山ケンイチ』。主人公『結城リト』の大親友であり、『おっぱい』と言う名のエルドラドを求めている変態でもある。

 『ケンイチ』がカタカナ表記の理由は、漢字で表記された事が一度もないから。もしかしたら漢字の『ケンイチ』を見る事ができるのかもしれない。

 

 「ん? なぁんか元気ねーな? どうした?」

 

 無言のままの俺が妙だったのだろう。心配そうな顔をする猿山。普段はおちゃらけているが、彼にはこういう良い所もあるのだ。『結城リト』は本当に良い親友と巡り会えたと思う。

 

 しかし、そんな事を考えている場合ではない。俺は咄嗟の判断で答えた。

 

 「イヤ……何でもねーよ。ここで話すのもアレだし、さっさと教室に行こうぜ……?」

 

 「そうだな、早くしねぇとそろそろヤバい!」

 

 と言って、猿山は俺を追い抜いて廊下を走って行った。良かった。しらみつぶしに探さないで済みそうだ。

 急いで彼を追いかけ、俺は『1-A』と書かれたプレートがくっ付いてある教室へと辿り着いたのだった。

 

 猿山が先に入って行ったドアに手をかける。何だか酷く緊張してきたが、ここでウジウジしても仕方がないので、俺は一呼吸をつけてからドアを開き、当然の様に中へと入った。

 俺の入室に、中にいたヤツはチラッと見るだけで大きな反応は起こらず、また顔を元に向けていた方向に戻していく。『結城リト』はこのクラスの生徒なのだから当然なのだが、やはり知らない教室に入るのは、やや気が引ける。

 俺はホッと安堵の息をつきながら、猿山が座っている席へと近付いた。このまま自分の席に座りたいのは山々なのだが、『学校』も『下駄箱』も『クラス』も場所の知らなかった俺には、当然『席』もわからないのだ。

 だから、周りからの不振な視線を避ける為、俺は既に座っている猿山に近付いたのだ。

 

 「なぁ、猿山。聞いてくんねぇ? 実は……

 

 彼としょうもない話をしながら、俺はまだ真新しかった漫画の記憶を思い返す。

 この教室の座席の数は横6列で縦>列、つまり36席。だが、机の無い場所があり、それを引くと34席。

 原作スタート直後のリトの席は確か窓側だったはずなのだが、今そこには4人の生徒が座っている。5人目が来るまで猿山と話でもしていようかと思ったのだ。

 

 最初は俺が頭をぶつけた話だったが、猿山がゲームの話へと変えてくれた。良かった、ゲームならある程度、俺でも続けられる事ができる。

 と思ったら、窓側に5人目が座ってしまった。俺は話を切り上げ、窓側の席へと座ってみる。念の為、机の中を調べてみた。

 

 「っ! ……ハハハ……」

 

 中から数学、32点の答案を見つけた。グシャグシャに丸まっていたが、名前はバッチリ書いてある。当然『結城リト』の物でした……。

 

 ボロボロの答案用紙を眺めながら、俺はふと思った。果たして彼に学力を合わせる必要性はあるのだろうかと。

 

 『結城リト』はこの通り、学力に関しては有能とは言いがたい。そんな事、俺には原作でわかりきっている事であって、問題なのはその『結城リト』が、今は『俺』であると言う事に関する。

 

 俺はこの学校の授業のレベルがどんなものだかまだ知らない。だが、この体を持つ以上、ただでさえ低いこのテスト用紙の点数を更に下げるわけにはいかない。悪目立ちするから。むしろ、俺が何とかしたいと思ってしまったほどだ。

 だから、少なくとも俺の学力は彼の学力よりも上回っていなければならない。そうしなければ、結局は結城家へと迷惑がかかるだけであり、俺自身そんな事態を許す事が出来ないからだ。

 

 つまり単純な事を言うと、俺は勉強をしなくてはならない。普段なら絶対に見向きもしない課題でもあるし、心の中では「何とかなるんじゃないか?」と思っている部分もあるが、それを差し引いてもこの問題は何としてでも乗り越えなくてはならないものだ。

 上の中程度と自負している俺の学力が、この学校でどの程度通じるのかはまだわからないが、この学校が特別難しいと言う可能性だって十分にあり得るのだ。二度も『高校1年生』を過ごす羽目になっている俺だが、勉学はもう一度見直しておかなければならない様だ。

 

 そんな事を考えているとチャイムが鳴り響き、生徒達が各々の座席に座っていった。少しだけ騒ぐ声が治まったが、教室にハゲでヨボヨボの先生が入って来ると、その小さな声も治まってしまった。

 

 その光景に、俺は思わず見とれてしまう。だがその時間はとても短い。一人の生徒がすぐに号令をかけたからだ。

 

 「起立、礼」

 

 「「「「おはようございまぁす」」」」……す」

 

 挨拶の流れに乗り遅れた俺は、ワンテンポ遅い行動をとっていたと思う。だが、誰にも変な目で見られる様な事はなかった。

 少しだけ騒ぎながら、周りの奴らは席に着いていく。俺も流される様に、椅子に座った。

 

 「え〜、今日の予定ですが〜」

 

 緩く、だらりと話す先生の声など全く聞こえず、俺は只々周りの空気に飲まれていたのだ。

 

 なぜ、こんな異様な反応をとっているのかと言うのも、俺が通っていた前の高校は物凄く治安が悪く、バカが滑り止めで受けておく様な最低ライン。言わば、『掃き溜め』と言われる様な場所だからなのだ。

 そんな『掃き溜め』と罵られる様な高校に、規律、秩序、と言ったものは全くもって存在せず、そこに通う血気盛んな周りの連中は、好き放題に暴れていた。隙あればバカ騒ぎするし、お喋りとか始まり出したら満足するまで止めようともしない。授業中に菓子は食うし、テスト中に答案回しているし……。とにかく、俺の知る限りは、トンデモナイ場所だったのだ。

 

 しかし、そんな『学校』と言うのも疑わしいほど、荒れ果てた雰囲気が、俺は嫌いではなかった。いや、むしろ過ごしやすかったくらいだ。基本的、そこの教師は少しふざけた程度では叱りもしないので、自由奔放な生き方を望んでいた俺にとって、そこは自らの欲望を鏡に映した様な世界だったのである。

 

 勉学が上の中と言ったのに『掃き溜め』に入っていた理由は、上記の通り。優れた学校ほど校則がキツくなるのを感じた俺が、単に嫌だったから。ついでに言えば、家から近かったから『楽』と言う理由もあった。

 そんな呆れて言葉も出なくなるであろう理由を懐に、気ままに高校生活を送っていた俺は、周りの視点からは大層可笑しな奴として認識されたらしく、通い始めた頃は何度もこの言葉を口にされた。「何でお前、こんな高校にいるんだよ?」と……

 

 だからつまり、俺にはこんな平和な空間が久しぶりすぎる。いや、眩しすぎるのだ。

 

 あ、全く関係ないが、漫画の友達は別の高校行ってる。アイツはあの高校に入ったりはしなかった。

 

 気が付けばいつの間にか朝のHRは終わり、生徒達は思い思いの行動をとっていた。バカ騒ぎしている奴もいるが、俺はどうしても普段見ていたインパクトの強い物と比較してしまい、随分と平和に見えた。

 それはさておき、早速予想外の問題が発生である。まさか、学校の風紀に慣れなきゃいけなくなるなるとは思ってもいなかった。

 

 えらく居心地の悪くなった俺は、机にべったりと突っ伏して寝る体勢を取ろうとした。が、その前に一応、時間割も確認しておいた。

 1時間目は国語。しょっぱなが得意教科だと言う事に安心した俺は、ゆっくりと……

 

 「なぁ、リト?」

 

 いざ寝ようと思ったら、猿山が俺の事を呼んできた。そして面白そうな事でも考えている様な顔で俺の事を見下ろしてきたのだ。

 

 「ん?」

 

 「終わったらゲーセン行かね?」

 

 コ、コイツ……

 

 「……まだ学校始まったばっかじゃねーか!」

 

 どうやらリトになった俺に寝る暇はないらしい。

 

 余談だが、教壇に座席表が貼ってあった事に気が付いたのはそのあとすぐの事であった。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 その後、何とか午前中の授業を終えた俺は、猿山に誘われて一緒に昼飯を取る事にした。

 

 俺は久しぶりの猛勉強で、ぐったりと椅子に腰を下ろしながら、美柑の弁当を食べる。猿山は購買で買ったのだろう、焼きそばパンを頬張っている。その他2人、『結城リト』の知り合いなのか、猿山の友達なのか、よくわからないやつも、パンなり弁当なり自分の昼飯を食べながら、彼と話をしていた。

 

 美柑の卵焼きは冷めても美味い。冷めるのを想定しているのか、味を濃いめにしてる辺り、よく考えていると思う。

 

 「そういえばリト。お前今日はストーカーしねぇのか?」

 

 「ぁあ?」

 

 俺は猿山が何を言ったのか、一瞬わからなくなっていたが、すぐにその言葉の意味を理解した。

 そう言えばそうなのだ。『結城リト』と言う男は、自分の片思いの相手『西連寺 春菜』を真っ昼間からストーカーする様なアホであったのを、俺は今になって思い出した。

 

 きっと、これは彼の純情な心が故の行動だからやってしまったのかもしれない、と思うが。さすがにストーカーはやっちゃダメだと思う。当然、俺もする気はない。する理由すら無いのだから。

 

 「俺もいつまでもガキじゃいられねぇよ……」

 

 猿山の質問に、俺は箸を咥えながら答えた。すると猿山とその他の2人は、驚いた様な顔で俺を事を凝視してきたのだ。

 

 「リ、リト……? お前……大人になったな……」

 

 「つか、お前、土日に何かあったのか? 少し変わったぞ? 性格とか」

 

 「まさか大人の階段をのぼっちゃったワケじゃないよな〜〜?」

 

 目の前にいる3人から受けた反応は、ある程度は予想していた。美柑からは全く疑われなかった『俺』も、ここでようやく『結城リト』の差異を身をもって感じた。

 するとますます美柑の事が可哀想になってきたのだが、もう思った所で解決策が無いのを、心の片隅で理解していた俺は、無理をして心の内側へと押さえ込んだ。

 

 しばらくして、俺に対して唖然としていた猿山が唐突に声を上げた。それも、とても元気の良い声で。

 

 「そうか〜! リトもよぉ〜〜やく! 女の子の見方とゆーモノがわかってきたのかァ〜!!」

 

 ……どうやら、自分の親友である『俺』が、女性の免疫に対して急に大人びている様に見えたから、素直に喜んでいるのだろう。コイツの中での『結城リト』は、物凄いガキっぽく見えてきたんだろうな……。

 

 ……何だろう、異様に腹が立ってきた。

 

 そんな俺の心境は露知らず、猿山はハイテンションのまま俺に言葉を続けてきた。

 

 「よし! そうとなればもう楽勝だろ? リト、あそこに西連寺が一人でメシ食ってるぞ。声かけてみろよ!」

 

 一体全体何が楽勝なのか。俺は猿山に心の中で突っ込みながら、彼の指差した先にいる美少女の方へ振り向く。教室には他の生徒も入り交じって大変騒がしいのだが、それでも俺はひと目で探り当てた。目立つからだ。

 

 視線の先に座る、彼女の名は『西連寺春菜』 『結城リト』が中学校の頃から思いを寄せているらしい、可憐な美少女だ。やや群青色っぽい髪の毛(普通はあり得ない、こんな髪色) 前髪は横に流して二つのヘアピンで固定し、綺麗なおでこを惜し気もなく晒している。

 一見、華奢に見えるが実はテニス部に所属している。更に言うと、腕立てもしているらしいから、力は結構あるのだろう。見た目で人を判断してはいけない。

 そして、彼女も主人公である『結城リト』に好意を抱いているのだが、それはもう一人のヒロイン『ララ』の登場により、彼女は困惑。次第に、ララがリトを思う気持ち、そして自分との友情関係との間で板挟みになってしまう大変な、悩めるヒロインである。

 

 今、『結城リト』である俺が、一緒に昼飯を誘ったら、多分彼女は嫌と言わないであろう。きっと驚いて、それでも喜んで受け入れるだろう。

 だが、それは見た目が『結城リト』であって中身が違う『俺』には無理な話であった。数日前までは漫画のコマの中に現れていた存在も、今俺はこうして現実の中で対面している。つまり、彼女は漫画のキャラクターではあるものの、この状況においては一般人と何ら変わりもない存在なのだ。

 だから、俺は彼女に話しかける気など無いし、話しかける義理も無い。度胸が無いだけなのかもしれないが、誘った所で話す事など『俺』には何も無かった。

 

 考えると本っ当に、自分が此所に存在する意味がわからなくなりそうだった。

 

 そんな西連寺は俺の視線には気付かず、黙々と弁当を食べている。

 

 「んだよ……結局、ストーカーしてるじゃねぇか」

 

 猿山が後ろで何かヒソヒソ言っているが、無難にスルーをしてしばらく西連寺を観察していると、彼女の所へ二人の女子がやってきた。

 

 「あちゃ〜タイミング逃しちゃった……」

 

 残念そうに溜め息を吐いた猿山を更にスルーして、俺は二人の女子を注目する。

 一人は身長が高く、金髪に染めた髪を肩にかからない程度に伸ばした、言わば『ギャル』と名称付く様な娘。もう一人は黒髪のツインテールで眼鏡をかけた、活発そうな娘だった。

 この二人も『ToLOVEる』のキャラクターだった奴等だ。金髪の娘は『籾岡』 黒髪の娘は、確か『沢田』だった筈だ。下の名前は忘れた。

 沢田は好奇心旺盛で、楽しい事を追究するのが大好きな、お茶目な娘だ。

 籾岡は西連寺やララに『スキンシップ』と言わんばかりのをお触り行為をして『ToLOVEる』の見せ場をつくる、以外と重要な娘だったりする。

 二人はリトにToLOVEるの種を撒き、慌てふためくリトを見て楽しんだりするサブ……いや、色々な意味でメインのキャラなのだ。

 

 その二人は、西連寺の近くの席に座ると弁当を開きながら会話をしている。彼女との距離は遠いし、周りもうるさくて内容までは聞こえてこないが、楽しそうにしている事は見て取れた。目の前にいる二人とは少し違う雰囲気で笑っている彼女を見ると、アイツは本当に『結城リト』の事が好きなのだろうかと、そんな馬鹿馬鹿しい考えまでが頭をよぎってきたが。

 

 一瞬、俺は西連寺と目が合った。

 

 「!」

 

 お互いにすぐ逸らしてしまったが、こっちを見たのは間違いなかった。やはり……リトの事を気にしているのだろうか。

 さすがにもう一度見る気はなかったので、俺は猿山達の方へと顔を戻した。そして、この体である以上、自分が何をすべきなのか、もう一度考えてみた。

 

 もし、運命が史実通りに回れば、俺は半ば強制的に西連寺とは親好を深める事になってしまうだろう。だが、それは程度による事であって、彼女と友達程度の関係を結ぶなら、俺は許容しない事はない。多分、抗う方が辛いと思うから。

 

 「話すならきっかけでもあれば良いんだが……」

 

 「なんか中学校の頃に話した事とかないのかよ?」

 

 西連寺に対しての問題を、猿山に話していたのだが、他の奴が割り込んできた。だが答えられない様な問題ではなかった。

 

 「……記憶に無い……」

 

 有る訳無いのだ。その記憶を知っているのはただ一人、今はもう此所には居ない、『結城リト』だけなのだから。

 そして、今の自分はただ時間が過ぎていくのを眺める事しかできないのだと、そう心の中で作り出した答えを無理矢理に受け入れて、俺は綺麗に平らげた美柑の弁当を片付けた。

 

 「へへっ、リト、今度またオマエに水着のグラビア見せて、大人になったかしらべてやるよ!」

 

 猿山に、バンバンと肩を叩かれた。痛ぇよ。

 

 少し不審に思われたりもしたが、俺はなんとか猿山達の友達の輪に入り込めた。これからこいつらとの関係をどうしようか悩んだのだが、ここは普通に友達になる方が良いのかもしれない。久しぶりに人に囲まれて話をしたのだが、特に緊張する事も無かったのだ。なんとでもなるだろう。

 

 時計はまだ一時。少しだけ寝る時間もありそうだ……



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第三話

 新鮮な感覚だった学校も終わってしまい、俺は家へと帰る道を歩いている。

 朝に話した、猿山のゲーセンに付き合ったお陰で、帰る時間は随分と遅くなってしまったが、美柑は怒っているだろうか。もし、あんな可愛い顔で怒られたなら……今度からは真っ直ぐ帰ってこようと思う。

 

 今日の晩飯は何だろうか。

 

 俺はすっかり美柑の料理に舌が肥えてしまった様だ。お腹を鳴らしながら歩いていると、ようやく見えてきた『俺の家』……本当はまだ『俺の』と言う事にも慣れてはいないのだが、それでもそのモヤモヤとしたものを振り払い、俺は結城家の玄関を開けた。

 

 「ただいま〜……」

 

 靴を整えて俺は廊下を歩く。立ち寄った居間では、美柑がソファーに座りながら、お菓子のポテチをつまんでいた。

 

 「お帰りィーリト。お父さん、今日も帰り遅くなるってさー」

 

 いつも通りの美柑の姿。どうやらリトの道草食いは、日常茶飯事の様だ。あるいは彼女はわかってないのかもしれない。

 すると、俺の頭の中から「道草をする」と言う思いは、微塵も無く消えてくれた。今度からは早く帰ってこようと思ったのだ。

 

 「んー、わかった」

 

 美柑の言葉に適当な返事をした後、取りあえず制服を脱ごうと、俺は階段を上りながらネクタイをほどき、制服を脱いでいく。そして、ちょうど良いタイミングで開ける事のできたクローゼットに、脱ぎ終えていた制服をしまった。

 

 俺はユルい部屋着に着替え、昨日の続きと言わんばかりに、リトの部屋をあさってみた。

 昨日は余裕のなかった本棚を観察してみると、ほとんどが見た事聞いた事のない漫画だったが、なぜかジャンプコミックは普通にあった、それも本物と同じ名前で。一体何を意味するのかは、考えない事にした。

 開いてみたが、ストーリーも絵も変わっていない。この世界にも漫画の作者は普通に生きていて、漫画を書いているんだと思うと、武者震いの様に心がざわめいた。可笑しな気分だった。漫画の世界で漫画を読んでいるなんて。

 当然ながら『ToLOVEる』と『BLACK CAT』は無い。当たり前か。

 

 あ、『BLEACH』だ。リトが『BLEACH』読んでる。凄いシュールな光景を思い浮かべながら、俺は本棚を探索していった。

 

 やがて、本棚の探索に疲れた俺は、ベットにゴロンと寝転がった。

 

 

 

 〜♪ 〜♪ 〜♪

 

 

 

 今の音は……風呂が沸いた音だ。たぶん……。

 丁度、疲れてた事もあったので、俺は飯の前に風呂に入る事にした。

 

 服を脱ぎ、軽くシャワーを浴びて風呂に肩まで入る俺。疲労は体から抜けていったが、後に残ったのは冷静な頭脳だった。俺は、ようやく重要な事を思い出したのだ。

 

 

 

 ララのヤツ、いつ来るんだ?

 

 

 

 彼女との出会いは、程度の凄さを筆舌にできないほどの衝撃的なものとなるのだが、別に俺はその出会い方で悪くないと思っている(と言うか、それ以外にどうゆう出会い方があるのか俺にはわからない)。だが、その出会い方にはひとつだけ問題がある。

 その運命の時期は、一年の春頃で間違いないと思うのだが、月、日、時間、共に不明。泣きたくなるぐらい、現状には情報が無いのだ。

 そんな有り様で、どうやって出会ったらいいのだろう? 正直、風呂場で我慢大会なんぞやりたくはない。

 

 俺は鼻まで湯船に浸かって、確実に『ララ』と会う方法を考えようとしていた。

 

 その時……

 

 

 

 ポコン、ポコポコ……

 

 

 

 「ん?」

 

 あれ、オナラなんかしたっけ? そう思ったのはほんの一瞬だけの事。何もない場所から湧き出てくる泡に、俺は「嘘だろ」と心の中でまだ疑心になりつつも、体を上げて黙ってそこを見ていた。

 

 

 

 ヒィィィィィィィ……

 

 

 

 淡い光に俺と湯船が包まれていく。だが、その光はみるみる輝きを強め、一瞬だけ カッ! と強烈な閃光を放つと、次の瞬間、

 

 

 

 ドボオォォン!!!

 

 

 

 「うわっ!!」

 

 予想以上に凄まじいバクハツに巻き込まれ、俺は風呂の水を目と鼻の先から顔に被り、飲み込んでしまった。湯船が爆発したのだ。俺は目の前が爆発したと思った。

 

 「ゲッホッ! ゴッホっ!」

 

 喉の変な所に流れた水に、激しくむせ返る。目にも水が入った。それでも俺は両目を擦り、煙がモクモクと立ちこもっている目の前の光景を見遣る。

 

 煙の晴れたそこからは、元気な女の声が聞こえた。

 

 

 

 「んーーーっ、脱っ出成功っ!」

 

 

 

 そこには、あどけない可愛らしさを持つ美少女が、生まれたままの姿で嬉しそうに背伸びをしていた。

 

 彼女こそ、この漫画『ToLOVEる』のメインヒロイン。『ララ・サタリン・デビルーク』である。銀河を統一していると言う、『デビルーク星』の第一王女。つまりは……『宇宙人』なのである。

 見た瞬間に目を奪われるその特徴は、地球には絶対にあり得ないであろう、太もも辺りまである長いピンクブロンドのロングヘアに、エメラルドグリーンに近い色をした綺麗な瞳。そして人類には無い、真っ黒で先っちょがハートマークになっている尻尾。日本人じゃないってのは、見た瞬間わかる様な容姿だ。

 性格は天真爛漫そのもの。常にポジティブな思考を持つ元気の良い女の子。おまけに可愛いのか恐ろしいのか、裸を見られても動じない程の天然ボケを持っている。ある意味最強の娘なのだ。

 

 そんな彼女は、今俺の目の前で裸のままで大きく背伸びをしている。見れば見るほど映えてくる完璧なプロポーション。大きな胸の先っぽには女性らしい突起が付いていて、腰も程良くくびれている。下半身に目を向けると、男ならどうしても気になってしまう、無毛の割れ目が眼前にあった。

 だが、俺の視線はそこをさっさと見回ってしまうと、彼女の顔を見つめてようやく硬直したのだ。

 

 超可愛い。どっかの誰かが言っていた様に外国人っぽいが、日本人っぽさもある。好みがわかれないハーフ……? そんな簡単な言葉では言い表しきれない……いや、言い表してはならないくらい、ララは可愛かったのだ。

 

 「ん?」

 

 そんな俺の視線に、不思議そうに俺を見るララ。どうやら、今の今まで俺がいる事に気付いてなかったらしい。このままでは色々と見えて、また、色んな意味で危ないので、俺は近くにあった小さめのタオルを取ると、ララの裸を直視しないように顔を逸らして、それを渡した。

 

 「えっと……はい……」

 

 「あ、ありがとー」

 

 無邪気な声でタオルを受け取り、俺に笑顔を振り撒くララ。俺は我慢していたがそれでも口元がにやけてしまった。仕方ないだろう。彼女、一個一個の仕草が可愛すぎるのだ……

 

 「私、ララ。デビルーク星から来たの!」

 

 そんな事を思っている内に、ララは湯船に座り込んで自己紹介を始めだしてしまった。端から見れば二人で風呂に入っているようにしか見えない。おまけにララは前のめりに座っているので、プロポーション抜群の体できた胸の谷間が嫌でも俺の目に入る。当然、彼女は全く気にしていない。

 

 さてどうしよう。薄々、感付いた人がいるかもしれないが、俺はララに会う方法ばかり考えていて、会った後の事を全く考えていなかったのだ。

 

 悩んだ末、体を洗うのを諦めた俺は手を前に出して、ララの話に割り込んだ。そして、少し緊張した声で話したのだ。

 

 「なっ、なぁ……ここで話すのも……えっと、アレだから……風呂からあがらね?」

 

 「え? ……いいよー」

 

 彼女がどっちの意味で「いいよ」と言ったのかはわからなかったが、勝手に肯定の方に決め付け、俺は行動を始める。置いてあったもうひとつのタオルを手に取り股間を隠すと、ララの手を引いて風呂場から出ようとした。

 目指すのは俺の部屋だ。美柑にバレなければいのだが……そんな事を考えていた俺だったが、どうやら漫画の世界ではこう言うのを、『フラグ』とか何とか言うらしい。

 

 考えていた矢先、脱衣所に入った所で悲劇は起こった。

 

 

 

 ……ダッダッダッ! ガチャン!

 

 

 

 「え……?」

 

 「リト!? 今ものすごいバクハツみたいな、音……が…………」

 

 突然、脱衣所のドアを開けて風呂場を見に来た美柑の声は、その光景を目の当たりにした瞬間、徐々に言葉のテンポが遅くなり、やがて消えた。彼女の視界には、ほぼ全裸の姿の俺と、全裸のララが見えているだろう。

 

 「「「………………」」……?」

 

 無言のまま固まる俺達三人(それでもララはニコニコと笑っていたが)。

 美柑は無言のままスルーしてくれるだろうか……

 

 「……き、きっ……」

 

 あぁ……どうやらダメっぽい。顔はみるみるリンゴの様に紅潮して。目を回している様な気がした。

 

 「キャーーーーーーーーーー!!!」

 

 風呂場に響き渡る美柑の大絶叫。そりゃあ、そんな反応をとられても仕方がない。玄関から入ってきたわけでもない見知らぬ女性が兄である『俺』と風呂に入っていたら叫ぶに決まってる。いや怒るか? あるいは……泣くよな……。

 

 早くも、原作から大脱線をした俺は、溜め息を吐きながら両手で頭を抱え、美柑の怒声を受け止めていた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 俺とララは美柑に風呂場から引っ張り出され、今は居間のソファーに座っている。俺は風呂に入る前に着ていた服を着ていて、ララは大きめのバスタオルを体に巻いていた。

 別に俺の服を貸しても良いのだが、すぐにアイツが来るだろうと、俺はこの修羅場の様なモノに近い、非常に危険な状況の中、そんな事を考えていた。

 

 美柑はずっと俺の事を睨んでいる。さっきまではギャーギャー騒いでいたが、ソファーに座る事で、ようやく落ち着きを取り戻した様だ。

 そうして彼女はゆっくりと口を開いた。その声は、昨日今日で俺が聞いていた、あの優しい妹の声ではない。子供っぽさは残っているも、怯み上がりそうなドスのきいた声だ。

 

 「リト……その人、誰?」

 

 「え、と……」

 

 「私? 私、ララ」

 

 焦っている俺よりも早く、先にララが答えてしまった。美柑は俺に向けて睨んでいた視線をララの方に向け、今度は胡散臭そうに見つめている。

 

 「ラ、ララ……さん……?」

 

 オドオドと答える美柑に対し、ララはハッキリと、どこか嬉しそうに答えた。

 

 「そ! デビルーク星から来たの」

 

 彼女の見せたその笑顔に、少しだけ表情がほころぶ美柑と俺。俺は緊張の糸が緩んだって言った方が正しいのだが……。

 美柑は依然ゆっくりとした口調で、彼女の言葉の意味を口にした。

 

 「……う、宇宙人?」

 

 「まぁ、そーゆー事になるねーー」

 

 「………………」

 

 美柑はジーっとララの方を見る。疑っているのだろう。もしくは彼女の事を変人として見てしまっているのか。でも、無理もないと思う。いきなり宇宙人だと言われても、信じるのは相当可笑しな事だから。

 

 その疑いの視線は、どうやらララにも伝わった様だ。

 

 「あれ? もしかして信じてない? じゃあホラ、これ見てよ!」

 

 そう言って、ララは立ち上がって美柑に背中を向けると、ペロンと自分のバスタオルを捲った。そしてそこにある、まんまるとしたお尻と、フリフリと揺れ動く真っ黒な尻尾を、彼女に見せつけてきたのだ。

 

 「「!!!?」」

 

 「ね? 地球人には無いでしょ? コレ♡」

 

 その大胆すぎる行動と目の前で動く尻尾があまりにも衝撃的だったのか、美柑は目を見開き、口をパクパク動かしてそれを見ていたが、すぐ我にかえって俺の方を睨んできた。おそらく、俺がララの尻を見ていると思って、それを止めさせようとしたのだろう。

 だが、そのときの俺はララの尻尾が尾てい骨の場所から生えているのを確認して、美柑の視線よりも早く顔をそっぽに向けていた。『ララ』だから当たり前の事だが、いくら見た目が違うとは言え、人に尻尾が生えているのはとても不思議な興味を感じたからだ。

 

 「あ、別にシッポ生えてるからって満月見て変身したりはしないよ♪」

 

 俺はララの方を見ずに、美柑の様子を窺った。彼女はもう俺の方を見ておらず、ララのシッポに顔を戻していた。俺と同じく、興味が湧いたのだろうか? 

 このままだと話が進みそうも無かったので、俺はララに隠す様言う事にした。

 

 「ララ、もう良いから早く隠せ……」

 

 彼女は案外素直に、でもどこか嬉しそうにバスタオルを元に戻して、ソファーへと座りなおしてくれた。

 さて、これからどうしようかと俺は二人に話しかけようとした。すると、

 

 『ララ様ーー』

 

 突然、廊下から不思議なデザインの服を着た、ぬいぐるみくらいの大きさのロボットが現れて、ララの元に飛び込んできた。て……なぜ廊下から?

 

 「ペケ!」

 

 ララは嬉しそうにそのロボットをギュっと抱きしめる。何だか立ち位置が悪くなってしまった俺は、テーブルをぐるっと回って美柑の横に座った。彼女は特に気にしていない様だ。

 

 「よかったーーー!! ペケも無事に脱出できたのね!」

 

 『ハイ! 船がまだ地球の大気圏を出てなくて幸いでした!』

 

 二人は小躍りしながら再会を喜んでいたが、取り残された俺達二人は、ポカーンとその様子を眺めていた。

 ふと、ペケが俺の方を見て指をさす。

 

 『ララ様、あのさえない顔の地球人は?』

 

 

 

 クスッ

 

 

 

 美柑に笑われた。ちょっとショックだった。

 

 俺はペケに会ったら絶対にこの言葉を言われると思い、ある程度の心構えをしていたのだが、実際に言われると結構、心にクるものがあった。そして、『結城リト』は冴えない男なんだと言う事を、しみじみと心に感じたのだ。

 

 「そーいえば、まだ名前きいてないね」

 

 そういえばそうだった。

 俺は立ち上がって名前を言うと、美柑も俺につられてソファーから立ち上がった。

 

 「俺は……結城リトだ……」

 

 「私は美柑、リトの妹よ♪」

 

 さっきのショックが少し響いていて、俺の声は小さい。反して、美柑の声は元気だった。アレ? 彼女はもう慣れてしまったのだろうか?。

 

 「ふーーん。このコはねーペケ。私が造った万能コスチュームロボットなの」

 

 『ハジメマシテ』と手を挙げながら、やや片言の口調で俺と美柑に挨拶するペケ。やはり二次元ではない実物を目視するのとでは印象が違って感じる。とても凄いと、素直な感想を思ってしまった。こんな生き物の様に動くロボットなど、まだ地球には存在しないのだから。

 

 「万能……コスチューム?」

 

 美柑がララの言葉をゆっくりと呟いた瞬間、彼女は体を巻いていたバスタオルを取り、俺に投げつけてきた。

 

 「おいおいおい! おいっ!!」

 

 俺はバスタオルを掴んで目を瞑りながら叫んでいたが、突然、真っ暗な視界がきらびやかな音と共に、パッと明るくなった。

 

 「じゃーん!!」

 

 「うわっ! すご……」

 

 「!!」

 

 目を開けると、そこは深く説明するまでもないだろう。『ToLOVEる』一巻の表紙と同じ服を着たララが、そこに立って元気良くポーズを決めていた。

 

 何と言うか……やっぱり変な服だ。

 

 それより、美柑が予想外の反応を見せた。彼女も、たぶん俺と同じ『変な服』とでも言うと思ったのだが、それどころか結構ララの服に興味を示した様な反応をとっている。

 そういえば、彼女はしっかり者とはいえ小学生だ。まだ魔法使いとか、ヒーローとか、そう言うものに憧れを持っているのかもしれない。そう思うと、普通に納得できた。

 

 そんな事を考えていると、いつの間にかペケが話を進めていた。

 

 『時にララ様、コレからどうなさるおつもりで?』

 

 「それなんだけどぉ、私ちょっと良い考えがo、

 

 ピンポーン♪

 

 ララの声を遮るように流れた音。一瞬、俺には何の音だったかわからなかったが。すぐにインターホンの音だと気付いた。

 

 「ヤバッ! お父さんかな……?」

 

 美柑の言葉に、俺は戸惑った。もしそうだったら、この状況を見られるのはかなりマズい。話が更にややっこしくなると、俺は断定したから。

 俺と美柑、その後ろにララとペケ。四人の内二人は、恐る恐るインターホンのモニターの前に近付いたが、その画面を見た瞬間、一人はピタリと固まってしまった。

 

 「リッ、リト……」

 

 「………………」

 

 良かった。オヤジではなかったのだが、美柑が固まるのも無理はなかった。なぜなら、モニターに映っていたのは、黒いスーツを着た二人組のヤバそうな男だったのだから。

 

 コイツら、インターホンなんか良くわかったな……

 

 俺はバリバリと頭を掻き毟り、美柑の呼ぶ声も聞かず、玄関へ向かった。そして、外へと続くそのドアを勢い良く押し開けたのだ。

 

 そこにはモニターで確認したときと同じ、顔に切り傷の様な傷痕をつけた金髪の男と、ガタイの良い大男がそこに立って俺を見ていた。

 コイツらは……ダメだ記憶が曖昧だ。どっちが『マウル』でどっちが『ブワッツ』だったかは忘れてしまった。ただ、共通する特徴と言えばさっきも言った様に、黒いスーツに黒いサングラス。眉毛無し。そしてあまりにも不似合いなシッポ。ララのものとは若干形の違う、黒いシッポが生えていた。

 

 「ララ様……」

 

 「え!?」

 

 黒服の呟きに俺は振り返ると、俺の数歩後ろにララが立ちつくしていたのだ。美柑もララに遅れてやってきたが、その黒い二人組を見た瞬間、怯えたようにララの後ろに隠れてしまった。お前、隠れてればよかったのに……。

 

 「ペケ……」

 

 『はっ、ハイ!』

 

 ララは美柑を軽く抱きしめながらペケに怒りの声を向ける。ペケはかなり怯えた様な声を上げて返事をした。

 

 「私言ったよね、くれぐれも尾行には気をつけてって」

 

 『……ハイ』

 

 少しの間だけ黙っていたが、やがて自分の過ちを認めた様にペケは返事をした。

 すると、ララは子供の様に『自分は怒っている』と言う事を体で表現しながら、ペケを叱り始めたのだ。

 

 「もーーーーーこのマヌケロボ!! ぜんぶ水の泡じゃないのっ!!」

 

 『ゴメンナサイ〜〜!』

 

 ペケが謝っている中、美柑が不安そうに声をかけた。

 

 「ララさん……?」

 

 「……ゴメンね、私……追われてるんだ……。そいつらは、その追っ手……」

 

 ララは美柑に顔を向けて申し訳無さそうに答える。同時に、茶番を終わらせようとするかの様に、黒服の二人は言葉を呟いた。

 

 「さぁ、今度こそ覚悟を決めてもらいましょーか」

 

 後ろでペケが何か言っている中、黒服はそれだけ呟くと、ジリジリと俺との距離を詰めてきた。

 だが、その俺は今立っている位置から全く動かず、美柑とララを背に立ちはだかっていた。黒服から見れば、丁度、立ち塞がる様な状態である。

 そんな俺は黒服にとって当然邪魔であり、彼等は俺に「退け」と命じてきた。

 

 「そこをどけ、地球人。私達はそこにいる子を捕まえにきただけだ」

 

 完全に瞳孔の開いた目で俺を睨んでくる黒服。ハッキリ言おう。そこら辺の警察官より全然強そうである。いや、実際強い筈なのだから、下手をすればあっという間にケチョンケチョンにされそうなオーラを、そいつらは放っている。

 

 だが、俺はそいつらを目の前にしても引く事はなかった。いや……どちらかと言えば、引けないのだ。

 原作ならリトは風呂場で出会った後、家の二階で再び出会うと言う運命を辿る。そしてそこを彼ら黒服に襲撃を受け、リトは彼女を助ける為に、愛(?)の逃走劇を始めていたのだが、そんな未来は今のここでは大いにズレてしまい、俺は玄関でコイツらと対峙している。

 しかし、こんな状況でも、俺は『ララ』を助けるつもりでいた。彼女がこんな所に来た理由はよくわかっているつもりだし、そんな彼女を素直に引き渡す程、俺は屑ではない。

 つまり、俺はこの二人を倒さなくてはならないシナリオになってしまったのだ。

 

 本当は、ララに任せてしまっても解決しそうだと思ったのだが、その過程が物凄く嫌な予感しかしなかったし、何より女に助けられると言うのは『俺』自信のプライドが許さなかったのである。

 

 とは言え、デビルーク人の人並み外れた戦闘能力は原作でしっかりと頭に焼き付いている。まともに戦う気は毛頭ない。

 じゃあどうしようと言う事なのだが。俺は原作を思い出している内に、ある希望と可能性が俺の頭の中に閃いたのだ。

 

 だから俺は戦う。黒服に対する返事はこうだ。

 

 「嫌だ……」

 

 俺の吐いた言葉に、「「リトっ!?」」とララと美柑、驚いた二人の声が重なるが、そんな事には気にもせず、俺は構えをとった。

 

 金髪の男はそれを見て、僅かに眉間を動かすと、

 

 「そうか……なら力づくでどかしてやろう!」

 

 そう言って俺に手を伸ばしてきた。多分押し飛ばそうとでもしたのだろう。

 

 

 

 しかしその手の動きは、俺には単調すぎて、遅い。完全に舐めてかかって来たのだと思った。

 

 

 

 俺は素早く金髪の腕の袖とスーツの襟を掴み左足を一歩踏み込むと強く、ヤツから見て右後ろに押し上げる。体格がかなり違う為結構な力を用いったが、なんとか金髪の左足を上げる事に成功する。

 そのまま俺は自分の右足を思いっきり振り上げると、それを戻す勢いで金髪の右足を刈った。体の支えを全て失った金髪は俺に刈られた勢いのまま、背中から地面に叩き付けられた。

 ただの『大外刈り』である。本来は、体格の大きな人が使う様な技なのだが、自分の体格が『結城リト』になっていた事を、俺はすっかり忘れていた。

 

 「ごッハっ!!!?」

 

 一応、袖はしっかりと掴んでおいた。この投げ方は何も知らない奴が受けると後頭部直撃するから、本気で投げる際は程々の注意が必要である。

 そんな危険な技をモロに喰らった金髪は、おそらくこんな攻撃に遭うのは初めてだったのだろう、ズレたサングラスから目を覗かせ、何が起こったのかわからない、と言った顔で俺の事を見ていた。

 

 「なっ!? 貴様!!」

 

 と、もう一人のガタイの良い大男が俺に掴み掛かろうとするが、俺は冷静にそれを察知していた。

 さっきと同じように左手で袖を掴むと、今度は中のシャツごと襟を掴む。そしてヤツが俺の服を掴んだ瞬間、俺は掴み掛かっていた大男の懐に素早く潜り込むと、腕を引き、更にヤツを前に崩す。

 完全に転ぶ体勢になった大男を俺は軽く背負い上げ、すぐに投げ飛ばした。投げた先は、金髪の上である。

 

 ゴズンッ!

 

 「ぐわっ!」

 

 「ギャン!!」

 

 そんな声を上げて黒服は地面に突っ伏した。金髪の方は、多分、気絶したな。

 手をパンパンとはたきながら、玄関の前で重なっている黒服を見る。予想以上に呆気なかったと思うも、俺の予想が当たっていたので仕方がない。

 ララと美柑の方に振り返ると、二人はボーゼンとしながら俺の方を見ていた。やはり、やり過ぎたと思う。美柑の視線が『結城リト』を見ている眼ではなかったのだから。

 

 「なっ、なぁ……これで良いと思うか?」

 

 自分でやって何言ってんだと思ったが、俺は二人に聞いてみた。原作と違う事をしてしまって、酷く不安になったのだ。

 

 「えっ!? たぶん……あっ!」

 

 少し落ち着かない様な口調で喋る美柑の言葉が急に強まって、俺は素早く振り返った。黒服のガタイの良い方がヨロヨロと立ち上がったのだ。

 黒服は、痛むのであろう背中を押さえながらララに申し出た。

 

 「……ララ様、どうか私達とお戻りにn、

 

 「イヤ!」

 

 ララはべっと舌を出して黒服の男を嫌う態度を見せた。

 

 「ララ様……」

 

 黒服は諦めたように彼女の名を呟くと、今度は俺の方を睨みつけてきた。八つ当たりか?

 

 「いいか地球人! これで終わったと思うな!!」

 

 そう言い捨てながらガタイの良い大男は、ぐったりと倒れ込んでいた金髪を背負い込み、そそくさと民家の屋根を飛び越えどこかへと行ってしまった。後に残るのは夜風の音が鳴り響くばかりだ。

 

 「……ハァ」

 

 俺は開けっ放しのドアを閉め、そこに寄り掛かって一息つく。ようやく体の至る所にある緊張の糸が切れて、ホッとしたのもつかの間、俺は気付いた。

 

 それは、キラキラと眼を輝かせながら俺の事を見つめる、ララだった。

 

 思わず俺は冷や汗を垂らす。まさか、原作より最速に結婚宣言されるんじゃないかと俺は思ったのだ。美柑もララの表情に気付いたらしく、彼女からほんの少しだけ離れた。

 

 ララはゆっくりと口を開く。

 

 「リト……どうして、助けてくれたの?」

 

 俺の予想は外れた。と思ったのだが、表情が変わっていない。恋する乙女の瞳をララは止めていなかった。

 

 それよりも、彼女の質問は簡単そうで難しかった。原作の知識を暴露する訳にもいかず、俺はほんの少しだけ考えると、なんかひと昔前の熱血漫画っぽい答えをララに教えた。

 

 「……人を助けるのに、理由はいらないよ……」

 

 あまりにもクサい台詞を吐くと、俺はごまかす様にララへ笑いかけた。悪かった。こんな言葉しか思いつかなかったのだ。

 

 「なーにカッコつけてんの? リトっ」

 

 美柑が茶々を入れてきたが、その表情からは笑顔が漏れている。やっぱりカッコつけた様に見られていた様だ。しかし彼女が笑っていたので、すぐにどうでも良くなってしまったのだが。

 

 そんな心境だった俺に、ララは嬉しそうに近寄ってくると、更に俺の前に顔を近付けてきた。そして、

 

 「リト……ありがt、

 

 何かを言おうとした、

 

 

 

 その時だった。

 

 

 

 ガチャン! キィィィ

 

 「ただいまぁ!! お、まだ起きてやがんのか! リトと美柑、と……?」

 

 最悪のタイミングでオヤジが帰ってきた。いや、帰ってきてしまったのだ。

 

 俺は美柑と一緒に溜め息を重ねた。そういえば、まだ晩飯を食べていない。どうやら休む事ができるのは相当先だと、俺はこの混沌とした空気の中、そんな事を考えていた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 ☆おまけ☆

 

 

 

 俺はララに聞いてみた。

 

 「ララ……」

 

 「ん、なぁに?」

 

 少し質問の仕方に迷ったが、俺は言葉を続けた。

 

 「デビルーク人の戦闘スタイルって、どんなの?」

 

 ララは少し考えると、楽しそうにジェスチャーを始める。

 

 「え〜とパンチでドカーンとかー、ビームでバババ〜とかー」

 

 「あぁ、もういい…。ありがと……」

 

 どうやら宇宙では、パワーのインフレが起こっているらしい。柔道で簡単に倒せたのも無理はなかった訳だ。



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第四話

文末に・・・♡・・・♡・・・←コレがあったら、まだ書き足す予定だと言う事です。



 その後は『大変』なんて言葉では説明がつかなかった。

 

 俺と美柑は何とか事情を説明してオヤジを落ち着かせると、四人そろって居間へと戻り、ララにもう一度自己紹介させる事にしたのだ。

 

 オヤジは、ララが宇宙人だと言う事をすぐに信じてくれた。俺は安心したのか、呆れたのか、深い溜め息が出た。どうして、ここの家族は宇宙人に対してこんなにもフランクなのか。俺には一生わかる事のないであろう疑問が、頭の中で巡っていた。

 とにかく、オヤジがすぐに事情を飲み込んでくれたので、俺はララに、詳しく自分の事を言っておいたらどうだ、と彼女に勧めた。

 

 「え、と……ドコから話せばいいかな?」

 

 「落ち着いて、好きなトコからで良いよ」

 

 ララはゆっくりと順々に、自分の過去を話し始めた。

 王宮での生活が退屈だった事。後継者がどーたらこーたらで毎日毎日お見合いばかりさせられていた事。地球まで逃げてきたけど捕まって、こうなったら最後の賭けだと自分の発明品で脱出をはかったら、結城家のバスルームにワープした事。

 そして、ララの父親『ギト』がどれだけララに過保護な行為をしていたのかを、イヤっていうほど俺達は聞かされたのだ。

 

 「なんか……『プリンセス』ってゆーよりも、

 

 「『箱入り娘』って言った方が近いな……」

 

 美柑とそんな事を話していると、ここでも俺の予想外の事が起きた。

 

 ララの家出した理由にオヤジが物凄い同情(と言うか感動)してしまい、なんとララに家でルームシェアする事を勧めてきたのだ。こんな時間に家から追い出すのもどうかと思ったので、とても助かったのだが、まさか、ここまで話が上手く進むとは思わなかった。

 美柑も半ば楽しそうに、オヤジの提案を賛成してくれた。俺も特に断る理由はない。ある訳無い。

 

 「えへっ、これからよろしくね♡」

 

 そんなこんなで俺達とララとの同棲生活は、何とか幕を明けたのだった。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 翌日、俺は変な違和感を感じて目を覚ました。

 

 どうも体が動かしにくい、腕ごとギュッて抱きしめられた様な感覚だ。俺はもがく様にして寝返りをうち、霞む視界で目の前の光景を見た瞬間、息を飲んだ。

 俺の目の前……キスまであと数センチの所にララが寝ていた。しかも俺に抱き付き、しっかりとホールドまでしていて離れない。

 肩まで肌をさらしているって事は、恐らく……いや絶対に何も着ていないだろう。俺の手足からはララの素肌を感じ取っている。

 スヤスヤと安らかな寝息を俺に当てながら眠っているララ。とっとと叩き起こそうかとでも思ったのだが、俺はその前に携帯電話で時間を確認した。

 

 「……6時、ジャスト……」

 

 まだ1時間以上も余裕があったので、起こすのはやめた。俺は体を捻っててララの抱擁から脱出すると、そっと彼女が起きない様にベッドから這い出した。

 振り返ると、俺が無理矢理ベッドから出たお陰で、あられもない寝相になってしまったララの姿。布団は出る時に捲ってしまったので、見えるものも見え放題になっている。

 

 

 

 エロい……

 

 

 

 さすがにこの状態でほったらかしにするのはどうだろうと思ってしまったので、俺は彼女の寝相と布団を優しく整える事にした。途中、彼女は何度も寝相を変えて俺を困らせたが、それでも穏やかに眠る彼女の寝顔を見ていると、その怒りすら失せてしまった。

 一仕事終えた俺は彼女に苦笑いして、それから部屋を後にした。

 

 壁に手を付けながら階段を下りて、風呂場へと向かう。昨日の事件のお陰で、俺はあのあと頭も体も洗えずに眠りについてしまったのだ。きっと、体はベトベトだろう。すぐにでもシャワーを被りたかった。

 

 俺は洗面所に着くなり服を脱ぎ捨て風呂場に入ると、シャワーを回して冷たい水を頭から被り、眠気を吹き飛ばす。

 シャワーはすぐお湯へと変わったので、俺はシャンプーで昨日の汚れを洗い落とそうと、髪の毛をモコモコと泡立てた。

 

 段々と頭が回り始めてきた。俺は、今日の事を考えながら頭を洗っていると、

 

 ……タッタッタッ、ガチャン!

 

 「あっ、やっぱりリトだー!」

 

 上で寝ている筈のララが、笑顔で風呂場に割り込んできた。もちろん、全裸で。

 どうやら、やはり寝相を整えている内に起こしてしまったらしい。心の中で反省している内に、彼女は俺の近くにしゃがみ込むと、ボディーソープをタオルで泡立たせ、楽しそうに俺へと擦りつけてきた。

 

 「リト、体洗ってあげる!」

 

 「おいっ、ちょっと待て!」

 

 自分の頭は泡だらけなので風呂場から出る訳にもいかず、俺はララを止めようとしたのが、言葉だけで彼女が止まるハズなく、俺の背中を洗い始めた。

 

 体を洗わないで学校には行きたくない。彼女に構うのが面倒になってきた俺は、サッと腰にタオルを捲きつつ、頭を洗い流し終えるなり、もうひとつのタオルを手に取った。

 

 「リトの背中って、結構おっきいねー」

 

 「んん? あぁ……」

 

 鼻歌混じりに俺の背中を洗っていたララが、急に話しかけてきた。

 確かに彼女の言う通り、身長の割にはガタイが少し大きい気がする。もしかしたら『リト』は将来結構伸びるのかもしれない。そんな事を思いながら俺はタオルを泡立てて、前を洗う。

 

 「地球人って、みんなリトみたいに強いの?」

 

 「いや、強いのは一部の人間だけだ」

 

 「へー」と言って俺の話に感心するララ。この地球には俺より強い人間なんぞゴロゴロいる。だがデビルーク人の前では、ほとんどの者が戦いにならないだろう。俺があの二人を倒せたのは、奴らが油断していたからだ。

 

 「それに……俺は弱い方だ……」

 

 次にどうなるかはわからない。最悪、秒殺だろう。俺は溜め息を吐いてデビルーク星人の強さと、自分の弱さを呪った。

 

 「えーウソだよー、リトすっごい強かったじゃん! あの二人、かるーく倒しちゃったし!」

 

 ララは俺の言葉を真っ向に否定して、更に棚に上げようとする。確かに『嘘』って言われると、事実『嘘』なのである。だが、俺はそんな表側の事を言ったわけではなかったのだが、彼女にはそんな深く考える余地はなかった様だ。

 

 「ねぇ、リト……」

 

 「ん?」

 

 不意に、ララの声のトーンが変わった。

 何だと思い首を横に向けると、彼女の顔が俺の目の前にあった。ベッドの時よりは遠いが、それでも近い。丁度、肩から覗き込む様な感じで俺の事を見つめている。当然の如く、俺の背中には彼女の胸が当たっていたが、気にする暇はなかった。

 

 「え〜と、昨日はホラ、忙しくて言えなかったんだけど……」

 

 目の前でモジモジしながら、首をコテンと傾けるララ。可愛い過ぎて目に毒なのだが、それでも何かを話そうとしている彼女から、俺は背けずに見ていた。

 

 悶々としていた彼女の口元が、ゆっくりと開く。

 

 「助けてくれて……ありがとう。とってもうれしかった!」

 

 不意打ち、と言う訳でもなかったのだが、ララは眩しいくらいの笑顔を俺に向けてくる。本当はこの笑顔は結城リトが浴びて……いるのだろうか? 忘れてしまいそうだが、ここは風呂場だ。純情の彼には、無理な話であろう。

 とにかく、レアなララの笑顔を拝んだ俺は、無難にお返しを言うとする。

 

 「どういたしまして……かな、」

 

 ララは嬉しそうに俺の言葉を受け止めると、

 

 「じゃあリトっ、次は私を洗って!」

 

 今度は不意打ちを言ってきた。

 

 「あ……うん……」

 

 本当は丁寧に断って、さっさと出ようと思ったのだが、自分を洗わせて(本当は、させられて)おいて本人は一切やらずて言うのも彼女に嫌な印象を与える、と思ったので俺はララと場所を交代する事にした。

 フワフワの泡にまみれるララの白い肌。タオル越しでしか触っていないが、時折指先が彼女の素肌に触れる。

 

 やわらかい……スベスベしている。

 

 「前も洗ってー」

 

 「自分でやれ」

 

 だが、俺の頭は酷く落ち着いていて、冷静にツッコミもかましながら、俺はララの背中を洗っていた。

 その後はデビルーク人の強さの話になり、彼等の計り知れない戦闘能力を合間見れた気がした。彼女は他にも何かを話したがっていたが、俺は素早く洗っていたのでその時間はすぐに終わる。

 彼女はまだ髪を洗っていない。出るのはもう少し後だろう。

 

 「俺、先に出てるよ」

 

 「ん、わかったー」

 

 ここにいる必要もなくなった俺は脱衣所に戻り、一呼吸つけてタオルを外した。

 

 ブルンっ!

 

 「………………」

 

 えーと、まぁ……この音は……俺の(って言うかリトの)暴発しそうなくらい、膨らんだアレが……揺れた音だ。

 

 リト……以外と大きいな……。

 

 普通だよな……? 最初の時は内心慌てていたから平然といられたが、今回は無理だ。まさか同棲生活初日でララと朝シャンやる事になるなんて思ってもいなかったのだから。

 

 「……ハァ……」

 

 溜め息を吐きながら俺は体を拭き終えると、脱ぎ捨てていた服を着込んで、今度はキッチンの方へと向かった。

 何だかとてももどかしい気分だった。『彼女』への背徳感なのか、それとも『彼』からの罪悪感なのか、はっきりとはわからなかったが、とても気持ちが良いものだとは思えない。

 だから、これからは原作通り、彼女は美柑と一緒に風呂へ入れさせる事にしよう。そう思っていると、キッチンに向かう途中でその美柑とバッタリ出会った。彼女は欠伸をしている途中だった。

 

 「ふわぁ〜あ? リト、おはよー」

 

 「っ! ……おはよう、美柑」

 

 俺はなるべく明るい挨拶をしたと思う。が、内心、心臓は自分でもわかるくらいに凍りついた気がした。もし、ララと二人で風呂に入っていた所を見られていたら、今度こそシャレにならない自体に陥っていたと思うのだから。

 

 「朝メシ、手伝うよ……」

 

 「ほんとにっ? じゃあリトは……、

 

 そんな風に今日の朝飯をどうするか話しながら、俺と美柑はキッチンへと向かった。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 オヤジはとっくに家を出たらしい。ダイニングキッチンのテーブルの上に達筆の置き手紙があった。やっぱり仕事は大変なんだなと、俺は頬をポリポリかきながら、スクランブルエッグを盛ったトーストをかじって牛乳で流し込む。

 

 前にも言ったのだが、俺とリトとの体格差は結構大きい。『俺』の身長がギリギリ180ぐらいだったのに対し、今この『結城リト』の体は165センチ前後だ。目線の位置を予測すると、もしかしたらララより小さいのかもしれない。身長の高かった身として、俺は違和感を感じている。

 何とかしたかったので、俺は元の身長に戻りたい為に、毎日牛乳を飲み続ける事にしたのだ。

 

 そうして牛乳をすする俺の横には、風呂から上がって昨日と同じ服装、『ドレスモード』の姿になってトーストにぱくつくララが座っている。正直、ちょっと落ち着けない。

 

 「休日になったらお前の服買わないとな……」

 

 ララはパッと俺の方を向き、「へ、私の?」と言葉を漏らした。

 

 「そーだよ、ララさんの服はちょっと目立ちすぎるもんね」

 

 美柑はララの仕草が可愛かったのか、クスッと笑いながら彼女に話しかける。

 

 目立ちすぎる、と言う事だけが理由ではない。彼女は『ペケ』が体から離れてしまうと、即・全裸になってしまう。これは原作でもよくあったToLOVEるなので、よく覚えている。

 そんな超危険な状態のララを知っているまま町に連れ出すのは、気が引けるのだ。俺だって出掛けるときぐらいのんびりと外を歩きたい。

 

 それにペケはロボットだが、生きているんだ。あんまり無理はさせたくなかった。

 

 「この星じゃあ、ペケに頼りきった衣服は限界があるぞ」

 

 俺の言葉に、ララはしばらく悩んでいたが、やがて

 

 「う〜ん……わかった」

 

 と、素直にうなずいて俺に笑いかけてきた。

 

 『仕方ないですね』

 

 ペケもその辺はわかっていたのか、しぶしぶ俺の意見に賛成してくれた。

 

 「じゃあリト、さっそく買いに行こ!」

 

 ララはトーストを食べ終えると、俺を引っ張ろうとして買い物をせかすのだが……

 

 「まてまて、待て! ……今日は学校があるからダメだ」

 

 まだ平日の火曜日である。当然、俺も美柑も学校があるので買い物に行くわけにはいかない。女物の服や下着を買うには美柑の協力が必要である。

 

 と言うか、俺は彼女を連れて行きたかった。この世界に来てから俺は彼女に悪い思いしかさせていない気がしたので、どうしても連れて行かせたかったのだ。

 

 そういえば、俺達の学校の間ララをどうしようと考えようとしたが、彼女は一言、

 

 「ガッコ?」

 

 と言って、俺に疑問の視線を浴びせてきた。

 

 そこからだったか……。俺はピシャリと頬を叩き、気を持ち直す。美柑はララの言葉に気が抜けたのか、テーブルにつけていた肘をズルッとずらした。ちょっと可愛いかった。

 

 「いいか、学校ってのはなぁ、

 

 俺はトーストの最後の一口を飲み込み、ララに学校の事を話す。だが、ろくに学校も通ってなかった俺が学校がなんなのかを満足に言える訳もなく、気が付けば美柑が説明を始めてしまったので、俺はララと一緒に聞く側の方にまわっていた。

 

 「私も行きたい!」

 

 美柑の説明を聞いたララは、目を輝かせて俺に甘えてくる。

 しかし、美柑は難しそうな顔してララに話す。

 

 「うーん、それは難しいんじゃないかな……」

 

 そう、普通だったらこの星の戸籍のないララを学校に行かせる事など絶対に不可能である。

 

 普通だったら……だ。

 

 俺には確実にララが彩南高校に入学できる方法を原作からの知識で知っている。そんなスケールの大きくなる話ではない。事さえ済ませば終わる、簡単な話だ。

 が、その為にはそこまでの過程をなんとかしなければならない。避けられるToLOVEるにわざわざ顔を突っ込む必要もないだろう。

 

 ララが駄々をこねている間に、俺は素早く頭を回し作戦を練った。

 ……なんとかなりそうだ。何かミスがあった時が怖いが、その時はその時に任せよう。

 俺は牛乳を飲み干して、二人にはっきりと聞こえる様、呟いた。

 

 「いや、出来る」

 

 「「え!?」」

 

 俺の言葉に目を丸くする二人、美柑は「冗談でしょ?」見たいな顔をしていたが、ララの方は先程より一層目を輝かせて俺の方を見てきた。

 

 かくして、ララを学校に通わせよう大作戦が始まったのである。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 俺は商店街の路地からヒョコッと顔を出して、まわりを確認した。結構早めに家を出たので、そんな慎重に隠れなくてもいいのだが、この状況では慎重になっていて損はない。

 

 「ペケ、ペケ! あれだ、あの服をコピーしろ」

 

 『ハイハイ』

 

 俺の指を指した先、そこにいるのは彩南高校の制服を着た、名前も分からない登校中の女子生徒だ。

 

 なんでこんな事をしているのかは、会話で分かったであろう。ララの制服である。

 最初、ララには俺の制服をペケにコピーさせていたのだが、当然、男物の制服なので、パッと見、違和感を感じていた。

 それでも、俺達二人は隠れながら進み、なんとかここまで来て、今に至るのだ。

 

 『衣装解析完了! フォームチェンジ!!』

 

 ララの服は淡い光に包まれて消えていき、彼女は全裸になる。

 しかし、それは一瞬の事で、気が付けばそこには彩南高校の女子の制服を身に着けたララが俺の目の前に立っていた。

 

 和風スイーツ色は、なんともいただけないのだが、短いスカートに黒いストッキングは魅力的だ。太ももがちょっと見えるのが良い。スカートの上からは都合のいい様に尻尾が出ていた。頭には当然、髪飾り程の小さなフォルムになったペケがくっついている。

 

 「リト、にあう?」

 

 当然「いいえ」なわけがないので、俺は素直に、

 

 「ああ、似合ってる」

 

 と答えた。

 

 もうこんなコソコソする必要性も無くなったので、俺は「えへへ」と嬉しそうに笑うララを連れて商店街を歩き出す。学校へと付く前に、予め彼女に重要な約束をかけておいた。

 

 「宇宙人だってバラさない事」

 

 「はぁーい♪」

 

 「俺のそばから離れない事」

 

 「はぁーい♪」

 

 「大丈夫かなぁ、ホントに……」

 

 『全く、リト殿は注文の多い男ですねー』

 

 ペケに悪態をつかれながら俺は商店街を抜けて行った。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 数十分後、俺達二人(プラス一台)は彩南高校の正門の前に立っていた。

 ララは楽しそうに辺りを見回して、俺に向かってこう言う。

 

 「ここがガッコ?」

 

 「そう、『学校』な」

 

 俺がそう答えると、ララは俺の服の袖を引っ張りながら、ウキウキ顔で正門を通る。

 「わかった、わかったから、離せ!」と俺は言ったのだが、ララはそれを無視して敷地に入るなり、キョロキョロと周りを見回して、手当り次第に俺へ質問を浴びせてきた。

 

 「リトー、ココは何?」

 

 「ここは校庭。運動をする場所だ」

 

 「へ〜、アレは?」

 

 「あれは先生。コラッ、指を指すな」

 

 「う〜、じゃあアレは?」

 

 「ありゃただのカラスだ……」

 

 何も知らない子供の様にはしゃぐララを、俺は遠くを見るように眺めながら、彼女の事を考えていた。きっと原作のリトも相当大変だったんではないだろうか。しかし、「そっかー」と面白そうに笑うララを見ていると、そんな事もどうでもよくなってきてしまい、後に残ったのは何とも言えない苦笑いだった。

 

 まぁ、そんな風にワヤワヤ騒ぎながら学校を歩けば、当然周りの人々の注目も俺達二人に集まってきてしまう。

 周りからはこんな声が聞こえて始めたのだ。

 

 ヒソヒソ………

 

 「なぁ、アレ見ろ」

 

 「ん?」

 

 「あんなコいたっけ?」

 

 「転校生かしら?」

 

 「い、いや……そんな事より……

 

 

 

 「「「メチャクチャ、カワイくね?」」」

 

 

 

 「つか……」

 

 「オイ、それより」

 

 「隣りの男ダレだよ」

 

 「一年じゃね?」

 

 ヤバいヤバいヤバい。このままだと変なちょっかいをだされそうだ。

 なぜかペケが自慢げに笑っている中、俺はララを連れながら小走りで下駄箱を目指した。早めに家を出ていて本当に良かった。もし普通の時間で登校していたら、この比にもならない騒ぎになっていただろう。

 想像したくないものを想像した俺は、ゴクリと生唾を飲み込み下駄箱に逃げ込むと、素早く上履きに履き替える。ララの上履きをどうしようかと思っていたら、ペケがコピーしてくれた。便利だな、ペケ。

 

 俺とララは校長室へと向かう。場所は前回学校に来た時に、ある程度探索しておいたので、迷う事はない。

 

 「おはようございます……」

 

 「おはよーございます♪」

 

 「おはようごっ……!?」

 

 すれ違う先生からは変な目で見られたが、そんな事は気にせずに、俺はズカズカと廊下を歩いて校長室にたどり着いた。

 

 「ふぅ……」

 

 「?」

 

 俺は疲れた様に一息ついて、目の前のドアを見る。その上には大きな字で『校長室』と書かれた看板がかかっていた。

 こんな所に入る運命なんか、絶対にないと思っていた。別にララだけ入れさせても話は進むと思ったのだが、普通に不安だったので、俺は少し緊張しながら『校長室』と看板の貼ってあるドアノブに手をかけた。

 

 コンコンコン ガチャ、

 

 「失礼しまっ、

 

 「おやっ?」

 

 そこは綺麗に清掃された部屋に大量の写真やら賞状やらが飾られていた。床はピカピカのタイルが敷かれて、その上には豪勢な机を構えられ、高級そうな黒い椅子がある。

 そして、その椅子には、太っちょで黒いサングラスをかけた、変な髪型のオッサンが座っていた。

 

 この人が『私立彩南高等学校』の校長だ。一見、愉快な人に見えるが、その実態は目も当てられないくらいのド変態である。どうしてこんな男が校長になれたのだろうか。

 

 ちなみに、今なぜ俺の言葉が途切れたのかと言うと、それはドアを開けた瞬間に校長は、サッと何かを隠したのだ。そして俺にはほんの一瞬だけ、それが見えていた。

 

 

 

 エロ本を読んでいたのである。

 

 

 

 俺が呆れて言葉も出ない中、ララはスッと前に出ると、校長に話しかけた。

 

 「あなたがコーチョーセンセー?」

 

 校長はハッと気が付いた様に彼女の顔を見た。

 顔を見たって事は、他の場所を見ていたって事だ。おそらく……胸だろう。

 

 しばいてやろうかこの校長。

 

 「そ、その通り、いかにも私がこの学校の校長です。何か御用ですかね?」

 

 先程見えた様子からは打って変わって、校長はかしこまった様に自己紹介をした。こうしてると、ただの校長先生だが、実態は……何度も言う気はない。

 

 「私ララって言いまーす! このガッコにニューガクさせてください!」

 

 敬語もへったくれもない、少し高めのテンションでララは校長に入学をお願いした。

 

 『オネガイシマス』

 

 ペケ、お前は喋っちゃダメだろう、と俺は心の中でツッコんだ。

 

 「おねがいします……」

 

 俺も、このままつっ立っているのもどうかと思ったので、頭を下げてみる。本当にこんなんで入学できるのだろうか。作戦を提案した筈の自分が、馬鹿みたいに思えてしまった。

 

 「フムフム、ん〜〜〜」

 

 校長はララをジーっと見つめている。何か不憫でもあったのか、俺の額からダラリと冷や汗が垂れた。一応、何があってもいい様に、俺は拳を握り締めてそれを観察していた。

 だが、そんな俺の心配は無駄だったらしく、校長は

 

 「カワイイのでOKッ!!」

 

 と親指を立てながら、すっごい良い笑顔で彼女に入学の受け入れを言い放ってくれた。

 俺はその様子を、真っ白な視線で眺めていたのだ。漫画の世界が現実として感じる今、こんな愚行がとても不安に感じていたが、その食い違いはどうやら考えるだけ無駄だった様だ。今の校長のセリフがそれを良く物語っている。

 

 本当に言いやがったよ……この校長………

 

 「やったー! リトー♪」

 

 俺に抱き付くララを尻目に校長は手続きやら、教材やらの話をしている。面倒な話があると困るので、俺は校長の話に聞き耳を立てていたが、それは大して複雑なものではなく、そのあとは聞いていてもあまり面白くない(ララはヘーとか、ふーんとか言っていたが)学校のあんなこんなを説明して校長の話は終わった。

 

 ちなみに、手続きやらは全部校長がしてくれるらしい……ちょっと拍子抜けた。

 

 最後に、ララは俺のクラスに入らしてくれと頼んでいたが、校長は「好きにして良いよ」一言で、それを受け入れていた。

 

 この光景は一体何なんだろうか。俺はみるみる内に疲れを感じていた。

 

 「ハイ、これで説明は終了〜。楽しい学園生活をエンジョイしてくださいね〜」

 

 校長はさっきからペンを動かしていた書類をトントンっとまとめた。どうやらこれで全部終わりらしい。予想以上に呆気なく終わってしまった。

 

 もうここにいる必要はない。俺はもう一度校長に頭を下げる。

 

 「あ、ありがとうございました……」

 

 「ありがとーございました!」

 

 今になって気付いたが、ララは俺の挨拶を真似している。いや、別に悪い事ではないのだが、敬語を使う彼女は少し新鮮な感覚がしたのだ。

 

 『良かったですね、ララ様』

 

 「うん!」

 

 二人はのんきに話をしている。さて、山場は超えたとして、ここから教室までどうやって行こうか考えながら、俺はドアを開けた。

 

 ガチャ、

 

 

 

 「ヒッ!」

 

 

 

 そして俺は小さな悲鳴を上げた。

 

 緩い気持ちで開けたドアはバッと無理矢理開かれ、そこに広がった光景に俺は言葉を失ってしまった。

 校長室の前は廊下を埋め尽くさんばかりの男子、男子、男子……ちょっと遠くに女子が集まり。そんな大量の生徒が俺とララの方を一斉に注目したのだ。

 

 「やベー! チョーカワイイ!!」

 

 「きっ、キミ、転校生!?」

 

 その瞬間、ブワァアアっと広がる大歓声。中には殺気じみた目線で俺を見ている者もいる。

 

 ヤバい……少し予想はしていたが、まさかここまで大事になるとは思ってもいなかった。どうやら校長と話をしている間に、いつもの登校時間になっていた様なのだ。

 

 ララは面白そうに笑ったり、手を振ったりしている。そのたびに男子が歓声を上げたのは言うまでもない。

 集まっている男子と、俺とララとペケの間に存在する空間がじわじわと狭まってくる。本格的にヤバいと思ったその時、人混みをかき分けて、俺の前に猿山が姿を現した。と言ってもこの状況では、なんの助けにも救いの手にもならないが。

 

 「お、おいリト! 誰だよそのコ!?」

 

 「どーゆー関係だ!?」

 

 猿山の声に続いて、昨日一緒に飯を食べた奴の声も聞こえた。

 俺は、ある程度考えていた答えを急いで思い出す。

 

 「たっ、ただの幼馴染み……?」

 

 俺の言葉に数人の奴が安心した様な溜め息を吐いた。

 と思ったら、さっきよりも殺気が増した。何故だ。

 

 「きっ、キミは……?」

 

 さらに一人の生徒が、今度はララに向かって質問をした。

 

 その言葉に、俺の心臓はドクンと跳ねた。『お嫁さん』って言われる可能性は無いと思っている。原作でリトは西連寺に告白しようとしたのだが、間違ってララに告白してしまい、一気に結婚まで話が成り上がってしまうという、なんともラブコメディな展開をしていたが、俺は完全に皆無。だから彼女とか恋人とか、そんな関係では無いと、

 

 思っていたんだ……

 

 

 

 「私? 私ララ、リトの婚約者でーす!♡」

 

 

 

 「「「!!!!!??」」」

 

 

 

 ララは俺の腕をギュッと掴むと、嬉しそうに特大の爆弾発言を言ってくれやがったのだ。

 

 『なっ、ララ様!?』

 

 「おいバッ!

