幼馴染で隣人で許嫁な彼女と惚気たい (金枝篇)
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一学期:見せつける日々
岩傘調は惚気たい


原作がある意味クライマックス。アニメは大ヒットの予感。
そして胸に滾っている情熱がある。
書きたい理由はそれで充分でした。


 教員室で印鑑を貰い帰ってくると、許嫁が生徒会長の弁当を食べていた。

 それを怨霊のような目付きで睨む副会長もセットである。

 会計は……今日は不在らしい。

 

 「ハンバーグにタコさんウインナー、白米とお味噌汁……、美味しいです……!」

 「ははは、そうかそうか、そう言ってくれると作った甲斐があったというものだ!」

 「(死ねばいいのに)」

 「あー、えー、……どういう状況?」

 

 耳に届いた、最後のぼそっと呟かれた一言を意図的に無視して、生徒会室に踏み込んだ。

 お昼時。午前中の授業が終わり、午後の授業が始まるまでの1時間。やたらと仕事が多い生徒会の面々は、此処に来て様々な書類を裁きながら昼食を取る。今日もその流れだ。

 応接机の上に広げられているのは、小さな手弁当が一つ、水筒が一つ。

 白米に振りかけ、ハンバーグにたこさんウインナー、卵焼き、野菜とシンプルな内容である。子供心をくすぐる、母の味を彷彿させる、男の子なら絶対好きなお弁当。僕もちょっと心が躍る。

 

 「調さん調さん! 見て下さい、会長のお弁当! 可愛くて美味しいんですよ! しかもですね、ご飯を口に入れてお味噌汁を飲むと、口の中でぱーっと解けて……!」

 「……ああ、ふうん? ……そういう事か」

 

 副会長の目がすっごいことになっている理由も、自分の機嫌が傾いたのも分かった。

 当の本人はハテナマークを頭に浮かべている。

 彼女の名前は藤原千花(ふじわら・ちか)。書記、二年生、ゆるふわ天然系。その実、結構にしたたかな女。

 

 「? 何かありましたか? 難しい顔してますよー?」

 「……。……かぐや嬢、説明をしても良いでしょうか」

 「ええ、お願いしますわ。どうやらお二方とも自覚がないようですので」

 

 氷のような目で微笑む副会長、四宮(しのみや)かぐや嬢――ある程度、長い付き合いなので、僕が余計なことを言わずに事情を説明できると信頼されている――に頷き、口を開いた。

 

 「藤原書記。さっき使った箸と、口を付けた水筒のカップは、誰のものだい?」

 「そりゃー会長のですよ」

 「うん、それだよ。それ」

 

 思わず感情が高ぶったのは悪くない。僕は悪くない!

 

 「間接キスって知ってるか! 藤原千花さんや!?」

 「え? ……あー、そーいえばそうですねえ。うっかりしてました」

 「いいかい? かぐや嬢が怒っているのは、生徒会で不純異性交遊が行われないかという心配だ。そして僕が怒っているのは――」

 

 特に恥じるようすもなく、ノーテンキにふわふわ笑っている藤原千花。

 昔からこんな具合だ。その都度その都度、僕の心は複雑になる。あー畜生、全然わかってねえ。

 僕の顔を見て、暫し考えていた千花は、やがて結論が出たらしい。

 

 「分かった! 嫉妬しちゃいました?」

 「するわ!」

 「やだー、嬉しいかもしれませんよこれ」

 

 僕の内心を言い当てて、問いを投げた。勿論、肯定した。

 当の本人はわあいとか小躍りしそうな感じで喜んでいる。

 かぐや嬢の本音も、多分嫉妬なのだが、それは口に出さないで、一般論として語っておく。僕の言葉は、彼女のお眼鏡にかなったらしい。ストレートに下手を言うと石上会計みたいに地雷を踏むのでちょいとばかり気にしないといけないが、もう慣れた。

 

 「慎みを持てとは言わない。千花さんは千花さんのままでいい。いや、ままが良い。でももうちょっと……こう……男子の目線を気にして! 頼むから……! 勘違いさせるタイプだって自覚して!」

 「そんなに心配しないでも大丈夫ですって。会長はそんな人じゃありませんし」

 「んなこた知ってる! だけど僕が! 気にするの!」

 「ちょっと過保護じゃないですかー?」

 「そんなことは無い! 千花さんに何かあったら僕は凄く悔やむし悔しいぞ! 雑草みたいな男子は沢山いるんだからな……!? 放したくない! 分かる!?」

 「……そ、そこまで情熱的に言わないでくださいよぉ、恥ずかしいです」

 「あ、うん。僕も冷静になったらかなり恥ずかしい言葉だった」

 「お前たちもう少し静かにしろ。此処はラブコメの場所じゃない」

 

 我らが生徒会長:白銀御行(しろがね・みゆき)氏は、指摘されて「しまったな」という顔をしていた。が、そこに照れの感情はあんまりない。若干はあるが、これはむしろ「間接キスをしてしまった恥ずかしい」よりも「何かしらのフォローをしないと不味い」という思考回路。

 

 後更に言えば「ヤベエ四宮に笑われるんじゃないか!?」という不安であろう。

 彼の頭の中では「そこまで慌てふためいて案外初心なのですね会長、お可愛いこと」と、かぐや嬢が笑っているに違いない。

 あの生徒会長は、かぐや嬢の事を気にしている。だから藤原千花に、恋愛感情を向ける事は無い。のだが! あんまりいい気分じゃないのだ。

 

 「しょうがないですねー、それじゃあ、一緒にご飯を食べましょう。で、私が「あーん」してあげますよっ。……なら良いですよね? ()()()()()?」

 「よしそれじゃお昼にしようか」

 

 にこにこと微笑む、彼女のその一言で僕はあっさりと意見を翻し、機嫌を直して隣に座る。

 いやあ彼女の天然な奔放さには困ったものだ。毎回こうして注意してもうっかりのミスをする。鞄から二段重ねのお弁当を取り出し、作ってくれた母に感謝して、頂きます、と蓋を開ける。

 色取り取りのおかずを前に、さっきまでの苛立ちはどっかに消えていた。

 承知しているように、箸は二揃えが入っている。

 

 「おー今日は俵のおにぎりは2種類ですね! お茶……新茶ですかね?……それと」

 「鳥飯だな。はい、箸とおしぼり。旬の食材が多いから美味しく食べようか。デザートには千花の好きな苺タルトも用意してある」

 「さっすが調さんのお母様! やりますね! いただきましょう!」

 

 互いに盛り上がって風呂敷を広げ、揃いの作りの箸を取る。

 仲睦まじい僕と彼女の姿を羨んだのか、背後から氷柱を背筋に突っ込むような、怒気では言い表せない視線がぐさぐさと突き刺さってきた。

 これは、かぐや嬢の視線だ。間違いなく嫉妬の目だ。しかし、……甘いな。

 隣に千花が居る僕は無敵だ。

 更に言えば、僕が居ないとどうなるかの想像も、かぐや嬢なら十二分に把握している。

 故に、目線は、コワクナイ。

 いや本当に怖くないから。足とか震えてないから。この震えは武者震いだから!

 

 「調さーん、はい、あーんしてください」

 「……あーん」

 「美味しいですかー? 美味しいですよね。後で私にもして下さいねー?」

 「………おう」

 

 隣人で、幼馴染で、クラスメイトで、隣の席で、そして許嫁。

 彼女:藤原千花の差し出した箸に、僕:岩傘調(いわかさ・しらべ)は素直に口を開けた。

 すっげー美味しかったのは、料理の味だけが理由ではない。

 

 ◆

 

 恋愛において!

 惚れた方が負けである!

 故に先に「惚れている」と告白することは敗北を意味する!

 それは己のプライドが許さない……!

 

 ……というのが、どうやら我が生徒会のトップ二人。即ちが生徒会長:白銀御行と、副会長:四宮かぐやのポリシーらしい。まあ、なんとなく言いたいことは分かる。『告白した』という事実を相手が握っている場合、それをカードに脅迫、もとい交渉は十分にできる。

 彼ら自身はそんなことはしない人間と品格を兼ね備えているが、相手はしてくるかもしれないと考えているらしい。全く持って面倒くさい思考だなと思う。

 

 「見て、生徒会のお二人よ。何時見ても気品に溢れた御姿……、お近づきになりたいですわ」

 「お似合いですもの……。ひょっとして交際なさっているのかしら……」

 

 廊下を二人が揃って歩けば、密やかに生徒達が目を向け、今日も今日とて妄想に耽っている。

 それだけ見れば、ただの高校生達のワンシーン。……なのだが!

 

 ここは、私立秀知院学園である!

 明治時代、貴族や名士達の学び舎として造られたこの学園は、既に100年もの歴史を誇り、卒業生には名立たる逸材が揃っている。同級生と出会うのが国会だったり国際会議だったりというのだからふざけた話。通う生徒も殆どが社会カースト上位陣。

 

 副会長を務める四宮かぐや嬢。かの四大財閥の跡取り令嬢であり、帝王学まで収めた才色兼備。

 

 そんなかぐや嬢が、かなり対等に見ている会長――白銀御行氏は、外部からの中途編入生であるにも関わらず、試験総合成績トップの超秀才。苦学生でありながらも無遅刻無欠席を取り続け、意外と多い様々な欠点を努力し続ける、まさに執念で食らいつく男。マジ凄い。

 

 「おい、あれ藤原書記だよな……。隣に居るのが……」

 「岩傘調だ。……くっそぉ、俺らのアイドルの隣に居やがって……」

 「仕方が無いだろう昔からの許嫁なんだ……。やるなら闇討ちにしようぜ……傭兵雇って……」

 

 さておき、そんな秀知院である。が。

 前を歩く二人を見て、その背後を歩く僕ら二人を見る視線、どちらも憧れと憎しみが半々だ。

 

 ――アホばっかりじゃねーか!

 

 正確に言えばあれだ。どんな格式高い学校でも、所詮は皆、若者、高校生と言う事だ。

 学園の生徒は揃いも揃って社会カースト上位とは話したと思う。その通り、保護者の上層部になると、某ヤクザの一人娘とか、宗教法人のトップの娘とか、警察官僚の子供とか、国際団体の一員の子供とか、本物の王位継承権持ちとか居たりする。

 

 隣にいる藤原千花とて、曾祖父が総理大臣、叔父が省大臣という政治家一家。

 

 一応僕も「そういう人々の範疇」に入っているようなのだが、それはそれ、これはこれ(実家の家業について内心複雑なものを感じている僕である)。

 そんな連中が大真面目になって、生徒会の人間の諸々に反応しているのは、親しみを感じるが、呆れもある。まあ悪意が少ないのだけは幸いだ。

 中には御行氏へ心無い感情を抱いている人間もいるようだが、不動の成績一位を前には何も言えない。あれで中々、彼は社交的であり、不満を持っていない大多数の人間とは仲が良いのである。

 

 嫉妬が混ざった僕への悪意は多いようだがな!

 

 「噂されてますねぇ」

 「そうだねー」

 「大丈夫です! 調さんとの関係は壊れませんよー!」

 「そうだねー」

 「何かあっても、全力で返り討ちにします! ……あ、そういえば今度のお休み、お父さんが調さんを誘って釣りにでもどうかって話してました。予定空いてますか?」

 「勿論行くよ?」

 「「「畜生、あいつ藤原さんと腕組みやがって……!」」」

 

 藤原千花は人気がある。お陰で、男子達が色付く中等部時代から今に至るまで、僕への殺意は鰻登り。今も怨嗟の声が聞こえている。

 

 だが無視! そんな悪口は通じない! 返事がおざなりなのはしょうがない。だって今ほら、腕組んでるし。肘の部分に千花の豊満な物が当たってるし。柔らかくて暖かいんだよ、気も散るって! そっちに意識向くじゃん!

 まだ性別の垣根を意識したことがない昔から、彼女とはこうして仲良く過ごしていたが……。最近ではすっかり女性らしくなってしまって、いや本当、色々ドキドキするね。

 

 視線を感じながら生徒会室に向かって足を進める。前を歩く二人の背中を見て、聞こえないように小声で言った。

 

 「個人的にあの二人、とっととくっついて欲しいんだよな……」

 「え、なんでですか?」

 「そりゃあ」

 

 口から言おうとした言葉が、一旦、途切れる。

 学園の皆は関係を周知しているから隠すような話でも無いのだが――のだが、しかし、口に出すのは少々恥ずかしい。公衆の面前だし。

 

 「なんでですかー? なーんでーでーすーかー? ですかー?」

 

 僕を下から覗き込むように見つめる瞳。長い髪がふわっと揺れて微かに顔に触れる。

 その顔は怪しいニマニマした笑顔だ。明るい天然の笑顔とは一風変わった、悪戯をするような顔である。女子は幾つもの顔を持っているというが、彼女のこういう顔には、弱い。

 観念して、そりゃあ、の続きを告げる。

 ここは学院の廊下で、壁際には大勢の生徒が並んでいるのだが――。

 

 「そりゃあ、……僕が千花といちゃつけないからな……」

 「えへへー、だからいーちゃんは好きですよー」

 

 最後の方は、聞こえる程度の声で、会話をすることになった。

 そのやり取りで、聞いていた女生徒が顔を赤く染めてひそひそと囀っていく。千花は人気がある。男子が余計な茶々を入れないように常に牽制はしておかなければならない。そしてそんな事情を差し引いても、公衆の面前で惚気るのは、恥ずかしいと思いこそすれ、決して不快には思わないくらい、僕は彼女にぞっこんだ。

 

 僕と彼女:藤原千花は、許嫁である。

 年齢も一緒。幼稚園に入る前から顔を合わせている幼馴染である。

 

 恋愛において告白した方が負け、惚れた方が負けという言葉は確かに一理ある。

 しかし敢えて言わせてもらおう。

 

 僕の人生、もうこれ大勝利で良いんじゃないか? と。

 

 ◆

 

 この物語は、恋愛頭脳戦を繰り広げる生徒会の二人を、時に激励し、時に応援し、時に呆れた目で見つめつつ、全力で藤原千花と惚気合いイチャイチャすることを目指す――

 ――僕、岩傘調の、記録である。

 



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岩傘調は釣り上げたい

 日曜日。僕は千花の親父さんに誘われ、釣りへと来ていた。

 

 ここは五島列島。長崎県の西に位置する日本屈指の釣りスポットである。

 国家公務員をしている藤原さんは、その職業に見合い、恐ろしく忙しい。彼自身も政治家として中々の辣腕をふるっているようだ。

 とはいえ公務員の例に倣って日曜日は休みである。

 その休みの日の大半も、彼の弟(現職の大臣さんね)に付き合い、他政治家との社交とか、料亭での話し合いとか、最近の国政に関する勉強会とかで潰れているが、出来るだけ日付を調整して、家族との時間を作るべく奮闘をしている。そんな休日に、僕は誘われていた。

 

 「いい天気ですねぇ」

 「そうだね。……お、一匹、釣れた。イナダだね」

 「こっちも来ました。……ハコフグですね。サイズも小さい。食べれません」

 

 幸い釣り針も深くない。丁寧に針を抜いて、まだ息があるうちにリリースしてやった。

 五島列島は、日本屈指の海釣りの名所。釣り上げた魚を処理してくれる店も沢山ある。今晩の献立用と、お土産用に色々と釣っておかねば。

 気合を入れた僕と藤原さんは、再び椅子に座って釣り針を垂らす。

 

 春とはいえ海上、直射日光が降り注ぐ。暖かい春。麦わら帽子に、ジャケットという身支度を見れば、政治家ではなくその辺のおっさんにしか見えない。

 しかし、藤原家は間違いなく金持ちエリートなのである。

 だってここ、藤原家保有の自家用フェリーの上だし。運転してるのは藤原家の使用人さん。流石にフグ調理師免許取得者はいないが、台所には魚専門の料理人も同乗している。

 

 「急に誘って悪かったね。長崎で仕事があったんだが、スケジュールが開いてしまってね。東京に戻るのも大変だから、こちらで適当に観光にと思ったんだが、男一人だと退屈でね」

 「いえいえ、千花さんも来て良かったと言っていました。移動は飛行機だったので楽でしたし」

 「そうか、それは良かった。岩傘君のご家族も元気かね?」

 「父も、……母も妹も、全員元気です。その節は何かとご心配をおかけしましたが、家の方は平和にやってますよ。……おっと、釣れた。タコですね。これは捌いて貰いましょう」

 

 冷静に考えれば、許嫁の父親と二人だけ、というシチュエーションなのだが、緊張は無い。

 岩傘家と藤原家。親と子供を両方合わせると、人数は四人+五人で九人。しかしその中の三分の二は女性。つまり僕と、僕の父と、藤原の親父さんの三人しか男が居ないのだ。必然、距離は近くなる。お陰で昔から、可愛がって貰っていた。

 女性陣(千花と、萌葉ちゃんと、僕の妹だな)は仲良く買い物に出かけている。

 

 「千花はどうだね、学院では。奔放すぎやしないかと心配なんだ。豊実の例もあるからねぇ」

 「人気者です。後輩受けも良いので、人脈が凄いことになってます。あんまり詳細を言うと、僕が千花さんから怒られてしまうので、ご容赦下さい……。でも心配することは無いと思います。先生からも良い評価を頂いて居るようですし、四宮さんみたいな親友も出来ましたから」

 

 藤原さんが千花に過保護でありつつも、少々締め付け……というか躾が厳しいのは、豊実さんという前例があるからだ。豊実さん、千花のお姉さんで、ものすっごいダイナマイトボディのお姉さんである。子供の頃から見知っているが、僕は頭が上がらない。

 とはいえ藤原さんの躾は、奔放すぎないように、という程度の物。何から何まで禁止されているわけではなく、健全な男女の交際において必要な知識くらいはOKを貰っている。

 

 「そうか。君が居てくれるのは助かるよ。……逆に、君の悩みなんかはないかね? 出来る限り力になりたいと思っている。岩傘には、本当にお世話になった。感謝してもしきれない」

 「……実を言えば、少し、なくはないです」

 「ここには男二人きりだ。胸襟を開いて話してくれるかい?」

 

 藤原さんの目は、娘婿を見る瞳であった。

 

 ◆

 

 さて、ちょっとばかり昔の話をしよう。

 ある男二人もしくは三人の物語だ。

 便宜上、この二人をI氏とF氏と、F氏の弟と呼ぶことにする。

 

 I氏とF氏は親友だった。学生時代、秀知院学園で出会って、金や権力、コネとしての有望さ諸々の下心、打算などとは関係なく友情を築いたという。

 そんな中の良い二人にF氏の弟が加わり、三人で様々な武勇伝を作り上げたそうだ。

 

 さてI氏は、大学を卒業後、若くして、さる大企業の重役に就任した。といってもI氏の実家が経営している企業に、身内人事で入った形である。

 一方のF氏はと言えば、大学を卒業後、官庁に入った。F氏の実家は代々の政治家だったから、F氏も当然のように政治家になった。

 

 社会人になっても、I氏とF氏の交流は続いていた。

 長期休暇が同時に取れれば一緒に遊びに出かけ、互いの惚れた女性の話をし、後押しし合い、応援し合い、結婚式に涙し合う友情であった。

 

 さて――それから暫くの時間が経過する。

 互いに家庭を持ち、子供にも恵まれた。

 I氏は重役から取締役に出世し、F氏も官庁での地位を高めていった。

 F氏の弟も無事に政治家になり、順調に出世していった。

 

 そんな中、さる騒動が起きた。

 時の内閣と国会の主導の元、幾つかの新しい省庁が発足したのだ。つまりポストが生えたのである。多くの政治家達はこれに飛びついた。上手くいけば官庁のトップになれる。野望を胸に、口に出すのも憚られる暗躍、諜報、賄賂、汚職、天下り、その他山々大規模な政治闘争が繰り広げられたそうだ。

 

 ところがF氏ら兄弟は、飛びつかなかった。

 元々が能天気だった(I氏の台詞である)ことも幸いし、政治闘争からは距離を置いて、真面目に執務に取り組んでいった。政治家は割と腹黒いこともするのだが、F氏は割とクリーンに近かった(いや、無論灰色ではあったようだけどね?)。

 

 で、此処に、爆弾が落ちた。

 政治家達の、その暗躍が、リークされてしまったのだ。

 どこから情報が漏れたのかは定かではない。犯人も今もって不明。一流新聞社からゴシップ紙まで、政治家の誰誰がどこどこで賄賂を贈ったとか、どの人物が密約を交わしたとか、その辺が詳らかに明るみに出てしまった。

 こうなっては新省庁への就任どころではない。政治家は自己保身に必死になる。

 余りの多さに、時の内閣総辞職や、国会の解散まで行われた。

 

 それが今から10年ほど前の話である。

 10年も経てば歴史の教科書に掲載されるし、当時の混乱も収まる。『ああそんな事もあったなあ』と国民の大部分には、過去の話になっている。当時は国内外を問わず、報道の嵐だったそうだが、そこは枝葉なので割愛。僕が小学生にもなってない頃の話なのだ。詳しく知りたきゃ図書館に行け、である。

 

 さて男達の話に戻ろう。

 F氏ら兄弟は、そんな政治闘争とは離れたところで執務をしていた事もあり、国民から高く評価されていた。

 I氏はここで動いた。兄弟の背中を押したのだ。所謂、選挙管理委員会、参謀役として彼らを応援したのだ。ポストを取りに行くべきだ、と。

 当時の情勢的に、早急な国の立て直しが急務だったのもある。

 

 はいそこ、思ったよな?

 それ本当に「友情」だったの? と。

 I氏がF氏の為に何か暗躍してない? 新聞社へのリークとか手伝ってない? と。

 

 何もしてなかったのである。

 少なくともF氏らとI氏にとって、情報リークは寝耳に水だった。

 そして国の一大事と、彼らは善意のみで動いたのである。

 

 最初は僕も大分、懐疑的だった。政治家のF氏と、親友のI氏。両者の力が合わさった背後には、どんだけ多くの『内緒話』が行われたかわかったもんじゃない、と。

 ところが、この友情という点に関してだけは、真実本当だった。

 

 I氏は同級の親友に対し、何かしらの利益どころか口約束も交わさずに全力で力を貸した。彼はF氏が政治家として上に立つべき人材だと信じていて、彼が善良で、私腹を肥やすタイプではなく、全力で国家の為に働く性格だと知っていた。

 

 その親友F氏も、I氏の説得で動いた。心からI氏の助力を喜び、忖度や、秘密の便宜を図ることなく、喜んで後押しを受け取ったのである。

 

 それから暫くの後、F氏は、無事に国家の要職に就くことが出来た。

 そして更に言えば、F氏の弟は、F氏とI氏のバックアップを受け、大臣に就任する。

 

 さて何とか政治が落ち着いた頃になり、F氏は、多大な恩義を受けたI氏に対して『何かお礼をしたい』と考えたのだ。

 そして彼は結論を出した。

 

 『私の娘を、君の所に入れてくれないか、と』。

 

 ……まあ長くなったが、要するに、それがI氏こと僕の親父と、F氏こと、彼女:藤原千花の親父さんの話である。

 

 元々、家レベルでの交流があったので、彼女の事は、幼い時分から知っていた。最初に出会ったのは……記憶が定かでもないくらいに小さい頃。それが一緒の幼稚園に通い、一緒の小学校に通い、まだ異性として認識するかしないか位の頃に『許嫁』になった。

 

 それには、感謝をしている。

 藤原千花は、良い女性だ。可愛く、淑やかで、時には狡猾だが、それも素敵だ。スタイルも顔も良いし、技芸に秀で、社交性にも富んでいる。ちょっと天然もあるが、それも保護欲を掻き立てるし、あらゆる年代に受けが良い人柄を持っている。

 しかし、それはそれで――悩みは、ある。

 

 ◆

 

 「……時々、心配になります」

 「ふむ」

 「僕は千花さんと許嫁になりましたが、それは偶然、巡り合わせによるものです。だから思います。僕で良いのか。ひょっとしたら僕より良い出会いがあって、僕は単純に先手を打っただけなのではないか。彼女が僕を慕っているのは、……結果論でしかないのではないか」

 「君は千花が嫌いかね?」

 「まさか。好きですよ。……ただ」

 「昔からの幼馴染が許嫁になって、愛情が本物か分からないと不安で、彼女の意思を限定させていないかと心配だ、と」

 「……そうです」

 「また子供らしくない面倒臭い悩みをしているねぇ」

 「……よく言われます」

 

 僕は許嫁であることを心から有難いと思っている。まあ千花も、笑って肯定している。しかし不安はある。その笑顔が本当に心から、僕を『愛』しているからこその物なのか? と。

 若いなぁ、と藤原さんは言った。その顔は楽しそうだ。

 

 聞いてみれば、なんでも僕の父も、まだ若かりし頃、同じ相談を藤原さんにしたらしい。……まあ確かに母周りに関しては(色々あるので今は濁しておくが)そりゃなあ、荒れるよなあ、というのが感想だった。

 親子だね、という藤原さんの言葉に、頷く。

 

 「気にすることは無いと思うがね。本当に千花が君を好いていないなら……あるいは、心が変わって君より好きな人が出来たのなら、それが君には分かる筈だ」

 「……そういうものですか」

 「そういうものだ。それに『許嫁』と言うのは、強制ではない。千花と君が互いに納得して解消するなら、それはその時だ。岩傘とも、それは約束してある。だから君は、君なりに一生懸命、千花と過ごしなさい。のんびりしていると、学生生活はあっという間に卒業まで行ってしまうよ」

 「そんなものでしょうか」

 「そういうものだ。私としては、君の事を信頼し、信用している。千花を任せて良いと思っている。だが気負う必要は無いよ。傷物にしたら責任を取ってくれれば良い」

 「それは、勿論心得ておきます」

 

 最後の一瞬だけ、父親の真剣な目になったが、それ以外は非常にのんびりとした顔だ。

 再び釣り竿に向かい、水平線を眺めながら時間を過ごす。

 僕がウツボを引っ張り上げるのと、携帯電話が震えたのは、同じタイミングだった。

 

 ◆

 

 とりあえず釣り上げたウツボは、藤原家の護衛さんにお任せして、僕は陸地に戻った。

 メールで『早く来てー合流しましょー』と一言だけ書かれている。

 何かトラブルでもあったのかな、とタクシーを拾って指定された場所に向かうと。

 荷物の山があった。

 

 「いーちゃんいーちゃん、沢山買っちゃいましたー! ――手伝って下さい?」

 「持ちきれないほど買うなよ。要件はそれだけか?」

 「んー。もう一個ありますね。どうでしょう! 何か気付かないですか?」

 

 くるりん、とその場で回った千花を見る。

 ははあ、なるほど。衣装が新しくなっている。桃色から黄色に。どっちも彼女に似合っている。

 スカートがふわっと広がって、白い肌が見えて、くるくるくるんと回って僕の方に来たので、腕を広げてキャッチした。すぽんと彼女が腕の中に納まる。ううむ、香水も変えてあるな?

 

 「……一番に見せてくれたのか? 似合ってる」

 「ほうほう」

 「千花らしい香りがする。ドキドキする」

 「ふむふむ」

 「暖かくって柔らかくて魅了された。このままずっと抱きしめてたい」

 「そうですかー、そうですかー」

 

 にへへとふやけた笑顔になって、じゃあと彼女は続けた。

 周囲から「いちゃつくカップルめ!」みたいな視線を感じた。通行人だけではない。萌葉ちゃんや僕の妹も混ざっている。だが気にしない。気にするのは後で良い。今は感じてたいのだ。

 

 「えへへ、そういう事です。まだまだありますから、今度、個別でファッションショーしてあげます。だからほら、持って帰りましょう!」

 「了解。そういう事なら、頑張るか」

 

 幸い母のお陰で身体は鍛えてある。彼女の買い物に付き合うのもこれが初めてではない。

 荷物持ちをして、千花の可愛い艶姿を堪能できるなら、お安い物だ。

 

 「安心して下さいね」

 「ん?」

 

 静かに耳元で、囁かれる。

 

 「私がこういう姿を見せるの、家族以外には、いーちゃんだけですよ?」

 「……!」

 

 危うく荷物を取りこぼし掛けた。

 僕の内心を知ってか知らずか、彼女の一言は、若干不安だったもやもやを吹っ飛ばす。

 彼女とうまくやっていけるか、という心配は杞憂なのかもしれない。

 ……僕はとっくに彼女に、釣り上げられている。

 

 あ、ウツボは捌いた上でのお土産になりました。

 御行氏、生魚を捌くのはダメっぽいからね。脂分が多いので湯引きするといい感じになると調理方法も教えておきました。

 実家で堪能して貰えたらしい。よかったよかった。

 



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岩傘調は交渉したい 前

アニメ3話のEDがあんな風になるとか想像できる筈もなかった。


 「部活連からの注文が多い……。岩傘、手伝ってくれ」

 「はいはい、具体的にはどんな具合でしょう、会長」

 

 秀知院学園、生徒会室。生徒会長の白銀御行氏の注文に、頷いて立ち上がる。

 作業中のパソコン画面を落として彼の元に向かうと、若干の疲れた顔で一枚の書類を見せられた。

 我らが生徒会は僕を含めて五人での運営だ。

 会長、副会長、書記、会計、広報(僕)。庶務(雑用)という役職では良くないだろう、と適当な役職を貰って任命して貰った形だ。それに僕を広報担当を据えておけば、他に庶務を増やす余裕が生まれるというのもある。

 

 広報の仕事は簡単だ。

 生徒会からの連絡を逐一掲示板で報告したり、逆に生徒会への要望を聞き取ったり。一応、学院のインターネット担当も僕の仕事だ。実は裏サイトがあったりもする学園、秘密の管理人は必要である。直接顔を合わせての対人関係だけは正直得意じゃない……が、これも経験の一種として割り切った。それ以外の部分、文章を書くのも、情報を読むのも得意だったので、楽しくやっている。

 

 「部活連の皆さん、濃いですからね……。波風を立たないようにするには大変と」

 「そうだ。多額の寄付があるからこそ、金の使い道は考えねばならん」

 

 御行氏は、金を大事にする。実家が裕福ではないというのもある。端的に言えばケチだ。備品は大事に扱い、余分なものは切り捨て、効率良く運営する。手弁当まで自作する。

 会長から見せられた書類には、各部活動からの申請備品がずらっと並んでいた。

 

 上から下までをザーッと眺めて、文章として記憶する。思わず「うわぁ」と言いたい高級品もずらり。

 柔道部の畳の張替えや、運動部のトレーニングマシンはまだ安い。天文部の大型望遠鏡やら、吹奏楽部の大型楽器の新調やら、登山部の海外遠征費用やら……。節制すれば中流家庭が数か月から半年は生活できるだけの費用が、一つの部活に付き一個は申請されている。

 

 あんまり目付きが良くない会長(金額を前に胃が痛いのもあるだろう)の目がますます怖い。

 どう思う、と彼は僕に話を振ったので、私見を述べる事にした。

 

 「この申請書が全部通るとは、向こうも思っていないかと」

 「俺もそう思う。生徒会権限で却下出来る物もあるだろう。だが同時に譲れないと申請している物もあるはずだ。その見極めをせねばならん。その為には人手と時間が必要だ」

 「……それを手伝えって話ですね」

 「そうだ。運動部も文化部も多いんでな、すまんが頼まれてくれ」

 「お任せを。しかし副会長……かぐや嬢は、今日はどちらに? 彼女も手伝うべきでは」

 

 僕は会長、副会長などの役職名以外では、御行氏、かぐや嬢と呼んでいる。さん付けで呼ぶのは得意じゃないのだ。

 かぐや嬢は、カースト的な立場が立場なので、どうしても適度な礼儀を弁えた名前で呼ぶように心がけている。公の場で、藤原千花を一人だけ名前呼び捨てにするわけにもいかないし。

 かといって同級生で同じ仕事をする友人だ。あんまり遜った言い方も面倒だ。色々悩んだ結果、妥協点として此処に落ち着いた。僕が生徒会で呼び捨てに出来るのは石上会計くらいだろう。

 

 「四宮からは、今日は日直とクラスメイトからの相談があって遅れると連絡を貰っている」

 

 御行氏はスマホを取り出して見せた。

 なるほど、相談があって、遅れる、ね……。

 

 「ですか。分かりました。じゃあパパっと行ってきますよ。早めに終わらせましょう」

 「すまんな。流石に今日一日では無理だろうし、出来る範囲で良い。難しい問題は後に回してくれて構わん。俺が直接出張る必要もあるかもしれんのでな」

 「会長の手は煩わせませんよ。それじゃ、行ってきます」

 

 かくして僕は申請費用の一覧を片手に、学院内へと繰り出した。

 会長のスマホは無事に使われているらしい。僕は数日前を思い出した。

 

 ◆

 

 御行氏がスマホを買おうと思っている、との話を聞いたのはある日の放課後の話だ。

 今まではガラケーだった会長も、帰宅途中に大特価セールをしていたのを見て、良い機会と切り替えようと思ったそうだ。お金持ちの秀知院、かつては携帯電話の持ち込みは禁止だったらしいが……最近の時世には逆らえず許可されている。そして携帯やスマホが許可されているという事は、インターネットやアプリも承認(暗黙の了解で)されている。

 学園裏サイトが動いているのも本当だ。僕が適度にチェックしているが、匿名掲示板は今日も元気に活動中である。さておき、そんな会長が新しくスマホを買う、と。

 

 「良いですねぇ、会長、機種とか拘りあるんですかー?」

 「いやあ機械には疎くてな。今、良いのがないかと相談をしているところだ」

 

 などと千花と会長が話している中、僕はと言えば、無言で四宮かぐや嬢の顔色を窺っていた。

 彼女の裏側は非常に(言葉に言えないくらい、非常に!)計算高い。昔は冷徹な女王かぐや様だった片鱗は、今でも時々見ることがある。いや、会長の前で見せなくなった分、より怖い。光が強くなった分、影もまた濃くなったというか、そんな感じで。

 

 ……いや、偶然なんだけどさ。裏サイトの巡回してたら、早坂愛さんをちょっと離れた電気屋の前で見つけたって情報があったんだよ。他の雑多な情報に流されて、もう何処に書き込まれたかも定かではないが、確かに僕はその情報を目にしている。

 

 これは――仕組んだな?

 

 暫し考えた後、僕は素直に、かぐや嬢の側に立つことにした。

 

 僕には分かるぞ。

 この二人の事だ! どうせ会長がスマホを手に入れたとして!

 

 「連絡先を自分から聞く」

 =「自分が貴方に連絡を取りたい」

 =「自分は貴方に色々と伝えたい」

 =「お可愛いこと」

 とでも考える羽目になるに違いない!

 ……なんで分かるかって?

 過去、僕も千花にそういう風に接していたからだよ。黒歴史だ。

 

 「あー、会長会長、あのですね、当然ご承知だと思いますが……。今時分、携帯を乗り換えたとしても、契約会社が同じなら、番号とかメールアドレス、変更しないままですよね?」

 「……? そうだな、当たり前だ」

 「です。なので連絡先は改めて聞く必要ないです。ラインとか始めるんじゃなければ」

 

 僕の言葉に、白銀会長は、!?という顔を一瞬だけ見せて、平静を装った。

 あー、これはアレですね。

 完全にかぐや嬢から「連絡先を教えて下さい」と言われるのを計画していた顔ですね。

 同時に背後から、彼女の突き刺さるような視線を感じる。かぐや嬢も、知らなかったらしい。「余計なことを!」と言われている気がするが、そもそも貴方の古すぎるガラケーじゃラインは無理です。それも教えてやらねばいけないな。

 

 「とはいえ今まで、会長は仕事用一本でした。折角なのでプライベート用のアカウントとかも作る良い機会じゃないでしょうか。追加登録は簡単ですし、買う時、電気屋に相談すれば簡単です」

 「……ほう」

 「ただ、かぐや嬢の携帯が、ガラケーで、ライン出来ないんですよね。それ以外にも、通信制限とかデータ容量的に引っかかると思います。そのガラケー、結構昔から使っている物でしょう?」

 「? ……ええ、まあ、そうですね。幼稚園から使っているので愛着がありますけど」

 

 愛着があるものを無理やりに更新させるのも良くない。彼女の機種交換は彼女の判断に任せるとして……。

 え、そうだったんですかー!? と千花が驚いている。このままラインの話をしたら完全に乗り遅れるところだったと彼女も察した。

 そして僕の方を見る。長い付き合いだ。

 僕の顔色で何を企んでいるかは伝わる! 筈!

 

 「じゃあ更新時期ってことじゃないです? 僕もそろそろ更新したい時期だったので」

 

 切り出す。気分はギャンブラーだ。

 

 「――生徒会で携帯買いに行きません?」

 

 その瞬間! 多分、二人に電流が走っただろう!

 生徒会は5人! 僕と千花は許嫁! そして此処で石上を上手いこと別行動させれば!

 二人は一緒に行動をすることになる……!! 実質、ダブルデート! ――と!

 

 ピシャーン、と雷が落ちたかもしれない。

 

 此処まで後押しして外堀埋めなきゃ動けないこいつらってどうよ、と思うが。

 二人は一周回って馬鹿なのだ。

 それが可愛くもあり、微笑ましくもあり、アホらしくもある。

 

 「良いですねえ、ここ最近はずーっと家と学院の往復でしたから、皆で遊びに行きましょう!」

 

 空気を読んでか読まないでか、千花がわあいと賛成した。

 生徒会の一員として、滞りなく職務を全うさせるために必要な活動!

 生徒会で集まる以上、その後で別行動になってもそれは全くの偶然!

 ならば一緒に行動して何の不都合はない!

 

 「そうだな。広報担当にそこまで言われてはしょうがない。バイトのスケジュールもどこかで少し調整しよう」(ちらっとかぐや嬢を見る)

 「そうですわね。そこまで熱心に提案されたのならば、吝かではありませんわ」(ちらっと御行氏を見る)

 

 こうして会長も副会長も頷いて、予定と相成ったのである。

 そして御行氏は無事にスマホを手に入れた。

 

 ……かぐや嬢は、ガラケーの更新はしなかった。とはいえラインへの興味は消せなかったようで、ガラケーとスマホの同時使用に落ち着いたのである。

 その理由は僕には分からない。ただ彼女なりに大事な思い出とかが、あったのかもしれない、とだけ言っておく。僕にだって分からないことは多いんだ。

 

 石上? ああ、彼はなんか知り合いらしい女の子からお説教を受けてたよ。電気屋で遭遇したらしい。またゲームばかりして! とか、風紀委員みたいな雰囲気の、小柄でちょっとキツメの娘だったけど、騒がしいやりとりが聞こえてきていた。

 案外あいつも良い人間関係を培っているのではないだろうか。

 

 ◆

 

 そんな経緯があって会長は、ラインの連絡先を、かぐや嬢と交換した。二人きりだと延々と話が進まないのは分かっていたので、無事に機種を選び終わったのを確認して僕らが合流した。

 役職順で、と無難な名目を切り出して、御行氏とかぐや嬢の連絡先は交換がなされたのだ。

 

 (と、まあそういう事があって、無事に電気屋巡りは済んだのだが……)

 

 実はスマホを買う際の裏の意味は、かぐや嬢にだけは、伝えてある。

 後で話そう。

 

 思い出しながら校舎を歩く。

 会長・副会長のような華はない僕だが、千花に付き合ってあれこれ人脈を培っているうちに『ちょっと変わっているけど真面目で面倒見が良い人』くらいの立場は手に入れた。少なくとも生徒会の一員として認識されるくらいには高評価だ。

 同時に『藤原千花さんの許嫁だってー』というコイバナ的な意味での名も広まっているが、これは別項目として評価すべき事案だろう。

 

 「運動部はまだ性格的にやりやすいから助かる……」

 

 道行く顔馴染みにきちんと挨拶をしながら部室を回っていく。

 運動部は、下地の教育が良い上に、やはりスポーツマンシップが徹底されているからか、正々堂々している部分があって、交渉はやりやすい。無理なものは無理、という意見が通りやすいのだ。

 これが文化部になると、一癖も二癖もあって非常に面倒くさい。

 野球部、バスケ部、テニス部、サッカー部、卓球部、バトミントン、水泳、陸上、柔道、ラグビー、etc……。予算申請リストを片手に、交渉難易度が高い連中から回っていく。

 こういうのは前例を作っておいた方が良いのだ。××部はこれで納得していただけました、と切り出せれば交渉もしやすい。

 そして順々に回って行って、ある意味、一番簡単で一番難易度が高いある運動部へと到達した。

 来客の用件を伝え、中に入る。そこには――。

 

 「お気に召しましたかね、かぐや嬢」

 「ええ、貴方の行動にはいつも感謝をしていますわ。岩傘さん」

 

 やはりというか、なんというか、かぐや嬢が待っていた。

 

 此処は弓道部である。

 会長の仕事を見た時、そして遅れるという話を聞いた時、確信したのだ。

 

 まーた暗躍してるよ、この人、と。

 

 かぐや嬢は弓道部に在籍している。大会成績は非常に優秀で、インターハイに出れるレベルだとか。少し前、退部する、退部しないというやりとりをしていたが、結局は続行に落ち着いた。

 

 理由? さあ。繰り返すが僕にも予想不可能なことはある。

 

 さておき弓道の道着姿のかぐや嬢は、凛として格好いい。

 僕でも「格好いいなあ」と思うので、白銀氏にはさぞ効果覿面だろう。

 かぐや嬢は、予算申請案の話をさせるという名目で会長を弓道場に誘い、自分の射る姿を見せて魅了させちゃえ……とか思っていたんだろうが、残念ながらやって来たのは僕である。

 それはそれで話は出来るから、良いんだけどね。僕が来る可能性は織り込み済みだろうし。

 

 「して、僕が来た場合の要件は、何を切り出すつもりだったのか、お伺いしても?」

 「ええ……。単刀直入に言いましょう」

 

 かぐや嬢は綺麗な正座で、まっすぐに私を見る。

 すわ、どんな内容か、と身構え、言われた言葉は――。

 

 「……最近、藤原さんと会長、距離近くありません?」

 「近いですよね! 分かります! その話ですよねやっぱり!」

 

 もの凄く同意できる内容であった。

 

 僕とかぐや嬢は、共同戦線を張っている仲なのである。



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岩傘調は交渉したい 後

 四宮かぐや嬢が、白銀御行氏を好いているのは、知っている。そして現在、凡そ異性での相談役としては僕が彼女の第一人者である。それが出来るのも、偏に僕が千花と許嫁であるからだ。

 そして僕が心底、藤原千花に敗北し、惚れこんでいるからこその役割である。

 僕が藤原千花とガチガチの両想いであることは学園の誰もが周知している。そして僕は生徒会役員。であれば僕と彼女が何か話をしていても余計な噂は立たない。

 女生徒の相談役は、千花に早坂愛近侍に、他にも増えそうな気配があるしね。

 

 そして!

 例え許嫁であったとしても!

 千花と会長の仲が良いのは、僕にとっても複雑なのだ!

 

 故に僕とかぐや嬢は共同戦線を張っている。万が一にでも会長の目が千花に向かないようにだ。そして僕は出来る限りかぐや嬢の応援をする。会長の逃げ道を塞ぐ……いや、それだと言い方が悪いな。言い換えよう。男性として発奮を促すことにしている。

 いざ困ったら、御行氏は石上に相談しに行くという確信がある。アフターフォローの心配をしていないからこその僕の暗躍である。

 

 「千花は気にしていないようですしね……、先日のお弁当の時だって……」

 「そうです。岩傘さんは彼女をもう少し操縦して下さい。藤原さんが、会長に目を向ける事は……幸いにして無いようですが! 会長が藤原さんに目を向ける可能性はありますので」

 

 とはいえ、とはいえだ。さっき会長が千花に目を向けるのを妨害する、と宣言したが。

 内心では八割くらい「それは無いと思うよ」と思っている。

 

 ぶっちゃけ御行氏は、かぐや嬢にしか目が向いていない。

 

 だが言葉で何を言おうとも、かぐや嬢の心配が消える訳ではないし、言っても無駄である。というか前にも何回か「無いと思うよ」と話をしているのだ。早坂さんも言い聞かせているだろう。だがそれで彼女が納得できるなら、此処まで拗らせてはいない。

 

 それに僕だって心配と言えば心配だ。千花が会長にラブの目線を向ける可能性を考えると、心臓が止まりそうになる。無いと思うが、絶対にありえないとは言い切れない。

 ……夫が不倫してないかと不安がる妻の心境ってこんな感じかもしれないね。ちょいと重い自覚はある。

 

 「……じゃもうちょっと生徒会室で惚気た方が良いですかね? ムード造り的な意味で」

 「それ藤原さんといちゃつきたいだけでしょう!」

 「悪いですか!?」

 

 断言すると「ケッ、やってらんねー」みたいな顔をされた。

 僕の台詞でもあるんだがなそれ。

 

 「大体、お二人も十分ラブコメしてると思いますけどね」

 「あら、お可愛い冗談が得意なようで……。私が、何時何処で、どのように会長とイチャイチャしていると? それではまるで既に告白済みの恋人同士のようではありませんか。間違っても貴方が見ている物は、未遂、勘違い、もしくは目の錯覚です」

 「……そーですね。お二人はまだ交際しておらず、故に本来は恋人同士でするようなシチュエーションも、所詮はぐーぜんの結果でしたね」

 

 僕は内心で「ケッ、やってらんねー」と思った。

 お判りいただけただろうか。

 かぐや嬢は御行氏が好きである。御行氏もかぐや嬢が好きである。しかし互いに好意を表には出さない。全て「偶然」もしくは「挑戦と対決」でやり取りしており、その結果、どう見てもラブコメっていても、互いに「いちゃついているように見えるだけだ」と主張する。

 その癖、互い以外に好意が向けられる可能性を排除し、不安がり、待ち焦がれている。

 

 くっそ面倒臭い!

 だが僕は諦めない!

 だってこの二人をなんとかしないと!

 生徒会で堂々と千花と惚気られないからだ!

 

 問1:かぐや嬢と御行氏がイチャイチャできるようになればどうなりますか?

 答1:僕と千花が同じことをしてもセーフである。

 

 石上が「リア充死ね」とか言ってそうだが、彼にも出会いはあるさ。良い奴だもんアイツ。

 

 「……まあ、生徒会役員の風紀が乱れている、とか風聞が伝わったら不味いんで、それは程々にしておきますけどね。……かぐや嬢としては、御行氏が雰囲気に乗ってきてセーフなんです?」

 「それ、は、その……」

 

 僕の指摘に、固まった彼女は、やがて徐々に頬を染めていく。

 ダメじゃん。いざ真面目にラブコメになったら負け確定とか益々ダメじゃねーか。

 わかっちゃいたけどポンコツすぎる。

 このままだとフリーズして話し合いが出来なくなるのが分かったので、僕は話題を変えた。

 

 「……まあ、僕は僕で千花を全力で抱えて、逃がさないようにするんで、そこは安心しておいて下さい。それで、スマホの件は……どうでした?」

 「こほん。そ、そうですね……。聞かずとも良いでしょう。貴方の言った通りになりました。それはお礼を言っておきます」

 

 スマホに限らず、携帯電話というものには、アドレス登録が出来る。そして御行氏のスマホにもかぐや嬢のスマホにも、役員全員のアドレスが登録されている。

 だがアドレスを手に入れることも、電気屋でダブルデートになったのも、布石でしかない。

 

 アドレス帳はソートが出来るのである。

 

 かぐや嬢に、ガラケーと併用でも、スマホを持っておくと良いよ、と言ったのはこれが理由だ。

 つまり()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……これが僕の狙いだった。効果は覿面だったようで、彼女は携帯を見ながらニヤニヤしている事だろう。想像できる。

 

 口に出したら石上みたいに地雷を踏むので言わないけど。

 僕の生暖かい目に負けたのか、彼女は再びこほんと咳払いをし、空気を改める。

 

 「では、お礼と言う訳ではありませんが、お渡ししておきます」

 

 す、っと渡されたのは封筒だ。

 かぐや嬢を応援する見返り――いや、僕は見返りなど要らない、その為に助力するのではない、と言ったのだが、かぐや嬢の気が済まない、と言う事で――を受け取った。

 中に書かれているのは、試験内容でもなければ、権利書でもなく、金でもなく、まして裏社会で使うようなコネでもない。ただの情報、人探し用の調査結果だ。

 無言で受け取って、鞄の中に収納する。家に戻って確認しよう。

 

 「どうも。お世話になります」

 「win winな関係を作る為にも、無償の奉仕は辞めておいた方が良いですからね。お気になさらず。……ご家庭の問題に首を突っ込む気はありませんが、いざという時は頼って下さい」

 

 その辺の感覚はしっかりしている四宮かぐや嬢であった。

 

 此処で念を押しておく。

 四宮かぐやという女性は、基本、初対面の人間は「使えるか使えないか」で判断する真っ黒な性格を持っている。御行氏への態度が可愛いだけで、真っ黒になると本当に真っ黒なのだ。時々見せる蔑んだ表情とか怖さすら感じる。

 

 ただ同時に、有能・優秀だと判断した相手を見極める眼力は高い。その相手と良好な関係を作る手腕も非常に高い。

 石上を招き入れたのは御行氏のファインプレーだが、かぐや嬢も、石上本人をきちんと評価していることからも、それは伺える。

 『氷のかぐや様』を多少知っている僕としては、最近の柔らかさは助かっているのだ。

 

 「さて、来たからには一応、仕事をしていきましょう。……予算案の話なんですけどね、弓道部の申請が『弓道場』ってなってるんですが、これ本気です? 物品とかじゃなくて建物って。言い換えるとリフォーム費用ですよねこれ?」

 「まさか。適当なお題目に決まってますでしょう?」

 「ですよね。まあそうだと思いました。その費用で何するのか知りませんけど、流石に無理があると思います。……僕が会長なら、楽しいやり取りが出来たんでしょうけどね」

 「私は貴方にそれを求めてはいません。安心しなさい」

 

 仮にこの場に僕ではなく会長が来たら、どうしていたか。

 弓道の姿で会長を魅了させよう作戦が発動した以外に、多分、費用に関してもやり取りがあったのだろう。やれ何のために必要かとか、やれ私の晴れ姿が如何とか、同じ部活の少女達を味方に付けた上での、面倒くさい頭脳戦を繰り広げていたに違いない。

 金額が大きい程、御行氏が動きやすくなりそうってのもあったのだろう。

 

 「……交渉役にならないというのは、誉め言葉として受け取っておきますよ」

 

 まあ今までの部活巡りで大体の要件は済ませて、そこで交渉はやって来た。

 細かい部分や打ち合わせこそ残っているが、それはまた後日、会長も交えてやれば良い。運動部の仕事は終わり。生徒会室に戻るとしよう。

 

 「……ああ、これは会長が、以前に話していた内容なんですが」

 

 何となく癪なので、出る前に、お土産を置いていくことにする。

 

 「御行氏、かぐや嬢の弓道している姿、格好いいと思っているようです。ちゃんと写真も持ってますよ、千花経由で。――良かったですね、弓道を辞めなくて。後日『なんで持ってるんですか!?』と追及する材料にでもしてあげて下さい」

 「え、それ本当……!?」

 

 表情が再びキランとした乙女の顔になる。

 その追及が来る前に、弓道部の扉を閉めた。

 

 本当だ。高校生から編入してきた白銀御行氏は、中学時代の四宮かぐやを知らない。

 戦に置いて、敵を知り己を知ればという言葉がある。かぐや嬢のオーダーに答え、彼女を応援し、白銀御行に頑張って貰う為には、彼とも親しくなければならない。

 だからさり気なく、さりげなーく、彼に色々と情報を渡している。無論、かぐや嬢に不都合がない程度の、彼女の魅力を高めるような情報を、である。

 

 勝手に写真を渡すのはマナー的にかなり危ないと思うが、渡したのは千花。そして千花はかぐや嬢から許可を貰っている。渡す相手が御行氏だと言わなかっただけだ。

 御行氏にとって、かぐや嬢はライバル。石上は悪友。千花が癒しだとするなら、僕は仕事人(エージェント)だ。私人としての関係でも、生徒会の仕事でも、上が清廉潔白な分、ちょっとばかり黒い部分を担おうくらいの意識でやっている。

 

 「……認めたくないけど、やっぱ親に似てるのかねえ……」

 

 まあ、あの二人を応援するなら、ちょっとくらい、骨を折っても良いか……。

 本心からそう思える辺り、僕は根っこの部分が、I氏こと父親に似ているんだろう。

 

 ◆

 

 「ご苦労だったな、今珈琲を入れたところだ。飲むか?」

 「貰います」

 

 無事に交渉(話し合い)を大体終わらせて生徒会室に戻り、顛末を報告する。

 御行氏は、今日は千花が部活で顔を出さないと知っているからだろう、自分で珈琲を入れていた。ご相伴に預かる事にする。

 淹れたてで美味しいが、相変わらず苦い。あと強い。御行氏が重度のカフェイン中毒なことは知っているが、これはちょっと僕にもキツイ苦さだ。素直に砂糖とミルクを入れて頂こう。

 

 「新しい機材関連は、新品は無理でも、OBOGの家にある中古品……勿論、高級な奴で今でも現役で使える奴です……を譲って貰えないかとの相談をすると落ち着けました。新品を買うよりはマシでしょう。そっちの話し合いは、かぐや嬢にお願いする形です」

 

 「海外遠征の費用は、交渉で回数を決めました。安全&お金に優しいプランニングを建ててくれれば回数を判断して融通利かせるという形です。最初から費用を出すのではなく、遠征費用、少なくとも一回目、二回目のプランを持って来いと言っておきました。これは石上会計の目を入れます」

 

 「文化部系は藤原書記と巡りますよ。不甲斐ないことに運動部しか回れませんでした」

 

 僕の報告を聞いて、御行氏は、感心したように頷いた。

 

 「いや十分だろう。たったの三時間で……、よくもまあ網羅してきたものだ」

 「文章から相手の狙いを読むのは得意なので。広報の面目躍如ですかねえ」

 「国語100点、センター予想200点は伊達ではないな、岩傘広報」

 「5教科500点には負けますよ、白銀会長?」

 

 ハッハッハと互いに笑い合う。

 かぐや嬢の応援をすると決めている僕だが、それは白銀御行を虐めるという意味では断じてない。石上と僕と三人で遊ぶのも、それはそれで凄く楽しい。

 御行氏がアルバイトでスケジュールが開いていないので、中々余暇を一緒に過ごす、とはならないが、石上を含めた三人で昼食を食べる程度なら良くあったりする。

 学院の中には、そもそも混院(つまり外部入学制と言う意味だ)である御行氏を邪見に扱う勢力もあるらしいが、そんな羽虫の言い分など細かいことだ。かぐや嬢と千花と僕で、何とでもなる。なんとか出来るし、する。それくらい、僕は彼も生徒会も気に行っているのだ。

 

 「ただ、惜しかったですね。弓道部、かぐや嬢が居ましたよ?」

 「だろうな。予想していた」

 

 ほう、と僕は驚いた。

 かぐや嬢が何か企んでいることは分かっていたが、それを承知で会長が送り出したとは。

 これは僕の予想を超えてきた。流石だ。

 先を促すと、胸を張って御行氏は説明をしてくれる。

 

 「四宮が相談を受けるというのは、確かに無くはない。半年前なら兎も角、今は随分と丸くなった。だが日直と重なるのは偶然が過ぎる。そして運動部の申請書が送られてきたのも今日だ。申請書に目を通し、数値を纏めるのは石上の仕事。しかしそれを受け取り、俺に渡す前に確認をするのは四宮の仕事だ。此処まで考えれば、恐らく待ち構えていると、予想が付く!」

 「……じゃ何で会長が行かなかったんです?」

 「決まっている」

 

 不敵な笑顔で御行氏は言った。

 

 「この話をお前から四宮にさり気なく伝えれば、四宮は悔しがる。そして!」

 「そして……?」

 「何故来なかったのかの質問が来れば俺が追求し、――はっ」

 

 慌てて口を噤んだ御行氏の態度で、僕は察した。あー、はいはい、そういうことね。

 

 「何故来なかったんですか会長!」

 =「ほうどうして俺が来ると予想していたんだ理由を聞かせて貰おう」

 =「そ、それは……」

 

 とかやりとりするのが狙いなのだろう。その頭を別に使えと言いたい。

 別に使うと偏差値77の超エリート校秀知院で成績トップという結果になるんだけどさ。

 

 「深くは聞かないでおきます。……さて、珈琲も頂きましたし、僕は帰ります。生徒会の掲示板の方は自宅で確認して、明日続きをやっておきますので。かぐや嬢も、そろそろ戻って来るでしょうから」

 

 学生鞄の中に、四宮家SP直下の貴重な封書があるのを、再度確認して、立ち上がった。

 

 「それじゃあ、また明日。お疲れ様でした」

 「ああ、お疲れ様。明日もよろしくな」

 

 挨拶をして廊下を昇降口に歩いて行くと、反対側からかぐや嬢が歩いてきていた。

 仕草で「生徒会には二人きりですよ」と教える。彼女は、ちょっと緊張しつつも、頷いて、若干の早足になって生徒会室へ向かっていった。

 いや本当、あの二人の関係、進展しないかね……。

 

 ◆

 

 「はっ、名探偵チカの頭に今キュピーンと何かが閃きましたよ!」

 「……具体的には?」

 「えっとですねえ、生徒会室の中で、会長とかぐやさんが、何かこう……恋愛的な勝負をしてる気がします!」

 「それ、明日、口に出して質問するなよ。絶対に迷宮入りするからな」

 

 さてそれからの帰り道。

 TG部(テーブルゲーム部。つまりボードゲームとかをする文化部だ)の活動を終えた千花と合流し、車に乗り込んで、後部座席で話をする。この車の手配は僕の実家がしたものだ。僕の家は、歩いて帰れる距離、場所にあるし、通勤通学を徒歩にしても苦にはしない……のだが、夜遅くに秀知院の学生、しかも男女が歩いて帰るのは不味かろうという親の配慮である。

 

 「えー、私の恋愛探偵は外れたことがないんですよ?」

 「そうだな、ラブの波動を感知はする。だけど解決しないだろ」

 「いーちゃんの波動は感知できますよ?」

 「それは僕も同じだ」

 

 基本的に優等生な淑女だが、ゆるふわ天然ガールというのは本当だ。かぐや嬢曰く「時々IQが3になるわね」と言う通り、彼女はボケる時はボケボケだ。それ()可愛いんだけど。

 

 「でも少し羨ましい感じしますね」

 「……あの二人の関係が?」

 「そうです。あ、えーと、……私といーちゃんは、許嫁ですよね? 勿論、私はそれをオールオッケーですから。でもあんな風に、今の年代で、ちょっとずつ仲良くなっていくのも、良いなーって思うんですよ。分かりません? この感覚っ!」

 「……小学校や中学校の時、散々やった気がするんだけどなぁ」

 「何回やっても良いと思うんです!」

 

 意気込む千花だった。うーむ、なるほど、その気持ちは分かる。

 

 「でもなぁ、今の状態で不仲になるのは、演技でも無理。僕は無理。出来ない。……で、もっと関係を深くするって言うと……」

 「…………。……下手すると神る事になりますね?」

 「そうなるね。……そうなるねー」

 

 石上会計の言葉を借りての表現だった。

 無言で千花を見る。上から下まで。

 何となく沈黙が落ちる。

 沈黙が落ちる。

 車のエンジン音だけが響いて、沈黙が破れない。

 静かである。

 やがて限界になったのか、おずおずとだが、千花は返事をした。

 

 「…………私は、………嫌じゃ、……な……ですけど……」

 「…………!」

 

 僕は、と言いかけて、車が止まった。

 運転手を務めていた、僕の家のお手伝いさんは、静かに一言。

 

 「藤原家に到着しました。お出迎えもいらっしゃってます」

 「…………。ああ、うん、ありがとう(ゆう)さん。……じゃあ、また明日な、千花」

 「……そうですね! いーちゃん、また明日ですっ!」

 

 互いの間に何となく漂っていた空気を吹き払うように、互いに挨拶。

 

 千花の出迎えに、萌葉ちゃんも出てきていた。

 こんばん殺法! と謎のポーズをされたので、僕もお返しする。

 こんばん殺法返し! どんな意味なのかは知らない。

 

 千花達が家に入ったのを見て、車が動き出す。

 

 ……一人になると気恥ずかしくなってきた。

 いや両想いで! 許嫁で! ってことは、最終的にどうなるかは当然なんだけどさ!

 婚前交渉はかなり勇気がいるし! 興味はあるけど! 難問だ! 身近すぎて!

 悶絶する僕を、呆れたように見る運転手:憂さんの瞳がバックミラー越しに感じられた。

 僕が会長と副会長を見ている目と同じだったんだろう。多分。だが気にしてはいられない。

 

 よし、考えよう。マンネリ化は夫婦仲を悪くするという。

 僕は藤原千花とイチャイチャしたいんだ! もっと新鮮な方法を考えようじゃないか!

 



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岩傘調は並びたい

 デートに置いて映画を選ぶのは、あんまり良い選択肢ではない、という意見がある。

 というのもだ。まず男女に置いて映画の好みが似通うか、という問題がある。出てくる俳優の演技を見るタイプの人が居れば、アクションを楽しむタイプの人も居る。万が一映画の中のヒロインに、男が目を奪われたとしたら、女性はあんまり面白くなかろう。

 次に暗闇の中映画に集中するので、ずっと会話が出来る訳ではないという問題がある。映画が退屈だったり、感情移入できなければ、その精神状態は、デートそのものに影響を与えるだろう。

 

 一方で、映画を見に行くのは悪くない、という意見もある。

 値段が手頃であり、映画終了後に意見を交換して会話の種にできる。天候や気温に左右されないし、運良く映画中に手でも繋げる物なら、その印象は映画後も継続するかもしれない。

 

 「ということで、運に左右される映画館……、会長と副会長は無事に入場できたようで」

 「そうみたいですねー、頑張ってチケットをプレゼントした甲斐があったってものです」

 「あとは二人の座席の問題……。……偶然、二人が隣り合う席になればいいんだけど……」

 「それは難しそうですねぇ?」

 

 気合が入ったコーディネートに身を包んだ、四宮かぐや嬢が、映画館に入ったのは五分前。

 御行氏といえばその十分ほど前にやってきては、うろうろと映画館のホールを彷徨っていた。彼自身は否定するだろうが、かぐや嬢が来るのが、楽しみであり、同時に『本当に来るのか?』と不安で仕方がなかったのだろう。

 

 幸い無事に()()()()(ここ大事)映画館で出会い、引換券の話をしている。

 箱入り娘で世間知らずのお嬢様:四宮かぐや嬢は、映画館の作法など全く知らない。オペラやクラシック音楽のコンサートとは違うのである。

 

 昨日、念のために事前に確認をしたら、本当に何も知らなかった。ペアチケットを持ってそのまま観劇するのではなく、それは座席指定を兼ねた入場券と交換しなければならないとか……、楽しむためにはポップコーンとドリンクが必須だとか……。そういうことを全然知らないのだ。

 

 正直、最初は、こっちで座席指定をしてしまおうか、とも思った。

 

 『実はー調さんと見に行こうかと思って、座席指定まで済ませてしまったんですけどー』

 『用事が入っていけなくなってしまったんで、二人に譲ろうかなと』

 

 そういう風にすれば、二人は自然と隣り合う席に座って映画を見ることになる。

 

 しかし……!

 だが、しかし……!

 お膳立てばっかりしては、彼ら彼女らの為にはならないのだ!

 そりゃあ今回は成功するかもしれない。しかし次に映画を見に行くと二人が考えた時、またこっちがあれこれ手を尽くさなければならないのは勘弁だ。いや映画じゃなくても良い。彼ら二人は、もう少し互いの自然な誘い方を勉強すべきなのだ!

 

 なのでしょうがない。

 此処はかぐや嬢を、間接的な方法で、応援することにした。

 

 「名探偵藤原、準備は良いな?」

 「アイサー、岩傘ワトスン博士。お任せあれですよ!」

 

 どこからか探偵御用達のハンチングハットを被って虫眼鏡を取り出した藤原千花。

 僕も併せて丸い帽子を被り、眼鏡を交換して、恰もドクターっぽい雰囲気を醸し出す。

 

 そして互いにサムズアップをして健闘を祈る。

 

 千花は会長の元に、僕はかぐや嬢の元に、互いの距離が離れた瞬間を見計らって近寄る。

 第三者として接触するのは不味い。偶然を装うのだ。かぐや嬢の後ろに並び、彼女が受付に入った後、その隣の受付に入り、自然な態度で注文をする。

 

 「すいません『とっとり鳥の助』一枚ください。座席はHの11で。……ああっと、これは偶然ですね、かぐや嬢。今日は映画ですか? 確か数日前『ラブ・リフレイン』を千花から貰っていたと思いましたが」

 「……貴方のその白々しさにはいっそ感心するわ。今日は藤原さんと一緒?」

 「そうですよ。デートです、デート。……かぐや嬢は、飽くまでも貰ったチケットが勿体ないから来ただけで、御行氏と映画館で待ち合わせた訳ではありませんよね?」

 「そうね。話が早くて助かるわ。……それで?」

 

 映画館の周囲に隠れて黒スーツの謎集団が潜んでいたり、早坂さんが変装して伺っていたり、明らかに下準備が完璧な癖に――映画の一般常識を抑えていない、微妙に頭が抜けている、かぐや嬢である。恋愛頭脳になるとトンチンカンすぎだ。

 まあまあ、とかぐや嬢を宥めて、スマホを取りだす。そこにはタイミングよく、千花からのメールが届いていた。内容は、簡潔。

 

 『12匹のペンギンG(グレート)って言えばわかりますかー』

 

 「……千花からのメールです。座席のヒントは『12匹のペンギンG』だと……」

 「ペンギン、ですか……なるほど」

 

 少し顎に指をあてて考える。

 座席指定に時間を結構に使っている筈なのに許されるのは、美人の特権だな。

 彼女の目は、映画館内をぐるりと回り、宣伝中のペンギンの着ぐるみで停止した。

 

 12匹のペンギンGとは、国民的人気アニメの一つである。

 主人公は「ペンたん」。今着ぐるみになっている可愛い奴だ。

 シナリオは「ペンたん」を筆頭とする合計12匹のペンギンがメインで進んでいく。

 全員ペンギンなのに見分けがつき、個性的で子供達に大人気。キャラボイスもやたらと気合が入っていて、渋い声から可愛い声まで勢揃いだ。

 初代は「12匹のペンギンG」。続編が「12匹のペンギンW」「12匹のペンギンSEED」「12匹のペンギン00」等々、色々と展開している。次回作は「鉄血のペンギン12」だったかな?

 この映画館でも劇場版が上映されていて、ゲーム機を持って来れば限定ペンタンが貰える。

 ……のだが、そんな知識を、かぐや嬢が持っているはずがないな。

 

 「主人公がペンたん……ペンタン……、つまり……化合物C5H12のペンタン!これね!?」

 「いや、流石にその想像をするのは貴方だけだと思います。G-12だと思いますよ素直に」

 

 化学物質ペンタン。

 発泡スチロールを作る際に使われたりしている。揮発性が高く、特殊引火物として消防法にも設定されていた筈だ。

 ……炭化水素は物理の履修範囲でも、ペンタンと言われてぱっと出てくるのは頭がおかしいと思う。僕がペンタンと聞いて返しが出来たのは、メールを受け取った後、wikiで即座に調べて話を合わせたからに他ならない。普通知らないです、そんな単語。

 

 「本当? G-12なの?」

 「だと思いますよ。化学式ペンタンでH-12を指定するなら、其処の売店で、何かお菓子でも買ってきて糖分補給が大事だ、とでも伝えた方が早いでしょう」

 

 こっちは履修範囲だな。理数系が苦手な僕でも記憶している。

 糖分、もとい人体で最も重要なエネルギー源ブドウ糖=グルコースの組成式は C6H12O6だ。

 既にC-6の席は埋まっているし、O-6は15列目で遠すぎる。残りはH-12となる。

 だが流石にデート……ではなく()()()()()(ここ大事)で、そんな面倒臭いアピールはしないだろう。……しない筈だ。秀知院のカップルは普通とは違う事も多いので断言はできないが、常識的な感性の御行氏は、そんな遠回しすぎるアピールはしないだろう。多分。

 

 「違ったら僕がかぐや嬢に恨まれるだけです……。後日、文句は受け付けるんで、早く決めましょう。後ろが迷惑をしています。僕も早く千花と合流したい」

 「……そうね、助言は聞いておきます。藤原さんによろしく言っておいて」

 「いえいえ」

 

 かくしてかぐや嬢はG-12のチケットを入手。シアターの中に消えていった。

 ほぼ同時に千花が戻って来る。かぐや嬢にG-12の席をおススメしておいた、と告げると。

 

 「そうですよねえ、私も会長が買ったのはG-11だと思います」

 

 と同意が得られた。うん、僕と彼女の意見があったのならば、多分正解だと思う。

 ここで捻って御行氏が本当に化学物質ペンタンを指定していたら、僕はかぐや嬢に逆恨みされるだろうが、僕も御行氏に対して若干の苛立ちを覚えるであろう。

 そんな僕の眉間に、若干の皺が寄っているのを見て、千花がツンとつついた。

 

 「まーまー、いーちゃん、そんなに心配しないでも良いですよ。今は私と映画の時間、複雑な顔してると私はちょーっと悲しいです。楽しみましょう! とっとり鳥の助!」

 「そーだね。後は二人に任せて、僕らはのんびりラブラブ楽しむかー」

 

 とっとり鳥の助、結構面白いんだよ。

 ゆるふわなシナリオかと思ったら、まさか三話で、実は鳥取県以外の地域が存在しないと分かった時のインパクトは凄かったね。

 

 ◆

 

 映画館終了後! 僕と千花は二人だけで街を歩くことにした。

 この辺は映画館を始め、色々な娯楽施設が集中している。僕らに限らずカップルと思わしき人々が歩いている。あ、早坂さんがまだ隠れて映画館の様子を伺ってる。頑張ってくれ。

 

 「少し考えたことがある。この前の車の中で話した話だ」

 「ほうほう? ああ、前みたいに関係を作ってくのはどうするかーって話ですか」

 「そう。それだ。流石に関係を進展させるのは……アレだよな?」

 「……あれですねえ」

 

 互いに何となく気恥ずかしくなって、顔を背ける。顔が赤い。頬が熱い。

 まだ早いっていうか勇気が出ない。ヘタレと呼ばれてもしょうがないかもしれない。だが男として、許嫁で、両想いで、結婚まで見据えていても、エッチに踏み切るのは覚悟がいるよ!

 

 千花も同じだろう。距離が近すぎて、このまま家庭を作る余裕はあっても、性交渉となると踏み込めない。であればどうするか。どうするか、と考えたのだ。

 

 「そこで考えました。今までやったことがある、恋人っぽいことをもう1回やってみるのかどうかなと。小学校から中学校、今までと来て、やったけど昔だなーとか思うことあるじゃん、あれを再びやってみるとかどうよとか思ってね?」

 「ほうほう。じゃあえーと、そうですね……。まず……。……手を繋ぐ?」

 

 やってみよう。

 まず、ちょっと互いの並ぶ距離を近づける。

 で、次に、千花が差し出している手を、普通に取る。

 手が繋がる。

 

 「……うーん、これちょっと違う。違うよね?」

 「違いますね。これ普通にやってますよ! もっと新鮮さが欲しいんです! 付き合い始めたカップルが、ジリジリ距離を詰めて、ふとした拍子に頑張って手を繋ぐみたいな……! そういうのが欲しいんです!」

 「よし、じゃあもう1回やろう。やり直そう。……こういうのはどうだ」

 

 意見が揃ったので、打ち合わせをして再び歩き出した。

 

 まず二人で仲良く連れ立って歩く。

 しかし手も腕も組まない。仲が良いけどちょっと距離がある感じで歩くのだ。

 そして互いに、互いを見ないように、敢えて視線を外す。

 この状態で、千花は飽くまで目線を逸らしたまま。

 僕がちらちらっと彼女の方を伺って――。

 隙を見て、そっと距離を詰めて、手を繋ぐ……!

 

 「……あ、ちょっと今の良いです。今、きゅんとしました……!」

 「……僕もドキドキした。互いに意識し合っているのに踏み込めない感じ、演出してたと思う。もうちょっと工夫しよう。どうする?」

 「えっと、場所を変えてみるとかどうです? 丁度、向こうに良い感じの公園があります。そろそろ夕暮れですしムード出るんじゃないでしょうか」

 「そうしよう。……今日の門限は? 19時?」

 「19時ですねー。正確に言えば、18時には迎えが来て、そっから1時間以内に帰宅してねーって言われてます。お父さん、いーちゃんが相手なら夜でも良いよって話してましたけど」

 「まだ時間はあるね。じゃあ、やってみよっか」

 

 かくして舞台を公園に移すことにしたのである。

 

 ◆

 

 だがしかし、早々上手くはいかなかった。

 シチュエーションを替えたのだが、わざとらしさが抜けない。演技になってしまうのだ。

 僕は惚気たいのであって、見せびらかしたいのではない。

 実際公園の中にいる人には『何やってんだこいつら』的な目で見られた。

 

 「……難しいですねえ。もっとこう……トキメキが欲しい……、新鮮さが欲しいです……」

 「それなー、それなあ、いや本当になー」

 

 御行氏みたいに、それなーと同意する。思い返せば、小学校に入る前から、高校二年まで。もう十年間は彼女と一緒にいる訳で、大抵のイベントはこなしてしまったのだ。

 喧嘩もしたし仲直りもした。名前で呼んだし、デートはしたし、社交界にも顔出したし、正月に互いの家で挨拶したし、水着も浴衣も着物も全部目にしている。幼稚園の頃に遡れば混浴までしていたぞ。してないことなど、それこそ夜の神聖な運動(比喩表現)くらいだ。

 

 「……難しく考えてもいけませんかねー、……へくち」

 「ん、寒かったか」

 

 春とはいえ今日は冷え込んでいるようだ。千花は寒がりである。

 一先ず自分の上着を着せようとして、吹いてきた冷たい風に思わずぶるりと震えが走った。

 

 「……千花、着なよ。寒いだろ」

 「ふえ、えー、でもいーちゃんも寒そうです……。……はっ」

 

 そこで何かを思いついたのか、千花はとてとてと寄ってきた。

 僕にコートを着せ、僕にくっつくように背中を寄せて、そのままコートを着込む。

 おう、つまりこれはあれですね、僕のコートの中に千花がすっぽりと入っているという……!

 

 「……にへへへ、あったかいですねー!」

 

 そのまま千花は上を見上げた。そこには、彼女より幾分背の高い僕の顔がある。

 彼女はこれですよ!これ!と言いたげな顔で花のように笑った。

 ……。

 …………。

 ………………………はっ。

 

 不覚にも意識が飛んだ。千花の笑顔に心が死んだ!やっべえ破壊力高すぎる。体温を直に感じられるだけじゃなく、背中とか尻とか足とか接触しまくっててヤバイ。花の香りするし。

 そうか、と思った。

 

 この感覚! この感動!

 これが――新鮮(しんせん)惚気(のろけ)……!

 

 

 「……迎えが来るまで、このままでいよっか」

 

 僕が必死にひねり出した言葉に、千花はにへらと上機嫌に笑って、大きく頷いた。

 

 そっからどうなったかって?

 立ちっぱなしでもなんだからベンチに座った。迎えが来るまでの30分くらい、ずーっと一緒のコートに包まれて、とりとめのない話を続けていました。

 

 迎えに来た藤原家の人の目が呆れてたのは、多分気のせいだ。



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岩傘調は計画したい

 生徒会で旅行に行きましょー、という提案をしたのは千花であった。

 生徒会が発足してから半年。ぜんっぜん関係が進展しなかった御行氏とかぐや嬢は、此処に来て互いのアピール&告白”させる”合戦を加速させている。であれば親睦を深め、そのついでに一段階関係を発展させようと考えるのは無理ないことであった。

 

 「山だ。山が良い。都会の喧騒から離れ、豊かな自然に囲まれて、コテージでも借りてバーベキューをしよう。夜は天体観測が出来るぞ」

 「そういえば会長、天体観測が好きでしたっけ」

 「うむ。天文学者になりたい、と子供の頃は思っていたくらいには好きだ。お陰で地学は勉強しないでも簡単だな」

 

 地学は、主に地質学――地震とか地層とか岩石とか――と、天文学に分かれている。

 天体運動とか星の知識だ。男子なら好きな人も多いのではないだろうか。夏の山登りとなれば中々過酷かもしれないが、その分、夜の気持ちよさは保証されそうである。

 

 「いえ、海にしましょう。海は生命の原初……。降り注ぐ太陽……」

 

 その後は何やら小声で聞き取れなかったが、「海に行けば開放的になりますよね」みたいな話をしていたんだろう。確かに水着姿は男子を篭絡させるのに効果的だ。しかし、海か、海か……。

 

 「二人はどう思う。海と山、どっちが良い?」

 「山で」

 

 僕は即答した。かぐや嬢が「えっ」という顔をする。同盟関係を結んでいる僕が、まさか海を否定するとは思わなかったのだろう。しかし僕とて、苦手なものはある。

 御行氏は僕の言葉に、かぐや嬢には見えない位置で、小さくガッツポーズをしていた。

 ちょっと眉を顰めて、僕に疑いの目を向ける。

 

 「まさか泳げないとかではありませんよね……?」

 「泳げますよ。水泳のタイムは悪くありませんし、遠泳なら自信はあります。ただ、単純に海が苦手なんですよ。海って、足付く距離が限られてるじゃないですか。……見えない届かない足の下に、何があるのか分からない、ってのが嫌いなんですよ」

 

 僕の主張に、ほーんと皆が頷いた。なんとなく分かって貰えたらしい。

 同時に僕はそういえばと思った。

 

 (御行氏、泳げたっけ……?)

 

 我らが生徒会長は、意外な程に運動音痴なのだ。

 夏の体育、水泳は体操などとの選択式だ。プールサイドと、クーラーが効いているとはいえ暑い体育館での授業、どっちが気持ちいいかと言えば前者に決まっている。故に体操などはあまり人気は無い。水着を見せるのが恥ずかしい女子は選択することが多いが、男子では珍しい。

 

 個人の自由とはいえ珍しい選択だな……? と思っていたら

 『すまんが体育の練習に付き合ってくれ』

と言われたのである。それが、昨年の事だった。

 

 当時から友人だった僕は、一も二もなく快諾し、手伝った。……手伝ったのだが、彼は筆舌に尽くしがたい運動音痴であった。ちょっと頭を抱えるレベルだった。それでも彼は死ぬ気で努力していたので、僕は一週間、その話を他の誰にも話さず、真摯に練習に付き合った。

 結果、彼は無事に体操などが出来るように成長したという経緯がある。

 その執念と努力、熱意は、僕が御行氏を尊敬するのに十分であった。

 

 その例から考えるに、彼はもしや泳げないのかもしれない……。……まあ追求しないでおこう。いざという時は、僕や石上に相談しに来るだろう。

 

 さておき。

 プールは大丈夫だし、心地よい全身運動になるから、水泳は好きだ。瞬発力は無い僕だが、持久力は割とある。水泳に限らず、陸上でも同じ。100m走は早くないが、体力測定の1500m走も、初等部時代のシャトルランでも評価はAまたはBだった。体質なのだろう。

 

 しかし、それと海が得意なことは違う。怖いのだ。自分の足の真下に、何か怪しい海の生物が存在するんじゃないか、と考えただけで寒気が走る。近くに島があるフェリーへの搭乗や、大型客船での移動するのはまだ許容できるが、直に泳ぐのだけは本当に苦手だった。

 

 「そうかそうか、岩傘広報は海がダメか! ならばやはり山だな。生徒会の全員が楽しめる方法を模索するのが健全というものだ」

 「えー、私は海が良いです」

 「「!?」」

 

 バッ、と互いに千花の方を向く。彼女はいつも通りのほんわか笑顔で、海派に付いた。

 それでこそよ、とかぐや嬢が小さく(勝った……)みたいな顔をしていた。

 

 「足が届く距離で遊ぶだけなら良いじゃないですかー。それに海には夏しかいけませんよ?」

 

 「……潮風は肌に悪いぞ? それに観光客も多い!」

 これは御行氏。

 

 「鮫とか……ダイオウイカやクラーケンとか……ダゴンとか……出そうで、ヤダ」

 こっちは僕。

 

 「四宮家のプライベートビーチを使いましょう。温水シャワーも30秒の距離です。一流のエステティシャンを呼ぶので日焼けや髪のケアも万全。鮫ハンター(フロリダ出身)や邪神ハンター(アーカム出身)を呼ぶ用意もしておきましょうね」

 

 男たちの意見を、かぐや嬢はばっさりと切り捨てた。

 

 金持ち(ブルジョワ)め……! と御行氏と僕の意見は一致する。

 この刹那、僕と御行氏は同朋だった。

 かぐや嬢には悪いが、男の友情とて大事にしたい!

 何とか……何とかならないか……!? と思考を巡らせる。

 苦手なものは苦手なのだ。こればかりは、千花が海派であったとしても譲れない……!

 この対立には勝たなければならない……!

 

 「調さん調さん、私の新しい水着、見たくありません?」

 「よし海にしよう」

 「!?」

 

 10秒前までの意見を翻して頷いた。

 御行氏が『お前ええええ!』という顔をしているが無視。

 

 悪いな、好きな人とのラブ空間は、友情よりも重い。

 

 そうだよな! 海だと千花の水着が見れるもんな!

 今まで、タンキニもパレオ付きビキニも、うっかりで下着姿までも見た経験がある僕だが、此処は初心に帰って彼女の水着を堪能するのも悪くないよね!

 四宮家のプライベートビーチなら、たわわなスタイルを他の男に見せずに済む!

 

 海に限らず、観光客が大勢いる場所に行くと、千花はナンパされるのだ。

 ほいほい付いていく程に軽い女ではないし馬鹿じゃない。断る社交辞令が上手いのは知っている。だが世間の雑草みたいな男の中は、そんな彼女の気持ちを無視してぐいぐい来る奴もいるのだ。今までは藤原家の護衛とか、憂さんとかが周囲を伺ってくれていたので、被害は無かった。だが可能性は減らしたいのだ。千花が寝取られるとか想像するだけでゲロ吐くぞ。

 

 四宮家のビーチなら、そんな心配もすることなく、水着姿で惚気て、砂浜で追いかけっこ。これは良いぞ。ベッタベタだが逆に良い。

 

 「そうだな、二人っきりでイチャイチャする頻度は最近少なかったからな」

 「そうですよ! 去年の水着も入らなくなりましたから。新しいの選びに行きましょうね!」

 「いえ、やっぱり山にしましょう」

 「「!?」」

 

 今度は、僕と千花は揃ってかぐや嬢を見た。

 かぐや嬢が、死んだような目で山に鞍替えしていた。おかしい、さっきまで確かに彼女は海だった筈。水着で解放的になれば御行氏を……と考えていたのではなかったか!?

 

 そこまで考えて悟った。

 ああ、そうだよな。かぐや嬢、美人でスタイル良いけど、胸部装甲は千花に大差で負けている。それを気にしたのだろう。比較されるものな。分かる。

 

 僕の思考を呼んだのか、怨霊みたいな目で睨まれた。

 

 いやいや、僕の思想とすると、別に胸部装甲の差は、女性的魅力においては二次的なものだ。僕は千花が巨乳だから好きなのではない。千花が貧乳だろうとも構わない。確かに抱きしめた時に良い感じにやーらかいのは否定しないが、細くても小さくてもそれはそれで有り!だ。

 

 二次性徴前の初等部時代や、実家がごたごたしていた中等部時代にも、千花を抱きしめたことはある。今とは全く違う感触だったが、その時も、とても幸せな気分になったものだ。

 

 御行氏とて同じだろう。比較対象に千花が居たとしても、むしろ好きな相手……かぐや嬢の清楚な水着姿は十分に魅力的に映る筈だ。というか惚れた女子の水着を見て喜ばない男子はいない。断言しても良い。かぐや嬢の心配は杞憂であろう。

 

 ……が、それはここでは言えないなあ。その話は出来ない。御行氏が傍にいる現状、フォローしようがなかった。気にしてる話を公の場で口に出すのはデリカシーに欠ける。御行氏に同意など求めようものなら、僕の寿命が縮む。物理的に。

 

 「海は潮風があって肌や髪に悪いし、人も多くて鮫やクトゥルフが出ます。山にしましょう」

 「さっきと言ってること違いますよ!? あと邪神は出ませんからね!?」

 

 千花が鋭く突っ込むが、かぐや嬢の意見は翻りそうもない。

 山派と海派、対立は続くかと思われたその膠着状況は、唐突に終わりを告げた。

 ずっと黙っていた石上会計が、呆れたように一言告げたのである。

 

 「河に行けば良いんじゃないです? ……仕事終わったんで帰ります」

 

 たった一言だけで気勢を削いだ会計:石上優は、無言で生徒会室から出ていく。

 流石、正論でマウントを取って殴る男。

 ……せやな、と一行は顔を見合わせて頷き、結局この話は、夏になるまでお預けとなった。

 

 御行氏とかぐや嬢の意見が揃って山だった、と気付くのは、その日の解散後だ。 

 これもしかしてナイスアシストしてたんじゃないか?

 

 ◆

 

 そんな会話をしたのが昨日の事。

 夏の計画はまだ先だなーと思っていたら、千花に「水着を買いに行きましょう」と誘われたのだ。今は四月の終わり。夏まではまだかなり時間がある。

 

 ちょっとばかり気が早いのではないだろうか?

 確かに千花の水着は気になるが……、と答えると、彼女は胸を張って宣言した。

 

 「ゴールデンウィークがあるじゃないですかー。そこで旅行に行きません?」

 「なる。東南アジア辺りなら旅行費用も安いし距離も半日かからないな。行くか」

 

 即決した。

 流石に財閥には負けるが、世間一般でいう十分にお金持ちの部類に入る藤原家。総理大臣の年収は約3500万円くらいだし、政治家の平均給与額は月収100万円くらい。加えて、政治家は特殊な公務員。副業が許可されている(というか仕事で名声を上げて政治に入る人間の方が多い)。政治以外できっちりお金を稼いでいるので、資産はかなり多いのだ。

 僕の家も、秀知院に入り肩身が狭くない程度には余裕があった。

 

 「じゃあ早速ですよ、水着です水着。善は急げです。シーズン的にはちょっと早いですが、海外旅行をする人の為に、需要はあるんですよ。それに、女の子はいつでも可愛い服が欲しいんです。見て貰うなら猶更に!」

 「なるほどね? しかし女性の水着売り場に男が居るのはちょっと居心地が悪いなー」

 「下着売り場に行くよりは良いじゃないですか」

 「それは確かにある」

 

 と言う事で、割と高めの衣類を扱う大型店舗の、水着売り場にやって来た。

 最近はネット通販も発達していて、僕もちょいちょい利用しているが、やはり実物を見て選ぶのは大事だ。サイズとか微妙な着心地とか、何より通販の買い切りと違い、その場で沢山のバリエーションを比較できる。

 

 千花は、気に入ったらしい二種類ほどの水着を選び、更衣室に入っていった。

 何やら実家から持ってきたらしい荷物と一緒だった。コーディネート用だろうか?

 

 楽しみに待ちながら、どこに行こうかな、と思いを馳せた。

 観光リゾートとして開発されている東南アジアなら、場所にさえ注意すれば治安の問題はあんまりない。きちんとしたガイドを雇って、藤原家・岩傘家の人間から護衛なんかを手配すれば犯罪に巻き込まれることは無いだろう。

 あの辺は小島も多い。ビーチを使う際に、人が居ない場所を選ぶことも出来る。

 ……ちょっと、いやかなり、心が躍るな?

 

 「いーちゃん、着替えましたよー。見て下さいな」

 「ん」

 

 しゃっとカーテンを開けて着込んでいたのは、ワンピース柄の水着だった。腰の下がスカート状になっていて全体的な露出は抑え目だ。肩こそ出ているが、首から腰下まで隠れている。

 しかしながら……。

 

 「……太腿……」

 「そうなんですよー、最近少し、この辺がぷにっとしちゃって……って何言わせるんですかもう! 女の子に体系の話をするのはデリカシーに欠けますからね?」

 「いや、白いし、良いなと」

 

 そういえば膝枕も最近して貰ってないな……。

 やって欲しいリストに追加しておこう。そうしよう。

 僕は意見を述べる。

 

 「可愛い。ただ柄があったとしても、もうちょっと華やかな方が似合うと思う。折角スタイルが良いんだから、あんまり隠すのは良くないかなと。学園とかで着るなら配慮しないといけないけど、そういうんじゃないし」

 「なるほどー。そう言うと思いました。敢えて最初は地味な奴から選んだんです。やっぱりこれじゃーダメですね。次です!」

 

 シャーっとカーテンが閉められる。その奥でごそごそと水着を脱ぐ音が聞こえてきた。更衣室の床とカーテンの隙間、微かに空いたスペースで、布達が床に置かれたのが見えた。

 

 ……このカーテンの向こう側、千花は素っ裸なんだよな……。

 

 ムラムラする感じは無い。少なくとも今は。

 いや興味がないわけじゃないよ? 性欲だって人並みにあるとは思っている。エロ本だって持っている。ただ千花は、身近過ぎて、親しすぎて、強い劣情を催さないのだ。今はまだ。

 いや、雰囲気が高まれば分かんない。その場の勢いとかあるらしいし。あーいうの。単純に僕の理性が今は勝ってるだけかもしれないし。

 

 「はい、じゃー次ですよー」

 「おー、……!?」

 

 次に出てきたのは、ホルダーネック型だった。首の後ろで紐を結んで固定するビキニ。下半身は、やはりフリルが付いたスカート型だ。胸部を覆う布地の面積は少なくないが、さっきと追加でおへそ、そして綺麗な背中がほぼ全部見えている。真っ白い肌が追加されて、さっき以上にクラっと来た。

 加えて……制服の上からでもわかっていたけど、千花は腰が細い。というかお尻が大きめだ。出るところがしっかり出ているので、腰の細さは普通でもメリハリのある体形なのである。

 

 「……ううむ……」

 

 黙り込んでしまった僕に何を思ったのか、千花は僕を手招きした。誘われるがままに近寄ると。

 

 「えい」

 「!?!?」

 

 彼女は僕の手を取って、腰の部分に手を添えさせたのだ。

 

 ……おう、なんだこれ、やばいな!?

 いや言葉に出来ないけどやばいな!?

 ちょっとアピール強いぞ今日!?

 

 別に胸や尻を触ってるわけじゃないのに、掌に感じる、感触が凄かった。

 果実が持つ瑞々しさと、ハリにがありながらも絹のような肌触り。

 仄かな温かさが手から伝わってきた。

 撫でたくなる。超撫でたくなる。そのままずっと触ってたくなる。

 それをすると流石にTPOに反するので必死に自制したが、僕が固まっている顔を見て「してやったり」と千花はニコニコしていた。

 

 「この辺はお肉が減ったんですよ。頑張ってランニングしてるんです!」

 「……。……御免、ちょっと御免、これ刺激が強い……死ねる……」

 「ワザとですよ? ここ最近は、いーちゃんに主導権を握られることも多かったですからね。 お返しですよー。それじゃー最後に着替えるので、ちょっと待ってて下さいね?」

 

 ダメだ。完全に翻弄されている。 

 今までは割と僕が攻める側に回っていたが、ガンガンに攻撃されているのが分かった。千花は時に、強かでちょっと狡い、小悪魔のようなイイ性格(性格が良いではない)になるが、まさにそれ。天然だのIQ3だの言われている彼女だが、人間を篭絡させる技は、ハイレベルだ。

 

 次は何が来るんだ、と身構える決める僕だが、この時点で大分、負けを覚悟していた。二番目で既に足がガクガクだ。ここで刺激が強い奴が来たら、下手すると鼻血が出かねない。

 しかし――。

 

 「お待たせしましたですよ。ふふふ、ご覧あれ……と言いたいんですが、ちょっと恥ずかしいので、こっち来て下さい」

 

 シャーっとカーテンは、開けなかった。代わりにちょいちょいと手招きされる。

 その仕草を前に、引き下がる事は出来なかった。

 

 これは――

 これは、覚悟を決めるしかない!

 

 これは千花からの挑戦状だ。

 逃げる事は許されない。負けるつもりもない!

 

 僕は努めて冷静さを取り戻せるように深呼吸をした。

 そして推測する。

 

 今までの感じから判断するに、よりインパクトがある奴だろう。

 おそらく露出が増える。

 所謂「普通のビキニ」を想定して……。打ち消した。

 いや、それじゃ足りないな。まず紐ビキニにしておこう。今までは下の水着がスカート風だったから、そういうのがない、鼠径部が見えそうな際どいラインの奴と仮定する。

 頭の中でイメージし、頷いた。よし、これなら耐えられる。

 

 何でも来い……!

 俺は揺らがないぞ……!

 

 意を決してカーテンの中を覗くと――。

 

 「ちょっとキツいですねー、やっぱり」

 

 スク水だった。

 スクール水着だった。

 胸元には「ふじわら」と平仮名が書かれている。

 

 かふっ、と胸から情熱とか感動とか衝撃とかが駆け巡って心を叩きのめす音が聞こえた。

 

 なんというか色々溢れそうになっている。窮屈に収まった水着の下がはちきれそうだ。

 童顔な彼女は、天真爛漫に笑い、どうですー? と首を傾げられる。反応しようと思った瞬間、プチっという音がして、スク水の肩紐がちぎれた。

 布地がぽろっと捲れて、胸の上半球が――露わに――。

 

 ……。

 …………。

 …………………それからの記憶は定かではない。

 

 ただ、分かっていた。心から理解していた。感動までしていたかもしれない。

 

 負けた。

 敗北だった。

 完膚なきまでに叩きのめされた。

 恋愛に勝負があるなら死体蹴りまでされていた。

 僕は燃え尽きたように真っ白になって、売り場の横にあるベンチに座っていた。

 

 インパクトが強すぎてそこから先は茫洋としか思い出せない。

 

 水着の序に色々買い込んだ千花の荷物を持ったこと。

 店員さんの生暖かい目で送り出されたこと。

 そして彼女の言葉を、記憶している。

 

 「心配してるようだから言っておきます。いーちゃん」

 

 「私、他の人とか――会長とか、石上君とか、他の男の子とか、……そういう人を相手にするなんて考えたこと無いです。 今日のアピールで分かってくれましたか?」

 

 「正直、うんと、うーんと恥ずかしいんです! あんな格好して、頑張って誘うの、勇気が要りました。初めてです。でも、いーちゃんを思ったら勇気が出るんです。ずっと昔からそうなんですよ?」

 

 「だから、今も待ってます。今も楽しみにしてるんです。いーちゃんが惚気てくれるのを。もっと色々考えて、色んな方法で私と惚気てくれるの、待ってます!」

 

 顔を真っ赤にしながらも、帰宅していった、彼女の言葉が、残っている。

 

 頑張って計画を立てよう、と僕は思った。

 

 今日は完全に僕の負けだ。

 ならば……今度は負けないからな!?

 千花が動けなくなるくらいに惚気る計画を立ててやるからな……!?

 

 これは、恋愛頭脳戦ならぬ――

 

 恋愛惚気合戦だ!

 

 ◆

 

 翌日、冷静になった後、死にたくなった。

 

 なんだよ恋愛惚気合戦って!?

 馬っ鹿じゃねーの!?

 

 ……でも、なあ。千花に期待しているって言われちゃったからなぁ。

 良いだろう。

 今度は、僕がやり返す番だ。

 待ってろよ藤原千花……!

 負けたって言わせてやるからな……!



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岩傘調は記させたい

YJを読んだ人、読まない人、どちらも居らっしゃると思いますが、言わせてください。
おめでとう……!おめでとう……!!


 今の時期、徒歩通学をするのも悪くない。

 車を使うのは、飽くまで治安や千花の安全確保の為だ。男子高校生である僕が、普通の公道を歩いて、何かトラブルに巻き込まれる可能性は低かろう。

 

 本日、我が家の送迎車は妹の為に使われている。

 千花の妹:萌葉ちゃんや、白銀さん家の圭ちゃんと同じ学年、同じクラスの我が妹。彼女は毎日走って通学しているが、先日、部活中に思い切り足を捻って、数日間の安静を言い渡された。骨折はしていないが負荷を掛けたらダメです、とお医者様に言われ、彼女は車での移動になった。

 

 別に一緒の車で通学しても良いのだが、向こうは部活で朝がやたら早いのだ。

 

 車必須なほどに遠い距離に秀知院がある訳でもない。徒歩で20分くらいの場所。そもそも御行氏などは往復15キロの距離を毎日自転車で疾走して通学しているのだ。蝶よ花よと育てられた箱入り娘でもないし、偶には良いかと歩くことにしたのである。

 千花には事情を話してある。帰りだけは厄介になろう。

 眩しい太陽が、そろそろ青葉に変わりつつある木々の隙間から覗いている。

 

 「いい天気だねぇ……」

 「そうですねえ」

 「春眠暁を覚えずという言葉があるけど、眠くなるね」

 「分かります。眠くなりますよねー。うちの学園、授業中は誰も寝ませんけど」

 「寝たら置いてかれちゃうからなぁ……」

 

 と、そこまで会話して、隣を見る。

 

 「どしたん千花。何故に僕の隣を歩いているん?」

 「昨日の夜、萌葉から聞いたんですよ。明日は多分、いーちゃ……調さんが徒歩だろうって。なのでご一緒しようかなーと」

 「なるほど? じゃあ一緒に行くか」

 

 僕が一緒に居れば安全だと思おう。

 と、隣り合って歩き出したのは良いのだが、別に新鮮さとかは感じなかった。大体、学園でも何時も隣に居るのだ。家も近いし、教室の座席も近い。本当に千花は「隣人」なのである。しかも幼馴染で許嫁。三つ揃っている相手は、世間を見回しても中々居ないのではないだろうか。

 

 千花が「新鮮さが欲しい」といった気持ちは分かる。

 ドキドキ感も初々しい感じも、大分昔に通り過ぎてしまった。

 人はそれを羨むが、僕らも僕らで羨ましいことはある。

 石上辺りに言ったら「うるせえバーカ!」とか言われてぶん殴られそうだけど。

 

 「……そういやゴールデンウィーク、どこ行くか決めた?」

 「コタキナバルまでホテルと飛行機を手配しておきましたねー」

 「マレーシアかー。今の季節でも確か30度とかあるんだっけ? バカンスには丁度良いね」

 「はい。……同行者な、んですけど」

 「うん。萌葉ちゃんと豊実ねぇ……豊実さんも一緒でしょ? 僕の妹と、こっちは憂さんが付いてくるだろうし、藤原家の使用人さんも何人か――」

 「居ません」

 「――、……はい?」

 「居ません、です。はい」

 

 言葉の意味を反芻する。

 Why? 今なんとおっしゃいましたかね千花さん?

 マジマジと彼女の顔を見ると、その頬はほんのりと紅潮している。

 

 「いえ、勿論、ホテルまでの案内する人とかは、日本の観光協会にお願いしてあります。ただ、宿とかは、島なので、誰も居ません」

 「あのさ、……一言、良い?」

 「……はい」

 「もうちょっと貞淑にしよう! 貞操は大事だからな!? 早まったらダメだよ!?」

 「そこは喜ぶのが筋じゃないんですか!?」

 

 かっ飛ばし過ぎだ! なんか先日から千花がグイグイ来てるぞ!? 何があったんだ!?

 どうどう、と落ち着かせて、努めて冷静に事情を聴くことにした。

 

 「そのですね、かぐやさんと、会長が、仲良くなりつつあるんですよ」

 「良いことなんじゃない? 仲良くなりつつあるって言われても――スマホを買いに行ったのと、映画を隣で見せたくらいだけど。まあ進展はしたよね……?」

 「あとは、海行くか山行くかで同じ勢力になって主張したりとかですね。……そうです。順調です。いーちゃ――周囲には誰も居ませんね? よし――いーちゃんの暗躍で、段々とあの二人は進展しつつあります。二人きりで生徒会の仕事をしてる時とか、自然と良い雰囲気になってるらしいですし、周囲から見ても明らかに態度に花があると持ちきりです」

 「ふむふむ」

 「で、それを聞いた時、思ったんですよ。――負けてられません!」

 

 言いたいことは理解した。

 

 「……千花、羨ましい?」

 「ぐっ……。その通りです。羨ましいです。うーらーやーまーしーいんですー! かぐやさんと会長が良い雰囲気になるのは嬉しいですけどー! なんか見ててハートがトキメキ☆ハイスクールって感じがして! もっとそんな空気が欲しいんですよぉ……。だって私といーちゃんの関係とかもう十年ですよ? 十年なのに、甘い雰囲気で負けるって癪じゃないですか……!」

 「まあ、分かった。分かったけど、流石に二人きりは止めておこうね。千花に言われた通り、僕から全力で惚気れるように頑張るから」

 

 トキメキハイスクールって30年位前のゲームじゃないっけ、というツッコミは野暮である。

 千花は淑女にみえて、かなりブレーキを踏む位置が微妙だ。

 あらぬ方向に舵を切る。それこそ先日のように、水着売り場でスク水を見せるような斜め上に突っ走っていく。常識外れなのではない。常識の中で三回転捻りをかまして来るのだ。

 多分GWの宿も、そんな感じで突っ走ったのだろう。

 

 ……これは明日にでも、大地さん(千花のお父さんだ)の家にお邪魔して、事情を説明しておいた方が良さそうだ。千花は、誤解を加速させるのが上手い。断じて誉め言葉ではないぞ。

 

 「昨日から、惚気る方法を色々考えてるんだ。……それで満足できなかったら、GWの主張を通してあげるから。ちょっと待って欲しいな」

 「言いましたね? ふふん、いーちゃんが何を企んでいるか知りませんが、早々負けるとは思わないで下さい。いーちゃんが私と十年一緒にいるように、私も十年いーちゃんと一緒にいるんですからね!」

 

 と主張はしているものの、僕の言葉が嬉しかったのか、るんるんと足取りは軽くなる。

 他人から見れば、今日も今日とて、僕と彼女は惚気ているように見えるんだろうか……と思いながら、秀知院の校門を潜ったのである。

 その言葉、覚えてろよ?

 

 ◆

 

 「おい岩傘、なんかお客が来てるぞ? C組の(きの)だ」

 「ん? あー、あいつか……。ありがと風祭(かざまつり)

 

 僕のクラスは千花と御行氏と同じB組である。かぐや嬢は早坂さんらとA組だ。

 さておき、休み時間、次授業の予習をしたノートを取り出して確認していた僕を呼び止める声があった。言われて廊下を見れば、見知った女子が僕を呼んでいる。

 

 紀かれん。

 うわぁ……と思った。

 文化部が一つ:マスメディア部の一員だ。

 相棒の巨勢(こせ)エリカと共にスクープを追いかけているエース記者である。

 

 生徒会広報という立場上、何かと彼女らマスメディア部との関係は多い。

 多いというか、対立しているというか、犬猿の仲というか、報道の自由を主張する側VS個人の秘密を重視せよと主張する側というか、ばらまく側VS検閲する側というか、まあそんな関係である。

 こいつらの上に居る眼鏡部長も、淑やかな顔をして結構な食わせ物だ。

 

 マスメディア部。他の学校なら報道部とでも言うのだろうか?

 その名前の通り、実家が情報媒体を扱っている生徒が多く所属している。実は僕も高等部進学時に「入りませんか?」と誘われた口だ。断ったけど。

 

 「要件を簡潔にどうぞ。君たちのお気に入りのかぐや嬢はA組だ」

 

 自然と警戒する口調になった。

 相手も僕が警戒しているのを承知していて、誠実な姿勢で話を持ってきた。

 むむ、どうやらちょっとはまともな内容なのか?

 

 それでは、と僕に説明を開始した娘:紀かれんも『紀出版』という出版社の社長令嬢。

 先祖が紀貫之とか言われても納得しそうな苗字である。

 まあ大層な苗字を持っていても、生徒会の会長と副会長、二人を見て目をぽやーっとさせているのが、紀かれんという女だ。

 廊下を歩く姿を一番に発見し『あれが生徒会のお二人よ』と最初に言う生徒、と言えば分かるだろうか。

 

 「今日は真面目なお願いですわ。……生徒会の皆さんを記事にさせて欲しいのです」

 「それは御行氏の就任時にやったんじゃないっけ? ……ああ、新入生用?」

 「ですわね。この春からの一年生は、まだ皆さんを詳しく知りません。中等部で噂を聞いていたくらいでしょう。昨年度の大立ち回りに関しても、《氷のかぐや様》に関しても」

 「だから記事にね。……まあそれなら良いと思う。会長達には確認しておくけど……。僕より、二人に話を持ってった方が、早いし楽だったんじゃない?」

 

 かなり真面目な提案だったので、普通に頷いて日程を確認する。

 そういう話なら全然OKだ。僕は別に彼女らの人間性を嫌っているわけではない。

 

 マスメディア部、割と容赦なく取材をして、人気がある生徒のポンコツなシーンを激写するとか、かなりギリギリのゴシップ記事を飛ばすこともあって、一部からは要注意扱いなだけなのだ。

 胃を痛めている人も多い。早坂さんとか早坂さんとか早坂さんとか。頑張れヴァレット。

 

 とりあえず許可を出して、ついでに疑問が浮いたので聞いてみると、今日は会長・副会長、共に通学がギリギリだったらしい。

 そりゃあまた珍しいこともあるものだ。御行氏はかなり遠くからの自転車通学で、努力に努力を重ねる人間だから、時間ギリギリの予定を組むことは良くある(それでも無遅刻無欠席は凄いけどね)。かぐや嬢がギリギリというのは……何かあったのかね?

 

 「一緒に通学していらしたの。同じ自転車に乗っていたのではないかしら……、やっぱりあのお二人、きっと交際をなさっているのよ……。自動車通学のかぐや様……、しかし毎日自転車で通う会長の姿を車から見ていて、ふと思ったの。――『私も一緒に乗ってみたい』……。それを察した会長は、ある日、かぐや様が出てくるのを自転車に乗って待ち構え……、爽やかに笑って言うのです。『俺がお前を運んでやる(キラーン)』……、それに赤面したかぐや様は――」

 

 途中から報告ではなくトリップに変化していたので無視して教室に戻った。

 妄想には付き合っていられない。……確かに、彼女のそれは、ある意味では的を射た妄想だ。だがあの二人の関係はそこまで可愛くはないし――それを教えてやる義理はなかった。二人の関係は、記事にしたら多分、拗れるだろう。それは僕の望むことではない。

 次の休み時間に、御行氏と千花に話をしておこう。

 英単語の並んだノートに目を落として、そんな風に考えた。

 

 ◆

 

 僕らの生徒会は、第67期生徒会になる。

 メンバーは、御行氏、かぐや嬢、千花、僕、石上会計と、此処までは常時顔を合わせる面々だ。しかしそれ以外に、実は2人ほど別メンバーがいる。この2人は会計監査とか庶務にとか当たる人材……なのだが、高校三年生で、僕らとは顔を合わせない。

 

 受験に忙しいとかではなく、単純に居心地が悪くて顔を会わせ辛いのだ。

 だから皆、話題には出さない。それこそ御行氏が、次の役員を指名すれば、それで済んでしまう話なのだ。先輩達に敬意を払い、役職を取り上げない御行氏は、優しいんだなと思う。

 

 昨年、御行氏が一年生の頃の生徒会選挙において、彼が大立ち回りを演じ、就任したのは同学年の誰もが知っている。その際の影響が今も残っていて、二人は僕らがいない間に仕事を済ませている。ひょっとしたら、かぐや嬢辺りはコンタクトを取って手綱を握っているのかもしれないが、それは誰も追及しなかった。聞かなくても良いことだ。

 

 僕が生徒会に入った理由もここにある。

 御行氏の、その大立ち回りに協力した為というのが一つ。

 御行氏がそんな僕を庇い役職をくれたというのが一つ。

 表向きは、後処理に責任を持つため、となっている。

 

 そんな経緯で発足している第67期生徒会だ。

 故にイメージは、実はかなりフィルターが掛かっている。

 起きた出来事だけが大きく取り上げられ、本人達と無関係な場所で印象が独り歩きする。

 良くあることだ。

 

 御行氏やかぐや嬢は「なんか凄い人」。

 千花や僕は「なんか友情に厚い人」

 石上は逆に「なんであんな人が……?」というタイプ。

 

 良くも悪くも話題性が高い面々だ。

 まあ石上会計の事情は特殊としても、御行氏、かぐや嬢の二人が無駄に美化されているのは本当だ。話してみればもっと人間味があって優しい人達なのだが、クラスメイト以外には余り知られていないのが実情なのである。

 

 さて、そんな生徒会。春に編入して来た学部生や、進学してきた新一年生にとっては殊の外、殊更に、頭の上の存在過ぎる。もう少し親しみを持って貰うには、マスメディア部の紹介記事は歓迎要素だ。

 

 「……と言う事で、まずは千花と僕がインタビューに答えましょう。会長と副会長は忙しい。急なスケジュールを言われても困りますから。アポで確保してからです。OK?」

 「分かっておりますわ。……今日はよろしくお願いします」

 「はーい、よろしくお願いしまーす」

 

 ということで、人気のない会議室で話をする事になった。

 千花はいつも通りの気楽さで返事をする。

 逆に僕は気合を入れた。

 

 「えー、では、まずお二人の自己紹介からお願いします」

 「はい! 生徒会書記、藤原千花です!」

 「同じく生徒会広報。岩傘調です。……藤原千花とは恋人で許嫁です。よろしく」

 「はい、宜しくお願――。……あの?」

 「そちらで編集するでしょう。僕も記事には目を通しますので、気にせずやって下さい」

 「……分かりましたわ。お二人に関しては、何時もの事ですものね?」

 「な、ななな、ななななな!! い、いーt……じゃなかった。調さん!?」

 

 千花の顔色が変わった。察したのである。

 

 皆は知らない。

 千花が新鮮な惚気を欲していることを知らない。

 新しい刺激を欲していることを知らない。

 初々しさに羨望を抱いていることを知らない。

 

 ならばその望み、叶えてやろうじゃないか。

 約束通り、頑張って惚気てやろうじゃないか。

 

 この機会を利用して――千花を褒めて褒めて褒めちぎって!

 もうこれ以上は無いくらいに全力で可愛いと連呼してやろう。

 それが昨日のお返しだ。逃がさないぞ?

 僕の顔を見て千花が戦慄する。

 

 「い、いーちゃんが本気だ! 本気で私を脅してる……! 紀さん! 紀さん、ちょっと待ってください! これ危ないですよ! 私が死にます! 悶絶殺しをする気ですよこの人!」

 「大袈裟ですね。何時もの事じゃないですか、ねえ? 紀さん」

 「……そうですわね?」

 「し、しまった……! しまりましたー……っ!」

 

 千花が戦慄している。ふふふ甘いな千花。幾ら君が僕から攻撃されていると主張をしても、それは通らない。恋人同士の()()()()()と判断されるだけだ。

 クラスメイトに確認したら、客観的には、僕と千花は毎日いちゃいちゃしているらしい(答えと同時に嫉妬の拳も貰ったが)。

 であれば――この会話が、普段と違うと知っている、気付けるのは、僕と千花、君だけなんだ!

 

 マスメディア部のインタビューという名目で逃げ道は塞いだ。

 御行氏、かぐや嬢の二人には遅れると連絡を入れてある。

 

 さあ、覚悟は良いな? 惚気るからな? 藤原千花!

 

 

 ◆

 

 「それでは、まずはお二人の役職の説明からお願いします」

 

 「はい。藤原書記は緊張して上手く話せないようなので、僕から補足しましょう。書記というのは議事録の作成を始めとして様々な記録を残す役職です。千花の――ああ、此処から名前で呼びますが気にせずどうぞ――文字はとても綺麗で読みやすく、彼女の手が白い紙の上を泳ぐように動くのは上品さすら感じます。ここ最近はパソコンで記録を執ることも多く直筆は貴重な分、そういう光景を見ると、僕は「あー小さな手を、自分の手で包んでみたいなあ」とか思います」

 

 「はうっ!」

 

 「議事録にも色々ありまして、実は記録だけではないんですよ。これから行われる予定の日程を確認したり、例えば式典がある場合はそこで何を行うか、と言う予定を計画するのも仕事に入っています。この辺は広報である僕との連携もありますね。僕の方から『何時何時に何をするか』との話を受けて対応することがあれば、逆に藤原書記からのお願いを受けることもあります。デートみたいな感じで」

 

 「ひゃふ……っ……!」

 

 「過去の行事記録の確認なんかも、書記の仕事の一つですからね。データベース化されているとはいえ、秀知院の記録は流石に多い。生徒からの要望を受け取って実行に移す、となると広報の仕事と境界線が曖昧になってしまいます。なので僕と千花は大体一緒に行動をしています。別に彼女が可愛くて働いている姿をずっと観たいから一緒という訳じゃないんです」

 

 「ふぇっふ」

 

 「あ、これオフレコでお願いしますね。今のは全部本音です。もう千花はくるんくるん小動物みたいに、あっちこっちに駆け回っては興味津々で色々な仕事を見つけて来るんで、広報としての責任以上に、目が離せないんですよ。ずっと見てられます……この質問はこのくらいで良いかな?」

 

 「ひうぅ……」

 

 千花は可愛い悲鳴を上げながら足をバタバタさせている。

 

 「……ええ、はい。それじゃあ、次の質問に移りましょう」

 

 おや、なんか紀さんも微妙に返事の力がないぞ?

 まだ質問が一つ目なのに。

 

 「えー、では次は……そうですね、それぞれの仕事としてのやりがいをお聞かせ下さい。生徒会の一員としてのやりがいは、勿論あると思いますが、「この役職をしていて良かったな」と思ったことがあれば」

 

 「千花が悶絶して返事が出来るまで少し時間が必要そうなので、僕が先に答えましょう。――やっぱり生徒の皆さんからの意見が形になったり、教員、保護者、外部の人らからの意見を形にしたり……。普段中々接点がない人達の間に立って、その仲介をする、これが醍醐味かなと思います。よく運命の糸、という言葉を聞くじゃないですか。あれをイメージして下さい」

 

 「ちょ、いーちゃん、まって……」

 

 「人は必ず何か『縁』の切っ掛けを持っています。両者を結ぶというのは、意見からそれを見つけ、新しい人に結ぶ、とこういう感じじゃないかと思うんですよ。ご覧の通り僕と千花は運命の赤い糸で結ばれています。こういう実感と感動があると、他の人の為にも全力を尽くしたくなりますね」

 

 「まって、ま……はぅっ……!」

 

 「『縁』なんていう大層な言葉を使わないでも構いません。人が何かをしようと思うには、何かしらの契機があります。些細なものから大きなものまで。学園を変えたいという壮大な目標から、好きな娘の為に全力でいたいという小さなものまで。そこに貴賤や優劣はありません。僕が、誰かの為に一生懸命になれるのは、最初に千花がそういうのを教えてくれたのが大きいからなんですけどね」

 

 「ちょ、おねが……」

 

 「さておき、そういう契機、切っ掛け、動機があっても、それが形にならないことの方が多いでしょう。タイミング、資金、人脈、場所、知識、等々。そうしたものを汲み取って、それを行える人材の元に渡してあげる。これが僕なりの考え方です。実際、千花がしていることも同じだと思いますよ。彼女の人脈は凄いですからね。誰もが皆、千花にはこっそり悩みを打ち明けたりします。それを聞いたらこっちも頑張ろうと思うじゃないですか。だから僕は千花が好きですよ。と、これは個人の感想になってしまいましたね、此処は記事には出来ません」

 

 「い、いーちゃん……、も、もう、そのくらいで……そのくらいでぇ!!」

 

 「どうしたんだい千花。君なりの返事をしてあげるといい。紀さんも待ってるよ」

 

 僕が笑顔で促すと、顔を真っ赤にしたままの千花は、しどろもどろで何とか答えを紡いだ。

 イベントが形になったのを記録する瞬間が充実するとか、計画を立てているのが楽しみだとか、色々と必死に。

 間違いなく彼女の本音であったが、動揺して呂律が回っていない。

 

 落ち着きなよ、と芯が抜けかけている千花の背中を支えると、彼女は変な悲鳴を上げた。

 やだなー腕を組むとか何時もしているじゃないか。

 何をそんなに慌てているんだろうな?

 いやあ僕には全然分からないな?

 ほら紀さんも呆れてるじゃないか。

 

 「デハ最後に、エー、今年入ってきた新入生に向けて、メッセージを、オネガイシマス」

 

 「学園では色々な物を学べます。例えば女心とか。好きな人の事とか。どんな風に可愛くてどんな風にすれば歓ぶかとか。おっと惚気じゃないですよ? 入ってきた皆さんは、自分だけの『好きな物』『好きなこと』『好きな人』を探して、それに魅了されてみてください」

 

 「はきゅっ……!」

 

 千花、悪いな。まだ俺のターンは終わっちゃいない。

 落ち着かせる暇なぞ与えん。

 

 「何かに夢中になると、それを生かそうと思えます。僕の場合はそれは好きな人で、好きな人と一緒に過ごす空間で、好きな人と一緒に過ごす時間だったんです。だからそれを良いものにしようと今も全力で取り組んでいます。同じように他の人にも、この夢中な楽しさを味わって欲しいと思っています。もしも貴方が、何かに挑戦したい、と思うなら、是非話を聞かせて下さい。僕に限らず、生徒会は全力でお手伝いをします。だよな? 千花?」

 

 「…………ぷしゅう、がくり」

 

 頭から湯気を出した千花は、辛うじて首で頷いて、机に突っ伏してしまった。

 動けないらしい。目が潤んで、突っ伏した身体はひくひく震えて、見える肌は全部真っ赤だ。人前に出せる状態じゃない。

 

 こんなもんでいいです? と紀さんに目を向けると、彼女の瞳からは光が消えていた。

 機械的に「ごきょうりょくありがとうございました」と返事をして、錆びついたロボットみたいに動いて、部屋を出ていく。

 どうやらインタビューは終わりらしい。

 

 それから暫く、部屋の中には僕と千花だけしかいない状態が続く。

 十分か、十五分か、それくらいして、やっと、震えながら、千花が戻る。

 

 「ふ、ふふふ、い、いーちゃん……! いーちゃん……! の、……ば、馬鹿……っ!! ばーかーでーす! もーやぁだぁー! 死にます! 恥ずかしくって死ーにーまーすぅ……ぅぅううう!! いーちゃんのおに! きちく! ケダモノお……っ!」

 

 誤解されそうな言葉を叫んで、千花は僕の方に倒れこんできた。

 キャッチしてやる。おう、熱い。溶けそうになっているなこれは。ドストレートに延々と千花が可愛いと言い続けたのは効果があったらしく、立つにも苦労しそうな有様だ。

 御行氏にメールを送っておこう。

 

 『千花と健全に過ごしてから戻ります』

 

 これで良し。別に公序良俗に反することは何もしない。ただ千花を受け止めるだけだ。

 分かっていた。彼女の顔は、紅潮して潤んだ乙女の顔。その口元には隠そうにも隠し切れない、にやけた笑顔がある事に気付いて居た。どうやらクリティカルヒットしたようだ。

 満足した僕は、千花の背に手を回して、背中を撫でながら、そのままじーっとすることにした。

 

 『ラブコメは程々にして早く戻ってこい!』

 

 と御行氏からメールが来るまで、二人だけで静かにじーっとしていたのだった。



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岩傘調は消したくない

3話伝説のED回だYO! 情熱を叩きつけて2話連続。
これも全部YJの最新話(2019年9号)ってやつが悪いんだ。


 その日、僕と千花は珍しく反目し合っていた。

 B組で席も隣同士な僕と千花だ。時として授業中に小さなメッセージ(無論、真面目な奴だ。P45の設問2の答えを確認させてとか)のやり取りもする。

 しかし本日はそうではない。千花は不機嫌そうにそっぽを向いている。ちょっと頬が膨れていて機嫌が良くない。喧嘩……と言うほどに喧嘩ではないが、何時もとは雲泥の差だ。

 

 「何をやったんだ岩傘。これで二日だ。噂になっているぞ?」

 「……僕にだって譲れない物があります」

 

 御行氏が咎めるように言う。しかし僕は首を振った。これは譲れない。

 時折、僕も千花も、互いにちらちらと様子を伺っているので、嫌い合っている訳ではない。

 しかし互いに、相手が譲歩しない限り、自分から和解を切り出すつもりは無かった。

 

 「……生徒会の活動に支障は出すなよ?」

 「出しません。ご安心を」

 

 僕は無言で、ポケットの中のスマホを握りしめる。

 そう。例え千花からの要請であってもこれは譲れない。

 

 生徒会室で!

 彼女が一人!

 不思議な踊りを踊っていた録画を消すだなんて真似は、出来ないのだ!!

 

 ◆

 

 事の起こりは二日前、月曜日に遡る。

 

 生徒会へのインタビューが終わり、マスメディア部は無事、新聞を作り上げた。広報としてその確認へと向かい、幾つかの修正点を上げたり、逆に譲れないという意見へ妥協点を探ったりと、思いのほか、時間が掛かってしまった。

 生徒会室に戻って来た時、内部の様子に気づいたのだ。

 

 中には千花が一人だけで、御行氏の机の上に、仰向けに寝っ転がっていた。

 大きな胸が仰向けでも目立っている。開かれた窓から入る風に、髪やスカートが靡いて、一枚絵として非常に絵になった。だからと言って生徒会長の机の上を身体で独占するのは宜しくないが、問題はそのくらいだ。

 

 ちらっと隙間から様子を伺うと、御行氏も、かぐや嬢も、居なかった。

 後日知ったことだが、御行氏は部活連に顔を出し、かぐや嬢は大学部に足を運んでいたという。互いに用事で不在だったのだ。僕が遅れ、石上は例の如く。故に千花は一人だった。

 

 生徒会室は、不埒な人間にとって宝物庫に等しい。個人情報や、学園資産、OBOGの連絡先、表に出せない貴重品が沢山である。故に鍵は、役員しか持っていない。何時、どんなタイミングであろうと、内部に誰も居なくなる場合、必ず最後に役員の手で施錠するよう徹底されている。

 ここだけの話、内部には赤外線式のセンサーなんかも設置されている。夜間に潜入するには、ミッションインポッシブル並みの技量が必要であろう。

 

 さて、これも後になって知った話なのだが、千花は浮かれていた。

 インタビュー時にした僕からの怒涛の攻勢を前に、テンションが上がりまくっていた。

 だからこそ、だろう。

 

 踊り始めたのである!

 僕は咄嗟にスマホを取り出して録画モードに切り替えた!

 

 ◆

 

 いい具合に鳴り響いたチャイムの音でリズムを取る。

 歌詞まで付いてた!

 

 どーんだYO!と語尾を強調してポーズ!

 前に進み出て、秀知院の生徒会は皆の憧れ!と筍が生えるようなポーズ!

 

 ぽくぽくぽくと頭の横で指をぐるぐるさせて一回転。

 役員達の名前を挙げて、「書記の千花!」で、銀河の歌姫的キラッというポーズ!

 

 そこから荒ぶる鷹の姿勢に変わり「らー!」と力強く叫ぶ。千花と力で掛けたのだろう。

 一転してゆっくりとソファの上にしなだれかかり、更に立ち上がってハンチングハット(別名:アホに見える呪いのアイテム)を被る。そこから振りむいて帽子を投げ!

 

 「ラブ探偵千花が解決するわー!」とドヤ顔で振り向きざまに指でっぽうをバシュン!

 

 しゅきしゅき書記書記初期設定! ちゅきちゅきドキドキふぉーちゅんてらー! と天然大爆発な歌詞と共に次々と決めポーズを炸裂させ、力の限り輝くのだーと力瘤のポーズで傾いた。

 

 最後に、こんにち殺法の指を作って、踊り終わる。びしぃ!

 

 …………。

 …………………。

 

 カーテンに止まっていたウルシゴキブリを窓から逃がして、彼女はやり切った顔であった。

 それは一つの任務(ミッション)完全制覇(コンプリート)しきった、淑女(おとめ)の顔であった。

 

 良い物が見れたな、と僕は思って、静かにその場を立ち去った。

 正確に言えば、立ち去ろうとした、のである。

 

 「あの、何やってるんです? 広報担当」

 「うおお石上!? 何時から其処に居た!?」

 

 いつの間にか背後に立っていた石上に驚いて、僕は思わず物音を立ててしまった。

 はっ! とした顔で彼女はこっちを見る。

 扉の隙間から覗いていた僕と、目が合った。

 

 「……見ました?」

 

 ちょっと躊躇した後で、頷く。

 

 「み、み、見たんですね……?」

 「ちょっとだけ、だけどね。具体的に言えば、チャイムの音から窓際で満足するまで」

 「全部じゃないですか! し、しかも――録画、録画までして……!」

 

 僕の手のスマホを目敏く認識すると、千花は真っ赤な顔で詰め寄ってきた。

 生徒会室の扉の前、廊下に面した一角。僕は逃げずに迎え撃つ。

 

 「消して! 消してくださいー! 違うんですっいーちゃん、悪気はなかったんです! うっかり調子に乗っただけなんですよぉ! の、覗き魔って呼びますよ!?」

 「はっ、証拠は僕が持ってる。イニシアティブを握っているのはこっちだよ?」

 「邪悪な笑いー! 外道めー! 消して下さい……! この通りこの通りです御代官様っ」

 「やだ!」

 

 あんな可愛い踊り、絶対消すものかよ! 僕以外の人間に見せる気はないが、もしも動画サイト辺りにアップすれば30万再生くらいは一瞬で越えるだろう。そんなのは我慢がならない。消去しないように厳重に保管しておこう。心に決めて、千花のお願いを一蹴する。

 この辺で『ケッ、やってらんねー』みたいな顔をして石上は生徒会室に入り、自分に任された書類の山を手に取って処理を始めていた。

 

 「どうしてもですか?」

 「どうしてもヤダ。他の人には見せないし、他言もしない。でも超可愛いから絶対消さない」

 「……な、何でも言うこと聞くって言っても駄目ですか!?」

 

 ここは生徒会前の廊下。結構音が響く。

 千花の声に、遠目でこっちを伺っていた女生徒達が、ひそひそと顔を寄せて囁き合う。

 なんか誤解された気がするな。まあ良いか。

 

 「じゃあ『消さない』ってお願いにしようかな」

 「狡いです! それ以外のお願いなら聞きますから。……キ、キスとか良いですよ!?」

 

 更に女子達が顔を赤くして噂し合う。

 安心しておけ、公衆の面前ではまずやんないし、お願いしてやるようなものじゃない。

 

 しかし、ここでちょっと違和感があった。千花は強情であった。普段なら妥協するところを、執拗にお願いしてくる。今の動画に何か問題があったのだろうか。ううむ、分からない。

 スカートの下が見えていたとかは無いし、ゴキブリを素手で掴んでいたのも「まあ千花だし別に?」という感じ。生徒会室の机の上に寝そべっていたのはマナー違反だが、僕が他人に映像を見せない以上、流出する心配はない。勿論、この動画を使って脅迫なんか絶対しない。

 

 説明をしても千花は強情なまま。

 遂には、憤懣やるせない顔で、ぷいっと他所を向いてしまったのだ。

 

 「もう良いですー! いーちゃんの馬鹿ー! 嫌いで……いや嫌いじゃないですけど、でも口利きませんからね! そっちが態度を変えるまで、ちょっと千花むくれモードですよ!」

 

 かくして、それが今日まで続いているのである。

 石上に助言を募ってみたが『こっちに振るんじゃねえリア充』とけんもほろろであった。

 

 ◆

 

 それから二日。水曜日。つまり今日。

 僕と千花がちょっと不穏な関係になったというのは、割と素早く情報として浸透した。

 

 マスメディア部の記事が掲示され、関係がより周知されていたのも大きいだろう。一日目までは「珍しいなあ」であったが、二日目ともなれば段々、噂は大きくなる。

 

 実は不仲になったんじゃないか、みたいな流言飛語が飛び始めたのだ。

 

 まさか! まさかまさか! 彼女への好意は一点も下がっていない。だがしかし会話をしないままずっと続いているのは確かだ。千花も今更、強情に消してほしいとお願いした理由を説明出来ないらしく、切っ掛けを掴めずにずるずると時間が流れていく。

 

 「(早く私の方に来て折れて下さい! 何が起きるか分かりませんよ! 関係悪くなったって邪推されますよ!)」

 「(じゃあ消す理由を話してくれ! そしたら考える! 外部の音とかどうでも良いわ!)」

 「(は、恥ずかしいんで嫌です! ……言えないです! あ、外部が何言おうと私は好きですから安心してくださいね?)」

 「(俺も好きだ。安心してくれ。だが折れる訳にはいかない。それとこれとは別なんだ!)」

 

 などと目で会話はしていたが、口には出さない。

 クラスメイトは『なんだ、別に険悪じゃないのか』と情報を修正したらしい。

 まあずっと目を合わせて互いに見つめ合ってたら、そうもなる。

 

 しかし部外者はそうは思わない。

 そうなると、千花へアプローチする男子が出てくるのは、当然であった。

 

 そう、千花はモテる。むっちゃ人気がある。

 彼女の下駄箱にラブレターが投函されていたのは、なんと口論から三日目。

 生徒会で不思議な踊りを録画した月曜日放課後から、三日後。木曜日の朝だ。

 

 「ふーんだ、いーちゃんが譲らない限り、詳しくは話しませんよーだ」

 「ぐぬぬ、……。くっ、屈したい自分が居る。ラブレターとか無視して欲しい……。でも録画は消したくない……! あんな可愛い姿、消せない……!」

 

 僕の台詞に、耳を傾けていたクラスの人間がざわっとした。

 千花の過激な映像を確保したとでも思っているのかもしれない。

 確かに貴重な映像ではある。訂正する余裕はない。

 

 「ぐぬぬ、私だって! 私だっていー、……調さんの方が良いです! でも理由、言えません。恥ずかしくて言いたくないです! 乙女心を分かって下さい!」

 「今回のは難問なんだって! 大体今までは理由を即座に話してくれただろ!」

 

 このあたりでクラス全員の目が生暖かくなった。

 『なんだやっぱり何時もの惚気じゃねーか』と興味を失って戻って行く。

 

 千花の目は「早く折れて止めて下さい!」と訴えていたが、理由が分からないのに頷けない!

 話は平行線を辿って決着はつかなかった!

 

 ◆

 

 その日の放課後が始まるや否や、僕はじっとしていられず、生徒会室に飛び込んだ。

 扉の前には、変な笑顔で俯く、かぐや嬢が居たが、目に入らない。

 

 「どうすれば良いんでしょう……どうすれば良いと思います!? 会長!」

 「お前まで俺に話を持ってくるな! 見ての通り、俺は今、彼から恋愛相談を受けている!」

 「……高等部一惚気が得意な岩傘広報でも、そういうことあるんですね」

 「あるよ! ありまくるよ! 小・中・高と年に一回くらいは喧嘩してんだよ、(つばさ)君!」

 

 生徒会長に話を持ってきたこの男子、クラスメイトの翼氏だった。

 クラスメイトの柏木(かしわぎ)さんが好きらしく、会長へと恋愛相談をしに来たらしい。

 柏木さんって柏木(なぎさ)か。経団連理事のお爺さんと、大手海運会社会長の父を持つVIP生徒の一員。変なヘアピンが好きな、学年ベスト10に入る才女のお嬢様だ。

 また高いハードルを、と思ったが恋は障害が多い程に燃えるという。翼氏も病院の一人息子で将来を期待されていたっけ? 頑張ってくれ。応援する。

 それより千花の事だ。

 

 「別に喧嘩するのは良いんだよ。喧嘩をしない方がおかしいんだ。偶には本音でぶつかるのも大事だから。でも今回は、ぜんっぜん理由が分んないんだよ。僕が悪ければそれは直すし、謝るさ。それは今までもこれからも代わりは無い!」

 「……本音でぶつかるのも大事なんですね」

 「岩傘は良いことを言うな。そう、今までの話を総合するに、その彼女が君に好意を持っているのは間違いない。さっき話した通り、うだうだしてても始まらん。時にはぶつかるのも大事だ」

 

 あれ、なんだこのブーメラン、と会長は引き攣っていた。自覚はあるらしい。

 

 話半分で事情を知る。翼氏は、柏木さんが気になっているが、距離を測りかねている。チョコボール三粒だけのバレンタインプレゼント。『好きな人いるの?』という問いかけ。これらで不安になっていた結果の行動であった。

 

 総合するに、御行氏の助言はそこまで見当違いでも無いと思う。

 少なくとも嫌われてはいない。本当に義理チョコなら、三粒なんていう半端な真似はしないだろう。『翼君はチョコボール三粒でも怒らないよ』と分かっているからこその行動ともとれる。

 僕が捕捉すると、翼氏はより納得したようで立ち上がった。

 

 「分かりました、僕、やってみます……! ありがとうございました!」

 

 翼氏の颯爽とした背中を見送って、僕は改めて御行氏に話を切り出す。

 会長の机の上に寝そべっていた部分は伏せて、大体を説明する。生徒会室で踊っていたこと、それを録画したこと、それを消す消さないで対立していること、と。

 

 「重要なのはですね、録画そのものは今までも何回もしてるってことなんです! 僕がこっそり撮ってるのに気付いて真っ赤になる事はあっても! でも許してくれていました。ヤバイ映像が取れた時は謝って消しています! 向こうも理由を説明してくれます。勿論、記録をコピーして残しておくなんて不誠実な真似もしません。でも今回は違うんですよ……!」

 「……俺よりも、藤原書記に詳しいお前に分らない物が、俺に分かると思うのか?」

 「さっき恋愛百戦錬磨とか呼ばれてたじゃないですか」

 「くっ……」

 

 いや分かってるよ。御行氏がそんなに経験豊富じゃないって事くらい。

 御行氏、確かに女性からの人気はある。しかし同時に、高嶺の華なのも事実だ。

 四宮かぐやという鉄壁のガードが常に見張っているのもあって、直の告白が出来る娘はまず居ない。ラブレターとかバレンタインチョコも貰っているが……そういうのは、鉄壁ガードを通り抜けて行動を起こせない娘ばかりなので、ちょっとずれている。毛が入ってるとか。怖い。

 

 「俺に録画を見せる気もないんだろう? 話を聞いただけでは無理だ。……そもそも本当に理由は録画なのか? 実は別に理由があって、それが録画を契機に不満として噴き出た可能性は無いのか? 例えば………………良い具体例は出てこないが」

 「無いと思いますよ。だって不思議な踊りを見るまで何時も通りでしたし。GWの予定の話も順調でした。理由は踊りにあるのが間違いないんです。これは僕の長年の勘です。今回もきっと可愛い理由でしょう! でもそれが分からないんですって!」

 「惚気るな! もう知らん。自分で解決しろ!」

 

 GWが目前だ。さっきの翼氏も、此処で交際関係に至れれば、長期休暇で何かしらのイベントを起こせる、という考えがあったかもしれない。

 僕にとっても切実だ。旅行の予定を無下にしたくない!

 

 とはいえ、御行氏がかなり蚊帳の外なのは、認めざるを得ない事実。

 千花が『消して下さい!』と言っている以上、僕以外の誰かに踊りを見せて拡散など、以ての外。僕は引き下がって、悲しみを抱えながらPCを弄るしかなかった。

 

 千花が居ない生徒会室はどことなく寂しい。広報の仕事は、書記の仕事と被っている部分も多いので、彼女抜きでも深刻な事態にはならない。だが能率は下がっていた。

 なんとか終わらせて、早々に切り上げる。肌寒い夜道は、心身に殊更に堪えた。

 

 ◆

 

 「と言う訳で、せめて……せめて、千花がラブレターの相手と何処で出会うかとか、探ってくれませんか(ゆう)さん! 千花と口論してから今日まで、全然眠れてないんです。このままラブレター問題まで重なると確実に倒れます……!」

 「…………」

 

 その夜、とうとう僕は家の人間に協力を要請した。

 妹から萌葉ちゃんに頼めないか、と話を持って行った結果

 

『は? 馬鹿じゃない? 口論? どこが? いつも通りじゃん』

 

 とか言われて着火されそうになったので、もう一人の方に頼る事にする。

 彼女は無言で額に手をやって、音を出さずに息を吐いた。

 

 優華(ゆうか)(ゆう)

 三週間に一回、微笑みが見れればラッキーと言うほどの鉄面皮。その一方、家事から護衛まで何でもござれの住み込みお手伝いさん(ブラウニー)だ。アッシュブロンドと琥珀色の瞳が特徴的な美女だが、立派な日本人(正確に言えば子供の頃の帰化人)。

 僕が小学生の頃からこの家で働いてくれている。僕らの車での送迎もこの人だ。

 豊実姉――藤原豊実さんと並んで、姉のように何かと頼りにさせて貰っている。

 僕のお願いに、彼女は、淡々とした声で話をしてくれた。

 

 「……実は、千花様から、伝言は受け取っています。数日前からの事情は、小耳に挟んでいたので。念のために、毎日、連絡を取っておりました。ラブレターの指定日は金曜日――明日ですね。その午後18時。学園の……何と言いましたか、あの七不思議で有名な……幸運の木、でしたか?」

 「……【首吊りの木】ですか!」

 

 秀知院にもオカルトはある。学園七不思議、ベタな奴がある。

 【十三の階段】【夜、誰もいない音楽室でピアノが鳴る】【保健室で骸骨に看病される】【絵画が動く】等々。その内の一つが【首吊りの木】だ。

 その昔『幸運の木』と呼ばれていた中庭の木。しかし首を吊って生徒が自殺して以後、『幸運の木』は【首吊りの木】になった。やがてその伝承は変化し『その場で告白されたカップルは、波乱続きの恋を送ることになる』――と言われている。

 

 なるほど。確かに一見、告白が失敗しそうな伝承に思えるかもしれない。

 しかし真逆に考えれば『告白すれば、波乱続きでも、その関係が継続する』と言う意味にも捉えることが出来る。その為、時折、この場所で告白を行うカップルが居るのも本当だ。

 

 「分かりました。明日、そこに行ってみる事にします。ありがとうございました!」

 「お構いなく。それより、しっかりと寝て下さい。昔から貴方は、睡眠時間が足りないと体調が悪くなるのですから」

 「……はい」

 

 色々あった昔から、この人は家の全般を取り仕切ってくれた。叱られたことも多い。

 素直に助言を聞き入れて、予習だけして休むことにした。

 それでも中々寝付けなかった。

 

 明日18時、か。

 

 ◆

 

 その時間は思ったより早くやって来た。一日の授業を恐るべき集中力――というか、頭からラブレターの問題を引き剥がしたくて、全力で授業に意識を向けた――結果である。

 隣の席の千花は、むー、と不満そうな顔をして、それでも何も言わない。

 彼女がラブレターを貰った話はクラスに伝播していて、僕と彼女の様子は一日中、観察されていた。しかし折れなかった。折れる訳にはいかなかった。

 

 理由も聞かずに、不思議な踊りを消す訳にはいかない!

 ラブレターを出した奴が何者かを確かめないわけにもいかない!

 

 もう此処までくれば意地の張り合いだ。僕の並々ならぬ眼力に飲まれたのか、時折、授業の問題を回答するように指摘する教員の顔が、若干困惑しているほどだった。

 授業が終わり、僕は即座に行動を開始した。中庭が見える位置に陣取って、時計を見る。なんか観客も多いようだが、僕は気にしなかった。生憎、今日は曇り空、告白に相応しいシチュエーションでは断じてない。御行氏には18時まで生徒会には行きません、と伝えてある。

 

 「何時でも来い……!」

 

 今日は冷える。微かに白い息を吐いて、僕はじっと待った。

 時計の針が17時を指した。告白するような人間だ。ちょっとくらい早くやってくる可能性は高い。じっと中庭を見つめる。死角もない。誰もいない。まだ来ない。

 

 「……もう少し……!」

 

 17時40分を回った。流石に僕がずーっと中庭を見ていると、周囲の野次馬も遠慮する。大っぴらに見えていた生徒は消え、僅かに教室や廊下の隙間から伺うだけ。それも大半が男子だ。

 

 そも僕と千花の関係は周知の事実。御行氏とかぐや嬢の告白ならまだしも、この野次馬が期待しているのは「僕がどんな風に動くか」と「僕と千花の関係に誰か追加されるのか」という部分だ。繰り返すが千花は人気がある。一足先に動き出したライバルが誰か、気にする男は多い。

 

 クラスメイトは『いや、その告白とか絶対無理だろ。行く意味ないぞ。喧嘩とかしてないし』と口を揃えて首を横に振っていたが、説明も馬鹿らしいと思ったのか、誰も外へのフォローはしてくれなかった。

 

 「……来ないな……、いや、まだわからん……」

 

 すっかり体が冷え込んだが、僕はまだじっとしていた。17時56分。もう4分だ。

 かちり、長針が一歩進んだ時、千花がやって来た。中庭に姿を見せる。僕は咄嗟に隠れた。

 

 あと3分。時計を確認する。千花は、と言えば木を確認しながら周囲をぐるっと観察している。ラブレターの相手が来ていない、と把握しているのだろうか?

 

 あと2分。僕の足はガクガクだった。風通しが良い校舎の影に隠れたせいで、余計に寒い。緊張で変な汗も出てきている。……何も起きない。起きていないのだ。

 

 あと1分。そこからは1秒が長く感じられた。だが何も起きない。1秒が10秒になり30秒になり、やがて一周する。18時。約束の時間。

 

 誰も、来ない。

 我慢の限界である。

 

 「――……()()()()()!」

 

 思わず身を乗り出して、うんと昔に呼んでいた呼び方で、彼女を呼んでいた。

 僕の言葉に、千花は此方を振り向き、無言でラブレターを取り出す。

 そして――。

 

 それを破った。

 びりびり、と。

 その紙片を見る。文字は――書かれていない。

 たったの一文字も書かれていない。

 

 「…………はい?」

 

 ……もしや、と此処に来て思った。

 もしや、そういうことなのか!?

 まさか……!!

 

 「…………や、や、やられたああ……っ!! 千花、くっそ――お前えええ!」

 

 全てを理解して、僕は地団太を踏んだ。

 千花はしてやったりと満足気だ。

 

 「やっぱり来てくれましたっ! もう本当、来なかったら泣いてましたよ!? 絶対に伝わると思ってましたもん。此処まで強情なのは予想外でしたけど! ずっとふくれっ面を維持するの、ほんっとうに大変だったんですからね!?」

 「千花の計画通りかよ! さては昨日の朝、自分で自分の下駄箱に投函したな!? そっから一日で僕が動くことを読んだな!? 憂さんと会話したのも仕込みだな……!?」

 「にへへへー、そうですよ?」

 

 にへへ、と笑う千花であった。

 そのまま僕に近寄って、ぎゅーとハグになる。僕は問答無用でハグを返した。

 ああ、そういや観客が居たんだっけ? まあいいや。どうも男子は全員、恨みがましい目で呪っているようだが、知るか。このやろうー! と言いながら千花を捕まえる。

 

 落差があった分、もうテンションがやばいことになっていた。

 マジ心臓に悪い。くっそ、僕がこの状態になれば千花からの攻撃を回避できなくなると知ってたな!? ぐぬぬと歯噛みしながら、負けを認める。負けだ!

 

 「分かった。僕の負けだ。動画は消す! 消すけど、理由を聞かせてくれ。なんであんなに、強硬に消してほしいってお願いしたんだよ」

 「……だって、だって、だってですよ!」

 

 彼女は、恥ずかしそうな顔で俯くと、小声で呟いた。

 

 「生徒会メンバーの名前を上げる時、語呂の良さを考えて、特別な人で除外したら……」

 

 会長とかぐやさん、石上君と、書記の千花。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「消して欲しーじゃないですかあ! 名前を呼んでないんですよ!? 他の皆を入れてるのに、いーちゃんの名前に触れてない踊りを保存されるんです! そんなの嫌です!」

 「…………ぐ、っ、くぅ……!」

 

 破壊力は大きかった。今回も可愛い理由に違いない、と思ってたら!

 やっぱり理由が可愛い過ぎる!

 

 これが何日も焦らした後での計画なら怒りが沸くかもしれないが、僕が翻弄されたのはたった三日。しかも険悪だった訳じゃない。互いの好意がぶれた訳でもない。

 

 教室でずっと会話してたしな!

 理由を説明するために、僕を呼び出す工夫までしてきた。

 恨みようがねえ。怒る気概がある訳ない。

 

 「……分かった。じゃあ、妥協案だ。あの動画は消す。その代わり――もう一回、録画させてくれ。誰かの名前を入れないで良いから! 頼む」

 「もー、しょうがないので、踊ってあげます。いーちゃんの家で良いですね?」

 

 僕の言葉に、千花は、言葉とは裏腹に晴れやかな笑顔。

 

 かくして僕の秘蔵フォルダに、一つ動画が増えたのであった。

 くしゃみと咳をしながら動画を連続再生する自分は、はっきり言ってアレだったかもしれない。




優華(ゆうか)(ゆう) → 優or憂+華 → 優曇華(うどんげ)

由来は『今昔物語集』「竹取説話」より。
此方では、かぐや姫は『優曇華の花』ともう2品『雷』と『太鼓』を要求している。


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幕間:忠犬ペスはじゃれつきたい

偶にはのんびりした惚気も良いよね。


 夫婦喧嘩は犬も食わぬ、という言葉がある。

 世間一般で言えば、吾輩は犬だ。吾輩が夫婦喧嘩を食べたいかと言えば否である。

 しかし真面目なことを言えば、喧嘩でなくとも、甘ったるい空気を食べようとは思わぬ。別に人間同士の恋愛は吾輩には関係がないこと――しかし、互いの求愛行動というのは本能的に理解できるのだ。そこに横槍を入れるほど、吾輩、無粋ではない。

 

 「はあぁ……良いお湯ですねえ……」

 「そうだね。……なんでこうなってるの?」

 「いーちゃんはまだ療養中で、一人だと倒れるかもしれないくらい元気が無いからです。それに良いじゃないですか。互いに水着ですよー? スパとか温水プールだと思いましょうよー?」

 「……僕の記憶の中にある、買った水着と随分違うんだけど」

 「追加で買ったんですよー。えへへ、似合いますかー?」

 

 無粋では無いと言ったが、興味がないわけではない。のそりと動いて、無言で浴場に顔を出す。

 器用に前足と鼻を使い、浴室への扉を開けると、そこでは主様:千花殿と、調殿が居た。

 二人で仲良く湯船に並んでいた。ああ、無論、水の中で着る服は身に着けていた。調殿は良く見る……男性用の、余りラインが鋭くない水着。対して、我が主様と言えば……。

 

 「ギリギリ過ぎる……。それ、本気で着る気だった……?」

 「……えっと。…………はい、です」

 「二人きりの時に……?」

 「…………そう、です、よ?」

 「まあ、シチュエーションとしては今も似たようなもんだね」

 「ですよねえ! あー良かった! ちょっと怒られるかとドキドキだったんです。勇気出して良かったです。似合ってますか?」

 「うん。似合ってる。とても可愛い。抱きしめたい。ちょっと気力ないけど」

 

 人間の言葉で言えば「割と過激」という言葉が似合う意匠であった。

 胸部と臀部を布で覆っているのは確かだ。それを細い紐で結んで止めている。それだけなら未だセーフかもしれぬ。しかし脇から側面までがメッシュ状になっていて素肌が見え隠れしている。加えて上半身、布一枚ではなく、二枚を横に並べる形で、胸部を隠している形だ。つまり膨らみの間、谷間が見えている。

 我が主のスタイルが恵まれていることは知っていたが……。

 

 これは調殿も若干――興奮? 困惑? するのも無理は無かろう。

 そこまで考え、果てと吾輩、思った。

 

 ――長期休暇で、どこぞに出かけるという話は、どうなったのだろうか?

 

 「ペスー、駄目ですよ、そのまま入って来ちゃ。明日にでも洗ってあげますからねー。さ、いーちゃん、立って下さい。まだ病み上がりで、歩くのもフラフラしてるんですからね? これは介護、これは看病、だから気にせず、身を任せて下さい」

 「なんでワキワキと手を動かしてるのか気になるけど、お願いする……」

 「うえっへっへっへ、兄ちゃん良い身体してるじゃねーかって事です! 洗ってあげます。遠慮せず甘えて良いんですよ今日は。いーちゃんが無理なら、私からぎゅーってしてあげますね」

 

 ははあ、と吾輩は悟った。そういえば数日、千花殿は家を空けていた。夜になれば戻ってきていたようだが、その間、どうやら調殿は病で臥せっていたらしい。

 今も本調子ではなく、千花殿が面倒を見ている、と言う事か。納得した。

 では邪魔するのも悪い。吾輩は静かに風呂場を出た。

 

 「一緒に入るまでならプール扱いでセーフだけど、それ以上は不味いと思うな……」

 「いーちゃんは、私に看病させてくれないんですか……? 私のせいで風邪ひいたから、私が治るまで付きっきりで面倒を見てあげようと思ったのに、それが嫌なんですね……? まだ歩くのも難儀なのに……。ぐすんぐすん……迷惑だったんですね……しくしく……」

 「……オーケイ、分かった、分かったよ……。普通にお願いする」

 

 わあい、と即座に涙を消して喜ぶ我が主。根っこが世話焼き気質な千花殿だ。

 余分な体力がない調殿が、全力で甘えてくるのが嬉しいのだろう。会話があっちに飛びこっちに飛び、藤原千花節が全開である。平たく言ってテンションがおかしい。舞い上がっているにも程がある。まあらしいといえばらしいのだろうか?

 ……吾輩、聞いていて段々、虚しさを覚えてきた。寝よう。

 

 「普通ってどういうのです? ああ、いーちゃんの秘密の本棚に隠れてる中にあった、タオルを使わないでやるようなのですー? してみますかー?」

 「やんないで良い。そういうの、言うっん“、……けほけほっ、……言うなって」

 「きゃっ、私、このまま、いーちゃんに襲われてしまうんでしょうか……。熱で理性が飛び、限界を迎えてケダモノになったいーちゃん、それに抵抗しきれない私、二人は大人の階段を……」

 「昇らない。元気な時でも、まだ勇気無いんだから。……っくし」

 「ほら言わんこっちゃありません。まだ熱下がりきってないんですよ。素直に私に従ってくださいね。病人の意見は聞きませんー。イチャイチャするのは元気になってからです」

 「すっげえツッコミ入れたい」

 

 誘っているのか母性に溢れているのか惚気ているのか、あるいはその全部か。

 千花殿は、気遣いつつも調殿を誘導していく。調殿は、口でこそ咎めているが、それだけだ。

 千花殿の看病に感謝して、心身がリラックスしているのは先ほどの一瞬で良く分かった。

 二人の会話は、あれくらいで丁度良いのだろう。

 今日は、与えられた部屋で寝るのは止めだ。少々、悪戯をするとする。

 廊下を歩き、さる部屋の扉の前で体を丸めて、横になる事にした。

 

 ◆

 

 吾輩は犬である。名前はペス。藤原家に買われている由緒正しき忠犬である。

 種類は知らない。出自も知らない。実は吾輩、血統種に見えて雑種であり、レトリーバーなのかテリーなのかハウンドなのか定かではないのだ。表向き、適当な血統種という札を掛けて貰っているが、これは一種のカバー。吾輩が蔑まれる事の無いように、という主様達の配慮である。

 

 雑種とはいえ賢く礼儀正しい吾輩を、藤原家の皆は「血統種じゃないから嫌です」とは言わず、毎日丁重に可愛がってくれている。

 食事、睡眠、運動、ブラッシング、住居、掃除まで。吾輩は感謝の雨である。

 吾輩の主様、藤原千花は、このところ毎朝、ランニングをしているが、その際に護衛として同行し走る事も多い。実に健康的で恵まれた生活をしていると言えよう。

 

 自慢ではないが吾輩、かなり毛並みが良い。目付きは悪いと言われるが、それが逆に番犬としての威厳をなしていると考えている。そも飼い主の皆さまは、そんな自分のもふもふ具合を堪能されているようで、寒い日に足元にすり寄って身体を擦ると、毛並みと体温で悶絶してくれる。

 犬の本願、叶ったりと言う事だ。

 

 さて、そんな吾輩であるが、実は藤原家以外にも、もう一人の主人が居る。

 名前を、岩傘調。

 吾輩にとって忘れてはならぬ、恩人であるのだ。

 彼が居なかったら吾輩は、今頃どこかの路地裏で悲しく息を引き取っていただろう。

 

 昔の話である。

 

 ◆

 

 吾輩、生まれと育ちが何処であったのか、覚えておらぬ。見た目的に言えば、親はさぞ立派だったのだろう。しかし如何なる経緯か、吾輩は路上生活を余儀なくされた。

 例えばこう……飼い主に不慮の事態があって、吾輩を飼う余裕がなくなったとか。もっと単純に邪魔だったから捨てられたとか。……今となっては経緯も分らぬ理由が、色々あったのだろうが、やっと四肢が動いたばかりの、幼い吾輩は悲しく路上を歩いていた。

 

 理由を追求する前に、食事と寝床が必要だった。

 その頃は今ほど、いわゆる野良犬への締め付けが厳しくなかったのもあって、何とか保健所の追っ手に捕まることなく過ごせていた。小さく幼かったが故、隠れる場所も多かったし、食事も僅かで足りたのだ。

 

 しかしそれでも限界は来る。吾輩は限界を迎えていた。

 何とか食糧の多そうな、高級な住宅街へと夜間の間に足を踏み入れ、警戒が薄そうな家へ潜り込んだ。朝になって発見されれば追い払われるだろう。そのまま逃がされれば御の字、捕まって処理されるか、保健所に送られて殺処分されるか……、そんなことを考えても、どうしようもないくらい吾輩、疲れて動けなかったのである。

 

 朝になった。

 

 吾輩は、ぬるま湯の中に浸かっていた。

 人肌より少し高いくらいの温度の中、吾輩をすっぽりと入れる底の浅い桶の中、丁寧に汚れを洗われている。吾輩が目を開けて動いたのを気付いたらしく、湯に入れていた者達が声を上げる。

 

 「いーちゃんいーちゃん! 目を覚ましましたー! 良かった、元気ですよ!」

 「いや、元気じゃないと思うよ、ちーちゃん。お湯を替えて、もうちょっと汚れを落としてあげよ。今、憂さんにドックフードを、買ってきてもらっているから、それまでに、乾かさなきゃ」

 

 吾輩の目に映ったのは、まだ小学生の低学年くらいの男子と女子であった。

 片方は髪を伸ばして、片方はちょっと眉間にしわをよせている。互いに素足で、袖を捲っている。此処は風呂場であった。シャワーの音がして、微かな石鹸の匂いと共に、吾輩の身体を湯が流れていく。

 その感覚がこそばゆく、吾輩は思わず身動きする。

 

 「あ、ダメですよー! もう、お湯が撥ねちゃうじゃないですか!」

 「代わる。ちーちゃん。あんまり濡れるとお父さんたちにばれるよ」

 「その時は一緒にお風呂入ったとでも言いますねー」

 「無理あるよ! だんじょななさいにして……なんとかって言葉あるもん。僕もちーちゃんも、もう9歳。怒られるからね?」

 「……でも、いーちゃんが一緒に怒られてくれるなら、私大丈夫ですよ?」

 「その言い方は、ひきょーじゃないかな!」

 

 言いながら、吾輩の洗い担当は男子の方に変わった。

 四苦八苦しながらも、吾輩を壊さないように、丁寧に丁寧に汚れを落としていく。

 

 「危なかったんだぞお前。千花の家の庭で蹲ってて、見つけたのが、千花と、豊豊実(ねぇ)じゃなかったら、追い払われてたか、死んでたんだ」

 

 男子はぶつぶつ言いながら、頬を膨らませているような顔で、続ける。

 

 ――それって、悲しいんだ、と。

 

 ……何かしら、思う事があるのか。言いながらも男子は吾輩を洗い終わり、乾いた温かい布で水気をふきとっていく。やがて全身を綺麗に布に包まれた吾輩は、そのまま隣の部屋へと連行された。どうやら濡れた服を着替えたらしい女子が、とててっと近寄って来る。

 

 「ちーちゃん、それ僕の制服のワイシャツでしょ。なんで着てるのさ」

 「えー、だっててきとーな奴がなかったんです」

 「……まあ、しょうがない、のかな……」

 「はい、しょーがないんです」

 

 頷きながら彼女は言った。

 

 「いーちゃん以外の子供、この家には居ないんですから」

 

 それに「いーちゃん」は息を吐いて。

 

 「そうだけどさぁ。もうちょっと前のボタンとか、留めてよ。さきっちょ見えそう」

 「あ、見たいですか? 見たいですかー? うりうりーいーちゃんのエッチ!」

 「……言ったな?」

 「へ?」

 「じゃあ、見たいって言ったら見せてくれる?」

 「あ、えーっと……。……えーっと……えと、あの……その……(ちょ、ちょっとなら)……」

 「照れるなら言わなければ良いのに」

 

 吾輩、一瞬「イラッ」とした。多分、生まれて初めての苛立ちであった。

 そんなことは露知らず、男子は、吾輩を、段ボールの箱の中に入れた。若干、顔が赤い。彼も恥ずかしかったらしい。

 箱には既に毛布が敷かれていて、小さな皿に水が注がれている。

 

 「あ、水、ぺろって飲みましたよ……。元気になってくれそうですよー! やりましたー!」

 「ん、そうだね。良かった」

 

 わあい、と言いながらじゃれ合う二人の前。吾輩が暫しの時間、ゆっくりと水を舐めていると、部屋の扉を開けて、一人の女性が顔を出した。

 

 立ち振る舞いに隙が無い、すらりとした女性。髪も目も二人と違う。

 海を越えた先の国の生まれだろうか。二人とは年齢が、十くらい離れているようだが、まだ若く、学生服だ。彼女はコンビニ袋を置いて、調達してきたらしいドックフードを慣れた手つきで別の皿に開け、吾輩の前に差し出す。

 

 「憂さん、ありがとうございます」

 

 憂、と呼ばれた女性は、「いーちゃん」と呼ばれていた男子の言葉に、お構いなく、と返す。吾輩、彼女はこの家の家政婦か、お手伝いか何かなのだろうと判断をする。

 

 目の前に食事が置かれ、吾輩は無性に空腹を実感した。そういえば数日、何も食べていなかったことを思い出したのだ。にわかに沸き立った食欲に押され、食事にかぶりつく。

 決して高級ではなかったが、吾輩にはこれ以上のない、馳走であった。

 その吾輩の食べっぷりに「ちーちゃん」は目をキラキラと輝かせて喜んでいた。

 

 「食べましたよ! 食べました可愛いー! ちょっと目付きが悪いのにご飯に抗えてないのがぐっどです。いーちゃんいーちゃん、写真! 写真、とりましょう!」

 「はしゃがないで、ちーちゃん、まあ可愛いけど」

 「ぱしゃり」

 

 無言で、憂と呼ばれた女性はシャッターを切った。

 食べ終わった吾輩は、やがて眠くなっていることに気づいた。暖かく、満腹で、何も苦痛がない。安心感に包まれ、瞼が重くなっていったのだ。吾輩の処遇に関する話を始めたようだが、それは聞こえなくなっていく。

 ――吾輩は、癒されたのだ。

 

 ◆

 

 目が覚めた時、そこはキャリーケースの中であった。

 車に揺られているらしい。ケースを抱えているのは「ちーちゃん」で、付き合うように隣に座っているのは「いーちゃん」だ。

 「憂さん」が運転している車の後部座席に、仲良く並んで座っている。

 吾輩は、此処で不安になった。この後、どうなるのか、と。

 

 「だいじょーぶですよー。いーちゃんが、おとー様を説得してくれたんです」

 「説得は、してない。ただお願いしただけだもん。豊実姉にもお願いした。一番にお願いしてたのは、そっち」

 「えー、良いじゃないですか、そこは、いーちゃんの手腕ってことでー」

 「……ぼくの手腕じゃないよ。僕は、頭を下げただけだもん」

 「もう、いーちゃんは分かってませんねー」

 

 おしゃまな「ちーちゃん」は、にこにこしながら話す。

 

 「お父様に、面と向かって、おねがいします、って言えるのはすごいんですよ?」

 「……そうかな」

 「そうです。だから私も、一緒におねがいできました」

 「そんなことないと思うけど。ちーちゃんがおねがいしたからだよ」

 「一緒におねがいをーしてくれたのが、嬉しいんですー!」

 

 彼女はわかってませんねえ、と「いーちゃん」を突きながら続けた。

 

 「私が何かあった時、いーちゃんは、いっしょけんめいになってくれます。自分じゃむりだーって分かると、他の人に助けを呼んでくれます。豊お姉ちゃんを呼んでくれて、憂さんを呼んでくれて、色々やってくれました。……何があっても逃げないで、がんばってくれます。例え、お父様が相手でも、自分の意見を言って、まっすぐに、おねがいをしてくれます。私は、それを見ると、嬉しいし、がんばろーって思えるんですよ」

 「……やっぱり、ずるい言い方する」

 「えへへ、でも本当ですよ。だから、がんばりすぎないでね?」

 

 ここまで聞いて、吾輩は理解した。

 吾輩、どうやらちーちゃんと呼ばれた彼女の家に引き取られるらしい。

 渋っていた彼女の父上を、この二人が頑張って頼み込んだようなのだ。

 

 「それにですね、考えてもみてくださいよー、ペスはこれから我が家に住みます。でもそれじゃあ、いーちゃんの顔を忘れちゃいますよ。だからちゃーんと教えてあげるんです、いーちゃんもペスを助けるのに手伝ってくれたんですよーって」

 「……まあ、良いけど」

 「はい。そしてですね、どんどんウチに来てください! ペスが顔を忘れないように!」

 「……ぜんしょするよ」

 

 車が大きな家に停車する。降りた吾輩は、ケースの隙間から、それを見た。

 吾輩のケースを抱えたまま「ちーちゃん」が躍る。視界が回転して、ちょっと気持ちが悪くなったが、しかし悪い気分ではなかった。その理由は、何よりも先ほど聞いた、言葉があったからであろう。

 

 ――ペス。

 それが吾輩の名前であった。

 この日から吾輩は、藤原家の一員となった。

 

 ◆

 

 「いーちゃん」と呼ばれていた男子は、その後もずっと藤原家、吾輩の主の家にやって来た。

 男子ということで、少々の遠慮はあるようだが、出会う度に成長をしていくのは、吾輩だけではなく、彼も同じであった。

 

 彼の本名が、岩傘調というのも知った。

 

 流石に小学年の後半ともなれば、互いに照れや気恥ずかしさがあったらしく、彼が主様を「ちーちゃん」と呼ぶことは減った。藤原さんと呼ぶか、千花と呼び捨てにするか……。

 関係が徐々に成熟したものに変わっていくのも、感じていた。

 

 許嫁という言葉の意味は分からないが、どうやら周囲は、千花殿と調殿を(つがい)にしようと考えているらしい。その提案に関して、二人は受け入れつつも、悩んだり、喧嘩をしたりと繰り返しているが、それでも基本は前向きで、互いに好意を寄せている。

 であれば、吾輩、何も言う事は無いのである。

 

 「お前、なんというか、育ったなあ……」

 

 そこまで、夢見心地で回想した吾輩は、ふと意識を戻す。

 廊下の真ん中で眠っていたのである。声で目を開けた。

 入浴から上がってきたらしい調殿が居る。眠いが、少し顔を上げて、小さく吠えてやる。

 

 なるほど。確かに調殿は、本調子とは程遠いようだ。顔色が悪く、風呂上がりを差し引いても体温が高い。汗が止まっておらず、どことなく呼吸も荒れている。微かに喉を鳴らしているのは、扁桃腺が腫れているからだろう。

 再び納得をした。この病のせいで、長期休暇(ごおるでんういーく)とやらに旅行に、行けなくなったのだろう。

 無言で身を寄せて、体温を伝える。

 

 「ん、なんだ。ペス。その巨体で迫られると、結構威圧感あるぞ」

 

 あれから……今まで、7年か8年くらいであろうか?

 彼はすっかり立派な青年になっていた。千花殿より背が高く伸び、意外と体格も良い。時折ずれを直す眼鏡に愛嬌がある。

 

 吾輩も大分、年を経た。まだまだ元気な時期とはいえ、もう何年かすれば老境である。幸いにも妻が出来て、子供も生まれた。妻には先立たれ、若い子達は別の家に引き取られていった。子達の主は、千花殿たちがきちんと厳選した。彼らは元気でやっている事だろう。

 

 吾輩、恩人たちが居るから、余り寂しくはない。

 藤原千花と、岩傘調は、恩人だ。大恩人だ。猫は、祟るとも、恩を忘れないともいうが、犬とて同じこと。あの時、千花殿と調殿が居なかったら、吾輩はペスではなかったのだ。

 故に感謝の気持ちを込めて、吾輩は調殿に甘えるのだ。

 彼はちょっと重いな、と言いながらも、吾輩をどけることは無かった。

 

 思う。この先もこうして過ごせればいいのにと。

 吾輩は、千花殿と調殿に、じゃれつきたいのである。

 

 ◆

 

 「なんかペスが部屋の前を塞いでて、寝室に入れないんだけど……」

 「あらら、これは困りましたねー。よし、じゃあ一緒の部屋で寝ましょう?」

 「……風邪を移したくない」

 「看病に私が居ないと困るじゃないですか。それに移ったら治るって聞きますよ。今の私は元気ですから! お任せあれ、です! ……嫌ですか?」

 「分かったよ。じゃあこっちから誘う」

 

 何度も問いかけられて、ちょっとやり返したくなったらしい。

 熱で若干、性格が変わっているのもあるのか、割と強気の命令口調だ。

 

 「藤原千花、寒いから暖房器具になって」

 「……はい……はぃ……」

 

 千花殿は頬を染めて俯いてしまった。

 吾輩、狸のように寝たふりをして様子を伺っていた。

 結局そのまま、二人は同じ部屋に入って行く。

 

 翌朝。

 嗅覚で吾輩は感じ取った。

 

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 それこそ、子供が仲良く昼寝をするように一緒の布団で寝ただけであろう。

 進展しているのかしていないのか、良く分からない二人である。

 いや、この場合、調殿が「へたれ」なのだろうか?

 

 まあいい。この先も機会はあろう。

 吾輩は、今日も、主たちにじゃれつきに行く。




次回:調視点での、GW序盤の話。


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一学期:挑戦する日々
岩傘調は甘えたい


気合を入れて書いたら過去最長になってしまいました。
日間ランキングを見て驚いた。応援ありがとうございます。


 一線を超えるタイミングというのは、実はちょこちょこ日常に転がっているらしい。

 GW(ゴールデンウィーク)。そのとある一日にて。岩傘家のベッドにて、丁度、押し倒される格好になった二人が居た。勿論片方は僕、岩傘調。もう片方も、勿論、藤原千花だ。

 僕の息が荒い。微かに汗を掻いているのが分かる。真新しいシーツの上、僕は上半身に何も着込んでおらず、ともすればこのまま脱力してしまいかねない状態だった。

 

 どうしてこうなったんだっけ?

 

 床には色々な雑誌、漫画、単行本が散乱している。その何れも、肌色の占める面積が多い、可愛いまたは美しく――そして非常に煽情的に描かれた少女達が飾る表紙だ。所謂エロ本である。

 そう、これを千花が見つけて……。

 霞が掛かったように、ぼんやりと思考をする。

 そう、あれは確かGWの前日に遡る……。

 

 ◆

 

 予兆は、あったのだ。

 今年のGWは、金土日を三連休があり、その後月火水木が平日四日間を挟んだ後、金土日が再び三連休。月曜日を挟んで、火水木が三連休。金曜日を挟んで土日が二連休だ。

 三日休み・四日平日・三日休み・一日平日・三日休み・一日平日・二日休み。

 で、世間では最初の「四日平日」だけは通常運転が多い。岩傘、藤原両家の父親も、四日平日を纏めて休むわけには立場上行かず、旅行そのものは後ろ十日間に決定した。

 我が秀知院も、世間の企業と同じく、GWの開始は四日平日の後……つまり4月29日から。

 

 この最後の平日:四日間、僕は妙に調子が悪かった。

 毎日普通に過ごすが、なんかこう……違和感があった。

 千花が居ない間、若干能率が落ちた分のタスク回収を急いでいる時も、今一、振るわなかった。

 

 千花と会話が減って僕が寝付けなくなったのは、この先週の月曜日。

 

 憂さんの言葉通り、僕はかなりのロングスリーパー体質で、どんな時も睡眠時間をしっかりとらないと体調を崩す。流石に高校生にもなると徹夜一日くらいならセーフだが、初等部の頃など、徹夜をしたら必ず翌日は動けなかったくらい、睡眠時間を身体が欲してしまう。

 超ショートスリーパー型の御行氏の事はかなり羨ましい。とにかく僕は寝不足で、体の免疫機能は低下していたし、自律神経もちょっと乱れていた。

 

 次に、気の緩みがあった。ラブレター騒動は千花の自作自演だったわけだが、それはかなり僕の精神に負担をかけていて、千花とハグしてテンションが上がったあの瞬間、身体のセーフティ機能がちょっと緩んだ。

 

 最後に環境があった。四月とはいえあの日は最低気温に近く、しかも夜の手前。僕は長時間、曇った寒空の下で様子を伺っており、しかも待機場所は日陰&風通しが良いという二重コンボ。

 

 その影響が遂に出たのは、GWが目前の水曜日だ。

 僕は見事に風邪を引いた。金曜日からGWでバカンスだというのに、風邪を引いた。

 

 ちょっとの微熱なら無理やり着いて行っただろう。

 だが39度近い高熱となれば話は別。如何に座席がファーストクラスとは言え乗客に迷惑だし、向こうに付いても観光出来ず寝ているだけ。下手したら悪化まである。事実、今日まで僕は高熱が続き、仮に飛行機に乗っていたら間違いなくアウトだった。

 病院の医者曰く『重症ですが風邪ですね』。

 薬を貰い、点滴を受け、僕は只管に寝込んだのである。

 

 僕に気を使い『バカンスはまた今度にしよう』と大地さん万穂(まほ)さん(こちらを紹介するのは初めてかな。千花のお母様だ)は提案してくれたのだが、それは断った。子供達だけで旅行に行くならまだしも、我が家も藤原家も、親は多忙な身。夫婦揃っての旅行すら年明けを抜けば今年初というレベル。頑張ってスケジュールを調整してくれたのに申し訳が立たない。

 

 豊美さん萌葉ちゃん+僕の妹も楽しみにしていた。『圭ちゃんも一緒なら良かったね』とまでいう始末。お前らそれ、かぐや嬢の耳には間違っても入れるなよ? 俺が怒られるからな?

 キャンセル料金くらいは負担するのに問題無い富裕層だが、時間は金では買えないのだ。

 お土産、期待しています――と僕は笑顔で(若干熱で壊れていたのは否定しない)送り出した。

 

 とはいえ、全部が全部、不幸と言う訳ではない。

 

 「あ、いーちゃん、起きましたか? 何か食べれますかー?」

 

 千花が、僕の看病に残ってくれたのだ。

 僕が風邪を引いた事に若干負い目を感じている様子。気にしないで良いのに、と言ったのだが、千花が気にすると主張。ならば……と看病をお願いすることにした。

 猫の手も借りたかったのは、本当だ。

 

 今、この家には、僕と彼女の二人しかいないのである。

 

 ◆

 

 藤原家は我が家より何倍も広いので、留守を預かる使用人さんが居る。

 そして実は、藤原家は我が家の隣家だ。

 学園での席は隣だが、家も隣同士。付属幼稚園通いの頃は、庭を経由して遊びに行っていた。

 敷地や立地、間取りの関係上、車で移動するとぐるっと周囲を大回りするのでちょっと時間が掛かるが、互いの庭を突っ切れば二分掛からない。走れば三十秒だ。公道に出る必要すらなく、安全に往復が出来てしまう。それでも不安なら藤原家の警備員さんを呼んで、敷地の境界線まで来て貰えば完璧だ。

 

 ……僕は今回、だからこそ安心して、彼女の看病に甘える事にした。

 数分の場所に彼女の家があるからこそ、彼女を心配せずに世話になれる。

 

 向こうの使用人の皆さんは、大地さん万穂さんの影響を受けて、千花がこっちに出入りするのを当然のように受け取っているし、僕が訪ねて行っても何時でも歓迎ムード。

 看病と言う名目で、僕の家に泊って行っても、笑顔で送り出すような人々である。

 次女の貞操の心配も、あんまりしていないらしい。僕が手を出したら絶対に責任を取ると承知しているからだろう。

 

 「起きれますか? 熱、まだ結構、あるみたいですね……」

 「……熱は、まだ、大丈夫。……喉が痛くて会話が辛いのと……。関節にキてる……、ぅっ」

 

 返事をした瞬間、喉の痛みで涙が出た。頭痛そのものはまだ我慢できる。だが扁桃腺が真っ赤で、食事は疎か、水を飲むのも苦労する程に痛い。

 肘、膝、腰、肩などの疼痛も酷い。身を起こすのに気合が必要だった。

 千花の手を借りて、上半身を起こす。怠い。重い。動きたくない。

 

 「汗びっしょりです……動けますか? シーツ、交換します。寝巻きも替えた方が良いですね。ちょっと待って下さい、今、服の準備をしますからね」

 「……ん、御免、お願い……」

 「はい。じゃあ、ちょっと椅子まで行きましょう。肩貸しますよー」

 

 藤原千花は、意外と母性的だ。困る子供にこそ保護欲をそそられるタイプ。

 情けないが歩くのも辛い。千花に肩を借りて、近くの椅子に腰かける。ベッドの傍らに置いてあったペットボトルのスポーツ飲料は温くなっていた。どうもかなりの時間、寝ていたらしい。

 

 時刻を見れば、もう16時を回っていた。

 窓から差し込んでいた日差しは、朝ではなく夕方の西日だった。――寝込んだのが昨日の……何時だっけ? 何回か目を覚ましてトイレに立った記憶があるような、無いような。寝ていたのか、呻いていたのかも、覚えていない。

 

 僕がぼんやりしてる間に、千花は手早く動いていた。

 ベットからシーツを剥ぎ取り、新しいシーツに交換。同じように汗で濡れた枕カバーも交換。寝床を整え終わると、そのまま勝手知ったる僕の箪笥を漁り、新しい寝間着と下着を引っ張り出す。最後のはどうなんだ……と思ったが、突っ込む余力もない。

 

 「憂さんから聞いておいたんです。安心してください、私は家事とか得意ですから」

 「……分かった……、お任せする……」

 「あーこれ、かんっぜんにダメですね。何時もならもっと気力ある返事があります」

 

 憂さんの手で綺麗にアイロン掛けされていた寝巻と下着を取り出すと、千花は一回、シーツを抱えて外に出て行った。足音と物音から洗濯機に向かったのだろう。

 そしてすぐに戻って来る。戻って来た千花の手には、お湯の入った洗面器と、タオルが抱えられていた。……何をしたいのか察したが、逆らう気力は無い。自分で風呂に入る元気も無い。

 

 「……昔、こういうこと、あったよね。……ペスの時……」

 「ありましたねー、……あの頃から、いーちゃんは変わってません」

 「……育ってないかな?」

 「そういう意味じゃないですよ。ベタな反応、しないで下さいってば、もう」

 

 ぺしぺし、素肌を叩く彼女のツッコミも心なしか穏やかだ。

 

 「頑張ると無理するタイプなんですから。……ごめんなさい、無理、させちゃいました」

 「……貸し一つ。……今度、どっかで返して。それで良いよ。……僕は千花が、自分を責めるところとか、見たくないから」

 

 上半身を脱ぎながら(脱がされながら)、ふと思い出す。何年前だっけ、小学校の低学年の頃だから……七年?八年?……そのくらい……だな。その時も、こんな事をやっていた。

 かなり汗でべた付くシャツを脱がされた後、ぎゅっとタオルが絞られた。そしてそのまま首、背中、脇腹と拭かれていく。その手付きがに迷いがない。思わず尋ねる。

 

 「……恥ずかしくない?」

 「恥ずかしいですよー……。でも、……こう……なんというか、こそばゆい、って言うんでしょうか。何時もみたいな熱い感じのラブじゃなくて……、……じんわり来る感じのラブです」

 「分かる気がする。……前は、自分でやるよ、貸して?」

 「はい。下も自分でお願いしますね。――と、誰か来たようです。出てきます」

 

 リンゴーン、とチャイムの音が鳴った。知り合いの殆どは、僕がバカンスに行っていると思っている筈だ。となると宅配便とか営業とか、そういう奴だろうか……?

