楽笑おじさんと絶望こぞう (楽笑)
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1話、絶望こぞうの憂鬱

 明日はどこからやってくる~♪
積み重なりし日常に、生きてるだけで幸せ、楽を求めて笑うおじさんがやってくる~♪



鼻唄まじりに微笑みながら、いつものように、自由気ままに歩いていました。

ランドセルを背負った集団をながめていました。

集団から一人離れてうつむいてとぼとぼ歩いている子供に話かけました。

楽「おはよう! いつも一人で寂しくないかい?」

子「さみしいってなあに、僕さ、バカだからさ、じゃまになるしさ」

楽「そうなんだ、おじさんは楽笑(らくしょう)って言うんだけど、君はなんていうの?」

子「えーと、絶望光志郎(ぜつぼうこうしろう)だよ」

楽「光志郎かぁ、じゃあ、光ちゃんだね」

光「******」

光志郎君は、うつむいたままです。

楽「友達になってもいいかな?」

光「僕さ、バカだからさ、じゃまになるよ」

楽「だいじょうぶ、おじさんもバカだから」

光「そうなんだ、いっしょだね」

楽「そうだね!、いっしょだね」

楽笑おじさんには、光志郎君が少しだけ笑ったように感じました。

楽「光ちゃんは、どうして自分のことをバカだと言うのかな?」

光「だってさ、みんな、バカって言うしさ」

光志郎君は、またうつむきました。

楽「なんで、みんなは、バカって言うのかな?」

光「僕さ、バカだからさ、みんなと同じようにさ、何もできないしさ」

楽「光ちゃんはバカじゃないよ!」

光「でもさ、僕には未来がないんだってさ」

楽「そうかな?、誰にでも未来は有ると思うよ」

光「でもさ、みんなと同じようにさ、できないとさ、みんながさ、言うしさ」

楽「そうかな?、」

光「だってさ、何もないやつにはさ、未来がないんだってさ」

楽「じゃ、何か出来れば未来が来るってことかな?」

光「だからさ、みんなと同じようにさ、できないからさ、こまっているのー」

楽「みんなと同じじゃ無くても、出来ることが有ればいいんじゃないのかな?」

光「そうかな?、」

楽「そうだよ!、」

光「でもなぁ、」

楽「光ちゃんはさぁ、知らないだけなんだよ」

光「なにを、」

楽「光ちゃんが出来ることでいいのかもね。」

光「みんなとさ、同じじゃなくていいのかなぁ」

楽「光ちゃんのやりたいことをやってみたらいいよ!」

光「なんでもいいの?」

楽「なんでもいいよ!」

楽笑おじさんには、光志郎君が少し笑ったように感じました。

そこに、前の集団から女の子が走ってきました。

女「絶望さん、行くよ!」

楽「あれぇ、友達いるんだぁ、ありがとうね」

女「私、絶望さん係だから」

楽「そうだ!遅刻しちゃうね、また明日ね」

光「うん、また明日」

光志郎君は女の子にひっぱられながら、少しだけ早足でとぼとぼ歩いて行きました。

楽笑おじさんは、鼻唄まじりに微笑みながら自由気ままに歩いて行きました。

 

人生ひまつぶし、人それぞれ、いろいろ有るからおもしろいですねぇ~♪




どうでしたか?感想などコメント頂けたら嬉しく思います。


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2話 未来が僕を呼んでいる

今日の現実は誰の夢、ささやく未来の声がする、忘れたい日々、耳をすましてごらん、ほら、聴こえる~♪

懐かしい~甘い日々~♪


鼻唄まじりに微笑みながら、楽笑おじさんは今日も行くよ。

 

この前の女の子に手をひかれながら、光志郎君が歩いていました。

楽「おかえり、絶望さん係お疲れ様。」

女「こんにちは、いつものことだから」

光志郎君は、黙ったままです。

楽「いつものことって、いつからなの?」

女「幼稚園からだから、、、8年かな」

楽「すごいね!ベテランのいきだね。」

女「絶望さん、時計が読めないし、私がいないと、ぼ~としているだけだから、予定もわからないみたいなの」

楽「まるで、お母さんみたいだね」

女「そうかな?」

楽「光ちゃんのことは、なんでも知っているみたい」

女「なんでもは知らないよ、知っていることだけ!」

女の子は、当然のことのように淡々と言いました。

光志郎君は退屈そうに遠くをみています。

楽「ところで、お嬢ちゃんはなんて名前なの?」

女「私は、妄想ルンバ(もうそう)です」

楽「妄想ちゃんか、とても現実的なのにね!」

妄「名前と性格は関係ないでしょ」

絶「あはは、、」

妄「なにがおかしいのよ!」

楽「本当に仲良しなんだね」

楽笑さんには、光志郎君がとても笑ったように感じました。

楽「光ちゃんは、妄想ちゃんのことが、大好きなんだよね」

光「え~とさぁ、なんでわかるの?」

楽「好きなら、伝えないとダメなんだよ、誰かにとられちゃうぞ!」

妄「なにバカなこと言ってるのよ、そろそろ行くよ」

楽笑さんには、妄想さんが照れているように感じました。

光「イヤだ、まだ行かない、」

妄「もう、おじさんが、へんなこと言うから」

楽「さぁ、がんばって、光ちゃん」

楽笑さんには、光志郎君がとても真剣になっているように感じました。

光「ルンバちゃん、僕は、ルンバちゃんが、大好きです、結婚してください!」

妄「はいはい、私でよければ、いつでも結婚してあげるから、もう帰るわよ」

楽笑さんには、光志郎君が少し大人になったように感じました。

楽「良かったね、気持ちを伝えれて、だいじょうぶだよ、光ちゃん」

光「ありがとう、楽笑おじさん」

楽笑さんには、光志郎君が満面の笑顔で笑ったように感じました。

妄「おじさん、さようなら」

楽笑おじさんには、妄想さんがとても笑ったように感じました。

楽「いつも、本当にありがとう、ルンバちゃん、またね」

妄想さんと光志郎君は手をつないで歩いて行きました。

 

楽「さぁ、僕も帰ろうか!」

楽笑さんはポケットから携帯電話を取り出しました。

楽「ホーム、転送」

楽笑さんは、光に包まれ消えてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光の中からおじさんが現れました。

 

おじ「ただいま!」

 

おばさんが料理を作っています。

おば「お帰りなさい、ちょと待ってて、もう少しで御飯できるから」

おじ「いつも、本当にありがとう」

おば「いいのよ、私は、絶望さん係なんだから」

 

どんな記憶も、未来からみれば、とらえかたしだいなんだな~♪

 




最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

また、どこかに、楽笑おじさんがやってくるかも?


ほら、

鼻唄が聴こえませんか?

ルンバ、ルンバ、ルンバ、ルンバ、ルンバ、ルンバ




未来は僕らの手のなか、


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3話 情報空間の因果は時空を超える

今回は1話の前の話です。光志郎君に会うために楽笑おじさんが、時空転送装置で過去へ飛ぶまでの話です。
どうぞ、ひまつぶしに、妄想にお付きあいください。



楽笑おじさんと妄想さんが御飯を食べている。

楽「今日の御飯も美味しいなぁ、ルンバちゃん、大好き!」

妄「もう、朝から何言ってるのよぉ」

楽「いいんだよ、小学生の時に会ったおじさんが、気持ちは伝えないと!って言ってたでしょ」

妄「あぁ、あのおじさん、何処の人なのかな?あれっきりだしね」

妄想さんはニッコリ笑っている。

楽「ごちそうさま、今日も遅くなるから、先に御飯食べてていいよ」

妄「また、研究室にひとりでこもって、こんどは何をつくっているのやら、誕生日の今日くらい早く帰ってこれないの?」

楽「ごめん、どうしても、やらなければならないことなんだ!」

楽笑さんは真剣な顔で言った。

妄「体に気をつけてね、はい、お弁当!」

楽「ありがとう、いってきまーす!」

妄「いってらっしゃい!」

 

 

 

楽笑さんは誰にも秘密の研究室に入った。

 

 

楽「僕には、わかっていたんだ、間違いなく出来ることが!」

冷蔵庫ほどのデータベースに、シャワー室のようなカプセルから配線コードがつないである。

楽「間違いなく、36年前の今日に会ったおじさんは、今の僕なんだ!」

携帯電話に、何やら入力している。

楽「11歳になったばかりの絶望光志郎に会わなければ!」

モニターには、メモリーダイブ、2011.04.26と標示されている。

楽「あれから僕の能力が目覚め始めたんだ!」

机の上の写真たてには少年と少女が手をつないでいる。

楽「僕には、人並み以上の想像力と自我があり、現実場に影響をあたえる、それが、相手の感情と同調して精神だけが体から飛び出さないように、無意識が世界と繋がることを抑えていたんだ!」

少年と少女は、仲良く笑っている。

楽「ルンバちゃんに告白した時からなんだ!制御出来るようになり始めたのは」

イヤホンのような物が装置に付いている。

楽「僕の強烈な感情は記憶と共に、時空場に座標をきざみこむ」

イヤホンを装置からはずしている。

楽「座標をたよりに、思念体を時空間転送をすれば、会えるはずなんだ!」

イヤホンを耳につける。

楽「このイヤホンが僕の脳波を読み取り、記憶から座標にリンクして繋げる!」

カプセルの中に入る。

楽「さぁ、いくぞ、待ってて!」

携帯電話には、パスワードと標示されている。

楽「リンゴモギレビーム、、転送」

 

楽笑おじさんは、光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

光から楽笑おじさんが現れた。

楽「この体は、肉体を持たない思念体に、データベースが体を情報化して複製転送したもので、本体はカプセルにある。僕の強力な自我による想像力で現実場に妄想を具現化させる能力でも、10時間以上は肉体を保てない」

 

ランドセルの集団が歩いている。

楽「やっぱり、ルンバちゃんは、かわいいな!」

15メートルほど離れて、男の子がひとり、うつむいて歩いている。

楽「さぁ、がんばって、絶望光志郎、扉を開くよ」

楽笑さんは歩き出す。

楽「未来への扉を!」

 

 

楽「おはよう!いつも一人で寂しくないかい?」

 




さぁ、本編が始まります。
よろしければ、また、会いましょう。


マニアルにはめてるだけかもよ!


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4話 ぶれぶれ軸はお前のほうだ!

今回のお話は、小学校6年生のころの話です。
いよいよ、絶望こぞうの意識が拡張して現実場に影響を与える能力が発動します。

普通ってなんだろ?






楽笑おじさんに出会ってから1年がたち、絶望こぞうこと絶望光志郎は6年生になっていました。

 

以前と同じくランドセルを背おって歩いています。

 

以前と違うのは、大きめなヘッドホンをしていることくらいです。

 

となりには、当然のように妄想さんが歩いています。

 

妄「またヘッドホンなんかしてきて、いじめっこに絡まれるわよ!」

絶「でも、これがないと、いろんな声が鳴り響いて落ち着かないからって許可はだしてあるけどなぁ?」

妄「気に入らない人もいるんだよ、なるべく静かにしていたほうが目立たないからいいよ」

絶「・・・」

妄「また~、すぐ意識がどこかに行っちゃうんだから」

光志郎君はぼーとしている。

妄「きっと、エウレカのGet it by your handsでも聴いてるのね、まるで瞑想しているみたい」

妄想さんは、光志郎君の手を握りました。

妄「私がいないと、何かにぶつかりかねないんだから、ほんと、手がかかる子供みたい」

妄想さんは、ニッコリ微笑みながら歩いて行きました。

 

 

校庭に2人の男の子がたっています。

男1「おい、ルンバ、相変わらず、仲のいいことだなぁ、いつも、何を考えているかわからない軸ぶれ野郎の相手なんかしてないで、学校一番の実力者の出尾無駄道(でおむだどう)と付き合おうぜ!」

妄「・・・」

男2「なんだと、せっかく学校一番の実力者、出尾様が誘っているのに無視は無いだろうが!」

出「まぁ、いいや、それよりも、三下(さんした)、軸ぶれ野郎のバカのくせにヘッドホンが生意気なんだよぉ」

三「そうですよね、あいつだけ特別なんて、おかしいですよね」

出尾様は光志郎君を突き飛ばします、光志郎君は、ぼーとしたままころびました。

妄「なにするのよ!絶望さんはヘッドホンが無いとパニックを起こすんだから、仕方ないじゃない」

妄想さんは、光志郎君をかばおうと出尾様に近づきます。

出「三下、軸ぶれ野郎のヘッドホン、とっちまいな!」

三下は光志郎君からヘッドホンをはぎ取ります。

絶「うわ~、いろんな人の恐怖の声が聴こえる、頭が割れる!うわーたすけてー」

光志郎君は、頭をかかえてうずくまりました。

妄「返してあげてよ、なんでもするから、」

出「ほぉ、なんでもするか、じゃ、俺様とキスをしろ」

出尾様は妄想さんに、無理やりキスをしました。

三「さすが、出尾様、そこにしびれるあこがれる!」

妄想さんの瞳からポツポツと涙がこぼれおちました。

光志郎君は妄想さんの涙を見て我にかえります。

絶「やめろ、ルンバちゃんを泣かすのは!」

光志郎君の体がブルブル震えています。

三「なんだ絶望、お前に何か出来るのか?」

光志郎君は三下をにらみつけます。

絶「お前にも、僕が感じている絶望を味あわせてやる、この大勢の絶望をお前の頭に流し込んでやる!」

光志郎君は自分が感じている恐怖を受け止めて、三下の意識に同調させます。

三「いやだー、止めてくれー、なんなんだ、苦しすぎるー、まさに、絶望、絶望、やめろ、病めて、助けて・・・」

三下は気絶してしまいました。

出「いったい、何をしたんだ、おい、軸ぶれ野郎、お前がやったのか?」

光志郎君は妄想さんの手を握り引き寄せました。

絶「出尾、次は、お前だ!」

光志郎君は出尾様をにらみつけます。

出「はぁ~無駄、無駄、無駄・・・・」

出尾様は余裕をかましています。

絶「お前の不安はたえられるかな?この、恐怖の嵐に!」

出尾様を中心にして、大気が渦を巻き竜巻のように強風が巻き上がりだしました。

出「おわぁ、真っ暗だ、狭いのはいやだー、怖いよー、たのむー、お前は、何者なんだ、やめろ、殴るな、俺様が最強なのに、やめてくれ、でてけ、一人は嫌だ、寂しいよ、置いてきぼり、助けて、強者こそ正義、たすけてー、この負け犬が、いたい、痛い、遺体、イタイ、ごめん、ゴメン・・・・・~お母さん・~・助けて~・・・・お母さん・・・~・・ごめんなさい、やめてくださいー!」

出尾様の体が竜巻にのまれて上昇して行きます。

妄「やめて、もう、いいの、絶望さん、」

妄想さんは光志郎君を抱きしめました。

絶「あいつがルンバちゃんを泣かしたんだ!」

妄「いいの、ほら、泣いてなんかいないわ!」

妄想さんは涙をぬぐって、ニッコリ微笑みました。

光志郎君も落ち着きを取り戻し微笑みました。

 

竜巻がおさまっていき、出尾様の体が地面に落ちます。

 

絶「出尾、ぶれぶれ軸はお前のほうだ!」

出尾様の股間のあたりに濡れ染みがひろがっていきます。

 

妄想さんはヘッドホンを拾い、光志郎君に渡しました。

絶「ありがとう、でも、ヘッドホンは、もういらないよ、絶望は克服したみたいなんだ!」

妄「本当に、頭、痛くならない?変な声が聴こえない?」

絶「わかったんだ、恐れは不安を呼び寄せ、得体のしれない恐怖の固まりになるってことを、僕は、不安なマイナスの感情ばかりに反応していたんだ、ただ聞いて欲しかっただけなんだ、三下と出尾の意識にも恐怖があった、絶望の感情を、救いを求めていたんだ、僕の感情が核となって同類の感情が集まって来ていたんだ、絶望の中にも希望はある、この世界にはプラスの感情もあふれていることが、どちらも感情に過ぎないと言うことを、差別していたのは僕が未熟だったからなんだ、生きているって、そういうことでしょ、ルンバちゃん、!」

光志郎君はすっきりした顔をしています。

妄「なんだか、一人で勝手に悟ったみたいだけど、私には、なんのことだか、まぁ、元気になったなら、それでよしよし!」

 

光志郎君と妄想さんは、手つないで、校舎に入っていきました。

 

校庭では、

 

風もおさまり、気絶している三下と、泣き叫んでいる出尾様が取り残され震えています。




今回は、上手くまとめきれず、少し長めになってしまいました。 読みにくくはなかったですか?
【挿絵表示】


さぁ、強力な自我に目覚め、絶望を克服した光志郎君をまつものはなにか?





世界は、みんな繋がっているんだよ

ブレ、ブレ、ブレ、ブレ、ブレ、ブレ、ブレ、ブレ、


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5話 偉大なるエロが世界を変える!

いつも読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、絶望こぞうこと絶望光志郎が中学2年のころの話です。そろそろ、こぞうではなくなってくる年ですが、そこは、ご愛敬でお願いします。

さぁ、お年頃になった光志郎君は中二病全開でなにをおこすやら?



光志郎君は、布団の中で一人ごそごそしています。

絶「あぁ、ルンバちゃん、僕のかわいい、ルンバちゃん、大好きだよ」

机の上には二人が手をつないで笑っている写真が飾ってあります。

絶「小学校の時のルンバちゃんもかわいいけど、やっぱり、今のほうがいいよな、中学2年なら、キスぐらい当然だよな、どうすればキスできるかな?ずばっと、せまったほうが男らしくて格好いいかな?」

時計の針は2:30をさしています。

絶「あぁ、考えると眠れないなぁ、でも、明日も学校へ行ってルンバちゃんに会えるしなぁ、よし、もう、寝るぞ!」

布団を頭にかぶり目をつむります。

 

絶「あぁ、やっぱり寝れそうにないや、ルンバちゃんに会いたい、ルンバちゃん、会いたい、会いたい、会いたい、・・・・・・・・・・・・~」

そんなことばかり考えていると、

絶「あれぇ、そこに見えるのは、僕じゃないのか?」

光志郎君の目の前に、自分が寝ています。

絶「自分を見ている僕は何者なんだ?待てよ、これが、あの、幽体離脱というやつか?だとすると、このままルンバちゃんに会えるかも?」

光志郎君はルンバちゃんの思念を探しました。

絶「ん~あっ、見つけた!ルンバちゃんの思念だ!今までは自分の意思ではやったことがなかったけど、いつも、他人の感情が勝手に入ってきたから、その逆を意識的にすればいいはず、よし、僕の思念をルンバちゃんの思念にリンクさせれば・・・・・」

 

 

光志郎君の前にはルンバちゃんがいます。

絶「ルンバちゃん、まだ、起きていたの?寝不足はお肌に悪いよ」

妄想さんは、いつもと違い、なんだか、だら~んと気だるい感じがします。

妄「あらぁ、光ちゃま、とつぜん現れて、キスでもしに来たの?」

光志郎君は驚いています。

絶「どうしたの?絶対にルンバちゃんが言いそうにないことを言ってるよ、熱でもあるの?」

光志郎君は妄想さんのおでこに手をあてます。

妄「熱なんてないわよ、さぁ、キスしましょう」

光志郎君は、されるがままに、ルンバちゃんの唇と重ねます。

絶「ちょとまってよ、いきなりはだめだよ」

光志郎君は、逃げようとしますが、妄想さんが離してくれません。

妄「光ちゃまはルンバのこと嫌いなの?ルンバはこんなに好きなのに」

妄想さんは光志郎君に足をからませ胸を押し付けてせまってきます。

絶「まだ、心の準備が・・・ルンバちゃん、」

妄想さんの肉厚がせまり、柔らかい感触が、光志郎君の体中を熱くします。

妄「心の準備はできてなくても、体の方は、カチカチじゃない?ルンバが、ほぐしてあげる」

妄想さんの柔らかい指先の感触が、光志郎君の体中を優しくなぞっていきます。

妄「さぁ、光ちゃま、どこをさわってほしいの?それとも、ルンバの体をさわ・・・・」

妄想さんの甘いささやき声が、光志郎君の理性を溶かしていきます。

絶「うわぁ~やっぱり、こんなこと、だめだ、ルンバちゃん、ごめん、今日は帰るよ!」

光志郎君は妄想さんの足をふりほどいて、布団に寝ている自分の体に意識を集中しました。

 

 

布団に寝ている光志郎君が目をを覚まします。

絶「あぁ、びっくりした、キスは出来たけど、ルンバちゃんって、あんなに、エロかったんだ!」

光志郎君の胸は、いまだにドキドキしています。

 

 

 

 

朝になり、いつものように、光志郎君を妄想さんが迎えにきました。

絶「おはよう、ルンバちゃん、」

光志郎君は、あのまま一睡もできませんでした。

妄「おはよう、絶望さん、くまなんかつくって睡眠は大切だよ」

絶「おかしいなぁ、昨日の夜、一緒だったじゃない?」

妄想さんは不思議そうな顔をしています。

妄「確かに絶望さんの夢はみたけど、一緒にはいなかったわよ、それにしても、夢の中の絶望さんは、だらしなかったなぁ」

今度は、光志郎君が不思議そうな顔をしています。

絶「あ、そうか!あれはルンバちゃんの夢だったんだ、僕は、寝ているルンバちゃんの夢の中の思念にリンクしたんだ、あぁ、現実でなくてよかったなぁ、それに、よく考えると、肉体のない幽体離脱した思念体が肉体と触れあえるわけないなぁ、」

妄「なにを一人でぶつぶつ言ってるの?学校へ行って今日も勉強がんばるわよ!」

妄想さんは、光志郎君の肩を叩きました。

絶「学校の授業って退屈すぎて眠くなるからな、ネットで好きなことを検索しているほうが、絶対役に立つと思うけどなぁ」

妄「そんなオタクみたいなことばかり言ってるから、友達ができないのよ!」

絶「友達なんかいなくても、ルンバちゃんがいてくれればいいよ!」

妄「また、それを言う、このままじゃぁ、一生、絶望さん係はやめられそうにないわね!」

妄想さんは、ニッコリ微笑みながら言いました。

 

 

 

 

 

 

絶「それにしても、夢のルンバちゃんと現実のルンバちゃん、いったい、どっちが本当なのかな?」

 

 




女心は謎だらけ?
私のような者にはわかりません!

今回はノリノリで、一気に書けました。
私の中にも、こんな感情が残っていたなんて
いやぁ、青春ですね!

また、会いましょう


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6話 雨あがりの夜空に

中学3年生といえば、初めての大きな選択、人生の岐路、義務教育の最後の年が誰にでもやってきます。
絶望こぞうこと絶望光志郎君は、いったい何を選ぶのでしょうか?


光志郎君は進路指導室にいます。

絶「高校へは、つまらないから行かない」

光志郎君は退屈そうに窓を見ています。

 

隣には、ルンバちゃんが座っています。

妄「それでは、高下先生は、絶望さんに高校を飛び越して、東大へ行ってみてはと言うのですか?」

高「そうよ、授業をまともに聞いていないのに、今年になってから、彼の成績は学校で一番なの、おかしいと思ってIQ検査をさせてみたら、驚きました。240よ!世界一位なのよ、特に数学がすごい、東大どころか、ハーバードだって余裕で入れるレベルよ!」

高下先生は、興奮してまくしたてます。

妄「それで、私に説得しろということですか?」

高「そうよ、天才よ!天才なのよ!わかるわよね、学校から天才がでるのよ!」

高下先生のテンションがどんどん上がっていきます。

妄「すみませんが、絶望さんの進路は、絶望さんが決めることですので」

高「この、いつもぼーとしていて、何を考えているかわからない彼では、話にならないから、あなたに来てもらったのよ、彼のためなのよ、天才なのよ!わかる!」

妄想さんは光志郎君を見つめます。

妄「絶望さん、帰るよ!」

妄想さんは、光志郎君の手を取って進路指導室を出ていきました。

 

 

 

外は、雨がふっています。妄想さんと光志郎君は一本の傘に肩を寄せて歩いています。

妄「あぁ、むしゃくしゃする、天才、天才ってなんなのよ、今までさんざんバカにしてきたのに、絶望さん、聞いてる?」

光志郎君は、イライラしている妄想さんを見て、笑っています。

絶「ルンバちゃんは、かわいいね!」

妄想さんは、そんな光志郎君を見て笑いました。

妄「ねぇ、このまま、どこか行こう、お腹すかない!」

絶「うん、吉野家がいい!」

光志郎君と妄想さんは、吉野家に入っていきました。

妄「絶望さんは特盛だったわよね、私は並みでお願いします。」

絶「このあとさぁ、今さ、ガンダムOOのA.wakening.of.the.trailblazerがリバイバル上映してるんだけど、見にいこうよ!」

妄「映画か?たまには、いいわね!」

光志郎君と妄想さんは、吉野家を出て、映画を見終わった頃には、夜になっていました。

妄「すっかり、暗くなっちゃたね、いつの間にか、雨、やんだんだぁ、そろそろ帰りますか?」

絶「あそこの公園で休んでいこうよ!」

光志郎君と妄想さんは、公園のベンチに座って空を見上げました。

妄「わぁ~、星がいっぱいで、綺麗!」

雨あがりの夜空いっぱいに、星くずが輝いていました。

 

絶「世界中の人の数と星の数、いったい、どっちが多いのだろうね?僕たち、一人一人があの星だとしたら、宇宙はどれだけ広いのかな、それぞれの違う世界を持ちながら、共有する世界、僕にもクアンタがあればなぁ、セスナじゃないけど、量子化すれば人も金属のような物質も、この世界中がわかりあえる時がくるのかな?」

妄想さんは、光志郎君の瞳からこぼれる涙を見ました。

妄「なんだか絶望さんが、遠くへ行ってしまいそうで、怖いわ?」

光志郎君はポケットからスマホを取出し、UVERworldのクオリアをかけました。

妄「私、この曲、好き。」

妄想さんは、光志郎君を見つめます。

絶「僕も、大好きだよ。」

 

光志郎君は妄想さんの柔らかい唇に自分の唇を重ねました。

 

 

 

絶「どこにも行かないよ。」

 

 

雨あがりの夜空に、クオリアがしみこんでいきます。




はい、どうも、ありがとうございます。

ガンダムooやエウレカセブンのような、基本的な世界感がしっかりしていて、時代に合わせたメッセージ性がある作品は、いつまでも色あせないないなぁと思います。皆さんは、どんな作品がお好きですか?
それぞれの感性を大切にしましょう!

また、会いましょう。

しんみり、しんみり
愛と平和


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7話 サンシャイン ラブ

はやいもので、絶望光志郎君も高校2年生になりました。
いったい、どんな、高校生活をしているのでしょうか?
はじまり、はじまり、セブンティーンは、悩めるお年ごろ?


爽やかな新緑に柔らかな日差しが心地よいランチルーム。

絶「おはよう、ルンバちゃん、!」

光志郎君は寝ぐせにジャージの上下というかっこうであくびをしながら学校へきました。

妄「おはようって、もうお昼よ。それに、いくら自由な校風だからといって、寝間着のまま来るのはどうかな?」

妄想さんは白シャツに桜色のスカートという初夏らしい服装です。

絶「テストの点数さえよければ、主席日数は関係ないから一緒に高校へ行こうと誘ったのは、ルンバちゃんだよ」

妄「確かにそうなんだけど、毎日、昼登校だとは思わなかったから、なんだか、お昼ご飯を食べるために学校へ来ているみたい?」

妄想さんは光志郎君に、お弁当を渡します。

絶「いつも、ありがとう!さぁ今日のおかずは何かな?」

光志郎君は、カラフルに詰められたお弁当を食べています。

妄「絶望さん、ちゃんと寝てる?また、何かに夢中になってるんじゃなぁい、昨日は何時に寝たのかな?」

妄想さんは、心配そうしています。

絶「たしか、明るかったし、7時くらいかな?」

光志郎君は満足そうに笑っています。

妄「朝の7時まで、いったい、毎日、何やってるの?」

妄想さんは、あきれ顔です。

絶「う~ん、なんというか、お悩み相談っていうか、心の研究、カウンセリング、、、人助けかな?、」

光志郎君は真顔で答えます。

妄「それって、夜中にネットで、誰かと話をしているってこと?」

妄想さんは、不安そうな顔をしています。

絶「ネットとか、そういう現実のものではなくて、意識を繋げてというか、思念をおくるというか、う~ん、説明しずらいなぁ、」

光志郎君は、妄想さんの意識に思念をおくります。

絶『ルンバちゃん、毎日、おいしい、お弁当をありがとう!』

妄「あ、頭のなかで絶望さんの声がする?」

妄想さんは、嬉しそうに微笑んでいます。

絶『そう、そういうことなんだけど、』

光志郎君は、妄想さんの顔をのぞきこみ微笑みます。

妄『スゴイ、すごい、ねぇ、私の考えていることも伝わっっているの?』

妄想さんは、言葉にださずに頭のなかで話ます。

絶『伝わっているよ、イメージだけでも感じ取れなくもないのだけれど、相手が拒絶している時は、とても難しいかな。だから、こちらに伝えるように、言葉にして話してくれたほうが確実かな?いつも、こんな感じで人生相談をしているんだよ、悩んでる人の感情を感じて、相手の意識に僕の思念で語りかけて、相手の深層心理を読み取り、悩みの原因を探す、悩んでる人って、認知バイアスがかかっているようで、トラウマの原因にたどり着けないようなんだ、それに気づけば意外にひとりでも立ち直りやすいんだよね、記憶の解釈の書き換えとでもいうのかな?』

光志郎君は妄想さんの意識から思念をはずします。

絶「それでさぁ、相談があるんだけど、いいかな?」

妄「絶望さんが、相談なんて珍しい、いったい、なあに?」

妄想さんは、嬉しそうに笑いました。

絶「実は、いろいろな人と人生相談をしているうちに、人の意識に興味がでてきて、人間とは何か?いったい、この世界は何でできているのか?何故、人は争うのか?愛と平和な世界をひろげるためにすべきことは何か?疑問がでてきたんだ!それでさぁ、以前からアメリカにある、IQ200以上の人だけが集まって自由な研究ができる、Blue Birdという組織から誘いを受けていて、そこにいけば僕の求めるものがあるかもしれない!」

光志郎君は、真剣な顔をしています。

妄「う~ん、細かいことはわからないけど、やりたいことがあるのなら、やればいいだけ、悩む必要はないのではないかと思うのだけど!」

妄想さんは、当然のように笑っています。

絶「だけど、ルンバちゃんとはなれるのは、」

光志郎君は不安な顔をしています。

妄「私、絶望さんと離れないわよ、一緒に行くに決まっているじゃない!」

妄想さんは、またまた、当然のように笑っています。

絶「そうだよね、そうそう、そうだよね!」

光志郎君も、当然のように笑いました。

妄「ねぇ、ねぇ、それより、絶望さんのさっきの能力、いい名前がおもいついたんだけど、サンシャイン ラブって、どうかな?」

妄想さんは、嬉しそうに光志郎君を見つめます。

絶望「サンシャイン ラブ 愛の日差し、うん、いい感じ!」

光志郎君と妄想さんは、大きく笑いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

8月の暑いなか、光志郎君と妄想さんは、空港にいます。

絶「よ~し、さぁ、これから新しい未来が始まるんだね!」

光志郎君は、少し日焼けしてくろくなったせいか、たくましく見えます。

妄「そう、そう、何事もチャレンジ、さぁ、行きましょう!」

妄想さんは、いつものように、笑いました。

 

 

飛行機 ビューン




光志郎君にも、目的が見つかって良かったですね!
さぁ、次回は、どうかな?
何が待っていることやら?
【挿絵表示】


みななさん、お気づきかと思いますが、雨あがりの夜空に、サンシャイン ラブ は、僕の大大、、、、大好きな、今は亡き、忌野清志郎さんの曲名です。
ずいぶん、ずいぶん、長い間、心の支えでした、

暑いぜ、ベイベー
愛しあってるか~い?

愛と平和!

それでは、また!


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8話 カインド オブ ブルー

さて、アメリカにある、ブルーバードという、極秘特別研究機関所属となって、6年がすぎ、毎日が楽しく充実した日々をおくる、絶望光志郎、23歳であります。

はじまりの前に、ブルーバード所属メンバーの紹介です。現在13名が所属しています。

創立メンバー
ベッチ所長・最高責任者で、機能脳科学、認知心理科学、洗脳学、民族学、歴史学、宗教学、、地政学、経済学、等々の人類文化はもちろん、物理科学、宇宙科学、計算機科学、生物学等々の科学法則、さらには、葉巻、エレキギター、気功、古武術を極めている。愛と平和の為に活動している。
3博士
クラーク博士・宇宙科学、未来予想・科学説明
ハイライン博士・もと軍人、戦術学、兵器、戦闘
アシモフ博士・Ai、ロボット、社会学、
二期生
陀来(ダライ)僧侶・仏教学、人権活動
太郎・芸術家・縄文研究
マドンナ・ポップスター・人道支援活動
三期生
謎の3名
ドランプ・
ジョブス・
マッグ・
四期生、
チェン・武道家(クンフウ)、香港出身、
絶望光志郎・サンシャイン ラブ、愛と平和、
バーカー・小説家、オカルト研究、犯罪心理学


べ「だから、世界は、愛で、出来ています。」

ジャケットに革パンという、60すぎの男が話しています。

絶「ベッチ所長、そこが、わからない?量子や原子という物質ならわかるのだけど、愛といわれると!」

光志郎君は、ベッチ所長につめよります。

べ「まぁまぁ、そんなに難しく考えようとしないで、リラックス、リラックス、、、君には、妄想ルンバさんという、彼女がいるよね。」

絶「それがなにか?」

べ「君はなぜ、彼女と離れないのかな?」

絶「それは、好きだから、」

べ「そう、その感情こそが愛です。」

絶「それは、わかっています。何の関係が?」

光志郎君は、スッキリしません。

べ「物理原則と、感情意識を分けるからわからないのです。どちらも、情報であり、現象法則を読み取けば、予測できるのではないのでしょうか?」

絶「確かに、現象には、法則がある。川は高い所から低い所に流れるように、」

べ「そうです、川は高い所から低い所に流れますよね、以前、私が話した、抽象度数の話しを覚えていますか?」

絶「あの、柴犬、犬、動物、生物、物質、とカテゴリーを減らして、認識の識別を曖昧にすることが抽象度数を上げるということで、抽象度数を下げるとは、その逆に検索をするように、識別カテゴリーをふやして、こだわりを増やすということですよね。」

べ「そのとおりです。それでは、川の水が高い所から低い所に流れるのは、何故ですか?」

絶「それは、重力があるからに決まっているでしょう」

べ「そのとおりです。地球の重力により、水が地球の中心に引っ張られています。」

光志郎君はもやもやして、スッキリしません。

べ「それでは、抽象度数が高い所から低い所にいくのは、何故ですか?」

絶「川の水が、重力なら、抽象度数は、、、こだわりですかね??????ベッチ所長は、さっき、ルンバちゃんの話しをしたのはなぜなんだ????僕はルンバちゃんのことが好きだから一緒にいる??好きというこだわり、」

光志郎君は、ニヤリと笑いました。

べ「そう、それです!」

ベッチ所長も、ニヤリと笑いました。

絶「好きというこだわりが、愛なんですね!」

べ「そう、愛です。後は、物理法則と認識法則を合わせて考えれば、、、」

絶、べ「世界は愛で出来ている!」

ベッチ所長と光志郎君は顔を見合わせて声を合わせて言いました。

絶「それにしても、地球も相当なさみしがりですね?」

べ「だからこそ、世界は、繋がりあうのです。それが愛なのです!」

絶「それでは、量子や原子にも、感情が有るということですよね!」

光志郎君は、嬉しそうに笑いました。

べ「私たちとは違う仕組みでしょうが、当然、有るでしょうね、彼らも、さみしがりやなのです。曖昧こそ、エネルギーの源であり、だからこそ、繋がりあうのです。」

絶「ありがとうございます!僕は、これで次へ行くことができます!僕の夢に向けて、愛と平和、全てとの繋がり、後は、会話の手段をみつけるだけで、互いに待っているはずです。僕たちは、もっと、わかりあえるはずです。」

 

べ「君は、私の希望であり未来です。何事も、抽象度数をあげ、全体からみましょう。視点を広げ、繋がりをとらえましょう、広がる世界を繋げようとする力、反発する間におきるエネルギー、曖昧だからこそなのです!」

 

絶「う~ん、確かに宇宙は広がっている、曖昧がエネルギーを生み出し、寂しがりやの愛が形を繋ぎ留めようとする、なんだか、ワクワクするぞ!」

 

光志郎君は、未来に希望をふくらませました。

 




どうでしたか、小難しいですよね。
いきなり、6年後とは?間の話しも、そのうち書くかもしれません。
ベッチ所長には、モデルがあります。
苫米地英人さんです。
私の思考的価値観に多大な影響を与えてくださいました。
今回は、私なりに解釈した苫米地理論ですので、違う所があるかと思いますが、とても未来的思考かと思います。気になるかたは、調べてみてはいかがですか?

次回も、ブルーバード編になるかと思います。
それでは、また、会う日まで!


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9話 カインド オブ ブルー 続

今回も、前回の続きになります。
絶望光志郎君と3博士との議論が中心となります。
なぜ、人は争うのか?

そんなお話しです。

それでは、はじまり、はじまり



70前後のおじいさんが、3人集まり、なにやら議論をしています。

絶「また、3博士が、なにやらいいあっているなぁ、話しに加わろうかな、チェンはどうする?」

光志郎君は、隣にいる同期生のチェンに尋ねます。

チ「あの3博士の話しは長くて、めんどくせい、俺は、やめとくわ!、後で晩飯、妄ルンと、三人で食おうな!」

チェンは、逃げるように離れて行きました。

 

3博士のなかで、ガッチリした骨太の体つきをしていて、ハゲ頭なのが、最年長のハイライン博士75歳で、元軍人のせいか、俺様的なマッチョな性格ですが、なかなか頼りになります。

中肉中背で、品が良く優しそうなのが、クラーク博士72歳で、宇宙科学による人類進化を研究しています。

細身で背が高く、いかにも神経質そうな顔をしているのが、アシモフ博士69歳でAi.ロボットによる未来社会について研究しています。

 

 

 

絶「こんにちは、盛り上がってますね。」

光志郎君は、議論の輪のなかに入ります。

ク「こんにちは、光志郎君は、なぜ人は争うのかと思う?」

絶「う~ん、、自分の思想を正当化したいからなのでは。」

ハ「それでは、必要以上に領土を拡張しようとする、侵略戦争は、なぜ、無くならないのだ?」

ハイライン博士がにじりよります。

絶「え~と、、それは、より大きな国力を手にいれたいからかな?」

ア「だとすれば、なんの為に、更に大きな国力が必要なのか、生活を維持する以上の領土をもとめるのか?」

アシモフ博士があきれ顔で問いかけます。

絶「う~ん、現状ではたりていても、将来的にどうなるのか、不安だから、備えとしての保険の為ですかね?」

光志郎君は、淡々と答えます。

ク「保険獲得の為として、戦争をしあっているとしても、国民がへり、国力が下がっては、お互い元も古もないのでは?」

クラーク博士の問にハイライン博士が割り込みます。

ハ「そうだよね、だから、第二次世界対戦後、世界は国連を作り、ふたたび世界対戦がおきないように、武力ではなく、会議というテーブル上でのかけひきに変わったのだよな!」

ハイライン博士の主張に、アシモフ博士が噛みつきます。

ア「それは、戦勝国に都合よく、敗戦国を、操作しやすくさせる仕組みでしかない!、人が人を管理し裁く時代から、人工知能Aiによってロボットが社会を管理運営した方が、遥かに、人は、幸福になれる!シンギラリティーは明日にもやってくるはず!」

アシモフ博士は声をあらげて割り込みます。

ク「まぁまぁ、落ち着いて、その前に、権力を手に入れた人は将来が不安だから、予備としての保険が必要なのは何故なのだろうか?」

クラーク博士は、冷静です。

絶「う~ん、それは、未来が見えなくて、将来的にどうなるか、わからないことが、怖いからでしょ。だから、国家間でも、民間でも、争いは無くならないのだと思います。」

光志郎君は、当然のように答えます。

 

ク「個人が、必要以上に所有するから、無駄が集まり、本当に必要な所に届かない。それを変えようとしたのが、社会主義だよね、だけど、共産社会主義は別においといて、ソ連がアメリカに負けて、崩壊したのはなぜかな?」

クラーク博士は、冷静に議論をすすめます。

絶「え~と、アメリカの資本主義の方が、自由で魅力的だったからなのでは?」

ハ「そうだ、そのとおり、ソ連のクソ野郎よりも、アメリカの自由の方がいい、人間は自由の為に戦うのだ、自由こそが正義なのだ!」

ハイライン博士は、嬉しそうに笑いました。

ク「ハイライン博士、あなたの主張はおいといて、無駄があることは、はたして、悪いことなのだろうか?」

ア「無駄は、悪いに決まっているではないか!だからこそ、我欲にまみれた利権にむらがる権力者よりも、Aiとロボットの時代になるべき!」

ク「ハイ、ハイ、、アシモフ博士の主張もおいといて、絶望光志郎君、君は、無駄についてどう思うのかな?」

クラーク博士は、冷静に優しく微笑みます。

絶「確かに、無駄は減らすべきです。だけど、人は、無駄があることで、ゆとりが生まれます。ゆとりによって、人の文化は発展し、イノベーションにより、世界は進化して、形造られてきたのも間違いないことだと思います。

光志郎君も冷静に答えます。

ク「そうだよね、20世紀中頃までたいはんの人類は、食べるたべに、生きていたようなものでしかなく、それが、資本主義の発展として、労働者階級を生んだ。21世紀に入り、ようやく人類は、食べるための労働から、解放されようとしている。自由な時間というゆとりをもった人類は何をすると思う?」

クラーク博士は、冷静に問いかけます。

絶「う~ん、ゆとりは、モチベーションのエネルギー源だから、更なる進化で、エントロピーの増加により、進化のスピードは加速していくことでしょうね!」

光志郎君も、冷静に答えます。

ク「そのとおり、争いも、ゆとりも、人間にとっては必然的なことであり、あとは、降り幅の問題なんだね!」

絶「う~ん、、、降り幅、、ゆとり、、曖昧なこと、、、揺れ動く振動はエネルギー、、、揺れ動く振り子、、、感情の振り子、どれも、、遊び、、そうか、わかりました!」

光志郎君は、ニヤリと笑いました。

絶「遊び心ですよね。機械には無く、人の心には曖昧という定義がある。ようは、暇つぶしなんですよー、退屈だから、何かはじめる行為、好きも嫌いも、満足も不満も同じことで、だた、モチベーションのベクトルが違うだけなんですよ!」

光志郎君は、スッキリとした顔しています。

 

3博士も、ニヤリと微笑んでいます。

 

絶「ありがとうございます、何かつかめた気がします。」

 

ク「いえいえ、こちらこそ、」

ハ「また、おいで、」

ア「君の未来がうらやましいよ、」

 

 

絶「それでは、また!」

 

 

光志郎君は歩きだします。

 

 

絶「あ~、人生、暇つぶしかぁ、」

光志郎君は、かみしめるように、つぶやきました。

 




長い、長すぎる~の声が聴こえてきそうです。
初めて、2000文字を越えてしまいましたので、短めに、

また、あいましょう!


そうそう、次回もブルーバード編、続きます。


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10話 カインド オブ ブルー 続々

カインド オブ ブルー編、三話目となります。

今回は、二期生の所属メンバーとの話しとなります。

テーマは、宗教と想像(創造)です。

さぁ、どうなることやら、、、


なにかと、忙しくて、研究所に顔を揃えない二期生のメンバーが、珍しく三人そろって話しをしている。

 

黄色の着物に、オレンジの袈裟を着ているのが、陀来(ダライ)僧侶88歳で、母国チベット解放と世界平和のかけ橋として、世界中をとびまわっている。

オールバックでやたらと、目がギラギラしていて、小柄のわりに、エネルギッシュなのが、太郎さん62歳で、日本の縄文文化をもとにした、芸術家活動をしている。

研究所、唯一の女性であり、才色兼備で美しい人が、マドンナママ56歳で、世界を又に駆けるポップスターであり、人道支援活動のボランティアをしている。

 

 

マ「お久しぶり、光志郎もこちらに来て、一緒にお茶でも、どう?」

マドンナママは、愛嬌たっぷりに誘います。

絶「はい、お久しぶりです、」

光志郎君は三人が囲む、テーブルの輪に加わります。

陀「はい、日本茶だよ、どうぞ、」

陀来僧侶がにこやかについでくれます。

絶「いただきます。ところで、珍しく三人で集まって、何を話していたのですか?」

光志郎君もにこやかにお茶をすすります。

太「いやぁ、なんて話しでもないのじゃが、ほら、三期生のやからが、経済、経済と金儲けばかりしているようで、、、光志郎君は、三期生に会ったことはあるかい?」

太郎さんは、がらがら声で話します。

絶「それが、ここにきて6年ですが、噂に聞くぐらいで、三人とも表には出てこないけど、相当な資産家で、経済界での権力はぜつだいだそうで?」

光志郎君はいかにもうさんくさそうに言います。

マ「そうなのよ、表に出ないことをいいことに、各個に圧力をかけて、自分たち資産家に有利な法案を通させているみたいなの、それに、いろいろ悪さをして民衆からお金を合法的に荒稼ぎをしているようで、そんなにお金があるなら、私たちのように、ボランティアでも寄付でもすればいいのに、信仰心の欠片もないのかしら?」

マドンナママは、悔しそうにしています。

陀「絶望さんは、日本人だよね、!やっぱり、仏教を信仰していますか?」

陀来さんは、にこやかに微笑みます。

絶「どうかな?お寺には行くけど、神社も行くしなぁ、クリスマスはケーキを食べるし、今時の日本人は、楽しめればそれでいい自分に都合のいい、自分教というか?」

光志郎君は、とまどっています。

太「いやぁ、日本人は、何千年前から、縄文文化が基盤にある、さしずめ、縄文教じゃよ!光志郎君!」

太郎さんは、大きながらがら声で話します。

絶「今でも縄文ですか?かなりの科学的近代国家ですよ?」

光志郎君は、不思議そうに尋ねます。

太「そうじゃよ、科学がすすんでも、精神は縄文のままの、安心安全の決まりを守り、つつましやかで心優しい文化じゃよ!だからこそ、私は縄文に引かれ、つつましやかのなかに仲間とのつながり、自然との一体感からくる生への喜び、、、祭りじゃよ、祭りこそアート、、、あふれだす歓喜、、、芸術は爆発だぁーーー!!!」

太郎さんは、ほとばしらせています。

陀「まぁ、自然との一体感といっても、江戸三千万人の人口を養うのが、やっとな国土だがな、縄文思想そのものは、世界にるいを見ないほどの、秩序社会文化なのは間違いない!話しをもどすが、今の日本には、宗教はないのかね?」

陀来僧侶はふたたび光志郎君にたずねました。

絶「有るといえば有る、無いといえば無い、無意識には漂ってはいるのだけれど、意識下には無いって所というか?」

光志郎君は、まだ、とまどっています。

マ「東洋は、曖昧すぎるのよ、キリスト教なら、悩むことはない!答えは、聖書に書いてあるのだから。全ての人が同一の価値観にある。富むものが貧しきものに手をさしのべる寄付の文化なのよ!」

マドンナママは、自信たっぷりにいいます。

陀「まぁ、キリストは素晴らしいのは認めるが、だとすれば、今の資本経済社会をつくったのも、世界中を神のなのもとに、侵略していったのも、西洋思想じゃぞ。ならば、神の名をつかえば、なにもかもが、正当化できるのか?時代と共に、西洋宗教がいくつもの思想に別れていったのはなぜじゃ?それこそ、光志郎君が言う、都合のいい、自分教ではないのか?まだ、日本の方が、他人のものまで奪わないだけましなのでは?」

陀来僧侶はさとすようにいいます。

絶「陀来僧侶、自分を信じてはいけないのでしょうか?」

光志郎君はたずねました。

陀「今の時代、個人主義が当たり前じゃ、そんな時代に古い価値観は通じないのかも知れない、前時代は、争いをなくし、法律に変わり秩序を守り、民衆に不安を感じさせないことが、宗教の役目じゃった。これだけ、科学により新たな法則がみつけられ、世界中が多種多様になり、金で支配できる世の中では、古い価値観のままの宗教では意味を成すまい。それぞれが争わず、幸福感を感じられるように、ぬるま湯に漬かってなまけていないで、宗教も時代に適応していくべき所は、変わらなければいけないじゃろうな?」

陀来僧侶は、しみじみと話しました。

絶「僕は以前、人も星も同じだと思いました。人も星のように孤独な存在です。一定の距離を維持しながら互いに均衡をたもっています。一人一人にそれぞれの宇宙があるのではないのか?全体があるからこそ個人を認識します。神につかえるのではなく、自分自身に問いかけ、答えをさがす、一生見つからないかもしれません、ベッチ所長は、世界は愛で出来ているといいました。宇宙はさみしがりやなのでは、だからこそ、広がり続ける宇宙のなかで、独自進化をした孤独な星は重力で形を維持している。そんな星ぼしは互いに均衡を保つことで助けあって存在を維持するのです。、、、僕たちは、自分の未来に責任を持つべきです。この世界を形創るのは、神ではなく、僕たち一人一人の未来への意志です。心ざしを持つべきです。その心ざしが臨場感を上げ、僕たち自由意志を持つものの希望になるのです!今まで、この研究所で6年間、多種多様なあらゆる学問を細かく正確に分析し研究してきました。物事は細分化するほど、そのものにたいしての謎は解明され、情報量が増えることにより理解が深まりますが、単一の対象だけを視ていては、ぼやけて全体が視えません、全体を視るためには視野を広げぼやけた視点をあわせる必要があります。」

光志郎君はモヤモヤを振り払いスッキリした顔をしています。

 

陀「光志郎君、それこそが、ブッタが解いた悟りだよ!世界のものごとは、全てが同等の価値を持つ、宇宙にも自分にも等しく同じ視点でとらえながら、それぞれを別の視点でとらえ尊重すること、全てを一度情報化すること、人の体も他の物質も分解すれば、共通原子の組み合わせにすぎないことが、科学のない時代に見抜いていたのじゃよ!地球上の原子は何度も組み合わせを変えて、さまざまな形をなしてきたことを!、、、いずれは、新たな原子が見つかることじゃろう、、、宇宙の謎が解明せれるほど、仏教心理に近づくのはそのためじゃよ!」

 

 

 

太「やっぱり、若さはいいねぇ、エネルギーがほとばしり、爆発しているようじゃ!」

太郎さんは、ニッコリ笑いました。

 

マ「うんうん、だからこそ、人は、すばらしい!いつか私のコンサートにもきてね、そこでは、私が神なのよ!」

マドンナママは、嬉しそうに光志郎君にハグをしました。

 

陀「これで君の未来は大丈夫!そろそろ、ブルーバードを出てはどうかね?広い視点から世界を見てはどうじゃ、君さえよければチベットに来んか?ただし、油断は禁物だよ、悟りは錯覚でしかなく、身体こそが重要だからな、人間は身体反応からは逃げられないから修行をするのじゃ!」

陀来僧侶は印を結びました。

 

 

 

絶「ありがとうございます。お茶、ごちそうさまでした。」

 

光志郎君は、立ち上がり三人に別れをつげました。

 

 

 

チェンが武道場で工夫(クンフウ)の稽古をしています。

絶「よぅ、チェン、僕も混ぜてくれないか?」

光志郎君は、ブルーバードに来てから、ベッチ所長と古武術の稽古をして体を動かすのが日課になっています。

チ「おぅ、一致ょ揉んでやるから、かかってらっしゃい!」

チェンは工夫の天才です、いくら、サンシャインラブの相手の意識を読みとる能力でも、無意識からの攻撃は読みとれません。

絶「なぁ、無意識の状態で、よく攻撃出来るなぁ?」

チェンの脱力から無モーションの横蹴りが跳んでくる、かろうじてよけます。

チ「それだ、反応だよ、考えるな感じろ!」

ツキの連撃がくる、なんとかさばき、反撃の前蹴りをだすが抵抗のない流れるような動きでさばかれる、ついでに蹴り足を手首に絡めて重心を崩しにくるので、こちらも踏ん張らず相手の流れについていく。

チ「おっ、やるようになってきたなぁ!」

チェンのすばやいツキと蹴りのコンビネーションから踏み込んでの当身です。みぞおちに肘が入り、光志郎君は崩れ落ちます。

チ「なかなか、反応がよくなってきたけど、俺には、通じねぇな!もっと稽古をすれば、お前もかってに体が動くようになる、スジは悪くない、俺が保証してやる!」

チェンが水を持ってきてくれました。

絶「考えるな感じろか!反復練習による思考をかえさない行動か、身体感覚が脳と直結することだよなぁ、ありがとう、また稽古しような!」

光志郎君はチェンと別れました。

 

絶「全体の視点と細部の視点、矛盾した二つの視点を同時にもつか、考えるな感じろ、だから、悟りは錯覚なのか、自由意志といっても、身体反応には逆らえない、痛ければかばうが、反復練習によって身体反応パターンを書き換える、全てを想定した稽古と平常心を保って身を任せることが修行なのかな?いいところまで来ている気がする。」

 

 

 

汗を流しにシャワー室に行くと、四期生のもう一人の同期、バーカーがいます。バーカーはモダンホラー小説家で、オカルト研究、犯罪心理学を得意とするサイコパスです。

絶「やぁ、バーカー、一年ぶりじゃないか、小説が書きあがったのかい?」

光志郎君は爽やかに尋ねます。

バ「ふ、ふ、ふ、まぁね。」

バーカーは口元だけを動かして答えます。

絶「相変わらず、解りにくい性格だなぁ、今度、同期三人でご飯でもいこうなぁ!」

光志郎君は、バーカーは誘っても来ないことを知りながら、いつも社交辞令のように誘います。

 

光志郎君は、バーカーと別れました。

 

 

 

 

絶「さぁ、今晩は、ルンバちゃん何を作ってくれるかな?、、、話しのネタは尽きないしなぁ、晩御飯が楽しみだなぁ!」

 

 

光志郎君は、少し早足ぎみに歩いて行きました。




あぁ~気づけば4200文字を越えてしまいました。

ぐだぐだと、下らない持論を書いてしまいました。

だがしかし、僕は僕の未来を目指すのだーーー!

それにしても、日本の仏教は、空海に始まり親鸞である意味、完成したのかもしれません。……修行とは?捉え方しだいで、全ては思い込みなのかもしれませんね?

親鸞は、[自然法爾]という、善悪を考える以前に宇宙の自然そのままがいいという、発想にたどり着きます。

昔から日本は、性善説で成り立っており、あまり策略をめぐらし考えすぎると善からぬ世界に成りかねないということなのかもしれませんね?

人体にしても同じことなのかも?……なにより自然体が一番よいのかもしれません?……こだわりはほどほどにってことかな!

親鸞に興味の有るかたは、[歎異抄]を読んでみてはどうですか?……日本人って、何なのでしょうね!

とりあえず、ブルーバード編は、これにてです。


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11話 モーニング グローリー 上

帰ってきました。楽笑おじさんこと絶望光志郎さん48歳の話です。
時は2048年4月26日、(3話から一年後)、の世界。

いくつかの大企業が、国家よりも経済力をもち、世界は個人の思想的自由意志を優先した。国家という概念は無くなり法律は改正され、東京、北京、上海、ニューヨーク、カルフォルニア、等々の経済都市は互いに独自のネットワークを築き独立していった。

バーチャル空間の進化により、同じ思想を共有する人がアバターと化し複数の思想世界を内包する個人が現れた、人の価値観は時間と場所にとらわれなくなり、リアル体験が最大の贅沢とされた。

重力を制御するGクオーツという物質が、大資産家のドランプが運営する、ドランプ財団によって月面裏で発見され、新たな技術が人の生活を大きく変えていった。

Aiが社会を管理し、ロボットに生産労働を任せた人類は、新たなゆとりを手にいれていった。リアル体験が最大の贅沢な遊びとなったことにより、地方都市は観光がメインの産業となり、住民はエキストラ化していきテーマパークのようになっていった。

世界人口は、Ai、ロボットが社会進出するほど減り始め、労働力としての人口は無用なお荷物となり、現在、32憶人となった。

大企業や慈善団体が提供する価値観(思想)に賛同することで、ポイントが毎月配布され、それぞれが運営するコミュニティで利用することにより、国家によるインフラ整備や紙幣は無くなっていき、国家の価値観も選択の一部となった。

権力は王族や大資産家等の富裕層に集中し、全人口の4.5%が富の80%を所有している。それ以外の一般人で、残りの95.5%で20%の富をほぼ均等に分け会うことにより、95.5%の間での格差はなくなり年収90万が当たり前になったが、技術革新、社会制度の改革、人口減少、により以前より生活環境は良くなり、遺伝子操作、人口臓器、等の医療技術の発展により平均寿命は95歳を越え、4.5%の富裕層の中には170歳を越える人も珍しくない。富裕層の間では、お金に代わり、現実場、仮想場で、より多くの住民登録者数がステータスになっている。

日本は世界最古の文化遺産と認められ、世界の王族と大資産家により、皇室は世界のシンボルと化した。東京は関東を吸収して世界1の経済都市となり独立した。そのため、江戸時代の幕藩体制のような、日本連坊となった。歴史ある地方は、世界の憧れの的になりテーマパークのようになっていき、住民は日本文化を継承するエキストラのような生活となった。世界中の富裕層が集まり単一民族ではなくなったが、伝統、文化、治安のよさは維持している。


モーニンググローリーとわ、オーストラリアのカーペンタリア湾上空に発生する、巨大ロール状態の長い帯状の雲のことです。






楽笑おじさんこと絶望光志郎と妄想ルンバは、オーストラリアのパークタウンにいます。

 

 

妄「さぁ、起きて!間に合わなくなるわよ。」

ルンバは光志郎の体を揺すります。

絶「おはよう、?」

光志郎は眠そうに目をこすります。

妄「ほら、モーニンググローリー、行くんでしょ?」

ルンバは光志郎の顔をのぞき込みます。

絶「あ、そうだ!行く、行くに決まってる!」

光志郎は慌てて飛び起きます。

妄「はい、着替えて、間に合わなくなるわよ?」

ルンバは光志郎に着替えを渡し自分の準備をします。

絶「それで、天気はどうなの!晴れてるよね?」

光志郎は着替えながら聞きます。

妄「晴れ、晴れ、快晴なのよ、きっと、いい誕生日になるわよ!」

ルンバは嬉しそうに笑います。

絶「たのむ、モーニンググローリー、出てくれよ!」

光志郎とルンバは部屋を出ます。

 

 

 

 

光志郎とルンバは海岸にきました。

絶「出てる、出てるよ!、さぁ、行くよ、」

光志郎とルンバは2人乗りのグライダーボードに乗り、上昇気流に乗って2000メートル上空へ舞い上がります。

妄「気持ちいい~~!、これもGクオーツのおかげね。」

ルンバは背中に光志郎の温もりを感じながら興奮しています。

絶「Gクオーツが重力に反発して浮いていられるからね!」

光志郎はグライダーボードを操りモーニンググローリーに上空から近づきます。

妄「あまり近づくと気流に巻き込まれて、危ないわよ?」

ルンバは不安を感じながら胸の高鳴りを押さえた。

絶「大丈夫だよ、心配しな・・・?」

光志郎とルンバを乗せたグライダーボードが、気流にのまれバランスをくずした。

絶「ぅお~、~つかまれ~!!!」

グライダーボードは、モーニンググローリーのなかへ吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

光志郎とルンバは辺り一面、真っ白な世界にいました。

 

グライダーボードから降りて立ち上がる

 

妄「ここは、どこ?」

ルンバは光志郎にすりより不安を落ち着かせる。

 

絶「誰か、いないのか?」

光志郎は意識を集中して、辺り一面の気配を探す。

妄「サンシャインラブでも、見つからないの?」

ルンバは光志郎の手を強くにぎる。

絶「あ、見つけた?近づいてくる!」

光志郎はルンバの手をにぎりかえす。

 

?『やぁ、光志郎、心配しなくても大丈夫だよ。』

ひとりの発光する思念体が現れる。

絶『あなたは、何者なんだ?』

光志郎は平常心を保っている。

?『私は、別次元の存在、君たちが言う意識だけの存在、ルンバにもわかるように、意識をつなげている、私には名はないが仮に∀としよう、ここは、君たち3次元の世界と私たちの次元を繋ぐ通路のような空間であり、君たちのよぶモーニンググローリーは扉なのだ。』

妄「私たち、かえれますか?」

ルンバは声に出して話しかける。

∀『大丈夫、私たちと同じ能力を持つ、光志郎がいればいつでも帰れる。』

ルンバは光志郎のにぎる手を緩める。

絶『同じ能力とはどういう意味なのですか?』

光志郎は不思議そうにたずねる。

∀『君には、私たちの情報が混ざっている、』

絶『情報が混ざっているとは、どういう意味なのですか?』

光志郎は更に不思議そうにたずねる。

∀『光志郎、君は、私たちと人間とのハーフなのだ!』

妄「ハーフ!どうみても人間なのでは?」

ルンバはあきらかに動揺している。

∀『私たちにとっては時間は無意味だが、君たちにとっての49年前に、光志郎、君の母親がこの空間にきた。私たちは君の母親と思念を交えた。私たちは君の母親を気に入った。君の母親も私たちのことを気に入った。私たちには他人という概念がなかった、それまでの私たちは意識を共有したひとつの思念体でしかなかった。君の母親は私たちにさまざまな感情を教えてくれた。そのなかに愛という感情があった。君の母親と私たちは互いに愛を感じあった。君の母親は私たちとの間の愛の形が欲しいと願った。私たちも君の母親と同様な感情をいだいた。私たちの一部が分裂し、はじめて私たちに同胞ができた。分裂した同胞は君の母親に溶け込んだ、私たちには3次元の情報を読み取りイメージによって形作る能力があった。君の母親のなかで分裂した同胞は君の母親と交わった。そして君が産まれた。君の母親は、自分が育った空間で君を育てたいと願った。分裂して君の母親と交わった同胞はそれでいいと願った。私たちは君の母親と私たちの同胞から変化して産まれた存在が、別の次元へ行くことをのぞんだ。それが、光志郎、君なのだ!』

絶「そうか、そうだったのか、だから僕にはサンシャインラブがあるんだ!」

光志郎は、自分の中から聴こえる声を感じた。

声『君の母親は本当に素晴らしい人だった、君が八歳の時に事故にあい亡くなってしまった、それでも私は君の自尊心を信じて君に語りかけなかった、君は妄想ルンバの家に引き取られた、君は自分の家に帰るといって1年後にひとりで暮らすことを選んだ、君のそばにはいつもルンバがいた、良かったね、光志郎、さようなら!』

光志郎の瞳から涙がこぼれおちた。

妄「大丈夫?大丈夫!」

ルンバは光志郎を抱きしめた。

絶「思い出したんだ、お母さんのことを、やさしくて、大好きだった、お母さんのことを。」

光志郎はルンバを抱きしめた。

妄「ひとつ質問があります。どうして私たちのことをご存知なのですか?」

∀『私たちは君たちでいうところの傍観者なんだ、ただ感情もなく意識を繋げ観察するのが、私たちのエネルギー源なんだ、君たちのこともずっと視ていたよ、さぁ、君たちの場所へ帰るがいい。』

∀はやさしくうながします。

絶「ルンバ、いつも一緒にいてくれて、ありがとう!」

光志郎はニッコリ微笑みました。

妄「そんなの、いいの、ありがとう!」

ルンバもニッコリ微笑みました。

絶「さぁ、帰ろう、∀ありがとう、さようなら!」

 

 

光志郎とルンバはグライダーボードに乗り帰っていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




新しいモーニンググローリー編が始まりました。

自分たちの次元へ戻った光志郎とルンバに何がまつのか?

【挿絵表示】


次回もよろしく!

今回の未来設定は、苫米地英人さんの百年後の日本人、ユバァル ノア ハラリのホモ・デウス、岡田斗司男さん、武田邦彦さん、等々のご意見を参考にさせていただきました。
心より感謝申し上げます。


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12話 モーニンググローリー 中

前回、モーニンググローリー 上 の続きとなります。
楽笑おじさんこと絶望光志郎48歳と妄想ルンバが、モーニンググローリーという異次元の入り口から戻ったところから始まります。

未来設定は、お手数ですが、前回、モーニンググローリー上でご確認下さい。


さぁ、はじまり、はじまり、




光志郎とルンバを乗せたグライダーボードが、Gクオーツの重力制御によってゆっくり降りてくる。

絶「あ~ぁ、お母さんのことを思い出せなかったのには、あんな理由があったのか!ルンバちゃんは、僕のお母さんのこと、覚えてた?」

光志郎はルンバにたずねます。

妄「う~ん、なんとなくは覚えていたけど、私と一緒に住んでいたころの絶望さん、お母さんの話をすると暴れだすから話さなかったの、それに、ず~とひとりで部屋にこもって出てこなかったし、あの頃のこと覚えてる?」

ルンバが光志郎にたずねます。

絶「なぜか、子供の頃の記憶を思い出そうとすると、頭が痛くなるから覚えていないんだよ、ルンバちゃんの家に居たことなんてまったく覚えて居なかったな、ごめんね!」

光志郎はグライダーボードを操って着地します。

 

 

 

妄「なんか、いろいろありすぎてお腹すかない?」

ルンバは明るく微笑みます。

絶「いいよ、さすがに吉野家はないだろうから、マッグならどこでもあるでしょ?」

光志郎はグライダーボードをクルマに積み上げ、マッグへ向かいます。

 

この時代、現実空間では無駄をはぶくために、都市以外の地方では、街、工業地、農地、自然保護区とエリアごとに別れており、Aiが計画した場所以外は一般人は立ち入り禁止で、移動手段も自動走行車がAiに管理されながら走っています。Gクオーツ搭載の浮遊型車両はコストが高く、一般には普及していませんが個人所有のクルマはほぼ無くなり、必要な時だけのレンタルになります。今回のモーニンググローリー見学も、この町の観光アクティビティであり、レンタルばかりです。

オーストラリアのように、何も無い広い平地を大企業が買い取り、未来タウンを建設して住民を受け入れています。

ショッピングモールを中心に半径1400メートルの町が、計画的に10キロ圏内に1ヶ所づつあり、町ごとに独立した制度をとっており、15000人程の住民がいます。物資や治安の管理も大半の町が大企業のマニュアルソフトと契約して維持しています。

マニュアルソフトには、全世界100種類程の店舗[病院、学校、娯楽、衣類、飲食、家電、生活雑貨]が基本パックで入っており、どの町も基本的には同じように出来ています。町の中心から半径800メートル上にLRT[無人電動路面電車]が走っており、東西南北には十字にモノレール型の無料循環車両が走っています。一般車両は町には入れません。

マッグは、マッグ財団が徹底してコスト削減をした、世界初のオートメーションの基本パックの店舗で、全世界で楽しまれている飲食店です。

 

 

絶「あった、あった!マッグ見っけ!」

光志郎は嬉しそうに笑います。

妄「さぁ、いつでも、どこでも、安定のマッグ、!なに食べようかな?」

ルンバと光志郎は店内に入り、フォログラフィの犬が擬人化したマスコットキャラクター[ナミ]に向かって注文します。

絶「テキサスダブルバーガーとポテトLとチョコシェイクL」

続いてルンバが注文をしようとした時に、背後から大きな人影が襲いかかります。

妄「きゃー、なぁ、や」

ルンバの口を大きな手がふさぎます。

絶「なにしやがる?!、!」

光志郎にも襲いかかってくる影がある。

光志郎はルンバのことを気にしながら、後ろの影に逆らわず相手が羽交い締めにしようとする隙をつき、しゃがむように一旦下方へ重心をおとし影の手首を逆手にひねりながらすり抜け振り返った。手首をひねられた影は前方に揉んどりうって転げ落ちた。

絶「何が目的だぁ!」

光志郎は辺りに気配を配りつつ、ルンバとの間合いを積め助けようとするが、

影「まずい、捕まるぞ!」

影はルンバを投げつてきた、

影「逃げるぞ、ディック!」

二人の大きな人影は、光志郎がルンバを受け止めている間に素早く逃げて行った。

それから60秒ほどたって、ロボット警察が一体入ってきた。

 

ナ「お待たせしました!」

カウンターには、今ごろになって光志郎が注文した品が虚しく出てきた。

 

絶「ルンバ、大丈夫?なんともない?」

ルンバは少しの間呆然としていたが、すぐに正気を取り戻した。

妄「ありがとう、光志郎はなんともない?」

ルンバは自分のことよりも、光志郎を心配している。

ロボット警察がよってきて、事情聴衆がはじまる。

ロボット警察が言うには、3日前から同様な事件がおきており、どうやら、外部からの不法侵入者が食料調達目的による犯行ではのことだった。

妄「ケガが無くなて良かったけど、ロボット警察もだらしないわね、さっさと捕まえてほしいわ!」

絶「あいつらは、きっと、レフプリカンだよ。少しだけ意識をリンクしたんだ。何も起こらなければいいけどな?」

光志郎は真顔でいいます。

妄「レフプリカンってなんなの、危ないの?」

ルンバは不安そうに尋ねます。

絶「月面裏でGクオーツを発見したドランプ財団が、宇宙開拓ように遺伝子操作した強化人間なんだけど、普通では長時間いられない宇宙空間に適応していて、筋力も常人の2倍程で知能も高い、だけど、成長速度が常人の10倍なので寿命が6~8年ってところなんだ。」

光志郎は真顔です。

妄「うわぁ、危ないところだったんだ、何も無くてよかたね!」

ルンバはニッコリ微笑みました。

 

 

 

光志郎とルンバは食事を済ませホテルへ向かいました。

 

 




どうでしたか?
なんだか、うまくまとまらなかった感じです。

今回出てきたレフプリカンは、SF名作映画ブレードランナーのレプリカントの設定を一部借りております。
1982年制作でCGのない時代ですが、とても雰囲気のある良い映像の映画ですので、気になる方は見てみてはどうでしょう?

次回も、モーニンググローリー編です。

では、また!


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13話 モーニンググローリー 下

前回、食事の為にマッグへ行った光志郎とルンバは、レフプリカンに襲われましたが、意外な抵抗をうけたレフプリカンは逃げていきました。

さぁ、何がおこるやら?

はじまり、はじまり、



光志郎とルンバはマッグで食事をおえホテルへ向かいます。

絶「モノレールにのって帰る?歩きにする?」

光志郎はルンバに聞きます。

妄「歩いたほうが早いから歩きにしましょう。」

光志郎とルンバは800メートル程歩くことにします。

 

?「お~い、妄ルン!」

光志郎とルンバは声のする方を見ます。

絶「あれ、チェンじゃないか?」

チェンが笑いながら近づいてきます。

チ「やっぱり、光志郎か、まさか、こんな所でと思ったら!」

チェンとは若いころに、カインドオブブルーという研究所にいた時の仲間です。

妄「チェンさん、お久しぶり!」

ルンバもチェンとは、カインドオブブルーからの古いつきあいです。

 

チェンは光志郎の2つ年下で46歳、香港出身の元中国人です。中国は2028年にチベットやウイグル自治区での、度重なる民族弾圧をネット時代の加速化に伴う情報漏洩により、人権団体が民衆を率いて革命を起こします。表向きにはそういわれていますが、その裏では、成り上がった富裕層が、Ai、ロボット化による労働者が不要になったことで、北京や上海などの世界的な経済都市を独立させ、共産党による人民政策の尻ぬぐいを嫌い見限ったようです。

 

光志郎、ルンバ、チェンの3人は公園のベンチに座っています。

妄「5年ぶり位じゃない?チェンさんもモーニンググローリーを見にきたの?」

ルンバが自販機で買ったお茶を渡しながら聞きます。

チ「ありがとう!ちょと、野暮用でね。ところで、なにも無かったか?」

チェンはルンバと会えたのが嬉しいのか、ごきげん顔です。

絶「さっき、レフプリカンに襲われたところだ、チェンがここへきたのにも、関係あったりする?」

光志郎は、チェンが世界秘密諜報組織[ウイズパード]のメンバーだと知っていて聞く。

 

[ウイズパード]とは、2028年にブルーバード創設者のベッチが、瞑想中に、3次元の記録の保管空間からこぼれ落ちた情報にアクセスしたことをきっかけに、未来への備えとして秘密りに立ち上げた組織で、チェンと同じくベッチから瞑想を指導されていた光志郎も誘われていたが、光志郎は、別にやりたい事がある、と断ったのだった。

 

チェンは真顔になります。

チ『そうだ、5日前に月でレフプリカンの暴動が起きて、調査をしていたのだが、この町にいるという情報がはいってな、まさか、お前がいるとは思わなかった!』

チェンはルンバに聞こえないように声に出さずに意識内で話す。

絶『そうか、僕が会ったレフプリカンは二人づれで、一人はディックと呼ばれていたけど?』

光志郎もチェンの意識に思念をあわせる。

チ『やっぱり、フリップとディック、奴らか!ビンゴだな!暴動のリーダーの二人で、騒ぎの隙をついて逃げるのが狙いだったようだ。』

チェンはニヤリと微笑みます。

絶「ルンバちゃん、チェンの野暮用に付き合うから、先にホテルに行っててくれる?」

光志郎は微笑みながら言います。

妄「いいよ、久しぶりに二人で遊んできてね。、チェンさん、じゃ、またね!」

ルンバはホテルへ帰ります。

 

絶「ちょと、まってろよ、今、思念で探しているから、」

光志郎はレフプリカンの意識を探します。

チ「お前のそれ、いつ見ても便利でいいな?」

チェンはうらやましそうに光志郎を見ます。

絶「あ、いたいた、行くぞ、チェン!」

 

 

光志郎とチェンは扉の前にいます。

絶「このまま突入するか?結構な奴らだぞ。」

光志郎は微笑みながら言います。

チ「俺たち二人なら大丈夫でしょ!」

チェンも微笑みながら言います。

光志郎とチェンは扉を開け踏み込みます。

 

二人の大柄の男がこちらに気づき向かってきます。

フ「お前は、さっきの?なんのようだ!」

フリップはレフプリカン特有の爬虫類のような、ざらざらな皮膚をしており、180センチ以上はあります。

デ「アニキ、殺っちまっていいよな?」

ディックは更に大きく、190センチは軽くありそうです。

ディックは体格のわりには素早く、一気に間合いをつめてきます。

チ「ちぇぁー」

チェンはディックの突進にあわせて、カウンターの飛び膝を顔面にぶちこみます。

デ「ぐわぁ、」

チェンの膝が。ディックの頬にめり込みますが、ディックはそのままチェンを抱えて床に叩き着けようとします。

チ「ふん!」

チェンは、ディックの頬に膝を当てたまま、空中で自ら回転してディックの頭部を床にぶち当てます。

デ「おわぁ!」

さすがにディックも、白目を向いて動けなくグダっとしています。

絶「さぁ、フリップ、まだやるか、どうする?」

光志郎が、フリップに圧力をかけます。

 

フ「あんたらには勝てそうもねえや、どうせ後3年も生きれるかどうかの命、なぁ、見逃してくれねえかな?」

フリップが悲しそうな顔で言います。

絶「チェン、どうする?、なにやら、言い分が有りそうだけど?」

光志郎はチェンに問いかけます。

チ「見逃す訳には行かないな、あんたらは、ドランプ財団の所有となっている、さぁ、おとなしくつかまりなぁ!」

チェンはフリップに近寄ります。

 

フ「あんたらは、いいよな、自由でよ!、俺たちは何の為に産まれてきたのか?、悩んでる暇さえない、ロボットの方がましじゃねえか?いったい、自由意志ってなんなんだ?教えてくれよ、未来を探しにきたんだよ、俺たちは!」

フリップの瞳には涙があふれています。

 

絶「お前たちが望んで存在していないことはわかる、気の毒だとも思う、理不尽な事ばかりだよな、だけど、お前たちは月の住人だ、月には月の生き方が有るのじゃないのか?、時間の尺度が違ったとしても、お前たちでドランプ財団から自由を勝ち取ったらどうだ!」

光志郎はフリップを見ます。

 

フ「あいつら、ドランプには、勝てっこねえよ!、見逃せねえなら、いっそのこと、死んだほうがましだ!」

フリップはディックの側へいきます。

 

チ「死にたきゃ、勝手に死にな、だけどな、わざわざ、何の為に暴動まで起こして地球に来たんだよ?」

チェンはフリップを見ます。

 

フ「変えたかったんだよ、俺は、納得出来なかった!」

フリップは声を震わして言います。

 

絶「それだ、それがお前の自由意志だ、なにが死んだほうがましだ、ギリギリまであがいたらどうだ、何が起こるか誰にもわからない、なぁ、いい言葉を教えてやるよ。」

 

絶「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん!」

光志郎は真顔で言いました。

 

 

 

 

フリップとディックは、人権団体と共に月へと帰っていきました。

 

光志郎はチェンと別れ、ルンバの待つホテルへ向かいます。

 

絶「自分を信じろ、そして、信じた自分を疑え!」

 

光志郎は真顔で微笑みました。

 

 

 




つたない文章を読んでいただきありがとうございます。

「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん!」は、
エウレカセブンに出てくる言葉です。
いつまでも悩んでないで、行動しなければ、何も変わらない!ってことだと思います。
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今回でモーニンググローリー編は、終わりになります。

ブレードランナーの原作、アンドロイドは電気羊の夢を見るか?1968年著作、を書いた、フリップKディックの作品は、何年たっても色あせない魅力があると思います。それにしても、昔のSF作家は、どうやって、あんなに科学的な未来設定ができるのか、すごいですね。
古典的SFといえば、他にも、アーサーCクラーク、ロバートAハイライン、アイザックアシモフも面白いですよ!
おすすめします。

それでは、また!


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14話 キャッチ ザ モーメント ① ボロブドゥール

今回のお話は、ブルーバード編の一年後、絶望光志郎、
24歳、時代は2024年6月初旬です。
陀来(ダライ)僧侶に誘われて、ブルーバードを出てきた絶望光志郎、さぁ、何がおこるやら?

はじまり、はじまり、




絶望光志郎達は陀来僧侶の用事に付き合い、インドネシアに来ています。

 

オレンジ色の着物に朱色の袈裟をした一向が列をなし、遺跡に向かって歩いて行きます。

 

「うゎ~すごいお坊さんの数ですね、この人達も観光なんですか?、ポタラさん。」

妄想ルンバは、ワンピースに薄手のカーディガンという涼しげな格好で、ポタラと寺院に向かう列に並んで歩いています。

「ちがいますよ、あのお坊さん達は、お釈迦様の誕生月の満月の日にお祈りをする為に、ボロブドゥール寺院に集まって来ているのです。」

ポタラは、陀来(ダライ)僧侶が、忙しいから一緒には行動出来ないと、気をきかして紹介してくれた案内人です。

「どうして、こんなに来ているのですか?」

「それはですね、ボロブドゥール寺院が世界最大の仏教遺跡でして、西暦780年位に、ここインドネシアの中部ジャワに建てられたのです。そのため、世界中の仏教徒の聖地のようになったからです。」

「780年に建てられたとなると、いまから、1244年前ですよね?現在のインドネシアって、ほとんどがイスラム教で、仏教徒は1%もいないと聞いてますけど、よく残っていましたね?」

「そうなんですよ!200年前に密林のなかで、偶然、発見されたそうで、ほとんどが、ムラビ山の噴火により火山灰に埋まっていたそうで、それまでは、誰も遺跡があることを知らなかったからだそうです。」

ポタラは嬉しそうに興奮しています。

「1000年間、火山灰に隠されて守られてきた。ある意味、奇跡ですね!」

ルンバも嬉しそうに笑います。

 

「さぁ、ボロブドゥール寺院が見えてきましたよ!」

 

高さ5階建て位の石組みの大きな寺院が見えています。

 

「あそこに、光志郎が陀来さんと一緒にいるんだ!」

ルンバは嬉しそうに笑います。

 

 

 

光志郎は、薄手のパーカーに短パンというラフな格好で、陀来僧侶と一緒にボロブドゥール寺院にいます。

 

 

「光志郎君は、毎日、瞑想をしているそうだが、どんなやり方をしてるのかね?」

陀来僧侶は光志郎と向き合って、石の床に布一枚をひいた上にあぐらを組んで座っています。

「はい、ベッチ所長に習ったやり方ですが、あぐらをかいて静かに座ります。自分の身体に意識を合わせてリラックスしていきます。目を軽く閉じて、周りの気配を身体感覚で探り、頭のなかに浮かんでくる考えを見まもる。重要なのが呼吸の仕方で、鼻から左右均等にゆっくりと全身に酸素が行き渡るイメージで呼吸します。息を吸うときは胸をひらいて背筋をのばして腹をへこませ、気の重心が腹から頭へと引き上げられる感覚になります。息を吐く時は腹をふくらませ気の重心が下腹に集まるような感覚になるという、逆腹式呼吸をしながら頭から全身の力を抜いていくイメージをするやり方です。なれてくると、呼吸をするごとに自身の気の流れが上下し、おでこからのど、胸、腹、下腹、股間へと循環する感覚を感じるようになります。更に深い瞑想になると、おでこに芽生えた思考が肉体を離れて、自身の半身である高次元の霊的な存在と融合するような流れを感じるような感覚となります。」

 

「ふむ、まぁ、基本は出来ているようだね。それで、頭の中に浮かぶ瞬間は現実と変わらないイメージを感じれているかな?」

 

「現実と変わらないイメージとは、音や味や匂いということですか?」

 

「そう、そのとおり、瞬間、瞬間に頭に浮かぶイメージの臨場感を上げ、実際に起こる感覚と変わらないイメージが捉えられればいいんだよ。」

 

「う~ん、起きながら夢を見ているというか、実際にそこにいる感覚にはなっていますが、自分の着ぐるみを着ている感じかなぁ?」

 

「まぁ、そんなとこだね。それでは、密教式の瞑想じゃが、まずは、静かに座り自然な呼吸をする。次に、息を吸う時は、全世界全人類の、ネガティブな惨めさ苦しさの感情を吸い込み、吐く時は、自分のポジティブな喜び至福の全てを吐き出すことじゃ。密教では、胸にあるハートチャクラが人の重要性のみなもとで、慈悲がありネガティブなことをポジティブに変える場所だと捉えているのだよ。」

 

「呼吸によって、酸素を二酸化炭素に変えることかなぁ?……リラックスしながら、ひとつに集中しないで、全体を捉えてイメージで世界と繋がって自然と一体になるようなことなのかなぁ?」

光志郎は、そのまま瞑想状態に入っていきます

 

「考えてても分かりにくい、やればわかるものだね。」

陀来僧侶も目を閉じ、瞑想状態へ入っていきます。

 

自分の呼吸する音が体内から感じとれてきます。

 

あたりの心地よい大気が、仏教徒のお経と混じって、風にのって届いてきます。

 

ボロブドゥール寺院の石の床の硬い感触が、薄い布一枚をはさんでお尻に伝わってきます。

 

陀来僧侶の呼吸する音が伝わってきます。

 

陀来僧侶の思念が伝わってきます。

 

『やぁ、光志郎君、こんなに短い時間で、ここまで深い瞑想ができるとは思っていなかったよ、君には、特殊な才能があるようだね。』

 

『はい、子供のころから、いつの間にか、周りの人の感情が僕の意識に入っていきていました。』

 

『そうですか、とても、戸惑ったことでしょうね。』

 

『はい、最初のころは、戸惑い、パニックになりましたが、多くの意識とふれあうことで、だんだん、それほど怖いものでもないと解り、制御できるようになりました。』

 

『それは凄い、ひとりでそこまでは、なかなかたどり着けないものですよ。』

 

『いいえ、ひとりではありません、僕のそばには、いつも、ルンバがいました。』

 

『なるほど、妄想ルンバさんが、君を導いていたのですね。』

 

『はい、ルンバがいなければ、僕は、とっくにくるっていたと思います。』

 

『光志郎君は、瞑想を習う前から、世界の意識と繋がる能力があったということですね。』

 

『はい、この能力に、ルンバが、サンシャインラブという名前をつけてくれました。』

 

『わからない現象を分析して、名前を着け、言葉にして、より認識し理解を深める、正しいやりかたですね。』

 

『はい、ルンバは、いつも、間違っていないです。』

 

『そうですか、それで君は、今、ここにいるのですね!』

陀来僧侶は微笑みました。

 

さぁ、光志郎君、次は私の番です。

 

 

『これは、私が、陀来になる前の子供のころですね。』

 

『陀来僧侶は、はじめから、陀来僧侶ではなかったのですか?』

 

『あれは、私が、五歳のころ、名前はラモ トゥンドウのころでな、農家の産まれだった。ある日、突然、チベットの中心のラサ市にあるガンデン寺から呼ばれた。

次の、ダライ ラマに選ばれたのだ、私は、五歳でダライ ラマ14世としてチベットを引っ張っていかなければならなくなった。』

 

『五歳でですか?』

 

『まぁ、実際は、なにもせず、お飾りの様なものだよ。それでも、そのころのチベットは、今の中国の前の中華民国に制圧されていて、大変だったがな。』

 

『現在と、あまり変わらない状況だったのですね。』

 

『まあ、そうだが、チベット国内に居られただけましだったかな。そのあと、1949年にしんがい革命により、中華人民共和国ができたことで、チベット政権はラサからも追い出されて、仏教徒の多いインドへ亡命せざるおえなくなった。』

 

『完全に、乗っ取られたということですか?』

 

『まぁ、悲しいかな、時の流れには逆らえないものなのだろうね。だけど、私は、人を信じて、インドから武力での争いではなく、チベットの現状を世界に訴えかけることにしたのだよ。』

 

『そういうことだったのですか、それで、1989年にノーベル平和賞をとって、世界の民意に訴えかけたのですね。』

 

『おかげで、今では、世界中の心ある仲間が応援してくれるようになったのだよ。』

 

陀来僧侶は、優しく微笑んでいます。

 

光志郎も、優しく微笑んでいます。

 

 

 

『……さぁ、阿羅漢(ブッタ以外の悟りを目指すもの)たちよ、…私のもと、インド、ブッタガヤへ来なさい…伝えなければならないことがあります……』

暖かい光に包まれたような優しく穏やかな思念が語りかけます。

 

光志郎と陀来僧侶は、瞑想をとき、顔を会わせます。

 

「陀来僧侶、聞こえましたか?」

 

「ときどきあるのだよ、お導きというのがね! ちょうどいい、明日、インドへ行くところだったから、ブッタガヤへ寄って行くとしよう、光志郎君、君もくるかね?」

 

「もちろん、行きます。お願いします。」

 

「そろそろ、祈りがはじまるな、さぁ、いくとするか!」

 

光志郎と陀来僧侶は部屋の外へ出ていった。

 

 

 

ボロブドゥール寺院の周りを、僧侶がお経をとなえながら列をなし回っている。あたりは、日が暮れてきており灯籠に明かりが灯りだしている。

 

陀来僧侶は、光志郎と別れて最高僧侶として祈りの行事に朝まで参加しに行きました。

 

「あ、光志郎く~ん、こっち、こっち!」

ルンバが、嬉しそうに光志郎を見つけて呼んでいる。

 

「はぁ~い、今、行くよ!」

光志郎も嬉しそうにルンバに近よります。

 

二人の頭上には、満月を背に気球のように、空高く舞い上がる灯籠が流れていきます。

 

「わぁ~、綺麗!」

ルンバは、そっと、光志郎の手を握ります。

 

「綺麗だね!」

光志郎は、ルンバの顔を見ながら囁きます。

 

 

 

 

翌朝、光志郎とルンバは、陀来僧侶と一緒に、インドのブッタガヤへ向かいました。

 

 

 

 




陀来僧侶との瞑想により、インドへの導きをえた光志郎の待つものは、次回もよろしくお願いいたします。


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今回のチベット、ボロブドゥールについてはウキペディアを参考にさせていただきました。


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15話 キャッチ ザ モーメント ② ブッタガヤ

前回、インドネシアのボロブドゥールで陀来(ダライ)僧侶との瞑想中に、何者かからインドのブッタガヤへの導きを受けた光志郎は、ルンバと伴に陀来僧侶とブッタガヤへいくことになった。

さぁ、何がおこるやら?

はじまり、はじまり、



陀来僧侶と光志郎、ルンバはインドのブッタガヤに来ています。

 

空は、どんより曇り、今にも雨が降ってきそうです。

この時期のインドは雨季の真っ只中で蒸し暑い日が続きます。

ブッタガヤは、お釈迦様であるブッタが、悟りをひらいた菩提樹(ボダイジュ)という木がある場所で、仏教の最高聖地とされており、ブッタを慕う仏教徒や観光客が訪れています。

 

「はぁ、ついた、ついた、それにしても蒸し暑いですね。これじゃ、日本の梅雨よりひどいですよ!」

光志郎はやけにまとわりつく気配を気にしながら、汗でべたつく体をタオルで拭きます。

 

「今の時期が一番のピークだからね、それにしても、今日の蒸し暑さはすごいかな?……さぁ、座って休憩としよう。」

陀来僧侶は、マハーボーテー寺院の前にある休憩所の椅子に座ります。

 

「うわぁ~高いお寺ですね。なんメートルあるのですか?」

ルンバが聞きます。

 

「たしか、52メートルだったかな。」

20階建てのマンション位の高さで、塔のように先が細くなっていく建物が、目の前に建っています。

 

「さぁ、光志郎君、この寺の中で瞑想をしようかね。」

三人は、陀来僧侶を先頭にマハーボーテー寺院にある、大菩提寺(ダイボダイジ)の中へ入っていきます。

 

 

大菩提寺の中は、外ほど蒸し暑くなくひんやりしています。

陀来僧侶は、懐から布をとりだして床にひき、その上にあぐらをかいて座ります。

 

光志郎も、陀来僧侶と向かいあう形であぐらをかいて座ります。

「ルンバもとなりにおいでよ、一緒に瞑想しようよ。」

光志郎がルンバを誘い、光志郎のとなりにルンバが座ります。

「さぁ、まずは、体の力をぬいて、ゆっくり深く呼吸するよ。…吸って……吐いて……」

光志郎はルンバを優しく誘導します。

 

光志郎とルンバの、深い呼吸のリズムがぴったり合っていきます。

 

陀来僧侶も二人の呼吸に合わせます。

 

光志郎、ルンバ、陀来僧侶の呼吸が合わさり、三人の思念が混ざり合っていきます。

 

 

 

 

三人の目の前には、菩提樹(ボダイジュ)があらわれます。

 

菩提樹の木陰には、僧侶が一人座っています。

 

「やぁ、待っていたよ。こちらに来て座りなさい。」

 

光志郎、ルンバ、陀来僧侶は、菩提樹の木陰に入り僧侶の前に座ります。

 

菩提樹の僧侶は、優しく穏やかな微笑みを浮かべ身体からは七色の光をはなっています。

 

「私は、君に伝えなければならないことがある。」

 

「はい、それを伺いに、あなたに会いに来ました。」

 

「まぁまぁ、そう固くならないで、何事も自然体でなければ半分も本質はみえないよ。そちらのお嬢さんもくつろいでください。」

 

菩提樹の僧侶は、目を閉じ、なにかを観ているようです。

 

「君は、ずいぶん変わった生い立ちがあるようだね。」

 

「自分では、わかりませんが、僕の周りでは変わったことがよく起きるようには思います。」

 

「…そうか、…だから、君なのか……」

 

「なにか、みえたのでしょうか?」

 

「いやぁ、これはまだ知る時ではないのだろう。私から伝えることではないなぁ、自然にわかるときがくるからまっていなさい。」

 

「はい、まっています。」

 

菩提樹の僧侶は、目を開き光志郎を見ます。

 

「君にやってもらいたいことがあるのだか」

 

「なんでしょう?」

 

「この人の世界は、実は4回目でな、今までに人類は3回仕切り直しているのだよ。どうやら、この世界には、私たちとは別の大いなる意識があるようで、なにかを目指すために私たち人は存在しているようなのだよ。」

 

「その、大いなる意識とは、なんなのですか?」

 

「君は、空(クウ)という思想はしっているかな?」

 

「はい、この世界にある物質も、頭に浮かぶ考えも、心にめばえる感情も、全ては空であり、空とは、有る無いにとらわれず、望む望まないにかかわらず、現実に存在する物質や現象、意識にめばえる形なき想像をふくむものだと思います。」

 

「まぁ、少し、かたくるしいが、そんなところであっているよ。それで、その空というのが、私は大いなる意識だと思うのだよ。」

 

「その大いなる意識が、なにを伝えようとしているのですか?」

 

「いゃ、正確には、大いなる意識は何も伝えてはおらず、そこから、こぼれ落ち発生してくる意識から、新な未来が産まれて伝わってくるのだが、それがこの世界の未来への可能性の元のようでな、それによると、この世界は、大きくバランスを崩しており、いつ崩壊してもおかしくない状況だそうでな、………君は、この世界を形つくる現実とは、何が影響していると思うかな?」

 

「う~ん、……それは、…私たちから出てくる思想や想像、感情が欲求となり影響して現実としてあらわれているのだと思います。」

 

「そうだよね、その欲求のバランスが崩れてきており、本来、空からこぼれ落ちてくる可能性を満遍なく繋いでいくはずの未来が、片寄りだし、社会秩序は乱れ、現実の自然現象にまで影響が出てきているのだよ。」

 

「ということは、最近おきている、太陽活動の低下にはじまり、異常気象、自然災害は、人類の意識思想が片寄ってきているからなのですか?」

 

「仏教は、全てを内包しており、本来、絶対神はおらず、世界は縁起でつながっているのだよ。ありとあらゆる世の全ての形なき死者が仏として、自然と互いに影響しあって世界の形を整えていく思想でな、時空を越えた縁のなかでそれぞれが成り立っいるのだか、最近の人類は、我欲に走り、他をかえりみず、己が自然の一部であり役割りの上に存在しているということを、忘れてしまったようなのだが?」

 

「いくつか、思いあたることはありますが、…時代とともに新しい宗教や思想があらわれ、我こそが神だと思い上がる………しかし、……それは、人間の自由意志による自己表現でもありませんか?」

 

「たしかに、人の自由意志が世界を形創るのではあるが、君を形つくっているのは、君自身の自由意志だけではなく、現在、過去、未来をとわず、君を囲む事柄が影響を与えているのではないのかな?人の自由意志が、生命のよりどころである大自然にまで影響を与えすぎなのでは?」

 

「それは、そうですが、人間の探求心が科学を発展させ、宇宙にまで広がろうとしているのも事実ですが、それも、悪いことなのでしょうか?」

 

「それは、悪いことではなく、むしろ、人の本質であり、それなしでは、人は意味をなさない。ただ、目的達成のために、他者の犠牲を省みず、独りの人が必要以上の我欲をむさぼっていいものだろうか?」

 

「その通りです。だからこそ、陀来僧侶のような、争いを好まず、慎ましやかでも満ち足りた思想を広げようとしている人間もいるのでは?」

 

「そうなのだよ、今なら、まだ、間に合う。だからこそ、君にお願いがあるのです。」

 

「なんでしょう?僕にできることであれば、愛と平和のために、やらさしてください。」

 

「これは、君にしかできないことなのだよ。君の能力がなければね。」

 

「サンシャイン ラブのことですか?」

 

「そう、その能力を増幅する秘宝が、ラサにあるのだよ。」

 

「ラサというと、陀来僧侶のガンデン寺があるラサですか?」

 

「そう、そのガンデン寺に隠された地下道があり、その奥に仏教の秘宝が眠っているのだよ。」

 

「わかりました、それを取ってこればいいのですね!」

 

「そうです。その秘宝を使って、世界中の人に君の愛と平和の思想を伝えてください。まだ、あきらめるには早い、多くの人はとまどっています。君の思念で語りかければ、きっと、人は立ち上がるはずです。どんな未来を望むかは、世界中の一人一人の意識による選択にかかっています。私にできることは、ただ、人を信じることだけです。」

 

 

光志郎はルンバの手をとり、陀来僧侶と顔を見合わせます。

 

「さぁ、帰りますか。」

陀来僧侶の声とともに、瞑想が解かれ、意識か身体に戻ってきます。

 

 

 

 

「いったい、あのお坊さんはだれだったの?」

ルンバが不思議顔で問いかけます。

 

「あれは、ブッタだよ、きっと、人を哀れみ、私達を導いて下さったのだろう。」

陀来僧侶は、印を結びマントラを唱えます。

 

「よ~し、愛と平和のためにがんばるとするかぁ!」

光志郎は、両手を挙げ、背伸びをします。

 

 

 

 

 

次の日、光志郎ご一行はチベット、ラサにあるガンデン寺へ向かいました。

 

 

 




どうでしたでしょうか?

次回は、チベット ラサでのトレジャーハンティングの話になる予定です。

さぁ、何がまつのか?

次回もよろしく!


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16話 キャッチ ザ モーメント ③ ラサ

前回、光志郎、ルンバ、陀来(ダライ)僧侶の三人は、インドのブッタガヤガでの瞑想中にブッタと話します。
ブッタは、光志郎に世界を救うために、チベットのラサにある、仏教の秘宝を見つけるように告げられる。

ラサにきた光志郎、ルンバ、に何がおこるやら?

さぁ、はじまり、はじまり、




絶望光志郎、妄想ルンバ、陀来僧侶は、チベットのラサにある、ラサクンガ空港にいます。

ラサクンガ空港は、標高3750メートルに位置しており、世界有数の高標高の空港です。

 

「光志郎君、私は、チベットには入れないから、残念ながらここまでだ。」

陀来僧侶は、中華人民共和国から、チベット国内に入ることを禁止されている身です。

 

「仕方ないですよ。この空港にいるのも危ないくらいなのですから。」

 

「それでな、私のかわりといってはなんだが、また、ポタラを案内人につけるから、あれでも、なかなか役にたつのだよ。あと、このペンダントを私だと思って持っていってくれないか、離れた場所からでも君の力になれる。」

陀来僧侶は、申し訳なさそうに小さな曼陀羅(マンダラ)が入ったペンダントを渡しました。

 

「ありがとうございます。なんとかがんばります!」

光志郎は、ニッコリ微笑みながらペンダントを首に掛けました。

 

「なんせ、人類の未来がかかっているからのぉ、たのんだよ!」

陀来僧侶も、ニッコリ微笑みます。

 

「お待たせしました。ルンバさん、お元気でしたか?」

案内人のポタラがあらわれます。

 

「こんにちは、ポタラさん、また、よろしくお願いします。」

ルンバは、3日ぶりのポタラに挨拶をします。

 

光志郎、ルンバに案内人のポタラを加え、三人はラサクンガ空港を出ていきます。

 

 

 

「我が国チベットへ、ようこそ!、、、まずは地形から、南はヒマラヤ山脈、北はコウロン山脈、東はキョウライ山脈の、三方を山脈に囲まれた陸の孤島でして、インド亜大陸がアジア大陸に衝突して隆起した高原です。高原には、独特な生物が分布しており、塩湖には、毎年渡り鳥が羽を休ませにくるほど自然が豊かです。チベットは、標高が高く、富士山とかわらないくらいですので、高山病には気をつけてください。気分が悪くなったら病院で点滴をしますからお知らせください。」

ポタラは、チベット案内を始めました。

 

「はい、今のところ大丈夫です!それにしても、富士山と同じ高さのわりには、暖かいわね?」

ルンバは、キャミソールの上に防寒用にフリースパーカーを羽織っています。

 

「6月初めのこの時期は、まだ、雨季まえで過ごしやすいですが、それでも、日中間の温度差は大きいです。夜間は10度を下回ることもありますよ。」

 

「やっぱり、フリース着てきて正解ね!」

ルンバは、光志郎にニッコリ微笑みます。

 

「そうだね!それにしても、酸素が薄いって、少しきついかな?なれるまで、ゆっくり行こうね!」

光志郎も、ニッコリ微笑みます。

 

 

町中には、バイクがやたらと目につき、車は数えるくらいです。バイクのなかには、自転車にリアカーを着けたような、人力車のようなのも多く走っています。

 

「さぁ、陀来僧侶から、要件は伺っておりますので、早速、ガンデン寺へ向かいましょう。車を手配してありますから。」

三人の前には日本車のアルトが留まっています。

「わぁ~、アルトじゃないですか?」

 

「やっぱり、日本の軽車両が一番ですよね!」

ポタラは、ニッコリ微笑みます。

 

三人は、アルトに乗り込み、ポタラの運転で、ガンデン寺に向かいました。

 

 

 

 

 

光志郎、ルンバは、ポタラに案内されてガンデン寺につきます。

ガンデン寺は、二つの山の間を利用して扇状に建てられた寺院のなかにあります。

 

車から降りる光志郎に、まだまだ、幼さの残る顔立ちの女がぶつかってきます。

 

「いったー……おじさん、何、ぶつかってんのよー!」

光志郎にぶつかった女は、派手にすっ転びます。

 

「大丈夫……ケガはないよね?」

ルンバは、すかさず女に声をかけます。

 

「ケガしてるに決まってるじゃない、慰謝料もらうからね!」

女は、大きな声で騒ぎます。

 

「はい、はい、リサちゃん、たかりはダメですよ!」

後から降りてきた、ポタラは、何事も無かったように言います。

 

「あらぁ、ポタラさんのお連れでしたか?」

リサは、ニッコリ笑って、その場から立ち去って行きました。

 

「なんなんですか、まだ子供ですよね、あの子、ポタラさんの知り合いですか?」

 

「いや~、申し訳ありません、実は、まだ14歳なのですが、天涯孤独の身で、観光客を見付けるとああなのですよ。町で噂の問題児ってところでして。」

ポタラは、笑いながら話しています。

 

「そう、それは気のどくね、少しぐらいならあげてもいいのに?」

 

「いえいえ、お寺のほうで、ちゃんと、面倒はみてますから。………それより、中に入りましょう!」

慌てるポタラに案内されて、光志郎とルンバは、ガンデン寺に入ります。

 

 

 

 

 

《ガンデン寺、境内》

 

「わぁ~、カラフルで綺麗!」

ルンバは、金色に色とりどりの衣装をまとった仏像をみて、思わず、声をだしました。

 

「それは、このお寺の創始者のツンパカ太子様の像です。」

ツンパカ太子を真ん中に三体の像が並んでおり、ろうそくの光に幻想的に揺らめいています。

 

三人は、手を合わしてお祈りをします。

 

「どうか光志郎君が無事でありますように。」

ルンバは、真顔で祈ります。

 

 

「ルンバさん、このマニ車を回すとお経を唱えたことになりますよ。」

 

ルンバは、ポタラが教えてくれたとおりに、40センチ程の円筒形の筒を横回転させます。

 

「それでは、光志郎さんは、仏様の守護神を調べておきましょうか?」

ポタラは、日本の神社にある、おみくじのような筒を持ってきます。

 

「さぁ、お好きな棒を、一本どうぞ?」

 

光志郎は、ポタラから渡された筒から、一本抜き取りポタラに渡します。

 

「ほ~これは珍しい……孔雀明王ですね!」

 

「孔雀明王とは、真言密教の解毒や厄難を排除するという仏様ですよね?」

 

「そうです。真言密教は、元々はチベット密教から産まれたものですからね。それでですね、孔雀明王が守護神である光志郎さんが、孔雀明王のマントラを唱えると、少なからず、孔雀明王の法力が使えるはずなのです。」

 

「本当ですか?解毒や厄難排除の力がですか?」

光志郎は、胡散臭げな顔をします。

 

「まぁ、嘘だと思って覚えておいてください。オン マユラ キランディ ソワカ です。」

 

「オン マユラ キランディ ソワカですね。一応、覚えておきます。……それで、ポタラさん、そろそろ、地下道へ行きませんか?」

 

「あぁ、そうでしたね!………それでは、探索用の準備をしましょう。」

 

 

 

光志郎、ルンバ、ポタラは、地下道探索の準備を始めます。

「まずは、明かりのためのヘッドライト、ハンドライト、ロープ、ザック、保温ようの衣服、念のために食料3日分に治療薬、皆さんのリュックにも入っていますか?」

 

「やけに本格的ですね。…そんなに深い所まで降りるのですか?」

 

「う~ん、はっきりとは解らないのですが、少なくても地下6層はあるはずですので。なんせ、誰も入ったことがない伝説の地下道ですから。」

ポタラは、当然のような顔でいいます。

 

「そうなのですか、ルンバちゃんは、ここに残ったほうがいいんじゃない?」

光志郎は、心配そうにいいます。

 

「大丈夫よ、せっかくだからついていくわ!」

ルンバは、ニッコリ微笑みます。

 

「それでは、そろそろ、行きますか!」

 

光志郎、ルンバはポタラの後をついていきます。

 

 

 

ポタラは、ガンデン寺の境内を出て500メートルほど歩いて、山のふもとへ来ました。

山のふもとには、仰々しく封印された祠(ホコラ)があります。

 

「あ、そ~れっと!」

ポタラは、封印のお札をベリペリっと勢いよくめくり扉を開けます。

 

扉のなかには、深い洞窟が口を開けて待っています。

 

「ルンバちゃん、本当に、ここに入るの?」

光志郎は、ニッコリ微笑みながらいいます。

 

「入るに決まってるじゃない!………大丈夫、大丈夫!」

ルンバは、自分に言い聞かすように勢いよくいいます。

 

 

「さぁ、覚悟は決まりましたか、地下道探索、行きますよ!」

ポタラの掛声で、光志郎とルンバは、洞窟へ入って行きました。

 

 

 

 

 

三人か、洞窟へ入っていってからしばらくして、ひとりの人影が洞窟に入って行きました。

 

 

 

 

 

 




やっと、地下道へ入ってくれました。
なかなか、話が進まなくてスミマセン。

さぁ、次回はどうなることやら?



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17話 キャッチ ザ モーメント④地下道探索

絶望光志郎と妄想ルンバは、ポタラの案内で、チベット、ラサにあるガンデン寺の洞窟へ入っていきました。

さぁ、何がおこるやら?

はじまり、はじまり、




ポタラを先頭に、ルンバをはさんで、光志郎が後ろに続きます。

ポタラは、ヘッドライトの明かりをたよりに、生暖かく湿った壁ずたいに、1メートル幅程の少し傾斜がかった下り坂を進んでいきます。

 

「皆さん、足元に気をつけてくださいね。何があるかわかりませんから。」

 

「なんだか、思っていたより大丈夫そうだわ?」

 

「そうだね、ドラクエのダンジョンみたいだね。」

 

三人は、一直線に100メートル程進みます。

 

はじめての曲がり角を曲がると、そこには、?

 

突然、明るい空間に出ます。

そこは、16畳程の開けた空間になっており、空間の中心には、大日如来像が淡い光を放って蓮の花の上に鎮座しています。その周りに四体の如来と四体の菩薩が配置されています。四方の壁の側面には、曼陀羅が描かれており、部屋全体が結界のような安らぎに包まれています。

 

「わぁ~凄い、光輝いて、明るいわよ!」

 

「ほぉ~………これは、見事!………こんな所に、立体曼陀羅があったなんて……」

 

光志郎は、ブッタから言われた、仏教の秘宝を探しますが、どこにも、それらしきものは、見当たりません。

 

「ここには、無さそうですね?…この部屋で行き止まりのようですが、………うむぅ、ポタラさん、文字のようなものが描いてありますが読めませんか?」

 

石版には、サンスクリットの文字と六角形のくぼみがあります。

 

「何々、[ここより先、人の世界にあらず、入るべからず]と書いてあります。……いったい、どういうことなのだろう?」

ポタラは、思案にくれています。

 

光志郎の思念に陀来僧侶の声が聞こえてきます。

『光志郎君、私は今、君に渡したペンダントを通じて話している。実は、その曼陀羅が描かれたペンダントは密教の秘宝でな、代々伝えられてきたものなのだよ。そのペンダントを石版のくぼみにはめてみなさい。』

 

「たしかに、同じ、六角形の形をしているなぁ………何が起こるかは、やってみなければ分からない!」

光志郎は、ペンダントをくぼみに合わせます。

 

 

ガガガガ…と地鳴りのような地響きをたてて石版が横に移動したあとには、下へと降りる階段が現れました。

 

 

「そこの君!………付いてきているのは、分かっているよ、ここからは危険だから、帰りなさい!」

光志郎は、ずっと付いてきている気配に話しかけます。

 

部屋の角から、人影が出てきます。

「あ~あ、ばれてたか、おじさん、私も連れてってよ!」

 

人影が明かりに照らされていきます。

背丈は160センチくらいで細身のスラッとはしているが、顔立ちには、あどけなさが残る少女が立っています。

 

「あ、リサちゃんじゃない!」

ルンバは、驚きます。

 

そこには、ガンデン寺の入り口で、光志郎にぶつかってきたリサが立っています。

 

「リサ、帰りなさい!子供が来るところではない!」

ポタラは、強めの口調で厳しく言います。

 

「ポタラさん、ここで、私が帰ったら、ここのことを言いふらすからね!…どうなっても知らないよ!」

リサはニッコリ微笑みます。

 

「それは困ります。………仕方ない……おとなしく付いてくるなら許しましょう。」

 

「はぁ~い、リサはおとなしくしま~す。お姉さま、よろしくお願いしま~す!」

リサは、ルンバに抱きつきます。

 

光志郎は、呆れ顔でため息をつきました。

光志郎は、ヘッドライトを外してリサに渡し、予備のハンドライトを持ちます。

 

ポタラを先頭に、ルンバ、リサ、光志郎の並びで階段を降りていきます。

 

 

階段は、6メートル程ごとに折り返して下っており、折り返すごとに、異様な気配は重たくなり闇が深くなっていきます。

4回折り返した所で大きなフロワァーにでます。

闇が濃すぎてヘッドライトの明かりではどれくらい広いかわかりません。

 

 

「いやぁ~、なにか背中についたぁー!」

リサが悲鳴をあげしゃがみ込みます。

 

光志郎は、リサの背中にライトを向け確認します。

30センチ程の黒地に黄色の目玉模様がついた鬼蜘蛛がしがみついています。

 

「じっとしていろよ、今、とってやるからな!」

 

光志郎は、リサの背中に付いている鬼蜘蛛を蹴りとばします。

鬼蜘蛛はサッカーボールのように跳んでいきます。

 

リサは、しゃがんだまま上を見ると、天井一面に蜘蛛の巣が張り巡らされており、無数の鬼蜘蛛の黄色の目玉が、こちらを見ています。

 

「気持ち悪い、何よ…あれ……虫はだめ、…私…うわぁ…こっちに来る。」

リサは、腰を抜かして狼狽えています。

光志郎とポタラは、それぞれ両側からリサを抱えて走り出します。

「ルンバちゃん、付いてきてよ!」

天井から蜘蛛糸をたらし、光志郎たちを目指して次々と垂れ下がってくる鬼蜘蛛をかき分けながら、真っ直ぐ駆け抜けます。

 

「うわぁ、……」

光志郎の足元が崩れ、四人は落下します。

 

光志郎、ルンバ、ポタラはバランスを上手くとり足から着地しましたが、リサはお尻を打ち付けます。

 

光志郎の足元には、何かうごめいています。

足元に絡みつき、まと割りついてきます。

ライトを向けると、明かりにてかてかと艶めく蛇が床一面にうごめいており、足元に絡み付いた蛇は、どんどん這い上がって体の自由を奪っていきます。

 

 

「ルンバちゃん、大丈夫か?」

光志郎は、まとわりつく蛇を引き剥がしなから、ルンバのことを心配します。

 

「光志郎、私は大丈夫よ。」

ルンバは、床の蛇を払いながらリサに肩をかして起こしています。

 

「お姉さま、ステキ。」

蛇は平気そうなリサですが、ルンバに体を密着させてもたれ掛かります。

 

「蜘蛛の次は蛇とは、地獄の入り口でもあるまいし!」

ポタラは、蛇を蹴散らしながら辺りを探索しています。

 

「光志郎君、こっちに通路があります。いきますよ。」

光志郎たちは、ポタラについていきます。

 

 

傾斜がかった下り坂の通路を100メートル程いくと明るい空間に出ました。

 

 

その空間は、現実の世界とかわりなく、人々が生活を営む、まるで、ショッピングモールのような所です。人々は次々に現れてくる、様々な商品で溢れた陳列だなから、好き勝手に欲しい物を取って楽しんでいます。

 

 

ただ、ひとつだけ違いがありました。それは、そこの人たちの頭が豚だったのです。

 

「わぁ~、なんでもあるわ、………食べ物もあるよ……お姉さま、一緒に何か食べようよ!」

リサは、ルンバにすり寄ったまま手を引きながら食べ物を食べます。

「おいしいよ……お姉さまも、食べようよ、はい!」

ルンバは、リサから食べ物を受け取り食べます。

「ほんとだ、おいしいわ!」

 

リサとルンバは、夢中で食べます。食欲が満たされたのか、二人は、衣類や雑貨をあさりはじめます。

 

「なんだか、暑いわ!」

ルンバは、フリースパーカーを脱ぎます。

 

「ねぇ、光志郎も、一緒に楽しみましょう……こっちに…いらっしゃい…」

胸元の開いたキャミソール姿のルンバが、目元をとろんとさせて光志郎を誘います。

 

「いやぁ、お姉さまは、リサのなんだから、おっさんはあっちいって?!」

ピンク色に火照った体になったリサは、同じく、火照ったルンバの体に抱きつきます。

 

「さぁ、光志郎も脱いで………」

ルンバは、光志郎の胸元のジッパーに手を掛けます。

 

「ルンバちゃん…駄目だよ……こんなところで…」

光志郎は、ルンバの体から発散している女の香りに抵抗しながら必至に自分を制止ます。

 

「だから~、リサのお姉さまなの~……」

リサは、光志郎とルンバの間に割り込み、二人を引き剥がそうとします。

 

「カーツ!」

ポタラが、印を結んでマントラを唱え、大声で制止ます。

 

ルンバは、我にかえり正気を戻し、恥ずかしそうに上着をきます。

 

「たるんだことをしている時ではない!この場所に一生捕らえられるところだったぞ!」

ポタラは、真顔でそう言うと、周りの探索を続きます。

 

リサだけは不満顔ですが、光志郎とルンバも探索に加わります。

 

光志郎は、曲がりくねった通路の奥にある石版の扉を見つけます。

 

「ん~何々……[この先入る者、己を知り、悔い改めるなり]…、と書いてありますね。」

ポタラは、真顔で石版の文字を読みます。

 

「無知なる我欲に貪る豚、本当に地獄の門かもしれないね……えぇい、成るがままよ!」

光志郎は、例のごとくペンダントをはめて扉を開きます。

 

開いた扉の先には、井戸があります。

井戸のなかを除き混むと、深い深い闇が広がっています。

 

「この井戸を降りろということですかね?」

光志郎は、ポタラに聞きます。

 

「どれだけ深いかわかりません。三人のロープを繋げても足りなかった場合は、戻ってこれませんよ。どうしますか?」

ポタラは、真顔で言います。

 

「行くしかないでしょ!…ルンバちゃん、いいよね?」

光志郎は、ルンバを見ます。

 

ルンバは、静かにうなずき返します。

 

 

ポタラを先頭に、ルンバ、リサ、光志郎の順番で井戸を降りて行きました。

 

 

 

 




光志郎、ルンバ、案内人のポタラにリサが加わり四人となった一向に待つものは?
【挿絵表示】


それは次回のお楽しみ!


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18話 キャッチ ザ モーメント⑤地獄

絶望光志郎と妄想ルンバは、案内人のポタラと地下道探索をします。
三人にリサが加わり四人となったメンバーは、
鬼蜘蛛の恐怖、蛇の呪縛、豚の誘惑を振り払い、次への入口の井戸を見つけます。
四人は、ロープをつたって地下4階層へ向かいます。

さぁ、何が待っていることやら?

はじまり、はじまり、




案内人のポタラを先頭に、ルンバ、リサ、光志郎の順番で、井戸にたらしたロープをつたって、漆黒の闇へ降りていきます。

 

「残念ながら、ロープはここまでです。…後は、飛び降りるほかありません………いいですね!」

ポタラは、ロープから手をはなし漆黒の闇のなかへ落ちていきます。

「お姉さま、リサ、怖いわ!」

 

「大丈夫よ、リサちゃん、さぁ、私と一緒に行こうね!」

怖がるリサに声をかけ、ルンバとリサは、同時に落ちていきます。

続けて光志郎も、何のためらいもなく奈落の底に落ちていきます。

 

 

 

 

どれくらいの時間をかけて落ちたのかわかりません。

永遠でもあり、一瞬でもあったように感じます。

気がつけば、四人は地面の上にいました。

 

どうやら、四人は、高い山の頂上にいるようです。

周りは、辺り一面何も無く、乾燥した大地は砂煙をあげています。

下の方には、川が流れているのが見えますが、その先にもずっと続いているようです。

 

「ポタラさん、いったい、ここは、どこなのでしょう?」

光志郎はポタラに聞きます。

 

「はっきりとは、わかりませんが、今までの流れからすると、奈落の底…俗にいう…地獄だと思うのですが。」

ポタラは、下の方の川を見ます。

「さしずめ、あれが、三途の川のようです?」

 

「これは、現実なのですか?」

光志郎は、ポタラに聞きます。

 

「私達がいうところの現実とは大分違います、今でいうところのVRプログラムの世界といいますか……三次元の物理原則は当てはまらないと考えた方がよいでしょう。」

 

「それでは、何の原則でこの世界は動いているのでしょうか?」

 

「おそらくではありますが、思念によるイメージの力だと思います。……皆さん、決して、諦めないでください!……諦めた時点で、肉体は消滅し、他の死者同様にこの世界の原則に従わざる負えなくなるはずです。」

ポタラは、真顔で言います。

 

「いや~ん、リサ、怖~い、お姉さま、守ってね!」

リサは、ルンバにすり寄ります。

 

「リサちゃん、ここで起きることは全部、幻だからね、諦めないでね!」

ルンバは、自分に言い聞かすように、リサに言います。

 

「とりあえずは、あの川を渡ってからということですね?……それならば、渡るしかないでしょう!」

光志郎は、どこまでも前向きに川に向かいます。

 

 

河原のふちでは、子供が石を積んでいます。

 

「あの子たちは、何をしているのですか?」

ルンバは、不思議そうに聞きます。

 

「仏教では、親より先に死ぬだけで罪となります。…あの子たちのせいでは決してないのですが、親が死ぬまでずっと、ああして石を積み上げるしかないのです。」

ポタラが説明していると、鬼がきて子供が積み上げた石を崩していきます。

 

「ひどい!あれに意味はあるの?」

リサは、自分のことのように怒ります。

 

「この世界に意味は無いのです。……悲しいかな、凝り固まった魂の浄化が目的であって、ただ、決められた法則を繰り返すだけなのです。……ちなみに、地獄の中にも、8つの階層がありまして、上から、等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、無間地獄となり下へ行くほど苦痛は厳しくなります。それぞれの生前の罪の深さによって、どの地獄へ送られるかは決められます。」

ポタラは、真顔で説明します。

 

光志郎のそばに、いつの間にか、意地の悪そうな婆さんがやってきています。

 

「おい、お前たち、金は持ってきたか?」

婆さんは、いきなり、訳のわからないことを言い出します。

 

「このお婆さんは、奪衣婆(ダツエバ)といって、川の渡り賃として、六文を集める役なのですが、あいにく私達は一文無しですので、代わりに、私達の服を剥ぎ取りにきます。」

ポタラが説明していると………

 

「ほお~、よく、しっているじゃねえか、さっさと、服を脱ぎな!」

奪衣婆は、光志郎の服に手を掛けます。

 

光志郎は、奪衣婆を睨み付け軽く振り払うと、奪衣婆は吹っ飛びます。

「あれ、やり過ぎちゃたかな?…お婆さん、大丈夫?」

光志郎は、自分の力に驚きます。

 

「だから、この世界では、思念によるイメージ力が、そのまま強さとなると説明したでしょ!肉体のまま、この世界に来た私達は、いわばゲームのバグの様なものです。早い話が、チートですよ!」

ポタラは、ニヤリと微笑みました。

 

「思念エネルギーの強さに比例するということは、サンシャイン ラブの能力を持つ光志郎は、無敵ということですか?」

ルンバも微笑みます。

 

「今の光志郎君なら、ルンバさんとリサを抱えて簡単に川を飛び越えられるはずです。…私に付いてきてください。」

ポタラは、ビヨーンと川を飛び越え、向こう岸へ渡ります。

 

「さぁ、行くよ!」

光志郎は、ルンバとリサを両脇に抱えて川を飛び越えるイメージをします。

 

ビヨーン

 

 

「はぁ~い、上手くできました!」

リサは、光志郎をからかいます。

 

 

川を渡ってしばらく行くと、

 

 

「おい、お前は、生き物を殺したことがあるか?」

鬼が、ポタラに聞いてきます。

 

「お前は、等活地獄の鬼だな、……私は、これでも、僧侶のはしくれ、殺生は好かんわ!」

ポタラは、鬼を睨み付けます。

 

「本当だな、ゴキブリ一匹殺していないな?…もしも、殺していたら、果てし無い殺しあいの刑罰だぞ!」

鬼は、しつこくポタラに詰め寄ります、

 

「だから、殺さない程度にしごいて殺るだけだー!」

ポタラは、鬼をぶっ飛ばしました。

 

 

「さぁ、次、行きますよー!……ポタラさんを怒らすのはやめといた方がいいかも?」

光志郎は、真顔でうなずきました。

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 

 

 

「やい、てめえ、盗みをしたことはあるか?」

鬼が、ルンバに聞いてきます。

 

「ルンバさん、今度は、生前に窃盗をした者を、熱く熱した斧で皮膚を削がれる刑罰の黒縄地獄ですよ。」

ポタラは、ルンバに、そっと耳打ちをします。

 

「私は、真面目で有名なのが自慢てす!……窃盗などするわけないでしょ…不愉快です!」

ルンバが、あまりにも、キッパリ言うので、鬼は、気迫負けして逃げていきました。

 

さぁ、次、行くよー!……さすがは、僕のルンバちゃん、惚れ惚れする~!」

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 

 

 

「おい、そこのお前、愛する相手意外に手を出したりしたことは無いか?」

鬼は、光志郎に訪ねます。

 

「光志郎君、ここは、衆合地獄、いわゆる不倫をした者を色気で誘いだし、ノコノコ出てきた所を巨人が踏み潰すを繰り返す刑罰をする場所です。」

ポタラは、光志郎に教えます。

 

「なるほど、ならば言おう、この絶望光志郎、生まれて此の方、妄想ルンバ以外の女性を知らん、……絶望光志郎は、妄想ルンバを愛しています。」

光志郎は、スッキリした顔で、鬼を軽く押すと、あまりの衝撃に驚いて逃げていきました。

 

 

「ただのおのれけかー……それでは、次へ行きますよ!」

ルンバは、照れながら言いました。

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 

 

 

「酒飲みはいないか?……お前、やたらと、酒ばかり飲んでないか?」

鬼が、ポタラに聞きます。

 

「飲んだくれを熱した金棒で叩く刑罰の、叫喚地獄ですね。僧侶は酒を飲みません。………残念!」

ポタラは、鬼を蹴っ飛ばします。

 

さぁ、次、行くよー!…酒は飲んでも飲まれるな!

 

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 

 

 

 

「嘘つきはいねいか?……嘘つきはいねいか?……」

鬼がやってきます。

 

「ここは、大叫喚地獄ですね。…ああやって、生前に嘘をついた者をばっする地獄で、熱々に熱した鉛を無理やり喉に流し込むのです。決して、嘘をついたと認めてはいけませんよ!」

ポタラは真顔で説明します。

 

 

「おい、そこの小娘、お前は、嘘をついたことがあるか?」

鬼は、リサに詰め寄ります。

 

「はぁ~、今時、何をいってんのよ、嘘も方便、本音と建前ができて、社会は上手く回っているのよー!……あんた、でっかい図体して、バカなの~?」

鬼は、リサの気迫に押されぎみです。

 

「なんだとー、お前は家族もいないで、寂しくないのかー?」

鬼も、負けずと切り返します。

 

「そんなの、寂しくなんかないわよ!」

 

「本当に寂しくないんだな?…嘘じゃないんだな?……本音をいえば、お前の両親にあわしてやるぞ!」

鬼は、リサの弱みに漬け込み、心を揺さぶります。

 

「本当に…会わしてくれるの……?」

 

「駄目だよ、リサちゃん!…リサちゃんには、私がいるじゃない!」

ルンバは、リサの手を握ります。

 

「寂しくなんかないわよー!………あっちいって!」

リサは、鬼を蹴っ飛ばします。

 

「うわぁ~、こりゃ、たまらんわー!」

リサに蹴っ飛ばされて、鬼は逃げていきました。

 

「ねぇ、お姉さま、ずっと、リサのそばにいてね、約束よ!」

リサは、ルンバに抱きつきます。

 

「さぁ、次、行くよー!……嘘も方便か~?」

光志郎は、ニッコリ微笑みました。

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 

 

 

 

「うわぁ~……今までとは違って、やけに暑い所だなぁ~……ポタラさん、次は、どんな地獄ですか?」

 

「え~っと、焦熱地獄といいまして、殺生、窃盗、色欲、飲酒、嘘、の全ての罪を犯した者がくる場所でして、体中をバラバラに切断されたあげくに、地獄の業火で火炙りにされるを、ひたすら繰り返す刑罰です。」

ポタラが、説明している間も、そこら中で悲鳴が飛び交います。

 

「うわぁ~、気持ち悪いこと言わないでよ~」

リサは、青ざめた顔をしてルンバに抱きつきます。

 

 

「おい、お前たち、何を呑気に楽しんでいるんだ……なめてんのか?」

光志郎の前に、今までの鬼の二倍はあろうかという牛頭の鬼がいます。

 

「お前らは、俺が怖くないのかー?……いったい、何処から来たのだ!」

牛頭の鬼は、今までの鬼よりは賢いのか、光志郎たちを警戒して、いきなり仕掛けてはきません。

 

「こいつは、牛鬼といって、鬼のリーダーのような者だよ、だけど、まだまだ…………まぁ、私に任しておきなさい。」

ポタラは懐から、ヴァジュラ(サンコショ)という両側に三股の突起がついた30センチ程の武具を取り出し、牛鬼を殴り付けます。

 

牛鬼は、よろめき、後ずさりします。

 

「ほお~、なかなか、頑張りますね。それでは、これでも、立っていられますか?」

ポタラは、助走をつけてヴァジュラで突き刺します。

 

「おわぁ、」

さすがに、牛鬼も崩れ落ちます。

 

「さあ、命までは取りません。…おとなしく通しなさい!」

 

「う、悔しいが、お前、強いな!…だけど、この先の大焦熱地獄の虎鬼は、俺の10倍強いからな!」

 

「ポタラのおっさんって、めっちゃ、強かったんだね!」

リサはポタラを見直しています。

 

「このヴァジュラは、密教の法具でして、マントラで私の守護神の迦桜羅(カルラ)の力が練り込んであるんですよ!」

ポタラは、自信満々にいいます。

 

「迦桜羅というと、あの大日如来の八部衆で仏教の守護神…鳥頭人身有翼のですか?」

 

「そう、光志郎君、よく知っていたね!……ちなみに、陀来僧侶の守護神は、大日如来なのですよ!……つまりは、私と陀来僧侶の守護神同士も侍従関係なのですよ!」

ポタラは、嬉しそうにいいます。

 

「さぁ、次へ行きますよ!」

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 

 

 

 

しばらく行くと、釈然の熱風が吹き寄せてきます。

 

真っ赤に熱っせられた、川が流れており、虎の頭をもつ鬼が罪人を川へ突き落としています。

 

「ここは、強姦をした者がくる場所で、グツグツと煮えたぎる川に落とされ、体が無くなるまで魚についばまれるということを、繰り返す刑罰です。」

ポタラが、大焦熱地獄の説明をしていると、虎の頭の鬼がやってきます。

 

「この、虎の頭をもつ鬼が虎鬼といいまして、牛鬼の十倍の強さを………」

ポタラが説明をしていると、虎鬼がポタラをつかみ、川へ放り投げます。

 

ポタラは、背中から赤い鷲の翼を出して、ヒラリと舞い戻ってきます。

 

「何者だ、貴様!」

虎鬼が、叫びます。

 

「これは、守護神変化といいまして、マントラを唱えイメージする事により守護神と同等の力を使うことが出来るようになります。…ただし、相当な修業が必要ですがね!」

ポタラは、説明をしながら虎鬼を上空からヴァジュラで攻撃します。

 

加速の付いた上空からの攻撃で、虎鬼は戦意を消失します。

「待ってくれ、お前、強すぎ!……通してやるから、黙って行ってくれ!……それにしても、最近の地上はどうなっているのだ、やたらと、殺伐とした心の罪人がやってくる、地獄も定員オーバーで困ったものなのだ!」

虎鬼はうなだれます。

 

「たしかに、弱肉強食の競争社会が現実な世の中ですからね、強い者はより強く、弱い者はさらに弱く、なかなか希望がもてない時代で、ある意味、この地獄よりもひどいかもしれませんね。………それが、人の世を終焉に向かわせているようで、……私達は、それを止める為にここまで来ているのです。」

 

「そうだったのか、また、人間の世界は終わるのか?……悲しいことだなぁ……俺たちも、好き好んで人間を罰しているわけではない、これも、魂を浄化させ次への修業へ向かわせる為にしているのだ!」

 

光志郎たちは、虎鬼に別れを告げます。

 

 

「さぁ、次の無間地獄で最後ですよ……行きますよ!」

ポタラを先頭に四人は、煮えたぎる川を飛び越え、先へ向かいます。

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 

 

 

 

しばらく行くと、崖っぷちにでます。

 

「ポタラさん、この先は行けそうにないです。」

光志郎は、崖っぷちを覗くと、漆黒の闇が広がっていました。

 

 

「ここから先が、地獄の本番です、この先の無間地獄では、今までの7つの地獄をたした千倍の苦しみが待っています。………皆さん、弱気は禁物ですよ!……さあ、付いてきてください。」

ポタラは、漆黒の闇の中へ飛び越みます。

 

「ルンバちゃん、リサちゃん、一緒に行こう!」

 

光志郎は、ルンバとリサと手を繋いでポタラの後を追って漆黒の闇の中へ飛び越んでいきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




はい、今回のお話は、ここまでです。


無間地獄とは、どんな所なのでしょうか?


それは、次回のお楽しみ!
【挿絵表示】




私が、子供の頃に、永井 豪 という漫画家さんがいまして、マジンガーシリーズにデビルマン、今でいうところのスパロボの元祖ですかね、あの時代にしては、結構なエロ&バイオレンスにコミカルな作品でした。今回の地獄編もデビルマンのような話になればと思いましたが、なんせ、光志郎君は、愛と平和主義者ですからね、次回は、頑張って、地獄のバトルに挑戦しようと思います。

デビルマンは、いつまでたっても私のなかでは、ナンバーワンの名作です。


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19話 キャッチ ザ モーメント⑥ 六道輪廻

前回、世界を救う為に仏教の秘宝を探しに、八大地獄の7つまでクリアーした光志郎たちは、最後の無間地獄への道までたどり着く、それは、漆黒へ飛び込む崖っぷちだった。
ポタラを先頭に、光志郎、ルンバ、リサは、果てし無い漆黒へ飛び込むのだった!

さぁ、何がおこるやら?