 

 その言葉には、ペケも驚いた声を上げ、俺はすぐに訂正しようと思った、が……遅かった。

 

 「「「「なぁにーーーーーーーーーーっ!!?」」」」

 

 俺はララに抱き付かれながら、耳を塞ぎたくなる様な怒声を体で受け止めた。

 

 「リト……お前……春菜ちゃんというものがありながら……」

 

 確かに、『結城リト』の恋の事情を知っている猿山から見たら、そう思うのも無理はない。だがここにいるのは、もう彼の知っている『結城リト』ではない。彼の言葉に、何とも言えない空しさが俺の耳を通り過ぎていく。

 そんな事を思っている暇もなく、周りの奴らは一気に殺意の視線を俺に向けて、ジリジリと近付いて来る。

 

 さて、どうしよう。ここで俺が少しでも睨み返したりでもすれば、一触即発の大乱闘が幕を開けるのだろう。しかし、そんな事をしてしまったら、後々大変なことになるのは目に見えているし、ここにいるララにも危険が及んでしまう。

 だからと言って、このまま突っ立っていれば、コイツらにリンチされるのも目に見えている。

 

 もう無理だ。収拾をつけられる様な状態ではない。逃げよう。

 

 「あっ!」

 

 唐突に声を上げ、テキトーな方向に指をさす。

 

 「「「えっ?」」」

 

 面白いぐらいの勢いで、周りの奴らは俺の指先の方へと首を振り向かせた。

 

 その瞬間、俺はララの手を握ると、そこら辺に立っていた男子二〜三人を突き飛ばし、廊下の包囲網を突破。全速力で逃げ出した。

 

 「あっ!! えっ!? ちょっ! まちやぁがれぇぇえええええええええ!!!!!」

 

 後ろからは物凄い罵声が聞こえてきたが、振り向く余裕などないし、どんな状態なのかもわかっていたので、無視した。ララの手を引っ張って走っていたが、彼女が俺のスピードに余裕でついて来ている事に気付き、すぐ放した。

 

 「? 何であの人達怒ってるの?」

 

 「さぁなっ!」

 

 ツッコむ気はなかった。今はとにかく、上手く逃げ切れる事を祈りながら、俺は長い廊下を爆走していた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 「ふー。楽しかったね〜リト」

 

 「…………………」

 

 今、俺とララは学校の屋上で寝そべっている。

 原作とは打って変わって、なんとか自力で猿山達の追っ手を振り切った俺ら二人は、奴らの騒ぎが収まるまで、ここで大人しくする事にしたのだ。

 

 フーーっと深く深呼吸をしながら灰色の曇り空を見ている俺に対して、ララは息切れひとつせず、明るい笑顔で俺の方を見ていた。デビルーク星人のスタミナはどうなっているのだろう。

 

 休憩して少し落ち着いてきたので、俺はララに話しかけた。

 

 「いつからだ……」

 

 「えっ、何のコト?」

 

 ララは不思議そうに目を丸くする。今のは俺の言い方が悪かった。今度は言葉を増やして、顔を彼女の方に向けた。

 

 「いつから俺はお前の婚約者になった……」

 

 俺がそう言った瞬間、ペケがララに怒鳴り始めた。

 

 『そうですぞララ様! こんなさえないし、ララ様になびかない男を婚約者にしようだなんてっ、!?

 

 俺はララの髪の毛にくっついていたペケの頭を、指三本でムギュっとつまんだ。コイツ、冴えないって二度も言いやがった。このまま潰してやろうか。

 ララはそんな俺の行動を見て、クスクスと笑いながら俺の目を見て話しかけてくる。

 

 「リト、私が自分の好きなように、自由に生きたいって言ったのは覚えてる?」

 

 「あ、ああ……」

 

 それは、俺とララと美柑とオヤジとで話をしていた時の事だ。のんびりと遊ぶ事もできずに、お見合いばかりされられていた毎日が嫌になった彼女は、ここ『地球』へと逃げ出して来て、そして『結城リト』と出会う筈だったのだ。この『俺』ではなく。

 

 酷く空しい俺の心境などとは反対に、彼女は嬉しそうな目で俺の事を見てきたのだ。

 

 「それを叶えてくれたのはね、リトのおかげだと思うの……」

 

 「えっ?」

 

 言葉の意味がわからず、俺はララに聞き返した。

 

 「リトは私の事、すぐ宇宙人だって信じてくれた。美柑だってあんなに疑ってたのに……」

 

 確かに、普通の人だったら絶対に疑い、『俺』なら精神科を進めるだろう。しかし、今の『俺』には疑える理由など無いのだ。俺は第三者の目線で、この世界を傍観していた存在なのだから。

 

 「今こーやってガッコに行ける様になったのもリトのおかげだし……」

 

 ちょっと言い過ぎなんじゃないだろうか。心の中でそう思いながら、俺は黙ってララの言葉に耳を傾け続けた。

 

 「ううん、それだけじゃない。リトは私の事を助けてくれた……」

 

 マウルとブワッツの事。そんな風に過去を思い出していると、ララは突然ごろんと寝返りをうち、俺の上に乗っかってきた。俺の上に全体重をかけてきた事で、ララの胸はぐにゃんと形が曲がる。俺はそこに目がいってしまいそうになったが、意地で我慢し、彼女の目を見た。明るいエメラルドグリーンの瞳の中には、焦った顔をした『結城リト』の顔が見えた。

 

 「おっ、おい……」

 

 「だからね、私……私のためにそこまでしてくれたリトが大スキ♡」

 

 「……ラ、

 

 「ううん! 結婚したい!!!」

 

 俺の言葉も押しのけて、ララは一気にプロポーズしてきた。

 

 正直言って、俺は結婚とかはまだよくわからん。と言うか、恋愛自体…………放棄していた。将来の事なんて、自分はどんな仕事に就きたいかぐらいの事しか考えていなかったのだ。

 

 そんな『俺』に恋愛を再会する気など思い起こらなかったし……ましてや人を幸せにする自身も、はっきり言って無い。

 だから、いっそ断ってしまいたかった。が、それを言ったらララはどうなるのかわかっていた俺は、恐くて言えなかった。

 

 原作の知識でララの婚約者は(アイツを除き)ロクな奴がいないのを知っている。これからしばらくの間、俺はララを守らなければならない。そんな使命感が俺の中には存在した。

 その使命を果たすのが、この『結城リト』と言う体でこの世界に立つ、『俺』のやるべき事なのだろう。無理に恋愛なんかする必要は無い。ララも『俺』と言う人間を知れば、徐々に離れて行く筈だ。その頃にはもう、俺は不必要な存在になっているだろう。でも、それで良いのだ。彼女は幸せになれるハズだ。

 

 そんな事を考えていると、ララは俺へと抱き付き、その大きな胸を俺の顔に押しつけてきた。

 

 「リト〜♡」

 

 「ちょっ、待っ!」

 

 こうなってしまったララは、もう俺の話など耳に入らないだろう。

 ララの求愛行動を止めさせて、重い足取りでゆっくりと立ち上がる。こんな状況の中でも学校の事は考えていた。いい加減、猿山達も諦めたんじゃないだろうか。そろそろ教室に行かないと、俺は遅刻になってしまう。

 

 丁度そこへ、聞き慣れてる音が流れてきた。

 

 キーン コーン カーン コーン ♪

 

 「コレ、何の音?」

 

 「ええっと、これは……」

 

 空は朝から怪しげな雲行きだったが、その隙間からはひょっこりと太陽が顔を出していた。今日もなんとか晴れてくれそうだ。



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第五話

 ララを連れて自分の教室へと戻ってきた俺は、気を落ち着かせながら行動を起こす。

 

 「ララ、ここに座ってて」

 

 俺は彼女を空いている席に座らせた。机の中は空っぽだったので、たぶん誰も使っていないだろう。

 だが、彼女はすぐに願望を投げかけてきた。

 

 「リトの隣りはー?」

 

 「他の奴がいる。諦めろ」

 

 彼女は少しだけ駄々をこねたが、俺の説得に「まあいっか」と開き直って大人しく座ってくれた。俺もいつまでもここに立っている訳にはいかないので、自分の席に戻る。そしてまた、一息ついたのだ。

 

 ヒソヒソ……… ザワザワ………

 

 うん。教室に入った時点で感じていたのだが、周りからの視線が痛い。自分のやった事がどれだけ異常な行動だったのかはわかっている。だから彼等が俺の事を変な目で見てくるのも仕方がない。けれどもこの見られ様は心に覆い被さってくるものがあった。きっと、『結城リト』も最初はこんな拷問を受けていたのだろう。彼の心境がどんなものだったのか、想像はしやすい。

 

 少し時間を過ごしてから、俺は視線を直視しない様、横目で周りを見渡してみた。すると、ほとんどの男子は既に俺の事などを見てはおらず、ララの方に暑苦しい視線を送っている。変わって、女子は相変わらず、不思議そうにララと俺を交互に見ていた。

 

 その中には、西連寺の姿も見えた。だが、彼女はララの方を見てはおらず、俺の方を困惑した目で眺めていたのだ。やはり、『結城リト』こと、俺の方がよっぽど気になるのだろう。自分の好きな男がいきなり教室に美少女を連れて来たりなどしたら、気になるに決まっている。気にしないなんて無理だ。

 

 視線を動かすと、俺の視界に映っていた彼女は、すぐにサッと顔を隠してしまった。どうやら、こちらから見られるのは、相当恥ずかしい様子だ。

 彼女を流し目して、ララの方に目を向ける。相変わらずの彼女は、周りをキョロキョロと見回しながら、これから何が始まるのか想像している様に、好奇心溢れる瞳を輝かせていた。

 周りの席の野郎共は、俺と言う邪魔者がいなくなったわけか、積極的にララへ話しかけ始めているが、そいつらの顔は隠しきれていないくらいデレデレで、はっきり言って気持ち悪い。普通の女性だったら引いているレベルだ。

 だが、そんな暑苦しそうなオーラの塊を前にしても、ララはそれをちっとも気にせずに、笑顔で話し返している。第一印象で人を選ばない所が彼女という人間なのだ。実際は宇宙人だが……

 

 俺は苦笑いをしながら、何とも言えないその光景を眺めていると、教室の後ろのドアが勢いよく開いた。

 

 ガラガラッ、バン!

 

 「リト! てめーどこにいやがったんだよ!!」

 

 入って来たのは、数分前まで俺を追いかけ回してきた猿山だった。彼はゼエゼエと息を切らしながら、俺を見るなり怒鳴り始める。

 

 「お前らが追っかけてくっから隠れてたんだろーが!」

 

 俺は猿山と言い争っていたのだが、周りのほとんどはララに夢中で気にも止めていない。

 そんな中、落ち着けと言わんばかりに二回目のチャイムが教室に鳴り響いた。

 

 キーン コーン カーン コーン ♪

 

 お互いに舌打ちをして席に座る。このToLOVEるの巻き起こっている状況下でも、鐘が鳴れば静かになる辺り、この学校は凄いと実感した。

 

 ガララ………

 

 教室のドアがゆっくりと開き、クラス担任の骨川先生は部屋に入ってくるなり、話を始めてきた。内容がわかっているつもりの俺は机の上に頬杖をついて、話は適当に聞き流す事にした。

 

 「え〜〜突然ですが、転校生を紹介します。っと言っても、もうそこに座っておりますが……」

 

 先生はスッと手をララの方に差し出し、周りの注目を集めさせる。その隙に、持っている書類をパラパラと捲り、何かを確認しようとしていた。

 

 おそらく名前だろう。外国人もそうだが、宇宙人の名前は少し覚え辛い気持ちは、わからなくもなかった。

 

 「え〜と、ララ・サタリン・デビルークさんです。みんな仲良くするよーに」

 

 途切れ途切れの言葉で先生がそう言うと、彼女はもう一度首をキョロキョロ見渡して、

 

 「えへっ、よろしくね♪」

 

 と、ウィンクをしながら周りに笑顔を振りまいた。

 

 「「「うぉぉおおお!!」」」

 

 その瞬間、周りの男子共は物凄い奇声の様な歓声を上げて、ララの反応に答えた。正直、学級崩壊一歩手前ぐらいうるさい。西連寺だって程々に耳を押さえながら、その光景を見ているのだ。

 

 だが、そんな騒ぎはすぐおさまり、あとは先生の適当な話で朝のHRは終わった。そして、終わるなりララの周りは大量の男子と少量の女子に囲まれ、彼らは我先にと彼女に話しかけ始めた。俺の割り込む隙もない。だから、このまま授業開始時まで眠ってしまおうかと思った。

 

 瞑った視界の中でも、声はどうしようもなく聞こえてくる。

 

 

 

 「よっ、よろしく!」

 

 「ラっ、ララちゃんって呼んでいい?」

 

 「お、オレ〇〇って言うんだ!」

 

 「ドコ住んでんの?」

 

 「ねぇ、写メ撮ってもいい!?」

 

 「カワイイね〜ララちゃん」

 

 「す、好きな人とか、いるの……?」

 

 

 

 たぶん、これで猿山達の注目も俺よりララの方へと移るだろう。周りの騒がしい声が聞こえる中、俺は本格的に寝に入ろうとすると……

 

 

 

 「好きな人はリトでーす♡ 今は一緒に住んで……

 

 

 

 ララの言葉が言い終わる前に、俺は速攻で教室から逃げ出した。

 

 ララのバカ……とりあえず授業が始まるまで、また屋上に隠れるとしよう……

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 ララのお陰で、俺は授業とかくれんぼ、たまに鬼ごっこを幾度か繰り返す羽目になったが、時間はようやく昼飯の時となった。

 四時間目が男女別の体育だった為、ララとは離れていた。先に早く教室に戻って来れた俺達男子は、弁当を食べるやつ、友達とつるんで購買へ走って行くやつへと分かれていく。俺はララを待とうか、弁当を開けようか迷っていた。

 

 ちなみに、男子の授業はサッカーだった。俺は球技が得意ではなかった筈なのだが、体はしっかりとボールを操れていた。これも『結城リト』になってしまった影響なのだろうか。今の俺には、凄いとしか言い様がない。足の筋肉はしっかりしているし、結構走ったのに軽い息切れで済んでいる。宇宙人の攻撃から逃げるだけの事はある。

 

 もし、この運動能力を使いこなせばとんでもない力へと発展するかもしれない。と言うのも、俺は球技以外ならスポーツが得意であってクラスに一人はいる、『特に部活入ってないくせに、やたらくた運動神経のいい奴』というカテゴリに分類されていた人間だったから。

 

 最初はこの体に、妙な嫌悪感を抱く事もあった。だが、この新しい体もそれ程凡骨ではないと分かると、酷く安心する事ができた。『自分』としての存在が、更に薄れて行く様な気がしていたからだ。

 しかし、俺には安心するだけで済ませるだけの余裕はない。一刻も早く、この体を使いこなさなければならないのだ。遅かれ早かれやって来るであろう、デビルーク星親衛隊隊長の対策の為にも。いつか現れる、銀河系最強の暗殺者の為にも。

 

 ただの自慢話になりそうなので話を変える。

 猿山とその間までは、お互いにピリピリと静かにいがみ合っていたが、一緒にサッカーをやったらすぐ元の愉快な雰囲気に戻った。やっぱり、なんだかんだあっても二人は親友なんだなと、俺は自分の方を見て笑う猿山を思い出しながら感慨にひたった。そしてリトの為に、この絆を絶対に壊さない様にしようと、心に決めたのだ。

 

 そして今、いつの間にか俺はその猿山とその他二人の友達に囲まれている。

 

 「さぁリト、全て吐いてもらおうか…」

 

 猿山はカッコつけた様にそう呟くと、足を組み直して俺の事を睨んできた。何を吐けとは、おそらくララとの関係だろう。まるで警察署の取調べ室での雰囲気を醸し出しながら、猿山達は物凄い目つきで俺を見ていた。どこから持って来たのかもわからない電気スタンドを、俺の机の上に置いて。

 

 「一緒に住んでるんだってなぁ……」

 

 「婚約者って聞いたんだけどぉ」

 

 「まさか、本当に大人の階段……

 

 「違うっ!!」

 

 彼等が俺に尋問してくるのは、想定していない事ではない。現に、先程までは追いかけ回してくる様な関係だったのだから、余程俺をぶっ飛ばしたいのか、それとも『ララ』との関係を知りたいのか、はたまた彼女自身の事を知りたいのか。

 答える気の無い俺は、猿山達の質問を適当にはぐらかしていると、丁度そこへララ達女子が帰ってきた。

 

 「ララさん凄いね! 運動神経バツグンじゃん!!」

 

 「ねぇ、テニス部入らない?」

 

 ララは籾岡と沢田の二人と一緒に談笑をしていた。しまった。地球人とパワーを合わせる様、ララに言っておくのを忘れていた。

 

 それにしても、籾岡達とはもう友達になれた様だ。確か原作だと林間学校終わった辺りから仲良くなっていた様な気がしたが、これも『俺』と言う存在の……

 

 「おいリト! オレの話聞いてんのか!?」

 

 「え?」

 

 すっかりララの方に気が向いていた俺は、猿山の話を全く聞いていなかった。

 悪い悪い、と俺は彼に謝っていると、そこへ彼女が猿山と俺の間を割って入ってきた。片手には、布で包まれた弁当箱を持って。

 

 「リト、お弁当食べよ! 美柑が私の分も作ってくれたんだ♪」

 

 俺は戦慄する。別に嬉しくないわけではないのだが、今の俺の状況でその言葉は非常にマズい。ほら、猿山達は俺に殺意の様な視線をぶつけ始め、おまけに籾岡と沢田は、この状況を遠くからニヤニヤ笑いながら俺を見ている。救いの手は無い。正に絶体絶命なこの状況。

 

 俺の後ろ側に居た一人の友達が、腰を抓ってきた。痛い。

 

 ララの誘いを断る理由は無いし、猿山達もなんやかんや言って良いヤツなのだから、昨日と同じ様に飯が食いたい。だから、先程から抓りっぱなしのその指を取っ払い、彼女に提案した。

 

 「ララ。一緒に食っていいから、コイツらも誘っていいか?」

 

 「うん!」

 

 元気の良い二つ返事でララは賛成してくれた。

 

 「悪いな、ラ、

 

 「本当!? ララちゃん!!」

 

 俺の言葉が言い終わる前に、猿山と二人は椅子と机をガタガタ動かし、ララの近くへと席を寄せてきた。が、彼女はヒョイっと猿山の机の間を抜け、俺の真横に椅子を持ってくると、そこへ座る。

 これじゃあ、俺とララがイチャイチャしてるだけだろう。目の前の三人も、呆れた様に俺の事を見ている。

 

 「ねー、リサとミオも一緒に食べよー♪」

 

 これはまた後でどつかれるな……と俺が思っていたら、ララは籾岡達に手を振り食事を誘っていた。少々驚いたが、男四人の集まりに女ひとりというのも変な光景だと思っていたので、俺はララの行動が助かった。

 彼女の誘いに、ちょっとだけ困惑する籾岡。ただ、目が笑っていない。絶対に、いかがわしい事を考えていると、心の中で確信した。

 

 「いいの、ララさん? おアツイところジャマしちゃって……?」

 

 「いいのいいの! こーゆーのはみんなで食べた方がおいしーんだよ!」

 

 ララの言う通り、飯は集まって食べた方が美味い気がする、というのは間違ってはいないのかもしれない。が、それをララが知っているとは俺は思わなかった。

 どこで覚えたんだろうか。美柑? いやそれよりずっと前? 考えてはみるが、答えは出ない。

 そんなララの言葉に、籾岡は少しだけ沢田と耳打ちをして、ニヤリと笑いながら俺の方を見た。あまり好きではない視線だったので、危うく睨み返しそうになった。

 そんな俺の心境など知らずに、籾岡は、

 

 「じゃっ、お言葉に甘えて、おジャマしちゃおーかしら♪」

 

 と言って、俺のチョイ後ろ辺りに椅子を出し、座るなり足を組んだ。パンツが見えているが、どうでもよかった。

 

 「ホラッ、春菜も行こ!」

 

 沢田はと言うと、近くに座っていた西連寺の手を引っ張り上げて、籾岡の近くの席へと座る。

 

 「えっ、わ……私も?」

 

 突然、呼び出された西連寺は、驚きながらもチラッと俺の方を見て、そのままララの近くの席に座った。

 

 「「「いっただっきま〜す♪」」」……す」

 

 元気なララの挨拶に、普段は絶対に挨拶なんかしない野郎共もテンションが上がっていたのか、彼女に声を合わせていた。それを、奇妙な物でも見る様な視線でそれを眺める、残りの俺含む四人。だが、この内三人の口元はほんの少しだけ笑っていた。

 

 ララは籾岡や沢田とは仲良く話をしているが、西連寺にはちょっと話すだけで、あんまり喋りかけていない。何だか彼女だけ浮いてる様な気がしたので、彼女に話しかけようと思ったのだが、話題が見つからない。と言うか、下手に昔の話題とかになると俺が危ない。

 で、その西連寺はと言うと、籾岡と沢田には話しかけられたら返すと言った状態で、ララとは距離を置いている様な感じだ。『俺』が近くにがいるからなのだろうか。それともララの存在が原因なのだろうか。

 

 でも西連寺……そんなチラチラチラチラ俺の方を見ていたら、本物のリトも気付くと思うぞ。まぁ、これで気が付かないリトもリトだが……

 

 とそんな事を考えていたら、ララは弁当のおかずを箸で器用に、俺の口元に近づけていた。

 

 「リト、あ〜ん♡」

 

 「あっ、リトてめー!」

 

 「あはっ、ララさん積極的ぃ〜♪」

 

 今日からは、ララのおかげでもっと大変になりそうだ。

 俺は溜め息を吐きながら、自分の弁当箱に箸をつけた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 「じゃあ、結局どこにも入んなかったのか?」

 

 一時はどうなるかとまで思った学校作戦も、ようやく終わりを迎える事ができた。そして今、俺とララは帰り道である川沿いの土手の道を歩いている。

 

 「うん、テニス部はちょっと楽しそうだったんだけどね〜」 

 

 俺達が何の話をしているのかは、この台詞を聞くだけでも分かるであろう。今日の放課後、ララは西連寺に学校の部活の案内をされていたのだ。

 

 詳しい事、何をやっていたのか。何を話したのかはわからん。なぜなら、原作の時と違って俺はストーカーをしなかったから。前にストーカーはやらないと決めているし、ララが面倒な事は言わないだろうと思っていたので、ここは西連寺に任せる事にした。

 

 だが、さすがに登校初日のララを一人で家に帰らせるのは不安だったので、俺は学校の前で彼女を待つ事にしていた。

 三十分ぐらい経った所で、元気な声で俺の名前を呼びながら、ララは戻って来た。ピョンと抱き付いてくる彼女を振り払い、俺は遅れてやってきた西連寺にお礼を言う。表情からは読み取れないが、物凄く疲れた様子だった。まだ好奇心の塊みたいなララを先導したのだ。苦労したのだろう。

 俺は、ついて行かなくて正解だったと安心したのか、西連寺の様子を踏まえてついて行くべきだったか、複雑な気持ちを抱えたまま、彼女に別れを告げた。

 

 ララを連れて歩く俺は、西連寺にはどう映っただろうか。おそらく、彼女は俺の歩く後ろ姿を見ていたに違いない。

 だから、俺は振り返りはしなかった。たぶん俺自身、見たくなかったのだと思う。隣りにいるララは、隙あれば俺に寄り添ってくる。彼女なだめて、気分を誤摩化したかった。

 

 後何回、こんな意味のない事を繰り返すのだろうか。俺は早く、この受け入れがたい『結城リト』言う人間に慣れてしまわなければならないと、内心諦めながら、ララと二人で帰り道を歩いていている。丁度、冒頭の部分に戻るのだ。

 

 横では楽しそうに部活で見た事を話すララがいる。あんまりにも楽しそうに話すものなので、俺は催促をいれてみた。

 

 「ちょこっとやってみるぐらい、良かったんじゃないか?」

 

 俺は部活の事には賛成的だ。彼女が色々な物事に興味を持つのは全然構わない。

 

 これは俺の予想なのだが、ララの同年代の友達はあの二人しかいなかったと思われるのだ。それも彼女が八歳になる前の事で、その後はずっと自分のスケジュールをお見合い詰めにされてしまって、遊ぶ暇もなかった様だ。

 だから、彼女にはもっと人と触れ合ってほしいと思うのが、俺の意見だった。宇宙から見れば地球など未発達の惑星でしかない存在なのかもしれないが、見て学べる事なんか沢山ある筈だ。これからは、宇宙で学べなかった事を学びながら、地球の常識もゆっくり覚えていってほしい。俺は、原作とは違うララになっても良いと思っているのだから。

 

 俺の言葉にララは少し悩んでいた様だが、何を言う気なのか今度は俺の顔を覗き込んできた。

 

 「でも、リトはやってないんでしょ? ブカツ」

 

 「ぁあ? ああ……」

 

 『結城リト』は部活をやっていない。それは彼の家庭を考えればわかる筈だろう。

 親は共働きで、オヤジの方からは「手伝え」と、ちょくちょく呼び出される。妹の美柑は大半の家事を引き受けているが、やはり小学生の女の子一人では無理があるので、彼は、買い物なり、少しでも彼女の負担を減らそうとしているのだ。

 

 それと……美柑が寂しいだろうという、優しい兄の気持ちも混じっているのかもしれない……。おそらくではあるが……

 

 そんな事を思い出しながら、俺は疑問気味でララの言葉を返した。彼女は少しだけ間を空けると、赤面しながら答えた。

 

 「なら……やっぱりリトのそばにいたいもん♡」

 

 そう言った彼女は、ポッと赤らめた頬を両手で押さえ、顔をちょっとだけそらす。

 

 なぜ照れる様な事を無理してまで言うのかと、問い詰めてやりたくなったが、とにかく、部活は入る気はない様子。別に入らないなら入らないでも良い。部活だけが全ではないのだし、無理矢理やらせても意味はないのだ。

 

 それにしても、ララは可愛い。さっきまで少し真剣な事を考えていたのに、そんなのどこかにすっ飛ばしてしまいそうな笑顔を彼女は俺に向けていた。

 

 まったく、とんでもないコムスメである。

 

 俺は溜め息を吐いて、体をすり寄せてきたララの頭を押し返そうと手を伸ばそうとした。その時、

 

 「ララ様ッ!!」

 

 突然、ララの名を叫ぶ声が後ろから聞こえた。俺はすぐさま振り返ったが、そこに人の姿は無く……と思っていたら、そいつは上から舞い降りてきた。あまりにも異様な光景だった。

 

 「ザスティン!」

 

 そこには真っ黒なマントを羽織り、化け物の骨の様な物をあしらった鎧を身につけ、サソリの様な尻尾を生やした、見た目からしてデビルーク星人。それも白髪でとびっきりのイケメンが、ようやく見つけられたと言わんばかりにゼイゼイ息を切らしながら、こちらを見ていたのだ。

 

 ララの言葉でもうわかっているが、一応説明しておく。

 彼の名前は『ザスティン』。デビルーク星の親衛隊の隊長、様はデビルーク星人の中でもメチャクチャ強い人だ。『結城リト』は、よくこんなヤツから逃げれたと思う。

 

 「フフ……全く苦労しましたよ。警官に捕まるわ、犬に追いかけられるわ、道に迷うわ……これだから発展途上惑星は……」

 

 ひとつ言い忘れた。前述言った様に彼はイケメンなのだが、頭文字に『ザンネンな』と言う単語が付くイケメンだ。これが『ラブコメ』と言う世界に生まれてしまったイケメンの運命なのだろうか……俺にはわからない。

 

 「しかし! それもここまで!! さァ、私と共にデビルーク星へ帰りましょう、ララ様!!!」

 

 「べーーっだ! 私、ここにいるリトの事好きになったの!! だからリトと結婚して地球で暮らす!!」

 

 ララは舌を思いっきり伸ばし、ザスティンを挑発する様な態度で自分の主張を押し通そうとし始めた。しっかりちゃっかり、結婚の事まで発言してやがる。俺は一言も結婚すると発言した事はないが、ここはあえてツッコまず、スルーする事に決めた。

 

 ザスティンはしばらく黙って俺の方を睨んでいたが、

 

 「……なるほど、そうですか……」

 

 僅かながら納得した様に呟くと、やがて腕を組み首を傾げ、何かを悩み始めた。原作のリトの言う通りだ。もうちょっと考えようよオマエ……

 

 「部下からの報告で気になってはいたのです。ララ様を守った冴えない地球人がいる……と」

 

 脳天まで届いた衝撃的発言。コッ、コイツまで冴えないって言いやがった……

 

 俺が凹んでいる中、ララは更に言葉を告げる。こんどはハッキリと真剣な表情で。

 

 「わかったら帰ってパパに伝えて! 私はもう帰らないし、お見合いする気もないって!!」

 

 よっぽど故郷に帰りたくないのか、それとも本気で俺の事が好きなのか。多分前者なのだろうが、ザスティンの真剣な口調が凹んでいた俺の思考を遮る。

 

 「……いいえ、そうはいきません。このザスティン、デビルーク王の命によりララ様を連れ戻しに来た身…………得体の知れぬ地球人とララ様の結婚を簡単に認めて帰っては王にあわせる顔がない」

 

 彼の言い分は、俺にはわからなくもなかった。でも、この一連の事件を起こした張本人がお前のところの『王様』だという事を考えると、俺の口からはとても言いづらい物が喉につっかえてくる。

 『ザスティン』。彼は結構な苦労人だ。『王様』からも『お姫様』からも振り回されていたのだから。

 

 彼の弁明に、ララはすぐさま反発する。

 

 「じゃあどーすればいいの?」

 

 彼女がそう言うと、雰囲気が変わったザスティンの辺りにどこからともなく小さな風が吹き始める。そして、俺は感覚的に、彼が『来る』と確信した。

 

 

 

 ヒュオォオォォ………

 

 

 

 しばしの沈黙。俺はララから数歩離れ、ザスティンに全神経を集中させたが、

 

 「おさがりください、ララ様」

 

 そう言った瞬間、彼は腰の辺りから剣を取り出し、そのまま俺目掛けて突っ込んできた。

 

 「うぉ!」

 

 ズガガガガ!! と爆風が広がる中、俺は間一髪、横へと跳ね避けた。が、そこは丁度、川沿いの道の周りにある、草が生えた坂。

 

 「っ!!」

 

 そのままゴロゴロと転がり落ちた俺は、揺さぶれる頭を押さえつけながら立ち上がり、ザスティンの方を見る。ブアァっと舞い上がる砂煙の中から、彼は出てきた。

 彼の持つ剣。一瞬チラッと見た時は柄だけだったが、今のソレには光の刃が伸びている。触れるだけでも怪我をしそうなオーラをソレは放っていた。例えを挙げると、形こそ違うが『ライトセ◯バー』だ。

 

 「私が見極めましょう。その者がララ様にふさわしいか否か」

 

 ヴォン、ヴォンとその剣を数回振り回し、ザスティンはゆっくりと俺の方へ近づいて来る。

 俺は横目で彼の放った斬撃を確認した。場所が場所でよくは見えないが、草の生えた地面からコンクリートの街道までもが、がっつりと抉られている。さっきまで自分が立っていた場所だと思うと、ゾッとした。

 

 「さァ、リトとやら……貴様はおかしな体術を使うと部下から聞いている。」

 

 シャレにならない破壊力を目の当たりにしながら、俺はザスティンの言葉に少し後退りをしていた。まさかアイツ等がそんな事まで話しているのは、俺にとっては予想外だったのだ。

 

 「なら、体術の一番有利であるゼロ距離の近接戦闘に持ち込まなければ良い事! 覚悟!!!」

 

 そしてこの瞬間、彼は本気で殺すつもりなんだと、俺は確信した。

 

 絶体絶命の境地に立たされていると理解した俺は、死ぬかもしれないという恐怖に恐れおののいて、半自動的に動いた足をその勢いに任せたまま、逃げた。

 

 「どうした、逃げるのか地球人!! そんな事では貴様を認める事はできんぞ!!」

 

 ザスティンがそう言い放った瞬間、再び斬撃と共に爆風が捲き起こり、俺はそれに巻き込まれて吹っ飛び、転倒する。そんな状態でも彼は俺に向かって剣を振りかざし、耳元まで迫る爆音と共に俺を追い詰めてきた。

 亀裂の入る地面。真っ二つに両断されるトラック。そしてその残状を作り上げるザスティン。今の俺にはその光景を見るだけで、気がおかしくなりそうだった。現実では有り得ない事が起こっているのだから、あまりにも非常識的な状況に怯えていたのだと思う。

 

 しかし、そんな状況に陥っていても、俺の心の中では『生きる』という渇望が『恐怖』よりも僅かながら勝っていた。死ぬ一歩手前の土壇場を走り回る中、俺は今この状況の理不尽さを、怒りに任せながら半狂乱で叫んだのだ。

 

 ふざけんな!!! と。

 

 よくよく考えればそうだ。『結城リト』なんかになった所で、『俺』に良い出来事なんて起こる筈が無いのだ。ただ、こんな恐い思いをして、好きでもない女に振り回され続ける毎日だろ? 勘弁してくれよ。これからどんどんヒロイン増えるんだぞ? そうだ、史実の後半になると理不尽な痛い目に遭うじゃないか。冗談じゃねぇよ。『俺』はこんな所で楽しんで良い男じゃないんだよ。本当は『アイツ』が幸せになる物語だろ? 『俺』なんかいらない存在じゃねぇか。それでも俺は『彼』を殺したくないから、この『結城リト』と言う名の皮を被り続けて生きているけどさぁ……

 

 何で、俺こんな所で死にかけてんだろ……ったく、『俺』を返してくれよ……。なぁ……

 

 そうしたら少しだけ冷静になれたので、俺はザスティンを見ながらこの状況を打破する方法を思考する。いつの間にか、俺はザスティンの剣を見ながら後ろへと下がるようになっていて、素っ転ぶ事すらなくなっていた。

 とりあえず、まず彼の持っている剣をなんとかしなくてはならない。遠くからララの「ヒキョーだー!」と言う怒り声が、ギャーギャー聞こえる。

 

 そんな彼女の怒声を聞いていると、俺にもヒキョーな手が思いついた。と言うか、これしか思いつかなかった。

 

 足で地面の砂を蹴り上げ、ザスティンに向かって思いっきり吹っかけた。

 

 「グッ、コシャクなっ!?

 

 彼は素早く、マントで砂を振り払おうとしたが、その行動のお陰で彼の視界は一瞬、俺から外れる。

 

 その一瞬の間は、俺にとっては十分すぎる時間だった。

 

 俺はザスティンの腕を掴み、剣を持つ手の甲を思いっきり押し叩く。ガッ、と鳴った音と共に彼の手は開き、持っていた剣は地面に落ちた。

 更に、俺は掴んでいた腕を引っ張りバランスを崩させると、そのまま足払いをかけた。

 

 ガザザザザ!! っと鎧が地面と擦れる音を立て、崩れていく様に転ぶザスティン。そして俺は彼の腕を掴んだまま、ようやく一息ついたのだ。理不尽な状況から脱出できた事に、薄ら笑いを浮かべながら。

 

 「なっ、なんと……この私が……」

 

 全くだ。俺も彼と似た様な言葉しか出てこなかった。勝てちまった。

 

 「わーい、リトが勝ったー♪」

 

 ララは向こうで小躍りしながら喜んでいるが、俺の心はいまいちスッキリしない。冷静になったせいか、半狂乱だった俺の思考に理性が戻ってきたのだ。

 果たして、この事件を力ずくで解決してしまって良いのだろうか。俺には『Yes』とは言い切れなかった。

 なぜなら、これは『ララ』の問題だったからだ。最終決断をするべき人物は『彼女』であって、『俺達』が争って決める必要性など最初から無いはずなのだ。当事者だけで話し合えばいいのだが、この通りララは逃げ出して地球にやってきた。それだけ彼女の父親は聞く耳を持っていないのだろう。だから争いになってる。

 それを良しとしない今、歪でもいいから丸く納めなければならない。

 

 俺は彼女に聞こえない程度の小さな声で、ザスティンに話しかける。彼は地面に寝転んだまま、不機嫌そうだった。

 

 「ザ……ザスティン?」

 

 「むっ、なんだ地球人」

 

 彼は俺の方を睨んできたが、そんな事は構わず、俺は言葉を続けた。

 

 「俺は……ララと結婚する気なんてないし、アイツの事が好きでもない」

 

 「なっ!!?」

 

 目を丸めて俺を見るザスティン。まぁ、そんな反応をされるのは当然だろう。ララが好き好き言っている奴の言葉がコレなんだから。

 

 「でもな……アイツは『自分の好きな様に生きたい』って言っててな……ようやく、それができたんだよ……」

 

 もし、このまま俺が『彼女を好きではない』と言う事を貫き通すと、ザスティンには彼女を無理矢理にでも連れ帰らせて良い理由が出来上がってしまう。『俺』が好きじゃないのなら、この地球に『彼女』を放ったらかす必要などないのだ。『いつもの家出』なのだから。

 よって、俺は『ララが地球に居て良い理由』を作る必要があった。偽善かどうかなんざ関係ない。これは『彼女』にとって必要な運命だと思うのだから。

 

 「だからさ……アイツには少しの間だけ自由にさせてやってくれないか……? デビルーク星には必ず帰すから……アイツを自由にさせてくれよ……」

 

 言いたい事を言い切った。何だか恥ずかしくなって、しばらくザスティンの顔を見れずにいた。彼は話さない。勇気を振り絞って首を動かすと……彼は目から大量の涙を流していた。

 

 「そうか……負けたよ、地球人」

 

 俺が驚く中、ザスティンは静かに立ち上がりながら自分の事を語り始めた。

 

 「デビルーク王に従うのが私の役目……それゆえ私はララ様の気持ちも知らず……いや、知りつつも考えない様にしてきたのだ……」

 

 どこかで聞いた様な台詞だった。

 嫌な話だ。ずっと、上からの命令に従い続けてきたらしい。ララの気持ちを知ったまま……。何で俺達さっきまで殺し合ってたんだろうな……。

 

 「それを指摘されては……私の負けだ……」

 

 涙を拭い、鼻水をすするザスティン。もしかしたら、彼はかなり前々から悩んでいたのかもしれない。

 

 「宇宙に数多くいるララ様の許嫁候補どもが君のそれに納得するかどうかはわからぬが……デビルーク王には私から報告しておこう……」

 

 ザスティンは俺の方に振り向くと、ビシッと俺に指を指した。

 

 「お前なら任せられる!!! ララ様のお気持ちを真に理解できる、お前なら……!!」

 

 「悪いな……こんなわがままみたいな事……」

 

 溜め息を吐く俺に、ザスティンは手を振り返す。

 

 「気にするな、私も君のような地球人に出会えて本当に良かったと思っている……」

 

 俺の目を見て話してくるザスティンは優しく微笑んでいた。

 

 「ではさらばだ、地球人!」

 

 最後にそう一言言い放ったザスティンは、今度は俺に背中を向ける。そして軽々と十数階はありそうなビルを飛び越え、どこかへと行ってしまった。あっという間の出来事だった。

 

 見慣れたはずのデビルーク星人のパワーに見とれていると、不意にララが俺に飛びつき、頬をすり寄せてきた。幸せの絶頂の様に喜びながら。

 

 「やった! これでリトと結婚できるね!」

 

 逃げ回ったせいか、彼女の抱擁が節々に響く。ボロボロの体を振り回してララを引き摺り下ろすと、溜め息を吐いた。

 

 「まだ決めてねーよ……これからもっと大変だ」

 

 「え〜、いいじゃ〜ん」

 

 のんきなやつだ。さっきまでお前は俺の言葉ひとつで故郷に強制送還も良い所だったって言うのに。そんな危機など、彼女には全くもってわかっていないだろう。別に知らなくたっていい事だが。

 

 あまりにも嬉しそうに喜ぶのが疑問に思った俺は、彼女に現実的な疑問を突き刺してみた。

 

 「俺以外にも良いヤツがいるかもしれないぞ?」

 

 これは、ある意味での確認である。いくらお見合いが嫌でも、その中には真剣な男だって一人や二人ぐらい見合っていただろう。本当にこの『結城リト』が一番なのであろうか? 俺には、『彼』ぐらいしか思いつかないが……

 

 「ううん、そんなのいないよ。リトだけだもん♡」

 

 どうやら、完全に『彼』の事は忘れ去られている様だった。何だか酷く空しい気持ちになってきた。

 

 もう辺りは真っ暗だ。早く帰らないと美柑に心配される……

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 ☆おまけ☆ (西連寺視点)

 

 

 

 気になるけれども、なんだか凄く話しづらい。それが……結城くんが教室に連れて来た、彼女の印象だった。

 

 

 

 放課後。鞄に荷物をまとめて、リサとミオの二人と一緒に部活に行こうとした。けれども机から立った時、私は担任の骨川先生に呼び止められた。

 

 「西蓮寺くん。キミ学級委員だよね? ララくんに学校の部活の案内を頼みたいのだが……いい?」

 

 「あ、ハイ……」

 

 断るのがニガテな私は流される様に頷いてしまい、ララさんの方を向いたんだけど……

 

 「リトー、一緒に帰ろ!」

 

 「お前、今の話聞いてた……?」

 

 ……なんだか、とても声をかける様な状態じゃないよね…………どうしよう…… 

 

 と困っていたら、近付く事に躊躇していた私に向かって結城くんは手を振ると、もたれかかっていたララさんの背中をトンッと押し、私の方に寄せてきた。

 

 「西連寺と楽しんでこい。俺は学校の正門で待ってる」

 

 「うーん、わかった! 待っててね〜♡」

 

 「わかったわかった……はやく行け……」

 

 結城くんは、パッパッと手を振ると、背伸びとあくびをしながら教室から出て行っちゃった。疲れているのかな? 朝はクラスメイトの男子に追い掛けられて、走り回っていたって聞いたし、お昼の時は色んな事に反応するララさんの質問を、ひとつもはぐらかさないで説明してたから……

 

 そういえば、私……ちゃんと自己紹介したっけ?

 

 少し不安になった私は、ララさんにオドオドと自己紹介をする。

 

 「さっ、西連寺春菜です……」

 

 「よろしくーっ」

 

 あっ、どうやら私の事はあんまり気にしてなかったみたい……私もお昼休みの時は一緒にいたんだけどね……

 

 フクザツな私の気持ちはさて置き、私は部活の紹介を始める。校舎の中にいたから、最初は文化部から説明してあげる事にした。ララさんは、「へーっ」とか「ふーん♪」とかしか言ってないけど、楽しそうに私の話を聞いてくれる。

 

 でも……あのフリフリと動くシッポはアクセサリーなのかな……? 

 

 本物……なワケないよね……

 

 「ねーねー春菜〜〜」

 

 「は、はい?」

 

 あっ、ちょっと考え事としてたから、声が裏返っちゃった。

 

 「ガッコって楽しいね〜。同じ場所にみんなで集まってワイワイやって! やっぱり来てよかったよ♪」

 

 「そ……そう……」

 

 ……? どういうことなのかなぁ……? そのまま考えると、ララさんは学校を知らないってことになるけど……違うよね?

 

 そういえば……リサとミオから少しだけ聞いたけれど。ララさんは外国のお姫様……らしい。それで結城くんとは……婚……約……者………………

 

 やっぱり……話……ちゃんと聞けばよかったかな……

 

 少しだけ、後悔した思いを抱えたまま、私はララさんに運動部の説明をするために校庭へ出る。しばらくして、またララさんが私に話しかけてきた。

 

 「春菜は好きな人いる?」

 

 その質問は凄く唐突で、私はほんの少しの間だけ、何を言われたのかわからなかった。

 

 「な、なに!? いきなり……」

 

 ドクンと跳ねる心臓の音。その瞬間、真っ白な私の心の中に浮かんできたのは……ゆ、結城くん……?

 

 でも、ララさんは、私の考えている事など知らずに言葉を続ける。

 

 「私ね、最近生まれて初めて好きな人ができたの♪ 好きな人ができるととても不思議な気分になるんだね〜……胸がドキドキしてる」

 

 ……それって……やっぱり結城くんの事……だよね……

 

 私はガマンできず、ララさんに話しかけた。

 

 「あ、あなたは……」

 

 私はどうしても、結城くんとの関係をハッキリと知りたかった。知ってどうするのかまでは、考えてなかったけれども。

 でも、ちょうどそのとき、野球部の方からボールが転がってきて、ララさんの足下で止まった。

 

 「わ! 何コレ?」

 

 「あ、野球部の……」

 

 え〜と、この学校の野球部は男子だけで、女子にはソフトボール部があるから、ララさんにはそっちを説明しようかと思ったんだけど……ララさんは、そのボールを興味津々の目で見つめてる。

 

 ……もう、私の話、聞いてないよね……

 

 私は困った様に溜め息を吐こうとしたら、

 

 「ねー私にもやらせてー!!」

 

 ララさんは声を張り上げて野球部の方へと走って行っちゃった。私は慌ててララさんの後を追ったら、なんかちょっとした騒ぎになっちゃってるし……。私はちょっと離れて、遠くからその様子を眺めることにした。

 

 どうやらララさんには、ボールを打たせてくれるらしい。でも、あのボールを投げる人、野球部のエースの先輩だよね……まさか本気で投げたりはしないと思うけど……大丈夫かな、ララさん……

 

 先輩は余裕そうに投げたけど、私にはとても速く感じて……

 

 カッン!

 

 「おーーっ、飛んだ飛んだ!」

 

 え!? ……すごい……打っちゃった……。先輩も、周りの人も、遠くへ飛んでいったボールをポカーンと見ている。私も同じだった。

 

 しばらくすると、先輩は得意げに笑い、ララさんに話しかけてきた。

 

 「気にいったぜ。お前、オレの彼女にしてやる!」

 

 いっ! 今、先輩はララさんに告白した! ……って言うのかな? あの言い方……

 

 「え? お断り」

 

 うん、ララさんが頷くハズないよね……だってララさんは結城くんの事が……

 

 「な……ならオレと勝負しろ!!」

 

 先輩はあまりにも一方的な条件で、ララさんに勝負を挑んできた。私は、すぐに断ると思ったんだけど……

 

 ララさんは良さげに勝負を受け入れようとしていたら、ピタッと立ち止まり、なんだか考え事を始めているみたい。

 

 ……あの、ララさんの髪の毛の、白くて丸い髪飾り、喋ってる様な気がするけど……気のせい?

 

 しばらく考え事をしていたララさん、「ちょっとまっててねー」っと言って、どこかへと行っちゃった。どうしたんだろう? 逃げちゃったり……しないよね……?

 

 「おまたせ〜」

 

 程なくして、ララさんは誰かを連れて戻ってきた。私は少しホッとしたけど、連れて来たのは……結城くん!?

 

 「オイ、オイッ……いきなり引っ張って来て何なんだ?」

 

 なんだか訳がわからないって様子で周りをキョロキョロ見渡してる結城くん。……あっ、私の事を探してるのかも!

 私が手を振ったら、結城くんは缶ジュースを持った手で振り返してくれた。やっぱり、こんな離れたところにいるのって変だよね……。私は二人がいる場所へと向かう。

 

 そういえば結城くん、ララさんを待ってたんだよね? いいなぁ……

 

 ララさんが今の状況を説明してるけど、そうしている内に結城くんは、ちょっとイヤそうな顔してる。

 結城くんにボールを打たせるつもりなんだよね……。サッカーは得意だけど、野球はどうだったけ? 結城くんはしばらく疲れた様に頭を抱えてたけど、

 

 「やってやるか……」

 

 と呟いて、ララさんからバットを受け取り、ブンブン振り回しながら野球のボールを打つ場所へと歩いていく。私はそれを無言のまま、見ていた。

 

 なんだろう……結城くん、少し雰囲気変わったかな? お昼の時からずっと様子を見てたんだけど、なんていうか、冷めたって言うんじゃなくて……大人っぽくなった? そんな感じがするの……

 

 でっ、でも嫌いになったワケじゃないよ! 前みたいなアツい結城くんも好きだったけど……この大人っぽい結城くんも……

 

 って何考えてんの私!!?

 

 「ガンバレー、リトー!!」

 

 私の近くに来て応援をしながら、ララさんは結城くんの持っていた缶ジュースを口につける。それ、結城くんのくちづけだよ? ……いいの?

 

 喉乾いたから私も、もっ、もらっちゃおうかしら……

 

 「お前が代わりだと? ハハハッ!!なめるんじゃねーぜ!」

 

 私がちょっぴりイケナイ事を考えていると、先輩の声が聞こえてきた。本気玉って言ってたけど、結城くん、本当に大丈夫かな?

 

 私がハラハラしている内に、先輩はボールを投げる。それはさっきよりも速いスピードだったんだけど……

 

 

 

 ガゥン!!

 

 

 

 「えっ……?」

 

 「キャーーリトかっこいい〜〜〜〜♡」

 

 私の思考が一瞬停止していたら、ララさんが横から嬉しそうな歓声をあげて、ハッと我に帰った。結城くんの打ったボールは、私の想像違いの方向へと飛んでいく。

 

 でも打った……先輩の本気玉に……。結城くんって、サッカー以外にも得意なスポーツ、あったんだ……

 

 「あー……完全にアウトだな……」

 

 白線の外側で落ちたボールに、結城くんは残念そうな顔をしてるけど、先輩は絶望したみたいに、地面に手をあてて落ち込んでる。結城くんの勝ちだよ♪

 

 少しだけはにかんだ様に笑いながら、ズレたネクタイを結びなおして、こっちにやってくる結城くん。カッコイイ……♡ 大人びたけど、あの笑顔は全然変わってないや。

 

 私がクスっと笑った瞬間、結城くんはこっちを見てきた。

 

 「んっ?」

 

 「えっ!? あっ、ううんっ! なんでもないよ!」

 

 「あっ? あぁ……」

 

 大慌てで、私は結城くんから、ぐるん!と背を向ける。うぅ〜、ヘンなところ見られちゃった。今、絶対顔赤いよ、私……

 

 えっ、ちょっと結城くん! お顔なんか覗き込んでこないで〜〜。心配そうな顔されてるけど……違うから! 別に気分が悪いんじゃなくって、

 

 私は……えっとぉ〜〜……

 

 「ラっ、ララさんっ、次行こ!」

 

 「え? あっ、ちょっと、春菜〜〜!?」

 

 はぁ……ダメだ、気持ちがまとまらないよ……

 

 私はララさんの手を引っ張って、校庭から一目散に逃げ出しちゃった。あとで質問攻めにあっちゃったけれど……どうしてララさんは私の方を見て、嬉しそうに笑ってるんだろう……




やっぱり視点が変わると、難しいですね・・・


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第六話

 目が覚めると、凄く心地が良かった。顔の両側を優しい温もりのあるもので挟み混まれている様な、そんな感じ。なんだかよくわからないが、酷く落ち着く。

 このまま二度寝でもしてしまおうか。感覚に身を任せ、そんな事まで考えようとしたその時、俺の思考回路がようやく目覚めた。

 視界は真っ暗。毛布を被ってしまっている様だ。それに、体がやけに動かしにくい。肌からは布団ではない、全く別の感触を感じ取っていた。

 明らかにおかしいこの状況。俺は嫌な予感を背に受けながら、恐る恐る布団から顔を出した。

 

 「……zzz♡」

 

 朝日に照らされた光の中。そこには幸せそうに眠っている、ララの寝顔が俺の目の前にあった。

 

 俺はぎこちなく首を動かし、状況を確認する。彼女は、仰向けで寝ている俺の上へ覆い被さる様に抱き付き、豊満な胸を俺の顔にまんべんなく押し当て、挟み込んでいた。足もしっかりと絡み合わせ、腕は俺の背中を押さえ込んでいる。当然の様に衣服は身に着けていない。これが『結城リト』だったなら、起きた瞬間に気絶して……の無限ループだっただろう。

 

 俺は体を動かしてララの抱擁から抜け出そうとした。しかし、思ったよりもホールドが昨日よりキツく、腕の一本も出せない。どうやら彼女はデビルーク星人の力で俺の体を抱きしめている様だ。

 

 冷や汗が垂れる。感覚と共に、背筋に寒気が走った気がした。考えてみれば、よく潰されなかったものだ。彼等の力は尋常ではない。もし、そのままの力で抱きしめられてしまったら、俺の体は背骨までバキバキに粉砕されていたのではないのだろうか?

 

 俺は溜め息を吐きながら、ぐうぐう寝ているララを見る。俺は昨日の事を踏まえたつもりで、彼女に「ベッドに入ってくるな」と先に告げていた。背骨を折られそうで恐いのは、今気が付いた事(ないと思うけど)。その前までは、一人で眠りたいと言う単純な理由に過ぎなかった。俺の数少ない、休息の場所なのだから。

 とは言っても、昨日今日と言い聞かせたところで、彼女がやめてくれるとは思っていない。現に、今彼女は俺の昨日の宣告を無視して、ベットへと潜り込んできている。が、それでもこっちが根負けするわけにはいかないのだ。毎日こんな調子じゃ、俺は辛い。止めさせる事はできないと思うが、減らす事はできるだろう。一週間に数回……せめて土日に……それまでの辛抱か。

 

 俺はこの世界に来てから、すっかり耐える事に慣れてしまった様だ。

 

 そんな事を考えながら、俺は彼女の寝顔を眺めていた(抜け出せないので、これしかできない)。しばらくすると、「ん〜?」という可愛いらしい声を上げて、彼女の目が開いた。まだ眠たそうな目線は少しの間宙を泳いでいたが、俺と目が合うと嬉しそうに笑った。

 

 「あ……リトおはよ♡」

 

 ふにゃふにゃの眠たそうな声で挨拶してくるララに、思わず口元がにやけてしまいそうになったが、その雑念よりも、待ちくたびれていた本心が勝った。

 俺は寝起きの低い声で、未だにハグを止めようとしないララへ話す。

 

 「なーにが『おはよ』だ。何で俺の部屋で寝てんだよ……」

 

 「えー、だってリトと一緒に寝たかったしー」

 

 何の悪気の無さそうな声で話すララ。まぁ、こんな反応が返って来るのは、ある程度予測していたのだが。欲求に素直すぎのも問題だと思う。

 

 「それにリトだって、私と一緒に寝たいんじゃないの?」

 

 「あぁ?」

 

 一瞬、ララが何を言ったのか、俺にはわからなかった。

 

 別に、こいつと一緒にいて嫌ではない。ただ、彼女とはこれから色んな場所に行き、そして沢山の物事を見せて、教えてあげたいと思っていたから、俺は彼女の傍にいるだけ。別にベッドで一緒に寝る必要はないだろう。教える事なんか……無い。たぶん……

 

 しかし、彼女から続く言葉は、更に俺を悩ませた。

 

 「リト、私がベッドにはいったら、ギュ〜って抱きしめてきたんだよ♪ だから私もギュ〜って……

 

 嬉しそうに話すララを目の前に「えっ……」と俺は思わず声を漏らした。頭の中で組み立てられていた何かが、ガラガラと音を立てて崩れ落ち、また真っ白になってしまった。

 

 俺は寝起き直後の事を思い返す。あのまどろみの中、自分の腕はどこにあった? 胸の上、枕、布団、シーツ、どれも違う。あれは暖かくて、人の温もりを感じる、触った事のある感触。

 

 思い出した。俺はララを抱きしめて寝ていた様だ。

 

 どうして自分はこんな寝相をしていたのか。それを知るのは、もっと後の話。今の俺は、自分の行動が余りにも不可解で、ただ焦る事しかできなかった。

 

 「どしたのリト? 顔赤いよ。カワイー♡」

 

 そう言ってララは俺の両頬をつねって、引っ張ってくる。彼女の言葉の通り、自分の顔は熱くなっているのを感じる。二度寝する気は、どこかに吹き飛んでいた。

 

 俺は解放された腕でララの肩を掴み、自分の腹筋に力を勢いよく込めた。そして勢い良く、ガバッとベットから起き上がった。

 「ひゃ!」っと驚いた声を上げながら俺を見るララに、ただ一言、不機嫌そうに、赤面を隠す様に「起きるぞ」と言い放った。彼女の緩んだ手足を振りほどき、ベッドから出る。背中から聞こえてくる制止の声も聞かず、部屋から逃げ出そうとドアを開けた。

 

 ガチャ

 

 

 

 「!!」

 

 

 

 そこには、ビクッと小さく跳び上った美柑が、俺の方を見ていた。

 

 「あっ、えっと、その……遅刻するよ…?」

 

 赤らめた顔を直視されたくないのか、顔をちょっとだけ下に向けて話す美柑。しかし、目線はちゃんと俺の方を見ている。その様子は上目遣い以外何のものでもないのだが、悲しいかな。俺はときめく気分にはなれない。

 

 覗かれていた。そんな絶望にも近いモノが、俺の心の中を蹂躙していたのだから……

 

 俺は心の中で、美柑に懺悔した。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 その後は、ララの明るい性格のおかげで話は丸く治まり、俺は苦々しい朝食を食べた後、早めに家を出た。美柑の何とも言えない視線に耐えられなかったのだ。

 

 当然、学校に着いても俺の心は晴れていない。猿山達が挨拶をしてくれたが、それでこの心境などが変わるはずもなく、俺は適当に返事を返すと自分の席に座り、考え込んだ。

 

 なぜ自分はララに抱き付いていたのだろうか。俺は今までそんな寝相をとった事はほとんど(言い切ってしまうと『嘘』になる)ないし、昨日もいつも通り、考え事は山程あったが、落ち着いて眠れる事ができていた。それなのに、今日はあの有り様である。

 横にララが寝ていたから、なのか? それなら昨日の朝の時点で、俺は抱き付いているだろう。

 

 もう一度『結城リト』について考えてみよう。

 彼は、その天性の様な運命により、純情少年にはキツすぎるぐらいのラッキースケベに何度も遭う羽目になる。その後徐々に、彼のスケベ内容はヒートアップ。まるで、体が覚えてしまったか、はたまた内なるモノが目覚めちまったのか、神業の様なToLOVEるへと激化していったのだ。

 

 と言う事はつまり、『俺』と言う存在の有無など関係なく、この体は浸食、または進化してる可能性があるかもしれないのだ。『結城リト』と言う男の、ラッキースケベに……

 

 さすがに大げさだろうか。それでも、じわじわと恐ろしくなってきた俺は、机に突っ伏したまま苦笑いでその思考を止め、別の事を考える事にした。

 

 そもそも、ララの求愛行動が原作よりも濃い。とは言え、俺はこの世界に入ってしまい、史実とは打って変わって違う行動をとったのだから、彼女の態度が変わるのは仕方のない事だと思っていた。

 だが、結果として彼女の態度は、原作よりも強烈なモノになっている。違う行動をとったとは言え、ここまで変わってしまうものなのだろうか?

 

 それと、もうひとつ。美柑の『キャラ』が違っている気がする。原作の小悪魔の様な性格が緩くなっていて、ブラコン……いや、『妹』としての可愛らしさが増した様な気が……

 

 「結城くん、結城くんっ! 今日は君が日直だよ!」

 

 名前も知らない女子に名を呼ばれ、俺は思考の底から戻った。いつの間にか朝のHRが始まっていた様だ。

 『日直』と言われたという事は、どうやら俺が号令をかけないといけないらしい。瞑っていた目を擦り、俺は少し緊張して口を開く。

 

 「きっ、きりーつ」

 

 こんな風に号令をかけるのが一年と数ヶ月ぶりだった俺の声は、酷くキョドった様なモノで、周りの奴らにはクスクスと笑われた。仕方ない。前の高校は号令どころか、挨拶すらまともにしていなかったのだから。

 恥ずかしくなってきた俺は着席するなり机に突っ伏して、再び思考を回転させた。

 

 俺が日直って事は、たぶん今日は原作のあの回である。そう、結城リトと西連寺の仲がリトのラッキースケベによって一歩前進する重要(?)な回だ。更に重要な部分だけストーリーから抜き出して説明すると、転びそうになった西連寺にリトが抱き付く回なのである。

 

 さて、どうしたものか。俺は西連寺とは友達程度の関係を確立させたくて、恋仲になろう気持ちなど毛頭無い。だから、抱き付くToLOVEるなんか起こしたくない、と思っている。

 ただ、彼女はララと親友になるだろうし、そうなると必然的に彼女との面識、対話は増えると思うから、俺もその程度の関係で良いと思っていたのだ。

 

 では、その為にはどうすればいい? 一番ToLOVEるにならず、事が片付くと思うのが、『転んだら助ける』と言う方法。それなら俺は西連寺が素っ転ぶのを、ただ見物してから手を伸ばせば良い。それだけの事だ。

 だが、転ぶと分かっている女の子をそのまま転ばせるのは、『結城リト』や『俺のプライド』以前に『人』としてどうだろう。物事を丸く納めたい気持ちはあるのだが、その為に人を傷つけると言う心ない選択を下せる程、俺は鬼畜にはなれない。

 

 だから考えた。

 

 もしかすると、俺が『結城リト』になった事で、既に転ぶ出来事すら起きないかもしれない。これは、あくまで俺の希望的観測でしかないのだが、『ララの求愛の増量』、『美柑の性格の改変』の事を考えると、一考の価値があったのだ。

 もしそれが駄目だった場合、俺は『転びそうになったら助ける』と言う単純だけれども少々危険な行動をとるしかないと思った。落ち着いて、抱き付かず肩なり腕なり掴むしかない。『結城リト』の体である事を考えても、一番自分の良心の痛まない方法だったのだ。

 

 いつの間にか朝のHRは終わり、周りの奴らはガヤガヤと騒いでいるが、俺の目を向けた先には、ほんの少しだけ頬を赤らめて学級日誌を持った西連寺がいた。もっとも、俺が見た瞬間に彼女は目線を逸らしていたが。

 そのじれったい仕草は、まさに恋をする乙女そのもの。少し可笑しかったのだが、これが自分に向けられているものだと理解していた俺は、それと同時に酷く空しくなった。

 

 俺は、この先自分がどうなってしまうのか、不安で仕方ない。この世界は『結城リト』と言う一人の純情少年によって回り始める筈だった物語であって、『俺』と言う存在は有り得ないのだ。たとえ今こうして、目で、鼻で、耳で感じ取っている現実の世界であっても。

 『ToLOVEる』と言う物語は、純情で、真っ直ぐで、男らしく、ついでに言えば容姿端麗な男、『結城リト』が、幾多数の女子達にちやほやちやほやされていくラブコメディである。

 そんなToLOVEるで満ちている彼の運命を、俺はそれ相当の運命だと思っているし、何よりそれで彼が慌てふためく、時に男らしく振る舞うサマを見ているのが、俺は楽しかったのだ。

 

 もし、『俺』が『結城リト』ではなく、『俺自身』としてこの世界にやって来れたら、俺はどれ程自らの運命を喜んだだろうか。客観的な立場でこの舞台に立ち、悠々と高みの見物を決め込む事ができていたら、どれ程嬉しかっただろうか。

 

 そんな『俺』が、今は『彼』自身になっている。あの時……結城家の家で理解した時は、気が狂ってしまいそうだった。

 

 時間が進む程、只々感じていくのは罪悪感。精神力は人一倍は持っている俺でも、この穴の開いた様な世界に一人で生きるのは、つらい。

 だが、俺は死ぬ訳にはいかなかった。この体は『俺』のものではなく、『彼』のものである。何にも関係ない筈である『彼』を道連れにする様な感覚を、俺は嫌った。

 

 だから、本来生きている筈のない『俺』はこの世界で生きていく為だけの理由をつくる事にした。今、自分に残っているものは、この『ToLOVEる』の史実に沿った知識だけ。それも『俺』と言う存在のお陰で役に立たなくなるであろうものがほとんどになってしまったが、その中には俺の興味を引くものが、少なからずあった。

 

 『ToLOVEる』という物語は明確な終わり方をしていない。まるでまだまだ続くかの様に、華やかな雰囲気を漂わせていた。今になってはもう知る術すら無いのだが、漫画を読み終えた俺はそう感じていた。

 だから、俺は純粋にこの物語の行く末が気になる。『結城リト』という存在の無いこの世界で『彼女達』がどの様な運命を歩んでくのかを俺は見届ける。ただそれだけ。それが、この世界において『俺』のやるべき事だと思ったのだ。

 

 その為に、俺は生きて行きたい。『ToLOVEる』はまだ始まったばかりである。『結城リト』のラッキースケベも気掛かりではあるが、例え残っていたとしても、俺は力の限りそれに抗っていきたいと思う。

 

 そんな決意を硬くしていると、ララが俺の席にやって来た。

 

 「リト、一時間目なぁに?」

 

 「えーっと」

 

 一時間目は音楽。しまった、教室の場所がわからない。無様な俺は、西連寺に頼るしかなかった。

 

 ちなみに……ララの教科書やリコーダー、その他諸々はいつの間にか校長から貰っていたらしい。「洗わずに返して」って言われたものもあるらしいが、俺は「絶対に返すな、ってか渡すな」と彼女に釘を刺した。

 

 この世界に入ってから、俺には暇が無くて困っている。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 時間は大きく進んで放課後、俺と西連寺は教室に残って日直の後始末をしていた。ララには「少し帰るのが遅くなるから」と言って先に帰らせてしまったが、一人で家に帰れただろうか……

 少々不安になりながらも、俺は水の入れ替えた花瓶を持って教室に戻ってきた。

 

 こんな事、俺が『俺』だった頃にやる様な事では絶対にない。どうやら『結城リト』の生活習慣がすっかり身に馴染んでしまった様なのだ。少し大雑把な部分が目立つが。

 

 やはり自分は浸食されているのだと思ったが、別にこれは悪い事ではない。自然を大切にするのは良い心がけなんじゃないかと思ったので、俺は苦笑いをしながら水の滴る花瓶を手で拭い、棚の上に置いた。

 

 西連寺の方を見ると、彼女は先程までペンを動かしていた学級日誌を閉じて、教室の後ろの方へと近付き、近くの窓を開けて風を浴びている。緩い風と共に、薄い夕焼けで変色して見えるカーテンと背中を向けた彼女の髪がなびく。絵になるな、と思った俺はバカだろうか?