 何時もより四半減くらいで回っている思考で、必至に手を動かす。何とか着替えが終わり、真新しい衣装で、綺麗なシーツに倒れこんだのと、自室のノック音がしたのはほぼ同時だった。

 

 「空いてるよ……、着替え終わったよ千花……、……………じゃ、……ないね」

 「ああ。寝込んだって聞いたから、見舞いに来た。邪魔するぞ?」

 

 ポカリと喉飴が入ったコンビニ袋を差し出してくれたのは、我らが生徒会長だった。

 

 ◆

 

 「ああ、圭ちゃん……経由で……」

 「丁度バイトも終わったからな、見舞いに顔を出した。起きるな。寝てて良い。というか寝ていろ。あんまり長居する気もないし、顔色悪いぞ」

 「……お言葉に甘える……」

 

 素直にベッドの中に潜り込んだ。交換されたシーツと、洗濯されて乾いた寝巻が快い。

 貰ったポカリを飲み、喉飴を舐める。ちょっとだけ喉奥の痛みは緩和された。ちょこちょこと痛くならない範囲で会話する。マスクを付けておけば少しくらいは良かろう。

 千花は一階で食事の準備中だ。

 

 勉学家であると同時に、非常にタイトにスケジュールを管理する御行氏。そのスケジュールに何が詰まっているかと言えばアルバイトだ。ゴールデンウィークは繁忙期に当たる。あちこちで臨時雇いを募集しており、今日もその帰りにこっちに寄ってくれたそうだ。

 

 僕の方も話す。医者に行ったが、インフルや胃腸炎などではない、普通の風邪らしいという事。薬を飲んで休めば連休明けには復活するという目標。その他、取り留めのない話だ。

 

 「しかし、岩傘の家に来るのは初めてだが……話に聞いていた通り、凄い家だな」

 「……言いたい意味は分かる。興味ある奴、持ってって良いよ。読み終わったら、返して」

 「真面目にお願いするかもしれん。明らかに買うより得だ」

 

 僕の家は、決して贅沢な造りではない。ただそこそこの敷地はある。

 しかし居住スペースは狭い。なぜかと言えば、大半を本棚が占有しているからだ。

 勿論、全部ぎちぎちに本が収納されている。居住区より本置き場の方が確実に広い。品揃えも、その辺の書店には負けない。入りきらなくて平積みの山すらある。

 家に全部で何冊あるのかは考えたくない。僕も知らない。多分、親父も知らないだろう。岩傘の家は先祖代々、男はバカみたいな読書家。僕も例に漏れず乱読家だ。

 流石に妹には窮屈らしく、本を移動させて、空いたスペースを自分好みに飾っているけど。

 

 「俺は今、岩傘が国語100点常連の理由を実感したぞ」

 「国語で困った事は無いし、一生困んないと思う。……二階の奥に行くと、爺さんとか曽爺さんとかが買った、今では絶版の奴も結構あってね。……何時だったかな……テレビの鑑定団とか、国会図書館の役人とかがやってきて『これは貴重、絶対保存すべき』とか色々話してたよ。……参考書はあんまりないけど専門書は多いから、興味あったらご自由に。丁寧に扱ってくれれば、何も言わないです」

 

 本は読まれるためにあり、優劣貴賤は無いというのが代々の共通した心情だ。

 父方の祖父は田舎へ隠居してのんびり余生を送っているが

 『通販で漫画を買うにはどうすれば良いんだ。この北海道で金塊を探してる奴の続きが欲しい』

 とか電話がかかって来る。パソコンの使い方は覚えないのに。

 やっぱり『家業』の影響なのだろうさ、そこは。

 

 「余り深い事情を聴くつもりは無いが、ご両親とは仲が悪いのか?」

 「ううん。仲は良いよ。親父とは昔から仲良いんだ。忙しい中、授業参観とか運動会の応援とかも昔から来てくれてる。……母とも悪くはない。以前見せたでしょ、お弁当。あーいうの作ってくれるし。ただ、なんていうのかな。――龍珠桃(りゅうじゅ・もも)みたいな感じ。御行氏、顔馴染みだったよね」

 「……なるほどな?」

 

 納得したように彼は頷いた。

 龍珠桃。秀知院生徒VIPの一人。四宮かぐや嬢、柏木渚さんを始めとする『喧嘩を売ったら社会的に死ぬ』とも言われる女生徒。天文部長を務めている。

 言葉遣いも目付きも悪いが、彼女が危ない最大の理由は『家業』にある。

 広域暴力団『龍珠(りゅうじゅ)組』――つまり、日本屈指のヤの付く自由業が、彼女の実家だ。

 予算申請の話で顔を出して何度も会話しているが、別に悪い人じゃない。同学年だし。向こうのメンチに怯まなければ良いだけ。ただ周囲の評価として、彼女は恐れられている。

 

 僕もそんな感じだ。家族との仲は良いが、家業に関して複雑な気分というだけである。

 

 「まあ元気そうで安心したぞ。お前が復帰してくれないと困るからな。休み明けに待っている」

 「そうかな? 僕が休んでても案外、何とかなるんじゃない?」

 「ふむ。――そうだな、否定はしない。広報の仕事は、藤原書記と石上会計で分担できるだろう。もしかしたら、俺、四宮と四人だけで、生徒会は何とかなるのかもしれない。だが……」

 「だが?」

 「お前の存在は貴重だ。お前のお陰で、藤原を制御できる……事も多い……筈だ」

 

 語尾に自信の無さが表れた。

 気持ちは分かる。僕もそう思う。

 

 「……かぐや嬢にも、同じことを言われているよ。僕も振り回されることが多いけど。僕が振り回すことも多いけど。……実は、少し前まで、僕も千花から目を離すのが、心配でしょうがなかった。……ああ、そうだ。――話が有ったんだ。聞いてくれる?白銀」

 「聞こう」

 

 御行氏、ではなく白銀、と呼んだので、御行氏は椅子に座って、僕をまっすぐに見る。

 言葉を選びながら、僕は切り出した。

 うん、ここで本音を話しておかなければならない。

 僕が彼を友人だと思うなら、どこかで吐き出しておかないといけない話なのだ。

 

 ◆

 

 「千花は……あの通り、他人との距離が近い。だから生徒会が発足して、年度が替わるまで……、というか……四月の頭、この前までだね。僕は結構……不安だったんだよ。白銀、君が……千花に目を向けないか、とか」

 「岩傘。俺はそのような真似は」

 「安心して。そんな事をしないのは知ってる。僕の空回りだよ。だけど不安だったのも、本当だ。友人に対して、情けないことを思ったなと反省している。ごめん」

 「別に謝る必要もないだろうが、律儀だな」

 「まあね。……そしてさ、その不安を抱いているのは、僕だけじゃないよ? 白銀を気にする人間は、居るよ。君の、案外近くに」

 「岩傘? ……それは」

 「そこから先は野暮だね。ノーコメントだ」

 

 その相手は、という言葉を、僕は言わせなかった。手を出して制止する。

 かぐや嬢の意見を代弁してはいけない。此処でそれ以上を追求させても行けない。

 二人の関係は、二人で進めるべきだ。僕の役目は、応援するだけだ。

 

 「それ以上は僕には言えない……。だけど、そういう事だ。そっちも気付いて居るでしょ? 互いに認めてないだけで。互いに踏み込まないだけで、想いは承知している筈だ」

 

 かぐや嬢にも、こんな風な言い方でこそないが、伝えている。弓道場での一件のように。

 そこから如何やって進展させるか、相手に踏み込ませるかこそが、彼らの関係を表している。

 だから僕が、彼らの意見を代弁は出来ない。この会話がギリッギリ。

 僕の意思は、それでも彼には伝わったらしい。

 

 「僕は白銀の友人であるけど、同時に――『彼女』の友人でもある。だから二人には仲良くして欲しいし、両方を応援している。関係がどうなるかも、見守りたい。ダブルスタンダート……というかダブルスパイみたいな真似は出来ないけどね。だから何かあったら相談してくれよ? 僕は、君の友人であると自認している」

 「藤原と惚気るために?」

 「勿論! ……ごっほごほごほっ! ……っ……!」

 

 大声を出した瞬間、喉にぐさっと来た。咽る。

 すまんすまん、と御行氏は謝罪し、笑いながらも返してくれた。

 

 「ありがとうな、そういう風に気を使ってくれるから、俺はお前を勧誘したんだ」

 「一年生の時の話? 僕は別に、それまで通り動いただけだよ」

 「それでも、だ。いや、だからこそ、か。……藤原の事は抜きにしても、岩傘、お前が生徒会に必要なのは本当だ。同学年の同性が居るとな、気が楽だ。お前はちょっとばかり自分を蔑ろにする傾向があるが、誰かの為に頭を下げるのを厭わない。――だから藤原も、慕っている」

 「……昔、同じことを、千花に言われたよ」

 

 恋愛感情を抜きにすれば、御行氏と千花は、きっと本当に相性が良いんだろうさ。

 ……内心にあった複雑な想いを吐き出せて、満足した。

 

 やっぱり会話は大事だ。

 タイミングを読んだのは確かだが、甘えさせてくれたのは、本当、ほっとした。

 

 僕はベッドに倒れこんで、それからは話題を変えた。

 取り留めのない、極々普通の友人としての会話だ。

 一先ず、本をおススメすることにする。

 単純に面白くて、勉学にも有用そうな奴を。

 

 「そうだな、とりあえず、その棚の……うん、壁から二つ目の『数学少女(ガール)』とか如何かな。数学を題材にしてる小説だから、読んでみると面白いかも。『数のデビル(悪魔)』とかは有名だけど、あれは小学生でも読めるからね。それよりは複雑な数学式の話してる。余裕ある時にでもどうぞ。……あ、でもその棚から先の、カバー掛かってる奴はアウトね。見せられない奴もあるから。察して?」

 「……察した。そうだな、それは流石に表には出せんな?」

 

 ふふふふ、と男同士だからこそ分かる相槌を打った。

 千花と言う許嫁が居て、可愛いなー好きだなーと思っている。が、それはそれ、これはこれ。年齢制限が付いちゃう奴だって持っています……。ソフトなの、かなり過激なの、危ない奴まであったりします。千花には内緒だぞ!

 御行氏、品行方正な生徒会長であることは確かだが、結構、お年頃だ。

 

 そうこうしていると、千花が顔を覗かせた。

 

 「はいはい、盛り上がってるところ申し訳ありませんがー、そろそろお時間ですよー」

 「おっと嫁さんのチェックが入ったか、岩傘。俺はお暇させてもらう。またな」

 「ん、見舞いありがと。また休み明けにお礼するよ。白銀も体調管理と帰り道には気を付けて」

 「お嫁さんってのは大袈裟……でも無いですねえ。――会長、良いこと言うじゃないですかー」

 「だろう? 不純異性交遊にだけはならないようにな」

 

 かくして御行氏は、僕の『数学少女』を1・2巻とナップザックに入れて帰って行った。感想を聞いて面白いと貰えたら続きを貸してあげよう。

 ……そういや他意はなかったけど、あれ恋愛っぽい小説でもあったな?

 まあ良いか。

 入れ違いに、千花が鍋を持ってくる。

 

 「材料はあったので、簡単ですけど……お雑炊を作ってみました。美味しいですよー」

 「レシピとか、憂さんが残してってくれた?」

 「いえ、これは預かり物ですね。かぐやさんからです! ……いーちゃんが風邪で寝込んだって話をしたら、なんか専属の?料理人さんに話を聞いて、私に『作ってあげると良いわ』って渡してくれたんですよー」

 「それはまた、意外な……話だ」

 

 多分それは専属料理人ではなく早坂愛(はーさか)さんだな。

 あの主従には元気になったらお礼を言っておこう。

 石上もメールで『お大事に』と一言、送ってくれている。素っ気ないが彼らしい。

 ……僕の周囲の人間は、皆、良い人だ。

 そして一番近くにいる千花は、一番に可愛くて素敵な人だ。

 

 「はい、それじゃあ、あーんして下さい、あーん」

 「あん」

 

 こうして千花の看病の元、僕の風邪は順調に癒えていった。

 ……ここで終われば、平和な話で終わったんだけどね?

 

 ◆

 

 「ご馳走様でした。美味しかったです」

 「お粗末でした。……最近、ちゃんとお料理するように頑張ってるんです……。やっぱり将来的に『お嫁さん』になるなら、そういうの勉強した方が良いよねって。恋愛映画とか、昔はダメだったんですけど……いーちゃんとなら良いよってお父様も言ってくれて」

 「みたいだね。指の絆創膏、ちゃんと見えてる。千花は、頑張り屋さんだ」

 「……千花、ですか?」

 「ちーちゃんは、頑張り屋さんだ」

 

 手招きして、ちょっと目で「良い?」と確認した後で、彼女の髪に触れる。そのまま引き寄せて、頭を優しく撫でる。僕の手に、彼女は少し目を細め満足そうに、にへっと顔を緩めた。

 学園では藤原さんもしくは藤原書記。彼女も僕は調さんと呼ぶ。基本は。

 内心での呼び方及び惚気る時、場合により千花。向こうはいーちゃん。

 僕から彼女への、更に貴重な呼び方は「ちーちゃん」だ。この最後のは……ちょっと、ねえ?

 さて、満足したところで、もう一休みしよう。

 

 「あ、休むなら着替えましょう。汗かいちゃってます。お雑炊、生姜とか葱とか色々ありましたし……。ちょっと待って下さいね、今、新しいの、出します」

 「ん。……分かった」

 

 とりあえず寝巻の上を脱いで、着替える準備をする。しながら千花を目で追った。

 彼女は箪笥を先と同様に漁り、下着類を引っ張り出している。性別が逆ならアウトだったな。

 そういえばと切り出された。

 

 「盛り上がってたみたいですけど、会長と何を話してたんですー? なんか本の話とかしていたみたいですけど……」

 「ん、色々とお勧めをね。勉強になる面白い奴を紹介したんだよ。その辺の」

 「あーこの辺のですか? そう言えばどんな本があるか知らなかったですね。えっと?」

 

 ――僕は気付いた。

 ――その瞬間、僕の顔は、風邪とは関係なく、真っ青になった。

 

 『その辺』と言った結果、千花の手は――カバーが掛かってる棚に伸びたのだ。

 違う! とか待て! とか見るな! とか色々台詞は言いかけたが、遅かった。

 

 ああああ、やばい!

 これは最悪的にやばいぞ!?

 喉の痛みで、咄嗟の静止が間に合わなかった。

 

 僕の目の前で、彼女は内緒の本に手をかけて――。

 

 「えっと、女子高生の淫……、触……魔法少……調………」

 

 ぼん、と傍から見て分かるレベルで、千花の顔が真っ赤になった。

 

 「違う……! 会長に勧めたのは、その三つ隣の棚だ……! そこは僕の秘蔵の……!」

 「ひ、ひひ、秘蔵の、えっちな本じゃないですかあ! もういーちゃんの馬鹿っ!! 酷い! 信じられません! 私っていうお嫁さんが居るのに! こ、こんなふしだらなあっ!」

 

 動転したのか、千花はその棚の本を慌てて僕の方に投げてくる。ガンガン飛んでくる。

 痛い。痛い痛い! 角はダメ! というかカバーが外れて、投げるたびに卑猥な絵が増えていくのは不味い! 僕の色んな趣味がばれる!

 

 「なんですかこれ!なんですかこれええっ!! 乱れてます! 淫れてます! しかも数多いし! 色々あるし! わ、私じゃダメなんですかっ!?」

 

 最後、そういって僕の方に、飛び込んできた。ぽかぽかと叩かれる。

 勢いが付いて、とてもじゃないが止められない。というか最後の台詞、それ違う。それ不味い。それヤバイ。

 

 結果的に、上の下着を着替える直前の格好のまま、僕は千花に押し倒される姿勢になった。

 

 雑炊で温まったお陰で汗ばんでいるし、熱が有るお陰で頭に霞が掛かっている。

 これ僕が上で千花を組み敷く図だったら、完全にアウトだったぞ。流れで致してしまう可能性すらある。幸い僕が下で、風邪で脱力してるから、先には進みそうもないけど!

 

 「うう、いーちゃんが病人じゃなかったら、此処で追及してます……!」

 

 千花は涙目であった。羞恥心と夕日が合わさって、茹蛸みたいになっている。

 ……まあ、これは……男にしか分からない話だよな。千花に理解を求めるのは難しい。となると謝るしかない。僕は、言い訳をせず、まず謝罪することにした。

 

 「……ごめん。……ただ、浮気とかそういうんじゃない。それは分かって」

 「…………むぅ」

 「僕は千花を大事に思ってるし、傷付けたくない。でも()()()そういう気持ちもある……。まだ勇気はないけど。――だから……許してとは言えないけど、……僕も男の子だ。それは分かって欲しい……かな……」

 

 僕が静かに言うと、千花はかなり黙りこくって、やがて、分かりました、と絞り出した。

 

 間にかなりの葛藤があったらしいが、千花とて女子高生。

 中学校時代に保健体育の授業は受けているし、ほどほどに興味もある年頃。『神ってる(by石上)』の意味を理解しているし、レディース雑誌を読んだ経験位はある……筈だ。

 

 断言するのはどうかとも思うが、藤原家の倉庫の奥の方には、大地さんが昔読みこんでいたエロ本が箱詰めされて残っていると思うぞ。情報ソースはI氏だ。

 ぐぬぬぬぬ、と数分考えた末、千花は、じゃあ、と切り出した。

 

 「……じゃあ、罰ゲームです。許すので……複雑ですが許すので! 代わりに、私のこと、好きって言って下さい。沢山です。色々です! この本の山より沢山言えば、許してあげます」

 「好き。超好き。やばいくらい好き。言葉で言えないくらい好き。ずっと一緒にいたいくらい好き。喧嘩するけどやっぱり好き。天然な部分も狡い部分も好き。顔や目や口や鼻や髪や、全部好き。指とか腕も好き。スタイルとか超好み。抱きしめたいくらい好き。そっちから毎日ハグして欲しいくらい好き」

 

 かくして僕は、延々と彼女に愛を囁く羽目になった。

 僕が二時間くらい頑張って好き好き大好き超愛してると言い続けたら、最初は満足そうだった顔が、やがて限界を迎えて、折れた。茹蛸みたいな真っ赤な顔、二回目だった。

 

 満足してくれたらしい。

 とはいえ看病の手を休める様子は無く、何とか動けるようになった後、今度は藤原家に運ばれ、そっちで休息するようお願いされた。僕に拒否権は無かった。

 その後は――風呂に連行されるわ、同じベッドで休むわと、千花は、なんというか、全力だった。千花節が全開だった。テンションMAXに加えて、必然、どうしても生生しく意識してしまったからであろう。僕が風邪ひいてなかったらやばかったね。

 

 ペスですら呆れていたように思う。

 千花の指示で、藤原家の留守を預かっていた使用人の皆さんは、数日の特別休暇を与えられたのだが、もしも彼らが残っていたら――多分彼らからも、同じような目を見せられていたな。

 

 『えっちな本に負けるとか嫌です……!』

 

 とは彼女の言。

 そこで負けず嫌いを発揮しないでも、とも思ったけど、僕は黙っておいた。

 

 ……もう一つ、追加しておく情報がある。

 どうもエロ本を仕舞う際、ちょっと中身を覗いてしまったようで……。今回ので場所も知られてしまった訳で……。……段々、僕の性癖やら、好みのシチュエーションやら、コトに及ばない程度の攻撃方法やらを探られていくことになるのだが……。

 

 ……それはまた、別のお話。この時の僕が知る由もない。

 まーシチュエーションとか、R18にならない可愛さアピールの内容を巡って、更に深く会話出来るようになったのなら、それは色んな意味で進展であろうさ。

 

 こうしてGWの日々は過ぎていった。

 隙を見て秘密の本棚の場所は変えた。

 

 無事にコタキナバルから帰宅した両家の皆さんは、僕と千花が神ってないと聞いて「やっぱりなー」みたいな顔をしていた。あわよくば進展していればと思ったのかもしれない。

 

 無事に風邪も治った休み明け、生徒会の扉を叩く。

 珍しく石上まで揃っていた。

 お土産で貰った珈琲紅茶の山を抱えながら、僕は友人達に合流する。

 

 僕の隣にはいつも通り、藤原千花がくっついている。




次回からは普段の短さに戻る……筈。
学園篇、再会です。


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岩傘調は味わいたい

 気分は新章開始。まずは伏線回収から。
 尚「『竹取物語』が史実であるかもしれない」というのは原作通りの設定です。よしなに。


 生徒会役員の全員は、割と個性的と言われている。

 御行氏、かぐや嬢、千花、僕、石上と、有能さと同時に独特の『濃さ』――存在感みたいな物を持っているらしい。僕にあるのかと言われれば怪しいが、クラスメイト:風祭からは、個性があるように見えるらしい。具体的にどんなんだ? と尋ねたら『変』と言われた。

 僕は別に、奇妙な格好をしている訳でも、奇抜な性格を有している訳でもない。言葉遣いは普通だし、藤原千花と惚気ているのは……別におかしくはないよな?

 

 「いや変だろ。取り合えずなんだよその本」

 「【ウィンドロップ論文】。1911年に英国のウィンドロップ卿が道楽で書いた、北アフリカの先住民族と、彼らが語る伝説を纏めた小論文。ミスカトニック大学から写し貰って来た」

 「……アーカム市の? なんかオカルト退治してるって噂のあそこか?」

 「そこだね」

 

 かぐや嬢が邪神ハンターを連れてきましょう、と言っていたあそこだ。

 ちゃんと実在するぞ。

 

 さて唐突だが()()()()()()をしよう。

 『竹取物語』。日本の誰もが知っている物語。この話は『史実だ』と言われている。

 

 登場人物にモデルが居る、というのは昔から言われている有名な話だ。

 だが、実は()()()()()()()()()()()()()()()()()と、言われている。

 それもモデルではなく()()が。

 

 つまり歴史的に、本当に――月から来たかぐや姫は、本当に五人の王子に難題を出し、帝との交流も行い、不老不死の薬を残して月へ帰り、薬は富士山で燃やされたという事だ。

 

 そして世界的に、こうした昔話や童話、伝承は、大体が史実だったと考えられている。

 真面目に。冗談ではなくマジで実際にあったらしい。

 

 科学が発達した今でも、過去の事象を確かめようはない。

 だから大半は『史実だと思います』とされているが、基本は「あったらしい」という扱いだ。

 エイリアンとか妖怪が今も存在する……と言うつもりはない。

 エリア51だって最新鋭の飛行機研究施設。有名な河童の剥製は作り物だし、ネッシーは存在していないと思う。

 

 ただ、人智を超えた何かはあるのかな、と僕は思っている。

 

 かぐや姫が実在していたのならば、ちょっとくらいはそういう世界があっても良い。

 今も河童が泳いでいるのは嘘でも、芥川龍之介が見た河童は妄想じゃないかもしれない。

 千花は「邪神なんか出ませんからね!?」と、海VS山の戦いの時に話していた。『出ませんからね』であって『居ませんからね』では無かった。僕はそっちの方が好きだ。

 そういう浪漫の塊は、真面目に大好きだ。

 

 だから、生徒と生徒会と教職員と、外部の人を繋ぐ連絡役の仕事は楽しい。

 色々な世界の人から、色々な話を聞けるからね。

 

 そんなことを思い返し、風祭に返事をする。

 『やっぱお前も変だわ。凄いけど変だわ』と言う顔をされた。解せない。

 

 ◆

 

 さて、話題を変えて。

 個性的な生徒会の面々なので、好みが似通う事もあれば、全く異なる事もある。

 愛用のお茶などは、その一例。

 

 「マレーシアのお土産だけは美味しかったですわね。流石は紅茶の名産地……」

 「珈琲もな。全員で楽しめたのは有難い。礼を言うぞ岩傘」

 「僕も貰ったものだからね。皆で飲めばお土産も満足するんじゃないかな」

 

 と言いつつ、僕は急須で緑茶を注ぎ、そこに蜂蜜を投下。

 軽くかき混ぜて、飲む。うん、甘すぎないのが良いね。

 

 「良くやっているが旨いのか、それ……?」

 「あら会長、ご存じありません? 東南アジアなどでは良く見る飲み方ですよ。海外の空港で緑茶を買うと、妙に甘かった……というのは良く聞くエピソードです」

 「紅茶にブランデーやジャムを入れる文化もありますねー」

 

 かぐや嬢の好みは紅茶。御行氏の好みは珈琲。そして僕は緑茶を好んでいる。

 珈琲や紅茶は好きだし、お土産はお土産で堪能した。しかしそれはそれ、これはこれ。日本人的な味覚として、やっぱり和菓子と緑茶の組み合わせが一番だと思っている。

 しかし傷みやすい和菓子を常に持ち運ぶわけにもいかない。そこで考えた結果が蜂蜜だ。

 瓶詰を少量だけ持ち運ぶならセーフじゃないかな、と試行したら良い具合になった。

 

 生徒会室には簡単な給湯設備があって、そこにはティーポット、サイフォン、急須なんかがおかれている。かぐや嬢は流石、紅茶を淹れるのが上手く、千花は珈琲や緑茶を淹れるのが上手い。僕もまあ一通りは淹れられる。

 

 田舎に引退した爺様が居る事は話したか。その連れ添い、祖母が華道の師範だったのだ。残念ながら数年前に鬼籍に入ってしまったが、華道と茶道の作法は、簡単にだが教わった。

 そして蜂蜜は、遠くの図書館に勤めている、昔お世話になった先生からの贈り物。

 二つの組み合わせは最高である。

 

 「で会長。僕に話があると聞きましたが、どんな?」

 「ああ、これは岩傘に頼みたい。実は今月に一つ『講演会』が予定されていたんだが、向こう側の都合で穴が開いてしまってな。急遽、代理を探しているところだった。あちこち伝手を頼って探したら、一応、一人、手を挙げてくれた人が居た」

 「日本の方ですか?」

 「いや英国の大学で講師をされている方だ。この学園、英語は大抵の人間が出来るから、講演会そのものには支障がない。厄介な注文も付けて来ていない。ただ学園の図書館を閲覧したいと希望されていてな、その辺りを任せたい」

 

 秀知院学園では、エリート校らしく、様々な行事が開催されている。

 他国との交流だけではなく、有名な講師を読んでの『講演会』なんかも良く行われる。

 自由参加なことも多いが、見聞を広めるために、とOBOGから送り込まれる講師は、いずれも現役の最前線、第一線で働く人々ばかり。聞かなきゃ損な中身ばかりだ。

 そういう人々は多忙なので、スケジュールが狂う事も珍しくはない。

 

 「了解……。それで何故、僕を指名に? 英語は平均点でしかないですよ。単純な会話くらいは出来ますが、流暢な交渉が必要なら、かぐや嬢や、千花の方が得意かと思います」

 「向こう側からのたっての希望だ。なんでも岩傘に、四、五年前に会ったと聞いている」

 

 とすると中等部時代か。中等部時代。色々あった中等部時代。

 確かに一時、学園を休んで旅に出たことはあるが……、その時に、出会った人……?

 何となく何となく、僕は嫌な予感がした。……え、マジで?

 

 「ああ。九郎(クロウ)さんという方だ。分かるか?」

 「! ……ええ、知ってます。恩人です」

 

 真面目に安堵した。これでもっとヤバイ名前が出たら僕は逃げていたかもしれない。

 危うくお気に入りの湯飲みを割ってしまうところだった。

 御行氏が気にしていたので、話す。

 

 「中等部の時に、ちょっと旅行に出たんですよ。ちょっと実家でゴタゴタしてて、嫌なこと忘れようと思って……ふらっと渡米していました。で、適当にあちこち彷徨ってたんですが……旅の最中、うっかり海で溺れそうになりまして……」

 「ああ、そういえば海がお嫌いでしたね」

 「ご指摘の通りです、かぐや嬢。――そこで溺れたのが未だにトラウマで、足が付かない深い場所が嫌いなんです。……で、溺れかけてた僕を助けてくれたのが、その九郎という方です。丁度、英国から米国に研究で訪れていたようで。……名前こそ漢字ですが、国籍は英国です」

 「なるほどな。じゃあ担当は岩傘に任せた。後は……とりあえずは、大体が石上が片付けている。部活連からの話と……何時もの書類決済だ。さっさとやってしまおう」

 

 あいあいさー、と各自で返事をし合い、仕事の開始となった。

 蜂蜜入りのお茶を飲み干す。頭もすっきりさせて、励むとしようか。

 

 ◆

 

 僕は据え置きのパソコンに向かい、メールをチェックする。マスメディア部に語った通り、広報担当というのは、つまり外部と内部と応対窓口なので、中々分量が多い。

 既に埋まっているスケジュールの再確認、新しく追加される予約の調整、その合間を縫って伝えられる生徒からの要望。優先順位を付け、不満が出ないように組んでいく。

 石上が相当色々処理してくれているから楽だ。僕一人だと首が回りきらない。

 仕事をし始めて30分、そういえばー、と千花が切り出した。

 

 「旅行とは違うんですけど、お父さんもなんか珍しい珈琲を買ってきたらしいんですよー。飲んでみません?」

 「ほう。それは気になるな」

 

 珈琲党の御行氏は反応した。既に仕事前に淹れた飲み物は、作業の合間に手を伸ばし、全員が空になっている。ここらで追加供給が欲しかったところだ。

 僕も手を挙げて「ちょーだい」と合図した。千花は全員の器を回収すると、「はーい」とくるくる踊りながら瓶を抱えてサイフォンの元に向かい、魔法瓶の湯温が適温だと計ってから、豆を注ぎ入れる。ちょっと淡い感じの珈琲の匂いが生徒会室に広まっていく……。

 

 可愛いなーと思って眺めていた。

 彼女が踊っている映像だけで多分一日中を過ごせると思う、僕。

 というか過ごした。中毒になった。千花チカ踊りの威力マジやばかった。

 

 ちらっと作業中の千花を見ると、彼女はティーカップと夫婦湯呑にコーヒーを淹れ、それを持ってくる。まずかぐや嬢。次に御行氏。ん? と思った。かぐや嬢、カップを間違えてないか? こう見えて目星の技能は高い。カップの模様が、先ほどまでの御行氏の物と入れ替わっている。

 口を開きかけて――。

 

 すんごい目付きのかぐや嬢と目が合った。

 笑顔だった。笑顔だったが、恐ろしく怖い笑顔だった。

 

 そして納得した。了解、わざとですね? わざとなんですね? なら黙ってます。

 最後に僕の方に珈琲を持ってきた千花から、湯呑を受け取る。湯呑に珈琲って中々凄い絵だ。意図的に千花の物を手に取る。向こうがやってるなら同じことしても構うまい?

 

 そのまま口を付ける。一風変わった風味の珈琲が喉から胃へと降りて行った。

 珈琲に……なんだろう。珈琲の持つ香りはちょっと薄くて、代わりに甘いエッセンスがあった。チョコレートやバニラに似た香り。ナッツのようなまろやかさ。苦味はそこまででもなく、代わりに酸味がちょっとある。果物の樹が混ざった感じと言えば分かり易いだろうか……?

 

 「調さん調さん、それ私のですよー?」

 「良いでしょ別に。今更だし。代わりに僕の使いなよ」

 「そうですね? じゃあ頂きますー」

 

 何やらカップを見て互いに気付き、固まっている会長と副会長を横目に、口を付ける。

 御行氏、千花がお弁当を食べた時には全然動揺してなかったのに、かぐや嬢だとあの反応。……やはり、意識し合っていると違うという事か。

 

 僕は、僕の湯飲みで珈琲を飲んでいる千花の口元を見る。

 ……小さいし、桃色で柔らかいし、あれを啄んだことあるんだよな、としみじみ思った。

 千花も僕と同じことを思ったのか、口に出す。

 

 「……最後にキスしたの何時でしたっけ?」

 「去年かな……。その前は中等部だけどあれはノーカン。初等部でもあったけど、あれも事故。付属幼稚園の頃のは遊びみたいなものでしょ。最近は……してないね」

 「してないですね。世間では恋人同士は沢山するらしいですけど……」

 「……まあ何かしらの記念とか、大きなイベントで合わせてしてるよね、僕ら」

 

 まあ、キスの経験はある。マウス・トゥ・マウスの奴だ。ただ毎日公衆の面前でキスしてるような馬鹿っプルと違い、僕と千花の場合は、回数は数えるくらいでしかない。全部覚えているくらいに印象的な時にしかしていない、ともいう。

 

 言いながら横目で御行氏とかぐや嬢を見た。

 互いに緊張して動けない二人は、カップを口元に運んでは止まり、止めては運びを繰り返す。なんか会長がカップを見て仰け反り、暫し後にかぐや嬢の傍らにある(のり)を見た。

 あれかな。カップに付いている痕跡は、これ糊だから、これは口付けてセーフだから! とか思ったのだろう。良いからさっさと口付けてしまえと思うが口には出さなかった。

 

 「調さん的に、ガツガツしたいものなんですか?」

 「んー、……いや、あんまり。ずっと傍にいる千花を繋ぎとめる必要とか感じない。キスしたいか……と言えばしたいけど、今は良いかな。したくなったら言う」

 「私の方から誘ったらしてくれます?」

 「するよ。今が良い?」

 「いえ、今じゃなくていいです。じゃ、その時を待ってますね?」

 

 果たしてこの会話は惚気だろうか? 僕としては微妙な判定だ。

 そうこうしていると、我らが生徒会のトップ二人から恋愛頭脳戦(いつもの)が始まった。

 

 「ああ、四宮も気付いたか」

 「どうやらカップを取り違えたようですね」

 「そのようだ。だがまあ――取り替えるのも面倒だしな!」

 「別に良いですよね! ああ忙しい忙しい!」

 「全くだ! 席を立つ暇もない!」

 

 互いに強調し合い、そして同時に口を――付ける……!

 付け……、いや、付けたのか!? どっちだ!? かなり怪しい判定だった。

 僕の目星でも果たして口を付けたのかは分からなかった! だが……仮に! 仮に僅かでも触れていたのなら、それは両者の関係の進展だ! どっちだ……っ!?

 

 内心では

「ここで決まるのか!?」と

「いや、どうせなら学園祭までキスは待て!」

 

 みたいな思考が鬩ぎ合っていたが、結論は出せなかった。

 というのもだ。直後に、千花が「あーそうです」と珈琲の銘柄を上げたのである。

 

 「コピ・ルアクって言うんですよこれ」

 「「!?」」

 「…………………おう」

 

 咄嗟にコーヒーを捨てようとした自分の腕を必死に止めた。

 

 コピ・ルアク。別名をルアックコーヒー。

 珈琲の名産地であるインドネシアでは、栽培中の珈琲の果実を、ジャコウネコが食べることがある。珈琲の果肉は消化されるが、種子(コーヒー豆)は消化されずに排泄される。そのジャコウネコの糞を丁寧に洗浄し、乾燥させ、衛生的に一切の問題がないことを確認して焙煎する。

 それがコピ・ルアク。

 体内の消化酵素や、細菌による発酵。更にジャコウネコが食べた栄養豊富な自然の植物にも味が左右される、という。確かに、美味しかった。美味しかったよ……。

 

 「……千花、どんな銘柄だか知ってた?」

 「はい? いえ。何も。……特別な銘柄なんですよね?」

 「……まあ、そうだね。うん、……御行氏、かぐや嬢、まだ飲みますか?」

 

 立ち上がって、珈琲が入ったピッチャーを回収する。

 僕の言葉に、二人は、千花に見えないように無言で小さく首を振った。

 

 「ですか。じゃあ、これは僕が全部飲みますよ」

 

 まあ心理的抵抗がゼロとは言わない。しかし味にも衛生的にも何ら影響はないのだ。

 

 「……岩傘、溜まってる仕事が有ったら、こっちに回してくれて構わんぞ」

 「いえいえ。お気になさらず」

 

 勇者を見るような目で、僕を気遣った御行氏だった。

 「お構いなく」と返事をして、珈琲を呷る。まだ結構回数が多いが、頑張って飲み切ろう。

 

 「千花が淹れてくれた物です。無下に捨てるなんて言う真似、出来ないんですよ。僕」

 

 そうして再び、珈琲を湯呑に注いだのだった。

 

 ◆

 

 その夜、僕は読書をしながら考えていた。

 

 結局、御行氏とかぐや嬢、二人の間接キスはどうなったのだろうか?

 ひょっとしたら直前で終わったのではなく、少しだけ触れていたのかもしれない。千花が銘柄を叫んだタイミングは、二人が俯き、触れた直後だった。だから、可能性はある……。

 だが、それを知っているのは、二人だけだ。二人だけしか答えを知らない謎だ。

 そういう事があっても良いかな、と思う。

 

 「惚気に答えが無いように、恋愛頭脳戦に答えが出る日はまだ先……かな……」

 

 であるならば、その日まで僕は応援するだけだ。

 丁度【ウィンドロップ論文】も読み終わった。二階最奥部にある、厳重な書庫に封印するように収納。御行氏に語った通り、此処には貴重な本が色々ある。【伝説の魔導書】(ネクロノミコン)すらあるぞ。写本だけど。

 

 でも、それが何? という話だ。重ね重ね言おう。僕は千花と惚気たい。

 不当な手段で邪魔する相手には相応の態度で挑もう。でも僕は千花と平和に惚気て、イチャイチャして日常を穏やかにラブラブ過ごせればそれで良い。その為に全力だ。

 

 「それじゃー勉強するかー」

 

 珈琲は千花が、仕事の能率を上げるために淹れてくれたもの。それが傍らにある。つまり勉強でも「頑張れ」と千花に応援されているという事に等しい……!

 

 かくして僕は気合を入れて机に向かい、珈琲を飲み切ったのであった。

 




 「『竹取物語』が史実であるかもしれない」というのは原作通りの設定です。
 故に「ちょっとだけの不思議」はスプーン一杯ほど。
 具体的には小説版「告らせたい」位だけは入れますが、それ以上の非日常モノにはなりません。
 誰も求めていないでしょう。私も書く気はありません。
 飽くまで、日常で惚気る為、全力を尽くすだけのお話。要素はただのエッセンスです。

 それでは今後ともよろしくお願いします。


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岩傘調は伸ばしたい

以後、ちょこちょこクトゥルフ神話的登場人物が出てきますが、彼らは言うなれば学園生活における名前有りモブみたいなものです。「●その他の登場人物」的に紹介される人。
既存の登場人物だけでは限界があるな、と思った時にのみ追加します。よしなに。


 月とは女性である、とT・九郎氏は切り出した。

 船を女性として呼ぶように、月もまた女性である。事実、世界中の伝説を見ても「月から来た女性」「月に帰っていく女性」は多くとも、男性の場合は数が少ない。

 

 むしろ男は月を見上げて吠える立場なのだ。狼男が吠えるように。

 「最も『月に吠える者』は別だが……」

 

 と妙に実感の籠った言葉が印象に残っている。

 

 古来、男にとって「月」とは「届かぬ女性」として存在していた。

 そこに手を伸ばそうとした。

 それほどまでに高嶺の華へと恋焦がれたのだ。

 かぐや姫へ手を伸ばした者達と同様に。

 

 ◆

 

 『講演会』は無事に終了した。

 講演者:タイタス・クロウ三世の研究発表及び講義は好評で幕を閉じ、僕は肩の力を抜いた。

 

 ちょっと複雑な立場なので簡単に解説しておくと、『タイタス・クロウ』と言うのは英国の称号の一つだ。第二次大戦前、1900年代前半に活躍した勇士『タイタス・クロウ』氏は、時の女王から叙勲され、以後その子孫は、本名とは別に『タイタス・クロウ』と名乗っている。

 そして『タイタス・クロウ三世』が『タイタス・九郎』氏だ。ややこしい。

 

 「いや突然の来日だったけど、何も支障なく満喫できた。助かった。楽しかった」

 「こちらこそ。突然の来日、ご足労をおかけしまして」

 「良いって事さ。これも縁ってやつだ。嫁さん(アル)も日本に来れて嬉しかったらしいし」

 

 T・九郎氏。実家から離れて出奔し、アメリカで探偵をしていた時、金鉱脈を発見。それを運用して財閥を隆興させ、更にアーカム市の発展に多大な功績を与え、同市ミスカトニック大学の名誉教授職も手に入れた。幼女の嫁さん持ち(ロリコンである)以外は凄い人だ。……いや、それもそれで凄いか。

 元が日本人っぽいのに戸籍は英国出身、アメリカで財閥を構築して二枚の草鞋を履いている。なんかもう色々混ざっててどっから突っ込めば良いのか分かんないが、とにかく凄い人だ。

 中等部時代「折角だから勉強してけよ」と大学に放り込んでくれたコネもこの人由来である。

 

 「土産話にもなったしな? 機会が有ったらまたこっち来いよ。連絡してくれれば仕事も受ける。金はとるけどな。大学の門戸は結構広い。卒業後の進路としては考える余地あると思うぜ」

 「そうですね。……ミスカトニックですか……」

 「いざって時は推薦してやるさ」

 

 生徒会における僕の最大の武器は『人脈』だと思う。

 OBOGを経由して作る伝手、後輩や同級生との伝手。更に言えば実家経由で入手する伝手。僕自身の力はただの高校生だが、何かあった時に頼れる大人が本当に多い。

 無論、無償で力を貸してくれる人達ではない。確固たる理由、明白な内容、誠実な態度と礼節、そして謝礼(メリット)。こうした全てをきちんと話した上で、それで頷いてくれる人々だ。

 だが、だからこそ頼れると言える。無償で手伝ってくれる人ほど怖い人はないというし。

 

 そういう大人の一人、九郎氏。実にイケメンである。

 しかも軟弱ではなく、色んな修羅場を潜り抜けた男の面構え。

 広報として色々な人と出会う僕だが、尊敬できる人がどんどん増えていく。ありがたい。

 

 「お前も頑張れば、もう少し改善出来ると思う。大事だ、やってみろ。情熱的にな」

 「もうちょっと情熱的に告白ですか?」

 「いや。そうじゃない。もっと方向性を変えてみるんだ。単純に惚気るんじゃない。馬鹿みたいな感じじゃなく、心で表現しろ。包容力とは違う力も大事だぜ? 俺はアイツにそうやった」

 

 そういって、千花と会話する幼女(クロウ氏の奥方)を見た。

 漠然としか過程を聞いていない僕だが、クロウ氏と彼女の間にある縁は強固だと分かる。

 この後も英米に直帰せず、折角だからとあちこち日本を回ってから帰還するとの事だ。両者並んで歩いていて、職質されないかだけが心配である。

 

 先ほど礼を言われたが、それこそ些細な話だった。

 元々のスケジュールがあった所に講演者を入れ替えた形なので、複雑ではない。体育館は押さえてあったし、準備要員の手配もそのまま。宿、送迎車などの準備も終わっていた。念の為、通訳も兼ねた案内人を変更した程度で、さしたる障害はなかったのだ。

 まして、恋愛相談に乗っていただけるなら、この程度些末である。

 

 「貴方が居なかったら、僕はインスマスで溺れて死んでいました……。この程度の歓迎、むしろ小さいとすら思ってます」

 「そうか。その思いは受け取っておく」

 「そうだ。あまり謙遜するものではないぞ」

 

 と、千花を連れて、クロウ氏の奥方がやってくる。そして「土産じゃ」と紙袋を渡される。

 中身は何だろうか? 確認してみようと覗いたが、包装された箱である。分からない。

 

 「こいつはちょっとした呪い(まじない)だ。何かイベントで使うと盛り上がる筈。キチガ……テンションの高いアホ博士が作った奴を押収したが、処理に困っていた。礼だ。受け取ってくれ」

 「おい、アル。それ結構効果ある奴だぞ……? 主に羞恥心で死にたくなる奴だぞ……」

 「ふふふ、だが面白かったであろう? 魔除けにもなるからな、念のため持っておけ」

 「まあそうだけどよ……。その土産で何か困ったら、連絡してくれ。お詫びはする。それじゃあな。元気でやれよ?」

 

 尊大に笑った奥方を引っ張り、九郎氏はタクシーで帰って行った。

 またどっかで会えると良いと思う。

 その晩、関東平野の一角に位置する:嵯峨崎(さがさき)で、謎の爆発事故があったと報道されたが……

 二人には関係ない筈だ。多分。

 

 ◆

 

 講堂は第二体育館でもある。

 片付けの指示出しをしながら、僕は九郎氏との会話を考えていた。

 

 『心で表現しろ。包容力とは違う力も大事だぜ?』

 

 言われても分からない。分からないのだ。

 今のままとは違う物というのは分かる。

 新鮮な惚気が欲しい、という言葉が表している。それを簡潔に表すならば、何か……何だろうか……??

 それが何か分からない。考えてぼーっとしていると、かぐや嬢から叱りの言葉が飛んだ。

 

 「岩傘広報、考えるより早く手を動かしなさい。部活動が出来ないと排球部が待っていますよ」

 「と、失礼……。すいません、急ぎます。――次! ステージの上のスピーチ台を下ろして片付ける! 男子、集合してくれ! ステージ解体は明日だが細かい物は片付けるぞー!」

 

 呼びかけて、かなりの重量があるスピーチ台を下ろす。無事に床に降ろされガラガラと倉庫へ運ばれていく様子。更に床に敷かれていた緑の防護シートが丸められていく様子。解体前のステージに人やボールがぶつからないようにと間にカーテンが閉じられるのを確認して、一息。

 

 片付けも大体終わった。手元にあった書類に、片付け終わり、と記して、かぐや嬢に渡す。

 僕の報告書と体育館の現状を確認し『確認済み』とチェックを貰い、これで仕事は終了だ。後は明日、無事にステージが解体された事だけ用務員さんに確認しに行こう。

 さて生徒会室に戻って、他の仕事だ。

 

 「そういえば風邪の時、レシピを頂いて、ありがとうございます」

 「あら、お気になさらず。手配したのも書いたのも近侍(きんじ)ですから」

 「……『彼女』にあんまり苦労させない方が良いかとも思いますよ。最近何かと胃を押さえている姿を見ます。胃薬で済んでいる内が花かと?」

 「ご親切にどうも。ですが彼女は私の近侍(ヴァレット)、ちゃんと責任を持って管理します」

 

 かぐや嬢の管理と世話でかかる負担が洒落になってないと思う、とは言わなかった。

 僕はこう見えて言葉遣いと言葉選びには気を使う。嘘は言わないが適当な言葉で濁すのは得意だし、相手が勝手に誤解してもそっちの方が都合良いなら解かないこともある。

 故に、その近侍が2年A組の早坂愛さんであると名前は出さない。

 

 「お二人の恋愛頭脳戦は、僕の立場から見ていてとても楽しいですが、羨ましくもありますよ」

 「嫌味でしょうか? 貴方と藤原さんの関係こそ、わた……さる女性が目指している物ですが」

 「嫌味じゃありませんよ。こう見えてこっちにも悩みがあるんです……。惚気たいけど、惚気てもマンネリ化する。言うなれば新鮮さが補充されません。家庭を築いて平和な生活をするなら今のままで良いんでしょうけどね……。かぐや嬢……ではなかった、どこかの少女のように、目付きの悪い誰かと色々関係を構築して積み重ねていくのが、羨ましいんです!」

 「贅沢な悩みを言いますね」

 

 と言いつつ、かぐや嬢の顔は少し綻んでいた。

 羨ましい、という言葉が理由だろう。許嫁同士である僕と千花の関係より、優れた部分がある――御行氏との関係を模索している二人の方が、見方によっては優位である、というのが満足心を刺激したのだと思う。ちょっとだけ微笑みに感情が混ざる。

 つくづく恋愛初心者な人だ。昔は冷徹で、笑顔すら仮面だったのに。

 恋をすると此処まで変貌するのか――。

 

 ……。

 ……………。

 

 「それだ」

 

 我、天啓を得たり。

 

 「はい?」

 「それだ! 分かった。何が必要か分かったんです! いやあ本っ当にありがとうございます! かぐや嬢のお陰で切っ掛けが掴めました! 何が自分に足りないのか! 今必要なのかが何か! 流石はかぐや嬢……!」

 

 そうか、と分かった。

 答えが分かった。情熱的に愛を囁くのではなく、もっと方向性を変えてやるべきこと。

 九郎氏の言葉に、かぐや嬢の変化、それらを総合させる。

 

 一つの単語が形になった。

 

 廊下を走――数学の座間(ざま)先生に注意されたので早足に切り替え――そのまま、2年B組のクラスに飛び込む。生徒会室と迷ったが、千花が居るならこっちだ。僕の鞄がまだここに置かれているので、待っててくれる筈。……いた! やはり居た!

 

 突然飛び込んできた僕に、まだクラスに残っていた面々が驚いた顔をする。

 一直線に千花の元に向かう僕に『また始まった。今度は何を言うんだ?』と注目が集まったが無視。こっちを向いた千花の肩を、両手で掴んで、目を見て一言、簡潔に!

 

 

 「恋を!! しよう!!」

 

 

 そう、これが答えだ。

 愛情はある。互いにLoveだ。これは間違いない。英語圏では愛と恋は同じLOVEで区別が難しい(正確に言えば前後の文章を付けねば区別できない)というが日本語では違う。

 

 恋とは落ちる物!

 恋とは焦がれる物!

 恋とは世界が変わること!

 「新鮮なる惚気」とは「恋の熱意」!

 恋する乙女は最強、まさにそれだ!

 

 思えばそう、藤原千花は、幼馴染で、隣人で、許嫁である。

 だが「恋人」だという表現は殆どしない。

 

 九郎氏から言われた言葉が形になった。

 恋を経て少女は大人になり、愛を作り出す。

 単純な「好き」とは一線を画すのだ。

 

 「考えてみればそう、僕と千花はずっと一緒だったから、色々あったけど「恋人」だった時間はうんと少ないんだ。だから恋をしよう。そうすれば新鮮な惚気が手に入ると思う!」

 

 そも恋人ですと語った回数が何回ある? マスメディア部で攻めた時に発言をした。しかしそれ以外では語ってない。負けた勝った、好きだ嫌いだ、愛してるとは言った、だが――。

 

 「恋」が足りなかった! 僕らにはそれが足りなかった!

 だからこそイチャイチャしても「何時も通りだったよなあ」とぼんやりしていたのだ!

 

 「……あの、えっと、凄く話は良く分かりました。そうですね。そう思います!」

 「だよな?」

 「です! でも……クラスのど真ん中でいう話じゃないと思いますよ……?」

 

 千花の顔が赤い。

 ………そうですね。おっしゃる通りです。

 

 クラスメイトどころか、隣の部屋にまで届いたらしい僕の台詞は、もの凄い野次馬を招いた。

 うわあ、とか言いながら呆れてる奴。死んだ目で眺めている奴。顔を赤くして噂している奴。『なんで俺には恋人が居ないんだ』と泣いている奴。『やっぱりどっかで闇討ちしようぜ』と結束している奴。流石にちょっと目立ち過ぎたらしい。

 

 反省しよう。

 言葉を翻す気はないけど。

 

 ◆

 

 「お疲れさん。ゆっくり休んでくれ。……もう少し静かに終わっていれば、尚良かった」

 「聞こえてましたか」

 

 丸聞こえだ、と御行氏は告げた。どうもクラスの中だけじゃなくて結構広範囲に届いたらしい。

 

 今年入学してきた一年生の中には刺激が強すぎた人間もいたらしく、何人かが真っ赤で逃げ出したと教えられる。甘いなあ一年生、そんなんじゃこの先もやっていけないぞ?

 笑っている僕の顔に、御行氏が「ケッ、やっ(略)」みたいな顔を一瞬したが、気にしない。

 とりあえず「恋」する方法を考えよう。

 

 「まあ、何か進展したならば、おめでとうと言っておく。……ところでそれは?」

 「お土産だそうです。軽いから……食べ物とかじゃないと思います」

 

 無事にクラスから戻って来た僕は、頂いた紙袋の中を改める事にした。

 何時もの生徒会室。石上以外の四人が揃っている。

 鋏を借りて、箱を傷つけないように開封。蓋を開けると、そこにあったのは――。

 

 「ネコミミ……」

 「ネコミミだな」

 「ネコミミですね?」

 「ネコミミですねー。可愛いですね」

 

 ネコミミであった。猫の耳が付いたカチューシャであった。全部で四つ。

 思わず沈黙が落ちる。

 一体なにがどうなってこんな物が制作され、それがお土産になったんだろうか?

 

 「……何考えてるのかさっぱり分かりませんが、貰い物を捨てる訳にはいかないんで……。どっかに保存しておきましょう……。ちょっと備品置き場に置いてきます……」

 

 備品置き場は、部活動の備品が搬入される物置みたいな場所だ。

 毎年、年度末になると、申請した予算を使い切ろうと各部活は色々と買い占める。此処で余りが出ると翌年の予算が減らされるからだ。

 僕は前に、部活動の皆さんに申請費用の交渉に向かったが、あれは言うなれば事前削減。こっちの買い占めは、事後の削減への対策だ。無駄な出費を抑えたい運営側と、出来る限り資金を手元に置いておきたい部活。このやり取りは激しく、多分延々と続くだろう。

 

 数日前だったか? この辺の備品の納入チェックをしていて、ゴキブリが出たとかなんとかと御行氏かぐや嬢の二人が騒いでいたか。僕も虫は嫌いだ。……小学生の頃は「カブトムシって格好いいなあ」と思っていたが、最近はカブトムシも苦手。というか小さい奴がウゾウゾ集まっているだけで大分辛い。妖蛆とか名前だけでドン引きした経験があるぞ。

 

 猫耳カチューシャを、取り出せる場所に設置しておく。

 後日これが役立つんだから世の中ってのは分からないものだ。

 

 ◆

 

 ◎「恋してるっぽさを作り出す為の方法」

 勝敗条件:実行した者はそれだけのポイントを取得する。

      先にポイントが上限に到達した方が負け。

 条件は各自、好きな時に追加できる。ただし過去に遡って参照することは出来ない。

 勝者は、敗者に対して何でも好きな命令を出来る。

 

 5点:『相手を愛称で呼ぶ』

 10点:『自分から手を繋ぐ』

 20点:『自分からハグ、及び抱き着く』

 15点:『間接キス』

 

 ↓

 (以下、延々と続く)

 

 

 即ち「如何にして相手からのアクションを引き出すか」が焦点となる。

 

 改めて宣言をしよう。

 今度こそ、恋愛惚気合戦の開幕だ……!




タイタス・九郎 :探偵タイタス・クロウと某デモンベインが合体したような人。アーカム発展の功績から大学名誉教授も務めていて、稀覯本の貸し出しに協力してくれる。次の登場は未定。
猫耳カチューシャ:(西)博士作の猫耳。フランスとの交流回で使われる小道具。


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岩傘調は支配したい

 さて、一行の前に立ち塞がったのは、この事件の黒幕だ。

 今まで味方として傍にいた怪しい吟遊詩人:シラベが真の姿を現すぞ。

 

 『何故こんなことをしたんですか……! 勇者ミユキも、賢者カグヤも、戦術師イシガミも、貴方を信じていたのに……! 貴方は裏切った! そして今私の前に居る!』

 

 では、その言葉を聞いて、吟遊詩人シラベは邪悪に笑うぞ。そしてこう続ける。

 決まっている、お前を手に入れるためだ……! 神官チカ。他の仲間達を全員殺してでも俺はお前が欲しかった……! お前さえ手に入れれば、他には何もいらない! 身分も地位も知ったことでは無い! 世界の支配すら興味がない。俺はただお前が欲しいのだ!

 

 『っ……。残念です。貴方とはもっと別の出会いがあれば、きっと幸せな関係を作れたのかもしれません。ですが私はその道を選べない……! 大事な仲間の命を奪った貴方とは、ここで決着を付けます! ――皆が負けた日から私も強くなったんです……!』

 

 飽くまでも俺と戦う道を選ぶか。良いだろう、足掻いてみるが良い。お前の心が折れるまで丁寧にお前の心を攻撃してやろう。まずはその、新しい仲間の屍を見せつけるところからだ……!

 

 『なんて邪悪な顔をするんですか……! でも負けられない。マッキー! テラ子! 貴方達の力を貸して……! 私に彼を倒すための力を……!』

 

 ではクライマックス戦闘だ。

 エネミーは吟遊詩人シラベが1体。またフィールドの上には「シラベの心」というオブジェクトがある。勝利条件はオブジェクトの破壊だ。

 シラベは魔法で、セットアップを迎えるごとにエネミー1体を召喚する。1D6を振って、1・2は勇者ミユキ、3・4は賢者カグヤ、5・6は戦術師イシガミのゾンビだ。嘗ての仲間そっくりのアンデッドを召喚して攻めようという戦法だね。

 で、注意事項。オブジェクトには複数のバリヤーが張られていて、このバリヤーは吟遊詩人シラベと戦闘をする事で徐々に解除されていく。バリヤー1枚に付きダメージを50点軽減だから、まずシラベのHPを減らさないとハートは破壊できないよ。

 シラベにはキーワードが設定されています。良いRPをすると、ダメージにボーナスが乗ります。シラベに対して今までの思い出とかが話すと良いと思うよ。

 

 ……どしたの? 千花。何をそんなに悶絶してる? 

 これはただのTRPGのセッションだよ?

 

 「ちょ、な、だって、エネミーの行動原理があ!!なんですかこれえ!」

 「何が? 神官チカを詩人シラベが欲しいって言ってるだけで、千花とも僕とも何にも関係がないからね? 現実と虚構を区別しなきゃダメだよ。ちなみに戦闘データはちゃんと作った。頑張れ」

 「くっ、ぐぐぐ、ぐぬぬぬぬ……!」

 「ちなみに抜け道が一個ある。此処で素直に神官チカが身を差し出すと、彼は約束通りこれまでの暗躍に対して補償をして、チカを連れて去っていくね。まあその場合、チカはキャラロストになるけど。マッキー先輩とテラ子さんのキャラは『戦いは終わりました』って王様に報告し、約束通りの謝礼と経験点が貰える。まあ最後の手段だと思ってくれれば」

 「……こ、こんな方法で私に攻撃してくるなんて……!」

 「まあまあ、不治ワラちゃん、落ち着いて。シナリオは面白いし! エネミーの配置も、ギミックも面白いじゃん……! 私達が外野になってないし……」

 「だからですー! だから悔しいんですー! かんっぜんに! いーちゃんの掌の上じゃないですかっ! これ私、RPしながら詩人シラベ倒すんですよ!? おのれ……っ!」

 

 僕はにやにやしながら千花の反応を伺っていた。

 

 さておき、僕は現在GMをやっている。

 

 『嘗て謎の敵に、全滅させられた勇者一行。しかし神官チカだけは奇跡的に一命を取り留めた。心の中にトラウマを残したチカは、新しく出会った二人の仲間と共に、謎の敵を探して旅立つ』――とこういう感じのシナリオだ。

 

 戦闘のトラウマが残っているため、嘗ての強さは失っている。だから初期作成でキャラメイクねーと伝えてあった。TG部の二人と三人パーティを構築し、遂にボスに到達した訳だ。

 幾つかの救済措置も用意した。全滅してもパーティを復活させる『奉心の石』とかな。

 

 「ぐむむ、此処で負けを認めるのはゲーマーの血が許しません! 良いでしょう! やってやろうじゃないですか! その代わり恥ずかしくなって負けても知りませんからね!?」

 「そうこなきゃね。そっちを降参させてあげるよ?」

 

 かくしてクライマックス戦闘の幕が開けたのである。

 

 ◆

 

 「恋をしよう」。

 それが僕の提案だ。今のままの「愛」ではダメなのだ。重要なのはその前の過程である。

 言うなれば以前の、公園で一緒のコートに包まれているとか。動画を消す消さないのやり取りとか。そういう新しい試みをする。それが重要だと考えたのだ。

 ポイント制度は、このためにあった。

 

 だが間違えてはいけない。

 

 あれの本当の意味は「ポイントが積み重なること」ではない。

 ぶっちゃけポイントとか一瞬で貯めようと思えば貯まる。行動すれば自分から敗北することが出来る。些細でも申請するだけで、一瞬で負けに自分から近付くことが出来る。

 だから単純に積み重ねる事に、意味は無いのだ。全くないとは言わないが、本筋ではない。

 

 キモは『条件は追加可能。ただし過去に遡って適用しない』と言う部分。

 

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 ここが真の狙いなのだ。

 

 互いに今までやったことがない惚気を探して、実行する!

 その為の工夫なのだ!

 

 無論、幾つかの条件――もとい不文律がある。

 

 一つは「攻撃時、無関係な人を巻き込まない」。事情を語って協力して貰ったり、此方が巻き込むつもりは無かったのに向こうが勝手に割り込んできたりする場合は除外する。要するにテロ的な行為はアウトなのだ。放送部を使って学園全域に告白を流すなど以ての他である。

 

 もう一つは「素直に負けは認める」。負けた時は強がらないという事だ。負けず嫌いであることと、負けを認めないことは全く違う。それはゲーマー千花なら良く分かっているだろう。

 

 最後の一つは「自分を傷つけない事」。極端な話をすれば自傷行為はアウト。言い換えれば「自分でやりたくないことをやる」のはアウトと言う意味だ。

 

 この三つの不文律を下地に、僕と千花は対決を始める事にした……!

 即ち「今までやってない方法でのいちゃつき方」を互いに考え、実行する戦いに……!!

 

 ◆

 

 そして僕がまず選んだのが、これだ。

 

 TRPG(テーブルトークロールプレイングゲーム)である。

 TG(テーブルゲーム)部でも流行中のこれである。

 僕はTG部だが、別に千花がいるからTG部に入ったのではない。単純に好きなのだ。

 

 単純なロールプレイングゲームは、誰でも一回は経験したことがあるだろう。シナリオを追いかけつつ、味方を増やしたり敵を倒したりしてレベルアップし、最後に世界を救う感じで進んでいくアレだ。

 

 TRPGは、平たく言えば、プログラム的に処理されているこれらを、全部アナログでやるゲームだ。シナリオを作ってゲームを進めるGM(ゲームマスター)――システムによってはKP(キーパー)とかDM(ダンジョンマスター)みたいな呼び方もするね――と、PLに分かれ、ゲームは進んでいく。

 アナログなので、戦闘データなんかは全部GM側が作る。キャラクターもPLが作る。

 

 例えばLv1だと覚えられる魔法と武技はこれだけ。装備品に使えるお金はこのくらい、とルールブックに記載されて決まっている。そこから自分の好きなデータを選んで取得する。うんと強くて高級な剣を一本だけ装備して防御0とか、攻撃性能を最低限にして生存性を上げるとか、そういうデータ管理は全部PLの判断で行われる。

 性格や設定もPLが決める。だから出来上がったキャラクターは、基本的に唯一無二だ。そのキャラクターをPLは動かす。これが楽しい。

 

 で、例えばエネミーの行動値は8+1D6、PL側の行動値は6+1D6、みたいな感じでサイコロを振って、出目に従う訳だ。エネミーの方が早いならエネミーが先に動く、みたいな感じで。

 

 僕は大好きである。言葉に出来ないくらい好きである。何が良いってGMとPLが共同で物語を作る。これが良い。自分一人でシナリオを作るよりずっと楽しくなるからだ。

 幾つかのシステムではキャンペーンGMも完遂したし、PLも結構な数を重ねている。インドア派の石上も実はオフセとかでやってるんじゃないかな?

 さておき! まあ好きな物に早口になってしまう僕の趣味はさておき!

 

 僕はこれを使って、千花への攻撃を行う事にした。

 RP(演技)ならば恥ずかしいセリフを言っても「これはPC発言だから!」で幾らでも切り抜けることが出来る。素知らぬ顔で延々と攻め続けることが出来る。

 

 クライマックス戦闘に入るまでは、極力、ボスの心情や行動理由を判明させないように努めた。そして満を持してラスボスを登場させ、本気の求愛こそが動機だと伝えたのだ。

 

 どうやら効果的だったらしい。

 悔しそうな顔で、クリティカルヒットしたことを隠すこともなく、千花は戦闘を選んだ。

 

 同じTG部の友人、テラ子さんとマッキー先輩は、僕と千花とのやり取りに「何時も通りだな」と思いながらも嬉々として乗ってきた。

 あ、マッキー先輩と呼ばれていますが、彼女:槇原こずえさんは1年A組の後輩です。

 

 単純にイチャイチャするだけなら、こうはいかない。

 君たち二人でやっててね、となる。

 だがゲーム上における役割を与え、各自に行動理由を渡すことで、より一層効果的になる。

 PCチカの味方としてボスに言うセリフは、そのままPL千花に対する追加攻撃だ。

 

 そう、単純に千花に恥ずかしい台詞を囁いては効果が薄い。

 だが身内――味方、友人から会話を暴露されると! ダメージは大きかろう!?

 

 『シラベ、今まで貴方が私達にしてくれた助言は、全て私達を此処に導くためだったんですね……! 何てこと、純情なチカの心を玩んだなんて許せない……!』

 『ほう、その剣……。勇者ミユキの剣……、そうか。見習いケイから受け取ったのか。なるほど、これも因縁だ。ならば貴様も再び倒して見せよう。そしてその屍の上、俺はチカを手に入れる! お前の死体の上で彼女を攫い、世界の前で告白し、結ばれて見せようか……!』

 『話に聞いていたよりずっと狂ってしまったんですね……! チカは喜んでいたのに! また再会できたって宿で日記帳を抱えて嬉しそうに笑っていたのに! 貴方は!』

 

 これはテラ子さんの聖戦士。勇者ミユキが持っていた剣を、彼の妹ケイから受け継いで戦うという設定の女騎士だ。三人パーティの最前線で敵を倒すアタッカーである。

 

 ぐさっ! という音でテラ子さんの言葉が千花に突き刺さった。

 普段は茶化せない僕と彼女の関係を、ここぞとばかりに全力で煽って来る。恐らくTG部のゲームで負けがこんでいることも拍車をかけている。個人的な恨み、入ってるよね?

 

 「テ、テラ子……! お前、お前ぇえええ……!」

 「口調がおかしなことになってるよ? チカは仲間だよ。心配をするのは当然。大丈夫、カバーリング能力とダメージ0化、連続攻撃も確保してる。チカが回復してくれれば暫く持つ」

 

 続いてマッキー先輩が乗った。

 

 『貴方は可哀そうな人……。貴方の情報を、ミスカト市で調べた。貴方は嘗ての『ギルド:聖灯火(せいとうか)』でも決して悪い扱いじゃなかった。貴方は恵まれていた。なのにそれを捨てた。たった一人の為に……。その狂気を、私は哀れに思う……。チカは貴方に惹かれていた……。なのに何故、味方を裏切るような真似を……?』

 『……それを語る必要は無い。そこに意味はない』

 『嘘ね。それが貴方の行動の本当の理由じゃないの? ……良いわ、あなたのその心を暴いて見せる。そして貴方の心に敗北を突き付けてあげるわ。――聞いたわねチカ。それこそがアイツの心を折るキーワードよ!』

 『良く喋る口だな。魔法使いは毎度余程の油が舌に載っていると見える……!』

 『お生憎様。これも全てチカからの話よ。貴方はチカよりも口達者! チカは幾つもの言語を操れる天才神官だからこそ、基本の呪文に苦労した……。その言葉遣いを丁寧に丁寧に教えたのは貴方だとチカが嬉しそうに話していたのを、私は聞いているの。分かるかしら。つまりこの弁舌は、貴方がチカに教えたからこその物よ……!』

 

 マッキー先輩の設定は精霊魔導士だ。チカと同郷で、賢者カグヤの弟子。偉大なる師匠の背中を追いかけるが、やがて背中を追いかけるだけではダメだと気付いて成長していくという設定。一人だけちょっと年上で、面倒見が良い制御役に収まっている。

 この春入学の一年生だが、積極的に毎回TG部に顔を出しては楽しく遊んでくれている。先輩としては有難い。なんか永久部長とか称号が与えられそうだ。

 

 「マッキー先輩の癖に……! 癖に……! 覚えててくださいよ……! 次罰ゲームしたら先輩じゃなくて先ハイって半濁音を消して呼んでやります……!」

 

 TRPGにおいて、GMは基本シナリオを構築する。この際に注意すべき点は、仲間外れを作らない事だ。千花のPCに焦点を当てた際、必ず他二人の活躍場面を入れる。存在価値を与えてやると、全員がやる気になって盛り上がる。逆に誰か一人でも楽しめない人が居れば失敗だ。

 

 上手いこと、全員にモチベーションを与えた結果、テラ子さんとマッキー先輩は、僕の計画に便乗した。ここぞとばかりに千花を激励――するついでに――惚気ろ! と後押しする。

 普段の逆恨みが絶対入ってると思ったがそこはスルーだ。

 僕の笑顔が邪悪に見えた、とは千花のアフタープレイでの台詞であった。

 

 『ほう、どうした神官チカ。まさか心が折れたのか……? ならば俺の手を取れ……!』

 『負けません……! ええ、負けません! 例え貴方の手を取らなければ負けるとしても、私はここで降参なんかしません……!』

 

 覚悟を決めたらしい千花は、チカのRPを開始した。

 その目はまだ僕への攻撃を諦めていない目だ。まだ対抗心に燃えて惚気る気満々の目だ。

 

 面白い。面白い! さあかかってこい藤原千花!

 ある意味がここからが本番だぞ!?

 

 ◆

 

 聖騎士テラ子の剣が、アンデッド戦術師:イシガミを切り裂く。

 彼がフィールドに効果を与えていたペナルティが消え、変化した行動値によってマッキー魔導士が呪文を唱える。

 パーティ全員を強制移動させ、加えて防御力と攻撃力を上昇。更に二重詠唱のスキルを使って広域魔法を発動。シラベに若干のダメージを与えるとともに、邪魔なトラップを破壊!

 そして神官チカが、杖を持って殴って来る。彼女は殴りアコライトなのだ!

 

 『マッキーの言うとおり、何かおかしいと思っていました……! 勇者としての私達と一緒に居れば、貴方は何も不足が無かった……! 無かったと、思っていました! でも違うんですね? ……貴方は何か、もう一つ欲しい物があった。それが私。そしてそれは……きっと……勇者と一緒なら絶対に叶わない願いだった……! 違いますか……っ!?』

 『鋭いな……! そうだ。その通りだ! 勇者と共に魔王を倒した神官は、その功績を持って高位司祭に任命される。そうなってしまえば、婚姻は疎か、まともに愛を囁くことも! 謁見することも! できなくなる! 分かるか! その時の俺の苦しみが……っ!』

 『そのために皆を……!』

 『その為だ! ああ、その為だ! 例え世界を救い、例え権力や報酬を手に入れ、名声をほしいままにするとしても、そんな事より俺には! お前と一緒の時間の方が大事だったんだ……!』

 

 千花が仰け反った。

 これはRP!これはRP!と言い聞かせながら必死に言葉を紡ぐ。

 そこに背後から追撃が入った。

 攻撃対象はエネミー:シラベにだが、PL発言は千花に突き刺さるのだ。

 

 『馬鹿な話を……! もしもそうだとしても! 貴方は大馬鹿だ! 貴方は途中で諦めたんだ!』

 『ほう、何を言いたい聖騎士! 勇者の剣を受け継いだだけの女が!』

 『剣からは勇者の言葉が響いてくる。だから言おう。貴方は、世界の平和と彼女、そのどちらかを手に入れるのではなく――「どちらも手に入れる」方法を考えるべきだった! 仲間の力を借りればその位出来た筈なのに……! それをしなかったのは貴方の弱さだ!』

 『ぐっ……! 悪いか!? 世界と個人を天秤に乗せ、個人を選んだ俺を愚かだと言うか!? それだけ大事な存在だった!』

 『開き直るな! その行動をしてチカが喜ぶと思うのか!』

 

 僕とテラ子さんの会話が届くたび、千花はびったんびったんと水揚げされた魚みたいになっていく。だからこれはRPなんだって。

 

 「……うん、良い指摘だね。ダメージボーナスを+20どうぞ。これはメインプロセス中に継続するから、連続攻撃をする場合、その回数全部に乗る」

 「はーい。ムーブで踏み込み、マイナーで剣術無双、メジャーでダブルスラッシュ。このタイミングでオートアクション二刀流発動。ダメージ前に勇者の剣で、相手の装甲を無視します。コロコロ……命中、ダメージは44+2d6+20が2回、合計で……137点です」

 

 聖騎士の刃が切り裂く。元々余りHPが高くないシラベは大きく削れ、ハートを覆うバリヤーが一枚破壊される。残り1枚だ。

 

 『俺が頼ればよかっただと……!? 馬鹿な話を! 勇者と賢者の関係に心を砕いていた。戦術師は、旅の途中で出会った監察官とのやり取りで手一杯。神官だけが俺の――僕の意味になっていたんだと気付いた時の、俺の絶望が分かるか……!?』

 『そう。それを話せば良かったんだ。貴方の仲間は、貴方が助けを求めた時に応えないような人たちじゃない。それは貴方が良く知っていた。なのに勝手に離れたんだ。その際の悲しみは、私が知っている。偉大なる先輩が日記に残していた……! 彼女の従者から受け取ってきた!』

 『くっ、……戯言を! 例えそうだとしても、もはや止められない……! 今更、後に引けるものか!』

 

 イニシアチブに割りこんで、追加攻撃。シーン攻撃だ。

 書籍を捲ると、無数の文字が躍る。それらが一つ一つ意味を成し、全員に攻撃だ。属性は【精神】。この効果を受けると混乱だ。『あれ、ひょっとしてシラベの発言正しい?』とか思う。

 

 「抵抗判定……。私は成功。って、マッキー先輩失敗してる!?」

 「いや、私の行動はもう終わってる。私への回復リソースはチカに渡してあげて。相手のHP的に、チカがフルコンボを叩き込んで、更にギルドスキルの『神速』を使えば追加攻撃できる。倒せると思う。無理でも次Rまでチカが生きてれば問題ない。テラ子がカバーできるし」

 「了解。じゃあチカに万能薬を投げる。これで回復。あと任せた」

 「任されます。――『いいえ、まだ引き返せます!』」

 

 エネミーの発言に、チカが動く! まっすぐに杖を構えて詠唱。

 マイナーで神罰。相手の受けるダメージを+10し、メジャー、神力の一撃。

 

 『なんだと……!?』

 『ここで私が貴方を倒す。貴方を倒せば、貴方の名誉は守られる! 例え貴方が罪を犯しても、私は貴方を忘れない。私は貴方との旅を忘れない。――貴方との思い出は胸に残ります! ならば、これ以上貴方を貶める事はさせない……!』

 『知ったことか……! 例え俺の名前がどうなろうと、お前と一緒ならば――!』

 『いいえ、倒れて貰います! ……私は貴方が好きでした。仲間の活躍を広め、色んな人々から力を借りる貴方の姿が好きでした。こんな事をしなくても、私はきっと貴方と一緒に居たのに……! 馬鹿な、人!』

 

 ぐっ、結構大きなダメージ来るなこれ!?

 エネミーシラベと僕が別だと分かっていてもダメージ大きいぞ。

 

 だが、しかし! と思う。

 ましてRPしている千花の精神状態は如何ほどか!

 このまま続ける!

 

 そのまま神官チカの攻撃が命中! シラベは戦闘続行でHP1となって起き上がるが、「シラベの心」を覆うバリアは全部破壊されてしまう。

 そこに神官チカは追撃を加えた。

 

 「攻撃終了後にシナリオ1回の「加護」発動。フィールド上の味方1人を未行動に戻します。自分自身を指定。そこから「心」に向かって殴ります。バフ効果モリモリに――」

 「勿論、RPダメージも乗る。+20どうぞ」

 

 「はい。ではダメージが……50+2d6+20です。これで一撃……!」

 『ぐっ、まだだ……まだ負けない……まだ、俺は……!』

 『いいえ、貴方は負けます。だって貴方は、今もまだ諦めていない。貴方は何時もそう。何かに真っすぐになると、本当に限界になるまで走り続ける。限界を超えても走る。自分が見落としている事にも気付かずに。それを拾うのは私の仕事だったんです。忘れましたか……!』

 『――っ!』

 『だから……休んで良いんです!』

 

 「チカの攻撃! ギルドスキル「神速」、からの追加でギルドスキル「結集」を発動。味方全員の武器攻撃力が追加されます」

 「……それは隠しイベントのフラグだ。チカが使った瞬間、かつての仲間達の姿が見えるぞ。具体的に言えば」

 

 と此処でミユキ、カグヤ、イシガミと書かれた自作のキャラシートを取り出して、僕は見せた。

 そこに書かれている攻撃力を、神官チカの攻撃に上乗せさせる。

 

 『……力が溢れて……! 皆が応援してくれているんですね……! 受けなさいシラベ! これが私と、貴方が見落とした仲間の力です!』 ――攻撃……クリティカルッ!」

 「ここで出すか! 回避不可能だ。クリティカル効果でダメージにボーナスどうぞ」

 「ダメージは……さっきの数字に、+……64+10D6です。トドメっ!!」

 「それは――言葉と共に、シラベに届くぞ! 彼は致命傷を受け、心を砕かれる!」

 

 『ぐああああっ! ……そうか……そう、か……忘れていた……俺は……僕は……』

 『目が覚めましたか? ……ああ、やっと元の顔に戻りました。それでこそ、私が好きだった、貴方です――。本当に馬鹿なんですから……』

 

 「――っ、エネミー撃破だ! 戦闘終了、PC側の勝利」

 「っし! ――勝った! 勝ちましたよ! ……勝負には勝ちましたが試合に負けましたけど! なんですかこれ! 楽しいのが腹立つ!」

 

 RPをやり切ったチカは千花に戻って、大きく息を吐く。ダイス目を伺っていたテラ子さんとマッキー先輩もよっしゃーとハイタッチを交わす。

 

 千花の顔は、赤かった。

 だがそれは、今までの、のんびりした……溶ける様な赤さではない。ドキドキとした心拍数が上がる、興奮にも似た赤さだ。どうやら狙いは上手く行ったらしい。

 

 「さて、無事に戦いも終わったし、EDからアフタープレイに移ろうか」

 「あ、ちょーっと待って下さい! 調さん。やりたい演出があるんですけど良いです?」

 「おーどうぞどうぞ。じゃあシーン管理を任せるね」

 

 だが千花もタダでは終わらなかった。

 まだ、勝負は終わっていなかったのである!

 

 ◆

 

 「はい。じゃあ、戦闘終了後、倒れたシラベを地面に寝かせます。多分……もう限界で死にかけですよね?」

 「だね。……『チカの顔を最後に見るのは……悪くないな……。向こうに逝ったら……皆から怒られそうだ……。いや、僕だけ地獄行きかな……?』と言いながら目を閉じるだろう」

 

 「『させません。……私は一人になりました。だけどシラベがまだ生きていた。貴方がしたことは! 許せません! だけど、また仲間を失うのは嫌です……!』 と、GM! ここで「奉心の石」残ってましたよね、これ使って回復させられません?」

 「良い発想だね。許可だ。ではチカが石を翳すと、そこに込められた「奉心の奇跡」が発動。シラベの身が癒える。『……これは……どうして……』」

 「『言ったじゃないですか。貴方がそんなことをしないでも、私は貴方と一緒に居たのに。……生きて下さい。私も一緒に行きます。そして、貴方が行った罪を、一緒に濯ぎに行きましょう』

 「『……それは――』」

 「『良いんです!』 ――と神官チカは叫びますよ」

 

 「『私が一緒に居たいんです! 散々我儘を言ったんだから、今度は私の我儘を聞きなさい!』」

 「『あ、はい、分かりました』」

 

 「と、こういう感じで、神官チカは詩人シラベを仲間に加えます。で、更に此処でシラベの能力を使います。魔法で文章作成ありましたよね? それで、勇者一行を倒した謎の敵は、私と私の仲間、更に生きていた詩人シラベで退治したという情報を流します」

 「ふむふむ。それは出来るね」

 「で、更にその新聞にこう付け加えます。神官チカは、神殿の前でこう宣言しました」

 

 すう、と千花は息を吸って。

 

 

 「調さん! 結婚しましょう!!」

 

 

 言葉が僕の頭にめり込んだ。

 最後の最後でボールが飛んできた。

 

 確かにそれが一番綺麗なハッピーエンドだ。だが……まさか千花の方から提案してくるとは……! してくるとは……!

 まさか! 堂々と「結婚しましょう!」と言われるのは貴重(レア)! それも貴重を通り越して神話レア! テラ子さんもマッキー先輩も唐突な惚気に頬が赤い。

 

 最後の最後で、卓の支配を奪られたのだ。

 僕は「やられた……!」と言いながらアフタープレイに入るのだった。

 

 

 本日の勝敗:引き分け。

 理由:RPが盛り上がり、両PCが共にハッピーエンドを迎えたため。




システムの名前を出せないのが悲しみですが、筆者はTRPG大好きです。
C○Cは?と疑問に思った方。鋭い。

※指摘でマッキー先輩が1年生だと頂きました。
既に修正済みですが、原作呼んでるのにミスるとは……。申し訳ない。


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岩傘調は脱力したい

偶には藤原千花が出ない話が合っても良い。

アニメ4話で藤原千花の猫耳姿がリアル猫娘風だったと残念に思ったそこの人。
原作2巻の17話後の余白に可愛い奴が書かれてます。必見。

今回のクトゥルフネタは「必要だと思った!」から入れました。
次話にでもネタ晴らしします。「LOVE」が大事なんです!この話は!


 「実は是非とも来て欲しい、とチケットを貰ったんだ。二枚ある。僕が行こうとも思ったんだけど、仕事で行けそうもない。悪いんだけど代理で出てくれないか?」

 「コンペンション? 技術について詳しい話は出来ないよ? 相手の解説を聞いて、面白いか面白くないかを判断してくるだけになるけど、それで良いなら」

 「うん、それで良い。楽しんできてくれ」

 

 そう言われ、親父から貰ったチケットを手に中に入った。

 千花と来たかったが、今日、彼女は実家の用事があってお休みだ。

 一応、妹も誘ったが『は? 一緒に出掛けるとかヤダ』と()()されそうになったので慌てて取り消した。となると誘える人間は限られてくる。会長に話を持っていったらバイトだと断られ、石上に話を持っていったら「面白そうですけどその日新作の発売日なんで」と断られた。

 

 であれば、護衛も兼ねて、憂さんを誘うのが道理という物だ。

 会場は東京臨海にある逆三角形の建物。サブカルチャーのイベントで有名だが、コンペンション――つまり試作品を含めた各種製品の展覧会なんかも、しょっちゅう行われている。無論、入場には相応の金かコネが必要となる。

 

 高校生ともなればスーツに袖を通すのは初めてではないし、格式高い社交界に顔を出すことも(あんまり好きじゃないけど)ある。身支度がちゃんと出来ているかを確認して、足を踏み入れると、そこには大小様々な機械(ロボット)が並んでいた。

 

 「確かにこれは楽しい……。男なら絶対楽しい……」

 

 ロボットと言ってもファンタジーやらロボットアニメやら特撮やらに出てくる奴ではない。主に軍事品、民間品に使われる様々な新型機械だ。パワードスーツとか、超小型の人型アームリフトとか、ロボットのペット、掃除機、警報システムなんかもある。

 中小企業が出展していたり、各種スポンサーが歩いていたり、技術者同士の交流が行われていたりと、中々見応えがある。並ぶ企業は百社を超える。これは……骨が折れるな?

 

 「僕よりも詳しいですよね、憂さん。聞き取りはお願いします」

 「お任せを。ところでこれはデートですか?」

 「え“。……あ、そう取ります? 僕は千花一筋なので申し訳ない。違います」

 「冗談です」

 

 憂さんは、しれっと冗談を言う。そして冗談を言う時もくすりとも微笑まない。身内の僕らですら、最後に彼女の口元が緩んだのを見たのは……三か月くらい前である。

 信頼信用できる人であることは確かだが、謎も多い。

 琥珀色の目、アッシュブロンドの髪。寡黙さとミステリアスさ。これらの要素も合わさって人目を惹く。大学でも言い寄る男が多かったそうだ。化粧っけもあんまりないけど、僕より十歳年上な癖に全然そう見えないし。黒スーツ姿なのがまた似合っている。

 

 「ではまず何処からが良いでしょうか憂さん」

 「小さいブースから行きましょう。大きなブースは、どうせ長い時間やっています。持ち時間も長く、相談スペースも広いですから。小さい企業は、契約がある程度取れれば、あとは撤収するところも多いでしょう。B会場から行きましょう……。それと、出展名簿を見ておくと良いかと。4ページ目の三段目です」

 「はい? …………秀知院学園、技術開発部……、マジか……」

 

 うわあ、という声が漏れそうになるのを、僕は必死に押し殺した。

 流石に公衆の面前でこんな顔をするわけにはいかない。例え相手が、アイツでも。

 

 ◆

 

 学生たちは卒業後も、何かと大きな場で出会う事は多い、とは以前に話したと思う。別に卒業後でなくとも出会う事はある。『技術部行きたくねえなあ』とせめて顔を出すのと後にしようと提案した僕は、防犯・防火などのセンサー類を扱うコーナーに足を運んでいた。

 そして、予想外の顔と遭遇した。

 

 「あ? お前も来てたのか岩傘。おう、そう構えるな。こいつは只の同級生だ。危険はねえ」

 「こっちの台詞だな。なんで龍珠さんがこんな場所に?」

 

 周囲を守る黒服に指示を出したのは、龍珠(りゅうじゅ)(もも)である。

 珍しくも女子らしい(口に出すと殺されるが)服装で彷徨っている姿は、どこぞのお嬢様だ。契約を勝ち取る父親に強引に連れてこられた感が出ている。

 周囲の黒服はいずれもサングラスを掛けた屈強な大男達で、統率が取れている。

 

 憂さんも若干の臨戦態勢になっていたので、手で制止して「大丈夫です」と伝えた。彼女なら黒服数人を相手にするのは簡単だろうが……ここじゃ不味い。

 

 「親がヤクザだからって早々殺さねえよ。分かんねえのか? ぶっ殺すぞ。……ウチだって全部が全部シマからの稼ぎじゃねえ。最近は取り締まりも厳しいからな。会社作って運営してるんだよ。勿論ちゃんと株式会社だ。非公開で上場はしてねーけど。で、そういう会社が、防犯系を運営してる。蛇の道は蛇。堅気じゃねえ奴らの動きや習性は詳しいからな」

 「納得した。頑張ってくれ。それじゃ、また今度学園で」

 「待て。ちょい付き合え」

 

 ぐい、とスーツの首根っこを掴まれた。相変わらず眼力が剣呑で力が強い。

 長ドス持って乗り込んできたら普通の生徒はビビって降参するぞ。

 

 「慣れない女が歩いてると、カモだと思って営業が話しかけてクソだりぃ。ガン飛ばして追い払うのも面倒になってきた。技術部までで良いから一緒に来い」

 「僕、技術部嫌いなんだけど」

 「お前の事情は知るか。おら行くぞ」

 

 目で黒服の皆さんに訴えかけたが、彼らは巌のように黙しているだけだった。

 

 「分かった。分かったよ。だから手は放せ。スーツが皺になる」

 「あ“? ……そうだな、そいつは悪かった。ところで天文学部の予算について融通を通して貰いたいんだが、スーツの代金は幾らだ?」

 「買収じゃねえか」

 

 天文部の奴ら、以前の予算申請時『新しい望遠鏡の購入費用と、オーロラ観測の為にカナダ行く旅行費出せ』とか言ってきたので、メンチの切り合いになった。何とか僕が勝ったが、あの時の出来事、未だに根に持っていたらしい。

 幸いにも僕は精神的健全度合(SAN値)には自信がある。誰相手でも気後れしないのは特技だ。尚、相手を理解して自分から引き下がる事も多いと付け加えておく。

 

 身嗜みを整え、緩んだネクタイを締めなおすと、僕は彼女に付き従う事にした。

 おかしいな。僕はロボット展覧会を見に来たのであって、断じて同級生の女子達と遭遇しに来たわけじゃないんだが。

 

 ◆

 

 「おー、岩傘さんじゃないデスか。今日はプライベートデスか?」

 「仕事みたいなもんだよ。親父に此処の招待状が来たの。忙しいから代理で僕が来た」

 「なるほど。龍珠さんはお待ちしていまシタ」

 

 秀知院学園における研究開発というのは、あんまり有名ではない。

 

 元々が貴族の子弟やエリートを育成する学園だ。実際に機械を動かす現場畑の人間は多くない。石上会計は玩具会社の次男坊だが、彼とて実際に工場で働くわけではない。目指すは経理とか話していた。つまり学園の大多数の人間にとって研究開発は『出資する相手』なのだ。

 

 ただ逆に言えば、秀知院学園での研究開発は、スポンサーと人脈には事欠かない。

 財閥令嬢:四宮かぐやを筆頭として――大小様々な企業の子息が通う場所だ。あらゆるジャンルの権力者を網羅している。龍珠桃みたいに、良い開発品は実家で買い取る、という立場の生徒も居るだろう。

 

 故に大学部には、技術系の学部がある。そして技術開発部(クラブ活動)は、高等部中等部初等部を含め一括で同じ部活に所属する形を取っている。

 色々変なのも作っているが、有用な奴も作っている。

 

 そして広報と言う立場上、僕はそいつらも顔見知りであった。

 

 「相変わらず取り留めのねーラインナップだ。これで成果出てなかったら他の家から制裁受けるぞ。私には関係がない話だがな」

 「……まあ成果は出てるからな。失敗作も多いが、特許もちょこちょこ取っている」

 

 僕の言葉に、恐らく最も面倒臭く、最も鬱陶しく、最も諸悪の根源と言える女が頷く。

 

 ここは秀知院学園の開発発表エリア。この辺は、中小企業では近寄れない、要するに金持ちが揃っている場所だ。他のブースと違い、部屋ごと隔離されていて、然るべきチケットが無いと見学すら出来ない。当然、内にいる人間も、どことなく裕福そうで、大企業の幹部っぽい。護衛や従者を引き連れた人間も多く、よく見れば「あの人、新聞で見たな?」が結構な数だ。

 人もかなり少ない。混雑してないのは助かる。

 

 「その通リ。失敗は成功の母デスよ。加えて生徒からの要望に応えて色々制作しますカラね。謝礼を貰う以上、仕事はきちんとやりマス。お陰で無事存続できてマスねー」

 

 白衣、黒髪ロング、度が強い瓶底眼鏡。カタコト。割とハイテンション。

 こんな奴を相手にしなきゃいけない僕の苦労を考えて欲しい。……一年生の風紀委員で、大きく丸い眼鏡をした女子が居たが、彼女とは雲泥の差だ。

 

 「そちらの美人サンは? 浮気? ――ごめんなさい冗談デス。目が怖いデスよ広報――何回か学園で見まシタ。岩傘さんチのお手伝いさんデスね。私は津々美(つつみ)竜巻(たつまき)同級生デス!」

 

 津々美竜巻、と言う女は、変な奴である。

 僕は文系と言う意味で大分変な奴、という評価を貰っているが、こいつは理系で変人……変人を通り越してクソ面倒臭い騒動を引き起こす元凶であり、諸悪の根源、大アホの頓珍漢だ。

 一種のギフテッドで、同時に一種の災害だ。竜巻の名前は伊達じゃない。

 因みにこの女の実家は、国家直属にある、さる研究機関の理事長だ。将来は研究所の運営に携わるのが目標。技術開発部に参加しながら、経済経営などを学んでいる。

 

 「頼んでおいたもんは出来てるか? 新型のセンサー二つと、警報装置だ」

 「無論。ご注文の通り水中設置式デス。池の内部に置いて、水面越しに探知できマスよ。動作確認は向こうでやってマスので、確かめるなら是非どうぞ」

 「おう。ちょっと行ってくる」

 

 ぞろぞろと黒服を連れて、龍珠桃は移動する。厄介ごとが一時的にでも減って安心だ。

 同時に憂さんが微かに息を吐く。何か緊張でもしていたのだろうか?

 

 「黒服達が中々鍛えていたのと……私の方を注意深く伺っている男が一人居たので。いざという時に全滅させるには如何すれば良いかな、と考えておりました。龍珠さんでしたか? 彼女も荒事慣れしているようです。何かあった時の為、やはり武器が必要だなと」

 「憂さん、幾ら中東育ちだからと言って、此処でそういう危険な事は無いので……多分」

 

 開発品を興味深く眺める憂さんに、すぐさま竜巻は営業を掛けた。

 

 「いやー面白い人デスね。此方とかどうデス? スタンガンを改造したグローブです。触感は素手と変わらず、いざという時は拳で殴ると電撃が発射。これで変質者も蛇人間もチョー=チョー人も安心。これも広報から借りた、ハムリン博士の電池技術論文のお陰デスね」

 「有効に使うのは良いけど兵器開発すんなよ。あと読み終わったら速やかに返せ。九郎さんから借りっぱなしなのも限度があるから。まず既存の奴を返却しないと新しいの借りれないんだ」

 「ヤー誤解デスね、これは只の防犯グッズデスよ」

 

 過剰防衛になるぞ。

 

 ……ハムリン・ヘイズ博士はミスカトニックに90年ほど前、1920年代に所属していた電気工学の専門家だ。極寒で利用できる蓄電池の開発を行った。……まあそれが()()南極探検隊事件に繋がるのだが、これは割愛する。

 確かに、昔の技術を最新技術に転用し、使用可能にする、その手腕は凄いんだが……俺はいつか、この女がヤバイ禁忌を一歩踏み越えてトラブルを起こすんじゃないかと心配だよ。

 

 「まーまー、他にも色々ありますヨ。そっちのゲーム筐体とかどうデス? オカ研の阿天坊先輩から頼まれた品デス」

 「……本当に節操がないな」

 

 会話をしているだけで疲れる。

 あー千花が恋しい。千花の膝の上で寝たい。癒されたい。

 そう思いつつ話を聞いてやった。

 

 目を向けると、展示ブースの一角に、ででん、という感じで四角い箱が置かれている。

 大きさとすると……ゲームセンターに置いてあるゲームの筐体くらい。2mちょっとくらいの立方体という感じだ。画面、アーム、キャスターが据え置きされ、中々立派である。一見すれば蹲ったロボットのようにも見える。色々と配線が繋がっていて……あちこちが点滅している。

 配線やケーブルがかなり色取り取り。じっと見ていると何処となく植物の葉脈や、節足動物っぽくの関節に見えてくる。目がくらくらした。

 

 「これは所謂『恋愛の波動』を感知しマス。恋愛の波動と言うと怪しいデスが、つまり周囲一帯をサーチし、その中で異性と一緒にいる者を選択。その人物の体温や心拍数をサーモグラフィーで計測。恋愛感情にあると思われる物に反応する作りデス。……理屈は嘘発見器デスね」

 

 カラオケとかに、ミニゲームで愛称が良い者同士を選ぶ占い機能があったりする。ゲーセンとかにも恋人同士でやるゲームがあるな。失敗すると気まずくなるアレだ。

 今の時代、ネットで恋愛相談や占いが出来る。であればそれをオカ研が欲しがるのは理解の範疇。阿天坊先輩、恋人同士を見るとセクハラをしてくることで有名だし、ノリノリで注文したんだろう。応えて作る方も作る方だけど。

 

 「ちなみに名前も決まっていマスよ。恋人同士の刻を計ると言う意味で、チクタk――」

 「! 危ない」

 

 津々美が良い終わる前に、僕と彼女は、憂さんから足払いを受け、床に転がされていた。

 そして一瞬遅れ、頭上を何かが通過する。

 銀色に光る何かは、さっきまで頭のあった位置を通り過ぎ、占い筐体に突き刺さっていた。

 ナイフであった。

 

 ◆

 

 「はあ!?」

 「避けろ岩傘! 私んチ()に恨みがある馬鹿が突貫してきやがった!」

 

 一瞬遅れて、警報装置の試作をしていた龍珠桃が叫ぶ。

 

 声に言われてそっちの方を見ると、先ほどまで彼女を囲んでいた黒服の一人が、こっちに向かって走ってきている。理解が追い付かないが、えーと、つまり、龍珠組に恨みがある男が忍び込んで、組長の娘を狙ったという事か。また七面倒なことを!

 そういやさっき、憂さんが警戒していた男が居たな。さてはアイツか!

 

 何とかに刃物。このエリアが、そういうヤバイ世界に耐性がある人々ばかりで助かった。

 これが中小企業ブースだったら間違いなくパニックになっていただろう。

 警備員がざわっと騒ぐが、殆どの人間が護衛や従者を盾に背後に隠れ安全を確保。恐らくこの騒動が表に出る事はあるまい。

 

 件の黒服は、目を血走らせ、刃を片手に走り抜けていく。ほんの僅かに血が付着しているところを見るに、護衛の誰かが身を挺して庇ったか。龍珠に怪我は無さそうだし。

 目的を達成できなかった男の行く先は決まっている。広域指定暴力団の娘を襲ったのだ。コンクリートの中を経由して東京湾が相場だ。

 そして後がなくなった奴は、節操なく暴れる。

 

 追い詰められた黒服は、僕らの方に向かってきていた。

 ……あんにゃろうめ、龍珠桃とこっちが親しい(?)からって巻き込みにきやがったな?

 一歩、憂さんが前に出た。

 

 「お借りします」

 

 そう言った彼女の手には、スタンガン手袋が嵌められていた。

 僕は無言で下がり、津々美も序に下げておく。此処は護衛にお任せしよう。

 

 「――シッ」

 

 憂さんは風のように動いた。迫る男の足を踏み、相手が痛みで怯んだ瞬間に懐に潜り込む。そのまま関節を捕らえ、空中に放り投げて、頭から逆さに落ちる男の胴体に拳を当てる。刹那、バシィっという鈍い音がして電撃が黒服に浸透。焦げ臭い匂いがして、奴は壁際に吹っ飛んでいく。……流石、元傭兵。容赦がない。

 

 「大丈夫か!? ――大丈夫そうだな」

 

 そして直ぐに、混乱は収まった。

 気絶した男は、警備員に連行されていく。その際、桃が何か黒服に指示を出していた。恐らく引き取り手続きと、後始末の諸連絡だろう。この場所で騒動を起こした責任を取る必要もあるだろうし。……ヤクザ怖い。

 若干、このエリアに混乱は残っているが――他エリアにまで伝わっていることは無さそうだ。そして中断されていた商談や契約が再開されていく。これが一部の人間にとって非日常じゃないのも、かなり怖い。

 

 まあ、でも、だ。

 ここで例を挙げるのはなんだが、御行氏や石上はさておき、かぐや嬢ならこの程度、笑顔で切り抜けると思う。内心でビビっていても素知らぬ顔で切り抜けるだろう。それだけの権力と立場がある。そもそもの危険に近付けないのが四宮家の方針であっても……早坂愛(はーさか)もかなり強烈な護身術を会得しているぞ。

 

 「悪いな。ウチが原因で迷惑かけた。後日、詫びに行く。――お前のところの護衛強いな?」

 「お母さんが拾って来た人だよ。もう十年以上は家で働いてくれてて……大事な家族なんだ。勧誘しないでね」

 「お母さん? ……あれ? お前何時も()って呼んでねーか?」

 「……今のは聞かなかったことにしておいて。色々あるんだよ僕の家も」

 

 しまったな、口が滑った。

 龍珠桃は『まあ、お家騒動くらいは良くあるか』と納得して、それ以上の追及を辞めてくれた。ありがたい。

 

 いや本当、僕の生みの母親は、今どこにいるのやら。

 親父も、継母も、実母の行方は調べている(尚、前妻と後妻の関係だが此処も仲は悪くない。むしろかなり良い)がさっぱり足取りが掴めない。

 

 定期的に貰っている、四宮かぐや嬢からのファイルで、生きていることは分かっている。

 むしろ四宮グループの力で、やっと生存の痕跡が判明していると言っても良い。

 

 表向きは戦場カメラマン。本当の職業は言葉を借りれば『探索者』。

 憂さんも、元々はと言えば、生みの母が――紛争地帯で幼くしてゲリラ的活動をしていた彼女を拾い上げたという経緯がある。そりゃ強いのも当然だ。

 

 「まあ、……なんだ、色々あって大変そうだが、今回ので借りを作っちまったな。どっかで返す。何か言ってくれりゃ出来る範囲で協力するさ。どうする? 私はもう帰る、っていうか帰らないと不味くなったが、送ってくか?」

 「覚えておくよ。――まだ時間はあるから、このブース以外にも色々回ってから帰ることにする。気遣いだけ受け取っておく。表向き、特に何も事件が無かった……ってするならそっちの方が良いでしょ」

 「それもそうか。じゃ、また今度学園で。藤原によろしく」

 

 龍珠桃は帰って行った。

 ナイフが突き刺さった、占いゲーム筐体も被害は少なかった。幾つかの配線が切れ、基盤がちょっと傷付いたが、交換すれば支障は無いとのこと。

 

 「ここの展示が終わったら学園に搬入するヨー。その時は確かめに来て欲しいナ?」

 「余裕があったらな」

 

 ちょっとばかり時間を使ってしまったが、まだコンペ終了まで時間はある。

 頼まれた以上、招待状を受け取って中に入った以上、これは仕事だ。出来る限り完遂したい。

 それにロボットを見たいんだ。出来るだけ沢山見たいんだ。

 津々美にも適当に挨拶して、僕は憂さんと再び、会場を回る事にした。

 

 それからはさしたる問題もなく、一日を終える事になったのだが――。

 

 「……そういえば、あのゲーム機、なんて命名されたんだっけな」

 

 あの占いゲーム筐体の名前を、津々美が言いかけていた。その後の乱闘騒ぎで聞きそびれてしまったが……。まあ、良いか。数日後には搬入されるというし、その時で。

 スーツを着たから肩が凝った。脱いで、ネクタイを外し、白のワイシャツだけになって、僕は後部座席で大きく背筋を伸ばし、欠伸をした。……千花に電話して、癒されておこうっと。

 

 ◆

 

 「良し、治ったネー。これで学園に搬入できるヨ。これで学園に蔓延しているラブの波動を感知するのデス。頼みマスよー『チクタクマン』」

 

 ゲーム筐体は、まるで何かに動かされているかの様に、チカッチカッとセンサーを明滅させた。




津々美(つつみ)竜巻(たつまき)
元ネタは「竹取説話」に出てくる『叩かずとも鳴り響く(つつみ)』より。
トラブルを引き起こし、竹取物語とクトゥルフを結ぶ、色んな意味で貴重もとい便利な女。

ラブコメだけで全部やってく原作は凄い。


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岩傘調は看破したい

 何日か前に『かぐや姫がいるなら、ちょっとくらいのオカルトがあって良い』と言った。

 だがしかし。だがしかし。幾ら非日常が僅かばかり存在しているとしても、それが学園生活で発生するというのは、かなり受け入れにくい筈だ。僕はそう思う。受け入れ難い。受け入れがたいが――目の前に起きている出来事を、無視はできない!

 

 「おい、やばいぞ。一階……! 入り口前の銅像の場所だ。上に避難している奴が限界だ!」

 

 誰かが叫んだ。

 大広間には幾つかの石像が置かれていて、その上に避難をしていた女生徒が三人いる。

 だが石像とは言え、大きさは人間程度だ。台座の位置はロボットより低く、複数人が一度に、高い場所に乗り続けるようには出来ていない。このままだと、誰かが落ちる。そして捕まる。

 死にゃしないだろうが怪我は確実。それは不味い。それは、とても不味い!

 

 「どうする! 時間ねえぞ、白銀!」

 「待て、今考えている! とりあえず無関係な奴は裏口から出入りが出来る。二階からじゃ……ロープを垂らしても距離が足らん! 電力は……阿天坊先輩、どれくらいで切れますか!?」

 「津々美さんの言葉が正しければ2時間ね」

 「今、教員室に連絡を入れましたが、校長主催の会議中です。急いで来るように伝えましたが、それよりは僕らで何とかした方が良いですよ!」

 「待つのも無理か。――であれば、少々危ないが……男達で何とかしよう!」

 

 玄関エリアを徘徊する巨大な躯体――恋愛占い機器『チクタクマン』。

 2m強の立方体が、我が物顔で玄関ホールを徘徊している。その馬力はかなりのものだ。速度も、こっちが必死で走ればなんとか逃げ切れる程度……。事実、奴は階段も登れないし、急いで上階に昇った奴らは無事だった。此処まで怪我人は居ない。

 玄関ホールで逃げ遅れた女子三人が、これから怪我をするかもしれない可能性を除いては!

 

 「四宮! もう少しだ! 今からそいつを何とかしに行く……! それまで落ちるな!」

 「……その言葉、信じます……。出来れば急いでください……。流石に腕が限界です……」

 

 御行氏が叫ぶ。最もきつい姿勢で耐えているかぐや嬢は、表情こそ変えないが、流石に額に汗を浮かべていた。優れた体幹と体力を持っていても限界はある。

 最も安全なのが渚さん、次が千花。渚さんは石像の頭部分にしがみ付いている。千花は石像におぶさるようにして足を上げている。かぐや嬢は――石像の腕に腕を絡め、一人だけナマケモノの姿勢。下手をすれば、頭から落下してしまう……!

 

 『チクタクマン』のサイズと重さがネックだった。落下だけは受け身を取れても――最も受け身を取れるのは武道の心得があるかぐや嬢だけだろうが――軽く接触しただけでも骨折くらいは覚悟しなければならない。動きはぐねぐねして軌道を読みにくいし!

 走って逃げられるとは言え、それは奴の動きを確認して、一直線で突き放せればの話。キャスター付きの足が如何なる理屈か自在に動き、滑るようにぐるんぐるんと回っている。壁にぶつかったり、絨毯を破ったりもしているが、基本、常に石像の周りを回っている!

 

 幸い――奴は、石像そのものを壊そうとはしていない。手が届かないのだ。

 だが上に避難している女生徒達に、執着している!

 センサーが輝き、三人の少女を標的に捉えている……!

 

 台座の周りを回遊する。その胴体がぶつかるたびに、台座に振動が走る。そして当然、上に乗ったままの石像と、女子三人が揺れ動く。――必死になって捕まっていても、足場が不安定で、体重移動も出来ない姿勢だ。落下は時間の問題。落下せずとも石像が倒れれば終わりだった!

 

 「いっそ一人だけならまだ何とかなったんだ……。三人ともなれば、下手に誰かを逃がすと、そのままバランスが崩れて転落する。それは奴に轢いて下さいと言っているのと同じだ……!」

 「岩傘、落ち着け! それは言っても始まらん。彼女達を助けたくて歯噛みしているのは俺も同じだ! 今、男子たちを走らせた。もう直ぐに道具が届く。そうしたら始めるぞ!」

 「分かってる……!」

 

 いっそ一人だけなら『チクタクマン』の上に落下するようにタイミングを計れば良かった。

 しかし今、三人は奇跡的なバランスで石像の上に乗っている。三人同時に助けない限り、ヤバイ。

 僕はこんな状態を作り出した奴に、盛大に毒突いた。

 

 ◆

 

 阿天坊ゆめ、という先輩が居る。

 

 秀知院学園高等部三年生、オカルト研究部・部長。そして例に漏れず秀知院VIPの一人。

 幸いにも彼女自身は恋人同士を見ると、ちょっとセクハラしたくなるだけのおっとりした女性だ。基本的に笑顔で、のんびりとおちょくるような人物。気分を害させなければ危険はない。

 

 が、今回の本題は、そこではない。彼女がセクハラ好きと言うのも関係は無い。

 関係があるのは、彼女がオカルト研究部の部長であり、ちょっとばかり()()()()()()の能力を持っているだろうという部分だ。占いの的中率とかが異常に高かったりする。

 

 彼女は技術開発部に恋愛マシーンの開発を依頼した。そしてその際、彼女の持つ恋愛観測能力や、ある程度の予知、占い技能や考え方などが、自動処理プログラムの一種として組み込まれたのだ。それこそが津々美竜巻(あの大馬鹿野郎)が作った『チクタクマン』。

 

 本来ならばゲーセンの筐体みたいな物で、所詮はお遊びでしかない。嘘発見器の仕組みを応用し、恋人が放つ周波数をキャッチして反応する程度の、可愛い存在だった。

 

 だが、どんなに可愛い機能であっても、使い方と動き方では立派な怪物になる。

 それを僕らはまざまざと実感していた。

 

 コンペンションでの展示が終わり、学園に運び込まれたのが半日前。

 オカルト研の倉庫内で充電され、起動されたのが2時間前。

 いきなり動き出し、指示を受け付けないまま、倉庫から一気に突っ走って玄関ホールに突入! 四宮かぐやをロックオンして突撃してきたのが30分前だ!

 

 何故、かぐや嬢を狙ったのか――それは僕の推測になる。あれは恋愛の波動をキャッチすると言っていた。であれば、恐らく学園内で、最も秘めた恋心を抱いている少女に奴が向かって行ったのだ。そして、それに渚さんと千花も巻き込まれた。

 

 三人で何を会話していたのかは後日知ったこと。なんでも渚さんの恋愛相談に乗っていたらしい。三人でコイバナ(かぐや嬢は自分の事だと認めないだろうが)をしていたが為、機械はより強く反応し、三人に向かって突撃して行ったのだ。

 

 タイミングも悪かった。よりによって昼食を三人で取り終わり、良い感じにリラックスしていた最中に突貫せんでも良いだろう! 咄嗟に早坂が三人を掴んで回避させなければ、最初の時点で誰か怪我をしていたに違いない。

 

 その後はもう混乱だ。いきなりゲーセンの機械が加速して突撃してきたら誰だってビビる。生徒達は慌てて二階に避難。そして一階には、石像の上に登って難を逃れた少女が三人ということだ。何故あの三人が二階に逃げられず、あんな場所にいるかは知らん! 咄嗟だったんだろう。

 

 僕と御行氏が騒動を聞いて駆け付けた時には、既にあの状態。

 分かる範囲を周囲から聞いて、此処までの話を理解したのだ。

 

 「待たせた! 持ってきたぞ! ステージ組み立てに使った鉄棒と噛ませるための角材だ!」

 

 僕はこの時、気が気じゃなかった。正直に言おう。かぐや嬢や、渚さんの事は目に入っていなかった。彼女が怪我をしやしないかと焦りに焦っていた。

 だが、そんな僕に御行氏――いや、白銀は活を入れた。

 

 「助けたいのは俺も同じだ! だから全員で行くぞ!」

 

 僕の意識はそれで戻って来た。御行氏の顔も必死だった。彼とてかぐや嬢が心配だっただろう……! だが責務を忘れなかった。冷や汗を浮かべていたが、続けざまに指示を出し、この事態を打開しようとしていた。

 畜生、と思った。やっぱり彼は生徒会長の器だ。自分が不甲斐ない!

 全力で駆け抜けてきた風祭(かざまつり)豊崎(とよさき)、翼君、その他男子達が、手に細身の鉄棒を持つ。

 そして階段に陣形を組むように並ぶ。僕も彼も受け取った。

 

 「よし……! やる事は分かるな!? 三人を怪我させずに救助する! 方法は一つ! ――あれをひっくり返す!! 気合を入れろ!!」

 

 並ぶ男子達は、一斉に構え、御行氏の号令と共に『チクタクマン』の足元へと突き進んだ。

 

 ◆

 

 やることはテコの原理と一緒だ。

 

 『チクタクマン』の足元は、キャスターで動いている。つまり本体と地面の間に僅かな隙間がある。その隙間に鉄棒を差し込み横転させるのだ。奴が後ろに滑って逃げることだけが懸念事項だったが、幸い奴は女子達に執着していた。御行氏の狙い通り、自分から前進してきてくれた。

 切っ先が上手く入り込んだのを確認したら、次は――全力で鉄棒を、持ち上げるのだ。

 

 ――せえええのおおお!!

 

 鉄棒を握っていた男子達が、一斉にそれを上へ、加える力の方向を変える。

 その場にいた男子全員の意識が結集し、一塊となって鉄棒を持ち上げ『チクタクマン』は斜めに傾いだ。――その隙を見逃さない!

 

 待機していた別動隊が、その隙間に更に鉄棒と丸めたビニールシートを噛ませる。これで支柱が出来た。例え鉄棒が抜けても『チクタクマン』の胴体は半分身を浮かせたまま。重心が浮き、一気に負担が減った。

 こうなってしまえばもう、あとは一瞬だ。

 

 「ころがれええええ――っ!!」

 

 御行氏の――いや、白銀のその声は、その場にいた全員の心を代弁していただろう。

 揺らいだ重心をそのまま押し続け、全員が体重を込めて、全力で――横転させるっ!

 『チクタクマン』は電子音を響かせ、ずずんという音と共にひっくり返った……!

 

 「四宮っ!!」

 「千花ぁあ!!」

 「渚さん!!」

 

 そして、その横転に湧く周囲を無視して、男三人は突っ走った。

 

 『チクタクマン』の脅威が去ったのを確認し、まず会長が飛び込んだ。

 そしてほぼ同時、限界を迎えていた、かぐや嬢の腕が滑る。それに――御行氏が、間に合った!

 滑り込む動きで、両腕を伸ばし、背中から落下する、かぐや嬢を――両腕で受け止める!

 

 「……どうだ……言った通りだろうが……。なんとか……しに行くと……!」

 「ふふ、そうですね……。助かりました……」

 

 汗だくの会長の腕の中、お姫様抱っこの状態で、二人は分かりあっていた。その内に唐突に、自分たちの現状に気付いて降ろすとか倒れるとかのイベントがありそうだが、僕と翼君にそれを見ている余裕はない。

 

 かぐや嬢が落下し、石像のバランスが崩れたのだ。

 慌てて他二人にも飛び降りるように指示を出した。

 

 渚さんは翼氏の上に着地。彼は地面に転がったが、無事に腹の上に渚さんが落っこちてきたのを見て安堵していた。彼が身を挺して助けていた姿は、彼女からも十分に見えている。彼氏が全力で助けてくれたのが嬉しかったようで、笑顔だ。

 

 そして僕も、無事に千花をキャッチした。流石に、会長&副会長のように、お姫様抱っこで――とは行かなかったが、良い感じで抱き留めて、足から着地させる。

 

 「助かりましたぁ……! もう冷や冷やでしたよ。ありがとうございます、いーちゃん!」

 「良いさ……。千花も無事で、良かった」

 

 倒れこみそうだった石像を、阿天坊先輩と龍珠桃の二人が押さえ、台座に戻す。

 かくして『チクタクマン』の脅威は、去ったのである。

 

 本日の勝敗:チクタクマンの敗北

 理由:一同の力が結集して三人の女性を助けたため。

 

 ◆

 

 ――で、それで話が終わる訳がなかった。

 

 開発者である津々美(つつみ)竜巻(たつまき)は、それはもう怒号と暴言と叱責の嵐に晒された。

 損傷された床、壁、壁画、絨毯、台座等々を合わせての賠償に、技術開発部からの脱退処分まで告げられたのである。解決直後は。

 

 ……直後は、である。

 

 というのも。流石に起こした問題の大きさにショックを受け、泣き顔で言い訳も出来ずに『チクタクマン』を解析した津々美は、新たな事実を突き止めたのだ。

 

 「あ、あのデスね。確かに私がハードを作りましたデスが、こんな風に暴走したのは、原因は私ではありまセン。誰かが……ソフトを……弄ってマス……!」

 

 最初は『下手な言い訳』をと誰もが思った。思ったのだが、確認したらその通りだった。

 『チクタクマン』のプログラムを解析した時、不自然なログが見つかり、それらは技術開発部とは全く無関係の場所からアクセスされていたのだ(勿論、竜巻の周囲にある電子機器全てが裏取りされ、彼女の仕業ではない……と暫定的にはだが判断された)。ハッキングである。

 

 『チクタクマン』が暴れたのは、オカルトでもなんでもない、誰かの悪戯――にしては少々質が悪すぎるが――もとい、誰かが仕組んだことだと、判明したのだ。

 

 僕は最初、名前からして不吉だなとか思った。

 マジでやばい邪神が乗っ取って動いているんじゃないか、とすら思った。

 だがそれは大きな勘違いで、何者かによる操縦だったのだ。

 津々美には『誤解して悪かった!』と真剣に謝っておいた。

 

 勿論、管理者責任はある。誰かに細工されたと気付かなかったこと。防壁が不十分で(現実でもネットでも)誰かに細工をされた、という事実そのもの。これらの二点に関しては津々美の落ち度だ。しかし彼女が、実行犯ではなく、被害者の一人だと判明すれば、話は変わる。

 賠償金・部活脱退、その他諸々の処分は無くなり、彼女はほっとした顔であった。

 そして生徒会に、話を持ち込んできた。

 

 「……バックログ漁ったヨ。外部か内部かは分からないケド、プログラムが走っていたのは確か……。私達の目を盗んで実行できる奴が、何処まで痕跡を残しているかは謎だったケドね。そして、その中に――恐らく意図的に、消されてナイ、メッセージが残ってマシた」

 「論より証拠、見てみて」

 

 騒動から二日後。不眠不休で己を貶めた奴の手掛かりを探っていた津々美竜巻は、ハッキングした相手が残していたらしいメッセージを携え、やって来た。

 

 会計:石上優も一緒である。騒動を聞いて事態の深刻さを理解した彼は、指示される前に動き、津々美の元に足を運んで解析を手伝っていた。その傍らで本来の自分の仕事も終わらせていたのだから、やっぱり能力は凄い。彼も若干寝不足だったが、此処は大目に見てあげよう。

 差し出された画面に映っている文章は、簡潔だ。

 

 

 ――かぐや姫はどこにいる?

 ――誰か彼女に、約束の言葉を届けてほしい。

 ――これを見た皆へ告げる。

 ――R・F。

 

 

 「……どういう意味でしょ? かぐや姫と『チクタクマン』に何の関係があるんですか?」

 「かぐや姫……。……四宮。お前はこの件に関しては?」

 「知りません。全く心当たりもありませんね。先日の件はグループでも探っているようですが……私の元に届くまで、まだ時間が掛かるでしょう」

 「言葉を届けて。そこだけ抜けだせばロマンティックだけどねぇ……」

 「…………R・F。……なんだっけ、R・F……」

 

 千花から石上まで各々が感想を口に出す。

 僕はと言えば、何となく漠然としたピースのようなものが浮かんでいた。R・F。聞き覚えがある単語だ。口に出して呟いていると、かぐや嬢が、関連性を暫し考えた後に、こう告げた。

 

 「スティーブン・キング……でしょうか」

 

 ……それだ。

 

 ◆

 

 「……スティーブン・キング。言わずと知れたモダンホラー作家。彼の著書に『ダーク・タワー』というシリーズがある。詳細はネタバレになるから言わないでおくけど……そこに出てくる、敵側のエージェント、というか仇敵と言うか、そういう奴がいる。『黒衣の男』だ。この男は、出てくるたびに名前を変えるが、ほぼ共通しているポイントがある。それが、イニシャルがR・Fだということ」

 

 僕の実家にも揃っている。

 初等部の頃に読んだが、その時は途中で挫折した。改めて読んだのは中等部の時だ。

 言葉に出している内に、段々と情報の整理が出来てきた。

 

 「さっきのメッセージの差出人ですね?」

 「……このR・Fという男の正体は、彼の有名な邪神ニャルラトホテプだとされている。燃える三眼、這い寄る混沌、顔の無い王、膨れ女、ウィッカーマン、悪心影、星五ムーンキャンサーBBちゃんetc(エトセトラ)。凡そサブカルチャーに限らず、大体の作品で『何でもやるトリックスター』という扱いを受けているアイツだね。で、今、意図的に上げなかった称号で、奴を表す異名がある。それが――」

 

 「「《月に吠える者》だ」だね」

 

 僕と石上の発言が重なった。

 目で頷き合う。やっぱ石上なら知ってるよな。サブカルチャーにも詳しいし。

 

 「T・九郎さんの講演会を覚えています? 月は女性の象徴で、男はそこに手を伸ばす。まるで狼が吠えるように。――つまり男は《月に吠える者》なんです。かぐや姫とニャルラトホテプが、どんな形で繋がるかと言うと、そこだと思います。このR・Fという者は、かぐや姫を探している」

 「じゃ、じゃあ……本物の邪神が……」

 「いや、居る訳ないでしょ」

 

 千花の声を、僕はばっさりと切った。一蹴した。

 誰かが勘違いしないように、念押しした。

 

 「確かにクトゥルフ神話は、ラブクラフトが纏めて体系化した神話。そして――「多分、史実」という扱いではあるよ。全部が全部嘘ではないのは確かだ。でも、それは、それこそ「かぐや姫が実在した」と同じレベルでしかない」

 

 今の科学で観測できない領域に、何かが存在しているのは確かだ。

 言うなれば架空粒子ダークマターに命や魂があるか、無いかというだけ。

 

 過去に神話生物が居たのも、有名な事件が過去に引き起こされていたのも史実だ。

 まあでも古代には想像も出来ない生物が居たからな……。古生代の生き物とかキモイくらいクリーチャーだし。

 

 インスマスやセイレムを始めとした土地が実在しているのも本当。

 実際、僕はそこで溺れて、九郎さんに助けられている。

 確かに、インスマス面も目撃した。結構沢山いた。……が、一般人の中にそういう顔立ちの人が居て、遺伝です、と言われれば、それまでだ。

 『すいません、深き者との混血ですか?』とか尋ねるなんて無礼すぎる。

 古びた漁村で、海からの匂いがちょっと磯臭かったのは確かだが……結構、村人は親切だった。夜な夜な侵入者を追いかけて殺そうなんて真似はしていなかった。ご飯は美味しかったし、ベッドも洗面所も綺麗だった。

 

 世界中で今も解明しきれない謎が沢山ある。

 神話生物がこっち側に顔を出すこともある。

 現在進行形で増えている、脅威や謎に、ミスカトニック大学の人々や、僕の実母が取り組んでいるのも、そういう謎の解明だ。

 

 蜂蜜貰った図書館の先生も、今ではすっかり元気にミスカトニック大学で教鞭をとっている。

 年齢だけは怪しいけど。

 

 怪しいオカルト、それら全部が、宇宙的で根源的で曖昧模糊とした冒涜的な連中による、世界を滅ぼすためにやった仕業と言うのは、無い。

 一部はそうかもしれないが、全部が全部では無いだろう。

 

 野生動物と一緒だ。人間の方からちょっかいを出さなければ、理由もなく――それこそ空腹だった、とかじゃない限り――襲ってくる奴は少ない。

 

 人間の中に犯罪者が居るように、神話生物の中にも犯罪者がいる。

 そして、そいつらが今()()()()()()()()()()()()と考えるのは、更に自意識過剰が過ぎる。

 

 「今回の事件は、邪神とかクトゥルフ神話とか、ぜんっぜん関係がないんだよ。ネタとして使われているけど、直接そういう生物が関与してる訳じゃない。――フィルターが掛かっていると何でも怪しく見えるから、先入観を捨てて考える」

 

 そもそもの出発点が違うのだ。

 同じ事象を見ても、思い込みやスタート地点が違うと、見当もつかない方向に向かう。

 良くあることだ。

 

 僕の発言に、生徒会室に少しの間、考え込む呼吸が聞こえ――最初に、同じ答えに到達してくれたのは、かぐや嬢であった。流石、根本的な地頭が良い。

 私が続けても? というので、僕はどうぞどうぞと促した。

 

 「良いですか? まずこの『R・F』と名乗った人物が犯人だと仮定しましょう。で、この『R・F』氏は、ハッキングをして『チクタクマン』を操りました。断じて『チクタクマン』が意志を持っていた訳ではありません。阿天坊先輩をベースとしたAIを搭載していたのは確かでしょうけれど……。でもそれだけなら、別に『R・F』という人物が邪神じゃなくても出来ます。というか人間の仕業です」

 「まあ警察とかはそう思うよな。俺も人名、イニシャルだと思う」

 「会長の言う通りです。で、次に――この『R・F』氏の狙いは何かを考えましょう。答えは書いてありますね。――「かぐや姫はどこにいる?」」

 

 石上が素直に答えを告げた。

 

 「『かぐや姫』を探している……『R・F』氏にとっての『かぐや姫』を探している。そこに視点を当てると、多分『R・F』氏というのは、本名でも何でもない、悪戯ですね?」

 「正解。珍しく冴えていますね、石上会計」

 

 つまり、順番が逆なのだ。

 「かぐや姫」を探している、ハッカーのA氏が居る。

 A氏は『チクタクマン』をハッキングし、操った。

 そしてメッセージに『R・F』という偽名を残した。

 というよりも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()R()()F()()()()だな、多分。

 

 R・F=ニャルラトホテプ=月に吠える者=かぐや姫を探す男。

 

 咄嗟に考えてネーミングをしたには、機転が利いている。

 あー、そういう事デスか、とこの辺で竜巻も理解してくれた。

 

 「この『R・F』氏が、何者なのか……というのは、今の時点では全く分からない。それこそ、女かもしれないし、老人かもしれない。極論、私()()()()とすら、証明ができマセン。乱暴に言えば、遠出してネカフェからハッキングすれば誰でも出来マスからね。でも、そんな事をするのは人間デス。犯罪者デス」

 「……邪神は、微塵も、関係がないね」

 「デスよね。私も自慢のプログラムを、邪神が乗っ取ったとか、実は邪神の頭脳をプログラミングしていたとか言われたら「ハぁ?」とか思いマスもん……。そういえばコンペで壊れた『チクタクマン』を修理中、妙にランプがチカチカと点滅していマシたね。あれが既にハッキングだったのかもしれマセン」

 

 A氏の正体は分かっていない。だから幽霊だったりインターネットウイルスだったり本物の神話生物の可能性はある。あるが、その問題を追いかける事に意味は無い。

 犬が棒に当たった理由が神話生物だと推理するようなもの。

 本当に神話生物が喧嘩を売ってきていたら、その時に考えれば良いのだ。

 納得している竜巻から受け取って、言葉を続けた。

 

 「で、……相手が等身大の人間だと考えると、このメッセージも分かって来ます」

 

 ――誰か彼女に、約束の言葉を届けてほしい。

 

 「つまり『R・F氏』は『かぐや姫』に何か言葉を伝えたい。そしてその為に『チクタクマン』を利用したんでしょう。……秀知院学園で、此処までの大事件を起こせば、その情報は広がっていくからね。――すっげえ迷惑な奴です」

 「伝えたい、ですか。具体的には何を?」

 

 かぐや嬢の言葉に、そりゃあ、と僕は答えた。

 ここまで答えが出ていて、犯人の動機が分からない辺り、恋愛頭脳がポンコツだ。

 

 「かぐや姫に、男が伝える言葉なんて一つしかありません。推測ですけど」

 

 

 「『告白』でしょう」

 

 

 言い換えると今回の事件は――このR・F氏の目的は――洒落た言い回しをすると、こうなる。

 

 

 『かぐや様に告りたい』。

 《月に吠える者》の動機は、それだ。

 

 「例え話ですよ? この『R・F』氏について……、神話生物みたいなスケールの大きな発想は捨てて、もっと身近な人間だと思いましょう。そうですね……天才的な――少なくともハッキングして外部から『チクタクマン』を操れる程度には優秀な――頭脳を持っている男がいるんです。この男は、色んなことが出来ます。ひょっとしたら、クトゥルフ神話でいう邪神ニャルラトホテプみたいに暗躍して犯罪をしているかもしれません。しかし彼は同時に《月に吠える者》でしかない。意中の(かぐや姫)に向かって、手を伸ばすしか出来ない」

 「…………ふむふむデスね?」

 

 「その『R・F』氏は……かぐや姫がどこにいるかも分かっていない。だけど探していて、何とかしてメッセージを伝えたい。そんな時『チクタクマン』と名付けられた機械が、秀知院にある事を知った。そこでハッキングして、暴れさせて、メッセージが発見されるように計画を立てた」

 「もの凄い迷惑だな? それが理由とは……」

 

 「でも御行氏。そんな理由で、と言いますが、そういう風に考える奴は居ますよ。肩がぶつかったから殴り殺した、なんて事情よりは理解できます。ハッキングするような奴ですから。……ハッキング先でどんな事件が起きようが、どんな被害が出ようが、濡れ衣を受ける奴が居ようが、そういうのは些細なことでしかない……。――千花、この前、TRPGやったよね?」

 

 「やりましたね。あのエネミーの行動原理が……アレだった……」

 

 「アレと同じ。あのシナリオはフィクションだけど、世の中もっととんでもない奴は多い。それこそ……自分が意中の人に告白できるなら、他がどうだって良い奴はいるでしょう。流石に世界と個人を天秤にかける奴は中々いないでしょうし、そんな機会に遭遇する奴はもっと滅多にいないでしょうけど」

 

 僕がそこまで語ると、御行氏は大きく息を吐いた。

 そして、じゃあ、と最後に〆をの言葉を告げる。

 

 「じゃあつまり、俺達にまた喧嘩を売りに来るという事か。――これを見た皆へ頼む、とご丁寧に名指しだ。……その挑戦は、受けてやらねばなるまいな」

 

 その言葉に、その場の全員が、大きく頷いた。

 

 『R・F』は何者なのか? 

 『R・F』が探す「かぐや姫」は誰なのか?

 『R・F』が秀知院を狙ったのは、本当に「目立つ為」だったのか?

 『R・F』がこれからどんな風に僕らの恋路に干渉し、妨害し、強制を強いてくるのか?

 

 これらの謎は解明されていない。微塵もヒントがない。

 次の接触まで待つしかない。

 

 だが、必ず来ると思っていた。

 

 全員を刺激する理由は明白だ。

 

 ――売られた喧嘩は買ってやらねばならない!

 

 次は負けないと誰もが思った。

 

 

 ◆

 

 「……でもまあ、少しだけ……羨ましいと思わなくもないな」

 「え。『R・F』さんの事がですか!? ――いーちゃん、怒ってたんじゃないです?」

 「いや、怒ってるよ。よくもそんな理由で千花や、他の皆に危害を加えたな、と思ってる。かなり怒ってる。一発殴らないと気が済まない。……ただ、馬鹿で愚かだけど、その愛情の強さは理解できる。少しだけね」

 

 僕は千花に話した。帰り道、車の中だ。憂さんが運転する自動車の中である。

 竜巻からスタンガン手袋を買い取ったようで、少しだけ楽しそうにハンドルを握っていた。

 

 「例えばな? 僕がここで千花にプロポーズをして、こう切り出したとする。『実家を捨てて駆け落ちしてくれ。二人だけで過ごそう』――千花、即答できる? そもそもOK出せる?」

 

 「……えー、えー……うーん、……いーちゃんは好きですが……、相当、悩みますね。お姉ちゃんや萌葉ちゃんとも別れて会えませんし、家とかピアノとかも全部なくなる訳ですよね?」

 「そうなる。――奴のやってることは、それと同じだ。この前のTRPGで僕がRPしたのと同じだ。大体の女は「ちょっとそれは」ってなる。そんなのは許せない、ってね。――それが分からないくらい、暴走しているのか。それとも己に自信があるのか……。不明な部分は多いけど、その行動力だけは、凄いってことさ」

 

 かぐや姫を探す、ニャルラトホテプ。

 字面は凄いが、そこに愛情があるのは確かだ。

 例えそれが一方的で、独善的であったとしても。

 

 車が止まる。藤原家の前に到着していた。

 

 「……あ、そうです。いーちゃん、ちょっと思い出したことがあるんです。耳、良いです?」

 「ん。どしたの?」

 

 僕が顔を寄せると、頬に何か柔らかい物が触れる感触がした。

 

 「ここ数日の頑張りのお礼ですよっ。明日からまた惚気合戦、再開ですからねー?」

 

 にへへっと笑って、千花は家に戻っていく。

 僕は何かを言おうとして、何も言えず、……ただ口の中でごにゃごにゃとした、言葉にならない言葉を噛みしめていた。

 

 不意打ちすぎる。




かぐや姫とCoCを混ぜたらこうなりました。
結局、全ては「LOVE」で動くのです。
次回から、フランス姉妹校との交流編です。


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岩傘調は猫じゃらしたい

 原作だと3巻18話の冒頭に、2016年とカレンダーに記載があります。
 月はぼかされていますが、2016年において「×月4日土曜日」は6月のみ。
 アニメ4話だと5月になっているようですが、歓迎会の買い出し日に渋谷駅冠水の大雨が降っており、三巻冒頭で衣替え&相合傘イベが発生しています。ならフランス交流会が6月でも問題ないと判断しました。1巻1月ペースで、4巻末で夏休み(7月末)に突入する形。
 そういう感じで行きます。


 さてチャージした分ラブコメ全力だぞ!


 ネコミミである。

 

 以上! 以下略! 終わり!

 

 と言っては何の事だから分からないだろう。だから簡潔に説明する。

 秀知院学園には姉妹校がフランスにある。その姉妹校が、一時日本にやってくるのだ。その歓迎会を校長から任されたのだ。開催は三日後である。

 

 もう一度言おう。三日後である。

 

 お前それふざけるな! 死ね! デスマーチじゃねえか! とか校長に、生徒会役員の全員が思ったが、決まってしまったものはしょうがない。今日から三日間の間、全力で準備に取り組むしかないのだ。かくして強制収集が掛けられ、猛烈な勢いでタスクを処理することになった。

 

 そういや『チクタクマン』騒動の時に教員を集めて何か会議をしていたな?

 ペスカロロ校長、普段はフリーダムだが、あれで中々敏く鋭い。加えて彼は、元フランス姉妹校の校長。計画的犯行は明らかだった。

 

 買い出しはかぐや嬢と御行氏、物資管理は石上、会場設営は僕、千花はその他色々と役割分担がなされ、猛烈な回転で準備は進んでいった。その際、かぐや嬢と御行氏と千花の間でNGワードゲームが行われたが……! 割愛! また今度話す!

 

 千花はゲームになると全力だ。オンセで人狼ゲームとかやった事あるが、あのブラフと演技は中々出来ない……。あの時、占い師を引き当てた僕は、人狼二体をストレートで的中させ、狐を溶かし、狂人騙りを見破って、狩人生存状態のままラス狼を探す、というところまで持ち込んで勝利目前だったが、……真っ白過ぎた千花にカウンターを受けて敗北したという経験がある。

 会長副会長、共に千花に完敗し……二人はドキドキ買い出しデートに行くようになったらしいが、これは次の機会にでも語るとして。

 

 問題は猫耳である。

 猫耳だ。……超可愛い。

 

 「フランスは日本に次ぐ第二のコスプレ大国です! 最低限のお持て成しをしなければなりません。コスプレに言葉はいりません……! 言語の壁を越えて親睦を深めるには、これ以上の策はありません!」

 

 と主張した千花は、何時ぞやの九郎さんからのお土産を引っ張り出してきた。

 そして装着した。

 

 可愛いのは当たり前なので言わない。いや可愛いのは当たり前なのだ。元々がふわふわ系天然ガールの千花、そこに猫耳が重なったら言葉に出来ない。僕はずーっと彼女を見ていた。

 手だけはキーボードを叩いて会場準備の指示書を作成していたが、その間ずーっと目が離せなかった。……破壊力がやばい。語彙が消える。尊くて消える。

 

 かぐや嬢は黒く小さな猫耳。黒髪のかぐや嬢には良く似合う。

 御行氏には白い猫耳。目付きが悪いのであんまり似合わない。ただ「あーでもこういう野良猫居るわ」みたいな感じはした。かぐや嬢は、彼の見えないところで悶えていた。

 

 で、千花の猫耳である。

 これやばいなー、やっばいなー、勝手に手が動きそうになる。じゃらしたい。撫でたい。顎の下とかこしこししたい。したらセクハラなので出来ないけど……。超弄りたい……。

 にゃん♪ とかされたら僕はそのまま動けなくなるだろう。

 

 「にゃん♪」

 

 …………。

 ……………………。

 ……はっ、……すいません、動けなくなったわ。

 

 そうこうしている内に、かぐや嬢は御行氏の姿を写真に収めようとし、御行氏も合法的に写真を手に入れられると承諾。互いに可愛さを顔に出さないように、表情筋へ、殊更に力を込めた結果、互いにメンチを切る姿になったので、慌てて千花が両者の猫耳を、外し――。

 外そうとして――。

 

 ……外れなかった。

 

 「……おい外れないぞ、これ」

 「え、ちょっと待って下さい。そんな訳……外れない!? 嘘です本当に外れない!?」

 

 御行氏が慌てた声で叫ぶ。かぐや嬢も慌てて外そうとして外れないと愕然とした。

 ふと見ると、地面にヒラリと落ちている取扱説明書が一枚……。

 

 『尚、装着した者は一日取り外しが出来なくなります。制作者(ウエスト)を恨め』

 『P.S. 洗髪には支障がなく、寝る際の邪魔にもならない。安心せよ』

 

 「待て。一日だと!? 今は朝……、つまり……」

 「明日までこの格好ですかっ!?」

 

 互いに「マジで!?」という顔で固まる会長&副会長。

 猫耳を付けている事そのものは、事情を説明すれば教員からの理解は得られるだろう。個人的な羞恥心に関しても、二人は図太い神経の持ち主だ。多少の揶揄は気にするまい。

 

 最大の問題は――互いへの視線を外すことが出来ず、明日までこのままだという事だ。

 今頃互いの間では――

 

 『今日ずっと四宮の猫耳姿を見続けるだと……!? くっそこれでは仕事にならんぞ!』

 『今日が終わるまで会長の猫耳姿を見続けるだなんて……、これは耐えられません……! 仮面を被り切れずににやけてしまいます……!』

 

 みたいな会話がされているに違いない。

 そして僕もまた動揺を隠せなかった。

 

 「いーちゃん、どうしましょう。外れません……!」

 

 千花もまた、猫耳を付けたまま、外せなくなっていた。

 猫耳そのものは校則違反ではない。カチューシャの一種だと押し切れる。若干、校則の隙間を突っついている感じはあるが、それでも違反でないからセーフ。

 

 問題は! 問題は!!

 この姿を――他人に見せるという事だ……!!

 

 「取れないんじゃ―しょうがないですね……」

 「任せろ。何があっても千花には指一本触れさせない」

 

 業腹だが写真に撮られることまで覚悟しなければなるまい……!

 

 男子が勝手に隠し撮りをする可能性以上に、女子が面白がってノリ良く写真撮る可能性は高いのだ。そしてそれは拡散する。絶対に拡散する。

 僕が一日中ひっついて、何としてでも千花を、守らねば……ならない……っ!

 

 固く決意を込めて拳を握る。

 装着されなかった最後の猫耳が、土産袋の中で寂しく置かれていた。

 

 ◆

 

 「あー、……岩傘、その、なんだ。藤原に猫耳を付けたのは、お前の趣味か?」

 「……そうだ!!」

 

 教室に入るなり、豊崎からの質問が飛んだ。

 ざわ……ざわ……と、どよめきが走った。

 そりゃそう思うよな。

 

 だが、事故なんです!取れないんです!困ってるんです!とかこっちが主張しても状況打破にはならない。大変だなーと思われて、やっぱり写真を撮られる事には違いない。

 であれば、嘘の上に嘘を乗せて、外せない理由を作っておこう。

 

 『生徒会内部でゲームをして僕が勝利した。負けた御行氏、かぐや嬢、そして千花には、猫耳を装着する罰ゲームを与えた』。

 

 と主張したのである。

 僕が変態のレッテルを貼られそうだが、構うものか。

 

 こう主張しておけば、御行氏かぐや嬢千花の三人は『あぁ広報の被害者なんだな……』と受け止められるし、困っているんだという顔をすれば写真を撮る人間も減るだろう。

 A組は早坂が居てフォローしてくれるだろうし、千花は僕がフォローする。完璧だ。

 

 「その、えーと、……良いのか?」

 「校則違反じゃない。良いんだ。可愛いから良いんだ。可愛いは正義! 千花は可愛い。だからこの猫耳姿は正義。寸分の狂いもない論理だ。――自慢だぞ!」

 「「「うるせえよ! 死ね!!」」」

 

 男子達から蹴りが飛んだ。椅子も飛んできた。危ないなおい!

 

 「写真を勝手に撮った奴は殺すからな! 社会的な意味で抹殺するからな!? この姿は僕だけのものだけど、罰ゲームだから皆にも見せてるんだ! 崇めて良いぞ!」

 

 僕の渾身の叫びに、男子達はすっげえ恨みがましい目でこっちを見た。

 実家の仕事は好きじゃないのでこの宣言はハッタリだが、効果はある。

 

 「畜生、悔しいけど可愛い」

 「恨めしいけど可愛い」

 「眼福だけどアイツ許せねえ」

 「羞恥プレイとか羨ましすぎる」

 「しかも藤原が満更でもないのが余計に腹立たしい……!」

 

 などと集まって歯噛みしている。

 

 僕の胸に感じる優越感。ああ、これがリア充である実感か。

 これがかぐや嬢が感じている『お可愛いこと』の気分……!

 

 「あいつやっぱり闇討ちしようぜ。俺100万までなら出せる」

 「俺は250だ。誰か良いヒットマンの伝手とかないか」

 「G-13(Mrデューク)なら伝手を三人くらい経由すれば依頼いけそうだけど金がねえ」

 「いや俺は投資と株取引で一億まで稼いでるから結構いける」

 「でも岩傘が死んだら藤原、悲しむよな」

 「……悲しむだろうなあ」

 「…………藤原の笑顔、可愛いもんなぁ……」

 「……そうだよなぁ(ぐすっ)」

 「しかもアイツの家を敵に回すと社会的に被害でかいし……」

 「メディアパワーとかずるいよなぁ……!」

 

 アイツら何を話しているんだろう。

 そんなに悲しいなら自分で彼女でも恋愛相手でも見つければ良いのに。

 言ったら今度は机が飛んできた。解せぬ。

 

 ◆

 

 生徒会役員である御行氏、僕、千花の三人は、席も近い。席替えで近くなったのだ。

 となれば会話に混ざるのは男子達だけではない。風祭や豊崎みたいな男子以外の、親しくコミュニケーションが取れる関係の女子もやってくる。

 

 御行氏は気遣いが出来る秀才で、礼儀正しいが、それ以上に威厳がある。なので、気後れする女子も多いのだが――千花という最強の人脈を誇る娘が傍にいるため、その流れで、特に支障がなく話をする女子はいる。

 

 そして女子達も、きゃいきゃいと騒いでいた。

 淑やかな才女達とはいえ、基本は青春中の高校生なのである。

 

 「藤原さん、その猫耳可愛いね、写真撮って良い……?」

 「折角だからもうちょっとポーズまでして、こう……」

 「というか猫耳プレイとか、岩傘さんと何処まで進展しているの……?」

 「ひょっとしてそのまま猫耳姿で夜のご奉仕とか……」

 「何を想像してるのよ、きっと逆よ逆。あれで藤原さんが岩傘さんを調教してるのよ。逆よ」

 「そういえばA組の四宮さんも猫耳だったわ……!」

 「早坂さんも真似して猫耳付けてたわ。これ流行かしら……!」

 

 早坂、巻き込まれたらしい。ドンマイ。

 女三人で姦しいと書く。

 しかも女子の方が、男子よりストレートに下ネタが飛んでくる。

 普段は表に出せない分、煩悩を隠している分、盛り上がる時の盛り上がり方は凄い。

 

 「こう、猫耳だけだと物足りなくない……? 尻尾とか……」

 「尻尾て。尻尾何処に付けるのよ。アクセ?」

 「いや、そりゃあこう……挿れる感じで」

 「それで学園に来るのは流石にアウトすぎるわ」

 「というか、あの二人って『許嫁』だけど関係どこまで進んでるの?」

 「中等部時代にキスしてたのは知ってる」

 「高等部の一年生の時にもディープなのしてたのは聞いたわ」

 「え、でもまだセッ……」

 「声が大きいわよ。もっと淑やかに……!」

 

 聞こえてるってーの。

 

 御行氏は、聞こえていないふりをしつつも、耳が動いていた。

 女子達の意見を聞いて『猫耳の評判を確認しておこう』と言う感じか。

 

 あれで案外、白銀御行は普通の男だ。

 割と青い情動があるのも、GW中に互いに確認している。

 

 だが今の彼に話しかける人間は多くない。

 僕の主張と、千花が一層目立つ、という事象。更に『猫耳がつらい』という態度。

 これらのお陰で御行氏の猫耳は全然問題にならなかった。

 むしろ同情されて慰められていた。良いことだ。

 

 千花はと見れば、なんというか、困っていた。

 ちょっと顔は赤いのだが、ストレートに溶けている感じは無い。困りましたねーと言いながら、指先をもじもじさせたり、髪を弄ったり、そわそわと落ち着かない様子だった。

 

 まさか下ネタに反応した訳ではないだろう。

 どうしたの? と目を向ければ、何時もより若干小さい声で、千花は答えた。

 

 「いえ、あの、……注目されるのが久しぶりだなぁ、と……」

 「ああ。そうだね。確かに何時もの惚気じゃ皆は反応しないもんね」

 「ここ、これも計算ですか? 調さんの、私への攻撃で……」

 

 え、やだな、そんなの決まってるじゃないか。

 

 「そそ、そそうだよ? 千花への攻撃も兼ねてる。うん、兼ねてるんだよよ?」

 

 わ、忘れてなんかいないぞ!?

 

 「思いっきり動揺してるじゃないですかっ! さては指摘されるまで忘れてましたね……!?」

 「いや、覚えてたよ。覚えていたけど、千花の姿が可愛くて! 一瞬頭から抜けていたの!」

 「くっまた、いけしゃーしゃーと。これだからいーち……調さんは鬼畜なんです……っ! この前だって散々私が欲しいとか会話して……!」

 

 おい待て、違う。それは違うぞ、混ざってるぞ。

 TRPGの話とかと混ぜるな。誤解されるわ。

 

 ……いや誤解でもないな?

 その誤解を、千花が意図的に言葉を選んで引き起こしているなら

 ――これは乗っかるべき事案だな!?

 はっとして千花を見ると、ほんの一瞬だけ計算高い光が見えた。誤魔化せねえぞ!

 

 もうこうなりゃ自棄だ。

 千花の猫耳の為に、僕は今日から卒業までの名誉を投げうってでも、勝ってやる!

 

 「ああ、欲しい。だからこっち来い。来てくれれば可愛がってやる!」

 「言いましたね!? い、いい一度吐いた唾を飲み込むなんて真似は、ささせませんよ? ど、どど、どうせ今までみたいに途中でヘタレるに、き決まってるんですからね!?」

 「はー、そういうこと、言う? ゲームで決めたのは僕だけど、ノリノリで猫耳付けたのは自分からの癖にそういうことを言う? にゃん♪ とか僕の前でやった千花が言う!?」

 「良いでしょう、じゃあ放課後の教室で待ち受けてやります! かかってこいやぁ!」

 「お前ら授業始まるぞ。そこまでにしておけ」

 

 御行氏の言葉でふと我に返ると、教室できゃいきゃい騒いでいた男子も女子も、揃って机に座っていた。こいつら一瞬で身を翻して、素知らぬ顔で真面目な態度を取っている。おのれ……!

 やって来た教員といえば「そろそろ授業始めて良いか?」と言う顔だ。

 

 ……僕と千花は無言で着席し、ノートと教科書を取り出すのであった。

 目立ち過ぎた影響で教員に何回も当てられたが、授業が国語で助かったよ。本当。

 

 ◆

 

 そして放課後。僕と千花は向かい合っていた。

 

 2年B組教室は、まるで乾いた風が吹く荒野のようにも感じられる。

 対峙する僕と彼女は、互いに目を逸らすことは無い。これは合戦――いや、言い方を変えよう。これは決闘、一騎打ち、真っ向勝負なのだ。

 

 ごくり、と誰かが息を飲んだ。これから起きる戦いに向け、静かに緊張が高まっていく。

 僕は、さながらガンマンがホルスターから獲物を出すように、静かに「それ」を取り出した。

 

 「そ、それは……っ!」

 「そう。これは――『猫じゃらし』だ」

 「な、なんて……っ! 恐ろしい真似を……!!」

 

 ガガーン! という音が千花の背後に見える。

 

 国語の授業後、即座に家に電話し、憂さんに頼んで、届けて貰ったのだ。

 新品で匂いが強いのは不味かろう。丁寧に一度洗い、微かにフローラルな香りを付け、乾かしてある。

 

 さて大事な確認をしておこう。

 

 不純異性交遊はアウトである。

 最近は特に取り締まりが厳しく、なんだっけ……あの一年生で小さくて目がキリッとしていて気が強い娘が、やたら彼方此方に顔を出している。石上が鬱陶しそうにしていた。

 

 なので不純異性交遊にならない――つまり『相手に触れない』事が重要なのだ。

 

 僕と千花の勝負において重要なのは「過去にやったことをやらない」という点だ。

 マンネリ化を打破するための『新しい刺激』(恋人プレイ)。猫耳が外れないのは想定外だが、それならそれでこれを活用させてもらおう……!

 

 「そ、その『猫じゃらし』を……! さては私の鼻や喉に突っ込む気ですね!?」

 「しねえよ! 僕はもっとストレートに攻めるわ!」

 

 千花のボケをスルーして、僕は『猫じゃらし』を指で紙縒(こよ)る。

 先端に付いたふさふさが、ぴょこぴょこと動いた。

 ふふふ、これからこれでお前を攻撃だ。

 

 「さっき千花は言ったな? 僕の攻撃が途中でヘタレると言ったな? なら僕の攻めを受けて耐えてみろよ? かかってこいって言ったのは千花だ。だから僕が攻撃だ。ルールはたった一つ、今から五分間、僕がこれで千花を触る。無論、アウトな場所は触らない。服も動かさない。肌が見えていて、尚且つ粘膜に接触しない場所に限定する」

 「なるほど? つまり目や口の中、鼻腔なんかは無いと。脱がされる心配もないと」

 

 ねーよ! 教室で服脱がせるとか変態じゃねーか!

 僕は千花の裸を、千花が信頼する同性と、僕以外の異性に見せる気は無いぞ!

 

 「そうだ。その間、千花は椅子に正座をする。椅子から落ちた……いや違うな。床や机に、体の一部が触れたら千花の負け。五分耐えるか、僕が中断したら僕の負けだ」

 「へえ? その程度ですか? で、そっちがが負けたらどうするんです?」

 

 即答した。

 

 「僕も猫耳を付けてやる」

 

 教室が別の意味でどよめいた。

 

 アイツ正気か……!? という声が聞こえた。

 千花だけに恥ずかしい格好をさせる気は無い!

 無論、僕の猫耳姿なぞ害悪にしかならないだろう。

 

 しかし千花には効果がある筈だ。

 僕が今から猫耳を付ければ、それは明日まで外れない。

 つまり御行氏、かぐや嬢、千花らが猫耳を外す中、明日一日、僕一人だけが猫耳状態だ。

 

 そうなったら、もう千花が幾らでも僕を弄れるという事だ。弄り放題と言う事だ。

 僕はこの勝負に、未来の羞恥心をベットしたと言えるだろう。その覚悟は千花に伝わった。

 

 「まさか……そこまでの覚悟を決めてくるとは……良いでしょう……受けて立ちます……!」

 

 額に冷や汗を流し、椅子の上に正座。背筋を伸ばして、迎え撃つ姿勢。

 僕は呼吸を整え、猫じゃらしを手に――攻撃を開始した……っ!

 

 ◆

 

 「…………ん、……ふっ……きゅ……」

 

 嬌声が聞こえている。

 

 猫じゃらし。

 正式名はエノコログサ。五穀の一つ「粟」の原種として有名で、その辺の公園で直ぐに発見できる、よく見る雑草の一つだ。ふさふさした穂先を持つアレである。

 

 そしてそれを手に取った僕は、慎重な手つきで、顎を撫でた。

 こんなもので快楽を引き出すのは困難を極める。なので方法は限られている。

 

 即ち「こそばゆさ」――くすぐったさを生み出して、与え、相手が逃げるように仕向けるのだ。

 

 「負けを認めるか?」

 「み、みとめましぇん……、くふうぅ……!」

 

 触れた瞬間から肩をびくびくとさせて千花が震える。

 どうだ……! 猫が顎を攻められれば悶えるのは、必定……!

 ふふふと僕の心の中でペルソナが囁いた。

 

 『そう、お前の目の前に居るのは猫……! 子猫……! お前は今、千花の飼い主……! だから可愛がれ……! ペットの様に……!! 調教するんだ……!!』

 

 そいつは三つの目を持って邪悪に笑う黒い女だった気がする。

 脳裏に響いた声に従うまま、僕は顎から――首に移動した。

 

 「!?!? ひゅうぃ!?」

 「どうした? まだ二分だぞ? あと三分だ」

 「く、こ、このていど……ぉ! ……ぅぁぅあぅ……!」

 

 首は弱点の一つだ。

 性別関係なく、喉の下辺りに服の襟が触れていると落ち着かない、という人間は多いと思う。

 血管と気道、食道が密集した此処は、その分、肌が薄い。

 肌が薄いとは、感覚が鋭敏という意味だ。

 神経が近く、僅かな刺激でも敏感に反応してしまう。

 

 すーいすーいすいーと上下に切っ先を動かしてやると、伸ばした背筋をさらに伸ばしたり、逆に前のめりになりながら、千花は必死に椅子の上で正座を維持していた。

 膝の上に置かれた手が、わなわなと動いている。

 握ったり開いたりを繰り返している。これは限界が近い。であれば最後の一押しだ……!

 

 「さあ、とくと見よ、これがトドメの一撃……!!」

 

 僕は懐から、二本目の『猫じゃらし』を出した……!!

 それを両手に構え、ならば喉と顎を同時に責める構え……!!

 

 「! そ、そんな、二、二刀流……だなんて……っ!?」

 

 千花の顔が戦慄する。

 己の敗北を悟った騎士の目だ。

 

 「さあて降参するなら今の内だぞ……!! 今負けを認めれば、これ以上の醜態を晒さずに済むぞ……? ……いや、その目、まだ諦めていないようだな……、良いだろうその身に刻むが良い、この猫じゃらしの脅威を!!」

 「くっ、ね、ねこじゃらしなんかに、絶対に負けない……!」

 

 それは敗北フラグだ。しかも即落ちフラグだぞ!

 来るなら来い! と改めて背筋を伸ばす千花の顎と喉に、同時に猫じゃらしを当てて――。

 

 「そこまでデスねっ!!」

 

 瞬間、僕は背後から何者かのタックルを受け、床に転がっていた。

 

 ……はい?

 

 見れば! 見ればなんと!

 津々美竜巻が、僕を床に押し倒し、そのままロープで両足を縛っているではないか。

 何だ? 何が起きた!?

 一瞬の後で、先ほどの自分の言葉を反芻する。

 

 『五分耐えるか、僕が中断したら僕の負けだ』

 

 「しまった……っ!! 千花ああ!」

 「うぅ、……ギ……、ギリギリでしたぁ……ナイスですぅ、……ヤバかった……!!」

 

 千花……! さては最初から……!

 僕が余計な手出しが出来ないように、援軍を呼んでいたな!?

 

 確かに場外からの乱入は明言していない。

 如何なる方法であれ、千花は僕に『中断させること』を成功させたのだ!

 はわわわ、とそこで緊張が途切れたのか、千花は机にべったりと倒れこむ。

 

 同時に、決闘を見守っていた周囲の観客(クラスメイト)もまた一斉に決着を理解し、各々の気勢を上げた。

 

 千花への応援と激励と歓声。

 あそこまでやったのに負けた僕へのブーイング。

 「負けた!くそう!缶ジュース10本奢りかよ!」「もうちょっと藤原の姿を見てたかったのに……!」とか叫んでる奴もいる。

 

 あ、これはテロ行為じゃないぞ。

 ちゃんと日時と場所を指定し、観戦する場合、撮影写真は禁止と通達をした。更に風紀委員と教員が近寄れないように何人かと取引し、見張りまで立てて実行に移している。

 

 見ているのは皆、僕と千花の惚気に理解ある人間だけだ。

 既に誰かと交際しているとか、僕らの関係を応援してくれているとか、そういう人ばかり。

 こんな騒ぎを学園内でやっても、問題にしない人々ばかりである。

 

 しかし、同時にそれが仇となった。同じクラスの女子:津々美竜巻であればその警戒網は抜けられる。そして人込み故、彼女が近寄って来る事に気付けなかった……!

 

 「わ、私の勝ちですよ……認めますね……? はぁ、はぁ、……(ちょうやばかった)……」

 

 彼女もギリギリだったらしい。

 技術開発部からこの教室までは結構な距離がある。

 もう少し時間が足りていれば……!

 もう少し千花の忍耐が遅ければ……!

 僅かなIFがあれば、僕が勝っていた……!

 

 だが――。

 

 これは負けを、認めるしかないだろう。

 

 降参を認めて、僕は机の横にかかっていた紙袋を指さす。

 ちゃんと持ってきていたぞ。

 かくして四つ目の猫耳は、僕に装着され、それから24時間、頭の上を占拠することになる。

 

 本日の勝敗:藤原千花の勝――。

 

 

 

 

 

 

 「さて、写真でも撮るか」

 「はえ?」

 

 頭に猫耳が乗っかり、本当に外れないんだなあ、と感心したところで、僕は千花を確保。

 そのまま竜巻に、スマホを渡した。

 

 「え、え? え、え? ええ!?」

 「負けた時の事を考えてないわけがないだろ? ()()()()()()()()Y()O()()

 

 語尾を真似して告げてやる。

 言葉を理解して、千花は『やられた!』と言う顔をした。

 

 「!な、なああああ!! そこが! そこも、狙い……っ!? ま、待って下さい竜巻さん! ほら、またお菓子とか上げますから! 依頼出しますから! TG部は今後も技術開発部と懇意にさせていただくので何卒ご配慮を」

 「さっきの確保で千花さんとの契約は履行済みネー、なので岩傘との約束守るネー」

 

 あわわわ、と慌てる千花を、僕は笑顔で掴んで逃がさない。

 パシャリ、とカメラの音が響いた。

 

 

 本日の勝敗:岩傘調の勝ち。




 尚、猫耳はフランス姉妹校の歓迎会でも使用されることが決定しました。


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岩傘調は備えたい

 「当日のテーブルやインテリアの配置図です。かぐやさんからです」

 「はいはい。仕様書に入れておく」

 

 「メッセージカードと祝辞は私の方で手配しました。レイアウトもしました。後は刷るだけになってます」

 「それは明日印刷室に持ってく形だね。メッセージカードは念のため幾つか試作して、そっから選ぼう。紙質とかもあるし。……ああ、フランス語が出来る教員の人に内容を確認して貰って。千花の語学なら心配ないと思うけど確認は大事だ」

 

 「了解です。えーと……ノンアルコールドリンクや軽食は、当日に配達されます。式の開始が17時からなので、大体16時過ぎに届くように手配を済ませました。こっちは会長からチェック貰ってます」

 「石上へレシートとか領収書を渡すの、忘れないようにね。……あ、そうだ。倉庫の中の備品どうだった? テーブルクロスや額縁なんかが使えるのは確認してある」

 

 「グラスとかも大丈夫そうですよ。こっちは最悪、明日の設営後に追加しても間に合います。えと……明日の人員に関して、後輩は約10人来てくれそうです。天気にもよりますけど」

 「こっちも20人くらいは手配した。連絡したのが金曜日だったけど、生徒会から生徒に一括で連絡できるのは助かるね。……メンバーは大体が月曜日に参加してくれる人だ。参加が有志な分、皆やる気があって有難い。明日の天気にもよるけど」

 

 「……外、酷い大雨ですねえ」

 「各地で浸水被害、列車のダイヤは大幅に乱れて、不要な外出は控えるように、だってさ。今晩には大雨も落ち着くという話だけど、それまでは降りっぱなしらしい」

 

 「ネコミミ付いたままですねえ」

 「そうだよ。約束通りね。今日は土曜日だけど」

 「騙されましたぁっ!!」

 

 バンバンバン! と机を叩いて悔しがる千花だ。

 

 「歓迎会と猫耳のインパクトで、曜日を忘れて約束した千花が悪い」

 「ぐぬぬぬぅ……。良いですもん、どうせ月曜日には全員が猫耳ですもん!」

 「そうだね。御行氏もかぐや嬢も猫耳には賛成してくれたからね。最初はすっげえ目付きで喧嘩腰だったけど、一日経過する頃には慣れたらしいし」

 

 嘘である!

 あの二人が互いの猫耳を見て慣れるなんてことは存在しない!

 

 猫耳を付けたその時も『写真を撮りましょう』と提案がなされていた。

 しかし『もっと笑顔で……』と千花が頼んでも、両者、表情筋が緩まないようにするのに必死で、微笑みなんてものは浮かばなかったのだ。

 

 結局、写真は撮れなかった。

 そこで僕はさも自然さを装っておススメしておいた。

 

 フランスとの交流会時に付けておけば写真取れますね、と。

 ああ、そういえば集合写真なら待ち受けに出来ますね、と。

 

 自分でもナイスアシストだったと思う。二人は頷いた。そして歓迎会で使用することになった。

 そうしておけば、フランス姉妹校を出迎える時、僕と千花は再び揃いの猫耳を装着して行動することになる。とても良いと思う。

 

 最近自分はあの二人を後押ししているのではなく、千花と惚気る材料にしていないか? と不安であるが、……初心を忘れなければ大丈夫だ。きっと。

 

 「でも良く降りますねぇ……、庭突っ切るだけで一苦労でしたよ」

 「僕がそっちに顔を出そうか、とも思ったんだけどね」

 「萌葉ちゃんとか居ますから煩いです。それにこっちだと二人きりです」

 「そうだねぇ」

 

 外は大雨というか大嵐というか、天の底が抜けたような豪雨である。強風・波浪注意報まで発令されている。こういう日は外出せずに家の中でのんびりするのが一番だ。

 

 我が妹は『こういう時の方が良いから』と部活動で体力作りに勤しんでいるし、両親は(不運にも嵐が直撃してしまったが)二泊三日の温泉旅行で不在。居るのは憂さんだけだ。その彼女も『若い二人の邪魔をする気はありませんので』と自室に引っ込んでいる。

 

 かくして僕と千花は二人、岩傘家の食事の間にて、のんびりと歓迎会の準備をしていた。

 時刻は午前9時40分。まだ、朝は早い。

 

 ◆

 

 休日、僕はかなり遅くまで寝ている。というか休日の前日は、つい夜更かしをしてしまう。

 例え休日でも規則正しい生活を心がけなさい、と万穂さんから口酸っぱく言われている千花とは対照的だ。

 そして動き始めた時間、メールや電話をしても反応がない――僕が寝ているというのは、千花にとっては面白くない。だから休みの朝ともなれば僕を起こしに来る。

 当然の様に憂さんと妹にスルーされ、勝手に部屋の扉を静かに開け、そして。

 

 「起きて下さい! いーちゃん、朝ですよ!」

 

 と布団の上に座って呼びかけてくれるなんてイベントもある。

 意図的にやっているよね?

 狙って跨っているよね?

 アピールしているよね……!?

 僕は構わないのだ。色々見えるし揺れる。眼福だ。とても良い。とてもとても良い!最高!

 

 だけど千花にとっては楽しいのだろうか?