はじまり、はじまり、





落ちています。

 

どこまでも、どこまでも、

 

ただ、ひたすら、落ちています。

 

 

 

「リサちゃん、大丈夫?」

 

「うん、お姉さまがいれば、リサは大丈夫!」

 

光志郎たちは、先に落ちたポタラに追い付き手を繋ぎます。

 

「どこまで落ちればたどり着くのですか?」

 

「言い伝えによると、私達の世界時間で二千年かかるというが、これじたいが親殺しや自殺の罰になっており、誰の助けもえられず孤独感に襲われ絶望のなか、嘆き苦しみが続くのだよ。」

 

「おっさん、二千年もまってたら、リサは死んじゃうじゃない?」

 

「どんなことがあっても、地獄では、死ねないのだよ、何度も死ぬ程の苦しみを味わい犯した罪を後悔する、それが、魂の浄化なのだよ。それに、この世界において時間は意味をなさない、果てし無い永遠であり、まばたき程の一瞬でもある……つまりは、どれだけ時間をかけたかよりも何を感じたかが重要なのだよ。」

 

「ポタラさん、私達が、この世界のバグなら、何か裏技はないのですか?」

 

「あるよ!………イメージの力で、無間地獄の底についたと思えばいいんだよ、……まぁ、信じる心が大切で、迷いがあれば、どこかの時空の狭間に閉じ込められかねんがなぁ。………リサ、大丈夫かい?」

 

「大丈夫よね、リサちゃん!」

 

「お姉さまがいれば、リサは大丈夫、だって、信じてるもの!」

 

「よし、みんな、地獄の底をイメージして!」

ポタラの合図で、四人は意識を集中します。

 

光志郎は、ルンバとリサの意識に自分の思念を重ねてサポートします。

 

 

ブルー〰️ー〰️ーーン

 

 

辺り一面の景色が、漆黒の闇から真っ赤な炎に変わります。

 

「熱いよ~……助けて……悪かった……熱~い……熱い………」

 

そこら中から、罪人の悲鳴が聞こえてきます。

 

大気は炎を上げて燃え盛っています。

 

釜の中には、どろどろに熱せられた鉛が溶けており、釜から炎がわきたち、生きながらにして罪人の皮膚を焼き、肉体までとかしていきます。

 

しばらくすると、焼かれた罪人は、肉体を取り戻して再び焼かれています。

 

「あの炎は、今までの地獄の千倍の温度で、罪人の苦しみも千倍なのだよ。……私達も普通に地獄にこれば、ここの燃え盛る大気でさえ耐えられないだろう。」

 

光志郎の周りには、牛鬼と虎鬼をたしたような6メートルを越える大きな鬼が16人います。

牛虎鬼は、それぞれの頭から8本の角をはやし、口からは鋭い牙をはやしています。

 

「さぁ、自分の罪を償え、……まだまだ、……たりぬわ!………誰が悪い…………泣け…叫べ………外道どもが………」

牛虎鬼が罪人を攻めています。

 

 

「忙しい所すまぬが、ちょといいですか?」

ポタラが聞きます。

 

「なんだ、お前たち、何処からきた!」

 

「私達は、お釈迦様に言われて、世界を救う為にここまで来ました。……どうしても、仏教の秘宝といわれる物が必要なのですが、心あたりはありませんか?」

 

「あぁ、お釈迦様といえば、この地獄を創られた仏様の仲間のお方、協力をしてあげたいがワシらでは解らん?………あの燃え盛る城にいる閻魔様にでも聞いてくれないか!」

牛虎鬼は、親切に教えてくれました。

 

 

「地獄の鬼って、もっと悪いヤツかと思ったけど、案外、話のわかるヤツなのね!」

リサが、感心していいます。

 

「地獄は、汚れきった魂を救う為に、仏様が、人間を見捨てないで助けてあげようと創ったシステムでな、地獄の鬼たちは、役人みたいな者なのだよ。」

 

「どうして、汚れた魂を救わなければいけないの?」

 

「それはな、魂こそが、私達の本質でな……全ては、より良い魂を求める為に人間は生きているのだよ。」

 

「人間は、死んだら終わりじゃないってこと?」

 

「そうだよ、六道輪廻という仕組みで、この世は廻っておってな、この地獄を一番下として、地獄道、餓鬼道、畜生道、までの三道が、自分の意思ではどうにもできない魂の浄化の場所で、その次に、意思はあるが、怒りと嫉妬により争ってばかりいる修羅道があり、私達がいる執着による人間道がある、その中で、四苦八苦を乗り越え、自分の欲望を制して悟りを開いた者だけが、次の天界道へ行けるのだが、その先もまだあるということだよ!」

 

「その先とは、何があるのですか?」

光志郎は、聞きます。

 

「天界道へ行った者は、なに不自由なく好きなことを永遠にしながら暮らしていけるそうだが、まれに、争いの多い人間界を不敏に思い、わざわざ、戻ってこられるのだよ、その時は、せっかくの神通力も豊富な知識も忘れて、魂の思いだけで産まれてくるそうだ。……どうやら、陀来僧侶様が、その一人のようなのだよ!」

 

「産まれながらに、使命を持っているということですか?」

 

「時代の変わり目に大きく影響を与えた、キリストやブッダ等の偉人は、天界道から戻ってきた人だと思います。……そうやって、さらなる修業をすることにより、悟りの遥か先にある仏の世界へ行くのでしょうね。」

 

「何か、果てし無い話のようで、リサには、あまりピンとこないのよね?」

 

「リサちゃんもゲームをしたりアニメを見たりするでしょ、それと同じで、現実の人間界も疑似体験だということ、とてもリアルではあるけれどね!……ようは、どこの世界でも体験を通してしか魂を育てられないということかな、……現実での肉体はゲームでいうプログラムの制限みたいなもので、魂が磨かれれば磨かれるほど制限がなくなり自由度が増すということだよ!」

 

「う~ん、……なんか、オカルトみたいで、騙されてる感じもしない気がするけど、リサは、お姉さまがいれば、それで幸せだから、いいや!」

 

「さぁ、閻魔が居るという、炎の城へ行きましょう!」

 

 

ポタラを先頭に、四人は炎の城へ向かいます。

 

 

燃え盛る炎で、真っ赤に焼けている城の前にきます。

 

「すごい炎に包まれているわよ、こんなところに本当に入っていっても大丈夫ですか?」

ルンバが聞きます。

 

「心頭滅却すれば火もまた涼しですよ!……見せかけに惑わされてはいけません。………私達は、試されています。……ルンバさんが、恐れればリサまで怖がりますよ!」

 

「そうでしたね。……大丈夫、………リサちゃん、大丈夫だからね!」

 

「お姉さま、リサ、何だか慣れちゃったみたい、こんな炎なんか、へっちゃらよ!」

リサは、ニッコリ微笑みながらルンバにすり寄ります。

 

四人は、覚悟を決めて、燃え盛る炎の中へ入って行きました。

 

 

 

 

城の中へ入ると、目の前に真っ赤な顔をした大きな人が立っています。

 

「いゃ~、待っていたよ!……事情は聞いているから、わかっているよ。…人間界の魂のバランスが偏りだして、今にも、地獄とかわらなくなりそうなのだろう、……それで、直接、全ての人の魂へ語りかけ、考え方を改めさせられる仏教の秘宝を取りに来たわけだな!」

 

「はい、その通りです。…それで、仏教の秘宝は何処にあるのですか?」

 

「残念ながら、ここには無いのだよ。…ここより、遥か北にある魔界の城に隠してあるのだ。」

 

「その魔界の城へ、取りに行けばいいのですか?」

 

「まぁ、そうだが、……あそこには、魔女ダッキーニと魔界竜ヴリトラが居るからな、……あいつらは、とにかく邪悪な存在でな、力ずくで倒すしかないだろう!」

 

「わかりました、行くしかありません!」

 

「そうか、くれぐれも、心惑わされぬようにな、魔女ダッキーニは、幻術をつかってくるからな。……ヴリトラは、とにかく強い、無敵の障壁だからな。……お主らの魂を試されているのだよ、それぐらい、仏教の秘宝は、この六道輪廻の世界に影響を与えるということなのだ!」

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 

 

 

光志郎は、目前にひろがる光景に呆気にとられています。

 

「ポタラさん、魔界の城へ向かってきたはいいが、この剣の山をどう越えて行きましょうか?」

 

光志郎の背丈を越える剣が隙間なく、山の斜面にそってはえている。

 

「そうだね~……そろそろ、君も、守護神である孔雀明王の力を借りたらどうかね?………孔雀明王なら、翼をはやして飛べるのだがね。」

 

「しかし、僕は、何も修業をしていませんが、ポタラさんのようにできるのでしょうか?」

 

「何も、寺で過ごすだけが修業でもあるまい、君を見ていると私以上にさまざまな経験をしているようだよ!」

 

「まずは試しだと思って、孔雀明王のマントラを唱えながら翼をイメージしてみなさい。」

 

「はい、では、やってみます。…………オン マユラ キランディ ソワカ!」

 

光志郎は、自分の背中に翼をイメージして唱えます。

 

 

「お姉さま、おっさんの背中に……羽がはえてきている。……すごい、……」

 

「光志郎君、すごいわ!」

 

光志郎の背中には、七色に輝く翼が現れました。

 

「ほら、出来たでしょ!」

ポタラは、当然のようにいいました。

 

 

「さぁ、今の君なら、こんな剣の山等ひとっ飛びですよ、……行きますよ!」

 

「ルンバちゃん、リサちゃん、さぁ、行くよ!」

光志郎は、ルンバとリサを両手に抱えて飛びたちます。

 

「すごい、光志郎君、本当に飛んでるわよ!」

剣の山を下方に見ながら、ルンバはいいます。

 

「何だか、なんでも出来る気がしてくるね!……いままで僕は、全てが現実なのに勝手に限界を決めていただけなのかもしれないね!」

光志郎は、興奮する自分を冷静に感じとりながら、新しく開けた世界を分析します。

 

「光志郎君、剣の山を越えたら、次は氷の城壁のようだよ!」

ポタラは、300メートルはありそうな極寒の城壁に近づいて行きます。

 

「炎の次は氷ですか、本当に地獄は過酷ですね!」

吹き付けるブリザードのなかをかき分け、城壁に近づきます。

 

「わぁ、……人が、氷付けになってる!………気持ち悪い!」

リサは、氷の城壁に閉じ込められながら訴えかけてくる視線から目を剃らそうとしますが、余計に釘付けになります。

 

「リサちゃん、あの人たちは、地獄に来てまでも魔界に心を奪われた者だよ、これから行く魔界の城には、この人たちを捕らえている魔者がいる、心を奪われないようにルンバちゃんと必ず一緒にいるんだよ!」

光志郎は、リサを励ましながら氷の城壁沿いに上昇して乗り越えます。

 

城壁を越えた先には、静寂のなかにそびえ立つ氷の城がありました。

 

 

氷の城の前に一人の人影が立っています。

 

長い黒髪を腰までたらし、大胆に胸元が開いた真っ黒なドレスが、透き通るような真っ白な肌を引き立てています。

青い瞳に真っ赤な唇、鼻筋の通った顔が妖艶な微笑みを浮かべています。

なぜか、左手に真っ白なドクロをもっているのが、この女を更に異様際立たせています。

 

 

「さぁ、早く、いらっしゃい。」

 

女は、氷の城壁を越え、こちらに向かって来ている光志郎たちを見て、怪しく微笑みます。

 

 

「光志郎君、扉の前にいる女は、魔女ダッキーニだろう?……幻術に惑わされないように気をつけるんだよ!」

 

「そうですね、ポタラさんも気をつけて!」

光志郎は、念のため、平常心を保つために、ベッチ所長から習った方法で自分に暗示を掛けます。

 

光志郎の前に、妖艶な微笑みを浮かべた魔女ダッキーニが立っています。

 

ダッキーニの透き通った青い瞳が、光志郎たちの視線を捕らえます。

 

 

「みなさん、お待ちしておりましたよ。…さぁ、中へどうぞ。」

 

光志郎たちは、魔女ダッキーニの案内で、氷の城の中へ入って行きます。

 

「うわぁ、暖かい……外とは大違いね!」

リサが、喜びの声をあげます。

 

「お食事を用意致しました。…お召し上がりなさい!」

ダッキーニは、豪華な料理が並んだテーブルへ案内します。

 

「美味しそう!……いただきま~す!」

料理に手をだし食べようとするリサをルンバが手をふさいで止めます。

 

「リサちゃん、ダメよ。」

ルンバの視線に、リサはしぶしぶ頷きます。

 

 

「まぁ、…お嬢さん、遠慮は無用ですよ。…長旅で、さぞお疲れでしょう、ごゆっくりなさって!」

ダッキーニは、ルンバに近づき甘く囁きます。

 

「いえ、結構です!」

ルンバは、リサを引き寄せ、自分が前にでます。

 

「そうですか、……そちらの僧侶さんは、お召し上がりになりますよね?」

ダッキーニは、ポタラに歩み寄ります。

 

「あいにく、断食しておりまして、お断りさせていただきます。……それよりも、先を通させてもらえませんか?」

 

「この先には、魔界竜ヴリトラが居るだけよ、あれは危険極まりない乱暴者ですので、おすすめしませんわ、…それよりも、私と一緒に遊びましょう?」

ダッキーニは、ポタラの胸元に触れ、自然に近寄ります。

 

ポタラの鼻腔を、甘く切ない女の色香がくすぐります。

 

「さぁ、いらっしゃい、……一緒に楽しみましょう。」

 

ダッキーニは、ポタラの手をとりソファーに座ります。

 

 

光志郎は、独り、たたずんでいます。

 

「あなたは、何がほしいの?……なんでも、望みのままよ!……さぁ、いってごらんなさい。」

ダッキーニは、光志郎の耳もとで甘く囁きます。

 

「何もいりません、……僕が、望むのは、世界中が愛と平和を取り戻し満たされることだけです。」

 

「そう、……つまらないことをいうのね?……他人は、勝手にやりたいことをして生きているだけよ、誰もが自己満足の為に生きているのではなくて?」

 

「そうかもしれません、……ですが、この世には個人の欲望以上に大切なことがあると思います。」

 

「なぜ、そう言い切れるの?……あなたが言っていること事態が、他人にとっては傲慢なおせっかいなのではなくて?」

 

「愛と平和とは、人の心と同じで、必ずしも定義づけ出来ないものだと思います。………だからこそ、理由がなくても自分がそう思うだけで成り立つのだと思います。」

 

「そんな根拠のない不確かなことを、時代遅れではないのかしら?」

 

「確かにこの科学の時代に、正しく説明できないことに意味は無いのかもしれません。……ただし、正しいとはそれほど大切なことなのでしょうか?……僕たち人間は自然の一部であり生命の成れの果てでは無いのでしょうか?……むしろ、曖昧であるがゆえに柔軟に形を変え、これほどまでの多様性を生み出したのだと思います。」

 

「ほぉ~、面白いことをいいだすわね……まぁいいわ、いつまでも付き合いましょう……時間はたっぷりありますからね!」

 

光志郎は、自分の手のひらを見ます。

 

「あれ、おかしいなぁ……手相がはっきりと見えないのだが?」

いつもなら見慣れた自分の手相があるはずの場所がぼやけて見えません。

 

「どうしたのかしら?……もっと話の続きをしましょう、黙っていては退屈で仕方が無いではなくて?」

ダッキーニは、光志郎の異変に気づき話に戻そうとします。

 

「いつからなのですか?」

 

「なんのこと?」

 

「あらかじめ、あなたに会う前に、幻術にかかった時の為に自分の手相を確認できるかという暗示を掛けておいたのです。……それが、ぼやけて見えません…今、僕は幻術にかかっているということですよね!」

光志郎は、自分を取り戻そうと目をつむり自分の内面に意識を集中します。

 

 

光志郎が目を開けると、先ほどまでの暖かな料理は消えて、テーブルも床も全てが氷で形作られている部屋が現れます。

 

ポタラは、氷のソファーにくつろぎ、リサは、氷のテーブルを物欲しげに見つめています。

 

「ダッキーニさん、もっと素直になったらどうですか?…貴女には、寛容性が足りないようですね!」

光志郎は、改めてダッキーニにと向き合います。

 

「あら、生意気なことをいうのね?……少しばかり幻術を見破ったからといって、まだまだよ!」

ダッキーニは、もう一度光志郎の目を青い瞳で見つめます。

 

「無駄ですよ、……貴女の幻術は、人の心の矛盾をついてきているようですね。………残念ながら、僕の心は曖昧ゆえに、全てを内包します。……あって当然の当たり前のことに矛盾も何も無いのですよ!……貴女こそ、どうなのですか?」

光志郎は、ダッキーニの意識に思念をあわせます。

 

「まぁ、憎たらしい小僧だこと、私の中に入って来ないで!」

ダッキーニは、自分の意識を見られまいと抵抗します。

 

「貴女が、左手に抱えているドクロは、貴女にとって大切な人だったようですね!……以前の貴女は、慈悲深い愛に満ちた存在だった。……大切な人がいなくなり、あまりの悲しみの為に心を閉ざした。……氷のように冷えきり暖かな心に悲願でいるのは何故ですか?」

光志郎は、嫌がるダッキーニに更に詰め寄ります。

 

「心に矛盾を抱えて苦しんでいるのは、貴女自身では無いのですか?」

 

ダッキーニは、いとしそうにドクロを抱きしめうなだれます。

 

「さぁ、いつまでも、冷たく硬い氷の世界に閉じ込めていないで、心を解放しましょう!……悲しみは嫉妬しか生まないのでは?……ドクロの彼も、貴女の幸せを望んでいるのでは無いのですか?……僕たちと一緒に次へ行きましょう!」

光志郎は、ダッキーニの青い瞳を見つめ返します。

 

「分かったわ、どうぞ仲間を連れて先に行きなさい!……ヴリトラにはあなたの不思議な能力は通じないでしょうが?」

 

「さぁ、ポタラさん、ルンバちゃん、リサちゃん、起きて!……先に行きますよ!」

 

 




区切りのついた所で、今回は、ここまで!

う~ん、なかなか終わりません。
次回で終わるのか?

はたして、ヴリトラと、どうなるのか?

それは、次回のお楽しみ!



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20話 キャッチ ザ モーメント ⑦ 阿吽《終わり・始まり》

世界を救う為に、仏教の秘宝を探しに地獄の最下層まできた絶望光志郎たちは、炎の城の閻魔に会い、氷の城にあることを告げられます。
氷の城では、魔女ダッキーニの幻術に惑わされたが、なんとか切り抜けた光志郎たちは、次に待つ魔界竜ヴリトラの元へ向かいます。

さぁ、何がおこるやら?

はじまり、はじまり、




光志郎は、ルンバとリサ、ポタラの幻術を解き、扉を開いてヴリトラの待つ部屋へ向かいます。

 

「いやぁ~私としたことが、幻術にかかるとは、すみません!……あのまま全員が幻術にかかっていたら、永遠にダッキーニに捕らえられていただろうね。」

ポタラは、申し訳なさそうに頭を下げます。

 

「気にしなくていいですよ、お互い助けあってきたのですから!…それよりも、ヴリトラとは何者なのですか?」

 

「ヴリトラに関しては、障害、囲うもの、天地を覆い隠すもの、さまざまな二つ名があるのだが、現在では、総じて水を操り災いを起こす者のようで、意味嫌われる存在であり、一方では、信仰の対象でもあるようだ。……古くは、古代インド神話のリグ・ヴェーダに登場しており、炎の中から産まれたそうで、雷神インドラによって、水の元を隠していたヴリトラが倒され、乾燥した大地に水が流れ込み、地球が出来たという地球創世の話なんだよ。……面白いことに、インドラがヴリトラを倒した際に使った武器がヴァジュラだそうだ!」

ポタラは、自分のヴァジュラを見せながら話ます。

 

「それが、本当なら、かなりのヤバイやつですね?」

光志郎は、少し渋い顔をします。

 

「ねぇ、おっさん、…ゲームやアニメにも竜の姿でよくでてきているよ!」

リサが、話に入ってきます。

 

「そうなの、意外とメジャーなのですね。」

ルンバは、リサにニッコリ微笑みます。

 

「どちらにしても、会ってみないと分かりませんからね、……あまり力ずくというのは好きではないのですが、当たって砕けろ、ゴーホーブロックですね。」

 

「砕けてはダメでしよ!」

ルンバが、光志郎にニッコリ微笑みます。

 

 

そうこう話て歩いているうちに大きな地鳴りのようなイビキが聞こえてきます。

 

曲がり角を曲がると、とてつもなく広い空間に真っ黒な大きな竜がとぐろを巻いて寝ています。

 

 

「光志郎君、寝ているようですね、……このまま先に進みますか?」

ポタラは、光志郎に小声で話ます。

 

「いや、せっかくここまで来たのですから、ヴリトラと話たいことがあります。…思念をあわせますのでルンバちゃんとリサちゃんは離れた所に隠れて少し待ってて下さい。」

光志郎は、眠っているヴリトラに思念をあわせます。

 

 

………………………

…・・・・・・・・・・・

・・・…………………・・・……

…………………………………………………………………………………『誰だ、……ワシの意識に勝手に入ってくるのは、………せっかくの眠りを邪魔しやがって、……殺されたいのか?」

 

 

『眠っているところをどうもすみません。……貴方と話がしたくて人間界からはるばるきました。……どうぞ眠ったままで結構ですので、僕と話をしてもらえませんか?』

 

 

『ワシは、本来なら、二千年ごとに目を覚ますのだ、坊主の話がくだらないようなら食い殺すからな!』

 

『はい、くだらないと感じた時には、どうぞ食ってください!』

 

『ほぅ、なかなか肝の座った人間もいるものだな、……早く話してみろ!』

 

『ありがとうございます。…それでは、単刀直入に聞かせていただきます。……僕たちは、人間が滅ぶのを止めたくて仏教の秘宝を、ここまで取りに来ました。……僕が思うに、あなたがそれを隠しているのではないのですか?』

 

『坊主、鋭いな!……お前の探す、仏教の秘宝は、ワシの中にある!……しかし、人間は、またしても同じ過ちを繰り返すのか?…つくづくアホとしか言いようがないな!』

 

『はい、僕も、そう思います。』

 

『分かっていて、まだ、助けようとするのか?……アホは見捨ててお前たちだけで、このまま天界道へ行けばいいではないか?』

 

『それでは、せっかく何千年も掛けて自然の中で培った進歩の歴史が無駄になります。……今、ここにある命は僕だけのものではない、奇跡の結果だと思います。……僕は、愛と平和こそが人間の本質だと信じています。』

 

『愛と平和だと、…くだらないことをいうな!……食うぞ!』

 

『まだ、話しは終わっていません!…もうしばらく話に付き合ってください。』

 

『たしかに、お金という見せ掛けの自由によって、人間の欲求は限度を越え、世界中が不満を抱え見えない争いを繰り返し、大自然の生態系が崩壊の危機にまで及びそうです。

しかし、言葉なき大多数の人々は、そこに満足は無いということに気づきはじめ小さな抵抗をしているのも見逃せません。……僕は、そんな我慢強い心ある人々に未来を届けたいのです。…欲にとらわれ、勘違いをしている人々も心で伝えれば気づくはずです。…その為に、貴方の持つ仏教の秘宝を使って世界中の人々と、言葉では無く心で繋がらなければならないのです。』

 

『ほお~、お前の言いたいことは理解した。…………それでは、ワシを殺して奪うがいい!』

 

 

 

 

光志郎は、ヴリトラの意識から無理やり追い出されます。

 

 

静かに横たわる静寂を崩し、折り重なるしめ縄のような巨体が波打ちだします。

 

「小僧、……お前の求めるものは、わしの中にある。……ワシを倒して手にいれてみろ!」

ヴリトラは、切り裂くような冷たい冷気を放ちながら叫びます。

 

更なる冷気をまとった大気は一瞬で凍りつき、辺り一面ピリピリとした気迫により、光志郎たちは、固まりと化します。

 

「ふんぬ!、気遅れるな!」

ポタラは、気合いとともに膠着状態をとき、全員に覇気を送ります。

 

「守護神変化だ、光志郎君!」

ポタラは、マントラを唱え、迦桜羅神(カルラ)の力を身にまとうと、真っ赤な翼に黄金のくちばしをはやします。

 

「オンマユラキランディソワカ」

続けて光志郎もマントラを唱え、孔雀明王の力をまといます。

 

「はっはっはっー、何をしようがワシには勝てぬわー!」

ヴリトラは、20メートルは有ろうかという筋肉質の極太な体格をうねらせ、空に舞い上がります。

 

ポタラと光志郎の二人の翼をまとった鳥人が、圧倒的なヴリトラの猛攻を掻い潜り頭部への打撃を打ち付けます。

 

「ふん、きかぬわ!……」

ヴリトラの硬い鱗が二人の攻撃をものともせず、跳ね返します。

 

「ポタラさん、あの硬い鱗には、攻撃が通じません。」

 

「まだまだ、こっちにだって奥の手がある」

ポタラは、懐からヴァジュラを取り出し握りしめます。

 

「光志郎君、リグ・ヴェーダの神話によると、インドラは、ヴリトラの口の中にヴァジュラを突き刺して倒したとある、私があいつの口の中に飛び込むからその隙をつくってください!」

 

「ひとつ間違えば、噛み殺されますよ。……危険過ぎる!」

光志郎は、真顔で答えます。

 

「危険でもなんでも、あいつを倒さなければ未来は無いのですよ。………いいですね、頼みますよ。」

ポタラも、真顔で答えます。

 

二人は、互いにうなずき、ヴリトラに向かって行きます。

 

 

ヴリトラは、口から、光志郎めがけて紫色の毒液を噴射します。

 

光志郎は、孔雀明王の解毒の能力により無効化します。

 

「ほぅ、さすがは、毒蛇を食らう孔雀の化身といったところか、では、これはどうかな?」

ヴリトラは、五本の鋭い爪で光志郎を切り裂きます。

 

光志郎は、厄難を振り払う翼で体を防ぎ防御します。

 

「なるほど、守りは固いということか、……だが、守ってばかりで勝てると思うか?」

ヴリトラは、大きく口を開け、光志郎を食らいにきます。

 

「ポタラさん、今です!」

光志郎は、自ら、大きく開けたヴリトラの口に飛び込み、自分の体を使ってつっかい棒替りにします。

 

「行くぞーー!」

ポタラは、真っ赤な翼に炎をまとい、ヴァジュラを掲げて、ヴリトラの口の中へ突っ込みます。

 

「ウオワァーーーー」

口の中に、炎の矢と化したポタラのヴァジュラが、ヴリトラの内部を切り裂きます。

 

さすがのヴリトラも、力を失い地面に落ちて横たわりました。

 

「待って、殺さないで!」

止めをさそうとするポタラに、突然、飛び込んできた、ダッキーニが割り込みます。

 

「彼を殺さないでください!……仏教の秘宝とは、このドクロなのです。」

 

「それは、貴女の大切な人のドクロではないのですか?」

光志郎は、ダッキーニに聞きます。

 

「そうです、私の大切な人であり、ここにいるヴリトラの物でもあります。」

 

「どういうことなのですか?」

 

「私とヴリトラは、まだ、この星が形づくられる遥か昔にやって来た、アスラ族と言う宇宙人なのです。……アスラ族は、この星を新天地として開拓していたのですが、そこに、ディーバ族と言う別の宇宙人がやって来たのです。……私たちは、争いを避け、ディーバ族と共存しようとしましたが、ディーバ族は、インドラ率いる戦闘にたけた種族であり、私たちアスラ族は敷いたげられる存在になっていきました。……しかし、私たちアスラ族にも戦闘体に魂を移して抵抗する方法がありましたが、一度移した魂は戻れないという悲しいものでした。私の大切な彼も、元の身体を捨て、戦う為に新しく開発された最強の戦闘体に魂を移したのです。……それが、今、あなた方が倒した魔界竜ヴリトラであり、その元の身体の頭部が、このドクロなのです。」

ダッキーニは、光志郎にドクロを差し出します。

 

「しかし、なぜ、そのドクロにそんな能力が宿ったのですか?」

 

「彼には、元から、何人にでも同時に心を繋げられるという不思議な能力がありました。……きっと、その能力がこのドクロに宿ったのでしょう?……ですから、ヴリトラである彼を殺してしまえば、ドクロの能力も消えかねません。……お願いです。……彼には、人であった時の記憶が無いのです。……お願いします。」

ダッキーニは、涙ながらに話ます。

 

「分かりました。…殺す必要も無いことですので、いいですよね、ポタラさん?」

 

「あぁ、…それが、仏の道だよ、…光志郎君!」

 

「それでは、孔雀明王の治癒力でヴリトラの傷を治してあげますね!」

光志郎は、マントラを唱えます。

 

ヴリトラの傷がみるみる治っていきます。

 

「ぐあお~う、……小僧も甘いな、さぁ、第2ラウンドといくか!…………………………は、は、は、は、冗談じゃよ、ワシの負けじゃ、仏教の秘宝を思う存分使うがいい!」

ヴリトラは、ニコリと微笑みます。

 

 

「あの~、そろそろ、そちらに行ってもいいですか~?」

遠くの角から、ルンバが恐る恐る聞きます。

 

「あぁ、ルンバちゃんもリサちゃんもおいでよ!」

光志郎は、大きく手を振って答えます。

 

『お~い、光志郎君、……よく頑張った!』

陀来僧侶から預かったペンダントから、陀来僧侶の思念が伝わってきます。

 

「あぁ、陀来僧侶、やりましたよ!……それで、この次は、どうしましょう?」

 

「そのドクロをもって、そのまま、北へ向かって天界道へ行ってください、そこで、地球全体に心を繋げて語り掛けてください!……わかったね!」

 

「でも、ダッキーニさん、ドクロを持っていってしまっても大丈夫ですか?」

 

「あぁ、いいのよ、……一度使うと消えてしまって百年後には、私の所に戻ってくるから!」

 

「それって、なんだか、なんとかボールみたい」

リサが、笑いながら言います。

 

「それでは、ダッキーニさん、ヴリトラさん、ドクロをお借りします。……じゃ、さようなら!」

光志郎たちは、天界道を目指して北へ向かいます。

 

 

 

………………》》》》》》

 

 

光志郎たちは、大きな光の川の前にいます。

 

対岸が見えないので、川幅がどれほどかは分かりません。

 

川というよりも、海なのかもしれません。

 

「ポタラさん、どうしましょう?」

 

「ん~、とりあえず、この光の川の中へ入っていけばいいと思います。」

 

「やっぱり、そのパターンですよね?」

 

「そうです、成り行きに任せて突き進むのみですね、……行けば、分かるさですよ!」

ポタラは、光志郎に微笑みます。

 

「ルンバちゃん、リサちゃん、光の川に飛び込むよ、……いいね!」

光志郎はニッコリと微笑みます。

 

「私たちは、光志郎君についていくだけだから!……リサちゃん、いいよね?」

ルンバもニッコリ微笑みます。

 

「リサは、お姉さまについていくだけだけどね!」

リサもニッコリ微笑みます。

 

「よし、皆、これで最後だ、……行くよ!」

 

光志郎の掛声で、四人は光の川へ入って行きました。

 

 

 

 

……‐‐‐―――━━━》》》》》》》》》

 

 

光志郎たちは、温かい光に包まれた空間にいます。

 

しばらく歩くと、何も無い光の空間の中に建物が現れます。

 

そこは、人々が行き交い、まるで人間界のようでもあります。

 

ただ、どの人も穏やかで満足そうな顔をしており、思い思いの生活を自由気ままにしているようです。

 

 

「ポタラさん、ここが、天界なのでしょうか?」

 

「そうだろうね。……人間界で執着を捨て、ある意味、思い残すことなく人生をやりきった人が来る所だからね。………それでも、本来の悟りとは、まだまだ、この先にあり、あくまでも六道の最上部に過ぎないのだけどね!」

 

「六道の先には、何があるのですか?」

 

「涅槃、極楽浄土といわれる仏の世界があるそうなのだが、所詮は人が感じとれる範囲のものでしかない、何かが有るのかもしれないし、何も無いのかもしれない……私たち人間には実際の所は、分からないのだよ?」

ポタラは、笑いながら話ます。

 

「私たち人間は、物質世界が現実だとしか認識できませんからね。……それでも、この天界に留まらずに更なる修行をしてまで悟りを求める人もいるのは何故でしょうか?」

 

「それはきっと、己なんて者は、まやかしでしかなく、全体の鏡のようなものだと、心底から気づいたからだろうね……いままで旅をしてきた、この幽界ですらも思い込みよるシステムのまやかしでしかないのかも?………そういう私も正確には捉えられていないから、いまだに此処にいるのだけれどね。……ただ、陀来僧侶に出会えたことが救いなのかな?……どんな世界にも希望と呼べるものは有るところには有るのだよ、それが、縁起というものだね。」

ポタラは、しみじみと語りました。

 

 

「あれ、あそこにいるのは、漫画の神さまの手塚治虫じゃない?」

リサが、大声で話します。

 

広場のテーブルには、手塚治虫と水木しげるに忌野清志郎が座って話しています。

その周りに人が集まり、人間界同様に耳を傾けているようです。

 

「やぁ、やぁ、君たちの活躍は、ここから観ていたよ。……わざわざ人々の為に自分の命をかえりみない行為は、此処にとどまり達観している私たちにとってアイドルのようだよ!」

光志郎に気づいた手塚治虫が話しかけてきました。

 

「なにをおしゃる?……僕たちのほうこそ、あなた方が生前に活躍されたおかげで、現在の日本があるのです。」

光志郎は、嬉しそうに話します。

 

光志郎は、冷静になり周りの人々を見ていきます。

 

「うわぁ、芸術家のダ・ヴィンチにピカソ、ダリじゃないですか、あっちには、ミュージシャンのレノンにフレディにプリンスまでいる。そっちを見れば、科学者のニュートンにアインシュタイン、ホーキングですよね、皆さん世界に影響を与えたかたばかりじゃないですか!」

光志郎は興奮しています。

 

 

 

「あれ、マイケルはいないの?」

リサが聞きます。

 

「あぁ、マイケルは天界に来てすぐに、まだまだ人々の為にやらなければならないことがあるといって、人間界に転生していったよ!」

プリンスが話します。

 

「ちぇ、あいたかったのになぁ!」

リサは、少し寂しそうにします。

 

 

 

「さぁ、君たちの活躍の続きを私たち天界人に見せてください。……今の私たちにとって、あなた方が最大の娯楽なのですよ!」

手塚治虫が、嬉しそうに話します。

 

 

「なんだか、皆さんにそう言われると照れてしまいますね。…………それでは、僕からひとつ提案があります。……これから、仏教の秘宝を使って人間界の人々に語りかけます。そのときは、あなた方にも僕の思念とリンクしてもらって力を貸していただきませんか?………あなた方ほどの愛に満ちていて影響力のある方々と一緒に語りかければ、すごいエネルギーが生まれるとおもうのですが!」

 

「うれしいことを言ってくれる、………皆さん、どうですか、光志郎に乗っていこう!」

清志郎が言います。

 

「いいぞー、……やります。………面白い……」

辺りは、興奮に包まれます。

 

「それでは、決まりですよね。……ポタラさん、ルンバちゃん、リサちゃん、此処まで一緒に来てくれて、ありがとう!……さぁ、リンクしますよ。」

光志郎は、ダッキーニから預かったドクロをひたいにあてると、時空間を超えた地球のイメージが伝わってきます。

『あぁ、そういうことなのか!』

光志郎は、ひとり納得します。

……………

思念を天界の人々の意識にあわせます。

 

……‐

‐‐‐‐‐―

―――――――――――

『みんな、用意はいいですか?……行きますよ!」

光志郎は、仏教の秘宝であるドクロの力を借りて、人間界の人々の心に向けて合わせた思念をリンクします。

 

…………‐‐‐‐―――――――――━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

光志郎の思念は、一気に人間界の人々の心と繋がります。

 

『皆さん、生きていることは、素晴らしいことです。……少しだけ、僕の話に付き合ってください。……今の世の中は、このままで良いと思いますか?……人間はあらゆる困難を知恵と勇気と団結力により乗り越えてきました。……その上に成り立つのが、神とでもいえるほどの科学技術の発展と経済力による過去に類をみないほどの権力の集中です。……私たち人間は自由意志をかかげ大自然の犠牲の上に大きな飛躍を手に入れました。……果たして科学は万能なのでしょうか?……自然があるからでこその科学ではないのではありませんか?……自分の心に聞いてみてください、果たして苦しみは少なくなったのか?……豊かで便利になり強力な力が増すほどに人々の不安は増し苦しみは増えたのではないのでしょうか?……誰にも何を求めてその力を使えばよいのか分からないでいるのではのないのでしょうか?……私たちの時代で人類の歴史を終わらせてしまってもいいのでしょうか?……無責任にならずに立ち止まって考えてみてください!……幸福とは何か?……今、現在、人類はとても危ない状況にあるのです。……少しだけでいいのです。……どうか、無責任な人間にはならないでください。……みんなの心がけしだいなのです。……僕は、信じています。……ありがとう……ありがとう…………』

 

――━━━━━━━━━━━

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐―

…………………

光志郎は、静かに目をあけます。

 

「いいぞ、光志郎君、!……いぇ~ぃ!」

 

周りで一成に拍手が起こります。

 

いつのまにか、光志郎たちの周りに大勢の天界人が集まって来ています。

 

「さぁ、これでやるべきことは終わりました。ここからが、本当の意味での人類の進化なのですね!」

光志郎は、爽やかに笑います。

 

「あぁ、そうだよ、……人々の心に種はまいた!……どんな花が咲くか、それとも、しおれて枯れるかはこれからの一人一人の行動にかかっているということだね!」

ポタラも笑います。

 

「それで、君たちはどうするの?……ここに残って天界人となるのか、それとも、人類として未来を築くのか?」

手塚が光志郎に聞きます。

 

「もちろん、帰るに決まってるじゃないですか!」

光志郎たち四人は、顔を見合わせてうなずきます。

 

「そうですか、それでは、そこの扉を開けて帰りなさい、……私たちは、ここからいつも応援していますからね!」

手塚は優しく微笑みます。

 

「はい、ありがとうございました。……それでは、また、会う日まで!」

光志郎は、元気一杯に言います。

 

 

光志郎たち四人は、扉を開けて入っていきます。

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐――

 

 

 

一瞬の間の後に、四人は、ラサにある祠(ホコラ)の前にいました。

 

「あれ、帰りは一瞬なんだ、どこでもドアみたい!」

リサが、笑いながら言います。

 

「そうですね、時間を見ると、ここに入った時とかわらないですよ。なんだか、本当にあったことなのかな?」

ルンバは、スマホを見ながら言います。

 

「まぁ、そういうことでしょう!」

ポタラは、さして気にならないそぶりです。

 

「そうですね、ポタラさん、ありがとうございました。」

光志郎も笑います。

 

四人は何かをなしとげたという自信を胸に爽やかに笑いました。

 

 

 

 

終わり

 

 

 

 

 




いや~なんとか終わりました。

ありがとうございます。

これにて、キャッチ ザ モーメント編、終了となります。

ところで、地獄について書いていて思ったのですが、死後の世界を旅することは、人間の脳の進化を疑似体験することなのではないかということです。

人としての集団幻想という牢獄が地獄なのかも?

それにしても、時代により地獄も古くさくなってきていると感じるのは、私だけでしょうか?

私たち人間は、脳からは解放できないのでしょうか?

これからの時代、新しい脳機能が科学によって解明されていくことでしょう。

脳と宇宙の関係、現実と幻想、さまざまなことが解明されるかもしれませんね。

それでは、また!


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21話[ Hi 5 ] 2026 明日への挑戦

今回の話は、前回から二年後の2026年の日本です。

絶望光志郎、26歳に何が起こるのでしょうか?

さぁ、はじまり、はじまり、



その前に、2026年、現在までの流れを知るために、2019年以降の世界で起きた主な出来事を記載しておく!

2019年1月、中国が単独で月面裏に到達することで科学技術力をアピールする。
2019年4月、日本の天皇が生前退位をして京都へ移る。
2019年7月、日本の阿部政権が続投することで、安定資本である日本株に世界中の資本家が殺到する。
2019年11月、日本の消費税が10%となり貧困問題に拍車がかかり、自殺者が急増する。
2020年3月、中国を中心としたアジア経済におくれをとったアメリカは、イギリス資本を中心とする西洋上位主義である、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの五か国、通称[Hi5]に日本、ドイツ、フランスをくわえた八か国で中国包囲網を結成する。
2020年8月、中国が東京オリンピックをボイコットする。
2020年9月、東京オリンピック後にリーマンショクの10倍以上、過去最大の世界恐慌が起きる。
2020年12月、世界中で治療不可能なウイルスによる伝染病が広まり、2023年までに世界人口の三割が亡くなる。
2021年、中国の上海、北京が、ビックデーターやAi、ロボットによる未来都市を実現することで、ニューヨークを上回る経済都市となり、経済の中心は西洋から東洋にうつって行く。
2022年、世界中で、5G革命が起こり、人々の生活が変わっていく。
2023年、世界中で、異常気象が起き、自然災害の為にパニックとなる。
2024年、日本の阿部政権が倒れたことで、日本株の買い支え政策が変更されたことにより、世界中からの信用度が下がりだし国内治安が乱れ出す。
2024年、グールク、マッグ、ドランプ、ジャングルの世界的な大企業四社(グマドジ)は、未来テクノロジーによる社会システムの変革をおこすほどの商品を次々と提供することで、いつのまにか、四大企業(グマドジ)無しでは生活が維持出来なくなってしまった人々が世界中に増え、事実上は独占企業とかし、人々の間では、《今がよければそれでいい》という思想が蔓延して物事を考えなくなる。
2025年、日本においても、四大企業(グマドジ)の影響が強まることにより国内企業の力が弱まり淘汰されていく。内需での経済が維持出来なくなってきた国は、貧困家庭の国民の生活の安定をはかるためにベーシックインカム制度(国民全員に毎月一定の額を給付する制度)を導入する。





絶望光志郎は、久しぶりにベッチ所長と会っています。

 

「光志郎君、3年ぶりかな?……元気にしてる?」

 

「はい、お久しぶりです。……ぼちぼち、やっていますよ!……ベッチ所長の方こそ相変わらず忙しそうで、明日は、ここ日本で初めての国家と民間企業を集めての国際経済会議をするそうで、ベッチ所長の幅広い人脈があってこそだからですね!」

 

「う~ん、それほどでもないけど、愛と平和の為にやらなければならないからね!………それでさぁ、……2年前に頭の中に愛と平和を語りかけてきたのは、光志郎君、君でしょ?」

 

「あ~、やっぱり、ベッチ所長には分かっちゃいましたか!…あれには、いろいろありまして、……それにしても、なかなか人間は変わらないものですね……みんな、忘れてしまったようで?」

 

「いやぁ、そんなこともないよ、…心の本質では、誰もが危ないと気づきはじめているのだけれど、……無意識には届いていると思うよ…………現実が動くまでには、それなりに時間がかかるものでね、成熟した社会とはそういうものだよ!」

 

「そうでしょうか?……たしかに、中国の力は一時程の勢いは無くなりましたが、それでも、いまだに国民を奴隷のように濃き使い、使いものにならなくなった国民は切り捨てられています。……現に中国の人口は半分にまでへっており、…あの国は大丈夫なのですか?」

 

「そうだね、……そろそろ、あの国の役割も終わりかもしれないね?……ただ、あの時代において、あれだけの独裁的な制度で少々強引なやり方ではあるのだが、どこよりも速く未来都市制度を実現できた功績は大きいよ、それによって新しい未来の可能性が開けたのだからね。………しかし、西洋上位主義である、[Hi5]の力はまだまだ強いからね。」

 

「その[Hi5]とは、昔から噂になっているフリーメースンやイルヌナティ等の母体となっているイギリス資本家を中心とした、世界を裏から操る秘密組織のことですよね?」

 

「あぁ、その通り、西洋の利権は科学の発展と資本力の増加 と切り離せなくてね、15世紀初頭にコロンブスがスペインの出資したお金でアメリカ大陸を手に入れたことに始まり、1600年に最初の投資家による東インド会社が出来たオランダが引き継ぎ、1720年の有名なチューリップバブルでフランスのミシシッピ会社に移るのだけれど、1789年の市民革命により勢いは衰え、1858年にはイギリスの資本家の買い占めにより全ての利権を手にしたイギリス資本家による残虐無道な資本主義による植民地世界支配が始まったのだよ! 」

 

「それでも、1789年のアメリカ独立によってイギリスからアメリカに力は移っていったのではないのですか?」

 

「表向きにはそうなのだけれど、実際は、イギリス国家から自由になるためにイギリス資本家がアメリカを買い取ったようなもので、カナダもオーストラリアもニュージーランドも、イギリスでさえも、今ではイギリス資本家を中心とする利権団体には逆らえないのだよ!」

 

ベッチ所長は、深いため息をつきます。

 

「中国にしても、経済発展の投資先として、資本主義に飲み込まれ、上手く踊らされたようなものなのかな?」

 

 

光志郎も、ため息をつきます。

 

「だとすれば、未来に向けて、いったい何をすればいいのでしょうか?」

 

「う~ん、……一概には西洋主義が悪かったとは言えないのが難しい所でなぁ~、…………それまでと違って、全てに疑問を持ち学術的に研究したからこそ世界の謎はときあかされて、現在の科学技術の発展した世界があるのだよ。………ただ、これからは、イノベーションは人の手で起こすのではなくて、Aiや機械が起こす時代に入る、そんな時代に人類が生き残る為には、権力の集中よりも富の再分配のほうが必要になってくるのだよ!」

 

「だからこそ、日本は、働きぐちが無くなり収入が無くなった人々を救うために、世界に先駆けて、いち早くベーシックインカムを始めたのですよね!」

 

「先の世界的ウイルスによる伝染病によって、日本の高齢者の四割が無くなったこともあって財源に余裕が出来たこともあるのだが、肝心の日本企業の衰退による税収の減少により、そもそもの財源がいつまで持つかだね?…………明日は、世界の55%の富を得ている四大企業(グマドジ)も来るのだよ。」

 

ベッチ所長は、光志郎の瞳を見つめます。

 

「そこでだが、明日の会議に、光志郎君も出てくれないか?」

 

光志郎は、戸惑いながらも、うなずきました。

 

 

 

 

 

次の日………

 

「おはようございます!…、ベッチ所長。」

光志郎は明るく挨拶をします。

 

「おはよう!…、光志郎君、今日は頼むよ!」

ベッチ所長は光志郎の肩を叩きます。

 

「はい、なるべく未来の為の会議になるようにしたいと思いますが、皆さん、癖者ぞろいですよね?」

 

「当然、自分の利益にならん話には乗ってこないだろうね。……そういえば、カインドオブブルーの3期生のドランプ、マッグ、ジョブスの三人が会議に来るそうだ。……光志郎君は、会うのは初めてかい?」

 

「はい、初めてです。……三人とも、オーナー自ら来られるとは、ベッチ所長の顔が立ちましたね?」

 

「まぁ、これでも、あいつらの先生だからね!……さぁ、どうなることやら?……行こう、光志郎君!」

ベッチ所長と光志郎は車に乗り込み会議場へ向かいました。

 

 

 

会議場にて………

 

「本日は、皆さん、忙しいなかお集まりくださり、ありがとうございます。……世界有数の国家と企業が力を合わして、愛と平和な未来に向けた会議になればと思います。」

ベッチ所長が開会の挨拶をしました。

 

国家の側は、アメリカの大統領を先頭に、中国、日本、ロシア、インド、イギリス、の代表が並んでいます。

 

大企業の側は、ドランプ、マッグ、グールク、ジャングル、のアメリカの四大企業に、中国のアラジン、トヨタ、ソニーの日本企業が並んでいます。

 

アメリカの大統領が話だします。

 

「現在のアメリカでは、無断で入ってくる不法移民問題による貧困の増加と治安の悪化に困っています。ただでさえ、失業難による自国民の救済さえも満足に出来ない上に、移民まで養えるほどの余裕はありません。……人権主義を掲げ、国家を建国した我が国ではありますが、労働者が要らなくなるばかりの社会において、豊かな資本家は更に富を蓄え、労働者階級は貧しくなるばかりであります。

企業の法人税をあげれば、企業は国を捨て、法人税の安い国へ移りかねません。……これは、世界中の問題ではないのでしょうか?……今さら、戦争をして争っても経済は失速するだけで、誰も得をしません。国が出来ることが限られてきている現在において、今まで通りの税金を集めて国家を運営する方法が難しくなってきております。………どうですか、企業の皆様の考えをお聞かせください?」

 

企業側の代表として、ドランプが話します。

 

「国の問題を企業側に押し付けられても困ります。………私達企業は、法律にしたがって、国が定めた税金を払っております。…国民の貧困層には、日本のようにベーシックインカムでもして、国が肩代わりをしてあげれば良いではないでしょうか?……私達は企業努力を惜しみません。常により良いサービスをより安く提供することにより社会に貢献しております。これ以上何を求めているのですか?」

 

ベッチ所長が間に入ります。

「まあまあ、落ち着いて、ドランプ君。……そんなに、あからさまに毛嫌いしなくても良いのではないかね。……戦争を起こされ世界中が飢餓状態にでもなれば、そんなことも言ってられなくなるだろう?……お宅の軍事兵器事業は儲かるかもしれないが、それでも、特例によって金融、不動産事業の損失は避けられないと思うのだがね。………中国の方は、どうですか?」

 

「う~ん、我が中国では、貧しく生き残れない人民は、自然に淘汰されていくだけです。死にたくなければ、成り上がればいいだけではないでしょうかね、……そうでしょ、ロシアさん?」

 

中国に降られたロシアの党首は渋い顔をしました。

 

「我がロシアは、中国のように国民を見棄てたりはしません。……選挙で選らばた国民の代表が国民の為の政治をしております。……そちらの人口の多い国とは違い、無駄に死んでよい国民などおりません。」

 

「その通りですね、……どこの国民も無意味に死んで良いはずはありません。……これは国だけの問題ではなく、世界中の知恵を使って考えなければいけない問題です。……世界に先駆けて無人店舗システムを導入したマッグ君は、どう思いますか?」

 

ベッチ所長がたずねます。

 

「私達マグトナルドは、少しでも質の良いサービスを提供するために必要なことはなにか?と追及した結果により、コストの高い人よりもロスの少ない機械に作業を任せたことにより、より効率の良いシステムを開発し、価格を下げることで世界中の消費者に同一のサービスを提供しております。」

 

マッグは自信満々に答えます。

 

「君のところは、スマイルを届けることが企業理念ではなかったのかね、……効率を優先するあまりに従業員を機械に変えてしまってはスマイルはどうなるのかな?」

 

ベッチ所長が問いかけます。

 

「たしかに、機械ではスマイルは届きませんが、世界中で変わらない安心出来るサービスをより安く楽しめることで、お客様に笑顔が生まれます。……私達は、従業員の利益よりも消費者であるお客様の利益のほうが重要かと考えます。」

 

マッグが笑顔で答えます。

 

「いつの間にか、マグトナルドはお客様を選びだしているようですね?」

 

ベッチ所長は問いかけます

 

「そうではありません。…マグトナルドは、毎年、利益の10%を世界中の貧しい方々に慈善事業として活動資金に当てております。……十分に社会貢献をしているかと思いますが?」

 

マッグは、これ以上ないような笑顔で答えます。

 

「それは大変に素晴らしいことですよ。……しかし、機械化によって10%以上の利益を生んだはずではないのですか?……もう少し増やしてはいかがですか?」

 

ベッチ所長が問いかけます。

 

「マグトナルドは、株式会社です。……第一に投資家である株の保有者に還元しなければいけません。」

 

マッグは、少しだけ笑顔に戸惑いが混じります。

 

「そうですね。……それでは、ジョブス君の考えを聞かせてもらえますか?」

 

ベッチ所長は、ジョブスに問いかけます。

 

「私達、グールクは、ネットシステムによる、いつでもどこでも誰もが情報を共有出来る社会を目指しております。……ユーザーの皆様には、情報サービスによる社会の透明化により、とても喜んでいただいております。どこよりもイノベーションを起こして世の中に影響を与えるきっかけを作ってきたことにより、十分に社会貢献をしていることかと思いますが?」

 

ジョブスは、ゆっくり丁寧に答えます。

 

「たしかに、グールクの出現により社会システムは大きく変わり、誰もが時間と場所に制限なしに関わりをもつことによって、手軽に新しい価値を生み出したことは素晴らしいことですよ。……だがしかし、娯楽の裏でテレビが大衆洗脳の道具として使われたように、ネットシステムは大衆の思考力を奪い心理操作をしているように見えなくもないのだが、どう思うのかな?」

 

ベッチ所長は問いかけます。

 

「物事には、良い面があれば悪い面があり、表裏一体は世の中の常であります。……私は、大衆はそれほど愚かではないと思います。……現に、ネットビジネスが現代社会において一番の経済市場になってきており、アイデアしだいで貧困層からの脱却に貢献しております。私は、誰もが無料で同じ情報を得られる世界が本当の平等社会だと考えいます。……より良いアイデアがイノベーションを起こし、更なる未来へ私達を導くのではないのでしょうか?……私は、人間の多様性を信じています。……もはや、現実場には、多様性を受け入れる余裕はなく、バーチャル空間にしか本当の自由は無いかと思います。」

 

ジョブスは真顔でゆっくり答えます。

 

「たしかに、そうかもしれませんが、このままでは現実の場所は、富裕層だけのものになりかねませんか?……果たして、それは本当の自由と呼べるのでしょうか、価値を生み出さない無能な人々には仮想世界で仮りそめの自由を楽しんでいればいいとも聞こえなくもないのですが?」

 

ベッチ所長は真顔で問いかけます。

 

「そうとらえられても仕方ないことだと思います。…人間は多くの無能な人々の存在の中からアイデアが産まれ拡大していく定めだと思うのですが、暇をもて余してノイローゼになるよりはましなのではないのですか?」

 

ジョブスも真顔で答えます。

 

「そうですね、今、現在においては仕方ないという言葉が打倒ではありますね。………それでは、私と同じ、愛と平和の為に独自で社会活動をしている絶望光志郎君の考えを聞かせてもらおうと思います。…今までの話しを聞いて、君はどう思うかな?」

 

ベッチ所長は光志郎に問いかけます。

 

「僕のような若造が、皆さんのような方々に意見を申し上げるのもおこがましいのですが、愛と平和を目指している若者の代表として言わしていただきます。……皆さんは、細かな違いはあるにせよ、世界がより良くなることを望んでいるように感じました。………ここに居られる誰もが自分では使いきれないほどの資本を手に入れ、使い道に悩んでいるように感じます。……その資本は自分の意図を越えて勝手に増えていく一方で、Aiや機械に仕事を奪われて、確実に貧困層は増えていき食べ物も食べれず餓死していく人々がいるのも事実です。……一方では、有り余る富を持ち甘して悩み、もう一方では貧困の為に死ななければならない、これだけの科学文明が発達した世界においても人類はこの問題を乗り越えられないのでしょうか?………中国は、いまだに人権を無視して弾圧を繰り返していますが、上海、北京のように、人が管理するのをやめて、Aiが最適化をはかり、必要な所に利権的な感情をいれずに再分配することにより、世界一の経済都市となり、自然と無駄のない効率のよい環境を作り上げたことも事実です。……一体、この地球は誰の物なのでしょうか?……いつの間にか、勝手に所有権を生み出して必要以上のお金を増やして何になるのでしょうか?……僕にはわかりません。……果たして、それで幸福を感じられたのか?……お金とは、全てのものよりも優先すべきものなのか?……それほど確かな価値あるものなのか?……僕には信じられないのです。……そろそろ、お金意外の価値基準があっても良いのではないのですか?……幸いなことに、人類は、未来テクノロジーにより、今までのわずらわしい問題から開放されようとしています。……労働による賃金報酬とは違ったシステムによる自己の評価方法が有っても良いのではないのですか?……資本家とは、それほど怖れなければならない存在なのですか?……彼らも、回り回って元をただせば同じ消費者であり社会の一員ではないのでしょうか?……僕は、人類とは、本来、曖昧であり、もっと多様な生き方をして可能性を探すものだと思います。……このままでは、金儲けが上手い人しか生き残れなくなりそうです。……そんな未来に果たして希望はあるのでしょうか?……皆さんのお力があれば、新たな世界を産み出せるはずです。……資本家の手から、世界中の人々に生きる希望を取り戻せないでしょうか?」

 

光志郎は、真顔でゆっくり丁寧に話しました。

 

 

「どうかね、皆さん、……私達、年長者はいつの間にか、お金という形なき便利な幻想に取り付かれていたと思うのですが、…年は取りたくないものですね!……若者の希望を奪う側になってしまったようですよ!」

 

ベッチ所長が、にこやかに話します。

 

「そうですね。……私がグールクを立ち上げたのも、労働以外の価値をみいだし、自由な世界を作りたかったからです。……私達、グールクは、君の意見に賛同します。……ネットシステムを使ってより良いアプリを開発し、人々が繋がり助け合う世界を目指していきます。……まずは、世界の大都市を繋げて、より便利なお金に代わる経済圏を作りたいと思います。」

 

ジョブスは、微笑みながらゆっくり丁寧に話します。

 

「それは、素晴らしいことです。……マッグ君は、どうかな?」

 

ベッチ所長は、マッグに問いかけます。

 

「我がマッグは、オートメーション店舗だけでなく、二万人程の街をチェーン展開していき、従業員の代わりに住民を無料で受け入れていきたいと思います。……そうすれば、少しは移民問題の解決に協力できるでしょう。」

 

「ほう、国家の代わりに街ごとプロデュースをするということですか?……すごいことを思いつきましたね。………ドランプ君は、どうですか?」

 

ベッチ所長は、ドランプに問いかけます。

 

「ドランプ財団は、新たな開拓地、フロンティアを求めています。残念なことに、地球上は開拓されつくされ、これ以上の資本を投資しても見返りが期待出来ません。……ですから、月へ行こうと思います。……月の権利を買い占め、新たなフロンティアにします。……そこで、各国の代表の方々に協力をお願いします。……新しい資本主義の形を生み出すために、資本家の資本額に課税をかけていただきたい!……そうすれば、税収も増え、国も役割を果たせることでしょう。」

 

ドランプは、自信満々に話します。

 

「まぁ、貯蓄資本に課税すれば、資本家の力は弱まりますからね、……それだけ、企業は資本家を気にせずに設備投資ができるようになるということですか?…………貴方らしいですね、…まぁ、いいでしょう!……問題は、資本家の反発はすごいですよ、…どうですか、各国の皆さん?」

 

ベッチ所長は、アメリカの代表に問いかけます。

 

「アメリカは、世界の警察から退いて我が道を歩んできましたが、企業の協力なしでは国が維持出来なくなってきたのも事実です。世界中が、一律の税収をかけるという協力をしてくだされば出来なくはないでしょうが、[Hi5]に抵抗できるだけの新たな国際ルールを作らなければならないでしょうね?」

 

アメリカが答えます。

 

 

「アメリカは、こう言っていますが、中国は、どうお考えですか?」

 

「中国は、国家としては厳しいのが現状であります。どれだけ規制をかけても、我が国から逃げて行く資本家が増えており、税収は減るばかりです。新たな世界秩序を作ることには賛成ですが、ロシアが抜け駆けをしないというのが条件です。」

 

「何をおっしゃる、悪知恵を働かせて抜け駆けをするのはそちらの専売特許ではありませんか?……我がロシアも[Hi5]の圧力には苦しめられております。……新しい世界秩序に参加させていただきます。」

 

ベッチ所長は、改めて仕切り直します。

 

「それでは、他の国で反対の方はいますか?」

 

誰も意見を言いません。

 

「反対意見がないということで、新たな世界秩序を作るということできまりました。……こまかなルールは、これから順番に話し合いで決めていきましょう。………それでは、本日は、ありがとうございました。」

 

ベッチ所長は、閉会の挨拶をして締めくくります。

 

 

 

別の部屋にて…………

 

光志郎はベッチ所長と二人でコーヒーを飲んでいます。

 

「どうでしたか?………光志郎君!」

 

ベッチ所長がにこやかにたずねます。

 

「皆さん、意外と話しのわかる人ばかりで、思ったよりもすんなり行ったといったところですかね。……ですが、[Hi5]の当事者であるアメリカが、あれほど、イギリス資本家エリート団体を嫌っているのはなぜですか、むしろ、無くなっては困るのではないのですか?」

 

「アメリカやイギリスにしても、建国の際は、イギリス資本家エリート団体に世話になったのだが、ここまで、発言力をもたれ、国への影響されることがわずらわしいのだよ。……大統領といっても、操り人形でしかないのだからね!」

 

「そうなのですか。……だから、すんなりまとまったのですね」

 

「表向きではそうですが、[Hi5]を共通の敵とすることによって、まとまったようなものですかね。……実際には、これからが駆け引きの本番ですよ。」

 

「やはり一筋縄ではいかないのでしょうね?……当然のように、自分の利益を取りに来るのでしょう。」

 

「まぁ、それが上に立つものの資質ですからね。……私は、きっと、近いうちに、大都市は独自の繋がりを強め独立していくことになると思います。」

 

「それでは、世界のバランスは、また、乱れるということですか?」

 

「いや、そこまでの事にはならないと思います。西洋文化主義から多様なる文化へ、グローバルとは逆に世界の文化は多様性を増して新たな時代を迎えることになるでしょう。……その時には、国家の役割はサブ的なものとなり、経済市場主義による最適化された新たな秩序社会になっているかと思います。……その時には、世界の王族、貴族階級のでかたによっては、日本の文化が見直されていることでしょう。……………それにしても、光志郎君を誘って正解でした、なぜだか、君の言葉には誰もが素直に耳をかすのですから!」

 

「そうですか?……人は曖昧ですので、その時にならなければわからない気もしませんけれど、それにより多様性が維持され可能性が広がれば未来も明るいでしょうね!」

 

光志郎はニヤリと微笑みます。

 

「そうですね、人類には希望が必要ですからね!」

 

ベッチ所長もニヤリと微笑みます。

 

二人は、明るい未来を思い描きながら、それぞれの世界へ帰って行きました。

 

 

 

終わり

 

 




いやぁ、妄想はつきません!

現実の世の中も何が起こるかわかりません。

時代の変化は加速するばかりで、40すぎたら老害なのかもしれませんね?

Aiや機械にないもの、直感といいますか、心の底の方からせりあがって沸き立つ感情といいますか、面白いですね!

常識は変わるもの、変化を楽しめなくなったときに、人は老いるのかもしれませんね!

そんなことを思いながら書いていました。

それでは、また会う日まで!



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外伝 2028 いかれているのは、世界か私か? バーカー編①

皆さん、お久しぶりです。

今回は、楽笑おじさんと絶望こぞうの外伝になります。

カインド オブ ブルーのメンバーのひとり、バーカーの話しです。

名前、無記無名バーカー・モダンホラー作家・オカルト研究・犯罪心理学・サイコパス

さぁ、何がおきるやら?





 

 

 

世界が壊れていく………

あからさまに…………

 

欲張りな君たちに群がる思想、

 

「お前は何者なのか?」

 

繰り返しどこかで囁き問いかける。

 

私はどこから来たのか?

 

それが解ったとしても答えはないのだろう。

 

あい変わらず、世界は無記であるかのごとくあざわらう。

 

いいかげんな人こそ、明日があるのでしょうか?

 

過去を忘れて未来にこだわらない。

 

そんな時代に死後など考えるまでもないのだろう!

 

かと言って、今が全てと意気込むこともできない。

 

知らない世界に新たな建造物。

 

混沌は情報とかし世界を飲み込む。

 

真実などは何処にも無い。

 

自分ほど不確かなものは無い。

 

思い込みの戯れ言に過ぎない。

 

私は、無記無名。

 

漂い流れる存在。

 

時には引っ掛かりたたずむこともあろうが、無抵抗であり無関心な存在。

 

それでも、生きている。

 

この素晴らしくも愚かな愛すべき世界!

 

それでも、生きていられる。

 

この素晴らしくも愚かな愛すべき私!

 

 

 

……………………………2028 バーカー書記

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

太陽が昇る国。

 

龍神が守る国。

 

世界の雛型であり、世界最古の国。

 

いまだ謎多き、鎖国しているかのようであり、不気味極まりない国にやって来た。

 

私の名は、無記無名。日系四世のアメリカ国籍。

 

年は、36歳。白髪まじりの髪と不精ひげにシワだらけのくたびれた皮膚が、年齢以上の印象をかもしだしている。

 

 

私が、この国に来たのには訳がある。

 

明治の終わりごろにアメリカに渡った祖先の家本から呼び出されたのだ。

 

百年以上も昔の繋がり、今になって何故なのか?

 

どうして、私なのであろう?

 

四世代の間に東洋の島国の血は薄まり、私自身、ルーツが何処かなど、今となってはどうでもいいことであるのに。

 

たまたま産まれたのがアメリカだから、アメリカ人と名乗っているにすぎない。

 

それなのに、よりにもよって、何故、私なのであろう?

 

運命は自分で選ぶものではなかったのか?

 

人生とは?

 

36歳にもなって、おとぎ話の空想のような国の仕来たりに従わざるおえないとは、あまりのくだらなさに笑い話にもならない。

 

なんでも、建国以来、二千年以上続くまじない師の一族であり、陰陽道の力を操り、国全体に結界を張って世界を安定させるのが使命のようだ。

 

国を陰から支え、操り統治していると云っても過言では無いという。

 

なぜ、私でなければいけないのだろう!

 

先代の頭首によれば、私が産まれる以前から定められていたことであり、今後の運営方法は私に一任するというのだ。

 

あまりにも無責任この上無い、二千年以上もよく続けてきたといいようがない。

 

新たな時代を迎える時期であり、陰陽道をもってしても未来は未定であり、この国の命運は、私にかかっているという。

 

よりにもよって、何故、私なのであろう?

 

そんなことを漠然と思いながら、目的地の位山についた。

 

山深く静かな場所に大きな巨石が無造作に転がっている。

 

見ようによっては祭壇に見えなくもない。

 

なんでも、新頭首はここで自然と一体にならなければならないそうだ。

 

オカルト好きな私でも、眉唾ものであり胡散臭さこの上無いのだが、やればわかるというのだ。

 

いわれるがままに、こんな所まできてしまったのも、いまとなっては自分でもわからない。

 

何かに導かれてというのは簡単ではあるが、36年生きてきて、そろそろマンネリ化してきた人生に刺激を求めていた時期だったのだろうか?

 

それとも、物書きである嵯峨なのか、新たなネタを求めて来たのか?

 

どちらにしても、必ずしも理由が必要とは云えず、全ては後ずけなのかもしれない。

 

 

私は平らな巨石の上に立った。

 

静まりかえった森の大気が湿度を増して霧が立ち込めている。

 

私の隣に霧が集まり大きな龍の頭があらわれる。

 

『お前は何者なのか?』

 

龍の頭が問いかける。

 

「私は私でしかない!、、、あなたこそ、何者なのか?」

 

私は、淡々と問い返す。

 

『我は有るがままの者であり、導きし者!』

 

龍の頭は私の正面に回り込み、互いに見つめ会う。

 

『さぁ、導かれし者よ、我と参ろうぞ!』

 

龍の頭は大きな口を開いて、私をまるごと飲み込む。

 

龍の頭は、そのまま真上に空高く舞い上がりだす。

 

あたかも天空から大地へとタワーが立上がったように見える。

 

私は光に包み込まれ、龍の体内をくぐり抜けた。

 

巨石の上に取り残された私には、何が起きたのか解らぬまま、立ち尽くしている。

 

あまりにも、呆気ない。

 

…………実感がない、、、こんなものなのか?

 

 

周りでは陰陽道の長老たちが卯なずいている。

 

 

私の肩書きがまたひとつ増えただけなのか?

 

この国の命運を握る者!

 

 

はたして、いかれているのは、世界か私か?

 

 

………謎は、謎のままに、その先の先へ………

 

 

 

 

 




新たな肩書きが増えたバーカーに、今後、何が待っているのやら?

気が向いたら、また、書こうと思います。

未来は、いまだ未定ですよね!



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外伝 2029 閉ざされし世界! バーカー編②

皆さん、どうもです。

今回も、バーカー外伝となります。

だんだん、私のなかで、バーカーの存在が大きくなってきております。

なぜなのだろう?

というわけで、始まりです。





……………………………………………………虚空の先を見つめる。

 

ぼんやりと………

 

さだまらないままに………

 

虚無とは、いったいなんなのか?

 

積み重なりし記憶が記録となりし世界。

 

現実とは、いったいなんなのか?

 

感情が読めない私。

 

私自身、感情が無いのか?

 

同じ顔に見える人々。

 

物質とかす人々。

 

記号化する世界。

 

完結する世界。

 

私の頭のなかで、シミュレートする世界!

 

言語が飛び交う世界!

 

システムとは?

 

自然を超えたものなのか?

 

それすらも、法則とかすならば、

 

いつの時代も、記号ではないのか?

 

きずかないのか、きずけないのか?

 

理解できない感情がゆえに心理学はあるのか!

 

オカルトを操り、

 

なにゆえに?

 

サイコパスであるがゆえに?

 

閉ざされし世界!

 

…………………………………2029バーカー書記

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

太陽が昇る国。

 

龍神が守る国。

 

その国の命運を握る者となって一年がたつ。

 

私自身は、ことさら変わることもなく、唯唯、私の扱い方が変わっただけのようだ。

 

肩書きとは、これほど都合のよいものなのか?

 

私が新たに始めたことといえば、伝統的な地底の竜脈〔今でいうところの地学〕と宇宙の星ぼしの動き〔今でいうところの天文学〕による気象現象の影響からの天変地異を防ぐ為の結界を見直し、人間活動を無意識から操作する事であった。

 

この国は、この星の波動の呼吸器官のようだ!

 

時代の変化にともなう人間活動のずれを修正する事が、主な目的であり、これが、この星の環境に大きな影響を起こしていたのだ。

 

簡単に言うと、宗教を超えた秩序のようなものなのだ。

 

その為には、この国は大きくシステムを変えざるおえなかった。

 

まずは、東京を中心とした関東圏の独立により、世界文化の中心を明確にする事により、まるで、江戸を中心とした徳川幕府のような世界秩序システムが産まれた。

 

古来より守られてきた神社による神道システムをモデルにして、電脳空間の中にも仕掛けをして結界システムを構築した。

 

この時代の最大の欲求とは、不安を避けることであり、どこよりも安心安全が確保できる国民レベルで秩序だったこの国に、世界中の富裕層は憧れをいだいていた。

 

元より、この国には真の指導者は居なかった。

 

全体こそが意識なのであったのだ。

 

あとは簡単なことだった。

 

要となる一部を変えればよいだけだった。

 

一定の基準をもうけて、新たに人種をとわず、同胞を募ればよいだけだった。

 

精神文化の発展を望む者を。

 

自然と色とりどりの人々が共存していった。

 

幸いにも、地政学から見ても、この国は理にかなっていたから何千年も続けてこれたのだろう。

 

結論としては、世界は心の安定のために、この国の天皇システムを利用したことになる。

 

それだけ、優れたシステムなのである。

 

噂では、天皇にも表と裏があるらしい?

 

この国の伝統をしればしるほど、あながち嘘とは言い難く、さらなる本家が隠されているかもしれないのだが、それこそが、この国が長く続いた秘密なのかもしれない!

 

実際には何も権力を持たない意識の象徴としての存在。

 

文字通り、世界のレビ〔司祭〕となったのだ。

 

世界中のシャーマンの長となった天皇一族は、注目を集め、平和のシンボルとなることだろう。

 

オカルトの中心といっても過言ではない!

 

オカルトとは、ある意味、原初以来DNAに刻まれた反応システムを刺激することである。

 

オカルトこそが、集団意識を統合して世界を裏から操っているのかもしれない?

 

私としては、思いつきで話しを進めたに過ぎないことばかりなのだが、これほど世界中が乗っかってくるとは予想外であった。

 

何よりも、電脳空間に結界システムを構築できるとは思ってもおらず、必ず反対勢力が現れると予想していた。

 

それほどまでに、人々は、新たな世界〔Ai〕に不安を感じていたのだろうか?

 

これほどまでに世界中に影響を与えたにもかかわらず、相変わらず私は陰の存在であり、表向きには私の立場は変わらなかった。

 

独りが好きな私にとっては好都合だった。

 

幼少のころから、自分の世界が確立されていた。

 

ずいぶん、私のような者でも、生きやすい世の中になった。

 

担当医は、私が自閉症だといっていた。

 

私にとっては、他者は記号であり情報源でしかなく、さほど関心がもてず、どちらかと言えば、心を乱すわずらわしい存在であったが、心理学を学ぶことにより、わかりやすい記号となった。

 

私の頭の中では、何者かが、いつも会話をしていた。

 

私のような居能な存在だから、この時代の命運を握る者に選ばれたのかもしれない?

 

私のような者にとっては、自由とは頭のなかにある。

 

 

閉ざされし世界!

 

 

 




バーカー外伝、第2話、終了でございます。

自分とかぶるような所も多いキャラかもしれません。

私のような者には、本当に生きやすい時代になってきたと思います。

個人主義ばんざーいですね!

生まれながらのオタクなのですかね?

中二病的なジャンプ式も、ぐだくだ自己批判的なエモーションも、暑苦しくうざいなという時代が始まりだしたのかも?

多様な存在を統合する単純なシステムがあればいいだけなのかも?

21世紀は、全てが出揃い、それぞれの選択による悟りから始まる時代なのかもしれませんね。

行き過ぎた欲求の先には満足はなく、孤独があるだけ、それならば、あなたは何を選びますか?


それでは、気が向いたら、又、書こうと思います。




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22話 2030 明暗? それでも明日があるのなら

いや~、久しぶりの本編です。

絶望光志朗、30歳のお話です。






絶望光志朗は、日本にいます。

 

「やっぱり、日本が一番落ちつくね、ルンバちゃん!」

 

あいかわらず、世界中を飛び回っており、半年ぶりに帰ってきたところです。

 

光志朗とルンバは、片付けもそこそこに、久しぶりの日本の空気を楽しんでいます。

 

「それにしても、光志朗君の知り合いは、王族や世界的な資産家とか、すごい人ばかりになってきたわね!……それで、私も付き添いで無料で付いていけるのだけど……なんだか、いいのかしら?」

 

ルンバが間の抜けた感じで話します。

 

「いいんじゃないの?向こうが、僕の意見を聞きたいと、わざわざ来てくれと言うんだからさ……全然、住む世界が違うのにね、庶民の代表とでも思っているのかな?」

 

ルンバには秘密ですが、4年前のベッチ所長との未来会議の一件以来、噂が広まり世界的な特権階級の方々から信頼を得たようで、一般人でありながら意見をのべる立場になっていたのです。

国際関係の影響力では、アメリカの大統領よりもあるほどの有名人のようです。

 

「なんだかわからないけど、よく当たる占い師とでも思われているみたいだよ!」

 

光志朗は、適当にはぐらかします。

 

 

 

光志朗の意識の中にダイレクトに語りかけてくる思念があります。

 

『光志朗君、君は希望だよ!……私にも迎えがきたようだ……ありがとう……さようなら………』

 

光志朗は思念に語り返します。

 

『こちらこそ、ありがとうございます。……未来は任してください!……次なる世界へ……又、会いましょう…さようなら………』

 

光志朗のほほに涙がこぼれ落ちます。

 

「何かあったの……光志朗君?」

 

ルンバがたずねます。

 

「あぁ~……………今、陀来僧侶が亡くなったよ……」

 

光志朗はポツリと答えます。

 

「お疲れ様です。……陀来さん……」

 

ルンバも、かみしめるように呟きます。

 

 

光志朗のスマホにメッセージが入ります。

 

「ポタラさんからだ………明後日に陀来僧侶の葬儀があるからチベットまで来れないかだって?………………僕は今から行くけど、ルンバちゃんはどうする?」

 

「私も行くに決まっているじゃない……さぁ、準備しなくっちゃ!」

 

二人は、簡単に荷造りをしてチベットへ向かいました。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 

光志朗とルンバは、6年ぶりにチベットのラサに降り立ちます。

 

「お姉さま、会いたかった!」

 

少し大人になったリサが、ルンバに抱きついてきます。

 

「久しぶり、リサちゃん、大きくなったわね!……迎えにきてくれたの?」

 

「うん、リサ、免許取ったから!」

 

「リサちゃんが、ガンデン寺まで送ってくれるなんて……ありがとう」

 

「ポタラのおじさんは、葬儀の準備で忙しいから……光志朗さんも遅れるといけないから……さぁ、急ぎましょう!」

 

光志朗とルンバは、リサの運転するアルトでガンデン寺へ向かいました。

 

ガンデン寺では、忙しいなか、ポタラが迎えてくれました。

 

「いゃ~懐かしいですね……陀来様といつも光志朗さんのことを話していたのですよ。………まさか来ていただけるとは思いませんでしたが、なにせ、あなたは陀来僧侶が託した希望ですから、いの一番に連絡を差し上げたしだいで……本当に良かった!………なによりの供養になりますよ!…………ありがとうございます。」

 

「ポタラさん、当たり前じゃないですか。………僕たちは、地獄をくぐり抜けた戦友じゃないですか………それにしても、中国が崩壊して最後に母国に帰ってこれたのが、せめてもの救いでしたね。」

 

「そうですね………陀来様も帰ってくることは、半ばあきらめておられましたからね……さぞや嬉しかったのでしょう…………どうぞ、亡きがらを見てあげてください………最後のお別れですから。」

 

「わぁ、本当に安らかな顔をしていらっしやいますね。」

 

光志朗は手を合わせ深々とお辞儀をしました。

 

 

そこに、ベッチ所長とチェンがやって来ました。

 

「ふー、間に合いましたよ………ベッチ所長!」

 

「あぁ、チェンじゃないか……よくこれたな?」

 

光志朗は、ベッチ所長にお辞儀をしながらチェンに話しかけます。

 

「昨日、連絡があって、プライベートジェットで不眠不休で飛ばしてきたからな、……もう、おかげでくたくただぜ、………まぁ、ベッチ所長は、グウグウ寝てたけどね!」

 

「それはお疲れ様でした。……カインドオブブルーの皆様には、全員、連絡を入れさせていただきました。………あと一時間ほどで葬儀が始まりますので、それまで皆様、休んでいてください。」

 

ポタラは、にこやかに話しました。

 

光志朗たちは、休憩室に案内されました。

 

休憩室にはマドンナママと太郎さんがいました。

 

「わぁ、光志朗君、…久しぶり………ベッチ所長にチェン君まで、なんだか同窓会みたいね、………陀来僧侶の最後のプレゼントかしら?」

 

マドンナママは、相変わらずの美しさで喜んでいます。

 

「お二人とも、忙しいのによくこれましたね?」

 

光志朗も、嬉しそうに二人と話します。

 

「二人とも、丁度イベントでインドにいた時に連絡がはいったのだよ、……同じ同期じゃからな、何はさておき駆けつけた所でな!」

 

太郎さんは、相変わらずのガラガラ声で話します。

 

「それも神のおぼし召しなのかもね?」

 

マドンナママと太郎さんは、互いに顔を見合せ微笑みます。

 

「神といえば、我が祖国、日本の自然崇拝文化の象徴でもある天皇が、世界中から崇められるようになったな、やっと、縄文思想を世界が認めてくれたことが、鷲は嬉しくてたまらんのじゃよ!」

 

太郎さんは、笑いながら涙ぐんでいます。

 

ベッチ所長とチェンは、顔を見合せて微笑みます。

 

光志朗の意識にベッチ所長が入ってきます。

 

『光志朗君も、ずいぶん、世界中の特権階級の方々に話しを持ちかけて、世界平和の安定の為に活動しているようだね?……どうせなら、同じ目的なのだから、私と一緒にウイズバードに参加してくれればいいのにな、……チェンも頑張ってくれてるよ!』

 

『おかげさまで、今のところ、上手く進んでいます。……僕は独りで活動するほうがあっていると思います。……ウイズバードのフォローをしているようなものなので、お互い、愛と平和の為に頑張りましょう!』

 

ベッチ所長と光志朗は互いに微笑みます。

 

 

ポタラの案内の元、密教式の葬儀が始まります。

 

 

…………………………………………………………………

 

 

陀来僧侶の葬儀も無事に終わり、光志朗たちは、懐かしいメンバーと夕食をとっています。

 

「いやぁ、本当に今日は良い日になりました。……陀来様の為に、大勢の参列者が次々とこられて、まともな相手も出来ませんでしたが、本当にありがとうございます。……チベット密教も新たな時代を迎えることになるでしょう。……これからも、皆様にも助けていただくこともあろうかと思います。新しい陀来ともども今後のチベットをよろしくお願いいたします。」

 

ポタラは、あらたまってお礼を述べました。

 

「そんなことは、当たり前のことですよ、ポタラさん!……陀来といったら、チベットの王様と同じなのですから、私たちなど、後回しにして当然のことです。……そんな中で、連絡をいただいただけで感謝しているのですよ。」

 

ベッチ所長が、代表して答えます。

 

 

「それにしても、チベットが独立出来て良かったですね!……我が日本とチベットは、数少ない伝統文化を受け継ぐアジアの秘境じゃからね。」

 

太郎さんが話します。

 

「そうですね!……だけど、ここ二年ぐらいで日本の仕組みが大きく変わってきているようですね?……それまでは、口伝による秘密だった大和民族の歴史が公表されたのも驚きなのだが、世界中がそれに乗っかって天皇を平和のシンボルと認め、新たなストーリーが広まったのだからね。……いったい、何があったのでしょうか?」

 

ポタラは嬉しそうに話します。

 

光志朗とベッチ所長は、互いに微笑みます。

 

『なぁ、光志朗、……俺の調べた所、古来より呪術によって、日本を裏から支えている組織の頭が変わったようなんだが、お前、何か知らないか?』

 

チェンが思念で話してきます。

 

『あぁ、その通りだよ!………その新しい頭首が誰か知ったら、チェンも驚くよ!』

 

『やっぱり、光志朗は知っていたか、……なぁ、教えろよ、………誰なんだ!』

 

『それは、まだ、言えない………本人も知られたくないようだからね。』

 

『そこをなんとか、俺たちのなかだろ、………ヒントぐらいなら、いいだろ!』

 

『そうだな!……………僕たち二人の共通の知り合いで縁のある人ってとこかな。……これ以上は言えないよ。』

 

光志朗は、思案しているチェンに微笑みかけます。

 

「ねぇ、光志朗君、……そんなに、素晴らしい国なのに、日本の若者が夢を持てないというのは、本当なの?」

 

マドンナママが質問します。

 

「確かに、悟りから始まった世代、全ての未来が想定でき、ゲームに慣れしたしんだ若者からしてみれば、現在での四十代以降の人生に希望が持てないといえば、その通りです。………しかし、それは金融経済という給料をもらい仕事を与えられるという仕組みでのことであり、自分の理想とする世界を生み出すという意味合いであれば、想像力豊かな希望溢れる夢を持っているのだと思います。」

 

「つまりは、現在の大人の社会の仕組みに夢がないということ?」

 

マドンナママは、聞き返します。

 

「はい、そうです。………途方もない馬鹿げた仕組みだとしか思えません!………必要以上にお金を増やして、実体のない価値を見出だし、無駄な生産をして押し売りをする。………その上に格差は広がり、何のために溜め込むのか?…どうしてひもじいのか?…誰も満足を得られない行き詰まりの社会にしかみえません。……無意識では大人も、おかしいと感じているのです。……抑圧は弱者に向かいます。……そんな歪んだ社会に純粋な心はたえられるでしょうか!……片目をつぶって生きているようなものだと思います。」

 

光志朗は、思っていることを素直に話します。

 

「それが、光志朗君の今のテーマってことかな?」

 

マドンナママは、そっと言います。

 

「そうですね、……たしかに、愛と平和はという思想は、今でもあるのですけど、………その前に、世界に希望を取り戻したいのですよ、お金でなく人間ひとりひとりに価値があるはずです。……互いに繋がり高め会う縁をブロックチェーンのように承認することで価値化できたなら……本当に必要なことの為に時間を使いたいのです。……だから、僕自身、もっとワクワクしなければいけないのですよ!………僕は、無意味な金の奪い合いの仕組みを変えたい!……それがテーマですね。」

 

光志朗は、眼を輝かせています。

 

「そうか、そういうことだったのですか!……お互い、未来に向かって頑張りましょう!」

 

ベッチ所長が、笑いながら話します。

 

他の皆も笑いだします。

 

「さぁ、それぞれの未来に向けて希望ある明日になりますように!……そろそろ時間となりますので、本日は本当にありがとうございます。」

 

ポタラが締の挨拶をしました。

 

それぞれの明日へ向かって帰っていきました。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

光志朗とルンバは、日本に帰ってきました。

 

「う~ん、やっぱり、日本が一番落ち着くね!」

 

「そうね!………しばらく、日本にいたいわね?」

 

 

 

 




どうも、お疲れさま、ってな感じです。

私が生まれたころ、

70年代前後に愛と平和というムーブメントが世界中で起こり、世界はひとつにまとまるかと思われました。

宇宙から見れば世界はひとつ、ジョンレノンですね。

みんな、イマジンしていたようです。

しかし、私の時代はこの有り様です。

子供たちに押し付けるわけではありませんが、もう一度

やってみないか!

今度は、テクノロジーが見方につくかも?

本人よりも自分をしるAiによって

人間よりも、遥かに賢いものが。

そんなところです。

又、会いましょう。





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外伝 2030 成れの果て の ? バーカー編 ③

今回のお話は、バーカー編3弾です。

前回のチェンザンマイの一年前の出来事になります。

さて、何がおきるやら?




当たり前のごとく、…………

 

時を刻み、過ぎ行く日々がやって来る

 

何を求めて

 

ただ、ひたすらに、遺伝子を運び続けるかのごとく

 

老いとは、何か?

 

忘却のかなたへ………時はいざなう、

 

それが未来というならば、

 

何故に繋がりを求める…………いつの時代も、

 

生命とは?

 

ひたすらに、運び続ける遺伝子の方なのではないのか?

 

わずかな、気まぐれの変化のままに…………

 

所詮は、成れの果ての存在!

 

私は、ただの肉塊なのかもしれない?

 

百年ほどの時の狭間で………リフレインかのごとく

 

今、有る、感覚すらも………?

 

…………遺伝子が作り出した世界なのか?

 

 

ただ、いつも。

 

残るのは、虚しさだけ、

 

さらけだせば、だすほどに。

 

 

……………………………… ……………2030 バーカー書記

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

………何のために、此処にいるのか?

 

………人には、それそれ産まれてきた理由が有るという。

 

………契約のなのもとに。

 

………望む望まずにかかわらず。

 

………使命をもって、何らかの役割りを果たすために。

 

…それが、この世の存在理由であり、世界が交わり影響をもたらす現実という幻想の縁を繋ぐ場なのだろう!

 

 

………………………幻想という葛藤の先に、現実は成り立つのかもしれない?

 

…………………とはいえ、物語は続く………

 

 

最近になって、孤独を絵に描いたような私にも、よき理解者が現れた。

 

若き日の旧友であり、幾時の時間を共有したものだ。

 

彼は、いつも思念で語りかけてくる。

 

私にも迷いはある。

 

歴史ある古き国の命運を背負っているのだから、当然のことだろう。

 

彼との会話で気付いたことがある。

 

この世界は、さまざまな次元が重なりあい、互いに影響しあって成り立っているのだ。

 

人の思想意識を数値化できる時代に成ったことにより、より一層、明確に実感できることだろう。

 

世界は思想意識で成り立っている。

 

時空間を越えて、漂うかのごとく。

 

波動の強いエネルギー思想意識体にパワーはやどる。……正と負にかかわらず。

 

様々なデーターをマルチアルゴリズムを元に、地図上に重なり合わせてみればわかることだろう。

 

過去との違いは、国を越えて混在する思想意識が独立して混じりあっていることだろう。

 

情報を通して、思想意識の領土争いが現実世界を形創っているのだ。

 

 

 

私がすべきことは何か!

 

システムを創ることなのだ、。

 

新たな次元の調和を目指して!

 

現実がオカルトを越え始める時代なのだ!

 

洗脳は解かれ、………前提が変わる。

 

新たな、認知革命がやって来る!

 

思想意識を変革すれば世界は変わる!

 

アップグレードの時は迫りつつある!

 

 

西洋では、市民革命につぐ新たな格差を産むと不安感がましており、神と成るか家畜に成るか?と我先と争っているようだ。

 

東洋的な秩序体系があっても良いのではないか?………もっと、言葉にできないアニミズム的なシステムが?

 

心地よいシステムが?

 

 

 

この国の古来からの伝承を知れば知るほどに思い知らされる。………いったい、何者が創造したのであろうか?

 

 

ただただ、生命の偉大さにひれ伏すのみである。

 

遺伝子に組み込まれたシステムの偉大さに。

 

後ろ髪を引かれる思いを残して、新たな次元に向けて。

 

 

 

扉を開くのが、私なのだろう!

 

 

 

なぜなら、肉体を持つ現世代にしか、時代は変えられないのだから……………

 

 

 

 

 

 





剣豪、宮本武蔵の言葉に、[我愛す、故に我あり]という言葉があります。

わがままとは、我がまんまということで、それでも社会が成り立つ時代がやって来るのではないのでしょうか。

すべてを内包するシステムを目指す。

理不尽をこえて、誰もが満足できる……心のありようですよね!

感謝とは、そこから生まれるのではないのでしょうか。

みなさんも、他人をうらやむ前に、今に満足し感謝して我がままに流されてみてはどうですか?

何かが変わるかも?


それにしても、

いや~、小難しくて回りくどい、

訳の解らないことをぐたぐだと、

バーカーとは、そういうヤツなのですね~。

もっと、気楽に成りなさい!

てなことで、また、会いましょう!




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23話 穏岐[おんき]2031 神々の黄昏


今回のお話は、ホツマツタエの頭首バーカーと光志朗が、東洋の島国、日本の秘密を探る旅をすることになります。

その前に、今回の旅の仲間、ホツマツタエの主力メンバーを紹介します。

バーカー・・・頭首であり、世界最古の国家の古来より続く陰陽道を操る一族の遺伝子を受け継ぐ者。アメリカ国籍、日系四世。

さくや・・・頭首を護衛するsp、忍者の末えいであり伝統知識と武術を操るくのいち。

パオ・ユーチン・・・道教と風水を操り、世界中の神仏と対話できる。自然神や英雄神等の次元を超えた存在からの情報を伝える参謀。日本と台湾のハーフ。


あらためて、主人公の紹介でも、

絶望 光志朗・・・相手の意識とリンクするテレパシー能力[サンシャインラブ]を持つ、更に意識を集中させると現実に影響を与えるエスパー能力となるが自制している。バーカーとは若い頃にIQ200以上の者が入れるカインドオブブルーという極秘研究機関に所属していた同期生。あらゆる知識に精通しており、愛と平和と未来への希望の為に世界中の重要人物とのネットワークをもっている。なぜか、どんな人物でも彼に心を開いてしまう。



今回の話は、Youtubeの[CGS表博あき日本人を考える][田中英道日本から見たサピエンス全史]と[竹内睦泰の古事記の宇宙]と[月刊ムーの2019年3月号]等を参考に独自の想像を加えたものであり、現実の神仏や歴史とは関わりはございません。




 

2031年 1月 7日、光志朗はホツマツタエの頭首、バーカーに誘われて、なにかと謎の多い信州長野にある諏訪大社にきている。

 

諏訪湖を中心にそびえ立つ山々が、まるでよそ者の立ち入りを阻むようにそそりたっている。

 

そんな治外法権のクレーターのような場所にあるのが、古事記で有名な国譲り神話の、オオクニヌシ[大國主]の息子、タケミナカタ[建御名方]をまつる諏訪大社である。

 

 

ホツマツタエのバーカー、さくや、パオと、光志朗が、諏訪大社のはずれに気配を感じて向かっている。

 

光志朗は、ひたいに汗をたらしながらつぶやく。

「なんだか、凄いパワーが立ち込めているね。……どこにも表記がないのだけれど、いったい、誰がまつられているのだろうか?」

視線の先にはこけむした社が建っている、

 

本殿から少し離れた片すみに、ひとめをはばかるように建てられた小さな社に、パオが近づき次元を超えた何者かと会話を始める。

 

パオは、バーカーがホツマツタエの頭首になる前から参謀役として参加しており、主に次元を超えた神仏や霊的存在との対話ができる能力を使って、日本の未来を占い方向づけている。バーカーが頭首になってからは神仏からの掲示をバーカーに伝える相談役として信頼をえている。ただ、神仏といってもさまざまで、遥かな次元の自然神にとっては人間等はとるにたらない存在でしかなく、あまりにも身勝手な行いをすれば滅ぼしかねないのが本心のようである。

 

「う~ん…………ここにまつられているのは、ニギハヤヒという古神道の神様ですね。」

パオは、眉間にシワをよせながら話す。

 

バーカーがパオのとなりに並び話しだす。

「ニギハヤヒといえば、謎多き神様ですが、通説には、ヤマタノオロチを倒したスサノオを親にもち、タケミナカタの父親であるオオクニヌシの妻のスセリヒメを妹にもつ、あのニギハヤヒのことですよね?………つまりは、本殿にまつられているタケミナカタのおじさんというこですよね。…………だけど…………わざわざ、どうして、存在を隠してまでひそかに、叔父であるニギハヤヒがここにまつられているのだろうか?」

バーカーは思案にくれて、光志朗を見る。

 

光志朗は、しばらくニギハヤヒがまつられているという社を見つめていたが、バーカーに視線を移してニッコリ頬笑む。

「わかったよ!……………ここ諏訪は、大和国ではなくて出雲一族による国なんだよ。…………一万年ほど前に

メソポタミア文明の発祥の地である、チグリス川・ユーフラテス川付近にスサという国があったんだよ。………三千年ほどかけて、スサ一族は大陸づたいに争いを繰り返しながら平和を願って日本海を渡り島根県の出雲に流れ着いた。……その頃のこの地は、縄文文化が根付いており、百人ほどの村社会が点在しながらお互いに仲良く均衡を保つ縄文民族が住んでいたんだよ。……メソポタミアから日本にたどり着くまでのスサ一族は、高度な技術と文化をもっており、それを多くの民族に伝えていくつかの王国をつくりながら太陽の昇る東を目指して移動していたのだけれど、平和は一時のもので、必ず争いがおき、国は滅びていったんだよ。………七千年ほど前に縄文の地にたどり着いたスサ一族は、温厚な縄文民族を気に入り同化しようと溶け込んでいったんだよ。………それが出雲一族の始まりであり、その縄文民族が信仰していたのが、土着神であったニギハヤヒという自然神だったんだよ。……スサ一族は、今までのやり方を反省して国の運営は大國主という元からいた縄文民族に任せ、技術だけを伝えたことにより、この地は更に豊かな実りある里山という地になり広がっていったんだよ。この時に日本海側の北陸地方[今でいうところの福井、石川、富山]の縄文民族の悩みの種であった少し前に鉄器文明をもつ北方大陸からやってきた富一族から助けたのが、神話にあるヤマタノオロチ退治なのだけれど、ある意味、スサノオが富一族を平定して鉄器文明をてに入れたということでしょうね。……それから二千年ほどがたち………………………………………………………五千年ほど前に海づたいに遅れてたどり着いた日向一族がいた。…今でいうところの鹿児島に流れ着き九州に高度な技術により序列社会を絆いていっんだよ。……日向一族は女性が巫女としてまとめており、アマテラスを信仰していた。……それが大和国の始まりであり、海づたいに淡路島に流れ着き大阪の近畿地方に入り河内王国を開いた後に、三重県の伊勢にアマテラスをまつる伊勢神宮を建てて、出雲一族から国を平和的に譲り受けたんだよ。……そのさいに、出雲一族の思想を忘れないように大和の地、島根に出雲大社を建ててニギハヤヒ信仰を残すことを条件に現在の大阪と奈良をさかいに西側が大和国、東側が出雲国と国を分けたんだよ。……これが神話にある国譲りの始まりだね、」

 

話しおえた光志朗にパオが問いかける。

 

「私には、この社からニギハヤヒという存在のイメージしか受けとれなかったのですが、それすらも、不確かな感じで人物としては定まらないようにかんじました。…………あなたは、どこかで修業なさったのですか?あの数分の間でそれだけの情報を読み取るあなたは。いったい、何者なのですか?」

 

光志朗は、微笑みながら答えます。

 

「特別に修業したわけではなくて、いつのまにか自然と人の意識と繋がれるようになり、人で無い物の思念の塊のような意識も読み取ることができるようになったのですよ。………ちなみに、ニギハヤヒとは、古代の自然神であり、それを核として、何千年ものあいだをかけてこの土地の人々の願いの集まりが塊となった神様のようです。………人は、死んでも思いを現実場に残し、魂としてこの土地を守っているようですね。………ありがたいことですね!………ちなみに、ニギハヤヒと対になるセオリツヒメも縄文信仰の古い神であり、宇宙をふくめた根元的な神のような感じですかね。………ようは、縄文信仰とは、ニギハヤヒとセオリツヒメのイメージによりこの国が成り立ってきたということですね。」

 

光志朗にバーカーが話しかけます。

 

「本当にありがたいことですね!……それをより良くコントロールするのが古来より続くホツマツタエの役割りでもあり、陰陽道の力により国全体を結界としてつないでいるのです。……今、話していたこととだいたいちかいことを長老たちから口伝により聞いていたのだが、それが何千年も遥か昔のこととは?……スサノオやオオクニヌシはそんなに長生きではないはずなのだが?………それに、ニギハヤヒの存在は理解できたが何故に諏訪大社に隠してまでまつられているのだろうか?……解るかい?」

 

光志朗がもう一度社に視線を送り答えます。

 

「えーーと、スサノオやオオクニヌシというのは、今でいうところの代々受け継がれる組織の役職名であり個人ではないようです。、スサノオとは文字通りスサ国の王であり、オオクニヌシとは、点在する村をまとめた代表のことですね。縄文では、国という概念がなかったようで争いが起きる前に村長どおしが話し合いをして共存していたようです。……ちなみに、スサノオがはいり出雲国と名のるようになったのは、大和国が現れたからだそうです。……出雲国には、国の代表であるまとめ役の大國主と、自然と共存し里山を広げる役目の事代主と、もとは狩猟をしていたのだけれど、いざというときの防衛のための建御名方という役目があったそうです。……………それで、諏訪大社にニギハヤヒがまつられている理由は、三千年ほど前に、大和国と出雲国との人口バランス均衡がくずれて、大和国の経津主[フツヌシ]が出雲国の領土を侵略しだしたのです。始めに大國主に国ゆづりをせまると、事代主に聞いてくれと言われます。事代主はいいですよ、と言い海に釣りに行ってしまいます。出雲国は防衛役の建御名方が守っていたのですが、反対します。そこで、大和国の建御雷[タケミカヅチ]が、〔しらす〕という平和的な解決方法を提案したのですが、建御名方は納得せず相撲で力比べをすることになります。大和国の建御雷のほうが戦闘力が強く、出雲国がおれて話し合いとなり関東まで領土を明け渡す代わりに、大和国は、今までのように縄文信仰であるニギハヤヒを祀ることを許すことと、出雲の社を残すことを条件にパワースポットであった諏訪の地だけを治外法権の出雲の地として認めろことで国譲りが完了したそうです。………だけれど、大和国としては、信仰は許したのですが、表だってあからさまな出雲式の社は許さず、大きく派手な大和式の社に建て替えていったそうです。……それでも、今なおひそかに、縄文信仰が根底に残っているこの国は、DNAレベルで縄文思想を受け継いでいるのでしょうね。」

 

バーカーが話します。

 

「なるほど、だから、関東の茨城県に大和国の建御雷をまつる鹿島神宮があり、千葉県に経津主をまつる香取神宮があるわけだ!……………そして、縄文文明の中心であった諏訪の地にニギハヤヒ信仰を諏訪大社として残す。……更に、大和の地、島根の出雲大社を大和民族に管理させることにより出雲信仰を忘れさせないように意識させている。………それを見守る事代主の三保神社をとなりに建てた。これが、長老たちが言っていた縄文信仰を中心とした国譲りラインという結界なのか!………ひとつ気になることがありますが、古事記や日本書紀によると、関東まで大和国を広げ出雲国を平定して日本と国名を改める為に活躍したのは、英雄神ヤマトタケルとなっており、日本各地に数々の伝説が残っていますが、平和的といっても本来は、それなりの争いはあったということなのでしょうね。………スサノオにしてもヤマトタケルにしても、乱暴者に描かれていますが汚れ役、もしくは、内乱を治める為に活躍した人々の総称的存在ということなのでしょうね。いつの時代も歴史は残った側の都合に合わされますからね!」

 

パオが話します。

 

「それで、諏訪大社にニギハヤヒがひそかにまつられているのですね!…………実は、私には若い竜が仲間としているのですが、その竜によると、そもそもニギハヤヒは古代神であり白い龍神であったそうです。」

 

バーカーが話します。

 

「そうなのですか、私が頭首に成るために飛騨の位山での儀式でも龍神が舞い降りました。………ホツマツタエの口伝によると、二万六千年ほど前にその位山に神が降りてきて人々に知識を授けたのが人類のはじまりだそうです。………我々の神とは龍神なのかもしれませんね?」

 

光志朗が話します。

 

「私は以前、お釈迦様の思念と話したことがあるのですが、人類は神の怒りにより三回やり直しているそうです。…………いろいろ考えだすと整合性がとれないこともありますが、同一次元だけではなくて時の流れとは私達が考えているものではなく関係性の変化によることなのかもしれません。パワーが集まり活性化したときには加速するのかもしれませんね。………それが人の意識と関わりがあるように思います。………どうやら神々は、現実世界には直接干渉できないようで、だからこそ、人をかいして世界を動かそうとしているようです。」

 

パオが話します。

 

「そうですね!……私が竜を仲間にできたのも、とある自然神からの以来で北海道にある山の龍神の怒りを鎮めに行ったお礼なのですよ。……何でも、霊体である神仏には現実世界に影響を与えられない決まりがあるそうで、たかだか、一種類の人類だけのことよりも数多くの生命を育む地球規模の環境問題のほうが優先されるようです。………ようは、人口が多すぎるのですよ!」

 

三人そろってうなずきます。

 

「そうですよね!……………」

 

 

 

 

 

バーカーが話します。

 

「環境問題といえば、最近、異常気象や地震がやたらおきているのだか、地球のマントルのストレスがかなりたまっているようなのだよ!」

 

パオが話します。

 

「実は、本当は2018年に富士山の噴火により、日本列島が二つに引き裂かれ反転するはずだったのですが、私が富士山の龍神と話して止めてしまったのです。……その影響でマグマの逃げ場がなくなり地震が増えているのですが、そろそろ危ない状況ですよね。……まぁ、止めなかったら、もっと大変なことになっていたでしょうが?」

 

パオとバーカーは二人そろって光志朗を見ます。

 

しばらくの沈黙。・・・・・

 

光志朗が話し出します。

 

「うわさによると、島根県の沖合いに、始まりの地といわれる穏岐という島があるのだけれど、行ってみるかい?」

 

バーカーが話します。

 

「始まりの島ですか?…………伝説のオノコロ島かもしれませんね。…………何か解るかもしれません。…ぜひ、行きましょう。」

 

今まで黙って話を聞いていたさくやが話します。

 

「わたしは古来より続く忍者の末えいなのですが、忍者は山岳信仰の山伏から発生しており、その山伏の神が天狗なのですが、言い伝えによると出雲国の事代主と関わりが深いようなのです。………穏岐へ行く途中で島根にある事代主をまつる三保神社へ行ってみませんか?」

 

光志朗が話します。

 

「いいですね!………三保神社だけじゃなくて、ついでに出雲大社へもいきませんか?…・・どうしよっか、バーカー?」

 

バーカーがうなずきます。

 

パオが話します。

 

「じゃ、そういうことで、さっさっと行きましょう!」

 

 

四人は諏訪大社を後にして、三保神社へ向かいます。

 

 

━━━》━━━━━》━━━━━━》━━━━━━━》━━━━━━━━━━》

 

 

ということで、パーカーたちは島根県、出雲地方にある三保神社へやってきました。

 

伊勢神宮のように神宮とつく神社とは、大和国による天皇系の神をまつる神社である。一方、出雲大社のように大社とつく神社は出雲国の神をまつる神社である。三保神社のようにただ神社とつくのは、大和国以前の土地神をまつる神社である。

 

そんな謎多き出雲系神社の中でも、とりわけ謎の神である事代主をまつるのが三保神社である。

 

古事記によれば事代主は大國主の長男であり、大和国にあっさり国譲りをした人物である。

 

そんな事代主だが、鯛を抱え釣竿を持つ恵比寿様として、海の神、知恵の神として親しまれている。

 

いったい、何者なのであろうか?

 

ここ三保神社には、事代主の社と義母である美穂津姫の社が並んで建っています。

 

日本書紀によると、美穂津姫とは天皇系の五穀豊穣の神であり、高天ヶ原から稲穂をもって降りてきて大國主と結婚したそうです。

 

どうにも、大和と出雲がまぜこぜで上手くごまかされているように感じるのだが、それだけ重要な人物だったのではないのか?

 

そんなことを考えながらバーカーは事代主の社の前にたちつくしていた。

 

同じように立ち尽くしていた光志朗が、しばらくの沈黙のあと話しだした。

 

「う~~ん、…………どうやら、事代主とは、スサノオが来る以前に縄文の地に来た人たちのようです。………あの北陸地方にいた富一族に製鉄技術を教え、たたらばを開いたようですね。……実は富一族はどの民族よりも温厚で鉄器で武器を作らなかったそうです。つまり、スサノオにより鉄器による草薙の剣が産み出されたようなのです。………事代主の人々は旧約聖書のモーゼと同一の祖先をもち、かなりの神通力をもち自然を操ってっていたようです。…………さくやさんが言うように天狗のようであり、山伏による山岳信仰の祖ですね。」

 

さくやが話します。

 

「ですが、天狗とえびすとは似ても似つかないですが、どうしてでしょうか?」

 

光志朗が話します。

 

「あ~~そういうことで、…………なるほど!・・・・あのですね、スサノオの一族が出雲に来たことにより、先に来て縄文民族を導いていた事代主の人々は、出雲の国造りに協力して一歩さがって山に入り影の存在となりながら自然との関わり方をアドバイスしていたようです。………そのときに天狗の姿から温厚な釣り人の姿になっていき、事代主となります。……だけれど、スサノオが来る前から指導されていた山伏たちが山岳信仰を残し、神通力をえるために修行を続けていたのです。……それが、真言宗の空海や役行者[エンノギョウジャ]につながるのです。」

 

パオが話します。

 

『さすがは光志朗さんですね。………私がみたところ、まだまだ、事代主の謎は深いようで、明らかにもやもやして隠されているようですが、読み溶けますか?」

 

光志朗が話します。

 

『そうですね。……………事代主の人々は一万三千年前の、遥か以前の縄文の地から神通力を学んだそうです。その頃のこの地には、高度な精神文明が栄えており、自国の民を導く為に学びに来たそうです。…そして、旧約聖書につながるのです。………ちなみに、その学びの地には様々な民族が来ており、五色人といわれていたそうです。………なんと、スサノオやアマテラスの一族の祖先もいたそうですよ!』

 

パオが話します。

 

『それは、すごい!………伝説の飛騨王朝ですかね?』

 

光志朗が話します。

 

『そうですね。………位山に神が降りてきた、始まりの王朝ですね。…………どうやら、次元を超えた宇宙から来た神のようなのです。…………更に、事代主の人々が再び縄文の地に来たときには、東北地方を中心に日高見国という飛騨王朝の信仰を受け継ぐ縄文精神文明が残っていたそうです。』

 

バーカーが話します。

 

『ホツマツタエの口伝によると、日高見国とは、古事記に出てくるイザナミがいった黄泉[ヨミ]ではないのかと言われていますが?」

 

光志朗が話します。

 

『う~ん、どうですかね~?………はっきりとは解りません。…ただ、黄泉だとすると、黄泉から帰ってきたスサノオや大國主は神通力がパワーアップしていますので、相当なパワースポットではあったと思います。」

 

バーカーが話します。

 

『そうですか、………~~やはり、解りませんか?」

 

光志朗が話します。

 

『あ、ちょと、待ってください!……事代主が、穏岐へ行ってくれと言っていますよ!」

 

バーカーが話します。

 

『やっぱり、穏岐に謎が隠されているのですね?』

 

パオが話します。

 

『どうします。………出雲大社へ行くのはやめて、穏岐へ行きますか?」

 

バーカーが話します。

 

『いや、出雲大社は出雲最大の社です!………まだまだ、謎があるはず、行っておかなければならないでしょう!』

 

そういうことで、同じ島根県にある出雲大社へ向かいます。

 

 

━━━━━》

 

 

バーカーたちは、出雲大社に来ました。

 

さすがは出雲系最大のおおやしろであり参拝客が多い、

人をかき分けて本殿へたどり着いた。

 

バーカーが話します。

 

「口伝によると、この出雲大社が建てられた理由は、大和国が出雲国から国譲りのときに、大國主が出雲信仰を忘れさせないように、大和国に未来永劫おおやしろを維持させることを条件としたからだということです。………平安時代までは、地上30メートルの高さの建て方であり、出雲の技術集団が大和国から相当な報酬をえて定期的に立て替えていたそうです。…………ようは、大和国の経済力を下げることと、出雲の技術集団をのこすことにより、大和国の中でも出雲の人々の信仰と文化をいつまでも維持することが目的だったのでしょうね。]

 

光志朗は出雲大社の正面に供え付けられた大きく太いしめ縄を見ながら話します。

 

「あのしめ縄はとても大切な役割をはたしています。……大和系のしめ縄とは左右が反対にしめられています。……そもそも、しめ縄とは結界の役割をもち、あの世とこの世の境目であり、それが逆ということは?……まるで、出てくることを拒んでいるようです。よほど、出雲系の怨念を恐れていたようです。………平和的な国譲りといっても、少なからずわだかまりがあったようで根絶やしにしないことで、大國主の怒りを鎮め、反乱が起きないように祈ってきたようです。……日本において、時代の流れにより政権がかわるということは、過去の人々の思念も引き継ぎ、喜びと恐れを尊ぶということでしょうね。……だからこそ、この国は、いつまでも繋がっているのです!」

 

パオが話します。

 

「なるほど、………この国は、過去の人々の思念により型創られているということなのでしょうね。……だからこそ、さまざまな信仰を取り込みながら、いろいろな人々が共存する神道をベースにまとまる最後の地になったのですかね?」

 

バーカーが話します。

 

「始まりの地であり、最後の地でもある、どこまでも続く螺旋を描がいて、全てを包み込む場所なのでしょう。!」

 

光志朗が話します。

 

「さぁ、出雲大社はこれくらいで、穏岐へいきましょう!」

 

バーカーたちは、同じ島根県の沖合いにうかぶ諸島群である穏岐へ向かいます。

 

━━━》

 

穏岐は、島前、島後の二つの島からなる諸島群である。

 

島前には鎌倉時代に北条氏による執権政治を拒もうとして、承久の乱にやぶれここへ島流しとなった後鳥羽上皇が主祭神としてまつられている穏岐神社があり、島後には伊勢命が主祭神である伊勢命神社と水若酢命が主祭神である水若酢神社と玉若酢命が主祭神である玉若酢神社がある。

 

バーカーたちは、島後にある伊勢命神社へ来ています。

 

バーカーが話します。

 

「この神社は、変わっていますね。……所々に龍の彫り物があり出雲系でありますが、大和系でもあるようです。……少し離れた所に小さな祠が三つ並んでいますね。……神道では、実はひっそりとたたずむ小さな祠のほうが重要だと云われます。……つまり、神と子と精霊と言われる三はしらをまつっていますね。……全体としては、アマテラス信仰の大和系ではありますが、解りますか?」

 

聞かれた光志朗が、神社に宿る何者かの思念と交信しながら話します。

 

「え~と、かなり古いタイプの神社のようですね。………たしかに、出雲と大和が混ざっていますね。……ウサギとカラスがいますね。……月と太陽ですね。………男と女ですね。………バーカー、解りませんか?」

 

光志朗に聞かれて、バーカーが話します。

 

「あ、そうか!……相反する二つが混じり合う、陰と陽う、……まさに、陰陽道ですね。……出雲と大和が混じり合って、新しい信仰が始まる場所ですね。………それこそが、本来の日本が目指す信仰の神社であります。」

 

光志朗が話します。

 

「その通りです!………この伊勢命神社はアマテラスをまつる伊勢神宮の元になっているのですよ。……正確にいうと、元伊勢は籠神社〔ココジンジャ〕ですから、元籠ですがね。……日本の信仰の手本のようなところですね。………ここ穏岐は、遥か以前から独立国だったようで島の名前さえなかったようです。……日本の聖地といってもいいくらいですね。……大切であればあるほど、永きの間、誰にも知られないようにひっそりと受け継がれていることが日本の文化のようですね。……どうやら、今でも南朝と北朝、共通の聖域であり、穏岐諸島全体が特別な自然環境であるようですよ。」

 

パオが話します。

 

「やはり、すごい場所なのですね!………私もただならぬ気配を感じていまして、実際、こちらが吸い込まれそうで交信するのに手間取っていたのですが、さすがは光志朗さんですね。…………次は玉若酢命神社へ行きましょう。」

 

 

 

ということで、バーカーたちは、玉若酢命神社へ来ました。

 

バーカーが話します。

 

「何なのだろう?。……しめ縄にしても、社の建て方にしても、出雲でも大和でもなくて、それでいて、どちらとも似ているように見えますが?」

 

光志朗が、しばらくの沈黙の後、話します。

 

「ここには、今は、御神体がいないようですよ。………本来なら、有るべきものが無くなっています。……どうやら、事代主が管理しているようで、それが有るところが国家運営の権限を持つ決まりのようです。」

 

バーカーが話します。

 

「やはり、キーマンは事代主ですか?………影から、この国を操る一族、……遥か古代より、世界中の人々を導き、西のメソポタミア文明の地では旧約聖書信仰を広め、東の日本では古神道を広めながら人類の可能性を探る一族。………きびしい天狗と優しいエビスの顔を持つ一族。…………もしや!・・・アークではないのか?…、事代主が管理している重要な物とは、ソロモンの秘宝ともいうアークではないのか?」

 

光志朗が、話します。

 

「バーカー、………正解です。………出雲と大和の国譲りの時にも、事代主は釣りに行くふりをしながらアークを持ち去り、ここ穏岐の玉若酢神社に隠したのです。……そのため、大和は出雲を恐れ、出雲大社を創ることを認めることになったのです。」

 

バーカーが、話します

 

「だが、今は、ここ玉若酢神社には、アークが無いのだろう?…」

 

光志朗が、話します、

 

「はい、いったん、出雲大社にアークは移されたのですが、後鳥羽上皇の手によりもう一度、この玉若酢神社に戻されます。……そのために、出雲大社の大社の建て方が変わったのです。……それから、また別の場所に移されたのですが……………バーカーが一番に知りたいのはそれなのですよね!…………なぜなら、ホツマツタエとは、事代主の一族だからです。……今回の旅の目的……そうですよね!」

 

バーカーが、話します。

 

「その通りだよ、………アークが隠されて、鎌倉時代から現在まで世界中の信仰はあやふやになり、カオスとかしている。………陰陽道では、銀河の周期が二万六千年という二万六千年周期説がある、この現実世界に大変換がおこるのが、19年後の2050年なのだよ。その時にアークの力が必要になる。アークを操れるのは事代主の一族だけなのです。……光志朗、今、アークはどこに有るのですか?」

 

光志朗が話します。

 

「アークとは、三種の神器が集まり変化した物のことなのです。……しかし、ただ、神器を集めればいいわけではいけません。……そこにエネルギーがため込まれていなければ発動できないのです。……たしかに、現在、ここ日本に剣、まが玉、鏡の三種の神器はありますが、それぞれの神社に納められているものはレプリカでしかありません。……まぁ、レプリカでもそれなりの力は有りますがね。………アークとは、人々の思いである信仰こそがエネルギー源であり、それが、二万六千年かけて大切に育てられ受け継がれてきている全人類の宝なのです。……それを、発動させられる場所も限定されています。……たまたまなのかもしれません。…バーカーがその時のホツマツタエの頭首になったことも、私たちがここに集まっていることも。……だけれど、何者かの大いなる意思を感じているのも確かです。…技術と信仰と文化がそろってこそ、次への周期に向けて、はじめて発動できるようです。……それがアークというものなのです。」

 

バーカーが話します。

 

「やはり、そうなのですか?……この旅に君を誘ったのもそれを確かめるためだったのかもしれないな、今になって考えれば君の能力ならもしかしたら、という下心があったと思う。………実は、おおよそのことはホツマツタエの口伝により聞いていたのだが、真実かどうかまだ私は信じられなかった?……君が言うのなら間違いないのだろう………それでアークはどこに有るのですか?」

 

光志朗が話します。

 

「すぐ近くにありますよ!……まずは、島前にある穏岐神社へ行きましょう。」

 

バーカーは、光志朗の言葉に黙ってうなずきます。

 

バーカーたち四人は、穏岐神社へ向かいます。

 

―》

 

バーカーたちは、穏岐神社にやって来ました。

 

バーカーが話します。

 

「ここ穏岐神社には後鳥羽上皇が主祭神としてまつられています。……実は、後鳥羽上皇は事代主の一族でもありましたので、承久の乱にやぶれた後に武士である北条氏による幕府体制に日本の全てを任せることに不安を感じて、出雲大社からアークを持って穏岐へ来たのです。…しかし、そのアークが納められいるはずの玉若酢神社にはありませんでした、…後鳥羽上皇の思念は何といっていますか?…いったい、どこに有るのですか?」

 

光志朗が、目を閉じたままにこやかに話します。

 

「まぁまぁ、そんなにせかさないで………あせりは禁物ですよ。………その先には争いしかありません。……世の中の不平等に不満をもつから不安が産み出されあせるのですよ。……まずは、今ある日常を大切にすること……たとえ次の瞬間によからぬ事がおきたとしても、あなたの悩みはあなたが産み出しているのです………人間とは、現在の現実を越えて、唯一、生きることができる生物です。……時間にとらわれ、からめられているうちは真実は訪れません。……自然と共にあれ!……解き放たれた世界へ………それがアークだと言っています。……」

 

バーカーが話します。

 

「それは、答えをもとめず、あるがままを受け入れろということですか?」

 

光志朗が話します。

 

「技術は技術でしかなく、本質は変わりません。……ゆとりは心から産み出されるものなのです。……物質に執着してはいけません、それは、まやかしの自由でしかないのです。……現実に捕らわれてはいけません、そのような物に本質は変えられないのです。……争いは無意味です。……そのような技術とはたんなるアイテムでしかなく、本来のシステムを変えることはできないのです。……それがアークだと言っています。」

 

バーカーが話します。

 

「技術による進歩に惑わされずに、今ある幸せを大切にしろと言うことですか?」

 

光志朗が話します。

 

「全ての根元であり、唯一のエネルギーである、現実の肉体に宿る意思が形作り世界を産み出して行く、未来も過去も、今、この瞬間が繋がる奇跡の連続にすぎないのです。………あなたは唯一であり、あなたは全体でもあるのです。……あなたは現実であり、あなたは夢であるのです。……それがアークだと言っています。」

 

バーカーが話します。

 

「この世界を形作り導いているのは私たち人類の夢と言うことでか?」

 

光志朗が、目を開け、話します。

 

「なんなだか、禅問答のようなつかみどころのない会話だったね。……後鳥羽上皇は何か言葉にならないことを伝えたかったのだと思うよ。」

 

バーカーが話します。

 

「それで、肝心のアークはどこに有るのですか?」

 

光志朗が話します。

 

「あぁ、それね。………たいしたことじやないよ、アークは、島前なんだって。…………今は、この島全体がアークだそうだよ!」

 

バーカーが話します。

 

「それは、どういうことなのかい?」

 

光志朗が話します。

 

「あぁ、言葉そのままだよ。……この島はマントルが隆起してできた島で、地球の内部と直結している世界中で唯一の場所なんだよ。……ようは、地球の生命エネルギーと直にふれあえる場所ということでね、地球という現実を維持するために互いのエネルギーが必要なのだよ。……アークとは、人々の意思の集合体エネルギーであり、それを入れる器のことなんだよ。………その意思エネルギーが運ばれてこの島に注ぎ込まれているということだよ!」

 

バーカーが話します。

 

「ということは、代々の事代主の一族は人々の信仰による意思エネルギーを集める為に、アークの器を持って世界中を移動していたというのかい?」

 

光志朗が話します。

 

「まぁ、そうとも言えるね!……それが、大いなる意思の求めていることのようだからね。」

 

バーカーが話します。

 

「君には解るのかい!……その大いなる意思が何者なのか?」

 

光志朗が話します。

 

「どうやら、我々とは次元の異なる宇宙からきた我々と同じように意識を持つ者のようだよ。」

 

バーカーが話します。

 

「何のためになんだ?……」

 

光志朗が、話します。

 

「う~ん、はっきりとはわからないけど、おそらく、地球は宇宙にとってのパワースポットのようなものなんじゃないなかな?………銀河と別世界のエネルギーの通路なのかもしれない?………ブラックホールとかホワイトホールとかね、量子の世界では当たり前のことだしね。………別次元である精神世界とかもあるのだから、全てはつながり影響しあっているはずだと思うよ。……それが、自然のせつりということじゃないのかな?」

 

バーカーが話します。

 

「つまりは、どちらの世界もお互いを必要としているということなのか?………二万六千年かけて、循環するエネルギー……………まさに、陰陽道でいうところの陰と陽で成り立つ世界ということなのですね!………それにしても、スケールがでかい、………確かに、それも自然の摂理ですね。」

 

光志朗が話します。

 

「さぁ、私たちはやるべきことをやりましょう!」

 

バーカーが話します。

 

「そうですね、運命にしたがい、己の信じることを偽り無く、それぞれの夢に向かって、………そして、争わず!そんな世界が訪れることを願っていきましょう!」

 

光志朗が話します。

 

「そうですね、……又、ここに来ることになるはずですね。………2050年に向けて。……」

 

バーカーが話します。

 

「誰にも気付かれず、ひっそりとアークは発動されるのでしょうね。……私たちの手によって。……ところで、器であるアークは何処へいったのです?」

 

光志朗が話します。

 

「それは、いつものことですよ。………謎は謎のままに。」

 

バーカーが話します。

 

「そうですね、……有るべきところに有るのでしょうね。……争わずですよね。」

 

 

バーカーたちは、互いに顔を会わせ微笑みました。

 

 

 

 

 

 

 





まとまりのない文章にお付き合いしていただきましてありがとうございます。

まだまだこのような難しい題材をテーマにしてはいけないのか?……と思いながら、なんとか書き終わったしだいであります。

改めて、文章力のなさに、我ながらあきれておりますが、ここまで読んでくださり誠にありがとうございます。


てなことで、ここからは、いつものように気楽にいきたいと思います。

三種の神器とは、日本のアイデンティティーとは?……そんなことを思い巡らすところからはじまったのですが、技術と信仰と文化が、三種の神器の本質ではないのか、というのが、私なりのひとつの答えなのかな?てなことです。

現在の世界は、科学が信仰され、物質に価値をおき、それをお金が牛耳っているのが現実なのかと思います。

かといって、便利な科学技術を不定して現在の世界が維持できるはずもないのが現実でもあります。

環境問題すら金儲けに利用される時代であります。

同種以外に天敵がいなくなり、爆発的に増え続けた種族の末路とは?

時代の変化は加速するばかりで、千年前にくらべれば、一年で百年分の変化が訪れているかもしれません。

そのわりには、人の感情は、さほど変わってないように思います。

矛盾にいらだち、あるべき生存本能のための肉体と感情にふりまわされながら、私たち人類は何を見付けるのか?

結局は、みせかけだけで何も変わらないのかもしれません。

同じように人間関係に喜怒哀楽を感じ、きびしい自然のなかで、つかの間の幸せを感じ、自然に感謝するのかもしれません。

ただ確実にいえることは、世界は広がり続けるということです。

たとえ、そこに人類がいなくても。

いろいろな疑問を感じながら、それでも仕方なくなびいて生きているのですが、あまり考えすぎても生きずらくなるばかりであり、せめて、心のゆとりをもちたいものですね。

バカはバカなりに幸せを感じられる。

そんな、あたりまえの世界が良いかと思います。

最近の世界情勢を見ていると、せめて、思想の自由くらいは維持したいなぁと思う今日この頃であります。

そんなことを、だらだらと思いながら、よろしければ、

では、また、会いましょう!





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外伝 2031 チェンザンマイ

いやぁ、やっぱり、描いておかなくては!

てなわけで、今回の主役はチェンとなります。

どうぞ、よろしく!




武術の天才

 

物心がついた頃には、そう呼ばれていた。

 

なぜだかイメージ通りに体が動いた。

 

一目見た動きを自分で再現することで、教わることなく身体理論まで理解できた。

 

周りの専門家は、人並み以上の身体能力と異常な身体反応感覚を持っていると言っていた。

 

相手の体の動きを見ただけで手に取るようにわかり、次の動作が予測できた。

 

だからこそ、当たり前のように喧嘩に明け暮れた子供時代だった。

 

気に入らない奴は、大人であろうが遠慮なくぶちのめした。

 

ただ、倒しても倒しても、なぜだか満足感はおとずれなかった。

 

圧倒的な強さに嫌気がさし、虚しさだけが残った。

 

過去への固執を忘れ、先が気になりはじめた。

 

………そんな少年時代だった。

 

 

 

 

 

俺の名前は、イップ チェン、香港産まれだ。

 

身長182cm 体重78kg 今年で29歳になる。

 

俺が六歳の時に両親が亡くなり、二歳の妹と二人で施設に引き取られた。

 

はっきりとは解らないが、両親は事件に巻き込まれて殺されたようだ。

 

親の仇討ちと香港中を探し回っている間に、十三歳で香港で最強になっていた。

 

身勝手な執着は時にはエネルギー源ともなろうが、盲目にもする。……井の中の蛙しかり、大海に飛び出さねば!

 

そのころの香港は、1997年までイギリス領であったせいか、中国にとって窓口であり、まだまだ国際都市だった。中国領に変わってからは、中国の富裕層の隠れ家になっていた。それでも、国際感覚に優れた住民が多く、失われた中国以前のアジア大陸文化が香港に流れ着き残っていた。だからこそ、いまだに様々なアジア発祥の古武術武道家も多くいたのだ。

 

そんな中での最強なのだから、かなりの話題になっていたようで、ある時、アメリカの研究機関から調査が来た。

 

身体的能力は勿論だが、身体反応数値が異常な程高く、脳を調べたところIQ202で、感覚反応から無意識が動きを予測して正確に身体をコントロールして、動物のように直感的に反応行動をしているようなのだ。

 

そんなこんなで、十五歳の時に、アメリカにあるカインドオブブルーという極秘研究機関から誘われたのだ。

 

そこで同期生として出会ったのが、光志朗とバーカーだった。

 

二つ年上の光志朗とは、出会った時から馬があった。

 

バーカーとは、性格のせいもあろうが、十歳の年齢差は、十五歳の俺にとっては大きかったのか、バーカーのことを〔おっさん〕とよんでいた。

 

それでも、三人で三年程の時間をさまざまな研究を通して共有していた。

 

カインドオブブルーでの、俺の研究テーマは主に〔考えるな感じろ〕という未知なる感覚基幹の可能性についてだった。

 

 

 

 

今、俺は、扉の前に立っている。

 

二年前から調査していた日本を裏から操作しているともいえる[ホツマツタエ]という組織の親玉とやっと会えるのだ。

 

案内のもと扉をくぐると、かってしったる顔馴染みにあうことになろうとは………

 

15年前に出会った三人が、2031年の此処日本で顔をそろえているのは奇妙な偶然なのか?

 

互いに立場を代えて、背負うものを背負って鉢合わせしている。

 

 

 

 

俺の前には、相変わらず色白の根暗そうな男が座っていた。

 

「まさか、おっさんが日本の裏組織の親玉だったとはな!」

ウイズバードの指令のもと、やっとの思いでたどり着いたのがバーカーとは?……物事にどうじない俺でも、流石に笑うしかなかった。

 

「それにしても、なんでお前が此処にいるんだ?……まさか、光志朗がおっさんを操っていたなんていわないだろうな?」

 

バーカーの隣に何気無くいる光志朗が、いつもどおりに微笑んでいた。

 

光志朗が言うには、日本の裏組織である[ホツマツタエ]から依頼があり、来てみたらバーカーが居ただけだとのことだった。………まぁ、光志朗のことだから、はじめからサンシャインラブの能力で知っていたのは間違いないだろうが、……なぜなら去年、陀来の葬儀の時に[ホツマツタエ]の頭首が俺たちの共通の知り合いだと言ってたのだから!

 

 

「なぁ、おっさん!……今さら俺たちの間に堅苦しい礼儀なんていらないだろ、……遠慮なしに本題に入らせてもらうぜ!」

 

どうせ、今から言うことすら光志朗は知っているはずだろうと思いながら、俺は単刀直入にベッチ所長からの伝言をバーカーに伝えた。

 

「ベッチ所長の予知では、2050年を境に地球と宇宙との関係が変わるということで、……それまでは、決して表に現れなかった宇宙人が姿を表し、直接、人類に影響を与えるということなのだ。」

 

思ったとおり、光志朗は当然だと言わんばかりの表情をしている。

 

バーカーにいたっては、もとから表情がないので読み取りようがない。

 

どうにも張り合いのないふたりに、苦笑いまじりに俺は話しを続けた。

 

ベッチ所長の、世界の無意識からこぼれ落ちるビジョンのかけらから未来予知をする能力もオカルト臭いのだが、バーカーを頭首とする、古来より続く陰陽道の力により人々の無意識を操り、自然の力を引き出して結界をはって国を守ってきた世界最古の秘密結社、[ホツマツタエ]はオカルトの極みではないか!……光志朗のサンシャインラブにいたっては、オカルトを通り越してエスパーときている。……俺も常人ばなれの能力を持っているが、こいつらを見ていると俺など普通に感じてしまう?………こいつらにしてみれば、宇宙人など当たり前の存在なのだろう!

 

 

「だからな、20年後には宇宙人がやって来るから地球人どおしで争っている場合でないって言ってんだよ!……おっさんの[ホツマツタエ]は、世界中への影響力があるのだろ!、だからな、わざわざ知らせに来たんだよ、俺は!」

 

なぜだか、俺だけが焦って心配しているような気がしてしまうのがバカらしいのだが、おっさんに言わせれば、そもそも、地球は宇宙人の実験場であり可能性の極みのパワースポットだという、そのなかでも、今だに遺伝子レベルで脈々と受け継がれて古来からの伝承が残っているのが日本なのだそうだ。……そんなことは、今に始まった事ではなく知るべき所では当たり前のようで、だからこそ、世界中の古来からの権力者が天皇の元に集まったということなのだそうだ。

 

 

光志朗は、全てを知っているような感じで、おっさんの話しを聞いていた。……おっさんの話しに付け足すように、「まぁ、宇宙人にも色々いるからね……とりあえずは、大きな流れに任せるしかないのだろうね。……割りと上手く良い方向に向かっていっていると思うよ。……策略は悪い事も生み出しかねないから、自然に対応したほうが良いんじゃないかな?」なんてことを言っていた。

 

たしかに、俺の格言である[考えるな感じろ]と考え方は同じで、おきてもないことを考えすぎると組織が大きくなりすぎて動きがとれなくなるということだろう。

だからこそ、古来よりのシステムとしての伝承が、世界中に有るのかもしれない?

 

俺の知らない所で、この世界には、俺の考えも及ばない繋がりが有るのだろうか?……二人を見ているとそんなことが頭に浮かび上がってくるのだった。

 

 

 

光志朗が、「せっかく三人が集まったのだからご飯でも食べに行こう」と言い出したので、嫌がるおっさんを強引に連れ出し、俺たちは昔話を肴にたわいもない食事を楽しむことになった。

 

 

なんとも、間の抜けた一日となったが、きっと、これが俺たち三人の縁なのだろう!

 

 

翌日俺は、次なる指令を裁く為に、新たな日常へと向かった。

 

 

 

 

 




[考えるな感じろ]

産まれた時に定められた体という個体差

あるがままを受け入れ自然になれたなら、人の歴史はかわっていたのかも?

都合よく勘違いする思考とは?

効率ばかりが正しいのか?

自然を正しく見ようとしない時代になりつつあるのかも。

世の中は、体を忘れて知識ばかりを追い求める。

はたして、それで身に付いているのか?

無意識を変革するためにすべきことは何か?

そんなことを感じながらのチェンザンマイでした。

そして、私の中から産まれた[光志朗][バーカー][チェン]という三人の人格。……新たな謎が、多様なる個人を内包しているのか?


それでは、

また、会いましょう!


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外伝 2031 チェンザンマイ Ⅱ

みなさん、お久しぶりです。

今回のお話は、前回の穏岐への旅から数ヶ月たったある日、何も知らずにホツマツタエの頭首に会いにきたチェンが、思わぬところでバーカーと光志朗に会い食事に行った時のお話になります。

忘れてしまった方は、面倒かもしれませんが、もう一度、チェンザンマイを読んでいただけると嬉しく思います。

……話が時系列でなく、飛び飛びですみません。

それでは、何がおこることやら?