 

 「結城くんってさ……中学の頃もよく教室のお花の手入れしてたよね」

 

 「え? あぁ……」

 

 完全に見とれていた俺に、彼女はどこかで聞いた様な台詞を話してきた。リトの中学時代など全く知らない俺は、無難に肯定するしかない。

 

 「けっこう忘れちゃうんだよね……お水換えるの。でも結城くん、いつもこまめに手入れしてた……」

 

 優しい口調で話す西連寺は、こちら側を向いてはいない。きっと恥ずかしいのであろう。

 だから、俺は気にせず彼女の話し相手になった。

 

 「別に……たいした事じゃない。『いろいろ』あってな……こういうのは慣れてんだ」

 

 『いろいろ』 もし、これが説明できたとしたら、どれだけ気が楽になれるだろうか。そんな事できる訳も無く、俺は小さな嘘をついた。

 

 背中を向けている西連寺が、笑った様な気がした。

 

 「でもね……それは結城くんの優しさだと思うよ……」 

 

 優しく、呼びかける様な西連寺の声。それは本来『俺』ではなく『結城リト』への言葉。

 彼ならなんて返事をするだろうか。ほんの少しだけの間で、俺は彼女への返事を考える。

 

 「……あ……ありがと………」

 

 なんとも無様な返事だったが、俺がそう言ったその瞬間、西連寺は自分が何を言っていたのか気付いた様に、ビクッと体を震わすと、

 

 「ご、ゴメンね! 変な事言っちゃって。私……ゴミ捨ててくる!」

 

 素早く窓を閉め、俺に謝るなり教室から逃げる様に走り出した。途中、ゴミの溜まったゴミ箱を持って。

 

 「あっ、おい!」

 

 意外と速かった西連寺の足に、俺は慌てて彼女を追いかけるが、

 

 ガッ

 

 「あっ!」

 

 唐突に出た声と共に、ドアのレールの部分に足を引っかけ、ガクンと前のめりに傾く西連寺の体。ヤバい、少し距離が足りないと感じた俺は、走っていた足を更に速め、腕を前に出して彼女の転びかけの体、その肩を掴み、そのまま俺の方へと引っ張った。

 

 後はただ西連寺を受け止めれば良い。そのハズだったのだが……

 

 ガッ!

 

 「あ、」

 

 すっかり勢いのついていた俺の足は余計な歩数を増やすと、丁度ソコにつまずき、紙くずがぶち捲かれた廊下へとダイブした。

 

 鈍い音。飛び散るゴミと埃。すっ転んでからようやく気が付いた。俺もレールに足を引っかけた様だ。

 

 「ッ……」

 

 目の前でヒラヒラと舞う紙切れを叩き落としながら、俺は側頭部を抑える。

 

 やっぱり上手くいくワケないか……。そう心の中で思ったのだ

 

 西連寺は俺が何をしたのか、何が起こったのかわからず、少しの間キョトンとしていたが、俺の有り様を見てすぐに行動を起こした。のだが……

 

 「結城くん!大丈夫!?」

 

 

 

 ズルッ!

 

 

 

 「キャっ!!」

 

 「え?」

 

 こんな事ってあるだろうか。

 

 ぶち捲かれた紙切れに足を滑らした西連寺は、前のめりどころか完全に足が地面から離れ、さっきの俺と同じ様にダイブする形になって突っ込んで来た。スローモーションの様にも見えたその光景は、痛めた頭を押さえていた俺には、避ける事ができなかった

 

 ドン! っと体と体がぶつかる音と共に、更にブワッと舞い広がる紙くず。そんな散らかり放題の廊下の中心にいるのは、反射的に出した両手をガッチリ合わせ、お互いに顔の距離を限界ギリギリまで近付けた俺と西連寺。

 

 

 

 「「………………………………」」

 

 

 

 しばし無言になる空間。だが、この状況の中、俺はどんな顔で西連寺を見ているのか、そんな事を考えてしまった。

 

 西連寺はまたもやキョトンとしていたが、今度はその後の反応が違った。彼女は窓から射し込む夕焼け以上に顔を赤くすると、バッと俺から手を放して立ち上がり、俺に背中を向けて大きな声で謝ってきた。

 

 「ゴっ……ゴメンなさい!!」

 

 相当、混乱している様だ。無理もないだろう。不本意とは言え、大好きな人の上に倒れ込んでしまったのだから。

 俺はまだ痛む頭を抑えながら立ち上がり、埃まみれの自分の体と西連寺を見る。

 

 「いや、いい……気にすんな……。それより西連寺……ケガしなかったか?」

 

 「あっ、う、うん! ビックリしたけど……大丈夫!」

 

 今度は素早く俺の方を振り向き、首を振る西連寺。いつもより元気な声で喋る彼女を落ち着かせ、俺はキョロキョロと辺りを見回し、周りの惨事を確認する。

 

 「派手に散らかったな……」

 

 「そう、だね……」

 

 「片付けるぞ」

 

 「……うん」

 

 彼女は、そう一言頷くと、俺と一緒にゴミを拾い始めてくれた。ただ、捲き散らかった紙くずを拾い集めていたら、俺と西連寺の手が触れてしまい「あっ、ゴメン……」といういらんToLOVEるのせいで更に気まずい雰囲気になってしまったが、彼女の顔はほんのちょっとだけ、嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 ゴミを拾い集め終えた俺達二人は、その後ほとんど喋る事もなく、そのゴミを袋にまとめ、捨てに向かった。なぜ『ほとんど』なのかと言うと、『俺』はこの学校のゴミ捨て場が分からない為、西連寺に「そっちじゃないよ……」と不審な目で言われたから。危なかった。

 

 そんなことはさておき、俺は今猛烈に焦っている。原作を読んでいる人ならわかると思うが。結城リトは西連寺に抱き付いた後、なんやかんやで一緒にゴミ捨てを手伝うという展開なのだが、その展開は漫画に載っていない。つまり、リトがその後どんな行動をしたのか全く分からないのだ。

 まぁ、『結城リト』の事なのだから、内心フィーバー状態になって彼女と嬉しそうにゴミ捨てを手伝っていただろうと思うのだが、俺はそういう事にはならない。なぜなら、俺は西連寺を好きなわけではないし、何よりさっきの原作とは違うToLOVEる(それも色々な意味でかなりキケンな)をしてしまった(っていうか起こった)ので雰囲気的に気まずいからだ。

 

 そんな訳で、満足な会話も起こらないまま、俺達は目的地に到着してしまった。俺はゴミ袋をいかにもゴミ捨て場という佇まいをしたコンクリート製の小屋っぽい所にぶん投げた。別に、投げた所でこの重たい空気が抜けるとは思ってはいない。『なにかしなくてはならない』という思いが行動に現れてしまったのだ。

 俺も随分ガキだな……と息を吐きながらパシパシと手を叩く俺を、西連寺は申し訳無さそうな顔で見ている。顔はまだほんのり赤い。さっきの痴態をまだ引きずっているのか。

 

 荷物がなくなり手ぶらになった俺の後ろを西連寺はついて来る。いい加減、何か話題でも作らなければマズいのだが、こんな時になるほど人は、考えていたり、覚えていた言葉を忘れる。俺も例外ではない。

 俺が徐々に焦りを感じはじめていたそのとき、俺の後ろを歩いていた西連寺が横に並び、俺の方を向いた。顔はほんの少し俯いていたが、目はしっかりと俺の方を見ていた。

 

 「結城くん……ララさんとは、どういう関係なの?」

 

 その言葉に、俺は面食らった。リトはこんな質問をされていたのかと思ったが、瞬時に「それは違う」という答えが出た。原作で『ララ』が学校にやって来るのは、この日の翌日だったから。つまり、これは俺が起こしてしまった、全く新しい『流れ』なのだ。

 

 俺は落ち着いて、話して良い事悪い事を、頭の中で分別していく。ララが宇宙人だとバレた時、周囲の人達はそれをあっさりと受け入れてくれた。だがそれは、もっと後の話。今、本当の事を話しても、西連寺は信じないだろう。

 では、どうしたら良いか、この答えは単純である。嘘などつかず、素直に「本当の事」だけを話せば良い。変にお茶を濁したりなど絶対にしない。彼女は信じてくれるはずだ。

 半ば開き直って、俺はララの事を『半分』話した。『半分』とは当然、彼女が宇宙人だっていう事を除いて話した場合の量。西連寺に口を挟ませる時間は与えない。確信を突かれる様な質問がくるのを恐れたからだ。

 

 ……っていう事。わかった?」

 

 息継く暇もなく、ペラペラと話した俺に驚いているのか、西連寺は目を白黒させて俺の方を見ている。話が終わっている事にも気付いていないのか、呼びかけると、焦った様に目を瞬かせた。どうやら話す事を考えていた様だ。悪い事をした。

 

 「……へぇ、そうなんだ……。じゃあ、結城くんは……ララさんと結婚するの……?」

 

 明らかに終点からズレた様な質問だった。どうやら婚約者の話は誰かから聞いているらしい。良かった。下手に嘘なんかついていたら、恐ろしい事になっていたかもしれない。

 

 質問に対しては、もっとも、俺は結婚する気はないので、答えはひとつである。

 

 「しないよ。第一、俺まだ結婚する気ないし……」

 

 「えっ!?」

 

 「えっ?」

 

 この辺で話の内容は混沌としてしまい(西連寺の為に、内容は言わないとする)俺達は再び、元の気まずい雰囲気へと戻ってしまった。ただ、教室に着いて、俺が帰ろうとした時、さっきまでアタフタしていた西連寺が別れ際に「あっ、ありがとう……また明日……」って言いながら俺を見て笑ってくれたのが印象に残った。

 

 何が「ありがとう」だったのだろう。ゴミ捨てを手伝ってくれた事なのか、俺がララの関係について話してくれた事なのか、それはわからない。

 だが、それは別にどうでもいい事で、重要なのは彼女が「ありがとう」と言ってくれた事だと思う。原作とは大いに脱線してしまったが、結果としては良い関係を築けたと思いたい。

 

 そう理解した瞬間、俺の心の中は随分と晴れやかになった。人としての性なのかもしれないが、此所には居ない『結城リト』の為の奉公だと思うと、何だか随分と気が楽になってしまったのだ。

 

 下駄箱から外に出ると、夕日はいつもより綺麗に感じた。そんな事を思いながら、俺は学校の校門を出るとそこには、

 

 「リトー! 待ってたよーー!!」

 

 エメラルドグリーンに近い色をした瞳に、風でなびかれるピンクブロンド。それは彼女以外、誰でもない。

 そう、ララがいたのだ。あの、いつもの笑顔を俺に振り撒きながら。

 

 「ララ……? 帰るの遅いって言ったのに……」

 

 「えへへ、でも……リトと一緒に帰りたかったから……」

 

 ボーゼンとしていた俺に飛び付き、これ以上ないって程嬉しそうな顔をしながら、上目遣いをしてくるララ。そんな彼女を、俺は彼女を振り払……えなかった。「待たなくていい」と言ったのにも関わらず、まるで当たり前の様に俺の事を待ってくれた彼女に、俺の心は酷く晴れ晴れとしたのだ。

 

 『嬉しさ』……なのかもしれない。少なくとも、今の彼女を振り払う事はできなかった。。

 

 俺は考える。ララがリトの事を好きになっていった理由。最初は、ただ単に宇宙に帰りたくないからという彼女の口実だった筈だ。そこから彼の優しさに触れ、ただの口実は本物の事実へと発展を遂げていった。

 

 では、俺の場合は? 今の彼女の恋は一体何なのか。

 

 予めな事を言ってしまうと、はっきりと断定する事はできない。それでも、今俺の隣りで頬擦りをしてくるララの笑顔を見ると、どうやら俺も彼女を本気で惚れさせてしまった様だ。じゃなかったら、本気で好きでもない男の為に、わざわざ校門の前で待ったりなどしない。例え、彼女が天然じゃなかったとしても、尚更の事である。

 

 では、俺はどうすればいい? ララは純粋に……『結城リト』 つまりは、俺のことが好き。そんな彼女を、子供の恋愛の様にあしらってしまっていいのだろうか?

 

 そんな可哀想な話はないだろう。ララが本気で俺が好きだとしても、俺の思い込みだったとしても、彼女を悲しませる事はしたくない。これは『結城リト』になってしまった俺の望みでもあり、彼への贖罪でもあるのだ。何としてでも成さなければならない程の。

 

 他にも色々考えたい事は色々とあった。が、今は目の前にいる彼女にお礼を言いたい。俺の為に待ってくれた彼女に。

 

 「……ありがとな」

 

 不器用な返事が可笑しかったのか、彼女はまた笑い始めた。が、俺の心は広く晴れ晴れとした。悪い気分ではなかった。

 

 その日、ララの願望で俺は彼女と手を繋いで帰った。パァァっと明るくなった彼女の笑顔を、俺は忘れる事ができないかもしれない。



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第七話

 明くる日の晩。今日は何のToLOVEるもない、久しぶりの平和な日常になるのかと思っていたが、そうでもなかった。

 

 

 

 ピンポーン♪

 

 

 

 「リっ、リト……」

 

 一度見た事がある光景だった。夕食を作ろうとしていた美柑は、エプロン姿のままインターホンのモニターを見るなり、恐る恐る俺の名前を呼んできたのだ。彼女の顔は、変な物でも見ているかの様な表情だった。

 いったい何がやってきたのだろうか。俺とララはテレビを見ていたソファーから立ち上がると、彼女の見ているそれを覗き込んだ。

 

 あぁ……よかった。別に、ToLOVEるになる様な面倒臭い奴が来たとか、そんな事ではなかった。ただ、彼を知らない人は大概美柑の様な表情をすると思う。

 モニターを見たララが嬉しそうに指をさした。

 

 「あっ、ザスティンだ!」

 

 そこに映っていたのは、あのザスティンだったのだ。もちろん服装は数日前と同じ、バケモノの鎧姿である。デビルーク星ならどうなのかは知らないが、地球の一般人である美柑が見て驚くのも無理はない。

 

 「あぁ……美柑、大丈夫。こいつは良い人だから」

 

 困惑する美柑を落ち着かせ、俺は玄関へと向かう。ついて来なくていいと言ったのだが、ララは楽しそうにザスティンの事を話しながら、美柑を引き連れてきた。まぁ、彼とはこれからも何回か会う事になるだろうから、彼女を紹介しておいた方が良いかもしれない。

 そこまで考えると、俺は思考を切り替えた。彼が何の用事でここに来たのかは、ある程度わかっているつもりだったから。

 

 「ザスティン……どうした?」

 

 ドアを開き、そこにいるザスティンを招き入れようとしたが、彼はそれを断り、前に会った時とは全く違う、真剣な表情で俺に向けてきた。

 

 「リト殿。君に、ララ様のお父上、デビルーク王直々のメッセージを持ってきた」

 

 「……!」

 

 俺はゆっくりと生唾を飲み込み、冷静に思案する。

 とうとう『この日』が来てしまった。やはり自分の中に募るのは、何を言われるのかどうかと言う事で仕方のない不安。原作同様、ララの婚約者候補になってしまったり、シャレにならない様な運命を背負わせられたりしてしまうのだろうか。

 しかし、俺は「結婚する気はない」とザスティンにはっきり告げている。メッセージの内容など変わってもおかしくない。だが、彼の事を考えると、手違いで何かミスをしているのではないだろうか?

 そんな不安も考えている間に、彼は懐から悪趣味なデザインの置物の様な物を取り出した。

 

 「そのメッセージがここにあるのですが……」

 

 「あっ、あのっ! そのメッセージって私も聞いていいんですか?」

 

 「私も聞く!」

 

 知らない人と話すからなのか、やけに言葉が丁寧な美柑に、俺は驚いた。と言うか、突然ザスティンの言葉を遮ってきた時点で、俺は驚いていたが……

 

 美柑って……こんな事する娘だっただろうか?

 

 「おや、君は……?」

 

 ザスティンは目を丸くして、美柑の方を見た。確かに、彼はこの時点では、まだ美柑を知らないのだから、話に割り込んできた彼女を「誰?」と思うのも無理はない。

 そんな美柑は、慌てながら自己紹介をして顔を真っ赤にしていた。気まずくなってしまったのだ。ザスティンも「は、はぁ……」と言った感じで、彼女の言葉を聞いていたから、たぶん純粋に、恥ずかしかったんだと思う。

 

 場の雰囲気が悪くなってきたので、俺が話しを本題へと戻した。ザスティンは真剣な表情に戻ると、二人に弁明を始める。

 

 「ララ様、美柑殿、申し訳ございません。私とリト殿のみ聞いて良いとの命令を受けております故、どうかお引き下がりを……」

 

 「そっか……」

 

 「えぇ〜〜!? なんで!!?」

 

 美柑は残念そうに引き下がったが、ララは猛烈な勢いで、ザスティンに理由を求め始めた。だが、彼はそれを一切語らず、彼女を落ち着かせようとしている。

 こんな真面目なザスティンは原作でも見た事がない。もしかしたら、メッセージの内容は俺の想像より変化してしまったのではないのだろうか。

 

 「すまぬ、リト殿。場所を変えてもよろしいだろうか? かなり重大な内容が入っているのでな……」

 

 とにかく、聞かなければ何もわからない。断る理由などなかった。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 家を出て歩く事、数分。俺とザスティンは家の近くの公園、それも広場から離れた人目のつかない茂みの奥へと来ていた。

 日はすでに暮れているので、周りにある光と言えば、街灯の明かりぐらいしか見当たらなかったが、ここに来てしまうとその小さな光さえ薄れ、自分の歩いている道なき道は、地面も見えないほど真っ暗な場所だった。

 

 でも、何となく思ったのだ。『結城リト』も、ここでザスティンと話をしていたのかもしれない、と。

 

 「この辺でいいだろう」

 

 ザスティンは立ち止まると俺の方へと振り返り、さっき家の玄関で俺に見せていたあの置物を再び取り出すと、少し距離をとっていた俺の正面に放った。

 置物は地面に落ちていない。フワフワと空中に浮かんでいる。何とも不思議だ。

 

 「では……心して聴くように」

 

 そう言ってザスティンが黙ると、その置物は怪しく光り始めた。微かに聞こえるノイズが俺を不安を煽り立てる。

 

 『……よォ、結城リト』

 

 ドスの聞いた声。軽く脅しをかけているのか、とにかく話の主導権を自分側にしようとているのがわかる。まぁ、メッセージなのだから、一方的に話す物なので、どうでもいいか……

 

 『ザスティンから話は聞いてるぜ。てめェの出した要求……オレ様が飲んでやる』

 

 「っ!」

 

 予想外だった。原作を悪い方向に崩壊させたくなかった俺は、ワガママでしかない様な要求をザスティンに申し込んでいる。正直、メチャクチャに怒られるのかと思っていたのだが……

 

 ひょっとして、ザスティンがフォローしてくれたのだろうか。だとしたら俺は彼に感謝しなくては。

 

 『地球人は貧弱らしいが……どうやらおめェは少し違うらしいな……。それにあのララが初めて好意を抱いた程の男だ。お前がララをどうするつもりなのか、どれ程の器を持った男なのか、少し興味が湧いたぜ。クックックッ……』

 

 最後の笑いが、俺の頭に引っかかっていたが、そこまで考える間も無く、ララのオヤジは小さく咳払いすると、話を続ける。

 

 『だが、オレもそこまで甘い男じゃねェ……。てめェはもう知ってるな? 他の婚約者候補共の事だ』

 

 前述、ララのオヤジは俺の要求を聞き入れてくれた。だが、それで俺は安心する事が全くと言っていいほど出来ていなかった。何故なら今言った通り、ララの婚約者の数は本人曰く、数えきれないぐらい存在するからである。

 

 果たしてコイツは……それを他の婚約者候補にどう説明した?

 

 嫌な予感がするが……

 

 『ヤツらがお前の条件に納得すると思うか?』

 

 そんな事考えるまでもない。答えは、

 

 『当然、んなワケがねぇ。そこでだ……

 

 間が開いた。いったい何を言うのか。俺は更に強く集中して聞き耳を立てる。すると、

 

 

 

 『てめェの事は、新しい婚約者候補として銀河中に知らせておいた』

 

 

 

 「あぁ!?」

 

 なんてこった。結局原作と同じ、ララの婚約者候補になってしまったではないか。俺を怒らせようとしているのか、わざわざ『銀河中』って言っている事に悪意を感じる。

 

 だが考えてみればコイツにとって都合の良いって言ったら都合の良い方法だ。「娘が花嫁修業してくるから婚約者争いは一旦中止」なんて理由など、銀河中に話が進みすぎていて、もう止める事が出来ない。あるいは面倒臭いのだろう。

 

 『これだけオレ様が優遇してやってんだ。これくらいの事、なんとかなるだろ?』

 

 挑発した声で、時折笑い声を混ぜてくるララのオヤジ。過保護なのはララから聞いていたが、流石は王様。実にイライラしてくる喋り方だ。

 

 『いいか、いつか俺が決めていた『婚姻の儀』。その時までララを守ってみろ。てめェの事はすでに銀河全体に知れ渡っている。他の婚約者候補どもは必ずお前のもとに現れるぞ。てめェからララを奪い取るためにな……!! わかっていると思うが! もし、途中でララを奪い取られちまった場合は! ……俺の興味と期待を裏切ったっつーー事で……』

 

 えっ? オイ……そんな理由でまさか……

 

 

 

 『お前の命……そのちっぽけな惑星ごとぶっ潰す……!! ……覚えとけ』

 

 

 聞こえた声の中で、一番凄みがきいていた。だが、俺はその声に震え上がっはいない。

 

 ただ呆然と、声のする置き物を眺めていた。

 

 『せいぜい、オレを失望させるんじゃねぇぞ? 結城リト。じゃあな……』

 

 最後にあざ笑う様な声が聞こえ、メッセージは終わった。光が消え、辺りは再び真っ暗になる。

 

 地球の運命を背負ってしまった。俺の心も真っ暗だ。これだけは何とか避けたいと思っていたし、避けられると思っていたのだから。

 

 いや……ララが結城リトに出会っちまった時点で、地球の運命は決まっていたのだろうか……? こればかりは、知る由もないが……。

 

 呆けていた俺に、ザスティンが頭を下げてきた。

 

 「すまない、リト殿……。まさか、こんな結果になってしまうなんて……」

 

 謝罪してくるザスティンを「気にすんな」と慰めて「ありがとう」とお礼を言った。やはり彼は自分なりにフォローしたのだろう。結果としては悲惨な物になってしまったが、彼は頑張ったのだ。ならば今の俺にできる事はこれぐらいしかない。

 なけなしのお礼を述べると、ザスティンは何だか嬉しそうに照れていた。褒められ慣れていないのだろうか。あの王様の下で働いているのなら、考えられなくもない。

 しかし、そう思った直後に、彼の眼は真剣な眼差しに変わっていた。

 

 「気をつけるのだぞリト殿。ララ様の婚約者候補と言っても、必ずしも戦闘に長けた者ばかりではない。『戦いに優れる事』が婚約者の条件ではないからな」

 

 ララの婚約者候補の中に強い奴がいたかどうかは忘れてしまったが、確かに彼の言う事に一理ある。

 だが、銀河系の頂点に立つ王様になるなら、これだけでは済まないだろう。たぶん『器』とか『カリスマ』とか言うものが求められるのではないのだろうか。

 

 俺には無縁のモノだな……

 

 そもそも、ララのオヤジが真面目に婚約者候補を選んでいたのかも怪しい所である。天然で素直なララが、嫌がって家出するぐらいなのだから……

 

 そんな事を考えていた俺に、ザスティンはまるで最後の希望の様な眼でこちらを見てきた。

 

 「ララ様を……よろしく頼む」

 

 相当期待……違う。俺に、ララの運命を賭けたんだな……

 

 正直言って、ザスティン……お前の望み通りに希望が繋がる事は……たぶん無い……。が、それでも……俺はやるだけの事をやるつもりだ。

 なぜなら、俺も……『彼女』には……幸せななってほしいと思っているのだから……

 

 たかが十八年程度しか生きていない人間がいったい何を言っているのだろう。だが、そんな事でもしていないと、俺はこの世界に居て良い『意味』を失いそうで、とにかく恐かったのだ。

 

 「わかった……」

 

 俺はザスティンの眼を見た。闇夜に紛れ込める様なマントを羽織った彼の顔がゆっくりと綻んだ。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 (ザスティン視点)

 

 

 

 彼の眼は酷く困惑している。無理もない。先程まで聞いていたメッセージの内容は、あまりにも深刻なものだったのだから。

 

 デビルーク星へと戻った私は、すぐさま彼の事を我らのデビルーク王『ギド・ルシオン・デビルーク』様に伝えた。「ララ様のお心を理解する男が現れた」と……。

 ギド様はその話に大変興味を持ってくれたのだが、「まだ結婚する気は無い」と言う彼の言葉に顔をしかめた時、私の内心は焦った。もしこのままギド様の機嫌を損ねれば、ララ様をまたデビルーク星に連れ戻さなければならなくなる。そんな事をすれば当然、ララ様は前のお見合い詰めの生活に戻されてしまうのを私は知っているのだから。

 

 しかし、ギド様は数分の沈黙の後、口元をニヤリと歪ませ、リト殿の要求を飲んでくれたのだ。私はようやく一安心できると思った。

 

 思っていたのだ……

 

 その後、彼に返答のメッセージを届けると言われ、私は内心ウキウキでその用意をしたのだが……

 内容はもう言う必要はあるまい。原文の通りである。

 

 申し訳がなかった。さすがに婚約者候補の回避は困難だと思っていたのだが、まさか地球の運命までもを背負ってしまうとは……。

 

 メッセージを聞き終えた彼に、私はただ謝る事しかできなかった。

 だが、彼は私を一切咎めなかった。それどころか、私が話を伝えてくれた事に対し、「ありがとう」とお礼を言ってきたのだ。

 良い人だ。私の周りで親切な人は、ギド様こと、デビルーク家は当然として、我らデビルーク星王室親衛隊の部下達と、王国の家臣達ぐらいしか思いつかない。仕事で出会うヤツ等など、銀河系の平和を乱す悪党どもばかりなのだから。

 

 異星人との交流も……良いものだな……

 

 やはり彼が王になってくれれば、こちらとしても嬉しいのだが……これは彼の問題である。しばらくの間、彼を観察し、様子を見たいと私は考えたのだ。

 

 さて、本来はメッセージを伝えに来ただけの事なのだが、実はもう一つ、私は彼に会う目的があった。

 

 「リト殿……もう一度、私と勝負をしてくれないだろうか?」

 

 彼は目を大きく広げて私を見た。悪いが、これは何度断られても要求するつもりだった。が、彼は何かを考えるかの様に黙り込んで数秒経つと、

 

 「あ、あぁ……」

 

 と、小さく頷いてくれた。

 

 私は勝負の説明を軽く済ましながら、場所を公園の広場へ移すと、背中にあるいつもの剣ではなく腰にぶら下げておいた剣を手に取り、リト殿の足下に向かって放り投げる。地面に突き刺さったその剣は、昔と変わらず不気味に光輝いていた。

 

 これは『イマジンブレード』と言う。まだ銀河大戦が起こっていた頃、私が終戦まで使い続けていた愛剣だ。

 大戦が終わった後、私は使い古したこの剣を鞘におさめ、新しい剣『イマジンソード』を持ち、新たな時代と共に銀河系の治安活動に貢献していたのだ!

 

 しかし、私はその剣を使ってリト殿に負けてしまった。それも彼は剣など、武器を一切使用せずに……!

 

 久しぶりの敗北感だったが、同時に私は驚いていた。まさか地球人にこれほどの能力があったとは! もし、銀河大戦で兵士として存在していたら、さぞかし強力な部類に分類されていたであろう!!

 

 むっ、話が少しズレてしまったな。

 敗北した私に、リト殿は近付いてきた。最初は「私に勝ったのだから、ララ様を連れてさっさとどこかに行ってしまえ」と思ったのだが……その数秒後、自分の思いは実に愚かなものだったのだと痛感した。

 

 

 

 彼は……ララ様の事を理解していた……

 

 

 

 嬉しかった! 他の許嫁候補共は『デビルーク王の後継者』すなわち『銀河系ほぼ全域の支配』という事にしか目を向けず、ララ様の事など次の次……中にはララ様を『道具』としか思っていない様なヤツまで存在したのだぞ!

 

 だがリト殿は違う。彼はララ様の気持ちを私へと伝えてきた。ようやくララ様の事を最優先に考えてくれる男を私は見つけたのだ! それだけではない。あそこまでララ様にはっきりと「好き」と言わせた男を、私は初めて見た! だから私は、この素晴らしい青年をギド様に報告する事にしたのだ。

 

 しかし、同時に思った。私もララ様の事を理解していた立場としてなのか、戦士としてのプライドだろうか……「もう一度この男と戦ってみたい。それも、今度は真剣勝負で!」と言う欲望が、私の中で燃え始めたのだ。

 

 だが、地球に我々の持っている剣を作る様な技術は存在しない。そこで私は、この『イマジンブレード』を持ってきたと言う事だ。

 まぁ、剣は他にも色々とあったのだが……ララ様を「守ってみせる」と言った男。本人は「結婚はしない」と言っているが、もしかしたら次期デビルーク王にもなるかもしれぬ男だ。なるべく高貴な剣を用意したかった。

 

 リト殿は、地面に刺さった剣を引き抜くと、ブンブンと数回振り回す。この剣は見た目より軽いので、しっかり持たないと、手からすっ飛ぶ恐れがあるのだが、彼は剣を両手でしっかりと握り、いびつな構えをとると、私に刃を向けた。

 

 私は自分の剣をスタン(電撃)モードへと変更する。リト殿に渡した剣は最初っから変更しておいた。これなら万が一、刃と接触しても死ぬ事は無い。私も彼も、本気で刃を交える事ができる。

 

 全ての準備を終えた私も剣を数回振り回し、構える。

 

 「では……ゆくぞ……」

 

 リト殿は答えなかったが、その眼は先程とは違い、あの時と同じ……私と初めて戦った時と同じ眼をしている。

 本気だ。戦士としての勘なのか、そう感じたのだ。

 周りには私と彼以外、誰一人としていない真っ暗な空間。闇夜の中には光り輝く二本の剣。時折、近くの電灯が、パチ……パチ……と光っては消えを繰り返し、私の視界を、集中力を鈍らす。

 

 張り詰める空気が裂けたのは、バチン! と電灯が完全に切れた瞬間。私とリト殿は、同時に突撃していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果は、私の勝ちで終わった。

 

 私の振り下ろした渾身の一撃は、爆発と共にリト殿を数十メートルと吹き飛ばし、公園のベンチへと激突して終わった。

 あまりにも予想外な結果に、私はポカーンと口を開けっぱなしにしていたと思う。リト殿は「ラブコメじゃなかったら絶対に死んでた……」と呟きながら、砂煙の中から出てきたが、一体何の事だ?

 

 それよりも、不思議だ。最初彼と戦ったときは、隙を突かれてしまった瞬間、軽々と投げ飛ばされてしまい、私の敗北に終わった。だが、今の勝負は私の圧倒的な様にも感じたパワーで、リト殿を吹き飛ばしてしまった。

 武器によって強さが変わるのか、私のまぐれだったのか、どうなっているのだ地球人は……?

 

 我慢できなかった私は、リト殿に地球人の戦闘能力を問いつめてみた。

 どうやら、地球人そのものとしては、力は貧弱で銀河系では弱い分類に入る様だ。

 しかし、彼らは『ジュードー』と言う相手の力、動き、を受け流し、利用し、投げ飛ばすと言う、パワーで攻めるデビルーク星人とは全く違う体術を持っていたのだ!

 リト殿も詳しくは知らないらしいのだが、沢山の技と流派があるらしく、中には小さな人が大きな人を投げ飛ばす為の技もあるらしい。

 

 なんだ、この『対デビルーク人用』の様な体術は……

 

 ちなみに地球、それもリト殿の住む日本の警察官は全て『ジュードー』または剣を使う『ケンドー』と言うものを覚えているらしい。

 

 ……私が迷子になった時、道案内をしてくれたあの警察の方も『ジュードー』が使えたのか……恐るべし……地球……

 

 と、そんなこんなで数十分。私はリト殿と『ジュードー』について話をしていたのだが、彼は「これ以上遅くなると、ララと美柑に心配どころか怒られる」と言った。

 しまった。リト殿は『学校』というものに通っているから、朝は早い筈なのに、私はすっかり話に夢中になっていたのだ。謝った私はもう一度リト殿に、「ララ様を頼む」と告げ、今度は「さらば」ではなく、「また会おう」と言って、闇夜の公園を飛び立った。

 

 

 

 そして今、私のいる場所は自分の宇宙船、それも運転室で地球の様子を見守っている。

 常に日本が真っ正面になる様に、船は巡航しているのだが……

 

 うむ……綺麗な星だ。地球。今、日本は夜のため、太陽の届かない真っ暗な影の中、小さな光が広がっている光景しか見えないが、朝の部分は違う。

 青い……海が青いこの星は、全体の60〜70%を青色で埋め尽くしている。それ以外の地表は、緑、茶色、そしてうごめく雲の白。

 その絶妙なコントラストのついたこの星は、少なくとも今まで私の見た星の中では、一〜二を争う程の美しさを持っていたのだ。

 

 まさか辺境にこんな綺麗な星があるとは……しかもそこには、我々デビルーク人を凌ぐかもしれぬ、『ジュードー』という武術が存在した。

 

 考えてしまう程、ますます増えていく好奇心。この仕事のついでに、地球……それも日本の文化を調べてしまおうか……

 

 そんな事を考えていると、突然電磁モニターが大きく開き、小さな警告音と共に一台の宇宙船を表すマークがこちらに……いや、地球に近づいて来るのが画面に映った。

 

 「ザスティン隊長! レーダーが識別不能の宇宙船を探知! まもなく地球の大気圏に突入します!!」

 

 私の信頼できる部下の一人、マウルがモニターを見ながら叫ぶ。早くも現れたか……いや、これでも遅い方か……

 

 「そうか……」

 

 私があまりにも冷静な返事をした為か、彼らは「隊長?」と私の方を不可解な表情で見ていた。

 

 フッ、そんなに心配にならなくても良い。既に私のやるべき事はやっている。あとは……

 

 「彼を信じよう。今、我々がやるべき事はそれだけだ」

 

 「「はっ!」」

 

 私の力強い声に、彼らも負けぬくらいの大きさで、了解の返事をした。ここからは、婚約者候補の激しい戦いが始まるに違いない。

 

 上手くやるのだぞ。リト殿!




 まぁ、正面からデビルーク星人に突っ込めばこうなります……


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第八話

 ほんの少しだけ軋む背中を気にしながら、教室の座席にゆっくりと腰を下ろす。

 昨日のザスティンの一撃は俺の体を軽々と吹き飛ばし、そのまま背中からベンチへと激突させた。それなのに俺は動けなくなる様な痛みも怪我も起こらなかった。背中は軽い打撲で済んだのだ。

 

 だが、俺は苦笑いを隠せない。『結城リト』の身体能力を思い返してみると、彼だって結構バケモノじみている様な気がする。ザスティンはおろか、いつか出会う羽目になるであろう、宇宙でもトップクラスの暗殺者『金色の闇』の攻撃からひたすら逃げ回り続けるという異常なほどの回避能力を持ち、その後幾度も彼女の攻撃を受けたり(彼女が手加減している可能性有り)、普通は死ぬ様な、衝突、激突、落下、をしても体をボロボロにするだけでそれ以外は特に……っていう事も結構、ザラ。

 

 まぁ、ラブコメなんだし、所属ギャグ漫画なのだからこういう事は起こっても不思議ではないし、何より俺自身、読んでいる時はあまり気にする事もなかった。

 

 しかし、それは二次元である筈の世界が三次元になる前の話である。

 

 腹に手を添えてみれば、そこにあるのは体育系男子高校生の程好く鍛えられた腹筋。風呂場で見たのを思い返すと、腹はあまり割れてはいなかったが、足は色々と凄いのを覚えている。さすが元サッカー部。

 だがどう見ても、あんなハチャメチャな展開に付いていける様な肉体はここにはなかった。ザスティンに吹っ飛ばされて平気だったのは、当たり所が良かったのか、言わば『主人公補正』ってヤツだったのか、俺にはわからないし、理解できる事でもないだろう。ただひとつ、率直に感じたのは『凄い恐かった』って事。

 

 自分はこの先、生きていけるのだろうか不安で仕方ない。『金色の闇』の事も頭から離れないが、それ以前に俺の体力と精神力が持つのだろうか……。痛いのは嫌だ。人としては当然の事の様にも見えるが、これが漫画の世界となると、酷くワガママな注文に感じる……

 

 久しぶりに筋トレでもするか……そう結論付けた時、ララが俺の顔を覗き込んできた。彼女の明るい瞳は、疲れた俺の顔が良く映る。

 

 「どーしたのリト? お腹痛いの?」

 

 腹に押さえていた手を離し「何でもない」と答えた俺は、弁当箱を取り出したのだが、手を付けようとしたら彼女に止められてしまった。「みんなで集まってから♪」だと。

 

 ララの転校初日、彼女は俺と、猿山、籾岡、沢田、西連寺、その他二人と一緒に昼飯をとった。ララは彼女達と友達なのだから別に俺が異論を持つ理由などない。飯を食うにしては大所帯な気がするのだが、それは昨日も同じであり、そして今日も彼らはいつもの様に俺とララの周りに集まっている。どうやら、これが当たり前の集合体になってしまった様だ。

 

 「おーっす♪ あっ、待ってくれた?」

 

 ぶっきらぼうな挨拶で教室に戻ってきたのは籾岡達。だが、そこにはいつものメンバーがひとり足りなかった。

 

 「ねぇ、春菜は?」

 

 「あれ? 先に教室に戻ったんじゃないの?」

 

 西連寺がいない。妙な困惑に満ちる空間。そこを通りかかったクラスメイトの女子が、籾岡に向かって答える。

 

 「春菜なら、さっき佐清先生と一緒に部室の方へ歩いて行くの見たよ」

 

 彼女がそう言った瞬間、周りのヤツらは「マジで!?」と、あらぬ噂を立てながら騒ぎ始めた。ララだけは何の事だかわかっておらず、籾岡に疑問を投げかけているが、彼女はそれを易々と言いくるめ、彼女を適当に弄ぶ。

 一方、猿山達は「おやおや〜?」って言ったがっている様なドヤ顔で、俺の事をいやらしい目で眺めてきた。彼は『結城リト』が『西連寺春菜』を好きだという事を知っているのだから、からかっているのだろう。

 

 食事の前に始まったひと仕事を前に、俺は溜め息を吐きながら机から立ち上がった。

 

 「……ちょっとトイレ行ってくる」

 

 「ん? お前さっきも行ってなかったぁ〜?」

 

 このサル……わざと言っているとしか言い様がない。彼にはわかっているのだろう。俺こと、この『結城リト』が今から何を行おうとしているのか。

 だが、ここでからかわれても俺は止まるわけにはいかない。

 

 「残尿。言わせんな……」

 

 猿山達の笑い声を背に、俺は教室から出た。遠くから猿山がララを口説こうとしている声が聞こえるが、聞き流す。丁度そこへ、俺の携帯が無機質な振動を立て始めたので、俺は歩みを止めた。

 開いた携帯の画面に映ったのは『通話先不明』と言う真っ黒な文字。震え続ける携帯の画面を暫くの間、眺め続けていたのだが、どうせ切れてもまたかかってくると思ったので、俺は色々と諦めながらその携帯を耳に押し当てた。

 

 『……やぁ結城リト君』

 

 電話の先、聞いた事があるかといえば、ある声。俺は通りすがったら挨拶程度の会話しかした事はないが、『結城リト』はすぐに気付いたこの声。

 

 女子の体育教員の『佐清』だ……いつもの女子受けが良さそうな明るい爽やかな声とは全く違う、薄暗くて、いやらしそうな佐清の声が携帯から聞こえてきたのだ。

 

 ところで、コイツは何で俺の携帯番号を知っているんだ? そんな場違いな事を考えている内に、彼は話を続けてくる。

 

 『デビルーク星のプリンセスの事で話がある……今すぐ会えるかな………』

 

 俺は居場所を聞き出すなり、携帯を切った。そして、奴の元へと歩き出したが……

 

 

 

 それはすぐに疾走へと変わった。

 

 

 

 あぁ……西連寺捕まってんだよ……俺の馬鹿!!

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 『女子テニス部』。そう書かれた看板を確認して、ゆっくりとそのドアノブを握る。こんな状況なのに平然と落ち着いていられる自分が嫌になりそうだったが、そんな事を考える余裕はない。ドアを開けた先にはニヤニヤと嫌らしく笑う佐清と、気持ちの悪い触手の様なものに拘束され気絶している西連寺の姿があったからだ。

 

 「ほー、なかなか速かったな。もう少しのんびり来てくれてもよかったのに……」

 

 「お前のせいで昼飯を食う時間がパァだ。それと、その子は俺達と何も関係がない。放せ」

 

 正直、素直に返してくれるなどとは毛頭思ってもいない。だが、この状況の西連寺を無視する事のできない俺は言わずにはいられなかった。

 俺の言葉を聞いた佐清は何が可笑しかったのか、大きく笑い始める。そして奴は叫んだ。

 

 「ククク…………はぁああぁぁぁああああァ!!!」

 

 ゴキゴキッ……めきょ……みしみし……。どう考えても人間の体から鳴る様な音じゃない、耳障りな変態音と共に佐清が歪んでいく。その体からは明らかに人間のモノではないパーツが生え、辛うじて人型を成した何かになった。体格も一回り大きくなっただろうか、運動用のスニーカーから大きな指が破け出ている。

 

 「面白い奴だなオマエ……でも、この女を無傷で解放してやりたいなら、オレの言う事を聞きな……」

 

 変態を終えたソレは、ゆっくりと頭を上げた。

 

 「地球人は同族を大事にするんだろォ? キヒヒヒヒッ!」

 

 そこに立つモノは、もう佐清と言う人間ではない。細い指。大きく広がった耳。鱗の様なモノが生えた頭部。二つの飛び出た様な丸い眼球は真っ直ぐに俺を見つめ、剥き出しの牙からは、シューシューと長い舌が動いている。とにかく、気色悪い宇宙人になっていた。

 全身が拒否反応を示す。自分の体の毛と言う毛が逆立った様な気がした。吐き気を催しながらも、ソイツに向かって言葉を吐く。

 

 「ッ……本物の佐清はどうした?」

 

 「ククク、家のベッドでぐっすりだよ。顔はイイのに、寝顔は酷かったなァ……」

 

 どうやら、いらん事聞いてしまった様だ。気にする必要はなかったかもしれない。

 そんな俺の心境など無視して、ヤツは話を始めた。

 

 「オレの名は、ギ・ブリー。結城リト、ララから手を引いてもらおう。応じなきゃこの女は返さねーぜ? ま……それもアリかもしれねーがな、ククク……」

 

 俺を脅しに掛けている様だが、俺は昨日デビルーク王からのメッセージで彼のプレッシャーを嫌という程噛み締めている。こんな事では、俺の心は揺るがない。

 だからすぐ発言に出た。ハナっから奴の言葉なぞ耳を傾けないつもりだったのだから。

 

 「悪いが、その前に俺の質問に答えろ……。デビルーク王はどんな基準でララの婚約者候補を選んだんだ?」

 

 「はァ? そんな事俺達が知るか!」

 

 なんで正式な婚約者候補がそれを知らねぇんだよ。チッ、やはりデビルーク王、本人から聞き出すしかないな……。

 奴が話し始める前に質問を続ける。いつか会うだろう、銀河の王に悪意を込めながら。

 

 「じゃあもうひとつ…………お前はどうやってその候補になったんだ?」

 

 「んなモン……オレが偉いからに決まってるだろう! これでもバルケ星の王子だぜ?」

 

 ギ・ブリーは「当然だ」と言わんばかりの声色で喋りながら俺を見下す。そして自分と俺との身分の違いや、地球人がどれだけの下等な種族なのかを長々と話し始めた。まぁ、人類が弱いのは否定しないし、案外納得してしまった自分もここにいた。

 

 偉そうな奴=権力と金、って言う成り立ちはどの世界も一緒か……

 

 小さく苦笑いをした。

 

 「最後に、もう一個質問……」

 

 「チッ、いい加減にしやがれ! てめぇは何を……

 

 シャーシャー吠えるギ・ブリーに「黙れ」と一声、大人しくさせる。本当に最後の質問なんだ。黙ってろ。

 

 俺は奴の顔を見て、はっきり……こう言った。

 

 「ララの事……どう思ってる……」

 

 これが最後の質問。返答によっては少し痛い目に遭わせるつもり……

 

 「あぁ? お前、何かカン違いしてねーか?」

 

 その言葉を聞いて、俺の思考に数秒の間が現れた。ギ・ブリーの言った言葉は、俺の予想していた言葉のどれにも、当てはまらなかったのである。

 

 奴は丸い眼球を更に見開いて俺を見ると、びっしりと牙の生えた口を歪ませて、可笑しそうに笑い始めたのだ。

 嘲る様な馬鹿笑いに「何が可笑しい」と答えるしかなかったが、そこから返ってきたのはどこかで聞いた事がある様な台詞。

 

 「良く考えてみろよ。ララと結婚すればデビルーク王の支配する銀河は全て、自分のものになるんだぜ? こんなチャンス、見逃す手はねーだろ?」

 

 彼の口から出てきたのは、『権力』やら『支配』の事ばかり。そこには『ララ』に対する思いなど、一切出てこなかったのだ。

 酷い頭痛を感じた。言葉では表せない様な憎悪感が、自分の中からブワッと溢れ出していく。どこかで聞いた様な台詞の筈だと思っていたが、実際に聞くのとでは遥かに感じ方が違った。

 

 怒りが激流する中、俺は頭の中で結論付けた。こいつは、ララの事を『道具の様なモノ』にしか見ていない、と……。

 

 俺はゆっくりと拳を握る。自分の爪で掌を傷つけるくらいの力で。

 

 「……お前にとって、ララは『モノ』か……」

 

 「そうさ、重要なのはデビルーク王の後継者になれるという『利点』 ララはオマケみたいなモンだ。お前みたいに、アイツを『好き』で結婚する馬鹿なんざ、いねェよ。まァ、アイツは性格こそまだガキだが、最高にオレ好みのヒト形だぜ……」

 

 「そんな事で、ララが振り向くとでも……」

 

 「んな事関係ねェ! 性格なんざ教育して、『オレ好み』にすればいいしなァ!」

 

 

 

 ドゴォン!!!

 

 

 

 力任せに拳を叩き付けた壁は、脆かったのか、俺の力が強すぎたのか、大きな亀裂が走り、表面の砂っぽい物質がパラパラと地面に割れ落ちた。

 

 「ッ!!!?」

 

 ギ・ブリーが驚く中、衝撃で、

 

 

 

 トンッ、トン、トントントトトト……

 

 

 

 と荷台から零れ落ちてきたのは、緑色のテニスボール。それを足で器用に蹴り上げ手に掴んだ俺は、

 

 

 

 思いっきりヤツの顔面へとブン投げた。

 

 

 

 「グェ!!」

 

 カエルが潰れた様な呻き声と共に、重力を無視するが如く吹っ飛んだギ・ブリーの体は、そのまま部屋のロッカーに激突。上に乗っていた様々な荷物の落下に巻き込まれ、そして動かなくなった。

 ようやく部屋に戻ってきた静寂。舞い上がった酷い埃を払い除け、俺はギ・ブリーの様子を確認した。

 

 

 

 ピクッ……ピクッ……

 

 

 

 そこに転がっていたのは、さっきの姿が嘘みたいに思える、猫とも狸とも似付かない小動物の姿をした生物だった。これがギ・ブリーの正体だ。

 俺はそいつを軽く摘み上げてみる。どうやら完全に気絶した様だ。

 

 それにしても、本体は結構可愛らしいじゃねぇか。でもボールをぶつけた事に罪悪感は湧かない。

 

 「もう……二度と来るな」

 

 そうギ・ブリーに呟いた俺は、奴をそこら辺に置き捨てると、先程からずっと放ったらかしであった西連寺を助ける事にした。彼女を拘束している触手は、ブチブチと筋が切れる不快な音を出して引き千切れ、気持ち悪い液体が流れ落ちる。あんま触れないようにして、千切れたそれをポイッと投げ捨てた俺は、解放した彼女を背負った。そして、これ以上居たくもないこの部室を後にしようと、思い足取りながらも早足で歩き、外に出た時だった。

 

 「リトーー! 帰って来ないと思ったらこんな所に〜♡ って、春菜?」

 

 俺の顔面に飛びついてきたのは、当然の如くララ。だが彼女の視線はすぐに俺の背負っている西連寺へと移り、また俺へと視点を戻す。

 

 「リト、何があったの……?」

 

 ララが奇妙に思うのも無理はなかったが、その時の俺は頭が痛みで、理由を話す事すら放棄していた。

 「どうして?」と言わんばかりの顔をするララの瞳に映った俺は、随分と酷い顔をしていた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 ☆おまけ☆ (西連寺視点)

 

 

 

 本当は部活があったんだけど、リサとミオの気遣いで私は自分の家に帰ってきている。ただの貧血なのにあそこまで心配してくれたのは嬉しいけど……本当は一緒に私を送って部活をサボりたいだけなんじゃないのかな……?

 

 

 

 ……うん、ありえちゃう。

 

 

 

 私は溜め息を吐いて、玄関を開けた。当たり前だけど、まだお姉ちゃんは帰ってきていないから、挨拶をしても声は聞こえない。でも、

 

 「ワンッ、ワンッ!」

 

 「ふふふ、ただいま♪」

 

 私の愛犬、『マロン』がお出迎えをしてくれた。いつもより早く帰ってきたのが嬉しいのかな。シッポをふりふりしながら私の足のまわりで跳ね回ってる。

 

 元気なマロンを踏みつけない様に気をつけながら、私は自分の部屋へと戻る。荷物を降ろして制服を脱ぎ、ゆったりとした部屋着に着替える。そしてマロンをだっこして、私は自分のベットへ座った。

 

 「ふぅ……」

 

 ようやく一息つけた私は、マロンを手であやしながら今日の事を思い返してみた。

 

 えと……どこで気を失っちゃったんだろう……。確か私は佐清先生に呼ばれて、部室の方へと歩いて行ったハズなんだけど…………う〜ん、そこから先が全然覚えていない。

 

 

 

 気がつくとそこは保健室のベッドで、隣りにはララさんがいた。

 

 「目が覚めた?春菜」

 

 最初は保健室の天井しか見えなかったけれど、その横からひょっこりララさんの顔が見えた。

 何が何だかわからなかった私は、反射的にララさんの名前を呼んだ。

 

 「ララさん……? 私、どうして……」

 

 「春菜、テニス部の近くで倒れてたんだよ。『貧血』ってヤツだって」

 

 その言葉に、最初はちょっと疑問を感じた。だって今まで貧血なんてあった事もなかったし、ここ最近は体の調子が悪い事もなかったのだから。

 自分の体を押さえてみたけど、特に嫌な気持ちとかも感じられない。本当に、ただの貧血だったのかなぁ……。そんな事を考えていたら、急にララさんが私に抱き付いてきた。

 

 「それにしてもっ、よかった〜!! 春菜が無事で!」

 

 ちょっとビックリしたけど、ララさんはそのまま優しく私を抱き寄せる。あぁ、私の事心配してくれてるんだ。

 アレ? じゃあ、私をここまで運んできたのはララさんなのかな?

 

 「その……ララさんが、私を見つけてくれたの?」

 

 私はこの疑問を解くために、ララさんに質問した。でも、返ってきた返事は私を驚かせた。

 

 「ちがうよ。春菜を助けたのは、リト!」

 

 「え……」

 

 その言葉に私は少しの間だけボーゼンとしてたけど、微かに心の中でトクン……と何か嬉しい気持ちが跳ねた。

 自分の一番好きな人が助けてくれた。たったそれだけで、私は嬉しさを感じて笑みをこぼす。

 更に詳しく聞いてみると、私は結城くんにずっと背負われてここまで運ばれてきたらしい。想像してしまった私は、もう嬉しさを超えて段々恥ずかしくなってきてしまった。

 

 「リト、カッコよかったよー!」

 

 「そう……だね……♪」

 

 私はララさんと笑い合って、ほんのチョットだけ結城くんの話をしたんだ。

 

 その後、教室に戻ってきた私は結城くんを探そうとしたけど……どこにもいなかった。猿山……君に聞いてみたら、「気分が悪いとか言って帰ったぞ?」って言ってた。

 ララさんは「えーー!?」と驚いていたし、内心、私も同じキモチをだった。結城くん…………何かあったのかなぁ……

 心配になったけど、さすがに結城くんの家に行くわけにはいかないし……と思ってたらララさんが聞いてくるって……。

 

 そうだった……ララさん結城くんと一緒に住んでるんだ……。一緒に住んでる……一緒に……

 

 「春菜?」

 

 「ひゃぁ!」

 

 ヨコシマな事を考えていた私に、突然ララさんの声が入ってきたモノだから、私はいつもは絶対に出ない様な声を出していた……と思う……。

 バクバクと跳ね回る気持ちを落ち着かせ、私は結城くんの事をララさんに任せて、部活に行く事にした。もうとっくに午後の授業も終わってしまった時間だったの。

 

 仕方なく私は部活に行こうとしたら、そこをリサとミオに呼び止められた。

 

 「春菜、大丈夫?」

 

 「倒れたって聞いたけど……今日は部活ヤメといたら?」

 

 もう大丈夫とは思っていたけど、それでも二人は私の事を心配して、半ば強制的に家へと送ってくれた。途中、結城くんにおぶられた事をからかわれながら。

 

 

 

 そして今、私はここに座っている。思い返せば少し災難な日だったけれども、それを上回るくらい嬉しい出来事があった。

 

 結城くん……次に会ったらお礼を言わなきゃな……。

 

 「ク〜ン?」

 

 マロンが不思議そうにこっちを見ていた。




 


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第九話

 「わぁーー、きれ〜い!!」

 

 ララが驚くのも無理はない。彼女の周りには、大きな青いアクアリウムの中で色とりどりの熱帯魚が泳ぎ回る、幻想的な光景が広がっているのだから。

 

 知ってる人はおおよそ見当がついていると思うが、一応説明しておく。

 今、俺とララ、美柑、ペケがいる場所は彩南町の都市部、それも最近建ったらしい、水族館の中へとやって来ていた。

 もちろん、ここに来るまでには経緯がある。最初は、ようやく休日になったと言う事で、ララの洋服を買う為に町へとやって来ていたわけなのだが、彼女は周りにあるモノに片っ端から興味を持ち始め、服を買うのはかなり後になっていた。

 

 「リト、早く早く! 次はこっち!」

 

 「ララ……頼むから服買った後にしてくれ……」

 

 「いいじゃん。別に急いでるわけじゃないんだし」

 

 そんな会話をしながら、ようやく服屋に辿り着いた俺達だったが、あろう事かそこは下着類なども一緒に売っている店。

 手間が省けたのは良い事だったが、さすがに男である俺が女の下着売り場には入りたくなかったので、外で待つ事にした。それもざっと二時間。まぁ、支払いが俺だったので結局は店内へ入ってしまったのだが。

 大量の服や下着を嬉しそうに俺へ押し付けてくるララの横で、美柑はついでと言わんばかりに自分の持っていた服も俺に押し付けてきた。

 

 「リト、おごって♡」

 

 そんな小悪魔じみた笑顔でこちらを見てくると、買わざるを得なくなってしまう。美柑は『結城リト』……いや『男』の扱い方慣れてそうだ……。もう『妹』と言うよりも『姉』に近い物を感じた。将来が恐ろしいな……

 

 そんな事に怯えていた俺は、当然美柑の服も買ってやった。もともと、この買い物の目的はララの服を買う事だけではなく、日頃のToLOVEるで少しギクシャクしてしまった美柑との関係を取り戻すため、彼女を楽しませようという目的もあったのだ。彼女の心境がどんなものなのかはわからないし、こんな事で気が楽になるとは思っていなかったのだが、それでも今の俺はできる事をやるだけだった。

 

 買ってもらった服を荷物に加えてキャーキャーと嬉しそうに騒ぐ美柑とララを尻目に、考え事をしながら会計を済ましていた俺へ、レジの店員が何かのチケットみたいなの物を渡してきた。

 

 それがこの水族館の割引券だったのである。勿論、ララはそれに興味を持ち、半ば流れる様な形でここに来ていたのだ。

 

 ちなみにララの服装の事だが、最初は美柑の服をコピーさせていた。彼女の服はボーイッシュな物だったが、それは美柑もララも似合っていたのだから、気にする事ではない。

 服を買った後、ララは店で着替えた。黒のワンピース姿だ。ペケが彼女の服から離脱して、ようやく俺は一安心したのだった。

 

 とまぁ、随分と端折った説明だったかもしれないが、勿論この間までにも様々な出来事があった。

 ド◯キ・ホーテみたいな店では宇宙人みたいなお面を被らされたり、昼飯を蕎麦にしたらララは食べ方がわからなかったり、おやつにたいやきを買おうとしたら『つぶあん』にするか『こしあん』にするかで美柑とケンカをしてしまったり……。

 

 そんなかんじで、終始二人に振り回された俺は今ようやく休息というべき、近くの広間のベンチにぐったりと腰を下ろして、二人を離す事にした。「荷物見とくから、適当に回ってこい」と言って。

 

 「しじみはいないのかなー?」

 

 「う〜ん、探せばいると思うけど……」

 

 遠くの方で困惑している美柑を心の中で応援しながら、俺は熱心にしじみを探しているララの方を見た。彼女の手には、俺がゲーセンのクレーンゲームで取ったぬいぐるみを大事そうに抱えている。

 ララが欲しがっていたので、俺がそいつを取ってやったのだ。しかし、やはり『結城リト』の様に上手くはいかなかった。彼なら一発で取れただろう。俺は原価よりも高い値段を注ぎ込んでしまった。

 

 どうしようもなかった事実に俺が頭を抱えていると、突然、隣りに座っていたペケが俺の膝の上へと座り込み、体を俺の方に向けてきた。

 

 『リト殿……アリガトウゴザイマス』

 

 「えっ?」

 

 いきなり、お礼を言われた事に何が何の事だかわからず、俺は彼の『眼』 グルグルと目を回した様な模様を見つめた。

 

 『と、言うのもですね…………あんなに明るいララ様の笑顔を、私は久しぶりに見れました……』

 

 「……別に俺のおかげでもないだろう……。初対面の時も普通に笑ってたし……」

 

 『少し前までは、私を気遣ってくれる笑顔がほとんどだったもので……』

 

 俺はペケの言葉を推理した。

 ララが家出をしようとした時、彼女に絶大な忠誠心を持つペケは当然ついて来たのだろう。しかし、彼女がやろうとしていたのは家出だ。それも銀河を股にかけた大逃亡。無謀もいいところである。

 そんな危険すぎる家出に『コスチュームロボ』という目的だけの理由でララがペケを一緒に連れて来てしまったのかと言われると、ちょっと変だ。服なんざコピーではなくちゃんとした本物を着ればいいのだから。

 

 ペケの言葉から考えてみると、ララはペケの同行断ったのだろう。『お見合い詰めの生活から逃げる』という自分にだけ関係のあるワガママな目的に、わざわざペケを巻き込む必要などないのだから。

 

 ララは純粋でちょっぴり天然な女の子だ。だが、例えアホの子であっても人の気持ちが考えられない様な馬鹿ではない。

 

 「……きっと……無意識に、行動に出ていたんだと思う……」

 

 『やはり……そうですか……』

 

 ペケは沈んだ様に肩を落とした。これじゃあなんだか本物のぬいぐるみみたいで、ちょっと恐い。きっと、ララについて来た自分を悔んでるいるのだろうか。

 そんなペケを、俺はヒョイと持ち上げてララの方へと向けた。端から見れば、この光景は『ぬいぐるみを持っている男子高校生』。さすがに年齢の限界を感じる行動だが、今は気にしない。

 

 「でも今は違うんだろ? もう、いいだろ……過去の事は……」

 

 『…………………………』

 

 遠くに見えるのは、ゆったりと泳ぐ大きな魚を見てはしゃぐララ。緩い青の光に包まれているこの場所でも、彼女のピンクブロンドの髪はひと目で判別できるほどの存在感を放つ。

 その彼女からは、周りの人々をみんな笑顔にしてしまう程、輝かしい笑顔を見せるのだ。このベンチでぐったり座っている俺でさえ……。

 

 ペケは何を思うだろう。この地球に来て良かったと感謝するのだろうか、やはり私は来るべきではなかったと後悔するのだろうか。

 

 やがて、彼はクルッと俺の方に顔を向けた。

 

 『わかりました……。これからはアナタと同じ、ララ様を守ると言う行動に切り替えたいと思います』

 

 「……ありがとう」

 

 

 

 ギ・ブリーの事件の直後、俺はララと一緒に西連寺を保健室へと運んだ。

 『ToLOVEる』で保健室と言えば、あのグラマラスで大人の魅力ムンムンのあの先生を思い出すが、その時の俺にはそこまで頭が回る余裕もなく、この嫌になってくる気分と重荷から開放されたかった。ララに西連寺の事を任せ、担任に嘘をついて帰宅した。なんかもう……やってられなかったから。

 

 後日、俺はギ・ブリーの事件をペケに話していた。当然そこにララはいない。デビルーク王の悪態を彼女に聞かせるわけにはいかないだろう。

 話を聞かせたペケの反応は、ロボットだからなのか、ララに忠誠を誓っているからなのか、俺の話に同感し、デビルーク王に対する結構キツめのトークも話してくれた。ペケらしいと言えばペケらしい。

 だが、ララの事になると表情は一変した。どうやら彼もザスティンと同じ、かなり前から深く悩んでいた様だが、あまり行動はとらなかったらしい。なぜだと聞いたらこうだ。

 

 『所詮、私はロボットですから……』

 

 思わず絶句する程、重たい一言だった。空気まで重くなってしまったので話はここで終わらせたが、それからしばらくペケは何かを考える様にしている事が多かった。

 

 所詮ロボット…………ペケはそんな風に自覚しているようだが、深く考える必要などないと思うのが俺の考えだ。こんなに、『話し』、『思い』、『考える』ロボットなど、人と大して変わらないだろう……

 だから俺はペケに人らしい事をさせてみる事にしたのだ。デビルーク星ではどうだったのかは知らんが、ここでは誰も気にしない。お前は、人らしく振る舞っていい。

 

 「ペケ、俺はお前の事……頼りにしてる」

 

 『ハイ?』

 

 「ララの事を一番知っているのは……お前だ……」

 

 ペケはしばらく黙っていたが、しばらくして俺の方を向き、目の前で胸を張った。俺の膝の上で……

 

 『……ハイ、お任せください!』

 

 声のトーンが上がった。元気な声だった。彼の表情からは全く読み取る事ができないが、元気になった様だ。

 俺はペケの前に掌を見せる。言わばハイタッチの構えである。

 

 『……何ですか?』

 

 頭にクエスチョンマークを浮かべた様なペケの反応に俺は困った。どうやらを知らないらしい……。

 

 「え〜と……『ハイタッチ』って言う、人と仲良くなった時や、気持ちを同調する時に使うヤツだ……」

 

 『は、はァ……』

 

 戸惑いながらもペケは自分の掌を前に出した。今になって気がついたのだが、彼の手には関節のある指がちゃんと存在した。しかも五本指だ。ゲームが出来るではないか。

 そんな感動は頭の隅に追いやって、俺は差し出した掌に勢いをつけた。

 

 「せ〜の」

 

 ペチン、と情けない音だったが、それでも何とかハイタッチになっていたので俺はホッとした。と言うか嬉しかった。彼に、人らしさのある事が出来たと思うのだから。

 

 「これからもよろしくな……」

 

 『ハイ♪』

 

 そう言って、ペケは笑った。まんまるとした頭に現れたのはグルグルの渦巻き模様の目ではない。綺麗な湾曲を描いた曲線が現れ、笑っていたのだ。

 

 アレ? 普通にカワイイぞ……

 

 そんな事を思っていたら、いつの間にかペケの目は元に戻り、俺の方を見ている。

 

 『それにしても不思議です』

 

 「ん?」

 

 『リト殿の眼を見ていると、何だか私の考えている事を見透かされている様な気がするのです……』

 

 苦笑いするしかなかった。



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第十話

 二度目の夏がやってきた。

 

 ジイジイと鳴り止まない蝉の声。打ち付ける様に俺達を照らす太陽は、その熱気で俺達の歩く通学路を揺らめかせる。それは前いた世界と変わりない夏の光景のはずなのだが、夏休みが終わろうとしていた『俺』からすれば、夏が延長している様にしか感じられなかった。

 

 トボトボとダルそうに歩く俺とララ。いつもの様に登校している最中だが、今月からは段々と気温が上がり始めているのは、既に知っている。最高気温は毎日更新されているのをニュースで見た。

 暑い…………ただひたすらに、初夏とは思えない様な熱気が俺達を包み込んでくる。午前からこの有り様だと言うのに、午後からはもっと暑くなると聞く。たまったもんじゃない。

 

 「む〜〜〜、何で朝からこんなに暑いの〜? リト」

 

 額に流れる汗を拭いながら、ララは不機嫌そうに俺の方を見た。そう言えば、コイツは朝シャンしていたな……。もっと早く起きれば良かった。もう体が気持ち悪くてしょうがない。

 俺はまぶたの上まで流れていた汗を腕で拭う。新陳代謝の良い『結城リト』の体からは、ひっきりなしに汗が出る。健康な証拠だが、ちょっと困りものだ。

 彼女の質問に、俺は暑さに翻弄されつつ、少し項垂れ気味に答えた。

 

 「そりゃあ……『夏』だからだ……『夏』は暑い……」

 

 「デビルークには『ナツ』なんてないもん……」

 

 あぁ……確かこんな事言っていたな……と、俺は原作の記憶を思い返しながら、汗まみれの髪の毛を両手でかきあげる。

 デビルーク星には四季がないらしい。見てみたい気はするが、四季折々の景色を持つ日本に生まれた身としては、あんま住みたくはないな……。

 

 「あつ〜い……あつ〜い……」

 

 「やかましい。もっと暑くなる……」

 

 ララの愚痴を一蹴する。本当に勘弁してほしい。暑いのにわざわざ連呼する必要性がどこにあると言うのだろう。

 あと、抱き付くな。暑いって言ってんのに何で抱き付いてくるんだ、バカモノ。

 

 「もう今日ずっとハダカのままで過ごそーかな〜」

 

 どうやら、完全に暑さにやられた様だ。耳元で囁かれたのがゾクッとしたのか、俺も少し壊れてしまったのか、普段なら絶対に言わない様な事をララに言ってみせた。

 

 「あ〜〜やってみたいねー『家の中』で……」

 

 「リト?」

 

 「パンツ一丁でさ…………クーラーガンガンきかせてさ…………温暖化なんか知るか! ってくらいに……」

 

 「あぁ〜♡」

 

 ノってきたのか、ララが共感してきた。一向に構わず、俺は言葉を続ける。

 

 「キンキンに冷やしたグラスに氷入れて……そん中に酒でも注いで……つまみは、何か……テキトーに……」

 

 「そしたらリトと一緒にベッドで……♡」

 

 「冗談に決まってんだろ……」

 

 ララを現実に引き戻して、俺は溜め息を吐いた。夢のまた夢の光景である。実際にやったら美柑に怒鳴られるのが目に見えているのだ。

 

 そう言えば「ベッド」で思い出したのだが。ここ最近、ララが俺のベッドに潜り込んで来る割合が急激に増えた。先月ぐらいまでは俺の指導のおかげか、おとなしく自分の部屋で(それでも一週間に数回は忍び込んで来るのだが……)寝てくれる様になったのだが、今月に入ってそれがぶり返すかの如く、毎日俺のベッドに入って来る様になったのだ。

 

 一体どうしたと言うのか、俺はすぐララに聞いた。答えは単純だった。

 

 「だって……リトの部屋ならクーラーがあるんだもん……」

 

 そう、ララの部屋にはクーラーがなかったのだ。今、彼女が使っている部屋は親も使用していない、空の物置にも等しかった部屋だ。当然、そこにクーラーなんか置いてない。きっと、相当暑かったのだろう。彼女の部屋には扇風機しかなかったからな……。気持ちは理解できなくもなかった。

 最初は美柑の部屋で寝かせようとしたのだが、彼女の寝る布団が大きくて入りきらないという問題が発生した。斜めにすればイケそうな気がしたが、段々面倒になってきたので、今はこの季節だけ俺のベッドで寝かせる様にしている。

 それなら、俺の広い部屋に布団を敷いてしまうのが一番だが、その案はすぐ頭から外れた。一緒の部屋で寝ているなら、俺が布団とベットのどっちに寝ていようがララはひっついてくるのだから。

 

 近い内に彼女は自分の部屋を作るだろう。そうなるまで我慢する……っていうか、それならいっその事クーラーを作った方が絶対に早いだろうに……。

 その事は、あえて言っていない。作るのだって簡単ではないだろう。

 

 『リト殿? 大丈夫でございますか? かなりフラフラな足取りですが……』

 

 ペケが俺の事を心配してくれている。このクソ暑い中、考え事なんかしたからだ。ちょっと危ないかもな。

 

 「リトもプールに入れたらいいんだけどね〜」

 

 「あぁ? そういえば女子は今日から水泳か……」

 

 口元まで流れてきた汗を手で拭う。炎天下の空の下に広がる、水色のデカいプールを思い出した。クソ羨ましい。男子はまだ灼熱の太陽の下で、サッカーの授業が残っているというのに、

 

 

 

 パシャ

 

 

 

 「!?」

 

 今、微かにカメラのシャッター音が聞こえた。来やがった……

 

 俺は素早く辺りを見回すと、ソイツは後ろの電柱の影に隠れてやがった。黒いジャージにサングラス、白いマスク、あまりにも暑苦しいその格好。外見を完璧なまでに隠した、不審者と言っても過言ではない様な男がカメラを持ってこちらを覗いていたのだ。

 

 本当に恐かったので、とりあえずここはとっとと追い払う事にした。

 

 「何見てんだ、オイ」

 

 俺が凄むと、そいつは一目散に逃げ出した。だがコレで安心してはいられない。

 

 アイツは……再びやって来るのだ。それも『盗撮』という犯罪行為を行って。

 

 「どしたのリト?」

 

 ララがこちらを見ているのだが、俺はまた考え事を始めていた。どうやら今日は落ち着いて授業を受ける事はできなくなりそうだ。あの盗撮野郎をなんとかするために、考えなくては。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 ……と、朝まではそんな事を思っていたのだが、今となっては全部無駄な努力だったのかもしれない。

 

 今、俺が座っている場所は教室ではない。薄暗く、重たい雰囲気を醸し出すその部屋は、教室と比べて小綺麗さがあるが、そこには机が二つしかあらず、壁には時計と窓以外何もない。クーラーもないから空気は蒸し暑い。

 俺は、ほぼ全ての学校に存在するであろう『指導室』と言う部屋の中にいた。

 

 なぜ俺がこんな所に座っているのか。それは、事を順に追って説明しよう。

 あの盗撮野郎こと『弄光タイゾウ』はララ達女子がプールで泳ぐ映像を、隠しカメラで盗撮しようとしていた事を俺は知っていた。当然、そんな犯罪行為を『俺』も『結城リト』も見て見ぬ振りをする様な人間ではないので、阻止へと走る。

 だが俺は原作の様に、プールに行って隠しカメラを回収しようとは思わなかった。知ってる人なら分かるだろう?