 一度疑問に思って尋ねてみたら「結構楽しいです。子供の頃に戻ったみたいで」と言われた。

 ……幼等部の頃など、一緒の布団で昼寝をしていた間柄だ。懐かしいなら結構だと思う。

 

 「ええと、……このくらいですかねえ、あとは明日、実際に会場設営をして、足りない分を補う感じでしょうか。明日の集合時刻は?」

 「午前10時に学園の正門前。僕はその前に行って鍵とか開けるー。千花は来る?」

 「お付き合いしますよー」

 

 前述の通り、家に押し掛けた千花に、朝8時に起こされた僕だった。

 手早く朝食(憂さん製)を済ませ、9時からせっせと交流会の準備に勤しんだ。

 

 結果、仕事そのものは一時間もしないで終わってくれた。殆どは細々したことなのだ。

 司会進行の手配は千花が目の前で処理。石上とはPC上でのやり取りで十分だ。というかPC越しの方が彼との会話は弾んでいる気がする。

 唯一、かぐや嬢と僕の仕事の擦り合わせだけがちょっと面倒だが(しかも夜十時には寝る超健康優良児である)、金曜日までの簡単な打ち合わせで凡そが終わってしまっていた。やっぱあの人は仕事が早い。僕の倍くらい処理能力を持っている。素直に尊敬する。

 

 「でもこの雨、かぐやさん達には直撃ですねぇ……。お二人、買い出しの日だったんですけど」

 「そうだね。まあ流石にこの雨だ、中止していると思うよ」

 

 蜂蜜を緑茶に溶かし、飲みながら答えた。

 どことなく辛気臭い天気には、熱いお茶が美味しい。飲み干した器に、千花が「どうぞ」と次を注いでくれる。その手付きが優雅で、素敵だった。触りたくなった。

 

 明日の準備は大体終わったんだよな――と思う。

 計画表と仕様書を確認。記入漏れはない。であれば、ここで千花とイチャイチャするのは問題がないと判断。手を掴んでスリスリしようかなーと行動に移――。

 

 ――そうとしたところで着信があった。スマホが震えている。

 惜しい。ちょっと残念に思いながら電話の相手を見ると、少しばかり珍しい名前だった。

 千花に一言断って、廊下に出て通話をオンにする。

 

 「ちっ、良いところを邪魔しやがって。何か問題でも起きましたかハーサカさん。またお仕えしているお嬢様に面倒ごとでも? 相応の理由があるんですよね?」

 「誰が貴方に用事がないのに連絡を入れると……? ――気になるのはかぐや様ではない。その相手の方です。貴方に伝えておいた方が良いと思って連絡したんです」

 

 四宮かぐや嬢の忠実なる近侍(ヴァレット)。早坂愛。

 尚、連絡を入れ合うと、互いに恐ろしく口が悪くなる。

 

 ◆

 

 四宮かぐやに、早坂愛という忠実な近侍が居る。

 その事実を僕が知ったのは昨年だ。白銀御行が大立ち回りを演じ、会長に就任した後である。

 

 言われてから気付いた。思い返せば――初等部から中等部、高等部と、早坂愛は四宮かぐや嬢と常に同じクラスだった。エスカレーター式の秀知院学園。同じ学年の面々は幼馴染みたいな物で『今度は君と同じクラスか。よろしくな』は良くある。

 

 しかし初等部では三年から四年に上がる際、クラス替えがあるし、中等部、高等部の進学時にもクラス替えがある。更に言えば高等部では、進路や学部でも左右される。最低三回ものクラス替えをして、三回とも同じ……というのは中々、いやかなり珍しい。

 

 それこそ僕と千花のように『許嫁なので一緒のクラスでお願いします』みたいな要望が、保護者側から無い限りは。

 

 「会長ですか? この雨では買い出しは中止になっている、と思っていましたが」

 「そうです。かぐや様にもそう伝えました」

 

 この早坂愛と言う女性、かなりの食わせ物だ。

 普段はギャルっぽい感じで制服を着崩し、口調もかなり軽い。しかし例えそんな状態でも、その眼は、どこか冷静に事象を捉え、かぐや嬢の脅威になるものは無いか、と観察している。

 

 口調や外見を巧みに変える変装(小細工)だけではない。優れた身体能力――少なくとも真夜中の秀知院学園に潜入し、そのセキュリティを掻い潜って生徒会室に侵入し、一切の痕跡なく学園外まで出てくる――を持ち、かぐや嬢からのあらゆる要望に応える技術を有している。

 

 勉学の成績はあまり良くないが、地頭が悪い筈もない。自分の時間が取れないのと、意図的に点数を落としているのと……幾つかの要素が組み合った結果だと思っている。

 

 「買い出しを中止したんですか。……そっちで品は手配できているんですね?」

 「言われるまでもなく、手配は済んでいます。昨晩、今日が大雨だと聞いた時から念の為に準備しておきましたとも。中身も、かぐや様に確認して貰ってあります」

 「それで、何が問題だと? 猫耳を生やした早坂さん」

 「黙ってくれます? 貴方のせいで、こっちは胃薬が手放せないので」

 

 僕が、かぐや嬢のサポートをしているのは、早坂も承知している。

 

 というか元々……『千花と御行氏をくっつかせないようにしよう同盟』を結んだ際、紹介されたのだ。それから僕が今まで、さりげなくかぐや嬢の背中を押したり、御行氏を応援したり、二人の関係を進展させるべく助力したり、千花と惚気るために全力なのは、ご承知の通り。

 

 最近は『これもう放置しておいても、かぐや嬢と御行氏、くっつくよね?』とか思っているが、それでもサポートを欠かす気は無い。生みの母の行方を探れるのは、四宮家の助力が在ってこその物だ。契約の途中破棄は信頼を損なう第一歩とも言う。

 

 「貴方はかぐや様に危害を加えない。知っている。応援しているのも知っている。だが貴方達二人の爆撃が、私に直撃するんです……! かぐや様のフォローをする序に、毎度毎回、惚気を見せられる、私には良い迷惑……! 対象Fの被害が拡大することもあるんですからね……!?」

 

 かぐや嬢のあるところ、早坂愛あり。

 僕がかぐや嬢の背中を押し、御行氏とのイベントのセッティングをすればする程に、従者:早坂愛の心労は加速する。おまけに僕は千花と惚気ている。時々暴走する。苛立つのも無理はない。

 誰にでも明るく接する2年A組の早坂愛。かぐや嬢の近侍:早坂愛。隠れ蓑を被ったハーサカ。色々な顔を持つ彼女だが、僕に対しての口調は一貫して、丁寧語の顔を被った毒舌だ。

 僕の方もその距離感が丁度良いので、特に修正を求めたりはしなかった。

 

 「こっちから動けない。貴方の方で連絡を取ってください」

 「確認します」

 

 近侍である早坂愛も、多少の権力は持っている。他の、かぐや嬢に仕える人々に対して、色々な指示を出せる立場だ。それをせず、僕に連絡が来たという事は――。

 これはちょっと緊急要件らしい。出来るだけ、かぐや嬢には内緒にしたい感じの。

 

 「二人の待ち合わせ場所は?」

 「渋谷駅ハチ公前」

 

 了解。ますます持って緊急らしい。外は大雨。であれば心配の予想が付く。

 分かったと返事をする前に、スマホの通話は切れていた。これも、何時もの事である。互いに余計な話をしない。さっぱりしている。気楽でいい。

 僕は二階に上がると憂さんに車の手配を頼む。そしてその足で、千花に今の要件を告げた。

 

 「ごめん千花。ちょっと用事できた。多分、御行氏が困ってる。助けてくる」

 「私も一緒に行った方が良いです?」

 「いや家の番をお願いすると思う。追って連絡するよ」

 

 返事を貰い、雨具とタオルを洗面所から抱えて運び、玄関前に横付けされた自動車に乗り込む。

 そして僕は行き先を注文した。

 

 渋谷駅、ハチ公前まで。大至急! と。

 

 ◆

 

 『はあ!? 渋谷駅の前でずぶ濡れでかぐやさんを待ってたんですか!? 会長!』

 

 「そうだよ。今回収した。傘もとっくにボロボロ! 頭の上に雑誌乗せて辛うじて凌いでたんだよ! どっちもごみ箱に捨ててきた。――スマホを見て寂しそうに佇んでいた所になんとか間に合った! もうちょい早ければ良かったんだけどね。遅いと取り返しが付かなかったから、良しとしよう」

 

 もう少し遅れていたら、ずぶ濡れのまま、御行氏は一人寂しく帰路に付いていた。

 連絡は取れるが時間と手間が余計にかかったのは間違いない。間に合って良かった。

 

 『……律儀と言うか……なんというか……! 真面目な馬鹿ですか!?』

 

 「そうだよ。意外とそうなんだよ。今までは、そういう場面に出会う機会が無かっただけで、そうなんだよ。――そういう訳で悪いけど、風呂の確認を頼む。入れ方は分かるよな? で、まだ封を切ってない下着が上下、箪笥の中にあるから、それを出しておいてやってくれ」

 『分かりました! 待ってます!』

 

 「あ、あとかぐや嬢にこの事情伝えちゃダメだよ。自分のせいで、って気にするから」

 『え? ……なるほど。分かりました。じゃあ烏賊の画像でも送っておきます。昨日は蛸の画像送ったんで。暖かいお茶の準備もしておきます。急いで戻ってきてくださいね?』

 

 蛸ってなんだよ。

 通話が切れたのを確認して、僕は、大丈夫か? ともう一枚のタオルを差し出した。

 

 御行氏は濡れ鼠だった。頭から足まで、濡れていない場所は無い。純金飾諸すらもびしょびしょだ。仮に制服から外れて遺失でもしたならどうするんだ、全く。

 タオルで顔と髪を拭った御行氏は、大きく息を吐いて、こっちを見る。

 

 「すまん、助かった。座席も濡らしてしまったな」

 「そんなのは良いんだよ。それよりもっとちゃんと拭けよ、風邪引くぞ。学ランの上も脱げ。靴下も脱いどけ。取り合えずウチに向かってる。ウチで風呂入って温まっていけよ」

 「そこまで世話になるのは。……いや、そうだな。世話になる」

 

 僕の目が笑っていないのに気付いて、彼は素直に返事をしてくれた。

 

 何故、あの大雨の中で、待っていたのかは分かる。

 かぐや嬢を待っていたのだ。律儀に待っていたのだ。約束を違えず、遅刻せず、他人を気遣って自分が損をするのを厭わない。彼はそういう人間だ。

 それでも気になる事、確認したい事はある。

 

 「この大雨だ。中止の連絡を入れても良かったんじゃないか?」

 「……そうだな。岩傘の言っていることは、正しい。……ただ、したくなかった」

 「自分から中止にしたくなかった?」

 「そうだ。女々しいと思うか?」

 「いや。思わない。そういう理由で良かったと思う。分かる」

 

 気にすんなよ、と僕は慰めた。車の中が濡れたことなんか些細なことだ。

 中止にしたくなかった。好きな人と一緒に居たかった。その機会を捨てたくなかった。

 奇しくも早坂に毒を吐いた僕の気持ちとそっくりじゃないか。

 その答えを聞きたかったんだ。

 

 「買い物が出来なかった事を残念に思う気持ちも、白銀から中止のメールを打てなかった事も、間違いなんかじゃない。むしろそれで良いと思う」

 

 恋愛関係と言う部分では、彼より何歩か先に居る僕だ。

 揶揄う気持ちもなく、至極真面目に、僕は話す。慰めるなんて柄じゃないけど。

 

 「女の子や、周囲の環境に振り回されるのも、男の特権だ。そして、振り回されてもまだ前を向ける気持ち――その残念に思う気持ちや、女々しさってのが、そのまま白銀が持っている『好きだ』という気持ちの強さを表していると思うよ。無関係な人間との口約束が守られなくても、無関心で終わるだろう? 逆に辛いとか残念だとか、そういう風に感情が動くなら、その分だけ深い部分まで届いてるってことだ。胸を張って良いんじゃないか?」

 

 僕の言葉に、御行氏は、ちょっと驚いたような顔をした。

 何かおかしなことを言ったかな。

 

 「いや、……岩傘が、そこまで真っ当な慰め方をしてくるとは思わなかった」

 「酷いな。それじゃあ僕が毎日、惚気ているだけみたいじゃないか」

 「惚気ているだろうに。……それと言っておく。俺は別に、四宮とのデートを心待ちにしていた訳でもないし、好きな訳でもない。飽くまでも――」

 「飽くまでも、生徒会長として、月曜日の親睦会を完遂する為に、副会長と協力して事に当たらねばと思ったんだろう? 分かってる、分かってる。皆まで言うな!」

 

 互いに視線が交錯する。

 そしてほぼ同時に、噴き出していた。

 

 「ふふ、くく、そうか。そうだな! お前は何も知らないことになっていたな!」

 「そうそう。だから気にするな。何も言わない! 何も伝えない! 僕と千花の為にも、誰かと誰かには進展して欲しいと思っているが、それは君とは何も関係がない人だ!」

 「そうだったな。これからも何か相談に乗って貰うかもしれないが……」

 「いやいや。困った時の助言は石上に頼めば良い。アイツの助言はストレートだ。……僕は素知らぬ顔で切っ掛けを作っておくさ」

 

 僕は唐突に、雨の中に濡れる、渋谷のハチ公を見たくなって我儘を言ったのだ。

 そして偶然にも雨に濡れる生徒会長を保護した。そういう事にしておこう。

 

 本当、手のかかる友人達だと思う。だけどそこが良いところだ。

 それが僕が生徒会で頑張れる原動力だ。

 

 生徒会に入って間違いなく良かったと思う事がある。

 それは、白銀御行と四宮かぐやの素顔が見えるという事だ。

 

 普段は周囲から神聖視され、時に信者すらも存在する彼らは、しかしただの高校生なのだと実感できる。手が掛かる出来事がある毎に実感する。そんな皆をこの目で見るのが楽しい。

 

 千花と惚気るのは別格。

 だけど千花と惚気るためだけなら、生徒会なんか所属しないで良かった。

 僕があの場所に居るのは――皆を見ながら、あの場所で、時に勝負をし、時に協力し合い、騒がしくも過ごす時間を作るためだ。面倒な奴らだな! と思いながら応援したいからだ。

 これ以上なく貴重な時間。全力な姿は、きっと将来、尊い物になる。

 

 「ほれ、ウチ着いたぞ。ついでだ。昼飯くらい食べていけよ。……いや違うな。今丁度、僕と千花で月曜日の打ち合わせをしていたんだ。君は生徒会長として、それが正しく出来ているかを確認する義務がある。そして長引き()()昼食の時間になったから席に着いた。OK?」

 「ああ、そういう話ならしょうがない。付き合うさ。手間のかかる広報と書記だな?」

 

 雨に濡れながら走り、揃って玄関に飛び込む。

 僕と白銀が妙に仲良く笑っていた姿を見た千花は、呆れていた。

 

 「会長も結構な馬鹿だったんですねー。大雨の中待ち続けるとか、格好いい馬鹿ですけど」

 「新鮮な一面が見れたという事にしておけ、藤原書記。四宮には内緒で頼む」

 「僕からも頼んだ。こっちで適当に誤魔化しておくから、黙っててあげて」

 

 はいはい、と返事をする千花も『やっぱり男の子ですねー』と呆れてながら、笑っていた。

 

 ◆

 

 「ねえ、岩傘広報? なんで会長と藤原さんと貴方の三人で、土曜日に仲良く打ち合わせをして、食事をしていたのです? 私が居なかった理由をお聞きしても良いでしょうか?」

 「いや、石上も居ませんでしたけど……」

 「はい?」

 「……ナンデモナイデス」

 

 月曜日、かぐや嬢から、笑顔で詰問される僕が居たりしたのだが、これは些細なことだ。

 適当に誤魔化すと言った以上、本当の事は隠し通しておかねばなるまいて。

 それよりほら、フランス校を歓迎しようじゃないか。

 勿論、猫耳を忘れずに、な。




なんだかんだ仲が良い男子達(石上含む)。

「女子(かぐや)があんな風に反応する理由が分からない」と相談されるのが石上。
理由:岩傘は千花一直線で互いに惚気るので、女子の反応や理由に関して全然役に立たない。

「相談されないでも事情を知り、女子(かぐや)と仲直りできるシチュエーションを準備しよう」と手配するのが岩傘。
理由:この時期の石上は生徒会以外と打ち解けておらず、学年も違う為。


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岩傘調は盛り上げたい

 秀知院学園は偏差値77を誇るエリート校である。

 授業のレベルは高い。その辺の大学入試より難しい。トップクラスは東大京大を通り越し、国外に出ていく程に優秀だ。

 

 第二外国語の授業は無いが、趣味で勉強している、と言う人も多い。

 フランス語(使用率世界第二位)、ドイツ語(各種学問に幅広く応用が利く)、スペイン語(中南米諸国での主要言語)、アラビア語(使用率第三位、中東諸国及びアフリカでの主要言語)、中国語(言わずもがな)辺りが最近の主流である。

 

 「でも僕はフランス語、喋れないんだよね……」

 「読めるじゃないですか。というか読解力に限定すれば凄いじゃないですかー」

 「聞き取れなくて、発音が出来ないなら、使えないのと一緒だと思ってる」

 

 無事に社交界が開始されたのを確認。生徒会員は全員大きく安堵の息を吐いた。

 あとは会を最後までやりきればお終いだ。校長に「楽しんできてください」と送り出される。

 とはいえ、僕はフランス語が話せない。何を言ってるか全然、分からない。

 

 読むのは簡単なのだ。応用で書くのもいける。

 日本語に限らず、言語には法則性がある。日本語で言うならば「主語」(Subject)「述語」(Verb)があり、その間に「目的語」(Object)が挟まる。所謂SOV型構造だ。日本語以外だとドイツ語とかがこれに該当する。

 必須科目の英語はこの順番が変化しSVO・SVC・またはSVOCと言う語順を取る。

 

 このパターンを各言語で押さえておくと「誰が」「何をする」かが把握できる。

 

 そして言語と言うのは、共通のルーツである程度、分類することが出来る。極論を言えば、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語は全部ラテン語が起源にある。まあラテン語はSOV型で、英語を始めフランス語(略)はSVO型という食い違いがあったりもするけど……ともあれ同じ起源を持つ言語では、一つの単語を表す「綴り」(spell)は似通っていく。

 日本人なら、中国語を話せなくても、漢字で大体の意味を察せるのと同様だ。

 

 そこからは単語力の勝負だ。直接フランス語を習得するのではなく、フランス語 → 英語 → 日本語と言う感じで頭の中で処理をする。そうすれば大体の意味は掴める。

 とはいえ先も言ったが、これは所詮、読むための技だ。発音には全然使えない。

 

 「……僕は英語で会話させて貰うよ。向こうも使えるでしょ」

 「そですねえ。じゃあ偶には別行動と行きますか。後で打ち合わせ通りにやりましょー」

 

 藤原千花。五か国語が話せるマルチリンガル。外交官だった万穂さんから幾つもの言語を叩き込まれ、その代わりに日本語の成績は悪い。

 最近は僕が国語の勉強に付き合っているので、段々成績は伸びてきているが、得意ではない。

 国語のテストとか問題文に全部答えが書かれているから簡単なのだが……。

 この辺の得意不得意は、人に左右されるという事か。

 

 猫耳を付けてふわふわしながら歩いて行き、そのまま笑顔で、するりと会話の輪に加わった。

 会の開始時、全員には耳付きのカチューシャをプレゼントしてある。猫、犬、ウサギ、うまるちゃんと様々だ。それでも突如として出現した天然猫耳娘は殊更可憐に映るらしく、あっという間に会話が盛り上がって行った。才能だな。

 

 とか思っていたら、何やら挙動不審な御行氏を見つけた。

 何やらフランス側の女生徒に話しかけられ、腕組みしながら頷いている。あれ理解してない顔だよね。ああ、でも必死に聞き取る努力しているか。

 見ていたら手早く、テーブルの上にあったナプキンを降り畳む。折り紙の要領で、薔薇のコサージュを作って女性の胸にそっと指し『良い旅を(ボン・ヴォヤージュ)』。

 女生徒が感動した眼差しで見ている中、そっと立ち去って、壁際で見えないように大きく息を吐いた。僕は其処に寄って行った。

 

 「そんなに緊張しないでも良いと思うんだがな」

 「岩傘か。まさかとは思うがお前までフランス語を話せたりは……!」

 「話せないよ。英語で良いじゃん英語で。国際会議の舞台でフランス語を使って会話をしてるとでも? 向こうだって秀知院の姉妹校、フランストップクラスのエリート校なんだから通じるよ」

 「……言われてみればそうだな」

 

 白い猫耳を再び付けた御行氏は、頷いた。

 相変わらず似合っていない。かぐや嬢は夢中なようだけど。

 幸い、此処はパーティ会場。互いが互いを目に入れないようにするのは簡単だ。

 二人が、生徒会室であったような、メンチを切る事態にはなっていない。

 

 日本で英語の授業があるように、他国でも外国語の授業はあるに決まっている。

 肩の力が抜けた御行氏は、英語を使ってコミュニケーションを開始していく。良い感じだ。

 

 覗いていた校長が、何やら御行氏に、フランス校側の生徒会? か何かの役職にある人間を派遣していたが、あの様子なら大丈夫だろう。

 御行氏に悪い虫が付かないようにかぐや嬢が見張っているしね。

 出来る限り全員に楽しんで貰うように気を配るのも生徒会の仕事だ。ぐるっと室内を見回すと、テーブルから少し離れ、壁際で静かにグラスを傾ける女生徒が居た。

 

 周囲には誰もいない。年齢不詳で、制服も違う。

 それに誰も気付いた様子は無い。

 

 「……ん?」

 

 ◆

 

 頭の猫耳がバチッという音を立てて、それを打ち消した。

 

 ◆

 

 「――ん??」

 

 僕は()()()()()壁を見ていた。

 なんか一瞬だけ意識が飛んでいた気がするが……きっと気のせいだな?

 

 時間を確認すると、17時20分。そろそろ会場が温まってくる頃だ。此処2~3分の記憶が曖昧だが、多分疲れてぼーっとしていたんだろう。

 

 「レディース・アンド・ジェントルメンー、注目ですよー!」

 

 丁度、千花がステージの上に立っていた。催し物の時間であるっ!

 ステージの上に乗った千花は、マイクを使って流暢なクイーンズ・イングリッシュで話す!

 

 「ビンゴゲーム! 開始っ!! さあ皆さん準備は良いですねー!」

 「良いぞー! 全員準備終わっているぞー!」

 

 僕が確認をして回り、ステージ上の千花に返事を投げた。

 

 石上が準備してくれたBGMが流れると会場の空気が一変した。

 スローからアップテンポに。

 即座、ヒューヒューワーワーと歓声が上がるっ! 流石、ヨーロッパの人はノリが良い。

 

 全員に配布されたビンゴカード。日本では5×5を使って行われるが、今回は英国等で広く親しまれるハウジー式だ。縦3×横9の中に数字が、5個3列で割り振られている。後は日本式と同じで、数字を読み上げ、該当する数字があったらチェックを付ける。

 一列が埋まる――この場合、横9列に書かれた数字5個が的中するとクリアだ。

 

 「さあさあさあ、皆さんカードは確認しましたね? そしてですね、今回、勝ったとしても商品が手に入るとは限りません! 此処に! 籤がありますので! 揃った人はここから籤を引く! その商品をゲットです!」

 

 どーん! と置かれたボックスには10本の紐が括り付けられている。

 この中から1つを選ぶ形だ。

 

 「尚商品は、各種お土産が5つ、罰ゲームが3つ、特賞が2つ入ってます! 罰ゲームを引いた時は、皆さんに盛大に自慢して笑って下さい。それがルール。特別賞は――これです!」

 

 ドドン、と表示されたのは二つだ。

 

 一つは日本滞在中に使用できる、京都観光7日間の旅。宿も完備済み。

 

 もう一つは、四宮かぐや手ずからによる茶道(ティーセレモニー)の体験である。

 発表と同時、着物姿のかぐや嬢が登場し、同時にバババッと会場の一室に畳、茶道具が用意される。其処に置かれる座布団は一つだけ。座れるのは、一人だけ!

 『おお……』と会場が唸った気がした。容姿端麗で大和撫子を絵に描いたような、かぐや嬢だ。その和服姿と白い肌、美少女からの作法体験会となれば誰でもやる気が出る。

 因みにかぐや嬢も猫耳である。似合っている。

 

 「さあやる気が出たところで――レッツビンゴ! 行きますよっ!!」

 

 掛け声に合わせてビンゴゥっ!と声援が飛ぶ。

 勢いよくドラムが回転し、ガラガラの中から数字が転がり出た。

 

 「四宮からの茶道、四宮からの茶道、着物の四宮から直接、受け取って飲む……!」

 「気勢を上げてるけど、運営側が引き当てるのはちょっと露骨で盛り下がるだろうから、無理だと思うよ、御行氏。大体、君は何時も、紅茶を入れて貰ってるじゃん」

 

 聞こえない程度にブツブツ言ってた御行氏の言葉に、聞かないふりをして一般論を語る。

 僕の台詞に「むむ」と呻き声をあげた御行氏は、そうだなと諦めるように息を吐いた。

 

 「ま、その辺は後で考えがあるから楽しみにしてると良いよ。……お、揃ったわ。よしよし」

 「おい」

 

 お前こそ景品を狙っているじゃないか……と言いかけ、直ぐに狙いを悟ったのだろう。

 流石じゃないか。その通り、これは仕込みだ。

 会を盛り上げるのも僕らの仕事だろう?

 

 ◆

 

 「と言う訳で僕が一番です。自己紹介をした方が良さそうですね? 岩傘調、学園生徒会で広報をしています。よろしく。――さて、皆さんご注目。僕が引く……籤の結果は……!」

 「はい、罰ゲームでーすYo!」

 「外れですね! 参りましたねっ!」

 

 堂々と壇上に上がってさっさと籤を引いて、皆に見せる。

 そこまでやったらフランス校の生徒の皆は『そういう事か!』と理解してくれた。

 即座に口笛混じりの喝采が上がる。受けた声援の元、僕は大きく手を上げて一礼。歓迎の挨拶をした。

 

 そう、これは仕込みだ。しかし大事な仕込みである。

 いの一番に罰ゲームが履行されれば、他の皆のやる気も上がる。

 その罰ゲームを受ける人間が、運営側なら更に良い。罰ゲームがどの程度の難易度なのかを把握できる。引く確率も減る。加えて「被害者を買って出てくれたぞ!」と盛り上がる。

 

 「と言う訳で、広報にはこれをお願いしましょう! 特製ジュースです!」

 「……おおう、これはまた毒々しい色……!」

 

 渡されたのは、緑色でありながらも、香りは酸っぱく、ドロッとした感じの何かだった。

 近くにあったグラスに、ほんの僅かだけを注いで、最前列のフランス男子に渡す。味見をどうぞ、と言う事だ。果たして彼は慎重にそれを舐め――「うわっ」という顔をした。

 

 これで内容物がかなりヤバイとは明らかになった。

 さて覚悟を決めますか。特製ジュースで、飲める味で、健康に悪い奴は止めてね、と伝えてあるが。それが何味かまでは指定してない。

 僕は並々とグラスに注がれたそれを、皆に乾杯するように掲げて――。

 

 覚悟と共に、口を付ける……!!

 途端に広がる、グロテスクな味……! 暴力……!

 

 (……うわ、これやっばい。味凄いな……!? ベースは青汁。しかもかなり濃い。そこに柑橘系の酸味を追加して、砂糖……いや、味醂みたいな系統の甘さをプラス。そしてそこに多分、これ……納豆を混ぜている……! ……フランス人にはキツイ味だぞ!?)

 

 味わったら死ぬ。舌に触れないように、出来る限り喉奥に流し込む。

 

 一気に飲み干して、グラスが空になった――と逆さにして頑張った! アピール!

 溢れる再びの拍手! 最前列の男子に「ご協力ありがとう」と和三盆糖の飴をお詫びに渡す。

 ふう、これで一仕事終わりだ。

 

 「と言う訳で広報、何か一言!」

 「えー、味は凄く不味かったです。ですが頑張って飲み干しました。やはり――」

 

 あ、そうそう、これだけは言っておかないとね。

 

 「好きな人の作った物は全部食べたいので!」

 

 フランス人は日本人より洒落ている。キザったらしいと表現しても良い。自信満々にアピールすることを恥ずかしいとは思わないのが、西洋の文化だ。

 かくして僕はさらなる喝采と拍手を浴びて、降壇したのであった。

 

 「ここでやって来ますかーっ! おのれ……! 良いですか皆さん! あの男はあーやって毎回不意打ちをするんです! 余裕がある男子の人、その男をもみくちゃにして良いですからね! 私が許可します!」

 「あ、おい、待て! グラスにドリンクが延々と注がれてになって勿体な――!」

 

 交流会は続くっ!

 

 ◆

 

 「いやあさっきのパフォーマンスには感動したよ。君は彼女と恋人なのかい?」

 「婚約者だね。普段はあんな料理なんか出さないんだ。もうちょっと家庭的なんだよ」

 「気分が悪くなったりしないか? 水を飲めよ」

 「ありがとう。頂くよ。――彼女には内緒にしてくれよ? 今も喉の奥がドロドロしている」

 

 ビンゴゲームは恙なく進行した。

 罰ゲームを引いたのは二人。日本人の学生が一人。彼は好きなカチューシャにウィッグまで付けてポーズを取り、それを撮影されるという罰ゲームだった。ノリノリだった。

 

 会が盛り上がれば会話が増える。一番に罰ゲームを受けた僕は、すんなりと交流することに成功していた。何れも英語だが、専門用語が混ざっていないならそんなに難しくもない。

 

 「それにしても頭のカチューシャは良いな。生真面目な顔が出来なくなってしまう。僕は堅物で有名なんだが、これでは笑ってしまうな」

 「だろう。これも彼女が提案したんだ。僕も賛成した」

 「良い催しだ。やはり日本のオタクカルチャーは強いね。と、耳の部分が取れかけているぞ?」

 「うん? ああ、本当だ。はしゃいでしまったからかもしれないね」

 

 罰ゲームを受けた最後の一人は、なんと校長である。

 参加していたペスカロロ校長である。何やってるんだあの人は。

 ちょっとだけ躊躇されたが、本人がノリノリで『罰ゲームはオールオッケーデスヨー』みたいな顔をしていたので実行に相成った。

 同じ毒ドリンクを飲むという奴だったが、僕のと違って激辛になった。

 

 そもそもあの校長、元々はフランス姉妹校の校長をしていた過去を持つ。当時からユーモア溢れる人だったらしく、今回来日した生徒達の中には、彼を知っている人物も多かった。そうした生徒が「じゃあこれ入れようぜ」とタバスコをぶちまけたのだ。

 日本校の生徒がやったらヤバかったが、フランス校の生徒がやった物ならしょうがない。

 

 歓迎の気持ちを受け取りましょうと笑顔で飲み干した。

 次の瞬間、校長は顔を真っ赤にして、水! 水が欲しいネ! と叫んだので、生徒達は笑いの渦に包まれた。

 

 「猫の扱いを見ると文化の違いを感じるね。こちらでは猫は魔女の遣いで不吉なんだ」

 「そうらしいね。日本だと招き猫、と言って幸福を呼ぶとされているよ」

 「だけど女の子の頭に猫耳が乗ったら正義になるね」

 「……君とはいい友人になれそうだ!」

 

 そういえばと思い出す。九郎氏、ではなく奥方が語っていたな。魔除けにもなっていると。

 クトゥルフ神話において猫が最強生物なのは有名な話だ。ニャルラトホテプも猫が嫌いと言う。猫耳が魔除け効果というのはそういう事なんだろう。

 しかし猫耳が壊れてしまうほどの邪悪な何かに触れた経験は無いのだが……。

 

 「お、ベツィーが当たりを引いたぞ。どうやら、サドーを受けるのは彼女になりそうだ」

 「制服が少し違うね。彼女はリーダーなのかい?」

 「僕らの学校の副会長だね。ディベート大会で優勝するくらい優秀なんだ」

 「それは凄いな。こちらの副会長も、よく会長と舌戦を繰り広げているよ。二人の会話が楽しみだ。……顔色悪くないかい? 大丈夫かい? 彼女」

 「ああ、少し顔色が悪いな。ひょっとしたら長旅で疲れたのかもしれない。責任感が強いからね。重圧も相当だと思う。此処に来て噴き出たのかもしれないな」

 

 それじゃあ猶更、心を穏やかに落ち着けて貰わないとな。

 遠慮する彼女に、僕は笑顔で『緊張を解すのに効果的ですよ』とお勧めした。

 かぐや嬢が『よく援護したわね岩傘広報』と笑っていたが、……僕は何をしたんだ?

 

 と、まあこんな具合に。

 笑いに溢れた交流会は進み、無事に終わりを迎えたのであった。

 

 勿論、最後には全員が集まっての集合写真も撮った。ちょっと顔は小さいが、これでかぐや嬢、御行氏、互いに猫耳の写真をゲットすることには成功した訳だ。計画通りである。

 

 向こう側の副会長に、最後まで恨みがましい目で見られたが、いや本当、僕は何をしたんだ?

 

 ◆

 

 「かぐや嬢。折角なので、お茶を()てて頂けませんか?」

 「……良いですよ。皆さん、お疲れのようですし、労う意味も込めて振る舞いましょうか」

 

 無事に社交界が終わり、フランス校の皆さんは宿舎へと戻って行った。

 有志による片付けもほぼ終了し、後は生徒会役員だけで何とでもなる。

 

 茶立ての道具は、かぐや嬢の私物だ。かなりの貴重品なので従者(早坂ではないぞ)が裏に控えて運ぶ準備をしている。既に和服から制服に着替えたところで、僕は提案をした。

 

 数分だけ時間を貰っても構うまい。

 了承の返事を貰ったところで、僕は千花と御行氏を呼んだ。

 

 「という訳で、お疲れ様でしたと一杯、頂こうかなと」

 「そうだな。それも悪くない。作法には詳しくないんだが……」

 「気楽にして下さい会長。この面々で格式張る事もありませんから」

 「お茶の匂いって良いですよねー、コーヒーや紅茶も良いですけど、これはこれで、なんかふわーってします。しません?」

 「言いたいことは分かるかな、と……」

 

 かぐや嬢が、慣れた手つきで抹茶を点てていく。出来る寸前に、僕は「おっとそういえば」と立ち上がった。マナー違反だが、大目に見て貰おう。

 

 「そういえば石上に伝えておく連絡事項があったんでした。千花、ちょっと手伝ってくれる?」

 「はい? はいはい。何でしょうか?」

 「うん。小さいこと小さいこと。3()()()()()で戻ってこれるよー」

 

 そうなると必然、かぐや嬢と御行氏の、二人だけになる。

 三分。たかが三分。されど三分。光の戦士なら怪獣を倒して帰るのに十分な時間だ。それであの二人の何が進展するとは思わないが――なに、今日まで忙しかったのだ。

 

 去り際に目で二人に合図した。

 三分だけですが、ごゆっくり。

 二人きりで休憩する時間を作ってあげても、誰も怒りはしないだろうさ。

 少しくらい、盛り上げたって良いだろう?

 

 廊下に出ると、千花はにへへと変な笑い声で僕に言う。

 

 「私はそういうところが好きなんですよー」

 「何、急に」

 「いえいえ。なんでもありません。優しいですねーって話です」

 「これくらい、別になんてことはないさ」

 

 三分。たった三分。されど三分。

 室内の二人の邪魔をしないように、僕と千花は静かに廊下に並ぶ。

 日が落ち、夜空に星が瞬く時間なのに、暖かかな時間だった。

 

 本日の勝敗:日本校の勝利

 理由:フランス校との交流会を無事に完遂したため




最大の被害者:ベツィー
1:かぐや嬢から放送禁止コードレベルの罵倒をフランス語で反撃される。
2:その後、ビンコから特賞「かぐやからの手製の茶道体験」を引き当ててしまう。
3:辞退しようとしたが、何も事情を知らない岩傘が親切心で「遠慮せずにどうぞ」と勧められた結果、逃げることも出来ず、笑顔のかぐや嬢を追加で味わう羽目に。

けしかけた校長は盛大に恨み節を聞く羽目になったそうな。
最も校長も、激辛で舌が痛くてそれどころではなかったのだが。


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岩傘調は出られない

副題:ラブ探偵チカの本気


 事の起こりは、交流会での後片付けの最中だった。

 面倒な書類仕事は石上がやってくれるのだが、備品チェックを始めとした、目で確認しないといけないアナログ仕事は此方に回される。特に持ち回りが決まっている訳ではない。御行氏、かぐや嬢、千花、僕と手が空いている人間がその都度行っている。

 

 御行氏は部活連の会合に顔を出していて本日は遅刻。

 千花は部活の助っ人を相談されたとかで遅刻。

 かぐや嬢は、椅子の傍らに墨と筆を用意し『責任と責務』と書いている。流石、書道でもコンクールトップを飾る女かぐや嬢。美しい字を書く。どうでも良い話だが千花の字は可愛い。

 そんな彼女の邪魔にならないように、ちょっと離れた場所で、僕は石上と後始末の最中だ。

 互いの気がそぞろにならない様と、間に衝立(ついたて)を立てている。

 

 「使われたグラスとかクロスとか額縁とか、その他諸々は確認終わったぞ」

 「そですか。あ、これ頼まれてた奴の手配です」

 「ありがと会計」

 

 石上優。生徒会会計。高等部一年生(後輩)。

 目の前でノートパソコンを弄り続けている男。

 長い前髪で、人目を避けるよう片目を隠している。ヘッドホンを付け外部の音も遮断。一目見ただけでは陰気な雰囲気の男だ。別にそんなに根暗でも陰険でもないのだが、ちょっとばかり自信がない――ワンテンポ遅れて反応するような、壁がある男(by白銀御行)。

 打ち合わせ以外にあんまり顔を出さないが、別に悪い奴じゃない。というか案外、話してみると話しやすいのだ。素っ気ない、飾らない、演技をしないで我が道を行く空気が心地いい。

 

 昨年、今の生徒会が発足後、御行氏が彼を生徒会へと引き込んだ。その前後で、色々とトラブルもあったが……無事に解決し、能力的にも問題ないと判断され、会計に就任。

 今でも延々と裏方仕事で事務仕事を淡々と終わらせている。

 

 「30人分の追加授業許可証と栞なんて何に使うんです?」

 「この前のフランス姉妹校との交流会、参加してくれた有志の人達にお礼を渡そうと思ってる。あんまり高級でもいけないし、使い道がない物を貰っても困るだろ。申請しても中々手に入らない7時限目の参加券だ。受け取った本人が必要ないなら、それを別の人への贈り物に出来るし」

 「広報、そういう所マメですよね。会長の判子待ちですが、多分OK通ると思います」

 「使える縁は出来るだけ切らずに確保しておくのが大事なんだよ。いざって時に色々出来る方が良い。特に卒業後も何かと役に立つ……。君に同じ事をしろとは、言わないけど」

 「同じ事したら死ねますよ。会話的な意味で」

 

 違いない。

 言いながら、僕の権限で許可できる書類にサインをしていく。

 

 「次は……えーと、……授業スケジュールと、それに合わせての練習場の解放。後は……演劇部の発表会? と練習の使用場所……あ、そっから小道具の申請来てる。これは任せた」

 「任されました。ところで広報、今期アニメ何見てます?」

 「ジョーカー・○ームとかかな。原作から入った派だけど」

 

 石上はどっちかというと隠れオタク派だ。僕は別に隠していない。本なら何でも読む。深夜アニメも見る。ゲームもする。しかし世の中、成績が良く、礼儀と内申が良く、身分がちゃんとしていれば文句は言われないものだ。総理大臣だってアニメ見てる時代だしな。

 それに中身によっては、千花のお爺さんとも結構、話が合うものだ。この前、千花の家に顔を出したらいらっしゃっていた。その後、岩傘家にも顔を出してくれた。タイミングよく僕が『艦○れ』をプレイしていたら、そのまま歴史の話をすることになった。

 

 「リア充生活お疲れ様です」

 「いやー疲れるほどの物でも無いかな?」

 「皮肉ですよ! ひ・に・く!」

 

 などと会話をしていると、生徒会室の扉が叩かれた。

 お客さんかな、と思って立ち上がるより早く、かぐや嬢が出て応対をする。

 

 「あの、恋愛相談の続きをお願いしたくて……」

 「……広報、下がってましょう。出てかない方が良いです」

 

 確かに、僕らが顔を出しても良いことは無いな。

 柏木さんじゃないか。翼君の彼女、VIPで学年四位の柏木渚さんじゃないか。顔を出すのは良くなさそうだな。僕と翼君は同じクラスだし。聞かないふりだ。

 石上の言う通り、仕事をして時間を潰していよう。静かにいていればバレないと思うし。

 

 ……ん? と何かが引っかかったが、違和感の出所は分からない。

 無言になる。音を立てないように。

 石上もノートパソコンを畳み書類に目を通し始めた。

 

 「はい。この前、少し触れていた話ですね。お待ちしていました」

 

 僕はこの時、判断を間違えた。

 詳しい話を聞く前に、素直に顔を出して、部屋から出るべきだったのだ。例え仕事があったとしても――例え、ちょっと気まずい空気が流れたとしても――。

 結果として即座に部屋から出るのが、最適解だった。

 

 「それで、相談の話を、もう一度確認なのですが……」

 「はい。彼氏と円満に別れる方法が知りたいんです」

 

 悟ったのは、重い爆弾が投下された後であった。

 この時僕は既に、敗北していたのだ。

 

 ◆

 

 柏木さんの話はこうだ。

 翼君から告白されて交際を始めた。向こうが自分を好いてくれるのは知っている。以前の『チクタクマン』騒動で自分を助けてくれたのも嬉しかった。

 しかし自分は彼を好きなのだろうか? 彼の好きという気持ちに応えられているのだろうか? 彼とどうやって接したら良いか分からない。気まずくなり前より距離が出来てしまった気がする。だからいっそ別れた方が良いのではないか……、とこういう訳だった。

 

 「この前の……お昼の相談は、結局あの恋愛ロボットでうやむやになってしまいましたし……」

 

 あー、あの時、何故あの三人が一緒だったのかが今分かった。

 翼君に関しての相談だったんだな。その詳細を語る前に『チクタクマン』が乱入してしまったから、今回、改めて相談に来たと。

 ……納得するが、やっぱり違和感は消えない。

 

 「あの時の行動で、ちょっとドキドキして「これならいけるかな」って思ってたんです。でもそれから進展がしなくて……吊り橋効果だったんじゃないかなとまで思い始めて……」

 「なるほど、それは……分かる気がしますね……」

 

 吊り橋効果。有名な名前だ。

 吊り橋の上で告白をすると成功をしやすい、というアレである。いわば恐怖感から来るドキドキを、恋愛感情からくる興奮と錯覚して起きると言われている。吊り橋の上じゃなくても、何かピンチを迎えるとかでも良い。ハリウッド映画でよく見るハプニングとかまさにそれだ。

 

 「お待たせしました! このラブ探偵チカにお任せ下さい!」

 

 千花が乱入する。例の探偵コスを身に着けている。ちなみにアレ、演劇部の小道具らしい。思い出す限り四月からずっと使っている。借りパクになってないかだけ確認しておかねばな。

 ……と、そこまで考えて気付く。

 今、千花は何と言った?

 

 ――お待たせしました。

 

 つまり、今日ここに、柏木さんが来ることを千花は知っていた。

 そして更に、先ほどまでの違和感の正体に感づいた。

 

 何故、かぐや嬢は、僕たちを追い出さなかったのだ?

 

 彼女は僕らが衝立の向こう側で仕事をしていると知っている。

 同性の、デリケートな問題を話題にするのだ。僕らが出ていくべきだ、という答えに気付かなくとも『ちょっと出て行って下さい』と一言、彼女なら伝えに来るだろう。それをしなかった。

 

 つまり……()()()()()()()()()()()のではないか?

 

 そりゃあ勿論、かぐや嬢が僕らへの忠告を忘れた可能性はあるが……。

 それなら今このタイミングで、出ていくように指示だって出来る。しかし其れもない。

 これは、まさか。

 

 「大丈夫! 此処に居るのは乙女が()()()()! 何を遠慮することがありましょうか!」

 「!!」

 

 出られなくなった。間違いない。

 彼女は()()()()()()()()()()()()()

 

 衝立の隙間を、かぐや嬢の真っ黒い目が突き刺さった気がした。

 あれは間違いない。僕の動揺を察して『お可愛いこと』とほくそ笑む顔だ!

 

 千花は――千花は!

 かぐや嬢に相談をして、この時間、このタイミングに柏木さんが来るよう誘導。

 故に『お待ちしていました』とかぐや嬢は返事をした。

 僕が見えない位置で話を聞けるように、場を整えたのだ!

 

 「柏木さんの恋という名の落とし物。この名探偵が見つけ出して差し上げます……!」

 

 そして恋という名目で話すなら、幾らでも僕を相手に殴れる。一方的に!

 衝立の隙間から覗く。柏木さんからは見えない位置。衝立越しに目が合った千花は『今度はこっちのターンですよ!』と言わんばかりに口元を綻ばせる。

 ……耐えれば良いんだろう、耐えれば!!

 

 だが僕は見誤っていたのだ。

 ラブ探偵千花の、全力を。

 本来ならばIQ3程度のポンコツと言われる彼女が、僕を相手に本気を出すと、どうなるかを。

 

 ◆

 

 「私の場合ですがね。いーちゃん……岩傘調の良い場所……実は冷静に考えると、あんまりないんですよね。スペックだけを見れば学園で、いーちゃん以上の人、居ますし。幾つかの得意科目はありますが、総合成績で言えば20番から40番くらいをウロウロしてますし。運動は平均ですし。別に美形って程の美形じゃないです。加点要素で可能性を上げると、会長の方が高いです」

 「藤原さん……?」

 「冷静に考えれば、はい。そうですねー、会長の方が好みな気がしますね?」

 「藤原さん……っ!?」

 「落ち着いてくださいよ、かぐやさん。ただ、悪いところも知ってるんですよ? で、そういう悪い場所を山ほど知っていても、でも嫌いじゃないんです。だから多分、いーちゃんが一番なんじゃないかなーと思います」

 

 しょっぱなから殴られた。

 軽いジャブで揺らいだ所を、ボディに一発受ける。

 『良いところを上げてみては?』の質問で、かぐや嬢が()()の特徴を上げた後の発言である。

 そこで『悪い場所は沢山知ってます』から入るのはずるいだろう!?

 

 「藤原さん、これは『好きなところ』を上げるテーマでしたよね!?」

 「好きと嫌いは表裏一体ってやつですよー。じゃあ柏木さん、一緒に考えてみましょう? 翼さんが持っている、嫌いな場所、不満な点を上げてみましょう。一つや二つくらいは思いつけるんじゃないですか?」

 

 さっきまでの僕への見下し目線は一瞬で消えた。

 かぐや嬢があわあわと慌てている。協力する姿勢は示していても、どんな風に話を展開するか、までは聞いて居なかったのだろう。つまり彼女もまた、千花の話術に翻弄され――自分が御行氏にどんな感情を抱いているか、整理させられてしまう……!

 そうなったらもうダメだ。かぐや嬢は、御行氏を考えるとポンコツになる。もはや彼女も千花の手に落ちた。千花に翻弄されるだけの玩具になった。

 

 逃げられない。

 逃げたら柏木さんの話を聞いていたことが、ばれる。それは柏木さんが傷つくかもしれない。

 

 ……いや、千花やかぐや嬢の事だ。

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 僕がここにいる事を教えて貰った上で、素知らぬ顔で話をしているのだと思う。

 

 だが「もしもグルではなかった場合」の可能性を考えると、僕は動けない。

 翼君への別れ話についてを聞かれたとなれば、柏木さんが不安を抱くだけではない。千花やかぐや嬢への、彼女からの信頼も揺らぐ。それは出来ない。

 万に一つでも柏木さんが傷付く()()()()()()だけで、僕は逃げることが出来ないのだ。

 やってくれる……!

 

 「……ちょっと穏やかなところ、とかかな。優しいんだけど……強引さも欲しい……とか」

 「(もう少し……口に出して欲しい……と思うのは……我儘でしょうか……)」

 

 歯噛みする僕の視線の先、柏木さんのみならず、かぐや嬢も考えて答えを出す。かぐや嬢は口に出していなかったが、彼女が何かしらの答えを頭に浮かべたのは一目瞭然。

 ですよねー、ありますよねー、と千花は頷いて続けた。

 

 「でも、それって『嫌いだから別れたいんです』じゃないですよね? この先、こうなったら良いなっていう気持ちが込められた『して欲しい』ですよね? ……ならばそれは、好きと同じなんですよ。相手に求める点では、嫌いも好きになりますよー」

 

 もの凄くまともなアドバイスをしている。

 千花の恋愛レベルが上がっている……! 明らかに上昇している……! 考え方を教えるのもそうだが、納得できるだけの自信に溢れている……!

 かぐや嬢、このままでは不味いと思ったのか、千花へと質問を投げた。

 

 「ち、ちなみに藤原さん、貴方の広報に関する話を聞いても良いですか?」

 

 かぐや嬢の言葉に、千花はお任せ下さい、と豊かな胸を張る。

 僕は身構えた。さあ、何が来る……!?

 

 「んーと、例えばですね。いーちゃんは頑固です。不可能な事に取り組む頑固さじゃないですよ? でも頼むだけで許される事があったら、全力で頼んで、自分だけじゃ無理なら周囲の人も集めて、頭下げまくります。そういう頑固さです」

 

 表情で分かった。あれは問いを想定していた目だ。

 否定できない自分が居た。ペスの事とか、まさにそれだ。

 

 「でね、その頭を下げてお願いしたメリットに、自分が関わらなくても良いかな、とか考えるんですよ。『それで私が笑顔になるなら、良いよー』って言うんですよ。いや良くないですよ!  私の為に全力になってくれて! だけど私から見返り無くて良い! とか昔ほざいてたんです! 馬鹿でしょ!? それ馬鹿って言うんですよ! 『それじゃ私が嬉しくないんですっ!』と主張して、この件は終わりました。いーちゃんは反省して『じゃあ、自分と私が楽しくいられる関係を構築しよう』ってのを意識するようになりました。今の状態とかまさにそれですね。そういう部分が、嫌いだけど大好きなところです!」

 「……藤原さん。私は今、貴方があの広報の相方なんだと再認識したわ。……惚気よそれ」

 「そのつもりで話しましたから」

 

 ボディブローで蹲った所にアッパーカットが入った。

 

 黒歴史を暴露するなよ……っ!

 やっべえな、これまだ続くんだろ……!?

 全部終わった後、俺は果たして無事なんだろうか、と思いながら床に這い蹲っていた。

 

 ふるふる震えながら悶える僕を、石上はヘッドホンをしながら死んだ目で眺めていた。

 

 ◆

 

 「まー、いーちゃんのダメエピソードは事欠かないんです。でもどんだけ減点しても、何度喧嘩をしても、こうやってラブラブですから。むしろ喧嘩するたびに互いの嫌いな部分を把握して、それを互いに直そうと努力してきましたからねー。向こうも私のダメエピソード知ってます。機会があれば話してくれると思います」

 

 藤原千花という少女が、僕の計算以上に成長していたと実感をせざるを得なかった。

 地頭や身体と言う意味ではない。本来ならばアーパーなのだ。ド天然なのだ。ゆるふわ系でボケボケなのだ。それを変えたのは、僕だ。多分僕だと思う。

 

 恋愛という視点において、圧倒的なまでの経験を握った藤原千花は、かぐや嬢を手玉に取ることが簡単になった。……言い方が違うな。元から()()――持ち前の天然さと、間の悪さ、空気をぶち壊す言動で、かぐや嬢の計算を上回っていたのだろう。

 だが今は、計算しても上回ることが出来るようになっている。

 

 かぐや嬢に質問を投げ、柏木さんからの答えを笑顔でこなす姿に、僕は風格を見た。

 ……ひょっとして僕は、とんでもない怪物(モンスター)を生み出してしまったのでは、ないだろうか。

 

 柏木さんは天使(ゴッド)にも悪魔(サタン)にも成りえる逸材だと思う。なんとなくそう思う。

 

 だが、藤原千花もまた傑物であると、認めざるを得ない。積み重ねた経験は、お花畑な恋愛脳を、地に付けた実践的思考へと変化させたのだ。女は、強い。そして怖い。恋する乙女は最強だが、恋と愛を知った女は、最強以上になる。

 

 「と、まあ此処まで色々と助言をしてきましたが、柏木さんにはちゃんと翼さんを好きだって気持ちがあると思います。後はゆっくり育てれば良いんです。私はゆっくり育ちましたからねー。今現在のいーちゃんと、初対面だった時、恋人になるには――あー、でも状況によってはOKするかもしれませんけど――関係を進展させるのにかーなーりー時間が掛かると思います。多分、柏木さんより長いと思いますし、すっごい色々苦労すると思いますよ。私もこんなふうに話せなかったのは間違いないです。でも『もしも』(If)の話をしても仕方がありません!」

 

 千花は晴れ晴れとした、惚れ惚れするような顔で、笑った。

 

 「岩傘調から告白された、藤原千花を好きだ! ――っていう言葉は、大事にしたい私の想い出です! だから柏木さんも、その思いを忘れないようにすれば良いんです! その思いを抱えて、それでもやっぱり別れたいと不安になったら、また相談をしに来てください。その時も――」

 

 中指と薬指を折り曲げて、目の横に付けるチカ☆ポーズで、格好良く宣言した。

 

 「――このラブ探偵チカが、必ず恋の場所を教えてあげますから!」

 

 心臓に何かが貫通した音が聞こえた。

 ま、まだだ、まだ、終わら……な……!

 

 僕が必死で崖に捕まっているところに、千花は笑顔で蹴りを入れた。

 話はまだ、終わらない。

 

 ◆

 

 それからも話は続く。柏木さんは千花から山ほどのエピソードを聞こうと姿勢を正し、かぐや嬢は目が死んでいた。何を考えているかは分かる。

 『私は恋愛的に藤原さんに完敗していたのね……』と理解してしまった目だ。

 

 (これ、関係がまた変化しそうだな……!)

 

 長い間同盟を組んで、かぐや嬢&御行氏を応援していた僕とは事情が違う。

 まさか、かぐや嬢も、協力を要請されて直ぐに此処までの言葉に晒されるとは思っていなかった筈だ。同性の親友が、遥か格上だったと認識させられるとは思っていなかっただろう。

 であれば、この先の関係は予想が付く。

 

 ……かぐや嬢が、千花に、御行氏への想いを暴露するのも時間の問題だ。

 ……僕と千花の二人が揃って、かぐや嬢&御行氏のサポートに回るのも時間の問題だ。

 

 ――いや、既に気付いて居るかもしれない。先日のフランス交流会での最後の発言からして、千花は……あの二人の関係に、もう気付いて居るのかもしれない。ラブ探偵チカは、今日、僕が知るより早くから覚醒していたのかもしれない。

 そうなった時――そうなったら。

 

 (…………別に何も問題はないな?)

 

 原点に戻って考える。

 人が人を好きになるのに、悪いことなんかない。

 関係が進展することに間違いがある筈がない。

 恋愛関係の歯車が、今までよりも早くに前に進む――それの何が問題なのだ?

 僕は千花と惚気たい。だからこそ会長と副会長の関係進展を応援したい。

 

 進歩を『強制』させるのはアウトだ。

 でも計算や打算を考えず気を使う事までが間違いだとは思わない。

 僅かな機会をプレゼントしたい気持ちがアウトだとは思わない。

 

 もしもお節介だと思ったら、二人は「お節介ですよ」と絶対に僕に言ってくる。

 これは友人としての確信だ。

 

 ……なら、千花が何処までも恋愛強者になっていても、別に何も支障は無い。

 ラブ探偵チカの惚れ惚れするような笑顔を見たら、どうとでもなる気がした。

 かぐや嬢と御行氏の関係が進展していくとしても、何か色々な事件がこの先に起きていくとしても、きっと何とかなる。……なら、心配してもしょうがない。

 

 「そうですね、では……この話しましょう。初キスの話……! 絶対内緒ですよ……?」

 「「ごくり……」」

 

 ――はっ、と其処で平和に納得しかけていた僕の精神が、現実に戻って来た。

 

 かぐや嬢ですら、聞く気満々じゃないか! これはヤバイ。その内容はヤバイ。

 やめろ! やめてください! お願いします!! これを聞いたら、僕は悶絶死する。間違いなくだ。かぐや嬢と柏木さんなら他人に話さなそうだと理解した上での行動!

 何か方法!方法を探さねば……! 今からでも……!

 

 と改めて周囲を見回す。

 そこで石上のヘッドホンが目に入った。

 

 彼は柏木さんの問題が開始された後からこの状態だ。音を遮断して知らないふり。僕が悶えている最中もそうだった。スマホを弄って「我関せず」を貫いている。

 僕は無言で、ボディランゲージとメモの走り書きで、石上に問うた。

 

 『予備のヘッドホンとかイヤホンとか持ってない!?』

 『……どうぞ』

 

 差し出されたイヤホンを慌てて耳に嵌め、これで一安心――。

 

 …………待て。待て、そうだ。石上。お前だよお前。

 

 なんでお前、柏木さんが来た時に『下がっていましょう』と押し留めたんだ?

 石上の性格からして、最初に『出ていきましょう』と主張する場面じゃなかったのか?

 何故、石上は僕を引き留めたのだ?

 

 もしも、という疑問が頭によぎる。

 

 ――もしも千花が、かぐや嬢や、柏木さん(恐らく)のみならず……。

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()としたら……?

 ――何かしらの約束を取り付けていたとしたら……?

 ――僕がここで石上に助力を求めることまで、千花が計算していたとしたら……?

 

 固まった僕に対して、石上は無言で、イヤホンが繋がっている機器を差し出した。

 中古のiPod。入っている曲数は一曲だけ。いや、これは曲ですらない。

 

 

 『……私の声を聴いてゆっくり休んでくださいね……、いーちゃん』

 『まずゆっくり深呼吸をして……。私が子守唄を歌ってあげます……リラックスをして……』

 

 

 ――囁き添い寝ボイスじゃねーかああっ!!

 ――聞けるかぁこんな危ない物を!! 公衆の面前でぇっ!

 

 ちっくしょう忘れてた! 僕の性癖、GW中に目撃されてたんだった……!!

 石上は無言でメモ帳に記す。

 

 『すいません、藤原書記に『これ渡しておいて』って言われたんで……。何だったんです?』

 

 言える訳がない。そしてこのデータを他人に渡せる訳がない。僕はイヤホンを回収し、iPodを懐に仕舞う。すると必然、耳に初キス経験の話題が流れ込んでいく。

 

 結局、御行氏が戻って来るまで、生徒会室は千花の独壇場となった。

 一番肝心な「及んだ時」までは触れないで終わったが、触りを聞いただけで、かぐや嬢は真っ赤になって降参だ。御行氏が戻り、柏木さんが退室した後、僕は衝立の後ろから這い出たが。

 

 藤原千花の本気、おそるべし……。

 

 その際に、真っ白になっていたことは、言うまでもない。

 

 

 今回の勝負:藤原千花の完全勝利。

 理由:最初から最後まで彼女の掌の中でした。

 

 ※尚、囁き添い寝ボイスは無事に保存しました。




石上は機会があれば正論でぶん殴りますが
その対象は一人から二人に増えています。
そして同時に、片方に助力して片方をぶん殴るのにも躊躇しません。

その内、石上も誰かにぶん殴られる時が来そうですけどね、YJ最新話を見た感じ。


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岩傘調は差し出したい

 世間では「妹が居るのが羨ましい」と主張する人間が一定数居る。

 

 だが言わせて貰えば、妹が可愛いのは幻想だ。

 そりゃあまあ、可愛くないとは言わない。昔は可愛かったなと思う事もある。もうちょい互いが成長すれば「元気?」「まー元気」位の、普通の会話は出来るようになるだろう。

 

 しかしこっちは高校生、向こうは中学生。

 中学生の女子は、それはもう扱いにくい。ものすっごく扱いにくい。思春期であり、年上の男性に複雑な距離感を抱き、こっちが悪いことをしてなくても何故か機嫌が悪い。何か言えば「ウザい」だし、逆に何もしないと「邪魔」と言われる。

 

 どうすれば良いんだよ! と言いたいのは僕だけではない筈だ。

 軽く話題に出したことがあるが、御行氏の妹:圭ちゃんも似たようなものらしい。

 

 世間で「妹が可愛い」と言われるのは、そうした身内にしか見せない姿を、まーったく外では見せないからだ。女が外面を取り繕うのが上手なのは、別に何歳でも変わらないらしい。

 とはいえ――。

 

 「お義兄さーん、こんにち殺法! お待たせしました!」

 「こんにち殺法返し! まあこっちの予定が早まったからね。急かして御免」

 「あ、今日はかぐやちゃんと……噂に聞く白銀生徒会長さんもご一緒なんですね! ちょっと嬉しいです!」

 

 千花の妹:萌葉ちゃんは可愛いと思う。

 この娘が自分の義妹になるのは、とても良いことだと思う。

 

 「萌葉ちゃん、荷物持とうか」

 「えー、それくらい自分で持ちますよー。相変わらず私にダダ甘なんですから」

 「そりゃあ未来の妹だしね」

 「その愛情、キーちゃんに別けてあげて下さいってば。でも嬉しいですよー」

 

 いや(キーちゃん)との仲、あんまりよくないし。

 僕は内心でわーいと小躍りしながら、彼女に傘を差しだしたのである。

 

 ◆

 

 「すいません! 今日、用事があるんで……萌葉の方、お願い出来ませんかー?」

 

 とお願いされたのは、本日朝の事。

 先日の石上会計の尽力もあって、フランス交流会の後始末は無事に終了した。その際に僕が多大なダメージを受けたことを、無事と言って良いかはさておき、無事に終わったのは確かだ。

 僕の家と千花の家は隣。中等部までは歩いて五分。出向いて一緒に帰るのは何も支障がない。

 

 我が妹は憂さんを連れ、部活動で必要な道具を買いに行くとの事。僕の家も車は出せない。

 『今日は歩きになってしまうけど、それで良いなら』と僕は頷いて、その日の昼間、萌葉ちゃんに連絡を入れた。

 

 『お義兄さんから電話来るとはちょっと驚きましたー!』

 「そうかもね。……じゃあ、また、放課後に連絡を入れるので……。はい、僕が中等部まで行きます。雨降っているんで、無理しないで」

 『待ってまーす!』

 

 家族ぐるみの付き合いなので、僕の携帯の中には、千花のみならず、豊実さん萌葉ちゃんの番号も入っている。何故か大地さんと万穂さんの番号まで入っている。

 『困った時には連絡しなさい』と言われているが、幸いにして政治家の先生にお世話になる程、困ったことには遭遇していない。まだ。

 

 千花の方はと言えば、僕の父・母・妹・憂さんの番号を知っているらしい。両親は兎も角、憂さんと妹と相手に何を話しているか気になるが……藪蛇は勘弁なので今まで尋ねたことは無い。

 さておき無事に片付けも済んだので、今日はオフになったのだ。

 

 「連日の疲れもあるからな。しっかり休んで、明日からまた色々と宜しく頼む」

 

 と、こういう感じで本日は解散になった。

 此処でちょっとかぐや嬢が御行氏への牽制を投げた。

 

 『送迎の車がパンクしたらしくて今日の迎えはない。歩いて帰る』と発言したのだ。

 

 いやいや、それはちょっと無理があると思うが……と耐えていたら、石上が突っ込んだ。僕の言いたい事を代弁する。話したら恨まれることをあっさり口に出す。

 

 「え、副会長の家ならタイヤ交換とか一瞬で終わるんじゃないです?」

 

 ストレートまっしぐらが直撃した。

 そりゃそうだよな。何時ぞや、御行氏がかぐや嬢を自転車の後ろに乗せて通学してきたことがあった。あれと同じような出来事は早々起きまい。仮に起きても即座に交換くらいは出来るだろう。タイヤがありません、なんて状況は金で何とでもなる。

 だがそれを口に出すなよ……!?

 

 「何時もの送迎車が無くても代車くらい用意するのは簡単ですし、今から連絡すれば良いんじゃないです?」

 

 地雷原でタップダンスを踊った後に、正論でボディーブローを叩き込む石上。なまじ的中しているだけに、かぐや嬢も恨めしい顔で睨んでいるが、反論できないままである。

 

 生徒会に入ってきて以後、彼の言葉のキレは鋭くなる一方だ。ひょっとしたら僕と千花への苛立ちが彼の舌鋒を鋭くさせたのかもしれない。だがそうだとしても、石上、お前は少しブレーキをかけるタイミングを考えるべきだ。死ぬぞ(主にかぐや嬢からの殺気で)!

 

 「タクシーって手段もあるじゃないですか。財布に十万円とか入ってますし。まさか副会長の事です、そこまで思いつかないとか無いでしょう。ひょっとして歩いて帰りたかったとか?」

 「は、はは、石上会計? 余計な詮索は命を縮めますよ……? 貴方の言葉は()()の的外れですが、そんな噂が流れたら四宮家の名誉毀損になりかねません……。その意味は分かりますね?」

 

 全く笑っていない笑顔を前に、石上はようやく気付き「ヤッベ」という顔をして、そそくさと生徒会室を後にする。小声で「遺書を残しておかないと……」と呟いていた。

 地雷原を感知できる癖に、それがどの程度危険なのかが分からない辺りが石上らしい。……頑張れ。骨は拾ってやる。

 

 だが彼の言った発言は、一理どころか二理も三理もあった。

 ぐぬぬと歯噛みするかぐや嬢だが、これでは彼女の計画は水の泡であろう。何を考えていたかは僕には分からない。ただタイヤのパンクは彼女が細工したんだろうなとは察していた。

 

 ギリギリセーフなのは『歩いて帰りたかった』であり『誰かと一緒とは言ってない』事か。

 これならまだ取り返しが付く。

 

 「では、かぐや嬢の希望通り、徒歩で帰ればどうでしょう。雨の中、傘を差して()()で帰るのも悪くないのでは」

 「! わ、私は傘を忘れてしまいまして……!」

 

 ……ああ、これか。把握した。

 かぐや嬢、その発言の意味は理解するけど、タイミングが違いますよ。それは玄関でさり気なく言うべき話です。計画が狂って混乱したのは分かりますけどね。

 ただ流石に、この状況から何とか出来るほど、僕も万能ではない。今から『実は傘が無かったんです』というのもアレだ。御行氏も傘は持っている筈だし。

 であれば精一杯、ベターな選択肢を提示しょう。

 

 「千花の置き傘借りましょう。折り畳み傘は持っていますが、あれは肩が濡れかねません。大きさ的にも丁度良いと思います。僕からメール入れておきます――あ、返事来た。『どうぞどうぞ』だそうです」

 

 用意周到な、かぐや嬢だ。

 折り畳み傘くらい持っていそうだが、それで相合傘は無理がある。

 

 鞄に入るくらい小さい上に、かぐや嬢が似合う華やかなタイプの傘。

 であれば、どう足掻いても二人が入るのは不可能だ。

 僕も千花と相合傘をした経験はあるが、片方の肩が濡れているのを見るのは互いに悲しいぞ。

 

 石上のフォローをしながら何とか理屈を捏ね上げて『全員での集団下校では?』と妥協点を探ったのであった。

 結局、そうなった。

 

 ◆

 

 水無月も中旬を超えると衣替えの季節になる。

 秀知院学園の制服は、男子は学ラン。夏服になると上着を脱ぎ、下に着こむ白シャツが半袖になる。女子の場合は手首までの裾が二の腕まで短くなる。

 

 萌葉ちゃんの、二の腕と腕内が見えて「あー真っ白だなー若いなー」と僕は感想を抱いていた。千花とは違った意味で萌葉ちゃんも美少女だ。元気さでは似たり寄ったりだが、幼い故の純粋さと、若干サイコっぽい性癖を拗らせている以外がグッド。

 

 義理とは言え兄になる立場故、年上の男性へ甘えられるのが嬉しいのだろうか。

 彼女はしょっちゅう僕の身体に触って来る。べたべたと気軽に。未発達なボディが触れてくるのは……複雑だ。嫌だと言えば彼女に悪いが、そういう事は止めなさいと再三忠告をしている。

 年頃の娘がはしたない。

 千花からしてもらうの? あ、それはドンドン来て欲しい。

 

 「やっぱり半袖になると快適ですねー」

 「千花も言ってたよ。ジメジメしてるからねぇ」

 「どうです? 似合ってます?」

 「似合う似合う。表情と相まってとても美人さんだ」

 

 前に僕と萌葉ちゃん、後ろにかぐや嬢と御行氏。四人で並んで、道路側には僕と御行氏だ。

 勿論歩道に余裕は持たせてある。すれ違う自転車だって危なくないぞ。

 

 ばらばらと傘に当たる雨音を聞きながら、濡れた空気を吸い込む。

 ジトっとして不快な天気。まだ本格的な暑さが押し寄せていないから何とかなっているが……。今年の夏も暑そうだ。

 この分だと、御行氏とか大変だろう。純金飾諸が付いている学ランだ。御行氏が上着を脱ぐことは先ずない。あれ結構重いらしいし、ちょっと苦労が偲ばれる。

 

 「そういえば藤原さんは、四宮と知り合いだったか」

 「かぐやちゃん時々ウチに来てくれるんですよー。お泊り会とかしてます……。って、ごめんなさい。高等部の生徒会長さんにこんな口の利き方……。ええと……」

 「白銀御行だ。気楽にさん付けで構わないぞ」

 「ありがとうございまーすっ。……中等部生徒会、副会長の藤原萌葉です! 何時も姉がお世話になっております! ……えっとじゃあ、白銀さんで!」

 

 あっという間に距離を詰めて仲良くなれるのは藤原家の才能だな。

 

 「お二人の話は中等部でも有名ですよ! 特に白銀会長さんは……格好良いって有名です!」

 「直接、顔を会わせるのは初めてでしたっけ」

 「圭ちゃんから軽く話を聞いていましたけど、そうです」

 「ああ、俺も圭から聞いている。何時も仲良くしてくれてありがとうな」

 

 と思いながら、その話題に乗る。

 相合傘の代わりに色々と気を使ってみよう。

 

 「……最近は少ないけど、昨年度までは良くあったね。僕の家、隣だからさ? 何か今日は賑やかだなとか思う時が結構あるんだよ。大地さんがお知り合いを連れてくることもあるけど、千花が誰かを招くと、やっぱり明るさとかで違いが出るね。……あ、そういや」

 

 携帯を取り出して、写真をソート。

 確かこの辺に……あった。

 

 「かぐや嬢、ちょっとお尋ねしますけど――写真、渡して良いです? 会長に。そのお泊り会の時の奴、僕持ってるんですけど」

 

 ガタッ! と御行氏が心の中で立ち上がった音が聞こえた。

 

 「そ、そんなものがあるのか……!?」

 「ありますよ。まー、かぐや嬢からの許可が下りればですけど」

 

 誤解の無いように言っておくが、僕がその時顔を出したのは偶然だ。

 何時も通り――というか何時も特に用事がなくとも顔を出すが――藤原家にお邪魔すると、ラフな格好の、かぐや嬢に遭遇したのである。

 タイミング悪く千花との連絡が不十分であった。

 別に誰に公言するでも自慢するでもないので『これは失礼』と席を外したのである。

 

 ほぼ直後、僕は千花と遭遇した。

 その頃はまだ生徒会も、今ほど柔軟で互いを理解し合っていたとは言い難かった。それを見かねて千花の方から誘ったとの事。女子同士のトーク、お泊り会に僕がお邪魔しては不味かろう……と、その日はさっさと家に帰ろうかなと思った。

 の、だが!

 

 『丁度良かったんで写真係して下さいー!』

 

 と頼まれたのである。

 

 千花の頼みは断れない僕だ。かぐや嬢の視線に、若干のいたたまれなさを感じながらも写真係を拝命。それから30分程付き合わされた。食事、部屋での交流会、与えられた私室でのツーショット。僕は黒子となってシャッターを切っていった。

 その写真は千花、かぐや嬢、僕が保有している。

 僕が欲しいのは千花の写真であって、かぐや嬢の写真ではない。露骨にトリミングして消すようなことはしていないが、PC側の方にも保存し、そっちは千花の顔を拡大してある。

 

 「ああ他意はありません。千花と萌葉ちゃんと豊実姉とかぐや嬢の仲の良い写真を紹介しようかなと思っただけです。藤原家の皆さんからの許可は頂いてますが、かぐや嬢から一言貰わないと礼儀に反するので――代わりと言っちゃなんですけど会長の写真上げますよ」

 

 ガタガタっと今度はかぐや嬢の心が思い切り立ち上がった音が聞こえた。

 

 こっちは昨年の奴だ。昨年、まだ生徒会に参加する前から御行氏とは友人――まあ友人で良いと思う――だった。当時まだ色々と練習する必要があった運動音痴の御行氏に付き合って、幾つか練習をこなした。最初が体操。その次はなんだっけ。跳び箱と……バスケとフォークダンスだっけ?

 

 基礎体力はある為、競争やら陸上競技は得意な御行氏だが、致命的に運動センスがない。

 僕の運動神経も、決して良いとは言えないが、それでも人並だ。

 空いた時間を使い、御行氏に教えられる範囲で教えていった。彼は、成長性と努力性は凄いので、僕を追い抜いてあっと言う間にトップクラスに上がってしまった。そういう部分があるから、僕は彼を尊敬している。

 この練習の際、客観的な情報を彼に示すために写真データを保存した。それが今も残っている。

 

 「交換で良いです?」

 

 相合傘には及ばないかもしれないが、貴重なデータであることは違いない。

 

 「そ、そそそうですね。藤原さんと私の交友関係を自慢する意味でも? その写真を見せてあげるというのは悪い提案ではありませんね?」

 「ああ、そ、そうだな。俺だけが情報を貰うのは良くない。四宮の姿を見せられては、お俺も少々情けない姿をみ、見せざるを得ないか」

 

 動揺しまくってんじゃねーか。

 これでフォローになったのかなーとか思いながら、僕は写真を両者に送ったのであった。

 

 ◆

 

 「こーしてお義兄さんと歩くのも久しぶりです。で、お姉ちゃんとは何処まで進んだんですか? Aですか? Bですか? それとももっと深い関係ですかー?」

 「……どこで覚えてくるの、そういう言葉」

 「今時ネットに幾らでも転がってますよ?」

 

 まあ、そうだな。

 昨今、インターネット情報はどんなに頑張ってもフィルタリングには限界がある。

 

 それに小学生後半&中学生では、女子だけの保健の授業があると聞く。男子には一生分からない悩みが存在する。……初等部の頃、知らずに千花に話を振ったら、珍しく数日間口をきいてくれなくなった。情けない僕のエピソードの一つである。

 

 背後の、かぐや嬢と御行氏は、互いに貰った写真を見ながら表情を硬くして歩いている。

 あれは元に戻るまで暫くかかるな。

 

 「……まあキスまでだよ。まだ」

 「何時進展するんですかー? いっそ押し倒してしまえば流れで及べると思いますよ」

 「男の子には覚悟が必要なんだって! 後女の子が『コトに及べる』とか言わない!」

 「昔みたいに泊まりに来てくれて良いんですよー? お義兄さん、お姉ちゃんとGWとか一緒のお布団だったんですよね? それで進展しないってヘタレですよね?」

 

 萌葉ちゃんは僕をお義兄さんと呼ぶ。将来的な意味では間違ってないので修正はしていない。

 いや、あの時は無理だよ。高熱が出てふらふら、藤原家に泊まった時も病み上がりだったんだから。押し倒す元気なんか欠片もない。布団が温かかったのは認めるけど。

 

 「あんまりのんびりしてるとー?」

 「してると?」

 「……私の方から()()アプローチしちゃいます?」

 「その冗談は洒落にならないから止めなさいね。僕は千花一筋だから、何を言われようが揺らぎません。大体その話、うんと昔にしたでしょう」

 「ですよねっ! やっぱり無理ですかー!」

 「ですよ。無理だよー」

 

 ばっさりと萌葉ちゃんの言葉を切り捨てた。

 このやり取り、結構回数が多いので、互いに笑ってやっている。

 

 萌葉ちゃんは可愛い娘だ。それは認める。

 けれども義妹でしかない。

 いや本当、妹としては超可愛い!

 僕が何か話をする都度「着火するぞ」とか言ってくる我が家の妹に比較したら雲泥の差だ。マジ最高の妹!

 

 まあ、過去に、だ。告白らしきものを彼女から受けたことがあるのは認めよう。

 だがそれも三年以上も昔の話で、その際から今に至るまで『僕は千花が好きだから、萌葉ちゃんは一生妹です』と言い続けている。

 だからこの話はこれ以上先に進まないし、この先も義兄と義妹だ。この話は千花も知っている。良くある漫画やR18的小説みたいに、姉妹で取り合うとかそういう事は起こりえない。

 

 「一人の男がどんなに頑張っても、支えられるのは惚れた女性一人と、彼女との間に生まれた子供くらいだよ。普通はそれで限界だ。そして僕は普通の男だ。誰かとは違う」

 「重いですよ!なんか闇が見えますよ!?」

 「そりゃあ頭の上にその実例があるからな。僕は二の轍を踏まない様にはしたい!」

 「その岩傘さんとそっくりだって、お父様もずっと言ってるんですけどね。……それに真面目に、嫌いじゃーないんです、お義兄さんのこと。誘拐事件の時とかの姿を思い出すと」

 

 ……そんなこともあったな。

 『雨の日は誘拐されやすいんですよ』と千花は話していたが、実体験だったりする。

 

 と言っても誘拐された訳じゃない。未遂だ。

 偶然、僕と千花と萌葉ちゃんが一緒に行動している時に事件が起きた。僕と千花のどっちを標的にしたのかは未だに謎だが、雨の日に、何者かに誘拐されそうになった。

 まあお金持ちの子供だし、家業が家業だ。

 乱暴に扱おうとした男に、とにかく全力で抵抗し、その腕に思い切り噛みついてやったら、憂さんが間に合って、彼女の手により一瞬で男は鎮圧。そのまま警察に連行され、その後はどうなったかは知らない。

 なんというか不気味な男だった。黒人っぽかったが何分幼い頃だし。噛みついた瞬間に、ぐにっとした感触があって人間の皮膚だったか今思えばちょっと懐疑的になる。……まあ深く考えるのは止めておこう。

 

 その際の、僕の奮戦――奮戦なんかしちゃいない。必死だっただけだ――を見て、萌葉ちゃんは、以来僕を「お義兄さん」と呼ぶようになった。

 それまでは「岩傘さん」=「お姉ちゃんを奪っていく怪しい奴」という扱いだったのだ。

 

 「他の人を見つけなさい。他の人を。秀知院なら色んな逸材がいるよ」

 「そうですねー。……白銀会長さんとか、結構、格好良いと思います」

 「えっ」

 「前々から圭ちゃんから聞いていたんですけど……! 今日、さっき、直接目で見ると……!」

 「え“っ」

 

 僕との話が終わった後、萌葉ちゃんの顔は御行氏にロックオンされていた。

 ……それは不味いぞ。彼にはかぐや嬢が居る。今の発言は、かぐや嬢には届いていなかったらしい。だが――ひょっとして僕は不味い遭遇を作ってしまったのかもしれない。

 内心で冷や汗を掻いた。

 藤原家は、もう直ぐ其処だ。

 

 ◆

 

 さて、雨の日の通学路である以上、どうしたってズボンの裾や靴が濡れるのはしょうがない。

 しかし、その分量も時と場合による。

 道路側を歩いていて良かったなあ、と思ったのは、通りがかった車が盛大に水を跳ね飛ばしていった後である。運悪く傍にあった水溜まりを轢いた自動車は、激しい飛沫を僕と御行氏に浴びせて去って行った。

 

 「……。萌葉ちゃん、無事?」

 「四宮も濡れていないか?」

 

 水も滴る良い男という言葉があるが、これ元々は「蜜も滴る」と言う意味で、つまり果実を割った時に水気が溢れ出す様な、爽やかな男であるという意味らしい。

 会長のずぶ濡れ経験、二回目である。一回目は渋谷でのあれだ。彼に適切な形容だと思う。

 

 「会長が庇ってくれたので……。ずぶ濡れですよ。もう、動かないで下さい」

 

 ごく自然の振る舞いでハンカチを取り出して、御行氏の顔を拭う、かぐや嬢。

 そして行動の後に、自分が行った行為を理解し、固まった。

 

 「私は大丈夫です。――あの、あっちのお二人は……」

 「平気平気。何時もの事だから、僕でフォローしておくよ。それよりほら、家に到着だ」

 

 此処が藤原家の前で良かった。萌葉ちゃんに傘を渡して、またねと挨拶をする。

 僕も濡れていたが、此処から歩いてすぐだ。そこで御行氏の服を乾かそう。そうしていれば憂さんも戻ってくるだろうし。そしたら二人を車で送って行けば良い。

 

 「なんというか、……お義兄さんと、御行氏って、似てません?」

 「え? いや似てないよ。彼の方が努力家だ。僕はあんなに努力出来ない。あそこまで格好良く何かを出来ない。まあ一途なのは……自慢するけど」

 「そこですよそこ! お義兄さん、お姉ちゃんの為ならすっごい努力しますし。一生懸命ですし。真面目で、気を使えて、……意外とダメそうなところとか、多分、よく似てます」

 「そうかなぁ……」

 「そうです! お姉ちゃん、だからお義兄さんの事、好きなんです! あーあ、私とお姉ちゃん達の生まれた順番が逆だったらなー」

 「もしもの話をしても、仕方がない。それに」

 

 それに、な。

 

 「そうしたら萌葉ちゃんを妹として可愛がれない! 萌葉ちゃんも兄が出来ないぞ!」

 「はっ……なるほど!? ……豊実姉が彼氏を連れてこない限り実現しません……! ぐぬぬ、それは盲点でした……!」

 「後あれだ。多分、年齢が逆になっても、僕は千花ルート一直線だと思う」

 「それも凄い発言ですね!? お義兄さん、ロリコン……?」

 「違う。僕はロリコンじゃない。その場合、好きになった娘が偶然小さいってだけだ」

 「それ世間では通用しませんよー!」

 

 萌葉ちゃんは傘を受け取って、一歩下がる。

 ほんの一瞬だけ、傘で彼女の顔が隠れたが、次に見えた時は笑顔だった。

 

 「今日はありがとうございましたっ! また何時でも来て下さいね? 歓迎します!」

 「こちらこそ。それじゃあね!」

 

 家に入っていく萌葉ちゃんと見送って、さてと息を吐いた。

 萌葉ちゃんが御行氏に何を思ってどう行動するかは、彼女の自由だ。

 敵は強大だぞとだけ、機会があったら教えておこう。

 

 とりあえず、そこで固まっている、我らが生徒会の二人を回収しなければな。

 そこ、かぐや嬢、固まらない。御行氏も固まってるんじゃない。

 御行氏、庇った瞬間、折り畳み傘が壊れてアスファルトの上に転がっているぞ。

 かぐや嬢、千花の傘とハンカチを持って往来の真ん中でくっついてるんじゃない。

 それじゃ相合傘をして、濡れた相方を拭いてあげているみたいじゃないか。

 

 ……あ、それで良いんだっけ? と僕は思ったが、あんまり放置もしておけない。

 二人に声をかけて、自宅に引っ張り込んだ。

 

 ◆

 

 後日談というか、今回のオチ。

 

 御行氏達二人を家に回収した後、僕は彼にタオルを渡して、しっかり制服も乾かした。

 なんか毎回、彼の制服を乾燥機に掛けている気がする。

 

 かぐや嬢のハンカチは、御行氏から直接返却すると良いよと伝えておいた。

 まあ生徒会での一イベントになってくれるだろう。

 

 (ついで)とばかりに伝えておいた。

 御行氏の衣服で一番値段が高い服は、学ランだ。

 今時中古でうんと安くても格好良い服は手に入る。それこそ工夫すれば1着数百円で買える。散財を嫌う倹約家なのは良く知っている。お洒落をする必要は無い。でもある程度、センスを磨いておくのも大事じゃないかなと伝えておいた。

 

 何故かって? 学ランが乾くまでに、僕の適当なジーパンとシャツを渡したのだが、これがまた良く似合ったのだ。やっぱ素材が良いからだろう。

 かぐや嬢は、実際、新鮮な私服姿に『おかわわわわ!』という顔だった。

 

 相合傘分は、これくらいで相殺できたと思っておこう。

 

 「でもう萌葉ちゃんが色々と追及してくるんですよー。お義兄さんとの関係を進展させてーみたいに。何言ったんです?」

 「仮に千花と萌葉ちゃんの年齢が逆でも僕は千花一直線だって話かな」

 「だからですか! 最近、なんか色々勧めてくるんですよ! ネットで『年上の男の人に甘える方法』とか調べてますし! ……いーちゃん的に甘えてこられるのって如何です?」

 「大歓迎。萌葉ちゃんに甘えられるのは悪くない。でも」

 「私の方が良い、と」

 

 翌日、教室の中で僕と千花は話をしていた。

 僕は頷いた。どれほど可愛かろうが、僕は千花しか目に入らない。

 因みに周囲の目は、既に『またやってるよ』の姿勢だった。

 男子からの目は嫉妬に塗れているが、これも何時もの事なので無視。

 

 「……えーっと、じゃあどんな感じで甘えてみましょう?」

 「それはそっちが考える事だ。惚気合戦の勝敗は、まだ僕が優勢だろ」

 「この前の生徒会の奴で互角に持ち込んだじゃないですか! 負けず嫌いなんですから! …………あ、そうですね。じゃあこういうのは如何でしょう?」

 

 彼女は僕の手を取って、あーあーあーと声を調整した後で言った。

 どことなく顔を幼くして、萌葉ちゃんっぽい雰囲気、もとい昔の千花みたいな雰囲気を作る。

 

 「お兄ちゃん……、千花のこと、好きですか……?」

 

 …………。

 僕は無言で、脳内スコアに『引き分け』と刻んだのだった。

 




本日の勝敗:藤原萌葉の勝ち
理由:色々あってもお義兄さんとはうんと仲が良い


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幕間:学生達はチョコが欲しい 前

 2月14日。

 普段はやれ慣習がどうだの、校則と風紀がどうだの、と言っている締め付けも若干緩くなる。

 元々が製菓会社の陰謀だろうがなんだろうが、既に国の一般風習として成立した、甘い日。

 恋人がいる奴は安心し、人気がある奴は数を数え、見込みのない奴は義理に涙し、ハンカチを噛み締める。その日の名前は――バレンタイン・デイ!

 高校生の若い男女ともなれば、この日に興味を抱かない筈がない。

 性知識に著しく欠如が見られる四宮かぐやですら、そのイベントと詳細を把握している!

 

 これはまだ、春が始まる二か月ほど前……。

 学年が変わる直前、生徒会役員達が一学年である頃の、さる甘い日の記録である……!

 

 ◆

 

 「よし、これで準備は万全……! 渚にはチョコボールを渡すように頼んだ……!」

 

 早朝、まだ通学前の自室にて、鏡の前で気合を入れる一人の少女が居た。

 彼女の名前は四条(しじょう)眞妃(まき)。1年B組。学年三位。

 四宮家傍流、四条家の令嬢であり、密やかな恋心を秘めた少女である。

 表向きはキツい性格をしているが、その性根は繊細。そして健気だ。所謂ツンデレと評される。

 

 「翼君と距離を縮めるチャンス……! 渚からチョコボールを渡された翼君は『やっぱり僕は女子には人気がないんだな』と思う……! そこに私が颯爽と登場……! 良い感じのチョコレートを渡す! そうすると翼君はときめく……! これよっ!」

 

 幼等部からの幼馴染にして親友:柏木渚の手も借りたこの作戦。

 何があってもずっと友人だよ……! と誓った間柄。今まで何度も互いの窮地を救い、互いに協力しあって困難を乗り越えてきたのだ。その約束は今まで破られたことがない。渚なら間違いなく彼女の期待通りに動いてくれるだろう。

 

 件の男子、翼君とは此処まで順調に距離を縮める事に成功している。

 このバレンタインを活用して、一気に彼の心象を良い方向に持っていけば……交際も間近!

 

 「『彼女が居ない』という事も確認済み……っ! 完全にフリーな彼を此処で手に入れる。なんとしてでも……! ――あ、でも向こうから告白して貰うように持ってくるのが一番よね。……誇り高い四条家の娘として、自分から告白するなんて言語道断……!」

 

 飽くまでも翼君の方から告白してくること、それが四条眞妃の望みであった。

 そう、伊達に四条家は、四宮家の傍流ではない。

 

 彼女もまた、四宮かぐやと同じくプライドが高かった!

 自分から付き合って下さいとは言えない人間だった……!

 遠回りな工作を考えるのもまた血の定め。

 『おば様』と呼び慕う彼女と全く同じ思考で、同じような行動をしているとは、眞妃は思いもよらない。

 

 「でも気を付けないといけないわね……。翼君、誰にでも優しいし。キツイ事を言っても笑顔で受け流してくれる……! その包容力の前に虜にされる人が居ないも限らない……! 彼の温かさで他人のチョコレートが溶けてしまうなんてことになったら……。……ぐすっ」

 

 想像すると何となく泣けてくる眞妃であった。

 根は良い子で献身的なのだ(親友の柏木渚談)。

 嫌な考えを振り払い、身支度を整える。

 

 「まあ良いわ。厳選したチョコレートが此処に一つ……! あとはこれをタイミング良く渡せばいいだけ。……ええと……下駄箱の中……はダメね。ベタ過ぎるし、他にもライバルがいるかもしれない。名前を書くのは恥ずかしいし……! 一番は、私の手からそれとなく渡せる事。それも私が、恥ずかしくないシチュエーションで!」

 

 そしてその後で、翼君が『本命なのかも……!』と思ってくれるのが一番良い!

 難易度が高い発言をしているのだが、彼女自身は「きっといけるわ!」と考えていた。

 取らぬ狸のなんとやら。世の中其処まで甘くないのだが、恋する乙女に現実は通用しない。

 鏡の前で一喜一憂する姉の姿を見つめる、双子の弟:四条帝の目線は平常運転であった。

 

 だが何より、彼女は気付いて居なかった。

 彼女の様に悪だくみをする人間は、一人ではないのだと……!

 

 ◆

 

 「おはよ。今日は朝から騒がしいな。やっぱり皆そわそわしてるか」

 「岩傘か。良いよな、お前は……。チョコレートの心配をする必要ないから」

 「いや、そうでもない。この時期はこの時期で、千花にも悩みはあるんだよ」

 「ほう」

 

 俺、豊崎(とよさき)三郎は、すぐ近くに座った同級生:岩傘調の発言に目をとめた。

 古くから秀知院学園に通っていた俺と、岩傘調の付き合いは長い。同じクラスになったタイミングこそ高等部に入ってからだが、初等部では一緒の委員会活動を行っていた。

 本格的に会話をするようになったのは、白銀御行、風祭豪という二人の『混院』生徒が同級生になってからだ。人間、間に緩衝材があると会話がしやすくなるものである。

 

 とはいえ藤原千花と岩傘調が『許嫁』で幼馴染である事は、初等部の頃から有名だ。

 皆が若かりし悪子供(ワルガキ)だった頃は何かと揶揄(からか)いの対象になっていた。それでも胸を張って『好きで悪いか!』と言い続けた姿を見て、その内『ああコイツに生半可な攻撃は通用しないな』と全員が知り、以後、惚気に対してヤジや嫉妬の声が飛ぶだけに留まっている。

 

 豊崎は、そういう岩傘の態度は凄いなと思っていた。

 惚気ている馬鹿だというのは――中等部にすら伝わっている噂だ――間違いではない。

 だが、惚気るために全力の努力をする。

 成績は悪い時でも40番以下には落ちないし、調子が良ければ20番を超える事もある。藤原千花との交流を堂々とするために、何やら多様な言語(読むだけらしいが)を習得してまでいる。

 

 その直向きさは、確かに男女問わずに交流が出来る社交性になって現れる。女子の中には『良いかも』と思う奴も居るらしいが、彼は『千花一直線なので』と公言して憚らない。

 ほんっと羨ましい限りである!

 

 「で、その悩みってのは?」

 「毎年毎年、手の込んだチョコレートを作るから、バリエーションと工夫が大変らしい」

 「んなこったろうと思ったよ!」

 「まあ今年は14日が明後日(日曜日)だからね、渡すなら今日だろって皆、意気込んでる」

 

 岩傘曰く、毎年チョコレートを貰うのは当然の流れらしい。

 しかし藤原千花からの手作りは、年を経るごとに豪華になっていく。毎年同じ代物を上げるのも嫌だと、年々工夫が施されていき、今ではその辺の洋菓子店で売っていても遜色ない代物になっているらしい。なんでも岩傘の家で働くお手伝いさんらとも共同作業だそうだ。

 

 「というか豊崎も十分貰ってるだろ。成績優秀で、野球部レギュラーとか、貰えない理由がない。告白受けたことだって、僕の記憶じゃ何回もあった筈だけど」

 「……欲しい女子から貰える訳じゃない……っ!」

 「ふうん? ――……ふうん?」

 

 然り。俺とて貰いたい女子の一人くらいはいる。

 1年C組の(きの)かれん。彼女がそうだ。

 クラスこそ違うが、マスメディア部の彼女は、時折野球部の活動を報道しにやってくる。機会を逃さず話しかけているのだが……残念ながら、上手く行った試しは無い。

 巨勢エリカは地味に応援してくれているようだが、それでも早々上手く転がる筈もない。

 

 「まあ、じゃあ頑張ってみれば良いよ。マスメディア部、人脈拡大の為ならあれこれ手を打つタイプだし。1on1で貰えなくとも、目的は達成出来る……と思う」

 「……今日はそれで手を打つしかないか」

 「そうだね。そして、そんな悩める友人に、これを渡しておこう。今日の放課後、色々あるからね。楽しみにしておくと良いよ」

 「……恩に着る!」

 

 『ここにおいでよ』と学園の地図を渡された。

 何を企んでいるかは謎だが、恐らくバレンタインに関する話に違いない。

 12日(今日)と15日(来週月曜日)。女子がどっちで動くかと言えば、早い方だ。早くに動かず15日まで待ち、結果、意中の人に既にチョコレートが渡されていました、とか洒落にならない。

 彼はそう言った。

 

 岩傘という男の情報網と活動予測能力は馬鹿みたいに高い。文系の処理能力というのか。数字や計算を元に処理するのではなく、与えられた文章からの推察、報告書からの予測、論文からの抽出等々、凡そ「読む」事に関する才能は並外れている。

 

 「しかし豊崎も丸くなったね……。去年の春とか、御行氏や風祭相手にあの態度だったのに」

 「それを言うなよ。あの時は……頭に血が上っていたんだよ」

 

 そう、何を隠そう、俺は一年生の頃、白銀に妨害工作を仕掛けたことがある。

 この学園では成績が貼り出される。俺も相当な上位層だ。そんな中、突如として現れ、猛烈な勢いで順位を駆け上がる白銀に俺は恐れをなした。そして妨害工作を行ったのだ。『混院』の彼に負けるのが悔しかったという気持ちもある。一年生で生徒会に抜擢された嫉妬もあった。

 その妨害工作を白銀は「知ったことじゃない」と打ち破っていった。途中、岩傘が、俺に妨害工作を辞めるように語り……白銀相手に「正面からぶつかる」と約束をする事になった。

 そして俺は負けた。……負けた俺を、岩傘も白銀も笑わなかった。

 

 『最後は正々堂々の勝負になったんだから、それで良いだろう』

 

 その時、思ったのだ。ああ白銀と岩傘との仲が良いのも、人気があるのも分かる、と。

 結局それから今までこうして友人としてやってきている。あの時の事を持ちだす事もない。岩傘が本気になれば、他人を貶めることなど――それこそマスメディア部よりも――簡単なのに、彼はそれをせず、脅すカードにする事もない。

 

 俺はそのことに深く感謝をしつつ、今後も出来る限り二人の力になろうと決めている。

 故に、彼らが何か悪巧みをするならば、一枚も二枚も噛ませて貰うのが道理であろう。

 

 「まあ、これを大事にしておけばいいんだな?」

 「そうだよ。風祭も誘うと良い。損はさせないさ。後でちゃんと働いて貰うから」

 

 生徒会役員は悪い顔をしていた。

 後からやって来た白銀と目を合わせ、フフフと怪しげに笑い合う。

 

 「かぐや嬢からの協力も得られましたし……」

 「ああ。俺の方でも約束を取れた。後は連絡を任せたぞ、岩傘」

 

 それだけを見れば、まるで悪人達が犯罪計画を練っているようであった。

 

 ◆

 

 社会カーストが構成される秀知院だが、そこそこの家柄出身でも、成績が良く尚且つ性格も良いとなれば、学園内での立場は上がっていく。

 

 その最たる例が白銀御行という男の生徒会就任なのだが、それは此処では横に置いておこう。

 

 出生によって自動的に与えられる、周囲から押し付けられる一種の「思い込み」は、個人的には無縁でいたいというのが私の心情だ。

 ただ色んな人から好意を向けられるのは悪くないと思っているし、皆と仲良く出来るのは楽しいと思っている。

 

 私:子安つばめの元に、生徒会広報がやって来たのは、バレンタイン前の火曜日だ。

 私も誰かにチョコレートを渡すのだろうか? なんて気になる視線を感じる頃だった。

 

 「子安先輩、ご協力をお願いできませんか? 具体的に言うとこんな感じで……」

 

 と私に内緒の計画書を見せてくる広報。

 学年関係なく、ちょくちょくあっちこっちに顔を出すが、動きやすいのだろう。

 彼は生徒会書記ちゃんという許嫁が居て惚気続けているという。つまり女生徒と会話をしていても、あらぬ誤解を受けることがない。それはどっちにとってもメリットだ。

 

 差し出された計画書は、金曜日に発生するバレンタインに関する問題解決案だった。

 金曜日に大規模な騒動が起きるのは間違いない。それを生徒会側で制御しておきたい、という話である。中身を確認してみると、なるほど、中々……良い考えが書かれていた。

 

 「阿天坊先輩とかにも声を掛けますが……。これなら楽しくバレンタインを過ごせるでしょう。風紀委員がワイワイと喧しくなることもありません。取り締まりも楽になります。校長及び教員には既に通達済み。後は協力者を募るだけです。……引き受けて頂けませんか?」

 「良いね。面白いんじゃないかな? 分かった、協力するよ」

 「有難うございます。では詳細はこちらに書かれているので……内密にお願いします。詳しい話は直前にまた連絡を差し上げますが……。気楽にやっていただければ、と」

 「そうだね。会長さん達にもよろしく」

 

 確かにこれなら気楽に行動できる。自分達がやきもきする必要もない。大勢が笑顔になる。

 良い計画だ。

 この後彼は、阿天坊さんや、一年生達の周りを回ってこれを実現まで持っていくらしい。

 毎年、風紀委員の笛が響き、チョコレートを渡す際にトラブルが多発するバレンタイン。

 

 今年は楽しくなりそうだ。

 

 ◆

 

 その放送は、唐突に始まった。

 

 お昼休み!

 全員が大体の食事を食べ終え、残った30分の時間で何をしようか、と考え始める頃。

 テキストを開く者、まだ食事中の者、仮眠を取る者、友人達と談笑する者、各々が様々にいる中、突然に始まったのが――生徒会からの放送であるっ!

 

 『あー、あー、アテンションアテンション! 学園内の皆さんこんにちは! 此方マスメディア部です。唐突ですが、此処で生徒会からのお知らせ! 大事な話なので良ーく聞いて下さい! 良いですね!? 本当に大事なので! では広報、お願いします!』

 

 『お任せあれ。――生徒会役員、広報担当の岩傘調です。さて本日は何の日か、皆さんご承知のはず。厳密に言えば明後日ですが、今日この日から動いている人が大半でしょう。あっちこっちでどんなイベントが起き、どんなフラグが立つのかと身構えている人も多いでしょう……!』

 

 放送が、学園全域に響いていく。

 

 『しかして同時に大きな騒動になるのも、また事実。風紀委員に取り締まられては困る! という乙女も! 貰えないと諦めている若人も! 既に当てがあって「いやー僕は本命あるから困んないですよ」とかいう僕みたいな人も! 各々、バレンタインを楽しみたいと思います。そこで生徒会は考えました。――『じゃあこっちでイベント立ててやるよ!』と』

 

 どよどよと学園内に広まっていく関心の声。

 放送室からでも聞こえるその声に、広報は楽しそうに続けた。

 

 『さて皆さん、テレビを付けて下さい。そこに説明が映りますからねー。テレビがない人はネットで生徒会室のお知らせ窓を開けて下さい。其処に詳細が載っています! ルールは簡単! 本日の授業終了と同時に! 学園敷地内、校舎外を三機のドローンが飛びます! そしてそのドローンには、銀色の『引換券』が入っています!』

 

 ノリノリで説明をしていく広報だ。

 

 『引換券は、空中を飛ぶドローンから定期的に排出され、それが地面に落下します。そのカードは、拾った人の物になります。ああ、言っておきますとドローンにはカメラ機能もあるんで、ずるしてカードを入手しようとか、喧嘩になったりとかしたらアウトです。他の人にカードが渡ったら素直に諦めましょう。更に言えば駆け足も禁止。全員、早足で歩いて探してください。――で! そのカードを手に入れた奴! 昇降口の前まで、やって来いっ!!』

 

 ババババッ! と映し出される美少女たちの顔写真。

 

 『この日の為に手配した、美少女の皆さんから、手渡しを受けられます! チョコレートは既製品! 手渡し以外のイベントは無し! 風紀委員の監視付き、更に言えば剣道部や柔道部と言った体育会系の護衛付き! ただし貴重な女子から手渡しのチョコレートだ! 今まで一回も貰ったことがないと嘆く奴でも構わない! 此処で追加でチョコレートを欲しいという強欲な奴でも構わない! 尊敬するお姉さまから貰いたいと密やかな願いを持つ淑女であっても構わない! さあ諸君! ――全力でカードを集めるが良いっ!』

 

 高等部の主だった女子達の顔写真!

 二年生:阿天坊ゆめ、子安つばめを始めとした美女達……!

 

 だが特筆すべきは、一年生の面子である!

 龍珠桃、早坂愛、藤原千花――そして四宮かぐや!

 

 『協賛のマスメディア部と白銀御行からも貰えるぞ!』と添えられている。

 

 うおおおおおお!! と男子達と女子達の咆哮が上がった。

 

 今ここに!

 秀知院学園、第67期生徒会によるバレンタインイベントが幕を開けたのであるっ!

 

 ◆

 

 「え、ちょ、私は如何すれば良いのよ!? これじゃ予定が狂いすぎるわよー!?」

 

 だがこのイベント、ごく一部の人間には不都合であった。

 迂遠で複雑な計画であればある程、率直かつ楽しい混沌とした出来事に弱い……!

 

 頑張れ、四条眞妃!

 彼女の明日はどっちだ!




尚2019年YJ11号にて神った時期まで判明してしまいました。


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幕間:学生達はチョコが欲しい 中

前後編の予定だったのですが、予想以上に伸びたので三部作に。


 やる気に燃える学園!

 気勢を滾らせ、何が何でもチョコレートを手に入れよう! と普段は縁がない生徒達!

 早く放課後にならないかと待ち詫び、その熱意は授業にも伝わった……!

 

 流石に事情を知っていた教員達は、授業を延長しない様にとサービスし、手早く宿題や課題を纏めて『羽目を外し過ぎないように』と忠告して出て行った。

 これから起きる騒動は、まさに祭りである……!

 

 そしてそんな中、盛大に心の中で広報に悪態を付く女が、此処に一人。

 

 「早坂ちゃんが参加するなんて驚いたよー。ひょっとして四宮さんに誘われたの?」

 「まーねー? アタシとしては悩んだんだけどさー? チョコ貰えない男の子達にご褒美上げるのもいーかなみたいに思って。普段遠くから見てるかわいー連中に茶々入れるのも悪くないっしょ?」

 「早坂ちゃんそーいう所優しいよねー」

 「もっと褒めて良いよ? 自分でもご機嫌だからね!」

 

 ランチタイムの放送後、早坂愛は、周囲に集う友人達にそう返した。

 

 嘘である。

 ちょっとだけ本当だが9割くらい嘘である!

 

 内心では広報と書記に対して盛大に毒を吐いていた。

 自分の主君である四宮かぐや、彼女がイベントに参加したのも驚きだが、だからと言って自分が巻き込まれるとは思っても居なかった! あの広報、ごく自然に自分が参加する様に、主人経由で手回しをしてのけたのだ。直接主人から言われたら『嫌です』とは言える筈がない

 

 (人が学園では演技してるのを知ってるくせに……!)

 

 しかし高等部屈指のギャル系美少女、如何なる時でもテンションが高い『早坂愛』としては笑顔で切り抜けるしかない! ド畜生め! と再び内心で毒を吐いた。

 

 メリットがあるのは承知している。

 今回のチョコレートの山は、主人:かぐやが準備したものだ。

 勿論、一般庶民の雑草へとプレゼントする為に購入したものではない。

 

 彼女の愛は重い。ドン引きするくらい重い。

 彼女が思いを寄せる会長:白銀御行に対して『沢山渡せば良いわよね!』と気軽に考え注文した「余り物」なのである。近侍として『重いです。止めた方が良いでしょう』と、なんとか言葉を選んで伝えた結果、彼女が愛しの彼へと送る逸品は、もっと可愛らしい一品物に相成った(尚送りたいとは思っていても送れるとは限らない)。

 となると大量のチョコレートの山が余る。

 食べるにしても限界がある。

 

 そこで、こうなった。

 事情を聴いた岩傘調は『ではこうしたら如何か』と提案したのである。

 

 『会長の為に心を込めて選んだ物があるのでしょう?』

 『であるならば、この余ったチョコレートの山は、かぐや嬢が、御行氏へと渡す為に……悪戦苦闘した努力の山です。それを差し出すのが嫌、という感情は良く分かります。私も食べきれるなら自分で食べきります』

 『ただこれは僕の惚気る際の心情ですが……、僕は別に、例えば千花の為にチョコレートの山を買って、それらを捨てて別の逸品を送るとした時、その捨てる物を他の人に渡すことに躊躇しません。まあ勿体ない……というのはあります。ありますが、それ以上に、こう思います』

 『どうだ凄いだろう。自分、頑張ったんだぜ……! 自慢してやる!――と思うんですよ』

 

 無論、それは嘘ではなく本音だっただろう。

 ただ四宮かぐやに通用する言い訳にしては苦しいと思う。

 広報も自覚はあったらしい。

 

 一方、早坂には『なるほど、そういう考え方もあるか』と思える理屈だった。

 暴論に近いが、それだけの強烈なアピールは、羨ましい。

 

 業腹ながら認めよう。

 あの男は、惚気るためには全力だ。好きな人:藤原千花との関係を周囲に語るのは恥ずかしくもなんともないと思っている。

 彼は少し考えた後、方向性を変えて、こう告げた。

 

 『適当なチョコレートをばらまいた後に、一個だけ違ったチョコレートを渡す。これだけで御行氏には伝わると思いますよ』

 

 こっちは正論である。四宮かぐやは納得した。

 凡そ恋愛においては経験豊富な岩傘調。

 助言は割と真っ当である。

 

 そして繰り返すと――やっていることは腹立たしいが、少しだけ羨ましいのも本当だ。

 

 早坂愛とて、そんな焦がれる恋をしてみたい、という気持ちはあった!

 バレンタイン。今までは義理チョコをばらまくだけだったイベント。

 己には縁がないイベントだ。

 

 だが……! だがしかし……っ!

 例え接客であっても、義理よりちょっとは真面目な心境でチョコレートを渡してみたい!

 普段はこっちから近付いて気軽に遊ぶように渡すチョコレートを!

 貰いに来て貰うというシチュエーションは、体験してみたい……っ!

 

 巻き込まれたのも、動機を提示されたのも、対象F&対象Iの思い通りになっているようで腹立たしい! 感謝とか絶対したくない!

 ……だが欲望には抗えなかった。

 

 ジレンマに悩んだ早坂愛は、それに従う事にしたのである。

 彼女もまた、恋愛に翻弄される一人なのだ。

 

 

 ◆

 

 「やりましたわ……! これで大盛り上がり間違いなし!」

 「ああ。広報担当として成功を確信した。この反応、間違いなく成功するな」

 

 (きの)かれんは、放送器具のスイッチを切った。

 

 昼休みでの放送終了後、岩傘調は、悪い笑顔であった。だが邪悪ではない。どっちかと言えば虐めっ子がするような、ちょっとサディスティックな笑顔だ。藤原千花へ惚気攻撃をする際に浮かべているような笑顔である。

 準備している時は子供っぽいのに『計画通り!』みたいな顔をされてもあんまり怖くない。

 

 「よし、ご協力感謝だ。紀、巨勢。こういうイベントの時は今までの軋轢関係なく全力で乗ってくれるから有難い。そっちの部長にも伝えておいてくれ。感謝している」

 「いえいえ、私達の方でもスクープと貴重な写真を取り放題というのは魅力的なので……!」

 「じゃあこれ、お礼だ。無くさないように!」

 

 私達マスメディア部が協力として手に入れたのは、一枚の地図だ。

 ドローンからカードが排出される場所が書かれている。放課後、即座に此処に行けば、ほぼ確実に銀カードが手に入る位置が記されている。

 

 エリカは「かぐや(しゃま)から受け取ります……!」と目を輝かせている。

 私としては! な、悩む! 悩むけど! 此処は会長か……かぐや様からが良いだろうか……?

 

 無論、他にも仕事任された。写真を撮るのは自由だが、万が一『マスメディア部からのチョコが良いです』という指定が入ったら、手渡しをしなければならない。そんな奇特な人間が居ると思わないが……だがそれを差っ引いてもこんな魅力的な話、そうそうない。

 合法的に色々な写真を撮れるのだ。新聞記事を賑わせるには、バリエーション豊かな写真が必要不可欠。こういう時での撮り貯めも重要だ。

 

 「でも、かぐや様や、龍珠さんの笑顔とか……絶対出ないと思いますけど」

 「僕だってそんなの求めてないよ。良いんだよ。そっちの方が。むしろ手渡しする際に笑顔の方が困る。そのままの態度で良いからって話を付けたんだよ」

 

 そう言った後『属性だよ属性』と彼は続けた。

 マスメディアに関わるものとして、その意味は理解できる。

 

 「そのような企みをするなら、貴方もマスメディア部に入ってくれれば良いですのに……!」

 「やだよ。僕が入ったら部長にさせられるでしょ。大手新聞社局長のあの娘(部長さん)を差しおいて」

 「そりゃあ、ご実家は、局長よりもっと上ですし――」

 「だから、()なの」

 

 この話は此処でお終い! と切り上げ、広報は放送室を出ていく。

 ただし『楽しんでくれよ』と付け加えていくは忘れなかった。

 

 気遣いと言い、企んでいる時の子供っぽい表情と言い、仕事ぶりと言い、社交性と言い!

 異性としてみた時に地味にポイントが高めなのが、若干……腹立たしい……!

 

 「かれん、かれん、そんなに怒ってもしょうがないわ……。私はかぐや(しゃま)からチョコレートを下賜されるだけで満足だから……! 羽虫のような私を見下しながら下さる……、それだけで死ねるもの……」

 

 ポンコツ頭になってしまった相棒をどついて、かれんはカメラに目を向ける。

 今日、一体どんな写真が撮れるのか……。それは確かに、楽しみだ!

 

 「よおっし! それじゃあ気合入れて撮影行きますわよ!」

 

 ◆

 

 「おい白銀。私に接客させるとか広報の頭はどうなってるんだ? 馬鹿なのか? 私だけじゃねえぞ。四宮やら早坂愛やら藤原千花やら、子安先輩は兎も角、阿天坊先輩やら、癖が強い奴をよく此処まで集めたな?」

 

 昇降口の前に作られたテーブル。横に長い机。その背後には大量のチョコレート箱。

 机と山の間に置かれた椅子に、雑な姿勢で座った龍珠(りゅうじゅ)(もも)は同じように着席している女生徒と、一人だけ混ざっている男子:生徒会長白銀御行に問いかけた。

 

 「……俺も接客側だ。それに笑ってやれとは言ってない。岩傘は『そっちの方が人気出るから』と話していた。その辺、渡した資料に載せていたらしいが」

 「あ“? まあ準備無しで良いとは書いてあったが……」

 「ご安心を、龍珠さん。私も、満面の笑顔でチョコレートを配るつもりは毛頭ありませんから」

 

 反対側から聞こえる声に目を向けると、四宮かぐやは微笑んで座っていた。

 ただしその笑顔は、冷たさを感じる笑顔だ。あまり親しい付き合いではない桃だが、その顔が――所謂「氷のかぐや様」に近い物であるとは分かる。最近はちょっと溶けているが、廊下で良く噂される、基本的な……。

 

 「なんつーか普段通り……っていうとアレだけど、周りがイメージするクールな顔してんな」

 「ええ。別に造る必要はありません。普段通り、普段の言葉遣い、普段の態度でやれば良いのです。笑顔での接客は藤原さんや早坂さんや先輩方に任せれば良いのですわ」

 「そーいうことっしょ? まー桃ちゃんみたいなタイプは人気出ると思うよ?」

 

 桃の真横で、きゃるーん、という音がしそうな態度で笑う早坂愛。

 秀知院の中では珍しくギャルっぽい雰囲気を纏っているが、学年屈指の美少女である。校則違反はギリギリしていない。加えて要所要所から見える育ちの良さを、桃は見抜いていた。伊達に広域指定暴力団組長の娘ではないのだ。

 

 「どーいう意味だよ?」

 「造った表情で貰っても嬉しくないって感じだし? 普段近寄れない人に接近する良いチャンスだもん。それに笑顔での接客を求めてる男子は、藤原ちゃんとかー、子安先輩とかー、そっちに行くっしょ!」

 

 直ぐに分かるねえ、……と反芻ながら桃は面倒くさいと思い、適当に飴玉を口に放り込んだ。

 鼻に付くチョコレートの匂いが辛い。序にじっと座ってるのもかったるい。ちょっと椅子を引き、背中を逸らすようにして座る。

 

 白銀からの頼みもあって引き受けた。見返りとして来年入って来る一年生の情報も貰えた。だからまあ納得はしているのだ。しかし、これで人気が出るとか……。

 ありえんのか? と呟いた声は空に消えた。

 

 ……それがありえたのである。

 この時、自分が超人気になるとは全くもって予想もしていなかった桃であった!

 

 ◆

 

 そして時は、放課後へと飛ぶ!

 五限目の授業が終わり、ドローンを狙う男女が校舎外へと散っていく。

 

 その光景を見ながら、ハイテンションで笑いを上げる女が一人! 学園の屋上で制服を風にはためかせながら、ガイナ立ちでデコを光らせるのは津々美(つつみ)竜巻(たつまき)

 

 「ふふフフ! この指先一つで皆を巧みに動かセル快感! 想像しただけで興奮して飛び降りたくなりマスね……!」

 「飛び降りるなよ?」

 「しまセンよ! とりあえずこっちの準備は万全デス。お任せアレ」

 

 実際に駆動させてのレポート提出だけはあるが、元々が技術開発部の持ち物だ。

 使用するのに費用は掛からない。というか寧ろ、カード排出用の改造費が部活動の資金から出て来ていた。何処を取っても津々美には万々歳だ。

 

 「さあさあ折角の最新鋭ドローン! 活躍させるのは今!なの!デス!」

 

 絶好調であった。

 

 最近は何かと規制が厳しく、飛ばすことが出来ないドローン。

 色々と改造した『自分の作品』だ。

 それを自由に操って良い、学園内部を飛ばして良いというのだからテンションも上がる。

 

 自分の作品で、男女が一喜一憂し、学園が笑顔になる。科学者冥利に尽きるという物!

 これだけでもう気分が超上がるのだ。機会をくれた岩傘には感謝感激雨霰である。

 

 「さあそろそろ時間デスね! スタート地点に人員は配置済み! 飛ばすドローンは常に地上の開発技術部員が監視! 万が一にも事故は起こしまセン……!」

 「こっちは任せた。僕は昇降口での準備に行く。何かあったら連絡くれ」

 「任されまシタ! ……あ、岩傘サン。これどーぞ。折角なので受け取ってくだサイ」

 「お、貰っとく。有難う。じゃ、宜しく頼んだ!」

 

 津々美竜巻はごく自然に、岩傘調にチョコレートを手渡した。

 イベントで騒ぐのは大好きだ。その序に()()にチョコレートを渡すのも悪くない。

 彼女は別に恋心を持っている訳ではなかったが、誰にも渡せないのはちょっと、と考える程度には乙女であった。その良い具合の対象が居た。それだけである。

 

 「フフフ、男女の友情でしかありまセンが……! 充実的なイベントをこなすと気分が揚がりますネ! さあ行きますよ技術開発部――その力を見せるのデス! 学園を盛り上げ! 人々に貢献することが科学の使命……っ!」

 

 竜巻はホイッスルを口に咥え、大きく息を吸い込むと、それを全力で吹き鳴らした!

 

 ――ピィィィイイイイイイッ! と音が響く。

 

 そして同時に、学園内の各所から気合を入れた男女生徒の声が届いてくる……!

 

 「よし、ドローン操縦開始! 全員、予定の進路を取れ! ミスなく動かしましょう!」

 「「「了解!」」」

 

 かくしてドローンは飛び立ったのである!

 

 ◆

 

 そして更に翻弄される少女が、此処にもう一人。

 

 「どうしよう渚……! このままじゃ私の巧妙な作戦が水の泡……!」

 「落ち着いて。この作戦も、生徒会の人の巧妙な策略だから」

 

 柏木渚は親友:四条眞妃の嘆きを前に、落ち着いて落ち着いてと努めて冷静に宥めた。

 

 昼間の放送を聞いて以来、学園全体がどこか浮ついている。放課後までまだ一限残っているのに皆の気が散漫としているのだ。無論、授業になれば静かになるとはいえ……この、どこか熱気が渦巻いている空間に、渚は『意志』のような何かを感じ取っていた。

 

 この騒動は確かに楽しい。楽しくなるだろう。普段は物静かな学園だが、その若い青春パワーが爆発する事は割とある。むしろ適度にイベントを起こして緩急を切り替えてこそ、と言えるかもしれない。そもそも学園の校則はかなり緩い……緩くなる傾向がある。生徒の自主性に任せている部分も多いのだ。

 

 「……秩序だった混乱っていうのかな。多分、眞妃ちゃんの邪魔にはならないと思う」

 「ほ、本当……?」

 

 親友の涙目に、多分だけど、と前置きをして渚はアドバイスを口にした。

 最大の根拠は、クラスメイト二人の、何時もの教室での態度である。

 遠目に二人を伺いながら、教室の隅で内緒話をする。

 

 「眞妃ちゃん考えて。計画を立案したのは、()()広報なんだから。まず、これを計画した岩傘広報は、例えこんなイベントの時でも、藤原書記と惚気る事を優先すると思う。だからこれは広い視点で見ると、二人がイチャイチャ出来るように作ってある」

 「……それは、分かる」

 「で、今、放送で浮ついた空気が流れている……。放課後、生徒会の皆さんが集めた女の子(と白銀会長)からチョコレートを貰おうと、校外に沢山の生徒が出てドローンを追いかける。風紀委員も教員も、そっちに目が行く。という事は……」

 「――そうか、分かった! つまり校舎内部でイチャイチャできる死角が増える……!」

 「そういう事だと思う。だから眞妃ちゃん、むしろこれは好機だと思おう! なんとかして翼君を教室に留めておければ、眞妃ちゃんがチョコレートを渡すチャンスは増えるよ!」

 

 納得した眞妃は、そうかー! と安心した笑顔だった。

 同時に計画を立案した生徒会への悪感情も消えたらしい。変わり身の早さと掌の返し具合は昔からだ。……ひょっとして遠縁の四宮さんも同じなのかしら? と柏木は鋭い考察をした。

 

 「良かったぁ……! それじゃあ、渚。お願い! チョコボール3つ分ね?」

 「OK。任せて」

 

 しかし、翼君か。クラスメイトの一人であることは知っている。眞妃が好きだという事も知っている。今まで意識をしたことは無かったし、頼まれて『好きな人居るの?』と質問もした。別になんということは無い青年だ。

 ……その彼と、四条眞妃が仲良くなる。

 何となく心の中にもやっとした物が浮かんだ柏木だったが、それをかき消した。

 

 (いけない、いけない。眞妃ちゃんが好きな物を好きになるのは昔からだけど、流石にこれは……ね)

 「それじゃあ、……よし、授業中にこっそり手紙を渡しておくね。放課後、教室に残ってて下さいって。で、私がチョコボールを渡して、その後で眞妃ちゃんが出て行って渡す。これで良い?」

 「ばっちり。頑張る……!」

 

 気合を入れる眞妃の顔が、笑顔になってくれればいいな、と柏木渚は心の底から思った。

 彼女が泣く姿は、見たくない。

 

 この時は本気で、そう思っていたのに、未来は分からないものである。

 

 ◆

 

 いの一番に銀カードを持って昇降口にやって来たのは、四人。

 B組の男子、風祭豪と豊崎三郎。其処にマスメディア部の二人だ。

 

 誰から行く? と互いが目で合図をしていると、準備を終えて戻って来た岩傘調はにこやかな笑顔のまま、四人を縦に整列させた。最初は巨勢エリカである。

 そしてそのまま、五分ほど、待機させる。

 

 「ちょっと待ってね。やって来る皆に理解させたいから」

 「? はい」

 

 ドローンから吐き出されたカードを入手した生徒が、十人程集まり、列になったところで、彼は『じゃあどうぞ』とエリカを前に進ませた。

 

 無論、巨勢エリカは、信奉する副会長:四宮かぐやへと足を運ぶ!

 そして銀カードを渡す。それを見た、彼女は――。

 

 「私からチョコレートを受け取りたいとは面白い方ですね。ですが生徒からの要望に応えるのが生徒会の、そして四宮家の使命。では……お渡ししましょう。よく感謝して、味わって下さいね?」

 

 穏やかながらも気高く、ごく自然に『授ける』態度で微笑まれ、チョコレートが渡された。

 『はう……っ!』という声を上げて目を輝かせた巨勢エリカは、服従する勢いで頭を下げた。

 

 それは『手渡し』というフレンドリーさではない。

 言うなれば『下賜』だ。臣下が女王からの報酬を貰うが如くの振る舞いである!

 

 四宮かぐや。

 生徒会で過ごす内に、昔の冷徹さは随分と丸くなった。穏やかで親しみやすくなった。同学年の誰もが『深窓の令嬢』から変化したと言うだろう。

 しかし同時に、クールな四宮かぐやに憧れや羨望を抱く者は今尚も多い!

 そしてかぐや自身も、白銀御行が関わらない件においては、今も冷徹である。時に真っ黒である。他人を利用することも厭わない側面は健在である。故にこの態度も演技では無い。

 離れた場所に白銀御行が居る&見えているが『そういう風にすると喜ばれますから』という言い訳も可能な状況。――正真正銘、着飾らずに動ける舞台であった!

 

 そしてこの瞬間、並んでいた誰もが気付いた。

 

 ()()が違うのか……っ! と。

 

 クールな四宮かぐや。

 一見微笑んでいるが薄氷の裏に怖さが隠れた、此方が跪いてしまう女王様!

 

 荒っぽい龍珠桃。

 笑ってすらいないが、雑に渡されるチョコレートは、素っ気なさとのギャップ!

 

 ギャルな早坂愛。

 フレンドリーで茶々入れてくる距離が近い女子! 勘違いさせる系の美少女!

 

 天然ゆるふわな藤原千花。

 誰が相手でも笑顔を忘れない和み系!

 

 子安つばめ。

 一学年しか違わないのに、思わず鼓動が早くなるような、身近で親しいお姉さん!

 

 阿天坊ゆめ。

 心が読まれるような眼光を伴うミステリアスさと、妖艶さを感じる大人の魔女!

 

 そして白銀御行。

 女子の誰もが気になっているが、手を伸ばすのが恐れ多い生徒会長!!

 

 此処に来て昇降口前の生徒達は一斉に、その情報を他の学生達に伝えた!

 ますますヒートアップしていくバレンタイン……!

 

 「さあて、これで準備は整った。頑張り給え、校舎内のカップルの皆……! これを機に思いを伝え、そして盛り上がると良い。恋人達の祭典、甘い日、それはとても素敵な日だと学ぶと良い……! 偶には僕と千花の幸せを共有させてあげたいからな……!」

 

 岩傘調はチョコレートの山を崩し、美少女達+白銀御行に分配しながら上機嫌だった。




次回、眞妃ちゃんの奮戦にご期待ください。


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幕間:学生達はチョコが欲しい 後※

副題:四条眞妃は格好良い女

過去最長の長さ+後半、規制に入らない程度の表現です。
とはいえR15タグは入りますが……。

キューバリファカチンモは……原作のどっかで補完される日を待ちます。


 「ごめん。悪かった」

 「ふんだ!」

 「……反省してる。ごめんなさい」

 「知りませんよーだ!」

 「この通り。申し訳ありませんでした……」

 「謝ったって取り返しが付く話じゃないんです!」

 

 僕と千花の仲が非常に良いことは当たり前だが、それでも互いに機嫌を損ねてしまう事はある。こればかりは人間であるからしょうがない。のだが、今回は完全に僕が馬鹿だった。

 

 バレンタインのイベント終了後!

 藤原家の千花の部屋。椅子に座った千花を前に、僕は床に座って謝っていた。頭を下げていた。それでも会話をしてくれているだけマシかもしれない(本当に怒ると会話すら出来なくなる)。

 今回の件は、完全に僕のやらかしが理由である。自覚がある。肩身が狭いまま、何とかして千花の機嫌が良くなってくれないかなと方法を探っている。

 

 少し離れた机の上には、チョコレートが置かれていた。

 

 ◆

 

 さて今回のネタばらし……というか元々の話をしよう。

 

 僕がバレンタインに千花からチョコレートを貰うのは、これはもう当たり前だ。初等部どころか幼等部から貰っていた気がする。仲良く食べ合うのは習慣で、欲しいとも上げるとも言わない。ただ『今年はどうなるのかなあ』と僕は期待し、千花は『今年はどうしましょうか』と考える。それくらいの、それだけの話なのだ。

 

 しかし高等部一年生で、昨年の秋口に生徒会役員となった自分達が、風紀を著しく乱す真似は出来ない。常日頃の関係ですら『危なくないか?』と言われてしまっているのだ。

 それは困る。万が一にも不純異性交遊だのと言われたら困る。まあ不純っていうか『許嫁(こんやくしゃ)』なので不純でもないのだが、節度を持って自宅でやりなさいと言われれば『はい』としか言いようがない。そこで僕は考えた。かなり考えた。

 

 今後!

 というか主に来年度!

 生徒会が一新されるまでの間、何とかして惚気ても良い風潮を作りたい、と。ならばもういっそカップルを成立させてしまおう、と。

 そう考えたのだ。

 

 「岩傘、お前、馬鹿なのか?」

 「いや、真面目に真剣だ。まあ聞いてくれ御行氏。実際この計画は色々なメリットがある」

 

 僕と千花という要素+カップルを沢山作ってあげたい、という二つの要素を抜いたとしても、今回のイベントにはきちんとメリットがある。

 

 まず治安の維持だ。バレンタインに限らず、クリスマスやらGW前やら夏休み前やらにはカップルが急増する。告白が行われるだけなら良いが、加速度的に段階を踏んでいく人々が増加し、風紀が乱れる、となると必然取り締まりも厳しくなる。

 

 (それをされると僕と千花の取り締まりが厳しくなる! それは困る!)

 

 「まず生徒会側からバレンタイン企画を行う事で、参加者を一か所に集め、監視や取り締まりをしやすくなる、これが一点だ。風紀委員の動員人数を減らせれば負担も減る。上手くやれば、風紀委員も一緒に楽しめるかもしれない。生徒全員に楽しんで貰うように意識をするのは大事だ」

 「一理あるな。他には?」

 「ストレスを発散し、その後、気合を入れ直せる……つまり緩んでいる規律を締め直せる」

 

 今の時期、つまり新年が明けて二か月。年度が替わるまでも二か月。

 寒い冬も終わり、段々と温かくなってくる。それでいて新鮮さが失われている時期だ。

 三年で外部大学進学を志している人はそんな余裕は無いかもしれないが、高等部一年二年の学生は気楽である。テストでちゃんとした点を取っていれば別に進学にも問題は無い。加えて私立高校である秀知院では、冬休みも春休みも結構ちゃんと長い。

 であれば、ここで一個イベントを入れ、全員を盛り上げ、その後で意識を切り替えさせる。

 

 「つまりオンオフをしっかり作ってやる。そうすれば勉強の能率も上がるし、この時期に特有の……のんびり? で良いのかな。のんびりした空気を存分に味わって、引き締められる。実際、三年生に進級してしまったら、学園祭まで暫く肩の力は抜けないだろう?」

 「ふむ。中々理にかなっているな」

 「後は……生徒会への支持率アップというメリットも上げておこうか」

 「む、それは言われると弱いな」

 

 大半の生徒は、白銀御行を生徒会長として認めている。僕も認めている。かぐや嬢も認めている。だが『大半の生徒が認めている』とは『一部の生徒は認めていない』と同意味だ。

 

 ただでさえ『混院』の御行氏は風当たりが強い。地味な妨害工作もある。そういうのはかぐや嬢が密かに対処し、僕も密かに動いているが、あーいうのは雑草だ。どこからでも沸いてくる。

 話せば分かってくれる豊崎みたいな奴ばかりじゃないのだ。

 僕は広報としてあっちこっちに顔を出し、千花の人脈と共にその辺の情報収集もしているが、やはり伝統が長い秀知院。伝統と同時に悪癖も育っていて、そうそう簡単に駆除はしきれない。

 新一年生が入って来た時の為にも、生徒会の掌握しておく部分が多い方が良い。

 

 「岩傘、お前……結構、強かな性格をしてるな」

 「そんなことは無い。僕は千花と一緒にイチャイチャラブラブ楽しく生活する為に全力なだけだ。そっちにリソースを割いているだけの話だ」

 「……まあそれは分かった。良いだろう。ただし承知の通り、現在我が生徒会には、会計が居ない。先輩方に任せる訳にもいかない。予算案や計画書はお前が建てろよ」

 「お任せを会長」

 

 そこからの行動は早かった。

 

 かぐや嬢が、無駄に大量のチョコレートを買い込んでしまい、始末に困っていたと聞いていたから、それを再利用させて下さいと話を持っていく。

 教員の皆と風紀委員、各種部活のVIPに話を通して活動に賛同してもらう。

 各種ギミックについて技術開発部に話を持っていき、津々美に頼んでドローン作成をして貰う。

 計画書を建て、報酬(メリット)を明記した上で美少女の皆さんを集めていく。

 

 「いーちゃん、なんかすっごい頑張ってますねー応援しますよー」

 「おう、任せろ」

 

 ……この時、千花に事情を説明するのを怠ったのが、後々響くことになる。

 

 後日この時期を振り返っての話になるが、当時、僕はまだ白銀御行―藤原千花のラインが成立するのではないか不安があったのだ。だから如何にして千花と惚気られるかは大事だった。

 結局、翌年度の春過ぎには、その心配は杞憂だったと実感するのだが、それでも不安な物は不安だった。彼の悪い部分(もの凄い運動音痴だったりとか)を千花が知らなかったというのもある。

 かくして今回のイベントに漕ぎつけたのである。

 

 頑張ったぞ!

 頑張ったが故に、ちょっと見落としをしてしまったともいう。

 

 「という事で、今日は皆さん、宜しくお願いします。皆さんは、皆さんらしくチョコレートを渡してあげて下さい。作り笑顔とか必要ないんで。媚びる必要も無いので。自然体で良い人を集めたつもりです」

 「広報。なんで俺まで配布メンバーに入っているのかを聞いて良いか?」

 「一人くらい女子の相手をする人が居た方が良いでしょう。タダでさえ、会長は、壁が在ってとっつきにくいと言われてるんですから。それに此処で少しは女子相手との距離感を掴んでおくと良いと思いますよ。……(自然体で会話が出来れば、どっかの誰かも喜ぶんで)」

 

 最後の一言だけは御行氏にだけ聞こえるように囁いた。

 それに女子には何のフォローもしないと言ったら、そっちの方がダメージ大きいし。

 

 僕は応対が出来るほどの美形でもない。そういう華のある仕事は、表舞台で踊る人に任せれば良いのだ。大丈夫、周囲には剣道部や柔道部などの屈強な男子達を護衛に付けている。

 その指揮官には憂さんを設置してある。何の心配もない。

 

 「むーん、引き受けました。でも後でお話ありますからね?」

 

 その時の、千花のちょっとだけ不満そうな顔を、僕は見逃してしまった。

 これが先ほどから触れている、ちょっとした反省会を引き起こすことになるのだが。

 ともあれ、無事にバレンタインイベントは開催されたのである。

 

 ◆

 

 「っしゃあ一番乗り!! 此処で良いな!?」

 「おう流石に間に合ったな風祭、豊崎。ちょっとずるい気もしたが、まあ普段からの感謝って事で受け取っておけ。それとマスメディア部の二人もご一緒のようで」

 「ええ、恙なく入手しましたわ。これで交換が出来るのですよね?」

 「勿論」

 

 まずは巨勢エリカを一番に据え、やって来た生徒の皆に『これはこういうイベントです』と目で教える。巨勢は腰砕けになって邪魔になったので、紀(彼女は御行氏から貰った)に任せて、次は男性陣の番。風祭と豊崎が、それぞれマスメディア部を指名。

 やはりそうなった。勿論確信犯である。

 そこからは、ほぼほぼ順当な感じで推移していった。

 

 「なんで私がこんなに人気あるんだ……? ほら、やるよ。残すなよ」

 「ギャップに引かれるーって奴じゃないかなっ? あ、愛をこれからもよろよろ~っ!」

 「今日は来てくれて有難う。おまけではないけど占いを一つ……。ご自宅の机の三番目の引き出しに、貴方が先日無くしたと思っている物が入っているわ。探してごらんなさいな」

 「手作りじゃないけど美味しいから味わって食べてね! 元気出していこう!」

 

 無難に人気なのが、早坂愛、子安つばめ、藤原千花。

 カルト的な意味で人気なのが、白銀御行、四宮かぐや、阿天坊ゆめ。

 そしてそれら六人をぶっちぎって、やたら人気が高いのが、龍珠桃であった。

 

 いやこの結果は僕も予想外過ぎる。

 これは後日、チョコレートを貰いに行った人間に聞き取り調査をした結果なのだが『絶対に貰えない人より、万が一にでも貰えそうな感じの人』に位置しており、その素っ気ない態度が受けたらしい。『男っぽい友人がふと見せる女の子っぽい姿』みたいなギャップが良かったそうな。

 なるほど、理解できなくもない。

 

 こうして徐々にイベントは進んでいき、ドローンから排出される銀カードも終わりが見えてきた。一番に駆け付けた風祭や豊崎には、列整理を任せてあるし、手配した護衛の皆さんも活躍しないままで終わるだろう。一安心である。

 

 「ちょっと休憩してくる……」

 「おう、一息入れてこい」

 

 準備からイベントまで一気に駆け抜けた。

 僕は、心地の良い疲労が乗っかった肩を思い切り伸ばす。

 そうして休憩がてら学園内を歩いていると、声が聞こえた。

 同じクラスの四条眞妃の、声であった。

 

 ◆

 

 今回の計画実行の裏には、カップルを他にも成立させてしまおう、という狙いがあったとは話したと思う。その最大理由は、語った通り、僕と千花の惚気る機会を増やす為だ。――ただ同時に『好きな人を作るのは良いぞ』という気持ちがあったのは本当だ。

 

 イチャイチャするのは素敵なことなのだから。

 この幸せを分けてあげよう……という考えが原動力の一端を担っていたのは間違いない。

 

 で、昇降口前であんなに堂々とイベントを起こせば、必然、学園内部の監視は緩む。人数も減る。そもそもドローンを追いかけるような奴は、チョコレートに縁がない奴ばっかりなのだ。

 本命がいる奴は『今の内に此処でね』と約束をしているに違いない。

 そう思っていたのだが……。

 

 「で、ええと、翼君。バレンタインのチョコレートを渡そうかなと思……が、がん泣きしてるっ!? マジ泣き!? 落ち着いて! なんで泣いてるのよっ!?」

 

 思考は、教室から聞こえてきた声に中断された。

 そっと身を潜めて様子を伺うと、1年B組の中では、四条眞妃が、男子を慰めていた。

 ええと、あれは確か翼君だ。あんまり目立ったところがない、ごく普通の秀知院の学生。クラスメイト。一応名前は知っている。苗字は……えーと……僕にだって知らないことはある。

 

 「え、ちょ、マジ……!? 落ち着いて。落ち着いて。チョコレートが辛い……!? あ、あああ、そそうなんだ。安心して! わ、私はチョコレート渡すつもりとか全然ないから!」

 

 なんだなんだ? と様子を伺うと、件の翼君は涙で袖を濡らしていた。

 四条さんは咄嗟に後ろ手で何かをロッカーに放り投げ、何があったのか? と尋ねる。

 僕が密かに耳を欹てて伺うと、大体こんな感じらしい。

 

 本日、翼君は放課後、女子に呼び出された。

 このタイミングでの呼び出しなら確実にチョコレートだと思っていたそうだ。

 ただ同時に『自分にそこまで都合が良いことなんか無いかもしれない』とも思っていたそうで、警戒はしていたらしい。

 彼を呼び出した少女は、少し前に『付き合ってる人、居るのー?』と質問をしてきた人物であった。だから『これはひょっとして』と其処でちょっと期待した。

 しかし期待に反して、渡されたのはチョコボールが三つだけ。

 それだけなら笑って受け流せたのだが、彼女が去った後、チョコボールを齧り……。

 聞こえてくる楽しいイベントのBGMを耳にしていたら、つい感極まって泣いてしまったらしい。

 『俺、何やってるんだろう』と……。

 

 「お、落ち着きなよ。ちょ、チョコボール三粒だけを渡すだなんて、ひ、酷いね? うん、そそそれで? えっと、食べたら……? うん、甘かったんだけど、しょっぱかった? もうチョコは、遠慮したい……? そ、そう……」

 

 複雑な顔をして聞いている、四条眞妃。

 四宮かぐやの遠縁にあたる女の子だ。学年三位の才女。クラスメイト。話し方に自信と、ちょっとばかりの刺々しさはあるが、基本は良い子だ。ちょっとだけ、かぐや嬢に似ている。

 そして面倒見が良いところも、かぐや嬢に似ている。

 気持ちは分かる。この騒動の中、教室で一人さざめく男子を見たら、動揺するよ。

 

 「ほら、ちょっと座って落ち着こう。私が相談に乗れるなら相談に乗ってあげるから! それで……えっと、うん……ゆっくり話してね。聞いてあげる。辛い時は誰かに相談すれば良いんだって教わったし……?」

 

 むっちゃ本気の顔で慰めていた。それだけで眞妃さんはイイ女だと思う。

 泣いている男子を前に、背中を叩いて慰めて、嫌みにならないように立ち直させるのは並みの人間には出来ない事だ。

 

 何よりも、だ。その顔に下心がない。

 

 『泣いてる!? 良く分からないけど、何とかしてあげよう!』という表情なのだ。

 計算ではなく、本気で翼君を心配しているのが分かる。

 むしろ話を聞いて罪悪感すら覚えているようだ。立派である。

 

 翼君の発言は、徐々にネガティブになっていく。普段は穏やかな分、一線を越えると結構危ないらしい。テンションが乗っかるとワイルドになりそうだが、逆に下がると凄い落ち込む、みたいなタイプだろう。

 

 「え“、な、渚がそんな人とは思わなかった……? ちょっと酷いと思う……? 嫌いになりそう……? 違う! 違うよ翼君! 渚がそんな酷いことをする娘じゃないよ。だ、誰かが、唆しただけなんだよ。ひ、酷いよね!」

 

 そうかな、と確認する翼君は、どうやらチョコレートを渡した渚さん――柏木渚さんかな? に対して良い印象を抱かなくなったらしい。加えて彼女に対して負の感情を持ちそうになっている。

 翼君からそう告げられた、眞妃さんは、それこそ必死に弁護を始めた。

 

 そういえば彼女は柏木さんとは幼等部からの付き合いか。

 彼女にとってそれだけ重要な親友なのだ。

 記憶を探れば……確かに一緒にいた記憶がある。何分、幼等部とはいえ秀知院なので……男女で活発に遊びまわるなんて経験は少ない。あって同性同士でやんちゃするだけだ。その当時からの友人なら、その絆はさぞかし強かろう。

 

 「翼君! 自信をもって! 翼君は、それでも立ち上がれると思っているし……! きっと素直に渚に、気持ちを言えば、謝ってくれると思う。私の方からも、伝えておくし。その、渚に――余計な、あ、悪意ある、い悪戯を吹き込んだ奴……くっ……は、ゆ、許さないから……!」

 

 途中、ものすっごいダメージを受けているような顔をしていた。理由は分からない。

 だが気持ちは分かる。彼女は友情に厚いのだ。

 眞妃さんの言葉で、翼君は段々と立ち直って来る。

 そして彼女は、気合を入れなさい、とばかりに背中を叩いて笑いかけた。

 

 「これからもどんどん頼って良いのよ! 私は渚の親友だし……! そ、そうね、今回の件で、翼君とも()()になれた、からねっ……!」

 

 そう言って翼君を元気づけ、彼が涙を拭いて顔を上げたのを確認した後、四条さんは『じゃあ!私は早速、渚の元に、行ってくるね!』と颯爽と立ち去って行った。

 

 ……こういう方向で問題が起きるとは思っていなかったが……結果オーライ、と奴だろうか。四条さんは実に格好いい女だと思った。

 きっとこれからも翼君は、眞妃さんに何かと相談をしに行くだろう。

 柏木さんと翼君の仲直りに協力するとか。

 

 出ていく際に、後ろ手で放り投げていた何かを回収し、慎重にしまって駆けていった。さっきの話、というかさっきの態度で、チョコレートを渡したかったというのは無いだろうと思う。

 それなら会話中、少しは下心というか、そういう『ラッキー!チャンス!』だという気持ちが出る物だからだ。

 

 その後も、僕はちょくちょく、翼君と眞妃さんが会話をする光景を教室で見ることになる。そしてその全てに柏木渚が同席して、徐々に関係が変化していくと知ることになるのだが……。それは此処では蛇足であろう。

 これもまた青春か、と良い休憩になったなと思いながら、僕は昇降口に戻ったのであった。

 

 ◆

 

 こうして無事に、バレンタインイベントは終了した。

 

 大体の生徒はチョコレートを手にいれ満足して終わった。

 中には親密な関係を構築した生徒もいて、彼らはイベント以上に情熱を燃え上がらせた。

 銀カードとドローンは技術開発部の手で回収されたし、手伝ってくれた友人達:風雲と豊崎からも感謝された。マスメディア部も沢山の写真を撮れてほくほく顔だった。

 協力してくれた女子の皆さまには、約束通りの報酬を渡した。彼女達に対して、男子達からのファンクラブなんてものも設立されたらしいが、本人達の迷惑にならないなら構うまい。

 来年、新しく部活に入る人間も増えるだろう。

 

 とはいえ、幾つかの問題が残った。

 

 生徒会、引いては会長副会長の問題が一つだ。

 つまりかぐや嬢、御行氏、共に互いに対する若干の不満というか苛立ちはあった。

 二人とも互いが色んな人にチョコレートを渡している姿をずっと見ていただけで、それは必然、なんとなく不快感を煽る。

 

 しかし僕はこれを大きな問題だとは思わなかった。

 確かにそれは不満になるが、同時に距離が近寄る契機でもある。

 甘ったるいチョコレートの香りから脱出した二人を労って、熱々の緑茶や紅茶、コーヒーで落ち着かせ、そこに追加のお菓子を差し出す体裁を整えた。

 無論、差し出された品はかぐや嬢の一品(早坂の助言有り)である。

 

 疲労困憊したところに、甘すぎない、落ち着いた甘み。良い感じに癒される御行氏を見て、かぐや嬢は内心でガッツポーズをしていた。直接手渡しができたか、と言えば怪しいが、彼女の選んだ逸品を彼だけが味わい、二人だけで過ごしたのだ。それで良しとしよう。

 尚、無論、僕は千花と共に、さり気なくだがその場を離れた。

 

 「さて、これで無事にイベントは終わった……。千花、チョコレート、貰って良いかい?」

 「嫌です」

 

 そしてもう一つの、最も大きな問題が、千花である。

 ……千花である。

 彼女の目は、かなり怒っていると僕に伝えてきた。機嫌は、はっきりと斜めであった。

 

 「あの、千花さん?」

 「嫌です! 乙女心が分からない調さんとか知りません! 今年のチョコレートは無し!」

 「…………えっと」

 「(ぷいっ)」

 

 と、こういう訳で。

 何とか実家に戻って来た僕は、千花の部屋で、怒った彼女に対して謝っていたのである。

 

 ◆

 

 自分の行動を振り返って暫く、本当に何故千花が怒っているのか分からなかった。

 分からなかったのだが、ずっと神妙にして小さくなっていたら。

 千花が小さく『なんで一番じゃないんですか』と呟いたのが聞こえた。

 そこで()()()と思い至った。

 

 千花は、僕がチョコレートを貰う事に嫉妬したりはしない。その程度で起こる程狭量ではないし、僕が色々そこそこ貰うのは知っている話だ。

 ぱっと名前を上げるだけでも、憂さん、(キーちゃん)、萌葉ちゃん、豊実姉。今年で言えば津々美も入る。義理チョコ友チョコもそれなりに多い。だから『なんで一番じゃないのか』という発言の意味は、僕がチョコレートを貰ったことに関してではない。

 

 ……()()()()()()()()()()()()()()について、なのだ。

 

 「そっか、えっと、……ごめん。千花は、イベントより僕を優先、したかった、よな」

 「………そうです!」

 

 僕の発言に、頬を膨らませてそっぽを向いていた千花は頷いた。

 怒った理由が分かった。納得した。

 

 今回の僕のミスは、完全に()()()()()()事に他ならない。

 僕は他の女子の皆さんには丁重に根回しをしたが、千花に対してのお願いはかなり後回しにしていた。後回しにしても『大丈夫だ』と勝手に考えていた。

 千花と僕の為に行動をしていたが、千花自身の感情を僕が汲み取れていなかったのだ。

 

 理由をきちんと説明し、お願いをして、彼女に先んじて僕へのチョコレートを渡して貰えば、この出来事は起きない。

 好きな人との時間の為に頑張る一方、好きな人自身を振り回していると気付けなかった。

 

 本末転倒である。

 千花が怒るのも、むべなるかな。

 

 千花としては、イベントで騒ぐよりも、それこそ学園内で内緒のバレンタインをしたかったのだ。其処に僕が()()()イベントを入れ、()()()協力をお願いした形。千花も『良いですよ』と言ってくれたが、燻る感情はあったのだ。

 それがこうして吹き出し、怒っている。

 

 謝るしか出来ない。

 これは百パーセント、僕が悪い。

 

 「ごめん、千花。どうすれば良い?」

 「………チョコレート。チョコレートは、私が食べます。私に、食べさせて下さい!」

 「はい」

 

 無言で僕の為に作られた包装を解く。ハートマークのシールが貼られていた。

 反省する。反省しか出来ない。

 そうだよなぁ……。千花は、これを僕に渡したかったんだよなぁ……。その機会を僕がうっかり不意にしてしまったんだよなぁ……。いけない、罪悪感で涙が出てきた。

 

 「ど、どうぞ」

 

 無言で箱を空けて差し出す。中に在ったのは、細めのボンボンチョコレートだった。

 棒状の形をしていて、ナッツやオレンジピール等が散らしてある。

 甘い匂いだけではなく、柑橘系の香り、香ばしい香りと幾つも種類があって香しい。

 

 「それじゃダメです。箱出すだけじゃ許しません」

 「……はい。では、お口をお開け下さい」

 「手で持つのも駄目です! ついでに足とか箸を使うのも駄目です!」

 

 指先で掴んで口元に運んで行ったら、それもダメ出しされた。

 そっぽを向いた千花はちょっと頬が紅い。

 とすると、もう残りは一つしかないのだが。

 

 「ふんだ。謝るなら、それくらいはしてくれないと、ダメです!」

 「…………分かりました。お姫様」

 

 僕はチョコレートを口に咥えて、千花の元まで近寄り、彼女の顔を向けさせる。

 所謂、ポッキーゲームだ。

 

 「……むう。……ぱく」

 

 僕が顔を近付けると、千花は反対側に食いついてきた。

 じっと至近距離で瞳が合う。じーっと見ていると、千花の険のある目力が徐々に和らいできた。そのまま、無言で、互いに、一口、前進。

 

 ぱり、ぱりという音がして距離が縮まる。

 何となく手と腕が寂しかったので、近寄ってきた千花の身体に手を回す。

 一瞬だけ、それに身体を固めたが、すぐに脱力して、僕に引き寄せられた。

 

 「………(じー)」

 「………(じー)」

 

 そのまま、互いに無言で、もう一口。

 ぱり、ぱりと距離が縮まる。

 互いの微かな呼吸音すら肌で感じられる。大きな目が近く似合って、引き寄せた千花の身体が体温を伝えてくる。柔らかい物が当たっていて、そのまま更に距離が密着。千花の方がらも、僕の背中に手を回してきた。

 

 こうなったらもう、一息である。覚悟を決めた。久しぶりだし!

 覚悟を決めて、もう一口、先に進める。

 

 「……ん、……むぅ……。……ん!」

 

 唇と唇が触れ合った。

 そのまま、行為は継続された。

 

 ◆

 

 一本目が終わり、二本目も終わる。

 ……互いの口の中でチョコレートが溶け切るまで、じっとしている。

 カチカチ、と時計の針が夜を伝えている。静かで、物音はしない。僕と彼女の音しかしない。互いの鼓動は聞こえる気がしたくらいだ。微かに喉が鳴る動き。相手側の甘い味。無言で口を離した時には、チョコレートが微かに混ざった唾液が糸を引いた。

 

 「……収まった?」

 「……。もっとです……」

 

 とん、と押されて、そのままベッドに腰かける姿勢になる。

 千花はそのままもう一本、チョコレートを口に咥えると、膝の上に乗ってきた。彼女が向かい合わせて、腿の上に。所謂、対面する格好だ。

 

 そのまま、今度は千花の方から口を寄せてくる。

 勿論、そのまま咥えた。一気に、大胆に。

 

 「……ん、……ちゅ……る……」

 

 ぎゅ、と抱きしめられて千花の身体の形が変わる。微かな甘い匂いが漂ってきた。

 頭に霞が掛かりそうになったので、気合を入れて攻めた。

 腰のあたりを掴んで、姿勢を変える。

 

 「ふ、ん……、んん……っ……」

 

 頭を押す形で、啄む形から、奥に入れるように。深く、舌を入れて、啜るように千花の舌と絡める。チョコレートよりも互いの唾液の方が多く溢れるほどだ。

 ゆっくりと動かしていると、段々と千花の顔にあった険しさが消えてくる。

 背中に回された手だけはぎゅうと強いのに、体温が上がって、目が熱っぽくうるんでいる。

 

 ……これちょっとやばいな。

 やばいなーと思ったけど、理性的に止めるのは無理だ。

 

 チョコレートが媚薬だと話したが、まさに魔性の薬。箱に適当に指を伸ばす。互いの呼吸が挟まれて、一拍、空気が交換される隙に、追加で放り込んだ。

 直ぐに溶けて、甘く甘く、形を変えていく。

 千花の口の中がチョコレートでコーティングされて、何時までも口を付けていれそうだ。

 なんとなく互いの感覚が鋭敏なのが分かった。色々反応しつつあってヤバイ。

 

 「……、……いー、ちゃん、……その……」

 

 小さく呟かれた声が耳に届く。

 皆まで言われない内に、抱きかかえて、向きを入れ替えた。

 そのまま寝かせて、僕は上に被さる形になる。

 

 あー、うん、なんかもう、このまま進んで良いや、と思った。

 普段はへたれとか言われる僕だが、今回だけはもう色々限界。

 千花は、一瞬だけ目をぎゅっと瞑ったが、離れないでというように手を伸ばして僕の腕を掴む。応じるように、身体を傾、け――。

 

 「義弟くんー、チョコレート持って、きた……! ……わ……よ………」

 

 そこで、ガチャリと扉が開いて、豊実姉さんが顔を出した。

 手にはチョコレートが握られている。

 

 すると当然、色々と直前になっている僕と千花が見える訳で。

 一瞬で状況を理解すると、彼女の顔が真っ赤に染まる。

 バタンッ!と猛烈な勢いで戸が閉められた!

 

 『お、お邪魔したわね……! ごご、ごゆっくり……っー!!!』

 

 …………。

 ………………。

 

 「……はっ」

 「はっ!!」

 

 そこで正気に戻った。

 ななななな、あわわわわと互いに言葉にならない言葉を言いながら、離れる。

 もう猛烈な勢いで距離を取り、僕は頭を壁ぶつけ、千花はベットから転がり落ちた。

 どたん!ばたん!いたい!

 

 「ちょ、ちょ、ああわわわ、今、今やばかったです! あのまま完全に流れるところろでしたよ!?」

 「やばかった! やばかったやばかった超ヤベエ! 絶対あのままだと及んでた! セーフ! せーふだよな!?」

 「セーフです! ……ちょ、ちょっと惜しい気もしますけど!」

 「それはある! ちょっと惜しかったけど! 此処で流されないで済んだのは……。……なんか……あー、くっそ、すっげえチャンスを逃した気がする」

 

 別に服が脱げていたわけではないが、なんとなく身支度を整えて、互いに深呼吸をする。顔が赤い。真っ赤だ。暫くは目を合わせる事も出来なかった。

 もう互いの頭に怒りとか反省とか(いや反省は心に刻まれたが)残っていなかった。

 

 そして冷静になって思い返せば惜しい。あれ完全に運動(比喩表現)する直前だった。普段は理性的に惚気ているが、完全にトリガー外れていた。こういう機会は早々ない。千花も完全に受け入れ姿勢だったし。

 悔しさと安堵と興奮と羞恥心と、そういう色々が混ざった感情が頭の中に溢れて、それらを一緒にまとめて、僕は溜息を吐いた。

 

 千花も同じだったようだ。今も室内にある空気がピンク色に見える。

 慌てて窓を開けた。二月の風が吹き込んで、頭を冷やしていく。

 

 「……チョコレート、余ってます。一緒に食べましょう」

 「そうだね。……じゃあ、一緒に食べようか。……後で誤解、解いておかないとなあ」

 「ですねぇ。……また今度、そういうタイミングがあったら、その時は……その時です」

 「その時は……今度は邪魔されないようにしたいね……」

 「はい……」

 

 その後、二人でゆっくりとチョコレートを食べた。

 先までの熱烈な甘さではなく、静かだが互いの距離感が丁度良い仄かな甘さを堪能する。

 

 食べ終わったところで部屋を出ると、扉に耳を当てている豊実姉と萌葉ちゃんに遭遇。……興味があるのは分かるけど聞き耳を立てるのはどうかと思います。

 特に萌葉ちゃん、君には刺激が強すぎるから。

 

 その後、『結局何もありませんでした』と報告をしたら残念がられた。

 特に万穂さんは『そこは押しておきなさいよ!』と言われてしまった。

 いやいや、次女の純潔消失に関して残念がらないで下さい。絶えず居心地が悪そうだった大地さんは、報告を聞いて安心したらしいけど。

 

 結局そのまま、夕ご飯をご馳走になって、僕は帰宅した。

 

 帰って来た僕を見て、憂さんは『惜しかったですね』と告げる。

 どっから聞いたのかと言えば、豊実姉からメールが来たそうだ。

 

 イベント終了まで護衛を務めた憂さんには、色々とファンが増えたらしい。

 最後の方では『あの護衛のお姉さんからチョコレートが欲しい』と言った業の者も居たとか。

 きちんとサービスしてあげたそうだ。

 その話をした際、鉄面皮に、ほんの一瞬だけ笑みが見えた。余程、面白かったのか……それとも、楽しいと思ったのか。定かではないが、貴重だった。

 

 尚、妹にはゴミを見る様な目で睨まれた。いや、そんな顔をされても、困る。

 

 翌日……もとい週明けに学園に通った時、僕と千花の距離感は戻っていた。

 戻ったと言うと誤解をされるかもしれないが、つまり何時も通りの、惚気るのに丁度良い距離だ。教室で隣に座り、生徒会室で仲良く仕事をし、僕は御行氏とかぐや嬢の応援をする。

 

 あんな経験をした後でも『なんとなく千花の周囲に誰か男が来ると不安だなあ』と思うのだから、僕の嫉妬……というか、愛情というか、千花への想いは相当深くて重いらしい。会長との距離が近いのを見るとザワザワする。情けない。

 

 「何言ってるんですか。距離感が戻ったとか言ってましたけど本気で言ってます?」

 「……聞こえてた?」

 「聞こえてました! どう考えても進展しましたよ! いーちゃんも心では分かっていますよね!? 全くもう、変なところで目を逸らすのが上手なんですから。……あーあ、あの後で元通りの態度を取れる、いーちゃんは、馬鹿なのか、平常運転なのか、SAN値が高すぎるのか、私には分かりませんー。もうちょっとガンガン距離を詰めてきてくれて良いんですよ? 女の子は、好きな人に強引に求められるのも嫌いじゃないんですから」

 「……はい」

 

 叱られた。千花の言葉の通りだから否定できなかった。

 

 結局、勇気が僕には、ちょっと足りないのだ。だから惚気るだけで、イチャイチャするだけで、最後の一線を越えられない。へたれと言われても、仕方がない。

 

 だから自信をもって行動できる御行氏を凄いと思う、のだと思う。

 だから千花と御行氏の距離が近いのを不安に思っているのだと思う。

 

 結局、僕がその最後の一歩を踏み出すまで、このバレンタインから半年では済まない時間が掛かるのだが――それはまた今度の話にしよう。

 

 季節が変わる。各々が進級し、生徒会は今まで通り動く。

 石上が会計として加わり、相も変わらず御行氏とかぐや嬢は恋愛頭脳戦を繰り広げている。

 

 そして僕は、今日も千花と一緒に、惚気る事に全力を注いでいる。




四条眞妃の敗因:イイ女過ぎたこと
1:泣いている翼君を、本気で慰めてしまった。
2:その際、自分のチョコレートを渡す下心よりも、元気付ける方を優先した。
3:親友・柏木渚への風評被害(原因は自分)を撤廃する為に全力だった。
4:その後も、何かと友人としてアドバイスをし続け、渚と翼君の関係構築まで手伝ってしまう。
頑張れ。


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一学期:難題「優曇華の華」
岩傘調は送り出したい


第一の難題「優曇華の華」篇スタートです。


 「まさかお前と私でこんな悩みを共有する羽目になるとは思わなかった。……取り合えず、続きは後でな。部活に顔出してから生徒会行く。白銀達に言っておいてくれ」

 「全く同意する……、それじゃあ後でな」

 

 龍珠桃と、なんでこんなに縁が多いんだ……、と内心で言ってもしょうがない。

 簡単に挨拶だけして別れて、生徒会室に向かう。僕以外の全員は既に居るだろう。

 

 今日の仕事は何だったかな。そろそろ学園裏サイトの確認とかしないとな?

 

 とか思いながら扉を開けると、真っ暗だった。

 どこか、錆びたような匂いが、鼻に付く。

 

 「うん?」

 

 カーテンは閉め切られ、電灯は切られている。まだ太陽が出ている時間だ。遮られきれなかった光で、微かに陰影が見えている。机、椅子、棚、そして部屋の中央に佇む少女の姿。

 僕が暗がりでも見間違えることは無い。

 背筋に、ひやりとした感覚が走った。背中に氷柱を突っ込まれたような、微かな悪寒。不安に胸が騒ぐのを自覚しながら、一歩部屋に入る。

 

 「千花、なんでこんなに暗いんだ?」

 

 ぐにっと何かを踏みつけた。同時に何か、ぱしゃり、と足元に感じる水音。

 同時に、ぽう、と灯が灯る。机の上に置かれた、皿の上に置かれた、蝋燭の上に焔が。

 それがぼんやりと室内を照らす。そして――。

 

 銀色の刃が見えた。それは、深々と胸に突き刺さっていた。

 生徒会長の椅子に座り、仰向けに(おとがい)を逸らし、白銀御行は目と口を開いていた。

 一瞬、脳が景色を拒絶する。

 

 「な……っ!?」

 「……ねえ、いーちゃん? ……どうして、ですか……?」

 

 悲痛と憎悪だけが形になったような掠れ声で、千花はぐるりと首を動かし此方を見る。

 その眼の中に光は無く、微かに目尻から涙が流れている。

 

 「どうして……、……――なんか……したん……ですか……?」

 

 咄嗟、一歩下がると、再び足が何を踏みつける。

 恐る恐るとそれを見れば、石上だった。腕と足がおかしな方向に曲がり、その背中に幾つもの刃が突き刺さっている。微かな水の音は、流れ出た血。感じた香りは、鉄。

 彼の顔は、普段以上に顔色が悪い。当たり前だ、冷たくなっているのだから。

 

 「ねえ、どうしてですか……?」

 

 ゆっくりと千花が、此方を向く。

 その手には今尚も鮮血が滴る、銀色のナイフが握られている。

 ワンピース姿には返り血がこれでもかと言わんばかりに付いている。

 

 普段は笑っている頬に付いた、真っ赤な血を、同じく真っ赤に染まった掌で拭う。それはただ意味もなく、赤色を広がるだけだ。その目に浮かんだ狂気を前に、僕は悲鳴すらも上げられない。

 何故こうなった。

 何が理由で、こうなった。

 

 「……答えて……下さい……よ……」

 

 ゆっくり、彼女がこちらに近寄って来る。

 手に蝋燭を持ち、蝋と血を滴らせながら、近寄って来る。

 

 そしてその明かりが、椅子を照らした。

 首元を斬られた四宮かぐやが斃れていた。

 

 「どうして……。……どうして……」

 

 彼女は悲痛な声と共に、僕へと駆け寄り、ナイフを振り上げて――叫ぶ。

 

 「どうして龍珠さんと浮気なんかしたんですかああああああっ!!」

 

 すべてを理解した。

 違う! それは違う! 誤解だ!

 

 咄嗟、千花の腕を捉え、目の前の刃をギリギリで止める。そのまま投げる事も出来たが、床には石上が寝転んでいる。止めだ。千花の腕を傷めない程度に力を込める。しかしそれで向こうが止まってくれる訳もない。

 

 何か、何か、千花の気を思い切り逸らせる一手がないか……!

 …………あれだ!

 思いついたので、実行した。

 ナイフを持っている両手を、左掌で丸ごと握る。抵抗で押し切られるまでの一瞬で。

 

 「えい」

 

 そのまま、目の前にあった、たわわな胸部にタッチ。

 果実のような張りと、適度な弾力と、それを超えて沈むような指の感触。

 ふにふにと指を動かして確かめる。

 

 空気が止まった。

 そしてすぐに動き出した。

 

 「ちょちょちょお、なんあなああああんばしよっとですかあ!?」

 「それはこっちの台詞だ! というか他三人も何をやってるんですか!」

 

 よし、正気に戻ったな!?

 

 壁際にあった電灯をオン。蛍光灯が輝き、室内を照らす。

 同時、御行氏は瞬きをしながら身を戻し、かぐや嬢はナイフを外し、石上は起き上がった。

 床に広がっていたのは水溶性の血糊。微かに漂う鉄の匂いは……芳香剤か。おまけにナイフと衣装は、……明るい場所で見れば分かった。これ演劇部の奴じゃないか。

 

 「質問したのはこっちですよ! こっちです! なんで浮気したんです!?」

 「はあ……?」

 「誤魔化しても駄目です。知ってるんですからね!? 龍珠さんとの事……!」

 「私が何だってんだよ」

 

 先の約束通り、生徒会室に顔を出した天文部長が返事をする。相変わらずの不機嫌そうな顔だ。

 僕は簡潔に、一言で分かる単語を言った。

 

 「アレの件で誤解したらしい」

 「ああ……。……そりゃ大変だったな」

 

 どっから説明をしたものか。

 そしてどっちから説明をしたものか。

 取り合えず、六人で落ち着いて話をしようじゃないか。

 

 ◆

 

 「いーちゃんが浮気してるかもしれないんですっ!」

 

 藤原千花の第一声を聞いて、生徒会の面々が思った感想は一言、全て同じであった。

 「ないな」「ありえませんわ」「ねーよ」。

 順番に、会長・副会長・会計である。

 

 寄りにもよって()()広報である。人目を憚ることなく藤原千花とイチャイチャすることに惜しみない情熱を注ぐ男である。そんな男が浮気をする。全く毛頭も想像が出来ない。

 それでも藤原千花の言葉は真面目であり、その眼には本気の炎が燃えていた。

 故に、取り合えず説明をしろと彼女を座らせて事情を聴くことにしたのである。

 

 「まずですね、数日前から、岩傘家と龍珠家の間でなんかやり取りがあるんです!」

 「龍珠って、龍珠先輩ですか。天文部の」

 

 石上の言葉に、御行は頷いた。

 白銀自身、彼女には貸しがある。だからという訳ではないが、何かと信頼して色々と良好な関係を築いている友人だ。向こうもちょこちょこ要望を回してくる。凡そWinwinの関係と言って良いだろう。

 

 「まあ岩傘も、部活動こそTG部だが、……あいつは秀知院VIPの一人と言っても過不足が無い立場だ。マスメディア部が部長に据えたいくらいはな。家業的にも、龍珠の実家と関係があって問題は無いんじゃないか?」

 「それはそうです。懇意にしてたら社会風紀的な意味でちょっとヤバイ気もしますけど! 政治家とヤクザと同じくらいには仲良しで良いでしょう。ですけど実家通しの交流だけじゃなくて、最近学園でもなんか話してるんですよ! 内緒で! 怪しいですよ!」

 「いや、怪しいって言われても……。藤原先輩だって内緒話の一つや二つくらいあるでしょう」

 

 石上の真っ当な発言に、それだけじゃないんです! と彼女はスマホのメール欄を見せた。

 そこにはアドレスと共に、短くメッセージが書かれている。

 

 『なんか二人で地図見てデートがどうのとか時間が如何かとか話してる。どうする? 焼く?』

 

 「これ! これです! これキーちゃんから送られてきたんですよ!」

 「……キーちゃん、とは?」

 

 憤懣やるせない顔で説明する千花に、かぐやからの疑問が飛んだ。

 答えたのは千花ではなく、白銀御行である。

 

 「岩傘の妹だ。俺の妹()と、藤原書記の妹(萌葉)さんと同じ学年になる」

 「あら、そういえば雨の日にもそんな話をしていましたね。妹さんが居るという話も、どこかで耳にしています。……そうですか、キーちゃんさんと言うのですか」

 「……そういや僕も聞いたことある気がしますね」

 

 二つ下の学年ですが、と前置きをして石上が口を挟んだ。

 

 「中等部の現状は知りませんが、初等部の時に編入してきたんですよ確か。今はもう『純院』扱いらしいですけど、厳密にいえば『混院』です。噂というか、暴れっぷりというか、恐ろしさというか、そういうのは耳にしました。雷みたいな娘らしいですよ。……どっかの狂犬(風紀委員)よりはマシですけど」

 「そんなキーちゃんの話はどうでも良いんです! 今大事なのは! キーちゃんからのメールの内容なんです! これどう見ても浮気ですよね!? デートプラン計画してますよね!?」

 「いや、藤原先輩と一緒に行くデートプランを話し合ってるんじゃないんです?」

 

 これまた石上の素直な発言が飛んだ。

 あるいはもっと単純に、藤原千花へと何かをプレゼントするための相談をしているとか。

 指摘に対して『まあそう思うよな』と頷いた御行であった。前にも同じような事はあった。藤原千花に対して内緒の何かを計画し、その相談を受ける。それは初めてではない。

 

 しかしその答えを受けても、藤原千花の意見は翻らなかった。想定済みだったらしい。

 

 「極めつけはですね、確認したんですよ! 憂さんに! そしたら『龍珠の方から恋文が届いてその判断に迷っていて……』とか煮え切らない返事が来たんです! これ確定ですよ!」

 

 そこまで言われると、一行は考えてしまった。

 

 高等部三年二年で、彼に恋文を出す女子はいない。

 別に決して人気が無いわけではない。紀かれんが語ったように、細かい部分で結構ポイントは高かったりする。ただし藤原千花という相手がいるから誰も手は出さない。

 

 この春に入った一年生の中には奇特な人間が居るかもしれない。しれないが……その場合も、即座に断るだろう。実際、生徒会メンバーであり、広報担当の彼は露出が多く、白銀御行よりは手が届きやすい位置にいる。だから告白も少しはあるらしいが、即決して断っている。

 

 それが、考えている。

 となると――何かあるのは間違いないらしい。

 

 「という訳で、問い詰めるので! 協力してください! もしも浮気していたら……」

 

 浮気を何処までセーフとするか、は人によって大きく変わる。

 通称『浮気ボーダー』と呼ばれるこのラインは、その人の恋愛観によって大きく変化する。異性との食事がダメという人間も居れば、遊びなら寝所を共にしても良いという人間も居る。

 

 この話から三、四ヵ月ほど後。

 体育祭の後に、柏木渚から『翼君が眞妃ちゃんと浮気してるんです!』相談が持ち込まれ、その際にも判定に関しては女性陣で色々とやり取りがあるのだが、それは割愛。

 

 ここで重要なのは、藤原千花の認識である。

 彼女にとって、岩傘調の現状は『浮気』らしい。

 

 瞳からハイライトが消えるばかりではなく、フ、フフ、フフフと怖い声を上げ始める。

 その迫力を前にしては、誰も『嫌だ』とは言えないのであった。

 

 ◆

 

 「という事で私は説明しましたよ! 納得のいく説明を要求します!」

 「ああ、うん、誤解してるのは良く分かった」

 

 それで演劇部から借りてきた道具を使って僕にスプラッタを見せたという事だな。流石アナログゲームでもガンガンにブラフを掛けてくる女。演技が堂に入っていた。

 とりあえず誤解の源は、デートプランの話、龍珠との話、あと恋文の話か。

 どっから話すかなあ、と首を捻った後、分かり易い部分から話すことにした。

 

 「恋文の話から行くか。数日前、確かに我が家にラブレターが届いた。差出人は龍珠組だ。ただしそれは、断じて龍珠桃が僕に送った物じゃない。確かに龍珠組から送られてきた手紙ではあったんだけどね」

 「じゃあ誰宛てだったんですか」

 「()()()への恋文だった」

 「……What?」

 

 千花は思わず反芻した。

 意外に思って固まるのも無理はない。僕だって固まった。

 それ以上に固まっていたのは、貰った憂さん本人だったけれども。

 

 「千花、さっき憂さんから『龍珠の方から恋文が届いてその判断に迷っていて……』って話を聞いたと、言っていただろう。そりゃあ迷うよ。あの人がラブレターを受け取るのとか、そりゃあ色んな意味で衝撃だったから」

 「で、その恋文を差し出したのが、うちの人間だった訳だ」

 

 溜息を吐いた龍珠桃は、振る舞われた紅茶を飲み干して、お代わりを要求。

 無言でかぐや嬢が追加し、続きを促す。他人の恋バナを聞くのが楽しいのは彼女も一緒だ。

 

 「最初に出会ったのは、昨年……つーか学年代わる前の、バレンタインだ。あん時、優華・憂が、護衛組のリーダーしてただろ? それがファーストコンタクト。ウチんのが気にした最初のタイミングだ。で、陥落したのがコンペん時らしい」

 「コンペ……っていうと」

 「『チクタクマン』事件の直前だ。臨海のビックサイトでロボットコンペンションが行われた。其処に津々美もブースを出していた。僕は会場で龍珠さんと遭遇した。で、龍珠組に忍び込んでいた他のシマの奴が暴走した」

 

 掻い摘んで流れを説明する。

 その際、暴れた男は憂さん(津々美開発のスタンガン手袋装備)の手で華麗に叩きのめされた。

 電撃は、馬鹿と同時に、もう一人の男の心も痺れさせてしまったらしい。

 

 「襲ってきた馬鹿はちゃんと()()したから良いんだ。……問題は彼女に惚れたウチの奴でな。そいつは私を庇って負傷した奴だったんだよ。命に別状は無かったがちっと深手だったんで、少し前まで入院してた。で、退院してから私に話を持ってきた。こっち庇って負傷した若い奴の頼みとあっちゃ無下に却下も出来ない。色々相談した上で、結局、恋文が書かれて、それが届いた」

 「で、どうすんだよ……と話してたんだ。OK?」

 「じゃあ、いーちゃんが浮気は」

 「してません。僕は千花以外、一切、目に入りません。万が一……よりもっと少ないな。億か京に一でも浮気する場合、千花に許可を取ってからします」

 「……そうでしたね。そういう約束でした。……久しぶりだったので忘れてましたー」

 

 ごめんなさい、と謝る千花に、良いよ良いよと頭を撫でてあげる。

 女子の頭に触れるのは相当難易度が高い行為なのだが、僕と千花に限って言えば今更だ。

 

 『それは安心する話なのか? それで浮気は良いのか? 二人の定義はどうなっているんだ?』

 と御行氏が首を傾げていた。良いんだよ。僕と千花はそれで。

 

 『処理』の中身に関しても詳細は聞かぬが華だ。

 この秀知院には怒らせたらヤバイ人間が山程いる。

 財閥、警察、自衛隊、経団連、宗教、暴力団、政治家、探偵、芸能人、スポーツ選手、IT系の資産家。医療機関、報道機関とかのトップまでいる訳で。

 手を組めば何でも出来てしまうのだ。怖すぎる。

 

 「筆を執っても上手い文章を考えられない奴でな。手紙出すにも苦労した」

 「憂さんも憂さんで大変だった。ラブレターを貰ったのは良いんだ。ただ彼女は恋愛経験がない。秀知院の高等部に編入して、そっから大学を出てるけど、在席期間は短かったし、『混院』で距離あったし、そもそも勉強に必死で恋愛どころじゃなかったし。大学だと人気出てきたけど、僕の家の手伝いもあって、全部断ってきた。だから今になって恋愛沙汰になっても、何をすれば良いのか全く分からない」

 

 ある意味、岩傘家に振り回されている人だ。

 だから――今更、というと今更になってしまうが――機会は、生かしてあげたい。

 

 「ウチの若いのに伝えたら『では会うだけ会えないか』となってな。それを伝えた結果『では一度お会いしましょう』となったんだよ。そうなると、こっちも世話しないとってなるだろ?」

 「憂さん殆どスーツというか執事みたいな格好だし。女性らしい服とかかなり少ない。メイド服はあるけど着るタイプじゃないし、それで男性に会うには難しい。そもそも化粧からして派手じゃないんだ。奉公人としては何でもできて優秀だけど、乙女としての生活を送って欲しいと思った時に、色々と足りな過ぎる……。今まではナアナアで済ませていたし、それに甘えていたけど、彼女が直接、恋愛に関わるとなると、流石にね」

 

 「じゃあそれは私達に話を持ってくるべきじゃないです?」

 「うん、だから今日はそのつもりだった。豊実姉には話を付けてある」

 

 僕と龍珠桃の間で話せる部分は全部話し終わった。

 となると後は、女性陣の協力の番となる。……いや龍珠桃の女性的魅力が足りないというつもりは無いぞ。ただ豊実姉、千花、萌葉ちゃんと居るならば、そこを頼るのが一番だ。万穂さんも居るけど流石に忙しいだろうし。

 で、僕が今日、その話を千花にしようと思って顔を出したら――。

 

 「藤原さんのスプラッタ劇場と、バッティングした、と」

 「そういう事です。……ま、さっきの劇場の話は、もう辞めましょう。僕の心臓に悪い。『新鮮な惚気』は大事だけど、傷つけるのは無しだしね」

 

 本当に殺人とか死者が出来たら、僕は【ネクロノミコン】を取り出すぞ。

 

 尚、血糊を拭き取ったりする作業は、皆で会話をする前に済ませてある。

 空気も入れ替え、演劇部からの道具も返却し、先ほどまでの惨劇は消えてくれた。

 流石に、あの状態で話し合うのは無理だ。僕は湯呑に緑茶を淹れて、蜂蜜を入れて、飲む。急須が空になったのでお代わりをと思ったら、千花がポットからお湯を追加してくれた。

 

 「という訳で、今週日曜日、憂さんと相手側とのデートがあります。なので下見とかを兼ねて、土曜日には色々と準備をしましょう。千花、そこ予定、空いてたよね?」

 「はーい。色々納得しました……。じゃあ皆と一緒にお出かけですねー。そろそろ期末テストも見据えて動かないといけませんし。その前に息抜きしておきましょう」

 

 わあいと喜びながら、千花は僕のスマホを覗き込む。

 そのまま、さっきまで座っていたスベースではなく、膝の上に乗っかって来たので受け止めた。

 当初の疑いに対するサービスみたいなものだろう。

 

 「……白銀、この二人は何時もこんな感じで進んでくのか」

 「そうだ。……珈琲の追加ならあるが、要るか」

 「……貰う。紅茶だけじゃ足りねえ」

 

 当たり前のようにデートの予約を入れる僕と千花の態度を見て、龍珠桃は呆れていた。

 序に言えば、余りにも簡単に誘い誘われる関係を見て、かぐや嬢が戦慄していたが――まあこれは蛇足という事で。

 

 ◆

 

 それから数日後、土曜日。

 僕は予定通り、憂さんと、藤原家の三姉妹と共に買い出しに付き合う事になった。

 ……我が妹も同伴である。彼女の世話は萌葉ちゃんにお願いしておこう。

 

 「それだけだったら良かったんだけど……」

 「普通の男の子は入りにくい場所ですよ? 私の()()から逃げないで下さいねフフフ」

 「確かに水着の時に話に出したけどさ……! まさかこっちに来るとは思わない……!」

 

 二人きりになったタイミングを見計らい、千花に誘われて連れてこられたのは。

 下着コーナー。

 ……『大天使のブラ』って……何……!?