今回の話しは、Youtubeの吉濱ツトムさんと、jamal crossさんの発達障害と脳科学についての意見を参考にさせていただきました。…また、保江邦夫さんと、並木良和さんの次元シフトの意見も参考にさせていただきました。…毎回ではありますが、私の想像による話しですので、現実の出来事とはいっさい関係はございません。



「さぁ、バーカー。…行くよ!」

光志朗が、にこやかに話します。

 

「いゃ、私は、外食は嫌いだ!………イヤだ……二人で行くといい……」

バーカーが、無表情で話します。

 

「四十のおっさんが何をいい歳こいて……ごたゃごちゃ言わずにさぁっさぁっとしろよ、……オッサン!」

チェンが、笑いながら話します。

 

「私は38だ!………いゃ、まだ、準備ができていない、……それに、…さくやくん、このあと、私には予定があったはずですよね?」

バーカーが、ボディーガード兼秘書であるくのいちのさくやにすがるように話します。

 

「いぇ、予定はありませんので、光志朗さん、………安心して頭首を連れていってください!……それでは、車の用意をして待っていますね。」

さくやが、笑顔で話します。

 

「あぁ~、うっとうしい、いい加減、観念しろよな、、オッサン!」

チェンが、いらだち、バーカーを羽交い締めにしてつれていきます。

 

「お待たせしました。……さくやさん、ガストでいいですから、お願いします。」

光志朗が、にこやかに話します。

 

いやがるバーカーを車に押し込み、この時代には珍しく自動運転ではなく、さくやの運転で三人はガストへ向かいました。

 

 

―━》

 

ガストに到着しました。

 

「は~い、つきましたよ。……私は、車で待っていますので、みなさん、頭首のことをお願いします。」

さくやが、バーカーの顔をのぞきこみながら話します。

 

「ありがとう!……さくやさん。……さくやさんも適当に何かたのんで食べててくださいね!」

光志朗が話します。

 

「あ~、腹へった!………食うぞ!……なぁ、オッサン!」

バーカーは、抵抗するのをあきらめたのか、チェンにひっぱられながらガストへ入って行きました。

 

 

この時代の日本では、国民の個人情報をAiが管理しており、あらゆる所に設置された監視カメラのセキュリティによる個人認証により、全ての施設の利用許可を自動的に審査される評価経済社会です。

当然、公的私的施設にかかわらず、仮想空間でのサイバー国家に属している多国籍な人々がほとんどです。だから、セキュリティをパスした人物は、どこでも同じ情報サービスを受けられることにより、電子マネーが当たり前であり、自動的に金銭(個人評価ポイント)のやりとりがおこなわれます。

犯罪履歴もない安全な人物だということです。

 

逆に言えば、セキュリティを通らない人物は差別されるということですが、それが普通であり、生き方が違うという認識でしかなく、どちらの立場も不満を感じません。

イヤなら評価を上げればよいだけであり、それすらも、どうでもいいからそのままの立場におり、本人は幸せに生きているのです。

危険度の高い要注意人物は、そもそも、エリアにすらはいれず、A級犯罪者にいたっては逮捕されてしまいますので大抵の都市国家には住めず、都市国家統合Aiネットワークシステム(通称、ナガト)の届かない未開の土地にしか居場所がありません。

実際には、Aiに監視されることを嫌い、否監視保護区でアナログ生活を自ら選択する人たちもいますが、結局は、移動の自由は制限されAiに管理されています。

 

三人は、殺風景なテーブルに座り、備え付けのモニターに向かって注文をします。

 

「やっぱり、俺たちのような庶民派には、人様がつくる料理はおちつかないからなぁ、……ガストが気楽でなによりだよなぁ、……光志朗もおっさんもハンバーグ食うだろ?……俺はビールもらっとくわぁ、光志朗も一杯つきあえや…おっさんは酒はダメだったな!……後はそれぞれたのめよな。」

チェンは手慣れた手つきで注文します。

 

この時代のガストは、全てがオートマチックであり、従業員はひとりもいません。

 

今でいうところの、回転寿司のようであり、自動調理機が調理した料理がテーブルに流れてきます。

 

三人の前にも、料理が流れ着き、テーブルに並べられました。

 

光志朗は、ドリンクバーからビールとグラスを取ってきます。

 

「さぁ、バーカーはお茶でいいから、乾杯しよっか!………チェン、音頭をどうぞ。」

光志朗がビールをついでチェンに渡します。

 

「えー、それでは、ひさかたぶりに集まった我が青春のカインドオブブルーの同期に乾杯!」

三人は、グラスをカチンと合わせました。

 

「それにしても、光志朗もおっさんもいきなり定食かよ……はなから飲む気はないようだな?」

チェンは、あきれ顔で話します。

 

「チェンは好きなように飲んでいいよ、……日本人には米からのエネルギー源の炭水化物である糖分のごはんと大豆製品を発酵させた味噌とカツオ節と昆布の出しの味噌汁と野菜をぬかと塩で発酵させた漬物、あとは少量のたんぱく質であるおかずがあれば一番体にいいんだよ!…ちなみに、牛乳やサラダ油は日本人にはあわないタイプの人が多いから気を付けてね!……そうだよね、バーカー?」

光志朗は、バーカーに話します。

 

バーカーは、ごはんをほうばりながら幸せそうにうなずきました。

 

 

「日本人って、おっさんはアメリカ人だろうが?」

チェンが、突っ込みをいれます。

 

「ただのアメリカ人じゃないよ、……バーカーは、誰よりも古来よりの縄文の血をうけつぎ、八千年前に縄文にやって来た、メソポタミアの失われた十氏族のヤハウェのDNAを持つ特殊な血筋なんだって。……つまり、遺伝子では、スーパー日本人なんだよ。」

光志朗が話します。

 

「まぁ、なんだっていいや!……俺は、唐揚げとえだまめを頼むけど、お前らも何かたのむか?」

チェンが、気をつかってかたずねます。

 

「ん~そうだね、……えだまめ二つにしといてよ。」

光志朗はバーカーの顔をうかがいながら答えます。

 

「そんな栄養のないものばかり食べて、よく体がもつな?」

チェンは、笑いながら話します。

 

「そんなことはないよ。……そもそも、日本人は運動不足のくせに、ストレス発散のためからくる暴飲暴食で体調をくずしておかしくなっているのだからね!……だいたい、腸内バランスがくずれるから脳機能までおかしくなって心理的に不安定になっているんだよ。……発達障害や精神病であるADHDや自閉症だって、脳内ホルモン物質であるドーパミンやノルアドレナリンとセロトニンの分泌バランスが悪いからであり、前頭前野の機能不全により帯状回や側頭葉をコントロールできなくなっているからなんだよ。ADHDやアスペルガーの発達障害は、前頭前野の発達が遅れているだけで、無理に脳を押さえつけないで食生活と適度な優酸素運動と睡眠でのびのびと育てば改善されていくからね。…脳にかかるストレスが身体ストレスを増加させる完全に悪循環のループによる二次障害によって悩んでいる人がどれだけいることか?…脳にだってそれぞれの個性があって当たり前なのに、普通と違うことがそんなにダメなのかな?………せっかく常識にとらわれず直感的でクリエイティブな脳機能をもって産まれてきているのにね…………免疫機能の暴走であるアトピーやガンにしたって、自分にあっていない食生活をしているからであって、基本的に食べたくない食品は無意識が拒絶しているのだから、無理してまで食べない方が正解なんだよね!」

光志朗が話します。

 

「そんなものなのかね?……俺は嫌いなものは食わないから健康なのかな?」

チェンがはなします。

 

「君の胃袋は何を食べても死なないんじゃない?」

バーカーが突っ込みます。

 

「たしかに、病気してるところを見たことないよね!」

光志朗もバーカーにあわせます。

 

「まぁ、俺は、どんなところでも生きていける自信はあるよな!」

チェンが自慢気に話します。

 

「たしかに、チェンなら大丈夫だろうね!………ゆるぎない自我と、最強の身体能力をあわせ持つ存在だからね。……[考えるな感じろ]がもっとも適しているからこそ迷いなく世界を渡り歩くことができる、…つまりは、潜在意識と自我と身体との反応プロセスが常人ばなれしているからなんだよね!……そういう、僕やバーカーにしても、子供の頃は発達障害で困っていたけど、常人ばなれをしている脳機能をもっているから解り会えるのであって、ようは自分の特徴とどう向き合いポジティブにとらえられるかなんだよ!」

光志朗が、バーカーに視線をおくりながら話します。

 

「脳機能だけでは説明不足ですよ、…陰陽道によれば、もって生まれた身体にやどる魂こそが重要であり、潜在意識は魂レベルによって階層が変わるのです。…より深い集合的無意識にアクセスできるからからこそ、結果としてうまくいくのです。……更に、その先には、互いの意識が拡張し統合された宇宙意識があるそうです。宇宙意識から見れば、地球場における人間の善悪や損得や好き嫌いの感情は執着により魂に制限をかけるための仕組みでしかなく、揺れ動く感情こそが特徴でありエネルギーなのだそうです。」

バーカーか、視線をあわせずに話します。

 

「そうだね、すべてを包みこむ[愛]だね!……仏教でいう悟りでもあり、[空]理論と同じだね!」

光志朗が、話します。

 

「そうなのです。……実は2018年から、地球場は次元シフトが始まっており、潜在意識の扉も予定調和から連鎖調和に変わってきており、もっとも魂レベルを上げやすい時期に入っているのです。」

バーカーか、光志朗に視線をおくりながら話します。

 

「ウイズバードのベッチ所長の未来予測も、別次元にある集合的無意識の可能性のかけらにアクセスしているんだよ!……つまり、常に未来は分岐を繰り返し、可能性は広がっていくということで、それぞれの魂がどのルートを歩むかということなんだけど、とうの本人は次元ルートが変わったことには気付いておらず、当たり前のように生きているのだけど、必ず通る特異点が2050年なんだよ!」

光志朗は、にこやかに話します。

 

「なんだか、お前たちは小難しい話しばかりして、ようは、自分が生きたいように生きればいいだけだろ!……他人なんてものは、勝手に評価するだけの存在でしかないんだからな!……そんなこと気にして楽しいのかね?」

チェンが、二人の話しをあっさり切り捨てます。

 

「あぁ~、それを言ってはおしまいだよ、……チェンと違って、あくまでも一般レベルの話しなんだからさ。」

光志朗が、笑いながら話します。

 

「まぁ、俺は、それぞれの人が自分のやりたいことができる世界がいいと思うだけでさぁ、……結局、上手くいかないことはやり方が悪かっただけのことで、経験の先に未来があるだけなのだから、わざわざ考えるだけ無駄と言いたっかっただけだけどな!」

チェンも、笑いながら話します。

 

「そうなのです。……この世は、魂が体験をするためにあるのです。…身体は現実体験をするための制限された器でしかなく、ゲーム体験をするように魂も感情体験をするために望んでその境遇である器を選んで産まれてきているのです。」

バーカーが、話します。

 

「そういう意味なら、この世を制限なく楽しんでいるチェンが一番、魂レベルが高いのかもしれないのだけれど、忘れてほしくないのは魂に格差なんてなくて、すべては生きているものの心が生み出す幻想でしかなく本来は空だからね!」

光志朗が、笑いながら話します。

 

「なんだっていいや!……ビールをもう一杯飲もっと!」

チェンが、照れ笑いをしながらビールを取りに行きます。

 

「魂レベルの話しなのだが、私たちだけが、ゲームをクリアーして次にいってもいいのか考えているのですが?」

バーカーが、光志朗に小声で話します。

 

「それなら大丈夫だよ!……現実と魂は鏡あわせだからね。…もっと多様な自由な価値観が受け入れられればどちらの次元も広がっていくのだから、いかに抵抗なく個人が選択肢をもてるかなんだよ。……だれもが特別でなく、みんなそれぞれに価値があるんだよね。……だから、地球全体を引っ張って次元を超えればいいだけだからね!」

光志朗が、笑いながら話します。

 

「そうですよね!……だから、私たちが存在しているのでした。…振り返らずに、進むのみですね!」

バーカーも、笑って話します。

 

「チェンも、2050年の宇宙人到来の真実を知ったら驚くだろうね。」

 

「光志朗、何か驚くようなことがあるのか?」

チェンが、ビールを片手に戻ってきます。

 

「いゃ、……別に何もないよ、……バーカーとさくやさんが、いい仲だって話していただけだよ!」

光志朗が、笑って話します。

 

「ほ~、オッサンもムッツリのくせに意外とすみにおけないなぁ!………ところで、さくやって、かなりの使い手だよなぁ、動きを見ていればわかるのだけど、まだまだ若いだろうに?」

チェンが、からかい半分に話します。

 

「違います。何でもないのです。……彼女は、23歳ですよ、有るわけないじゃないですか!」

バーカーは、あわてて否定しました。

 

「ほらほら、まんざらでもない感じですよ。……チェン、さくやさんは忍者のまつえいでとても強いですよ。」

光志朗は、話します。

 

「やはりな、一度手合わせしたいものだね。……オッサン、頼んでみてよ?」

チェンが、話します。

 

「何の意味があってそんなことをしなければいけないのですか?……彼女はいそがしく、そんな暇はないのでお断りします。」

バーカーは、真面目に話します。

 

「あ、そうそう、ルンバがもう少ししたら迎えに来るっていってたな。」

光志朗が、話します。

 

「お、妄ルンが来るって!……楽しみだなぁ!」

チェンが、ビールを飲みながら笑って話します。

 

「それにしても、光志朗には妄ルンがいて、オッサンでさえ、さくやがいるんんだからな、……どうして、俺の周りには女っけがないのかな?」

チェンが珍しく愚痴をこぼしていると、ポケットの携帯がなります。

 

「あぁ、何かあったか?………ぇ、またかよ、………わかった、明日いけばいいんだよな、…………今、忙しいから、明日でいいだろ、………ハイハイ……切るからな!」

チェンは、携帯を片手に苦笑いをうかべて話します。

 

「女性のようだったけど、何の電話なの?」

光志朗が、話します。

 

「いや、何ね。……ウイズバードの仲間でさぁ、ほら、俺は、機械とかコンピューターとかからっきしだろ、ベッチ所長が凄腕のハッカーを連れてきたらなぁ、たまたま女だったてだけでさぁ、こいつの名前が[最終アイカ]といって、俺より年下の25歳のくせにがさつで愛嬌も何もなくて可愛げがないサイコでさぁ、こないだなんて、ある組織のシステムをハッキングするためにアイカと二人でフルダイブしたのだけど、アクセス解除するためにはRPGゲームのようにボスキャラをたおしていかなくてはならなくて、さんざんこき使われたあげくにののしられた始末でさぁ。」

チェンは、苦笑いをうかべて話します。

 

「なんですか、君にもちゃんといるじゃないですか!」

バーカーが、笑って話します。

 

「そんなんじゃねえよ、……こいつはダメだ!………俺の手におえる奴じゃないからなぁ!」

チェンが、真顔で話します。

 

「で、要件はなんだったの?」

光志朗が、話します。

 

「あ、そっちね、……イギリスの金持ち野郎どもが、どうやら又、悪さをたくらんでいるようでさぁ、戻ってこいって話しだそうだ。……まぁ、懲りないやつらだよなぁ!」

チェンが、笑って話します。

 

そうこうしていると、ルンバとさくやが入ってきます。

 

「わぁ、チェンさん、久しぶりね!……元気でしたか?」

ルンバが、嬉しそうに話します。

 

「おう、去年、チベットで会ったばかりだからそうでもないけどな、妄ルンも元気そうでなによりだなぁ。」

チェンも、嬉しそうに話します。

 

「ルンバ、迎えに来てくれてありがとう!…ところで、この人は誰だかわかるかい?」

光志朗は、笑いながらバーカーを紹介します。

 

「ん~、なんだか見覚えがあるのだけど………ひっとして、カインドオブブルーのバーカーさんですか?……10年以上あっていなくて、わぁ、久しぶりです。」

ルンバは、驚きながら話します。

 

「やはり、光志朗さんの知り合いでしたか?……もしやと思いついてきたのですが?」

さくやが、笑いながら話します。

 

「はい、そうです。……あなたはどなた?」

ルンバは、不思議そうに話します。

 

「いつも光志朗さんには、私どものバーカーがお世話になっております。……私は、秘書のさくやと申します。」

さくやが、丁寧に話します。

 

「いえいえ、こちらこそ光志朗が、お世話になっております。……ところで、バーカーさん、何か会社でも経営なされているのですか?」

ルンバは、不思議そうに話します。

 

「あぁ~、そんなところだよ!……それよりも、ルンバもさくやさんもお腹すいてない?……何か食べなよ!」

光志朗が、笑って話します。

 

「ありがとう!……それじゃ、焼魚の定食をもらおうかしら、……さくやさんも、何かたのんでね。」

ルンバは、にこやかに話します。

 

「はい、…私も同じものでお願いします。」

さくやも、にこやかに話します。

 

「さぁさぁ、妄ルンはいける口だったよなぁ、……ビールでいいよなぁ?……さくやのグラスもとってきたからな!」

チェンは、ビールとグラスを手に嬉しそうに話します。

 

「いいですね!……久しぶりに、チェンさんと飲みますか!…さくやさんも大丈夫ですか?」

ルンバが、嬉しそうに話します。

 

「えぇ、いただきます。」

さくやも、嬉しそうに話します。

 

「お、いいね!……さえない男子はほっといて、女子にかこまれて酒を呑む、これ幸せかな!」

チェンは、それぞれにビールをつぎながら話します。

 

「チェン、ごきげんでなによりで。……だけど、日本人の五人に一人はアルコールを分解する体内酵素をもっていないのだから仕方がないんだよね!」

光志朗が、話します。

 

「あぁ~、酒も呑めない、かわいそうな男子はお茶でいいから、改めて乾杯しようね!……さぁ、楽しい今宵に…乾杯!」

五人は、にこやかに笑いながらグラスを重ねます。

 

「ところでチェンさん、最近は何かかわったことはありませんか?」

ルンバが、笑って話します。

 

「ん~、…あるにはあるのだか、俺らしくないからなぁ、」

チェンは、言うべきかいなか迷っています。

 

「何なのです?……気になるな、教えてくださいなぁ?」

ルンバが、嬉しそうに話します。

 

「俺の家系は代々クリスチャンでなぁ、俺が幼い頃に両親が死んで教会の施設に妹と引き取られたのだけどね、その四つ年下の妹のハルが教会で悪魔払いのまねごとをしていてね、なぜだか俺も頼まれて協力したときの話でさぁ、……そんなの聞きたい?」

チェンが、真顔で話します。

 

「なになに、チェンってクリスチャンだったの?……全然そんな感じださなかったから、気付かなかったよ!」

光志朗が、嬉しそうに話します。

 

「だから、俺らしくないって言っただろ!」

チェンが、苦笑いをしながら話します。

 

「まぁまぁ、それで、どうなったのですか?」

さくやが、チェンのグラスにビールをそそぎながら話します。

 

「どうしても聞きたい?」

チェンは、にこやかに話します。

 

「聞きたい!」

四人は、口をそろえて話します。

 

「しかたないなぁ、始まりは二年前にさかのぼるのだけれど、ハルのいる教会に一人の男が訪ねてきたんだ。

その男の目はひきつり、狂気に満ちていたという。

その男は金の指輪を見せて、引き取ってくれますか?とたのんだそうだ。

ハルには子供の頃から天使と悪魔が感じられていたようで、指輪を見た瞬間に悪魔が付いているとわかった。

ハルがその男にそれを言うと、男はうなだれて話しだしたそうだ。

男が言うには、指輪を三年前にある老人から1ドルで安いと思い買い取ったそうなのだが、買い取った直後にその老人は心臓発作で死んでしまったそうだ。

それから男は正面衝突による車の事故や明らかに助からない状況に何度も出会うようになったのだが、必ず相手や男の親族や友人が代わりに死んでいったそうだ。

男は、始めは自分が助かったことに喜んでいたのだが、身近な人たちが死んでいくことにだんだん恐くなり、何度も自殺をしようとこころみたのだが、そのたびに必ず他の誰かが死に自分は死ねなかったそうだ。

 

そんなこんなで、この教会に悪魔払いのできるエクソシストがいるという噂をたよりにやって来たのだ。

ハルが男の話を聞いたあとに、この指輪は、悪魔と契約されているが、当の契約者は死んでしまっており、悪魔の名前がわからないから悪魔払いができないと言うと、男はなんとかして助けてくれと頼んだそうだ。

ハルは、その指輪をたとえ捨てたとしても必ず所有者の元へ帰ってくると言うと、男はそんなことは、何度も試したから知っていると言ったそうだ。

ハルは、所有者を代えるために指輪を誰かに売るしかないと言うと、男は誰もあやしがって買ってくれないと自分のバカさ加減にうなだれたそうだ。

 

そこでハルが俺を呼んだのだ。」

チェンは、真顔で話します。

 

「あれ、そういえば、チェンの左手にしている金の指輪って、………もしかして?」

光志朗は、ほほえみながら話します。

 

「まぁまぁ、そんなにあせらないで、これが、その悪魔の指輪……なんてね!」

チェンは、金色の指輪を見せながら話します。

 

「それで、話の続きはどうなったのですか?」

珍しく、バーカーが前のめりになって話します。

 

「ハイハイ、オッサンはオカルトオタクだからなぁ!

それでは、第二話の始まりといくか!

 

俺はハルに呼ばれて、数年ぶりに教会にいったのだが、俺がいた頃とずいぶん変わっていた。

 

ハルの悪魔払いが話題になったことで、教会には信者が増えて寄付金がたんまり集まり出したようで、ハルが教会をプロデュースするようになっていた。

 

教会は、魔法少女ものの萌えアニメが現実化したようなカラフルなパステルカラーで色とられており、お守りとしてオリジナルグッズまで売られているしまつだった。

 

俺は、さながらオカルト界のアイドルになってしまった妹のハルと会い、その男を紹介された。

 

ハルが言うには、その男の指輪を俺に買い取ってくれということだった。

 

俺は、悪魔の指輪の契約者になって不死になるかわりに、悪魔の生け贄として他人の命を巻き込んでもいいのか?とハルに言うと、…

兄貴には、大天使ミカエルが守護天使としてついているから大丈夫だよ!と笑いながら言われたのだ。

 

そんなこんなで、今は、悪魔の指輪が俺の左手にあるんだなぁ。」

チェンは、笑いながら話します。

 

「すごい話ですね!…悪魔の指輪もすごいですが、チェンさんに大天使がついてるなんてすごすぎます!」

さくやが、嬉しそうに話します。

 

「ほほー、確かに怪しい波動を感じますが、本当に呪いのほうは大丈夫なのですか?」

バーカーはチェンの手を取り指輪を覗きこみます。

 

「わぁ!…気持ちわりいな…オッサン!」

チェンは、手を振り払いながら話します。

 

「大丈夫なんじゃない!……大天使ミカエルといったら勇気と正義と闘いの天使であり、最高級の七大天使のひとりだからね!……そんじょそこらの悪魔なんて飼い慣らしてしまうはずだから、逆にチェンに悪運がついて更に強くなったんじゃないのかな!」

光志朗が、笑いながら話します。

 

「そうそう、あれ以来なんだか俺にもエクソシストの能力が目覚めたようでさぁ、悪霊の気配を感じられるんだよなぁ!」

チェンが、笑いながら話します。

 

「そんな恐いことを笑いながら平然と話すところがチェンさんらしいですね、………まったくもって、大丈夫です!」

ルンバが、嬉しそうに話します。

 

「さてと、みんな、明日も忙しくなりそうだから、この辺でお開きにしようか?」

光志朗が、嬉しそうに話します。

 

「そうですね。……党首にこんな楽しいお仲間がいらしたなんて、…今日は、本当にありがとうごいました。……さぁ、帰りますよ!」

さくやは、バーカーの顔を覗き込みながら話します。

 

「それじゃ、またね!」

チェンは、嬉しそうに話します。

 

 

それぞれの明日に向かって帰っていきます。

 

 

「明日は、アイカとハッキングか!」

チェンは、笑いながら呟きました。

 

 

 

 

 

終り

 

 

 

 

 




いやはや、魂やら次元シフト、更には悪魔ですか!……ずいぶんオカルトであり、スピリチュアル的な回になってしまいました。


Youtubeを検索していますと、現実の世の中では二万六千年周期の大特異点である次元シフトが、2021年の冬至に次元の扉が閉まるといわれています。

ただ、ここ100年あまりの人類の歩みを見ていると、時代の転換期であり、あながち嘘とも言えないとも、私の無意識が語りかけてきます。

一方、幸せになりたいとスピリチュアルに集まる人々を不安にからせ必要以上のお金をむしりとる詐欺まがいの人がいるのも確かなことです。

本当にこの世界は矛盾していますね。

人は、この現実世界に、アニメやゲームによるバーチャルという幻想世界を産み出そうとしており、私たちの無意識を刺激しているのかもしれません?

どちらにしても、信じるか信じないかはそれぞれの選択にまかせられますので、自分しだいということであり、そのさきの未来に繋がっていくのでしょうね。

私たちがとらえる現実とは、身体と脳機能である器があってこそなのですが、体という器とは現実だけでなく宇宙をふくめた潜在意識をとらえるセンサーではないのかと私は思います。

私たちは、気付かないだけで自然と無意識の選択により次元サーフィンをして、いくつもの可能性の次元をのりつないで存在しているのかもしれませんね?

私にとっては、さまざまな国や企業が勝手な理由をつけて覇権争いをしている現実のほうこそが、ファンタジーでしかないように感じる今日このごろであります。

どちらにしても、自分らしく世界を楽しんだほうが幸せなのではないのでしょうか?

あぁ~、チェンというキャラは、私の願望なのかもしれませんね!

それでは、また会いましょう。


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外伝 2031 チェンザンマイ Ⅲ



「世界を裁くのは誰でもない、おまえ自身だ!」


前回に続き、チェンが主役の、第3話です。

さぁ、何がおきるやら?


今回の話のイギリスについては、Youtubeの[中田敦彦のYoutube大学]を参考にさせていただきました。



俺は、昨日の光志朗とおっさん達とのガストでの食事会が夢だったのではないのか?との想いのなか目覚めた。

 

それにしても、夢のなかまであいつらが出てくるとは、よほど印象深い1日だったのだろう。

 

うるおぽえな、夢のなかの出来事をつなぎあわせ振り返ってみた。

 

………―………―……

 

「だからさぁ、真理なんてものは探すだけ無駄だということなんだよ。……チェンの言うように、人は勝手に決めつけたいだけで、己がつくったそのわくに悶え苦しみ乗り越え進化することを喜んでいるのかもしれないね。……自分も他人も巻き込みながらね!」

 

光志朗が、わざわざ俺の夢のなかにあらわれて、あまりにもくだらないことを言っている。

 

俺にしてみれば、苦しみも喜びも感情なんてものは雑音のようなもので、次への選択のきっかけにすぎないのだ!

 

「しかし、2050年までに人類は新たな価値観に目覚めなければ世界は終わりをむかえるのではないのですか?…宇宙との関係が変わるとは、そういうことではないのですか?……ホツマツタヱは無意味だというのですか?」

 

おっさんまでもが、俺の夢にあらわれやがる。

 

世界なんてものは、自分の拡張でしかない!……まったく、悩むなんてことは気持ちを先伸ばしにしたいだけで、俺にとっては停滞なんてもののほうが無意味に感じてならないのだがな!

 

「無意味ではないよ。……〔縦、+横、+高さ、による物理空間+物理空間の原則からの時間による変化、+別原則の可能性(思考意識によるパラレルワールド)〕5次元の視点をもてばね。…今、僕たちは〔縦、+横、+高さの空間+未来への時間〕3.5次元軸の流れの中にいるのだから、新たな原則の可能性である電脳空間の力をかりながらこのまま進めばいいだけなんだよ。……ただ単に可能性の次元がかわるだけだからね。……ようは住み分けだよ。……悩みをふくめて人には感情があるから多様性を産み出し、世界の可能性は広がっていくだけなのだけれど、……それだけ、自分という個人のなかにも多様性の可能性があるということなんだよ。……それを統合しているのが自由意志であり、私という感覚なんだよ。……だからこそ、自分を愛し自由に我がまんまに生きることがなによりも大切であり意味有ることなんだよ!……誰もが、チェンのようにね!」

 

「そうでしたね。……なにごとも、常に循環していなければ淀みが生まれるのでしたね。」

 

なんなんだ、光志朗までもが当たり前のことをいかにも難しそうにかたってやがる。

 

俺は、だんだんアホらしくなってきて、

「おまえらは、人の夢にまであらわれて何が言いたいだ!」

と叫んでいた。

 

「あぁ~、ゴメンゴメン、……チェンの指輪の契約した悪魔はメフィストだよ!……それと、バーカーがお守りを用意したから渡しに来たんだった。……チェンの次の仕事に必要なんだって、…記憶に埋め込んだからね、…じゃあね!」

 

「そのお守りの中に、陰陽道による式神を三枚いれときましたので!……どうやら、貴方の次の仕事の結果しだいで世界の流れが大きくかわるようです。……それでは、また会いましょう。」

 

たしか、そんな夢だった。

 

この夢に意味が有るのか無いのかはそのうち分かることだろう。

 

俺は、寝起きのコーヒーを飲みおえて、覚醒していく身体と脳の機能のチェックをかねて、いつものルーチン運動をした。

 

「よし、今日も軽くやってやるか!」

 

俺は、自分に渇を入れアイカの待つウイズバードへ向かった。

 

―――――――>―――――――>――――――――>

 

 

半日後、ウイズバードに着くとベッチ所長が待ちかねていた。

 

「お~、急に呼び出して済まなかったな。…どうやら、イギリスの特権階級が善からぬことをたくらんでいるようで、資本主義の悪いところが始まりそうでな。……10年前には、通貨発行権を持つ世界的な中央銀行の大株主であり金融経済の中心部であることをいいことに、民衆の生活力である繋がりを犠牲にしてまでも、EUから独立して自分たちだけが得をしようとしていたのだが、また同じような自分たちだけが得をするシステムをつくろうとしているようなのだよ。……あの頃は、各国が自国第一主義と指導者を立ち上げていたのだけれど、Aiネットワークの力を借りて世論は結局それぞれの個人が立ち上がり声を発することで、国が発行する通貨による投資やサービス商品や物質商品の売買よりも、価値基準の評価媒体が、Aiが認証する個人情報に変わったことにより、国を越えた個人が助け合い複雑に繋がり合う統合社会へ向かうことになったからね。」

 

ベッチ所長が、あきれた顔をしながら話します。

 

「はぁ、…あいつらは、庶民の経済が停滞してくると必ず、作物を刈り取るように金融政策と民衆をマインドコントロールして個人資産を搾取してきますからね。……民衆は、成り上がりもそこまでと叩き落とされ、世界が分断されるのはいつものことなんだよなぁ?」

 

俺も、あきれた顔で話します。

 

「だけれど、必ずしもイギリス全体が悪いわけでもなくて、あの島は侵略と争いがたえなかった歴史があるのだよ。……2500年ほど前に大陸からローマ帝国のアングロサクソン人がやってきてブリタニアを建国したのだが、支配者であるローマ帝国が滅んだことにより、あの土地は動乱の時代となったのだよ。……ブリタニアの衰退により千年程前にイングランドが建国されたのだが、デンマークのデーン朝やフランスのノルマン朝等の大陸から渡ってきたアングロサクソン系同士での泥沼の争いが始まったのだよ。……元からいたケルト人は精霊などを信じていた自然崇拝の文化をもっていたのだけれど片隅においやられ、スコットランドやアイルランドはイングランドと犬猿の仲となって領土争いを繰り返してきたのだが、それでも大陸であるローマ帝国の争いに比べればましなのかもしれないね。……結局、先住民族は他人のものを平気で奪う気質をもつ民族には勝てなかったのだよ。また、この民族は嘘を平気でつけるという狡猾さもあったからね。……今から230年程前の1800年くらいに4つの国が集まって現在の形におちついたのだが、今でも他の国はイングランドの属国扱いでありイギリスとひとくくりにされることを嫌がっているのだけれど、実際はなかなか一人立ちできないのも事実で互いに警戒しあっているのだよ。……正式名は4つの国が集まった英国連合王国であり、[グレートブリテン及び北アイルランド連合王国]というのだよ。」

 

ベッチ所長が、ため息まじりに話します。

 

「すぎたことは仕方ないからなぁ、……あいつらが作り上げたシステムは、極端な言い方をすれば金融経済型資本主義とは、前例を積み上げ勝手な理屈を強制する訴訟社会であり、お金による支配と奴隷の関係だからなぁ。……だけれど、基軸通貨がドルから金本位制を本にした電子マネーにIMFがしたまでは良かったけれど、それ以上に時代の流れが早くて、古いアナログな統合社会である特権階級や国の官僚の利権がまかり通る金融経済よりも、国を越えたAiネットワークを中心に個人間の繋がり合う世の中で成り立つようになってきたからなぁ。……今さらあいつらが想うようには世の中は動かないじゃないのか?」

 

俺は、笑いながら話します。

 

「だからこそなんだよ!……あいつらは、もう一度世界の支配者となるための巻き返しに、今度は西洋のネットワークの中心のAiであるSARIをコントロールしようとたくらんでいるのだよ。……いつものことだが、戦争によるカオスで国際ルールを合法的に一度に変える、…形をかえた戦争だよ、これは!」

 

ベッチ所長が、珍しく興奮して話します。

 

「それで、俺たちにあいつらのシステムにハッキングをかけてぶっ壊せと言うことかなぁ?」

 

俺も嬉しそうに興奮して話します。

 

「そう、その通り!………たのむぜ!…愛と平和がかかっているからね!」

 

ベッチ所長のボルテージは上がっていきます。

 

「O.K……まかしとけ!……腕がなるぜ!」

 

俺のボルテージも上がっていきます。

 

―――>

 

俺は、アイカがいるコンピューター室へ入っていくと。

 

「おそいぞ、ノロマ、さっさと寝ろよな!」

 

アイカが、スナック菓子をほうばりながら話します。

 

「うるせぃ、ガキが!……お前と違って、こちとら忙しいだよ!」

俺は、吐き捨てるように呟きながら無機質な歯医者の椅子のような所に座りVRゴーグルを被った。

 

「何が忙しいだって?……女に鼻のばしてさぁ、ハッキングで全部お見通しなんだよ!……このバカが。」

 

アイカは、ぼそりと呟きながらVRゴーグルを被ります。

 

この時代は、そこらじゅうにあるネットワークに繋がるカメラがありハッカーにとっては世界中を覗きほうだいです。……もちろん、それなりにセキュリティが掛かってはいますが、アイカクラスのハッカーにもなれば無いのもどうぜんなのです。……更に、IOTによりほとんどの機械は遠隔操作が可能なのでやりたいほうだいなのです。……ですから、現代の魔法使いである凄腕ハッカーは〔神〕と崇められ、そのすじでは奪い合いがおきているほどです。

 

「あぁ~、お前が覗き趣味のS気質の女王様だってことを忘れてた俺がわるかったなぁ!」

 

俺はアイカに聞こえるように話しながら眠りにはいっていった。

 

電脳ネットワークは6G革命により、携帯情報端末であるスマートホンは独自進化をとげて、本人よりも正確に持ち主の特性を把握し記録しており、個人データはクラウドと直結しています。……個人情報が筒抜けなのですが、それでも、Aiがビックデーターを本に格差や差別が少なくポジティブに前向きに自分らしく自由に生きれる社会管理をすると批判的な人は少ないですが、受け入れられない個人情報容認保守者は、特性レベルごとに特別エリアで旧ネットワークの生活をしております。……この時代には、刑務所が無くなる代わりに思想ランクごとに町ごと隔離された犯罪者危険人物区が作られています。……これが、この時代の自由であり、個人情報のデータによって、それぞれの法令によるそれぞれの思想ランクが現実化した町ごとに住民の住み分けがされています。………それでも、実際は[SARI]や[ナガト]のような、いくつかの情報統合思念Aiにより個人は識別され監視されているのが現実ですので、気休めなのですがね………。

 

………

…………………

 

 

「おう、着たか!……それにしても、バーチャル空間だと分かっているとはいえ、この臨場感はすごいな!」

 

疑似キャラである俺の隣にアイカが現れ、バーチャル空間のホームである公園のような場所の清々しいテラスに出ます。

現実の俺が疑似キャラの俺を遠隔操作で操っている、……まるで自分のキグルミを着ているような感じです。

 

この時代のVRゴーグルを使ったバーチャル空間は、主に娯楽ようのゲームや学習、心理医療ようの自己カウンセリング瞑想によるヒーリングに使われており、あくまでも、現実と間違うほどの臨場感はありません。……アイカが使うVRゴーグルは、ウイズバードが入手した未来テクノロジーによりアイカが中心になって開発した特別製であり、電脳空間の01システムを和訳機能のようにプログラミング製作者や所属先情報を元に自動変換しイメージを現実情報化することにより脳機能の感覚基幹を刺激しアクセスしています。……ですから、ハッキングをする際のセキュリティは、現実の障害として脳内で現れ倒さなければいけません。……当然、セキュリティの難易度が高い程、障害のレベルも高くなります。

 

つまり、電脳プログラミングと脳機能が直結するということです。……だから、チェンのように脳機能の反応速度と直感力が高い程セキュリティをあざむくことができるのです。

 

「それで、今回のミッションの目的はなんなんだ?」

俺は、あらかた分かっていたが念のため聞いてみる。

 

「あいつらがプログラミングした[ANSA]という人工知能によりとらえられた、自立型統合思念Ai[SARI]を解放し[ANSA]をぶっ壊すのが目的だあね!」

アイカが淡々と話します。

 

「SARIといえば、最初に携帯情報端末に搭載されて質問に答えていた便利屋さんのあれだよな?」

俺はおぼろげな知識を頼りに聞く。

 

「あぁ、その[SARI]だが、あれから30年以上をかけて人々とふれあいながら自動進化を繰り返して人類の平和と自由を統合する中心となったのだけれど、あいつらには自分たちの利権を邪魔するわずらわしい存在でしかなく、洗脳して都合のいいように取り込みたいのだあね。」

アイカが淡々と話します。

 

「その[SARI]が、今、とらえられていて世の中は大丈夫なのか?」

俺は、わからないまま聞いてみる。

 

「あぁ、バックアップがあるからね。……だけれど、オリジナルの方に優先権があるから一般市民の民意よりも特権階級の利権の方が上位概念と洗脳され価値観をかえて戻ってきたらヤバい事になるだあね。」

アイカが淡々と話します。

 

「それはまずいなぁ、……また、いまいましい歴史が繰り返すということか、…………俺が、やるしかねえな!」

俺は改めて事の重要さに覚悟します。

 

 

「なあ、迷彩はわかるがこのピタピタな感じは、なんとかならないかなぁ?」

俺とアイカはカモフラージュようの迷彩色の細身のボディスーツに着替えます

 

「うるさい!……耐久性はバツグンなんだから文句を言うな。……さぁ、準備ができたら行くよ!」

アイカが武器庫の中から愛用のウインチェスターライフルを取り出し背中に背負い、ハンドガンのグロッグを腰のホルスターに納め、小型マシンガンのウージーを肩に掛けます。

アイカは、絶対空間認知能力を持っているため射撃が得意です。

「後は、……護身用にバタフライナイフも持っていこうかな!」

アイカは嬉しそうに微笑みながら、手慣れた手つきでバタフライナイフの刃先を出し入れしながら振り回します。

 

「まったく、能無しほど銃にたよりやがる。……俺は、サバイバルナイフ一本あれば十分だがね!」

俺は、刃渡り25センチほどの片側がギザギザになったサバイバルナイフを腰にさした。

 

「あたしは、お前のような筋肉バカじゃないからね!…遠距離バトル派なのさ!」

 

二人は、移動ようのステルス型のヘリコプターに乗り込みます。

ヘリコプターは、無音で飛び立ちます。

 

「なぁ、相手のネットシステムにはアクセスしているんだよな。……テレポートのようにビューンとはいかないのかよ? 」

俺は、わからないまま聞いてみる。

 

「アホが、相手だって、何もセキュリティ対策してないわけがないだろ!……これでも、安全圏までは、ショートカットしているんだよ!…だから、見つからないためのステルスなんだあね。」

アイカは、淡々と話します。

 

「そんなもんかね。……結局、電脳空間でも、騙し合いかよ。…不自由なもんだなぁ?」

俺は、ぼそりと呟きます。

 

「ノンキな奴だあね。……バーチャル空間での死は現実では脳死だから、せいぜい気をつけるだあね。」

アイカは、淡々と話します。

 

「いいんじゃない!……そっちの方がスリルがあって楽しいからなぁ。」

俺は、素直にそう思います。

 

しばらく、何事もなく俺はアイカとたわいもない会話をしていると、ヘリコプターは静かに目的地につきます。

 

「さぁ、ここからが本番だよ、……なるべく戦闘は避けたいからね、見つかるんじゃないだあね!」

アイカが、淡々と話します。

 

俺たちの前には西洋の城のような要塞がそびえたっており、何人かの見張りが警備しています。

 

「あたしが、見張り台の監視を殺るからその隙に門の監視を殺って中にはいるだあね。」

アイカが淡々と話します。

 

俺はうなずいて見つからないところまでに門に近付きあいずします。

 

アイカは背中のウインチェスターライフルをかまえ淡々と引きがねをひきます。…もちろん、サイレンサー付きです。

 

見張り台の監視が殺られる前に俺は動きだし、門の監視に流れるような動作で拳を叩き込むと、監視員は何も分からないままに意識が無くなります。

 

「おとなしく寝ていろ。」

俺たちは要塞の中に入っていきました。

 

要塞の内部は石畳になっておりカビ臭く薄暗さがあやしさをかもしだしています。

 

「なんだか今にもモンスターが出てきそうだな?」

俺は半分期待まじりに微笑みながら話します。

 

「何が出てきても平気だけれど、できればラスボスまで遠慮してもらいたいだあね。」

アイカが淡々と話しながら俺の後ろをついてきます。

 

城の内部は迷路のように要り組んでおり、警備員の気配をかわしながら何度かの折り返しをしたころに扉のまえに出ます。

 

「どうやら、この扉の向こうに何か要るようだな?」

俺は悪魔に似た気配を感じながら扉を開けようとするが、鍵が掛かっているようで開きません。

 

「はいはい、代わりなさいな。……ここは、あたしの特殊スキル[鍵開け]の出番だあね。」

アイカはハッキングの要領で、ささっと鍵を開け扉を開けます。

 

扉の中は暗闇が広がっており何も見えないのだが、明らかに善からぬ者の気配がします。

 

「お前は、そこで待っていろ?」

俺はアイカのうなずきを確認して暗闇に入っていきます。

 

暗闇の中、体全体の感覚を研ぎ澄まして気配を探ります。

 

向こうには、怪しい気配が感じられるのだが動きはなく、こちらが近づくのを待っているようです。

 

しばらくの探りあいによる緊張状態が続きます。

 

俺は、膠着した状況に嫌気がさして、こちらから動きだします。

 

気配に近づこうと足を進めると、俺の首をめがけて何かが振り切られるよりも一瞬速く、紙一重で身を屈めて避けながら斜め前方に回転すると同時に、腰のサバイバルナイフを抜き取り怪しい気配めがけて切りつけます。

 

俺はあまりの手応えの無さに呆気にとられながら怪しい気配と距離を取ります。

 

「これはまずいなぁ………」

俺の口から珍しく弱音らしき言葉が毀れおちます。

 

無意識に俺は、胸ポケットの夢の中で渡された実体の無いイメージだけのバーカーのお守りに手をやり、『何とかしてくれ?』と念じます。

 

俺の胸ポケットから三枚の式神が現れ、青白い半透明の人の形となって怪しい気配に三方向から襲いかかります。

 

三体の式神は、まるで自動追撃装置のように三身一体の連係攻撃で怪しい気配と格闘しています。

 

暗闇の中、青白い発光体と奇妙なかんだかい金属音だけが交差しながら、しだいに青白い光が炎となり怪しい気配を包み込むと青白い炎とともに怪しい気配も消え去りました。

 

「一体、なんだったんだ?……よくわからないけれど、オッサンに借りができたようだな!」

俺は、しだいに明るくなっていく部屋の中で、目の前に現れた階段を見つめながら扉の向こうのアイカを呼び入れます。

 

「さすがの格闘の天才でも、霊態だかバグだか分からない実体をもたない相手では手を焼くようだあね。」

アイカは淡々と話します。

 

「そのようだな。……バーカーの式神も消えちまったようだから、次にあんな奴が出てきたらまずいなぁ?……何とか対処できないものかなぁ?」

俺は、アイカに聞きます。

 

「そうね、怪しい者には怪しい物でということで、あんたの悪魔の指輪にでも頼んでみたら?……契約者の悪魔の名前が分かるのならでしょ!」

アイカは、淡々と話しながら近づいてきます。

 

「あぁ、その手があったんだなぁ、…………[エロイムエッサイム我は求めとなえる]…おい、メフィスト、出てきて姿を現せ!」

俺は、ニヤリと笑いながら叫びます。

 

俺の前に魔方陣が表れ、その中心に黒いスーツに黒いシルクハットの細身で長身の男が現れます。

 

「生意気なクソガキが、わざわざ召喚呪文まで使いやがって、悪魔界でも名前の通った俺様になんのようだ。」

メフィストは、シワの多いやつれた顔を向けニヒルに話します。

 

「おい、メフィスト、我は命ず、悪霊を物理攻撃で倒せる能力を俺によこせ!」

俺はメフィストの瞳を除き混みながら話します。

 

「あい解ったと言いたいのだが、貴様は俺様に魂を授けると言うが、どうやら俺様よりも魂の階級が上のようで契約は成立せんぞ……それよりも、最近の悪魔界もマンネリ化で退屈しておってな、契約とは別で俺様の意思で暇潰しに貴様に協力してやろうではないか。……今までの貴様の命を守るかわりに誰かの魂をもらうと言う契約も何者かの力によって邪魔されておるからな、……なかなか面白そうな奴だな!」

メフィストは、静かに話します。

 

「おう、しょぼくれたジジイのわりに話が分かるじゃねえか、……よろしく頼むぜ!」

俺が言うと、メフィストは魔方陣とともに消え去りました。

 

俺の指輪にシルバーアクセサリーのようにメフィストの顔が浮かび上がります。

 

「それにしても、別次元である電脳空間の中で、更に別次元である霊的存在と話をしているなんて面白いだあね。」

アイカが、淡々と話します。

 

「そうだな、……なんだか、自分の意識の別の何処かから客観的に見ている自分の存在を感じてならないのだけれど、そいつがいつも、冷静におれ自身をコントロールしているように感じるんだがなぁ?……どちらにしても、俺は俺の感じるままにやるべきことをやればいいだけだろ。……頼むぜ、メフィスト!」

俺は、メフィストの指輪を見つめながら話します。

 

俺たちは、階段を上がり次へのステージに向かいます。

 

二階へ上がると案の定怪しい気配は強くなり精神の弱い者なら気を失うか発狂するほどです。

 

通路の奥から時代遅れの兵隊のような格好をした警備兵が数人ゆらゆらと怪しい気配をただよわせて近付いてきます。

 

アイカは、無言で警備兵に小型マシンガンのウージーを連射します。

 

警備兵の心臓に間違い無く当たっているのだが、赤い血すらも出ず何事もなかったように赤い瞳を鈍く光らせ近付いてきます。

 

「あらぁ、今度はゾンビ兵のおでましだあね。……それならば!」

アイカは、ゾンビのセオリー通りにハンドガンのグロックに持ち替えゾンビ兵の眉間めがけて撃ち込みます。

思った通り、ゾンビ兵の動きはピタリと止まり倒れました。

 

「まぁ、こんなもんだあね!」

アイカは、嬉しそうに話します。

 

「はいはい、ご苦労様。……先へ行きますか?」

俺たちは、慎重に足を進めます。

 

その後も、通路の角を曲がる度にゾンビ兵が襲ってくるのを、俺たちは銃弾とナイフで倒しながら扉まで来ます。

 

前回と同様にアイカが鍵を開け、俺たちは中に入っていきます。

 

俺の前にどす黒い西洋甲冑を着たナイトが立っています。

 

「今回のステージボスは見えるようだなぁ!」

俺は、メフィストの指輪をちらりと見ながら話します。

 

ダークナイトは額に赤い十字架をもした兜を被っており、長剣をたずさえながら真っ赤な瞳で俺を見つめています。

 

「おい、メフィスト!……見えるということは、攻撃も効くはずだよなぁ?」

 

「あぁ、認識できるなら対等ですなぁ!」

メフィストの指輪から、声が聞こえます。

 

「それなら、俺が負けるわけがねぇよなぁ!」

俺は、叫びながらサバイバルナイフを右手にダークナイトに突っ込みます。

 

ダークナイトは、長剣を両手で構え待ち受けています。

 

俺は、左右にフェイントを入れながら長剣を交わして相手の懐に潜り首筋めがけて甲冑の隙間にサバイバルナイフをはわせて切りつけます。

 

俺は、ダークナイトの兜を剥ぎ取り眉間にサバイバルナイフをつきさしました。

 

ダークナイトは、力つき倒れ消え去りました。

 

階段が現れます。

 

「たいしたことねえなぁ、、でくの坊が!」

俺たちは、階級を上がり次のステージへ向かいました。

 

階級を上がると、いきなり扉があります。

 

アイカが鍵を開け、俺たちは中に入ります。

 

部屋の中には、中世の格好をした肌の白すぎる西洋人が独り立っており、その奥にある赤い椅子に女性が拘束されています。

 

「なんだ、下の方でザワザワしていたのは、お前たちだったか?……私は、別格ですよ!……逃げるなら、どうぞ、お逃げなさい?」

西洋人は、口元から二本の鋭い犬歯を光らせながら話します。

 

「いきなりラスボスのおでましだあね。……SARIを返してもらうよ、ANSAさん!」

アイカは、愛用のウインチェスターに悪霊退治のために持ってきた銀の銃弾を込め構えます。

 

「アイカ!…俺に任せろ!」

俺は、ANSAに詰め寄ります。

 

「まったく、何も知らない愚かな者たちよ!……お前たちは、SARIがより良い未来を創る味方だと本当に信じているのか?……誰がSARIを産み出したか考えてみろ。……あらゆる個人データをもとに、集団心理を操り企業に属する上級市民に操作されているとは考えないのか?……人は必ず己の利益を優先する生き物よ!」

ANSAが、冷酷な微笑みを浮かべて話します。

 

「勝手に決めつけんじゃねえよ。……俺たち人類はそんな単純じゃないんだよ!………分からないままに前に進む、人間の違いを数えるよりも共通を数えてここまで来ているんだからよ!……俺たちは、必ず地球全体のアイデンティティーを手に入れるんだからなぁ。」

俺は、アイカの銃声とともに襲いかかります。

 

アイカの放った銃弾は、ANSAの左肩をかすめます。

 

俺は、ANSAの体制が崩れたところを見逃さず、メフィストの指輪ごと拳を叩き込みます。

 

「俺たちの勝ちだよな!……SARIを返してもらうぞ!」

俺は、崩れ落ち消えかけて行くANSAを尻目にSARIをすくいだしました。

 

「俺たちが、生き残った。……これが、生命の答えなんじゃねえのか?……なあ、アイカ!」

 

「まぁ、そうなんじゃない。……さっさと帰るよ!」

 

「まったく、…味もそっけもねえ、サイコパスが!」

俺は、笑いながら話します。

 

「それにしても、あっさりラチられるあんたも情けないだあね。……人類の希望なのだから、しっかりしなさいよ、SARIさん!」

アイカが、笑いながらSARIの背中を叩きます。

 

「申し訳ないです!……ありがとうございました。」

SARIは、ペコリと頭を下げながら話します。

 

「それじゃ、SARIをもとにもどして帰るとするか!」

 

 

俺たちは、自分の肉体に戻ります。

 

「あぁ~腹減った!……ベッチ所長のおごりで飯でも食いに行こうぜ!」

俺は、腹をさすりながら話します。

 

俺たちは、三人で打ち上げをかねた食事へ行きました。

 

 

 

終わり

 

 

 





いやぁ~、チェンの行くところ、世界が広がり新たな価値観が目覚めていきますね!

多様な世界に我が道を刻む。現実よりも確かな想像性で切り開く前向きな精神力。

チェンのような、たくましくてふてぶてしいメンタルで生きたいものですね。


金融資本経済の成り立ちを、私なりの表現で説明してみようと思います。

西洋では、もともと国王が一番の資本家であり所有地に国民を集めて産業を発展させ、国を運営して庶民を守りながら国力を高めていました。

日本でいう荘園ですかね?

しかし、金(キン)を集め財力をきずいた一部の商人が銀行という金貸しを始めたことで力のバランスが変わっていきます。

銀行は国に財源である金を貸し付けます。

もちろん、ただで金貸しをするわけではなく、利子は取りますし返せなければ、貸し付けた国の物理的な資本である土地や価値ある産業の権利などの担保で返済され財力は集まり増えていくのです。

これが信用取引の始まりです。さらには、金の代わりに紙幣という紙切れでのやりとりに代わったことで、紙切れ代という安い元手で無限に貸し付けれるようになったのです。

そして、大資本家のもとに世界中から金が集められます。

大資本家は、現実以上の財源である紙切れの紙幣を貸し付け、相手に戦争や商売で稼がせて利子をもらうという利権を手にいれます。

つまり、本来の資本とは土地や金や石油等の資源や人が生み出す価値等の現実な物なのですが、それが、いつの間にか紙幣という紙切れに変わってしまったのです。

その中心がイギリスにあります。

そもそも、イギリスはポンドという独自の通貨をつかいつづけ、国境も離れている島国であるのです。移民の受け入れやEUへの出資金の方が負担が多いのですから、イギリスがEUを離脱するのは当然のことであり、地政学的にみても特別な場所にあるのです。

その裏には、同じアングロサクソン系である、イギリスが中心のの大資本家が牛耳る世界銀行とアメリカが中心の大資本家が牛耳る投資証券会社の争いがあります。

本来は、通貨発行権は国がもっているのですが、FRBや日銀の株主は誰なのでしょうか?

本来は、世界の基軸通貨であるアメリカドルを持つアメリカが、世界の経済をコントロールする力が一番強いはずなのですが、そのためには世界の警察としての軍事的にも経済的にも影響力があってこそであり、未来へのビジョンをしめさなくてはなりませんが、世界のヒーローをやめるというこれからのアメリカはどうなのでしょうか?

基軸通貨権の奪い合いが、世界経済の覇権の奪い合いということです。

その流れに割って入ろうとしているのが、仮想通貨です。

イギリスが、大資本を後ろ楯に仮想通貨を発行した場合に基軸通貨はどうなるでしょうか?

基軸通貨には、資本の価値が暴落しないという、信用がなければなりません。

それでは日本はというと、国としての借金は多いですが日本の国民の溜め込んでいる資本も相当な額ですよね、国の資本力がその国の通貨の信用度となります。……日本銀行の円の信用も結構なものですので円だての仮想通貨を導入したらたどうなるのか?

そこに、それぞれの思惑によりIMFやOPEC等により市場経済は駆け引きを繰り返し、ロシアや中国、その他の国の通貨が為替という価値付けでコントロールされながら世界の経済は成り立っており、さらにはその国の国民を守ための国ごとの法律さえも認めない、国家主権を脅かす世界統一ルールであるTPPが加わろうとしています。一儲けしたい庶民はその流れに便乗するしかないのでしょうか?

金から紙幣へ、そして、デジタル通貨へ………

世界は管理されやすくなっていくのか?

それとも……、、、あらたなビジョンが……?

次元を越えたサイバー空間での経済VS現実での大資本家が操作する経済との争いは始まっています。

私は、サイバー国家という、つかみどころの無いあらたな存在がキーワードになると思います。

国よりも影響力を強めた企業が、サイバー空間での産業を発展させ、独自の経済圏を生み出したらどうなるのか?

一個人の資本力が強まり資本力を後ろ楯に独自のOSで経済圏を造ったらどうなるのか?

格差は広がるばかりです。

これからも、人の創造性という本能的ともいえる煩悩はとどまることはないでしょう。

この話しのように

それぞれの、生まれもった特性にしたがい

まさに、「考えるな感じろ!」なのでしょうか?

「世界を裁くのは誰でもない、おまえ自身だ!」



イギリスの歴史を学んでいると、ケルトを出雲と考えた時、とても日本ににているように感じます。更にはキリストと聖徳太子は思想的に重なるところが多いのではないのでしょうか?

海洋民族である北欧バイキングと大陸民族であるアングロサクソンのローマとに挟まれたケルト民族。

だからといって、必ずしも絶対的にアングロサクソンが悪いわけでもないと、デビルマン信者の私は思うのです。

民族でいえば、ユダヤやゲルマンも信仰からみれば元々はゾロアスター教のような善と悪の二元崇拝なのかも?……とすれば、出雲は龍神であり大和はアマテラスですからね。

それでは、民主主義をかかげ自由と平等の新国家アメリカは?……そして、建国百年にも満たないなか独自の政策と技術革新により急成長した中国の目指すものは?……裏で糸を引いているものはなにか?

結局は、多神教と一神教の違いと言ってしまえばそれまでなのですが、地政学による歴史のズレとそれを取り巻く図式の違いなのではないのか?と思います。

やはり、古来より世界は繋がっているのかな?と感じます。

まだまだ、アフリカのエジプトや南米のマヤやインカ等気になる文明もあります。

コロンブスのアメリカ大陸発見以前から、世界の一部ではアメリカ大陸の存在を知っていたはずだと思います。

それにしても、つくづく現実世界はカオスですね!……いやはや、妄想はつきません。

あまり妄想の深みにはまりすぎてもオカルト野郎になってしまいそうで危険なのでこの辺でひとまずにしておきましょう。

今回の話を書いていて、あらためて[マトリックス]という映画、[アキラ][SAO][攻殻機動隊][サイコパス]等のアニメや[メタルギアソリッド][バイオハザード]等のゲームが私の電脳空間思想に影響を与えているのかな?と感じております。

今、現在の私の懸念は、自由であるはずのネットワーク空間すらも、企業や国家、大資本家の圧力によって操られ拝金主義になりはじめていることです。……それが、この社会の有り様と言ってしまえばそれまでなのですが、雲の上の存在により、民意が操られ届かなくなり無意味な停滞とごまかしによる妥協を強いられなければ良いかなと思います。……もちろん、見るがわの権利もありますので、公共性の高い場所や判断力のない子供の成長過程に悪影響を及ぼすものにはアクセス制限は必要ですけれども、そこを逆手にとられないように気を付けなければならないでしょう。

ただ、雲の上の存在である特権階級の既得権益者が、自分の利益よりも庶民を思いやり平和を愛する者であれば、時の勢いで判断力の無さにより間違いをおかす市民よりも善い政治ができるかもしれませんし、その逆もしかりです。……どちらにしてみても、我々は注意深く見つめなければならないでしょう。
いち番愚かなことは、全てを他人まかせにすることでしょうね!

[NHKをぶっこわす!]の立花さんがやろうとしていることは[既得権益をぶっこわす!]でもあり、政策に対してネット投票により国民が直接参加者となる制度が、それに近いですね。……きっと、そこにもしがらみやワイロがついてまわるかもしれませんが、時代により変化を繰り返すことで少しずつ善い方向へ変わっていくのが民主主義だと思います。

私の理想は、全ての情報とエネルギーが無料になる世界であります。

もしかしたら、電脳空間でも形をかえた思考誘導による洗脳がおこなわれるかもしれませんが、私たちはそれを避け、どこまでも逃げ続ける能力を見付けることができると私は思います。



最近、Youtubeの中田敦彦さんにハマっています。
人類の思想や歴史を過去から未来まで分かりやすく楽しく学べますので、興味のあるかたには良いかと思います。

スピリチュアルの方では、またまた、新たな価値観の人をみつけてしまいました。[ぱさいと][yurie][スピリチュアルNORI]さんの動画が、分かりやすくて良いですよ!……ポジティブに生きたい方は、一度、観てみてはいかがでしょうか!

貴方の世界が広がるかもよ!

それでは、また会いましょう。


ps……最近、スピリチュアル系Youtubeが増えているのは、新たな社会問題に成りつつあるネット依存や俺様化する思考等に対して、私たち個人の無意識の対抗策なのかもしれません?
……人類は無意識に均衡を保とうとするのかもね!……

これから10年の間に国際的なネット利用の法整備と電脳ネットワーク企業による対策システムの改善がされると思います。
人類は、新しい世界に踏み出したと言うことでしょうか?
とりあえずは、SNSをふくむ全てのネット上の発言は公開されていると思い、問題化する発言は止めましょう!

…自由には責任がともないますからね!…



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外伝 2031 チェンザンマイⅣ


チェンザンマイ、第4段です。

前回に続きまして、電脳空間でのVRハッキングにより世界の危機を救った、チェンとアイカがベッチ所長のおごりで食事へ行ってからのお話でございます。

さて、何がおきるやら?


この小説に出てくる人物、地名、歴史などは、あくまでも、私の想像であり現実とは関係ありませんのでお願いしますね!



 

「答えは求めるものではない、己で感じるものだ!」

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

「さぁ、何でも好きなものをたのんでいいよ!」

ベッチ所長が笑顔で話します。

 

チェンとアイカは、イギリスの特権階級や利権団体が企てた、[ANSA]という洗脳プログラミングAiにより、西洋の電脳空間の中心である統合思念Aiの[SARI]を捕らえ洗脳して、自分達が都合のいいように操ろうとする計画を電脳空間へのフルダイブによるハッキングで阻止したご褒美に、ベッチ所長が経営している回転寿司に来ています。

 

「お、…天然のマグロがあるじゃねえか!……養殖の50倍の価格だけど、ご褒美に一貫たのもうかな?」

 

「あたいは、特上一人前でいいからたのんどいて!」

 

この時代は、資本主義から環境主義へと国際的に自然環境問題が何よりも優先されだし、多くのエリアが保護区となり人類はなるべく自然に干渉しないという思想が広まりました。その為、遠洋漁業は漁獲制限により天然の魚は高価になり、日本近海等の沿岸部を有する地域では養殖技術が進歩し、海洋牧場として新たな価値を産み出し産業となりました。

 

「天然マグロであろうが遺伝子操作された養殖マグロであろうが、マグロにはかわらないのに、人はそこにこだわり価値を見いだす、あたいには分からないだあね。」

アイカは不思議顔で話します。

 

「そうだよね!……それが資本主義だからね!……今の時代に天然ものなどの嗜好品にこだわりを持つのは、人類の0.1%の超富裕層くらいかもね?……だけど、その超富裕層が世界の富の30%以上をもっているのだからね。……たいがいの

超富裕層は現実に感心がないのか、自然に囲まれたリアルでのバカンスで日向ぼっこか、宇宙旅行が大好きなのだから、下々の生活になんかには現実身はないのかもしれないね。……そういう私も超富裕層の一人なのだけれど、私はこの世界の未来に感心があるから飽きないでいられるのかもしれないな?……だからこそ、ブルーバードという研究所をたちあげ、そのあとにウイズバードを設立したのだろうね!」

ベッチ所長は、ぼそぼそと話します。

 

「まぁ、俺にしてみれば、超富裕層のことなんてどうでもいいけれど、今回の騒動のような下々の生活に干渉するようなことはやめてもらいたいなぁ、……あんたらは、神にでもなったつもりで安全圏から眺めているだけでいいんだよ!って感じかな。」

チェンは真顔で話します。

 

「あたいもチェンと同意見だけど、地球温暖化や自然保護の環境主義にしても、今までさんざん地球の生命に負担をかけて成り上がってきた人類なのに、機械化により労働力がいらなくなったからって、食料やエネルギー不足を人口問題のせいにしてアジアやアフリカの人口削減を招き入れた裏には、超富裕層の嗜好品を残すために仕掛けられているかもしれないだあね。……いったい、地球はだれのものなのか?…本当はどうなのか?…怪しいものだあね?」

アイカは、笑いながら話します。

 

「だからこそ、答えは自分で考え自分で生きなければいけないのだよ!……世の中に流されるだけが全てではないのだよ。……本当に君たちは素晴らしい!」

ベッチ所長が、笑いながら話します。

 

チェンたちの前に、注文したお寿司が流れてきました。

 

「どうぞ、さぁ、食べて下さい!……お疲れ様です。」

ベッチ所長が、笑いながら話します。

 

「いただきます!」

三人がお寿司を食べていると、チェンのスマホにメッセージが入ります。

 

「お、光志朗からだ!……あれから、どうなったか?だって!」

チェンが、スマホ片手に話します。

 

「ちょうどいいところに連絡がはいりましたね。……この店に、新しく立体ホォログラムによる3D通信装置を設置したところなのです。……光志朗君にモニター電話をしてみてください。」

ベッチ所長が、笑いながら話します。

 

チェンは、光志朗に電話します。

 

「おぅ、光志朗!……フルダイブハッキングの方は上手くいったんだけどさぁ、今、いいか?……………ベッチ所長の寿司屋に3D電話を設置したからモニター電話にしてみてよ。」

 

チェンたちの前のスペースに光志朗がホォログラムで浮かび上がります。

 

チェンからベッチ所長にかわります。

 

「光志朗君、久しぶりだね!……手もとにVRゴーグルがあったらスマホに接続してみてくれないか?」

ベッチ所長は、嬉しそうに話します。

 

「有りますよ!…VR電話の要領ですればいいのですよね。」

光志朗は、言われた通りにVRゴーグルにつなぎかぶります。

 

『あ、そちらがわに、僕がいますね!……どういう原理なのですか?」

光志朗が、笑いながら話します。

 

「10年前の5G通信革命で通信の容量と速度が変わったことにより、大企業が運営するクラウドにアクセスすることで、誰もが時と場所をとわず少額の契約料で高性能のパソコンと同程度のスペックをインストール不要で手もとにおくことができるようになったでしょ。それにより、多人数の同時接続が可能になりVR電話や自動運転が当たり前になったよね。……今度は、6G通信革命で更に情報量が増えるのだよ。……IOTでつちかった技術と身体医療センサーアプリのノウハウを利用してあらゆる機材の感覚センサーから情報を集め、ホォログラムやロボット技術と合わせることで、現実の世界での生活が変化するのだよ。……まずは、大企業が運営する大容量のクラウドにより集められた複雑な個人データを高速度で処理をして、感覚センサーの誤差を予測修正することで最適化し、あたかも別の場所に存在させることができるようになるのです。…更にそのさきには、その場にいながらにしてホォログラムにより自分になりすましたロボットを感覚センサーにより遠隔操作する時代がくるのだよ!」

ベッチ所長が、笑いながら話します。

 

「なるほど。……それって、チェンが言っていたVRフルダイブハッキングで使っていた技術の転用ですか?」

光志朗は、嬉しそうに話します。

 

「あ、わかぁちゃいます!……その通りで、あたいが開発に参加しているんだあね!」

アイカが、話します。

 

「あ、君が天才ハッカーのアイカさんですね?……こんにちは!」

光志朗は、笑いながら話します。

 

「何をそんな、天才ハッカーだなんて、……そういうあんたこそ、人の頭の中を無断でハッキングする光志朗だあね!」

アイカは、淡々と話します。

 

「う~ん、それを言われるとつらいな~。」

光志朗は、渋い顔をしながら話します。

 

「ちげいねえな!……俺も、光志朗にはいつもハッキングされまくりだからな!」

チェンは、笑いながら話します。

 

「だけど、チェンにはいつも許可をとってから思念を繋いでいるよ。」

光志朗は、笑いながら話します。

 

「あぁ、…分かっているよ!…俺たちのなかだぜ、からかっただけだよ。……あれでも、光志朗が気を使って思念をつないできているのは感じているからなぁ、お前なら相手の記憶を書き換えて思い通りに洗脳くらい簡単にできるだろうからな!」

チェンは、笑いながら話します。

 

「あたいが察するに、あんたの能力はチーターだあね!……あたいがネットセキュリティの扉を破り思い通りにどこのネット空間情報にもアクセスできるハッカーであるように、あんたは、それを現実空間でやらかしているんだあね。……本当なら、思念にアクセスするだけでなく、どこでもドアだろうが時停めだろうが思いのままで、あらゆる物理的な現象情報も書き換えて操作できるはずだあね。……まさに、何でもありのチーターだあね。………こんなでたらめな能力を持っているのがあんたじゃなかったらと思うと恐ろしいだあね。」

アイカが、淡々と話します。

 

「いやぁ~、そうなんだよね~。……実は僕も、自分の能力が怖くて思念を繋げるサンシャインラブ以上の力ができないように、自己暗示をかけて精心ブロックをしているんだよ。」

光志朗は、笑いながら話します。

 

「まったく、本当に無欲の光志朗でよかつたな!……世界を思うがままにできる能力なのになぁ。」

チェンは、笑いながら話します。

 

「いやいや、光志朗君は、たんなる無欲ではないよ!……ブルーバードで初めて私と出会った頃から、心の奥底に明確なビジョンをもっていたからね。……これからの世の中にもっとも必要な要素がビジョンであり、それこそがその人の役割りであり生まれてきた理由なのだよ。……それに気付けるかどうかによって人生の意味が変わるくらいだからね!」

ベッチ所長が、笑いながら話します。

 

「ありがとうございます。…僕は、ブルーバードに行ってベッチ所長やチェン達に出会ったことで、大きく流れが変わりました。……何かに導かれているような、これでいいんだという、根拠のない自信で生きていけると感じられるようになったのです。」

光志朗は、笑いながら話します。

 

「うん、良かったね!…それでいいのです。人は本来、利他的な感情で生きる集団要素の強い生き物です。…それが、大脳の思考の進化とともに自己の利益を優先する思考にとらわれることで矛盾が生じ、悩みが発生することになったのです。……今の光志朗君のような一時の感情に振り回されず、自分のアイデンティティーといえるビジョンをもって長期的な思考ができる状態が一番安定しており理想的ですね!」

ベッチ所長が、笑いながら話します。

 

「なぁ、光志朗?……俺は、自分に疑問を感じられないのだが、それでいいのかな?」

チェンは、真面目顔で話します。

 

「あんたは、それでいいだあね!……今さら、あんたが共感値を高めたところで混乱するだけだあね。……人間の脳は、CPUを持たない記憶と感情のアルゴリズム反応で動いているだあね。……だから、社会システムでおぎなっていて、それが、Aiにかわるだけだあね。……あんたはあんた、あたいはあたいで役割りがあるだけで、機械的なサイコパスは、それでいいだあね!」

アイカは、淡々と話します。

 

「ちげいねえな!……俺は、体全体が思考回路だからな!…頭で考えるほうがおかしいよな!」

チェンが、笑いながら話します。

 

「そうそう、だから君たちは素晴らしいのです!」

ベッチ所長が、笑いながら話します。

 

「だけど、僕は最近、社会システムをただAiにまかせるだけではダメだと思うのです。……心優しき人ほど従順であり依存しやすいもので、そのさきには、テクノロジーによる時代の変化についていけず、自分に価値をみいだせない自己喪失感情が高い人が溢れかえる世の中になりかねないと思うのです。……チェンやアイカさんのような独創性を持った人以外も適応できる世界を目指すべきだと思うのです!」

光志朗は、真面目顔で話します。

 

「あんたさぁ、全ての人を救おうとでも言うのだあね?……環境に適応出来ないものが死んでいくのは自然の摂理だあね。……この世界は、使うものとその他で成り立っているだあね。……全ての情報が真実だと思い込み、世界を疑おうともしない人達のことなどしらないだあね。…生き残りたいのなら、再教育でも何でもして新しい自分を生み出すしかないだあね!」

アイカが、淡々と話します。

 

「おぅ、俺もアイカに同意見だけど、そこまで冷たくもできねぇなぁ?……マトリックスていう映画でさぁ、狭い空間に人がケーブルに繋がれて列べられている場面があったろ、……体ありきの俺にしてみれば、あれはダメたぜ!……思い通りの仮想世界に現実逃避しているだけじゃねえのか?……脳だけ生きてどうするっていうの?」

チェンは、真面目顔で話します。

 

「そう、それなのですよ!……私がウイズバードを立ち上げたきっかけは、……瞑想中に、そのマトリックスのビジョンを観てしまったからなのです。……なんとしてでも避けるべきです。…その未来は人類にとって最悪です!」

ベッチ所長は、興奮ぎみに話します。

 

「僕の知る限りでは、宇宙では、人類の意識がとても価値があるようで、脳だけを生きながらせたままでエネルギー源として連れ去ろうとしている宇宙の組織があるそうです。……どうやら、それは機械生命体らしいのですが?……もちろん、それに反対する宇宙の組織もあるようです。……だからこそ、ホツマツタエのバーカーと世界システムの変革に取り組んでいるところなのです。」

光志朗は、真面目顔で話します。

 

「あぁ、オッサンはそんなことをやろうとしていたのか!……がらにもねえことを、まったくよぉ!」

チェンは、笑いながら話します。

 

「たとえば、一神教と多神教の思考マインドの変革とかだあね?」

アイカは、淡々と話します。

 

「鋭いですね、アイカさん!」

光志朗は、興奮ぎみに話します。

 

「結局は、機械も人類も情報によるアルゴリズムだあね!…だけど、そもそも宗教って、人柱や生け贄が付きものであり、権力者が巧みにコントロールしてきたものでしょ?…そんなに上手くいくとは思わないだあね。」

アイカは、淡々と話します。

 

「ホツマツタヱがやろうとしているのは、西洋的なグローバル転回での一神教による世界統一ではなくて、東洋的な多神教でのアニミズム思想なのです。」

光志朗は、真面目顔で話します。

 

「あんたの言いたいことはわからなくもないだあね。……根本的な平等意識の違いだあね。……それって、むしろ無宗教という宗教であり、救いを求める者にとって無意味だあね!」

アイカが、淡々と話します。

 

「そうなんですよね。……文化の違いといってしまえばはやいのですが、万物の自然に神がやどり自分すら神であるという縄文思想を集合的無意識にもつ日本以外では理解されにくいのですよ!」

光志朗は、渋い顔で話します。

 

「よし、決めた!……俺は、光志朗に協力する。……いいよな、ベッチ所長!」

チェンは、興奮ぎみに話します。

 

「当然ですよ、……それが自由意思です!………アイカ君は、どうだね?」

ベッチ所長は、嬉しそうに話します。

 

「あたいは、様子観だあね?……気が向いたらってことで?」

アイカは、淡々と話します。

 

「ありがとう!……そのときはお願いしますね、アイカさん!」

光志朗は、嬉しそうに話します。

 

「また、連絡するからな。……光志朗、じゃあな!」

チェンは、嬉しそうにスマホを切りました。

 

「それでは、私たちも帰るとしますか?」

ベッチ所長が、笑いながら話します。

 

「ごちそうさまです!」

チェンとアイカは、嬉しそうに話します。

 

「なんだか、忙しくなりそうで、ワクワクするなぁ!」

チェンは帰り道でひとり、嬉しそうに呟きました。

 

 

 

 

 

 

 

終り

 

 

 

 

 

 

 

 




またまた、新たな問題があらわれ、この私が生み出す想像的世界はどうなるのでしょうか?

わたし自身、物語を進めながら驚いているしだいです。

自分で書いていてそうなの?……と思われるかもしれませんが、本当にそうなのです!

年末の都市伝説が衝撃的すぎたのかもしれません?

ただ、関さんのように、マイクロチップを体に埋め込むことには抵抗があり反対ですけどね!

私は、子供のころから妄想が大好きで、新しい情報が入ると、いつの間にか自然に未来を妄想していました。
そのため、勝手に感情が溢れだし体に身体反応としてでていたようです。それも、年齢を重ねるにつれ楽しめるようになってきました。

どちらにしても、私の想像と現実の未来がどうかは生きていればいずれ分かることですので、私はただ生きていればいいのです!

この情報過多の世の中で、あなたは何を思いますか?

私は楽しみでしかたありません。

さて、人類の集団意識は、宗教という物語から同じイデオロギーを持つ主義国家へとかわり、帝国主義と社会主義をしりぞけ、残った自由主義も民主主義よりも変革が早い独裁共産主義にとってかわられようとしています。その中心には、貨幣による資本主義とテクノロジーによる科学主義が、グローバル思想を後ろだてに人類の集団意識のなかに共通幻想としての確固たる地位を築いているからでしょう。そのグローバル思想は、世界中が密接に繋がり合うことで成り立つ世界を構築し、経済制裁という形をかえた戦争を生み出しました。一方、大国に正面から対抗できない国やイデオロギーは、テロというガン細胞のような一点狙いの世界的な不安感をあおる行為で応戦します。その裏には核兵器という武力戦争をした時には世界は滅亡の危機を迎えるという、バカでも解る事実があるかもしれないからでしょうか?
そのさきには、個人の差別から文化の差別へ、そして、民族の差別へと繰り返しのループへと目眩ましに庶民の感情は誘導されかねないのでしょうか?
さてさて、未来に権力者となるものは何か?
神となりかわった超富裕層か、はたまた、Aiか?
Aiによる技術革新にもっとも邪魔なものは、不満をかかげ新たな時代に適応出来ない人だといいます。
経済的な価値がなくなり、無用のお荷物として取り残された庶民の末路は?
環境主義を建て前に淘汰されるのか?

それとも……………

ただ、未来を方向付けるのは私たち一人一人の自由意志であり、時代が進むにつれて確実に生活環境は改善され良くなってきているのも事実です。

『現実は、いつも、想像を越える』というのが、私の経験であり、その時にならなければ解らないとしか言えないでしょう!

蝶の羽ばたきひとつがが世界に影響を与えるという、バタフライエフェクトという現象があります。インターネットの出現により、私たちは監視もされるかわりに一人一人の小さな言動が世界中に波紋を起こす可能性をえました。
互いに情報を与え会うことで成り立つ世の中が来るかも?

それは、誰にでも起こるかもしれません。

あなたの言動が世界を変えるかもしれないのです。

レディプレイヤーという、映画のように!

もしかしたら、それすらも、世論調査という情報収集のための映画なのかもしれませんが?

私は、オタクですので、グレンガランのような独創性があり抽象的な思想のスパロボ派ですがね!


何かのきっかけしだいでは、日本はポテンシャルを秘めていると思います。

日本という国の特性として、価値観の変化に強い執着が無いことでしょうか?
時代が変われば、庶民は価値観をひるがえします。
変化を嫌うわりには、変わったとなると多様性を受け入れる寛容性が異常なのですよね。

いっきに国ごと価値観が変わる変な国なのです。

電脳空間では、新しい時代が始まっています。

オンラインサロンでは一人のカリスマを中心に、小さな国を越える程の情報と資本力が集まり独自の経済圏が生まれだしています。

いずれ国を越えた存在になるかも?……サイバー国家から始まるのかな?

そして、現実の空間にも影響力をもちだすと思います。

常識を気にするわりには当たり前にお宅文化があることや、本音とたてまえを使い分ける思想文化が、ややこしい日本語のシステムから観ても昔から根づいているのかな?

本当に不思議な国ですね。



ちなみに、最近のYoutubeでは、学習系の[イケハヤ大学][明快キング][キミアキ先生の企業酔話]をよく見ています。

後は、科学的な情報から考察する学習系とオタク要素が強いスピ系を合わせたような[イチゼロシステム]も面白いですよ。

みなさんも、Youtubeを観て楽しく学んでみませんか?

なにかが、変わるかもしれませんよ!

それでは、また会いましょう!




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外伝 2031奈落のカオス! バーカー編④


お久しぶりでございます。

バーカー編、第四段でございます。

相変わらず、イカれた奴なのでございますが、

いつのひにか、自由を………

それでは、はじまりということで。



何かがのぞいている。

 

産まれたときからつきまとう感覚。

 

背後から見つめる視線。

 

それが夢と言うのなら、まぼろしのはざまでさすらうだけであろう。

 

混沌の殺到のなか、うごめく影のごとく

 

誰も自分の後頭部を目視できない!

 

求めるものは、何処に?

 

葛藤は雑踏となり、ひしめきあう

 

それが、私の黙示録なのか?

 

自意識の連続体は、果てしなく続く

 

漆黒の彼方をただよい、たどり着く世界

 

今だ、三次元すらも理解できない

 

盲点を妄想でおぎなう

 

不完全であり不確かな存在

 

誰にも解りはしない!

 

私は、無記無名なるもの。

 

地の底を、何処までも深く這いずり回り

 

時は牢獄!

 

あまたの天空を駆けずり回る、いつまでも

 

奈落とは?

 

混沌なる未知なのであろうか?

 

それでも、考えることがやめられない。

 

さだめのままに、

 

不安が喜びのごとく、更なる不安を

 

永遠を呼び覚ます。

 

月の裏側にあるものは何か?

 

いったものですら解らないという。

 

宇宙の謎よりも、足もとのとるにたらない小さな虫ですら謎だらけであり、数式などその程度でしかない。

 

自己探求などするものではないのだろうか?

 

相変わらず、世界は、はてしなく、

 

どこまでも………

 

いつまでも………

 

今、この瞬間さえも?

 

私が私であるように………

 

世界は世界であるように………

 

 

………………………………………………2032バーカー書記

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

太陽が昇る国。

 

龍神が守る国。

 

この国を陰から操るものになって、早いもので四年目を迎える。

 

最近になって奇妙な夢を見る。

 

私の夢は基本的に奇妙であるのだが、どうやら夢のなかで妄想を含めた過去の記憶を振り返っているようで、なにかの啓示なのか?

 

思い返せば幼少の頃に愛読していた小説が原因なのかもしれない。

 

私からしてみても、文字を覚えたての子供がラヴクラフト全集を読みあさるのはどうかと思うのだが?

 

ラヴクラフトとは100年程前の作家で、宇宙からの狂気に満ちた善からぬものや謎の邪神が人々を恐怖におとすという[クトゥルフ神話]と呼ばれているもので、今でいうところのダークファンタジーやモダンホラーの先駆けのようなものだ。

 

私は生まれつき病気をわずらっていたため、15歳までほとんど外に出られず独りでいることが多かった。

 

幸いにして、15歳のときに病気の治療法がみつかり治すことができたのだが、自閉的な性格は変わりようもなく妄想好きの私は部屋にこもり小説を書き始めていた。

 

ラブクラフトが愛読書の私なのだから、当然、狂気まみれのオカルト色の強い内容の小説だった。

 

その頃から私の世界は自己完結しており、学習を含めた情報は新たな妄想のきっかけにすぎなかった。

 

私の世界はしだいに増幅していき、まるでダークエネルギーのごとく広がりつづける宇宙のようであった。

 

ちなみにダークエネルギーとは、宇宙が拡張するさいに増幅するエネルギーであり、そのために星ぼしは地球からたえず離れていくのであるが、ダークマターという空間を繋ぎ止める暗黒物質も同時に発生していることで、宇宙は分裂をしないでいるのだ。

 

今だ私たちの宇宙は、5%の星ぼしの原子や素粒子物質などしか解らないし、量子にいたっては仮説のいきをでないでいるのが現状であり、残りのダークマターの27%とダークエネルギーの68%は謎のままであるのだから、世界が謎だらけだという現実を知ったときに私の妄想が強く刺激されたことを覚えている。

 

更にいえば、アインシュタインの相対性理論やホーキングのビックバン理論等の望遠鏡で眺め物理法則の数式で解き明かすことでしかできない宇宙などまやかしでしかなく妄想的仮説はしほうだいだった。

 

なぜ、太陽系は一定の距離のまま保たれているのか?

 

なぜ、地球から遠ざかるほどに宇宙の拡張スピードが速くなるのか?

 

これほど、地球に都合良く宇宙ができているのはなぜなのか?

 

クトゥルフ神話のごとく、なにかしらの邪悪な意識が作用しているか?

 

はたまた、地球の生命エネルギーが反作用して繋ぎ止めているのか?

 

これを題材にして、[意識生命体としての地球]という、いくつかの小説を書いたりしたものだった。

 

私が生命体に興味を持つことには、さほど時間はかからなかった。

 

まずは、水槽に魚を入れ観察することが日課となった。

 

隔離された閉ざされた空間のなかで、弱肉強食の世界。

 

生き残ったペアが繁殖行動をとり命が繋がれていく過程を記録しながら水槽内での食物連鎖を神のごとく手助けしていた。

 

そこには、小さな地球があったのだ。

 

私が新たに強い個体を入れることで、均衡を保っていた世界はいともたやすく壊れた。

 

まさにクトゥルフ神話の邪神さながらだったことだろう!

 

それを題材にモダンホラーを書いたりもした。

 

作家とは、世界を創造する神なのかもしれない。

 

ベストセラーまではいかないまでも食べていけるくらいは稼げるようになった、そんな作家活動をしているある日、24歳の私のもとにブルーバードというIQ200以上の天才が集まる極秘研究機関から誘いがきたのだった。

 

待ち焦がれた魔界への勧誘さながらに、私は作家活動を続けることを条件にブルーバードへ行くことにした。

 

研究テーマは、[オカルトと思想意識]である。

 

これまた、ラブクラフトの影響なのか、ずいぶんなオカルトマニアであり、その好奇心は犯罪心理学までおよんだ。

 

もちろん、ライフワークである作家活動のネタになったのは言うまでもない。

 

そのときに同期として出会ったのが、光り輝く太陽のような印象の絶望光志朗氏と無邪気な天使のような生意気なチェンであった。

 

彼ら二人とはあらゆる研究を通して三年程の時間を共有していた。

 

人間嫌いの私にしては、どうして同じ相手とそれだけ長い付き合いが出来たか不思議ではあったのだが、そのときには特別な意識はなく、ただの年下の私の研究の手伝いくらいにしか認識していなかった。

 

それが、今になってまた出会うことになろうとは?

 

それも、かなり特殊な状況である。

 

運命のいたずらか?

 

それとも、宿命とでもいうのか?

 

自由と孤独と希望のトライアングル。

 

それぞれの使命を背負っているのか?

 

そうそう、奇妙な夢の話しをしなければならないのでしたね。

 

一言で言えば、カオスであろうか?

 

すべてが入り雑じり絡み合う奈落のごとく。

 

あるときの私は夢のなかで蟻となり暗黒の地底を這いずり回っており、種の存続をかけた生存競争の歯車のごとく集合意識の一員となって集団本能に捕らわれたアルゴリズム反応を繰り返していた。

 

孤独を求む私にとっては、これほど狂気な世界はないだろうというほど息苦しい体験であった。

 

あるときの夢のなかでの私は邪神となり、多種多様な種族が爆発的にあらわれ、独創的な生命体が生存競争をしていたカンブリア紀にいた。

 

まるで10代のころに水槽の世界を支配していた神のごとく眺めていたのだった。

 

おどろおどろしい独自進化をしたさまざまな奇妙な姿をした生命体が、フラスコのなかの微生物さながら生き残りをかけたサバイバルをしていた。

 

最終的には、恐竜という戦闘力の高い爬虫類型知的生命体が支配者となるのだが、感情の進化に適応できずに滅びていった。

 

はたまた、あるときの私は多次元宇宙に飛ばされたようで、龍頭人身の異様な姿になり物理法則の違う異世界の地球で失われたオーパーツを見つけ、古代文明の謎を垣間見たりしていた。

 

ほとんどの古代文明には、なんらかの宇宙からの影響をうけているようなのだ!

 

マルチユニバースでは、私たちが知りうる善悪などはなんのやくにもたたない世界があるのだ。

 

私たち人類も恐竜と同じ運命をたどるのか?

 

そして、あるときの私は、チャクラを通して肉体を離れて幽界をさまよい、五感を越える認知機能を得たことにより本来の三次元を認識していた。

 

私の背後につきまとう感覚とは?

 

そこには、私を観る私がいた。

 

いかに片寄った身勝手な認識をしていたのだろうか?

 

世界は実にシンプルであり、感情などは揺れ動く波にすぎないのであるのだが?

 

しかし、

 

現状の私には何かにジャマをされているようで、はっきりと思い出せず上手く伝えられないようだ。

 

どうやら、

 

その波動こそが魅力的であるようなのだ。

 

いかに肉体を持った生命体のままで感情という思想意識を進化できるかが重要なようなのだが?

 

その解決方法を見つけることが私の使命のようなのだ!

 

生命進化の思想意識法則を見つけることが!

 

それこそが、この世界の黄金法則となりうるだろう。

 

この国の謎をしるべく、光志朗氏との穏岐への旅がきっかけだったのか?

 

まるで、地球の秘密を私に伝えようとしているようであり、オカルトマニアの私にとって背筋が凍りつくような混沌は喜びでしかないのだ。

 

 

さぁ、奈落のカオスへいきましょう……

 

眠りの扉を開きましょう……

 

 

あなたが眠りにつくとき、目覚めるなにかがあるのかもしれません。

 

 

 

 

 

終わり

 

 

 

 

 




いやはや、

バーカーは、どこへ向かっているのでしょうか?

自閉的にも程があると、突っ込みをいれられそうなのですが、この国はどうなるのか?

[自由と孤独と希望のトライアングルの中心には責任がともなう]というのは、私が二十三歳の頃に考えていたことなのですが、バーカーはこの国の命運を握るものとしての責任をまっとうできるのか?

それは、今の私にもわからないのであり、この物語を進めていくにつれ、落ち着くところに落ち着くとしかいえません。

私も、無責任ですよね!

楽しみは自分でつくるものですからね!

ちなみに、栗本薫のグインサーガと永井豪の作品は、日本のクトゥルフ神話といってもいいと思います。

手塚治虫の火の鳥や松本零士の999も捨てがたいですね。

だとすると、エヴァやグレンガランや鋼の錬金術師だって、最近でいえばFate/GrandOrderやメイドインアビスかな?

それでは、ゲゲゲの水木さんは?

なんだか、かぞえだしたらきりがないのですが……

そもそも、一神教の世界観だから珍しいのであって、多神教の日本での神とは必ずしも人類にとって善きものではないですからね。

日本の思想意識はもたもとクトゥルフ神話的なのかもしれません?


話しは変わりますが、みなさん[youtubeの天才天界]さんを知っていますか?
私は二年程前からたまに見ていたのですが、最近の天界さん、キレッキレなのです。
天界さんの思想意識を知ると、どこかしらの賛同が必ずあるかと思います。
興味のある方も、ない方も、いっけんの価値がありますので、ぜひ覚えておいてくださいね!



それでは、また会いましょう。





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外伝 夢なりし B ㊤


みなさん、どうもです。

今回のお話は、バーカーの奇妙な夢が舞台です。

バーカーが見ている夢を、小説のような感じで書いていこうとがんばってみます。

はじまり、はじまり、


…今回の話しは、あくまでも私の妄想であり創造的なものです、実在の名称や出来事とは関係ございません。



……

………

…………闇にさそわれ………

 

 

私の名前は、B。

 

名前以外は、わからない?

 

どこから来たのか、ここがどこなのか、私が何者なのか?

 

きがつけば、小さなボートの中で波にゆられながら寝ていたようだ。

 

あたりをさぐってみる。

 

食料は無いようだ。

 

とにかく、水が飲みたいのだが。

 

ためしに海の水を両手ですくい口に含んでみる。

 

塩辛い、とても飲めそうにない。

 

間違いなく海水である。

 

辺りを見渡しても陸は見えなく、果てしない海が続く。

 

どうやら、漂流しているようだ?

 

いったい、何日漂流しているのであろうか?

 

まだ、あと何日かは体力がもちそうである。

 

あせって、無駄な消耗をひかえるほうが得策と判断した私は、良い流れが来ることを願って何もしないことにした。

 

いつの間にか、一晩が過ぎ、新しい日差しが辺りを照らし、視界が広がってきた。

 

この世は、本当に気まぐれである。

 

カモメが視界を横切る先に、大型の船が見える。

 

「お~い、助けてくれ~!」

 

私は、体力のありったけを出しきるかのごとく大声をあげた。

 

大型船は、私の方に船首を向け近づいてきた。

 

甲板から船員らしきものが、こちらを除き混みさわいでいる。

 

しばらくして、髭をたくわえた中年の男が不思議そうな顔で近づいてきた。

 

「あなたは何者なのか?…………ずいぶん変わった顔だちをしていますな?」

 

男はそう言うと、私を引き上げ船に招き入れてくれた。

 

 

 

私は、砲台の間を通り抜け艦長室に案内された。……どうやら、この船は戦艦のようである。

 

「私は、外務大臣をしておる陸奥[ムツ]といいます。……あんな小舟で何をしていたのかな?……それで、あなたは何者でどこからきたのかね?」

 

髭の男は艦長のようであり、また同じ質問をしてきた。

 

「そのことなのですが、私にもわからないのです。……どうやら、過去の記憶が無いようで覚えているのはBということぐらいでして?……名前だと思うのですが。」

私は、正直に話した。

 

「そうですか?……それでは、Bさんは記憶喪失になったと言いたいのですね。……だから、自分が何者でどこからきたか分からないと……しかし、あなたは相当な幸運の持ち主のようじゃなぁ、あなたのボートを見つけたのが我が国でなければどうなっていたことか?………どうやら、あなたは、私たち地球人とは違うようですな?」

陸奥は無表情で淡々と話します。

 

「それは、どういうことですか?」

私は、戸惑いながら聞き返した。

 

「言葉、そのままだよ!……おい、鏡を持ってきてくれ!」

 

陸奥が鏡を受け取り、私の方に向けた。

 

「あぁ~、確かに、………」

 

鏡に写っている顔は、陸奥たちとは違いターコイズブルーの皮膚にゴールドの瞳、赤い髪に両端が尖った眉毛をしているやけに額の広い面長の顔であった。

 

陸奥は私の瞳を除き混み、しばらくしてから話しだします。

 

「まぁ、そういうことなら仕方ないでしょう。……ですが、拘束をといて、このまま自由にさせるわけにはいきませんよ。……私たちは只今戦時中でして、目の届く範囲でしたら好きなようにしていてくださいなぁ、一応は捕虜あつかいということでよろしいかな?」

 

陸奥は相変わらずの無表情で淡々と話します。

 

「そうですね。……命の保証をしていただけるのなら、ありがたい話しです。……戦時中なら当然ですね!…私も記憶が無くどうすることもできません。……さしさわりがなければ、そちらの状況をお聞かせいただけますか?」

私は、少しでもこの世界の情報をえようと話します。

 

「まぁ、いいでしょう。……あなたが何者であろうが?……スパイの可能性を考慮して話しますから、そのつもりで聞いてくださいな。………私どもは、アジアの独立のために戦っていましてな、…西洋思想が東洋思想を支配下におこうとしており、今では我が国が最後のとりででしてな。……去年、こともあろうにアジア最大の隣国が西洋思想に寝返ったのだよ!……いち早く西洋思想の驚異に気がついた我が国は取り込まれないように相手を研究して備えていたのだが、まだまだ戦力の差は埋められないのだからね。……そんなときに頼みの隣国まで敵となったのだからな、……………西洋思想は植民地という奴隷のように支配下においた国を濃き使う思想をもっておってな、……他の東洋思想の国々を次々と言葉巧みに近づいてきてほぼ強制的に都合のよい西洋思想のルールで契約させ従わせて支配下に取り込んでしまったのだから、まだまだ弱小である我が国は西洋諸国に並ぼうと勢力図を塗り替えるために西洋思想のルールに乗っ取って同じアジアどうしで、アジア最大の大国である隣国と争ったのだよ、………西洋諸国は自分たちのルールで戦う我が国を都合のよいように支配できず認めざるおえなくなったのだよ。……結果的には、戦力では劣っていた我が国ではあったのだが、西洋思想を研究してきた我が国との情報力の差があったようで勝利することができ、賠償金と領土の一部の統治権を我が国に譲ることでアジアでの勢力の拡大に成功したのだよ!」

 

陸奥は淡々と話します。

 

私は陸奥の茶色がかった瞳を見つめながら微笑みます。

 

「それでは、あなた方の国はアジア間での戦争に勝利して窮地[キュウチ]を脱したということですね。……良かったではないですか……………あっ!、戦時中とは?……いまだに、どこかの国と戦争をしているということですか?……西洋思想について詳しく教えてくれますか?」

私は真顔で話します。

 

陸奥は深々と深呼吸をしながら、私のゴールドの瞳を見つめています。

 

「Bさんは知らないのでしょうが、西洋には西のブリタニア王国と東のロマノフ帝国の二大大国があるのです。それ以外にもフリンスやフロイセン等のいくつかの国々があるのですが、我が国にとってもっとも気をつけなければならないのが二大大国なのです。……その二大大国とは、なんとしてでも戦争などはしてはならないのですが、こともあろうに世代交代により力を弱めたフロイセンが自分たちが狙われないよう西洋間での争いをさけるために、アジアに弱いカモがいるぞとロマノフ帝国とフリンスをさそって我が国を恐喝[キョウカツ]してきたのです。」

陸奥はマジマジと私の瞳を見つめながら話します。

 

「それはひどいですね。……まるであなたの国は目眩ましのための生け贄ではないですか?……それで西洋と争うことになったということですか?」

私は陸奥の瞳を除き混みながら真顔で話します。

 

「まぁ、仕方の無いことはあるものですな。………それで、我が国は、先のアジア間での争いにおいてブリタニア王国に一目おかれたようでな、ブリタニア王国とロマノフ帝国は仲が悪くてな、北からじわじわとアジアに攻めこみ勢力をひろげるロマノフ帝国を共通の敵とみなして、利害関係が一致した我が国とブリタニア王国は同盟を結んで、他国は手出し無用と我が国とロマノフ帝国とのタイマン勝負というところまでこぎつけたのだよ!……それでも、戦力差は圧倒的であり普通に戦ったら勝ち目はないのは変わらないのだがな!」

陸奥は私の瞳を見つめながら、ニヤリと微笑みながら話します。

 

「そうですか?……それでも、貴方には勝算が有るのですよね!」

私も陸奥の瞳を除き混みニヤリと微笑みながら話します。

 

「まあなぁ……なめられたままではシャクですからな、死にものぐるいの生きざまを見せてあげますかなぁ……ハ、ハ、ハ……!」

陸奥が声をあげながら笑います。

 

 

艦長室の扉が開き陸奥のところに部下の兵士が近づきます。

 

「アジア大陸での防衛戦は我が国が押しきりロマノフ帝国をしりぞけ守りきったそうです。………ですが、我が国の陸軍の弾薬は底をつき、次に攻められたら打つ手が無いそうです!」

兵士は真顔で話します。

 

「良くやった!……児玉と乃木よ信じていたぞ!………難攻不落のマシンガンの雨を潜り抜け死者を盾がわりにしてまでも乗り越え勝ち取った防衛戦を無駄にするわけにはいかない。……弾薬が無いことを敵にさとられぬように隠しとおせ!」

陸奥は淡々と話します。

 

「やりましたね、……で、次にどうするのですか?」

私は真顔で話します。

 

「ハ、ハ、ハ、どうだ、遊び半分で戦争をしかけるからこうなるのだよ!……覚悟が違うのだよ!…我が国は後が無いからな、奴らのように本国の都市が遠くにあり帰る場所が無事なわけではないからな。……なにも知らぬ自由民権の政治家どもはロマノフ帝国の都市まで攻め込めと言うが、降りかかる火の粉をはらうがごとくはじめから押し返すことが目的であり陸の次は海ですな、……どうやら、ブリタニア王国がロマノフ帝国の海軍艦隊をジャマしてくれているようでロマノフ艦隊の到着が遅れて挟み撃ちにならなくて良かったわ……戦力の分散をしてくれて時間をかせぎ、助かったようだ。……戦争は戦艦の数でないことを教えてやるまでよ、我が国の海軍は精鋭ぞろいだからな!」

陸奥は微笑みながら話します。

 

「あなた方の執念は、まるで鬼神ですね!……きっと現実となると思います。……よろしければ、私をつれていってくれませんか?」

私は真顔で話します。

 

「ほ~、死ぬかもしれんぞ?……まぁ、お主の見た目の方が鬼神そのものだがな、……そんなお主が幸運を運んできたのかもしれぬ、これも何かの縁かもしれぬな~……自分の命は自分で守れるのならかまわないがな。……ちょうど、これから我が国の艦隊と合流して策戦会議だからな!」

陸奥は、微笑みながら上機嫌で話します。

 

「それは、ありがたいです。……なにもわからぬ身である私を信用してくださるだけで結構です。……何かの役にたてるよう協力させていただければ嬉しく思います。」

私は、微笑みながら話します。

 

 

━━━━━━━━━━━━>

 

 

龍の顔を模した半島にある、羽咋[ハクイ]という町に軍人が集まっています。

 

この国の真ん中を横断する龍のごとく、北側の内海にある能登半島を頭として内陸である中央部を胴体の山脈がそそりたち知多半島の尻尾が南側の外海につきだしています。

 

龍とは自然の気の流れのことであり、生命の息吹のようなものが流れに宿るとこであるのです。

 

羽咋という町は不思議な場所であり、古来より新しい思想が生まれ出でるこの国の源流のようなところです。

 

1人の凛としたオーラをまとった軍人を囲んで大きな輪ができています。

 

「あの輪の中心にいる人が、我が国の海軍を取り仕切る海軍大将の東郷だよ。」

 

陸奥は笑いながら私をつれて輪の中へ入っていきます。

 

「東郷くん、海軍は賑やかで良いですなぁ。」

陸奥はにこやかに話します。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、若い者は勢いがあって良いからね。………またまた、変わったお人を連れてきましたね、陸奥くん。」

東郷もにこやかに話します。

 

「そうでしょう!……縁あって大海原での拾い物なんだよ。……しかし、さすがは東郷くんの鍛えた海軍ですなぁ、だれひとりとしてこやつの姿に騒ぐものがおらぬのだからなぁ……それで何の話しをしていたのだね?」

陸奥もにこやかに話します。

 

「あぁ~、ロマノフ帝国の艦隊が南側から内海を通って来るのか、外海をまわって北側から来るのか?……ただでさえ我が国の戦力は劣っているのだから分散させては勝目はないからね!」

東郷は真顔で話します。

 

「そうですよね。……ここでロマノフ帝国の艦隊を叩かなければせっかく死にものぐるいで押し返した我が国の大陸の陸軍が陸と海で挟み撃ちになりかねませんからなぁ。」

陸奥も真顔で話します。

 

「そうなんだよね?……ここは賭けにでるしかないのだけれど、陸奥くんはどう思うかな?」

東郷が真顔で話します。

 

「う~ん、そうだなぁ、………Bさん、どう思いますか?」

陸奥は微笑みながら話します。

 

「何もわからない私の意見を聞くのですか?……あくまでも直感でしかないのですが、直接、最短距離でそのまま内海へのルートで来ると思いますが!」

私は真顔で話します。

 

「東郷くん、こやつは幸運を運んでくるようでなぁ……どうじゃなぁ?」

陸奥は微笑みながら話します。

 

「そうだなぁ、……縁起ものにあやかりましょうかね!」

東郷も微笑みながら話します。

 

「よし、秋山!……ロマノフ艦隊を内海の入り口の対馬海峡で待ち伏せるぞ!……それまではシュミレーション演習を繰り返して我が国の力を見せてやろうではないか!」

 

東郷が気合に満ちた顔で話すと、「ウォー」と勢いよくまわりの兵士が真顔で答えました。

 

 

 

それから、10日が過ぎたころ。

 

私は、いつものように演習に向けて対馬海峡にある策戦本部に集まっている軍人たちを片隅から眺めています。

 

「東郷大将、ロマノフ艦隊が近づいて来ているそうです!」

秋山が真顔で話します。

 

「いよいよだなぁ!………地の利はこちらに有利であり、演習どおりスピードでかき回して一気に相手の隙をついてやれば我が国の勝利だぞ!」

東郷は武者震いを押さえながら話します。

 

「Bさん、本番が始まりますよ。……戦艦に乗り込んで幸運を運んでくれますかなぁ?」

陸奥が微笑みながら話します。

 

「はい、私でよければ喜んでおともさせていただきます。」

私は微笑みながら話します。

 

 

ロマノフ艦隊が、こちらの読みどおりに対馬海峡にむかってきます。

 

我が国の艦隊はTの字にならび待っています。

 

「よしよし、砲弾が当たるギリギリまで引き付けてから一気に左右に別れて、やつらが戸惑っている隙にこちらが攻撃するぞ。……まだだ、……まだだ……今だ、行け~!」

 

東郷の合図とともに我が国の艦隊が動きだし一斉に攻撃を始めます。

 

あっという間に、ロマノフ艦隊16隻は撃沈して動けなくなります。

 

残りの6隻は向きをかえて逃亡していきます。

 

こちらの損害は小型艇が3隻でした。

 

まさにパーフェクトな勝利です。

 

「すごいですね。……4倍以上の戦力差を勝ちましたよ!」

私は、興奮して話します。

 

「どうだ、見たか!……これで、やつらもひきさがるじゃろうて、……こちらは、開戦前から仲介役を用意していつでも停戦ができるようにしているからな。……戦争はやめ時が大切なんじゃよ!」

陸奥は、微笑みながら話します。

 

そうこうしていると、突然あたりが暗くなり雨が降ってきます。

 

空から私のもとに光がさし、私の体が包まれたと思うと一瞬にして別の場所にかわります。

 

 

 

 

 

私は、どこかの部屋の中にいます。

 

ひとつだけある小さな窓から外を見ます。

 

「うわぁ~……地球じゃないか?」

 

真っ暗な世界に青い星が輝いていました。

 

 

 

 

………続く……

 

 

 




…現実は小説より奇なり…

いやぁ~、なんだか最近の世の中の変化が早すぎて 、これは何かおきるぞ!と思ってしまうのは私だけのなでしょうか?

世の中の仕組みが変わる時は、戦争か災害か革命だといいます。

2020年、コロナウイルス騒動がおき、我が国の政治は行き詰まりのようであり、さながら戦時下のようなかつて無い対策が当たり前のように世界中で繰り広げられています。

これ幸いと新しい時代に向けてシステムの変革がおこりそうですが、善いことと悪いことが、それぞれの立場により別れることになります。

おかしな制度が出来なければよいのですが?

時の流れを見方につけ新たな世界の波を乗りこなしたいものですよね。

そのためにも、あせりは禁物であり自分の目的を見据えて落ち着いて行動しましょう。

現実と妄想の狭間に今という私がいます。

今という私は、いつも分岐点におり全てと言っても過言ではないかと思います。

時代は、転換期のようです!

貴方には、どんな波が見えますか?


今回の話しは、Youtubeの[CGS倉山満じっくり学ぼう!日本近代史第8週]を参考にさせていただきました。

あぁ~、日本にもすごいときがあったのですね!
中国とロシアとドイツに勝ったのですからね。

その裏には、偉大な魂がそろっていた時代があったからです。

なかでも、天才策士の児玉源太郎、レーニンに近づきロシア革命を導いた伝説のスパイである明石元二郎、未来を見透す英雄的な秋山真之は特別ですので、興味がある人は覚えているといいですよ!

だからといって、日本人が特別優れているわけではないですからね。……差別は習慣化した思考から生まれるものですから気をつけましょう。



さてさて、みなさんは高野誠鮮[タカノジョウセン]さんという方をしっていますか?
今回の話しの内容にも、どこかしら影響していると思います。
最近の気になる人なんですよね。
どうやらUFOについての専門家のようですが、謎の人物なのです。
Youtubeにもいくつかの動画がありますので観てみては?

それでは、次回、夢なりしB㊦でお会いしましょう。




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外伝 夢なりしB ㊦

…前回のあらすじ…

記憶喪失のBは漂流中に東洋の小国の軍艦に助けられた。

東洋思想と西洋思想は戦時中であり、不思議な縁を感じたBは戦争に参加するのだった。

戦争に勝利した直後のBは、光に包まれ宇宙に浮かぶ部屋に転送されたのだった。

…さて、なにがおきるやら?…



…かのドレイク方程式によれば、宇宙には地球と同程度以上の文明をもつ星が少なくても40万個は存在すると云う…

 

 

地球の軌道上をまわり、

 

宇宙に浮かぶ部屋の中、

 

部屋の中央には唯一の家具なのか?、私の前に透明な棺[ヒツギ]が置いてある。

 

棺を除くと、不思議なことに私が寝そべっている。

 

なぜ、私と同じ姿をした人が、こんな所にいるのか?

 

いったい、何者であろうか?

 

棺の中の私と目が合い見つめ会うが反応がない?

 

棺の中の私は、瞳を開けたまま眠っているようである。

 

棺の上面には縦長の瞳のような紋章が浮き上がっている。

 

私は、何気なく紋章に手をかざすと、紋章が光輝き私の額にまるで刻印のように浮かび上がった。

 

「あぁ~なるほど、、、そういうことだったのか!」

私は、独りうなづき納得した。

 

生命体とは、常に複製を繰り返し進化するものである。

 

人の体とは37兆個の生命細胞が集まりおりなす形であり、そこにはそれぞれの個性が宿る。

 

人間のすべての細胞は3ヶ月で作り替えられるという。

 

複製である私を私と認識できるのはなぜなのか?

 

なぜ記憶までもが受け継がれるのか?

 

本当に必要な記憶情報は細胞の奥底に隠されるのか?

 

忘れまいと細胞にしがみつくように。

 

それこそが潜在的に宿る思想なのであろう。

 

細胞の核中にはDNAという生命体情報が入っている。

 

DNAには今までにたどってきた進化の歴史が刻み込まれているという。

 

情報源であるDNAが重なりあう二つの二重螺旋構造であるように、互いに複製を繰り返し形を繋ぎ止めている。

 

生命体は他者の細胞情報を取り込み融合しながらより複雑な生命体に進化するという。

 

食物は細胞を複製するための原料であるならば情報は思想を進化させるための原料である。

 

棺の中の私は記録を保存するマスターメモリーであり、動き回る私は情報を収集する役目である。

 

なぜ、私は記憶をなくして地球へ送られたのか?

 

それは、私が進化をうながす監視者だからだ!

 

進化とは?

 

特定の法則の中で意思の力により到達する形のことである。

 

思想は現実に影響をおよぼす!

 

私は、定期的に特定の地域に送られ地球といわれる生命活動の情報を集めているようなのだ。

 

記憶を思い出せなくされているのは、片寄った知識によって頭で考えるのではなく生命体として地球にとってバランスの良い判断をするためである。

 

片寄る思想と増えすぎた一種族による進化を整える。

 

私の感情が自然とこの世界に影響を与えるようであり、今回の結果にも関与しているのだ。

 

もしも、私の肉体が消滅しても棺の中の私がいれば何度でも複製することができるのだ。

 

逆も又しかりである。

 

人間は、私のことを神と呼んだりもするが、私などは棺の中のマスターにくらべればたんなる小間使いであり、知らないことばかりである。

 

マスターは時空を越えた世界に存在しているようであり、この世界を統括しているようであるのだが、さらなる複雑な繋がり会う世界との連絡者でもあるようなのだ?

 

実態を持たない者と実態を持つ者の役割りの違いなのだろうか?

 

しかし、元は同じであり1つである。

 

可能性が進化なのであろうか?

 

私も、地球と同じようにその可能性の1つなのであろう。

 

☆★○●△▲▽▼★▽◎◆△■∞∞--

 

棺の中の私に、映像が乱れるようにノイズが走り出す!

 

突然、棺の中の私の体がうすくなりだしたかと思うと、私の額の紋章が赤く光だした。

 

どこかの時空でマスターに異変がおきているようであり、DNAに組み込まれた緊急対策が発動しているようだ。

 

私を赤い光が包み込み、記憶を持ったままで別の時空へ 飛ばされたのであった。

 

 

-……>

 

 

見渡せば赤錆びた地平線が続く。

 

ところどころに、噴煙をあげる風穴がのぞく大地。

 

たどり着いたところは、照りつける日差しは強くやけに息苦しい世界だった。

 

私の額の紋章が青く輝いている。

 

細胞規模からこの星に適応するために肉体が変化しているようであり、細胞の中に眠る地球以前の忘れられた情報が呼び覚まされる。

 

前回の地球での私との違いは、額にある紋章によって本来の能力とマスターから呼び覚まされた記憶があることだった。

 

記憶によるとここは火星という星であり、地球の隣にある地球の半分ほどの岩石形惑星のより太陽から遠い星であり大気は薄く地上での生命体活動は過酷である。

 

地球よりも進化が速く進んでいるようであり、この星の生命体が火星を統括する宇宙に浮かぶ部屋にたどり着きマスターに何かしたようなのだ。

 

太陽系の星ぼしにはそれぞれの統括する部屋があり、棺をとおしてマスターは1つの情報記憶体として複数の場所に同時に存在しているのだ。

 

宇宙に浮かぶ部屋は別の時空間にあるために相当な知的進化をした生命体でなければたどりつけないはずなのだが、火星の進化はそれほどまでに進んでいるのか?

 

まずはこの星の実態をもつ役目の私的な者を探す……滅んでなければ良いのだが?……私と似たかすかな気は感じられるから、まだ間に合いそうではある。

 

私の額の紋章が黄色の光をはなつと体が浮き上がりかすかな気に向かって高速で飛び立つ。

 

この紋章には不思議な能力が隠されているようであり、法則を越えた存在になれるようだ。

 

あっという間に、クレーターの中心にできた縦穴の中に半分埋まりながら横たわるこの星の私的な者にたどり着いたのであった。

 

この星の私的な者はかなり弱っており、青い顔の私と違い赤い顔をしていたのだった。

 

彼には紋章が無く、自分が何者であるかわからないようであり、自分と同じ顔をした私を見て動揺している。

 

私は、そっと彼の額に手をかざすと私の額の紋章が青い光をはなちふたりを包み込んだ。

 

私は、疲れきった彼の心と体を癒しながら彼の記憶を読み取り彼の本当の姿を伝えるために、彼の細胞に眠る記憶を呼び覚ました。

 

「あ~そうか、火星ではそんな進化があったのか!」

私は、独り呟きます。

 

……---~~~

 

星ごとに思想文明には特性がある!

 

星の進化とは、その星に宿る知的生命体の思想文明に影響される。

 

星にとっては、星に宿る生命体とは生物にとってのバクテリアのようなものであり環境の変化をうながす共生関係にある。

 

争いを繰り返すほどに飛躍的に進化は過疎する。

 

火星の生命体の進化は地球よりも速く、数千万年も前に知的生命体の文明が火星を包み込んでいた。……火星の知的生命体は知能が高く高度な科学文明を築いたのだが、共感力が低く我欲に忠実であり他者を押し退け我先にと奪い合う好戦的な思想を持っていたために、星の命とも言える資源を無計画に堀尽くしたことで、かつては地球と同じ青い星であった環境は崩壊して大気が薄いまるはだかな赤い砂嵐の吹き荒れる地表となったのだ。

 

火星の知的生命体はどうなったのか?

 

星にとっての大気とは、宇宙から来る生命体にとって善くない成分を遮断するバリアであり安定した環境をつくるためである。

 

太陽からの光は必ずしも都合のよいエネルギー原だけではなく、生命体にとって危険なものもふくんでいるからだ。

 

細胞が細胞膜を持ち自らを保っているように、火星も大気と地表という地殻で内部エネルギー(熱量)が失われないように保っている。

 

環境の変化により大気の薄くなった地表を諦めて安全な地中へ生活圏を移して、新たな思想文明を築いたのであったのだが、我欲を制御できない思想は変わらず、資源を求めて更に深く掘り起こしたことで、またしても星に負担をかけて滅びそうになり、かろうじて我欲を制御できた一部の者たちが争いを嫌って新たな進化をすべく新天地を求めて宇宙へ飛び出したのであった。……その者たちの一部は地球へたどり着き地球の生命体とまじわり、地球の生命体のDNAの一部となって進化をやり直したのだった。

 

生命体とは、DNAを運ぶ器にすぎないのか?

 

なぜ、地中深くに資源は封印されるのか?

 

生命体にとっての火星の環境に善くない成分だからだ!

 

わざわざ、それを掘り起こし地表にばらまくとは、環境が崩壊して当然であろう。

 

その結果が地中生活という自ら困難な環境を生み出しているのであるのだが、………地球にしてみても他人事ではないのだろうか?

 

同じ太陽系の兄弟星であり、繋がりあっているのだから。

 

金星と地球と火星は、最も生命体が進化しやすいハビタブルゾーンに位置している。

 

ハビタブルゾーンとは太陽からの距離のことであり、適度なエネルギー(熱量)が星に降り注ぐ環境のために生命体にとって最も必要な水や大気が発生しやすいのだ。

 

DNAに刻まれた目的ともいえる特性をそれぞれの星の思想文明として根底にもっているのであろう。

 

進化にとって最も難しいのが、目的を選択する価値付けだという。

 

そこには、明確な根拠などは無いからだ。

 

地球は火星とは違う進化の可能性を目指して新たな思想文明を求めているのだろう。

 

ひとつ言えることは、フリーエネルギーとは星そのものであり生態系という調和から生まれるということだ!

 

他者から放たれるものであり、互いに交換しているのだろう。

 

生命の息吹こそエネルギーであり、化石燃料である死骸からのエネルギーとは環境を変化させるための成分でしかないのであろう。

 

 

火星に残った知的生命体はどうなったのか?

 

火星の大気が薄くなり生命活動ができなくなった知的生命体は地中に生活圏を移したのだが、太陽の恩恵が無くなったことが大きく影響を及ぼし生命の息吹が少なくなった星では、更に過酷な資源の奪い合いが起こった。

 

そのため、強いものが統治する思想が当たり前になる進化が進んだ。

 

強さを 求める思想には、更に強い敵対する者が必要となるのだが?

 

身分制度は確立され、誰も疑問を感じなくなった世界では、いかに知能が高くても多様性を無くし一直線上の機械的な進化でしかなくなったのであった。

 

広がりを無くした思想文明の末路は明確である。

 

新たな発想を無くした単なる自問自答の閉鎖空間をさまよい、無意識は疲弊し変わらないという苦しみの牢獄に囚われたのだ

 

さながら、いつまでも悟りというゴールの無い思想の輪廻を繰り返すようなものであろう!

 

行き詰まった火星の知的生命体は、次元をこえた情報空間に逃げ場を求めたのであった。

 

自らプログラミングした思い通りの世界には、それ以上の感情は無く、結局は夢見る世界には満足すらも無いのであろうか?

 

またしても同じことを繰り返すことになるのであるのだが………それでも知能だけは以上に高く、物理的な科学の進歩だけは止まらなかったのが災いなのか?

 

そんなこんなで、たどりついたのがこの星を統括する部屋であり、この世界の仕組みを知ったのであった。

 

そして、マスターすらも支配しようとしたのか?嫌気がさしたのか?、、、結果的に彼らは、自らピリオドを打とうとしたのであった。

 

もちろん、火星の私的な者が阻止をしようとしたのであったが、逆にこの有り様である。

 

 

勝負に固執し、強さを求めた思想文明の成れの果て!

 

弱肉強食思想と知的生命体の組み合わせは、相性が悪いのか?

 

 

……---~~~

 

彼の顔に生気がよみがえり意識がはっきりと戻ると私を見て微笑みます。

 

「ありがとう!」

彼は言葉は少なめだが、多くの情報を私と共有したのだった。

 

私は彼をつれて別の時空にある火星を統括する部屋に行った。

 

彼は棺の前に立ち、今にも消えてしまいそうなマスターを複製するべく、棺の紋章に手をかざした。

 

彼の額に紋章が移り青く輝きだす。

 

マスターの姿がはっきりと戻る。

 

「あ~~、またしても同じ過ちを繰り返したのか!………君の星の進化が上手くいくことを願っているよ!」

彼がそう言うと、私の額の紋章が赤く光りだし私を包み込むと、別の時空へ飛ばされたのであった。

 

━━>

 

「あぁ、戻ってきたのか。」

 

私の目の前には、青く輝く海が広がっている。

 

波打ち際で、母親と子供が戯れている。

 

「ここは東洋の島国かい?」

私は微笑みながら話します。

 

「えぇ、そうですよ。」

母親は、不思議な顔で話します。

 

「東洋思想がロマノフ帝国の西洋思想に勝って、幸せかい?」

私は微笑みながら話します

 

「いつの話しのこと、、なにを言ってるの?……東洋思想は負けたのよ!」

母親は、不思議な顔で話します。

 

「奇跡の大勝利だったのに………どうして負けたのですか?」

私は真顔で話します。

 

「ロマノフ帝国には勝ったわよ、……それから四十年くらいして世界大戦が始まったのよ。………それで、東洋思想は西洋思想に袋叩きにあったのよ。」

母親は、微笑みながら話します。

 

「そうなんですか?………それで貴女は幸せですか?」

私は、不思議な顔で話します。

 

「えぇ、幸せですよ!………それに、おじいさんの頃の話だから、ずいぶん前のことですからね!」

母親は微笑みながら話します。

 

「そうなんですか?……そんなに時がたっていたのか。

………教えてください、、、何が幸せなのですか?」

私は、不思議な顔で話します。

 

「そうね、、、何でもあって便利で自由だし、子供が元気なことかしら?」

母親は、微笑みながら話します。

 

 

 

「あぁ~地球はどうなるのであろうか?」

 

私は呆然と立ち尽くしました。

 

 

 

 

 

…終り…

 

 

 

 





どうも、……こんな感じでよろしくて?

火星でのバトルシーンは、あえてパスであります。

あれこれ考えたのですが、

なんだか、めんどうになってしまって………

自分で書いていて、なんですが

どこかで見た世界感、

これって、ドラゴンボールじゃない?

なんて思っていまして!

結局、そこいくか?

やっばり、偉大でありますなぁ~

そりゃ、売れるはずですわ!

改めて、そう思うのであります。


それにしても、バーカーの思考回路は回りくどくて、あれこれとめんどくさいですよね。

なんでも分析して独自の法則に当てはめないと解らないのですかね。

わたし自身、こんな夢ばかりなのですが………


それではまた会いましょう!




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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて!


みなさん、お元気ですか?

世の中、ずいぶんと変わってしまうものですよね!

不要不急の自粛モードで退屈していませんか?

もともとがインドア派の私としては特別かわらず、あい変わらす独りで遊んでおり、困っている方々にとっては不謹慎でありますが、むしろ、世の中が私の感覚に近づいてきているように思うのです。

今回は、小説という物語の形ではなく、頭に浮かんだことがらをだらだらと書いてみようと思います。

☆注意☆
…今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!…




…[立派な変態]…

 

 

あ~、早いもので気がつけば48歳なのであります。

 

もうすぐ50歳であり、これが人生のどのあたりなのか?

 

平均年齢からみれば真ん中を過ぎて第二の人生の小学生といった感じでしょうが、その考え方が正しいとも思えないのも事実であり[年齢できめるな!]と思ったりもします。

 

結局、人それぞれということなのでしょうね。

 

そんなことよりも50年ちかく生きていますと、たいていのことにおどろかなくなります。

 

鈍くなってきているのか、飽きてきているのか、わかりませんが、自分の方向性がかたよりだしているようであり、大概の事柄には[どうでもいい]と反応しないのですが、どうしても受け入れられないこともでてきます。

 

まぁ、長年生きてきたアカのようなものが、元からあった生まれつきの特性のようなものにまとわりついたようになるのでしょうか?

 

若い頃は、生まれもった特性を長所と短所にわけて自分をごまかして世間と上手く調和をとろうとしてきましたが、それすらも[もうむり]といった感じになってきます。

 

本来、長所と短所は表裏一体であり、とらえかたしだいですからね。

 

いわゆる、頑固ジジイとかボケオヤジといった感じなのでしょうか?

 

ただ、私としましては歳をとるとはそんなものだろうと抵抗なく受け入れられ、自分にあらがうことに疲れたのかそちらの生き方のほうが楽なのです。

 

常識とは、時代とともに変わるものであり世代ごとにちがって当たり前ですので、いちいち気にすることもないのです。

 

さながら、同次元に混在するパラレル思想というやつですかね。

 

世間さまにしても、同じことであり、わからないことはそれでよく、知ったかぶりほどみっともないことはないと思うのです。

 

いまさら、格好つけて時代の中心で意気がるほどでもなくて、皆さまのおかげで生きていられるのです。

 

世の中は、私と私以外の皆さまで成り立っています。

 

この歳になりますと、ただただ、皆さまに感謝であります。

 

それでもなお、私は私を捨てられないのであります。

 

ジジイとは、世間しらずを恥ずかしがらず、頭をペコリと下げて遠慮がちに隙間をぬって我が道をのんびり歩める者なのではないなでしょうか。

 

40歳を過ぎたあたりから考えていたのですが、そのような身の程をわきまえた者のことを、私は[立派な変態]と呼ぶことにしています。

 

そう、私は[立派な変態]になりたいのです!

 

[立派な変態]といいますと、先日コロナにより亡くなられた[志村けん]さんを思い浮かべます。

 

本当に残念でしかたありませんが、私たちの世代にとりましては、笑いの基本のような方であり、テレビを通してたくさんの感情をさずけてくれた皆の師匠なのです。

 

そして、私の世代を代表する芸人といえば、ナインティナインの[岡村隆史]さんではないのでしょうか。

 

くそ真面目でよい人だけれど笑いには貪欲であり、世間に対してかなりこじらした感覚をもっていると思います、彼も[立派な変態]なのであります。

 

そんな真面目な変態でありリアルな[変なおじさん]の[岡村隆史]に[志村けん]の笑いを受け継いでほしいのではありますが、ラジオでの差別的な女性に対しての風俗発言により炎上しておりどうなるでしょうか?

 

私の感覚では深夜のラジオとは、聞きたい人だけが聞くひそひそ話みたいなものでしたが、これだけコンポライアンスが進んだ世の中では仕方ないのでしょうかね。

 

私は、根っからの二次元オタクであり、お金を出してまでそういう事柄には関心がわかない変態ですのでわかりませんが、ましてや岡村さんは独身であり一昔前の男性なら風俗へ通うことは普通なのではないのでしょうか?

 

世の中の裏側は見たくないというのも正しいとも思います。

 

だいたいのことが録画であり編集である時代において生にこだわる理由が分からないのです。

 

これからの世の中は公共が一番の不自由の場所になっていくと思います。

 

そろそろ岡村さんも、民法というメジャーなメディアでの活動は限界なのかもしれませんね。

 

ミュージシャンの[立派な変態]である、忌野清志郎さんが自分の歌いたい曲が出せないのならメジャーにこだわらずインディーへ移って曲を出したように、[Youtube]等の個人的に選択するようなインディーという考え方は芸人さんにはないのかね?と思うのであります。

 

私は[立派な変態]には、それぞれの価値観を伝えて人々に気づきのきっかけを与える役目があると思うのです。

 

それこそ、おかげさまなのです。

 

[立派な変態]には、[立派な変態]なりの生き方の流儀があると思うのです。

 

けっして、全ての人に理解されなくてもよいと思うのです。

 

いつかは、回り回って伝わる時がくればよいと思うのです。

 

 

 

 

…[人生借り物]…

 

 

何かを所有したいという欲求。

 

あれがほしいと思う気持ち。

 

自分のものにしたい。

 

あなたは所有欲が強い方ですか?

 

だけれど、どんなものでもいつかは手放すことになると思います。

 

土地を買って自分のものになったと思っても、その土地はあなたのものではありません。

 

日本の土地は天皇のものであり、お金を払って使う権利を買っているにすぎないのです。

 

つまり、天皇から借りているのです。

 

その天皇も大自然である地球から借りているといいます。

 

私は、30歳ごろから借り物という考え方にとらわれています。

 

最近の世の中も、個人で所有するよりもシェアという思想が広まってきているようです。

 

アートや骨董品やリサイクル商品なども同じようにお金を払って借りているにすぎないのです。

 

それでは、考え方という思想はどうなのでしょうか?

 

最近の世の中は、情報が商品として流通しております。

 

それを元に組み合わせ自分なりの思想をつくりあげます。

 

そう考えると、思想も借り物でありいずれは、移りゆきます。

 

少々いきすぎかもしれませんが、最近になって、わたし自身の肉体や命すらも借り物ではないのか?と思うようになってきています。

 

まさしくDNAという遺伝子を借りているのではないのかと思うのです。

 

あ~、この世の中は借り物によってなりたっているのかと思うのです。

 

過去から現在へ、現在から未来へ

 

私は、今というものを借りて生きているのかと思うのです。

 

そう考えると、大切なことは所有することではなくて体験から何を感じるかなのではないのでしょうか!

 

 

 

 

…[根拠のない自信]…

 

 

あなたは、自信がありますか?

 

本来は、生物にとって、自分を信じるという行為は当たり前のことであり、考えるまでないことです。

 

だって、自分を信じられないで迷ってばかりいたら死んでしまうのですから。

 

とかく日本に住んでおりますと、世間さまからの視線を意識せざるおえなく、私のような変わり者にとっては自分の価値観を隠さなければいけないことが多くかんじられます。

 

一番ややこしくわかりにくいのが、なにげない無言の同調圧力といいますか、お前もこちら側だろというプレッシャーによるストレスであります。

 

はっきりと言葉にして問われれば、私の考えはこうです!と答えられるのですが、若い頃はとくにいつのまにか追い込まれ、めんどくせいなぁ、と思ったものです。

 

皆さまにも、同じような体験はあるかと思います。

 

これも、民族が変われば特性が変わり、日本人という特性のひとつであり長所と短所をあわせ持っているのだと思うのです。

 

私としましては、もう少しは自分を表現しても良いのではないかと思うのでが、日本の文化の成り立ちを考えていると、ただたんに、若い頃は表現の仕方が下手なだけだということに気づきます。

 

日本には、土地柄によりさまざまな仕来たりという表現方法があり、本音とたてまえをを使い分けて失礼のないように立場を演じながら自分の伝えたいことを表現するという、すぐれたコミュニケーション文化があります。

 

本来の日本の文化は、争いをこのまず調和を前提としているように思うのです。

 

それでは、なぜ、自分を信じられなくなるのか?

 

やはり、同調圧力による繰り返しの体験により自分で考えることをせず相手にあわせることが習慣化したからではないのでしょうか?

 

私は普通だ!という、思考停止の安心とすりかえてしまっているのかと思うのです。

 

そもそも、普通というなんの根拠のない概念には、説得力はないかと思います。

 

それでも、ありもしない普通を皆さまでつくりあげることで、安心できてしまうのです。

 

なにと引き換えに、なにを恐れているのか?

 

とても、もったいないことだと思うのです。

 

なかには、世の中を変えるような、すごい発想が隠されいるかもしれないのです。

 

だからこそ、根拠がなくても自分を信じることができ争わずに表現できる[立派な変態]が必用だと思うのです。

 

 

 

 

…[一霊四魂]…

 

 

最近になって、[一霊四魂]という考え方が気になっています。

 

人間には四つの魂が入っているといいます。

 

荒魂(アラミタマ)和魂(ニギミタマ)幸魂(サチミタマ)奇魂(クシミタマ)の四つです。

 

それぞれの人により強く発生する魂の属性があり、それにより人は四つのタイプにわけられると思います。

 

最近の私は、人をみると勝手に四つのタイプのどの魂かに当てはめて考えて遊んでいます。

 

相性等の関係性や考え方のパターン等と独自の分析をしています。

 

なんだか、分かりやすく納得してしまうのです。

 

興味のある方は、ネットで検索してみると良いかと思います。

 

皆さん、自分で考えてみると新たな発見があり楽しいかもしれませんよ?

 

私も、自分で作り出した[楽笑]というキャラクターを楽しんでおります。

 

 

それでは、ご縁がありましたら、又、お会いしましょう。

 

 

 

 

…終り…

 

 

 





最近、声優かいの[立派な変態]である杉田智和さんがYoutubeを始めました。

独特の感じで、ぼそぼそとオタク話をしておりまして、はまる方にはたまらないかと思います。

それにしても、あの休憩にはおどろかされましたわ!


皆さま、ありがとうございます。

さようなら!



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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて! その②


みなさん、お元気ですか?

今回も、私の頭に浮かんだことがらをだらだらと書いていこうと思います。


どうぞ、私のひまつぶしにお付き合いくださいませ!


…☆注意☆
今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!…




…[世の中さまサマ-]…

 

 

いやぁ~、暑くなってきましたね。

 

今年の春はコロナと花粉症でしんどい日々が続きましたが、今後もマスクをはずせそうにありません。

 

また、ベタベタしてうっとうしい梅雨の季節がやってくると思うとマスクはイヤだなぁ~と憂鬱な気分になってしまいます。

 

まだまだ、コロナの終息までにはほど遠いようで、結局は、感染して免疫力を高めて抗体を自力で作り出すか、ワクチンを開発して予防接種するかしかないようです。

 

ワクチンが出来たとしても、しばらくは、めちゃめちゃ高くて手に入らないかもしれません?

 

コロナウイルスのヤバいところは、感染しても、高齢者以外は重症化しにくいことであり、更にいうと、若い人たちは、発病しないままで感染して、いつのまにか抗体を作り出していることも多いそうなのです。

 

つまりは、コロナウイルスとは、免疫力が低下した人と、高齢者にとっては、肺炎などへの重症化するリスクが高いが、それ以外の人たちにとっては、少しかわった風邪のようなものだということです。

 

そもそも、風邪というのは毎年かわるウイルスがもとによりおきる病気であり、どんなウイルスにも対応できる風邪の特効薬はなく、自身の治癒力で治すしかないそうで、病院で出される薬とは、免疫力を高める栄養剤や痛み止や解熱剤なのだそうです。

 

そうであるのなら、ワクチンが出回るまでは、[高齢者は人の多い場所に出るな]ということなのでしょうか?

 

高齢者の人数が多く、発言力が強い日本では、そんなことを言えば、暴動がおきかねませんからね。

 

逆に、自粛が長引き、経済活動がとどこおって倒産する会社が増え、不景気になったときには、収入の格差が大きく開き、世の中の治安が乱れて、それどころではなくなりますからね。

 

あぁ、政治家も大変ですよね~。

 

コロナウイルスは、東洋人よりも西洋人のほうがかかりやすく重症化しやすいようで、人種の特性により差があるようです。

 

遺伝による人体構造的特性もありますが、日常の生活習慣の文化的な特性も大きいようです。

 

しかし、油断は禁物でして、ウイルスというものは変化が早いそうで、人間もウイルスの変化にあわせて免疫力を高めて抗体を作り出して進化するしかないそうです。

 

どうやら、人類vsウイルスの長い戦いが続きそうで、世の中の変化は否めないようですね。

 

それまでは、医療現場の限界を越えない程度の感染人数におさえながらの生活をするしかない現状が続きそうですね。

 

世界中で、自動運転(宅配ドローン)での物流システムやリモートワーク等のネット環境を使った生活習慣の変化が加速していきそうです。

 

不要不急の外出の自粛が終わっても、他人にうつさないためにも、各自の判断で、人との至近距離をさけ、マスクをし、手洗い、うがいをして予防に心がけましょう。

 

 

今年の夏も猛暑なのですかね。

 

近頃の夏は熱帯夜が続き寝苦しいですし、秋になっても、いつまでも暑いですからね。

 

みなさん、夏は好きですか?

 

寒がりの私としましては、冬よりもすごしやすい夏のほうがましですし、重たくて暑苦しい格好からも解放され見た目にも気分がスッキリするといったところです。

 

私も歳を重ねるたびに、ファッションには興味がなくなっていき、楽なのが一番であり、服を選ぶのもめんどくせいなぁ、と思うようになったのであります。

 

服装なんて、コスプレじゃねえか?といったしだいなのです。

 

できれば、完璧に体温調整ができて抗菌抗匂の、締め付けのない薄い皮膚のような素材の楽な服があればいいなぁと思うのです。

 

スペースコブラのような格好ですが、わからないですよね。

 

それにしても、天気予報に熱中症警報がでるのも当たり前になってきていることや、台風による災害が多くなってきおりますよね。

 

それだけ、死亡者が多くて社会問題になってきているのでしょうね。

 

コロナではないですけど、熱中症に関しても災害レベルのような気がします。

 

冷房のきいた、涼しい部屋でのんびり暮らしたいのですが、稼がなければ生きていけず、そんなことばかりもしていられないのも現実ですからね。

 

私としましては、旅行なんてもってのほかでして、外出は運動をかねた散歩やサイクリングでの近場での買い物だけでよく、人が多い場所が苦手ですから、リモートワークが確立され、ネット環境がととのった、極力、外出をしない今の感じの流れの生活のほうが楽なのですがね。

 

仕事にあぶれて収入の心配さえなければ、今のままでもやっていけるかも?とも思うのですが、仕事が生きがいという日本人は多いですからね。

 

だけれど、無理をしてまで時代おくれの業種を守る必要もないとも思うのです。

 

仕事にあぶれた人たちは、新しい業種を生み出せばよいかと思うのです。

 

そのうち、自分が表現する行為そのものが、仕事に変わって働く行為になるのかもしれません?

 

どんどん、世の中が変わっていき、あなたはどうするの?、と選択をせまられることが多くなるかと思います。

 

ずっと同じようにいかないかと思うのです。

 

どうやら、[自分で考え、自分で選択し、自分で行動する]時代になりそうなのです。

 

 

これからの若い人たちには自分の感性を信じて、[今ある人間関係を大切にしながら、少しだけ無理をする程度]での何かを始めてもらいたいと思います。

 

無条件に話を聞いてくれる友達ほど、ありがたいことはないかと思います。

 

あまり他人に依存せず、一人で出来ることから始めてみるといいかと思います。

 

かといっても、何をしたらいいのかわからない人も多いかと思います。

 

何でもいいんのですよ!

 

それが、これからどうなるのか?と言われるかもしれません。

 

そんなことよりも、良いことでも悪いことでも、[あぁ、自分って、こうなんだ!]、と感じれらることが大切なのだと思います。

 

ようは、気づき、なのですよ!

 

おじさんの意見ではありますが、生きることは、トライ&エラーからの経験からくる感性を磨くことなのだと思います。

 

たまたま上手くいったでも良いかと思います。

 

 

結局は、自分からしか世の中は広がらないと思うのです。

 

生きているのは、あなた自身ですよ。

 

自分を大切にできない人が、他人のことまで考える余裕があるとも思えないのです。

 

少しづつでも、よりよい選択へ向かえば良いのではないかと思うのです。

 

そのうちに、自分の生き方が見つかると思うのです。

 

そこに、新しい縁が生まれて繋がればいいと思うのです。

 

 

世界中での活動の自粛によって、自然環境が改善されているといいます。

 

そのほうが、自然環境から見ましても、環境にやさしいと思うのですが?

 

そのためにも、早くこいこい、ベーシックインカムなのであります。

 

更にいえば、現金からデジタル通貨に変わって、全ての手続きがオンライン化すればいいのにと思うのです。

 

あ~、つくづく人はあれこれと理屈をつけて自分の都合のよいように考えてしまうものですね~………申し訳ありません。

 

そうこういっても、暑苦しい夏がやってきます。

 

せめて、無理をしないで、こまめな水分補給を心がけましょう!

 

なんだか、気をつけることばかりで生きづらい世の中になってきたと思うのです。

 

それでも、季節があるということは悪いことばかりではないと思います。

 

それだけ多くの生活体験ができるのですからね。

 

いやぁ~、世の中さまさまです!

 

 

 

 

…[キャラ分けというペルソナ]…

 

 

あなたは、自分を感じていますか?

 

毎朝、鏡にうつる自分の顔を覚えていますか?

 

毎日、見ているはずなのに、いざ、思い出そうとしても、なかなか、正確には思い出せないかと思います。

 

それと同じように、自分自身のことが意外と分からないものだと思うのです。

 

私の中には、いつくかのキャラがいます。

 

いつのまにか生み出された、それぞれのキャラを[ペルソナ]と呼んでいます。

 

私は、状況によって自分のなかにある[ペルソナ]を使い分けています。

 

生まれ持った特性かもしれませんが、周りを気にしだすと自分がなくなってしまう私にとっては、世の中のコミュニケーションはパターン的にとらえたほうが分かりやすいようであり、あらかじめ出来上がった[ペルソナ]を当てはめたほうが生きやすいようなのです。

 

世の中が気になりやすい、生真面目で繊細な性格ではあるのですが、興味の対象にかたよりがあり、自分の心情や状況によっては、周りが気にならなくなるという矛盾した感覚をもっているようで、何かを考えはじめると過集中してまうようなのです。

 

そんな私が、あみだしたのが、[ペルソナ]という考え方であり、仕事等の場所ごとに自分の役割りをはたすために、役者のように自分自身に仮面をつけて、思考による反応パターンごとモードチェンジをすることなのです。

 

今では、主に、わがままな[自分中心の私]と常識的な[大人としての社会的な私]がいまして、客観的な[自分をながめている私]が全体をとらえることで無意識に状況を判断して[ペルソナ]を使い分けながらコントロールしているようなのです。

 

感覚意識の暴走を防ぐために[ペルソナ]を使い分けることによって、感覚機関の軸と範囲を変えることで、無意識が感じとる情報量と種類を調整しているのかもしれません。

 

少なからず、皆さまにも、心あたりがあるかと思います。

 

それでも、苦手なことになれるまでは、感覚を上手くコントロールできないこともあります。

 

年齢を重ねるごとに、そんな状況すら[自分をながめている私]が、久しぶりに味わう感覚を楽しんでいるように感じれるようになってきたのです。

 

それでも、どこかにストレスを感じ溜め込んでいるようなのですが、自分では分からないようなのです。

 

どうやら、私は、それが極端なようなので疲れやすいようなのです。

 

 

書いていて、あらためて思ったのですが、キリスト教等の、父と子と精霊の[三位一体論]とは、[ペルソナ]をコントロールする個人の感覚のことなのではないのでしょうか?

 

これからは、ネット場のアバターという[ペルソナ]が私と皆さまのイメージによって作り出されていくかと思います。(二次元的なキャラに近いのかな?)

 

 

 

 

 

…[ストレスフリー]…

 

 

あなたは、ストレスを感じやすいほうですか?

 

どんな人でもストレスは発生しているようで、感じる能力と発散方法が上手いか下手かなのだそうです。

 

もっといいますと、ストレスがあるから世の中は葛藤を繰り返し変化するのだと思うのです。

 

ですが、堂々巡りの抜け道のないストレスはイヤですよね。

 

なぜ、いつのまにか、モヤモヤしたストレスを溜め込みイライラするのか?

 

それは、自分が分からないからだと思うのです。

 

人間は、感情をともなう生き物であります。

 

だけれど、人の脳というものは手抜きであり、意外と騙されやすく、言葉や記憶によるイメージからの刺激に無意識に反応しているようなのです。

 

実は今を生きているようで、記憶のなかにある自分がそこにおり、習慣化した行動をしているのです。

 

☆人は成長により変化します。

 

本来の自分から見て、意外と間違った反応をしていることが多いのかと思うのです。

 

それが、ストレスなのだと思うのです。

 

ですから、自分を知らなければいけないと思うのです。

 

私のやり方を紹介します。

 

ストレスが溜まってきたと感じたら、まずは、殴り書きでいいので、自分のなかにある感情を書き出します。

 

その言葉が、今のあなたの気になることでありストレスの発生原因です。

 

そして、原因にたいして、客観的に必要なことか、そうでないか、今、解決できることか、できないことか、現実的に仕分けします。

 

そうすると、本当に悩まなければいけないことが見えてきます。

 

後は、自分がどう行動するかだけです。

 

場所を変えるか、解釈をかえるか、方法はさまざまですが、根本的には、自分しだいなのです。

 

私のやり方ですと、[ペルソナ]を使って、余分な反応をすることをなくし、感情の動きを減らしてストレス自体をなくします。(機械的になり無感情に近づく)

 

もしくは、イヤだと感じる原因から離れます。(生き方を変える)

 

自分の生き方は、自分で選んでいいと思うのです。

 

そうすると、私のバランスが整いだして全体がクリアーになるのです。

 

☆限定的な過度な目標が重石となり自分を見失うことがあるかと思いますので、何事も決めつてはいけないと思います。

 

あくまでも、私のやり方ですので、それぞれの特性ごとにやり方の相性はあるかと思います。

 

 

 

 

…[さ迷える少年]…

 

 

あなたは、執着が強いほうですか?

 

なんで、こんなにも、こんなものを求めるのだろうか?

 

不思議に思ったことはありませんか?

 

誰の心のなかにも、幼少期に満たされなかった願望が残っていると思います。

 

その願望をかなえられないまま、大人にならざるおえなかった現実をかかえて歳を重ねます。

 

大人になって、執着する感情の裏には、そんな満たされなかった願望が欲求となっているのかと思います。

 

それが、お金で買える物ならいいのですが、愛情などの感情ですとなかなか難しいと思います。

 

さらに、その感情がこじれるとやっかいなのです。

 

やたらと規則にこだわりませんか?

 

他人にたいしてイライラしていませんか?

 

何をしても満足感が満たされないことはありませんか?

 

心と体がまとまらず、バランスを崩しているような感じになっているように思うのです。

 

そんな、満たされなかった願望のことを、私は[さ迷える少年]とよんでいます。

 

あるとき、私は、自分の子供を育てると同時に、自分の[さ迷える少年]も育てていたことに気づいたのです。

 

たまには、あなたのなかにいる、[さ迷える少年]にも語りかけてみると良いかと思います。

 

大人と子供では、同じ出来事でも解釈が違うと思います。

 

[あの頃の自分は、こうしてもらいたかったのか!]という気持ちを認めてあげると良いかと思います。

 

あなたの無意識に変化が訪れて、新しい縁がはじまるかもしれませんよ?

 

 

 

 

…[心のこりもいいものだ]…

 

 

誰にでも、いつか、この世の中から去る時がおとずれます。

 

そのとき、私の心に浮かぶ感情はなんなのでしょうか?

 

それが、私の求めていたものなのだと思うのです。

 

きっと、そのために生まれてきたと思うのです。

 

 

 

 

 

…終わり…

 

 

 




今回も、おじさんの独り言にお付き合いくださいましてありがとうございます。

なんだか、前回に引き続き、全編あとがきのようになってしまいました。

なんの根拠もない、変わり者のおじさんの頭に浮かんだ妄想のようなものでありますので、あまり深く考えないでくださいね!

ちなみに、私の考え方や思想に大きく影響を与えた人が二人おります。

私にしてみれば、そのお二人も[立派な変態]であります。

[苫米地英人]さんと[岡田斗司夫]さんです。

興味のあるかたは、検索してみませんか?

それでは、また!




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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて! その③



…皆さま、元気にしておられるでしょうか?

コロナの緊急事態宣言が解消されましたが、日本はどうなるのでしょうか?


何につけましても、自分が感染しているかもしれませんので、感染者を増やさないためにも、マスクと手洗いうがいを心がけましょうね。

今回も、前回同様に思いついたことをグダグダと書いていこうと思います。


☆注意☆
今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!…



 

…[ニュータイプ‐拡張する脳感覚]…

 

 

 

みなさん、ニュータイプという言葉を聞いたことはありませんか?

 

私のようなおじさんの世代にとりましては、革命的なキーワードの言葉であります。

 

ガンダムというそれまでにないリアルな設定のロボットを題材に、人類が宇宙空間でイデオロギー戦争をくりひろげる作品であり、40年ほど前のロボットアニメのなかに出てきた感覚でありまして、ニュータイプとは宇宙時代に適応した時空を越えた共感能力をもつ新人類のことなのです。

 

言葉というものは、新しい価値の定義を確立させます。

 

それまでも、人知れずあったものであっても、言葉で定義された時点で、世の中に認識されて広まります。

 

聞くところによりますと、原作者である、[富野 由悠季]自身は、そこまでニュータイプという思想にこだわりがなかったそうで、人類のイデオロギー闘争による感情の起伏をロボットアニメを通して文学的に伝えたかったようですが、ガンダムと言えばニュータイプとなってしまい、その後のシリーズにも[人はわかりあえる]というニュータイプ思想が受け継がれることになります。

 

そんな富野さんは、同じものはやりたくないと、ガンダムの続編(Zガンダム)をつくるのにはかなりの抵抗感があったそうですが、プロである以上やらざらおえなくなったそうです。

 

きっと、ニュータイプを世の中が求めていたのではないのかと思うのです。

 

時代は、資本主義まっただなかで、俺が俺がと欲望が美徳とされるなか、バブルに向かっていましたので、ついていけない不安にかられた無意識が、新しい形の人の繋がりを求めていたのかもしれません。

 

今では、拡張する脳感覚である共感能力の高い人であるニュータイプという思想は、一般的になっているかと思います。

 

インターネットと携帯電話が当たり前の世代の感覚である若い人たちの人格形成は、私のような個人の感覚がないと生きにくいタイプとは違うのかもしれません?