 

 

 

 『詰む』

 

 

 

 『結城リト』はカメラを回収した直後、女子達がやって来てしまいプールから抜け出せなくなってしまうのだ。あんな運命、『俺』には絶対に脱出不可能。実行しようとも思わなかった。

 じゃあ『俺』は一体どうやって阻止をするつもりだったのか。それは弄光を自首させる方法だった。彼は芯まで悪い人間ではないと思うし、別に盗撮をどうこう言うつもりは無い。でも『結城リト』と言う名の『俺』が知っている以上、止めなければならない。それが人としての行動でもあり、運命なんだと思う。

 

 風紀委員や指導部に告げ口するという手もあったのだが、公にするのはマズいだろうと思った。大事にするのが嫌だったと言うのが俺の理由だが、本当は弄光が気の毒だと思ってしまったからだ。

 

 俺は水面下でゆっくりと行動を起こす。授業中、こっそりララを盗撮しに来た弄光を見逃し、授業もとい教室から抜け出した俺は、こっそり彼の後を追った。

 

 カメラをしかけ終えた弄光は、校舎の屋上へと上って行った。悪事を働くと、罪悪感で何となく一人になりたがる気持ちは、俺にはわからなくもなかった。

 

 弄光が一人になった所で、俺は彼に話をかける。そんな作戦を俺は立てていたのだが、ここで思わぬ誤算が起きた。屋上にいたのは弄光だけではなく、彼の後輩達までいたのだ。その数、ざっと数十人。ひとりだけだと思っていた俺は、野郎の集団の目の前に立ち尽くす事になってしまった。

 けれども、こうなってしまった以上、もう引き返す事はできない。俺は意を決して、弄光の名を呼んだ。

 

 サングラスとマスクを外してジャージのフードをとり、澄まし顔で俺の方を見る弄光。イケメンである。こんな事しなければモテるよ、たぶん……。

 彼とは野球の一本勝負をした時に面識があったため、意外とスムーズに会話は進んだ。話してみれば、後輩思いのいい先輩だって事がわかった。だから俺は、素直に自分の悪事を認めてくれると思っていたのだ。俺が盗撮の話を切り出すまでは。

 

 結果がコレである

 

 

 

 弄光に自首を訴える

 ↓

 まるで話を聞いてくれない。それどころか盗撮の素晴らしさ云々を聞かされる

 ↓

 「興味ない」と一蹴し、もう一度訴える(この辺から後輩の雰囲気が攻撃的になりはじめる)

 ↓

 彼が今まで撮った女子の盗撮写真で俺を買収してきやがる(ララのパンチラが混ざっていた)

 ↓

 弄光を一本背負い

 ↓

 大乱闘

 

 

 

 どうしてこうなった。としか言い様がない。何を間違えてしまったのだろうか。暑さで俺の気が狂ってしまったのか、それとも……

 

 でも久しぶりだった。巻き起こる怒声と罵声。拳のぶつかり合い。こんな馬鹿みたいに暴れたのは中学校以来だった気がする。俺はこの状況を楽しんでしまっていたのだ。

 

 だが、そんな馬鹿騒ぎをすれば当然、人の注目も集まってしまう。ここで例を挙げるなら筆頭するのは『教師』であろう。あそこ、職員室から真向かいの校舎だったし……。

 そんな事を考えてもいないし、気にかけてもいなかった俺達は結局見つかった。「何やってんだテメーらァ!!!」と言う超ド級の怒声を教師からもらって、些細な事で幕を開けた大乱闘は一瞬にして終わりを遂げたのだった。

 

 その後、俺は残りの授業に出れる筈もなく指導室にぶち込まれ、指導部のこわ〜い先生に散々説教をされた後、放課後になるまでここでおとなしくしていろ、と待機命令をくらってしまった。

 

 そんなわけで、俺はここに座らされているのだ。

 

 この事件の結果、自棄になった俺の証言とララがちゃっかり見つけた隠しカメラが証拠となり、弄光は二週間の停学となった。結局、未来が変わる事はなかった。

 で、次に俺の処分だが…………親呼ぶとかそこまで大事にはならなかった。盗撮を防ごうとした行動がなぜか校長に賞賛され、俺は軽い処分で済むらしい。

 校長……アンタやっぱりただの変態じゃなかった。ちゃんとしてはいないが『教師』だ! 

 

 ちょっと感動してしまった。

 

 しかし……そんな校長の事を考えると、少し申し訳なくなってくる。俺は平和な『彩南高校』で『喧嘩』という事件を起こしてしまった。『ToLOVEる』の事を考えると、これからもっとすごい事が何度も起こるのだが、無駄にリアリティのある事件を起こしてしまったと思う。こんな地味な処分を下された時は、ここは本当にラブコメの世界だったけ? と疑ってしまった。

 でも、よくよく考えてみたら、授業を抜け出した時点で『授業放棄』という罪を犯しているのだ。もしかしたら『結城リト』も同じ様に、ここにぶち込まれていたのかもしれない。

 

 それにしても……時間は既に放課後に入っている。いつまで俺はここに座っていればいいんだ?

 

 俺は午後以降、全く顔を合わせていないララへ連絡をとるために、携帯電話を手に取ろうとした。

 

 

 

 ガチャ

 

 

 

 と思ったら突然ドアが開いたので、慌てて携帯から手を放し、おとなしくしているフリをしようとしたのだが、そこから入って来たのは……

 

 「ハイ、反省文20枚。書き終えるまでここから出さないわよ」

 

 『彼女』はそう言い放つと、原稿用紙の束を俺の机の上に置いた。そして原稿用紙ではなさそうな書類の束をもうひとつの机の上に拡げ、俺と向かい合う様にそこへ座った。

 ジッと俺の事を睨みつけながら、書類にペンを滑らす『彼女』 それは悪事をした『俺』がここにいるから、こんな不機嫌そうな態度なんだと思う。

 だが、重要なのはそこではない。眉に皺を寄せているが、顔立ちはとても綺麗に整っている。笑えば絶対可愛いだろう、笑えばの話だが……。

 真っ黒なロングヘアに、『自分は優等生です』と言い表している様なキリッとしたつり目。おまけに、プロポーションはララにそっくり。

 

 こんな説明をわざわざしているって事は、おわかりであろうか? 今目の前にいる『彼女』も、この『ToLOVEる』に登場するキャラクターの一人。

 

 

 

 お前……『古手川 唯』だよな……?

 

 

 

 なぜこんな所でお前に出会わなければならないのだ? お前の出番はもっと後だったはず。そもそも、なぜお前がここに来る……? 『風紀委員の鬼』だって猿山から聞いたが、まさか反省文書くためだけに残されたのか俺は?

 別に、学年は同じなわけだから、廊下ですれ違う事は少なくない。初めて彼女を見た時は、思わず振り返って二度見してしまったが、今こうして面と向かい合うのは初めてだ。

 

 きっと『結城リト』ではない『俺』と言う存在のせいで運命が変わってしまったのだろう。正直な話、俺はもう原作通りに展開が進むとは思っていない。

 だから、俺は十分に注意をしながら生きる必要がある。この世界、死んでもおかしくない様な絶体絶命のピンチが何度もあるのだから。

 

 そんな事を考えつつ、俺は古手川から貰った反省文にテキトーな語呂を並べていく。本当はこんな事をする前に逃げ出したかったのだが、この学校でそんなことしたら今度こそシャレにならないし、さっき校長に賞賛されたばっかだったって事もあったので、ここは素直になる事にしたのだ。

 

 

 

 ドンドンドンドン!

 

 

 

 順調にシャーペンを進めていた所で、ドアを叩く音がした。厳密に言えば、『指導室』のドアを叩くにしてはいささか命知らずの様な乱暴な叩き方をした音がした。

 

 「リト〜? ここでしょ〜? 返事してー」

 

 その声を聞くまでもなく、俺はドアの反対側にいるヤツが誰だかわかった。『ララ』……お前よくこの場所がわかったな……。

 

 俺はペンを置き、立ち上がろうとしたのだが、古手川の『席に着け』という無言の圧力を受け。仕方なく作業を再開する。

 彼女は席から立ち上がると早歩きでドアに近づき、開いた。

 

 「彼に何か用かしら」

 

 開いたドアで全く様子が見えないが、ララの驚いた様な声が聞こえる。

 

 「えっ、ダレ? リトは? 学校終わったから一緒に帰るつもりなんだけど……」

 

 戸惑いを見せる彼女に、古手川は即答した。

 

 「ダメよ。彼にはここで反省文を書き終えるまで出さないつもりだから」

 

 古手川としては十分な理由だと思っている様だが、『ララ』は違う。彼女がそんな理由で納得するはずないので、俺は自分の意志を彼女に伝える事にした。

 机から立ち上がり、古手川のやや右後ろから首を伸ばした俺は、猛烈に睨んでくる古手川を無視して、嬉しそうに俺の名前を呼んでくるララを見る。

 

 「ララ、わりぃけど今日は本当に無理だ。先帰ってろ」

 

 俺の言葉にララは悲しそうな顔をしたが、間髪入れず彼女はこう答えた。

 

 「えぇ〜、リト今日は家帰ったら一緒にハダカでボ〜っとするって言ったじゃん……」

 

 「「!!!?」」

 

 さっきまで睨みをきかせていた古手川の目が驚愕へと変わった。全く『コイツ』の前でなんて事を言ってくれてやがるんだ。

 

 つか、朝の話まだ生きてたのか!? 俺、冗談って言ったのに……

 

 「なっ、なんてハレンチなっ!!?」

 

 そう叫びながら古手川は俺の方をビシッと指差し、指導部の先生にも負けるに劣らないぐらいの勢いで俺を叱ってくる。疲れていた俺の耳に怒声が流れ込み、俺はわざとらしく、半分本気で耳を塞いだ。すんごい気分悪くなってきたが、古手川の生「ハレンチな」が聞けたから良しとするか。

 

 そんな『ToLOVEる』の名台詞(笑)を早々、聞かせてくれた彼女は、次にララを厳しく叱り始めた。

 

 「とにかく! 彼は、まだここから出す訳にはいきません!」

 

 このままでは延々と説教が続く気がしたので、仕方なく俺は吠える古手川を落ち着かせ、何とかララを説得させた。「じゃあ……先帰ってるね」とララは俺に笑いかけ、走って行ってしまったが、最後の笑顔はほんのちょっとだけ寂しそうだった。

 その瞬間、半端ではない罪悪感に襲われた俺だったが、バタン!と強く扉を閉めた古手川に睨まれ、気持ちを仕舞い込む。

 そして、古手川を睨み返したのだ。

 

 「まったく! なんて非常識な人なのかしら!」

 

 席に戻っても、古手川の愚痴が止まない。人が何かやってる最中に横からブツブツ言うのは本当に止めてほしい。殺意が湧く。

 俺は彼女を静かにさせるため、話に乗る事にした。

 

 「しょうがないだろ。地きゅ、……日本にきてまだ数週間しか経ってないんだから」

 

 うおっと、危うく『地球』て言いそうになった。ララが宇宙人だってバレるのはもっと先だ。気をつけないと。

 イラついて判断力が鈍ってるな。

 

 「関係ないわよ。どちらかと言えば、あなたに問題があるんじゃなくて?」

 

 関係ない、とバッサリ斬り捨てられ、なぜか俺の問題にさせられている。「ハァ?」と言い返した俺は古手川に顔を向けた。

 

 「学校中で噂なのよ。あなたと彼女、一緒に住んでいるそうね」

 

 ほう……どうやら彼女は、ララの行動や性格は俺に影響を受けているとでも思っている様だ。俺とララの気持ちも知らずに。

 

 腹が立った俺は、反省文を放棄した。とっとと話を止めて、帰ろう。

 

 「嫌な言い方だな。俺もララも普通のつもりだ。お前につべこべ言われる筋合いはない」

 

 「フンッ、授業サボって喧嘩なんかしてた人の言えるセリフじゃないわよ。それよりも、早く反省文書いてくれない?」

 

 「もう終わったよ……」

 

 俺は書き終えた十枚の反省文を古手川に渡して荷物をまとめると、彼女の制止も聞かず、指導室を出た。

 

 「ちょっと! 全然足りないわよ!?」

 

 後ろでギャーギャー騒ぐ古手川を無視し、そのまま歩き続ける。追いかけて来る事はなかった。

 

 随分、酷い出会いとなってしまったが、別に原作の古手川も最初はこんなキツい性格だったし、問題なんかないだろう。第一印象も俺からしたら『苦手』だった事には変わりない。あれだけソフトに対応できたのだから、上々だろう。

 

 『彼女』はハレンチな事が大っ嫌い、と言うか恋愛すら否定しかねない様な思考を持っている。妄想が激しく、自分の考えが一番正しいとか思い込む人間。悪い意味での頑固だ。クラスから孤立しても仕方がない様に見える。『結城リト』がいなかったらどうなってた事やら……。

 だが彼女も決して性根まで悪い人間ではない。動物には優しいし、風紀委員を(実質)指揮っているだけあって、人望も厚い。良く言えば『真面目で常識人』。実は『結城リト』と一番気の合う存在なのではないのだろうか(ただし、ラッキースケベが発動していない時に限る)

 なぜ、あんな攻撃的なまでのハレンチ嫌いになったのかは知らないが、人が捻くれる時は大抵何か理由がある。漫画の世界然り、現実の世界然り。

 

 『結城リト』は純粋な優しさで、古手川の『心の鎧』とでも言うべきだろうか、それを剥がす事に成功している(と言っても完全にではない)。鎧が剥がれ、色々と緩くなった彼女は『ツンデレキャラ』と言う、ラブコメにとってはスバラしいポジションを確立させたのだ。

 

 さぁ、それを今この他人事の様に考えている『俺』が『彼』と同じ様な事をできるかと言われたら、俺は即答で『NO』と返事をしてやる。言っただろう? 第一印象は、俺からしたら『苦手』なのだ。ツンデレなんぞ、俺からして見れば理解できない。イライラする。

 

 だからどうしようか悩んだが、この話はもっと全然先の事だったので、俺は考えるのを止めた。あいつがどうなろうなんざ、直接的には『俺』にも『ララ』にも影響しないんだ。別の事を考えるとしよう。

 

 あぁ、そう言えば……

 

 久しぶりに、一人で帰り道を歩く事になった。ララと一緒に帰るのがすっかり当たり前になっていた俺は、こんな些細な変化がどうも気にかかって、しょうがない。

 こんな事になるなら、ララに待ってもらったら良かったかもしれない。そしたら、あんな寂しそうな顔見ずに済んだかもしれない。そんな後悔を思っていたら、

 

 「リ〜ト〜♪」

 

 遠くから彼女の声が聞こえた。

 

 何故か涙が出そうになっていた。



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第十一話

 高速道路を走るバスの窓から見えるのは、広い広い海と緑の生い茂る山々。時々通り過ぎる看板を確認してみると、どうやらここは『千葉県』に入ったらしい。

 

 『ToLOVEる』は、主人公『結城リト』の住む町、『彩南町』と言う架空の町を舞台に物語が展開されていくラブ・コメディである。こんな事を言ったって、大概の人は普通に聞き流してしまうだろう。今更何言ってやがる、とも思うかもしれない。

 だが、この世界で生きている『俺』は、そんな事をしてはならなかった。もっと深く調べる必要があったのだ。この世界の地理関係。例えば、その『彩南町』は日本の何処にあるのか? とか。

 

 前々から考えていた事だったので、俺はすぐ行動に移した。

 休日、ララと美柑と一緒に出掛けた時、俺は二人が服を選んでいる間に、近くにあった地下鉄の走る駅を調べた。駅はどこかへと繋がっているのだから、もしかしたら知っている駅があるかもしれない。そんな九割の期待と一割の不安を背負い、俺は駅の中へと入って行った。

 

 路線図を見ても、俺は違和感が湧く事などはなかった。なぜなら、そこにあるのは前の世界のものと全く変わらない『東京都』の路線図が壁に貼付けてあったからだ。丸い円を中心に広範囲へと広がっている、小さな線。見間違う訳ないのだ。

 ただひとつ、ひとつだけ違うのは、その路線の中、東京のやや北側に他の駅を挟んではっきりとその存在を表している駅がある。『彩南町』だ。

 余りにも違和感のなかったその光景に、俺は驚きを通り越して笑いたくなってしまった。「一体、どの町が消えたんだ?」と前の記憶をフル稼働させて思い出そうとしたのだが、『山手線』の駅すら完璧に覚えていない人間の俺には、無理な努力だった。

 そもそも、思い出した所でその駅を知るものはいないのだ。この『俺』以外には……

 

 なんだか可笑しくも恐ろしい結果だったと、俺は苦笑いをしながらバスの窓から景色を眺めていた。バスの座席のマットはフカフカで座り心地が良い。もう座る事もないと思っていたがな。

 

 「リト、菓子食うか?」

 

 隣りに座っている猿山が、ポテトチップスの一枚を俺に勧めてきた。が、断った。別に、お腹が空いていないわけではないが、今はちょっと食う気にはなれない。

 

 「……いや、いい……」

 

 「あん? どうしたんだよ。何、黄昏れてんだ?」

 

 彼は心配そうに、半分面白そうに、俺にちょっかいをかけてくる。そうする度に、俺の視界はぐわんぐわんと揺れた。

 

 「あぁぁ、やめろ猿山……俺の体を揺らすな…………」

 

 俺の言葉に気が付いたのか、猿山はピタッと行動を止めた。

 

 「お前……まさか、酔ったのか?」

 

 ハァ……なんで俺、乗り物酔い激しいのに後ろの席なんか座ったんだろう……

 

 そんな俺の悲痛な心中など知らず、俺達、彩南高校生一年A組を乗せたバスは『臨海学校』の目的地である旅館へと驀進していた。二泊三日の泊まりである。美柑に何かお土産でも買うかと考えながら、俺はエチケット袋を開いたのだった。

 

 あっ、台風の件は原作通りだった。流石に自然の驚異は人間の俺にはどうしようもないので、ララに任せるしかなかった。

 何か違った事は…………土砂降りの暴風雨の中、荒波が直撃し続ける海岸でララと一緒にシャウトしたのは、結構楽しかった。と言う事だけを言っておく。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 半ばフラフラの状態で旅館に到着した俺は、ハイテンションな校長の集会をバス酔いの口実でサボり、先にあてがわれていた部屋でくつろいでいた。

 

 しばらくしてやって来た猿山達は、俺と同じ様に浴衣に着替え、テーブルに置いてあった茶菓子をつまみながら思い思いの行動をしている。

 

 「それにしても凄かったな〜あの女将。パンチのキレとかハンパねぇぜ!」

 

 テーブルの反対側にいる俺と猿山の友人は、ボクシングの真似をしながら話を語っている。どうやらテンションの上がりすぎた校長が旅館の若女将に抱き付こうとし、その女将に見事なカウンターを喰らったそうだ。

 別に、これは知っていた事なのだが、目の前にいる親友は何にも知らないはずの俺のためにわざわざ話題を出してくれたのだろう。だから俺は「何の話?」と話に乗ってやる事にしたのだ。

 

 「慣れてんじゃない……? あの校長、コリねぇもん……」

 

 「だよな〜…………あっ、そう言えば今夜、肝試し大会するらしいぜ」

 

 うん、何も変化はない。原作通りの展開だ。俺は肝試しを体験した事はないし、お化け屋敷に入った事もない。でも、まさか高校生……しかもこんな境遇になって肝試しをやる事になるとは思っていなかったな……。

 

 「んっ、どーしたリト? まさか恐いのか?」

 

 「ばぁーか、そんなんじゃねえよ……」

 

 こんな感じで目の前の友人と話をしていると、そこへトイレに行っていた猿山が戻ってきた。彼は部屋に入ってくるなり自分の服とバスタオルをまとめ、俺達を見渡す。

 

 「んじゃ、さっそくフロ行くか」

 

 「そーだな。オイ、お前はどうする?」

 

 猿山の話に賛成した友人は、部屋の隅でゲームをしているもう一人の友人へと顔を向けた。

 

 「いい。オレ、フロはメシ食った後に入るって決めてるから」

 

 友人は顔も向けずに話を返した。どうやら俺達には分からんコダワリがあるらしいので、ほっといてやる事にした。

 

 「あっそ。猿山、俺も行くよ」

 

 「おっ、ノリが良いなリト!」

 

 「油も何もノってねぇよ……」

 

 そんなバカみたいな話をしながら、俺と猿山と友人の三人は旅館の露天風呂へと足早に向かっていた。

 いや、厳密に言えば早歩きの二人に俺が急ぎ気味で付いて来ていると言った感じだ。

 

 「女子も、今頃入ってんだろうな〜〜♪」

 

 「ここはやはり男としてやっとくべきかね?」

 

 二人の背中から、こんな会話が聞こえてくる。どうやらやっぱり『覗き』をするらしい。止めようかどうか悩んだが、やめた。どうせ失敗するのだから。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 「お〜い、本当にいいのか〜? この反対側には西連寺のハダカがあるんだぞ〜」

 

 さっきから何度も俺を覗きに誘おうとしている猿山達二人は、大浴場の男湯と女湯を遮る岩山を登っている。かなり危険な光景だが、俺はそんな彼らを止めずに、ただ様子を見ている。ゆったりと温泉でくつろぎながら。

 

 「くっ、あと少し……」

 

 俺の方を見るのをやめた猿山は、友人と一緒に岩山の頂上へと手をかけた。大浴場には俺達以外にも人がいるのだが、そいつらは猿山の奇行を変な物でも見る様な目で見ているヤツも入れば、なんか応援しているヤツもいる。完全な野次馬だな。

 俺の周りにいる男は、本当に普通の男子高校生なんだなと、俺は改めてこの世界を見直していた。直後、

 

 「キャーーーーー!!! のぞきよォーーーー!!!」

 

 「っ!」

 

 女子の悲鳴が聞こえた時は、思わずビクッと体を震わせてしまった。くるとわかっているものなのだが、やはり実際に聞いてしまうと、本当に驚く。

 

 だが、そんな驚愕も一瞬の事である。

 

 「こんな所に校長がいる〜〜〜!!!」

 

 続けて聞こえてきた悲鳴に、俺はただ苦笑いをしながらその様子を思い浮かべた。あのアホ校長……こんな事しなければただの優しい校長先生なのに……。

 

 「いや〜、私はただ見張りを、

 

 そう、何の悪気も無さそうに何かを言おうとしていた校長の顔に、女子の豪速球の風呂桶が命中した。それを受け、豪快に石畳の地面へと素っ転んだ校長に、女子達からのストンピング攻撃が始まる。

 

 「ヘンタイ!!」

 

 「エロ校長!!」

 

 「死ね!!」

 

 ガン! ゴン! バキッ! グチャ!!

 

 「ギャァアァァアアァァァ許して〜〜!!!」

 

 いびつな断末魔の悲鳴に混じって、木材が人体に激突する嫌な音が浴場に反響する。

 

 校長……血出てるけど大丈夫かな? 石畳真っ赤なんだけど……

 

 と、そんなスプラッターな光景を俺は今、岩山の上から覗いていた。女湯にいる女子は浴場から逃げ出したり、校長に攻撃していたりで、俺の存在には誰も気付いていない。

 

 そんな女湯を悠々と観察していると、温泉の湯気に混じって、ピンクブロンドの髪を見つけた。ララである。フルボッコにされている校長よりも、風呂に飾られていた獅子脅しに興味深々らしい。

 

 さすがにここからじゃ気づかないか……そう思っていると、彼女はパッと振り返り俺を見つけると、嬉しそうに手を振ってくれた。

 

 のんきなヤツめ……俺は今悪い事をしているんだぞ。

 

 俺は手を振り返す事だけをして、素早く岩山から下りた。校長の安否を祈って。

 

 「どう!? なんか見えたか!!?」

 

 真っ先にやって来たのは、校長の断末魔を聞いて覗くのを諦めた猿山。状況だけでも知りたい様だ。

 

 「校長がフルボッコにされてた。全員タオルで前隠して何も見えねーっての」

 

 俺の報告に「なんだよ〜……」とうなだれた猿山であった。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 「さて!! では今から肝試しのペアをくじ引きで決めまーす!」

 

 朝から相変わらず、ハイテンションな声で肝試し大会を指揮っている校長。しかし、その顔面はボコボコに腫れ上がり、自慢のサングラスは無惨な形へと変貌している。先程の女子のダメージがまだ残っているようだ。こんだけやられて警察沙汰にならないってのが、この彩南高校の凄い所である。いや、もしかしたらこんな校長でも俺と同じく素晴らしい先生だって事をわかっているヤツがいるのかもしれない。いたとしても、この中から同士を探すのは難しい話だが。

 

 そんな話はともかく、俺は肝試しの男女ペアを決める為、クジの箱へと手を伸ばす。いったい誰と当たるのかはわからない。原作ではララと当たっていた『結城リト』だが、『俺』は違うし、これは完全に運任せによって流される運命だ。そこら辺のモブと当たってもどうしようもないが、その時はその時だな。

 

 俺は何の考えもやめて、無心のままクジを引いた。指をずらして紙を見ると、そこには『13』と書かれている。

 さて、どうなるのかな? 俺は周りを見渡すと、そこへララが近づいてきた。服装は当然、今の俺達と同じ、浴衣姿だ。

 

 「あ、リト13番なの!? やったーー私とおんなじぃーーー♡」

 

 目の前で嬉しそうに喜ぶララだが、この様な結果に対し、俺はただ『13』と書かれたクジを眺めて続けていた。

 

 「こんな事も……あるんだな……」

 

 「えっ? リト何か言った?」

 

 「……いいや、何でもない」

 

 「?」

 

 ララは不思議そうに俺を見ていた。

 

 そんなこんなでようやく始まった肝試し。廃れた鳥居をくぐり抜けるとそこに広がるのは、ただひたすらの闇。持っている明かりは、必要性があるのかないのかわからないぐらいぼんやりとした光を漂わせる提灯ひとつ。この状況を素直に言ってしまえば、絶望的である。

 

 「うわ〜真っ暗だぁ」

 

 「離れんなよ。迷子になるぞ」

 

 だがそんな状況でもララは怯える事なく、むしろ楽しそうな様子でズカズカと真っ暗な道を歩き続ける。これだけ精神の図太さを見せつけられると、さっきまで緊張していた自分がなんだかアホらしくなってきた。いつの間にか、俺達はいつもの様に学校へと登校するテンションへと変わっていた。

 

 「リト、ゴールどこだっけ?」

 

 「あぁ? この道500メートル進むと神社があるらしい。そこがゴールだってさ」

 

 「ふ〜ん……。……『ジンジャ』って何?」

 

 「えぇェ………」

 

 ……うん。いつも通りであったのだが、歩いている内に暗闇の中の視界に慣れてきた俺は、ある事に気がついた。

 

 「そう言えばララ……」

 

 「ん、なあに?」

 

 俺の声に、少しだけ前を歩いていたララが振り向き、コテンと首を傾ける。いちいち仕草の可愛いヤツだ。

 

 「髪型、変えたな……」

 

 「あっコレ?」

 

 今ララの髪型は、いつもの下ろしている状態ではない。頭の後ろのちょいっと高い所で結んでいる。どうやったのかはわからないが、頭のてっぺんでピョコンと跳ねたアホ毛は変わらない。漫画でも見た事があるのだが、実際に見るとやはり気になってしまうモノがあった。

 ララは気付いてくれたのが嬉しかったのか、結んだ髪を見せつけてくる。

 

 でもこの暗闇の中で後ろ歩きはかなり危ないぞ。

 

 「リサミオに結んでもらったの! ……変?」

 

 「いや、似合ってるよ」

 

 即答。変な訳がないのだ。

 ララは喜んで、俺に近づいてきた。今の『俺』ならわかる。これは完全に、抱き付く構えだった。

 

 「ホントに、っ!

 

 ズルッ、

 

 俺が身構えようとしたその時、何かが滑った様な音が鳴った。俺が不審に感じた瞬間、ララの体は後ろへと倒れていく。

 

 「わっ!」

 

 『ララ様!!』

 

 「っ!」

 

 ペケも驚いて声を出す中、反射的に俺は提灯を持っていない手でララの手を捕まえた。そのまま地面スレスレの所で引っ張り上げる。

 そんな事をするものだから、俺とララの体は勢いのまま、ドン!とぶつかった。余っ程驚きだったのか、彼女は目をぱちくりとさせて俺の方を見ている。

 

 「大丈夫か?」

 

 「あっ、うん……平気……♡」

 

 真っ暗でララの表情はよく見えないのだが、どうやら大丈夫そうだ。しっかし危なかった。この道、真っ暗なのに所々滑り止めの段差みたいなのが仕掛けてある。なんで滑り止めが滑るんだよ、おかしいだろ。

 俺はララから距離を取り、後ろ歩きを止めさせて、握っている手を放さずそのまま下ろした。

 

 「……手、つないでおこう。危ねぇ……」

 

 「うん……♡」

 

 後ろ歩きに懲りたのか、ずいぶんとおとなしくなったララ。そんな彼女の手を握りつつ、俺はもう片方の手で持った提灯で先を照らす。

 本当に何にも見えないな。そう思っていたときだった。

 

 キャー!

 

 ワーー!

 

 「「ん?」」

 

 遠くから悲鳴と共に、ポツポツ小さな明かりが見えてくるかと思うと、それはどんどん大きくなり俺達へと近付いてきた。

 

 「ぎゃあああああぁぁぁああああああああぁぁあ!!!」

 

 「うわぁぁぁあああああぁぁあああああ!!!」

 

 「でぇたぁああああああああああぁぁぁああああ!!!」

 

 そんな叫び声を出して、呆気に取られている俺達を通り過ぎていくのは、俺達二人が出発する前に先行していたペアの奴ら。どうやらお化けに驚かされて逃げ帰ってきたのだろう。高校生にでもなってまだお化けが恐いのか? とか思っちまった俺は、心が歪んでいるのだろう。たぶん……。

 とは言え、ここから先は少々気を引き締めて行かない。深く深呼吸した俺は、ララの手を深く握る。すると彼女は笑顔で握り返してきた。

 

 「この先、出るって。オバケ……」

 

 「よ〜し、いってみよー!」

 

 さっきと変わって元のテンションに戻ったララは、俺の握っている手を振り回しながら、見えない道へと俺を引っ張っていくのだった。

 

 

 

 そこから先は進めば進む程、何度もお化けに驚かされた俺とララだったが、状況を楽しんでいた俺達二人は逃げる事なく、ひたすら道を突き進んでいた。周りは相変わらず真っ暗だが、もう人の悲鳴も聞こえてこない。逃げ帰ってくるペアはもういないのか、あるいは俺達が先頭になってしまったのか。

 そう言えば、途中、ララに「おもしろい」と言われて物凄いショックを受けていたお化けもいたが、あれはいったいなんだったんだろう。

 

 「なーんかオバケの役って楽しそうだね♪ 私もやろっかな」

 

 『ララ様は驚かされるより驚かす方が似合ってますよ』

 

 ララは自分の胸に挟み込んでいるペケと話をしている。確かにララはイタズラをする方が似合っているが、驚くララの顔とかも見てみたいな。俺がそんなどうでもいい事を思いながら、二人を見守っていると。

 

 ガサガサッ!

 

 不意に近くの茂みが揺れ動いた。

 

 「『「!」』」

 

 その瞬間に、俺とララはサッと身構える。別に俺もララもお化けが恐いわけではない。でも突然現れて叫び声をかまされるのは本当に心臓に悪い。だから、俺達は何度も驚かされていく内に、『来る』と思った瞬間に身構えるという反射行動を学んだのだ。

 

 でもこの時は違った。

 

 「『「…………………………」』」

 

 「……出てこないね?」

 

 「……だな……」

 

 「恥ずかしいのかな?」

 

 そう言ってララは茂みの中をかき分け、奥へと入り始めた。もしもお化けじゃなかったら、そこにはお化けじゃない何かがいる筈なのだ。『お化けじゃない何か』が……

 

 「オイオイ止めとけ、変な生き物でも出たら……

 

 だが俺の制止は、彼女の大音量の声によってかき消された。

 

 「あーーー春菜だ! リトっ、春菜がいたよ!!」

 

 「ハァ?」

 

 その言葉で理解ができなかった俺は、ララの入っていった茂みの中をかき分けた。

 暗闇で視界は最悪だが、提灯で目を凝らすとそこにいたのは紛う事なき『西連寺』の姿であった。少し裾が小さめの浴衣を着た彼女は、腰が抜けた様に地面に座り込んでいて、顔は、俺達二人の存在がハッキリしていないのか、頭に何個もクエスチョンマークをつけた様な表情をしている。ただ、その瞳には涙が溢れ出ていた。

 

 そう言えば猿山は西連寺と同じペアだったのに、逃げてきたときは一人だった気がする。クッソ……結局なんにも変わらないな……

 あのサルは……後でしばいておこう。

 

 「どうしたの? 春菜もオバケの役やってたの?」

 

 「いや違うだろ……」

 

 冷静にララにツッコんだ俺は、西連寺に声をかける。

 

 「おい、西連寺、大丈夫か?」

 

 提灯を前に出し、『俺はリトだ』と言う事をアピールしながらゆっくりと彼女に手を伸ばした俺だったが、彼女は俺の腕を掴み、そのまま俺へと抱き付いてきた。

 

 「あっ! おい……」

 

 ララも見ている事だし、すぐに引き剥がしたかったのだが、ひくつく喉の動きとガタガタと震える体が俺の良心を掴んだ。もう少しこうさせておいた方が良いだろうか。

 

 「怖い……ダメなの私……オバケとか……!!」

 

 本当に聞こえるか聞こえないかぐらいの声で西連寺は話す。これは、自分の大好きな人に恥ずかしい事を知られてしまう気持ちと、さっきまでの恐怖が合わさってしまっているのだろう。

 俺は複雑な心境で、西連寺の肩を叩く。赤子をあやすかの様な感じで。

 

 「どうするリト……?」

 

 「どうする……って、連れてくよ。置いとくわけにもいかないだろ……」

 

 俺の返事に、ララはにっこりと笑ってみせた。

 

 「ふふっ、リトならそうゆうと思ってた♡」

 

 ララに笑顔を返した俺は、浴衣の下に着ていたジャージからハンカチを取り出すと、腕の中でまだ震え続けている西連寺に渡した。

 

 「ほら、西連寺……涙拭け」

 

 「う、うん……」

 

 彼女の手はまだカタカタと震えてはいたが、しっかりとそれを掴み、頬へと零れ落ちている涙を、

 

 

 

 チーーーン!

 

 

 

 オイオイオイオイ……! ハンカチで鼻かむなよ……。

 

 それからしばらく西連寺を落ち着かせた俺達は、再び元の道へと歩き出す。もうお化けもなんにも、出て来る者はいない。だが、散々脅かされて急に何も出てこなくなると、逆に変な不安を感じてしまう。もしこれを狙って設定しているのならば、イイ性格してやがるよ、この肝試しの主催者は。

 そんな今の俺の状況は、右手はララと手を合わせ、提灯を持った左腕は西連寺がしがみついている。身長があまり変わらないので歩幅を合わせる必要は無いのだが……とにかく歩きにくい。素っ転んでも文句が言えない状態である。

 

 「そういえば、春菜はなんであんな所にいたの?」

 

 「えっと……それは……」

 

 道は全くもって真っ暗なのだが、さすがに三人になると怖さも薄れてきたのだろう。西連寺の震えはすっかり治まっている。昔どっかの誰かが言っていた、一本じゃ折れる矢も三本になったら折れないとは、たぶんこの事であろう。実際は折る側の問題だが。

 

 そんな状況に心の余裕ができたのか、西連寺はゆっくりと過去を語り始めた。

 

 「私も……途中までは大丈夫だったの……。……でも猿山君が逃げてひとりぼっちになっちゃった後……またオバケが出てきて……それで……私、パニックになっちゃって……逃げたの……。でも全然入り口に戻れなくて……怖くなって…………」

 

 「へぇ〜、不思議な事があるんだねリト!」

 

 ずいぶん気の毒な話である。が、なぜ話を俺に振った……ララ……。

 

 「西連寺……お前スタートの方じゃなくてゴールの方向に逃げたんだよ……。だからこんな奥まで来てたんだ」

 

 「そっか〜!」と感心するララを尻目に、俺は西連寺の様子を探る。二の腕が若干熱くなった気がした。照れたな。

 そんな悪ふざけと話をしている俺達の目の前、いや目の前の近くにある茂みに看板があった。

 

 「見て春菜、残りあと100メートルだって! もう少しだよ!」

 

 ララは嬉しそうに看板を指差しているが、西連寺の表情は相変わらず暗い。俺にはわかる。ララにとっての『あと100メートル』は、彼女にとっては『まだ100メートル』なのである。

 ずっと不幸続きの彼女。この前のToLOVEるのおかげで挨拶ぐらいならする関係にはなったが、何とか元気にしてやりたい。と言っても、この状況で何かできる事などなんにも無いのだが……。

 俺は、今自由に動かす事のできる首を動かし、周りを観察してみる。良さげなネタは以外と早く見つかった。

 

 「ほら、西連寺、上見てみろよ」

 

 「う……うえ……?」

 

 俺の声につられて上を見たララが叫んだ。

 

 「わーー! 星がいーーっぱーーーい!!」

 

 そう、夜空は星が全開だったのだ。お化けばっか気にしていた俺達は、満点の星空に気が付く事ができなかった。絶対に都会じゃ見れない光景だ。俺も目に焼き付けとこう。

 

 「あ……キレイ……」

 

 キャーキャーはしゃぐララの反対側で、ちょっとだけ笑ってくれた西連寺。彼女はひとつの星を見て指差した。

 

 「あれ……オリオン座かな?」

 

 「西連寺……オリオン座は冬の星座だ……」

 

 「…………………………」

 

 暗くてよくわからないが、うつむいてしまった様だ。ツッコむんじゃなかった。

 

 後悔していると、数十メートル先でようやく光る場所を見つけた。もちろん、ゴールである。それを見つけた瞬間、手を握ったまま走り出すララに必死でついていく俺と西連寺は、随分滑稽な光景だったかもしれない。

 その時はそんな事を考える余裕のなかった俺達は、階段を一段飛ばしで駆け上がり、神社の境内を踏み締めたのだ。

 

 「ゴーールおめでとーー!! 今年の肝試し大会達成者はキミ達だけだ!!!」

 

 校長や旅館の女将に拍手で迎えられた俺は、この日一番の深い溜め息を吐こうとした所で、ララに抱き付かれた。

 

 「やったねリト! 私たちだけだって!!」

 

 ハイハイ、と適当に流しながら、俺はようやくララの手を放す。もう繋ぐ必要は無いだろう。俺はもう片手の方のお荷物を降ろそうとする。

 だが、西連寺は自分がゴールした事にいまいち実感がないのか、はたまた何かを考えているのか。ポ〜、と驚いた様な表情で固まっていた。

 

 「ほら西連寺、終わったぞ?」

 

 俺の声に気付いた彼女は、その表情を笑顔へと変え、俺の方へと向ける。が……

 

 「西連寺?」

 

 「えっ?」

 

 「そろそろ腕……放してくれると嬉しいんだが……」

 

 「あっ!! ご、ごっごご、ゴメン!!」

 

 驚いた西連寺は周りの明かりよりも顔を火照らせ、素早く俺から飛び退いた。ハァ……何か、酷く疲れた。

 

 「ゆ、結城くん!」

 

 「え?」

 

 「……あ……ありがと……嬉しかった……♡」

 

 「あぁ……」

 

 「リト、こういう時は『どういたしまして』って言うんでしょ?」

 

 「あ、」

 

 『素直じゃないですね。リト殿は』

 

 「ハァ!!?」

 

 ……こうして、ようやく終わりを告げた肝試し大会を見届け、俺は旅館へと戻る事にした。

 

 ちなみに旅館へ帰る道と肝試し大会に使った道は別である。なんでも、肝試しの道はむか〜しむかしに作られていた道らしく、新しい近道が作られた後、普段は通行止めになっているそうなのだ。

 

 「そんな所で肝試しとか、大丈夫なのかよ……」

 

 と、俺は旅館の若女将に聞いてみた。

 

 「平気よ。別に熊とかイノシシなんて物騒な生き物はいないもの」

 

 あぁ……まぁ、それなら変な事をしなきゃ危険はないな……

 

 「そのかわり蛇が出るわ♪」

 

 

 

 ……聞かなかった事にしておこう……



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第十二話

 臨海学校の二日目は、なんと午前中から午後の終わりまで海水浴という、臨海学校の名目とは全くかけ離れたとんでもないスケジュールだった。旅館のすぐ近くの浜辺一帯は俺達の貸し切り状態であり、周りのやつらは皆、学校指定の水着ではなく自分の思い思いの水着を着てはしゃいでいる。

 

 まぁ、せっかく目の前に広がる海原を前にして勉強を始められても、このクソ暑い中ではやる気なんざ起こるわけがないので、俺もその事には一切ツッコまずに猿山達と朝から騒ぎ続けた。だが、時間が過ぎていく内に周りの高すぎるテンションについていけなくなった俺は、小さな海の家でぐったりとうなだれていた。灼熱の太陽の下では、日陰に隠れても体感温度が変わった気がしない。横にある扇風機は無駄に熱波を放出する邪魔な機械に成り下がっていたので止めた。時折流れてくる風は……残念ながら気休めにもならない。

 売店で買ったアイスを頬張りながら、俺は時間を確認した。

 

 「……まだ、二時かよ……」

 

 散々泳ぎ回ったはずなのだが、時間はまだ有り余っている。これからどうしようか、俺は溜め息を吐きながら砂粒の混ざり込んだ畳の上に、ごろんと寝転がった。さっきまで一緒に泳ぎ回っていた猿山達は、また他のやつらとつるんでどっかに行っている。うるさいのがいなくなった事だし、このまま終わりが来るまで寝てしまおうか。

 ふと、首を横に向けた先には、校長が女子生徒の水着姿に興奮しているところを若女将にどつかれている光景が目に入った。

 

 なんだよ……殴ってる割には、結構仲良いじゃないか。

 

 俺はようやく、この臨海学校が勉強のためではなく、ただ遊ぶだけのイベントでもなく、校長があの若女将に会いたいだけのものなんだと痛感する。まぁ、周りは一切気にしていないし、俺もなんやかんや言って楽しかったから、良しとしてしまおう。

 

 舐めつくしたアイスの棒をそこら辺に置いた。もう、捨てに行くのも面倒だった。きっと、誰かが捨ててくれるだろう。そう思いながら目を瞑り、いざ寝ようとしたその時、

 

 「リト〜!」

 

 遠くから俺を呼ぶララの声が聞こえてきた。瞼を開けると、視界に見えたそいつは俺の方へと走って来ていた。彼女はサンダルを脱ぎ捨てると畳の上を這いずって俺へと近付き、俺の上に覆い被さってくる。さっきまで、ずっと泳いでいたのだろう。水着姿の彼女の体は髪の毛までびしょ濡れだ。被さった衝撃で、乾いていた俺の体に彼女の水滴が飛び散る。

 

 「どしたの、眠いの?」

 

 何の悪気もなさそうに話す彼女だが、この状況は周りからの視線を広く集めてしまったであろう。チラッと周りの様子を窺うと、男子は何やら嫉妬の様な視線を向け、女子は面白そうなイベントでも見つけた様な視線で、俺達の事を見ているのだ。

 注目なんか集めたくなかったし、何より眠かった俺はララの質問を無視して、この状況からの脱出をはかった。

 

 「え〜い、うざい!」

 

 疲れている残り少ないスタミナで彼女を引き剥がそうと暴れるのだが、デビルーク星人である彼女に力で勝てるわけもなく、ものともしていない。むしろ「キャーキャー」言って喜んでる。

 俺は素直に、腰にしがみ付いているララへ話しかけた。

 

 「ララ……眠いんだ。ほっといてくれ……」

 

 『なっ!? ララ様が心配しているというのに、なんて失礼な!』

 

 彼女の頭にくっついているペケがプンプン怒る中、ララは妙に納得すると、

 

 「ふ〜ん、じゃあ……」

 

 俺の腰から手を放し、今度は頭の近くに移動して正座をするなり、色白の綺麗な手で俺の頭を掴むと、そのまま自分の膝の上へ添えた。俗に言う、膝枕の状態である。

 

 「はいっ♪ しっかり休んでね!」

 

 俺の顔を覗き込んで、微笑みながら頭を撫でてくるララにしばらく呆気に取られていたが、周りからの視線がすぐ俺を冷静にさせてくれた。もう、ララから目線をずらすのが恐かった。

 

 「ララ……こんな事、誰から習った……?」

 

 「えっ? リサとミオだよ。男の子はこーゆーのが好きなんでしょ?」

 

 彼女達の名前が出て、俺は頭を抱えた。何かを覚えるのは良い事だが、このままだと彼女は覚えた事を全て俺に見せつけてきそうだ。どうしたものだか……。

 暑さで考えるのが嫌になってきた俺は、そのままララの膝枕に頭を委ね、目を閉じた。こうしていれば彼女はおとなしくしているだろう。

 だが、またもや俺の眠りを妨げる事件が起こった。

 

 「キャーー!!! 水着ドロボーよーーーーッ!!」

 

 甲高い悲鳴が聞こえた。俺は素早くララを押しのけて起き上がり、海の方を見渡す。周りのやつらも、今の悲鳴が何だったのか、どこから聞こえたのか騒ぎながら、ちらほらと移動を始めている。

 そんな彼等彼女達は無視して、俺はここから悲鳴の発生源を探す。ララも「なんだろう……?」と言いながら、首をキョロキョロ動かしている。

 

 「リト、あれ何?」

 

 ララの指差す先、真っ白な砂浜の向こうに広がる、波の揺れ動く海から一枚の背びれが見えた。さながら『ジョーズ』の如く。

 そいつは、海を泳いでいた女子生徒に猛スピードで突進したと思うと、その彼女の身につけていた水着を剥ぎ取り……逃げる…………そんな光景が俺達が見る中、数回行われていた。

 

 って言うか、あのスピード……まさか地球外生物じゃないだろうな……。

 

 そんな事を考えている間にも事件は続き、悲鳴を上げる声が続出している。猿山が鼻の下伸ばしながら悲鳴を上げている女子に近付き、思いっきり殴られている光景も見えた。何やってんだあのバカ……。

 

 「……って、アレ……ララ!?」

 

 気が付くと、俺の隣りにララはいなかった。慌ててもう一度海を見渡すと、ピンク色の髪の人が、砂浜を走り海に飛び込んだかと思うと、沖の方へと泳ぎだしていた。地球外産の生物かもしれない、ソイツの背びれを追って。

 

 「あのバカ!」

 

 重い体を起こし、俺は素足のまま一直線に砂浜を駆け抜け、Tシャツ姿なのも構わず海へと突っ込んだ。あぁ、俺は海で泳ぐときは海パンとTシャツって決めてんだよ。

 そんな事はともかく、俺は泳いでララを追っかける。運動で彼女に勝るものなど全くもって存在しない俺だが、泳ぎだけは俺の方が上だった。まぁ、ララは銀河のお姫様なわけだし、そんな身分の人が『泳ぐ』という運動を学んでいるのかどうかと言われると、俺には甚だ疑問に思えてしまうし。事実、彼女は学校のプールの授業で初めて泳いだらしい。犬かきだったそうだ(西蓮寺 談)。

 

 そんな泳ぎの疎い彼女に(今はクロールである)案外簡単に追いついた俺は、とりあえず彼女を止めた。

 

 「オイ、あぶねぇぞ!」

 

 俺に肩を掴まれたララは、驚いて俺の方へと振り返ったが、そこにいるのが自分を心配してくれた人物だとわかると、丸く広げていた目を緩め、表情を和らげた。

 

 「あっ……えへへ〜ゴメンね♪ 気がついたら追いかけちゃってて……」

 

 どうやらアレを捕まえようとして無我夢中だったようだ。正義感があるは良いが、今のは無謀だったぞ。

 しかし、結構深い所まで泳いできてしまった様だ。自分の足は地面に着かない。ララは立ち泳ぎができないのか、俺にしがみ付いている。

 このままここにいるのも大変だったので、俺はララを連れて戻る事にした。きっと他の生徒は、さっき俺がくつろいでいた海の家に集まっているのだろう。一回、そこに戻って情報を集めた方がいい。多分、このまま探せばキリが無いと思うから。

 

 「……泳いで捕まえられる様な奴じゃない。戻ろう」

 

 「そうだね。一回、みんなの話を聞いた方がいいかもしれなi、

 

 バシャャア!

 

 「『「!!!」』」

 

 ララの言葉を遮って水面からソレは現れた。俺も、ララも、接近していた事には全く気が付かなかった。

 完全に油断していた俺達は、突然の出来事に驚くばかりで何もできず、そんな事を全くと言っていい程無視するソレは、ララへと突進し大きく口を広げると、

 

 パクッ!

 

 彼女のピンク色の髪の毛に付いていたペケ。白いおまんじゅうの様な髪飾りになっていた彼を咥え込み、激しい水音をたてて水面へと潜り、逃げた。

 

 衝撃的だったのはそれだけではない。ソレに咥え込まれ、ララの体から外れてしまったペケ。かなり前に言っただろう。ペケはララの衣服を作り、維持しているのだ。当然、彼が外れてしまうと…、

 

 ポンッ☆

 

 「あ」

 

 「へっ?」

 

 ララは全裸になってしまうのだ。

 

 軽い煙と、コミカルな爆発音と共に、ララの着ていた水着は消え、彼女の体は何にも衣服を纏っていない、ありのままの姿になってしまった。海の水は透き通る程綺麗ではないのだが、こんな密着している状態ならば肌の色ぐらい確認できた。何にも着ていないのだ。

 

 しまった、これじゃララを連れて海の家どころか、陸自体に上がれなくなってしまった。もし、全裸のララを連れた俺がクラスメイトに見つかったら、きっと俺の弁明など耳に入れず、俺を変態扱いするだろう。なんてこった。

 

 「あーーーっ、ペケがっ!」

 

 そんな危険な状態にあるララは、自分の裸など全く気にせず、ぶんどられてしまったペケの名を叫ぶ。

 すると、ソイツは案外俺達の近くに水面から顔を出した。これ見よがしに口でペケを咥えながら。

 

 『ひーーーーーララさまーっ!! リトどのーーーっ!!』

 

 おまんじゅうから元のぬいぐるみの姿に戻ったペケは、ソレに怯えながら俺達二人の名前を叫び、手足をばたつかせ脱出しようとする。が、自分の数倍もの大きさのあるソレに力でかなうわけもなく、一向にソイツは口を動かさない。

 

 ん、今なら捕まえられるか? そう思った俺はララを背負ったまま、暴れるペケを口で押さえつけているソイツに近付き、捕まえようと水中から手を伸ばした。

 

 バシャン!

 

 が、ソイツは体をそっぽに向け、尻尾で器用に俺へ海水をぶっかけやがった。ララが何か言った気がするが、口にドバッと海水が流れ込み、軽いパニック状態になっていたので、返事をする余裕はなかった。

 

 「こら! ペケを返しなさーーーい!!」

 

 海水を吐き出し、顔を拭うと、そこにはいつの間にか俺から外れて、俺と同じくペケを助け出そうとするララが目に映った。やはり彼女は力持ちである。振り解こうと暴れるソイツに、耐えているのだから。

 だが、まだペケは助けられていない様だ。しきりに俺達の名前を叫んでいる。

 早く助け出そうと、もう一度ソイツに近付いた途端、奴はララがへばりついているのも構わず体を横に寝かした。どうやらこの状態で泳ぐ気の様だ。

 ヤバい、見失うと色々と面倒だ。俺は素早くソイツの尻尾を掴んだ。

 

 うえ……ゴムみたいにツルツルする……気持ち悪っ。

 

 そう思ったのも束の間、ソイツは人が二人もしがみ付いているというのに、とんでもないスピードで泳ぎ始めたのだった。

 掴んでいる場所が場所な為、尻尾の運動にぐわんぐわん振り回される俺。水の中を出たり入ったりしていて息継ぎが辛い。目を開くと、ララの足が微かに見えたが、激流に揺られる水中では瞼が半ば強制的に閉じてしまう。

 そんな状況でも、俺は尻尾をつかんだ手を放さなかった。既に体力は限界を超えていたが、何かわけのわからない使命感に駆り立てられていた俺は意地でも手を放そうとしなかったのだ。

 

 身を削りながら、必死にソレへしがみ付いていた俺はしばらく目を瞑っていた。あと、どのくらいでこの苦行は続くのだろうか。そう思っていた最中、急にソイツのスピードが落ちた。

 ようやくまともに水面から顔を出し、呼吸を整えてから目を開く。辺りは人気の無い砂浜。周りにはゴツゴツとした岩で囲まれている。ここは穴場か何かなのだろうか。

 しかし、重要なのは場所ではない。何故なら、その浜辺には明らか異常とも言えるモノがいたのだ。

 

 「わぁ〜〜、大き〜い!」

 

 ソレを見たララは、声を出して驚いていた。目の前の砂浜には、今俺達がしがみ付いているコイツよりも馬鹿でかいのが寝っ転がっていたのだ。

 

 ララは今しがみ付いているコイツから手を放すと、ペケを助けるのも忘れたのか、もうスピードで海を泳ぎ、裸なのも構わず浜辺に上がると、寝っ転がっているソイツに近付き、俺の方を向いた。その目は誰にでもわかりそうなくらい、好奇心に満ちていた。

 

 「リト! この子達ってイルカだよね。水族館で見たよ!」

 

 そう、彼女の目の前に転がっているのは、大きなイルカだったのだ。散々ToLOVEるに振り回されて、まともに確認ができていなかったのだが、今俺がしがみ付いているのも、イルカなのである。こっちの体長はララの方にいるものと比べて小さいが、それでも俺よりデカい。おそらく、この二匹は親子なのであろう。

 

 ララに生返事をしながら、俺は尻尾を掴んでいた手を放し、口に咥えられているペケを助けた。さっきとはうってかわって、ソイツは簡単に口からペケを放してくれた。ただ、イルカの唾液でヌベヌベだったので、彼を海水で軽く洗う。

 

 『アリガトウゴザイマス』

 

 お礼を述べるペケを抱え、俺は目の前にいるイルカを撫でた。水色の肌を持つイルカは「キュー」と可愛い声で鳴いてくれたが、俺の心は和らぐ事はなく、まだ驚愕の余波が残っていた。

 生返事をしたのには理由がある。ララの隣りにいるイルカの大きさには俺も驚いたが、それを上回る事実が存在した。

 

 俺は目を擦ってみせた。別に自分の目が悪いワケではない。そう、わかっていたとしても、擦らずにはいられなかった。目の前に映る大きなイルカには、ひとつだけ、あり得ない様な特徴があったのだ。

 ただ、答えは決まっていたので、気分はある程度楽だった。俺は、軽くツッコんでこのモヤモヤとした事実をスッキリする事にしたのだ。

 

 ゆっくりと息を吸って、俺はモヤモヤを吐き出した。

 

 

 

 「なんでピンクなんだよ……」

 

 

 

 ハイ、オマエ等宇宙外生物決定だ。親がピンクで子供が水色なんてイルカ、見た事も聞いた事もねえ。

 ただそれだけを呟き、俺は思考を切り替え、ピンク色のイルカに近付いたのだった。

 

 傍に寄ると、イルカは苦しそうな鳴き声で、弱々しく唸っている。どうやら、泳いでいたら砂浜に乗り上ってしまったのだろう。そうじゃなかったら、元々海の中で生きる生物がこんなクソ暑い砂浜の上に寝っ転がっているはずがない。

 そんな一大事に陥ってしまった親を助ける為に、あの子イルカは俺達が泳いでいた海の方へとやって来て、水着泥棒という事件を起こしたのだ。俺達人間に注意を引き寄せて、この母親を助けてほしかった。そんなトコである。

 

 ある程度状況がわかった俺達二人と一台は、早速このイルカの救助を実行。怪力のララがいた事もあってか、救助は予想以上に早く終わった。

 

 キュー キュー♪

 

 イルカを沖へと押し戻した俺達は、一息つきながら親子の再会を見守っている。心底疲れた俺は、岩陰の地面にあぐらをかいて項垂れた。これでようやく休める。ララは俺の隣りに体育座りで座り込んだ。ペケは俺の膝の上に乗った。

 

 『あの親子、何だかお礼を言っているみたいですね』

 

 ペケの声に首を上げてみると、確かに二匹のイルカはこちらの方を見て、元気良く鳴いていた。

 

 「親子……か……」

 

 不意にララが口にした言葉。波の音に遮られつつも、俺の耳にはっきりと聞こえた。

 それは、とても寂しそうな口調だった。イルカの親子を見るララの表情は、羨ましそうに、微笑していた。微かに懐かしんでいる様にも感じた。

 

 俺は、ララとの記憶を思い返してみる。

 彼女が地球に来てから、既に二ヶ月以上が経つ。この間、様々なToLOVEる続きの俺だったが、ララが親と連絡を取っている様な話は聞いてはいない。

 

 会いたいのだろうか。親に。

 

 俺は彼女の気持ちを、予想してみる。

 

 「……寂しいのか?」

 

 「えっ?」

 

 俺の一言に、ララは驚いた様に眼を広げ、小さく跳ねる。図星だったのか、はたまた見当違いだったのか。

 はっきりわからなかったので、更に彼女へ問いてみた。

 

 「家族が……恋しいんだろ?」

 

 「う〜ん……よくわかんない……」

 

 困った様に表情を歪め、片手を頭につけるララ。半分正解。残り半分は……、って所か。

 彼女が迷っている理由は、何となくわかる気がした。自分は親に決められた、お見合い詰めの生活が嫌でこの地球に逃げて来たわけであって、戻る必要性なんかあるはずない。なのに今、あのイルカの親子を見て懐かしみ、『親に会いたがっている自分』を見つけてしまったのであろう。

 だが、会いに行ってしまうと『親から逃げてきた自分』の意味をなくす事になってしまう。彼女は自分の中で起こっている矛盾に、こんがらがっている様だ。

 

 でもララ。お前に居るのは、あのいい加減な父親だけじゃないだろ? 