同人版も突っ込んでいくスタイル。
序にそろそろ邪神が動き始めるスタイル。


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岩傘調は眺めたい

奴らが削るのはSAN値じゃない。
誰かと誰かが恋愛するための貴重な時間だ。


 数日前の話になる。

 生徒会室にて、僕と千花、そして御行氏は、再び翼君から相談を受けていた。

 『どうすれば柏木さんと手を繋げるようになりますか?』というお題目だ。

 

 「ここは男子二人の意見を聞きたいですね」

 「おい岩傘……! お前の得意分野だろう!?」

 「簡単すぎて参考にならないかと。それにこういうのは、そこに居る――」

 

 見れば探偵帽子にパイプを咥えた千花が、待ってましたとばかりにポーズを取った。

 

 「はい! このラブ探偵チカにお任せ下さい!」

 

 自信に満ち溢れた千花の態度に、翼君は『おお……!』と感激の声を出す。

 

 僕は黙った。僕らの状態は参考にならない。

 手を繋ぐとか幼等部……になる前に多分実行しているな。赤ん坊の時からやっていた可能性すらある。それからちょっと互いに照れくさく成ったり、思春期を迎えてぎこちなくなったりはしたが、今ではすっかり良い思い出だ。

 大体、手を繋ぐどころか腕組んで並んで歩いているのだから、参考にしてはいけない。

 因みに腕組むのはそこまで珍しくないぞ。ヨーロッパやアメリカなんかでは男がエスコートするのは当然だし、社交界でも夫婦で並ぶのが当然だ。

 

 「折角ですし会長も考えましょー。手を繋ぐという事が、どういう意味なのか!」

 「いや、意味って……言われても……なあ」

 

 まず千花は聞き取りから開始した。手を繋ぐにはどうすれば良いと思っているか? という問いかけだ。流石名探偵、動き方が堅実である。

 

 御行氏はシチュエーションから語る。クルーザーを借り、夕日が沈む中、ふと指先が触れ合ったのを契機に手を繋げば良い、と。なるほど、それは想像すると僕も『良いな』と思う。御行氏はあれで中々ロマンチストなのだ。かぐや嬢の前では漢らしく見栄を張る事も多いけど。

 翼君はこう答えた。『シチュエーションは素敵です。でもその前に、緊張して汗を掻いてしまうので……自分から握りに行くのが恥ずかしい』と。

 そこまで聞いた千花は、ちっちっち、甘いですね、と指を振って説明をした。

 

 「良いですか? 物事を考える時に大事なのは、素直さですよ? 例えばですね、私と岩傘広報なら手は繋げます。世間のご夫婦とかもこれです。恥ずかしいとか通り過ぎてます。ね?」

 「まあそうだな?」

 

 学園裏サイトを巡回していた僕の元に、くるくるっとステップを踏みながら近寄って来た。

 何をしたいかはすぐわかる。当たり前のように手を出してキャッチ。そのまま腕の中に収め、抱えて膝の上に横抱きし、右手で背中を支える。

 座った状態での、お姫様抱っこ。

 ……この距離感までくれば、手を繋ぐとか緊張も何もない。

 翼君はすっごい羨ましそうな目で見ていた。

 

 「で、更に言えば、私と岩傘広報、多分他の異性とも手を繋げると思いますよ。好き嫌いはあるかもしれませんが、それは相手に起因するもので、ハードルはかなり低くなってます。……うーんとですね……私と会長さんとか、広報とかぐやさんとか、多分、手を繋ぐ……のは遠慮するかもしれませんけど、握手とかはぜんっぜん躊躇しないでしょう」

 「まあそうだろうね。それくらいは簡単だと思うよ」

 

 そして多分、それをしても煩悩を抱きはしないだろう。

 そこにあるのは愛情ではなく友情……というか信頼だよな。自分が相手を何処まで受け入れているか、という懐の深さとも言える。

 

 「はい。良いですか? 信頼した相手に対して行動できる。これは言うなれば『余裕』です。『余裕』の表れ! 自信があって余裕があると、異性相手でも怯みません! 因みに今、私が座っている、許嫁の広報は、割とぐいぐい来ますが、最後の最後でヘタレます」

 「突然デッドボールを投げるの止めてくれない!?」

 

 緩急付けた後で正論が突き刺さった。千花……お前……っ! と思うが否定できない。

 最後の一歩を踏み出せない臆病さはその通りだ。

 

 「でですね? 良いですか? まず話を聞いた感じ――お二人はそんな『余裕』が無いタイプです――と言って欲しかったんでしょうが、違います! ぶっちゃけ『余裕』に気付いてないだけです。ちゃんとお二人にはありますよ。ただ恋愛になると、冷静になれないだけです」

 「そう、……なんでしょうか?」

 「そうですよ。だって翼君、冷静に考えて下さい。素直に!」

 

 ここからが大事なんです! と千花は言う。

 

 「素直に、というと……」

 「柏木さんが相手なら、素直に真正面から言えばいいんですよ。『手を繋ぎたいです』って」

 

 あっけらかんとした意見を言った。

 それが出来れば苦労はしないんだが、という顔を御行氏がしたが、それに先んじて続ける。

 

 「それが難しい? いやいや、何を言ってるんですか。そもそも翼君は『僕と付き合って下さい』……って告白をしてOKを貰ったんでしょう? ならば同じように言えば良いじゃないですか。『手を繋ぎたいです』って。……何も違いませんよ」

 

 ……まあ、そうだね。最初のステップはクリアしている。

 後は段階を踏んでいくだけだ。

 

 「……嫌われるんじゃないか、というのが心配で」

 「何で嫌われるんです? 手を繋ぎたいと発言したから嫌われるんですか? 手が汗っかきだから嫌われるんですか? 下心があるかもと思われて嫌なんですか? 不安な気持ちは分かります。でも、そんな不安、対策しようと思えば幾らでも対策できます。汗かくのが心配ならハンカチ持ってきましょう。なにより!」

 

 びしっと千花は翼君の口を指さして言った。

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()の話です! 恋愛ってのは! 互いを知る所が大事なんです。互いを知ろうともしないで色々言ってるんじゃありません! 自分の気持ちを伝えて、相手の気持ちを知る! それだけです!」

 

 ……いや、本当、恋愛における貫禄が、千花は凄いと思う。

 アドバイスがストレートなだけでなく、本質を掴んでいる。

 今の言葉、翼君だけではなく、御行氏と、そして扉の陰で様子を伺っているかぐや嬢にも伝わっただろう。

 とはいえ、あの二人はまず『素直になる』のが難しいのだから、そこをフォローしておくか。

 

 「最もこのやり取りも、難易度というものがある……。良く女は男を翻弄するというけれど、手練手管に通じる者同士になると、やり取りが高度になってくる。所謂『誘い受け』みたいな感じだ。……こっちはこっちで楽しいよ。どっかの二人みたいに」

 「互いの好意に気付いて居ても動けないのはこっちに近いかもですね。それはそれで良いんですよ? 互いにそれを楽しんでいるなら応援したくなりますね。……恋愛に正解はありません。私のアドバイスが『それは違うと思う』という意見が出ても良いでしょう。ですが、まず真っすぐ素直に実行してからです。真っすぐ出来ない時に、他の方法を考えれば良いんです」

 

 良いですね? という千花のアドバイスに、翼君は頷いた。

 

 「結局は素直に『頑張る』だけなんです。好きな人が頑張る姿ってだけで、別に手を繋ぐ以外にも色々と胸がときめきます。そういうもんですよ! 応援してますねー!」

 

 頑張ってみます! という声と共に彼は意気軒昂として出て行った。

 ……このままだと生徒会室が恋愛相談所になる日も遠くなさそうだな。

 一番に相談させてあげたい二人に、それが出来ないのが、ちょっと残念だけどね。

 

 ◆

 

 で、何故このような回想をしたのかと言えば。

 丁度、二人が歩いているのが見えたのだ。

 

 柏木渚さんと翼君が、段々と距離を縮めて、手を繋いで歩く初々しい姿が見えたのだ。

 あんな時期が僕と千花にもあったのかなーとか思うと、ちょっと懐かしい。

 

 「不思議な気分です。私には無縁な物だと思っていました。その機会が目の前にあるのは」

 「恋愛に正道無し。真似をする必要は無く。……憂さんは、憂さんらしく接すれば良いかと」

 「やってみます」

 

 鉄面皮のまま、ゆっくりと彼女は頷いた。

 

 優樺(ゆうか)(ゆう)という女性は、僕にとっては姉のような人だ。

 

 美人で、何でもできる、お姉さん。

 アッシュブロンドに、琥珀色の目。すらりとした体形。身長は僕より少し低い160ちょっと。

 

 岩傘家の使用人(ブラウニー)として、運転から料理まで大抵の事を熟す超人的お手伝いさん。

 フィクション世界では、メイドとは戦闘まで出来るのがデフォルトだが、それに近いイメージをしてくれれば良い。流石に銃器を日常でぶっぱなすなんてことは日本の法律的に出来ないが、技能として取得している辺りからも読み取れる。

 今も、例のコンペで手に入れた手袋を身に着けている。

 

 とは言え、早坂愛だって化物技能の塊な訳で……彼女より10歳年上なのだから、不思議でもない。彼女の変装が一つ、ハーサカ君とか憂さん以上に変な設定の山だし。

 ……彼女が我が家に来たのは、僕がまだ小学生の低学年の頃だ。ペスを拾うよりも、少し前。

 秀知院に編入し、がむしゃらな努力によって勉学に励み、その後、内部進学。二年程で短期卒業し、以後、我が家でずっと働いてくれている。

 

 正直、とても助かっている。今も色々と頼っている。

 義母と僕の関係が潤滑に進展したのは彼女のお陰だった。

 

 ただ同時に、彼女の人生を縛っているのは確かだ。本人が希望して我が家に居るとはいえ、将来的に永遠に我が家に居て貰うにも抵抗がある。彼女は今年で二十七。そろそろ恋愛をして、家庭を持つことを考えて良い年頃だ。

 龍珠組から渡ってきた恋文の相手がどんな人間かは分からないが――そしてすべての選択肢は彼女が決めるべきだが――機会を不意にさせる事は、したくないと思うのだ。

 だから二時間ほど前、僕らは彼女を連れて、この店にやって来ていた。

 

 「と言う事で、憂さんのお買い物に来ましたー。普段は弄れない憂さんを、此処で存分に弄ろうかなと思いまーす」

 「弄りましょー!」

 「いえ、あの、気合を入れないでも良いのですが……」

 

 豊美姉と萌葉ちゃんがテンション高く憂さんを引っ張っていく。

 常に錬成沈着な憂さんだが、豊実姉には弱い。年齢的にも豊実姉の方が下だが、ベースのテンションが違い過ぎて、押されていくのがデフォルトだ。しかも今回は萌葉ちゃんも一緒。

 

 基本的に彼女は『私はただの使用人ですので』と一歩引いている。故に、隣人である藤原家に対しては強く抵抗できない。更に言えば彼女が、本気で嫌がる事を、藤原家の皆さんもしない。

 そうなってしまえば、藤原家の強い女性達に敵う筈もない。

 

 憂さんは、池袋近くにある、とある大型店舗(割とお値段高め)に引っ張り込まれ、着せ替え人形になるのであった。

 僕は、荷物持ちである。

 

 「憂さんスラッとしてますから、素材を生かしましょう素材を。脚を見せると良いと思います。なのでストッキングにタイトスカート系の組み合わせか、いっそパンツ(ズボン)系かしらねー」

 「普段も男物スーツ似合ってますからねー」

 

 二人掛かりで、ひょいひょいひょいと仕立ての良い衣装を集めると、それを抱えて憂さんを試着室へと押し込んでいく。柄、生地、拵え、様々な物を渡して『取り合えず順番にー』と着替えが開始されていく。

 女性の買い物は長い。経験上知っている僕は、階段近くの椅子に座って、それを延々と眺める姿勢だ。こんな場所でスマホを弄るのも難しい。しょうがないので文庫本を取り出して――。

 

 「いーちゃんも感想言ってあげなきゃだめですよー、逃げられませんよー」

 

 千花に引っ張られた。……ですよね、そんなに甘くないですよね。

 貴重な男子として意見を言わねばならないらしい。女性のファッションには疎い僕だが、好き嫌い、似合う似合わないくらいは助言をしよう、と心に決めたのであった。

 

 それから今に至る。一先ず上下の衣服を三揃え購入したところで、休憩だ。

 僕は自販機からホット緑茶を買い、そこに瓶からの蜂蜜を溶かし込んで、一息を付いて、窓から地上を見た。そして柏木カップルを発見したという訳だ。

 

 「調さんは、私に出来ると思いますか」

 「やっても居ない今、出来るか出来ないかと話す意味はありません。ただ、新しい人間と新しい世界に触れるのは大事だと思います。……最初に我が家に来た時も、そうだったでしょうに」

 「……そうですね」

 

 これは本当に何となくの推測なのだけど。

 バレンタインの日、あの騒動を語った時、憂さんは少しだけ笑った。

 三か月に一回しか見せない笑顔が見えた。

 

 「ひょっとして、ですけど。憂さんの方も、気になったのでは?」

 「どうでしょう。ですが、今思えば何か琴線に触れたのかもしれません。自分に向けられる熱意、……シンプルな言い方になれば、愛の視線ですか。クサい言い方ですが、それを感じたかもしれません」

 「ならそれは大事にしてください。弟分としては姉には幸せになって欲しい」

 

 僕の言葉に、彼女は――頷いた。

 とても真剣に、頷いた。 

 

 「あ、発見しましたっ! お義兄さん! 憂さんとの休憩は終わりですよー! ささ今度は一階下のお店ですよー!」

 

 萌葉ちゃんがこっちを呼ぶ。……まだ買い物は続くらしい。

 現在時刻は、午後11時。これは、もう1時間以上回って、お昼を取って、更に追加で数時間の買い物をするパターンだな。……気合を入れるか。

 飲み干したお茶をゴミ箱に放り込んで合流する。

 

 ……僕は気付かなかった。

 そんな僕らを遠目から見つめる視線があったことを。

 大事な日常を踏み躙るような連中が、近くに迫っていることを。

 

 ◆

 

 「いーちゃんいーちゃん、これ、どう思います?」

 「どう思いますじゃないよ! なんでこの売り場に連行されたんだって!」

 

 昼食後、更に買い物を続けましょう! と憂さんを引っ張って行った豊実姉と萌葉ちゃんを他所に、僕と千花は別行動になっていた。向こうが気を使ってデートにしてくれたのだ。

 とはいえ車で来たのだから、そう遠くには行けない。荷物も多いし。

 身動きできない僕を、千花はある売り場に引っ張り込んだ。

 

 女性用下着売り場である。

 

 ものすごく居心地が悪い。あっちにもこっちにも白かったりピンクだったりする布が沢山だ。

 男女で来ていれば、その関係は瞭然。売り場のお姉さんも、他の女性も、どこか視線が微笑ましい。……のだが、当然、そういう人ばかりではないわけで。

 

 水着の時より更に肩身が狭いぞ。千花の下着姿は見たことがあるとは言っても、公衆の面前で選ぶのに付き合わされるのは、全く別の話だ。

 

 「なんでも『大天使のブラ』ってのがあるらしいんですよ。後輩とかが噂してたんです。付けると魅力が爆上がりして男の子を悩殺できるんだとか……? ヘタレのいーちゃんには丁度良いですよね?」

 「……千花、やっぱ僕入り口で待ってて良い? 多分、似合うから。うん」

 「むーん、まあやっぱりここはハードル高いですかー。気持ちは分かります。色々買って来るんで入り口で待ってて下さい。……後で品だけ見せてあげます。私は脱ぎませんけど」

 

 期待して待ってるよと返事をした。流石にちょっとしんどい。

 『新鮮な惚気』ルールにもある。相手が嫌なことはしない、と。

 この辺の常識は流石にある。

 

 二人きりなら良いんだけどね。……二人きりで入れるお店とかがあるなら良いんだけどね!

 流石に大型店舗でそれをするには、無理だ。

 千花が気にせずとも、他の買いに来た女性も気にするだろうし。

 

 荷物を片手にベンチに座り込んだ。エレベータの横には、やはり自販機と椅子が置かれていて、下着売り場が見えない様にちゃんとパネル壁で視界を遮っている。

 

 「『大天使のブラ』ねえ」

 

 しかし口に出していた品は気になる。スマホで調べると、色々と情報が出てきた。

 付けるだけで魅力が上がる。……いや、上がらんだろう。魅力を上げるには、見せなければいけない。要するに勝負下着だ。脇下の肉を前に持って来る「寄せてあげる」タイプ。

 ……千花のサイズって幾つだっけ。E以上っぽいのは確かだけど。

 先日の感触を確認しつつ、――何時使われるのかは知らないが、あんまり深い考えはしないでおこう。その内、見る機会があるさ……と考えていた。

 

 「……ふぅ」

 「辛気臭い息を吐いていますね。何をしているんです?」

 

 顔を上げると、何やら見知った女の顔がある。

 かぐや嬢に仕える近侍:早坂愛の顔。蔑んだ眼を隠す気もなく、彼女は僕の前に立っている。

 

 「千花と一緒だ。それで察しろ。そっちは買い物か? 僕は此処には場違いだから余計な口出しはしないでおく。……そっちが何を買いたいかは如何でも良いよ。言う気は無いし見る気もない」

 「ええ、まあ。……母と一緒の予定だったんですがね」

 「……ふうん?」

 

 早坂の姿を見る。私服だろう。相変わらずセンスがいい。美貌は武器と主張しているだけある。

 金髪、碧眼、アイルランド系クウォーター。学年屈指の美少女。だが――。

 

 「今日は演技をしていないんだな? 公衆の面前なら、もう少し猫を被っていると思ったが」

 「演技をしているように見えますか?」

 「見えるね」

 

 一拍だけおいて、理由を語る。

 眼鏡を外して、裸眼で睨んだ。

 

 

 

 「()()()()()?」

 「…………」

 

 

 

 目の前の、早坂愛の顔をした『何者か』は黙った。そして()()()と笑う。

 早坂なら決して見せないような嘲笑にも似た口の歪み方。

 

 早坂は、実の母の事を「ママ」と呼ぶ。

 そして母と居る時、彼女は素が出る。マザコンだとかぐや嬢からも聞いている。

 早坂の姿を取っている以上、それを知らない筈がない。

 試されたとでもいう感じか。

 

 「くふっ。流石に即座に看破をしてくるか。じゃあこの姿にも意味は無いか」

 

 喉元を掴み、ぐいっとマスクを剥がす。ハリウッド等で使われる最高品質。それを脱ぎ去る。

 其処に居たのは――。

 

 「フランス歓迎会、以来じゃないか。ミスター探索者?」

 

 全く別の制服を着こんだ、年齢不詳の、女である。

 

 ◆

 

 思い出す。

 あの時。フランス歓迎会の時、壁際に一人の女が佇んでいた。年齢も分からない、衣装が違う、何処から入り込んだのかも分からない女。あの時は記憶から消えていたが、違う。

 僕は確かにこの女を見ている。

 

 「ネコミミ。聖なる猫の加護。全く余計な物をしてくれた。魔除けどころか天敵だ」

 

 一見すれば美少女だ。黒白のモザイク柄のスカートとベスト。灰色の長い頭の上には長いアホ毛が一本。しかしそれらの魅力を全部ぶち壊す様な、歪んだ笑顔を浮かべている。

 意志ある生命体が持つ、感情を煮詰めたような顔。分かる。こいつは機械や超自然的な存在じゃない。この世界に足を下ろして生活する『何者か』だ。人間だ。

 

 ちょっとばかり邪神より(オカルト)かもしれないが。変装も科学技術で出来るレベル。

 化物よりも人間の方が恐ろしい、とはよく言ったものである。

 

 「邪神は猫が苦手というのも嘘ではないようで……。九郎さんにお礼を言っておかないと。それで何が狙いでしょう? まさか御伽噺の住人が、わざわざ日常に侵食してくるつもりは無いでしょう。かぐや姫の存在が史実でも、今この現代で同じことが起きる訳もない」

 

 「本物の月からの住人は認められない。然り。ニャルラトホテプも、所詮は愚か者だ。ただ、闇の中で月に手を伸ばす男だ。……だが執念深く、その奸智を持って、世界をせせら笑う。何をしようと「かぐや姫」を手に入れようとする」

 

 警戒度が、上がる。

 この女は事情を知っている。

 頭がクールダウンして、僕の精神が切り替わった。

 この女は『敵』だと、理性が囁いた。

 

 「正体を知っているのか? と尋ねたい顔だな。くふ、くふふ。答えは『さあ?』だ。知っていても答える義理は無い。あるいは知らないのかもしれない。ただ言うのであれば『私ではない』だ。謎は自分で解明するべきものだよ、若人?」

 

 「見た目、貴方も女子高生ですけどね」

 

 「然り。見た目通りの年齢だよ? くふふっ。さて、本題に入ろう。「かぐや姫」を手に入れるためには『条件』がある。御伽噺で言う『難題』だ。……これは逆説的に言えば、『難題』をクリアすれば「かぐや姫」は手に入ると言う意味でもある」

 

 「近い内に、()()喧嘩を売られると?」

 

 僕の言葉に、彼女は、再びにやりと笑った。

 僕の指摘は当たらずとも遠からず、という事か。

 

 嫌な笑顔だ。そしてこういう回りくどい言い方をする奴の名前は――。

 神話を探ればすぐに出てくる。

 邪悪なトリックスターは、今日は挨拶だよ、と言って背を向けた。

 学園では、中々隙を探すのが難しいからね、と。

 

 「気を付ける事だ。天に戻った「かぐや姫」は、不死の薬を地上に残す。そして調岩傘(つきのいわかさ)が不死の薬を焼いたように……君が何れ、その手で、()()()()()()ように。……いや、それはそれで、面白いか」

 

 彼女は、ゆっくりとエレベータの前に進み出る。

 速度を緩めず、踏み出す。完璧なタイミングでエレベータが開いた。内部には誰も居ない。無論、僕も彼女も呼び出しボタンを押していない。勝手にやってきて、勝手に開いたのだ。

 そのまま彼女は乗り込むと、僕を振り向いて、嗤った。

 

 「クルーシュチャ。それが私の名だ。また会おう。その平穏を生きる心の天秤を崩さぬようにな、探索者君?」

 

 くふ、という笑いを浮かべたまま、女を乗せた扉が閉まる。

 

 そして同時に、チーンという音がして()()()()()()()

 

 「ママと一緒に買い物に来るのは嬉しいけど……。こんな場所に来なくったって……」

 

 その声が、今度こそ本当に、早坂愛の者であると認識する。

 同時、背後から聞こえる千花の「いーちゃん! 買い物終わりましたっ!」という声を聴く。

 

 ……喧嘩を売られるか。何が来るかは分からないけど、どんとこいだ。

 僕は誰が何を言おうと、平和な惚気を味わうのに全力で、他など目に入らない。

 僕を発見して「うわ」という顔をする早坂を無視して、僕は千花の手を取った。

 

 「ちょ、どど、どうしましたー!?」

 「いんや。ちょっと疲れた。癒されたくなった。……千花はあったかいなーと思って」

 「良く分かりませんけど、私で良いなら、どうぞですよ?」

 

 言葉に甘える事にした。

 ぽすり、と彼女の胸元に顔を預けて、眼を閉じる。

 

 「『大天使のブラ』は買えた?」

 「買えました。大事に保存しておきます。……落ち着きましたか?」

 「ん。……オッケ、行こうか」

 

 急いで復活して、憂さんや藤原姉妹と合流しよう。

 何せ明日は、彼女の記念すべき日なのだから。

 冷静になった僕の胸中に浮かんできたのは、断じて恐怖では無い。

 

 怒りだ。

 

 昔から言うだろう。恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んでしまえって。

 

 ◆

 

 伝承に曰く。

 

 庫持皇子は、難波から船に乗った。

 ある時は、水底に沈みかけた。

 ある時は、風に吹かれた国で、鬼のような物に襲われた。

 500日の後、蓬莱の山に辿り着いた。

 

 「日本の東……太平洋……水底にある……蓬莱(とこよ)の国」

 

 天人の装いをした、銀の腕を持った女に案内され。

 金、銀、瑠璃色の山。玉(翡翠)の橋。其処になる蓬莱の枝を取って来たという。

 

 「翡翠の色は……深緑。その色の都で。住んで居る住人が……銀色の腕に、羽衣か」

 

 確かに色々と特徴は一致する。

 だが――だからどうした?

 

 かぐや姫と同じ程度の正確性しかない神話連中が来た。

 だからどうした?

 

 そんな連中が実在した恐怖より、もっと大事な感情ってのがあるだろう!

 目の前に来ている脅威に立ち向かう為に必要なのは、愛と勇気と相場が決まっている!

 

 翌日、デート衣装に身を包んだ憂さんと、同じく綺麗に身支度を整えた、龍珠組の若い男。

 その道先を塞いだ連中が、嘗てインスマスでよく見かけた顔立ちの連中とくれば!

 僕の怒りも分かって貰える筈だ!

 

 『そうか』と思った。

 ニャルラトホテプが何を狙っているかは知らない。

 だが、お前の手配したこれは許されない。許さない!

 

 今までずっとお世話になって来た人の、晴れての初デートだ。

 その邪魔をされた。余計な茶々を入れられた。許せるだろうか?

 否だ。断じて否!

 

 憂さんの、頑張ってみます、という顔が浮かぶ。

 その陰に、千花がアドバイスをした皆の顔が重なった。

 

 柏木さんと翼君が、初々しく交流できたように。

 彼女の顔が曇ってはいけない。

 彼女も同じ交流を、受ける権利があるのだ。

 

 僕は千花と惚気るのも好きだが。

 周りの人が幸せに惚気る姿を眺めるのも好きだ。

 

 「情報工作は僕が実家の力を使ってやる」

 

 僕は『月に吠える者』に噛み付く様に告げた。

 龍珠組と、何よりも憂さんに、渾身の意思を込めて投げ渡した。

 

 「これ以上に、恋路の邪魔をするというなら、そいつら――叩きのめしてしまえ!」と。




クトゥルフ神話の恐怖なぞ、所詮はラブコメの踏み台に過ぎない。


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岩傘調は抱えたい

 岩傘調は、惚気てばかりいる。

 のんびりと惚気、やる気に溢れた時でも情熱的に惚気、調子が悪い時でも悪いなりに惚気。周囲が呆れるのも当たり前。2年B組における彼の態度は、既に高等部を超えて中等部でも有名だ。

 

 だから、逆に()()()()()()()()()がどんな性格なのかは、あまり知られていない。

 マスメディア部が、密かに情報を集めたことがある。どんな人間か、と。

 

 『面倒見が良いというか、友情に厚い。義理人情を大事にする奴』とこれは白銀御行の言。

 『約束を守るだけでなく、自ら進んで約束をしに来る、生真面目な男』とは四宮かぐやの言。

 『藤原書記と友人の周囲には気を配る割に、自分の事は後回しにする人』とは石上優の言。

 『鬱陶しい。邪魔。なんであんなのが千花さんと許嫁なのか理解できない』とは彼の妹の言。

 

 しかして、最も彼を知る藤原千花はこう語った。

 

 『馬鹿ですよ?』

 

 ばっさりであった。

 

 『あの人は馬鹿です。考えると空回りするし、頑張ると視野が狭くなります。それに子供っぽいですね。一見、固そうな文学青年に見えますけど、見た目だけですねー。人間賛歌っていうんですっけ、愛と勇気と正義が活躍する、ハッピーエンドな御伽噺。そういうのが大好きなロマンチストです。……だから私にも、ずっと全力です。途中でどんな障害があっても、それを乗り越えて、多分、一生……好きだって言い続けると思います。そういう馬鹿です。でも、そういうところが、私は好きですね』

 

 マスメディア部は、この時、こう思った。

 ならば、もしも『意思や決意を嘲笑い、どう足掻いても何も変わらないという現実を突きつける、超然とした物語』があるとするならば、それはきっと天敵に違いない、と。

 その発言を聞いた藤原千花は、続けてこう返した。

 

 『そうですね。もしもそういう物語が来たら、いーちゃんは全力で戦うと思います。殴ったりとかはしませんよ? 大体、いーちゃん喧嘩とか出来ませんもん。変な技も使えないですし。……でも私や、私の周りや、色んな人が過ごす、明るく楽しい生活の為に、頑張ると思います。そして、そういう物語を打倒すると思います』

 

 だから、と彼女は笑いながら続けた。

 

 『だから私は、いーちゃんが辛そうにしてたら、一言だけ言います』

 『いってらっしゃい。待ってるから。頑張ってね。――って』

 

 ◆

 

 「いーちゃん、ほら、悔しそうな顔をしてないで、立つ! 立ちましょう!」

 

 路地裏のゴミを思い切り蹴り飛ばし、悔しいと嘆いた僕を、千花はぺしっと叩いで激励した。

 

 日曜日。クルーシュチャと名乗った女に遭遇した翌日。

 僕と千花は、龍珠組と協力し、憂さんと相手のデートを監視していた。監視といえば聞こえは悪いが、無事に上手く行くかを気に揉んで、様子を伺っていた……。いや、言い方を変えても監視だな、これは。

 念のために言っておくと、憂さんも相手さんも『まあそうなるでしょうね』と身構えず受け止めていた。相手がヤクザの若者(それも組長の娘の護衛をする男)なので、監視があるのは互いに納得済み。迷惑にならない様に心掛けている。何時でも撤収する用意は出来ていた。

 

 「今日は、宜しくお願いします」

 

 脚のラインが見える、どちらかと言えば男装姿に近い衣装を着た憂さんは、格好良かった。元々が西洋風の顔立ち。どこかの女優みたいに様になっている。人目を惹く華である彼女を出迎えたお相手も、流石は――と言って良いのかは分からないが――龍珠組の若い男。胆力があるし、礼節を弁えた男だった。爽やかなイケメンではなく、男前、という表現が似合う。

 

 果たして『逢引か……?』と言われると謎な挨拶だ。だが、少なくとも互いに悪い印象は持っていない様子だったし、物静かな会話をしながら歩き始めたのを見て「これは様子見だな」と、僕と千花と藤原家と龍珠組は頷き合い、遠目での観察に切り替えた。

 

 場所は神保町。古書の街。

 逢引に指定するとはまた古風だなと思ったが、僕個人としては大好きな街。

 憂さんも嫌ではなかったらしく、むしろ話は弾んでいた。彼女の表情筋は全く動かない上に、淡々としたまま口調も、語り口も、平時と何も代わりは無いが、それでも気は悪くなさそうだった。長い付き合いの僕には分かった。

 

 しかし、その行く手を遮る連中がいたのだ。

 遠目からの殺意(と彼女は後に報告をした)を感じ、路地裏――出来るだけ人気のない場所へと脚を向ける。そして何時しか、二人は囲まれていた。体格の良いスキンヘッド達に。

 僕にはそれが、何者なのか直ぐに分かった。

 嘗てアメリカ、インスマスで出会った人々に、よく似ていたからだ。

 

 「何と誰を狙いかは分かりませんが『龍珠組』だと分かって手を出しているのですね?」

 「ワダツミの命令。覚悟!」

 「単刀直入ですが話が通じませんか。良いです、ならば加減は無用」

 

 ほとんど会話もなく、挑発もなく、奴らは襲い掛かってきた。

 ……『深き者(ディープ・ワン)』と呼ばれる存在との混血……。水生生活に(若干)適応した人々は確かにいる。だが彼らとて人間社会にある程度は溶け込んで生きている。全員が全員悪人ではない。そこは勘違いをして欲しくない。

 

 だが二人を取り囲んだのは、明らかにヤバい連中だった。

 彼らが()()()()()()を引いているからヤバイのではない。

 

 僕は即座に龍珠桃に確認をした。奴らのワダツミって単語、聞き覚えがあるか? と。

 答えも即座に帰ってきた。『戦前に勃興したワダツミ産業が、何かと汚れ仕事を任せていた暴力団があるとは聞いたことがあるな』と。

 

 一番の脅威は、彼らが日常生活を脅かす、社会的地位を擁していることだ。

 権力の強さは、秀知院に居る以上、よく知っている。それを悪意を持って使われたらどうなるかも。人間一人の人生を狂わせる程度、簡単なことなのだと、知っている。

 

 「あんにゃろうが……っ!」

 

 クルーシュチャの歪な笑顔を思い出して、僕は苛立った。悪態を吐いた。そして何より悔やんでいた。

 このタイミングでの暴力団組織の介入。どう考えてもあの女に関係していない筈がない。

 じわり、と胸の中が締め付けられた。昔からそうだ。

 何もしなかったと言われる――その事実を知るのが、何よりも辛い。

 

 僕がもう少し上手く立ち回れば!

 僕が何か事前に準備を整えておけば!

 僕がもう少し気を使って、逢引の邪魔をさせないように手配しておけば!

 憂さんは、ごくごく平和で、尊い一日を手に入れたのに……!

 悔しかった。歯痒かった。くそったれと思った。

 普段、散々に他人を応援しておいて、このザマは何だと!

 肝心な時に、姉の応援が出来ないなんて情けないにも程がある!!

 

 周囲を巻き込むまいと、素早く近くの、取り壊し中のビル内部に飛び込んだ憂さんと相方。その後を追うスキンヘッド共。彼らの喧騒音が響いてくる。肉がぶつかる音、電撃の音、何かが吹き飛ぶ音、瓦礫の音、そして怒号!

 

 焦って視野が狭くなり、思い切り壁を殴った僕を――

 ――千花が「ていっ!」と叩いたのは、直後のことだった。

 

 ◆

 

 「全く、まーた、自分一人で色々、変な方向に責任を抱えてますか! 馬鹿ですね!?」

 

 べしっべしっと千花のチョップが続く。

 ラブ探偵チカの帽子とパイプを手に持って、遠慮なくビシビシツッコミが続く。

 

 「痛い、痛いです千花さん……!」

 「どうせまた考えてるんでしょう! 『自分がもっと頑張ればあの二人のデートを潰さずに済んだのかもしれない!』とか下らない責任を! 何でもかんでも自分が八方手を尽くして頑張れば防げるとか思うのは、いーちゃんの悪い癖です!」

 

 手に持っていたパイプで叩かれる。地味に痛い。

 

 「世間には何をどう足掻いても無理なことはあります! ペスの時みたいに無理やり通せることじゃないって理解してるでしょうもう良い年なんですから!」

 

 反論できない正論がぐさぐさと突き刺さる。

 こと、僕に関することにおいては、彼女は石上よりも鋭かった。

 

 「背負う必要がないことまで責任を感じるのは馬鹿じゃなくてドアホって言うんですよ! 勝手に背負って勝手に潰れるんじゃありません!」

 

 べしべしがゲシゲシという蹴りに変わった。段々と千花の蹴りが本気になって来る。

 ラブ探偵チカの持つ意思が伝わってきた。

 『少しは学習しなさい!』と、彼女は怒っていた。

 

 「他人の幸せを願えてそれを叶えるのに全力で失敗したら自分の様に悲しむ! 確かにいーちゃんのそれは美徳ですでも馬鹿って言うんですよそう言うのは!! ――悔しいっていう気力があるなら! 頑張ってフォローに走りなさいっ! そして時に関係ないことは関係ないって振り払う努力をしなさいっ! 私が好きなのは!」

 

 びしっと指を差された。

 僕より15㎝小さい千花が、指先で鼻を突いている。

 

 「『誰かの為』だけじゃなくて! 誰かと自分の気持ちの『()()』を一緒に考えて解決していく、そんな、いーちゃんです! 分かったら立つ! そして素直に動くっ! ……返事は!」

 「……はい」

 「声が小さいですよっ!」

 「はいっ!」

 

 思わず勢いよく返事をした僕に、千花は『宜しい』と胸を張った。

 ああ、やっぱ僕には、彼女がいないと駄目らしい。昔から今まで、ずっとそうだ。

 荒れていた心が、それで溶けて、穏やかになる。千花の言葉と笑顔は、僕の精神を巧みに分析し、乱れていた均衡を安定させる。こればかりは彼女の才能だ。

 

 「大丈夫、憂さんは強いです。龍珠さんのヤクザさんも応援に入れます。なら、いーちゃんがする事は簡単ですよね? さっさと終わらせましょう。明日は月曜日ですよ!」

 「ん、……気合入った。ありがと」

 「どういたしまして! 後で沢山褒めて甘えて下さい。ふふん」

 

 どやー、という顔の千花を一瞬抱きしめて、頷いた。

 自分の頬を叩いて気合を入れる。そして冷静に考える。

 

 『チクタクマン』の時もそうだった。今もそうだ。僕は、誰かの恋路を邪魔される光景を見たり、恋愛にケチを付けに来る存在が居ると、視野が狭くなる。其処しか目に入らなくなる。全力で――突っ走ってしまう。

 

 あの時、御行氏にも言われたじゃないか。

 『気持ちは、皆、一緒だ。だから落ち付け』と。

 

 落ち着く。深呼吸をして、考える。

 自分には何ができる?

 

 じっと頭の中を探った後、スマホから番号を呼び出した。

 

 喧嘩が出来ない僕は、鉄火場に飛び込んでいくことは出来ない。世間には魔術師(メイガス)が隠れ住んでいるというが、そんなファンタジー技術は使えない。ならばどうするか。

 

 ……実家の権力ってのは、こういう時に使うものなんだ。

 此処に来て、親を頼るのは如何なんだ、と思う。

 けれどもこれが今の最善だと考えて、僕は親父へと連絡を入れた。

 

 同時に、走り出した。

 

 ◆

 

 正中線に二連打が突き刺さり、一人が崩れ落ちる。

 そのまま前進し、崩れ落ちた男を足で蹴り上げ、正面から近寄ってきた数人の元へ蹴り飛ばす。

 巻き込まれ転倒した男達の元に飛び、靴先で、顎・喉を素早く蹴り抜き、気絶させながら反転。

 背後から迫るの手を掌で受け、回転させて姿勢を崩させ――

 そのまま地面に叩き付ける!

 

 「すっげえな、あの姉さん……。――おう、私だ。なんだ岩傘」

 

 双眼鏡で覗く龍珠桃の視界の中、女は八面六臂の大活躍で次から次へと迫るスキンヘッド達を叩きのめしていく。華麗だ。桃を護衛する周囲の男達も、感心しながら見惚れている。

 

 彼女と一緒に居た相方(ウチの若いの)も、何とか一対一を維持して健在だ。二人揃って、良い感じに連携している。とはいえ部は悪い。何は無くとも人数の差だ。もう暫くは持つだろうが、限界はある。

 しかし、のべつまくなしに参戦したら『組』の名に傷がつく。それは避けねばならない。

 状況を推し量っている所に、連絡が来た。

 

 「連絡が遅れた。悪い。そっちで人数動員できるか。情報工作は(ウチ)がやる」

 「良いんだな?」

 「ああ。今回の事件は暴力団同士の抗争だと片を付ける。『龍珠組』に対して連中が、喧嘩を吹っかけたという構図に持っていく。小島君にも、そう通した。だから頼む」

 「は、誰に物を言っている?」

 

 許可が取れたのならば、何も障害は無い。

 龍が獰猛に牙を剥く。

 

 「ウチの若いのも被害者なんだ。身内の為に全力なのはお前だけじゃねえんだ! 任しとけ!」

 

 通話を切った桃は、周囲を囲んでいた若い男達に命令を出した。

 

 『個人』を『組織』が襲った喧嘩なら、襲われた個人の側が被害者だと主張できる。

 だがこれが『組織』と『組織』なら別。下手をすれば暴力団同士の大規模抗争として、龍珠組にダメージが来る可能性があった。それは避けねばならない。

 しかし、岩傘調が、隠蔽工作に加担するならば、話は別だ。

 

 「よし野郎ども! 情報漏洩の心配はしないで好きなだけ暴れろ! 女気男気、溢れる奴を見ているだけとか、男の風上にも置けねえだろう! やっちまえ!」

 「「「「応!!!!」」」」

 

 一斉に廃ビルの中に流れ込んでいく黒服の男達。

 スキンヘッド――というよりも若干、魚のような顔立ちをした連中とぶつかり、ビルの内部は瞬く間に戦場と化した。その隙間を縫い、優華・憂は、逢引相手を背負って外へと抜けてくる。

 どうやら片方は良い一撃を受けて気絶してしまったらしい。

 そこは男女逆にしておけよ、と思いながら、桃は出迎えの車を呼んだ。

 

 ◆

 

 『我が家でずっと働いてくれている人だ。彼女の為なら、力を貸してあげるのは構わない。だけど調、学園に居る生徒との交渉はお前がやれよ』

 「勿論!」

 

 親父に即答した僕は、走りながら階段を上っていた。

 千花は人通りの多いカフェテラスに避難させてある。公衆の面前なら安全だ。

 

 すべきこと。まずは連絡。助力を希うことだ。僕一人じゃ出来ないなら、出来る人の力を借りる。其処に躊躇いは無かった。何時もやっていることだ。それすら頭から抜けるのだから、僕の視野狭窄は度が違うらしい。

 広報として手に入れた人脈を駆使して、この騒ぎを平和に終わらせなければならない。

 そして憂さんの未来へと繋げるのだ。

 

 ……次にすべきことは何か?

 決まっている。『答え合わせ』だ。

 

 神保町の中にある、古びたビル。幾つもあるボロいビルから、一つを選び、その中に入る。不自然な程、人の気配がない建物内部を掛け上っていく。

 道中、幾つもの曲がり角がある。少し迷うが、壁にワザとらしく描かれた落書きを見て、理解する。――道案内をしてくれている。その案内図に込められた嘲笑を肌で感じながら、けれども矢印に従って、再び走る。

 

 続けて番号を押した。

 

 「広報の岩傘です。今、時間ありますか、小島さん。……神保町でちょっとした乱闘騒ぎがあるんですが、目を瞑って下さい。見て見ぬ振りって奴です。ええ、一般市民には被害が出ないようにしてあるので。――有難うございます!」

 

 階段を上がる。金属音が断続的な音を立て響いて行く。

 頭の中で地図を確認。ああ、くそ、こういう計算、本当は白銀が得意なんだろうに!

 普段の名前呼びすら抜ける。僕は必死に考える。答えに向かって計算を重ねる。

 

 ――連中に指示を出せて、憂さんら、二人の行動を観察できる場所。

 ――龍珠組とインスマス面が喧嘩を繰り広げる光景が、見える場所。

 ――龍珠桃や、僕、千花といった監視役も、見える場所。

 

 警察は封じた。警視総監の子息、剣道部の小島部長に連絡を入れた。

 阿天坊先輩にも連絡を入れ、その後で龍珠桃に連絡を入れ、最後に、津々美に頼む。

 

 「神保町でちょっとした騒ぎがある。出来る限り隠しているが、その辺り、実況してるツイートやらSNSの書き込みがあったらさり気無く話を逸らしてくれ。『チクタクマン』暴走させた奴が絡んでるんだ。頼んだ」

 「突然デスね! ……了解、お任せを。そういう事なら奮起せざるを得まセン」

 

 連絡を終えた僕は、息を吐いて、考えと脚の速度を上げていく。

 

 クルーシュチャの方程式。邪神に至る方程式。

 解くことは不可能に近い、しかし解いた物はニャルラトホテプになるという数式。

 あのモザイク女は、己を数式だと名乗ったのだ。

 

 ならば、この事件も数式と考えれば良い。ヒントは撒かれている。ヒントを組み合わせたその先に、必ず答えがある。魚面の奴らの調査は後で良い。今は、やるべきこと、それは。

 

 ――奴の性格的に、僕の足で届く場所。

 ――馬鹿と煙が居る場所は――高い場所だ。

 

 「あの性悪女の計算に、僕が追い付けるかを確認しておかないとなぁ……っ!」

 

 今回、あれに勝てるとは思わない。前回だって翻弄されたままだ。

 だからこそ此処で確かめておかねばならない。僕の頭で、僕の意思で、食らいつけるかを確かめておかねばならない。

 

 悔しい。ああ、悔しいとも!

 この事件の元凶(黒幕)を、殴り飛ばしたい!

 それくらい僕は腹に据えかねている。

 

 だが今は出来ない。……ならば認めろ。ならば自覚しろ。

 今の自分では勝てないと理解するのだ。

 

 悔しさはバネになる。今は負けても、次に勝つ為の餌にする。その為には、己の計算が――自分の決意が方程式を解き明かせるかを、確認しておかねばならない。もしも間に合ったのならば、後は、速度を鍛えれば良いのだから!

 計算と方程式が一つの答えになった。

 階段を登り切り、古びた扉を勢いのまま押し開ける。

 

 ……そこには誰もいない。荒れ果てた、錆びた手摺の屋上があるだけだ。

 外れか、と思った。計算を、間違えたか。

 

 「いいや、正解だ。くふふ」

 

 僕の背後から、邪悪な女の声がした。

 

「待っているよ? ハッピーエンドなかぐや姫。そんな幸せなお話を壊す悪意があって……けれどそれを更に破り、愛と勇気の物語に戻す、その瞬間を」

 

 振り向いた一瞬、満足そうな嘲笑を浮かべ、モザイクの女は消えた。

 

 ◆

 

 

 

 本日の勝敗:岩傘調の勝ち

 理由:勝負にも負け、試合にも負け、けれども正解には到達した。

 

 

 

 ◆

 

 「随分と、動いたようですね、広報」

 

 翌日。月曜日。週明けの日。

 部活連に顔を出して詳細を説明し、あれこれと今後を含めた話をした後、生徒会室に戻る。

 

 そこで珍しく、無表情に近い顔をしたかぐや嬢に、話しかけられた。

 目が語っている。僕が日曜日に何に巻き込まれたのかを把握している。

 

 「半分は事故です。そして半分は、悪意です。この先、こっちに降りかかるかもしれません」

 「その時は私達で撃退するだけです。……藤原書記を泣かせてはいけませんよ? 彼女は、私の親友ですからね?」

 「言われずとも」

 「では、私は何も言いません。何かあったら、頼りなさい。生徒会は貴方の味方です」

 「……しかと、覚えておきます」

 

 事件は何も解決していない。

 

 あの襲撃者達は全員、捕縛し、龍珠組と警察で対処した。捕まえて牢屋に放り込まれている。けれども彼らに指示を出したものが誰なのかは、不明なままだ。

 捕まったインスマス顔の男達は、それから数日後、どんどんと人間へと戻って行った。同時に意識が混濁し、己が如何暴れていたのか、という記憶も曖昧になっていった。

 後日判明したことだが、あの魚人顔は、薬物投与によるものだった。つまりドーピングだ。

 

 ……ちょっとの進展はある。彼らは元々『星龍組』という暴力団で、一種のカルト教団と結びついていたとは判明した。この辺は阿天坊先輩が調べてくれた。彼らが崇めるのはダゴンやクトゥルフといった海の邪神で、どうも組の設立にそいつらが関与していたらしい、とまでは判明した。

 しかし肝心の『星龍組』指導者はどこを探しても見つからず、記憶の混濁及び魚人化から戻った構成員達は、何も知らない。投薬すら自分の意思ではないと主張している。

 情報は途絶えた。

 

 「辛うじての収穫は……憂さん、か」

 

 あんなことがあった後だが、憂さんは、そのまま交際関係に発展したらしい。

 優さんは、相手側の奮戦を確認した。相手も憂さんの実力を把握した。更に言えば自分を抱えて龍珠組まで撤退し、その後に世話までしてくれたという事で、完全に惚れ込んだそうだ。大立ち回りは組の人にも理解されたようで、歓迎ムード一色である。

 

 それは良いことだ。良いことだが……。

 次に、同じようなことがあったら困る。それは今度こそ、阻止したい。

 だが。如何すれば阻止出来るのか、次にどんな風に攻撃されるのかが、分からない。それが目下、最大の悩みだ。

 

 親父に頼んだ結果、無事に情報は隠匿出来た。具に調べると『神保町で喧嘩があったらしい』くらいのゴシップは発見できるが、ニュースにもなっていない情報だ。重要度が低いと判断すれば、人はそれを視界に入れる事もない。

 

 その代わり、僕は部活連に出向き、今回の事情を説明する羽目になった。

 割と僕の方から、色々とお願いした立場だ。かなり向こうからの突き上げが痛かった。ただ向こうは、僕――というか我が家に貸しを作れたことが収穫だと判断してくれた。

 タダ程高い買い物は無い。今後を考えると少しだけ胃が痛いが、憂さんの為に尽力するのは間違いではない、と思う。

 

 「昨日の騒動を、記事にしている新聞は無い。インターネットでも、この分だと直ぐに雑多な情報に流されて終わり。後処理は、済んだけど……ね……」

 

 僕は新聞を置いた。日本全土ばかりか海外にまで情報を発信している全国紙。明治期に創業されてから今まで連綿と情報産業を牽引し続けた、この新聞は――僕の先祖が創立した物だ。

 

 親父は、社長をしている。

 幼い頃は「凄い!」で済んだが、高校生にもなると、複雑だ。

 偏向報道だの、右だの左だの、政治家との癒着が色々とか、素直に喜べない。

 

 「……今回は、何とかなったけど、でも、何回も頼れないしな」

 

 そう、何度も何回も、親からの援助を頼れはしない。

 今回の事件だって終わった訳ではないのだ。

 一つの事件の中の、一つのイベントを、何とか隠蔽工作に成功したというだけ。

 もしも『これ以上は頼れない』という心理を持たせるところまで計算していたならば、あの邪神のトラップにまんまと引っかかったことになる。

 

 「……でも、な。やっぱり」

 

 我儘な、自分一人じゃ何も出来ない子供でも。

 いや、子供だからこそ、物語はハッピーエンドであって欲しい。

 

 例え月に戻っていくのが正史でも、かぐや姫と求婚者達の物語は幸せであって欲しい。せめて全員が納得してからの、笑顔で終わって欲しいと思っている。

 

 副会長がかぐや姫でも、会長は帝じゃない。

 だけど誰もが一生懸命に、恋と愛の話に全力だ。

 その努力を嗤って泥を掻けてくる奴らを相手には、立ち向かいたいと思うのだ。

 

 

 ――私、読むのならば、幸せなお話が良いです!

 

 

 昔、千花がそう言った。

 それは今でも忘れることが出来ない、僕が最初に千花を好きになった理由の一つ。

 

 「好きな女の子が居る男の。好きな女の子のお願いを抱え続ける男の。その娘と自分の為にハッピーエンドを探す男の。心を、折れると思うなよ? 《月に吠える者(ニャルラトホテプ)》」

 

 どこかから、僕の呟きを歓迎するような。

 女の声が、聞こえた気がした。




難題は学園へ繋がる。


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岩傘調は更新したい

 「うー、国語が分かりません……。英語も点数低いの何とかしないといけません……」

 「だからこうして一緒に勉強をしているんだよ。はい、手を動かす」

 

 秀知院では年に5回の試験が実施される。期末試験が3回、実力テストが2回だ。

 この内、実力テストはいわば進学試験。単位取得のための試験だ。常日頃から学習している人間には余り難しくない。平均点の半分以上の点を取っておけば良く、順位発表もない。

 

 その一方、学期末テストは別だ。流石は偏差値77。これは難易度がかなり高く、順位も掲載される。その不動の一位が御行氏、二位がかぐや嬢だ。

 

 そこから下は大体同じメンバーが顔をそろえている。四条眞妃、柏木渚、豊崎三郎、阿部和音、津々美竜巻……。この辺が3位~10位くらい。その下に風祭豪。僕の順位は、調子が良いと20位の上。一番悪かった時で40位くらいだ。

 

 ……今回から本気で上位を狙いたいと、思っている。

 

 ニャルラトホテプに勝てるビジョンが全然浮かばないからだ。全く浮かばないが、取り合えず頭を良くする為に勉強をしようとは決意した。計算速度を上げるとか、新しい知識を頭に入れるとか、今まで触れてなかった領域に触れるとか。そうやって地頭を鍛えて、奴に追いすがる方法を探る意味でも、テストでの上位層を目指すのは間違ってはいない。筈だ、多分。

 

 「むむむ、会長は『試験前に座禅を組むと集中力が上がる』とか話してましたし、かぐやさんは『いっそ勉強しないのもありだと思いますよ』とか話していましたけど……」

 

 「千花は素直だからね。そういう卑劣な戦略に引っかかっちゃダメだよ。勉強意欲はあるんだし、真面目にやるのが一番良い。まあ、真面目でもただの馬鹿真面目と、効率の良い真面目がある……。……教員は、皆、レベルが高い。試験でも、所謂『良問』が多いから、適当に分野を抑えただけじゃ点は取れない。だから知恵を使って勉強しなきゃ」

 

 採点基準を明確にし、尚且つ、頭を全力で使えば解ける問題。仮に問題フリークみたいな人間が居れば「おお」と感心するようなテスト問題が我が秀知院の試験では並ぶ。

 

 いや本当、過去問とかきちんと確認して対策しているが、飽きないレベルでバリエーション豊富且つ為になる。超面白い。

 

 この秀知院学園で、成績を気にしない人間はまずいない(少量だけいるが、これは働きアリの理論みたいなもんである)。勉強してないーと言ってるやつはまず真面目に勉強をしている。風説やデマで周囲を攪乱させるのは序の口だ。

 

 情報・財力・人脈、それら全てを駆使して上位を狙いに飛び込んでくる。最も、全てを駆使できる奴も一握りしかいないし、皆が皆同じ程度の工夫というパターンが多いので、結局、トントン位に落ち着くのだが。

 

 「断言しても良いけど、御行氏とか死ぬほど勉強してると思うよ。この時期はバイトも休んでる。そして当然、かぐや嬢もね。……あの二人に追い付けとは言わないけど、あの二人に自慢できるくらいには成績を上げておきたいだろ? それに」

 「それに?」

 「色恋沙汰に(うつつ)を抜かして点数が下がったとか言われたくない」

 「……それは確かに。分かりました。気合入れます!ぐっ!」

 

 『馬鹿』の称号は重い。

 生活態度が良くても『でも成績悪いよね』の一言で全部ぶち壊されるくらいには、重い。

 

 逆に言えば、ある程度恋愛をちゃんとする為にも『でも成績良いんだよ』の一言は欲しい。

 

 藤原千花は、性格以外は非常に多芸(僕は彼女の性格は大好きだが、確かに色々天然で掻きまわす外道なのは確かだ)で、勉強意欲もあるのだが、如何せん、ちょっと素直だ。

 特に自分より成績が良い――自分が尊敬する二人(御行氏とかぐや嬢)の、勉強に対する姿勢は真似する傾向にある。真似すれば成績が上がると思っている。

 

 どう考えてもブラフだろうという発言を鵜呑みにした結果、生徒会に入って以後、成績は下降気味だ。ゲームではブラフが得意な癖に、こういう時には千花ブレインは働かないらしい。

 こんままじゃ万穂さんに「お小遣い抜き!」と言われる日も近かろう。

 そうなると、必然、一緒に遊びに行き難くなる。

 

 これは不味い、と僕は本腰を入れて、一緒に勉強しようと決意した。これで二回目である。

 なんとか下降は食い止めたが、横這いでは意味がない。上昇させないといけないのだ。

 

 「でも、いーちゃんは良いんですか? 勉強に付き合って」

 「良いの良いの。教うるは学ぶの半ばというでしょ。人に教えるためには自分で理解していないといけない。口に出して、分かり易く整理する。正しい答えになっていると自分で自分を納得させて、それで人に教えられるようになる。これも僕の勉強だ」

 「……頼りにしますー」

 「おう。じゃあ何か……そうだな、約束するか。モチベーションを上げよう。一科目90点以上に付き、何か千花が欲しい、お金で買えない物を要求できる。どう?」

 「言いましたね?」

 「言った」

 

 テストは文理混合の5教科、500点満点。御行氏は大体490点~500点という超高得点だ。要するに全部の問題の中で、失点は1問、もしくは2問程度である。

 

 トップ10位以内でも、総合点が460~470点くらい。

 それくらい、本当に難易度が高いのだ。だから比率でみると、上位陣が少なく(50人前後)、ちょっと間を空け、真ん中に120人くらいが団子になってて、その下が続くという形になっている。要するに、頭抜けて成績が良い奴は固定されているのだ。

 今の千花の成績を上げ、そこに入れるには、相当の努力が必要となる。

 

 「代わりに僕も同じものを要求する。それでどう?」

 「良いでしょう」

 

 すっと千花が小指を出した。僕も小指を出す。

 互いに指切りげんまんと約束をする。嘘ついたら針千本飲ます、と切った。

 

 「じゃ、まず千花の国語から行くか。僕は既に事前準備は終わってる」

 

 千花は言語が得意ではない。

 多言語を操れるが故に日本語力が低く、口語が得意だからこそ文語が苦手。

 そして日本語力の低さはそのまま成績の悪さに直結する。

 

 英語以外の全教科は日本語で書かれている(海外留学生のために英語/仏語での受験も出来るけどね)。読解力が低ければ、点数が下がるのもしょうがない。

 

 僕は英語の点数は(主に聞き取りが苦手なため)点数は良くない。数学も苦手だ。だが、他は大体、高得点をマークしている。国語は余裕、社会は簡単。それもこれも、全部正しく問題文を理解し、相手の意図を把握できるからこそ、である。

 

 数学が苦手なのだって複雑な計算が苦手なだけで、問題の意図を見抜いて正解に至るアプローチは正しい。だから部分点を取って平均以上を維持している。

 千花も、読解力をフォローすれば伸びる筈だ。

 

 「じゃ、解説するか。過去問持ってきたからね、やってくよ」

 

 こうして僕は千花と付きっ切りでの勉強を行っている。

 テストまで、あと一週間。

 

 ◆

 

 「部活ってちょー下らないっすよね」

 

 という石上の声が聞こえたのは、数日後の放課後だ。

 

 この日僕は臨時のノートパソコンで仕事をしていた。生徒会室に据え置きのパソコンの具合が宜しくないのだ。学園が懇意にしているSE業者を呼んで対応して貰うまで、急遽として代用品を使うことになったのである。

 

 幸いにもテスト期間が近いため、そこまで急ぎの仕事は無く、広報から伝える情報も少なかった。夏休みに向けての大小様々な連絡事項は、テストが終わってからやれば良い。生徒会の仕事をさっさと終わらせ、自宅で勉強を、と意気込んでいる時に、声が聞こえてきたのである。

 タイミングが良いのか悪いのか、ノーパソだったので、机からは見えない死角に座っていた。何時もの石上みたいな恰好で仕事に打ち込んでいたともいう。

 

 「部活の大切さは分かりますよ? 部活が無ければ暇を持て余した若者は遊びに走り、やがて生活態度を崩して非行に。それから悪い遊びを覚え、停学から家庭崩壊、素行不良な相手に妊娠して終わりです」

 「いや、それはちょっと考えすぎじゃないか……?」

 「大体ですね、部活動やってるやつとかって大抵は半端じゃないですか。本気でやってるやつとか一握りなんですよ。マジって顔して仲良しごっこしてるだけじゃないですか。そういうの薄ら寒いっていうか……楽しんでないでもっと必死にやれよって……思いません……!?」

 

 その後も石上の発言は続く。どうやら御行氏は、彼に部活動の活動費削減の意見を聞きたかったようだが、強烈なネガティブオーラを身に纏った石上は、かなりの圧政暴君ぶりを発揮する。

 

 サッカー部、野球部、バスケ部という女子人気が高い部活動を『カップル一組に付き5万円削減しましょう』とか言い出すわ、『幸福に対する税金を掛けるのは悪じゃありません』とか『恋人要るくせに部活動を優先してデート辞めるなよ!』とか。延々と彼の愚痴は続く。

 

 うーむ、これは出るに出られなくなってきたな。

 

 石上も元々は陸上部。今でも体格は良いし、運動能力は高い。

 例の事件で、一旦引き籠ってからは部活動から離れているし、成績も低空飛行だ。

 もうちょっと吹っ切れれば――まあ、吹っ切るのが難しいとは僕も理解しているが――彼とて部活に参加出来ると思うのだが。いやはや難しい。

 そして彼は叫んだ。

 

 「彼女居るならデート行けよ! 大事な彼女が居て、彼女より大事な物があるってなんだよ!」

 「良いだろう、教えてやる!」

 

 あ、いけね、うっかり出ちゃった。

 投げ込まれた爆弾に対して、反射的に、ノーパソを片手に立ち上がってしまっていた。

 唐突に出現した僕に、うおう、と御行氏も石上も驚いている。『居たのか……!』と。

 

 「居たんだよ。ずっと聞いてたよ」

 

 が、今は何は兎も角、石上への疑問に答える事だ。

 石上は『え、僕、質問してませんけど』という顔をしていたが、眼に入らなかった。

 

 「石上の質問に答えよう。デートの約束より大事な物、それはな、その相手への――」

 

 

 

 「――()()()

 

 

 

 言い切った。

 

 「ええかっこしい、なんだよ」

 

 僕は実感を込めながら続けた。

 何せ、御行氏という努力家は、その最たる例だ。

 

 「大なり小なり、男の子ってのは、見栄っ張りなんだ。時に格好付けたくなる。時に意地を張りたくなる。デートを断るのは、その娘より練習を優先してるんじゃない。その相手への『俺は格好良いだろう』っていう見栄なんだ」

 「そ、それは女の子には」

 「()()()()()()()()()()()じゃないか。分かってないな、石上」

 

 甘い甘い、甘すぎるぜと思いながら僕は笑って説明した。

 フハハハ。悪いな! こと恋愛における情報なら僕は誰にも負ける気は無いぞ!

 御行氏の視線と、動揺する石上に、僕は自信満々に答えた。

 

 「女の子の心の中にはハードルがあるんだ。何をするにもハードルを持ってる。告白される時。手を繋ぐ時。抱きしめられる時。キスする時。そういう場合場合に『このくらい頑張ってくれたらOKする』っていうハードルを持っている。そして――」

 

 千花から聞いた話も入っているから、全部が僕の持論ではないが。

 これは翼君に助言した、手を繋ぐ際のストレートさにも繋がる話である。

 

 「男の子が、そのハードルを越えよう越えよう……と頑張るとな、女の子は『しょうがないな』と思って、ハードルを下げてくれるんだ。だから見栄を張るのは大事なのさ。まあ見栄ばっかり張って努力しない奴は論外だけどね。分かった?」

 

 「うるせえ馬鹿(バーカ)って言って良いですかね先輩!?」

 

 もう言ってるじゃん、と思いながら僕は椅子に座った。

 折角なので、と男子三人分の緑茶を淹れて持っていき、話に加わる。

 偶には男子同士で仲良く会話するのも良い。

 石上はさめざめと泣いて潰れていた。慌てて御行氏がフォローを入れる。

 

 「ほら石上もパソコンとか詳しいし……、それ系の部活とか入ってみたら良いんじゃないか?」

 「津々美の所ならいつでも紹介するけど」

 「あんな変態技術部に入ったら頭がおかしくなりますよ。ていうか津々美先輩だってあれで学年10位とかじゃないですか。付いていける気がしませんよ」

 

 まあアイツ理数系の天才だしな。

 理科と数学は100点常連。英語も高得点。序にドイツ語にも堪能。代わりに社会(特に日本史と世界史)が弱点だが、他で稼いで合計点が450~460くらいには届くのだ。

 伊達に技術開発部所属のギフテッドではない。

 

 「岩傘先輩の部活は?」

 「無し。テスト期間に備えて休みにした。大変だったよ? 休みにするかしないかを『ドミニオン』で決めることになって。僕か千花の5本先取ルール。激戦だった」

 

 ドミニオン。世界大会まで行われているアメリカの傑作カードゲーム。

 僕は一度、世界大会に出場された方にお会いする機会があって、攻略本(専門店に置かれてます)にサインをして貰った。経験値が物を言うゲームだったので、僕が何とか勝ち切った。

 話がずれたな。兎に角、部活は休みにして勉強タイムだ。

 

 「千花は、かぐや嬢と何やら話があるとかで遅れてますがね。生徒会に来たら、最低限の仕事をぱぱっとだけやって、帰宅して勉強です。……あ、御行氏、これ夏休みの注意事項を纏めた奴です。確認お願いします」

 

 「おう。そういや二人がTG部な理由は聞いたことが無かったな。――石上、こっちは遠征費が纏めてある。生徒総会に向けて他と一緒にしておいてくれ」

 

 「受け取りました。ああ、岩傘先輩、こっちの確認もお願いします。夏休みに活動する部活の、各部屋の使用許可証とかあるんで。……僕も気になりますね。藤原先輩は、家、厳しいらしいですし。アナログゲームに走ったってのは分かるんですよ。でも岩傘先輩、中等部でブラスとかやってませんでしたっけ」

 

 「はいはい、じゃあテスト終わったら提出する。――やってたねえ。理由は……さっき石上が言ってたじゃん。『本気でやってない奴多い』って。ウチじゃ全国とか無理なんだよ。管弦楽は兎も角、吹奏楽とかの激突は凄いよ? 全国大会の門は甲子園より狭いからね。其処に全力を傾ける私立とかがどうしても強くなる。――千花もピアノは超絶に上手いけど、でもピアニストにはなりたくないって話してるでしょ。まあ、僕もそのくらいの距離で良いかなって」

 

 貰ったUSBをノーパソに入れて中を確認し、取り合えず保存。

 仕事をしながら、あれこれと説明する。

 

 甲子園は各県一校まで出場できる。

 吹奏楽は違う。全国大会出場枠30校。日本にある吹奏楽部は、大体3500校。メンバーの規模が小さくて大会に出られない学校を引いても、3000校だ。ざっと1/100の狭すぎる門。

 初等部の頃だったっけ。テレビで、各地の高校にある吹奏楽部を巡る、という有名な番組をやっていたが……そこに登場するような学校と同じことは、秀知院では出来ない。

 管弦楽は良いんだけどね。毎冬にフェスティバルあるし。あれ予選とかないし。ちなみに会場は日本青年館(ドリフが「8時ダヨ」やってた場所)である。

 

 「そういや四宮は弓道部だったか」

 「あ、四宮先輩は弓道部なんですか。向いてますね。胸スカスカですし」

 

 ケラケラと笑って、弓道の弦が胸に当たる、当たらないという話をしていた石上。

 その背後に、かぐや嬢がすすっと出現し、更には千花まで登場していく。御行氏と僕は『そこまでにして置け!』と心の中で静止したが、それが通じる筈もなく。

 石上は千花にハリセンで叩き潰され、かぐや嬢に脅されるのであった。

 

 ◆

 

 「……で、生徒会の仕事も終えて、こうやって勉強をしてる訳だけどさ」

 「ですねー」

 「膝の上から退いて欲しいなって?」

 「休憩中ですよ。いえ、えーとこれはあれです。――じゅーでんちゅーってやつです」

 

 充電中か。それはしょうがないな。

 

 勉強場所はTG部室を使っている。今の時期、図書館や自習室は満席。まともに教え合うことも出来ない。その点、部室ならうってつけだ。邪魔が入る事もない。

 尚ボードゲームの山は、視界に入らない様にしまってある。息抜きに遊ばないように、収納場所をガムテープで梱包する念の入れようだ。

 

 「まあメリハリは大事だからね……。休憩したらちゃんと勉強だよ」

 「はーい……。ぷしゅう」

 

 僕の国語読解講座を聞き、頭から煙を吹いた千花は、膝の上にうつ伏せで垂れている。

 垂れ千花。タレチカちゃん。……マスコットになりそうだ。可愛い。

 思わず頭を撫で、背中を撫で、頬をぐにーっと引っ張りたくなったが、我慢。今は我慢だ。

 ……いや、背中を撫でるくらいはセーフか。

 

 「よしよし、わしわし」

 「やだもうくすぐったいですよー?」

 

 背中を撫でて序に髪を弄ると、もぞもぞとくすぐったそうに動く。

 可愛い。

 

 髪と制服の間、微かに見える首に指を添える。つつっと動かすと、再びもぞもぞ。

 可愛い。

 

 背骨に沿ってゆっくり撫でると段々脱力していく。

 可愛い。

 

 流石にお尻を触る訳にはいかないな。

 代わりに腰骨の辺りを、スカートの上からぺしぺししてあげる。

 千花は猫みたいににゃーんと鳴いた。……わざとやってるな?

 

 GW中に秘蔵の本を見られた上に、フランス交流会での猫耳だ。異常に似合って僕が動揺するのを理解した千花は、最近は懐くように甘えてくる。くそう、負けそう。

 

 「うりうり、この辺か? この辺が良いのかー?」

 「やん、もー、退いてって言ったのはいーちゃんですよ? 逃がさないんですかー?」

 「これは僕が充電中なんだ」

 

 いや本当、少し前までの憂さん騒動。あれはまだ終わっていないが、取り合えず一段落は付いている。龍珠組の若い人との交際は順調(といってもまだ一週間ほどだが)らしく、毎日電話とメールでやりとりをしているのだとか。

 こういう日常にどっぷり浸れるのは、とても有難い。息抜きというか休息というか、千花とずっとのんびりじゃれていたいというのが本音だ。

 

 思いながら背中をよしよししていると、千花が「あっ」と小さく声を上げた。

 

 「ん、どうしたの?」

 「あの、いえ、それが……」

 

 起き上がると、ちょっともぞもぞする。脇の辺りを締め、背筋を伸ばしてぎこちない動き。起き上がると、周囲をきょろきょろと見た。この部屋には僕と千花しかいないな。

 お手洗いかな? と思って(これは言葉に出さずに)目で促すと、千花は耳元で小声で。

 

 「あの、今ので……外れちゃったんです……」

 

 外れた。何が。

 

 「ブ、ブラのホック……が……」

 

 ……そりゃ大変だな?

 

 ◆

 

 女子の洗面所に行ってきなさい、とまずは常識的な判断をした。

 

 勿論、千花は頷いて廊下に出た。しかしすぐに戻って来た。この部屋から女子トイレまで距離があるというのが一つ。もう一つは――どうも男子が道中に(たむろ)しているらしい。ちょっと通り抜けるのに勇気が要るとの事。ううむ、それはしょうがないな。

 

 じゃあ僕が手前まで同行するか、と再び廊下に出たが、再び引き返さざるを得なかった。

 

 「何で風紀委員が身嗜みチェックをしてるかなあ……」

 

 視線の先、廊下を塞いで、行く道を番犬みたいに塞いでいる少女が居た。

 都合が悪いことに階段で移動する手前に陣取っている。

 

 この状態で風紀委員の前を通るのは無理だな。

 しかも見覚えがある一年生だ。小さくて良く吠える子犬みたいな感じの娘。

 僕と千花は風紀を守って、不純にならない様に交友している自覚があるが、それでも時々噛み付かれる。

 

 千花を尊敬しているらしく、彼女と居ると見逃してくれるが……僕個人への風当たりは強い。どうもあの娘、僕が千花を淫らな道に引っ張り込んでいると勘違いしているようなのだ。

 

 『あの人、藤原先輩に猫耳付けさせたんですよ!』

 

 というのは既に伝わっているらしい。……事実だから否定しようがない。

 

 しかし尾ひれがついている。どうやら猫耳のみならず、首輪とか尻尾まで付けて、鎖で引っ張って調教(R18的な意味で)とか想像しているらしく、むっちゃ険悪な目で睨んでくる。

 思い込みが激しすぎない?

 

 ……僕自身が変なレッテルを貼られるのはまだしも、巻き込んで千花に風聞が立つのも困る。

 消去法で、TG部の中で解決することにした。

 

 「此処で直します……、あの、ちょっと来てもらって良いです?」

 「何か問題あった?」

 「大有りです。これを直すには、脱いで着直すか、手で何とかするかです。……脱ぐのはちょっと……アレなんで、その、手を借りて良いです?」

 「僕の手を借りる方がアレじゃないん?」

 「この制服だと上半身だけ脱ぐって出来ないんですよ。流石に上下で下着姿は……」

 

 まあ演劇部なら兎も角、此処にあるのは机と椅子くらいだ。ロッカーの中はボードゲームの山で満載。カーテンを閉めて手早く着替える以外に方法は無い。

 

 別に覗きもしないよ、と思ったが、千花が僕の手の方が良い、というなら、良いか。

 違和感はあるが、流石に女性下着に関する知識は持っていない。千花に従おう。

 

 言われるままに近寄り、どうするの? と尋ねる。

 ごにょごにょ、と説明をされると――要するに、服の上からホックの片方を掴んで、もう片方は背中に手を入れて引っ掛ける、のだという。

 

 「……オーケイ、それじゃあ、やるぞ?」

 「はい。お願いします」

 

 千花は、上半身の首元のボタンを緩めて、背中に手を入れるだけの余裕が出来る。

 服の上から大体の位置を確認し、意を決して実行した。

 

 

 

 ~以下、会話のみでお楽しみください~

 

 

 「……ん、そうです、そのまま、真っすぐ……です……」

 「これ、かな……、狭い……ちょっと、千花の(背中)、きついね」

 「いーちゃんの(腕)が、逞しいんですよ……」

 

 衣擦れの音。

 何か微かに苦痛を耐えるような音。

 微かに荒れる吐息の音。

 

 「ん、ここかな、……ん、掴んだ」

 「そこです、それを……背中伸ばすので……そうです、そうやって……上手……」

 「こう……?」

 「あ、そうです、ん、もうちょっと右で……はい……それで……」

 

 肉が微かに濡れる様な音。

 同時に、微かに喜ぶような弾みのある声。

 満足そうな、微かな笑い声が聞こえる。

 

 「あ、ちゃんと、……嵌ってます……! ぴったり……で……」

 「……満足した?」

 「……満足、しました……」

 

 やがて、微かに安堵したような、ふう、という息が聞こえる。

 ボタンを掛ける音がして、事は終わった。

 

 ◆

 

 「あの、一応聞いて良い? 覗かないよ?」

 「……こ、この前……買った奴だったので……、見せたくなかったというか、でもちょっと見て欲しかったというか……大っぴらには無理でもアピールしたいかな、みたいな……」

 「……超可愛い」

 

 無事にホックを引っ掛けたので、僕は安堵して元の椅子に座った。

 

 いや、なんか回りくどいな? とは思ったんだよ。

 確かに理由はあったけど、ちょっと無理っぽい口実じゃない? とは思っていた。

 僕に頼むのも大分問題だと思っていた。

 そうそう簡単に外れる様なものじゃないだろう、と。

 

 千花の説明は、割と無理あったし。

 そもそも服の上からでも女子なら慣れた手つきで出来そうだ。

 

 とは思っていたが、僕はそれに乗っかった。

 乗っかって良いかなーとか思っていた。勝負しないでまったりしたかったのだ。

 

 どうも千花は『大天使のブラ』を試しに付けてみたらしい。

 着なれない代物だったのも、ホックが外れた原因らしい。

 

 「いや、流石に見せるのはちょっと、だと思ったんですけど……」

 「アピールはしても良いかなって?」

 「……です」

 

 じゃあ家でやれば、とも思ったのだが、今はテスト期間中。実家でもイチャイチャするタイミングは減らしている。僕が惚気るのを、殊更に我慢している。

 じゃあ何時か? という事で機会を見たのが今だった、とそういう事らしい。

 いっそテスト終わった後にすれば良いのに……とは思ったが。

 

 「着たら勇気が出るって言うのは、ちょっと本当っぽかったみたいで……反省してます」

 

 良い具合に事故が起きたからこその行動。

 休憩中だったのもあって、甘えてしまったんだそうだ。

 

 全くしょうがないなーと思った。

 許そう。

 

 石上の話じゃないが、千花のサイズは大きい。背中に手を入れた時、微かにふわっとリンスの香りがして、赤子のような甘い芳香が漂ってきた。引っ張った時、間接的にだが千花の胸部の弾力性と言うか、重さを感じて、なんというか――。

 

 「……僕も、まあ、悪い感じはしなかったし」

 「えへへ、……じゃあ、ウィンウィンってことで」

 「でも、テスト勉強は、手を抜かないからね」

 「……はい」

 

 てれてれ、と俯いてはにかむ千花に心を打たれながらも、念押しはした。

 学生の本文を忘れてはいけない。

 目標はトップ10だ。

 

 ◆

 

 翌日の放課後、マッキー先輩(一年生)こと槇原こずえに言われた。

 

 『学園内でヤるのは止めた方が良いと思います』。

 

 ……あの、何か誤解してない?

 

 

 

 本日の勝敗:槇原こずえの負け

 理由:先輩達は色んな勉強をしているらしい




 ~ドミニオン~

 ドナルド・X・ヴァッカリーノ氏によってデザインされ、世界大会も行われているアメリカ産のカードゲーム。ドイツの有名ボードゲーム賞で三冠王を取った傑作。

 各プレイヤーは価値1金の『銅貨』7枚、勝利点1の『土地』カード3枚を所持して開始。
 そこから『行動(Action)』『購入(Buy)』を繰り返し、資産と勝利点を増やしていく。

 『銀貨(2金)』『金貨(3金)』など『銅貨』より高い資産になるカード。
 『村』『鍛冶屋』『礼拝堂』『港町』など『行動』時に特殊な効果を付与するカード。
 『公領』『属州』『庭園』など高い勝利点を持つカード(ただし手札にあると邪魔)。
 『呪い』:他人の墓地に送られ、ゲーム終了時の勝利点を-1するカード。
 などがある。

 ルールはシンプルだが

 ・ターン開始時、山札からドローするカードは常に5枚。
 ・ターン終了時、使用したカード、未使用の手札は全て墓地に送られる。
 ・山札を使い切ると、墓地が山札になる。
 ・『購入』したカードは1度墓地に送られる。

 等々の条件がある。これにより

 カードを『購入』する
 =墓地が山札になるまで『購入』カードを使えない
 =『購入』するほど山札が増えていくので、欲しいカードを引ける確率が減る
 =当然『銅貨』等の資金も手札に集まり難くなり『購入』難易度が上がる
 という絶妙なバランスが成立している。

 1:如何にして相手より速い速度で資産を集め。
 2:購入したカードの効果で山札を圧縮できるか。
 が勝利へのポイント。

 藤原千花が原作28話冒頭でプレイしているのはこれ。
 『村』+『鍛冶屋』コンボは基本中の基本。


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岩傘調は射貫きたい

 「それでもう、かぐやさんがずーっとゲラゲラ笑ってくれたんですよ! もう私は嬉しくて嬉しくて、人って変われば変わるんだなーと思いました!」

 「確かに楽しかったね」

 

 生徒会室で妙に大きな笑い声が聞こえてきたと思ったら、千花のち○ちん発言である。

 そりゃ驚いて御行氏も逃げ出すわ。

 何を会話しているんだと恐る恐る覗いたら、ペスの話から只管にかぐや嬢を言葉攻め(比喩表現)していた。適当に話を合わせてきたが、その際の、かぐや嬢の表情が忘れられない。

 

 『鮭と野菜を味噌で炒めた料理は?』

 『ちゃんちゃん焼き?』

 『あーはははははははははは、やめて!止めて!藤原さん!』

 

 バンバンと机を叩いて爆笑するかぐや嬢に対しての千花の顔は。

 好きな娘を虐める小学校低学年男子の如く。

 

 『雀の鳴き声は?』

 『ちゅんちゅん?』

 『艦娘が居る』

 『鎮守府(ちんじゅふ)

 『空心菜と』

 『青梗菜(チンゲンサイ)?』

 『Requiemを日本語で』

 『鎮魂歌(ちんこんか)

 『ゲーム【アンチャーテッド2】でキーアイテムとなる伝説の宝石は』

 『チンターマニ石……』

 

 と、この辺までポンポンやっていたら、遂にかぐや嬢が床に倒れこんだので、慌てて逃げてきた。まあ下ネタを気楽に連発できるってのは、性別の垣根を意識せずに距離を縮める良い特徴だと思っておこう。

 これでもうちょっと、かぐや嬢が年齢相応の性知識を有していると、えげつないレベルの会話になる(クラスの女子みたいにね)。僕のやり取りとて、一歩間違えればセクハラだ。千花と一緒だからこそ許される感じがある。後でごめんなさいと伝えておかねば。

 

 幸い、僕相手に話をしている時は連発しないし、その辺は、お年頃、という事か。

 大体そういう艶っぽい話をすると、洒落では終わらなそうだしな、僕と千花の場合。

 

 「昔は、氷のかぐやさんって感じそのままで、接するの大変でしたもんねー」

 「千花は全力で距離を詰めて行ったじゃん……。僕は中等部時代の彼女とか、遠目で伺うだけだったよ。真面目に関わったのは、一年生の、千花の家にかぐや嬢が来て以来だ。……人は変わるって良い証拠だな」

 「そうですよ。――いーちゃんも変わって良いと思いますよ?」

 

 変化球からストレートに変わってボールが飛んできた。

 参考書から顔を上げると、じーっとこっちを見ている千花と瞳が合う。

 

 「むっ、その顔は、今ここで!? という驚きですね!」

 

 ずばりと僕の内心を的中させて、彼女は続ける。

 

 「変わらない関係なんて無いんですから。勇気をもって踏み出してきてくれて、良いんです!」

 「……まあ、今の関係が居心地よくて壊せないというのは、ある」

 「それは永遠じゃないですからね? ずっとは無理です。生徒会だって、秋に解散じゃないですか。勇気を出して踏み込んでくれるのを、私は待てますけど、世間は待ってくれませんよー。お姉ちゃんとかお母さまから『進展した? 孫の名前を考えておいた方が良い?』って聞かれるんですからね私!」

 

 まあ……不純異性交遊をしても見逃してくれるのは、複雑だが喜んでいい、のだろう。

 両家の両親が関係進展に協力的なのは、悪いことじゃない。

 

 「むむむ。それは、まあ、僕の甲斐性無し、と言って良いか」

 「そうです! 甲斐性無しーって言ってやりますよ!?」

 

 ラブ探偵チカ、周囲へのアドバイスも強いが、僕への攻め方も上手い。

 貫禄がどんどん増してくる。適当な対処方じゃ押し切られる。ホント、成長したよね。

 僕が育てたと言い張れれば良いのだが、僕の為に育ってくれたと表現した方が正しいと思う。

 

 「この前、90点以上で、お金で買えない何かを要求して良い、って話してましたよね」

 「してたね」

 「私は『夏休みのいーちゃんの時間』を要求します! GW(ゴールデンウイーク)潰れちゃいましたから」

 「……分かった。良いよ」

 

 千花の目は本気だった。捕食者の目であった。なんとなく僕は背筋が寒くなる。

 いや、此処で退いたら男が廃るか。……受けて立つしかなさそうだ。

 

 千花の目に怯えて、勉強指導の熱が冷めるというのは愚の骨頂。彼女の挑戦状に対して、真正面からぶつかり、千花より良い点数を取って、彼女を追い込むような要求をする。それで対等だ。

 

 「じゃ、その為にも、続きをしよっか。……漢文は、もう一個の別の言語だと思って学習した方が早い。古典は――時間かけるしかないな。どうしても量が必要だ。コツはあるけど」

 「はーい」

 

 こうしてテスト前の日々は過ぎていったのである。

 

 ◆

 

 僕と御行氏の席が近いことは前にも話した。テスト前の彼の状態は(じっくり観察している訳ではないが)、落ち着いている。……嘘だ。落ち着いているように見えて、緊張しまくっている。

 公衆の面前で、それを尋ねたことは無い。

 ただこれでも一年生の頃からの付き合いだ。

 彼の気持ちが分かる、とは間違っても言えないが、慮っても良いかなくらいには思っている。

 

 『白銀さんは、何か一生懸命になることは無いんですか?』

 『……俺にはそんなものはないですよ、岩傘さん。この学園だって、親父が願書を出したら、偶然に補欠合格をしただけです。制度が整っていたから、来ただけで』

 

 去年、そんな会話をした。あの時の彼は、何処か捨て鉢だった。

 先代の生徒会長が、彼を生徒会に入れて、その後に大立ち回りがあって……。

 人は変わるか。その通りだな。

 

 『良かったな、無事に生徒会長だ。白銀会長。――いや、それだと固いな。御行氏?』

 『好きに呼べ。だが俺が生徒会長になった以上、岩傘。お前に拒否権は無い。入れ』

 『……分かった。微力ながら手伝わせてもらう』

 

 そんな彼が、今では生徒会長。そして学年一位だ。其処に並々ならぬ執着がある事は分かる。

 理由はきっと、かぐや嬢だ。

 

 白銀御行。生徒会長。学年一位。だが肩書を外せば、彼は普通の人間だ。白銀の家の場所は知っているし、我が妹経由で、圭ちゃんの話も知っている。

 言っちゃ悪いが情報収集に関しては(それこそ四宮家の力を借りねば分からない我が母レベルの情報でない限り)、大体の事は掴みとれる岩傘家だ。御行氏が、普通の等身大の男なことくらい、とっくの昔に知っている。

 

 僕も千花もかぐや嬢も、今の生徒会の肩書がなくなっても……別の肩書がある。御行氏は、そうではない。それが彼が、何よりも真摯に努力する理由だと思う。

 ……好きな相手の為に全力を尽くす。

 その点、僕と御行氏は、なるほど、どこか似ているのかもしれない。

 

 だけど絶対に違う点が一点。

 僕と千花は最初から距離が近かった。御行氏とかぐや嬢の距離は遥か遠くにあった。それが今ではあの距離で、あの態度だ。僕と千花が10年以上使って培った距離を、彼と彼女は一年で越えつつある。

 

 だから僕は御行氏とかぐや嬢を――白銀御行と、四宮かぐやを、尊敬している。

 

 恋愛的な意味でベテランの僕と千花だが。……二人の、成長性と、そしてなによりも見据えている未来の形はずっと遠い気がしている。それらへ向かうエネルギーの源は、本当に強く激しい感情だ。ある意味、僕らよりずっと情熱的だと思う。

 

 「……負けて、いらんないか」

 

 代わっていないように見えて、少しずつ周囲は変わっている。

 取り残されるのは嫌だ。全方位を見て、色んな人にぶつかって、成長しなければならない。幸い僕は広報。人脈と、凄い人には縁が深い。どうせ活用するなら出来るだけ、だ。

 

 今更慌てても点数は変わらない。だが45分間、休まず走るための集中力は大事だ。僕は無言で小瓶を取り出し、緑茶に溶かさずに舐めた。蜂蜜の味と共に、頭の中が冴えていく。

 違法薬物でもアルコールでもない、ただの甘味(効果強)だが、これを使う事を卑怯だとは思わない。……頭が良くなるのではなく、頭の栄養を補給するだけだしな。

 

 「――始めっ」

 

 試験官の号令を前に、僕は筆を執った。

 

 ◆

 

 『およそ全ての問題において、明確な「解答」がある。数学なら「正しい式と解」がそうだし、社会なら年代や単語・写真なんかがそうだ。それは国語でも変わらない。――良く勘違いされるが、国語が一番、明確なんだ、そういうの』

 

 『読書感想文』という課題がある。何か本を読んでそれに対する感想を書く、あれだ。

 あれに困った事は一度もない。苦戦する人も居るらしいが……、ま、それは良い。重要なのは『読書感想文』に「不正解は無い」ということだ。文章の上手い下手はある。表現や、漢字間違いや、解釈違いはあっても、AさんBさんが居たらどちらの解答も「正しい」訳だ。

 しかし試験でそれがあってはいけないのだ。国語の解答で「Aさんの答えもBさんの答えも、どっちも正しい」が成立してはならない。

 

 『だから国語は、むしろ他教科より非常に厳密に、論理的に、答えが決まっている。『誰が何を言おうと、この問題の答えはAです』という明白な根拠が存在するんだ。……だから、それを読み解く。そして国語は、一定の文章を読ませた上で、問いに答えさせるという形式を取る以上……、文章の中に絶対に答えがある』

 

 僕が千花に行ったのは、とにかく、問題文をしっかりと理解させる事だった。

 これは決して『何を問われているかを確認させる』に留まらない。問題文が指している文章Aは、課題文の中で何と言われているかとの摺り合わせだ。

 

 数学では、問Aを数式にし、それを定式に当て嵌め、計算し、解答を導く。この時、数式と答えは「(イコール)」で結ばれる。

 国語でも同じだ。問Aの文章は、論文中のどの単語と等しいのか、その表現と同じ意味なのかを把握させる事に努めた。

 

 これなら国語と合わせて、千花の日本語力の低さをフォローできる。間接的に他の教科を強化するのにも繋がるだろう。

 

 「(余分に時間を取って、出来る限りは教えた。……理科や社会なんかは、数字や番号、法則、年代や単語なんかの暗記部分が大きいから、教えるにも限界がある……。後は千花がどこまで食い下がれるか、だ。……僕も余裕がある訳じゃない)」

 

 試験時間はたった45分。たかが45分。されど45分だ。この45分×5教科に、学生生活の一端が濃縮される。決して疎かにしてはいけない。疎かにすると、必ず後悔する。

 30分程で国語は無事に解答をし終わった。見返しても、迷った部分は無い。きちんと答案用紙に名前も書いてあるし……見落としをしている場所もない。二度、三度と確認する。得意科目なんてこんなものだ。数学だと『時間が足りない……!』とか言いたくなるが……。

 これも相対性理論って奴だろうか。

 

 「(……試験に限らず、恋愛に正解があればいいんだけどね)」

 

 最も明白な答えを出すのが難しい課目は……家庭科とか保健体育辺りか。選択式なら兎も角、筆記だと個性が出る。しかし恋愛は、それに輪をかけて難易度が高い。

 90点以上一つで、何か一つ、金で買えないものを要求して良い。

 

 さて僕は何を選ぶべきだろうか。

 恋愛は戦だというが。この問題には、答えどころか勝敗も無いのである。

 

 ◆

 

 今回の後日譚。

 というかテストの成績結果。

 定期試験の結果が張り出されたのは、二日後だ。全員が目にする廊下のど真ん中に、順位が記載されている。

 

 一位:白銀御行。492点。

 二位:四宮かぐや。487点。

 

 5点差である。……1問の差ではないな。5点分の問題を1問間違えただけ、というのは二人のレベルではまず無い。あのレベルまで行くと、如何に「点を取るか」ではなく「減点されないか」が焦点になる。出された問題を全部解答するのは大前提……、そこから如何に出題者の意図に沿った満点の回答を叩き出せるかがポイントだ。

 

 実際、昨年、三学期期末に行われた試験では、御行氏は500点満点(ALL100点×5とか初めて見た)。かぐや嬢は497点。難易度的に、かぐや嬢も500点を取る目は十分にあった。それが取れなかったのは、出題者の意図を汲み取れたか否かの差だ。

 

 三位:四条眞妃(486点)も似たようなもんだろう。

 

 ちょっと下がって、六位:豊崎(474点)や七位:柏木さん(471点)まで行くと、明白に『あの問題が解けなかった』が出てくる。……まあ、この辺は良い。

 十位:津々美竜巻(467点)。アイツ社会が全般的に酷い割には他が高いんだよな。

 

 「……まあ、そうそう簡単じゃないか」

 

 そこまで名前を確認して、やはりなと思った。自己採点をして、凡その点数は分かっていた。合計点は450から460点と言ったところ。トップ10は入ろうと思って入れる場所ではない。テスト前に思い立って行動をして滑りこめるような場所ではない。

 分かってはいたが、こうして数字を見ると少し……いや、大分、悔しいな。過去最高点ではあるが、それでも20位以内にすら入れていないのは、悔しさが勝る。

 

 「23位、か」

 

 数分後。僕は男子トイレの洗面台の前で、顔を洗っていた。

 

 ――少し、疲れた。

 

 眼鏡を外して、目元を抑えていると、背後の個室が開いた。

 

 顔を出したのは御行氏だ。……実は、さっきから聞こえてきていた。かぐや嬢に勝った喜びを、発散させていたのだ。基本的に聞こえないようにシャドーボクシングで済ませているが、ガッツポーズと喜悦の言葉は、例え個室の中に居ても耳に届く。

 

 「……流石だな、御行氏は」

 「岩傘も十分高いだろう。過去最高だ。……鏡越しに睨むな、お前は裸眼だと目力が強過ぎる」

 「睨んでいたか?」

 「ああ。悔しいと顔に出ている」

 

 御行氏は隣の蛇口を捻って、手を洗いながら、僕に諭すように言う。

 

 「なあ岩傘。お前、真面目にテストで上位を狙ったの、実は高等部に来て初めてじゃないか?」

 「僕は、何時も真面目だ」

 「じゃあ言い方を変えよう。()()()()()()()()()()()()は、初めてじゃないか?」

 「…………かもね」

 

 その通り、かもしれない。

 別に今までは手を抜いて居たわけではない。

 程々に勉強をして、程々の点数を取っていた。程々で、他人から余計な口出しをされない成績を維持できていた。親からも何かを言われたことは無い。

 けれども今回、本腰を入れた。

 

 「岩傘、お前はだから悔しいんだ。……悔しいというのは、その分だけ努力をしたと、自分で自覚をしている人間が持つ感情だ。違うか?」

 「…………そうか。そうだな」

 

 得る悔しさは、結果を得るまでに努力した分だけ、大きくなる。

 そして指摘は、正鵠を射ている程に、痛みとなる。……他人からの指摘を、受け入れられなくなったら人間は終わりだ。成長する機会を捨ててはいけない。

 

 ニャルラトホテプに勝てない事の悔しさとは、また別だ。

 あれは敵愾心がある。断固たる意志を持って対決できる。

 だが今回のこれに敵はいない。敵は――ベタな言い方をすれば、自分自身だ。

 

 ハンカチで顔の水滴を拭って、眼鏡をかけ直す。

 裸眼だと目力が強くて怖い、と言われて――確かにド近眼なのもあるが――千花に選んでもらって、掛けた代物だ。久しぶりに鏡で見る自分の瞳は、思っている以上に険しかった。

 

 「みゆ……、いや、白銀。……ありがとな。また色々、頼む」

 「テスト前は勘弁だぞ。俺も余裕が無い。お前の惚気話を聞くのも遠慮しておこう――だが、それ以外で良ければ、何時でも来い。な?」

 「ああ、そうさせて貰うさ……!」

 

 背中を叩かれて激励された。……お礼とばかりに叩き返す。

 鏡越しに視線を交錯させて、僕は顔を上げた。目の険しさが消えている。

 

 友情ってのは本当、嬉しい物だ。愛情とどっちが強いかを論じるのは無意味。此処で僕に色々と教えてくれて、自覚を促してくれた。得難い経験で、得難い絆だ。

 よし、元気になった。

 千花の点数を聞きに、行こう。

 

 元気になった僕が掲示板の元まで戻ると、千花はこっちを見つけて手を振ってきた。

 

 「名前! 名前ありましたよ! ギリギリ49位です……! 総合得点412点……。国語の大幅成績アップが、響きました!」

 「……やるじゃん!」

 

 思わず返す。

 地頭は良いし、学業への姿勢も真面目なのだ。ならばベース部分をきちんと整えてやれば、今まで不安定だった分野も安定する。土台の上に家が建つように、千花の成績は上がった。

 これで万穂さんからお小遣いを減らされることも無いだろう。

 同時に『また勉強をお願いね』と頼まれることになりそうだが、これはバッチコイだ。

 

 「でもー……90点以上は、一個もありませんでした……」

 「そっか。僕は、国語が無事に100点だ。……社会も92。二つ分、お願いが出来るね?」

 「はい。なんでも、どうぞです」

 

 しゅん、とした千花を見ていたら、自然と口から言葉が出ていた。

 可愛がりたいなと思ったが、そういう煩悩とは別の言葉が、出ていた。

 

 「僕のお願いが決まった」

 

 頭で意識した言葉じゃない。

 一番適切な言葉というのは、考えないでも出る台詞なのだろう。

 

 

 

 「()()()()()()()()()()!」

 「……ぇっ」

 

 

 

 どよどよっ!! と周囲が動いた。

 あれ? 今()()()()()()()と言って……言ってねえな!?

 でも意味は伝わるよな? 伝わってるよな!?

 

 「約束の通りだ。千花に拒否権は無い!」

 「……いーちゃん! それでこそですよーっ!」

 

 ぱくぱくと口を開けた後、千花はぱあっと花が咲いたように笑うと、僕の元に飛んできた。

 慌ててキャッチする。此処、公衆の面前なんだけどね! 周囲の視線が集まり、更に盛り上がった。ちょっと抱きかかえて、邪魔にならないように、そのまま壁際まで下がる。

 

 「言質取りましたからね!? 逃がしませんからねっ!?」

 「ああ、うん、そうだね?」

 

 ひょっとしたら地雷を踏んだのかなーとか思った。

 発言は計画的に! と理性が忠告したが。

 しかし冷静に考えれば、今までは千花の突拍子もない発言に攪乱されてきた訳で、此処は自然体で翻弄するというプランを考えても良いのかもしれない。

 

 「今の台詞ってアレよねきっと」

 「アレだよな『お前が欲しい!』的な」

 「そういえばテストの順位見て喜んでたし」

 「という事は遂に進展しちゃう……!?」

 「あの二人が遂に……神の領域に……!?」

 「誰か暗殺者(アサシン)呼んで来いよ……畜生……っ!」

 

 聞こえてるぞ外野! と言いたかったが、至近距離にあった千花の顔が、何を想像しているのか、にへにへーと緩々だったので、それを崩すこともないか、と自分に言い聞かせる。

 夏休みに何が起こるか、その時間で何をするのかは、決めた訳じゃない。ただ勇気をもってまず一歩踏み出しておいただけ。それだけだ。

 

 「一応聞くけど、嫌じゃないよな?」

 

 小声で、彼女の耳元で囁く。

 僕の言葉に、千花は――。

 

 『そういうのは聞いちゃダメですよっ!』

 

 と、言いたげな笑顔で、僕の唇に人差し指を当てて、塞いだのであった。




 各自の順位と得点内約

 藤原千花:49位(総合点412点)
 備考1:周囲からの足の引っ張り合いに巻き込まれる(これは岩傘がフォロー)。
 備考2:国語・英語の成績が悪い。マルチリンガル故の弊害。日本語の読解力に難があるのに加え、英文の中にスラングや、フランス語の単語がぽろっと混ざってしまったりする(こちらも岩傘がフォロー。ケアレスミスは防げないが、読解力を上げるのに尽力した結果、順位が大幅上昇)。

 白銀御行:1位(総合492点。ほぼ100点ALL。数学で若干減点)
 備考:会長のレベルまで来ると『解けない問題』は無い。最大のハードルは『時間』。
 頓智やナゾナゾに弱いのは明言されている。恐らく『正当な手順を踏むと誰でも10分15分で解けるが、閃けば中学生でも5分で解ける』タイプの問題に引っかかると、時間がギリギリになり、結果、説明不足で減点されるとかだろう。そういうのが無ければ100点を取れると思われる。
 英語も多分100点。図書館にはリスニング教材も大量にある(実際、交流会の後で態々フランス語講座を勉強している)ので、彼が努力を怠る事は無さそう。

 四宮かぐや:2位(総合487点。数学100点。他教科で13点分減点)
 備考:会長と同じく『解けない問題』は無い。会長と大きく違うのは勉強時間(かぐやは23時には寝ている)から来る、天才故の効率性ではないかと推測。
 例えば英語の問答で、出題者の意図を読み取って『敢えて固くないラフな返事をする』などの「雑さ」が無いため『正しいけど満点ではない』と採点されて減点とか。

 津々美竜巻:10位(総合467点。数学理科が100点)
 備考:人物や人名、国名、地名等に非常に弱い。年表を丸ごと頭に入れる事である程度は対応しているが、歴代総理大臣の名前と顔が一致しないとかザラ。日本史でこうなので、世界史は更に酷い。それでも10位というのは驚異的だが。

 岩傘調:23位(総合448点。国語100点)
 備考:数学は単純に計算速度が遅い。英語はリスニングが苦手。とは言え全ての問題に触れ解答し、難問相手にもしっかり部分点を稼いでこの順位。


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岩傘調は塞ぎたい

副題:VS伊井野ミコ(1試合目)


 「悪いけど此処を通す訳にはいかないんだな、僕と千花の為に」

 「せ、生徒会広報という権力を私的利用して! そんな行いが許されると思うんですか!?」

 「正当なる理由があれば許される。音楽室も体育館も、音楽や体育の練習をする為に使うものだ。その意図から外れた行いをするつもりは無い」

 「音楽の練習に、体育の練習……!? ひ、比喩表現で誤魔化しても駄目ですよ! どうせ音楽の練習で『もっと良い声で鳴くんだ!』とか体育の連中で『マット運動』とか『組体操』とかをしているんでしょう! ふ、藤原先輩をそんな風に扱うとか……! この鬼畜……っ!」

 

 いや、誰もそんな事は、言ってないし、やってないんだがな。

 何この娘。そんな発想するなんて、結構、頭がゆだってないか?

 

 「あ、貴方に藤原先輩を汚させははしません!」

 「好きに想像するのは勝手だけど、僕と彼女の関係に、君が口出しする余地は存在しない」

 「くっ、そう言って学園内の風紀を乱しているんです! 噂も耳にしているんですからね!?」

 「噂で人を判断しないように」

 

 がるるると唸る、小さな少女。風紀委員。見覚えはある。名前は……なんだっけ。

 しかし勘違いを訂正させると、何故音楽室の元に彼女を踏み込ませないかを、説明しなければならない。……それは出来ない。僕は自分に不名誉な称号が与えられるのは我慢出来ても、友人に不名誉な称号が冠されるのは阻止したいのだ。

 だから説明せずに、適当な笑顔で誤魔化して、何とかして追い払おうと躍起であった。

 

 「君がどういう想像をしているのかは聞かないでおくが、僕の意見は変わらない。帰りなさい」

 「風紀委員としてそれは聞き入れられません……!」

 「風紀委員が生徒会役員の言葉を信じることが出来ずに噛み付いているとも言えるな。……何回も言うように、中では生徒からの悩みを受け、音楽の練習をしているだけだ。それを信じることが出来ない理由は何か? 其処まで言うならば僕が千花を連れ込んで不純異性交遊をしているという証拠を持ってきて貰おうか? 僕を疑うだけの理由があると説明出来るなら中に案内するのも吝かではないよ。でも今はダメだ。生徒のプライバシーに関わる」

 「ぐっ……! 屁理屈ばかり……! 良いでしょう、二日以内に集めて来ますからね!」

 

 滔々と並べた言葉を前に、彼女は歯噛みして引き下がって行った。

 今日の所は何とかなったらしい。今日が火曜日。明後日に来たとして……次に来るのは木曜日。そして金曜日か。その二日分を何とかして稼がないといけない。

 何か妨害工作を仕掛けたとして阻止出来るのは一日。となると金曜日に彼女が音楽室に来るのだけを防げば、時間の捻出は出来る。

 

 そこまでで何とかして欲しい。何とかしてくれるよな?

 音楽室の中では、我らが生徒会長:白銀御行の音痴を直す為、千花が全力指導中である。

 

 ◆

 

 御行氏の、勉強以外の基礎値が恐ろしく低いのは僕と千花だけが知っている秘密だ。

 

 運動。基礎体力はあるが、致命的なまでに運動神経が悪い。一年生の頃、僕が御行氏の練習に付き合い、秘密裏に放課後特訓を重ね、何とか、彼が授業で活躍するだけの力を身に付けさせたのは前に話したと思う。

 

 その苦労は藤原千花も知る所だ。

 もう二か月くらい前になるのか? バレーボールの授業に備え、全力でサーブ・トス・レシーブの練習をしていた御行氏に、僕と千花が付き合って形にした。

 最も彼の場合、基礎値が低いだけで、成長性は恐ろしく高い。しかも努力家だ。一週間本気で練習をすれば、大体の事は熟せる様になる。千花の育成能力が高いことを差し引いても、御行氏の姿勢は尊敬に値する。

 

 そして今回は――音楽である。

 

 「会長、口パクだったんですよ! 生徒会長ともあろう人が! 校歌を!」

 

 千花が憤慨するのも無理はない。

 秀知院では毎週月曜日、朝礼が行われる。そしてその際、校歌斉唱も行われる。この朝礼、司会進行は生徒会が行っている。千花は指揮者を務めている。

 ……加えて言うならば千花は、音楽的素養は非常に高い。嘗てピティナピアノコンペティション(日本屈指のピアノコンクール)で金賞を受賞した経歴を持つ。音楽に妥協はしない派だ。

 

 校歌は初等部から同じなので『純院』の生徒は皆、歌える。中途編入の人間のみ引っかかる。当然、歌えないと恥ずかしい。てっきり御行氏は歌えないのかな、と思ったら――。

 

 「ちょっと音痴なんだ! 生徒会長が音痴とかどうよ!? 歌えば歌うほど恥を晒すことになるだろうが! 考えただけでもう嫌だ。そんな生き恥を晒すくらいなら、口パクの方が何倍もマシだ……!」

 

 事情を聴いた千花と僕は『ちょっと』がどれくらいか、考えたくもなかったが、しかし困っている会長を見捨てられるほど薄情でもない。

 

 その日の放課後から、音楽室で密かに練習をする事になった。

 予想通り、音痴具合が『ちょっと』ではなく『壊滅的』というか『地獄の門を開いたみたい』というか『ナマコの内臓』というか、そういう具合で、千花が頭を抱えるレベルの酷さだったのは言うまでもない。基本的に平静を装う僕が思わず耳を塞ぎ、千花は「助けてペス! 助けていーちゃん!」と嘆き叫ぶ程に激烈である。

 

 「嘘吐き! ちょっとじゃない! 致命的音痴! よくも騙してくれましたね!」

 「流石にフォロー出来ない。酷い。酷過ぎる。御免って謝る気すら起きない」

 

 というか一年生の時とか良くバレなかったな?

 

 ……僕も千花に指摘されるまで口パクだったと気付かなかった。

 聞けば、年季が違うと返事があった。義務教育中、小学校でも中学校でも音痴の余り『合唱しないで』と言われていた。その頃から、歌いたくても我慢して歌う真似だけをしてきたらしい。

 

 「本当は歌いたい。何も気負わず皆と一緒に歌いたい。だけど皆に迷惑が掛かるなら……」

 

 黄昏れる会長の目を見た瞬間、僕と千花の意識は一致した。

 

 「私がちゃんと会長を歌えるようにしてあげます! ママに任せて!」

 「その母性の出され方には、結構抵抗があるぞ!」

 

 バレーの練習でもそうだったが、千花はダメな人間を育成するのが好きらしい。

 僕も胸を打たれた。思わず二人に手を重ね、満願の思いを込めて頷く。

 

 「千花が練習に集中できるように全力を尽くす。この父に任せろ!」

 「お前もか岩傘!?」

 

 少し前に『籠の中に猫は何匹いますか?』の占いをした。

 その際の僕の答えは『雌の子猫が二匹、雄の子猫が一匹』の合計三匹。

 『その猫の数は貴方が欲しい子供の数を表しています!』との返事に、僕は『当たってる!』と返事をした覚えがある。

 千花によく似た美少女が二人。そして男の子が一人。

 ……そう、言うなればこれから一週間は、会長は我が子のようなものだ!!

 

 「心配をするな。あらゆる障害は僕が排除してやる……!」

 「くっ、実の父より頼り甲斐が有りそうに見えるのが辛い!」

 

 かくしてその日から特訓が始まったのである。

 特訓期限は僅か一週間。来週月曜の朝礼までに、彼の音痴を改善する。それが目標になった。

 

 ◆

 

 「運動音痴も、音楽が下手なのも、多分、理由は一緒。要するに思った通りに身体が動いてくれない状態だよ。……大事なのは認識能力じゃないかなと思う」

 「あー、なんとなく言っている意味は分かりますね。例えばサーブを打つ時に目を閉じてる自覚がないとか、そういうのですか」

 「そうそう。要は『自分がどう間違っているのか』の認識が出来ていない。だからそこを改善すれば治ると思う。……本当に矯正できない音痴っていうのは、それこそ本当に『自分が違っていると脳が認識出来ない障害』になってしまうからね」

 「つまり誰かと一緒に練習すれば治る?」

 

 そういう事だな。

 音痴にも種類がある。自分が外れていると分かっていても直せないパターンと、自分が分かっていないパターンだ。前者は、例えば発声方法が悪いとか、上手く腹筋を使えないとか、呼吸が下手とか、色々あるが直しやすいとされている。

 会長の場合は後者っぽい。が、今までの運動音痴を解消した時と同様の問題で音痴ならば、修正は効くだろう、と辺りは付けた。それで千花に頼むのはちょっと父親的に複雑ではあるがな!

 

 一人で延々とPDCAを回していれば良い勉学と違い、相互協力が必要不可欠な分野では、一人での練習には限界がある。誰かが指摘して改善してやらねばならない。あの運動音痴さ、小学生時代や中学生時代、如何やってフォローしていたのか凄く気になるが、それは尋ねてもしょうがない。

 

 「とりあえず生徒会権限で、音楽室の使用許可は取った。他の部活も使う予定は無いらしいからね。練習だけは存分に出来る。後は、如何やって()()()()()()()事を運ぶかだな。……その辺は、僕が何とかする。千花は会長を全力で教えてあげて」

 「恩に着る。二人とも」

 「良いよ良いよ。その代わり千花の練習は厳しいから。頑張れ」

 

 頭を下げて感謝する御行氏を、音楽室に放り込む。

 まずは単音で、他人と同じ音が出せるかを確認し、自分の音を認識させる所からスタートだ。

 

 人間、誰しもが『相対音感』を持つ。これは和音に対して心地よい音を認識する脳の機能の一つ。プロはガチガチに鍛え上げるという。御行氏だって持っている筈なので、まずはその確認だ。学習速度は速いのだから、一回理解させれば後は簡単。……の筈だ。多分。

 こうして彼を音楽室に放り込んだのは良い。

 

 のだが、まさか風紀委員に噛みつかれるとは、思わなかった。

 

 「まあ教室の手配をするのは僕の仕事だからなぁ……」

 

 広報というのは生徒と生徒、教員、外部の人々とを繋ぐ仕事故、数々の『お知らせ』を行う。イベントの宣伝のみならず、会場の手配をしたり、やって来るお客さんの応対をしたり、要望が叶えられる様に取り計らったり。だから他人(授業、部活、教員等)のスケジュールを圧迫しない限り、僕の権限で、体育館や音楽室を『練習で使う』許可を取ることが出来る。

 

 この辺、下心を持って権利を使ったことは無い。

 ないのだが、どうもあの風紀委員の娘には、それが信じ難いらしい。

 

 ……まあ体育館の許可を取ったのも僕だし、千花と僕が使っていたのも確か。御行氏の名誉を守る為、その練習相手が彼だという情報は出来る限り表に出さないように取り計らった。下手に生徒に表に出すと、見物人が増えてしまう。体育の教員は知っているが、それだって『練習をする』までで『死んだアルパカを人間に育てる』とは知らない話だ。

 

 そうなると僕と千花と『謎の誰か』が練習をしていたと受け止められる。

 それが発展すると()()()()()レッスンをしているように捉えられても、不思議ではない。

 

 一年生、つまり今年の春に中等部から上がってきたばかり。生真面目で潔癖気味な性格。其処に聞こえる、生徒会役員の癖に、やったら惚気ている僕の情報。千花に対して尊敬の念を抱いているのも重なって……。僕の評価が、相当低いと。

 

 「僕だけなら兎も角、千花の評価が下がるのも良くないな。どうしたもんかね」

 

 『オニ』と気合の入ったハチマキを締めて音楽室から出てきた千花と、二日目にして憔悴した顔の御行氏を見ながら、僕は首を捻った。

 

 ◆

 

 伊井野ミコ、というらしい。

 

 それとなく情報を集めた結果、割とすぐに名前や立場は判明した。真面目で融通が利かない一年生。その勤勉さと几帳面さ故、成績も学年一位。正し余りにも潔癖さが過ぎて、周囲からは疎まれたり、煙たがられていたりするのだとか。

 幼い頃からピアノに触れていたらしい。千花を尊敬しているのかこれが理由だろう。

 

 正直に言えば、論破するのも泣かせるのも簡単だ。

 どんなに優秀な風紀委員でも、こっちとは場数が違う。ただ頑固で潔癖なだけの娘一人くらい、捻るのは訳はない。これでも生徒会役員。部活連やらOBOGのお偉方やらを相手に色々と会話を重ねているのだ。

 大体、一番性格がヤバイ、四宮かぐや嬢という相手に対して、それなりに良好な関係を築いている僕だ。彼女に比較すれば雑魚である。いや雑魚言っちゃ悪いけど。

 

 加えて藤原千花との関係は、学園で一番強いと自負している。他人に横入りを許すほど、僕は手綱を緩めるつもりは無い。無いが……全力を出して泣かせるのも後味が悪い。

 

 とりあえず一年生から上がってきている細かな要望で、風紀委員が対処出来そうなお悩み相談を、回しておく。生真面目な伊井野ミコなら、これを断る事は出来まい。頑張って処理して貰おう。これで一日は時間が稼げる。

 

 「石上、何か弱点とか知らない?」

 「知りません。僕、クラスメイトの名前すら覚えてないんですから。……生真面目で潔癖で喧しい狂犬ってくらいですかね」

 

 そう言った石上の顔は、真面目に鬱陶しそうな表情だった。

 冷静に思い出すと、あの伊井野ミコという娘、今までもちょくちょく顔を見せていた。あれは御行氏のスマホを、生徒会全員で買いに行った時だ。『チクタクマン』時間が起きる前の……あの時、電気屋でゲームを眺めていた石上に吠えかかっていたのも、彼女ではなかったか。

 TG部勉強会でブラのホックが外れた事件の時も、廊下に駐留して見回りをしていたし。

 

 「(キーちゃん)に聞くのもなんだしな……、言うこと聞いてくれるとは思わないし」

 

 ううむと考えるが、良いプランは中々浮かばない。

 

 「素直に受け止めて何時も通り惚気れば良いんじゃないか?」

 「……そうするか。そうしよう。有難う御行氏」

 

 水曜日木曜日と時間は過ぎ、金曜日、何とか御行氏がまともな歌を歌えるようになってきた頃、彼女は再び襲来した。ご丁寧に、本当に僕の所業を集めてきた。直談判の姿勢である。

 

 情報を集めた感じ、彼女は真っすぐだ。穢れが無い真っすぐさだ。どっかで折れるにせよ、誰かに折られるにせよ、それは僕の仕事じゃないだろう。恥じる事をしている訳ではないし。

 

 「本当に来たんだな。――伊井野さんは僕を誤解しているようだ。此処でその誤解を解いておこうと思ってね」

 「誤解……! 誤解と言い張りますか! ちゃんと集めてきたんですからね!」

 

 とメモ帳を片手に読み上げていく。

 

 『マスメディア部を通して大々的な交際宣言』

 『中庭でハグしていた』

 『藤原先輩に猫耳を被せたまま一日学園生活』

 『その藤原先輩に対して調教プレイ』

 『テーブルゲーム部の部室内で淫行』

 『公衆の面前で、藤原先輩を抱く発言』

 

 等々。

 

 「更に体育館と音楽室の私的利用……! これは明らかに校則違反です! 反論があったら聞きましょう!」

 「まず1と2と3は別に良いでしょ。校則違反という訳じゃないし。僕と千花は『許嫁』な訳で、それより過激な真似をしていたら困るけど、あれくらいはセーフというのが僕の判断だ。それ以上は見解の相違になるから言わないけどさ。むしろ『許嫁』として浮気をしていない、好きな人を相手に一直線というのは悪いことなのか?」

 「何を言いたいんですか!?」

 「いや、そのままの意味。冷静に考えてよ。健全な学園生活を送るために、風紀を乱すのがいけないんだろう? じゃあ僕と千花が、素敵な学園生活を送るために必要不可欠で……、誰かに迷惑をかける訳でもない、健全な交際をしていることに問題は無いんじゃないか? イチャイチャをもう少し抑えて下さい、というのは分かる。でも否定されるつもりは無いぞ。千花とラブラブしなかったらストレスが溜まって勉強に集中できないとなったらどうするつもりだ。実際、中庭ハグ問題の時は体調を崩しかけたんだからな? 好きな人を好きだと言って何が悪い!」

 「むぐぐぐ」

 

 半分くらい開き直ってしまえ、と口を開いたら怒涛の勢いで言葉が出た。屁理屈を言っているつもりは無いよ。ただ本音を言ったら言葉数が増えて一気呵成になっただけだ。

 伊井野ミコは台詞のアチコチにある言葉に反応したらしく、一瞬黙ったが。

 

 「それで誤魔化しきれない部分はありますよ! 特に最後! 先日藤原先輩を抱く発言したってのは皆が話している噂です!」

 「あ、それは違う。あの時は『夏休みの時間が欲しい』って言ったんだよ。言い損ねたけど。大体『抱く』ってどういう意味なのか理解した上での話だよな? 公衆の面前でハグするくらい良いだろう? それともそれ以外をするとでも?」

 

 『それ以外の意味を追求してくるつもりか?』と匂わせると黙った。

 何となく顔が紅潮しているのは、頭の中で、千花のエロシーンが浮かびでもしたんだろう。

 やっぱこの娘、想像力……というか妄想力が豊かで、あらぬ景色を勝手に捏造してないか?

 

 「TG部での話は本当に誤解だ。多分、槇原こずえから聞いたんだろうけど、あれは違うよ。勉強中、千花のボタンが取れてしまってな。手が届かない位置だったから、僕がその場で縫い合わせたの。それを聞いた槇原が誤解したの。『狭い』とか『キツイ』とか『手が太い』とか全部、裁縫の時の話。大体、学園内で淫らな事をするはずないだろう。――千花に迷惑が掛かる! 僕は自分に欲望が、微塵も無いとは言わないが! 千花に恥をかかせる様な男にはなりたくない!」

 

 微妙に違うが、似たようなもんだし、嘘は言ってない。

 それに千花に変な称号を与えるのも僕の意図するところではない。

 僕が『アイツ、恋人に猫耳させる男なんだぜ』と噂されるのは良い。

 だが千花を淫乱扱いするのは断じて許さん。天然で可愛い僕の嫁だ。

 

 「僕以外の誰にも彼女を汚させはしないぞ。勝手に写真を撮るくらいはまだ許すが、本人に手を出したら惨刑に処してやる」

 「や、やっぱり藤原先輩を汚すつもりなんですね……!」

 「学園じゃやらない。『汚す』言うな『汚す』と。何れ結婚するんだし。その後に夫婦の関係に茶々を入れる権利は君には無いだろ。それとも世間に居る夫婦の営みを不潔とでも言うつもりか」

 「た、体育館と音楽室については!」

 「言うなれば子供の世話だな」

 「こ、子供……っ!?」

 

 僕の微妙な表現に、伊井野ミコは顔を赤くしたり青くしたりと忙しい。

 まあ半分くらい誤解させつつも、千花に迷惑が行かない様に軌道修正しているんだが。

 

 「下世話な発想をしない。千花を母とすると僕が父親的な意味で、世話のかかる子供の教育をしている感じだな。妻のサポートをするのは旦那の役目だろう? そして子供とは、言うなれば学園の生徒の事だ。――信じられないという顔だな。だが冷静になって考えろ」

 

 僕は音楽室の中を指さして、言ってやった。

 

 「今ここで、僕が伊井野ミコ、君と会話をしている最中にも、音楽室の中では千花が、生徒の練習に付き合っている。これが、僕が私的利用していない最大の根拠以外のなんだ?」

 「ぐぬ、ぬぬぬぬ」

 

 図星だったらしい。反論できずに彼女は黙った。

 そうこうしていると、背後の扉が開いて、千花が疲れた表情で、顔を出す。

 

 「お、お疲れ。終わった?」

 「なんとか無事に教え終わりましたー。多分大丈夫です。いーちゃんが邪魔を入れないでくれたお陰ですね。……そっちの彼女は?」

 「千花のファンだってさ」

 

 さり気なく『邪魔』という一言が飛んだ。伊井野ミコに若干のダメージが飛んだ。

 まあ追撃はしないでおいてあげよう。無難な紹介をして、無難に千花と引き合わせる。

 

 「あ、そうですか。ごめんなさいです、今ちょっと、音楽が苦手な人にスパルタ教育を施してまして顔を出せなかったんです。ええと、伊井野ミコさんでしたよね。私と……彼が何か?」

 「い、いえ! そ、その、岩傘広報が、藤原先輩に、狼藉を働いていないかな、と」

 

 僕を相手にしていた時とは随分と違う、神妙な態度で彼女は問う。

 憧れの先輩を見る様な目をしている。

 彼女の質問に、無いです無いですと笑顔で否定して、伊井野ミコにこう告げた。

 

 「岩傘広報は生徒会役員の権限を私的利用したことは無いですよー。私相手に色々悪戯することはありますが、それは全部、責任が取れる範囲です。間違ってもエッチなことを学園でするような人じゃありません。家だと時々鬼畜ですけど」

 「き、鬼畜……!?」

 「語弊がある言い方をしないで貰おう」

 「語弊でも無いですよ。バレンタインの日に私を押し倒したじゃないですか」

 「押し倒――っ!?」

 「未遂だ未遂。大体それを言うなら水着とは言え風呂に一緒に入るのはどうなんだ」

 「混浴ぅっ!?」

 

 いちいち反応する伊井野ミコが面白い。なんというかキャンキャン吠える雑魚犬を弄り倒す感覚というか。千花も半分くらい楽しんでやってるなこれ。

 

 「まあそーいう訳で、学園内での風紀に関しては、問題にしないで良いですよ」

 「そういう事だ。気になるなら今後も頑張って監視すると良い。尻尾を出すかは知らないけど」

 「そうだな……」

 

 真っ白に燃え尽きた御行氏が、足取りも重く顔を出した。

 しかし顔は満足気だ。これは無事達成できたという事か。

 

 「御行氏もお疲れ様です。大変だったでしょう()()()()()()()()()()()するなんて」

 「……まあな。これも責務だ」

 

 丁度良い、此処に伊井野ミコが居るし、情報操作に協力して貰おう。

 千花だけではなく、御行氏も一緒に、謎の生徒Aの練習に付き合っていた、としておけば今回の追及はこれ以上行えまい。加えて御行氏が練習の相手だったという事実も隠蔽できる。

 

 「その本人は窓から?」

 「ああ。恥ずかしかったのか、俺と藤原書記にお礼を言って出て行った」

 「……本当に練習だったんですね」

 「だからそう言ってる」

 

 僕の言葉に、伊井野ミコは、暫し納得できない、という顔をしていたが――やがて『誤解して、ごめんなさい』と頭を下げて、去って行った。

 素直な良い子ではあるな。真っすぐ過ぎて凄く弄り易いともいうけど。

 

 「ともあれ、お疲れ様。二人とも」

 

 僕は二人を労う事にした。取り合えずその辺の自販機で、コーラでも差し入れるとしよう。

 

 尚、今回の件で、伊井野ミコから僕は更にマークされることになる。

 今まで学園内部で不埒な行動をしていなかった、とは理解してもらえたようだが、それで藤原千花との関係に納得した訳ではないらしい。今後やるかもしれない、と警戒を強めたようだ。

 

 彼女の頭の中で、僕が一体どんな人間になっているのか。

 どんなに鬼畜で外道でサドな紳士になっているのか、どこかで話し合う必要がありそうだ。

 

 ◆

 

 「ところで岩傘広報? 藤原さんのみならず会長も連れ込んで、()()()()()音楽室で密かに練習をしていたと聞いたのですが、何故その場に私もいなかったのでしょう?」

 「いや、石上も居ませんでしたが」

 「はい?」

 「ナンデモナイデス」

 

 かぐや嬢に追及される僕が居た。

 これに比較すれば、伊井野ミコなぞ恐れるに足らない。

 

 千花と御行氏の関係が強化される点に関しては、僕が居るから心配はないと納得してくれた。

 のだが自分が除け者になっているのは色々悲しいらしい。

 

 またこのパターンか! と僕は臍を噛んだ。これで二回目だ。

 仮に三回目があったら誤魔化しきれんぞ。頼むから三度目は起きないでくれよ?

 ……と、叶う筈もない願いを掲げたのである。

 

 ◆

 

 「それでもう会長の音痴を改善するのに付き合って大変だったんですよ」

 「やっぱり会長さんって努力家なんですね……! 一週間で改善するなんて、ますます素敵です。――お姉ちゃん如何しましょう、私、心の中のトキメキが抑えられません……!」

 「えっ」

 

 藤原千花はこの日、知った。

 さる六月の雨の日から、妹から白銀御行に対して恋愛のベクトルが発生していたのだと。




本日の勝敗:伊井野ミコの完敗
理  由 :岩傘にとって伊井野ミコを煙に巻くくらい簡単。
      とは言え泣かせたい訳でも傷付けたい訳でもないので、匙加減には苦労する。


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岩傘調は防ぎたい

投稿を始めて早い物で一か月。
これからもガシガシ更新していきます。
皆様からの応援に感謝します。


 一番最初に結果だけ言っておこう。

 僕が()()()()したぞ。

 クルーシュチャが泣いて悔しがるレベルで完全勝利したぞ。

 

 ◆

 

 『くふ、くふふふ。雨、良い響きだ。雨は何もかもをかき消す。悲鳴も、恐怖も、悪意も……。知っているかい? 排水溝に潜むピエロが居るよね。あいつも雨の日にやって来ては幼気な少年を殺して回っている。古今東西、雨の日の恐怖というのは似たよ「やかましい。今忙しいんだ」――ブツッ』

 

 いきなり連絡先不明の相手から電話が鳴ったと思ったら、怪しい奴からの連絡だった。

 面倒なので切ってやった。

 同時、轟音! 閃光! そして生徒会室に響く、千花の悲鳴!

 

 「うお、こりゃ近いっていうか――真上だな」

 「残っている生徒も、早く帰るようにと連絡がありました。生徒会も今日は早終いですね」

 

 光と音の感覚は一秒もない。至近距離である。

 文月も半ばとなると、唐突な俄雨(にわかあめ)が降る事も珍しくない。ここ最近、ゲリラ豪雨などという呼び方が流行しているらしいが、日本人なら日本人らしく夕立と表現したい物だ。ソロモンの悪夢をゲリラ豪雨と呼ぶのは風情に欠けると思うっぽい。……なんてね。

 

 まあ今回のこれは、雷雨ではなく台風だ。

 関東圏に上陸した台風は勢力を弱めず北上し、数日間は雨が止まないと天気予報は告げていた。河川の増水には十分注意するようにと付け加えられている。

 

 「電車も止まってるようです。御行氏、どうします? 送ってきましょうか?」

 「いや、バイトがある。それに自転車を回収出来ないのは不味い。明日が徒歩になるからな」

 「そりゃ不味いな。……雨合羽を買えばどうです? 折り畳み傘より便利ですよ。最近のは社会人も――工事現場の人とか配達業の人が――使う、格好良い奴も売られてるよ」

 「……考えてみよう」

 

 少し前に、中古でも格好良い服はあるよ、千円で上下一揃えを買うなら良いんじゃない? とアドバイスをした。

 御行氏は、あれからニ・三週間に一セットくらいのペースで、割とマシな私服を増やしているらしい。情報ソースは憂さん → 我が妹 → 圭ちゃんというルートである。

 逆に言えばそれまで、私服のセンス“も”壊滅的だったという事か。

 

 「こりゃ傘は役に立ちそうもないし……車を使うかな。千花ん家、車はー?」

 「タクシー使ってってメール来ましたうひゃあ!」

 

 再びの落雷。なんとなく不吉な感じだ。

 雨はそこまで嫌いではない。雨が降る前の空気の湿り気というのか、あの微かな郷愁を誘う空気が好きだ。まあビシャンビシャンと雷が落下し続ける、この豪雨は『気持ちが良い』と言えるレベルは通り越しているが、それでも日中の蒸し暑い空気をどっかに吹き飛ばすような暴風雨だ。これはこれで悪くないと思う。

 が、さっきの電話で色々と不愉快だ。うーむ、良くないな。

 

 「雷! 雷落ちましたよ! 今! おへそ取られちゃいます!」

 「雷がそんなに怖いか?」

 「だってドーンて来て、バーンて言うじゃないですか。大きい音、苦手なんです!」

 「……耳を塞げば良いんじゃないか?」

 

 実に真っ当な御行氏の意見に、千花は千花っぽく答えた。

 

 「耳、塞いだらおへそを隠せないじゃないですか! 普通考えたら分かるでしょ!」

 「いや、その理屈はおかしい」

 

 どうすっかなー、アイツ絶対なんか攻撃してくるぞ、と思いつつ「よな?」と御行氏を見ると、御行氏も『普通ってなんだっけ』と言いながら頷いていた。

 

 雷様におへそを取られるというのは、一種の格言であり、古くから伝わっている教訓だ。

 気温が下がるからお腹を冷やさないように、という意味。お腹を押さえると身を屈める姿勢になるから落雷に注意できる、という意味。昔の人は小銭を腹のポケットにしまっていたから、落雷時にへその辺りに通電して死体の中で特に目立って焦げていた、なんていう裏話もある。

 

 まあ天災への恐怖が今も息づいているのは、それはそれで良い。

 そしてこの辺で、僕はふと気付いた。

 

 (冷静に考えればその辺を放浪してるニャルラトホテプなんかより、よっぽど怖いよな、雷)

 

 ……そう、クルーシュチャの奴が、怖くなくなってきたのだ。

 さっき電話を切った時、何というか相手が「えっ」という反応をしてきたと思う。

 

 確かにアイツは怪しいが、ぶっちゃけ恐怖度と言う意味では御行氏の音痴具合(尚、無事に朝礼での校歌斉唱はクリアした)の方が恐怖だったように思う。

 恐怖には鮮度があるという。過去の恐怖体験とか段々薄れていくものだ。

 

 「うう、私はおへそを隠しているんで、かぐやさん耳を塞いでて下さい……」

 「わ、分かりました……」

 

 等と、相変わらず千花は周囲を巻き込んでマイペースである。

 

 差し迫った仕事は、今月末にある生徒総会くらい。この天気でずっと学園に残っているのも気分が良くないし、さっさと帰るとしよう。SE呼んで修理してもらったPC(でも相変わらず調子が悪い)のデータをバックアップも併せて保存し、帰り支度を始める。

 メールを憂さんに送ったら『車を回します』と返事が来る。帰路の心配はしないで良さそうだ。

 となると絶対何か仕掛けてくるニャルラトホテプを如何しようか、だ。

 

 「千花、憂さんが車回してくれるってさ。迎えが来るから支度しよう。……御行氏、雨合羽、使います? 多分車の中に、大きめの奴が一つくらいはある筈です。自転車漕いで帰るためにも遠慮せずどうぞ」

 「そうだな。じゃあ甘えさせて貰う。また乾かして返す」

 

 と、こんな感じで一同は解散することになった。

 

 かぐや嬢は近侍早坂愛を伴って車で帰宅。御行氏は合羽を借りて自転車でバイト。そして僕と千花は憂さんの車で帰路に付く。空は相変わらずの雷模様。電車は復旧したらしいが豪雨に一切の曇りは無い。考え込んでいると、これも数日前に御行氏から言われた言葉が頭に浮かんだ。

 

 『素直に受け止めれば良いんじゃないか?』

 

 ……そうか、と僕はそこで閃いた。

 素直にやって負けるなら、素直にやらなければ良いだけの話なのだ、と。

 

 

 ◆

 

 憂さんの運転する車に千花と乗りこむ。

 千花はなんか、耳を塞がれ、序に眼も塞がれると「楽しー!」とか笑っていた。玄関前まで見送りに来てくれた、かぐや嬢には感謝である。千花のそういう顔を見てると僕も楽しくなるものだ。

 この雨で体が冷えるといけない。風邪引かないようにとの忠告が、別れの挨拶だった。

 

 ゆっくりと動き出した車の中で、冷静に考える。

 あのクルーシュチャという女に、単純な知力で勝つことは出来るだろうか? 否だ。努力すればワンチャンあるかもしれないが、勝つまでには相当の辛抱が必要だ。そうでなくとも奴はこっちを見て嘲笑し、簡単に煙に巻く。僕が些細な抵抗をしても、奴は受け流すだろう。

 

 言うなれば奴と僕の立場は、僕と伊井野ミコ程の力量差がある。

 僕が何をしても、真正面からやったら確実に完敗する。仮に勝てたとしても、それは数ある勝負の中のたった一回であり、その一回で奴を『追い詰める』必要があり、相手を倒さなくてはいけないのだ。そんな都合よく、話が進むとは思わない。

 

 じゃあ、どうするか。

 戦い方を変えるのだ。知力で戦おうとしても無理。無意味。そもそも学校の成績で、自分の努力すら他生徒に負けると実感したばかりだ。その上で『ニャルラトホテプに頭脳で勝ちます』というのは失笑物も良いところだ。

 

 ならもう、捻くれた攻撃をしてやるしかない。

 こっちに喧嘩を売ったのならば、喧嘩を売ったことを後悔させてやろう。

 頭の中で、プランが瞬く間に組上がっていく。

 

 視界の隅、車の進行先に、ツートンカラーの女の姿が見えた瞬間、僕は行動に移していた。

 

 「千花、千花 さっき、かぐや嬢がやってたの、僕もやって良い?」

 「あ、さてはいーちゃん羨ましくなりましたね? 良いですよ。はい」

 「うん、それじゃあちょっと失礼して」

 

 千花の耳を塞ぐ。序に目を合わせて千花の視界を僕に固定。

 髪の毛と、その下の可愛い耳に触れる。あ、これキスする寸前みたいな形になるな。

 じっと見ていると千花が、「え? え? あれ? もしかして不意打ち?」という感じで顔をちょっと赤くする。

 僕もキスしたい衝動に駆られたが、憂さんがミラー越しに見ている。止めておこう。

 

 千花が動揺している隙を付き、憂さんには、代わりに一つお願いをした。

 

 ◆

 

 雨の中でクルーシュチャは笑っていた。

 電話は切られたが、その程度で彼女が嫌がらせを辞める筈もない。

 彼女の姿は、藤原千花には見えてはいない。だが岩傘調と、運転手には見えているだろう。運転が少しでも動揺すれば占めた物。

 

 彼女の視界、岩傘調は、藤原千花の目と耳を塞いだ上で優華・憂に何かを告げる。

 

 「くふふ、電話は切られたが、その程度で追跡を振り切れると思わ『バッシャアアア!』――」

 

 次の瞬間、車は加速。

 そしてクルーシュチャの真横を通り過ぎ、盛大に水飛沫を跳ね飛ばしていった。

 顔面、全身をずぶ濡れにして、車は去って行った。

 

 「………くふ、ふふ、や、やってくれるじゃないか」

 

 後には、モノクロカラーの服が濡れて灰色一色、アホ毛が崩れたクルーシュチャが一人。

 若干、引き攣った顔をして、彼女は後を追いかけた。

 

 ◆

 

 「要するに、相手をしないのが、一番だよな」

 

 ニャルラトホテプが嫌がる事! それは!

 

 挑発に乗らずにスルーすること。

 そして延々と逆挑発を繰り返すこと。

 この二つだ。

 

 幸い、奴は確かに精神的にアレかもしれないが、物理的に存在している。

 それは弱点だ。奴はトリックスターで手品師かもしれない。しかし幾ら手品師が、優れたトリックを持っていても、それを使わせなければ――要するに()()()()()()()()()それで終わるのだ。

 

 観客が誰もいない舞台で手品をする程、奴は落ちぶれちゃいない。

 優秀だからこそ観客を求める。チケットを売りつける。

 

 売られた喧嘩(チケット)は買ってやる。だがどんな風に買うか観るかはこっちの勝手だ。

 相手が殴って来たからといって殴る必要は無い。相手が殴ってきたらこっちは銃を撃てばいい。要するにそれだけの話なのだ。それだけの話だと気付くのに時間が掛かった。

 

 加えて――どんな方法かは知らないが――あいつの存在を、千花は認識出来ないらしい。

 クルーシュチャは、その特性を、僕の不安を煽るのに利用していた。だが――逆に言えば、僕が何をしても、見えない相手に僕が独り相撲をしているようにしか見えない。であれば簡単だ。

 

 「んー、千花、家、寄ってかない? 今日は義母さんも居ないし、妹も居ないから、親父が戻って来るまで僕と憂さん二人だけなんだよね。ちょいと寂しい」

 「むむむ? 良いですけど……。何か用事でもありましたか」

 「いや、何もない。単純に千花と二人で過ごしたいなーってだけ。ダメかな」

 「ちょっと甘えん坊ですね? 良いでしょう良いでしょう、私は寛大です。甘えたい、いーちゃんを存分に甘やかしてあげましょう!」

 

 僕の本音に、千花はなるほどなるほど、と頷いて『良いですよー』と大きな胸を張った。可愛い。母性を感じる。流石に、そのたわわに顔を埋める欲望を実行するのは、ちょっとばかりはしたない。……でもハグした時&タッチした時に、その感触と大きさは確認済みだ。想像するくらいは許してほしい。

 

 言いながら車を降りる。まだ雨が降っている。傘を差して、二人で入った。

 玄関まではほんの数メートルの距離だ。

 

 その途中に、先回りしたらしいクルーシュチャが不敵な笑みを浮かべている。

 

 「――くふふ、さっきは呆気に取られたが今度はそうもいかないよ? 話の通り雨というのは水だ。つまり水の眷属が活発化する。ダーレスの分類には賛否両論があるが、利

 『甘える序に甘えて良い? 千花のご飯食べたい。今日、そこまでお願いしたい』

 ――用できるものは利用させてって、おい、まさ

 『え?……うーん、じゃあ良いですよ。でもお母さまやお姉さん達も一緒になると思います。それでも?』

 ――無視するなよ!?

 『勿論!』

 

 なんかほざいていたけど全部無視してやった。

 千花からは奴の姿が見えない。なら僕が無視すれば何の問題もない。

 

 「くふ、くふふ、やってくれるじゃないか。こういう方面で攻撃をしてく痛あっ!?」

 

 おっと。なんか道を塞いでいる邪魔な足があったから、うっかり爪先を踏んでしまったらしい。

 

 そうだよな。物理的な制限を受けるなら、加えて人間的な形態をとっているなら、末端神経への痛みは結構響くよな。でも僕は悪くないぞ。通行の邪魔をしている奴が居たら退かすのは当然で、しかもそれが敷地内に居る不審者相手なら、遠慮をする必要は全くないよな?

 

 地味に痛かったらしく靴を押さえてフルフル震えていたクルーシュチャの横を通り過ぎる。

 

 そのまま玄関に到着したので、扉を開ける。開かない。

 ……ちょっと考えながら鍵を取り出し、差し込んで、鍵を外す。扉は、開かない。

 ふむ、これはちょっと困ったな。

 

 「……ようやく気付いたようだね。鍵は開かないように細工を施させて貰った! 話を聞かない限りこの先には進めない。くふふ、ペースを握られたが、ここからが本気の」

 「憂さん、すいません、お願いします」

 「はい。――……HAっ!!」

 

 呼吸を整えた憂さんが、正拳を一発。その一撃は扉を貫通!

 よいしょ、と言いながら力技で扉を開ける。そして元に戻す。

 

 「本気の『深き者』が――え? あの、……えっ?」

 「おー凄いですねえ憂さん!」

 「お粗末でした。――雨漏りか、湿気かで、扉が歪んだのでしょう。業者を呼んで修繕して貰いましょう。今は私が適当に応急処置をしておきます」

 

 どんなトリックかは知らないが、物理的な法則があるなら、物理で破れる。

 憂さんの目にもクルーシュチャは映っているようだが、そもそもが表情筋が動かない人だし、奴が敵意悪意を持っていると(神保町の一件で)理解している。であれば彼女は容赦をしない。下手すると僕より容赦をしないぞ。

 

 僕と千花が中に入り、憂さんがしずしずと扉を閉じ、クルーシュチャは雨に打たれ続けていた。

 

 マンホールの蓋が開き、なんか待機していたらしい触手生命体が、豪雨の中へのっそりと顔を出し(顔は無かったけど目と口らしき物があった)『姐さん、ウチら登場して良いんですか?』みたいな感じで、うねうねにゅるにゅると突いていたが、知ったこっちゃない。

 SAN値が減った感じは全くない。会長の歌や死んだアルパカの方がホラーだ。

 

 とは言えこれで諦めてくれるとも思わない。

 どうせだ。色々準備しておこう。

 

 ◆

 

 「携帯繋がらないんですよー、でも何とか連絡は取れました」

 「雷が激しいからじゃないかな」

 「ですねえ。お母さまとお姉ちゃんが、途中で萌葉を拾って戻って来るって話してました。あんまり遅くならない内にとは言ってましたけど、19時過ぎるようです」

 「扉の修理が終わってから作り始めれば、丁度良い時間かー」

 

 憂さんは壊れた(壊したとも言う)扉を修繕中である。幸い我が家には倉庫があって、そこには色々な資材が保管されている。大半は本棚を造るための木材や角材だ。妹が部活で使う雑貨なんかも締まってあるので、応急手当には事欠かない。

 

 携帯電話の調子が悪い、のは果たして事故なのかクルーシュチャの妨害なのか。定かではないが、ここで重要なのは千花に違和感を与えず、全て自然な理由付けをする事である。

 僕と千花は広間のソファに並んで座り、テレビ画面を見つめていた。

 

 「豊実姉の趣味がスプラッタなのは知ってたけど……、B級鮫映画も範疇なの?」

 「らしいです。まあこれはマシな出来らしいですよ、鮫映画の中では」

 「定義がよくわからん……」

 

 幼い頃は、憂さんと豊実姉とが、僕と千花の世話役だった。

 だから豊実姉に付き合って、彼女の趣味だというB級映画を見たことも何回もある。実妹の千花に無理やり見せるのは抵抗があっても、妹の許嫁・義理の弟である僕へのちょっかいは沢山あったのだ。お姉さんぶっていた、ともいう。だから色々変な映画鑑賞に付き合わされた。

 

 その中には『もう見たくないです』っていうレベルのクソ映画もかなりあった。最近、彼女は色々と裾野を広げているらしく、その中の一本を憂さんにも勧めており、それが我が家にあったのだ。せめてもうちょっとこう……トトロみたいなの無かったの? と思うが、千花が見たいと言ったのだから付き合っている。

 

 「きゃっ、け、結構ドキドキしますね?」

 「そうだね。……それが狙いかー! 千花―!」

 「そうですよ! 偶には私も引っ付きたいんですよー」

 

 開始から十分。海の中を泳いでいた金髪巨乳の姉ちゃんがサメに襲われ……なかった。いや、あれは鮫なのか? 鮫を捕食する蛸の触手。鮫を殺す鮫とか、微妙にテンプレを外している。

 割とマシな作品かもしれない。

 

 しかし、それに合わせて千花が引っ付いてきた。狙いすましたように僕に寄りかかる。腕を絡めて、顔をこっちの胸板に寄せ、小動物が懐く様に。……甘えて来ている!

 悟った。畜生、さっきまで僕がタレチカならぬ垂れ調(タレシラベ)のように、くたくたっとしていたのを見かねて反撃だな? くっそ柔らかいな。良い匂いするな。

 

 怯んだら負けだ。彼女を受け止めて、そのまま膝の上に乗せる。とんとんと背中を叩いて、猫を宥めるように体温を味わっていると、ごろにゃーと彼女は鳴いた。むう性癖を攻撃されている。

 

 「にゃろう。くすぐってやる! このこの! てい!」

 「きゃはは、駄目ですよ! 脇はダメですー! もうエッチ!」

 「何がエッチだ誘った癖に!」

 

 どうやら敏感らしい脇をくすぐってやると彼女はけらけら笑い続けていた。

 虐めたくなる気持ちも分かる。

 

 「このまま襲うんですか? いーちゃんが好きな本みたいに!」

 「畜生! 趣味バレてるとやりにくいな!」

 

 適当なところでやめた。

 僕はケモナーではないし、コスプレ好きではない。

 ただこう、……魔法少女とかは好きなのだ。平和な日常を守るために奮戦する姿とかぐっと来る。序に言えば普段は見せない姿を見せると尚良い。千花の猫真似は、そういう意味で、実にクリティカルヒットだった。

 

 「千花にお酒飲ませたら、マタタビをかいだ猫みたいになるのかね……」

 「食前酒とお神酒くらいなら飲みますが、顔に出ないですし、いーちゃんが望む醜態は多分、晒さないですね」

 

 千花、意外とお酒が強いらしい。僕はあんまり強くない。

 まー飲ませて酔わせて関係を発展させるとか、そういう事は……多分恐らく、起きない筈だ。

 

 画面の中では、ボートから一人逃げ出したジョックが、お約束通り鮫に襲われていた。この分だと退治方法もテンプレート通りだろう。激しい戦闘音が続く。

 同時、窓を叩く雨音に別の音が混ざった。

 ちらっと窓を見ると、蛸の吸盤のような何かが張り付いている。

 おお、映画と合わせて良いタイミングだ。色んな意味で。

 

 「さて、そろそろ扉の修繕も終わるかな」

 

 名残惜しいが、千花を膝から、再びソファの上に戻して、僕は立ち上がった。

 そのままカーテンを閉める。これで何かが目に入ることは無い。

 

 しかし、周囲に怪しい何かが動いているのは確からしい。それも巨大な頭足類が。神話的に言うならば、雨が止むまでは彷徨って居そうだ。うーん、どうしたもんかなーと思っていると、窓ガラスが割れる音が聞こえた。

 

 「! な、なんでしょう? 突風で何か飛んできたんでしょうか……?」

 「ちょっと見てくるね」

 

 立ち上がって、ビニール袋を手に取った。序に手袋を確認した。

 この手袋、憂さんの購入したスタンガン式である。片方だけ借りてある。

 

 憂さんが扉の修繕をする為に、倉庫から色々持ってきたのだが、その際に僕も道具を調達してきた。千花には『雨漏りあるかもしれないから』と言い訳してある。

 袋を持ったまま廊下に出ると、薄暗い中――触手が蠢いていた。

 

 「窓ガラスを割りやがって……」

 

 隣の窓ガラスから、外を見る。其処には何か巨大な影があった。言うなれば触手の塊のような何か。うぞうぞと実に気色悪く蠢いている。次から次へと触腕を増やし、軟体動物よりも滑らかな動きで、狭苦しい窓から侵入しようとしている。

 その脇に、クルーシュチャが笑っていた。今度こそ本当に此方のターンと言わんばかりに嗤っていた。ちょっとムカッと来たので行動を開始する。

 

 「えーと、じゃあこれ」

 

 窓から侵入してきた触手に、組み立て途中の本棚のパーツを渡す。木材の板、柱、パネルなどを触手が掴む。組み立て途中の、良い感じのボックスがあったので、それも追加だ。

 パワーが段違いなのかメキメキと壊れていく。捕まったら嫌だなと思いつつ、取り合えずビニール袋から、袋を取り出す。

 

 「くらえ! 所詮お前なぞ食材に過ぎない!!」

 

 『伯○の塩』。2.5㎏。

 それの封を切って、入ってきている触腕にぶちまけた。

 

 「!?!?」

 

 海水に生きている生命体なら、塩分濃度の調整機能くらいは持っている筈だ。それが崩れたら驚く。魔除けの意味もある。大体、一気に水分が抜け出て乾いた触手など、包丁でも斬れる。

 手に手袋をしているのを確認して、慌てて引っ込む触腕に、更に追撃をした。本棚の木材が邪魔になって、引っ込むまで30秒ほどの時間が稼げた。

 

 「じゃ、これ持ってってね」

 

 ボックスの中に、ビニール袋の中身を全部、投げ込んだ。

 

 妹が購入していたプラスチックチューブを纏めて鋏で切って投入。

 びりびりッと更に四つほど、袋詰めの土を封を開けて投入。

 おまけに台所から持ってきた瓶の、蓋を開けてそれも追加。

 

 果たして引っ込んだ触手は、それらを抱えたまま外に引き戻され、そして握らせたそれらを周囲にぶちまけた。

 

 ◆

 

 「うん?」

 

 クルーシュチャは、引っ込んできた触手に、何かが付属しているのに気付いた。

 塩を洗い流そうと慌てる『深き者』は、そのまま握った何かをぶんぶんと撒き散らす。

 

 「くふふ、同じ手は二度は食わな――」

 

 傘で防衛した彼女の笑顔は、しかし固まった。

 うねる触手の握力を前に、木箱は簡単に潰れてしまう。

 すると当然、圧縮された中身は破裂する様に撒き散らされる。

 

 見事に周囲に飛びちって、びちゃあっという音共に靴や衣服に張り付いた。

 一見すれば透明な液体。あるいは軽土。それらが靴や服にくっついて――『固まる』。

 

 余裕の笑顔をそのままに、ギギギと彼女は飛んできたそれらを見た。ご丁寧にビニール袋やチューブ、瓶には製品名が記されている。

 

 「止水セメント……瞬間接着剤……蜂蜜ぅ……!? ……は、剥がれな、動けない、髪に付いてべたべたする……っ!? ちょ、えっ……! も、もう怒ったぞ!? い、良いだろう、そこまで喧嘩を売りたいなら買ってやろうじゃないか……!」

 

 最初に喧嘩を吹っかけたのは彼女の方なのだが、それをすっかり忘れて憤慨する。

 

 止水セメントは数十秒から数分で固まってしまう。動転している隙に彼女の靴と地面は離れなくなってしまった。しょうがないので靴を脱いで、靴下のまま彼女は動き出す。体中が接着剤と蜂蜜でベタベタ。山盛りの塩を受けた『深き者』は、自分の触手を必死に振って治療中だ。頼れない。

 

 こうなったら、直接乗りこんでってやらあ! と気合を込めて、先ほど割れた窓に近寄った!

 

 ◆

 

 「いーちゃん、どうでしたー?」

 「どうも突風で石か木の枝が飛んできたらしい。窓ガラス危ないから近寄ったらダメだよ」

 

 触手が逃げ帰って行ったのを見送っていると、千花が廊下に顔を出した。

 幸運にもタイミングが良かった。まあ千花にはクルーシュチャが見えていないようだし、あの触手も見えなかったかもしれないが、わざわざ確認をする意味は薄い。

 

 ちらっと見ると、引き攣った笑顔のクルーシュチャが、何故か靴を履かないでやって来ていた。

 僕につられて外を見るが、千花は『何かありましたか?』と首を傾げている。

 やはり見えていない。

 

 「憂さんを呼んできて、窓ガラスの処理と窓の修理もお願いしないといけないな」

 「さっきニュースを見たら、もうちょっとで雨は静かになるらしいですよ。風も収まるって言ってました」

 「じゃあ夕ご飯を食べ終わった頃には落ち着いてるかなー」

 

 会話をしていると、クルーシュチャが窓に取り付いて、よっこいしょと侵入しかけていた。

 人の家に濡れた格好のまま入るなよ。と思ったので、取り合えず追い払おう。

 

 無視して千花を追い抜いて、窓から距離を取る。僕とクルーシュチャの間に千花が居る順番だ。

 

 「千花千花、ちょっとこっち見て」

 「はい」

 「ダァン!!!」

 「わひゅうっ!?」

 

 振り向いた千花の真横に、手袋を付けた方の腕を伸ばして、叩きつける。

 

 「どう? これが御行氏直伝、壁ダァンなんだけど。……いきなりで御免。ドキドキした?」

 「ちょっと驚きましたー。……そうですね、新鮮さはありました。今も、心臓がどきどきしてます。痺れてます」

 

 ◆

 

 クルーシュチャは痺れた。

 

 突然伸びてきた手袋は、彼女を経由したのち、壁ドンを行ったのであった。

 窓の下、廊下から死角になる場所でビリビリと悶えていた。

 

 ◆

 

 「でもいーちゃんがやっても微妙ですね。あんまりワイルドさとか無いですし」

 「そっかー、じゃあ今度は別の方法を確かめてみる」

 

 不審者が窓から外に出て行ったというか窓の外に転がり落ちたのを見て、僕は安心した。

 

 今の音を聞いたのか、玄関の修繕を終えた憂さんも戻って来る。彼女に、窓が壊れてしまったと説明をすると、分かりましたと頷いて、今度は窓の修繕を開始した。

 適当な板で窓を塞ぎ、窓ガラスの破片を拾い、床を綺麗に雑巾がけ。手際よく仕事は終わった。

 

 それでもしつこく触手が侵入しようとしていたのだが。

 憂さんは懐からナイフを取り出して、忍び込む奴に囁くように一言。

 

 『蛸はオリーブオイルで煮ると美味しいですよ』

 「!?!!?」

 

 奴は逃げた。

 

 「お待たせしました。では、夕食の準備をしましょう。千花さん、手伝いをお願いします」

 「はいはい! お任せくださーい」

 

 去っていく二人の背中を見送って、やれやれと僕は肩の荷が下りる気分になった。

 

 先ほどの千花の言葉は正しかったらしい。

 見れば帰宅時より雨も小降りで、風も随分と穏やかになってきている。

 

 クルーシュチャの姿は見えない。触手の塊も姿を消している。どうやら暫くは黙っててくれるようだ。携帯のアンテナも立っている。何とかなって良かった良かった、だ。

 

 「……ちょっとやり過ぎたかな」

 

 幾らあの女が気に食わないと言っても、流石に攻撃をし過ぎた気もしなくもない。

 例えニャルラトホテプであっても、一応彼女は人間だった訳で、しかも少女だった訳で。そういう相手を虐めたり傷付けるのは、振り返れば、あんまり気持ちが良い物ではない。

 

 「いーちゃーん、今日のメニュー、何か希望ありますかー」

 「あったかい奴かな!」

 「はーい。お任せあれですよ」

 

 千花に返事をしながら、僕は少しだけフォローをしてあげようと思ったのだった。

 甘いと言われたら其れまでだけど。

 

 あ、料理の注文もう一つしておこう。

 蛸や烏賊は少し食べたくない。

 

 エプロン姿の許嫁が可愛いなあ、結婚してたら後ろから抱きしめたいなあ。

 とか思いながら、僕も手伝う事にした。

 

 ◆

 

 我が家には僕以外に四人の住人が住んでいる。

 親父は多忙、母は色々あって自宅に居る時といない時が半々。そして妹は、基本的に自宅に居るが、事ある毎に自主練に出かけていく。幾ら運動部とは言え、中等部の女子なので、もうちょっと身の危険を感じて欲しいのだが――あの妹にそんな心配をするのは無駄。

 此処に憂さんを追加して、我らが岩傘家の成立だ。

 

 本日は憂さんと千花が作った晩御飯。机に座るのは、僕と千花と、豊実姉と萌葉ちゃん。万穂さんと我が妹と憂さん。どっちの父親も帰宅は遅くなるらしい。……女性比率が高い!

 

 むっちゃ肩身が狭い。藤原家の四人は僕に何かと茶々を入れ、妹はそんな僕を見て『だらしがない』と睨んでいる。頼れる憂さんはキッチンとテーブルを往復して常に座っている訳ではない(尚彼女も一緒にご飯を食べているぞ。お手伝いさんだからといって別扱いはしない)。

 

 「それで今日はいきなり壁ドンしてきたんですよー、驚きましたよー」

 「おー、責めましたね、お義兄さん! 今度私にやってみたらどうです?」

 「あらあら、萌葉じゃ身長が足りないわ。此処は私にやって貰うのが良いんじゃないかしら」

 「お二人とも勘弁して下さいって」

 

 湯気の立っているロールキャベツに舌鼓を打ちながら、わいわいと会話をする。

 でも、この賑やかさは悪くない。

 

 「やっても良いですけど、千花の前でですよ?」

 「そうですよー。取ったら怒りますからねー」

 「取らないわよ」

 

 和気あいあいと歓談が進む。

 憂さんは龍珠組の若いのと順調に交際が進んでいるようだから、そう遠くない内に家を抜けるかもしれない。豊実姉もずっと独身というのは無いだろう。そして僕と千花は、独立して新居を構えることになる。

 時間は長いようで短い。この時間を味わうのは悪くない。

 

 「と、そういえばちょっと用事を思い出した。席を外すね。すぐ戻る」

 

 一言断って、僕は居間を出る。向かう先は玄関だ。

 途中、自分の部屋によって、保温しておいた給湯ポットとカップ麺、割り箸も一緒に抱えた。

 そのまま玄関から外に出る。

 随分と顔に当たる雨も少なくなって、湿度のある風が吹き寄せる。蒸し暑さも感じない。

 

 「其処に居るんだろクルーシュチャ。折角だから食べてけ」

 「くふ、ほ、施しなら、受けないぞ? こ、これほどの屈辱を受けたのは初めてだぞ!」

 「素が出てるぞ素が。施しとかじゃないから。大体『こんな屈辱が初めて』とか言っても、僕らと大して年齢変わんないんだろ? じゃあ遠慮せずに食べとけよ」

 

 だぞ!ってなんだよ、だぞ!って。それが素の口調という事か。

 

 未だに服もずぶ濡れの女がそこには居た。

 接着剤と蜂蜜で、灰色の髪はベタベタ。モノクロ衣装はセメントで灰色に汚れている。

 其処はニャルラトホテプらしく、何の変哲もない服に着替えておけよ、と思ったが。

 

 「人に見られていないと手品は出来ないんだよ……!」

 

 僕が全部ガン無視した結果、早着替えを発動することも出来なかったらしい。

 というかやっぱり手品だったのか。大体何かしらのトリックがあるとは思っていた。だからこそ退治(物理)が効果を発揮すると思っていた。それは証明されたわけだ。

 

 場所が場所故に、恐らく僕らの屋内での会話は聞こえていただろう。

 暖かく賑やかな我が家と比較して、一人寂しく、野外で、くふくふふと笑っていたこの女の精神状態は如何なるものか。

 愉悦も出来なければ、多分、悲しいとか虚しいと表現できる筈である。

 

 その証拠に、カップ麺を見て、喉を鳴らしていた。

 微妙に目元を拭った跡まであった。

 ……やっぱ怖くないわ、コイツ。

 

 「要らないならゴミ箱に捨てておけばいいよ。明日は燃えるゴミの日だし。じゃ」

 「くっ、くふふ、お、覚えておけよ!!」

 

 屋内に戻る僕の背中に奴の負け惜しみが飛ぶ。

 半分ヤケクソ半分泣き声になったような、声だった。

 

 「次は負けないからなぁあああ!」

 

 泣きながら走り去って行く姿は、邪神ではなく普通の少女だった。

 アフターフォローはこのくらいで良いだろう。奴のしてきたことに比較すれば、僕の今日の行いは可愛い反撃だ。次またちょっかいを掛けてきたら、同じように反撃してやれば良い。

 

 尚、ちゃんとカップ麺にはお湯を注いで、割り箸と一緒に持っていった。

 翌日、代金が封筒に入ってポストに投函されていたとも付け加えておこう。

 律儀な女である。




本日の勝敗:岩傘調の完全勝利(パーフェクトゲーム)
理由:クルーシュチャは半泣きで逃げだした。


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岩傘調は休ませたい

クルーシュチャちゃんはポンコツ


 その日、僕の気持ちは割と沈んでいた。“割と”というより“かなり”沈んでいた。

 教室に入った僕は、挨拶こそちゃんとしたが、それ以外は割とおざなりになって机に付く。豊崎は『体調でも悪いのか?』と聞いてきたので、身体より精神的に少し、と返事をした。

 

 神話的恐怖やらSAN値直葬案件やらに関しては異常に耐性がある僕の精神だが、その逆には弱い。平たく言えば、人間同士の関係から生じる感情の機微にはかなり弱い。今回もそれである。

 

 「なんだ、藤原さんと喧嘩でもしたのか?」

 

 「そんなことは無いよ。むしろ昨日は藤原家と一緒に夕食を取ってとても盛り上がった。特に千花が可愛かった。ロールキャベツを作ったんだが――この暑い中でとか言うなよ? 台風でじめっとしてた上に濡れて肌寒かったからな――味だけでなく、食べた時のリアクションまで可愛くってなー、下を火傷しましたって小さいベロ出してくるの。口内炎に効く薬を塗ってあげたくらいで……」

 

 「すまん聞いた俺が馬鹿だった」

 

 遠回しな遠慮の言葉に僕は黙った。そして窓から空を見て、つい溜息が出る。

 溜息を吐くと幸せが逃げるというが……どうしても吐き出さずにはいられなかったのだ。

 そうこうしている内に千花も教室に入ってきた。そして僕の元に。

 

 「いーちゃ……調さん、そこ、私の席です」

 「……そうだね」

 

 のそのそと動いて隣の席に移る。なんとなく千花の座席に陣取ってしまっていた。

 この点だけでも僕が割と、精神的ダメージを負っていることが分かって貰えると思う。

 

 「藤原さん、岩傘に何があったんだ?」

 「んー、何と言いますか、人間関係が変わるのはしょうがないですよね、って話です」

 

 こういうことに関しては、女性の方がずっと耐性が高いという。

 事情を知っている千花は、あんまり詳細に話すのも身内の話なので、と言葉を選んだ後で。

 

 「長年働いてくれていた、調さんの家のお手伝いさんが、そろそろ辞めるって話が出まして」

 

 簡潔にそれだけを伝えてくれた。

 

 ……そうなのである。憂さんが、家を離れる、という話題が出たのである。

 昨日の台風の日、藤原家の皆が帰宅した後。……親父が家に戻ってきた後で、彼女が切り出した。淡々と、いつも通りの鉄面皮のまま、抑揚も変わらないままに、切り出したのだ。

 

 無論、今すぐという話ではない。だけど近い内に、彼女は家から居なくなってしまう。

 変わらないものは無い。環境は必ず変化する。だから今が大事なのだと僕は自分に言い聞かせていた。だが実際にその局面が訪れると、覚悟していた以上の衝撃がやって来るものだ。

 

 だから少し、今日の僕は、あんまり元気ではない。

 そんな僕を、千花は『如何したものですかね』と、何時もは僕が腕組みして考えるような顔で見つめていた。……授業だけは真面目に受けたが、それから放課後まで、僕の精神は低空飛行のままだった。

 

 ◆

 

 「別に、嫌って話じゃ無いんです。僕より10歳年上で……初等部の頃から、ずっと家に居てくれました。本人も、秀知院に途中編入で、勉学に付いていくのに必死だったのに……なのに二足の草鞋を履いて、家の事をやってくれました。だからそろそろ我が家のお手伝いさんから、極々当たり前の、普通の女性としての幸せを持った『お嫁さん』になって欲しい、という気持ちはあります。これ以上、縛っておくのもと。ただ、それと上手く感情が切り離せない……。そういう事なんです。すいません、愚痴っぽくなってしまって」

 

 「いや、構わんさ。お前が愚痴を吐くのも珍しいからな……。生徒会長として、役員のケアをするのも当然の事だ。いっそ吐き出して楽になっていけ」

 

 生徒会室で、僕は事情を話していた。御行氏は書類に目を通しながらも、聞いてくれている。

 話していると口の中が乾いたので、珈琲を二人分入れて、一つを御行氏に。もう一つを自分に。そして無意識の動きで蜂蜜を珈琲の中に投下して『あ、やっべ』と思った。まあ味には問題ないだろう。そのまま飲む。悪くない。頭の中の靄が晴れていくが……気分は沈んだままだ。

 

 「大事な家族なんだな」

 

 「大事です。……あの人が居ないと、今の家は無かったんですよ。僕と養母の関係は悪いままだったでしょう。(キーちゃん)は家の一員になれなかったでしょう。そういう気の使い方が出来る人で……。……学生時代も、家柄や身分に関係なく、憂さん自身を見てくれる人は、彼女のそういうところに魅かれてました。でも岩傘の家を優先して、告白を断ってったんです」

 

 「バレンタインの時に顔を見たが、優しくて芯が強そうな人だったな」

 「その通りです。――そんな人が、いなくなる、ってのが……」

 

 僕はそこまで言って、首を振って気分を切り替えるように息を吐いた。溜息になってしまった。

 生徒会室で延々と愚痴を吐く訳にも行かない。仕事はしなければ。

 

 「失礼しました。少し楽になりましたので……。――御行氏、それで今日の仕事は?」

 「……ふむ、じゃあお願いするか」

 

 良いのか? と一瞬気遣ってくれたが、僕の顔を見て即座に頼みを了承してくれる。

 御行氏もそういうところ凄いと思う。敢えて優しくするのではなく、僕の感情を優先して頼みを聞いてくれる、というのは余人には中々出来ない選択だ。

 彼は僕に、一枚の資料を見せた。

 

 「『血溜(ちだまり)沼』が酷いことになっている。先日の台風が原因だ。業者は手配したが、此方でもある程度の清掃はしておかないと不味いだろう。姿勢だけでも」

 「……去年の春先に聞いた話ですねそれ」

 「俺も自分で言ってそう思った」

 

 互いに軽く笑う。少しだけ気分が晴れた。

 

 御行氏が写真を見せてくれる。これは酷い。

 暴風で飛んできた木枝や葉はまだ良い。空き缶やペットボトル、果てはカップ麺の容器まで水に浮かんでいる。そしてお決まりのように水は濁っている。

 

 『血溜沼』。学園の裏手にある沼だ。一応整備されていて、どちらかといえば「沼」よりビオトープ的な環境になっている。しかしこの沼、欠点が一つ。立地の問題か、地質の問題か、それとも沼の構造の問題なのか、どうにも配管が詰まる。かなり詰まる。

 沼の底に落ち武者の首が落ちている、なんて噂がある位には、水の循環が悪い。

 

 懐かしいな。昨年の春――御行氏が入学してきて直ぐ、か。あの時も、先代生徒会長の指示の元、沼の掃除(ボランティア)が行われた。確かその時、マスメディア部の部長が溺れかけて……かぐや嬢が飛び込んだ、のではなかったか?

 

 あれが御行氏と彼女のファーストコンタクトだったように思う。

 

 僕も活動には出ていたが、運悪くゴミ袋を運んでいる最中だったので、救助に行けなかった。沼に戻って来た時に、かぐや嬢が飛び込んで助けたという話を聞いたのだ。あの時まだ、かぐや嬢は氷のような態度だった。懐かしい。

 

 「俺が監督に行きたいんだが、生徒総会に向けて仕事が山積みでな。同様の理由で石上も手が離せん。すまんが代理で顔を出して欲しい。後でチェックに藤原書記を向かわせる」

 「僕なら一緒に沼に入ってもセーフですしね」

 「無理強いはしないがな」

 

 そういう事だ、という御行氏の言葉に、了解、と僕は写真を受け取る。

 ボランティアで活動してくれる生徒がいるとは言っても、割と雑だ。沼の中まで足を沈めてゴミを拾うような奴は奇特である。大体の場合は、投網や籠を投げての廃品回収になる。

 一応綺麗にしましたよ、と言える程度にしておけば良いだろう。

 

 ……あれ、今、かぐや嬢ではなく千花と名前が出たか? 何時もと違うな?

 

 「そういや……かぐや嬢はどちらに?」

 「む、朝に連絡したが聞いていなかったか?」

 「……すいません。聞いたかもしれないですが、耳から抜けていたかもしれません。かぐや嬢の話に合わせて、朝、他の連絡をしてくれていたなら、それももう一度お願いします」

 「四宮なら風邪を引いて今日は休みだ。他の連絡は、特には無い」

 「風邪ですか」

 

 昨晩の大雨でも特に身体が濡れたなんてことは無いだろうし……。

 季節の変わり目は体調を崩しやすいというが、今は夏。いきなり風邪をひくのは珍しい。

 恋愛馬鹿になったから風邪を引いたとか、そんな理由ではないだろう。

 

 「分かりました。じゃ、行ってきますよ。……ちょっと気になる部分もあるので」

 

 僕は資料を受け取って、席を立った。仕事はしなければいけない。

 ……写真の中に写っているカップ麺の容器を確認する。

 僕の目が確かならば、これと同じ商品を、先日の夜、クルーシュチャへと差し入れたのだ。

 

 ◆

 

 「……広報? 岩傘広報―? 大体終わりましたよー?」

 「え? ああ、うん、……ありがとうございます柏木さん。翼君も」

 

 気付けばゴミ拾いは終わっていた。

 『血溜沼』の清掃はそこまで手間暇を費やすこともなかった。ボランティア部の皆も協力してくれたし、その他有志の生徒達の姿もある。昨年春みたいに誰かが溺れる様な事件も起きずに済んだ。まだゴミは残っているが、あとは業者に任せて問題ない程度には綺麗になったと思う。

 

 どうもありがとうございました、と参加してくれた生徒の名前、学年を控える。

 因みにこれは後日、生徒会から教員へと提出される。内申にちょっとだけ響くかもしれない。内申狙いだろうと何だろうと参加してくれたなら問題は無いのだ。

 

 各自を解散させた後、僕は沼の傍にあるベンチに腰かけて、動かないでいた。

 

 意識は散り散りで集中が出来ていない。授業も――宜しくない事に――話半分だった。ノートには書いたが、これは復習に気合を入れないと取り零しそうだ。

 視野が狭くなっているのが分かる。どことなく空は――夏の煌びやかな青なのに暗く見える。此処だけ、僕だけが、一人取り残されたような感覚だ。

 

 『少しずつで良いから回りを見るようにしましょう。調さんは集中し過ぎます。闇雲に努力をするだけではいけないんです』

 

 ふと憂さんから教わった言葉が頭に浮かぶ。

 

 あの人が本当に得難い人だと思う最大の理由は、僕を叱ってくれた事だ。

 若い時分(といっても今の僕も、所詮は高校生の若造だが)の僕の、若さ故の未熟さというか、好き勝手する性根を、彼女は逐一、叱ってくれた。

 怒鳴られたり、叩かれたりの記憶は殆どない。

 その代わり淡々と正論を告げ、僕に逃げる余地を与えなかった。

 貴方が雇い主の子供でも、駄目なものは駄目ですと説教をしてくれた。

 

 「……参ったな。……此処までショックを受けるとは予想外だ」

 「そですか? 私は割と全うだと思いますけど」

 「! 千花か。何時からそこに?」

 「たった今ですよー。近寄っても全然反応しないんで、隣に座ったんです」

 

 思い出しながらぼーっと溜息を付いていたら、隣に座っていた千花が、普段よりちょっとだけ真面目な顔で笑っていた。

 僕の反応に、彼女は何も言わずに肩を掴んで、そのまま引っ張る。されるがままの僕は、そのまま横に倒れ、千花の膝の上に頭が乗る姿勢になる。

 

 「前、言ってましたよね。膝枕して欲しいって。だから、ほら、してあげます」

 「……ここなら人目もないか」

 「はい。だから、いーちゃんは、力を抜いて下さい。私の膝なら何時でも貸します」

 「ん」

 

 左耳に感じる千花の暖かな太腿の感触に、再び、記憶がフラッシュバックした。

 

 まだ養母が家に居らず、(キーちゃん)も家に居なかった頃。千花がペスを飼う前後の頃。僕は家で一人で、憂さんが親代わりだった。彼女は時に、僕に膝を貸してくれた。養母が家に来た後、そういう交流は消えた。

 ただ今でも時々思い出す。憂さんも覚えていてくれるらしい。時々弄られる。無表情のまま。

 

 「……いーちゃん。悲しいなら、口に出して良いですよ。寂しいなら、寂しいって言いましょう。色々な思い出があります。私だってお世話になったんですから……。ならそれは、一人で抱え込むものじゃないです。そうでしょう?」

 「……うん。――御免、そうする」

 

 此処には他に誰もいない。だから少しだけ昔の話を、二人だけで思い出しても良いだろう。

 

 ◆

 

 優華・憂という人が家に来たのは、僕が6歳の時だ。

 当時僕は、秀知院学園初等部に入学したばかり。岩傘家と藤原家の記録を探せば、僕と千花が二人仲良く並んだ写真が、今も残っているだろう。

 

 だけれども、当時の僕が幸福だったかといえば……そうでもない。

 

 お金には困っていなかった。

 親父は、当時はまだ社長でこそなかったが、既に割と社内でも辣腕を振るって管理職まで出世していた。隣人の藤原家と仲が良かったから、何かと迷惑を掛けつつもお世話をして貰った。

 

 最大の理由は、お母さん――実母の行方不明という事件にあった。

 

 お母さんは海外特派員そして戦場カメラマンだ。それもフリーランスの。

 多国語を巧みに操り、身体能力とコネを利用し、世界中のあちこちを回って様々な写真を撮る。紛争地帯に乗りこんで激写した物が、記事の一面を飾ったこともある。

 だからこそ、妙に邪神的イベントに遭遇するらしいが、それは割愛。

 

 生きていることは知っている。今も探索者とカメラマンは両立しているらしく、一年に一回、親父の会社には特ダネと共に歴史的に重要になりそうな写真を送って来る。

 その行方を追うのに、四宮家の力が必要なくらい、行動が読めず、破天荒なだけで。

 

 今現在、海外カメラマンといえば、例えばテロ組織の人質にされるとかで、良い顔をされない。10年前は今ほどではなかったが、それでも危険と隣り合わせ。僕が生まれる前は、もっと凄い勢いで駆け巡っていたらしく、そのエネルギッシュ(過ぎる)姿勢に、親父は魅かれたらしい。

 

 そんな危ない仕事をする女性を妻に、という事で何かと実家――ここで言うのは祖母や祖父ら、父方の親である――との喧嘩があったが、これはF氏こと大地さんの助力もあって無事に解決。二人は結ばれ、僕が生まれた。そして僕が幼等部に入るころに、取材に出かけた。

 そして戻らなかった。

 

 母親としての責務を果たしていない……、親失格だという言葉は、事実だと思う。

 ただ僕は嫌いになれなかった。当時はちょっと複雑だったが、今は受け入れている。

 中等部、インスマス辺りに足を運んだ時、出会って話が出来たのも大きい。

 

 日本の法律では、消息不明後、七年間で死亡扱いとなる。

 何せ岩傘家は日本情報産業のトップに位置する家なので、世界中に手を伸ばして、お母さんの行方を捜した。しかし見つからなかった。

 

 既に何処かで死亡しているかもしれない。そんな諦めが皆の心に去来した時、我が家の扉を叩く女性がいた。それがまだ若い、当時16歳だった憂さんだ。

 彼女は、お母さんの手紙を携えていた。手紙には、無事元気でやっている、少し事件に巻き込まれたが心身ともに健康との記述と、憂さんと一緒に撮ったばかりの写真が一緒だった。

 

 ……手紙には、憂さんの保護者になって欲しい旨も書かれていた。

 さる紛争地帯で拾った娘である、私の恩人で、私を恩人と思っている、と。

 家事、運転、機械工作、護衛は十分にこなせるとお墨付きだった。

 

 当然、難色を示した人間も多かったが、親父は受け入れた。憂さんが生真面目で、その時はまだ完璧とは言えないが日本語にも十分堪能で、家政婦としてのスキルも高かった。

 そして彼女は、僕の家に住み込み始めた。親父の伝手で秀知院へ編入した。

 

 ……彼女は、努力家だった。異国の地で、今までとは全く違う環境だったのに、石にかじりつくような姿勢で勉強をし、家事と両立させ、僕を懇々と育て上げた。

 彼女のお説教は、本当に延々と僕の記憶に残っている。

 

 『嫌いな物があるのは構いません。しかし食べる努力をしましょう。少しで良いから口にする。出来たら次、もう少しだけ頑張る。その積み重ねです。食事に限らず、苦手な物から逃げているだけでは何も変わりません。出来ないと認めなさい。まずはそれがスタート地点です』

 

 『勉強をしろとは言いません。自分の時間を、ゲームに費やそうが、読書に費やそうが、千花さんとの遊びに費やそうが、私は何も言いません。しかしすべき事は、しましょう。何故ならば貴方の信用に関わるからです。貴方の信頼にも関わるからです。何をしても他人から信じて貰えなくなったら嫌でしょう? 千花さんにも、嫌われますよ』

 

 『具合が悪いときは無理をしないで言うように。平気平気と無理をして頑張ったら、その分反動は大きくなります。自分を客観的に見れるようにしましょう。視野は広く持ちましょう。……一歩、一呼吸、それで少しだけ景色は変わります。……ま、今は良いです。良いから布団で寝ていなさい。今水枕を持ってきます。今日は私もこの部屋で寝ますから、安心して』

 

 『千花さんを泣かせましたね? 理由を教えてください。……なるほど、それは調さんが悪い。ちゃんと謝りに行きなさい。泣かせたのは無論悪いことです。しかし、泣かせたのだと自覚を持ち、反省して、次に繋げましょう。私も一緒に、行きます』

 

 『おめでとうございます。誕生日ですね。……腕によりをかけました。美味しく食べて下さい。……調さんが昔より笑うようになって、私はとても安心しています』

 

 『母の日ですか。私を母と呼ぶのは止めましょう。貴方のお母さまは一人だけです。少し譲っても養母さんまでです。私は……そうですね、この前、誕生日を祝って貰ったので十分ですよ。でも気持ちだけ頂いておきます。このプレゼントも』

 

 『男の子には、我慢する時と、泣きたい時があります。泣きたい時は――こっそり泣きましょう。信じる誰かに、頼りましょう。千花さんが恥ずかしいなら、私の膝を――』

 

 「膝を、貸しましょう、か」

 「……です。ね、いーちゃん。知ってますか? 憂さん、いーちゃんの知らない場所で、私にも色々教えてくれたんです。私が悪い時は、私にもちゃんと叱ってくれたんです。素敵な人です……。私も寂しいです。とても」

 「うん」

 「だから、私もここに来ました。ここに来れば、いーちゃんが居ると思ったので」

 「……うん」

 「傍に居ます。私は、ずっと」

 

 それだけじゃ、駄目ですか? という彼女の言葉に。

 膝に顔を乗せたまま、僕は腕を千花の腰に回して、そのまま埋めた。

 

 涙は出ない。ただ、彼女が居なくなるんだな、という現実を受け止める。

 痛い。辛い。寂しい。

 喜ぶべきことなのに、悲しい。

 

 そんな僕に千花は何も言わなかった。

 傍に居ますよ、と小さく囁くように重ねて、じっとしてくれていた。

 

 ◆

 

 「……有難う。随分と、楽になった。……はい、これ。沼の清掃の確認表。御行氏に持ってって渡してくれるかな。僕はもう少しだけ、ここで一息入れてから戻るよ」

 「いえいえ。良いですよー。ですが今度は、私に膝枕してくださいね?」

 「分かった」

 

 何分くらい、そうしてぼーっとしていたのか。

 学園のチャイムが鳴った音で、僕は顔を上げた。

 

 時刻は17時を指している。これ以上は長居せず、生徒会室に戻って仕事をすべきだろう。

 千花を先に帰して、僕は気分を切り替える様に大きく伸びをした。

 

 ――よし、頑張るか。

 

 気合を入れたのと同時、スマホの着信音が響いた。

 画面を見る。其処に表示されていたのは、龍珠桃の番号だ。

 

 「もしもし? 珍しいな、何があっ」

 「それどころじゃねえ。優華・憂は無事か!? こっちの若いの――彼女と交際してたのが消えた。それも怪しい連中に攫われたみてえだ。先日の『星龍会』は抑え込んだと思ったんだが!」

 

 言葉に耳を疑った。

 

 「……ちょっと待て、どういうことだ? 阿天坊先輩経由で圧力もかかったんだろう?」

 「確認したら情報は入って来てないとのらしい。多分、組織だった犯行じゃねえ。個人による恨み辛みが近いと睨んでる。こいつは小島の見解も一緒だ」

 「りょ。すぐ折り返す」

 

 このタイミングでそれかよ! と思いながら僕は憂さんの番号を呼び出した

 コール音が響く。一回、二回、三回。その後に――。

 

 「はい、憂です。……どうしましたか?」

 「無事でしたか。実は」

 

 彼女は出た。手短に用件と事件を伝えると、声が一瞬だけ強張り、注意します、急ぎ組と合流します、と返事が来る。大丈夫、電話の向こうの声は普通だ。

 

 ほっとする。此処でまた、怪しい邪神的なトラブルに巻き込まれるのは勘弁して欲しい。第一、先日あんだけ、けちょんけちょんにしたクルーシュチャが暗躍したとは思いたくないのだ。

 すぐさま、龍珠桃に連絡を返すと、此方もほっとした声が返ってきた。

 

 とりあえず――とりあえず、憂さんが巻き込まれるのは防げそうだ。

 心臓に悪い!

 これで彼女の行く先がバットエンドとかふざけんなと叫ぶぞ。

 

 「お困りのようだね、くふ」

 

 ……言ってたら本当に嫌な声が聞こえた。

 

 顔を上げると、そこには先日追い払ったニャルラトホテプの顔があった。涙目はどこへやら飄々とした態度。唯一違うのは笑い顔が醜悪ではないことくらい。

 しかも彼女は、我が秀知院の学生服に身を包んでいる。白黒モザイクツートンカラーの服は汚れて使えないとしても、どっから調達したんだ。まさか泥棒じゃないだろうな?