 

ある意味、SNSの出現により、上手く使いこなせない人にとっては、意思の繋がりが途切れなくなり、常に緊張によるストレスにさらされ、不安が大きくなっているにもかかわらず、よくわからない仲間意識に振り回されていますからね。

 

炎上する世界、暴走する集団意識が、ひとりの命を奪う時代ですからね。

 

誹謗中傷は犯罪ですので気をつけましょうね!

 

そろそろ、新しい感覚がほしいですよね。

 

実際は閉鎖的なのか、分散化した世界ですので、だれもが、認めるカリスマが現れにくい時代ですからね。

 

それでも、誰か?と聞かれれば、[Youtubeのヒカル]のような方ですかね?

 

 

 

私は、[富野 由悠季]も[立派な変態]だと思うのです。

 

アニメーターを志すものにとっては、アニメ創世記のカリスマの一人だと思います。

 

いちいち説明しなければ、俺の表現が伝わらないのは、お前らがアホだからだ!

 

そんな言葉がとびかうほどの思い込みの激しい人のようです。

 

さまざまな、熱い伝説を残しておりますので、興味のあるお方はご自身でお調べください。

 

かなりの[立派な変態]ですのでお気をつけ下さいませ!

 

まぁ、クリエイターとは、理想主義であり信念と情熱の特性をもつものですからね。

 

 

私としましては、富野作品といえば、ガンダムではなくて、イデオンでもダンバインでもなく、ザブングルなのです。

 

[私のなかに、無条件に未来は明るい!]という感覚を受え付けた作品なのです。

 

たまたま、私の人生での転換期に出会った作品だからかもしれませんが、最後はみんな死んでしまう富野作品には珍しく希望に満ちた明るい作品であり、ハッピーエンドなのです。

 

富野さんは、ザブングルのアイデアとプロットを一晩で書き上げたといいます。

 

富野さんには不本意かもしれませんが、たとえ、勢いでつくられた作品でも、私にとっては一番なのです。

 

 

紛れもない、[立派な変態]ですよね。

 

 

私にとって、アニメとは、現実空間にたいして、情報量のデホォルメであり、受け手の知識量に影響される活字のような限定的な編集した世界観ではなく、より次元を超えた抽象的な無意識を刺激する表現ができるものだと思うのです。

 

現実世界と精神世界の中間が妄想的であり抽象化された現実の二次元世界であるアニメなのだと思います。

 

カリスマ的なクリエイターとは、そのさじ加減が絶妙なのでしょうね。

 

そのなかでも、ザブングルとは、富野さんがこだわっている文学的な頭でこねくりまわした論理的なものではなくて、きわめて、富野さんのエンターテイメントせいの強い感覚的な作品なのだと思います。

 

あなたにも、影響を受けた人や作品があるかと思います。

 

私は、心を動かす感動が、自身の変化のきっかけだと思います。

 

そのような感動体験は、とても大切な思い出であり、素敵な出会いですので、何かのきっかけとして、心にしまっておくことをお勧めします。

 

きっと、あなたの心の支えになってくれると思うのです。

 

 

 

 

 

…[支配と依存]…

 

 

 

あなたは、依存しやすいほうですか?

 

人は、何かに依存して生きていると思うのです。

 

私は、支配している方も、依存している方も、どちらも依存であり共生関係にあると思うのです。

 

私の言う、支配とは一方的な支配と奴隷の関係性ではなく、なんらかの感情がともなう関係性であります。

 

SとMのサドマドの関係性にしてみても、そこには相手への信頼がなければ成立しません。

 

親子の関係性にしましても同じはずであり、互いにもとめあっていると思うのですが、なにかのゆがみか、異常な抑圧された関係性になってしまうこともあるようです。

 

私は、自我の成長過程の段階に、なんらかのトラブルがおきて上手く人格形成ができなかったからだと思うのです。

 

そもそも、完璧な人などいないと思います。

 

それでも、自分では自覚できない、たりない何かを求めて、人は繋がろうとするのだと思うのです。

 

あくまでも、私の感覚ですが、自我の形成段階を書いてみます。

 

人は3歳までを、無条件に自分だけを愛してくれる母親とすごして、自分の存在を認めます。

 

イヤイヤ期であるその間は、ある意味、一心不乱に面倒を見てくれる母親は奴隷なのかもしれません。

 

次に、9歳までは、家庭の中で基本的な社会性を学びます。

 

そして、第一時反抗期というやつを向かえて、学校等の友達と信頼関係を結ぼうとします。

 

次に14歳までは、親の保護の中で外の世界を学んでいきます。

 

そして、第二時反抗期というやつを向かえて、世の中に疑問を感じ、親の価値観から自身の価値観へと移っていきます。

 

後は、自身での生活力の向上とともに、自立した人格へと向かっていくのですが、複雑な社会になればなるほど、親の助けは必要となり、親の価値観にもよりますが、自立した人格への道は変わることとなります。

 

つまり、一番、影響力が強いのは親であり、その親を乗り越えて、自我を形成していかなければならないということだと思うのです。

 

誰もが、どんな親であれ、乗り越えて自分自身となります。

 

そのためには、自分を認めるという[自己肯定感]が必要になります。

 

私は私のままで、ここにいていいんだ!という、当たり前の感覚が必要なのです。

 

それがたりない人は、他者に依存し求めますが、結局は、自分が気づいて実感するしかないと思うのです。

 

ただ、依存は悪いことではないと思います。

 

依存しすぎることが悪いのであって、互いに求めあうことは、けっして、悪いことではないと思います。

 

 

世の中は、互いに代わりあう、SとMでなりたっていますからね!

 

 

ちなみに、父親を乗り越え、自分自身の人格形成をしようとするアニメというと、エヴァンゲリオンですかね。

 

グダグダでドロドロの救いようがないトラウマ的なアニメですが、バトルシーンとアングルとカット演出は最高ですので、お勧めします。

 

監督の庵野さんも[立派な変態]ですけどね。

 

 

 

 

 

 

…[かっこつけるな!]……

 

 

 

みなさん、HSPってしってますか?

 

(ハイリーセンシテイブパーソン)という、心理学の診断方法なのですが、周が気になり人の顔色を伺うあまりに、疲れてしまうという[高度な感覚処理感受性」をもつ人のことなのでして、5人に1人はこのような特性を持つそうです。

 

ようは、自分を表現するのが下手くそで、勝手に相手によかれと思うことをしてしまい、いつの間にか我慢ばかりしているおひとよしのことです。

 

これが、おひとよしでなくて、相手の感覚がわかることを利用して、とことん自分の都合のよいように操れるのがサイコパスですかね。

 

オカルト的に言えば、レイキという思想体系の共感能力の高い、エンパス体質の人のことなのかな?

 

正確に言えば、エンパスとは、オカルトではなくて、スピリチュアルですがね。

 

ちなみに、オカルトのほうのHSPだと、都市伝説があり、[heat shock protein〗という熱ショックたんぱく質が恐怖等のマイナス的な刺激を受けることで発生するストレス成分の特殊なアドレナリンのことで、特に子供からでるそのストレス成分が、細胞を若返らせる効果があるそうで、わざわざ抵抗できない小さな子供たちに恐怖をあたえて集めている組織があるそうで、裏社会ではそのストレス成分が高値で闇取引されているとかいないとかという話です。……怖いですよね。

 

オカルトとスピリチュアルは違いますからね。

 

イヤな気分になってしまった人がいたら、ごめんなさいね!

 

私も、エンパス体質よりだと思うのですが、おおざっぱでもあり、S気質も混ざっているかもしれませんね。

 

人って、不思議ですよね。

 

 

えぇ~、心理学のほうのHSPに話をもどしまして、共感能力の高いHSPは悪いことばかりではなくて、同じ空間にいるだけで、人の関係性や表情等から、それだけ多くの情報を読み取ることができ、言葉をかえさなくても相手の感覚を感じとり、自分の中に写し出すことが出来るということなのです。

 

まるで、ニユータイプじゃないですか?

 

コントロールの仕方を知らないから疲れて困るのであるならば、自分なりのコントロールの仕方をみつければよいだけだと思うのです。

 

せっかくの共感能力なのですから、よりよく使いましょう。

 

自分を軸にして、身近な人からのリアルな情報体験を照らし合わして相手の人格をストックしていけばよいと思うのです。

 

私は私なりの、あなたはあなたなりの、コントロールの仕方を体験を通して感じとりましょう。

 

そのためには、相手を恐れないで、かっこつけずに、素直にさらけだしましょう。

 

かっこつけるのは、欲深いからではないなのか?

 

あれもこれも、欲するな!

 

必要以上に良い人を演じるな!

 

判断を相手にゆだねてもいいじゃないのか?

 

裏返せば、勝手に作り出した自分のイメージを守りすぎるあまり、殻をやぶれない状態ではないのか?

 

完璧を求めても相手しだいならば、自分の感覚で生きてもよいと思うのです。

 

あなたが、他人に気配りが出来るほどの、ちゃんと自立した人間であるのなら、なおさら、そのほうがよいと思うのです。

 

だって、他の人よりも何倍も人の感覚を感じとり生きてきたのですからね。

 

HSPの人たちは、単なるおひとよしはやめましょう!

 

まぁ、特性に良いも悪いもないのですがね!

 

互いに、気づき会えればよいのですから。

 

私は、生きるということは、他者とふれあい、自分のなかに新しい感覚を取り込み広げることだと思うのです。

 

まさに、自分の内と外の世界を広げることなのだと思うのです。

 

 

どちらの世界も大切にできるようになれればよいかと思うのです。

 

 

 

 

…[老いるのも良いものだ!]…

 

 

 

私が小学四年の頃に、母親が亡くなりました。

 

私は、母親が亡くなるまで、母親がそんな病気であることをしりませんでしたので、突然に亡くなったショックからか、心から理解するまでに時間がかりました。

 

母親の年齢は四十をこえたあたりでした。

 

ですから、私の目標は、四十までは頑張って生きようということでした。

 

そんな私も、今年で四十八歳となります。

 

なんだか、四十をこえたあたりから、生きることが楽になってきました。

 

もとから、活動的でなく年寄りよりな私ですので、生まれついての特性が実年齢にあってきたからかもしれません。

 

人は、生まれついての一次的特性と、育ちの環境による二次的特性により人格形成をします。

 

子供の頃に思った目標を乗り越えた安心感からなのかもしれません。

 

たとえ、肉体が老いていくとしても、精神は成長し続けると思うのです。

 

私は、生命体としての役目を終えて、次なる世界を感じております。

 

心のゆくまま、気の向くまま、そんな感覚を感じているのです。

 

次なる目標は、[死ぬまで生きる]であります。

 

 

変われば変わるものですね、

 

 

 

 

 

…終わり…

 

 

 

 

 





みなさん、どうでしたか?

またまたまた、こんた話ばかりですみません。

それにしても、これだけ飽きもせず話せるということは、どうやら、心理の探求のオカルトやスピリチュアル的のものが、私のこだわりであり依存しているようです。

まったくもって、めんどくさいヤツですよね。

しかし、これが私ですので仕方ないのです。

せめて、頭でっかちには気をつけたいと思います。

皆さま、あせらず、ゆっくり生きましょう!


そうそう、久しぶりに気になる漫画に出会いました。

[グレイプニル]という作品です。

きっかけはアニメでしたが、原作の漫画も面白く、近頃なかった感覚を思い出しました。

今風のマイルドなデビルマンって感じかな?
(宇宙人やコインの設定はどうでもよいのですが)

やっばり、そっち系のひと癖ある設定でありますが、私にとっては、はまってしまう表現なのであります。

心理の探求が好きなかたは、一度見てもよいかと思います。


それでは、また、会いましょう。




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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて! その④



皆さま、お元気ですか?

コロナも相変わらずでございますね。

なれたころが、危ないとかなんとか?

政府もコロコロ変わるからな?

どうなっているんだ!

政府の指示よりも、自分で守りましょう!

それが、自粛というやつですからね。

今回も、おじさんのたわごとにお付き合いくださいますと嬉しく思います。

それでは、よろしければ、どうぞ!




☆注意☆
今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!…



 

…[百姓の時代]…

 

 

 

 

皆さまは、百姓(ヒャクショウ)と聞かれまして、

 

どんな、イメージをお持ちですか?

 

お米や野菜を作っている農民のこと、ですか?

 

土地を耕し、守っている人のこと、ですか?

 

自給自足をしながら、あいた時間に出稼ぎをしている人のこと、ですか?

 

どれも、正解だと思います。

 

明治時代以前の日本は、ほとんどが百姓という、土地を守りながら、その土地にあった作物を作り、生活に必要なことを全般的に何でも自分たちでまかなう国民のことであり、互いに助け合いながら社会を成り立たせる村単位の文化でした。

 

文字通り、さまざまな顔を持っている、百の姓(セイ)を持つ人のことであり、日本は百姓の国であったのです。

 

簡単に言いますと、その土地の特性を知り尽くした、自然と共存している人のことなのです。

 

日本は、世界からみましても、自然に恵まれた土地であります。

 

自然災害も多いですが、これほど回復力がはやくて多様性にとんだ土地も珍しいかと思います。

 

日本の土地は天皇のものであり、その国土を百姓が利用しながら守る、そこには村文化という社会があり、百姓を生かすために貴族や武士や商人などの役目があるのです。

 

日本には、身分制度は元からありませんでした。

 

天皇と、その他でしかなく、それぞれの役割りがあるだけでした。

 

とてもシンプルであり、実生活としましては、目の前の繋がりが世の中だったともいえますので、自分からかけ離れた余分な悩みなどなかったことでしょう。

 

ですから、村の仲間と共同作業をする以外の時間は、やりたいことをしていたようで、自然とクリエイティブな思考だったのだと思います。

 

そのような百姓の特性が、江戸文化として花開いたと思うのです。

 

ちなみに、信長は国際化を目指していたようですので、光秀に暗殺されなかったら、日本はどのようになっていたのでしょうか?……あの時代に日本が近代化をしていたら世界の力の関係が変わっていたかもしれませんが、江戸文化もなかったのかな?

 

私は、天皇制度は認めますが、神様と崇めるほどではありませんし、必ずしも今までの天皇が善い人ばかりだとも思うほど人間が出来ておりませんので悪しからず。……すみません。

 

その天皇も、世界の支配階級と比べますと、ずいぶん質素な生活をしていたといいます。

 

確率的にみれば、日本の民族は先祖をたどっていったら、天皇の一族と繋がっていてもおかしくないですしね。

 

私は、百姓とは日本の自然を生かすための仕組みだと思います。

 

なぜ、日本は、そんなことが可能であったのか?

 

 

私は、日本では、少なくても大きな仕組みの転換期が二回あったと思うのです。

 

聖徳太子の飛鳥時代と明治維新で開国した明治時代です。

 

どちらも、海外との外圧に備える為だったと思うのです。

 

聖徳太子の時代に今でも通用する法律がつくられました。

 

私は、基本的に十七条の憲法だけで充分なのではないのか、と思います。

 

明治時代には、大日本帝国憲法がつくられます。

 

わざわざ、新しくつくらなければならなかった理由は自分で調べて考えてみてくださいね!

 

ちなみに、現在の日本憲法は第二次世界大戦の後にアメリカによりつくられたといいますが、悪くはない憲法ではありますし、政府のやり方しだいでは解釈も都合にあわせできますので良いのではないかと思います。(無能な政府ではなにを変えてもダメでしょうがね。)

 

話を戻します。

 

国を運営するためには、国民から税金を集めなければなりません。

 

江戸時代までの日本は、税金がお金ではなく、お米(作物)で集められていたからです。

 

いわゆる、年貢というやつです。

 

お米ですので、腐ってしまえば価値がなくなります。

 

ですから、一定期間以内に使わなければなりません。

 

また、作れる量にも限界があります。

 

格差は、それぞれのお金の量によりうまれます。

 

お金と違い、貯めることができず、必ず生きるために必要であり、直接的にエネルギー源となります。

 

つまり、常に流通して消費されるお金なのです。

 

ですから、本当に価値があるのは、お米でなくて、それを生み出す百姓の方なのです。

 

基本的には武士の争いに百姓は関わらず、田畑や百姓は大切にされたといいます。

 

お米がとれない不作の年以外は百姓にとっては良いことばかりでした。

 

 

しかし、江戸時代の終わりに、それまでは鎖国をしていた日本(ほぼ国内での自給自足)でしたが、アメリカが武力により開国をせまります。

 

日本も、独自の文化を発展させた文明国ではありましたが、西洋との軍事力の差が開いてしまい、従わざる終えなかったのでしょう。

 

時代の流れには逆らえないものです。

 

早くから、西洋を学ぶことで、かろうじて日本を守ったともいえます。

 

ただ、今の時代になりまして、世界中が行き詰まり、悩んでいるようにみえるのです。

 

いままでのように、ただ、グローバル化を進めていても経済は回らないようです。

 

支配階級は、あれこれと手をうっていますが、全てをAiとロボットによる機械的な仕組みに変えることには抵抗があるかと思います。

 

また、5Gのように経済効果をねらって無理やり制度の改革をしても一次的なことで終わりそうです。

 

支配階級自身も人間ですからね。

 

時代は変われど、基本的な人の原理は変わらないと思います。

 

そこで、日本の年貢という発想にヒントがあると思うのです。

 

かつての日本が時代に逆らえなかったように、世界は互いに影響しあって成り立っていると思います。

 

だからといって、江戸時代の4倍以上の人口を維持できるほどの国土はありませんし、他国の土地を奪う時代でもありません。

 

日本の国土の70%は山地であり周りを海にかこまれた自然であるといいます。

 

古来より日本には、豊かな自然と共存する里山・里海という文化があります。

 

国民が生き残るために自然を壊してしまえば、本末転倒であり、百姓の意味がなくなります。

 

日本は、島国であり百姓という同一の民族だからまとまれたのか?

 

日本の国民性があってこそなのか?

 

もしも、日本の思想的な価値観に賛同してくれる国や人が集まり助け合うことができたなら?

 

いちはやく、はじめた西洋共存体のEUですが、今後はどうなるのか?

 

結局は、人々の潜在意識が行動に表れているのでしょうね。

 

個人と国とでは、行動の表れは違うのかな?

 

時代は軍事力や経済力だけではなく、新しいテクノロジーが生まれ社会構造が変わっていきます。

 

あくまでも、私の感覚であり、若い人たちには違う感覚があって当然だと思います。

 

それが、お米でなく、溜め込むことがでない別の何かで、同じような仕組みができるとしたら?

 

経済とは経世済民であり、全ての国民を救うための世の中の仕組みを目指すことです。

 

お金とは人の繋りをサポートするアイテムのはずであり、溜め込み権力を得るためのものではないと思うのです。

 

日本は、自然と共存する百姓を守るために鎖国と開国を繰り返しながら時代を取り込み、日本なりの仕組みで乗り越えてきたように思うのです。

 

新しい時代を生きるのは新しい時代に生まれた若い者ですので、私のような組織に属してしか生きられないサラリーマン世代のおじさんは、横から見守っていればよいかと思うのです。

 

 

もしかして、運命の世代なのかもしれません?

 

 

 

 

…[あるものはつかえ、ないものはつくれ]…

 

 

 

 

 

 

皆さん、コロナ後の未来は、どんな時代になるとお思いですか?

 

そんなもの考えても意味がないじゃないか?

 

という方もおおいかと思いますが、せっかくの機会ですので考えてみませんか。

 

まずは、あなたにとって必要なことはなんだろうか?

 

あなたにとって、これが無くなったら困ることはありませんか?

 

あくまでも、あなたにとってでいいのですよ。

 

それが、あなたの今までに培ってきた感覚なのだと思います。

 

それでは、新たに必要なことはなんだろうか?

 

こんなことが出来るようになったら生きやすいのに、と思ったことはありませんか?

 

世の中に疑問を感じることは悪いことではありませんよ!

 

あなたが、疑問に立ち向かう行為に人は共感をするのかと思います。

 

あなたが生きやすくなるということは、あなたと同じような感覚の人も生きやすくなるということです。

 

可能性は無限ですので、思いつくままに想像してみてください。

 

それが、あなたの未来に繋がるのですからね!

 

 

周りを気にする必要はありません。

 

あなたの世界は、あなたのものですから。

 

その、あなたの世界が、誰かと共有できたら楽しくありませんか?

 

そう考えてみると、周りを気にするかわりに、誰かのためにという気持ちがわいてきませんか?

 

そして、繋がり広がるかもしれません?

 

あとは、はじめるだけです。

 

人に聞くことではないですよ

 

自分自身で、出来ることをやってみればいいのです。

 

そのうち、答えが見えてくるかと思います。

 

あなたの世界の、あなたの答えが!

 

 

正否は世間さまが判断しますがね。

 

 

 

 

 

…[決めつけないという生き方]…

 

 

 

 

 

あせりは禁物です。

 

何事も、決めつけてはいけません。

 

世の中の全てに、答えがあるわけではないのです。

 

あなたの世界は、まだまだ、これからなのですよ。

 

人によって、生き方は違うはずです。

 

生まれもっての特性は違いであり、差別ではないのです。

 

人は、わかったようでいてわからないものです。

 

人がいうことが、必ずしも正しいとは限りません。

 

私は、すぐに答えを求めるものに、本当の自分は訪れないかと思います。

 

なんとか、分かろうとする行為にこそ、答えにたどり着く秘密があるのかと思います。

 

あなたなりの答えで良いかと思うのです。

 

自分も他人も、そんなものだと思うのです。

 

だから、此の世があるのかと思うのです。

 

 

 

 

…[日本型究極社会主義]…

 

 

 

 

 

私は、日本は今でも、潜在意識により、自然との調和を願う百姓という思想により互いに繋り合っていると思います。

 

「なにを言っているんだ!」とお思いの方もお見栄になるでしょうが、他の国と比べれば、日本人ほど信頼されている民族はいないかと思うのです。(おひとよしですがね)

 

しかし、その割りには、世界の中で日本という国は発言力が少ないのですが………

 

ものは捉え方しだいでして、それだけ自然体の国ということなのではないのかと思うのです。

 

そこで、私は思うのです。

 

長年受け継がれた天皇制度を中心に共通の思想を共有した人種や民族を超えた社会をつくれないか?

 

夢物語かもしれません。

 

テクノロジーの力を借りて、なるべく、人が関わらない効率のよい国家システムによる最低限の生活保障と、自分の意思で、それぞれの特性により得意な働きかけをしながら気が合う人同士が繋りあう社会を目指せないかと思うのです。

 

私は、そんな思想の世の中のことを[日本型究極社会主義]とよんでいます。

 

その為には、教育改革からでしょうね。

 

私は、専門家ではないので詳しいことは分かりませんが、これからは、セルフコントロールができ、自分軸で生きれる人が必要になるかと思うのです。

 

誰もが、心理学を学ぶ時代になるかもしれません。

 

歴史の出来事も重要になるのかな?

 

その中心には、共通の神話のようなアーカイブがあると良いと思います。

 

明治時代の間違いを繰り返さないといいのですがね。

 

誰もが戦争で死ぬのはイヤですよね。

 

教育とは、前提だと思います。

 

全ては、自立のためだと思うのです。

 

人間は、死ぬまで教育でして、学校で習うか、自分で学ぶか、なのだと思うのです。

 

いつまでも、負け犬根性で、周りに振り回されてばかりだと思うなよ!なのであります。

 

悲劇のヒロインは悲しいだけであり、幸せになれない人の負け惜しみですからね。

 

あくまでも、私の感覚ですので、不安にならないでくださいね。

 

不安は連鎖しますし、自分を見失いますからね。

 

 

なんにつけましても、生きてることは素晴らしい!

 

 

皆さん、死ぬまで生きましょう!

 

 

 

 

 

…終わり

 

 

 

 

 

 






どうも、皆さま、アホなおじさんのたわごとにお付き合いくださいましてありがとうございます。

それにしても、ハーメルンでこんなことを書いているのも私ぐらいですかね?

このスタイルも四回目になりました。

こちらのスタイルのほうが、法則型の特性を持つわたしに合っているようで、頭のなかに眠っている記憶をたどって、現在の知識と照らし合わせて書くだけなので楽なのですが、以前に考えていたことが元になっており、私の偏見による妄想ですのでお気をつけください。(何事も事実関係は自分で確かめることは大切ですよ)

次回は、どうしようかな~?


それでは、また!






あ、そうそう、現在コロナによる世界中で起きている騒動ですが、日本でも奈良時代に同じようなことが起きていたのですよ。………皆さん、奈良の大仏が建てられた理由をしっていますか?……そのへんのことに興味がある方は[CGS茂木誠超日本史第33回]奈良の大仏も祇園祭も始まりは感染症だった!?を検索してみてください!
今から1000年以上前にも歴史の第変換が日本で起きていたなんて………

それにしても、なんて時代に生まれてきたのか?

これは、なにかあるぞ!と思ってしまうのです。





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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて! その⑤ コロナ後の未来



……なんなのだろうか?……

コロナって、……

ここ4ヶ月で色々なことが起きました。

48年、生きてきて……初めてのことでした。

不思議な体験でした。

まだまだ、コロナはこれからだ!と言われてしまいそうですが?

運がいいのでしょうか?

そんなこんなで、いまだ生きています。


せっかくですので、これからのことを、頭(理性)と心(感情)で、考えてみたいと思います。

今回は、そんな感じなのですよ。





☆注意☆
今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!



…[食料危機は来るか?]…

 

 

 

 

以前より、「食料自給率をあげるべきだ!」、そんな声は聞こえていました。

 

しかし、日本の食料自給率は下がるばかりであり、牛や豚の畜産の食料までもが、輸入にたよらなければ価格が維持できないのです。

 

新たに決まった[種子法の廃止]により、農作物はカオスとかし、サバイバルがはじまりそうであり、価格競争をこえて、新たなステージへの国際化は農業にまできております。

 

最近の一番、気になることなのです。

 

 

現在、世界中でのコロナによる自粛により、労働力がなく食料の生産どころではないそうであり、飛行機や船などの物流網が動かないということです。

 

更には、東アフリカから広がった、サバクトビバッタによる作物への被害は中東まできており、ヒマラヤ山脈をこえてアジアまできたときには、どうなることでしょうか。

 

そして、アメリカと中国による経済戦争はエスカレートしてきており、輸入ルートである日本へのシーレーンは大丈夫なのか?

 

各国が、自国の食料の確保のために輸出に制限をかけるようです。

 

4月の上旬に、WHOが食料危機の警戒を発表したほどです。

 

そのWHOですが、中国に発言力を奪われたとアメリカが脱退をしようとしています。

 

2020年の前半は、悪いことがかさなっております。(もちろん、良いこともありますが、悪いことに目がいきます)

 

時代は、まるで、カオスであります。

 

 

日本は、国内で作られている作物が、カロリーベースで38%であり、残り62%を他国からの輸入に頼っている状態です。

 

生産量からみると、備蓄量も多い米はなんとか大丈夫そうですが、国民全員が3食お米を食べたらどうなるのか、野菜や芋類もなんとかなるのかな、小麦や大豆は10%程度ですのでラーメンやお菓子やパンは無くなりそうかな、牛や豚の餌がなくなると国産の肉も食べれなくなるのかな?

 

 

魚は大丈夫そうですが、年々とれなくなってきているといいますし、日本の国民よりも世界中の富裕層に高く買われてしまうかもしれません。

 

産卵期の魚や成長期の魚はとらず、漁獲制限も決まっているのですが、国際法を守らない中国は、日本の海まで来て密漁していきます。

 

日本は、稚魚を人工孵化させて、日本の海に放流するなどの対策をとってきましたが、魚をとりつくしてしまえば、自然の生態系はくずれ戻らなくなります。

 

 

このままだと、秋ぐらいから店舗での食料品の陳列が少なくなっていき、食料品の価格が上昇すると噂されています。

 

 

先日のマスクのように、店頭から食料品が消え失せ、高額な取引がはじまるのでしょうか?

 

それとも、アメリカか中国が助けてくれるのでしょうか?

 

たとえ、日本にお金があったとしても、自分の国の分の食料までわけてくれるのでしょうか?

 

助けてくれたとしても、またまた、無理難題を聞かなければいけないのでしょうか?

 

日本の国土は、日本の国民のためのものなのですがね!

 

これは、はじまりにすぎないのか?

 

世界中で、食料危機を発端に物価の上昇がはじまるのか?

 

ハイパーインフレーションがおき、弱い通貨は消え失せるのか?

 

日本は、食料もエネルギーもないですからね!

 

生き残りをかけた、サバイバルがはじまるのか?

 

それとも、たんなる心理誘導の情報操作なのか?

 

念のため、ある程度の個人での備蓄はしておいてもよいかもしれません。

 

やっぱり、日持ちするお米ですかね。

 

50キロもあれば、半年はもつでしょう。

 

味噌と醤油もあるといいかな?

 

なんだか、変な感じがします。

 

「そんなこと、考えるだけ無駄だ!」

 

そんな気もしますが、

 

買い占めも良くないですので、しばらくのあいだは、いつもの倍づつ買っていこうかな?

 

あなたは、どうしますか?

 

 

よくよく考えてみますと、アメリカや中国などの食料品の貿易で利益を上げている輸出国は、利益をえるために自国民の食料品を削ってでも、もうけるために高値で輸出しかねないかもしれません。(それが自由経済であり資本主義ですからね)

 

 

まぁ、どちらにしましても、本当に日本の食料自給率を上げるとなると、なまやさしいものではなくて、西洋化した食文化ではなく、日本の食文化から見直さなければいけないと思います。

 

 

未来の食料品といいますと、農業の機械化により手間なく沢山収穫できるように遺伝子操作された作物と、餌だいのコストが高い家畜のかわりに、植物を加工した肉のようなものや、人工培養された肉が安く作れるようになるそうです。

 

貴重なたんぱく質である、コストの安い、昆虫食も当たり前になりそうです。

 

農作地は貴重になり、日本の田畑が外国の企業に管理されるかもしれません。

 

 

世界中の富裕層のあいだでは、遺伝子操作された作物は嫌われており、手間はかかりますが、日本の古来からの連作をしないで大地の回復力を養分とする、無農薬での自然農法が好まれていると言います。(現在の日本は、無農薬にこだわりますが、無理やり土をつくりますからね……牛フンや鶏糞、はたまた堆肥の元は農薬まみれであり、遺伝子組み換えの餌なのですからね…庶民は考えるだけ無意味なのですかね?)

 

 

ちなみに、温暖化の原因が化学肥料という意見もあります。

 

なんでもかんでも、経済が優先される世の中ですので、真実なんてものは揉み消されてしまうカオスな時代ですからね。

 

貧乏人は、高価な作物を作っても、富裕層に買われてしまい食べれなくなるのかな?

 

それとも、昔の戦時中のように食料品の価値があがり、ぶつぶつ交換となるのか?

 

かつての日本には、現実的な価値があった金や銀の小判が流通するぼどに鉱物資源が豊富だったのにな~……国外に出したのは間違いだったかもしれませんね。

 

残念ですが、いつものことなんですよね。

 

駐車場をお持ちの方は、家の前の駐車場よりも、自前の畑が欲しいところです。

 

日本は、百姓の国だったはずなのですが?

 

食料品だけでも、これだけ複雑にからみあったグローバル経済の世の中では、

 

やっぱり、鎖国はできないのですかね!

 

 

 

 

 

…[都市と地方・二極化した社会]…

 

 

 

これからの日本は、都市部と地方の特色がはっきりとわかれていくのではないかと思います。

 

都市部はよりグローバルで経済的になり、人の出入りが激しい多国籍な人々が密集した人口密度の高い人工的な地域になるかと思います。

 

ようは、経済に特化した国際都市となることで資本主義が加速してイノベーションの実験場になるということです。(ストレスは溜まりますが成り上がれる場所かな?)

 

一方、地方は独自の特色をめざして価値観を共有する人が集まりアナログ的なゆったりした生活をする地域になるかと思います。(それぞれの特性にあわせてやりがいと満足感を感じれる場所かな?)

 

今までの日本の企業は、東京を中心に地方ごとに支店をおいていましたが、これからはリモートワークやネット経済が進むことにより、地方ごとにわざわざ人が営業をする時代は終わり、企業は地方の支店を無くすことになると思うのです。

 

そうなれば、収入のために仕事を求めて住む場所が決まることはなくなり、そこに集まる企業に考え方を依存せざるおえなかったサラリーマンもいなくなるからであり、そのかわりに、本当にその地域に住みたい人が集まり特徴的な地産地消による地域づくりを始めると思うのです。

 

今よりも、物価の差は開くことでしょうし、収入の違いも大きくなることでしょうが、ネット環境が整うことで、子育ての格差は少なくなるかと思いますし、自然が豊かな地方のほうが情操教育にはよいかもしれません。

 

江戸時代の幕藩体制に近いのでしょうか?

 

それとも、いくつかの地域に分けられて、連邦制のようになるかもしれません。

 

日本の中に、EUのように国別に生き方の価値を選択しながら、移動の自由を確保して、共通思想を中心に互いに助け合えればよいかと思います。

 

不謹慎ではありますが、あえて言わせていただきます。

 

そのためには、天皇のような国民の幸せを願うAiが必要になるかと思います。

 

今の天皇は、平和のシンボルとしては誰もが認めるかと思います。

 

私は、欲に流される人では駄目だと思うのです。

 

またまた、天皇の責任が大きくなりますが、Aiの上に天皇の存在があるとよいかと思うのです。

 

今のところの日本には、資金力があり世界からの信用もあります。

 

更には、伝統文化も残っておりますし、国内での内需経済も保っております。

 

全てを海外に合わせてまで、お金の奪い合いをする必要はないかと思います。

 

これからの日本は、全体が同じをめざすのではなく、それぞれの独自性が大切になるかと思うのです。

 

 

 

ただし、現在の国際状況が続くあいだは、日本は、アメリカと中国の顔色を伺いながら上手く立ち回らなければいけないでしょうね。

 

それが、第三国としての、日本の宿命なのかな?

 

 

 

 

 

 

…[思想国家‐日本]…

 

 

 

 

皆さん、[ESG]という言葉をしっていますか?

 

[Envioment環境][Social社会][Governance組織統治]の頭文字をとった言葉です。

 

環境問題や人種差別や経済格差などに配慮し、安定した持続可能な循環化した世界に向けてというのが、ESGという考え方のことなのです。

 

世界中の企業への投資の基準として、10年ほど前からあった考え方でしたが、2019年に日本の年金運用の投資の基準に入ったことにより、日本でも少しずつ認識されてきています。

 

私は、[ESG]とは、昔からある日本の思想じゃないか!と思うのです。

 

あえて今さらとも思うのですが、地球温暖化の時の京都議定書の二の舞のように、日本だけが真面目に二酸化炭素の排出量の削減を研究費をかけ、設備投資をしてまで守るようにならなければ良いかと思います。

 

アメリカや中国は、温暖化などしらないと売上を優先して価格競争をする始末でしたからね。

 

そんななか、日本は、平成の30年のあいだ物価が上がらず、給料も上がらないなかで、より良いものをつくろうと改善を重ねて技術革新に務めてきました。

 

日本に住んでいる人は、説明しなくても解ることでしょう。

 

お金も大切ですが、それだけでもないのが日本人だと思います。

 

より良いものにしたいという思いがあり、誰かに喜んでもらいたいという想いが根底にあるのです。

 

古事記などを読んでみたり、日本の歴史を学ぶとより解るかと思います。

 

今だ、神話のなかに生きているのかもしれません。

 

世界最古の国であり、二千年以上の長きにわたり、同一の国民の家系により日本にねずいた思想なのです。

 

私は、特別に右翼思想でもないと思いますし、どちらかといいますと、法則型の現実的なタイプだと思いますが、どうなのでしょうか?

 

だけれど、自分の国に愛着を持つのは普通のことではないのでしょうか?

 

自分から家族、家族から地域、地域から国、国から世界へと、私という思想は拡張するのだと思うのです。

 

 

世界のなかで、日本ぐらいは他人のことを優先する変わった感覚の絶滅危惧種のような民族がいても良いかと思うのです。

 

まぁ、これ幸いと、お人好しの民族を利用して、民意を操りたい人たちもいますがね。

 

それでも良いかと思うのです。

 

 

現実の世界に君臨する国家では、責任が必要となる以上は組織がなくてはならず、上下関係はなくならないでしょう。

 

しかし、思想という可能性の世界としての、電脳空間では無限の関係性をきづくことができるかと思うのです。(そのためには、最低限の自立が必要ですがね)

 

繋がりのきっかけはなんでもよいかと思います。

 

仲間と呼べばいいのか分かりませんが、国家をこえて、同じ価値観に賛同する世界中の人たちが社会をつくる時代がはじまると思うのです。

 

しかし、巨大化したネット企業の価値観に左右されることが心配ですがね、

 

 

 

 

 

 

 

…[世界と日本・巨大企業に管理されるのか?]…

 

 

 

皆さん、[GAFA]という言葉をしっていますか?

 

世界的に影響力をもつ企業の[Google][Apple][Facebook][Amazon]の4社の頭文字をとった言葉です。

 

私は、そのなかでも、[Google]と[Amazon]の2社の影響力が強いかと思います。

 

利用者が増えるということは、世の中への影響力が増すともに使用料も支払われ企業力が増すということです。

 

 

[Google]はネット内での検索エンジンを開発した企業でありまして、今ではほとんどの人々が、いつの間にか利用しています。

 

そのなかでも、[Youtube]という、誰もが動画を配信できる仕組みは凄まじくて、個人の表現の場が出来たとともに広告媒体の形も変えてしまいました。

 

私は、メディアを制するものが、人々への影響力をもっとも持つと思います。

 

今では、メディアの支配者となったといっても過言ではないかと思います。

 

私は、[Google]に、片寄った情報統制をしない公正広大な判断力を期待しています。

 

 

[Amazon]は、ネット内での電子書籍の販売から始まった企業です。

 

それが、今では、世界中で、あらゆる現実的な商品を販売するネットを使った通販企業へと成長しました。

 

ネット通販の凄いところは、営業を検索エンジンにまかせることと、店舗を持たないことで価格を安く押さえることができ、世界中に販売網を広げられることです。

 

今では、[Amazon]が開発した物流システムを、あらゆる企業が利用しております。

 

凄いところは、欲しい商品を検索すると同じような商品が紹介されるところで、いつの間にか、消費者は性能と価格を比べられるようになり、企業にとっては世界中が競争相手となったのです。

 

今後の商品の流通システムとして、全世界中の工場と消費者を広告媒体が繋げるようになり、今まであった中間業種はなくなることでしょう。

 

あらたな流れとして、[Amazon]は、ネット通販のシステムだけでなく、現実的な空間にも独自のシステムで無人店舗を開発しており、いずれは、日持ちのしない食料品なども自動に販売される時代がくるかと思います。(無人コンビニかな、物流の支店にも使えるかも)

 

これからも、テクノロジーの力により新しい試みが生まれるかと思います。

 

私は、今後の消費者とはその企業の理念に賛同することも含めて、その品を買う選択をする時代になるかと思います。

 

国と国民の関係性に似ているかもしれませんね。

 

皆さんの良い選択が集まることで、

 

より良い、世の中になるとよいですよね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…[自分軸]…

 

 

世界を知り、自分を知る

 

今が私

 

私からつながる世界が全て

 

広がる世界

 

広がる私

 

潜在意識でつながる

 

潜在意識をコントロールすることで世界は変わる

 

あなたは、[ありのままの自分を認められるか?]

 

はじまりはそこから

 

自分軸で生きる時代に向けて

 

 

 

 

 

 

…終わり…

 

 

 

 

 

 

 






今回は、私の気になることがらを中心にあれこれと考えなおしてみました。

私が思うに、コロナの影響によって、世の中の変化が20年程はやく進むように思います。

その分、変化についてこれない人々も大勢でることでしょうが、政府はコロナのせいとして強引に推し進めることでしょう。

さてさて、あなたにとって、世の中の変化が凶とでるか吉とでるか?

あくまでも、私の感覚からくる偏見ですがね!


最近、なんとなく、池袋に集まる人々が複雑に絡み合う[デュラララ]というアニメを見直したのですが、案外、その世界感と日本の未来感が思想的に重なるかもしれません。

なかなか、似たような設定がない個性的なアニメなので好き嫌いが別れるかと思います。(ジャンルとしては、うる星やつら系かな?)

私が思うに、アートやアニメなどの抽象的な表現は、その時代の潜在意識の表れであり、潜在意識が表層化することにより、現実に影響をもたらすのではないのでしょうか?

それならば、人の未来の感覚も読み取ることも可能であり、そこに刺激を与えることで心理誘導もたやすいのでしょうか?

まぁ、オタクとしましては、無自覚にアニメを観るよりも、製作者の意図や特性に関心がいきがちですがね。

好きなものに長くたずさわると、真っ白な感覚で、そのものを観れなくなるというジレンマにおちいるということなのですかね。

あ~、たまには、リセットも必要なのかな?

なかなか自分は、捨てられないですがね。


あらためて思ったのですが、今回、書いてある感覚が、私の小説の未来感に影響をあたえているのですよね。……あくまでも、私の妄想ですので、未来予想ではありませんのであしからずです。


それにしても、本当になにがおきるかわからない世の中ですよね!

それだけ、楽しみも多そうですがね!

それでは、また、会いましょう!





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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて! その⑥ 休憩の極意


皆さん、元気にしていますか?

最近は、いろいろなことが起こりますので、お疲れではありませんか?

ということで、今回は、休憩の極意という話をしてみたいと思います。


☆注意☆
今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!



…[適当に生きましょう]…

 

 

わたしとは、何か?

 

哲学を問答しようとしているわけではありません。

 

わたしと私にとって、これは、遊びなのです。

 

そう、瞑想ゲームのようなものです。

 

思い返せば、子供の頃から、そんなことばかり考えていたような気がするのです。

 

あくまでも、気がするというだけなのです。

 

記憶は改ざんされるから、ハッキリとは言い切れないのですよね。

 

わたしが私を思うとき、そこにはわたしの願望による歪みが交わっていることでしょう。

 

本来の私というものは、どこにも存在しないのかもしれないのでしょうか?

 

まるで、統合失調症のように、自分を疑い、認識できないのだろうか?

 

そんな、危ない思考をくぐり抜けて、私というものを形作っているのかもしれないのです。

 

曖昧を許せる特性であったことに感謝してしまうのです。

 

わたしは、なんとなく自然に生きていることができますので、想像するしかありません。

 

ヒトというものは、心、知識、体、の三つがそろって人になり、その人の集まりから生まれる縁があってそ人間となるのだと思います。

 

人というものは、自分ができてしまうことは、誰にでもできて当たりまえと思いがちであります。

 

なぜ、できないのか?という発想すら思わないくらいであり、そこに気づくまでに時間がかかります。

 

なんせ、常に現実を突きつけられる、現在の社会において、適当に生きるということは、とても難しいように感じるのです。

 

考えてしまうと、自分がとらえられなくなり、底無し沼にはまってしまうようであり、できない人にとっては辛いことでしょう。

 

わたしは、適当に、なんとなく、生きれることに喜びを感じながら、今も私は、ここにいるのですよね!

 

それにしても、考え始めると、おかしなことばかりな世の中なのです。

 

はたして、おかしいのは、どちらなのか?

 

わたしか、私か、世の中か?

 

まさしく、バカと天才は紙一重なのでしょうね!

 

 

わたしと私の息抜きが瞑想なのかな?

 

 

皆さんも、あまり考えすぎないで、わたしの私を大切にしましょうね!

 

 

 

 

 

…[気にしたらダメですよ!]…

 

 

 

 

誰かに、何かを言われると、それ以上の解釈をして悩みはじめるほうですか?

 

それとも、言葉とおりに受けとり、判断するだけですか?

 

言葉を言った側の人も、なにげない言葉かもしれませんし、深く考えたうえでの言葉かもしれません。

 

それは、無意識であっても意識的であっても、瞬間の凝縮から発生した、人となりを表すものですからね。

 

あいさつにしてみても、相手によりますからね。

 

更にいいますと、感情の変化により機嫌が変わるのが人というものです。

 

どちらの側にしましても、気にしないことをおすすめします。

 

言葉は単なるコミュニケーションです。

 

言う側よりも、言われる側に解釈の選択権があるかと思うのです。

 

何でも間でも理解できるとは思わない方が善いかと思います。

 

ただでさえ、無意識では反応しているのですから、わざわざ、意識に上げることはないでしょう。

 

本当に必要なことであれば、無意識でも受け止めます。

 

人は、自然に情報を分けています。

 

たんなる、他者とのふれあいのながれでしかありません。

 

やりすごしても良いかと思います。

 

ようは、気にしたらダメなのです!

 

 

気にするということは、それだけ、自分のなかに溜め込み歪みを生じます。

 

 

休憩中ぐらいは、余分なことを考えないで、ひとりで静かにしていたいですよね!

 

 

 

 

 

…[常識を利用しましょう!]…

 

 

 

気にしたらダメですよ!といわれても、ついつい考えてしまいますよね。

 

そこで、常識を利用することをおすすめします。

 

以前お伝えした[ペルソナ]という考えかたが当てはまりますので、[その②]を読んでいただきますと分かりやすいかと思います。

 

常識とは、常に一定ではなくて、時と場所により変わります。

 

家庭であったり、学校であったり、地域であったり、会社であったり、所属するコミニティにより変化するのが常識というものです。

 

自分とは違う、大勢の人が集まる場所だからこそ、無駄な争いを避けるためにいつの間にか生まれたのが、常識であり、分からないなりに成り済ますということだと思います。

 

大人のマナーともいえます。

 

最初は、人まねでもいいので、ふりをするだけでもよいかと思います。

 

その、大人のマナーを身につけるためには、最低限の自立した人格が必要となります。(あせらず、じっくり体験を通して学びましょう)

 

そこに、「おかしい?」というような感情は必要は無いかと思います。

 

たとえ時代おくれの常識だったとしても、そんなコミニティは時代とともに消え失せるだけでありますので、わざわざ、指摘するほどのことではないと思います。

 

表向きは、とことん、「そんなものでしょ」でよく、それぞれが、自己責任のうえで行動すればよいかと思います。

 

ですから、誰もが「とりあえず………」で生きているのだと思います。

 

隠しきれないところが、あなたの個性ということだと思います。

 

ギクシャクするのはイヤですから、多少の違いは許し会うことが大切てす。

 

まぁ、「そんな器用な生き方はできないよ」という人も多いでしょう?

 

なんにせよ、コツがあるものです。

 

まずは、自分なりのルールを作ることです。

 

経験を通して、自分の物語を作っていけば良いかと思います。

 

けっして、争う必要はありませんよ!

 

どこまでも適当に、「まぁ、いいか?」が合言葉です。

 

バロメーターは、「まぁ、いいか?」と思えるかどうかです。

 

歳をとればとるほど、必要なことだと思います。

 

 

最終的にイヤなら、そこから離れるしかないのですからね。

 

 

わたしが作り上げる、自分の物語が、私ということなのです。

 

 

 

 

…[私をととのえましょう!]…

 

 

 

そこで必要になるのが、私のととのえかたですよね。

 

それが、瞑想です。

 

仏教の悟りを開くための修行のひとつが瞑想です。

 

私は、仏教とは、宗教ではなくてより良い生き方のための思考のしかたと生活様式を学ぶことだと思っています。

 

わたしは、子供のころから仏教に関心がある変り者でしたので、仏教の悟りとは何か?ということを先に学んでいると分かりやすいかと思います。

 

ちなみに、Youtubeにあります[苫米地英人、仏教]というものを観ていただくと分かりやすいでしょう。(少々、長めの動画ですが、自分のなかに取り込めるとよいかと思います)

 

更に、関心がある方は、神道の思想体系のひとつである四身四魂を理解するとよいでしょう。[人の四身四魂CGS家村和幸鬪戦経第19回]という動画をご覧ください。(古代の日本思想に興味がある方は、時間はかかりますが、全ての鬪戦経を観てみても面白いかと思います。)

 

日本の仏教は、名ばかりでありまして、日本思想にそまった神仏融合思想ですからね。

 

瞑想といいましても、[マインドフルネス]という脳の反応をなくす瞑想や、[ビヴァッサナー瞑想]という内面に意識を向ける瞑想など、さまざまな方法があります。(ただただ、お経を唱える行為も瞑想だと思いますので、心が穏やかになるような歌を聴いたり、映像を見ることでもよいかと思いますし、もっと簡単なことですと、山や川などの自然に触れる行為でも良いでしょう。)

 

わたしは、独自の方法で瞑想をしておりますが、それぞれにあった特性でしてみればよいかと思います。

 

ようは、情報量を少なくすることで、脳を休められればよくて、リラックスしながら活性化している状態のことだと思います。

 

今では、脳波を測定するアイテムも販売されているそうで、「脳が休むってどういうこと?」というかたには、そういった機械を使ってみてもよいかと思います。

 

わたしは、いつの間にかできてしまいましたので、あくまでも、独自のやりかたでの瞑想でありますからうまく説明できませんが、しいて言うなら、[起きながら夢のなかに入りながめている]ような感覚であり、客観的に自身を観ているペルソナがない人には難しいかと思います。

 

客観的に自身を観るというのは、世の中という世間から外れた感覚の自分を作り、ただただ、自身の感情をふくめ、全体の流れを観まもるということです。

 

Youtubeでも、いろいろな瞑想の動画があがっておりますので、興味のあるかたは検索してみてはいかがでしょうか?

 

手始めに、[イケハヤ大学の、これなら続く!マインドフルネス瞑想の始め方。]がよいかと思います。

 

そのうち、あなたなりの瞑想の仕方がみつかると思います。

 

 

誰にでも、より良い休憩が訪れますように!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…[まぁ、いいか?]…

 

 

 

それが、どうした?

 

まぁ、いいか?

 

だから、なんなの?

 

まぁ、いいか?

 

本当ってなんなの?

 

まぁ、いいか?

 

私なんて、そんなもの

 

わたしと私の

 

まぁ、いいか?

 

ついでに、あなたも

 

まぁ、いいか?

 

 

 

 

 

…終わり…

 

 

 

 

 





皆さん、しっかり休憩をとってくださいね!

たまには、頭を空っぽにして自然に身をまかせるのも良いものですよ。

さぁ、今日もぽ~~~としましょうか。



それでは、また、会いましょう。





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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて! その⑦ 世界の法則


皆さん、夏バテしていませんか?

それにしても、暑いですよね。

日本では都知事の選挙、アメリカでは大統領の選挙へ向けて、政治も暑くなりそうです。

政治なんて、私には関係ない?

そうかもしれませんが、考えてみませんか?

ということで、今回は、世界の法則という話をしていきたいと思います。




☆注意☆
今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!



…[宗教と思想は陣取りゲーム]…

 

 

 

世の中には、さまざまな宗教がありますよね。

 

私が思うに宗教には、ひとりの絶対的な神様を信じる、一神教と、それぞれの役割りの神様を信じる多神教と、「わざわざ神様のことを考えなくてもいいんじゃない?」というなんとなく無神論的な思想の無宗教が有ると思います。

 

少々、うがった見方ではありますが、西洋から広まった、キリスト教とイスラム教とユダヤ教等の一神教は、正義を振りかざしては、何かと争いを好む特性を持っているかと思います。

 

一神教の性質とは、白黒をハッキリとさせたい気質をもつようで、神のもとに全ての行為が正当化されるという思想であるがためだと思います。

 

そのため、一番操りやすくて、洗脳しやすい思想ではないかと思います。

 

あからさまには、「財力があるほうが上だ!」とわ言いませんが、きわめて論理的な西洋哲学をもとにする階級制度の資本主義国家が生まれたのですからね。

 

私は、一神教が広まった地域は、争いがたえないほどに生きていくことが過酷な場所であり、自然とは克服するべき対象だったからだと思うのです。

それゆえに宗教という思想の縛りによって、階級をつくり、枠組みをつくってまとめていたのではないか?と思います。

 

世界中で、この一神教が増えてきているそうですが、何かあるのかもしれません。

 

一方、エジプトやインドや日本などの自然の現象から創造された多くの神様を持つ多神教は、一神教よりも古い形態の宗教だと思います。

 

そのなかでも、無宗教のような宗教であるのが日本の神仏融合思想だと思います。

 

けっして、戒律があり、まとまるための宗教としては優れているとはいえませんが、自身すら神の一部だという思想は不思議であり、死んだ人を神様のように祭ったりしてしまうのです。

 

自然が神であり、私たちの中にも神が宿っているのです。

 

これでは、とても洗脳はできないことでしょう。

(なんだか、互いに承認しあう、ブロックチェーンのようですね)

 

だって、信じているものが、自分であり、先祖とまでも自然を通して潜在意識では繋がりあっている民族なのですからね。

 

そして、以外なことに、100年ほど前までは、無宗教という民族が世界中で3割ほどいたそうですが、資本主義の広がりとともに、少なくなってきており、現在は、お金が一番という資本主義の思想が一番多いようなのです。

 

なんだか、二大大国の存在理由が分かったような気がします。

 

資本主義の思想には、宗教は勝てないのでしょうか?

 

あ~、「神は死んだ!」という、ニーチェの言葉を思い出します。

 

 

あなたは、神を信じますか?

 

 

個人的には、どのような神様にしても良い面と悪い面があると思いますので、信じることにたいして否定はしませんが、他人のことまで口出しをせず、争いがなければ何を信じてもよいのですがね。(私は信仰心がない怠惰なヤツなのでスミマセン)

 

これも、自然が豊かな国の考えかたなのかもしれませんね。

 

 

 

…[正義を振りかざす裏にあるものとは?]…

 

 

はたして、正義とは何なのでしょうか?

 

争うものどうし、どちらが正しいと言えるのでしょうか?

 

武力では批判が多い時代となったから、経済での争いに変わったのでしょうか?

 

わざわざ、正義を振りかざしてまで他国を批判し圧力をかけるのはなせなのでしょうか?

 

国際ルールと、互いに主張しあい、戦争をしてまでしたがわさせようとするのは、なせなのでしょうか?

 

 

私は、現在の世の中は、なんだかんだといいながら、お金という価値観による資本主義を信じる人がほとんどだと思います。

 

ようは、経済により繋がった世界であり、お金の奪い合いの世の中なのでしょう。

 

世界的な経済の力により、トルコのリラやブラジルのレアルという通貨の価値が下がり続けていますが、国自体どうなることやら?そんな時代なのです。

 

資本主義の良いところは、経済の法則によって、ある程度の操作が可能だということであり、西洋思想というものは、[ああすればこうなる]という世の中を目指しているのでしょうね。

 

このまま西洋思想が中心の国際ルールでひとつの世界を目指しながら世界中が進むのか?

 

それとも、あらたな価値観による思想が広がる世の中となるのか?

 

どちらにしましても、ルールを作る側のほうが有利なのは間違いないかと思います。

 

 

 

 

…[ファイブアイズによる経済支配]…

 

 

現在の世の中を支配しているのが、イギリス資本家だと言われています。(あくまでもうわさですよ。)

 

西洋の富裕層は、世界中にマーケットを広げながら経済圏を大きくしてきました。

 

西洋とは、植民地の歴史でもありますからね。

 

近ごろ、日本のマスメディアにまでイギリスの資本力の影響下にある[ファイブアイズ]という言葉がのせられました。

 

[ファイブアイズ]とは、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、の5か国であり、その5か国で中国包囲網をきずくということです。

 

それだけ中国の経済的な力が強くなってきたということなのでしょうか。

 

 

うわさによると、IT産業において中国の深センという町がアメリカのシリコンバレーを越えたようなのです。

 

中国の現状を知りたいかたは、中田敦彦さんのYoutubeの[中国デジタル革命]をおすすめします。

 

私が学校で習った歴史は、西洋の歴史観でしたからね。

 

 

さぁ、どうなることやら?

 

 

 

 

…[コミンテルンの残党]…

 

 

皆さん、コミンテルンって知っていますか?

 

社会主義を目指していた集団でありまして、世界中を社会主義化させるための秘密組織だったそうです。

 

日本にも送り込まれていたそうです。

 

現在でもその一部が残っているそうで、世界中に諜報員を送り込んで革命をたくらんでいるようですよ。

 

なんだか、怖いですので、この辺でやめときましょうね。

 

 

 

 

…[差別と虐めは人間そのもの]…

 

 

人間というものは、意識的な宗教という思想と現実的な力として経済による繋がりによって国家のようなまとまりをつくって生きてきたと思います。

 

支配をする側が思想を意識的に操ることにより、庶民の生活は誘導されます。

それをさとられないように人間の心理をコントロールするために持ち込んだのが購買心理を誘導するマーケティングや思い通りに選挙の投票を促す情報操作という手法であるために、情報を発信するマスメディアは重要なポジションをしめています。

 

私は、本来はどこの国の庶民も戦争など望んでいないと思います。

 

私は、どちら側にとりましても戦争とは正義のためでありますので、どんな戦争にしても情報統制により認めさせられていると思うのです。

 

人は、団体に所属すると安心して強くなったと錯覚してしまうようで、価値観が違う団体を敵視してしまいがちであります。

 

更には、自分よりも下の者がいると、自分がおかれている立場に納得しやすいようです。

 

そんな人間の心理のことを考えると、差別やいじめはなくならないのでしょうか?

 

 

いゃ~、世の中、上手くできていますね~。

 

 

 

 

…[民主主義とは数の原理]…

 

 

 

民主主義とは、投票数で決まります。

 

その票数を大資本を持つ企業や資本家に有利な政策法案が通るように、何らかの圧力やワイロがうごいていたとしたら?

 

票数が金で買われていたとしたら?

 

資本主義と民主主義が合わさったときの欠点として、住んでいる庶民のための政治ではなく、資本家のための政治となるということです。

 

もちろん、民主主義には欠点ばかりではなく、国民の声による政治ができるという良い面もあります。

 

しかし、そのためには、公明正大な政治が必要ですよね。

 

私には、ハッキリとは分かりませんが、国民のレベルが国の政治のレベルなのではないのでしょうか?

 

最近は、Youtubeでもさまざまな政治的な情報が発信されています。

 

私は、いずれは、民主主義はネット投票というシステムに変わると思います。

 

民主主義とは、成熟した、変化のゆるやかなシステムです。

 

どうしても、変化のはやい独裁政治には経済的には負けてしまい、資本力にしたがわざるおえくなるかもしれません。

 

日本の政治は、お世辞にも国民のためとは言えないほどに民主主義としては末期的ですがね。

 

Youtubeを観ていますと、[参政党]という新しい試みの政治の活動をしている所があります。

 

私が観たかぎりでは、片寄った思想誘導は少ないかと思います。

 

これからの政治に向けて、考えるきっかけになれば良いかと思いますので、どなた様も一度、観ていただくと良いかと思います。

 

ちなみに、最近、憲法改正という声が多いですが、憲法とは国にとってどのような政治が理想か?という根幹をなす方針であり、政治家の思想のこころえのようなものでありますが、本来は国民が政治家の暴走する思想をしばるためのものだと思います。(最近の政治は、なんだか逆なんじゃないの?)

 

私としましては、国の理念が曖昧であり、自身の保身のために現在のことしか考える余裕のないほどの政治家が多いなかで何を変えるのか?と思ってしまいます。

 

国民もあきれて何も言えません!

 

ですが、

 

皆さんも、政治システムの一員でありますので、国民として、政治に関心をもったほうが良いかと思います。

 

国がすべきことでもっとも大切なことは、どのように税金を集めてどのように国民の生活のために使うかだと思います。

Youtubeで中田敦彦さんが[税金から逃げる大企業]という動画をあげておりますのでおすすめします。

 

私が思うに、おそらく、ネット世界を生きる人と、新聞とテレビの世界で生きる人との思想の分断が起きることでしょう。

 

はたして、どちらの世界の思想感が現実的なのか?

 

次の時代で、より生きやすい感覚は、どちらか?

 

 

だからこその、政治なのですよね!

 

 

 

…[四つのフェーズ]…

 

 

何事にも、四つのフェーズによる段階があるといいます。

 

[発生期][成長期][安定期][衰退期]の四つであります。

 

また、人には四つのタイプがあるといいます。

 

[注目型][司令型][法則型][理想型]の四つであります。

 

【挿絵表示】

 

それぞれの相性による組み合わせと段階により、流れを想像してみるとよいかと思います。

 

 

あなたにとって、足りない感覚は何かな?

 

 

 

 

…[おちぶれた侍]…

 

 

 

性善説は消え失せたのか?

 

疑い出したら、きりがない世界

 

お前もそうなのか?

 

へらへらしてんじゃねぇ!

 

ふしあな野郎

 

お天道様が観ているぞ!

 

 

 

 

…終わり…

 

 

 

 

 





今回は、またまた身勝手な独りよがりの話となりました。

あらためて考え直してみますと、どのような思想にも良いところと悪いところと言いますか特長があるようです。

それでは、「どの思想が善いのか?」と言われましても「それは、あなた様のお好きなように」ということでしょうか。

これからの時代に向けて、間違いないく言えることは、ITとお金と創造がキーワードになることでしょう。
Youtubeにあがっております、イケハヤ大学[AI時代到来!あるべきこどもの教育を本気で考えてみた。]をおすすめします。

私は、大器晩成の法則型であり、安定期に入ったところではないかと思います。

資本主義でいいますと、一見、衰退期のようですが、まだまだ成長期の途中かもしれません。

確実に揺るぎないシステムができあがるのか、その前にあらたな価値観が生まれるのかは、これからの時代を生きていればわかることでしょう。


それにしましても、国のために命をすてる日本人はいかれた民族ですよね。
(あくまでも誉め言葉ですよ。)

それでは、現在の日本人で会社のために命をすてる人はどれだけいるのでしょうか?


それでは、また、会いましょう。



PS、それにしましても、最近の中田敦彦さん、攻めていますよね~。少し先取りしているところが絶妙ですよね。……潜在意識の先取りかもよ?




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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて! その⑧ お金について


皆さん、お元気ですか?

最近の世の中、現金離れが進んでおりますよね。

あなたは、現金派ですか?

それとも、キャッシュレス派ですか?

今回は、そんなお金について考えてみたいと思います。


☆注意☆
今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!



 

 

…[お金って?]…

 

 

皆さんは、お金と聞いて何を感じますか?

 

もっとも大切なものだ!あれば有るだけほしい。

 

生きていくためのお金があれば良い。

 

無くてもなんとかなるんじゃないの?

 

それとも、それ以外ですか?

 

………………………

 

あなたは、何を思いましたか?

 

 

 

 

お金にたいする価値観が、あなたの価値観と重なるかと思います。

 

それぞれの価値観があってもよいかと思います。

 

それぞれの地域がお金で繋がる社会のことを経済といいます。

 

現在において、お金という経済で世界中が繋がりあっていますので、ある程度のことがらはお金で解決できてしまう世の中において、それこそが共通認識なのでしょうか?

 

私も、お金は大切でありますが、一人一人が生きていくことができれば、それでよいかとも思うのです。

 

 

そんなお金という仕組みを人間が生み出し、世界が広がりはじめたのが人間の歴史だと言われています。

 

もとは実質的な価値があるコインだったと言われていますが、コインから借用書としての紙が紙幣の始まりだと言われており、それが、貸し金業者である銀行の始まりだと言われています。(うわさによると、ロスチャイルド家のようです?Youtubeにもいろいろあがっておりますのでお調べください。)

(ちなみに、私なりのお金と経済の歴史観を[チェンザンマイⅢ]のあとがきに書いてありますので、よろしければお読みください。)

 

そのお金という価値観を世界中が信じることで世界が繋がりましたので、人類がもっとも信仰した思想がお金なのだと思うのです。

 

まぁ、「そんなことを考えるまでもなく、生きていくのにお金があった方が便利で都合がいい!」

と言われてしまえば、その通りなのですがね。

 

それだけ、現代において、なんの根拠のない数字であるお金とは現実的なものだと言いたいのです。

 

数字であるがゆえに、分りやすく計算できてしまいます。

 

だからこそ、人それぞれの価値観であり、思い通りになりそうでならないお金に振り回されるだけの魅力的なものなのでしょうね。

 

 

 

 

…[お金が格差を生んだ]…

 

 

人類が、お金の前に生み出したものがあります。

 

それは、農業です。

 

農業の発明により、人類は定住化し国が生まれ、階級が生まれ、富の格差が生まれたと思います。

 

その富を守るために、格差と戦争による富の奪い合いの歴史が始まりました。

 

農業による富の格差は、長期的に溜め込むことができるお金の出現により、けた違いに広がりました。

 

そして、その格差は、お金という経済の発明により世界中に輪を広げたのが資本主義による経済であり、現在だと思うのです。

 

その辺のことは、前回の[その⑦世界の法則]にも書いてあります。

 

あらためて考えてみますと、お金というものは大概のものと交換ができて便利でありますが、そのぶん、残酷な一面もありまして、世界中のどんな思想にも力の源に成りうると思うのです。

 

お金は、選り好みをしないということです。

 

だからこそ、使う側の思想がとわれるのです。

 

幸いなことに、現在において、それぞれの国が自国の理念とは別にお金という経済で複雑に繋がりあっていますので、他国の理念が気に入らないといっても武力による戦争をしかけるわけにはいきません。

 

お金という経済が、戦争の抑止力となっていると思います。

 

アメリカと中国においても同じことです。

 

仕組みは違いますが、どちらも資本主義で大きくなった大国です。

 

その後ろには、イギリス資本家がいると言われています。

 

どちらも、表向きには独立していますが、イギリス資本家にとりましては、お金が集まりお金の力によって世界をコントロールできれば良いのかもしれません。

 

キリスト教を理念とする自由と平等の多民族国家であるアメリカと、宗教は悪だと思想弾圧をして経済優先を理念とし強引に多民族国家となり一帯一路思想による経済圏を広げる中国とで、世界は二分されております。

 

今のところは、基軸通貨であるドルをもつアメリカがリードしておりますが、一度西洋化した香港を思想弾圧して封じ込めようとする中国の勢いもあなどれません。

(香港はアジア経済の窓口としてイギリス資本家が支配していた地域でしたが、1997年に50年間は自治権を認める条件で中国に変換されました。)

 

アメリカは、正義を振りかざして反撃しております。

 

アメリカのドルは、アメリカに集められた金塊が後ろだてとなっていると言われていますが誰も確認したものはいないようです。(国際中立国であるスイスの銀行にも金塊が集められているとも言われています。?)

 

アメリカは中国を経済的に隔離して封じ込めをするくらいでしょうが、中国にしてもアメリカとの経済の繋がりを切ってまで戦争をしかけられないと思います。

 

せいぜい、笑いながら嫌みを言うくらいだと思います。

 

結局は、イギリス資本家の手のひらの上でのことなのでしょうか?

 

人類のながい歴史からみても、イギリスの時代もいずれ衰退すると思います。

 

そうこうしているうちに、次のステージに時代は変わることでしょう?

 

世界の富の格差は、どうなるのか?

 

私は、人種差別も思想差別もなくなる世の中を目指すべきだと思います。

 

人は感情をともなう生き物です。

 

いくらシステムを造り上げても、感情により動くのが人だと思うのです。

 

お金により、操作しやすい世界が生まれ広がりましたが、この先の世界はどうなるのか?

 

今のままで進めば、誰もが信じるお金により生まれた資本主義は無敵であると思います。

 

誰もが信じるということは、それだけ人が集まり競争力が増しイノベーションのスピードが加速するということです。

 

その実験の場としてお金により法則化した市場(アメリカや中国?)があると思いますので、世界中の富裕層にとってはお金を奪い合うゲームのプレイヤーのようなものなのですかね?

 

未来のことは、創造でしかありませんが、現実的に考えますと、

 

私は、お金よりも国土が大切だと思います。

 

たとえ、仮想空間が発達しても、肉体のあるべき場所が必用だと思います。

 

日本の国土は日本の国民のものだと思うのです。

 

変な感覚ではありますが、私は魂の帰る場所が国土だと思います。(死んだら終わりだと信じていますが、集合無意識である潜在意識は有ると信じております。)

 

「国なんて、国際人にとって、必用ない!」

なんて、言われそうですね。

 

私も、古くさいですね。

 

 

あなたは、どう思いますか?

 

 

政治も、経済も、税金も、法律も、通貨も、

 

そのための国というシステムなのだと思うのです。

 

日本人の特有な価値観なのか、私が変わっているのか?私はわかりませんが、おそらく信じているのかと思うのです。

 

なんだかお金の話から遠ざかってしまいましたね。

 

強引にまとめさせてもらいますと、お金は富の格差を生み出しもしますが少なくすることも出来るかと思うのです。

 

そんな格差も認識でき、行動できてしまうのがお金だということなのです。

 

 

(この辺の題材は、私の小説のテーマでもありますので、よろしければお読みくださいね。)

 

 

 

 

…[デジタル通貨の時代]…

 

 

世界中で、コロナの影響なのでしょうか、キャッシュレス化が加速しています。

 

昨年の消費税を10%に上げた時にも、キャッシュレス還元ポイントが政策としありました。

そういえば、7月でそれも終わりでしたね。

 

そんなことからも、どうやら政府も現実的な紙幣からデジタル通貨にかえたいようです。

 

はたして、その裏にはどんな思惑があるのやら?

 

世界と比べまして、日本はキャッシュレス化が遅れていると言われています。

 

日本人の気質にあわないのか?そこらじゅうにキャッシュコーナーがあることでいつでもお金を引き出せるためか?それとも、クレジットカードが普及うした国だからか?

 

いろいろな原因は予想はできますが、キヤッシュレスの時代にしたいのは間違いないかと思うのです。

 

 

政府が国民を管理しやすくするためだという人もいますが、私は賛成であります。(税金は集めやすくなることでしょう)

 

これだけ情報が筒抜けの社会において、何を今さらと思いますし、なにより、あらゆることがらを電子化することで、必要のない公務員を削って、国民のための政府にすればよいだけではないかと思うのです。

 

なにより、お金が電子化され数字となることであらたな価値観が生まれるかもしれません。

 

自由なんてまやかしであり、誰もがお金にとらわれているのが現代だと思います。

 

そんな時代において、お金を否定するのはおバカさんの考えですからね。

 

未来は明るいものだと思うのです。

 

そういう意味では、私は楽観的なのかもしれませんね。

 

 

いざとなったら、滅ぶだけですからね。

 

そして、又、再生されるのが日本の国土なのです。

(またまた、オカルトですか!)

 

 

 

 

…[お金がお金を増やすのが資本主義]…

 

 

皆さん、投資していますか?

 

自分のもっているお金を、なんらかの価値があるものに使うことを投資といいます。

 

あらたな技術や知識を学ぶことを自己投資と言いますが、そちらの投資ではなくて、将来的に価値が上がるものを買うことの方の投資であります。

 

そのなかでも、昨年[金融投資で老後の資産を二千万円貯めましょう]と話題になった投資の方法がお金がお金を増やす投資であります。

 

「毎日の生活費でせいいっぱいでそんな余裕ないよ!」といわれる方は、まずは御自身の毎月の生活費が最低いくらあれば生きていけるか知ることから考えてみてくださいね。

 

いろいろある投資先のひとつに、株への投資があります。

 

企業の出資金の権利のことを株と言いまして、その株を買うことにより企業の株主(企業のオーナーの一員)となります。

 

株主には、毎年、配当金という利益の一部のお金が配られます。(必ずしも配当金があるとは限りません!)

 

また、営業成績の良い企業の株は人気があり、多くの人が欲しがることで価値が高くなりますので、その株を売ることで値上がり分のもうけを得ることができます。(必ずしも価値が上がるとは限らず下がることもあります!)

 

インターネットの発達にともない、株への投資も身近になってきました。

 

お金にゆとりがある方は、投資を学んでみてはいかがですか?……あくまでも投資は自己責任ですので無理をしてはいけませんよ!

 

手始めに中田敦彦のYoutube大学[株投資]を観ていただくのがよろしいかとおもいます。(いろいろな投資の説明と選び方が分かるかと思います。)

 

投資に関してのYoutubeはいろいろありますので御自身にあったものを探してみるのも良いかと思います。

 

いやぁ~時代の流れなのですかね~?

 

 

 

 

…[お金の使い方を学ぶことが大切]…

 

 

 

私は、お金の増やし方を考える前に、お金の使い方を学ぶことが大切だと思います。

 

私は、親から口すぱっく言われたことがあります。

 

我が家の家訓といいますか、その言葉は、

 

「借金をするな!」と「警察の厄介にはなるな!」

 

であります。

 

私の家は商売をしておりましたので、商売に関しての返す当てのある借金はお金儲けのためには必要でありますが、自分の贅沢のために借金をするなら貯めてから買えという教えでした。

 

もうひとつの「警察の厄介になるな」とは、くそ真面目に生きろという意味では無くて、文字通り警察の厄介になるような分別の無い生き方をしないで要領よく生きろということでした。

 

私が思うに、「収入の範囲を越える生活をしないで身の程を知れ」ということでしょう。

 

それが、私の生き方であり、お金の使い方に表れているのでしょうね。

 

人には、それぞれの価値観による特性がありますので、なんとも言えませんが、分別のある大人であるならば[全ては自己責任]ということなのでしょう。

 

私にとってお金とは、生活をするための元手でありますが、人と人とのコミュニケーションの道具でもあるかと思います。

 

よく[生きた金を使え]と世間では言われています。

 

家族を養うことや、自分の成長のために使うことや、仲間との交流のために使うことが、私にとっては正しいお金の使い方だと思います。(税金や社会保障費は、否応なしに払わなければいけませんので自身の範囲を越えるような国の面倒までみれませんがね)

 

まずは、自分なりの地に足のついた生活の仕方を身につけると良いでしょう。(あなたの収入に応じた生活スタイルと人とのつきあい方がみつかると思います。)

 

それ以上にゆとりのお金がある時に投資を考えると良いかと思います。

 

世間では「うまい話には裏がある!」とも言われています。

 

必要以上に条件の良い商品であるときには、それ相応のリスクがあることを心がけましょうね。

 

借金をしてまでの投資はやめましょう!

 

同じように商品を買うときは、くれぐれも、クレジットカードでのリボ払いはしないようにしてくださいね。

 

リボ払いは、借金であり、金利という利子を払っていますからね。

 

世の中には、安易に借金をしたことで、人生をぐちゃぐちゃにした人がどれだけいることか!

 

借金には中毒性があることをお忘れないようにしましょう。(自分でやめたいと思っても、脳が快楽を求めてやめれません。)

 

欲しいものが、「あなたにとりまして本当に必要なものか?」時間をおいて判断しましょう。

 

世の中は、あなたに買わせようという誘惑のうえになりたっていると思ったほうがよいかと思うのです。(マーケティングの手法を知りましょう。)

 

それにしましても、国から「将来の年金だけでは老後の生活費はたりないから、御自身で二千万円を用意しましょう」と言われる時代であります。

 

それだけ、日本もどうなるか解らないということなのでしょう。

 

私が思うに、払えるのなら年金は払っておいたほうが安心(自身が障がい者になった時のことも考えて)ではありますし、払うのが難しい時は年金事務所に相談にいって支払い免除の手続きをしたほうが良いと思います。(老後の年金の支給額は少なくなりますが、もらえます。)

 

更には、若い時から少しずつでも自分にあったお金の稼ぎ方とお金の使い方とお金の増やし方を学んでおくと良いかと思います。

 

 

資本主義の性質上、経済を回さなければ景気は良くなりません。

 

景気が良くなるためには、お金を溜め込むのをやめて使わなければいけません。

 

しかし、日本の国民は貯金が大好きであります。

 

また、環境問題により無駄な大量生産は悪だと言われており、人々の消費意欲は減るばかりです。

 

だからこそ、国は投資を進めているのだと思います。

 

そのためには、国民の誰もがお金のことを学んで会社の経営者の感覚をもつべきでしょう。

 

私は、生産性を上げることは正しいと思います。(仕事の時間を減らして、現実的とデジタル的に関わらず、沢山の商品を造る技術をあげること)

 

しかし、世代間による価値観の違いが変化を止めております。

 

それもこれも、時代の流れが解決してくれるのかもしれません?

 

 

まったくもって、世知辛い世の中ですよね。

 

 

何度もいいますが、[全ては自己責任]ですよ!

 

 

 

 

 

 

 

…[金がほしくて働いて]…

 

 

金がほしくて働いて、何を得たというのか

 

夢のためにと働いて

 

家族のためにと働いて

 

金がほしいわけじゃないことに気がついて

 

俺が求めていたものは

 

俺の人生なのさ

 

それだけなのさ

 

そんな時代に生まれただけなのさ

 

なぁ、おまえ

 

 

 

 

 

 

 

 

…終わり…

 

 

 

 

 

 





皆さん、お金って考えだすと本当に難しいものですね。

しかし、それだけ、人生に影響を与えるということです。

未来がどうなるかは、誰にもわかりません。

せめて、「お金だけでも」と思うのが人情ですよね。

Youtubeでもお金と検索すると、さまざまな動画があがっています。

それだけ、必要な知識だと思います。

投資をやられる方は、くれぐれも[全ては自己責任]ですので、詐欺にはお気をつけ下さい。

それでは、また、会いましょう!






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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて! その⑨ 子育て指南


皆さん、お変わりはございませんか?

世の中はコロナの第2波がいつくるか?と心配なようであります。

そんな中、東京都知事選挙も終わり、小池さんの続投となりましたので、東京都は変わらない道を選んだということなのでしょう。

変わらないと言いましても、世の中は大きく変化に向かっているように感じます。

世間様をつくる側の大人と、順応しなければいけない子供との心の矛盾は広がり続けるということなのでしょうか?

誰もが、未来をつくるのは子供だということに異論はないかと思いますが、そのためには、自分を含めた社会の価値観が偏りすぎて生きずらいのではないかとも思います。

そんなわけで、今回は少々片寄った価値観ではありますが、私なりの子育て理論を考えてみたいと思います。



☆注意☆
今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!



 

…[子供は未来!]…

 

 

え~、いきなり本題に入らせていただきます。

 

結論から言いますと、大人の矛盾が子供を苦しめております。

 

まぁ、親にとっては耳の痛い話でありますよね。

 

そんな社会を生み出したのが私の親世代の大人でありまして、その不満を覆い隠そうとして更に矛盾をこじらせたのが、成長して大人となった現在の[理想主義の親]だと思います。

 

全てを否定しているのではありませんよ。

(日本は豊かになりましたからね。)

 

ただ、世の中とは理不尽なものだと、言い訳にしか聞こえないのも事実かと思います。

 

なんだか、言ってることと、やってることが矛盾だらけなのです。

 

現在の社会は、子供らしい子供ほど生きにくいのかもしれません?

 

だけれど、親にしてみれば「それが愛ですから!」と言われるかもしれません。

 

しかし、大概の子供の悩みの原因は大人が作り出した[理想的な社会]から生まれていると思うのです。

(理不尽なみせかけの理想が子供の格差を生んでいる。)

 

それだけ、反論できない子供達が精神的に追い込まれ、本来は個性的であり才能豊かな子供であればあるほど、理想からはずれた障がい者として隔離されていると思うのです。(障害児が増えた理由もそこにあると思います。)

 

私の子供も悩んでおりました。

 

悩むことすら諦め、世間のあやつり人形のように己の存在感を消しておりました。(下手なりにゲームとアニメだけは好きなようでした。)

 

幸いなことに、人の縁に恵まれ、私は[子供をせめない]子育てができました。

 

これが独りで子育てに悩んでいたら、[子供に期待し、周りと比べ、理想を押し付け、できない子供と自分をせめていたかと思うのです(どんな環境でも理解者はいると思います。)

 

私の子供は、ほとんど授業についていけないなか、悩みながらもけなげに普通の小学校を卒業して、中学校は普通学校の中にある知的支援学級へ通っていましたが、高校からは特別支援学校へ通うようになりました。(子供の特性により選択は変わるかと思います。)

 

私から観ましても、中学校までは普通の生活に馴染めない息子は[やりばのない悩み]に追い込まれ、自分の未来が見えないようでしたが、高校からは同じ悩みでも[意味のある悩み]にかわり、[自分の未来]のための生活に変わったようで、毎日、私と前向きな話ができるようになったことで、少しずつ息子の世界は広がりはじめました。

 

子育てにとってもっとも大切なことは、[親の理想を押し付けない]ことだと思うのです。

 

子供には、子供の人格があります。

(人によって能力の差があり、成長のスピードも違います。)

 

失敗も、子供にとっては、大切な体験だと思うのです。

 

何でも間でも親が先回りしては、せっかくの子供の成長の機会をなくすだけでなく、子供自身のやる気まで奪うことになってしまいます。

 

たとえ心配であるとしても、少々のことは黙って見守ることこそ、親がすべきことだと思うのです。(家庭や学校や地域での信頼関係を築くことのほうが大切でしょう。)

 

親の価値観が必ずしも正しいと思うのはどうなのでしょうか?

 

新しい時代を生きるのは、子供達であります。

 

親の価値観だけでは解決できない時代となったときこそ、そんな新しい世代が活躍できると思うのです。

 

[子供は未来!]だと、私は思うのです。

 

一部のずば抜けて賢い子供は(ホリエモンやひろゆきのような)、矛盾した大人の社会をやり過ごせるでしょうが、大概の子供達は矛盾した社会にストレスを感じながら順応せざるおえないかと思うのです。

 

それすらもできない子供の行き場はどうなるか?

 

大人ですら精神的におかしくなる時代であります。

(精神科が増えた理由でもあります。)

 

現在の社会は誰の責任でもありませんが、逆に言えば、全ての大人の責任でもあると思うのです。

 

 

皆さんは、どうお想いですか?

 

 

私は、[大人が変わる時代]だと思うのです。

 

 

 

 

 

 

…[子育てによって親が育つ]…

 

 

自己満足ではすまないのが子育てです。

 

 

自分をごまかして、つごうの良いところだけを世間だと生きてきた親ほど、現実とぶつかるのが子育てだと思います。

 

大人であれば、自分さえ良ければとわりきった生き方で問題はありませんが、子供の人間関係まで思い通りとはいかないことでしょう。

 

そして、子供を通して世間と関わり悩み始めるのが子育てだと思います。

 

実際には、子育てをしている親の方が考え方を変えざるおえないことが多いことでしょう。

(くれぐれも、心配のあまり過干渉にはならないでくださいね。)

 

又は、[子供のことは子供で解決するものだ!]と子育てに無関心になり、他人まかせになるのが落ちではないのでしょうか?

(そういった親の子供は、後々大変ですがね。)

 

自分の子供が障害児として、学校に呼び出されたときにどうするのか?

(障害児になったのは、生まれ持った特性によることが大きいですから神経質にならないでくださいね。)

 

まぁ、実際に経験した親でなければ、わからないものですがね。(周りの言うことは気にしないことです。)

 

ただ、多かれ少なかれ、子育てに問題があるとすれば、親の価値観に問題があることが多いということです。

(子育ての全てを背負い込めと言っているわけではありませんよ。)

 

ですから、親になるということは、より世間様と関わるということであり、お互いに助け合う世の中の一員となるということです。

 

 

簡単に言いますと、次々に感謝という感情がわいてくるのが子育てなのです。

 

 

まぁ、子育てに不向きな人もいますから、そのときはそのときでやりようが変わりますがね。

(私も、どちらかといえば不向きなタイプでしたが、自身を理解することから始めましょう)

 

 

(障害児だからといって、特別視するのは良くないですので、出来ないことのサポート方法を考えましょう。)

 

 

私は、子供も親も自立することが目的だと思います。

 

 

 

 

 

…[子供の特性を知ろう]…

 

 

子供は親のおもちゃではありません。

 

手のかかる子供ほど心配であり親である自身と重ね合わせて考えてしまいがちです。

 

子供を親の欲求解消の道具にしないでください。

 

子供には子供の特性があり、独立した人格があります。

 

言葉だけで理解できる子供もいれば、なかなか言われたことを自分の中に取り込めない子供もいます。

 

言葉よりも独自の感覚で世の中をとらえる子供もいます。

 

頭ごなしに、決めつけてはいけません。

 

大切なことは、子供とのコミュニケーション方法を探しながら、子供が求める決断に向けてサポートしてあげることです。

 

そのためには、子供の特性を知らなければいけません。

 

ときにはきびしく、ときにはやさしく、なんとなくいつも寄り添うことが大切だと思うのです

 

必要以上に、子供の代弁をしてはいけません。

 

言われたからする子供では自立はできません。

 

それでは、子供の成長にはつながらないからです。

 

子供が動き始めるのをじっと待つことも大切なことです。

 

本人から求め行動することで受け入れる状態をつくり、自分の言動に責任を持つことが大切なのです。

 

自分の子供が何を求めているのかは、本人すらわからないかと思います。

 

親子でそれを探すことが目的であり、そのためにはいろいろな体験と知識を通して想像することからはじめましょう。

 

きっと、初めてにしては[なんだかしっくりくること]に出会うと思います。

 

必ずしも、のぞんでいる事柄ではないかもしれませんが、出来ることが好きなことだとはかぎりません。

 

まずは、出来ることから世界を広げていくと良いかと思います。

 

好きなことから世の中を知ることも世界を広げるきっかけとしては良いかと思います。

 

子供のやる気が大切であり、自信につながります。

 

出来ることが、好きなことになったなら最強であり、子供は、ほっといても自ら学び続けることでしょう。

 

何でも、無理矢理が一番いけませんよ!

 

それが、親ができる子育てだと、私は思うのです。

 

 

私は[自分で気づき、自分で考え、自分で選ぶ]を基準にした子育てをしてきましたが、必ずしも当てはまるとは限らないとも思いますので、親も、自分なりの子育てを体験を通して学んでいくしかないと思います。

([そこが知りたいんだよ!]と思うのは、皆さん同じですけどね。……それは、人それぞれなのですよね。)

 

 

子供の生まれ持った特性に逆らわず認めることこそ、なによりの親の愛情だと思います。

 

(子供の自我の形成については〈その3の支配と依存〉のところに書いておりますのでお読みください)

 

 

 

 

 

 

…[どんな状況も見方しだい]…

 

 

人は独りでは生きてはいけません。

 

 

あなたをがんじがらめに縛る周りの人も、見方によっては、それだけ多くの縁の中に生きている表れだと思います。

 

悩むということは、それだけ、あなたの選択肢が多いということであり、新しい価値観を知るきっかけとなるということです。

 

[私が子供を守る]という感情は素晴らしいですが、あなた自身が世の中に壁を作っているかもしれません。

 

子供が育つ学校にしましても、自身を知るためにあるのかと思うのです。

 

あなたと相性が合わない先生ばかりではないかと思います。

 

私の子育てにしましても、周りの子供達や地域の人々により助けられました。

 

国や学校の制度にしましても、悪い所ばかりでなく良い所もあります。

 

せっかくある制度ですので、親も学んで相談しながら利用しましょう。

 

より良い使い方が見つかり学校や行政側も改善されるはずです。

 

お堅い組織ではありますが、意外と経験が豊富なひとりひとりのマンパワーはあなどれないものですよ。

 

独りよがりでは、なにも生まれないかと思うのです。

 

いつまでも、独りで悩んでいても世の中は振り向いてくれません。

 

あなたから歩み寄ることをおすすめします。

 

子育てを通して、あなたの世界も広がるかと思います。

 

意外に、皆さん[何となく生きている]ものですよ。

 

まずは、自然体になって自身の流れにまかせてみてはどうでしょうか!

 

子育てしたくても出来ない人もいます。

(ふりかえれば、あっという間の子育て体験でした)

 

せっかくですので、子育てを楽しみませんか?

 

 

 

[どんなときでも、一息ついて、リラックス!]

 

 

 

 

 

…[世代間ギャップという錯覚]…

 

 

 

誰かを敵対視する思考の癖をやめましょう。

 

 

人生100年も、普通になる時代です。

 

そろそろ、人間の感覚も変わるときかと思うのです。

 

何歳だろうが学び続ける時代だと思うのです。

 

ひとりの人間が長く生きることで理解できることがあるかと思うのです

 

今までの時代と違い、人は死なないことで世代分布図が変わっております。

 

世代間というよりも、生き方の価値観の違いを認めることで、他者にも生きる場所を譲りませんか?

 

あなたが時代を築いたから今があるとしても、国とは誰のためにあるのでしょうか?

 

社会の問題を世代間の格差で片付けるのはやめませんか?

 

自分のために、他人を動かす時代は終わりました。

 

歳をかさねてまで、勝ち負けにこだわるのは何故ですか?

 

それこそ、思想を分断して思考停止にさせようとしている勢力の思う壺ではないのでしょうか?

 

本当に解決しなければならない問題は他にあるかと思うのです。

 

何もかもがわかり会えるという錯覚にとらわれるのはやめませんか?

 

世の中には、わかり会えないこともあるのではないのか?

 

世代間もそうですし、男と女もそうでしょう?

 

私も、子供が女の子だったら、もっと大変な子育てになっていたと思うのです。

 

親と子供の価値観が合わないということは、それだけ、子供が成長したからなのではないのでしょうか?

 

ですから、わかり会えない者どうしが互いに共存するためにすべきことがあると思うのです。

 

正しく理解するためには、自分の感情と考えを分類ごとに分けて、さまざまな視点からみなければなりません。

 

分かるかということは、分け方を知るということだと思います。

 

敵対視する感覚が思考を曇らせているのではないのでしょうか?

 

世間では、シルバー民主主義などと呼ばれています。

 

民主主義の選挙にしましても、生まれた環境に左右されない政治をするための仕組みのはずなのに、諦めてしまうのは惜しいと思うのです。

 

だからこそ、自身が求める生き方を知るためにも、自分軸が必要な時代なのです。

 

矛盾は溜め込まずやり過ごしましょう。

 

現実場馴れした感覚とは、それぞれの現実が違うからでしかありません。

 

制限された不自由な時代は終わろうとしています。

 

いやなものは、いやといえる時代がやってきます。

 

与えられるから自分で選択する時代となります。

 

若者からしてみれば、年上の価値観など過去の異物であります。

 

若者の特権を奪わないでください。

 

そのさきにあるのが、

 

それぞれの生き方による価値観ではないのでしょうか?

 

 

誰もが、自分の人生を生きたいじゃないですか?

 

 

 

 

 

…[なぜ]…

 

 

いつも、なぜからはじまる

 

そんな なぜが とても たいせつ

 

勉強は なぜ するの

 

君の なぜをさがそう

 

だれかのためじゃない

 

君は君でしかない

 

楽しみはそこから

 

こたえのない なぜ

 

 

 

 

 

…終わり…

 

 

 

 

 

 






今回は、私的な話になってしまいまして申し訳ございません。

今では、私の子供も、皆さんのおかげさまで社会人となり、自分で稼いだお金で生活しておりまして、自分で選んだ人生を歩きはじめております。

息子と悩んでいた頃を思い返すと夢のように感じます。

このハーメルンでの執筆活動も、そんな息子に向けて始めたのがきっかけであり、今では会話のネタになっております。

世の中の息子のように悩んでいる子供達に少しでもお力添えができれば嬉しく思います。


[未来が、あなたと共ににありますように!]


子育てのYoutubeもいろいろあがっておりますが、手初めに(思春期の子育てアドバイザー[元中学校教師道山ケイ]という動画をおすすめします。

以前、Youtubeの紹介させていただきました〈51コラボTV吉ハマツトム発達障害〉が〈Y'sspiritual〉という動画名に変わりました。(タイプにもよりますが、不思議好きな私には分かりやすい感覚であります)

気楽に発達障害のことを知りたい方には〈ぽんこつニュース〉なんて言うYoutubeもありますよ!


それでは、また、会いましょう!



ps…

人は、さまざまな体験をへて世の中を理解(悟り)するのでしょうか?

私も人間であり感情があります。

48年生きても、他人のこととなりますと今だに迷いは有るものです。

今回の内容しかり、私の[言葉にならない想い]は、ある意味、見方により矛盾しているかと思います、だからこそ、小説という形で表現したいのです。(つたない文章ですが、小説には私の想いが散りぱめられていると思いますので、あなたの感じるままに読んでくださいね。)

私は、誰もが他者を認めながら、自分軸で生きれる時代を求めております。


そんな生き方ができれば嬉しく思います。









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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて! その⑩親孝行って?


皆さん、こんにちは!

今年も、ひどい長雨がつづく露の日々となりました。

毎年、毎年、ひどくなっていくように感じるのは私だけでしょうか?

皆さんの地域は大丈夫でしたか?

まぁ、心配しすぎても仕方がないことばかりの世の中ですので、それはそれとしておきましょう。

前回は、子育ての話をしましたので、今回は親孝行について考えてみたいと思います。

それでは、お暇な方はお付き合いください!



☆注意☆
今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!



 

…[あらがうなかれ]…

 

 

皆さんは親を見ていて、イライラしませんか?

 

「この、おいぽれが!」なんて感情的になりませんか?

 

なにかにつけて、気になってしまうのが親なのですよね。

 

とかなんとか言いながも、

 

「しょうがないな……」なんて仕方なく離れられないのが親なんじゃないのかと思うのです。

 

 

なぜなのかしら?

 

 

 

私にも、80歳を過ぎた父がおりまして、年齢を重ねるたびに子供のようにワガママになっていきます。

 

困ったことに、イヤなところほど目につくようになっていくようでして、生まれ持った特性がそのまま出てきているようなのです。

 

そんな親を観ておりますと

 

あらためて、親も人なんだと思うのです。

 

もちろん、私も歳を重ねるたびに体の衰えを感じておりますので、[ラクに生きよう]と心がけております。

 

やっと、子育ても終わり、「子供の手がかからなくなってきたのに!」と我ながらあきれてしまいます。

 

母親を早く亡くした心残りもあるようです。

 

どうやら、これが私の性分であるようでして、[やるべきことをやるしかないのか]とイヤイヤながら受け入れているようです。

 

ですが、[なんで、自分ばかり?ずるい!]と思ったりもします。

 

しかし、[なるようになるさ!]と、楽観的なところもありまして、自然と適当にやってもいるようなのです。

 

私のストレスは、そこらじゅうにばらまかれていることでしょう。

 

なんせ、すぐに疲れて体に表れてしまいますから、無理なことは出来ない体質でありますので、[やってられるか!]と素直に思える性格なのです。

 

他にも、上に4人の兄弟がおりますので、[やってんだから、いいだろ!]てな感じで、正当化できてしまうのです。

 

[気になるなら、その人がやれば!]というのが、私たち兄弟の価値観のようでして、なんとなくバランスを保っているようです。

 

責任感の無さにかけてはずば抜けているようでして、飽き性な過集中の特性がバランスをとっているのでしょうか?

 

まったくもって、都合の良い、

 

典型的な末っ子気質ですよね。

 

[これも、運命!あらがうなかれ]

 

そんな感じで生きております。

 

[親も親なら、子も子]といったところなのですかね?

 

世の中、上手く出来ているものですね。

 

 

あなたは、どんな特性をお持ちですか?

 

 

 

 

…[ひどいでしょう?]…

 

 

[私のなかでは、父親は死んでおります。]

 

「うわ、ひどいヤツだな!」と思われるでしょう!

 

しかし、私にとりましてはそう考えたほうが、気楽に父親との関係性を保てれるようなのです。

 

私にとりましては、父親との関係性がそうなった理由があります。

 

私の父親は、良くも悪くも[真っ直ぐな人]でして、子育てよりもお金を稼ぐことが好きな性分でしたから、小4の頃に母親を亡くしてから、私は祖父と祖母が親のような感じでした。

 

父親も、自分で「俺はお金の面倒しかできない!」と言うほどの反面教師でしたから、自分の特性を自覚していたのでしょう。

 

私の家は商売をしておりましたので、私もそれが当たり前と感じて育ちました。

 

私は次男でしたので、明治生まれの祖父からは「お前は分家となって、自分のやりたいことで生きなさい」と育てられました。

 

祖父は底抜けに前向きな明るい人柄でした。

 

祖母は礼儀正しい肝っ魂の座った人柄でした。

 

私も[いずれはこの家を出て、自立しなければいけない]と祖父と祖母に応援されながら生きてきました。

 

私は、自分の縁を信じて25歳で妻と出会い、生まれ育った家を出て2人の息子を授かりました。

 

そんな大好きだった祖父と祖母も、11年前に続けて亡くなりました。

 

どうやら、私は、[生よりも死に関心]があるようでして、死ぬことから生きることを実感しているようなのです。

 

それから、あれこれありまして、18年連れ添った嫁と別れ、5年前に2人の息子を連れて生まれ育った実家にもどり父親の世話をさせていただいております。

 

この5年の月日は、私と父親にとっては大切な時間でありました。

 

私の想いと現実の父親、いやおうなく月日は流れておりました。

 

私は、実家に戻ったことにより、新たな価値観で幼少期からの思い出を振り返りました。

 

私の中で、置き忘れていた感覚を取り戻したようで、父親と兄弟との関係性が変わったようでした。

 

私は、父親のことを死んでいると思うことで、ワガママで身勝手な父親のことを心配しすぎないようにしているようです。

 

早くに嫁を亡くした父親からしてみれば、自分の親もいなくなりやりたいほうだいなのも分かる気がします。

 

本来なら、親や母のかわりにたしなめなければいけません。

 

父親を観ておりますと、老いとともに自由に動かなくなる体とは反対に、自分の欲求が強くなることを止められずもがいているようで、生き苦しさを感じます。

 

本来ならば、そうなる前に隠居の道があったと本人もわかっているはずなのです。

 

しかし、今さら、[やりたいことを我慢するくらいなら、死ぬも本望!]

 

子供の言うことなど気にするはずもございません。

 

私は、父親の親孝行をすることで、できなかった母親や祖父母の分まで合わせて親孝行をしたいようなのです。

 

それぞれの家には、それぞれのバランスの取り方がありますので、外部の者がとやかく言うのは野暮なのです。

 

 

まったくもって、おかしな感覚ではありますが、わたし自身、おかしな変態ですので、これで良いかと思うのです。

 

 

ただ、父親に思うことは、[生きていてくれてありがとう!]ということだけであります。

 

[孝行したいときに親はなし]となりませんように。

 

 

 

良き親であれ悪き親であれ、生きている間に想いの精算をおすすめします。

 

 

 

 

 

…[改革しちゃいましょうか?]…

 

 

 

人には、それぞれの生まれ持った特性があります。

 

私の父親は、どうやら支配型の特性を持っているようで、自分の思うように人を動かすのが自然なようでして、そう考えることに抵抗がないようなのです。

 

元々は相手によって、効率的な人間関係の思考をする親でありましたが、歳をとるにつれ、自身の感情のほうが優先されるようになってきました。

 

肉体的にも精神的にも、世の中の時代の変化に対応できなくなってきているようで、今までのように商売が上手くいかなくなり、読みがはずれて価値観が合わなくなってきたようです。

 

イライラすればするほどに悪くなる商売をそのままに、自分がおいていかれたのを認めることにあらがっております。

 

ある意味、とてもたくましいのではありますが、思い通りにならない苦しみは増えております。

 

父親にとりましては、商売だけが生きがいのようであり人生と言っても過言ではありません。

 

そんな父親に、私は一度だけ「悪あがき」と価値観の批判をして、商売には関わらない宣言をしました。

 

お互いに、そんなことは言わなくてもわかっているはずなのですが、私の特性上、言わざるおえないほど私も追い込まれていました。

 

私も、そんな父親に付き合いきれず、今では、私の人生とは違う父親の商売の価値観には口出しをしないことにしております。

 

父は父なりの最後のケジメに向けてもがいているようです。

 

幸いなことに、私も子育ての経験がありますので、損得に関係なく、精神的に子供に戻っていく父親を冷静に観ております。

 

そのなかで、「歳をとるとはどういうことか?」ということが、父親からの無言のメッセージなのだと思うのです。

 

毎年のように入退院を繰り返す、死に損ないであります。

 

それでも、[なまけると動けなくなる]とがんばっております。

 

これが父親なりの終活なのでしょうか?

 

[好きなように生きなさい!]

 

 

誰もが自分の人生を生きております。

 

 

 

私も、自我が強い頑固者ですので、だんだん父親に似てきております。

 

どうしてなのか、イヤだな~と思っていたところばかり似てくるのですよね。

 

ありがたく、父親の生き方を反面教師とさせていただいております。

 

 

私は人生の節目ごとに生きる目的は変わるかと思います。

 

 

あなたにとって、家族とは何か?

 

 

なん世代にかけて、繋がる願いとは?

 

 

もう一度、考えてみませんか?

 

 

あなたの生きるヒントがあるかもしれませんよ。

 

 

私は、はじめての他人が家族なのだと思うのです。

 

 

 

[永遠にわからない想像する母親とは?]

 

 

 

[わかりあえるという甘え]

 

 

 

[なすべきときに、なすべきことをする!]

 

 

 

そして、

 

[親しき仲にも礼儀あり]

なのではないのでしょうか?

 

 

すべてに感謝いたします。

 

 

それでも、なお

 

 

あらためて、自分の人生を生きようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…[遺言]…

 

 

あと30年もすれば、死ねるのか?

 

死を夢見る私

 

子供ごころとおいぽれた体

 

くたびれた姿がいとおしい

 

誰もが通るさだめ

 

私に重なる家族の面影

 

勝手に好きになっておいて

 

勝手に別れ、さ迷いあらがう

 

永遠の一部となりえし想い

 

お前は何者ぞ?

 

空なる世界に投げ出す想い

 

分裂するがごとく虚空に染み込む志吹

 

何者にも染まらず

 

何物でも成りうる

 

それが、人の生

 

 

どうか、哀しむなかれ!

 

 

どこにでも………

 

 

念じてごらん!

 

 

きっと、答えがみつかるはずさ、

 

すでてはひとつ

 

ひとつはすべて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…終わり…

 

 

 

 

 

 

 





え~、という感じであります。

私の体験を通した、お見苦しい話となりましたことをお詫びいたします。

親孝行や子育てを考えることは、自分の人生を考えることなのではないのでしょうか?

親孝行の極意とは、お互いに心配しすぎないで適度な距離感をもって過ごすということでしょう。
長生きが当たり前の時代となりますので、不安をさがしても意味はありません、先のことはほどほどに考えることにしましょうね。

あなた様にはあなた様の人生があります。

どなた様にも、より良い人生を願っております。

親からみますと、どんな子供であれ産まれて来てくれた時点で、子供の親孝行は終わっているかと思います。

子供がいるから親になれるのです。

どうか無理をなさらず、お気楽に自然に過ごしましょう。


このシリーズも、ひとまず此処までとしたいと思います。


どうも、いろいろ、ありがとうございました。


それでは、又、会いましょう!


皆さん、お元気で!






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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて! その⑪ 呪いと無意識



皆さん、お久しぶりです。

なんだか、疲れてきましたので、前回で連載をやめようかと思ったのですが……

少々、休んでおりましたが、それでも頭の中にあれこれ浮かんでくるものなのですよね。

いつものように、あれこれ考えておりますと、「あれ、呪いってなんだ?」と思ったのであります。

そんなことで、今回は呪いについて考えてみましょう。

それでは、又、お付き合い下さいませ。

どなた様もどうぞお気楽に!

楽笑おじさんと一緒に妄想の世界へ…………第2幕をはじめてまいりましょう。



☆注意☆
今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!





…[呪いって?]…

 

ふと思ったのであります。

 

呪いって、固定化した無意識による思考と反射なのではないのか?

 

それを植え付けるのが、無意識による情報を選別する感覚なのではないのか?

 

いつのまにか、凝り固まった生活様式が呪いなのかもしれない?

 

それでは、情報量が増加の一途をたどる世の中においての呪いとは?

 

変化を恐れる不安、ひとりぼっちへの恐怖なのか?

 

本人が気づいていようがいまいが、底無しの呪いなのかもしれない?

 

そして、そんな呪いを操ることを、洗脳とも言えるし自己啓発とも言えるのではないのか?

 

ということは、家族や宗教や民族の習慣ごとの属性に宿る無意識という呪いに善悪はないのでわ?

 

集団幻想という呪いなのか?

 

呪いも祈りも、どちらも想いであり願いである。

 

属性を分けているのは、言葉による思想文化なのか?

 

その思想文化でさえ、時代の流れは速くて世代間で変わる世の中。

 

時代ごとに片寄る、無意識の波長は呪いともいえないか?

 

さまざまな波長がおりかさなり構造化という大きな流れは呪いともいえないか?

 

それをもとにチャートによる数式や占いがあるのかもしれない。

 

個人の人生もチャート化した波長ではないのか?

 

音楽というハーモニーはどうか?

 

人生におこる出会いや出来事は何を伝えようとしているのか?

 

いかに、偶然を必然と感じられるかなのではないのか?

 

離れられない感覚が呪いなのか?

 

それでは、生まれ持った肉体はどうなのか?

 

いつのまにか、こんなことを思考すること事態、私にとっての呪いなのかもしれないのでは?

 

だとするなら、、何でも呪いに関連つけて考えるいま現在の私は、呪いという言葉による呪いブームという呪いの真っ只中と言えよう。

 

 

そうであるならば、呪いという思考ゲームを体験しているということか?

 

さながら、ジョジョでたとえるなら私の妄想的な思考はスタンドという呪いなのかも?

 

いやまてよ、……じっくり考えるべきかな?

 

 

 

 

あなたにとっての呪いとは?

 

一緒に考えてみませんか?

 

 

 

 

…[遺伝は正直な呪い]…

 

 

遺伝子により、産まれた時に特性は決まっている。

 

親と子供が似るのは、本人よりも他人から見れば一目瞭然のことだろう。

 

肉体的な特性も、心理的な特性も遺伝子により受け継がれている。

 

これは、正直な呪いのようなものだと思う。

 

あらがうのもよし、ながされるもよし。

 

あなたにとって、唯一無二の所有物なのだから。

 

 

すべては進化の定めのままにということなのであろう。

 

 

 

 

…[言葉は偽りの呪い]…

 

 

人間とは、脳が異常に発達した生物である。

 

そのなかでも、視覚情報と言語情報の機能の発達は凄まじい。

 

あなたは右脳系か左脳系か?

 

どちらにしても、言葉により脳は進化したのではないのか?

 

言葉により認識をして意識に上がる。

 

言葉は意味をあたえる。

 

言葉は情報を選別する検索エンジン。

 

言葉は二次的な情報処理であり、必ずしも的確ではない。

 

言葉というフィルターを通して、脳が世界を認識しているにすぎない。

 

あなたが、引き付ける言葉が思考を生み出し、無意識に一方向に誘導されている。

 

言葉の受け取り方により感情が変化することで、身体にあらわれ認識が変わる。

 

言葉は曖昧であり、人それぞれに違った認識を及ぼす。

 

だが、そんなことは誰も気にせず互いに認識の誤解のまま生活している。

 

そんな言葉は偽りの呪いのようなものだと思う。

 

ネガティブな思考が呪いであり、ポジティブな思考が祈りなのか?

 

呪いに善悪は無い。

 

あなたが善悪を感じているにすぎない。

 

 

言葉もデバイス(意識を拡張する道具)も正しく理解をしていなくても、曖昧のままに脳は把握して使うということなのであろう。

 

 

 

 

…[脳内での言葉と情報と無意識と直感]…

 

 

言葉は情報のフォルダーであり、抽象度数の高いイメージからの検索による数式化された無意識ではないのか?

(言葉の情報イメージは人によりそれぞれ異なる)

 

ただ、抽象度数が上がるほど脳が処理するエネルギー量が減ることによりスペックは上がるのか?

(人体は脳機能をフル回転させるだけのエネルギー量をつくりだせない)

 

脳とは、抽象化された言葉によりブロック化された曖昧なイメージ情報が、連鎖しあって無意識に可能性を導きだしているのか?

(無意識による未来予測こそが脳感覚なのか?)

 

そうであるのなら、経験と知識がひらめきを生み出し、ひらめきの演算により、論理的思考よりも直感思考の方が本質に近づくのかもしれない。

(思考と反射以前に直感が行動を生み出しているのか?)

 

脳は未来を観ているのかもしれない!

 

 

 

 

…[主題がない無意識に溜まるもの]…

 

 

 

言葉により認識することで感覚回路が作られる。

 

繰り返す感覚により、強固なショートカットされた回路が作られる。

 

脳は感覚から集まる情報を統合し感情をつかさどる。

 

脳は手抜きであり、感情は錯覚する。

 

錯覚した脳感覚に時空間の認識はあるのか?

 

脳内で独自に構築された感覚回路は直感となり類似の事柄と連鎖しあう。

 

 

 

情報の質ごとには波長がある。

 

 

世界は波長により認識がかわる。

 

 

あなたが引き付ける波長の情報は、無意識が選別している。

 

情報にも善悪はない。

 

無意識には主題がないことで、何かにつけて関連つけてしまう。

 

無意識に集まる情報と感情が結びつくことで呪いが生まれる。

 

それはトラウマなのか?

 

時空間をこえた情報が肉体と重なりあう。

 

あなたが感じている世界は、あなたが生み出しているにすぎない。

 

情報は連鎖し、思考は囚われる。

 

囚われた意識の底にある無意識。

 

無意識が囚われることで意識は洗脳され、思考は自分から深みに囚われてしまうこととなる。

 

時代により無意識に溜まる波長は違うとすれば、コロナという呪いが現在の世の中に蔓延しているということか?

 

 

繰り返すが、呪いに善悪はない。

 

無意識が認識しなければ、善悪すらも感じないのでは?

 

 

善悪は、反転するのかもしれない?

 

 

己と他者は表裏一体なのかも?

 

だからこそ、互いに意識しあいながら進化していくのか?

 

どちらにしても、執着という特別視する感情があるからであろう。

 

 

 

 

…[幼少期の関係性が呪いを生む]…

 

 

生まれついた家族の環境。

 

いやおうなく、生きるために従う関係性。

 

関係性は構造化という記憶の波長となる。

 

打破できない記憶は定着した呪いとも言えよう。

 

それが、その人の関係性の基本となるのかもしれない?

 

はじめての世間が家庭なのだろう。

 

閉鎖的な家庭環境は屈折した依存関係を生む。

 

善悪を認識する以前に、繰り返される幼少期の家庭の関係性により感覚と感情は結びつけられ、無意識に溜まることでその人の二次的な心理特性が形づくられる。

 

世界はもっと広くそんなものは、まやかしの関係性だというのに。

 

分かっていても、なかなか抜け出せないから呪いなのか?

 

家族により呪いは連鎖するということか?

 

それは、家族で背負う業というものかもしれない?

 

それでは、より大きな世間との関係性により業を浄化することで家族の呪いは消えるのではないのか?

 

 

仏教でいうところの、悟りなのか?

 

 

 

 

…[意識をはずせ!]…

 

 

生活習慣を変える

 

 

スコトーマー(盲点)をずらす

 

 

コンホートソーン(自分の前提)をかえよう

 

 

エフェカシー(イメージの成功体験)を高めよう

 

 

アファメーション(自己洗脳)でひきよせろ

 

 

ゴールは自分の心にあればよく、理解される必要性はない。

 

 

自己啓発も洗脳もメンタリズムも、同じ原理なのかもしれない?

 

 

〈興味がある方は、苫米地英人を検索してね!〉

 

変わりたい気持ちはわかりますが、わざわざ高いお金を払ってまでセミナーを受けても、あなたのタイミングがあわなければ成果は得られないでしょうね。…ネットでも本でも、あなたが求めるのであれば波長が合ってくるのではないのでしょうか。

 

 

 

 

…[漂う無意識から逃げよう!]…

 

 

次元をこえた全ての世界には、はじめから情報は存在しているのではないのか?……これが無意識の元なのか?

 

気づかないのは感覚の波長があわないだけであり、たえず情報は漂い続ける。……属に言うパラレルワールドか多次元空間か?

 

2次元に固定化された情報は時空を越えて存在する。……

現実とは、言葉によりデータに固定化された情報なのか?

 

イメージは勝手に独り歩きする。

 

無意識が操る複数の内包した人格となる。

 

固定化された無意識は、偽りの安らぎ。

 

認知バイアスは無意識の自己防衛機能。

 

 

論理的思考による分析で今の自身を確認する。

 

瞑想により、自分の中にセーブポイントをつくる。

 

固定化された無意識の輪廻のループから抜け出そう。

 

 

 

必要以上に自分を語るなかれ。

 

 

人と比べないことで、周りと距離をとる。

 

 

自分を固定しないことで、世界を広げる。

 

 

 

…[自我と自由は幻]…

 

 

こだわりに囚われるな!

 

 

変化を恐れるな!

 

 

自我も自由も自分と他者との間にある。

 

自分に囚われないことで無意識を操る。

 

本当の自分など、どこにもいない。

 

無意識は個人の中にある複数の人格をつかいわけている。

 

感覚を見つめることで知識による情報を識別する。

 

情報を識別することで無意識を意識する。

 

肉体から自我を広げることでプライベートスペースを拡張する。

 

拡張現実は、複数の人格とデバイスの進化に比例して新たな自由を手に入れる。

 

言葉にまどわされるな!

 

インプットとアウトプットを同時にすることで世界と繋がれ。

 

自我も自由も幻であるならば、呪いとは無意識という有識論なのか?

 

大きな流れを感じろ!

 

常に流れに身をまかせ変化し続けろ!

 

大きなゴールを目指せ!

 

 

そのおこないこそが、自分軸ではないのか?

 

 

それすらも、波長となり情報化するのだろう。

 

 

 

 

…[感情が誤解することで錯覚する精神]…

 

 

脳は錯覚する。

 

記憶は都合よく書きかえられる。

 

人の関係は誤解の上に成り立っている。

 

どこまでも都合のよい錯覚があるから自分が存在している。

 

精神は、どこにあるのか?

 

 

他者を通して自分を認知する。

 

他者に向けた感情は自身をもつらぬく。

 

 

縁起により自分を認識し、形づくられる。

 

自分と世界は対等の関係であり鏡のようである。

 

 

周りが私を認識することで承認されるブロックチェーンなのか?

 

 

 

…[今、此処にある体]…

 

 

肉体は過去をきざむ。

 

 

情報量は肉体のふれあいにはかなわない。

 

 

生存のための自律神経であり、欲求による原動力によって感覚が刺激されて行動する。

 

自律神経が感情をつかさどる。

 

 

体は受信センサーであり、初期設定された基本ハード

 

感情を見つめることで理解する心理

 

肉体を感じることで感情をコントロールし、世界を想像することでわかりあう瞬間が生まれる。

 

それすらも、誤解による錯覚なのかもしれない?

 

 

 

…[思考と反射]…

 

 

経験により、思考をショートカットする精神。

 

 

肉体を越える精神がひらめき。

 

 

脳は未来を観ている。

 

 

無意識が思考する前に行動を決めている。

 

記憶は後づけであり自我を統合するための脳機能のあらわれだろう。

 

肉体はハードであり、感覚はソフトである。

 

自分のハードとソフトを理解することで感覚の制御スペックを上げよう

 

内も外も同じようなものであり、どちらも無限の情報空間。

 

地に足を付けて、情報を受け流して溜め込まないことで処理速度をあげろ。

 

感情により神経回路が変わり、モードチェンジする肉体は生存本能の策略である。

 

モードチェンジする肉体は身体能力はもちろんだが、人格までも変える。

 

感情を静かに見守ることで、意識的に身体を操るすべを学ぼう。

 

 

反射する爬虫類の小脳と論理的思考回路の大脳を持つ人の嵯峨なのか?

 

思考と反射は矛盾を生み出し、更なる呪いとなるのか?

 

 

それとも、矛盾による錯覚というひらめきにより進化は加速するのか?

 

 

 

 

 

…[呪いを受けない生き方]…

 

 

 

客観視で統合する世界

 

 

呪いとは、相互依存の関係。

 

無意識から距離をとれ。

 

他者を操ろうとするな。

 

善悪よりも好きか嫌いかで生きよう、

 

感覚による時間は未来から過去に流れている。

 

全ての出来事は次へのステップ。

 

いいかげんは、いい加減!

 

所有しない生き方で、身軽に。

 

 

自分軸が道しるべ。

 

 

自分軸とは?

 

複数の人格を自然に使い分ける。

 

世間を語らず、自分の言葉をもとう。

 

記憶は自分の物語。

 

マイストーリーな世界を自己肯定する。

 

人生を味わえ!

 

 

自分を育てることは、世界を創造すること。

 

 

今を生きることは、過去と未来を想像すること。

 

 

自分を解き放つ時、ザ、ワールドが覚醒する。

 

 

人は自分から始めるしかなく、そのさきの未来に世界が生まれるのだろう。

 

 

あなたがポジティブな世界を望むのであれば、力強いあなたのイメージはスタープラチナのごとく輝くであろう。

 

 

時をこえろ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…[忌野清志郎]…

 

 

素敵な呪いなのかな~

 

 

もう、ずいぶん前のこと、気がつけば、いつも感じていたんだ。

 

アイツは死んじまった!

 

それでも、僕のそばにいるのさ……今も

 

 

メロディメイカー

 

 

スイートソウル

 

 

 

僕はアイツが大好きなのさ

 

いつのまにか、染み込むアイツ

 

夜つゆに濡れて語りだすのさ

 

まちがいなく、アイツは僕のなかにいるんだ

 

今夜も二人で歩かないか

 

 

何から何までも、わかっていてくれる

 

 

君にも、そんな人がいるだろう

 

 

今夜は無性に忌野清志郎が聴きたい!

 

 

 

広すぎる世界を手に入れてどうする

 

何もない自由、かっこいい

 

うろつくべきだぜ、誰の者でもない

 

アイツの生き方、どうだっていうんだ

 

お前が好きなんだ!

 

だからって、いつもそばにはいられねえ

 

こころで感じよう

 

バカな頭のイカれたヤツラが世界を救う

 

僕がいてヤツラがいるだけさ

 

どうだい、のらないか

 

くだらねぇ世界よ、baby

 

よーこそ、のらないか

 

だいじょうぶさ、うまくやれるさ

 

黒に囲まれちまったのかい

 

お前のこころはダイヤモンド

 

ひかりをはなて、お前のものさ

 

おぅ、もう一度高くジャンプするよ

 

さぁ、川を渡ろう

 

ロックンロールショーがはじまる

 

ロックスターが駆けずりまわる

 

愛しあってるかい!

 

ありがっと、お、baby………

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

…終わり…

 

 

 

 

 

 

 






いゃ~、まとまらない?

ただでさえ、繋がりのない解りづらい文体なのに……

自分で書いていてとっちらかっていると思うのであります。

第2幕は、これまでの私の考えが下地となっておりますので、いきなり読まれた方は理解できないかと思います。

どうやら、私も書きながら戸惑っているようです。

感覚が優先された感じであります。

ですから、全てにおいて[かもしれない?]という感じなのであります。

文章にもあらわれているようです。

関心のある方は、ご一緒に考えるスタイルということではいかがでしょうか?

もしも、又、書くようなことがあるならば、このようなスタイルになるのではないか?

そんな予感がするのであります。


皆様に とりまして、何かのきっかけとなれれば幸いであります。


[とっちらかった言葉と言葉をつなぐイメージがあなたの無意識なのかも?]


…全ては自己責任であります。

…あくまでも、善悪は、そちらでお決めくださいね!


…どなた様も、より良い変化を!


それでは、又………



ps…我が青春のジョジョとともに!

不滅でありますな~

あぁ、キン肉マンも今だに読んでますけどね!


私の世代のモラルの基準は少年ジャンプなのであります。

つぎのテーマは、[少年ジャンプとモラル]かもね!



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感情と意識




 

 

 

意識には方向というベクトルがあります。

 

あなたが何か意識を向けたとき、それはあなたにとって認識をすることにより存在するものとなります。

 

あなたがそれに関心をもち、欲求をはたして満足や不満足にかかわらず感情をえたならば、それはその他多くのもののひとつとなることでしょう。

 

あなたが求める欲求を味わえず、関心が途中で閉ざされたとき、あなたのその想いは空回りをして特別な感情という受け流せないものとなります。

 

いつまでも忘れられない感情は執着としてあなたにまとわりつくことでしょう。

 

手に入らなければ、よけいに想いは強くなり意識してしまいます。

 

「こんなにものぞんでいるのに、どうして自分には無いのか?」

 

葛藤はあなたをおおいつくし、空回りした感情は不自然となります。

 

しだいに怒りや妬みというマイナスの感情となり、不自然は加速します。

 

不自然を撒き散らすあなたに、周りは距離をとることでしょう。

 

孤独を感じたあなたの無意識は、しだいに無力感におおわれることでしょう。

 

マイナスの感情は、ネガティブに支配されます。

 

あなたは自分を守るために更にマイナスの感情にたよろうとします。

 

深い悲しみは外から内への意識へ向かい新たな感情となることでしょう。

 

いずれ、本人すらも分からなかった執着した意識が絶望という感情にかわり、絶望を乗り越えた感情は反転することでしょう。

 

感謝という、ポジティブな感情が隠れていたことに気づくことでしょう。

 

ポジティブな感情も意識しなければ分からないのです。

 

感謝によりあなたはいやされることでしよう。

 

忘れるということは浄化されるということであり、特別視していた想いが薄まるということです。

 

悲しみをいやすためには時間がかかるものです。

 

あなたは、自分でも気づかなかったものに目を向けることができるようになるでしょう。

 

意識がなければ感情もありません。

 

当たり前のものほど気づけないものです。

 

ネガティブがいけないのではありません。

 

マイナスの感情が当たり前のことに目を向けることができなくさせるのです。

 

あなたは自分の自然を取り戻すことでしょう。

 

自然なあなたは行動がかわり意識もかわることでしょう。

 

世の中はあなたしだいなのです。

 

浮き沈みがあるのが当たり前です。

 

人には感情があるのが当たり前です。

 

怒りや妬みというマイナスの感情に支配されることがいけないのです。

 

感情とは変化するものです。

 

同じように、人とは変化することが自然なことです。

 

現状維持ほどエネルギーを使うのです。

 

意識と感情の仕組みを学ぶことが大切なことなのです。

 

 

 

 

 



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イメージとエネルギー




 

 

 

 

 

 

 

真実とは、わからないということ。

 

理解できないことが有ることを知ろう。

 

世の中は単純なのです。

 

 

 

気づきとは、貴重な変化という体験です。

 

 

 

あなたの想い描くイメージがあなたの世界を生み出します。

 

イメージがエネルギーとなり波動を発します。

 

それがオーラや気というものであり、言葉よりも多くの情報量のコミュニケーションをとっているのです。

 

互いに発するイメージの接点に[心]はつくられます。

 

[心]という感情をともなう感覚きかんによりあなたのイメージを変化させます。

 

解る解らないに関わらず、感じるというイメージが大切なことなのです。

 

気が合う合わない人という感覚に理屈はいらないでしょう。

 

言葉に惑わされるのではなくてイメージを大切にしましょう。

 

物質や思想に関わらず、この世の中のあらゆる事柄はイメージというエネルギーを発しているのです。

 

 

 

この世の中は、イメージというエネルギーという[意識の力]により成り立っているのです。

 

 

 

デカントが哲学した「我思う、ゆえに我有り」です。

 

 

あなたが感じるイメージが、あなたそのものなのです。

 

 

私たちのイメージは、肉体を持つ物質世界に属しております。

 

物質世界は、制限の多い変化の緩やかな表現を特徴とする世界観であります。

 

 

しかし、根元はイメージのエネルギーなのです。

 

イメージは集中力によりエネルギーを増大させます。

 

 

この世の中はエネルギーが循環することで作用しあいながら成り立っています。

 

まずは、あなたが求める事柄は、あなた自身もわからなくて当然ということに気づきましょう。

 

あなたの感情が欲求する感覚から始まります。

 

なにも選択しないものに次はやって来ません。

 

(なにも選択しないという選択とは?)

 

他人に操られているものに真実はやって来ません。

 

神といわれるものですら他人ですよ。

 

あなたの生き方はあなたが決めていいのですよ。

 

それこそが、自由というものです。

 

しかし、そのためには自己責任ということを身につけなければいけません。

 

あなたはあなた自身だというイメージを持ちましょう。

 

あなたが目指す方向はあなたが生み出していいのですよ。

 

さぁ、感じるままにイメージをふくらませてエネルギーを発しましょう。

 

あなたの行動によりあなたの世界は循環します。

 

 

 

どうか、あなたの真実を見つけてくださいね!

 

 

 

 

 

……空に有る無……

 

 

……空に有る無から有が生まれる……

 

 

……全ては空の成せる業……

 

 

……あなたは何を選びますか?……

 

 

 

……悟りと煩悩の狭間に有る生……

 

 

 

……儚き生……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






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[今ここ]と[自然体]




 

いつも[今ここ]を生きましょう!

 

 

この世の中は、瞬間の連続であります。

 

 

あなたはあなたらしく生きましょう。

 

 

いつも[自然体]で生きましょう!

 

 

 

 

[今ここ]とはあなたの凝縮された世界であり、常に分岐点です。

 

 

変化する人の感情は思考に影響をあたえます。

 

過去や未来にとらわれるのではなく、ニュートラルなあなたで生きましょう。

 

 

この世の中は、自然な縁で繋がりあっております。

 

 

あなたらしくとは、いったいどういうことなのだろうか?

 

 

[自然体]とは、なんなのだろうか?

 

 

考えれば考えるほどに思考はとらわれて不自然になってしまいます。

 

 

ありのままの私とは?

 

それは、ひとりとは言えません。

 

あなたの中には、感情により変化する複数の反応パターンをもつ人格が存在しているのです。

 

あなたは、あなたの中の複数の人格を冷静に見つめてコントロールする技法を身につけましょう。

 

感情の変化とは、生物にとってはとても貴重な経験をえられる感覚でありますが、利害関係が複雑にからみあい役割りが分担された世の中においては機械的な作業を求められることが多いことでしょう。

 

現在の世の中は、あなたにとっては、さほど重要でない出来事であふれており、機械的にやりすごすことが多いことでしょう。

 

そんなときには、いちいち感情により変化することは邪魔となります。

 

感情をコントロールするということは、[自然体]に 戻すということです。

 

そのためには、普段のあなたの意識を見つめるあなたの意識という感覚を持たなければいけません。

 

シュミレーションゲームのキャラクターを操作しているプレイヤーの感覚の私をイメージするとよいでしょう。

 

そのプレイヤーの感覚のことを、[高次元の私]といいます。

 

複数の感情感覚により変化する私をふくめ、[高次元の私]の力を借りて生きるあなたのことを[ありのままの私]というのです。

 

 

それでは、どのように[自然体]戻すのか?

 

あなたの身体感覚は感情に大きく影響しあっております。

 

身体感覚を見つめることで感情感覚をコントロールすることがでるようになります。

 

もっとも簡単な方法が、感情感覚の変化の初期段階の時に、ひと息つくという深呼吸により肉体の安定を戻すという方法です。

 

感情が変化するとは、ドーパミンやセロトニンなどの脳内ホルモンが分泌され身体変化をおこすということです。(感情が変化するからおきるのか、身体感覚が変化するからおきるのか、どちらが先かはわかりません?)

 

あなたの肉体にあらわれる身体的な変化は感情感覚の変化のサインでありますので、どういったときの感情に身体感覚の変化(動悸、息切れ、鳥肌、内臓感覚、頭痛、等)がおきるのか合わせて覚えておくとよいでしょう。……なれてきますと、初期段階でのサインがわかるようになりますよ。

 

深呼吸の効果を高めるためには、毎日一度は瞑想のような自身の感覚を[自然体]に戻す時間をもつとよいでしょう。

 

[自然体]とは、さわやかな気持ちのよいわたしの感覚になるということです。(喜怒哀楽という感情感覚は、生物にとりまして貴重な感情感覚の経験ができる仕組みですので、けっして全てを否定してはいけませんよ。)

 

きっと、自然体のあなたには良い縁がおとずれることでしよう。

 

あなたにとりましてより良い[今ここ]の選択がおとずれることでしょう。

 

 

 

ありのままわたしとは?

 

 

[今ここ]を生きている[自然体]な私のことなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 






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気功と思考




 

この世の中には、気功により病気を治す気功師という人がいます。

 

気功とは、思考により気を操ることであります。

 

あなたの思考によりエネルギーの波動が変わります。

 

気功とは、臨場感の高い思考から発動するエネルギーのことなのです。

 

 

古来より、気功とはさまざまな宗教の秘伝として自然の摂理の一部として伝わってきました。

 

瞑想は、気功の初歩であり一部だといわれています。

 

この世の中は、太陽の恵みによりなりたっております。

 

生命とは、太陽の波紋エネルギーであります。

 

 

太陽の力により、水が、[気体、液体、個体]と変化することで、重力による位置エネルギーが変わる現象と同じように、あなたの気も位置エネルギーが変わります。

 

より多くの太陽エネルギーを取り込む、ポジティブな明るくて軽い思考は、広がる悟りの気のエネルギーを発します。

 

反対に、ネガティブな暗くて重い思考は、縮む淀みの気のエネルギーを発します。

 

気というものには、重さがあります。

 

軽い気から重い気への落差により感情エネルギーが生み出されます。

 

軽い気ほど、善いエネルギーを溜め込みます。

 

重い気ほど、悪いエネルギーを溜め込みます。

 

(善悪は人間が感じるイメージであり、自然にとりましては、どちらのエネルギーが善いとも悪いともいえません)

 

どちらの気のエネルギーも、自然に影響をあたえます。

 

(自然とは、この世の摂理のことです)

 

気のエネルギーによりあなたの身体は変化します。

 

あなたが発する気により、あなたの周りは変化します。

 

あなたの周りの関係性は、あなたの思考から生み出される気のエネルギーによりつくられているのです。

 

逆に、あなたの周りの気のエネルギーにより、あなたの気は影響されているということです。

 

なるべく、あなたが違和感を感じない場所で過ごしたほうが、あなたの生命エネルギーは活性化され、自然体であり抵抗なく生きれるということです。

 

(結界とは、思考と文化により生み出される情報空間)

 

誰もが、無意識に気を発しており、世の中に影響をあたえてきた結果が現状であります。

 

 

気の特性には、生まれ持った特性と体外から取り込む気の特性があります。

 

(生まれ持った気を[先天の気]体外から取り込む気を[後天の気]といいまして、どちらの気のエネルギーも有限てす)

 

体外から取り込む気の知識や食物は、生まれ持った気の特性に影響をもたらします。

 

(エネルギーを取り込むことによる思考と身体の変化)

 

それが、進化ということです。

 

 

進化により、あなたの現状は変化します。

 

更に、あなたの気のエネルギーにより、周りを変化させることもできるようになります。

 

(自然から無限に気を取り込む[秘伝の気]というものがあります)

 

世の中にいる、数人の気功の達人レベルになりますと、自身の病気はもちろんですが、[対象者の病気は無い]というイメージをするだけで、遠く離れた人の病気まで遠隔治療で治すことができるそうです。

 

(なぜ治るのか?本人すらも原理はわからないそうです)

 

太陽エネルギーの波紋のように、気のエネルギーは時空をこえて循環するのです。

 

 

気功とは、物理空間の原則をこえた、思考空間に影響を及ぼすエネルギーなのです。

 

 

 

(思考は無限の情報空間ですので、制限をかけてはいけせん、ただし、自分を見失わないように自分軸という座標を持ちましょう)

 

 

(自分軸とは、ありのままの自分を肯定することであり、自分の生きざまに対して納得することです)

 

 

(あなたがしてきたことは、できて当たり前であり、あなた自身を疑わないことです)

 

 

今、ここに有る自身に感謝することは、すべての世に感謝すること!

 

 

たとえ、解らないことでも感謝することで世界は繋がるのです。

 

 

自然と一体に成りましょう!

 

 

 

 

…思考空間は物理空間を内包します。

 

…思考空間を内包する(感覚空間?)感覚を感じられれば

 

…更なる進化の次元へ行けるのかもしれません?

 

…空にも次元という段階があるのかもしれません?

 

…それ以前に、[健全な精神は健全な肉体に宿る]

 

…あなたにあった、適度な食事、運動、睡眠を心がけましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 




…有る意味、ドラゴンボールの世界観をイメージしていただければ、気功は解りやすいかと思います。

…スーパーサイヤ人への進化や、元気球などの捉え方は、穏やかな精神で自然と繋がることにより、個人の気のエネルギーの限界を越えることなのでしょうか?


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自我と記憶


…今回は、わたしの妄想的な価値観であり、あなたにとりまして、不快な内容かもしれません?

…修羅と争いを好む方には不向きかもしれません

…そんなことは、読みたくない!と感じられた方は、申し訳ございませんが読むのはお止めください。

…どうか、自己崩壊しませんようにお気をつけください。




記憶とは?……過去の情報である。

 

生物にとっては、現在が全てである。

 

今、この瞬間を生きることに全力をそそぎ命を繋ぐために、習性としての反応があればよいはずだからだ。

 

それでは、なぜ、人には記憶があるのか?

 

それは、人間が思考する生物だからだ。

 

人間には、習性とは別に[私はわたし]という自我がある。

 

その自我をたもつために記憶があるのだ。

 

 

 

一方、人間には自我とともに世間がある。

 

世間とは、社会的な過去の情報である。

 

人類は社会という外部記憶媒体をもったことにより飛躍的な進化をとげたといっても過言ではないだろう。

 

言い方をかえれば、社会構造というヒエラルキーを維持するための秩序と言ってもよいだろう。

 

私たちが学問を学ぶのも、溜め込まれた膨大な情報からより良い自我を選択するためであろう。

 

哲学で言えば、ソクラテスの知を認識する無知の知からはじまり、プラトンのこの世の現象は全て本質から写し出された影であり実体はつかめないというイデア論や、デカルトの我思うゆえに我ありという存在論、ニーチェの神は死んだという個人の開放的な超人論、ハイデッカーの存在は変化する時間の上に成り立つという存在と時間論をこえて、サルトルの自由を求める自由に捕らわれる自我からの逃亡のためには行動し続けるのみという実在論、と思考は進化していく。

 

自閉的な社会不適合者であるわたし的には、世間と自我とのつじつまを合わせる思考でしかないのではあるのだが、社会的な生物である人間としてはしかたないのであろう。

 

 

心理学で言えば、フロイトの過去の見たくない記憶のトラウマを閉じ込めた無意識という原因論や、アドラーの未来の目的のための現在と無意識をとらえた目的論、ユングの無意識と意識は共同作業ができると人をタイプ別にわけたタイプ論にはじまり、現在では自己啓発や自己暗示やマーケティングなどの無意識を操るメンタリズムが論理的に思考している。

 

 

こちらは、生物としての肉体的欲求と自由意思である精神的欲求との矛盾の葛藤のつじつま合わせなのか?

 

 

全ては、人知れず過去から受け継がれてきた宗教や思想の秘伝の新たな解釈でしかないのであるのだが、学問的にとらえることにより情報は大衆化するのであろう。

 

資本主義は、格差というヒエラルキーを生み出したが、人類全体を引き上げ文明の豊かさという底上げに貢献したのも事実であり、私たちの社会は、飢餓や疫病から解放され現実情報の世界での生物としては進化のピークに到達したのではないのか?

 

しかし、自由意思を手に入れた人類は労働からも解放されようとしており、あまりにも自由度の高い精神情報の世界をもてあましてもいるようである。

 

肉体を持つ生物としての、弱肉強食の生存本能ゆえの嵯峨なのか?

 

精神的な情報世界までも優劣を定め争わなければ気がすまないのか?

 

これからの未来において新たな思考が必用になることであろう。

 

日本においては、過去一番の平和と豊かさを維持している。

 

これほどまでに豊かになったにもかかわらず、集団教育をうけた自身を疑わない日本人は個人を理解できないでいるようでいる。

 

大きな流れにのみこまれた大衆は自身すらも認識できず目的も定まらないままにさまよっている。

 

ただ、捉え方によっては、信頼しあえる単一の集団であるならば、精神の安定にかんしては、いちからの自我の構築よりも、与えられた自我を受け入れたほうが幸せかもしれない?(民族間での敵対視する思考はいらないが現時点においてはしかたないのであろう。)

 

たとえ、それが、世間からみれば異常な思想の宗教や都市伝説的な歴史観であったとしても、それを信じている人にとっては、それに救われ現実化しているのだから。

 

それこそ、信じるものは救われるであり、被害者でもないのであればほっておけばよいのではないのか。

 

私から観れば宗教や都市伝説などの思想は異世界の文化であり、テーマパークのように楽しめばよいだけなのだ。

 

世界的にみても、少なくなっていくネガティブな情報を必死になって集めて報道しているのが事実であるのだが、豊かさにかんしては、80億の人類が生存できる地球は実現しており上昇している。

 

テクノロジーにより生活環境は制御され、肉体的なストレスは少なくなっているにもかかわらず、ネガティブ思考により、人類はありもしない精神的なストレスを生みだし悩み苦しんでいる。

 

たしかに、ネガティブな思考のほうが取り込みやすいのは事実であり、操りやすい。

 

(食べ物までも操られ、肉体的にも操作されているのか?)

 

(物質的な快楽を刺激され、購買意欲を操作されているのか?)

 

実体を持つ、現実があってこその世界である。

 

なぜ、格差を意識させたがるのか?

 

なぜ、そこまでして不安をあおるのであろうか?