 

 俺は、ただぶっきらぼうに「行ってこい」と思ってしまった。後悔するなよ? 「わかんない」って思ったときは……

 

 「もうすぐ、長い休みがあるから。そしたらお前、一回家戻れ」

 

 「え……で、でも……」

 

 「嫌ならいい。でも、お前は本気で親が嫌いなわけじゃないだろ?」

 

 「……うん。お見合いは嫌だったけど……優しいパパとママだよ♪」

 

 そう言って笑うララの笑顔は、とても嬉しそうだ。

 

 実は……俺は一回だけ、ララの母親の事をペケに聞いてみた事がある。話を聞く限り何やら、政治力がダメな親父に変わって、積極的に宇宙で他の星との外交に勤しんでいるらしい。親子揃って仕事詰めの様だ。まぁ……居ないよりはマシか。

 らしいと言うのも、ペケ自身あまりララの母親に会った事が少なく。データ自体もあまり無いそうなのだ。でも、原作では言葉ぐらいでしか出てこなかったから、そういう裏話みたいな事が聞けたのは、ちょっとラッキーだったのかもしれない。

 

 ララは、そんな不思議だらけの母親とダメ親父の事を嬉しそうに話している。これはもう、絶対に会いに行かせた方が良いな。彼女の話に耳を傾けながら、そう思った。

 

 「……会えばきっと喜ぶ。会える内に会っとけ……親には……」

 

 これは、俺からの切実な思い。よっぽど捻くれた家庭でない限り、親は自分の子供に会えば嬉しい筈なんだよ。

 ララの家庭なら尚更で、自分の娘を(ザスティンと言う優秀な護衛がいたとしても)安全なのかもわかっていないかもしれない未発達の星に預ける父親は、どうかしていると思う。(あんな酷い口調しているが)実際は心配なのではないのだろうか。俺はそう思っているのだ。

 

 これは、わかりきっている事なのだが……。『俺』はもう自分の親に会える事などないのだ。少々荒れた人生を歩いてきた『俺』は、親の愛情に気付くのが遅すぎた存在だった。

 

 だから、ララ。こんな事は俺が言う事じゃないのかもしれないが、それでも俺は口を開く。「いつでも戻ってきていい。会いに行っとけ」と……。

 

 「……うん……!」

 

 ゆっくりと、強く頷いたララの瞳には、強い光が輝いていた様な気がした。久しぶりに見た、彼女の真剣な表情だ。

 その彼女をゆっくりと確認し、俺は再び海の方へと顔を向ける。遠くを泳いでいるイルカの姿は、既に見えなくなっていた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 その後、校長が水着泥棒の犯人として、女子達に袋叩きにされたとかどうとか、と言う話を他の奴らから聞いて、事件の幕は閉じた。

 

 時間は過ぎ、海で泳いだ体を洗うべく旅館の温泉に浸かった後、疲れていたので、旅館の自室で寝ていたら、その寝ている間にララがやって来たらしく、俺が目を覚ますと彼女は俺に寄り添って寝ていた。という状況を、猿山達に見られるというToLOVEるが発生した。

 詳細は語らないが、酷く大変だった。ララには叱っておいたが、正直言って叱るのは苦手だ。『結城リト』はそうでもなかったが、『俺』が叱るとどうしても尋問の様な、相手を追い詰める、空気を重たくさせるモノになってしまう。

 だから、俺はなるべく重たい雰囲気を出さない様に、ララへ優しく言い聞かせたが、彼女はちゃんと反省しただろうか……心配である。

 

 とまぁ、そんなドタバタをやっていたら、あっという間に夕食の時間になってしまい、俺達学生共はインターバルの狭いスケジュールに振り回され、ようやく解放されたと思った時には、時計の針は既に十時を超えていた。

 そろそろ消灯時間の為、俺達は布団を敷く。いくら旅館とは言え、俺達は高校生。布団の、敷き、畳み、など自分の身の回りの整理は、自分でやらなくてはならない。この臨海学校には、そういう教育の意図でもあるのかもしれない。

 

 そんな事を考えながら布団を敷き終えた俺は、自分の荷物を自分の傍へと引き寄せて、中身を開く。お土産の整理だ。最初は美柑の分しか考えていなかったのだが、買っている内にザスティンや親父の事を思い出し、量が一気に増えてしまったのだ。

 

 あ。知っている人は知っていると思うが、ザスティンは原作通り、漫画家である親父のアシスタントになった。ララからの命令だったらしいが、本人は結構ノリノリで引き受けてくれた、とか……。

 たまに結城家へやって来るので、彼らにも買っておいた方がいいと思ったのだ。

 

 整理した荷物を大きなバックの中に入れ、置いておいた所へ戻す。突然、さっきから他の仲間と喋っていた猿山が大きく項垂れた。

 

 「あーあ、明日で臨海学校も終わりかァ〜……」

 

 そう嘆く彼の頬には海水浴の時に殴られた後がある。微かに赤く晴れているそれが合わさり、彼の顔はとてもつまらなそうな表情だった。

 が、その瞳の奥では何か良からぬ事でも企んでいる様にも見える。

 

 「なーんか、思い返すと校長にふりまわされてばっかだったな〜」

 

 「ほんとほんと」

 

 「確かにな……」

 

 俺は猿山の機嫌を取る様に、話を合わせる。さっきから妙にソワソワしている友人が気味悪い。

 

 相変わらず、もう一人のヤツは猿山の言葉を無視してゲームに没頭している。俺も二人も慣れてしまったので、もうほっといてやる事にしたのだ。

 

 「せめて最後に楽しい思い出のひとつも残したくねー?」

 

 「確かに。このまま終わるのはさみしすぎる!」

 

 テンション高く、キリッとした目で言い放つ友人。うるせえよ。そろそろ消灯時間なんだから、少し声のボリュームを下げろ。

 

 「別にいいだろ……。海泳げたし、お土産も買えたし……」

 

 もうこれ以上行動を起こしたくなかった俺は、猿山達の提案を否定したが、即答で猛反発された。

 

 「いいや! お前が良くても、俺達は納得しない!!」

 

 「そうだそうだ。一日中ララちゃんとイチャイチャしやがって……!」

 

 ……まぁ確かに。一日を振り返って見ると、ララは隙あらば俺に絡んできたし。そんな彼女を放ったらかしにしてしまった自分もいた。情けない話だ。

 それでも、俺は彼女を拒んだのだが、あの純粋な瞳で迫られてしまうと、どうしても一瞬心に迷いができてしまう。

 

 結局、俺に弁明の余地などないのだ。

 

 「悪かったよ……。で、何すんだ? 今からじゃやる事なんざ寝るだけだぞ。こんなムサい男共で恋バナでもすんのか?」

 

 「そんな悲しい事誰がするか!!」

 

 友人の激しい突っ込みの勢いに、猿山も乗り出す。

 

 「そうだ! ここはもっと過激に……!! ララちゃん……もとい、女子の部屋へ遊びに行くのだ!!!」

 

 ビシッと指をさして、豪快に自分の欲望を暴露する猿山。それを冷めた眼で見る俺達二人。もう一人は「キャッホウ!!」と奇声を上げている。だから、うるせえっての。

 

 「善は急げだ! 行くぜリト!!」

 

 俺の腕を掴んで、部屋から引きずり出ようとした猿山を、俺は振りほどく。

 

 「おいおいおい、何が『善』だ! 俺は行かないぞ……」

 

 俺の答えは予想外だったのか、猿山ともう一人のヤツは驚いていたが、その表情はすぐ元に戻った。

 

 「はァ? ノリの悪い男だな〜。もしかして先生にバレるのが恐いのか? それとも……『春菜ちゃん』か?」

 

 「アホっ!」

 

 嫌らしい様な、小馬鹿にした様な目で見てきた猿山を、俺は一蹴する。好きでもない、ましてやお呼ばれもされていない女子の部屋に遊びに行くなど、自殺行為に近いものだと俺は思っている。

 例え行った所で、どうすれば良いのかが俺にはわからない。西連寺と話す事など何もない。むしろ『知らない』と行った方が正しい。俺には何かをする事もできないのだ。

 

 ふと思った。いっその事、俺は西連寺が好きではないという事を話してしまおうか……。

 そんな事を考えていたら、猿山が何やらどうしようもないうんちく話を始めていた。

 

 「いいかリト。こーゆー旅先の夜ってのはな、ウキウキ気分で心もオープンになるもんだ! つまり! 女子とお近づきになるチャンスなんだよ!!」

 

 「お〜い、早くしねぇと先行っちまうぞ?」

 

 部屋の外から、友人の声が聞こえる。どうやら彼は行く気満々らしい。

 

 反対に、なんとも動こうとしない俺に、猿山は呆れた様に溜め息を吐くと俺に顔を近付け、耳元でヒソヒソと呟いた。

 

 「春菜ちゃんと深〜〜い仲になれるかもよ……」

 

 その囁きに、全身の毛が逆立った様な気がした。ただの拒否反応である。もし、コレが『結城リト』だったのなら。危険すぎるデメリットも無視して、女子の部屋に遊びに行ってしまったであろう。

 だが、悲しい事に俺はこの誘惑を拒んだ。拒めた、逃げたと言っても正しいかもしれないが、俺は猿山の言葉が必要性のある事だとは思わなかったのだ。

 あ〜うざい! と叫びながら猿山を引き剥がし、ぐったりと布団に横たわる。俺は彼を見上げて、疲れ果てた小さな声で喋った。

 

 「……いいよ、危険すぎるわ。大体……俺もう疲れたんだよ……ちょい、筋肉痛が酷くて……」

 

 その言葉にようやく納得してくれたのか、猿山は俺から離れ、入り口へと続く襖に手を付けた。

 

 「ッたくっ、しょうがね〜。ガキは、そこでぐっすりおネンネしてな! 後で俺がスンバラシィ〜ィ体験談を語ってやっから!」

 

 「体験談じゃなくて、失敗談じゃないのか?」

 

 「永遠に眠らすぞ!!」

 

 少しからかいながら、俺はドアまで猿山を見送る事にする。

 

 「鍵は閉めとく?」

 

 「あっ、追い出されるかもしんないから、開けといて♪」

 

 ……どうやら、そこら辺の身の程は自分でわかっているらしい。てっきり無計画で進行していると思ったものだから、ちょっと驚いてしまった。鼻で笑ったら、「何だよ?」と猿山に気付かれてしまったが、心はもう女子達の部屋なのだろう。曖昧に終わった。

 

 俺はハイテンションに廊下を歩いて行く二人の背中を見送り、ゆっくりとドアを閉める。もう消灯時間だった。

 俺は閉めたドアの前で、両手を前に出した。そして、二人の冥福を祈って手の平をひとつに合わせたのだ。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 (西連寺視点)

 

 

 

 臨海学校も今日で最後。私は自分の部屋で布団を敷き終えてから、ララさんとリサとミオの四人で、お布団に座り込みながら、おしゃべりをしていた。

 話の内容は、今日の海水浴の事はもちろん、それ以外に好きな雑誌の事や、お気に入りの服やシャンプーの事。それと……ララさんの話。ホラ、外国から来たばっからしいから、日本の生活に慣れたのかな? って言う話。

 

 ララさんは私たちの話を聞きながら、楽しそうに笑ってる。そして、自分の知っている話を聞くと、それをすぐに『結城くん』との話に繋げてくるの。

 

 私はその話を聞いてしみじみ思う。ララさんは結城くんの事が本当に大好きなんだな、って……

 

 リサとミオは、それが面白いのかな? 今度はちょっぴりエッチな知識を、ララさんに教えてる…………こんな事していいのかな……?

 

 なんだか……結城くんが心配になってきちゃった……。

 

 三人がお喋りをしている目の前で、私はこの臨海学校で結城くんとの思い出を振り返って見た。

 

 そして、段々私は恥ずかしくなってきた。だって……あんまり良い思い出がなかったんだもん……。

 

 肝試しの時は、ひとりぼっちになっちゃった後、ララさんとペアだった結城くんに助け出されて……一緒にゴールまで連れて行ってもらって……そう言えばハンカチ! 鼻水でぐしゃぐしゃにしちゃったから、露天風呂で洗ったんだけど……まだ返せてないや………どうしよう……。

 

 本当は、もうちょっと結城くんと一緒の時間が欲しかったな……ゆっくり……

 

 情けない自分の思い出は、ひとりでにララさんの思い出と比較してしまう。止める事なんかできない。

 

 今日の海水浴。結城くんはララさんに膝枕されてた。結城くんは少し不機嫌そうだったけど、ララさんを責める事はしなかった。

 似合ってたよ? お似合いのカップルにも見えたんだよ。

 

 でも……やっぱり思っちゃうんだ。『私があの場所になりたい』って……

 

 結城くんは『結婚する気は無い』って言ってたけど…………そんな事で私は諦めたくないよ。だって、結城くんは私にも、ララさんにも優しい人だし、もしかしたら結城くん自身の考え方だって変わるかもしれない。

 だから……頑張らなきゃ!

 

 私がちょっぴり変な決意をしていると、リサがおでこを擦りながら立ち上がった。

 

 「ここのエアコン効いてんのかなーー」

 

 「何かあっついよね〜」

 

 リサの言葉に、ミオが乗っかる。私もさっきから思っていた。不便な事に、エアコンのリモコンはここにはない。何とかならないかな……。

 手で胸の辺りをパタパタ扇ぎながら、リサは私たちに提案をしてきた。

 

 「ロビーの自販機でジュース買ってくる?」

 

 「そーね」

 

 「あ、私も行く〜」

 

 提案に賛成したのは、ミオとララさん。それから三人はお財布を持って、出掛ける準備をしていたけど、

 

 「あれ? 春菜は行かないの?」

 

 私が座りっぱなしの事に気が付いたのかな、ララさんは私に一緒に行こうと誘ってくる。

 でも、私は別に喉が渇いてなかったから、留守番してると言った。

 

 「うん。別に、のどかわいてないし、留守番してる」

 

 「そっかー。じゃ早めに戻ってくるね春菜!」

 

 納得したララさんは、私に手を振りながらリサとミオと一緒に部屋から出て行った。出入り口である襖がパタンと閉じて、部屋が無音に包まれる。

 

 「……優しいな……ララさん」

 

 私は振り返していた手を止めて、静かになった部屋の何もない空間を見つめる。

 ふと、窓の外を見上げると、そこに見えるのは綺麗な満月。ジッと私の事を照らしている様にも見える。

 

 「私……嫉妬してるのかなぁ……」

 

 ふと呟いたその言葉。

 

 「……!! ………………!!! ……!!」

 

 そんな時だった。急に、部屋の襖の奥が騒がしくなってきた。一体なんだろう……。もう消灯時間ギリギリなんだから、他の友達とは思えない……

 

 もしかして……。そんな思いも持ち合わせちゃったのかな、私は少しだけ期待をしながら、その襖を開けた。

 

 でも……開けたそこには、誰もいなくて……、私はやっぱり思い違いだったと落ち込みながら襖を閉めて、トボトボと自分の寝る布団にしゃがみ込んだ。

 

 ……私ったら、開けた先に結城くんがいると思ったんだ……。バカだなぁ……そんなハズないのに……

 

 でも……とっても不思議だったの……。なんだろう……本当は、襖を開けた先、そこには絶対に結城くんがいた様な気がしたの……。

 

 いったい……何だったのかな…………あの感覚……。

 

 私が頭で考え込みながらしばらくしていると、また襖の向こうが騒がしくなってきた。

 今度は、ララさんの楽しそうな声が聞こえてた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 「待てコラーーーーー!!!」

 

 「ギャーーー!! ごめんなさぁーーーーーーーいっ!!!」

 

 ドタドタと物凄い足音と共に、やかましい怒鳴り声と悲鳴が聞こえた。怒鳴り声は聞いた事がある。指導部の先生だ。悲鳴はもちろん……

 

 「あいつら……やっぱダメだったんだな……」

 

 猿山ともう一人のヤツだった。声だけでも俺はわかった。いやわかりきっていた結果だったと言った方が正解だったかもしれない。『結城リト』である俺が一緒に行かなかったら、何か変わるかもしれないと思っていたのだが、結局変わらなかったか……。

 

 「ラッキーじゃん。さっき断ってなかったら、お前も追いかけ回されるハメになってたかもよ?」

 

 そう、突然喋り始めたのは、先程からずっと壁の隅でゲームをやっていた、名前も知らない友人だった。一応、友人と表記しているが、今になって考えると友人でもないのかもしれない。

 だが、今彼の言った言葉は、とても的を射ているものだった。興味の湧いた俺は、素直にその言葉に惹かれた。

 

 「そうだな……行かなくて正解だ……」

 

 単調な会話を彼と交わしてみる。が、彼の性格と俺の性格が災いして、どうしても無言の空間が生まれてしまう。

 つたない会話をしながら、俺は頭の反対側で思考を回す。おそらく、猿山達はもう戻ってはこないだろう。戻ってこれない、と言った方が正しいかもしれない。アレに捕まったら最後、特別なお部屋で今夜を過ごす事になるだろうさ。

 

 猿山……お前等の勇姿を俺は忘れない。たぶん……

 

 海水浴の疲れもどっかに行ってしまったので、俺は背伸びをして立ち上がると、テーブルに置いてあった水飲み用のグラスを手に取り、それをベッドを敷く為に端に寄せてあった四角いちゃぶ台へと置く。そして今度は、自分のバックから色鮮やかに輝く缶を取り出し、それを持って、俺は台の近くに積んであった座布団を一枚取り、上にあぐらを組む。そこで缶のプルタブを開け、中身をグラスへと注いだ。

 

 「何それ?」

 

 興味を持った友達に、俺は何の罪悪感も無いかの様に一言告げる。

 

 「酒。飲む?」

 

 「あぁ……じゃあ、少しだけ……」

 

 その、背徳感を感じつつも、好奇心を感じている様な声の調子。数年前の自分によく似ていた。

 

 中学の頃、あるヤツが修学旅行でウイスキーを持ってきた時の話だ。あれが俺の初めて口にした酒。酷く苦々しいモノだったのを覚えているが、早く大人になりたいが為、必死で背伸びをしていた俺は、案外簡単に慣れてしまった。

 そんな昔話を思い出しながら、俺は少しだけ中身が残っている缶をソイツの方に置いてあったグラスへと注ぐ。最後の一滴まで垂らした缶を、俺は潰して畳み、自分で用意していた小さいビニール袋の中に入れ、それをバックの中へと戻す。部屋のゴミ箱には絶対に捨ててはいけない。これは悪友でもあり先輩でもあった、俺の元の世界からの教訓である。

 

 ようやくと言わんばかりに、グラスへ口を付ける。緩い苦みが、俺の思考回路を落ち着かせてくれる。懐かしくもないのだが、ようやく有り付く事ができた、俺の休息だ。

 

 ホッと溜め息をついて彼に視点を向けると、恐る恐る酒の入ったグラスへと口を近付けている。ますます昔の自分にそっくりだった。思わず含み笑いをしてしまう。

 

 「で、なんでアイツらと一緒に行かなかったんだ?」

 

 「え?」

 

 またもや突然的に口を開いた彼は、惚けた様な表情を俺に向けている。その言葉で質問の意味を理解できなかった俺に、彼は更に言葉を付け足した。

 

 「お前は…………何つったっけ? その……『春菜ちゃん』とか言うヤツが好きなんだろ? 筋肉痛や疲労なんか、我慢してついて行くと思ったんだよ……」

 

 あぁ……どうやらコイツは『結城リト』の事を少なからず知っているらしい。

 今疑問に思ったのだが、『結城リト』の恋愛事情を知っている人間は、あの彩南高校にどれだけいるのだろうか? それも少し調べる必要がありそうだ。

 頭の中で調べる方法を考えながらも、俺は彼に言葉を返す。

 

 「筋肉痛は嘘だ。それに、西連寺の事は別にいいんだよ……。行ったって話す事なんか無いからな……」

 

 「なんだ? ソイツの事、好きじゃなかったのか?」

 

 何気なく言ったのであろう彼の言葉が、俺の頭に重くのしかかる。そう、ここにいるのは『西連寺春菜』の事が好きではない『結城リト』なのだ。わかっていても、こんな身の状況では、体が嫌でも反応した。

 

 とにかく、今言った彼の言葉を返さなければ……

 

 「好き…………………………『だった』んだよなぁ……」

 

 結果だけを言い切った俺の言葉に、彼は納得した様に驚いた。

 

 「なぁんだ、勝手に自然消滅か。だから今は『ララちゃん』なんだな!」

 

 「お前、声落とせ。もう消灯時間過ぎてんだよ……」

 

 俺を見ながら大きな声で笑う彼の顔は、僅かに火照っている。

 酔ってんな……飲ませんじゃなかった。

 

 グラスに入った酒を半分程まで流し込み、思考を回す。自分の今の状況、これからすべき事、何でもいいから考えて、さっきのウエイトを下ろしたかった。

 その間にも、彼の話は続く。以外と話せるヤツだと言う事はわかった。だから俺は、コイツになら八つ当たりしてもいいかなと、自分の今考えている事を吐き出したのだ。

 

 「……ハァ……。今は、恋愛とか、そういうの……考えている暇じゃないんだ……。何つーか、自分の事で精一杯って言うか……何かそんなかんじなんだよ……」

 

 その言葉を聞いた彼は、信じられないといった様な表情で、俺の事を眺めていた。そして、少し遅れて言葉を喋ったのだ。

 

 「おっ!? 『ストーカーのリト』からそんな言葉が出るとは思わなかった!」

 

 相変わらず声が大きかったので、俺は大人しくさせようかと思ったが、中断した。絶対に聞き捨てならない単語が俺の耳に入ってきたのだ。

 

 「……オイ……その通り名……誰から聞いた?」

 

 「猿山」

 

 無表情で、何の悪気も無さそうに俺の事を見てくる彼。しかし俺は無意識に、手に持っていたグラスを握り潰そうかとしていた。そして、さっきまで勇姿として心の中に描いていた猿山に「ざまぁ」と捨て台詞を吐いたのだった。

 

 恋愛事情を探すのが思ったよりも面倒くさい事になりそうだと予想しながら、俺はグラスの酒を啜ったのだ。

 

 「まぁ、いいや……。お前、案外話せるヤツだな……」

 

 「見直した?」

 

 「いや全然♪」

 

 ちょっと皮肉ぶった様な口調で返し、無言の空間が生まれたと思えば、俺達は意味も無く笑い出す。何が面白いのかもわかっていない。ただ笑いたいから笑うのだ。

 俺は再認識される。この世界は漫画で言えば『モブ』呼ばれる様な存在も、はっきりと人として生きているのだ。今こうして笑い合っているのが、何よりの証拠だと思う。

 

 そんなこんなで笑い合いながら話をしていたのだが、彼は完全に酔っているのだろう。少し調子に乗り出してきた。

 

 「なぁ、そう言えばお前、ララちゃんと同居してんだろ!? と言う事はアレか? 洗濯物で下着とか見ちゃったり、お風呂入ろうかと思ってドア開けたら裸のララちゃんとバッタリ! とか!?」

 

 「あぁ……声うるせぇっての。ノーコメントで」

 

 「ちぇっ」

 

 不機嫌そうな彼を尻目に俺はグラスの中を飲み干すと、大きく欠伸をする。リラックスできたと言うか、ようやく睡魔が襲ってきたようなのだ。

 

 「悪い……眠くなってきたわ。先寝る。電気消していい?」

 

 「んぁ」

 

 何とも府抜けた返事をした彼も、手に持っていたゲームの電源を切り、布団の中へと潜り込んだ。眠たいのは同じだった様だ。

 

 部屋のスイッチを切り、俺は暗い布団の中に入り込む。猿山達が帰ってきていないが、この時間ではもう帰ってくる事はないだろう。そんな事考えながら目を瞑ると、

 

 

 

 ジリリリリリリリリリリリリリリリ!!!!!

 

 

 

 突然、眠気の入っていた俺の鼓膜をぶちこわす様な、ベルの音が旅館の中から鳴り響いた。

 

 「っ!? 何の音だ?」

 

 真っ暗な部屋の中、飛び起きて慌てる彼だったが、俺には何だかわかっていたので、耳元を塞ぎながら起き上がる。

 

 「ほっとけほっとけ。どうせ、どっかの寝惚けた奴が。バカやっちまったんだろ……」

 

 電気をつけて彼を落ち着かせた。俺の府抜けた言葉に、酒の酔いで色々と気持ちが大雑把になっていたのだろう、彼は「そうだよな……」とか言いながら、大人しく布団の中へと戻っていった。丁度そこで、ベルの音が鳴り止んだのだ。

 

 俺はもう一度電気を消し、酒の酔いの残ったまま、布団の中で目を閉じる。そしてこれから自分が何をするべきなのか考えながら、眠りに入った。

 

 もうすぐ………いや、また…夏休みが始まる…………



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第十三話

 結城家での生活は兼ねて順調である。初めの頃は美柑の様子を窺うだけでも精一杯だった日々が続いていたが、陽気なララとの出会いを迎い終えた今では、彼女達との毎日に振り回されつつも、『結城リト』として馴染めてきたようだ。

 

 これを順調に、過ごしていく内に、時期は夏休みへと突入する。長い休暇を得る事に、少しだけ気休めの息を流した俺だったが、その前には『定期試験』と言う名の大きな壁が立ちはだかった。

 『試験』と聞かせれて、簡単そうなモノを想像してしまった『俺』は、かなり馬鹿な男だったと思う。

 なんやかんやであるのだが、彩南高校はしっかりしている高校である。授業のレベルが高ければ、たまに教師にやらされる小テストの難度も高い。だから当然、定期試験のレベルなどは前述に比例してとてつもないモノへと変化する筈。『俺』の通っていた掃き溜め高校のやる様な、選択問題オンパレードのテストではないのだ。

 

 というわけで、俺はイマイチ予想のつかない大きな存在に悩みながらも、『結城リト』の面目を保つために、なんとか勉強を続けていた。

 そんな試験前の猶予もあっという間に過ぎ、当日。夏の始まり頃に幕を開けた彩南高校の試験は、やはり『俺』の通っていた高校などとではとても比べ物にならない程の難易度を誇り、一筋縄ではいく事はなかった。

 だが、今の俺のそばには所属『天才』という名の『ララ』がいた。基本的な自宅学習を彼女と二人で行っていた俺達は、酷い赤点などをとる事などなく、結果としては、有意義に夏休みへと入る事ができたのだった。

 

 さぁ、そんな休みに入ってから、しばらくは美柑やララと仲良く、ぐったりと項垂れた不健康まっしぐらの日々を過ごしてはいたのだが、それに飽きてくるとそれぞれやるべき事を行動し移し始めた。俺達三人は学校からの宿題が預けられているし、ララと俺にはやるべき事があるのだ。取っとと終わらせる事にした。

 夏休みになろうが、オヤジは相変わらずの仕事に追い詰められていて、特別いつもより早く帰ってくる日が増える事もない。だから俺達の日常は随分とだらけきったモノから、ただの休日の様な感覚に変化していった。

 

 そんな風に、以前よりは健康的な生活習慣に戻った俺は、ある日自分の部屋の掃除と次いでに、廊下をモップがけしていたところ、それを見た美柑に驚かれた。

 「あれっ?」って言ったそうな反応をする彼女に、何がおかしいか聞いてみると、どうやらこの仕事も元々は彼女の管轄範囲だったらしい。この程度の家事『お前』がやれよと心の中で『結城リト』を責めた俺は悪くないだろう。

 このとき、無意識に美柑への気遣いを覚えていた俺は「お前の仕事を減らしたいだけだ」と、嘘を言ってしまった。彼女はその事にこれっぽちも気づく事はなく、ただ俺に「ありがと」と嬉しそうにはにかんでみせた後、今度は自分の部屋もモップがけしてくれと命じてきた。どうやら俺を扱き使う気のご様子。

 

 別に嫌ではなかった。『妹』と言う存在など、俺にとっては無縁だった関係であり、その彼女が喜んでくれる方法が俺にはまだイマイチわからない。

 だから、なるべく彼女の役に立ちたいと思ったのだ。俺は料理以外なら、彼女よりも腕が立つ自身がある。伊達に独りぼっちで8年間も過ごしていた訳ではない。

 

 と言うのも、親父が仕事の関係で年中海外へ単身赴任であり、母親と二人っきりの生活をしなければならなかった俺にとって、家事とは生きていく上では欠かす事のできない技術能力のひとつであった。母親が家を出て行ってからは尚更で、俺は小学校高学年になって、逃れる事の出来ない一人暮らしが始まっていたのだ。

 

 なぜ、母親が家を出て行ってしまったのか。それには紛れもなく、俺の親父が関係していた。

 

 小さい頃、まだ『親父』という言葉すら頭の中に存在しなかった俺は、物心芽生え初めてすぐに認識したのが、言うまでも無く『母親』である。女手だけで俺を育てただろうその母親に対し、始めは子供らしく反感やワガママを言い散らしてはいたものの、ある日俺を抱えたまま居間のソファーで疲れきった様に眠る母親の顔を見て、俺は身の心が一新した。日頃からヤンチャばかりをして母親を困らせてはいた俺だったが、決して母親が嫌いだったわけではない。むしろ、今目の前で眠ってしまっている『母親』を『子供』だった俺はなんとかしたかったのだ。『子』は『親』の気持ちに、恐ろしい程敏感に反応する、と言うのは本当なのかもしれない。

 

 その日以降、俺はこの人の事に素直な従順を示し、自分から積極的に家事を手伝う様になっていった。母親は最初は驚きもしたが、やがて俺の気遣いに慣れてくると、母親はまるで自分の旦那でも見ているかの様に俺を見ながら笑ってみせ、俺に家事を教えてくる様になったのだ。

 

 母親が俺をどう思ったのかはさっぱりわからないが、そんな事俺にとってはどうでも良かった。なぜならその頃には、俺の中ではある種の目的が固まっていたからなのである。母親に楽をさせたいという、無い知恵を絞った俺の愛情表現を母親に伝えたかったのだ。

 

 そして、そんな俺の思いが報われたのは夜中。ふと目を覚まして横を見ると、そこには自分の布団の隣りでぐっすりと眠る母親。それを見た時、俺の心の中はキッチンの汚い汚れが全て流れ落ちたかの様に、とても満足していたのだ。幼稚園にも通わず、友達も少なかったその頃の『俺』には、これが当たり前の事なんだと思い始めていた。

 

 そんな俺の現実が壊れたのは、小学校に入って初めての運動会が始まった時である。周りに然も当然の様に自分の息子を嬉しそうに眺める『父親』と言う存在に、俺の頭で組み立っていた現実は積み木の家を押し飛ばされた様に崩れ去った。

 呆然としていた俺の目の前では、その父親の下に突進していく俺の友達。それを受け止めながら、隣りにいる自分の妻と楽しそうに笑う、なんて事ない幸せそうな家庭の姿。

 ずっと母親と二人っきりの生活をしていたあの頃の俺にとって、『父親』と言うのは全く未知なる存在でありながらも、とても輝かしく、どこか暖かみのある、羨ましい存在であった。だがしかし、それを『父親』の居ない自分との家庭を比べた瞬間に、俺は酷く疑問を持ち、同時にその気持ちは段々と複雑を極めながら惨めな気分へと変貌していったのだ。

 

 どうして自分には『父親』が居ないのか。そんな事を調べる方法など知らなかった俺は、真っ先に母親へ迫った。「ボクのパパはどこにいるの……?」と。

 その言葉を聞いた母親は、酷く険しい壁にでも直面した様な表情で俺の事を見ていた。それを見て俺は、母親にとって何か辛い事でも言ってしまったのかもしれない、と反射的にそれを親の顔から読み取り、口を閉めた。

 だが、母親が見せた表情は一瞬の間だけで、そこからはただ単調に俺の父親の事を話してくれたのだ。母親の表情が俺の頭の中で気にかかりはしていたが、自分にも『父親』がいたという事を知った時、俺は暗闇の中で明かりを見つけた様にホッとしていた。だからこの時はもうどうでもよくなっていたのだ。

 

 そんな話を聞いた数週間後、突然「父親が帰って来る」という話を母親から聞いた。この時、俺はようやく自分の『父親』に会える事に、過剰すぎる喜びを感じていた。後で大後悔する事も知らずに。

 

 そして翌日。母親の言った通り、『俺』の親父は帰ってきた。インターホンが鳴ってすぐ玄関で待ち構えていた俺は、今まで自分が知った記録の中から『父親』と言う勝手な人物像を描き出してしまっていて、本当に過剰な期待をしてしまっていたと思う。リーマン姿の親父を見て、俺の高ぶっていたテンションは徐々に降下を始め、そんな気も知らない親父は、俺の頭にポンッと手を付け「よう」っと一言呟いただけで、そのまま居間の方へと行ってしまった。俺の気持ちは歪な紙飛行機を飛ばしたかの様に墜落したのだ。

 

 こんな最悪とも言える親父との初見(でも、恐らく『初めまして』ではないと思う)に続き、俺と親父との関係は最悪の真っ只中を、突き抜ける事もないまま、ただ驀進していた。

 なんせ俺の親父は基本的無口だった。家にいる間はずっと居間で仕事の資料に目を通しているだけで、特別俺に構ってくれるという事もない。でも食事には参加するという妙にタチが悪い様な存在だと、俺の中で解釈されていった。

 一応、親父を遊びに誘ったり、母親のお手伝いの一環として親父に飲み物を運んでみせた事もある。だが、それでも親父の反応は特別変わる様な事もなく、ただひたすらにつまらなかった。なんとかならないのだろうかと俺が悩みながら眠りについたら、起きた二日目にはもう家にいなかった。そんな日がこの後年に一回ぐらいの感覚で起こった。

 

 自分の理想としていた『父親』を、完膚なきまでに踏みにじられた俺は、段々と腹が立ってき始めていた。

 俺は母親に、なんで俺の親父はあんな変な奴なんだと質問を投げつけたが、母親は深く語る事も無く、俺に一言「ごめんね」と呟くだけだった。今の俺なら、こんな事に対しても構わず、母親を問い詰めようとしたかもしれないが、子供だった俺はそこで母親の気持ちを汲み取ってしまい、何も言えなくなった。そしてそれ以降、二度と口に出す事も無くなった。

 だが、それでも俺は諦めてはいなかった。あの時、運動会で見た光景を実現させるため、俺は自分を磨く事を決めたのだ。『俺』がもっと変われば親父は俺の事を見てくれる筈だと思ったのだ。

 

 だがそんな希望も空しく、終わりは突然にやってきた。

 

 俺が小学校五年生になったばかりの時、母親は家を出て行く事を決めた。とうとう親父に愛想が尽きたのだと思った。その事を知らされた俺は、全ての努力が無駄になった様なある種の絶望感に包み込まれ、恐怖した。

 しかし同時に、俺の心にはメラメラと赤い炎が自分の気持ちを抑圧するかの様に灯っていた。今になって考えればただの逆恨みだったのかもしれない。だが、俺はいくら自分を磨いても反応を示さない親父に対し、怒りを持ち始めていたのは事実だ。

 母親の離婚に対し、親父は何て事でもない様な態度を示す。それがますます俺の心の炎に油を注いでいく。俺はなんとかして、このクソ親父に一泡吹かせてやりたかった。

 

 そのチャンスは、案外早く訪れた。俺の両親は、ある程度の知識や空気を読む事に慣れていた俺をほったらかしにして、この家の財産をどうするのかという話をしていた時だった。専業主婦だった母親は実家が裕福だったためか、今住んでいるこの家を親父に譲ろうとしていたのだ。

 それを知った瞬間、両親とは別の部屋から聞き耳を立てていた俺は素早く行動に移った。居間のテーブルで話をしている二人の元に突進し、俺は言い放ったのだ。「オレはこの家に残りたい」って……。

 この家を出て行くなら、俺は当然母親側についていく。しかし母親の実家は、ここから遠く離れた場所に有るので、小学校に通う俺は転校をしなくてはならない事になる。

 

 だが、俺にとってそんな事は特に重要な事ではない。クソ親父の焦る顔を見れば満足だったのだ。

 

 しかし、この家に残ると言う事は、これからは一人だけで生活を行わなくてはならなくなる。当然、そんな事を母親は許してくれる訳も無く、断固として反対をしてきた。でも、あの時の俺は、このまま親父の澄まし顔を目に焼き付けたまま終わりを迎える事が猛烈な程腹立たしく、そんな怒りを行動で表す事しか出来なかったのだ。母親の気持ちもわからずに。

 

 俺は必死に抵抗した。俺の最大級のワガママに母親は困りながらも「いい加減にしなさい」と怒りを込めた声色を発し始める。だが俺は抵抗を止めず、暴れ続けた。その時だった。

 親父は俺を押さえ付けようとする母親の言葉を遮ると、ただ一言「いいぞ」と俺に両親の居ない生活を許してくれたのだ。いや、許してしまったのだ、と言い表した方がいいかもしれない。

 そのまま親父は光熱費も生活費も自分が払うと言い、話を進め始めたのだ。呆然としている俺の気も知らず、厄介払いでもする様な態度で。

 母親は慌てふためいたが、親父は俺の生活能力を簡潔な説明として母親に言い聞かせ、そのまま納得までに追い込んでしまった。

 

 その時の俺は一人で料理をする事などが出来ていたし、勉学もある程度なら進んで行うほどの意志を持っていた。だから親父は俺の意見を反対する様な理由を持っていなかったんだと思う。もしくはただの無責任だったのだろう。

 

 俺は何も言う事ができなかった。

 

 離婚の話はその日で全て終わり、その次の週の休日で母親は家を出て行った。その日も珍しく親父は帰ってきていたが、一週間前の事が脳に焼き付いている俺にとって、親父はもう次元が違う様な存在になってしまっていて、顔を見る度に燃えていた赤い炎は、段々と青みを帯び始めていた。どれだけ努力しても、変わっても、失っても、何一つ変わらない親父に対して、俺の心は怒りを通り越して、冷めてしまった様だった。

 

 そもそも、このワガママで失ったものは俺にとっては大きすぎた。大好きな母親から手を放し、必死にこの親父に変わってほしいと願った俺は、今更になって後悔をしていたのかもしれない。

 それなのに、母親が出て行ったドアを眺める親父の顔は、どこか笑っている様な気がしたのだ。隣りに立っていた俺は溜まらず、悔しさと悲しさでグシャグシャの顔で親父を睨みつけながら、思いっきり叫んだのだ。

 

 

 

 「パパはママの事が嫌いなの!!!?」

 

 

 

 親父は俺を見下ろして、大きな掌を俺の頭の上に乗っけた。

 

 

 

 「……そんな訳あるか……。……いいんだよ、これで……」

 

 

 

 もう意味がわからなかった。コイツは自分の大切な人が離れていく事を、不幸だとも思わないのか。そもそも、もうコイツは母親の事を大切な存在として見ていないのだろうか。

 

 この後、親父は仕事の為にとっとと家を出て行ってしまった。その時の俺は自分の部屋でドアに背中を向けていたのだが、親父は家を出る時に俺の部屋のドアを開け、挨拶だけ言うのかと思うと、「頑張れよ」と一言呟き、家を出ていった。

 玄関の閉まった音を最後に、何ひとつ音の無い空間が生まれる。これを決めたのは他の誰でもなく『自分』が決めた事なのだ。

 俺は自分の部屋のベットに顔を突っ伏して、叫んでしまいたい声を必死に押し殺しながら、溢れ出てしまいそうな涙を我慢したのだった。

 

 

 

 親父の一言で始まった一人暮らしは、それほど困難なわけではなかった。家事はできるし、母親は週に数回も俺の所に様子を見にくる。光熱費は全て親父の口座から引かれていくので、余っ程の事がない限り問題にはならない。

 

 問題だったのは学校の生活である。家の事情を知っている教師は余計なお世話な程、俺に気遣いをかけてくる。『うざい』と一言で済ます事ができるのなら問題ないのだが、向こうは慈悲で行っているのだから、どうも振り払いにくい。

 これが災いして、周りの奴等には俺が教師にひいきされていると思ったのか、徐々に距離をとり始めてきた。

 だが俺にとってこれはまだマシの方である。それよりも、どうしても許せないものがあった。教室で耳を澄ませば、こんな声がちらほらと聞こえてくるのだ。

 

 

 

 ウチのクソババア、死んじまえばいいのに〜♪

 

 

 

 あたしん家のジジイもチョー口うるさいし〜

 

 

 

 くたばってくんねーかな〜

 

 

 

 アハハハハハッ!

 

 

 

 子供らしさのある、本意でもない親への悪口。普通の人なら、それはよくある小学校の風景に見えたかもしれない。

 だが、『俺』は違う。どんなに、どれだけ足掻いても手に入れる事ができなくなったソレを、周りの奴等は当たり前の様に受け取り、罵倒する。俺にはそんな情景にしか見えず、そんな奴等が俺には反吐が出そうな程に大っ嫌いで、俺自身からも彼等と距離を離していった。

 

 こうなってしまうと、世の中への見解などどうしてもひん曲がってしまい、俺の常に否定的な弁は周り奴等の喧嘩をどんどん買ってしまったらしく、俺は周囲から阻害されていった。けれども、俺が引いた境界線の向こう側は恨むべき対象にしか見えていない。別に苦痛でもなんでもなかった。俺は中学に入るまで、独りの世界を歩み続ける事ができてしまったのだ。

 

 

 

 そんな訳で、俺の生活スキルは料理を除けば美柑よりも高い。彼女の部屋をモップで拭き終えた俺は、その道具を片付けて、美柑と昼食をとる。それも終わってしまった俺は、自分の部屋に戻り、外へ出る為の着替えを始めた。

 

 複雑な家庭環境を迎えていた俺だったが、そこにはまだ未練と言うものが残っている。ここ数ヶ月間思いとどまっていたそれを全てぶちまけるべく、俺はある事を知るつもりだ。正直、今から自分のやろうとしている事は正気ではなかなか起こさないものだと思う。もしこれを知ってしまえば、自分は自分ではなくなるかもしれない様な、そんな恐怖感すら体にへばりついてくる様な気がする。

 

 だが、それでも俺は知りたい。この世界を。この思いを。

 

 この世界は『俺』の居た世界と同じ都市、地名、駅などが存在した。だとすれば、この世界には俺の知っている場所、市名があってもおかしくはない筈だ。

 そして、もしその市名が有るとするならば、絶対にもうひとつのモノだって存在するであろう。自分の生まれた町、自分の育った家、そしてもしかしたらまだそこに住んでいるのかもしれない、もう一人の『俺自身』を。

 

 もし、そこに『俺』が居たら、俺はどうすればいいだろう。この体は『俺』からしてみれば赤の他人なんだから、下手に声などかける事は出来ない。

 

 もし、そこに『俺』が居なかったら、そこに有るモノとは一体……??

 

 既に夏休みは始まっている。いつもなら出かけようとすると、糸で繋がった様について来るララは、今は家にいない。彼女は臨海学校で話した通り、久しぶりに家族の所へと会いに行った。ザスティンが話を聞いた時は、恐慌した様な表情で俺に掴みかかってきたが、俺とララでなんとか落ち着かせた。まぁ、大変だった。

 ララの説得にザスティンは何か別の事で悩んでみせながらも、彼女に自分の宇宙船を貸し出すことを賛成してくれた。本当は自分も行こうかどうか迷っていたらしいが、オヤジの一声で『スタジオ栽培』へと戻っていった。

 

 ララは俺を連れて行こうとしたが、「それじゃ意味がないだろう」、「美柑が独りぼっちになってしまう」と適当に彼女を言いくるめ、俺は取れそうで取れないささくれを見つけてしまった様な憂鬱な気分を背中に抱え込み、彼女の乗った宇宙船を結城家の屋根から見送ったのだった。ちなみにこれは、今朝の事である。

 

 今、俺の行動を邪魔するものはいない。

 

 着替えを終えた俺は、財布だけを持ち、玄関へと向かった。途中居間でくつろいでいる美柑に声をかける。もう、すっかり慣れてしまった行為であったが。この時は、いつもより緊張していたかもしれない。

 

 「美柑、ちょっと出かけてくる……」

 

 「ん〜、いってらっしゃ〜い♪」

 

 いつも通りの様な美柑の挨拶を受け、俺は履き慣れた靴を履いて玄関を出た。彼女に聞こえるか聞こえないかぐらいの声で「いってきます」と呟いて。

 

 玄関を出れば相変わらず激しい日の光が俺の頭を照らし、大量の蝉の音が不協和音になって俺の耳へ流れ込んでいく。真夏の真っ昼間なんてあまり外出したくなる様な雰囲気ではないのだが、それでも俺は頭の中で万華鏡の様に形が変わり続ける大いなる謎を解くべく、歩みを始める。これから少しの間だけ、俺は『結城リト』ではなく『俺』個人としての人間に戻るのだ。

 

 深呼吸をひとつ。熱気を鼻で感じながらも、俺は心を落ち着かせ足を踏み出す。

 

 

 

 俺はゆっくりと…………………………走り出していた……。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 東京メ◯ロで『池袋』に降りた後、山手線で『品川』を目指し、そして最後に『JとR』の電車に乗り込んだ。あのときと何ひとつ変わっていない駅の光景、電車の窓から見える景色が俺の不安を募らす。

 目的の駅で電車を降りた俺は、通り慣れている筈の改札から出ると上から直射してくる日光に目を眩ませた。相変わらずの日差しの暑さで、ダラダラと額に汗が流れ始める。

 そこには冷や汗も混じっていただろう。改札を出た周りに広がる光景は、俺が『俺』であった時と全く変わらない光景が広がっていたのだから。都市部である事を示す様に立ち並ぶビル群、くそでかいショッピングモール、何て事のないファーストフード店、ラーメン店、自分の記憶に残っているモノがほとんどリンクした。

 しかし『寄ってみたい』という願望は起こらず、俺は駅の近くのバス停へと向かった。自分にとって今知りたいものが、周りの風景よりも大きすぎたのだ。

 

 

 

 バスに乗り込み、そこから見える風景を眺めても俺の心が更に高ぶる様な事はなかった。元々『俺』だった時に散々と見慣れている景色なのだから。純粋に飽きてきたのだろう。仕舞いにはひと眠りしてしまった程だ。

 

 だが目的のバス停に辿り着いた時には、心境は一変する。既に日が沈み始め、気温も先程よりはマシに感じてきた俺は、一歩一歩見慣れた町並みを歩き出す。土壇場を上っている様には感じなかったが、妙に足が動かしにくい。真実を知る事に今更恐れているのだろうか。少なくともいい気分ではなくなっていた。

 

 『俺』の元居た掃き溜め校の前を通り過ぎた。特に、入りたい、様子を見てみたい、と言った気は起こらない。なんやかんやあって嫌いではない学校だったが、俺はもう『彩南高校』の風紀になれてしまった。これが一番の原因だろう。

 

 住宅街に入り、歩き慣れた道を歩き続ける俺の目に、ゴールである場所が見えてきた。心臓の鼓動が早くなった気がする。体の内側からカイロで暖められた様に肺の周辺が熱い。呼吸は乱れてきたかもしれない。それでも俺は目を見開き、真実が映るその場所を見つめ続ける。

 

 そのときだった。俺が凝視していた一軒の家から幼い少女が飛び出してきた。

 

 「ママー、早く早く!」

 

 少女は子供らしさのある濃い色の洋服に身を包め、手に持っているのはここからでは何の動物だかわからないぬいぐるみを振り回して、俺の見えていない方向にいるのであろう親を呼んでいる。その口調は、これからとても楽しい事が始まる事を予感しているかの様に、急かしているのだ。

 そんな少女の言葉をなだめながら、俺が近付くに連れ段々と見えてくる家の玄関から、二人の若いカップルが出てきた。少女の言葉を察するに、この二人が彼女の両親なのだろう。

 その家族は、車が一台程しか止められない家の駐車場の方に移ると、そこに置いてある新車に近い光沢を持った車に乗り込んだ。すぐにエンジンの音が聞こえてくると、少女を乗せた車が動きだし、安全運転のスピードで俺の横を通り過ぎていった。窓から一瞬だけ見えたその子の表情は、羨ましいくらいに輝いていた。

 

 どうやらあの子はこれからお出かけらしい。どこへ行くのであろうか、もう時間が時間であるから、きっと食事にでも行くのだろう。本当に楽しそうな笑顔であった。

 

 俺は少女の乗った車に背中を向けて、先程よりは軽い足取りで歩き続ける。そして真実の終点でその歩みを止めると、ゴールの目の前に仁王立ちをする。

 

 そこは先程、あの幸せそうな家族が出てきた家だった。

 

 そう、ここが『俺』が住んでいた筈の家。地形も場所も、ましてや家の作りすら変わっていないのだから、俺が見間違える事など有り得ない。自棄になってれば、うっかり踏み込んでしまいそうな雰囲気だ。

 

 だが俺には理性がある。今さっき見た記憶が頭に焼きついている。ここはもう『俺』の住んでいた家ではないのだ。

 そう理解した瞬間、俺の心は枷が取り払われたかの様に清々しく、ゆったりとした心地に包まれた。幸せと言うわけではないのだが、自分の予想を斜め上を貫いた結果が、俺は苦しくなかったのだ。

 

 今ならゆっくりと理解できる。今この家に有るのは一人の少年の不幸ではない。とあるひとつの家族の幸福だ。だから『俺』が来る様な場所ではない。『俺』が帰るべき場所でもない。

 

 既に太陽は東に沈み始め、周りはオレンジ色の景色から真っ暗な世界へと移り変わろうとしている。さぁ、早く帰ろう。美柑が……心配する。

 

 目の前にある過去の遺物を絶対に忘れない様に目を貫き通した俺は、ゆっくりときた道を戻り始める。今は考える事は何もない。

 

 だが、人間の性であろうか、どうしても記憶から掠れ始めてきた思いを感じた俺は、これで最後ともう一度自分の家だった場所を振り返った。

 やはり、ここから見る風景も何ひとつ変わっていない。でも俺の中で求めていた記憶は、鮮明なる自分自身との別れ。曖昧になってしまえば、俺はまたここにやって来てやりようのない時間を過ごす筈。そんなつらすぎる事は嫌だ。だから俺はなんとしてでも、記憶に鮮明に残しておきたい。

 

 俺は頭の中で必死に答えを探る。方法など何でもいい。目として、感覚として、音として……自分の記憶に……残る方法を……

 

 

 

 「さよなら……『俺』……」

 

 

 

 それだけ呟いた時、酷いくらいに鮮明に、心の心底で響いた様な感覚が、俺にはとても満ち足りた様に感じていた。そしてこれが自分自身への別れなのだと、今はっきりと理解したのだった。

 

 俺は再び歩き始める。遠くの空に沈む、雲でよどんだ夕焼けを見遣った。

 

 ひと雨ふりそうな空だった。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 (ララ視点)

 

 

 

 『夏休み』っていう長い長いお休みが始まってから、私は臨海学校の海でリトの言われた通り、久しぶりにパパや妹二人の所へ会いに行く事にした。

 

 本当はリトも一緒に連れて行きたかったんだけど……なんだかリトには別の目的があるみたいだったから、ガマンする事にした。

 ホラ、リトって考えてる事あんまり口に出さないから……きっと何か重要な用事があったんだと思う。リトのしゃべり方見てると……なんとなくわかるんだ……

 

 だから私も今回はあきらめたよ? そのかわり、帰ってきてからい〜っぱい甘えちゃうつもりなんだけどね♪

 

 そんな事を考えながら、私はザスティンに借りた宇宙船で私の故郷、デビルーク星へと向かっていた。

 

 『それにしてもララ様、よくお戻りになられる気になりましたね……』

 

 ペケは私が故郷に戻るのが不思議でしょうがないみたい。家出を始めたのが私なんだから、戻るのが不思議って思うのはおかしくはないよね……。

 

 心配そうにしているペケとおしゃべりをしながら、私はリトの家から持ってきてたぬいぐるみを抱きしめる。コレは彩南町の商店街のゲームセンターでリトがとってくれたあのぬいぐるみ。最近はこれに抱きつくよりも、リトを抱きしめて寝ている日が多くなっちゃったなぁ……。でも、このコの抱き心地も捨てがたい……。

 

 リトは「夏の間だけ、俺の部屋で寝て良い」って言ってたから、いつも一緒に眠るのがあたりまえのようになってるんだけど、最近ある事に気がついてから、やっぱりこれからも、夏を過ぎてもずっとリトと一緒に眠りたいって思うようになったの。

 

 夏の暑さと違って、寝てるときのリトの手は氷みたいに冷たい。こういうの『冷え性』とか言うらしくて、その事を教えてもリトは『気にしてない』って言うんだけど…………手を震わしたまま寝てるリトはとてもつらそうで……こんなの私にはほっとけないもん。

 だからね、リトと寝る時はいつも手のひらを一緒に合わせて私の体温を伝えるの。こうしてると手の震えがだんだん治まってくるし、リトは私に抱きついてくるんだよ♡ やっぱり、リトは私と一緒に眠りたいんだって思って、それが私にとってなによりも嬉しいんだ♪ 

 

 それでも、たまにリトの手は震えが止まらないときがある。最初は、やっぱり寒いのかな〜って思ってたんだけど……私、わかったんだ……。

 

 私はこの感覚を知っている。私がまだ小さい頃、初めてお城を抜け出して森に行った時に、私はそこで迷子になっちゃった思い出がある。歩いても歩いても出口の光は見えるどころか、周りがだんだん暗くなってきて……すごく不安だった。あの頃はペケもいなかったから。

 

 リトが感じてたのは、その感覚だと思うんだ。『怯えてる』って……。

 

 何に怯えているのかはわからない。きっと今の私が問いつめたってリトは話してくれないと思う。でも、この気持ちを知っちゃったら、私は絶対にリトをほっとけない。なんとかしてあげたい!

 だからね……私、毎日リトと一緒に眠る事に決めたよ。私はリトが大好き。だから、リトが私の事を好きになってくれるまで、私はこの事を心の中にしまっておく事にしたの。

 いつかきっと、打ち明けられる時がくるまで……。

 

 

 

 『ララ様……、ララ様?』

 

 そんな事を考えてたら、いつの間にかデビルーク星に着いちゃったみたい。ペケが私に何度も呼びかけていた。

 私は気持ちを切り替えて宇宙船の外、デビルーク城の宇宙船停泊所に降りた。私の乗っていた船を見て待ち構えていたのかな、外で敬礼をしていたデビルークの兵士数人が、私を見るなり声を引っ繰り返して驚いた。……そうだよね、この船はザスティンが乗ってるものなんだから……。

 

 そのまま停泊所は大騒ぎになっちゃって、私はパパがいつも座ってる玉座のお部屋までバケツリレーのバケツみたいに運ばれちゃった。

 突然強く開いた扉から運び出てきた私を見て、パパは目を丸くして驚いてた。

 

 「ラっ……ララ!!? 何でお前がここに!? ……っおい!今すぐ結城リトに連絡をとりやg、

 

 「パパ、落ち着いて! リトは関係ないよ!」

 

 私の言葉に、怒りのこもっていたパパの口調がやわらいで、静かになった。

 

 「?……、……どういう事だ……」

 

 「それはね……えっと〜……」

 

 

 

 そのあとはと〜〜っても大変だったんだから! パパは、リトに追い出されたのかって勘違いし始めて話をややっこしくするし……。もうっ! リトがそんな事するわけないじゃん!

 私はそう言って、素直に会いに来たって事を話したら、今度はビミョーに居心地の悪い様な顔をして話が進まなくなったり……。

 

 でも、『私が会いたいから』って言ったとき、パパは笑ってくれた。数ヶ月前まではあたりまえの様に見てた笑顔なのに、こんなになつかしく、嬉しく感じるなんて……。ここに戻ってきて本当によかった!

 本当は、ママにも会いたかったんだけど、今は忙しいみたい。残念だったけど……仕方ないよね……。

 

 

 

 その後、二日三日泊まる事をパパに伝えて、私はゆっくりのんびりする事ができたから、これからもう二人の大切なヒトのところに会いに行く事にした。

 広い広い王宮の中庭に接する長い廊下を歩いていく。お庭の花がすっかり変わっている事をペケと一緒におしゃべりしていたら、私が曲がろうとしていた曲がり角から、私の双子の妹、『ナナ』と『モモ』の姿が見えたんだ。私と同じ、ピンク色の髪の毛だからひと目でわかったよ。

 

 「あぁーーー姉上っ!?」

 

 「あら!? お姉様!?」

 

 二人には私が戻ってきていた事がまだ回ってこなかったのかな。私を見つけた二人は、まるで突進するイノシシみたいに私の方へ迫ってきて、私の目の前に急ブレーキをかけると、こんどは二人とも物凄い勢いでしゃべり始めてきたんだ。

 

 「お久しぶりだね姉上! もう地球から戻ってきたの?」

 

 「婚約者はお気に召さなかったのですか?」

 

 二人はリトの話は聞いてないと思うけど、婚約者の話は知ってるみたい。話す事が省けてちょっとだけ助かったかな。

 

 「えへへ、今日はちょっと帰って来ただけ。地球には、また戻るつもりだよ」

 

 私がそう言うと、ナナは残念そうにしていたけど、モモは何だか嬉しそうな表情をしていた。このまま廊下で立ったままなのもなんだか変だったから、私達はそのまま中庭のテーブルでおしゃべりをする事にしたんだ。

 

 おしゃべりの内容はいっぱい。地球の文化の事とか、食べ物とか、お洋服の事とか。そうそう、今の私の服装はドレスフォームじゃなくてリトの買ってくれた洋服姿なんだよ♪ 

 そんな事を話すと、モモは楽しそうなんだけど、ナナの様子はなんだかモヤモヤしてる。私がリトの事を話すとなおさらで、ナナはちょっとだけ不機嫌そうにしていた。なんでだろ?

 それでも、私のお話を聞いてる二人は楽しそうに笑ってくれた。パパが笑った時と同じ様に。私には、二人の笑顔がお日様よりも明るく感じたんだ。

 

 それは本当に楽しい時間だったんだけど……ふと思った。リトは私のキモチがわかってたんだよね?

 

 私はここに戻る事にちょっと心配だったんだよ、本当に戻ってきていいのかな? って。

 でも、リトは『会いたいなら戻った方がいい』って言ってた。今の私の気持ちを素直に開いてみると、私にはやっぱり家族とはなれてどこかさみしいって気持ちがあるんだと思う。なつかしいって言っても正しいかな? 

 そんな私のキモチをリトは理解していたんだ〜って思うと、なんだか心の中がくすぐったくなってくる。でも、これはイヤっていうキモチじゃない。うれしいって言うか、落ち着く……? そんなキモチが私の中からあふれてくるんだ〜。

 

 そんな事を考えていたら、だんだん…………リトの様子が気になってきちゃったんだ。あのとき、リトが見せた表情はなんだったのかな。私に言えない用事ってなんだったのかな。美柑とお昼ごはんを食べたのかな。

 

 

 

 今日は……体を震わせたまま眠るんだよね……

 

 

 

 それを考えた瞬間、私はいてもたってもいられなくなってきた。心配で心配でどうしようもないキモチが私の中からあふれ出て、雫になって零れ落ちそうになった。

 

 ダメだ! 私、こんな所でいつまでものんびりなんてしていられない!

 

 「お姉様……?」

 

 「……ゴメン二人とも!!」

 

 「『「?」』」

 

 モモに呼びかけられた私は、テーブルから立ち上がった。二人は椅子に座ったまま、飛びはねた様に驚いてた。

 

 「私……やっぱり地球に戻る! パパに伝えといて!」

 

 「えぇっ!! お姉様!?」

 

 「ちょっ! 姉上!?」

 

 私は中庭を勢いよく飛び出し、宇宙船の停めてある場所へと走った。一歩一歩、走るごとに段々速さが増してるのが自分でもわかる。

 

 今、私はとってもリトに会いたい! 言葉で伝えたいの。大好きって事!

 

 だから……待っててね、リト♡



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第十四話

 一ヶ月以上あった夏休みもあっという間に終わりを迎えてしまい、俺とララは久しぶりにもなる学校へと集まっていた。

 始業式を終え、教室に戻る。後ろからついて来るララをいつもの様にほったらかし、自分の席に座った。

 

 「夏休みも終わっちゃったね〜」

 

 「そうだな……」

 

 どこか懐かしむ様な視線で窓際の俺の席から、外を眺めるララ。どうやら、彼女はまだまだ休みが欲しかったらしい。ただ、彼女の視線はどこか新鮮みを帯びた雰囲気が表れていた。

 周りを見渡せば、この夏の間にすっかり雰囲気が変わってしまったような奴が男女問わずちらほら見える。俺もララも少し日焼けしただろうか。周りと比べればそれ程でもないのだが、変わったという認識はある。

 

 そう、変わったのだ。

 

 あの日、俺が『俺』との決別をした帰り。夕焼けの後に広がった夜空は満天の星を見せるどころか、暗雲の上から土砂降りの大雨を降らした。

 そのときの俺は、自分自身との別れを実感した悲しみに引き裂かれそうな身を捉える様、地面を歩み続けるばかりで、そんな事には気にも触れなかった。どこかでビニール傘を買うという思考も働く事なく、俺は轟々と降り注ぐ雨粒に体を打たれながら、帰るべき場所へと戻っていったのだ。

 自分の姿が随分とみすぼらしい姿になっている事に気がついたのは、家に辿り着いてからの事だった。乗り物を使っているとは言え、かなりの距離を歩き続けた俺の足は既に限界を迎えていた。疲労が溜まりきっていた俺は、汗と雨水でベタベタの手で玄関のドアを開け、俺の帰りを待っていただろう美柑の声に、ロクな返事も出せないまま、びちょびちょのシューズを脱ぎ捨て、自分の部屋へと戻ろうとした。

 その時だった。

 

 「リト〜♪ って、うわぁ!!」

 

 居間のドアから勢い良く飛び出し、そのまま俺の所へ飛びかかろうとした彼女。しかし、俺を見た瞬間、今度はそこまで向けていた笑顔を仰天の表情に変える彼女。

 

 「ラ、ラ……?」

 

 幻覚でも見たのかと思った。本当に幻覚でも見たのかと思った。なぜなら、俺の頭の中では本来ここにいる筈のない人が、俺の帰りを待っていたからだ。

 

 そう、俺に飛びかかろうとしていたのは、ララだったのだ。

 

 うまく状況が理解できない俺は、大きなリアクションもおこす事ができず、目を見開いたまま、彼女に「なんでここにいるのか」と理由を尋ねていた。

 ララは俺の質問に戸惑う事なく「家族には会う事ができたから戻ってきただけ」と言っていた。

 だが、まさか今日中で帰ってくるとは思わなかったのが俺の思惑だ。俺は彼女の勢いに呆気に取られてしまい、そのあとに話してくる内容などは、まるで耳を通らなかった。

 その後、あとから美柑がやってきたのだが、呆けたままの俺の姿を見るなり、大慌てで大量のバスタオルを俺とララに投げ渡してきた。そして、俺の事をガミガミ怒りながら、毛根からなにまでびしょ濡れになっている俺の髪の毛をかき回してきたのだ。

 

 「どーして傘を買わなかったのよ!」

 

 「……ゴメン……」

 

 「もうっ!」

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 「リト? リ〜ト〜?」

 

 気がつくと、俺の目の前でララが手を振っていた。

 また考え込んでしまったようだ。

 俺は彼女に謝ると、丁度そこでHRの鐘が鳴った。彼女は「またあとでね」と、手の平をヒラヒラ揺り動かしながら自分の席へと戻っていく。

 その間に、教室のドアがガラガラと音を立てて開いた。

 

 「はい、みんな席についてぇ」

 

 お年寄り特有の緩い口調と共に、骨川先生が教室に入ってくる。俺は顔を上げて教卓の方を見た。そして、いつもの様にビシッとした挨拶をして俺達が席に着くと、教卓の前に立っている先生は話を始めた。

 

 「えー、2学期になっていきなりですがぁ、転校生を紹介しまふ」

 

 そのあまりにも突然な内容に、クラスにざわめきが広がる。思えば、ララが入学してからまだ一学期しか時間は経っていない。だから、こんな連続に転校生が入って来る事など、珍しすぎるのだ。周りのやつ等が、変だと思う事に無理はない。

 そんなざわめきが少しおさまったところを見計らったのだろう。先生は廊下で待たせている転校生を中に招き入れた。

 

 「え〜、レン・エルシ・ジュエリア君です。みんな、仲良くするよーに」

 

 先生の声と共に教室に入ってきたのは、一言で言うなら美男子だった。

 真っ白な髪の毛、赤ワインの様な濃い色合いをした瞳、一瞬では外国人だと判断しかねない顔立ち。白馬に乗った王子様とはまさに彼を指すであろう。その素顔は、どこをとってもカッコイイとしか言い様がなかった。

 そんな彼が教壇の前に立って、それを見たクラスメイト達の中から真っ先に起こった反応は、女子からの黄色い悲鳴だった。

 絶対にやかましくなるであろう未来を先回りして耳を塞いでいた俺は、視線をララの方へと移した。

 彼女の反応は周りの女子とは違う。いつも通りの、新しい興味を発見した様な表情をしていた。やはり、彼の事は完全に忘れているらしい。悲しいかな…………そうでもないな。

 

 結城リトとは数段違いのイケメン面をした美男子は、女子の悲鳴に少し驚いている様子だったが、俺がくだらない事を考えていた真っ最中。彼女の姿を見つけたレンの行動は素早かった。

 

 「はれ?」

 

 先生の気の抜けた声に教壇に顔を戻すと、教卓に立っていた筈のレンが消えていた。心底驚いた俺がララの方に視線を動かすと、そこにはまたたく間にララのもとへと移動した彼が、彼女の手を握っていた。その姿こそ、どこかの国の王子様の様に。

 

 「やっと見つけたよララちゃん…………ボクの花嫁……」

 

 彼女に優しく囁きかける様に話すレンの言葉を聞いた周りの連中は、突然の事についていけず、いったい何が起こったのか、彼とララの関係はなんなのかとざわつき始めた。

 一方、そのララの様子はというと、口を半開きにしてキョトンとしたままレンの顔を眺めていた。どうやら彼女もついていけてない様子だった。

 俺の中で呆れを超えて笑いが込み上がっている中、真剣無垢なレンの顔を目の前にして、彼女はゆっくりと口を開いた。

 

 「えーと……あなた誰?」

 

 その一言が余程ショックだったのか、レンは隕石でも頭にぶつかった様なリアクションを起こし、地面にガクリと崩れ落ちた。きっと今彼の頭の中では、フーガニ短調がエンドレスで流れているのだろう。

 気の毒な彼を見詰めたまま溜め息を吐き出した俺に、隣りの席に座っていた籾岡が、俺の肩をつっついてきた。

 

 「ちょっとどゆ事コレ? 結城ぃ、わかるぅ?」

 

 「知らん。俺の記憶にあんなナルシストはいない」

 

 俺が籾岡の方に顔を向けていると、彼女の前に座っている沢田も、こちらに体を向けてきた。

 

 「ひょっとしてララちぃの昔の男なんじゃないの?」

 

 「でも、本人忘れてんぞ……」

 

 自分の考えは外れていると実感した沢田は「あぁ……」と気の抜けた様な声を漏らした。

 レンの方向から、ララの大きな驚いた声が聞こえたので、俺達はララの方向に顔を戻した。

 

 「あーーー思い出した! 泣き虫レンちゃんか〜!」

 

 その一声に、崩れ落ちていた体は瞬時に立ち上がり、絶望に染まっていた目は輝きを取り戻した。頼りない上、精神的に脆弱な小僧は元の白馬の王子様へと舞い戻った。

 その王子様が第一にとった行動は、彼女の手をそっと優しく包み込み、カッコつけた。台無しの様な言い草だが、その立振舞いはしっかり似合っている。

 

 「フッ、思い出してくれたんだね、ララちゃん」

 

 「おひさしぶりだね〜。でもどうしてこの学校に来たの?」

 

 ララの言葉を聞いたレンは、自分の白髪を指先で優しく掻き上げてみせると、今度はその手の平を彼女の前にゆっくりと広げてみせた。その目は、彼女の瞳をしっかりと見つめている。

 

 「そんなこと、決まっているじゃないか! ララちゃん! キミを迎えにきたのさ!! ボクの婚約者もとい、花嫁として!」

 

 「ええぇ〜〜〜!!!?」

 

 『エエェ〜〜〜……』

 

 ララがびっくり仰天している大声と、ようやく状況を理解してきたギャラリーの驚きの声が合わさり、凄まじい大音量が教室に響き渡る。

 しかし、それにどさくさ紛れて、ペケのやるせない様な声が俺の耳に入った。

 

 今の声はおかしかった。何でそんな声を出したのか、考えようとしたが、周りがやかましすぎて頭が回らない。

 

 ざわつく周りの声を無視して、レンはさらに言葉を続けた。今、彼の目にはララしか映っていないのだろう。この状況の中でも、彼は冷静だった。

 

 「ララちゃん、覚えているかい?キミとボクがまだ6歳ぐらいのころの話だ。ボクがいつか男らしくなったら結婚してくれる? って告白したとき、ララちゃんは約束してくれたじゃないか!」

 

 「………………」

 

 ララは無言のまま、目線を斜め上に向けて、口元に手をあてがった。頭にくっついているペケは、疑問の視線を彼女に向けている。

 当前、ララはその約束を覚えてはいないハズだ。いや、そんなアホらしい6歳の頃の約束なんか、律儀に覚えている方が可笑しな話か。

 レンは彼女の答えも待たず、目の前に広げていた手の平を今度はララの手に合わせ、優しく握りしめた。ララは驚いていたが、彼の真剣な瞳を見るなり、口を半開きにしたまま、呆気に取られてしまった。

 

 「ララちゃん! その約束、今こそ晴らせてもらいたい……!!」

 

 きっと、これが彼の精一杯の告白なのだろう。ギャラリーも「おおおおお」と声を揃えて、期待を膨らませた。

 しかし、ララは大きく広げた口を手で押さえて、

 

 「えぇーー!? でも……私は……」

 

 今度は、困った様に小さくしゃべり始めたのだが、その言葉は言い終える事なく、

 

 「あぁ!! そういえばそうだったねララちゃん。聞いたよ、キミを騙している悪いヤツがいる事を!」

 

 レンに遮られてしまったのだ。

 

 「そう! キミの事だよ!! 結城リト!!」

 

 レンは俺の方へと指差した。

 だがこのとき、俺の中でちょっとしたイタズラ心が芽生えてしまったのは、それと同時だった。

 

 「えっ、俺? 違うけど?」

 

 「アレっ!? じゃ、じゃあ誰がいったい結城リt……?