 

 思わず殺気を込めた瞳で睨んだ僕に、待て待て!違う!と慌てて彼女は言い訳をする。

 

 「流石に今回の事件は私が犯人じゃないし、関与してもいない! むしろ逆だ! 今回は素直に助けに来たというか、助けを求めに来たというか、そういう感じだ!」

 「はあ……?」

 「約束する約束するぞ! ()()()君たちを始め、学園のあらゆる人間に邪神的トラブルを持ち込まない。今回の事件も退治を依頼って訳じゃ無い。神話的な悪意も持ち出さない! ただちょっとだけ手伝いが欲しい。君の家のお手伝いに、手伝ってほしいんだぞ!」

 

 くふふ、という笑いをしない辺り、どうも本気らしい。

 どういうことだよと説明を促すと、彼女は少しだけ『何から切り出そうか』と考えた後。

 もの凄く真面目な顔で、告白した。

 

 

 「えーと、……カップ麺を泣きながら食べていた私は、学園の中で、四宮かぐやに保護されて……彼女に風邪を引かせる原因を作った挙句、部下の触手は管理下から逸れてしまったんだぞ。――あいつが犯人です。すいません助けて下さい」

 

 

 さっき自分で「私は犯人じゃない」って言ったけど、どう考えてもお前が犯人じゃねーか。

 僕は――朝からとは全く違った意味合いの溜息を吐いて――再び、憂さんに連絡を入れた。




次回で《優曇華の花》篇は終了です。

中の人の多忙に付き、ちょっと更新頻度が遅れそうですが、
停止も中断も挫折もしないので気長にお待ちください。


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優曇華の花を咲かせたい

掌の中では、蕾を花開かせることは出来ない。



試練《優曇華の花》篇はこれにて終了。
次回から再び学園に戻って、そろそろ夏休みです。

頂いた投票が100を越えました。皆さまの応援に大きな感謝を。
では、どうぞ。


 昔、こういう事があった。

 

 その時、僕はまだ初等部で、勿論、千花も初等部で。勉強に関しては何の心配もなかったが、ちょっとばかり捻くれていた……というか、フリーダムだった頃がある。

 

 所謂『反抗期』。

 誰だって若い時に迎えるというけど僕もそうだ。

 

 当時、僕は我が家に居るのが嫌だった。お母さんは消えているし、養母は来たばかりだし、妹に至っては存在すら知らなかった。

 親父は丁度、ウォール・ストリート・ジャーナルとの会議が重なってアメリカに単身赴任中。

 

 とにかく、家庭関係を、自分の心の中で物折り合いを付けるのが難しくて、僕は岩傘家で過ごす時間を限りなく減らしていた。……最低限に減らして、千花の家に甘えていた。

 

 『反抗期』それ自体は親父には見透かされていただろうし、教職員も把握していたと思う。

 成績は落ちなかったから、好きにしろと言われるだけで、そのままだった。どこかで痛い目を見れば目が覚める、と大人達は理解をしていた。

 実際、高校生になって当時を振り返ると『確かにどっかで痛い目を見て成長するな』と、青臭い傷だと。笑い飛ばせてしまう。

 

 だけど僕が()()()()は、笑えない。

 ささやかな、だけど子供心には重要な反抗期を前に、一番悩んだのは憂さんだ。

 

 千花の家に入り浸り、藤原家に甘えるだけ甘える。そりゃあ隣人で、許嫁で、豊実姉にしてみれば可愛い弟分が常に家にいる訳で。千花も喜んでいたし、まだ幼等部だった萌葉ちゃんも『兄ちゃん兄ちゃん』と舌足らずな言葉で追いかけてくれた。その温かさに耽溺しっぱなしだった。

 

 それを享受する横で、家に居た彼女が、どこまで辛かったのかを、知らなかった。

 ちょっと考えれば分かる話だ。僕が居ないなら、彼女は一人だけ。

 厳しい秀知院の学業から戻ってきても、出迎える人も誰もいない。

 

 ある日の、憂さんの用意した夕ご飯は、チーズを中に入れたハンバーグだった。僕は藤原家で食べてきた。ハンバーグは食べなかった。

 ある日は、魚と野菜のソテーだった。僕はやはり藤原家で済ませてきた。

 ある日は、ちらし寿司と茶碗蒸しだった。僕は食べなかった。

 ある日は、鶏のから揚げだった。食べなかった。

 ある日は、春巻きだった。食べなかった。

 ある日は、炊き込みご飯と焼き魚だった。

 ある日は、グラタンだった。

 ある日は。ある日は。

 ある日は。ある日は。ある日は。ある日は。ある日は。ある日は。ある日は。

 

 そうして時間が経過した。ある日、藤原家に、唐突な来客が来ることになり、僕は家に戻る事になった。名残を惜しみつつ、家の中に入ると、憂さんは――それでも言った。

 

 「おかえりなさい、調さん。夕ご飯の準備は出来ています」

 

 その時の彼女の顔が、全てを物語っていた。

 手を上げることは無かった。ただ静かに、ただ僕に告げた。

 

 「私は必要ですか? 邪魔ならば言って下さい。今すぐにでも出ていきます」

 

 彼女の身体は震えていて、涙を見せずに泣いていた。

 ……彼女だって、普通の女性なのだ。

 誰からも必要とされていない、役目を何も持てないことが、どれだけ苦痛だったか。

 

 そこで僕は、己が泣かせたのだと、気付いた。

 漠然と言葉で、感情を表現できたわけではない。

 だけど僕のせいだというのは子供心に理解した。

 

 僕の分まで用意した食事は、憂さんが頑張って食べていたのだという。夜に食べ、翌朝の朝と昼に温めて食べる。そして買い出しに行き、また新しい物を作って。余った分を翌日に。その繰り返し。それを数週間、ずっと続けていた。

 無意味かもしれないと思っても、それでも止めずに続けていた。

 

 違う、という言葉は出なかった。

 僕は家を疎んでいた。接し方が分からずに離れていたのではない。彼女に接していなかった。最初から触れず関わりを断ったままだった。最初からコミュニケーションを取る努力をしていなかったから、何も変化が無かったのだ。

 

 ごめんなさい――という言葉すら、恥ずかしくて、出なかった。

 震えて、黙りこくって、取り返しのつかない行いをしたとしても、何も言えなかった。

 俯いたまま、じっとしていた僕の手を、やがて憂さんは引っ張った。

 

 そして台所に案内した。彼女は静かに促した。

 

 「一緒に、食べましょう」

 

 テーブルの上の料理は既に冷めていて、温めなおすのは時間がかかる。

 彼女は無言でそれらにラップを被せ、冷蔵庫にしまうと、別の準備を始めた。

 

 テーブルに向かい合った。

 

 どうぞ、と座らせた僕の前、憂さんは電気釜と塩水を持ってきた。

 同時にお皿を並べた。鮭の身、海苔、佃煮、鱈子、煮卵、焼いた肉、そぼろ肉、鰹節、胡麻、ツナマヨネーズ、刺身、紫蘇ご飯に、のりたまふりかけ、その他沢山のお皿を小鉢で持ってきた。

 何をするかは、すぐわかった。何を作ってくれるかは、すぐわかった。

 

 「あ、あの。憂さん、これは」

 「……何故でしょうね。今日は、これを作りたい、気分です。……私の手では嫌ですか?」

 

 そんなことはないと、首を振って否定した。

 僕の前で、軽く手を湿らせた彼女は、無言で掌の中に、お米を握る。まずはただの、塩味。

 出されたばかりの、お結びを口に入れて、温かいと思った。温かかった。鬱屈としていた僕の口の中に、それが分かった。美味しくてあっという間に食べた。食べきった僕の前に、すっと新しい品が出された。

 

 中には梅干しが入っていた。酸っぱかった。

 酸っぱくて、涙が出た。それが契機になって、涙腺が決壊した。

 

 そこでやっと僕は言えた。ごめんなさいと言えた。

 

 独りにさせてごめんなさい。

 ずっと無駄にしていてごめんなさい。

 貴方の努力と好意を無下にしていてごめんなさい。

 今までずっと家に居たのに、それを見ていないで、ごめんなさい。

 

 泣きながら食べる僕に、彼女は言ってくれた。

 

 「やっと私を見てくれましたね」

 「私も、寂しかったですよ。とても寂しかった。ですが、許しましょう」

 「もう同じことはしないと、約束してくれますか?」

 

 頬張ったまま頷いた。

 

 彼女は静かに微笑んでくれた。

 僕がそれまでの人生で見た中で、一番綺麗な笑顔だった。

 

 翌日、僕は豊実姉の元に言って、憂さんの話をした。

 事情を説明して、友達になって欲しいと切り出した。

 豊実姉は言った。

 『友達なんてのは、誰かから頼まれてなるものじゃないわ。友達になるかどうかは私が決める。だけど、紹介してくれるなら嬉しいわ』。

 僕は豊実姉を連れて行った。年の差はあっても、二人はすぐに意気投合をした。

 

 僕は親父に電話をした。日米の時差があってもそんなことを気にしちゃいなかった。普段は『特に何も問題が無いよ』とだけ伝えていた言葉を撤回し、事情を説明して、お金を振り込んで貰った。それを憂さんに渡して、プライベートで楽しめる様にと、豊実姉に引っ張ってって貰った。

 

 勿論、僕は同行した。千花も萌葉ちゃんも連れて行った。万穂さんにもお願いした。

 総勢6人。男は僕だけだったけど、そんなのは如何でも良かった。今迄を埋め合わせる様に、僕は頑張った。

 

 ……頑張り過ぎて数日後に体調を崩して怒られてしまったけど。

 熱を出した僕を、馬鹿ですねと千花と揃って言いながら、二人で看病をしてくれた。

 

 それから――今に至るまで、憂さんとの約束は、ずっと守っている。

 藤原家の台所にお願いして彼女に手伝って貰ってすらいる。

 ……きっと一生、あの味は忘れない。

 

 こうして僕の『反抗期」は終わった。

 それからも彼女の尽力と気苦労は沢山あった。養母と僕の関係とか。いきなり増えた(キーちゃん)の事とか。沢山の、本当に沢山のお世話になって。

 

 僕が彼女に抱いたこの気持ちはきっと、唯の思慕ではなかったのだろう。

 

 ◆

 

 そして今、岐路へと向かっている。

 

 話を纏めると、こういうことらしい。

 龍珠組に指定された場所に、車で移動をしている道中、クルーシュチャが話し始めた。

 

 「昨日、君に酷い目に合わされた私は、涙ながらにカップ麺を啜り、学園の中に入り込んだ」

 「おい。何やってるんだ。何で学園内に入る。不法侵入だぞそれ」

 「いや、丁度、なんだっけ……早坂愛? 彼女が、入っていくのが見えたんだ。後を付いていったら、彼女は隠密スーツに暗視ゴーグルを装備して、赤外線を潜り抜け、生徒会室へと足を踏み入れていった。私は雨に打たれながら、窓からそれを見ていた」

 「ラーメン食べながらか」

 「食べながらだ。美味しかった」

 

 「……続けろ。それで?」

 「私が連れてきた『深き者』(触手君)は下水を通って移動させていたんだが、学園に入ると同時、狭そうだったんで『血溜沼』で休憩をさせてやった」

 「沼が詰まったのそれが原因かよ!」

 

 「お、怒らないでくれよ……。割と反省してるんだぞ! でもだ! 私を追い詰めたのはお前なんだぞ!? お前だって悪いだろ!? ……早坂愛さんが出てきたところで、突風が吹いた。私の食べ終わったカップ麺容器は風に飛ばされた。それが原因で、私は彼女に発見された」

 

 だからカップ麺の空容器が沼に沈んでいたんだな。納得する。

 ニャルラトホテプの化身を謳っている奴がそんな真似するのは納得できないが。

 

 「早坂さんを迎えに、四宮かぐやも来ていた。私は雨の中、不審者と疑われ、しかし必死に弁明をした。思わず熱中し、彼女とのやり取りに火がついて――いや四宮かぐやは凄いね。私が真面目に会話せざるを得ない知性があって――それで彼女は、長い間、雨の寒空の下に居たので、風邪を引いた。私はそのまま四宮家に保護され、制服を借りて、今ここに来たという訳だ」

 「お前がこっちにちょっかいを掛けなかったら起きなかった問題だな」

 

 だがまあ、経緯は分かった。かぐや嬢がそれで風邪を引いた。

 そして『深き者』は、『血溜沼』から勝手に脱出し、単独行動を開始したと、そういう訳か。

 

 「その『深き者』が、龍珠組の若いのを狙った理由はなんだ。『星龍会』の時の恨みか?」

 「いや、えーと、……そのだね?」

 「さっさと言え」

 「優華・憂に、横恋慕したらしい」

 

 キキキイイイイッ――!! と急ブレーキがかかった。

 憂さんは、龍珠組に合流するまでに、僕とクルーシュチャを拾っていた。故にこの車は、彼女が運転をしていたのだ、が。流石にその発言には驚いたのか、バックミラー越しに、憂さんの目が開かれている。微笑みより更に貴重な、驚き顔だ。

 

 「……私に、ですか」

 「そうだ。……そうらしい。別れる前に話を軽くしたんだが、その際に――『無表情な顔で、刃物を片手に言葉攻めされて、目覚めた』と語ってた」

 

 どっからツッコミを入れて良いのか分からない。僕以上にショックを受けていたのは、憂さんだ。彼女は鉄面皮を固まらせ、何か言おうとして、しかし何も言えない。もごもごと口を開けようとして失敗し、首をひねって反応を捻り出そうとしている。

 

 昨晩のクルーシュチャを目撃しても、窓に!窓に!していたアレを追い払った時も平然としていた彼女だったが、それが自分への求愛に繋がるのは予想の斜め上過ぎる。ていうか触手、あいつレベルの高い変態だったんだな。本人が変態チックな見た目の癖に。

 背後からクラクションが鳴らされた。

 

 「……ちょっと冷静に、なりましょう」

 

 龍珠組の元まで、時間にしてごく僅か。その僅かの間に、何を考えろと言うのだ。

 車内の中に、沈黙だけが過ぎていく。

 

 千花と御行氏には「ちょっと身内の用事が出来たので申し訳ないが早退する」と伝えてある。かぐや嬢が風邪でいない今、石上含めて3人だけで仕事を任せることになるが、一日くらいは大丈夫だろう。

 

 ……まあ、何を考えるかなんて、決まっているのだけど。

 

 ◆

 

 「来たか岩傘。優華さんもお待ちしていました。……そっちの見慣れない女は誰だ?」

 「事情を知っている、ただの通りすがりだ。僕がキッチリ説教をしておいたし、今後も〆るのは僕がやる。スルーしてくれ。それで、状況を聞かせて欲しい」

 「状況っつってもな。要するに得体のしれない男が、若いのを引っ張り込んでタイマンだ」

 

 クルーシュチャの紹介は雑だったが、こんな奴これで十分だ。

 

 僕の返事に納得した龍珠桃は、短く要件を纏めて返してきた。

 得体のしれない()……という事は、触手姿ではないらしい。まあ神話生物なら、それくらいは行けるだろう。フードにコートを被り、マスクとサングラスをしておけば、人間の形さえしていれば誤魔化せる。割と経験談だ。

 

 「タイマン? っていう事は危害は」

 「加えられてねえ。向こうから封書が届いた。読め」

 

 差し出された封書には、こう書かれている。若干、のたうつような文字だ。文字だが。

 

 ――『優華・憂を巡っての、立ち合いをしたい』

 

 と書かれている。

 この時代に決闘とは古風だなと思った。喧嘩は法律で禁止されているというのに。

 とはいえ。とはいえだ。ヤクザにとってはこのやり方はまだ受け入れられる範疇。最初に攫った点は兎も角、その後、一切の余計な小細工をせず、真正面からの勝負を挑んできた。これは彼らには効果的だろう。正体を知っている僕は『男気溢れる触手ってなんだよ』と思うけど。

 

 車を止めた場所は、さる川辺にある工場跡地だった。随分前に会社そのものが倒産し、取り壊されるだけになっている工場。その廃液を処理する地下区画に、奴はいる。

 

 龍珠組の人間が確認をしてきたらしい。

 攫った若い奴を縛ることなく椅子に座らせ、水と食事もちゃんと与え、本人も離れた場所に座って向かい合っている。互いに殆ど会話をしないが、どうやら目的は把握しあっている。内側から頑丈な鉤が掛かっており、室内に入れてくれるのは憂さんのみ、と。

 

 「つまり話は簡単なんだな。憂さんが行って、拉致された相手を救助して戻れば良い」

 「そうなるな」

 「という事です、お願いしても?」

 

 僕の言葉に、彼女は頷――かなかった。

 即決せずに、彼女は僕を見た。そして問いかけた。

 

 「良いのですか?」――と。

 

 ◆

 

 昔から彼女は、己の行動に迷いを持って動いたことは無い。いかなる時も自信を持って動く。伊達に生まれが紛争地帯で、母に拾われるまで非合法に生きていた経歴を持っている訳ではない。自分が決めた判断と心中する覚悟が出来ている。

 

 だから、交際相手を助けに行くと決めれば、彼女は迷いなく実行をするだろう。

 

 だけれども。彼女は僕に問うた。良いのですか? と。

 それが意味するところは。それは何を意味しているのか。

 

 「調さん。もう一度、尋ねます。……私は行って良いのですか?」

 「……龍珠さん、少しで良いです。二人だけにしてくれませんか」

 「あ“? ……まあ、そりゃ良いけどよ。若いのに被害が及ぶようなら、私はこっちの人間を動かして対処するぞ? そこだけ承知しておけな」

 

 ぞろぞろとヤっさんを引き連れ、倉庫から退室する龍珠桃。クルーシュチャは隅っこで待機しているが放置で良い。室内には、僕と憂さんだけが残る。

 

 憂さんと向き合う。昔は僕より大きかったけど、今では僕の背の方が高い。

 彼女の目を真正面から見る。彼女の目は、昔と変わらず琥珀色で、まっすぐに僕を見る。――僕は、裸眼だと目力が強いと言われるが、その影響は間違いなく憂さんの影響だろう。

 

 「先ほどの、問いかけの意味を、聞いても?」

 「調さん。誤魔化しは無しにしましょう。貴方は気付いている。貴方は聡い。昔から散々、私の手を焼かせた子供の考えていることなど、お見通しに決まっているでしょう」

 「……勝てませんね」

 

 僕は降参の姿勢を取った。

 分かっている。

 車での移動中から。クルーシュチャに『深き者』の動機を聞かされた時から、予想出来ていた。

 

 岐路が目の前にある。

 別れ道が一歩先にある。

 引き返すことが出来ない決断の時が、たった数分の先に迫っている。

 

 ――『深き者』は、憂さんの交際相手との対峙を望んでいる。

 ――『深き者』は、憂さんが来るのは歓迎している。

 ――では仮に、交際相手とガチの喧嘩をしてまで、彼女を奪っていくような相手だろうか?

 

 違うと思う。

 仮にそれをするなら、アイツは最初から憂さんを攫えば良い。

 難易度が高いなら工夫をすればいい。それこそ僕や妹を人質にとって呼び出せば良いだけの話。

 

 それをしなかったという事は、この行動は、言うなれば奴の未練だ。横恋慕というが正にその通り。最初から恋愛勝負では勝ち目がない。触手の塊という事を差し引いても、奴に勝ち目はない。

 何せ……憂さんが『多分嬉しいのだと思います』という相手だ。そこにある感情は、例え『深き者』が触手プレイをしても覆せないだろう。

 ……まあ憂さん、そんなシチュエーションになったら舌噛んで自害するだろうしね。

 

 つまり彼女は、行ったら――まず間違いなく、交際相手と協力して『深き者』を倒す。

 

 それはつまり。

 それはつまり……『深き者』と龍珠組に、憂さんが告白するという意味だ。

 

 というか、それを言わないと、『深き者』が普通の男性の感性をしているなら――振られたと思わないだろう。認めたがらないだろう。

 

 ()()()()()が終わる。

 本格的な交際になって、本格的に恋愛になって、そして彼女は、我が家から抜ける。

 此処で彼を助けに行くという事は、そういう意味を持つのだ。

 だから憂さんは僕に問いかけた。『良いんですか?』と。

 

 「…………憂、さん」

 「はい」

 

 僕は、言いたかった。ああ、言いたかったとも。

 行かないで欲しいと言いたかった!

 家から離れないでと言いたかった!

 思い出が山のようにある。別れるには多すぎる大事な記憶が山ほどある。

 このままで居て欲しいと思っていた!

 

 僕と千花の生活に、彼女が従者として一緒に居てくれる景色を夢見ないと言えば嘘になる。

 だけどそれは夢だ。

 永遠は無い。変わらない物は無い。変わらない人はいない。

 

 此処で僕が全力でお願いをすれば、きっと彼女は頷くだろう。

 頷いて、龍珠桃に「いけません」と告げ、それは交際相手との関係に波紋を呼ぶ。恐らく破談になる。そして彼女は今まで通り……我が家に居る。

 

 ……それは出来ない。

 強制させてはいけない。

 大事な人だからこそ、大事な人が幸せになる機会を、僕が奪ってはいけない。

 

 何よりも、僕が自分で分かっている。

 僕では、優華・憂という女性を、一人の男性として愛することは出来ない。

 彼女の幸せを造り出すことは、決して出来ない。

 

 「一つだけ、教えて下さい。――憂さんは、助けに行きたいですか。助けに行きたいくらい、好きな人ですか」

 

 相手がどんな人間か、なんてことは野暮だ。

 僕は遠目に伺っただけ。龍珠組の、気骨がある若い男であることしか知らない。パーソナルデータや評判は調べられても、人格や品性は憂さんにしか分からない。

 良いところも悪いところも、彼女にしか、分からない。

 

 僕の声は震えていたと思う。絞り出していたと思う。

 それでも眼だけは逸らさなかった。彼女は。

 

 「()()

 

 そう頷いた。

 

 「多分、という言葉が付きます。まだ分からないことも沢山あります。ですが私は、この縁を大事にしたいと考えています。この出会いを大事にしたいと思います。此処で切るには余りにも惜しい、そう思っています。だから助けに行きます。……私が後日、その選択を間違えたなら、それは私の見る目が無かっただけのこと」

 「……ならば」

 

 ならば僕が言えることは、一つしかないのだ。

 

 「――ならば、行ってあげて下さい。僕は、送り出します。……()()()()()

 

 ああ、と思った。言ってしまった。告げてしまった。別れになる決定打を。

 

 嘗て――初等部の『反抗期』。

 彼女の『邪魔ですか?』という言葉に対して、僕は『邪魔ではありません』と答えた。

 だけど今、去り行く彼女を引き留める、居て欲しいという言葉を言う事は出来なかった。

 僕の言葉に、憂さんは――。

 すっと近付いて、僕の頭に手を伸ばした。

 

 「大きくなりましたね。貴方の成長を、嬉しく思います」

 

 静かに、頭を優しく撫でてくれる。

 嘗て泣いた僕を穏やかに受け止めてくれた時のように。

 嘗て見た、とても綺麗な、心に残ったまま消えない笑顔を見せてくれた。

 

 ほんの少しだけ、悲しい目でもあった。

 ひょっとしたら――彼女にも未練はあるのかもしれない。

 だけど。何も未練が無い選択なんか存在しないのだ。

 

 すっと下がって彼女は静かに語った。

 

 「別れの、暇を頂くご挨拶は、またの機会になるでしょう。しかし此処が、まず別離の第一歩。……行って来ます」

 

 背を向けた彼女は、戦闘モードへと切り替わる。

 龍珠組の面々を倉庫に招き入れると、彼らが用意していた重火器(違法)を受け取り、弾薬(違法)を受け取り、長ドス(違法)を受け取り、瞬く間に戦装束へと姿を変える。

 周囲の若衆が思わず息を飲む程、その眼は爛々と輝き、戦闘力に溢れていたそうだ。

 戦場で育った少年兵の本領発揮だと、熟練の手付きで装備し、地下へ飛び込んでいった。

 

 彼女自身が幸せになる為に、僕らの元から飛んで行った。

 

 ◆

 

 それからの――地下で、どんな戦いが起きて、どんな決着が付いたのかは、分からない。

 戦いが終わるまで、僕はずっと倉庫の外で、座って待っていた。

 

 生徒会には『今日は悪かった。明日は出る』と改めて連絡を入れておいた。

 

 怪物と人間の戦いの結果なんか如何でも良い。龍珠桃が騒がず淡々と事後処理をして、クルーシュチャが『『深き者』が負けたよ』と伝えにきて、戻ってきた憂さんは、交際相手と互いに肩を貸し合っていた。その顔は、満足気だった。

 僕の選択は、間違っていなかったのだ。

 

 ――憂さんが即座に、我が家から消える訳ではない。彼女の家は此処にある。今迄の関係が消える訳でもない。実際――僕は憂さんの運転で実家に戻った。実際、今日の夕食も憂さんが作る。

 ただ彼女の心の中の優先順位が、変わっただけ。変わっていくだけ。

 

 ……自分に言い聞かせていると、千花からメールが来た。

 随分と夜が遅くなって帰還した僕を出迎えるタイミングだった。

 

 『こちらに来て下さい』

 

 という簡潔な内容。彼女は鋭い。恋愛探偵チカは、その嗅覚で何かを嗅ぎ付けたのだろう。僕は一言、憂さんに断って、藤原家の門を叩いた。

 

 唐突な来訪に、藤原家の皆さんはちょっと驚いたようだが、千花が二階に招いたので『また何か惚気るんだろう』と通してくれた。部屋に案内される。

 

 「それで、要件ってのは……」

 「いーちゃんが悲しんでるなと思ったので、慰めてあげようって思っただけですよ?」

 「悲しんでるって、そんな……。いや、悲しんでるけどさ」

 

 それでも先刻、僕が決めた言葉を、翻すつもりはない。

 弱っているところを受け止めてくれるのは本当、助かるけど。

 僕がそう返事をすると、千花は、とても真摯な態度で、僕の複雑な心を解き明かした。

 たった一言で。

 

 

 

 「初恋だったんでしょう? いーちゃんの」

 

 

 

 「…………。……そうだね、きっとそうなんだと思うよ」

 

 初恋。言葉にすれば、きっとそうなるのだろう。

 憂さんが笑った顔を見た時、確かに彼女は僕の心の中に息付いた。見て見ぬ振りをしていたなんて事は無い。僕は憂さんの事が好きだったし、それは単純な家族愛から外れていた――のだろう。……でも僕は、それを結局、形にしなかった。

 

 しなかった理由は。

 その想いを捨てて、彼女を送り出した一番の理由は。

 

 「……千花。ちょっと、ごめんね」

 

 僕は彼女を捕まえて、言葉も言わずに抱きしめて、その首元に顔を埋める。

 

 その理由は、この腕の中にある。

 憂さんを幸せにできない理由は、此処にある。

 

 僕は千花を選んだ。好きな人を選んだ。

 想いの強さは、形や数値で計れる重さではないけれども、千花と憂さんを天秤に掛けた時、その天秤は千花の方へと傾いたのだ。

 憂さんが、迷った末に、駆けていったように。

 

 「知ってますよ。分かってます。いーちゃんの初恋がそうなんだろうなーってのは」

 「……そっか」

 「はい……。昔から何となく、そうじゃないかなって思ってました。だって、ずーっと一緒に過ごして、憂さんも一緒に遊びに行ったんですよ? でも、いーちゃんは私を選ぶってのも分かってました。――昔、告白されて、好きだって言われて、それは絶対に遊びで言わないって」

 「……うん」

 「少しは不安みたいな物もありましたけど。でも多分、もしも、いーちゃんが私より憂さんの方を優先して意識するようになったら、私は直ぐに分かります」

 

 だから、私が言う事はたった二言だけです、と彼女は続けた。

 

 「一つ。私を選んでくれて、ありがとう」

 「一つ。いーちゃんは、よく頑張りました。とても頑張りました。胸を張って良いんです」

 

 恋愛は戦、恋愛は勝負、誰かがそう言った。

 だけどこの選択に勝ち負けは無い。善悪もない。

 ただ自分で選んだ結果があるだけだ。

 

 それは誇って良い。それは胸を張るべきなのだろう。

 ……自分の選択を省みて「もしも向こうを選んでいたら」と誰もが想像する。

 だけど。だけれども。

 『今の此方の選択が無駄だった』とだけは言ってはいけない。思うようになってはいけない。

 この道が正しかったと言えるように、頑張るしかないのだ。

 

 「痛いなら、痛いって言って良いですから。いーちゃん。私も一緒に背負います」

 「うん……」

 

 向こうもハグを返してきた。腕の中の体温と、愛しい彼女の形が分かる。

 

 ごく自然に、ちーちゃん、と昔呼んでいた名前で、彼女を呼ぶ。

 それで千花は意味を理解してくれて――僕の首に手を回して、背伸びをしてくれた。

 

 ◆

 

 その後の、顛末を話しておこう。

 かぐや嬢は、クルーシュチャを手元に置いておくことに決めたらしい。

 

 最もその話を聞いたのは、かぐや嬢が風邪から復帰した後だ。

 

 僕が憂さんの問題を解決している間に、生徒会では色々あったらしい。

 神経衰弱が行われ、かぐや嬢へのお見舞いを誰が行くのか決めたりとか。

 千花がイカサマしてたりとか。

 御行氏が見舞いに行くと決まったりとか。

 見舞いに行った先でなんか色々あったらしいとか。

 そういう事があったらしいが、これは後日、改めて触れることにする。

 

 無論――クルーシュチャを確保しておけば、『チクタクマン』事件の黒幕に到達できる、という打算はあっただろう。しかし彼女は、無能な人間はすっぱりと切り捨てる人間だ。利用価値があると思って手元に置いておくにも、最低限のラインが存在する。

 

 クルーシュチャという女が逸材であることは間違いない。

 彼女の知能、というかIQというのか、そういうのは同学年では飛び抜けている。クルーシュチャの方程式を解き明かし、ニャルラトホテプを理解した女。性格が未熟故に、その愉悦っぷりは可愛く収まっているし、何より構って貰わないと力を発揮できないポンコツだ。だからこそ手綱を握っていれば危険はない、と彼女は判断をしたのだろう。

 

 その辺の匙加減を間違える、かぐや嬢ではない。

 おそらく今後、彼女は、ある程度の自室と食事・衣装・更には勉学の時間を与えられる代わりに、かぐや嬢から御行氏への様々な暗躍に駆り出されるのだろう。平和的で良い。

 

 ……とはいえ、とはいえだ。奴はニャルラトホテプの形が一つ。喉元を熱さが通り過ぎた後には、また、くふくふふと笑いながら暗躍を始めるだろう。今度はより至近距離で、より行動がしやすい場所に、クルーシュチャは入り込んだ。彼女にとっては嬉しい誤算かもしれない。

 だがまあ、それは彼女が動き始めてからで良い。

 

 「イクサ・クルーシュチャ。今日から通うことになりました。よろしくお願いするよ」

 

 1年B組に編入した彼女が、この先に何をするかを、確かめてからでも、遅くはないと思う。

 

 ◆

 

 もう一つ、報告しておくことがある。

 

 数日後の朝。朝食にしようと居間まで下りていくと、そこに用意されていた物は、今まで見ないタイプの食事だった。目玉焼きは微妙に黄身が崩れているし、付け合わせの野菜はカットが雑。主食のシリアルに牛乳が置かれ、ヨーグルトの中にはカットしたキウイ・バナナ・パインとジャム。健康的だが、憂さんの物ではない。

 果て、と思って真正面に座っていた人物を見る。

 

 「何? なんか文句あるの? 食べないなら良いよ別に」

 「食べる。ただ珍しいと思ってな」

 

 僕や千花どころか、萌葉ちゃんや伊井野ミコよりも小柄な娘が一人。

 黙っていれば可愛いが口を開くと厳しい言葉ばっかり吐き出す、我が妹(キーちゃん)だ。

 

 どうやら彼女が用意した物らしい。素直に席に座って、頂きますと言ってから食べ始める。

 そして食べながら『いきなり心変わりしたのか?』と尋ねたら、彼女は不機嫌そうな顔で。

 

 「別に……。憂さんは、オフだよ。まだ寝てる。――憂さんが居なくなるなら、私も、甘えっぱなしじゃダメだと思っただけ」

 「……そっか。美味しいよ」

 「あっそ。明日はそっちが作る番だから。千花さんにばっか頼ってるんじゃねーし。……あと瞬間接着剤、弁償。登山道具の補修出来ねーじゃん。利子付けて返せ」

 

 僕が食べ終わる前に、それだけ言って彼女は席を立った。今日も朝から部活動らしい。

 

 ……悪い娘じゃないのだ。毎日走りこんで、雨の日も風の日も体力練成を欠かさず、道具を丁寧に扱う。そういう几帳面さはある。その辺の細やかさを、兄に分けてくれないかなとも少しは思うのだが……。まあこれでも改善された方だ。

 家に来たばかりは口すら利かなった。

 

 彼女とそこそこ良好な関係になれたのも、憂さんのお陰だった。

 返しても返しきれない恩を返す方法も、考えなければならない。

 

 出ていく妹を見送って数分後、綺麗に食べ終えた。キッチンに食器を運んでいく。

 何時もは此処で、洗い物を任せてしまっていた。だけどこの先、それはお願いできない。ならば――自分でやろう。裾をまくって手早く洗剤を付けて洗っていく。

 

 ……こうして、ちょっとずつ今迄にあった習慣が、変わっていくのだろう。

 人が家から欠けるとは、そういう事だ。

 洗い終わって食器類を乾燥棚に置き、鏡の前で身支度を確認してから、家を出る。

 

 「おはようございます、いーちゃん!」

 「……うん。おはよう」

 

 そこには、千花が待っていた。やっと出てきましたね、と笑って待っていた。

 少し速足で近寄り、彼女の横に並ぶ。千花は何も言わずに、僕の腕に腕を絡ませた。

 そうして二人で歩き出す。

 

 ……何かを守るという事は何かを守らないという事だ、と何処かで聞いた覚えがある。

 それは何かを手放した分、手に残った物はより大切に、より重くなるという事だ。

 

 ならば僕はこの手を――離さない。

 決意をして、心の中で、憂さんに告げた。

 

 

 どうか幸せに咲いてくれますように。




一人以外は選べないし、選ばない。
例え他にフラグがあっても、それを折って藤原千花を選ぶ。
それだけは絶対の不文律。


多忙に付き、また数日の間が空きますが、気長にお待ちください。


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岩傘調は比べたい

祝:お気に入り2000!
皆さまの応援に感謝します!
多忙に付きちょくちょく投稿期間に間が開くことがありますが、最後まで書くのでご安心を!

では、どうぞ!


 誰にだって人間関係における相性とか、好き嫌いはある。

 朝一番で好きな人の顔を見たら嬉しい。

 逆に寝起きで最初に見たのが嫌な奴だったら気分は最悪だ。

 

 今日、僕が、朝一番に見たのは、我が妹の顔。

 授業が終わり、無事に昼を食べ終わった後に見たのは。

 

 「くふふ。という事で転入したんだ、くふ、宜しくね、いーちゃん先輩?」

 「言っておく。僕の事を、いーちゃんと呼んで良いのは千花だけだ!」

 「そんなに大きな声を出さないでくれよ。私はこの通り、一般生徒になったんだぞ!?」

 「何が『なったんだゾ(可愛く)』だ。くふふって笑っただろうが。信用しないからな」

 

 わざわざ挨拶に来た邪神系女である。

 誰が好き好んでコイツと遭遇しなきゃいけないんだ。もっと別の奴を!と思う。

 チェンジを要求したい。コレよりは伊井野ミコの方がまだマシだ。

 

 追い払ったら、ダメージを受けるかと思いきや、挑発が返ってきた。

 去り際に歪んだウインクと投げキスを投げて来やがった。嫌がらせか。嫌がらせだな。

 制服を着こんでモノクロカラーの衣装が消えた、と思ったら。靴を黒にして靴下を黒白片方で変えるとか、髪を黒と白に染めるとか、そういう細かい芸をしていた。鬱陶しいアホ毛も健在だ。

 

 イクス・クルーシュチャとか名乗って転校して来たあの女。この時期に、この学園に、という事で既に有名になっている。四宮家からの派遣という事実は知らずとも、誰かが編入を手伝ったのは自明の理。果たしてどんな人間か、と興味の目が向いた。

 

 僕も学歴を確認したが『カリフォルニア工科大学卒業』と書かれている。

 MIT(マサチューセッツ工科大学)と比肩するアメリカ屈指の大学だ。名声の割に規模が非常に小さく、確か生徒と教授を合わせても二千人程度ではなかったか。

 ……これ捏造じゃねえんだろうなあ、と思った。あの女、ニャルラトホテプの化身であることは間違いないが、同時に唯の娘である。数学の天才少女が、うっかり『クルーシュチャの方程式』を解き明かしてしまい、結果ニャル汚染を受けたとか、そういう感じなんだろう。

 イクサというのも『方程式(Equation)』からだと思われる。

 

 そしてこの経歴を確認して、僕は『やっぱり頭脳でクルーシュチャに勝つのは良い手段ではないな』と再認識した。だってそうだろう。下手に勝利して、僕が『クルーシュチャの方程式』を解いた、なんて状態に追い込まれるなんて、考えるだけで恐ろしい。

 

 「今の編入してきた一年生だよな。……すっげえ険悪だったけど何かあったのか?」

 「千花との距離が縮まった」

 「……良いことじゃないか」

 

 問いかけてきた風祭に、いいや違うね、と僕は断固とした意見を言う。

 

 「違う。千花との距離が縮まったのは『結果』だ。その『結果』に至るまでの過程が問題だった! あの女のせいで! 僕は、もうちょっと先だと思っていた、イベントへの時計の針を進める羽目になった! ……比喩で言ったが、――あの女が暗躍しなければ、姉の結婚式はもうちょい先で起きる筈だったんだ。その平穏を壊した原因である、あの女は、僕は嫌いだ。大嫌いだ」

 「岩傘が其処まで嫌うってのも珍しいな……」

 「情に絆されることはあっても、時と場合により手を組むことはあっても、僕はアレとは相いれないさ。同族嫌悪が若干入っていることは否定しないけど」

 

 神妙な態度ならまだしも、愉悦が好きそうな態度で歓迎されても嬉しくない。結果オーライという言葉があるが、それにしたって限度やらセーフラインという物がある。

 そこまで断言した後に、荒んだ心を宥めるべく別の話題を口にした。

 

 「それに比較して千花は癒しだ。まじ癒し。いやな、さっきも言ったが姉貴分が結婚するんだよ……まだ婚約の手前だけど。ショックを受けた僕を慰めてくれてな……、直前にあの女がいたから、猶の事、僕の心は溶けそうになった。膝枕とか最高。此処で出来ないのが残念だ」

 「お前なら教室でやってても不思議じゃないと思う」

 「そうか? ……今度やってみるか?」

 「やらんでいい! そういうのは二人きりでやってくれ。……俺も彼女が欲しいよ」

 

 風祭と豊崎ならマスメディア部を誘えそうなものだけどな。

 僕がそういったら『どうも歯車が食い違ってる感じがあって上手くいかない』そうだ。

 互いを応援しても、彼女達が応援しあっても、タイミングが合わないとかなんとか。

 そりゃ悲しいな。今度、何かアドバイスでもしてあげようと思った。

 

 ◆

 

 千花は僕をいーちゃんと呼ぶ。岩傘でいーちゃんだ。

 

 幼い頃「いわかさ」と発音が出来なかった。「いわかさ」→「いあかちゃ」→「いーちゃ」と言う感じである。それが今でも続いていーちゃんだ。一応「調さん」と呼ぶこともあるし、公衆の面前ではそう呼ぶように意識しているようだが、徹底は出来ていない。

 

 そして社交関係が広い千花だ。僕の話を出す時も、最初は「岩傘さん」なのだが、最後の方になると「いーちゃん」と混ざるらしい。だから……いや、だからという表現が正しいかは知らないが『藤原先輩の許嫁は生徒会広報の岩傘(いーちゃん)さん』というのが、独り歩きしている感じはある。

 

 だけど僕は、この愛称を千花以外に呼ばせる気は無かった。御行氏やかぐや嬢に、皮肉や揶揄を込められてちょっと使われる程度なら許せるが、その位。ましてクルーシュチャに呼ばれるのなど御免被る。

 

 ……ただ「いーちゃん」の名前は、有名である。

 僕の名前や役職、活動とか、会報での写真とかがあっても、マスメディア部のインタビュー記事が載っていても、それは僕本人ではない。御行氏やかぐや嬢が、本来どういう人間か――を知らないのと同様に、僕にもバイアスがかかっている。

 

 だから後輩とか年下を相手にするときは、割と気を使うのだが――。

 幸いなことに今日のお客は、そういうのとは無縁な相手だった。

 

 着飾らないでコミュニケーションができる相手は貴重だね!

 クルーシュチャとは雲泥の差だね!

 ……ともあれ。

 

 「失礼致します。あの、会長の白銀御行は留守でしょうか?」

 

 かぐや嬢の風邪も治り、生徒総会が数日後に迫ったある日。

 放課後にやってきたのは、御行氏の妹:圭さんであった。ちゃん付けしたいところだが、見知っているとは言え、レディを相手にちゃん付けは不味かろう。

 出迎えたかぐや嬢は『これが話に聞いている会長の妹さんね!?』と感動していた。

 

 「会長でしたら今は部活連の予算案会議に出席しています。暫く戻らないと思いますよ」

 「部活連の会議ってあれですよね。昔、外部入学の生徒会長が失礼を働き、日本に住むのが難しくなったって言う……」

 「大分、噂に尾ひれがついていますね。その話はデマです。ただ彼の父親の勤務先がカンボジアになっただけですよ」

 「それ飛ばされてますよね!?」

 「カンボジアで良かったね。中東だったらもっと笑えない。……いらっしゃい白銀さん」

 「あ、岩傘先輩。お邪魔しています」

 

 パソコンのデータをセーブして顔を出した。

 

 僕が関わった事件ではない。ただ時期的に、憂さんか豊実姉のどちらかは、在籍期間的に耳はしている筈だ。今の世代に限らず、部長たちは基本、取扱注意の人ばかりである。仮に僕がマスメディア部に入ったら、多分同じように表現されたんだろうさ。

 

 秀知院VIPの一人に、本物の王族が居るという話は前にしたな。

 ガルダン・アーラサム王国という中東の小さな国があるのだが、そこの王族である第二王子が秀知院には居る。『サハ部』という丸太を使った新種の部活動をしている変わった男だ。向こうの国だとお家騒動(※真面目にヤバイ権力闘争)をしているらしい。そちらから圧力が掛かれば紛争地帯にまっしぐらだっただろう。いや本当、カンボジアでよかった。

 

 「あら、お二人はお知り合いで……?」

 「白銀さん、僕の(キーちゃん)と、千花の妹と同級生なんですよ。だから藤原家には時々遊びに来ます。……妹達が集まってる場所に僕が顔を出すのは憚られるんで、実際に長時間会話したことはあんまりないですけどね。ウチのが不在で、白銀さんが来てて、僕がそれを知らなかったときにブッキングするくらいですか」

 

 流石に見知らぬ異性にパジャマ姿やらを見せるのは遠慮したいだろう、と配慮して、そういう場合、僕は藤原家に顔を出さないようにしている。顔を出したとしても、夕食時くらいだ。

 

 しかしそれでも、僕と千花のプライベートを知っている貴重な後輩であることは違いない。中等部に顔を出すことも時々はある僕だが、そういう時に素直に接してくれる人間は本当に貴重なのだ。生徒会の男子というなら猶更に。

 

 だから適度に交流はしている。それこそ千花の家に泊って行った翌日、遊びに出る時に付き合う(荷物持ち)することもある。そういう場合、妹が同伴するから、一概に喜べもしないけど。

 

 「むしろウチのが迷惑をかけてないかなと心配です」

 「いえ、頼らせて、頂いています」

 

 我が妹を、いつぞやに石上が『雷みたいな娘らしいですよ』と表現していたが、まさにそれ。

 断じて他人に自ら喧嘩を売るような娘ではないが、怒った時が超怖い。兄の目からしても怖い。事ある毎に『着火するぞ』が口癖なのも怖さに拍車をかけている。

 

 まあ人望は一応あるのだ。

 が、それはリーダーとしての人望ではない。生徒会役員に就任するような人望ではない。水戸黄門ではなく助さん角さん的な、『先生、後は、お願いします』的な意味で担ぎ出される用心棒みたいな存在である。

 身長は伊井野ミコより小さいけど、憂さん仕込みの護身術を取得してるのもあって強いのだ。

 

 とか思って会話していると、かぐや嬢の顔が計算高くなった。

 将を射んとする者はまず馬を射よ。此処でアピールしておいて、後々会長を相手にする時に味方につけたいという魂胆か。それが読み取れるくらいに付き合いが長いというのもちょっと複雑だが……。しかしあの二人の関係を後押ししたい僕としては、その企みには協力しよう。

 

 「そういえば、かぐや嬢は、末っ子さんでしたか。お兄さんがいるとは聞いていましたが。……年下の後輩と仲良くなる、というのは意外と新鮮ではありません?」

 「え“!? ……ええ、そうね、広報の言う通りですね」

 

 内心でガッツポーズをしているだろうか。

 ここ数日、生徒会の仕事が出来ていなかった二人(かぐや嬢は風邪ひいてたし)で、こんな企みしてて良いんだろうか、とも思わなくもないが。まあ仕事に支障は出ないし、良いだろう。

 

 「ええと、白銀さん。して、今日はどのようなご用件で?」

 「えと、生徒総会の配布資料のチェックをお願いしようと思って来たのですが……」

 「でしたら私を頼ってください。私、こう見えて出来る女ですから」

 「石上会計石上会計、ちょっとこっちお願いして良い? 確認したいんだけど」

 

 かぐや嬢がアピールを始めたので、僕はソファの背後に座っていた石上を招く。

 圭さんも会計だから石上を活用する選択肢はあった。しかしかぐや嬢がこっちを見て『お願いしますね?』と微笑んだのだから、しょうがない。

 

 彼を招いて、不在の間の仕事がどんな進捗なのかを確認する。

 

 『ここ、こういう感じで纏めました。こっちにあの資料挟んで、此処を変えてあります』

 『こっち側の部分は広報にお願いする感じで……。数字だけは纏めておきましたんで、追加して貰う感じで』

 『ああ、うん、ふむふむ。あ、ここレイアウト変えたんだ。見易いね。流石』

 

 話を聞いた感じ、本当に何ら支障はない。このまま生徒総会が出来るレベルで僕の仕事がきちんと片付けられている。有能さは知っていたが本当に有能だな。

 小さな変更点まで(つぶさ)に確認して顔を上げると、圭さんとかぐや嬢の会話は大体終わったらしい。何でも卒なくこなす彼女の事だ。多分、資料もなんら問題なく確認しただろう。出来る女アピールがどこまで成功したかは、白銀家の評判に任せることになるけどね。

 

 「こんにちー、あー圭ちゃん! こんにち殺法!」

 「こんにち殺法返し……! お仕事でお邪魔してます、千花()ぇ」

 

 とか言っていたら千花もやって来た。

 女子達の会話には花が咲いていく。挨拶の後、ハイタッチに、夏休みの計画まで色々と。

 

 かぐや嬢が少しばかり羨ましそうな顔をしているのを、圭さんは見逃さなかった。

 この辺、御行氏の妹だけあって流石だ。先ほど、資料を見てもらったお礼もあるのだろう。彼女の方から、やや緊張しつつも話が切り出される。

 

 「あ、あの、四宮先輩……。そ、その、もしよろしければ、なんですけれど――ご一緒、しませんか? め、迷惑じゃなければ……」

 「迷惑だなんて、そんな」

 

 果たして、かぐや嬢が内心でどこまで喜んでいたのかは不明である。が。

 

 「いいえ、是非ともそのお誘い、受けさせて頂きますね。誘ってくれて有難う、白銀さん」

 「かぐやさんかぐやさん! それじゃ会長と被りますよ? そこはもっとフレンドリーに! 名前で! どうでしょう? ――圭ちゃん的にはどうですかー?」

 

 今度は千花がかぐや嬢の背中を押した。そして多分……、千花の奴、これは圭さんが、かぐや嬢との距離を縮めたがっているのも見抜いたな? 二人を応援する形である。

 ラブ探偵チカの嗅覚、恋愛のみならず人間関係全般に使えるのかもしれない。流石は僕の嫁だ。

 

 「あ、えっと、……それだと嬉しい、です」

 「あら、嬉しい。――じゃあ、圭さんと呼ばせて貰いますね」

 

 かくして僕らの前で、美しい女性同士の友情が形になったのであった。

 

 「ところで、かぐや嬢。あのクルーシュチャって女なんですが」

 「あの『チクタクマン』事件について詳しく知って良そうな女ですね? 良い手駒になりました。彼女が何か」

 「いや、理解されてるなら良いです。ですが手綱は握るようにお願いしますよ……。毎日こっちに顔出してきそうで嫌なんですよ。主人から念押しして頂けませんか」

 「貴方も気に入られているという事では?」

 「あの女に気に入られるなら、その労力は全部、千花との惚気に使いたいです」

 

 僕の言葉に、かぐや嬢は『またお可愛い希望ですのね』と告げた。笑わずに。

 ちゃんと他人の好悪を慮ってくれるのが、彼女の良いところである。

 

 ◆

 

 さて憂さんが家から居なくなる、となると生じる問題が幾つかある。

 

 一つは家事。まあこれは僕や妹が協力してやるようにすればフォロー出来る。憂さんも『私が居なくなった後に家が回らないのは困るので』と既に動いたようで、龍珠組やら、昔のコネやらを駆使して、新しいお手伝いさんを手配に動いている。

 

 一つは護衛。まあこれも……上の人と一緒だ。どんな人が来るかは分からないが、滅多な人を寄越すことはないだろう。同時に色々な工作も出来る人になると思っている。心配はない。

 憂さんの尽力で、妹とも、義母とも、仲が良いと言えるレベルに家庭環境は改善された。

 

 「まあ、なので、そのお手伝いさんにお願いしちゃっても良いかなという気もするんだけど」

 「少しやってみようということですか」

 「いう事です」

 

 元少年兵という経歴故、彼女に運転出来ないものは少なかった。

 車(勿論左ハンドルもOK)、バイク、船までは免許を確認済み。多分、工事現場で使われる大型特殊車両も動かせるだろう。嘘か本当かは知らないが『戦車も動かせますよ』と話していた。

 あの人ならメタルギアを動かせますとか言っても出来そうだ。

 

 「実際に見ると結構、大きいな?」

 

 ガレージに眠っていた二輪車。所謂、普通二輪車だ。十六歳から免許が取れるバイクである。勿論、僕は免許を取っていない。だから公道を走る事は出来ない。

 が、しかし、私有地なら別だ。幸いなことに我が家の庭も、藤原家の庭も、きちんと道路から門扉で隔離されている。壁もあって内部が見れないようになっているし、同時にパーツが飛んだり、他人が事故に巻き込まれることもない。

 

 これは親父が学生時代に乗っていた物だ。

 もう数十年物のヴィンテージ品だが、整備はちゃんとされていて動く。

 

 ガレージにはもう一つ『どうやって運転して、どうやって支えるんだこれ』と言わんばかりの超大型バイク(名前は知らないが凄く高い奴)が置かれていて、こっちは実母の持ち物である。一瞥して不可能だと理解したので、素直に親父のを借りることにした。

 

 「えーと、動かし方は教わったんだよ。エンジンを掛けたら、左手のクラッチで馬力を制御して、右手でアクセル。レバーを握るとブレーキ……」

 「ふむふむ。座ってみたらどうでしょう?」

 「そうするか」

 

 因みに秀知院にバイク通学は禁止という校則はない。誰も乗らないだけだ。どちらかと言えば優雅さ、品性に欠けるという思想が強いというのもあるかもしれないな。

 

 スタンドを閉じて跨る。

 サイズが其処まで大きくないので、僕の体格でも十分に足が地面に付く。

 足がこう、えーと手がこう、こんな感じか? と四苦八苦させていると、千花が乗ってきた。

 

 まあ普通二輪車は相乗りが許されているので、それは不思議ではない。

 だが僕は思わず動きを止める。

 

 「……千花、今気づいた。これ僕、運転出来ないわ」

 「はい?」

 「いや、背中に超当たる。すっげえ気が散る。安全運転とか無理だこれ」

 

 エンジンをかける前に速攻で頓挫した。中座せざるを得なかった。

 

 千花のサイズが大きいのは知っているが、二人乗りをするとなると、必然、彼女の上半身は自分の背中に引っ付くことになる。そうするともう、なんか凄い。やばい。

 

 前から抱きしめる時に、胸板で得る感覚とは違う。

 背中にぴったりと付いた時、すっげえこそばゆいのだ。

 

 ちょっと動くだけで背中に感じるそれが揺れる揺れる。

 形を変えてゆさゆさふにふにと。たゆんたゆんと!

 

 くすぐったいで済めばいいが、興奮のあまりブレーキを入れ損ねるとかあり得そうだ。諦めよう。バイクの場合、急ブレーキだと後ろの人の方が、被害が大きいともいうし。

 

 「そーですかー。ちょっと残念ですけど。えい」

 「……当たってますよ千花さんや」

 「当ててるんですよ、調さんや。ふふふ、背後は取った。お前の命は私が握っているのです!」

 「くっ、これは動けない……! 何が狙いだ……!」

 

 スタンドを下ろして、取り合えず、とっさに倒れないようにして、応じた。

 その状態で、前を向いたまま固まる。背後を取られた上に、全力で伸し掛かられては振り払えない。無理に払って千花が転がり落ちるとか考えたくないし。

 

 自分からぐいぐいと押し付けてくる。これは完全に確信犯だな……!?

 

 だがその圧力に屈しそうな自分が居た。だって柔らかいんだもん。別に胸のサイズで人を比較したりとかはしないが、千花のこれは間違いなく僕専用の特攻で、僕専用の大きさを持っている。

 このままじゃ降りるのにも難儀するぞ。……いや、降ろしてくれそうもないけどね! なんでがっちりと背中から前に手を回して離さないのか。これは難問だ。

 

 「んふふー、さー、なんででしょうか? 当ててみるといいと思いますよー? 正解するまで離れません。あ、私は別に怒ってるとかじゃないですからね? アピールですアピール!」

 「……ふむ」

 

 怒らせるようなことをした覚えもない。憂さん関連でもないだろう。

 とすると今日あったことだろうか。妹の事は関係がないと思う。圭さんの事……も、別

に千花が何か反応するとは思えない。かぐや嬢の事は、もっとない。

 となると、あの性悪女(クルーシュチャ)のこと位だ。

 長年の経験が告げている。多分これが正解だ。あの女に関して、千花が何故こうしたのか? 怒っている訳ではない、と言った。つまり……僕がクルーシュチャに取った態度に嫉妬したとか、そういう事ではないだろう。僕は何もしてないし。

 

 考えが詰まったので、思考を変えてみる。

 僕が何かをしたのではなく、あの女が僕に何かをした……。僕に何かをした?

 何もしてない……いや、されたか。ウインクと投げキス。

 

 「ははあ……。マーキングとかそういう?」

 

 好きな相手に自分の痕跡を、擦り付けることで、誰の所有物をはっきりさせる。

 相合傘もこうしたマーキングの一種と言えるが……。

 僕の言葉に、千花は『せーかーいでーす』と引っ付きながら言った。

 

 「クルーシュチャさんでしたっけ。あの娘が、なんか嫌な感じがしたんですよー」

 「僕は千花からぶれないよ? クルーシュチャも僕()寝取ろうとは思わないでしょ」

 「そんなことは分かってますよー。でも好きな人の傍にいきなり変な女が現れたら警戒します。私が安心したかったんですよー。いーちゃん、あったかいんですもん。……幸せ」

 

 まあ確かにクルーシュチャという女が邪神系という事は、僕とかぐや嬢しか知らない情報だ。

 御行氏、石上、そして千花は奴の正体を知らない。何れ話すことになるにしても、今は秘密にしている訳だ。

 なんとなく千花の行動も分かる。嫉妬とか不安のような言葉に出来る大きな感情ではない。でも何かと比較したら、確かに其処にある思いはゼロではない、と。

 僕が時々、千花に一方的な不安を持つように、彼女も心が波打つこともある。

 

 「……どうせ安心したいなら背中じゃなくて正面から来ればよかったのに」

 「新鮮さが欲しかったんですー」

 

 それなら、しょうがないな、と納得した。

 

 ◆

 

 結局、それからガレージを出たのは20分くらい後だった。もう20分間、ずーっと延々と千花が背中に引っ付いているだけだったが、別に良い。こういう風に時間を使えるのは貴重だ。

 

 僕も千花からの温かい粒子を貰えたし良しとしよう。チカニウムとでも命名するか。

 バイク通学は色んな意味で不可能だと理解したし。これは何時かのように徒歩が無難だろう。

 そのまま互いに挨拶をして別れるか、と思ったら、千花はこっちに付いてきた。

 

 「今日のお夕飯をそっちにお邪魔しようかなーって思いまして」

 「それは良いけど。藤原家には伝えてあるの?」

 「勿論です! ……あんまり時間もないですからね。気合を入れて勉強です!」

 

 その日の晩御飯、千花は決意も新たにエプロンをして、憂さんから色々と手解きを受けていた。

 出てきた料理は、まだちょっと雑というか、細かい部分で粗が見えていた。家庭的な技を取得するのに余念がない千花だが、流石に本職の憂さんには負ける。

 

 けれども……僕好みの味を、学んでいるんだな、と理解した。

 そういう部分で努力をしてくれる千花は最高だと思う。

 

 味の優劣をつけることは、多分やろうと思えば出来たのだが――。

 ――こればかりは、比較をする気は起きなかった。




岩傘調からの女性評価

嫁 :藤原千花
身内:優華憂、妹、藤原萌葉、藤原豊実
友人:四宮かぐや、龍珠桃、津々美竜巻、TG部。
協力:早坂愛、マスメディア部。
利用:伊井野ミコ。
論外っていうか消えて欲しい:クルーシュチャ。


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幕間:生徒会役員達は引き当てたい 前編

副題:VS藤原千花。

色々と端折っていた部分も補完。
予想以上に長くなってしまったので分割します。


 時系列はちょっと巻き戻り、春先である。

 その日、生徒会室では熾烈な戦いが行われていた。正真正銘の、頭脳戦である。

 

 「ルールの説明をしましょう。まず、基本はブラックジャックです。21、もしくはその数値に一番近い人が勝ちです。――で、まずこのゲームではLP(ライフポイント)を設定します」

 

 此処は生徒会室。人数は五人。全員揃って机に就いている。

 僕はTG部で使う賽子(ダイス)を取り出した。6面ダイス。それを各自1人に配る。

 

 普通、賽子というと6面が一般的だ。各種ゲームではそうじゃない事も多い。

 TRPGだと特にそれが顕著だ。ウイルス感染で異能に目覚めた現代能力バトル系TRPGだと10面ダイス。アメリカ開発のダンジョンとドラゴンの名前を冠するTRPGだと20面ダイス。クトゥルフの呼び声では100面ダイスと幅広い。

 最近では、インターネット上にダイスBOTが置かれていて、ダイス目を入れるだけで自動で判定してくれるが……、まあ今回はそんな話は野暮だな。

 

 「各自のゲーム開始時のLPは5です。このLPは、減る事はあっても、絶対に増えません。LPが0になった者から抜けていき、最後に残った一人が一位です」

 

 自分の前に置かれた賽子の5の面を上にして置く。

 LPが減る事に、このダイス目を減らしていく。相手のLPも分かる。

 

 「流れを説明しましょう……。まず、カードが配られ、数字で勝負が付くまで……。この一連の流れをラウンド(以下R)と数えます。R開始時に、LPが自動的に-1されます。この時LPが支払えなくなったら敗北。脱落です」

 「という事は……R数はどんなに多くなっても5回までだな?」

 「御行氏の認識であっています。LPは増えないので、必ず5R……もしくは、相当に運が良い勝負では6Rになりますが、それ以上は伸びません。で……」

 

 まずRの開始時に、LPが1減ると同時に、カードが2枚配布される。

 この時、カードは裏向きだ。他人のカードを見る事は出来ない。

 本場カジノではディーラーも勝負相手だからオープンゲームになるが、今回の敵は自分以外の三人。ディーラー役の石上はカードを配るだけだ。だからクローズドで行う。

 

 「で、まず配布された2枚を見たこの時点で勝負(コール)をするか降りる(ドロップ)かを選びます……。CorDの宣言は、1R目は親の御行氏から時計回り。2R目は親が、かぐや嬢に移って時計回り。以後Rが変わる毎に親が左にずれていき、5R目はもう1回御行氏になります」

 

 長机の三辺を囲む形で座る生徒会役員が四人。右辺に御行氏、底辺にかぐや嬢、僕、左辺に千花という順番。石上は上辺に位置取り『なんで僕がこんなことを』と言いながらもカードをシャッフルしていた。

 

 勝負を選んだ場合、自動的にLPがもう1点減る。そして望むだけのカードを引くことが出来る。カードを引いた後、次PLにCorDの選択権が移る。それを繰り返し、全員が行動をした後、ラウンド中に勝負を選んだ相手と数字を比較し、21に近い一人のみが勝ちとなる訳だ。

 で、ここからが肝だ。

 この勝負で勝った場合、その人は、このRで失う筈のLPを失わないのである。

 

 「例えば、1R目、僕と千花が互いに勝負をしたとしましょう」

 「手順1、R開始時です。カードが配布され、互いにLPが4になります」

 「手順2、勝負を選んだのでLPを消費し互いに3になります」

 「手順3、そしてここで千花が勝った場合、千花がこのRで失う筈だったLP2点は失われず、そのままです。――結果、千花のLPは5、僕のLPは3になって、次Rに移ります」

 「なるほど。ドロップをした場合、LPは1点減っただけで、次Rに移行するのですね?」

 「流石、かぐや嬢。察しが良くて何よりです。幾つか捕捉をしておきましょう」

 

 ドロップを宣言したプレイヤーは、即座に自分のカードを表にして公開すること。

 勝負を挑み、追加でカードを引いた時、バーストをした場合、自動的に敗北すること。

 複数人が同時に敗北した場合、どちらも敗北したとして勝者無し。LPは減ったままなこと。

 

 「また両者が同じ数字だった場合、これは山札の一番上(トップ)を互いに捲り、数字が大きかった方の勝ちです」

 「R開始時にLPが0になった場合、そのRで勝負(コール)をする事は?」

 「出来ます。飽くまでも敗北が決定するのは『R開始時にLPが支払えなかった時』です。複数人が同時にR開始時に敗北した時も、トップを捲って順位を決めます」

 

 大体全員にルールが浸透したところで、僕はメモ帖に流れを再度記載し、机の上に置いた。

 

 1:R開始。各自はLP1点を支払い、カードを2枚受け取る。LPが支払えなければ負け。

 2:勝負or降りるかの選択。勝負を選ぶ者は更にLPを1点支払う。

 3:勝負を選んだ者の中で一番の者は、そのRで失う筈のLPを失わない。

 4:CorDの宣言、カード公開等は全て親から開始。親は御行氏から順番に左に動いていく。

 

 「後は……そうですね。ジョーカーはワイルドカード。どの数字でもOKです。何か質問は?」

 「……いや。ない。ちゃんとゲームになっている。面白いな」

 「そうですね。藤原さんが提案したので、どんなトンチンカンなルールになっているかと思ったら……広報の監修が入っています。受けましょうか」

 

 因みにルール的な抜け道は無い。そういう反則は出来ないようになっている。

 誰でも勝てる目がある、というのがゲームにおいては一番重要だ。

 だから仮にこの戦いで、計算が行われるとすれば

 ――それは盤上の外側なのである。

 

 ◆

 

 そもそもは、石上が例の如く、かぐや嬢の仕込みを発見したところから始まる。

 

 「石上、どうしたんだそのチケット」

 「あー、なんかテーブルの裏に貼ってあったんですよ。誰かが隠したんじゃないかなって思うんですが、これ広報の物です?」

 「…………ぼ、僕のだね」

 

 僅かな会話だったが、僕は理解した。テーブルの裏にチケットを貼るなんて真似をする奴は、この生徒会には一人しかいないのだ。

 四宮かぐや嬢。彼女だ。恐らく喫茶店の話題を御行氏に振り、適当な話題で「一緒に行きませんか?」と誘う魂胆だったのだろう(※実際に彼女が誘う言葉を言えたかは別とする)。

 かといって本人に問い正してもしらばっくれるだろう。であれば此処は僕が回収し、それとなく、かぐや嬢に渡すのが一番。そう判断して、咄嗟の機転でチケットを回収した。

 

 だが間の悪い瞬間というのはあるもので、僕がかぐや嬢に密かに渡す前に、千花が気付いてしまった。その場の全員がチケットに意識を向けてしまう。

 

 「あ、それって渋谷にある喫茶店のですよねー? ちょっとお値段しますけど美味しいって有名な……。それ、調さんの物なんですか? 行ってみたいですー!」

 「え? ああ……」

 

 僕が曖昧な返事をしている一瞬で、かぐや嬢が机の裏を確認する。

 ほぼ同時、バッ! と身を起こし彼女は、こっちを見て口を動かした。

 瞳孔が開いて、白目の領域が増えた彼女の目が『何をしているの……?』と殺気と共に押し寄せた。いや僕が悪いんじゃないって。発見したのは石上だって。

 とはいえ此処で彼を生贄に捧げるほど、僕も薄情じゃない。

 

 「いや、実は……、これ、ちょっと前から、かぐや嬢から受け取った物なんだ。その時――『行く予定の日に用事が入ってしまって……、勿体ないので、藤原さんと一緒に行ってきては?』と言われたんだけど――ええと、それが一週間ほど前のことなので! かぐや嬢、またスケジュールが変更されて、実は行けるようになったりしてません!?」

 

 咄嗟の言い訳だが、かぐや嬢にチケットを返却する口実としては悪くない。

 此処で彼女が『そうですね、今確認したら空いていました。やはり私が行きましょう』と言えば無事に返却は可能だ。其処から転じて『誰かを誘いましょうか』と提案も出来る。

 まあその場合! 彼女が御行氏を誘えるのかどうか……! という部分に障害が残るが、しかしそれでもまだマシだ。僕が横取りするよりは良いだろう。

 

 「そうですね、今確認したら空いていました。やはり私が……」

 「でも、一度上げたものを返却して欲しいって我儘じゃないです?」

 

 石上が正論を言った。かぐや嬢に10点のダメージが入った!

 

 「ま、まあまあ。普段からお世話になってるし、その位は別に良いよ。むしろほら、かぐや嬢は色々忙しいからさ……。寛げる機会を大事にしても良いんじゃないかな」

 「じゃ、自分の分もう1枚買えば良いじゃないですか。貧乏人じゃあるまいし」

 

 石上が正論を言った。僕とかぐや嬢に10点のダメージが入った!

 いや、そりゃそうだけどさ……! ちょっと引き攣る僕に気付かず、石上は止まらない。

 

 「大体、喫茶店の場所、渋谷じゃないですか。二枚持って誰を誘うんです? 誘うだけ誘って何するんです? そりゃ岩傘広報なら藤原書記とデート出来るでしょうけどね。副会長が持っていても何の役にも立たないじゃないですか」

 

 更に追撃のストレートパンチが放たれた。

 おい石上! そこまでだ! そこまでにしておけ! 止まって! 地雷を踏んでいるから!

 一言一言を重ねるたびに、かぐや嬢へダメージが叩き込まれ、同時に殺意が溢れていく。

 

 「それに第一、返して欲しいなら、副会長から素直に言うべきじゃないです? 広報が自然に切り出したみたいになってますけど、それ嘘ですよね。大方、素直に返して欲しいと言いたいのに言えないからと広報が気を使ったんでしょ――」

 「じゃあこうしよう! 此処で改めてチケットの所有権を決めるんだ!」

 

 全部が間違っている訳じゃないから性質(タチ)が悪い!

 その鋭さをタップダンスで踊る場所に注意する方向に使えって……!

 僕は石上が致命傷を負う前に、慌てて割り込んだ。このまま放置しておくとコイツは殺される。それは不味い。色んな意味で不味い。

 

 「そうだな、えーと……何かゲームをしよう。それで勝った人が、チケットを受け取るってことで。で、その後、それを誰に渡してもOK、これなら良いだろ!?」

 「ゲームですか。ゲームですね? なるほど、それなら私も文句は言いません! 商品なら遠慮なく使えますー。いやーちょっとだけ複雑だったんですよータダ券貰うのー!」

 

 千花は乗ってきた。まあそうだろう。彼女の性格的に絶対乗って来ると思った。

 かぐや嬢も見えない位置でガッツポーズしている。

 

 「(広報ナイス……!)そうですね、……偶には戯れをしても良いかもしれません。そう思いませんか? 会長も」

 「……まあ、そうだな」

 

 此処までずっと黙っていた御行氏、石上が地雷を踏んでいたことは気付いていた。

 喫茶店のチケットから、かぐや嬢が誰を誘うつもりだったのか、辺りも推測していただろう。最も彼が自分から言い出すと『会長は誰を誘いたいんですか? まさか私を? お可愛いこと』となる為、ヤキモキしながら見守っていたのだ。

 奇しくも僕の提案は、その場の全員へと平等に機会を与える事となった。

 

 「渋谷の喫茶店に行ってー、その後はお買い物をしましょうね、調さん!」

 「ああ。千花が優勝したら、そうしよう。僕が優勝したら……かぐや嬢に返すよ。千花を誘うのは自分の財布から出した金でやりたいからね」

 「やーですねぇもう。照れますよー? あれ、これもう私勝ってます? 勝ってますよね? じゃあ楽しむだけで良いかもしれませんね、えへへへへ……」

 「それで、ゲームは何にします? この人数で遊べる……簡単な物が良いですが……」

 

 かぐや嬢の提案に、ふむと考える。

 TG部には、四人で遊ぶためのゲームが色々ある。しかしルール説明をしなければならない。加えて経験やコツがモノを言う。それは僕と千花に有利だ。良くない。となると出来る限り全員が知っていて、駆け引きで勝負が出来る物……。

 

 「じゃ、これとか如何でしょう? トランプです」

 

 頭にチカーン☆とライトが付いた千花は、鞄を漁ってトランプを取り出した。

 なるほど。簡単で分かり易いカードゲームと言えば確かにトランプだ。単純故に奥が深い。

 ババ抜き、七並べ、大貧民、神経衰弱、ポーカー、インディアンポーカー……。

 幾つかの候補が各自の頭に浮かんだ後、千花は不敵に笑った。

 

 「ブラックジャックで行きません?」

 

 ブラックジャック。

 漫画の神様が描いた闇医者の事ではない。靴下に土砂を詰めて作る即席の鈍器でもない。

 Aを1または11。10・J・Q・Kの4種類は10。2~9はそのままの数値。それらの和で21に近かった者が勝つ単純明快(シンプルイズベスト)なゲームだ。

 彼女の笑顔は挑戦的だった。意味が分からない僕ではない。

 

 「良いね。だけどやるからには真剣勝負、全力だ。()()()()()()

 「勿論です。まあ良いんじゃないです? ()()()()()()()()()()()。やる前から結果が分かってる勝負とか詰まらないんですがー、まあ遊んであげましょう……!」

 

 わざわざ、伊達眼鏡をかけて不敵に笑う。

 ピシッとその場にいた御行氏とかぐや嬢に、電撃が走った。挑発だ。千花の挑発だ。それは分かる。だが挑発だと分かっていても、本気になるのは悪くない。

 本来は本気を出さない処世術を心がける、かぐや嬢も本気モードになった。

 

 今回は、千花と僕は敵陣営。というかゲーム勝負に置いて、千花とは敵同士の方が面白い!

 

 僕はかぐや嬢にチケットを返したい。そのかぐや嬢は会長とデートに行くためにチケットが欲しい。御行氏はその逆だ。千花は只一人、遊ぶために全力を出すだろう。

 ならば僕も受けて立つまで……!

 

 「千花。その言葉、後悔させてやるよ。……カード貸せ」

 

 全員の肩から気勢が上がっていた。伊達に全員、この学園の生徒会役員を務めている訳じゃない。自分の頭脳と能力を存分に発揮しての戦いとなればノリノリだ。

 まして賞品が掛かっている。モチベーションも十分だ。

 ならば、このカードゲーム勝負が、楽しくない訳がない!

 

 一番にカードをシャッフルしていた千花からトランプ束を受け取る。

 彼女のことだ。何が仕込まれているか分かったもんじゃない。

 

 入念にシャッフルし、それを右隣のかぐや嬢に渡した。

 彼女も同じようにシャッフルし、最後に御行氏もシャッフル。そして石上に渡る。

 

 「まあ詳しいルール最低とゲームの方法を説明しますよ……TG部で前にやったルールを応用するよ。そっちの方が面白い」

 

 同時に駆け引きや計算も出来る。

 全員の注目を集めたのを確認して、僕は口を開いた。

 

 ◆

 

 かくしてルール説明が終わり、ゲームが始まる。

 第1R開始時。石上から配られたカード2枚を確認した。

 

 (「♠1」「♦5」。悪くないけど……)

 

 このままで勝負した場合、出目は16だ。

 此処で山札から引いて来たい数字は5~1までの何れか。トランプの一束は52枚+ジョーカー。1人2枚渡っているから、単純計算をすれば残り山札は53-8=45。その内12345は各種4枚なので合計20。そこから手持ちの2枚を引いて18枚。18/45は……微妙だ。

 

 「勝負(コール)だ。ドローはしない」

 「……私はドロップしましょう。手札を公開しますね」

 

 御行氏は勝負に出た。かぐや嬢はドロップを宣言し、手札を公開する。

 「♠J」「♥5」。合計15。確かにこれはドロップが賢明な数値だ。

 

 計算に戻る。

 まず、先ほどの18/45は更に確立が減った。かぐや嬢の手元に1枚あったので17/45。

 そして御行氏は勝負(コール)に出て、しかも彼はドローをしなかった。

 という事は、彼の手札は2枚で高めの数値だ。21~18位と予想しておこう。僕の手札で彼に勝つ為には、1ではダメ。2でも怪しい。345、この辺が1枚来ないといけない。5が表に2枚出ているから確率は10/45。そして千花のカードが不明な以上、これより低い可能性も高い。……流石1R目から20%の低確率に賭けるのは無謀だ。

 

 (勝負(コール)に出て、カードを2枚引いて勝負する方法もあるけど……この序盤でやっても意味はない。バーストする可能性も増える。素直に引き下がるか)

 

 「僕もドロップ。カードは 「♠1」「♦5」」

 「……勝負(コール)します。カードを1枚ドローしましょう」

 

 千花は暫し眺めた後、山札からのドローを選択。

 そして御行氏と千花、二人のカードが公開された。

 

 御行氏:「♦10」「♥8」。合計18。

 千花:「♣7」「♣9」「♥4」。合計20。

 

 「私の勝ちですね……! ふふふ、このギリギリ感……! 紙一重の勝利……!」

 「ああ、そうだな。……俺のLPは3だ」

 

 不運だったか、と御行氏は息を吐く。勝負そのものは妥当な結果だった。

 千花の手札から推測するに、初手で「♣7」「♥4」があったのだろう。その状態なら何を引いてもバーストせず、数字によれば御行氏にも勝てる。確率的にも40%強。勝負の姿勢は正しい。

 

 (……と、普通は思うんだが……やはりこれは……、いや、少し観察だな)

 

 確信はない。だが推測は出来る。そしてタイミングを計る必要がある。

 御行氏のLPは3、僕とかぐや嬢は4、千花が5。まず一歩、千花がリードする。

 無言で石上が、カードを配った。

 

 ◆

 

 「勝負(コール)。ドローはしません」

 

 今度はかぐや嬢の調子が良いらしい。親番の初手。二枚高めである。

 さてどうしたモノかなと僕は手札を見る。「♠5」「♣4」。合計の出目が9。かなり良い。

 かぐや嬢の出目が18~21だとして……僕が9、10~K、Aを引けば勝てる可能性は高い。

 僕が欲しいのは、A、9、10、J、Q、K。4種類が6枚で24枚。さっき御行氏が「♦10」を引き、かぐや嬢が「♠J」を引いていた。千花が「♣9」。24枚から3枚を抜いて21枚。

 かぐや嬢の手札が2枚で高めなら、2枚とも僕が欲しいカードと被っている可能性は高い。

 24-3-2=19。山札の残りが37枚だとして、19/37。ほぼ半々。ここは、押す。

 

 「僕も勝負(コール)。ドローだ。1枚頂戴」

 

 石上からトップを貰う。手元に来る直前、確認する。

 

 (K、かな……?)

 

 ……出てきた出目は「♥K」。合計19だ。……これは、推測が正しいらしいな。

 かぐや嬢と僕が、二人とも勝負手になったのを確認したからか、千花は降りた。

 

 「降りましょう。「♦Q」「♠7」。良い出目だったんですけど流石に17で二人と勝負は辛いです」

 「俺もドロップだな。悪くはなかったんだが……「♠4」「♣Q」だ」

 「では、オープン。私のカードは――」

 

 「♦J」「♥13」。合計20。

 これは僕の負けだ。大体の絡繰りは理解したが、それで勝てないこともある。

 

 「危ないですね。中々スリルがあります」

 「本番は、ここっからですよ?」

 「ですね。そろそろ皆、カードを覚えるのが辛くなってきたのではないでしょうか」

 

 御行氏のLPは2。僕も2。かぐや嬢と千花のLPは4だ。

 ……この辺からが、本番だ。頭脳戦――及び記憶力、番外乱闘の時間。

 

 純粋なゲームは終わる。

 僕に親番が回ってきた。

 

 ◆

 

 凡そカードゲーム、トランプを使うゲームにおける必勝法の一つが、カウンティングだ。

 山札から出たカードを全部記憶し、次に出るカードを確率的に予想する。ブラックジャックのみならず、ポーカーなどでも使われている。

 

 最も海外のカジノなどでは、このカウンティング、禁止されている場所が殆どだ。メモを始めとする記録は当然のことながら、指降り数える事すらもアウトな場合もある。

 

 しかして人間の思考の中は、誰も覗けない。

 本場ではトランプセットが2つ3つと使われることも多いので、このカウンティングは非常に難易度が高いのだが、幸いにもここにあるのは53種類。そして秀才揃いだ。

 

 今までに出てきたカードは18枚。配られたカードは8枚。合計26――半分である。

 僕もまだ、記憶を辿れば何となく覚えている。

 御行氏、かぐや嬢の二人なら、ほぼ間違いなく記憶していると思う。千花は……怪しい。怪しいのだ。こと記憶力という点において、千花はこの中で一番低いかもしれない。

 

 であるのに勝つ気でいる!

 ()()()と笑っている!

 ならば、そこに何か隠れていると思うのは当たり前だ! 伊達に長い付き合いじゃないぞ。

 

 (僕のLPは残り2。というか今、Rが開始してカードを貰って残り1……)

 

 考える。此処で最悪なパターンは、此処で勝負(コール)に出て負けることだ。その場合、一瞬でLP2点が尽きる。4R目開始時に僕は負ける。それは遠慮したい。

 喫茶店チケットは関係がない。

 

 ゲームで負けるのは嫌だ。癪だ!

 勝負をするからには勝つ! それが鉄則だ!

 負けて良いと思って戦う奴は勝てない。勝利とは、貪欲に勝つ姿勢を持つところから始まる。

 

 だから僕の選択肢は、勝負して一位を取るか、ドロップするかのどちらかしかない。

 だがこういう時に良いカードが巡って来ることは中々ない。

 

 (「♥5」「♠8」。合計13。酷過ぎる)

 

 見えてない9~Kまでのカードは12枚。僕以外の手札と山札の合計が、33枚。

 バーストする可能性は3割以上。かなり辛い。

 何とか戦える6~8を引く確率も……8枚だから……8/33。それでも戦えるだけだ。負けたら終わる。……ならば無理だな。悔しいが素直に引き下がろう。まだチャンスはある。

 

 「ドロップ。「♥5」「♠8」です」

 「……むーん、私もドロップ。「♦2」と「♠K」です」

 「俺は勝負(コール)。ドローはしない」

 「……………」

 

 かぐや嬢は、止まった。綺麗な指を顎に当てて、考えている。

 

 ここだ。伝わってくれよ!

 かぐや嬢にだけ伝わるようにトントントンと三回。机の裏を小さく叩く。

 

 やがて彼女は、何かを確かめるように、静かに勝負(コール)。ドローと告げた。

 

 「……バーストです。「♠3」「♣J」……「♠9」。……会長の一人勝ちですね」

 「そうらしいな。「♦A」と「♥9」。合計20」

 

 ……これは、いけたな?

 全部を読み取れるわけではないが、大体の推測は出来る。

 かぐや嬢の手札は「♣J」と「♠9」だった。そこに「♠3」を引いてきたのだ。

 出し方で「運悪く♠9を引いてしまいました」と演技をしているが違う。僕が三回机を叩いた意味も、多分、分かってくれた。

 

 最初に言った通り、僕とかぐや嬢の席は隣だ。これは千花の隣に座ったのではない。意図的にこの場所に座ったのである。かぐや嬢にチケットを返却する為の、念のための伏線だったのだが……良い具合に回収出来そうだ。

 

 トントン。他の二人に見えない様に、物音を立てない様に、微かに靴先で合図を送られる。微かな蹴り。見ないでも分かる。かぐや嬢からの合図だ。

 

 「参ったなー千花が一人浮きか……」

 

 と目頭を押さえる仕草をして、横目で彼女と目を合わせる。

 

 『千花のイカサマ、逆手に取りますよ』

 『そうしましょう。お願いしますね』

 

 …………僕がルール説明をした時。意図的に、言っていなかった言葉がある。

 

 『()()()()()()()』。

 

 普通はしないんじゃないか? と思うかもしれない。

 甘い。千花ならする。藤原千花なら絶対にする。

 

 正々堂々した戦いをする、というのと、頭を使って勝負するのは別の話だ。僕だってインチキや反則をしないで戦えるなら戦うとも。だが相手は千花だ。言っちゃ悪いが、彼女のゲームにおける行動は性質が悪い。むっちゃ悪い。

 

 千花が余計な反則をしないなら僕もこんな手は使わない。

 だがイカサマにはイカサマを持って対抗するしかない。

 

 ブラフ、演技など出来る限りの事を全力でやって来る。政治家は国民を騙す詐欺師である、という言葉があるが千花はそう言う意味では確かに詐欺師向きだ。禁止されていない事ならセーフですよねとしれっとした笑顔で話して実行する。

 無論、バレた時は反則負けだと言われる覚悟で実行をしているのだろうが――。

 こういう言葉もある。

 

 『ばれなきゃ犯罪じゃないんですよ! いーちゃん!』

 (……しかも千花的に、別にこの勝負、負けても良いんだよな……)

 

 負けようが勝てようが、千花は僕とデートだ。

 始める前に会話をしていたじゃないか。『これもう私、勝ってますよね!?』と。

 つまりゲームを最大限に楽しみ、引っ掻き回すのが千花の狙い。であるなら反則、インチキ、イカサマなどという禁じ手はポンポン使ってくるだろう。大体ブラックジャックやろうと提案したの千花だし。トランプを用意したのも彼女だし。

 

 残りLPは、僕が1、会長副会長が2、千花が3。

 どっちにしろ、此処で僕は千花に勝てないと四位だ。最下位だ。

 それは癪だ。一位になる為に今からでも足掻くだけ足掻く!

 

 (向こうは絶対に事故が起きない……。何とかして隙を突くしかない……)

 

 4R目。千花の親番。

 運命のカードが配られる。




後半に続くっ!

尚、藤原千花は既に3つくらいイカサマ実行しています。なんて女だ。

1つは「事故が起きない」という原作トランプを使った技。
あと2つは何なのでしょうね?


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幕間:生徒会役員達は引き当てたい 後編

副題:VS藤原千花。
イカサマにはイカサマをぶつけるんだよ!


 「イカサマトランプ」(マークドデック)

 つまりトランプを改造した品だ。特定のカードが他カードより小さかったり、トランプの隅に何らかの模様が付いていて、裏面を見るだけで表が分かるようになっていたりする。手品なんかで使われるアイテムだ。最近の品はかなり質が良く、判別方法を知るにはコツが要る。

 

 千花がブラックジャックをしませんか? と提案して取り出した品は、それだった。

 これは後日の話だ――僕が憂さんの問題で、生徒会を数日離れていた時の話になるが、千花はやはりマークドデックを使って御行氏&石上に勝負を挑み、イカサマを看破されて負けることになる。よりによって神経衰弱を選んだらしい。そりゃ看破されるわ。

 

 (……まあ、千花としては、ばれても良いくらいの精神だろうしな)

 

 千花はこのゲームに負けても良い。そして負けても失う物がない人間が、勝ちを狙ってくる。その強さ、その恐ろしさたるや。

 ……長い付き合いだ。彼女が、マークド・デックを持っていることは知っている。今回のトランプは新しい物だったから、その区別がちょっと付かなかったが、間違いなくイカサマアイテムだ。

 

 第2R、カードを石上から貰った瞬間に確認をした。

 

 しかし、うまい使い方だ、とも思う。

 今やっているゲームはブラックジャック。つまり誰もがスートと数字を意識する。誰もが数字を記憶することに注力し、裏面には注意を払わない。払う余裕がないのだ。

 僕は千花と長い付き合いだから気付けた。その上で僕が合図を出したから、この中で最も優れた知性を持つ、かぐや嬢が『もしや』と気付いたのである。

 

 ……石上は、そもそも余りゲームに興味がない。勝敗は気になっていても、ゲームの勝利権は如何でも良い。だから不正が無いように正確にカードを配るだけだ。だから気付けない。勝負事というかゲームに関しては真摯な態度を取るのが彼だ。

 

 更に言えば、彼は、仮にこのトランプが不正であったと気付いても、言及が出来ない。

 ディーラー役である以上『気付いて欲しい』と祈る事しか出来ないというのが一つ。

 プレイヤーに、かぐや嬢が居るから、恐怖が先立って余計な邪魔が出来ない、というのが一つ。

 

 (それに、マークドデックだからって勝てる訳じゃないしな……)

 

 事故は防げる。次に引けるカードが見えるのだから、バーストはしない。

 ただし()()()()()()()()()()()()()()()()状況を覆せる訳ではない。

 2R目の僕のように、良いカードが手に入っても、相手の手札に干渉出来ない以上、負けはある。

 

 だからこその迷彩になっている、とも言える。

 マークドデックとしての優位性を発揮するには、ブラックジャックでは不相応なのだ。

 大きなイカサマはバレやすい。逆も然り。

 

 勿論、効果はある。次のカードが分かるから事故が起きない。勝負をするリスクを減らせる。確率から次に引くカードを考え判断が必要なこのゲームでは、確定情報は大きなアドバンテージになる。これは間違いがない。

 

 しかし重ねて言うが、これは『勝てるイカサマ』ではない。『負けないイカサマ』だ。被害を極力減らすイカサマ。であれば、千花はもう複数の仕込みを持っていると、考えるべきだ。

 では、それは、何か?

 

 「勝負(コール)。ドローします。一枚下さい」

 

 千花が宣言をした。その眼には眼鏡が掛かっている。勝負前の伊達メガネだ。

 

 (……まあ、あれだよな。多分)

 

 世間には色々な眼鏡がある。そういう眼鏡の一つに、偏光(プリズム)眼鏡がある。レンズ部分が特殊な加工をされている代物だ。外傷や病気で、片目の視力・視界に障害を負った人の為に使われる。かなり強引に掛けた人間の視力を矯正・補正する。

 これを利用すると、本来は見えない角度でトランプを目視できる。推測にしかならないが……彼女はそれで別の情報を確認しているのだろう。例えば見えないインクが浮き上がるとか、より鮮明にマークが分かるとか。そういう感じで。

 

 (勝てるための情報。……となると相手の手札の確認かな)

 

 先も言ったが、このゲームでは己の手札にあるカードの裏面を入念に確認しない。

 ただ同時に、他プレイヤーの手札の裏面は、見える。手で隠れる部分も多いがかなり見える。

 おまけに――千花の座っている位置は、僕の左である。

 

 言い換えよう。ディーラー役の石上から見て、一番の右端である。

 もっと簡潔に言おう。つまり千花は、一番()()()()()()()()のだ。

 

 (手札が見えるなら、捨て札も見えるよな……)

 

 石上は右利きだ。捨てられた札を処理する際、必然、右手でカードの山を右に押しやる。

 カードの裏面から表が見える千花ならば、捨て札が分かる。全部は無理かもしれない。しかし相手のカードが分かり、捨てられた札の何割かが分かり、次カードが分かり事故が起きない。

 この時点でアドバンテージは圧倒的だ。

 

 「……ドロップだ。「♡7」と「♣8」。

 「私もドロップです。「♦7」と「♦8」。

 「勝負(コール)しかないよ僕は」

 

 さて4R目の開始。カードが配布され、LPは0になった。

 つまりここで負ければ次R、開始時に負ける。だが此処で勝てばギリギリ残る。だから勝負しかない。問題は、勝負した結果、負けたら意味がないということだ。

 

 考える。イカサマに対抗するイカサマは、効果的だが一回しか使えない。その一回を引き寄せる為にはギリギリまで自分の実力で状況を推し進めるしかない。

 

 ゲーム終了時に『イカサマをしたな!』と指摘は出来る。今ここで主張出来ると言えばそれもそうだ。しかし敗北濃厚なこの状況で主張する――それは負け惜しみというのだ。

 『負けそうになってから言われても困りますね』と返されれば終わり。第一『イカサマ禁止って言われませんでしたもーん』と主張されればその通りだ。僕はそれを加味して発言した。

 

 イカサマを逆利用して千花をしとめる! その為に、頭を回すのだ!

 

 ◆

 

 (僕の手札は「♦9」と「♣K」。……合計19……。だけど、千花は降りなかった)

 

 彼女のLP的に降りても十分勝ち目はある。というかドロップした方が勝てる。仮に僕が勝っても、僕のLPは1のまま。御行氏とかぐや嬢が1に減り、千花がLP2に減る。

 

 そうなると5R目の開始時に、千花以外の全員がLP0になる。此処で千花が勝負に出て勝てば千花の勝利。万が一ドロップしても、僕・御行氏・かぐや嬢の誰か2人は敗北。自動的に千花は2位以上。カンニングも合わさるので、千花の勝ち筋はかなり明瞭だ。

 

 だけど、それをしなかった。

 ()()()()()()()()()()

 僕の出目19に勝てる確信があるのだ。

 

 これは千花の油断だ。勝てると分かって尻尾を見せた。降りないで勝負に来た。

 

 4R目のカード配布前。残っていた山札の数は、普通に考えて26枚(ジョーカー含む)。

 その内、A+10+J+Q+K+ジョーカーの枚数は10枚だ。

 僕が1枚掴んでいるから、2枚で20以上に出来るのは9枚。

 仮に千花が、26枚の内にある10枚から2枚を引き当てていたのならば合計が20以上。僕には勝ち目がなかった。運だけは如何にもならない。

 

 だけど千花はドローをした。ドローをしたという事は3()()()()()()2()0()()()()2()1()

 

 彼女はバーストする危険を犯さない。彼女は確信をもって引いた。

 千花が確信をもって手札を高くしたと気付いたのは僕だけではない。かぐや嬢もそうだ。彼女の手札の合計は15。バーストの危険はあるが同時に勝負も出来る数値。それをしなかったのは事故を防ぎこのRで脱落するかもしれないという予想以上に、()()()()()()()()()()()と理解したからだ。……彼女は降りられる。僕にその余力はない。

 

 (さて、そうなると、だ。考えられる選択は2つ。1つは……)

 

 一つは単純に、ドローして20または21になった。何か1枚+低いカード2枚という可能性だ。しかしこれ、意外と残ったパターンは少ないのである。

 

 仮に千花のカード1枚がAだったとしよう。

 僕の手札が19だから、千花は11+?+?で20または21を目指す。

 先ほどの前提から10・J・Q・K・ジョーカーはあり得ない。

 加えて、9・8・7・5もあり得ない。これらは既に場に4枚出た(正確には先程、出揃った)。

 となるとあとはもう『場合の数』問題だ。26枚から2枚入っているAを1枚引き、残った25枚の中4枚入っている6を1枚引き、24枚の中5枚入っている3のカード&4のカード&ジョーカーから1枚を引く。面倒くさいので計算はしないが出目は低いだろう。

 Aが仮に10~Kでも同じだ。それよりはもう片方の可能性の方が僕は高いとみる。

 

 その二。千花は手元でカードが20または21になるように操作できる。平たく言えば。

 

 (カードを隠し持っている、すり替えている。……()()()()()()()()

 

 最初にカード束を取り出し、それをシャッフルしたのは彼女だ。

 そもそもの話。あのカード束の時点で、本当に全カードが揃っていたのかは分からない。

 

 本当にトランプ52枚+ジョーカーがきちんと揃っていたのか?

 実は1枚多いとか1枚少ないという可能性はなかったのか?

 ジョーカーが複数枚入っている可能性は無かったのか?

 

 ブラックジャックは、各自が2枚のカードを持つ。それが4人で5R。

 『2枚×4人×5R=40枚』。各自追加で1枚くらいは引かれるが、精々あって各R1回か2回。

 

 つまり、決着時、表に出ないカードが出てくる。

 

 実際、4R目の現在、このタイミングで山札は残り17枚(の筈)。

 僕がドローに動き、5R目に8枚が配布され、残りは8枚。6R目に勝負が流れ込んでも2枚×2で4枚配布。山札が残り4枚だ。この4枚の内訳は不明のままになる。

 

 千花の攻めっ気は、このイカサマを証明しているのではないだろうか?

 

 このRで僕が脱落すれば、6R目以後に縺れ込んだ時、山札が2枚増える。そうなると当然ぶっこ抜きが看破される可能性は減る。山札を握っているのは石上だから、カードが終わる直前まで誰も気付けない。……となると、此処で千花を僕が倒すしかないのだろう。

 

 (じゃあまあ、目には目を、歯には歯を、ということで……)

 

 手札は「♦9」と「♣K」。この時点で合計が19。

 此処でカードを引く事など、普通は、やらないのだが。

 

 「勝負(コール)。ドローするよ」

 

 僕は、素知らぬ顔でカードを1枚貰う。貰ったカードは「♦K」。

 これはバーストだ。

 ()()()()()()()()

 

 「じゃ、勝負しようか。千花の出目は?」

 「いーちゃんが負けるのは間違いありませんよ?」

 

 不敵に笑って彼女はカードを公開する。

 ――「♦4」「♣1」「♣6」。合計21。

 

 「これは……参ったな」

 

 先ほどの推測がおおよそ確定したので説明しておこう。

 千花は予め「♣1」を握りこんでいたのだと思う。恐らく最初は「♦4」「♣6」と引いていた。ここで何かしら3枚目のカードを引き、それと「♣1」を交換したのだ。

 こうすればさも合計で21になりましたよと主張が出来る。

 

 まあ指摘してもしょうがない。

 僕に出来ることは、カードを公開するだけだ。

 出したカードは三枚。

 

 「「♦9」と「♣K」、()()()()()()()()だ。合計21。引き分けだよ」

 

 千花の瞳が、見開かれた。

 

 ◆

 

 「は、はああああ!? ちょ、なん、なんですって!?」

 「偶然てのは怖いね。偶然引いた3枚目がジョーカーだったなんてねー」

 

 そんな馬鹿な、というようなガタッと千花が席を立る。

 同時に微かに(やるわね)とかぐや嬢がほくそ笑んだ。

 

 「どうした千花? 何か奇妙なものを見たような顔をしているけど?」

 「え、いや、だって、……なんで!? だって――」

 「そういう事もあるよ。偶然偶然」

 

 『だってさっきまで「ジョーカー」なんか持っていなかったじゃないですか!』かな?

 

 そりゃそうだ。隠していたのだ。

 イカサマにはイカサマを。ぶっこ抜きには、ぶっこ抜きを。

 

 別に何ということは無い。千花がシャッフルした後、僕もシャッフルをした。

 その際に()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 千花がジョーカーを抜かなかったのは、彼女自身がイカサマを仕掛けたが故の注意だ。

 ジョーカーを千花が出したら、かなり不信感を持たれてしまうしな。

 

 「さ、引き分けの時の処理をしようか。千花からどうぞ」

 「なななな――……くぅっ!!」

 

 僕がイカサマをしたと千花も気付いた。だが指摘できない。言い出したらそもそも千花の方が大きなイカサマをしているのだから、間違いなく糾弾は千花の方に行く。

 

 結局彼女は「やられた」という顔をしながら、山札からカードを引く。

 互いが同じ点数だった場合、山札の一番上(トップ)をめくって出目が大きい方の勝ち。

 

 千花が引いたのは「♥J」。

 僕は無言で、トップからカードを引く――振りをして。

 

 「「♦K」。僕の勝ちだな。……千花はLP1。僕も1だ。全員が横並びだな?」

 

 隠し持っていた、さっき引いた4枚目のK(キング)を、さも今引いたかのように公開した。

 

 これで僕がイカサマをした証拠は消えた。予め持っていたジョーカーを処理し、すり替えたカードも捨て札に行った。後は5R目に何を引くかは運否天賦に任される。

 

 「(……くっ、いーちゃん……私のイカサマを逆手に取りましたね……!?)」

 「(そっちがイカサマするから悪いの。声に出して言わないだけマシだと思いなね)」

 「(ぐぬぬ、良いです、どうせ5R目には私が勝ちますから!)」

 

 さて、残ったカードの確認だ。残りのカードは以下の通り。

 「♡1」「♡2」「♡3」「♡6」「♡10」「♦3」「♦6」「♠2」「♠6」「♠10」「♠Q」「♣2」「♣3」♣10」。そしてこの中の1枚は千花の袖の中に隠れている。

 ここから2枚、最も強い組み合わせを引き当てた奴が勝つ。

 

 「最終ラウンドを始めましょう」

 

 もう一度勝利条件を確認しておこう。

 僕の目的は、喫茶店チケットをかぐや嬢に渡すことである。

 

 そしてカードが、配布される。

 

 ◆

 

 5R目の開始時、全員のLPが0になった。

 後はもう勝負のみだ。此処で勝った奴が1位である。

 

 「このまま勝負(コール)だ。……ドローはしない」

 「そうですか。……私は、そうですね」

 

 親番の御行氏は即座に勝負に出た。かぐや嬢が考える横、僕もカードを確認する。

 

 「♠10」と「♡6」。合計16だ。残ったカードとしては妥協点。

 

 しかし御行氏は強い。単純に計算能力が高いのに加え、引き運が強いのだ。流石、努力で結果を持ってくる男。その不屈の意思はカード勝負にも影響を与える。

 2枚で高いという事は、残ったカードからして多分20か21だ。

 

 後者の場合。彼が2枚で21を作っていた場合(つまり1と10点カードの2枚の場合)、彼に勝つにはもうカードをドローして21を作るしかない。作れるパターンは10+6+3+2のみ。

 僕の場合で言えば、こっから3回連続ドローして全部2が出れば21で勝てる。

 ……無理である。これは負けたかなとせめて何かドローをしてみるか、と考えた時。

 声が聞こえた。

 

 「そういえば、ゲームを始める前に喫茶店を誘う相手なんかいない、と話をされましたが」

 「な、なな、なんですかいきなり!? 僕をおお脅すとかされても」

 「いえいえ、そんなつもりはありませんよ。ただ私も少し傷付いたというだけのお話……」

 

 各々が必死に計算をする中、かぐや嬢が微笑みながら石上に告げた。

 

 僕は思わず反応した。

 この会話、前にもどこかでした覚えがある。

 確か、かぐや嬢にラブレターが届いた時だ。もっと情熱的に誘って欲しい、と言われて――。

 

 「私とて喫茶店に出かけてみたい気持ちくらいはあります。独りだと寂しいというだけです」

 「……それは、誰かを誘いたいという意味では?」

 「いいえ? 『誘われたい』というごく当然の感覚を話しているだけですよ。まさか女王様のようにふるまって欲しいとでも?」

 「……失礼しました。そうですね、誰かが誘ってくれると良いですね」

 

 震える石上を、まあまあと宥めながら、僕は適当に話を合わせつつ考える。

 

 その話を蒸し返すか? このゲーム中に? かぐや嬢が何の理由もなく?

 ……暫し。考えて――。

 こういうことかな、と実行した。

 

 「私も勝負(コール)。ドローはしません」

 「僕も勝負(コール)。ドローしよう。……1枚貰う。此処までかな」

 「げっ……。……わ、私も引きますよー。カード下さいな」

 

 こうして全員にカードが配布された。……長かった勝負も、これで決着と思うと感慨深い。

 各々のカードが公開される。

 

 「俺は「♡10」と「♠12」。合計が20だ」

 「私は」

 

 かぐや嬢は、静かにカードをめくった。

 

 「「()1()0()」と「♡1」。合計21。……私の勝ちのようですね」

 

 「……!?」

 「(おっと千花。黙ってようね)」

 

 彼女の手札を、あり得ないと理解し、僕の顔を見る千花を、僕は笑顔で静止した。

 こうしてブラックジャック勝負は、かぐや嬢に軍配が上がったのである。

 

 ◆

 

 本日の勝敗:四宮かぐやの勝ち。

 ……本当に?

 

 ◆

 

 さて顛末というか、その後の話をしておこう。

 

 当然のことながら、それでかぐや嬢が『一緒に喫茶店に行きません?』と御行氏を誘える筈もない。御行氏の方から『俺と一緒に』と切り出せる筈もない。……だが、この流れは二回目だ。四月にあった、映画館に行くだの行かないだのというやり取りと、全く同じ形である。

 なのでしょうがない。此処でもうちょっと協力することにしよう。

 僕の目配せに、千花は『しょうがないですねー』と肩を竦めて、実行してくれた。

 

 『かーぐーやーさん! じゃあ私が誘いますよ! 私が誘ってあげます。私と一緒に行きましょう!』

 『え? ふ、藤原さん!? で、でも』

 『そうだな。そうすると良い。――ところで御行氏、次の休みは何時? 偶には喫茶店でもと思うんだけど』

 『な、なん……だと……!?』

 

 同性を誘うところから挑戦させるしかあるまい。かぐや嬢、そもそも千花を誘うのだって慣れていないのだ。将来的に、それこそ御行氏に限らず、親しい女性を誘うにも不自由するようでは困るのだ。

 

 そして僕は御行氏を誘った。

 仮に二組の予定がバッティングし、二組が同じ喫茶店に行ったとしても、偶然である。それは偶然であり、彼ら彼女らには一切関係がない話なのである。

 その約束はどうなったかって? 勿論ちゃんと実行したよ。ひょっとしたら世間ではダブルデートというのかもしれないが、仮にそうだったとしても、あの二人は認めないだろう。僕もダブルデートですよとは言わなかった。

 

 「……で、何したんです?」

 「なんのことかなー」

 「何のことかじゃないです! ブラックジャックのことです! かぐやさんのカード!」

 「あれねー」

 

 いや唐突な話題だと思ったんだ。単純な精神的な動揺を誘う意味はない。であれば何か?

 思い出して欲しい。僕から、かぐや嬢に『千花がイカサマをしています』と伝わったことを。

 ならば逆も同じ。

 

 ――まさか女王様みたいにふるまって欲しいと?

 

 あの一言がヒントだ。要するに()()()()()()だったのである。

 『クイーンを持っていますか?』という問いかけ。クイーンは無かったが10は持っていた。だから渡したのだ。僕とかぐや嬢の席は隣。つまり机の下で、カードを交換出来る。

 結果、僕の手札にあった「♠10」と、かぐや嬢が持っていた「♣3」とは交換がなされた。

 

 純粋な技量勝負、運の勝負では、御行氏の勝ちだ。

 僕を利用したとしても、一位を取ったという意味では、かぐや嬢の勝ち。

 イカサマをしたがバレなかった上、結果的にデートになったので千花も勝ちと言えば勝ちである。そもそも彼女は最初から勝っていたともいえるし。

 

 「僕の一人負けってことで良いんじゃない?」

 「……いえ。いーちゃん()()()()()()()? 気付かないとでも?」

 

 千花の目が見つめている。

 僕は思わず黙った。

 

 ……まあ、そうだね。僕が一位になる事は出来たよ。それは事実だ。

 最初の手札では無理だった。だが……かぐや嬢と交換した後の手札なら、勝てたかもしれない。

 

 あの時、残っていたカードは――「♡1」「♡2」「♡3」「♡6」「♡10」「♦3」「♦6」「♠2」「♠6」「♠10」「♠Q」「♣2」「♣3」♣10」。

 

 御行氏が「♡10」「♠Q」。合計20。

 交換後の、かぐや嬢が「♡1」「♠10」。合計21。

 交換後の、僕の手札は「♣3」と「♡6」。追加で引いたのが「♦3」。合計が12。

 千花の手札は「♣10」と「♠6」。合計が16。

 

 残りは5枚。「♡2」「♡3」「♦6」「♠2」「♣2」。

 

 そしてこれも敢えて明言しなかったルール。

 『ドローするカードは1枚じゃなくても良い』のである。

 あの状態で複数を引けば――3+6+3+『ドローの合計が9』を作れる可能性は高かった。それは認めよう。でもそれをしなかった。

 

 「あの時、いーちゃんは1枚だけ追加でドローしました。あれは――私にその戦法を取らせないためですね? 仮にいーちゃんが何も引かずに私に回した場合、私が複数枚を引いて合計21を作る可能性が高かった」

 「そういうこと。千花、1枚握りこんでいたからね。合計21にはしやすかったでしょ?」

 

 残った5枚の中、1枚は千花が握りこんでいた。

 正確に言えば、あの4R目の時に捨てそこなったカードだ。

 それを逆に利用すれば、合計21を演出することは十分に出来た。

 

 だけど僕が1枚を引いたから、千花はそれが出来なくなった。

 千花のイカサマは、山札が無くなるタイミングで露呈してしまう。本来より1枚少ないという事がばれたらアウトだ。あの時、カードを全部()()()()()千花は勝てた。

 

 ……だから僕は、それが出来ないようにした、というだけの話。

 山札を1枚減らすことで、千花はイカサマ露呈を嫌がって、カードの引ききり作戦を辞めざるを得なかった。

 

 同時に、千花のイカサマを僕がばらさない工夫でもあった。

 千花がイカサマしたと表沙汰にしないためには、僕が勝ってもいけなかった。

 

 「そういう意味では、いーちゃんの作戦勝ちです。……悔しい! 負けました! しかもかぐやさんと協力して、かぐやさんを1位に演出して! 私、私を大事にしましょうよ!」

 「ふふふ。そういって悔しがってくれると、頑張った甲斐があった。……それに大事にしてるじゃないか。だからこうして膝枕してあげてるんだし。僕の膝、硬いよ?」

 「好きな人の膝なので気にならないんですー。でも不満ですよ! 千花さんは不満です! 今度やる時は何か個人的なお願いを付けましょう。私が勝ったら私のお願いを一つ聞いて下さい」

 「また唐突だな。良いよ。じゃあ僕が勝ったら僕のお願いを聞くってことで」

 

 この時の僕は『夏休みの千花の時間を貰う』と後日、一学期の期末テストで約束する事になるとは思ってもいない。

 こういう小さな約束が積もり積もって、とんでもない要求になるとは思ってもいない。

 

 「じゃ、ほら、起きなさい。ずっと僕の膝を独占しない。そろそろ足がしびれてきた」

 「はーい。じゃあ交代です。今度は私の膝にどうぞ。あ、あと――」

 

 よいしょ、と机から何やら棒を持ってくる。棒の先端には綿毛が付いている。

 

 「なんかこういうの有名らしいですよー。耳かきリフレとか言う奴らしいですー」

 「……情報社会も善し悪しだね」

 

 藤原大地さん。娘の教育には熱心で、特に情操教育に関しては『過激な物は駄目』と言うタイプである。――だが同時に、僕相手にあれこれと篭絡する技を学ぶのは万穂さんとも話し合った末にOKが出たらしい。その線引き基準は分からないが。

 素直に、甘えることにする。

 

 「じゃあお願いします……。ところで、これさ」

 「はいはい、なんでしょう?」

 「片頬だけじゃなくて、反対側も後頭部もすっげえあったかい。当たる」

 「サービスですよサービス。服越しなら、いーちゃんなら平気です。……脱いだ方が良いって言うなら、ちょっと恥ずかしいですけど……します……?」

 「しないで良い、しないで良い。そういうのはもうちょっと先で良い…………ぁう」

 「眠かったら寝て良いですよー?」

 「……あいよ」

 

 心地よくて欠伸が出た。

 僕は、肩の力を抜いて耳を任せることにした。

 

 と、まあこうして色々あった後、一学期も終わり、僕と千花は夏休みへと突入していくのだが。

 

 今のうちに、語っておこう。

 夏休み。その溜まりに溜まった『約束』は、意外な速さで結実することになる。

 『もうちょっと先で良い』と言いながら先延ばしにしていた言葉の『もうちょっと先』が、まさか夏休みだと、この時の僕は思ってもみなかったのである。




藤原千花のイカサマ
1:イカサマトランプと眼鏡を使いカードをチェック。
2:座る位置を工夫し、1をしやすくする。
3:そもそも最初からカードを握りこんでいる。

岩傘調のイカサマ
1:やっぱり最初からカードを握りこんでいる。
2:四宮かぐやに、カードを横流し。

結論:どっちもどっち。

トランプのスート&数字は、ちゃんと確認してやりました。ミスってたらこっそり修正します。
それでは『男の女の夏休み篇』スタートと行きましょう。アニメの最終話、楽しみですね!

PS:多忙に付き更新ちょっと遅れそうです。気長にお待ちください。


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夏休み:難題「叩かずとも鳴る鼓」
岩傘調は運びたい


祝:14巻発売!

修羅場が終わった……! 終わった……!
お待たせしました!それでは更新再開します!

試練その二「叩かずとも鳴る(つづみ)」篇スタート!


 「うおおい!生徒総会お疲れ!」

 「お疲れ様!」

 「明日から夏休みでーす!」

 

  いぇーい、と互いにハイタッチ。その後、床に散らばった大量の資料をかき集めながら、大変だったなあと生徒総会を思い出していた。長い期間、地道に色々と準備をした甲斐があって、さしたる問題もなく会は進行し終了した。

 

 矢面に立ったのは、無論、御行氏だ。彼は半日に渡る間、講堂の壇上に立ち続け、ここ一年の活動報告と質疑応答に終始していた。報告しなければならない話は山ほどある。一学期に行った行事の振り替えりや纏め、大量の寄付金(減りつつあると言っても大金である)の使い道、今後の計画、単純な連絡から面倒くさい連絡まで様々だ。

 

 我らが生徒会に、庶務と会計監査の二人が居る、という話はどっかでしたと思う。先輩方は三年生。昨年度、御行氏が大立ち回りを演じた結果、二人は僕らと折り合いが悪く、仕事は最低限。勿論……生徒総会の運営に協力などしちゃくれない。

 彼らがどうしても必要な決済(会計監査として、石上の作った書類に印鑑を押すとかね)は、僕らが居ない隙を見てこっそりとやってくれているが、それだけだ。時と場合によっては会長or副会長の代理印で処理されてしまう。居ないのと一緒なのである。……いや、居て欲しいと思う訳じゃないけどさ。

 

 なので。準備と仕事量は本当多かった。会の準備をかぐや嬢が取り仕切る中、僕は只管に、過去の実績やら、活動の記録やらを引っ張り出しては、石上に『これお願い』と纏めを投げていた。算数は好きだが、細かい数字を延々と見続けるのは辛い。彼には感謝である。

 

 「いや、岩傘先輩も凄い量を準備してたじゃないですか」

 「僕のは大した苦労じゃない。……過去の総会資料を引っ張ってきて纏めただけだよ」

 「だが質疑応答は、お陰で困らなかった。礼を言うよ、岩傘」

 「それくらいはね。最近ちょこちょこ生徒会を開ける時間が多かったから」

 

 前々から話している通り『混院』である御行氏へは風当たりが強い。

 桁外れの努力を積み重ね、学年一位を死守し、風紀校則にすら一部の隙を見せず、一般家庭の生まれでありながら社会カースト上層部と渡り合う……そんな彼への風当たり。この場合「だからこその」風当たりともいえる。普通の人間がエリートより優秀ってのは、エリートにしてみれば気に食わないことも多い。

 本当に優れたエリートは、努力して這い上がってきた、御行氏みたいな人を認めて受け入れる者なのだけど。全員が全員、そうじゃないって事実は、秀知院の隠しようがない一側面だ。

 

 だから僕は、その対策を立てた。

 

 過去の生徒会活動の実績、議事録というのは保管されている。

 そして毎年毎年、報告する内容は大体一緒だ。であれば出てくる質問だって一緒なのである。厳密に全部一緒とは言わないが……過去十年分くらいの議事録を確認して、質問の傾向を予測し『こういう質問が来ると思います』というのを準備しておいた。それだけである。

 

 この辺、本来は書記:千花の仕事なのだが、前述したように我が生徒会の庶務&会計監査はいないも同じだ。だから千花に庶務的な仕事を投げた。彼女をあっちこっちに顔を出させて生徒からの意見を拾い上げ『あの行事はどうだった?』とか『あの事件の結果は?』とか『今の生徒会の不満は?』とか色々聞きだして貰った。御行氏の負担を僅かでも減らせたなら幸いだ。

 

 「同時並行で、学園裏サイトからも情報を集めてましたよね……」

 「あれの意見の大部分は遊びだよ。あんな場所に本気で書き込む人間なんかいない。精々が世間話に毛が生えた程度だ。……匿名性が高い場所だし、悪意も見えるからね。頼っちゃいけない」

 

 実際、昔『藤原千花と交際するためにはどうすればいいですか?』という質問が来たことまであった。僕は暫し考えた後『諦めたら?』と匿名メールで返事をしてやった。

 

 尚こうした質問に関して、僕は大らかだ。つまり千花がそれだけ魅力的ってことだからな!

 まあ隠し撮りに近いような写真とか、悪質なコラ画像とかが出回ったら、僕は何をするか分からないね。全力を持って犯人を突き止めて、死なない程度に真面目な制裁を加えるだろう。

 

 ……と、こんな具合で、過去にも何度か話を出していたが、僕の仕事には学園裏サイトの巡回も入っている。

 アカウントをBANしたり、不適切な書き込みを削除したり、という管理人権限も有している。

 飽くまで運営の手伝いくらいの立場だ。顔が見えない掲示板だと、一部の会話は、それはもう、えげつないえげつない。闇が垣間見えて、眺めていると時には「うわぁ」とドン引きするのは、別に学園裏サイトに限った話ではないのだな。

 

 故に千花が絡まないこと以外は書き込まず(マスメディア部とかは気軽にお悩み相談とかしているらしいが)延々とチェックだけして、面倒なのは削除&コピーして専門家にパスである。

 

 ……悪意の場合、御行氏への物も結構あるのが分かる。建設的からは程遠い感情が見えていて『やっぱり御行氏の力にならなくちゃな』と僕は認識を改める、そのくらい。

 この辺はかぐや嬢にも手伝って貰っている(彼女は機械に弱いが、彼女がお願いすれば専門家は動ける)。早坂からの目付きが怖くなることもあるけどな!

 

 片付け終わって、全員が適当な場所に座ると、夏休みの話題が出た。

 

 「皆は夏休みの予定とか決まってるのか?」

 「私はそうですね、買い物に行くくらいでしょうか。会長は」

 「バイトのシフト調整に難航してな。結構スケジュールに余裕がある」

 「……そういやもう三か月くらい前でしたっけね。山に行くか、海に行くか、って話題」

 

 僕の目線に、会長&副会長は『それを待ってたんだよ!』と揃って僕を見る。

 最近この二人、ますます呼吸があっていると思う。僕は目撃していないが、生徒会室でケーキの食べさせあいをしていたなんて話も千花から聞いている。ただの惚気じゃないか? と思わなくもない。口に出すと『お前が言うな』案件なので、これ以上は突っ込まないでおく。

 時間が経過するのは、あっという間だなと思いつつ、先に進めることにした。

 

 ◆

 

 「僕と千花はハワイ行ってきます。一週間ほど」

 「岩傘! お前その流れで二人だけの旅行の話を切り出すか!?」

 「いえ、ですから、ハワイから戻ってきた後に、皆でどっか遊びに行きましょうよ。夏祭りとかキャンプとか、山でも海でも。個人的には石上の意見を尊重して、河で良いんじゃないかなと思いますけど」

 

 ゴールデンウイーク、態々準備をしたのに風邪を引いて旅行に行けなかったからね……。その埋め合わせもあるのだ。藤原家&岩傘家の皆で出かけるのも悪くない。男女比率は偏ってるけど。

 

 「夏休み」。

 社会人にそんな物はない。

 どっちの父親も仕事だ。それも多忙だ。

 お盆の時だけは休み(で、夫婦で温泉宿にでも行くらしい)。だがそれだけで、大地さんも親父もずーっと仕事。

 僕の義母は、長時間の飛行機旅行を満喫できる程、元気ではない。

 

 必然、万穂さんが引率で、護衛に憂さんが付き、豊実姉、千花、萌葉ちゃん、僕、(キーちゃん)という面子になる。

 勿論、安全のために新しい護衛(憂さん手配の人)とか、藤原家の使用人(男女それぞれ3人くらい)とかも同行するので、男子が僕だけ、というのは誇張かもしれないが、それでも遊ぶ側にいるのは僕と少女の皆さんだけである。

 

 豊崎に話したら『ハーレムじゃねえか』と言われたが、失礼な話だ。

 僕はハーレムとかいらないし。千花だけ居れば良い。 

 憂さんだってケジメを付けたのだ。この先も同じだと思う。

 

 そりゃあ勿論! 豊実姉のスタイルは抜群だ。千花よりたわわに育っている。豊か過ぎる。萌葉ちゃんとて中学生にして既にかぐや嬢より発育が良い。……ちんちくりんな我が妹と比較すると憐れみを覚える。顔に出すと蹴られるので言わないけど。

 

 「河か。水遊びは暑気払いに良いかもしれん。だが危なくないか? 山の気候は変わりやすいというし。特に水辺なら猶更だ」

 「んー、……僕の実家で良ければ来る?」

 「ほう」

 

 僕の実家が、国内有数のさる大手新聞社である――とは話はしたと思う。

 正直、情報産業という点では我が家は圧倒的だ。その社長が親父である。先代社長は祖母である。そして経営は身内だ。

 

 田舎の爺様も重役を務めていたが、祖母が体を壊して退社/引退したのと同時、切りのいいタイミングでスパッとやめて引っ込んだのだ。祖母は……流石に仕事の無理が祟ったのか、それから間もない内に天に召されてしまった。

 残された祖父は落胆後、少しずつ立ち直り、広い山奥でのんびり隠遁生活を送っている。

 

 「ただ、娯楽施設はあんまりないよ? ……神社とか仏閣はある。星も綺麗。野菜と肉と水と空気は美味しい。後は本の山があるだけかな……。ああ、一応Wi-Fiとかはちゃんとしたの通ってるし、スマホも十分使える。インフラは問題ない。一応家政婦さんが毎日やって来て、炊事とか掃除はやってくれるから、その辺の心配もない……。東京に比較したら映る番組が異常に少なかったりするけど、そんくらいかな」

 「星が綺麗なのか。……悪くないな。具体的に言うとどの辺なら良いんだ?」

 「んー、お盆とか?」

 

 星の一言で御行氏が反応した。

 ……ああ、そういえば天体観測が好きだったっけ。

 

 八月十五日とかその辺だな。二週間後だ。今から連絡しても、あの矍鑠とした爺様なら『来い来い、沢山準備して待っておるぞ』と言いながら嬉々として許可をくれるだろう。

 楽しい場所だ。危険はないし。熊と猿とか猪とか禁足地に行かなければ安全だ。

 

 「え、いーちゃんいーちゃん、そこエジプト行ってますよ!?」

 「……それ初耳なんだけど。何時入れたの?」

 「お姉ちゃんが昨晩思い立って予定を入れました」

 「聞いてない。ちなみに僕は」

 「チケット手配したようです」

 

 あ、そう……。となるとこのイベントは秋まで先延ばしだな。

 御免と謝る。皆は気にしていない、と返事をしてくれる。だがなんとなく、かぐや嬢からの()()()()視線が鋭かったので割って入った。そんな顔をされても困る……。千花はまだフォローできるが、藤原家の行動を予想するのは僕でも無理です。

 

 今年の9月は秋分の日と敬老の日が平日にあって、土日から祝日を2日挟んで土日だ。上手くいけば九連休になる。学園側も配慮して後半は連休にしてくれるだろうから、そこだな。

 まあ夏の暑い季節も良いけど、紅葉に染まった秋の山も悪くない。

 

 「じゃあこの辺の花火大会ですかね。確か20日に大きな祭りがあったかと」

 「え、いーちゃんいーちゃん! そこスペインでトマト祭りやってますよ!?」

 「それも初耳だよ!」

 「藤原書記は何回旅行に行くんだ!?」

 

 僕だけでなく御行氏からツッコミが飛んだ。

 遊んでばっかりじゃねーか! との声は間違いではない。正しい。

 

 二年の夏は天王山、という言葉がある。大学進学を考える人間にとって、二年の夏で努力を重ねれば三年生になっても調子が上がっていくという話だ。確かに勉強は初動が大事だ。最初に頑張ってやる気を出すと、それが継続していく。

 千花は胸を張ってそう語り、続けた。

 

 「だからこそオンとオフの切り替えが大事なんじゃないですか」

 「……まあ、そうね。でも流石にスペインの方は、僕も遠慮する。ハワイにエジプトにスペインとか体内時計が狂って睡眠不足で死ぬ光景しか見えない」

 

 ……喜んで良いのか複雑だが、僕に就職先の心配はない。

 親のコネでそのまま入社である。……流石に昇進やらなにやらは下積みが必要だろうけど、それでも給料は間違いなく良い。ボーナスもある。将来的に出世も間違いは無いだろう。千花と自分と家庭を養うには十分だ。

 

 最悪大学に行かないでも良いって選択肢まである。

 

 それでも真面目に勉強をするのは、千花と惚気る為だ。『アイツ実家が金持ちだし将来心配しないで良いからって遊び惚けてるんだぜ』という噂が立たないようにする為。

 仮に千花が本気で政治家を目指すなら、その秘書くらいにはなりたいってのもある。

 クルーシュチャ関連で真面目に自分を鍛える意味も最近付与されたけど。

 

 「まさか皆、私を置いてお祭り行っちゃうんですか!? 酷いですよ!?」

 

 と主張した千花は、石上の「先輩がトマト祭りを楽しんでるのに僕らは楽しめないんですか?」という正論によって論破され――流石にこれは僕も擁護できない。石上が正しい――生徒会室から出て行ってしまった。

 夏休み、八月二十日、花火大会。僕は予定をしっかりと書き記す。

 

 「長い休みです。こっちに戻ってきたら、顔出したり、お土産を渡しに行きますよ。……それじゃ。千花を迎えに行って、僕らは帰ります。また夏休みどっかで」

 「ああ。――それじゃ祭りの日にな。何かあったらメールでも電話でも遠慮なく来い」

 「楽しみにしていますよ。藤原さんにもよろしく言っておいてください」

 「そうします。では、良い夏を!」

 

 かくして僕は生徒会室を出た。暫く会えなくなる、通えなくなる、と思うと、少し物寂しい。次にこの部屋に来るのは九月になるだろう。

 

 八月、三十日間の、長い休みの始まりだ。

 

 ◆

 

 生徒会室から出て、走って行った方向に向かう。

 

 千花を探す。

 居ない。おや? と思って見回しても姿が見えない。

 

 (……ふむ)

 

 TG部を回り、マスメディア部の追及を回避し、豊崎と風祭に「夏休み明けにまたな」と挨拶し、柏木さんカップルがどんな風に進展するのか応援しつつ、何故かその背後でサメザメと泣く四条眞妃の背後を通り過ぎて下駄箱をチェック。

 

 靴があったので『これはまだ学園内だな?』と探索し、竜珠桃から「さっき右に走ってったぞ」と聞いて右に向かい、阿天坊先輩から「階段降りてったわー」と聞いて階下に向かう。途中『廊下を走るなー!』とか伊井野ミコが言っていたので速足に切り替えて、歩く。

 最後にクルーシュチャが「階段上って廊下を突きあたりだねクフフ」とか笑っていやがった。

 ――その先にあったのは生徒会室である。

 

 (……考えてみりゃそうだよな!)

 

 千花があのまま夏休みの挨拶もせずに下校をする筈がない。

 その辺はしっかりしているのだ彼女は。

 

 飛び出して行った後、僕が追いかけている間に、入れ違いでこっそり戻ってきて(多分石上が居ないのを確認して)、御行氏とかぐや嬢に一言伝えて行ったのだ。

 撒かれた!と思って生徒会室のドアノブを捻る。鍵がかかっている。他の皆は既に帰ったのだ。この中に千花が隠れて、内側から施錠をした……。無いな。

 

 『さあ、いーちゃん、私を見つけて見せなさい!』

 

 と胸を張っている千花の顔が浮かんだ。

 

 足を止める。考える。彼女が本気で逃げているというのは……無い。見つけて欲しがっている。意図的に僕から逃げている。追いかけっこだ。

 彼女の性格からして、僕が見落としてしまうような場所に居ると思う。後で僕が気付いた時に『やられた』と思う場所に隠れている。

 今まで経由した場所に隠れている可能性は除外だ。目撃証言がある。

 

 「……となると……生徒会室……か……?」

 

 僕は再び生徒会室へ身体を向ける。

 此処でないならば、後は――。

 

 「――そこだ!」

 「ぬひゃあん!」

 

 振り向きざまに、カーテンを開け放つ!

 仕掛けは簡単だ。廊下にかかっているカーテンの裏。窓とカーテンの間に隠れ、僕が通り過ぎた後にバックアタックを狙ったのである。そうじゃないかなと思って背中を見せたら、まさにその通り! 予想通り! 彼女は今にも僕にダイブしそうな姿勢だった。

 

 僕の声にバランスを崩したので、そのままキャッチ。

 

 「おっとと」

 

 上から降ってきた千花を支えて、そのまま抱える。右腕を彼女の膝の下に入れた。

 姿勢を制御して、背中に左手を添えて、腕の中の輪に彼女を収める。

 

 「僕の勝ちー」

 「ふっふっふ、そうですか? そうですかね? ――以前の約束、1つ覚えてますね? 私のお願いを1つ聞くって奴です。それを今ここで履行して下さい! ずばり!」

 「へえ、ふうん? ……なるほどね」

 

 察した。答えになる前に歩き出す。

 

 「はい。私をこのまま運ぶ栄誉を授けましょう!」

 「承りましたお姫様、っと」

 

 その名の通り、お姫様抱っこをして彼女を運ぶ。

 

 重くはないし、香りとか触感とかふわふわ感まで味わえて、僕は別に全然苦じゃない。

 でもまだ学園内には人影が残っている。すれ違う人が皆口々に噂をしている。冷やかしの声も聞こえてくる。ちょっとだけ怨嗟の声も混ざっている。馬耳東風と受け流しながら、歩く。

 昇降口に向かう程、生徒の数は増えていく。

 

 「けど、なんでこんなことしようと思ったの?」

 「甘えたいだけです。理由なんて無いです!」

 

 千花はあっけらかんとして言った。

 ……それじゃしょうがないな。

 

 「よーし諸君、諸君、そこをちょっと避けてくれ! 噂して良いぞー! 羨ましいと思ったら今のうちに相手を作ると良い!」

 

 昇降口前に残った生徒達を前に、微動だにせず歩く。

 モーセの如く人の海が割れて、その真ん中を堂々とだ。やましい気持ちは一切ない。

 

 僕は平然としていた。千花も平然としていた。

 それが崩れたのは、そのまま公衆まで足を向けた時だ。

 道路側に、敷地外に向かってペースを崩さず歩く僕に、千花は、ちょっと慄く。

 

 「あ、あの、……いーちゃん、そろそろ降ろしてくれても良いんですよ?」

 「何を何を。折角だからこのまま家まで帰ろう。今日は歩きだ。ご希望通り家までエスコートしてあげよう!」

 

 笑顔で返事をする。

 

 「ま、参りました……っ! 参りましたから降ろして! やっぱり恥ずかしいです!」

 

 顔が赤いのは、夕焼けだけが理由では無い。

 

 「千花は自分から攻める癖に、本気で僕が攻めると弱いよね……」

 「肝心な場所でヘタレるいーちゃんに言われると複雑ですけどね! 期待してますからね!?」

 

 何をだ、という問いかけは野暮である。

 

 夏休み。ハワイ。

 期待することなど一つしかない。

 

 このまま運んでも良い、と半分本気で思っていたけど素直に降ろす。

 それは、それこそ夏休み中にやろう。

 今日はまだ前日なのだ。

 

 ◆

 

 と、こうして無事に一学期最終日が終わったのだが。

 最後の最後で、とんでもない問題が僕と千花に、襲い掛かった。

 

 道中『折角ですし今日はお夕飯を一緒にしましょうか』という事で買い物デートを楽しみ、互いにビニール袋を手に帰宅する。本日は岩傘家のキッチンを使うらしい。

 

 異変に気付いたのは、玄関を入った時だ。

 見覚えがない靴が置かれていたのだ。

 

 「誰だろ。憂さんじゃないし、(キーちゃん)でもない。義母さんでもない」

 「キーちゃんのお友達とかじゃないです?」

 

 サイズは僕の家の誰とも違う。千花と同じくらいの、新しい靴。

 家に居る……なら危ない相手でもないだろう。妹の友人か誰かだなと結論付けて、そのまま中に入り、廊下を歩いて居間に足を踏み入れる。

 

 「ただいま帰りました、千花も一緒だ、よ……」

 

 扉を開けると。

 

 そこには全裸の女が居た。

 

 風呂上がりなのかタオルで髪と身体だけは隠していたが全裸だった。

 

 ◆

 

 「…………」

 

 一瞬、何を見たのか理解できず、そのまま扉を閉めた。

 

 気のせいだよな? と思って、再び扉を開ける。

 

 そこには半裸の女が居た。

 

 慌てて下着を身に着けている。

 

 ◆

 

 「…………」

 

 上下共に下着姿。若干お肉が付いた腹回りに足回り。太っているというよりは運動不足のような体系。意外と安産型。桃色ではなく青色の生地。そしてこっちを見る眼鏡に、デコが光る。

 

 僕はそのまま無言で扉を閉めた。

 そのまま真横に居た千花を見た。

 

 「見間違いだよな?」

 「残念ながら錯覚じゃないと思います。いーちゃん、心当たりは」

 「あるわけないでしょ! その位は信用があるだろ! 僕は千花以外は目に入らない!」

 「知ってます。不安にならないでも大丈夫です!」

 

 互いに頷きあう。僕が原因ではないと伝わっている。ならば良し。

 

 千花の浮気セーフラインが、果たして何処までか……は知らない。

 確かめようとも思わない。

 

 だが彼女の一瞬だけ見せた、黒々とした――暗闇に泥をぶちまけたらこんな色になるんだろうか――という眼光は、僕がちょっとぞくっとするのに十分だった。流石政治家の娘。黒い。

 ……口を効いてくれなくなる。これは千花の怒り震度2を表す。最大は3だ。幸いこの震度3に、僕は一回しか遭遇したことがない。これからも見たくない。

 

 「もう開けて良いかな……」

 「……まあ、待ちましょう。向こうも裸のままじゃ話も出来ないでしょうし」

 「……そだね」

 

 思わず取り落としていた買い物袋を持ち直し、廊下で静かに待っていると、遠慮がちに内から扉が開く。

 

 白衣ではなく私服姿を着込んだ彼女は、流石に恥ずかしかったのか、若干頬を紅潮させていた。

 

 色々聞きたい事はあった。

 なんで全裸だったんだとか色々とあった。

 だが何より最も重要な質問を最初に投げることにする。

 

 「なんで(ウチ)に居るの?」

 

 「家出してきたんデス……! 助けて下さイ!」

 

 津々美竜巻は、僕と千花に土下座する勢いで頼み込んだのである。

 ……え、これまさかハワイまで付いてくる流れじゃないよね?




やっと更新できた……!
アニメの花火会までに色々合わせて進めていきたいので、これからもよろしくお願いします。


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岩傘調は見惚れたい

副題:水着!水着!水着!!

以上!


 今日では、ハワイは「常夏の楽園」として名高い。

 

 ここ最近は、穴場という事で東南アジアやオセアニア、ちょっと変わったところだとアフリカや南アメリカまで観光スポットとして紹介されているが、分かりやすく、値段と質が保証されていて、日本人も経験が豊富と言えばハワイが筆頭に来ることは間違いないだろう。

 真っ白いビーチに青い空、整備された街中、行きかう人々は何れも余裕たっぷり、道路には鶏が歩いている。どこもかしこも観光客で賑わい、治安も徹底的に保障されている。

 

 そして僕は今――。

 天国って本当にあるんだなあ……! と実感していた。

 

 右を見る。藤原家の三姉妹の水着がある。左を見る。我が家の二人と友人の水着姿がある。

 

 色鮮やかな可憐なる少女が六人!

 僕は千花一筋である。が、それはそれ、これはこれ。可愛く魅力的な女性陣を見て目の保養をするのは男として当然であろう。

 

 しかもここは貸し切り! 誰の邪魔も入らない! 例え海が苦手な僕でもこれは最高だ!

 

 「まずはパラソルを差して荷物を置きましょうかー。調君、宜しくね」

 「お手伝いします。軽食なども準備してありますし、この浜はそういう事が出来ますから」

 「はーい」

 

 さて、という訳で全員への感想である。

 

 まずは我が家のブラウニー:憂さん。尚、彼女が同伴したのは『今年で一緒に行けるのが最後になるでしょうから』という理由だった。だから彼女も、今日は水着だ。折角なら一緒に遊ぼうと、特に豊実姉辺りが全力だった。

 

 例え水着姿でも隙無く振る舞う彼女は、ずばり競泳水着である。

 

 上半身から下半身までをストレートに覆うぴっちりとした衣装。引き締まったスポーティな体付き。野生の動物が持つ柔軟さ・軽快さ……、機能美に溢れている。太腿まで覆うタイプでは無い。ビキニラインまでしっかりと分かる。

 

 流石に水着そのままなのは従者として行動がしにくいのか、上から薄いパーカーを着込んでいる。しかしこれが逆にエロい! パーカーの丈が腰より下くらいまでなのだ。結果的に「腰が見えそうで見えない」というギリギリを作っている。

 有体に言えば『パーカーを脱がせて恥じらいをみたくなる!』という固さと色気が同居しているのだ。……実際にやったらCQCで酷い目に合うのだろうけどね!

 

 「人手があると助かるわー。でも頼んだ身で言うのもなんだけど、お手伝いさんに任せちゃえば良いのに。ウチの護衛も手が空いてるわよ?」

 「見栄ですよ見栄。ちょっとは働きたい気持ちってのがあるんですよ」

 

 ほわほわと笑いながらおっとりと指示を出す豊実姉。

 藤原家長女にして、僕の頭が上がらない女性二人目。

 

 彼女を一言で表すなら簡単だ。非常に失礼な表現になると前置きをして言おう。

 

 でかい。

 もう、文句がないくらいにでかい。

 

 爆乳である。「たゆん」ではなく「ゆさり」。ババンとかズバーンと擬音になりそうな程に迫り出している。今まで生きていて豊実姉以上の胸部を持つ女性にはお目にかかったことがない。

 ……いやマジで大きいな……。千花はEだかFだかと聞いたことがあるが、豊実姉の場合もっと上だ。Gとかあるんじゃないか。

 

 真ん中をフックで止めるタイプの水色の水着。

 しっかり包むように胸を隠している。だが谷間まで良く見えるのだ!

 ……上からでも分かる存在感。そして形。巨乳は型が崩れ易いというが、彼女にそれは無い。垂れること無く前に飛び出ている。ロケット型という奴だ。……小学生とかそれ以前は、あれに顔を埋めたことがあるが、仮に今やったならば想像できない感じになるだろう。やる気はないけどな! 想像するのは自由だぞ!

 

 「あんまり見てるとー怒るわよー? 千花が怒るのと、私が『私じゃなくて千花を見なさい』って意味でね?」

 

 おっとり笑って僕の視線を受け流した豊実姉は、パラソルの下、白いベンチに寝そべった。どーんと山脈が出現する。その胸の間にハワイアンブルーのドリンクを抱え寝る姿勢だ。

 

 そして追加情報。下半身は白い大き目の水着で露出を減らしている。……だが! それが! 一層に胸を強調している形にもなっている!

 こう、眼で上半身の曲線を負っていくと、最終的に肌色が多いお腹に到達するのだが……、そのままちょっと下を向くと、形のいいヒップがどーんと置かれている。

 

 豊実姉はカモだ。誰も護衛が居なかったら最初に軟派され、周囲の男がそのまま持ち帰ろうとする、そういうタイプの乙女である(実際に起こりえるかは別)。

 

 「お義兄さん! お義兄さんの目が大人に釘付けですよ? 私も見て下さい! どうです!?」

 「萌葉ちゃんは可愛い。キーちゃんは……」

 

 続いて、義妹を見た。

 

 上の二人が、すらっとした女性のトップと、グラマラスな女性のトップだとする。

 萌葉ちゃんはまだまだ発展途中である。発育は良く、胸の大きさは既に高校生かそれ以上。藤原家の遺伝は強い。だが彼女の最たる魅力は、はち切れんばかりの肌の輝きだろう。

 

 これから成長をすると(きざはし)を見せるハリ。肌荒れを気にする必要もない健康的な真っ白な皮膚。水を弾いていく全身から『これから育ちます!』という予告がされているようにすら思う。普通に黒のスク水だったが、それでも十分に魅力的。これで日焼けでもしたら小麦色の肌……間違いなくより魅力的になるだろう。

 

 しかも水着を意図的に動かして、ちらちら肌色を見せている。

 止めなさい! はしたない!

 

 上二人をホテルに連れ込まれるタイプと表現すれば、彼女はハイエースで連れていかれるタイプだ。僕にシスコンの気はないが、萌葉ちゃんが本物の妹なら――どうなっていたか分からん。

 

 ……対して、その我が妹は、と言えば。

 

 「なに? 妹見て興奮するの?」

 「しない。けど素材は良かったんだなと思った」

 

 我が妹:岩傘響(いわかさ・ひびき)。通称キーちゃん。

 

 血の繋がりはあんまりない。母が消えた後に憂さんが来て、その後にやって来たのが彼女だ。向こうが年頃というのもあって会話は雑だが、別に嫌い合ってはいない。

 

 彼女を端的に言えば一言だ。

 

 ()()()

 

 身長である。あの伊井野ミコより小さい。

 僕はまあ高校生として平均ちょいくらいの身長だし、千花と15㎝差という絶妙な身長差である。その僕とは30㎝以上違う。中学生14歳の平均が155㎝くらいらしいが……彼女は150㎝もない。発育不良と呼ばれかねない低身長である。

 

 そして、その身長と釣り合いが取れたミニサイズである。どちらかと言えば憂さんのようなスラッとした体格なのだが――胸はささやか。尻もささやか。見ていて悲しくなるレベルだ。

 

 ただフォローはしておくと、素材は良いのだ。顔は可愛い。目付きが悪いし口も悪いが、取り繕えば美人。きびきび動くから小さい割に行動が遅く見えない。活動的だが天真爛漫ではない。あるのは元気ではなく体力と気力だ。全身に充実した気合が溢れている、というのか。

 

 ……長い髪をした女武芸者(ただし外見はロリとする)。その手の趣味の人が、思わず捕まえて「くっ殺」させたくなるタイプ。誰が呼んだか『近寄ると火傷する雷娘』である。

 彼女はスク水ではなく白いワンピース側の水着だった。似合っているのは認めよう。

 

 僕がそう告げると「キモい」と吐いて萌葉ちゃんと共に行ってしまった。……褒めなかったら褒めなかったで怒るだろうに、何を言えば良いんだよ、と思う。

 でもこれでも仲は悪くないのだ。彼女が家に来たばかりの頃は、悪態すら付かなかった。悪口を言い敢えるというのは互いに壁がないという意味に等しい。有難いことで。

 

 「皆、準備運動を忘れずにね。ライフセーバーさんも雇ったけどさ」

 

 勿論、女性のな。……おいっちに、さんし、と屈伸とストレッチをして入る準備をする。

 遠浅で足が付くし、基本は水遊びだ。本格的に泳ぐ面子は憂さんとキーちゃんくらい。頼めばオプションでスクーバダイビング体験とかも出来るらしい。やってみるとか話している。

 さて――さて。

 敢えて話をちょっと遠回しにして説明をした。

 肝心要の藤原千花(ぼくの嫁)を紹介しよう。

 

 「……千花さん千花さん、ちょっとこっちに。堪能したい」

 「えー? しょうがないですねー。良いですよ。いーちゃんの性癖は知ってるので。……このまま押し倒しますかね!?」

 「しない。……夏の解放感でそれをしそうな勢いがあるのが困る……!」

 「ふふふふ? そうなんですかー? ……あ、そうそう。宿泊場所……、希望すれば私といーちゃんは二人きりになれるそうですよ?」

 

 言いながら千花は、歩いてくる。

 そのまま、その辺に生えていた樹に、上半身から寄りかかった。背中からお尻を右に向け、顔と、腕と樹の間で潰れた胸部をこっちに向ける。グラビア誌とかでよく見る写真。

 

 そのまま背中に覆いかぶさったら完全に情事になってしまう。ぐぬぬ、性癖がばれてるとやり難い! GWに発見されたR18的書籍の山は、捨ても禁止令も出されていないが、我が家に来るたびに千花はチェックして、僕への攻撃研究に余念がない!

 

 いやまあ嬉しいけどさ! 許嫁が怒らず、むしろ最大限にToLoveる的なアレやソレを実践してくれることを嫌がる男は居ない!

 

 「……観てていい?」

 「その目にじーっくり焼き付けて良いですよ。私は寛大なのです。崇めなさい讃えなさーい」

 「感謝します千花様女神様」

 

 てい! と身体のめりはりを強調するように、此方を艶っぽい目で見る。

 

 水着は白だ。暑い部分と薄い部分があって、薄い部分だと彼女の珠の肌が見える。萌葉ちゃんと豊実姉の良いところを兼ね備えた弾力。プライベートビーチということで彼女は無邪気である。無邪気にポーズを決めるので、その弾力があっちこっちに暴れまくる。

 

 スタイルは勿論良い。

 

 あっちこっち、もう、僕のこの掌の中で、触ったり! 揉んだり! 摩ったり! したくなる。

 僕だって年相応の青い欲望はあるんだぞ!

 

 ……抱きとめた時等で確認しているが、水着になると一層、彼女のナイスバディさが分かる。いつぞや水着売り場に足を運んだことがあるが、あの時と違って解放感があり行動も大胆だ。狭苦しい更衣室ではなく、砂浜と青空の下、ここぞとばかりに見せつけてくれる!

 

 「……いーちゃん、ちょっと目が怖いです」

 「え、マジで? ――あー流石にちょっと僕も、あれだ。興奮する!」

 「ほほう? ほほうほほう。捕食したくなりますかーそうですかー、襲われちゃいますか! ついにへたれを返上して? ……やだもう真昼間から気が早いんですからー」

 

 なにやらくねくねと動き始めた千花だった。頬を手で押さえてテレテレしている。

 此処が二人きりならともかくね! でもここ家族の目があるからね……!

 などとやっていると豊実姉から声がかかった。

 

 「調くーん、お願いがあるんだけど良いかしらー」

 「なんです豊実姉?」

 「サンオイルお願いしたいんだけど良いかしら?」

 「喜んで」

 「あ、じゃあ義兄さん、私もお願いしますよっ!」

 「……萌葉ちゃんも? ……良いのかなあ、年近いとはいえ義妹相手に……」

 

 疚しい気持ちは少ししかない。少しはある。それは許して!

 

 だが、萌葉ちゃんである。……千花以外の女性相手には理性的に振る舞い、且つ絶対に手を出さないと決めている僕だが――昔から何かとお世話になっている豊実姉(ヒエラルキーとして逆らえないと身体で分かっている)なら兎も角、萌葉ちゃんとなるとちょっと抵抗がある。嫌なのではない。ただ、躊躇うのだ。

 

 だってほら、妹だよ? 妹の背中に嬉々としてサンオイルを塗る兄はちょっと、どうよ?

 

 同じ妹がいる身同士、御行氏とは年頃の妹の扱いが大変だと話すことは何度もあるが――向こうも向こうでやっぱり接し方には苦労しているらしい。セクハラにならないかとか、ちょっと注意しただけで反発されるとか、一緒のお風呂に入りたくないとか……。

 

 少なくともキーちゃんは嫌だって言うね。間違いない。

 

 萌葉ちゃんが年上の男子に憧れているのは分かる。年相応で可愛い。僕とはどう足掻いても「義兄と義妹」でしかないと知っているからか、恋愛的な意味では御行氏の方に意識が向いている――と、千花も話していた――が、代わりに『年上のお兄ちゃんに甘える』行動に全力だ。

 あの梅雨の日、傘を差して歩いてった時から今迄、なんというか、距離が近い!

 誘惑に屈するつもりは毛頭ない(断言する)が、そのまま全力で可愛がりたくなる!

 

 「千花―、どうするー、流石にちょっと複雑だぞ」

 「え? んー、むーん、萌葉、萌葉」

 

 呼びかけに、樹から戻ってきた千花は僕の腕を取って、自分の腕に絡める。

 千花は水着で、こっちは上半身にベストを羽織っているとはいえ腕が出ている訳で。なんか物凄い今までよりも直に体温とか柔軟性が感じられて、ちょっと固まる。いや大分、固まる。

 そのまま千花は、僕の手を取って、サンオイルの瓶を握らせた。

 

 「最初は私。次が豊実姉。最後が萌葉です。良いですねー?」

 「分かってる! それでいいよ!」

 

 姉的には良いらしい。まあ千花が良いなら……ううん……じゃあ、今回だけは良いか。ちゃんと釘を刺したし。……すっごい目付きでキーちゃんが睨んでいるけど、別に僕は悪くない。

 受け取った瓶(中身は相当な高級品だろう)の蓋を開け、僕はせっせと美人三姉妹に日焼け止めクリームを塗るのであった。序に憂さんにも。

 念を押しておくが背中以外には塗っていないからな! 唯一千花だけが「前も良いんですよー?」とか笑いながら言ってきたが、これも自制しておいた。二人きりじゃないんだから。

 

 「さてと、それじゃあ紫外線防止も出来たことだし、遊びましょう! それと!」

 

 びしっと千花は僕――ではなくその背後で、ちょっとばかり居心地が悪そうにしている津々美を指差して、忠告するように舌鋒鋭く切り込んだ。

 とはいえ、強いのは言葉だけで、顔は天然ゆるふわな笑顔だったのだが。

 

 「竜巻さんも、そんなに迷惑そうな顔をしてないで一緒に遊びましょーう!」

 

 彼女はそのまま、砂浜へと連行されて行った。

 

 ◆

 

 「父から『海外留学に行け』と話が出たんでス。アメリカまで飛んで行って勉強して帰ってこい、と。……その話、その提案自体はまだ許せるんでスよ。ただ、その背景が、ちょっと」

 

 とりあえず私服に着込んだ津々美は、岩傘家の椅子で、僕と千花の前に座って白状していく。

 津々美の実家が、国家主導のさる研究施設の運営に携わり、父親がその所長というのは聞いていた。その娘である竜巻に、将来を見据えた留学をというのは、割と納得できる話だ。

 

 「人様に言うような話でもないのでスけど、聞いて下さイ。話さないとやってけないんです……我が家の親は、はっきり言えば屑です。肩書は立派ですけど、子供から見たらあんなに嫌な家庭もありまセン。続けて良いデスか?」

 「良いよ。その代わり隠さず全部話せ。なんで真っ裸だったのかも含めてだ」

 「思い出さないで下さい! 私にも恥じらいはありますから!」

 

 恥ずかしそうにした津々美である。頬の代わりに、おでこが赤い。

 悪かった、と先を促すと、彼女は話し始めた。

 

 津々美の父は、有名な科学者らしい。その分野では世界的に名の知れた研究者であり、大学の名誉教授を兼任したり、講演会に招かれたり、書籍を発刊したり、多忙でありながら研究に心血を注いでいる人間なのだそうだ。

 

 だが問題は、それを娘にも強制しようとするところ。

 つまり……一心不乱に研究に打ち込み、結果を出し、名声を高め、大成する。

 それが()()()()()()()()()と思い込んでいるタイプの人なのデス、と彼女は話した。

 

 「我が家が異常だと知ったのは、秀知院に来てからデスよ。初等部に入って『あ、我が家の両親って毒親なんだナ』と理解しました。……そんな父ですから、唐突に切り出したんです。『海外留学に行くと言い、夏休み中に準備して二学期始まる前に出発だ』――頭おかしいでしょ」

 「……まあそれは、反発する気持ちも分かるかな」

 「でもですネ。まだ留学の話、そのものは良いんデスよ。技術開発部に所属してるのも好きだからデスし、色々鬱陶しく思いつつも、確かに科学者や研究者は私の天職だと思いマス。……父は、思考が固定されてるだけで、父なりに娘の幸せを考えてるんデス。まだ」

 

 物凄く迷惑かつ身勝手だが、娘の幸せを考えているのは間違いない、と前置きをして。

 酷く忌々しそうに、津々美は、自分の母の話を切り出した。

 

 「……母は屑デスよ。毒親どころじゃないです。屑でしかないデス。あの女は、父にも娘にも興味はありません。あるのは肩書と、権威と、見栄と、入って来る利益だけ。引っかかった父も父ですケドね」

 

 芸能界で生きていた美人の女優さんだったらしい。しかもインテリ系で通っていたという。

 しかしその実、卒業も研究も全部、裏金や実家の権力で掴み取った物。顔は良いが、性根が腐っていて、本性を知る人間は決して彼女に靡かなかった。

 

 芸能界での地位も盤石ではなく、事ある毎に男性トラブルやスキャンダルで炎上しかける癖に、自信過剰で、自分が遊ばれていることに気付かない。

 人気が落ち始めたのを知った彼女は、その時にあったコネをフルに活用し、津々美の父の元に転がり込んだのだという。

 

 研究畑一筋だった彼は、芸能界で生きていた美人女優の手腕を前にあっさり陥落。結婚した。

 ……そうして生まれたのが津々美竜巻。だが津々美の母にとっては、自分の立場を維持できればなんでも良かったのだ。

 

 良好な夫婦仲なんですよとアピールするためだけの存在。

 『娘は秀知院に通っているんですよ』と話題にするだけの女。

 

 それが津々美竜巻の実母への評価である。

 彼女は、周りから持て囃され、ちやほやされ、褒め称える人だけが欲しいという女だった。

 だから、津々美の父が研究に再び没頭するようになると、さっさと家から離れた。外に男を作って金で享楽三昧。しかし良い財布だから離婚はしない。

 旦那も旦那で、そんな妻でも外見と自慢にはなるし、不慣れな社交界でのコネ造りが得意な――何より、さえない研究者である自分を選んでくれた(と勘違いしている)――妻から離れることが出来ない。

 

 「で。さっきの『海外留学』の話に戻ります。切り出された時、母は偶然、その場に居合わせました。口では『おめでとう』って言ってましたけどネ……。……ハウスキーパーさんにこっそり、あの女の発言を録音して貰ったんデスよ。――『家が広くなって清々する。あの娘邪魔だったのよ。私に文句ばっかり言って』」

 「……竜巻さん、それは……」

 「私はその瞬間にもうキレましたね。我慢も限界デシた。トランクに荷物と金と大事な物だけ全部詰め込んで家出してきてやりました」

 「……それで、我が家に?」

 

 家出して半日位した後で、津々美も一回頭が冷え『話し合うか』と思い直したらしい。

 しかしスマホのメールにはたった一言だけ。

 

 『母さんが心配していたから戻ってきなさい』。

 

 「その場でスマホ叩き割ってやりまシタよ! ……でそれから数日、何もせずにビジネスホテルを借りて学校さぼりました。だから生徒総会は私、見てないデス。――とはいえ、学校に行ってる様子もない女子高生が連泊しているとなると、情報は洩れまス。どうしましょうか……って時に、連絡が来まシタ」

 「誰から」

 「後輩デス。技術開発部に新しく入ってくれた、一年生のイクサさんデス」

 

 ……アイツは技術開発部に入ったらしい。確かに、アイツは得意だろうな。

 

 「『こういう時は広報&書記を頼ると良いよ? クフフ』と笑って言われたので、私は、甘えて良いのかと思いながらもやって来ましタ。そしたら憂さんに出会い『とりあえず、服を洗濯しましょう。ホテルの宿では不自由だったでしょうから、お風呂をどうぞ』と」

 「その憂さんは何処に」

 「私の服のサイズを聞いて出て行きました。買い物デス」

 「……なんで全裸だったん?」

 「何度も思い出さないで下さいって! ……トランクの中から下着を持ち出すのを忘れていたんデス……。急いで着替えようと思って居間まで来たところで、運悪く」

 

 僕達が帰ってきた、と。なるほど、話は繋がった。

 しかし明日から夏休みだ。その間、我が家に滞在させるのは――どうなのだ? と思う。

 思って千花を見ると、彼女は――津々美の手をぎゅっと握って、頷いていた。感極まって全力で頷いていた。涙目だった。世話焼き(藤原ママ)気質、此処に発露せり。

 

 「そういう事なら分かりました! この千花にお任せを! お父様とお母さまに掛け合って、竜巻さんを家に滞在させます! アルバイト扱いで! ハワイにも一緒に行きましょう!」

 「……良いんデスか?」

 「良いです! 私は気にしません! 友達が悲しむ方が嫌です!」

 

 そういえば猫じゃらし騒動の時から、千花と津々美とは仲が良かったな。

 ――僕も、今の話を聞いて野外に放り出すのも気持ちが悪い。

 

 と、こうして津々美竜巻は、藤原家での夏休み臨時バイト(日給2万、衣食住完備、休憩時間及び自室あり、仕事内容:藤原家三姉妹の遊びに出来るだけ付き合う)に参加となったのだった。

 オンオフが大事なんですという主張は何処へやら、バリ島とかまで行くは予想外だったけどね。津々美が同行したことも含めて。

 

 ◆

 

 「元気デスね……。ちょっと休憩します……。インドア派には大変デス……」

 「千花もインドア派だけどね。その疲れは、本当に身体の疲労?」

 「……岩傘さん、そういうところ鋭いですよね」

 

 かくして旅行に付いてくることになった津々美も、当然ながら水着姿である。

 

 津々美竜巻の、普段は白衣に隠れている、そのスタイルが明らかになった。

 研究畑だから不健康そう……と言えばそうでもない。全体的にちょっとたるんっとしているというか、肉感的と言える、むしろ女性らしい体付きだった。

 決して太ってはいない(むしろ体重は軽いらしい)が、あちこちにある「丸み」が、発育を物語っている。胸もほどほど、お尻もほどほど、お腹のお肉も(目立たないけど)ちょこっと。

 

 チューブトップの水着に身を包んだ同級生を前に、僕は複雑だった。

 いや、津々美竜巻という女に関しては、親しみを持っている。仲のいい異性だ。友人として、話し相手として、明白に好意を持っている。だが決して恋愛感情ではない。

 

 「迷惑デシたか、やっぱり。岩傘さん」

 「そーいうんじゃないけど。……いきなり、身内の輪の中にっていうのは、戸惑う」

 

 千花相手には躊躇なく、萌葉ちゃん相手には義兄として遠慮しつつ、サンオイルを塗れるが……流石に「とても親しい」だけの異性に塗る勇気は出てこなかった。

 津々美も僕の手でされるのは『それはちょっと』と思うだろう。だから彼女の分は、千花にお願いした。キーちゃん? 彼女は憂さんがやったよ。

 

 僕の言葉に『デスよね』と彼女は頷いた。

 しんみりはしていない。だがしみじみとはしている。

 

 視界の向こうでは萌葉ちゃんと千花は水と戯れている。キーちゃんは憂さんの指導の元、シュノーケルを背負ってダイビングだ。

 ……津々美は今、そこに一人、ぽんと混ざった異物なのである。

 幾らアルバイトとして付き合っていても、友人であったとしても、輪の中には入りにくい。

 

 「だから津々美も気疲れするんだろう?」

 「その通りデス。……無理しているつもりは無いデスけど……」

 

 『知るか!』と親に文句を叩きつけて勝手に日本から飛び出してきた状態だ。アウェイでもある。加えてこの状況。幾らこっちが気を使っても、それが逆に重荷になりかねない。

 こいつにそういう顔は似合わないんだがなー。

 

 「家庭の問題があるって言われると、解決そのものに助力は出来なくても、津々美()解決する手伝いくらいは、出来るよ。やってやりたいと思う」

 「そうされたからデス?」

 「大層な物じゃないよ。皆そうでしょ?」

 

 僕は色々な人に助けられて此処に居る。

 『助けられた』って言えば大袈裟だけど、人間、大なり小なり、色んな人と関わって影響を与え合う。小さい行動がやがて大きな変化に繋がる。

 僕が広報の仕事にずっと携わっているのも、そうした機会を作りたいがためだ。

 

 ……これは夏休み後半の話になる。

 かぐや嬢が家庭の問題で花火を見に行けなくなった時。僕らは皆で花火の為に全力を尽くすことになるのだが――その詳細は、もう少し後で話すとしても――そこにあったのは、皆の勢いだった。熱意だった。情熱だった。誰かのために頑張りたい、という気持ちだった。

 だけれども、これを自分で出せない人はいる。

 色んな(しがらみ)があって、色んな束縛があって、色々な制限があって。

 それで、本来は楽しめる毎日を楽しめないのは、悲しいと思う。

 

 「良し、とりあえず、なんとなく遠慮がちになってる、この状況を変えよう。来い、津々美!」

 「え? はイ? ええ、わわわっ!?」

 「千花! ゲームやろうぜ。全員でだ」

 

 津々美という女は、もっと不敵に笑っている方が良い。

 手を引いたら、何やら津々美の顔が一瞬、固まってドギマギしていたが気のせいだろう。

 僕の言葉に、その場の全員の視線が集まった。

 

 ◆

 

 「水鉄砲ですか。なるほど。サバゲ―ですね?」

 「そういう事だ。チームに分かれて勝負しよう」

 

 運ばれてきたのは、大小さまざまな銃。何れも全部水鉄砲だ。ハンドガンタイプからショットガンタイプ、長距離型まで色々と。中には水爆弾まである。

 

 あれは夏休みに入ってハワイに行く直前のこと。

 千花に対して悪戯を働いた不届き物が居た。近くの小学校に通う男子三人組だ。彼らはあろうことか! 水鉄砲を千花と萌葉ちゃんに当てて服を透けさせた挙句、スカートの中に潜り込むなんて真似までしやがったのだ!

 

 無論、ギリギリで僕が引っ張ったので奴らに下着が見られることは無かったがな。

 マジになった僕は、即座に憂さんを呼び、装備を整え、ワルガキ三人組を綺麗に倒した。大人げない? 馬鹿を言うな。僕は高校生だから本気になっても大人げなくないんだ!

 

 可愛い許嫁に破廉恥な真似をする奴は、例え小学生であっても許さん。これで大人がやったら権力を駆使して社会的に抹殺していたところだ。

 まあそんな経緯で準備した水鉄砲の山、ハワイなら使えるだろうと手配して持ち込んできていたのである。

 

 「障子紙。金魚掬いとかで使うポイの紙だね。それが破れたら負けだ。舞台はこの島。今、藤原家の皆さんに頼んでバトルフィールドを作って貰ってる。黄色い線から出ないように」

 「ルールは?」

 「チーム戦ね。憂さんは審判。憂さんが出てくると憂さんに20キロの重しを乗せてVS他全員でも、多分一瞬で憂さんが勝つからね。しょうがない」

 

 彼女は静かに微笑むだけだった。

 ハワイでは実弾を打てるというが、彼女の場合シャレになってない。早坂君(早坂愛の男装版)は中東で両親を失ったとか設定があるらしいが、憂さんだって似たようなもんだ。彼女の場合、設定ではなく、マジで渡り歩いていた茶化せない過去だ。

 

 「豊実姉は救護係です。敗れた人は素直に降参のポーズで豊実姉の元に戻る」

 「チーム戦……。……でも五人ですよ?」

 

 僕、千花、萌葉ちゃん、キーちゃん、そして津々美だから五人だけ。

 じゃあ私は遠慮しマス……と言いかけた津々美を手で制して黙らせた。それじゃ意味がないのだ。千花と津々美が同じチームなのが、意味がある。

 

 「そっちにキーちゃんが居るでしょ。キーちゃんと萌葉ちゃんで二人一組。こっちは高校生三人で一組だ」

 「え、お義兄さん!それ大人げないですよ!不公平ですよ!ずるいですよ!!」

 「ずるくない。というかキーちゃんの戦闘能力やばいんだからな」

 「……ふうん。その言葉、私がマジになって良いって意味だよね?」

 「そうだよ」

 

 キーちゃんは、憂さんから、様々な護身術を直伝されている。

 序に本人も運動部だ。

 

 雷、というのは比喩でも何でもない。今は『用心棒の先生』くらいになっているが、その昔の彼女はもう……やばかった! 天性の素質を全力で使って喧嘩していったのだ。降れたら感電という変な比喩まで貰っていた。

 その理由が『友人や学園の皆を侮辱されたから』という全うで、他生徒が味方になるだけの正当性がなければ、真面目に退学処分であった。

 

 「良いよ? やってあげようじゃん」

 

 腰と足首にハンドガンタイプを四つ装着し、水爆弾も釣る下げ、背中に大型サーバーを背負い、手には長距離型を装備。明らかに僕より積載容量が多いのに平然としている。

 こりゃ真面目にいかないと負けるなーと思いながら、僕は千花と津々美を見ながら色々と作戦を考える。

 

 この勝負は敵陣を倒すのは本題ではない。

 

 勝利条件は――津々美を、千花と協力して、心から楽しませてやることだ!

 




※津々美竜巻がヒロインのルートはありません。
しかし、ヒロインルートが何でないんだ!と言えるようなパワーを出せたらいいなと思います。


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岩傘調は撃破したい

アニメ花火会放送まであと三日(現在:2019年3月28日木曜日)。
超楽しみ。

尚この作品は、花火会で折り返しです。
では、どうぞ!


 フィールドは約200m四方。間には南国の草木、果樹が茂り意外と奥深い。足場は其処まで悪くないが、気を付けないと泥で転んでしまうだろう。最も海が隣なので、仮に転んでもそのまま海に戻って汚れを落とせば良い。そういう意味で、後始末は簡単である。

 

 各自の水着には、上から胸(心臓の真上)と背中(その反対側)には障子紙が貼られていて、これが破れたらアウト。

 

 このサイズ、結構に大きい。僕が掌を広げたのと同じくらいの直径で、手で隠して隠しきれるようなものではない。如何にして相手の攻撃を回避し、あるいは相手の不意を突いて正面もしくは背面から攻撃が出来るかが重要になる。

 スタート地点は、互いに島の東西に決まった。南がビーチである。

 

 「こっちは三人、向こうは二人。だからこっちが警戒をして居れば勝てマスか……」

 「ってほど甘くないんだよ! 危ない!」

 

 右に千花、左に津々美と両手に花の状態で、僕は慌てて二人を引っ張った。

 直後、自分たちが居た場所に大きな水飛沫と共に破裂音が響く。巨大な水風船だ。

 そのまま頭の上から滝のように降り注ぐ水鉄砲の連射。それを撃つのは――。

 

 「キーちゃんやっぱ凄いな!?」

 「避けるとか生意気」

 

 当然のように、我が妹だった。

 

 たった一人で200mを駆け抜け、先手を打ってきたのだ。

 平然と細い樹の枝に足を乗せ、千花や津々美では両手でないと持てないサイズの巨大水鉄砲を片手で扱い、容赦なく真っすぐ打ち抜いてくる! 高低差が高低差だ。こっちからの反撃は届かない。しょうがないので腰元にあった水風船を投げる!

 

 狙いは、ばっちりだった。だがキーちゃんは素早く樹を盾として防ぎ、そのまま飛ぶ。背後に。

 ()()()()()()()別の樹の枝に飛び移ると、そのまま素早く姿を消した。

 忍者か何かか、アイツは。

 

 「……身体能力が高いにも程がある。あれは天性だな」

 

 キーちゃんは登山部だ。今は懐かしい春の予算案会議の際、僕が『遠征プランを持ってこい』と話を付けに行った、あの登山部である。日頃の体力練成もこの為。おかげで健脚この上ない。

 重ねてボルダリングやロッククライミングの技術まで習得済み。最近はパルクールとCQCまで憂さんから学んでいるのだ。何になるつもりなのか。

 

 小さい癖にパワーがあるから、どんな場所でもひょいひょいと登れるし、海外からもポーターとしてお呼びが掛かる位には優秀だ。

 

 因みに接着剤も登山用具である。応急手当的に補修をするのに使うそうだ。勿論、山に向かう時は故障のない完全装備で行くのだが、練習用の靴とか手袋、重さを背負う為の訓練用リュックなどを直すらしい。その常備ストックをクルーシュチャにぶちまけてやった訳だ。弁償したぞ。

 しかしだからって、あれ程までに高い身体能力を持っているとは予想外だ。上方修正しよう。

 

 「深追いはしないように。向こうは一刻も早く僕らの中の誰かを脱落させないといけない」

 「萌葉ちゃんは待ち伏せですか」

 「なるホド? 確かに2対3の現状では、向こうが不利デスね」

 

 幾らキーちゃんの身体能力が高いと言っても限度はある。

 互いに相手を認識して撃ちあい、睨み合いに持ち込めば――つまりキーちゃんの動きを封じれば、向こうは萌葉ちゃんだけだ。

 仮にキーちゃんが脱落し、こっちが二人以上残って萌葉ちゃんが相手ならほぼ勝ち。

 萌葉ちゃんを先に見つけて、1体3に持ち込めば、やっぱりこっちがほぼ勝ち(圧倒的有利)。

 二人を同時に相手した時でも、こっちが三人で撃ち合いになればやはり此方が有利だ。

 

 だから逆に言えば、向こうはキーちゃんの戦闘能力を生かして攪乱し、一刻も早く僕らの人員を削る。2対2に持ち込めば一気に中等部メンバーの勝ちに近くなる。

 

 「とりあえず三人行動は心掛けよう。一網打尽になる可能性はあるけど、各個撃破よりはマシ」

 

 マシだ、と言いかけて、まさか勝負がそこから一気に動くとは思ってもみなかった。

 

 周囲と頭上を伺いながら数分。視界の広い場所へ向かおうと注意して進んでいく。

 少しだけ張り出した木の根を踏み出した瞬間――足が何かに取られたのである。

 泥の中、水が溜まった落とし穴だ! 思わず足を取られた僕は、そのまま前につんのめる。勿論、咄嗟に手で姿勢を立て直したが――その瞬間に気付いた。

 

 (やば、背中……!)

 「いーちゃん危ないです!」

 

 このゲームは『相手の障子紙を攻撃で破ったら勝ち』――ではない。『破れたら負け』なのだ。

 つまり! 何らかのトラップや事故で破れても、失格となってしまう……! だからこそ僕は胸の紙を破らないように手で転倒を阻止した。だが当然そうなれば、背中は無防備になる!

 

 「てええいい!」

 「萌葉っ!? くっ、間に合ええええっ!」

 

 頭上から聞こえた萌葉ちゃんの声。彼女は待ち伏せをしていた。キーちゃんと同じく樹の上で。死角になる場所でじっと息を潜めていた。

 

 同時に千花が動き、僕の上に覆いかぶさり!

 背中に柔らかい塊が当たり!

 同時に届く水飛沫!

 破裂音!

 

 身を起こすと、そこには萌葉ちゃんは既に居ない。

 視界の隅、萌葉ちゃんが逃げていく様子が目に入った。

 そして地面に倒れる千花の姿も、だ。

 

 「がふっ……。いーちゃん、無事……無事ですね……?」

 「ああ、無事だ! 無事だぞ! 千花が庇ってくれたおかげで!」

 「そう、ですか……。すいません、私は、此処まで、です……目が霞んできました……」

 

 目を閉じながら、震える声と共に、弱弱しく手を持ち上げる千花の手を、握る。

 

 「最後に、いーちゃんを守れて……良かった……」

 「千花あああ!!」

 

 そして「ばたりっ!」という擬音語と共に、ばたりと腕から力が抜ける。

 彼女はそのまま動かない。どことなく世界が夕暮れに染まり、僕と千花の姿だけを照らす。

 

 「ああ、僕はなんてことをしてしまったんだ……! 千花……! よくも千花を! ……そこで待っていてくれよ……。必ず萌葉ちゃんの首を届けに来るからな……!」

 『寸劇していないで進めましょう。藤原千花さん敗北です』

 「もうちょっと余韻に浸らせてよ!」

 「でもその場で合わせてくれるの流石ですねー」

 

 よっこいせと起き上がった千花は、そのまま憂さんに連行された。

 

 知ってるよ! 今は向こうも空気を呼んでくれているが、余韻に浸っている暇はないのだ。

 

 さっき危惧していた2対2の状況に持ち込まれてしまった。……この状況から勝つためには、何としてでも僕と津々美で、中学生のどっちかを先に撃破しないといけない。

 

 「さっき萌葉ちゃんが樹の上に居たのは、キーちゃんが運んだからだ。……こっちで同じことは出来ない。僕は体重が重いし、樹の陰に隠れ切れるほど小さくない」

 

 腐っても男子高校生。身長と体重の値は、この面子の中で一番高い。キーちゃんなら簡単な木登りも僕には出来ない。津々美を樹の上に登らせることは出来るだろうが、津々美自身の運動能力があんまり高くないと来た。さっきのように不意打ち、罠からの波状攻撃は――出来ないな。

 そもそもキーちゃんの行動範囲は木の上だ。この場所だと戦うのに不利すぎる。

 だからこその南への移動だったのだが、先読みされて待ち伏せされてしまった。

 

 「どうしマス? このまま待ち構えマスか……?」

 「いや、このまま浜に出る。そうしないと負ける。もう仕掛けは無い筈だ。開始から此処までの時間的にね。走れる?」

 「俊敏では無いですが50mくらいならまーまーデス」

 「OK、それじゃ一気に走る!」

 

 それに、駆け抜ける相手を正確に狙い撃つのは難易度が高い。キーちゃんならやってきそうだが、萌葉ちゃんには無理。なら少しでも有利な方向に向かうのみ、だ。

 合図とともに、津々美と僕は浜辺へ駆け出した。

 

 ◆

 

 距離にして50m。密林という程深くないが、日本では中々お目にかかれない南国の樹々を抜け、浜辺に出る! 視界の端には『救護室』と書かれた砂浜と、その中で手を振って応援している豊実姉、脱落した千花が居る。が、それよりも、真正面だ!

 

 「来ましたね、お義兄さんっ! 此処であったが百年目ですよっ!」

 「千花の仇、取らせて貰う――っ!」

 

 目の前には真っすぐに水鉄砲を構えた萌葉ちゃんが居た。構えがしっかりしている。さてはキーちゃんから教わったな!? 初心者の萌葉ちゃんが適当に水鉄砲を撃っても当たらない。

 であるならばしっかりと来る方向を予想し、待ち構え、射程内に来たら指を引く。それがキーちゃんの作戦。なるほど、確かにその銃口は僕をしっかり狙っている。ベストの判断だ。

 

 だけどそれは僕も同じことだ!

 既に水鉄砲は構えていた。そして射程距離からだが、撃った。

 

 「え、ちょ、お、お義兄さんが怖い! マジだ!」

 

 射程が届かない? そんなことは分かっている。これは萌葉ちゃんを動揺させる作戦だ!

 

 サバゲーなどしたことは無い。だが男の子ってのは、それまでの人生の何処かで、一回くらいは『銃を撃つ真似』をするしミリタリーに触れる物だ。

 萌葉ちゃんよりはサマになっているだろうさ!

 

 加えて体格だ。木登りや隠れるには不適切だが、真正面からの威圧感は一番強い。全力で自分に向かってくる年上の男(しかも既に水鉄砲を発射している)状態。幾ら義兄とは言え!

 

 「え、え、ちょ、やー! ぃやああっ!! え、おお、お、お義兄さんに襲われますぅっ!!」

 「これも勝負だ、悪く思うなよっ!」

 

 慌ててしっちゃかめっちゃかに水を連射する萌葉ちゃん。目を瞑ってすらいる。

 当然、そうなると僕に命中はしない!

 僕は努めて冷静に水鉄砲を撃ったまま近付き、その勢いのまま胸元の障子紙を破った。

 中等部の癖にけしからん、たわわな胸元が大きく揺れて水を弾いていく。

 

 「今度、お義兄さんに、ぶっかけられて破られたって噂してやります!」

 「冗談でも止めなさいね!」

 『萌葉さん脱落ですー。残り三人』

 「と、こんな事をしてる場合じゃねえ――よっしゃ津々美そのまま走ってろよ!」

 「ふぇ、ふぇ、結構、無茶を、言いマ、ス、ね……ふひぃ……ひぃ……!?」

 

 僕と津々美では、当然ながら僕の方が、足は速い。因みに僕は50m走6.6秒。陸上部の俊足には到底叶わないが、同学年と比較しても早い部類と言えるだろう。

 津々美はそれより遥かに足が遅い。だが、足は止めるなと指示を出してある。

 

 元々、ただでさえキーちゃんの動きは凶悪なのだ。開けた場所での回避は、僕でもまず出来ない。運動能力に劣る津々美なら猶更だ。だから『兎に角走り続けろ』と指示をしておいた。ばてて動けなくなるまでは、向こうも無暗に乱射はしてこない。

 

 僕は萌葉ちゃんを撃破した時も、走る脚を止めなかった。撃破して一安心、となった瞬間に、背後からばしゃー!では意味がない。千花と同じように倒れた萌葉ちゃんを尻目に、走る方向を変えて、津々美の方に転換。そのまま勢いを殺さずに進む! ……砂浜で足が重いっ!!

 果たしてキーちゃんは……!

 

 「ぜい、ぜい、はぁ、ふぅ、……も、もう良いですかネ……!?」

 「気を抜くな。……居ない訳がない。上じゃない、砂浜じゃない。……何処だ!?」

 

 走りながら津々美と合流する。互いに背中合わせになり、周囲を確認。

 だが、居ない。キーちゃんの姿がない。もしやまだ密林の中なのか? こっちの体力切れを待って、向こうが待ちの姿勢になったのか? ――違った。

 

 「ここだよ」

 

 と声がした方向を向く。そちらに銃を向けつつ振り向いた、瞬間。

 固まった。

 

 海の中から、立ち上がっていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 腕で器用に(起伏がささやか過ぎる)膨らみを隠して、銃を向けていた。幾ら身内しかいないと言ってもその思い切りは蛮族の発想だ。

 幾ら破天荒な()()()()の元で育ったからって、其処まで似ないでも良いじゃん!

 

 そうか! そうだ畜生!

 悟った。障子紙が破られたら負け、と言った。

 

 だが『常に身に着けている必要』は無い!

 禁止というルールは確かに明言していない! 僕のミスだ。

 

 キーちゃんは、僕らを襲ったあの時、その辺に水着を脱いで、樹のどっかに置いてきたのだ!

 水着を脱いだのは海で擬態をする為。……憂さん経由でスクーバダイビングの基本に触れていたんだっけ!? 何から何まで利用してきやがる……っ!

 

 「危ない! 逃げろ津々美ぃっ!!」

 

 反応が遅れた。キーちゃんの裸なんざ見ても何も感じないがびっくりはした。

 咄嗟に出来たのは、自分らに向かって飛んでくる水風船から庇う事だけだ。

 

 飛びつきながら抱え、そのまま地面を転がる。腕の中で津々美が「え、え、え? え!?」という顔をするが僕に余裕は無かった。背中に思い切り水風船が直撃して、障子紙が破れる。

 

 「逃げろ……、そして勝利を……」

 「は、はいデス……。わ、わわ、わかりマシた」

 

 調さん脱落でーす、という報告を聞きながら、そのままばたりと砂浜に倒れる。

 

 何故か動きがぎくしゃくした津々美は、太陽で日焼けしたのか、顔が若干紅いまま、先程の森林部へと走っていく。

 見失わないように、キーちゃんは冷静に駆けた。通りすがりに憂さんを経由してパーカーを羽織り、上半身を隠すのも忘れない。

 津々美が勝てるかどうかは半々。上手くキーちゃんのポイを発見できれば勝てる。だが追いつかれたら勝ち目はない。結果はすぐわかる。

 

 数分後、伝えられた結果は、キーちゃんの勝利だった。

 

 ◆

 

 「なんで皆、僕の皿にお肉と野菜を盛るのかな?」

 「沢山食べて欲しいんですよー。はい、パイナップルも追加です」

 

 パイナップルを焼くと甘くなって美味しい。確かにお肉との相性は良いけど……。

 

 女性陣の数に比較して、男子は僕一人。

 ヒエラルキーは最下層では断じてない! が! 圧力と勢いには負ける。

 しかしこれも水着を堪能できたご褒美だ。頑張って食べよう。

 さておき――。全員でコップを持って乾杯!