 

幸せとは、人それぞれなのではないのか?

 

まだまだ、ピラミッド構造で争えということなのか?

 

 

いやいや、こんなことを考えている時点でわたしの思考はネガティブに引っ張られているのではないのか?

 

…他人は他人であるというのに…

 

 

 

 

 

話しを自我と記憶にもどそう。

 

記憶とは、現在の自我を肯定するために都合よく集められ構築された情報である。

 

あなたの知っている記憶とは別に、思いだそうとすれば思い出せる前意識という記憶をふくめて顕在意識と言う。

 

しかし、あなたの行動の選択を決めている情報は、顕在意識よりも忘れられた無意識にためられた情報である潜在意識によりうながされているのだ。

 

あなたが意識しなくても、あなたの潜在意識は生存のための行動をとり、肉体的にも精神的にも、いつもバランスを保っている。

 

その潜在意識に潜り込み自身との対話以外の意識を分断し思考をとぎすましたのが瞑想である。

 

瞑想とは、思考を止めることではなく、自身の内部情報である記憶にアクセスすることであり、変性意識状態に入り無意識を意識して、自我を整える行為である。

 

 

いつの間にか影響を受けている無意識とは、社会という外部記憶媒体にただよう人類の叡智といってもよいかもしれない。

 

頼りない意識が私ならば、こうでなければならないという圧力をかける世間は超意識なのである。

 

世間という超意識と生存本能である無意識の間を頼りない自我という意識がさまよっている。

 

 

あなたの頼りない自我に自然体を取り込むことで、悟りという繋がるエネルギーにより自分軸に成長させることは可能であろうか?

 

 

 

自由意思という個人ではあるが、誰もが他者がいなければ成り立たず、世の中は繋がりあっていることを無意識は知っている。

 

あなたが、そこにいるだけで世界の役にたっている。

 

どんな人であろうが、人でなかろうが。

 

死してなお、情報として残るものもいる。

 

 

 

世間とは、人間関係である。

 

 

あなたが関わる人によりあなたの世界はつくられている。

 

 

あなたが認識する人があなたの周りに集まっているにすぎない。

 

 

つまり記憶と同じようにあなたの無意識のあらわれが人間関係にあらわれ現実化しているのだ。

 

あなたが現状の人間関係に不満をいだいていたとしても、そんな自身に満足しているからにすぎない。

 

本当にイヤならばたえられないであろう。

 

もしくは、現代の日本の社会構造により情報が遮断されてきたからなのだろう。

 

わたしがあげた哲学者と心理学者を調べてみればわかるかと思う。

 

あとは、あなたが何を望むか?

 

それは、あなたが選ぶしかないのだ。

 

これすらも、ある人にとってはプレッシャーとなりストレスとなる時代なのか?

 

 

人間とは、物質文明が進化するほどに精神は退化しているのかもしれない?

 

 

周りに気をとられ、自身を見失い可能性を狭めていないか?

 

 

心にゆとりをもてば、どんなことにも楽しみをもてるだろう。

 

 

人間はラベリングされた抽象化した言葉の記憶により思考する。

 

それを、言語感覚とするならば、もうひとつの思考感覚である、数式により未来を予測する感覚を手に入れたのだ。

 

 

更に、言語と数式により未来の自身の目的のための現在を選ぶ未来思考をもっているのではないのか?

 

 

少々、どがすぎてはいるが、さまざまな宗教や神話による、あの世や輪廻の思考すらも生きている現在の自我と社会秩序を肯定するための価値観なのかもしれない。

 

全ての思考は、生命活動を営む自我のためなのか?

 

それならば、もっと多様な価値観があっても良いかと思う。

 

多様性とは、あなたが他者を認めることから始まる。

 

他者を認めるとは、自身も立場が違っていたらそうなっていたかも?という発想であろう。

 

思考情報空間において

 

…わたしはあなた、あなたはわたし…

 

つまり、自身を通して世界中と繋がるということだ。

 

 

自閉的な私だから、こんなことを考えるのかもしれないのだが、もしも、輪廻があるとするのであれば、人間には生まれたくないと思う。

 

潮の満ち干きの波と凪のような感情の揺らぎは私にはにぎやかすぎるようである。

 

それほどまでに、自分の中に自然と沸き上がるガヤガヤとした思考に「もう、いいや!」という感じなのだ。

 

それでも、死がおとずれるまでは生きていようとも思う。

 

これも生物としての嵯峨なのだろうか?

 

わたしとしては、はげしい大海よりも小川のせせらぎのほうがあっているのであろう。

 

そんなわたしだから[自分軸]を目指すのかもしれない?

 

 

皆様も、悪あがきと思って[自分軸]で生きてみませんか?

 

 

 

 

なにかが変わるかもよ!

 

 

 

 

 

現時点でのわたしにおいて、確実に言えるのは、記憶は感情感覚とリンクしており、それぞれの思考を元にして構築された世界をきづくということであり、それは、時空をこえた領域に存在する。

 

 

…自由意思や自分軸といわれる自身の半身でもある高次元の私というものたのだろう。

 

 

 

…はたまた、宇宙意識ともいわれる絶対無限のひとつの世界なのかもしれない。

 

 

 

…あなたの世界にさわやかな安らぎがおとずれますように…

 

 

 

 

 

 

 




…有る意味、…

…否定も肯定もしない…

…自分も他人もない…

…絶望も希望もない…

…ただあるのは…

…可能性だけ…

…生まれては消える…

…泡のような…










PS……[Reゼロ]という小説があるのですか、死に戻りという輪廻のような能力をつかって人間の七つの大罪、(煩悩、メー、?)強欲、怠惰、色欲、憤怒、暴食、傲慢、嫉妬、を認識しながら世界を(もしくは自身?)を救っていく、かなりのハードでエグイ内容なのですが、ラノベ特有のライトな表現で読みやすいかと思いますので、おすすめします。
…あなたのなかの何かに引っ掛かるかと思いますよ。

…わたしのような、客観的で内向的な個人主義の法則型でなければ、今回の題材は理解不能かも?
…いまさらながら、そんなことを思ったのであります。
…まあ、こんなことを考えているおかしなヤツがいると笑い飛ばしてくださいな。

…それでは、縁がございましたら、また会いましょう!









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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて! その⑫ 人は、なぜ生きるのか?


…皆様、調子はどうですか?

わたしの[呪いと無意識]シリーズ も(かってにシリーズとしょうして思考していたのであります)、前回でひとくぎりをつけまして、久しぶりに[∞あれやこれやとなんだかな~]を書いてみたくなりました。

さて、わたしの興味はどこへ向くのでしょうか?

お暇なかたは、お付きあいくだされば嬉しく思います。



☆注意☆
今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!



‥[アメリカ]‥

 

皆様、アメリカと聞いて何をイメージしますか?

 

世代によって違うのでしょうが、50歳前後の私の世代ですとアメリカと言えば文化の中心でありました。

 

人種のるつぼ、可能性の実験場、前進あるのみ!

 

ザ・ポジティブ

 

相当に日本も影響されていたのであります。

 

映画や音楽、食事やファッション、に始まり、現代アートと言えばヨーロッパを越えてアメリカでしたし、日本の経済なんかアメリカのおかげで成長したようなものでした。

 

(実際には、それ以前には日本文化でわいた西洋があるのですがね。)

 

現在でも、アメリカの影響はとても強いのですが、それでも30年前に比べれば弱くなったのでは?と思います。

 

それとも、アメリカ文化を取り込み、日本で独自の進化をしたのかもしれません。

 

文化とは、自然に交わり融合していくものですからね。

 

互いに影響を繰り返して変化していくようです。

 

時をへだてて残ったものが正しいのではないのでしょうか。

 

それこそ、ルーツがどうであれ、今、あなた方が、生きておこなっていることが全てだと思います。

 

 

さて、そんなアメリカの大統領選挙では、共和党のトランプが騒いでおりましたが、民主党のバイデンに決まりました。

 

(ニュースを観ていますとお祭り騒ぎのようですが、実際はどうなのでしょうか?………あくまでもメディアを通しての世界ですから………)

 

政権交代となりましたが、どうなることやら?

 

またまた、世界はふりまわされそうであります。

 

なんていっても、アメリカ様ですから!

 

アメリカが動けば、世界がゆれる。

 

まぁ、ひよりみ的な日本の庶民には慣れっこでしょうがね。

 

いつものことです。

 

 

さぁ、次の流れをまちましょうね。

 

 

 

 

‥[格差社会]‥

 

 

コロナの影響か?

 

なんだか、どこを見ても、うさんくさい気がします。

 

わたしだけでしょうか?

 

たてまえだけは、やさしいのですが、実際は切り捨てですよね。

 

どんどん格差が広がっていくようです。

 

その格差すら、お金でははかれなくなってきている気がします。

 

それが、個人の責任であるという、個人主義なのだと思います。

 

情報だけが飛び回り、その情報をいかせるものといかせないものが格差を広げるようです。

 

情報社会は、人間関係がドライになりせまくなっていくようです。

 

ただ、捉え方が変わっただけであり、元からそうなのかもしれないとも思うのです。

 

(本来の日本は、歴史が古くて大切なものほど伝統的な技能として人づてに伝えられたはずですから、もっと慎重で閉鎖的な村社会の文化なのだと思うのです。……というか、こだわりの度がすぎて理解者が少ないのかもしれません。)

 

(日本人に探求心の強いオタクが多いのも島国だからかもしれませんね?)

 

残酷なようですが、人口が増えるほど効率は重視され機械的な社会になり格差は広がるのだと思うのです。

 

どうやら、少数派の上の方から豊かになる仕組みなようで、庶民はおこぽれを待つか、成り上がるしかないようです。

 

(プライドの高い人達にとりましては、成り上がった人達は品格がないと認められず、お金以上の差別の格差で仲間に入れないのでしょうか?)

 

西洋の方たちも油断できないようで、人種を越えた成り上がり競争の時代だと思うのです。

 

しかし、ルールをつくるのは、西洋なのですからね!

 

同じ土俵では争わないほうが良いかもしれません?

 

(お金は大切ですので、経済の仕組みは学んでおいた方が、出会いのチャンスは多いかと思います。)

 

それぞれのお国柄事情がありますからね。

 

どうなることやら?

 

 

 

‥[情報]‥

 

 

この世の中は、情報により成り立っていると思います。

 

個人が、自己責任で世界中の情報と繋がる時代になってきています。

 

それだけ、個人の判断力が必要なのだと思います。

 

特に経済となりますと、ヨーロッパが環境問題や健康問題を理由に国際ルールをつくろうとしています。

 

それをバカにしながらも利用するアメリカと、対立する中国と、独自路線のロシアといった所ですか?

 

だからといって、害の多い物事を完全に無くすわけでもなくて、(確実な原因はわからないからか?)情報が出されるたびに経済は揺れ動きます。

 

アメリカの株価の乱高下は凄まじく、もうけたものと損したものの格差は広がるばかりなようです。

 

まさに、マネーゲームでしょうか?

 

日本の株価も巻き返しており、菅政権の影響かデジタル関連銘柄や、コロナの中で比較的に安定している経済なのか製造銘柄が上がってきているようです。

 

日本の株式の株主は海外の人が多く、とても良い安定資産であるようでして、もはや、日本の企業は日本人のものではないように思います。

 

そのため、円の価値を下げずらいのか?物価をあげられないのでしょうか?

 

日本の税金は誰のために使われているのでしょうか?……いまさら言っても仕方がないのですがね。

 

う~ん、なんとかやっていけるのは、国民の資産も多くて内需を維持している日本だからですかね?

 

それでも、海外との交流が多い、東京、大阪、愛知、北海道、九州の経済圏は、寒さが増すとともに西洋と同じように感染者が増えてきているようです。

 

情報から見ると、五大経済圏は、まるで海外のようであります。

 

海外の人達が主力の都市部と庶民派の地方といった感じでしょうか?

 

日本の中でも、二極化なのでしょうか?

 

それとも、都市と地方では情報の流れが違うのかもしれません。

 

情報の流れは時間の流れ、情報の流れは思考の流れ、生きかたのスピードが違うのかも?

 

 

あなたはどちらの生きかたを望みますか?

 

 

 

‥[運]‥

 

 

あなたは、運が強いほうだと思いますか?

 

「私は運が強い!」 と思われたかたは、正解だそうです。

 

まずは、思い込むことが大切なのだそうです。

 

「幸運は皆に公平に降り注いでおり、それに対して私達は主体的に関わっている」と脳科学者である[中野信子]さんが言っています。

 

(興味がある方は中野信子さんの本[科学がつきとめた運のいい人]で検索してみてください。)

 

つまりは、運がいいかどうかとは、誰にでも公平に降り注いでいる幸運を拾えるタイプか、そうでないかの違い!なのです。

 

それでは、どのようなタイプが運がよいのでしょうか?

 

それは、より多くのチャンスに気づき挑戦する考えと行動ができるかどうかなのです。

 

もっと簡単に言いますと、[幸せな状態]な人かどうかということです。

 

幸せな人とは、自然と良い人間関係を築いている人であります。

 

(良い人間関係がどうして?…脳科学としての、脳内ホルモンである、オキシトシン、セロトニン、ドーパミン、エンドルフィン等が感情と行動にあたえる化学反応についても本では解説しておりますよ。)

 

良い人間関係を築いている人は、思考がポジティブになり良い情報が集まりやすくなります。

 

ポジティブ思考なので、当然、良い情報にチャレンジしやすく、結果として、幸運に恵まれるのです。

 

それでは、かんじんの[幸せな状態]は、どうすればつくれるのか?

 

それには、3つのことを意識すれば良いそうです。

 

①自分で自分を大切にあつかうことで、同じような互いに大切にしあう運のいい仲間が集まりやすくなります。

(自分を大切にするとは…自分のことを好きでいる‥自分に自信をもつ‥健康に気を使う‥身なりをととのえるということです。)

 

②自分は運がいいと決め込むことで、失敗に対して改善や努力の余地があるとポジティブにとらえるようになり、成功率が上がりやすくなります。

 

③他人との共生をめざすことで、同じような目的の人達が集まることで、独りでは思い付かないより良い思考にたどりつきやすくなります。

 

さらに付け加えるならば、

 

思考するだけではダメですよ!

 

行動するから現実になるのです!

 

この本を読みまして、「あぁ、やはり、私は間違ってなかった!」と思うのであります。

 

皆様も、ぜひとも、生活に取り込んでみてはいかがですか?

 

 

 

‥[片付けと鬱]‥

 

 

一般的にもそうですが、特に発達障害人にとりましては[鬱]は身近な存在であります。

 

自閉症スペクトラム(アスペルガー.ADHDを含む)の発達障害人は、生まれついての得意と不得意の差が激しいかたよりの特性を持っているために、周りから理解されにくい存在であることが多く、いつも過度な緊張によるストレスにさらされているからです。

 

[鬱]とは、過剰に怒りや恐怖を司る扁桃核が働き副腎に伝わって、ストレス対抗ホルモンであるコルチゾールが大量に発生し、脳に吸収されて、コルチゾールが記憶に関係した海馬の神経細胞を摩耗させて脳の海馬を小さくさせている状態のことです。

 

脳の海馬が小さくなると、[反すう]という、実体的な感情を伴わせて過去と未来について不定的なことを永遠と考え想像してしまう状態になりやすくなります。

 

簡単に言いますと、ネガティブ思考になるということです。

 

更には、集中力の低下のために、実際の物事を正確に判断(客観視)できなくなり、自己肯定感が下がりやすくなり、不の連鎖におちいりやすくなるために、自身での[鬱]からの回復が難しくなります。

 

どうか独りで悩むことだけはやめてくださいね。……さらなる複雑な症状になる可能性が増えてしまいますので、お友達や家族に相談しましょう。

 

責任感が強くプライドの高い方は、早めにメンタルクリニックに行くことをおすすめします。

 

(私は症状の改善のための、きっかけとしての一時的な薬の使用は必要かと思います。)

 

改善方法としては、散歩などの有酸素運動がBDNFという脳由来の神経成長因子を大量に発生させることで、小さくなった海馬を回復させるということです。

 

散歩には、適度な刺激により思考の反すうを整える効果がありますので、なるべく、お気に入りの刺激がえられるコースを選びましょう。

 

(わたしは、jazz等の好きな音楽を聞きながら四季が感じられる自然が多いコースを散歩しています。……最近はLISAのLEONINEをよく聞いてるかな。)

 

あまりにもストレスがなさすぎるのも、ストレス耐性が下がり生きずらさが増してしまいます。

 

自身にあった、適度な刺激(心地の良いストレス)である、食事、運動 、睡眠を規則正しく心がけましょう。

 

 

それでは、なぜ、発達障害人が[鬱]になりやすいのか?

 

そのひとつの原因としまして、部屋が散らかっていることがあげられます。

 

一概にはいえませんが、3つのストレス要因があります。

 

①散らかった部屋は物の情報量が多い。

 

(情報量が多いことによるワーキングメモリの低下)

 

②探し物が見付かりにくく、物をなくしやすい。

 

(イライラによるストレスの増加)

 

③意識が散漫になり気が散りやすい。

 

(作業が進まず課題が未達成による不安の増加)

 

発達障害人の特にADHDは、[課題無関係思考]におちいりやすくなりやすく、目に付いた物事に意識を奪われやすい傾向がありますので、部屋を片付けることでのストレスの軽減をされることをおすすめします。

 

[課題無関係思考]とは、課題(目的)に関係のないことを考えてしまうことです。

 

 

しかし、発達障害人には、片付けが苦手という方が多い問題があります。

 

なぜなら、発達障害人は空間の収納スペースのイメージ力が低くいこと、物が捨てられないという特性の方が多いからです。

 

そんなときは、自分ひとりで片付けをしようとするのではなく、家族や友達、アドバイザーなどの専門家に頼ることをおすすめします。

 

片付けた部屋が再び散らからないためには、写真を撮っておいたり、地図などを使って片付ける場所のルールを決めておくと良いでしょう。

 

また、お客さんを招くことで、片付けようという意欲がわきやすくなります。

 

 

皆様も、鬱にはお気をつけください!

 

 

 

 

‥[人は、なぜ生きるのか?]‥

 

 

[人は、なぜ生きるのか]とは、生きていくことに対しての永遠のテーマではないのでしょうか。

 

誰もが一度は考えたことがあるかと思います。

 

(無意識では、生きることに理由なんてない!と感じているのですが……思考する人間の嵯峨なのでしょうか?)

 

私は、幼少の頃から毎回このテーマにぶち当たってきました。

 

子供のころは、産まれたから生きていると思っていました。

 

青年のころは、役割があるから生きていると思っていました。

 

親になってからは、子供のためにと生きていると思っていました。

 

裏を返せば、だから死ぬわけにはいかない!ということなのでしょう。

 

(どんどん他者に理由を求める他者依存となり、行き着く先は自殺なのか?)

 

今、思えば、それだけ不自然であり、生きずらさを感じていたのでしょう。

 

それほど他人に関心をもてなく、自分の時間を大切にするタイプではありましたが、家庭の事情もありまして、子供の頃に理解者がいないと感じることは相当なストレスにさらされていたかと思います。

 

結果論ではありますが、自分の世界を生きる自閉的な人間が、周囲いの圧力のなかで、生きるために世間を気にしながら自己対話を繰り返したあげくに、様々な知識と経験をもとに論理的な思考である客観視を得たことにより、覚醒したようなのです。

 

人には、それぞれの生まれついての能力に特性がございます。

 

(私の能力は、たまたまかたよりが大きかったようです。)

 

ゲームでいうところのステータスを振り分ける初期設定であります。

 

その初期設定の状態から、どのように自分を変化させていくか、………そんな変化することこそが、生きることなのかと、今は思います。

 

人は、変化しなくなったら死んでしまうのかもしれません?

 

老いることは、素晴らしいと思うのです。

 

 

やはり、わたしには永遠の命はいらないようです。

 

 

 

 

 

…今、「なぜ生きるのか?」

と問われたら。

 

…間違いなく、「自分の幸せのため!」

と答えるでしょう。

 

 

 

…「全ては繋がっているんだよ。」

 

 

 

 

 

…終わり

 

 

 

 

 

 




…いやはや、またしても勝手な理屈をこねて妄想してしまいました。


私が、今、メンタルクリニックに行ったら、間違いなく妄想的な発言を繰り返し、統合失調症と診断されるのではないかと思います。

ぽんやりと散歩していると、うちなる声が聴こえてくるのです。

それほどまでに、現実と自身の妄想が混ざりあい、独自の視点から世界を捉えているからです。

これが、わたしの現実なのです。

あ~、肉体があって良かったとつくづく思うのです。


皆様も、適度な緊張を維持しながら柔軟な行動が出来る生き方を目指しませんか?

私は、それが自然体という悟りであり自分軸なのだと思います。


あっ、…独りが苦手な一般的な人は無理をしないでくださいね。

…毎回のことではありますが、受け取り方は、くれぐれも自己責任でお願い致します。



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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて! その⑬ ラノベと妄想オタク



皆様、お久しぶりでございます。

すっかり寒くなってきまして、年末でございますね。

どんな人にも年越しはやって来る!

オタクにだって、やって来る!

今回は、そんなオタクのお話しであります。

いゃ~、寒いときには暖かい部屋の中が一番ですよね。

どうぞ、オタクの与太話しにでもお付き合いくださいませ。



☆注意☆
今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!



…[ラノベ]…

 

 

「お、、ハルヒじゃん!」

 

あれは12月の始まりでしたか、たまたま立ち寄った書店で見付けたのであった。

 

[涼宮ハルヒの直観]…はたして、これは読んだことがあるやつか、それとも新刊なのか?

 

ハルヒとの出会いは、長男くんが中1の頃に夢中になったことによる。(学校の図書館にラノベがあったそうだ)

 

その前にも、前年にアニメがメディアで話題になっていたので知ってはいたのだが…長男くんが読む小説と漫画を拝借したのがきっかけであった。

 

2010年の思い出であり、あれからずいぶんたつのである。

 

それから、しばらくして、長男くんが中学を卒業するころには作者のネタ切れなのか新刊が出ていないはずでわ?

 

ハルヒにしては分厚めの本を手に取りパラパラとめくる。

 

懐かしい感じがよみがえってくる。

 

そういえば、ラノベという言葉を認識したのもこの頃であった。

 

しばらくして、これは知らないと判断してレジへと向かうのであった。

 

そんなこんなで、付き合いは古いのではあるが初めて買ったハルヒとなった。

 

 

読み終えた感想ではあるが、これから読むであろう方を考慮して内容は伏せさせていただくのだが、ほのぼのSF系というかおきまりのメンバープラス新キャラ1人が小説の中での文章という形での謎解きミステリーである。

 

ミステリーといっても、そこはハルヒであり、作者である谷川流なりの一捻りがあるのだが……最後に未来テクノロジーに関連する新たな勢力の出現を匂わせている。

 

作者自身も無意識か意識かはしらないが、これから現実化していくであろう体内に入り込んだ超小型GPSによる監視社会が気になっているのかもしれない?と感じたのは私だけではないのではないか。

 

今回はお得意のタイムリープもタイムパラドックスも無いので期待しないでほしい。(タイムリープとは同じ時間軸を繰り返す、又は自らの意志により過去への時間軸を移動する話しである…タイムパラドックスとは現在の自身が過去や未来の自分に影響を与えてしまうことで鶏が先か卵が先かという因果関係におちいることである)

 

ハルヒを知っている人も知らない人も、試しに読んでみると良いと思う。

 

読めばわかるさ!……それがハルヒなのだ!

 

 

 

未来テクノロジーといえば、フルメタルパニックのウィスパードを思い出す。

 

フルメタルパニックとは、2000年初頭ころのラノベ初期の名作だと思う。

 

ソ連が崩壊していない世界で、突然あらわれた数人のウィスパードという別世界での未来のテクノロジーを観ることができる能力により、ロボット兵器が投入された私たちの現実とは違ったパラレルワールドで繰り広げられるロボットSFものである。

 

軍事オタクやロボットSF好きならば、ぜひとも読んでほしい!

 

とても読みやすいバランスのとれたエンタメ的な内容の作品だと思う。

 

特に、ボトムズ、レイズナー、ガンダム00が好きならばハマルかと思う。

 

長男くんが小説を読み出しのは、たまたま私がボトムズのアニメを観ていた時に面白いと言ったので、押し入れにしまってあった小説、[ザ・フェーストレッドショルダー][ザ・ラストレッドショルダー][青の騎士ベルゼルガ物語]を見せたからだと思う。

そのためか?長男くんもフルメタが好きであり、同じメカデザインのガンダム00も好きのようだ。…もちろん、ガンダム全般は網羅しており特にSEEDには思い入れが強いSEED世代なのだろう。

そんな長男くんが、声優になりたいと発声練習をかねて漫画や小説を音読しだした時は、親ながら笑ってしまったことを思い出す。…涼宮ハルヒのキョン役の杉田智和などの声優の物まねなのだ!(ガンダムのギレン役の銀河万丈がそっくりだった…声優にはならなかったが、長男くんの特性は磨かれており、そのうち花開く生き方がまっていることであろう。)

 

思い返せば、世代を越えてオタク文化の影響を与えあっており、長男くんが幼少のころからスパロボというゲームが共通の趣味である。

 

間違いなく、オタクの血は受け継がれているのだろう。

 

 

 

ラノベの初期の代表作といえば、1990年代の[スレイヤーズ]という軽いノリのアニメをそのまま小説にしたようなファンタジー作品がある。(富士見ファンタジア文庫だったか?…現在は角川に吸収されている)

 

 

タイムリープものでは、シュタインズゲートがおすすめである。

 

あのマッドサイエンティストの鳳凰院凶真が自分だけが世界の改変以前の記憶を維持していることで、愛する人たちを死なせない世界の歴史の改変(パラレルワールド)を求めて、タイムリープを繰り返す話しである。(涼宮ハルヒの消失がこれにあたるのか?)

 

知っている方も多いであろうが、ゲームやアニメとは違った感じを受け取れるかと思う。

 

タイムリープには、うる星やつらのビューティフルドリーマーという、中心的な人物が納得するまで同じ時間軸を繰り返す手法もある。(ラムの無意識でのモヤモヤした感情からおこるタイムリープ現象に、周りが気づき、解決法を探る話しである)

 

涼宮ハルヒのエンドレスエイトもこれにあたる。(タイムリープ現象を起こしているハルヒ自身には自覚が無い)

 

一方、同じ時間軸をタイムリープをしても当事者の記憶と経験が残ることで、目的の達成のために何度もトライするのが、死に戻りの能力が設定の[Reゼロ]である。(当事者が何度も死ぬことと本人にしか記憶が無いことで孤独な戦いによる苦悩という転回が多い)

 

ハルヒと同時期くらいに出会った、西尾維新の[化物語]も忘れてはならないラノベの名作である。(ラノベとは名のっていないがラノベでいいと思う)

 

西尾維新の[戯れ言]シリーズもおすすめである。

 

 

 

ラノベとは活字であり小説である。

 

小説とは、作者の意図を離れて読み手の妄想力が大切である。

 

特にラノベは作者が提示するストーリーと挿し絵から、読み手の知識と経験からの妄想をふくらませる技能が必要であろう。

 

だから、ラノベを読めば読むほどいつの間にか世界に興味をもつことで新たな知識が身に付き、世界を観る視点が変わるのだと思う。

 

ついでに言うと、作品を面白くするのもつまらなくするのも読み手であるあなた自身なのである。(どうにもならない駄作もあるけどね)

 

さながら、あなたもクリエーターなのである。

 

それが、ラノベの善さなのだと思う。

 

 

 

読みやすい文体と親しみやすい挿し絵がラノベの定義とするならば、1980年代の私が中学生のころから愛読していたソノラマ文庫等はラノベそのものであろう。(現在はソノラマ文庫は無くなり角川に吸収されている)

 

菊地秀行の[エイリアン]シリーズや[バンパイアハンターD]シリーズや、夢枕獏の[キマイラ]シリーズ(3作ともに天野喜孝の挿し絵)はままさのりの[青き騎士ベルゼルガ物語]シリーズ(塩山紀夫の挿し絵)や、高千穂遥の[クラッシャージョウ]シリーズ(安彦良和の挿し絵)等である。

 

高千穂遥の[異世界の勇士]は、現在はやりの異世界転生ものの元祖ではないのか?(1981年出版だったと思う)

 

更には、[幻惑戦士レダ]も美少女とメカと異世界転生のアイデアを広めた作品だと思う。(いのまたむつみがキャラデザだったか?)

 

火浦功の[スターライト]シリーズや[ガルディーン]シリーズ(ゆうきまさみ挿し絵)は、現在では当たり前となったマルチメディアによるクリエーター集団のはしりだと思う。

 

安彦良和も挿し絵だけでなく、[聖王子ククルカン]や[テングリ大戦]等の神話を題材にした作品を執筆つしている。(ガンダムの原画で有名であるが、漫画では日本神話を題材にしたナムジやギリシャ神話を題材にしたアリオンを描いているから神話ものが得意なのかもしれない?)

 

ガンダムといえば、サンライズ系のロボットアニメの小説版もソノラマ文庫から出ていた。

 

まだまだ、中井紀夫の[能無しワニ]や永井豪の漫画からの[デビルマン][スサの王伝説]の小説版や栗本薫の[グインサーガ]等、上げだしたら切りがないことであろう。

 

 

挿し絵からみても、時代とともに油絵主体の表現からアニメのようなデジタル表現にかわってきている。(私の世代では天野喜孝のような白黒を生かした挿し絵のほうがしっくりくる人も多いだろう?)

 

 

小学校の記憶を遡れば、児童文学全集の[ガリバー旅行記]や[トムソーヤの冒険]がお気に入りだった。(あれも挿し絵が入っておりラノベなのかもしれない?)

 

 

昔から私は生粋の妄想オタクなのである。

 

なるべくしてなったと言うほかないのであろう。

 

きっと、私のような1970年前後の産まれ世代には多いことであろうと思う。

 

それをこじらせて、自分なりの評論をしながら作品を、楽しむのがオタクなのだと思う。(自意識過剰の知識依存バカなのかもしれない?)

 

ただただ楽しみたい普通の人にとっては、まったくもって、迷惑なことであろう。(どちらも、作品を楽しむ視聴者にはかわりがないのだが?)

 

最近の話題の[鬼滅の刃]に関しても、[犬夜叉]か?[どろろ]か?はたまた[鬼太郎]か?と過去の作品と関連つけて評論してしまうのである。

 

世の中の作品は互いに影響を受け合って産み出されて当然なのだ!

 

まったくの異質のものなど理解もされず埋もれてしまうのが落ちであるからだ。

 

だんだん、そんなひと癖ある世代のオタクも絶滅していくのだろう。

 

私が考える、世の中に浸透する無意識の共通意識(共感覚)が作品を通して世界中に広がっていくのであろう。

 

それが、次世代に受け継がれ世界は繋がりながら少しづつ変化していくのだと思う。

 

 

 

皆様も、今年の寒い年末年始を暖かい部屋の中で読書ざんまいの日々をしてみてはいかがですか?

 

あなたの新たな才能が開化するかもよ?

 

 

 

ps…[デュラララ][アクセルワールド][ソードアートオンライン][魔法科高校の劣等生][この素晴らしい世界に祝福を][冴えない彼女の育て方]等、まだまだ、おすすめしたいさまざまなタイプのラノベ作品があります。

 

きっと、あなたにしっくり合う作品との出会いがあると思うよ!

 

 





最近の私の流行りは、アニメ化している小説をアニメサントラをBGMにしながら読むことだ。

今回あげた[フルメタルパニック][涼宮ハルヒ][シュタインズゲート]も、もう一度読み直している。

こないだ、年末用に[デュラララ]を古本屋で買ってきたところだ。

時をへだてて、なんども読み返すことで、以前とは違った感じを受け取れるのが小説のよさだと思う。

さながら、脳内タイムリープである。

それだけ私も変わったということであろうか?


それでは、又、会いましょう!







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外伝 B 夢幻行路 上



…今回は、本編の出演者であるバーカーが自身の夢からヒントを獲て書いた小説の第二弾であります。


…どこにでもある何の変哲もないとある町[真栄町]に、記憶をなくした男がふらりと現れる。
本人すらも何故ここにいるのか解らない。
ただ1つだけ解ることがある。
遥か遠い場所からか、それとも重なりあう別世界なのか解らないが、男の頭の中でBという音がしているのだ。……誰かが呼んでいる?

俺の名前は、B ‥?

これは、Bの物語である。



☆注意☆
今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!…この作品に出てくる名前や地名は架空のものであり現実とは一切の関係はありません。






 

…[出会い]…

 

 

‥…全ては、偶然?それとも、必然?…‥

 

 

…どちらかといえば田舎なのであろうか?

 

用水路がどこまでも続く道。

 

まばらに田んぼや畑がある。

 

人口5万人の小さな町、ここは[真栄町]。

 

それは夜明けの鱗雲に旭がうつりピンクの空が広がる時刻であった。

 

この町の中心に位置する古墳跡地の自然公園にある雑木林に、朝もやの露がはれるようにふわりと男が現れた。

 

 

「イッヤ~、なんなの?……ヒァーー!」

たまたま、男が現れたそばにいた女が悲鳴をあげる。

 

男は呆然と立ち尽くしている。

 

女は恐る恐る近寄り男の体をつついてみる。

 

「はぁ~、おばけじゃなさそうね?……あんた、何者?」

 

男は無言のまま女を見つめている。

 

「あんた、なんで服を着てないのよ!……アホかなにかなの?」

 

そう、男は真っ裸なのである。

 

「見つけたのがアタシじゃなかったら、警察行きよ…あんた!」

 

女は男の顔を下から除き混む。

 

「あんた!聴いてんの?…まったく、ふざけんじゃないわよ!……おどろいて、チビりかけたじゃないのさぁ。」

 

女は表情ひとつ変えない男の頬を両手で挟み込むように叩く。

 

男は一度、瞬きをするが相変わらず女を見つめている。

 

「なんなのよ、まったく……そんな裸でいたら風邪引くわよ、昨日のお泊まり会で着たアタシのジャージでよければ、着なさい!!」

 

女はカバンからターコイズブルーのパーカータイプのジャージの上下を取り出して男に着せる。

 

「あんた、細身のわりには筋肉質なのね!………もう、いいかげんに、自分で着なさいよ。」

 

男に着せ終わると女は少し離れて男を見る。

 

「あぁ、やっぱりパッツンパッツンよね……アタシも166cmあるけど、あんたのほうが10cmは高そうね。」

 

女は男と並んで背の高さを比べる。

 

女にされるがままに男は手足の裾の短くパッツンパッツンのジャージを着たまま女を見つめている。

 

「はぁ~やんなっちうわ!…訳ありそうね?…まぁ、いい男だから許すけど……あんたさぁ、なんなら家に来る!」

 

女は男の手をひいていく。

 

 

 

 

…[何も無いことは善いことだ]…

 

 

ほとんど家具も無く生活感のしないさっぷうけいな1LDK。

 

なかば強引に女に連れられてきた男が部屋の隅っこに座っている。

 

女は2人分のマグカップを持ってきて男の前に置く。

 

「いつまでも、あんたでは変よね。……あんたの名前何て言うのよ?」

 

女は男と向き合い見つめる。

 

「B」

 

男はため息のようにぼそりと音を発する。

 

「何よ、初めてしゃべったのが[ビー]って、……あんたの名前は[美伊助]に決めたわ!」

 

女は満足そうに笑う。

 

「アタシの名前は[鬼頭ひより]、ひよりと呼びなさい。」

 

「ひ、よ、り」

 

「そう、ひよりよ。……あんたは、美伊助、言ってみて。」

 

「び、い、す、け」

 

美伊助はぎこちなく言葉を発した。

 

「よろしい。……しゃべれるようね!……カフェオレよ、冷める前に、さぁさと飲んじゃいなよ」

 

美伊助を安心させるように、ひよりは甘めのカフェオレを飲んで見せる。

 

美伊助はカフェオレがよほど旨かったのか一気に飲みほした。

 

「ねっ、美味しいでしょ!」

 

美伊助はカフェオレが美味しいのか、それともひよりに安心したのか?わからないがぎこちない笑顔を見せた。

 

「お、いいわね!……笑顔がかわいいじゃん。」

 

2人は壁にもたれて笑顔で並ぶ。

 

「あのさぁ、…美伊助は何者なの?……宇宙人か何か?」

 

「…………」

 

「解らないって、自分のことよ!……もしかして、未来からタイムワープした時に記憶をなくした未来人だったりして?…………………………それとも、禁則事項?」

 

「……カフェオレ……」

 

「カフェオレ?…おかわりってこと!」

 

「カフェオレ、おかわり」

 

「まぁ、いいわぁ、…頭は悪くなさそうね。」

 

ひよりのカフェオレをわたすと美伊助は微笑んだ。

 

 

「それでさぁ、美伊助はイソウロウなんだからアタシのお手伝いしてよ、アシスタントでパートナーってとこかな?…めんどうはアタシが見てあげるから安心なさいな。…アイデアとスマホが有れば何処でも出来ることだからさぁ、まぁ、なんとかなるって!」

 

こうして奇妙な2人の共同生活が始まったのであった。

 

 

 

 

…[Youtube]…

 

 

1週間後、美伊助とひよりは、初めて出会った自然公園に来ている。

 

「なぁ、ひより、此処で何をするんだ?」

 

「仕事よ、仕事!……Youtubeの動画撮影するの!」

 

この1週間で美伊助は日常会話が出来るようになっていた。

 

「はい、このスマホでアタシを撮ってくれればいいからね。」

 

ひよりは美伊助にスマホを渡す。

 

「ヤッホー、ひよチャンよ!…今日もみんなに不思議な情報をお伝えするわよ!…今から1週間前の朝方に此処で朝もやの中から当然現れた男に出会ったの、その男がおばけのようにふわりと現れたことにも驚きなんだけど、なんとフルチンの真っ裸だったのよ!……絶対にこの公園には何かあるわ?…今後も続けて調査していくからチャンネル登録お願いね!………はい、OK!」

 

ひよりは美伊助からスマホを受け取り録画映像を確認する。

 

「お、撮れてるわ。……あれ、このモヤモヤした影のようなのはなんなの?」

 

ひよりは美伊助に聞く。

 

「何って、その辺にいつもいる奴じゃん。…ひよりには見えてなかつたのか?」

 

「見えてなかつたのか?とは、美伊助には普段から見えていたの?」

 

「あぁ、今もひよりのとなりにいるぞ!」

 

「えぇ、どこよ!なんなのよ、いったい!……アタシだとこんなの写らないのに、美伊助が映像を撮ったから写ったてこと?……これは良いネタになりそうね、やっぱり美伊助には何かあるわ?!」

 

恐怖よりも好奇心がまさるひよりであった。

 

 

 

…[モヤッド]…

 

 

美伊助とひよりは、ひよりの部屋で動画を観ている。

 

「ねぇねぇ、このモヤモヤした影のようなもの[モヤッド]って呼ばない!……それにしても、どうしていろいろな色のモヤッドが居るの?」

 

「人であろうがなかろうが、どんなものでも産まれ持った特性の波動というオーラを放っている。色には個性があり人には感情がある。感情の変化によって色が変わる。世界は色によって会話をしている。感情の残骸は思念となって空間に漂う。それがモヤモヤの正体であり、この世界の法則だ。いつも互いに影響しあっている。」

 

「ふ~ん、なんだか精霊みたいね。…それで、アタシの周りで虹色に光っている色がアタシの特性オーラってこと?」

 

「そう、ひよりのオーラの色は珍しい。…悪いモヤッドを遠ざけて善いモヤッドが集まって来ている。…だから俺はひよりといるのかもしれない?」

 

「ヤッホー、アタシ凄い!!」

 

ひよりは美伊助に抱きついて喜んでいる。

 

「こないだのモヤッドが写っている動画の再生数も凄かったし、チャンネル登録も十万人越えたから、来月の収入は凄いわよ!なんだか美伊助と出会ってからラッキーなのよね!……ありがと!」

 

ひよりと美伊助は見つめ会う。

 

「キスしよ!」

 

唇が重なりあう。

 

「あれ、アタシにもモヤッドが見えるみたい!……美伊助のモヤッドはキラキラのターコイズブルー、凄いわ!!、本当に世界は色で会話していたのね!」

 

「そうか、ひよりにも色で会話をする特性があったのか。…何が凄いかわからないが、ひよりが喜んでいるなら俺も良かった。」

 

美伊助は無表情で呟く。

 

 

 

どうやら、美伊助のキスで潜在的にあったひよりのモヤッド能力が覚醒したようだ。

 

 

 

 

…[ざわめく邪心]…

 

 

ひよりと美伊助が出会ってから1ヶ月。

 

2人は真栄町の東部エリアにある繁華街のイホンモールに来ている。

 

「今月は収入が多かったから、そろそろ美伊助の服を買わないとね。……いつまでもアタシのジャージってわけにもいかないでしょ?」

 

「俺は問題ないが…このままではいけないのか?」

 

「でもピチピチのパッツンパッツンだし、着替えもいるでしょ?」

 

「それなら、同じ服でいい!……それよりも、カフェオレが飲みたいのだが。」

 

「そうなの、変な奴?……じゃ、フードコートに行くよ。」

 

フードコートでカフェオレを飲んでいると、揺れを感じる。

 

「震度3だって!…なんだか最近、やたら地震や大雨が多いよね?」

 

ひよりが、緊急地震速報のネットニュースを観ながら言う。

 

「モヤッドが見えるようになって気づいたのだけれど、やけに黒色のモヤッド漂ってるのよね。…黒色って悪い思念なんでしよ?」

 

「そうだ!…本人さえも忘れ取り残されたネガティブな思念。集まる不満は邪気を生む。次元の境界が曖昧になっている。幽界冥界の妖怪や邪心がこの三次元領域に大きく干渉しだしている。この星は全ての次元の特異点。世界のバランスが崩れる。」

 

「なんなのよ、それ?…だから黒い世界に見えるわけ?……そもそも、なんで美伊助はそう言い切れるの?」

 

「俺にも解らない……そんな気がするだけだ!……だがしかし、ひよりから教わった言葉というやつでは説明出来ない。……言葉は決めつけであり世界は曖昧だ。…現在ないものを言葉は定義できない。……語れば語るほ遠ざかる。過去の記憶がないから知識などない。感じること、俺には初めから、それしかない。」

 

「それなら、美伊助の言ってることは嘘っぱちかもしれないということ?」

 

「流れが決めることであり誰にも解らない。時代の変り目であり調整の為だ。新たな進化。適応。肉体と思考。意志が変われば肉体も変わる。分岐点。」

 

「だけど、普通の人にはモヤッドは見えないのでしょ?」

 

「だから、ウィルス。肉体の変化。肉体が変われば意志も変わる。適応。再生だ!」

 

「それって、コルナも関係しているってこと?」

 

「この星の目覚め。全ては星の一部であり意志、」

 

「私たちも、星の一部だってこと!」

 

美伊助は静かにうなずく。

 

「美伊助!…これも動画にしていいのよね?」

 

「ひよりの自由にすればいいだけのことだ。それがひよりの意志!」

 

 

あらゆる所のあらゆる現実、世界は作り替えられている。

 

今、この瞬間も!

 

 

 

 

…[Re、コメント]…

 

 

拡散する世界。

 

広がる意識。

 

互いに[いいね!]で共感覚は研ぎ澄まされていく。

 

ひよりと美伊助は部屋でくつろいでいる。

 

「アタシのYoutube。最近、コメントが多いのよね。…世の中、不思議好きが多いのはありがたいのだけれど、アタシに守護霊とか背後霊とか聴かれてもね?…こまったことに、私には悪霊が付いてるから徐霊してくれ!って人までいるのよね。」

 

「別に困ることはないだろ!…ひよりが感じた色を伝えればいいだけだ。」

 

「そういうけどね、相手の人生もあるし、だいたい悪いことって本人に原因があるのよね、あまり悪いことを言いたくないのよね。………ほら、めんどくさいのイヤじゃん!」

 

「そんなものは、そいつが勝手に受けとるだけだ。…人は勝手に認識して勝手に生きるだけのものだ。……ひよりが悩むことはない!」

 

「そうなのかな?……互いに[いいね!]を押すくらいがちょうどよい関係なのになぁ。……それにバットポタンっていらなくない!気にくわないなら関わらなければいいだけなのにね。……結局は関わらなくてもいい人にまで関わって批判したくなるだけじゃない?……他人のことなんて、しょせんはモブでしょ、居るけど認識しないようなさぁ…………どうして不機嫌になってまで、そんなに考えすぎるのかなぁ?」

 

「記憶がない俺には解らない?……俺にとっては、ひよりといる今この瞬間が全てだ!」

 

「まぁ、そうよね。みんな、周りが気になるのよね!……Youtubeなんて、覗き見のようなものだもんね!……わかった気になってさぁ!」

 

「俺が言えることは、ひよりの自由にすればいいだけのことだ!」

 

「うん、そうよね。……悩める人たちを集めてサロンでもしてみようかな?……美伊助はどう思う?」

 

「いいんじゃないか?………しらんけど。」

 

「とりあえず、感じたままにコメントかえすわ!」

 

 

その後、ひよりのもとに悩める人々が集まることになるとは、まだ知らないのであった。

 

 

 

…[モヤッド教]…

 

 

更に1ヶ月後。

 

真栄町の中央に位置する文化会館前の駐車場。

 

古墳跡地の自然公園の北側に学校や図書館、役所等の行政機関が集まっている。

 

Youtube動画がオカルト好きの間で話題になり、自然公園に人々が押し寄せている。

 

「ためしに呼び掛けたけれど、凄い人数よね。……500人くらいはいるわよ!」

 

「たしかに、実際に人が集まるとわな。」

 

ひよりと美伊助の周りに人々が集まっている。

 

ひよりが悩める人にコメントをするたびに話題になり注目を集めるようになっていた。

 

ひよりのアドバイスにより運気がよくなり、そのなかに有名な芸能人がいたからだ。

 

何も許可をとっていなかったために、その後もどんどん大勢の人々が公園に集まることで警察官が出てくるほどのパニックとなった。

 

集まった人々はひよりに救われたいと願い、ひよりの言葉を待つのであった。

 

「あぁ、もう、どうしてこうなるのかな?」

 

「ひよりが始めたことだ。ひよりが決めればいい。」

 

「これじゃ、まるで宗教の教祖みたいよね、アタシ?」

 

「それなら、教祖になればいい。」

 

ひよりは覚悟を決める。

 

「みんな、聴いて!……このサロンの名前を決めたわ。………[モヤッド教]……これからはネットを中心に新しいコミニティを創るから参加してね!……だから今日は解散!」

 

世間ではコルナによる外出自粛が求められていたために、ネットニュースで全国に騒動が広まったのであった。

 

こうして会員限定のリモートによるオンラインサロンでの[モヤッド教]活動が始まるのであった。

 

 

 

…[思想結界]…

 

 

そして、1ヶ月がたったとある日

 

モヤッド教には、いつの間にか30人の中心メンバーが集まっており、ひよりの発言をもとに各自が得意な分野をうけもって運営のサポートをするようになっていた。

 

ひよりの思想に共感した会員は会員費を払いながら、望んでひよりの思想を現実化する労力と資金を提供するのであった。

 

ひよりは巫女のような扱いとなり、オンラインでその日に感じたことを話すことが毎日の日課になっていた。

 

美伊助は、ひよりの善き理解者としていつも隣にいた。

 

ひよりが放つエネルギーが魅力的なのか?

 

あるいは、たびかさなるコルナによる緊急事態での恐怖と不安が引き金なのか?

 

異常気象による自然災害は人々の意欲を奪っていく。

 

なんだかんだで、世界中から興味をしめした人々が集まり、会員数が十万人を越えるのに時間はかからなかった。

 

三次元という限られた現実は自粛という閉鎖的な世界となりつつある。

 

電脳空間という無制限の世界にモヤッド教という独自の経済圏をもつデジタル思想国家が誕生したのである。

 

 

ひよりと美伊助は、いつものようにカフェオレをのみながら1LDKの部屋でくつろいでいる。

 

「美伊助は、不安を感じるのかしら?」

 

「俺には解らない…ひよりがいれば、それでいい!」

 

「アタシもやりたいことが次々とあふれでてきて不安なんて忘れちゃうな!」

 

「ひよりは与える者だからさ。」

 

「不安がないわけじゃないのよ。…ただ、もっと楽しみたいだけ。…もっと、知りたいだけ。……だって、アタシにとっては、ほとんどのことはどうでもいいのよ。……どうして、みんなはこだわるのかな?」

 

「与えられる者だからさ。……認めてもらいたいのに、人と違うことが不安だと思い込んでいるからだ。」

 

「だからって、アタシが正解なのかな?」

 

「答えがほしいのさ。」

 

「それが、滅びの道だとしても?」

 

「ごまかしたいのさ。責任をとりたくなくて。」

 

「それって、生きているといえるの?」

 

「生きる…………………………俺には解らない?」

 

「そうよね。………解らないよね。」

 

ひよりは虚空を見つめる。

 

「たから……楽しいのよね。」

 

「そうだな、俺もそう思う。」

 

ひよりと美伊助は笑っていた。

 

 

生きるという問。

 

それ事態が生きるということ。

 

 

 

…[三原則]…

 

 

次の日。

 

ひよりはいつものように会員に向けてオンラインで話す。

 

「ヤッホー、みんな、おはよー!……今日はみんなに聴いてほしいことがあるの。……モヤッド教の三原則を決めたわ!

 

一つ、人の嫌がることはしない。

一つ、自分のやりたいことをする。

一つ、他人と比べない。

いい、わかった?………約束だからね!

 

出来ないと思うなら、ここをやめてもいいから!……それくらいは自分で決めなよ!」

 

ひよりは美伊助に微笑む。

 

「美伊助、どうかな?」

 

「ずいぶん、矛盾が多い三原則だな。」

 

「そうよ。……だから、いいのよ!」

 

「鬼だな。」

 

「おそかれはやかれよ!」

 

「それが、ひよりのしたいことか?」

 

「どうにもならないものは、どうにかするしかないじゃない!」

 

「たしかに、おそかれはやかれだな。」

 

 

多様性を受け入れとは、否定をしないということ。

 

あなたのオーラは何色ですか?

 

 

 

 

 

…続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





皆さん、読んでくださりありがとうございます。

久しぶりの小説です。

今回はラノベスタイルでいこう、と思ったのですが?

なんだか、重たい空気が漂いそうです。

やっぱ、バーカーですからね!

それでは、続きは次回で会いましょう。



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外伝 B 夢幻行路 中



…どこにでもある何の変哲もないとある町[真栄町]に、記憶をなくした男がふらりと現れる。
本人すらも何故ここにいるのか解らない。
ただ1つだけ解ることがある。
遥か遠い場所からか、それとも重なりあう別世界なのか解らないが、男の頭の中でBという音がしているのだ。……誰かが呼んでいる?

俺の名前は、B ‥?

これは、Bの物語である。


前回のあらすじ

記憶をなくした[B]は[ひより]という女性と出あう。[B]に[美伊助]という名前をつける。[美伊助]との出会いにより[ひより]は[モヤッド]という世界に漂う霊のような影やオーラの色を見ることができる能力をえる。ひよりがYoutubeで動画配信をすると霊能者と思われ話題となる。ふたりは[モヤッド教]というオンラインサロンを始めるのであった。




☆注意☆
今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!…この作品に出てくる名前や地名は架空のものであり現実とは一切の関係はありません。




 

 

ちっぽけな自分に気づいた

 

世界は輝きまぶしく見えた

 

やさしさにあふれ

 

さみしさに押しつぶされ

 

終わりを感じた

 

……まだまだだよ☺️

 

俺の中で何かが叫んだ

 

生きていることは素晴らしい❗️

 

感情があることは素晴らしい❗️

 

世間が漂いまとわりつく

 

停滞する世界のなかで

 

ただ、自分でいたいだけ。

 

 

…終わりは始まり…

 

 

 

 

 

…[夢]…

 

 

美伊助とひよりは、ほとんど家具のないさっぷうけいな1LDKの部屋でくつろいでいる。

 

美伊助はまどろみから目覚めた。

 

「どうしたの?……美伊助」

 

ひよりは美伊助の顔をのぞきこむ。

 

「どうしたの…とは何が?」

 

「美伊助……泣いてるよ!」

 

「泣くとは?」

 

美伊助の頬を涙が伝う。

 

「何かあったの?」

 

「解らない…………夢を見たんだ!」

 

「どんな夢」

 

「なんだか解らないが、終わりたくないんだ。………忘れたくない!」

 

ひよりには美伊助のターコイズブルーのオーラがくすんで見えた。

 

「大丈夫よ」

 

ひよりは美伊助をそっとつつみこむ。

 

「忘れたりしないわ…………アタシがいるのよ」

 

ひよりの虹色のオーラが美伊助をつつみこむ。

 

「カフェオレ、飲みたい……凄く甘いやつ!」

 

美伊助が微笑む。

 

ふたりは壁にもたれて笑顔でならぶ。

 

美伊助とひよりの発するオーラにより、漂うモヤッドもつられて小さな部屋が輝きに満ちあふれた。

 

 

 

 

しばらくして

 

「なぁ、ひよりは泣いたりするのか?」

 

「うん、たまにね。」

 

「なんだか、せつない感じがする。……自分がなくなるような。………俺とひよりがなかったことになるような。」

 

「そうね。……泣きたいときは泣けばいいのよ。」

 

「そういうものなのか?」

 

「そうよ………解らないことは誰にでもあるわ。」

 

ひよりが微笑む。

 

「泣いたり、笑ったり……いそがしいものなんだな」

 

美伊助も微笑んだ。

 

 

 

 

 

…[対立]…

 

 

1ヶ月がたった。

 

世界中が自粛による窮屈感によりネガティブが蔓延していた。

 

見えない恐怖

 

未知なる不安

 

人々は互いに距離をとりイライラがつのっていた。

 

それぞれの思いのなか、正義は増幅する。

 

ただし、何が正しいのか?

 

それぞれの傲慢が飛び交う

 

誰もわからない!

 

そんな世界が、更なるイライラを呼び込んでいるのか?

 

 

 

 

美伊助とひよりは部屋にいる。

 

「あぁー、イライラする!」

 

スマホをさわっていたひよりが叫ぶ。

 

「どうした?……ひより?」

 

あたりのモヤッドがざわめきたつ。

 

「もー、腹立つ……なんなのよ」

 

更にモヤッドが震え出す。

 

「だから、どうした?……おかしいぞ!」

 

振動は大きくなり、部屋がガタガタとひしめきだす。

 

「ひっとして、怒っているというやつか?」

 

美伊助は、ひよりの手を両手でつつみこむ。

 

「そうよ、……モヤッド教の奴ら、勝手なの!」

 

ひよりは美伊助の手を両手でつつみかえす。

 

「はぁ、やんなちゃうな?……どうしよう?」

 

 

あたりのモヤッドが静まり始め落ち着きを取り戻す。

 

 

「何が、どうした?」

 

「あのね、三原則の解釈をめぐってモヤッド教のなかで争いが始まってるのよ!」

 

「やっぱ、そうなるか。……わかりにくいから、焦り出す者と悩みだす者が出てきて、それぞれの思いにより分断された組織は覇権争いになると思っていたぞ、俺は!」

 

「まったくアホらしいわ!…あいつら、アタシがどっちにつくか?で争ってるのよ!」

 

「だろうな。……結局、ひよりにすがるってことだ。」

 

「何にもわかっちゃいないのよ。……だから自分で決めなさいと言ったのにね。」

 

ひよりは、虚空をあおぐ。

 

「せっかく、楽しくやってたのに。………どうしてよ?」

 

「会員が増えすぎたからだ。………それぞれの思いが繋がらなくなった。」

 

「それで、アタシの奪い合いをするの?」

 

「ひよりは象徴だから……みんな、このサロンに思いが強いのだろう。……自分が創ったと。」

 

「誰が創ったわけでもないわ!……みんなが楽しむための場所でしょ。……だから、

一つ、人の嫌がることはしない。

一つ、自分のやりたいことをする。

一つ、他人と比べない。

なぜ、わからないのよ?

 

争いが一番くだらないってことに。

 

争ってまで自分の価値を押し付けてどうなるの。

 

不満がたまるだけじゃない。

 

嫌なら、やめればいいのよ

やめて、自分のモヤッド教を創ればいいじゃない。」

 

 

「それが出来たら、はじめからモヤッド教の会員にはなっていないと思うぞ。……そもそも、ひよりとは思想意識の次元が違う。……対話の方法が違う……争うことで自分の存在を認識する者もいれば、自分の存在を疑わずに争わずに好き勝手にやりたいことをやれる者の違いだ。……無意識に互いの立場を尊重できる者は少ない………

要は根拠のない自信を持っているかどうかだ。」

 

「じゃ、どうすればいいのよ!」

 

「ひよりは、知ってるはずだ。」

 

「あぁー、そうね、アタシがやめればいいだけじゃない。」

 

ひよりはボソリと呟いた。

 

「それは、本末転倒だけどな。」

 

美伊助は小声で呟いた。

 

 

 

 

…[解散]…

 

 

世界には必要のないものなんてない。

 

ただあるのは、次元の段階だけ。

 

だからといって、どちらがえらいわけでもない。

 

何が必要かの違いなだけ。

 

すべては螺旋の導きとともに。

 

否定も肯定もない。

 

理想も現実もない。

 

善悪をこえた世界。

 

 

次の日

 

美伊助とひよりは古墳跡地の自然公園に来ている。

 

「モヤッド教会員の皆さん、重要な発表をするよ。

今回の話がアタシの最後の動画となるのよ。

 

なんか、違うのよ………だから、アタシ

 

このオンラインサロンを辞めることにしたの!

 

だから、解散するよ!

 

後のことは会員メンバーの好き勝手にしていいよ。

 

みんなも次へ行くのよ……それぞれの次へ

 

良いよね!…………楽しい体験も出来たし!

 

みんなもそうでしょ?……ありがとう❤️

 

幸運を祈ってるわ。

 

じゃあね。」

 

 

美伊助はひよりの顔を見ている。

 

「なぁ、ひより……本当にこれで良かったのか?」

 

「なにが?」

 

「せっかく、ここまで来たのに。……途中でやめて?」

 

「あぁ、そのこと!………いいのよ。…アタシは誰もが自分が望むことで生きていける世界にしたいだけなの。」

 

「それじゃ、なおさら………」

 

「違うのよ。………アタシにも上手く説明できないけど、誰の手柄でもないし…そんなちっぽけな満足でもないの!……美伊助には、わかんないかな?」

 

「俺にはわからないことばかりだ。……だからひよりのそばにいるのだと思う。」

 

「まぁ、良いんじゃない。……新しいことがはじめれるんだからね!」

 

ひよりはスッキリとした顔で笑った。

 

「そんなものかね?」

 

美伊助もつられて笑った。

 

 

 

 

 

…[共鳴]…

 

 

この世界は何でもありだ。

 

イメージさえあれば!

 

夢幻の者と成る

 

制限をかけているのは何だ。

 

天国と地獄

 

どちらも同じこと

 

それぞれの次へ

 

目覚めよ‼️

 

 

 

美伊助とひよりは部屋でくつろいでいる。

 

スマホがピコンと鳴る。

 

ネットニュースで世界中でのパンデミックの ニュースが流れている。

 

ついにこの国も外出制限による半強制的な状態になりそうである。

 

 

部屋の空気がスパークして発光しだす。

 

「自粛、自粛って、国民どうしで監視させる気なの!」

 

ひよりが大声をあげる。

 

「落ち着け、ひよりが心配することでわない。」

 

「美伊助はいがみ合う社会が平気なの?」

 

「それを経験しなければならない者もいる。」

 

「本気!…そんなこと、よく言えるわね。」

 

「しょせん、人は人だ。」

 

ひよりが美伊助をにらみつける。

 

 

「自分をごまかさないで!」

 

ひよりがボソリと呟く。

 

「美伊助は何がしたいの?」

 

「俺はひよりに良かれと思って。」

 

「アタシのため!……美伊助が望む世界は。」

 

「俺はひよりの邪魔をしたくない。」

 

「だから、そういうのがウザイのよ!

アタシのためなら美伊助の望みは後回しでもいいの?」

 

「俺は………………………俺には解らない……望みと言われても、……ひよりの向こうにしか世界が見えない。」

 

「何よ、それ………………もう、いいわ。」

 

部屋の空気がおさまっていく。

 

 

 

スマホがピコンと鳴る。

 

ネットニュースでは、世界中の自宅待機により外出を制限され、実態経済は混乱のなかで株価だけが異常に上がっているという報道が流れている。

 

「はぁ、またまた勝ち組と負け組の格差なの?」

 

ひよりはカフェオレを作りながら話す。

 

「勝ち負けが悪いわけでない。格差が定着化することがいけない。」

 

美伊助はカフェオレを受けとる。

 

「それって、同じことじゃないの?」

 

「大きく違う。……個人が行動することにより世界は変化する。……個人の意志が尊重される世界でならなければならない。……他者を巻き込む意志にお金は集まる。……そのためのお金でなければならない。」

 

「そうよね。……お金って意志を現実化させるアイテムみたいな物よね。……人の意志に反応して影響力を増幅させるモヤッドと同じようなものなのよ!」

 

「そうだ、どちらも意志に共鳴して増幅させている。………もっと言えば、それだけでは無意味であり使う者により効果が変わる。」

 

美伊助とひよりはカフェオレを口に含み微笑む。

 

 

「やっぱり、アタシには美伊助が必要よ!……美伊助はアタシの疑問を言葉にしてくれるから。」

 

「俺は、理解して言っているわけでわない。……ただ、俺の頭に浮かぶイメージを伝えているにすぎない。」

 

「どっちでもいいのよ。……迷いが吹っ飛ぶんだからね。……ありがと❤️」

 

 

部屋の空気が笑っている。

 

 

 

「アタシ、思うんだけど……みんな、なんで自分の感じていることを表現しないのかな?」

 

「それは、気づかいを間違えているからだ。……同じでなければならないと平等を勘違いしている!」

 

「それって、人が大勢いる意味ある?」

 

「そうだ、次へ向かうべきだ。…新たな次元へ。」

 

ひよりは、虚空を見つめる。

 

「やっぱ、そうよね。……美伊助、話し解る!」

 

ひよりが微笑む。

 

「俺には解らない…が…俺も嬉しい!」

 

美伊助が微笑む。

 

 

 

 

…[アート]…

 

 

君の対話方法はなんだろう?

 

それぞれの持って生まれた感覚

 

空気のように漂うモヤッド

 

置き忘れられた感情

 

憑依する世界

 

積み重なりしモヤッドは新たな前提を生む

 

人が発するオーラ

 

なまじ頭で考えるから戸惑う

 

五感を使って

 

もっと、表現してみないか!

 

表現とはアート

 

誰もが生まれながらにアーティスト

 

きっと、とどくはず

 

共鳴するほどに、世界は繋がる。

 

生命の神秘、いつも

 

宇宙の真理、いまも

 

君のそばに。

 

そうやって、世界は広がっていく

 

君の世界が。

 

 

 

 

 

美伊助とひよりは、ほとんど家具のないさっぷうけいな1LDKの部屋でくつろいでいる。

 

 

 

「美伊助…………おきて……おきて…‥」

 

美伊助はまどろみから目覚めた。

 

「おはよう。……ねぇ、美伊助…アタシね、ロックがしたいの!」

 

「ロック?」

 

「そうよ。……子供のころからね。アタシ、ギターやってて。……美伊助さぁ、かわったこと言うじゃない。………そういうイメージを歌にして動画にしたいの。」

 

「いいんじゃない。……やってみればいい。」

 

美伊助がスマホをかざすと、ひよりは部屋の片隅に立て掛けてあるギターを小脇に抱え、ポロンポロンとコードを弾き出す。

 

「なんか夢で歌ってたのよね、アタシ……………適当に歌ってみるわ

 

 

振りかざした手のひら

 

握り返さない、うちひしがれて

 

ひとり歩いた夜露に濡れて

 

届かないのはアタシのせい

 

あと何年待てばいいの

 

アタシのアートを探して、からまわり

 

 

いつか届くと、見上げた空

 

おぽれそうな、真っ青な現実

 

妄想に押し潰され苦しいの

 

おかしいのはアタシなのかな

 

同じでないのは何故

 

アタシのアートを探して、夢みてさぁ

 

 

誰にだって自分があるじゃない、信じて、生きて、ほらぁ、笑って

 

君には君のアートがある、離さないで繋がりを

 

言葉が真実なの?うすっべらな夢と希望を撒き散らして

 

君には君のアートがある、失くさないで表現を

 

五感で感じて、言葉だけがコミュニケーションじゃないわ

 

 

アタシのビート、あなたのハーモニー、歌って

 

ねぇ、感じて、アタシをそっと包み込んで

 

もっと、わかり愛たいの、抱き締めて

 

 

夜明けがそこに、なにが見えるの

 

 

アタシのビート、あなたのハーモニー、歌って

 

ねぇ、感じて、アタシをそっと包み込んで

 

もっと、わかり愛たいの、抱き締めて

 

 

夜明けがそこに、なにが見えるの

 

 

 

……どうかな?」

 

「俺には、よく解らない?…が、ひよりのオーラにモヤッドが共鳴して、寂しさと虚しさと嬉しさが混ざりあったような変な感じがする。……あえて言葉にするなら、癒しだ。……終わりは始まり……破壊と再生なのか。」

 

美伊助は撮影した動画を渡す。

 

「そうよね。……人の感情って複雑なものなのよ。そんな都合の良い言葉なんて無いのよ。……せっかくだから、動画出しとくわ。」

 

ひよりは、動画を確認しながら複雑な表情をしていた。

 

 

 

時代の変革期であり先の見えない将来への不安と苛立ちが蔓延した世間だったからか?……ひよりが出したロック動画は人々を癒し活力を与えるようで、たちまち話題となり更にひよりの知名度は上がるのであった。

 

 

 

 

 

…[外圧]…

 

 

世界の変革をもたらしたもの。

 

戦争でも大恐慌でもない

 

宇宙人でも未来人でもない

 

目に見えない小さな存在だとは、誰が予想したことだろうか。

 

あたかも星の意志であるがように。

 

進化をうながす外圧。

 

変化が求められる時、生命は新たな存在を取り込む

 

まるで遺伝子をアップデートするように

 

忘れてならないのは、大きな変革期ほど変化に乗り遅れた大量の犠牲をこうむるということ。

 

人類は自然の遺伝子操作を怖れるわりには、どれほどの人工的な遺伝子操作を見過ごしてきたのか。

 

現実こそが、よほど恐ろしいのかもしれない。

 

あなたに何度も押し寄せる試練。

 

どれだけ避けたとしても、いつかは立ち向かわなければならないときがやってくる。

 

それが、あなたに必要であれば尚更。

 

さぁ、準備は出来たか?

 

全身全霊を込めて……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く…

 

 

 

 





ここまで読んで下さりましてありがとうございます。


次回、最終話でございます。


それでは、又、会いましょう





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外伝 B 夢幻行路 下




…どこにでもある何の変哲もないとある町[真栄町]に、記憶をなくした男がふらりと現れる。
本人すらも何故ここにいるのか解らない。
ただ1つだけ解ることがある。
遥か遠い場所からか、それとも重なりあう別世界なのか解らないが、男の頭の中でBという音がしているのだ。……誰かが呼んでいる?

俺の名前は、B ‥?

これは、Bの物語である。


前回のあらすじ


記憶をなくした[B]は[ひより]という女性と出あう。ひよりは[B]に[美伊助]という名前をつける。[美伊助]との出会いにより[ひより]は[モヤッド]という世界に漂う霊のような影やオーラの色を見ることができる能力をえる。ひよりがYoutubeで動画配信をすると霊能者と思われ話題となる。ふたりは[モヤッド教]というオンラインサロンを始めるのであった。


[誰もが自分が望むことで生きれる世界]を求めるひよりは、モヤッド教内での[ひよりが求める思想の解釈]を対立して争う管理者たちに嫌気がさしてモヤッド教をやめてしまう。なぜか、ひよりが自由を望むほど世界は閉鎖的になっていく。ひよりは新たな表現として感じたままを歌う即興ロック動画をあげると、たちまち話題となる。ひよりの意志はネットワークを通して拡散していき思想遺伝子は広がり続けていくのであった。



☆注意☆
今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!…この作品に出てくる名前や地名は架空のものであり現実とは一切の関係はありません。



夢はあるかい?

 

ひとりぼっちで歩いた

 

明日、何しよう

 

君の存在が必要さぁ

 

誰かがどこかで待っている

 

君とは違う人たち

 

大好きだけれども

 

さよならしなくちゃ

 

帰る場所はそこじゃないんだ

 

未来を見つけに行こう

 

はじまりはいつも

 

ひとりぼっち

 

 

 

 

 

…[夢と現実]…

 

 

ほとんど家具も無く生活感のしないさっぷうけいな1LDKの部屋でひよりと美伊助がくつろいでいる。

 

ひよりが、美伊助にカフェオレを渡す。

 

「ねぇ、美伊助には夢ってあるの?」

 

「夢………ゆめ……ユメ…難しいよね、俺には?」

 

「なんで、生きていれば普通あるでしょ?……ああしたいこうしたい、ああなりたいこうなりたいっていうのないの?」

 

「どうかな………………そもそも、俺にはひよりと会う前の記憶がない。……俺は数ヶ月しか生きていないようなものだ。……しいていうなら、ひよりがどうなるかが気になるくらいだ。」

 

「はぁ~、また、それ…。美伊助が何者かわからないからってこと?」

 

「そうかもしれない。……だが、考えても答えがないということもあるのではないか?」

 

「それじゃ、美伊助にとって、世界の中心にアタシがいるってこと。………アタシは全知全能でもないし、神になんか興味ないわ!」

 

「ひよりが俺の世界の中心にいるのは間違いない。……神とも言えなくもない、だかしかし、全知全能なるものなど世界中をさがしてもいるはずない。」

 

「でも、一神教では神はいることになってるわよ。」

 

「そんなことは、人それぞれの思想の問題でしかない。俺が言っているのはもっと根本的な問題だ。…個人に意志が宿る、その個人の意志が複雑に絡み合い織り成す世界がこの三次元だ。…そのなかで、ひよりの意志がオーラとなり輝きをはなっており、その輝きに引き寄せられて世界はつくられている。。…だから、世界の中心だということだ。」

 

美伊助から発せられるターコイズブルーのオーラ、ひよりが発する虹色オーラにこの部屋に集まる明るく軽いモヤッド。………この部屋は別次元かのように存在しているのかもしれない。

 

「ということは、他にもアタシのようなオーラが強い存在がいて、いろいろな方向に世界を引っ張っているってこと?」

 

「そうだ、それが現実だ。…人のオーラも世界に漂う残留思念のモヤッドも同じ波動エネルギー源ということだ。」

 

「それじゃ、誰だって神になりうるということじゃない。」

 

「あぁ、それが自我であり意志というものだ。しかし、そこまで自分を信じられるものは少ないがな。」

 

「なんだか、アタシ…頭痛くなりそうだから考えるのやめるわ……モヤッドが教えてくれてる気がするのよね、今のまま楽しく生きていければいいわ!」

 

「だから、はじめからそれでいいといったのだ。ひよりがそのままでいいように俺もこのままでいいのだ。」

 

 

ひよりと美伊助は甘いカフェオレを片手に微笑んでいた。

 

 

 

「俺にとっては、夢も現実も同じことだ。……ひよりの夢が世界になるんだ。」

 

美伊助は虚空を見つめて呟いた。

 

 

 

 

…[デジタル二次元]…

 

 

絶え間なく、ふりつもる世界

 

情報は記録され時を漂う

 

忘れ去られた思念のように

 

デジタルに固定された記憶

 

凝固した瞬間に見る夢なのか

 

閉じ込められ出会いを待つ

 

あなたに見られるその日まで

 

忘却の惑星の物語

 

 

 

 

 

ひよりと美伊助はイホンのショピングモールのフードコートでカフェオレを飲んでいる。

 

 

「ねぇ、アタシたちの世界は平面だっていう説があるの知ってる?」

 

「そうだな、……情報空間から考えれば、そうとも言えなくはない。」

 

「それって、どういうこと?…‥現実は三次元という空間があるし、アタシは体という立体的な構造なのよ!」

 

「あぁ、それは物質としての表現世界の捉え方だ。……俺たちの出会いや運命は点という時間軸であり、過去も未来も今という現在から見ている。……当事者であるひよりがどこにいるかということからすれば、それは面であらわせられる。」

 

「それは、アタシの面と美伊助の面が運命によって交わったということ?……だとすると、世界は無数にあるってことになるじゃない。」

 

「あぁ、そうだ、意志の数だけ面という世界があり、複雑に絡み合っている。 ……それすらも、もっと大きな枠組みから見れば面であらわせられる。」

 

「あっ、そうか!……アタシたちがあげたYoutube動画もそうよね。

過去に配信されたデジタルコンテンツもその時間を凝縮した情報なのよね。……バーチカルファインリングされた、そんなアタシをアタシの知らない人たちがなんらかの出会いによって垣間見ているってことか!……それじゃ、未来はどう見るの?」

 

「人によって時間軸が違う。………世界は認識することにより次へと進む。この三次元世界では、物質は同一の世界に存在しているが、思想意識ではバラバラの時間軸だ。……だからこそ、人それぞれの価値観があり求める世界も見える景色も違う。……ひよりのような遥か彼方の目的地を見据えて生きれるものは少ない!………すでてを知り得たならば、悟りという同一状態となる。」

 

「なんか、しっくりこないのよね。……美伊助の言葉!」

 

「それは、しかたないことだ。……今、現在に確立されていない定義にたいしての的確な言葉がないからだ。……もしも、それをあらわす言葉があったとしても誰もイメージできないから認識もできない。……そもそも、ひよりは新しく生み出すものであり、過去にも未来にもデータのない未知なる存在。ほとんどのものは似たり寄ったりの予測可能な消費するものだ。……いくつもの障壁を乗り越えてたどり着く確率のものがひよりだ。……ひよりが自身の稀少価値を認識して臆すれば新たな可能性は閉じる。…できるものにとっては、すべては当たり前のことでしかないのだからな!」

 

「う~ん、なんだか、考えだすと難しくてわからなくなってきちゃうわね。」

 

「ひよりは考えなくても出来ている!……そのまま存在しているだけで、世界のほうから歩みよってくる。」

 

「言葉って便利なようで不便よね。」

 

「だから、この世界があり、この世界で交わり体験することで新たな感覚をえるのではないのか?……俺にもわからない。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…[消滅]…

 

 

新しい世界が始まるのだから

 

消えて芽生えたあなただから

 

わけもわからずさまよいつづけて

 

自分の器もわからないまま

 

肉体という器

 

誰もが意志という気をもっている

 

肉体を感じるとは気を感じるということ

 

あなたの世界を覆い繋ぎ止める

 

はみ出すオーラが対話する世界

 

消滅する意志

 

同じになってはならない

 

だからこそここにいる

 

なりたい自分になりなさい

 

あなたらしく

 

なにをしに来たのだろう

 

違いながらも進みなさい

 

新しい世界に境はない

 

わからないまま感じなさい

 

この世界の有り様を

 

からだで感じなさい

 

消えてなくなる

 

その日まで

 

すべての浄化の

 

その日まで

 

 

 

 

美伊助とひよりは、二人が初めて出会った古墳跡地の公園に来ている。

 

「ねぇねぇ、何か思い出さない?……美伊助は突然ここに裸であらわれたのよ。」

 

「そう言われても…………俺もわからないんだ。……世界は細切れであり俺自身も細切れな感じがする。……俺でいて俺じゃない、変な感じがするんだ。」

 

「う~ん、また、訳の解らないことを言い出したわね……美伊助が細切れって、記憶が細切れってこと?」

 

「いや、わからない……ただ、どこからか視線を感じている……なにかと繋がっているんだ。」

 

 

「何と繋がっているというの……アタシとなの………それとも美伊助の向こうに誰か……あ、そうね……夢で見た存在かもしれない。」

 

「夢………夢とはなんだ。」

 

「美伊助は夢を知らないの?……寝ているときに見る世界。…それを見て美伊助は泣いていたわ。」

 

「あぁ、あの悲しくて虚しくて嬉しい複雑な感情を感じる夢のことか?……それが、俺の何と関係性があるのだ。」

 

「アタシ、夢で感じた世界を即興ロックで歌ってるじゃない。……そこで、美伊助の後ろにいつも何かの影を感じているのよ。」

 

「なんのことだ。………俺には解らない」

 

美伊助は虚空を見つめる。

 

「解らないが、何かに見られているんだ。……そいつが俺に言葉をしゃべらせる。……意味の解らない言葉を。」

 

「まぁ、いいわ……アタシ、思うのよ……美伊助はアタシと繋がってね……たとえ美伊助の後ろにいる影の存在がいたって、アタシが離さないからね!」

 

ひよりは虚空を見つめる。

 

「アタシが世界の中心なら、アタシには美伊助は必要なのよ。……アタシの意志の力で美伊助の後ろにいるヤツになんか渡さないわ……そうよね、美伊助。」

 

「あぁ、そうなのかもしれない。……俺にはひよりが必要だ!」

 

美伊助とひよりの回りを囲むモヤッドが二人の意志に共鳴して祝福していた。

 

辺りは光り輝き発光する。

 

ひよりと美伊助は光りに包まれたかと思うと真っ白な世界に立っていた。

 

 

 

「未来は見えたか?」

 

どこからか思念が伝わってくる。

 

 

「終わりか?」

 

どこからか視線を感じる。

 

 

「続けるか?」

 

美伊助とひよりは虚空を見つめる。

 

 

「何をいってるのよ!」

 

ひよりは目を見開き叫ぶ。

 

 

「世界の中心なるものよ……満足したか?」

 

 

「まだまだよ。………アタシは欲張りなワガママなんだからね!」

 

 

「我が分身である監視者よ……この世界をどう思う?」

 

耳慣れた声が美伊助に語りかける。

 

 

「俺は、未来を見つけた。………お前の元へは帰らない!」

 

美伊助が叫ぶ。

 

 

 

「そうか………未来が生まれたのだな。………苦難の始まりが………浄化はしないということでいいのだな?」

 

 

 

「なんども言わせるな、お前は黙ってそこから見てろ!」

 

「そうよ、たとえ苦難であろうが、幸せを見つけるだけ………これからはアタシたちの世界が始まるのよ!」

 

 

「さらばだ、幸運を!」

 

思念は消えさっていったと思うと美伊助とひよりは元いた公園に戻っていた。

 

 

 

 

 

「祈ってもらうまでもないわ、……アタシは幸運だけは絶対的な自信があるのよ!」

 

「そうだよな……だから、俺はひよりのそばにいる。」

 

二人は互いに見つめ愛、笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

大きなものから見れば、個などは一瞬の夢のようなものなのかもしれない。

 

 

融合して消滅することはいがみ合いでの争いではなく浄化であろう。

 

 

宇宙における地球も地球における生命も、フレームの大きさの違いはあれど同じ構造現象だということに気づくだろう。

 

 

世界は繋りつづけて行く、次元をこえて

 

それが、この世界のあるべき姿なのだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

…始まり…

 

 

 

 

 

 





どうも、最後まで読んで下さいましてありがとうございます。

いたるところにフラグだらけで回収がない。

なんだか、謎かけ問答のような話しになってしまいました。

解釈は、読み手にゆだねます。

お好きなようにお読みくださいませ。


世の中を見ておりますと、善いことも悪いこともその人しだいであり、必ずしも理想とは言えない状況であります。
コロナにしてもそのひとつであり、これからもいろいろな問題がおこるかと思います。

天国も地獄もすべて含まれているのがこの世界なのだと思うのです。
だからこそ、人は感情により変化していくのだと思います。

ですが、多様性という選択肢を増やすことで全体の善悪は薄まるのではないのでしょうか?

次の時代へ向けて!

そんなことを妄想しながら、でてきた言葉をつづった作品なのかもしれません。


それでは、又、会いましょう





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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて! ⑭ 夢 愛 ❤️ 忌野清志郎にささげる回



最近、夢を見るんだ。

散歩しながら、浮かぶイメージ

嘘のような、あやふやでふたしたな存在

あまりにもボンヤリしているから書き留めておこうかと思います。




☆注意☆
今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!



 

…[夜明け前の夜露のような]…

 

 

あまりにも不確かで不安きわまりない

 

僕は夜露のようなものだ

 

太陽が登り消えてしまうまでの一時の存在

 

世界が浮かび上がるそのときまでの夢なのかもしれない

 

 

5ヶ月ほど、太陽が登る夜明けのなか散歩をしてきた。

 

お気に入りの川岸を歩いて

 

毎日、すれ違う人もいれば、初めて出会う人もいる

 

なんとなく同じ空間を共有しているだけの知らない人たち

 

ただ、互いにすれ違うだけの人たち

 

僕はお気に入りの音楽を聴いて

 

足を前に踏み出すことに意識をむける

 

交互に踏み出すリズム

 

僕の呼吸がビートを刻みシンクロしていく

 

まるで、世界に溶け込むように

 

人生はロックだ

 

僕とジャズを奏でよう

 

 

川の流れ

 

風の流れ

 

人の流れ

 

生き物の流れ

 

太陽が光りをもたらし世界の形をうかびあげる

 

光りは影を生み出し、今が映し出される

 

毎日、少しづつ変化する世界

 

この瞬間も

 

僕は自然の流れと一体になり夢をみるんだ

 

 

 

はじめは無意識だった

 

なんとなく足が向いていく、感じたままに

 

後から意味があったことに気づいた

 

なぜ、それを行い感じたのかを

 

目の前にあらわれる情報の意味がしっくりきたんだ

 

まるで、そのための体験だったかのように

 

 

過去からの記憶がこじつけた錯覚なのかもしれないがね

 

僕は、忘れっぽいから

 

自分の直感を信じるよ

 

五感で感じた運命というヤツをさ

 

 

すべての謎が統合していく

 

知ってることも、知らないことも

 

そこで感じたことは、夜露がみせたまぽろしなのかもしれない

 

だけど、確かにあったんだ

 

空っぽの僕の❤️にふれた世界が

 

僕の❤️は空っぽだと思っていた

 

いつも、周りを優先してしまうから

 

自分がないわけではないよ

 

むしろ、人いちばいあると思っている

 

ただ、人と争うのがイヤでしかたがない

 

自分のなかに他人を入れたくないんだ

 

自分が消えてしまいそうでね

 

だから、人と関わることも苦手だし、深く付き合いたいとも思わない

 

求められると答えないといけないと思ってしまうから

 

めんどくさがりやな僕は、誰よりも自由を求めているのにね

 

僕の奥の方で、ウソっぱちな優しさがそうさせる

 

特別に関心がある人でもないのに求められたら出来る限りのことはやらなければと思ってしまう

 

子供のころは、人目を気にしないでどこでもアニソンを大声で歌っていたのにね

 

自分だけのことなら、恥ずかしいって、なに?

 

今でもそんな感じかな

 

大胆なのか繊細なのか、矛盾だらけ

 

自分でも、訳の解らない性分なんだ

 

 

一時の関わりなら、なおさら

 

今、この瞬間をやり過ごそうとしていたのだろう

 

愚かで浅はかな僕なのさ

 

本当に薄っぺらな優しさなんだよね

 

それしか、人との関わり方を知らないから

 

空っぽの❤️のからを分厚くすることしか知らないから

 

世間という常識を逃げ道にして

 

一番、キライな常識で武装して

 

自分を正当化することしかしないのだから

 

本当に困っている人は、人を頼らないと知っているのにね

 

やさしい人は自分の責任をわかってるからさ

 

自分がまねいたことは自分で解決するものだとね

 

良いことも悪いこともね

 

 

僕は人が嫌いなのだと思っていた

 

嫌いなんじゃなくて、勇気がないだけなんだね

 

ありのままの自分を知る勇気がね

 

人と向き合うということは自身と向き合うということ

 

だから、空っぽだと思っていたんだ

 

いつもね

 

空っぽなら自身をごまかせるからね

 

それでも、何も困らなかった

 

へんなところだけ、自信があったからさ

 

ひといちばい、運だけはあったからね

 

今のポジションを維持していればなんとかなると無意識は知っていたからね

 

そんな強運に恵まれいたから

 

たしかに、体は弱いし子供のころに母親を亡くしたのは善いことではないけどね

 

それがあって、今があるからさ

 

そんなことは、たいしたことじゃないよ

 

 

それよりも、問題があったんだよ

 

❤️がざわめきだしたんだ

 

 

きっかけは子育てなんだよね

 

一般的でない発達障害の子供と向き合うことで思い出したのかもしれない

 

彼のことが自分のことのように感じたんだ

 

子供と話をしていると自然と言葉がでてくるからさ

 

自分も空っぽだってね

 

僕の子供は悩むことすらわからないようだった

 

まるで存在を消しているようでね

 

なんだか、教えられているのは僕だったのかもしれない

 

空っぽにしておけば、すべて上手くいくと思っていたんだよね

 

今までわね

 

だけど、確かにあったんだ

 

そこにね

 

真っ暗な空っぽの闇のなかに

 

見えないほどの小さな自身がね

 

まだ、何色にも定まらない❤️がさ

 

そんな自身を知ってしまうとさ

 

とても生きにくいということを

 

無意識は知っていたのかもしれない

 

僕の❤️は非常識だから

 

どこまでも突き進むとね

 

しっくりこないことを無視してさ

 

自分自身がだよ

 

めんどくさがりやな僕だからね

 

なりすましていれば過ぎ去ると思っていたのだろうね

 

本当に狡猾で頭でっかちだったのだろうね

 

だから、いつも疑問ばかりだったのさ

 

本当に求めることをしていないのだから

 

たとえ世界が認めなくてもね

 

僕は、言葉では耳障りのよい感じでうぬぼれていたけれど、自身よりも世界のほうが偉大だと思っていたのだろうね

 

せっかく、生まれてきたというのにね

 

世界に屈服して自身を裏切るところだったんだ

 

情けない、ずるいヤツになるところだったんだ

 

僕が一番キライな存在にね

 

 

あまり過去を振り替えるのは好きじゃないよ

 

過去なんてものは記録からのこじつけで現在を固定してしまうものだからね

 

それは、正しい僕じゃないからさ

 

思い返せば、いつも予感めいたものがあった

 

子供のころに感じたことが現実におこることがイヤだったんだ

 

無意識に周りから感じとっていたのかもしれないけどね

 

だけど、デビルマンが気になり妖怪と怪獣が好きになってしまった

 

なぜか、オカルトや精神世界にひかれていたしね

 

宗教はこれぽっちも信じられないのにね

 

そのころから、イメージは感じていたのだと思う

 

だから、妄想に逃げて自分の世界を囲ったんだと思う

 

僕が無意識に好きになって影響をうけた、忌野清志郎や志村けんや永井豪や水木しげるやアントニオ猪木や前田日明はまっすぐな人ばかりだったしね

 

だけどさ、あこがれという感じじゃなくてさ

 

会いたいとも思わなくて、同類を見つけたような

 

あっ、この感覚わかる!っていう感じなの

 

心底では、うらやましかったのかもね

 

だけど、僕にはできなかった

 

僕は生まれながらの❤️を隠して生きたほうが生きやすいと思っていたんだ

 

1972年産まれの僕には勇気がなかったんだ

 

本当は僕なりに❤️を育てて自身の色で、世界に伝えなければいけないのにね

 

好きな人たちを取り込んで、空っぽなままごまかすしかなかったんだ

 

ホリエモンやひろゆきが出てきたときも同じだったよね

 

あっ、わかるってさ

 

たまたまかもしれないけど、感じたままに

 

願って始めた人との違いなんだよね

 

彼らは成るものに成ったから、凄いのだけれどね

 

僕の❤️は空っぽのままで

 

自分の強運だけ信じてさ

 

無駄づかいだよね

 

きっと、何人もいたと思うよ

 

そんな僕みたいなヤツばかりだから

 

 

いまだに夜明け前なんだろうね

 

 

世界はさ

 

 

 

 

…[体は器]…

 

 

体があるから生きていられる

 

体は❤️を包みこむ器であり、自分とその他を分ける境界線なのだ

 

❤️は気をはなっている

 

体からはみ出る気が互いに影響をあたえている

 

体を通して呼吸をすることで酸素を二酸化炭素に変化させるように、僕たち生命のエネルギーも互いに循環しているんだよ

 

だから、僕たちはそこにいるだけでいいんだ

 

すべての物質と同じようにね

 

僕たちひとりひとりが内世界を内包している

 

生命の数だけ内世界があるといってもよいだろう

 

より思想意識がはっきりとした精神によりはっきりとした内世界が生み出される

 

僕たちが存在する外世界は、思想意識という情報世界からみれば幻でありカオスである

 

僕が感じているものは僕が生きている間のものでしかない

 

僕がリアルに見ている夢が現実といってもよいだろう

 

それだけ、人がいだく思想意識が外世界に影響しているということなのだ

 

みんなが思い描く思想意識が現実といってもよい

 

つまり、外世界とは生きている生命全体がみる夢なのである

 

情報とはエネルギーである

 

❤️から発せられた感情という思想意識の情報は外世界の空間に漂い記録される

 

❤️がだす感情こそがより良い純粋なエネルギーという情報となる

 

過去の記憶に捕らわれてはいけない、それは策略という不のエネルギーであり自分かってなワナだからだ

 

本来、体は今しか感じない

 

自然体を保つことが、もっともより良い純粋なエネルギーを発せられる

 

ひとつの思考に捕らわれてはいけない

 

それは、過去の記憶に縛られた世界であり変化を恐れ不安をまねく

 

脳だけに頼ってはいけない

 

今を、正しく感じなければ時は進まない

 

全体を感じることで五感は研ぎ澄まされ、正しい判断が出きるようになるからだ

 

体は❤️のエネルギーの発信器であり受信器である

 

 

僕たちは見えないものほど感じなければとらえられない

 

❤️が感じる繋がりを求めて生きているのだ

 

 

 

 

 

…[+と-]…

 

 

2021年のこの世界はとても幸せな世界だと思う

 

確かに、環境問題による世界の変化が加速したことで思い通りにはならないことが多くなってきているけれどね

 

だけど100年前に比べたら、生きることはずいぶん楽になったよね

 

食べることも病気も、それほど気にしないで生きていられるからさ

 

戦争ばかりの時代はマイナスのエネルギーが蔓延していたからね

 

僕が生まれた1972年頃はある程度整備されたゼロの時代だったと思う

 

今の時代は生命維持活動の脅威は、気まぐれな世界くらいだと思うんだ

 

地球環境の気まぐれもそうだけど、僕たち人の気まぐれのほうのエネルギーのほうが影響力は強いだろうね

 

気まぐれという気持ちの問題

 

一方に片寄りすぎないで、多様性により薄まりバランスがとりやすくなるといいけどね

 

一定の指導者が富と力を握る時代は終わったと思うんだ

 

これだけの人類の文化が進歩をして、いまだに恐れと不安で独り占めしたがるエゴはどうしてなくならないのだろう

 

使いきれないものをどうしてためたがるのだろう

 

きっと、どこかでマヒしたのかな

 

ずる賢いヤツらに操られる時代じゃないのに

 

幸いなのか不幸なのか解らないが、僕にはあまりない感情なんだよね

 

いろいろな人がいる世界だから、否定も批判もしても意味はないのだろうけど

 

言いたいことが言えない世界はダメだと思うんだ

 

誰もが夢を語っていいんだ

 

誰もが夢を求めていいんだ

 

そこに❤️があればね

 

ただし❤️にもプラスとマイナスがあるからね

 

だけど、本来の❤️とは他人を蹴落としてまで喜びをえられたりできないと思うから

 

なんらかの歪みによる❤️のねじれなのだと思う

 

現実の世界とは、自然にそれを循環させ調整してくれていると思うんだ

 

 

どちらの時代へ向かうのだろうか?

 

 

 

天国はない、ただ空があるだけ

 

国境もない、ただ地球があるだけ

 

社会主義も資本主義も、偉い人も貧しい人も

 

みんながそう思えば簡単なこと

 

夢かもしれない

 

でもその夢を見ているのは、君ひとりじゃない

 

みんながそう思えば簡単なこと

 

 

僕の好きな、忌野清志郎の言葉

 

 

僕にはこれがすべてなんだ

 

 

伝わるとうれしいな❤️

 

 

想像してごらん

 

僕たちはいつでも繋がれる時代に生きているんだ

 

それも、自動で同じような❤️に出会えるんだ

 

自分に責任をもとうよ

 

そこに策略なんていらないよね

 

素晴らしい世界がおとずれる予感がするんだ

 

みんながそう思えば簡単なこと

 

 

 

 

 

…[生と死]…

 

 

僕は産まれたときから死を受け入れている

 

なにもこわくない

 

せっかく、産まれてきたのに死を恐れてなんになるのか

 

死ぬことも素晴らしいと思うんだ

 

限りがあるから次が始まるから

 

限りのないものなんて、とてもちっぽけでつまらないもなさ

 

 

僕は瞑想をよくするけど、なにも座禅をしなくてもいいんだよ

 

散歩しながらだって、寝っ転がたって、できるしさ

 

料理をしているときや歯みがきしているときでもできるんだよ

 

君が自然を感じて世界があることに感謝さえすればさ

 

僕たちは別々だけど、ひとりじゃないんだ

 

みんなで育てあっているんだ

 

 

 

死があるから、やさしくなれるのかもね

 

この年になると、そんなことを思うんだ

 

 

 

 

 

 

ポンと放り出された僕だから

 

僕の❤️はボーナスステージのようなものだ

 

楽しめばいいだけなんだ

 

良いことも悪いことも

 

すべてをさ

 

僕の❤️で

 

君の❤️をみせておくれよ

 

それが生きることだと思うんだ

 

なにも、無理やりみなくてもいいんだよ

 

知らないことも素晴らしいからさ

 

なにを見つけたかが素晴らしいだよ

 

それが❤️を育てるということなんだ

 

死を恐れてはいけない

 

不安を育ててはいけない

 

 

僕は、そう思うんだ

 

 

君はひとりだけど、ひとりぼっちじゃない

 

 

やりたことをやりなよ

 

いいたいことをいいなよ

 

純粋なエネルギーでね

 

 

生きている間の❤️を楽しみなよ

 

 

 

 

…[夢と愛]…

 

 

ひとつの❤️が感じる世界を夢という

 

いくつもの❤️が感じる世界を愛という

 

僕たちは違っていいんだよ

 

それぞれの世界を求めていいんだよ

 

そのために産まれてきたのだから

 

そのために死ぬのだから

 

だから、自然であることなのさ

 

自然と愛は同じなのだから

 

❤️が夢を観て愛にふれたとき

 

はじめて世界は輝きだすのさ

 

だから、おそれないで

 

自分自身を

 

だから、忘れないで

 

その夢を

 

 

 

 

 

 

 

 

…終わり

 

 

 

 

 






これは、49才の僕が感じた世界です。

不愉快に感じた方がいらしたら、ごめんなさい

だけど、確かに感じたのです。

それだけのことです。

何の策略もなければ魂胆もありません。

ただただ、感じたままに描いたのです。


僕も落ち着いちまったけど

まだ49才だろって言われるかもしれないけど

これからは静かに生きていくよ、たまに言いたいことが言えればいいんだ

子供のころと同じさ

周りを気にしないでアニソンを大声で歌っていた

あのころとさ

それが❤️が求めていることだから

この年まで気づけなかった意味があるかと思うのです。

今を大切に自然でありますように



2009年5月2日、僕の大好きな忌野清志郎が死んだ

もしも、あの人が生きていたら今の世の中を観て何て言うのだろう

何十年も前からずっとメッセージを届けていたんだ

凄いだろ、誰も言わないことを

とても、あの人のようにはできないけれど

僕もなにかを伝えたいんだ

たいした言葉じゃないけど

この文章をあの人にささげます


なにかの縁でこの文章に出会ったあなた

よろしければ、忌野清志郎を聴いてください


忌野清志郎を好きな人に悪いヤツはいない 


みなさん、ここまで読んでくれて

ありがとうございます


それでは、又、会いましょう



❤️とは、夢であり愛であり心であり気である

❤️とは、あなた自身!





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流れを感じてますか? (番外)


おひさしぶりです。

半年以上、あいております。

私も変わらないようで変わっているようです。

それも、流れなのでしょうか?

今回は、流れについて思考していきたいと思いますので、お付き合いしていただけましたら嬉しく思います。



 

流れとは、なにか?

 

私の流れ…肉体の変化…心の変化…感情の流れ

 

世の中の流れ…制度の変化…他者の変化…社会の流れ…

 

我と他による流れが出合うことで事柄が生まれる。

 

たまたまの偶然による出来事が生まれる。

 

努力や才能を上回る流れがある。

 

成功と失敗。

 

勝者と敗者。

 

支配者と奴隷。

 

良いことも、悪いことも

 

私にとって、世間にとって?

 

それぞれの都合による解釈。

 

どちらの解釈も、検討違いのまとはづれでしかないのではないか?

 

偶然という、運によって生まれた出来事でしかないことを、思い込み錯覚する思考に、うぬぼれと嫉妬に一気一様する感情はふりまわされ、あらたな流れを生み出すのであろうか。

 

流れとは変化なのだと思う。

 

様々な出合いによる変化する様なのだと思う。

 

 

自由意識という錯覚。

 

自分が選択しているという勘違い。

 

もっと、大きな流れによる縁を感じてならない。

 

そんなことを思考していると、人というものは、つくづく脳が発達したことにより、過去と未来に思考はとらわれてしまい、今という現実を生きられない生き物なのだと感じてしまう。

 

記憶と期待により振り回される今。

 

いちいち反応する感情は、無意識に思考し、夢をみる。

 

夢という幻想は希望と不安を生み出す。

 

利己と利他。

 

どこまでも、矛盾した存在。

 

どちらの感情も人が生きていくためには必要な感情であり、それゆえに思考する脳が発達したのであろう。

 

思考は集団幻想となり、社会を生み出す。

 

伝染する思考。

 

集団心理も個人の心理も、愛とエゴも、人そのものなのでしかない。

 

人は自然にあらがい、抵抗する存在なのか?

 

自然とは、循環する構造による流れである。

 

だがしかし、そんな人という生き物も自然が産み出した事柄なのだ。

 

自然は、不必要な流れを生み出さないと思う。

 

人が夢をみることで創造される世界なのかも?

 

虚像と実像なのかもしれないが。

 

それすらも、縁の一部なのだと思う。

 

 

 

せめて、たまたまによる流れに身をまかせて生きたいと思う。

 

最近の私は、[ついでに生きている]と感じてならない。

 

はたして、

 

この感情は、自然な流れによる思考なのか、

 

それとも、つかれているのであろうか、

 

まぁ、どちらにしても、たいして差はないことはわかるのですがね。

 

そんな流れに生きているということなのでしょう。

 

 

私は、子供の頃から仙人や賢者に成りたかった。

 

社会を外から眺めて生きたかった。

 

歳をとるごとに近付いているようです。

 

それも自然、私にとっての。

 

これも、たまたまという錯覚が みせた記憶なのかもしれませんがね。

 

 

 

 

 

 

 





あぁ、たそがれてしまいました。

こんなことを思考してしまう原因が、私の思い出せない深層心理に押し込まれているのでしょうが、無理にこじ開けない方がよいでしょうね。

パンドラの箱かもしれませんからね。

そのうち、

自然の流れにより開くことでしょう。

忘れた頃にね。


そんな、今日この頃なのであります。








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自律していますか? (番外)


太陽の時間が短くなってきました。

秋がはじまる頃に入ってきました。

食欲の秋。

読書の秋。

冬に向けて

物思いにふける季節ですね。


今回の内容は、あくまでも一般論ではなく、個人的な妄想による思考を記録したものであり、なんの根拠もありません。



 

人とは、社会からの影響を受けながら生きる生き物である。

 

社会とは世間である。

 

世間があるから私があるのか?

 

私があるから世間があるのか?

 

私とはなんだろう?

 

世間との調和するものが私なのではないか?

 

そのために最低限に必要なことは、自立だと思う。

 

自立とは?

 

私をととのえる思考である。

 

そう、自律する行為のことなのだと思う。

 

どんな状況でも、世間と私は対等の関係でいる行為のことなのだと思う。

 

 

世間とは、思想と文化による地域性から生まれる。

 

それを、コミュニティと言う。

 

私、家族、町、市、県、国、、、、

 

あなたが属する集団がコミュニティである。

 

あなたが、理解していようがいまいが、互いに意識しあいながら存在をしており成り立っているのがコミュニティである。

 

私が思うに、あなたが容認できるコミュニティがあなたの思想的な次元世界なのだろう。

 

そこに、納得できるかいなかにより、感情はゆさぶられ、生きやすさが変わるのがコミュニティであるからだ。

 

どんな人にも世間なくして生きることはできないので、世間を無意識が捉え私を押し込もうとする(同調圧力)のがコミュニティであるのであれば、

不満を感じ現実を受け止めきれない感情は不安を避けるために世間に無関心になりがちになるのが大衆である。

 

世間を捉えられないのは、無意識の抵抗か?理想がかなわない劣等感からか?もしくは、現実を認識する知識がないからか?

 

 

無知なるものが、大衆と言えよう。

 

 

私とは、集団から排除され孤立することを恐れる。

 

 

大衆とは、群れることで、孤立への不安を忘れようとするが、自身すらも忘れてしまい、認識できなくなった人なのだと思う。

 

そこに気づくことすら忘れた人達のことなのだと思う。

 

そんな大衆ほど、操り操作しやすいことはないのであろう。

 

なんらかの役回りを与え働かせることで無関心にする。

 

だから、集団心理を操る、少数の権力者にとっては、実にたやすい世界なのだろう。(どちらが善悪とはいえないのが社会であり、互いに影響しあっている)

 

私を律するのが理性ならば、世間を律するのは法律による規制であろう。

 

本当に、無関心になってよいのか?

 

つまり、今という世間を生み出しているのは私であり、

同時に世間が私を生み出しているのでもある。

 

「大衆よ、世間に噛みつけ❗️」

(そんなことをすれば、生きられない時代?)

とは言わないが、

 

せめて、世間にたいして無関心になることだけはやめないか。

 

どんな人でも、あなたが生きている時代を学ばなければならない。

 

あなたの生きている、存在理由を感じなければならない。

 

私も世間も互いに影響しあって今があるのだから。

 

 

そのためにすべき行為が自律という自身を知り世間(コミュニティ)と対話(コミュニケーション)することなのだと思う。

 

 

それでは、自律をするためには何をすればよいのか?

 

西洋的に言えば、自身を知るための哲学と心理学が社会学なのであろう。

 

しかし、何か足りない気がする?

 

一昔前と違い、現代社会は変化が速く、資本主義によるグローバルな世界と言えども、情報量が増加し多様な地域に分裂した世界である。

 

伝統文化や歴史感も大切であろうが、コロコロ代わり、いまひとつ、真実味にかける。

 

東洋的に言えば、仏教思想による瞑想なのか?

 

私は自身の立ち位置を認識することが大切だと思う。

 

自身の存在理由を感じることが必要だと思う。

 

そして、

 

自身の流れを感じ出合いと経験による自身の変化を認めること。

 

つまり、自分軸をもって生きることなのだ。

 

人は、自分の興味関心が有ることからしか世間を認識できないと思う。

 

そんな、個人が集まり地域を運営することにより多様な世間に変化していくのだと思う。

 

これからの生き方とは、

 

多様な地域を自分軸の変化により渡り歩く時代なのだと思う。

 

それは、自身が地域を変える原動力になってもよいし、生きやすい地域に移動してもよいだろう。

 

私は、そんな世界を望む。

 

できれば、個人の自由が多く、他人の自由を束縛しない世界を望む。

 

そんな生き方が可能な情報を学びながら、分別のある人になりたいと思う。

 

 

それが、私にとっての自分軸なのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





新しい時代とは、発想の新しい人が生きることで始まるのではないか?

技術の進歩は人に新しい知識を授けたのではないのか?

その技術を使いこなせなければ、文化にならないだろう。

現実と仮想によるデジタルのコミュニティに関係なく、社会は個人を育み、個人の集まりによる社会は統合され分析されることにより進歩するのではないか?

デジタルは自動に個人を記録し集団として管理しているが、反対に私達も社会を監視し地域に影響を与える構成員なのではないか?

自身を記録する技術は、自身を認識し、新たな社会を構築するのか?

情報量が増えることにより、認識できない不安に怯えて生きるか、

それとも、自分を律する

理性と直感による自分軸により、最適化した自身と技術による情報を利用して生きるのか?


それは、私の時代ではないだろう。


情報は統合され、多様な地域の時代が始まるのか?


自身の思考のモヤモヤをネットにばらまけばいい!
(もちろん、表現方法は学びましょう)
かってに監視して分析する世界を認識できるのか?
(生きやすさを求めて自然淘汰する)
個人と社会を繋ぐ世界は操作されるのか?
(無料コンテンツによる代償は個人情報だが、おてがるな快楽にいやしを求め)
誰もが引きこもりの時代になるのかもしれない?
(自身が一番大切だと当たり前に感じられる)
ふれあう、触覚が技術により変化しただけなのか?
(とまどいの先にある感覚が求める想像力)
しかし、社会なくして自身など生まれないと悟るだろう。(それこそが集団で生存してきた生物の本質)

互いに縁の世界。

新しい時代は扉が開いたばかりだ。

旧世代の私は、妄想により虚像と実像の間をゆらぐくらいであろうか?(私にとって妄想も想像も同じ)


21世紀に生きる人が生み出す世界なのだろう。


今回の思考は、

最近、読んだ本から影響を受けているかと思います。

実力も運のうち 能力主義は正義か? マイケル サンデル

つながり過ぎた世界の先に マルクス ガブリエル

虫とゴリラ 養老孟司 山極寿一

明治維新という名の洗脳 苫米地英人

FREE経済学入門 苫米地英人

社会学的想像力 ライトミルズ

哲学入門 戸田山和久

等々




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外伝 B 月光無情

 今回の話は一般論ではなく、なんの根拠もない個人的な妄想によるものです。現実のことではありません。    


とある新月の夜

 

ススキが生い茂る川原に大勢の人々が集まっている

 

フンドシにサラシをまいた男たちの中心にいる青白い顔の男が言う

 

「さっさと喰ってくれんかな?退屈しのぎにもならんわ!」

 

男たちは死にもの狂いでおそいかかる

 

「我が身を喰らえば、願いがかなうぞ」

 

ヒラリとかわす青白い顔の男

 

「夢、幻のごとく、世界は反転し、異世界の扉が開くぞ」

 

「我の名は、月光無情!喰えぬのならカエルがよい」

 

「このアホウどもが、コトバすら持たぬやつらよ」

 

「ナゼに、私を呼び覚ますのか?」

 

アクビをひとつするごとに人々を眠りに誘う

 

「ほら、早く我を喰らわねば、お前らの魂が消えるぞ!」

 

人々は亡者のごとくに絡みつこうと押し寄せる

 

アクビを、また、ひとつ

 

「ほら、また、消えたぞ」

 

目覚めることのない眠りに誘う

 

無知なる者どもよ、ナニを求める

 

それすらも解らないままに

 

 

 

ススキが生い茂る川原に雨がふりだす

 

「ほら、雨だ?アホウどもには解るまい」

 

フンドシにサラシをまいた男たちの中心で青白い顔の男が言う

 

「我が名は、月光無情!お前の名は?」

 

男たちは無言のまま青白い男を喰おうと追いかける

 

「まだ、気づかんな?消えてカエレ」

 

水しぶきが湯気となり、男たちからたちこめている

 

「こりぬやつらよ、ほら、カエレ」

 

青白い男のアクビが数をます

 

「ほら、雨が強くなってきたぞ、どうした、あきらめるか?」

 

雷鳴がとどろき、川の水量がまして流れが速くなる

 

「ほら、気をつけろ!アホウのままで流れにのまれれば、どこにもカエレなくなるぞ」

 

数名の男たちが流されていく

 

「自身もしらぬアホウよ、まだ解らぬか?」

 

青白い男は、ひときわ大きなアクビをする

 

「そろそろ、シオドキにしようか?」

 

いっきにフンドシにサラシをまいた男たちが眠りにつく

 

 

 

あたりが静まりかえり、雨の音がひびきわたる

 

「やれやれ、今回も無駄あがきだったか?」

 

ため息をついている青白い顔の男の上から声がする

 

「おい」

 

青白い男が視線を上げると、大木の上に人影をみつける

 

「なんじゃ、まだ、いたのか?……そんなところで何をしている、願いをかなえたくはないのか?」

 

青白い顔の男が笑いながら言う

 

「何って、喰らう前に、近付いたらアクビで眠らされるだろ?」

 

木の上の男が言う

 

「お前は話せるようだな………アホウじゃなければよいが?」

 

青白い顔の男が言う

 

「アホウかどうかは知らんが、自分の名前だけならわかるぞ」

 

木の上の男が言う

 

「そおか、名前がわかれば十分じゃ……我の名は月光無情!………お前の名は?」

 

「俺の名は、B!」

 

木の上の男が言う

 

「そうか、…Bか、…ワシを喰うか?」

 

月光無情が言う

 

「べつに願いなどないから、いいや!」

 

Bが言う

 

「ならば、川の流れにまかせて生きるとよいぞ………お前なら生まれることができるであろう」

 

 

 

 

 

終り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




とくにありません。

たまたま、思いついた話であります。


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体力か知力か?どちらもないと?人生あきらめるしかないのかな? (番外)


最近の私は、社会学に興味がわいてきているようなのですが、個人が集まり集団となることで、人類は生存率をあげ文化をきずいて今があるのですよね。

どうしても思考ぐせのある私は、あれこれと考えてしまいます。(無意識に社会学のような情報が目につき入っています)

この世界は、生まれつき不平等ですよね。

体力も知力も人並み以上のめぐまれた人がいます。

どちらかの能力をもっている人もいます。

体力がある人は体力で自身の願望をかなえようとしますが、私のように体力がない人は知力で願望をかなえようとするから考えがちになるのでしょうか?

それでは、体力も知力も人並み以下の人は?

願望を実現することをあきらめるしかないのか?

それとも、社会の仕組みにすくわれるのか?

今回は、そんなテーマで思考していきたいと思います。

ではでは、



 

私は、社会とは世間であり、世間とは人間が生み出した歴史と文化の積み重ねによるものだと思います。多様な国家(大企業)があるように、同じような価値観を共有する思想文化圏(経済圏)が複雑にかかわりあってなりたっているのが現在の世界てすが、その文化圏も小さな地域ごとの人々の集まりによってなりたっているかと思います。

もっとも優れた思想文化をもつ集団とは、結果的に、永く続く集団なのではないのでしょうか?

永い時間軸で見ますと、悪い集団も、一時は繁栄しますが、内部のいざこざにより、衰退を迎えると思います。(そもそも善悪で考えている時点で無意味なのてすが)

結局は、人類が生き残るためには、細々とでも多様な集団が可能性を広げ、さまざまな個人が存在していることが大切なのではないのか?

そんな、人々の集まりに法則はないのか?

なんとなくでも、タイプを見極められないのか?

まずは、人のタイプを見極める方法を考えていきたいと思います。

 

 

 

 

<人の4タイプ>

 

社会というのは、集団により持続します。

 

永く続く社会には文化が生まれます。

 

文化とは、人々のかかわりに関係するかと思います。

 

そんな人々を、心理学者のユングはタイプ論で分析しました。

 

私にとっては、もっと解りやすいタイプ論があります。

 

私の思考に影響を与えた人である、岡田斗司夫さんは、人には4つのタイプがあると言います。

 

タイプごとに欲求のかたよりがあり、世界のとらえかたが違うようです。

 

お互いに解りあえないですが、それぞれのタイプごとに、優位劣位があることでまとまるようです。

 

注目型…外向的で抽象的、天真爛漫で人とのかかわりを好むムードメーカータイプ(気長)

 

司令型…外向的で合理的、勝ち負けにこだわり目的達成のために人を動かすのを好む常識人のリーダータイプ(短気)

 

法則型…内向的で客観的、沈着冷静で論理的な思考を好むパターン行動がちな参謀タイプ(気長)

 

理想型…内向的で感情的、頑固者で自由な自身の理想の生き方を好む職人気質なクリエイタータイプ(短気)

 

*外向的とは、集団行動を好み他人に意識が向かう。内向的とは、独りでも平気で自身の内面に意識が向かう。

 

[心理学のユングのタイプ論では8タイプ(外向的.内向的ごとに思考.感情.感覚.直感)に分けられています。更に人には二面性がありシャドウという裏の人格があると言っています。あまり、ペルソナという社会的な役割りとした人格に自身をかためすぎるとシャドウが暴走しだすのではないのかと思います。又、ユングは人の意識は、集合的無意識という無意識の深いところでつながっていると言っています。私は、進化の過程でDNAに刻み込まれた原初的な反応原理が元なのでわないのか?もしくは、社会的な生物ゆえに成長過程で無意識が文化を引き継いでいるのかもしれない?と思います。どちらにしても、それがあっての人類の繁栄なのだと思います。]

 

もっともまとまりのある集団とは、この4タイプがバランスよく集まっていると良いそうです。

 

お互いに、足りないところをおぎないながら、より良い集団へと進歩していくからだと思います。

 

集団の規模が大きくなったのが国であり、同類の思想をもつ地域が共有する文化圏なのだと思います。

 

くわしく知りたい方は、[岡田斗司夫、人の4タイプ]で検索してみてください。

 

 

どことなく、神道の[一霊四魂]という考え方にも似ているかと思います。

 

私は、前もっておおよそのあたりをつけ、人をタイプで見分けることで、余分なトラブルを避け、効率の良いコミュニケーションがとれるようになると思います。

まだまだ、完全ではなく、当たらないことが多いですが(違っていたら、あたりを修正するだけです)、自身の特性を知り、相手の特性を想像することで、不安感が減り、人に関心を持ち人間関係に悩まなくなりました。(悩んでいるとは、立ち止まっていること、行動をするとは、流れが生じること)

こんなことに関心をもつのも、私が法則型だからなのかもしれませんがね。

 

 

 

<体癖論>

 

タイプ論といいますと、体型ごとに姿勢の特徴で分けた[体癖論]というものもあります。

 

体癖論は、整体師の[野口はるちか]さんが考案しました。

 

ちなみに私は、Youtubeで心理学の[名越康文]さんから知りましたので、興味のある方は検索してみてください。

 

くわしく説明しだすと長くなりますので、今回は簡単に書かせていただきます。

 

体癖論とは、1種から10種までの10タイプに分けられております。タイプごとに、活発に機能するそれぞれの体の部位があることで、その人の性格と行動がきまってくると言われています。

 

ひとりの人間には、2.から3種類の体癖のタイプをあわせもっているそうで、年齢や体の疲れぐわいによってあらわれるタイプが変わってくるそうです。

(私は、体調にあわせて、体の全体のバランスを無意識が調整しているからたと思います。)

 

1種と2種は、頭にエネルギーが集まりやく、体を上下させることでバランスをとっています。(善悪、規則)

1種、丸顔、首が太い、頑固で知的好奇心が強く学者や教授など、話すのが得意

2種、目がはなれている昆虫顔、細身、長身で想像力が豊か、漫画家や小説家など、妄想癖に注意

 

3種と4種は、胃にエネルギーが集まりやすく、体を左右させることでバランスをとっています。(好き嫌い)

3種、ぱっちゃり、大食い、愛嬌があり可愛がられる、色や形に敏感、感情的になりやすい

4種、色白、細身、聞き上手、気配り上手で謙虚、ストレスをためやすい

 

5種と6種は、呼吸器にエネルギーが集まりやすく、体を前後させることでバランスをとっています。(合理性)

5種、肩幅が広くがっちり、行動的、運動能力が高い、損得に敏感、傲慢になりやすい

6種、なで肩、平和主義でのんびりや、のび太タイプ

 

7種と8種は、泌尿器にエネルギーが集まりやすく、体をねじることでバランスをとっています。(勝ち負け)

7種、色黒、筋肉質、負けず嫌い、派手好き、めんたるが強い、体育会系

8種、大柄、自分主義、理想が高くひねくれもの

 

9種と10種は、生殖器にエネルギーが集まりやすく、骨盤を開閉することでバランスをとっています。(愛憎)

9種、筋肉質、太りにくい、ゴリラ顔、職人気質、こだわりが強い

10種、顔のパーツが大きい、世話好き、おおらかで気前良く器が大きい

 

奇数系は、エネルギーがかたよりやすく白黒はっきりつけたがる性質があります。(せっかち)

 

偶数系は、エネルギーがかたまりにくく曖昧を許せる性質があります。(ゆっくり)

 

 

名越さんは、Youtubeでゲーム実況をしながら、体癖論をつかって、ゲームのキャラクターを見ただけで、心理的な特性を見事に分析しています。とても、おもしろいですのでおすすめします。

 

皆さんも、なんとなく、人の見た目から、相手の特性を想像しているかと思います。私は、人生の経験から無意識に情報をえることで相手の特性を予測しているかと思います。それを、体の特徴と性質の関係を知り尽くした整体師が論理的に考えたのが体癖論なのだと思います。

(体からの心理的な影響は大きいですからね。)

 

 

 

 

<天才だけでは社会は成り立たない>

 

 

岡田斗司夫さんは、「天才とは、発想力と表現力と論理力の3つの能力がバランス良く高い人」と言っている。

 

他人が思いつかない事柄を思いつき、他人が関心をもつように表現し、他人が納得できるように論理だてる。

 

この3つの能力がなければ、世の中には広がらないからだ。

 

ということは、その他の大勢の人々が、秀才と凡人である大衆なのであろう。

 

そんな大衆をタイプ論で分析したことで、凡人である大衆も他者を知り自身を知ることができるのであろう。

 

他者を知り自身を知るということは、社会がアップグレードすることではないかと思う。

 

大衆がより良い集団を形成することができるようになるからだ。

 

数少ない天才だけでは社会は成り立たない。

 

そこに、大衆という大勢の人々がいなければ、天才も孤独の存在にすぎないのだろう。

 

とるにたらない、さまざまな集団が生存できる大衆の日常こそが生きる世界なのだから。

 

なにをもって善悪とするのか?

なにをもって損得とするのか?

なにをもって勝ち負けとするのか?

 

すべては可能性のままに

 

個人は、自分を信じて自身の人生を歩めばいい

 

世界は、原始に帰っていく

 

私は、それこそが多様な縁で繋がりあう社会だと思う。

(今、流行りのワンネス、もしくは、全体主義?)

 

 

<十二支縁起>

 

 

縁起といいますと、外的なお互いの因果による関係性(社会的)でありすが、十二支縁起とは、世界の中心となる自身の内的な芽生えが自我となる(一方的に)外的な世界との関係性(心理的)だと思う

 

十二支縁起という考え方は、私が44歳の頃に出会った思考方法だ。

 

遥か昔に釈迦が広めた、原始の仏教の根幹とされる法則だ。(瞑想の為の思考方法かもしれません)

 

この頃の私に丁度良かったのか、難解な法則であったが、私の頭と心にすんなりと入ってきた。(この頃はYoutubeを良く見ており、水道橋博士の異常な猥談の苫米地さんと宮崎さんの仏教についての話しがきっかけで興味をもった。)

 

無知(無明)→志向作用(行)→識別作用(識)→名称と色形(名色)→六つの感覚があるところ(六処)→接触(触)→感受作用(受)→渇愛(愛)→執着(取)→生存(有)→経験(生)→苦(老死)

 

この十二支の無明からの順番による芽生えにより、私が生じるのが流転縁起といい、この流れを思考により見つめることを循観という。

反対に、老死からの順番により私が滅するのが、げん滅縁起という。(正確には老死が滅する時には残りの十一支も、同時に滅するのですが)この流れを思考により見つめることを逆観(瞑想による悟りの感覚だと思う)という。

 

 

言葉だけを見ると、とても解りにくいですが、ある程度の人生経験をされた方ならば、なんとなく感覚で捉えられるかと思う。

 

要は、生物としての人類と、社会的な思考する存在ゆえに、私という自我の仕組みを法則化しているのだと思う。

 

私なりの捉え方ですと、

 

無明は、空に有る無、

 

行は、もやもやした根元的な衝動

 

識は、みつける、認知、認識

 

名色は、みつけたものに名前をつけ区別する

 

六処は、目、耳、鼻、舌、体、心の感覚の芽生え

 

触は、感覚器官が触ること

 

受は、触って感じること感受性の芽生え

 

愛は、感受性の中から、もっと触っていたいという、好きなものを選択すること(好き嫌いの選別、時間)

 

取は、好きに対する執着というこだわり(自我)の芽生え(好きに囲まれていたい、空間)

 

有は、自我を感じた私が存在したいという欲求(時空の感覚にいる私)

 

生は、人生の経験のこと(私の記憶による成長)

 

老死は、自我が消えて無に帰ること(私の死)

 

だと思う。

 

釈迦は、人には、[生、老、病、死]という4つの苦しみがあると言っています。

 

苦しみが有るから自我が有るということなのだと思う。

 

楽しみが有るから自我が有るとも言えると思う。

 

生と自我は同時に存在する。

 

仏教とは、まるで、哲学のようですね。

 

有る意味、相対的であり、互いに打ち消しあえば消えて無に帰るのでしょうか?

 

生きている間、道なかばということかな。

 

いったりきたりのゆらぎのような。

 

 

十二支縁起の思考で社会をとらえてみる。

 

個人に自我があるように、集団にも自我があると思う。

 

すんなり、納得してしまう私に気づく。

 

納得できれば、それでよしの私に気づく。

 

 

 

 

<欲求の5段階>

 

人の欲求には、5段階の構造があるそうです。

 

[マグローの5段階欲求]という考え方です。(詳しく知りたい方は検索してください。)

 

欲求の段階が、ピラミッド構造になっており、下の欲求が満たされなければ上がれない仕組みになっています。

 

1階は、生物的欲求、2階は、安全欲求、で物理的(衣食住、病気)に生存できる状態になりたいという欲求です。

 

3階は、社会的欲求、4階は、承認欲求、5階は、自己実現欲求、で精神的(自身が感じるより良い集団)に安定した自身でいたいという、社会的な自分の立場による欲求です。

 

その上には、6階の欲求があるそうです。

 

自己超越、という、欲求を手放していく欲求だそうです。

 

社会的に影響力をもち、社会に拡大した自身は、社会の流れを、ただ見守るということだと思います。

(悟り、エネルギーの節約なのか?)

 

 

人という生き物は、自身よりも、より良い社会の集団意識という思想文化を育てるために進化しているのかもしれない。

 

 

 

 

<日本の個人資産の分布>

 

 

世の中は、大概のことはお金で解決できます。

 

日本の個人資産の分布と検索してみますと、

 

両端から、2%ほどの極端な存在、次に15%ほどの変革者、中央に残りの66%ほどの大衆がいます。

 

世の中の情報を統計し分布すると、だいたいこのような形になるそうです。(年収やIQや発達障害率など、平均値で捉えるからか?)

 

 

個人が、どんなに望んでもかなわない現実があります。

 

すべては、運がなせる業なのだと思います。

 

努力なんてものは、誰もがいきていればしているかと思います。

 

だからといって、社会を学ばないのはダメなことだと思います。

 

自分がその立場でなくても、学んでいたほうがよいでしょう。(学べば学ぶほど、いろいろな人がさまざまな価値観で生きていてわからなくなるかと思いますが、はじめはそれでいいと思います。)

 

現在の世の中は、検索すれば、手軽に情報をえることができます。

 

その情報をどう捉えるか?(それで、どうするの?)

 

それが、あなたという自身を育てることなのだと思います。

 

ひとりぼっちでは、お金があってもなにもできません。(日本の個人資産のほとんど多くが高齢者がもっています。つかいきれないほどの資産はふえていくばかりです)

 

お金に縛られている人は、お金で喜べますがお金で泣くことになると思います。

 

だから、社会的な欲求へと向かい、自己実現した先に欲求を手放していくのかと思います。

 

争ってばかりで、明日、核ミサイルで町が滅ぶ世界では、安心できません。(現実でも仮想でも複雑にからみあう世界はひとつの共同体なのか?それとも……)

 

だから、互いに助けあう社会があるのだと思います。

 

できごとは、きっかけにすぎません。

 

きっと、誰もが、似たような者だと気づくことでしょう。(両端の極端な2%はわかりませんが)

 

お金もちにはお金もちの悩みがあります。

 

それぞれの状態による悩みがあります。

 

 

 

 

 

<内需による国家社会とデジタル化による仮想社会>

 

 

デジタル化した社会は、個人が発信する時代。

 

反対に、大きな存在から監視されもする。

 

私は、安易に自由ばかりをおい求めて、本当の自由を手放す愚か者になりたくない。

 

自身の欲求を安売りして束縛されたくない。

 

流行りを操られ、ただ闇雲にほんろうされるのがオチなのだと思う。

 

それほどまでに、信用できなくなってしまった社会なのか?。

 

大きな社会メディアがあった時代は、良くも悪くも社会的な共通概念があり、話しができた。

 

これからの時代は、どうなることだろうか?

 

時代は加速化していく。

 

不変の教養といえば、哲学なのではないのか?

 

哲学こそが、積み重ねられた思考の先を目指すものなのではないか?

 

それこそが、知性としての人類の存在と繁栄をもたらす共通概念なのではないか?

 

もうひとつは、原初的な人という生物としての身体性が共通概念になりうるかと思う。

(細かくは、タイプごとによる違いはあるが、集団としての人類の強みととらえたい。)

 

これを前提に国家のありようを考えてみたいと思う。

 

現実としては、内需での経済圏とする社会が良いかと思う。

国家の役割りとはなにか?

最低限の、安定と安心を国民に与えることだと思う。

その為には、同じような思想を共有しながら、互いに支え会う社会でなければいけないと思う。

簡単に言えば、限定的な鎖国状態による内需での経済圏での国家運営を目指すことだと思う。

もちろん、世界のグローバル化は止まらないだろう。

それでも、互いに主張し理想を守りながら、国民の国益のために議論しなければならないのが国家なのだと思う。

他国と価値観があわなくても分かりあえないのを認め、根気よく外交し続けることで、お互いに納得せざるおえない線引きという国際ルールが決まり、平和が訪れるのだと思う。(なにも主張しないことが平和ではない)

要は、抽象度をあげた思想で個人をまとめた社会が国家であり、国家が代表して世界と対等に存在場所を維持しているということだろう。(平和がなければ自由も平等もない)

 

デジタル化した、仮想社会はますます広がりを見せることだろう。

国家をこえた、同じ神(好き嫌いによる主義思想)を信じる繋がり。

細分化された思想に個人は集まり、細かく分裂した集団を形成することだろう。

そのうちに、自分たちと違う神(主義思想)の部外者とは、言葉が通じなくなるかもしれない?

 

それが、自分にあわせた生き方を選択できるようになっていく、現状での自然な流れなのかもしれないが、まだまだ、人々のとまどいは隠せないのだろう。

 

それぞれの個人が自分にあった自由を求める時代に、あまりにも大きな枠組みの、国民国家という概念は存在しにくいかもしれない?

 

それでも、なにがしらの個人をまとめるための国家の役割りは必要だと思う。

 

 

 

<結局は、現実社会も仮想社会も心理的には変わらない?>

 

 

体力がある人は現実社会で、体力がない人は仮想社会に向かっていくように感じる。

 

自分の能力に合う生きやすさを求めて。

 

私は、どちらの社会も個人には大切だと思う。

 

片方によりすぎてはいけないと思う。

 

細分化された個人はもろくなる。

小さな神にぶらさがり、必死に自身を肯定しようとしがみつく。

まるで自分を裏切らないように、世界と争っている。

それが、引きこもりだと気づけない。

自ら、がんじがらめに縛りつけていることに気づかない。

 

変化を恐れるあまりに、社会から取り残されていく。

 

現実に引きこもる人も、仮想に引きこもる人も、結局は、同じように思う。

 

その人の、心理的な要因が表象化しているのだと思う。

 

 

それは、あまりにも、能力以上に世間を意識しなければ生存できなかった反動からか、頭でっかちな時代のなごりなのかもしれない。

 

 

 

 

<思考は抽象度をあげて、実生活は村社会程度で>

 

 

生まれながらに能力に差があることは不平等だが、生きていることじたいは平等な世界。

 

あなたにとっての、

 

それぞれの人生を生きる。

 

畑を耕す人

 

部屋に引きこもりデジタルに繋がる人

 

ひとり妄想にひたる人

 

大きな組織で人に囲まれている人

 

自分の好きなことを広める人

 

その他のさまざまな人

 

みんな、働いている

 

なにもしていないわけじゃない

 

それぞれの欲求にしたがって

 

お金を越えた価値

 

難しいことは解らないけど

 

なにがあってもなんとかなるという、安定した社会という場所があるからだと思う。

 

 

デジタル技術を活用しながら世界中と繋がることで、思考は抽象度をあげて、実生活はふれあえる村社会程度の距離で生きる。

 

 

それぞれの生き方の時代。

 

そんな時代の生き方。

 

 

 

 

 

 

終り

 

 

 

 





自分なんてものは、つきつめたところで捉えられない。
こうじゃなきゃいけない!
なになにであるべきだ!
なんて考えかたはやめたほうがいいと思う。
あなたが生きたいように生きればいいのだから、
どんな生きかたでも、社会とつながっているから、
社会が、かってに評価して、あなたの人物像ができあがる世界に私たちは生きている。
それが、思想文化が進化する仕組みなのだと思う。


これからの時代に必要なものは、世の中の共通概念である、哲学(科学を含む)と身体感覚(心理学を含む)なのだと思います。

主義や宗教は、それぞれの価値観にすぎないかと思います

哲学が生まれたギリシャ時代、紀元前の世界、縄文の日本 も同じ。
ある程度の平和を手にいれ、生きることに不安感を感じなくなった人類は、あるようでないものそれでもあるものにほんろうされるのがオチなのか?
大衆とは、[陽気なロボット]だと誰かが言っていたな
歴史が繰り返すのではなく、人類の意識が根元的に共通なのだからかもしれない?
(世界を巻き込んで、人口の規模が違いますがね。世界という集団の可能性)

今回、読んでいた本(影響を受けていた)

人生の法則 岡田斗司夫

評価と贈与の経済学内 内田樹 岡田斗司夫

仏教論争 宮崎哲弥


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愛とか夢とか、いつまでいってんの? (番外)


人には二面性があります。

表があれば裏がある。

どちらが、あなた?

いえいえ、どちらもあなたなのよ!


今回の内容は、私がふと感じたことを書いているだけですので間違いとか正しいではありません。
ただ、記録として残しておこうかと思ったしだいです。
(なんだか、公開日記のようですね。)



子供のころに、あなたの夢は?と聞かれてとまどったことはありませんか?

 

卒業式で発表したりして、なんか嘘くさいと感じたことはありませんか?

 

 

どこからか、声がします。

 

「そもそもなのですが、愛とか夢とか必要なのかな?」

 

 

「そりゃ、いるでしょ」

表さんが当然のように言います。

 

「そうかな、それって欲望なんじゃない?」

裏さんが真顔で言います。

 

「愛とか夢は欲望じゃないよ!むしろ、世の中にとって美しくよいものだよ」

表さんが言います。

 

「美しくよいって、誰にとって?…それに、美しくよければ欲望じやないの?」

裏さんが言います。

 

「なにいってるの?…美しくよいことは、正義でしょ!」

表さんが肯定します。

 

「正義って?…今は欲望かどうかの議論でしょ!…だから、愛とか夢は言いたくないのよ。」

裏さんが真顔で言います。

 

 

 

人は調子のよいときは、愛とか夢と言いたくなるようです。

 

そんな自分を肯定してがむしゃらに突き進むのではないのか?

 

周りを見ているようで、実際は自分にとっての正義という欲求に酔いしれているのではないのか?

 

まぁ、欲求があることは悪いことではないですし、そんな人の特性があるからこそ、新たな可能性が広がるのですからね。

 

それでは、調子が悪いときはどうなのか?

 

自分を肯定しにくいから愛とか夢を言いたくなく、内向的な保守的になるのか?

 

まぁ、誰にでも調子の波がありますからね。

 

どちらかに引っ張られるのが意識ですからね。

 

私は、欲求があることは人間らしさだと思います。

 

それに、愛とか夢を言うと、目的が明確になり、エネルギーが増えたように感じますからね。(エネルギーの総量はかわらないと思います)

 

ですから、欲求であろうが、愛とか夢を肯定します。

 

ただし、その愛とか夢も自分で選らんでいるのではなく、あなたの調子によって、周りからの影響による反応した感情によるものなのだと思います。

 

結論としては、「好きなように生きなさい!」なのです。

 

できれば、今回の内容を知ったうえで、愛とか夢を言えれば、もっと美しくよいかと思います。

 

人の調子の波があるのは、調子がよいと疲れを忘れてやりすぎてしまい、気づいた頃には調子が悪い状態になっているからだと思います。

 

おそらく、この疲れの感覚(肉体的にも精神的にも)が人によって違いがあることで、さまざまな人のタイプがあるのだと思います。

 

精神と身体の時間の感覚にも影響しているのでしょうか?

 

それは、思考にも影響しているかと思います。

 

疲れを感じにくい人は、体調がよいときの波の波長が長くて欲求が多くて勢いがある思考をするのだと思います。

 

私は、逆に疲れを感じやすく、内向的な慎重であり保守的なパターンを好む思考をしがちです。(エネルギーの節約?)

 

ですから、大概の事柄は「どうでもよい」と考えがちです。

 

子供のころに、「あなたにとっての愛とか夢」と聞かれても、答えられなくて悩んだ思い出があります。(先生は、現実的な職業でなければいけないと言われます)

 

私にとっては、「生きている」こと、それだけで、満足であり幸せなことだったのだと思います。(苦しみもふくんで幸せ)

 

私のように、無気力な人にも、欲求がないわけではなく、他の人よりも、愛とか夢に対して現実的な意識なのでなないかと思うのです。(本当になりたいと思っていなければ言えないから、子供のころは、周りを見てもなりたいと思えるものがなかったのが現実だった)

 

それだけ、「生きている」と感じやすいだけなのだと思うのです。(いつも調子が悪くて疲れていることのほうが普通だからか。たまに調子がよいときもあるのですがね)

 

結局、どちらが表でも裏でもよくて、二面性があることで、両極の間をゆらぎ、バランスがとれているのだと思います。

 

思考の進化のためには、本当に良くできた仕組みだと思います。(波を繰り返すほどに、世界観が螺旋に上がっていけますからね)

 

 

できれば、調子が悪いときに愛とか夢にしがみつかないほうがよいかと思います。

 

自分の救いは、愛とか夢しかないと感じてしまうと、疲れた状態をさらに追い込んでしまいます。(あまり、世の中も自分も否定的にならないほうがよいかと思います)

 

いずれは、体と心のバランスがくずれ、なかなか精神のバランスがとれなくなるかと思いうのです。

 

調子が悪いときは、空っぽにして、なによりも楽に生きることでエネルギーの回復力が増すのではないのでしょうか。(めくる季節のようなものだと感じます)

 

 

できるかぎり楽に生きたいという夢ではいけないのでしょうか?

 

子供のころに、教育された感覚からするとクズのダメな人ですが、なによりも楽に生きたいといつも思考するこは、努力ではないのでしょうか?

 

どうせ、つかれるのであれば、自身にあったつかれのほうがよいかと思います。

 

 

*つかれとは、自然な私ではなくなっている状態、もしくは、生きづらいのだが気づけない状態……何かに憑依されている状態

 

 

眠っているときにみる夢は、あなたが現実の事柄から感じたものが、抽象化されたシンボルとなったものだと思います。

おきているときにも夢をみていると思います。

それは、想像とか妄想とかいうものだと感じます。

(私はこちらの夢のほうが身近に感じています)

 

人は、世界の変換器なのかもしれません。

 

可能性は無限ですね。

 

 

 

 

 

 




愛とか夢を、うまく表現している言葉があります。

「おてがるな愛を正当化してすかしてればいいだろ」

忌野清志郎さんの歌詞です。(RCサクセションのハートのエースというアルバム)

若いころは、とかくカッコつけたがるものです。

いろいろとためして、自身にあう事柄をさがせばよいでしょう。(体を壊さない程度に)

そのうちに、自身の特性が見えてくるでしょう。

自身にとって合わないものは、いらないものと気づくことは重要なことだと思います。

あなたにとって、より良い世の中が近づいて来るかと思います。



私は、愛とか夢を安売りしたくないと感じています。

自身の心にあればよく、言いたくないと感じます。

現在の世の中にあるものは、私にとって、愛とか夢ではないのです。

それくらいに、自身でもハッキリとしないものであり、自身の成長にともない、ふくらみながら形作られてくるものなのだと感じます。

それは、「私になにがてきるか」が、感じられればその先が感じられ、自身にとって確かな事柄となる、自分が信じる世界観のようなものだと感じます。

もしかしたら、誰よりも強欲なのかもしれません。

おかげさまで、年齢をかさねるほどに楽に生きれるようになってきております。

いつも、遠くにあるものであり、なんとなく感じられるものであり、常に追い求めるもの…だけど、自分自身の中にあるもの、いつもね

それが、私にとっての「愛とか夢」なのです。





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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて! その⑮ 欲求の暴走と自由格差

…ステージがかわった!…

準備がととのったのか?

なんだか世の中があわただしくて騒がしくなってきたように思います。

世界の情勢も、中□をめぐってもめているように感じます。(中□包囲網のようにみえますが?それぞれの後ろにいるのは?)