 

 何の動揺もない俺の返答にまんまと騙されたレンは、慌てふためきながら周りを見渡して、目の前にいる『結城リト』を探し始めたのだ。

 どのくらいで気が付くかと俺がほくそ笑んでいる中、俺を知っているギャラリーはジト目で俺を睨んでいるし、後ろからは籾岡の『バカ……』と呟く声が聞こえた。ついでに言えば、沢田の小さな笑い声も聞こえた。

 さて、周りの視線が痛くなってきたので、そろそろ教えてやろうかと思ったところで、空気を読んで笑いをこらえていたララが俺の方を見てきて、そこでようやくその笑顔を漏らした。

 

 「クスクス♪ ダメだよリト〜、イジワルしたら〜」

 

 笑声混じりで話すその言葉に、ハッとして振り返ったレンは、

 

 「なっ!? やっぱりキミが結城リトじゃないか!! ボクを騙したな!!」

 

 腹を立たせながら俺に罵詈雑言を浴びせてきたのだ。

 そんな悪口を耳を塞いで無視していると、悔しそうに歯を軋ませたレンは、ララの方へと振り返った。

 

 「ララちゃん! キミの婚約の話はキミのお父様から聞いている。すぐにとは言わない。これからはあんなヤツよりも、クラスメイトとして男らしく成長したボクの姿を見てほしい……」

 

 彼がそう言い切ったところで、

 

 「あ、あのう……そろそろ授業始めたいんじゃが……」

 

 という、置いてけぼりだった骨川先生の、のほほんとした温厚な声で転入生の喜劇は幕を閉じたのだ。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 それからすぐ、完全に俺へ敵対心を向けたレンは、事あるごとに俺に向かって突っかかってくる様になった。

 それは大きな事から些細な事まで、何かあれば俺と競い合ってくるのだ。それも、その勇姿と言わんばかりの奇行を、ララに見せつけるかの様に。周りの奴等は驚いたり、引いたりしている。

 焦っているのだろう。無理もない。彼もデビルーク王直々の推薦を受けているであろうララの婚約者候補だ。それが今はどこの誰かもわからない地球人一人に最愛の人を奪われそうになっているのだから、焦らない方がおかしいだろう。

 しかし、この最高に鬱陶しい彼をそのまま放っておける程、俺は温厚な人間ではない。俺はレンに奇行を止める様に言った。だが、この程度の言葉で止まる彼ではなかった。

 仕方がないので、俺は張り合ってやる事にしたのだ。

 

 

 

 『数学』

 

 「え〜、この問題がわかる人〜」

 

 「ハイッ! 結城くんより先に答えます!! 答えはX=√2+3!!!」

 

 「せ……正解です」

 

 「「「おぉ〜」」」

 

 「フッ」

 

 

 

 『国語』

 

 「え〜〜52ページの3行目ぇ……、このコは父親に何を伝えようとしているのか、わかるひとは〜」

 

 「……父親の気まぐれで頭バリカンで刈られるのが嫌なんだから、自分で刈るの決めたいんじゃないの?」

 

 「そのとぉり、結城くん正解」

 

 「リトすご〜い!」

 

 「ぐぬぬ………わからなかっ、た……」

 

 「ハァ……」

 

 

 

 『体育』(100走)

 

 「うおおおおおおおおお!!」

 

 「………」

 

 「結城リト、タイム13秒68。レン、タイム15秒07」

 

 「チクショおおおおおぉぉぉ!!!」

 

 「…………………」

 

 

 

 そんなかんじで午前中は過ぎていったのだが、午後になった後、突如レンは俺を学校の校舎の裏、日陰の覆い尽くす目立たない敷地へと引きずってきた。そして、話そうとした俺に向かってこう叫んだ。

 

 「結城リト! こうなったら男と男の真剣勝負だ! ボクとタイマンしろ!」

 

 どうしようかと俺は思った。彼はデビルーク星人みたいなバケモノじみたパワーは持ってはいなかったと思うが、本当に彼と戦っていいのかと俺は悩んでいた。

 

 「やっ、やってもいいが、俺力加減できないぞ? 怪我しても責任は取らないからな……」

 

 「上等だ! 十秒で片付けてやる!!」

 

 真っ直ぐに俺を指差したレンは、へっぴり腰の構えをした瞬間、俺に向かって殴りかかってきた。俺は棒立ちだった。

 

 「うおおお! くらえ必殺!! サイクロン・グレネt、

 

 

 

 ・・・☆・・・☆・・・

 

 

 

 数秒後、そこには頭から煙を出して地面にぶっ倒れたレンと、彼を殴った拳を前に突き出したままその様子を眺める俺がいた。先程と同じ、棒立ちのままで。

 やはり、レンは弱かった。本気で拳を振るった自分が、何だか大人気無く思えた。

 予想以上の呆気なさに言葉の詰まった俺だったが、しばらくしてレンはうめき声を上げながら立ち上がろうとしたので、俺は腰を上げようとした彼に手を伸ばした。

 

 「おい、大丈夫かよ……」

 

 だが、レンは俺の手をはたき飛ばして立ち上がると、制服に付いた砂埃も払わずにその手を握りしめ、俺の方を睨んできた。

 

 「クソッ、いっ、今のはちょっと油断していただけだ! 次は、

 

 「もういい、やめろ……! こんな事して何になる……」

 

 前に振りかざしてきたレンの腕を掴み、俺は彼を落ち着かせようとする。しかし、彼はその腕も振り払い、声を張り上げた。

 

 「ボクは……ボクはララちゃんを振り向かせたい! そのためにはまず結城リト! キミを超えなくてはならないんだ! キミが上にいる限り、ララちゃんはボクの方には振り向いてはくれない! なら、キミを超えるしかないだろう!!」

 

 そう叫ぶレンの目には涙が溜まっていた。俺は振り払われた腕を静かに下ろし、自分を睨み続ける彼の目を見た。

 

 「……そんな事しなくったって……お前はとっくに俺を超えてr、

 

 「違う! いくらキミがボクを認めたところで、それがララちゃんに伝わらなければ意味がない!!」

 

 俺の話す言葉を遮るレンは、まるで必死に何かを追い求める様な、小さなガキに見えた。

 

 「………………」

 

 「意味がないんだ……」

 

 今度は顔をうつむけ、小さく呟く様に、もう一度同じ言葉を吐いた。

 俺は自分の立場を理解はしているつもりだ。『結城リト』ではない俺は、目の前にいるヤツが来るまでララの事を守り続ける、と言うのが『俺』の目的であり、彼女が一番幸せになれる運命でもある筈だった。

 しかし、今はその目的が揺らいでいるのを俺は感じていた。本当にこれで正しいのか。ララは幸せになれるのか。そもそもコイツにララを任せて大丈夫なのかと、別の不安が募り始めている。

 

 理想と現実。頭の中ですべてを振り分けた俺は、レンの方を見た。

 

 不安が募るなら、レンにはいっそ爽快にララを奪い去ってほしい。俺の頭のモヤモヤを全て吹き飛ばして、笑わせてくれる程の愛を見せてほしい。彼にならできる筈だ。

 

 「今更こんな事聞くのもアレだが……お前は本当にララの事が好きなんだな……?」

 

 彼はしばらく黙り続けていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

 

 「当たり前だ。ボクはララちゃんと思い出を共有する幼なじみだったんだぞ!? ララちゃんには完全に忘れられてしまったが……ボクがララちゃんと一緒に過ごしてきた日々はキミよりも全然長い。そんなボクのララちゃんへの思いが、どこの馬の骨とも知らないキミなんかに負けてたまるかっ!!」

 

 時間が経って少し落ち着けたのか、レンの涙声は先程よりも整って聞こえた。涙目も治まって、真剣な表情だった。

 

 「俺は、お前の思いなんか知ったこっちゃない」

 

 「なんだとぉ!!」

 

 怒る彼を落ち着かせ、俺は更に言葉を続けた。

 

 「だから、ララには俺の事なんか忘れて幸せになってほしいんだ」

 

 「なっ……!?」

 

 「俺は……こんな性格だからさ……アイツを幸せにしてやる事なんざできやしない。だが、俺はララが幸せになってほしい事を望んでる。お前がララを幸せにしてくれるなら、俺はアイツの事を忘れてしまっても構わない」

 

 レンは驚いていたが、俺は無情にでもなった様に言葉を続け、彼に自分の事情を伝えた。本当は正式な婚約者候補ではない事、そして、ララを幸せにできる人物を捜していた事を。

 彼が驚きっぱなしの中、俺は唐突に表情も声色も変え、真剣そのものの眼差しで彼を見遣った。そして、ゆっくりと呟いてみせた。

 

 「お前はララを愛せるか?」

 

 俺の迫力なのか、それともこの言葉の重さを感じ取ったのかわからないが、レンはほんの少しだけ身をたじろいだ。しかし、彼はずらした足下を戻し、はっきりとこう言った。

 

 「……あぁ、当たり前だ!!」

 

 その姿を見て、気持ちの安らぐ満足感を得た俺は、顔も声も元に戻し、いつもの気楽な声で彼の名を呼んだ。

 

 「……わかった。じゃっ、お前に協力してやる。実はもう、ある程度考えてる事だってあるんだ」

 

 レンは急に変わった態度の俺に驚いていたが、俺の話す内容にすぐ頭を切り替え、相づちをうってくれた。

 俺の話している内容とは、ありのままの言ってしまえば、レンとララをデートさせる作戦である。簡単に上手く成功するとは思っていないが、お互い久しぶりに再会する間柄である。ゆっくり落ち着いて話ができる様な雰囲気を持ち込めば、自然とそういう関係になっていくであろう。レンの性格を考えれば尚更だ。

 

 「それは本当かい!?」

 

 レンは声を上げて、もっと深い詳細を求めた。しかし俺は彼に背を向け、校舎の方へ歩き出す。

 

 「その前に……」

 

 「どっ、どこへ行く!?」

 

 俺の肩を掴むレンの腕を振り払い、俺は答えた。

 

 「いちいちデカい声出すんじゃねぇ、ただのトイレだ」

 

 そう言って、また歩き出そうとすると、

 

 「ま、待て! ……ボクも行く……」

 

 俺の右隣に並んで歩き出した。顔は下を向いて何やらブツブツ呟いていたが、「ララ」とか「デート」などの単語が聞こえたので、俺は何も言わなかった。

 

 校舎に戻ると、周りのヤツらの視線が俺達二人に集中している事に気づいた。少し前までララと二人で歩いている時にも感じた視線だった。

 彼等は俺とララとレンの三角関係を知っているのだろう。先程まで争っていた二人が横に並んで大人しく歩いているのだから、変な光景に見えてもおかしくはない。

 俺は視線を無視して、男子トイレに入る。レンは視線に気づかず、考え事をしたまま俺について来る。周りの奴らは興味が薄れたのか、ついて来る事はなかった。

 トイレに入った俺は、小便器で用を足そうとしたが、隣りの便器に立ったレンは、急に目線だけで俺の小便器を覗き込んできた。遠目で見ていた俺は条件反射で肘鉄を叩き込もうとしたが、自分の肘が動く前に彼は視線を戻した。そして深く落ち込み始めた。

 

 「……ま、負けた……」

 

 肩を落とした彼から、そんな呟きが聞こえてきた。俺は鼻で笑い、そして『結城リト』を褒めた。よかったなリト。男の象徴はお前の方が上だったらしいぞ。

 そんなふざけた事を思いながら、俺は素直に喜べない満足感を持ちながら用を足していたのだが、用を足し終えた直後、俺は大変重大な事を思い出した。その瞬間、俺は条件反射でレンのケツを思いっきり蹴っ飛ばしていた。

 

 「っ!!? なっ、なにをする!」

 

 既に様は足し終え、ベルトを締め直そうとしていた所をレンは蹴飛ばされた。バランスを崩されるも転ぶ事はなかった彼は、跳ね回って痛みを抑えながら俺を罵倒してきたが、俺は無視して彼をトイレから押し出そうとした。

 

 「出ていけ! 今すぐここから出ていけ! バカ!!」

 

 レンを男子トイレから押し出し、俺はベルトを締め直した。そして真っ白な洗面所の蛇口をひねり、銀色の管から勢い良く出てきた水で手を洗う。レンもそのままの手は嫌だったようで、俺の横の洗面所に並んだ。

 

 「まったく、突然なにをするんだ!!」

 

 水道で手を洗いながら、怒りの治まっていない彼は俺を罵倒し続けてきたが、俺がその問いに答える事はなかった。

 

 「自分の胸に手ぇ当てて聞け。それよりデートの作戦を練るぞ。まず……

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 (ララ視点)

 

 

 

 私はペケのお願いで、今は学校の屋上にいる。なにか重要なお話があるんだって。

 夏休みが終わって、暑い日も少し治まってきたのかな。今日は少し肌寒いかも。

 

 「ペケ? お話ってなぁに?」

 

 私は屋上の手すりによっかかって、ペケに話しかけた。

 

 『……レン殿は、どうやらララ様を振り向かせるまで、地球に居着くおつもりのようですね……』

 

 「そうだね〜」

 

 『……ララ様は、レン殿の事をどうなさるおつもりで?』

 

 「えーっ!? ……でも、私はリトが好きだもん……」

 

 私は思ってる事をそのままペケに伝えた。でも、ペケはなんだか嬉しくないみたい……。

 どうしたのって私が聞くと、ペケは隠し事を打ち明けてくるみたいに、私にしゃべってきた。

 

 『……リト殿がおっしゃってました……。ララ様には色んな物事を知って、自分の決めた本当の幸せを掴んでほしい、と……』

 

 その言葉を聞いた私は、真っ先にリトの事を思い出す。

 リトがそんな事言ってたなんて……。……私の中でリトがまた大きく感じはじめた。

 

 『リト殿は素晴らしいお方です。ですが、このままリト殿一直線に決めてしまうのは、リト殿の意志に反してしまうのではないのかと思います。ここは一度、レン殿と真剣にお話ししてみるのも良いのではないのでしょうか?』

 

 私は、ペケの言葉に耳を疑った。だって、今の……。

 

 「えっ!? でっ、でもっ! もしそれで私がレンの事を好きになっちゃったら、リトはどうなるのっ!?」

 

 そうだよ! 過程も結果も極論だけど、そういう事になっちゃうよね!? 私はリトの事が大好きなのに……

 私はとっても困惑したけど、ペケはずいぶん落ちついていた。

 

 『ララ様……リト殿の幸せは……ララ様の幸せでございます。例えそのような未来になったとしても、リト殿は怒る様な方ではございませんよ……。………………ございませんけど……』

 

 ペケの喋り方で気づいた。ペケも私と同じ、困惑してるんだ。

 だってそうでしょ? 『幸せ』って自分で実感して始めて得られるものだよね? でも……これって、リトなんにも残らないよ……。こんなのがリトの『幸せ』なの?

 

 あっ、今私がそうやって思っている事って…………私にはまだわからないって事なのかなぁ…………。

 

 考えても答えは出てこない。でもきっと、リトには意味があるんだよね……? なら、私はリトを信じるよ? 今までそうだったもん。デビルーク星に帰ろうかどうか悩んだ時、リトに後押しされて帰ったら、本当に楽しい思い出ができた。帰って良かった、って思ったんだよ。

 

 だから、今度も私はリトを信じる。信じられる。

 

 「……うん、そうだね……。……私……レンとお話ししてみる……」

 

 私はゆっくりと、ペケに呟いた。ペケは安心した様な、それでもまだ不安が残っている様な声で、私を励ましてくれた。

 嬉しかったよ? でも、私にはひとつだけ気になった事があった。

 

 「ペケ?」

 

 『ハイ?』

 

 「……ペケって私よりリトとお話ししてる?」

 

 『ギクッ……!』

 

 ペケは驚いて、ちょっと慌ててた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 (レン視点)

 

 

 

 学校が終わり、ボクは自分の家へと帰った。と言っても実際は家ではなく、地球にやって来た時に使った宇宙船だ。ボクはアパートの借り方なんてわからないし、何よりこの船は居心地が良いから、わざわざ借りる必要もないと思ってるんだ。

 自分の寝室に入り、服を着替え、ベッドに座ったボクは、今日あった事を考えようとした。あの男……結城リトから告げられた言葉を、そしてララちゃんとのデートの内容を。

 

 けれど、今のボクにはその前にやるべき事があった。

 

 「なぁ、ゴメン……ルン。悪かったって……」

 

 (もうっ、ジョーダンじゃないわよ! アンタのせいでとんでもないモノ見ちゃったじゃない!!)

 

 ボクが喋ると、頭の中からカンカンに腹を立てた声が響き渡ってくる。

 そう、ボクのやるべき事は、もう一人の自分である存在。妹の『ルン』の機嫌を取らなくっちゃならないんだ。

 

 ボクら『メルモゼ星人』は男女の性別を入れ替える事ができる特質を持っている。心も体も、人格もね。僕たちの星は環境がとても厳しくて、その中で生きているから、生存本能が発達しちゃってこうなったらしいけど……。

 

 (はっ……始めて見ちゃったのよ……! かっ、家族以外の男の子の……っ!!)

 

 「だからゴメンって謝ってるじゃないか。……あのときは考え事しちゃってて、ルンまで気が回らなかったんだよ……」

 

 やれやれ……正直大変だよ、この体は。五感のほとんどを共有してるから、ルンとはいつも一緒なんだ。

 彼女が怒ってる理由はもうわかるね? ララちゃんの事を考えながら結城リトについて行ってしまったボクは、ルンの事を考えずにトイレに入ってしまい、そしてふと思ってしまったのだ。結城リトと自分の、男の象徴はどっちが大きいのか、って。

 さりげなく覗いてしまった結果、自分のは結城リトより小さかったし、どうやらその光景をルンも見てしまった様なのだ。おかげで、今ボクはルンに怒られている。仕方がないか。うるさい妹だけど、女の子だもんな。

 

 「……ゴメン」

 

 (まったくもうっ!)

 

 それからしばらくルンの説教を受け止め続け、精神をすり減らしたボクはこれからの事を考えた。ルンも気になるのか、ボクと一緒になって考えてくれた。

 

 (でっ、どうするのよ? これから)

 

 「どうするも何も……、今はアイツの言葉を信用するしかないだろ? 協力してやるって言ってるんだから……」

 

 ボクの答えにルンは少し驚いていた様だったが、すぐに落ち着きを取り戻した。なんだかジト目で見られている様な視線を感じた。

 

 (ふ〜ん……以外とアイツの言う事信じてるのね)

 

 「あぁ……。でも、正直言って不安なんだ……」

 

 (えっ?)

 

 ルンは目を丸くして驚いているみたいだ。ボクの言い方が少しわかりずらかったかな。訂正しよう。

 

 「いや、アイツの作戦に文句はないよ。……それを、自分がちゃんとできるのかどうか……、それが不安でたまらないんだ……」

 

 ボクがそう答えると、ルンは理解したのか、気の抜けた様な声を出した。

 

 (あぁ〜、そう言えば名前すら忘れられてたんだっけ?)

 

 ボクは、コクンと首を頷かせた。

 

 本当にショックだった。子供の頃、ララちゃんと遊んだ思い出を、ボクは一日たりとも思い出さなかった日はなかった。あの頃は友達と言える友達なんかララちゃんしかいなかったし、メルモゼ星の王子として生まれたボクは勉強やらお稽古やらで遊べる時間も少なかった。ボクの記憶の中の楽しい思い出は、ほとんどがララちゃんと二人っきりでの時間だった。

 

 そんな思い出が積み重なっていく内に、ボクはララちゃんを友達としてではなく、一人の女性として好きになっていたんだっけ。でも、その気持ちが確かなるものになる前に、ララちゃんはデビルーク星の事情によって、会えなくなっちゃったんだ。

 

 だけどボクは諦めてなんかいなかった。別れる前に約束した、結婚の誓いを叶えるために、ボクはそれまで嫌いだった勉強も稽古も必死に頑張ったんだ。デビルーク星の跡継ぎとして、ララちゃんの婚約者が募集された後なんかは尚更で、とにかく自分の道を走り続けていた。

 

 しかし、その後すぐにララちゃんがデビルーク星から家出をしたって話を聞いて、ボクはとってもショックだった。探しに行きたかったけれど、父さんから許可が下りず、ボクは不安な毎日を過ごすしかなかったんだ。そのあと、ララちゃんが『地球』って言う辺境にある星で生活しているって話を聞いて、ボクはホッとひと安心したんだけれども、ララちゃんがその星に住んでいる男の事が好きになって、その男がララちゃんの婚約者の最有力候補になっている、って事をデビルーク星から聞いたとき、ボクは猛烈に焦ったね。

 

 父さんに無理矢理にでも許可を下ろさせ、ボクは地球へと宇宙を渡った。ララちゃんと再会できる事に、胸を弾ませながら。

 

 そして、ボクはようやくララちゃんと再会できたんだ。子供の頃の幼い姿しか記憶にないけれども、学校の教室に入った瞬間、ひと目で分かった。ピンク色に輝く髪、エメラルドグリーンの様な美しさを持つ瞳。その姿はボクが想像していた通りの、麗しい美貌を持ったララちゃんだったんだ。

 ボクはすぐさまララちゃんと再会を喜び合おうとした。けれども、ララちゃんはもうボクの顔すら覚えていなかったんだよなぁ……。ショックだったけど、後で思い出してくれたときは本当に嬉しかったよ。

 

 ここで愛しのララちゃんと、子供の頃の約束を果たしてハッピーエンドといきたい所だったんだけれども、残念ながらそういうワケにもいかない。すっかり忘れる所だった。地球人、ララちゃんの婚約者最有力候補、『結城リト』という男を倒さなければならない試練が、ボクに待ち構えてあったのだ。

 

 始めて見た彼の印象は、嫌なヤツだった。見た目は平凡、言動からして面倒くさがりやでいいかげん、学力は……まぁ普通。正直言って、何でこんなヤツが最有力候補になっているのか、デビルーク星の人選を疑ったよ。

 おまけに何よりも許せなかったのが、アイツの目。寝不足のくまが目元にうっすらと染み付いている彼の目は、まるですべてを理解している様な目、あるいはボクの事を哀れとでも思っているかの様な目だった。

 

 そんなヤツに向いて、楽しそうに笑うララちゃんを見て、ボクはこの男に凄まじい嫉妬を覚えた。何としてもこの男を蹴り落として、ララちゃんを振り向かせなければならないと思ったんだ。

 でも、いざ彼と競い合ってみると…………勝てないんだ。数学や経済ならボクが圧勝だけど、文学や生物、そして体育がまるで敵わない。拳と拳のぶつけ合いも、完敗。後々になって知る事だけど、ケンカはどうやら彼の方が実戦経験が豊富らしい。勝てるはずがなかったんだ。

 

 競い合いに負け続けたボクは焦り始めていた。このままでは、ララちゃんはコイツと結婚してしまう。そう焦り始めたとき、彼は同情でもしているかの様に、ボクを慰め始めた。

 それに腹の立ったボクは、自分の激情に任せ、言いたい放題叫んでしまった。彼の言葉も振り払い、自分のララちゃんへの思い、そしてキミを超えなくてはならない使命。言えるだけ言い切ってしまった。後に残ったのは空虚な感覚だった。

 

 彼はボクを馬鹿にした。怒ろうとするボクを静止した彼は突然、ボクにララちゃんを委ねてきたんだ。

 会話の急展に頭が混乱していた中、彼は戸惑う事なくボクにこう言い切った。

 

 

 

 お前はララを愛せるか?

 

 

 

 今まで……『好き』とか……そんな言葉で気持ちを表し続けていたボクに取って、その言葉はとても大きく、重たく感じた。いや、本当は知っている言葉なのに、言葉にする恥ずかしさがどうしても振り払えなくて、今まで言えなかったのだと思う。

 ボクが言えない言葉を、こうも当たり前の様に言い切った彼の目は、人を哀れんだ様に見る目から一瞬だけ、魂の宿った視線に変わっていた。その迫力に、思わずボクは視線を背けてしまい、戻した時には元の目に戻っていた。

 

 このときわかった様な気がしたんだ。ララちゃんが何でこんな男に惚れているのかって。

 

 「愛せるか、か……」

 

 (愛せるか、ねー……)

 

 ボクの呟きに答えるかの様に、ルンも呟いた。ルンにとってもこの言葉は大きなものみたいだ。

 

 果たしてボクはララちゃんを振り向かせる事ができるのだろうか。いや、やるしかないんだ。結城リトもそれを望んでいるって言っていた。彼の真意はハッキリとわからないが、ボクがララちゃんを取り戻すために、このチャンスを使わないわけにはいかない!

 

 「正直、ボクにできるかどうかはわからない。でも、ボクはやってみせる! ララちゃんを取り戻して、バラ色の人生を歩むんだ!」

 

 ボクが握りこぶしを前に出して決心すると、ルンが応援してくれた。

 

 (がんばれ〜。フラれちゃったら、ドンマイ♪)

 

 「う、うるさいッ!!」

 

 そんな事でケンカをしていると、ボクの腹から音が鳴った。そう言えばまだご飯を食べていなかったな……。

 ボクは座っていたベッドから立ち上がった。

 

 「そろそろ晩ご飯にするか!」

 

 (じゃっ、食事の支度お願いね〜♪)

 

 その返事を聞いて、ボクは腹を立てる。

 

 「なっ!? 学校生活はボクが仕切っているんだ! 家事ぐらいやってくれよ!」

 

 (しょうがないでしょ! いつもならこう……パパッと入れ替わる事ができるハズなのに、地球に来てから急に替われなくなっちゃったんだから!!)

 

 そう、この地球に来てから、ボクとルンは困った事に、体を入れ替える事ができなくなっていた。原因は、おそらく地球の環境による影響か何かと思うんだけれど……。

 

 「なにか方法がある筈だよ。それを探さな、は……ハッ……

 

 そう言おうとした時、鼻に埃でも入ったのか、ボクはむず痒さに任せて思いっきりクシャミをした。

 

 「ハックション!!」

 

 その瞬間、五感の感覚が緩やかになり、気がつくとそこはルンに体を預けている時の精神の世界にいた。

 

 「(あ、替わった……)」

 

 気の抜けたボクとルンの声が重なった。



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第十五話

 レンとデートの作戦を練った後の数日後、俺は彩南商店街にある建物の角から、視線の先を窺っていた。

 

 休日の午前九時。商店街入り口から目の前にある彩南町駅前広場は人でごったがえしているが、俺の視線の先にいる、白髪の頭をキョロキョロ見回し、ソワソワと落ち着かないそぶりをしているレンの姿は、彼と十数メートル離れているここからでもよく目立つ。『忠犬ハチ公』のパチもんみたいな銅像、『忠犬パチ公』と名のついた像が設置されている広場のベンチに座っている彼は、高校生らしさのあるオシャレな衣服を着こなしているが、その顔は緊張で引きつっている。気持ちはわからなくもない。これから始まるのは、正真正銘のデートなのだ。それも、相手は自分の幼馴染みであり、最愛の人。緊張しない方がおかしいでだろう。

 

 ちなみに、俺の服装は彼とは対照的に、目立たない黒と白の衣服で統一させ、キャップ型の帽子を被っていた。そして、広場とは少し離れたこの場所で、ケータイを片手に持ちながら、彼の様子を窺っていた。

 

 俺が今こうやって尾行をしているのは、今ああやって緊張している彼が心配だったからだ。実際、今見ているこの状況も、彼が男らしくララをエスコートできるのかどうか、不安で仕方ない。

 

 もうひとつは、ただ俺が彼等のデートを見ていたかっただけである。レンとララが幸せになれる瞬間を見届けるのが『結城リト』となった俺の役目だと思っている。

 

 「………大丈夫かなぁ……」

 

 そう呟いた俺の視線の先に映るレンは、いまだに緊張の糸を切る事ができていない。ララが家から出た後、すぐに俺は家から飛び出し、急いで先回りをしたのだ。もうそろそろで彼女が来るはずなのだ。俺は心の中で、レンの度胸を祈っていた。

 

 あの日……デートの作戦をレンと話し終えた俺は、今夜の内にその日の事をララに伝えた。内容はもちろん、デートの事だけである。それも「デート」とは一口も言わず、ただ単に、せっかく幼馴染みと再会できたのだから、どこか出かけてゆっくり楽しんでこいと、まるで子供のお使い事の様に催促した。

 ララの事だから俺を誘おうとすると思ったが、以外にも彼女は俺の提案を喜び、今日に至るまで嬉しそうにしていた。

 別に悪い事ではない。むしろ都合の良い展開なんだから、楽になったと思っていた。しかし、こうも素直に話が進んだ事に、俺は驚きと妙な違和感を覚えている。

 彼女の事を甘く見ているのだろうか。答えは出ない。そんな思考が、頭の隅っこでこびりついていた。

 

 『ララ様が来ました……!』 

 

 俺が背負っているショルダーバッグから上半身を出し、そこからコアラの子供の様に俺の肩を掴んでいるペケが、片方の手を放して人混みの方へと指をさした。俺もすぐにわかった。ピンク色の髪の毛は、この距離からでもよく見えた。

 広場の方へと歩いてくるのは、ララだ。抑えめながらも派手さを残したその服装は、地球の衣服のセンスが知らなかったララに替わって、俺と美柑がコーディネートしたものだが、彼女には何の問題もないぐらいに似合っている。

 

 ペケを俺が預かっているのは、俺なりのレンへの気遣いだ。彼はペケの事を知っていたから、前もってこちらで面倒を見るようにしておくと言っておいた。

 そんなペケもララの恋路の先は気になるだろうと思い、俺が連れて来ていた。彼がデートの事を知ったときは、眼を丸くして驚いていたのを覚えている。どうやらコイツもコイツでレンの事をララと話し合っていたらしい。おかげで話自体はずいぶん早く進んだ。

 

 広場にやって来たララは、キョロキョロと辺りを見回して、まだ緊張の切れていないレンと再会した。突然ララから声のかけられたレンは、バネで跳ね上げられたかの様にベンチから跳び上った。そして彼女はそんな彼の風変わりな行動を見て、笑っていた。

 

 「……、……! ……!」

 

 「……、……! ………………♪」

 

 

 

 「………………ペケ……聞こえる?」

 

 『ウ〜ン……、……ダメですね……。周りの音が大きすぎます……』

 

 商店街からの道は人だかりの上、所々にあるスピーカーが取り付けられた電柱から、澄んだBGMが流れている。当然、そんな電柱の下で耳なんざ澄ましても、聞こえるのはBGMと人々の騒音である。

 近づきたいのは山々。だがこれ以上近づけば、二人にバレるのも目に見えている。仕方なく、俺は今立っているこの場所で様子をうかがっていた。

 最愛の人にいきなり恥を晒してしまったレンは、ここからでもわかるくらい赤面していた。でも、ララの純粋な笑顔で笑われて気が楽になったのか、男らしさの尊厳は、徐々に戻っていった。

 

 『楽しそうですね……ララ様とレン殿……』

 

 「そうだな……」

 

 『リト殿……本当にこれでi、

 

 「シッ! こっちに来る……!」

 

 ララとレンの二人は、彩南商店街へと入ってくる方向、つまり俺達が今立っている方へと歩き出した。俺はペケを黙らせ、商店街の建物の影に隠れ、二人が通り過ぎるのを注意深く見ていた。そして二人が通り過ぎたのを確認すると、再び商店街から自分の姿を出し、後をつけようとした。そのとき……

 

 「あっれぇ〜? 結城じゃん!」

 

 『「!!?」』

 

 突然声をかけられた俺は、耳元で風船が割れた様に驚き、跳ねた。ペケはバックから跳び上って俺の肩にしがみついた。

 俺はこの声を知っている。案の定、振り返るとそこには、初めて見る私服姿の籾岡と沢田、そして西連寺が立っていた。

 

 「こんなトコでなにしてんの?」

 

 焦っている俺の心境なんざ知らず、子供っぽいポップなファッションに身を包んだ沢田と、大人っぽいファッションを着こなしている籾岡が俺の傍までやってくると、彼女は遠くの道を歩くララとレンの姿を見つけたようだった。

 

 「あれっ? あそこにいるのって、ララちぃとレンじゃない?」

 

 籾岡の指す方を見た沢田はララ達の事を呼ぼうとしたが、その前に俺が口を挟んだ。

 

 「あぁ、やめろ! ……今ちょっといい雰囲気なんだから……」

 

 制止させた俺の言葉に三人は頭にクエスチョンマークを浮かべていた。こうなってはもう変な誤解を招かねないので、俺は三人に今の状況、そして俺がやっている事を洗いざらい吐いた。

 

 「へー……って結城!? ララちぃとつきあってたんじゃなかったの!?」

 

 「いや、全然。つか、それドコ情報?」

 

 「別に……。臨海学校のとき……ララちぃがあんたのこと楽しそうに話してたから、てっきり……」

 

 そういえばそんな話あったなと、俺は籾岡の顔を見ながら昔の記憶を思い返していた。籾岡の身長は俺より高い。だから近づくと少しだけ目線が高くなるのだが、彼女の表情はなぜかフクザツを帯びていた。

 ふと、沢田が籾岡を俺から引き離し、なにやら肩を寄せて内緒話をし始めた。なにか面倒なことを考えているなと思っていると、今の今までひと言も喋らなかった西連寺が俺の名前を呼んだ。口調こそ落ち着いていたが、酷く焦っている様子だった。

 

 「ご、ごめんね結城くん……ジャマしちゃって……」

 

 「いい、気にすんな……」

 

 返事はせず、首を彼女の方に向けて反応を示した俺に、彼女はゆっくりと商店街の道を指差した。

 

 「でも……ララさん達、行っちゃったよ……?」

 

 『「あっ」』

 

 俺とペケの声が重なった。突然現れた籾岡達に集中力を持っていかれた俺達は、ララの方まで気が回らなかったのだ。人で賑わう商店街の道を見渡しても、彼女の姿はもう見えなくなくなりそうだった。

 俺は慌ててララ達を追おうと、人混みの中を走ろうとした。しかし、足を出そうとした瞬間、「ちょっと待った!」と言う籾岡の声と同時に、俺は服の襟を掴まれた。

 首が絞まって咳き込む俺を無視して、籾岡が俺の傍まで顔を近づけてきた。イジワルな顔をした彼女の目元には、微かに化粧がされている。

 

 「結城ィ〜、そぉんな楽しいコトやってんならさぁ〜、なんで私たちに教えてくんないのよ〜」

 

 「ズルいぞ〜!」

 

 沢田がそう言うと、彼女は新しい玩具でも見つけた子供みたいな眼をしながら、俺の脇腹を短い指でつっついてきた。

 あぁ……どうやらコイツ等は俺の尾行についてくるつもりらしい。想定外の事態だが、これで断った後に彼女達がララと出会ってしまっても色々と面倒くさい。それよか、むしろここで俺と出会えた方が幸いだろう。見つかるリスクが高くなるが、こうなってしまった以上、連れて行くしか……。

 

 『ずいぶんとメンドくさくなってきましたね……』

 

 「同感……」

 

 きゃあきゃあ騒ぐ女子二名を尻目に、俺とペケは小声で話をしながら、ララとレンを探すべく、商店街を歩みだした。一番後ろを歩く西連寺が、俺の事を心配そうに眺めていたが、思い当たる節がなかったので、考えるのをやめた。

 

 「ところで、結城ィ?」

 

 「あぁ?」

 

 「その、肩についてる……ぬいぐるみみたいなの、なに?」

 

 「こっ……これは…………、………そういう飾りだ……」

 

 「えぇ〜っ!?」

 

 「ヘンなの〜♪」

 

 『…………』

 

 ペケはひと言も喋らず、律儀にぬいぐるみの役を果たしてくれた。彼の心境はどんなものだったのかはわからないが、俺は何も言わず彼の頭を優しく撫でてやった。

 

 『……♪』

 

 ペケが俺の耳元で鼻を鳴らした。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 その後は特に大きなToLOVEるが起きる事はなく、俺とペケと籾岡と沢田と西連寺によるデートの尾行は順調に進んでいった。

 

 デートの場所が場所だから、彼等のデートは俺がララや美柑と一緒に買い出しや散歩に来たときの彩南商店街のルートに似ている。一応レンには彩南町の雑誌を渡しておいたが、こうして彼の様子を窺ってみると、完璧とは言えないがその知識を有効活用していた。

 

 ただ、彼にはまだ地球の文化がいまいち浸透してはいないらしい。ペットの犬や野良猫を見て腰を抜かしたり、たいやきを生物の丸焼きと勘違いしたり。思わず俺は籾岡達と笑いをこらえたり、ペケと一緒に呆れたりで忙しかった。

 

 だが、彼等が意気投合しながら話し合っている光景を見ると、別の意味で笑いが零れた。レンと手を繋ぎながら彼と顔を合わせるララは、本当に楽しそうな笑顔だった。

 

 だから嬉しかったのだ。自分には見せた事もない様な笑顔でおしゃべりをするララを見て、レンに任せて大丈夫だという安心感と、彼なら彼女を幸せにできるという確信を得た。口下手の俺では、こうはいかない。

 

 昼時になり、そろそろ腹が空いてくるんじゃないかと思うと、案の定ララとレンからは、そろそろお昼にしないかという会話が聞こえた。

 すると、ララはレンを引っ張って商店街の大通りに戻ってくると、その近くにある店——いつぞやの蕎麦屋の中に入っていった。中の狭い店だったを覚えていたので、仕方なく俺達は蕎麦屋が見える近くの喫茶店で手早く食事を済ます事にした。

 きっと店の中では、蕎麦の食べ方がわからないレンがララにレクチャーさせられているのだろう。そんな光景を窓のむこうにある蕎麦屋を見て思い浮かべながら、俺は四人がけのテーブルの席でサンドイッチにかぶりついていた。俺の隣りには西連寺、籾岡の隣りは沢田だ。

 

 ふと、目の前に座っている籾岡が、半分程グラスに飲み残っているアイスティーをコースターの上に置くと、一息ついて俺に声をかけてきた。

 

 「結城ィ、あんたララちぃのコトどう思ってる?」

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 (西連寺視点)

 

 

 

 リサの言葉を聞いて、私は口に運ぼうとしていたサンドイッチを自分のお皿の上に戻した。

 結城くんに突然あんな質問してきたんだもん……。答えが気になって、サンドイッチなんか喉を通らなくなりそうだった。

 

 結城くんは、その質問に迷ってるのかな……? 視点がキョロキョロズレてる……。

 なんだろう……困ってる様にも見えるのは気のせいなのかなぁ……

 

 「……どうって……、……普通……」

 

 やがて、すきま風が流れるような小さな声が聞こえた。結城くんの視線は、喫茶店の向かいにあるお蕎麦屋に向いていた。

 結城くんの答えに、私は疑問を思った。だって……今まで私が見てきた、結城くんとララさんが一緒にいるところを思い返すと……お似合いのカップルに見えていたんだもん……。

 リサも納得しなかったみたい……。眉間に皺を寄せて、さらに結城くんへ質問してきた。

 

 「何よ、普通って…………ハッキリしなさいよッ、『好き』なの? 『嫌い』なの?」

 

 今度の結城くんの返事は早かった。スッと頭を上げて、リサの顔を見た。

 

 「その二択で言われたら、『好き』しかいかないだろ……っ」

 

 なんだか、吐き捨てるみたいに答えた結城くん。うん、そうだよね…………結城くんなら、『好き』って言うキモチはわかる。

 でも……その『好き』ってキモチは……恋愛に対するキモチじゃないんだよね……?

 

 「ふ〜ん…………じゃあアンタは自分のキモチ押さえて、ララちぃとレンレンのデート見守ってんの?」

 

 「あぁ……それでいい……」

 

 今度の答えも、なんの迷いもないくらい早かった。

 私はなんとなく、結城くんのキモチがわかった。結城くんはきっと……ララさんとレン君の幸せを願っているんだと……思う……

 結城くんの答えを聞いたリサは溜め息を吐いた。そして、お皿の上に盛ってあるサンドイッチの具を固定するつまようじを手に取ると、それを結城くんに向かって突きつけた。

 

 「結城ィ……あんた自分がどんだけラッキーな男だかわかってるぅ?」

 

 え……? どうゆうこと……? 私はリサの言ってる事がわからなかったけど……結城くんは突きつけられたつまようじを、ジッと見つめていた。

 

 「ララちぃみたいな可愛くて、スタイル抜群で、ステキな女の子、このあと人生十回ぐらいやり直したって出会えないかもよ?」

 

 可愛くて……スタイル抜群……素敵な女の子……。私はリサの言葉を心の中で考えていると……リサのやりたい事がわかった気がした。

 

 きっと……結城くんとララさんをくっつけたいんだよね……リサは……

 

 臨海学校に行った最後の日の夜、ララさんは結城くんの事を「宇宙で一番頼りになる人」って話したのを、私は鮮明に覚えている。それを聞いたリサとミオは、すっごくはしゃいでたから……きっと、ララさんの恋を叶えてあげたいんだよね……

 でも……私は結城くんのキモチも知っている……。私は忘れない。結城くんと二人っきりで話した放課後の日を……私は結城くんの顔を見るたびに思い出した。

 

 ……結城くんは……喜ぶのかなぁ……?

 

 リサは、つまようじを引っこめると、こんどは顔を結城くんに近づけて、小さく囁いた。それを見ていた私は、妙に胸がドキドキしていた。

 

 「結城ぃ〜…………………………奪っちゃいなよ…………………………ララちぃ……」

 

 結城くん……その言葉にずいぶん驚いたみたいだったけど……リサの顔をひき離して、はっきりとこういった。

 

 「……だめだ……できない……」

 

 ……うん……。……それは私の予想していた答え……。結城くんは、そんな事……できない……

 

 リサは「なんで、どうして……」と必死に結城くんに迫ってきたけど、

 

 「俺が……望んでいない……」

 

 そう言って口をとじた結城くんを見て、リサは言い返す事ができなくて……元気がなくなっちゃったみたいに……椅子に座り込んじゃった……

 

 場に重たい空気が流れそうになったけど…………ミオの質問でそれが晴れたのは……良かったかなぁ……?

 

 「……じゃあさ、なんで結城はララちぃのためにそこまでするの?」

 

 結城くんはまた深く考えてる。

 そして、少し言いづらそうに、口を開いたの。

 

 「……同情しているかもな……」

 

 「「同情……?」」

 

 ミオも私も、結城くんの言葉をオウム返しした。

 

 「生まれはイイところのお姫様。八歳になるまで友達はレン一人。その後は俺ん所に来るまで、ずっと好きでもねぇ相手の見合いばっかの鳥カゴ生活……どんな気持ちだったんだろうな……」

 

 結城くんの言葉を聞いた私達は……言葉が出てこなかった。

 ……今まで、お姫様って聞くと……なんか優雅で……お金持ちで……すっごく楽しそうっていう、曖昧なイメージしか持ってなかったから…………それに……ララさんのいつも楽しそうな笑顔を見てたから……そんなつらそうな事があったなんて、考えられなかった……

 

 言葉の出てこない私達に、結城くんはさらに言葉を続ける。

 

 「そんな哀れなお姫様は、こんな変哲もない町で、結婚を誓い合ったむか〜し昔の幼馴染みと再会できました。なんて……ずいぶんロマンチックだと思わないか……?」

 

 そう言われてみれば……確かにロマンチックだと思う……。

 

 でも……それで結城くんは……満足なのかもしれないけど……

 

 「だから……俺はアイツらの幸せを見届けてやりたいんだ。それじゃダメか……?」

 

 

 

 ララさんは……それを望んでるのかなぁ……

 

 

 

 結城くんの望みを聞いて……少し元気のなくなったリサが姿勢を正すと、意味もなさそうに飲みかけのアイスティーのグラスをストローでかき混ぜ始めた。

 

 「結城……あんたとは中学からのカンケイだけど……なんか変わったね……。雰囲気とかもだけど……そんな風に……違う立場から恋愛を見ようとするの、あんたが初めてだよ♪」

 

 リサは話をしながら、少しだけはにかんで結城くんを見た。ミオは話にのっかって、話題を広げる。

 

 「ウチのクラスの男子共はさぁ〜、なんてゆーか……ララちぃのときみたいに〜……目の前のカワイイ子にまっしぐらってゆーか……」

 

 「あんたみたいに、男って見た目ばっかの単純なヤツだと思ってたからさ〜」

 

 「……偏見だな」

 

 「でもさ〜、そういう男って自分の恋愛も見逃しちゃいそうで恐いわ〜」

 

 「そうそう、結城だいじょうぶ? 頭だけ年取ったりしてない?」

 

 リサとミオは……なんだか結城くんをからかってるみたいだったから……ここは私がなんとかしてあげなきゃ……って思って……ここに来てようやく、私は結城くんにまともに話す事ができた。

 

 だって……今私の隣りに座っているのは……結城くんだよ? 最初はリサとミオと一緒に買い物にきてただけなのに……そこで結城くんと会って、今はこうやって一緒に食事してる…♪

 

 嬉しいけど……なんだか緊張して……なんか…………ちゃんとしゃべれなかったんだから……!

 

 「でも……そうゆうのって……大切な事だと思う……」

 

 「えっ、春菜……?」

 

 突然話してきた私に、驚いたのはミオだった。ううん、声に出てきてなかったけど、リサも驚いてたし……結城くんも目を丸くしてた……。

 

 「私も……好きな人が別の子とつきあってても……あの人が幸せならそれでいいかなぁ……って思っちゃうから……わかるよ……。なんだか……心があったかくなるんだよね……♪」

 

 私の話を聞いたミオは、嬉しそうに相づちをうってくれた。けど……

 

 「へぇ〜……って、春菜ってやっぱり好きな人いるの?」

 

 最後の言葉で私はバクハツしそうになった。

 

 「えっ!? そっそんなコト……違うよっ! いっ、今のはその……例え話で……!」

 

 リサがニヤニヤ笑ってたから、きっと私の顔は真っ赤になってたと思う……。でも、言葉がつっかえてうまく話せない私に、結城くんは「まあまあ」って言いながら、私を話からそらしてくれたんだ……。

 

 嬉しかったけど…………なんだろう……ちょっとフクザツ……

 

 私が少し落ち込んでいると……結城くんは何かを考える様に目線を動かして……ポツリポツリと言葉を呟いた。

 

 「でも……確かに……自分の恋愛を……、……いや、でもあれは……」

 

 「えっ!? あるの!?」

 

 その呟きを聞き逃さなかったリサは、結城くんに詰め寄ってくる。

 私も驚いていた。結城くんの事は中学校で一緒になってから、ずっと見てたけど……恋愛のお話なんて、学校のウワサでも聞いた事なかった。

 

 だから……私も知りたいなぁ……

 

 「聞かせて〜! 結城の恋バナ♪」

 

 「いや、いい……。そんな明るい話じゃないから……」

 

 「えぇ〜〜〜っ! ちょっとぐらい、いいじゃん!」

 

 「それって私たち知ってる相手?」

 

 「……違う」

 

 「じゃあいいじゃん、別に!! 今その人どうしてんの?」

 

 「知らねぇ。今はもう、別の男と結婚して幸せに暮らしてると思う……」

 

 「「「ええェッ!!!!?」」」』

 

 そのときの私達は……たぶん、すっごい大声になってたと思う……。いきなり「結婚」って単語が出てきたから……結城くんの恋愛って……オトナの恋愛みたい……

 ううん……よく考えてみると……結城くんの好きな人がもう結婚してるんだから……その人はずいぶん年が上の人になるよね……

 

 やっぱりオトナの恋愛だったのかなぁ……私は驚きっぱなしで何も言えなかったけど……リサとミオは興奮しながら結城くんへ、もっと詳しい話を求めてたけど…………結局、結城くんはそのあと話す事はなかった。なぜなら……

 

 「ん?」

 

 顔をそらした結城くんが、窓の向こうで見たものは……

 

 「あれララちぃとレンレンじゃね……?」

 

 お蕎麦屋から出てくる、ララさんとレン君だった。

 

 「ヤベぇ、急いで食うぞ!」

 

 結城くんのひと声に、私達は話を中断して、急いで食べる事に集中した。

 

 ……やっぱりサンドイッチは四人分でも多かったかも……

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 喫茶店を後にして、外の商店街へと出た俺達だったが、そこにはもうララとレンの姿はない。完全に見失ってしまった俺達は、一度商店街の広場に戻り、広い場所から二人を捜そうとした。

 時間は三時過ぎとあって、人通りは今朝よりはおさまってきたものの、休日だけあってやはり通行人の多さは否めない。こんな大勢の中からララとレンを探すのは、困難であった。

 

 「どう? いた?」

 

 「いな〜い……」

 

 「あんな髪色してんだから、目立つとは思うんだが……」

 

 人混みを観察する俺達に、西連寺が話しかけてきた。

 

 「もう、この辺にはいないんじゃないかなぁ……」

 

 確かに……西連寺の言う通り、別の場所に行ってしまった可能性がある。……なら、二人はどこに行ったのだろうか? 

 急いで昼食をとった俺は、少し腹がもたれて苦しかったが、我慢していた。今はララの事の方が重要なのだ。

 

 「結城ィ、GPSとかないのぉ〜?」

 

 手をおでこの上にあてて、遠くを見遣っていた籾岡が背伸びをしながら、時間確認のためにケータイを開いていた俺のそばに並んだ。

 ギャグのつもりで言っているのだろう。彼女の顔には、疲れが出ていた。

 

 「あるわけないだろ……」

 

 籾岡は低い声を出してうなだれた。もはや、この状況を打破するのは不可能であろう。ララとレンは楽しそうにやっていたのだから、これ以上見なくてもなんとかなる筈だと、俺は希望的観測をはかり、諦めようとしていた。

 だが……どうやら彼女達はまだ探すつもりの様だった。なら、巻き込んでしまった以上、俺が一番に抜けるのは情けなさ過ぎる。

 俺はケータイをしまい、頭の中でララが行きそうな場所を思い返してみた。今までララとここに来た時に行った場所を、洗ってみた。

 そんな中、沢田が何かを言い始めた。

 

 「こうなったらみんなで手分けして探すしか……」

 

 「でも……その前にちょっと休憩しない? おなかがイタくて……」

 

 『休憩』、お腹を押さえながら言った西連寺のその言葉が、俺の頭の中を通過した。

 俺は、籾岡達を呼んだ。そして彼女達に俺が思いついた事を伝えた。

 

 「……アイツ等も、きっと休んでるんじゃないか……?」

 

 その言葉に一番早く反応したのは、籾岡だった。

 

 「喫茶店とか?」

 

 「喫茶店はこの時間帯はどこも混んでるぞ……」

 

 「休む場所……駅前の広場かな?」

 

 「イヤ、うるさくない? あそこ……」

 

 「公園……」

 

 西連寺の呟きに、沢田と籾岡が彼女の顔を見る。沢田は、素早く自分のケータイを開き、何かを探そうとしていた。

 

 「公園? この辺に公園なんかあったか?」

 

 「えっと、あるよ! ここっ!!」

 

 俺の率直な疑問に、沢田がケータイで見せつけてきたそこは、彩南商店街を案内するホームページの地図から半分程途切れてしまった、公園であった。商店街とは少し離れた場所。彩南緑地公園。ここからでは距離はあるが、遠いって程の道のりでもない。いる可能性は十分に感じた。

 

 「行ってみよう!」

 

 俺のかけ声を合図に、俺達四人は腹の痛みも忘れて目的地に向かって走った。商店街を抜け、知らない道を沢田のケータイの地図で右往左往しながらたどり着いたそこは、綺麗に芝の刈られた草原と、枯れ葉を落とし始めた桜の木が並ぶ、都会である事を忘れてしまいそうな、広い広い公園だった。

 俺達は公園の中に入るなり、ララとレンを探し始めた。

 

 「……いた! あそこ!」

 

 目を皿の様にしてララ達を探していた沢田が、大声を出して俺達を呼び集めた。彼女の指さす先には、ピンクと白の髪——ララとレンが、公園の街道に設置されたベンチに仲好く座っていた。

 運の良い事に、二人のベンチは俺達に背の方を向けていたので、あちらから発見される事はなかった。沢田の叫びが聞こえるかとヒヤヒヤしたが、近くに大きな噴水があったためか、二人はまだこちらに気づいていない。

 俺達四人は、二人から最も近づける場所——噴水のすぐそばに設置された、ベンチや植木が並んだ場所にしゃがみ込んだ。二人との距離は、だいたい10メートル少し。ここからなら会話も聞き取れそうだ。

 俺は二人の会話に耳を澄ます。ほかの三人も、俺と同じ事をしていた。

 

 

 

 「……ララちゃん、今日はホントにありがとう。ララちゃんのおかげで……とても楽しい時間がすごせたよ……」

 

 「うん! 私もすっごく楽しかった!! ありがとう!」

 

 ララの方へと顔を向けたレンの横顔と、レンの方へと顔を向けたララの横顔は、ずいぶんと心の満ち足りた表情をしているのが見て取れた。おそらく、こんな風に二人で外出する事は初めてなのだろう。二人の過去を考えれば、仕方もないと思った。

 

 「ララちゃん……覚えているかい……? ボクとキミが始めて出会った事を……」

 

 「……う〜ん……モノゴコロついたときは、もうレンちゃんと遊んでたから〜……」

 

 「ムリもないか……。まだボクたちが、このくらい小さかった頃の記憶だしね……」

 

 レンは手を前に伸ばして、『このくらい』と大まかな身長を伝える。隣りにしゃがんでいる籾岡が、「そんなに小さい頃から一緒だったんだー」と、何か関心した様なささやきをこぼした。

 

 「でも、ボクは覚えているよ。キミと出会ったあの日、ボクはキミの美しさと、爽快な気高さに一目惚れしてしまったんだ!! その日からキミと遊ぶ時間は、いつも最高のひと時だった……!」

 

 「あはは! 大ゲサだよ〜!」

 

 「ううん……大げさなんかじゃない。……ボクは、キミと一緒にいる事が……幸せだった……このまま永遠に続けばいいと思っていたのさ……!!」

 

 いつもならララの言葉に一切の否定をしなかったレンが、ここで初めてララの言葉を遮った。ララは驚き、真剣な表情になる彼の顔を、ジッと見つめていた。

 

 「レンちゃん……?」

 

 「でも……ボクはそれ以上の関係を求めたい……。ララちゃん……ボクは今まで何度もキミの事を『好き』って言ったけれど…………今のボクにはそれ以上のキモチがある……伝えたい思いがあるんだっ!!!」

 

 レンは勢い良くベンチから立ち上がり、クルリとララの方へと振り返った。ちょうど俺達が隠れている方向だったので、俺達は素早く物陰から頭を引っ込めた。

 

 コソコソ……(あっぶね〜……)

 

 ヒソヒソ……(ふぅ……バレてないみたい……)

 

      (ちょっと! どーすんの? これじゃあ声しか聞こえないじゃない!)

 

      (落ち着け、ここから覗けばたぶん大丈夫……)

 

 俺達は隠れていた植木の茂みの隙間から、ゆっくりと顔を出す。レンには気づかれていない。一安心した俺達の所へ、また彼の声が聞こえてきた。

 

 「悔しいけど……ボクはアイツに気づかされた……!! ララちゃん! 今まで恥ずかしくって言えなかったけれど……っ! ボクは……っ!!」

 

 ララに向かって叫ぶに連れ、段々と顔を紅潮していくレン。「おおおおぉぉぉ……っ!」、と空気声を出してテンションを上げる籾岡と沢田。両手を口に押さえて、ジッとそれを見守る西連寺。そして、無言を貫く俺とペケ。

 

 ララはどんな顔をしているだろうか。そんな事を俺は考えていた。

 

 「ボクは……キミの事を……っ!! あ、……あっ……! あいっ……! 愛っ……!!」 

 

 『愛してる』。その言葉を目の前にいる最愛の人へ伝えようと、詰まる口を必死に押し開けるレン。

 

 そのときだった……

 

 「あっ……はっ……ハッ……!」

 

 言葉をつまらせていたレンの口調が急に細切れになったかと思うと、彼は勢い良く息を吸い込み、そして……

 

 「ハックション!!」

 

 「『あッ!!!!!!』」

 

 状況を理解した俺とペケの叫び声と同時に、彼は大きなクシャミを放ち、その瞬間に彼の体は小さなバクハツと共に煙に包まれた。

 

 その煙が風に吹き飛ばされた中から現れたのは、レンと同じワインレッドの瞳を持つ……レンによく似た女性……『ルン』であった。

 

 「…………ハぁ??!」

 

 「レっ、レン君が……レンちゃんになってる……」

 

 「………………!? …………!!?」

 

 目の前で起こったToLOVEるに、籾岡と沢田は混乱して頭にクエスチョンマークを出した。西連寺はぽかーんと口を開け、目の先で起こった事態にプルプルと指を差していた。

 俺は頭を抱え、地面へ仰向けに転がった。いい雰囲気だったっていうのに、ここ一番でこのToLOVEるだ。ガッカリなんてレベルではない。最悪だ。おまけに、この常識を超えた事態をここにいる三人にも見せてしまった。もっと最悪だ。

 

 俺は焦った。もし、今ここで三人に、ララ達が宇宙人である事を話したら、信じてくれるだろうか。俺はあくまでここが『ToLOVEる』の世界だという事を知っていたからこそ信じている事であって、彼女達は今の今までなんの非科学的な事件に遭う事なく生きてきた、普通の人だ。

 そんな彼らに今から俺が、ララが宇宙人だの銀河の娘だのとさらけ出したところで、彼女達が信じるとはとても思えなかった。いつかは知る運命になるのだが、彼女達が真実を知るのはもっと先である。早すぎるのだ。

 だが、今その事を伝えなければ、目の前で起こっている光景を納得させる事はできない。ほかに方法は思い浮かばなかった。

 

 「……結城ィ……あんた何か知ってるの?」

 

 体勢を座りなおした俺に、籾岡が俺をにらんだ視線で尋ねてきた。俺はまだ思考の海の中を泳ぎ回っていた最中で、彼女の声に反応できなかった。が……その次に聞こえた声に、俺は海から一気に浜へと打ち上げられた。

 

 『……その事については、私が説明しましょう……』

 

 「ヒャ!」と小さな声を漏らした西連寺が見たのは、俺のバッグから抜け出して、彼女のもとへ近寄るペケであった。

 

 俺は呆気にとられていた。ペケは西連寺達三人を注目させると、自分達宇宙人の話や俺達との関係をじっくりと話し始めたのだ。

 目の前に立ち、手振りで説明をする小さなぬいぐるみの様なロボットと、それを真に受けた様な表情で耳を傾ける俺達四人は、ずいぶん滑稽な光景に見えただろう。

 しかし、俺はペケの大胆すぎる行動に言葉を奪われ、残りの三人は目の前にいる小さなロボットを見て混乱しそうになっている所を、彼の話を聞いてやっとこさついて来ている状態。誰も彼を口出す事はできなかった。

 

 『オネガイシマス。どうか……リト殿を責めないでください……』

 

 全てを話し終えたペケは、突かれた様に息をついて地べたに腰を下ろしたので、俺は彼を優しく抱きかかえてやった。

 俺が抱えた腕の中で、ペケは俺に向かってウインクした。可愛かったが、それ以上に俺は彼の行動に救われていた事に感謝していた。

 

 「……ララちぃ宇宙人説って……マジだったんだ!」

 

 「やっぱりぃー! 尻尾とかヘンだと思ったんだー!」

 

 「結城くんって……宇宙人とお友達なんだ……!」

 

 「それも銀河を束ねる国の、お姫様だなんでしょ……!?」

 

 「結城ィ……やっぱりララちぃの事、奪っちゃえば?」

 

 ほら、彼女達はペケの話に驚きつつも、ララ達宇宙人の話を信じている。ペケにこれほどの行動力は原作にはない。『俺』との邂逅によって生まれてしまったものなのだろうけども、これ程とは思っていない。

 

 俺は『自分』による行動がどれ程周りに影響するのかと考え直していると、西蓮寺達にララとの関係を更に詳しく求められたが、俺は最後まで『ただの友達』だと言い切った。そんなわけないだろと籾岡にせめ寄られる俺だったが、そこへ……

 

 「ハックション!」

 

 ルンのクシャミが聞こえた。俺達は会話を中断してもう一度息を飲み込み、二人の方へと見遣った。

 

 ペケと親しい関係を持つ事で、これほどの影響力を合間見た俺は、ララとレンとの関係を思い返し、自分の成就を確信した。

 

 さぁ……今度こそ……

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 (レン視点)

 

 

 

 クシャミをした瞬間、ボクの意識は緩やかになっていくと、やがてうっすらとした視界が広がった。いつもの精神の中に戻されてしまったようだ。

 ララちゃんは目を丸めて驚いていたけど、ボクと変わって現れたルンの姿を見て、表情をほころばせた。

 

 「あっ……ルンちゃん! おひさしぶり〜!」

 

 「あっ、ララちゃん! お久しぶり〜♪ って……違う違う!! ちょっとレン! 空気読んで黙っててやったのに……なーんでここで私になるのよっ!! バッカじゃないの!!?」

 

 (うるさいッ! わかってる!! わかってるけど……仕方がなかっただろう!?)