 

 「という訳で色々ツッコミドコロはありましたが! 中等部組の勝ち! おめでとう!」

 「やーりまーしたー!」

 

 いぇーいとピースサインを送る萌葉ちゃんと、当然という顔のキーちゃん。

 

 運動も終わったのでご飯である。砂浜に用意されたのは大きなバーベキューセットだ。

 高級な肉、野菜、麺や米まで食材は豊富。

 

 次々と焼かれる食材に舌鼓を打つ中で。

 萌葉ちゃんが「勝者の権利として要求しまーす!」と主張した。

 あんまり無理な物でないなら、と僕は許諾する。

 

 「私を肩車して島を走ってください! こうぐるーっと!」

 「え、マジで?」

 

 もうちょっと――お義兄さんに対しての羞恥心を持った方が良いんじゃないか? と思う。

 良いの? と千花を見る。彼女は笑って「良いですよ良いですよー」と送り出してくれた。

 

 「じゃあせめてズボンを履いてきなさい。そのままじゃダメだよ」

 「興奮します?」

 「それは平気だけどさ。そのままじゃ色々と、はしたない」

 

 僕の主張に、しぶしぶとだが彼女は太腿まで隠れる短パンを水着の上から着る。

 

 準備オーケーでーす、という言葉を聞いて、僕は萌葉ちゃんを肩車した。ズボンで良かった。水着ならこれ、両頬が太腿に触れている。流石にそれは不味い。

 そのまま海岸をダッシュ! 加速すると同時に、萌葉ちゃんのきゃーきゃーという笑い声が響く。その顔があんまりにも楽し気だったからか。

 島を一周して戻ってきた僕の前には。

 

 「……はぁ、はぁ、……順番待ちされてない……?」

 「萌葉に出来て私に出来ない、とかは無いですよねいーちゃん!」

 

 一息を付いた僕の前には、千花が居た。

 その背後には豊実姉が居た。その豊実姉に引っ張られる憂さんが居て、最後に津々美まで並んでいる。キーちゃんは『あんな兄の何処が良いんだ』と言いたげな瞳で、黙々とお肉と野菜を食べていた。ていうか津々美もかよ!

 

 「ダメでシタか、やはり」

 「いや良いけどさ、良いけどさあ! ……僕の体力、持つかなぁ」

 

 幾ら全員、僕より身長が低いとは言え、相応に体重はある。女性に体重の話をするのは厳禁と言っても、どんなに軽くても50キロはあるんだぞ。

 

 ……まあコミュニケーションには成功したという事か。千花と津々美の中は急接近して非常に仲が良いし、今も上手に溶け込んでいる。これで少しは、彼女が負い目を感じずに夏休みを過ごせるならば、文句は無い。

 

 「……分かった。やる! やるよ! だけど間に休憩は挟ませてね!」

 「そう来ませんと! という訳で私からでーす! 私はズボン履かないで良いですよね?」

 「うん、まあ、良いよ」

 

 水着姿の千花の背後に失礼して、軽く開いた足の間に頭を入れて、肩の上に乗せる。

 お尻と太腿で頭を固められ、千花が頭に手を置いて重心を固定させたところで、周囲に倒れないように気を使って、立ち上がった。

 ……頬がむっちゃ温かいし柔らかいな!?

 

 「わ、わわわ、これ結構、視線が高くて面白いですよーっ!」

 「それは何より! 走るのは無理だから歩くけど良い!?」

 「疲れましたか?」

 「いや。やっぱり重い」

 

 べしん! と頭を叩かれた。叩くなよ! 本当の事だろ!

 それが悪いとは言ってないじゃん。千花の身長体重諸々は把握してるんだぞ、こっちは。

 

 「そこは黙って下さいよ! 体重の話、厳禁ってこと位は分かってますよね!? 分かって言ってますよね!? 私だから許しますけど! 他の皆は許しませんからねー!? ですよね?」

 

 僕が身体ごと(首を動かせないのだから当然だ)女性陣を見ると、全員が頷いている。

 ……藪蛇をこれ以上、突く趣味は無い。頑張ろう。

 

 それから僕は頑張った。千花は無事に終わった。豊実姉の時は根性を出した。憂さんは気遣ってくれて途中で休憩が挟まった。津々美は――。

 

 「……あれ、津々美は?」

 「え、わわ私はやっぱり良いカナって思いマス! ええ、し、岩傘さんも疲れている様子デスし!」

 

 大丈夫なのに、と促しても、妙に緊張した面持ちで固辞されてしまった。

 居心地が悪くて遠慮したのでは無いらしい。……まあ、良いというなら、良いか。

 

 すっかり溶け込んだ津々美は「ええ!良いんデス!」と付け加えて、そのまま中等部組と一緒にバーベキューの攻略に向かう。追いかけようかなとも思ったのだが、萌葉ちゃんに比較して三倍くらい食べてるキーちゃんが、僕の方を見て睨んできたので退散しよう。

 

 「いーちゃん、お疲れ様です。こっちこっち、こっち来てくださいな」

 「んー?」

 

 パラソルの下で千花が呼んでいる。お昼を終え、休憩中だ。

 

 豊実姉は既に食べ終わって寝息を立てている。

 

 憂さんは『では後は、藤原家のお手伝いさん達に任せて、少し泳いできます』と海へ入って行った。……遠くで鮫が海上に吹っ飛ばされているのは気のせいだ。アザラシを弾き飛ばすシャチの如く鮫が空中にすっ飛んで、しまいには網に捕まっているのは見間違い。

 僕が千花に近寄ると、そのまま引きずり倒された。

 

 「お、おおう?」

 「お疲れ様でしたー。という訳で膝枕です」

 

 これじゃ千花が休めないんじゃない? と思ったけど――野暮か。

 視界の中、反転している千花が、僕の唇に指を当てて「良いんですよ」としたので、黙る。……素直に寝ようっと。

 

 「大胆ー、良いなあ、私もしたい……」

 「私の頭で良かったら貸してあげるよ。もしくは私がする」

 「そうじゃないんですよキーちゃん!」

 「……お二人は何時見ても仲が良いデスね」

 

 サバゲー、肩車、満腹の三連コンボで、視界があっという間に暗くなっていく。

 欠伸が出ると同時に瞼が重くなり、皆の声が遠い。

 

 萌葉ちゃんの羨ましそうな声。

 これはきっと『私にも素敵な出会いがあれば良いな』だろう。

 

 キーちゃんの不服そうな声。

 これは『兄と千花さんが許嫁なのがやっぱり信じられない』だ。

 

 そして最後に、津々美が何かを話していた。

 『……そうデスよね。お二人はもう……』と。

 

 ――全部は、聞こえなかった。

 

 ◆

 

 その日の晩は、ホテルだった。ラブが付かない高級リゾートホテル。その一角、ワンフロア……とは行かないが『この先、藤原&岩傘家の宿泊関係者のみ』と書かれるくらいには、廊下を曲がった先、数室のスイートルームを貸し切っての宿泊である。

 

 二人きりでの、ロッジがあるプライベートビーチも良いですよ? とか勧められたが断った。

 

 ヘタれたのではない。単純に僕が、あのまま千花の膝の上で熟睡してしまい、気付いた時には午後三時過ぎだったのだ。その後、もう一回海で泳いだら、へとへと。とてもじゃないが小島で二人……というには、体力と気力が尽きてしまった。

 

 全員、割と疲労困憊。憂さんとキーちゃんは夜市を見てきますと出て行った(尚、誰も彼女達二人が危険に巻き込まれるとは思ってもいない)。のんびりすることにしたのである。

 

 「あー、やっぱ海外からでもアクセスできるんだねぇ、助かる……」

 「海外からの不正アクセスに引っかからないように色々工夫してるんデスよ。違法にはなりませんしアカウント凍結やBAN対象にもなりマセん。ご自由に。ところで何を?」

 

 という事でノートパソコンを取り出して、のんびりすることにした。

 

 海外まで持ってくるなって?

 いや逆だよ。長期の旅行だからこそPCは必須なんだ。単純に情報のやり取りがスマホ以上に簡単というのもそうだし。――デイリーミッション回せないし。

 

 「夏イベ中。今回は敵も水着モード。26ちゃんは無事に掘れた。取り合えずE4を割ってからE5に行かないとね」

 「スマホの方でも色々やってるようデスけど、メインは何を?」

 「人類最後のマスターとして世界を救ってる。しゃんしゃんするゲームはやってない」

 

 津々美にもちゃんと個室が与えられている。

 僕が個室。千花と萌葉ちゃんが同室。豊実姉が個室。万穂さん(尚、彼女は彼女で色々と満喫していたそうだ。海外の友人に会いに行ったとか)も個室。キーちゃんは憂さんとセットだ。

 で、その津々美の部屋ならば多分出来るだろうなと思ってノートパソコンを持ち込んだのが、僕である。

 

 「しかしその……なんだ。すっごいゴツいね、そのPC。重そうなんだけど」

 「重いデスよ。鉄製デス。――んー……岩傘サン、「いーちゃん」て呼ばれてマスけど……、その名前で主人公が呼ばれる小説、知ってます?」

 

 青少年向けのライトノベル系書籍に関しては、学園で一番詳しい自信があるぞ。

 

 「実は物語シリーズよりも好き。本名不明な戯言使い(いーちゃん)だね」

 「デスデス。……その1巻で話題が出てくるじゃないデスか。破壊されたら困るから鋼鉄で作ろうーって話題が。アレですよアレ。軍用で運用されてる専門品を、更に改造してありマス。南極でもナミブ砂漠でも動きますよ」

 「そりゃ凄い。じゃちょっと相乗りさせて貰います」

 

 どうぞどうぞと言われたので、遠慮なくテーブルの上にPCを置いて向かい合って座る。

 千花は早速、今日の出来事をツイッターで報告しているらしい。

 

 「あ、かぐや嬢がツイッターを始めてる」

 「岩傘さんはやってるんデス?」

 「アカウントだけ作ってあるよ。御行氏のツイートは確認できるようにしてる。でも僕は滅多に発言しないし、リツイートもしない。LINEも連絡用に最低限。Skypeはまだ使ってたけど、最近は使い勝手が悪くなって、どうしようかなって感じ」

 「ああ、よりよくなる更新(より良くなるとは限らない)って奴デスね」

 

 かぐや嬢のアカウントは確認できたが、特に何かを呟いている様子は無い。多分、まだ何を語れば良いのか良く分かってないのだろう。後でメールでも送っておこう。

 石上は『暑くて死ぬんでゲームやってます。でも夏コミは行きます』と書かれていた。

 

 「でも以外デシた。岩傘さんがパソコンに熱中するってのは。新聞社社長の息子なら、ゴシップとか嫌いそうデスけどネ」

 「書かれてることは殆ど嘘だと思って使ってるだけ。学園裏サイトも同じ同じ。大半は適当な雑談で意味なんかないよ。やばいのは管理者権限使ってるし、ちゃんと監視もしてるんだ――親父の言葉になるけどね『ネットの情報は、素人でも好き勝手に作って送れる。それが良いところであり悪いところである』。……今時、アナログだけじゃ本読むのも一苦労だ」

 

 電子書籍は嫌いだ。本は重量を感じ、手でページをめくってこそだと思う。

 でも古書を手に入れたり、レア本を確保するのにネットは必要不可欠。専門店まで足を運ばないと無いような商品までクリック一押し。便利な世の中である。

 

 「なるほどデス。ところで岩傘サン。私は今、学園裏サイトの検閲と管理権限と監視っていう何気に重要な確定情報を聞いてしまったのデスが」

 「……聞かない振りでお願いね」

 

 生徒会も学園裏サイトを確認している――というのは利用している生徒の大半は知っている筈だ。しかしそれが本当か、誰が管理しているのか、そして権限がどれくらいあるのかは内緒だ。

 

 「まーなんとなく、そういう仕事をするなら岩傘サンかなーとは思っていたんで、良いデス。私は何も聞かなかったという事で」

 「うん。……あと、いい加減、苗字じゃなくて良いよ。名前で」

 「え、あ、そ、そうデスか!?」

 

 僕がそう言葉を投げると、津々美は何故か慌てた様子になった。動転している。

 さっきまでの平然とした態度は何処へやら、妙に挙動不審になった。

 

 「えっ、えー、エート、じゃあ、し、……調、サン?」

 「で良いよ。……なんか緊張する要素あった?」

 「いえ、いえいえ別にっ!? なんでもないデスって!」

 

 おずおずとだが切り出した津々美の言葉に、僕は頷いて、画面に目を落とす。

 画面の中では椅子に座ったままのオールドレディが着任の挨拶をしてくれていた。

 

 ◆

 

 眠い。

 それを自覚したのは、二時間ほど後だった。

 

 新規娘をロックし、その他あちこちのサーフィンして、画面から顔を上げる。

 見ればすっかり星が輝く、夜22時だった。

 

 日本では17時。飛行機の中で軽く寝たが活動時間は実質……向こうを出発したのが夕方だから……えーと……今朝の7時に到着だから……深夜の2時に起きて動き出し、そのまま翌日の夜17時まで遊び続けた計算だ。

 

 それは眠くなる。

 今日の任務は終わったし、APも使い切った。一通りの活動は終えた。

 

 後は明日にしよう。

 僕は一言告げて、津々美の部屋を辞した。

 

 昼間の影響か、体が波の上をふわふわとしているような感覚が続いている。これは……うん、これはベッドに入って気を抜くと一瞬だろう。

 

 生欠伸を繰り返しながら部屋に戻る。パソコンは適当にその辺に置いた。

 ささっと寝間着に着替え、室内の灯りを落として布団に潜り込む。

 そのまま目を閉じる。

 

 「あの、いーちゃん、いーちゃん、もうちょっと、反応をくれると、嬉しいなーって」

 「御免……眠くて反応する余裕がない……会話相手は津々美ならまだ起きてると思うから……こっちで抱き枕になるなら歓迎しゅる……」

 

 何故か布団に先着していた千花が居たが、僕が積極的になる余力は無い。

 目を閉じたまま、手を伸ばす。すかっと手が掛け布団とシーツの間で空回りした。

 ……? と思って薄く目を開いてみると、千花はベッドから起き上がっていた。

 

 「……どしたの?」

 「いえ。ちょっと、ラブ探偵チカの嗅覚が反応しまして」

 「はやくねなよー……明日もあるよー……」

 

 駄目だ。眠すぎた。多分、言葉を言い終えると同時に、寝落ちしていた。

 だから僕は、隣の部屋で何があったかは、分からない。

 

 ◆

 

 津々美竜巻は、一人きりになった後で、大きく息を吐く。知らず呼吸が詰まっていた。

 無言で立ち上がって洗面所に向かい、そこで鏡を見る。

 

 「……顔が、紅い。日焼け……日焼け、デス、これは……」

 

 そう、これは日焼けだ。そうに決まっている。異性との接触でちょっと疲れただけだ。

 心臓の鼓動が速いのも、名前を知らず口が反芻してしまうのも、サバゲー中に庇われた事を思い出すのも、肩車から逃げ出した時に恥ずかしかったのも、全部、気のせいだ。

 

 何時からだ? と思う。

 バレンタインデーの時は、まだ其処まで意識をしていなかった。

 普通に男女の友情だと思っていた。

 

 だけど今の自分とあの時の自分は、明らかに違う。その自覚はある。

 夏休みマジック、ではない。

 気遣ってくれたから、というのでもない。

 ひょっとしたら、理由はないのかもしれない。

 

 大体、彼には、藤原千花という公私共に認める相手が居るのだ。

 自分に言い聞かせる。

 ()()()()()()()()時点で、誤魔化せていないのだが、その矛盾には気付けない。

 

 「明日からも一緒デス。この気持ちは切り替えないといけマセん。私は技術者、発明が恋人。……千花さんにも迷惑デスし」

 

 自己暗示を掛けようと必死になっていると、部屋の扉がノックされた。

 

 「津々美さん、今少し、良いですか? いーちゃんの事でお話があるんですけど」

 

 それは、ある意味、今、一番聞きたくない、藤原千花の声だった。




おや、津々美の様子が……?

※津々美ルートはやっぱり存在しません。


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そうして津々美竜巻は作品から抜け出した

やっと修羅場が終わった……。
もうちょっと修羅場が見えていますが!
一先ず時間が出来たので更新!
遅れてごめんなさい!

今更ですがアニメ12話最高でした。
2期も期待できますね。
花火会に向けて、此方の夏休み篇も盛り上げて行きますよ。

では、どうぞ!


 僕と津々美竜巻が出会ったのは、初等部だ。

 

 秀知院学園において『純院』『混院』の区別があるとは話した。幼等部・初等部からの学生は大体『純院』扱いだ。初等部一年生から入って来る名門子弟というのは結構多い。帰国子女であるとか、幼等部の際は人数的に弾かれたが初等部になって希望が通ったとか。

 

 キーちゃんは初等部に編入だったので、ギリギリ『純院』扱い。これで中等部からの外部入学だったら肩身が狭かっただろう。実際、憂さんは割と苦労した。

 津々美の場合、彼女の言葉を借りるなら『娘が秀知院にいるというステータスの為だけに私を入学させたのデス』という理由らしいが、それでも彼女は同級生になった訳だ。

 

 僕と千花は幼等部から高等部までずっと同じクラス。津々美は同じクラスだったこともあるし、違うクラスだったこともある。ただ()()であったことには変わりはない。

 『混院』の生徒以外は、大体全員が顔馴染みである――例えば四条眞妃やら柏木渚やらとも僕はずっと同学年だ――という事を差し引いたとしても、津々美と僕との関係は、悪くなかった。

 

 初会合は、今も覚えている。

 

 僕は初等部の頃、併設されていた図書館に足蹴く通っていた。実家に保管されている本の山は、初等部の自分が読むには難解すぎる品も多く、その時はまだ英語が辛うじて読め……読めるのか? という表現になるレベルの語学力だったので、もうちょっと身の丈にあった本を、辞書を引き引き読んでいた。

 

 最も当時、学園で勉強して、図書館に隠れて、本を抱えて向かった先が藤原家。家に帰らず、憂さんを悲しませていたというのは、前に話した通り。

 

 あれは数学の本を選んでいた時だ。ノーベル文学賞作品、各国の神話・伝記・奇書、和洋ミステリーと読み終わった僕は、ここらで分野を開拓するかと算術の本を手に取った。

 丁度二巻までしかなく、全十巻の中で三巻が借りられていた。

 

 此処で少し僕は戸惑った。というのも大抵の場合、僕の読破速度が相手に追い付くからだ。やろうと思えば速読(本のページをパララララとめくるだけ)で内容を理解することもできる。風情と娯楽として相応しくないからやらないけど。

 ……僕の活字を追う速度はそれ程なので、一巻を借りた僕だったが『多分、明後日までに三巻が返却されることは無いだろうなあ』と思っていた。

 

 予想は良い意味で裏切られた。

 翌日、一巻を読み終わって二巻を借りに行った僕の目の前には、三巻が返却されており、既に四巻が借りられていた。嬉しい誤算だ。僕はそのまま二巻を借り、翌日、三巻を借りると同時に、既に五巻が借りられているのを見て『その借りに来た奴を見てやろう』と思った。

 そうしてやって来たのが、クラスメイトの、デコ眼鏡だった。

 

 『確か、津々美だったっけ。読んで理解出来てるんだよね? 少し教えて欲しい』

 『……なんデス? 同じクラスの……確か岩傘サン。藤原サンと仲が良い……。教えて欲しい、デスか?』

 『そう。書かれてる内容、言葉は分かるけど、理解が追いつかない。是非聞こうと思って』

 『唐突デスね。私より周囲の大人に聞いた方が良いのデハ?』

 『……親とも身内とも折り合い悪いんだよ、僕』

 

 僕のその言葉に、津々美は『そうですか』と頷いて、なら、と解説してくれた。分かりやすい講義だった。……あの時、津々美は僕に共感したのだろう。僕の『反抗期』は津々美が抱えていたのと同じ物で、だから打ち解けたのだ。

 

 それが切っ掛け。それから色々話をしたり、グループを作る際に女子が必要、という時は千花と合わせて引っ張り込む程度には仲良くなった。そっからずっと腐れ縁である。

 

 向こうがどこぞの研究資料を要求した時は、僕が伝手を使って提供した。逆に僕から依頼を持ち込みもした。バレンタインとか良い思い出だ。

 

 勿論。勿論だ。当時から今迄、僕は千花に一直線だ。ラブは全部、千花に向いていた。初恋とか色々あったけれど、最後は彼女を向いている。津々美に関しても、それは同じだ。

 彼女は友人だ。大事な異性の友人だ。

 それ以上ではない。それ以上では、ないのだ。

 

 ◆

 

 「おはよーございます……、ふぁふ……、……失礼」

 「お義兄さんは寝ないとダメな派ですもんねー、体内時計狂ったままっぽいです。私も眠いですー」

 「珈琲と紅茶、どちらにしましょう」

 「……珈琲下さい」

 

 翌日。朝としてはギリギリ許容範囲の午前8時。

 アロハシャツに着替えて食堂に行くと、萌葉ちゃんとキーちゃん、憂さんが居た。万穂さんと豊実姉はまだ寝ているらしい。千花と津々美は何やら着替えに手間取っているそうだ。

 

 差し出された珈琲で眠気を覚ましながら、朝食だ。スープ、サラダ、卵料理、お皿の上には白身魚。頂きますと手を合わせて、フォークとナイフを手に、皿の上の魚を口に運ぶ。

 ……口当たりが軽い。濃厚だけどホロホロと崩れる肉。何だろうこれ。

 

 「鮫です。昨日捕った奴を提供しました」

 「……なるほど。美味しいです」

 

 昨日捕ったとな。……やっぱり昨日捕ってたのか。まあ美味しければ良いや。

 萌葉ちゃんは欠伸をしつつもしっかり食べているし、キーちゃんは……髪が濡れている。朝起きて一泳ぎして来たなさては。どっちも元気そうだ。若い。

 さて今日の予定だが――。

 

 「マウナケア大丈夫そうです?」

 「今のところは天気も良いようです。現地に行って狂う可能性はありますけど」

 

 それは言ってもしょうがない。お天道様のご機嫌だけは如何にもならない。

 

 ハワイには海だけでなく山もある。今も尚噴火が続くキラウエア火山などが特に有名だろう。しかしあの場所は、何分、山の機嫌に左右されるので、正直あんまり行きたくはない。……過去に一回行って、非常に危ない噴火タイミングに遭遇してしまい、以後、ちょっと苦手意識がある。

 

 故に今回は、マウナケア山をチョイスした。最高標高4000m。世界各国から天文台が集まる観光名所。山の頂上まで行くコースではないが、夜、星を見てからホテルに戻って来る。そういうプランになっている。御行氏のお土産にも最適だ。

 今日はこの後、全員で着替え、荷物を持って、車で出発。

 僕らが居るビーチはコナ。マウナケアまでは普通に90分から120分くらいだ。余裕はある。

 

 「なんだけど……千花達は遅いな。何やってるんだ?」

 「お待たせしました!」

 

 と言っていたら、千花が津々美を連れ立ってやって来た。……津々美だよな?

 僕が疑問になったのも無理はない。普段は掛けている分厚い眼鏡が無くて、デコが光る髪型が変わっていて、衣装もかなりラフだ。短パン、へそ出し、上はシャツ。非常に珍しい観光姿。

 僕がじーっと観察してると、気恥ずかしいのかモジモジして千花の背後に隠れてしまった。

 

 「あ、あんまり見られると、ちょっと照れ臭いデス」

 「あー御免。でも似合う似合う。イメチェン? 可愛いじゃん」

 「か、かわわっ!?」

 「ですよねー! 私もそう思います! 昨晩ちょっと気になる事があったんで話に行ったんですよ。で、少し雰囲気を変えてみようかなと」

 

 昨日、寝る間際に何か言ってたな……。記憶が曖昧で覚えていないけど……。

 

 津々美を見る。そもそも素材は悪くない。特別美形でもないけど、平均以上には美人。運動不足気味だけど太っている訳じゃない。成績も優秀。ちょっとばかり常識外れな部分もあるが、道理は弁えているし、テンションが高い以外はノリも会話も楽しめる。

 理数系的な不健康そうなオーラが一転して、夏の冒険中といったイメージになっている。

 

 「昨晩、何を話したん?」

 「そこは乙女のお話、秘密の約束でーす。いーちゃんには内緒です内緒。ですよね?」

 「はいデス。ご心配なく!」

 

 二人がそう言うならば何も言うまい。昨日より元気そうに見えるし。千花が何か相談に乗ったのだろう。ラブ探偵とか言っていた記憶がある……。…………。いやいや、まさかね。

 少しだけ心の中が(さざなみ)だったが、気のせいだ、と思い直して朝食を促した。

 

 「まあ座って食べなよ。この鮫、美味しいよ」

 「そですねー。じゃあ失礼します。ところでいーちゃん、一個右に動いてもらっても?」

 「良いけど」

 

 フォークとお皿を抱えて、そのまま一席スライドする。千花は右の空席に。さっきまで僕が座っていた場所には津々美が着席した。……両手に花だ。

 

 (……何を狙ってるんだ?)

 

 この行動が千花の作戦というのは分かる。津々美のイメチェンに、今のコレにと、昨晩からの秘密の打ち合わせが関係しているのだろう。それは分かる。良く分かる。

 

 目的が分からない。

 ちょっとだけ「もしかして」という疑問はあるが、こっちの口から出す訳にはいかない。その問いかけを僕から投げないだけの分別は持っている。

 

 千花が何故、こんなことをしたのかも、ハワイ旅行中には分かると良いな。

 と思いながら食事は進み、一行は天文台に向けて出発したのである。

 

 ◆

 

 「る!? ……え-と……【ルルイエ異本を基にした後期原始人の神話の型の研究】。「う」だ。どうぞ……万穂さんが一緒じゃないというのは、気楽な反面、ちょっと良いのかあって思う……」

 「【ヴェールを剥がれたイシス】。エレナ・ブラヴァツキー。……調サンがやってたゲームではマハトマ!ハイアラキ!と言いながら本のファンネル扱う人デスね。「ス」どうぞ」

 「ス!? ……お母様はこういう時でもないと会えないお友達が沢山なのよー。私達に遠慮しないでって言ってたわ。アメリカ本土にまで足を延ばして友人達とのパーティにも顔を出すって。……憂ちゃん! スから始まる作品何か知らない?」

 「そうですね。【水没都市】。ロックバンドの音楽作品ですが、定義は満たしているかと」

 「流石―憂ちゃん素敵―! じゃあ次は中列。シよシ」

 「あ、私答えられます! 【新本格魔法少女りすか】! カですよー!」

 「【怪物王女】。ナクアさんはセーフですよね?」

 「セーフですね。【妖蛆の秘密】。どうぞ。もう少しでマウナケアです。寒くないように上着の準備をお願いします。近くの休憩所で止まって、空気に慣らしましょう」

 「【終の空】。……しりとりは此処までかなー」

 

 やいのやいのと車内は賑やかだ。

 え、何をしてたかって? 邪神系しりとり。テーマは関係作品であることだ。車の中では時間があったので暇潰しに始めたのだが、これが中々盛り上がった。

 

 移動する大型車。座る席は三列。常の如く憂さんが運転手を務め、助手席に豊実姉が座っている。後部座席には千花と津々美とキーちゃん。僕と萌葉ちゃんが中部座席だ。珍しい組み分けだ。

 前中後の三グループ協力性。前列の憂さん、中列の僕、後列の津々美とバランスは良い。白熱したが決着はつかなかった。残念だ。

 

 マウナケア山までもう一息というところで車が止まる。前述したとおり、標高が高いので、寒くて空気もちょっと薄い。途中で上を着込み、少しで良いので空気に慣らしておくのだ。

 

 「……【終の空】って相当古いですが、私の記憶が確かなら、年齢制限付きでは」

 「あ、やべっ」

 「いーちゃーん?」

 

 千花のジト目に対して目を逸らした。いや、良いじゃん。こっそり自宅のPCでエロゲやるくらい! しかも古い奴だぞ! ……【素晴らしき日々】もやったけどな。

 

 秀知院ではさておき、由緒ある有名進学校では、何処でもエロゲー配布してたりするんだ、此処だけの話だが。教室の隅っこに大型パソコンがあって、そこから好きなゲームをDL出来るんだ。麻雀だけは禁止されているらしいが、これは『音がうるさいから』という理由である。本当だよ?

 

 「おおう、夕方だし冷えるなあ……」

 

 外に出て冷たい空気を吸い込む。

 いや昼間でも相当寒い場所だけど。この辺は雲が少ないので、太陽が沈むと放射冷却であっという間に冷え込むのだ。

 

 しかし景色は良い。太陽が沈む中、眼下では大自然が赤く染まって広がっている。

 これは写真に収めておこう。スマホを出してパシャパシャしていると、隣に千花と津々美が来た。アロハシャツの上に、長袖をしっかり着込んでいる。

 今朝から変わらず、仲が良いことで。二人にカメラを向ける。パシャリ。

 

 「三十分くらい休憩だってさ。観光地だけど二人一組行動は徹底してねって話してた」

 「じゃ、いーちゃんは津々美さんをエスコートしてあげて下さいねー」

 「……まあ、それは良いんだけどさ」

 

 千花に目を向ける。流石に、此処までお膳立てが重なると、気にするぞ。

 幾ら彼女が「良いんですよ」といっても、僕が常時OKを出す訳ではない。それこそバレンタインとは真逆の形。僕の目線に「今日だけですから!」と両手でお願いをしてきた。

 

 ……今日だけというなら、信じよう。

 切り替えて、津々美を横に置く。

 

 「……そのアクセ使ってるんだな」

 「調サンらしいチョイスですけど、私は嫌いじゃないデスね」

 

 互いに写真を撮っている時に、彼女のスマホに取り付けられた花が見えた。

 

 バレンタインデイの時の話題が出たので、ホワイトデイについても触れておこう。

 勿論、お返しをした。貰った男としてお礼をするのは当然の事だ。とはいえ雑多な寄せ集め(友人にばらまくようなタイプ)のお返しは、こっちも割と適当な品で返す。問題は、きちんと手渡しをしてくれた相手へのお返しだ。千花や、藤原家の皆や、憂さんや。その中に津々美も入っていた。

 

 『如何すればいいでしょうか?』

 『気持ちがこもっていればなんでも良い……というのは、アドバイスにはなりませんね』

 

 最初は、何か高そうなお菓子を買ってきて渡そうかな、とか思った。しかし藤原家も我が家も裕福な訳で。特に、長女から三女まで食いしん坊な藤原家。銀座で売っているような一品は、既に大体は制覇している。キーちゃんは甘い物あんまり好きじゃないし。

 

 じゃあ『何か手作りで』というのも考えたが、これは自分で却下した。最近はお菓子作りが得意な男子も増えているらしいが、僕の家庭科スキルは学校の授業でやった程度でしかない。憂さんからの指南を受けて作る、というのも無いわけじゃないが。「ないわけじゃない」程度でしかない。そもそも手料理に気持ちを入れて振る舞うのは、やれて千花で精一杯だ。

 

 となると自分らしい贈り物を、と答えが導かれ。

 

 選んだのは、本と栞である。

 本人に似合いそうな古書を一冊。そこに花をあしらった栞を一枚。それを全員分。

 

 津々美にはドイツ語の詩集をプレゼントした。そして栞は、これはただの紙ではなく、パズルのピースのように花模様の部分を外せる仕組みだ。花だけをアクセサリに転用できる。それを津々美は持っていたという訳だ。

 

 「そういう所デスよ。そういうマメな所が、評価高いんデスよ」

 「人間関係は大事にしたいだけだよ、僕は。……他人が横で不幸になってる状態で、千花と惚気るのは難しいだろう。結局は下心だ」

 「下に心があるってつまり“恋”デスよ? ……その下心に救われてる人も多いんデス。私は確かに救われマシた」

 「……なんかしたっけ?」

 「調サンの、何時も通りの行動ってだけデス」

 

 休憩所には展望台があって、ハワイの山麓が見下ろせた。

 横に並んで景色を見る。そのシチュエーションを、津々美がどんな風に受け取っていたのか。僕が代弁するのは野暮というものだ。

 休憩所を発つまでの、それから十五分の間。僕と津々美はずっと取り留めない会話を続けた。

 

 ◆

 

 津々美竜巻が、何時、岩傘調という人間を意識したのか。何時、その在り方に救われたのか。

 それは紛れもない『チクタクマン事件』の時である。

 

 (……私は作品を大事にしマス。私は、決して、あんな親みたいには、なりません)

 

 津々美竜巻は『作品』だ。見栄と称賛でのみ生きる母と、それに従うだけの愚かな父の『作品』だ。人並み以上の容姿も、相応の実家の権力も、授かった天性(ギフテッド)も、所詮は『作品』の箔に過ぎない。少なくとも、両親にとってはそうだった。

 

 だけど秀知院に通って、自分がそうではないと気付いた。周囲の皆は、彼女を彼女として受け入れた。学園の皆にとって、彼女は「津々美竜巻」だったのだ。

 嬉しかった。それだけの事がとても嬉しかった。だから津々美は()()を捨てた。

 

 自分らしくあれ。

 負い目を恥じるな。

 持った才能を使って『作品』から抜け出してやれ!

 

 だから彼女は、技術開発部に入った。自分の力を振るって、自分だけのコネを作ろう。自分の作った作品に愛情を込めよう。その作品で多くの人が笑えるようにしよう。バレンタインでドローンを作ったのも、恋愛機械『チクタクマン』を作ったのも、それが理由だ。

 

 白衣も眼鏡もハイテンションも、自分らしくあろうと素を探していたら身に着けていた。親は何も言わなかった。当たり前だ。父は、己が優秀な技術者であればいい。母は「自分に相応しければいい」。求めているのは、それだけだ。

 

 個性を学園は歓迎した。優秀且つ一風変わったマッドサイエンティストとして、津々美は受け入れられた。だから初等部から今迄の生活は、概ね満足していた。実家に帰れば嫌な顔を見ることも多いが、学園があると思えば我慢が出来た。

 

 中・高等部ともなれば、親のあしらい方も身に付いてくる。適当に相手に合わせて、向こうが満足するように振る舞って居れば何も言われない。呆れながら、心の中で舌を出しながら、津々美はそれに付き合った。全ては日常の為に、だ。

 

 だがその平穏が崩れかけたことがある。

 他でもない『チクタクマン』事件だ。

 

 (あの時、私を取り巻く環境は、全て壊れました)

 

 昇降口と備品を大きく破損させ、生徒に怪我を負わせる、危ない作品を作り上げた。

 

 その失点は、今まで積み上げてきた津々美への認識を一変させた。個性的な女として受け入れられていた世界が一転して排斥に変わった。あの時の、あの目線は、何よりも痛かった。

 

 人知れず泣いた。

 自分の居場所が失ってしまったこと。

 自分が愛すべき『作品』を、自分の手で壊してしまったこと。

 まるで周囲も、そして自分も、あの嫌いで嫌いでしょうがない親達になってしまったようで、それが何よりも辛かった。

 

 ……だけども、岩傘調は、その彼女の名誉回復に走ってくれた。

 

 誰からも取り残されて、たった一人でバックログを漁っていた自分の元に、やって来た。技術開発室から除名されかけ、誰もが自分を見て陰口を叩く、環境の中で。

 

 『……色々言われてるようだけど、津々美がやったとはあんまり考えてないんだ』

 

 『そりゃまあ千花が危ない目にあったのは、腹立たしい。だけど津々美竜巻は、僕が知って居る限りでは、そんな下らない真似をするような女じゃない。誰かを傷付けて喜ぶような性根はしていない。……そして本当に事故であるならば、その責任から逃げる様な女じゃないってことも』

 

 その時、確かこう言った。

 

 「私と一緒に居ると、調サンも疑われますよ。評価が落ちますよ」

 『今更だな。石上の時だって同じ経験をしている。そんなのは如何でも良いんだよ。罵詈雑言とか、千花と一緒に居る時の嫉妬で聞き飽きている。……だけど、知り合いが泣くのは慣れない』

 

 彼は続けた。ごく当たり前のように続けた。

 

 『一番悔しいのは津々美だろ。一番泣きたいのは津々美だろ。分かるさ。……分かるよ。だって僕だって、そうやって色々な人を泣かせてきた。――自分が作った品を、誰にも褒められないで、興味すら示されないで、それを延々と続ける。……それを味わわせたんだ。僕は。……だから津々美が、今同じ目にあってるなら――絶対、泣き止ませる。……それくらいはしたいんだよ。長い付き合いだろう』

 

 その時の、きっぱりと言い切った言葉に。

 確固たる彼の表情に、心が跳ねた。

 

 ……寂しく泣いている時に、優しくされただけと言えば、そうなのかもしれない。

 

 だけど彼は、のべつ幕なしに誰かを助ける様な人でもない。彼はきっぱりと告げたのだ。『津々美だから助けた』と。……その、ほんの少しの特別さが、嬉しかった。

 

 無事にバックログを漁り終わり、ハッキングによる、悪意ある『R・F氏』の仕業だと判明した後、彼はそのフォローと情報流布に駆け回った。

 

 『津々美は被害者だ。秀知院に喧嘩を撃った奴がいる。そいつが悪い。利用された津々美も、少しは悪いが、でも彼女が元凶じゃない』

 

 その後に、こう付け加えてくれたのだ。

 

 『なあ皆、だから謝ろうよ。誤解した奴、陰口を叩いた奴、掲示板に書き込んだ奴、全員だ。自覚はあるだろう皆? ……だから悪かったと謝って、今まで通り、彼女が笑って過ごせるようにしよう。僕が、きちんと整える』

 

 ……その言葉の通り、彼は大勢を部室に連れてきた。本当に謝りたいと思っている人を見抜いて連れてきて、津々美との関係を修復してくれた。そうして再び自分の世界を取り戻してくれた。

 

 彼が居なかったら、きっと彼女は――学園に来る前の、寂しい世界に逆戻りしていただろう。

 あの時、津々美竜巻は、岩傘調という存在の意味を知ったのだ。

 自分の世界にとって、どれだけ大事かを悟ったのだ。

 

 (……知ってますよ。分かってます。だって千花さんが居ますから)

 

 けれども、それは表には出せなかった。出すつもりもなかった。

 

 藤原千花もまた、友人だ。長い付き合いだ。何かと関係は深い。互いに色々とお願いをしたりしなかったりする間柄。岩傘調と藤原千花の関係は、学園に少しでも長くいる者ならば知っている。津々美が割って入れるような物ではない。割って入りたくもない。だって彼は、藤原千花と一緒に居る時が、一番楽しそうで、幸せそうだったのだ。

 

 『僕は千花と惚気る為に、周囲も幸せにしたいの』。

 

 その言葉の通り、見ていれば満足だった。楽しかった。幸せだった――筈、なのに。

 ……世界が輝いたからこそ――対極(親の命令)は、堪えた。海外へ行け。手続きは済ませておく。それが(お前)にとっての幸せだ。

 何よりもその言葉に従えなかった。そして心に、二つの気持ちを抱いてしまったのだ。

 

 幸せを(お前)が決めるな!

 私の世界に、彼に居続けて欲しい!

 

 気付けば、津々美は荷物を纏めて家を出て、彼の家に逃げ込んでいた。

 そして今、藤原家と共にハワイまで足を運んでいる。

 

 (……女々しいデスよね。馬鹿デスよね。……千花さんにまで、気を使って貰って)

 

 「……どうした津々美、天文台に向けて出発するけど」

 「いえ。何でもないデス。楽しみデス。星に願いを込めるのが。……お願いがあるのデスが」

 「うん?」

 「名前で呼んで貰えないデショウか?」

 「竜巻。――行くぞ竜巻」

 

 その言葉に、自分の顔が綻ぶのが分かった。

 心に抱いたこの感情は、叶わない願いだ。

 だけど、この一週間は自分に残された最後の時間だ。

 その時間を、せめて思い出にするくらいは、許してくれるだろうか。

 もしもの可能性を、夢見ても良いだろうか。

 

 「はいデス。行きましょう調サン!」

 

 そうして彼の腕を取ったのだ。

 

 今だけ。

 今だけで良い。

 浮気をさせるつもりも、心を寝取る気もない。

 だけど少しだけ――甘えさせて欲しかった。

 

 だけど私は、知らなかった。

 

 親の『愛情』が、すぐ傍まで迫っているということに。

 今の幸せは、ほんの少しの、誰かの執念で、意図も容易く奪われてしまうことに。

 

 所詮私は、あの親達の『作品』であるという事実から逃げることは出来ない。

 

 その事実が突きつけられるまで、後、一時間。




次回「岩傘調は逃がしたくない」

更新予定は、明日か明後日です。


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岩傘調と藤原千花は逃がしたくない*

第二の試練もそろそろ佳境。

では、どうぞ。


 岩傘調の藤原千花への惚気、およびその為の下準備や努力は余人の知るところである。

 しかしこれにはもう一方の側面がある。即ち『藤原千花が女子からどう思われているか』という視点だ。

 

 もしもの話をしよう。もしも岩傘調が存在せず、生徒会役員が四人のみであり、藤原千花が迷走と混沌を呼ぶ危険物Fでしかない場合、彼女に対しての恋愛相談は、限りなく少なかったであろう。『絶対地雷踏むから相談できない!』と。

 いや無論、彼女が持つ『ラブ探偵チカ』の才能はそのままであろう。だが、肝心な場所で割り込むわ、要の部分で外すわ、仲悪い様子を見て『本当は仲が良いんだな』と判断できないわと、平たく言って邪魔(酷い言い方だ)な側面があるのは否めない。

 

 否めないのだが、それは遠い世界の話。

 

 のべつ幕無し、延々と恋愛脳である岩傘調の影響もあり、藤原千花もまた大幅に成長していた。

 少なくとも同学年の中で、何か恋愛での相談がある場合『彼女に行けば良い』と言われるくらいには。

 その知略を全力で岩傘調への攻撃にすれば、彼を翻弄する悪魔的な作戦を立てられる位には。

 そのレベルたるや、四宮かぐやが『完全に私は藤原さんに負けていたのね』と実感してしまう程だ。

 

 さて、これはまだ夏休みが始まる前の一風景……。

 

 「今日は藤原さん手弁当なのですね」

 「そうでーす。いーちゃんも一緒の内容です。頑張って作ったんですよー」

 「藤原サンの、手作りデスか」

 「そうなんです。毎日は無理ですけど、少しは修行しないとなって」

 

 四宮かぐや、藤原千花、そこに同席していたのは柏木渚と津々美竜巻だ。クラスは違うが、ここ最近、彼女達は距離が近くなった。四人が四人とも『チクタクマン』事件関係者である。

 

 岩傘調が津々美への、生徒からの悪評撤回に走った後。藤原千花は、以後の予防を自然とこなしていた。被害者である三人が仲良くしていれば、津々美への()撃も止んでいく。

 一部の生徒(マスメディア部とか)が羨ましそうにハンカチを噛み締めている事など知らず、四人の女子高生の話は弾んでいた。

 幾つかの話題の後、内容は藤原千花のお弁当の話になる。

 

 「修行、ですか」

 「そうですよ、かぐやさん。修行、花嫁修業です。人のお世話をするのは嫌じゃないんですよ私。お母様から『精魂を詰めすぎると長続きしないから習慣になる程度にね』って言われてるので、まずはお料理からです!」

 「美味しそうですね。おかず交換しませんか? 藤原さん」

 「良いですよー。ではこのハンバーグを上げましょう!」

 「(……あら、このやり取り、前にあった気がしますね)」

 

 かぐやが『あの頃はまだ季節が変わったばかりでしたね……』と思い出している横、藤原千花は、ハンバーグと豚角煮を交換している。

 弁当の中身は、ちょっと荒い部分はあるが大体きちんと出来ていた。卵焼きが焦げていたりとか、野菜の歯応えがちょっと強かったりとか、紫蘇がちょっとしょっぱそうだとか、その位である。一口食べた柏木は『あ、美味しい』と頷いた。

 食べてくれる人の顔を思えば、食事は丁寧に作る。当然だ。

 

 「私は購買のサンドイッチ、デス。むむむ、交換できるものがありまセン」

 「では此方をどうぞ。ポテサラです。これなら食パンと一緒で美味しいですよー」

 「頂きマス。……藤原サンは良いお嫁さんになりマスね。良い味デス」

 

 実際、藤原千花の世話焼きスキルは高いのだ。単純に、昔から岩傘調の世話を焼いている内に身に付いたというのが大きい。実際、かぐやの預かり知らぬ場所で、彼女は岩傘調と共に白銀御行の教育に奔走してもいる。その様子を見て、津々美は羨ましそうに呟いた。

 それを耳聡く聞きつけた書記である。

 

 「えへへ、すみません。最近、色々出来る様になって、はしゃいでるみたいです」

 「成績も上がってましたね。私も翼君と一緒に勉強をしていますけど、藤原さんは岩傘さんが見てくれているって聞きました。それで揃って成績アップ、凄いですよー」

 「そうなんですよー。……調さ……。……この顔ぶれなら良いですか。いーちゃん最近色々頑張ってるんです。だからって訳じゃ無いですけど、なんか張り切ってる姿を見ると応援したくなるじゃないですか。好きな人の為に頑張る姿、私好きなんです」

 「藤原さんが、そういう風にガンガン主張するのは珍しい気がしますね」

 

 親友:四宮かぐやの指摘に、彼女は『そうですね』と頷いた。

 

 「アレは普段はいーちゃんが矢面に立ってるんですよ。……フランス姉妹校との歓迎会、あったじゃないですか。バレンタインのイベントでも良いです。いーちゃん、あーいう時ちょっと気合入れてやってるんですよ。本当はあんまり賑やかなの得意じゃないんです」

 

 「そういえば昔は本ばかり読んでマシたね。いえ、今も乱読家デスけど」

 

 「そうですよ。津々美さんは当時同じクラスだったので知ってますか。本当はあの人は、自分で盛り上がるんじゃなくて、皆が盛り上がってるのを見て喜ぶタイプなんです。ですけど! 私だけが盛り上がると色々言われるじゃないですか。TG部って悪評もありますし。――だから、いーちゃん、自分で前に出て惚気てるんですよ。矢面に立って風避けしてくれてるんです。実際、二人きりだと静かにイチャイチャしてますもん」

 

 「イチャイチャしてるのは否定しないのね……」

 

 しません! と彼女は親友に頷いた。

 爛漫な笑顔だった。

 今の関係も、今の環境も、楽しんでるんですよ、と彼女は友人達に告げた。

 

 「いーちゃんは私が一番ですけど、私以外を蔑ろにしませんから。蔑ろにしないで、私を一番に扱ってくれますから。だから私も、それに乗らないとダメじゃないですか。周囲を不幸にするのはダメです。自分で言うのもなんですけど、(あっし)どーも人気あるようですから? 笑ってようって」

 

 だから、藤原千花もまた、周囲が笑顔になれるように頑張るのだ、と。

 

 「自分で言うものかしら、それ? ……(でも私も救われたのよねそれに)

 「良いじゃないですか、こういう場所でくらい。思い出とかエピソードなら山ほどあります! どれも馬鹿で抜けててドジで笑い話になるネタばっかりですけど、そーいうの積み重ねてきたんです。喧嘩したことも沢山ありますから。仲直り方法も色々あります。無いといえば……」

 「無いと言えば、なんデス?」

 「円満に別れる方法は分かりませんね」

 

 今思えば、最初に柏木さんが来た時の相談に、完璧な答えを出すのは無理でしたー。

 との言葉に、周囲に居た全員がそうかもねと頷いて、和気藹々とした昼食は続いていったのだ。

 

 ――そして今。

 自室に、藤原千花が来た時、津々美竜巻は何故かそんな一幕を思い出した。

 ハワイ。アルバイトとして雇われた彼女は、藤原家に同伴して、この島にやって来ている。

 

 ◆

 

 岩傘調はネットサーフィンを切り上げ、部屋に戻っていった。入れ違いで、来たのだ。

 空気が張り詰める音が聞こえた。

 それを破ったのもまた、藤原千花だ。彼女は手を振って「まあ落ち着いて話をしましょう」と切り出す。顔に浮かべた微笑みは、決して無理をしている物ではなかった。

 

 「そんな緊張しないで良いですよ津々美さん。別に怒りに来た訳でもないです。隠さないでも良いです。私、どうも前よりセンサーが敏感なので。いーちゃんの事を考えてるからかもしれません……。いーちゃんが浮気したのと、津々美さんが横恋慕するのは、別の話です」

 「あの、分かっていマス。ルール違反デスから……。あの、すっぱり諦めるので……」

 「諦められます?」

 

 言い訳を重ねていた津々美は、顔を上げた。

 優位に立つ女として、見下しているのではなかった。至極、真面目な顔だった。

 

 「共通ルール。まず第一に、私といーちゃんは、周囲に不幸を撒きたくありません」

 「いえデスが……」

 「そしてもう一つ。別れる相談は出来ません。でも恋愛相談には乗れます」

 

 藤原千花は、そうするのが当然であるというように津々美を見たのである。

 

 「いーちゃんの事が気になるって女の子は、()にいますから……。稀ですけどね。でもその女の子を相手に、私が毎回喧嘩を売ってるとか思います?」

 「……いえ。千花サンなら、それはしなさそうデスね」

 

 はい、ですので単刀直入に言います、と津々美に、彼女は告げたのだ。

 

 「告白をしましょう。全力でやりましょう。全力で私がお膳立てします」

 

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 冗談ではないかと思った。

 

 「……はい?」

 「正気で本気で言っています。……彼氏がいるからって諦められる人なら良いんですよ。でも津々美さんの()()は、違うでしょう。――好きになる権利には、誰にもあります。そして告白する権利も、誰にだってあるんです」

 

 「で、デスけど」

 

 「恋敵ですよ。分かってます。――そして更に言うなら、……そうですね。ある意味、非常に酷い提案をしている自覚もあります。だって私、心のどこかでは分かってるんです。いーちゃんは私を選ぶ。分かってます。分かってますよ! ……でも、だからって津々美さんを放置とか出来ません」

 

 彼女の言葉は、真剣だった。何より真っすぐに津々美を見て居た。

 その顔が強張っているのは、彼女の覚悟に他ならない。

 女性の友情が破壊される最大の理由は男だという。恋愛強者がそれを知らない筈がない。

 それでも自ら切り出した。其処に、津々美は断固たる意志を感じ取った。

 

 「見て見ぬふりは出来ません。それは友達が、私の好きな人に向ける感情でも同じです。――此処で知らないと言ってしまったら! 此処で関係ないと突き放してしまったら! ……私は、この先、後悔します。友人を応援出来なかったんだと後悔をします。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と自嘲します。人生はゲームじゃないんです。イカサマで胸を張れないのは御免ですよ」

 

 「……だから、私を応援するのデスか」

 

 「します。津々美さんがフラれるまで応援します。勿論、私も一緒に行動しますけど。出来る限り気は使います」

 

 「……私を応援しない罪悪感と――」

 「フラ()()罪悪感の違いですか? ありゃしませんよ。大きな違いなんて。――どっちを選んでも辛い道です。でも私は決めてるんですよ。何回も、言ってるじゃないですか」

 

 藤原千花は、岩傘調の口癖を真似る。

 

 「惚気る為には、周囲が幸せであって欲しい。――私も同じなんです。……私は、いーちゃんが、周囲を幸せにしたいと願うなら、それを手伝います。……もしも!」

 

 はっきりと言葉に思いを込めて、彼女は津々美の前に、壁となって立ち塞がる。

 否。それは壁では無かった。明確な経験と成長の差であり、女としての完成度の差だ。

 

 「もしも、此処で何もしなかったら、私と津々美さんは互いに心残りを抱えたままになります。現状維持で、何にもなりません。ですけど、津々美さんが一歩踏み出したら、その先の結果は変わります。泣いた後で、笑える道が、私は欲しい」

 

 違いますか、と彼女は言った。

 恋愛で傷を負わない事なんか出来ない。告白や感情で苦しむこともあるだろう。

 だけど笑う為には、どこかで何かを乗り越えなければいけない。

 

 「――恋する乙女は強いと言います。ですが千花サンは恋も愛も知っているのデスね」

 「伊達にあの惚気ずーっと付き合ってる訳じゃないんですよ」

 

 津々美竜巻は、理解した。彼女にとって岩傘調と惚気る事と、彼への恋路を応援することは決して矛盾しないのだ。それは自信――岩傘調は己を選ぶという確信――ではない。

 

 過去に何回も、会話や喧嘩を彼と積み重ねてきた結果、彼女が掴んだ『絆』の在り方だ。

 藤原千花は知っている。好きな人と一緒に居られない辛さを知っている。誰かを選ぶ代わりに誰かを選ばない辛さを知っている。……津々美竜巻が知らない物を、知っている。

 

 「……甘えて、良いデスか。藤原サン」

 「千花で良いです。良いです。甘えて頼って下さい。……フラれた津々美さんと一緒に泣きましょう。私もその足でいーちゃんの元に行って、辛かったって泣きます。だから」

 

 勝負も何も、最初から藤原千花が負ける可能性はない。

 

 ……冷酷だ、傲慢だ、偽善だ、侮辱だと、藤原千花を表現する言葉は幾らでも出てくるだろう。彼女がしている事はそういう事だ。この話を誰かが聞けば、必ずそう言って蔑むだろう。……だが、それを受ける覚悟で彼女は、津々美の元にやって来た。

 

 ――その真っすぐ見る目は。……私が欲しかった物デス。

 

 本当に羨ましいと思った。

 良い母になるだろう。だって本気で案じている。

 

 自分が此処で『ふざけないで下さい何様のつもりですか!』と叫んでも、それを受け入れる。

 その強さがある。

 

 その愛情は、津々美が欲して止まなかった物だ。

 自分に対して、見てくれて、未来を案じてくれて、笑える可能性を増やすために考える姿だ。

 ずっと欲しかった物。

 

 「……千花サン、頼ります。頼らせて下さい。……頑張りマス」

 

 だから津々美竜巻は、藤原千花の提案に乗ったのだ。

 

 ◆

 

 けれども悪意は、何時だってそんな決意を嘲笑う。

 

 ◆

 

 マウナケア天文台群。正確に言えば山頂付近ではなく、その一キロ下(高度である)の、一般人が車でやってこれるよりちょっと先くらいの広場に付いた時は、もう良い時間だった。

 

 天文台そのものは山頂、標高4200mの近辺にある。当然ながら研究者の宿泊施設とかはその下にある。標高3000mほどの位置が、観光客も訪れる名スポットだ。

 厚着をした僕らは、頭上を見ないように意識しながら、地面にシートを敷く。

 そうして寝転がった。

 

 

 「……わぁ……」「……凄い……」「うん、凄い」「……綺麗デスね……」「………はい」

 

 簡単な言葉しか出ない。語彙力が溶けてしまう。それ程の絶景があった。

 雲一つもない夜空。月と星だけの世界。風も穏やかな天文台の近く。誰もが皆、言葉を失って空を見て居た。チープな感想しか出てこないほどに、輝く星空が其処にあった。

 

 吐く息が微かに白くなるような気温なのに。

 ともすれば空気の薄さを感じてしまう高さなのに。

 

 手を伸ばせば届きそうな距離に、星が一面に散らばっている。月が小さく輝いている。銀河系の中心、天の川が輝いている。流れ星が見える。宝石のように、綺羅星のように、天に吸い込まれるような光が広がっている。遥か遠くにある、星が生きている証拠が、ある。

 延々と見て居られる景色だった。

 そのまま朝日が昇るまでずっと見て居られる景色があった。

 

 「……止め時が見つからない」

 「私もです……。……そういえば、少し先に、広場があるんですよ。行きません?」

 「……治安的に少し不安だけど……夜20時か……大丈夫かな……」

 「別に遠くじゃないです。……あそこですよ」

 

 と指で示された先、数十メートルほど先に、確かに幾つかのベンチがあった。街灯は無いが、なくても問題がない程に星が明るいから移動に支障はない。憂さんとキーちゃんなら何かあれば飛んでくるだろう。

 じゃあ、ちょっと行ってみるか。

 そう思って起き上がり、件のベンチまで来て、腰かける。座って星を見るのもまた良い物だ。そうだよな千花、と、僕に続いて隣に座った相手に話しかけ――。

 

 「……御免、てっきり千花かと」

 「いえ、千花さんが背中を押してくれたのデス」

 「背中ね……」

 

 隣に座ったのは津々美だった。その顔が決意に満ちているように見える。いや、見えるのではない。何かを決意しているのだ。

 

 ……今朝から今までの流れで察せない程、僕は鈍くない。

 確かにシチュエーション的には、これ以上のないうってつけの状況だ。

 

 ……無論。無論だ。()()()()()()()()()()()。でも僕から先にその言葉を言うつもりは無かった。全ての言葉は、津々美竜巻の意志によって紡がれなくてはならない。

 

 「あの、調さん。岩傘、調さん。話したいことが、あります」

 「はい」

 

 僕は彼女に目を合わせた。津々美は、口を開きかけて。

 

 「失礼、ミス・竜巻ですね? ああ、よかった。見つけることが出来て安心しました」

 

 割り込みが、入った。

 

 ◆

 

 突然に、唐突に、見計らったかのようなタイミングで、邪魔をしながら、声が割り込んだ。

 同時、僕と津々美を取り囲み、隔離させる警備員らしき男達が集まる。

 

 中央、津々美に話しかけたのは、研究者と思わしき女性だ。顔立ちは東洋人の美女。胸元には研究員らしき証明書を掛けている。流暢な英語で、彼女は続ける。

 

 「おい! 今、取込みちゅ」

 「ええ! 私達は貴女を探していたのです。外ならぬ()()()()()()()によって」

 

 空気が固まった。僕の「取り込み中だ」という言葉以上に、津々美の顔が、凍り付いた。

 

 言葉の意味は分かった。ああ、分かったとも。津々美の両親が、津々美を確保しに動いたのだ。だが何故今だ。何故このタイミングだ! 思わず一歩出て、警備員と女を振り払おうとする。

 ほぼ同時に、異変を察知した憂さんとキーちゃんが飛び込んできた。

 

 「何者かは知りませんが、加減が利くとは」

 「思わないで!」

 「おっと、国際問題になりますよ? 我々はアメリカ国民ですから」

 

 二人の頼れる戦力が警備員達を薙ぎ倒す前に、女の口から言葉が出た。

 

 拳が、止まる。

 その隙を突き、白衣の東洋人は、微笑みながら津々美にゆっくりと腕を伸ばして、確保する。

 くすくすくすと微笑む。そして何処からか()()()()()()()()()()口元を隠した。

 

 「流石は日本屈指の名門校。手出しする危険性を理解しているようで何より。――先程もお話しをしましたが、私達は津々美家のご両親からのお願いで、ご息女を確保する約束をしました。正式な注文です。部外者は貴方達の方だとはご理解いただけますね」

 

 その証拠が此方です、と女性はタブレットを見せる。それのどこが証拠になるんだ、とは言えなかった。

 津々美の表情が何よりも明白に語っていた。写真と署名、更には音声まで。一切の加工や偽造ではない。『間違いなく自分の両親が、自分を捕まえる様に頼んだのだ』と告げていた。

 

 「……事情は分かった。だが数分で良いから寄越せ。まだ話が終わっていない!」

 

 「こちらの話はありませんよ。ご両親の主張はこうです。『大事な娘をかどわかして誘拐した人々から取り返して下さい』――貴方達を誘拐犯だと呼ぶ気すらあるようですね。まあ政治家とマスメディアを相手に、その辺の芸能人上りに、何が出来るかは、私でも失笑する話ですが――しかし、此処で暴れたら拗れますよ。ねえそうでしょう津々美竜巻さん、貴方が余計な抵抗をすれば、どうなるか、お判りでしょう?」

 

 「聞くな津々美竜巻! こんな連中が来た時点で平穏な旅行は壊れたも同じだ! お前が消えても、そのまま旅行が継続するなんてことは無いぞ!」

 

 僕の言葉に、はっとして顔を上げた津々美。

 

 ああ、はっきり言ってやろう。さっきまでの余韻はぶち壊しだよ!

 茶々を入れやがって。融通を効かせることもなく、こっちの話を聞こうともしない。そんな連中を相手に遠慮する必要がどこにある! 満天の星空というムードは消えた。津々美への醜いエゴが形になって襲い掛かってきたそれを、何故迎撃してはいけない!

 

 だが女は意に返さなかった。聞き流し、抵抗しようと動いた津々美を指一本で抑え込むと、その顔を覗き込む。そうして一言だけで()()()

 

 「夢は夢のままの方が、良いでしょう?」

 

 たった一言。その囁きで、津々美の身体が大きく強張った。

 

 その顔が、余りにも痛そうだったから、僕は虚を突かれた。この時、何か指示をしていれば、直ちに優さんとキーちゃんは、警備員達を投げ、制圧し、津々美を強引にでも確保しようとしていただろう。……だけど出来なかったのだ。

 代わりに、僕の傍らに来ていた千花が、凄い剣幕で吼えた。

 

 「……津々美さん。――話をしましたよね。……逃げるんですか」

 「……っ。……それハ」

 「私が何のために、貴方の部屋まで行ったと思って『ストップですよ』」

 

 パン! という鈍い音がして足元の瓦礫が()()した。

 

 千花も衝撃に思わず黙り込む。見れば地面の瓦礫に、女の黒扇子が突き刺さっている。僕らの見ている前で、地面に突き刺さっていた扇は、しゅるしゅると蛇のようにのたうつ組紐に引っ張られ、女の袖に戻っていった。憂さんが微かに呟く。――合気……鉄扇柔術……と。

 この女、戦闘力も相当あるらしい。憂さんが本気モードになって、キーちゃんを下げる位には。

 

 「ストップですよ。――『依頼人(クライアント)』からは『余計な話を吹き込んで惑わさないで欲しい』とも言われていてね、会話をさせてあげる気もないんですよ」

 

 にこやかな言葉だったが、その場の僕らは悟った。

 『脅しだ』。この女は「それ以上言うと怪我をするよ」と言っているのだ。

 それでも一歩前に出た僕の腕を――正確に言えば、手首を掴む。関節部分を、ぎゅうと。

 

 「其方の手練れは二人のみ。観光客と年端もいかない娘さん達は守れません。――加えて此処は私達の国。立場を弁えることです……ねぇ……?」

 

 見た目に反して、強い握力だった。響く痛みに、それだけで動けなくなった。この女の方が傷害罪じゃねえか。思わず睨んだ僕の視線を、女は舐めるような瞳で受け止める。

 至近距離でのメンチの切り合い。

 

 それを僕が先に逸らしたのは、津々美が一歩、僕から距離を取ったからだ。

 

 「……止めて下さい。素直に従います。――ですから、皆に怪我はさせないで下サイ。……もう、良いんデス。良い機会デシた。ほんの少しの思い出で、十分デス」

 「津々美……?」

 

 そんな顔をして、何を言っている。

 肩を落として、息を吐き出した彼女の顔は、何か大事な物を諦めた顔をしていた。

 

 「……楽しかったんです。どうせ先延ばしにするだけで、きっと親からは逃げられマセんから」

 

 そんな目をして、何を話している。

 お前はもっと、テンション高く、不敵に笑って何かをするような女だったはずだ。

 

 「だから、この楽しかった思い出で、私は満足です」

 「――ざけるなぁっ!!」

 

 千花が叫んだ。僕よりも凄い形相だった。だけど津々美は、笑った。静かなその笑顔は、僕が見たことがない儚い笑顔だった。何かに謝るような顔だった。

 ……そんな顔をさせて、放っておけるかよ!

 

 「津々美竜巻! 貴方は! 私達が、何を思って行動しているか知っている筈! それを」

 「千花サン。――ご迷惑をおかけしました。気遣い、嬉しかったデス。……忘れません」

 

 千花が呼ぶ。その千花にも、首を振って拒絶を示して、津々美は背を向けた。

 

 小さくて震えている弱弱しい背中だった。ほんの僅かの距離。だというのに、この邪魔者達に阻まれて届かない。僕らが無鉄砲で、秀知院のような立場を持っていなくて、単純な力があれば、届いたのかもしれない。だけど。だけれども。

 

 嘲るような黒扇子の女の言葉の通り、暴れても何にもならない。分かってしまった。

 萌葉ちゃんや豊実姉を、藤原家の護衛さんが守り、憂さんとキーちゃんが暴れたとして。この女を制圧するのも一苦労。その時間で、全ての趨勢は決する。

 そう。たった一言『ここは日本じゃないんだよ』の一言で、全ては決してしまうのだ。天文台の職員が、アメリカ国籍のこの女が、僕らを訴えれば、それこそ取り返しがつかない。

 

 震えて立ち尽くす僕を見て、満足そうな顔をした女は、僕から津々美へと身体を向ける。

 そのままエスコートをするように、車へと乗せた。

 

 「……さよならデス。千花さん。調さん」

 「では、引き続き、良いご旅行を」

 

 そのまま、車は去っていった。

 僕の前で、津々美竜巻は――遠くへと無理やり、連れ去られていった。

 

 最後に、津々美の口が動くのが見えた。

 ごめんなさい。と。

 泣きながら、謝っているのが見えた。

 

 ◆

 

 「……いーちゃん!」

 「ああ。……くっそ、どうする。何をすれば良い? まず何からすれば良い!?」

 

 頭が混乱する。連中の正体、津々美を確保した経緯、情報の漏洩、地の利、時間、今後の見通し。その他あらゆる要素が不透明すぎて何をすればいいのかも分からない。

 突っ走って助けに行くには、余りにも八方塞がりだ。

 下手に動いて警官に捕まるのは何としてでも避けねばならない。

 

 「落ち着いて下さい。……連中の正体なら、分かりました」

 「本当ですか憂さん!」

 

 ええ、と頷く彼女は、すっと社員証を取り出した。

 

 「さっき、警備員の胸元からスリました。あの連中が何処なのか、これで分かります」

 

 慌てて憂さんから社員証を受け取り、そこに書かれていたパーソナルデータを確認する。

 

 『カルテクサブミリ波天文台』の研究員。

 他の情報よりも早く、僕はその一文で理解する。何故、このタイミングで津々美を回収しに来たのか。何故彼女の居場所がばれ、彼女を確保しにハワイの学者たちが動いたのか。

 頭の中で多くの情報が整理されていく中、何より最初に出てきたのは、罵声だ。

 

 「……あんの野郎……! あの女ぁっ!!」

 

 例え四宮家の保護下に入っても、彼女の家に迷惑を掛けないだけで、嫌がらせと愉悦、そして事件を引き起こすのを辞める気はないらしい。

 

 分かっていた筈だった。

 邪神としての恐怖は既に無い。ポンコツでアホな高校生に過ぎない。

 だがアレで終わる女ではないと。

 

 自分で承知していたじゃないか。『また何れ動き出す』と。

 それが夏休みになっただけだ。

 

 カルテクサブミリ波天文台。

 運営――()()()()()()()()()()()

 

 技術開発部に所属したあの女が、津々美の親との中継役をしやがったのだ!

 言葉にならない憤怒の感情と共に、僕は拳を、己の膝に向けて振り下ろした。

 くそったれめ!

 

 

 ――だけど、負けて吼えてるだけでは何も変わらない。

 

 ――僕は必死に頭をクールダウンさせ、方法を捻り出す。

 

 ――僕ら一人で無理なら。此処に居る皆だけでは無理なら。

 

 

 提案に頷いた千花は、直ぐに手配を終えてくれた。千花も頭に来ていた。ご立腹だった。瞬く間に万穂さんを説得して了承を取りつかせ、有無を言わさない勢いで行動した。

 

 二日後。夕方。ハワイ・コナ国際空港。JAL通用口。

 そのゲートに近い座席に座り、僕は拳を握って待っている。

 

 生半可な方法では、どうにもならない。一応、一つだけ手は打った。だが時間が足りない。

 思い出すのは、黒い扇の女が告げた言葉と、その時の津々美の表情だ。

 

 ――夢は夢のままの方が良い。

 ――もう、良いんデス。良い機会デシた。ほんの少しの思い出で、十分デス。

 

 十分の筈がない。彼女の顔は語っていた。同時に、諦めてしまったように乾いていた。

 その瞳には、高いテンションは無く、普段の彼女らしさは無かった。あそこに居たのは、唯の『作品(にんぎょう)』だ。ともすれば四宮かぐやを彷彿させるような、指示されるだけの物。

 

 あれが津々美であって堪るか!

 

 僕は己に問いかける。

 

 許せるか? 否。

 

 放置しておけるか? 否。

 

 このまま彼女に手を伸ばさずに終わるのか? 否。

 

 否だ。どんな答えを出しても答えは否。このままで終わるか。このままで終わらせるか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()なんて、分かっている!

 ああ、分かっているさ。だけど彼女はまだ()()を言っていない。邪魔する権利は無い。誰にだってない。

 

 結果が分かっている答えを要求するのが残酷だ?

 

 ――そんな訳があるか!

 

 ありもしない希望が、あるかもしれないと嘯かせる方がずっと残酷だ。

 

 ――僕の答えは、決まっている!

 

 だけど。決まっているからこそ、言わなければいけないのだ。

 言う権利が津々美竜巻にあるならば、それに対して返事をする権利は、僕にある。

 飛行機が到着する。観光客の中に混ざって出てくる目当ての人物達を、出迎えた。

 

 「事情は説明をした通りです」

 「ハワイで俺達に何が出来るとも思えんがな。チケットを手配までされて頼まれたら断れん……家族全員分とはな」

 「会長の言う通りですが。ええ、ですがやり方はあるという物。四宮の名に掛けましょう」

 「……早く、終わらせましょう。僕は帰ってVRを買いたいんで」

 「待ってました……! さあ、行きますよ! 津々美さんを助けに! 私今、すっごい怒ってるんです!」

 

 そこに居たのは、白銀御行と、四宮かぐや。そして石上優。

 

 これならば、きっと。

 確証はないけど、その頼れる友人達を見れば、負ける気はしなかった。

 

 待ってろよ、津々美。

 僕と千花が、お前を悪夢から覚まさせてやる。




夢を見る権利は誰にでもある。
夢から覚める義務は、夢見た人間が背負わねばならない。

Q:ではなぜ人は夢を見るのかって?
A:――――――――――――――




PS:クルーシュチャって物凄く嫌な奴だなと筆者も思った。


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岩傘調は守りたい*

大幅に遅れてごめんなさい!
これも全て『灯争大戦』とGWって奴が悪い……!

これからも無理しない範囲で楽しく書いていきます。

では、どうぞ!


 夜闇の中である。

 街灯も殆どない、月明かりと星灯りしかない一角の中、肉を打つ音が響く。

 

 影の中、二つ。それは人の形をしていて、動きは鋭く、互いに迫ったと思えば離れ、何かを投げたと思えばそれを回避し、相手の一撃に対してカウンターを当て、時として力で、時として技を持って絡み合う()()()だ。

 

 片方は、俊敏性に加え、巧みな足さばきを持って距離を詰め、相手の拘束を狙う。もう片方は射程距離を生かし、巧みに相手との間合いを維持する。

 何度目かの激突の後、片方は、呼吸を深くし、構えながら告げた。

 

 「『黒い扇子』を持った東洋人の美女。……此処に来て、()()()ですか」

 

 全く厄介ですね、と彼女は確認する。

 しゅるり、と女の元に戻っていく黒い扇。蛇のようにのたうつそれが、相手の獲物だ。鉄扇柔術と鞭技の組み合わせといったところか。力では倒せない。技量によって制さねばならない。

 

 優華・憂は、対面する女を見る。つい先日は、彼女からの『建前』を前に引き下がるしか無かった。しかし今は違う。此処に居るのは己と彼女だけ。天文台の中に、岩傘調と、秀知院の生徒会メンバーは()()()に入り、津々美竜巻の元に向かっている。

 

 あれから四日後の夜。彼女は此処で、この女の、足止めを任されていた。

 背後には愛弟子たる岩傘響を待機させてある。周囲は、誰かが来ないよう早坂愛が手配済み。

 

 生徒会の面々に暴力事は似合わない。出来て四宮かぐやが護身術を嗜んでいる程度。そう言う荒事は、自分ら専門家の仕事だ。

 

 ……一行は真正面から天文台に入った。そして天文台の職員には、何ら危害が及ぶことはないだろう。調べたら、この女が研究所に来たのはほんの数日前だという。あの場の指揮を執っていたのはこの女だ。他研究員が詳しい事情を知っている様子は無い。

 

 であれば、これを封じれば、邪魔は限りなく減る。

 彼女が単独行動になったところで、闇討ちし、助けを呼べないようにタイマンに持ち込む。それで連絡をさせないように動く。余計な茶々は入らない。警察の介入なんか起こさせない。

 

 「一人目は『チクタクマン』と《R・F》。二人目はイクサ・クルーシュチャ。そして貴女が三人目です。――黒い扇の東洋人『膨れ女』」

 「……へえ」

 

 感心したような言葉だった。けれども、声には何も感情が籠っていなかった。

 

 『膨れ女』。『膨らんだ女』とも呼ばれる存在。大きな黒い扇を持った絶世の美女だが、それは見せかけの話。実際は体重300キロを超える肥満の女だという。《R・F》氏も、イクサ・クルーシュチャも、カテゴリは『人間』だ。邪悪なニャルラトホテプと名乗っているが、実際は比肩しうる頭脳と邪性を持っている者。というだからこの女も人間で良いだろう。

 本名も調べてある。しっかり《R・F》というイニシャルだ。

 

 憂の言葉に、女は乾いた笑顔を浮かべる。分かっているのに喧嘩を売ったのか? と。

 

 扇を広げ口元を隠す東洋人は、嘲笑うような瞳だ。それを受けても、憂の中に動揺は無かった。目の前の存在は、人間の形をしていて、人間の様に思考し、行動する。これで本当に身の丈数十メートルで三本足で顔がなくうねうねうぞうぞしていたら、流石にちょっと対抗手段を考えた。が、……今はそうではない。イクサと同じで、地味な痛みも通用する。

 

 ならば倒せる。

 先ほどからの戦いで、手応えがある。精神性が異常でも、身体へダメージは通っている。でなければしつこく黒扇を駆使して己に攻撃を繰り出してはきまい。

 

 「何処まで異能があるかは知りませんがね……。この世界に居る以上、物理存在でしょう。そして目の前に形があるなら何も問題はありません。それが仕事ですから」

 

 イクサ・クルーシュチャが手配をした『同族』。さてどんな関係なのか、事情を知りたい気持ちはある。だがそれは己の仕事ではない。調査は、今、天文台で、暴力とは全く違った形で戦っている皆に任せよう。

 優華・憂は、無言で懐から『それ』を取り出す。慣れた手付きで両手に二丁。

 

 「さて()()ニャルラトホテプさん」

 

 ご存知ですか? 私、元々中東の紛争地帯で生きていた、少年兵ですよ?

 此処はハワイ。合法的に手に入る。

 ――消音機(サプレッサー)付きの小銃。既に弾丸は装填済みだ。

 

 「自慢の扇で、何処まで出来るか、見せて頂きましょう。私も、怒っていますので」

 

 ◆

 

 当たり前だが、天文台に物理的&暴力的に殴り込みなんかできる訳がない。不法侵入でお縄になるとか冗談じゃない。飽くまでも正式な手続きと題目を持って入り、津々美を回収するのだ。

 

 作戦を立てる必要があった。

 生徒会メンバーと合流後、ホテルの一室で作戦タイムとなる。

 

 「状況を再確認するぞ。二日前、マウナケア天文台群に足を運んだ。メンバーは岩傘広報、藤原書記、藤原家の姉妹と岩傘の妹さんと使用人さん、そして津々美竜巻。――そんな中、カルテクサブミリ波天文台の職員である女に、津々美が連行された」

 「そうです。そして更に言えば、津々美の連行は『親からの要請』を受けて保護されたという、これ以上なく有効な建前を有しています。加えて職員は米国籍。下手に騒動を起こすと確実にこっちに被害が及びます」

 「……分かっていて私達を呼ぶ辺り、広報、貴方もイイ性格をしていますね」

 「何とでもどうぞ。ですが、何とかしなければいけないんです」

 「今回ばかりは私もちょっとオコですよ。真面目にオコです!」

 

 御行氏が纏め、かぐや嬢がツッコミを入れ、千花は真剣な顔で続ける。

 彼女の顔は憤りに溢れていた。普段は天然ゆるふわな千花だが、心底真剣になると表情は変わる。政治家の娘としてのカリスマ性は、普段はほとんど見えないが、実はあるのだ。実は。

 千花の顔を見て、やはり重要な問題だなと御行氏は頷く。

 

 「俺達を呼んだという事は、()()()()()()()()()とお前が判断をしたんだろう? 具体的な作戦は纏まっていると見た。どんな方針なんだ岩傘」

 「シンプルな話をすれば、『津々美の親を説得する』――それだけです。流石に天文台職員に喧嘩は売れませんし、売っても意味はありません。正直、顔面引っぱたきたい奴はいますけどね、それは優先度を下げます。……説得材料は今集めている最中です。時間があれば間に合います」

 「説得か。出来るのか?」

 「……まあ、多分。ただ手段は多い方が良いです。そして説得までには手順が必要です」

 

 そして手順を踏むのは、僕一人では不可能だ。

 

 千花には既に凡その概要を説明してある。頷いた彼女は、恐るべき速度で飛行機の手配をした。白銀家三人(御行氏、圭ちゃん、お父様)と、四宮かぐや、合計四人分だ。

 飛行機代に宿泊費用まで手配された状態で、夏休みで元々時間に余裕があった、というのを差し引いても、即座に即決してハワイまで来てくれた皆には感謝しかない。

 早坂愛は変装して同伴しているが、イクサ・クルーシュチャの奴は(当然だが)来ていない。

 彼女の処罰に関しては、かぐや嬢に、後で確認しておこう。

 

 「お二人にお願いしたいのは、天文台への合法的な入館の手配です」

 

 今回の問題が何処から発生しているのか? 答えはシンプルだ。

 

 津々美竜巻の母:津々美津波さんからの『娘を回収してください。彼女はそのまま留学させるので』という依頼である。その仲介をクルーシュチャが行い、天文台に居る、あの黒扇子の女が実働隊となった。

 津々美を助けるとは、『津々美母からの依頼を撤回させる』という意味に等しい。

 だが――その為には、天文台に行かねばならない。合法的に、遭遇しなければいけない。

 

 「合法的に、ですか。なるほど、それで私を呼んだのですね?」

 「察しが良くて助かります。四宮家のご令嬢が、天文台の勉強をしたいとコンタクトを取ったなら向こうも無下には出来ないでしょう。どっかで許可は降りますよ」

 「その『何処か』が、津々美さんのお母さまに会えるタイミングなら最高と」

 

 そういう事である。

 当然ながら物理的に殴り込みは出来ないので、アポイントメントを取って真正面からの訪問になる。とはいえ常識的に考えて『明日は無理です、一週間後なら良いですよ』という答えが出れば御の字だ。ただでさえ常識外れな要望なのに、加えて黒扇子の女が居る。容易く時間は稼がれてしまう。何とかしてごり押さないといけない。

 

 かぐや嬢にお願いするのは其処だ。正直、大分無茶な頼みをしているという自覚はある。……だが、かぐや嬢「個人」ではなく「四宮家」としての行動ならば、行けるはずだ。

 

 知ってもいる通り、津々美竜巻は技術開発部だ。そして彼女には、四宮家も出資している。

 あれで津々美は人脈が広く(『人脈と同時に友人を作った方が良いじゃないですか。私、親みたいな打算だけの関係を作りたくないので』)、大抵の『家』とは仲良くやっているのだ。龍珠組から仕事を任され、阿天坊先輩から依頼を受けていることからも、それは伺える。

 故に『四宮家(スポンサー)として彼女の調子を見たい』というお願いは通りやすかろう。

 

 「作戦は分かった。俺は校長に連絡を入れ、天文台へ『秀知院の学生として』見学を求める手筈を整える。四宮は『四宮家』として津々美に対する権利を主張する。そしてそれらは、津々美の母の耳に入れる情報にすると。……権力に弱い女なら、接触さえすれば説得は可能か」

 

 津々美の母に会う前に、津々美に会う必要はない。

 先んじて天文台にアポを取り、津々美母が来ると同時に、彼女に接触する。そして権力をちらつかせる。そのまま彼女と同伴して津々美に会う。

 これが一番スマートだ。これならばギリギリ僕らでも何とか実行が出来る。

 

 「割と負担をかけるお願いしているのは分かってます。……ですが、お願いします」

 「良いさ。お前が俺達に頼むなんてことは滅多にない。高い貸しにしておいてやる」

 「利子まできっちり頂きますので」

 

 頭を下げた僕に、会長と副会長は、互いに目を合わせて頷いてくれた。

 

 二人ならば、僕の提案を実行できる。とはいえそれは、後日、互いに色々な干渉を受けることになる。御行氏は学園から、かぐや嬢は実家から。それに対して最大限のフォローをするとしか、今の僕には言えない。交渉としては下の下、相手にメリットがない()()()だ。

 だけどそれを聞いてくれた。……僕は友人に恵まれていると思う。

 

 「で、石上、いけそうか?」

 「まあ何とか絞り込みますよ。元芸能人だけあって足取りは割と探しやすいですし……。広報からの情報提供を合わせれば、来訪時期とかスケジュールの予想は立てられます」

 

 さて、上の二人に天文台への入場をお願いするならば、石上にお願いするのは津々美母の調査だ。既に実家に連絡は入れた。津々美母がどのような行動を取りそうか……という部分を情報収集に努めている。プロファイリングという奴だ。

 

 相手は元芸能人。岩傘家のマスメディアパワーを駆使して芸能関係者から情報を集め、SNSも使って足取りを追う。

 

 ……津々美が、日本に勝手に強制送還される、というのは余り考えていない。何故かと言えば、津々美を一人で行動させたらアウトだからだ。何かしらのタイミングで彼女が逃げる機会を作ってしまうと、そこを狙って僕らは彼女を奪還してしまえる。最悪、彼女が日本の空港で大騒ぎでもしてニュースにでもなってしまったら、世間の目は集まる。津々美の母は、そんなスキャンダルを容認できる大人ではないのだ。

 

 だから一番確実な方法は、ずばり『直接迎えに来る』。これに限る。

 

 そしてやって来ることが分かれば、相手の搭乗する飛行機を調べ、どんな動きをするかも検討が付く。我が家の収集能力と、石上の処理能力を組み合わせれば、迎え打つ準備は整う。

 

 「空港で待ち構えるのも視野に入れている。だが天文台に『津々美津波さんしか入れません』となったら不味い。唯でさえ日本人観光客が多いし合流できるとは限らない。やれることはやるさ。……あとすまんがこっちも頼む」

 「なんです? ……これ」

 「説得材料」

 

 僕が石上に差し出した幾つかの資料を、受け取った石上は、ざーっと目を通す。

 

 そこに書かれた英文に、若干、眉を顰めながら(苦戦しながら)読んだ石上は、一言「色々考えてるんですね」と呟いた。まあそりゃあね。やれるだけやるさ。

 

 手早く情報を打ち込んでいく石上に任せて、僕は憂さんの元に足を運ぶ。

 今回の事件、喧嘩騒ぎにしては不味い。とはいえ、とはいえだ。あの怪しい女(クルーシュチャの同類)は、荒事慣れしている人間に任せるに限る。

 御行氏達が来るまでの短期間で、調べるだけは調べておいた。

 

 「『Rilianna Fannin』……。数日前にハワイにやって来た研究員。カリテックの一員らしいけど、天文台職員も彼女の来訪は寝耳に水……。……悪意が透けて見える」

 「彼女を押さえておけばいいのですね?」

 「お願いします。彼女とて一日中ずーっと研究所の中ではないでしょう。どこかで必ず外に出ます。そうじゃないと他研究員に怪しまれる。其処を闇討ちしましょう。津々美の母が来るまでの間、アレを動かないようにすれば問題はありません。憂さんなら、多少非合法な方法でも、侵入・誘拐・闇討ちからの白兵戦、行けるでしょう」

 「その気になれば天文台ごと吹っ飛ばせますよ。テロリストが出来ることは大体出来ますので」

 

 流石にそれは勘弁してもらおう。罪もない研究者も沢山いるんだ。

 憂さんに頼んで津々美一人を攫ってきてもらうのも考えた。が、憂さん曰く『流石にあの女の妨害を掻い潜っての津々美奪還は無理』とのこと。彼女が専念すれば何とかなる、という手合いらしい。なら任せてしまおう。

 

 変装した早坂愛――今はスミシー・A・ハーサカと名乗っているんだったっけ?――彼女と、我が妹(キーちゃん)と、三人掛かりだ。それなら行けるだろう。多分。

 こうして作戦結構までの時間は過ぎていった。

 

 かぐや嬢から質問を受けたのは、その日の夜である。

 

 ◆

 

 何とか天文台へのアポを取り付けた(頑張ってくれたらしい)かぐや嬢からの質問を受けたのは、準備を終えた後だった。

 御行氏も恐るべき手腕で(時差もあっただろうに)学園長を経由してあれこれ助力してくれた。割とスムーズだったのは、最初にハワイまで呼び寄せた際、来るまでの間にも先んじて動いてくれていたから、というのもあるらしい。やはり我らが会長&副会長のペアならば、大抵の事は可能になってしまうのだ。流石である。

 

 皆が来るまでの二日間で、僕と千花で出来る準備はしておいたとはいえ、全員が揃ってから僅か一日だ。それで凡その形になってしまうのだから、そのパワーは誇って良いと思う。

 さて、そうして準備を進めた一行が、その日の夕食を終え、休憩時間となった頃。

 

 「ああ、良いところに。どうしても腑に落ちないことがあるので、お尋ねしようと思いまして」

 

 私服のかぐや嬢から、話しかけられた。

 僕は千花と二人、ベランダで、明日の天文台訪問に向けて山を見ている最中だった。

 席を外そうかと思ったら、僕への質問だった。彼女はこう問うた。

 

 「津々美さんを何故助けるのか、聞いても良いですか?」

 「……私が説明するより、いーちゃんが説明すべきだと思うので、任せます」

 「任された。シンプルな答えですよ。津々美は友人だからです」

 

 僕の言葉に、かぐや嬢は疑問を頭に浮かべる。

 

 『でも津々美さんは()()()()を求めている訳で……。助けたら、告白から返事をする事になるし、関係も悪化するのでは?』という顔だ。

 

 かぐや嬢に置き換えてみれば、それこそ早坂愛が、御行氏に告白をする――と聞いたような物だ。それで平静を装うのは難しい。至極、まっとうな考えだ。

 

 「おっしゃる通り、確かに関係は悪化するかもしれません。でも悪化しないかもしれません。……例え悪化してでも、僕は()()()()で済ませたくないんですよ。これはもう、僕が千花と惚気る為に、自分自身に架している覚悟みたいなもんです」

 「いーちゃん、言い方が大袈裟ですよ。かぐやさんが勘違いしますよ」

 「……かぐや嬢が、真似したり、見習う必要はないので」

 

 前置きをした上で、僕は続ける。

 

 「分かりやすく話します。――かぐや嬢も恋文の一つや二つは差し出された経験はありますよね。僕は滅多に来ません。ですが千花には時々来ます。……手紙のパターンは二種類です。一つは僕より優れているから僕を捨てた方が良いという内容。もう一つは単純にシンプルに千花に告白する内容です。前者は笑って破り捨てますが、後者は、きちんと話をしに行きます」

 「そこで私を例に出すんです!? ……分かりやすいですけど」

 「そういう告白には、真摯に返事をします。千花は、真正面から『僕が居るから交際できません』と言ってくれますよ」

 

 勿論、相手は本気であればあるほど泣くだろう。

 僕に対して負の憤りを抱くこともあるだろう。

 

 だがそれは行動をしたからだ。行動したから、頑張ったから、その分だけ大きな傷を負ったのだ。……僕だってまだ若造も若造だが、十六年は生きている。その間に少しは学んでいる。行動して傷を負う方が大事だと(別に他人に強制する気はないけど)思っている。

 

 「告白も出来ず、返事も貰えないっていうのは、唯の逃避です。真正面から意見を交わすことが出来ない、視線を合わせられない、そんな相手に友情を抱けますか? 僕は無理です」

 

 どっかの誰かさん達のような、最後の一歩を踏み出せないのとは訳が違うのだ。

 どっかの二人は互いに理由があり、互いに譲れない物がある。なにより両思いだ。

 

 「かぐやさん、想像してみて下さい。かぐやさんが好きな人が居て、その人と会話が出来ない。ただ恥ずかしくて出来ないのではないです。会話を諦めて、視線を向けない、喧嘩状態のまま、それがずーっと続くんです。それは耐えられますか?」

 「無理ね」

 

 即断された。そう、無理だ。かぐや嬢が想像した相手(御行氏)と、そんな状態がずっと続けば、それは関係の破綻といっても良い。そんなものは恋愛はおろか、友情ですらない。

 

 「別にね、本人が夢を見ているままが良い、というなら良いんですよ。其処は関与するべきじゃない。ですけど。――ですけどね!?」

 

 気付けば、酷く荒っぽい語気になっていた。

 

 「勇気を出した本人の覚悟を無視して、言葉を最後まで言わせずに納得させて、こっちからの返事をする機会も寄越さない。……津々美の覚悟を何だと思っている! 僕からの返事を何だと思っている! あいつらは僕と彼女の関係に泥を塗った。友情を壊したまま、津々美の足を引っ張り続けて改善すらさせない! 僕はそんなのは我慢が! ならないんです!」

 

 「……広報、意外と熱血漢なのね」

 「本人はあんまり認めませんけどね。いーちゃんのそういう部分は、私の好きポイントの一つなんですよー。人間関係を大事にする仕事が最適でしょう? ね、かぐやさん?」

 「そうね……。来る前にイクサ(雇った新人)を一発叩いておいて良かったわ」

 

 色々言われているが、僕は別に熱血漢という程じゃない。ただ友情を大事にしたいだけだ。

 

 関係が破綻したまま別れるなんてのは、以ての外なのだ。

 僕は千花が居るから人生を楽しく生きている。人間が楽しく生きるのに必要なのは自分以外の誰かだと知っている。津々美との学園生活は楽しかった。これからは――そりゃあ分からないが、しかし、だ。出来る限り良くしたい。

 

 僕だけではない。津々美の未来にとって絶対に必要だ。

 だからもう一回、津々美と会話をしたいのだ。

 

 気合を入れた僕は、マウナケア天文台群の方角を見た。

 明日には、連中の元に殴り込みをかける。

 

 「……ところで、今、気になる単語を聞きました。イクサ、一発叩いてきたんですか」

 

 今度は僕からの質問になる。かぐや嬢は、にこりと微笑んだ。目が真っ黒だった。

 

 ◆

 

 当然ながら僕が確認をしておかねばならないことがあった。

 

 あのイクサ・クルーシュチャという女は、津々美へちょっかいを掛けた。帰国したらぶん殴りたいと思う。問題は……問題は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 考えたくはない。かぐや嬢が指示をしたという可能性は、僕の中ではありえないと結論が出ている。メリットもないし。彼女の事を、少しは理解しているつもりだ。だが確かめてはいない。

 

 かぐや嬢は時折自嘲している。

 『他人が利用可能か否かをまず考えるような酷い女だ』と。

 

 まあ中等部時代、何かとかぐや嬢を気にしていた千花に対しても辛辣だったのは、僕も承知している。僕も巻き込まれたことはある。……最近は丸くなった。丸くなったが本質は変わっていない。今でも、やろうと思えば非道が出来るだろう。他人を脅して()()出来てしまうだろう。

 

 流石に、イクサ本人に『津々美さんを苦しめなさい』と命令をした、なんてことはないと思う。

 ……だけども、無いなら無いと確かめておきたいのが、正直な話だ。

 

 「ええ。貴方が出会ったという、黒い扇子の女性。リリアナ・ファニンさんでしたか。イニシャルが《R・F》。あの『チクタクマン』事件から時間が経ちましたが、今になって尻尾を見せたのは意外です。……イクサは当然ながら、知っていました。白状しましたよ」

 

 と、かぐや嬢は、イクサの声真似をする。

 

 「『くふふ、これはこれはご主人、バレてしまってはしょうがない。あの女は僕と同族で、何かと僕も関係が深い。……この際、全部白状をすると、これは抵抗なのさ』」

 

 「……抵抗? どういう意味です?」

 

 「真似をして続けるとこうなります。『くふふ、僕は彼女と仲が良いわけじゃあないのさ。むしろ不倶戴天の敵だ。僕にとっては、あの女はさっさと始末をしたいし、マウントを取って情報を吐かせたい。だけど通常、僕に勝ち目がない。常に僕がヒエラルキーの下で、嫌々ながらも従っている状態だ。僕はだから()()()()()()()()()()()()()()()……くふふ、良い計画だろアイタぁ!?』と、こういう事ですね」

 「余計に性質(タチ)悪いじゃないですか」

 

 白黒アホ毛の行動に納得がいった。あのリリアナという女を、イクサは嫌っている。少なくとも好いてはいない。だが逆らう事も出来ない。そこで津々美という餌を使い、こっちに行動動機を与えて、彼女を倒そうとしている。

 ……他人を利用してまで、何をしたいのか、気になるが、彼女はこの場に居ない。

 

 「イラっとしたのは私も同じですので。殴りたい気持ちは分かりますが、尋問までに留めて下さい。私達を利用した罪は、支払って貰うのが通り……とはいえ、暴力的な仕置きは、私が済ませてきたので」

 「叩いてですか」

 「ええ。鞭で。先程の最後の悲鳴は、私の鉄槌が下った音です。私も昔、何かと、されましたので」

 

 そう言えば、千花から聞いた覚えがあるな。かぐや嬢の家、本家の躾は非常に厳しくて、技能や修練が上手くいかないと鞭で叩かれたのだと。それを使ってイクサを一発引っ叩いてきた、……とは、彼女も相当ご立腹だったらしい。

 

 津々美に対して害を与えたこと、敵を倒すために己らを利用したこと、それらに対してかぐや嬢は怒り、イクサの行動を叱ったのだ。かぐや嬢の主導でないと判明した。大きく安堵した。

 

 「……其処まで言うなら、僕の拳は納めます。今度やったらその時は殴らせて下さい」

 「ええ。次はどうぞ、存分に」

 

 女子供に対して殴る拳は、基本的には持たない僕だ。しかしアイツは自称ニャル様らしい。なら殴ってもセーフだろうさ。……R・Fを名乗る女も、盛大に殴ってくれ、と憂さんに伝えておこう。

 それから幾つかの確認を済ませて、かぐや嬢は帰っていった。

 

 「いーちゃんいーちゃん、その時には私にも一発殴らせてくださいね」

 「分かった」

 「津々美さんの件が終わったら、甘えさせえて下さいね」

 「それも、分かった」

 「だから、決着を付けに行きましょう」

 「……ああ!」

 

 千花の言葉に、返事をする。

 見上げた夜空は、数日前と同じように輝いている。

 

 ◆

 

 そして、その夜空を、津々美竜巻もまた見上げていた。

 

 彼女がいる部屋は、研究者が寝泊まりする、仮眠室の一部屋だ。洗面所、シャワールーム、寝具といった最低限の設備はある。しかしそもそもが着の身着のままで、天体観測中に攫われてきた身だ。スマホは動いているが充電が出来ない。充電器はあったが規格が違う。

 

 近くの本棚には英語での書籍がずらっと並んでいて、それらは天文学に関するものだった。軽く読んで、内容は面白かったが、楽しむ余裕がなかった。

 結果として、彼女はベッドに寝転んでいる。

 

 カーテンを閉めることもなく、開けっ放しにして、空を見上げている。

 

 「……軟禁状態なのに、それを異常と思わないのは、異常デスね」

 

 リリアナ・ファニン。名前が《R・F》であるとは気付いていた。確か『ダーク・タワー』シリーズには、リチャード・ファニンという『黒衣の男』が居たはずだ。符号が一致する。

 

 津々美という異分子を受け入れて、天文台は平常運転をしていた。

 

 『津々美竜巻が此処に居ることを意識しない』とでもいうのか。認識し、客人として保護されて、そのまま二日。どう考えても異常な話なのだが、研究職員が自分に関して何かを言う様子も、そもそも興味を持つ様子がない。食事を運んでくる職員も、会話をしようとすらしない。

 

 あの女が、何かしたのだろう。研究に支障が出ない程度に薬を持ったとか。

 

 ……彼女か、逸れに連なる誰かが、あの『チクタクマン』事件を引き起こしたのは間違いない。

 だけど、何もできない。

 

 「……かぐや姫に吠える者、デスか。……そうデスね、きっと、今の私は」

 

 寝転がりながら月を見る。日本でもハワイでも、月の輝きは同じだ。

 

 今の私は、かぐや姫にすらなれない。

 

 囚われの姫にも満たない、唯の小娘。もう直に、己を縛る毒親という手が迫っているというのに、逃げる術もない。道具だ。今の己は、唯の道具。誰かの支持で右往左往し、誰かの望みを奏でる物。相手が望んだ音を出す楽器のような物だ。

 

 ……だけど。

 だけど、願うのは不相応だろうか。

 自分を助けてくれる誰かが来てくれないかと、望んでいる。

 あの窓を開け放って、誰かが手を伸ばしてくれないかと、希望を抱いている。

 

 「寂しい、デス」

 

 枕を抱きしめて、心の裡を明かす。

 夏休みが楽しかった。ビーチでのサバゲーも、バーベキューも、買い物も、水着での騒動も。その前の時間も。それらの日々が輝くほどに楽しかった。だからこそ、影は強い。深く根差して覆っている。……夢を見てしまったからこそ、現実が辛かった。知らなければ、マシだったのに。

 

 「…………ぅ」

 

 枕へと染み込んでいくのは、己の涙なのだと、自覚するにも時間が必要だった。

 ただ只管に、何もできないと、己に()()()()()()だけの、諦めの時間が過ぎていった。

 

 どれ程に、そうしていただろう。気付けば空が白み始めている。微睡みの中、半分も動いていない頭で、のろりと起き上がって、手配された衣服を着替える。下着を取り換え、研究員が使っているらしい質素な服に身を包む――その時。

 

 チャリン、と“それ”が転がった。

 顔を上げて、転がったそれを手に取る。

 

 「…………!」

 

 掴んで、握る。抜けた力が、それを掴んだ時、強くなった。

 

 ――他人が横で不幸になってる状態で、千花と惚気るのは難しいだろう。結局は下心だ。

 ――下に心があるってつまり“恋”デスよ?

 ――その下心に救われてる人も多いんデス。私は確かに救われマシた。

 

 思い出した。思い浮かべた。……諦めていた自分の中から、ふっと事実を確信した。

 

 そうだ。そうだった。

 ……あの男は、こんな自分を放置しているような人間じゃあ、ない。藤原千花と幸せな時間を過ごすために、己を見捨てることが出来ない、そういう奴だった。

 

 だから。だから、きっと彼は、来るだろう。

 私を助けに来るだろう。

 あらゆる方法を使って、ただ私を大事に思って、来てくれるだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「……ああ、そうデス。そうデシた。私が、独りで泣いていては、意味が、無いのデス」

 

 寂しかった。だけど、傍らにこれがあると忘れていた。

 

 思い出す。自分を応援してくれた藤原千花が居る。色々言いつつも助言をしてくれた藤原家の姉妹が居る。少しの手解きと世話をしてくれた大人達が居る。

 自分一人がメソメソと落ち込んでいる間、彼ら彼女らは何をしてくれるだろうか?

 

 情けない、とは思わないのか? ――思う。思うとも。

 

 「泣くなら。……泣くなら、……人の胸で泣くのデス」

 

 自分らしくあれ。ただ自分らしくあれ。

 例え自分が恋する乙女になったとしても、その心だけは、その精神だけは捨ててはならない!

 悔しくても、心が怯えて竦んでも、苦しい現実を前に折れそうになっていたとしても。

 自分の心だけは、偽ってはならない。

 

 「私は、作品では、ないのデス……!」

 

 弛んでいた己に、気合を入れる。

 親が来た時に毅然として立ち向かえ。周囲が何を言おうとも、自分が自分であれば、結果は良い方に転がる。周りが何をしても己が不意にする。それは――それは、冒涜だ。

 

 何かを生み出そうとする熱意。何かを形に仕様とする愛情。それらへの侮辱に他ならない。

 それが欲しくて、それを欲して、今まで自分は、技術開発部に所属していたのだろう!

 

 「負けません。ええ、負けませんとも。待っています! だから……だから早く来て下さい!」

 

 月を見上げて、羨ましがっていては何にもなれない。

 ならば、かぐや姫になれ、津々美竜巻!

 

 「待っています、調さん!」

 

 掌の中、ホワイトデイに貰った、花の栞が揺れた。

 




YJ最新話で垣間見えた四宮家の闇。
鞭って……。手の甲とかバチバチされたんでしょうね……。
それを使うあたり、かぐやも真面目に怒っていたりする。

第二の試練もそろそろ佳境。
そして皆の人間関係が大きく進展するのも、そろそろです。


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鳴らない鼓を奏でたい 前編*

楽器とは本来、誰かが奏でる為にある。

誰かの手で奏でられるのを只管に待つのか。
自分自身で奏でてくれる相手を探すのか。

さて、どっちを選ぶ?


 「あのねぇ、竜巻をあれこれする権利があるのは()、な、の! ただ頼むのにも頼み方があるわよねぇ? 普通に頭を下げただけで良いと思ってるのぉ?」

 

 同じ目だ、と思った。

 白銀御行は知っている。あの目をした大人を知っている。

 今、岩傘調が対峙する、美女を観察しながら思う。彼は四宮かぐや・石上優・藤原千花の三人と廊下の影で様子を伺っている。

 会話がヒートアップする前、話を切り出す前に、彼が『少し離れていて』と訴えたのだ。

 只管に罵られ、場合によってはみっともない姿を見せるとなれば、気持ちは分かる。こっちを巻き込んだ自責もあるのだろう。独りで罵詈雑言の嵐を受けるつもりなのだ。

 

 (あれは……あれは、己の意に沿わない子供に失望をする目だ)

 

 嘗て御行自身も味わったことがある。幼等部の受験、初等部の受験、度重なる失敗のたびに、彼の母は失望を瞳に浮かべていた。その傷は今も心に強く残っている。

 

 津々美の母と、己の母の違いは僅かだ。

 津々美の母は「己の言う事を聞かせようした」。

 己の母は「自分に期待をせず(圭ちゃん)を見るようになった」。

 其処に大きな差はない。どちらが良いというのは不毛な、芝争いにしかならない。

 

 結局、母は出て行った。妹を連れて出て行った。そして妹だけ戻ってきた。事実を並べるだけで、彼の母が如何なる人物なのか、他人でも察せるというものだ。

 

 ……思えば、津々美竜巻が巻き込まれた事情を聴き、即座に了承をしたのは――親友:岩傘調からの頼みに、藤原千花が手配を整えるほどの重大問題という以外に――彼女への、共感もあったのかもしれない。己と同じ境遇の彼女を、放置出来なかったのかもしれない。

 

 自分と、母と関係は、口に出せる物でも、言葉で言えるものでもない。未だに離縁をしていない父に関しても文句はあるが、今更具体的に説明をするのも面倒だ。だが。

 

 ()()

 津々美は、まだ大丈夫だ。まだ取り返しがつく。親子の関係を修復するのは無理でも、致命的な傷を負うのは防げる。己が負った傷は、あの苦しみは、今も半ば強迫観念のように苛んでいる。恐らく母と会わない限り、これは払拭されないだろう。払拭されるまで、延々と焦げたような痛みは、心を抉り続ける。だが津々美は。

 

 津々美竜巻は――まだ傷が治る。心が折れて、唯々諾々と親に従うだけの人形には、ならないでいる。だから己は、背中を押そう。彼女を助けようと努力する親友の背中を押そう。

 

 (負けるなよ岩傘……!)

 

 相手は、大人の女だ。分かりやすいが、酷く厄介な存在だ。

 矢面に立ち、説得・交渉をするのは生半可なことではない。此処は公共の場だが、公式の場ではないのだ。そして親権という最大の武器を、相手が持っている。

 岩傘の家のお手伝いさんや、藤原家・四宮家の使用人達が奮戦したおかげで、『場』を整えられていないだけマシだ。最大の、この研究所の関係者という脅威が居ない。

 

 本当は、今すぐにでも出て行って解決の口添えをしてやりたかった。

 だがそれは出来ない。出て行ったら確実に巻き込まれる。

 

 岩傘調一人なら「彼が勝手にやったことです」と言い張れる。だが此処で出て行って巻き込まれては……見学許可を取った手前、学園に泥を塗る行為になりかねない。

 

 『秀知院の生徒会長が、国外の研究機関で大ポカをやらかして叱責された』。

 

 このスキャンダルだけでアウトだ。広報が勝手にやったことですと言い張れる範疇にしなければならない。飛び出したくなる衝動をぐっとこらえていた。出て行かないように、と御行の服をしっかと握る、副会長:四宮かぐやも同じことを思っているだろう。

 

 親しい友人を悪し様に言われ、何の感情も浮かばないほど、この場の全員は冷酷ではない。

 

 道はある。突破口はある。耐えさえすれば作戦はなる。後は時間だ。

 時計の針が進む中、稼げるだけ稼ぐ。故に岩傘調は、食い下がる。

 だから白銀御行は、静かに、拳を握った。

 

 (もう少しだ……。もう少しだと()()()()()()。だから……!)

 

 逆転に向け、白銀御行は、心の中で親友へ檄を飛ばす。

 同じ目を受けた者として、苦しんだ過去を持つ者として。

 負けるな、と。

 

 ◆

 

 「津々美津波さん。秀知院学園の生徒会で、広報を務めています岩傘調と言います。――お忙しい中とは思いますが、お話があります。お願いします!」

 「……ふうん、まあ言ってみなさい? 短くね」

 

 始まりはまだ順調だった。

 まずは、お願いからだ。若さと情熱を感じさせるように、頭を下げる。

 

 どんな相手でも礼儀を大事に。間違っても言動で皮肉を感じさせてはいけない。相手の琴線に触れる様に動く必要がある。それも演技を作ってはいけない。難易度はベリーハードだがやるしかない。因みに全部敬語じゃないのは意図的だ。慇懃無礼にならないように心掛けたのだ。

 

 津々美津波(津々美の母親)という女性は、美人だった。

 美人であることは認めよう。津々美に似ておでこを出した、髪の長い妙齢の女性。目鼻立ちはすっとしているし、眼鏡の津々美と違って目付きも良い。ちょっと化粧が濃いが許容の範囲内だし、かなりの若作り。年齢を加味したとしたら相当努力をしている。体系もモデル体型で、衣服も装飾も金がかかっている。外見は実に良い女性だ。外見は。

 

 ……人間の本質は眼である、とよく言われる。

 僕はまだ高校二年生の若造だが、それでも気に入る奴、気に入らない奴の区別は出来る。そういうカテゴリで言えば、僕の気に入らなそうな人間だった。……だがしかし、所詮は第一印象だ。会話をしてみれば意外と会話が通じる可能性はある。だから固定観念は捨てる。

 顔を上げて、目を合わせ、続けた。

 

 「津々美さんの海外留学を、少しだけ待って頂けませんか」

 「はあぁ? 何アンタ」

 

 初手からの見下し及び「アンタ」呼ばわり。

 あ、これ話が合わない奴だ、と思ったが、我慢する。

 

 あれこれと変なアプローチをする事も考えた。が、僕には難易度が高い。……僕が大人で権力があれば使うし、財力があれば手土産を持参しただろう。だが手持ちの材料で戦うしかない以上、小細工は相手の心象を悪くする。日本ならまだしも此処はアメリカだし。

 まして相手は芸能人だ。どんな裏技を使っていたかは知らないが、海千山千の芸能界で一時流行を走っていたという事は、僕なんかでは想像も出来ない搦め手を駆使されたこともあるだろう。見破られるに決まっているのだ。

 

 天文台への侵入は、御行氏とかぐや嬢とが人脈を駆使して許可を取り付けた。石上が津々美母の来訪時間を割り出し、千花が偶然を装って彼女に接触した。《R/Fの女(リリアナ)》は半日前から伺っていた憂さんがタイマンに持ち込んで足止めしている。そうして天文台の中、僕は今、『敵』と相対しているのだ。無駄には出来ない。

 

 津々美が天文台のどこかに居るのは間違いがないが……館内図が手元にある筈もない。彼女が自分で脱出できる状況でもないだろう。であれば、タイミングは今ここだけだ。この場を逃せば、津々美はもう、遠く離れて行ってしまう。

 

 「何を言うかと思えば、また馬鹿なことを。家庭の事情に口を突っ込まないで下さる?」

 「その通りです。部外者だと理解しています。それでも聞いて欲しいんです」

 

 はあ? という鬱陶しそうな顔をした。美女なのに、その態度が似合う。鼻に付く。目が細まって、一気に態度が悪くなった。高慢さからの見下し。肌で感じ取る。

 言葉が降りかかる前に、僕はまず一枚目のカードを切り出した。

 

 「津々美さんは学園で大きな活躍をしてくれています。生徒会として彼女が離れていくのは余りに惜しい。彼女の転校を悲しむ声は僕ら以外にも大勢います。せめて別れの挨拶をしたいという声は、十や二十ではありません」

 「……で、何それ?」

 「声を集めました。アンケートです。応えてくれれば皆、感謝すると思います」

 

 差し出したのは一枚の紙。ネット上で、信頼できる人間に声を掛け、集めた嘆願書だ。

 元会計の龍珠桃を始め、津々美母ならば無視できないVIPの名前をずらっと並べておいた。

 彼ら彼女らに此処で恩を売っておくのが大事だと利益を示す。これはジャブだ。話を聞いてくれる切っ掛け。効果は――あったらしい。ほんの少しだけ、目に迷いが浮かぶ。

 

 ……ちょっと不可解には思っていたのだ。

 津々美を海外に留学させて『箔を付ける』。これは分かる。

 津々美父が、娘を思って(身勝手ではあるが)より高い学術機関を進める。これも分かる。

 だが秀知院から海外に突然に向かわせるデメリット――この場合は「得られたはずの利益」を無視するという意味だ――これを無視した理由が分からない。津々美の両親は、何かしらそこにメリットを見出したから、さっさと夏休みの間に行ってしまえと指示を出した。

 

 それは、何か?

 

 チクタクマン事件はあるとして。彼女の盛り上げ役としての仕事じゃないかなと思う。例えばバレンタイン時のドローン操作とか。そういう()()()()()()()行動を取っていることを疎み、自分への汚名になると思ったのではないか。こればかりは想像になってしまうが。

 仮にそれは事実なら、僕にだって責任はある。僕が無茶ぶりをした結果も何割かはある。

 

 「少なくとも、津々美さんが居ることで学園内の風紀が乱れたり、注意が飛ぶことはありません。これは生徒会として保証します。彼女が居る事を、生徒の皆は歓迎しています!」

 「……あっそ。其処まで引き留めてくれるのは嬉しいけど、これは決めたことよ。私は竜巻がより幸せになる方法を取らなきゃいけないの。分かるわよねぇ?」

 「それは、分かります」

 

 竜巻がより幸せになる(己のステイタスを上げる)方法。確かに秀知院から研究機関に所属するより、一度国際的な舞台で活躍し、その後栄転してきた方が、親としては自慢が出来る。

 

 男性は理論で説得できる。だが女性は理論を駆使しても「感情」が納得しないと頷かない。必要なのは理路整然とした説明ではなく、同意と共感だ。

 だから頷くしかない。

 頷いて、そのまま二枚目のカードを切った。

 

 「実は既に、竜巻さんが国際的な場で動ける立場だとしたら、如何でしょう」

 「……なんですって?」

 

 ◆

 

 石上に頼んで纏めてもらった「説得材料」を出す。其処に書かれているのは、津々美が取得した特許の一覧だ。日本国内では既に特許が取れているコレらは、このまま国外に持ち出して通用する。むしろ欲しがっている人間の方が多い。

 

 語った。津々美竜巻は手放すのではなく、手元に置いて値段を吊り上げるべきである、と。

 

 彼女を物みたいに扱うのは僕にとって非常に不本意だが、この言い方は津々美母に効果がある筈だ。他でもない彼女が、津々美を一番に道具扱いしているのだから。

 僕の主張に、再び彼女は考える姿勢を見せる。此処までは何とか良い具合だ。

 

 ……いけるか? と内心で思い。

 そして直後に、その考えは裏切られた。

 

 それなりにちゃんとした内容を並べたが、目の前の女は、それらを壊す一言を吐く。

 

 「それで貴方と竜巻は、どんな関係なの? ただの生徒会役員にしては主張が激しいけど」

 「…………。大事な、友人ですよ」

 

 ふうん、とでも言いそうな顔だった。あっそう、と彼女の顔が歪んだ。

 

 まあ、そうだよな、それ聞いてくるよな。

 此処で素直に僕が『津々美と交際しています』とか言えたのならば、多分解決したのだろう。

 

 でもそれは言えない。

 何が何でも言えない。不利になると分かっていても言えない。

 

 ……女は感情で動く。感情の機微に聡い。僕の気持ちが、彼女の益になるならば乗ってきただろう。逆説的に言えば、僕のこれらの行動が理性/計算であると見破られた。

 そして判明してからは、相手の女からの言葉は、酷く遠慮のない――悪辣な物に変わった。

 

 「さっきからべらべらと感心する内容を吐いていたと思ったら、所詮は子供の寝言だったわねぇ。要するにお友達が居なくなるのを我慢出来ないっていうだけの話じゃない。男の癖に、未練がましく女が去っていくのを見送れないとか見っともないにも程があるわぁ……」

 

 イニシアチブを握るや否や、居丈高になって言葉を浴びせてくる。

 顔には本音が見え隠れていた。

 

 『理由は知らないけど、娘に執着しているこの男は、逆らえない』

 『少しは反省させてやりましょう。逆らう奴を虐めるのは愉しいわねえ!』

 

 性悪という表現は、きっとこういう時に相応しいのだろう。こんな親を嫌う気持ちも分かる。

 僕はじっと耐えた。

 

 「あのね? 私は竜巻のお母さんなの。分かる? お母さん。親、な、の、よ。だから貴方の意見を聞いたけど、それを叶えるかは私次第なの。ちょーっとは考えてあげようかなとか思ったのよ? でも唯の友人なら、後で竜巻に、貴方がそう言ってたって伝えておいてあげるだけで十分よね? それとも実は違うんですーっていうかしらぁ?」

 

 気分が悪い、物言いだった。

 彼女にとって竜巻は、唯の道具でしかないというのに。

 

 だというのに面の皮が厚く、親としての権利を話し、此方を攻めてくる。優位に立ったこの女は――恐らく説得()()()()()()()認識もあって――こちらをネチネチと上から殴って来る。

 

 反論したくなったが、奥歯を噛み締めて耐えた。落ち着かせる。自分を冷静に保つ。

 ……津々美の母が毒親だと知っていたはずだ。

 そこから助けるなら、自分がそのダメージから逃れられると思うな!

 

 「大体、人生を思って発言しているのに、あの娘も、貴方も、余計な口出しをし過ぎなのよ。それに比べたら旦那はまだ素直。どうしてあんな風に育ったのかしらね! 育ててやった恩義も忘れて家出をするわ! 知人の男の元に転がり込んで居座るわ! 尻の軽さに反吐が出るわねぇ。貴方もどうせ篭絡された口なんでしょ? 特許だのなんだと言ってたケド貴方も利権が欲しいんでしょ? え?」

 

 あんまりにもアンマリな物言いが続く。

 

 この女には、理解が出来ないのだろう。

 この女の目には、自分の利益になる人物か、自分の敵かしか、存在しないのだ。損得と金と権力にしか興味がないのだ。

 僕と津々美竜巻の間にある『友情』を理解できないのだ。

 

 いや本当、皆を下がらせておいて良かった。会話に入る前、恐らくこういう事があるだろうと思って皆は他所に行って貰っている。天文台の見学は、今は休憩時間だから問題がないし、この辺は職員が来ない場所だ。そう言う場所まで頑張って誘導したのだ。だから障害はない。

 

 ……そんな状態だ。泥を被るのは僕だけで良い。

 それにこの暴言の嵐、かぐや嬢辺りが聞いたら、処刑待ったなしである。

 本音を言えば。頭によぎらなかったと言えば、嘘になる。この場に、まず生徒会の面々を揃え、全員で一緒に説得を、とプランも考えた。

 

 その場合、今みたいな暴言を浴びることもない。というか津々美の母は外面を厚くして笑顔で応対し、彼女をこちらに連れてくると思う。この場は即座に収まるし、津々美は無事に回収出来て夏休みが再スタートだ。

 

 でも! 其れでは! 何も変わらない!

 この女の執着、津々美を見る「道具としての視線」……それらから津々美を解放できない。

 出来たとしてそれは一瞬の事だ。

 

 『暫くしたら今回と同じようなことになるから、その時までに準備を整えておこう』

 

 なんて風に、迎える彼女に言えるわけがない!

 心の中に疲労が積もっていくのを感じながら、それでも様子を伺う。耐える。

 

 「最初から素直に言ってくれば聞いてやったかもしれないのにねぇ。小細工なんかするから悪いのよ? 貴方が悪い! ……まぁ私は寛大だから、貴方がお願いするなら考えてあげないでもないわ。でも、それには相応の態度があるわよねぇ」

 「態度、ですか」

 

 いけしゃあしゃあと、此処まで身勝手に振る舞えるのは逆に凄いとすら思った。洒落にはならないが。……この女は多分、過去にも同じようなことをしていたのだろう。

 インテリ系芸能人で通していたと聞いていたが、この性根の悪さ、見破られたら炎上モノだ。いやバレつつあったから津々美父を篭絡して地位を維持したんだっけ。……嫌になる。

 

 「そう、態度。此処には誰もいないようだし? 人目をはばからず、何をすればいいのか、その頭で考えてみなさぁい?」

 「…………」

 

 どんな結果になるかは予想が付く。だがやらなければならない時があるならやろう。

 

 『さっき津々美との関係は否定したのに、今は頭を下げられるのか?』

 

 そう疑問に思う人間はきっといるだろう。

 逆の方が楽だ、その矜持を曲げた方が良いだろう、いう意見はあると思う。

 『津々美と交際している』と小さく嘘をつき、頭を下げるのを回避する。

 そんな賢い人間も、居ると思う。

 

 ……だけど、それは僕には、絶対に出来ない。やってはいけない絶対の不文律だ。

 どんなに無駄でも。どんなにおかしいと指摘されても。

 僕にだって譲れない感情と、矜持がある。

 ここで頭を下げることを、僕は厭わない。

 

 「……お願いします」

 

 躊躇せず、膝をついて、手を揃え、頭を下げた。土下座という形だ。

 みっともないとは思わない。必要ならば、幾らでも頭を下げよう。僕はこういう時に頭を下げることは苦ではない。

 答えが分かり切っていても、それでも、しなければならない時はある。

 向こうは若干、鼻白んだ様子だったが、直ぐに嘲るような顔になった。

 

 「どうしようかしらねぇ、考えるとは言ったけどねぇ……。……やっぱダメね!」

 

 予想通りの答えが返ってきた。

 分かっていたさ。こういう奴がこういう風に言うだなんて。

 

 黙って行動した僕を、理解不能な汚物でも見る様だった。

 理解されようとは思わない。

 僕の中で一貫した芯として存在していて、それを貫けるなら構うものか。

 だけどその後に続いた一言は、タブーに触れた。

 

 「……貴方みたいな人間が居るなんて生徒会とやらも大したことはないのねぇ。話に聞けば庶民の会長が牛耳ってるんだって? それに従うメンバーもメンバーよ。私がその場に居たらさっさと蹴落として実権を握るわ」

 「………っ」

 「本当に、()()()()()()と思うわ。()()()()()()()()()()()()

 

 頭の中で、何かが切れた音が聞こえた気がした。

 

 ◆

 

 僕にだって、逆鱗の一つや二つくらい、ある。

 その瞬間、僕は思った。

 

 ――なんでこんなことに耐えているんだっけ? と。

 

 ――うん、確か津々美を助けるためだ。その為に津々美母を説得して、彼女に自由を上げたいと思ったんだ。普通にやっただけでは接触出来ないから頑張って天文台に入って、普通にやっただけでは津々美を、母の呪縛から逃がすことが出来ないから、何かと工夫をした。

 

 ――だけど、頑張ったよな?

 ――言葉を尽くしたし、我慢したし、頭下げたし、耐えたし、土下座までしたわけだ。

 ――うん、もう良いよな?

 ――僕は、まだ良い。僕が被害を受けるなら良い。だけど今こいつは。

 

 「…………れ」

 「はぁ?」

 「ちょっと黙れよ、()()()()

 

 ――今こいつは、僕の周囲を馬鹿にしたのだ。

 ――ふざけるな。ふざけるな! ふざけるなふざけるなふざけるな!

 

 御行氏とかぐや嬢が、どんな覚悟であの場所に居るか、知らないだろう。

 あの二人の“お可愛い”やり取りが、僕と千花の楽しみになっているか知らないだろう。

 どれだけの努力をしている人間が居るかを知らないだろう。

 どれ程に頑張って青春を過ごしている人間が居るか知らないだろう。

 

 御行氏だけじゃない。かぐや嬢や、千花や、石上や、そういう皆が、色々な努力をして、学園の為に動いて、誰かの為に全力で、それらを楽しく受け入れて過ごしている!

 

 そして僕らはそれを誇りに思っている!

 それを見ず知らずの女に好き勝手に言われ、平静を保てるほど、僕は自制心が強くない!

 

 確かに目の前の女も、相応の努力はしているんだろうさ!

 上層階級で生きるのに必死なんだろうさ!

 だから僕は、この津々美母を貶すつもりなんかない。人と人を繋げる広報とは言え、生きている世界が違う人間を、無理やり引きずり込むつもりなんかない。

 

 だが同時に、そこまで馬鹿にされる筋合いだってないんだ。

 この女が持っているのは津々美に関して主張する権利だけだ。

 秀知院に対して、友人達に対して、そんなことを調()()()()()()言いやがった。

 

 うっかりだろうが、その本音は、言ってはいけない一言だ。

 ふざけるんじゃねえ。

 

 「オ、オバ、あんた何を言って」

 

 やかましい! 一気呵成に、僕の口から耐えた分の言葉が溢れていく。

 

 「聞こえなかったら言ってやろうか、このクソババアが……! さっきから聞いていればベラベラと好き勝手なことを言ってくれたな? 津々美の母だからって遠慮していた僕が馬鹿だった! ああバカだったよ! 目の前に居るのが人間だと思って接していたんだからなあ!」

 

 許容範囲を超えたと、向こうがやっと気付いた。遅いよ。遅すぎるわ!

 逆ギレされると思っていなかったのだ。こっちの若さを見誤り過ぎだ。馬鹿め。

 僕の余りの剣幕に、津々美の母は、怯えて一歩、引き下がった。腐ってもこっちは男子高校生。体格で既に勝っている。

 

 きっと眼鏡でも消しきれないくらい、眼力が強まっている。

 本気で怒ることは滅多にない僕だが――今のこれは、クルーシュチャへの怒りとは別種のものだ。邪魔だとか、鬱陶しいとか、悪意に対する義憤ではない。もっと直接的な。

 

 ――このクソアマを殴らせろ! という衝動だった。

 

 拳を握る。背後で様子を伺っていた生徒会メンバーが顔色を変えたが、間に合わない。

 

 だけど。

 僕の拳は、結局、彼女に振り下ろされることはなかった。

 

 「おっと取り込み中だったようだな。でも悪いな、話はこっちで引き継ぐ」

 

 僕と彼女の間に割り込んだ、男性が、僕の腕を掴んでいた。

 何か月ぶりかに見る顔。

 そこで僕は、立ち上る気炎が徐々に収まっていくと同時に、理解する。

 

 ――最後の切札が、間に合ってくれた、と。

 

 「あ、貴方、何!? こ、この男は今、私を殴ろうとしたのよ!」

 「状況は知ってるさ。だから落ち着けよ。……俺は、津々美竜巻さんをスカウトしに来た者だ」

 

 そう言って、クロウさんは不敵に笑った。

 

 ◆

 

 津々美に対する解決方法。頭に浮かべたプランは、津々美母を説得するという以外に、もう一つあった。空港で出迎えた時に行った『時間が足りない』というプランがそれだ。

 

 海外留学を撤回させることが出来ないならば、海外留学の手配をこっちでしてしまえ――という非常に乱暴な作戦だ。だが別に、絶対に成功必須の作戦ではない。

 

 要するに津々美の母が思い止まれば良いのだ。大学側から好条件を渡され、それを無下に出来る程に、彼女は器が大きくない。スカウトしてきた相手が世界的名門校で、専門分野にも役立つとなれば猶の事だ。

 

 こっち側の手配、提案を受けるかどうかは津々美次第。

 

 だが津々美母にしてみれば『箔が付き、大学側からの大きな手土産があり、自分に損を与えない』という最低ラインが保証されていれば――それも津々美本人も乗り気になるだろう条件だと確信出来るのならば――安堵して、意見を撤回するだろうと踏んでいた。

 

 大学側からの要望という形で進めれば、津々美の留学はコントロールが出来る。

 

 津々美母は、建前さえあれば良いのだ。だから、津々美が後から『やっぱなしで』と言い出すまで、幾らでも時間は稼ぎ放題。後は手配でも家出の準備でも好きなように、である。

 母さえ何とか解決すれば、津々美父の方を説得するのは容易かろうさ。

 

 それに日本とは関係がない、海外の名家から、直々に話を持ってこられたならば、確実に転ぶと思った。クロウさんは実に格好良い男だし(嫁さんが幼く(ロリコン)ではあるけどね)。

 僕のプレゼンで、彼女が学園に居ることでデメリットが生じることはない、とは伝わっている。

 

 『津々美? ああ、確かお前が電池論文を貸した娘だな。その後、パポーディの内燃機関の論文とか、ギャマル・ウッドブリッジの液体燃料論文とか、色々と貸し出してたな』

 『そうです。彼女からのお礼と論文は、そっちに送られている筈です。才能がお眼鏡にかなっていると思います。スカウトして頂けませんか』

 『……偉く切羽詰まっているな。事情を話せ』

 

 津々美が僕からあれこれ論文を借りて、変な物を作成していたのは承知の通り。

 それからも色々と貸したり返却されたりとしていた。そして返却時、お礼として研究論文も添えていたのだ。英語のみならずドイツ語まで駆使して論述されたそれは、ミスカトニック大学が『是非とも』と勧誘するのには十分過ぎた。

 

 ……とはいえ、かなり時間的にはギリギリだった。

 元々が市長と財閥総帥と探偵を同時並行しているような人。

 いきなり連絡を入れてスケジュールが空いているか、空いていたとして来訪が可能か、そもそも連絡が付くのか。ハードルは多かった。多かったが、こればかりは幸運だった。

 

 数日の内に来てくれる、と返事があったのだ。上手く合流できず、このタイミングになってしまったが、むしろ良く間に合ってくれた……と思う。目の前の津々美母と比較して、色んな意味でレベルが違い過ぎる大人だ。感謝しかない。

 

 「いーちゃん、良く我慢しましたね……」

 「我慢出来たらよかったんだけどね」

 「いっそ殴ってしまえばよかったですのに広報」

 「言わないで下さい、かぐや嬢。……僕も殴っておきたいと思いましたが、結果的に殴らないで済んだんですから。僕は出来る限り女に怪我はさせたくないんです」

 「イクサには?」

 「自分が邪神とか名乗ってるアホはセーフでしょう」

 

 クロウさんが津々美母を引っ張って別室であれこれと会話をしている中、僕は皆と合流した。

 

 どっと身体に押し寄せた疲労で、壁にへたり込んでずるずると座り込む。悪意ある言葉というのは、時として、本物の刃より深く心に傷を残す。時間にしてほんの一時間もないのだが、その間、延々と罵詈雑言を浴びていたわけで、それはもう……とても疲れた。

 

 あの数秒遅かったら、カッとなって殴り飛ばしていただろう。

 それはそれですっきりしたと思うが、遺恨にならないなら結果オーライだ。

 

 僕の怒りは他の皆も抱いていたようで、特にかぐや嬢は、御行氏に見えない位置で、これまた黒く微笑んでいた。……まあ御行氏への暴言だものな。日本に帰国後、多分地味な報復が待ち構えているだろうさ。

 津々美が無事なら、僕が言う事ではない。

 津々美母が()()()()()()知ったことか。流石に僕も、腹に据えかねた。

 

 「ほれ、飲め。其処の自販機で買ってきた」

 「ありがと。……もうちょっと頑張る。アイツを出迎えるまでな」

 

 御行氏が瓶コーラを渡してくれたので、受け取った。素直に蓋を開けて飲む。

 喉を滑り落ちていく冷たい炭酸が、体のずしりとした重さを僅かばかり癒してくれた。

 

 クロウさんの立場と権威を使えば、津々美母を説得するのは簡単だろう。その辺、僕よりも抜かりなく立ち振る舞える人だ。巷の噂では秘密結社(ブラックロッジ)とやらと仲良く喧嘩しているとか、変なマッド博士と追いかけっこしているとか、色々と耳にするが、少なくともあの人が優秀で、正義感溢れる大人なことは間違いない。

 

 津々美を助けるには、これ以上のない援軍だ。

 そんな事を考えて、ふっと意識を飛ばしていると、千花に揺り起こされた。

 

 「いーちゃん。竜巻さん、来るみたいです」

 

 疲労の余り、一瞬意識が飛んでいた。見れば30分ほど、更に時間が経過している。その間、どうやらクロウさんは津々美母を説得し終わったようだ。

 今、係の人が津々美を迎えに行っている、とのこと。僕は石上の手を借りて立ち上がった。

 

 「うん。……そんじゃ、行ってくる。……ちょっと、話をしてくるよ」

 

 千花は「頑張ってね」とは言わなかった。言うだけ野暮だと知っている。

 

 数刻前までは見えなかった、天文台の学者さん達の姿が、周囲に表れていた。こちらの休憩時間が終わったことに加えて、クロウさんが《R・F》による暗示を解いてくれたのもあるのだろう。流暢な英語で、あれこれと話をしている。

 

 どうやら此方のアポは正式に受理されたままのようだし、今回の事件が異常であるとも認識されていない。応対はかぐや嬢と千花に任せよう。

 津々美を連れて帰れば、それで終わりだ。天文台への迷惑はこれ以上は掛けられない。

 

 立ち上がり、クロウさん(すっかり篭絡されて大人しくなった津々美母が同伴して居た)とすれ違い、目でお礼を告げる。気にすんなよ、と返事が来た。

 

 そのまま歩いていく。掃除が行き届いた、雑多な荷物が時折積まれた廊下を進む。

 目を廊下の奥に向けるのと、最奥部の扉が開いたのは、ほぼ同時だった。

 

 「あ、……調、さん……!」

 

 彼女は、駆けた。

 そして彼女は、そのまま飛び込んできた。飛びついてきた。咄嗟、受け止める。

 僕はそのまま、彼女を静かに床に降ろして、向かい合った。

 

 「うん。……色々あったけど、迎えに来た。言いたい事が、あると思ってさ」

 「途中で折れそうになりましたが、何とか復活しました。大丈夫、元気デス!」

 「そっか。じゃあ……」

 

 彼女も己を取り戻したようだ。

 

 ならば、することはたった一つだ。

 

 

 あの時の話の続きをしよう。

 

 

 決着を付けようか、津々美竜巻。




投稿時最新話(2019年YJ23号)のネタもしっかり入れていく派。
次回、第二の試練終了です。


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鳴らない鼓を奏でたい 後編*

シリアス終わり! 筆者もシリアスを書くのは疲れた!
もうラブコメに戻す! 流石にちょっと憂欝感を出し過ぎました! 反省!
という事で第二の試練は終わります。チャージした分を取り返すぞ!

中編にしようかなと思ったのですが、章を変えた方が良いと判断。
此方を後編にします(5月20日修正)


 答えは最初から決まっている。

 

 此処まで来るのに意外と時間がかかったなと思う。日数にすればそうでもないのだが、夏休みが始まって今まで、一緒に過ごした時間は濃密で、彼女が居ない間に起きた事件はもっと濃密だった。

 

 見合わない苦労だとは、断じて思わない。津々美にとってそれだけ重大で重要な問題だ。僕にとっても大事な時間だった。

 

 繰り返して言おう。どんな場所でも、どんな状況でも、どんな言い方でも、僕の答えは、決まっている。どんな条件を出されても答えが変わることはない。

 

 その為に全力になった僕は、馬鹿だと言われてもしょうがない。

 だけど意味はある。価値はある。無駄だったとは思わない。

 カルテクサブリミ波天文台の、一角。廊下の奥。人気のない、僕と彼女しかいない場所。

 僕は、津々美と向かい合っていた。

 

 「岩傘調さん」

 「はい」

 

 思えば彼女と此処に至るまでの時間は、初等部の頃からだから、ざっと六年以上。定義で言えば幼馴染なことに変わりはない。まさか初対面の時は、此処まで関係が進展するとは思っても居なかった。多分津々美も同じだろう。彼女だってまさか僕に、だなんて思っていまい。

 

 だけど()()()()()()()()()ならしょうがない。

 

 津々美は、真っすぐだった。真っすぐに僕を見た。その目には決意が浮かんでいた。

 大きく深呼吸をした上で、しっかりとした声で、僕に告げた。

 

 「……好きです。私と、付き合って下さい」

 「……ごめん」

 

 はっきりと言った。

 

 「……僕は、千花が好きだ。だから、その思いには、応えられない」

 

 返事は、意志の通りに言葉に出た。この返事を言う為に、ずっと頑張って来た。

 僕の言葉に、津々美は、目を閉じて、大きく息を吐いた。

 彼女自身も分かっていた。だけど言わねばならなかった。

 

 「……二番目という提案は、どうでしょう」

 「それも、出来ない。僕が愛せるのは千花一人だけだ。降った側が言うのもなんだけど、その選択は誰も幸福にはならない。……僕と津々美の間にあるのは、この先ずっと『友情』だ」

 

 二番目か。……実を言えば、その言葉は僕にとってちょっとばかり、良くない思い出を想起させる。僕の「お母さん」と「義母」。この二人の関係についてはまた後日語るが、親父にとって二人は一番目と二番目だった。……理由はあるし、理解はしている。でも同じ轍は踏めない。

 

 僕が複数を囲うだけの甲斐性と包容力があれば別だったのだろうが、持っていない。

 憂さんの時と同じだ。一緒に居てくれとお願いできれば別だったのだろう。でも出来ない。

 仮に津々美を二番目に位置付けたら、必ず彼女が不幸になる。

 

 「なら」

 

 津々美は、距離を詰めた。僕の傍に。一歩で距離を詰め、服を掴み、首元に手を回す。

 

 「思い出だけでも、ダメですか」

 

 何を欲しているのかは分かった。たった一回だけ、唇が欲しい、と、そう言った。

 彼女の声は震えていた。彼女の身体も震えていた。その縋る手に対して。

 

 「()()()

 

 彼女の肩を掴んで、出来る限り力を込めないようにして、引き剥がした。

 

 心の中にあった小さな欲望の欠片は『貰ってしまえよ』と囁いた。だけどそれを意志で叩き潰す。僕の想いは、何があっても、ぶれない。絶対に彼女から揺らがない。

 

 此処で折れたら、それはもう、僕ではない。

 慰めてはならない。流されてはならない。口調は穏やかだが、確固たる意志を持って告げた。

 

 「……そうですね。調さんは。……貴方は……、そういう人、でした……!」

 

 津々美は、納得したように、悲しそうに、寂しそうに。

 そして心の底から、羨ましそうに、引き下がった。

 

 それから暫く、彼女は俯いていた。

 だけど、僕が声を掛けるより早く、顔を上げる。

 

 その時には、無理やりな笑顔を浮かべていた。耐えていることを、指摘なんか出来る筈がない。彼女はハイテンションに明るく振る舞って、僕に言う。

 

 「良いデショウ! 何時か、調さんが私を振ったのが惜しかったと、残念だったと、後悔したと、そう言わせるだけの女になってみせマス! その時に私を見ても遅いデスよ!」

 「……ああ。……竜巻なら、なれるさ」

 

 僕の言葉に、彼女は、無理やりの笑顔を浮かべたまま、背を向ける。

 

 「戻りマショう。もう天文台には、用事がありマセんから」

 「……ああ」

 

 袖にした女に対して、男が何かを言える筈がない。

 こうしてカリテクサブリミ波天文台の一件は、決着を迎えたのだ。

 

 それは同時に、津々美の問題が解決したことを意味していた。

 

 ◆

 

 帰りの自動車は、憂さんが手配した新しいお手伝いさんと、藤原家のお手伝いさんの運転だ。

 

 全員が同じ車で移動は出来ない。男女に別れて下ることにした。……津々美と同じ車で帰るなんて、どっちにとっても酷な事は出来ない。

 

 車の中は無言だった。会長も石上も気を使って静かにしてくれていた。

 流れていくハワイの山並みを目で追いながら頭に浮かんだのは。

 

 津々美との思い出ではなく、千花との出来事……彼女に、告げた時の事だった。

 

 人を好きになり、告白し、結ばれる。

 それはとても尊いことだ。

 

 千花に対して、僕が告白したのは、中等部の時だ。

 

 勿論、幼等部から初等部と経て、その間ずーっと同じクラス。周囲から囃されたりもしたが、ごく普通の様に千花は僕の隣人だった。意識をせず一緒だった、と言える。別に当時から惚気ていた訳では無い(自覚していなかったという意味で)が、誰が見ても認める程に仲が良かった。……自分の中に『将来的にくっつくんだろうな』という漠然とした感覚はあった。

 

 それを改めたのが、中等部の頃だ。

 憂さんへの初恋は胸に抱いていたが意識せず、(キーちゃん)に関しても、母親関連に関しても、まあ何とか落ち着いた頃。幾つかの事件があって、ふと自覚したのだ。

 

 ――あ、僕は千花が好きなんだなあ、と。

 

 胸の中に燃え広がった、その感情を如何しようかと思い悩んだ。真正面から見るのがちょっと恥ずかしくなりもした。でもまあ長い付き合いなので、直ぐに千花が気付いたのだ。

 

 『なんか、いーちゃん、最近ちょっと様子が変ですよ? 何かありましたか?』

 『……誤魔化す必要もないよね』

 

 結局、感情を自覚してから数日の内に、僕は千花を呼び出した。

 

 そして改めて“ちゃんと”告白をした。

 

 その時の千花の顔は良く覚えている。照れ臭いような、嬉しいような、恥ずかしいような、色々な感情が混ざり合った、……にやけが止まらない、愛しくなる笑顔だった。

 

 千花は、あの時の事を、今でも覚えてくれているらしい。

 僕だってこの先死ぬまで忘れないと思う。

 

 あの時の気持ちを、あの時の絆を、思いを、この先も裏切ってはいけない。

 例えどんなに大事な友人であったとしても、踏み込ませてはいけない。

 

 だから、ごめんなさい、というしか出来ない。

 他の誰に対しても、そう返そう。

 

 「……(辛い)

 

 ほんの小さく口に出す。……でも本当に辛いのは、フラれた方だ。

 

 前を走る車は、様子が伺えない。千花が気を使ってカーテンを閉めている。だからあの中で、津々美が、かぐや嬢が、(キーちゃん)が、千花が、どんな会話をしているかは分からない。分かってはいけないのだろう。

 

 男が同情する権利なぞ、持っちゃいない。背負うしかないのだ。

 天文台から、車が下る。下った先は、また新しい明日だ。ハワイでの時間は、まだ残っている。

 

 ◆

 

 幾つか補足をしておこう。

 

 「申し訳ありません。取り逃がしました」

 「……憂さんが?」

 

 《R・F》の女は、何処に姿を消したという。彼女が逃げたことより、憂さんが敗北したことの方が驚きだった。互角以上に持ち込めると思っていたのだが。

 

 彼女の戦闘能力は、なんかもう一人だけバグっている。最近は(キーちゃん)も同じレベルまで育ちつつある気がするが、少なくとも彼女は、僕が知る限りでは最も荒事慣れしている人だ。広域指定暴力団(ヤのつく自由業)構成員が、そろって称賛・信仰するレベルである。銃火器だって使えるし、その気になれば多分テロも出来る彼女が、不覚を取った。

 

 いや、今は彼女の無事を喜ぼう。頑張ってくれた。

 追加情報が欲しかったのだが、これはイクサの奴を追求するしかないだろう。

 

 「鉄扇の一撃を腹に受けてしまいまして……。主導権を握られてしまいました。響さん、早坂愛さんらを、歯牙にも欠けずに立ち去ったようです」

 「怪我は?」

 「幾つか肋骨が折れましたが、既に処置は済ませてあります。痛み止めも飲みましたし、出血もありません。ちょっと熱が出ていますが、それだけです」

 「傷跡が残らないように、お願いします」

 

 変な傷が残っていたら、僕が龍珠桃に殺される。

 嫁ぐ女に怪我を負わせたとか洒落にならない。

 

 運転をするのに支障はないとも言い張ったが、そこは無理やりにでも休ませた。というか半日の間、延々と身体を酷使して戦闘をし続け、平然としているのが異常なのである。

 

 藤原家の皆さんには《R・F》に関しての情報は公にしていない。津々美が大変だとは伝えたが、誤魔化せる部分は誤魔化して、開示できる部分は開示した。

 豊実姉は『え、憂ちゃん怪我したの!? 大丈夫!?』と大慌てでやって来て、彼女を部屋に引っ張り込んで看病につきっきりになった。

 なんとなく、僕を看病する千花を彷彿とさせた。

 

 「肋骨だけですから。胸郭に傷はありませんし、しっかりバストバンドを巻いておけば問題はありません。飛行機にも乗れます。エジプトには同行しますので」

 「無理しないでねー? 昔から憂ちゃんは苦労ばっかり背負いこむんだから。偶には私がお世話してあげるわよー」

 「豊実さん。……有難くはありますが、私は使用人ですので」

 「岩傘さん家のね。そしてもう直に、普通の主婦になるんでしょー? 長い付き合いの『友達』なのに、そんな風に一線を引かされると私、悲しいわ」

 

 あの黒い鉄扇を思い切り胸部に受けたそうだ。臓器は庇ったらしい。

 

 豊実姉と憂さんは、憂さんの方が年上なのだが、力関係は豊実姉の方が上である。元々お嬢様である豊実姉を、唯の一使用人である憂さんが目上として扱うのは当然なのだ。が、しかし、僕が憂さんを盛大に傷付けた例の件以後、豊実姉は『年上の世間に疎い女の子』を振り回し続けた。ぶっちゃけ岩傘家で、豊実姉に勝てる人は誰もいないと思う。

 

 豊実姉の口実は『普通の家の奥さんになるならもう対等よね』という感じだろう。

 そういう接し方をしてくれるのは、有難い。

 

 「……ところでエジプトって何です?」

 「あら、言ってなかったかしら。ハワイの次はエジプトに行く予定よー」

 

 いえ、全然聞いてないです。

 

 ◆

 

 さて津々美母は、クロウさんからの説得を受けて帰国した。帰国してくれて清々した。

 

 『進路としてミスカトニックからスカウトを受けた』『学費は免除、研究費用も出す。歓迎する』『卒業後で全然構わない』etc……。数多くの「お土産」を前に、津々美母は屈した。

 権威と利権に弱い女は、クロウさんの前に容易く翻弄され、しかし欲が満たされたことで、ほくほく顔で帰国していった。

 

 後日、津々美から聞いた話だが、以後、彼女に関してやかましく言う事は減ったそうだ。……まあ津々美自身、もうあの家に戻るのは嫌になったようで、どっか適当な場所に住むと言っていた。秀知院には遠方出身の生徒の為に、寮も完備している。其処に入るつもりらしい。

 

 今まではずるずるとしていたが、きっぱりと関係を清算したいのだと話していた。

 

 出来るなら、僕ももう二度と会いたくない。

 多分、かぐや嬢からの「しっぺ返し」――主に御行氏を侮辱した一件について――が待ち構えているだろうが、それは僕には関係がないことだ。事後報告だけどっかで貰うとしよう。

 

 「私はエジプトに同行させて貰いマス……。夏休みのバイトはまだ続きマスから」

 

 その津々美は、夏休みの間は、藤原家のバイトを続けると決めた。

 

 天文台から帰還した日、車から降りて、その日は会話をしなかった。

 翌日の朝、挨拶をして、その時、彼女は少しだけ元気になっていた。目元が紅く腫れていたことは、誰も指摘しなかった。僕と、何とか普通に会話は出来るようになったのだ。

 暫くはぎこちないかもしれないが、夏が空けたら――前の様には行かなくても――しっかりとしたコミュニケーションは取れる筈だ。出来ると信じよう。

 

 「僕は流石に遠慮しておきます。もう少しハワイで過ごして、帰国しますよ」

 

 豊実姉と萌葉ちゃん、憂さんと(キーちゃん)はエジプトに向かう事になった。

 

 「じゃ、私も残りますね」

 

 千花は、こっちに残った。

 千花以外にも秀知院生徒会組は全員、ハワイでの滞在を選んだ。

 

 少し触れたが、実は、御行氏を呼んだ時、彼の身内のお二人(御行氏父と圭ちゃん)も一緒に誘っていた。

 津々美のトラブル中、圭ちゃんは萌葉ちゃんと一緒にあちこちを回り、御行氏父は、豊実姉・万穂さんらと行動をしていたのだ。僕らの問題に余り関与させるのも悪いというのもあったし、放置させておくのも悪いし。時間を持て余した者同士、ゆっくりと余暇を満喫して頂いた。

 

 どうも御行氏の父、御行氏・かぐや嬢の関係を既に見抜いたらしく、その辺を豊実姉達と会話していたようだ。流石、大人は鋭い。

 

 御行氏の家の状況は知っている。ハワイに来られるような金銭的余裕も少ないようだし、夏の思い出になってくれれば何よりである。

 施しを与えるなんて言う侮辱を親友にする気は更々無いが、結果として楽しんでくれるなら問題は無かろうさ。

 

 「これ結果的に、御行氏とかぐや嬢を海に引っ張って来るのに成功したってことかな」

 「そうなりますね」

 

 尚、早坂愛は変装して従僕に紛れている。彼女が水着で遊べないのはちょっと可哀そうなので、どこかで気を見て機会をプレゼントしてあげたい。本当苦労人だからな。苦労を掛けている原因が千花と僕であることは否定しないけど。

 

 ……と、まあこんな感じで、生徒会メンバーでハワイを楽しむことになった。

 

 この具体的な話は、また後日にしよう。

 たった一日だが非常に楽しい一日だった。此処で話すには長すぎる。

 それより、大事な話が二つあるので触れねばならない。

 

 一つは、今日この日から三日目に、かぐや嬢が強制送還されてしまったという事件。

 

 天文台の一件を片付けて帰還。その二日後、エジプト行きの飛行機に乗った皆を見送った日が丸々フリーだったのだが、その翌日の事である。

 どうも京都・四宮本家で集まりがあるらしく、会合に出席せよと当主:四宮雁庵氏から指名が飛んで来たのだ。

 ハワイから帰還させるのか、というツッコミをしたかったが黙っておいた。

 金持ちの当主、かぐや嬢とは仲が悪いらしい御仁について、僕が何かを言っても何かが出来る訳では無い。

 

 元々、休みの後半、近場の夏祭りに集まろうと計画を立てていたのだ。それを先んじて、こっちの我儘でハワイまで招いてしまった形。スケジュールが元に戻っただけと言える。

 一日フリーで遊べた日があったので、かぐや嬢は、ちょっと残念そうながらも素直に帰還していった。

 この件は、少々先の……日本での花火大会に関する諸々に影響を与えることになる。

 

 因みに御行氏(と白銀家)、石上も一緒の飛行機で帰還していった。

 御行氏が帰ったのは『四宮が居ないハワイで滞在していても……』という以上に、流石に『これ以上、僕らに甘えたくはない』という気持ちがあったからだろう。

 こちらが助けを求めて、それに応じるという形でハワイに来た手前、必要以上に滞在し満喫するのは、気が咎める。当然の反応だ。

 

 先んじてお礼を渡した形とは言え、圭ちゃんや御行氏父の分まで旅費を出している。

 それは、気にする。僕も気にする。気にしないと言いたいが、金銭での貸し借りは友情を破壊する第一要素だ。僕は彼と、お金で関係を構築はしたくない。

 

 第二の問題は、つまり、これと地続きだ。

 

 「……二人きりだねぇ」

 「……そうですねぇ」

 

 僕と千花は、二人きりなってしまったのだ。

 ハワイの、ホテルで。

 

 ◆

 

 エジプト行きの飛行機を見送って、更に日本帰国の飛行機を見送って。

 『そういや二人きりなんだな』とホテルに戻ってきてから、実感した。

 

 昼間の内は適度にデートを楽しんでいたのだが、ホテルに戻ってきて、買い込んだ荷物を置いた時「こんなに部屋が広かったのか」と思った。そりゃそうだ。最初は十人以上居て、今は二人だけなんだから。

 

 藤原家の皆さんがエジプトに向かう前、宿の部屋は改めて調整してくれていった。

 千花と圭ちゃんの部屋、かぐや嬢の部屋、御行氏&石上の部屋、御行氏父の部屋、僕の部屋。……しかし、かぐや嬢の帰還命令を聞いた僕らは、状況を把握後、すぐ宿に連絡を入れ、キャンセルをした。結果、二部屋だけ、残っている。

 

 ホテルで夕食を取り、部屋に戻ってきたは良いのだが、なんとなく一人で居るのは物寂しい。

 それは千花も同じだったようだ。

 

 ピロロロロと内線が鳴った。

 どっちかの部屋に集まろうという話になった。

 

 ――まあ、ここは、僕が行くべきだよな、と思った。

 

 何となく。何となくだ。

 大きな分岐点が、迫っている気がした。

 予感よりも確信に近い。

 

 それは多分、津々美から告白を受けたからだ。

 受けたから、自分の中に在る気持ちを、再認識したから。

 

 フった以上、フった彼女に対して誠実であるためには、此処で立ち止まってはならない。

 だから、この気持ちを、形にしなければいけないと、そう思ったのだ。

 

 夏休み、二人きり、夜、ホテルの部屋。……これ以上のないシチュエーション。

 

 意を決して――僕は千花の部屋の扉を叩く。

 ずうっと我慢をしていた、話したいことが、沢山あるんだ。




第二の試練は、二人の関係が進展する為にあった。
その結実は、次回です。

PS:「花火の音が聞こえない」の完成度が高すぎて介入のハードルが鬼難易度に……。
頑張ります。


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夏休み:進展する日々
岩傘調は抱きたい※


今更ですが!
もう今更なんですが!
今回は、藤原千花と、思いっきり思いっきり関係が進展するので!
それをご承知で! 読んでね!


 「津々美さんは、ちゃんと泣かせておいたんです」

 「そっか」

 

 扉を開けた時も、部屋に入った時も、ベランダに座った時も、千花の態度は何時も通りに見えた。少なくともパッと見はそうだった。

 

 ホテル最上階に近い、この部屋のベランダには、数人が楽に座れる長椅子と、パラソル付きの小さな机が置いてある。長椅子に並んで座って、夜景を見ながら、何を話そうかと考えていた時、最初に出た話題が、それだった。

 

 天文台からの帰りの車の中、千花はしっかりと津々美を泣かせたらしい。悪い意味ではない。泣きたい時に泣けないと大きな傷になる。だからしっかり悲しみを分かち合ってきた。そう言った。恋敵の為に本気で助言して本気で泣ける。千花の凄いところだ。

 

 車の中のかぐや嬢、(キーちゃん)、どちらも積極的に口出しはしなかった、出来なかったらしい。とはいえ二人も出来る範囲で慰めてくれたようだ。

 振った振られたの問題と解答に、正解は存在しない。結果があるだけだ。その結果を受け入れるしかない。

 

 「ごめん。色々と」

 「えー、それは私の言葉ですよ。津々美さんを応援したのも、いーちゃんにけしかけたのも、私が好きでやったことです。私が押し付けた、そうでしょう?」

 

 あっけらかんとして言う千花に、そうじゃない、と僕は投げる。

 

 「()()()キツかったかなと思ってる。千花の事だから、アドバイスをする時とか、津々美が泣いてた時とか、多分色々背負いこんだでしょ」

 「……そこ指摘しますか」

 「分かるよ。何年付き合ってると思ってる」

 

 はあああ、という声にならない声を吐き、ゆるふわ髪を手でぐしゃぐしゃとしながら、千花はがくっと肩の力を抜いた。座ったまま俯いて、顔が隠れている。相当、溜め込んでいたらしい。

 

 ……僕が溜め込ませたのだ。

 黙って吐き出すのを待つ。先を促したことは、向こうも分かっていた。

 

 「津々美さんを嗾ける度、正直ちょっと心が曇りました。応援している横で、素直に応援しきれない自分が居ました。最初から結果が分かって安堵している自分が居ました。……嫌な女だなと思いながらも、でも応援するのは、辞めませんでした。……それもこれも全部いーちゃんのせいです。いーちゃんが、私をこんな風に変えたんです!」

 「それは……反論出来ない。――愛想が尽きた?」

 「この程度で愛想が尽きるならとっくに破局してます。……でも」

 

 大きく息を吐いて顔を上げた千花は、僕を見る。 

 

 「()()()()()()()()()()()()()

 

 言うや否や、彼女は僕の元に顔を寄せる。胸元に、飛び込んでくる。

 

 受け止めた。

 とん、と胸板にぶつかる彼女は、勢いはなかったが、とても重かった。

 

 ……藤原千花は、そういう娘だ。友人の為に泣けたとしても、自分自身の為に泣くことは滅多にない。感情表現の一種として泣き顔を見せることはある。表の顔は直ぐ変わる。だけど心の奥底を露にする相手は、ごく限られている。

 

 御行氏が、かぐや嬢が、その心の奥を出さないのと同じように。

 石上が嘗て僕らに見せてくれた程の、底にある「ソレ」を見せてくれる相手は、限られている。

 

 家族か……あるいは、僕か、だ。

 

 「ふざけんじゃ、ないですよ」

 

 彼女の声は泣いていて、顔は見えないけれども、僕は胸元にじんわりとした熱を感じていた。

 顔を絶対に上げさせないと示すように、僕の二の腕を、ぎゅうっと握ったまま、訴える。

 

 「割り切れる訳、ないじゃないですか……! 嫉妬するに、決まってるじゃないですか! ……本当は言いたかったんでずよ! 言わないで我慢じでだんですよ! 岩傘調の相手は私ですよ! って! 津々美ざんを相手していないでこっち見てよって!」

 「……ごめん」

 「謝んないで良いです! いーちゃんはそういう人だって分かっでまず! 協力もします!絶対に私を選ぶってのも知ってますでも寂しい物は寂しいんですよぉ! 馬鹿ぁ!!」

 

 千花にばしばしと叩かれているようだった。言葉は彼女の痛みを伝えて来ていた。

 

 彼女の指摘の通りだったから、反論もせず、僕はじっとしていた。

 

 ……昔から何回もこういうがあった。だけどその時より、ずっと千花は悲しんでいる。それはきっと高等部になって、人間関係が増えたから。御行氏、かぐや嬢、石上、その他大勢の皆との関わりが成熟したから。

 幼い頃から若い頃まで、単純な好き嫌いから、その意味が色々な形で深くなっているから。

 ……だからその分、僕の行動は重く面倒になり、千花は……こうしてダメージを負っている。

 

 けれども。だけれども。僕は多分、これを変えられない。

 千花と僕が幸せならそれで良いと割り切れない。

 

 昔はそうだった。昔は、千花が幸せならそれで良い――自分を後回しにして、己を殺して尽くしていた時期もある。それから、千花に怒られて二人で幸せならばと思い直した。

 

 だけれどもその結果が憂さんの孤独で、その結果が義母との確執で、その結果が(キーちゃん)との断絶だ。だから僕は其処からもう一歩進んだ。千花は付いてきてくれた。

 

 一緒に歩いて、一緒に耐えてくれている。辛い道でも協力して頑張ってくれる。

 ならば僕は、千花が大変だと、辛いと、キツイと、そう言った時に、必ずそれを受け止めなければいけない。不満を、嫉妬を、我慢を、苦痛を、憂欝を、行き場のない感情を、受け止めよう。それは義務ではない。僕から千花への()()だ。

 

 「……ぐずん、……いーちゃんの馬鹿(ばが)。甘えん坊。意地っ張り。馬鹿、馬鹿、馬鹿大馬鹿! ……でも」

 「でも?」

 「私は、やっぱり、そういういーちゃんが、好きです。迷惑を私にばっかりかけて、自分達の幸せを他人に別けようとする、そんないーちゃんが、好きです」

 「……僕は、好きじゃない」

 

 言葉に、千花が「!?」という顔で僕を見る。

 だから即座に言った。

 

 「もっと大きい。好きや大好きじゃ足りない。――やっと顔を上げてくれた」

 

 目尻を腫らした、今も微かに涙の跡が見える千花と向かい合う。

 

 「あ、……愛してる、から」

 

 僕の言葉の意味を聞いて、彼女は段々と顔を赤面させた。え、あの、と言葉にならない言葉を言った後で、やがてポツリと吐き出した。

 

 「……そんな風に言われるの、何時以来ですかね」

 「自分でも言ってて恥ずかしくなった!」

 「もう! 其処は何時もみたいに平然としてて下さいよぉ!」

 

 本当だ。短いたった五文字の響きだけど、言うのに恐ろしく勇気が必要だった。好きだと言うのには慣れているが、流石に真面目に愛を囁くのはまだまだ照れ臭い。

 段々と調子が戻ってきた千花は、笑いながら僕を小さく何度も叩く。彼女も恥ずかしいらしい。

 

 「……座ろう。話したい事、色々あるんだよ」

 「順番が違いますけど、今からロマンチックにお話ですか」

 「うん」

 

 促しながら、長椅子に並んで座る。

 目の前の夜景が、何処までも煌びやかに光る中、寄り添った。

 

 ◆

 

 「と言っても話す内容、まとまってないんだ。部屋に来るまでは本当、色々言いたいことがあったんだよ。夏休みのこれからの話とか、生徒会の話とか、かぐや嬢の話とか、二学期からの話とか、今までの貸し借りの話とか。色々さ。色々あったんだ。だけど来たら言葉にならなくなっちゃって。……どうしようかな……って誘った癖に、困ってる自分が居る」

 

 「普段あんなに自慢ばっかりしている癖にですか?」

 「他人に見せつけるのは良いんだよ。でも今は二人きりだ。千花相手に格好つけても始まらない。さっきの一件だってそうだ。前に生徒会で話してたでしょ。千花は、僕のダメな部分の大部分を知ってる……。素直に接せるけど、素直になり過ぎても、逆に何も言えない」

 

 素直な言葉に、千花は笑って。

 

 「じゃあ私から。――知ってます? 此処だけの話、お姉ちゃんも萌葉も、結構いーちゃんの事好きですよ。家族的な意味でですけど、私の知らない話、結構してくるんです」

 「例えばどんな?」

 「私が知らない岩傘家での態度とか、私が知らない子供の頃の微笑ましいエピソードとかです。この前なんかアメリカ旅行中の事件の話していました」

 「……情報源は、憂さんと(キーちゃん)だね?」

 「ですです。驚きましたよ。いーちゃん、義母様に再会してたんですね」

 「だから吹っ切れた。千花も知ってる通り、最初は折り合い、悪かったからね……」

 

 ハワイの景色に、過去の嘆きは溶ける。

 その昔、家庭の事情でストレスをため込んだ僕は、ふらっと旅行に行っていた。この話は過去にしたと思う。僕は、その時「お母さん」に再会した。今の義母ではなく、産みの母に。

 クロウさんに出会ったのもその時だ。海が苦手になったのもその時だ。

 そこで僕は、ちょっと吹っ切れて、ちょっと成長した。自分で言うのもなんだけど。

 

 義母とは、今は仲が良い。仲直りが出来たのだ。元々向こうが嫌っていたのではなく、僕が上手に接することが出来なかっただけだった。高等部に入った頃にはほぼ改善され、今ではお弁当を作って貰ったりしているし、会話も多い。

 義母の体調の都合上、毎日という訳にはいかないけれども……。

 

 「そして表にする秘密。実は私の元には、時々、(あき)さんから連絡が来ます」

 「マジで!?」

 「マジです。メールですけどね。勿論、義父様、古読(こよみ)さんに逐一伝えています。……いーちゃんの事、色々伝えてくれるんですよ。花嫁修業には、丁度良いって。どうも一定時間後に自動転送されているようで、何処から発信されているかは分かりませんが」

 「道理でえ……。憂さんだけじゃ知識量に無理があるなとは思っていたんだよ……」

 

 僕を生んだ母:岩傘(あき)。海外特派員。憂さんを拾って送り付けるわ、更にその後、(キーちゃん)を送り付けるわと何かと問題がある人だ。冷静に考えると「親としてそれは良いのか?」と思う事もあるが、まあ……嫌いではない。凄い人なことは認めよう。

 

 離れているが、流石は母というべきか、僕の方から連絡を入れられることは滅多にないが、向こうはこっちの情報を良く掴んでいる。四宮家のシークレットサービスを駆使しても足取りを追うのが困難な人の癖に、連絡を入れるのは怠らないらしい。

 

 相手が僕ではなく、千花(息子の嫁)という辺りがなんとも、大人の女性だなあと思う。

 

 「短いですけどね。何故か、適切な助言が来ることも多いです」

 「そっかぁ……。最後のメールにはなんて?」

 「それは秘密です。大体の場合『息子と旦那には内緒でね』と書かれてるんですよ。だから来ましたと報告だけは、伝えていますけれど……詳しくは言えません。割と過去の話が多いですよ。古読さんを篭絡した時の話とか載っています。『親子だから好みはそっくり』って」

 「親父も苦労してるな……」

 

 まあ親父と好みが似ているのは間違いない。女性の趣味――まで同じとは言いにくいが、それ以外の部分でそっくりだ。F氏(大地さん)ですら「そっくりだ」と語っている。

 好みを承知した上で、女を磨いて、アプローチしてくれる。

 

 「お嫁さんとしての修行は、まだまだです。お掃除やお洗濯はさておき、料理とか大変なんですよ? 最近やーっと生魚を裁けるようになりました」

 「そうなんだ? ひょっとして鮫の時も……?」

 「えへへ、実はそうです。言いませんでしたけど。憂さんと一緒に少しだけ」

 

 後日知ったことだが、僕らが止まったホテルは「自分で料理も出来る」ホテルだった。専門家に任せても良し、食材を渡してお願いするも良し、自分らで手間暇かけるのも良し。

 

 男を捕まえるのは胃袋からという言葉がある。

 僕が益々千花に篭絡されるのも無理はない。料理以外にもいろいろな部分で僕への攻勢を緩めない。ピンポイントで急所を狙われているのだから負けるに決まっている。

 

 何時ぞや発見されたR18本(未だにちょっとずつ増えている。彼女が居るのに読むな? ……馬鹿言うな、そこは男子なんだからしょうがないじゃん)も今なお確認しているのもある。女性は過激な本に耐性があるというが、千花も例に漏れない。

 まあだからこそこちらは周囲を巻き込んで攻撃を繰り広げているのだけれど。

 此処に居るのは二人だけ。戦いになったら状況は不利だ。なんてね。

 

 「果報者だな、僕は」

 「むーん、もうちょっと敬って、お返しくれても良いんですよ?」

 「……じゃ、こっち来なよ。引っ付こう」

 

 折角、二人で仲良く並んで夜景を眺めているのだ。もう少し距離を詰めよう。

 あー甘くて良い匂いするなーと思いながら、腰に手を回して、優しく引き寄せた。

 

 ◆

 

 「もう、いーちゃん。二人きりだからって大胆ですよ?」

 「嫌なら止めるけど?」

 「嫌ですねー」

 

 えっ。と思わず千花を見た僕の顔は、多分かなり驚いていただろう。

 それを確認した千花は、僕が何かを言うより早く、続ける。

 

 「優しくじゃダメです。もうちょっと強めに!」

 「……分かったよ!」

 

 さっきの逆襲だ。やられた、と思いながら強めに――痛くない程度にぐいっと引き寄せる。指が少しだけ身体に沈む。その感触がこそばゆかったのか、少しだけ身体を震わせる。可愛い。

 腿と腿がくっつくくらいに、肩がぶつかって、千花の頭が乗る位に。一つの席に二人が座るように距離を詰める。互いにアロハシャツと下着だけなので、必然、体温が分かる。胸の側面が当たる。柔らかい。……ちょっと自分の鼓動が早いなと自覚した。顔に出さないようにするのに必死だった。

 

 「くっつくだけですか?」

 「僕の膝とかに頭を乗せても楽しくないでしょ。景色も見れないし」

 「まーそれは確かに。……かぐやさんや会長も、景色、楽しんでました。呼んで良かったです」

 「うん。たった一日だけど、良い一日になったよね」

 

 昨日、観光をした。男子三人で女子が二人。僕と千花、御行氏とかぐや嬢という組み合わせで動くと、必然、石上が余る。なので午前中は全員での行動を意識しつつ、基本は男女別の行動だった。女子二人で大丈夫か? とも思ったが、そこは早坂愛もいる。何とでもなった。

 

 午後、石上はホテルで休んでいた。誘おうかとも思ったが『邪魔したくないんで構わないですよ』と空気を読んだのだ。僕も割と気を使うが、石上も相当に気を使う奴である。

 

 石上にも相手が居れば良いのだが――と気を揉んでもしょうがない。出会いはあるさ。

 

 何度も説得したが、石上も割と強情だったので、最終的には言葉に甘えて男女二人ずつになった。となればどうなるかは自明の理。

 僕は千花と行動し、必然、御行氏とかぐや嬢の二人での行動になった。

 果て、二人の交流が、どの程度に良い具合の行動になったのかは、言わぬが花だ。

 

 休みの間、会いたいと互いに思っていただろう。

 会えない分のフラストレーションを、僕らが解消してしまって良かったのかな、と少しだけ思ったが、悪いことではないさ。

 

 かぐや嬢が強制送還されてしまい、観光が一日だけになってしまった事は酷く残念だし。

 一度会えたからこそ、二度目三度目の再会が待ち遠しくなるとも言う。

 帰国後にある花火大会が楽しみだ。

 

 「あの二人ってどうなるんでしょうね」

 「何とかなると思うよ。僕らとは違った形で、両思いだし」

 

 背後の夜景から、空に。夜天に広がる一面の星は水平線まで続いている。今日の月は小さかった。だけどそれで良かった。月は好きだけど、今、この状況に相応しいのは、輝く星だ。

 

 天文台の景色も素敵だったが、今はもっと素敵だと思う。

 隣に千花が居る。二人きりだ。

 

 ……千花が、何時からあの二人の関係に気付いていたかは、定かではない。

 ただ、気付いていた。

 少なくとも互いが互いを意識していて、御行氏の努力はかぐや嬢に良い格好をする為だ、とは理解している。かぐや嬢の態度も、御行氏には素直になれないだけだというのも理解している。

 ラブ探偵チカは僕が育てた――と言って良いと思うが、お陰で彼女の相談室は評判が良い。相手が誰なのかまで的確に嗅ぎ付けて、助言を重ねているのだ。ぱない。

 

 「御行氏の根性なら、絶対に最後はかぐや嬢を、捕まえる。どんなハードルがあっても、どんな問題が立ち塞がっていても、絶対に。……こういう言葉がある。『誰かの為のヒーローは、その人に向かって一番に進んだ人である』」

 「……誰です? その言葉を言ったの」

 「今、考えた。でも本音で、思想だ」

 

 誰かの為に一歩前に出て、何かを為すために進む。それは難しいことではない。少しの勇気があれば誰だって出来ることだ。それだけで己を取り囲む世界は割と簡単に変わる。

 

 うるせえ馬鹿(バーカ)! と言えるようになるだけで、世界は簡単に明るくなる。

 

 だけどそれを何回も何十回も積み重ね、前に進み続けることが出来るのは一握りだ。そうして最後まで進み続けた人間は、他の人が憧れ、認める『王子様』になる。

 

 学年一位を取るための努力と、学年一位を維持し続けるための努力の差。

 ただ只管に、前に進み続ける漢。そんなアイツ(親友)こそが、試練に挑み続け、難題を越え続け、かぐや姫を手に入れる者に相応しい。

 

 「僕にとってのお姫様は千花だけどね。もうこの掌の中にある。だから、絶対に逃がさない」

 「またそーいう事をー。言葉より行動が欲しいですー」

 「そう、それじゃあ」

 

 (かぐや姫)も居ない。月に手を伸ばす男(白銀御行)も居ない。

 

 小さな世界に二人だけ。僕の手の中に、僕の星が一つ。だから遠慮も憂慮もせず、行動した。

 

 ちょいと千花の首元に手を回し、彼女の顔をこちらに向け、自然なまま唇を落とす。

 すっと極々自然に。……不意打ちだったけど。冷静にやっているように見えて結構バクバクだ。

 

 「ん!? ……ん、……っ、……。……い、いーちゃん、不意打ち!すぎます!」

 「……でも……効果は、あったでしょ?」

 「ぐぬー、効果はありましたけど! けど!」

 

 口を離すと、もう! という顔だった。

 少しぷんぷんという顔で――朱に染まって半分嬉しそうだったけど――憤懣を口にする千花が、もう愛しくて愛しくてしょうがなかった。星灯りだけしかないけれども、彼女の姿は輝いている。思わず笑いが零れた。

 その内に千花も、くすくすと笑いだして、楽しいのと同時に温かさと幸せで笑ったまま。

 

 「もっかいする?」

 「むう! 今度は私の方からします!」

 

 千花が、座ったままの膝の上に乗っかった。僕の首に腕を回して、そのままぐいっと顔を寄せてくる。最初、ベランダに出てきた時とは違う柔らかさを感じて、そのまま受け入れた。

 

 長い髪が頬と首元に流れていく。

 唇の柔らかさを感じながら、僕の心は――()()()()()と欲求を叫んでいた。

 

 だから、すっと舌を伸ばした。

 

 「――!?」

 

 軽く舌先で、千花の歯を叩く。おずおずとだが、彼女は唇を重ねたまま、少し口蓋を開けた。

 その奥に先端を押し込むと、彼女の方の舌が当たる。

 所謂、ディープなキス。ぐい、とそのまま彼女を引き寄せる。

 

 「……ん、……ちゅ……っ……ん、……」

 

 水の音がした。粘っこい、互いの唾液が絡み、濡れた舌同士がぶつかる音がする。暫しの後に、千花から口を離した。ぷは、と呼吸が荒い。つつ、と互いの口の間から、雫が垂れる。

 僕の再びの不意打ちに、千花は混乱し、今まで以上に真っ赤だった。多分身体も真っ赤だろう。

 

 「あわわわ、も、もう! だ、大胆です! なんか大胆ですよ!? もう……!」

 「顔、真っ赤。――覚悟決めて、来たんだよ。部屋に来る時」

 「は、……はい?」

 

 少し深呼吸をした。部屋に来る前から、緊張はずっとあった。

 腕の中に居る、大事な大事な彼女の瞳を見る。

 

 ……勇気が必要だった。唯の夜なら引き下がっていた。

 だけど天文台の一件があったから、自分を叱咤して、自分を前に進める覚悟が決まった。

 

 どんな経験があっても、彼女の存在は、心の中を占めている。

 誰かを見送っても、誰かから告白をされても、僕の心は、彼女から離れない。離れようがない。

 

 一緒に歩いてくれて、泣いてくれて、支えてくれて。

 それは感謝以上に、愛情が勝るのだ。

 掌の中に抱えることが出来るたった一人の女性。自分の全てを掛けられる異性。

 真剣な目に、千花は動きを止める。心臓の音が痛い。ほんの少しだけ僕の指先が震えていただろう。けれども――僕は続けた。

 

 「今日は、……離したく、ない」

 

 言葉を、絞り出した。直接的な言葉は言えず、だけど何時も通りの言葉でもなく。

 素直に言えない自分が情けないなあとかヘタレだなあとか思ったが、意味は、通じたようだ。

 千花は、暫く意味を吟味していたようだが、――やがてボンと湯気が立ち上る程、顔が赤くなる。さっきが桃なら今は林檎だ。あわわわと慌てふためいている。

 

 「え、あ、え、や、あの、あのそれって」

 「抱きたい」

 「ふ、普段のハグ的な、い、いい意味」

 「では、なくて」

 

 はわわわ!? と膝の上で混乱する彼女に、問いかけた。

 

 「嫌、だった?」

 

 返事を待つ僕に対して、千花はやがて黙り込む。

 一瞬が永劫に感じられるような刹那の後、小さく、ほんの小さな声が届いた。

 

 「…………じゃ、……ぃ、です」

 「……僕に聞こえる声で良いから、もう一回」

 

 促す。千花は、震えながら、僕に再び抱き着いて、耳元で微かに、けれどしっかりと言った。

 

 「……ヤじゃ、ない、です」

 「わ、かった」

 

 そりゃあ僕だって緊張でがくがくだ。もう心臓が破裂しそうだ。

 けれども想いの一切は陰らなかった。

 

 答えを聞いて、僕は千花をそのまま持ち上げた。膝の下に左手、右手を背中に。

 お姫様抱っこだ。

 そのまま、頑張って、部屋に戻る。

 

 「あ、あの、あのあの、そ、その、ですね! こ、婚前交渉は、い、いーちゃんならセーフ、セーフだと思います! 思いますけど!」

 「……けど?」

 「そ、その……」

 

 ベッドの上に運んで、置く。

 千花は、どもりながら、緊張に身体を固くしながら、それでも無防備に、続けた。

 

 「や、優しく、お願いします……」

 「善処するよ」

 

 それからどうなったかは、言う必要はない。

 

 千花はとてもとても、とっても可愛かった。

 僕の脳内フォルダに記録された姿は、死ぬまで、彼女と同じ墓に入るまで、大事にしよう。




かくして関係は行くところまで行ってしまった。
タイトルは「(いだ)く」ではなくド直球の意味である。

でも物語はまだ続く。
惚気とラブコメは折り返し。此処からは後半です。

今後もよろしくお願いします。


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岩傘調は夜食がしたい

副題:藤原千花 VS マスメディア部 in ラーメン屋


 ラーメンが食べたい。

 起きて最初に思ったのが、それだった。

 

 「むにゃ……むー……もぞもぞ……」

 

 腕に引っ付いている千花は僕を離さない。しょうがないので寝たまま思考を巡らせる。

 

 時計の針は夜20時過ぎ。まだ近所の店は開いているだろう。

 タクシーから降りた僕らは、時差ボケの頭を引っ張ってそのまま布団に潜り込んだのだ。それから更に三時間が経過。変な時間に寝ると変な時間に目が覚める物で、何となくふと目を覚ましたのである。

 

 目が慣れてきた。見慣れないようで見慣れた部屋の天井が、ぼんやりと入ってくる。

 そのまま朝まで寝てしまおうかな、と時間を確認し、その辺にあったペットボトルで喉を潤した時、自分のお腹が空っぽだと気付いた。……飛行機から降りる直前、一食を済ませていたが、それから何も食べていない。

 

 ハワイの日々は楽しかったが、やはり食べなれた味が恋しくなる物。ラーメンとかカレーとか、和食とか洋食とか、もっと言えば米と麺が食べたい。日本の味が食べたい。

 

 ハワイにも和食屋やラーメン屋はあったが、それはそれ、これはこれ。やはり此処は、薄汚れた都会の街並みの中、ひっそりと佇み労働者の食欲を満たす、決して大きくもなければ豪華でもない、しかし確実に客が入る、そんな店に足を運ぶべきではないだろうか。

 思い立ったら食べたくなってしょうがなかった。

 

 「……うへへへ、いーちゃんてば何をネコミミ付けてるんですかぁ……うぇひひ……すかー」

 

 僕にしがみつく様に寝ている千花は一体どんな夢を見て居るのか。

 そこで改めて事実を把握する。

 

 (……そういえば、一緒に寝てたなあ)

 

 成田空港に付いたのが午後三時ごろ。

 空港から家まで、距離で約70キロ。高速道路を使っても一時間以上はかかる。お財布にも余裕はある。かくて僕と千花は黒塗りの高級タクシーに荷物を積み込むと、後部座席で仲良く眠って家まで戻ってきた。

 タクシーの中で熟睡していたのもあって、料金のお釣りを貰うのもそこそこに、ふらふらになりながら藤原家に入った。使用人さん達の目を気にせず、一緒だった。そのまま今に至るのだ。

 

 うっかり流れで同じ部屋に入り、うっかり同じ部屋のまま、うっかりで適当に荷物を放り投げ、同じタイミングで布団に潜り込んでいた。

 勿論互いにちゃんと服は着ている。熟睡していて濡れ場を作る余裕なんかなかったし。

 ……しかしうっかりで同衾してしまう辺り、ちょっと不味いか?