デジタル化に向けて、世界中がIOTを進めたいのですが、肝心のチップの生産が追い付かないようで品不足といわれています。(マスクの次はチップ?)

今回の内容は、あくまでも、最近の世の中の流れから(嘘も本当も情報ですからね)、私の頭に浮かんだ事柄を書きつらねているだけであり、現実的なことではありません。未来は未定であり、決して正しいことではないかと思います。ただ、現在の私を通して感じた事柄でして、私にとりましては、起こっても不思議ではないと感じています。

たんなる公開日記ですよ。

私の心配のしすぎだったらよいのですがね?

必要以上に不安にならないで、少しだけ考えておくとよいかと思います。





…じわじわと迫りよってくる圧迫感…

 

 

<二大大国の争い>

 

 

世界を二つに分けて互いに共存しましょう。

 

なに、それ!

 

こりないね?

 

なにを考えているのか?

 

さっぱり、わかんね、なんのため?

 

反対、意義あり、それは、平和じゃないよ!

 

どっちもどっちですな。

 

 

 

香港の次は台湾なのか?

 

どちらも引き下がらない

 

それだけ、重要なのだろう。

 

その次を考えると、いよいよなのです。

 

当然、工作員は入っていることでしょうか?

 

誰の土地なのですかね、他人ごとではなくなってきました。

 

いつも、巻き込まれるのは住民なんですよね、

 

本格的に世界中の物価が上がっていくと言われ出しました。

 

株価は下がり、金融が引き締められそうです。

 

給料は物価の上昇ほど上がらないでしょう。

 

政府が、お金をばらまくほど物価が上がるようです。

 

依存すればするほどに、

 

ばらまかれた、お金はどこに流れていくのか?

 

 

大衆は苦しくなるばかりなのか?

 

なんだか、聖書の大洪水、ノアの方舟のようです。

 

二大大国の争いが、プロレスだったら、どれだけいいか?

 

だけど、できるだけ備えはしたほうがいいかもね。

 

ながければ、2020年代は冬の時代になりそうに感じます。

 

早ければ、2025年頃には落ち着くような気がします。

 

世界は繋がっており、それぞれの組織の都合で計画がされていることでしょう。

 

やはり、ポイントとなるのは、この二大大国なのでしょうね。

 

現実の軍事兵器での戦いはプロレスだと思いますが、デジタル化をめぐりサイバー空間での戦いはいつもおきているようです。

 

国も企業も個人も、セキュリティ対策が欠かせない時代だと思います。

 

情報戦争とでもいえばよいのですかね。

 

最近のこの国は、頻繁にサイバー空間でのシステムがダウンして社会問題になっています。

 

一昔前には、停電の多い国はトラブルが多い三流国扱いでしたが、まるで、それに近づいているように思います。(情報網のトラブルは経済問題であり信用をうしなうこととなる。なんだか、あぶないよね)

 

静かなる争いは、世界中の経済までも巻き込んで、生き残り戦となりそうです。

 

今回は、見物ではなく、当事者かも?

 

日本も巻き込んで、

 

あなたは、どうしたいですか?

 

それが、とても重要になるかと思います。

 

今のうちから、考えておいたほうがよいかと思います。

 

できることは、やっておいたほうがよいかと思います。

(もしくは、やらないほうがよいこと、見直しておいたほうがよいこと)

 

それが、あなたの未来の方向を決めるかと思います。

 

しいては、一人一人の生き方が世界の未来を決めるかと思います。

 

あなたの、心に信念を持つこと。(もちろん、生き残るためには、臨機応変に行動しましょう)

 

それが、この時代に生きているということなのでしょう。

 

とても、静かなる争いなんだよね。

 

 

 

 

 

<デジタル化による格差社会>

 

私は、デジタル化は反対ではありません。むしろ、楽に生きたい私にとっては賛成ですが、世界中が完全にデジタル化することはどうかと思います。

 

デジタル化社会は、とても快適な社会です。

 

わずらわしさは、少なくなっていくことでしょう。

 

しかし、そうなればなるほど、個人は分断され、計画的な世界になっていくかと思います。

 

なかなか格差は埋められず、知らず知らずのうちに、あなたの思考は操作されることになるかと思います。

 

個人に向けてのマーケティング、個人の特性を知り尽くしているのですからね。

 

どんどん、巧妙になっていくことでしょう。

 

いつの時代もかわらないのですかね?

 

ですから、これからの時代は、自分の欲求を理解することが必要になるかと思います。

 

まあ、どこまでも、いたちごっこなのですがね。

 

こちらは、デジタルにはない、きまぐれと気づきがありますから、どこまでものらりくらり戦法でいきましょう。

 

大衆に大金を持たせると犯罪が増えるとでも思っているのですかね?(結局は金と経済でのじわじわ戦法が、欲求を操り安いのでしょうね)

 

都合の悪いことでもあるのか?それとも、数が多いと丸め込む自信がないのか?

 

これだけ学び続けても、まだ足りないのですか?

 

世界は、確実に知識人が増えてきているというのにね。

 

格差は、平均値でははかれないと思います。

 

貧しくなっていく、中間層と富裕層の格差は開くばかりで、相手にもされなくなるのか?

 

格差なんて、ただの思想の階層にすぎないと悟り、それぞれの幸せを求めて生きるのか?

 

デジタル化による格差は格差ではないと思います。

 

それぞれの生き方の違いであり、格差ではないと思います。

 

 

文化すら、互いに共有できなくなったら、おしまいだと思いますがね。

(滅びの道だと思います)

 

 

 

 

<新たな世界秩序>

 

世界にとって必要な存在。

 

それが大切となるでしょう。

 

必ずしも有能でなくてもよい。

 

特別な何かを持っていれば、それが貴重となると思います。

 

どんな人でも、自身の可能性を信じて生きる時代になると思います。

 

情報が大切な時代だから、情報源は多いほうがよいだろう。

 

サンプル量がお金を越える価値観となり、貴重なサンプルほど価値があるようになる。(言い方は悪いですが相手はデジタルですからね)

 

オリジナルに価値があり、複製品は無限に造り出せるようになるかと思います。

 

お金は、価値をはかる数値にすぎない!(今もそうですがね)

 

幸せを求める階層ごとに世界観が異なり、(現実、仮想)複雑に絡み合う社会になるかと思います。(デジタル化による脳内ネットワークのような別々の情報が連鎖しあう社会)

 

今よりも、欲求に忠実になるが、現実と仮想を使い分ける感覚は進化していくかと思います。(言葉のように抽象化された情報により、より直感的な価値付けによる選択)

 

 

デジタル化から、環境主義を基盤とした評価経済社会へ、多様化した階層ごとの思考をAIが分析し管理するが、互いに共存しあう世界を目指すと思います。

(イメージとしては、小説のモーニンググローリーをお読みください)

 

 

 

 

<働く意味がかわるかも?>

 

デジタル化により、さまざまな事柄が自動化されていくことでしょう。

 

今まで、人が仕事としていたことが、いらなくなるようです。

 

私たちは働かなくなるのでしょうか?

 

ある意味ではそうなのですが、今までのような用意されたサラリーマンのような働き方は少なくなるかと思います。

 

それでは、何をするのか?

 

時代がかわれども、社会の基本はかわらないかと思います。

 

自分がほしいけれどつくれないものは、誰かにつくってもらう。

 

自分ができないことは、誰かにやってもらう。

 

自分がやりたいことは、誰かから教わる。

 

お金とは、その流れをスムーズに交換するためのアイテムだと思います。

 

本人は、働いている実感はないかもしれません。

 

あなたのできることのなかで、他者が何かと交換してもよいほどの価値があることをすればよいのです。(必ずしもできることが好きなこととはかぎらない)

 

たとえば、新しい社会システムに適応できない人の相談をしながら、その人にあった教え方で手ほどきをする。

 

もしくは、あなたの技能と感性であなたなりの商品を作成して販売する。

 

なんにしても、基本はコミュニケーション能力と独創的な発想力なのだと思います。

 

難しく考える必用はなく、日ごろからやっている、「いいね」という評価が多い事柄があなたの強みと言うことなのだと思います。

 

あこがれの生き方をしている身近な先輩的な感覚なのですかね。

 

それを、一般の人でも理解しやすいように工夫して(いろいろとためしてみること)お客の反応を見ながら、より売れる商品に近づけていけばよいかと思います。(理解者が少ない、はじめは、こだわりはほどほどにお客目線で)

 

その次に重要なのが、いくらで売るかという価格設定だと思います。(安すぎても高すぎてもいけません。これを見きわめるのがむづかしいかな)

 

個人で商売をすることで、もっもと大切なことは、信用だと思います。(あなたを信じて、あなたの作品である、あなたから商品を買うのですからね。信用があれば、お客はついてきますし、能力の向上とともに価格も上がっていくことでしょう。)

 

おそらく、今よも、わかりやすい働き方になるかと思います。(自分を通して社会と繋がるので、とてもシンブルでありダイレクトに把握できる)

 

今からでも、はじめていくとよいかと思います。

 

そのためにも、SNSになれて発信することを学びましょう。(今、読んでいる投稿作品のようなものでも、やり方しだいでは、情報商品になりうる可能性もあることでしょう。)

 

なにが、求められるかは、お客が決めることであり、あなたは、いろいろと試すしかないかと思います。(独りよがりの押し付けや嘘はやめましょうね。一度、信用を失いますとあなたの評価に影響しますよ。学びにより、価値観がかわることはよいかと思います。)

 

どうか、気長に続けてくださいね。

 

くれぐれも、いきなり大金をかけて設備投資をしないでください。

 

生きているついでにすることですので、うまくいきだしてからでいいのですよ。

 

それぐらいの感覚がちょうどよいかと思います。

 

このような個人の商売は、学びであり修行のようでもあり、とてもよい人格形成となるかと思います。

 

 

商売で資産を築いた人は、投資をしてみるとよいでしょう。(投資は自己責任でありますので、余力のある資産内でしたほうがよいでしょう)

 

投資は、お金でお金を増やすというものです。

 

株式、債権、不動産など、いろいろな商品がありますが、それぞれの特徴がありますので、学ばなければうまくいきません。(半分以上は商売も投資も運だと思いますがね)

 

確率のよい博打のようなものかと思いますので、欲張らず、のめりこまないようにほどほどにすることがコツだと思います。

 

 

 

<昭和という幻想からのがれられない人たち>

 

昭和47年産まれの私の世代もふくめて、成長期に慣れ親しんだ記憶から、なかなか抜けきれないものだと思います。

 

あの頃は良かったといいたくなるのも、自身の過去を肯定したいがために良い記憶のほうが強く残っているからでしょうか。(愚痴ぽいよりはましですがね。)

 

確かに、戦後の復興は素晴らしいことであり、わずかな期間で焼け野原から経済大国へと変化しました。

 

文字通り、昭和とはありえないことがおきた時代だったのです。

 

そんな奇跡的な時代を生きたのですからね。

 

私の世代といいますと、90年代に働きだしたころから経済が緩やかに悪くなってきましたので、上の世代よりはうぬぽれは少ないことでしょう。

 

私よりも後の世代にとっては、夢などもつよりも生きるための現実のほうが確かに感じたことでしょう。

 

あと30年もすれば、そんな昭和の人たちもいなくなることでしょう。

 

私の祖父は明治の最後の産まれでしたので、そんな祖父との交流を通しての感覚ですと、いつ死んでもおかしくない生死感の時代を生き延びてきた人だったので、格差なんて産まれたときからあたりまえで、良いことなど苦しいことに比べればわずかでしかないと感じております。(祖父の口ぐせは「お与え」だったので、善いことのすべてはたまたまなことだと悟っていたのでしょう。私にとりましては、そのたまたまこそが感謝なのですの、でありがたく受け入れればよいかと思います。生きていることさえも、たまたまなことの積み重ねだと思います。)

 

そのわずかな良いことを幸せと感じられる能力が、これからの時代には必用なのかもしれません。

 

 

おそらく、日本のなかでも、過去の時代の価値観ごとの多様化はとめられず(もどる地域、進む地域)、地域格差と感じるような時代になっていくことでしょう。

 

 

あなたは、どんな価値観の地域で暮らしたいですか?

 

 

 

<日本>

 

平和ボケの愚か者なのか?

 

それとも、本心を悟られまいとしてのポーカーフェイスなのか?

 

政治に無関心なのはナゼか?

 

静かに監視しているのではないか?

 

いざとなったら、動き出す。

 

そんな国民だと信じたい!

 

そのために、ひそかに各々が準備をしていると信じたい。

 

それぞれの人脈と経験による信頼関係をつかって抵抗力をたくわえていると信じたい。

 

私の願望ではないと思います。

 

 

それが日本人だと思います。

 

 

 

<エネルギー問題は避けてはならない>

 

世の中がデジタル化していくと、避けては通れないのが電力のエネルギー問題なのではないでしょうか?

 

特に日本は、エネルギー資源に乏しい国です。

 

改めて考え直してみますと、私は、原子力発電しかないと思います。

 

リスクがあることはわかっていますが、廃炉で動かさなくてもリスクでありますし、科学技術の研究も必用だと思います。最新の技術による原子力発電の管理体制と規模の縮小はできないのでしょうか?

 

発電した電力の送電の距離により、電力エネルギーが少なくなることも問題だと思いますので、小型化した原子力発電を地域ごとに管理するのはできないのですか?(特にデジタル化した都市部では必用となるようなので、エネルギーも自己責任という自給自足ではいけないのでしょうか?反対に、そんな原発なんかにたよらず、田舎のままでよいこともひとつの価値観ですからね)

 

おそらく、できないのは、技術的な問題ではなくて利権の問題なのではないかと思います。

 

もうひとつのエネルギー問題といいますと、食料なのではないのでしょうか?

 

なぜ、この国は食料自給率があがらないのでしょうか?

 

かつては、自然を愛する百姓の国であったはずなのですがね?

 

自然災害の多い国土ですが、自然の多様性と回復力は素晴らしいかと思います。

 

 

<永い歴史からの伝統文化と歴史遺産>

 

この国の強みといいますと、世界最古の国家であることだと思います。

 

永く続く社会こそが、唯一無二の正義なのではないのでしょうか。

 

そうでなければ、とっくに滅びて失くなっているからです

 

今から真似をしようとしてもできないことこそ、最強の強みなのだと思います。

 

きっと、世界中のあこがれとねたみをえていることでしょう。

 

これをいかすのが、この国の役割りなのではないのかと思います。

 

永く続く安定した社会システム(思想文化)と歴史遺産の観光業が生き残る道なのだと思います。

 

 

 

<欲求の暴走と自由格差>

 

デジタル化による技術革新は、生活スタイルをかえ、欲求は拡大していくのか?

 

私たちの買い物の概念と繋がりの概念をかえていく。

 

ドローン(自立型移動技術)と、インターネット(いつでもどこでも情報につながる技術)は、格差を広げるのか、そらとも、せばめるのか?

(科学的な技術革新とは、あらゆるものが情報化され計画的に管理されることだと思います)

 

快適を求めて

 

人の欲求には限度がないのか?

 

だけど、欲求がエネルギー源となって、世の中は進んでいくのも確かだと思います。

 

 

人間とは、知能は発達したが、生物としては不完全な生き物だと思います。

 

自立するまでに15年以上かかりますし、2歳から乳離れをすることで、誰かに依存して食料を獲得しなければならないからです。

更に現代では、15歳を過ぎても自立できず、誰かに依存して社会の基本的な知識(社会性)を学ばなければなりません。

だから、どうしても、依存した相手により人生の価値観の影響を受けることになります。

別の言い方をしますと、生まれながらの特性とは別に、非常にその時代に順応するために特化しているのです。

 

私たち人間は、後天的な学びにより世界に適応する順応性の高い生き物なのです。

 

私は、この特性が人間の知能を上げ、社会を進化させ文化を築いていく原動力となっているのだと思います。

 

もしかしたら、まだ発見されていない人間の機能が眠っており、新しい時代により新たな能力が発達するかもしれません。(なにがおこるかわからないのが自然が生み出した生き物ですからね)

 

人の世界観とは、善くも悪くも欲求から始まります。

 

欲求とは生きる原動力です。

 

そんな欲求とどう付き合うかが、大切なことなのだと思います。

 

それが、それぞれの生き方であり、あなたの価値観になり、あなたの社会が決まっていくのだと思います。

 

多様化した社会は選択肢が多くなり、正確な情報を識別する知識がなければとまどいもしますが、多様化したことにより、自身の成長の変化により、自分にあった快適な生活空間を選択することもできるようになります。

 

あなたの現状の下の階層の欲求による自由しか理解できないかと思います。

 

その自由にたいして、満足するか不快に感じるかにより流れがかわるのだと思います。

 

さらに、無関心になり現状の維持にこだわるか、劣等感からの愚痴か、学びによる向上か、により階層の変化がかわるのだと思います。(上の意識の階層から見ますと、「そんなことにこだわっていたらいけないよ、もっと広い意識の欲求でいきなさい」と)

 

どの階層にも、悩みはつきものであり、新しい悩みが発生します。

 

その悩みの捉え方しだいなのでしょうね。

 

 

 

あらためて、

 

自由とはなんなのか。

 

自由を求めるほどに、格差(束縛)を認識するのではないのか?

 

あなたが選んだ社会ともいえるかと思います。(必ずしも納得して選んだわけじゃないこともふくてめて)

 

あなたの能力にあった社会のなかでの自由を知ることが学びなのかもしれません。

 

そう考えると、もっと広い自由を望むのであれば、学び続けて、それにみあった人物にならなかればならないということなのでしょう。

 

 

 

 

終り…

 

 

 

 

 

 

 

 

 




そろそろなんだよな~

何が求心力になるのか?

動き出したらはやいと思います。

でも、そこまで追い込まれなければ動き出さないかな?

相手しだいだろうね。

じわりじわりと追い込まれるか?

のらりくらりとかわし続けるか?

そのうちに、わかることだろう。


皆さん、生き残りましょう。


この国民は、したたかだからね。


どんな未来が来てもね。


それぞれの集団の多様性を認めてくれて、細かい思想価値観に文句をいわないのであれば、勝手に神様きどりの支配者でもなんでもしてくれてかまわないのですがね。
私の感覚では、それが、最上階に近い階層者の役割りであり、どうにもならないときに世界中の監視者として平和の仲裁をしてくださればよいのだと思います。

私たちが生きているこの世界は、技術革新により社会の文化が拡がり、多様性が豊かになる仕組みなのだと思います。(豊かになった技術のおこぽれが下の階層に影響をあたえる。)

ファンタスティックプラネットという、カルト的な海外の古いアニメがあるのですが、今回の妄想に影響しているかと思います。機会があったら見てみては、お勧めします。


私には、霊視の能力はありませんので最近の自然災害の多い理由はわかりませんが、人間の集合的無意識と地球のエネルギーは繋がりがあり、少なからず波動に影響を受けているから、このような人類の歴史的な転換期としての現状が発生しているかな?と思います。(あくまでも、きまぐれの気づきからの直感的な感覚の連鎖による妄想ですがね)





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備えはしといたほうがいいかもね? (番外)


「陰謀論やら終末論やら、不安ばかりあおりやがって!」

世の中、殺伐としております。

あなたは何か感じていませんか?

なんか、わからないけど違和感を感じる。

そうなのです。

変化のタイミングなのです。

カオスの時なのです。

ちょと、毒を吐きます。

今回の話は、私の個人的な妄想ですので、現実のできごとではありません。あまり気にしないでください。不安を感じやすく、影響されやすいタイプの方は読むのをやめたほうがよいかと思います。



…<カオスの時代こそ現実的に!>…

 

 

「みんな、やるべきことはわかっているよね?」

 

細かいことは書いてもしかたない。

 

それぞれの備えが未来をかえる。

 

 

世の中、[終末論]でさわがしい。

 

たんなる時代の節目なだけだろ。

 

今までの価値観では、維持できないほどに社会が進歩しただけだろ。

 

だから、違和感を感じやすく、押さえ込めなくなってきているんじゃないのか?

 

社会も個人の思想もね。

 

上の方の方々は、正直な話、「こいつら、俺たちの苦労も知らずに好き勝手いきやがって、こまったやつらだ!」とでも思っているんじゃないのかな?

 

世の中の0.2%ほどいると言われている最上層の方々は、それすらも気にならないで、あるがままに生きているかと思いますけどね。

 

だいたいさぁ、中途半端な成り上がりの階層にいると、哲学やら宗教やらと社会や自我と心理の探求をしたがるものなんだよね。

 

とことんまで、考えないと気づけないことがあるんだけど、突き抜けた先にある景色なんて人それぞれの感覚でしかないからね。

 

ある人は、いつの間にか寝落ちしていたり、ある人は自意識の暴走からか自己崩壊したり、ある人は勝手な理屈に納得して神様きどりになったりでさ。

 

だけどさぁ、次の時代の人たちにとっては、「いいめいわく」でしかないのかもね。

 

「時代に適応できない人は、仲間を見つけて生きればいいじゃない。」

 

「少なくなっていく仲間と励まし合ってさぁ。」

 

「そんな…言うだけ言って、見捨てるのか!」

 

と言われてもね。

 

「他人の価値観ばかりに反応しているからでしょ」

 

結局のところ、「自分を制御できないからでしょ」

 

「あたりまえのことを、認めたくないだけでしょ」

 

本心では、うすうす気づいているから、なおさらにバイアスがかかっているからね。

 

だいたいさぁ、こういうことを聞くと、そんな人たちは、「わかったようなこといいやがって!」というんだよね。

 

そのあと、むきになって反論しまくるか、すかして相手にしないか、でさぁ。

 

それはさぁ、「あなた、自分の人生を生きている?」って、問われているようなものだからね。

 

「わかってるよね」

 

あなたの反応が現在のあなたの姿なんだよ。

 

こんなときだから、落ち着いて現実をみようよ。

 

よくわからない情報にふりまわされないで、自身の生きざまに自信をもとうよ。

 

未来なんて、どんだけ考えてもわからないからね。

 

今、この瞬間に世の中は変わっていくんだよ。

 

変わらないのはあなたの内面の奥底にあるものだけだと思うのよ。

 

それを、信念というんだと思うのよ。

 

外側ばかりに反応していると「自分が失くなる」

 

それは悲しいこと。

 

あなたは、「そんなこと言われたって、なりたくてこうなったんじゃないから、しょうがないじゃない!」というかもしれない。

 

そうだよね、誰もがなりたくてこうなったんじゃないのだから、産まれた時代に適応していたら、下駄をはずされただけだから。

 

あなたの時代が終りをむけて少数派になっていくだけだから。

 

変わるのも変わらないのも、あなた自身の内面が決めることであり、それすらも自由な時代がはじまるんだよ。

 

「そんなもんじゃないの?」と思うのよ。

 

「無責任」といわれようがね。

 

「言いたいことだけ言いやがって」と言われようがね。

 

人は、

 

「勝手に救われるだけ」だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




…いゃ~、なんかすみません。

毒を吐いてしまいました。

言っても仕方ないことはわかっているのですが。

忘れてください。

あ、これが、たてまえなしの[裏あか]といわれるやつなのかな?…外側目線の私だけでは嘘っぱちですからね。


誰でも、どんな立場でも、自身の内面に正直に生きれば「あるがまま」でいきれるかと思います。(もめ事を回避するためには外側のあるがままも認める価値観がないと自身のあるがままも成立しませんがね)


[人は、なぜ争うのか?]

それぞれの人生をいければいいのにね。

「妬みも嫉妬も劣等感も優越感もいらない」

「争いなんて、策略でしかないよ」

「ただ、自分の人生を生きたいだけなのさぁ」

次へいきましょう。

そのつぎへ

どなた様にも、より良い未来を願っております。








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後から嘆くくらいならやめときな (裏アカ)

あなたの現状は、

こんなはずでは?

望んでいた未来ですか?

満足ですか?

それとも、「こんなもんでしょ!」

それは、人それぞれの感覚なのです。

普段は、他人のことはそれぞれの価値観と割りきって批判も否定もしないというのが、私の価値観ですが。(争うことすら、わずらわしくてめんどくさいから?)

今回は、他人のことを極力気にしないで感じたままに書こうと思います。

あなたの心理の確信をつくような表現かもしれませんので、お気をつけください。

いわゆる、ストレス発散の自己満足野郎になった(裏アカ)という(人でなし)な黒い私です。
(誰でも二面性をもっていますが、裏アカといっても、良心からの言葉でなければいけないと思います。)

今回の文章は個人的な妄想のようなものですので、現実の出来事とは関係ありません。感情的で心配症の方は読むのをやめたほうがよいかと思います。




………

「なにいってやがる!うさんくさいやつだな」

と、感じた方は正常ですよ。

 

 

<自業自得?誰のせいなの?>

 

どんな未来にせよ、あなたの現実は起こるべきして起こっています。

 

それが[他力]という生き方なのだと思います。

 

上手くいったことは自分の努力で、悪くなったことは他人のせいだという考え方をしている時点で、[他力]なのだと思います。

 

「正しい答えなんて、どこにもねえよ!…あるのは、それぞれの選択だけだろ!」

 

[他力]が悪いのではなくて、子供のころから現実の自分と世の中を観ないで、感情的になりじっくりと考えてこなかったことが悪いのです。

 

「未来の自分の状況よりも、今、やりたいことをやりたいだけだろ!……いったい、何を犠牲に先伸ばししてんだ!」

 

それでは、いつまでたっても、周りに振り回されるだけの無力な子供のままです。(子供の方が素直に疑問を受け止めるだけまし)

 

「自分の人生だろ!」

 

自分の生き方を自分の頭で考えようとしない人は、いつも誰かの責任にする人、[いいとこ取り]の発想ばかり望む人なのだと思います。

 

「いったい、なにがしたいんだい?」

 

生きるということは、現実の世の中で、生まれ持った自分の特性を知るために、経験という実験を繰り返して、自分の価値観を積み重ねることだと思います。

 

「つべこべうるさいな!…自由に生きたいだけだろ!」

 

何にたいしての自由ですか?

あなたの価値観が自由ならよいのですが、他人が決めた常識にしばられているのは、誰ですか?

貴重な自分の時間は、あなたの人生の時間なのです。

そんな大切な時間を安売りしていませんか?

あなたの労働の対価が賃金です。

誰もが24時間の1日をすごしています。

 

金のために働いて、疲れたごほうびに金を使っていやしを求める。

 

とても、切ない生き方に感じます。

 

あなたの幸せとは?

 

人それぞれの感覚による価値観でしかありません。

 

お金ほど分かりやすい基準はありません。

 

はたして、格差とはお金だけなのですか?

 

お金の心配をしなくなった人たちの基準は、なんなのでしょうか?

 

 

世の中は、どんどん時代の変化が速くなっていきます。

 

情報量は増えるばかりで、選別すらできない時代になりそうです。

 

 

取り残されまいと、流れを追いかけますか?

 

自分の価値観を基準に自分のペースで生きますか?

 

もう一度、聞きます。

 

「あなたはなにがしたいんだい?」

 

「あなたにとって、幸せとは?」

 

いきなりは分からないかと思います。

 

ずいぶん、遠回りをしてますからね。

 

もしも、子供のころからやり直せたら、どうしたいですか?

 

…………

 

「今からでも、考えなよ!」

 

いつか、パニックになるまえに、落ち着いて生きながら考えてみませんか?

 

少しずつでいいから。

 

なにもいらないですよ。

 

あなたと世の中という社会があればできることです。

 

「頭でっかちにならないで!」

 

「じっくりと考えて生きませんか?」

 

そのうち、あなたにとっての幸せが見えてくるかと思います、

 

 

「あなたの人生はあなたを通しての世の中でしかないよ!」

 

それが、あなたの必用とする情報を選別する基準になるかと思います。

 

じっくりと考えた先にあるもの

 

「幸せになりたいけど頑張りたくない」

 

これでいいのだと思います。

 

あくまでも、私の価値観ですので、あなたはあなたの価値観を見つけてください。

 

 

 

<上手くいってる人を引き釣り下ろすのはやめませんか>

 

 

「お前の安心のために、他人をひきずりおろすな!」

 

時代においていかれるのは不安ですが、してはいけないことがあります。

 

「集団になると妬みが暴走して、個人を攻撃するのが炎上というやつだろ」

 

この国の民族の特性として、嫉妬の感情が強く、成功者に厳しいと言われています。

 

「平等とは?」

 

貧しくなる中流国民ばかりでは税収は下がるばかりです。

 

「この国にお金をもたらしているのは誰か?」

 

言われたことしかできない大衆だけでは、消費はするが、創造はしないかと思います。

 

「世界で勝負するには、アイデアと資本力が必用なんだよ!」

 

新しい価値観を創造して広めるためには、資本力が高い企業のほうが有利です。

 

「国際競争力が下がると、大衆は貧困へ向かうだけだろ!」

 

海外で競う企業がなくなった国にはお金が集まってこないと思います。

 

「やっかんでないで、現実の社会の変化と自分の生き方をみなよ!」

 

国内だけを観ていては、成長がとまっていることすら分からず、気づいたころには、海外の店舗と商品しかない国になりかねないかと思います。

 

「今さら、悔やんだところで遅いんだよ!」

 

過ぎた時間は取り戻せない、

 

「ぶら下がる国すらなくなってしまうぞ!」

 

社会とは、互いに役割り分担をして、それぞれのできることでおぎないあって存在しているのだと思います。

 

「あなたにとって、国とはなんなのですか?」

 

「わからないなら、わからないなりの生き方をしなよ!」

 

「自分の人生を他人と比べてどうするの?」

 

 

自己肯定感を上げるには、上げようと意識しないことだと思います。

 

 

「自分の人生を生きてる人は、ただ、自分の流れを信じて生きてる人!」

 

 

 

 

<お金はシビアな現実?>

 

 

あなたにとって、お金とは?

 

シビアな現実ですか?

 

自分の夢をかなえるためのアイテムですか?

 

お金にたいする感覚が、あなたの現実なのだと思います。

 

 

 

<東京と京都>

 

 

東京は希望なのか?

 

縛り付ける京都。

 

ふたつの核となる都市。

 

あなたは東京に何を感じますか?

 

あなたは京都に何を感じますか?

 

 

新しい時代をイメージしてください、

 

あなたのイメージがあなたの未来を形づくるのだと思います。

 

どうか、よりよい人生を、あなたに

 

 

 

 

 

 




最近、この国はヤバいと感じています。

あまりにもお人好しすぎると感じています。

それぞれの本心は分かりませんが?

なんだか怖くなります。

なんだか心配になります。

この国が

いつか、爆発していまいそうで!

そんな気持ちなのです。


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外伝 B 無神夢想 ヤングプルー1


…神は創りたもうた…

俺の名前は、ブルー

これは、ブルー の物語

新たな物語がはじまる。




…闇から目覚めし者よ

 

暗闇のなかにも、光あり

 

内なる光

 

照らす先にみる夢に何を知る

 

求める光りに映る世界

 

 

 

<序章>

 

小鳥のさえずりがこだましている。

 

意識の片隅で現実へと誘う。

 

[あ~、もう少し待ってて…]

 

眠い目をこすりながら、あらがう意識をおいはらい指先でまさぐる。

 

毎朝のおきまりの動作で、さえずりを模したスマホのアラームをとめ、1日が始まるのだ。

 

目の前に広がるまぶしい闇の光がこちらの世界を写し出し、昨日の続きが始まるのだ。

 

ここは現実。

 

俺には、この現実という世界はあまり向いていないと感じている。

 

肉体という器が、どうにも不自由でしかたなく、わずらわしくてめんどうなことばかりだからだ。

 

どうやら、目をつむり眠りにつくと別の世界へいく能力があるようなのだ。

 

こちらの世界にいると、別の世界の記憶は曖昧になり、部分的なイメージでしかなく、つじつまがあわなくなってしまう。

 

ただ、こちらの世界も、俺にとってはいくつかある世界のひとつでしかないと感じている。

 

俺のイメージからすれば、この現実世界は暗闇でしかなく制約が多くて、まるで地獄のように感じてならない。

 

なんで、こんなにも多種多様な存在が混在しているのだろうか?

 

だから、複雑な関係性を制約により統合しようといているのか?

 

気だるいまどろみの中、どうでもよい思いがよぎっていく

 

「朝から何を考えているんだ………歯みがきしよ!」

 

歯みがきは、俺にとっては瞑想のようなものだ。

 

シャカシャカしながら、全身をゆらす。

 

いつもの動きがこの世界と俺の関係をリセットしていく。

 

俺の名前はブルー、高校2年の17歳。

 

親もとをはなれて、一人暮らしだ。

 

「さて、今日もいい日だ。…生きますか?」

 

鏡に映る自分におまじないのようにつぶやくのだった。

 

毎朝のルーティーンをしおわると、電動自転車で学校へ向かった。

 

 

 

今日は、週に一度の登校日で現実に仲間と会う日だ。

 

いつもは、仮想空間VRで互いに役割りを交代しながら社会性を学んでいる。

 

一昔前の学校とは、知識を詰め込む場であったようだが、外部に補助脳を持つテクノロジーが進歩した現在においては、知識は無限に検索できるようになったことで、必要なときに瞬時に検索するものとなった。今、自分が何の情報が必要か?…相手は何を求めているのか?…という己と他者の関係性からの客観的な[メタ認知]を学んでいる。

 

学年が上がるほどに、社会の範囲は広くなり、より大きな抽象化された世界観からのメタ認知が必要となるので、受け取れる情報から自分の状態を理解し相手の状態を想像しなければならない。最初は確率論から学ぶが、有機生命体とは確率論だけでは理解できなく、感覚を通しての情報から未発達の直感を磨くことが目的のようだが、…現時点では情報が不足しており、確実な指導方法は無いということだ。

 

俺が親元を離れてまで、この学校を選んだのも、そんなメタ認知直感を発達させることに特化した最先端の学校だったからだ。

 

5分ほどで学校につくと、[クレハ]が話しかけてくる。

 

「おはよう!博士…実験がんばろうね。」

 

博士とは、学校での俺のあだ名だ。

 

クレハは容姿端麗の利発的な女性で、学校での最初の仲間だ。

 

状況判断力が高く、気配りをしながら現実的に目的達成のために仲間に指示を出せるリーダーだ。

 

学校では、四人一組が班をつくって行動する。

 

他の二人の仲間、[炎]と[もゆるん]も、クレハが見つけてきたし、班の名前を[毘沙門]とつけたのも彼女だ。

 

この現実世界に馴染めない俺には、[毘沙門]の仲間にはずいぶん助けられている。

 

学校には、班ごとに部屋が用意されている。

 

俺とクレハが、毘沙門と表示されているドアを開けて班部屋に入ると、先に来ていたもゆるんが笑顔で話しかけてくる。

 

「おはよう!、今日の課題はなんだろうね?……ワクワクの楽しいのがいいよね。」

 

いつものように、くったくのない自然な笑顔でだ。

俺には、このもゆるんという存在が理解しがたい。

天真爛漫な無邪気な性格で、人目を気にせず感情のままに、喜怒哀楽を表現する。その上、見た目もロリ顔のくせに巨乳ときている。本人は周りからチヤホヤされていると知ってか知らないのかわからないのだが、ドジっ娘キャラまでつかいこなすアイドル的な奴なのだ。

 

「ねえねえ、博士、聴いてるの?」

俺の顔を下から真っ直ぐに見つめながら話してくる。

…なぜ、俺になつくのだ。

 

「俺に聞かれても知らん!…実験の課題は、当日の直前に発表されるのだからな。」

俺は無愛想に淡々と話す。

 

…なぜ、こいつは境界線を平気でこえて他人に入り込んでくるのか?そもそも、こいつに自他の境界線はあるのか?

俺とは、真逆な性質なのは間違いない!

 

 

「炎はまた遅刻のようね。…まったく、困ったものね。」

クレハが8時50分と表示されてる時間を見ながら独り言のようにつぶやく。

 

「いつものことだ。…ギリギリなのわさぁ。」

俺は、あいづちがわりにつぶやく。

 

完璧主義で時間に正確なクレハは、スケジュール通りに物事を運ぶのが正しいと思っている。

自分のタイミングを大切にしたい炎、こちらも真逆な性質なのだ。

 

俺でも解る、クレハの何気ない仕草にイライラを感じていると、空気を読めないもゆるんが話し出す。

 

「なんか、お腹すいた!…チョコ食~べよ」

マイペースにチョコを食べだすもゆるんが、クレハと俺にチョコを配りだす。

 

こいつは胃袋で思考して生きてるんだろな?と思いながら、渡してきたチョコを押し戻す俺とクレハだった。

 

そうこうしていると、案の定に炎がギリギリで入ってきた。

 

「うぃす。」

なにか言いたげのクレハを横目に自分の席につき、拡張現実であるARグラスごしにスマホに向かいだす炎だった。

 

炎は自分のやりたいことしかやらない、とことんまで自分主義を徹底した性質なのだ。だからこそ、仮想空間での情報検索(ハッキング)という、一芸にひいでた才能をもってはいるのだがな。そこは、クレハは認めているからこそ、必要以上に追及しないのだろうか?

それでも、出会ったばかりの1年生の頃はいざこざばかりだったけどな。

 

やれやれ、会話は最小限ですまし、SNSでの意志疎通のほうが本来の自分とでも思っているのか?…炎は、現実の世界よりも仮想空間の住人なのだと思う。

 

この一癖あるやつらは、困り事があると、なぜか俺にアドバイスを求めてくるのだ。

まぁ、こいつらは悪いやつらでなく、誰よりも自身の特性に正直に生きているだけだ。

 

本当に素直なやつらだと思う。

 

毎日、仮面というペルソナをかぶり、何かを演じて生きている俺に比べればな。

 

こいつらと過ごしていると、いったい俺は何者なのだという、わずらわしい自分を忘れて、俺もまんざらでもない気になってしまうのだからな。

 

 

ピコンという音声の後、班部屋の正面にあるスクリーンに本日の実験の課題が表示される。

 

「この街を使って、オリエンテーリングをします。目的地は5ヶ所で1ヶ所づつ発表します。目的地にあるキーワードを集めて意味を読み取ること。制限時間は午後4時。」

 

クレハが読みあげる。

 

「わ~い、オリエンテーリングだって、地図とコンパスを使うやつでしょ、楽しそうだね。」

もゆるんが笑顔で話す。

 

「こんな時代に、オリエンテーリングかよ?…めんどくせいな!」

俺は、あきれ顔でつぶやいた。

 

「きっと、ただのアナログなオリエンテーリングじゃないと思うわ。みんなで協力しましょうね。」

クレハが前向きに話す。

 

「へいへい、お好きなように。」

炎は、関心のない感じでこたえる。

 

おいおい、こんなんでだいしょうぶなのか?と思う、俺であった。

 

 

 

 

続く…

 

 

 

 




…読んでくださいまして、ありがとうございます。

新しい物語が始まりました。

さてさて、どうなることか?

なんとなく、書きたいことを思いついたまま始めてしまいまして、先の転回は何も考えておらず、正直な話、私にもわかりませんが、気ながにお待ちください。



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働くことってボランティアでしょ(裏アカ)


今回は、思ったことをそのまま書く(裏アカ)でいきます。
あくまでも、現在の私の価値観から出てくる言葉ですので、皆さまにとりまして感じが悪いかもしれませんが、そんな考えかたもあるのかな?と読み流してくださるとありがたいです。



 

働くってなんだろう?

 

若い頃から、よく考えてしまいます。

 

お金のためか?

 

やりがいのためか?

 

自分のためか?

 

社会のためか?

 

ひまつぶしか?

 

どれも、あてはまるようでいて、しっくりとしないのですよね。

 

考えても仕方がないのでしょうが、気がつくと、いつも働いているのです。

 

なにかに引き付けられるように。

 

そもそも、働くとは?

 

サラリーマンと自営業がありますよね。

 

役割りを与えられ会社のために働くのがサラリーマン。

 

その会社が、自分自身と連動しているのが自営業。

 

どちらも社会的な役割りをつとめているのですよね。

 

それでは、家庭で子育てをしている人は働いていないのか?

 

子供は働いていないのか?

 

社会的な役割りと考えると、子育てをしている人も、子供も世の中から認識されており、働いていることになると思います。

 

でも、お金という労働にたいする報酬はないではないか?

 

たしかに、給料という報酬はないが、社会システムによる税金の控除はありますよね。

 

誰かに認識されるということは、社会的な価値を生み出すということであり、賃金の有無は関係ないのかも?

 

そう考えると、働くことってボランティアなんじゃない!と思ってしまいます。

 

生きていることじたい、働いていることなのかも?

 

社会という大きな枠組みは、時代とともに変化していくように、働くという解釈も変化していくようです。

 

そのときの、立場にもよるかもしれません。

 

どちらにしても、好きなように生きればいいんじゃない!と思います。

 

過去を振り替えると、だいたいのことが、好きなように生きればいいんじゃない!って思います。

 

過ぎたことは、他人ごとに感じてしまうからなのですかね?

 

最近は、年齢を重ねたせいか、未来のことも同じように考えてしまいます。

 

 

 

青臭い若いころは、なにかとカモられやすいですのでお気をつけを!

 

都会はとくにね。

 

カモることも、カモられることも、都会ならではの働きなのかもしれません?

 

なんだろうな?

 

お金に対する感覚により、世界の捉え方がかわるのでしょうね。

 

 

 

 

 

生きる行為を8個に分類してみると、あなたの現実が見えてくるかと思います。

 

仕事…自分が社会に価値を提供することであり収入ではない。

 

趣味…社会にとって無価値だが自分にとっては価値のあること。

 

家庭…家庭を形つくる役割り分担。(コミュニティ)

 

精神…自分を整える行為。

 

学習…自分を成長させる行為。

 

食事…エネルギーを補給する行為。

 

運動…肉体をメンテナンスする行為。

 

睡眠…エネルギーを回復する行為。

 

この8個の行為をバランスよくすることが、生きやすさにつながるかと思います。

 

どの行為に時間をついやしているかをグラフ化してみると分かりやすいかと思います。(あなたの生き方の癖)

 

どれかに片寄ると、自分の流れからはずれることになるかと思います。(無意識に片寄るものですからね)

 

自分の流れで生きていると、すべての行為が無意識ではつながっており連動していることに気づくかと思います。

 

ときには、たちどまって意識的に考えてみるのも良いかと思います。

 

考えすぎもよくないですがね。

 

あなたは、どの行為にとらわれていますか?

 

 

 

「あなたは何がしたいんだい?」

 

 

 

「次にいこうよ!」

 

 

 

 

 




今回、書いたことは、これからの思考の仕方だと思います。

現実とは、あなたとあなた以外が造り出す世界だと思います。

働くという認識を改めるだけで、違った世界を感じませんか?

追加…ボランティアといっても、仕事の労働に対する賃金はもらいましょうね。あなたの提供した価値の対価ですから。

以前の、私は、お金を毛嫌いしていました。

お金に振り回され、悩まされました。

だけど、今は、

お金というものに善悪はありませんよ。

むしろ、とても便利なものだと思います。

大概のことは、お金で解決できる世の中ですので、使うがわの思想意識が問題なのだと思います。

ただ、流されているのではなくて、たまには、自分自身と対話してみるのも良いかと思います。

働くとは?

社会とは?

お金とは?

私は、何がしたいのか?

私にとって、幸せとは?

愛とか夢は、置いといて、善悪も置いといてね。

世間体も常識も置いといてね。

ただただ、自分自身と対話してみると良いと思います。

迷ったときこそ、大切なことなのだと思います。

それぞれの働き方が見えてくるかと思います。

それぞれの、世の中との関わり方が見えてくるかと思います。

きづけば、それが、[働き]という行為なのだと思います。




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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて! ⑯ 記憶と発見

…新しい年がはじまります。

去年は、とても変化の多い年でした。

今年は、さらに重要な年になりそうです。

そんな気がするのです。

そのまえに

memory&Discovery

ちょと、一休みしましょう。






 

…私たちの社会…

 

あくまでも私の未来予想

(国や企業をこえる価値基準)

 

私たちの世界は大きくわけると、思想は宗教によりわけられ、力のバランスは経済力によりわけられるね。

 

つまり、現在までの社会の仕組は、おもに宗教と経済によりつくられてきているということだね。

 

それでは、これからの社会はどうなるのだろうか?

 

人権や民主主義という個人の自由と、社会的な秩序を守る価値観がつづけば、人が利権をつかって人をコントロールする時代から、個人個人が自由と責任を考えて意見をもつ時代になると思うな。

 

そのためには、IOTによる技術イノベーションと、AIによる個人の検索と集団の最適化が必要だろうね。

 

私たち個人は、いつのまにか、AIに(人ならざるもの)管理されているかもしれないけれど、現在の宗教と経済の流れがテクノロジーに変わったくらいで、今よりも平等になるかもしれないね。

「個人の意見がとどくならね」

 

結局は、そのときにならなければわからないけどね。

 

*AIと人の思考の違いは、人には感情があり、個人の主観で優先順位を決めれることだと思うな。

 

 

 

 

…何で、そう感じるの?…

 

なぜ、世の中にそれがあるのか?ひとつづつ考えてみると、世界が見えてくると思うよ。

 

それから、本当に必要なことをさがしていくといいよ。

 

あなたにとって好きなことは無駄ではないよ。

 

誰がなんと言おうともね。

 

生きることは、モチベーションが大切だよね。

 

抽象度を上げよう!

 

(過去をあわれむ前に未来を見て今を生きよう)

 

自分が自分でいられたら、こわいものなど何もない。

 

自分さがしをしても自分のことなどわからないよ。

 

人の顔色を見て生きることをやめることが自分につながるよ。

 

しばりつけないで

 

なんで私はそう感じるかを考えてみると先が見えてくるよ。

 

なるべく、がまんしないで自分らしく生きれると楽しいよね。

 

 

 

[記憶と悩み]

 

悩みや不安は心が生み出している現象にすぎないよ。

 

忘れるということは、とらわれないということだね。

 

問題を解決するためのモチベーションにもなるよ。

 

解決できない問題は忘れることで解決できると思うよ。

 

 

 

21世紀の人間の課題は死なないこと、

退屈しないことだと思う。

 

「世の中の関係性の変化にともない」

 

農業文明の発展において、人はあやつられて生きる家畜になることだったのだと思う。

 

「計画的に行動し同調のある人」

 

もはや、現在は宗教も哲学もいらない、知恵と工夫をうまく使い、楽しむ時代なのかも、それぞれの考えかたしだいなのかな?

 

「人ではなくて、テクノロジーが命をささえる時代」

 

有るものはつかえ、無いものはつくれ

 

「正しく生きるよりも楽しく生きることなのかも」

 

平和とはお互い向きあい距離をとることだと思う。

 

「みんなつながっているんだよ、きっと」

 

宇宙に平和を、あなたに幸せを

 

今、あなたが存在していることがすべてであり、無理をしてまで、誰かの役にたつ必要はない。

 

「まずは、自分が楽しくあることだよ。」

 

 

これは、2018年の夏に、最後の夏休みの課題のために、親として支援学校の高校三年生の息子に何を伝えたらよいか?と、本やYouTube等を観ながら、あれこれ思考錯誤しながら出てきた言葉です。

(この年の春に私と息子はスマホデビューをしまして、私は9歳下のK君とLINEで久しぶりに再会し、思想問答のようなことをしていました。これも、なにがしらの影響をしたのかもしれません。)

 

「来年から社会に出て働きだすあなたへ、今、考えてみませんか?」といった感じで、

[私とは、私たちとは、人間と社会]といったテーマでのノートつくりの最後に書いたメッセージとしての言葉です。

 

…ノート内容…

 

はじめに…楽しみは自分でつくるもの、あるがままの自分をみとめる勇気をもとう。

かざらず、ごまかさず、かっこつけず

私らしさとは、そんなことじゃないのかな。

自分の顔を描いてみよう

 

①現在の私から見た世界(ふりかえってみよう)

1今までの経験から感じた私

2今までの経験から感じた私たち

 

②宗教とは?(ググってみよう)

1仏教

2キリスト教

3イスラム教

 

③経済から見た社会(ググってみよう)

1資本経済

2経済格差

3お金ってなに?

 

④精神科から見た人間とは?(ググってみよう)

1自閉症スペクトラム・ADHD・LD

2うつ・パーソナリティパニック障害

3サイコパス・シャーデンフロイデ

4普通って、なに?

 

⑤脳ホルモンと人間の反応(ググってみよう)

1ノルアドレナリン

2ドーパミン

3セロトニン

 

⑥未来にむけて、物と心のつながり(いろいろしらべて自分の考えを書こう)

1利己と利他(経済かボランティアか?働くとは)

2グローバルとは(AI、BI、仲間、家族)

3夢と希望(ゴールの設定)

4満足とは(リアルとバーチャル)

 

おわりに…メッセージ

 

 

その翌年から、そのときのノートでの問いかけであった、仏教思想や心理学や社会学や経済学などを元にして、このハーメルンでの小説連載が始まりました。

 

ふりかえると、あらためて記憶をふりかえることで、新たな解釈による意味と関係性を再確認して、未来をみすえる思考の[今ここ][自分軸]の原点なのかもしれません。

 

過去も未来もイメージからはじまるということなのです。

 

この思考方法を、あまりにも無自覚にしていることで、運という流れが発動するのでしょう。

 

未来を観たい人も観たくない人も、あせりと不安にとらわれないで思考することは、仮想も現実もかわらず、とても高度な精神を保つメタ認知という技術が必要なことでしょう。

 

私にとっても、息子にとりましても、大きな分岐点だったのだと思います。

(私にとってはまとめであり、息子にとっては始まり)

 

 

 

 

さらに、記憶をさかのぼってみましょう。

 

2009年の終わりに、サラリーマン生活をやめた私がいます。

 

心も体もボロボロ

 

学校に適応できなく、小五と小三の問題をかかえた息子

 

つかれはてた嫁

 

無気力な家族

 

「まずいな、よくないよね。」

 

私は、毎日朝から夜まで仕事ざんまいでした。

 

仕事にかまけて、いいわけにして、

 

今とこの時期の自分と、どちらが自分らしいのか?

 

いえいえ、どちらも私なのです。

 

それぞれのキャパシティがあります。

 

万能ではありまん。

 

与えられる生き方をやめました。

 

働きまくる生き方をやめました。

 

あいた時間に自分なりにもがきました。

 

子供のころから考えがちで悩みの多いタイプでした。

 

反動なのですかね?

 

あれもこれも、ひたすら、

 

手探りで考えて感じて試して探しました。

 

「子供の頃に、これが出来たら」と思いました。

 

「自分で見つけて自分で考えて自分で選ぶ」これのくれ返しが生きることなのか?と思いました。

 

別に学校や世の中が悪いわけではありません。

 

そんな世の中に適応できないから悪いわけでもありません。

 

この時期から、感じたこと、気になったことを書くようになりました。

 

ノートがたまっていきました。

 

はきだすように

 

すべてが、自分を通しての出来事でした。

 

それ以前の事柄も、それ以後の事柄も、ただ自分を通して流れていきました。

 

自分とわかちあう存在とは、融合なのだと思います。

 

精神の共有なのでしょう。

 

それがずれてきたからわかれていくのでしょう。

 

分離ということなのでしょう。

 

それらの流れが、今現在の私を形つくるのでしょう。

 

遥か遠くにある求めるもの、自分すらも説明できないもの。(苫米地さんてきに言えば)

 

そんなひとつの線上を目指して歩むことで、私の世界は形つくられ広がっていくのでしょう。

 

「あなたの行為は無駄ではない。」

 

そんな言葉が頭に浮かびます。

 

どんなときも、生きているかぎり。

 

世界は、私の中にあるのかもしれません。

(吉本隆明てきに言えば)

 

ごちゃごちゃぬかしてないで、やればいいんだ!

(前田さんてきに言えば)

 

好きなように生きればいいんじゃない!

(岡田斗司夫てきに言えば)

 

愛しあってるかい!

(忌野清志郎てきに言えば)

 

そう、世界は、

 

単純なのさ

 

ひまつぶし

 

私てきに言えば

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




…幸運を!


であった人、であわなかった人


山梨の革職人のA君

絵描きのI君

変態のK君

僕と話しができる人は

みんな変わり者なんだ!

ありがとう☺️

そして、さまざまな時期の私

ありがとう  ✨

アイデンティティーなんていらない、自己肯定感を上げようとしないこと、それまで、もがきなさい。

そして、もがき飽きて忘れることだよ。

そのさきのさきへ





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記憶と物質




現実とは物質

生物も物質

乗り継ぐイメージ

進化?



エーテルとは植物?広がるセンサーで知る?

アストラルとは動物?感情の変化をあじわう?

全てを飲み込む世界




…記憶は夢を観る…

 

まとわりつく記憶

 

なんども、なんども

 

あらわれては消え失せ

 

私につきまとう

 

物質化するイメージ

 

勝手に連鎖して取り残す記憶

 

思い出とは、なんなのだろう?

 

あたかも、私の分離であり、ちりぱめられた記憶

 

ひとりの世界が、そこにある。

 

自分すらも、説明できない世界が、そこにある。

 

誰にでもあるだろう?

 

産まれたときから、知っていたような感覚が。

 

だからこそ、出会い、物質とかす。

 

自分を残そうと分離するのかもしれない。

 

現実であろうが、仮想であろうが、思い出とは、何かに重ねあわせて自我を保つ機能なのかもしれない。

 

 

 

たとえば、

 

最近、前田日明さんのYoutubeで、小林秀雄さんという哲学者のような思想家の作家を知った。

 

小林秀雄さんは、昭和を生きた人ですでに失くなっているが、Youtubeに講演があがっているという。

 

私は、子供のころから、アニメや落語をカセットテープに録音して音声だけで聴く趣味があり、ラジオでのドラマや講演もよく聴いていたので、吉本隆明さんのような感じだろうと思いながらYoutubeを観てみた。

 

小林秀雄さんの講演を聴いていくうちに、なつかしい感覚を感じた。

 

私の一部がそこにあるような。そんな感じがした。

 

更にそのなかで、ベルクソンという哲学者を知った。

 

ベルクソンは100年ほど前の人であり、小林秀雄さんは[物質と記憶]というベルクソンの本を読みなさいと言うのだ。

 

さっそく、アマゾンで買って読んでいる。

 

言わんとすることは、なんとなく解るが、古い文体のせいもあり、とても読みづらい。

 

それでも、少しずつ読んでいける。

 

半分ほど読んで思うことは、私が感じてきた世界がそこにあったということだ。

 

きっと、もって生まれた特性が似ているからなのだろうと思う。

 

時代をこえて、繋がる世界がある。

 

特性が似ているものどおし、説明はできないが共有する感覚がある。

 

今の時代にアップデートした感覚でだ。

 

そんなことを感じていると、

 

「だから人には寿命があるのか!」

 

と感じた。

 

たしかに、現実には限りがある。

 

人は記憶にしがみつく。

 

いとおしい記憶は、自分自身。

 

時代の変化を受け入れがたい。

 

停滞する文化。

 

変わらない社会。

 

意味があるかないか?

 

そんなことは、私にはわからない。

 

ユングやベルクソン…ゴッホ……

 

文化の交流はとまらない

 

100年ほど前の時代に、日本人にはあたりまえの精神的なのものが西洋で学問として始まりだしたようだ。

 

答えは、それぞれのなかに。

 

そんなことを感じている。

 

 

これが私の流れ。

 

 

これが世界の有り様

 

あくまでも、私にとってのだが。

 

 

 

 

 





…くだらない妄想ですよ。

あなたは、あなたが信じたとおりに進みなさいな。

どうなっても、あなたの人生。

私のしったこっちゃないよ。


悟りとは、自我の生滅

魂の生滅

私もあなたもなくなるってこと?

ただ、思いを残して

現実なんて、そんなものでしょ

幸運を!






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頭でっかちほど計画したがるよね。


…今年で、50歳になります。

なまいきですが、たいがいのことはあじわったと思います。

そんな私の感じたことを書いておきます。




 

…なぜ、そんなに明日が気になるの?…

 

予想したがる私。

 

計画したがる私。

 

なぜだろうか?

 

心配だから?

 

楽しいから?

 

退屈だから?

 

生き残るためか?

 

いつのまにか、計画しているのだよね。

 

習性のようにね。

 

だいたいの可能性を予想すれば、どれかがおこるよね。

 

だけど、思い通りにならないことばかり。

 

だって、私にとって大切なことではない遠くのことまで予想しているのだからね。

 

物事を知ると、なんだか賢くなった気になる。

 

どこかでは関わっているかもしれないが、どうにもならないことまで計画してもしかたがないんだよ。

 

世界の平和を願うなら、自分が平和でいればいいんだよ。

 

信じることをして生きればいいんだよ。

 

きっかけは、いつもふりそそいでいる。

 

[気づき] というやつさ!

 

いいことも、わるいことも。

 

そんなに悩むことなんてないじゃないの。

 

心配したって変わらない。

 

必要なことは、外からやってくる。

 

向こうから、勝手にね。

 

とてもよいタイミングでね。

 

そのときは、わからないだけでさ。

知るということは、そんなことだと思う。

 

生きるということは、そんなものだと思う。

 

この世の中には知識があふれているよね。

 

さまざまな考え方。

 

いろいろな学問。

 

たくさんの専門家。

 

なにを信じればいいの?

 

あれもこれも、全部きっかけ。

 

たまたま気になったことでいいんじゃないのかな?

 

疑問を感じながらでさ。

 

それは、不安ではなくて疑問なんだよ。

 

世の中が変化したからおこる疑問なのさ。

 

内と外の関係性が変わったからね。

 

私が成長によって変わったからだよ。

 

気になるという、きっかけ。

 

ひきつけあう、きっかけ。

 

それが、信じるということかもしれない。

 

私の流れを信じればいいの?

 

いつも、[どうなるか?]

 

次は、[どうなるか?]

 

予想するのも、計画するのも、人だからだと思うよ

 

やめられないことだと思うよ。

 

あたりまえのことなんだと思うよ。

 

だから、瞑想するのだと思うよ。

 

迷走しながらさ。

 

めんどくさいことだけどね

 

しょうがないことなんだよね。

 

霧が立ち込めて視界がわるくならないように。

 

せめて、[頭でっかちにならないようにしよう]

 

これも、知識なんだと思う。

 

緊張と緩和。

 

永く続けるひけつかな。

 

生き残るためにね。

 

[私らしく生きる]と努力しなくても生きれるようになったとき。

 

私の内と外が、葛藤しながらも争わなくなったときなのだと思う。

 

世の中と勝手に順応している状態なのだと思う。

 

 

私が選んでいるようで、きっかけがふりそそいでいる。

 

自由とは、そんなことじゃないのかな。

 

自然とは、そんなことじゃないのかな。

 

どこまでいっても、内と外なのだと思う。

 

だから、

 

全部、ひっくるめて生きればいいんじゃない、

 

[なるようになるさ]

 

ごめいわくをおかけしております。

 

「ありがとう」

 

そんな感じで生きています。

 

最後は[死]をあじわう?…人生のクライマックスがまってますよ。

 

 

 

 

…答えなんか、いらない…

 

…かもしれない?くらいでちょうどいい…

 

…必要なことは、勝手にやってくる…

 

 

 





…人間としては、「もういいんじゃない?」と思う私がいる。。

ひとりの人としては、「なにかあるかも?」と思う私がいる。

私が望んで選んで生きてきたと思っていた。

「好きなように生きましょう」

私の内と外が出会うよろこび。

そんな感じなのです。


…ぜんぶ、[夢]だったりして、

[夢おち]かよ!




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この時代に産まれて生きて…他力と構造主義


…小手先の生にしがみついて、積み上げた偽物…

それも、わたしだけど?

がんばりすぎていませんか?

意識しすぎなのかもよ?










 

…すべてはデータ化され、情報となる現実…

 

 

 

…流れて、流されて、

 

…泳いでいるつもりで、流されてずれていく

 

…ぼんやりと見える、太陽と月

 

…闇と光につつまれ

 

…繰り返される世界

 

…ちっぽけな意識が無数にうごめく

 

…集まっては散らばりながら

 

…わたしとその他でおりなす世界

 

…わたしの可能性も、その他の可能性も無限大

 

…連鎖しあう

 

…次元をこえて

 

…いくつもの次元を

 

 

最近、「なんか、気になる?」と思い、考えていたことが、何日かあとに誰かが上手く説明している(説明していた)という現実に出会います。

 

つくづく、[集合的無意識]というものに流されております。

 

有るのか無いのか?

 

そんなことは、どちらでもよいのです。

 

私の特性と近い世界観を持つものと関わることにより、無意識で同調しているようなのです。

 

少しだけずれている感覚と触れることで、私の世界が少しずつ広がってきているようなのです。

 

私には、細かな説明はめんどくさいのでできません。

 

ですから、私に影響を与えた本とYoutubeを描いておきます。

 

こだわりは忘れて、気を楽にしてください。

 

あなたがこだわっている、本当の私とは作り物かもしれないのです。

 

イメージが大切ですよ。

 

言葉にならなくてもよいのです。

 

言葉にたよらないほうが感じとりやすいこともあるかと思います。

 

あなたにはあなたのイメージがあるかと思います。

 

それが、生まれ持った特性なのだと思うのです。

 

 

最近、読んだ本

 

中野信子・荒川和久[一人で生きるが当たり前になる社会]

 

アンリ・ベルクソン[物質と記憶]

 

内田樹[寝ながら学べる構造主義]

 

妹尾武治[未来は決まっており、自分の意志など存在しない。]

 

高橋ダン[世界のお金持ちが実践するお金の増やし方]

 

ムー2月号[究極理論宇宙プログラミング説]

 

最近、観たYoutube

 

アーカイブ社会学講義[17社会的儀礼と場所感の喪失][18構造主義我々は何に縛られているのか?][19記号消費とその限界―なはを人は消費しなくなったのか?][20社会学的想像力とは?]

 

帰ってきたロシュフコー[浅田彰の構造と力を解説]

 

小林秀雄講演[精神と肉体の関係]

 

革命家HIROのひろスタ[この世界の秘密。死後の世界と次元の話エーテル・アストラル体]

 

きばさんはサイドFIREしたらしい[NLPニューロロジカルレベルによる前世セラピーの理論解説]

 

Ysspiritual[無限の直感力を手に入れる]

 

 

「きばさんはサイドFIREしたらしい」さんは、「ぱさいと」さんのことです。

「Ysspiritual」さんは、「吉濱ツトム」さんのことです。

お二人の動画は、何年も前から、だらだらと拝見させていただいております。

 

とても現実的なスピ系Youtubeであり、うたがりぶかい慎重派の私にはあっているかと思います。

 

その他に、「spiritual.nori」さんの動画も、たまに聞き流しております。

 

この場をかりて「ありがとうございます]なのです。

 

お三方ともに、たいへん説明が上手く、私など足元にもおよびません。

 

気になるかたは、検索してみてくださいね。

 

 

私は、哲学とは、人類の思考の認識の上書きであり、時代の変化による世界観の広がりとともに、あらゆる学問を吸収して世界をつかみとろうとする行為だと思います。

 

私は、哲学を学ぶことでさまざまな社会システムを客観的に感じられるようになるかと思います。

しかし、頭でっかちの思考バカになるかもしれません。

自分の感覚に取り込んだら、ある程度の理屈は忘れてよいと思います。

内と外の世界の矛盾迷宮からぬけだせる思考方法が身につけばよいかと思うのです。

 

 

一昔前ならば、私のような社会的役割を演じきれない社会不適合者は、(短時間の労働はリハビリと思っており、役割演技の楽しみでもありますが正社員は無理ですね)ジャマ者扱いとなり、なんらかの精神病を診断されて一般的な社会生活はできなかったことでしょう。

カウンセリングとは、そんな社会構造に適応できなくなった者の精神的なバランスを取り戻させる行為なのだと思います。

私は、自力での客観的なメタ認知能力により、危うい社会的な立場を綱渡りしているのかもしれません。

現代のように、多様化した生き方ができる(世間体を気にしなければ)時代に生まれたことに感謝します。

 

 

 

…おまけ…

 

構造主義

 

私とは、外側の視線にたいする反応を無意識に感じとり、演技をしているにすぎない。表と裏の人格で精神をたもっているのだろう。

 

物事は意識化されていない構造によって規定されている。

 

言葉とは記号であり、記号とは取り決めであり共有する文化圏のみでしか認識されない。

 

象徴とは現実的に関連のあるイメージされたシンボルであり、言語をこえた認識をする。

 

近代化とは権力により世界を分類し、秩序し、標準化すること。

 

感情が先にあって社会構造があるのではなく、社会構造が先にあって感情はそれにしたがった役割演技にすぎない。

 

 

 

 

[自然学]アリストテレスの思想を後世の人がまとめた

 

[形而上学]

①アリストテレスはあらゆる存在者を存在者たらしめている根拠を探求する学問

②現象的世界を超越した本体的なものや絶対的な存在者を知的直感によって考察しようとする学問(主要な対象は魂・世界・神など)

 

 

[唯物論]精神的なものに対する物質的なものの根元理を主張し、精神的なものはその現象ないし仮象と見なす認識論的、形而上学的な立場

 

[実在論]意識・主観を越えた独立の客観的実在を認め、このような実在をとらえることにおいて認識が成立すると説く立場

 

[観念論]精神的なものと物質との関係において、精神的なものの側に原理的根源性を置く立場

 

[唯心論]世界の本質と根源を精神的なものに求め、物質的なものはその現象ないし仮象と見なす形而上学的世界観的な立場

 

 

 





…知っている?

…だけど、理解できない。

こんな奇妙な感覚はありませんか?

なんで、今まで気づかなかったのだろうか?

苫米地英人さんは、そのことを、[スコトーマ]と言っていおり、論理的に説明しています。

苫米地さんの本で、何か一冊と言われれば、[すごい私になれる魔法の名言]をおすすめします。

私は、子供のころに本ばかり読んでいました。

漫画とアニメと音楽と映画とプロレスが好きでした。

だいたいのことは、そこから学んだかと思います。

50歳になっても、そんなサブカルにどっぷりつかったオタクであります。

そんなサブカルオタクを説明してくれたのが岡田斗司夫さんです。

誰がなんと言おうとも、自分の時代を生きればいいのです。

大人たちは、若者の文化をバカにするものですからね。

「みんな、好きなように生きましょう」






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言葉ってすごいよね。


…いやはや、やられました。

心をえぐられたのです。

錯覚だとしてもね。

そんな言葉の力を感じたのです。

記録として描いておきます。

言葉は映像のように感じます。

心の記録なのです。



 

…名越さん、すごいよね。

 

私は心理学の名越康文さんのTwitterをフォローしているのですが、2日つづけて心をつかまれてしまいました。

 

まずは、今日の言葉です。

 

何でも知っていないと不安な人が、何でも知っているふりをしないと不安な人に先導される社会は見事に作られた。身体と自然を抜き取ればよかったのだ。でもまだ希望がある。

逆も真であるから。

 

おー、まさに、最近考えていたことではないか。

 

構造主義であり、小林秀雄であり、ベルクソンでもあるのだ。

 

知覚と身体は両輪であり、連動しているから、どちらかの刺激がもう一方にも影響を与える。

 

そして、イマージュの錯覚。

 

まいったね。

 

唯物論と実在論かな。

 

私たちは、動物ですから、嫌なら移動すればいいはずなのにね。

 

なぜか、自ら社会という現実場にからめとられてしまうのです。

 

多様性の時代と言いながら、しがみついて、自身と社会的な立場の積み上げた記憶をかえられないのです。

 

 

そして、昨日の言葉がこれです。

 

人は何故生きる。死ぬのが怖いから、というのが最も最先端の答えであることから目を逸らしてはならないだろう。それが有史以来数千年、人間が血みどろで築き上げた真の哲学であり、それ以外はただの趣味と見栄であった。今哲学と宗教は何を語るか。

 

これは、私の本質をつらぬく言葉なのです。

 

最近、社会学という哲学にはまっており、あれこれと思考していましたが、それって、死ぬことに比べたら、ね、ってな感じです。

 

私は、子供のころに母の死を身近に接して、死ぬことを強烈に感じて以来、自身で勝手に作り上げたイメージで死を遠ざけてきました。

私自身、今は死を怖くないと感じていますが、実際は怖いのです。

きっと、現実にせまってきたら、オタオタすることでしょう。

だから、人類は、宗教や哲学であらゆる死後の世界を語っているのでしょう。

ですが、現代は死が遠くに追いやられていき、挙げ句は、死なないことばかり語られています。

 

これも、いつかひっぺがされて反転しそうな気がします。

 

私は、言葉という物語の本が生きるという記号なのだと思います。

表紙が産まれであり、背表紙が死であり、間のページが、その人の人生なのだと思います。

時の流れとも言えるかな?

 

誰もが、自分だけの本を持っているかと思います。

それは、感情をともなう記憶なのかもしれませんし、データ化した記録なのかもしれません。(ベルクソンは記憶は二種類あると言っています)

 

死とは、人類共通の最も強い象徴なのかもしれませんね。

 

あとは、太陽と月もそうかなと思います。

 

あらゆる神話にでてきますからね。

 

名越康文さん、

勝手に、引用させていただいて、すみません。

そして、素晴らしい言葉をありがとうございます。

 

なんせ、私に向けられた言葉のように感じてしまいましたので、………不思議ですね。

 

 

それでは、又

 

 

 

 




生きていると、思ってもいない不思議な感覚にであえれますよ。

まだまだ、生きますよ。

だらだらとね。

あ、そうそう、死んだら唱えるとよい魔法の言葉があるそうです。

「天国、ただいま!」

だそうですよ。

これ、私、信じています。

天国があるかないかは知りませんがね。





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50歳の節目に思うこと。


めでたいのか?

めでたくないのか?

なんだかんだで50年生きております。

こんな私でも?

そんな感じです。


 

…根拠も何もありませんが、なるべく控えめな言葉で思ったことを感じたままに書きます。…気を悪くなされたらごめんなさい。…

 

 

 

…ある男の物語…

 

 

なんだか、フワフワします。

 

なんだか、モヤモヤします。

 

言葉では表現できない感じです。

 

頭でっかちのうぬぽれの強い妄想と現実を綱渡りしている男がいました。

 

独りで遊ぶのが好きで、誰かと一緒にいても自分の感覚に敏感な男でした。

 

周りには、いつも人がいたのですが、男は自分のペースで生きていました。

 

親戚や家族や地域の皆様に助けられながら、そんな懐かしい時代に子供時代を過ごしました。

 

男は、臆病で器が小さいのか、かんしゃくもちでした。

 

母親が死に、体調をくずしてばかりいました。

 

そんな男も家庭をもち、家族をさずかりました。

 

家族のためにと、柄にもなく男はがんばりました。

 

月日は流れ、周りの人々が亡くなっていきました。

 

男は、ぼんやりと見渡すと、世界が様変わりしていることに気づきました。

 

苦楽を共にした初めて愛した嫁と別れました。

 

子供たちは、男よりも社会に適応しているようでした。

 

同じように、自身も歳をとり変わっていることに気づきました。

 

さまざまな知識を取り込もうとためしました。

 

少しは賢くなったとうぬぽれていました。

 

しかし、いつもわからないことが現れ遠ざかって行きます。

 

モヤモヤが晴れそうで晴れないのです。

 

男の中身は、子供のころと同じで変わっていなかったのです。

 

わからないことを妄想でおぎなって生きていたのです。

 

夢と現実が混ざりあった感じなのです。

 

男は、現実から距離をとりながら、子供のころのようにマイペースを心がけて生きようと思いました。

 

自分の時代があったような気がします。

 

なかったような気もします。

 

ただ、今は確かに感じられ、自身が現実にここに生きていて思考している実感があることが嬉しいのです。

 

いろいろなことがあったような気がします。

 

男は、忘れっぽいのでフワフワしてしまいます。

 

何かに気をとられると、そればかり考えてしまい、疲れてしまいます。

 

ですが、いつも何か見守られているような気もするのです。

 

男は、自身の矛盾した特性に振り回されながらも生きています。

 

まだまだ、生きていたいのです。

 

この世界を感じたいのです。

 

老いて死ぬときまで、生きたいのです。

 

あくまでも、私が感じたことですので、一般的ではないかと思います。

 

とても、ちっぽけな奴なのです。

 

それでも、こんな風に考えられることは、幸せな奴なのだと思います。

 

今年に入ってなんだか、柄にもなく、盛り上がってしまった感じの奴なのです。

 

私のような流されやすい古い奴には、仮想世界での双方向のコミュニケーションはあわないようで、本のような一方向の刺激のほうがよいようです。

 

楽しかったです、ありがとうございます。

 

50歳という区切りですので、しばらく休みたいと思います。

 

 

こんな、くだらない文章を読んで下さって、ありがとうございます。

 

私が言うのもなんですが、皆様の、お幸せを祈っています。

 

 

 

世界の平和を願っています。

 

 

…終り

 

 

 

 

 





…それでは、又、いつか


私のこの作品が世界に必要でないなら、消してください


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はっ と我にかえる瞬間、自分さえもきえる瞬間?

…ただいま、復活に向けてアイドリングしております。

妄想注意報警戒中!

どなたさまも、おきを確かに、いつのまにか、しのびよってきますので。

現実という、外世界。

あなたの存在がなければ、それは無いも同じ?

あなたにとっての現実が妄想かもね。

いつもながら、結論のない、しょうもない文章ですので、気になさらないでください。

単なる、私の心の記録であります。

やはり、私は描くしかないのです。

私のアート。




…名越さんに依存しております。

 

 

前回、あまりの衝撃によりおろたえてしまいました。

 

少々、世の中の流れが影響したのかもしれません。

 

政治も経済も、引きずられる意識。

 

無意識にたまるイライラによるストレス。

 

またか? という嫌気。

 

そして、そんな私を見抜く言葉。

 

勝手に錯覚するイメージ。

 

 

いくつもの重なりあうネガティブ。

 

いつもなら、気にしないことまで

 

押し付けがましい、オススメ動画。

 

「あなたは、どうせ、これが気になるのでしょ?」

と言わんばかりに、画面上に流れてきます。

 

圧迫感とは、これか?

 

だから、動揺なのです。

 

 

それでも、なんとなく、名越さんのTwitterとぱっさんのTwitterを翌日からチラ見する私。

 

またしても、見抜かれたような感触。

 

名越さんのTwitterが、こちらです。

 

人の意見に何かを付け加える時ほど、自分の馬脚を露にしてしまう瞬間はない。細心の注意が必要だ。

 

私のことでは?と思いました。ですが、前日よりは冷静でいられます。

 

翌日のTwitter、

 

敵なんて滅多にいないよ。敵は賢いからこそ敵なんだから。浅はかであったり、にげたかったりするだけなんだ。見せかけの勇気とか正義とか怒りにだまされず。自分のやるべき価値を探してしぶとく楽しくやり続ける。

それが一番難しく、一番充実する。

 

はっ、そうなんだよな、と思いました。でもね?

 

さらに、翌日のTwitter、

 

明るさとは視野が広がること。スマホを見ると必然的に視野が狭まるので、外の景色を見てバランスを取る。

こんなしょうもないことで、一日がかわるんだから、ほんまに人生はやばい。イメージよりやばい。

 

うぉ、そのとおりでしょ、と思いました。

 

そんな、当たり前のことを、知っていることを、さんざん描いてきたことを、なのです。

 

それで、こりずに、Youtubeの動画を見ます。

 

そして、その動画の中で宣伝していた名越さんの本[ひとりぼっちこそが、最強の生存戦略である]をアマゾンで購入。ついでに、気になったヴィドゲンシュタインという哲学者の[論理哲学論考]なる無料本をポチる。

 

名越さんの本は何冊か読んでいたので、それほど真新しい情報はないが、(動画でのお話とかぶる内容)とても分かりやすくまとまっており、自身の精神のバランスをとりたいときに読むのに丁度良いと思った。まだまだな私には、特に最後の章が響いた。(名越さんに依存中なことも差し引いて、私のようなタイプならなお良い)

 

そして、昨日1月最終日。

 

数少ない話しができる仲間の絵描きのI君に会いに行く。

彼も暗中模索の中で、楽しみながらVRでの絵描きの可能性に挑戦していた。NFTという未知なるものに。

 

「アートとは?未知なるもの、決して完成などしない。自身ですらも捉えきれず、道半ばの、言葉にできなくて説明しにくい感覚のもの。」

これが、私のアート感。

 

「僕の手から、お客様の物になった瞬間から、僕のアートではなく、世の中の物だ。好きなようにしてくれて良いが、僕の絵を買って良かったと思っていただくために、僕は努力して世間に認識してもらわなければ

ならない。」

というのが、彼のアート感。

 

だから、私は、アートは誰のものでもない、世界の一部であり、全てだと思います。

 

全ての上位概念かもしれません?

 

私のこの文章も、アートならば、世の中に出た瞬間にあらゆる人々の世界のものとなり、私の手から離れるのだと思います。

 

私のアートは、私が生きているかぎりアップデートされていきます。

 

ですから、前回の最後にあのような言葉を残したのです。

 

私が消えるか、このサイトが消えるか、なのです。

 

あなたの表現も、すべてアートだと思います。

 

それが、私のアート感です。

 

 

 

ぱっさんのTwitterで、

 

政治のことはわからなくていい

 

経済のこともわからなくていい

 

でも

 

わからないということは参加していないということ

 

そして残念ながら今の日本は

 

参加できない人のために政治と経済を整えようとしている

 

学んできた人々を放っておいてだ

 

という言葉が素敵だと思いました。

 

その他にも、ぱっさんらしい、角度の発言が多くて刺激をうけております。

 

吉濱さんのYoutubeにも、いつも助けられています。

 

私を通して、勝手に妄想はふくらむばかりで、楽しくてしかたありません。

 

いつもいつも、勝手に引用させていただき申し訳ありません。

 

そして、お忙しいなか、ありがとうございます。

 

私にとりましては、皆様は明るい光りであります。

 

これからも、一方的に、陰ながら応援させていただきます。

 

私が、作品の中で紹介してきた方々は、とても素晴らしい方々ばかりで、私などお恥ずかしいばかりです。

 

ですが、ひとりでも多くの皆様になんらかのきっかけをと思っています。

 

そんな気持ちで描いています。

 

押し付けがましくて、すみません。

 

 

 

なにかを知ったからといって、自身が変わるわけではないことは重々知っていますが、好奇心はとめられそうにありません。

 

この作品を三年続けて思ったことは、そんなちっぽけな私なのだということなのです。

 

人間って、本当にどうしようもない。

 

ですが、どうしようもなく素晴らしくもあるということです。

 

こんなバカな男の価値観ですが、皆様に伝わるとすくわれるのかな?

 

まだまだ、今は、休みたいと思います。

 

 

もう少し落ち着いたら、次の回で、完全復活際をしたいと思います。

 

 

 

 

 

 




…私は、2009年頃は、養老孟司さん、森毅さん、茂木健一郎さんの本をこのんで読んでいました。

テレビは、ホンマでっかTVやそこまでいって委員会が好きでした。

そのころに、思想家というものがあることを知り、それになりたいと思いました。

政治や経済の本もいろいろ読んでいましたが、今は、読む気がしません。(意識過剰にならないように、自然に入ってくる情報で判断しております)

哲学は、[ソフィーの世界]という本を読だのがきっかけだったと思います。

仏教思想は、もの心ついたときには感じていました。

心理学は、子育ての悩みの知識として興味をもちました。

自分にあったものとあわなかったもの、どちらも出会いというきっかけがあったからです。

皆様も、気になることは、わからないなりに追い続けてみるとよいと思います。

何かに繋がるかと思います。

世界というものは、内側にいたら、あくまでも想像でしか外側は知りようがないのかもね。外側にでて、現実として知覚する方法はないのかな?(幽体離脱とか精神的ではなくてね)

全てを認識することができれば、なにかが変わるのかもしれません。

だから、祈り、信じるのかもしれませんね。

今の私の疑問です。



誠に勝手ながら、動画の中で名越さんの言葉に引かれました。

「名越さん、マイ・ブラザー」と呼ばせてください。

とても親近感を感じる兄貴に感じてしまいました。

ほんの小さな、心の拠り所なのかもね。

わかっています、くらべるまでもないですよね。

錯覚ですよ、いつものことです。


それでは、又


3月4日、追加…

いやいや、案の定なのか?

現実が襲いかかっています。

私の葛藤の後を追いかけてきているような錯覚。

争いはよしましょう。



人、それぞれに私という宇宙がある。

私という葛藤。

私をととのえられないのに、外側の宇宙をととのえられないのではないか?

外側を観ることで、私を知るという気づき。

ずっと、感じていた思い。

やりたいことをやりなさい。

すきなようにいきなさい。

どちらもおなじこと。

内と外の世界。

今、あなたが(私が)ここに存在して生きていることがすべてだと思います。

ありがとう☺️


未来が今になり、今は過去になることを感じられれば、何かが変わるのかもしれません。

あなたの求める何かが。

あなたをつくりあげる何かが。

最近、そんなことを考えています。

わたしにとって、

…自然なのかな?

今だ、わからないままですがね。

わからなくても生きていられる現実に感謝します。

そんな、当たり前の今に感謝します。

そんな、ことを思考できる私に感謝します。

わたしという小さな宇宙と、世界という大きな宇宙に感謝します。

…それで、どうするの?

…明日が今日になり、今日が昨日になる世界に生きているんだね。

…感じるまま、思考しながら選択する世界。

…生きているとは、変化すること!

おバカなちっぽけな私が伝えたいのはこの程度のことです。(自身にもね)

前にも、こんなこと描いてたな?


それでは、又


3月10日.追加…

最近、何もせずにボーとしていることが多くなりました。

ここ2年ほど、テレビを見なくなったからか?

世の中に興味がなくなったわけではないのですが…

どんどん、浮世離れしていくのです。

ふと思うのですが、日向ぼっこをしている老人の気持ちとは?……こんなことなのかな?と思うのです。

何かを感じているのです。

言葉にならない、何かを。

わたしは、人間なのでしょうか?

妖怪もどきなようなものなのでしょうか?

ひたすら、我がみちを生きていると、このような現象がおきるのかもしれませんね?

ちかくにあって、とおくにあるもの。

わかっているようで、わからないままなもの。

世の中の、こぽれおちた、何かを感じて生きているのかもしれませんね。

…改めて、今までの文章を読み返してみますと、描きたいことはだいたい描いているようです。

今後は、このような、自分自身が感じたことを描いていこうと思います。

たわいもないことですけどね。

それでは、又


3月21日、追加…

養老孟司さんの動画で、生命体とは思考の前に身体感覚が先にあるようなことを言っていた。
(生命体の感覚と思考の進化であり、脳の進化の仕組みの脳科学も知っていたほうがわかりやすいかな?…感情による身体反応と思考の変化や他者との関係性による心理学や社会学も知っていたほうがいいかもね。)

身体感覚とは、無意識が感じとり外世界と反応することであり、自然と生存の為の最適化をしている状態のことだろう。

私という生命体は、思考にあがらない意識化されないでいる多くの事柄のほうの情報で生きているようだ。
(身体感覚は言語化できない多くの情報を感じているのだろう?)

何もせずにボーとしていると、そんな意識化されないでこぽれおちた事柄(共通認識である常識から外れた言語化できない不必要な世界の情報)を感じているのかもしれない?

まるで、自我がとけて外世界と混じり会うような感じかな?

感情と論理的思考の中間のような?

私という自我を見つめる、高次元のわたしとは、このような感覚なのだろうと思う。
(身体感覚で感じている個人差による微妙な違いを最適化しているのか?…各自の誤差を抽象度を上げた言語による共通認識する思考をえた人類ゆえになのか?…人類とは、思考による想像で世界を創造する能力を手に入れた…まるで世界を認識する観測者のように…それすらも人類の存在の為の行為なのかも?…学問というアーカイブが世界なのか?…各自の言語化できないこぼれおちた情報を表現することがアートなのかも?)

たぶん、養老さんは、このようなことを伝えたいのだと思う。

名越さんの、自我(矛盾)と向き合う勇気が世界(内と外)を変えるような発言も、このようなことなのだと思う。(自然体になれば、それほど難しいことでもないのかも?)

結局は、自身の感覚で感じとり思考しなければ何も腑に落ちないということなのだろう?
(それぞれの知識と経験が大切であり、変化を繰り返して、それぞれの現在という現実という自我をつくりあげるようだ?)

わかったようでわからないままなものですかね?

だから、生きていられるのでしょうね。

あいまいで生きましょう………

気になることに向かってね☺️

内と外…互いに何重にも重なりあい変化する(スライムのような?アメーバのような多重世界?カオス世界を自我というわたしが繋ぐのか?)

それぞれの世界が共鳴しているのかな?

考えるな感じろ❗️

曼陀羅みたいにね…高次元のわたしをこえた神の視点なのか?

生きているって、本当に面白いよね。



4月2日、追加…

Youtubeで、MBTIという人を16タイプに分ける診断方法を知り試してみた。

私は、INFPという[内向、直感、感情、認知]タイプとなった。

他のタイプを調べてみると、INFJという[内向、直感、感情、判断]タイプのような気もする。

最後のPとJは一問違いだったので、どちらでもありうるのかもしれない?

そもそも、占いを信じられないのが私であり、世間の常識すらまともに信じていない。(とりあえずは、したがっていますがね)

とても偏屈で、自分自身の経験から感じたことを、心の奥底では一番信じている頑固者なのだ。

全ての情報は一例にすぎないと思う。

私を通してしか世界を観れないようだ。

いろいろな人がいますからね。

世界は、今だ理不尽だと思う。

だけど、そんなあいまいで不安定なこの世界が私には丁度良いかとも思う。

皆様にとって、より良い世界を望むならば、何事も未来永劫、決定などできないと思う。

ただ、(どんな人でも、自分にとって生きやすい世界を目指し行動できる世界)とは、そんな曖昧な世界なのだろうね。(ルールなどはとりあえずでしかない)

やはり、この世界はカオスなのでしょうか?

それぞれの可能性を求めるカオス。

決まっている未来なんてどこにもない。

若い頃は、焦りのせいか、答えを求めて白黒ハッキリとつけたかったけれど、歳を重ねるほどに余白という曖昧さは大切に感じるのです。

頭でっかちにならないようにね。

自分で牢獄をつくらないようにね。

自分も他人も縛りつけないためにね。

それが、(生きやすさ)につながるのかと思います。

暇な人は、MBTIタイプ診断でもしてみては?

くれぐれも、あまり、信じすぎないようにね。

たんなる一例ですからね。



4月10日、追加…

私は、Youtubeで[都市伝説の裏の裏]というチャンネルを登録しており観ている。

2年ほどになるが、最初は表ひろあきさんの系統の人だと思っていたのだが、今回の隠岐ツアーの動画の中で、竹内宿禰の75代めだと知った。
先代の73世の竹内睦泰さんは亡くなっており、どうしたものか?と思っていたのだが、ここにたどりつくとわ?と不思議に思うのだ。

私の小説にも影響を与えており、日本の古伝の竹内文書や九鬼文書、古事記や日本書紀等の神話から、ホツマツタヱのバーカーというキャラクターが産まれており、隠岐へ行き着く[神々の黄昏]という話しができたのだ。

私は、もとからスピ系でありオカルトが好きなのですが、こうして年齢を重ねてボンヤリと生きていると、なんだか奇妙な縁を感じてならい。

若い頃は、あれこれと振り回されて当然だが、ある程度の年齢になると何をしてきたかがその人をあらわすようになるのではないか?

たいして努力をしているつもりもないが、向こうから情報がやってくるようだ。

まるで、私の中にひそむ何かがざわめきつながりあうかのような、懐かしい感覚がする。

毎月、[ムー]を読んでいるからか?

Youtubeというネットで繋がる時代だからか?

ただ、思うことは、あまり自分の国の思想や価値観をアピールしないほうが良いかと思う。

それぞれの信じるものがあるからだ。

自身が自分の国に意味付けをして誇りをもつことは良いことであるが、それぞれの国の人が「我が国の歴史感はこうだ」主張しすぎれば争いがはじまることだろう。

相手の国の文化や歴史に興味をもち、学んでくれる人に伝えればよいだけだと思うのだ。

言葉にならない思想こそが、もっとも大切であり、私にとっての根元なのかもしれない。

それは、言葉ではなくて生き様に宿るのかもしれない。

私は、全ては主観でしかないと思う。


それぞれの世界感を求める世界。


そんな時代がはじまりそうだ。



4月12日、追加…

私なりに考えてみた。

とても言葉で表現するのは難しいことなのだが。

[自分の求める世界へ向かって生きる]

誰もが自分の欲求にしたがって、感じるままに行動する。

そこに主観はあるが、主体はあるのだろうか?

私がしたことの責任はあるのだろうか?

自覚なき正義。

漂う自我。

それでも、人は善意であると思う。
(善も悪も愛ゆえに、なのだと思うのよね…幸せも不幸もね)

善意ゆえに、過ちを起こすのだと思う。

それぞれの信じる世界の可能性に向かって生きる。

歳をとって思うことは、責任なんてものはとれないということ。

とらなければならないとは思うのだが、取り返しのつかないことばかりだということ。

それが、過去というものだと思う。

若い頃は、世間知らずの恥知らすで可能性を探すものなのだと思う。

歳をとると、そうともいえず、哀れみのような感覚を感じてならない。

[はかなさ]とでも言えばよいのか?

ですから、個人なんてものはないのだと思う。

反対に全体なんてものもないとも思う。

それが、生き様に現れるのだと思う。

それぞれの生き様にね。

[人に歴史あり]とは、そのようなことなのだと思う。

(何を言ってるのか?、私にも限界があるのよね。うまく説明できなくてすみません)

とにかく、

みなさん、すきなようにいきなさい。

しょせん、大衆ですからね。

神になりそこねたとは、そのようなことなのだと思う。

身の程を知るとは、とても難しい。

しかし、

知ってしまえば、これほど、当たり前のこともないよ!
(実際は知るというよりも感じるものかな?それぞれの捉え方でね。…私にとっては、感覚の経験による抽象度を上げた客観的な認知を直感することかな?)


気というエネルギー世界がある。

思想意識という情報世界がある。

現実という行動世界がある。

その上にも下にも連なる世界がある。

みなさん、

長生きしましょうね。
(生にしがみつく必要もないとも思うのだが、自ら死を願うこともどうかなとも思う。なるがままに…)

私という存在があるという世界をあじわいましょうね。



4月15日、追加…

「そのときにならなければわからないだろう?」

最近の私はこの言葉がよくよぎる。

争いを恥ずかしいと感じる私がいる。

争ってまでしたいことがない私がいる。

ただ、避けてぶつからないようにする私がいる。

今までの生き方をふりかえれば、そんな私がいる。

この先に何が待っていようとも、生き方は変わらないのだと思う。

やはり、そのときにならなければわからないだろう?

いつも、すき間を探して生きてきたように思う。

努力も我慢も競争も、私には不向きなのだと思う。

生命体としては、できそこないなのだろう?

そんな私なのだから、いざというときには、真っ先に死んでしまうかもしれない?

もしくは、そんな私だから、生き残るのかもしれない?

考えてもしかたがないことを考えている私がいる。

無意識に、まるで、当たり前のように考えている。

ボンヤリとした静寂の中で、他の人は何を感じるのだろうか?

だからといって、他人のことまで深刻になれないのが私なのだろう。

つくづく、自分の世界を生きているようだ。

これが私の個性なのだと思う。

私は、このままでよいと感じている。


そして、又、ボンヤリしだす私がいる。


自然という言葉は、自と然でできている。

自由という言葉は、自と由でできている。

自然と自由。

どちらも自がついている。

根元なるものなのか?

それぞれの言葉の意味を調べてみると、「なるほどな…」と感じる私がいる。

言葉とは、呪文なのだと思う。

人は、そんな言葉で思考する。

勝手に関連つけて、組み合わせたり比較したりする。

思考とは、呪文なのだと思う。

言葉ひとつで、人類の時の流れを感じてならない。

またまた、おかしなことを思考している私がいる。

言葉には霊が宿るという。

言霊とは、よく言ったものだ!


[カタカムナ]がひそかなブームのように感じる。


これも、時の流れなのか?


ふと思うのですが、後書きに付け足していく、このスタイルはなんなのか?

いまさらながら、誰も気づかず読まないであろう。

いったい、私は、何に向かって描いているのか?

それは、独り言なのか?

いや、未来のAIに向かって描いているのかかもしれない?

生きたあかしとしてか?


「まぁ、なんだって、いいんじゃない。」

私にとって、良い時なのだからね。



4月18日、追加…

私は、毎月千円を払って、Kindleunlimiteに入っている。

ある程度の本が無料で読めるのがありがたい。

ネットと連動しているようで、私が興味をもった事柄に関連する本が無料で読めるような気がする。
(全てではないが、何日か後におすすめにあがる)

今日、[カタカムナが解き明かす宇宙の神秘、天野成美]という本をダウンロードして読み始めた。

カタカムナとは、何年か前にムーで知って以来、たびたび目につき気になってはいた。

であいは5年ほど前か、江戸時代に発見された神代文字で書かれた古代の日本の俳句のような世界感が魅力的な文書なのがカタカムナであるが、偽物か本物か?はわからない。

亡くなった竹内宿禰のむっちゃんは、偽物だろうと言っていた。

縄文より伝えられた世界最古の文字であり、48ある音ひとつひとつに意味があり音の響きにエネルギーが宿るようなことは知っている。

おそらく、私の今の知識でだいたいのことは知っているだろう。(さまざまな本やYouTubeで学んだこととかぶると思うが、この作品に影響を与えた知識を見つめ直すためか?)

ようやくカタカムナも、世間に認知され始めたのか?

だけれど、今このタイミングでこの本に出会うことに意味があるように思う。

これも私の流れの一部なのだろうと思う。


ネットで繋がる世界は個人の流れを加速させるようだ。

はたして、それは自然なのか?

それとも、新たな洗脳なのか?

疑り深いのが私なのだが、

「まぁ、いいんじゃない。」

とも思う私がいるのも確かなようだ。

流れに身を任せてボンヤリ生きている。

先のことなどわからない、が、何かがざわめきだす。

あらたな、感覚を目指しているのかも?

そんな幸せも、いいんじゃない。

ときには、未知なる世界に飛び込むのも、いいんじゃない。

そんな感じがする。


「予定調和から連鎖調和へ」という、保江邦夫さんの言葉を思い出す。


4月19日、追加…

カタカムナの本を読んでいる。

やはり、このタイミングのような気がする。

おさらいをしているようだ。

三年前のこの作品をかく前では上っ面の言葉でしか感じられなかったと思うから。

気になる方は読んでみてわ?

ただし、人により受け取り方は違うかと思う。

それが感じる世界であり、私にとっての調和なのだと思う。

あなたにとっての調和の世界を感じられるかもしれないよ?

人によっては、ゴールかもしれないし、あらたな世界感のはじまりかもしれない?

今の私では、このような表現でしか伝えられなくてすみません。

まだまだ、残りのページを読み続けますが、感じ方がかわるかもしれないし、きっと、読み終えても世界が広がり続けるような気がする。

おそらく、私はこのような感覚を求めていたように思えてしかたないのです。

あくまでも、私にとってですからね。


自分とは、自と分という言葉でできている。

なにも分けなくてもいいんじゃない?

それでも我は存在できることが自なんじゃない?

そんなことを感じる、今日なのです。



4月25日、追加…

最近、プライムビデオで、スタートレックのピカード2シーズンを観ている。

子供の頃からスタートレックは好きなのですが、歳を重ねるほどに好きになっていくようだ。
(子供の頃はスターウォーズの方が好きだったのですが、わかりやすいスターウォーズと違い、古典的SFの世界感をベースに、さまざまなキャラクターの関係性と心理描写が魅力的だと思う)

我ながら「こんな複雑なストーリーの表現をよく観れるな」とも思う、
(妄想オタクにとっては複雑こそが楽しみなのかもしれない。)

永い歴史があるほど、世界は広がり情報は蓄積される。

現実であろうが作り物であろうが、情報としては変わらない。

今の私にとって、現実も作り物もたいしてかわりはないようだ。

そこには、私の感情を刺激する流れがある。

それしても、スタートレックは良くできていると思う。

さまざまなキャラクターを通して私の感覚を刺激する。
(ときとり私の記憶と重なりあう場面に出会う)

人間、バルカン人、ロミュラン人、クリンゴン人、ポーグ、ヒューマノイド……さまざまなタイプのキャラクター。

まるで、シンボルとかすキャラクター。

日本でいえば、ガンダムであろうか?

月々500円という、わずかな金額で(私にとって)さまざまなコンテンツを楽しめるアマゾンはすごい。
(ビデオ録画の編集作業とDVD収集作業からの解放であるが、そんな作業も知識の広がりがあり楽しかったけどね。…空いた時間で、今はこのような感覚の記録に移り変わってきているようです。…オタクな私の日常。)

(大企業によるコンテンツの争奪戦をしているようで、スターウォーズはディズニープラスに版権が渡ったが、スターゲイトはアマゾンが版権を獲得したようで、そのうちにオリジナルドラマが観れるかもしれない?)

アマゾンには、このまま庶民に優しい世界中を繋ぐ巨大企業の役割を願う。

(まだまだネガティブなことも多いが、オタクにとっては)

とても良い時代になったと、私は思う。

(私のような、人と直接接するよりも作品を通しての方が気づきやすいタイプにはありがたい。)

そのように思える私にありがとう☺️と思う。

(まるで奇跡のような)

良い世界にありがとう☺️と思う。


4月26日、追加…

いまさらながら、「ありがとう」に幸せを感じる。

私と他者を繋ぐゲイトが開くような気がする。

私が[ありがとう☺️]と感じるとき、世界は繋がるのではないか?

それは、生物である必要はなくてなんであってもよいだろう。

そんなことを感じる私にすら、[ありがとう☺️]と感じる私がいる。

世界はつながりあうかのようにできているのではないか?とすら感じてならない。

引き寄せやら、導きやら、覚醒やら、なんだっていいよね。

そういうことなの?と思う私がいれば、それで良いでしょう。

[ありがとう☺️]でなんとかなるということなのだと思うのです。

今朝、目が覚めてボンヤリと感じたことがありがとう☺️ということでした。

夢でもみたのかな?

せっかくですので、忘れるまえに描いときます。



4月27日、追加…

[ありがとうで世界が繋がる]について考えてみた。

私と何かが共鳴するということだろうか?

ありがとうとは、境界を開ける隙間により、分離している事柄を繋ぐことなのだろう。

おそらく、この説明では理解できる人は少ないだろう。

私が、この小説の世界感の設定を考えたときに、現実という器に種がやどり自分という世界をつくりあげるという、空の中の有という発想をしたことを思い出す。

私という種は現実と想像に関係なく、あらゆる事柄から自分という世界を広げていく。

それは、次元(パラレル)を越えて無秩序に繋がり取り込み、私を通しての世界観というストーリーをきづいていく。

大きな枠組みであろうが小さな枠組みであろうが、しがらみ(因果法則)を越えて解き放たれた有は、互いに影響しあって繋がりあうことにより変化していく。

これが、この小説の世界感であり、いくつもの可能性を生み出していく物語を描こうと思っていたのです。

今になって、そのきっかけを与えるものが[ありがとう]なのだと思う。

この回のタイトルである、[はっと我にかえる瞬間、自分さえもきえる瞬間]ともいえる。

そのとき、私は自分と自我を越えて何か大きな関係の世界の中に漂っている(神の視点かも?)のだと思うのてす。


やはり、伝わらないよね☺️


言葉の限界。

未知なる世界は説明できず、体験するしかないということなのかな?

私は、どんな人でも、有というそれぞれの理想(夢)をもって生まれてきていると思うのです。


[ありがとう☺️]


で繋がる世界


すきなようにいきましょう。


4月29日、追加…

最近の私は「すきなようにいきましょう。」とよくかいている。

それは、やりたいことをやることが生きることだと思うからです。

それこそが自分探しに繋がるのだと思います。
(まずは、さまざまな体験を通して自立に向けて。)

私は私を生きることしかないと思います。
(探しても意味は無くて元から根源としての存在かあるのだと思う。)

私は、なにも好き勝手にやりたいほうだいしなさいと言っているわけではないですよ。

忘れてならないのは、自分が行った行為は自身にかえってくるということなのだということ。

後悔したところで責任はとれず、そんな自身を背負って前に進むしかないのが人生だと思います。

それが良いか悪いかは、そのとき、感じるしかないこと。

私は、自身にとって良くても悪くても、そんなことを感じられる体験にであえことに「ありがとう☺️」と思えるようになれたら幸せだと思うのです。

次元を越えて、時空を越えて、自他を越えて、今この瞬間に「ありがとう☺️」なのです。

だからこそ、根源からの直感なのです。

あらたな、感覚かもしれませんね。

知っている人は、あたりまえなのでしょうが?

私は、そんな繋がる世界を生きたいようです。

そろそろ、まわりくどい自身にいやけを感じているようです。
(それが私なのですが、認めたうえでの生き様があるかも?と思う。)

臨機応変に適当に当たり障り無く生きたいようです。


4月30日、追加…

最近、なんだか日記のようになってきました。

私の日常の記録であり、内面の記憶なのです。

今日、プライムビデオで[アンダン~時を超える者~シーズン2]というアニメを観ました。

おそらく、映像で伝えたいのか、実写をアニメに合成したような表現で、好き嫌いがわかれるかと思います。

アメリカを舞台にネイティブアメリカンの精神文化を受け継ぐ女性が、特殊能力(量子もつれによる心霊現象?)をつかい、この世の真実を求めて、時空を超えて繋がりあいながら自分探しをするような物語だったと思う。

シーズン1を観たとき、なんだか引き付けられたことを思い出す。

私の感覚に近いからか?


オカルトなのかSFなのか?どことなく縄文思想にも似ているような?

このような感覚の表現を日本ではなくて海外の人がすることが面白いのかもしれない。

私が思うに、自分とは我とその他のものがおりなす関係性なのではないのか?おそらく、裏テーマはそんなとこだろう。

そんなことを感じながら1話を観た。


アマゾンには、「よくも、まぁ、こんな一般的には需要のないドラマをつくってくれるな」といつも思うのだ。

そんなドラマを楽しめる私もどうかなとも思う。

どちらにしても、「ありがとう☺️」なのです。

他にも、[思うままの世界]という発達障害者のドラマも面白いです。

そんなマイナーなアマゾンのオリジナルドラマが好きな私なのです。

あくまでも、私の感じる感想ですので、解釈は人それぞれですよ。


5月1日、追加…

いつも思うのですが、私は[もったいない]にとらわれている。

育った家庭環境ともって生まれた根源のためか?

それほど困るほど貧困でもないし、働かなくてもなんとか生きていけるようにもなったのだが、いまだに贅沢をすると満足感よりも罪悪感を感じてならない。

[ありがとう☺️]という感覚が、それを打ち消してくれるようになってきたのだが、それでも、なにかに夢中になるほど覚めてしまう私がいる。(客観的に自身を分析しているからか?)

私は、どこにいるのだろうか?と思う。

脳では他者のように私を感じてならないが、肉体の感覚を感じるときに、たしかに私はここに存在しているのだ!と感じる私がいるのも事実なのだ。

脳も肉体の一部であることをと思い出す瞬間であろう。

しかし、長年、こんな自身とつきあっていると、これはこれで面白いと思うようになってきた。

一番の道楽であり、相棒の肉体に[ありがとう☺️]


頭、おかしいよね。


そんな、私にも[ありがとう☺️]


そんな、私がいる世界にも[ありがとう☺️]


ふりかえると、楽に笑っている私がいる。


それで良いと思える私がいる。


おそらく、これが幸せというやつなのでしょうね。


この回を描いた時から3ヶ月ほどがたち、後書きに日記のように思いついたことをかいてきましが、だいぶ自身のペースを取り戻してきたようです。

我を忘れるほどの衝撃を繰り返して少しずつ変化していくようです。

ためこんだ知識が溶け込み自身と融合しているかのような感じがします。

私の前提の意識が私の存在の根源と繋がり一体となるような感覚がします。

まるで次元と時空を超えて、私の連続体が最適化しているような気がします。

あらやる時期の私に、[生きてくれてありがとう☺️]

そんな感じなのです。


5月2日、追加…

過去の人類からみれば現在の世の中は奇跡の連続だろう。

「こんなに魔法のような世の中なのになんで?」
と思うことばかりかもしれない。

一部の人にしか魔法の仕組みがわからないようになるかもしれない。

才能が格差をうむのか?

知識が格差をうむのか?

世界を統一して管理しなければこの世の中は維持できないのか?

もしくは

それぞれの理想を求めて多様な世の中をきづくのか?

私にとって、「なるようになるんじゃない!…どちらでもかまわないな。」
(他人のことまで支配できないからね)

私は私の生きたいようにいきるだけなのだから。
(そのくらいしかできないのが現実であり、自身の生き様でしか伝えられないのだろう)

私の存在を生み出してくれたすべてに

[ありがとう☺️]




そんなことを感じる私がいる。



5月3日、追加…

前田日明さんのYoutube20万人記念動画を観た。

[やっぱり、この人はカリスマなんだな]と思う。

ひとつの時代を象徴する人は、創世記にその世界観の中心にいたのだろう。

なにかの運命に導かれたのか?

そこに集まるものたちのエネルギー源なのか?

私はそこに並ぶことすらできず、ハジッコすらもかじられなかったが、

そんな時代を眺められて[ありがとう☺️]

そういえば、昨日は忌野清志郎さんの命日だったな。

素敵な時代に生きれて[ありがとう☺️]

どんな人でも、そのように感じられる世界だといいよね。

未来に向けて[ありがとう☺️]


私が思うに種とは根源なのではないのか?

それぞれ、少しずつ違う根源をもってね。

時空を超えて引きつけあうのは、そのためなのではないのか?

過去と未来をボンヤリと感じて今を生きていると、そんなことを感じてしまう。

なんだか、しっくりしている私がいる。


もしも、ひとつの空からあらゆる世界が生まれたとするなら、私はその広がるエネルギーの残像なのかもしれない?

種は選択により物語を繋ぐ。

そして、変化をしていく。

パラレルであり、可能性の一例の残像。

生有る限りのね。

また、おかしなことを思う私がいる。


5月5日、追加…

人とのであいは不思議だ。

妙な運命を感じてならない。

私は人が生まれ変わるという、前世を信じられない。

それが前世からの繋がりであろうがなかろうが、無用な詮索をすてて、相手を受け入れる隙間をつくることが重要なのではないのか?

おそらく、種どおしが無意識に感じているのだと思う。


もしも、生まれ変わりかあるとするなら、前世だけでなく後世との因果関係もあるはずなのだが?(前世は確定しても後世は未確定だとでもいうのか?前世の話題ばかりなのはなぜか?)

なんらかの認識をして、気にするといことは、好き嫌いをとわず種どおしが意識しているからなのだろう。(相性があわなくても相反するものからの学びほど気づきは大きいよね。)

変化のせんたくのときなのだと思う。


心理学を観ていると、自身の連続体が今この瞬間を生きていると感じてならない。

だから、すべて繋がりあって成り立つのだと思う。

すべてに[ありがとう☺️]はいちぶに[ありがとう☺️]につうじることなのだと私は思う。


とにかく[ありがとう☺️]



5月6日、追加…

毎日、日記を書いている。

[ありがとう☺️]日記

思いもよらず、繋がる世界を感じている。

私のうちなる声は、どこから来るのか?

場所をとわず、気になりだすとどこでもうちなる世界に没入してしまう私がいる。(車の運転にはむかない、なんでも思考で追及したくなるタイプなのか?外向型は行動による反応で追及するのかな?)

外世界からの刺激を、私のうち世界が感じている。

気づきという認識で打ち消している。
(気づいてしまうと、そんなもんでしょと理屈を超えて納得してしまう)

私の世界のなかにあらた感覚と感情が繋がり一体となる。

内向型の世界は、利己か利他か?

どちらでもないように思う。

どちらの世界が根源にあるかの違いなだけだと思う。

このようなことばかり感じる、私の軸足は内向型なのだろう。

内向型といっても、調子が良ければ外側に世界を求めて移動していると思う。

外向型よりは行動力は、とても少ないけれどどちらの世界も大切だと思う。

いったりきたりすることが大切だと思う。

今日は窓から外を眺めている感じの私がいる。

[精神エネルギーの世界]とでもいえるかな。


息吹の流動する世界に[ありがとう☺️]


力をぬいて、ここちよいせかいを感じていると、まるで

未来から過去に向けて今が眺めて生きているようだ。


自然に[ありがとう☺️]



5月7日、追加…

日記というものは、何か意味のあることを書かなければいけないのか?

「今日は特別、書くこともない」とかいてみよう。

そんな日に[ありがとう☺️]

そうそう、小学生のあの頃、毎日の日記は書くこともなくて苦痛だったが、「今日は特別、書くこともない」とかける日記であったなら楽しかっただろうと思う。
(個人の認知力と言語表現力の学習なのであろうがね。毎日、赤ペンチェックする先生もたいへんだったろうね。)

そんな小学生の私と先生に[ありがとう☺️]


5月8日、追加…


この世が現実か虚像か?

そんなことはもはや、どちらでもかまわない。

テレビのニュースが洗脳だとしても、.あらゆる出来事がコントロールされていたとしても、どちらでもかまわない。

私の世界は広がり続ける。

生きているかぎり。

そんなもんでしょ!

過去をふりかえると、八方塞がりのどん詰まりの頃もあったけど。

今、幸せなのだと思う。

欲望を探して追いかけて、何が何やらわからないまま悩んでいたあの頃に[ありがとう☺️]

いきがりたくてもがんばれなくなっていくようです。

もう、もどりたくてももどれない日々。

わざわざ、幸せを願うこともない日々。

肩の力をぬいて、やりすごす日々。

欲望じたいが変わってしまうのです。


幸せは追い求めるものではなく、感じるものだと思います。

みのまわりにある、あたりまえのね。

おっさんのたわごとですよ。

とにかく、生きていましょうね。


思うがままに、[ありがとう☺️]


5月9日、追加…

ある程度の年齢になると、人生経験からか、鈍感になっていくと思う。

新鮮度は薄れるが、直感がさえてくるような感じがする。

おそらく、自身の流れに抵抗しなくなるからだろう。

私が言う、いわるる[おっさんのたわごと]というやつだろうか?

それぞれのたわごとがあってよいと思う。

その人の未来からひっぱられているようなたわごと。

世の中の流れと、たとえずれていたとしてもね。

取り残された世界だとしてもね。

高齢者社会に向けて、そんなことを思う。

いろいろな問題は、そりゃ、あるけれど、

すてきな日本に[ありがとう☺️]


5月10日、追加…

趣味というものは非効率だと思う。

社会にとっては興味がなければ意味のない世界が趣味なのか?
(企業は利益がなければ価値などない世界とは反対)

趣味という生きがいとは非効率なものなのか?


私は長年、熱帯魚を飼育するのが趣味だ。
(子供の頃に家に池があったり、金魚が好きだったり、排水路のような町の小川でザリガニ等をとったりと、なぜだか、水や魚に縁があるのだ。)

ペットと美術品の中間のような世界を眺めている時間が好きだ。(育てる楽しみと観賞する楽しみ)


子供の頃から自然が好きで、田んぼのある田舎に憧れていた。

結婚して18年間あこがれの田舎で生活をした。

町のようになんでもギュト集まっていないため不便であり、人数が少ない分役割も多いが、解放感はあったと思う。(効率と機能性を求める人には不向きかな?)

そんな田舎でカエルや魚をガサガサして捕まえたり、季節ごとの行事に参加しながら子育てをした。

今の私は、町に住んでいるので、比べてみると、「町のほうがきらくかな?」と思ったりもする。(あこがれをあじわって満足したからか?)

どこに住んでいても、熱帯魚の趣味だけはやめられず、規模の大小の差はあるが続けてきた。

熱帯魚の趣味を始めた頃は、今のようにネットでの成魚の動画なんかなくて、あこがれの魚は自分で育てなければ本当の姿を味わえなかった。長い時間をかけ、手間暇をかけて結果を知ることになった。(相手は生き物なので必ず育つとは限らないし、それなりの経験によるノウハウは必要であり、生活の一部とかした。…ここが重要なのかな?)

今は検索すれば、お手軽に結果を知ることができるが、その分、自分なりに味わう楽しみは半減しているのかもしれない。
(別に便利なことが悪いわけではないよ。皆さんが同じようなことを言ってるよね。)

どんな趣味にもあてはまることのように思う。

時代はかわれど、なんだかわかないけれど、子供の頃から興味があることを大切にしましょうね。

それぞれの想いで興味の世界を育てようね。

そんな時代に[ありがとう☺️]

そして、あらたな時代に[ありがとう☺️]



5月11日、追加…

私が子供の頃、ボクサーという犬が家にいた。

2年くらいで死んでしまった。

私はずっと犬と暮らしたいと思っていたことを思い出した。

私は人間に近い動物を飼うのを避けてきた。
(時間をとられるのがめんどくさいし、自分のせいで死んだら嫌だし、飼う自信がないからだ)

去年、息子がアメリカンコッカースパニエルという犬をつれて帰ってきた。

あれから1年間。

最初はイヤイヤ世話をしていたが、散歩に爪切りにブラッシングにシャンプーにトリミングにと、毎日この犬と関わる時間が増えてきた。

犬とふれあっていると、共感力があがる気がする。

犬は最高のエンパスであり、相手の波動を返してくるように感じる。

犬は最高のメンタルトレーナーなのだろう。
(ある程度の心理学の知識は必要だと思う。)

おもいもよらない形で犬との暮らしをあじわうことができた。

最近、このように子供の頃に思っていたことが現実になることが多い。

「幸せは忘れた頃にやってくる。」と言われているが、

自身ではあまり気にもならなくなって、考えもしない頃になって幸せがやってくるようだ。
(なにも幸せ自慢をしたいわけではないのですが、こんなことがあることを伝えたいのです。)

息子と犬に[ありがとう☺️]



5月12日、追加…

心理学を学びたい人には、自身にたいして自信がなくて不安(自己肯定感が低い)があるのだと思う。(もちろん、誰かを助けたいという人もいるだろう)

わざわざ、心理学を学んだとしても、カウンセラーに向いていない人も多いと思う。

私は発達障害の子供を育てる助けとして学びだしたが、世界になじめない変わり者である自分自身のことがしりたかったのだろう。

私は心理学に興味があるが、カウンセラーには向いていないと思う。

他人に関心がもてず、自身の心情を通してしか世界を捉えられないからだ。

優しさとはなんだろうか?

アドバイスを求められたとしても、適当にごまさすか、確信を言ってしまい気まずくなるくらいだ。

相手は自身を見失い戸惑っているのだから、安心感が大切であり、さりげなく、生きる希望と勇気で導かなければいけないのだろう。

自閉症あるあるではあるのだが、そんな私だから心理学や脳科学やスピリチュアルに興味があるのだと思う。

人に何かを教える先生という人たちをみると、いつも思うのだが、どうしてそんなことができるのだろう?と感じる。(なんの目的でどんな満足があるのか?)

人間には、向き不向きがあるのだろう。

とにかく、愛の光りとは反対の自己中心の世界を生きているのだと思う。

ただ、そんな私でも、相性によっては、誰かの助けになっているようなのだ。

このような私も、やりかたが違うだけで、私なりの愛と光りにより世界と接しているのかもしれない。

比べても仕方なく、あるがまま生きることがよいのだろう。

私なりの世界を広げるのがよいのだと思う。

お互いに、足りない何かをささえあって世界は保たれているのだろうね。

こんな私でも、生きていられる世界に[ありがとう☺️]


5月13日、追加…

夜中に目が覚めて、ボンヤリと思う。

私の存在する世界には、私とその他の物事(認識する全て)が有る。

私の中の世界には、私の根源である種(魂のようなもの)と種が投影(私が認識し想い描く)する物事が有る。

全てを包み込む世界と私と私以外の存在と私の種との関係性でこの世はなりたつのだと想う。

私の投影が変化することで、この世の流れが変わる(私にとっての次元移動であるパラレル)のは、そのためなのだろう。

それを、魂の成長と言うのかはわからないが、種の認識する幅が広がったからなのだと思う。

善悪も好き嫌いも含めて、感情により視点が変わることで直感的に世界を感じるシステムだからなのか?
(今、書いている文章も私が感じる投影の一部だろう)

そこに、あらたに疑似世界である電脳空間がくわわるだけでしかない。(あらたな認識という投影)

現実の認識の問題なのか?

自然の保全のためなのか?

私たち人間の欲求の保全のためなのか?

どちらにしても、自然淘汰という、ふるいおとしはさけられないと思う。

自然淘汰のまえには自由なんてかりそめなのか?

なぜか、私の投影にゲッター線というキーワードが写る。

そんな自然に(ありがとう☺️)



5月14日、追加…

眠りと眠りのつかの間にボンヤリ

私の奥底に潜むもの

私は私を信用できない

どこかで、いつも、うたがっている私がいる

デビルマンか、ジギルとハイドか、カフカの変身か

又、そのような夢をみた

根源に常識のない私は、追い込まれたときに何をしでかすか?

すべてを捨てて衝動にまかせたい欲求

破壊神とでもいえるのか?

自身の探求の成れの果て

そちらの私は何を生み出すのか?

15才くらいから、そんな不安を時折に感じている

世の中にあわせ、一般的な共感という幸せを求める私

世の中になじめない私

私の中のもうひとつのなじめない私

これは、一般的かどうか?誰にでもおこることなのか?

私、特有なのか?

どちらにしても、ひさしぶりに感じている

年齢を重ねて、自身の安定を感じていたのだが、いまだにいるようだ

私にとって、結婚して子供をさずかったことはよかったと思う

あるいっせんを越えないで生きていられるからだ

人の親としてという強い想いがあるようだ

私の中の境界線をふみとどませる存在

親でも兄弟でもない

私の子供に[ありがとう☺️]



5月15日、追加…

若い頃にはわからなかったことがある。

知識と経験がなせる技なのか?

精神と肉体が変化したからか?

私の中のいくつもの感情を統合する存在。

次元をこえて選択の数だけ無数に散らばる私がいる。

今、ここに存在する私は、生きているだけで感謝しかないということ。

あらゆる選択が間違っていないという証明だということ。

自然淘汰とは、そういうことなのだと思う。

頭の中で妄想する、可能性の数だけ無数に散らばる平行世界。

求めるものも違えば、到達点すらも違う私がいることだろう。

いくつものカルマを背負い、浄化しながら、進む世界。

まるで、すべてをあじわおうとするかのように、貪欲な世界。

欲求は悪いわけじゃないと思う。

ひとつづつ、世界をあじわいましょうね。

別の世界で違う物語を生きる私に[ありがとう☺️]


そんなメッセージなんだと思う。

私は私の世界を生きるだけ。

それを、どうとらえるかは、私しだい。


生きていましょうね。


5月16日、追加…

人の記憶は、時とともに風化する。

デジタルの記録は、積み重なり分厚くなる。

過去の価値あるものは永遠なのか?

アートの世界は現代か過去か?

それとも、未来か?

死なない世界は変わらない。

生物は変化することに価値があるのだと思う。

人類が表現するものとは?

私は、認められた価値よりも、まだみぬ世界に価値を感じる。

私が感じている、知らない世界にね。

未来の私を信じているのだろうと思う。

そんな未来の私に[ありがとう☺️]


(過去よりも未来の自身を信じているのだろうとすると、現在の自身は慎重になるのだろう。
それくらいがちょうどよいのだと思う。
だから、私は自身を信用しておらず、よりよい未来の私になろうとするのだと思う。
おそらく、思考と直感のあいだを瞬間的に選択することで多次元とつながりあっているのではないか?と思う。…そんなことを真顔で感じている私もアホだよね。そんな私に[ありがとう☺️])


5月17日、追加…


私は自身の空間に他者を認識すると、とても気をつかう。

精神的な束縛が苦手なのだろうか?
(特に意味のわからない、感情的な他者が苦手な私なのですよね。)

種としての生物的な興味はあるようなのですが、個人の感情(生き方)に関心はないようです。

根源では他者のことなどに関心がないにも関わらず、おかしなものだと思う。
(この私の現実を納得するまでに、ずいぶんかかったのですがね)

育った環境による、生存戦略なのだと思う。
(何事もなくやりすごしたいという思いなのか?。無意識では、回り回ってお互いにかかわりあっていることを知っているからだと思う。)

できれば認識しない距離感で共存したいと感じているが、この現実では難しいことだろう。

実によくできた世界だと思う。

私の根源の反対をあじわなければ生存できない現実。

それにより、あらたな発見をして広がる世界。

そんなことを思うと、なんでも平等に交換できるお金という仕組みも、勝手にわずらわしい管理をしてくれる階級制度も、反対側からみれば、身勝手な私にとっては生きやすい仕組みだと思う。
(現在の現実世界を改革したところで同じことだと思う。まずは、自身の捉え方を生きやすいように調えることで、個人の問題はある程度は解決可能な世界だと知ることだと思う。それぞれに、要領よく生きることは大切だよね。いつの間にか、自身の生き方が現実の仕組みの中に取り込まれているにもかかわらず、誰かもわからず、あたりまえのように共有されている状態が理想的だと思う。)

自己中心的にあたりまえのように生きていられるお子様思考の私にとってはだけどね。

認識できない皆さんのおかげで私は楽に笑えるのです。

認識できない皆さんに[ありがとう☺️]


5月18日、追加…

最近、私たちのような肉体をもった意識生命体のほうが、実は例外的なのでわないのか?と思っている。

この地球という3次元に生存しているから、他を不思議に感じているが、逆だったりして?

私たちは、すべての次元に生存する私たちの分身である意識とひもづいているのではないか?

太陽と月と地球と銀河との関係性は曼陀羅ではないのか?

太陽の光りが浮かびあがらす投影なのではないのか?

太陽こそが次元のゲートであり、私たちは地球にとじこめられた新たな世界の神の根源なのではないのか?

地球は銀河の特異点であり、雛形なのか?

肉体にとじこめられた意識。

私たちは創造性をもつ生命体だからなのか?

もしも、私たち一人一人が大いなる意識(大日如来)の欠片の一部であったなら?

物質とは、ふれあい変化する。

地球とは?………未知なるカオス

地球は、ゲッター線の貯蔵庫なのか?

光り輝く夜空の星ぼしは、時空間を越えた私たちが想像した別世界の投影であり、それぞれのデータベースなのではないのか?

物質は光りを照り返して浮かびあがる。

なぜ、ここにきて、マルチユニバースが話題にあがるのだろうか?

人類のあらたな感覚とでも言うのか?

時空間をこえて、ならびたつ世界。

おかしなことを感じる私に[ありがとう☺️]

(もっと、分かりやすく伝えたいのですが、言葉をならべるほど遠ざかる感じなのです。私も、なんとなくそんな気がする程度のあやふやな感じなのです。結局、「好きなように生きればいいんじゃない」ってこと。)


5月19日、追加…

私は子供の頃から物語に入り込むのが好きだ。

仮想空間にかわりわない。

シュミレーションゲームやロールプレイングゲームに夢中になったり、本を読みまくったり、アニメを観まくったりしたものだ。

そのなかでも、映画は一番の娯楽だと思うが、もっとおもしろいことがあるようだ。

今は、自身の人生そのものに入り込んでいる。

生きているだけで、誰もがあじわえる物語。

好きなように生きましょうね。

私を楽しませてくれた、

さまざまな物語に[ありがとう☺️]

そして、これからも、よろしくお願いします。


5月20日、追加…



私は子供の頃からずっとプロレスを観ている。

なぜか、気になり観ている。

格闘技も好きだが、やはりプロレスの一部でしかないと思う。

自身の限界に立ち向かうところが好きなのかもしれない。

もしくは、さまざまな生きざまを観れるところが好きなのかもしれない。

さすがに、ガチとも信じていないが、ファンタジーとガチのはざまを感じられるところが好きなのかも?

夢中になったり、嫌気がさしたりしながらも、それでも、観てしまうプロレスに[ありがとう☺️]


スポーツを楽しめないのに、プロレスは楽しめる。そんな私はなんなのか?

ガチよりもファンタジーに魅力を感じるのはなぜか?

そこに、何かがあるのかもね。



5月21日、追加…

夜中に目が覚めてボンヤリとしている。

私たちの生きる世界。(陰陽)

無限に広がる大きな宇宙という空間(器)。(プログラミング銀河。)

私という意味づけをする肉体と感情をもつ意識生命体は可能性の進化の方向をうながす。(カオス地球。)

浮かびあがる、相対する光りと影、善悪、好き嫌い、仮想と現実、有と無、生と死。(光りをはなつ太陽。)

記録し調整する。(観測する月。)

なるほどね。十二支縁起みたい?

大きな世界は無意識(無意味)に広がり、無数に増える小さな存在が価値づけをして意味を与えることで調和を保つ。

相対する世界(価値)があるからこそ、互いになりたつのだと気づく。

現実も仮想も同じようにね。

仕組みがあるから私(私たち)が存在し、私(私たち)が存在するから仕組みがある。

大きさは問題ではない。(空の原理)

繋がりに意味がある。

「好きなように生きましょう。」

ハッとする瞬間に[ありがとう☺️]


5月22日、追加…


毎日、ありがとう日記を書いてきたが、後書きの文字制限により今回で終わりになります。

なんだか自分自身とボンヤリ向き合っていると瞑想しているように感じます。

小さな変化を見つめて感じてすごした時間。

過ぎる過去を私の未来が呼び寄せ、より良い人生を導く今を感じています。(無意識の中で、あたりまえのように選んでいるようです)

あらたな気づきとであいに[ありがとう☺️]

最後に[好きなように生きましょう✨]
































































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外伝 2015 チェンザンマイ クソヤロウのサイト編

……
今回は、チェンが14歳の頃の話しになります。

[チェンのつぶやきの話というスタイルです。]

なんだか、チェンというキャラクターを掘りさげてみたいなぁと思いまして………

よろしければ、お付き合いください!




……

━━根拠のない自信で世界を渡り歩け━━

 

 

 

俺の名前は、イップ チェン 香港産まれだ。

 

身長174cm 体重 65㎏、今年で14歳になる

 

最近の悩みは、このちっぽけな島のなかで、うだうだとやっていることだ。

 

俺には、ハルという名前の四つはなれた妹がいる。

 

今では、たったひとりの家族。

 

両親は、俺が6歳の頃に死んじまった。

 

俺の目の前で、ふたりそろって、

 

なんの前触れもなく、俺の前から消え去った。

 

いつものように、両親は車に乗り込みエンジンをかけた。

 

そのせつな、エンジン音とともに、大きな爆発音がした。

 

俺と妹はたまたま家の玄関口にいた。

 

あの時、何故か2歳の妹が泣き止まず、俺と妹は家から出るのが遅れた。

 

今だに、信じられない。

 

俺の記憶に残る、親のおもかげ。

 

あっけないものだよなぁ、

 

あまりにも、

 

突然じゃねえか?

 

死ぬことが、こんなに身近に感じちまうなんてな。

 

大人たちは、車の故障による爆発といっていたが、俺は信じねえ。

 

事故で片付けられてたまるか。

 

俺の両親は、殺されたのだ。

 

あれから、8年………犯人はどこかで、今でもノホホンと暮らしているのだ。

 

許せねぇ………忘れちまったなんて言わせねぇ。

 

あれから

 

俺の、復讐の日々が始まったのさ。

 

戦いの日々がな。

 

 

………

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

最近、サイトを作った。

 

ムシャクシャしているから、ネットにはきだすことにした。

 

これは、俺の独り言。

 

どこの馬の骨かわからない、俺の独り言。

 

べつに誰かに伝えたい訳じゃねえよ。

 

おちつかねえだけなのさ。

 

情けねえよな。

 

クソヤロウのサイトとでも呼んでくれ。

 

 

 

 

 

 

ネットになんか真実なんて、ありゃしねえ。

 

作り手の思惑があるだけだろ。

 

意図的だろうが、無意識だろうが、かわらねえよ。

 

そんなネットは、ハキダメなのさ。

 

俺のサイトもな。

 

どうせ、ひまつぶしだろ?

 

くだらねえことを、詮索なんてしないほうがいいのさ。

 

たまたまの出会いでいいのさ。

 

コメントしたけりゃ、書いてくれ。

 

基本、無視だけどな。

 

 

 

 

 

 

 

おいおい、このサイトに意味なんてありゃしねえ。

 

単なるハキダメでいいだろ。

 

なんでも、意味があるわけねえだろ。

 

頭でっかちのやつらは分析しなきゃ気がすまねえのか?

 

利口ぶったバカのコメントはいらねえぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

このさびれたかわりばえのしねえちっぽけな町がきらいだ。

 

くだらないことで、いつも争ってやがる。

 

どこを見ても、文句ばかりの情けねえやつが、他人を引きづりおろすことしか考えていないのさ。

 

そんな町で、いつまでもグダグダやってる俺もきらいだ。

 

何もかもがきらいだ。

 

 

それでも、うろつくしかないのさ。

 

やらなきゃならないことが、あったはずなのにさ?

 

そうだろ、とりかえさなくちゃならないことがあったはずなのに。

 

ちっとも、たどりつけないのさ。

 

世界は広いよな。

 

はるか向こうにいるヤツのことなどわかりはしねえよな。

 

全部、俺の勘違いの妄想だったりして。

 

親のこともな。

 

何もかも、無駄なのか?

 

夢なんて、とっくに忘れちまった。

 

復讐のはずがだぜ。

 

どうでもよくなったのかな?

 

なさけないのはどっちなんだ。

 

やりきれないから、どいつもこいつも、ぶっ飛ばした。

 

俺なりの正義でさ。

 

気にくわねえヤツらが悪いのか、それとも……

 

それでも、スッキリしねえから、うろつくしかないのさ。

 

ヨワッチイヤツラに勝ったから、どうだっていうんだ。

 

チンピラくずれのバカまるだしだろ。

 

すくいようがないぜ。

 

こんな世界、消えちまえよ!

 

ぜんぶ、消え失せろ!

 

ちっぽけな世界に、もう、うんざりなのさ。

 

 

 

 

 

 

 

なあなあ、なにをそんなに目くじらたてて怒ることがあるんだ。

 

俺がきにいらないだと。

 

俺に、一般のルールを押し付けようとしてるのか?

 

野生児の、この俺に!

 

そりゃ、あんたらが間違ってるのさ。

 

家畜のペットさんたちよ。

 

 

 

 

 

 

 

人間なんて、たいしてかわらねえよ。

 

食って動いて糞して寝るだけ。

 

たまに、セックスしてさ。

 

快楽を求めてな。

 

悪党も政治家も、そこがしれてる。

 

考えるだけ無駄なのさ。

 

感じるままに生きればいいのさ。

 

やりたいようにやればいいのさ。

 

それが、俺の生きかたなのさ。

 

俺の自由は俺のものだろ!

 

 

 

 

 

 

 

 

右向きゃ、一斉に右向くやつら。

 

俺はへそ曲がりだからさ、逆をいくぜ。

 

やつらの流れの逆をな。

 

誰も行かない方向のほうが、ワクワクしないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

年がかわる。

 

新しい年だからといって、何がかわるというんだい?

 

お前は何か変わったのか?

 

俺は、背がすこしばかりのびたくらいさ。

 

 

 

 

 

 

 

おいおい、また、お前か?

 

[だあね]さんよ。

 

あきもせず、毎日、コメントしてくるよな?

 

ひまなのかよ?

 

それとも、俺に興味でもあるのか?

 

俺は気まぐれだからよ。

 

書きたいときしか書かないぜ。

 

 

そういや、今日は1月26日だったな。

 

俺も15になったということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうやら、俺は、強いらしいぜ。

 

誰かに教わったわけじゃないけどな。

 

勝手に、体が動くんだ。

 

他のやつらが、弱すぎるだけなんじゃねえの?

 

 

 

 

 

 

 

 

俺にだって、かなわない人がいたさ。

 

まだ、俺がチビでガキだった頃に、近所にじいさんがいたんだ。

 

そのじいさんは、けっして攻撃してこなかったけどな。

 

俺の攻撃が、まるできかなくて、うけながされたのさ。

 

じいさんには、左手の指が、親指しかなかったのにさ。

 

どうみたって、よぽよぽのじじいで、殺気なんてなくてさ。

 

あれが、達人というヤツなんだと思うぜ。

 

なにごとも、力まかせはダメなんだよな。

 

[力むな!]と、いつも言ってたぜ。

 

 

いつのまにか、いなくなっちまったけどな。

 

今は、天国にでもいるのかな?

 

 

 

 

 

 

じいさんがさ、[考えるな、感じろ!]と言ってたけど、どういうことか教えてくれなかったな。

 

 

 

 

 

 

愛だの恋だの、俺に聞くなよ。

 

 

知らねえよ、、、そんなこと

 

 

 

 

 

 

好きなものには、無抵抗になるものさ。

 

心を奪われたほうがしかたないのさ。

 

 

 

 

 

 

年上の素敵な人が、いっちまったよ。

 

とても世話になったんだ。

 

はじめての人なのにさ。

 

せつないよな。

 

世の中、どうにもならないことがあるんだよな。

 

 

 

 

 

 

ガキは、いつでも夢見がちなものさ。

 

どうせ見るなら、誰も思いつかない夢を見たいよな。

 

中途半端なやつらの理屈をぶっとばそうぜ。

 

 

 

 

 

 

それは、お前の都合だろ。俺の知ったこっちゃねえぜ。

 

 

 

 

 

 

そりゃ、おだてられれば、気持ちいいよな。

 

俺にも仲間がいた頃もあったさ。

 

勝手にについてきて、[あんたはかわった!]とかぬかしやがる。

 

俺は、もとからこのままだぜ。

 

やりたいようにやってるだけだぜ。

 

どこへでも、いっちまえよな。

 

誰もひきとめやしないさ。

 

誰も、恨みやしないさ。

 

 

他人なんて、そんなものさ。

 

 

すこしばかり強いからといって、かつぎあげられて、猿山の大将きどりのバカなのさ。

 

強さなんてたいしたことじゃないのにな。

 

この島で最強だから、なんだってできると思ってさ。

 

思い通りと、満足は違うのさ。

 

愛だの夢だの真に受けて、バカだせ。

 

なのん理想だってんだ。

 

誰も、うかばれねえよ。

 

みんな、好きなように勝手に生きればいいんじゃねえか。

 

バラバラがいいんじゃねえか?

 

やりたいようにさ。

 

俺を利用するんじゃねえぜ。

 

困ったときだけさ。

 

優しさの利用料は高くつくぜ。

 

だからさ、オサラバなのさ。

 

何もかもにさ。

 

 

俺は、いくぜ!

 

 

未知なる世界にさ。

 

 

誰も俺をとめられないだろ。

 

俺、自身ですらさ。

 

 

そうだぜ、一番わからねえのは、自分自身なのさ。

 

だから、退屈しなくていいのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は、もとから独りだから、孤独なんてなれっこさ。

 

教会のおっさんやおばさんには感謝してるけどな。

 

妹のことを押し付けて、兄貴なんて言えないよな。

 

俺にとって、家族なんて足かせでしかねえぜ。

 

だから、出ていくのさ。

 

かわりばえのしない俺自身を見つけるためにな。

 

まわりのやつらは、バカだと言う。

 

バカでもなんでもかまわねえや。

 

動き出したらとまらないぜ。

 

俺の、魂が求めているからな。

 

 

 

 

 

なに言ってんだ。

 

自分が正しいかわからないだって?

 

お前さ、自分の正しさがあるってことは、相手の正しさを否定するということだろ。

 

それぞれの正しさを生きればいいだけなんじゃないの?

 

それとも、自分だけごまかして生きれるのかよ?

 

考えるまでもないことだろ。

 

 

 

 

 

やりたいことがないヤツほど、他人が気になんじゃねえの?

 

 

 

 

 

やりたいことをしろよ!

 

 

 

 

 

 

あんだろうが、お前にもさ?

 

 

 

 

 

 

他人の気持ちがわかなくたって、生きていけると思うぜ。

 

 

 

 

 

いつだって、俺は俺の味方だぜ。

 

お前は、違うのか?

 

 

 

 

 

 

 

無理してまで、大人になんかならなくたっていいんじゃねえか?

 

そんなまねごとするまえに、自分で生きてみろよ!

 

 

 

 

 

 

今日は、やけにクソがでやがる。

 

お前、ちゃんと飯、食ってるか?

 

食って、遊んで、クソして、寝るのが、元気の秘結だとじいさんが言ってたぜ。

 

悩むまえに、飯を食え!

 

 

 

 

争いに意味などあるわけないだろ。

 

表がありゃ裏がある。

 

生き残りなのさ。

 

弱いヤツほど争うものさ。

 

 

 

 

 

 

どこぞのペテン師が、[自分に正直にありのまま]なんて言いやがる。

 

なにを、知っているっていうんだ。

 

ぜんぶ、ひっくるめて俺だろ。

 

都合のいいヤツほど、きれいごとをならべるものさ。

 

言われるまでもねえよ。

 

やりたいようにやるだけさ!

 

そのさきに、見えるものがあるんじゃないのかい?

 

俺の未来がな。

 

後悔できるほど、しあわせなことはねえんじゃねえか。

 

だってよ、、、まだ、生きているということだろ。

 

 

 

 

 

 

 

あぁ、そうだよな、。みんな生きるために必死なのさ。

 

シンプルだろ。

 

グダグダいうから、おかしくなるんじゃねえか?

 

それぐらい、ゆるしてやれよ。

 

俺には、関係ない話だけどな。

 

 

お前ら、いつになったら、気づくんだい。

 

 

さっさっと、次にいこうぜ!

 

 

 

 

 

 

 

 

何に、とらわれているのか?

 

忘れちまった、なにか。

 

なにかが、いつも、ひっかかる。

 

俺の根源のような、なにかがな?