 

 告白のチャンスだったのに肝心なところでドジをこいたボクが自分の失態に頭を抱える中、ルンはララちゃんに謝っていた。

 

 「ゴメンねぇ〜ララちゃん、空気台無しにしちゃって……。今レンにかわるから!」

 

 そう言ってルンは、ベンチに置いてあったボクのバッグの中からコショウの入った瓶を取り出すと、赤いフタを指で押し開けて、中身を自分の鼻に振りかけた。

 

 不本意だけど、コレって便利だよね……。メルモゼ星にはこんな調味料なかったから……感心したのを覚えているよ……。

 

 「ふぁックション!」

 

 ルンの大きなクシャミと共に、ボクの全身の感覚が鮮明に感じた。気がつけば、そこはさっきと変わらない光景——ララちゃんの目の前に立っていた。

 ボクは今一度深呼吸をして、とりあえずは落ち着きを取り戻した。

 

 「ふぅ……ゴメンララちゃん、驚かせちゃって……」

 

 「ううん、そんな事ないよ! ルンちゃんにも会えて、とっても嬉しい!」

 

 そう言って、ボクに純粋な笑顔を向けるララちゃんを見て、子供の頃は見慣れている筈なのに、自分の顔がまた熱くなっていくのを感じた。

 

 「ララちゃんは……優しいね……」

 

 そうひと言呟き、ボクはもう一度呼吸を整えた。そして、

 

 「ララちゃん!! ボクは……ボクは……ッ!!」

 

 急に叫んだボクの大きな声に、ララちゃんはまた驚いていたけど、今のボクにはそれを気にするほどの余裕はない。

 ただ、自分の思いを彼女に伝えるだけで精一杯だった。喉はひくつき、心臓はバクバクと跳ね上がり、体中の熱が頭の中に流れ込んでくる様な感覚だが、それでもボクは……

 

 

 「……ボクはそんなキミを、あっ、愛してるっ!!! 僕と結婚してくださぁいっ!!!」

 

 

 言い切った……。勢いのままに言ったその言葉は、間違いなく彼女に伝わった。頭の熱がスーーっと治まり、体が楽になった気がするけど、ララちゃんは驚いた表情のまま、

 

 「……愛……してる……?」

 

 と言って、ボクの目をジッと見詰めてきた。ボクの告白に混乱しているのか、ララちゃんの目は瞬きを繰り返していた。

 ボクは、ララちゃんの手を両手でギュッと掴み、顔を近づけた。

 

 「そうさララちゃん! ボクは結城リトに気づかされたんだ! キミを幸せにする……それがボクの幸せなんだ!!」

 

 「……幸せ……?」

 

 ボクはララちゃんの顔を真っ正面から見つめ、ハッキリと思いを伝えたつもりだったけど……ララちゃんの様子はおかしかった。『愛』、『幸せ』。そのふたつの言葉を何度も繰り返し呟きながら、目線がキョロキョロと泳いでいた。

 異変を感じたボクは、ララちゃんに声をかけようとしたけれど、その声は彼女の言葉で遮られてしまった。

 

 「私、わかった……」

 

 「……ララちゃん? わかったって、何を……?」

 

 ボクがララちゃんの言葉に全くついていけない中、彼女はベンチから立ち上がろうとした。慌ててボクはララちゃんの前から数歩下がって、彼女に意味を求めたけれど、そこから返ってきたのは……

 

 

 

 「レンちゃん、ゴメン……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……私……レンちゃんとは結婚できない!!」

 

 

 

 ララちゃんからの……ボクの告白を拒否する言葉だった。

 

 「なっ!!? そんな……! どうしてだいララちゃん!! どうして……!」

 

 頭の中が真っ白になった気がした。声を裏返しながら叫ぶボクの言葉に対し、ララちゃんは少し体をボクの方からずらして、顔をうつむけたままゆっくりと語りだした。

 

 「……私ね……ずっと悩んでた事があるの……。リトは私にとっても優しくしてくれるんだけど……私はリトの幸せがどうしても理解できなかったの……」

 

 ララちゃんは顔を上げて、周りの景色を見渡す。

 

 「最初はね……リトの考えてる事は全然わかんなかったんだけど……自分のキモチと、レンちゃんが言ってくれた言葉を考えたら……私……気がついたんだ……。リトのキモチと……自分が何で……リトに優しくするのか……」

 

 ボクが「何で」と答えを求めると……ララちゃんはようやくボクの方へと体を向け、にっこりと頬笑んだ。

 

 「それはね……フツーに好きだからとか……そんな事じゃなかったの! ……嬉しかったんだ……私……♡ リトってメッタな事じゃ笑わないから……私に笑いかけてくれたとき……本当に嬉しかったの!!! それで……これがリトの感じてる幸せだったんだって、今やっとわかったの!」

 

 

 

 その笑顔は、今までに見た事ないぐらい本当に嬉しそうで、それを見たボクは悟ってしまった。

 

 

 

 「だから、私……リトにお返しをしてあげたい……。今度は、リトと幸せを分け合いたい……♡ それが、今の私の……幸せなんだよ……♪ だから私……レンちゃんとは結婚できません!!」

 

 

 

 ボクは絶対、結城リトには敵わない男なんだと……。

 

 

 

 自分の言いたい事を全部言い切ったララちゃんの瞳は、自身の信念を貫いている様な瞳。子供の頃のボクが、ララちゃんに再会するために努力をしていた頃の瞳の輝きと同じ感じがして……ボクは彼女の言葉に対抗する事ができなかった。

 

 それどころか、ボクは思ってしまったのだ。

 

 ララちゃんは本当に、ボクよりも結城リトの事が好きなんだな、と。

 

 「……ララちゃんにそこまで言われちゃあ……」

 

 「えへへっ ゴメンね!♪」

 

 そう言って、またボクに笑いかけてくるララちゃんを見て、なんだかとても気分が良かった。

 結城リトに完全敗北したボクだけど、今のララちゃんは幸せそうに笑っている。もうそれで良い気がしたんだ。

 

 「でも……今のボクがこうしてあるのは、ララちゃんのおかげだ……」

 

 ボクはゆっくりとララちゃんの前に手をさし出した。

 

 「これからも……ボクの親友でいてくれるかい……?」

 

 「うん!!」

 

 彼女からは戸惑う事なく元気な返事、そしてボクの手の平を包む彼女の手が、ボクの心を晴れやかにしていく。

 

 ボクはもうララちゃんとは友達以上の関係にはなれないのだと思う。でも、これからはララちゃんのために唯一無二の親友でありたい。

 

 それでララちゃんが喜んでくれるなら……

 

 「ありがとうララちゃん!! 心惹かれた麗しき女神!! ボクの唯一無二の親友っ!!!」

 

 「うふふ♪」

 

 こうしてボクは、親友である約束を彼女と結び、笑顔でさよならを言った。

 このデートでの目的は失敗だが、ボクにとってはもうそんな事はどうでもよかった。

 ララちゃんと二人で出かけて、遊んで、話し合えた事が嬉しかった。今になって思い返せば、それだけでも幸せに感じられる。

 そして、ララちゃんに正面きって『愛してる』と告白できた事。結果はダメだったけど……ボクは彼女の言葉を聞いて強く胸を打たれた。本人は不本意だろうけど、こんな機会を用意してくれた結城リトに感謝しなくてはならないのかもしれない。

 ただ、この事実を彼に伝えなくてはと考えていた時、一瞬だけ思い出した彼の言葉がボクの心の中で不安を煽らせたが、ララちゃんの姿を思い出して、それは消えた。

 

 彼なら……いや、ララちゃんなら……彼と幸せな運命を——ボクとララちゃんの子供の頃以上の幸せな運命を歩ける筈……!

 

 そう願って、ボクは帰り道を歩いた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 視界は酷くぼやけて、目の前が見えなかった。

 

 (私……リトにお返しをしてあげたい……。今度は、リトと幸せを分け合いたい……♡ それが、今の私の……幸せなんだよ……♪ )

 

 彼女の言葉が、頭の中で何度も何度も繰り替えされていく。

 

 不意に、俺の両方の目元に何かが触れた。

 

 その右目の涙を拭ったのは、ペケだった。真っ白な指は、人の温もりこそ感じなかったものの、そのやわらかい指の感触は、人そのものであった。

 その左目の涙を拭ったのは、いつかの臨海学校で、肝試しの時に俺が渡したハンカチ……ずっと渡すタイミングを見失っていたらしいハンカチで俺の涙を拭う、西連寺だった。

 

 「結城くん? 結城くんは……本当は……ララさんの事……大好きなんでしょ?」

 

 彼女の言葉に対し、俺は何も言えなかった。

 

 確かに、好きだったのかもしれない、嬉しかったのかもしれない、この涙はそれなのかもしれない。

 

 「……でも結城くんは……自分よりレンくんの方がララさんの恋人に釣り合ってるって思ったから……ううん、ララさんとレンくんの思いを、ジャマしたくなかったんだよね……」

 

 いっそ全て投げ出して、ララとずっと一緒も悪くないと思えてしまった。……のかもしれない。

 

 「でもね……私は結城くんとララさんのカップルは、すっごく似合ってると思うよ……。理屈とか……そんなのなんにもないけど……」

 

 西連寺は俺にハンカチを——長い事彼女の手に渡され、忘れかけていたハンカチ差し出しながら、親しみのある笑顔で囁いた。

 

 「結城くんなら……大丈夫……」

 

 

 

 だが……俺には

 

 

 

 「悪いな……こんな事つきあわせちまって……」

 

 俺はハンカチを受け取り、涙を自分で拭った俺は、ここまで付き合ってくれた西蓮寺達にお礼を言ったが、その声はひどくくぐもっていたかもしれない。

 でも、彼女達は気にはしていなかった。

 

 「いいっていいって! おかげで楽しかったよ♪」

 

 「うんうん♪ 早くララちぃのところに行ってあげなよ!♪」

 

 既にララはここにはいない。俺が泣いていたせいで、彼女はレンと別れた後、嬉しそうに帰路を歩いて行ってしまった。俺は、今日一日はずっと家にいるはずの人間だ。彼女よりも先に家に帰る必要があった。

 

 だが……俺はララに正面から顔向けができるだろうか。あいつにどうやって接してやったらいいだろうか。

 

 考えている時間はない。

 

 「じゃあ……さよなら……」

 

 「「またね〜♪」」

 

 俺は適当に会釈して、足を歩む。

 

 

 

 「またね……結城くん……!」

 

 

 

 背中から聞こえた西連寺の声に励まされた様な気がして、俺は俺は右手を大きく振り上げてから、走り出す。

 

 背中のバッグではペケが手を振っていた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 (またレン視点)

 

 

 

 帰り道の商店街。太陽が沈み始め、オレンジ色の空と真っ黒な空が半分に混ざり合う。人通りも少なくなって、街灯やネオンの看板がちらほらと明かりを発している。こんな光景は、ボクの故郷では見る事のできなかった光景だったから、外出時に夕日の時はついつい周りの景色、特に空を見てしまう。

 

 でも、今日に限っては思い出すのはララちゃんの事だった。

 

 別に悲しくなんかはない。むしろ……何と言うか……不思議な気持ちだった。フラれた事に関しては悲しいと思うのだが、それ以上に嬉しいのだと思う。何度思い出しても、不思議と涙は出てこなかったのだ。

 

 (残念だったわね……)

 

 ボクの中で、ルンが慰めてくる。振られたらバカにするって言っていたけど、今はボクの事を心配している様だった。それでも、口調はぶっきらぼうだが……

 

 「なぁに、別に悲しくなんかはないさ。ルンも見ただろ? ララちゃんの幸せそうな表情……」

 

 ボクが更に言葉を続けようとすると、ルンは大きな声を出して僕の言葉を遮った。

 

 (も〜〜っ!! カッコつけるのやめなさいよっ!!! 確かに……私だってララちゃんの言葉聞いた時は驚いたよ!? でも……レンはそれで良かったの!?)

 

 そう怒鳴られて、商店街の道を歩くボクの歩みは止まり、思考は彼女の言葉でマイナスな回転を始める、自分がララちゃんを幸せにする未来を思い描いて。でもそれは実現する事はない。ボクが選んだ事だから。

 

 「…………………………」

 

 (本当に良かったの!!?)

 

 ルンはもう一度問いかけた。

 

 そりゃあ……ここまでの数年間はララちゃんのために努力していた。自分が幸せにすると信じていたから……

 

 でも、ボクにはララちゃんを振り向かせる事はできなかった。あのとき、もし彼女を無理やりボクの方に引き寄せても、彼女は離れていくだけだとわかった。それだけ彼女の心は結城リトに惹かれているとわかったのだ。

 

 なら、せめて、ララちゃんと親友でありたい事をボクは願った。色々あったけど、ララちゃんがいなかったら今のボクは存在しないと思っている。ボクは今の自分に感謝している。今の男らしい自分があるからこそ、ボクはララちゃんとデートができたんだと思う。最初で最後のデートになってしまったが……

 

 それでも……ボクは嬉しかったのだ。

 

 あのときボクに見せた笑顔は、これから結城リトへと向けるのだろう。そう思ってくると……

 

 「……やっぱり……悔しいな……」

 

 (レン……)

 

 口から漏らした本音に、ルンはボクの肩に手を乗せる様な雰囲気で呟いた、そのときだった……

 

 「ねぇ、あれってレンくんじゃない!?」

 

 「うそ!?」

 

 「ホントだ! レンく〜ん♡」

 

 突然、ボクの名前を呼ぶ女性の声が耳に入った。声のした方向へ振り返ると、そこにはボクと同じ年くらいの可愛い女の子が五人、ボクのもとへと駆け寄って来ていた。

 

 「き……キミたちは……」

 

 ボクは彼女達を知っている。ボクが彩南高校に来てから毎日と言っていいほど、ボクに挨拶をしてくれたり、昼食に誘ってくれたり、たまにボクが宿題を教えてあげたりした、女子グループ五人組だ。可愛らしい服装を見る限り、どうやら彼女達はここへ遊びにきていた様だ。

 え〜と、名前は確か……荒井さやかさんと、白百合こよみさんと……、……あと誰だったっけ……?

 

 「ええぇ〜〜!?」

 

 「ひど〜い!」

 

 「忘れちゃったのー? レンく〜ん……」

 

 「……ゴ……、ゴメン……」

 

 剣幕な様子で近寄る女子三人にボクは謝るしかなかった。

 彼女達に名前を覚えなおされ、脱線した話は最初に戻る。

 

 「それにしても、レンくんとバッタリ会えるなんて偶然だね〜!」

 

 「こんなところで何してるの?」

 

 「ララちゃんのデート』……なんて、少し前のボクなら胸を張ってそう言ったかもしれないが、今さっきフられた身としては言いにくい。

 それに、もし本当の事を言ったとすれば、ボクに好意的な印象を持っている彼女達はララちゃんに対して普通じゃない態度をとるかもしれない。間違いなくウワサにはなるだろう。

 

 だから、ボクは嘘をついた。

 

 「たっ、ただの散歩さ……」

 

 「えっ? じゃあひとりなの?」

 

 「うん……」

 

 ボクがさやかさんの問いかけに答えると、彼女達はなにやら集まって数秒間のあいだ内緒話を始め、それが終わると、またさやかさんが、今度はちょっと恥ずかしそうな、それでも口元はにんまりとした笑顔でボクの名前を呼んだ。

 

 「レンくん、私達今からカラオケに行くところなんだけど、レンくんも一緒に来ない?」

 

 「遊ぼ〜よ〜、レンくん♡」

 

 どうやら、彼女達はボクと遊びたいらしい。

 

 ボクは迷った。なぜなら、フラれたばかりの後でほかの女の子と遊ぶっていうのは、なんだか情けない様な気がしたんだ。

 

 ホラ、ルンだってさっきからボクの事を、ジーっと睨みつけている様な気がする。

 

 でも……このまま家に帰ってベッドで落ち込むのも、カッコの悪い男の様にも感じていた。

 

 だから……ボクは……そう、何と言うか…はしゃぎたかったんだ。はしゃいで……今ある未練を……捨てるとは言えないけど……過去の事って見極めて、また新しい恋をしようと思ったんだ!

 

 「そう……だね……、ちょうどはしゃぎたいと思っていたところなんだ!」

 

 その答え方は、何だか投げやりになっちゃってたけど、彼女達は嬉しそうに手を合わせて喜んでくれた。

 後で知ったのだが、このとき、ボクが一緒に遊んでくれるとは思っていなかったらしい。ダメもとのお願いだったそうだ。

 

 「本当!? じゃあ一緒に行こ〜!」

 

 「やった〜♡」

 

 彼女達はボクの両側に回ると、これ以上ないってくらいのはしゃぎっぷりでボクの両腕に寄り添いながら、せかす様に商店街の道を歩き始めた。いくら人通りの少なくなった商店街とはいえ、さすがにこれは目立つ状態だ。ほら、道ゆく人がボクたちの方を見ている。

 でも、ボクはもう少しだけ、このまま彼女達に流される事にした。イヤ……本当に嬉しそうな彼女達の気迫に押されていた。

 

 精神の中にいるルンが、呆れた様な溜め息をボクに吹きかけた。

 

 (……もう……どうゆうつもり……?)

 

 ボクはルンに自分の気持ちを伝えようとしたけど、その途中で、今は自分の中だけに残しておこうと思い、話すのをやめた。

 

 (飲む。過去の事をウジウジするなんて男らしくないっ!)

 

 それだけ自分の心の中でほえると、ルンはまた大きな溜め息を吐き、

 

 (このごうじょうっぱりぃ……。でも、その方がアンタらしいし、まぁいっか♪)

 

 と明るい声が返ってきた。

 きっと、心の中ではまだ混乱してると思うルンに、ボクは(ありがと)と呟いた。そしてボクは、楽しげに歩くさやかさん達に目を向ける。

 彼女達の嬉しそうな様子を見て、ふと……ボクはララちゃんの言葉を思い出した。

 

 

 

 (それはね……フツーに好きだからとか……そんな事じゃなかったの! ……嬉しかったんだ……私……♡ リトってメッタな事じゃ笑わないから……私に笑いかけてくれたとき……本当に嬉しかったの!!! それで……これがリトの感じてる幸せだったんだって、今やっとわかったの!)

 

 

 それはとっても簡単そうで……とっても難しい事なんだと思う。でも、お互いに愛する事で幸せを共感して、それを分かち合うのは、とても素晴らしい事なんだとボクは思っている。

 

 「人を愛する嬉しさと、幸せか……」

 

 「えっ……レンくん今何か言った?」

 

 「……いいや、なんでも……」

 

 だから……今度は、ララちゃんと結城リトの幸せを、ボクも見てみたい。感じてみたいんだ! いつか……次の恋愛で……!

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 家に着いた。玄関を開けて、靴を確認する。そう、ララの靴を。

 

 見る限り、彼女はまだ帰ってきていない様だった。とりあえず一安心して、俺は自分の靴を脱ぎ、ペケをバッグから下ろすと、居間の方から美柑が顔を出した。

 

 「おかえりィ、リト」

 

 「あぁ……ただいま……」

 

 いつもの様に笑顔を見せる美柑に、俺はいつも通りの挨拶をする。

 

 「ワリぃ……今日はおみやげ買ってないわ」

 

 「ううん、いいよ別に♪ それより、ララさんといっしょじゃないの?」

 

 「あぁ……」

 

 美柑は何か考え事でもあるかの様に「ふ〜ん……」と俺を見てうなずく。

 彼女にはララのデートの事は伝えてはいない。だから……もし俺達に不可解な点があったとしたら、それを誤摩化す事は難しいだろう。

 

 「リト……?」

 

 ふと、美柑が俺に顔を近づけた。彼女の急な行動に、俺は身をたじろぎそうになったが、すんでの所でそれを押さえた。

 彼女の視点は、俺の目元へと向けられていた。

 

 「目……赤いよ? だいじょうぶ?」

 

 「ッ!! っ……あっ、あぁ。ちょっと疲れてんのかもな……」

 

 どうやら涙の跡が残っていたらしい。俺は美柑に「少し寝る」と伝え、逃げる様に二階へと上がった。

 自分の部屋へと入った俺は、バッグをその辺に放り投げて、部屋着にも着替えないままベッドに倒れ込んだ。本来はここでララの事を考えなくてはならないのだが、一日中ララ達二人を尾行し、更に帰りは家まで走ってきたので、今の俺はとにかく疲れが溜まっていた。

 

 『リト殿……?』

 

 俺の後ろについて来ていたらしいペケが、心配そうな声を投げかける。彼の心境や言いたい事は何となくわかってはいたが、今はもう眠りたかった。

 

 「わりぃ、ペケ……疲れた……少し休む……」

 

 『……カシコマリマシタ……』

 

 ペケは何か言いたそうに悶々としていたが、すぐそう言って身を引くと、俺の睡眠のジャマをしない様にか、部屋のドアを閉めて出ていった。

 

 自分一人になった部屋に、無言の空間が生まれてくる。俺は自分の中で何もかにも投げ出す様に、毛布を頭から被ると、体を丸め、目をきつく閉じた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 (ララ視点)

 

 

 

 レンとのお出かけが終わって、私は帰り道を歩いている。

 

 太陽はすっかり沈んじゃったけど、私の心は反対に明るくて、嬉しく跳ね回っていて、いつのまにか嬉しさのあまりにスキップをしていた。

 だって、ようやくリトの気持ちがわかった気がするんだもん。まだ、それが正しいなんて決まってないけど…………私はそうありたいって信じてる。

 

 リトはきっと……私に幸せになってほしいから、こんな事したんだと思うけど、こんなのやっぱり違う気がする……。

 だから、リトに伝えなくちゃ! 今度は私の……自分にしてほしい、幸せを……!

 

 そんな事を考えている内に、私は自分の家へとついた。

 

 「たっだいま〜!!」

 

 ドアを開いて、リトが二階にいても伝わるくらいの大きな声を出して、私は玄関を上がる。すると、リビングから美柑とペケがやってきた。

 

 「おかえりィ、ララさん」

 

 『おかえりなさいませララ様!』

 

 ペケは私の胸に飛びつくと、すぐに私の周りを飛び回って、荷物を持ってくれた。私は空いた手で自分の持っていた、紙でできた白い箱形の荷物を美柑に渡した。

 

 「はい、おみやげ!」

 

 美柑は私にお礼を言いながら、嬉しそうにそれをリビングに持っていって、テーブルの上でそれを開いた。

 箱の中身はケーキ。彩南商店街の人気のあるケーキ屋で買った、ショートケーキとかチョコレートケーキとかモンブランとかがいっぱいはいってて、それを見た美柑は声を出して喜んだ。

 

 「うわぁ〜おいしそ〜♪ 今、食べる?」

 

 「うん! 私、リトも呼んでくるね!」

 

 美柑はキッチンから食器を取りにいったから、私もリビングから飛び出して、リトの部屋へと向かった。でもこのとき、ペケが私を止めようとしてた事に私は気がつかなかった。

 

 階段を一段とばしで駆けあがって、廊下を走ってリトの部屋を目指した。部屋に入ったら、そのまま思いっきり飛び付いちゃおう♪ なんて考えてた。

 

 

 

 でも、部屋に入って見たのは、いつもと違う光景だった。

 

 

 

 「リトーーーっ! ただい、っ……」

 

 ドアを勢い良く開けてリトの部屋に入った私に最初に目に飛び込んできたのは、真っ暗。部屋に明かりがついていなかった。

 「あれ……?」って言葉につまった私は、最初は「リト寝てるのかな?」と思った。でも、私がリトと一緒に寝る時は、いつも小さな明かりをつけてもらったから、今は真っ暗にして寝てるのかなって思っていた。

 でも、すぐベッドの方からリトの寝息が聞こえて、あぁやっぱりって私は一瞬だけ安心した。

 

 

 

 でも、違った。

 

 

 

 寝息だと思って聞こえてきたのは、空気を裂く様な過呼吸。普通じゃない様な呼吸音に、微かにリトの声が混じったものが、部屋の中から私の耳に流れ込んできた。

 

 「リ、ト……?」

 

 私が震えた声で呟いても、リトは答えなかった。

 暗闇になれてきた目で見えたのは、悪夢にうなされながら、怯えて、助けを求めて苦しんでいる、リトの姿だった……。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 こんな俺でも、人に恋をしていた時があった。いや……今になって考えてみれば、著しく欠損していた親からの愛情を、何かで埋め合わせたかったのかもしれない。

 

 始めの出会いは唐突だった。独りぼっちの小学校を終え、中学校に入学した初日、バカ騒ぎしている教室に入ってきた担任は、新任の若い女の教師であった。

 新任の教師が生徒に対して表す態度は二通りだ。生徒と友達になろうと優しく接するか、ナメられない様に厳しく接するか……。

 その時の俺の通う中学校には秩序なんていうものは存在せず、喧嘩が日常茶飯事の危険なド底辺学校だっから、自分の身を守るためとしては、厳しく対応するのが無難だと俺は思っていた。

 

 が、その教師はとんでもないことに、生徒と仲良くなる接し方を選択していた。

 

 馬鹿だ。ただでさえこの学校は女子生徒ですら遊びに呆けた危険なヤツがいる。普段から授業など成り立ってはいない。そんな動物園みたいな学校だというのに、お花畑の花摘みみたいな接し方の彼女は、この学校では生きていけない。そう思っていた。

 

 最初の頃は、実際そうだった。授業が成り立たない事には数日で諦めた様だが、彼女の行動は相変わらずお花畑だったから、不良達の良い的にされていた。彼女、容姿やプロポーションも良かったから、男子からセクハラ紛いの嫌がらせも受けていた。でも、教室の隅の席で拒絶のオーラを放っていた俺は、彼等を止める事——彼女を助ける事はない。助ける理由なんかなかったし、むしろ、いつまで彼女が保つか、心の中で観察していたのだ。

 

 それから数週間ぐらいたった日の事、その日も教師はめげずに頑張っていたが、問題だったのは学校が終わった放課後、俺はなぜか不良グループに目をつけられていた事だった。

 その中には小学校の頃から俺の事をいけ好かねえ野郎だと思っていたヤツらも混ざっていたので、どういう事なのかは察した。パシリにしてやりたいのか、単に俺のツラをボコボコにしてやりたいのか。どっちにしろ、ごめん被りたい。

 

 その時の俺は、ずいぶんと日々の生活に快適としていた。家出の一人暮らしは慣れてしまったし、母親もそんな俺を見て、月に様子を見にくる日数も減っていた。学校は見ての通りだが、俺としては有意義な学校生活だった。

 だから、俺は物理的対話でそいつらを静かにさせた。その頃は、柔道も学校の授業で習ってはいなかったが、喧嘩は人を殴る勇気があれば何とでもなるという事を俺はその時に知った。

 

 ここで終われば、何ていう話でもなかったかもしれない。しかし、こういう説明をしているという事は、終わらなかったのである。

 なぜなら、その後も俺に対する闘争は何度か続いたが、俺は持ち前の度胸とイカレじみた残虐性を発揮し、何十人とそいつらを血祭りにあげた。すでに、同級生に敵はいなかった。

 そしてある日、完全に調子に乗った俺は、あろうことか上級生に売られた喧嘩を買ってしまったのだ。それも一人ではない。数人。端から見れば勝てるわけのない戦いだ。

 だが、今までの善戦のおかげで、俺は完全に相手を舐めていた。と言うか、誰にも負ける気がしなかった。怖いものなんかないという幻想を抱いていたのだ。

 

 結果。俺は後悔した。始まった喧嘩は、上級生の勢いに飲み込まれ、俺は彼らに一撃も報いる事なく、叩きのめされたのだった。それは、もはやケンカという形をしておらず、ただの袋叩きであった。一年程度自分より早く生きているだけで、ここまで力の差が出る事を、俺は身に染みこまされて教えられた。

 血ヘドと土でよくわからんグッチャグチャのドロドロの状態になって地べたに張りつけにされても、上級生達の攻撃は続いた。生意気なバカは口で言ったって通じないので、体に徹底的に叩き込ませ、自分達には敵わないという事を覚えさせるのを、俺も頭の隅っこで知らず知らず行っていたのは覚えていた。だから、きっと今の俺の状態もそれなのだろうと、抵抗する気力もなくなった俺は、ただ彼等の殴打の雨を受けていた。

 やがて体の感覚が段々薄くなって、視界もうっすらと暗くなり始めた。意識が朦朧となりはじめたそのとき、

 

 ぼんやりとした俺の聴覚に、上級生とは違う、別の人間の声が遠くから聞こえた。声は段々と近づいてくる。

 

 次に殴打の雨が止んだ。程なくして、上級生の気の抜けた様な声が遠くへ離れていく様に聞こえたかと思うと、俺は誰かに肩を抱き上げられた。色白の華奢な腕、感覚的に女だって思った。

 

 「……くん! ……くんッ!! ……だいじょうぶ?」

 

 顔のそばで名前を呼ばれ、俺はそいつが誰だかわかった。視界の晴れた目の前にいたのは、俺の担任の女教師であった。

 正直、その声に反応するのもめんどくさくなっていた俺だったが、彼女は俺と視線が合うと、ホッと一安心した様に息を吐き、今度はその華奢な体で、自分よりも身長が十センチ以上も高い、ズタズタのボロ雑巾みたいな俺を保健室まで一生懸命に運んでくれた。

 

 保健室についても主任の先生がおらず、彼女は俺をベッドに寝かせ、そのまま俺の傷の手当てをし始めた。俺としては、もう身体的にも精神的にもボロボロの惨めな状態だったので、ほっといてほしいと俺は彼女に抗ったのだが、治療が止まる事はなかった。それよりも、その言い争いの真っ最中の彼女の言葉から、俺はある事を悟った。

 

 彼女は知っていたのだ、俺の家庭事情を。

 

 担任なんだから、知っていてもしょうがないだろう、と言いたい所だろうが、その時の俺は中学生という事だけあって、反抗期真っ盛りであった。しかも、俺としては一番触れてほしくない部分に触れられたため、血は簡単にのぼった。暴れる体力は残っていなかったが、俺は激情のままに彼女へ罵詈雑言を浴びせた。

 彼女はずいぶんと困惑していたが、治療する手は決して止めなかった。それを見て、俺は黙った。言いたい事を言い尽くしたから。

 俺の治療が終わっても、彼女はしばらく俺のそばにいた。次は説教かと思っていたが、彼女は包帯の捲かれた俺の頭を優しく撫で下ろしながら、「本音で話し合える友達をつくりなさい」だの何だのと言っていた。俺は「先生じゃダメ?」と適当に返事をしてみたら、「ダメです」と、即答された。

 

 その日の先生との会話はここで終わった。

 

 翌日の学校。治療の傷跡が生々しい俺に、野次馬が集まった。喧嘩の事はどっかの誰かが知っているし、結果は俺のこの姿を見れば明らかだから、単におちょくりにきたヤツがほとんどだ。

 俺はいつもの様に、適当に追い払ってやりたかったのだが、昨日の先生の言葉が俺の頭の中で思い起こされた。

 その言葉が頭から剥がれなかったから、俺は(これは、治療してくれた先生への返礼だ)と、心の中で理由をつけながら、この日、中学校に入学してから初めて、まともな会話を野次馬——クラスメイトと交わしたのだ。

 

 そして、この日一番最初に俺と会話をした野次馬が、俺の親友となった。

 

 まぁその後、その親友は重度のマザコンだったというのが後で発覚したりもするのだが、俺にはそんな事は関係ない。ただ、俺はある事に気がついたからだ。

 

 自分のママがどうのこうのと話している目の前のヤツは、俺がまともな家庭で育っていない事を知らないのだ。じゃなかったら、俺の目の前で家庭の話をするヤツなんかいない。悪口なら殴っている。

 じゃあ、なんで彼は俺の家庭の事を知らないのだろうか? それは簡単だ。

 

 俺が言っていないから。

 

 どんなに頭で考えていようが、どんなに心の中で思っていようが、口で言わなきゃ伝わらないのである。だから、小学校の頃、俺の周りで親の悪口を言っていただけなのに、俺にどつかれた事のあるヤツは、俺の行動が理解できなかったのだ。それは、俺の家庭の事を知らなかったから。という事に繋がると思う。

 

 世界には俺みたいなやつらが何人もいる筈だ。これを、単なるコミュニケーション能力の不足として捉えるヤツは、そいつこそコミュニケーション能力が足りていないと言ってやりたい。お前に俺の何がわかるってんだ。

 

 俺の目の前で話をする親友を見て、先生の言っていた事がわかった気がした。黙ってたって人には伝わらない。放っといてほしかったら、口で言うしかない。でも……きっと、口で言う様になったら、放っといてほしいなんて、普段は考えられなくなる、と……。

 

 そんな先生は、俺が人と話す様になった所を見て、ずいぶんと満足げな表情を俺に向けていた。授業は相変わらず動物園の状態だというのに、俺を見る時の眼は、嬉しそうに輝いている気がした。

 

 だが、俺は彼女とは目を合わせられなくなっていた。いや、別に嫌いになったわけではない。人と接する事を拒否していた俺に、友達をつくるきっかけを教えてくれた人だ。なにかお礼でもしなくてはならない立場のはずだ。

 

 じゃあどうする? 彼女の顔を見ると、直立不動でも心音がわかるくらい、心臓が跳ねる。口元が歪む。顔が変なのだろうか? じゃあどんな顔をすれば良い? 今まで通りにすればいいはずなのだが。今は、その今まで通りがわからない。と言うか、自分はどんな顔をして彼女に顔を向けていた? 気がつけばそんな事ばっか考えていた。

 

 そして、これが恋愛感情だと気づくのに、大して時間はかからなかった。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 自分のキモチを理解した俺は、先生にできる事を考えた。三年間、先生の授業は超素直に受け答えた。やかましい動物共も少しは大人しくさせた。何より、人と接する事を増やした。それが彼女の一番喜んでくれる事だとわかっていたから。

 一年ぐらい経つと、真っ先に俺の恋愛感情に気づいた親友おろか、周りのヤツらも感づいてくるようになった。俺は本音だけを親友に伝え、周りは適当にあしらっていた。

 親友は、自分の嗜好が少し変だというのは自覚があったのか、俺の話にはずいぶんと熱心に聞いてくれた。ただ、聞いてくれるだけで、まともなアドバイスは返ってこなかった。「テキトーに……まずは友達から〜でいいんじゃね?」とか言った日には、蹴ろうかと思った。

 実は、その後もう一回、俺は先生へ友達になってほしいと頼んでいた。でも……彼女は困った様な顔をして俺を断った。もともと生徒と友達になりたがっていた先生なのに、何でだと疑問には思ったが、それを彼女に伝える事はなかった。

 俺は必死にアプローチを続けたが、先生の素の感情が俺に向く事はなかった。

 

 三年生の冬、その頃はいっそ、思い切って告白しようかと考えていたが。それは早いと親友に止められていた。

 悶々と過ごしていたある日、俺と程々に仲の良かったクラスの女子が、どこからか集めてきたらしい情報を俺に教えてくれた。俺の事情には感づいているだろうから、先生の好きなものとか、そんなのだろうと思っていた。

 

 でも違った。

 

 「先生って、婚約者いるらしいよ……」

 

 俺は高校に入るまでケータイを持っていなかったし、パソコンにも興味はなかった。だから、学校のウワサにはかなり疎い存在だ。

 だからといって、俺はその情報を信じるわけがなかった。三年間も思いを寄せた俺の恋が、いまここで終わるなんて、どうかしてしまいそうだ。信じたくなかった。

 

 俺は先生にウワサの真偽を確かめたかった。が、そう簡単な事ではないのはわかっている。今は普通に会話をする事には慣れたが、いまだに俺は彼女の眼を見て話す事ができていなかった。おまけに、話題は彼女のプライベートな部分をいじる様な質問。やれって言われてやれたら、俺は彼女の事が好きではないんだと思いたい。つまり、俺には不可能だった。

 

 だから、先生の事は親友が本人に直接聞きに行ってくれた。この時ほど親友が輝いて見えたのは、後にも先にもその時だけである。

 彼の足取りは軽かった。普通はこういう時の時間は遅く感じるらしいが、彼が教室に戻ってくるのは、案外早かった。

 

 俺は、期待してしまったかもしれない。だが、足取りの悪くなっていた彼から出た言葉は、予想以上に重たく感じられた。

 

 

 

 「ゴメン……、…………、……マジだわ……。……お前……先生の腕時計わかる? ………………あれ、……彼氏のプレゼントらしい……」

 

 

 

 ショックだった。めちゃくちゃショックだった。

 

 翌日、俺はショックで熱出して寝込んだが、その日はHRで先生に婚約者がいる話題になって、しかも俺達の卒業の後すぐに結婚するという話になっていたそうだ。熱が治まって、久々に学校に来た俺に対して、親友以外のヤツらの態度がおかしかったのは、それが原因だった。

 前回の事態があって、結婚するなんて話を聞いて驚く俺ではなかったが、それは俺の心が間違いなく失恋のムードになっていたからだと思う。自分の青春はここで終わりなんだと、俺は思っていた。

 

 しかし、その日の放課後、俺は先生に呼ばれ、学校の人気のない場所、一年の頃に上級生にボコボコにされ、そこを彼女に助けられた、あの場所に連れてこられていた。

 俺は彼女に引っ張られてきたものの、何て話しかけたらいいのかわからず黙ってしまい、彼女もなぜか照れくさそうにして、いきなりこの場所を懐かしむ様な話をしてきた。

 

 俺はただ、相づちをうちながら話しを聞いていたが、やがて彼女の口調がかわって、話題は自分の婚約者の事や結婚する事へと変わっていった。きっと、熱を出していた俺は知らないと思ってたのだろう。そんな事、わざわざ言われなくても知っている。あなたのおかげで人と接する様になったから、知っている。

 

 「結婚するんですよね……おめでとうございます……」

 

 複雑な心境のまま、この言葉を言い切った俺を、誰か褒めてほしい。

 だが、お褒めの言葉の変わりに返ってきたのは、なんと彼女の結婚式に、俺も出てほしいとの要望だった。

 何故? 質問を投げかける俺に、彼女はゆっくりと答えてくれた。

 

 「恥ずかしくて、ずっと伝える事ができませんでしたが、あなたの気持ちはわかっていました……。でも、私はあなたの気持ちを受けとる事はできません。私には、待っている人がいるので……」

 

 そこでわかったのは、先生はかなりイイ所のお嬢様だった事。高校の頃まで教師を目指していたが、その途中で家の事情が変わって、嫁ぐ羽目になった事。それでも教師の夢は諦められず、家や婚約者に無理を言ってまで、学校で一人の生徒の三年間を見るまでは働いてみたいと言った事。

 

 「三年間、短い時間だけど……あなたは私の一番の……自慢の生徒です……♪」

 

 その言葉が、とても嬉しかったが。同時に、自分は先生の彼氏になれる事はなかったんだと思うと、悲しかった。

 

 でも、俺は先生のウエディングドレスを見たい。それで先生が喜んでくれるのなら。

 

 ただ、一人では先生と一緒でも不安だったので、俺は親友も連れて行く事にした。先生も、俺が来てくれるとわかると、喜んで聞き入れてくれた。

 

 

 

 卒業式が終わって数日後、俺と親友は入学する予定の高校の制服姿。まだ一切改造を施していない新品同様の制服で、都内の待ち合わせ場所で待っていると、どこからともなくリムジンが俺達の目の前に止まって、助手席から先生が出た。まだ花嫁姿ではなかった。当たり前と言っちゃあ当たり前だが。とにかく適当に挨拶をしてから、俺達はリムジンに乗り込んだ。

 

 親友は、リムジンに乗っていたまではテンションが高かったが、到着したバカに広い箱庭みたいな式場の会場に着くと、集まっている人達を見て、さすがに悪ふざけをする様な雰囲気じゃないのがわかったのか、会場の椅子に座ってからは大人しくなった。俺も同じく、終始カチンコチンだった。

 緊張している俺達二人に、先生の親友やらが話しかけてきた。俺は緊張してガタガタだったが、緊張したフリをしていた親友が何とか話を合わせてくれた。それで時間は早く過ぎていった。

 

 やがて会場が暗くなって周りが静まり返る。司会の説明が終わると、緩やかな音楽と厚い拍手と共に、真っ白なスーツを着た花婿と、ウエディングドレス姿の先生がライトアップされながら、会場を歩いてきた。

 花婿は、俺の予想に漏れずイケメン。嫉妬が湧いた。そりゃそうだ。でも、先生が俺の方を見て笑ってくれたから、俺は考えるのをやめた。

 

 その後、二人が席に着いて始まったのは、長い長い司会と、先生の友達や、家族の言葉など、それとなぜか項目に入っている事に気がついた、先生の生徒のスピーチ。内容は言わない。俺からしてみれば……俺からしてみれば黒歴史である。

 

 ウケたから良かったけどね……

 

 そのあとにケーキ入刀して、先生の思い出のアルバムを見ながら昼食をとって、少しの休憩が入った後、場所が式場から教会に移った。

 教会は会場にいた全員は入りきらない。当然、俺達は外で待ち構える形となっていたが、それでよかった。たぶん……先生のキスする瞬間を見たら、泣くと思ったから。

 

 教会の鐘が鳴った。扉がドーンと開き、俺達は周りの人達と合わせて、花吹雪を撒いた。

 その中から現れたのは、イケメンの新郎と、左手の薬指に指輪を輝かせた、ウエディングドレス姿の先生。

 

 彼女の表情は、これ以上ないってくらい、俺も見た事がないくらい、嬉しそうに笑っていて……俺は…… 

 

 

 

 あぁ……これからあの人は幸せになるんだ……

 

 

 

 そう思ってしまったら、自分の思いだとか、なんだかどうでもよくなってしまって……気がつくと、俺は先生を見ながら、笑っていた。先生の幸せな未来を考えただけでもう、何だか嬉しかったのだ。

 ふと、教会の窓ガラスに視線が入った。映った俺の笑顔は何よりも嬉しそうで……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのとき気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パパはママの事が嫌いなの!!!?

 

 

 

 ……そんな訳あるか……。……いいんだよ、これで……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの表情だったんだ……。

 

 子供の頃、どうしても理解できなかった親父の笑顔が、俺の記憶に蘇った。窓に映った俺の笑顔は、瞬く間に凍り付いていた。

 だが、それは喜びにも、確信にも似ていた。今まで何ひとつ理解できなかった親父の事が、理解できたかもしれなかったから。

 

 

 

 式が終わった俺は、いち早く自分の家に戻り、着替えもしないまま、親父に電話をかけた。今まで電話なんかかけた事はなかったし、あの表情を突き止める気にもならなかったが、今は違った。

 

 だが、電話に出たのは親父ではなく、カタコトな日本語を話す女だった。わけがわからなかったが、その声は落ち着きを失っていて、日本語が通じるとわかった俺は電話の相手を落ち着かせた。

 そして、なぜ親父の電話に出ていると電話相手を問い詰めようとしたが、それよりも先に向こうから、俺を親父の息子だと確かめると、相手は何があったのかを教えてくれた。

 

 

 

 たった今、親父が死んだと……

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 数日後、家に一通の手紙が送られてきた。どうやら、親父が自分の死ぬ数日前に送っていたらしい。

 

 手紙の内容は、親父の財産を全て俺に相続させる事と、自分の死を母親には伝えるなという事。親父の身に何があったのかについては、一切書かれていなかった。

 この数日間は、どうにも空虚な時間が続いていた。親父の死を聞いて、涙の一粒も零れなかったのは、親父にあまり愛されなかった俺の心が冷えきっていたからだったのか。それとも、あまりにも呆気ない親父の死を、俺自身が信じられなかったのだろうか。

 だから、俺は真実を求めた。本当に親父は死んでしまったのか。だとしたら、どうして、おせっかいでもやく様な手紙を俺によこしたのか。

 

 

 

 あの笑顔の意味は何だったんだろうか。

 

 

 

 どうしても真実を知りたかった俺は、母親に適当な嘘を並べながら、しばらくの間、家を空けると伝えた後、今度は親父の知人――あのカタコトの女性と連絡を取った。目的は海外へと渡り、親父の墓を確かめる為だった。

 彼女が非常に協力的な事もあってか、予定の話は滞りなく進んだ。ほんの少しだけ気は楽になった。

 

 空港で出迎えてくれた彼女と合流して、俺は親父のいた海外へと飛んだ。思えば、人生初めての海外旅行だったが、時差ボケと飛行機酔いで気が狂いそうだった俺は、彼女に介抱されっぱなしだった。

 向こうに到着しても俺の体調が良くならないので、彼女は俺を自分の部屋へと招待してくれた。女性……しかも金髪美女の一人暮らしの家に滞在するというシチュエーションに妙な興奮を抱いた俺は、親友の変な性癖が移ったと勘違いした。

 

 初日は彼女の家で過ごした。旅行初日を体長不良でこじらせた事を謝ると、彼女曰く、そういうところが親父に似ていると、言っていた。そのときの俺には、どういう意味なのかわからなかった。

 

 彼女との会話自体ははずんだ。ただ、彼女は事あるごとに俺と親父を写し合わせてくるものだから、不審に思った俺は、親父との関係を問いただした。

 

 どうやら彼女、親父にかなりの好意を抱いていたらしい。最初は、ただ親父のルックスに惚れただけだったらしいが、その後ほとんど家に帰る事もできず、家族にも顔を合わせられずに働く親父に、情が湧いたそうだ。

 しかし、彼女が親父に惹かれた理由はそれだけじゃなかった。それを問い詰めようとした俺に対し、彼女はそれまでの声の調子を、親しみのある優しい声色から一転させた。そして、俺に真実を知る覚悟があるのか確かめると、彼女はゆっくりと話してくれた。俺の知らない、親父の事を。

 

 日本に残された家族を捨てて、こっちで新しい家族をつくらないかと、彼女が親父に告白しようとしていた矢先、親父は病を患った。

 病気は呼吸器官系統のものだったそうだ。最初は咳き込むだけだったらしいが、後の頃になると呼吸をするだけでも、酷い痛みが伴っていたそうだ。治療方法は解明されておらず、更には余命までもを宣告されてしまった。

 だが、親父は自分の病気を理由に休暇をつくると、一度日本に戻る準備をしていた。体は病気で蝕まれている筈なのに、どうして無理をしてまで家族のもとへ戻るのかと彼女が尋ねると、親父は当然の様にこう言ったそうだ。

 

 

 

 「愛してるからだ。当然だろ?」

 

 

 

 その時彼女は、親父は自分の短い余命を家族と一緒に暮らすのかと思っていたらしい。でも、親父は俺も知らない所で母親へ離婚を持ちかけ、最後は俺の悪意の牙を受け流し、仕事へと返ってくる日々だった。

 

 なぜそんな行動をとったのか。彼女はまた親父を問い詰めた。

 

 親父は、自分の余命が宣告された事を、母親にも俺にも一言も口に出さなかった。それは、嫁が自分の死に耐えきれない事を暗示している様だった。酷い遠回りで親父は家族に、自分の事を忘れて幸せになってほしいと、願っていたのだ。そして、これが親父の、自分なりの愛情だったのだ。

 しかし、その愛情に反発する者がいた。俺だ。親父もきっと、これは予想外だっただろう。でも、親父は俺のワガママを受け止め、自分の目的を成し終えた。

 

 だから親父は笑ったのだろう。あの時、母親が出て行った玄関の前で。

 

 その後、仕事場に戻った親父は病状が急に悪化して、病院に運ばれたそうだ。入院中のベッドで親父はずっとグチを呟いていたらしい。

 

 

 

 家に戻ったら、嫁にキスがしたかった。

 

 

 

 抱きしめてやりたかった。

 

 

 

 もっと嫁の飯が食いたかった。

 

 

 

 アイツを抱え上げたかった

 

 

 

 アイツと外で遊んでやりたかった。

 

 

 

 おもちゃでも、何でも買ってやりたかった。

 

 

 

 家族に笑いかけたかった。

 

 

 

 家族で旅行に行きたかった。

 

 

 

 でも……俺には許されなかった。もし許せば……アイツらは悲しむ。

 

 

 

 山ほど残っている親父の未練は、ひとつも晴れる事はない。

 そして数年後、自らの死に際。親父は彼女にこう言ったそうだ。

 

 

 

 本当に俺を愛しているなら、俺の息子の事を頼む。あの子はいつか、俺の真実を知ろうとする筈だ。協力してやってくれ……と。

 

 

 

 そのあとすぐ、既にこの世を去った親父の元に、一本の電話が届いた……

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 翌日、体の調子を取り戻した俺は、ようやく親父の墓の前へと連れてこられた。

 彼女の家から数十キロ離れた、田舎の高地。青空の下、広い広い草原の広がる墓所に、親父は眠っていた。

 分厚い石を数枚繋ぎ合わせただけの簡素な墓。当然ながら、墓標には英語で名前が彫られている。ここにはそんな墓が何百と並んでいた。

 親父の墓の前に立って、俺は黙祷する。目を瞑った間、俺は親父の言動を思い返していった。

 

 

 

 呼吸をすれば激痛が伴う筈なのに、親父は俺達に会いに来ていた。

 

 

 

 あの時——俺が始めて親父と出会った時、親父は俺の事を抱き上げたかったのだろうか。

 

 

 

 一緒に食事をとっていたのは、本当に家族の団らんを楽しんでいたのだろうか。

 

 

 

 母親の家事を手伝う俺を見ながら新聞を呼んでいた親父は、本当は俺と外でサッカーでも何でもいいから、遊びたかったのだろうか。

 

 

 

 俺の一人暮らしを認めてくれたのは、俺が親父の目の前で言った始めてのワガママだったからではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なら……うれしかったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 親父は、俺を愛していたんだ……

 

 そう思うと、何だか涙が出てきて……気がつくと、俺は彼女に後ろから抱きしめられていた。肩の震えで、泣いている事がわかったらしい。

 俺はしばらくの間、彼女の腕に包まれていた。思えば、親父の死に涙したのはこの日が始めてだった。俺は、本来泣いている筈の数日分の涙を流し続けた。

 

 涙はただ、絶え間なく、流れ続けた……。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 親父との別れを終えた数日後、俺は海外バカンスを楽しむ事もなく、帰国を望んでいた。急いで戻ってやるのは、親父の真意を母親に知らせる事ではない。今まで、俺のワガママで心配や迷惑をかけた母親に謝りたかった。そして、そんな俺を育てて……愛してくれた事に、お礼を言いたかったのだ。

 彼女は、もう少しゆっくりしてれば良いと、俺を引き止めたがっていたが、とても無理だった。だから別れ際、彼女とはまた会う事を約束した。今度はバカンスも込みで来ると。

 俺は彼女に頬をキスされ、空港のターミナルへと入って行った。その時の足取りは、とても軽かった気がした。

 

 飛行機に乗った後、俺は家に帰ってやるべき事を考えながら仮眠を取り、母国へと到着した。日は暮れていたが、久しぶりにも感じる故郷の空気が、ずいぶんと懐かしかった。

 

 特に寄り道もせず、真っ直ぐに自分の家へと帰った俺だったが、家に到着すると、なぜか玄関の鍵が開いていた。旅行に出掛けていたのだ、鍵はしっかり閉めた筈だ。

 

 最初、母親が来ているのかと思って、俺は「ただいま」と、挨拶をしてみたが、返事はなかった。

 

 まさか泥棒でも入ったのだろうか? 俺は玄関を開け、静かに荷物をおろす。そして、物音をたてない様に恐る恐るリビングへと向かった。

 

 しかし、リビングに来て辺りを見回しても、荒らされた形跡は見当たらなかった。俺はとりあえず緊張した息を吐き出したが、顔を向けた方向に見えた庭を見て俺は、閉めていた筈の雨戸が開いている事に気づいた。そして、それを調べようとしたが、窓は閉められて、ロックもかけられていた。

 こんな丁寧な泥棒はいないだろう。やはり母親がいるのではないだろうか? 俺はリビングに突っ立ったまま、大声で母親を呼んでみた。

 

 だが、返事が返ってくる事はなかった。やはり泥棒か何かなのだろうか。警察に連絡するのが面倒くさかった俺は、とりあえず着替えようと、自室のドアを開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…………母、さん……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこには母が倒れていた。か細い手に握られた親父の手紙が、全てを物語っていた。

 

 

 

 そのあとの事はよく覚えていない。救急車を呼んで、母親と同乗して病院に着いた後、母親はすぐ集中治療室に運ばれ、病院の廊下に残った俺は、医者から渡された、母親が握りしめていた親父の手紙を受け取ってから、ようやく落ち着きを取り戻した。

 

 俺は病院の隅の椅子で、手紙を握りしめたままうずくまっていた。今、目の前の状況がとても受け入れられる事ではなかった。何か悪い夢でも見ているんだと思った。でも、その全ての妄想を、この一枚のグシャグシャになった手紙が、俺を現実へと引きずり戻していた。

 そして、その手紙は母親を殺した。破り捨ててしまいたい衝動は、俺の知っている親父の真意が許してはくれなかった。

 

 やがて、何も考えられなくなって数時間、突然の医者の呼びかけに、俺は身を震わせた。医者は俺の気を確かめる様に心配しながら、母親の容態を伝えてきた。

 

 母親の命に別状はなかった。だが、意識が全く戻らず、原因もわからないままの昏睡状態らしい。

 

 俺の中で、親父の墓を見た時の記憶が巻き戻された。家に帰ったら母親に、せいいっぱいの「ありがとう」と「ごめんなさい」を伝える筈だったのに、何でこんな事になっているのか、俺はまだ理解しきれていなかった。

 

 

 

 転機が訪れる事もなく時間は無情に進み、俺は高校生になった。

 

 病棟の個室。色という色を感じられない真っ白な部屋の真っ白なベッドの中で眠り続ける母親を見て、これからいったいどうすればいいのか、俺には何もわからなかった。

 

 ただ唯一、俺の中で鮮明に残っていたのは……親父の死を知る直前、大好きな先生の結婚式で見た、彼女の幸せそうな笑顔。そして、それを見た瞬間に俺の心の中で捲き起こった、親父も感じていたかもしれない、あの幸福感だけ。一番に愛したかった両親を眠らされた俺の支えになっていたのは、それだけだった。

 

 

 

 そのあとから、俺はがむしゃらに幸福感を求め続けた。高校に入って、人付き合いの視界は更に広がった。バイトがやれる様になった分、できる事も増えた俺は、膨大な本、漫画、映画を読み漁った。

 

 俺はそこから、何て事のない家族の、恋人達の、世界中の、幸せな光景を観ている事が、何よりも楽しかった。観ているこっちの笑顔が綻ぶ様なハッピーエンドを紡ぎだす事が、何よりの癒しだった。

 

 

 

 『ToLOVEる』だって……

 

 

 

 この頃から、俺は他人の恋愛、幸せ、人としての行く末を観ているのが大好きになった。それは、もはや使う事もなくなってしまった自分の愛情を、別の何かに向けてしまいたかったのだと思う。俺はもう、人を愛する事ができなくなってしまったのかもしれない。

 別に今までの俺なら、そんな事はどうでもよかった。他人の幸せを観ているだけの人生も悪くないと思っていたし、何より俺が楽しかったから。

 

 

 

 だが……今の俺にはそれすらも許されなくなってしまった。

 

 

 

 自分はいったい、何のために『結城リト』としてこの世界にいるのだろうか。

 

 

 

 種の保存の架け橋となる、恋愛を放棄した人間に対する天罰なのだろうか?

 

 

 

 なら、これほど恐ろしい罰なんか存在しないだろう。

 

 

 

 でも、もし本当に天罰だとするなら、こんな俺を裁くために『彼女達』を使った事を、俺は許さない。俺の罰に付き合う必要なんかなかったんだから。

 

 

 

 そもそも、俺をこんな世界に置いて、何をしろというのだろうか?

 

 

 

 この俺に恋愛をやり直せとでもいうのだろうか? 

 

 

 

 人に恋する勇気も無くしてしまった俺に、今更何を……

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 「リト!! リトぉ!!! 目を覚ましてぇ!!!」

 

 霞む視界から目を覚ますと、そこには悲鳴の様な声を上げて俺の事を呼び続けるララが、俺の体を揺さぶり続けていた。彼女は俺が目覚めた事に瞬時に気がつくと、揺さぶり続けていた手を俺の腰へと回し、そのまま俺の体を抱きしめてきた。寝惚けまなこの俺には何が何だかわからず、ただ彼女の抱擁にされるがままだった。

 

 後で聞いたのだが、俺はずいぶんと酷くうなされていたらしい。苦しみ悶える俺の姿は、ララには恐ろしく見えたのだろう。

 

 「リト……大丈夫……大丈夫だから……」

 

 ララは俺と顔をすり寄せながら、混乱している俺を落ち着かせようと、言葉を呟き続けていた。俺はそこでようやく、自分の体が汗と涙でびっしょりな事に気がついた。それだけじゃない。俺の頬には、ぽたぽたと彼女の涙が流れ落ちて、俺の頬を伝った。

 泣く程心配させてしまった事を謝りたかった。だが、俺は恐い夢を見ていたという自覚もあった。だから、この時は何も言えず、俺はララの胸の中に顔をうずめ込み、そこで涙を流した。

 ララは何も言わずに、俺の頭を優しく撫で続けた。それは俺の意識がまた眠りに落ちるまでまで続いた。

 

 

 

 ララは、俺と幸せを分け合いたいと、嬉しそうな笑顔で言っていた。

 

 

 

 なら……俺は、どうすればいい………?



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第十六話

ゴメンなさい。今回ちょっと短いです。


 「さて! もうすぐ彩南高校の学園祭が始まる!! というわけで実行委員の猿山だっ!!」

 

 いつもはおちゃらけて周りを楽しませている男だが、今日に至っては真剣な表情で声を張りながら、教壇の前に立って俺達クラスメイト全員に話をしている。

 

 今から俺達が始めようとしているのは、彼の言った通り、ここ彩南高校の学園祭が近付いているので、自分達のクラスが何をやるのか、催す物の案をまとめ、それを決める事だった。

 

 前回のHRではクラスで一人ずつ案を出して、紙でまとめた。だから今回は、そのまとめたヤツをクラスで決める予定だと思われるのだが……。

 

 「え〜と、この前のHRでお前らに出してもらった出し物の案なんだが…………オバケ屋敷に演劇とかわたがし屋とか、どれも普通すぎてあまりにもつまらない!!」

 

 と、猿山はいきなり俺達のまとめた案を一蹴。俺が呆れ、クラスの周りがざわつく中、彼は教壇に背を向けると、慣れない手つきで黒板に力強くチョークを滑らせ、最後にドン! と汚ねえ字で書かれたそれを力強く叩き、クラスの注目を集めた。

 

 「そこで考えた結果! 俺達のクラスは『アニマル喫茶』でいく事にした!!」

 

 猿山が一際強く声を張り上げたが、周りは彼の勢いについて行けず、数秒遅れで内容を理解しても、そこから返ってきた相づちは、批判の嵐だった。

 

 「アニマル喫茶ぁ〜〜? 何ソレ、コスプレ喫茶みたいなモン?」

 

 「えー、やぁーだぁーー」

 

 「はやんねーよ、そんなの!」

 

 クラス中のブーイングが猿山に集中する。しかし、彼はクラスの抗議に腰を引く事なく、

 

 「絶っっ対にはやる! はやらせる!! いいか! 時代はアニマル!! 弱肉強食の時代だァ!!!」

 

 それら全ての反論を凄まじい大声で押し返した。

 

 猿山はそこで口を止めず、更に自分の案の内容などを細かに説明を始め、ブーイングを放っていたクラスの連中共を押さえつけようとしていた。

 そんな中、俺は猿山の凄さを再認識していた。クラス中のブーイングを押し返すなんて、余っ程の度胸がなければやれる様な事ではない。これは彼の凄い所であろう。もしかしたら、彼の方がデビルーク星の王などに向いているのではないだろうか。

 

 俺がどうしようもない評価を考えている間にも、猿山の説明は続いている。いったいいつまで話すのかと思っていると、横目にレンが恐る恐る手を挙げる姿が見え、俺は体を彼の方へと向けた。

 

 「よ……よくわからないけど、そこまで言うなら……とりあえずどんな物だか、彼に見せてもらおうよ。反論はその後でもいいだろうし……」

 

 それはおそらく彼の肯定的な意見だった。妙に口調が戸惑っているのは、猿山の熱気を帯びた気勢に圧倒されているからだろう。正直、俺は今の猿山には話しかけたくなかった。

 

 「よぉ〜しぃ、良い事言ったぞレン! じゃあさっそくモノは試しとして!! 女子! 今から俺が用意した衣装に着替えてきてくれ!!」

 

 レンの意見にたいへん喜んだ猿山は、教室の後ろで山になっているダンボールを指差し、クラスの女子達にそれを更衣室に運んで着替えてくれと、彼女達を促した。

 「メンドくせぇ〜」とうなだれている籾岡。仕方なさそうに溜め息を吐く沢田。不安を隠しきれない西連寺。唯一、楽しそうに笑いながら、重そうなダンボール箱を軽々持ち上げて、更衣室へ向かったのはララだけであった。

 

 文句を言いながら教室から出て行く彼女達の様子を見てほくそ笑んでいる猿山。端から見れば不審者の類いであり、残った男子共も「大丈夫なのかよ……」と不安を募らせた視線で気持ちの悪い笑みを浮かべている彼を眺めていた。

 

 だが、そんな彼らの不安はすぐに吹き飛ばされる結果となる。

 

 数分後、一番最初に教室に入ってきたのはララだった。

 

 「ジャーン!! みてみて!」

 

 「「「「「おおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおぉぉぉおぉぉぉぉ!!!」」」」」

 

 ララを始めに、次々と教室入ってくる女子達を見て、野郎共は次々と歓声を上げていった。彼女達の着替えてきた服装はどれもこれも生地が異様に小さく、一言で言うと際どい。パンツが見える事を前提にしている様な作りのスカート。ほとんどの女子はヘソがお腹ごと丸出しになる丈の浅いキツめのタンクトップやブラジャーっぽくかたどったバンド状の布。あとは地肌が露出している。おまけに言うなら、首輪やら鈴やらケモノ耳のカチューシャなどのオプション付きだ。これがさっきっから猿山が推しているアニマル喫茶の訳だろう。

 

 その嫌らしさ満点ながら、しっかりと着こなしている女子達に、俺は興奮どころか感動を覚えそうだった。

 

 当然、周りのヤツらもこんな光景を見て普通でいられる筈がない。発情期真っ盛りの男共を発狂させるには十分だった。

 

 「スゲーっ、良いじゃねーか猿山っ!!」

 

 「だろだろっ!! これこそ俺が求めてたパラダイスなんだよ!!」

 

 ホラ、さっきまで猿山に対して文句を言い放っていたヤツが、もう手の平を返して彼を褒め称えている。

 

 そんな中、教壇の前で並んでいる女子達の内の二人が、顔を真っ赤にしながら見ているレンの前へと移動してきた。

 

 「レンくん! これどーおー?」

 

 「にあってる……かな?」

 

 彼女達、二人は恥ずかしそうに腰をくねらせてレンの返事を伺おうとしているが、その動作が淫らに見えたのか、彼は真っ赤になった顔を隠す様に口元へと手をあてた。

 

 「う、うん。最高に、カ……カワイイと思うよ」

 

 近づいてきた彼女達を直視できないのか、レンは横目でチラチラと彼女の素肌を見ながら、やっとの事で声を振り絞っていた。

 

 その何とも言えぬ青臭さに俺が口元を歪めていると、彼女達に遅れてララが近づいてきた。俺の机の前へと。

 

 「ねーねーリト、どう!? 私の格好!!」

 

 俺は彼女の言葉に従い、視線を顔から服装へと移す。遠くから見て際どい衣装だと思っていたが、近づいて見てみると思った以上に卑猥な衣装だとわかった。いや、プロポーションの良いララがこれを着ているせいで余計に卑猥に見えるのだ。ララの大きな胸に布の面積が足りておらず、上乳も下乳もはみ出してしまっている。

 

 「あ、あぁ……似合ってると、思うぞ……」

 

 目線こそ彼女から離さなかったものの、気がつくと俺もレンと同じ様に手を口元に押さえていた。おそらく、俺も彼と同じ、赤面しているのだろう。情けない……。

 

 「やったあ! リト大スキ〜!!」

 

 俺が褒めてくれる事はやっぱり嬉しいのだろう。ララは椅子に座っている俺の後頭部に手を回し、そのまま自分の胸の中に包み込む様に俺の事を抱きしめてきた。俺は抗おうとしたが、力は圧倒的にララの方が強いので、そう簡単に振り解けるわけがない。

 

 

 

 あの日以来、ララは俺に肌と肌で触れ合ってくる頻度が極端に増えた。まるで、俺の身体がどこか勝手に遠い世界に行ってしまうのを、必死で引き止めている様に強く。離れていかない様にしっかりと、俺の背中に手を回して抱き込んでくるのだ。

 

 仕方のない事だった。あのとき、ベッドで悪夢を見た俺が彼女に与えてしまった恐怖は、俺が想像のできるものではないのだろう。悪夢から解放された俺が見たララは、見た事もないくらいに恐怖で顔を歪めていた。

 

 俺はもう二度とあんなララの顔は見たくない。そのためには自分を律し、過去に背を向けなくてはならない。言って楽に出来るものではないのは、百も承知だ。やらなきゃいけないんだ。

 

 今の彼女の抱擁は真意が違う。好意をアピールするだけのスキンシップが、今は幸せを分かち合いたいと切望した愛情に変わっている。おかげで、季節は夏を通り過ぎて秋になった今も、ララは自分の部屋に戻る気配もなく、俺のベッドに全裸で潜り込み、肢体をガッチリと俺の身体にしがみつかせて眠るのだ。

 

 そんな彼女を、引き剥がせない自分が居た。今の彼女は俺が離れる事を、何よりも恐れているのだから……

 

 ……或いは俺自身、もう

 

 

 

 俺は体をひねってアニマル姿のララの抱擁から脱出した。ほんの少しだけ、唇のつり上がる彼女をなだめかしながら、俺はこれからのララとの関係をどうすべきか、終わりの見えない思考の海を潜り続けていた。

 

 その最中、教壇の前で西連寺が籾岡と沢田に背中を押され、おちょくられている様子が見えた。今の服装に恥ずかしがっている彼女を目立たせてやりたいのか、単にスキンシップとして触っているだけなのかはわからんが、たぶん後者だろう。何をやっているんだ……。

 

 「おーーし! 俺達のクラスの出し物はアニマル喫茶に決定だぁ!!!」

 

 既に女子達が着替え、教室に来た時点でこのエロ猿の案は決まった様なもんだった。女子達からも特に反対する様な声も出ず、男子も言わずもがな猿山の案に全員、乗っかっていた。こんな如何わしい喫茶店、学校が許可を出してくれるのか少々不安にも感じるのだが、この学校の校長の事だ。二つ返事でOKが出るのだろう。考えたら負けだ。

 

 そういえば……

 

 学園祭の出し物がアニマル喫茶に決定され、クラスが騒がしくなる中、俺は教室の外——窓の向こうの並木をじっくりと注目した。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 (凛視点)

 

 

 

 私こと、九条凛は今、自分の主人、天条院沙姫様からの命令を受け、ある任務をこなそうとしていた。

 

 それは、今、彩南高校で注目の的になっている、ララ・サタリン・デビルークとか言う一年を調査し、彼女について何か情報を手に入れる事である。

 

 「ふむ……」

 

 彩南祭の季節が近付いてきたという事もあって、全てのクラスが何を催し物にするのか教室で会議を行っている。そこで私は、ララと言う少女のクラスを観察し、彼女達のクラスは何をやるのか探ろうとしていた。

 

 私が今しゃがみ込んでいるのは、学校の敷地内に生えた並木の太い枝の上。そこから、双眼鏡で彼女の所属するクラスを覗いている。

 目標の彼女は簡単に見つかった。ピンクブロンドのロングヘアはここから双眼鏡を使わなくてもよく見える。ただ、距離の関係で音が聞き取り辛いのが惜しい所だが……。

 私は双眼鏡で覗いて、教室の中を観察する。よく見ると、彼女の達の姿は卑猥な物で、地肌がほとんど露出していた。先程から男子の様子が異様にうるさく感じられたのはこれが原因だろう。……気持ち悪い。

 

 「おーーし! 俺達のクラスの出し物はアニマル喫茶に決定だぁ!!!」

 

 そんな大きな声が、教室の中から聞こえてきた。私は忘れない内に、この事を沙姫様へと伝える事にした。

 

 「……沙姫様、どうやらこのクラスはアニマル喫茶なるものをするつもりのようです」

 

 持っていた小型無線機を口元に当て、沙姫様へ連絡をする。更にララという彼女の様子も確認できたので、そちらの様子も伝えた。

 

 「何やら、あのララとか言う一年が、男子が大喜びしそうな衣装を着ております」

 

 『何ですって!!?』

 

 私の耳元についているイヤホンから、沙姫様の大きな声が聴こえてきたが、私はそれに返事をしている場合ではなかった。双眼鏡の先、クラスが盛り上がっている中、ララと言う少女に抱きつかれている一人の男を発見したからだ。

 

 その男は癖毛なのか、妙に跳ねた明るい髪色の髪の毛が目立つ男だった。彼女の抱擁を煩わしい様に振り払い、呆れた様に溜め息を吐いている。

 私は顔をもう少し観察するため、双眼鏡を拡大して彼を見遣ったその時だった。

 

 

 

 ギロッ……!!