 

 「むにゃむにゃ……だめですよぉ……我が家では門松はツリーとセットなのでぇ……プレゼントとお年玉はセットになりゅふふ……贈りもの二びゃい……わ・た・ひ……すやすや」

 

 ……いやまあ今更で、別に何時も通りだな? と思った。

 

 一線を越えた越えないに関わらず、僕と千花が一緒に寝るのは良くあること。どんな夢を見てるんだろうか、と疑問に思うのも今更の話だった。

 

 口元がだらしなく弛緩して笑っているので、そのまま頬っぺたを摘まんでみた。

 

 おお、すべすべでもちもち。柔らかい。良く伸びる。

 ぐにーぐにーと引っ張ると千花の表情は自在に変わる。

 

 僕の悪戯に眉が動いたが、寝ているようだ。口を開けて涎が枕に垂れている、ちょっとばかりみっともない寝顔だったが、それも僕だけが見れる役得だ。

 半開きの口が、むにゃむにゃと、変わらず意味をなさず呟いていたので、僕は行動した。

 

 ――すっと人差し指を、千花の口元に。

 

 「あむ……、……むにゃ……あむ……」

 

 はくり、と指が第一関節まで咥えこまれた。

 

 そのまま、じっとしていると、指がそのまま、はむはむと甘噛みされる。

 時々ちょっと吸われたり、舐められたりする。

 

 ……うん、良いね。とても良いね! 噛まれると危ないので唇の中、歯の手前で止めているが、とても良い。エロ可愛い。何となく空いた手で寝ている千花の髪を弄りながら、この状況に至るまでを思い出す。

 

 現在は8月17日。

 千花と同じ部屋、同じベッドの中でいちゃいちゃしてから四日後と言い換えてもいい。

 

 お盆シーズンも終わり飛行機に余裕が出たところで、僕らは日本へと帰国した。憂さん&(キーちゃん)、豊実姉・萌葉ちゃん・津々美らも今日か明日には戻って来るだろう。僕らは一足早く家に戻り、荷解きと休憩だ。

 

 三日後、20日には生徒会メンバーで夏祭りに行こうと約束をしてある。

 ここらで帰宅し時差ボケを回復させておかないと、中々夏休み最後の時間を過ごすのに辛い。ハワイとの時差が19時間あるくせに飛行機の中では9時間だから、もう身体がおかしなことになってしょうがないのだ。眠い。凄く眠い。僕も千花も欠伸をしっぱなしだった。

 

 『……寝かせてくれなかったのは誰ですっけ?』

 『僕ばかり悪いみたいに言うの止めてね? 千花の方から誘った日あったよね?』

 

 僕の指摘に、千花はほんのりと頬を染めてそっぽを向いた。

 一線を越えると二回目を越えるのに躊躇が無くなる。互いに高校生で若いし。流石に発情しっぱなしという事は断じてないが、千花の方から乗ってきた日があったのは確かである。

 

 『…………何時ものノリで話すと爆弾落としそうですね』

 『そだね。何処まで隠すかは難しいね』

 『誤魔化せるときは誤魔化しますが利用する時は利用しましょう!』

 『頼む。僕も頑張る』

 

 壁に耳あり障子に目あり。何処で誰が嗅ぎ付けるか分かったもんじゃない。

 

 許嫁で将来を約束している以上セーフだと思う。千花は17歳。3月3日が誕生日だから既に婚姻届けに名前を書ける。だが僕は来年まで待たねばならないのだ。

 婚前交渉はギリギリセーフでも、万が一にでも妊娠とかなったら洒落にならない。

 だからその辺はちゃんとしようと意識している。

 

 (……意識はしているけど、……可愛いなぁ……)

 

 表情豊かな千花の顔が、何時ぞや、御行氏のハンバーグを食べた時より融けていた。

 色々柔らかかったし。色々熱かったし。色々鳴いてたし。

 

 思い出しながら、無言で髪をなでなで。

 そのままじっと観察して弄っていたかったが、あんまりやっていると自制心が融けそうだったので、僕は無言で指を抜いた。そして千花に声を掛ける。

 

 「もしもし千花さん、起きれるー?」

 「ふぁいもひもひ……、……あい……はい……まだハワイ発の飛行機は先……」

 「此処は日本だよ……。もしもしー?」

 「………はぃ?」

 

 千花は、僕の声に徐々に意識を覚醒させる。

 寝ぼけ眼のまま、ゆっくり起き上がると、あー、とか、あ“-、とか変な鳴き声を上げながら、顔を振って周囲の状況を確認していく。暫くの後、己が部屋の中、雑なまま寝ていたと思いだしたらしい。序に僕が同じベッドだった事も。

 

 欠伸をしながら、ぼさぼさになってしまった髪を手櫛で整えながら、まともに会話が出来る様になるまで五分程の時間を有した。

 とりあえず近くにあったペットボトルの水を差しだす。彼女はこくこくと飲む。

 

 「んく、んく、……ぷは……。うー、眠いです……、ナンノヨウでしょう……、適当な理由なら例えいーちゃんでも許しませんよ……。……なんで自分の人差し指を咥えてるんです?」

 「気にしないで。千花エキスを摂取してるだけだから。……お腹減らない? ラーメン食べ行かない? 寝てるなら僕一人で行ってくる」

 「……らあめん! 行きますっ!」

 

 単語を復唱する。やはり千花もラーメンのスイッチが入ったようだ。

 がばっと立ち上がると、そのまま放り投げられていたトランクを漁り、外出用の適当な服に着替えていく。ブラシを片手に、ドレッサーの前に座ったのを確認して、僕は部屋を出た。身嗜み整理にはちょっと時間がかかるというし、外で待っているとしよう。

 

 頼れる憂さんはまだ帰宅していない。藤原家の留守番役さんとかペスとかは居るが(というか大地さんとか普通に仕事だから、当然ながら家が空になる事はない)、此処は外食しに行こう。藤原家での食事は何時でもできるが、()()()()()()()()()()()()()()()を食べる機会は少ないのだ。こういう時に食べたい物を食べる、それが人生を楽しむコツである。

 

 財布の中に余裕があることを確認する。こちらの問題もなし。

 半袖ブラウス、スカート、胸元にリボン、頭に何時もの蝶々リボンと綺麗に整えた千花を迎えて、僕らは街へ繰り出すことにした。

 

 ◆

 

 繁華街の角にひっそりと佇むラーメン屋『博多・天龍』。

 

 しがない中間管理職:小田島三郎が暖簾をくぐったのは、少し遅めの夕食時間だった。

 都内のラーメン屋巡りを趣味とする小田島は、家近くにあるこの名店の「真の味」を知っている。大々的にメニューを飾る「豚骨」ではない。壁の片隅に小さく書かれた、870円。

 

 「醤油とんこつ、薄目」

 「麺の固さは」

 「カタメで」

 

 常連客としてツーカーで会話が出来る。店主の自信を「理解(わかっ)ている」小田島の言葉に、背を向けてスープを混ぜていた店主が、にやりと笑うのが見えた。

 

 最適解。如何なる店にも表向きの名物メニューがある一方、店主が自信を持って進める裏メニューが存在する。ましてこの地域には、所謂「評判が良い」店が多かった。そうなると競争激化の結果、どの店にも『他には負けない看板メニュー』は勿論、『店主秘蔵の秘密メニュー』を構えることで客を誘致している店も多い。

 

 ラーメンが専門だが、店主の拘り・料理への愛情を見抜く眼力を持つ小田島に取って、この程度の会話は、既に幾度となく繰り返された、経験と熟練の賜物だ。

 

 故に、店に入ってきた二人を見た小田島が『カップルの来る店じゃないんだぜ』と思ったのも無理はないことだ。

 

 「わー、良い匂いー!」

 「うん。美味しい匂いする。千花の勘はこういう時は当たるからなー」

 

 ラーメン屋よりもケーキ屋が似合いそうな可憐な女学生が一人。続いて入ってきたのは、どうやら彼女と一緒に来たらしい男子学生。名前呼びからして、二人で揃って入ったのは間違いない。距離の近さから、友人以上であろうと見破った。

 

 この店には食券はない。入ってきた二人に、店主は短く「らっしゃい」と迎え、その後に「ご注文は?」と尋ねる。店主の目は、穏やかながら、やって来たこの来訪者を吟味していた。

 

 「私は醤油とんこつ、――薄目で!」

 「「!?」」

 

 少女の告げた言葉に、愕然としたのは、小田島と店主の両名だった。

 この店における「最適解」を弾き出した少女。もしやこの少女「理解(わかっ)ているのか!?」と目が注目する。確かにこの店は、繁華街の片隅とは言え、決して外観は良くない。夜に食事をする為だけの店構え。カップルが気楽に入るのに敷居が高い店なのだ。

 

 (ならば、この次はどうなる……? 男子の方は、何を選ぶ……?)

 

 少女は麺の固さを「バリカタで!」と注文をする。

 

 此処で小田島は少し安堵した。博多ラーメンのバリカタ。確かに若者では有名な食べ方だ。思わず失笑しそうになる。……流行に乗ったお遊戯のような選択! 先ほどの心配はただの杞憂だったのだ。買い被りに過ぎない。

 最初の正解は、店にやって来た少女に対して、ラーメンの女神が気まぐれな祝福を与えたに過ぎない。長い髪を頭の上で結び直している少女を見て、そう思った。

 

 「お兄さんは?」

 

 最適解を選んだ少女の傍ら、メニューを眺めていた男子は、少し悩んだ後でこう告げた。

 

 「大将、お勧めを。僕は今、――とても、ラーメンが食べたいんです」

 

 気迫。

 どん、と空気が震えた気がした。

 

 唯の戯言ではなかった。其処には重みがあった。

 

 小田島は思わず男子の方を見る。物静かな外観に対して、その眼は油断なくメニューではなく店主を眺めている。その眼光を見て、小田島は、そして店主は知った。

 

 ――チョイスを迷って尋ねたのではない。この男は、ラーメンを喰いに来たのだ!

 

 長い間、己を戒めた人間が封印を破るように! ただ「一番、旨いラーメンが食べたい」と強欲なまでに純粋に心に思ってやって来た。

 

 「……ウチは何でも美味いよ。名物は豚骨だ。だが食べて欲しいという意味なら「醤油とんこつ」だ。満足出来るだろう」

 「ではそれで。麺はお任せします」

 

 小田島はそこで「そうか……」と納得していた。そう、最適解を経験で導ける熟練者ならば、確かにツーカーで店主とやり取りが出来る。だがこの男子は違う。だからこそ素直に尋ねたのだ。

 思えば料理とは、作る側・食べる側のどちらが偉いという事はない。食べる客は値段に合わないと文句を言う権利はあるが、それは金に対しての文句。飽くまでも店・客は対等である。

 そこにあるのはコミュニケーション。

 客として店主に引かず、媚びず、そして居丈高にもならず、素直に問いかけたのだ。

 

 ――ラーメンが食べたい……!

 

 その強い意志は店主にも通じた。男子の問いかけに、任せろ、と笑った店主。その顔は勝負に挑む漢の顔だった。覇気を纏って調理を始めた店主を見て、男子もまた席に座る。

 その眼は「食欲」を何よりも雄弁に語っていた。

 

 (……そうか、そうだな、分かるぞ……その気持ち……!)

 

 小田島の胸中に浮かんだのは、純粋な応援と、己の原点の再確認だった。

 

 社会人として疲れる日々を過ごす中、ふと思う『食べたい』という欲求。己の汗水流して稼いだ金を使い味わう逸品。店を選ぶところから始まる勝負。そして感動。

 

 少女が食べる姿は、言うなれば若さの象徴。塩分、血糖値、カロリー、年齢と共に摂取するのがキツくなる品々を存分に食べる姿は、もう取り戻せない失われた過去。

 

 しかして男子が食べる姿は、情熱の象徴だった。時として開拓を怠りそうになる己を叱咤した。青くても美味しく食べる少女を見た時に思った『未熟だな』という己への戒めであった。

 

 店の最適解を選ぶ。それは確かに正しい道である。ベテランだからこその技である。其処にあるのは挑戦ではなく()()だ。この男子は、確かに技は持っていない、しかし、別の大事な物を確かに持っている……!

 

 店主と客のワルツ。己の提唱した概念を実行する漢。

 まさかこんな場所で、こんな出会いがあるとは。

 感涙に咽びながら、小田島は、ラーメンをすする二人組を応援していた。

 

 ――そうだ、存分に味わってくれ……!

 ――それが、それこそが青春の味なんだ……!

 

 ◆

 

 カウンターに座っていた眼鏡の男性が、何やら感動をしていた。理由は良く分からないが、味に感動しているんだろうきっと。僕らを見る目が「物珍しさ」ではなかったからだ。女性を見るスケベな目ですら無い。

 

 「美味いよな!それ!」という、食事に対する敬意を見たというか、そんな感じだ。

 

 彼が食べているメニューも「醤油とんこつ」ではなかろうか。どうやら隠れメニュー的な意味で非常に有名らしい。同志を見つけて感極まったのかもしれない。

 

 千花と僕の前に、丼が置かれている。それを互いに遠慮なく口に運ぶ。僕と千花の間に、恥じらいは無い。ラーメンは熱い内に、全力で頬張るのが美味いのだ。

 

 ちらっと僕はサラリーマンの方を伺った。彼は香り、スープ、具材、麺、水という繰り返しでラーメンを味わっている。千花はレンゲの上にミニラーメンを作って食べるようだ。

 僕は、素直に具材と麺を一緒に口に運んだ。

 

 ――美味い。

 

 久しぶりという事を差し引いても、このラーメンは美味かった。

 

 まずスープ。唯の「豚骨」はこってりとした味が多いが、「醤油とんこつ」だからか少しマイルドだ。くどくない。醤油の味は仄かなのだが、それが脂分を感じさせず、後味をひかせて来る。思わずスープだけを飲んでしまいたい衝動に駆られる。我慢した。

 

 ネギ、紅ショウガ、キクラゲ。何れもサイズが小さい。千花はミニラーメンにして食べているが、僕はそんなの関係なしに麺と一緒に口に運んだ。割り箸に全ての材料を掴み、一気に口に!

 

 カタメの麺が、歯に当たる。弾力と共に噛み切られた麺と、スープが口の中で混ざる。しっかりと噛んでいると、ふと舌に触れる紅ショウガの刺激。歯応えを変えるキクラゲの感触。口の中で弾けるアクセントは「再びその触感を寄越せ!」と脳に命令を送る。

 

 リズムだ。音だ。食材が口の中で踊っている。絶妙な分量だ。

 飲み込むと、再び具材を一緒に掴み、口に運ぶ。それを繰り返す。

 

 ずずず、という音を気にしない。海外ではさておき日本では音を立てるのがマナーだ。余り大袈裟でも行けないが、此処に居るのは千花と店主とサラリーマンが一人。であれば気にしない!

 瞬く間に空になっていく器。胃は「もっと食べたい」と叫んでいた。

 

 「大将……!」

 「分かっている。替え玉だな」

 

 絶妙のタイミングで替え玉が入れられた。その僅かな時間に、僕は水を飲む。美味い。喉を通っていくキリっとした冷たさが、ラーメンの熱量に対して応じた。「何時でも良いぞ!」と。

 

 そして再びの麺。具材と混ぜて食べる。

 だが二杯目。必然的に、具材は減っている。スープも微かに薄くなる。麺との相性は変わらずだが、ほんの少しだけ物寂しい。

 

 「いーちゃん、どうぞ」

 「うん」

 

 す、っとその時、真横から銀の器が差し出された。

 

 其処に合ったのは、ニンニク。そしてニンニク絞り器。ガツンとしたパンチを追加する兵器。

 見れば既に千花は、ニンニクを投下していた。目が合う。互いに分かっていた。

 

 ――だって美味いもんな!

 

 全力でニンニクを絞り、スープを飲む。そして麺を食べる。新しい旨味が加わった。麺に絡むスープとニンニク。それが新しい宇宙(コスモ)を創造していく。手が止まらない。あっという間に食べきってしまう。そしてそのまま器を持つ!

 

 千花が器に口を付けるのと、僕が器を口に付けるのは、ほぼ同時だった。

 そのまま、一気に、スープを飲み干す! 喉を通り、胃の中に流れ込んでいく濃い味! 明らかにカロリーと塩分過多だが、でも美味いんだからしょうがない!

 どん! とほぼ同じタイミングで、僕と千花は器を置いた。

 

 「「……ふぅ……」」

 

 ほんの僅か、レンゲ数杯分だけスープを残す。何故残したかって? 勿論、理由はある。

 互いに満足そうに息を吐いた。……ちょっとニンニクの匂いだけ、気を付けねばなるまい。

 美味しかったですー、と席を立とうとした千花だったが。

 

 「すまん、千花、もうちょい待って。――()()()()

 「はい? ……あー、なるほど」

 

 流石に満腹になった千花だったが、僕の意図を理解して座りなおす。無言でお冷を注いでくれた。いや、だってここ美味しいんだもん! しょうがないじゃん!

 

 空腹の男子高校生の食欲を舐めてはいけない。お腹が空いた時に食べる量は察して欲しい。別に大食漢ではないが、それなりに健啖家な僕である。僕の姿勢に、店主は不敵に笑った。

 

 「よし、それじゃあ何にする。米は三種類だ」

 

 メニューに書かれているのは、麺とセットに出来る米料理だった。三種類。

 ちょっと辛めの焼き飯。チャーシューやネギを乗せた小鉢。そして焼きおにぎり(味噌)。

 おにぎり。それで、僕がスープを残した意味は分かるだろう…・・・!

 

 「『焼きおにぎり』を下さい。後、餃子を」

 「あいよ」

 

 まだ夜は時間がある。餃子と焼きおにぎりなら千花に一口分けてもセーフだろうし。麺があのクオリティだったのだ。恐らく此方も相当良い味に違いない。

 味噌が焼ける香りが漂ってくる。豚骨に負けない香ばしさ。千花の鼻も微かに動いている。

 頷いて調理を始めた店主の背中を見ながら、僕はメニューの説明を読む。おにぎり(味噌)。有名なメーカーから直に降ろして貰っている。ふむふむ。メーカー……巨勢(こせ)

 

 「え、巨勢!?」

 「お邪魔しまーえええ!? なんです!? いきなり!?」

 

 思わず名前を挙げた時、返事が来た。

 まさか返事が来るとは思っていなかった。入り口を見ると、其処には。

 

 「生徒会のお二人がこんな時間でラーメンですか……?」

 「意外と遊んでいるのですね?」

 

 マスメディア部の二人――巨勢エリカと紀かれんが立っている。

 これはまた奇遇な話だ。折角なので一緒に食べるとしよう。

 

 ◆

 

 「私は味噌ラーメン! かれんは?」

 「野菜ラーメン。……なるほど、此処はエリカのお家がスポンサーなのですね?」

 「そうそう。やっぱ自分の家の素材をどんな風に扱ってくれるか気になるからさー」

 「納得した。しかし女子高生が二人揃って夕飯がラーメンってどうなの?」

 「女子高生を連れてやってくる男子も相当だと思いますわ」

 「そう? 僕と千花なら珍しくないけど」

 

 かぐや嬢じゃないんだから。彼女、ラーメンの食べ方を知らないどころか、カップ麺すらも名前しか知らなかったんだぞ。あの時は生徒会室のロッカー内部で大変だった。

 

 僕と千花の食べっぷり、飲みっぷりに感心感動したサラリーマンの男性は、サムズアップをして二人と入れ違うように帰って行った。何となくまた何処かで出会いそうな気がする。

 

 「はい、お待ち」

 

 大将が差し出した皿の上に、焼きおにぎりが三つ置かれている。

 メニューでは二つの筈。思わず顔を上げると『お嬢ちゃんと二人で喰え。一個はおまけだ』と目が語っていた。これは嬉しい。有難い。美味しくいただくとしよう。

 

 指先で熱々とおにぎりを掴み、そのまま口に運ぶ。

 同時、紀が僕に問いを投げた。

 

 「ところで少し気になったのですが、藤原さん、雰囲気が変わっていませんか? なんか色っぽいというか、艶っぽいというか、余裕が見えるというか……」

 「ごほっ……! ……ごほ、……き、気のせいじゃない? 熱……!」

 

 慌てて水を飲むふりをして『やっべえ』と思い出す。忘れていた。

 

 紀は、恋路という点に関しては、妙に勘が良いのだ。呑気に味噌ラーメンを食べている巨勢エリカは、割と如何とでもなる。向こうは千花のことを『意外と馬鹿なのでは?』と思っているようだが、巨勢エリカも負けず劣らずポンコツだと思っている。

 だが紀は、あの早坂愛が警戒するくらいには鋭い。

 

 「今日はデートですか?」

 「いや、家族ぐるみでハワイ行ってきた。帰ってきてどうしてもラーメン食べたかった」

 「なるほど、それでお誘いしたと……」

 

 彼女の眼は疑っている。

 夏休みなら、関係が大幅に進展している可能性は高い、と。

 その推測は当たっている。白状する気は無かったが。

 

 しかし、よりによってマスメディア部か……。

 情報が下手に伝わるとそのままSNS経由で学園全土に流れてしまうだろう。こっちに管理者権限があっても、流石に自宅のPCから裏サイトに介入するのは難しい。

 さてどうしたもんかな、と考えていると、ちょいちょいと隣の千花に引っ張られた。

 ん? とそっちを見る。

 

 「いただきまふ!」

 

 その瞬間、ぱくり、と手先にあった焼きおにぎりが食べられていた。

 

 思わず動きが止まる。紀も巨勢も止まった。千花がいきなり、僕の指先に顔を寄せて、そのまま、焼きおにぎりをはむはむ。

 

 そのまま食べると、彼女は、僕の指先をぺろりと舐めた。

 なんというか舐め方が、非常に巧い。

 最後に、少しだけ扇情的にメディア部の方を流し目で見た。

 

 ――探りたいならご自由に……ですよー……?

 

 実際に、そう言葉を告げた訳ではない。

 ただその一工程が、妙に妖艶というか、大人の余裕をぶちかました仕草だった。

 

 僕でさえ、思わず「なんかエロい」と思ってしまったのだ。

 くす、っという小悪魔のような笑みが一瞬、千花の顔に映る。

 紀は『!? これ完全に……!?』と愕然とした顔をした。

 

 しかし千花はと言えば、一瞬のサタンめいた顔は、直ぐに天然ゆるふわ笑顔に変えている。

 どうやら女性らしい処世術として、巧みな隠し方をするらしかった。

 

 (じゃー僕も合わせればいいか)

 

 千花が平然としているのを見て、僕も平然としていよう、と思った。

 女性が落ち着いているのに相方が慌てていては何の意味もない。

 

 そもそも今までの関係で、とっくに一線を越えているんじゃないか? という疑問は学園の誰もに持たれていた。テスト結果発表時に『千花が欲しい(語弊あり)』と言ってるし。伊井野ミコにだって明言はしていないが誤解をさせるように振る舞ってもいる。

 であれば、普段通りに振る舞えば良い。

 

 利用できるものは利用しよう。

 相手が勝手に勘違いするように動けば良い。

 流石は千花。実に政治家的に、相手を翻弄する術に長けている。

 

 「僕の指、美味しい?」

 「美味しくはないですが好きです。紀さんは気にし過ぎですよー、ねー?」

 「そうだね、好きに考えれば良いんじゃないかなー、千花、おにぎりは折角だしこう食べよう」

 

 紀の顔が『また始まってしまいましたか』とげんなりした物に変わった。

 さっきまでの探求心は、横殴りに叩き付けられた惚気で相殺されたらしい。報道したいなら報道すれば良い。学園内の風紀を乱さない事は徹底するし、別に弱みという訳では無いのだ。

 よし、結論が出たところで食事に戻ろう!

 

 「こういう食べ方は、こういう場所じゃないと出来ないからね!」

 

 した事は簡単だ。余ったスープの中に、おにぎりを投下!

 微かに表面が焦げたおにぎりは、スープを吸い、静かに身を崩す。

 香ばしい味噌が、残った醤油豚骨に溶けて、複雑な味わいとなっていく。

 

 「ごくっ。……いーちゃん、一口! 一口下さい!」

 「勿論。一口とは言わず、美味しくどうぞ」

 

 笑顔で言って来たので、器ごと渡す。そして美味しく食べている千花の姿を、スマホを取り出して、ぱしゃり。

 映った写真は、もう満面の笑顔でレンゲを口に運ぶ千花だ。

 

 それを千花に見せると、彼女はおにぎりを食べ終わったところで匙を置き、口元を拭き(きちんと綺麗にしてから話し始める)、器を僕に再び渡してから、じゃあ私もとスマホを取り出した。

 

 「千花の写真は僕が見てて眼福になるんだけど、僕の食べる姿は写真映えもしないでしょ」

 「違いますよー。美味しい物を食べているいーちゃんの顔は、分かりやすいんです。自分で作った時、同じ顔させてやりたいなって思うじゃないですか。参考にするんです」

 

 「なるほど、それは是非写真を撮って。そろそろ千花の手料理を食べたいなとも思ってたんだ」

 

 「ハワイで鮫食べたじゃないですか」

 「いや、もっと家庭的な奴で良い。ご飯、お惣菜、お(つゆ)。毎日とは言わないけど、やっぱ千花の味噌汁とか好きだよ、僕は。明日とか行けない?」

 

 「そういえばラインで柏木さんも話していましたね、田沼さんに作ってあげたらしいです。これは負けてられません。良いでしょー。お味噌汁以外の注文は?」

 

 「魚かな。三枚降ろしが出来るって話してたし、その腕も振るって欲しい」

 「分かりました! じゃあ明日はお買い物ですねぇ、スーパーとか一緒に行きましょうか」

 「行こうか。……どしたの二人とも。水が甘いみたいな顔してるよ?」

 

 ラーメンを食べ終わったメディア部二人は、無言で水を飲んでいた。

 僕の言葉に、二人は『なんでもありません』と疲れたような顔をして首を振る。

 なんでもないなら、僕が気にする必要は無いな! 最後のおにぎりを食べ終わって、席を立つ。

 

 「さて、ではご馳走様でした。また来ます」

 「美味しかったでーす!」

 

 代金を財布から出して、店主に挨拶して出る。

 昼間は気温も湿度も高い今の季節だが、夜遅くともなれば大分緩和されていく。この暑苦しく、コンクリートとアスファルトに包まれた大都会も、やはりハワイでは味わえない景観だ。

 

 火照った身体に夜風が気持ち良い。

 お腹はいっぱいだし、これは改めて布団に入れば、きっと気持ちよく眠れるだろう。

 

 「今日も一緒に寝ます?」

 

 見透かしたような目を受ける。

 いやいや、それは不味かろう。互いの家の人間が居る。使用人に聴かれかねない状況下で、身を重ねる勇気は流石にない。

 

 「流石に今日は互いに自分の部屋で寝よう。荷解きも結局、殆ど出来てないんだからさ。代わりに僕がどっかで誘うよ」

 「ふふん? それじゃー待ってます。余り待たせないで下さいね?」

 

 腕を組み、そんな会話をしながら、僕らは帰宅するのだった。

 

 あ、そうそう。帰り道、御行氏と石上に出会った。何でもVRを購入したから一緒に遊んで夕食を済ませてきたのだとか。ハワイから戻ってきて、以後、大きな問題もなかったようだ。

 

 二十日の花火大会でまた会おう、と言って別れたのだが。

 石上の目は『二人はひょっとして神ったのでは?』と疑っていた。鋭い奴だ。

 それでも気遣って口臭ケアのカプセル剤を渡してくれる辺り、本当にいい奴である。

 

 ◆

 

 尚、翌日の朝食は、お赤飯だった。

 エジプトから帰ってきた皆がベッドに倒れる中、寝ないで準備をした憂さんからの差出品。

 ……完全に岩傘家・藤原家の全員にバレてしまった、と付け加えておく。

 

 ◆

 

 更に余談。

 数日後、ショッピングの為に集まった時、紀かれんは悟った。

 

 「柏木さんの雰囲気()違う……!?」

 

 ――初体験は高校生までに34%。

 

 その数字の意味を正しく理解して崩れ落ちたそうな。

 どっとはらい。




 単行本が出る前に出来る限りネタを仕込んでいく派。

 門松(かどまつ)リーって何……? 皆で遊んでいるゲームは『スコットランドヤード』ですね、という感想が消える位のインパクトがある藤原家クリスマスでした。

 さておき、ちょっとした裏話。
 長期連載の宿命なのですが、どうしても漫画内部の日程と実際で食い違いが出ます。

 秀知院近くの夏祭りは8月20日(40話:「出かけたい」より。因みに2016年の木更津花火大会は、雨天で延期せず8月15日に開催されました)。
 秀知院の夏休み期間が「8月31日まで」と断定は出来ません(公立と違い、私立は理事会が日程を決めるので)が、偏差値が高いエリート校なら無駄に長い事は無いでしょう。

 因みにスペインのトマト祭り(トマティーナ)は8月最終水曜日なので8月31日実施。2017年でも8月30日実施。スペインから日本に戻るまで飛行機で14時間+時差7時間。つまりトマト祭りの数日後がもう新学期なのです。……良く参加する予定だったな藤原千花!?

 尚、この辺の日付の食い違いは、石上のVR購入にも表れます。PS4用のVR発売日は2016年10月。PC用のVRコンソール(Oculus等)なら2016年3月に発売していますが、新作ゲームを毎月の様に購入&貯金無しの石上が、PC用VRを買うかな? という疑問はあります。買うかもしれませんが、会長を誘っていますし、据え置きゲーム機じゃないかなーとの判断です。

 原作屈指のエピソード花火大会は目前。頑張ります。
 ではまた次回。


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花火の音を聞かせたい

この話無くして、かぐや様はない。
ならば二次創作の作者として敬意と共に真正面からぶつかるのみ。
では、どうぞ。


 蝶々の羽ばたきが太平洋の大嵐を生むように、小さな変化もやがて大きな変化となる。

 

 岩傘調の影響は、例え彼自身が意識をせずとも、確かに波及していた。

 彼が居ない世界――()()()()()()()()()()()()()と定義したとして――そこにあるのは、白銀御行と四宮かぐやの、二人の物語。そして二人の物語は、夏休みで一つの結実を迎える。

 

 それは、花火の物語。

 それは、囚われの姫が手を取る物語。

 それは、破裂しそうな程、大きな鼓動を耳にする物語。

 

 絶対に知りようがない話であり、もしも(If)の話でしかない。しかしもしも(岩傘調)が知っていたら、きっと言うだろう。『そこに僕は必要がない。邪魔するだけだ』と。

 けれどもそれは、もしものお話。

 だからこれは、二人の為に皆が心血を注いだ、ある夏祭りの日のお話。

 

 ◆

 

 この部屋は、人形を飾るためにあるのだろうか?

 

 博物館に展示されるなら、まだ飾られる意味もある。だが見てくれる人間はおらず、褒めてくれる人間は少ない。人形に出来ることはガラス越し(見えているだけ)の景色を眺めるだけなのだ。向こうは見られていることに、微塵も気が付かないというのに。

 

 ――津々美さんを見て、放置なんか出来る筈が、無いのですよね。

 

 奇しくも白銀御行が津々美竜巻を見て過去の痛みを思い出したように、四宮かぐやもまた痛みを思う。過去ではなく今も継続し続ける『家』という名の檻の窮屈さと、身動きを封じる重さ。呼吸すらも不自由な世界の中、彼女は一人佇んでいる。

 

 四宮かぐやも人形だった。

 誰しもが丁重に扱い、格式に沿った振る舞いを求め、飾る、居るだけのモノ。

 

 本家でじっとしているだけで陰口を叩かれる。来たいと言って来たのではないのに。

 何か行動をするだけで咎められる。自分を本当に心配してくれる人なんか殆どいないのに。

 

 『四宮かぐや』という名札を人形に貼り付けておいても、きっとあの人間達の行動には何も影響が無いのだ。くだらない程に、笑えない程に、四宮かぐやはトクベツだ。

 

 ――最近のお嬢様の振る舞いは、目に余ります。人込みのある場所では、付き人もかぐや様を見失う恐れがあります。そんな中でかぐや様に何かあれば、ご当主様になんと申し述べれば。

 

 8月20日。午後19時。

 私は、着替えることもなく、東京の自室で臥せている。

 

 私服に皺が付くなんて考えは如何でも良かった。

 外出禁止という一言は、彼女を崩すのに十分な一言だった。

 

 ハワイから帰宅を命じられて一週間。岩傘調たっての頼みで招聘された彼女は、事件の解決後、たった一日だけの観光を終えて、そのまま四宮本家の会合へ呼び戻された。

 

 ――だけど、貰えた言葉は『居たのか』と『ご苦労』の二言だけ。

 

 父からは、戻ってきた事への礼どころか、目と顔を合わせての会話すらない。

 

 何時もの事だ。今まで通りだ。何も変わりはしない。過去を思い出しても、普通の子供が言って貰う可愛い言葉すら、私は言われたことはない。

 

 「よくやった」と言われる前に鞭で叩かれた。出来るのが当たり前だったから。

 「お休み」と「いってらっしゃい」を義務ではなく言ってくれるのは、早坂や奈央さんだけだ。

 「愛している」と言われたことは、記憶を探る限り無かった。あるいは早逝した母が生きていれば、言って貰えたのだろうか。既に妻を娶った兄ならば胸に満たされているのだろうか。

 

 ――ああ、羨ましい。

 

 頭の中に、親友の顔がよぎった。藤原千花。自分がまだ『氷』だった頃からずっと話しかけ続けてくれた人。大事な大事な友達。だけど彼女は、かぐやには持っていない物を沢山持っている。幸せな家庭や、仲の良い姉妹や、自由や、人気や、スタイルや――何よりも()()()()()()()()()()()を、持っている人。

 

 時に嫉妬し、時に心の中で蔑みたくなる闇がある事は自覚している。

 だけど親友だ。親友だからこそ、心の中で文句の一つも言いたくなる。しつこく、毎回のように鬱陶しく、聞いてて苛立ち、煩いと張り倒したくなることもある。

 だけどあの二人が繰り広げる光景を、止めようと思ったことは無かった。

 

 ――だって、私がその中に、居られたから。

 ――私も、何時か、あんな風に過ごせるんだって、思えたから。

 

 あの二人は、二人だけの世界で完結させはしなかった。その輪を広げて、四宮かぐやの手を引いた。白銀御行の手を引いた。学園中で知られる程に大きく大きく輪を広げていく。他人から指を差され、噂され、だけど彼らを見た誰もが、蔑みではない恥ずかしさで笑うような、惚気。

 広報に至っては、こちらの事情を知って手伝ってくれている。

 その優しさは、温かかった。

 

 ――ねえ藤原さん、教えて。

 ――貴方はきっと幸せだと思うわ。

 ――どうすれば、私も貴方みたいな温かさを、手に入れることが出来るのかしら。

 

 ……答えが来るはずもない。きっと彼女は既に花火大会の会場に、足を運んでいるだろう。

 

 「かぐや様。……そのままでは、皺になります。せめてお着替えを」

 「……着替えたくない」

 

 小さなノックの後、早坂愛が顔を出す。彼女の顔も沈んでいた。ぐっと何かを噛み締める様に。

 その憤りが見えるだけで、かぐやは少しだけ嬉しくなり、泣きたくなる。自分の悲しみを理解し、自分の代わりに怒り、藤原千花に言えない弱みを吐き出せる人。

 彼女が居なければ、疾うの昔に、四宮かぐやは、壊れていただろう。

 氷として振る舞うしかなかった彼女が、それでも凍り付かなかった理由が、それだ。

 

 「その格好のまま、外に出ることは出来ません。今日は、花火大会です」

 「無理よ。本家の執事が居るもの。二人も」

 「……そうかもしれません。しかし、そうでないかもしれません」

 

 言いながら早坂は、殆ど無理やりにかぐやを立たせ、着替えさせていく。

 慣れた手付きで浴衣を着せ、帯をしっかりと結び、巾着と下駄も用意する。

 本家の人間は、彼女を歯牙にもかけない。近侍である彼女に興味など持っていないからだ。本家の人間が気にしているのは、かぐやの身の上。其処にあるのは唯の義務感なのだから。

 

 「……ハワイで過ごした日は、楽しかったですか?」

 

 俯せのかぐやの真横に座り、早坂愛が、口を開く。

 かぐや姫の背中を押すために。

 閉じこもった姫を迎えに来た、月からの使者の様に、口を開く。

 

 ◆

 

 「いきなり、何を」

 「楽しかったですよね、かぐや様」

 

 疑問ではなく、事実を語るように彼女は言った。

 唐突な質問だが、早坂の顔は真剣で、真っすぐで、だから小さく頷いた。

 

 「……良かった。かぐや様が、そう思っているならば、まだ大丈夫です。――知っていますか、恋の本質とは、恐怖なんだそうです」

 

 彼女の声は、子供に言い聞かせるような、赤子をあやすような、優しい口調だった。

 ぎゅっと握られていたかぐやの拳に、静かに掌を重ね、ゆっくりと早坂愛は続ける。

 それはきっと、妹に姉が教える姿にも似ていたかもしれない。

 

 「相手への畏敬が失われた時、恋は色を失うと続きます。――でも、かぐや様……、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて思いますか?」

 

 普段の早坂愛ならば、四宮かぐやを発奮させる事くらいは簡単だ。ハワイで出会えたのに一日しか遊べなくて残念だったと梯子が外されたはずです、と適当に言うだけなら幾らでも言えた。

 

 けれども、細かい理屈で、かぐやの心を変えない道を選んだ。

 その背後にあったのは、普段、早坂愛を苛立たせる、存在F&存在Iの姿だ。

 きっとあの二人ならそう言うだろうから。

 

 「…………いいえ、思わない」

 「私も同じ意見です。私にも、思いはあります。かぐや様の様に、好きな人を作ってみたい。恋をしてみたい。あんな風にやり取りをしてみたい。――離別をする為には、邂逅がなければいけません。かぐや様は、もう出会っているでしょう。それとも、出会いが無い方が良かったですか?」

 

 返事に窮したかぐやに、早坂は続ける。

 

 落差があるならば、知らない方が良かったのか?

 皆と一緒の楽しさを知って、皆で遊んだ思い出があって、だからこそ何も出来ない場所と時間が退屈で、皆の居る場所に行けない自分が苦しくて。その苦しみを知らない方が良かったのか?

 

 答えは否定できる。否定できるが、その先を言葉にすることが出来なかった。

 

 「じゃあ、……どうすれば良いの……?」

 

 ――ならば、どうやって苦しみを癒せば良いのだろうか?

 ――ならば、どうやって、ガラスの向こうの憧れを手にすれば良いのだろうか?

 

 心がときめく日々を失う事が怖い。失う未知を畏れている。

 

 ――ああ、それはきっと、私がそれらを恋しく思っているからだ。

 ――でも()()()()()()()()()()()が分からない。

 

 ……四宮かぐやには、分からないのだ。

 

 今まで、欲しい物を手に入れる経験があまりにも少なかったから。

 近くにある物が遠ざかっていく経験に、対処できたことが無かったから。

 

 努力や才能で手に入れられる名誉や恩賞は幾らでも手に入る。権力と財力の庇護で、自由がない以外は全て不自由なく過ごしている。

 権力と財力の庇護で、自由がない以外は全て不自由なく過ごしている。

 だからこそ()()()()()()()()()()()()物を、手にし続ける方法を知らない。

 

 今までもそうだった。培われた己の在り方が、他の人より異常なのだという自覚はある。

 

 何気ない言動で他人は傷付いた。差異がある人間を前にして向こうが拒絶し離れていった。

 何気ない行動で周囲は退いた。隔絶した態度を前にして勝手に誤解され、勝手に排除された。

 

 そうして自分の周囲にある、あるだけで嬉しかった物は、消えていく。

 

 あるいは、氷の様に振る舞えていれば、氷の痛みを感じずに済んだのかもしれない。

 だけど、それは溶かされてしまった。

 溶けて出てきた四宮かぐや(一人の女の子)は、世間知らずで盲目で、手探りも出来ない。

 

 ――私には方法が分からない。

 ――消える人を、物を、日々を、如何すれば引き留められたのかが、分からない。

 ――心の中が傷付いていても、如何すれば治るのかが、分からない。

 ――そんなつもりは無くても、手から勝手に離れていく。

 ――人形が自らの意志で手を伸ばせないように、手を伸ばす方法が、分からない。

 

 「その答えは、私がするものではありません。……準備は整えておきます。後悔だけはなさらないで下さい」

 

 かぐやの問いかけに、早坂愛は答えず、静かに立ち上がった。

 本家の執事達を誤魔化す方法を用意しておきます。その意味は伝わったが、かぐやの「どうすればいい」に返事をしては、くれなかった。

 

 ――ならば誰が答えてくれるのだ。

 

 『俺が答えてやる! 四宮!』

 

 声が、聞こえた。

 

 ◆

 

 「……会、長?」

 

 携帯電話もスマホも切っている。

 彼は今、生徒会の皆と花火大会に行って居る筈だ。いや、仮に私が居ない事を気に病んで中止にしたとして、声は何故届くのだ。

 携帯電話もスマホも切っている。

 

 「……まさか。……早坂!?」

 

 そこで気付いた。早坂愛が着せた浴衣。浴衣の袖の中に手を伸ばす。すると、小さな()()に手が触れた。それは何の変哲もないスマホだ。だけど見覚えがあった。早坂の物ではない。

 

 親友の、藤原千花が、使っていた物。

 何故、どうして、彼女の物が此処にある? 其処から声が聞こえている? 混乱したままの頭だが、たった一つの『確実』を理解していた。

 分かる。その声の向こう側に、白銀御行が居る。

 

 「か、会話が……! だ、誰かに、き、聞かれたら、どうするんですか!?」

 『なんでも何もない。四宮が泣いているに違いないと藤原書記が言ったからな……! だからハーサカさん……いや早坂さんに頼んでスマホを送り込んだ! それだけだ! 四宮の弱った声を聴いたのは予定外だぞ』

 「か、会話が……! だ、誰かに、き、聞かれたら、どうするんですか!?」

 『聞かれないさ。その部屋は防音なんだろう? 見舞いに行った日に、そう教わった』

 

 スマホの向こう側で、彼の声が少しだけ笑ったような気がした。

 

 ――ああ、分かっている。分かってしまっている。

 ――私のさっきの泣き声も、私のさっきの我儘も、きっと彼に聴かれてしまっただろう。

 ――だけど、どうしてだろう。声が聞こえるだけで、こんなにも嬉しいのは。

 ――見に行けない悲しさが、声を聴くだけで癒えていく気がするのは。

 

 方法が分からないと泣いていた人形の娘は、ガラスの向こうから届く声に涙する。

 

 「と、唐突に返事をして、答えるなんて、まるで、どこかの広報みたいですよ……?」

 『今はそれも誉め言葉だな。四宮の本音を聞く機会なんて滅多にない。早坂さんとの会話は、ずっと聞いていた。声に出さないようにするのに必死だったさ』

 

 言葉を聞いて、かぐやは焦る。

 

 早坂との会話で、何度、話をしただろう。好きな人がいる。恋をしている。己の乙女らしい秘密は向こうに筒抜けだったのだ。心臓の音が速くなる。もしや伝わったのだろうか。

 

 だけど白銀御行は、それを追求しなかった。

 代わりに続けた。彼の声は弾んでいた。四宮かぐやと会話が出来ることが楽しいと告げていた。

 

 『四宮。俺は、生徒会での毎日が、学園での毎日が、楽しかった。俺は――四宮が居て、藤原書記が居て、岩傘が居て、石上が居て、全員が居たから楽しかったぞ! お前は違うのか!?』

 

 問いかけに、答える。

 そんな筈はない。そんな訳がない。

 

 初めて面倒を見た後輩が居て。

 初めて友達になってくれた人がオマケも一緒に居て。

 初めて出来た――気になる人が居て。

 

 「……違、い、ません。……違うはずが、無いじゃないですか……!」

 

 喉につっかえていた。本音を吐き出した胸が苦しい。掻きむしりたいくらいに痛い。

 締め付けられている。白銀御行の声が、言葉が、意志が、これでもかと四宮かぐやの胸を痺れさせていく。こんな風に叫ぶなんて真似、今までは出来なかった。

 

 ――あの輪の中に居たから、私は幸せだった。

 ――知らなければ良かったなんて思わない。知って良かった。笑えて、遊べて、喜べて、氷が解けて、そうした毎日が無いことに耐えがたい。だから私は泣いている。

 ――会長、私はその声を聞けただけで、その言葉を言えただけで、嬉しいんです。

 

 もしも夏祭りに行けなかった事実に価値を見出すというならば、この電話だけで充分かもしれない。そんな風に思うくらい、通話口からの会話が染み込んでいく。

 

 『俺もだ。俺だけじゃダメだった。四宮だけでもダメだった。他の皆も言うだろうさ。()()()()()()物じゃない!』

 

 ――誰しも「幸」「不幸」の総計は同程度に収束するという。だとしたら恵まれている私は、その分我慢するのが道理だ。そう思っていた。だけど、それは違うのだろうか?

 彼の声は、違うと語っていた。

 

 ――方法が分からないと泣いていた。

 彼の声は、答えを教えてくれた。

 

 『なら同じだ。楽しい時間を皆で作ったなら――同じように、辛い時は頼れ!』

 

 ――ああ。

 

 『俺達が出来ることなら幾らでも手を貸そう! だから、一人で悩むな。一人で抱え込むな! お前が俺達に手を伸ばすなら! 例え伸ばせなくても伸ばす意思が少しでもあるなら! 幾らでもこっちから手を伸ばしてやる!』

 

 通話口の向こうの声を聴いて、吐息が漏れた。ポタリと床に大粒の涙が零れる音が聞こえた。それ以上に、あの毎日が頭に過る。発足から今日に至るまでの軌跡。騒がしいくらいに鮮明に。余りにも賑やかな景色で、涙の音が掻き消えていく。

 

 氷を溶かした日々が、会長(好きな人)の声と混ざって、罅割れた傷を癒していく。

 簡単な、話だった。

 ――悩みがあるなら、打ち明ければ良い。

 ――分からないなら、聞けばいい。

 ――悩みがあるなら、打ち明ければ良い。

 ――辛いならば、辛いと言えば良い。

 ――きっと、皆は助けてくれるから。

 

 幸福と不幸が同程度に収束するというならば。

 幸運も不幸も別ち合えば良い。

 

 一人で何でも出来た娘が聞いた言葉。

 たったそれだけの、だけど、かぐやが知らなかった、とても簡単な答え。

 

 『だから聴かせろ四宮! 俺も、皆も、四宮を待ってるんだ! ――今、何がしたい!』

 

 呟いていた小さな悩み。

 大事な憧れを、口に出す。

 泣き叫ぶように、助けて欲しいと手を伸ばすように。

 

 「花火を。……花火を、見に行きたい……! 皆と……!」

 『ならば――』

 

 彼は、その伸ばした手を、握り返す。

 

 ちりん、と鈴の音が聞こえた。

 ならば、の声が、スマホからと、直接の耳に届いた気がした。

 聞いたことがある音色。たったの五分間だけど、一緒に通学した時に、確かに聞いた音。

 

 「ならば来い! 花火を四宮に見せてやる……!」

 

 窓に駆け寄った。遠く、花火を見て居るだけの窓から、下を見る。

 今まで、手の届かない場所だった。羨ましいと見送るだけの景色の中に、光が一つ。

 

 窓の下に、白銀御行が、自転車に乗っている。

 

 ◆

 

 窓の下に男が一人。窓の上に女が一人。世界一有名な詩人シェイクスピアにも綴られた、愛する男女(ロミオとジュリエット)の構図。だけども、これはかぐや姫だ。

 

 ――後悔だけはなさらないで下さい。

 

 早坂の真意を知る。彼女はきっと、この状況を聞いていたのだ。

 

 「どうぞ行って下さい。ご安心を。誤魔化す計画は立ててあります」

 

 見計らったように、早坂が再び入ってきた。……彼女は会話を聞いていたのだ。

 かぐやが余計な何かを言う間もなく、近侍の行動は速かった。

 手に持った荷物の中からウィッグを取り出し、変装をしていく。同時、登攀用の頑丈なロープを此方に渡す。ロープの隅に、岩傘響の文字があった。借り物だ。

 

 「私一人では難しいかもしれませんが」

 「私が手伝うので」

 

 続き、部屋に入ってきた少女が居る。姿形が、早坂愛に瓜二つ。一瞬、混乱する。

 二人目の早坂愛は、その口を不敵に――邪悪に歪ませる。

 

 「私そっくりに変装されると気持ちが悪い」

 「ハワイでの迷惑料という訳で、お詫びをさせてくれよ、かぐや様。私は君の部下だろう?」

 

 堂に入っていた。まるで過去に何度も変装した経験があるように、灰色(イクサ)が笑う。

 一人では無理でも、二人で、かぐやと早坂を演じれば、少しは迷彩になるだろう? と。

 その気遣いに、かぐやは頷いた。

 

 「……二人とも」

 「おおっと、ありがとうは全部終わってからだ。失敗したらお礼にもならないだろ?」

 「言葉を取らないでくれます? ――そういう事ですので、お急ぎを」

 

 頷いた。ロープを枝に巻き付け、草履のまま窓に足を掛ける。

 そして覚悟を決めて飛んだ。滑車が流れていく。その着地点は、眼下、道路の白銀御行。

 一瞬の浮遊感の後、アスファルトに脚が付く。膝と腰で受け身を取って、そのまま自転車に。

 

 「会長、わ、私――!」

 「良いから行くぞ! 後ろに乗れ! 落ちるなよ!」

 

 会話をする間も惜しいと、促される。

 

 だから従った。何時ぞやは背中合わせだった。だけど今度は、自分が彼の背中に抱き着く様な姿勢で。勇気を出して、彼の胴体に腕を回す。自転車が動いていく。

 

 彼の呼吸は既に荒い。此処に来るまでどれだけ急いでいたのか。会話をしながらどれ程に全力を出してくれたのか。その必死さが、自分の為だと分かって、自然と腕に力がこもる。

 

 「良く、分かりましたね、私の事……」

 「このくらい簡単だ。()()()()に比べればな!」

 

 白銀御行は、既に汗を額に流している。だけど会話を途切れさせることもないまま、道を抜けて、街へと速度を上げていく。

 どんな顔で、彼が自転車を漕いでいるのか、かぐやから見ることは出来ない。

 

 だけど一つだけ確かなことは。

 

 ――きっと彼は、この一瞬を忘れはしない。

 ――だって、私が忘れないもの。

 

 ◆

 

 「会長、タクシー捕まえておきました!」

 

 自転車を放り投げる様に駐車された二人の元に、声が飛ぶ。浴衣姿の石上がタクシーを止めていた。事情を聴いていたらしい眼鏡の運転手が、扉を開けて待っている。

 

 「かーぐーやーさーん!」

 「来たな二人とも! 早く乗って!」

 

 かぐや達を出迎える、会計と広報の二人を見て、ふと思う。

 距離が近かった。今迄とは少し違った、唯の恋人同士より太い絆が、其処に見えた気がした。口に出すことは無かった。時間があったとしても、それを問いかけはしなかったと思う。

 

 ――ねえ藤原さん。岩傘。……私、貴方達が羨ましい。だけど、少し分かった。

 ――きっと貴方達が居ると、私も会長も、少しだけ素直になれるの。

 ――だから惚気るのも許してあげる。何時か私達が、互いに想いを伝えるまで。

 

 走り寄ったかぐやを、藤原千花が出向かえ、捕まえた。久しぶりに会えて嬉しいと顔だけで分かる笑顔だった。そのまま彼女を、ドーン! とタクシーに放り込む。

 

 「あの、このタクシー五人乗りじゃ」

 「この期に及んで誰かを置いてくなんて無しだぞ石上! 千花の席は僕の膝の上だ! ――運転手さん、見逃して下さい! お願いします!」

 「……良いよ。早く乗りなよ。急いでるんだろう?」

 

 かぐや、御行、岩傘調の上に藤原千花。後部座席に高校生が四人。ぎゅうぎゅう詰めだが、誰も文句を言わなかった。

 走り出したタクシーに、白銀御行が指示を出す。

 

 「運転手さん! このまま首都高乗って、アクアラインから海ほたるの方に!」

 「会長、もしかして」

 「そうか千葉か! 確かに郊外なら20時過ぎても大会はやってる! ええと、あった、これか木更津花火大会、終了時刻20時30分……! え、こっから木更津まで40キロあるぞ!? (藤原千花を膝の上に乗せながらスマホで検索)」

 「ええええ!? 木更津って……あと20分ですよ!? 行けますか!? (シートベルトを無理やり締めて、岩傘調の腕の中、二人で覗きながら)」

 「知らん! だが挑戦する価値はある! 四宮が言ったんだ! 皆で花火を見たいって!」

 

 タクシー中に響くような声で、彼は叫んだ。

 

 「だから四宮に花火を見せるんだよ!!」

 

 花火大会は、何時も遠かった。

 小さな窓の中、遠くに上がる花火を見るだけで、その音が聞こえたことはない。

 遠く微かな名残だけが届いた時には、もう花火は散っている。

 だから花火を見ても、それは景色だけ。

 

 ――だけど、叶うならば。

 

 「ちょっと飛ばしますんでね。会社には内緒にしてね」

 

 ドライバー:高円寺のJ鈴木は、後日、この時の心境を『奉心祭』で小田島三郎にこう語る。

 

 『あんな顔で言われたらちょっと格好いいところを見せたくなるのが漢ってもんですよ。後で本社に戻った時に大目玉食らいましたけど、後悔はしていませんよ』

 

 ギアを変え、アクセルを踏み込んだタクシーは、スピード違反になるギリギリ手前で駆けていく。そのまま猛烈な勢いで首都高を走り、アクアラインに突入していく。

 トンネルの中、オレンジ色の光が流れていく。

 

 誰も速度のことを意識してなど、いなかった。

 誰もが、ただ時計と距離と前だけを見ていた。

 

 「お願いします神様! 間に合わせて……!!」

 

 藤原千花が祈る。

 四宮かぐやは知っている。

 

 ――神様なんか居ない。祈っても木更津までの距離なんか縮まらない。時間が過去に戻りもしない。想いが伝わって奇跡が起きることなんてない。確率に影響を及ぼすことなんかない。

 

 間に合え……。間に合ってくれ、頼む……! その声は、岩傘調の声だ。

 出口を見据えて言われた言葉。それを皮切りとして、藤原千花が、石上優が、皆が叫ぶ。祈るように重なっていく。間に合え。間に合え。間に合って。

 一際、大きな声がする。

 

 

 

 ――間に合えええええっ!

 

 

 

 普段の平静を投げ捨てた、必死の声の出所なんか、見ないでも分かった。

 

 ――皆の声が、煩いほどの声があって。

 ――流れていく瞬く光が、まるで芸術品のようで。

 ――送り出してくれた早坂達が居て、応援してくれる皆が居て、誰より必死な彼が居て。

 ――ああ、そうか、私の世界には、こんなにも。

 心の中に溢れていく想いのまま、四宮かぐやは、口に出していた。声を張り上げたことは初めてかもしれない。隣に座る(好きな人)と一緒に、同じ願いを、告げていた。

 

 心の中に溢れていく想いのまま、四宮かぐやは、口に出していた。声を張り上げたことは初めてかもしれない。隣に座る(好きな人)と一緒に、同じ願いを、告げていた。

 

 素直に誰かへの想いを口にする人間が周囲にいたから。

 だから彼女は、ほんの少しだけ欲張りに、言葉を紡ぐ。

 

 「間に合って……。間に合って! 私は――――――」

 

 ――神様がいなくても。

 ――叶うのならば。

 

 出口から抜けた瞬間、音が消えた。皆の声が消えた。光も消えた。

 違う。

 

 ――     

 

 皆とかぐやの声を消す様な音と、全ての灯を飲み込むような色彩が、輝いたのだ。

 速度を落としたタクシーの中、窓に張り付く様に、重なるようにして、それを見る。かぐやの右に白銀御行。ベルトを外した藤原千花が左に、岩傘調は更にその左に無理やりに。

 

 花火だった。花火が上がっていた。

 地上から打ち上げられた無数の花が重なり、流れて、消えていく。

 夜空に大輪が咲いては消えて。赤、青、緑、黄、幾つもの輝きが、夜を染めて、また広がっては、消えていく。

 

 誰もが、花火に目を向ける。

 歓声と喝采を上げて、光に魅入っていく。

 

 皆の願いが其処にある。かぐやに見せようと思っていた景色が広がっている。家よりもずっと小さくて狭いのに、だけど手に取れるほどに近い窓の中に、音と共に輝いている。

 その中に混ざる、大きな音。花火の音をかき消すほどに、大きな鼓動を立てる心臓がある。

 

 ――ああ、()()()花火の音だ。

 

 ずっと聞きたかった音。ずっと欲しかった音。憧れていた景色が形になった音。

 誰かと一緒に見上げて、誰かと一緒に喜ぶ、光の世界。

 泣きたいくらいに嬉しくて、泣けないくらいに震えていて、時が止まる程の響き。

 

 ――伝わりますか、会長。

 

 恥ずかしくて口に出せないけれども。

 真横にある顔から目が離せないけれども。

 

 ただ、胸に誓うことは出来た。

 

 何時かで良い。貴方に話そう。この喜びを伝えよう。

 光だけでも音だけでもない、皆の想いが混ざって、自分に注がれた無数のきらめきを。

 

 この瞬間にある全て。

 私の大事な、この音を。

 

 

 花火の音を、聞かせたい。




富める時も、貧しい時も。
健やかなる時も、病める時も。
そして、嬉しい時も、悲しい時も。
二人で幸福になるならば、不幸も二人で乗り越えよう。

それが何れ二人が迎える、さる式で交わされる約束の言葉。


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二学期:やっぱり進展する日々
岩傘調は躍らせたい


という訳で二学期、スタートです。
感想数100突破、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。



 新学期初日! 誰もが憂欝と期待を胸に日々に舞い戻る。

 

 夏休みが始まったばかりの頃は『長い夏休みだな』と思い、始まって半分くらいが経過すると『そろそろ学校行きたいな』となり、終わる直前になると『もっと長ければ良いのに』と思い、終わって新学期が始まると『夏休みがもっと長ければ良かったのに』と直ぐ思うようになる。人間は現金な生き物だ。

 

 僕は非常に色々と満喫した夏休みだったが、花火大会という一つの――しかし、これ以上もなく綺麗な――思い出を手にした、我らが生徒会のトップ達は、というと。

 

 「ああああああああ!! もおおおおおおおお!! 痛い! 痛いぞ俺! 痛すぎる!! なんで俺はあんなこっ恥ずかしいことを!?」

 「そんなに気にする事じゃないと思うけどな」

 

 窓を拭きながら悶えていた。

 夏の間、部屋に堪った埃を落とすために窓拭きをしているのだが、さっきから同じ場所しか拭いていない。その一か所だけ輝き、まだ強い残暑の日差しがピカピカと差し込んでいる。

 暑そうだが、それを気にしていられないくらい、白銀御行は悶えていた。

 

 「すっげえ格好良かったと思うんだけどな」

 「岩傘、お前とは感覚が違うんだ俺は! お前はしょっちゅう惚気ているから分からんだろうが……! 俺はあんなテンションで会話をしたことなんか今まで殆ど無いっ! あの時、口から出ていた言葉なんか素面じゃあ言えんっ! 完全に黒歴史だ!」

 「なるほど、今後数十年、指摘されては思い出してはじたばたするだろうエピソードと」

 「そうだ!」

 「やがて子供の前で嫁さんに指摘されて笑い話になると」

 「そう――いや違う! 誰が隣にいるだ。さらっとボケるな」

 「失礼した。でも僕はあーいうの好きだよ。御行氏は普段からちょっと我慢が多いと思ってる。模範たれ見本たれと振る舞うのも大事だけどさ。行動は、秘めたる情熱あってこそってねえ」

 

 それ以上の言葉にはしなかったが、僕の頭の中には、鮮明なビジョンが浮かんでいた。幸せな家庭を作る御行氏&かぐや嬢、二人によく似た子供がいて、事ある毎に互いのエピソードを語るのだ。四宮家という高い高いハードルが両者の間にあったとしても、多分最後は、そこに落ち着くと思っている。……いや、思っている、という軽さじゃないな。確信だ。

 願望が入っているのは認める。でもそうなると思う。千花も同意してくれるだろう。

 

 さておき、御行氏が最も気にするのは、己の黒歴史でも、僕からの注目でもない。

 かぐや嬢からの評価である。

 

 あの晩の御行氏は、心底格好良かった。ハーサカさんと早坂愛が同一人物だと見抜き、彼女に千花のスマホを渡して会話を可能にし、己は自転車で迎えに行った。全て彼の発案で行動だ。

 (キーちゃん)からロープを借りて持ってきたのは早坂だし(ハワイに来ていたからね。そこで友達になったそうだ)、僕の行いはそれこそ、最初に早坂に連絡を入れたくらいでしかない。

 

 御行氏が持つポテンシャルと情熱の表れが、かぐや嬢への贈り物(花火大会)だ。

 

 その思いは、確実に届いている。

 千花の元にスマホを返しに来た時、そのラブの波動を感知した。

 

 かぐや嬢は『どっかの誰かさん達が惚気ているから、つい乗せられたのです』と話していた。

 照れ隠しをしながらだった。僕も千花も『良かったですね』以上の言葉を言わなかったがバレバレである。

 僕らの存在が間接的にとはいえ、二人の関係を好転させたのならば、それは嬉しくなる。

 

 「気になるなら尋ねてみれば良いじゃん。かぐや嬢に」

 「い、いや、それはアレだろう!? 俺の行動は格好良かったよなと煽ることにならないか!?」

 「言い方が悪い、言い方が。そうじゃなくて感想を言えば良いじゃん。御行氏も楽しかったでしょ」

 

 彼は少し考える。少し手の動きが遅くなった。

 僕はそんな彼を横目に、生徒会室の荷物を整理していく。なんか妙に物が多いな、一体なんだこれは、と検分していると。

 

 「遅れてすみませーん! 会長、今学期もよろしくおねがいしまーす!」

 「お、おう、藤原……。と、四宮も…………」

 「…………(ぷいっ)」

 

 扉が開いて生徒会の女子達が入って来た。

 呼ばれたかぐや嬢は、そっぽを向いてしまう。

 

 ああ、これはまた面倒な事になりそうだなと思った。千花と目が合った。千花の目も『これは面倒ですよ』と語っていた。さてどうしたもんかね。喧嘩じゃないから難しい。

 

 いっそ何も考えずに、流れに身を任せてみるか?

 

 ……そんな気楽な考えが、まさか、あんな混沌(カオス)を齎すことになるとは思わなかったのだ。

 この時は。

 

 ◆

 

 御行氏とかぐや嬢が、互いに上手に会話が出来ていない横。僕は段ボールの山を整理する。

 

 生徒会の仕事には備品整理という物がある。春先には御行氏とかぐや嬢の二人が行い、ゴキブリ騒動を引き起こしたアレだ。

 

 夏休み明けにもこれはある。夏休み中は生徒会役員だって学園に居ないのだ。対して部活は活動している。運動部も文化部も(超一流の私立には劣るとはいえ)それなりに頑張っている。社会人に休みは無いから、休み中に備品の手配をすると、それは一時保管場所(生徒会室)に届けられ、休み明けには大量の『二学期になったらすぐ使いたい』代物が溜め込まれることになる。

 

 御行氏が窓を拭いている間、僕は申請リストと睨めっこしながら開封作業に勤しんでいた。休み中に申請された物、数週間放置されていた物もあるのでダンボールも結構、埃っぽい。

 

 運動部の消耗品やら、文化部の高級品やらにチェックを入れていると、一風変わった代物を発見する。高さは70㎝から80㎝ほど。四角い土台の上に、ラッパ口のような金属が据えられている。これは――。

 

 「――……蓄音機を発見した」

 「なんですなんです? あー、レコードプレイヤーですか。どっから見つけてきたんですー?」

 「其処の有象無象の山の中だよ。相変わらず整理整頓がなってない。誰だこれ注文したの」

 「結構な年代物ですよ。んー、……最高級品ではないですけど……綺麗ですし、アンティーク的な意味でも価値あると思います。あ、此処に名前ありますよ。ペスカロロ学園長です」

 「あの人のか。あの人、毎回生徒会に私物置いてくんだよなぁ……千花、これお値段は?」

 

 敷地内はゲーム禁止に関わらず本人はポケGOやっているし、カップ麺を戸棚に保存して夜食を食べているし、ケーキを差し入れる題目で持ち込んでいるし。

 恋愛話に現を抜かさず、雑誌の持ち込みは駄目デスよーと言う割に本人は破って読んでいる。

 

 それで許される愛嬌があるのは流石だが。

 

 ――注文品の中に私物を置いておかないでほしい。

 ――本人はちょっとした倉庫のつもりだったのかもしれないけどさ。

 

 「50万円から70万円くらいじゃないかと。音楽プレーヤーとしては今でも現役ですよー。そりゃ高級なステレオとかネットとかでも演奏は聞けますし、生のコンサートとは違いますけど、違うなら違うなりに味があります。うちにもレコードの山が保存されてますよ。いーちゃんの家にもあるじゃないですか、円盤の山」

 「あれはレコードじゃない。レーザーディスクだ。親父の」

 「……なんです? それ」

 「ブルーレイディスクの前がDVDだけど、その前に使われてた大型円盤映像ディスク。昔は流行ってたらしいよ。ビデオテープの普及、レンタル店の進出に、プレステ2でのDVD再生可能技術とか重なって廃れた……らしい。僕も実際の映像を見たことはない」

 「いーちゃんいーちゃん。プレステ2って私達、まだ幼等部になったばっかりです」

 

 ……せやな。僕らが今高校二年生で、2016年だからな。

 GBAより後に生まれているんだと話題に上がったら、憂さんは愕然としていた。彼女はGBで初代ポケモン赤緑をやったらしい。発売当時の小学生は、今では二十台後半なのである。

 何処でやったのかって? 拾ったらしいよ。湾岸戦争で爆撃を受けたGBが動いたという前例もある。ある時に拾った奴が普通に動いて、その中にカセットが入っていたそうだ。

 

 「お前ら手が止まってるぞ」

 「おっと、ごめんごめん。――レコードも見つけた、ほら。これ学園祭で使うような音楽が入ってるらしいし使ってみる? 学園長の備品なら変な曲が入ってるなんてことは無いだろ」

 「音量下げてやってみますか。誰に迷惑かける訳じゃないですし。作業用BGMってことで」

 

 学園長の物なら、丁寧に扱えば文句は言われまい。音楽を聴くための道具を、音楽を聴くために使うのだ。取扱説明書を読んで、レコードをセットし、針を落とす。

 静かに回り始めた円盤から、豊かな響きの音楽が流れてくる。

 

 自然、生徒会室の中の空気が和らいだものになる。御行氏とかぐや嬢の対立も、これで少しは解消が――。

 ――されなかった。

 

 僕の見て居る前で、二人は距離を詰める――と思った瞬間、互いに擦れ違ってしまう。

 それが二回、三回と繰り返されていく。

 

 かぐや嬢は『会長の顔を素直に見ることが出来ません』とつい顔を背けてします。

 御行氏は『黒歴史について弁明し信頼を取り戻さねば』と名前を呼ぼうとして躊躇っている。

 

 (……これは上手くいきそうにないな)

 

 どうすればいいんだ? と思っていたら、いきなりレコードの曲調が変わった。

 

 (ええ!?)

 

 フランス人の学園長が用意した物だ。風雅なクラシックかと思ったら――聞こえるのはカスタネットの音、ジャカジャカかき鳴らされるギターの音色。何故か聞こえるステップの音。

 

 (……これスパニッシュ音楽!?)

 

 なんでフランス人の学園長がスペイン音楽を聴いているんだと思ったが(そりゃ何聴いても自由だけど)。ともあれ、それで空気が変わる。物静かなレトロな生徒会室に、まるで熱情を掻き立てるような音が流れたのだ。

 

 僕の頭の中では某フライトシューティングゲームMission18に流れるアレ(Zero)が響く。

 

 これが生徒会で繰り広げられる戦闘機による空中戦(ドッグファイト)の始まりであった!

 しかもなんかBGM付きで!

 

 ◆

 

 立ち上がりは静かだった。穏やかではなく、これから火が燃えるような熾の音。安定した低音の上に、基本フレーズが乗っかっていく。三拍子、1・2・3というリズムが自然と歩調を変える。ファンダンゴ、明るく華やかな旋律が跳ねる。

 

 単調な作業中、BGMがあると人間は集中しやすくなる。

 

 窓ガラスを拭く、御行氏の腕が重なる。キュッキュッキュ、クックック、という具合に。

 箒を掃く、かぐや嬢の音も重なる。シャッシャッシャ、サッサッサ、という具合に。

 

 幾ら互いに意識をしていても、恥ずかしくて距離を開けてしまうと言っても、同じ波長で同じように動くと、自然と行動はシンクロするものだ。

 

 ……体育が下手で運動音痴な御行氏だが、僕は彼に付き合って特訓をしたことがあるとは前に話したと思う。一年生の頃、体操の授業に備えて、基本的な足さばき(ステップ)は教えてあった。僕の技量も、千花と一緒に社交界に出て恥ずかしくないように、と鍛えただけの物でしかない。

 

 とはいえ基本は出来ている。それを伝えてある。

 音楽に乗っての作業は、御行氏の能率も上げた。

 

 そして、僕ら以上に社交界での活動が多い、かぐや嬢だ。

 不慣れな御行氏をリードするくらいは容易い。それこそ、彼の動きに自然に合わせて無意識の内に身体が完璧に乗る位には、ごくごく当たり前のように動けてしまった。

 

 そうした幾つもの事象が重なった結果、御行氏とかぐや嬢の二人は、ふっと動きが合わさった。

 まるで互いが向き合い、ワンオンワンで決闘するように、互いがぶつかり合う進路を取る。

 

 先ほどまでは、まるで騎士が槍を繰り出すように、互いの武器を交差させるだけに留めていた。相手の射線から逃れ、ギリギリで回避する。人はそれをヘタレと呼ぶ。しかし今度は違った。

 

 二人の足が同じように動き、同じように止まる。

 真っすぐに歩いた互いは、そのまま互いに向き合って。

 

 「……あの、会長。さっきから、既の場所で避けてますよね」

 「いや、避けているのは四宮の方だよな?」

 

 背後で音楽が激しく! カカン! とカスタネットの音が響いた時。

 二人はほぼ同時に口を開いた。

 ギターの音が合間合間で、雷の様に入り込み、両者の背中に白い光を走らせるっ!

 カッ! というカットインの如く。ドックファイトの攻撃が言葉となって撃たれていく。

 

 「わ、私が避けているとは、また見当違いなことを、言わないで下さい。さっきから何回も擦れ違っているのは、偶然じゃありませんよね。さては会長、照れていますね?」

 「馬鹿なことを! 四宮こそ生徒会室に入って来てから顔を合わせていないだろう。白銀の行く路に逃げ道無し……! 逃げているのは四宮だ!」

 「いいえ、逃げているのは会長です! 私が何故避けないといけないんですか!? 私に恥ずかしがる理由なんかありませんよっ!」

 「それを言うなら俺にだって無い!」

 

 バルカン砲の撃ちあい。互いの心に命中しながらも、両者譲らず……!

 

 一時の呼吸を置く。同時に蓄音機からのBGMもコーラスに入った。

 飛び跳ねるような音、クラップスタン、これから益々の高ぶりを迎えるだろう空戦。その兆しを見せるようなリズム音に乗りながら、二人の口調はヒートアップする。

 

 僕は千花と鼻歌を唄いながら雑巾で棚を拭いていた。

 思わず指と身体が跳ねるようなギターの音色に、足指で床を叩く。

 

 夫婦喧嘩は犬も食わぬというが、この喧嘩は見て居て微笑ましい。良いぞもっとやれ。

 

 「い、良いです。ならどっちも避けてはいないってことで良いでしょう!?」

 「良いよー!? 別に恥ずかしがってなんかいないからな!?」

 

 (どう見ても君達二人でいちゃついてるようにしか見えないけどねー)

 

 何時もの僕らへの評価は横に置いて、そんなことを思っていた。

 そうして互いに掃除に戻る。御行氏は(はた)きを手に積もった埃を落とし。かぐや嬢は箒を手に床を掃く。BGMは空気を読んで穏やかになった。

 

 だが終わりではない。

 激しい音ではなく、叙情的な水のようなフレーズに。それらが徐々に曲調を変えてくる。主旋律が低音から高音に、チャージされるようにテンションが上がっていく。

 

 そしてそれらが頂点に達しようという時。

 

 再び、二人はぶつかった!

 それも今度は回避をしなかったのではなく、互いに真正面から逃げなかったがために!

 至近距離で、どん、と!。

 

 「「………っ!!」」

 

 互いに息を飲んでいた。BGMは空気を読んでピッキングが入った。

 僕と千花も、思わず手を止める。その先がどうなるのか気になってしょうがなかった。箒が御行氏の身体にぐいっと食い込んで痛そうだ。

 

 暫し二人が固まった。そのまま、互いに顔を合わせることも出来ず――かぐや嬢は御行氏の胸元近くで俯いている。その様子を見て、御行氏も悟ったらしい。

 

 『ひょっとして四宮も意識しているのか……? 痛いと思われていないのか……?』と。

 

 そのまま膠着する事、数十秒。

 まず、御行氏が口を開いた。連続していたピッキング音が止まる。

 

 「し、四宮。花火大会だが、……た、楽しかったよな!?」

 

 御行氏が背後を取った。バルカンではなく大型ミサイルを発射する。それは確かにかぐや嬢に命中! 彼女がドキッとしたのが僕と千花には分かった。

 

 先の僕が提案した通り、彼は言葉を絞り出したのだ。

 自分の黒歴史を嗤われないように話題を振ったのだ。

 

 言葉と同時BGMが再開された。カカカッ! とスタッカート混じりの格好良い音調に。

 それは二人の持つ、心臓の鼓動を表す様な跳ねる響きだ。

 

 「か、会長。その、花火大会、わ、……私。言いたいことが、あって」

 「……楽しくなかったか?」

 「い、いえ! 違います! そうじゃなくて!」

 

 勢いのままに、かぐや嬢は、すうと息を吸った。

 音楽はいよいよ一番の盛り上がりに向けて流れている。複雑に下がり、上り、下がり、再び上がる。その繰り返しが行われた後、かぐや嬢のテンションは最高潮に。

 

 操縦桿を握った戦闘機が、そのまま一回転。マニューバ・クルビットの様に直ぐ様に御行氏の背後を取る。そしてそのまま彼に『空対空ミサイル(フォックス)』!

 逃げちゃ駄目だと自分に言い聞かせながら、意を決して吐き出したのだ!

 

 「――あ、ありがとう、ございます。私も、……楽しかったです!」

 

 その一言が、御行氏に直撃する。

 彼の全身が、火を噴いたように赤くなり、煙を吹く。燃え上がったのだ。クライマックスを向かえた戦闘曲(Zero)は、そのまま彼を恥ずかしさという焔で包み込み、撃墜する!

 

 ――この一騎打ちは、かぐや嬢の勝利ではないだろうか?

 ――だがしかし、御行氏も負けては居なかった。

 

 崩れ落ちる最後に、かぐや嬢の手を取り、自分の方に引き寄せると、悪足掻きを放つ!

 

 「し、四宮が希望するなら――次を考えてやらんでもない!」

 「えっ」

 「は、花火大会は終わったが! 四宮の考えを読んで、希望を聞くくらいで良いなら、……幾らでも、やってやる……! ……(生徒会の皆で)

 

 最後にちょっと日和ったが、その連射は、かぐや嬢に命中。

 心を爆発炎上させる。

 

 BGMは激しい音と共に終幕を迎える。余韻が響いて、徐々に生徒会室に静寂が戻る。

 はう、という声にならない声を上げ、かぐや嬢は頬を赤く染めて固まった。

 言ってから限界を迎えたのか、御行氏は慌てて距離を取ると、そのまま背を向けた。

 

 「い、いや、何でもない! 忘れてくれ! 俺は部活連に顔を出してくる!」

 「あ、ちょっと会長! 今のもう一回! 待って下さいー!」

 

 駆けだした御行氏を追う、かぐや嬢の顔は、妙ににやけていた。

 見間違えではないだろう。

 ……花火大会の影響が、良い感じに実って、良かったよ。

 

 ◆

 

 さて、そうなると自然、生徒会室には、僕と千花だけになる。

 さっきまでの我らが上司二人の会話を見て居て、僕らはちょっと当てられていた。

 

 何となく距離を詰める。互いに無言のまま、何となくだが。

 そして何となくだが手を絡める。

 

 「……生徒会室でいちゃつくのは初めてじゃないけど」

 「ちょっと落ち着かないですね――むずむずするっていうか……」

 

 関係が深まったおかげで、二人きりになると――平たく言えば、悶々(もんもん)とする。

 

 公衆の面前で一線を越えないだけの理性はあるが、その理性が外れやすくなっているのは確かだ。互いの実家には関係が判明している今、密かに夜半に訪ねて行っても通してくれる状態である。

 

 箍が外れている、とは言わない。

 だが常に距離を縮めていたい感情が支配しているのは確か。

 無言のまま、指が恋人繋ぎになり、腕が絡まり、胴体が密着する。

 

 「……掃除しないといけないよね」

 「はい……」

 

 言葉では言って居るが、行動は伴ってない。

 制服姿の千花は久しぶりだ。服の合間から除く、日焼けをしていない白い肌に目が吸い寄せられる。何となく指を伸ばして、首元に触れた。

 

 「にゃふっ……!?」

 「あ……御免。……こう、撫でたくなって……」

 「い、いえ。良いですけど。一言掛けてからにして下さい……」

 

 胸ポケットから髪留めのゴムを取り出し、後頭部でポニーテイルに結び直す。

 そして『さあ、どうぞ』と言わんばかりに、うなじと顎を差しだした。――まあスキンシップならセーフ。セーフだよな、と思いながら、其処に手を伸ばす。

 

 猫を宥める様に、その顎の下をゆっくりと。

 そのまま口で甘噛みしたくなった。

 生徒会室でという若干の背徳感も合わさって、気分が昂ぶ――。

 

 「こんちゃーっ……す?」

 「うおおおうう!? ひひひ久しぶりだな石上!?」

 「なわわあ、ひ、ひひ久しぶりですね石上君!?」

 

 ――と行動する寸前に、石上が入ってきた。

 咄嗟に飛び離れ、今の状況を誤魔化すように声でかき消す。二人揃っての慌てた態度に、彼はジト目になって『どうせ惚気ていたんでしょう』と言いたげな目をした。が、そのまま突っ込まず、冷静なまま、半端に放り出されていた掃除用具を拾いあげた。

 

 「久しぶりって程久しぶりじゃないですが、今学期もよろしくお願いします。それと」

 

 石上は入口扉の方を示した。

 

 「お客さん、来てますよ」

 

 視線を向けた先には、見覚えがあるデコがあった。

 

 ◆

 

 「今、御行氏とかぐや嬢が、互いに顔を真っ赤にして出て行きマシたね。何が?」

 

 石上と部屋前で合流した津々美が訪ねてきた。

 少し前に生徒会から出て行った、御行氏達を目撃していたらしい。

 

 「いや、夏休みのイベントの話をしたら、互いに恥ずかしくなって、勢いのまま走り出しただけだよ」

 「互いにですね! 青春って奴ですね!」

 

 誤魔化しも込めて大声で説明する。

 石上が来たことで冷静になった僕らは掃除を再開した。

 

 荷物の整理は大体終わった。蓄音機も演奏が終わっている。針を上げ、レコードを仕舞い、貴重品として部屋の隅に隔離しておく。掃除は半分くらいを終えたところだった。

 石上に雑巾を渡す。序に手が空いている津々美にも箒を渡す。手伝って貰おう。

 

 「イベントデスか?」

 「うん。生徒会メンバーで花火大会を見に行ったんだよ」

 

 津々美は、藤原家のバイトと、バイト終了後のお疲れ様でしたの労い会と、実家から別居するための引っ越し準備等で居なかった。僕と顔を合わせ難かったのもあるだろう。

 

 「会長の気遣いが、本当炸裂したんですよ。……四宮先輩の気持ち、僕は分かります」

 

 石上も、御行氏の全力に救われた人間だ。言葉には重みがあった。

 

 「それで津々美は一体何の要件?」

 

 長かった髪をばっさりと切って、眼鏡も四角い縁のないタイプになった津々美に問いかけた。

 デコだけはそのままだが、大きくイメチェンをしたのだ。

 

 新学期になれば嫌でも顔は合わせる。教室で遭遇して――何とか普通に会話にはなった。

 あの天文台での一件以後、彼女との距離は()()に戻ったのだと、僕は認識している。

 

 クラスの中では『何かあったんだな』と話が出たが、津々美は上手く『ちょっと失恋しただけデスよ』とだけ告げ、他は隠しきった。邪推してくる相手は居ないらしい。

 まー翼君……田沼翼(物凄くチャラい姿なった)に比較すれば、彼女の変化は全然普通だし、今の姿形もなかなか似合っている。だから少し安心している。

 

 「それで、何かあった?」

 「岩傘サンに話がしたいと後輩が」

 

 名前も、調から岩傘へと戻った。彼女なりのケジメなのだろう。僕は止めなかった。

 後輩。津々美の後輩。それが誰を意味するのかは分かる。

 

 「……下らない要件なら叩き出すぞ、イクサ」

 「嫌われた物だね、くふふ」

 

 顔を出したのは、あの厄介者だ。

 

 当たり前だ。夏休みの一件を許した訳じゃない。どうやって好きになれというんだ。

 花火大会の日、かぐや嬢の手伝いをしたらしいが、それで罪状が帳消しにはならないぞ。

 

 僕の鋭い視線に、彼女はまあまあと宥める様にして、生徒会のソファに座る。

 此処は生徒会でお前が客人なのだが、態度がデカい。御行氏とかぐや嬢が居なくて正解だった。

 話を聞くのも手を動かしながらにしよう。

 

 図々しい客人に、手伝えと箒を投げ渡した。

 彼女はやれやれと言いながら立ち上がって、作業を始めた。

 

 「此処で色々と隠していた事情を、語ろうかと思ったのだよ。詫びも兼ねて」

 「有益な情報なんだろうな」

 「そりゃ勿論。《R・F》の話に、かぐや姫の話まで、勢揃いだ」

 「……岩傘先輩。僕も聞いてて良いんです?」

 「良い。例の『チクタクマン』事件にも関わりがある話だ。好い加減、僕だけで抱えるには面倒すぎる。生徒会全員で共有して解決を目指したい」

 

 かぐや嬢には、半分ほど話したんだがね、とイクサは切り出した。

 手には箒を持ったまま、口元の笑みはそのままに、目だけは真剣だった。

 ならばしょうがないか、と自分に言い聞かせ、僕は続きを促す。掃除をしながら。

 

 

 「ではまず端的な部分から言おう。――《R・F》は、私の兄だ」

 

 

 いきなりの爆弾から始まった。思わず手が止まる。

 彼女に注視する全員の目が、懐疑的で、訝しんでいたのも無理はないだろう。

 

 「兄の狙いは()()()()()()だ。それを使って、かぐや姫を取り戻そうとしている」

 

 衝撃をそのまま、灰色女は連続して爆弾を投下させる。

 先ほどまでがドッグファイトだとするなら、これは空爆である。

 イクサは告げたのだ。『不老不死の薬』は()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

 「私は、君にそれを処理(燃や)して欲しいのさ」

 

 ――天に上ったかぐや姫を偲び、帝は泣き止むことは無かった。

 ――『彼女が居ない世界で、どうして長生きする意味があろうか?』。

 ――嘆いた帝は一人の男を召した。

 ――彼女の残した不死の薬を、最も高い山で燃やしてくれ。

 ――その男の名を――。

 

 「なるほど。話は分かりました。やれたらやりましょう。ね、いーちゃん」

 「え? ……ああ、うん、そうだね?」

 

 考えこもうとした僕の意識を、千花が引き戻した。

 イクサのことは「そうなんですかー」くらいの感覚だった。

 

 「そうです! 話は半分くらいしか分かりませんが! イクサさんの話より大事な事が沢山ありますよ! ボーっとしてたらあっという間に時間は過ぎてしまうんです!」

 

 言葉に、はっと自分を取り戻した。

 

 そう、千花の言う通りだ。その通り!

 所詮は、ちょっと危ない事件が近くで起きるかもしれないだけ。

 口ぶりからすれば、前みたいなSAN値が減るようなイベントはまず起きないらしいし。

 というかこれ以上、変なファンタジーイベントが起きて貰っても困る。それはNoThankYouだ。

 

 ()()()()()より我らが会長と副会長、何時まで逃げているのかの方が重要だ。

 え? 川沿いの土手まで走っていった? 周囲の皆が後を追いかけて大騒ぎだった?

 それは急いで追いかけねばならないな。

 

 イクサの言葉が真実だろうが、今は些細な事だ。

 なんか役目があるとか言われた気がしたが、知るか。

 巻き込まれたらその時考えよう。それくらいで十分だ。

 

 生徒会が終わり、卒業するまでの間、僕はのんびりと千花達と惚気ながら過ごしたい。

 その邪魔が入るならその時に考える。取り返しがつかない状況になる前に先手は打とう。だが優先順位を変えるつもりは無い。

 

 第一はLove。

 邪神相手の諸々なぞ四の次か五の次くらいで十分だ!

 

 会長と副会長に、負けてはいられない。

 あの二人を後押しし、あの二人の見本になる。御行氏・かぐや嬢という、不器用な、手のかかる子供達を導くのが、先達たる此方の仕事なのだから。

 

 「……あの、私の言葉、聞いててくれたかい?」

 

 不安げなイクサに対して、僕は頷く。

 うん、聞いてた聴いてた。大丈夫大丈夫。きっと何とかなるよ。

 

 その《R・F》氏の狙いやら、対象への感情やらは、どうせこれから知っていけば良い。

 

 その時に、いざ対面した時に、負けないだけの経験値を――千花とのラブ・コネクションを――積み上げておけば良い。たったそれだけの話じゃないか。

 僕の言葉に、石上は呆れて、千花は『それでこそです!』と頷いた。

 

 「そういう訳で、二学期も惚気よう」

 「はい! 今まで以上に一杯しましょう、いーちゃん!」

 

 

 僕と千花の惚気は、まだまだ続くのだ。

 こうして二学期の幕は開く。




 夏休みのドシリアスはもうやりたくない! 明るくやるよ!
 因みに投稿が遅れた理由は、提督業とか、TS男子&魔女で戦ってたりとか、腸を破壊されて入院とか色々ありました。皆さんも健康には十分ご注意ください。
 次話ですが、インド異聞帯の空想樹を切り倒して、フレッチャーと石垣を拾ってくるので、少しだけお待ち頂ければ。

 冒頭でも触れましたが、頂いた感想数が100を超えました。筆者の励みになります。今後とも頂けると飛び跳ねて喜びます。

 ではまた次回!


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岩傘調は神ってない(という事になっている)

YJ最新話(2019年6月20日)を読んだ感想。
『なんかもう生徒会室が愛の巣になっててどうすんじゃ』
良いぞもっとやれ。私も頑張って濃度あげなきゃ。

という訳でどうぞ!


 さる平日の朝。

 居間に顔を出すと、まず和食の匂いが漂って来た。

 おはようございます、と挨拶をすると、三人がこっちを向いた。

 

 僕の言葉に、おはよ、と荒っぽくはあるが返したのは、我が妹(キーちゃん)

 既に食事を終え、制服に身を包んでいた彼女は、他二人に挨拶をすると、僕と入れ違うように部屋から出て行く。あの様子だと、通学しながらランニングをし、そのまま部活の基礎練習に参加すると言ったところか。

 昔から僕への当たりは強い。千花との関係が進展したことを知って以後、彼女の態度は、まるで汚物を見るような目になっている。……お年頃なのだろう。

 ただ藤原家の皆さんとは仲が良いので、これは其処まで気にしていない。挨拶はするし。

 

 「おはようございまーす。はい、朝ご飯出来てますよー」

 

 すすっと白米、お味噌汁、野菜、魚の煮付けと運んできたのは千花である。

 既に制服だったが、彼女は上に割烹着を着込んでいた。見れば部屋の椅子に、鞄が既に置かれていて、これは僕の家からそのまま通学という魂胆だ。

 配膳と同時に『どうぞどうぞ』と促される。

 椅子まで曳かれたなら、断るのは悪い。そのまま着席した。

 普通のエプロン姿も良いが、割烹着姿も良い。あまり激しく自己主張をしない色合いが、本来は自己主張の激しい体付きを上手に隠している。着痩せして見えるのだ。うーん、抱きしめたい。

 台所に立っている彼女を後ろからしっかりと――というアレだ。

 

 「いーちゃんが何を考えてるか分かりますよ? 裸エプロンとかして欲しいんですよね?」

 「其処までは考えてない! ――してくれるの?」

 「み、水着エプロンくらいなら……」

 

 ふむ、まだ残暑は厳しい九月だ。無茶な注文でもないだろう。

 会話をしていると、くすくすと僕らを見て笑う声が一つ。部屋に居た最後の女性だ。

 

 「……おはよう、ございます。雷光(ひかり)さん」

 「ええ、おはようございます、調さん。また夜遅くまで本を読んでいましたね? 寝不足にはならないように注意してくださいね」

 「……気を付けます」

 

 三人目の女性。つまり僕の義母。親父の再婚相手。名前を岩傘雷光(いわかさ・ひかり)

 かなり厳つい名前だが、ちゃんと女性である。

 破天荒な我が生みの母:(あき)に比較すれば、大人しく静かな佇まいの人。しょっちゅう温泉旅行に親父と一緒に出掛けている。名前はごついが、外見はそれを想像できない程に嫋やかで、楚々とした清楚な女性だ。

 

 身体もあまり丈夫ではなく、病みがちなことも多い。温泉旅行は療養も兼ねているのだ。

 とはいえ日常生活を送るには不自由がなく、出来る範囲で家の事もやっている。

 料理の腕は特に優れていて――憂さんは洋食・中華・エスニック等が得意だが――和食に関しては抜群の腕前だ。今日の朝食は、彼女の指導の元、千花が用意をしたらしい。

 

 「この(スズキ)、私がやったんですよ。で、煮付けにしました。自信作です」

 「じゃあ一緒に食べよう。……雷光さんも」

 「はいはい、ではでは。お義母様もご一緒にどうですか?」

 

 僕と千花のほぼ同時の問いかけに、彼女は『お邪魔じゃない?』と首を傾げたが、勿論、そんなことはない。僕の隣に千花が座り、彼女は向かい合うように座った。

 そして両手を合わせて、頂きますをしてから、食べ始める。

 

 「そっか、そういえば家庭科では魚を捌くって話がちらっと出てたな……。その練習?」

 「いえいえ復習です。三枚降ろしは勿論、二枚、四枚、五枚、皮引き、生け締め……烏賊や蛸、穴子みたいな奴までマスターしてますよー」

 「家庭スキルが高い嫁さんが居て僕は果報者だなぁ」

 

 花嫁修業。千花はなんか凄いことになっている。

 万穂さんが『何時、お嫁に出しても恥ずかしくないように』とあれこれ指導をしている。加えて岩傘家の女性陣は全員千花と仲が良いので、一緒に作業をして、あれこれと教えている。

 そういえばちらっと……柏木さんがマスメディア部から――お味噌汁の作り方を習ったみたいな噂を耳にしたが、千花はあれにも負けていない。

 炊事洗濯、裁縫、掃除、教育等々。……最後のは主に生徒会に入ってから開花した気がしなくもないが。御行氏という子供の世話で。

 後は実際の子供が生まれたらの話になる。それはそんなに遠くない話でもないだろう……。

 

 「…………」

 

 無言のまま、隣で美味しく魚を食べている千花を見る。

 そのまま上から下まで見る。

 元々女性らしいが、一線を越えて以後、色っぽい眼で見る僕が居た。

 

 ――これを抱きしめて、いちゃこら、あれこれしたんだよなぁ……。

 ――こう、捕まえて……運動して……。

 

 「調さん、手が止まってますよ」

 「おっと……」

 

 慌てて顔を戻して再開する。

 

 「やっぱり親子ですね。古読さんも昔から、好きな人への目線はかなり情熱的でしたから」

 「暁母さん(おかあさん)の事ですか?」

 「姉さんと、私との両方です。熾烈な戦いがあったのですよ」

 

 ……さて、暁母さんと、雷光さんと、親父の関係を此処で公表しておこう。

 暁さんと雷光さんは姉妹なのだ。だから本来なら、雷光さんは僕の叔母に当たる。

 

 経緯としては簡単だ。熾烈な姉妹の争いの末、親父と暁母さんが結婚し、雷光さんは引き下がった。しかし暁母さんは海外特派員として飛び回っている最中に、行方知れずとなった。

 結局、暫くの後、憂さんが家に来たことで、彼女の生存は確認されたのだが――。

 それまでの間に、雷光さんが、親父に猛アプローチをかけた。妻を亡くして失意の内にあった親父を慰めたというのもある。

 結果、僕の親父は、姉妹揃って手に入れたのである。

 

 ……こればっかりは擁護をするのが難しい。

 いや、うん、親父を尊敬している部分も多いが、尊敬できない部分もあるのだ。

 

 社会的立場故、お妾さんを囲ってもフォロー出来るだけの金と力があったという事。

 元々の姉妹関係は良好で、よく見るエロゲー的な姉妹セットルートが実行できたという事。

 周囲の人間も納得(説得までに時間がかかったが)したという事。

 親父と、雷光さんとの間には、子供が出来なかったという事。

 

 こうした点が何とか良い具合に作用して、再婚という形に落ち着いた。

 今でも姉妹の仲は良いので、騒動には発展していない。

 

 ……良く勘違いされるが、我が妹響(キーちゃん)は雷光さんの子供ではない。

 彼女は暁母さんと親父の間に生まれた子だ。DNA鑑定もして確認している。

 一体何時仕込んで、何時産んだのか……と僕は首を傾げているが、確実に同じ血が流れている妹であることは間違いない。

 

 「……僕は其処までは出来ないので」

 

 僕が、豊実姉や萌葉ちゃんとの距離に注意しているのは、これが理由にある。

 親父とは仲が良いし、あれこれと会話するのに問題はない。が、姉妹揃って手に入れたという部分だけは僕には――割と複雑で、見習ってはいけないなと思っている。

 確かに豊実姉、萌葉ちゃん、どっちとも仲は良い。だが仮に彼女達からアプローチがあったとしても、僕は丁重に断る。そんなハーレムとか無理。絶対に無理。

 

 「お姉さま、いーちゃんの事を結構に気に入ってますけどね。多分、誘えば寝れますよ」

 「止めて。そういうの止めて。海の時だって煩悩消して接するの意外と苦労したんだよ。この点だけは譲れない」

 

 豊実姉の『お気に入り』という自覚はある。ヒエラルキーが既に構築され、逆らうのは難しい。

 だけど彼女から誘惑されても、僕は突っぱねる。魅力的な人だとは思うが、それでもだ。

 

 割とちゃらい上に雰囲気も軽いから、良く男のターゲットにされる。貞操観念はしっかりしている人だから良い具合にあしらっている。そんな彼女から真面目に誘われるという点は――そりゃあ嬉しいが、嬉しいで終わりだ。

 

 萌葉ちゃんだって同じこと。

 水着のまま肩車は出来ないし、ペスすらも藤原家に居ない頃(幼等部の頃だな)には一緒に入浴した記憶も朧げにあるが、とてもじゃないが今現在、激しいスキンシップは出来ない。

 

 「というか千花は良いの? 豊実姉とか萌葉ちゃんとかと深い仲になるのって」

 「嫌ですよ。いーちゃんは私だけの物なので、離す気はないです」

 「その答えを聞いて安心した! 僕も千花以外は選ばないから。問題は無いな」

 

 雷光さんは、あらあらと笑っていた。

 僕と千花の関係は、彼女にとっては微笑ましく、羨ましい物なのだろう。

 そうしなさいな、という無言の言葉が、僕らの幸せを応援してくれるようだった。

 

 「さて、ご馳走様でした。――学校行くか」

 「行きましょー。では十分後に玄関で」

 「では、調さん、お弁当を持って行って下さい。今日も腕を振るいました」

 「ありがとうございます。頂きます」

 

 高校生になって、ようやっと雷光さんを『母』なのだと認識できるようになった。

 『もう一人の母』。血は繋がっていないが、この人とちゃんと向き合えるようになった。

 暁母さんは好きだが、雷光さんも好き。

 家族という枠組みで言うなら、それで良いと思っている。

 

 (……しかし『暁』の娘が『響』で、暁の妹が『“雷”光』って、なんというか……)

 

 母方の祖父祖母は既に鬼籍に入っている。

 だから何を考えていたか、どんな意味があるのか不明だが。

 感性を疑うネーミングセンスだと思う。

 今の時代ならまだ許容できても、昔ではさぞ浮いていたんじゃないか?

 

 ◆

 

 授業も終わり、生徒会室に足を運ぶ前に、僕は技術開発部に顔を出した。

 頼んでおいた修理品の引き取りだ。

 

 「お邪魔するぞ。津々美、頼んでいたプロジェクターの修理、終わってる?」

 「くふふ、先輩は席を外している。が、修理の話は聞いている。その三つ目の段ボールだ」

 「それはどうも」

 

 総会に限らず何かと役に立つプロジェクター。最近、調子が悪いので修理に出していた。

 豊富な予算を持つ我が学院とはいえ、何かあったら即座に買い替える訳では無い。修理できるものは修理する。昨今は部活動の予算に限らず、無駄使いは厳しく咎められる。石上の目も厳しい。

 

 「変な悪戯をしてないだろうな」

 

 僕の目線に、灰色女は「してないしてない」と手を振って否定した。

 

 「した方が良かったなら今からでも仕込むけどねぇ?」

 「するな。二学期は一学期以上にイベントが多いんだ。余計な手間を増やすな、()()()()()

 

 僕がそう呼ぶと、イクサはさっと目を逸らした。

 エクレール。この女の本名である。

 

 考えても見てほしい。イクサ・クルーシュチャという名前が、本名の筈がないではないか。

 二学期開始時の掃除の際、彼女が訪ねてきたが、その時に確認をしておいたのだ。

 あの時の彼女の話を、箇条書きで纏めるとこうなる。

 

 ・犯罪者『R/F』はイクサの兄。リリアナ・ファリンはその相棒。

 ・その頭脳は化物であり、一国が全力で保護している為、まず情報は出てこない。

 ・イクサにも行方は掴めず、命令に従うしかない力関係だったが、リリアナは天文台で撃退。

 ・二人の狙いは『不老不死の薬』。それを使いたいらしい。

 

 まあ、ざっとこんな感じだ。

 『不老不死の薬』。

 名前だけを聞けばオカルトアイテムだが、古今東西、名前も研究も山ほどある。

 ベニクラゲの生態は一昔前に話題になったし、テロメア/テロメラーゼを科学的に制御して寿命を延ばそうとする試みはある。

 それに『不老不死』は言い過ぎでも、例えば10年20年と寿命が延びる薬品ならばあり得る。

 

 想像をしてほしい。

 江戸時代の平均寿命は約30歳。これは乳幼児・子供の死亡者が多いから正確な数字ではない。裕福な生活をしていた将軍家で、大体50歳くらいだというから、一般平民もこれくらいか、これよりちょっと低いくらいだろう。

 此処では適当に50歳としておく。

 

 で、今現在の日本人の平均寿命は、80歳から85歳。生活環境の改善、子供の生存率上昇、食事・医療などの大きな発展で30年延びた。この30年という数字は大きい。江戸時代の人間が知ったら『未来では大勢が30年も長く生きるのか』と驚くだろう。

 同様で――例えば平均寿命を100歳とか120歳に延ばすような薬があったら、それを『不老不死の薬』と呼んでも嘘ではないと思うのだ。

 さておき、そんな話をして、イクサからの情報を引き出した後、僕は切り出したのだ。

 

 「お前の本名を教えろ」

 

 逃げるなよと目に力を籠めると、イクサは参った参ったと言いながら降参のポーズをした。

 

 「偽名だとはバレたのか。一応カリテックの名前も改竄しておいたんだけど」

 「本名で通すには無理があるだろう。むしろあれで誤魔化せると思うな。――そっちが助力を欲するなら、相応の態度を見せるのが筋だろう。お前は前科が多すぎる」

 

 僕の指摘に全くだ、と肩を竦め、彼女は本名を名乗ったのである。

 

 「エクレールだよ。エクレール・ド・サヴァリス・クラヴリー。頭文字を取ってイクサ、さ」

 

 フランス人らしい名前だった。――初邂逅がフランス交流会なのだから当然だった。

 まあそんな訳で、イクサは一先ず大人しい。また変な暗躍をするかもしれないが、その時は容赦しないと、僕のみならず千花やかぐや嬢まで頷きあったのである。

 プロジェクターを抱えて、生徒会室に向かいながら、ふっと頭に考えが過る。

 

 イクサ。本名をエクレール。フランス語で、意味は「雷」。

 雷光(ひかり)さん。文字の如く、雷光。

 ……妹。響の通り名は『通りすがりの雷娘』。

 

 妙に符丁が合うな、と思った。

 

 ◆

 

 それから頼まれていた諸々を買い込み、段ボールを抱えて生徒会室に戻ると――。

 生徒会室の前で、大勢が扉から様子を伺っていた。

 

 「御行氏だけじゃなくて皆集まって、何をやってるんだ……?」

 「あ、いーちゃん静かに! 静かに! 中で柏木さん達がいちゃ付いてるんですよ!!」

 

 御行氏と石上、その後ろにかぐや嬢と千花。そして早坂愛。

 花火大会の日、御行氏が、早坂愛=ハーサカと見破ったことは話したと思う。その結果、彼女がかぐや嬢の家で働いていて、学園生活でもフォローしていると判明してしまったのだ。

 結果、かぐや嬢は取り繕うことも無く、早坂を生徒会室役員の前に連れてきた。

 特に役職は無いが、かぐや嬢の補佐として(少しだけだが)手伝いを任される様になった。

 勿論、生徒会役員以外には極力、その正体を出さないように、と暇を見つけての手伝いで――9月末で、この67期生徒会は解散となるから、それまでの約一月の間、ちょっと人出が増えることになっただけの話、なのだが。それでも早坂が顔を出すようになったのは事実である。

 

 「早坂まで居るし。止めないで良いの?」

 「貴方も気になるのでは?」

 

 まあ、気になるけど。分かるけど。

 そそっと生徒会室を除くと、柏木さんと翼君は、仲良くしていた。

 しかし翼君、随分と格好がちゃらくなった。夏休みで色々な経験をして変化したのは分かるが、ちょっと軽すぎる。髪の色違うし、髪型違うし、ピアス穴まで開けている。校則違反はギリギリしていない。

 

 『神ってるカップルってのはですね、二人きりにするとアホな行動を取り始めるんですよ!』

 

 そのあまりの変貌ぶりと、恋愛相談という名の惚気相談を前に、一時生徒会室を預けたと。

 石上が主張し、果たして二人が何処まで進展をしたのかと確認をするのが目的だそうだ。

 ……なるほど。趣旨は理解した。

 

 「かぐや様、この場合の神っているというのは恐らく、神聖な行いで――」

 「え、セッ――」

 

 などと耳打ちされていた。千花はスルーである。

 そりゃ経験済みだから照れることはないだろう。こういう時、女は強い。

 

 「じゃ負けてられないな。千花、ちょっとお邪魔するか」

 「はい? え、そこ張り合いますか?」

 「張り合う。悪いが学年一の惚気るカップルの座は譲れない」

 「初めて聞きますよその称号! ……まあ、付き合います、けど!」

 

 言いながら、僕は千花を引っ張って生徒会室に入ったのである。

 

 ◆

 

 丁度二人は恋人繋ぎから、頬へのキスをしている最中だった。

 こっちを見るが、気にせずどうぞ気にせずどうぞと促して、そのまま窓際の方に。

 生徒会長の机回りでいちゃこらするわけにはいかないし、来客用の机と椅子を柏木カップルが支配しているなら、僕と千花が惚気れる場所は窓際だけである。

 良い具合に引き寄せて、千花を腕の中に抱え込む。

 丁度、朝とか、こうしたかったんだ。あの時の気持ちのまま行動に移しただけである。

 

 「……イニシアチブ……」

 「はい?」

 「カップルの形は様々だけど、僕と千花なら、基本僕がペースを握って、千花が逆転をする事もある」

 

 腕の中に確保したまま、髪から背中を撫でる。

 千花は千花で、もうちょっと良い姿勢を、と身動き。

 僕の右半身に身体と顔を寄せるような姿勢になる。

 元々柔らかくて甘い香りがしたが、女性らしさというのか、その柔らかさが溶けるような感じに変わっている気がする。女性ホルモンの活動は肌艶や髪、体温なんかに影響するというが、まさにそれ。

 

 「向こうは……柏木さんがペースを握ってるらしい……」

 「冷静に指摘する当たり、流石ですね広報さんは」

 

 くすっと笑って、柏木さんが顔を上げる。

 思えばこうして彼女と会話をしたことはない。此処は少し、互いの自慢話といこうじゃないか。

 自然、彼女と僕の間に、火花が散った。

 互いに悟っていた。

 

 ――関係、進展しましたね? 広報さん。

 ――そちらも、行くところまで行きましたね? 夏休みで。

 

 まあ、でもそれに触れるのは無しだ。

 下手に触れると、確実にこっちの進展まで生徒会にばれる。……別にばれても良いけどさ。約束事、秘め事は、秘密にしておいた方が価値は上がるのだ。二人だけの秘密とか素敵じゃん。

 

 「翼君の雰囲気が変わったのは柏木さんが話したのかな?」

 「ええ、私がぽろっと言った言葉を素直に聞いてくれたんです。ちょっとワイルドな人が好みっていったら合わせてくれて……。素敵でしょう? 合わせてくれるなんて」

 「良く分かる。今朝とか千花が割烹着姿だったけど、何年後かには裸エプロン姿とかやってくれると思う。そういう互いにお願いし合うって良いよね……」

 「分かります。良いですよね……」

 

 互いに頷きあう。

 

 「ちょ、ちょっといーちゃん、何を! そんなもう、それじゃ私が痴女みたいじゃないですか」

 「嫌? というか提案したの千花からじゃん」

 「いえ、嫌ってんじゃないですけど! ――まあ、いーちゃんになら良いかなって思いますけど! そーいう誤解を招く言い方はですね! 良くないと思うんですよ! まるで私が()()やってるみたいじゃないですか」

 「違う。僕の前でだけそういう姿を見せてくれれば良いっていう話だよ。――柏木さんは翼君から何か頼まれたりとか無いの?」

 「そうですね……」

 

 バンバンと身体を叩かれるが痛くない。千花も加減している。

 生徒会室の外からの視線は告げていた。

 

 『お前ら(貴方達)の関係の進展具合を聞かされてるだけじゃないのかコレ?』

 

 僕からの振りに、柏木さんは少し考えて、小さく首を振った。

 

 「それが中々……。デートには誘ってくれるんです。夏休みだけで、結構、色々あちこち行きました。でもそこから先は焦らされるんです。私の方から欲しがってやっとです」

 「アドバイス貰うまで自分からアプローチも出来なかったからねぇ」

 「いやだなー、酷いですよ広報も、渚も。僕は気を使ってただけですって。ガツガツして傷付けたくないじゃないですかー」

 「それは分かる。では此処で千花、反論をどうぞ」

 「え!? ……ええと、それじゃ」

 

 へらっと笑って気の抜けた笑顔で告げた翼君だった。

 なるほど、その意見も分かる。確かに僕もその辺は気を使う。

 なので、ここは彼女に任せよう。

 任された千花は、こほん、と軽く咳払いをした上で返す。

 

 「ええと、確かにその意見は分かります。ですけどね、こう」

 

 何を思い浮かべたのか、千花は頬を染めた。

 

 「……傷を負わされるって、良いですよ?」

 

 顔に手を当てて、いやんいやんというポーズである。

 生徒会室の入り口では『どんな意味なの早坂!? サディスティックって奴!?』とかぐや嬢が慌てている気配があった。頑張れ早坂。

 が、それはスルーだ。全員意図的にスルーをして、話を続ける。

 

 「いえ、こう、好きな人から忘れられない傷を貰うって、ちょっと良いじゃないですか。一生の傷ですよ。『あ、付けてくれたんだな、一生大事にしてくれるんだな……』って愛情、感じません……? 感じますよね?」

 

 言葉に、室内の皆が同意する。

 

 「分かる気がします。うん、勿論私たちは高校生だから、皆の考えてるようなことは致していませんけど」

 「首筋噛まれるのとかも、一緒だね」

 「そうです。そういう事です」

 

 くすり、と微笑んだ柏木さんは、制服からちらっと肩を見せる。

 そこには虫刺されのような跡が幾つか。

 ――普通の虫刺されの跡ではない。この時期、蚊が居るとは言っても、あんな風にはなるまい。

 なるほど。どうやら健全に不純な関係が進展しているようだ。

 

 「むむ、いーちゃん、今どこ見てたんですか?」

 「千花と比較してた。――さて、そろそろ入り口に居る皆が限界そうだから、この辺で切り上げようか」

 「そうですね。ふふ、藤原さんや広報さんとは、また実りが多い会話が出来そうです……」

 

 立ち上がり、優雅に『お邪魔しました』と微笑んで、柏木さんは翼君を連れて退室していく。

 帰り際、入り口に居た皆に声を掛けたようだが、どうも僕らの会話で処理能力が飽和していた一行は、まともな返事も出来なかったようだ。

 

 『結局、あの二人は何処まで進展したんだ!? 分かるか石上!?』

 『分かんねーっす!』

 『ぷしゅう(倒れているかぐや嬢からは煙が立ち上っている)』

 

 去り際の態度で分かった。

 恐らく『頻度』という意味では、彼女達は僕らより上だ。

 

 僕と千花は元々の距離感が近い。進展したと言っても、そもそものスタートラインが『一緒に昼寝くらいは楽勝』とか『パジャマのまま何もせずに寝るだけ』とかいう僕らと比較して、あの二人は『交際を始めました』という状態。それはまあ、関係の勢いは、向こうの方があるだろう。

 千花は天使であり、同時にちょっとだけ小悪魔っぽい感じがあるが。

 柏木さんは何というか、もうちょっと悪魔っぽい感じがあるな、と思った。サタン柏木。柏鬼。良い表現が思い浮かばないが――そんな感じだ。

 

 「うん、でもまあ、惚気という意味では負ける感じはしないかな」

 「ライバルではなく連携相手ですねぇ」

 

 僕と千花は、見送った二人を見て、頷きあうのであった。

 

 ◆

 

 で、今回の話のオチ。

 

 「取り合えずお前ら、あんな風に惚気るのは生徒会室ではやるなよ?」

 「そうです。流石にあの二人の様な行いを見過ごせませんからね?」

 

 御行氏とかぐや嬢は、柏木さんによる連続攻撃からの復帰後、僕らにそう告げた。

 息がぴったりだ。

 

 「それは分かってる」

 

 頷いた。――そして、同時に、何となく思ったので、口に出す。

 

 「……例えばの話なんだけど、御行氏やかぐや嬢が、こう好きな人が居たとして、その相手と二人っきりだったとして、それが誰もいない生徒会室だったりしたらどうする?」

 「何を馬鹿なことを」

 

 御行氏が代表するように、はっきりと切り捨てた。

 

 「俺も四宮も、仮にそんな状況になったとしても、絶対に生徒会室で不埒な真似はしない!」

 「そうです。例えそんな状況になったとしても嗜めます。愛を告げるなんて以ての外!」

 

 本当? 本当にそれ守れる? と思った。

 仮に御行氏とかぐや嬢が両思いになった時、生徒会室で二人きりの状態で、それ守れる?

 押すなよ? 絶対に押すなよ? みたいなフリを感じたのはここだけの話である。

 

 「ま、良いや、取り合えずプロジェクターは修理終わったから回収してきた。あと、はい」

 

 ビニール袋から頼まれていた雑貨を取り出して、並べて整理していく。

 夜食のカップ麺を戸棚に隠し、宅配されたお茶菓子を並べ、夏休みの間に放置され劣化した文房具やら。ああ、あと大事な物を忘れていた。

 

 「隠し部屋に、これ使おう」

 「そんな場所あったのか!?」

 

 我らが生徒会室には、隠し部屋がある。

 その昔、学生運動が盛んだった時期――1960年代とか――に作成されたらしい。

 湿気が多く、夏場は熱く、人が入らないので、その手の虫には最適な場所だ。

 蒸気で蟲を駆除するアレ――「バル○ン」を取り出したのであった。




早坂「……邪魔な虫を排除できるらしいですが……どうせなら、何かと迷惑を掛けてくる邪魔なクリーチャー、対象Fや対象Iも排除できませんかね」
岩傘「それは効果の対象外じゃないかな」


対象Fと対象I……ではなかった。
フレッチャーと石垣は無事に確保。今回しんどかったです(資源的な意味で)。
インドの空想樹も無事に伐採完了。今回しんどかったです(尊さで。CCCプレイ済みには特に)。

さて今後はちょこちょこイベントを挟みつつ――
生徒会選挙篇と運動会の石上篇に向けて進めて行きましょう。
頑張れミコちゃん、原作以上に生徒会の壁は高いぞ!

ではまた次回!


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岩傘響は話したい

副題:妹のお話

花火大会が2016年開催なのですが、2016年9月9日(会長の誕生日)は木曜日……。
50話「祝いたい」で、かぐやのスケジュール表に書かれている、会長の誕生日は月曜日……。
尚、9月9日が月曜日の日は、2013年/2019年。
これは素直に史実カレンダーに合わせましょう。この辺は多少弄っても日程的な問題はない筈。中秋の名月は9月15日ですし、誕生日前から月見会までの間に、石上の勉強を見たりしていれば矛盾はないかと。そんな感じで宜しくです。

では、どうぞ!


 早坂さんと話をして、分かりあったことがある。

 私と彼女は似ている。親しい身内の恋愛問題に振り回されるところとか、人知れず武力を用いて問題を解決したりとか、厄介毎を解決する際の手段が自分の腕だったりとか、意外とパワーファイターな所とか(早坂さんはスタンガン使うけど)

 ――恋愛という物に、羨望を持っている事、とか。

 

 「……早坂先輩とアレの相性が悪い理由が分かった気がします」

 「なんです? それは」

 「同族嫌悪、みたいな物じゃないかなって」

 

 私の言葉に、早坂さんは『……かもしれませんね』と息を吐いて認めた。

 正直、似ている部分は少ない。アレと早坂さんは、四宮先輩との関係は全然違うし、性別やら態度やら対人関係やら、共通点を探すのは難しい。だから『同族嫌悪』と言う言葉が不適切に思えるかもしれない。

 

 だけど違う。あの二人は似ている。

 具体的に言えば、大事な人の為に、暗躍することを辞さない所だ。

 

 関係を公言して憚らない()()の為にならば何でもするアレと。

 関係を秘密のまま密かに()()の為にならば何でもする早坂さんと。

 

 その一点は、互いに認めざるを得ない程、似ているのだ。

 その容赦のなさ、徹底した行動、そして愛情。

 

 だから手を組めるし、相手の行動が分かる。

 ……まあアレは分かった上で邪魔している部分もあるけど。

 だから、その強さに対して、二人は反発しあうのだ。

 

 「私はアレと兄妹。周囲が言うには似てるんだってさ。似てないと思うんだけど」

 「あの男より、貴女は随分と可愛いですよ。これからも仲良くしましょう」

 

 ハワイで、友情を結び、私は早坂先輩を、早坂さんと呼ぶ仲になった。

 そして彼女経由で、四宮先輩と白銀会長の話も、聞いた。

 

 だから、なのだろう。

 早坂さんとアレが似ている部分があって、私とアレが似ているなら。

 それはつまり、応援したくなってしまうのも、納得出来るのだ。不服だが。

 

 彼らの恋愛関係を前に、羨ましいと嫉妬をする自分が居る。

 彼らの関係を前に、邪険にしつつも手伝いを無視できない自分が居る。

 特にそれが、親しい早坂先輩や、親友ら二人に近しい、さる生徒会の先輩方ならば――。

 ――手伝う理由としては十分だと思ってしまう自分が居る。

 

 私の名前は、岩傘響(いわかさ・ひびき)

 秀知院学園・中等部。生徒会での役職は庶務。

 

 そして、色んな意味で有名なアレ――岩傘調の、妹だ。

 

 ◆

 

 「ウィンドウショッピングですよー! 今日は秋物をしこたま揃えちゃいますよー!」

 

 四宮先輩の前で、親友:萌葉がテンション高く声を上げる。

 

 「萌葉、ウィンドウショッピングは品物を見るだけの事を指すんですよ。しこたま揃えちゃったら普通のショッピングじゃ……」

 「細かいことは気にしない~!」

 

 四宮先輩以外の同伴者は、萌葉以外に二人。

 今回は妹の抑え気味に回る(つもりらしい)、義姉:藤原千花。

 四宮先輩が、最も意識をしている人の妹・白銀圭だ。四宮先輩は、彼女を気にしていた。

 

 「お二人とこうして一緒に出掛けるのは初めてですね」

 「よろしく、お願いします。四宮先輩」

 「楽しみます」

 

 私は静かに、しかし礼儀正しく頭を下げる。

 

 噂は、高等部にも伝わっているだろう。

 広報:岩傘調の妹であり、萌葉・圭の友人であり、中等部では知らぬ者なしと言われる『歩く雷』。気が強い以上に身体能力が桁外れ。不良ではないが不祥事に巻き込まれることも多く、その大半が暴力沙汰というとんでもない娘である、と。

 

 まあ、否定はしない。出来ないだけの実績がある。

 別に自分から飛び込んでいくつもりはないけど、気付けば巻き込まれているのは本当だ。

 とはいえ私が、本当に己の為に拳を振るう事は滅多にない。記憶の中では数えるほどしかない。

 

 大抵は問題解決の為に――それも義理人情や、不条理の為に――働き、縁を大事にするが為。その在り方故に、時代劇で言う『先生、後はお願いします』的な用心棒スタンスを確立している。

 

 自分で言うのもなんだが、普段は大人しいし、成績も高レベルを維持している。暴力を使わないでも解決できることは、親身になって解決に奔走するよう心掛けている。

 時々すっごい目付きになる以外は、長いまつげを持った瞳も、小さな口も、とても愛らしい――とは、親友二人の話。

 

 だから意外と、慕われている。

 というか、スキャンダルを探られても揉み消して貰えるくらいには、人気を作った。

 コネを全力で磨いて、コネがあるからこそ全力で暴れても良いように手配している。

 暴力事件を起こしたという先輩の話を聞き、二の轍を踏まない様に注意も受けた。

 

 その辺、どう見ても兄とそっくりだ、と言われた。

 それが気に入らないが、それが私だ。

 

 「やっと合った日程です。大事にしましょう」

 「人が多いので一列になって進みましょう! さあいざショッピングにー!」

 

 このウィンドウショッピングは、元々夏休みに計画されていた物だ。

 ハワイの天文台に足を運んだり、花火大会直前まで京都の実家に監禁されていたりと、スケジュールの多くが狂い、後回しにされていたイベント。二学期の今になって、ようやっと実施と相成った。

 

 奇しくもそれは、白銀御行さんの誕生日、六日前である。

 本日は9月3日土曜日。若干暑さは残る物の、秋の訪れを感じ、出かけるのが苦ではない空模様。

 

 「かぐやちゃんー! 一緒に歩きましょうー!」

 「え、ええ」

 

 さて、どうやら四宮先輩は、萌葉が苦手な様子だ。気持ちは分かる。

 彼女は悪い子ではない。が、ストレートな物言いに加え、愛情が微妙に捻くれているのだ。

 長女:豊実さんが奔放、次女:千花義姉(ねえ)さんが邪悪とするならば、三女の彼女は倒錯的である。

 

 「圭ちゃん可愛いよね。ウチのクラスの男子は勿論だけど、女の子からもすっごくモテるんだよ。努力家だし、プライドは高いけど曲がったことは大嫌いで、何というか汚れてないって言うか――」

 

 にこにこと笑顔で話した後に付け加えられた言葉に、若干の戦慄を覚えたほどである。

 

 「ホント徹底的に汚したくなるタイプっていうか、一生地下に閉じ込めて監禁してあげたい感じ!」

 「萌葉、四宮先輩が困ってる」

 「い、いえ、私は大丈夫ですよ?」

 「ほらほら大丈夫ですよ~。流石、萌葉の大好きランキング食べちゃいたい部門第一位!」

 「他部門が何なのか知りたい」

 「閉じ込めたいランキング、食べちゃいたいランキング、抱いて欲しいランキング、着飾らせたいランキング、えーと後色々です! 因みに響ちゃんは『くっ殺させたいランキング』1位です」

 「それ、誉め言葉……?」

 

 面白い会話ですね、と四宮先輩が笑った。

 冷静に受け答え(ツッコミ)をする響の姿は、新鮮だったらしい。

 どんな苛烈な性格かと思ったが、どちらかと言えば抑え役でフォロー役。困っている口調だが、その口元が楽しそうだったのが、意外だった。そう言われた。

 

 「萌葉はこう……他人を依存させるのが好きなんです。豊実さんは甘えるのが得意で、千花義姉さんは甘えたり甘えられたりしていますが、萌葉は思い切り『甘えさせたがり』ですから。あの兄の反動で」

 

 藤原家と岩傘調の関係はこの場に居る誰もが知る話。

 

 豊実さんは、年下の義弟(アレ)をかなり可愛がり、そして振り回している。時々無茶な要求をするし、藤原千花が許す範囲でアレコレと誘惑している。本人は靡かず、出来る範囲で従っているが――つまり、藤原豊実を『甘やかしている』と言える。

 

 対して、藤原萌葉は、岩傘調に『甘やかされている』。彼は距離感には注意したまま、()()()()()()可愛がっている。だから萌葉は、逆に誰かに『甘えさせたい』衝動が強いのだ、と。

 そう説明をした。

 

 「本当に、あの兄がご迷惑をおかけしています」

 「それなりに関係は良好ですし、色々と助けられていますよ」

 

 割と素直な本音である。

 本当に助けてるんですか? という目を向けると、彼女は苦笑いして教えてくれた。

 

 あの広報は有能で、使い勝手が良く、適度に場を混乱させるが、基本的には味方。

 藤原千花と惚気る為にはこっちを利用したり、色々と面倒事を押し付けることはあるが、そこは許せる範囲だ。あの二人がのべつ幕無し、ひっきりなしにいちゃ付いているからこそ、此方の行動が目立たないというメリットもある。

 花火大会の日に、理解したそうだ。

 

 「……そうですか。迷惑じゃないなら、良いです」

 「もう響ちゃんは固いんだから~。もっと笑顔なら人気出るんだよ~?」

 「私は人気取りの為に笑顔を浮かべられるような性格してない」

 「またまた、そんなこと言って。知ってるよー? 響ちゃんはキュート属性だもんねー」

 「……男子の妄言、真に受けない。」

 

 私がキュートってなんだ。圭がクール、萌葉がパッションなのは分かる。

 でも私もクールで良いじゃん。

 萌葉を巧みに離し、姉の方へと押し付けた後、私は四宮先輩の方を向いた。

 

 「今日の目的は、圭で、良いですか。白銀会長の誕生日のための情報を聞くと聞きましたが」

 「……その出所は広報ですか?」

 「いえ、早坂先輩です。仲良くさせていただいています」

 

 小声での問いかけに、先輩は若干躊躇った後に、頷いた。

 本日の先輩の狙いは、白銀圭から、御行への誕生日プレゼントに関して情報を聞き出すこと。

 

 しかし。だが、しかし、この場には何かと苦手な藤原萌葉が居り、白銀圭の隣には藤原千花が陣取っている。果たして上手に、彼女と話をすることが出来るのだろうか……?

 

 「では、自然と先輩と圭が一緒になるように、やってみます」

 「頼りにさせて頂きますね」

 

 かくして。

 ここに四宮かぐやと岩傘響、二人のタッグによる勝負が幕を開けたのである。

 

 ◆

 

 ケース1:ゲームセンターにて

 

 「響ちゃん響ちゃん、ゲーセンですよ! クレーンゲームの腕を見せて下さーい!」

 「……要望は?」

 「ん~、あのシャンタっくんで!」

 

 藤原姉妹が指さした先には、可愛い(?)ぬいぐるみ。

 円らな瞳と、カバの顔、蝙蝠の羽が生えたような謎の生き物だ。

 任せなさい、と腕捲りをした私は――財布を確認して、先輩にお願いする。

 

 「……細かいのが、ない。ちょっと誰か、両替をお願いしても」

 

 そこで、ちらりと四宮先輩を見た。

 お膳立てすれば頷いてくれた。では私が、と手を挙げる。

 

 「……四宮先輩、両替の仕組み、分かりますか。圭、一緒に行ってあげ――」

 「じゃあ私が教えてあげますよん!」

 

 圭にお願いを、と言おうとした瞬間、千花義姉さんが先輩を引っ張って行ってしまった。

 

 思わず、無言になる。

 

 即座に戻ってきた二人の手には、百円玉が二十枚と、千円札が五枚。

 どうも一万円を両替して来たらしい。勿論、これだけの軍資金があれば、余裕である。

 空間認識能力には自信がある。数少ない操作で瞬く間に人気キャラを確保していく。

 

 「……じゃあ、はい、これどうぞ。シャンタっくん、ニャルちゃん、クーちゃん、ハスター君、レアキャラのアト子さん、そして最高レア擬人化シャンタっくんまで勢揃いです」

 

 落ち着けと自分に言い聞かせて、クレーンゲームに集中。余計な雑念を追い払って筐体に向かったおかげで、次々と景品が手元に落ちてくる。

 

 ほどなくして、紙袋に全部入りきらない程の、大量のぬいぐるみの山が生まれた。

 これ、欲しいですか? と彼女は先輩の方を見たが、趣味では無いらしい。

 藤原家に全部寄付だな。持ち歩くのが大変なので、そのままコンビニに行って郵送となった。

 

 その後も、幾つかの筐体を回る。

 

 色々と工夫は凝らしたのだ。

 例えばプリクラ。圭と先輩を並ばせてみようと、私は頑張った。

 ところが。私は、この中で一番身長が小さい。最前列に固定されてしまった。

 こうなると注文は出し辛い。圭と一緒、四宮先輩と一緒、のどっちかの注文ならまだしも、両方に指示となると難易度が上がる。

 結果的に中等部三人が前に、高等部二人が後ろとなる。失敗だ。

 

 例えばダンスゲーム。足でステップを踏むアレだ。

 あれをやらせてはと思ったのだが、ズボンを穿いていたのは圭と私だけ。

 他三人が挑戦しては足が見えてしまう。流石にそれは淑女としては無理なお願いだ。

 皆の要望で難易度:最上級を楽勝で踊る。労って貰ったが、欲しいのは私への称賛ではない。

 

 ――いや、これじゃ私と圭の二人が仲良く遊んでるだけだ!

 ――くっ、藤原姉妹が邪魔です!

 

 そうじゃない、そうじゃないんだ、と私は思った。四宮先輩も思っていた。

 

 『響ちゃんのスーパープレイ見せてよ~!』と萌葉から注文を受け『AC版死ぬがよい(二周目)』を相手に気合避けしながら、臍を噛む。

 

 そうこうしている内に、ゲームセンターからは退出。お昼の時間となった。

 因みに黄流が限界だった。

 

 

 ケース1:ゲームセンターでのかぐやと圭での交流:失敗

 

 

 「すいません、四宮先輩。ゲームセンターで狙った私が間違いでした……」

 「気にしないで下さい。あの二人の自由さは今更ですから」

 

 ◆

 

 八年も昔になる。

 憂さんが岩傘家に入り、ペスが藤原家に飼われ、その後で私が一番遅くに、あの家に入った。幸いにも秀知院初等部の入学式にギリギリで滑り込み、今に至るまで特に不自由なく育っている。

 

 ……実を言えば、岩傘の家に住む前に、アレとは出会っていた。

 そして非常に憎たらしいことに、兄と判明する前は、ちょっとばかり距離が近かった。

 その反動が強く出ていたのだ。

 

 『なんというか、響さん、もう少し打ち解けても良いんだよ?』

 『いえ、良いです。仲良くする気はないですから。調さん』

 

 岩傘家に来たばかりの頃、私の態度はそんな感じだった。

 

 『別に食事とか必要ありません。私の分は要らないです。買います』

 『学校には行きます。成績も維持します。だから関わらないで下さい』

 『送り迎えとか、部活動とか、気遣うのは止めて下さい。……鬱陶しいです』

 

 私が勝手に家の中で、壁を作っていただけと言えば、そうなのだが、他人行儀だった。

 

 だけどしょうがないじゃないか。何せあの当時、私は名前しか知らない父と兄の元に、あの母から放り出されて放り込まれた状態。接し方は分からなかった。関わり合いを恐れていた。

 辛うじてコミュニケーションを取れるアレが、実の兄だと判明して、余計に行動し難かった。

 

 だから私は距離を取った。

 関わらない様にと距離を取った。

 家でそうなのだから、学院でもそうなるに決まっている。

 

 ところが、だ。

 それをアレは強引に打ち破った。

 

 『響さん。……いや、響。それは止めなさい。()()は、他人を傷つける。自分でも後で自己嫌悪に陥る。だから止めなさい』

 

 憂さんの事を酷く後悔していると知ったのは、うんと先の事だ。

 

 『甘えるのが下手ならそれでも良い。笑うのが得意じゃないのも良い。だけど、感情を殺すのは無しだ』

 

 そう懇々と私に言い聞かせた。

 暫く無視していれば諦めるかなと思ったが、諦めなかったのだ。

 

 己一人の力じゃ無理だと分かると、アレは手管を駆使した。

 まず学院で孤立しかけていた私の傍に、萌葉を派遣した。どうもあることないことを吹き込んで、私がただコミュ力が低いだけなんだと信じ込ませたらしい。その日以後、萌葉は私の傍から離れることはなく、それが発展して白銀圭も傍にいるようになった。

 憂さんを使って私の世話を焼き、かといって甘やかさない程度の距離感を上手に保った。気遣いの鬼だ。

 そして終いが、千花義姉さんだ。

 

 『私の学年にも居るんですよー、氷みたいに冷たいんだけど、本当は優しい女の子が!』

 『だから響さんには、そんな風になって欲しくないんだと思いますよー』

 

 その()()()が誰の事なのか、どこの副会長な先輩なのかは、言う必要はない。

 ……どっちが先に諦めるかの勝負になって、根負けしたのは私の方だ。

 アレの前で、私は声を張り上げた。

 

 『どうして放っておいてくれないの!?』

 『私は独りが良いのに! 傍に誰もいないで良いのに! どうせ皆――』

 

 トラウマから溢れた、私の言葉を遮って。

 アレは意地悪く笑った。

 

 『そんな風に怒った顔を見たかったからに決まっているだろ、(キー)ちゃん』

 

 ……その日以来、私は、怒った顔は出せるようになった。

 アレの掌の中に居るのが、気に食わない。

 

 ◆

 ケース2:喫茶店でのランチタイム

 

 女子高生が五人。それ程の量は必要が無いので、御洒落な喫茶店に足を運ぶ。

 考えるべきは、白銀圭の懐事情だ。

 

 ――会長と同じで、無駄遣いはしないタイプですから。

 ――余り高い物は食べませんし、食後のコーヒーやデザートも頼みません。

 

 目と目で会話し、頷きあう。

 

 白銀家のお家事情は知っている。だけどこの点に関して、何かしらの援助を考えたことはない。

 ……友人だ。初等部の最初はちょっとだけ喧嘩もしたが(私が大体悪い)、今では親友。

 そんな彼女と金銭のやり取りをして関係を破綻させるのは御免だ。施しなんか以ての外。金は友情を壊す。だから奢ることもしない。考えたこともない。

 

 とはいえ無理に高い店に連れ込んで彼女を苦しませることも出来ない。

 この辺の匙加減、かなり難しいのだが、萌葉はナチュラルにこなしている。今回の店のチョイスは千花義姉さんだ。この辺、藤原家の血だと思う。

 

 「響ちゃんのプレイはやっぱり頭おかしいと思うんだよ~。人間卒業してると思うよ」

 「いや、あれくらいは、出来る人は多いから。私より凄い人、居るから」

 「でもSTGを極めて、クレーンゲーも極めて、ダンスゲーも満点叩きだせる人は居ないと思う」

 「圭まで。別にあれは上手いんじゃなくて……動体視力とか反射神経とか、体力のお陰だよ」

 「中等部のくせに登山部エースで、海外遠征でポーター出来るって時点で比較できない!」

 

 酷い言われようだ。私はただ憂さんを見習って鍛えただけだぞ。

 え、それでアカラサマにニンジャな動きをするのはおかしい? ……おかしいかなあ?

 早坂さんだってやってるじゃん。スニーキングミッション。あれと同じだよ。

 

 「御馳走様でした。……萌葉、そのケーキ、一口、貰って良い?」

 「美味しいです~どうぞ~」

 

 パスタを食べ終わった私は、既にケーキとジュースに取り組んでいた萌葉に声をかけた。

 尚、圭は水だけだ。無駄遣いをしないで最低限のサンドイッチセットで済ませている。

 なので萌葉から一口を貰う、序に、圭にも話を振った。

 

 「……あ、甘酸っぱさが美味しい。圭、一口食べない? 美味しいよ」

 「良いよ。私は頼んでないし」

 「知ってる。だから一口、ね?」

 

 私は余り甘い物を食べない。ウェイトレスさんに頼んで、フォークは入手済み。

 圭に差し出す。

 暫しの逡巡の後、圭は小さく口を開けて、はむっと咥えた。可愛い。

 

 「あ、響ちゃんずるいですよ! 私もやります!」

 「私も~!」

 「で、では私も――」

 

 千花義姉さんが乗っかり、萌葉が乗っかった。そして最後に四宮先輩が乗る。

 よし、これなら圭と四宮先輩の距離を縮めることが――。

 

 「……あの、そんなには、良いです。恥ずかしいので」

 

 え、そこは待ってよ、と思った。せめてこう、四宮先輩との関係を良くする為にも、先輩からの一口は受けては貰えないかなと思うのだ。目で訴えたが、圭には通じなかった。おのれ。

 え、そこは待ってよ、と思った。せめてこう、四宮先輩との関係を良くする為にも、先輩からの一口は受けては貰えないかなと思うのだ。目で訴えたが、圭には通じなかった。おのれ。

 嫌がっていることを無理やりするわけにもいかない。

 露骨に二人の距離を狭めるのも、なんか無理やりするみたいで嫌だし。

 

 「え~、響ちゃんの『あーん』は貰っても他の人のはダメなんですか~?」

 「言い方。言い方、変えて」

 

 はっと背筋に嫌な感覚がした。見れば四宮先輩が、こっちを見ている。ちょっと黒い目で。

 

 ――結局、私と圭が仲良くしてるだけ……!

 

 いかん、どうしよう。

 ま、まだ時間はある。慌てる時間じゃない。言いながら私は頭を捻ったのだ。

 

 

 ケース2:喫茶店でのかぐやと圭での交流 ―― 失敗

 

 ◆

 

 その後も、どうにも上手くいかない。

 毎回毎回、邪魔が入るのだ。非常に、邪魔が入るのだ。

 いや藤原家の皆さんを邪魔というのは心苦しいが、しかし邪魔だ。もう圭の左右を完全に封じている。辛うじて私が時々、千花義姉さんと交代出来るが、四宮先輩と圭との間が取り持てない!

 

 「……ごめんなさい先輩、私では力不足のようです」

 「努力してくれたのは、褒めましょう」

 

 悪戦苦闘して、三時間。

 一同が服屋に足を運んだ時には、私は見えない場所で肩を落としていた。

 

 藤原姉妹が強いのは知っていた。邪悪な千花義姉さんに、倒錯的な萌葉だ。私のような一般人の思惑は簡単に翻弄される。これはもう、余計なことをしないで、普通にした方が良いんじゃないだろうか。

 ほら、工夫するよりもシンプルな方が成功するって言うし。

 

 「……新聞配達、450件か……」

 

 耳()良い私は、圭の呟きを聞き逃さない。……この店はちょっとお値段が高いのだ。

 

 藤原姉妹は平然としているし、四宮先輩に至っては『いつもは家の人間が買うから良く分かりません』という顔をしていた。

 私は綺麗や清楚な服より、動きやすい活動的な衣装の方が好きなので、荷物持ちだ。

 

 萌葉も圭も、私の事を凄いというが、でも私は圭が一番凄いと思う。

 努力家で、曲がったことが嫌いで、だけど他人への心配りを忘れず、穢れていない。

 親友として、彼女の事はかなり好きだ。萌葉? まあ親友だけど、雑に扱えるのも友情だし?

 

 ――あー、そうか。アレが白銀生徒会長と仲が良いのも、だからか。

 

 なんというか……一生懸命な人を応援したくなるのだ。努力すればそれが実って、全身全霊を掛けて行った事は必ず成し遂げられ、最後まで頑張ればきっと何かが掴めるという、ロマンチスト。

 なんというか……一生懸命な人を応援したくなるのだ。努力すればそれが実って、全身全霊を掛けて行った事は必ず成し遂げられ、最後まで頑張ればきっと何かが掴めるに違いない、そうじゃないと嫌だという、ロマンチスト。

 

 ――響ちゃんはキュート属性ですもんね

 

 ……私がキュートと表現されるのは、そこかもしれない。

 いや本当、認めるのは業腹だがな!!

 などと内心で吼えていると、携帯が鳴った。

 相手を確認して、取り出して、口に当てる。

 

 「もしもし? 何の用? 今忙しいんだけど。燃やすよ?」

 『かぐや嬢と圭さんとの間を取り持とうとしてるのが見えるから、助言でもしようかなと』

 

 思わず黙る。

 おい、今どこだよ。

 

 『その広場からスタバ見てみ。居るから』

 

 思わず周囲を見ると、確かにコーヒー店の窓際に座る眼鏡が見えた。

 ご丁寧にスーツ姿。傍らには書籍の紙袋。どう見ても外回り中に休憩している会社員だ。

 あの野郎、密かに観察してやがったのか。

 

 『まさか。偶然偶然。この辺をフラフラしてればニアミスするかなと思ってたけど』

 「……簡潔に何やってるのか説明して?」

 『千花が居ないから偶には一人で遊びに出たんだよ。僕だって一人で本屋を巡りたい時くらいある。本当は秋葉原か中野にでもと思った。が、出る前に千花の行き先を聞いてたからな』

 「ストーカーじゃねえか! ……なんでスーツなんだよ」

 『親父の代理で休みの日にあれこれ頼まれてる。偶には肩通しておかないと慣れない。……(キー)ちゃんは気にしないで良いことだけどね』

 

 色々理解したところで、私は本題を切り出した。

 

 「で、私に何を助言してくれるの?」

 『制御しようとするのが間違いなんだ。『かぐや嬢と圭さんを仲良くさせたいので少し二人だけの時間を作ってあげてみませんか』と素直に言いなよ。不足なら僕の名前を出して良いぞ』

 「そっちは要らない。……良いよ、分かった。助言は受け取る」

 

 私の返事に、アレが小さく笑ったのが分かった。

 

 「――何? 私が助言を聞くの不満なの?」

 『いや。昔みたいな反発でもなければ、怒る一方だけじゃない様子があって、安心してる』

 「黙れ。燃やすぞ」

 

 遠目からでも、アレがにんまりとしているのが分かった。

 

 ……私だって、少しは成長をしている。

 無関心と拒絶から、怒りを出せるようになって。嫌悪も出せるようになって。今は素直な言葉も言えるようになった。それもこれも変化が悪い。

 

 特に千花義姉さんと一緒に居る時、こっちが不満そうな顔をしているのを許さない。

 憂さんが家を出るとか、ハワイでの色々とか、トラブル続きで、嫌でも私も成長させられる。

 

 四宮先輩は『二人が居ると素直になれる』と話していた。

 私も同じだ。すっごい認めたくないけど。

 

 「分かったよ。――失敗したらそっちが悪いって四宮先輩に言うから」

 『分かった。良いよ。そうしな。それと』

 「なんだよ」

 『お前が被害者になるとは思ってないが、お前が加害者になる可能性はある。気を付けろな』

 「素直に『早く帰って来いよ』って言えっ!」

 

 感情のままに通話を切った。

 

 重ねて何度も言おう! 私は! アレが! 嫌いだ!

 

 ◆

 

 結局、アレの助言通りに藤原姉妹に話をしたら『なんだ、そうなんですか』と頷いてくれた。

 四宮先輩に悟られないようにささっと千花義姉さんが動き、圭を四宮先輩の横に誘導。萌葉ちゃんは不自然にならないように、我儘を言うふりをして、私達を二人から引き離す(演技を)した。

 

 「なんか考えてるなーとは思ったんですよ」

 「千花義姉さん、……もしかして邪魔してたんですか?」

 「まさかー。でも響ちゃんが頑張ってる姿を、もっと見たかったのは本当ですね」

 

 にこやかだが、義姉は、邪悪だった。

 

 圭は無事に四宮先輩の横に座り、名前で呼ぶやりとりをしたり、クリスマスの密かな資金調達の情報を流したり、転んだ少女にハンカチを渡してあげたりと交流をしていく。圭は圭で照れているようだが、当初の目論見は達成できたと言える。

 恐らく白銀会長へのプレゼント話も出来たと思われる。

 

 「さっき其処のコーヒー店……って、気付いてたんですか。それも!?」

 「鎌をかけただけです。その様子だと本当に居たんですね。今はその辺の本屋ですかねー」

 

 思わず私がした返事に、義姉は、今度こそ「してやったり」という顔で微笑んだ。

 

 「響ちゃんも可愛いですね。可愛い妹が増えて私は嬉しいです」

 「な、なななな」

 「それに、いーちゃんとも仲良いってのも確認出来ましたから。もっと安心しました」

 

 何も言えない私だった。

 結局それからは延々と、私は千花義姉さんに振り回され続ける。

 

 最終的に別れ際、『また一緒に遊ぼうね!』と挨拶――という名でハグをした時――まで、それは続いたのであった。……なんか凄いサイズの暴力を感じた。羨ましくなんかないぞ。

 

 さて、そんなこんなで無事にショッピングも終わったのだが。

 

 「よ。無事に終わったようだし迎えに来た。荷物も多いだろ。タクシーは停めてあるぞ」

 

 四宮先輩や圭と別れて、私と藤原家姉妹だけになったタイミングで、アレが顔を出す。

 そりゃあ家が隣なのだから、帰る方向と時間は一緒だし。千花義姉さんとやり取りすれば、合流は難しくない。難しくないが、余裕綽々な態度なのが、腹立たしい。

 

 「お義兄さんだ! 出迎えてくれるとか嬉しいでーす」

 「はいはい。沢山買ったようだし運ぶよ。楽しそうで何より。……千花も」

 「楽しかったでーす。ショッピングもそうですし、かぐやさんと圭ちゃんのやり取りを見るのもそうですし――響ちゃんの戦いも、とっても。ああ、でも、いーちゃんが迎えに来てくれたおかげで、今も楽しいです」

 「そりゃ何より。……(キー)ちゃん、どうした? また顔が怖いぞ?」

 「別に! べーつーにー! なんでも、ありません! 公衆の面前で惚気てるんじゃない!」

 

 喜ぶ萌葉の前。

 この程度は惚気にもならないよ、と二人の顔は語っていたが、私は無視して歩き出す。

 

 自然と、足が速くなった。

 

 私はアレが嫌いだ。

 周囲を憚ることなく、見てるこっちが恥ずかしくなる惚気を全力でするアレが嫌いだ。

 私から逃げずに接して、育てて、助言して、その変化を喜んでくるから嫌いだ。

 心を動かすから。怒らせてくるから。怒って出した感情を受け止めるから。

 素直になれない自分に怒って、羨ましい二人に怒って。

 

 ……何時か、どこかで、本音を言えると良いなと、思いながら。

 私は今日も口に出す。

 

 嫌いだ。あんな(お兄ちゃん)




岩傘響:兄の事は嫌い(好き)だが素直になれない中学生。ツンデレ。でも属性はCu。

そろそろ季節は秋に差し掛かります。
生徒会イベントや運動会イベントをどうやって盛り上げようかなと試行錯誤中。
でも真正面から取り組みます。
それではまた次回!

補足:6巻「聞き出したい」の5Pを見ると、喫茶店での注文は以下の通り。
・藤原姉妹:大きめのケーキ → 気にせず食べる強欲姉妹。
・かぐや :ショートケーキ → かぐやが好きな物。
・白銀圭 :コップのみ   → お財布事情から水もしくはドリンクのみ。
描写が細かくて戦慄した。


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岩傘調を祝いたい

祝:50話!
今回は色々混ぜこんだオムニバス形式でお送りします。
これからもよろしくお願いします。


 ~カップラーメン・ラプソディ~

 

 「うー、雷が鳴りやまないです……」

 「ちょっと怖いね」

 

 初等部の時の話をしましょう。

 ペスがまだ来ていなかった頃。

 外には凄い台風が来ていて、あちこちで浸水や停電が頻発していて、それは私達の家も例外では無くて。私といーちゃんは、二人だけで家に居ました。私の家の、私の部屋に居ました。

 

 タイミングが悪いことに、いーちゃんの家に人は居ません。私の家にも少なかったのです。

 萌葉はお母さまと一緒に少し遠くまで旅行中。お姉さまは秀知院の研修旅行中。

 いーちゃんのお父さんは仕事で、お母さんは病院で、憂さんはその付き添い。

 

 庭を突っ切って家に戻るのも大変なくらいだったので――無理に帰ればよかったのにと言われればそれまでですけど――いーちゃんが一人であの家にいるよりは、一緒に居た方が安心かなと、私は思ったのです。だから引き留めて、その夜は一緒に居ようと提案したのです。

 外で、再び大きな雷が鳴ります。

 

 「にゅひゃぁっ!? ううう、雷が怖いです……」

 「大きな音と光だけだけど、怖い……?」

 「怖いですよー! 私耳が敏感なんですよー! ビリビリしてぞくぞくするんですー!」

 

 勿論、家の中には、私の家で働いている人が居るのですが、部屋の中には私といーちゃんだけ。

 まだ初等部で、互いが異性だという関心が薄かったのもあって、一緒の部屋に居ました。

 分厚いカーテンがあっても、外の雷音と稲光は肌で感じ取れます。停電で灯が無ければ尚の事。

 懐中電灯と、コンセントを使わない電池式のランプだけでは、恐怖心は抑え込められません。

 どこかで落雷が落ちる度にビクリと震える私の体を、ふわっと何かが包みました。

 

 「……じゃあ、これで少しは、安心できる?」

 

 いーちゃんが毛布を取り出して、私の上にかぶせました。頭からすっぽりと。

 そのまま隣に座ります。そこで自分自身が一緒の毛布に入らないのは紳士的なのかワザとなのか区別できません。でもその温かさで、少しだけ安心しました。

 

 「……残念です。ちゃんとお祝いしたかったのに」

 「皆には、もうお祝いして貰ったじゃん」

 「私が! もっと! お祝いしたかったんですー!」

 

 今日は7月13日。

 いーちゃんの誕生日だったのです。

 勿論、忙しいとか、予定があるとかで、数日前に先んじて皆で誕生日はお祝いしています。

 料理を食べて、色々な物を貰って、楽しい晩でした。覚えています。

 だけれども。

 

 「私だけのプレゼントをしたかったんですもん。乙女心ですよ、いーちゃん」

 「……じゃあ、ええと」

 

 いーちゃんは少し離れて、毛布を頭からかぶった私の前に座る。

 ベッドに腰掛ける私に手を伸ばして、ちょっと気取った様子で続けた。

 

 「千花……じゃなかった。ちーちゃんは、何をくれるの?」

 

 私はちょっと背伸びをして、いーちゃんを見ます。

 眼鏡の奥にある、ちょっと悪い目付きの瞳を見て、勇気を出して呟きました。

 

 「目を瞑ってください」

 「……!」

 

 いーちゃんは、凄く複雑な顔をしました。

 嬉しいのと困っているのと恥ずかしいのと怒っているのと。

 

 その中にあった『良いのかな』という自責は、勿論、当時の私には分かっていません。だけど素直に喜んでいなかったことは分かりました。

 私は悲しくなりました。

 てっきり喜んでくれると思ったのに。嫌がっているんじゃないかと思って。

 私の想いを拒絶されるようで、しゅんと気分が小さくなっていくのが分かりました。

 

 「……やっぱ、何でもない、です!」

 

 私はむしゃくしゃして、毛布を頭からかぶったまま、ベッドに寝っ転がりました。

 悲しかったので、知らないふりをしました。

 さっきまでの温かさが消えた気がします。しくしく。

 

 「……えっと。……んっと、ちーちゃん」

 

 聞きたくありませんーと耳を塞ごうとしましたが、手を優しく剥がされたので聞きます。

 自分の顔がむーっとしているとは、どっちも気付いています。

 

 「えっと。……僕は、ちーちゃんの事、好きだよ。でも」

 「じゃあ良いじゃないですか。何でですか。好きが分からないとか言ったら怒りますよー」

 「……そうじゃ、なくて」

 

 いーちゃんは頑張って言葉にします。

 

 「えっとまず、その、そういうのは、僕が告白してからって思ってたのが、一つ」

 「――続けて良いです」

 

 いーちゃんは言います。

 恋愛において最初に好きだと伝えるのは、自分の方からだ。

 だけど「普通の好き」と「愛している」の違いは分かってない。だから()()()()()()キスは、きちんと自分が告白してからが良い。それまでは口にするキスは我慢。今までは頬だけだったからそのままで。

 それ私の勇気はどうなるんですかーと文句を言ったら、いーちゃんがしゅんとしました。

 

 「でもそれ、私の断る理由にはなってないですー」

 「おっしゃるとおりです……」

 「でも私はかんよーなので続きを聞きます。納得させてください」

 

 いーちゃんは静かに続けます。

 好きなのは嬉しい。僕も好き。でも「理由」を探している。「理由」が分からないと不安になる。

 理由なんか要らないって私は思うのに、いーちゃんは明確な理屈が無いと駄目なのだそうだ。

 女は感情で動く。男は理性で動く。なんていう言葉があると知ったのはずっと後の事。その時は「面倒くさいことを考えてるなあ」だった。

 

 要するに。

 当時のいーちゃんはまだ、私と惚気るのに、理由を付けないと動けない人間だったのです。

 更に言えば、この時から、私に我慢をお願いするような人間でもあったのです。

 冷静に考えれば酷い奴です。若いからという理由でも納得しにくいのです。大人になった今、振り返るとそう思います。

 

 「それで終わりですか? それじゃー納得しないです」

 「……ごめんなさい。……でも、じゃあ、ちーちゃんが僕を好きな理由は何?」

 「無いです」

 

 私は当然の様に、自然の様に、返事が出来ていました。迷う事も無かったのです。

 私の答えに、いーちゃんは目を白黒させました。

 

 「色んな思い出はありますー。えーと、最初に出会った時の言葉とか」

 

 いーちゃんが私に最初に出会った時、最初に話した言葉。

 『なにその変なリボン? 大きさ変わるの?』

 いきなり失礼な事を言ったな! と今でも思ってます。

 いーちゃんは『ごめんなさい』という顔をしました。

 

 エピソードだけは沢山ある。だけどそれは『理由』ではありません。

 好きだという感情は、薄いクレープのような物なの、とお姉さまは話していた。

 

 「お母さまと一緒に星を見に行った時に迷子になったところで探しに来てくれたりとか」

 「私のコンサートに来て拍手してくれて花束を贈ってくれたりとか」

 「この前の運動会での借り物競争で、私を連れてった時とか」

 「そーいう色々はあるけど、そうじゃないんです」

 

 一枚一枚では、余り味がしない薄い皮のような何かでしかない。

 だけどそれが重なり、幾つもの味が感じられるようになると、段々と甘くなっていく。

 時々は苦い層が挟まる事もあるけれど、それも味の一つ。お姉さまはそう語っていた。

 

 「いーちゃんの傍、居て安心するんですもん」

 「……そうなの?」

 「なのです。だから傍に居ないと私はなんか、気分が悪いんです」

 

 物理的に守ってくれるような実力は無くても。

 精神的に守ってくれるにはまだ全然遠くても。

 一番に自分を考えてくれて、全力で私と幸せを作るように頑張ってくれる確信がある。

 顔を合わせないと何か足りない気がするし、会いたいと思った時に会えないともやもやする。

 それは彼以外じゃあ、解消されない。

 だから一緒に居たい。それだけなのだ。

 期待で、希望で、願望で、未来だ。

 

 「近くが良いです。それが理由です。だから放しません」

 「……まいりました」

 

 いーちゃんは『完敗』ですと言って、降参しました。

 外は雨が降っていて、雷もまだ鳴っています。時計はそろそろ21時になります。寝る時間です。

 私は大きな音がしたので、いーちゃんの裾を掴んで、引っ張り込みました。

 

 「罰として、枕になってくださいー」

 「……僕の誕生日じゃなかったっけ」

 「私の枕になれるのがプレゼントですー!」

 

 灯を消して、目を閉じます。

 雷の音は激しいし、窓を叩く雨の音はまだまだ大きいのに、私は安心して眠れたのでした。

 

 ◆

 

 「……で、なんで、この状況に、その話が繋がるんでしょうか」

 「いえ、その後、結局、寝苦しくって目を覚ましちゃったんですよ。夏に毛布ですよ?」

 

 狭っ苦しいロッカーの中、至近距離に、かぐやさんの顔がある。

 隣では、いーちゃんと会長が一緒に入っているだろう。

 私達の手の中ではカップラーメンが湯気を立ていて、いきなりロッカーに飛び込んだので姿勢も無茶で、季節はまだまだ夏なので、色んな意味で汗をかく状況だった。

 

 校内規則87頁、設備利用規則三頁『各施設の備品の私的利用は責任者の裁量に任される』。

 十分ほど前。昼食時、そんな屁理屈を唱えて会長が取り出したのは、カップラーメン。

 しかも手作り特製「柚子胡椒(塩分控えめ)」もセット。

 私といーちゃんは飛びついた。

 だけど学園長がやってきて、慌ててロッカーの中に、避難したのだ。

 

 「汗かいたので着替えて。そしたら真夜中に目を覚ましたからか、お腹が空いちゃったんです。いーちゃんも同じように目を覚まして。で、二人でこっそり台所に行って、何かないかなって探したんですよー」

 

 停電と大雨の中だ。小学生が、まともな料理を出来る筈もない。

 だけど唯一、給湯ポットがあって、その中にはまだ熱いお湯が入っていたのだ。

 

 「同じようにゴソゴソ探してたら、カップラーメンを1個だけ見つけました。お姉さまがこっそり食べる為に大事に隠していた物です。それにお湯を注いで、三分待って、二人で食べました」

 

 二人で一個のカップ麺。

 食べ終わった頃、台所が騒がしいと起きて来たお手伝いさんに発見された。怒られた。

 夜食を食べたことより、火傷してないかとか、そういう意味でしっかりと叱られた。

 

 「だけど美味しかったんです。あの味は忘れないと思います」

 

 この前、目を覚ました時、ラーメン食べに行かない? と誘われたのは、あの思い出のお陰。

 いーちゃんの家にカップ麺が常備されているのも、あの時の思い出のお陰だ。

 

 「カップ麺1個にもそーいう思い出があるんですよ」

 「……藤原さん、今、一緒に起きたって」

 「あっ」

 

 遠い記憶を思い出していた私は、ふと失言をしたことに気が付いた。

 しまった。かぐやさんを伺うと、その顔が私の頭から足までを見て、徐々に赤く染まっていく。

 あー、えーと、これは――誤魔化せなさそうだ。

 

 「な、内緒でお願いします。流石に学園に表沙汰にするのは問題なので……!」

 「まあ、その、良いですけど。――代わりにまた、色々と相談に乗って貰いますからね?」

 「それならどんとこいです」

 

 あの日のお祝いは、あれから10年近くが経過した今では、無事に渡すことが出来ている。

 今までも、これからも、私が()()()()()いーちゃんをお祝いする瞬間は、毎年必ずあるだろう。

 私は、あの場所を誰かに譲る気も、誰かに渡す気も、毛頭ないのである。

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ~ハッピーライフゲーム・まるで未来を予言するような構図~

 

 「不幸イベントですね。これはサイコロを振って出目によってハプニングが起きます。えーと私の場合は――出目1……えー、……。こ、今回は無かったという事に!」

 「しない。見せなさい。何? 『不幸イベント。誘拐事件。出目1が出たら死亡』。……おい」

 

 僕が見ると、千花はさっと目を逸らした。

 逸らした方向に歩いてって覗き込むと、今度はささっと反対側を向いた。

 逃げちゃだめだよと顔をしっかり掴むと、知りませんーという顔で目を瞑った。

 ……こいつめ!可愛いな!?

 

 「え、マジで!? 藤原先輩、自分で考えたイベントに自分で引っかかったんですか!?」

 

 石上が正論を叫ぶ。

 TG部の双六ゲーム。某人生ゲームに似ている。

 カードそのものがマスになっていて、進んだ先のカードをめくり、その効果を受ける。

 一度使用されたカードは取り除かれて、後ろの人が追いつきやすくなるという仕組みだ。

 序盤が学生、中盤が成人、最後は老年期となり、ゴール時点で最も資産が多かった人間の勝ちとなる。

 

 ……問題は、このゲーム、僕が一切の監修をしていないということだ。

 何が起きるか僕も分からない。

 

 その結果が『即死マス』。不幸の結果、自信満々にサイコロを振った千花の、自滅である。

 石上の言葉に、目を閉じたままの千花が、ふるふると震えだす。

 

 「内容を考えたイベントに一番に引っかかって! しかも都合が悪いからって密かにルール隠して無かったようにするとか! どんだけ面の皮が厚いんですか! 自分でクソゲー作った癖に、真摯な態度取れないのって最悪じゃないですか! うっわあ情けない……!」

 「石上、ストップ。気持ちは分かるが、ストップ」

 

 流石は正論でぶん殴る男、石上優。

 僕が言うのもなんだけど、それなりに邪悪な性格をしている千花の天敵だ。

 まー今回に関しては完全に千花が悪いから、擁護は出来ないんだが、彼は少々言い過ぎる。

 

 「うー! いーちゃん! いーちゃん酷いですよ! 石上君ってば私をあんなに馬鹿にして!」

 「よしよしよし。泣くな泣くな。ゲームだからそういう事もあるよ。いい子いい子」

 

 耐え切れず決壊した千花が、泣きながら飛びついてきた。キャッチして膝の上に。

 そのままよしよしと宥めながら、ゲームを再開することにした。ぐずってる千花は可愛いから抱いたままにしよう。会長と副会長の目線が「またかよ」と言っていたが気にしない。

 柔らかくて暖かくて可愛らしい、花のような千花の香りを堪能しながら、サイコロを振った。

 

 「えーと、修羅場が起きる。隣に住んでいた姉妹が貴方に告白をしてきました。姉と妹、どっちを選ぶ?」

 「……姉で」

 

 石上の問いに、ちょっと躊躇った後に選択。

 彼は「ではこれを」と僕にカードを渡してきた。

 

 「恋愛カードを1枚。これはお助けカードになります。もう1枚は呪いカード。不幸カードの時にサイコロを2倍振ることになります」

 「結構キッツイな!?」

 

 要するに姉とはいい関係で、妹とは悪い関係ってことじゃねーか。修羅場じゃねーか。

 うわあと引き攣りながら、僕はカードを受け取った。

 

 イベントはラッキー/不幸/交流/恋愛/ペット等々にジャンル別けされている。

 子供33枚/大人33枚/老人33枚の全99マス。5人で遊ぶには丁度良い長さだ。

 御行氏は「放課後イベント」から『ガリ勉』カードを確保。

 石上は「告白イベント」から『恋愛詐欺に巻き込まれましたが、誤解は解けました』で「女性不信」に。

 かぐや嬢は「ペットイベント」から『寂しがりやなトラ猫を飼える』と「相棒」カードを入手。

 ……何となく。何となく。何かを揶揄している気がするが、気のせいだ。気のせいに違いない。

 

 「あ、また『告白イベント』ですね。同学年の女子から告白を受ける。受け入れるか否か」

 「……さっき姉の方にOKだしたから、拒否で」

 「じゃ呪いカード1枚追加です」

 「待てや! ――因みにこっちにも受け入れる答え言うと、どうなってた?」

 「お助けカードが1枚増えて、やっぱり呪いカードが1枚増えますね」

 

 八方塞がりじゃねえか。

 僕の嘆きを真横に、御行氏がサイコロを振る。

 

 「えー、それは『結婚マス』ですね。一番近くのマスに居るプレイヤー同士が結婚します。結婚した二人はマスの効果を共有します」

 「俺の一番近くに居るのは――」

 

 と、御行氏の指が周囲を探る。

 

 「四宮先輩ですね」

 「「「!?」」」

 

 ガタッと思わず椅子の音を立てたのは、僕と本人達。

 

 「わ、()会長(四宮)が結婚……!?」

 

 白いウェディングドレスに身を包んだ、四宮かぐや。その隣を歩く、タキシード姿の白銀御行。

 二人がヴァージンロードを歩いて互いに永遠の愛を約束する、そんな景色。

 僕が一瞬それを想像したが、彼ら二人もそうだったらしい。

 

 「い、いや、ゲーム。ゲームでの話だからな」

 「そうですそうです。ゲームですから!」

 

 目の前のかぐや嬢は『か、会長と、けけけ結婚……!』という顔で動揺を隠しきれていない。

 御行氏が指摘しないのは、彼もまた同様に動揺しているからだ。似た者同士である。

 

 「僕は……えーと『学園祭で気になる人とデート』。これで『女性不信』が消えました」

 

 石上が順調に進んでいく。

 僕はと言えば、次に引いたカード――『初恋の女性が結婚する。ショックで散財する』の効果で資金5万が消えた。そこまで離されてはいないけど何となく釈然としない。

 

 「わ、私ですね。えーと……『出産マス』。子供が産まれま――子供が産まれるの!?」

 「なななんだと!? 俺と四宮のここ子ぉ!?」

 「その年でお母さんですか。若いっすね」

 

 動揺しまくる二人に比較して、石上は冷静そのものだった。

 

 そういや夏休み前に占いの話をした時、御行氏の欲しい子供が9人とかいう話題が出ていたな。

 もしや、と思う僕の前、我らが生徒会のトップ二人は順調に順調を重ねてどんどん平和な家庭を築いて行く。

 

 『実家との喧嘩の後、和解。資産が一億円増える』

 『設立した会社が上場。更に一億円増える』

 『子供が産まれる。双子だった。祝い金として10万円貰える』

 

 カードが捲れる度に、かぐや嬢は顔を赤く染めていき、御行氏は落ち着かない。

 無理もない。

 

 「会長ハッスルし過ぎじゃないですか? ……また双子ですよ。これで5人ですよ」

 「いや! 俺のせいじゃねーだろ! 出産マスが多すぎるんだよ!」

 「あ、ま、また生みました。これで六人です……。そ、その、ゲームですから! これゲーム! ですから会長もそんなに気にしないで良いです! それともやっぱり嫌ですか……!?」

 「――っ、……いや、ゲームだからな。……き、気にしていないぞ。俺は気にしていない」

 

 じゃあ何も問題ないっすね、と何処まで気付いているのか怪しい石上が先を促した。

 僕はと言えば『前に交際を断った妹からのアプローチが来る』とカードを引いている。

 どれも断っているが、どこかで不幸マスを踏んだ瞬間に即死しそうな程に呪われている。

 

 「ゲ、ゲームなのにうっかり熱中してしまいましたね! ちょっと深呼吸をしてきます!」

 「ああそうしろ! 俺は喉が渇いたから水を飲んでくる!」

 

 今度は三つ子が産まれたらしい。

 ご丁寧にも『名前を考えましょう』とまで書かれていて、退室したかぐや嬢は、今頃、必死に携帯で姓名判断を調べているのだろう。

 彼女の頭の中は、幸せな御行氏との生活がシミュレートされている。

 二人の感情を理解している僕からすれば、実に見ていて面白い。

 茶化すのではない。あの二人の夢が実現してくれればいいなと思う。

 

 「よ、よし、ゲームを再開だ。次……! ――『浮気が発覚する』。!?」

 「……会長が浮気――?」

 

 一瞬で、かぐや嬢の目が漆黒に染まる。こんなところで出すなよ、黒かぐや。

 

 「いや違うぞ! 俺のせいじゃないから! カードに書かれてるから!」

 「そんなに慌てないで。ほれ、僕のお助けカードやるよ。2枚持ってきな」

 

 僕の手元に残っていた『そのイベントを無効化する』カードの効果を発動。

 更に『代わりにハッピーなイベントが起きる』カードも追加で発動。

 

 「お、おう。ええと、――『誤解が解けた。仲が親密になって子供が産まれる』……」

 

 ……流れが完璧だな。

 つまりあれだ。

 『御行氏が浮気をしたと、かぐや嬢が思う』→『喧嘩になるが誤解だと判明』→『仲直りの結果、子供が増える』という流れだ。なんというか本当にありそうな流れで反応に困る。

 

 「も、もうしょうがないですね! 許してあげます!」

 「いや許すも何もゲームだが、許してくれて有難う!」

 

 一喜一憂していたかぐや嬢の精神状態は、平和かつ幸せなテンションに戻ったらしい。

 そんな感じでゲームは推移していき、結果は以下の通り。

 

 かぐや嬢の生んだ子供の数が9人になったところで、かぐや嬢はゴール。

 御行氏は時々トラブルに巻き込まれるものの大きなダメージも負わずゴール。

 石上はと言えば、途中で『仲の悪い女子と誤解が解ける』→『その女子と交際する』→『その女子と結婚する』というルートを重ね、そのまま適度に資産を増やしてゴール。

 かぐや嬢が1位。石上は2位。御行氏は3位(かぐや嬢と夫婦なので同率1位)、僕が4位。

 

 「……なあ千花、一つ聞いて良い?」

 

 全体的に見れば、好評に終わった中、石上はメモ帳に改善要素を纏めている。

 かぐや嬢と御行氏、二人は仕事に戻るそぶりをしながら、どことなく行動がぎこちない。あれは戻るまで暫くかかるな。

 片付けに意識を向けている他三人に聞こえない様に、小声で。

 

 「こんだけ出産マスが多い理由ってさ……」

 「い、言わないで! 言わないで下さい!!」

 

 僕の質問の意図は理解したらしい、千花はそっぽを向いている。

 その頬は染まっている。

 イベントを考えたのが千花ということは。

 そしてここで遊ぼうと宣言したという意味は。

 しかも恋愛フラグを他に建てると呪われますという宣言の意味は。

 

 「……覚悟は良いね?」

 

 完全に誘い文句だよなと思って確認をした。

 僕の前で、千花は、ほんの小さくだが頷く。

 ……それ以上の説明は無粋だが、その夜は、一緒に仲良くしたとだけ伝えておこう。

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ~ほんの少しだけ未来の話~

 

 ここは、私立秀知院学園である!

 明治時代、貴族や名士達の学び舎として造られたこの学園は、既に1()2()0()()もの歴史を誇り、卒業生には名立たる逸材が揃っている。同級生と出会うのが国会だったり国際会議だったりというのだからふざけた話。通う生徒も殆どが社会カースト上位陣。

 そんな秀知院学園の生徒たちを統べる生徒会が、常人であるはずもない。

 

 生徒会長。

 四大財閥の一角を占める四宮家の血を引く男。

 20年前、彼の父はこの学園で生徒会長を務め、彼の母は副会長を務めていたという。

 

 鋭い目付きと努力の才能を父から、勤勉さと社交性と器用万能さを母から受け継いだ彼は、今日も学園を率いている。

 学年試験は不動の一位。あらゆる賞状を総舐めにする才能。才能の上に胡坐をかかない努力を重ね、苦手なことにも取り組んで成長しつつ身に付ける姿には、誰もが尊敬と畏怖の目を向ける。

 その血筋と高貴さ、プライドを前に、素直に関わり合える人間は少ない。

 

 「甘えるの下手なだけですよね」

 「言うな、岩傘書記。俺だって努力はしているんだ」

 

 とはいうけど、私は知っている。

 彼はただ、ちょっと生真面目で、ちょっと背負いこみ過ぎるのだ。

 彼の父と、彼の母。

 四宮御行(旧姓:白銀)と、四宮かぐや。

 二人の良いところも、悪いところも受け継いだ、それが彼だ。

 

 試験でも技能でもあらゆる分野で一位を取り続けるのは。

 むしろ一位を取り続けねばならないと思って行動をしているのは。

 家の重圧や、両親との比較や、そういった色々が大きい。

 彼の両親は、根を詰め過ぎる我が子を心配しているというのに……。

 

 「じゃーほら、私の元に飛び込んできなさい。抱きしめてあげるよー」

 「しない! 年頃の女子が、そんなはしたない真似をするんじゃない!」

 

 私は、えーという顔をする。

 こんなことするの、四宮会長にだけなんだけどな。

 その言葉に、彼は頬を染めてそっぽを向いた。照れてるらしい。

 

 「御行さんもかぐやさんも、無茶をし過ぎないで欲しいって話してたよ?」

 「……良いだろ詩歌(しいか)。俺の性分なんだ」

 「まー四宮がそういうのは昔からだから知ってる。だから私が書記で此処にいるんだよー」

 

 私の名は、岩傘詩歌。

 肩に力が入りすぎる幼馴染を、あの手この手で可愛がることを目標にする、生徒会の書記。

 親同士も仲が良く、古くからの付き合い。つまり私と彼は幼馴染である。

 

 生徒会の仕事を終えて、私は彼と一緒に帰る。

 互いの家は隣同士――と言うほどに近くはないが、歩いて通える距離だ。

 治安や安全保障の意味で、徒歩での帰宅は余り歓迎されない。だから良く探せば、今もあちらこちらにSPが隠れている。その指揮を執っている()()()()()()()()に目を向けると、彼女はチェシャ猫の様に笑って手を振った。そのまま口が動く。

 

 『もっと惚気て良いんだよ?』

 『人の見てる前じゃやれませんー』

 

 私は目で返事をした。

 SP指揮官の彼女曰く、私の両親は、もうのべつ幕無し、どんな場所でも惚気ていたらしい。

 学園の中で、公共の場で、自宅で、その恋愛脳が止まる事は無かったという。

 まあ今でも自宅ではラブラブで見ているこっちが胸焼けするから、理解は出来る。

 

 その話は今でも秀知院に、四宮会長の両親の話と共に、伝説として残っている。

 曰く、生徒会室でひたすらに恋愛バトルを繰り広げていた面々。

 曰く、学園を最も楽しく盛り上げた世代であり、あらゆる世代に影響を与えた一団。

 曰く、庶民の生徒会長が、四宮家の令嬢を射止めた、最も素敵な告白合戦。

 曰く、最もとんでもない面々が一度に揃っていた生徒会。

 

 「というか詩歌、お前の方が生徒会長にふさわしいんじゃないのか? 良かったのか?」

 「良いんだよ。生徒会長は中等部でもう満喫した。私はトップを歩くより、その下で暗躍する方が楽しいって分かったからねー」

 「……そういうところ、調さんにそっくりだよな」

 

 彼の言い分も分かる。

 何せ私の母:岩傘千花は政治家だ。それも国会議員。絶大な支持を受けている女性政治家だ。

 まだ30代なのに政治の第一線を突っ走る彼女は、何故か恐ろしい手腕を以て――マスコミが探しても全然、汚い情報が出てこないクリーンさで――人気を集め、どんどんと評価を上げている。

 噂では内閣の閣僚に呼ばれそうになっているとか、将来的には総理大臣も見えているとか。

 色んな意味で、普段の母を知っている身としては信じられない存在である。

 因みに彼女のサポートをこなしている秘書であり、同時に国内最大の新聞社重役も兼任している、こっちも化け物染みた働きをしているのが、私の父:岩傘調。

 最近は海外特使としてフランスまで足を運んでいたニュースが流れていたか。

 

 「私は性格がお父様似なのです。スタイルはお母様似なので、良いところ取りなのですよー」

 

 言いながら私は彼に腕を絡める。勿論、わざとだ。

 彼は振り払わなかった。前を向いて知らないふりをしているけど、頬がやっぱり赤い。

 そういう場所がとっても可愛い。

 

 「それよりも今日は、久しぶりに会長のご両親と、私の親と、あと石上の家の人も集まれるんでしょう?」

 「ああ。妹も楽しみにしている」

 

 石上というのは、私達の一学年下に居る男子だ。生徒会の会計を務めている。

 因みに彼の父も元会計で、母親はと言えば元会計監査/現在:裁判官。ものすごい仲が悪かったが最終的にラブコメをして結ばれたと、これまた親世代の伝説だ。

 そして四宮会長には妹がいる。彼の双子の妹で、かなりのブラコンで生徒会の副会長。

 私の親友だが、時々邪悪な女扱いされる。お兄さんを取られるのが嫌なのだ。困った娘である。

 

 「私としては二人きりってタイミングも欲しいんですけど、誘ってくれたりしません?」

 「……じゃあ」

 

 と、私の肩を掴み、至近距離に顔を寄せる。

 端正で、ちょっと眼付が悪い彼の顔が近くにある。

 吐息が感じられそうな距離で、私の心臓が一段大きく跳ねた。

 

 「二人きりになる時間を提案するか?」

 「……ぁ、いえ、……あの、(その……)、……ぇっと……」

 

 思わず言葉が、意味をなさなくなる。

 余裕を見せていた私の体が硬直して、彼の頬以上に自分の頬が赤くなるのが分かった。

 頭に血が上っただけじゃない。ぐらぐらする。

 しまった、からかわれたと思ったのは、彼の顔が遠ざかってからだった。

 

 「攻められると弱いのはどっちに似たんだかな」

 

 上から目線でフッと笑う姿で、意識を取り戻す。

 攻めたら強いのはどっちに似たのかも定かではない。

 ただ一つ分かっていることは――。

 

 「……もう、会長の意地悪! ……でも、そういうところが好き……!」

 

 私は、彼と惚気るのが好きだ。

 親から子供に受け継がれ、恋愛合戦は、終わらない。




日付に拘ってみました。

さて次回から生徒会選挙篇。
同時に石上の話や天体観測を進めつつ、第三の試練もやっていきましょう。
頑張れミコちゃん! 敵は原作以上に強大だぞ!