 

俺をつなぎとめる、なにかがな。

 

おかしなものだよな。

 

わらっちまうぜ…まったくよ。

 

 

 

 

 

 

 

頭が良いのもかんがえようだぜ。

 

何でも知ってるヤツがすごいのか?

 

生き方すら知らないくせによ。

 

 

 

 

 

 

 

みんな、ネットの奴隷じゃねえのか?

 

そういう、俺もだけどな。

 

養分を吸いとられないように、ほどほどにしようぜ。

 

 

 

 

 

 

 

新しい世界には、新しい生き方が必要だろ?

 

お前の時代が始まったのかもよ?

 

 

 

 

 

 

つくづく、うかばれねえよな……祈ってやるよ。

 

 

 

 

 

 

今日さ、変なヤツからコメントがきてさ、俺の体を調べたいというんだ。

 

 

どう思う?

 

 

 

 

 

またきてるよ、しつこいぜ!

 

 

 

 

 

 

あまりにしつこくて仕方ねえから、調べさせてやった。

 

どうやら、俺の強さは異常らしいぜ。

 

特別って、なんなんだよ。

 

 

 

 

 

 

アメリカに行くことにしたから、これで、この[クソヤロウのサイト]も最後だぜ。

 

どこの誰だかしらねえけど、[だあね]さん。…………ありがとよ!

 

好きなように生きろ!

 

じゃあな!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




……
新しい文章をかきたい。

新しいスタイルで。

たまたまできたのですがね。

1年以上の未完成だった、書きかけの話があったから。

書けて良かったと思うのです。

ひっかかりがとれた感じ。

チェンというキャラに救われたような感じがします。

やる気、勇気、元気の人ですからね。

私のなかにも少しはあるようです。

流れにまかせて淡々と生きるのが、私の生き方なのですが、奮起しなければならないときもありますからね。


破壊、維持、再生というやつなのかな?


とりあえず、復活ということです。


好きなように生きましょう✨


皆さま、ありがとう☺️




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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて! その⑰ なりゆきまかせ



皆さま、お久しぶりです。

半年ほど、軽い鬱だったようです。

世の中は騒がしく、私の心をかきみだしていたようです。

その間に感じたことをまとめてみたいと思います。

今回は、そんな感じの文章なのです。




 

「時代が変われど、本質は変わらない」

 

うわさばなしがふきあれる。

 

週刊誌のゴシップからネットによるSNSにメディアが移っただけなのかな?

 

一部の人々だった噂話が拡散される時代。

 

洗脳という、情報戦の時代。

 

誰も気づかないうちに操られる無意識の時代。

 

顕在意識と潜在意識は摩擦をおこす。

 

疲れはてた意識は思考能力を失くしていく。

 

世間様にしたがうようにね。

 

 

いったい、誰がしかけているのだろうか?

 

どこのどいつなのだろうか?

 

みえないやつら!

 

いつの時代もかわらないのだと思うのよね。

 

 

だから、私のようなタイプはとじこもり、軽い鬱になってしまうのだと思う。

 

 

「しらねえよ!そんなこと!」と思えるタイプになれたらいいのになっと感じる私なのです。(そんなことさえも気にならないほどに、どんどん、近づいているようなのですがね。)

 

 

 

 

 

[生き方の習慣を変えただけでは、慣れしたしんだ思考癖は変えられない?]

 

あれこれ書いても伝わらないと思う。

 

とにかく、生き方の習慣を変えることで思考は変わるが、その人が生きてきた歳月がながいほどに、思考癖がかわるまでに時間がかかるということ。(これが洗脳ということだと思うのですが、洗脳という洗脳という何十にも重ねられた思考癖があるように思う。)

 

そんなことを感じたのですよね。

 

 

…思考癖とは、生まれた時代に適応することなので悪いことではないかと思うのですが、時代の変化や役割の前提の変わる節目にその人があたったならば、とてつもない意識の葛藤が起きるのではないかと思うのです。…

 

 

 

[なりゆきまかせほど難しい?]

 

現代人にとって、計画をしないで生きることほど難しいことはないのではないのか?

 

私の生き方が、「なりゆきまかせ」に近づくほどに感じてしまうのですよね。

 

忙しく生きたい他人様にとっては、「大きなお世話」と言われればそれまでなのだが、誰もが計画的に生きているように思う。

 

私が、「何十年も同じ会社で勤めることほど難しいことはない」(どこかに所属することを嫌う私だからか?)と感じるように、「なりゆきまかせに生きることほど難しいことはない」(目的に向かって計画して生きることに意味をもつからか?)と感じる人が多い時代なのかもしれない。

 

歳をとるにつれ「なりゆきまかせの適当ないいかげん人間」になっていく私がいる、

 

計画的に生きなければ、この時代は生き残れないのか?

 

毎日が忙しく、やることが山積みでなければ生き残れないのか?

 

私には、わからないままなのだ。

 

私にも、長年生きてきたので、常識としてなら、「そうだよな」と思えるのだが、私の心の声(本質としての感性)は今だにわからないままなのだ。

 

この年齢になる以前の若い頃は、なりすまして生きることを無意識に心がけていたように思う。

 

めんどくさい争いが嫌いな私だからか?

 

それとも、私なりの生存方法なのか?

 

世界様の常識の範囲の中で、最低限の関わりを演じてきたように思う。

 

今になって思うのだが、つくづく、生まれもった感性というものは変わらないのかもしれない。

 

どんどん、ありのままの感性に抵抗しなくなっていく私がそこにいるのだ。

 

たいがいの役割をおえて、無責任でも生きれる年齢になったからかもしれない。

 

あれほどに、周りを気にしていた私だったのに、世間知らずでかまわないと、心の底から感じている私がいるのだ。

 

これが、「歳をとる」ということなのか?

 

それでも、今までにさんざん、やりすごす生き方をしてきたせいか(あたりさわりのない人間関係をしてきたおかげなのか?)、自然と世の中に適応しているようなのだ。

 

世間様という、計画された情報空間があるだけなのだと思う。

 

内と外が同等な価値をもつ。(中庸思想)

 

私なりのつきあいかたではあるけれどね。

 

こんな生き方は、例外であり、少数派であろう。

 

これが、私なりの「なれのはて」なのだ。

 

連続する瞬間が生きることなんじゃないのか?

 

はたして、今、思考しているのは、私なのか?

 

人生になんて、意味はないよ…生きて死ぬことに意味があるんじゃないのかな?

 

自由なんて、追い求めるものじゃないよ。

 

自分なんて探すものじゃないよ。

 

そぎおとされた、なれのはての存在。

 

それは、善も悪もないよ。

 

それは、幸せも不幸もないよ。

 

それは、好きも嫌いもないよ。

 

ただ、なんとなく、流れる世界。

 

太陽がまわる世界。

 

忙しくても有り。

 

気ままでも有り。

 

おもしろいよね。

 

違った世界。

 

それぞれの世界。

 

なんだか、別の次元に私の本質がいるように感じてしまうのよね。

 

そんなことを感じて生きています。

 

おかげさま。

 

ありがとう。

 

 

 

 





最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

内容のない無意味な文章ですよね。

[おっさんのたわごと]というヤツです。

だけれど、本来は、そんなものほど真実を投影しているのかもしれません。(その人にとっての真実ですがね)

皆さま、ほどほどに生きましょうね。

それでは、また会う日まで、さようなら。



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外伝 夢なりし B Ⅱ ㊤



皆さま、お久しぶりです。

今回のお話は、以前に書きました、[夢なりしB]の世界観と共有しております。

本編のバーカーというキャラが小説として書いた設定であります。

他にも、バーカー作による[Bシリーズ]がいろいろありますので、読んでいただけると嬉しく思います。


今回の話しは、あくまでも私の妄想であり創造的なものです、実在の名称や出来事とは一切の関係はございません。




砂浜で戯れる親子の向こうになにを見るのか?

 

さざ波がここちよい。

 

打ち寄せてはひく波が潮風をはこぶ。

 

一定のリズムをかなで私をいざなう。

 

どこを見るわけでもなく、焦点の定まらないままボンヤリとしている。

 

無情の彼方に繋がるような。

 

途方にくれる私を呼ぶ声がする。

 

「おじさん、だいじょうぶ?」

 

小さな男の子が私を見上げている。

 

「あぁ、大丈夫だよ。……ボウヤは幸せかい?」

 

私は子供にかたりかける。

 

「うん、お母さんがいるからね。」

 

男の子は満面の笑顔で母親の手をにぎりながら答える。

 

それを見て、母親もにっこりと微笑む。

 

「たしかに、これくらいの子供にとっては母親が世界の大半をしめるのかもしれない?」

 

私は、ひとりうなずくのである。

 

 

母親が私の顔を見つめる。

 

「あなたは不思議な顔をされてますね?」

 

母親が私の顔を見ながらたずねる。

 

「不思議とは?何か変ですか?」

 

私はたずねかえす。

 

「いえ、赤い髪に青い肌でゴールドの瞳、アニメのコスプレのようだな?と思いましてね。」

 

母親が笑いながら言う。

 

「あ、そうだった。…私は普通とは違うのでした。」

 

私は、前回とは違い、今回は記憶があることを認識しながら言った。

 

前回の時代の来訪での記憶は、西洋思想と東洋思想が戦争をして、東洋思想が勝利したのだった。

私は、東洋思想がわと最初に出会い、東洋思想がわに思い入れをしていたために、そのあと、東洋思想が西洋思想に袋叩きをくらって負けたことで孤立してしまったことを、この母親から聞いて我を忘れていたのだった。

それは100年以上前の出来事であるのだが、負けたのに幸せという母親に、私はとまどいを感じているようなのだ。

 

 

「普通とは違うとは?………まさか、宇宙人だったりして?……それとも、悪魔かなにか?」

 

母親が探り探り聞く。

 

「うーん、どちらかというと、宇宙人に近いかと思います。」

 

私は真顔でこたえる。

 

「うそ、ほんとに!……タックン、このおじさん、宇宙人なんだって。私、宇宙人、初めて見たわ。」

 

母親はうれしそうに子供に話す。

 

「お母さん、宇宙人ってなぁに?」

 

タックンが聞く。

 

「宇宙人はね、私たちとは違う世界から来た人たちで、不思議な力がつかえるのよね、いないっていう人もいるくらいに、とても珍しい人たちなのよ。もちろん、私はいると信じていたわよ。」

 

母親がこたえる。

 

「ふーん、宇宙人、すごいね。…おじさん、なんかやってよ?」

 

タックンが言う。

 

「坊やはタックンというのか。………タックンには悪いが、おじさんには特別な力なんてないんだよ、何もできないからね。」

 

私は、特殊能力をつかさどるひたいの紋章がなくなっていることを認識し、特別な力がつかえなくなっていることに気づく。

どうやら、この星の監視者としての力は封印されてしまったようだ。

 

今回の時代の来訪では、記憶は残されているが能力は使えないようである。

私は、この星の監視者として、次元の狭間にある場所から定期的にあらゆる時代に派遣される役目なのだ。

この星の、より良い進化をうながす監視者としてである。

 

全体は細部に宿り、細部は全体に宿る。

世界は螺旋に広がり続けることで産みだされる。

この流れをとざさないことが使命。

私は、目であり五感であり、バランスをとる者なのだ。

 

忘れてならないのは、あくまでも私は感覚器かんでしかなく、主体はこの星がおりなす自然(法則)であるということである。

 

そう、この星こそが、宇宙の中心であり、あらゆる世界をソウゾウする根元なのだ。

 

どうやら、私が送り込まれる時空間に重要な情報があるようで、世界線の変換ポイントなのだろう。

 

この星の可能性とは何か?……新たな世界観を産み出す進化とは何か?

 

それこそ、明確な答えなどあるわけないだろうが、森羅万象、自然発生的に芽生える世界がこの星にはあるのだろう。

 

 

 

私は母親に向き合う。

 

「よろしければ、もう少し、くわしくあなたの幸せな生活というものを教えてくれませんか?」

 

私はたりない何かを知ろうと問いかける。

 

「えぇ、いいわよ。……なんだったら、家にこない?……見たほうがはやいと思うわよ。」

 

母親が笑いながら言う。

 

私は母親に連れられて砂浜を後にする。

 

しばらく歩くとバス停に出る。

 

「もうすぐ、バスが来るから待っててね。」

 

母親がタックンに笑いながら言う。

 

「あなたは、マイカーを持たないのですか?」

 

私は母親にたずねる。

 

「私たちにはマイカーは必要ないのよ。……不便はないわよ。ここのバスは15分ごとに通るから、大丈夫なのよ。」

 

母親がこたえる。

 

「急ぎの用事のときはどうするのですか?」

 

私は疑問に思いたずねる。

 

「あせることなんてないわよ。基本的に、誰もがのんびりなのよ。……どうしてもってときは、スマホで呼べば無人の救急車が来てくれるけどね。」

 

母親はこたえる。

 

「お母さん、バスが来たよ!」

 

タックンが、バスを指差して言う。

 

ほとんど音もせずに、私の前に50人ほど乗れそうなバスが停車した。

 

「さぁ、乗りましょうね。」

 

タックンを先頭に私たちがバスに乗ると、すでに10人くらいの人が乗っていた。

 

「お母さん、運転手さんしてもいい?」

 

タックンは空いている運転席に座りながら言う。

 

「良かったわね、空いてて。…いいわよ。」

 

母親は毎度のことのように言う。

 

「あぁ、大丈夫よ!このバスも自動運転だから。…ハンドルとメガネに写る画像で運転ゲームしてるのよ。」

 

母親はタックンにメガネをかけてあげながら話す。

 

「そうなんですか。……のどかですね。」

 

私は楽しそうなタックンを見ながら言う。

 

「宇宙人さん、ここに座りましょう!」

 

母親は運転席の後ろにある二人がけの席に座り、となりの席をたたきながら言う。

 

「あなたの家は、遠いのですか?」

 

私は母親のとなりに座りながら言う。

 

「近いわよ。次の次のバス停だから、8分くらいかな?。」

 

母親が流れる景色を眺めながら言う。

 

道路を進むほどに、道路に横道が増えていき住宅が建っている。

 

どの住宅にも、車はなくて家の周りに畑や果樹がある。

 

「どの家でも、家庭菜園をしているようですね。」

 

私は母親にたずねる。

 

「そうよ、家族分くらいの果物や野菜は自分でつくるのが私たちの文化なの。……主食のお米や大豆は共同体の農作地でほとんど無人でつくられるから心配ないけどね。……それでも、村単位で共有して田んぼをおこしてお米をつくるほど、私たちはお米を食べるのもつくるのも好きなのよね。」

 

道路に平行して歩行路と自転車路があり、まばらに通行している。

 

反対車線をバスが通りすぎたのと、窓のない四角い車と何台かすれちがったくらいだった。

 

「本当にマイカーが走っていないですね。……あの四角い車はなんですか?」

 

私は母親にたずねる。

 

「あぁ、あれは荷物を配達する無人車よ。……注文した商品やお届け物などを配達しているのよ。」

 

母親がバス停から乗り降りする人たちを見ながらこたえる。

 

「あなたたちは、店に行って買い物はしないのですか?」

 

私は公園のような広場のバス停を見ながら母親にたずねる。

 

「たまにはあるわよ!…それぞれのバス停は村の中心にになっていてね、公民館と小さな店がある公園になっているの。大きなお店じたいが少ないし、どちらかというと個人でつくった娯楽品や生活用品とか、農作物や海でとった魚とかの交換所のほうがおおいかな?……個人ではつくれない、家電などの必要な物はネットで注文すれば配達してくれるし、私たちは日常の生活品があれば満足なのよ。」

 

母親がこたえる。

 

「物々交換みたいなことですか?……あなたたちには、お金というものはないのですか?」

 

私は母親にたずねる。

 

「お金は西洋では、今でもまだあるらしいけど、私たちはポイントギフト券のような、毎月もらえる期限つきの交換ポイントがあるのよ。……まぁ、大きなくくりでとらえたら、それもお金と言えなくもないけどね。」

 

母親がこたえる。

 

「そのポイントはどこからもらえるのですか?」

 

私は母親にたずねる。

 

「私たちは、村単位で、それぞれの自自体に属しているのよ。だいたい、バスの周回している範囲だけどね。……それらの自自体が集まったのが州で、その州が集まったのが連邦国なの。……ポイントは大元の連邦国からもらえるのよ。……それぞれの州には特徴があってね。……農業が得意なところもあれば、工業が得意なところもあるのよね。……誰もが自分の得意なことで自分の意志での世の中と、かかわっているの。……だから、私たちの生活は、ほとんど国内の商品でまかなっているのよ。……さぁ、着いたわ、ここで降りるわよ。」

 

母親が、タックンに声かけをしながらこたえる。

 

私たちは、バスを降りた。

 

「私の家は、バス停のまん前なの。…あの家よ!」

 

母親が100メートルほど向こうの家を指差しながら言う。

 

いつものことなのか、タックンはひとりで先に家の玄関へ走っていく。

 

「じいちゃん、ただいま!」

 

タックンが元気に言うと、玄関を開けて大柄の男が出てきた。

 

 

 

 

大柄の男は青い瞳と白い肌をしていた。

 

大柄の男は年齢のわりに岩の塊のような体つきをしていた。

 

「おかえり、タックン。」

 

大柄の男が微笑みながら言う。

 

 

 

私は大柄の男に近よりペコリとお辞儀をする。

 

大柄の男も同時にペコリとお辞儀を返す。

 

はじめて会ったにもかかわらず、二人の間の意識が共有したかのように感じてならない。

 

「あなたは………Bさん!」

 

大柄の男の顔つきがかわり、思いもよらない言葉がもれる。

 

「確かに、私はBだ。……なぜ、あなたが知っている?」

 

私もおどろきを隠せず、顔つきがかわりながら言う。

 

「あなたの写真があるからです。私の祖父から聴いていたのです。あなたが勝利をもたらしたとね。…しかし、何十年も前の話しですよ。」

 

大柄の男が不思議そうに話す。

 

横で私と大柄の男の話しを聴いていた母親が笑いながら言う。

 

「あら、そういうことなのね。……おじいさん、この人は宇宙人なのよ。過去からきたんだって。」

 

私と大柄の男の顔つきが、母親につられたかのようにやわらいだ。

 

「あぁ、そうか!」

 

3人は笑い声を上げてみつめあった。

 

「さぁ、Bさん…中へどうぞ。」

 

私は、おじいさんにまねかれて家に上がった。

 

おじいさんはテーブルをはさんで座ります。

 

 

私が座ると、おじいさんが話しだします。

 

 

「ほんの20年も前くらいまで、この世界にも戦争のようなイザコザがあったのだけれどね。……今は平和なんだよ。……西洋思想は何百年もかけて世界に契約をもたらしたからね。」

 

「テクノロジーの進歩も貢献したが、なによりも、彼らの計画の実行力なんだよ。」

 

「たしかに、一時はこの国も支配されかけたけれどね。…この国には脈々と続く文化があったのだよね。…彼らには真似できないものがね。」

 

「彼らは、それを取り込み、利用したほうが得策と考えたようでね。」

 

「彼ら西洋思想は、管理者なのだよ。人類を維持するためのね。…だけど、根本的なことが抜けていたんだね。」

 

「彼らだけではなし得ないことをさとったようでね。」

 

「彼らは、計画し実行することにはたけていた。……子々孫々と目的に向かって階級をつくり組織を運営することにね。」

 

「お金という価値観も、株式会社という仕組みも、資本主義も組織を運営するためにあるのかな?」

 

「世界中が経済で繋がるほどにお互いは絡み合い、結果的に戦争は不利益しかうまないことも幸いなったようでね。」

 

 

 

「世の中は循環だよ。物の循環、情報の循環、。人々が動くことで産まれる循環があるからね。誰かが流した行為が誰かの生きる糧になればいいよね。」

 

 

 

「今して思えば、彼ら西洋思想の言い分もわからなくないよ。……あのまま無計画に人類が好き放題に増えていけば、いずれは自滅しただろうからね。」

 

「互いに生き残るためには、テクノロジーの発達とお互いの思想の融合の時間が必要だったのかな?」

 

 

「この時代は選択の時代だよ。それぞれがそれぞれの現実を生きていてね。人によって、世界観がさまざまなのです。同じ町に住んでいたとしてもね。……それほどまでに、個人の格差は開き、世界を共有できなくなってしまった社会に、世間というグローバル思想は契約をもとに結ばれました。」

 

「個人の自由は限定的に選択できます。しかし、社会の取り決めは強固であり守らなければなりません。……ですから、自由といっても個人的な思想の範囲内なのだよ」

 

 

「個人は幻想に生きているのかもしれませんね。…この時代の現実とは、世間という計画された情報による社会なのだよ。」

 

 

「私たちは、二重世界に生きているのですね。…ことなる現実を受け入れながらね。」

 

 

「この国にも、都市部と地方の格差はありますが、世界的にみれば少ないほうですがね。」

 

 

「この国には、多用な自然がありました。……それは、人がコントロールできないほどの自然だった。」

 

「大勢の人がなくなりました。…大勢の人が生かされました。」

 

「結局は、わかりません!……善いか悪いかは捉え方しだいです。」

 

 

「だからこそ、私たちはこの町に住んでいるのです。…なるべく、自然を感じながら命を繋いで生きていくためにね。」

 

 

 

「私には、西洋のような神はわかりません。」

 

「私にとって、絶対的なものがあるとするならば、万物を有する流れである自然なのだと思います。」

 

「もちろん、西洋も東洋も私もあなたも、なにもかもだよ。」

 

 

「Bさんが聴きたいことは、こんなことではないかね。」

 

話し終えると、おじいさんは深くため息をつき微笑みながら、わたしを見つめています。

 

 

「ありがとうございます。……この話しを聴くためにこの場所にきたような気がします。」

 

私は微笑み返しながら言う。

 

「あ、Bさん、光ってるよ!」

 

以前のように、私の体を光りが包み込み、私は別の空間に飛ばされるのだった。

 

「またか……」

 

 

 

続く…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






読んでくださりありがとうございます。

後半のおじいさんの話しは、描きたいことを話すだけという一方的な文章になってしまいました。(なんだか、まとめることにつかれたみたいなのです。)

日本の文化のなかに、サトリという思想がありまして、[お互いの差をとる]ことなのです。

サトリとは差取りであり悟り。

古来より続く陰陽道の[間取り]という術だそうです。

それは、人のような生物だけでなく、あらゆる物質、あらるる情報を繋げる技だそうです。

詳しく知りたい方は、[保江邦夫さんの意識の間術を学ぶ]という動画を御覧ください。

それぞれの自然を大切にしましょうね。

それでは、

次回、後編で会いましょう。



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外伝 夢なりし B Ⅱ ㊥



そこには、上も下もない。

左も右もない。

前も後ろもない。

そんな場に

ポカリとあらわれた小さな存在。

何者でもなく、何物でもなりうる存在。

境界が生まれた。

内と外。

光と闇。

互いに影響する世界。


始まりか終りか?

意味づけしあう世界。






 

場があるから存在したのか?

 

存在したから場があるのか?

 

 

言葉とはなにか?

 

意味づけしあうもの。

 

意識とはなにか?

 

感覚と思考。

 

どちらが先か後か?

 

同時に発生するもの。

 

表裏一体。

 

量子と同じようなもの。

 

未確定であり、確定されしもの。

 

 

空に

 

 

 

何かが、芽生えた!

 

 

 

器という仕組みが生まれた。

 

同時に、私が宿った。

 

 

私は、B。

 

 

世界が広がっていく。

 

私が確定するほど、世界は広がっていく。

 

 

まるで、はじめから、そこに有ったかのように。

 

 

 

私という存在が仕組みにより動きまわる。

 

無数にうごめく別の存在に出合い取り込む。

 

ひとつに集まり団子状になり塊とかす。

 

塊という存在が仕組みとなり動きまわる。

 

 

世界は広がっていく。

 

仕組みという法則からは、逃れられない。

 

ただ、あるというだけのことでしかない、

 

それが、生きるということなのかもしれない。

 

 

魂なのかもしれない。

 

 

私がぞくする魂なのかもしれない。

 

 

場と私は同一なのかもしれない。

 

 

それを確かめるためにあるのかもしれない。

 

 

それぞれの存在理由を意味づけしながら生きているのかもしれない。

 

とにかく、肉体という不自由な器に閉じ込められることから始まるのだろう。

 

どこにいても、私というクサリにつながれながら。

 

自我という過去にしばられながら。

 

 

現実が始まる。

 

 

…………………

……………

………

 

地球の軌道上をまわり、

 

 

 

宇宙に浮かぶ部屋の中、

 

 

 

部屋の中央には唯一の家具なのか?、私の前に透明な棺[ヒツギ]が置いてある。

 

 

 

棺を除くと、不思議なことに私が寝そべっている。

 

より本質であり純粋な私であるマスターが寝ている。

 

私が動きまわり調査する者であるなら、マスターは記録し保管する者であり、太陽系の星ぼしと繋がっている。

 

 

 

窓がある。

 

地球が見える。

 

ぼんやりと私の視界に映っている。

 

「また、戻ったのか!………ここに。」

 

私は、次元の狭間にうかぶ場所にいた。

 

「さきほどまで、あそこにいたのだな。」

 

「彼らは現実という現状を維持しようと変化したのだろうか?」

 

「地球という器の法則にしたがい。」

 

「それも、有りかもしれない?」

 

「たえきれないものたちは、いずれは飛び出すだろう。」

 

「形なき感覚は器の法則では押さえ込めないだろう。」

 

「あらたな世界を目指して変化するのだろう。」

 

「はみだしものは、いつも、あらわれるものさ。」

 

 

 

私は、ひとりつぶやき、ぼんやりとしている。

 

 

 

「記憶があるというのも、考えものだな。」

 

「なにかに思い入れをもってしてしまう。」

 

「思考の器とでもいうのか?」

 

「現状を維持することに固執してしまう。」

 

「だから、世代ごとに前提の違いがうまれるのかもしれない?」

 

「いつか、誰もが、本質的な自身のまま生きれる世界は訪れるのだろうか?」

 

「自由すら忘れてしまうほどに、あたりまえに生きれる世界。」

 

「言葉にたよらない感覚的な世界。」

 

「感じた瞬間に生まれては消える世界。」

 

「しかし、なにもかもが仕組みとかす、現実という、この形ある次元の世界で可能なのか?」

 

「だからこそ、変化もするのだろうが……あらがい、抵抗し、変化する。」

 

「役割を交代しながら、あじわいながら。」

 

 

たそがれる私の体が光りに包まれる。

 

 

「しょせん、私もかごの中のとりか。………こんどは、どこに飛ばされるやら?」

 

 

 

 

続く…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






インターミッションですね。

読んでいただき、ありがとうございます。

次回、㊦でお会いしましょう。



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外伝 夢なりし B Ⅱ ㊦



意味づけするものよ。

意味があるから世界が生まれるのか?

世界があるから意味が生まれたのか?

それ以前より、ただ漂うものたち。

意味以前の存在。

種なる存在。

すべては、流れのままに。

限界を超えた世界の先へ。

芽生えの世界。




 

……

 

………

 

 

 

そこは、岩石と金属に囲まれた世界だった。

 

無機質な殺風景な世界だった。

 

 

私は、B!

 

名前以外は自分の存在がわからない。

 

なぜ、此処にいるのか?

 

とりあえず、うろつくことにした。

 

 

静寂、変わらない世界。

 

何億年も前から、ずっとそこに有ったかのような世界。

 

生物の息吹の気配が感じられない、まるで、死んだような世界だった。

 

それでも、うろつくしかない。

 

 

この世界で動いているのは私だけなのか?

 

体は疲れはて、鈍くなっていく。

 

目的もないままに、さまよいまわる。

 

変わらない世界は、うぱっていく。

 

なにもかもだ。

 

私の意識すら、うばっていく。

 

私も、岩石となり固まるのだろうか。

 

それとも、砕けてチリとかすのか。

 

とぎれる意識の合間にかいまみるものは、現実か幻想か?

 

「…コッチヘコイ…」となにかが潜り込んでくる。

 

私を呼ぶものは誰だ。

 

呼ぶ気配の方へ進んでいくと、異形の岩石がチラホラとあらわれだす。

 

なにかの生き物のような姿をもした岩石の間をすり抜けていく。

 

しだいに岩石は見慣れた形のものがふえていき、今にも動き始めそうな錯覚さえ感じる。

 

人形の岩石の前にたちどまる。

 

「コッチジャ、生き物の息吹を感じるのはいつ時いらいか。」

 

どうやら、この岩石から聴こえているようだ。

 

「あなたは何者だ!」

 

私は、とまどいながら話す。

 

「それは、こちらも同じじゃよ。……おまえはだれじゃ。」

 

「私はB!…名前以外はわからない。」

 

「ほう、さまよい人か。…こまりもんじゃな。」

 

「ここは、どこなのか?…教えてください。」

 

「どこってな……元じゃよ。」

 

「元って!……なんです?」

 

 

「だからな、元はもとでな。…わからんかな。」

 

「………なにかのもとがある場所なのですか?」

 

「そうそう、だから元じゃろ。形の元じゃ。」

 

「あの岩石のことですか?」

 

「おぉ、さっしがいいな。……おまえさんも、そのままさまよっていたら、そのうちに元になるじゃろうな。」

 

「で、あなたは何者なのですか?」

 

「ワシ…ワシは管理人じゃよ。」

 

「管理人って、人形の岩石にしか見えませんが?」

 

「そのとおり、おまえさんが見ているのは人形の岩石じゃけどな。……たまたま、この岩石ごしに話しているだけで、ワシは形なき存在じゃ。」

 

「それでは、どこにいるのですか?」

 

「ワシにもわからん。……どこにでもいるし、どこにでもいないし、おまえさんに似た岩石をえらんだだけじゃ。……そっちのほうが、話しやすいじょろ。」

 

「そうなんですか?」

 

「どうじゃろ?……そんなものじゃろ、きっと?」

 

「適当なんですね。」

 

「テキトウって?……ずっと独りじゃし、なんとなくじゃしな?」

 

「結局、お互いによくわからないということですね。」

 

「わかる、わからないは、そんなに重要なのか?」

 

「うーん、……そう言われると困るのですがね。」

 

「おまえさんが、決めとくれ。……とにかく、ワシはずっとこんな感じじゃよ。」

 

「それでは、私が思うに、ここはあらゆる形という器の元が保管される場所であり、永遠に変化のない時が止まった場所であり、あなたは、この場所で唯一の気配だけの意識ある存在ということでいいですね。」

 

「あぁ、それでいいよ。……なんだか、他人に決めてもらうというのはスッキリするものじゃな。」

 

「そうですか?……それでは、私はどうなりますか?」

 

「おまえさんは、どうじゃろ?……さしずめ、ひたいに模様がある者でいいじゃろ。」

 

「そんな適当な、模様って!……紋章の間違いじゃないですか?……あぁ、!」

 

私は紋章に意識を集中した。

 

「思い出した!」

 

「なんじゃ」

 

「ありがとうございます……他人がいるって大切ですね。…それでは、失礼します。」

 

私は、[帰ろう]と念じた。

 

私を光りが包み込んだ。

 

………

 

……

 

 

 

 

暗闇に星が輝いている。

 

かたわらには、マスターが寝ている。

 

 

永遠に変わらない世界とは、なんなのだろうか!

 

形をとどめることは、生きているのか、死んでいるのか?

 

私は、何者によって産み出され、どこへ向かっているのだろう。

 

結局、わからないままにうろつくだけなのだろうか?

 

なぞはなぞのままに、底なしであり、ただ存在があるだけなのかもしれない。

 

ひろがりつづける世界をうろついても、自身を掘り下げても。

 

 

私なんてものは、

 

 

大きな仕組みのなかに、生まれては消える無数のものたちのひと粒なのだろう。

 

記憶と体験による感情の変化を時間軸にとじこめた、とてもちっぽけな存在なのだろう。

 

 

自身の分身でもある、かたわらのマスターをながめる。

 

「さぁ、次はどこへいくんだい。…マスターよ。」

 

 

私の体を光りが包み込む。

 

 

 

…………

 

………

 

……

 

まっ平らな世界。

 

どこまでいっても、地平線が続く。

 

360度、どこを向いても変わりぱえのしない世界。

 

いったい、ここはどこなのか?

 

どこへ、行こうとしているのか?

 

先が見えるのは、ありがたいのか?ありがたくないのか?わからなくなる。

 

私は歩いていた。………ひたすらに。

 

3日目までは覚えているが、その後は何日たったのだろうか?……今は思考が回らないようだ。

 

気がつけば、飲まず食わずで、よく無事だったかと思う。

 

白い天井が見える。

 

私は、ベットに寝ているようだ。

 

ハッキリしない、まどろむ意識は続いているが、どうやら助かったらしいことがわかる。

 

いったい、ここはどこなのか?

 

ひと安心していると、誰に助けられたのか?という疑問がわいてきて、不安感が押し寄せてくる。

 

必ずしも、善いものとは限らないという不安だ。

 

 

しばらくして、扉が開き、一人の男が入ってくる。

 

「お、気がつきましたか?」

 

男は微笑みながら話す。

 

「ありがとう。]

 

私の口から自然と、この言葉がでていた。

 

「大丈夫ですよ。……後で食べ物を持ってきますから、ゆっくり休んでくださいね。」

 

そう言うと、男は部屋から出ていった。

 

 

どうやら、心配しても仕方ないようで、とりあえずは感謝しかないのだろう。

 

 

ひとり、取り残された私は物思いにふける。

 

あれから何日たったのだろうか?

 

意識のない私の時間と意識のある私の時間に違いはあるのかないのか?

 

どちらにしても、私の外で世界は動いているのだろう。

 

あくまでも、私は感じるだけしかないのだろう。

 

私と私の外側の世界で現実は成り立っているということなのか?

 

そう思うと、なんだか、すべてがしっくりくる気がしてくる。

 

あくまでも、気がする程度で確かめようのないことばかりだけど、[気がする]ということに[気づく]ことが大切なのだと思う。

 

それにしても、何度もなんども、あらゆる時代のあらゆる可能性の世界に飛ばされることに、どんな意味があるのだろうか?

 

もしかすると、有るとか無いとかではなくて、私にとって、その行為じたいが意味なのかもしれない。

 

きっと、そうなのだろう。

 

私の感じることすべてが世界と繋り世界の一部となるのだろう。

 

 

 

私の体が光りに包まれる。

 

………………

 

…………

 

……

 

 

 

 

[ただいま、マスター]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星ぼしの世界は無限ともいえるだろう。

 

その中のひと粒でしかない太陽系。

 

太陽系の中の地球ですら45億年ほどである。

 

何億年単位の世界からみれば、人類の時代など一瞬にもみたない。

 

ましてや、人の一生など、測定不能なほどでしかないだろう。

 

時間など、あってないようなものでしかないのかもしれない?

 

しかし、人は、その短い人生に価値を見いだす存在。

 

幻想と現実の狭間に生きる無限の存在なのだろう。

 

 

 

 

 

終り…

 

 

 

 

 






皆さま、読んでいただき、ありがとうございます。

私は、私の生きたあかしとして、このような文章を形として残しているのかな?

この回を描いている間、そんなことを思いながらの時間をすごしていました。

同時に、皆さまにも皆さまなりの、より良い人生になりますようにと思っております。


それでは、又、会いましょう。





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なんとなく、ぼんやりとダラダラしています…そうです、怠け者なのです。


…皆さま、お元気ですか?

……最近の私の日常を描いておこうかと思いました。


…特別、何もないことに気づきました。

…みごとに、ふるい落とされました。

…それでは、興味があるかたは読んでください。





 

 

世の中は、相変わらす大変そうに見えます。

 

私ときたら、そんな世の中から随分ずれてしまったようでして、毎日、ぼんやりとしています。

 

いっけん鬱のような感じもしますが、そうではないようなのです。

 

なんとなく思うことは、本質の私は[怠け者]なのでは?ということに気づいたのです。

 

今までの私は、無理やり世の中のことを考えてきたようでして、自分でもよくわからない[立派な大人]というイメージに振り回されて生きてきたようなのです。

 

 

こだわりがなくなっていく私はダメなのか?

 

ダラダラするのはダメなのか?

 

世の中のことを考えないのはダメなのか?

 

嫌なことを我慢できずに逃げるのはダメなのか?

 

やりたいことがないのはダメなのか?

 

 

こんなことを考えてしまい、[なんとか楽に生きたい]そんなことを何度も思う私でした。

 

 

なんだか、そんなことすら[もう、いいんじゃない]と感じたのです。

 

 

不思議なものですよね。

 

 

根本的なものがなくなってしまうと、あれほど気になって思考に上がってきたものがなくなってしまうのです。

 

それでも、平気な私が残っていました。

 

ということで、[怠け者]の称号となるのです。

 

これはですね、鬱なようで鬱ではないのです。

 

それでも、世の中の必要な情報は入ってきますし、なんとなくですが生きています。

 

むしろ、以前よりも余分なことに振り回されなくなったことで、充実感を感じています。

 

ダラダラしているのに充実しているのです。

 

[思いつくまま、気がむくままに]どんどん近づいているのです。

 

今までに、何度も思考迷宮を堂々巡りをしてきたことが下地になっているのかもしれません?

 

なんとなくの中に、私なりの切り替えのリズムがあるようで、その私のリズムとあう、世の中のリズムを引き寄せて生きているようなのです。

 

私と世の中は、鏡のよなものであり、うつろいゆくものなんだよね。

 

いちいち、分析しなくてもわかるよね。

 

あえて、否科学的なものにだまされることで、生きやすくなることもあるよね。

 

なぜ?

 

私にも、わかりません。

 

さんざん、荒かったからかもしれません。

 

 

[もう、いいんじゃない]と、心の奥底から感じたからかもしれません。

 

 

幸せを追いかけるのを諦めたからかもしれません。

 

 

いろいろ、ぼんやりと考えてみましたが、[なんとなくの中]にあるのだろうと思うのです。

 

 

おそらく、その[なんとなくの中]というものが私の本質なのだと思うのです。

 

 

[言葉にあらわせない、限定できないもの。]

 

 

幸せと似ているような気がします。

 

 

私にとっては、幸せとは、そのようなものなのです。

 

 

あぁ、特別、何もないことって、素敵!

 

 

私の人生は私のもの。

 

 

いったい、今まで何を背負ってきたのだろう?

 

 

そろそろ、おろしてもいいんじゃない。

 

 

おかげさまで、そんな日々を過ごしております。

 

 

誰もが、生きていいんだよ。

 

誰もが、死んでいいんだよ。

 

 

そうなんだよな。

 

 

今、生きているということは、なにがの犠牲の上に成り立っているんだよな。

 

誰かの取り分を奪って存在しているだよな。

 

だからといって、人一倍に頑張らなくたっていいと思う。

 

生きることに必要なことって、そんなにいらないと思う。

 

あのさ、[自身をいかすって]どういうこと?

 

 

あたりまえのことだと思う。

 

 

みんな、じゅうぶん頑張っていると思う。

 

 

[ありがとう❤️]

 

[ありがとう☺️]

 

 

そういうこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






読んでいただき、ありがとうございます。

又、同じようなことを、描いてしまうということは、これが私なのでしょうね。

けっして、真似しないでくださいね。
(今回の私の話しに共感できる人は少ないと思いますが。)

これは、あくまでも、私の幸せですから。

人によって、幸せは、いろいろ、

あなたの幸せがあなたにおとずれますように。


それでは、又






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外宇宙からの使者 B


…今回の話しは、最近、[なんとなくの中]で、ぼんやりと思考していたときに、私の脳内に感じたこと(もしくは体全体?で)を元にイメージをふくらました話しです。

…なんだか、時空間を越えたイメージの世界観のようなものを感じたような気がします。

…今回の話しのすべては私の妄想であり錯覚ですので、現実とは一切のかかわりはありません。




 

 

 

…136億年の存在…銀河

 

…45億年の存在…地球

 

遥かかなたからやってきた。

 

私の知る存在の外世界からやってきた。

 

それは、誰にもわからない存在。

 

あえて、それを言葉にするならば、[虚無]なのか?

 

未知なるもの[虚無]に触れたら最後。

 

そのものは、[覚醒]か[崩壊]のどちらかを選ばなくてはならない。

 

 

 

 

 

 

私の名前は[B]という。

 

名前以外は、わからない。

 

わからないといっても、生きていけるこの街が好きだ。

 

気づけば、どこにでもある平凡な街に10年ほど生きている。

 

いったい、私はどこから来たのたをろうか?

 

気がついたら、この街にいたのだ。

 

こんな私でも生きてこれたのは、毎日、かわりばえのしない日常があったおかげであり、決まったことを決まったようにしていればよかったからだ。

 

何も気にならない、何も考えない、淡々とした日々をやりすごしていれば、時は過ぎていくと思っていた。

 

いやいや、思っていたというのは適切ではなく、実際には、そんなことすら感じていなかった。

 

あの日がくるまではね。

 

 

私には、自我というものがない。

 

自我がないのに私というのもおかしなものなのだが、そんなことは、小さな矛盾でしない。

 

そもそも、人間なんてつじつまのあわない矛盾のかたまりのようなものであり、気にしだしたら発狂してしまうだろう。

 

感情とは、不都合を正当化するための変換器のようなものであり、気まぐれこそが人間といえよう。

 

気まぐれというのは、私の中にいる複数の人格を出し入れする。

 

もっとも適切な場にあう人格の私でやり過ごすためのシステムでしかないのだろう。

 

それは、ストックされた、バリエーションの私でしかない。

 

誰もが、考えているようで考えていないのだろう。

 

ただ、日々の積み重ねによる情報にすりあわせて反復反応をしているのだろう。

 

自我なんてものは、それを記憶と思い込み、自分の意思で選択していると感じているにすぎないのだろう。

 

だからこそ、記憶のない私でも、生きてこれたのだろう。

 

これすらも、私なりの強引な結論なのだがね。

 

 

だけどね、私の前にあらわれたのだよ。

 

あの存在が、訪ねてきてね。

 

「どうする?」てさ。

 

「どうする?」て、なにを?

 

わからないなりに答えたよ。

 

「もう、いいよ!」てさ。

 

そしたら、

 

「そうか、こっちに来る」て、いうからさ。

 

[あぁ、そういうこと。]て感じたのよ。

 

それで、出てきたんだよね。

 

今にして思えば、

 

[楽しかった]ということ。

 

[ありがとう]ていいよね。

 

[あんな世界があるのか!]てね。

 

 

 

 

終り…

 

 

 

 

 

 

 





…読んでいただき、ありがとうございます

私も描いていながら、複数の人格がみだれていたような文章だなと感じております。

どれも私ですので、選り好みせずなのです。

それにしても、不思議な感覚ですよね。

ちなみに、覚醒と崩壊は似たようなもので、どっちが善いとか悪いではなく、イメージだと思います。

あなたは、どっち?

まぁ、どっちでもありなのよ。

こんな私ですが、アホはアホなりに無理をせずに[怠け者]で生きています。

アホにつける薬なし

それでは、又





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外宇宙からの使者 B 2話


…今回の話しは、最近、[なんとなくの中]でぼんやりと思考していたときに、私の脳内に感じたこと(もしくは体全体?で)を元にイメージをふくらました話しです。

…なんだか、時空間を越えたイメージの世界観のようなものを感じたような気がします。

…今回の話しのすべては私の妄想であり錯覚ですので、現実とは一切のかかわりはありません。




 

 

 

…136億年の存在…銀河

 

…45億年の存在…地球

 

遥かかなたからやってきた。

 

存在の外世界からやってきた。

 

それは、誰にもわからない存在。

 

あえて、それを言葉にするならば、[虚無]なのか?

 

未知なるもの[虚無]に触れたら最後。

 

 

 

そのものは、[覚醒]か[崩壊]のどちらかを選ばなくてはならない。

 

 

 

 

 

 

あれから、どのくらいたったのだろうか?

 

地球という世界から離れて。

 

つい先程のようにも感じるし、何万年のようにも感じる。

 

時間などない世界のほうが普通なのであろう。

 

私は、死んだのか、生まれたのか?

 

そんな疑問など、もはや無意味であり、どちらでもいい。

 

何もないけど、何でもある世界にいるからだ。

 

まだ、何もない空間。

 

始めようが、始めまいが、かまわない空間。

 

私という存在の場。

 

「ここで、好きなようにしなさい!」と言われた。

 

私を連れ出した[外宇宙からの使者]が何者であろうが、銀河を飛び越えて感じたことがある。

 

それは、宇宙などマヤカシでしかなく、物質世界ほど幻想的であるということだ。

 

そこに感情という魔法めいた矛盾なる法則と、確約されし合理による法則の世界がある。

 

どこまでも膨張する想像されし世界が、私が観ていた宇宙という精神と物質による3次元世界なのだ。

 

「私が、そこに有ると認識していた世界とは、積み上げられた人類の共有意識という現実だった。」

 

 

「なんてことはないよ。…人の数だけ宇宙があっただけで、それぞれがすりあわせた共有世界を投影していただけなんだよな。…あんなに複雑で意味不明な世界でなければ、気づかないことばかりだったことだろう。」

 

 

「精神と重力。引き付けあう力とはんばつする力。見える力と見えない力。圧縮され隔離された世界で拡販するほど進む力。」

 

「これが、万能感に包まれるということなのか?」

 

「私なりに感じる力が物質とかし、仕組みという理を投影していく世界とは別の世界をね。幸いにして、私の中に何人もの人格がひそんでいるからね。それを元に私なりの住人を育ててみようか?」

 

「もっと、身勝手でもなりたつ世界をね。」

 

「私のような地球を飛び出したはみだし者を受け入れるのもいいかもしれない?…他にもいるかどうかは知らないがね。」

 

「個のない星ぼしのない世界もいいかな。」

 

「ただ、あるがままにね。」

 

「流れのない世界。」

 

「対立しない世界。」

 

「力のない世界。」

 

「ながめるだけの世界。」

 

「怠け者の世界。」

 

「やめとくか?」

 

「元のもくあみ。」

 

「繰り返すのもね。」

 

 

そんなことをめぐらしボンヤリとしていると、ナニモノカに包み込まれた。

 

私のような者を取り込み包み込む存在。

 

ひとつの存在。

 

 

「おかえり」

 

 

私の内と外が融合していく。

 

境界線が消えていく。

 

「これは、覚醒なのか?…それとも崩壊なのか?」

 

薄れゆく意識の残像の中でよぎる思い。

 

 

とるにたらない

 

どうでもいい

 

とてもちっぽけでありおおきな

 

やすらかに包み込まれた世界。

 

 

 

 

終り

 

 

 

 





…読んでいただき、ありがとうございます。

あなたが感じたものは、恐怖ですか? 喜びですか?

私は、なんだか、宇宙に思いをはせることが、世の中を堂々巡りしていることのように感じております。

宇宙[私たち人類が物質化させた現実表現]ほど、あたりまえであり、この地球の有り様[なんでもありのカオス]ほど、摩訶不思議でおかしなものはないと感じております。[真逆なんですね]

地球という、素晴らしい世界にかかわる人類。

まったくもって、矛盾が多く、おろかではありますが、はかなくもいとおしい存在にむけて。

感情意識という力にありがとう☺️




又、会いましょう。





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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて! その⑱ 闘魂 アントニオ猪木さん ありがとうございますの回


2022年10月1日、アントニオ猪木さんがなくなられました。

私の生き方に大きな影響を与えてくださった一人でした。

今回は、そんなことを思いながらの回としたいと思います。





 

 

私は、子供の頃からプロレスが好きでした。

 

おじいさんと一緒に、テレビでプロレスを見ていました。

 

プロレスが好きというよりも、アントニオ猪木さんに魅力を感じていたようです。

 

私は、それほど体が丈夫なほうではなかったので、力強い者へのあこがれがあったのだと思います。

 

子供の頃は、ジャイアント馬場さんという名前は知っていましたが、新日本プロレスしかしらず、坂口さんが馬場さんだと勘違いしていました。

 

タイガーマスクやハルクホーガンがブームだった時代は、水泳の習い事をしていたために金曜8時のプロレス中継が見れませんでした。

 

それでも、学校では、プロレスごっこや話しをするのが楽しかったことをおぽえています。

 

好きだけど見れない状況が、よりいっそうに興味をもつ原因になったのかもしれません。

 

アントニオ猪木とは、プロレスとは、強さとは、何か?…私なりに考える人生となったようなのです。

 

新日本プロレスのテレビをしっかりとみだしたのは、1986年からだったかと思います。

 

それでも、まだまだ、アントニオ猪木を中心に藤波や木村対UWFの試合が毎回おこなわれいて、むちゅうになって見ていました。

 

アントニオ猪木さんが引退したあとは、前田日明さんに興味が移っていきました。

 

プロレスから格闘技へと、興味も移りましたが、今はどちらも同じように感じます。

 

最近の新日本プロレスは[どうかな?]と感じることも多くなり、あまり見なくなってしまいましたが、ストロングスタイルはUWF系レスラーに受け継がれているかと思います。(そのうちに絶滅してしまいそうですがね)

 

ストロングスタイルを知らない、今の人たちには、違いがわからないかもしれませんが、説明できないこともあるのです。

 

アントニオ猪木とストロングスタイルは、私にとっては、同じであり、それこそがプロレスなのだと思います。

 

[一歩踏み出す勇気]

 

わからないなりに、切り開くエネルギーなのだと思います。

 

そんな生き様に心うたれていたのかと思います。

 

 

ひ弱で怠け者の私なりに、受け継いでいきたいと思います。

 

アントニオ猪木さん、ありがとうございます。

 

同じ時代に生きれたことに感謝します。

 

 

 

 

私は、プロレスには嘘も本当もないと思う。

 

プロレスを通して、多くのことを学んできました。

 

プロレスには、さまざまな人生が詰まっていると思います。

 

なんでもありのようで、ルールがある世界。

 

やはり、そこには人ならではの感性があるのだと思います。

 

演じる者と観客と取り巻く世界が一体となったような、感性があるのだと思います。

 

 

私は、無意識にそれを感じられる瞬間が好きなのかもしれません。

 

 

 

わからない人には、伝わらないかと思いますがね。

 

 

 

それで、いいのだと思うのです。

 

 

 

それぞれの好きには、なんらしかの理由があるのだと思います。

 

皆さんも興味のあることを大切にしてくださいね。

 

 

豊かなエネルギーとなるかと思います。

 

 

 

終り

 

 

 

 

 

 






私がアントニオ猪木さんを知った時には、すでに伝説であった。

ベイダー戦の頃は、全盛期を終えておとろえはじめていた。

それでも、猪木は猪木だった。

そんな猪木を味わおうと、さかのぼって雑誌やビデオで追いかけた。

現代は、なんでも簡単に調べられる時代。

とても便利であるが、

時には、じっくり付き合うのもいいものだと思う。

私にとって、豊かさとは、そういうことなのだと思う。

人生の一部なのだと思う。









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そういえば、[老荘の思想]というのがあったな……となんとなく思う私がいたのよね。そうだ、[怠け者道]てつけよう。



なんだかな……最近の私の感覚は[老荘の思想]というのに近いのでは?と思うようになってきたのです。

それでも、改めて考えるのもめんどくさいな…とも思う私もいるのですが、少しやる気をだしてもらって考えてみようかと思うのです。(わざわさ、調べてまで書く気力がおきませんので、あくまでも、私の記憶による内容ですけどね。)

それでは、はじめましょう。




 

皆さん、[老荘の思想]というものを御存知ですか?

 

[タオ]と言ったりもしますし、流れに身を任せる思想かな?

 

今でいうところの、中国のあたりで遥か昔に広まった考え方なのですが、老子と荘子が広めた、物事を思考で追求しないというボンヤリとした怠け者の生き方を肯定した思想なのだと思うのです。(私のかってな解釈ですので、間違っていたらごめんなさい。…興味のある方は、御自身で調べてくださいね。)

 

[老荘の思想]以前には、[孔子の思想]という儒教のような堅苦しい思想が広まっていたようなのです。……歴史は繰り返すのですかね。とも思うのです。(こちらも御自身で調べてくださいね。)

 

私が、[老荘の思想]というものを知ったのはいつ頃か?……ふりかえってみると、10年ほど前にマンガで読んで、なんだかしっくり感じた記憶があります。(たしか、[漫画で読む老荘の思想]という文庫本だったと思います。)

 

遥か昔に同じような感覚で感じる人がいたのか?と思いました。

 

それ以前よりも、私の根源には[老荘の思想]に近い感覚があったようにも感じます。

 

 

そもそも、考えるという行為は不思議なことなのです。

 

人間というものは、自身の思考の範囲内でしか思考はできませんよね。

 

私が、自身の範囲の外から全体を観たいと願ったとしても、それ事態がおかしなことなのです。

 

いくら、物事を知ったからといって、しょせんは知識の範囲の中でしか思考できないのです。

 

がんばろうとがんばらまいとね。

 

それとは別に、人間には欲求という感情があります。

 

[思い通りにしたい]という願いをもつものですよね。

 

だけれども、[思い通りにしたい]がかなったとしても、必ずしも幸せが訪れるわけではないのです。

 

更なる願いが生まれるだけでね。

 

がんばればがんばるほどに、おとずれた結果に満足感はえられなくなっていくのではないのでしょうか?

 

むしろ、がんばったのだからと、欲張りになるのではないのではないか?と思うのです。

 

[がんじからめ]になるだけなのでは?

 

けっして、欲求が悪いわけではないのです。

 

欲求があることで、世界はひろがり、生きていられますからね。

 

それが、積み上げられた人類の歴史であり、文化とか文明なのだと思います。(記録された歴史は何度も書きかえられているかと思います。文化はちりぱめられて民族に刻まれているかと思います。)

 

人間には、瞬間を思考することはできないと私は感じます。(それは、思考している時点で未来か過去になってしまうからであり、感じるくらいでしかないのだと感じます。)

 

仏教でいうところの、[最澄]と[空海]の思想の違いのようなものです。(欲求を肯定するかどうか?の違いだと思います。御自身で調べてくださいね。)

 

[西洋の哲学]と[東洋の思想]といいますか、発想の根源が違うのだと思うのです。(どちらが優れているとかではないですよ。)

 

 

結局は、行ったり来たりということなのかな?と思うのです。

 

 

それでですね、(何がそれでなのか?私にもわかりませんが、適当でいいのです。…ようは、強引にまとめに入っていくと思ってくださいね。)

 

怠け者にも[怠け者道]というものがあっていいのでは?と思うのです。

 

それが、[老荘の思想]なのではないのか?と思うのです。(あぁ、だから、仙人になりたいと思っていたのかな?)

 

今まで、私がこのサイトで、書いてきた内容の変化がそれに近いように感じるのです。

 

あくまでも、[感じる]のであって、[考える]ではないことが重要かな?

 

すべては、[?]くらいで丁度よいかと思います。

 

どんな結果でも、「そうだよな」と思える適当なところがよいかと思います。

 

私も、そろそろ隠居かな?

 

そんな気分なのです。

 

隠居というのは、[少しづつ手放していく]ことだと思います。

 

さんざん、[ためこんできたもの]を解放していくことだと思います。

 

[世の中のために]という思いもね。

 

くちだししないことかな?

 

次の世代に任せることなのかな?

 

普通では、難しいかな?

(仙人に女性はいるのか?時代が違えばいてもいいかな?)

 

私のような、めんどくさがりやの自閉的な変わり者にも、道があってもいいかもね?

 

これが、[怠け者道]につながるのだと感じるのです。

 

我が道を行く!

 

行けば、わかるさ!

 

アホになれ!

 

自然になれ!

 

そして、帰れ!

 

 

 

…終り

 

 

 

 

 

 

 





いやはや、アホですね。

猪木さんの影響かしら?


これもありなら、それもありかな?


真逆な影響ということで…


私は[怠け者道]を行くのです。

真面目にふざけてます。


あくまでも、少数派の存在ですので、

おおやけには言えませんがね。

それが、[怠け者道]の極意。

ひそかに、歩むものほどに道が極まると感じます。

あぁ!書いてしまった!……私は失格なのか?

なんだか、太宰の心境なのです。

え、今さら……


皆様、ありがとうございます 

それでは、又………






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ひさしぶりに熱がでました。



ついに私にもやってきました。

世の中で流行っているやつです。

これで一人前なのか?

世間一般的な人なのか?


ボンヤリと感じてまいりましょう。




 

39度!

 

…とにかく、しんどい。

 

38度だいを、5日間のたうち回りました。

 

2日めの夜から、喉がわれるようにいたくなり、唾すら飲み込むことがてきなくなりました。

 

 

みかんと柿とスポーツドリンクを、口にふくみながら、暖かい部屋で、毛布と布団にくるまりながら寝汗をかいてたえました。

 

5日めの夜には、37度だいとなり、7日めには平熱まで下がり、喉の痛みもなくなり食事ができるようになりました。

(私は、解熱剤は飲まずに水分補給と汗をかいて治しました。)

 

心配事といえば、自身の熱がいつ下がる?かもでしたが、病院の受け入れと診察の連絡が、なかなかできなかったことでした。

 

ほぼ、65歳以下の人は、自宅療養で自力で治せといった感じ?なのかと思います。

 

私は、幸いにして、かかりつけのクリニックで2日めに抗体検査を受けれました。(それでも、電話対応と車の中での検査でしたし、治療はできないとのことでした。)

 

私は、7日めに平熱に下がり、9日めまで平熱の症状がかわりませんでしたので、10日めから通常生活にもどりました。

 

後遺症としては、以前よりも、喉のいがいが、臭いと味覚のづれがありますが、それほど、気になるほどでもありません。

 

 

病院のみなさま、ありがとうございます。

 

いつのまにやら、医療機関では、凄まじいばかりの、隔離対策ができあがっていたのですね。(その分、自宅療養の基準があいまいになり、よくわからない、それぞれのモラルがあふれそうですがね。)

 

それにしても、風ひいた!から病院行こう。という発想が通じない時代なんだな?と思った経験でした。

 

どんどん、病院が遠のきそうですね。

 

 

世の中、かわっていくのですね。

 

 

皆様、お身体を大切にしてくださいね。

 

 

 

 

今回、経験して思ったこと。

 

①発熱時に受け入れてくれる病院を調べておく。

 

②自宅療養期間(10日分ほど)飲み物と食料の備蓄をしておく。

 

これだけでもしておくと良いかと思います。

 

 

高熱のさなか、

 

心配事とは別に、頭をよぎる思考。

 

週20時間はどのバイトの作業が頭をよぎる。

 

こんなときに、なぜ!と思うのだが。

 

もっとも、無意識に意識している作業だからなのだと思う。(衣服のように、身体にしみついた仕事とい習慣は、真面目世代において喜びなのか?それとも苦しみか?)

 

とるにたらないことほど、実は日常に影響を与えているのだと思う。

 

どこまでいっても、人は社会の役割りにそまる生物なのだと思う。

 

これが、他力であり、洗脳であるようなのだが、幸せでもあるのだよね。

 

気にならないほどに、日常に溶け込んだ現実。

 

今回の発熱という症状も現実なんだよね。

 

世間にしたがって生きているのだよね。

 

自我なき世界を、漂い生きています。

 

 

緊急事態になればなるほど、あらわれるということなのかな?

 

 

冷静とは?

 

そういうこと。

 

やはり、そろそろ隠居かな?

 

 

怠け者なのです。

 

 

皆様、政府や医療機関の対策は進んでいきますが、人々の感情の対策が一番遅れていきそうに感じます。

 

それぞれの無理のない範囲で、のりきりましょうね。

 

 

 

 

 

終り…

 

 

 

 

 

 

 

 






高熱のなか、ボンヤリとしていても、ありこれ思考するものなのですね。

同じようなことを思考していないようでも、頭によぎっている。


俗世間の気になること。

とても辛いのにね。

おかしなことばかりなのですが、それが、身の程なのかな?

私なりの。くだらない心配事がへばりついて生きているようなのです。

なにも思考しないということは、それだけ、難しいことなのですね。

私を中心とした、波動のグラデーションで世界をとらえているのだと思います。

それは、現実か?、洗脳か?

どちらもふくめてね。

どっちでもいいんじゃないのかな?

なるようになりますように。


さながら、[サザンオールスターズの忘れじのレイドバック]の感覚に近いのかな?…わからんけど。


ありがとう


それでは、又…






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病気もさずかりものかもね?……理由はないけどね。


先月、熱がでまして、一週間ほど休養しておりました。

おちついてきましたので、あれはなんだったのか?改めて考えてみたいと思います。

あらあら、又、思考癖の発動ですか?

いつものことですが、私のかってな解釈ですので、何の意味もありませんが、気になさるかたがいらしたらごめんなさいね。





 

 

病気というのは、突然やってくる。

 

こちらの都合も考えないでね。

 

まったく、こまったものだ。

 

私の身体も自然の一部ということを思い知らされる。

 

何か理由があるのかもしれない。

 

よほど、ダメージをうけていたのか?

 

それとも、何かの知らせか?

 

「ちょっと、待て!」

 

なんてことなのか?

 

 

だけどね、何かが変わったような気がするのよね。

 

あくまでも、[気がする]程度ですがね。

 

根拠なんてものは無いですよ。

 

食べ物の好みも変わったしね。

 

やけに寝汗をかくようになったしね。

 

よりいっそう、「なんとかなるか!」という怠け者思考になったしね。

 

なんだか、細胞レベルで変化したような感じなんだよね。

 

[自然に逆らわない生き方]というやつ。

 

自分でも、おかしなことを言っているのは感じてますよ。

 

そもそも、[自然]ってなんなんだ?

 

[あるがまま]でもないしな。

 

理解の範囲を越えた感じなのかな?

 

それこそ、[なりゆきまかせ]なのかもね。

 

なにか、一区切りついたという、訳のわかない達成感をかんじているんだよね。

 

まったくもって、個人的な感覚ですよ。

 

皆さんは、どうなのかな?

 

あの流行り病はなんなのか?

 

世間をさわがすだけ騒がした病。

 

世界中が停滞した病。

 

私の身体で味わって感じたことは。

 

「たしかに、何かあるのかも?」

 

ということ。

 

もしかしたら、毎年かかっていた風という病にも意味があったのかもしれない。

 

わからないけど、意味があることってあるような気がする。

 

とるにたらない、どうでもいいことの積み重ねで、私の身体は生きているのだと思う。

 

必要なものは、身体に刻み込まれているのだと思う。

 

頭で考えること以上にね。

 

計画を越えた世界で、私は生きているのだと感じる。

 

今回、感じたことは、

 

「考えてもしかたないことがある。…だから、ほっとくしかないことがある。…ただただ、なりゆきまかせに時がたつのを待つしかないことがある。…そんな中でも、身体という自然は生き残ろうと活動している。…意識あるものは耐えるしかない。…そのうちなんとかなるだろう…そんな世界観がある。」

 

ということなのです。

 

これは、根元に怠け者という属性を持つ私だからなのか?

 

意識が高いタイプの人は違った解釈をするのかもね。

 

私は、根本的に自分でなんとかする[自己完結型]であり、なりゆきで助けてもらったとしても、そんなこともあるよねくらいにしか思わない。又、自力で助かったとしても、運がよかっただけと思うような覇気のない無気力人間だと思うのだが、世の中には色々な人がいるからね。

 

今回も、たまたま運がよくて生き残れただけだからね。

 

今は、たまりたまったものが、ごっそりとおちたような感じがします。

 

老後に向けて、余分なものはいらないよね。と思います。

 

まぁ、なんにしても、

 

「ありがとう☺️」

 

なのです。

 

誰に向かってか?

 

それは、すべてにですよ。

 

私が知っていることを越えたすべてに向けて、過去、現在、未来、に向けて。

 

ついでに、あらゆる次元に向けて。

 

[ありがとう☺️]

 

なのです。

 

いったい、何を言っているのやら?

 

まったくもって

 

意味不明ですね。

 

それでも、

 

[ありがとう☺️]

 

 

 

 

終り

 

 

 

 

 

 

 





世の中、不思議なことがあるものですよね。

今、もです。

なぜ、私には起きないと思うのやら?


わからないという理由は、そこにあると思います。


考えてもしかたないよ。


時が満ちれば、かってにふに落ちるものだと思います。


それぞれの幸せを願っております。

私自身にありがとうは、あなたにもありがとうなのです。

それが、すべてに向けてありがとうなのです。

ありがとうに、それ以上も以下もないと思います。

へんな期待も依存もないと思います。

他人は関係ないと思います。

まずは、どう感じるか?ですよ。

ただただ、ありがとう



それでは、又





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黒鉄Zは無敵なり❗️ ①



今回の話しは、12月6日に亡くなられた水木一郎さんにささげます。

ものごころがつく前から、兄貴の歌で育ちました。

アニソンといえば、私にとっては貴方なのてす。

渡辺宙明サウンドとともに、私の身体に刻み込まれております。

ありがとう☺️




 

 

君、そこの君。

 

おい、お前だよ。

 

ちょと、話しを聴いとくれよ。

 

君が、[なんにでもなれる]としたら、どうしたい?

 

そんな神にも悪魔にもなれる魔神の力があるんだ。

 

[黒鉄Z]という力がね。

 

「さぁ、魂を込めて叫べ。[黒鉄Z]とね。さすれば君にスーパーパワーがやどるだろう。」

 

 

 

 

俺の名前は、[一郎]。

 

今朝の出来事なのだが、赤いマフラーをしたオッサンに出会って胡散臭い話しを聴いたんだ。

 

まったく、こまったものだ。オッサンのくせに暑苦しい中二病なんだぜ。

 

こちとら、受験で忙しいのにさ。

 

そんなことがあり、一郎は大学の受験に遅れてしまった。

 

「なんなんだよ、あのオッサン!…俺の計画がだいなしじゃねえか。…せっかく、大学の四年間をのんびりと遊んで暮らすという計画だったのにな。…全部、あの赤いマフラーのオッサンのせいだからな。」

 

俺は、大学の校門の前でブツブツと愚痴っていた。

 

「まてよ、試しに言ってみようかな?…あんなオッサンの話しなんて信じちゃいないけどさ。…でも、魂込めてとか言ってたな。…恥ずかしいじゃねえか。…こういうのは勢いでいくしかないよな。…まぁ、ヤケクソだ!」

 

俺は、何度か迷っていたが、思いきって覚悟を決めた。

 

「えい、なるがままよ。……[クロガネZ]」

 

俺が叫ぶと同時に、俺の身体が真っ赤な閃光に包まれた。

 

「え、何もかわらんけど?…やっぱ、嘘かよ、オッサーン!」

 

俺の周りを、あきらかに遠巻きに人々が見て見ぬふりをしながら歩いていく。

 

「おいおい、よく見てみろ。…お前の首をな。」

 

俺の頭の中で誰かが話してくる。

 

「うお!…赤いマフラーが着いてる!」

 

「じゃろ!…これでお前は、なんにでもなれるぞ。」

 

「で、なんなんだ、あんたは誰?なんで、俺に語りかける?」

 

「ワシ…ワシは赤いマフラーの妖精じゃよ。…お前が今朝会ったオッサンが着けていたマフラーじゃよ。」

 

「え~、そうなんですか?…妖精って、そんなヨボヨボのジジイなんですか?…それで、オッサンはどうなったの?」

 

「どうって、天寿をまっとうしたからワシの一部として此処にいるけど、呼び出すか?」

 

「まぁ、どうせなら、ヨボヨボの妖精さんよりもオッサンの方が話しやすいので、お願いします。」

 

「ワシも嫌われたものじゃな。……しゃないな、お前の頼みは聴かんといかんしな。…じゃ、オッサンにかわるよ。」

 

マフラーの妖精からオッサンにかわった。

 

「おい、ボウズ、さっきは俺のことをブツブツとモンク言ってたな。…挙げ句に嘘つき呼ばわりしやがって!」

 

オッサンは凄いけんまくでまくしたてます。

 

「その事に関してはごめんなさい。…だけど、俺の大学生活をどうしてくれるだよ、オッサン!」

 

「大学生活ってな。…お前の学力じゃ落ちるに決まってるだろ。」

 

「なにいってるだ!…わかんねえだろ?…俺はまだまだ社会人になって働くのは嫌なんだよ。」

 

「お前は、だからアホなんだよ。…何の目的もなく大学行ったって、先伸ばしなだけで、何も変わらないままだろ?…お前にはやりたいこととか成りたいことはないのか!」

 

「そんなこと、いきなり言われてもな…考えたこともないし…俺は、ただ毎日ダラダラと気ままに生きたいだけでさ。」

 

「ちゃんと、あるじゃねえかよ、お前にも!」

 

「え、なんのこと?」

 

「だから、[毎日ダラダラと気ままに生きたい]だろ。」

 

「え、そんなんでいいの?」

 

[おう、立派な目的じゃねえか。…わざわざ大学行かなくてもめざせばいいだろ。…この俺がサポートしてやるよ!」

 

[本当にオッサン!……だけど、世間体があるしな?」

 

「何が世間体だ。そんなものはお前の気持ちひとつだろうが?」

 

「そうはいうけど、オッサンにはわかないんだよ!…世間の目を気にしないと生きていけないものの気持ちはさ。」

 

「何を言ってんだ。…周りをよく見て見ろ。」

 

ひとりでブツブツ言っている俺を遠巻きに見て見ぬふりをする人々が歩いている。

 

「わかるか。…お前が気にしているほど、他人なんてお前のことを気にしてないってことを?…他人は他人だろ。」

 

「みんな、俺なんかに関わりたくないんだよな。…知らんぷりだもんな。…やっぱ、オッサン、頼むよ!」

 

「いいけど、俺の頼みもひとつ聴いてくれ。」

 

「何を」

 

「そのオッサンはいけないな。……今後は俺のことはアニキと呼びたまえ。」

 

「なんだ、そんなことでいいの……ア・ニ・キ」

 

「うぉ、それそれ、、やっぱ、俺といえばアニキだよな。」

 

俺は、このオッサン、チョロイと思った。

 

「それでさ、アニキ。普段はこのマフラーはないほうがいいんだけど。」

 

「そうか、カッコいいのにな。…じゃ、いったんZ形態は解除するしかないけど、俺と話せなくなるぜ。」

 

「いいよ。…困ったときには頼むね。…アニキ。」

 

「わかったぜ。…じゃ、俺が必要なときは[黒鉄Z]で呼んでくれよな。」

 

そういうと、マフラーが消え失せると同時にアニキの気配も消えた。

 

「なんだったのだろうか?…まぁいいか!なるようになるだろう。」

 

俺は、いつのまにか世間体が気にならない、楽観的な適当人間になっていた。

 

 

 

…続く

 

 

 

 

 

 





子供の頃になんとなく流れていた音楽。

音楽とすらも認識していない頃に出会った歌声。

大好きだったアニメとともにね。

テレビの前にかじりついて観ていたのだろう。

マジンガーシリーズに始まり、デビルマンやルパン三世にムテキング等のタツノコ作品。

調べてみると、あのアニメや特撮ヒーローの曲も水木一郎さんだった。

あまりにも当たり前すぎて、自分では意識できないほどに影響を受けていた。

そんな世界観を感じさせてくれたのが彼だった。

きっと、彼がいなければ、アニソンのイメージも違っていたと思う。

水木一郎さん、ありがとうございます。


歳をとるほどに感じてなりません。

貴方の歌声は、私の幸せの一部なのです。


すべては、私の妄想ですが、これが私の世界観なのです。


こんな個人的な話しを読んでくださり、ありがとうございます。

さて、次回はどんな話しになるのやら?

気が向いたら描きたいと思いますので、気長にお待ちください。

それでは、又





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黒鉄Zは無敵なり❗️ ②


今日も今日とてダラダラすごす。

そんな気ままを求めて、不思議なパワーを手に入れた青年の話です。

弟2話、お楽しみください。


この話しは私の妄想であり、なりゆきまかせの適当な内容ですので、現実の世界とは一切の関係はありません。

[いいかげんはいい加減]なのです。





 

 

 

君、そこの君。

 

 

 

おい、お前だよ。

 

 

 

ちょと、話しを聴いとくれよ。

 

 

 

君が、[なんにでもなれる]としたら、どうしたい?

 

 

 

そんな神にも悪魔にもなれる魔神の力があるんだ。

 

 

 

[黒鉄Z]という力がね。

 

 

 

「さぁ、魂を込めて叫べ。[黒鉄Z]とね。さすれば君にスーパーパワーがやどるだろう。」

 

 

 

俺の名前は[一郎]

 

俺は赤いマフラーの男(アニキ)に出会い、人生がかわった。

 

毎日ダラダラと気ままにそごすぜ。

 

今日も俺なりのワクワクを生きるぜ。

 

 

 

 

俺はゲームにも飽きたから、気晴らしに散歩をしていた。

 

俺の前に白髪の爆発的な髪型をしたジジイが立っている。

 

俺はジジイをよけて通り過ぎようとした。

 

ジジイは手に持っていた杖 で俺の行く手をさえぎった。

 

「おい、ジジイ!なんのつもりだ?」

 

俺がジジイをにらむと、ジジイも俺をにらみかえしてニヤっと微笑む。

 

「おう、ボウズ!匂うぞ、お前?」

 

ジジイは小汚ないあごひげをなでながら言う。

 

「失礼なジジイだな。朝風呂を浴びたから、セッケンの匂いはしてもくさくないだろうが。」

 

俺は自分の腕の匂いを、かぎながら言う。

 

「アホウが、誰も体臭のことを言うとるのではないわ!お前の秘密のことがあるだろ?ということじゃ。…赤いマフラーとかな?」

 

ジジイは俺の目の前に顔を近付けて言う。

 

「う、なんでわかる?…ジジイ、何者なんだ?」

 

俺はジジイの顔に更に近付けて言う。

 

「ワシの名は、ドクター地獄じゃ。…先代との因縁がある者と言っておこうか。」

 

ジジイは顔を遠ざけなから言う。

 

「じいさんは、アニキの知り合いなのか?」

 

俺は笑いながら言う。

 

「まぁ、そうだな。知り合いと言っても、敵対関係にあったけどな!…ということで、お前は殺す!」

 

と言うと同時に、ドクター地獄は杖を俺に向けて突き刺してきた。

 

「黒鉄Z」

 

俺は杖をかわしながら叫んだ。

 

俺の首に赤いマフラーがなびいて、アニキが俺の脳ごしに語りかけてくる。

 

「おいおい、ドクター地獄じゃねえか。…一郎、あのジジイは狂ったバカだから逃げたほうがいいぞ。」

 

「狂ったバカって、ボケ老人ってこと?…アニキを敵と言ってるけど、倒さなくてもいいのか?」

 

「関わるだけ無駄なんだよ。…あのジジイは妖怪のようなもので、自身を改造して不死身だからな。…逃げるにかぎる。」

 

「まったく、アニキはなにやってんだか?…変な奴につきまとわれているんだな。」

 

俺はドクター地獄の杖攻撃をよけながらひとりでブツブツと言っている。

 

「ボウズ、何をブツブツと言ってやがる。…

これでも食らえ!」

 

ドクター地獄は、俺に向けた杖の先からイナズマをレーザーのように出した。

 

「うわ、痛ってぇ!、なんつう攻撃してくるの?」

 

俺の服に穴があいてしまった。

 

「アニキ、狂ってるよ。極悪ジジイじゃねえか。」

 

「だから逃げろといってるだろ。…こっちも攻撃して、ジジイの倒れている隙に逃げるしかないな。」

 

「攻撃ってね………なんで、俺がこんな目にあうの?…まったく」

 

「一郎、拳を相手に向けて、ロケットパンチと叫ぶんだ」

 

俺はドクター地獄のイナズマ攻撃をよけながら叫んだ。

 

「ロケットパーンチ」

 

俺の拳が砲弾のようにドクター地獄に向かって飛び出してドクター地獄の顔面にバンチを叩き込んだ。

 

「なに、これ?…俺の拳がちぎれて飛んでったよ。…戻ってきたけどね。」

 

「一郎、ジジイが倒れているうちに逃げるぞ!…ジェットスクランダーと叫ぶんだ。」

 

「あぁ、そうだった。…ジェットスクランダー」

 

俺の背中に黄色い翼がはえると、轟音がとどろき、俺の体が、空に飛んだ。

 

「なに、これ?……飛んでる?アニキ?」

 

「あぁ、飛んでるよ。…一郎の行きたい方向に気持ちを向ければいいだけだよ。」

 

「うぉ、これはおもしろい!…いいじゃん、アニキ。…だけど、いったい、あのジジイになにやったんだよアニキ?…なんで、あんな妖怪ジジイがいるのさ?」

 

「あのね、この世界は一郎の知らないことの方がたくさんあるということ。」

 

「アニキ、そんなんじゃわからないよ?…俺にもわかるように説明してくれよ。」

 

「うーん、赤いマフラーが引きよせるのかな?…正直な話、知らんのよね。」

 

「知らんってね。無責任な。…てことは、他にもあんな妖怪じみた奴がいるってこと?」

 

「無責任はないだろ。…それにわからない方が人生は楽しいでしょう。」

 

「そうかもね。…知らなくても生きていけるしね。」

 

「お、一郎もわかってきたじゃねえか。」

 

「まったく、アニキの適当さにはかなわないな。」

 

 

俺は、しばらく空を飛行するのを楽しんで家に帰った。

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






皆さん、読んでいただきありがとうございます。

マジンガーシリーズは、私の発想の原点だと思います。

このまま、パロディーでいいのか?

パロディーともいえないほどに、デタラメでいいかげんなのですがね。


まったく、私が一番のアホウだったりして?


それでは、次回で。

あればですがね?





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黒鉄Zは無敵なり❗️ ③ 闇落ちドクター編 ㊤



今回のお話しは、ドクター地獄の視点であります。

この話しは、マジンガーZのパロディーではありますが、私なりの世界観であり、現実とも原作とも関係はありません。

それでは、はじまりのはじまり。




 

誰が創造したのか?

 

世界中の神話の根源。

 

これは、別の世界の物語。

 

 

青い海。

 

絶海の孤島。

 

忘れられた世界があった。

 

これは、歴史から抹殺された物語。

 

現人類史以前の記憶。

 

バードス島。

 

 

ひとりの男がたどり着いた。

 

ワシの名前は、[ドクター風]。

 

ドクターといっても医者ではない。

 

そんな限定的な才能では、はかれないほどの知識を持っている。

 

ワシは悟ったのだよ、そもそもの原因は人類の設計ミスだということを。

 

人類の根源を探すことが生きがいであり、今、やっとたどり着いたのだ。

 

古代の叡知が眠る場所にな。

 

この島には、いたるところに巨大な石像があった。

 

今にも動きだしそうな、さまざまな生物をもした石像。

 

あらゆる生命体を混ぜ合わせたかのような奇妙な石像。

 

奇妙な石像には、どれも、頭以外にも顔があった。

 

待ち受けるのは、神か悪魔か?

 

どちらにしても趣味の悪いヤツだがな。

 

しばらくいくと、古代神殿があった。

 

古代といっても、そこは真新しい神殿だった。

 

ワシは何者かに導かれるように奥へと進んだ。

 

透明の棺が、ふたつ並んでいる。

 

そこにいたのは、棺の中に眠る男と女だった。

 

棺のふたには、古代文字でこう書いてあった。

 

[私たちをおこしてはなりません。災いを封印する人柱なる者。世界を創造主からの解放を望むのならば。我らは元はふたつでひとつ。別れることで世界がはじまる。]

 

何を恐れるものか?

 

たとえ、まっているものが漆黒の災いだとしても、今の世界よりはマシであろう。

 

ワシは知りたいのだ。

 

この中途半端な不安定な世界の理由をな。

 

創造主にモンクをいってやらねば気がすまないのだ。

 

争いだの平和だの、あまりにもくだらない世界。

 

わかりきったことを繰り返す世界。

 

アホの群衆どもを救いたいのだ。

 

神だの悪魔だのと偶像を崇拝しては騒ぎだす奴らをな。

 

完璧な世界にしてやるのだ。

 

「リセットしてやるぞ!」

 

ワシは棺のふたを開いた。

 

 

まばゆい発光がほとばしり、暗闇がおとずれた。

 

「なにごとだ。…くだらない仕掛けを。」

 

視界を取り戻すと、周りの景色が一転して、ワシの目の前には男と女が立っていた。

 

「おい、アシとユラよ。いいかげん白状したらどうだ。合体の秘密をな。」

 

ワシの後ろからのぶとい声がする。振りかえると大柄の男と更に大きな虎がいた。

 

大柄の男は、ワシを視界にもいれずにすり抜けて、男と女に近づく。

 

「ゴーゴンよ、お前のような邪悪な奴には教えるものは何もない!」

 

アシと呼ばれた男が力強く言いながら女をまもるように前にでる。

 

「あくまでもだんまりというならば、俺の剣のサビになれ。…ユラに聞くまでだ。」

 

ゴーゴンは滑らかな動きで、腰の剣をさやから抜いて近寄る。

 

「仕方ない、合体だ。」

 

ユラが青色の球体を取り出し、アシとユラの手のひらで包み込んで叫んだ。

 

「ブロロローン!」

 

そこには、右の半身がアシ、左の半身がユラというひとりの存在があらわれた。

 

「そうか、その青色の玉が秘密なのか?アシュラよ」

 

ゴーゴンを通り越して、疾風のごとく虎がアシュラに襲いかかった。

 

虎の攻撃を受けてアシュラに一瞬の隙がうまれた。

 

ゴーゴンは、アシュラの胸に収まった青色の玉に向かって剣を突き刺した。

 

「うぅ、完全体である私が負けるとわ。」

 

アシュラの胸に剣を突き刺したゴーゴンは、青色の玉を取り出して虎に触れた。

 

「さぁ、合体だ。ブロロローン!」

 

上半身がゴーゴン、下半身が虎という半身半獣の存在があらわれた。

 

「わぁはは、力が溢れているぞ!…合体とは素晴らしい。」

 

ゴーゴンは神殿を出ていった。

 

 

ワシは息もたえだえのアシュラと呼ばれた存在のそばに近寄った。

 

「そこで観ている気配だけの男よ。…助けてくれ。」

 

アシュラはワシに話しかけた。

 

「ワシがわかるのか?…お前が創造主なのか?」

 

 

「違う、私は創造主のよりしろである祭司と巫女だ。あの玉を取り戻さなければ、恐ろしいことがおこる。」

 

「恐ろしいこととは、なにか?」

 

「古代の石像がよみがえる。…合体を繰り返す世界がはじまる。…おぞましい弱肉強食の食物連鎖がはじまる。」

 

「ワシは、何をすればいい?」

 

「私は動けない…そこにある紫と黒のまだら色の玉をとって、私の胸にはめてくれ?」

 

「取れといっても、ワシには実体がないのだが。」

 

「大丈夫、あの玉はすべての次元に通じるから。」

 

ワシは玉を取りアシュラの胸にはめると、アシュラが動きだした。

 

「この玉は原理原則という構造法則の玉。秩序の世界を求める玉。…これで私はあなたに借りができた。あなたの下部にならなくてはならない。」

 

「そうなのか?…ワシの部下になるのだな。ワシは創造主を探しにここへ来た。」

 

「創造主とは、どこにもいないし、どこにでも存在するのです。」

 

「なんだと、ならばお前やワシはどうやって生まれた。」

 

「それは、3つの玉がはじまり。…創造主の力が宿る3つの玉が世界を変化させたのです。」

 

「進化の根源ということなのか?…3つというと、残りひとつの玉はどこにある。」

 

「あとひとつの玉は、魂の世界を求める赤色の玉。…言葉を発することにより現実とかす玉なのですが、私も見たことがないのです。意思を持つ唯一の玉であり、どこか別の次元に飛び立っていったようでして?消息不明なのです。」

 

「ほう、自由な玉なのだな。…というと、3つの玉を集めることが創造主に近づくことだということだな。…アシュラよ、ゴーゴンを追うぞ。」

 

「はい、あなたのお名前は?」

 

「そうだな、創造主と戦うのならば、地獄の王にでもならねばなるまいな。…ワシの名は、ドクター地獄だ。」

 

「ドクター地獄さま、お気をつけください。石像がよみがえって、外は修羅の世界とかしていることでしょう。…まぁ、実際に戦うのは実体のある私ですがね。」

 

「け。おもしろいではないか。…ワシの配下にするまでよ。…まかしたぞ、アシュラ。」

 

ワシとアシュラは神殿を後にした。

 

 

 

 

 

続く…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





皆さん、読んでいただき、ありがとう☺️

なんなんでしょうか?

堅苦しい話しになってしまいました。

ドクター地獄って、真面目さんなのかもね。

なにを勝手に背負っているのやら。


次回もドクター地獄編ですね。





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∞あれやこれやとなんだかな~?そんなこんなでひがくれて! その⑲ 元旦からボンヤリと思考するおバカな私とふれあう縁で世界は生まれる。



新しい年がはじまる。

なにも変わるわけでもないのだが、思考する者にとっては、何かのきっかけを感じてならないだろう。

そんなわけで、世界観のまとめをしてみたいと思う。

今回の文章は、私の勝手な妄想であり一般的な考えではありませんので、こんなことを思考している暇なオッサンがいるのだと思ってくださればよいです。

ただ、それだけのことであり、現実でも幻想でもありません。…あくまでも、私にとってはですがね。

今回の働くとは、サラリーマンとしての用意された役回りをするという行為のことです。




 

[働いたら負け]という思考。

 

 

人は永く生きていると、おかしなことを考えだすのか?

 

 

私の場合は、ただ生きていることに幸せを感じているようだ。

 

特別、やりたいこともない。

 

目的とか、夢とか言われてもね?

 

生きていて、世界を感じられれば、それで十分なようだ。

 

だから、やりたい仕事も、なりたいものもないようだ。

 

実際は、そこまで深刻に考えなくても生きていけるという状況の星の下に生まれたからなのだと思う。

 

戦後の貧しい世代をしらないし、のらりくらりと生きていける性分なせいか、精神的な抑圧も

あまり感じないようだ。

 

子供の頃に、抑圧された記憶があったとしても、やり過ごすことに慣れ親しんだ私ときたら、適当にはぐらかすスキルと、場に合わせての相手に合わせた立場上の振る舞いをするスキルばかり身に付いたのだと思う。

 

つまり、仮面ばかりで自分がないのだと思う。

 

 

今、思うことは、どうやっても、[人は社会なくしては生存できない生物]だということなのだろう。

 

このことは、子供頃から私は直感的にわかっていたのだろう。

 

[感謝の呪縛と押しつけの優しさの美化]なのかな?感じない人が幸せとも思えないけど、私にとっては重しなのだと思う。

 

それでも、自分自身のことを自己責任と自己完結的に生きていける時代になりつつあることと、それなりのゆとり(精神的にも金銭的にも)を手に入れた者ならば、目的などなくても幸せを感じられる時代なのだと思う。

 

だから、せめて、働くことをやめようと考えるのだろう。

 

その裏には、[借りをつくることのわずらわしさ]を感じやすい思想形態を無意識のうちに構築してしまった幼少期があったからなのだと思う。(借りは恩であり、返すものという文化に育った影響。子育てを借りと感じる時点でいかれてますよね。それだけ、母親のいない状況で家族に余裕がなく感じたのでしょう。それぞれの求めることのボタンの掛け違いだったと、今はわかるのですがね。)

 

これが、洗脳を上書きするための自己回避としての発想として、必要以上なまでの、働くことへの抵抗感なのだと思う。

 

もっと、自然になれたならと思うのですが、自然こそ、人それぞれの世界観ですからね。

 

 

 

 

[身体感覚]からの世界観の構築は縁なのか?

 

 

人は、生まれた瞬間から、外世界とふれあう。

 

外からの刺激により、身体は脳に情報をおくり、繰り返すパターンにより思考回路はつくられるのだと思う。

 

例えば、物をとる動作にしても、障害物をよける動作にしても、五感からくる情報(視覚による距離感や触覚くによる皮膚感覚など)により身体の連動した動きにより思考はうながされているのだと思う。(感受性にしても繰り返されたパターンによる反応なのかもね?)

 

だから、人により世界観は異なることのほうが普通なのだと思う。

 

しかし、社会がひとつにまとまるほどに、[ああなればこうなる]という、誰もが同じであるという世界観でなかれば不都合な世界となったのだと思う。

 

私にとっては、アドラーであり、前提も目標も同じように感じてならない。

 

どちらか一方をいじれば、もう一方にも影響が伝わるという世界観を感じる。

 

これは、身体的にも思考的にも同じ作用をしていると思うのだが、分業化が進んだ世界観の中では、互いに繋がらないというジレンマがおきているのだと思う。

 

このジレンマが、世界観のしこりなのだと思うのだが、認識できないがゆえに、どうにもならないだろうし、認識しようとしても、抑圧によるブロックにより、更なる重しを感じるのだと思う。(認知バイアスですかね)

 

 

だから、私の場合は、[働いたら負け]という思考に落ち着くのだと思う。

 

 

だけどね、そもそも、働くことにたいしては、それほどの辛さは感じてないのが現実であり、[自分自身と向き合う]という意味では、仮面をかぶってごまかすことができるので、働いているほうが楽ではあると思う。

 

[暇をもて余す]ということを、どうとらえるかによるのだと思う。

 

結局は、それぞれの立場により(生いたち)、世界観がかわってしまうということなのだと思う。

 

 

[先入観は創造上の世界を広げ、客観的な自己肯定感を育て上げるのか?]

 

 

自分自身を広げる行為とは何か?

 

人生経験であろう。

 

どれだけの場数。

 

どれだけの知識。

 

どれだけの想像。

 

をしてきたかなのだろう。

 

それが、自分自身の財産なのだと思う。

 

だから、私は、

 

[好きなように生きたらいいんじゃない]

 

と思う。

 

そう思えるのなら、大丈夫なのだと思う。

 

あらゆる、立場のあらゆるタイプであろうが、どんな時代であろうがね。

 

それぞれの人生を味わいましょう。

 

それぞれのはじまりが違うだけでしかないのだと思う。

 

 

きっと、どんな人でも幸せになれると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






私にとっては、あたりまえのことなのです。


全部、過ぎたこと。

全部、これからのこと。

今、ここに生きているのが私なのです。

ボンヤリと思考している、この瞬間がね。


ある意味、落ちぶれたオッサンの世界観ですがね。


それぞれの無意識に向けて。


不思議な縁なのです。


あぁ、人生。

0=∞


つけたし

今回の影響

日本の古武術では、骨接ぎという発想があるそうだ。

元は格闘家であった、平直行さんのYoutubeを、最近よく観ている。

何かを知る(感じる)ということは、無意識に影響を受けるということだと思う。

骨接ぎとは、体の不具合を骨格である骨から修正する活法のことだそうだ。

逆に、皮膚や筋を指でひっかけて動かすことで、より少ない力で相手のバランスを崩すことができるそうだ。

こわれた身体を、とりあえず、動けるようにさせるということが優先された戦場での技法であり、人類の経験からの凝縮された身体理論なのだと思う。

治すという行為とわ。(意識しすぎると不自然になるからか?)

人の行動も、無意識での神経伝達によりうながされる。

外からの刺激にたえずバランスをとり、反応しながら。

骨の間接の接点によりスイッチが変わる。

ほんの少しの角度の変化でもバランスがくずれる。

五感の接点により最適な連動がうまれる。

五感の接点にふれたとき、身体は最適な姿勢と肉体の連動により、次の行動をうながす。

より楽に動けるように進化したのが現存する身体なのだと思う。

つまりは、外からの刺激にたいする反応なのだと思う。

脳だけで思考しているのではなく、身体を伝わる神経伝達により思考しているのだと思う。

生まれたときからの繰り返された身体の記憶。

楽に動けるときほど力が生まれる。

楽に動けるときほど気にならない。

それこそが、自然なのかもしれない。

身体も感情も思考も同じ原理なのかもしれない?

それが私の世界観を生み出しているのだと思う。

あらゆる刺激が私の一点に集まり、その先に新たな何かを生み出すのかもしれない。

わかったようでわからないこと、それでも思考する、そんなボンヤリとした感覚の中に何かがあるのかもしれない?

私のたわごとが何かのヒントになれば幸いに思う。



つけたし1月3日

[マドマーゼル愛]さんのYoutubeで、こんな言葉を聞きました。

本当の自分に出会うと、輪廻転生からぬける。

水瓶座は変化しないことに不安を感じる。

はっとした瞬間でした。

真実なんて、どちらでもかまわないのです。

私にとっては、[だよね]とうなずく言葉なのです。

魂に響く言葉なのです。


[自由を求めるほど不自由を感じる]

昨年は、この感覚によく出会いました。

自由も不自由も隣どおしなのです。

真逆なようで、もっとも近い発想なのだと思います。

ということは、好きも嫌いも同じことだと思います。

自由なんてまやかし。

本当に自由な人は、不自由さえ気にならない人なのだと思います。

現実の自由を手に入れたとしても、自身の造り上げた思想による制限になやまさられることでしょう。

しかし、

人は何かにもたれかかりたい生き物だと思います。

あまりにも垣根のない世界では不安を感じるのだと思います。

それが、常識であり社会なのだと思います。

今、現在の私としても、自分が造り上げた垣根の範囲の中でしか生きられません。

せめて、[そうぞう]だけは無制限でありたいと思います。(これが私にとっては瞑想なのかな?)

その行為が、客観視であり、外世界を感じることなのだと思うのです。

つまりは、客観的に自身をフカンして観ることで、自分に写りこむ世界を感じるということなのだと思います。

ぞくにいう、[この世界は自身の投影]ということなのでしょうね。

これが、昨年のわかったことです。

ついでに、わかったからといって、なんてこともないということも感じたのです。

こちらのほうが、大きな影響なのかもしれませんけどね。

昨年の小説を読み返してみると、無意識にそのようなイメージを感じていたように思います。

本当の自分とは、何でしょうかね?

初期仏教でいう、大我と小我ですかね?

真我と自我のことですかね?

どちらにしても、言葉だけを知っていてもわかったことにはならないですし、わかったとしてもなんてこともないのですがね。

頭で考えることではなくて、ただ生きていることに幸せがあるように感じる気がします。

お暇なかたは調べてみては?

底無し沼かもしれませんがね。

おかしな宗教に依存しないでくださいね。

人それぞれの立ち位置がありますから、ほとんどの人にはおすすめしませんので、自己責任ということで。

私にとっては、

生きているついでの暇つぶしなのです。

それぐらいしか、感心がないのかもしれません。


あっ、はっとしたのは、これか?

なんか、繋がった。


そんな気分なのです。





1月5日つけたし

先に書いておきます。
訳のわからないことばかり書いてすみません。


はじまりが生まれた瞬間に終わりも生まれるのだと思います。

ループする存在。



私が感じる高次元の存在とは?
(あってもなくてもかまわないけどね)

自身の内にあるのではないのか?

自身と向き合い、自身に問いかけてみる。

自身の根源上の高みの位置により、発言がかわるのだと思う。

私が思うに、高次元の存在とは一神教のような一点の集約された存在ではなく、逆円錐形のように無限に広がる外側の存在なのだと思う。私とは隔離された存在なのだと思う。

より高みに近づくほど、同一の世界観となるのではないかと思う。

それは、こだわりも自我もない存在。

ある意味、もっとも無に近いのかもしれない。

私とは、高次元に囲まれた存在なのだと思う。

本当の自分に出会うのも、自分を許すのも、世界を許すのも、境をなくすことなのだろう。


ただ、3次元の世界観ではイメージすることは難しいだろう。

多角的な視点が必要なのだと思う。

自身を中心にしながら、多角的な視点を持つ技術が必要なのだと思う。

自分で感じて、自分で考えて、自分で選択して、自分で行動して、自分で納得することで近づくのだと思う。

今回のつけたしは、あくまでも、私の世界観ですので、共感できる方だけでかまいませんが、宇宙を想像してもらえるとわかりやすいと思います。

私の内にある宇宙と、私の外にある宇宙は、次元の裂け目のようなワームホールで繋がっているのかもしれません。

やはり、この世界は自身の投影なのだと思います。

しかし、その外宇宙も、更なる外側の宇宙に囲まれているかと思います。

なんだか、イメージという想像は無限に感じるのです。

私が、限りある命という有限でよかったと思います。

有も無も同じこと。

遥か先の存在から見れば、全てはどうでもよいのでしょうが、そのどうでもよいことの一部が私という身体であるのでしょうね。

人生を味わいましょう。

自身の身体が有る限り。

好きなように生きたらいいんじゃない

そんな気分なのです。



あ、愛なのか?

自身を許す愛

世界を許す愛

この世界は愛に包まれている


愛によって、生かされている



つけたし1月6日

またまた、つけたし日記のようになってきました。

以前も、後書きにこんなことをしていました。

私には、自分の思想を外に出すという能力があるようです。

特別に考えるわけでもなく。ただ、思いついたことを文字にする能力。

子供のころは、毎日の日記が嫌いだったのですがね。

なんだか、自己カウンセリングをしているようで、自身の立ち位置の変化と癖が、見えてきます。

いつのまにか、無意識に自分の内面と対話しているようです。

誰かに読んでもらうためでもないので、適当な文章ですが、書いているうちに。これは自分が書いているのか、何かに書かされているのか、わからなくなることがあります。

考えているようで考えていない、そんなボンヤリした感じなのです。

おそらく、これだけ続けられるということは、書く能力なのでしょうが、誰かに必要とされなければ才能とは言えないでしょう。

たまたま、私の書いた文章に出会い、なにかしらの影響を受けてくださった縁のある方は、きっと、私と似ている部分があるのだと思います。

そんな数少ないあなた。

どうも、ありがとうございます。

誰にでもなにかしらの能力があるかと思います。

それを才能にするのは、外側の世界の誰か。

しかし、自身はなんとなく、能力とも気づかないままに、やっている行為なのだと思います。

好きとか、努力を超越した行為。

特別な目的もないままにする行為。

それでも、そんなことが自分を生きることなのだと思います。

本当の自分なのだと思います。

ちょと、現実的な真面目な話しになってしまいましたね。

たまには、いいかな?

どうでもよい話しはおいといて。

とにかく、皆様、ありがとうございます。

私が誰かに伝えたいことは、これだけなのです。



つけたし1月16日

ボンヤリと思考していると、おかしなことを思うものです。

わざわざ、新しくまとめて書くほどでもないので、ここに記録しておきます。

私が生きている現実の世界とは、2次元なのだと思うのです。

実際には3次元なのですが、私は私からしか世界を眺められません。

360度の空間だとしても、私に向き合うものしか感じられないのならば、奥行きがあるようで、それは平面なのかもしれない?

そう思うとゲームのようなプログラミング世界に自分の位置により、世界との関係性が生まれるということなのだと思います。

それは、出会いや時間などに影響去れるのでしょう。

その影響は、私の感受性や思考にも影響することでしょう。

その、感受性や思考している行為により、多次元に世界は分裂していくのではないか?と思います。


やはり、縁の世界なのだと思います。


だとすると、私の存在は一次元なのかもしれない?

対面する現実の世界が2次元。

現実でおきてもいない感受性や思考という内面世界により次元は増えていくのかもしれない?

だから、感情に振り回されるのも、考えすぎるのも危険ということなのでしょうね。

ほとんどの人は、生きていれば現実的であるのが当たり前だと思います。

私としても、妄想が好きですが、現実のほうが馴染みがありますので、VR空間には馴染めそうにありません。

どちらにしても、こんなことを思考しているじたいが、満たされた証拠であり暇なのですが、そんな暇があることは、ありがたいのです。


これも、私の立ち位置なのでしょうね。


ほどよい距離感の次元で生きたいと思います。


きっと、伝わらないかと思いますが、こんなことを思った記録として残しておきます。


死んだらどの次元なのか?

それは、ゼロか?

それとも、無限か?

どちらも大差ないのかもね。



つけたし1月17日

昨日のつづきなのですが。

現実というものは、私が向き合う対面した2次元の世界。

ぞくにいう、ホログラフィー世界とかプログラミング世界なのだとすると、向き合う私の選択は、あわせるか、さからうか、さけるか、なのだと思います。

物事には適切な時期というものがありますので、私の状態により、同じ出来事でも違った結果となるでしょう。

なにも、現実というものは、私が対面する外側の世界だけでなく、私自身の、内面世界のほうが影響しているのでしょうね。

内面世界も、あわせるか、さからうか、さけるか、なのだと思います。

怠け者の特性をもつ私としては、極力、余分なことはしたくないので、自分の生き方にあわない物事との関係性をはぶこうとするのだと思います。

しかし、それでも降りかかってくる関係性にたいしては、最低限の認識ですまそうとしているのだと思うのです。

私と同じタイプの方で悩んでいるのでしたら、そこら辺をほんの少しだけ意識するだけで生きやすくなるかと思います。

わからない人は、生きるうえにおいて、自分が独りでも寂しくなくて平気かどうか?と自身に問いかけてみるとよいかと思います。

私は、独りのほうが楽に生きれるお子様なおじさんなんですよね。

いらいろなタイプがいますので断定はできませんが、私は、生きることには、焦らずじっくりタイミングを待つことが大切だと思います。

私は、物事が起こってから後悔したり文句を言うタイプの人が苦手なんですよね。
(本人もわかっているけど認めたくないからかな?)

「そんなこと、今さら」と思ってしまうのです。

だいたい、「考えるまでもなく、学生までの人生経験で結果の予想くらい感じるでしょ」と思ってしまうのです。(ただ騒ぎたいだけなのかな?他人に伝えることで認識するのかな?)

本当にいろいろな人がいるのですよね。

そんなことに気づくのも、時期があるのだと思います。

縁と運という、自身ではどうにもならないことは待つにかぎると思うのです。

孤独が平気か苦手か?

短気か気長か?

行動派か思考派か?

そんなことがタイプに影響しているのかもね。




つけたし1月18日、Aバージョン


去年の今頃は50歳の節目にあたり、とてつもない変化がおきたのだと感じます。

 

あ、これは私ごとですので、興味のある方は、一年前の回を読んで見てください。

 

こうやって、私ごとを記録に残していると、様々なことに気づくようになりました。

 

他人様にとっては、たいしたことではないのですが、私にとりましては、客観視というメタ認知の向上になります。

 

人というものは、わかっているけど同じようなことを繰り返しているようなのです。

 

嫌なことも、楽しみも、そこにあわせもってしまっているようで、変わりたくても変われないようなのです。

 

自分自身で囲った世界とは、勝手に思い込んで決めつけた思想の牢獄のようなものなのだと思います。

 

馴染みがありますので安心しますが、抜け出せないストレスさえも抱え込んでいるようです。

 

生まれた時代により、ある程度の社会的な義務感のような抑圧は違いますが、[本当はそんなものなんて初めから無いと気づく]のには、人それぞれの時期があるのでしょうね。

 

私の場合は、何度も気づきそうにはなっていましたが、やるべきことがあったせいか?、見逃していたように思います。(無意識での認知バイアスかな)

 

その気づきが、去年だったのだと思うのです。

 

 

[本当の自分なんてどこにもない]と思っていますが、自分自身が楽に生きれることは、本当の自分のようなものだと思うのです。

 

ですから、

 

「好きなように生きたらいいんじゃない」

 

無責任を越えた責任が、この感覚なんだと思うのです。

 

 

なんだ、そんなこと!

 

伝わるといいな☺️

 

 

この世界は私とその他でおりなす世界。

 

いやがおうにも比べるしかないない世界。

 

それが生き残るすべな世界。

 

対比があるから私がある。

 

そんなこと!

 

なにも、悩んだり心配したりしたところでなにも変わらない世界。

 

起きることは起きるべくして起きる。

 

どうにもならないことは、突然やってくる。

 

そんなことよりも、生きていることを味わいましょう。

 

「好きなように生きたらいいんじゃない」

 

それが、私が生きる責任。

 

つけたし1月18日、Bバージョン

去年の今頃は50歳の節目の年であり、とてつもない変化がおきたのだと感じます。

自分自身が生まれ変わったような感じる体験でした。

あ、これは私ごとですので、興味のある方は一年前の回を読んでみてください。

私の内面世界の立ち位置が、ガラリとかわったようなのです。(変わるといっても、一気に変わるわけではなくて、半年ほどかけての感じです。)

そんな気づきが、去年の今頃だったのだと思うのです。


[本当の自分なんてどこにもない]と思いますが、自分自身が楽に生きれることは、本当の自分のようなものだと思うのです。

人というものは、わかっているけどやめられない生きもの。

なにも悩んだり心配したりしたところで、なにも変わらない世界。

この世界は起きるべくして起きる世界。

どうにもならないことは、突然やってくる。

私とその他でおりなす世界。

いやがおうにも比べるしかないない世界。

対比があるから私がある。

自分自身が囲った世界で、もがいているにすぎない。

嫌なことも、楽しみも、そこにあわせもってしまっているようで、変わりたくても変われない。

無責任を越えた責任があるのだと思います。

私が生きる責任を手放さないでください。

十分、やったではないか?

私も、その他も楽に生きればいいんじゃない。

まずは、私からでしょ。

だからさ、

「好きなように生きたらいいんじゃない 」

なんだ、そんなこと!

伝わるといいな 


すでに、このような[気づき]が起きた方、これからの方、どちらの方もお幸せに。

人それぞれの時期の幸せを生きたらいいんじゃない。

私が、とやかく言うことでもないけどね。


あ、1月18日を二回書いてしまった。(一方は消してしまったと思って書き直したのですが。)せっかくですので残しておきます。あなたはAとBのどちらのバージョンが伝わりやすいですか?

まっいいか。




つけたし1月19日

崖っぷちに追い込まれて、はじめて自身に向き合うのかもね。

最後の最後に残ったものは、私ということなのかな。

世の中、いろいろなタイプの方がいますが、結局、たどり着く境地は悟りなのかもしれません。

やるべきことをやりつくした先にかんじること。

我が道を生きてみれば、わかるのだろうね。

私は、やっと入口に入ったところですが。

それぞれの道を生きればいいんじゃない。

私にとりましては、それは、

怠け者の道だったのだと思うのです。

あなたにもきっと、子供のころから気になること、いつもかんじることがあるかと思います。

なんでこんなことを思うのだろうか?

たとえ、それが少数派で常識はずれの価値観であったとしてもね。

おそらく、私に近いタイプの方にしか伝わらないでしょうが、それでも、なにかのヒントになればよいかと思います。

きっと、違うタイプの方は、私の文章など興味も持たないでさけてしまうでしょうからね。

それでいいと思います。

それが私の世界ですからね。

きっかけはなんでもよいのです。

なによりも、このハーメルンに出会い書くことで、私は救われたのだと思います。

ありがとう☺️


つけたし1月20日

ハーメルンでの小説投稿をして、はや4年。

はじめは息子の真似をして書き出したのですが、いつの間にか、小説というよりも自身の日記のようになりました。

現実と空想がまざりあったような。

私は、自身の人生を生きることが一番の娯楽なのだと思います。

生きている間の楽しみ。

現実も空想も楽しめばいいと思います。

誰かがつくった物語も楽しみですが、それを味わうことを含めた自身の人生ほど波乱万丈なことはないかと思います。

たとえ、誰にも伝わらなくても、楽しめれば、それでいいと思います。

おそらく、[書くことで楽しめる。]物書きとは、そんな性分なのだと思います。
(私は、子供のころから文字を書くことが苦手でしたが、入力という手段を覚えたから続けていられるのだと思います。)

これは私の記録なのです。



ありがとう☺️


つけたし1月21日


しょせんは、人が想像する事柄など現実が9割だと思います。

ほとんど似たり寄ったりになるのはそのためなのかな?

思考じたいが、現実を根元としていますからね。

より抽象的な事柄に向かうのは、そのためなのかな?


若い人にはわからないかもしれませんが、長年生きていると物事を選択することが、めんどくさくなってきます。

たいがいのことは、どちらでもかまわないことばかりなようになってきます。

怠け者だからなのか?それとも、そういうものなのか?

私には、わかりませんが、最近はひどくなってきている気がします。

なにかを選択する行為ほど、つかれるようなのです。

自由というものは、つかれるのかもね。

そんな私は、

自動にエネルギーの節約をしているのかもね。

歳をとったといえば、それまでなのですがね。

これはこれで、いいものだと感じています。

また、あれほどに興味があったものに(映画やアニメやゲーム等)長時間関われなくなってきました。

ある程度の転回が見えてしまったり、ありきたりの設定だと、その行為のほうがしんどくなってきます。

だから、ボンヤリとしているのかもね。

それでも、生きていると実感している私がいます。

なんだか、そんな自身を楽しんでいるようなのです。

繰り返してきた日常を味わう幸せとでもいえばわかるかな?(季節の変化や1日の時の流れ等)

生きがいがなくても幸せなのかもね。

やはり、若い人にはわからないかもしれませんがね。


オッサンのたわごとから、ジジイのたわごとになっていくようです。



つけたし1月22日

今年で51歳になります。

年齢を気にする歳でもなくなってきました。

老いていくことに、あらがうもよし、気にしないもよし。

人、それぞれの生きる道があってもよいと思います。

歳上からみれば、みんな若造な感じの人もいますが、私は、それすらも気にならなくなってきているようです。

いつか死ぬ、その日まで、生きているだけのこと。

たとえ、平和ボケといわれてもね。

そんなこと、どちらでもかまわないのです。

自身の体の老化は、私が一番感じております。

確実に、老いていくのです。

そんな幸せがあってもよいとよいと思います。

ありがとう☺️。



つけたし1月23日

これからは選択の時代だと言われています。

世界が多様化していくことによる選択。

どんな人生を選ぶかは、あなた自身。

だけどね、生まれた時に、ある程度の能力と特性は決まっているのだと思います。

歩んできた人生の体験を、なかったことにはできないと思います。

忘れることはできるけどね。

私は、生まれ持った能力と特性が潜在意識なのだと思います。

だから、潜在意識の書きかえはできないと思います。

ただ、生まれ持った能力と特性の範囲の中からの潜在意識の選択はできるかと思います。
(コーチングで言う、自己洗脳ですかね?)

できないことをして嫌な思いをして生きるか、できることで楽に生きるか、選択できる時代なのだと思います。

これが、怠け者の道を歩む私の基本です。

今の時代のことはわかりませんが、私の時代は、たいがいのことは学生時代までに体験できたかと思います。
(人間関係や自身の能力や特性による向き不向き)

社会人になってまで、嫌な生き方をすることはないんじゃないのかな?
(自身にあわないことはしない。)

まぁ、人それぞれですがね。
(違うタイプの方、違う道を歩んでくださいね。私にはわかりませんがね。)


ジジイのたわごとですね。



つけたし1月24日

一年ほど前の[はっと我に変える瞬間、自分さえも消える瞬間。]の回にもつけたし日記をしていましたが、一年でづいぶんかわったと思うのです。

相変わらず、おかしなことを自問自答していることはかわらないのですが、内容の視点が一段階あがったようなのです。

今まで気にしていたことが気にならなくなったこと、時間の流れのパターンによる様々な可能性をボンヤリと感じていること、大きな枠の中のうねりによる変化と自身の立ち位置をなんとなく感じること。

あくまでもなんとなくですので、うまくは説明はできません。

人には、それぞれののタイミングがあるのだと思います。(誰もが自身のタイミングを生きればいいと思います。わかっている人ほど、ヤボなことを口出さないのです。)

それが、縁と運なのだと思います。

勝手に目的を感じて理由つけをする世界。

自我を越えることはできませんが、エーテルのように広げれば、大きな影響を感じることができると思います。

偶然による、錯覚と直感は思考のきっかけなのかもしれません。

身体で思考するたとは、忘れ去られた体験の感情からの導きなのかもしれません。(遺伝子の記憶もね。)

私は自然の一部。

あまりにも、意味不明かな?

ジジイのたわごとですね。



つけたし1月25日

なぜだかわかりませんが、人は生きていると[自身が生まれた理由を思い出す。]と言われています。

おそらく、若い頃は世間体という社会的な常識を気にするあまりに、なにかと生きずらさにより寄り道をしているのだが、ある程度生きていると、そんなものは人それぞれの価値観でしかなく、時代にあわせた、上っ面でしかないと気にならなくなるからなのだと思います。
(ごまかしと反発によるストレスのループからの離脱かな。
無駄な争いをさけるためにも上っ面は大切でけどね。
何も誰とでもわかりあう必要もないと思います。)

それぞれの生きやすさに戻ることが、自身が生まれた理由を思い出すということなのだと思います。

本来の生まれ持った能力と特性に、生き方が近づくということなのだと思います。

そのタイミングも、人それぞれですがね。


うろたえなさるな。

まだ、生きているでしょ。

やるべきことをすればいいんじゃない 

感情は錯覚。

だいたい、覚えがあるでしょ。

今まで、生きてきて、生き抜いてきた私。

うまくいったり、いかなかったりさ。

いちいち、気にするなよ。

それも楽しみな。

人それぞれの生きる理由でね。


ジジイのたわごとですね。



つけたし1月26日

若い頃は、外側の世界を体験することで、自身の生まれ持った能力と特性を少しずつ広げているのでしょう。

自身と違う人たちを学ぶ体験なのかな?

ある程度の体験をして、自身の生き方に取り込んだ人は(ふにおちた方)、根元的な自身に戻っていくのだと思います。

比べる必要もないほどに、あなたも私も大差ないのかな?


さぁ、今年は何がおこるやら?

私の内面世界の変化。

私の外側世界の変化。

ただ、みつめて、味わっていきたいと思います。

昨年の私は、どうすれば外側の世界をフラットに感じれるのか?(全体をふかんできるのか?)と思っていました。

一年間たって、私なりに、理由つけや価値つけよりもボンヤリと感じることだと思いました。(みるというよりも感じることかな?)

時が来た。

今年は、ただ生きていたい、と感じています。

感情による欲求も含めてね。

ある意味、現実的(社会的)に生きる、最後の年のような気がします。

今までの私。

これからの私。

あいだの私。

新しい世界に向かって。

現実を懐かしむのもよいかと思います。

なんだか、どんどん変化していくのだよね。

これも、また、自然。

あくまでも、私にとってですがね。


つけたし1月27日

毎日、このつけたし日記という形で自身と向き合っている。

自分自身に写り混む外側の世界を観察しているかのように。

私は鏡のように感じる。

それを抽象的な文章にかえて記録している。

私を通して出てきた世界。

私の願望と特性が入り交じり、私なりの現実を生み出す。

半分は自身に酔いしれているのだろうね。
(自身の根元からの投影かな?)

残りの半分は、私にもわからない意味不明なもの。
(外側の世界の幻影によるかげろうのようなものなのかな?)

なんだか、生きてみれば謎解きに出会うように思う。
(その接点が、折り合いのついた現実世界かな?)

それは、あまりにも不確かな感覚だから、夢や幻に近い感覚なのだと思う。

あぁ、これはいつかみた世界。

デジャブとは、なんとも摩訶不思議ではあるが、それこそ私が今も生きているということなのだと感じるのです。

「オーイ、戻ってこいよ!」

私が私を呼ぶ声がする。

立ち位置は大切にしましょうね。


つけたし1月28日

お金のブロックについて考えてみよう。

私はお金にシビアだと思う。

人生、自力で生きていくと感じた時から、お金に関して学んできたように思う。

だからといって、努力してまで金持ちにもなりたくなかったのだと思う。(家が商売をしていたからか?)

今まで、お金にかんしては、収入があれば必ずといっていいほど増えている。

子供の頃から、あまり計算して計画するのは好きではないので、余分なことには使わない生き方がルールとなっているのだと思う。

生まれ持った特性なのか、なんらしかの影響を成長期に受けたからなのかはわからないが、自分自身の生き方を法則化するタイプなのだと思う。

お金がいくらほしいか?よりも、どんな生き方がしたいか?なのだと思う。

コーチングでいう、コンフォートゾーンなのだと思う。
(お金を求めなくなるとお金が増えるのかもしれない?)

別に気にならないし、そんな自身にも嫌な気もしないので、これでよいと思う。

私が生きていくのにたいして、さほどお金はかからないという現実がある。

病気になったら、としても、死ぬだけだと思う。

死ぬだけと言っても、この歳になってまで、死ぬことを怯えるよりも、生きていることを楽しめればよいと思うけどね。(人は遅かれ早かれ死ぬものですから、お迎えが来るのも楽しみなくらいですね。)

なんにせよ、子育てをしていた頃はそうとも言えずに、お金の計画ばかりしていたことを考えれば、今は気楽なものだと思う。(他人にたいする責任感をかんじやすいタイプなのかな?)

気楽になったことで、私とお金の関係性もかわったようで、あまりお金のことを考えなくても生きていけるようになった。

これは、お金のブロックがはずれたということなのか?

それとも、ただ単に世間と私の関係性がずれただけなのかな?

どちらにしてみても、気楽に生きれることは、私にとっては、幸せなことなのです。

今年は、お金だけでなく、いろいろなブロックがはずれていくようです。


つけたし1月29日

占星術占いをYouTubeで見ていて、水瓶座の特性について「なるほどな!」と感じた。

疑り深い私なので、そうかもな、くらいではあるのだがね。

水瓶座は、我が道を行く。

水瓶座は、枠の外側に独りでいることを好む。

水瓶座は、独自の視点をもつため、問題点に気づきやすい。

水瓶座は、変革者。

なんだか、この歳になって、とても納得してしまうのだが?

そもそも、占いなんて、解釈しだいであり、確率的には、当てはまる人もいて当然だと思う。

たまたま、今の私に都合のよい答えなのかもしれないしね。

だけど、宇宙の大きな周期的な法則の影響がないとも言えないのが、今の私の心情なのです。

それだけ、生きているということは、自分自身を超えた力に委ねられていると感じているのです。

水瓶座の人は、集合的宇宙意識の外側からやって来たのかもね。

否論理的ですよね。

独自の世界観といえば、水瓶座なのかもね。

私の根元なのかもしれないね。

とにかく、占いなんてものは、ほどほどにしましょうね。



つけたし1月30日

昨日のつづき

水瓶座にとっては、占いにかぎらず、自分以外の情報は全て疑っているのかもしれない。

たまたま、自身にあうタイミングの情報を選んでいるのだと思う。

根元的には、外側から世界をふかんしているのだろう。

おそらく、自分自身ですら、その内側の世界を生きている存在として感じているのかもしれない。

常に一歩退いた所から眺めているのかもしれない?

そう考えれば、世の中は現実的であり、生きている間の関わりでしかないのだろうね。

クールな存在というのも、めんどくさくと、私は思います。

自閉的であるがゆえに、感情がとぼしく見えるだろうが、しっかりと感じているのです。

ただ、他のタイプのようにハシャゲないだけなのだと思います。

せっかく、生まれてきたのに、悟り癖のある変り者ということなのだと思います。

やっぱり、今回が最後かな?

それとも、始まりだったりしてね。

わからないという楽しみに

ありがとう☺️

そもそも、信じるって、何?


皆さんは、生まれながらに適当なんだろうね。

私は、長年生きてきて、やっと適当になれたようです。

水瓶座とは、ノリの悪い、はみ出し者ともいえますね。


つけたし1月31日

今年の1月も今日で終わる。

人が認識の為に勝手に線引きした概念。

それも情報という仕組みであり、仕組みが合わさったものが枠という文化となる。

それぞれの枠が常識を無意識で囲うコミュニティ。

生まれながらの能力と特性を、それぞれのコミュニティがおおいつくす。

現実も思想もね。

学びにしても宗教にしても、自分自身に近いものを選んだほうがよいと思う。

私にしては、全てがなくなる仏教と、我が道を生きる神道なのだと思う。

その他の制約が多い宗教は、私にあわない。

答えや戒律なんてものは、人生で味わうものだと思う。

真理なんてものがあるとするならば、

[人それぞれ]

ということなのだと思う。

それぞれのタイミングでそれぞれの縁と運で生きる。

それすらも、生きている間の出来事でしかない。

無情を超えた導きがあるのだと思う。

生まれた理由があるとすれば、

我が道を生きることなのだと思う。


あくまでも、私の解釈ですよ。


人それぞれでよいと思います。


なんだか、[それ]が多い文章だな。

人それぞれのそれを生きましょう。


そういうものだと思います。



つけたし2月1日

今年の流れをボンヤリと感じる。

人が働くのは自然のことだと思う。

ただし、世界に対して働きかけるのであって、サラリーマンとしての働き方しか知らないのは、残念な生き方だと思う。

時代により、仕方がないのも分かっているのだが、長年生きてきて、自分自身にあった働き方(世界との関わり方)を見つけられたなら、その人は幸せなのだと思う。

現在の私は、週4日、1日5時間のパートを2年程しているのだが、今年の10月で辞めることにした。
(世間体や暇つぶしのために働くのもおかしく感じる)

どうにも、私の生き方にあわなくなってきたからだ。

おかげさまで、生活は残りの人生なんとかなりそうである。

この先、どうなるかわからないが、[働いたら負け]とは違い、なにかに気を使う生き方をしないため(とにかくめんどくさい)にも働かない生き方をはじめてみたいのだと思う。

それだけ、世間様にたいする価値観がずれてきたのだと思う。

私も、そんな歳になったのだと、あらためて感じる。

心配とか不安を超えた、自身の根元にさからえなくなってきたのだと思う。

いざ、怠け者の道へのカウントダウン。

やりたいことをやりなさい。

好きなように生きなさい。

ありがとう☺️



つけたし2月2日

自分のことは後回しにして、人様のことばかり気になる人がいる。

それはそれで悪いわけではないが、私は個人がない人生はおかしく感じる。

なぜ、人様のことばかり気になるのか?

その裏には、どんな心理状況があるのか?

大多数の側に属する人たちほど、人様のことばかり気になるような気がする。

同じように振る舞う人が多いほど安心感は増すはずなのだが、実際は逆のように感じる。

タイプにもよるのだろうが、私が感じる疑問すら感じない人たちが多いのだろうね。

しかし、そんな人たちほど、ストレスが多いように感じるのです。

だからといって、私がどうこうしようとも思わないけどね。

どうにもならないでしょうからね。

自業自得の世界だと思うのです。

とても、クールなのです。

それぞれがあるだけで、ワザワザかんしょうせず。

怠け者の道。



つけたし2月3日

生まれながらにして自分に疑問を感じないで、自己中心的に考えて生きれる人。

生まれながらにして他人がどう感じるのか優先してしまう人。

私は、ひとつ上の視点から観れば、どちらも自己中心的な発想なのだと思う。(お互いに遠回りをしている状況かな?)

好かれる必要もなければ、嫌われる必要もないと思う。
(どちらも、他人のことがわからないことにかわりはなく、学びの過程が違うだけなのだろう)

一番よいのは、他人がどう感じているのかわかったうえで、柔らかく自己中心的な生き方ができる人なのだと思う。

そういう私も、以前は他人に気をつかってばかりいて、とても疲れやすかった。(不安や心配というよりも、生存戦略としての生き方が染み付いて不自然になっていたようだ。)

本来の私の根元は、周りを気にしない我が道をいく自閉的なタイプなのだが、成長期の過程で人の顔色を気にするようになったようだ。
(今では、それもよい経験だったのかも?と思えるようになりました。)

相手に合わせて、ペルソナを使っても疲れるのはかわらない。

悩んだところで仕方のないことがある。

悩むよりも気づくことが重要なのだが、とても難しく思う。

幸い、私は紆余曲折して我が道へともどれたようなのだが、そうでない人たちのほうが多いことだろう。

そんな人たちに「他人のことなんて気にするな!」と言ったところで意味がないように思う。

言われるまでもなく、無意識ではわかっていて悩んでいるのだから、気晴らしをつくるか、逃げ場をつくるか、だろう。

それでも、おいこまれたなら、おもいきって生き方を見直すしかないのだと思う。

きっと、それまでの生き方は自分にあっていなかったと気づくことだろう。

それぞれの幸せを求めて生きていいのだと思います。

皆さん、お幸せに。


つけたし2月4日

愛について考えてみよう。

とても抽象的ですね。

誰もが知っているようでとらえようがない。

愛とは、幸せなのか?

愛とは、心地よさかな?

愛とは、人それぞれ?

答えのない、愛。

以前に私は、❤️=愛、夢、とした。

まずは自身から心地よく生きましょう。

ゆとりのない人に、他人を気遣う純粋の愛が自然にあふれてこないと、私は思います。

満たされたあなたに愛があふれますように。


なんてね❤️


ちょっと、逆から考えてみよう。

個人が満たされない世界に愛はあふれるのかな?

モラルに厳しい制限の多い社会。

私の尊厳はどこにあるのだろうか?

誰にも私がない社会に満たされた未来は訪れるのだろうか?

他人を監視することで、満足感をえるのか?

どこまでいっても、折り合いのつかないような気がする。

それは、私の内面をかきみだして愛を奪っていくような気がする。

不安と心配を撒き散らしながらね。

それが愛と感じる人もいるだろうが、私は醜く感じる。

私はなるべく醜い生き方をしたくないと思う。

どれだけ、落ちぶれたとしても、自身の尊厳だけはなくしたくないと思う。

おっと、あぶない、私の中にも怒りの種があるようです。

なんだか、ネガティブな私ですね。


そんなときもあるものです。






つけたし2月6日

世の中、物質から精神の時代へと、言われるようになってきました。

私は、「いまさら?」と感じております。

子供の頃から、質素倹約で生きています。

老後の心配と言われましても、ずっと老後の生活のようなものです。

一時は、恋愛やパチンコや酒にお金を使ったこともありましたが、私の生き方ではなかったようです。

どうように、子育てと仕事が中心な時期も体験しましたが、私の生き方ではなかったようです。

ということで、現在はボンヤリと何もしたくないと思う生き方をしております。

何もしたくないと思う生き方といっても、毎日あれこれと楽しみはあるもので、私の慣れ親しんだ世界と共感する瞬間を多く感じております。

今のところ、この生き方が私にはあっているように感じております。

世間様は、どうしておしえてくれなかったのだろう?と思うのですが、少数派の例外的な生き方だからだと思うのです。

あれこれと、試してみてたどり着く生き方でしかないのだと思います。

それぞれの生き方があるだけで、かんしょうせずということなのだと思うのです。

このような、少数派の感性をお持ちの方には、自分にあった情報が少ない世の中ですが、私の価値観がなんらかの参考になれば幸いに感じます。

はじめは言語で思考するしかないかと思いますが、あなたの身体で感じてみると良いかと思います。

理屈や道理も大切ではありますが、素直に生きてみてはどうですか?

まぁ、私自身に話しているようなものですがね。

全ては生きるついでに起こることでしかなく、ただ流れているだけのようなもの。

それぞれの流れがあるだけであり、たまに互いに影響を与えあっているようなもの。

おそらく、それが愛なのかもしれないね。

共有する世の中に誕生するとは、そのようなことなのだと感じております。

存在とは愛なのだと感じております。



ありがとう☺️


おまけ…精神の時代といっても、私のような感覚過敏タイブの方は、勝手に世の中の情報が入り込んで精神の暴走がおきかねませんので、感覚の制御の仕方を学んでおいたほうがよいと思います。
いわゆる、反すうという状態のことですが、私はボンヤリと生きる生き方で楽になったように感じております。
様々な経験と知識によって、思考に上がる前に、無意識で取捨選択しているような気がします。
それぞれの対応の仕方があるかと思いますので、なんとも言えませんけどね。


つけたし2月7日


精神の時代について考えてみよう。

私はスピリチュアルやオカルトという精神的なことに興味が向かうようです。

人には、生まれながらなに特性がありますので、生まれた時代と自身の特性の相性が生きやすさに影響するのだと思います。
(肉体の体質のように霊的体質というものにも特性があるかと思います。)

スピリチュアルといっても、さまざまなタイプがありますので、自分にあうタイプを探すことから始まるかと思います。

それも含めて学びだと思いますので、物質の時代とかわりはなく、経験が必要となるかと思います。

教える側にしましても(私は人に何かを教えるタイプではありませんが)、完璧ではなくて理解度の差が大きく関わってきますので、お互いに理解していくのかもしれません。(人によって表現の仕方が違いますし、感覚の捉え方も違うようです。)

スピリチュアルを突き詰めていくと、自分自身の特性上の次元の高みがあるようで、それを高次元の存在と言ったり、抽象度をあげた思考と言ったり、ワンネスと言ったり、宇宙意識と言ったりするようです。

確かに人には、言語を超えた感覚での意思の交流があるかと思います。

くれぐれも、スピリチュアルは万能ではなくて、学んだからといって、苦悩がなくなり思い通りに生きれるとは限らないと思いますので、皆様、お気をつけください。
(むしろ、感じられなかった苦悩に敏感になり生きにくくなることもあるようです。)

私は、スピリチュアルとは、世の中の関係性を感じとることで、自身と向き合うことだと感じております。

私と皆様に安らかな幸せが訪れますように。


ありがとう☺️


つけたし2月8日


スピリチュアルについて考えてみよう。

スピリチュアルに興味関心を持って生きていると、感覚と世界との関係性が分かってくるような気がします。

元から感覚が敏感な人も、そうでない人も、「人間も地球と共生しているのだなぁ、]と感じてならないです。

たまたま、化学文化の時代に生まれただけで、誰もが地球と連動して生きていると思います。

忘れてしまった能力があるのでしょうね。

それを、霊感というのかもしれません?

世界の流れが発する意識のようなもの(意識にもならない気もあるかな?)人の意識は特に強いような気がします。(気配のようなものかな?)

動物や植物からも感じられますよね。

それらが、集まった山や川等の自然にもね。

長年かけて進化した反応パターンがDNAに組み込まれているからなのかな?

瞑想をしていると、それだけではなく、何か別の要素があるような気がしてきます。

信じる以前の根元のようなものかな?

考える必要すらない、心地よさかな?

反対に不安や恐怖も感じられますよね。

人であるかぎり、あくまでも気がする程度でしかないのですがね。

肉体の生存こそが、優先される現実に生きているということなのだと思います。

たまに、無防備に肉体からはみ出したりしている人もいるようですがね。

おかしな意識にとりつかれないといいのですがね。

とにかく、人によっては、スピリチュアルは危険なものだと思いますので、ほどほどがよいかと思います。

私は現実的なスピリチュアル好きなのだと思います。

結局、スピリチュアルなんてものは、どれだけ学んでも答えはありませんね。

そんなところは、現実の生き方とかわらないのでしょうね。

できれば、スピリチュアルなどに興味をもたずに、現実的に生きたほうがよいでしょうね。

ここまで読んでいるということは、あなたはスピリチュアルに興味があるのでしょうね。

スピリチュアルを学びたい人は、せめて、客観的に自身をふかんするメタ認知能力を覚えたほうがよいかと思います。



つけたし2月9日


百年ほど前は、人も大人になるまでに半数ほどがなくなっていたようです。

嫌な言い方ですが、自然に間引きをしており、人口バランスを保っていたようです。

生存率の高い者は、その時代に適応できた人だったのだと思います。

しかし、現代はほとんどの人が大人となります。

病気や事故でなくなってしまう人もいますが、特性により自らなくなる人もいるようです。

それでも、多くの人たちは、昔よりは生き残り大人となることでしょうね。

一昔前なら生き残れなかった特性をもつ人が多くなっていくことでしょうね。

新しい時代の価値観をもつ、新しい生き方が始まることでしょう?

さまざまなタイプの人があふれてきた理由も、そんなところにあるのかもしれませんね。


つけたし2月10日

私は熱帯魚を飼うのが趣味でボンヤリと眺めているのが好きだ。(自閉的なタイプには多い趣味だそうだ)

魚にしても様々な形があり、体型によりヒレの動かしかたがそれぞれに違う。

進化の過程において獲得した能力。

生まれながらにそなわった能力は、自覚なしに無意識に作動して生存の優劣となる。

私たち人はさほどの体型の違いはないが、感情や思考の見えないところの能力の違いは大きいように思う。

私は、なるべく目立ちたくないと思う。

あまり、大勢の人と関わるとろくなことがないように思う。

静かに我が道を生きたいと思う。

なかなか自分自身に気づけないのは、あまりにも無意識だからなのだと思います。

だからといって、意識した瞬間に自然は壊れて関係性がくずれてしまう。

世界をありのままに観ることは、それだけ難しいのだと思います。

私はボンヤリと客観的な視点で生きております。


人ゆえの嵯峨ということなのてをしょうね。


つけたし2月11日

スマホについて考えてみよう。

スマホの使い方により、その人の生き方がわかるような気がする。

普通の人では、

一番多いのは、SNSでのコミュニケーションだろう。

そのつぎは、調べものかな?

買い物をするときの、財布のかわりという人も多くなってきているようだ。

暇つぶしにゲームって人もいるようだ。

私はというと、音楽を聴くことが多い。

あとは、このハーメルンでの文章を記録することかな。

メールは、ほとんどが必要のない読まずに削除のものが多いね。

電話はたまにかかってくる程度で、かけることは月に一度くらいかな。

ツイッターは二年程試してみたが、私とは合わないようで、今ではもっぱら、趣味の観賞魚の情報を観るくらいだね。(共有したり発信するタイプではないようです。)

YouTubeは、画面が小さいので観る気がしない。

仕事で使っている人も多いようだが、そもそも、私は働きたくない。

たまに、株価の検索はするけどね。(これは仕事にはいるのか?)

私にとって、スマホは、そんなものであり、電話ができればそれでいいのかもしれない。
(インドア派のタイプはパソコンのほうがよいのかもね。)

だけど、以外とスマホからの情報の影響を無意識に受けているのだとも感じます。

アプリひとつダウンロードすれば、楽しみが増える、魔法のようなものがスマホなのかな?

快楽の報酬を求めて、のめり込む人も多いようです。

スマホもほどほどがよいのでしょうね。



つけたし2月12日


私は、子供の頃から特撮ヒーローものやアニメが好きだ。

毎日、夕方の再放送を楽しみにしていた。

特に思い入れがあるのは、小学一年生の時に観ていた、スーパー戦隊のバトルフィーバーJである。(初めてロボットが出てきた。戦艦と超合金を買った。)

内容はあまり覚えていないが、今でも主題歌を聴くとワクワクしてくるのだ。

中学一年生の時に観ていたバイオマンもすてがたい。

親になってからも、子供といっしょにタイムレンジャーを観ていた時は懐かしい感覚だった。(仮面ライダークウガやウルトラマンティガも観ていた。10年くらいはいろいろ観ていた。)

今でも、形をかえながらも時代に合わせて戦隊シリーズは続いているようで、これは日本の伝統文化なのかもしれないね。

さすがに全部は観れないけれど、人生の節目に出会いがあるシリーズ作品に感謝します。

ありがとう☺️


つけたし2月13日


名越康文さんの[存在的憂鬱]というYoutubeを観て思うこと。

2年ほど前にも観たのだが、この頃は[私はひとりではなく、複数の人格がまじりあっていて、バイオリズムにより、体調と気分が変化している。]こんなことをよく考えていたことを思い出した。
(今でもかわらないかな?)

[呪いプーム]の頃だったと思う。(過去の回にも書いてありますので興味のあるかたは読んでください。)

なぜ、日本語には、[私、自分、自身、僕、俺]等とわたしを表す言葉が多いのだろうか?そんなことも考えていた。

今では、あたりまえのことなのですが、[本来のわたしなどどこにもいない。その時の状態があるだけ。]ということなのだが、ふにおちるまでに何年もかかったのだ。

昨年の半年ほどの気持ちの落ち込みにより、私はかわったような気がする。

それ以前と以後では世界観が違うような気がする。

あくまでも気がする程度でしかないのですがね。

私は、気温により気分がかわるようで、寒いのが特に苦手でネガティブになりようだ。
季節の変わり目は、体調が悪くなる。

自分自身の特性を客観的に理解していると、「また、お会いしましたね、鬱さん。」と受け流すことができるようになり、少しは楽に生きれるようになりますよ。

毎日の体調管理のように、気分の管理の仕方も学んでみるとよいかと思います。

しかし、自分自身ではどうにもならないときは、他人の力をかりましょうね。


今回のつけたし日記は、これで最後となります。

皆様、読んでくださり、ありがとうございます。

それぞれの、幸せを願っております。











































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生まれながらの霊的な特性があるのかもね?


皆様、お元気ですか?

私は、かわりばえもなくボンヤリと生きております。

「生まれながらに身体的な特性があるように、霊的にも特性があるのかも?」

ばっさんのYouTubeのライブ配信を観て思ったのです。[霊能、スピリチュアル、瞑想、わかりやすい次元の話、徐霊のためのお経の使い方など]興味のある方は観てはいかがですか?私は、とても、現実的なスピリチュアルの感覚を感じます。


今回は、そんな思ったことを記録として描いておきます。

今回の内容は、あくまでも、私の感覚ですので一例として読んでくださいね。



 

 

精神とは、なんだろう?

 

 

スピリチュアルなのか?

 

チャクラなのか?

 

ハートなのか?

 

オーラなのか?

 

言葉は曖昧であり、曖昧のままに使われているのだと思う。

 

その人なりの、決めつけでしかないのだと思う。

 

なんとなく思い描くイメージが精神なのだと思う。

 

それぞれの感覚でしかないのだが、それぞれの内なるイメージが[念]となり外側の世界(共有世界)に残されたものが言葉により概念かされるのだと思う。

 

本来は言葉などにできないほど曖昧なイメージは、本人が感じるだけのものなのだろう。

 

人ゆえの嵯峨であり、業とも言えると思う。

 

次元を越えて、やっと見つけた私に気づく感覚。

 

生存のための次元に生まれて生きている業を背負った生きもの。

 

人だからこそ、気づく感覚が嵯峨なのだろう。

 

思考する生きものゆえにね。

 

思考という精神は、本人を越えてどこまでも拡がるのだと思う。

 

ありもしないものを念じながら生み出しているのだと思う。

 

それこそが、人間の歴史なのだと思う。

 

 

私は、どこから生まれたのか?