 

 

 

 「……ッ!!?」

 

 私は何が起こったのか信じられず、双眼鏡から素早く顔を離してしまった。そして、先程まで眺めていた教室から更に身を隠す様にしゃがみ込んだ。

 

 今、確かに目が合ったのだ。双眼鏡を限界まで拡大した時、寝不足なのか目元の隈が少々目立っていたのを鮮明に覚えている。

 

 だがしかし、私の居る場所は教室からかなり離れた木の上。しかも、姿が隠せる程の葉が生い茂った枝の上に隠れている。あちら側から私の姿が見える筈がない。

 

 『っ? 凛、どうかしましたの?』

 

 私の様子がおかしい事に気が付いたのか、耳元から沙姫様の心配する声が聴こえた。

 

 「い、いいえ! ……な、なんでもありません……」

 

 だが、私は目の前で起こった事が信じられず、慌てて誤魔化した。

 

 『そう……? ……なら、もう戻ってらっしゃい。報告、御苦労さま』

 

 「はい、失礼します」

 

 沙姫様はまだ少しだけ私の声の様子をうかがっていたが、私は必死に落ち着きを取り戻そうと、呼吸を整えながら返事をして、覗き見るために使っていた双眼鏡をしまい、耳に付けていたイヤホンを外す。そして、足下に気をつけながら、木を降りて、自分の教室に戻るべく、早歩きをした。

 

 もしかしたら、ただの偶然だったのかもしれないが、私の勘があの男を危険視してやまなかった。あの男には何かあるかもしれない。気をつけなければ!

 

 『ほーーーーーーっほほほほほほ!!』

 

 意気込んでいた私の胸元、イヤホンを入れていた内ポケットから沙姫様の笑い声が聞こえてきた。

 

 思ったのですが、沙姫様……今は確か授業中のハズでは……?

 

 



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第十七話

 学園祭の出し物が決まって数日後、俺達は設けられた時間や放課後を使って、催し物の準備を始めていた。

 

 「おーし!! いよいよ彩南祭まであとわずかだァ!! 各自、与えられた準備をしっかりやってくれい!!」

 

 アニマル喫茶の熱意に満ち溢れた猿山の号令と共に、俺達のクラスは一致団結して返事を返す。最初は馬鹿馬鹿しいと思っていたが、これをやるかやらないかで気合いの入り方が違う事を知ったのは、ずいぶん前の話だ。

 

 ともかく作業が始まるので、俺は猿山に言われている通り、自分の仕事を始めようと椅子から立ち上がった。

 

 「リト〜、一緒にやろ〜」

 

 のんきな声を出しながら、おれの所へとやって来るのはララ。ここ数日は毎回一緒に作業を行っていたから、特に違和感を感じる事ではない。

 だが、そんな俺と彼女の間に、突然猿山が割って入ってきた。

 

 「おっと、ララちゃん。こっちこっち!」

 

 猿山は俺に近付こうとしていたララを止めると、彼女の前で謝罪をする様に肩を落としながら手を合わせた。

 

 「ワリぃ、リトにはもう別の作業、用意してんだ」

 

 「え〜、そーなのー?」

 

 ララは彼の言葉に納得していないようだったが、猿山は彼女から理由を問いただされる隙も与えず、レン達が集まっている場所へと誘導を促してきた。

 

 「ララちゃんは家庭科室の方へ行ってくれ、ケーキの練習やるぞ!」

 

 「え、ケーキ作んの!?」

 

 その単語に大変興味が湧いたのか、ララは曇りかけていた表情を少しだけ晴れやかにする。そんな彼女の子供の様な反応が久しぶりで、俺は「行ってこい」と手を振ってやった。その時の俺の笑顔は、素だったと思う。

 

 「じゃあリト、また後でね。ケーキ作ったらもってくるね〜!」

 

 彼女はブンブンと元気に手を振りながら、レン達のグループと一緒に教室を出ていった。彼女を見送った俺をよそ目に、猿山は西連寺を呼び寄せ、俺達二人の前に立つ。

 

 「おしっ。じゃあリト、西連寺。教室の飾り付けは、お前ら二人が中心となってやってくれ」

 

 「うん、わかったわ」

 

 すでに飾りは前回までの時間からララと一緒に作り上げていたので、後はもう飾り付けるだけの状態である。西連寺は特に反抗もなく素直にうなずいたが、俺は今の言葉に少しだけ疑問を持った。

 

 「ん……ちょっと待て。お前は?」

 

 「俺は家庭室行って、喫茶店に出すケーキの練習の指揮しなきゃなきゃいけねえんだよ」

 

 「あぁ……わかった、行ってこい……」

 

 「そっちは任せたぞー!」

 

 と、ララの集団に続いて、逃げる様に教室から出て行った猿山の後ろ姿を見送って、俺は悪態を吐いた。

 

 「指揮っつったって……本音は、味見がしたいだけだろ……」

 

 「あはは……猿山君ったら……」

 

 西連寺の乾いた笑い声を皮切りにして、俺は教室に残ったヤツらに指示を下し、自分の作業を始めた。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 作業自体は特に問題もなく進んだ。ただ、困った事になったのは、そろそろ一旦休憩しようかと西連寺に話しかけようとした時だ。

 

 「やだなァ……あの衣装……」

 

 その呟きは唐突すぎるものだったが、聞こえずらかったわけではないので、俺は彼女が何を言っているのか理解した。

 

 「えっ? アレって……アニマルのあの衣装?」

 

 「うん……」

 

 俺が話を聞いてくれる事を期待していたのか、コクンとうなずいた彼女は、自分の右腕を使って垂れ下げたままの左腕ごと体を小さく抱きしめた。目線は飾り付けをしていたテーブルの上で、俺と視線は合っていない。

 

 「あんなの……恥ずかしい……」

 

 ほのかに顔を赤らめ視線だけを俺の立つ方向へと移す西連寺。その瞳は俺に同情を望んでいるのだろうか。結城リトなら「そんな事ねーよ!」と、全力で否定してあげるのだろう。

 だが、俺は彼女に言葉を投げかける事ができなかった。いや、言葉自体はすぐに思いついた。でも……周りの視線がこの時俺に、

 

 「ねぇ、セロテープない?」

 

 と、いきなり俺達二人の空間を貫く声がすぐ後ろから聞こえた。振り返れば、そこにいるのは籾岡と同じ様な、ギャルっぽい雰囲気を持った女子だった。

 

 「えっ? どっかその辺に……」

 

 俺はすぐ、周りで作業しているヤツらに声をかけたが、あいにくどこもかしこも全て切れていたようだ。

 

 「うっわっ、きれやがった、最悪だ!」

 

 一人の荒っぽい性格をした生徒が叫んだ。それと同時に、もう一人の女子も溜息を漏らした。

 

 「うっそ〜……」

 

 テープは後もう少しだけ使う予定がある。今なくなると猛烈に面倒なのだが、切れたものは仕方がない。自分の葛藤の中から戻っていた西連寺が、声をかけてきた。

 

 「結城くん。私、買い出しに行ってこよっか?」

 

 「いや、俺が行く。ちょっとひとっ走りするだけだから……」

 

 別に、最低限買うだけの物はセロハンしかないのだから、わざわざ一緒に行く必要もない。コンビニはこの学校からでも結構近いから、あっとういう間である。だから、俺は特別に誰かを誘う事もなく、自分の財布を手に取り、教室の扉を開けた。

 

 「じゃ、行ってくる」

 

 「うん。気をつけてね」

 

 見送ってくれた西連寺に手を振り、俺は教室を出た。早歩きをしながら、経費は猿山の方に回しておくかと心の隅で考えていた俺を、突如として呼び止めようとする女性の声が聞こえた。

 

 「ちょっとそこのアナタ!」

 

 「?」

 

 急に呼ばれたその声に、俺は歩んでいた足を止め、振り向いた。

 

 そこには、片手を腰に、もう片方に手を胸に当て、仁王立ちで踏ん反り返る、見るからにしてプライドの高そうな女性が俺の方を見下していた。スタイルもいいが、特徴的なのはその髪型で、白に近いブロンドのロングヘアを側頭部の高い所で左右それぞれおだんごの様に丸め、肩へとかかる髪は緩い縦ロールという、なんとも面倒くさそうな髪型なのだ。残った後ろ髪は癖っ毛なのか、ウェーブしている。

 

 「二年B組、天条院沙姫!! この(わたくし)が、あなたと付き合ってあげてもよろしくてよ!!」

 

 

 

 ……俺は危うく、この人の存在を忘れかけていた。

 

 

 

 『ToLOVEる』の中では先輩ポジションであるにも関わらず、出番が少なく、出たとしても毎回ララのせいで不憫な目に合う事の多いキャラ。一言で言うならば、残念な美人。

 そして遠い未来、おそらくザスティンの嫁になるであろうこの女性。名前は先程本人が言っての通り、『天条院沙姫』。どこぞの会社の、正真正銘のお嬢様なのだ。

 

 そんな事はさておき、さぁどうしよう。俺は正直、この人とは関わりたくないというのが本音なのである。性格に多少どころかかなりの難がある上、関わるとロクな事になっていないのが原作の知識からの未来なのだ。この人も俺達に関わってこなければ、もう少しまともな運命を進めるはずなのに、自ら事件を持ち込んでくるのだから厄介だ。

 『結城リト』は彼女と不運命的な出会いを、豪快なスルースキルで押し切ってしまったが、俺はそういうわけにもいかない。第一、声をかけられて、もう止まっちまった。だから彼女の反応に答えてしまったのである。

 

 できれば関わりたくない相手。彼女に返す俺の言葉はもう決まっていた。

 

 「いや……結構でs、

 

 「そんな事言わずに! あなたのクラスより、よっぽど魅力的な女性がいることを……教えてさしあげますわ♪」

 

 だが、俺の言葉が言い終わる前に、天条院先輩は俺の首元に腕を絡めると、ララほどではないが豊満な胸を俺に押し当ててくる。そして、舐める様な視線で上目遣いをしてきた。

 別にドキッとしたわけではないのだが、俺は彼女を振り解き、諦めさせようと説得を試みたが、全く話を聞いてくれなかった。

 

 やがて、俺の方が根負けした。

 

 「じゃあ……この買い物の間だけ……」

 

 「ほほほほっ! どうせなら、ずっとそばにいてもいいですのよ!?」

 

 勘弁してください。決して口では言わず、俺は心の中で呟き、彼女を連れて買い出しに出かけた。

 

 こんなに面倒な事になるなんて思ってもいない。学校から出ても、先輩は俺より前の道を歩き、なにやらブツブツと自慢に満ちた様な口調で何かを呟いていた。たぶんくだらない事だと思うから、俺は何も言わなかったが、正直、ちょっと引いた。

 

 「先輩……」

 

 「フフフ……これであのララとか言う娘も……」

 

 「先輩!」

 

 「っ! なっ、なんですの?」

 

 一回り大きな俺の声に驚いて、先輩は俺の方へと振り返って目を丸くした。こういう部分は可愛らしいのに、普段の状態はあれなのだから救い様がない。

 声をかけた理由は、何て事のないただの質問である。先程から会話が一切ないので、こちらから振ってあげただけだ。

 

 「いや……先輩達のクラスは、彩南祭の出し物は何やんのかと思って……」

 

 「フフン、気になりますの? なら、特別に教えてさしあげますわ!」

 

 別に特別ってほどでもないだろうと心の中でツッコんでいる俺の心境など微塵も知らず、先輩は道を歩きながら腕を組んで踏ん反り返った。

 

 「今、彩南祭で注目の目玉になっているのは、あなた方のクラス、1-Aによるアニマル喫茶! それに対抗すべく、この私が考えあげたのは……昆虫喫茶ですの!! ウエイターはお客様の好みに合わせて様々な昆虫のコスプレをs、

 

 「あぁああ……もういいっス先輩……」

 

 まだまだ色々と話をしようとする先輩を押止め、俺は先輩のクラスの様子を想像した。二年のやつらはきっとこのワガママお嬢様の意見に振り回されたんだろうなぁ……と思うと、可哀想だと感じてしまう。

 

 

 

 だから、俺は助け船を出す事に決めた。こんな事で助かるとするならば、良心の儲け物だろう。

 

 

 

 「でも先輩? それなら昆虫じゃなくて、俺達と同じアニマルでいった方が絶対に良いと思いますよ?」

 

 「アラ、どうして? 私は、良い考えだと思っていますのよ?」

 

 唐突な俺の意見に、彼女は自分の意見を理解されていないのが不思議といった表情で、俺の方を見てきたが、無視して言葉を続ける。

 

 「だって……そんな昆虫喫茶とか、遠回りにまどろっこしい喫茶店開くよりは、堂々と同じ喫茶店開いて対抗した方がカッコいいでしょ? 目には目を、歯には歯を、アニマルにはアニマルみたいで……」

 

 「う〜む〜……た、確かに、それもありますわね……」

 

 少し悩み始めた先輩。好機だと思った俺は、更に言葉を続けた。

 

 「あっ、先輩。よかったら、俺達のクラスと合併しません? 先輩みたいな美人が一緒にやってくれるなら、俺んところの実行委員も喜ぶと思いますよ?」

 

 この先輩、褒めれば大体の言う事には賛成してしまう。この人のダメな部分なんだろうけども、今はその部分を利用させてもらった。

 

 ほら、この人……もう鼻で笑ってる……。

 

 「……フフフン♪ そこまで言われては仕方ありませんね。いいでしょう、この天条院沙姫率いる2-Bは正々堂々とあなた方に対抗させてもらいますわ!!」

 

 ビシッと俺に向かって宣戦布告と言わんばかりに指を指す先輩。俺は笑っていたが、内心は笑いを通り越して呆れていた。

 これで、このワガママお嬢から何十人かは救われただろうか……まだわからないが、少なくともマシにはなったと思いたい。

 

 その後、俺と先輩はコンビニに到着し、目的の物であるセロハンテープと、喉が渇いていたから教室で飲む用のお茶、それと適当な飲み物を数本を明るい黄緑色をしたカゴの中に放り込み、レジを済ませた。

 

 帰り道は学校に戻ってくるまで一切の会話はなかった。先輩と口をきいたのは下駄箱に到着して上履きに履き替えた後からだった。

 

 「俺は教室に戻ります。俺んところの実行委員はたぶん……家庭科室で料理の指導してる筈ですから、先輩はそっちに行ってください。じゃあ、俺はこの辺で……」

 

 そのぶっきらぼうな言い草は、さすがに先輩でもショックだったのか、俺を引き止めようとする。

 

 「え? ちょ、ちょっとお待ちになって! 私とあなたは付き合っておりますのよ? いくらなんでも冷たすぎやしません!?」

 

 「……だから、買い物の間だけって言ったじゃないですか。それに……俺……。……先輩の事、好きでもありませんし……」

 

 正直あんまり言いたくはなかった。これで変な因縁つけられても困り者なのだから、なるべく穏便に済ませたかったのに……彼女の思考は俺の斜め上を驀進していた。

 

 「アラ……ひょっとして照れ隠しですの? ほほほっ! ハッキリ『幸せです!』と感想を言ってもよろしいのよ!」

 

 

 

 この野郎……

 

 

 

 こんな好きでもない相手からのデート、よく耐えた方だと思う。

 だが、もう限界だ。このままじゃ、この人を好きになった人が可哀想だ。次この人が好きになった相手が可哀想だ。そう……いつかこの人の婿になるザスティンが可哀想だ!

 

 俺は、彼のためにハッキリと言う事にした。この際嫌われた方がこっちの都合がいい。遠慮なく言ってやろう。

 

 「……ならハッキリ言いましょうか? 先輩、彼女として失格っス」

 

 やや強めの口調で言い放った台詞に、先輩は驚愕と怒りの混じり合った様な表情で俺を見た。

 

 「なっ!? 何を理由にそんな……」

 

 「先輩……何か意味わかんねー満足感に浸りっぱなしで、俺の話何度か無視するし。ずっと腕組みっぱなしで、手を繋ごうともしない。おまけに、そもそも……俺と一緒に並んで歩こうともしなかった。どんな美人でも、こんなん付き合ってる身としては溜まったもんじゃない……!!!」

 

 伝えているのは事実だけ。俺は彼女に反論させる隙も与えず、ズバズバと彼女のプライドを言葉の刃で削ぎ落していく。彼女が何も言えなくなってしまう程に。

 

 「……ぁ………、……」

 

 そして、何も言えなくなった先輩に、俺はとどめの一撃を言い放った。

 

 「最悪っス、先輩……♪」

 

 それが余っ程効いたのだろう。彼女はうつむいて何も言わなくなってしまった。これで少しは懲りただろう。言うべき事は終えたので、俺は西連寺達の待っている教室へ戻ろうと足を運ぼうとした、そのときだった。

 

 「貴ッ、貴様!! 沙姫様をこれ以上愚弄するのはっ!!?

 

 怒りに満ちた、誰の声かもわからない女の声色に俺は先輩の立っていた方へ振り返ると、そこには先輩だけでなく、どこからともなく現れたもう一人、暗めの茶色いロングヘアをポニーテールにした女性が、眉間に皺を寄せ、竹刀を片手に俺の方へと突撃しようとしていたのだ。

 

 しかし、俺は特に緊急回避行動をとるわけでもなかった。あくまでその女性は突撃をしようとしていただけ。

 彼女は先輩の横に伸ばした腕に止められていたのだ。激情のままに振り上げたらしい竹刀は、彼女の手元でわなわなと震えていた。

 

 「沙姫様!?」

 

 「よしなさい凛……。あなたが手を下したところで、彼からの印象を悪くさせるだけです……」

 

 凛と呼ばれたその女性は、先輩の落ち着いた声を聞いて、なんとか激情だけは沈め、握りしめている竹刀を静かに下ろした。しかし、まだ納得はしてはいないらしい。

 

 「し、しかし……っ!」

 

 「ですが……

 

 まだ何かを続けて話そうとした彼女を、先輩が手の平を彼女の前に出して押しとどめた。完全に彼女を黙らせた先輩は、開いた手の平を今度は自分の胸の上へと置き、握った。

 

 「……私にもプライドというものがあります。このままあなたにバカにされたまま終わるのは、天条院家末代までの恥ですわ!!」

 

 そこまで言うと、先輩は両手を前に合わせて、まるで自分に言い聞かせる様に、ゆっくりと話し始めた。

 

 「……ですから次は、もっとあなたのことを考えて……あなたに満足できる様なお付き合いをしてみせますわ!!」

 

 最後の方で元のプライドの高い口調に戻っていたが、そんな事を本人は気にせず、今度は俺の方に、先程見た時よりも更に力強く、指をさしたのだ。

 

 「次は彩南祭の当日! この私にもう一度、あなたと付き合うチャンスをくださいませ!!!」

 

 勢いのままに言ったのだろう、彼女の瞳には悔しさの涙が溜まっていて、俺は速攻で拒否する筈の心に迷いが生まれた。そして、甘えが出るのだ。次で最後にするなら、聞いてやっていいんじゃないか、と。

 

 まさかここまで面倒な事になるとは思わなかった。だが、後々のザスティンの事を考えれば、これは受けるべきなのだと思う。あの人には、俺とララのために頑張ってくれた、返せるかどうかもわからない恩がある。これが後々彼の幸せに繋がるのなら、これぐらい耐えてみせる。

 

 「……わかった、いいでしょう……」

 

 俺がそう呟くと、先輩はなぜかもう勝ち誇った様な笑みを浮かべていたので、俺は更に言葉を続けた。

 

 「ただし……覚えておいてください先輩。先輩のデートが良かったとしても、俺は先輩とは付き合えませんから……」

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 (西連寺視点)

 

 

 

 彩南祭まで、あと一日。私は色とりどりに飾り付けられた教室の中、接客用のテーブルに座って窓の外を眺めていた。

 

 教室には私一人だけ、作業はもうほとんど終わっているから、今は買い出しに出かけた結城くんを待っているだけ。

 

 (結城くん……遅いな……)

 

 いや、遅くなんてない。ただ、私が自分自身を急かしているだけなんだと思う。だって、このまま結城くんが帰ってくれば、私と二人きりなんだから。

 

 窓から射し込む夕焼け色の空を見ていると、夏から秋になって、日が暮れるのが早く感じている。結城くんや、ララさん、リサやミオとの思い出はいっぱいあるのに、あっという間に季節が過ぎている気がした。

 

 そう、いっぱい。喜びにも悲しみにも分けられない思い出が……。

 

 私は、ララさんとレンさんのデートを結城くんと追いかけたあの日、結城君と別れた後の事を思い出していた。

 

 

 

 (じゃあ……さよなら……)

 

 (またね……結城くん……!)

 

 私に背を向けて走る結城くんのバッグにはペケさんが手を振っていて、私も何となく振り返していた。

 結城くんが見えなくなった後、私はもう自分の恋は叶わないと思って、そこでようやく一粒の涙が流れたけれど、それでも私は自分の大好きな人が幸せになっていくのが嬉しくて、ずっと笑っていたんだ。

 

 でも、そんな私を見たリサは、突然一言こう言ったの。

 

 (春菜……あんたやっぱり好きなんでしょ?)

 

 その言葉にいきなり本心を突かれた私は、恋の終わりを見届けている筈だった自分の心から急に引っ張り上げられ、わけもわからないままリサに答えた。

 

 (えっ!! ちがうよ! 結城くんとはララさんと一緒になってほしかったから、っ……)

 

 私は思っていた事を口にしただけだったが、私を見てリサはニヤリと口元を歪めた。

 

 (私『結城くん』なんて一言も言ってないけど?)

 

 (あ……)

 

 

 

 やられた……

 

 

 

 そこから帰り道。私はリサとミオに自分の思いを打ち明ける事になってしまった。

 やっぱり恥ずかしかったけど、二人は私の話を何もおちょくったりしないで、ずっと相づちをうちながら聞いてくれた。

 私……二人にバカにされると思っていたから、本当に嬉しかった。だって、結城くんと私じゃ釣り合ってないでしょ? 好きな物とか趣味とか全然違うもん……。

 

 って私が答えると二人は、

 

 (そんな事ないよ! ララちぃと結城もだいぶ釣り合ってない♪)

 

 (だから、合わなくたって大丈夫なんだよ! きっと!)

 

 って笑顔で返された。

 

 (そっか〜、やっぱり春菜もリトの事好きなのかー)

 

 (臨海学校のときから思ってたけど……春菜が結城をねー)

 

 (で、でも……どうしてわかったの? ……私が、結城くんを好きだって……)

 

 (あんた、結城の隣りにいると少し顔赤くなってたし)

 

 (喫茶店の時なんか、ずっとチラチラ見てたもんね〜♪)

 

 (うぅ……)

 

 二人からの事実を聞いて、私はみるみる顔の周りが熱くなるのを感じて、両手で頬を押さえた。もしかしたら、二人はずいぶん前から気がついていたのかな……?

 二人にバレてるってことは……結城くんにもバレてるかもしれない……

 

 (でも、どうすんの? このままじゃ結城、ララちぃと付き合っちゃうよ?)

 

 ミサの問いに、頭の熱気が抜けてきた私は、両手を下ろして話そうとした。けれど、

 

 (……もう、いいの……。結城くんがララさんと一緒になれるなら……私……、

 

 ((そんなのダメっ!!))

 

 その手は二人に掴まれ、胸の近くまで引っ張り上げられた。私は二人同時に叫んで、私と身体を密着させるリサとミオを見て、飛び跳ねるくらいに驚いていた。

 でもその二人の眼は何か必死で、私は何も言えなかった。

 

 (春菜、私言ったじゃん。そういうの、自分の恋愛も見逃しちゃうって!)

 

 (で、でも……)

 

 もし、私が結城くんへの思いに素直になったら、私はララさんと対立してしまうかもしれない。そんな事、私にはとてもできない。ララさんは私と同じ人を好きになった、大切な友達だから……

 

 (それに、私……ララさんに比べたら、顔もプロポーションも……)

 

 そんな私の言葉に、リサは溜め息を吐いた。

 

 (結城が見た目で女を選ぶ男だと思う?)

 

 (そぅだよ)

 

 うん……そうだよね……喫茶店で四人で話し合った後だもん。結城くんがそんな男の子じゃないのは、心に染みるくらい、わかってる。

 

 それでも、やっぱり恐いのかもしれない。ララさんとの友情を裂くのが。

 

 (とりあえず、これから春菜のやる事は?)

 

 (う〜ん……どうしよう……)

 

 (このまま結城にいっても断られる可能性があるから……ララちぃに自分の思いを伝えてみるのが良いと思うよ?)

 

 (えっ!? そしたら……ララさん……)

 

 (大丈夫、春菜。ちゃんと話し合って! 私達に結城の思いを打ち明けたときみたいに!)

 

 (ララちぃはいきなり怒る様な子じゃないから!)

 

 その言葉を聞いて、少しだけ決心がついたのは確かだけれど、私にはもうひとつだけ、知りたい事があった。

 

 (ねえ……リサ……ミオ……?)

 

 (ん?)

 

 (春菜?)

 

 (どうして私のために……そこまで考えてくれるの……?)

 

 それは一瞬の沈黙だった。私は、学校で結城くんとレンさんがいがみ合っていたのを、リサとミオと一緒に見ていた。二人は争ってる様子を見て面白そうに笑ってたから、今のこれも何か楽しみの一環なんじゃないかと考えてしまった。今までの思い出で、二人が細かい事まで考えているときは、何かイジワルな事を考えているときだったから、そうなんじゃないかと心の隅で思ってしまった。

 

 

 

 でも、数秒後、私の考えていた事は、本当にバカだった事を知る。

 

 

 

 (そんなの……親友だからに決まってんでしょうが!)

 

 (ララちぃだって親友だけど、春菜だって私達の親友だもん!)

 

 (結城がどっちを選ぶかはわかんないけど、私は応援してるよ! 春菜!)

 

 (どっちが早く結城をオトすかな〜♪)

 

 

 

 それは、あまりにも無責任な応援だったのかもしれないけど、当たり前の様に言ってくれたあの言葉には、嘘も偽りもないと信じている。

 

 

 

 (………………っ…)

 

 (えっ!? ちょ! 泣かないでよ、春菜!)

 

 (春菜〜!)

 

 

 

 今までずっと溜め込んでいた思いを誰かに話せた私は、そのまま自分の感情も漏れてしまったんだと思う。

 でも、そんな状態の私を受け止めてくれる人が、目の前に二人いる。いつか、そこに結城くんも増えてほしいと願ったのは、ずいぶん後の話。

 二人に抱きついた胸の中で、私はこれからの事は考えず、ひとつの事だけを思っていた。

 

 

 

 この二人が私の親友で良かった、って。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 「ただいまー、って……何でみんないねーの?」

 

 勢い良く教室の扉が開いて、そこから結城くんの声が聞こえて、私は思い出に浸っていた意識から目を覚ました。

 

 「あ、うん……結城くんが出たすぐ後に、ケーキができたらしくって……」

 

 「……で、みんなそっちに行った……ってか? 何てヤツらだ……」

 

 結城くん、なんか出て行く前よりずいぶん不機嫌な様子だけど、何かあったのかな?

 私は心配したけれど、結城くんは「まぁ、いいか……」って呟いて、持っていたレジ袋をテーブルの上に置くと、中身を取り出し始めた。私はそれをジッと眺めているだけ。何か話をしたいけれど……。

 

 「え〜と……セロハン3個。それと……あー、西連寺……お前紅茶嫌い?」

 

 「えっ!?」

 

 突然、自分の好きな物を尋ねられ、私は驚いた。けれど、そのときにはもう不機嫌なオーラは出ていなかったから、私は素直に答えた。

 

 「う、ううん……好きだけど……」

 

 「じゃあ、ハイっ」

 

 私の答えに即答するかの様に、結城くんはレジ袋から何かを取り出して、私に投げ渡してきた。慌てて手に取ったそれは、紅茶のペットボトルだった。

 

 「えっ……? これ、どうしたの?」

 

 「買ってきた……なげー作業だったから、休憩用に……」

 

 私は、嬉しくて声が漏れそうになった。自分の好きな飲み物だった事は奇跡だけど、私のために買ってきてくれたのだから。

 

 「……迷惑だったか?」

 

 「う、ううん! そんな事ない! ……ありがとう……♪」

 

 そのときに言ったありがとうは、ずいぶんと感情がこもりすぎていたと思う。結城くんもたじろいでいたから、やっぱり変だったと思う。後になってバクハツしそうになった。

 

 そのあとは二人でテーブルに座りながら、クラスの事も、時間も忘れて、結城くんとお話をしていた。最初はこの後の作業の事だったけれど、

 

 「西連寺……2−Bの天条院沙姫って女知ってる?」

 

 「え……? あの……変わり者って言われてる先輩の事?」

 

 私がそう答えた瞬間、結城くんは自分の飲んでいたお茶を激しく咳き込ませた。私……そんなにビックリする様な事言ってないよね……?

 

 結城くんがなんで咳き込んだのかは曖昧になったけど、その人と何があったのかを聞いて、今度は私が紅茶を咳き込ませた。

 

 でも……さっき結城くんが不機嫌な理由はわかった。あの人にずいぶん振り回されたみたい……。

 

 「そんな事があったんだ……」

 

 私が視線を下に落とすと。結城くんは酷くうなだれた様に、

 

 「アイツになんて言よう……」

 

 と小さく呟いた。

 

 アイツが誰なのかは、私にもわかっている。でも、その言い方はずいぶんと投げやりで、不思議に思った私は、どうしても結城くんに聞きたい事を、聞く事にした。

 

 もし、これを聞いたら、結城くんとの関係がこじれる気がする。でも……!

 

 (大丈夫、春菜。ちゃんと話し合って! 私達に結城の思いを打ち明けたときみたいに!)

 

 そんなミオの言葉が、頭の中で思い返された。

 

 私はゆっくりと口を開く。

 

 「結城くん……?」

 

 結城くんは何気なく、私の方を向いてくれた。

 

 「ララさんとは……あのデートの後……どうしたの?」

 

 でも、私がそう尋ねた瞬間、結城くんは目を見開かせた。私はこの瞬間、質問した事を後悔したかもしれない。

 

 けれど、結城くんはそこからゆっくりと消沈して、窓の外の景色を眺めながら、本当に小さな声で呟いた。

 

 「…………………………できなかった……」

 

 「え?」

 

 私にはその呟きは聞き取れず、もう一度尋ねようとしたけれど、それよりも先に結城くんが口を開いた。

 

 「………………アイツの思いには……答えられなかった……」

 

 「ララさんの……思い……?」

 

 私には、まだ結城くんの言ってる事が理解しきれず、疑問で返す事しかできなかった。けれど、結城くんは私の言葉にうなずいて、今度は真剣な表情で、私に語りかけてきた。

 

 「西連寺……ちょっと、昔の話してもいいか……?」

 

 そこで聞いたのは、私の全く知らない、結城くんの友達の『彼』と言う男の人の話だった。



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第十八話

 彩南祭当日。校内放送で校長からの彩南祭を開始する放送を聴き終えた俺達『1-A』は、猿山との最終ミーティングを行った後、予定通りにアニマル喫茶を開店させた。彩南祭のスタートだ。

 

 「「「「「「「「「「いらっしゃいませ――!!!」」」」」」」」」」

 

 「「「「「「「「「「アニマル喫茶へようこそ〜〜♡」」」」」」」」」」

 

 

 

 開店してからすぐに、教室のテーブルは客で満員になった。天条院の言っていた通り、俺達のクラスの催し物は彩南祭の注目の的だったらしく、すでに外の廊下まで長蛇の列が並んでいた。

 想像以上の慌ただしさにクラスメイトは男女問わず、自分達の仕事に急かされている。一人一人に休憩が取れるだけの時間は確保していたが、もし、このアニマル喫茶が先輩のクラス『2-B』と合併していなかったら、今の倍以上の仕事をしなくちゃいけない事になっているのかと思うと、ゾッとしなくもない。

 

 

 

 「オーダー、全然止まんないんだけど……」

 

 「食器、洗ったぜ♪」

 

 「だったら早く片せ!」

 

 「誰か調理室行ってケーキ補充してきてくんね?」

 

 「大変大変ーーお客さんがお茶零しちゃった!」

 

 「はやくはやく!」

 

 「雑巾〜〜、ティッシュでもいい! 持ってきて!」

 

 「おいっ、百円玉切れちまったぞ!」

 

 「隣りの店から借りてこい!」

 

 「あぁぁ燃えるゴミはそこじゃねー!!」

 

 

 

 教室の狭い調理場からはそんな怒声と罵声がせわしなく聞こえてくる。仕切っているのは猿山なのか、彼の声がよく響く。そんな光景を悠々と眺めながら、可愛らしいデザインで『最後尾』と描かれた看板を掲げ、野郎共の長蛇の列を整理している自分はずいぶんと気が楽だ。仕事をサボって、他の所で売ってたラムネを飲むのもまた一興。久しぶりに飲んだ強めの炭酸は、舌の上でハジけて喉が痛くなった。

 

 今日は生徒だけの祭典で、一般公開は土曜日の明日。美柑もそっちは来る予定だ(ララが誘っていた)。その明後日は振り替え休日で学校はない。有意義に休もう。

 

 勤務開始から二時間ぐらい経った。ララ達、アニマルのウエイトレスをナンパしだすヤツらがちらほらと現れ始めたが、上手い事受け流している。本当にヤバいのが来たら俺達野郎共で何とかしなきゃならないが、たぶんその必要はないだろう。遊びにやってきた校長が思い切りボディタッチをしでかしたが、ものの見事に殴り返されてたし。

 

 「リト!」

 

 「んぁ?」

 

 急に俺を呼んだのは中で仕切ってた猿山だった。店の中はクーラーを効かせていたはずだが、さすがに今日の重労働は堪えているのか、額には汗が垂れている。

 

 「どした?」

 

 「いやーワリぃんだけどさ、飲みモン買ってきてくんね?」

 

 「ハッ!? 俺パシリかよっ!」

 

 俺は持っていた看板で、手を合わせている猿山の頭を小突いた。

 

 「大体、俺抜けたらココ誰がやんだよっ」

 

 「今は俺がやっとく。マジで買って持って来て! そしたらお前、そのまんま休憩行っていいから!」

 

 最初は断るつもりだったが、彼の言う通りそろそろ休憩の時間だった事もあったので、俺は仕方なく猿山の要求をのんだ。

 

 「あ〜……わかった。で何? 何買うの?」

 

 「えーと、ファンタとポカリとドクペとメッツと……

 

 「おいっ!?」

 

 そんなわけで猿山とプラスαの数人にパシられた俺は、購買の自販機で飲み物を買ってくる事となった。教室から購買まではそこそこ距離がある上、階段まである。そこからキンキンに冷えた大量の飲み物を持って運ぶのは正直言ってダルい。熱々のコーンスープか生姜湯でも買ってやろうかと思ったが、さすがにやめた。

 

 パシリを終えて休憩時間を貰った俺は、店の中である教室とは別に用意された休憩所の教室へと入った。生徒以外立ち入り禁止のこの場所は室内の半分が整頓された机で埋まった殺風景な部屋だが、休むには静かで丁度良い所だ。椅子もあるから床に座る事もない。

 と言っても、ほとんどのヤツらは学園祭へ遊びに行ってしまって、この教室の中には俺しかいない。俺だって本当はララと一緒に学祭の中をウロつきたかったが、今日は仕事のスケジュールが合わなかったから、どうしようもなかった。その代わり、一般公開の明日は同じ時間帯に休めるよう設定した。ララとの彩南祭は明日である。美柑と上手く待ち合わせる事ができれば良いが、携帯でなんとかなるだろう。

 

 それよりも、俺がここへ来た理由は『一応、彼女』との待ち合わせのためでもある。こうゆうのは余り人気のない所の方が変に緊張しなくていい。

 

 「結城くん、お疲れ様」

 

 「ん? あ、西連寺……」

 

 窓を背にして椅子に座り込んでいると、教室のドアから黒猫のアニマル姿の西連寺が入ってきた。昨日と違って、その立ち振る舞いは堂々としているものを感じる。

 

 「その格好には慣れたか?」

 

 「うん。最初は恥ずかしかったけど、みんなで仕事してる内に楽しくなって、慣れちゃった♪」

 

 「そうか。良かったな」

 

 彼女の言葉に、俺は少しだけ安心した。大きな問題にならなくて良かったと。

 開けっ放しの窓から、涼しい秋風が通り抜けた。

 

 「お前も休憩?」

 

 「う、ううん。私はまだちょこっとあるけど……疲れてるかなって思って飲み物、あ……」

 

 彼女はトレイを持ったまま、その上にジュースのグラスを載せていた。けれども、俺の手に持っていたペットボトルの緑茶を見て、言葉を詰まらせてしまった。

 

 聞くのは無粋だ。俺は二言告げた。

 

 「くれ、西連寺」

 

 「え?」

 

 「ん」

 

 俺は首だけを動かして、西連寺に促した。飲み物をくれ、と。

 

 「あっ、……う、ん」

 

 彼女はたどたどしく返事をして、飲み物を差し出してくる。落としてしまいそうに緊張した手で持つグラスを、俺は掴み取った。

 

 「ありがとな」

 

 「うん……♪」

 

 どこか嬉しそうな西連寺から視線を外し、俺はグラスのブルーハワイをすする。薄いザラザラ氷の上にはチェリーとパインと柑橘系の何かが乗っていた。

 

 俺が美味しそうにブルーハワイを飲んでいると、唐突に西連寺は話しかけてきた。

 

 「結城くん……ララさんは納得してくれたの?」

 

 来るとは思っていた問い掛けに、一泊だけの空白の後、俺は口元からグラスを離し、彼女に答えた。

 

 「ううん……休憩が別々だったから、言わなかった……」

 

 天条院との約束は今日一日で終わる事。だったら、あんな勘違いされかねない話なんか、むやみやたらに広げる必要はない。ララを困らせる様な事は、したくなかった。結果、彼女に昨日の事件は家でも言えず、今に至る。

 

 口の中の柑橘を噛み締めながら西連寺に苦笑いを返すと、彼女はやや膨れっ面で俺の事をニラんできた。

 

 「ふーん……なんだか浮気みたいだね……」

 

 「バカ……付き合ってなきゃ、浮気になんないだろ?」

 

 馬鹿。そりゃお前の思想でしかないだろうが、と俺は言った後に後悔する。

 

 今のは失言だった。言っちゃいけなかった。俺とララの関係を、彼女は認めてくれた存在なのだ。自分の思い人である事も、我慢して。

 訂正しようにも、もう遅い。俺が顔を上げると、彼女はそっぽを向いていた。何を言われるのか、わかったものじゃなかった。

 

 だが西連寺の答えは、遥か斜め上を超えた。

 

 「浮気じゃなかったら……いいの?」

 

 「え?」

 

 

 

 「浮気じゃなかったら、私……

 

 

 

 けれども、彼女の言葉が続く事はなかった。教室のドアが緩やかに開かれ、別の人物が現れたからだ。

 

 気配を感じ取った西連寺が振り返った先、教室の入り口に天条院は立っていた。初めて出会った時にも見た、腕を組んだ仁王立ちで。

 

「お……お待たせしましたわ……!」

 

 前と違ってたどたどしく俺に挨拶した天条院は、ちらりと西連寺に視線をずらす。まぁ、こんな約束の待ち合わせ場所ぐらい、二人きりだと思っていても仕方がないよな。

 

 「あ……えっと……」

 

 きまずく言葉を詰まらせる西連寺に、俺は残ったブルーハワイを一気に流し込みながら椅子から立ち上がると、空にしたグラスを彼女に返した。トレーの上で中の氷がカランと音を立てる。頭がキーンと痛くなってきたが、表情には出さなかった。

 

 「じゃ……行ってくる」

 

 足を天条院へ歩ませながら、俺は西蓮寺にしか聞こえない程度の小声で彼女に呟いた。視線は合わなかった。

 

 「……うん」

 

 彼女も俺に聞こえる程度の一言だけを呟き返して、こちらを見ようとはしなかった。

 西連寺を通り過ぎた俺は、天条院のそばで立ち止まらずに彼女の肩を軽く掴んで注目をこちらへ向けさせた。少し強引だったが、今の彼女を西連寺と絡ませても気まずくなるのはわかっていたから、すぐにこの場から天条院と抜け出す事を俺は選んだ。

 

 「行きましょう、先輩」

 

 「あっ! え、えぇ……」

 

 こちらに振り向かせた天条院は半開きの口で何かを言おうとしていたが、俺は有無を言わせない声で彼女をこちらに連れさせた。西連寺の事は疑問に引っかかっているようだったが、俺は歩みを止めなかったので彼女はひとまず本来の目的であるデートの選択肢を選んでくれた様だ。

 休憩所の教室を出た俺達二人は、廊下の先に見える彩南祭真っ直中の喧騒へと歩く。腹の中が水っぽくて、歩く度に中で音が鳴っているのがわかる。妙に気持ち悪くてどうしようかと思っていた時、天条院がこちらを向いた。

 

 「ゆ、結城……さん」

 

 口元から開かれたのは、あまりにも口調のおぼつかない短い台詞。緊張し過ぎているその姿は、見ているこちらも冷や汗が垂れそうな、数日前の買い物の時の迫力と存在感が嘘みたいな(クイーン)がここにいた。

 この人、原作ではなにかと注目されたい目立ちたがり屋……悪く言うと自意識過剰なイメージがあったのだが、それが今俺の中で瓦解し始めている。男を侍らせる事とか慣れていそうだが、こんな風に一人の男性と対一で向かい合う事は初めてなのだろうか。

 

 「リトでいい……呼び捨てて」

 

 そう囁いて、俺は天上院と視線を合わせる。彼女の身長はララと同じぐらいだろうか。顔を寄せると僅かにだが、優しい香水の香りがした。よく見りゃ若干、化粧もしている。籾岡よりも香水の付け方は上手いが、もし風紀委員にバレたらアウトだな。

 

 「で、では……リト……まずはどこに行きますの?」

 

 呼び捨てする天条院に変な違和感を感じたが、話し口調はさっきより良くなってくれた。

 彼女の質問に対し、俺はズボンの後ろのポケットに突っ込んでいた彩南祭のパンフレットを取り出そうとしたが、それを止めた。

 

 「とりあえず……トイレ」

 

 「へ?」

 

 気の抜けた様な彼女の声。今日一番の素の声を聞いて、俺は思わず微笑する。

 なんだかんだで彼女も純粋なのだ。原作通りに時間が進めば彼女はザスティンと邂逅し、そして一目惚れする。だがその愛しい想いはララのゴタゴタやリトのラッキースケベに巻き込まれて、結局は有耶無耶になってしまっていた。ちょっと気の毒な話だ。

 しかし、今この『ToLOVEる』の世界には『結城リト』ではなく『俺』という存在が或る。俺がなんとかすれば史実は変わってくれる。だからラッキースケベに巻き込まれる様なToLOVEるなんて起こさないで、どうかザスティンと幸せになってほしい。それが彼女の運命だと思うのだから。

 

 「先、行きますよ先輩っ」

 

 「あっ、そんな! まだ(わたくし)には心の準備がd、

 

 正午過ぎの彩南祭。俺と彼女の奇妙な関係が始まった。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 ひとまず膀胱に溜まっていたものを流し終えた俺は、気持ちを切り替えて天条院と彩南祭の中を歩く事にした。

 まさかトイレの中まで入ってくるとは思わなかったが、それは俺の言い方が悪かったと謝ったし、彼女もすぐ自分の勘違いに気づいてくれた。関係がこじれる様な事にならなくて、よかった。あとトイレに誰もいなかった事も。

 

 「さっきの子はあなたのクラスメイト?」

 

 「まぁ、なんて言うか…………そんな感じです……」

 

 こんな会話も、ここを歩いている時にあった。適当に言い逃れたが、彼女はまだ西連寺の事を怪しんでいる様だ。

 

 今、彼女と俺の手は繋がっていない。最初、彼女は「手を繋いでもよろしくて?」と求めてきたのだが、断った。ここは学校、しかも彼女は良い意味でも悪い意味でも名が知れている人だし、俺も然り。これ以上の悪目立ちはできなかった。

 彼女もそれには渋々納得してくれた。自分は目立っても関係ないと言っているが、俺は目立つと困るのだ。現に、今こうして二人で歩いている状態でさえ、妙に視線を感じるのだから。

 

 それでも天条院との彩南祭は十分に楽しめた。文化部の出し物も一通り見て回り、昼食の屋台で食べ物を分け合ったりもした。彼女は前回の反省点を踏まえてか、常に俺と密着しながら積極的に話題を振ってくる。けれども、そこにあったのはお金持ちのお嬢様ではなく、俺に認められようと渋々動く女でもなく、純粋にこの彩南祭を楽しんでいる女子高生の姿だった。

 

 昼食を終えた俺達二人は、まだ見て回っていない場所を歩いていた。お祭り騒ぎな校舎の中は、普段は人通りが少なくて閑散としている階層も、これ以上ないくらいの喧騒と人ごみでごった返している。

 

 だから、唐突に俺達は対面した。向かいの人ごみの中から現れた、古手川に。

 

 「「あ」」

 

 「あら」

 

 気の抜けた俺と彼女の声が重なり、天条院の穏やかな声が遅れる。目の前の女に意識が集中した俺は足を止めた。彼女も同じだった。

 

 「「………………」」

 

 こうして面と向かい合うのは、プールの事件以来だ。相変わらず、彼女の目つきはキツくつり上がったまま。いや、本当の事を言えば、俺達と視線が合った瞬間、一気にキツくなった。

 古手川は俺から視線をずらし、天条院の方を見る。この組み合わせを見て、彼女は何を思うだろうか。

 

 「失礼」

 

 ま、何を思われたとしても今は関係がない。因縁吹っかけられる前に逃げよう。

 俺は一言告げて天条院の手を引いて、古手川の横を通り過ぎようとした。

 

 「待ちなさい」

 

 古手川が呼び止める。無視して行こうとしたが、彼女は天条院の制服を掴んでいた。そしてこう言った。

 

 「香水と化粧の臭い。校則違反って事、わかってるわよね」

 

 わかってる。休暇室で会った時からそんな香りがしてる事も、若干化粧入ってる事も。

 でも俺はシラを切った。

 

 「え? これは先輩の匂いっスよ! 先輩、お嬢様だから高級なシャンプーとか使ってるんでしょ?」

 

 そう言いながら俺は天条院の方を見る。焦る彼女と視線が合った。

 

 「え? ええ! これはわたくしの会社が販売しているシャンプーの香りですわ。化粧品の香りに間違われるのは不服ですけども……まぁ、庶民の貴方にはわからなくても仕方ありませんわね」

 

 天条院は片手を頬に当てながら、わざとらしく力が抜けた様に大きくため息を吐いた。意外にも、こうゆう事は得意なようだ。

 

 古手川は先程よりもキツイ視線で俺達を睨んだが、やがてその顔を背けた。

 

 「そう。ならいいわ。問題事を起こさない様に、気を付けてね」

 

 そう言って彼女は俺達を無視する様にスタスタと歩き、人混みの中へ消えていった。

 うるさいヤツがいなくなった途端、ドッと疲れが出てきた。喉もカラカラだ。

 

 「行きましょう先輩。俺、喉乾きました」

 

 俺が天条院の方を向くと、彼女は笑っていた。なぜか面白そうに。

 どうしたのかと問いかける前に、彼女は言った。

 

 「わたくしに嘘をつかせたのは、貴方が初めてですわ」

 

 「すみません。アレに絡まれるのは面倒だったんで……」

 

 「ふふ、わたくしもあの人には何度も呼び止められては、くどくど文句を言われてますから……助かりましたわ」

 

 彼女はわざとらしく息を吐いて、やれやれと首を動かした。

 

 「そうすか。ところで先輩……俺、喉乾きました。どっか喫茶店入りません?」

 

 「そうですわね……ティータイムにはまだ早いですけど、わたくしのクラスのアニマル喫茶に行きましょう」

 

 えらく自信気な彼女に先導されて歩いていくと、廊下の端からズラリと並んだ行列の先に、天条院達のアニマル喫茶が見えた。気のせいか、店に使われている装飾が豪華な気がする。看板に描かれているメニューも、外の喫茶店顔負けの品揃えだ。まぁ、大体はこの人が経費を付け足したからだろう。

 

 「どうです! わたくし達のアニマル喫茶も良いでしょう?」

 

 「そーですねー」

 

 自慢げに胸を張る彼女に、俺は相づちを打つだけだった。

 

 彼女と行列に並んで少し待ったが、回転率は良いのか、ものの十数分で店の中に入れた。

 

 「いらっしゃ、あっ……さ、沙希様!」

 

 バラの飾りで彩られた入口を抜けると、受付に立っていた女性……キツネ耳のカチューシャとフサフサの長い尻尾を付けたアニマル姿の女性が、天条院を見るなり若干顔を赤らめ慌てふためきながら応えた。

 

 「いいのよ凛、今の私はお客さんでここに来たんだから」

 

 「か、かしこまりました。それではど、どうぞこちらへ……」

 

 天条院になだめられてもえらくかしこまった言動をやめようとしない彼女は、昨日俺に竹刀を叩き付けようとした女性。『九条 凛』だった。

 彼女は天条院の取り巻き兼右腕の様な存在であって、子供の頃からの侍従関係を築いているらしい。友情でも結ばれているとはいえ、天条院の命令ならどんなアホな事でも本気で取り組むその姿勢は嫌いじゃないが、少し気の毒に見えても仕方ないかもしれない。

 

 そんな凛は、俺と目を合わせてもそっぽを向けて仕事へと戻って行った。どうやら俺は彼女に嫌われているらしい。理由はわかってる。天条院の事を真っ向から否定した人物は、俺が初めてなのだろう。

 

 凛に案内された席に座る。教室の端、窓から緩い日の差す二人用の席だった。

 そこへ座るなり、別の店員がやってくる。

 

 「こちらをどうぞ♪」

 

 レンズ大きめの丸眼鏡をかけ、焦げ茶色の丸みを帯びた耳とタヌキの尻尾を付けたアニマル姿の女子がメニューとおしぼりを手渡してきた。

 

 『藤崎 綾』 天条院の取り巻きその2。彼女は九条凛と違って家柄の関係ではないが、二人とは確かな絆で繋がっている。本編のヒロイン達の中では一番目立たないキャラクターだが、そこそこの人気はあるらしい。

 

 そんな彼女は真面目でおしとやかな雰囲気とは裏腹に、露出の際どすぎるアニマル姿は割と気に入っているのか、凛と違ってかなり楽しそうに仕事をこなしている。尻尾がフリフリと元気良く揺れ動き、機嫌の良い時のララを思い出した。

 

 メニューから適当に注文して俺と天条院は二人、お互いに向かい合う。背もたれに寄りかかってくつろいでいた俺に、彼女は少し背筋を伸ばして腰を下ろす。お嬢様らしく、気品が感じられた。彼女が良い所の出だって事を今更になって思い出した。

 

 「今日は、ありがとうございましたわ」

 

 「え?」

 

 「あなたのお陰で、自分自身の振る舞いを見つめ直す事ができましたもの」

 

 急に話し始めた天上院の言葉から出てきたのは、謝罪と感謝だった。

 曰く、彼女は今まで自分の意見はなんでも通るモノだと思っていたそうだ。自分の事を真正面からハッキリと否定してきた人間は俺が初めてだったらしい。

 

 「本当に申し訳がありませんでしたわ、初めてあなたと出会った時は……」

 

 「いいっすよ。こっちとしてもいい機会でしたし……(主にザスティン的な意味で)」

 

 「え?」

 

 「それより…………なんで先輩はいきなり俺に告白してきたんですか?」

 

 「えっ!? ……え、え〜と……それは、その……」

 

 「お、お待たせしました! ご注文のドリンクですっ」

 

 行き詰まって取り乱した彼女をフォローするかの様に、店員が注文していた飲み物が運んできた。凛だった。

 口調こそおぼつかない様子だったが、慣れた動作で飲み物を配ると、彼女はまた厨房の方へと引っ込んでしまった。

 天上院がわざとらしく息を整えて、飲み物のグラスの中の氷をかき混ぜる。彼女が頼んだのは生クリームの乗ったアイスラテだった。

 

 「お、オッホン! それで、私の評価はいかがですの?」

 

 話題を変えられた。俺は間髪入れずに答えた。

 

 「百点満点、文句なしですよ、先輩」

 

 「ふふ、当然ですわ♪」

 

 天上院は軽快に笑ったが、一晩でよくこれほど姿勢を変えられるのは、かなりの情報収集を行なったと思われる。そういえば彼女は努力家だった筈だ。

 目元の化粧は、隈を隠しているのだろうか。考えてしまった。

 

 「けれども……私としては、まだまだ未熟な部分があると思いますの。まだ……あなたと手を繋ぐ事も出来ていません……」

 

 

 

 「で、ですから……これからも、私と御一緒n、

 

 

 

 「先輩」

 

 

 

 俺は有無を言わせない強い口調で、それでも顔は普段通りの表情で、話した。

 

 「最初に言ったじゃないですか。先輩とは付き合えませんよ。先輩は情報網広いから知ってるんじゃないですか? 俺とララが婚約してるって事w、

 

 「嘘」

 

 ただ一言呟き、彼女は真っ直ぐ俺を見抜く。

 

 「ねぇ……貴方本当に、あのララという方の婚約者(フィアンセ)ですの?」

 

 俺は迷う。彼女に嘘は通じないと、瞬間的に悟った。

 

 「……いいえって言ったら、どうします?」

 

 「そうね……どうしましょうか……」

 

 彼女は両手を合わせ、視線を下げる。気が付けば、周りの視線が自分達二人に集中しているのを、俺は感じた。

 

 「先輩……場所、変えますか」

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 場所は変わって、俺と天上院は学校の屋上へとやってきた。といっても、俺が人気のない場所を選んで、ここへ連れてきたのだが。

 空は快晴、校舎の外は微かなノイズ混じりのBGMがスピーカーから流れ、人の喧騒と混ざり合う。柵の下を見下ろせば、中庭は屋台のテントがパズルの様に敷き詰められ、その間を人の波が往来している。向かいの校舎の窓にはどぎつい色合いの垂れ幕が風に揺らめいていた。

 

 「それで?」

 

 「はい?」

 

 「こんな所に誘って、どういうつもりですの?」

 

 言葉こそ怒っている様にも聞こえたが、天上院の様子は満更でもなく、いやしい笑みを浮かべていた。

 

 「そうっすね〜…………あんまり人に聞かれたくなかったもんで……」

 

 俺は手すりに寄りかかりながら、彼女の方を見た。その表情は笑みから一転、わずかに息を飲んだ様に見えた。

 

 「俺は……別にララの婚約者じゃないんッスよ」

 

 「!」

 

 「最初は保護者みたいなモンだったんスよ。ララは、こっちの生活に慣れてないから……俺がお守り役だったんス。最初は正直……面倒臭かったですし、大変でしたよ。でも……」

 

 

 

 「ちょっと楽しいとか、思ってる自分もいました……」

 

 

 

 「これが恋なのかは、自分でもわかんないです。ただ、ハッキリとわかるのは……あいつは俺に変われる切っ掛けを与えてくれました。後は……俺が変わるだけなんですよ。覚悟決めてね」

 

 天上院は黙って、俺の話を聞いてくれた。俺の言葉に肯定するわけでもなく否定するわけでもなく、真剣な表情で耳を傾けてくれた。

 

 「それが……あなたの意思なら、私には止める事が出来ませんわ」

 

 「止まるつもりは毛頭ありませんよ。俺は、彼女に応える義務があるです」

 

 ふと、携帯が鳴った。開いて見たら、猿山からだった。そういえば、そろそろ自分の働く時間だった。

 

 「さーてと、俺は仕事に戻る時間なんで、ここで上がらせてもらいます」

 

 俺は両腕のバネで跳ねるかの様に手すりから離れ、軽く手を振りながら天上院の横を通り過ぎようとした。

 

 「待って」

 

 不意に、彼女に服の袖を掴まれた。

 振り返れば、そこにはわざとらしい上目遣いなどではなく、真っ直ぐな視線で俺と目を合わせる天上院の素顔があった。

 

 「……貴方に説教を受けた時から、貴方は今まで私の見てきた男性とは違う事を、今確信しましたわ。だからこそ貴方にお願い申し上げます」

 

 

 

 「私と本気でお付き合いしてみません?」

 

 

 

 それは本気なのか冗談なのか、よくわからない口調で告げられた言葉。真っ直ぐに俺を見据えてくる視線。あぁ……この人なんだかんだで根は素直なんだよな、って思わされた。

 けれども、そんな顔は俺に向けるべきではない。この人には、ザスティンと結ばれる運命が待っているはずだから。

 

 俺は掴まれた袖をもう片方の手で優しく離し、そのまま彼女の手の平を自分の手に合わせた。

 

 「先輩、正直嬉しいですけど……やっぱり俺は先輩とは付き合えません。俺には……待ってくれてる相手がいるんで……」

 

 数秒間の無音の空間。彼女は告げる。

 

 「……やっぱり、あの人が好きなのですね……?」

 

 俺は答える。知らず知らず、彼女に笑顔を向けていた。

 

 「それを確かめにいくんですよ。大丈夫」

 

 

 

 「先輩には、もっと良い男ができますから」

 

 

 

 そう言い聞かせて彼女の手を離し、俺は屋上の出入り口に向かった。天上院の声は何も聞こえなかったが、後ろ姿を彼女がずっと見ていたような気がした。

 

 この時、俺は知る由もなかった。今日の出来事が、彼女の心境に大きな揺さぶりをかけた事になるなど。



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第十九話

お久し


 瞼を開けると、目の前は真っ白だった。

 

 

 

 仰向けから上半身を起こしても目の前は真っ白で、上下感覚も距離感も全くもってわからない。妙に暖かい無風の空間の中、自分の姿は一糸も纏わぬ産まれたまんまの姿。

 

 

 

 で、俺は一体何をしてたんだっけ?

 

 

 

 昨日は確か結城リトの誕生日で……俺はプレゼントとして西連寺から貰ったジョウロで、ララのプレゼントであるセリーヌに水をあげて……いたところまでは思い返すが、そこから先がわからない。プッツリとそこで記憶が途切れていた。

 夢にしては妙に思考や意識がハッキリとわかる。まさか、この『ToLOVEる』の世界で過ごした時間は全て夢で、自分は今から元の世界へと戻るのだろうか。一瞬そんな事を考えてしまったものの、一向に何かが変わる気配は感じられない。むしろ、妙に暖かくて……優しい感じがする。

 だとしたら、ここは一体なんなのか。そもそも、なんで俺はこんな所にいるのだろうか。

 

 「私が呼んだから……」

 

 唐突に声のした方へ振り返ると、そこにはひとりの少女がたたずんでいた。見た目は美柑と同年代ぐらいだろうか。顔には幼さが目立ち、肌は雪の様に白い。姿は俺と同じく、一糸も纏っていない、産まれたままの姿だった。

 若草色の髪の毛に澄んだ緑色の瞳。桃色の花弁を付けた大輪の花を根に下ろした頭部。

 

 あぁ、俺は知ってる。この子も『ToLOVEる』のキャラクターだ。その姿は漫画でも見た事はない、完全に初めて見る姿だったが、俺はわかった。

 

 「セリーヌ……」

 

 そう呟くと、彼女は少しだけ顔を傾けて、微笑んだ。

 

 「ふふっ、セリーヌ。それがわたしの名前なのね、えーと……『結城リト』……で、いいのかな?」

 

 「……あぁ。もうよくわかんねぇけど……俺は『結城リト』だ。たぶんな……」

 

 なんかわからなかったが、ぶっきらぼうに言い捨てるしかなかった。全裸の姿のまま、俺は偉そうにあぐらをかく。視線はセリーヌに向けたまま。

 

 「一体全体何なんだ、これは? どうなったんだ……」

 

 「わからない、でも……安心して。あなたは『結城リト』 それは変わっていないわ」

 

 そんな事どうでもよかった。俺が聞きたかったのは、どうして今お前と邂逅したのか。ララ達、あいつらがいた世界はどうなっているのか。

 

 「落ち着いて。ひとつひとつ、説明してあげるから……」

 

 まるで俺の頭を覗いているかの様な口ぶりに、思わず言葉が詰まった。それでも彼女は優しく笑いかける。

 

 「昨日、あなたとわたしが初めて出会った。あなたはあのわたしの姿を恐れる事なくわたしに触れた。その時……微かな違和感を感じたの」

 

 「違和感……?」

 

 「そう……まるで幽霊の様に不鮮明で、此処に居る様で此処にいない様な、不思議な感覚。私があなたに興味を持つのに時間はかからなかったわ。あなたの事を知りたくなった。あなたと対話したかった。だから、隙を見計らってわたしはあなたを呼び寄せたの」

 

 俺は、悟った。

 

 「……つまり、図らずとも俺の中を覗いてしまったんですね」

 

 「うん……最初はとても信じられなったけれど、それでも驚きの連続ばかりで、楽しくて、幸せで……悲しかった……

 

 

 

 ……見てしまった……あなたの根元を」

 

 

 

 彼女の告げる言葉は、会話文になっていなくて、俺は聞きたくなかった、筈なのに俺はそれでも彼女の言葉を一語一句聞き逃さない様にして、衝動的に彼女に近寄りたくて、俺は立ち上がった。背の小さな彼女と、真っ直ぐに対峙した。

 その瞬間、微笑む彼女の瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。

 

 「ゴメンね……キモチがまとまらないの。でも、これだけは言わせて……」

 

 

 

 

 

 

 「あなたは、あの時全てを失った訳じゃない。今、あなたの手の中に残っているものは、生きとし生きる限り人を愛す人間、誰しもが持つべきもの…………だから、自分自身に絶望しないで……前に進んで…………この世界には今のあなたを『結城リト』じゃなくて、『あなた』自身の事を好いてくれる人がいるわ。だから……応えてあげて……」

 

 

 

 

 

 

 慰めの言葉なら要らなかった。同情の言葉も要らなかった。誰にも理解されないと思っていたから。誰も俺の存在など知る由もないと思っていたから。全ては都合の良い世界だと疑っていた。もう全て戻らないと思っていた筈だった。

 

 だが……それは目の前に現れた。

 

 自然と涙が零れた。

 

 「いい? わたしはあなたの全てを受け入れる……」

 

 俺はされるがままに、彼女の小さな腕の中へと包まれた。

 年頃もいかない全裸の少女に抱き締められるという何とも情けない、絵図ら的に通報されかねない様な光景だったのかもしれなかったが、俺はそのか細い彼女の肢体をへし折らんばかりの強さで抱きしめた。震える両手を誤魔化すかのように、その素肌へ手をすがらせた。

 

 「俺は………………此処に居て………………いいんだよな?」

 

 「はい……」

 

 「この世界は…………夢でも、幻想でもないんだよな?」

 

 「はい……」

 

 「あいつらは…………確かに生きているんだよな?」

 

 「はい……」

 

 「良かった……」

 

 彼女は、ただただ頷いてくれた。

 

 後になって考えれば、彼女にもこの世界の事などわかっていなくて、ただ俺に合わせてくれたのじゃないかと思ったのだが、それでも嬉しかった。

 

 自分を知っている理解者が、此処に居た。

 

 やがて心が穏やかに静まり、俺は静かに彼女から離れる。その身体には力任せに抱きしめた俺の痕が赤く残っていた。

 

 「俺は…………散々迷走した。ただひたすら他人の愛や幸福を搔き集めれば、後悔も楽になるかと思ったが、実際は違った。空虚な穴が広がるだけだった……」

 

 俺は自分の手の平に視線を落とし、それを握り締める。

 

 「今は違う。愛と幸せは拾うもんじゃない……自分で作るんだ…………今度は間違えない様に…………あいつと一緒に……」

 

 「やっぱり……あの人が好きなのね……」

 

 「あぁ……」

 

 彼女は笑いかける。屈託のないその笑顔に、自然と俺も口元が緩んだ。

 

 ようやく、俺はこの世界に来た意味がわかったかもしれない。だからこそ……果たすべき事を果たさなければならない。

 

 勇気を出せば、今度は届く……

 

 彼女は大きく背伸びをした。

 

 「さ〜てと……知りたい事は知れたし、言いたい事も伝えられた。そろそろお別れの時間ね……」

 

 「なぁ……お前とはまた会えるんだよな? あの……子供の姿じゃなくて……」

 

 「ふふ、どーかしらねー。でも、心配しなくていいよ。すぐ、会えるんだから……」

 

 「……そうだな、必ず……こんな所じゃなくて、現実の世界で……」

 

 セリーヌは俺に抱きついてきた。俺はそれを黙って受け止めた。

 

 「頑張って。私はあなたを知っている、繋がっているから……」

 

 「あぁ……」

 

 微笑む彼女と瞳を合わせていると、目の前が真っ白に染まっていった。

 

 ただ、彼女が最後まで見せていたあの笑顔は、俺の頭の中から消えることはなかった。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 声が、聞こえる。俺の名前を呼ぶ声が、聞こえる。

 

 「リトー? りーとー」

 

 「んぁ?」

 

 目を開けると、眼前にララの顔面が広がった。太陽の後光が差して、一瞬誰だかわからなかった。

 

 「なんでこんなトコで寝てるの?」

 

 彼女の言葉を頭から受け止めながら、俺は立ち上がる。周りは結城家の見慣れた庭。顔を見上げると、そこには体長数メートルはあろうかという馬鹿デカい大輪の花を開いた植物が、花粉を出す中心部にある唇から鼻ちょうちんを膨らませて爆睡していた。

 どうやら、俺は寝ているセリーヌに寄りかかって寝ていた様だ。

 

 「ん〜……ちょっと日差しが良かったから、ボーっとしてたら寝てた……」

 

 「え〜? リト、おじいちゃんみたいー」

 

 混じり気のない笑顔でララは笑う。俺が一体何を見たのかは、言えるわけがなかった。

 

 「ララ……」

 

 「ん、なぁに?」

 

 俺の声に、近かった距離を更に詰めて目を合わせるララ。桃色の髪がそよ風でなびき、エメラルドグリーンの瞳が朝日に照らされる。

 

 動揺しているのが、わかる。俺が彼女に何を思っているのか、わかる。

 手を伸ばせば、すぐ届く存在。なのにその手が止まろうとするのは、ひとり残された母さんを思い出してしまうから。もう会えるのかどうかも定まらないまま、前に進む事が怖かった。

 

 けれども、俺はもう独りじゃない。『俺』を見てくれている存在がいる。目の前にも……

 

 「いや、なんでもn、…………今日は、出かけるぞっ」

 

 「ホントに!? やったー!!」

 

 満開の笑顔で飛びつく彼女を両腕で受け止め、勢いのまま庭の中央で回転する。近所迷惑も構わない。ただこうしている事が、楽しかった。

 頬ずりまでしてくるララを許して俺は今一度、寝ているセリーヌを見上げる。彼女と真に邂逅するのはもっとずっと先の事だが、今は気長に待とう。

 

 不安はあるけど…………俺は前に進む。

 

 

 

 俺は……こいつを愛してる。

 

 



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