ではまた次回!


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岩傘調は見上げたい

 「月見するぞ!」

 

 9月15日木曜日。第67期生徒会の解散も迫る中、御行氏が扇子を片手に宣言した。

 扇子には『磨穿鉄硯』の文字が書かれている。かぐや嬢からの誕生日プレゼントだ。

 

 「今日は十五夜。中秋の名月だ。こんな日に夜空を見上げないなど人生の損失だ。屋上の使用許可も取ってあるし、月見団子の準備も出来ている。親御さんに連絡を入れるんだ!」

 「確かに今晩の予報は晴れだな。仕事もあるから……無駄な居残りにはならないな」

 「そうだろうそうだろう!」

 

 手配の手際に、月見団子の用意。御行氏が全力で下準備をした時の計画は相変わらず凄い。

 しかもこの月見団子、多分市販品じゃなさそうだよな。御行氏の手作りか?

 

 「まあな。今日の為に昨日から用意をしてたんだ」

 「じゃあ僕の方も手配しようか。……枝豆と栗で良い?」

 「分かっているではないか。流石」

 

 中秋の名月。十五夜。色々な呼び方はあるが、旧暦8月15日に行われる月見の行事である。

 由来は定かではないが、平安時代には既に実施されていたらしい。

 枝豆、栗、里芋なども団子と一緒に食べられる。本来はそこに御酒も乗っかるのだが、高校生で飲酒をする訳にはいかないな。……自宅じゃこっそりビール飲んだこともあるけどね(皆には内緒ダヨ)!

 

 「まあ最近忙しいからね……。息抜きには丁度良いと思う」

 「次期生徒会が発足するまで、引き継ぎやら事前準備やら、切りがないですからねー」

 「良いんじゃないですか。僕は乗りますよ」

 

 この生徒会ももうすぐ解散。皆で無茶が出来るのも、これで最後かもしれません。

 石上が呟く。

 

 そうなのである。

 我らが生徒会は9月末日を以て、活動が終了となる。ちょうど一年間の期間が終わるのだ。

 その後、10月に生徒会選挙を行い、10月中旬からは新体制の生徒会が発足する。

 大体一週間から二週間、生徒会が存在しない期間が出来る訳で、その為の『備え』が必要となる。

 

 今の生徒会と仲が良い部活動なんかは、最後のチャンスとばかりに色々要望を通そうと『お願い』をしてくるし、次期生徒会に向けて入念な作戦を練っている者達もいる。

 僕らとて引継ぎ要項の纏めやら、活動記録の決算やら、仕事は多い。

 だからここ最近は、割と遅くまで生徒会活動が行われている。

 

 「仕事して、そのまま月見なら文句も言われないと思う」

 「ロマンチストですよね、会長ってー。いーちゃんも割とそんな感じありますけどー」

 「根っこは一緒だからね」

 

 僕も御行氏も、好きな人の為に努力して、好きな人との時間を大事にする人間だ。

 その為の努力をしなければ胸を張れないと不安になるという部分を含めても良い。

 ハッピーエンド至上主義というやつだ。

 世間はそんなに甘くないが、若い内なら、甘くて青くても許されると思っている。

 

 「それじゃ気合を入れてさくさく進めようか。千花、昨年の生徒会選挙の議事録ちょーだい」

 

 生徒会選挙がどんな具合に推移するかは分からないが、今のうちにやれることはやっておこう。

 

 ◆

 

 御行氏は天体観測が好きだ。

 ハワイでの天文台群の来訪時に――色々あったが――彼に時間を上げたかったのが本音である。

 『短い時間だが、記念にはなった』と言ってくれたが、僕としては不満だった。

 確かにあの後、ハワイのストリートをかぐや嬢達と一緒にぶらつけたのは良い思い出だろうけど、それはそれ、これはこれ。天文台群からの天体観測と比較できる物ではない。お土産だって最低限だったし。

 そのお詫びという訳ではないが、僕が乗り気だったのはそれが理由だ。

 

 「だからといって生徒会以外の面々を招集した理由が分からないのですが」

 「早坂は既に立場がばれて協力者扱いでしょ」

 「……藤原千花とマスメディア部が一緒に居るのは何故です?」

 

 居てくれた方が盛り上がりそうだからである。

 僕の返事に、早坂は『また面倒なことを』と嫌そうな顔をした。

 気持ちは分かる。僕だって彼女達の持つ権力は重々承知している。だからこそ彼女達を(言い方を悪くすれば)利用していた訳で、検閲をしつつ、千花との惚気話を掲載させたりした訳だ。

 だが、最近、少しその考えが変わりつつある。

 彼女達の文書検閲を止める訳ではないが――適度に『餌』を上げて交渉した方が良いかな、と思ったのだ。

 

 「次期生徒会選挙の情報以外にも、調べて欲しい話はある。協力者は多い方が良い」

 

 それと、これは重要な話なのだが。

 あの二人『御行氏とかぐや嬢の恋を応援している』という意味では、こっちと同類だ。

 

 紀かれんの話は、石上からも聞いている。

 彼女は二人をモデルにしたカップリング漫画を描いて、それを石上が編集をしているらしいし。

 恋愛嗅覚が非常に鋭いが故、昨年から今日までの二人の日々を、要所要所で目撃しているらしい。

 しかしそれを邪魔もせず、記事にもしていない。

 つまり()()()()()彼女は、此方の陣営だと思って良い。

 

 「……何を企んでいるんです?」

 「その問いに答える前に、僕の方から一つだけ聞いておきたくてね」

 

 兎耳を付けた千花は、月見団子を抱えてご機嫌だ。

 風が吹き寄せない、入り口裏手へとカセットコンロを鍋と共に運んでいく。

 御行氏とかぐや嬢は、二人並んで座り、星を見始める。

 マスメディア部の二人は、そんな二人の様子を見て『尊いですわ』と感涙に咽んでいた。

 今ならば、この話を切り出しても、邪魔はされまい。

 

 「早坂愛。君はかぐや嬢と、四宮家の、どっちの味方かな」

 「意図が分かりませんね」

 「分からない振りが僕に通用するとでも? はっきり言うよ。かぐや嬢と、四宮雁庵氏が対立した場合、早坂はどっちに着くのかという話だ」

 「…………」

 

 僕の質問が非常にまじめで、真剣だと向こうも察知した。

 端正な顔をまっすぐに引き結ぶと、無論、と答える。

 

 「かぐや様ですが。それが何か」

 「それを聞きたかったんだよ。……ここだけの話なんだけどね。イクサの話やらを裏取りして色々調べていると、どうも四宮家の影がちらついてる。有体に言えば『チクタクマン』事件の黒幕やら、ハワイ天文台でこっちの邪魔をした女やらと、四宮雁庵氏が組んでいそうな気配が、する」

 「……どこで調べたんです?」

 「日本最大手の新聞社に調査できない情報は無い」

 

 噂だけで人を判断するのは嫌だが、聞いた限りでは、かぐや嬢の心に目を向けない人らしい。

 つまり実の娘の通う学校に、多くの権力者の子供が通う学校に、テロを仕掛けた危ない奴と密かに手を組むのも辞さないような男……かもしれないのだ。

 流石に断言はできない。偽情報かもしれない。考えすぎ、穿ち過ぎの可能性も十分ある。

 とはいえ早坂の眉が顰められたので、彼女も『やりかねない』とは思ったのだろう。

 

 「だからマスメディア部を自陣営に、と」

 「杞憂ならそれで良いよ。それに『チクタクマン』関係なく、今後、二人の活動を応援したり、妨害を排除したり、裏工作には役立つ。生徒会役員の座から外れても『人脈』という最大の武器を手放すつもりはない」

 

 僕のしれっとした発言に、早坂はそうですか、と呟いた。納得してくれたらしい。

 早坂と僕は仲が悪いが、それは同族嫌悪に近い。(キーちゃん)からの保証付きだ。

 

 「さて、それじゃ」

 

 よし、シリアスな会話は終わり!

 面倒な会話は止め! さっさと千花と惚気に行くぞー!

 これ以上の会話は誰にとっても楽しくならないことは分かり切っている。

 僕は気分を切り替えて、千花のいる建物の影へと足を運ぶ!

 其処には。

 

 バニーが居た。

 バニーガールではない。

 バニーの着ぐるみを着込んだ、もこもこの千花が居た。

 

 「それは予想外だ」

 「似合いますかー? 似合いますよねー? 演劇部から借りて来たんでーす!」

 

 ぴょんぴょんと着ぐるみが飛び跳ねる。

 白いもふもふした衣装の中で、常の如く超可愛い。

 僕はすすっと近付いて捕まえて、存分にもふもふすることにした。

 

 ◆

 

 もふもふするというのにもコツやらパターンがある。

 これで千花に本当に尻尾や耳が付いていたならば、嫌われない程度に全力でもふるのだが、着ぐるみとなると少々面倒くさい。だって直接身体に触れる訳じゃないし。感触ないし。

 暫し考えた後、まず僕は千花を背後から捕まえて、そのまま屋上の床に座ることにした。

 

 「いうなれば、これは、ぬいぐるみを抱くような恰好……」

 

 昔、ピアノコンペに参加していた年齢の頃は、千花はこうして小さくぬいぐるみを抱えていた。

 胡坐をかき、その間に置き、片手でしっかりとホールドする。

 

 「着ぐるみを着ている状態でそれやってもあんまり楽しくないですねー?」

 「安心しろ。こっからだ」

 

 余裕綽々の顔をする千花に対して、僕は不敵に笑う。

 そのまま隙間に手を入れた。

 着ぐるみに覆われた、顔。頬に触れているもこもこの間に、すすっと指を入れる。

 

 「えっ、ちょ、――しまりました! 着ぐるみだから首が動きません!」

 「兎なら……()を弄られる覚悟は出来ているな……?」

 「タイム! タイムをようきゅふふふふふ! ひゃあん!?」

 

 指先で耳をくすぐったら笑い始めた。

 半分くらい悶えながら震えてくるので、逃がさない様に抱えて継続する。

 おお、柔らかい髪と、すべすべの頬と、ちょっと汗で湿った感じが、混ざってて良い感じ。

 

 「ややや、止めて下さいっていーちゃあはははは! そこ敏感ですから! 弱いんですってぇ!」

 

 けらけら笑い続ける千花の言葉は無視して続行。最近はじゃれあう回数が減っていたからな!

 ここぞとばかりに僕は攻める。びたんびたんと床を叩いて兎が跳ねる。

 しかし動きにくい着ぐるみだ。僕の魔の手から逃げることは出来ない。

 どうせならと両手を入れることにした。

 胡坐をかいていた脚で、千花の脚を抑えてホールド。そのまま両耳に攻撃。

 

 「ひぃうん! ちょっ――くくふふふ! タイむ! 参った参りましたあははは!」

 「ん」

 

 止めて欲しいと言われたので手を止める。

 息が荒いまま、千花はべしゃーっと屋上に倒れこみ、ひくひくと身体を痙攣させている。

 そのまま呼吸を整えるまで暫しじっとしていた白兎は、やがて起き上がる。

 そして小声で。

 

 「……も、もうちょっとやっても良いですよ?」

 「じゃあ遠慮なく」

 「そういうのは自宅のベッドでやってくださいません!?」

 

 再開しようとしたら、頬を赤くした紀かれんに止められた。

 この程度、何時もの惚気と大して変わらないのだが。

 

 「いえ、変わりますからね! 行動が過激になってますわ!」

 「向こう側でいちゃ付いてる御行氏達と大して変わりはしないと思うんだがなぁ」

 「お二人なら良いのです」

 

 解せない答えを言われたが、目の毒だというならば止めよう。

 

 「じゃー、適度に疲れたところで、お団子食べますかー」

 

 僕の束縛から逃れた千花は、カセットコンロに火を付けた。

 そして鍋の中に『お団子』を――。

 いやいや、ちょっと待ちなさい千花。餡子、用意したじゃん。

 僕がそう言うと、彼女は「えっ」という顔をした。

 えっ?

 

 ◆

 

 と、もふもふもふもふとしていたのは五分前の事。

 五分後、岩傘調と藤原千花は、実に微笑ましく馬鹿馬鹿しいやりとりをしていた。

 驚くべき状態である。口論というか、子供の喧嘩というか。夫婦喧嘩というか。

 

 ――まさかこんな状況に居合わせるとは思いもよりませんでしたわ……!

 

 紀かれんの目の前、秀知院の名物カップルは盛大なやり取りを繰り広げる。

 

 「いや、なんで茹でるの? 態々餡子の準備したってのに。これじゃお雑煮だよね」

 「だって最近涼しいじゃないですか。お鍋の準備もしてあるなら、茹でるって思いますよ」

 

 テーマは『団子』について。またしょうもない理由でのやり取りだ。

 やってる本人達は真剣な顔なので、口を挟めない。

 この二人、セットになると精神年齢が下がりすぎるんじゃないか?

 

 ――確かに小さな喧嘩はすると聞いていましたが、これがカップルの余裕でしょうか……。

 

 友人:柏木渚も言っていた。

 『好きだからこそ色々喧嘩が出来る。互いに言い合えるんじゃないかな』と。

 尤も当の本人達は苦手らしいが、目の前の二人はまさにそれ、忌憚なく意見を言い合える状態。

 

 かれんにすると割と鬱陶しい。この二人は記事にならないからだ。記事にするまでもなく学園の誰もが関係を知っているからだ。

 それでもこの場に来たのは、他でもない生徒会長と副会長の様子を観察できるから。

 

 「会長、どれが秋の四辺形なんですか?」

 「興味があるのか? じゃあもっとこっちに来い。良いか? 親指の先と人差し指の先を――」

 

 その狙いと希望は叶っている。

 陰から伺うと、かぐやの肩に手を回した白銀御行が、星座の講義を行っていた。

 その様子はまさに、かれんが見たかった景色そのものだ。

 早坂愛が監視をしているから記事には出来ないだろうが、心の中に保存するには十分すぎる。

 視界に映る二人の様子は、そこだけが煌びやかに輝いて見えた。

 

 ――ああああ、こっちは尊い。尊いのですわ……。ですが――!

 

 「いやいや、そもそも生徒会室での会話は聞いてたよね? 準備した餡子はどうするの?」

 「良いじゃないですか。私はこっちが食べたかったんですもん!」

 

 ――背後がうるさいのです……っ!!

 

 ロマンティックに会話をする二人(かれんのバイアス有り)とは対象的に、後ろが喧しい。

 もふもふの白い着ぐるみに全身を包んだ藤原千花が、がおーとでも言いそうな格好で腕を上げて威嚇。

 それに対してかかってこいやという格好で構える広報。

 生徒会のトップ二人の様子を眺めて居たいのに、それを許してくれないのだ。

 

 「お二人とももう少し静かにしていただけません? 迷惑ですよ? エリカ、貴方も何か言ってあげて!」

 「二人とも違うよ! お団子に合うのは味噌ダレだからね!」

 「そっちじゃないですわ!」

 

 駄目だ、この相棒は役に立たない。

 四宮かぐやの姿を見て――今回の月見に誘われたときから、彼女は既にヘヴン状態。

 『同じ月を眺めているだけで幸せ』とポーっとしている。話題を振っても今の通りだ。

 エリカの言葉を、喧嘩中の二人は揃ってスルーし、続行する。

 向こう側では!

 最高のカップルである二人が!

 白銀御行のコートを掛けられ、水筒で間接キスをし、あまつさえ二人並んで空を見上げている!

 その様子をずーっと眺めて居たいのに、集中が出来ない。ああ鬱陶しい!

 

 「大体な、なんでお雑煮なんだ?」

 「だって最近、出汁の取り方教わったんですもん! なら作ろうかなって思うじゃないですか!」

 「藤原家の雑煮の味とか今更だ! 何年正月を一緒に過ごしてると思ってる! どうせ餡子が甘くてカロリー気にしてるとかそんな理由だろ」

 「ちょ、いーちゃん!? それは禁句ですよ! 女子に何言うんですか! 気にしてないです!」

 「はっ、お前の体重とか僕が知らない訳ないだろ。最近ちょっと重いぞ」

 「私のは筋肉が多いんですー!」

 

 しかも段々口喧嘩から惚気喧嘩に変わってきている。

 余計に鬱陶しいんだが。

 

 ――体重を知っているというのは……た、体重計の数字を知っているという意味ですわよね……? 断じて互いの重さを知るような行為をしているという訳ではないですわよね……?

 

 心労が積みあがっていく気がする。

 若干顔が引きつっている自覚がある。

 誰か助けてくれないか、と周囲を見ると、月を見ているのか喧嘩を見ているのかゲーム画面を見ているのか怪しい石上優と目が合った。

 

 「石上会計、お二人を止めては――」

 「僕じゃ無理ですよ。口を挟むと余計に惚気がヒートアップするだけなんで。心の中で『うるせえ馬鹿(バーカ)』とか思ってるのが一番ですから」

 

 そっけない態度だが、石上優という男子が悪人ではないと、かれんは知っている。

 うっかり妄想を形にしたノートを発見され、彼に編集としての意見を貰ったから、ではない。

 あの二人が引っ張り込んだからには、優秀で善良なのだ、と納得しているからでもない。

 彼の悪い噂と、彼の過去の行いは、誤解と冤罪によるものだと知っているからだ。

 

 石上優を生徒会に引っ張り込む際に。

 彼を復帰させる為の協力を、岩傘調に要請されている。

 その見返りは、マスメディア部による多々ある取材の許可と援助だ。

 記事にだけは口出しをしてくるが、その程度。あれこれとする交渉も、あれはあれで楽しいと思う。

 

 「あーもう分かった。分かった。じゃあこうしよう。どっちも食べる。その上でもう一回話し合いだ!」

 「良いでしょう! じゃあかぐやさん達からの意見も聞きましょうよ」

 「あ、それはダメ。あの二人、今良い感じだから邪魔しちゃ悪い」

 「そこは気を使うんですの!?」

 

 思わず大声が出てしまったのも無理はない。

 自分らの背後で散々にこっちの邪魔をしていた癖に! と内心で思っても無理もない。

 

 ――私もいっそ誰かと交際できれば変われるんでしょうか……。

 

 鍋を囲むように着席する。

 隣のエリカはまだ月を見てほけーっとしていた。

 

 「私の気持ち、少しは実感できましたか」

 「気苦労が耐えないとは、よーく分かりましたわ」

 

 早坂愛の瞳は『貴方達の活動も気苦労の一因なのですが』と語っている。

 貴方だってさりげなく私達の取材を邪魔していたからお相子ですわ。

 

 ◆

 

 団子も食べ終わり、月見も終わり、屋上からも撤収。

 御行氏は自転車で。石上は徒歩で。かぐや嬢は早坂と共に車で帰り、僕はといえばまだ校内だ。

 

 「ふぅ、やっぱちょっと暑かったです」

 「日が落ちたとはいえまだ汗ばむからね」

 

 着ぐるみを着たまま団子を食べた千花は、寸前のくすぐりもあって、体温が高かった。

 ちょっと大変だったようで、いそいそと着ぐるみを脱いで、大きく息を吐く。

 

 「うわー、結構汗になっちゃってますよ。嫌だなぁ」

 「そう?」

 

 近寄る。ふむ、なるほど。確かにちょっと汗をかいている。常の甘い匂いはそのままだな。

 すんすんと鼻を動かした僕は、観察する。

 服が肌に少し張り付き、若干透けている。暑いーと言いながら髪を束ねた。首が色っぽい。

 僕の目に千花は『何見てるんですかーエッチなんですからー』と頬を膨らませる。

 

 「というか嗅がないで下さいよー、気にするんですよ! 乙女は!」

 「もっと過激な匂いとか知ってるし」

 「そういう話でも問題でもないです! ちょっと背中が濡れて気持ち悪いので、いーちゃん、服」

 「はいはい」

 

 気温の山場は越えたが、まだまだ体育をすると汗をかく時期だ。男子であれば猶更に。

 制汗スプレーの類は、学園では歓迎されていない。香水にも注意が飛ぶし、敷地内にはシャワールームが設置されているというのもある。だから鞄の中に、替えのシャツは持ち歩いている。

 僕の物なのでちょっとサイズは大きいが、胸回りは丁度良い筈だ。

 ……最近、また大きくなってる気がする。育ったのか?

 着ぐるみを演劇部に返却し、生徒会室の戸締りを確認して、鍵をかける。

 さて帰ろう。

 

 「……なんかあった?」

 

 服を着た千花は、ちょっと動きが止まっていた。

 すんすんと服の袖に顔を近付けて、先程の僕の様に鼻を動かしている。

 

 「いえ、こう、何と言いますか――いーちゃんに包まれてる感じがするなあ、と」

 「望むなら何時でも、僕の腕で実行してあげるけど」

 

 腕で包むと書いて抱くと読む。

 そっちはまた今度で良いですと言われてしまった。

 

 「なんか残念そうな顔をしてません? ――じゃ、手を繋いで帰りますか」

 

 僕の顔が、なんとなくしょんぼりしていたらしい。

 千花の気遣いに、ちょっと機嫌が良くなった。

 そうしよう。指と指を絡めて、距離を詰めて歩く。

 人気のなくなった校舎の中、出来るだけ速度を落として、ゆっくりと。

 夜空の満月は輝いていて、歩く道を光が照らしている。

 迎えは既に昇降口まで来ているので、そこまで二人だけの散歩だ。

 

 「月、綺麗ですねえ」

 「それは僕の言葉だと思うんだけどな。でも……死んでも良いくらいの、綺麗な月だ」

 

 千花の言葉に『それでいい?』と目で伺うと。

 『死んだら駄目ですよ』と返された。

 意味は通じている。国語の勉強を一緒にした甲斐があったという物だ。

 

 「死なない死なない。……何時か、近い内に、僕の方から同じ言葉を言うからさ」

 「待ってまーす!」

 

 そんな感じで、僕と千花は仲良く月を見上げたのである。

 




尚、昇降口前でぼーっとし過ぎて『早く車にお願いします』と叱られた。


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岩傘調は呼ばせたい

お待たせしました。

アニメ2期も決定しましたね。
原作でも、どんどん新情報が出てきています。
白銀母、四宮家の問題、四条帝、不知火ころもetc。
これは負けてられないと発奮し、かなりの難産でしたがようやっと形に出来ました。

では、どうぞ。


 名前を呼ぶ。これは実は中々難しい。

 呼び方はそのまま相手との関係性を表す。

 僕は千花と呼び捨てにして、千花は僕をいーちゃんと呼んでいる。しかし冷静に思い返すと『調(しらべ)』の呼称は殆ど無い。調()()とか『岩傘さん』とかはあるが、呼び捨てはあんまり無い。

 精々、相手を冷静にさせる時に『おい調!』みたいな感じで使うくらいだろう。

 この件、プライベートで少し前に質問してみた。

 彼女の答えというか、思想は明白だった。

 

 『んー結婚したら変えるかもです。夫婦なら「いーちゃん」とか公衆では呼べないと思うんで』

 『なので今は、今しか呼べない「いーちゃん」にしておきます』

 

 にへらーと笑った千花だった――全く僕の嫁は可愛いなあ――いやいや、本題はそこじゃない。

 思えば僕が千花を「ちーちゃん」と呼ぶのは、よっぽどの時だ。動揺している時とか、真剣な時とか、大事に呼ぶ時だ。幼少期の呼び方を今更呼ぶとなるとちょっと恥ずかしいのもある。

 

 『千花』『ちーちゃん』『藤原さん』『ふじわら』『ちかぽん』『リボン女』『対象F』。

 『いーちゃん』『調さん』『岩傘さん』『いーたん』『いーいー』『いーくん』『対象I』。

 出会って十数年。互いに色々呼び合って、けれどもそんな中でも今では言い難い名前がある。

 

 であれば、交際すら始めて居ない、互いにゴール目前で微妙なバランスを取り合ってるような二人――白銀御行と、四宮かぐやの場合、互いの名前を呼ぶのすら苦労するのは当然である。

 つまり今回は、そういうお話だ。

 

 ◆

 

 夏も過ぎ去り、蒸し暑さも落ち着いてくる時分。

 快適な温かさを感じる布団の中で、僕は目を覚ました。枕元でスマホが鳴っている。朝だ。

 もぞもぞと手を伸ばして時間を確認すると、どうやら設定ミスだったのか、もう30分程は寝るのに十分な時間が示されている。無言でアラームを消して、布団に潜り姿勢を変える。

 なんとなく掛け布団に抵抗があり、上手く引っ張れない。自分で下に潜り込む。

 

 ――ふに。

 

 何やら手の甲が柔らかく温かい何かに触れた。

 非常に感触が良いので、手の向きを変え、掌でよりしっかりと感覚を味わうことにする。

 

 ――もにもに。

 ――むにょん。

 ――たぷんたぷん。

 ――ふるふる。

 ――ゆさりゆさりゆさり。

 

 良い感触だ。柔らかい。指先は沈むが、途中で反発する、適度なハリもある。掌より大きい。

 ……この時点で掌が何を掴んでいるのかは悟っていた。

 断じて頬とか腿とか尻というオチではない。たわわである。

 向こうが何も言ってこないので、そのまま身を寄せる。

 のそのそっと動いて、顔を引っ付ける感じで。

 

 「……起きてますけど」

 「…………じゅうでんちゅうで。……前に千花も……やったでしょ……

 「昨日あんだけ弄った癖に甘えん坊めー」

 「母性に飢えるのは男の(さが)だからしょーがない。癒しが欲しい時もある……

 「癒しって言うかイヤラシですけど?」

 「昨晩の話、丁寧に繰り返したいん……?」

 

 頭に浮かぶ、僕以外には見せることが出来ない諸々の脳内画像。

 ほんの少しだけ目を開けると、千花は顔だけそっぽを向けていた。頬が紅潮している。可愛い。

 あ、因みにちゃんと衣服は着ているぞ。

 幾ら寒暖が丁度良い秋の頭とはいえ、裸で寝ていたら良くないからね。

 パジャマ(ノーブラだけど)の薄手の格好だが、直に肌に触れては居ないし、目を開けても肌色や桃色が視界に入ってはこないのだ。すうーと息を吸うと甘い香りが届くだけである。

 軽い花ではない。もうちょっと濃い、艶やかな匂いだ。

 

 「私は枕じゃないんですけどー」

 「……知ってる……。でもピロートークも悪くない……」

 「私を枕にするって意味違いませんっけ? ……通学前にシャワー浴びないと不味いですねー」

 「……シャワーも一緒に浴びよ」

 「そーいうことしてるから(キー)ちゃんに睨まれるんですよ?」

 「でも乗り気だよね?」

 

 僕が指摘すると、再び彼女がそっぽを向いた。頬がさっきより赤い。可愛い。

 

 互いの自室の一角に、それぞれの私服や着替えが置かれているのはもう、なんか進むところまで進んでいる証拠だ。このままだと色ボケしたまま通学になってしまう。心身を清めてこよう。

 寝台から起きると、制服を抱えて部屋を出る。

 家の人に発見されないよう――いや発見されても今更感はあるけど――浴室まで向かう。

 

 湯で汗を流す行動が、別の意味で汗を流す行為にならないようにとだけは気を使った。

 

 さて、朝っぱらからこんな風に余裕を持って行動しているのには、理由がある。

 シャワーを浴びて着替え、朝食を終えて、徒歩で学園までのんびり歩いても、まだ時間が余る。

 今迄仕事に追われていた生徒会の仕事が、一段落しているのだ。

 

 「「おはようございます(まーす)」」

 「おう、おはよう二人とも。……相変わらずの夫婦っぷりだな」

 

 千花と一緒に教室に入ると、豊崎からの言葉が飛んだ。

 因みに僕が腕を差し出してのエスコート状態だ。校舎に入ってから此処まで、色んな人間に見られたが、別に恥ずかしくはない。むしろ見せつけて来た。自慢してきた。

 男子の大半は『何時もの事だが腹立たしい!』という恨みがましい目だった。

 羨望の眼を向けられるのは悪い気分ではないな。嫁が可愛くて何が悪い。

 君達も彼女とか許嫁を作れば良いだけじゃないか。

 

 『うるせえ! 実家のしがらみで自由恋愛出来ないんだよ俺は!』

 『少し黙ってお願い。俺の許嫁は身持ちが硬くて結婚までデートすら駄目だって……!』

 『金はあるから女は寄って来るけど、普通の女がいない……。誰か救いの手を……』

 

 悩みが金持ちで社会的ヒエラルキーが高い奴らの言い分だった。

 さておき、豊崎と話をしながら、椅子に座って、一限目の用意をする。座間先生の数学だな。

 

 「今日は随分ゆっくりな通学だな。いつもはもっと早くなかったか?」

 「生徒会が終わったから余裕がね」

 「ちょっとだけ睡眠時間が伸びましたからねー。……お母さまから『じゃあ成績上がるわね?』って念押しされてしまいましたけどー!」

 「『僕が責任もって教えますのでご心配なく』と伝えてある。おかげで放課後も一緒に居られるから嬉しい」

 「最後のはどうでも良いけど、そうか、一区切り着いたんだな」

 

 そう。二日前、僕ら67期生徒会は無事に活動を終了した。

 だから今は、時間に余裕があり、何時もよりのんびりと寝ていられる。

 長い様で短かった一年間。回想をするとキリがない。互い互いに思い出を語り、室内を掃除したり、私物を回収したりとした後で、打ち上げをファミレスで行い、それから二日。

 10月15日に生徒会選挙を控え、学園中が『次なる候補者は誰になるか』と噂が出始める頃だ。

 

 『この中の誰かが立候補してくれれば俺は安心だけどな。……岩傘、お前出てみないか?』

 『止めておくよ白銀。僕は一時、道化を演じて周囲を盛り上げるくらいなら出来るが、そもそも人の上に立って指示を出す人間じゃない。No2……いや、No3くらいだね。トップを支える右腕の、その右腕くらいが丁度良い』

 『そうか。石上、お前は?』

 『ははは僕が票を取れると思いますか。目があっただけでクラスの女子は泣き出すんですよ』

 『噂は聞いていましたが、フィルターは随分と強固なようですね……。石上会計? この場の皆に頼めば誤解を解くのも簡単にできそうですが、良いのです?』

 『ははは今更です早坂先輩。泣かせた女は数知れず。女を泣かせて僕も泣く。面白いですよ』

 

 石上の自虐的な態度に、早坂は主人:四宮かぐやを見たが、彼女は無言で首を振るだけだ。

 因みに言っておこう。この場で彼の真実を知らない人間は居ない。そして彼が望むのであれば、幾らでも名誉を挽回させるために助力をする。

 僕自身、復権しようと色々手配はしたし、今でも彼の無実を証明したいと思っている。

 だが肝心の石上が、あんまり乗り気ではないのだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()がいるから、それで良いと妥協をしている面もあるだろう。

 本人にその意思がないのに、此方が動くわけにもいくまい。

 結果、彼の暴力事件の()はそのままだ。

 

 とはいえ、マスメディア部とか、一部の学園VIPとは真相を共有している。

 僕ら生徒会、VIP生徒、メディア部と此処まで石上の事情を知っている人間が居るのだ。

 世間知らずの連中が騒がなければ、彼の周囲も基本は平穏に進むだろうさ。

 萩野君だっけ? 彼の情報は、権力も財力も持つ大人の皆さんに『通っている』。

 そして当時、ほんの少しだけだが大人の皆さんとは、僕とかぐや嬢はお話をさせて頂いた。笑顔が溢れる素敵な会話になったよ。会談の後に彼の家がどうなったかまでは責任が取れないけどね。

 今後、彼の周囲で、再び何か問題が起きる様ならば、その時こそ本気で対応するだけだ。

 

 『あ、じゃあ私が立候補してみましょーかー』

 『『『『『それは止めろ/ましょう/なさい/て下さい/た方が良いと思います』』』』』。

 

 尚、千花の立候補は、僕や白銀のみならず、石上や四宮かぐや、早坂愛(臨時役員)まで全員の意見が一致して否決したと伝えておく。

 確かに千花は、将来的に政治家にはなれるかもしれない。しれないが、この色んな意味でブレーキが壊れた天然悪魔は、複数のバックアップが耐えず手綱を握っていないと大変なことになるのが、共通認識。

 まして生徒会長とかいう役職に“うっかり”就任してしまったら、例え副会長に僕が就任しても抑え切る自信はない。生徒会長特権です!とか言って余計なことをするに違いないのだ。

 ……だってTG部でそういう光景、散々見てるし。

 

 「まーそういう訳でちょっと余裕があってね。選挙が終わるまで生徒会は停止中。雑事も無し」

 「部活動と勉学とたらたらのんびり恋愛するのに使うーって感じですね」

 「最近はもう藤原さんまで遠慮が無くなって来てるよな」

 

 豊崎の言葉に、僕と千花は揃って『『元々じゃないですっけ?』』と首を傾げた。

 悪態をつかれた。

 

 ◆

 

 さて、生徒会の仕事がないからのんびり部活動でも堪能するかなーと思っていると。

 メールが届いた。差出人は、四宮かぐやである。どうやら千花の方にも届いたらしい。

 

 『放課後に集まって貰えませんか。場所は生徒会室。会長には内緒でお願いします』

 

 とのこと。

 一体何を計画しているのかな、と放課後に顔を出してみれば。

 生徒会室には女子の姿が六人。灯も点けずに生徒会室に(たむろ)していた。

 メールの送り主:四宮かぐや。その近侍:早坂愛。同じく近侍エクレール(灰色女)だけではない。

 なんと中等部の女子三人まで揃っている。

 思わず千花と目を合わせ、首を捻る。

 今は生徒会室、使用禁止期間なのだが。

 

 「圭さんと萌葉ちゃんに(キー)ちゃんまで? 一体何の集まりだ」

 「内密のお話です。藤原さんも、くれぐれも! 外に漏らさないように!」

 「内容にもよるよ。……次期生徒会選挙の為の内緒話?」

 「いえ、もっと切実な話です」

 

 手招きされて、輪の中に参加する。

 中心に陣取った元副会長は、実に真剣な顔で告げた。

 

 「会長を何て呼べば良いのか分からないのです。手伝ってくれますね?」

 

 最後が疑問符だが、拒否権はこちらには存在しないようである。

 話を纏めるとこうだ。

 先日の打ち上げの時、彼女は気付いたのだという。

 

 『今迄、会長と呼んでいたから、会長でなくなった白銀御行を何と呼べば良いの?』と。

 

 あの場で千花は「みゆき君」としょっぱなから名前呼びであり、石上に至っては「みゅー先輩」と可愛い略し方をしていた。僕はプライベートでの時と同じで「白銀」と苗字呼びだ。

 そんな中、彼女は最後まで『会長』としか呼べなかった――それが引っかかっているのだ。

 

 気持ちは分かる。

 かくいう僕も、四宮かぐやに対して「四宮さん」と呼ぶのは久しぶりで新鮮だった。

 ええと、生徒会副会長に就任する前以来だから、……一年近く「かぐや嬢」呼びしていた訳で……今も気を抜くと出そうになる。

 

 「手伝うのは良いんですが、僕に何をしろと」

 

 白銀の仮面を被って台詞を言うだけなら、早坂愛で事足りる。

 というか灰色女の変装技術を使えば、身の丈までそっくりに変貌できるだろう。

 圭ちゃんが居れば『お兄ちゃんがこういう風に話すと思う』という台本の確認も出来る。

 

 「何もしないで良いです。藤原姉妹が動かない様に抑えててください」

 「あーそういう……」

 「因みに実家でやるよりも精度が上がります」

 

 四宮家の実家でやれば良いのに、と思ったら早坂に先手を打たれた。

 前々から会長役を早坂がロールプレイして練習することは多かったらしい。

 が、いい加減面倒になったことに加え、二人の関係を知っている人間が増えているということから、学園でやった方が負担も少ないだろう、という考えになったようだ。

 自宅だと本家に情報が流れかねないという懸念もあるのだろう。

 そして学園で圭さんまで誘って練習する以上、歩く災害である藤原姉妹の対策は必ずしておきたい、ということか。

 

 「貴方も下手をすると災害になるので」

 「僕が? いやーそれは買いかぶり過ぎじゃない? 別に邪魔とかしないよ?」

 「ええ邪魔()しませんね。邪魔()

 

 早坂の眼が語っていた。

 ――でも貴方、いっそ学園全部を巻き込んだイベントに昇華させようぜとか言いだしますよね? と。

 まあ、それは否定できないな。

 

 ――ついでにそれを生徒会選挙のための、支持率アップの布石にもしますよね? と。

 いや、そりゃ考えたけど、考えていただけだよ。実行する気はないよ今はまだ。

 

 白銀は生徒会長を再びやるのは勘弁と言っていたし、僕も出る気はないが……今の生徒会メンバーの誰かが(というか四宮かぐやが)選挙に出るとか、そうでなくともメンバーに再度選ばれるとかする時の為に()()くらいはしておこうかな、って程度である。

 予想が当たっている時点で対処は当然ですと言われた。ぐうの音も出ない。

 

 「個別で止めにくい分、貴方は面倒なのです。対象F姉妹を管理していて下さい」

 「早坂さんちょっと酷くないです!?」

 「今迄も同じように邪魔されていたので」

 「……はっ! そうか、分かりました! 分かりましたよ! ちょっと前にピカっとしてチューチュー鳴くアレを見つけたって言ったの、私への誘導ですね!?」

 

 そんなことがあったのか。早坂の顔を見る限り、多分正しいのだろう。

 生徒会室で、白銀&四宮によるバトルが行われているのを察して、近付かないように、と言ったところか。

 短い間だが、生徒会に参加した早坂は、皆に『素』を見せている。

 その結果、千花は彼女からの扱いが適当だと認識した。千花は頬を膨らませて抗議をするが、それをスルーして、姉妹を揃って僕の方へと押し付けた。面倒見ろと言う話らしい。

 

 「……もう一つ、良い?」

 「なんでしょう」

 「僕ら二年生は良い。でも良いの? 圭さんが一緒で」

 

 彼女の意志は確認したんだよね? と念を押す。

 圭さんが来るなら、萌葉ちゃん我が妹(キーちゃん)が来るのは分かる。

 特に後者は、護衛や雑用には丁度良い。

 

 おい妹の扱いそれで良いのかとぶつくさ文句が飛んできたが、妹だから扱いは雑で良いんだよ。

 一番大事な時に、優先順位を間違えず、手を伸ばして守れればそれで良い。

 僕の問いに、圭さんは静かに答えてくれた。

 

 「……夏休みの時から、何となくは察していたので。正直、少し今も、信じられませんが」

 

 天文台の騒動時に、御行と一緒に、白銀家も招いたのは話したと思う。

 圭さんや白銀家の父やらには観光していて貰ったし、事件解決後のフリーの時間は短かったのだが――どうやらその短い時間でも、白銀―四宮の二人の関係を、白銀家(の父)が見破るには十分だったらしい。

 圭さん曰く『父が言っていました。あの女の子の態度ですぐに分かった』とのこと。鋭い。

 

 「それで高等部に付き合ってくれるのは大変では?」

 「……私達も生徒会選挙が近くて、今は休みですから。――次期会長選はそこまで波乱も起き無さそうですし。何より」

 

 小声になって、圭さんはちらりと四宮かぐやを見る。

 

 「――私も、気になったので」

 

 四宮かぐやと兄がどうなるのか、という部分に加えて。

 圭さんとしても、彼女との接し方は試行錯誤したい、ということらしい。

 少し前に女性陣だけでの買い物タイムがあったのは知っている。それ以来、距離を縮めるための方法や機会には恵まれないから、ここで協力しよう、ということか。そういうことなら歓迎だ。

 人間関係、良好にしておくことしたことはない。

 

 「分かった。じゃあ協力するし、別室を借りる手伝いとかアリバイ工作とかはやるけど」

 「けど、なんです?」

 「石上も呼ばせてくれ。この男女比率の中で行動するのは抵抗がある」

 

 それに二年生と中等部が協力しているのに、一年生の彼だけを放置するのも収まりが悪い。

 彼の勉強を手伝う事も出来るからな。説明は僕からしておこう。

 僕の言葉に、早坂は『……まあ良いでしょう』と頷く。

 

 かくしてここに『四宮かぐや、白銀御行を名前で呼べるのか作戦』が発動したのである。

 

 ◆

 

 大層なことを言っても、僕の仕事は藤原姉妹を押さえておくことだ。

 

 意外と問題なのが萌葉ちゃん。

 どうも白銀に対して羨望とも恋慕とも取れる感情を抱いている様子。

 余計な茶々を入れさせると、話が拗れるだけでなく、四宮さんと対立に発展しかねない。

 そこで石上だ。

 千花を正論で殴れるなら、萌葉ちゃんにも特攻は持っているだろう。

 

 男女比の問題で、僕が一方的に石上を引っ張り込んだ以上、彼に相応の見返り――つまるところの勉強指導――をする必要こそあれど、他の仕事は(殆ど)無いと言って良い。

 そんな訳で、僕と千花と石上に萌葉ちゃんを追加した、変わった組み合わせ四人は、机の上にノートを広げている。

 場所は生徒会室――ではなく、適当な空き教室だ。

 天井にレールが嵌め込まれていて、壁をスライドさせることが出来る防音型会議室。

 半分を四宮一座が使い、半分を僕らが使う形にした。

 ふと気になったので、話題を振ってみる。

 

 「ところで石上は、僕を『みゅーくん』みたいな変わった風に呼ばないの? この前の打ち上げも『岩傘先輩』だったし」

 「良いんですか? そうですね、じゃあいーちゃん先輩と――」

 

 刹那。石上に、どす黒い殺気らしきものが突き刺さった。

 彼が悪寒に振り向くと、そこでは笑顔を浮かべる千花が。……その呼び方はアウトだ。

 浮気と疑ったらガチで調べてきたりするし、以外と嫉妬深い一面もあるのだ、僕の嫁は。

 ははは、因みに僕も千花以外からの「いーちゃん」呼びはあんまり良い気分じゃないな?

 

 「――呼ばないでおきます。先輩()の眼が怖いんで! ええと、藤原先輩の妹さんでしたっけ」

 「萌葉です! ヨロしくです石上先輩! お義兄さんから聞いてますよ! 優秀だーって!」

 

 何をそんなに怖がっているのか、慌てて話題を切り替えた石上。彼に対して天真爛漫に挨拶する萌葉ちゃん。

 先ほど珍しい四人組と言ったが、本当に珍しい組み合わせだ。

 一学期の終わりに、圭さんが高等部に顔を出したことはあった。その時、石上も僕と一緒に生徒会室に居た。だがその時の応対は、四宮さんに任せていた訳で――彼の情報は、殆ど伝わっていないと思われる。ハワイでもちらっと顔を見た程度だろう。

 

 「石上優。元会計です。……まあ成績は、そんなでもないんで、頼られても困りますが」

 「そう言うな。僕と千花は一年生時の復習。石上は中等部での復習。で、互いに教え合う感じでね。昔使ってたノートを持ってきた。きちんと纏めてあるから読み返しやすい筈だよ」

 「一瞬前の言葉を聞いてました? 先輩」

 「聞いてたよ? 今の成績が怪しいからこそ、中等部の内容を復習しようって話だ」

 

 石上、中等部時代は悲惨だったからな。

 あの辺りを再度勉強しなおせば、高校での成績は間違いなく上がる筈だ。

 応用問題を解くためにはまず基本から。萌葉ちゃんの勉強を見るのは良い刺激になるだろうさ。

 

 「……まあ、じゃあノート頂きます……。……字綺麗ですね」

 「そうかな? そうかも。字を書くのは昔から得意だしね」

 

 乱読家の姿勢として、自分の書く文字も、読みやすさを心掛けている。

 参考書を開いて、次回テスト範囲を予想しながら問題を解いていく。手元には過去問があり、出題傾向なんかも網羅済みだ。勿論点数を上げることと頭をよくすることは別だし、成績を上げることと学問を身に着けるのは別なので、適宜、理解できているかを確認しながらの作業。

 石上が萌葉ちゃんに、ちょっと戸惑いながらも教えるのを確認して。

 僕は背後を――敷居の向こうを隙間から再度、伺う。

 

 衝立の向こう側では、白銀そっくりに変装したイクサ相手に、四宮さんがあたふたしていた。

 

 『あー、あー、あー、声はこんなくらいかな』と調整した灰色女に驚く一同。

 圭さんは『最初は……朝出会ったら、兄は普通に挨拶すると思います』と注釈を入れる。

 『おはよう四宮。今日も良い朝だな!』と異常にクオリティが高い変声技術を披露される。

 早坂が『挨拶には挨拶ですが、それに追加して……そうですね、天気や服装の話題は難しいですし……授業の話もクラスが違い併せにくいので……クラスメイトの、藤原千花や岩傘調の様子から尋ねてみては?』と彼女の背中を押していた。

 『そ、それは良い考えね。――おはようございます。生徒会から離れて二日ですが、書記や広報の様子は如何ですか? かいちょ……違う! 会長じゃないの! し、白銀さ……違うわ。み、みゆきさん!?』

 『普通に白銀さんで良いと思うんですが……』

 『……圭。白銀さんと呼ぶのは……慣れないの……それ以上に……』

 

 四宮さんは赤裸々な乙女心を形にするように、訥々と言葉にする。

 白銀さん、とは既に呼んだ。彼女はそう語る。

 生徒会の打ち上げ会をした時、その別れ際に、一度だけ苗字で呼んでみた。

 だけど慣れない以上に『違う』と心が思ったのだと続ける。もっと大事に呼びたいのだと。

 「みゆき君」と千花が、「みゅー先輩」と石上が、僕が「白銀」と呼ぶ。

 それらと一線を画す形で『会長』以外の呼び方が良い。

 だからこその「御行さん」という選択だったらしいが――。

 

 「それ以上に……それだと、ちょっと、……ぼんやりしますよね?」

 

 曖昧な物言いだが、何となく意味は分かる。

 自分だけの呼び方が良い。そして自分のことを、特別に呼んで欲しい。

 だけど大っぴらに目立つ言い方をするには恥ずかしい。

 彼女と彼にだけに分かる秘密の合言葉が良い――乙女の我儘だな、素敵な我儘だ。

 

 『……四宮さんの気持ちは分かりました。……兄には勿体ないと思いますけど』

 

 とはいえ丁度良い呼び方をぱっと思いつけば苦労はない。

 (シロ)君とか、みー君とか、そこそこの名前は候補として挙がったが、どれも微妙に足りない様子。

 ロールプレイは継続され、会話術は進展しても、呼び方が安定することは無さそうだ。

 

 一先ずは『御行さん』と暫定的に決まった様子だが……。

 これは、四宮さんの今の限界でもあった。

 それ以上を呼びたくても、口が付いて行かないので、まずは、というハードルだ。

 

 ううむ、これは僕が口を出して解決できる問題でもないしなぁ……。

 考えていると、石上が服を引っ張る。意識が勉強部屋に戻った。

 

 「呼び寄せた本人が上の空はどうなんです? ……まあ僕も個人的にちょっと気になってはいたんで、渡りに船ではありましたけど」

 

 僕と石上は顔を突っつき合わせた。

 どんよりとした彼の眼も、何時もより少しだけ注意深く光っている。

 

 (……あれ? なんだ。要するに石上も同じなのか?)

 

 もしかしてこれは――二人の周囲の人間、全員が二人の行く先を案じているということなのか?

 言葉少なだが、鈍いようで敏い男だ。周囲を気遣って黙っていたが、彼も察していた様子。

 ……知らぬは本人ばかりなり、か。

 でも悪い話じゃない。二人の関係を後押しし、応援してくれる人間は、多いほど良いに決まっている。

 

 少し視点を変えよう。

 

 四宮さん自身は『特別な名前で呼びたい』と思っている。

 同時に『呼ばれたい』とも思っている筈だ。僕の経験則で分かる。

 

 呼ぶのに時間がかかるのならば、呼ばれる方を先に叶えさせてやるのは如何だろう?

 この発想は間違ってない筈だ。

 何回も呼ぶ必要はない。大事な時に1回、本気で呼べる名前を互いに覚えるだけで良い。

 と、すると、だ。

 

 「石上。ちょっと耳を貸せ。……秘密の悪戯をしたくなった」

 「ばれたらこっちに被害飛んできたりしません?」

 「悪意があっての行動じゃない。まして悪い方向に作用させるつもりもない。まあ聞けって」

 

 いやな、別に深い意味があって思った訳じゃないんだ。

 ただやっぱり――こんだけ揃っていて、こんだけ色々周りが考えていて、こんだけ応援していて。肝心の白銀御行が不在なのは、蚊帳の外で何も知らないのは、ちょっと悲しいよなと思ったのだ。

 

 ◆

 

 今のこの時期、生徒会室は使えない。

 最初に皆を集めた時は『ちょっと室内に忘れ物を』と言って一時間だけ空けたらしい。

 前にも語ったが、生徒会室の中には持ち出し禁止の書類が沢山ある。歴代生徒会の情報や、生徒名簿や、学園と縁深い財政界のお歴々や、純金飾緒やら、と表に出せないブツが山ほど存在する。

 そして今の僕らは、役員ではない。

 人間、どんなに硬い意志を持っていても『つい魔が差して』しまう事はある。

 故に残念ながら生徒会室は使えず、こうして会議室を借りた訳だ。

 

 借りた部屋は、一階に置かれていて、窓の外には殆ど人が来ない位置。

 勿論カーテンを半分閉めており、四宮さん達の練習には支障がないように手配している。

 もう半分は意図的にカーテンを開け、僕らが勉強をしている、とアピールしている。

 

 これが一体、どんな意味を持つのか――?

 翌々日、つまり生徒会解散から4日目の朝に、時計の針を進めよう。

 

 早朝。常の如く千花同伴で通学した僕は、昇降口の前で少し待っていた。

 『計画』――という程の物でもない、小さなお節介が、どんな形になるのかを見る為だ。

 時刻はそろそろ、四宮さんがやって来ることを表す。

 視界の隅に、自転車を置く、白銀御行の姿を、確認する。

 

 「さて、……どうなるかなぁ……」

 「どうなるんでしょうねぇ」

 

 無論、このタイミングで二人が鉢合わせたのは偶然ではない。

 白銀の方が気を使い、四宮さんと合う様に調整したのだ。

 二人は僕らの目の前で、良い具合に鉢合わせる。僕らもそこに当然の様に混ざって挨拶をする。

 

 「おはよう白銀。四宮さんも」

 「おはよーございます、かぐやさん! 御行くーん!」

 「あ、ええと……会長……では、なく」

 

 四宮かぐやは、周囲の目線が殆ど向いていないことを確認し、意を決して呼ぶ。

 

 「おはようございます。――白銀……御行……さん」

 「あ、ああ……おはよう」

 

 それに対して、白銀は。

 同じように周囲の目がないことを確認し、同じように意を決したように、小さく返す。

 

 「ああ、おはよう。四宮……かぐやさん

 「はうぅ!?」

 

 その一言の、重さと威力たるや。

 四宮かぐやは心臓を射抜かれたように固まり、あわあわあわと言う顔になった。

 そのまま口元を抑えて震え暫く動かない。

 

 「し、白銀さ、い、今なんて!?」

 「何がだ四宮!? 何か聞いたならきっと聞き間違いに違いないぞ!?」

 

 言った後に、彼は慌てて進路を変えて教室へ走っていく。

 それを追いかけようにも、一言の衝撃が強すぎたのか、彼女の足腰はがくがくだった。

 白銀の姿が消えた後、なんとか呼吸を整えた四宮さんは、こっちを見る。

 嬉しさと怒りが混ざった複雑な表情で。

 

 「……も、元広報! 貴方の仕業ですか!?」

 「まさか。僕は他人に強制して、こういうことをするのは好きじゃないです」

 

 そりゃあ確かにほんの少しだけ暗躍はしたけれど。

 

 「白銀が四宮さんをあんな風に呼んだのは、彼自身の選択で、彼自身の覚悟ですって」

 

 僕が強制したとして、それで「分かった」と彼女を名前で呼ぶほど、白銀御行は愚かじゃない。

 そしてそれ以前の前提として、親友である彼に対して、そんな真似出来るか。

 可能な限り恋愛には誠実でありたいポリシーを曲げるつもりは、ない。

 

 「でも、嬉しかったでしょ?」

 「嬉しかったですけど! ――くぅっ、貴方のことです、どうせ私の練習に関しても一切()()()()()()んでしょう? ……何がある訳でもないですが、正直ちょっとだけ悔しい……!」

 

 吐き出した後、余り慌てていては目立つなと言い聞かせたのか、彼女は平素の笑顔になる。

 そして『わ、私の作戦は続きますからね……!』と言い残して、校舎へと走って行った。

 

 ……例え白銀が再び会長になるとか――あるいは四宮さんが会長になって白銀が副会長になるとか――そうやって役職が与えられても、作戦を中止にする必要はない。

 今回の二人の激突は、白銀が勝った。次回はどっちが勝つのかは、分からない。

 

 「じゃ、僕らも教室行こうか。千花、一緒に付きあってくれてありがと」

 「いえいえー。私も良い表情が見れたので楽しかったです」

 

 勿論、あの内緒の練習を、話してはいない。

 ()()()

 だが僕が呼んだ石上は、『話さないで下さいね』という約束には関わっていない。

 態々あの場で彼を巻き込んだのは――そして「僕から説明する」と言ったのは――いざという時の布石。勿論、彼の勉強を見るという狙いも真剣な物だ。僕も千花も成績に関しては目敏く見られている身だし。

 「片方を利用」ではなく「両取り」を狙ったという形が正しい。

 

 石上に事情を話し、それを白銀に伝える。

 こっそりと会議室の近くまで外を経由してやってきた白銀は、石上に連絡を入れる。

 確認した上で、ほんの僅かだけ窓を開ける。

 窓の下、死角に隠れたまま、四宮かぐやの練習を聞く。

 

 聞くだけだ。奮戦を聞いて、それからどうするかは、彼自身の意志に全て左右される。

 聞かなかった振りをしても良いし。

 同じように練習をしたいと僕らを誘っても良い。

 今回は『四宮かぐやを名前で呼ぶ』という結果になっただけだ。

 そうなってくれるのが一番嬉しい、とは思っていたが、本当にそうなったのは偶然である。

 僕が介入する余地はない。余地を入れたくなんかない。

 

 「いーちゃんいーちゃん、私、今回のやり取りをずっと見てて思ったんですけど」

 「どうぞ。何か?」

 

 上手くいってよかったなあ、と安心していると。

 千花が提案をしてきた。

 

 「いーちゃんも私を、学校でも“ちーちゃん”呼びするのはどうです?」

 

 いや、千花も僕を「調さん」呼びだったじゃないか。

 最近は吹っ切れてるけど。

 流石にずっと“ちーちゃん”呼びが出来るほど、僕は常時ハイテンションではないぞ。

 そういうのは大事な時で良いのだ。

 二人だけの時とか。寝台の中とか。

 だから僕は笑顔で断って、最後に付け加える。

 

 「僕は今のままで十分、特別だと思ってるけど?」

 「……それもそーですね?」

 

 僕らは僕らで、好きなように名前を呼ぶだけだ。今までもこれからも。

 我らが親友二人に張り合う必要なんかない。

 

 何か、僕らが望むとするならば。

 あの二人の練習と努力を、これからも皆が応援してくれる、それだけだ。

 

 ◆

 

 これから暫くの後。

 生徒会選挙に立候補した、さる一年女子(伊井野ミコ)が唱えたマニフェスト(風紀取り締まり)に対して。

 岩傘調が、笑顔で『絶対阻止する』と決意したのは、言うまでもない。




生徒会選挙も間近。
このままだと主人公の助力があって、原作以上にイージーモードになってしまいます。
何とかミコちゃんの魅力を輝かせてあげたいですね。
ではまた次回。気長に次をお待ちください。


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岩傘調は覗かせたい

祝、アニメ二期放送開始(本当は先週の土曜日にあげたかった)!


秀知院の生徒は「63話 モテたい」で皆が冬服になってます。
そして「60話 呼びたくない」で石上が『来週からまた冬服ですけどね』のセリフがあります。
恐らく10月1日から冬服に衣替えとなるのでしょう。
2016年のこの日は土曜日なので、冬服での初登校は10月3日月曜日。これが「63話」。
石上の台詞から逆算して一週間前なので「60話」は9月26日から9月30日の間です。

また「61話 告ら“れ”たい」で「解散から三日間特に何もなかった」と話しています。
加えて「62話 描きたい」ではまだ皆夏服で授業を受けていますね。
つまり――。

9月26日(月):60話。皆で打ち上げ。その日に白銀が再度の生徒会選挙への申し込み票を出す。
9月27日~  :特に何もなかった。
9月29日(木):61話。三日目。白銀、かぐやへ生徒会の応援演説をお願いする。
9月30日(金):62話。美術の時間。
10月3日(月):63話。この日から冬服。
凡そこんな流れなのでしょう。


ということで、波乱の生徒会選挙篇、スタートです。
惚気っぷりは少なくても、恋愛強者としての作戦は沢山じゃ。


 さて、9月も末。来週からは10月になるという、秋も始まるという日。

 何時もの教室、何時もの椅子の上。そして千花は僕の膝の上。平常運転である。

 周囲が『羨ましい』と告げているが気にしない。

 

 ちょっと体重が増えてる気がする千花を載せながら、白銀と生徒会『選挙』の話をする。

 大雑把なスケジュールと、当選までの要点を纏めた紙に、チェックを入れていく。

 既に出願書類は提出したという。

 であればここからは、作戦会議だ。

 千花は僕の膝の上で、机に身を乗り出して白銀に説明をする。

 

 「ポイントは、純院の生徒を如何に取り込むかという部分。そして異論を封殺できる人が良いでしょう。御行君の再選を快く思わない人はそこそこ居ますからね」

 「純院、混院に関係なく、生徒会の席はステータスだしな。……生徒会長の特権もあるだろ? 二回連続で会長をやるとなると、異論はなくても難色を示す人は居るよ。アイツ独占しやがって、という気持ちは抱くだろうね。どうしても」

 「はい、なのでここは、このわた――むぎゅう」

 「千花の寝言は無視して、やっぱここは四宮さんが良いと思うな」

 「ナチュラルに膝の上に載ってることは無視して言うぞ。……やはりか」

 

 途中から寝言が聞こえたので黙らせた。

 たわわな胸を張って、自信満々に自分が応援演説を引き受けますよーとか言っていた千花の口に手を回す。背中から口元にすすっと。もがもがとじたばたするが、ちょっと落ち着きなさい。

 ふむ、抱き具合が前より向上している。

 胸部装甲も……前より育ってないか? ……僕が育てたからか?

 膝の上の臀部も前より柔軟性がある気がする。脂肪も増えたようだ。悪くない。

 

 ……いやいや、話を戻そう。千花が持つ政治家の才能を疑うつもりはない。演説の力はある。特に男子と下級生からの人気も高い。確かに白銀のサポーターとしては優秀だ。

 更に言えば僕だってそれなりの能力はある。千花とは管轄が違っているが、その範囲内では――千花の影響力が及ばない生徒らへの影響はそこそこだと思う。

 部活連の秀知院VIP生徒へのコネを始め、マスメディア部ら情報系は抑えているし、学園裏サイトや掲示板、SNSは僕が目を通している(個人情報の抜き出しや私的利用こそやっていないが、割と法律ギリギリを攻めているかもしれない)。

 それらを駆使すれば――千花と僕だけで、勝つには勝てるだろう。

 だが、此処に限って言えば四宮かぐやが最適だ。白銀との相性という物がある。

 

 学業を奨励する秀知院では、生徒会や部活動を率先して行う生徒に、特権が与えられる。

 生徒会長ともなればその労苦に見合うだけの特権――海外一流大学への推薦などが与えられる。

 外部入学生で、実家が名家という訳でもない白銀にとっては、社会ヒエラルキーを一気に駆け上がるプラチナチケットと言えるだろう。

 逆に言えば、そのチケットを渡さないと釣り合わない程の重圧やら仕事がある。

 誰でも知ってる会社や権威を親に持つ子供らの相手をするのだ。生半可ではない。

 しかも「生徒会活動で成績が落ちました」となったら本末転倒。バッシングは避けられない。

 

 ……だから白銀への『また生徒会長をやるのか』という文句は、実に身勝手な――文句だけは誰でも言えるという立場からの発言だともいえる。遠くから出る意見は何時だって自分勝手だ。

 だが、そういう声だけは大きく聞こえて、しかも広がりやすい。

 

 出来る限りきちんとした対策をしないといけない。

 純院出身の生徒会長ですら、過去には実際、退陣に追い込まれたこともあると聞いた。

 『広報』という微妙な役職の僕でも相当忙しかったのに、白銀は会長。生徒会の仕事のみならず、成績一位の維持に、アルバイト。

 はっきり言えばスケジュールの密度が濃すぎる。

 ワーカーホリック……というか、絶えず走ってないと倒れてしまうタイプというか……。強迫観念が混ざってる気もするが……。

 まあ、それは良い。良くないが別の問題だ。今ここでは指摘するまい。

 

 で、白銀がそんな激務をもう1回やる意思を固めるとは。

 ……果て一体何があったのか気になるところだ。

 

 (……それを聴くのは野暮だな)

 

 男の子が本気になる理由なんて、女の子のためって理由で十分すぎる。

 打ち上げ会で『もうやりたくない』と言っていたのを翻したのだから、推して知るべし。

 その相手が、四宮さんなことくらい気付けるとも。

 なら此処は、その彼女に頑張ってもらうのが筋だ。

 

 (しかし……多少のハードルをどうするかだなぁ)

 

 懸念事項へと思考を戻す。

 再び生徒会選挙に出馬するとして、問題は『再選出来るか』という部分だ。

 昨年は白銀の大立ち回りがあり、その勢いが重なって支持を集めた。

 勢いで――と言うと表現が悪いが、運が味方をしてくれたことは確かだ。

 

 1年生の頃、風雅な先代会長に、生徒会に勧誘されて――確かその頃は、竜珠桃(りゅうじゅ・もも)が会計をやっていたんだっけな――その後、色々あって出馬となった。

 

 実際、就任直後の熱狂が覚め、冷静になった後は、かなり白銀への影口が目立ったし、執務能力への不安や疑問が湧いていた。四宮さんを勧誘したのも『下心あり』と判断される始末(今思えば強ち、間違ってない気もするが、白銀は四宮家を利用しようと思って勧誘したわけじゃないしセーフだと思う)。

 

 大立ち回りの影響で、先輩方は生徒会で顔を合わせるのを嫌っていた始末。

 僕らはその先輩方と、殆ど顔を合わせないまま解散してしまった。

 

 陰口は、一年間の仕事ぶりと、白銀自身の人望(と僕や千花の暗躍)と結果で黙らせた。

 しかし今でも燻っていることは知っている。目立たないだけで雑草のように根を張っている。

 再度の生徒会選挙となれば、その不平不満も、やっぱり同じように再度、噴出するのである。

 

 『また白銀に任せて良いのだろうか?』

 

 そういう不安は『今度も白銀で大丈夫だろう』という楽観的な意見を駆逐する。

 人間の心理とはそういう物だ。ポジティブな要素が幾らあっても、ネガティブ要素を消し去ることは出来ない。

 それを黙らせるためには、作戦が必要だ。

 色々と手を変え品を変えして、支持率を上げねばならない。

 その方法の1つが、応援演説という訳だが……それだけじゃあ足りないな、うん。

 

 「……他のクラスに顔を出すのって恥ずかしいんだよな」

 

 白銀、僕、千花は同じ2年B組。四宮さんと早坂愛は隣の2A。

 

 「千花使って四宮さん呼び出すかい?」

 「いや。……これは、俺が自分で行かないとダメだと思う」

 

 ま、白銀ならそう言うよな。

 そこで自分で行く、自分で誘うと決められるのが、白銀の長所だ。

 

 「あのですね、さっきから私の扱い酷くないです!?」

 「落ち着け千花」

 

 そこでようやっと、僕の掌から抜け出た千花が息を荒げて吠えた。

 

 「御行くんの演説に立候補したらダメとか、かぐやさんを呼び出すのに使うかとか!」

 「確かにそう言ったが、それは千花の扱いが雑という話じゃない」

 「じゃーどういう意味ですー!? いーちゃんと言えども! 納得のいく説明をしないと怒りますよふしゃー!」

 

 警戒した猫が尾と毛並みを逆立てるような態度で僕と白銀を睨んでいる。可愛い。

 そう言えばこの前、猫模様の穴が空いた上下の下着セットを見たが、千花は猫が似合うね。

 白銀が『お前の仕事だろ』と目で言ってきたので、素直に宥めることにした。

 

 「千花と一番相性が良いのは僕だろ?」

 「………」

 

 しゅうしゅうしゅう、と湯気が立ち上る音が聞こえたと思ったら、大人しくなった。

 白銀と四宮さんの相性が一番良いという話と、僕と千花の相性が一番良いという話。

 これは同じレベルの話題である。……変な言い方だが、言いたいことは伝わったはずだ。

 千花は理解したところで、興奮が冷めたのか――そしてちょっと照れ臭くなったようで。

 

 「そうですね!」

 

 と恥じらいをかき消すように、真面目に頷くのだった。

 やっぱ可愛いな、僕の嫁は!

 

 ◆

 

 今頃、白銀は2Aに足を運んで、演説のお願いをしている頃だろうか。

 昼休み中。仲良くお弁当を食べた僕らはコンピュータルームに居る。

 

 「いーちゃん何してるんですー? ネットサーフィン、ではないですよねー?」

 「……情報収集かなぁ」

 

 さて、前から触れていた話をしよう。

 秀知院学院にも、一般の学校と同じで、SNSや裏掲示板という物が存在する。

 先生方も存在は知っていて、子供の遊びということで見逃している。

 大炎上しない様に見張っている程度だ。

 生徒会における広報の仕事とは、各種イベントの手配や連絡、書類の印刷、データを弄ったり確認したりして、それを他の人に正しく渡す業務。

 要するに『コネを作ってコネを使え』だ。

 その僕が、この裏サイトを無視することはない。

 

 厳密に、電脳掲示板やSNSの管理全てが僕の仕事……という訳ではない。

 僕のPC操作やプログラミングの技量は、その辺の高校生レベルでしかない。

 秀知院にちょっかいを出す奴が、僕のスキルで対処を出来る筈もなく……ちゃんとハッキング対策やアカウント対策に、その道のプロが複数常駐して、管理を行っている。

 

 では僕はというと、その運営に渡りを付け、転がってる情報を回収していたりする。

 「生徒会の一員として、やっておいた方が良いよな」と手配して、席を手に入れたのだ。

 

 歩いてる生徒の99%が社会的『勝ち組』と一般的に言われている家の出だ。

 必然、市井の中では出ない爆弾情報なんかも転がっている。うっかり書き込まれたりもする。

 高度な情報化社会の中に在って、それらが生徒や生徒会、もっといえば秀知院そのものに多大な害を与えない様に見張るのも大事なのだ。

 ……上手に使えば利用できるからな!

 そもそも学院内にだって、潜在的な敵が居るからな! 怖いからな!

 

 「生徒会選挙に向けて、ちょっとばかり裏工作をね」

 「悪だくみですか。……いーちゃんて、こう……四天王の一角感ありますよね。眼鏡をくいってする系」

 

 頬をつんつんとつつかれる。

 殆ど肩が触れる距離で、1つのPC画面を並んで眺めている図だ。

 失礼な。僕は其処までデータ系人間ではないぞ。

 作戦立案と実行力では四宮さんの方が上だし、成功率で言えば千花の方が上だ。

 

 「人間的な魅力では千花に負ける」

 「まあ否定はしません! ……にへへー、褒めて良いですよ?」

 「おう。千花ちゃんは優秀だ。とても可愛いし良いお母さんになるよ。僕は幸せ」

 「やだもー本当のコトを言わないで下さいよー! ……ま、でもいーちゃんは、そんな私や、かぐやさんや石上君を上手に『巻き込め』ます。関わる切っ掛けを作れる。つまり盤外戦術が得意じゃないですか。今だってこれ……」

 「あ、内容はトップシークレットね」」

 「分かってますよー」

 

 すすっと耳元で、聞こえないくらいに近寄り、囁く。

 

 「御行君への悪口、BANしてますよね」

 「いやいや、僕はただ見るに堪えない雑言を()()()()()消しているだけだよ」

 

 物は言いようだな。

 だがネガティブキャンペーンを行わせるほど僕は善良ではないんだ。

 目には目を。歯には歯を。余計な裏工作には、裏工作を。真正面から喧嘩を売らせて、それを更に強い勢いで粉砕する……。こっちの戦力を過剰なまでに整え、向こうを徹底的に倒せば、敵対者は減るだろう。

 

 恐らく四宮さんは、立候補者を減らしに動くだろう。会長を助けるために。

 なら僕は、会長の支持率を『下げない様に(上げるために、ではない。ここ大事)』働こう。

 投票用紙に書かれた記述と結果を改竄するのはアウトでも、白銀以外に投票する奴を先んじて減らすのはセーフだろう。

 

 そんな訳で、僕はノートパソコンを開いていた。

 生徒会室のパソコンが使用できれば良かったのだが、そうもいかない。

 先日の『四宮さんが白銀を名前で呼びたい件』が終わった後、再び厳重に施錠されてしまった。

 流石に二度目は無い。入れないなら入れないのでしょうがない。他の方法を使うだけだ。

 僕は手元の端末を操作する。

 一般流通していない特注品。ハードは軍用の最新型。OSはオリジナル。細かい部分まで全力カスタム(技術開発部作成)を加えた品だ。びっくりするほどのお値段(7桁もする)。

 これでも友情割引済みである。

 

 「まあ、今日の本題はこっちだな」

 

 僕は一通りの閲覧を終えた後、千花を隣に座らせて『これ見てみ』と画面を促す。

 そこにはこう書かれていた。

 

 『秀知院の女子を語るスレ Part427』

 

 「……なんです、これ?」

 「書き込み式の掲示板。所謂「ちゃんねる形式」で反応が見れる」

 「ああ、匿名で色々書き込んで読める奴ですか。あんまり精神的に良くないって聞きますけど」

 「それは同意する。千花は見ない方が良い」

 

 人間、名前を隠して発言が出来ると幾らでも悪辣になれるからな。

 正直に言えば僕だってあんまり好きじゃない。書いてある内容に含まれる『毒』がキツイ。

 とはいえ、だからこそ、本音が分かる……ともいえる。

 主語が大きい意見が多いのだけが厄介だがな。

 

 「うんと平たく言うと、高等部の美少女にどうすればアプローチ出来るかとか、誰々が何処で何やっていたとか、思い出を語って自慢したりとかしてる……」

 「生産性が無いですねー。そんなことしないで真正面から行けばいいのに」

 「ま、それは置いておいて。此処だね」

 

 指差した画面の一角には、簡潔に一言。

 

 「……『風紀委員の伊井野ミコが生徒会選挙に申請書を出した』……ですか」

 「これまだ、公には開示されてない情報だね。……同じクラスの誰かが書き込んだな、これは」

 

 伊井野ミコ。

 一学期、白銀の校歌練習に付き合っていた時に、音楽室前で攻防をした娘。

 謹厳実直さと清廉潔白さを塊にしたような彼女は、千花を尊敬し、僕を疎んでいる。

 『あの藤原先輩が岩傘調の魔の手に落ちるのが嫌だ』という……実に……えーと……言葉を選んで肯定的に表現をすれば、千花を尊敬して、周囲を警戒している娘だ。

 噛みつく子犬みたいな後輩である。

 まあ(キーちゃん)に比較すれば全然温厚。僕は全く怖くない。

 

 その情報がずらっと掲示板には書かれていた。

 反応も様々だ。肯定的な意見と否定的な意見では、後者の方が多い。

 

 「……伊井野さんは潔白だからね。こういう場所からの情報漏洩とか、考え付かないタイプだ」

 

 自分が絶対にやらないから、他人もやらないだろう。

 そういう思い込みと頑固さが彼女にはある。付け入る隙は其処にある。

 彼女の行動と評判は、彼女が知らない所で僕の手元に入るのだ。

 

 「こっちから悪い情報戦を仕掛けたりは……しませんよね、いーちゃんなら」

 「そんな真似はしない。伊井野ミコに対する悪口も、白銀に向かう物と同じように対処する。BANするし消すように手配する。でも消す前に、僕が記憶して記録して、備えるのは自由」

 

 繰り返して言うが、僕は伊井野ミコを虐めたい訳ではない。貶めるなんて以ての外だ。

 だが生徒会選挙に出馬してくる以上、僕は全力で白銀を応援し、伊井野ミコと戦う準備をする。

 反則にならない場所で、直接の投票に影響しない場所で、作戦を考えるだけである。

 とりあえず、伊井野ミコのマニフェストを逐一チェックするところからだな。

 先手を打って対処していけば良い。

 

 (唯一懸念があるとすれば……あのアホ毛女が助力することだけど……)

 

 まあアレが助力する時には、僕に宣戦布告を送り付けてくるだろうから良いや。

 

 「四宮さんが他生徒の掌握。千花は先生との交渉や反対意見の調査。石上はプレゼンテーションの準備をする。なら僕は敵を知ろう。……67期生徒会の本気を見せてあげようじゃないか」

 「……いーちゃんの原動力は何なんです?」

 「白銀の応援だよ?」

 「……だけじゃないですよね?」

 

 おっと、見抜かれているらしい。

 気付かれたかーという顔をすると、気付きますよーと返された。

 

 「ん、まあ……単純に、あの場所が好きだからね」

 「私『達』と一緒に何か実行出来るのが良いと」

 

 そうだよ!

 僕は、あの空間が好きで、あの場所が好きなのだ。

 白銀御行と四宮かぐや。二人の恋愛勝負の場。同時に、僕と千花が惚気るための場所。

 生徒会室が無くなったら――無いなら無いで、生徒会発足前みたいにペアで行動すれば良いだけなのだが――やっぱり得たものを手放すのは、ちょっと残念に思うのだ。

 どうせなら二人だけより、五人揃って楽しく過ごしたいだろう!

 

 「僕は千花と友情の為なら、献身と慈愛も、強欲と自己愛も、どっちも引っ張り出す! 悪いとは思わない!」

 

 立ち上がって胸を張る僕の言葉に、千花は『それでこそです!』とハイタッチを返す。

 よし気合入った。待ってろよ生徒会選挙。白銀チームが蹂躙してやるからな……!

 

 「あ、なんか新しい書き込み来てますよ――えっと……『白銀御行が、四宮かぐやを、校舎裏に呼び出した』……?」

 「ほほう」

 

 そう言えば……白銀は、無事に応援演説を頼めたのだろうか?

 推測する。不慣れな隣クラスに顔を出し、四宮さんを呼び出す。当然早坂愛がフォロー。

 時間が欲しいと提案。四宮さん頷く。結果今に至る。

 ……これは頼めていないな?

 なるほど。呼び出したのが誤解を招き、それが広がったか。

 

 ふむ、と横を向くと、目を輝かせる千花だった。

 ラブの香りがしますよ! と何処からか探偵の衣装を着込みパイプを咥えている。

 いやそうはならんだろ。白銀が応援演説をお願いしたいって話は聞いてただろ。

 

 ……忘れた訳じゃないな。

 ……現場に顔出したいだけだ!

 ラブの波動を感知出来るのではないかと興奮してるだけだ!

 

 千花1人を現場に放り込むのは不味い。絶対問題にしかならない。

 こうして僕は放課後、校舎裏に行くことを決めたのだった。

 

 ◆

 

 で、校舎裏に来たわけだが。

 もう生徒の数が、凄い。そこかしこに隠れて――隠れきれていないが――潜んでいる。

 教室の中。二階の窓。草むらの中。遠くから望遠カメラを使ってる生徒まで居る始末。

 完全に二人の告白が行われる、と全員が誤解をしている。

 待機状態の四宮さんまでその気になっている!

 

 この時期、皆、暇だからな! 気持ちは分かるけどさ!

 

 しかし、この中で……生徒会の応援演説をお願いするのは……キツイぞ。

 周囲の誰もがラブコメを期待して、白銀の告白を待っている状況だ。

 応援演説をお願いしたい、と頼むだけで、ブーイングが起きて……白銀の立場が終わりかねん。

 

 僕は千花の暴走を止めには来たが、それ以上、何が出来るだろうか。

 考える。此処にいる全員を対処することは不可能だ。

 生徒会時代ならば権限で一時的に撤収させることが出来ただろうが、今の僕はごく普通の生徒。

 更に言えば、余計なことをして不興を買うのもやめておきたい。白銀の支持率に影響出る。

 下手に騒ぐと、それこそ風紀委員が出てきて――伊井野ミコとのバトルが発生してしまう。

 

 今から場所を移させるか?

 いや……白銀は兎も角、四宮さんは、ここで僕がしゃしゃり出て場所の変更を飲み込むタイプではない。

 むしろこの状況を期待している。彼女は応援演説が動機だとは知らないのだ。

 クラスの女子に背中を押されて白銀を待つ姿は、完全に恋する乙女の仕草。

 

 ……どっかでこういうシチュエーションとかなかったっけな。

 なんかこう本とか漫画とか映画とかで。こういう時の切り抜け方……。

 ……………。

 閃いた。

 僕は急いで携帯から連絡を入れる。

 

 「……(きの)! 紀かれん。ちょっと頼みがある。お礼は後日するからちょっと今すぐ放送室!」

 『いきなりなんですの!? 私も遠目で様子を見ている最ちゅ』

 「詳しいことを話している時間が無い。ただ白銀と四宮さんに関係する問題だ! やって欲しい頼みは単純なんだ。今回の一件をよりロマンチックにしたい。だから急いでくれ」

 『任されましたわっ!』

 

 二人の名前と目的を話したら一瞬で態度が翻った。

 あとはタイミングの指示だな。こっちからのコール音で動いて貰えるように手配する。

 紀が放送室に飛び込み、準備を整えて、僕と打ち合わせが終わったのと――。

 白銀が校舎裏にやって来たのは、ほぼ同じタイミングだった。

 

 ◆

 

 「待たせたな四宮――って何だこの状況!?」

 

 やって来た白銀は、ここでようやっと状況を理解したらしい。

 隣のクラスにまで態々足を運び、放課後に呼び出す――この一連のプロセスが何を意味しているのか。

 それを認識したのだ。

 

 (不味い、不味いぞ、これは俺が四宮に告白をする流れ……! 外堀が埋められてしまっては……)

 

 という顔だ。このままでは自分が日和った男になってしまう、評価が下がってしまうとまで脳内にシミュレート出来たらしい。

 

 (だが、此処で告白をする勇気など無い! ……いっそ最後の最後だけ小声で、内緒話として)

 「応援してるぞ白銀。だから小声で逃げるのとか無しな!」

 「ちょ、いわっ、おま、お前えええええっ!」

 

 何か考えていた白銀の背中を押す。

 小声で二人だけにしか聞こえない会話をする――これはこの場の最適解の一つだ。

 だが僕は、その道を意図的に潰した。

 

 裏切ったのか!? みたいな顔をしている白銀だが、はははまさか。

 僕が裏切るわけないだろう。

 

 白銀を――親友を裏切らないのは当然だが、それ以上に。

 恋愛という物に対して、僕は常に真摯に向き合うべきだと思っていて――その僕自身の在り方を絶対に裏切れない。だから、白銀をここで告白させるなんてことはさせない。

 でも同時に、小声に逃げるのもちょっとな、と思う。

 だってほら……四宮さん、期待してるし。

 ならばこの状態状況で、全員を失望させずに切り抜ける方法を、実行したいと思うのだ。

 

 「まあ白銀。()()()()()()()()()()()。言いたいことがあるんだろう? 大事なんだろう? なら大声でとは言わないが、ちゃんとはっきり言うべきじゃないかな。例えば僕が千花に言うように」

 「お前と比較をされても困る!」

 

 周囲の皆は――白銀に『勇気を出せよ』という先達からの教えにしか見えなかっただろう。

 だが僕の真意は、彼に正しく伝わったらしい。分かったよ、と目が頷いた。

 白銀はやっぱ良い奴だ。そして凄い奴だ。心から思う。

 ここで僕を信じて素直に行動してくれる姿勢がある。すっげえ嬉しい。

 僕の目線を受けて、白銀は、大きく深呼吸をする。

 

 「四宮。俺は。――俺は!!」

 

 一瞬で周囲に静寂が広がった。

 見守る誰もが、息を止め、その次の一言を待ち望む。

 四宮さんですら、その言葉と勢いに「え、まさか此処で本当に!?」という顔をした。

 誰もが期待する、その告白が、白銀の口から放たれ。

 

 

 

 「俺は! ――お前キーンコーンカーンコーンい……!」

 

 

 

 その発言に被さる様に、盛大に学校のチャイムが鳴り響いた。

 誰もが白銀に集中していた分、横やりの効果は絶大だった。

 

 なんて言ったの!? なんて返事するの!? どうなるの!? どうなったの!?

 

 見守ってた生徒らは騒がしい。そんな様子を眺めながら、僕は満足して息を吐いた。

 大音量のチャイムは、僕の合図で紀が流した物だ。

 白銀の言葉に合わせて放送して貰うよう依頼した。

 周囲の皆は騒音に気を取られ、白銀の言葉は殆ど聞こえなかっただろう。

 

 ただ一人の例外は、真正面に居た四宮さんだけ。

 彼女ならば――口の動きで、彼の言葉が分かった筈だ。

 

 『お前に、応援演説を頼みたい』。

 

 無論、四宮さんにしてみれば「そんなことだろうと思いました」と頷ける話だ。

 だが――だが、しかし。

 一方で、こういう主張も出来るのだ。

 

 『――音が大きくて聞こえなかったので、もう1回お願いします』

 『――何を言ったのか改めて教えてくださいませんか』

 

 加えて、気になったからという理由で、白銀の元に()()()()()()になる。

 一方の白銀も、こう主張ができる。

 

 『――あれだけはっきり言ったなら良いだろう!?』

 

 男気を見せたのは間違いがない。白銀への評価が下がる事は無い筈だ。

 そして四宮さんの『何と言ったか』に対しては、それこそ場を改めて、演説をお願いしたいと話せば良いのだ。ここよりももっと静かで、二人きりの場所で――お願いが出来る。

 校舎裏という定番の場所も良いが、もっと浪漫を求めても良い。

 まあつまり、僕なりの応援でもあるのだ。

 

 「でー、ここでかぐやさんと御行君とを見てた生徒の皆は、今後の行動に注目する。必然、投票に有利に働く……いーちゃんが応援していると分かれば、いーちゃんを支持する生徒も御行君に票を入れると」

 「大正解」

 

 話は終わった、騒ぎになる前に逃げましょう、と駆けていく白銀と四宮さん。

 見送った僕の傍らで、名探偵千花は玩具のパイプを片手に名推理を披露してくれた。

 

 「いーちゃん悪党! ワルですよこれはー」

 「別に悪いことはしてない。紀には後でお詫びをしておかないといけないけどね」

 

 マスメディア部への借りは、今まで色々と貸していた分もあるしチャラで良いだろう。

 紀には個人的にちょっとだけ便宜を図る。

 後は突然鳴り響いたチャイムの言い訳だけ準備すれば、それで終わりだ。

 我ながら良い仕事をしたな、と頷いていると、千花が懐かしい物を見る口調で言った。

 

 「思い出しました。いーちゃんが初めて、告白してくれた時のこと」

 「あったねえ、そんなことも」

 「ありましたねえ。……あの二人、どうなるんでしょうねえ」

 「悪いことにはならないし、悪いことになんかさせないさ」

 

 その為にも生徒会室に、もう1回、全員で集まらなければな。

 親友ら二人の恋愛勝負・告白合戦を、一番近い位置で見ることが出来る。

 それも大事な好きな娘と、一緒にだ。

 これ以上に楽しく幸福な景色があるだろうか? ――否である。

 

 「選挙期間も楽しくなりそうだ」

 

 二人並んで逃げていく、第68期生徒会長&副会長(僕の中では確定事項だ)。

 その背中を、指で作ったフレームで囲む。

 良い思い出になりますように、と。




詳細を省くが結果だけを言うと、伊井野ミコは蹂躙されます。
原作勢に加えて主人公がマジモードだから無理もないね!
でも彼女の株を下げるつもりもありません。頑張って欲しいですね。



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岩傘調は飾らせたい

 白銀御行の出席番号ですが、B組と判明しているのは、藤原千花・柏木渚・四条眞妃・田沼翼・豊崎三郎・風祭豪・安西(62話で名字のみ)です。

 名簿順に、主人公まで入れて並べるとこうなりますね。
 安西(3番) → 岩傘調 → 風祭豪 → 柏木渚 → 四条眞妃(12番?) → 白銀御行(13番) → 田沼翼 → 豊崎三郎 → 藤原千花(23番)。

 そして「30話 負けられない」で学年人数が、2年は192人、1年は199人と判明していますね。
 「恋愛戦術」P75には1年F組の田中君が紹介されています。
 1クラス32人が6クラスだと、丁度192人になります。
 2年生もこんな感じなのでしょう。つまり2年A組からF組まであり、合同授業がAとB、CとD、EとFで行われるという感じです。 


 54話 岩傘調は飾りたい

 

 秀知院では、主要五科目以外の教育も充実している。

 例えば、家庭科。外食や飽食が多い学生らの為、かなりしっかりとした指導が行われている。

 本当に『台所に立ったこともありません』という生徒はかなり珍しいにせよ、居るには居る(四宮家とかね……)ため、基礎から応用まで非常にしっかり教育される。

 模試や学内試験での対象でこそないが、通知表にはしっかり記載されるのである。

 

 『生きている魚をそのまま捌くことが出来ない!』

 

 これは我らが生徒会長(前期・次期)の言葉である。

 なんと家庭科、魚を活〆するところから始めるのだ。頭に一発、包丁でドカンとするアレだ。

 生物(なまもの)の命を奪う抵抗があった白銀は、小鹿みたいに震えていた。

 どうしたかって? しょうがないので、千花と僕がつきっきりで指導した。

 僕が応援する中、千花は躊躇なく魚の眉間に刃をぶすり。そのまま三枚におろしてしまった。

 花嫁修業の成果である。僕は幸せだ。

 慣れた手で懇切丁寧に指導される白金は、宛ら手のかかる息子。何時だったか音楽の指導をした際に感じた『僕と千花が夫婦で白銀が息子』イメージが再び頭に浮かんだくらいである。

 ……まあ白銀以外にも、活〆がダメだった生徒は多かったらしく、切り身からの調理になってしまったのだがね。

 

 さて、主要科目以外で、家庭科以外の話。

 国語・数学Ⅰ/Ⅱ/Ⅲ/ABC・理科(物理/地学/科学/生物)・社会(日本史/世界史/地理)・英語。

 これ以外には、保健体育、家庭科、選択授業がある(希望者は第二外国語等も受けられる)。

 選択授業は「美術」「情報」「書道」「音楽」の四科目。1教科につき2回まで選択可能。

 

 当然、僕は千花と常に同じ授業だ。1年生の時は千花と同じ「書道」。

 2年生の前半は「音楽」。

 

 なんか結果的に四宮さんや早坂とも一緒だったが、これは偶然だ。

 で、2年生の後半……現在は「美術」を選んでる。

 これに関して、生徒会の解散前に……面倒くさい――もとい既に日常風景となった、相変わらずの恋愛(ポンコツ)頭脳戦が繰り広げられたのだが、結果として白銀と四宮さんは同じ授業を選択出来た。

 つまり「美術」の時間、2年生の生徒会メンバーは勢揃いすることになったのだ。

 そして現在は――第1回目の授業が終わった、直後である。

 

 「ぐぬぬぬぬ、技量が! 足らない!」

 

 イーゼル台の上に置かれた画用紙を前に、僕は嘆く。

 周囲で片付けしていた皆が『お、おう、そうか』という顔をしている。

 今日の授業は、名簿が近い面々での互いの似顔絵描きだった。

 僕の相手は顔馴染み(だが会話は殆どしたことがない)なA組の男子。彼との授業は何の問題もなく終わらせた。今やっているのは、言うなれば自習もとい自主練である。

 

 授業が6限目だったのも幸いした。

 眼鏡の女性美術教師は『好きにして良いよ』と許可をくれた。

 そこで僕は千花を誘ったのである。

 

 だってさ、考えても見て欲しい。

 白銀と四宮さんは仲良く向かい合って授業。

 千花は早坂愛と仲良く―― 仲良く、か? あれは? 早坂は笑顔で嫌がってたが ――向かい合って授業。

 そんな中、僕は一人、殆ど見知らぬと言って良い男子と向かい合っての授業である。

 フラストレーションが溜まるじゃん! 色々と我慢した物を発散したくなるじゃん!

 でも悲しいかな! 僕はその情熱を叩きつけられるだけの技量が無い!!

 

 「そんなに悔しがらなくても良いじゃないですかー」

 「いいや、悔しがるね! 白銀の絵とか凄く上手だっただろう!」

 

 ということで少しだけ暇をしていた千花をモデルに、絵を描こうと思ったのだが!

 腕が足らねえ。時間も足らない! くっそ歯痒い!

 少しだけ椅子に座っていた花は、僕の降参ポーズに、立ち上がってやって来て、絵を確認。

 

 「いや普通ですよ。ウチの学院で平均ちょっと上くらいですし、悪くないと思いますけど」

 「……普通じゃ嫌だ!」

 

 それじゃあ不満なのである。

 千花は違うのだ。

 この絵は外見の半分も表現できていない!

 

 本物はもっとふわーっとしてほんのり甘くて、ぽわぽわっという感じがしている。

 更に言えば内面が滲み出ていない。彼女は芯が強い。柔らかく、心は温かさを秘めている。

 しかし同時に、アホさと天然さと計算高さと狡猾さと邪悪さとが絶妙に混ざった乙女心が同居しているのだ。

 その複雑怪奇な心情を理解しているのは僕だというのに。

 僕はそのビジョンを、絵で表現することが出来ない……っ!

 

 「なんか岩傘さんの暴走を見るの久しぶりだなー」

 

 嘆く僕を慰める声が一つ。

 悪魔にして神:柏木渚さんである。

 

 「今日のいーちゃんはちょっとハイなんですよ」

 「ハイとか言うな千花。……柏木さん、僕は至極真剣! 真面目ですからね! それに今はこのパワーを発揮しないとダメなんだ」

 「……その心は?」

 「千花への目線が増えた!」

 

 再び教室の中に溢れる『えぇ……』という声と、納得したようなしてないような柏木さん。

 僕の言葉に、いやんいやんと頬を染めて首を振る千花。

 

 『増えたか? 藤原さんへの視線』

 『いや、フリーな時間が増えた分イチャイチャしてる』

 『この前もランチ一緒にしてた……行きも返りも一緒だ……くっそ妬ましい、パルパルしぃ』

 『俺らの怨みが込められた視線という意味では、睨む時間は増えてるぞ。怨みで釘が打てる』

 『やっぱアイツ1回どっかで暗殺しとかないか? 神社に藁人形持ってさ……』

 

 なんか周囲からの戯言が聞こえるが、僕は無視。

 因みに四宮さんは既に片付けを済ませているが、千花が引き留めているので聞いている姿勢。

 早坂愛は「うーわ」という顔をしている。

 多分千花に描いて貰った絵に対しての感想で、僕への目線ではない。……ない筈だ!多分!

 

 「まあ聞いて。生徒会が終わって、僕ら旧役員は前よりも時間が余っている」

 「……そうですね?」

 「同学年の皆は良い。でも露出が少なかった分、触れる機会が少なかった下級生や後輩の目線が強い!」

 

 先輩ら3年生と、2年生の皆は、もう大体僕と千花のことを理解している。

 だが下級生となるとそうはいかない。千花は人気がある。人気があるだけなら良いが。

 

 「不埒な目線が増えるのが気に食わない? と」

 「……不埒な目線で見るのは良いが、僕が居ることを知らないのは気に食わない」

 「やだもー嫉妬深いんですからー」

 

 柏木さんの合いの手に応える。

 千花は美人だ。そして将来の嫁もとい恋人が美人で人気があることは、彼氏にとっては鼻が高い。

 加えて浮気や離縁の可能性もない。男子が幾ら集っても、千花は僕の傍から消えないだろうと信頼をしている。……まあ何か理由があって少し遊びに付き合うくらいはあるかもしれないが、それだって僕に相談してからやるだろう。身持ちは物凄い固いと知っているし。

 

 「人気があっても良いし、憧れるのも良い。でも僕が今居る場所に、他の男が座れると思わないで欲しい」

 「なるほど、それでアピールしたいと……」

 「分かってくれて有難う!」

 

 思わず両手を握って感謝しそうになったが、思い止まる。

 いけないいけない。翼君が怒る。

 

 「でも絵を描いてアピールに、なる……?」

 「なる。美術の授業で良い作品を残すと陳列されるからな!」

 「今日の岩傘君は物凄く馬鹿になってるね」

 「ん、何か言った?」

 「いや、なにも。でもじゃあ絵画っていう方法以外を取るべきじゃないかな、写真とか……」

 

 …………それもそうだな!

 ちょっと落ち着くとしよう。

 そういえば先日の応援演説依頼の時、紀にお礼をすると言ってまだやっていなかった。

 マスメディア部に顔を出す口実もあるし、いっそそうしよう。

 そうと決まれば居残りの自主練は止めだ。急いで片付けて向かうとしよう!

 

 「今日はいーちゃんが暴走してるので私はお供しようと思います。それじゃまた明日―」

 「そこで止めない辺りお似合いですよね、やっぱり」

 

 ◆

 

 「全く岩傘さんにも困ったものですね」

 

 藤原千花の手を引いて出ていった元広報を確認した四宮かぐやは、息を吐いた。

 久しぶりにテンションが上がってアホになっているだなんて、同僚として友人として情けない。

 

 「自由な時間が増えた分、露出が増えて、人気が上がる……。そんなことを心配するだなんて」

 

 少し考えれば分かる話だ。

 ちょっと情報が開示され、交流時間が増えた程度で揺らぐ感情なぞ、甘いと言わざるを得ないのではないだろうか?

 

 ――この数日後、白銀御行の目付きが改善されることは明言しておかねばなるまい

 

 「そもそもその程度で揺らぐ気持ちではないでしょうに」

 

 自分に当て嵌めて考える。

 例えば少しだけ会長の雰囲気が変わって人気が出たとする。

 それで自分のスタンスが揺らぐだろうか?

 

 はん、そんなことはありえないわねと四宮かぐやは自信満々に己を肯定した。

 

 ――この数日後、目付きが改善されて人気が出た白銀御行に対して!

 ――反応が劇的に変わってしまうことを伝えておかねばなるまい!

 

 ◆

 

 マスメディア部。

 部活と名前こそ掲げているが、実際は秀知院での報道機関である。

 この学院、狭くヒエラルキーが高い面々で構成される箱庭として、ゴシップは日常茶飯事だ。

 あることないこと並べたてて噂になる事も、割とある。

 まー本当に流れ続ける風聞なんてごく一部で(例えば石上の一件とかだ)、それにしたってある程度の良識と立場を持つ生徒は、己の目で真偽を判断するだけの芯を持っている。

 噂を楽しむのは、その煙の被害に遭わない奴らなのだ。

 そして、そんな噂を出来る限り濾過し駆逐するのが、報道機関の役目である。

 え、報道官である生徒らに問題がある? 手綱握っておけばそんなに怖くないよ?

 

 「お邪魔します。カメラ貸して」

 「……また面倒な人が来たよ」

 

 部室内には、眼鏡をかけた少女だけが居た。

 マスメディア部の部長を務める彼女は、さる新聞社の局長を親に持っており、影響力も中々だ。

 実は『血溜沼』にスカーフを落とし、それを拾った四宮さん&白銀の最初の出会いを作り出すというファインプレーを最初に起こした人物でもある。

 とはいえ。

 部員である紀&巨勢とは良く会話をするが、その部長である彼女との交流は其処まででもない。

 『あ、私は暫く静かにしてまーす』と千花は静かになってくれた。嬉しい気遣いだ。

 

 「嫌そうな顔をしないで欲しい。別に無理難題を言いに来たわけじゃない」

 「……君のその言葉は当てにならない」

 

 彼女は物凄く鬱陶しそうな顔をする。

 無理もない。向こうは嫌でも身構えるだろう。

 なにせ僕の親は、彼女の親の上司。親父経由で、彼女の父の評判も耳にしている。口にしたことは無いが。そりゃ僕と接しにくいに決まっている。

 過去、僕がマスメディア部の部長へと推薦されたことも1回や2回ではない。

 

 それでも断って来た理由は単純だ。

 『マスメディア部を私物化したくない』という矜持に尽きる。

 

 立場には相応の立ち振る舞いが求められる。マスメディア部の部長席に座るならば、僕はそれを私物化する報道は出来ないし、好き勝手な情報操作は出来ない。

 

 (僕が部長になったら千花との関係を報道出来なくなるからな!)

 

 自分の中で、それをやれるだけの身勝手さを持てないのである。

 親へ感謝だ。真摯な教育理念の賜物である(だからこそ広報の座で暗躍しているともいえる)。

 こうして時々顔を出すだけだが、それでも部長さんは嫌そうな顔をする。

 これで本当に部長に就任していたら彼女の表情はずっと沈んだままだろう。それは宜しくない。

 

 「でカメラを何に使うの? 君の横で大人しくしている藤原千花の写真でも撮るの?」

 「大正解」

 「自分の使ってくれない? 君の家なら一眼レフくらいあるでしょうに」

 

 ツッコミは想定の範囲内だった。

 僕はここに来るまでの間に組み立てたプランを口に出す。

 

 「ここは素直に報道部に情報を渡そうかと思ってね」

 

 首を傾げる部長に、僕はまあ外を見なよ、と促した。

 そこには生徒会選挙に向けて、ビラ配りをしている少女の姿が見えている。

 9月30日の18時で選挙への申し込みも終わりだ。以後、投票日までは各自の活動期間に入る。

 眼鏡の少女を伴った、一際に小柄な姿。伊井野ミコはマニフェストを書いたビラを手渡ししているのだ。

 早速の活動開始、とても勤勉でよろしいと思う。

 

 「……彼女がどうしたの?」

 「彼女が何かをするとかした訳じゃない。大事なのはこれから白銀勢力が何をするかだ」

 

 首を傾げた彼女に、僕は続ける。

 

 「白銀の生徒会選挙への応援ポスターを僕が作る。その際に報道部のカメラを使わせて貰う」

 

 そしてそのポスターに、僕と千花の仲が良い写真を掲載するのだ。

 自分で言うのもなんだけど思いついた時は『天才じゃないか』と思ったね!

 勿論ラブラブな写真を掲載するつもりはない。

 もっと色々と考えているのだ。

 

 「選挙において重要な要素は三つだ」

 

 1:立候補者本人の情報

 2:政策(マニフェスト)の情報

 3:支援者(サポーター)の情報

 

 白銀御行と言う生徒がどんな人間で、どんな能力を持っているかという情報。

 彼がこれから行う活動がどんな内容かという政策。

 そして最後が、彼を誰が応援しているか、という事実だ。

 

 「1番目は既に皆が知っている。2番目は千花がやるが、どうせマニフェストなんて選挙が終われば皆忘れる。――千花の言葉を借りるなら『黄金の看板より実利を取る』だ」

 

 この3番目に、大きく干渉したい。

 

 「白銀を応援している人物として、四宮さん、千花、僕を()()()()()掲載する。石上が希望するなら石上の名前も載せる。それ以外で『個人的』に助力してくれる人が居るならばその人らもだ」

 

 まあ石上は自分の名前を載せて下さい、とは言ってこないタイプだろう。

 僕ら三人以外で言えば、柏木さんとか四条眞妃とか龍珠桃あたりだろうか。

 表立って応援出来ない生徒もいるだろうが、彼女らが付いて居ると暗に伝えられるだけでも十分過ぎる。

 

 「この情報は、既に白銀を応援している人にはあまり効果が無い。効果があるのは、前回の投票に居なかった1年生だ」

 

 ここで千花や僕の存在が鍵となる。

 人間、知っている人間と知らない人間ならば知っている人間を選ぶ。

 知っている人間同士なら、ネームバリューがある方を選ぶ。

 同じ程度の知名度を持つならば、信頼されていて親しまれる方を選ぶのだ。

 

 つまりだ。後輩にもやたら顔が広く人気がある千花の行方を追った1年生は、彼女が白銀を応援していることに辿り着く。そこまで行けばこっちのものだ。

 千花の情報が載っている白銀の選挙ポスターを確認した生徒は、同時に彼女と僕の距離感も把握する。いや、させる。そういう風に作る。

 そういう風に、自然と『あーこの二人実はこういう関係なんだな』と察せるようにポスターを用意する。

 

 「伊井野ミコに対する戦い方としては完璧だろう?」

 

 ビラ配りに対する戦い方だって十分分かっている。

 権力を使って伊井野ミコを貶めるなど以ての外。そういう裏工作は表に出たら一気に信頼を失う(……やるなら四宮さんが勝手にやるだろう。僕は絶対に関与しない。そっちの方が彼女もやりやすいだろうし)

 地道な活動に対して、派手な行動をとっても意味はない。

 努力している人間を応援する人間も多い。

 だから地道さに対して効果的で、且つ『勝ちすぎない』――つまり後から振り返ったら圧勝だったが、伊井野ミコにしてみれば「頑張った」と言える範囲で加減をして殴る――状況を用意して、選挙に持ち込む。

 その為にも伊井野ミコと同じように、配布できるポスターやビラの作成は重要だ。

 

 「そのおまけで、僕は千花との関係を1年生に徹底して伝えられる」

 「私達マスメディア部は、その勝利までの一連の流れを、抑えられる、と」

 「良い提案だろー?」

 

 僕の言葉に、部長さんは『えげつない』という顔をした。

 失礼な。僕の作戦は、伊井野ミコにとっては悪い作戦ではない。彼女には全力を尽くして貰うのだから。

 ただ全力を尽くしても勝ち目がないと教えず、僕らは彼女の上を行くというだけで。

 

 「普通に倒すよりよっぽど(タチ)が悪い。しかも何が怖いって、その行動が白銀の応援になってると同時に、恋人との惚気の為ってのが怖いわ。……生徒会の中でもかなり極悪じゃない、君?」

 「褒め言葉として受け取っておくよ」

 

 僕の言葉に、眼鏡部長はへいへいという顔をした。

 

 「選挙が終わるまでは報道の平等は徹底させるし、余計な忖度もしないわよ。良いわね?」

 「勿論そうして。此処で不正を働いても意味はないからね。情報はきちんと開示する。偏向報道も無し。万が一にでも白銀が選挙で敗北したら、しれっと僕を強請るネタにでもすると良い」

 

 許可が下りたので、遠慮なく倉庫のカメラを借り受ける。

 実家にも一眼レフはあるが、あれは親父の中古品で、フィルム式なのだ。我が家の地下には現像用の暗室(フィルムを定着させる部屋だな)まである。どうやら思い出の品らしいので、気軽に使わせてとは言い難い。

 

 「壊さないでよ」

 「安心して。僕は物持ちが良いんだ」

 「データに変なの残しておかないでよ」

 

 言うまでもない話だ。

 千花の恥ずかしい姿を見て良いのは死ぬまで僕だけである。

 

 ◆

 

 さて気を取り直して!

 

 「ということで写真を撮ります! 待っててくれて有難う!」

 「どういたしまして! はいチーズ!」

 

 カシャリ、という音と共にシャッターを切る。

 そろそろ夕暮れ時。空が橙色に染まっていて、千花もそれに照らされている。

 とても良い。シチュエーションは勿論良いが、被写体の良さが更に磨きをかけている。

 風に長い髪がなびく一瞬。物憂げだったり喜んでいたりする一瞬。どの表情も魅力的だ。だから連続でシャッターを切る。カシャリ、カシャリ、カシャリ。

 

 「……このままだと何だな! 僕ら()()()行くか」

 「らじゃりました! ……へーいそこの人、一緒に写真撮りませんか!」

 

 ただ写真を撮って褒めて照れるだけ! それだけではただのバカップルでしかない。

 大体そんな普通の日常なんて今更過ぎて誰も得しない。

 間違えてはならない。

 僕らは他人を巻き込むのが好きなのだ。二人だけで完結する世界は退屈なのだ。

 僕と千花は集団を構成する最小要素であって、最大要素に制限はない。

 

 「え、なんですいきなり! ……え、いえ、良い、です、けど」

 

 ぐいっと一瞬で距離を詰めた千花は、通りすがりの1年生を捕まえて写真撮影に引っ張り込む。

 千花の笑顔とコミュニケーションパワーに勝てる生徒は中々存在しない。

 

 「あの、いきなり、何故?」

 「フィーリングです!」

 

 この千花の発言は素であると言っておこう。

 勢いとノリと雰囲気と感性100%の発言で、裏が無い。

 計画や企みがない善意と本音での行動だから、断り難いというわけだ。

 

 「では写真!」「あいよカシャリ」

 

 うん、そうそう。それでこそ!

 やっぱ隣に誰か別の人が居てこそ千花の魅力は輝く。

 僕との相性が一番であると譲るつもりはないが、魅力と輝きは人それぞれで良いのだ。

 

 「ありがと! ええと……小野寺さんだね! 名前覚えました!」

 

 後輩の1年生の名前を覚え、別れた後、次の生徒に声を掛ける。

 別の子が隣に並ぶと、千花の表情と雰囲気が変わる。相手に合わせて自然に似合う空気を纏う。

 そのままカシャリ。続いてカシャリ。ノリノリで写真を撮り続ける。

 美術室に続いてなんか周囲の目があるけど気にしない!

 

 『くっ……。腹立たしいけど、楽しそうだから許しそうになる!』

 『楽しそうなんじゃない。あの場に入ってこい。ノリノリで一緒に写真撮られて飾られるぞ。楽しい。物凄く認めにくいけど楽しいんだ……畜生……!』

 『あの様子は計算じゃねえんだよなぁ……! 計算じゃないからマジで怒れない……!』

 「うん、面白いことをしているね」

 

 続けていると、声を掛けられた。

 

 「はい、……はい!?」

 

 驚いたとしても、無理はないと思う。

 だけど、まさか此処で会話することになるとは思っていなかった「先輩」だったのだ。

 

 (……! 白銀へのバックに付いて欲しい人を……! この人を、忘れていた!)

 

 「報道部のカメラ……。なるほど、伊井野ミコに対して、そう出るか」

 

 僕ら生徒会メンバーや、VIP生徒よりも、もしかしたら影響力が強いだろう人。

 忘れていたのは、間抜けとしか言いようがない。

 いや、先輩が意図的に関わらない様に存在感を消していたのだろうか。

 僕らは全員、この人の力を借りようと思っていなかった。

 もしも、借りてはいけない、借りられない、と思っていたならば。

 そう意識させられていたならば、その手腕は――。

 

 「聞かせてくれるかな、67期生徒会の「広報」岩傘君。僕はきっと協力してあげられるよ」

 「……此方こそ。こうしてお話が出来て、嬉しく思います――6()6()()()()()()()()

 

 微笑んでいたのは。

 嘗て白銀を生徒会に引っ張り込んだ、華道部の優雅な生徒会長さんだったのだから。

 

 ◆

 

 美術の時間から数日後。

 白銀御行は、寝不足で痛むこめかみを指でグリグリと押しながら教科書を開いていた。

 

 ここ数日、寝不足が解消された己を見る、四宮(想い人)の様子が余りにもあっさりとしていた。

 他の生徒は今まで以上に声を掛けてくれたというのに、だ。

 不安に思い、ならばと選挙の計画を立ててわざと睡眠時間を減らした結果。

 彼女の目線は以前と同じような反応。

 言葉はまるきり正反対という状態で、混乱をすることになったが。

 まあそれでも、彼女の反応が戻ったのは悪いことではない……ない筈だ。

 

 (……選挙か。事前調査から判断するに、俺が勝つと思うが……)

 

 支持率58%。過半数を超えて6割を自分一人で抑えている状態だ。

 これがひっくり返されることは、早々無いだろう。

 

 ――しかし彼のその自信は、数秒の後に粉砕されることとなる。

 

 「白銀! ヤバイぞ! ヤバすぎるニュースだ! 伊井野ミコについて!」

 

 飛び込んできた岩傘調が言うには。

 (尚、当然のように藤原千花と同伴していて、しかも今日は背負っていた。何があったのやら)

 

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()。――大仏こばちと相談するだろうが……多分、あの先輩が、伊井野ミコの応援演説を担うぞ!」

 

 

 白銀の心は疎か、学院全体を震わせる爆弾を破裂させた。




四宮かぐや程ではないが、主人公も割と黒い。
向こうに『絶対に勝てない』と悟らせずに全力を尽くさせるのは悪の所業。
しかも勝てると知った上で徹底的な勝ちを突きつける慢心ゼロ/容赦のなさっぷり。
やはり生徒会は真っ黒! 悪の巣窟……! 全ての諸悪の根源……!

先代会長「君らの計画はちょっと残酷だからフォローするよ(悪い笑顔)」
→ 原作以上に蹂躙されないとは言ってない。頑張れ伊井野ミコ!


因みに先代会長は3年A組。
ギガ子や子安つばめと同じクラスです。原作での再登場に期待。


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四宮雲鷹の過去と未来と

誤字報告、ありがとうございます。
ゆっくりですが適宜ちゃんと直して行こうと思います。

このエピソード、前々から考えていたのですが、どう表現するかと悩んでいました。
そんな時にYJの修学旅行編を呼んで「これだ!」と形になったという経緯があります。

別名:四宮雲鷹の救済ルート。

ではどうぞ。


 大きなベルを鳴らすと、即座に門が開かれた。

 既に日が落ちた窓の外、手入れが行き届いた庭を抜けて、玄関へと足を運ぶ。

 男を歓迎するように、再び扉が開く。

 そしてその奥には、男の妹が、近侍を伴って佇んでいた。

 

 「夜遅くに悪いな。顔を見に来た。一晩滞在する」

 「歓迎いたします、お兄様。――早坂?」

 「既に寝室のご用意は整っております」

 

 己の来訪を、飽くまでも喜ぶ顔をしている。

 だがこれが唯の仮面であり、取り繕っているだけだという事は、男には重々理解できていた。

 彼もまた、目の前の妹:四宮かぐやと同じ生き方を重ねた者。

 己が大兄や兄に対して抱く感情と、そう変わりはないのだ。

 

 「……良い近侍だな、早坂愛は」

 

 中に通され、寝室までを歩く間、話した言葉に、妹が反応する。

 男が足を止めると、優雅に振り向いた四宮かぐやは、仮面の微笑みを向けて促した。

 

 「ええ。私の自慢の従者ですから。彼女が何かありましたか?」

 「いいや。俺は早坂奈央とは顔馴染みだ。だから少し気に留めただけだ」

 「……それは」

 「安心しておけよ、かぐや。俺は早坂を嫌っているが、()()()()()()()()()()()()()

 

 己の澱んだ瞳(自覚はある)を向けると、妹は素面のまま『そうですか』と頷く。

 その頭の中で、どんな計算が働いてるのだろうか。

 自分の裏を探っているのか、近侍を疑っているのか、それとも意外な関係に驚いているのか。

 

 「何があるわけじゃない。昔の話だ」

 

 今晩の寝所へと到着した。扉を開ける。

 ……あの時を思い返すと、今でも心中の気分が悪くなる。

 ……何があったのか、と微かに疑いの目線を向けられた。鼻で笑った。

 

 「お前と同じで、俺は俺の弱みを告白できるほど、神妙な性格はしていない」

 

 だから尋ねても意味はない。

 続けると、妹は肯定も否定もせず、静かに礼を取って引き下がる。

 そう。あの時の事実を話す気など無い。

 

 早坂奈央が、己を裏切った時のことなど。

 その裏切りから発生した、一つの事件のことなど。

 己と、早坂奈央と、関わった1人の女以外、知っている必要が無いことだ。

 

 用意された部屋に備え付けられたバルコニーに出て、夜空を見る。

 あの時も――こんな天気だった。

 

 ◆

 

 それは、一世代昔のこと。

 その時、男は失意の底に居た。

 

 人は人に出会えば変化する生き物だ。

 尤もそれは、決して良いことばかりではない。

 良い出会いに恵まれたのならば、己へと良い影響が出る。その逆も然りだ。

 

 例えば、己の近侍が、ずっと己を裏切っていたと知ったら。

 例えば、その近侍だけは、狭苦しい箱庭の中で己が信を置いていた相手だとしたら。

 それは人間を、暗く染め上げるのに十分過ぎる出来事だ。

 人間の心が最も傷を負うのは、同じ人間による攻撃に他ならない。

 

 誰も居ない、夜中の秀知院校舎。

 瞳に澱んだ光を湛えた男は、屋上で息を吐く。

 空は晴れて、月は満ちていたが、男の心を震わせることは出来ない。

 預言者ノストラダムスの天災が来るのも近く、世紀末は更にもう少し先。平成という元号に変わって幾ばくかの時。今日も秀知院は、過去と変わらずに佇んでいる。

 その中に、幾つもの人間が生む闇を抱え込んで。

 

 ――所詮、俺も家からすればただの駒か。俺もアイツも、どうしようもないらしい。

 

 男は息を吐いた。

 どろり、とした内面を反映したような大きな溜息だった。

 裏切られた感覚は、想像以上に己を傷付けているらしい。

 

 ――他人には見せられない姿だな。

 ――明日からは、俺も全てを切り替えて、元通りに振舞えば良い。

 ――信じられないまま、か。はははは、本当に腐ってるな、俺も。

 

 どうしようもない血への唾棄と失望、そして自嘲を混ぜながら、男は笑った。

 

 「何を屋上で黄昏ているんだ君は。その笑顔が似合っていないぞ、っと!」

 

 笑いに返事をするように。

 施錠をしてあった筈の、秀知院の屋上扉が、吹っ飛ばされた。

 けたたましい音と同時に聞こえるのは、快活な女性の声だ。

 陰鬱な空気全てを吹き飛ばすような風だった。

 

 「夜分遅くにこんばんは。良い夜だね。気分はどう?」

 

 吹っ飛ばされた扉が、屋上の隅にまで飛んで行く。

 進行方向に誰も居なかったから良いものの、下手をすれば自分は潰れていた。

 大惨事を引き起こした女性は、いそいそと自分で扉を回収し、元の形へと戻す。

 そうして改めて、男の隣に並んだ。

 

 「気分はどう?」

 「ふん、最悪以外の言葉は浮かばない」

 「それは残念だな。この私が様子を見にきてあげたんだけどな」

 

 やって来た女は、美人だった。

 人々が想像する『格好良い、細くスタイリッシュな美女』と形にしたような存在。

 社交界で多くの美女を見ている彼でも、はっきりと『別格に美しい』と判断する魅力があった。

 目鼻立ちが整っているだけではない。ただ、その瞳に浮かぶ生命力が、余りにも強かった。

 スタイルも決して豊満ではなく――むしろ痩せて起伏は少ないが――野生の獣を彷彿させる機能美に溢れている。そこに佇んでいるだけで周囲の目を引き付ける『存在感』があった。

 

 彼女はナーバスな男の空気を読まず(意図的に無視して)隣に並ぶ。

 男の深刻な空気も、苛立ちも、不平不満も、全て理解した上で平然と笑顔を浮かべていた。

 

 彼女は、男の先輩に当たる。

 この学院では珍しい『混院』だが、実力と手腕、何よりも性格で、他生徒を魅了した。

 嘲笑や侮蔑には同じように笑顔で向き合い、時にはやや強引な手段を使ってでも己の価値を認めさせた。

 今ではすっかり学院の人気者だ。

 そして彼女は、男にもちょっかいを掛けた。

 殆どの人間が打算と遠慮を以て接する中、彼女はそうはしなかった。

 『勝手に作られた距離や壁なぞ知ったことじゃない』と蹴り飛ばした。

 本来は家柄的に、逆立ちしても叶わないだけの身分の差があるというのに―― 一歩間違えれば手を回され社会的な死を招く可能性すらあるというのに、それを微塵も恐れずに、接していた。

 

 「まー今の君じゃあ、私を信じろというのも無理だろう。だが私は、周囲の知り合いが辛気臭い顔をしているのに我慢がならないタイプでね……。ちょっと付き合うといい。その最悪な気分を変えに行こう」

 

 気分転換という奴だ、と彼女は男を誘う。

 

 「……お前は、俺が誰だか分っているのか?」

 「後輩。それ以外になんか要る? 私は先輩で、生徒会の役職的にも私が上だよ」

 

 ばっさりと切り捨てた女性だった。

 唯でさえ……気分が沈み、孤独を感じ、周囲へと負のオーラを撒いていた最中だ。

 余りにも確固たる『私は私の好きなようにやる』という発言に、男に抗う力は残っていない。

 

 「ちょっとばかり酷い目にあうが、真正面から受け取る事だ」

 「待て。俺をどこに連れて行く気だ!?」

 

 男の――四宮雲鷹の言葉に、何を馬鹿なことを、と返される。

 

 「早坂奈央の元に決まってるじゃないか」

 

 当たり前のように、(あき)という名前の彼女は告げたのだ。

 

 ◆

 

 その時自分は、確か……「ふざけるな」と言った。

 早坂奈央。雲鷹を裏切った女。

 親しいと思っていたのは彼だけで、本来の彼女は、身内から送り込まれた鼠だった。

 

 「知ってる。さっき知った」

 

 痛くない程度に強引に引っ張る彼女の腕を、振りほどくことが出来なかった。

 心底に嫌がっている雲鷹だったが、彼女の掴み方はどんな技を使っているのか、抵抗も出来ないまま引き摺られていく。

 護衛の男らが立ち塞がったが、無造作な『ちょっと邪魔』の蹴り一撃で沈んでしまう。

 

 「怒ってるのは分かるけどねえ、でもこのまま放置して別れるのが一番ダメージ大きいよ」

 「貴様――!」

 「おや、私を貴様とはよっぽどだな、四宮君」

 

 ふざけるな、と続けて言葉が出る。

 屋上で吐き出した筈の、心の中の憤懣が、形となって。

 

 「ふざけるな! この手を放せ……! 俺はあの女と会うのは二度と御免だ! あんな女を! 薄汚い鼠を! 全てに嘘を吐いて居た人形と! 今更――」

 「近づくのも嫌だと」

 「分かったような口を聞くな!」

 「分かっていないよ?」

 

 思わず出た大声に、女性は、刹那、真面目な顔で返した。

 足を止め、拒否する雲鷹を真正面から睨み、その眼光で思わず動きを射竦めさせる。

 高校生とはいえ四宮家で育ってきた男だ。三男とはいえ修羅場の数はそれなりに多い。

 だが、その彼の動きすら止める威嚇が叩きつけられ――彼が黙った後、彼女はゆっくり続けた。

 

 「君の気持ちは私には分からない。君の気持ちは、君にしか分からない」

 

 だけど、と彼女は続ける。

 

 「だけど、君が屋上でぶつくさ呟いていたのは聴いていたし、奈央の表情が曇ってたのも知ってるんだ。……ならウジウジしてないで会話をしろよと思うのは間違いかな?」

 「――――っ!」

 

 間違ってはいないのかもしれない。

 だが実行できる強さを持った人間が、どれ程居るというのだ?

 

 率直な目線は、余りにも――四宮という家に染まった雲鷹には、余りにも眩しく見えた。

 そんなことが言えるのは、幸福な人生を送っている奴だけだ。

 富と権力はあっても、世間一般の「幸せ」からは遠い四宮家では味わえない物だ。

 何も知らない奴の戯言だと、彼女以外が言ったのならば切り捨てていただろう。

 ……彼女が言ったから、雲鷹はそこで、言葉を飲み込まざるを得なかった。

 

 「文句の続きは奈央と会話をした上で私に言いなよ。ほれ」

 

 投げ渡されたのは、ヘルメットだった。

 気付けば秀知院の門扉まで出ていて、何時もは生徒で賑わう通行口のど真ん中に、単車が置いてある。大型の、免許を取得できるのかも怪しい、二輪車だ。

 その後部座席に乗れ、という事らしい。

 

 「私の基準で安全運転だから、振り落とされないように」

 

 スタイリッシュに跨った彼女は、良いから腰掴んでろと雲鷹に告げる。

 有無を言わさないその態度は――今に始まったことでは無かった。彼女は、今日に限らず、雲鷹を構い、弄り、時には手伝わせた。他人の壁を容易く壊し、敬遠されがちだった彼を『平和な学校生活』に引き摺りこんだ。……断れなかった。そのルーティーンは、今でも消えないままだった。

 ハンドルを握り、エンジンを回す。

 猛烈な馬力を持った大型車が吼える中、彼女は不敵な顔をする。

 

 「そんじゃあ大馬鹿二人を会話させに、行くとするかな!」

 

 彼女の言葉では、どうやら早坂奈央は既に東京を離れたらしい。

 数時間前に己に別れを告げて、素早いことだ。予め撤退する用意を済ませていたということか。

 新幹線や公共交通機関では、直ぐに追跡される。

 移動方法は、四宮家が手配した専門の自動車だろうと彼女は告げた。

 

 「奈央には発信機を付けてある。本当はGPSを持たせたかったんだけど小型化とノウハウがまだ手元に無いからね」

 

 四宮家とはいえ、つい数年前アメリカで実用化されたGPSを入手・運用するのは難しい。

 SAが米国政府に解禁されていない今、それを使うよりかは発信機の方が楽だと彼女は笑う。

 大雑把な東京の地図と主要高速道路と、相手までの距離が分かれば、追跡くらいは容易い――しれっと化け物染みた能力を告白し、彼女はクラッチに足を掛けた。

 

 「交通法規は守るけど時々無茶するからね。ちょっと失礼」

 

 彼女の腰に回した手が、ロックされる。

 頑丈な手錠で両手首を固定され、更に手錠ががっちりと彼女の身体に結ばれる。

 タンデム使用の座席が動き、落下しないようにと尻部分をホールド。

 何があっても絶対に落下しない様に、と備えられてしまった。

 本来ならばニーグリップが必要な筈だというのに……さては魔改造した品物か。

 

 「美人の先輩と相乗りだ。喜ぶと良い」

 「お前……これが終わったら覚えてろよ。……俺への仕打ち、忘れないからな……!」

 「憎まれ口を叩けるなら上出来だよ」

 

 雲鷹の文句を聞き流し、彼女はバイクを発進させる。

 騒々しく、まるで倦んだ心を吹き飛ばすような音と速度に、彼の心は微かに震えた気がした。

 

 「何言うか決めとくんだね、四宮雲鷹!」

 

 猛烈な勢いで加速する。加速していく。

 まるで疾風のようにバイクを駆る彼女の背中で、雲鷹は必死だった。

 学園前から国道に出て、そのまま西へと突っ走っていく。

 車を追い抜くたびに、左右に動く加重が身体を軋ませ、時には服を車体が掠めていく。

 交通事故で四宮の人間が死んだなんて冗談にもならないというのに!

 道路交通法どころか危険運転、免許偽造、年齢制限まで含めてアウトばっかりじゃねえか!

 

 「風の音で文句は聞こえないんだなー」

 

 彼女はケラケラと楽しく笑ってバイクを加速させる。

 そうして2時間。内心での罵詈雑言が2時間、延々と続いた後、雲鷹は地面に足を付けていた。

 地面に足を付けた瞬間、疲労で倒れこみそうになったが、意地で体を支える。

 そして、目の前に停まっている黒塗りの高級車を見た。

 

 「本来なら高速道路を京都に一直線なんだけどね、タイミングが良いのか悪いのか一部区間が夜間工事で通行止めだ。急ぐ奈央は、国道を通ると分かってたから、少々無茶でも追いつけた」

 

 ヘルメットを脱いだ彼女にとって、今のは準備運動でしかないようだ。

 会話の時間だぜ、と雲鷹を促す。

 

 「まあ私が横から口を出すつもりはないよ。君らの問題だ。だけど、私が言うとするなら」

 

 運転手を綺麗に気絶させた後、彼女はベンチに座った。

 仮に煙草を吸えていたならば、これ以上もなく似合っていただろう。

 

 「()()()()()()()()()()()()()

 

 車の中には、早坂奈央が居る。

 

 ◆

 

 そして時計の針は、現代に戻る。

 

 「俺が……早坂奈央を許せたのか、といえば、答えは『否』だ」

 

 雲鷹は、今でも早坂奈央を許すことは出来ていない。

 自分にとっての裏切り者で、鼠であるという事実を、許すことは出来なかった。

 だが――。

 

 「何時かの日、か。今になって、やっと意味が分かる」

 

 だから関わりの全てを捨てたかといえば、そうではない。

 許せないが、許せないなりに、早坂奈央との関係を断ち切らず、続けることを決めた。

 そしてその恨みを、それ以上に増やさないことを決意した。

 

 早坂奈央を傍に置くことは出来ないが、定期的に連絡し、会話は重ねている。

 そして早坂愛から、早坂奈央というルートを経由して、妹:かぐやの情報も聞いている。

 なんでも最近は楽しく学園生活を送っているらしい。

 

 ……かぐやならば、四宮の家から逃げることが出来るのだろうか。

 ……自分みたいな屑へと堕ち切ることなく、育つことが出来るのだろうか。

 自分には出来なかった、呪縛を断ち切ることが出来るのだろうか。

 

 「……今は、岩傘暁か。……彼女は理解していた」

 

 何処かで必ず、誰かが何かを変えることが出来る。

 雲鷹の態度や早坂奈央への拒絶だけではない。

 今も尚、四宮を牛耳っている父:雁庵の態度や、その行動を。

 自分以上に四宮に染まり、雁庵の後継者と目されている大兄:横光の意志や性根を。

 何時か誰かが正して――真っすぐになれるのだと、信じている。

 

 「全く、俺以上に大馬鹿じゃないか、なあ暁()()

 

 卒業後、岩傘の家に嫁いだ話は聞いた。

 嫁いでも――多分、それで彼女が淑やかになったなんてことは、ない。

 だが、人間を信じる強さは、もっと強くなっているのではないだろうか。

 

 よりにもよって、と思う。

 四宮に対して()()を信じ続けることが出来るなんて、とんだ頭がお花畑としか言いようがない。

 ……事実、結局、雲鷹は屑のままだ。

 四条家への態度は変わらないし、部下に対する傲慢さも潜めてはいない。目は腐ったままだ。

 そんな自分の、何が変わったと言うならば。

 

 「……ふん、妹が腐りきらないように、気遣えるようになったのは成長か?」

 

 あの時の会話が無かったのならば。

 もしかしたら、四宮かぐやに対しても、利用することしか出来ない男だったのかもしれない。

 だがあの時――早坂奈央と会話をして――少しだけ、決意が固まったのだ。

 

 早坂奈央と、早坂愛とを、同じような人間だと見ることはしない、と。

 同様に、己と、四宮かぐやとを同じような人間にすることは、辞めさせておこう、と。

 どこかで負の連鎖が続くなら、せめて1個くらいは断ち切っておこう、と。

 

 一番力が弱い、三男に出来ることなぞ限られている。

 己が、妹に信頼されるような人間だとは微塵も思っていない。

 そういうのは次男の嫁に任せておけば良い。

 だが、四宮に染まった愚妹を――『良いからお前はこっちに来るな』と追い返す手伝いくらいは出来るだろう。

 

 雲鷹には、出来なかった。

 腐敗と利益と権力に溢れた、薄汚い家の『呪い』から逃れることも、それを解除することも。

 だが……。そう、()()だ。

 自分以外の誰かが同じことをするならば、それに手を貸すことは出来るのでは、ないだろうか。

 

 岩傘暁ならばそう言うだろう。

 雲鷹に「やってみたらどうだ」と彼女はあの時言ったのだ。

 その一言は、早坂奈央との決定的な別れを阻止させた。

 

 ……ならば、何時かで良い。

 ほんの少しだけ未来に希望を持っても、悪くない――そう思うのだ。

 

 ◆

 

 「邪魔をしたな。――お前が本家に要求していた資料だ。せっかくだから俺が持ってきた」

 

 翌日の早朝。学院に向かう支度を整え、朝食の席に座っているかぐやに、封書を渡す。

 

 『岩傘暁の現在地に付いて』

 四宮家シークレットサービスを以てしても痕跡を探るのがやっとの、一人の女の資料。

 四条家の妨害もあって、海外での追跡は困難だ。

 だが彼女の足取りを追い、探すことが――雲鷹自身の中で、小さくとも確実な『楽しみ』になっていることは否定できない。

 妹の同級生に、あの破天荒で型破りで、余りにも強かった彼女の息子が、居るらしい。

 

 (……勿体無いことを、したのかもしれないな、俺は)

 

 雲鷹は、今なおも独身だ。妻を娶る予定は、今のところはない。

 声を掛ける女は多いし、政略的に探すならば数日で婚姻まで漕ぎつけられるだろう。

 

 仮に自分が希望する好みの女を上げるならば、彼女は……いい具合だった。

 

 (――彼女が己の手元に居ないことは、残念だが)

 

 だがまあ、それで良いのではないか、とも思う。

 自分では彼女を制御することも、彼女の強さを生かすことも、彼女の魅力を引き出すことも出来ないのだから。

 

 「本家に戻る。父上や兄貴らに言伝があるならば聞いておく」

 

 雲鷹の提案に、かぐやは『お気遣いありがとうございます』とだけ返した。

 内心では『余計な言質を取らせるつもりはありません』と考えているのだろう。

 まあ、そう思うだろうさ。

 今のは珍しく、ただの本当の親切心だったのだが。

 理解されないことも、分かっていた。

 

 「そうか。――じゃあ、最後に一言だけ、世話を焼いてやる。余計な話だろうが」

 

 雲鷹は立ち上がった。

 手配された、京都行きの送迎車へ乗り込む直前に、言い残す。

 

 

 「早坂愛を信じて、大事にしてやれよ。――俺には、それが出来なかったんだ」

 「「……!?」」

 

 

 雲鷹は気付かない。

 その一瞬、その助言を渡した時、自分がどんな顔をしていたのか。

 まるで憑き物が落ちたかのような、穏やかで優しい顔をしていたことに、気付かない。

 既に消えた筈の、家の闇に呑まれた筈の、『兄』としての素顔が顕れたことに。

 四宮かぐやと早坂愛が、呆気に取られて、言葉を受け取ったことに。

 

 二人の反応を見ることもなく、雲鷹は車に乗り込んだ。

 既に待機していた眼鏡の部下に、この後の予定を聴き、車を走らせる。

 向かう先は京都の本家だ。――彼もやるべきことは山積みで、それに終わりはない。

 

 

 四宮雲鷹の、ほんの少しだけ救われた心。

 それがどんな影響を齎すのか、まだ誰も知らない。

 今は、まだ。




 四宮雲鷹(しのみや・うんよう)
 四宮家の三男。早坂愛の母:奈央とは、今のかぐや&愛と近い関係だったと推測される。
 秀知院に在籍していたことも判明。彼もまた四宮家に毒された被害者であるようだ。
 自他共に認める屑だが、奈央との決定的な決別を回避した結果、娘を利用する魂胆は消えた。
 そして妹:かぐやを(自分が信頼されていないことを承知で)『こっそり助けてやるか』と考える程度には、妹思いになった。
 もの凄く遠回しなので理解されていないが、理解して貰うつもりもないのだ。


 岩傘暁(いわかさ・あき)
 主人公:調の母。この物語におけるジョーカー。出てきたら全部解決してしまう人。人類最強の赤色とかそういう類。もうアイツ一人でいいんじゃないかな。
 四宮雲鷹を原作開始前に救済していた女である。


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岩傘調は崩したい

アニメだと10月15日がスーパーチューズデーになっています(アニメ2期5話より)。
しかし2016年の10月15日は土曜日です。その日は休日です。
2019年だと火曜日。月曜日は体育の日で祝日。
これらの事実から、投票日が何時か……を考えたのですが、これは『10月第三週の最初の日』ではないかと推測しました。申し込み締め切り日(9月26日)から三週間(9/26~10/16)選挙活動をして、全員の前で演説をして投票、という手順ですね。

毎回、誤字報告ありがとうございます。順々に修正しています。
生徒会選挙篇も愈々佳境。
藤原千花が出てこない珍しい回となりました。

では、どうぞ。


 何度も言う通り生徒会室は現在使用禁止である。僕はそのルールを破ろうとは思わない。

 だがどんな手段を使ったのか、四宮かぐやは、生徒会室を使えるようにしてしまった。

 教員に圧力をかけたわけではない……と思いたい。流石に権力で中に入る真似はしないだろう。

 ……許可を取ったのは、良いとして。

 

 (施錠とかもされてるんだけどなぁ)

 

 聞けば合鍵は『作製済み』だとか。

 そして合鍵を駆使して、過去に何回も早坂愛を生徒会室に送り込んでいたらしい。

 『普通のコーヒーとカフェインレスコーヒーとを交換してきて』と命令したこともあるらしい。

 

 相変わらず近侍の扱いが雑なんだな、とか。

 頼めてしまうくらいに二人の関係は近しいんだな、とか。

 早坂はどっかで一回怒って良いと思うぞ、とか。

 生徒会選挙に勝つために、手段を択ばない四宮かぐやが怖いなあ、とか。

 

 僕は隠し部屋の中で、思っていた。

 学生運動の時に使用されたという部屋だ。

 解散前の片付けで皆が存在を知った、あの場所である。

 そこに潜んだ僕は、室内で行われている会話(OHANASHIAI)を聞いている。

 まあ、四宮さんが本郷君に対してやっている脅迫を止める気はないんだけど。

 

 「この角砂糖は、羅漢果から採られた甘味料ですので、太る心配もありません……」

 

 氷の微笑みを見せる四宮さんの姿があった。

 ハイライトの消えた瞳で、角砂糖が溢るほど入った紅茶を差し出された本郷勇人(2年C組)。

 言葉の刃1つ1つが、僕でも震えそうになるくらいに冷たい。

 

 「辞退を強いているように聞こえましたか……? 心外です、私は貴方の味方ですのに」

 

 だから、どうか、召し上がって?

 差し出された紅茶を前に震えが限界に達した本郷君は。

 漏らしたりはしなかったようだが、恐怖に染まった顔で、悲鳴と共に逃げ出してしまった。

 ……あれは心が折れたな。生徒会長選挙への出馬は取り下げるに違いない。

 彼の気配が完全に消えたのを見て、僕は部屋から出る。

 長い時間ではなかったが、あの四宮さんを見ながら隠れ潜んでいたお陰で、体が強張った。

 

 「ふぃー、じっとしてるのは大変だった。……結構マジで脅しましたね」

 「あんなの可愛い物よ?」

 

 まだ普通の穏やかな顔に戻り切っていない、氷の顔が目の前にある。

 懐かしいな。高等部の一年の頃とか……中等部とか。彼女の全てを拒絶するような態度。

 

 僕にとっては、扱いが難しい存在だ。

 氷の時代から今までを近くで見ていた千花ならば、何も気にすることは無いのだろう。

 だが『氷のかぐや様』は、言うなれば()()()()()みたいな立場なのだ。用事がない状態で、積極的に会話をしに行き難い……微妙な距離感がある。とはいえ、先の本郷君のように恐怖に震えて逃げ出す気は無いけどね。

 

 「アレくらいが妥当だと思いますよ。……僕としても留飲は下がったので」

 「岩傘さんが誰かを嫌うのは珍しいですね」

 「ええ、まあ」

 

 解散前、毎日使っていたパソコン前の椅子に座る。

 羅漢果の塊が浮いている紅茶は流しに棄てて、まだ暖かいポットの中身を新たに注ぐ。

 コーヒー派だが偶には紅茶も良いだろう。蜂蜜の瓶は……手元にない。良いかストレートで。

 飲みながら、本郷君への感想を口に出す。

 

 「彼、千花を口説いたんですよ」

 「まあそれはそれはなんて無謀なのでしょう。……それが気に食わないと?」

 「いやいやまさか。それだけなら、僕はそんなに気にしません」

 

 千花は人気がある。応援演説の候補にして問題ないくらいには人気がある。男子からも相当だ。

 そして男子が千花を追っかけたり、惹かれたり、時にラブレターを出したり、千花が迷惑に思わない程度のアプローチなら笑って受け流すだけの度量を、僕は持っているつもりだ。

 嫉妬をしないとは言わないが、嫉妬した分、千花へ僕のラブパワーを注ぐので問題は無い。

 

 「なんですその謎ワード」

 「僕の概念です。嫁が美人で人気があるって、自慢出来る話でしょう」

 「……それはそうですね。では何故?」

 「千花をダシにして白銀の情報貰おうとかも画策してましたし」

 

 マスメディア部にまで手を伸ばしてたようだしな。

 別にね、口説いたり軟派したり、それくらいなら見逃すよ。

 千花を本気で好きになって、僕をライバル視して挑んでくるみたいなのでも良い。そしたら僕が全力を出すだけだから。かかってこいと言うだけだ。千花を好きになる権利は誰にだってあるさ。

 

 でも利用するのは頂けない。

 本郷君は『難題女子』を生み出したが、それより扱いが悪いじゃないか。

 それは許せない。断じて見過ごせない。

 

 だから僕は、四宮さんが彼を追い込んだのを止めなかった。

 出馬を辞退して貰った後で、じっくりと反省して貰おうと思う。

 

 「ですので、ありがとう、ございます」

 「あら、感謝されること?」

 「本来は、其処は僕が直接やれよ、って言われる話だと思うので。四宮さん任せにしてしまったのはね」

 「構いませんよ。藤原さんを利用するだなんて……あれじゃ甘かったですね」

 

 表情を変えないまま微かな笑い声が聞こえてくる。

 その表情が怖くない、とは言わないが……怖いのも含めて、四宮さんだ。

 生徒会の中で一緒に活動をしてきた間柄。この程度で信頼が揺らぐほど、僕の心は弱くない。

 

 「そうだ。感謝しているならば、私にもう少し協力して頂けませんか?」

 「疑問形ですが僕が拒否しないと思って言ってますよね……断りませんけど。何でしょうか」

 「そう言ってくれると思っていました。信頼を裏切らない人で嬉しいです」

 

 僕の肯定に、彼女は満足そうに頷いて。

 

 「伊井野ミコさんの情報を、集めて欲しいのです」

 

 氷の微笑みが、あの娘に向いたことを認識した。

 

 ◆

 

 伊井野ミコの情報を集めるのは、難しい話ではない。

 生徒からの評判や表に出ている経歴を漁るのは朝飯前だ。良い意味でも悪い意味でも彼女は注目を浴びている。学園裏サイトをちょっと閲覧するだけで僕の元には、彼女の個人情報が転がり込んできた。

 周辺人物となれば難易度が上がるが、それでもさしたる苦労はしない。

 有名人であるなら、猶更のこと。

 数日後。10月13日。木曜日。

 

 「精度は保証する。出来る限りはやっておいた」

 

 封筒に入れた分厚い調査報告書は、四宮さんの御眼鏡に叶ったようだ。

 四宮家で調べた情報と補完すれば抜けもないだろう。

 伊井野ミコのご両親は、立派な職業だ。父は裁判官で母は国際人道支援団体。堅物で規律の塊のような人柄。世の中には清廉潔白を地で行くことに熱意を傾ける人間がいるが、まさにそれ。

 

 命も要らず名も要らず、官位も金も要らぬ人は、始末に困る者なり――西郷隆盛の言葉だ。

 元の言葉では『そういう人間でなければ国を興せない』と続く。

 このご時世には過酷な道だ。

 伊井野ミコが実践をするには、ちょっとばかり無謀に過ぎる。

 

 「……頼んだ私が言うのもなんですが、伊井野さんの情報に熱意が見えますね」

 「本郷君とは別の意味で、僕は彼女に注目していたんです。なんというか、色々()()を崩してあげたいってのが本音なんですよ。ちょっとばかり伊井野さんは……えーと……思い込みが激しい上に、地に足を付けて歩けていないように見えるので」

 「素直に『現実が見えてない娘』と言えば宜しいのに」

 「メンタルも大して強くない少女にそれを言って泣かせるのも良くないと思います」

 

 伊井野ミコは頑固で意地っ張りで、真面目だ。

 しかしそれがイコール精神的に成熟しているには繋がらない。

 性根は真っすぐだから悪い子では無い。きちんと自分に非があると謝るし。

 でも悪い子じゃないから余計に面倒くさいのだ。

 

 「今日の放課後、伊井野さんを呼び出すようですが」

 「貴方も来ますか?」

 「止めておきます。様子を窺ってだけはおきますけど。僕が参加したら殴り殺せます」

 

 手に入れた情報を元に、四宮さんは伊井野ミコを呼び出し、告げるつもりなのだ。

 今回の生徒会選挙からは降りろ、フォローはしてあげる、と。

 普通は説得に応じる。『四宮さんに説得されたから止めました』という大義名分付きだ。

 

 「通じますかね。伊井野さん、相当に……その……夢見がちですよ」

 「戦うことの意味を分かっていない娘には良い薬になりますよ」

 

 本郷君に比較すれば若干柔らかい(それでもハイライトは消えているが)四宮さんが微笑む。

 ……その薬、効果的過ぎるのではないかな、と思ったが、黙っておいた。

 

 伊井野ミコが己の力だけで挑んできた場合、彼女はまず敗北をする。

 そしてそのままレッテルを貼られる。

 

 『アイツやっぱり白銀に負けたんだぜ。風紀委員で偉ぶっててもやっぱりその程度だよな』と。

 

 彼女はそれを理解していない。

 自分に、賛成票が集まっているのは、政策が支持されているからではないのだ。

 大部分は、白銀を嫌う一部の奴らが『白銀じゃないから』という理由で投票をしているだけ。

 役に立たなければ用済みとばかりに、掌を返されるだろう。

 ……そもいきなり就任して、無事に生徒会長の仕事を全う出来るとも思えないしね。

 彼女は未熟で経験不足だ。

 

 普通は、四宮さんの提案を飲む。

 どんな取引を渡すかは知らないが、ぱっと見、彼女を応援するような話を持っていくのだろう。

 だが伊井野ミコは……マイルドに言えば、現実を直視するのが苦手なタイプの娘だ。

 メンタルは、頑固で意地っ張りで、真面目で、()()

 頑固で真っすぐで、柔軟性が無い。だから一定以上のダメージを受けると崩れてしまう。

 ……乗るべき提案を蹴って、自滅するのが、今から手に取る様に見える。

 

 「それに伊井野さんには、先代の会長さんが応援演説として就いたのでしょう? ならば私が多少の『お話(交渉)』をしてもフォローしてくれますよ。あの方は、伊達に先代の会長ではないです」

 「……ノーコメントとしておきます」

 

 件の先代会長が、何故伊井野ミコの応援演説を引き受けたのか、は。

 ここでは黙っておこう。どっかで漏れないとも限らないし。

 ただ、僕からの評価を伝えるのであれば、あの人はとても素敵で優しい人だということだ。

 断じて白銀を倒すためではない――とだけは言っておく。

 

 「それで、伊井野さんに対して真剣に情報を集めた理由の続きを」

 「……あの娘、千花に対しても夢見てるんで」

 

 僕の言葉に、なるほど、と四宮さんは頷く。

 本郷君と言い伊井野ミコと言い、僕の嫁を何だと思ってるんだろうね。

 生徒会選挙の期間になってから、千花を利用する奴が多すぎるぞ!

 普通さあ、白銀のバックアップに注力させてくれるもんじゃないの!?

 

 「僕より千花を知ってる人間はいません。なのでちょっとマジになります」

 

 貴方、藤原さんが傍らにいない時って案外黒いわよね、との声は聴かなかった振りをした。

 

 ◆

 

 伊井野ミコは、千花を副会長にしたい、と考えているらしい。

 僕はそれを聞いて、酷く心配になった。千花は仕事が出来ないとか、副会長の権限を握らせて大丈夫か、とかそういう問題ではなく『伊井野ミコの人物眼』を疑ったのである。

 藤原千花を多少なりとも知っている人間は、彼女の本質にも気付いている。

 千花は確かにルールを破る人間ではないが、ルールの中で最大限好き勝手をする人間だ。TG部とか、生徒会室で行われた数々のゲームとかでそれは判明している。……というか悪名高いTG部に所属していることを伊井野ミコは知らないのだろうか?

 知らないなら問題だし、知った上で任命しようとするならもっと問題だ。

 

 「僕の所感ですけど、伊井野ミコの根っこにあるのは尊敬と憧憬なんですよ」

 「岩傘君の人間評価は割と正しいね。続けてくれるかい?」

 「はい。……つまり『自分の親は立派な人だ。凄い人だから私もそれに負けない様になろう』という尊敬と……『あんな風になってみたい』という憧れです。言葉だけ聞けば良い響きですが――『今の自分はダメなんだ』っていうコンプレックスと脆弱性の裏返しです」

 

 小等部や中等部からの情報も集めた。

 彼女の両親は多忙で、殆ど伊井野ミコに構ってあげられなかったらしい。

 今もそれは変わりがない。

 ……勿論、立派な仕事をしているのは誇りだろう。

 

 だが伊井野ミコは『だけど寂しいです!』という一言を、両親に告げることが出来なかった。

 自分の本音を言う機会が奪われた子供はどうなるか。

 親に自分の声が届かないと知っている子供は何をするか。

 

 誰が聞いても立派である『正義』と『常識』を振りかざすようになる。

 そうすれば、自分のことを認めてくれるのだと信じて。

 

 「自分の親は立派だから、と自分に言い聞かせているんです。一回本気で怒れば良いのに」

 「でも出来ない。身近な人間に吐露出来ないから、一層意固地になるということだね」

 「そうです。意固地になった挙句、等身大の自分を見失う」

 

 伊井野ミコは、白銀や石上に言ったらしい。

 『藤原先輩に憧れている。彼女は自分では足元にも及ばない天才だ』と。

 

 伊井野ミコは他の誰かになれない。

 伊井野ミコという自分を育てるしかない。

 それをする為には、自分を見つめ直さなければならないのだと、僕は思う。

 

 「……僕、結構漫画とかも読むんですよ。で、毎週月曜日に出る雑誌あるじゃないですか」

 「唐突だね。僕も結構好きだけど」

 「僕が初等部に入る前から連載してる死神の漫画ありますよね。あれの一言を思い出しました」

 

 「『憧れとは理解から一番遠い感情である』――って奴です」

 

 僕の言葉に、先代会長は納得したように穏やかに口元を和ませる。

 

 「千花に憧れてる時点で、千花を理解出来てないんですよ。だから副会長にしたいとか考える」

 「流石に断言するね?」

 「この学院で僕以上に千花を知ってる人間はいません。世界でも僕以上に千花を知ってる人間は、大地(義父)さんと万穂(義母)さんと豊美姉と萌葉ちゃんだけです」

 

 千花の欠点を知った上で任命したいというなら分かる。

 本郷君のように、千花とコネを作りたいから近付くのも分かる。許しはしないが納得する。

 千花の欠点には目を瞑った上で、良い部分が是非とも欲しい、というのも良いだろう。

 

 だが――伊井野ミコが千花をどれだけ知っているというのだ?

 僕は知っているぞ。千花の良い部分、悪い部分、頼れる部分、頼れない部分、僕が支えようと思う部分、逆に助けられていると思う部分。15年という人生で積み上げてきたのだ。

 こと、藤原千花に関して言えば、僕を相手に喧嘩をするのは甘いとしか言いようがない。

 そもそも千花と僕とを切り離して理解しようとする方が無謀なのだ。

 

 「白銀は昨年、四宮さんを任命しました。……多少私欲が入っていたのは間違いありません。でも盲目よりはずっと良い」

 「君、結構酷いことを言っているね。良いのかい? 僕は伊井野さんの応援役だよ?」

 「先輩は告げ口するような人ではありませんから」

 

 されても構わないと思っているし。本音は言われてナンボだ。

 悪口や影口を言っているつもりはない。名誉を貶める気は無い。

 だが自身への忠告を受け入れず、頑なに他人の評価を聞かない奴は、成長しない。

 これでも相当に言葉を選んでいるつもりだ。

 後輩の女子を虐めるつもりはないのだ。

 

 「恋に恋する、っていうんでしょうかね……。ルールを守ってる奴は偉い。それはそうです。ですが」

 

 ルールを守る奴と守らない奴なら、それはルールを守る奴の方が偉いだろう。

 だが『ルールの中で自由にする人間(藤原千花)』と、『ルールの中で身動きが出来ない人間(伊井野ミコ)』の間には雲泥の差がある。

 何より――。

 

 「ルールを守るだけしか出来ない奴は、ルールを作り出す奴には勝てません」

 

 伊井野ミコは風紀委員として活動をしている。

 生徒は彼女の指導に従う。だが彼女が風紀委員だから言うことを聞いているだけだ。

 もしも彼女が風紀委員でなければ、誰も彼女に従わないだろう。

 ルールを守れ守れというだけでは、人は言うことを聞かない。

 『規律(ルール)』は『正義』ではないからだ。

 

 学校で言えば、生徒同士が気持ちよく過ごせるように互いに守りましょう、という『約束』だ。

 それを知らず、ひたすらに正義を押し付ける奴は、嫌われる。

 

 「仮に白銀が風紀委員だったとしましょうか。……アイツは伊井野ミコより上手くやりますよ」

 

 きちんと会話をして、納得させるだろう。

 「風紀委員だから」ではなく「白銀だから」で従わせるはずだ。一部のアンチ白銀派以外は。

 

 「伊井野さんは、正義感が強いだけでは、ないんだけどね」

 

 苦笑い混じりで先代会長さんが付け加える。

 それは僕も否定しない。他人の為を思って行動しているのも事実だ。

 

 「否定はしません。……他の生徒のことも考えています。大仏さんでしたか? 彼女は、そんな伊井野ミコの優しい部分を知っているんでしょう……。……でも伊井野さん自身は、それを言えない。自分でルールを作り出せない……他人に尊敬と憧憬を覚えて、自分に自己肯定感を持っていない奴が、大声で新しいルールを叫ぶことは出来ません。言えるのは、既存の『規律』だけです」

 

 そして親が正しい、世間が悪いと思っているから、自分が汚れてはならないと思っている。

 そうではないのだ。

 犯罪をするのは確かにアウトだ。しかし全てを『規律』で決めるのも間違いなのだ。

 皆が立っている目線に自分から降りたところで、汚れる筈がない。

 伊井野ミコが、生徒からの相談を、規律を使わずに丁寧に助言したことが何回あるのだろうか。

 恐らくない。頼られることもないだろう。

 頼ってもルールに縛られてる奴に解決策は提示できないからだ。

 

 「ま、その辺やっぱ千花とは全然違うんですよ。千花はルールを破りません。でも最大限に使います。政治家志望ってだけあって屁理屈言わせたら相当ですよ」

 「君も同じだね」

 「褒め言葉です。どうもです」

 

 話がいい具合に落ち着いたところで、伊井野ミコは生徒会室から出てきた。

 室内で行われた四宮さんとの交渉はやはり決裂したらしい。

 憤懣やる方ない顔をしていた伊井野ミコは、僕の隣にいた先代会長に『お待たせしました』と丁寧に頭を下げて『行きましょう』と促す。僕の方には敵意の溢れる目を見せていた。

 失礼だな。廊下で仲良く並んで会話をしていただけなのに。

 どうも益々、生徒会が悪の巣窟だと思ってそうだ。

 

 「岩傘君、君の指摘は尤もだ。僕はそれを知って演説を引き受けた。……投票日を楽しみにしていると良い。手を抜くつもりはないよ」

 「勿論。貴方の影響力は重々、承知しています。……どんな人なのかも」

 

 風雅に帽子を整えた先代会長は、伊井野ミコを慰め、メンタルケアをしながら去っていく。

 僕が指摘した伊井野ミコの弱点など、彼はとうに把握している筈だ。

 僕や四宮さんからのアクションに対しての防壁として、彼は伊井野ミコをフォローするだろう。

 だが同時に……やるからには本腰を入れて、僕らを越える為の、演説をしてくるだろう。

 

 「手強いですね。私も彼を『説得』しようとは思いません。出来る関係でもありません」

 「来週の頭が、どうなるかですね」

 

 先代会長という立場は、四宮さんを以てしても対処できない相手だ。

 下手に藪をつついたら、彼を支持していた人間が、全員白銀派から伊井野派(正確に言えば先代会長派)へ鞍替えをしかねない。

 生徒会長をしていただけあって、胆力や雑務能力もずば抜けて高い。四宮さんと舌戦をしても負けない。

 それ以上に、白銀への恩義を考えれば、四宮さんは彼に危害を加えることは出来ない。

 

 「選挙管理委員会も支配下に置きましたが……」

 

 いつの間にか、僕も知らない領域まで手を伸ばしていたらしい四宮さんだった。

 

 「ポスターにマニフェストの宣伝と、千花と僕でやれることもやりましたが」

 

 投票日の最終演説がどうなるか、だな。

 使用するスライドは石上が全力で準備している。

 サクラ役は早坂愛らが務めてくれる。

 あとは白銀の言葉が何処まで生徒の心を掴めるか、だな。

 

 「……四宮さんは少し休んでください。暗躍のし過ぎで、心が痛いでしょう」

 「お言葉に甘えさせてもらいます。今週末はゆっくりしますよ」

 

 先代会長の言葉が如何に優れていても、こちらで見込んでいる票を全て奪われるなんてことは無い筈だ。

 白銀が生徒会長に就任したら、また忙しい日々が待っているのだ。

 我らが()()()には、白銀共々頑張って貰わないとな。

 後は僕や千花が頑張ろうじゃないか。

 

 ◆

 

 翌週火曜日。10月17日。スーパーチューズデー。

 投票当日の応援演説。

 

 「さて、伊井野ミコさんの欠点は今話した通りだ。その上で僕はこう提案をしたいと思う」

 

 読み上げる為の原稿用紙すら持たずに壇上に上がった、先代会長。

 彼は伊井野ミコを褒めるだけでなく、未熟な部分までもを丁寧に説明をした。

 仲間から蹴られた形だが、伊井野ミコは事前に聞いていたからか、動揺は薄い。

 そして――。

 

 

 「白銀御行君を、副会長に据えて、彼女のサポートをさせたい。どうだろうか?」

 

 

 投票を揺らがせるだけの、力ある言葉を放ったのだった。

 

 ……やっべえ、と思った。

 その提案は強い。白銀を生徒会に入れるという宣言をしつつ、生徒会長の座は譲らない。

 アンチ白銀派は嬉々として飛び付くし、伊井野ミコを嫌う人間も『それならば』と頷きかねない。

 今の生徒会をそのままに、伊井野ミコが参加する形にしたい、とすれば、異は唱えにくい。

 応援をするからには本気で応援するよ、という言葉の通りだった。

 どうやってひっくり返すんだ、と僕の頭の処理能力が飽和したレベルの衝撃だった。

 

 「落ち着け、岩傘」

 

 白銀が勝てなかったら意味が無い。

 そんな僕の背中を叩く親友の声がする。

 

 「お前が、俺や伊井野の為に、あの人を生徒会選挙に関わらせたのは知っている」

 

 振り向けば、マイクを片手に持った白銀が、覚悟を決めた目をしていた。

 それを見る四宮さんの目に、ハートマークが浮かんでいる気がする。

 其処にあったのは、昨年大立ち回りを演じたのと同じ『生徒会長:白銀御行』の本気の姿だった。

 

 「それには応える。だからミスだとは思うな。……石上にも頼まれたからな」

 

 伊井野ミコに勝つだけじゃない。

 徹底的に蹂躙するレベルで勝つのだ、と。

 

 「だから任せろ」

 

 颯爽とステージに向かって行く姿を見送る。

 ……やっぱカッコいいわ、アイツ。

 

 

 ――そして白銀御行の演説が始まる。




先代会長の演説はちゃんと次回の冒頭に入れますよ。
伊井野ミコが蹂躙されるのは嘘ではありません。
何せ味方の筈の先代会長からも攻撃を受けますので。

さあハードルは高いが頑張れ白銀御行!

次回、原作主人公のターンです。
生徒会選挙篇、決着をお楽しみに。


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男も女も内緒話をしたい ~3年になった後の話~※

言い訳をさせて下さい。
生徒会選挙編を書こうと思ってたんです!

でもね!YJ最新話(2021年3月11日)読んだら!
読んだらこっちの話したくなったんだ!!
もう溢れる情熱のままに!時間軸をすっ飛ばして!その話です!



YJ最新話(2021年3月11日)のネタバレが含まれています。





 さて、今は年度が替わった、春のことである。

 波乱の生徒会選挙は無事に終わり、体育祭で石上が救われ、学園祭こと『奉心祭』で我らが生徒会長と副会長の2人が無事にウルトラロマンティックな感じで結ばれた。

 その後、修学旅行で早坂を巡るちょっとしたトラブルがあったりもした。

 が! これらは! これらは! また語るとして!

 今はちょっと別の話だ!

 

 「……胸のサイズってどう思う?」

 「僕は大きい方かなあ……。……上で揺れてるのが見えるからさ……」

 「ちょっと垂れ気味が好きかな」

 「大きさに貴賤は無いけど、まあ僕も大きい方が好きだね。……御行は?」

 「俺に言わせるのかそれを!」

 

 3年A組の男子ら4人は集まって、珍しい話をしていた。

 猥談、とまではいかないが、まあそれに近い感じの話である。

 メンバーは、白銀に僕、田沼翼と……四条帝。

 春になって転入してきた四条帝は、姉:眞紀さんに事あるごとに茶化され文句を言われながらも、あっという間にクラスに馴染んだ。主に苦労人という感じで、特に白銀と距離が縮まったのだ。

 四宮家と四条家との争いは僕も聞き及んでいる。

 千花曰く『女子は女子で、なんとか大人たちに対抗する作戦を練ってるんですよ』との話。

 つまり帝と白銀の仲が良いのは、四宮家との戦いにおいて重要な要素となるだろう。

 ……まあ、白銀はそういう打算無しで接したから、あっという間に仲良くなったんだろうがな。

 

 「で、どうなの?」

 「…………さ、ささやかな方が好きだ」

 「ささやかな方が好きなのか、好きな人がささやかだったからなのか?」

 「言わなくてもわかるだろうが!」

 

 階段で集まっての馬鹿話である。

 幸い周囲に人は居ない。男子高校生らしいシチュエーションである。

 ここに居る面々は、大体白銀の事情を知っている。あるいは明白な『白銀御行×四宮かぐや』の関係こそ知らずとも、身内が知っている状況だ。そしてその誰もが、軽々に口に出さない、信頼と信用のおける人々。

 だからこそ白銀も、若干ツッコミを入れつつも、それなりに素直だった。

 

 「まあ、流石に白銀も悟りを開いてるわけじゃないからな……。というか寧ろ煩悩多いよね」

 

 煩悩も欲望も悪いことではない。

 好きな人と並び立ちたい、という意欲が今の白銀を作り、四宮さんとの関係を作ったのだから。

 

 「そうだよ。そりゃ俺だって少しはそういうこと考えるよ! 当たり前だろう!」

 「関係が進展するのも割とすぐな気がするなぁ」

 

 にへっと笑う翼君だった。

 

 「まあ、そうだね。僕は大分……回り道をしたというか……互いに距離が近過ぎた感じあるけど。進展するのは割とあっさりだったしな……」

 

 だよねー、結構進展するときはあっという間だよねえ、と頷きあう。

 帝は、なんで俺は友人2人の女関係を聞かなきゃいけないんだ? と言う顔をしていた。

 まあそういうな。慣れてくれ。

 

 「石上が色々精神的にショック受けてるから、生徒会室で惚気にくくてな……」

 

 石上優と、子安つばめ先輩との、卒業式での諸々……これも今度語ればいい。

 ただ、石上は一つ成長した。全力で努力をして、それでも恋人同士には届かなかった。その経験は、ちょっとばかり頭がぽわんぽわんになった瞬間もあったが、この先の彼を強くするだろう。

 ……とはいえ、そんな状態の石上の前で、いちゃつくは流石に僕もやめたかった。

 伊井野ミコとの関係なんかでも割と手一杯な状態だ。

 生徒会室は、いちゃつく場所ではなく、仕事をする場所――と今更のことを、僕らは認識た。

 

 「良いよなお前らは……彼女が居て……下心がない女が居て……。しかも岩傘、お前、藤原千花だけじゃなくてその姉妹とも仲良いんだろ……? 羨ましけしからん……」

 「仲が良いだけな! 間違っても囲ってるとかじゃないからな!」

 

 豊実姉と萌葉ちゃん。

 この2人とも仲が良いし、傍から見れば三姉妹を独占しているように見えるかもしれない。

 ただそれは大きな誤解だ。

 家族として、あるいは姉や妹として見ることはあっても、浮気はしない。

 向こうもそれを分かっている。

 

 まあ酔っぱらって愚痴を吐く豊実姉に思い切り甘えられたりとか。

 お兄さんお兄さんと呼びつつ、べたべたと、萌葉ちゃんが色々意図的に接してきたりとか。

 水着で風呂に乱入されたりとか。

 そういう『役得』はあるが、それだけだ。

 

 断じて深い関係にはならない!

 二人もそれを知っているからマジにはなってないのだ。

 僕の主張がかなり真剣だったからか、帝は「悪かった悪かった」と宥めつつ笑っていた。

 

 「で、白銀。……彼女と進展する気は、やっぱりある?」

 「付き合って3カ月だからな、そりゃな……」

 

 とはいえ踏み込めないもんだ、と白銀は息を大きく吐いたのだった。

 自分の欲望はありつつも、好きな人を傷付けたくない、というのは至極当然の考えだ。

 

 「とりあえず、白銀の家に招くところからだな。……逆は難易度高いだろうし」

 

 今までは早坂愛がフォローしていたが、彼女は今まで住み込んでいた四宮の家を出たらしい。

 大分ラフな格好で学校生活を満喫しているのも、目撃している。

 彼女が居ない状態で、四宮さんが白銀を招いて、問題が起きない筈がないのだ。

 

 「まあ、近い内に、そんな機会もあるんじゃないかな」

 「……何か企んでないだろうな」

 「無いよ」

 

 流石に人の恋路の進展に、直接のちょっかいを出すほど野暮じゃない。

 応援して良い時には応援するが、背中も蹴れば良いモノでもない。

 ただ、僕は千花経由で少しだけ女子の皆さんの会話内容を知っている、というだけだ。

 

 「まだ出会って時間が短いが」

 「うん?」

 「………岩傘がイイ性格してるのは分かったよ」

 

 帝の言葉は、階段に吸い込まれて消えていった。

 因みにこの会話を、四宮さんが聞いていたのだが、それは勿論、知らなかった。

 

 ◆

 

 「……で、話せる範囲だと、どうなの、その辺」

 「ん……そうですね……。……眞紀さんは、帝君の性癖聴いてショック受けてましたけど……」

 

 わしわしと髪を撫でると、ぐりぐりと顔が押し付けられた。

 大きな犬や猫を相手にしている気分だ。

 

 「ただ、恋愛相談には、何時も通りちゃんと乗ってました。……昨年ですけど、柏木さんが……かぐやさんに色々教えてたのはちらっと聞いていましたから。――まあ、その、行為に至る経緯は、流石に言いにくい話でしたが」

 「僕も女の子の生々しい経緯を聞くつもりは無いけど……」

 

 よいしょ、と腕を使って体ごと引き寄せる。

 豊満な肉が直接触れて、こそばゆい。

 千花も同じだったようで少しくすぐったそうな顔の後、足を絡めてきた。

 

 「僕ん時の話もしたの?」

 「……女の子同士の秘密ですってー」

 

 分かってるよ。僕も聞く気はない。

 代わりに目線を合わせて、ゆっくりと髪を梳くことにした。

 ほんのりと汗で湿った髪や肌からは、甘い香りがする。

 この部屋にいるのは2人。

 場所は、岩傘家にある、僕のベッドの上。

 布団の下に服は無い。

 要するに、ちょっとした運動の後だった。

 

 「性癖の開示だけなら兎も角、僕も、具体的な話とかしたくないし……」

 

 口に言えないことは結構やってしまったし。

 部屋の片隅には割とマニアックな性癖の年齢制限本もあって、それも知ってるわけで。

 体を重ねる方法にも、色々あるわけで。

 衣装を変えるとか……立場や呼び方を変えてみるとか……道具とか……部位とか……。

 流石にグッズ沢山とまではいかないが、まあ健全な範囲(関係を持ってる時点で健全ではないと言われたら、おっしゃる通りとしか言えない)で、とてもイチャイチャをしている訳で。

 今もこうしてピロートークをしている。

 内容は少々物騒だけど。

 

 「……そっちの話し合いは……どう? 上手く行きそう……?」

 「上手く行くかは、分かりませんけれど。……子供達だけのパワーでも、やれることはあるかなって」

 「うん……」

 

 卒業までの時間は短いし、白銀のスタンフォード留学までの時間はもっと短い。

 幸いにも――果たして本当に幸運なのかは置いておいて――四宮の本家・もとい長男の黄光(おうこう)は、交際に限って言えば咎めはしてこないとは耳にした。

 この辺は我が岩傘家の情報収集能力によるものだ。

 四宮かぐやを、政略結婚の道具として使うつもりはあっても、それ以上は必要ないということらしい。

 

 「だから……今、二人が交際してるのも……今はまだ、咎められてない……」

 「いつまで続くか分かりませんけど……」

 「出来れば、今の頭首を……雁庵さんを、何とかしたいよね……」

 「お爺さんの話、使えそうです?」

 「どうだろ」

 

 実は僕の祖父と、四宮雁庵さんの間に、縁がある事が判明したのだ。

 

 随分昔の話になるが……夏休みに、どこに行くか、という話題を上げたことがある。

 石上を除いた当時の生徒会4人で「海が良い」「いや山が良い」と議論した結果「河に行こう」となった。

 で、その約束を……伊井野ミコが参加した後で、実行したのである。

 秋の大型連休を使った、生徒会役員同士の交流会ということだ。

 

 まあ田舎で大きなトラブルらしいトラブルは無かったが……。

 僕の祖父(元軍人。現農家&地主)は、四宮雁庵と同級生であることが判明したのである。

 母:(あき)は雲鷹氏と接点がある事も判明したし。

 

 「……頼れるところは頼るけど……過信も出来ないかなって……」

 「使えて1回くらい、と」

 「そんな感じ……」

 

 逆に言えば、1回は直接のアポを取ることは出来るだろう。

 それをどんな風に生かすか、だな。

 

 四宮本家との喧嘩に対して、大っぴらな援助は、僕の実家は出来ない。

 幾ら我が家が日本最強の報道機関だとしても、四宮本家とのガチ戦争になった場合、倒産こそしなくとも大打撃を受ける。四宮本家もダメージを受けるだろうが、致命傷には届かない。

 ……経営者として、親父はそれを看過できないだろう。

 飽く迄も『子供のヤンチャ』で済む程度までなのだ。

 

 そしてそれは、千花――藤原家の方が、大ごとになるだろう。

 大地さん万穂さん、どちらもとても、優しく、優秀で、僕と(千花)の関係を歓迎してくれる大人だ。

 彼ら彼女らに不利益が掛かるような行いは出来ない。

 政治家生命が断たれるなんて真似は絶対させられない。

 

 「……難しい顔してますね」

 「……ピロートークにはちょっと重い話題だったね……」

 

 もぞもぞと動いて、姿勢を変える。

 ううむ……悩ましいが、とりあえず横に置いておこう。

 未知の要素で状況は好転するかもしれない。

 横に嫁が居るのに、ずっとこんな話をするのもなんだな。

 

 「気分、変えよう……。……面倒なことは、考えないで……」

 「考えないで?」

 「…………もっかい」

 

 顔を近づける。

 首筋を軽く舐めると、ふにゃふにゃと反応された。

 

 「やぁん! いーちゃんが捕食者の目をしてます……!」

 「さっきまで僕の上に居た癖に」

 

 翼君の、下から見上げると揺れる、というのは僕も良く分かる。

 たゆんたゆんだ。ばいんばいんだ。ゆさりゆさりだ。

 指摘すると千花は頬を染めてそっぽを向いた。

 逃がさないように後ろから抱きしめる形をとる。

 抵抗する様子はない。むしろちょっと腰を持ち上げる格好だ。

 

 「明日に……支障、出ないようにしましょうね」

 「明日は休みだから大丈夫」

 

 勿論ちゃんと避妊はしているから問題は無い。

 高校生の若さとパワーを熱量に変えて、もうちょっとはりきることにした。

 

 ◆

 

 で、そんな感じの週明け。

 

 「…………」

 「どうした、岩傘」

 

 何となく……いや本当に何となく、感じた感覚を口に出してみる。

 誰も周囲に居ないことを確認した上で。

 

 「…………白銀」

 「だから、なんだ」

 

 生徒会室で、牛乳を紙パックで飲んでいる友人に、告げてみる。

 余談だが最近白銀家は、あの父上さんがYou●ubeでチャンネルを開設し、相当稼いでいるからか、ちょっとだけ食事が豪華になっている。引っ越しも間近だとか、圭ちゃんが画面に映ってスパチャを受け取ってるとか。僕も見たけど実に面白い番組だった。

 あの声で――しかも曲がりなりにも一会社の社長だったおじさまの人生相談だ。

 そりゃ人気出るわ。圭ちゃんも美人だし。

 

 「……ちゃんとお守りは使ったんだよな?」

 「ぶっふぅう!」

 

 猛烈な勢いで噴き出した。

 重要書類に絨毯に、白い液体が飛び散る。

 

 「な。なな、。なんの話だ! 俺は四宮とべ別に何があったわけでは無いぞ?」

 「誰も四宮さんとは言ってないし。『お守り』の中身も聞いた覚えないんだけど」

 

 カマをかけたら、引っかかった。

 いやあなんというか……今日見かけた四宮さんが、なんか……艶っぽかったのだ。

 で、白銀は……四宮さんを意識しつつ、素知らぬ顔で振舞っている。

 先日、男子4人で話していた時とは、何となく雰囲気が違ったのだ。

 あのモンスター童貞っぷりがなくなってる……気がしたのである。

 

 「ごほ、お、おま……ごほっ」

 

 牛乳が変な場所に入ったのは激しく咽ている白銀の背中を軽く叩きつつ。

 まあよかったじゃないかと僕は笑いかけた。

 

 好き合う2人が何となく距離が縮まったら、そのまま関係が深まるというのは、割とある話。

 白銀から手を出したというよりは、勢いに任せて四宮さんが手を出したのではないかな、とは思う。

 ウルトラロマンティック作戦の時も、肝を据えた彼女の方から白銀の唇を奪ったのだし。

 千花経由で柏木さんの話を聞いた感じだと「結局するときはあっさりすると思う」らしいし。

 

 「大丈夫。内緒にしておく。……大事にしてやれ」

 「お前に言われなくとも、責任とれるように俺は全力だ」

 

 スタンフォードに一緒に留学するプランも考え直していると聞く。

 そして、四宮かぐやは――『最後に思い出をください』と言うタイプでもないだろう。

 つまり、決戦は案外近い……のではないだろうか。

 

 「来るべき決戦の日に備えて、準備はしておく。何時でも声をかけてくれな」

 「勿論だ。その時は、よろしく頼む。……行くぞ、そろそろ授業だ」

 

 明らかに誤魔化しながら、彼は教室に歩いていく。

 僕も追いかけた。そして前々から思っていたことを、口に出す。

 

 「しかし、そこまで関係が進展したら……」

 「したら、なんだ」

 「いや、もう恋愛頭脳戦とかどっか消えたんじゃないかな、とか思った。告白もキスもセッ……まで終わらせたんだろう? となると残るのは……」

 

 ――天才達は恋愛脳。

 

 だけになるのではないだろうか。

 

 「ま、いいけどね」

 

 白銀を見つけた四宮さんが、身体を硬直させ、その顔を若干紅潮させる。

 一緒に行動していた千花と柏木さんが目敏く把握し、早坂愛は愕然とした顔だった。

 紀や巨勢は居ない。居なくて正解だ。絶対ばれる。

 

 この恋人らに幸あれ、と僕は思う。

 その為ならば、どんな障害も打倒できる。そう改めて確信したのだった。

 

 

 

 「ところで千花、なんか歩きがぎこちなくない?」

 「誰のせいだと。……腰が痛いんです……!」

 

 そんな内緒話があったそうな。




岩傘調も3-Aです。
出席番号3番。

岩傘調(3)→柏木渚(5)→紀カレン(6)→巨勢エリカ(7)→四条眞紀(8)→四条帝(9)→
四宮かぐや(10)→白銀御行(11)→駿河すばる(12)→田沼翼(13)→津々見竜巻(14)→
早坂愛(15)→火ノ口みりん(16)→藤原千花(17)→渡部神童(?)と言う順番。
外部進学組、意外とクラスの人数少ないのかもしれませんね、この感じだと。


YJを読んだ情熱に任せて書いた。後悔はしていない。
来週YJで休載なのが悲しいやら恐ろしいやら。

次の更新こそ生徒会選挙の白銀ターンから始まる……筈!
気長にお待ちください。ではまた次回!


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