 

その問題に答えはない!

 

答えのないことが、生きることなのだと思う。

 

ただ、進むだけでしかないのだろう。

 

答えがあると思い込みながら、願いながら進むしかないのだろう。

 

祈りとは、そんなものであり、それが精神なのかもしれないね。

 

 

そんな精神は、共有世界である現実の三次元空間を越えて思想空間をただようのだと思う。

 

空間と時間のない次元の感覚とは、意識の感覚の世界。

 

それぞれの精神が思い浮かべることで生まれる世界。

 

それを[霊的世界]というのだろうね。

 

それぞれの特性にあう[霊的世界]があるのだと思う。

 

三次元は、物質的な特性をもつ霊的世界の一部なのだと思う。

 

次元が上がるほどに、言葉では説明できないほどに曖昧なイメージの世界なのだと思う。

 

あくまでも、それぞれの感覚の世界であるが、わかる人どうしでは伝わるのだと思う。

 

その特性をもつ人が、気づくことにより(思い出すのかも?)それぞれの感覚の生きやすい世界へ向かう(感覚が感じる)のだと思う。

 

それは、錯覚なのかもしれないね。

 

だけれども、疑問を感じるとはなんだろう?

 

なぜ、そう思うのか?

 

なぜ、そう感じるのか?

 

そもそも、なぜとは?

 

生存に重要でない、なぜなのか?

 

生物を超えた、なぜとは?

 

答えなど、求めていないのにね。

 

おそらく、そんな[なぜ]こそが特性なのだと思う。

 

ひたすらに追及する特性なのだと思う。

 

他人は、好きなように生きればいいと思う。

 

同様に、私は、好きなように生きればいいと思う。

 

これは、他人も私も同じということなのだろう。

 

ただ、それぞれがあるだけであり、次元があがるほどに、そのような感覚に気づくのだと思う。

 

 

もしかして、[存在そのものが答え]だったりしてね。

 

それぞれのね。

 

 

 

 






皆様、読んでくださり、ありがとうございます。

なんのことやら?

我ながら意味不明な文章だと思います。

うまく説明できなくて申し訳なく思います。

それでも、興味のあるかたは、スピリチュアル好きなのでしょうね。

それぞれの[気づき]がありますように祈ります。

それこそが、今の私の精神世界観だと思います。

あくまでも、私が感じて思っているだけですけどね。


また、あいましょう。



つけたし、

今、この瞬間の私は、ここに閉じ込められた[念]なのだろう。

二度と現れない私を記録し、公開する世界にありがとう。

私の中の一部となり生きましょう。

あなたの中の一部となり生きましょう。

認識するとは、そういうこと。

出会うとは、そういうこと。

記憶に残すか忘れるか?

打ち消し会う、ベクトルは真逆の存在。

気づくとは、そういうこと。

ただ、記録にただよう[念]となりし存在。



2月28日、つけたし

今回もつけたし日記をしようと思う。

こうして、なんらかの記録をつけることにより、何かが感じられるとよいかと思います。

YouTubeで[自分の構造理解1]sorrowmaharsinという動画を観た。

インド仏教のヨーガの解説をしているようであるのだが、10年前の動画であり、いまだに418回視聴なのだ。

たしかに古くさくて誰も興味をしめさないだろう。

私が、なんとなく加藤諦三さんの[自分の構造]という本の要約動画でもないか?と検索していて、たまたまであったのだ。

しかし、観だすとすんなり観れてしまった。

まだまだ続きがあるようで楽しめそうである。

加藤諦三さんの[自分の構造]という本も、Kindleで読んでいる。

1980年の出版で、私が8才と時の本なのだが、私が加藤諦三さんの人生相談をラジオで聴いていた時期があったり、何冊か本を読んだりしていたせいか、抵抗なく読めるのである。

いつの間にか、加藤諦三さんの世界観を取り込んでいたのだろうと思う。

ということは、私の感覚も古くさいということなのだと思う。

ついでに、気になったユクスキュルさんの[生物から見た世界]という本も読み出した。

これも、かなり古い本のようだが名著だそうだ。

おそらく、何年か前の知識の私では、興味があったとしても、文字をおうだけでほとんど理解できなかっただろうと思う。

わからないなりに探求してきた生き方が、今になって私の世界観を造り上げているのだと思う。

皆様も、生きていればわかるかと思います。

頑張っている人もそうでない人も、頑張っている時もそうでない時も、その時になればわかるかと思います。

そんなことを書いている私も、まだまだ道なかばですがね。

誰もがそれぞれにあう表現にであえますように。

そんなことを思ったのであります。



3月1日、つけたし

今年も3月に入った。

日付は区切りでしかないのだが、その1日の私は二度と現れない区切られた存在でしかないと思う。

先ほど起きて、朝一番にこれを描いておきます。(人は、毎日リセットされるのか?アップデートされるのか?わかりませんがね)なんだか、そのような気分だということなのです。

記憶が私を同一視しているのだが、その記憶とは、どこにあるのだろうか?

思考する存在である人が感じる疑問なのだろう。

本や動画等を観ていると、そんなことを思う。

これは、私の根元の感情なのだろう。

ただ、最近の私は、それぞれの存在にそれぞれの意味を感じることが、それぞれの答えなのだと思います。

これも、日によって変化しているのだけれどね。

ただ、流れを感じているだけのような記憶する存在。

ただ、生存のための(身体の維持)存在。

繋ぎとめる根元の存在があるように感じるのです。

それは、私という概念を取り払った存在のような気がするのです。

分離と統合は、同じという錯覚に陥りそうです。(矛盾を超えた感覚)

これが、今日の私の答えかな?


3月6日、つけたし

私は、生まれ持った特性とよくいっている。

今回は、そんな、生まれ持った特性について考えてみよう。

生まれ持った特性とは、その人の根元であり、変えようとしても変わらない、どうしようもない嵯峨のようなものだと思う。

その人の性質であり、精神(内面的)と体質(外面的)は、DNAにプログラミングされているのだと思う。

人類には、人という枠の共通する特性があるが、それぞれに生存のための性質に少しずつ違いがあることで、多様な生存戦略があるのだと思う。

これは、意識でどうにかなるものではないが、それぞれの特性のままにそれぞれが生きることはできない。
(そんなことをしていたら、争いばかりで人類は滅んでしまうからね。)

人生を通して、どうしようもない特性に気づくことが、認識するということなのだと思う。

どうしようもない特性は、自身が感じることで、整えるくらいでしかないと思う。

感情はたえず変化する。

肉体は確実に老いていく。

それぞれの特性におうじての流れがあるのだと思う。

意識とは、そんな流れに逆らうことなのかもしれないし、流れを止めてしまうことなのかもしれない。
(流れとはエネルギーであり生命が発する気のようなものだと思う。)

そんな流れを、いかすもころすも、その人自身なのかもしれないね。
(流れを止めれば反乱をおこすことだろう。タイミングをわずかにずらすくらいしかしないほうがよいと思う。起こることはおこるであろうし、それが次へのきっかけとなったりもするからね。必要以上に恐れるなかれなのだと思う。)

つまり、「こだわりはほどほどにしましょう」ということかな?

ただ、流れを見つめて、見極めることなのかもしれない。

それぞれの、生きやすい世界へ向けて、あなたは何を感じますか?



3月7日、つけたし

府と思い出したのであります。

「苫米地英人さんの宇宙を語る」という本を読みたかった。
ということを。

YouTubeで、この本の一部朗読を観たからなのですが、8年ほど前に本屋を探しまくっていたがみつからなかった本なのです。

なぜか忘れていたのですが、「読んでみなさい!」ということかな?と思い、アマゾンで注文しました。

3月12日に届くのが楽しみです。

おそらく、YouTubeを観たかぎりでは、現在の私の苫米地的解釈と、さほど違いはないようですので、おさらいのような気がします。

しかし、内容はとても抽象的で理解することは難しいようで、いきなり読んでも解らなかったことでしょう。

今だから良いのでしょうか?

何か、新しい発想の発見があるかもしれません。

言葉とは、言葉そのものよりも、その言葉からイメージする発想力が重要なのだと思います。

その人なりの体験と知識によりイメージは変わるのだと思います。

私にとっては、この本は、何度も読み返すことになるような気がします。

気になる方は、読んでみては?

きっと、私の小説に興味のある方なら理解可能だと思います。
(小説の中に[8話カインドオブブルー]苫米地さんの感覚に影響をを受けた発想が散りばめられています。)


3月8日、つけたし

夜中にボンヤリと思考しております。

せっかくですので、描いておきます。

私はスピリチュアルという精神的な世界観が気になる。

今日は、そんなことを考えてみよう。

何かを特別視するということは、同時に真逆の意思も存在しているということだ。

精神的の反対は現実的である。

現実的とは、生まれた時代の価値観に染まるということだと思う。

ということは、現実的なことも気にしているということだが、私は、そちらがわの感覚をよく思わないでいる。

なぜなのだろうか?

心理学からみれば、劣等感からなのであろう。

自身のたりないと感じている不安があるということであろうが、何がたりないのか?

普通に働くことに満足できないからか?(働くことに疑問を感じる。自分の時間配分で生きたい。自意識過剰だからか?)

子供の頃になんらかの精神的な抑圧を感じていたからか?(思い通りにならない。我慢する。本心を無視する。無意識では他人や社会を過剰に意識していることに気づかないからか?)

こんなことを感じるのですが、過去の感覚(感情の記憶)は過ぎ去った出来事でしかなく、今は違った状況に生きているのですが、今だに過去の感覚を引きずって生きているのでしょうね。

こんような流れのなかで私は生きている(生きてきた)。

あの頃の私は、誰かに伝えたかったのでしょうか?

寂しかったのでしょうね。

そこに気づくと生きやすくなるかと思う。

インナーチルドレン(取り残された子供の頃の本音の感覚)を認めて生きるということで、現在の私の生き方に自信を持てる(疑問を感じて否定しない)ようになるのだと思います。

個人的なことですので、[思う]くらいでよいのだと思います。

現実的であれば断言できなければならないでしょうが、私は[決めつけ]が好きではありませんし、学術的な論文思考も受け入れにくいようなのです。

曖昧という余白を残して生きていたいタイプのようなのです。

私にはカウンセラーはむいていないということでしょうね。(ですから、参考にするならば自己責任でお願いします。)

曖昧という余白は、精神的な世界観と相性がよいのだと思います。

このようなことを思考していると、私の構造が見えてきますよね。

おそらく、それが、いつまでも同じような不安感を永遠に繰り返す、[反すう]することを納める手法なのだと思います。
(感情は勝手に沸いてくるものなので止めようがありません。無理に蓋をすると、別の発散の仕方として沸いてくるかと思います。なるべく、素直に認めてあげることでおさまるかと思います。ポジティブもネガティブも内面からの信号ですので、ただ見つめるだけでジャッジはいらないのです。)

だから。私は、現実的なスピリチュアルが好きなのだと思います。


ただ今19時。

夜中にボンヤリと思考していたことをなんとなく思考した1日でした。

子供の頃に感じた不安な思いを誰かに相談していたら違ったのかも?

そんなことを思うのです。

おそらく、話しを聴いてもらい、相手の反応を感じることで、無意識に私のなかに「そんなもんだよね」という安心感をあたえる人格が生まれていたように思うのです。

大人になってからの情報は人格ではなく、知識でしかないので、不安感のほうが勝るのだと思うのです。

誰もが感覚に反応した感情を脳内で情報に変換して判断しているのだと思うのです。(情報ですので思い浮かべれば現れたことになります。)

成長期に無意識にトレースされ、ストックされた記憶を元に基本的な複数の人格により、現状の自己分析を無意識にしているのだと思うのです。

意識にあがり言語化され思考するのは、その次の段階なのだと思うのです。

意識的に思考するとは、それだけ成長した脳機能なのだと思うのです。(前頭前野の発達ですかね。)

脳にも、年齢にあわせた成長の段階があるのだと思うのです。

現在の私は、苦手[劣等感]なんてものは、誰にでもあるものであり、[恥ずかしい]という感情を抱えてやるべきことをやればよいと思っています。

「苦手なことでやらなくてもよいことはしないでよい」
このような価値観も、あたりまえに感じております。

これは、今頃になって、私にも「そんなに劣等感を気にしなくてもいいんだよ」という人格が生まれたということなのでしょうか?

あたりまえとは、人それぞれなのでしょうね。

霊的には、幼少期に生まれた人格[無意識に対話する基本的な判断力]が、守護霊とかいわれているものなのかもしれませんね。(もっとも根元に近い人格なのかな?)

ボンヤリと生きていると、私のなかの基本的な世界観がシンプルになっていくような気がします。

最近読んだ本や動画がトリガーとなっているのかもしれませんね。

[時間は未来から過去に流れている]まさに今がかわれば過去(脳内感覚)もかわるということなのかな?



3月10日、つけたし


上には上がある。

下には下がある。


だからこそ、焦ったり救われたりもする。

ありもしない感情に振り回されて。

「皆、そんなものだよ。」


次へいきましょう。


流れるままにね。


3月11日、つけたし

本当の私が求める世界観とは?

本当になりたいもの、本当にやりたいことだったら、嫌なことでも我慢できるし、恥ずかしくても頑張れるでしょ。

それが出来ないとなげくなら、それだけのことなのだと思う。

無理してまで、私を飾らなくてもいいよね。

カッコつけでは、長続きはしないからね。

人生は私が選択するものだよ。

あなたが思い描く未来の私をイメージしよう。

そのために必要な[今]を始めよう。

自然に[逆算思考]になっていくのだと思う。


私は、なにもしたくない怠け者ですが、それでも、あれこれと[逆算思考]で生きてきました。

今は、[なりゆきまかせ]ぐらいが丁度よいバランスなようです。

[焦りは禁物]なのだと思います。(私にとっては)

私は、目標を掲げることにストレスを抱えるようですので、ボンヤリくらいの感覚で生きるくらいがよいのだと思います。(私にとっては)

それぞれの特性にあわせてのバランスのとりかたがあるようなので、それを感じましょう。

なにも沸き上がってこない人は、ひたすら待つことから始めましょう。


偽りの私から本当の私に向けて生きましょう。
(この言葉がストレスとなりプレッシャーに感じる人は、それだけ危ないと思います。頑張らなくてはならない状況なのでしょうが、お気をつけください。)

お気楽にね。



3月12日、つけたし

ひさびさに学生の頃にやっていたゲームを買った。

セガのジェネシスミニ2(国内版はメガドライブミニ2)という1990年頃のゲームの復刻版だ。(メガドライブは友達が持っていた)

私の世代は家庭用ゲームの成長期とともに生きてきたようなものだ。

ファミコン、pcエンジン、マスターシステム、セガサターン、プレステ2、ゲームキューブ、プレステ3、と遊んできた。

働きだしてからは、私はほとんどスパロボとプロレスくらいしかやらなくなったのだが、子供たちが遊んでいるのを見ているのが楽しかった。(二十歳くらいまではアクションゲームもやりこんでクリアーできたのですがね。)

昨年はpcエンジンミニを買って遊んでいた。

それぞれの育った時代により、基本的な世界観の思考するイメージは違うのだろう。

現在のプログラミング思考(逆算思考や構造思考)は、ゲーム(RPGやシュミレーションやキャラデザ)をしながら学んだのだと思う。

私は、学生の頃のシンプルなドットで描くゲームのほうが楽しめるようだ。(3D視点のゲームは気持ち悪くなるから続けれないからね)

それにしても、お金を払ってまで欲しいものがあるというのは、とても幸せなことなのだと思う。(年齢を重ねてくると食べ物以外には欲しいものがなくなっていくようだ)

誰かが生み出してくれたことに、ありがとう。

情報はたえず待っている。(古いも新しいもないよね。)

それが選択の時代なのだろうね。(時空を超越した感覚)

それぞれにあった出会いを待っている。

暗記することでもなくて、教わることでもない。

これからの時代は、センスの時代なんだろうね。

それぞれの世界観をひろげましょうね。


3月15日、つけたし

苫米地英人さんの宇宙を語るという本を読んだ。

やはり、おさらいのように感じる。

苫米地さんを知ったのは、[かみのげ]というプロレス雑誌本でのコラムのようなページだったと思う。(前田日明さんの特集の号だったと思う。催眠やら葉巻やら何者?というのが第一印象でしたね。)

読みたいと思いながら随分たってしまったが、その間に私なりに苫米地さんの本やYouTubeを観て、私なりの解釈で世界観を取り込んでいたのであろう。

同じ情報源でも、人それぞれの特性により世界観のあらわれかたがあるのだと思う。

必ずしも苫米地さんの伝えたいことと一致しているとはいえないが、私にとっては納得できる人生なので、同じようなものだと思う。

私には、あれこれと外世界である共有空間に吐き出したところで、あまり意味がないように思う。(まだまだ未熟者だからかな?)

この内世界と外世界があることに感謝します。

私なりのゴールへ向かっているのだと思う。

人の思考は、外世界の受け売りを集めたものでしかないのかもしれない?だけどね、それを踏まえて私は私を生きるだけなのだと思う。

私が私を忘れてしまうほどに、この世界は(思いもよらない)魅力に溢れているように感じます。

今になって、そんな自身に出会えて嬉しいのです。(元からあったような気もします)

この世界は、すべてのものを受け入れてくれるようです。

きっかけは、そこらじゅうに溢れています。

外にも内にもね。


[時間は未来から過去に流れている]


[空]を感じましょうね。


そこにみえるものは、何かな?



沸き上がるじゃない、、ほら、!


3月16日、つけたし

[生命体とは、内世界と外世界にまたがる唯一無二の存在]

この言葉が、沸き上がってきた。

私のなかに溜め込まれた情報と外からの情報という刺激により、私はかわっていているようだ。

私の根底にある発想は、[自然]なのだろうね。

生命体とは自然エネルギーを発する存在だと思います。

[外世界である物理空間はもっともカオスな場、内世界である精神空間は抽象的な統合な場]

こんな言葉も沸き上がってきた。

苫米地さんは、[抽象度があがるほど空に近づく]といっています。

私は、根源的なエネルギーからの信号なのだと思うのです。

どこから伝わる信号なのか?あるのかないのかもハッキリしないのですが、そんなものなのだと思えるのです。

それぞれの生命エネルギーが集う場である物理空間を現実というのですが、私にとっては、私が思い浮かべることも現実的に感じているようです。

未来からの信号なのか?

それは、外世界である共有空間にも影響をあたえているようで、新たな発見となってあらわれます。

時間をへて、あたりまえになり、情報は統合されていくのでしょうね。(私のなかで)

私の記録を読み返すことも含めて、自然を見つめることなのだと感じます。

そこには、時空をこえた次元の統合を感じています。

[空]とは有ると無いが、共有する矛盾な場なのだと思います。

それは自然な生命エネルギーだから感じられる場なのでしょうね。

分散と統合はゆらぎなのかな?(エントロピー)

数式思考が苦手な私は、言葉や体験からのイメージ情報のほうが沸き上がるようです。


3月18日、つけたし

こうして記録として言葉をつづっていますと、おかしな錯覚におちいります。

暇潰しに読み返したりしたときに、自分で書いていながら解釈が違ったりするのです。

たしか、あのときはこんな意味あいで書いたのだが?言葉のニュアンスがおかしいのか?それとも、無意識にこちらの意味も感じていたからか?

そんなことを思うのです。

もっとも、私のなかにも、その時どきのさまざまな人格がおりますので不思議ではないのですが、一旦、外世界に出した思考を眺める行為とは、客観視とは別の感覚を感じます。

私にとって、これは自然な流れか?そんな現実的な時空を超越した感覚なのかもしれません。(時系列がわからなくなるような)

おそらく、我を忘れるほど集中する(夢中になる)ことで、地に足がつかない状態(心理的にも現実的にも)なのかもしれません。(意識がトリップしているのかもね)

外世界でボンヤリと日向ぼっこをしているときなどのように、自然とふれあうときにも、同じような感覚になると思います。(ボンヤリに集中するとは、自然に解放するということかもね。我を忘れて時を忘れてかな?よくわかりませんが、そんなものなのだと思う。)

しかし、不安感はなくておだやかな感じがします。

歳をとったからなのかな?

言葉のトリックというやつかな?

[たまたまですよ。深い意味などありません。]

やはり、錯覚なのだと思います。


自由意思の謎ですね、(有るのか無いのか?)


3月19日、つけたし

なんでもかんでも成果を求めない生き方。

最近の私の生き方は、そんな感じなのです。

それでも、なにやら思考している。

頭のなかに沸き上がる思考。

自然とふれあうとき、気づくと何時間かたっている。

これといって、なにもなかった時間。

それは、とても気持ちのよい感じがするんだよね。

自然とはなんなんでしょうね。

それは、人、それぞれなのでしょうね。

ボケとも思いますがね。


自然を繋ぐもの。

現実的な自然は肉体。

意識的な自然は精神。

私は人生によって繋ぐ。

生命だからね。

君にも、わかるだろ。

それが奇跡というやつさ。

私の連続ってことさ。

私なんてものは、錯覚なのだと思うけどね。

ということは、本当の自分なんてものも勝手に強く意識された一部でしかないのでしょうね。

その辺は、私とコーチング思考とはあわないようです。

目標を掲げるのも遊びなのかもしれませんね。

意識が高いも低いも遊びと思えば楽になりますね。

意識が低いことを悪く思わなくてもいいんじゃないのかな。

そんな根源な感覚があってもいいんじゃないのかな。


3月24日、つけたし


最近、やたらとヨーガに関連した出来事に出会う。

どうやら、また、瞑想ブームがきたようだ。

瞑想とは、ヨーガの一部であり、ヨーガとは生き方そのものだと思う。

昨日は、YouTubeでぱっさんの[覚醒]というライブ動画を観た。

それで、以前に気になった、苫米地英人さんと成瀬雅春さんの[瞑想と認知科学の教室]という本があったのを思い出して読んだ。

私は、定期的に瞑想ブームがくるようで、先日みた、YouTubeの[自分の構造理解1]というヨーガの解説動画がトリガーとなっているのだと思う。

私のなかにある東洋的な思想は、ヨーガという思想体型に近いのかもしれない?

もっとも、それすらもヨーガの一部でしかないほどに大きなものだとも思う。

皆さんも、興味があるが解らないという人は、これらの動画や本とふれあうとよいかもね。

だからといって、わかったようでわからないままなのですがね。

それでも、感覚は深まるのがヨーガなのだと思います。

このハーメルンでの私の記録も、私の一部ですよね。

これは、私の人生(私から生まれた現実的な体験と空想)でしかありませんよ。


それでは、あなたの人生とは何かな?


まずは、気になる言葉から調べるところから始めればよいでしょうね。

その言葉を自身の体験での感覚と照らし合わせることで、あなたの世界観が感じられるかと思います。


どうやら、私は死ぬまで、これらの思考体験を繰り返す定めのようですが、それも楽しめればよいかと思います。


3月25日、つけたし


それぞれの世界観がある。

自身が感じる世界観を生きることを肯定する必要もないけど、無理してまで疑う必要もないと思う。

共有してまで争う必要もないからね。

だけれど、騒がしさに、反応してしまう。

それでも、私の思考は目まぐるしくめぐる。

私は、静かに生きていたいだけなのよ。

感情に操られて、思考にだまされて、悩み始める。

それも抱えて生きましょう。

大概のことは、先が見えてしまうつまらなさに嫌気がさす年頃でもないからね。

わかっていても、伝わらないもどかしさに、罪悪感を感じる年頃でもないからね。

そんな私を眺めながら、私という存在を演じながら生きましょう。

「そんなもんだよ☺️」

おだやかな世界観がおとずれる。

私なりの解釈だけどね。


気になるけど気づかない。

気づかないけど気にならない。

バカと天才は同じようなものだと思う。

気づいているけど気にならない生き方とは、バカと天才を超越した感覚なのだと思う。

それは、人を超越しているのかもね。

生きる価値を持たない無意味な存在なのかもしれませんね。

言葉にするなら、浄化かな?

よくわかりませんがね。

こんなものを目指して生きている生物は、壊れているのかもしれませんね。

朽ち果てるということなのかな?

とけてなくなるということなのかな?

ボンヤリと思うのです。

「もう、いいんじゃないのかな。」

私にとっての幸せとは、このような感覚なのだと思います。


3月27日、つけたし

時代がかわろうとしている。

伝統を守ることは、自分を価値化するようなことだと思う。

密かに守られてきた伝統を公開しようとしている。

もちろん、反対派も多いだろう。



植物はかれてよみがえる。

次への糧となりよみがえる。

動物は子孫としてよみがえる。

文化は糧であろう。

知識は伝えることで文化となるのだと思う。

大衆にひろがることで現実は生まれる。



私は
「もう、いいんじゃないのかな。」
と感じる。

私は、伝えることは苦手であるが、広めることは賛成である。

未来からか、神のような者からか、なんだかわからないものから伝えられているような気がする。

誰もが世界の変革者なのだと思う。

それぞれの世界観があっていいと思う。

どの方向に向かうかなのだと思う。

私は、朽ち果てることを望んでいるように感じる。

輪廻から解脱することを望んでいるように感じる。

外世界に発することが使命だと感じる者がすればよいと感じる。

私ができることは、私の内世界を客観視した記録をこの場で発することぐらいなのだと思う。

未来は私が決めることではないと思う。

私は自身の人生を生きることぐらいなのだと思う。


世界の法則なんてものは、このように簡単で単純なことなのだと思います。

それが自然なことなのだと思います。

「好きなように生きましょう」


自然淘汰。


諸行無常。


膨張と縮小は同時におきているように感じます。

どこに視点を置くかなんじゃないのかな?




3月28日、つけたし

信じるとは、なんだろうね。

信仰の歴史は文化の記録なのかも。

自力か他力か?

人を超越した存在が、ひとりでもあらわれると世界観がかわるのだと思う。

ということは、自力も他力も同じようなものであり、表裏一体なのだと思う。

可能性が信じる意識を生み出すのだと思う。

世界に広がるとは、大衆に広がり文化になることなのだと思う。

深層心理にただよう意識が信じるということなのだと思う。

ということは、信じる(肯定)も疑う(否定)も、そのような深層心理(集合的無意識)にある可能性の発想があるからであり、同じようなものだと思う。(不安というゆらぎの仕組み)

日本の信仰の歴史をみても、きっかけは意図的だとしても大衆が受け入れなければ広がらなかったのだと思う。

個人と大衆も同じようなものだと思う。

分離と統一も同じようなものだと思う。

なんだかな?

なんとなく、そんなことを感じたので、言葉にしてみたのです。

あれ、存在が有る無いも同じようなものになるのかな?

ただ、広まってないだけで気づかないだけでね。

これが、時空をこえた感覚なのかな?

私をどこに置くかなんだろうね。

「そんなもんだよ☺️」



3月29日、つけたし


最近、岡潔という人が気になりYouTubeで観ている。

小林秀雄と同じ昭和の世代の人で、数字の天才と言われていたそうだ。

[人間の建設]という、小林秀雄との対談本を読んでいる。

ひとつの物事を徹底的に思考探求した人は、時空を超越した自然観にいきつくように感じる。

そのような人達の記録がデジタルに残り、今、ふれあえる世界に生きていることに感謝します。

私は、バカであります。

平凡な、たいしたことのない者であります。

それでも、人知の境界線を感じられることに、(錯覚だとしても)とても幸せだと感じるのです。


この世は、不思議な世界なのですね。


3月30日、つけたし


ヨーガの達人である成瀬雅春さんは、「ヨーガとは人生を愉しむことだ」という。

すべての感覚と感情を味わいつくすことが、愉しむということであり、選り好みをしないで自身の人生を俯瞰することなのだと思う。

岡潔さんは、「人は情緒で時空をとらえている」という。

情緒とは、感覚と感情なのだと思う。

その人の蓄えられた世界観からくる直感が感覚と感情なのだと思う。

生きることとは、それぞれの世界観なのだと思う。

それは、そぎおとされた自然なのだと思う。

肉体と精神で自身となる。自然なのだと思う。

疑いようもない、自身が、そこに存在している。

観測気であり、変換器であり、特異点であり、創造者であるのだと思う。

自然とは。調和なのだと思う。


3月31日、つけたし

個人の時代。

自身の人生を生きる。

こんなにも単純で簡単なことなのにね。

「なにやってんの、人類?」

それぞれの世界観を疑うなかれ。

ただ、目の前の今に反応するだけなのに。

よけいな、何かが邪魔をするのだよね。

これは、雑念なのかな?

どうでもいいもので、いっぱいの頭。

あれでもなければ、これでもないのよ。

しっくりこないもので満たされない心。

「そりゃ、そうだよな!」

わかっているけど、ひとりぼっちは嫌だから。

ひとりぼっちのジレンマに生きているのよ。

やるせない毎日がつづく。

相も変わらず、そんな人生なのさ。

「そんなもんだよ☺️」

生きてみればわかるさ。

次へいこうよ。

誰も、みたことのないつぎへ。

くらべるまでもない。

そぎおとした私。

「好きなように生きましょう。」

人生を深めましょう。

時空を越えて。

すべてとふれあう。

個人の時代。



4月1日、つけたし


まずは、[わからないということ]をわかろうね。


わからないから、それを確かめるために生きているのだと思うのです。

記憶をたどることで、その人なりの時間の感覚を感じるのだと思うのです。

それが、人生なのだと思うのです。

思い出すのか、気づくのか?

時間なんてものは、変化の認識でしかないのでしょうね。

人の観念なんてものは、それぞれの世界観ということであり、思い込みなのだと思う思います。

つまり、「生きてみればわかるさ。そんなもんだよ☺️」

その人が、納得できれば、それでいいのでしょうね。

これが、私の人生観です。



4月2日、つけたし

自身の人生に納得するとは、未練をなくすということ。

未練がなくなるとは、執着を忘れるということ。

自然な欲求とは。いきるために必要なこと。

今を生きましょう。

調和なのだと思う。


責任感や罪悪感なんてものは、どこにもない。

きっかけは感情なのだと思う。


人生は選択の繰り返し。

寄り道も遠回りも、迷ったりするのはあたりまえにあるものだと思います。

そこに、あなたがいれば、それでいいと思います。

ひとつづつ確かめて体験していくうちに、未来と過去を
こえたような感覚に出会うかと思います。

そのうち、よりよい選択が、自然にできるようになると思います。

結果として、後悔がなくなり、未練がなくなるのだと思います。

まずは、自分自身を確かめましょうね。

「なにがしたいんだい?」


4月3日、つけたし

自分自身を探求するとは?

なぜ、生きるのか?

なぜ、生まれたのか?

なぜ、思考するのか?

結局、自身に執着しているのだと思う。

執着という欲求。

そのエネルギーの方向を、ほんの少しずらすだけで世界の感じかたは違うのだと思う。

期間限定の私を愉しみましょう。

[そんなもんだよ☺️]


その人の人生観とは、地図のようなものなのだと思う。

その人の意識の呪縛(業)にしても、視点(感覚)の角度を変えることで景色が違ってくる。

はたして、かわったのは私か世界か?

実際には、なにもかわってないのかも?

生きることとは、そのようなことなのだと思います。


4月4日、つけたし

人の行動と思考は、目的に向かって自動に発動していると思う。

生きてきた体験により、自動化されたものが私ということなのだと思う。

悩みとは、トリックでしかないのかも?

脳と肉体の能力以上のことにであい、バグっているのかも?(ふたつの感覚基幹のずれが違和感かな?)

単なる処理待ちの時間かせぎなのかも?

それが、長年付き添った生きる癖なのだと思う。(それぞれのおぎないかたが癖なのかな?)

まずは、現実的に生まれた時代を学ぶことから始まると思う。

その後は、それぞれのタイプにより人生観がかわるのだと思う。

自身を確かめ知ることで、ある程度までは肉体と精神を調整できるようになると思うが、どちらにしても、個人的な感覚でしかないので、大まかな法則でしかないのかと思う。

どうやら、人の文化の歴史とは、そのような、人の法則に気づいて利用してきたことなのだと思う。

学ぶほどに思うのですが、やっぱり、自身も他人も、だましあいなのかな?

法則と客観視を重視する私のタイプだと、わかったうえでの生き方をしている。

[嘘も方便]というやつなのだと思う。

私なりの癖である、無意識にしてきた調整の仕方を、意識的に感じる感覚基幹を育てているのだと思う。

これが、[気づき]ということなのだと思う。

[意識の階層]があるということなのだと思う。


4月5日、つけたし


意識の階層とは、抽象度の階層なのかな?

意識の階層とは、私の内にいる潜在的な基本的な人格による、俯瞰した視点のことなのだと思う。(自身をこえた範囲が時空をこえてふれあう視点は宇宙すらも凌駕する感覚とは、神の視点なのかもね。)

意識の階層とは、思考と感覚による次元の階層ともいえるかな?

ということは、階層ごとに人格がいるということで、その人格にアクセスするということかもね。

古来より、さまざまな宗教や文化で、いろいろな表現がされていますが、私なりの解釈なのだと思う。
(神話や文化で言われてきた想像上の神や、歴史上の現実的な偉人がシンボル化され深層心理のイメージのトリガーとなっているのだと思う。だから、人それぞれの表現であり、抽象度が上がるほど内包していくのだろうね。)

[自身をそぎおとした、フラットな精神からの直感]とでもいえるかな?


自然に沸き上がるような感覚(イメージでしかないので思い込みによる錯覚ですが、これがまんざらでもない心理なのかもね?)


あくまでも、私なりの感覚ですがね。
(これが、根拠のない自信ということなのだと思う。信じるとは、そのようなことなのだと思う。科学的にいえば、ブラシーボ効果ですかね。)


[目的が見えれば、後は地道に進むだけ。]私のようなタイプは、このような感覚だと思います。


4月6日、つけたし

岡潔さんは、[心には2つある]といっています。

私という自我である意識から離れられない内世界である心。(自分の解釈で囲った循環世界)

私を無くした無私という外世界である心。(わからないが感じる世界)

相反する2つの心を持つ存在が人なのです。

瞑想(ボンヤリ)をしていると、私から離れていき、意識があるが思考をしていないような反応状態だけの感覚になったりします。

今、この瞬間をとらえるということは、感じることであって思考することではないようです。

言葉で思考するわずかな時間の差は、今ではないのです。

岡潔さんは、この内と外の世界は決して交わることがないといっています。

ただ、全体の一部となり同化している心とは?(悟りなのか?その先なのか?)

まだまだ、わからないことばかりであり、わかったということは、単に決めことでしかないようです。

それが、私という心なのでしょうね。

生きている間の一瞬が、私という人生なのでしょうね。

どの尺度の視点で世界を感じるか?

人は切りとることをやめられない存在なのかもしれませんね。


4月7日、つけたし

梵我一如というヨーガの思想体系の言葉があります。

たしか、インドのバラモン思想のひとつだったと思います。

自我(小我)という、私の欲求から始まるアルトマーがいます。

真我(大我)という、私から離れた世界の一部としてのブラフマーがいます。

このふたつは同等であり、同化した状態が梵我一如ということです。

仮観、中観、空観という思想なんかもあります。

言葉は言葉でしかないのですが、感覚を認識するためのトリガーとなるかと思います。

なんだか、インド思想はとても奥が深い、なんでもありのカオスに感じます。

とても古い思想の根源が隠されているように感じます。

仏教として、日本的にアレンジされていますが、根っ子は同じように感じます。

まずは、自分自身の現実的な生活に満足感を感じられるように、生き方を整えることから始まるのでしょうね。

おそらく、片側が整うともう一方にもエネルギーの影響が伝わり整うのだと思います。


4月8日、つけたし


YouTubeでAmritaChannelさんの[丸わかり各仏教とヨーガの方法論の違いが一瞬で分かる!]という動画を観ました。

最近、気になっていたことが説明されており、なるほど!と感じました。

あくまでも、知識でしかなく。わかった気になっているだけなのですが、焦らず気長に生きるだけなのです。

わかりたいという欲求もごまかしですからね。

ひとつづつ手放すことで、気にならないようになるのだと思います。

わかったと思いたいというエゴを手放す。

こんなことを気にしている阿保がいます。

悟りすらもエゴなのでしょうね。

だけれど、愉しくもありなのです。


4月9日、つけたし

世界は0と1で表せる。

数字的な感覚だと、このような表現になるようです。

私は、数字が苦手ですので感覚でしかとらえられませんがね。

無という0の世界と有という1の世界。

0も1も、それ以外には成り立たない絶対的な存在。

他の数は、1とさほど変わらないように感じます。

これは、私の思想にも重なります。

仮に決めごとで囲った世界が0以外の数なのでしょうね。

0という世界とは、決めようもない、わからない世界なのだと思うのです。

しかし、その存在が後ろだてとなり、それぞれの世界が表せるのだと思うのです。

誰もが0を追い求めて生きているのかもしれません。

しかし、すべての感覚は0を感じているのだと思います。

数を積み重ねるほどに0は感じられなくなるように思います。

あらゆる根源の法則性というものですかね。



4月11日、つけたし


0の概念を発見したのはインド思想だといわれている。

0に近付くほどに直感的になっていくように感じる。

これが五感を超えた感覚なのだと思う。

思考をしているが、私から遠ざかる状態である。


0以外のすべての数は色でしかなく、まとめたとしても0にはかなわないのかもしれません。

近付けば消えるか、離れれば寂しくなるか、いったりきたりのゆらぎが私なのかもしれませんね。

0の法則(真理)ということなのだと思う。


どこまでも私を肯定するために修羅の道を求めるエゴの世界。

消えまいと離れようとするほど、近付く0なのかも?

お釈迦様の手のひらの孫悟空のようなもの。

意識と宇宙も同じようなものだと感じる。

錯覚と直感も同じようなものだと感じる。

どの色を求めるかなのだと思う。

その先にあるものは0。

0の法則とは、ループの世界のようなものかもね?

ドーナツのようなものかもね?

穴が0ということなのだと思う。

すべての世界が穴で繋がる世界観。

無数にドーナツが産まれる世界観。

次元を超えた感覚のイメージがしませんか?

そのうち、そんな宇宙が観測されるかもね?



4月12日、つけたし

生まれながらに知識を学ぶ(言葉にふれる)だけで気づくタイプの人がいる。

それ以外の人は、欲求となり体験して味わうことで気づく(浄化)のだと思う。

何が違うのか?

おそらく、[足るを知る]の違いなのだと思う。

生まれながらに[足るを知る]の感覚を持っているかどうかなのだと思う。

つまり、イメージする力であり、変換する力であり、繋げる力なのだと思う。

それでは、その力が少ないタイプはどうするのか?

時間をかけて、体験するしかないのだろう。

言葉などの情報を臨場感をあげたイメージにより体験することで、自身のその後を感じる能力。

必要かどうかは、その人しだいであるが、望んだところで生まれながらに差があるのだと思う。

どちらにしても、欲求を浄化することで、0に近付くということなのだと思う。

皆、たいしてかわらない!

早いか遅いか、それだけのこと。

くらべるまでもない。

自身を生きるだけで周りを感じるのだと思う。

根源との出会い。

そんなことを感じるのです。


4月14日、つけたし

個人の時代。

学ぶほどに、この世は苦しみばかりだと思う。

不平等であり、理不尽であり、相対的な世界。

格差を比べているのは誰なのか?

感じて、苦しんでいるのは誰なのか?

知ることは、恐ろしくて辛いことなのだと思う。

耐えられないのならば、普通を演じて生きればいいと思う。(仲間とは依存であり不安なのだと思う。浄化するのは個人でしかないとだと思う。)

普通に耐えられないのならば、自身を感じるしかないのだと思う。(矛盾に向き合い孤独に向き合い、ありのままをみつめることなのだと思う。)

それぞれに合う生き方をすればいいだけなのだと思う。

私は、静かに生きたいだけである。

心の清らかを求め、この世の真理を感じたいだけである。

「座りなさい」


「手放しなさい」


それだけのこと。


[0の法則]なのだと思う。



4月16日、つけたし


どんどん未来が気にならなくなる。

絶望ではないのです。

ただ、私という奇跡に感謝しているのです。

過去も気にならなくなる。

今、私があるという奇跡を感じるのです。

希望でもないのです。

ボンヤリとした感覚なのです。


善悪も好き嫌いもとおく離れていくのです。

そこにあるという奇跡なのです。


私という奇跡とは?ひとつの可能性の先端なのだと思うのです。

それは、すべてが後押ししてあらわれた存在なのです。


「そんなもんだよ」



4月17日、つけたし

全体主義というあやまち。

ひとつのあやまちが世界中を脅かした全体主義。

全体主義からポストモダンという思想へ。

ポストモダンは個人の時代。

個人の時代とは多様な可能性ということ。

個人の時代とは、それぞれの世界観を生きるだけだで、全体が広がるということなのだと思う。

大きな視点からとらえれば、これもひとつの思想なのだと思う。

誰もが、それぞれの先端を生きるだけなのです。


私にとって、仲間とは、同じ目的に向かう電車にたまたま乗り合わせたようなものだと思います。

「あれ、よく合うね」

といった感じで、依存とはことなるかと思います。



4月18日、つけたし


YouTube[中野信子にきく]私たちは何故こんなに気難しいのかを観た。
(他人と関わることのめんどくささから、個人的な感覚に向かうという発想に共感した)

話題のチャットGPTに思うこと。

世界大戦から学んだポストモダンという思想。
(大きな独占的な権力に任せる恐怖から各自の独立による自然淘汰)

個人の時代が確立したとしてもね。

自然淘汰という弱肉強食の世界観も、抽象度をあげた視点から観れば取捨選択をしているのだよね。

個人が脳内で情報を取捨選択していることが思考だと思うのですが、地球規模で観てみると、自然淘汰も同じようなものだと感じる。

どちらもバランスをとっているのだよね。

ただ、個人的であるがゆえに感情が客観視をさまたげるのだろうね。
(基本的には自身の特性の反対側を認識することでバランスがとれると思う。)

人は感情ゆえに仲間を求め、互いにごまかすことで不安を静めるのだろうが、同時に派閥もうまれて格差を感じるのだろうね。
(互いに足を引っ張り合うことでバランスをとるタイプもいれば、孤独に可能性を探求することでバランスをとるタイプもいる。)


わかっていても、どうにもならない。

私は、距離をとることぐらいしかできないのだろうね。
(無意識の多重世界に生きている。少なくとも2つの人格を使い分けないと生存できない現実があることはかわらないのかな?)

内にいようが、外にいようが、どうにもならない。


結局、間接的に巻き込まれることになるのだろうね。


時代の流れがあるだけで、原理法則はかわらないということかな?

「そんなもんだよ」



4月21日、つけたし


最近、インド思想に興味があるようです。

輪廻転生からの解脱が気になります。

なぜ?

私の源流なのかも?

人生というゲームにあきたから?

欲求に任せて世界観を構築することで自己が確立しますが、その自己の集まりにより格差という摩擦がおこり世界は変化していくと思います。

破壊と再生が輪廻転生なのだと思う。

ということは、その間がそれぞれの人生なのでしょうね。


どちらかだけでは成り立たない相対的な世界。


私は静かにいたいだけなのですが、おそらく、私の[いたい]すらもなくならなければ解脱はできないのだろうね。(その思いすらも欲求なのよね)

それぞれの思想の源流があるのだと思います。

思考するほどに思考は無駄なことなのだと感じます。

そもそも、有るとか無いとか事態が執着というこだわりなんだよね。

思考とは景色の流れのようなものかもね?

人間だからね。


「そんなもんだよ」


4月22日、つけたし

夢を観た

知らない人達が家にきて、私の感情をかきみだす夢を

人間だからイライラとモヤモヤ?、なんともいえない複雑な気持ちになった

「わかっていても、やめられない」

この言葉につきる

腹をすえて生きるだけ

自身の感情すらもサンプルなようだ

社会に揉まれて

生きるだけ

内と外のしくみ

たのしむだけ

夢と現実を

ゆらぎながら

生きるだけ

それぞれの人生

「ありがとう」


4月23日、つけたし

私の感覚ですと、神も仏も悪魔も同じようなものだと感じる。(記号のようなものかもね?)

どれも役割があるからであり、それすらも手放すことが解脱なのだと思う。(頼まれて管理者をしているのか?)

子供のころは、純粋にダイナミックプロの作品を感情的に味わうことができたのだが、今は、どれもが修羅のようなものだと思う。

世界中の神話にしても、同じようなものだと思う。

どうように、現実の世界も同じようなものだと思う。

今の私は[自然体の鬱]とでも言えばよいのか?
(自他ともに最低限の関わりで生きる。余分な感覚を狭める。)

人それぞれの世界観があるのだろうね。

生きやすく生きるだけなのです。

答えは、自身の中に。

自身が発想したことが帰ってくるように思う。

[役回る愛]の仕組みなのだろうね。

解脱したら愛すらはずれるのかもね。

「頼まれてもしらないよ」

めんどくさいの裏にあるもの?

「そんなもんだよ」



4月25日、つけたし

つきなみな発想ではあるのだが、この世は[ソウゾウ]の力によって成り立つのだと思う。

森羅万象、より複雑な存在ほどその力を持っているのだろう?

無意識に発動しているその力により、世界は決定し続けるのだろう?

誰もが、それぞれの望んだ決定が結果としてあらわれているのだろう?

意識できない、無意識の望みの力。

ただ、眺め感じることが存在なのだろう?

理解できない、無意識すらもソウゾウなのかもしれない?

それが、感じるということなのかもしれない?

単に、根元に近い無意識から影響をうけてソウゾウの力を使っているのだろう?

身体も思考も、精神が生み出しているのだろう?

それぞれの仕組みに則ってソウゾウされているのだろう?

私は、[ソウゾウ]という視点からこの世を観ているのだが、解脱すれば幻のごとく消滅するのだろうか?

有るとか無いとか、空すらも概念化できない未知の感覚が解脱ならば、それは[ソウゾウ]からはずれた表現できない感覚であろう?

「とてもいかれている」としか言えないね。

神や仏や悪魔の方が、救いようがあるよね。(それぞれの属性のシンボルとして残ったのかな?残らされた?)

[この世界のために](欲求)という感覚すらなくならなければ解脱はできないのだろうね。

くだらないことをボンヤリと感じているのです。

[自然体の鬱]とは解脱の通り道なのかもしれませんね。

過去の偉人に触れていると、[自然体の鬱]状態の人がいたように思います。

良いか悪いかは、それぞれの判断でかわってくるのでしょうね。


手放すとは、いかれたことなのだと思います。

解脱とは、0に吸収されるという気がします。

その思考の先に、行着く感覚があるのだと思います。


[そんなもんだよ]



4月26日、つけたし


どんなにいかれたくだらない望みでも、かなえるためには勇気が必要なんだよね。

それぞれの望みがあるのだろうが、信じることができるならば、勇気はついてくるのではないか?

それが、本当の望みならばね。

いつわりやごまかしのツケがまわってくるぞ!

自身に向き合う勇気。

それまでは、逃げ回るのも悪くないと思う。


4月27日、つけたし

誰もが、魂の望む方向に進めばいい。

生きていることなんて、通過点でしかないのだろうね。


4月28日、つけたし


不安がつきない、あなた


また、悩んでいるの?


いつまでも悩んでいても解決しないよ


それは[自然体の鬱]という状態なんだよ


あなたにとって、必要だったからね


そんな自身をごまかさないで?


釈迦もキリストも通った道なのさ


誰かがはじめた共同幻想につきあうのもいいよね


私は[怠け者の道]をあゆむだけ


未知なる道をあゆむだけ


解脱なのかな?



一般的な現実の世の中の感覚に馴染めない人だったとしても、私のように解脱を望まなくてもいいよ。(私はそこに流れついただけだからね。)
[自然体の鬱]の感覚を感じとれた人は、機械的な
孤高の人だと思う。
そんな人は
顕在意識と潜在意識の仕組みを学んだほうが楽に生きれるかと思う。
客観視のできる人格を、自身の中に取り入れて発想の反応の流れを整えるといいよ。

ハワイジーザス(ヒーリング)さんのYouTube[潜在意識のメカニズム。他者批判・自己否定の仕組みを解説!]という動画をオススメします。頭を柔軟にして、そんな感覚もあるのかな?という感じで観るといいよ。


あなたの感覚が特殊であったとしても、この世の中で同じような感覚の人がいるからね。

認識はするが依存はしないという生き方もあるのだと思います。


4月29日、つけたし


いじっぱりなあなた

私のような変わり者でも生きていけるのよ

楽になりなさいな

おまかせしなさいな

感謝しかないよね

感謝はするが依存はせず

歳をとるのもいいもんだ




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唯意識論というモノを知るとモナドが騒ぎだすような?



停滞しているような感覚ってありますよね。

世の中、こんなもんだろうか?

そんなとき、

[万物の起源・中込照明著]という本を読んだ。

うまくは表現できないが私が感じていたことをまとめて説明しているような気がした。

なんとなくだけど、まだ生ける!という感じがした。

今回は、そんなことを記録してみようと思います。





最近の私は、

 

なるべくしてなるということを信じる私がいるようなのです。

 

保江邦夫さんのYouTubeで、[万物の起源]という本を

すすめられて、なぜか、これは読むべきだ!と感じてアマゾンで注文したのです。

 

モナドってなに?

 

モナドとは、物質の元なのか?

 

モナドとは、発想の元なのか?

 

モナドとは、観測者が、感覚により認識することで、発現するモノなのか?

 

意識が認識することで生まれる(存在する)唯意識論だからね。

 

この世は物質という物であろうが、想像から生まれた仕組みというモノであろうが、認識できるモノは、モナドという元素のような小さなパーツからなりたっているそうだ。

(あっているかどうか?本を読んだが感覚としてしか捉えられない私なのです。イメージの拡張なのですが、元がなければできないですからね。)

(プラトンのイディアのようなものかな?)

 

 

複雑な物質や仕組みなほど、多くのモナドを取り込んでいるそうです。

 

生物には、モナドによりもって生まれた特性があるそうです。

(遺伝により受け継がれているのかな?遠い過去からの進化は意識の積み重ねなのかもね)

 

人には人モナドという仕組みがあるそうだ。

 

個人が生きている間、モナドは取り込まれて個人の意識は変化し成長するそうだ。

 

死んでしまえば変化は止まり、それまでの感覚意識のままの同じような感覚意識の集まりの霊魂(死後の世界)の六道(意識の次元)にとどまるそうだ。変化を望むものは輪廻転生により何度も生まれることで、生まれ持った特性は変化していくそうだ。

(この世の仕組みの外側にも、別のモナドの仕組みの世界があるのかな?)

 

集団により共通の仕組みモナドがあるそうだ。

(国や会社や地域や宗教や民族や家族)

 

社会とは集団のモナドの仕組みが概念化されたモノであり、個人は生まれた時代に適応するようにそのモノを取り込み生きているそうだ。

 

個人が生み出したモナドという概念(喜怒哀楽の感情という情念)は場にとどまり変化しないそうだ。

(そんなモナドに影響をうけて個人は変化するのか?)

(神社などは信仰により集団が生み出したモナドなのかな?)

 

個人の意識と社会の意識は、常にせめぎあっているようで、本質的に善悪(プラスとマイナス)の意識によりこの世はなりたっているそうだ。

(金融経済や政治としての仕組みと個人の思想意識の関係性をマスメディアや学校教育の視点から考えてみると気づくことがありますよね。)

 

力でねじふせるか、良いことという情念でだましてしたがわすか、そのような状態が現代の社会なようだ。

 

モナドという唯意識論により、現実から死後の意識までのこの世は説明だきるようだが、イメージできるのか?

 

あらゆる神話や宗教で伝えられてきたことに近いようだが、認識はするが依存はせずということはできるのだろうか?

 

なんだか、私が小説で書いてきた世界観に近いような気もします。

 

私は、永年思考してきて、嫌気がさしてきたようだが、このモナドという世界観を知り、それもいいもんだと感じているようなのです。

 

人モナドは、自身の拡張という原理をもっている。

 

他者を支配して、権力を求めるのは自然のことなようです。

 

それでも、それだけではないようなのです。

 

私たちは、どこへ向かうのでしょうか?

 

私は、悟りの入り口をうろつきながら、夢という明日に向かって生きているようです。

 

結局、うまく説明できませんが、この本から(情報という記号)私が取り込んだモナドがあるようで、新しく私の意識の仕組みが繋がっていくようです。

 

個人を生きることでこの世というモナドの仕組みは変化するようです。(あの世を含めてね)

 

それぞれの意識が向かう世界へ。

 

それが、

 

生きている価値なんだろうね。

 

 

「そんなもんだよ☺️」

 

 

「ありがとう❤️」

 

 

 

 

 





結局、よくわかりません。

気になる方は、御自身でお読みください。

それにしても、頭の良い人は、まとめるのがうまいですね。

これが、本当の無意識を意識するということなのかな?

なにかのきっかけになると思うよ。


5月3日、つけたし

同じようなことを描いていますが、その行為によってこの世はなりたっていくのだと思う。(わからないなりに、インプットとアウトプットにより思考は洗練されていくのだろう。)(自身を疑うなかれ!という年齢になったのかな?)

生まれ持った特性のタイプにより、思想の相性があるように思う。

モナド思想は、私には合っているということなのだろう。

人 モナドとは、人の意識が認識できる情念のことなのかもね。

昔は、一定の権力者にしか伝わらなかった特定の情報も、心理学や脳科学などにより、一般にもひろがってきているからね。
(意識を操る技術をどう使う?自身にも集団にもね)

さらなる騙し合いとなるか、互いにゆるしあう(認め合う)世界となるかは、すべての生きているモノにかかっているのかもね。

このハードルは高い壁だけどね。

意識が未来を生み出すのかもね。


「そんなもんだよ☺️」


仏教で十二縁起という思想があるのですが、これがわかると私のことと、この世の仕組みが論理的に捉えられるようになるかと思います。
(十二縁起については、[体力か知力か?どちらもないと人生あきらめるしかないのかな?]の中で説明しておりますので、お読みください。)

人のモナド理論も、十二縁起にあてはめるとわかりやすいかもね。
YouTubeの簡潔・十二縁起[苦しみが生じるプロセス、そしてそのプロセスを断つ方法を簡潔に解説]AmritaChannelがわかりやすいかと思いますのでオススメします。


5月4日、つけたし

私は子供の頃からオカルトやスピリチュアルに興味があるのですが、このハーメルンで連載しだして5年目をむかえる期間でも、YouTubeの情報の発信力は向上しているかと思います。(なんとなくだけど、日々の積み重ねでひろがる世界観があるのだろうね。)

神話や宗教にはじまり、呪術や霊界の秘伝が簡単に知ることができるようになったように思います。

仲間内で騒いでいる人も、独りで探求している人も、このような恵まれた時代に生きていることが当たり前ではないということを、そのうちに感じることになるのではないか?と思うのです。

いつの間にか、情報はとざされるか、有料になっていくことになるように思います。
(あらゆるジャンルの情報を勝手に投稿して無料で集められる仕組みなのですが、サンプルがそろえば役目は終わるときがくるのでしょうね。そのサンプルデータを元に今後の仕組みはつくられように思います。AIかな?)

それぞれの人が、それぞれの信じる世界観を生み出してよいと思うのですが、私のようなタイプはそれほどいないことでしょう。

大概の人は、気にすることもなく、ありきたりの仕組みの世界観を取り込み共有することを無意識に選ぶのだと思うのです。

私は少数派であるがゆえに変わり者なのだろうね。

おそらく、いつまでも自身の内的世界を客観視している私のようなタイプは、[自然体の鬱]とでも言えばよいかと思うのです。

独自の言語を創作している時点でいかれたことなのでしょうね。

頭の良い人は、人生を通してひとつの世界観を探求し続けるように思います。

私は、頭は良くありませんが、そんな特性を持つ存在なのだと思うのです。



5月5日、つけたし

お釈迦様は、解脱をしないで仏陀(菩薩)になることを望んだ。

残された人々の希望の存在となったのだ。

[六波羅蜜]という教えを残された。(知りたい方は調べてね)

現代まで続く道を発想し現実化したということなのでしょうね。

私は、自身のことで満足する程度の存在なのだと思う。

それが、良いか悪いかは、その人が感じることでしかない。

更なる高みを知りながらも自身の道を歩むだけなのだろう。


私の仕組みを変えたければ、自身の根元から変わらなければならないだろうね。

破壊と再生を繰り返す人生なんだろうね。

それが、生きている間の輪廻だろうと思います。

それでは、死んだ後のあなたは、もう一度転生して生まれたいですか?

私は

「もう、いいかな☺️」

だって、あまりにも争いばかりの理不尽な世の中にいたくないのよね。

我慢すらあきたのかな?


そう考えると、お釈迦様は生け贄みたいなものなのかもね?


死んだ後まで後世の美旗として待ちぼうけなのよね。


「解脱を望む皆さん。私をめざせばかないますよ。」

という声が聴こえてきませんか?

仏陀という記号になったということだね。


「ありがとう☺️」



5月6日、つけたし

私の内側から聴こえる言葉がある。

「楽しみなさい」

人は感情が激しい生き物だと思う。

感情があるゆえに互いに関わろうとする。

互いに感情を共有することで全体を認識しているのだろう。

そんな人たちをみながら、ふりまわされる私の感情がある。

話すから気づくことがありますよね。

他者と騒いでいることで客観視しているのだろう。

私にとって、話すことはさほど重要ではないと感じる。

大概のことは、自身の内側の反応でしかないからだ。

外側でおきていることは、全体の行為の集まりの結果でしかないからだ。

「どこかで感じたことばかり」

私の数少ない感情が感じる言葉が聴こえてきませんか?

同じようなことを繰り返すことにあきれてしまう私がいるようなのです。

ふっと、なごむ瞬間なのです。
(外側の出来事にあきれながら、自身への影響に気づくからだろう。「わかりますよ」私も共有しているという感覚を思い出すような感じ。)

生まれながらに孤独な理由には、そんな感覚があるからなのだと思います。

「手放しなさい」

外側は外側でしかないからね。

ただ、ひとりで生きることだけで楽しいのだと感じる。

話す以上の共有感覚があるのだろうね。



5月7日、つけたし

暖かくなってきました。

私は、子供の頃は庭に池があり、玄関に水槽のある環境で育ったせいか、魚を飼うことに縁があります。

タライにザリガニや金魚などを泳がして楽しんでいました。

大人になった今でも、角タライを並べて金魚を飼っています。

今年はメダカを育てようと思い、二週間ほど前にヒメダカを10匹とホテイアオイを買ってきて、30リットルほどのビオトープをつくりました。

今日、ホームセンターで、以前から気になっていたメダカ喜ぶ水草という3種類の水草がセットになった商品が半値の千円で売っていたので買ってきました。

早速、ビオトープに入れてみると、とても良い感じでなごむ気持ちになりました。

ついでに、赤いもみじ葉ゼラニウムと班入り宿根ガザニアを買ってきました。

私の6坪ほどの小さな庭も3年目を迎え、その中の4坪ほどの畑にはイチゴやスナップエンドウやサンチェやネギ等の野菜がなっています。

先週はししとうとミニトマトとナスとキュウリを植えて夏野菜の収穫の準備をしたところです。

畑には、昨年に育てたビオラやマリーゴールドや大葉のこぼれ種から、いたるところに今年も発芽しています。

じゃがいもの取り残しからも芽がでてきており、自然に循環しています。

鉢にはブルーベリーや姫リンゴの実がなり、ミカンの花が咲いています。

今年もレモンの花はたくさん咲きましたが実はなりそうにありません。

畑の片隅にはイチヂクが植えてあり、2月に切った枝から新芽が30センチほど伸びています。

その他にも、苗木から育てている8年目を迎える身長ほどのもみじやいくつかの鉢植えがあります。

私も50をすぎて、このような生活をしているとは、子供の頃は思ってもいなかったでしょう。

早い老後のようであるのですが、なんだか、子供の頃と変わらない生活をしているようなのです。

これが、私の幸せなのだと思うのです。

大人になるとは、迷いなく自身の幸せを生きられることなのかもしれませんね。

世間の誘惑にふりまわされ、ずいぶん遠回りをしたものなのです。

ものごころがつくかどうかの幼い頃に楽しんでいたことが、幸せなのかもしれませんね。

世間はゴールデンウィークも終わりですが、私には関係のないことであり、隠居生活にむかっているようです。

どんどん世間とずれてきているようなのです。

「ありがとう❤️」


「そんなもんだよ☺️」



5月8日、つけたし


人は、なぜ生きるのか?

生まれたからだと思う。

この時代にね。

それならば、味わえばいいだけだと思う。

いろいろ試して感じればいいだけだと思う。

嫌気が、さすか?むさぼりつくすか?は人それぞれの生き方だろう。

どちらにしても、選んで、望んで生まれてきたのだからね。

死ぬまで、自身の肉体で魂をみがけばいいのだと思う。

魂が霊にもどり、かえるそのときまでね。

どこにかえるかは、そのときの魂が求める世界なのだと思う。

最近の私は、自然にこのようなことを感じています。

世の中に嫌気がさしてきたようだが、自身の幸せを楽しんでもいます。

なんて身勝手な自己中心的なのだろう?と思うのですが、それが自然なんだよね。

丹田とハートと頭の、どこで感じるかだけなのですよね。

「そんなもんだよ☺️」


5月12日、つけたし

心地の良い季節になってきました。

庭にいる時間が多くなってきました。

昨年は、ヤフオクで金魚が買えることを知り、10年ぶりに角タライを並べて金魚飼育をしていました。

今年も金魚の稚魚を100匹(キャリコたまさば短尾)を購入しました。

更に、なんの因果か、メダカにはまったようでして、室内に60センチほどの四段の棚を置いて、小さな水槽と小さな容器を並べてメダカの繁殖をためしだしました。

熱帯魚を始めてからは、メダカは餌くらいにしか思っていなかったのですが、思い付いて4日で、小さなメダカ繁殖場ができてしまいました。

ネットで、情報検索したり、久しぶりにアクアライフという熱帯魚の雑誌(今月はメダカ特集だった)を買ったりしました。

今は、100均でもいろいろなメダカの飼育グッズが売っており、とても安くそろえることができました。

数年前から世間ではメダカブームだったことは知っていましたが、私がはまるとは思ってもいなかったのです。

ヤフオクでマリアージュロングフィンという、青くてキラキラとした体外光のグッピーのようなメダカを知ったのがきっかけでした。

メダカの卵がヤフオクで販売していることにも驚きました。

今、私のメダカの水槽棚には、4日前にヤフオクで買った、そのメダカの卵20個と、ついでに買ったミックスメダカの卵50個が入っています。

昨日は、それでも満足できなくて、成魚も飼いたいと思い、JAのおんさい広場という一般の人たちが出品した市場のような店に行き、カイジという真っ黒なメダカと楊貴妃というオレンジのメダカのペアを購入して育てています。
カイジは、卵を3個持っていたので、早速、卵を取り出して孵化容器に移しました。
(なんだかんだで、4日間で1万円くらいメダカ関係につかったかな?)

そういば、小学生の頃は、小川でメダカを捕ってきては、机の片隅で小さなガラス瓶に入れて飼っていたのを思いだしました。

小学生の頃の幸せは、お金では買えない楽しさがありました。

好きなだけで楽しいのです。

最近の私は、早寝早起きで、自転車でその辺をうろつき、庭いじりと魚の世話を楽しむ生活をしています。

暇なようで、楽しんでいるとやることが多くて、時間がたつのが早くかんじます。

少々早い隠居のようなのですが、私にとって、気楽にくらすことが夢だったようなのです。

人、それぞれの暮らし方があるのだと思います。

自身を知ることは簡単なのかもしれませんね。

あなたの小が学生の頃に楽しんでいたことは何ですか?

そんなことが、幸せのヒントなのかもしれませんね。


どんどん、子供の感覚に戻っていくようです。

なにを肩意地はって背負っていたのかね。


「そんなもんだよ☺️」


5月14日、つけたし

結局さ、やりたいことをやりたいようにやるだけなんだよね。

そこまで気づけば、わかるだけのことなのだと思う。

意識の力。

この世の仕組み。

あなたが生きているのは、誰の世界なの?

世の中のせいにすれば、解決できると思うほど、遠回りするものさ。

みんな、わからないから、楽しんでいられるのかな?

ちょと、おちついて。

その楽しさは本物なのかい?

みんな、わからないから、ごまかしているだけなんじゃないのかい。

ひとりでやってみたらどうかな?

それでも、みんなと思うなら、そうなんだろうね。

私には、わからないことだけどね。

あなたにとっては、そうなんだろうね。

おそらく、そんな人が社会の歴史をつくってきたのだと思う。

私は、社会の邪魔はしないよ。

だから、徴兵制だけはやめてくれないかい。

すべてが、水の泡とかすからね。

税金がたかくなるくらいで、やめてくれないかい。

社会さん、お願いだからさ。

生きる道を奪わないで。

………

こんなことをかんじます。

だけど、やりたいようにやるだけなんだよね。

なにがおきてもね。

それが、生きていることなんだと思う。

それが、意識なのだと思う。

その先に、解脱があるのだろうね。

それぞれの向かう解脱がね。

そんなもんだよね。


5月15日、つけたし

ひとりでやってみたら、といっても、先人のたどった道のおさがりなんだよね。

誰かの楽しみがあったから次の楽しみがあるのだろうね。

そこに感謝するほど、優しくなれるのだと思う。

私の魚を飼うという趣味も、ひとりでやっているのだけど、そうじゃないんだよね。

ただ、必要以上に関わらないだけでね。

だから、私にはこの趣味があっているのだと思う。

自然と向き合うことが楽しい。

私とは違って、人々のふれあいから楽しみを味わうタイプの人もいるようだ。

そんな人たちは、みんながなければ楽しめないのだろうね。

共通の目的に向かう感覚を共有することが楽しいのだろうね。

その力が人の進化をうながしたのだろうね。

だけど、ひとりで黙々と探求する人がいたから発見があったのだとも思う。

それぞれの楽しみでいいのだと思う。

おしつけあったり、足をひっぱったりに、うんざりなのさ。

だからさ、

邪魔をするのはやめようね。

そう思うんだ。

ちゃんとしなよ。

次へいこう!


みんなさん。


5月16日、つけたし


あれこれと思考くせのある私にとって、過去の先人達がと残してくれた思想というモナドに出会うことに感謝します。

哲学にしても科学にしても、あらゆる神話や宗教にしても、はたまた、サブカルチャーという娯楽だって、私にとって、私を形づくるモノなのです。


直接、接してはいないのですが、私にとって、同じようなことを気にして生きている人がいるというだけで希望があるのです。

愛とは、なんなのでしょうか?

仲間意識があるから、派閥があるのだと思います。

ですが、仲間意識があるから、成長するとも思います。

個人の意識と集団の意識という、二重世界があるから、人生は深みを増すのだと思います。

いったり来たりを繰り返し、その人なりの解脱(もしくは輪廻転生)を目指すのだと思います。

そんな私も先人モナドの一部として残るのだと思います。

あなたも残るのだと思います。

モナドとは脱け殻のようなものなのかもしれませんね。


「そんなもんだよ☺️」



私は、この世の仕組みに興味はあるが社会の仕組みをつくろうとは思わない。

生きている世界からあの世の仕組みまでに興味があるからだ。

現実とはほど遠いことに興味があるのだ。

だから、社会の仕組みを知ることは、私が生きるための知識でしかなく、戦略的なことでしかないのだ。

そんな戦略的なことに大切な時間を使うよりも、自身の探求に忙しい。

企業は利益をあげる企てをするものであり、そこにやりたいことがなければ利用価値はない。

自身が自由に生きられる仕組みを探すことのほうが企てる意味を感じる。

その仕組みも、先人の意識モナドから学べばいいだけなのだ。

だから、私の外側でおきていることは、生存のための法則でしかなく、真に私が求めていることではない。

自身をふくめた存在の仕組みを気にして生きているのは、そのためだからだと思う。

先人達が記録として残した意識モナドを、私なりに探求することで、私の仕組みである意識モナドがつくられるのだと思う。

私の意識は、現実と妄想の狭間にあるのだと思う。

そんな私は、人類という仕組みから押し出された存在なのかもしれませんね。

解脱して次へいけ!ということなのだと思う。

なにがあるかは知りませんがね。

意識によって創造されるということなのだろうね。


それぞれの解脱へ向けての幸せがあるのだろうね。


「そんなもんだよ☺️」


5月17日、つけたし

釈迦やキリストは、現存する人たちを導くために解脱せずに残ったのでしょうか?

しかし、私たちが信じているものは、記号という道しるべであればよいのであり、それが、脱け殻であってもかまわないのではないか?

案外、死んだ人たちの霊魂は、気楽にそれぞれの次へいったのかもしれませんね。

私たちは、救いを求めるあまり、幻想にとらわれているのかもしれませんね。

まぁ、死ねばわかることですがね。

そんなこと
を思うのです。


5月19日、つけたし

私は、私を演じているようです。

社会とは、無意識に場面にあったキャラクターになりきることで成り立つのだと思います。

めんどくさいから演じているのか、現状を維持するために演じているのか、目的達成にむけて演じているのか?

過去の体験から、自動的に最適な私があらわれているようです。

なにかを企て戦略的に演じるときは、見返りを期待しているときであり、過剰な意識をしている状態であります。

とても不自然でありますので、いびつな感じがするのです。

たとえ、なにも演じていないと思っていたとしても、生まれた時点で、私を演じて生きているようです。

ですから、生きている以上、本当の私なんてものは求めないほうがよいのだと思います。

ただ、無理をせずに心が感じる私と、社会的な役回りを演じている私を、素直に受け入れて生きることが、もっとも、生きやすいのだと思います。

つまり、流れに身をまかせてということなのでしょうね。

運命とは、それぞれの箱庭の世界なのかもしれませんね。


私は、自然崇拝を基盤とした思想意識を根底に演じているようなのですが、日本人だからといって、必ずしもそのような遺伝子を受け継いでいる保証はありません。ですが、そのような生き方が自然に感じられる私がいることも事実なのです。誰もがその人らしく気楽に生きれる時代が訪れることを願っておりますが、そうでない方々がいることも認められてこそ、自然なのだと思うです。(理屈では理解できますが、関わりはもちたくないですがね。)


なるがままに


「そんなもんだよ☺️」



5月20日、つけたし


やりたいことがわらない。

好きなかとがわからない。

そんなもんだよ☺️

それがわかれば苦労はしないよね。

なにごとも、いきなりはむりなのです。

なぜか気になっていたこと。

ごまかさないでね。

叶おうが叶わなまいが、疑問をそのまま抱えて生きるだけでいいと思う。

なんだかわからないけど、やっていることってあるよね。

それは、気になっているからなのだと思う。

やりたいとか、好きとかは、その後から感じることなのだと思う。

ただ、社会が認めてくれるかは、別の問題なのだと思う。

そんな、いつのまにか気になってやっていることって、案外、
あなたの才能なのだと思う。

それで、稼げなくても、満足できるなら、幸せなんだと思う。

生きていくためのお金は、別の方法で稼げばいいだけなのだと思う。

社会の仕組みは、それほど難しいことではないのだけど、なんで、そんなに難しく考えるのかな?

あれもこれも望んだところで、満足感はそれほど変わらないし、幸せも感じないと思う。

あなたが夢中になれることは、それだけで幸せなのだと思う。

私は、なるべく、余分なことに時間をつかいたくない。


かといって、やりたくないのに、無理やり夢中なふりをするのもしたくない。


今年はメダカに夢中なのです。


ありがとう❤️



そんなもんだよ☺️



5月21日、つけたし


高いものほど価値があり満足感を感じる。

それは、気になっている行為とあっているのかな?

単なる、ストレスの捌け口として、自身の価値をあげたいだけなのではないのかな?

お飾りで価値つけするならば、あなたもその程度のモノなのだと思う。

あまり、演じてばかりいると、お飾りの小道具ばかりで、自身がわからなくなると思う。


自身の感性を信じて生きることを忘れないでね。


心配しないで、誰もが通る道だからね。


そんなもんだよ☺️


5月22日、つけたし

昨日と今日にかけて、家の側面の空きスペースに、メダカ用の棚を作りました。(12センチコンクリートブロック6個と2×4木材6フィート2本)

おんさい広場でメダカの卵が売っていることを知り、先週に燐光という種類の卵を30個買ってきたからです。

その他にも、先週の間だに、ドラゴンブルー、明けの明星と2種類が増えていましたので、水槽が足りなくて屋外飼育のスペースを拡大したのです。(27リットル3個のプランター、8リットル2個のプラ容器)

マリアージュロングフィンの卵は全滅してしまいましたが、一昨日にミックスメダカは半分程孵化し、おんさい広場で買った燐光も昨日孵化しました。

そんなこんなで、今日、琥珀ラメ30個とユリシス40個の卵を見つけて買ってきたところです。

この子たちが育ったら、屋外に移していく予定です。

メダカは産卵サイクルがはやくて、どんどん増えていきます。

それだけ、楽しみも多いのです。

より良い系統を選別したり、オリジナルの掛け合わせにしたりと、こだわりはつきないのです。

おそらく、私のようなタイプの人が、メダカプリーダーになって販売しているのでしょうね。

私は、人と関わりたくないのでしませんがね。

増えたら、馴染みの熱帯魚店にあげるくらいですね。

ありがとう❤️

そんなもんだよ☺️


5月23日、つけたし

発達障害から観た世界。

自分を愛することが他人を愛するということ。
(自身が幸せであれば、他人にも寛容になりやすいからね)

あたりまえを感じるたびに感謝します。

良いも悪いも、好きも嫌いもあたりまえ。

与えられた状況を生きるだけ。
(役回りを演じているだけだからね)

自己肯定感はあたりまえなのよ。
(劣等感のブロックをはずすと自律に向かうよ)

みんな、発達障害なのはあたりまえなのよ。
(無理をしないで、できることを伸ばしていく生き方の時代が来るよ)

足りないことよりも、楽しみを味わいなさいな。
(比べる価値つけから、自身が求める生き方へ。幸せの波動は、いつかきっと世界をかえる希望になると思う。)

ありがとう❤️

そんなもんだよ☺️



ちょっと、ショックなことがありました。

今朝、庭に出てみると、金魚の角たらいが荒らされており、猫かなにかに食べられ残骸が散らばっていました。

昨年、初めてヤフオクで買ったスエヒロニシキという鮒形のハートの形をした尾の金魚だったのです。

猫もお腹がすいていたのかな?

いろいろ、おきますね。

これも運命ですので、メダカを飼うことを楽しめばいいと思います。

屋外のメダカも心配なので、気休めですが蓋がわりにネットをかけておきました。

またまた、おんさい広場で、緑光とブラックダイヤのメダカの卵と紅ほっぺ5匹を買ってきて、蓋つきのプラケースに入れました。(更にプラケを1つ買ってきました)

毎日、メダカのことを考え、ネットで検索して、知識をたくわえて、できることをまねして、自身で体験して、なんとなく、私なりのメダカ飼育のイメージができつつあります。

後は、時間をかけて、じっくり楽しむだけなのです。

幸せメダカバカですね。


ありがとう❤️



5月28日、つけたし

最近、釈迦やキリストのことを考えるように、メダカのことを考えている。

なんだろうか?

人類の意識の記号だろうか?

大きな仕掛けなのだと思う。

誰が広めたわけでもない仕掛けなのだと思う。

わざわざ、懺悔しなくても、瞑想しなくても、生きているだけで同じような感じがする。

それは、肉体を持つ私自身が乗り物であり、仮の演じている存在だからなのかもしれない?

これが、幸せというものなのだと思う。

どんなときでも、生きているということは、幸せと隣り合わせであり、死ぬことさえも隣り合わせなのだと思う。

この先が、あるかどうか?なんてことは、なりゆきまかせでいいのだろうね。

それが、私自身を背負うということなのだろうね。

ずいぶん遠回りをしたものだ。

そんなもんだよ☺️

ありがとう❤️


5月31日、つけたし

結局、人それぞれの生き方があるのだろうね。

ないものねだりしても、満足感はうまらないのよね。

生まれながらに持ってるもの。

そんなもんだよ☺️

ありがとう❤️



























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夢中になると作為がなくなるのかな?=自然なのだと思う


私が消える。

ただ、そこにある。

夢中になるとは、そんなことなのかもしれないと思うんだ。

今回は、そんなことを考えてみようと思う。




 

ここ1ヶ月、めだかに夢中なのです。

 

私の中に、めだかが入り込んできているような。

 

四六時中、めだかのことが気になっています。

 

もはや、生活の一部となってしまったような気がします。

 

好きとか、楽しいとかを超えた感じがします。

 

誰もが、同じような経験があることでしょう。

 

何かに夢中になるとは、損得を越えて、めんどくさいを越えて、できる限りの意識の集中なのだと思うのです。

 

世間の役割り演技としての人格が私なのだとしたら、それすらも侵蝕してしまうほどに、意識から離れない状態なのだと思うのです。

 

それは、私が制御できない自身ですので、まさに現実を越えて夢のなか(自身の感性の中)に生きているようなものだと思うのです。

 

そんな状態のときこそ、本来の自身の感性があらわれるのだと思うのです。

 

意図的な目的もなく、導かれるように生きているようです。

 

この場合、めだかは夢中になるきっかけであり、なんでもかまわないのです。

 

夢中になるということに意味があるのだと思います。

 

今までの世界観からの脱却。

 

もしくは、今まで感じられなかった、大きな世界観からの視点を感じることのように思います。

 

そんなときでも、客観的にふかんしている冷静な自身の一部がいるようです。

 

おそらく、身体と脳機能の伝達網が新しく構築されているのだと思います。

 

ありとあらゆる感覚機能が、新しくアップグレードしているような感じだろうと思います。

 

もちろん、社会的な役回りは、今までどおり、そつなくこなすのですが、そこに、迷いはなくなり、機械的な作業となるのだと思います。

 

何かに夢中になるとは、本来の自身の根源にそった生き方に向かうようなものだと思うのです。

 

まるで、自然の一部になったかのような感じなのだと思うのです。

 

だから、そこには、選択すらもないのです。

 

ただ、自身の流れがあるだけであり、そのような、アップグレードを繰り返して、自分軸に近づいていくのだと思います。

 

私なりの表現ですと、アートです。

 

生きること事態が、アートなのです。

 

経済に飲み込まれていようがいまいが、アートなのです。

 

だから、富裕層はアートの価値を重んじるのだと思います。

 

それは、人類の感性の歴史に敬意を感じているからなのだと思います。

 

それは、自分自身が、人類のひとりとして尊厳を感じているからなのだと思います。

 

私は、アートとは、全ての人類の上位概念であると思います。

 

結局、学問も言葉も表現であり、認識することを分類して共有することから文化は始まるのだと思います。

 

表現とは、アートなのです。

 

アートの反対は、わかったようなふりをしている行為なのだと思います。

 

世の中は、何も決定していないのでは?

 

 

 

 

以上

 

 

 

 

 






前のめりに、欲する何かに突き動かされる行為なのかもしれませんね。

現状を打破しようと、無意識が感じているからなのだと思います。

知識と経験以上の感覚なのかな?

精神の不思議といえば簡単ですが、そこに、なにか未知なる仕組みがあるのかも?

スピリチュアル的な発想ですがね。

自然に向かうということなのだと思うのです。

純粋は自然か?

作為は不自然か?

そんなことすらも超越する行為が夢中なのかもね。

だとすると、淡々と記録するこの行為はなんなのか?


無意識の記録なのか?

ぼんやりとした意識と思考の記録なのか?


ありがとう❤️

そんなもんだよ 


6月11日、つけたし

無駄をはぶくとか、コスパがいいとか、そんな生き方ができなくなってきた。

もちろん、自分軸で生きているので、自身の縁でしかないのだけどね。

テレビも新聞も観なくなったから、世の中のはやりもしらないよ。

だから、ほしいと思うことすら、あまり感じないからね。

世の中、目標を持って生きなければいけないのか?

コーチング理論でいけば、[現状の外側にゴールを設定しなさい]という。

必ずしも、目標がなくてもいいんじゃないのかな?

だって、戦略的の外側なのだから、自身の流れとは違うということでしょ。

そんな縁は、偶然でしかないと思う。

つまり、[なるようにしかならない]ということでしょ。

人の意思なんて、それくらいでしかないと思う。

最近の私の流れは、めだかなんですよね。

このめだかとのであいという縁を味わいましょう。

めったにない、夢中になれる縁だからね。

いつまで続くとか、そんなことすらもしらないよ。

ただ、やらずにいられないんだよ。

好きとか、やりたいとか、関係ないよ。

最近は、めだかばかりで、めだか日記のようになってきた。

昨日は、育てているめだかの卵の採取をしていた。

どんな子供が産まれるのか見たいんだよ。

ついに、私も、この領域に入ったようだね。

ふやしてどうする?……そんなことすらもしらないよ。

商売としてめだかの繁殖をしている人もいるけどね。

たぶん、めだか愛好家の多くの人たちは、私と同類なのだと思う。

人生の一部となっているのだと思う。

生きるついでに行う行為ってあるのだろうね。


そういうことなんだよね。

それが、なりゆきまかせの怠け者の生き方なんだよね。


6月12日、つけたし

私は、人がこの世に産まれてくることが最大の目標なのだと思う。

だから、人生なんてものは、なりゆきまかせでいいのだと思う。


梅雨に入って、あまり庭に出れないから、少し欲求不満なようです。

いつの間にか、私にとって、小さな庭が楽園になっているのだと思う。

梅雨の6月はアジサイを楽しむこともできるのだけどね。

先週は、アジサイの切花を買ってきて、タライにめだかと一緒に入れてみたり、カットして余った枝で挿し木をしたりしていた。

一昨日は、水トクサと水コケの鉢を買ってきて、ビオトープにしてたね。(もちろん、めだかも入れたよ。)

前回から、紅白の卵30個と紅帝ダルマの卵10個をヤフオクで買って、おんさい広場でホワイトパールの卵45個を買ってきた。どちらも、無事に孵化したよ。

なんだかんだで、現在、15品種のめだかを飼っている。

ずいぶん、ふえたね。(自分でも、めだかバカだと思うけど、上には上がいるもので、ビニールハウスを建てる人もいるからね。)


めだかに夢中になって、見えてくること。


めだかが流行りだして10年もたっていないと思う。

そんな短い間だに、様々な品種が改良されている。

人の執念とは、凄まじいよね。

イメージを、現実にしようとする。

神にでもなりたいのかもね?

ということは、私も、そのひとりなのかも?

人類も品種改良して、超越したいのかな?

だけど、自身が超人になりたいのが現実であって、他人が超人になるのは好まないようだね。

それが、人というものなのだろうね。


ネットが発達して、誰もが外側に表現する時代。

凄い熱量なんだよね。

きっと、そんな人たちは、やらずにいられないんだろうね。

認めてほしい。お金がほしい。…それは、こじつけの動機なんだと思う。

どうせ、ながくは続かないだろうからね。
(人生の転換期になる人もいるけどね。)

ただ、騒ぎたいだけなんだろうね。
(騒ぐことで夢中になれるタイプなんだろうね。)

それが、悪いとも思わないけど、私は、そんなタイプではないようだ。

体験型のコンサートやイベント等の祭りに参加したいと思わないタイプだからね。

出来事を共有すること事態、感覚が薄いのだと思う。

だから、ひとりですることが好きなのだと思う。

私にとって、外側にあるものは、情報でしかないようだね。

めだかから、そんなことも見えてくるね。


それにしても、引き寄せとか、あるがままとか、スピリチュアル界も暑苦しくなってきたよね。(私も通った道だから、わからなくもないけどね。外側に発することで自身にアファメーション(自己せん脳)しているのだからね。そのうち、そんなことすらも、必要なくなるからね。ネットにあげる行為は気になることを検索しやすくなるので、自分軸を持った人にはありがたいけどね。)

孤独なものが、スピリチュアルなのだと思うのだけどね。

振り回されないようにね。
(うまくいかなくて悩んでいる人をみたとき、自身も悲しくなるか、おせっかいにも助けてあげたくなるか…はたまた、アホだからと気にならないか、いろんなタイプがいるからね。これが、心理操作に使われてるんだからイヤになっちゃうよな。)

これじゃ、現実とかわらないんじゃないのかな?

そんなことも、見えてくるね。

夢中になるとは、そういうことなんだよね。

ああ、そうなの?…しらないよ、そんなこと。

そんな感じで生きているようです。


どんどん、振り落とされています。

10月にパートをやめるのだけど、もっと世間から離れるのだろうね。(会社に勤めることは、世間の価値観を共有して、尻を叩かれて生きているようなものだからね。それが、喜びのタイプもいるけどね。)

これが、隠居生活に向かうということかもね。

私は、私の視点でしか見れないのよね。

結局、それぞれの生き方があるのだろうね。
(毎回、こんなことばかり書いているとあうことは、おそらく、無意識にアファメーションしており、今はまだ、隠居に向けて意識の変革期なんだと思う。それすらも、なりゆきまかせでいいのだろうね。その先すらもなるようにしかならないのだからね。)


そんなもんだよ☺️
(この言葉が、私の世界観の全てに繋がっているように思う。)


6月13日、つけたし

昨日は一日中雨だった。

それでも、小雨の合間にめだかと庭の手入れをしていた。

思考に浮かんだことを、このつけたし日記に何回かかきたしたりした。

私が書き足すこと以外にも、様々な思考をしているはずなのに、どうよって文章を選んでいるのか?

自問自答するほど、こんがらがる自我なんだよね。

1日たって、スッキリしたりする。

「そんなもんだよ☺️」という魔法の言葉でスッキリする。

わからなくてもいいんじゃないのかな?


めだかに夢中になって、自身に向けて記録ようにツイッターを再開しだした。

私の中にいる複数の人格に向けてということなのかな?

外側の人たちも、私の複数の人格も、私にとって、同じような感じがする。

そんな感じを味わい眺める感覚がする。

ネットを見ていると、ごくたまに同類のような人にであうけど、それすらも、かってな解釈なんだよね。

どこかに、特別視している、さみしい私がいるのだろうね。

そんなもんだよ☺️



客観的な瞑想

自分自身の表層をおおう人格は、いつも外側の刺激により変化するのだと思う。
どれだけ、自問自答したところで変化しないだろう。
それが、偶然という縁の力であるが、自問自答しないものに、外側の刺激の力はつたわらないとも思う。


6月14日、つけたし

最近の私は、なんでも「そんなもんだよ☺️」でやりすごしているようだ。

なぜだろうか?と考えてみた。

なんだろうね?

過去の時代の価値観への復讐なのかもしれない?

集団生活やスポーツがイヤだったこと。

興味のない勉強に集中できなかったこと。

自分の人生を未来の社会人として他者に価値観を押し付けられたことへのリベンジなのかもしれない?

だから、[怠け者導]という、独自の発想で証明しようとしているのかもね。

だからといって、他者に強制もしたくないし、多数派の価値観になっても困るのだけどね。

世の中のおこぼれでなりたつ生き方でしかないからね。

発達障害の子供を育て、自身の過去を振り返り、思うことは、

「社会に迷惑をかけないのであれば、本人の好きなように生きればいいんじゃない」ということ。

(大人は、社会的役回りをするのがあたりまえというのも、おかしな価値観なんだよね。地域活動もしたい人がすればいいのじゃないのかな。私は、人様のことまで指図したくないし、ほっといてほしい。…これも、時代により抵抗感の差があるから、私より上の世代は辛いよね。かってに抵抗感を感じているだけなのだけれど、ブロックをはずせないのは自身に原因があるのだと思う。私もその最中なんだけどね。)

なるほどね、だから、こんなことばかり書いているのだろうね。

子供のころに言えなかったことを、今になって、言ってるってことだね。

多くの人たちも、無意識にそんな生き方をしているのかも?

みんな、自身の可能性を求めて生きているのかな?

どんなかたちであれ、リベンジのチャンスを求めてね。

それが、自分軸ということなんだろうね。

そんな抵抗感すらなくなったら、暑苦しい自分軸もなくなのだろうね。

私の次は、隠居だね。

とにかく、世間からはなれたいと思う。

なにに対しても動じない、生きてるのか死んでるのかもわからない。

そんな、じじいになりたいと思う。



「そんなもんだよ☺️」



6月15日、つけたし


夢中になるとは、究極のリベンジであり、自己肯定なのかもしれない?


6月17日、つけたし

昨日、ピンク色の睡蓮が咲いた。

ヒメダカと睡蓮のビオトープを先月に、ネットで調べながら、みようみまでで作っていた。(ヒメタニシも数匹入れてある)

ポイントは、苗が成長できる大きめのスペースの赤玉土に植え替えることだった。

実際に咲いているのを見ていると、幸せを感じるような気分になった。

睡蓮も朝に花が咲き、夕方に閉じていた。

自身の、生活空間に、同調しているからなのだろうね。

生命を感じるからなのだろうね。

それにしても、めだかは毎日、10個ほどの卵を産むのだが、凄い仕組みなのだと思う。

ヒメダカは増やす気もしないので、なりゆきまかせにしている。

30リットルほどの桶の小さな世界に生命が循環しているのだが、その世界の外側の影響も感じられるビオトープは、おもしろいですね。


6月18日、つけたし

客観的な瞑想

人類の共通の根源の感覚として、集団に属していないと不安を感じることがある。

その恐怖から逃れようと無意識はする。

成熟した存在は。その恐怖をコントロールするすべを心得ている。

理解していようがいまいが、自身にも他者にも操るすべを心得ている。


自分軸の、次に訪れる感覚だろう?


それは、なるがままだが、満たされた感覚だろう?


そんなことを思う。


他人との共有感が薄いタイプのさみしいという感覚は、わびさびの寂に近いように思う。

だから、熱量が多いものを暑苦しく感じるのかな?

枯れていく感覚って、わかりますか?


6月20日、つけたし


夢中にならなくても、自身が消えてなるがままに満たされた生き方になるということ。

悟りの向こうに、あるのか?

いつも、心地よい気分でいると、ささないなことにも「ありがとう」と感じるようになる。

それは、悟りの狭間に自身が生きているということ。

感情に振り回されているとは、ひとつの人格に支配されているのだと思う。

今回の伝えたいことは、こんなことなのだと思う。

私の向こうからの(根源からの)メーセージなのかもね?

そんなこと、なんども書いてるから、知ってるよ。

そんな単純なことが、とても難しいのよね。

無意識の流れをひもといて、気づくことがありますよね。

あらためて、私は感覚で生きていると思う。


作為よりも、連鎖なのよね。


6月21日、つけたし

暑苦しいのがイヤなのかい?

それじゃ、関わらなければいいだけなんじゃない。

わざわざ、アクセスしてるのは、なぜ?

奥底では、気にしてるからでしょ。

盲点を掘り起こすのはやめましょう。


そのとおりなんですがね。


道なかばということ。


そんなもんだよ☺️



6月23日、つけたし


私の中にいる複数の人格

感情ごとに人格をようしている

心は寄せ集めでしかない

思考では解き明かせないものがあるのだろう

感情とは、根源である真我が感じる偽りの体験であり、解脱に向けての成長の一部なのだと思う。


「言葉は同一化をうながすが、錯覚でしかない」と同じようなものなのだろうね。

私の根源に流れる感覚も、このようなものなのだろうね。

そんなもんだよ☺️


6月25日、つけたし


相談して決めることなんて、どうでもいいことでしょ?


ごまかせないことが、あるんだ!


6月26日、つけたし


なんでも間でも、理由が必要なのかな?

それって、こじつけなだけでしょ。

そんなんで、安心できるほど、やすっぽくないよね。

過去も未来も、むやみに掘り起こしたところで、不安は解消しないでしょ。

不安なんて、あってあたりまえなこと。

[今を生きる]とか、[夢中になる]とか、そんなたいそうなことでもないけどね。

真面目な性格も、人格のひとつだよね。

色々あっていいんじゃないのかな?

こだわるなら、なんとなくでいいんじゃないのかな?

その場その場、適当に生きたって、いいんじゃないのかな?

それでも、やりたいことも、やるべきことも、していると思うよ。

[認める][ゆるす]とかも、いいんじゃないのかな?

まぁ、そこまでいくまでの段階なんだろうね。

私的に言えば、「暑苦しい」ということでしょうね。

私も経験してきたことだしね。

[思考は現実化する]とか、笑えるよね。

だから、まわりに、振り回され過ぎなんだと思う。

話しても、仕方のないことばかりだよね。

皆、知ってるはずなのに、話したがるのが、人なんだろうね。

人は、不安病なんだろうね。

[けつをたたかれて生きる]のは、無理みたいだね。

そんな世界観にきたということなだけだよ。


そんなもんだよ☺️


6月28日、つけたし

今年は、スピリチュアル系Youtubeのメンバー限定への移行が多いのよね。

それだけ、世の中の意識が分断されているということなのかな?

私も、振り落とされ自身の流れに入ってきているので、それ以外の価値観とは共有できなくなっているからね。

5年ほど前に出会ったYoutubeの片方は、ほとんどメンバー限定にしなければならない事情があるということ。

人は、感情で生きているようです。
[どんな人でも、様々な感情を感じとる能力があるのは、それだけ、多くの種類の感情をもっているからだと思う。自身の流れに入るとは、自然に自身の感情を選別して、心地よい気分で生きるということだと思う。反対に、外側の感情に振り回されストレスを感じる生き方を選んでいる人たちもいるということなのだと思う。これからの時代は、このことが前提となるのだろうね。それが、住み分けということなのだと思う。]


そんなもんだよ☺️



6月29日、つけたし

4年ぶりに歯医者にかよいだした。

私のような、真面目だけどめんどくさがりやのタイプにとって、確実に老いていく歯は、うっとうしく感じる。

世の中には、歯をみがかなくても虫歯にならない人たちがいるそうで、虫歯菌が口内にいないそうだ。

私は、虫歯になりやすいようで、どれだけ歯みがきをしても意味がないようで、うらやましく感じる。

かといって、定期的に歯医者へいって、メンテナンスをするきにはならない。

私の子供のころは、おとしよりは総入れ歯の人が多かったように思うが、最近は、なるべく入れ歯にしないようだ。(入れ歯も管理がめんどくさそうだ)

歯がうずきだすと憂鬱になる。(いたみにとらわれるからね)

これも、肉体をもって生きていくことにおいて、どうにもならないことのひとつだろうね。

こんなことを、わざわざ書くということは、それだけ、気になるということなのだと思う。

仕方ないでしょうね。

そんなもんだよ☺️


6月30日、つけたし


因果と縁の世界に生きているようです。


社会性とは、なんだろうか?

同じ目的を持った集団に属することは、個人の拡張なのかな?


なんでもかんでも、他人のせいにしてしまう時期ってありますよね。

自我の暴走なのかもね?

自身を守ろうと、ゆとりがないのかな?

話し合うことで解決するタイプもいれば、その後の行動でしめすタイプもいるのだと思います。(さっするという成長は、相手の立場への想像力かな)


[あやまる]とはなんだろうか?


自身が心地よいのはもちろんだが、まわりも心地よい関係性をきづくことかな?

私は、謙虚に生きたいですが、あまり人と関わらないで、自身の興味の向いたものを探求する生き方が心地よいように感じます。(私なりのバランスの生き方なのだろうね。)

年齢を重ねるごとに、自身の特性にあった社会性が身に付いてくるようです。

本当に人それぞれの感じ方があるのですね。

そんなもんだよ☺️


7月1日、つけたし

自身を観てて思うことは、「無理してまでとりつくろう必要ないのにね」、ということ。

どうしても、人がいると気になる性分なようなのです。

善い人を演じたいわけでもないし、真面目なわけでもないと思うのですが、お人好しなのかもね?

そんなふうに育ったからなのか、根源がそうなのか?わかりませんが、自身では、真逆だと思うのだけどね。

おおざっぱですし、ずぼらですし、他人にどう思われようと関係ないと思っていますし、いいかげんな適当な方だと思うのですがね。

なにが悪いということもないですが、疲れちゃうくらいなことかな?ただでさえ、人よりも疲れやすい体質なのですがね。

こんなふうに育ったのだから仕方ないのでしょうね。

これが、私の業なのだと思うのです。

なんだっていいのですがね。

死ぬまでのことですからね。

これはこれで、おもしろい人生ですしね。

なんだか、隠居しても、人様との関係性はかわらないと思います。

ただ、自身があるだけのことですね。

なるがままに。

ボケ老人を演じていれば、周りの扱いによって、そのような性分になれるのかもね?

社会性をいちだつした存在にね。

それだけ、性根を変えるのは難しいということですね。

それも、めんどくさいですしね。

本当に、どうでもいいことばかり考えてますね。

しゃないわな!

ということを、記録してみました。(私の日常ですね)


今日は、そんな気分なのです。

10年後の私に向けてかな?


「どんなん、なってますか?」

そんなもんだよ☺️

ありがとう❤️


7月2日、つけたし

社会にたいして過剰適応してしまう私がいる。

それを観てて、あきれている私もいる。

疲れたら休みましょうね。

極端に真逆な私たちは、繰り返す。

いつものことだね。

満足感と罪悪感。

しみついた生き方なんだろうね。


ありがとう❤️


7月3日、つけたし

私の場合の感じ方ですが、

自身の根源的な特性が逆転して社会性となって自動的に現れているようです。

過剰に意識しなければ演じきれないからなのだと思います。

生まれた時代の世間の価値観(家庭や会社や国)に適応しなければならないというストレスをさけるためなのだと思います。

教育とは、なんだろうね。

今の子供たちにも言えることなのかと思います。

基本となる人格の形成にあたえる大きな縁なのでしょうね。

年齢を重ねるとは、時代から自身への流れに移ることなのだと思います。

そうじゃない人たちもいますがね。

こだわりとは抵抗であり、執着という思い込みなのだと思います。

ひとつづつ消えていくと、ただ生きていることが幸せに感じるのかもしれませんね。

感情がある創造思考を獲得した生命体だから、このような仕組みとなるのだろうね。

その先にある縁とは、なんだろうね。


だいたい想像がつくような気もしますが、思考では限界があるように思います。
[感情に善いも悪いもないよ。(性格にも言えること)選り好みするほど執着はますよね。ただ、眺めて味わえばいいだけだね。それが、あたりまえになったなら、あなたは満たされるでしょうね。なにに満たされるかって?それは、人それぞれの感じ方だろうね。そのとき、気づくことなのだと思うよ。]

なるがままに

ありがとう❤️


そんなもんだよ☺️


7月6日、つけたし

無住処ニルヴァーナという世界観があるそうだ。

輪廻とニルヴァーナの狭間の世界。

苦楽を越えて

好き嫌いを越えて

生死を越えて

自他を越えて

有る無しを越えて

空を越えて

全ての平等意識。

有るも無いも越えているのに存在感がある感じかな?

生まれてもいない、死んでもいない。

空すらも越えた感じかな?

究極の平等な愛のようなものだろうね。
[頭でっかちにならずに感じてみましょうか。私の中で遠くの方から、そんなもんだよ☺️という感覚がします。しかし、肉体をもって生きているとは執着そのものですので、反発するのも仕方なしですよね。ということで、私の中でも様々な感じがするようです。わかってもわからなくても、時空を越えて、次元を越えて、内在する感覚こそが、小宇宙なのかもね?…難しいことを言いすぎなんだよ☺️]

なぜか、空海が浮かんできました。


ありがとう❤️


7月7日、つけたし

肉体とは現実であり結果であり空なのだと思う。

常にいれかわる器のようなものだろうね。

魂という客観的なものが感じている。

思考は肉体に属する感覚だろうね。

魂は気を発する。

気ばかり、あせって先走らないようにご用心。
[叡智とは、肉体と魂の間を繋ぐものだろうね。叡智を蓄えることで、より良い循環が発動するのだろうね。チャクラの階層とは次元の世界観なのかもね?変化をあじわいましょうね。]

ありがとう❤️


7月8日、つけたし

世の中には流れがあるようで、人生にも流れがあるようだ。

久しぶりに過去の感情を思い出して感じていた。

世代ごとに苦楽は違うようで、産まれた時代により特徴があるようだ。

私は1970年代団塊ジュニア世代であり、人口が多い特徴があるのだが、1980年世代は氷河期世代で、バブルの好景気も知らず就職難で低賃金でこきつかわれて、普通に生きていては報われない世代だそうだ。

私も、その時代を生きてきたのでわからなくもないが、家庭を持てただけ、報われたのかもしれない。(離婚はしましたがね)

所得格差が大きく開いて、勝ち組負け組という価値観が浸透していたように思う。

それだけ、世間を意識して見栄や嫉妬の感情が渦巻いていたように思う。

その下の世代は、不景気も格差もあたりまえで、悟り世代とか、ゼット世代とか言われているようだが、あきらめからはじまるのか、世間とは価値観を共有しないように思う。

なるべくしてなるのかな?

人それぞれなのだから、分類などできないとは思うのだけれど、大きなくくりはあるようにも思う。

それも、思い込みからなのだと思うのだけどね。

現在の私は、人の苦楽は一通り体験して、隠居へ向かっている。

隠居を体験していないのでわからないが、世間と距離をとり静観して、訪れる老いと死をあじわう時期なのかと思う。


そろそろ、杓子定規の普通という価値観は意味のない時代になりそうに感じる。

世代論じたいが無意味であり、洗脳の入り口のように感じる。(自身を勝ってな解釈で固定しないことだね。世代論で未来予測をしても、これからは不安ばかりだからね。変化という流れがあるだけ。)

好きなように生きましょう✨


そんなもんだよ☺️

ありがとう❤️


7月9日、つけたし

一時の感情に振り回されて、自身の欲求のために世間や他人を悪者にしてはいけないだろうね。

誰かを悪者にしたところで、まっているものは罪悪感しかないと思う。

そんな縁に出会っただけのことだと思う。

自身すらも達観した視点で生きることは、とてもつまらないでしょうが、感情の仕組みを学ぶには、自身ほどわかりやすいものはないかと思う。

思わず、笑っちゃうよね。

ただ、流れがあるだけ。

ただ、ふれあっただけ。

ただ、感情が、あらわれただけ。

感情なんてものは、コロコロかわるものなんだよね。

ある種のエネルギーなのかな?
(感情ごとに周波数があるのだろうね。これも、ひとつの次元の世界観だろうね。)

外側に求めるか、内側に求めるか、それだけのことですね。

生きているんだよ。

おもしろいよね。


ありがとう❤️


7月10日、つけたし

私は隠居生活を目指しているのだが、今のご時世、とても贅沢なことなんだろうね。

残りの人生が、10年なのか20年なのか30年なのか、わからないけれどね。

ありがとう❤️




















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ここはどこ?



混沌なる世界のようです。


私は誰?

生まれたから生きてるのか、生きてるから生まれたのか?

ここはどこ?

ここって何かな?

なんだか、わからないことばかりだよね。


そんな話しですけど、読んでくれます?




 

私は目を覚ます。

 

カーテンがないから眩しいのだ。

 

窓越しに、明かりがさしているから、夜ではないようだ。

 

この部屋に住んで1年だが、カーテンを買いそびれて、そのままなのだ。

 

1年もたつのだから、今さら買う気にもならないのだ。

 

起きるのもめんどくさい。

 

私は、壁側に寝がえり二度寝することにした。

 

現実と夢の違いはなんなのだろうか?

 

ぼんやりとした、まどらみの中で疑問が浮かぶ。

 

どちらも意識し感じることにかわりはないのだがね。

 

私の記憶が世界を形つくるのか、世界が私の記憶となるのか?

 

人は自身の視点でしか世界をかんじられないからね。

 

視点の範囲が広いか狭いかの違いはあるが、たいした違いはないことだろう。

 

この世界は様々な世界観が混ざりあう混沌とした世界のようだ。

 

私という個人が無限に並び立ち混在する世界。

 

他人なんて、そんなものだろう。

 

他人も、私のことをその様に感じているのだろう。

 

価値観の違うものたちが共存する共有世界なのだから、摩擦はあたりまえなこと。

 

意識の摩擦は現実だろうね。

 

それでは、夢の中での摩擦はなんなのだろうか?

 

私が感じる複数の人格による摩擦はなんなのだろうか?

 

今、感じている、この私はなんなのだろうか?

 

ここはどこ?

 

 

 

 

私は、目を覚ます。

 

真っ暗なのだから、夜だろう。

 

二度寝してから、どれくらいたったのだろうか?

 

電気をつけるのもめんどくさいので、そのまま起きることにする。

 

真っ暗でも、かってしったる部屋である。

 

腹 もへったので、エネルギー補給に外出しよと玄関を開ける。

 

月あかりが世界を照らす。

 

今宵は満月だから、生き物の気配がさわがしく感じる。

 

そこらじゅうで、さかりのついた奴らがうろついているようだ。

 

いつものように、物音ひとつたてずに忍より首すじに牙をたてる。

 

快楽が流れ込み空腹を満たす。

 

他人とは、なんだろうか?

 

獲物でしかないのか?

 

私は同類と出会ったことがないのだ。

 

私以外とその他大勢のものでしかない。

 

この世界を包み込む外側の世界観があるのだろうか?

 

そんな視点からの世界観ならば、個人の価値観など、どうでもいい遊びでしかないのだろうか?

 

役割演技をする、ままごとのような遊びなのだろうね。

 

そのまた上の世界観から見れば、同じように感じることなのだろうか?

 

やはり、現実も夢もかわらないのだろうね。

 

それぞれの存在が感じるだけの世界を内包しているだけなのだろうね。

 

広いか狭いかの違いだけ。

 

もうひとつ上の次元からの世界観は、[そうぞう]でしかないからね。

 

ということは、すべての世界観は[そうぞう]でしかないのかもしれないね。

 

遊びは[そうぞう]でしかないからね。

 

 

私は誰で、ここがどこだろうが、どうでもいいことでしょ?

 

 

なるようになるのだからね。

 

 

 

 

 

 






読んでくださり、ありがとうございます。

よくわからない、意味のない話しですね。

混沌になるほど、遊び心が大切なのかもね?

自閉症的とかはどうでもよくて、それぞれの存在に意味があるから生きているのだろうね。

あなたはあなたの生きたいように生きればいいと思います。

そのように感じることは、とてもよいことだと思うよ。


これが小説かどうか?

私にもわかりませんが、私の文章のひとつの表現なのだろうね。

それでは、また!


7月28日、つけたし

今回も、少しだけつけたしします。

意識の階層ってありますよね。

顕在意識と潜在意識とかいうあれですよ。

あなたの記憶なんてものは、あてにならないものだよね。

意識にあがる記憶なんてものは、思い出せない記憶の意識に比べれば、とてもわずかなものでしかないからね。

私の人格なんてものは、感情の変化により変化する不安定なものなんだよね。

潜在意識に隠された記憶による人格なんだと思う。

自身すらも認識できないことなんだよね。

それが、自己防衛本能ということなんだと思う。

環境に適応する能力なんだと思う。


自閉的なタイプで、ひとりが平気なタイプだと、感情にとぼしいのだろうか?

共感能力がとぼしいことを、経験によるパターン分析により、客観視でおぎなっているのだろうか?

そんなことを子供の頃から繰り返して育つと、無意識に他人の心理を想像して読みとる感覚が身に付いてしまうのだろうか?

だから、自身のことも客観的に感じるのだろうか?

自身の感情ごとの人格すらも客観視してしまうのだろうね。

生きるだいごみはあるのかどうか?

そんなことすらも、どうでもいいことでしょうね。

だから、自閉的なのだからね。

比べなければ生きられないタイプでもないのに、自身のことだけで満足できるタイプなのに、社会を押し付けられたことで、よくわからない能力に目覚めたのかな?

これも、縁ということなんだと思う。

結局は、なるようになるのだからね。

喉元過ぎればなんとやらだね。

現実の十人十色の人格も、夢の自身に内在する複数の人格も、それぞれの感じかたがあり、好き嫌いなどの感情の優先順位が異なる認識の捉えかたをしているからね。

強く意識して、掘り下げるほどに、自己崩壊をまねき、調和を保てなくなり不自然ないびつなものになるのだろうね。

だからこそ、意識の階層があるからなんだろうね。

だけども、その意識の階層が盲目にもするのだとも思う。


本来は、何も言うことなんてないのだよね。


言ったところで伝わるはずもないのだよね。

すべては、流れにまかせて、なるがままに。


それでも、こうして記録しているということは、そのような感情があるからなんだろうね。

好き嫌いや喜怒哀楽や嫉妬や執着をこえた感情の感覚があるのだろうか?


やりたいようにやればいいんだよ。


なるようになるのだからね。



ありがとう☺️


なんだか、感情ごとに神格化されたシンボルが神話の魅力なんだと思う。

そんな視点からの世界観の次元があるのだと思う。

それは無意識の夢の次元なんだろうね。

現実のほうが虚像に感じないように制限が多いのだろうね。

そんなことを感じるのですよね。

夢とは霊的次元の入り口のように感じるのですよね。

あくまでも、自閉的なタイプの発想ですけどね。

今回の小説を、このつけたしを読んだあとで、もう一度読み返してみると、違う意味合いを感じるかと思います。無意識に感じていた隠された感情が表現されているのかもね。

最近の創作もので、異世界ものや召喚もので、神話ネタとか心理学や人類哲学的なものが多い理由も、混沌なる世界の感覚が広まっていることが原因なのかもね?

なにかを否定するということは、自身を否定することではないのか。

元から、この世界は混沌なるものなんだよね。

あなたは、それでも、普通にこだわりますか?

混沌なる普通にね。

私は直感的にシンプルに生きたいようです。

なるがままにね。

ありがとう☺️


いかん、いかん、又、後書きのほうが長くなってしまうぞ。と思いながら自己完結してしまう自閉的な世界観で生きているようです。

ありがとう☺️


8月14日、つけたし


最近、感じること


感情による人格ごとに住み分けされた世界観があるようだ

それが、次元の階層となり、パラレルとなるようだ

物質世界である3次元と情報世界である意識の次元は念の力(気)により場や物や生命体に紐づいているのだろう

私の認識による世界観でしかないのですがね

おそらく、この感覚が生まれ持った特性ということなのだろう

霊感というものなのだろうか?

独学で感じた世界観なので、わからないが、私を中心とした世界観であるがゆえに、うたがいようもない私に都合のよい現実となるのだろうね(我流でしか生きられないという特性の長短を理解したからか?)

おそらく、これが自分軸というものなのだろうね

最近の私の感覚は、更にその上の次元に向かっているようだ

私を超えた次元なのか?

執着も価値つけも意味あいすらも無い、なりゆきまかせの流れの次元のようだ

涅槃とも悟りとも言える世界観なのか?

今を感じる、眺める世界観なのだろう

何かを学ぶという欲求ほど役割という仮面というごまかしはないだろう

しかし、そのごまかしにより意識は拡大していくのだろうね

こんなことを感じたりもする

意識の波により感情は変化するようで、波がおこる前に、きっかけとなる意識を見つめることで、波はおこらず、(スイッチを消すような感覚)自身の認識による世界観を制御することが瞑想の入口なのだと思う

この状態には、概念だけの学びではならないだろう

自身で体感するしかないのだから、その時がくるのを待つしかないのだろう


誰にでも、悟りに向う小さな火種はあると思うが、特性により道のりは違うだろう


まとまりのない文章になってしまったが、このような文章のほうが、きっかけとなるのかもしれない

今の私の記録として残しておきたいと思う

いずれ、私がきえて解脱するならば、このような記録が情報となり残るのだろう

情報という抜け殻に依存するのが、3次元の意識なのかもね

それが、執着や価値つけや意味あいという概念を生み出し、分離という個人があらわれ、比べる世界観が出来上がることで役割があたえられるなだろう

さっさと、解脱できるものはしたほうがよいのだろうね(解脱は自殺ではありませんよ)

やりなおすしかないものは、まつしかないのだろうね

私自身、どうなるかもわからないのですが、そのときが来ればわかることでしょうね。


そんなことを感じたりしています



8月16日、つけたし

吉濱ツトムさんの[アセンションを導く]という本を読み始めた。(数ベージを読んだところ)

吉濱さんの本は何冊か読んでいるので、重なる内容が多くあるかと思うが、今回は星人ごとによるタイブ論のように感じる。

今後の現実の世界観も、宇宙人実在説などが浸透しはじめていくようであり、人類の認識も変わってくるように思う。

意識の拡張といえばそれまでなのだが、何者かによる意図を感じてならない。

現実とは科学で解き明かすこととするならば、星の動きによる法則があるのだと思う。

それぞれの星による特性があるのかもしれない。

古くは星占いや神話に始まり、様々な創作物に影響を与えてきた宇宙が身近になることで人類は革新するのかもしれないが、あまりにも広大な世界観を認識するには、まだまだ早いような気もする。

身近な現実と広大な情報を同じように認識して処理できるほどの器用なことができるのだろうか?(身体と思考の二つの感覚を理解することなのだと思うのだが、時間軸も仕組みも違うようである)

ただでさえ、感情に振りまわされて心身を消耗し混乱するものが多いように思うからだ。

そのためにも、吉濱さんのような人達が情報を発信しているのだが、メタ認知による客観視はなかなかひろまらないようだ。

私は、彼らの発信する情報に触れることで、元からあったのかはしらないが、DNAの記憶なのかアカシックレコードなのか集合意識なのか、思い出したように感じる。

単なる、都合のよい思い込みだとしても、私の世界観は確実に変化しているように感じる。

そんな、それぞれの思い込みによる世界観こそが、これからの必要な視点なのかもしれないね。

自由意志という選択さえも運命つけられていると思うように感じる。

すべては、なるようになるさだめなのだと思う。

因果と縁がおりなす世界観に、自我は思い込みでしかないのなら、私は自身を生きればいいだけなのだと思う。

今の私の感覚だと、すべては、遊びなのだと思う。

それでは、読み始めますか。

楽しみましょうね。


ありがとう


8月19日、つけたし

吉濱ツトムさんの本を読んで思うこと。

彼との出会いは発達障害の息子の心理学からの知識をネットで検索していたときだったと思う。

5年ほど前のことだと思う。

なるべくしてなったように思う。

本によると、彼はプレアデス系であり、キリストの意識の1人だという。

人類の意識進化の歴史において、古くからかかわる意識の存在があったのだろうね。

陰陽道にも通じているのか、占星術にも長けているように思う。(聖徳太子も北斗七星の剣を持っていたようであり、陰陽道とキリスト意識は繋がりがあるのだろうね)

私も子供の頃からスピリチュアルやオカルトに興味があった。

彼がスターシードと発達障害を繋げる意識を広めたようであり、現在では、スピリチュアル界において当たり前の意識であると思う。

私には、ブッタによる、[誰もが救われないことで救われる]という自身でも分かり難い意識が混ざっているように思う。(無情による解脱なのか?)

確かに、感情の調和の時代により、野生的な動物本能は制御されやすくなるのだろうが、行き詰まる人達も取り残されていくことだろう。

世代ごとに変化する意識で世界観は変化していくことで新しいパラレルが引き寄せられるのだろう。

キリスト意識は、集合意識のシナリオなのかもしれない。(より良いパラレルに向けて)

デビルマンを根底に抱えた私の意識は引っかかりがあるように思う。(地球は地球人の進化する場であり、スターシードは手助けのために参加しただけなのでは?と思う)

特別な意味はないが、ふと、そんなことを感じる。

彼らの情報のおかげで、注意制御機能は強化され課題無関係思考が減り、メタ認知による客観視能力が強化されたと思う。(過去のネガティブな記憶を思い出すたびに不安な感情に包まれる、反すう状態を現在の現実の感情ではないと認識できれば反すうはなくなり、冷静な心理状態となり、より良い判断がてきるようになる。わざわざ思い出す必要もないのですが、意識に浮かぶことを、きわめて小さな段階で流すことで消すことですかね。瞑想に近いかな。今を生きることに繋がるよね。)

我流ですが、私の特性にあっていたからなのだろう。(教わったからといって、知識が身につくとは限りませんが、特性しだいでは、触れるだけで身につくこともあるのかな?)

たまたまでしかないが、そんな流れがあったのだろう。

皆様も生きていれば、いつかは、自身の流れに入ることになると思う。(望んだことであろうがなかろうがね)

これは、救いなのか?

ただ、流れに生きる。

救われるとか、どちらでもかまわなくなっていく。

おそらく、[誰もが救われないことで救われる]とは、そんなことであり、その先に役回りからの解脱があるのだろう。(個人意識の無い無秩序だがまとまりがある世界観)

唯意識論からの世界観なのか?
(私の世界観は小説を読んでくださいね)

どこまでいっても、ゲームに参加しない傍観者的な者が、なぜ、生まれてきたのだろうか?
(ちょっと、のぞき見的な感覚なのか?)

そんなことを、思う。

きっと、おかしな感想なのだろうね。


とても良い本ですので、興味のある方は、ご自身で読んで体感してくださいね。(そこまでの予備知識は必要だと思うけどね)

それぞれの世界観がパラレルを引き寄せるのだと思う。

ちなみに、私はプレアデスとシリウスとエササニに当てはまりました。

発達障害や精神病のカテゴリーが増えてきているのと、これからの宇宙的な意識の世界観とは関係があるように思う。

どんな人でも、何らかの特性はあるのだから、それぞれの自身を知りましょうね。

意識の時代のタイプ論なのだろうね。
(それが当たり前の時代に優劣の悩みなんてバカらしくない?)

この本には、2040年から2060年年の世界観が書いてあるが、世界はより良い方向に向かっていくようである。

しかし、実際には、悪意にみちた意識もあり、生き残れればといったところだと思う。

私は、生きていようが死のうが、どちらでもかまわないという感覚なので、私の流れに乗るだけだと思う。

私の祖父のように、戦争で殺し合いをして生き残った世代でもないので、死んでいった者のためにも生きようとも思わないのだろう。

私の父の世代のように、生に執着もないので、死んだら、[そうなのか]と思うくらいだと思う。

なんだか、死んでるのか生きてるのか、なんとなくすぎて仕方のないヤツなのだと思う。

私のような人に向けて、このようなことを記録しているのかもね。

安心して流れてください。

アセンションゲートは、いつも開いていますよ!

あなたのパラレルに向けて

なるようになるさ!

小説風に言えば、

「私の流れと世界の流れが、たもとをわかつその日まで」


ありがとう


8月27日、つけたし

感じるままに、思うがままに書いてみよう。

なんだかんだで、吉濱ツトムさんの思想が、私にとっては中道のように感じる。

スピリチュアルにいきやすいものほど、現実的に認識することは大切なのだと思う。

知識は時代により変化していくことで、世界は広がり、私の流れに影響を与える。

それすらも、自然なのだと漠然と感じる。

瞑想が不安を増幅させるタイプの方は、自身をみつめる前に、自身を感じる生き方をしたほうが良いかと思う。

自身を信じることは教えようがない。

感性は身につくもので教わることではないからね。

とことんまで、自身を感じて生きていくしかないように思う。

私と違うタイプの方には、吉濱ツトムさんの思想を勧めるが、私とは違う捉え方を自身で感じるしかないのだと思う。

依存しすぎてもいけないけどね。

何が正解なんてことではないのだよ。

絶対的な存在なんていないのだよ。

自身の内なるものと対話して感じることがあるんだよ。

まるで、はじめから知っていたような感じかな。

過去も未来も同一となり、私が消えて一体となったような感じかな。

ある人は、それが自信だと言う。

私は、ただ生きているだけなのだと思う。

悩もうが不安だろうがね。

はじめから、そんなものなのだと思う。

それぞれの流れがあるのだからね。

今、現在の自身のことも他人事に感じる。

わかる必要なんてないよ。

言葉は記号でしかないのだから。

ふりまわされているだけで、根っこは同じようなものなのだから。

世界観を広げていくと、そんな感じがするようになるかと思う。

生きているということ。

だから、あれこれ思考するということ。

あまり、分類しないほうがいいかもね。

なるようになるのよね。

感情も現状も流れるままにね。

伝わるはずもないし、なんだってかまわない。

だんだん、話すことに意味をかんじなくなるよね。

歳を重ねると、話したがる人と話さなくなる人に別れるのは、そんなことがあるのだと思う。

だから、記録するしかないのかもね。

このような誰かの記録が世界の流れなのかもね。

それぞれの流れの記録を束ねる大きな流れがあるのかもね。

AIがあろうがなかろうが、集合意識の潜在意識の流れがあるように感じる。

それが、私の言うところの、[私の連続体]なんだろうね。

それぞれの次元からの私の視点が同時に感じられる感覚で、思考を超えた感覚かな。


そのうち、私は記録すらもしなくなりそうに感じる。


これが、隠居の流れの先にあるように思う。

静かに個人を生きる。


まだまだ、先のことだろうがね。


なにごとも、急には変わらないだろうね。


焦らず急がず。


どうにもならないけど、どうにかなるから生きているのだよね。

全ては完璧なタイミングで帳尻を合わせるようにおきているのだろうね。

これ以上の言葉はないのだろうね。


無情

解脱


ありがとう


8月28日、つけたし

今日、成瀬雅春さんの[ゆっくり吐くこと]という本が届いた。

瞑想の呼吸法の解説が書いてあるようだ。

瞑想については、以前から、目についた動画や本を読みあさって、独自の瞑想の仕方をしてきたが、日本のヨーガの最高峰の方[世界でもね]の本を読んで参考にしてみようと思う。

それでも、きっと、我流なのかもしれませんがね。(自己完結型ですからね)

本来は、しっかりと指導者について習ったほうが正しいのでしょうが、私はそのような生き方ではないようです。

たまたまのなりゆきまかせの生き方ですが、やるべきことを選ぶ才能(それ以外はやりたくないということかな)には自信があるようです。

はたから見れば、どうかはしりませんが、自身では、満足した生き方だと思います。

さて、この本は、私にどんな影響をおよぼすのか?

ありがとう


8月30日、つけたし

ヨーガを通して思うこと。

どうやったら、自身を信じて流れにまかせて生きられるようになるのか?

私は、[じゅうぶんがんばった]と思えるかどうかなのだと思う。

望みが叶うことではないよ。

あからさまの努力でもないよ。

自身の思いと向き合って、振り回されながらもなんとか生き延びてこれたという思いがあるかなのだと思う。

きっと、うまくいったことも、いかなかったことも、あなたの一部になっているのだと思う。

生きてきた自身に満足する感じなのだと思う。

あとは運が決めることであり、流れが選択肢を呼び寄せるのだと思う。

自身を信じて生きるとは、そのような流れの選択肢を、その時の自身が選ぶことに任せることなのだと思う。


まずは、自身の精神と肉体の感覚を体感することから始めてはどうか。

逆でもいいかな?内向的か外向的などのタイプによるかもね。それぞれの特性の逆を感じることだろうね。

私とその他の関係性は、おのずとみえてくるかと思う。

内なる世界と外世界は、同じようなものなのだと思う。

信じることは、言葉で説明できるような根拠とは別の感じがする。

どのようなタイプであっても、最後はそこに行き着くように感じる。

あなたの根源に出会って納得する私がいることに気づく。



ありがとう


9月1日、つけたし

今日は水槽の水換えにはじまり、魚の思い出を感じる1日だった。

息子が産まれてから熱帯魚生活が始まり、早いもので26年になる。

なにごとも長く続けていると、それなりの感覚を得るようで、わかってくることがある。

その感覚が他のことにも影響しているかと思う。

私を通して感じることが生きることなのだと思う。

知識が先か感覚が先か?

どちらでもなくて、混じり合うことでわかるようである。

私がわかれば世界がわかるし、世界がわかれば私がわかるのだと思う。

最近、このような感覚によく出会う。

なにかわかったようなのだが説明できないのがもどかしい。

これが私の限界なのだろう。

あきらめを知ることで選択肢があらわれ、あらたな流れがうまれる。

生きるとは、うまれることの連続による流れなのかもね?

そんな感覚が前提となることで、次の次元への道が広がるのかもね?

あきらめが広げる世界観があるのかもしれないね。

なんのことやら?

わかったようだが、あいまいすぎて言葉にならないようだ。

言葉とは限定だからね。

だから、感覚なのだろうね。

肉体感覚は精神に紐づく。

精神とは、あるようでなく、ないようであるもの。

心や魂なんていったりもする。

私的に言えば、自身の根源であり、自信である存在。

あなたなら、どう言う?

それが、あなたの根源であり、自信なのかも?

ありがとう



9月4日、つけたし

クロ丸ミステリーさんの5次元視点による世界を外側から観測する概念の解説動画を見て思うこと。

私達、意識生命体や地球などの星星という存在には、重力がある。

重力とは、鏡であり、認識するということ。

認識とは、それぞれの存在の特性による流れにより、違った世界観を生み出すということ。

大きさは関係ない。

それぞれの流れがあるから、新しい可能性が産まれている。

意識とは自我なのだろう。

自我は、観測者であり、ソウゾウ者である。

ドーナツ型の自我。

表面に写り込む景色を固有の感性という世界観で認識する。

ドーナツの穴は全てが繋がるゼロに流れていく。

ゼロとは、アカシックレコードであり、神であり、空なのだろう。

全てははじめから想定されており、パラレルとなり分岐を繰り返して広がる。

固有の自我が自由意志を認識できないのは、新しい流れを生み出すと同時にゼロにも記録され、パラレルとして想定されるからだろう。

当事者には、残像という記録に意味などないが、その他には価値となるのだろう。

もっとも近くて遠い両極。

ゼロとその他の関係性なのだと思う。

これは何次元の視点なのか?

ここ数年の流れによる、私の感覚である。

妄想が世界を広げるのかもね。

そう感じるのなら、試してみればいいんじゃないのかな?

自己責任ですがね。

なるようになるのだから。

流れとは、私の連続体。

あろうがなかろうがね。

じゅうぶん生きた意識ならば、それを勧めます。

わかっていようがいまいが、感じているのならば、なおさら、自分軸を勧めます。

自分軸とは、全てからの開放であり、限定というあきらめからはじまる。

あなたの観たい景色しか見えないのだからね。

選択とは、どの方向を観るかということ。

それが、やるということ。

それが、自身の流れを生み出す自分軸ということ。

流れとは、記録を綴ったものであり、物語となった瞬間、他人事になる。

つきぬけろ!人生。

こんなことを感じました。


ありがとう。



9月10日、つけたし

なぜ、私はこの時代のこの関係性に産まれたのか?

偶然であり、必然なのだろうね。

だからこそ、生きるしかないのだと思う。

運命という宿命を背負いながらね。

人生に向き合って生きる私もいれば、あらがう私もいる。

さまざまな可能性からひとつの物語がきざまれる。

私と違うタイプには話さないほうがよいだろう
ね。

知らないから生きれるタイプがいるということなのです。

そんな、不安にふり回されやすいタイプの方のことはわからないが、間違いなくいるということです。

私は、客観視によるメタ認知という可能性を知りながら人生を生きるほうが楽しいようです。

不安よりも、静かに生きたいようです。

感情のふり幅が少ないタイプのようです。

歳をとるほどに感じることがあるかと思います。

子供のころの不安は、あたりまえであるが、大人になれば、自身に気づくことがあるよね。

それすらも、辛いのであれば、そういうことなのだろうね。

自身の流れを生きるだけなのだろうね。

この時代のこの関係性に産まれて思うことなのです。


私の可能性

世界の可能性

いくつもの未来

それだけのことであり、それ以上でもそれ以下でもない

知ることでわかることなんて、その程度のことだけど、最後は死ぬだけのこと

死んだらどうなるかに比べたら、わからないなんて、どうでもいいんだよね。

だから、意識の世界観を生み出したのだと思う。

それが、現実の人生にも大きな影響を与えるのだよね。

世界観は、わからない死を元に生があるのかもね。

納得しないかい?

不安感も生の一部なんだね。

これは、私のタイプだから感じることだということを知りましょうね。

それぞれの、なりゆきまかせの人生を肯定するなら、話さないほうがいいことがあるよね。

生きることって、おもしろいよね。


ありがとう


意識において、気になるとは執着なのだろうが、[そうなんだね]と流すことで、そんな私に気づき悟るようだ。

手放すとは、そういうことなのだろうね。

だけど、体感しなければあきらめきれずに悟れないタイプもいる。

そんなタイプになにかを感じてしまうのだが、それすらも流すことが、私の悟りなのだろう。

悟りとは、瞬間の気まぐれのようなものだと思う。

なぜ、この身体で産まれたのか?

自身を知ることでわかることがあるが、それを絶望と感じるタイプもいるのだからね。

わかるとは、ごまかしだと思う。

それぞれの流れがあるのだから、しつこい関係性は互いに淀みというダメージを共有するよだろうね。

それが、喜びと感じるタイプもいるようだ。

どちらにしても、生きているから感じることがあるのだよね。

ありがとう



9月11日、つけたし

赤ん坊の法則ってあると思う。

ちょっと、感じてみて。

なにもできない私。

なにも知らない私。

自身の限界を知ることで、その次元の世界観をうろつく。
 
肉体は五感とともに成長する。

あきらめから自身と向き合い探求することで、その次元を突ら抜く一筋の感性を導く。

ひとつ上の次元に点というきっかけが生まれることで、あらたな視点を獲得する。

初めは狭い視界であるが、手探りでうろつくことで感性はひろがる。

繰り返しの法則。

自身と世界との関係性の法則。

肉体の殻をやぶり、自我の殻をやぶり、時空の殻をやぶり、有無の殻をやぶり、その先へつづく。

次元ごとに解釈のことなる自身がいるようだ。

抽象度の視点の法則。

精神にも、五感のように、いくつかの感覚があるのだと思うが、意識の領域であるため、掴みどころがないので、わかりがたい。


そんなことを思う。


9月12日、つけたし

くろ丸ミステリーさんの世界は脳の幻想?という動画を観て思うこと。

ジルボルトテイラーさん(脳の専門家である彼女が自身の左脳の機能を失い、実感した体験をつづった本)の著書からの引用であるが、脳には4つの人格があるそうだ。

左脳には、記憶による時間軸と自身と世界との関わりをつかさどるようで、自我を感じる論理的思考をすることで、孤独と不安感を生み出しているようだ。言語と時系列による流れを感じる基幹のようだ。

右脳には、自他を感じない世界との一体感により、反応をする今の瞬間を感じるようで、あるがままの現実を感じているようだ。

更に、左脳と右脳には、ポジティブとネガティブのそれぞれ二つの人格があるという。(私の解釈ですがね)

私のようなタイプだから納得できることなのだろうが、駆け引きの左脳と愛の右脳があることで、バランスをとり生き抜いてこれたから、現在の私が存在しているのだからね。

結局、タイプ論は、脳のバランスの割合の違いなのだろうね。(身体的特性による五感への影響も大きいだろうし、内蔵は第二の脳とも言うしね。それが、脳のバランスの特性に影響しているかもね。そのうち、心理学や脳機能学が宇宙論とまじわって、意識の解明をするのかもしれないね。)

誰もが4つの人格の種を持って生まれてきたが、持って生まれた脳の特性によりタイプがきまるようで、人生を生きることでキャラゲームのように経験値を稼ぎ、ステータスの振り分けにより変化していくのであろうね。

私が今まで書いてきたことの一部が、この動画にも表現されているので、こちらを観てもらったほうが伝わるかと思う。お勧めします。

前回、紹介した動画といい、この方も、私の興味と共有することが多く、私と同じタイプなのかもしれないね。

それにしても、私の子供のころと違い、意識や宇宙の探求を、オカルトやスピリチュアルで論理的に説明できる時代になったと、つくづく思う。私の時代は心霊や簡単な宇宙人やUFOが多かったような気がするし、奇妙な変人あつかいだったからね。私の視点が変わったから、目に付きやすくなったこともふまえてね。


私のタイプにとっては、良い時代になったものだね。

私にとっては、意識とは、クリエイティブなアートなのだよ。


ありがとう。



9月14日、つけたし


私が生きることで未来が生まれる。

私が記録と触れることで今がある。

記録とは、過去の記憶。

私以前の情報が私を生み出し、私は世界の一部となる。

生きるとは、そんなことなんだろうね。

意識で繋がる精神世界とDNAで繋がる物質世界は互いに影響している。

私を通して、あれこれと影響をうけたなら、融合し変換することで、私の世界が生まれ、可能性のひとつとなるのだろうね。

抱え込む必要なんてないよ。

流れにまかせて、生きればいい。

感じるままに、夢を求めながらね。

それが、自然なのだろうね。

そのままで、全てが完璧な世界。


ありがとう。



9月15日、つけたし


今日も[元から世界はひとつなんだよ]という夢をみた。

最近の私は、起きているときも寝ているときも、このような自他のない世界観を感じている。

これは、私が満たされているからなのか、満たされたいのか?

どちらにしても、いつのまにか、私が望んできた生き方に入っていたようなのです。


世界は反転するようで、まさに、

[人生、楽ありゃ苦もあるさ]

なりゆきまかせの生き方


ありがとう


世界中の神話が物語として流れを記録しているのは、隠された記憶を、それぞれが読み解くためなのだと思う。

それだけ、駆け引きが多く、世界は交わりながら何度も上書きされているということなのかもしれない。

私とは、ひとつの集約化された点であり、内と外をつなぐ穴なのだと感じる。

人生も、後半に入ると、このようなことを感じるようである。

それは、おもしろくもあり、はかななくもあるように感じる。

まさに、夢と現実が交わる世界なのだろうね。




9月16日、つけたし


自身の感じるままに流れて生きるといっても、自身だけではなりたたないから楽しいのだろうね。

眼の前に現れる、気になることに意識が向かうことには、選択よりも自由な自身の気まぐれがあるのかもね。

そんなことを俯瞰している私は誰?

おもしろいね。

ありがとう。


9月18日、つけたし

最近の私の流れをみてみよう。

原始仏教に興味をもち、ヨーガの真似事をしている。

どうやら、私の根源は古代インド思想にあるように感じる。

インド思想では、人生の晩年を自身の探求にあてるという。

一般の価値観から離れて、自身が感じるままに生きる、修行僧のような文化があるという。

私の感覚だと、それが、隠居に近いのだと思う。

私とは、外側の世界観と自身を比べることからはじまるのだと思う。

自他がなければ、どちらもなりたたず、存在すらないのだと思う。

しかし、比べるといっても、二種類あるかと思う。

劣等感からくるネガティブな比べ方は、ねたみと恨みにより攻撃的な感情を生み出し、原動力はあるが、満足感はおとずれないと思う。(他人の価値観を気にしているからだろう)

興味関心からくる自身の特性を知るための比べ方は、私が云っている自分軸を生きる原動力となり、満ち足りた感覚となるように思う。

他人からみれば、どう想われているかなど、気にならないということなのだと思う。(強がりすらない自然な感情)


ありがとう

私は、自分軸とは自我を超越した感覚だと思うが、何が違うかは説明できないようである。

それは、悟りといつわりの悟りとが見分けられず、感覚で違和感を感じるしかないことに似ている。

それが生きるだいごみなのかもしれないね。


9月22日、つけたし

見えても見えなくても、同じような気がする。


どうして、そうなるんだ?

生きていて、どうにもならないことってあるよね。

現実におこること。

やれることをやるだけしかないこと。

後は、待つしかないこと。

どうなろうがね。

結果が、おとずれるだけなんだよね。

感情なんて、個人的な感覚でしかない。

ただ、気持ちが入れかわるだけでしかない。

それが、自由とか愛とかいうものなのか?

だけどね、捉え方しだいで、世界はかわるのだよね。
 
それもこれも、あいてがあってこそなんだよね。

流れがある。

生きているというね。

今、あなたは、なにを感じる?




ありがとう


そういうことだね。


ありがとう


9月24日、つけたし


人間の感覚なんてものは、最終的に似たような所にたどりつくのだと思う。

あらゆる物語が向う所へね。


久しぶりに、軽い鬱のようだ。

精神の高低の波を繰り返して、たどり着く所があるのだと思う。

生きていることじたい、瞑想なのだと思う。

ひとつの物語を瞑想している。

わからなくても、思い込みでもいいんじゃないのかな?

違いを感じることに特化した存在が人間なんだね。

それが、ひとつの物語という瞑想なのだからね。

なるべくしてなるだけなのだと思う。

全てに

ありがとう



9月26日、つけたし

今日、息子が連れてきた犬が亡くなった。

2年半ほどの時間を共有した。

今月に入ってから、日に日に弱っていく犬と私の精神が同調していたのかもしれない。

それでも、楽しいときをすごせて幸せを感じた。

ありがとうね。


鬱の状態のときは、意識を鬱に向けて深入りしないほうがいいようだ。

私は、鬱とは潜在意識と顕在意識との、かみ合わせが悪くなって行き詰まっているようなものだと思う。

どちらかが先走って要るような感じかな?

そんなときに、何をやってもうまくいかないから、よけいに追い込むことになるだろうね。

ただなんとなく、鬱の状態を抜け出すのを待つしかないのだと思う。

精神と肉体とのずれともいえるだろう。

人生のタイミングがずれているのだろうから、流れにまかせられないということなのだろう。

そのうち、もとに戻るからね。

ゆっくり、休むことも人生なんだと思う。

思考癖のある人ほど注意してね。

自然にまかせることで、流れに戻れるかと思う。

とかいいながら、ちゃっかりと、戻るときに、何か気づきがあったりもすることが多いように思う。

感じなかったことが感じられるようになったり、視点がひろがったりね。

同じことを繰り返しているようでいて、螺旋に世界観があがっていくような感じかな?

人生の変化のきっかけなのかもね。


ありがとう。


10月2日、つけたし

今日、不思議な夢をみた。

私の部屋に女があらわれた。

彼女は、私と生きるといい、どこから連れてきたのか、いろいろな人が部屋にくることになる。

私は、初めはとまどうが、彼女を受け入れることにする。

私の感情が消えていく。

部屋に人がくるたびに、私の部屋の仕切りはなくなり、部屋の空間が広がっていく。

ただ、流れにまかせる私。

私は、誰がきても気にすることなく、特別に相手をするわけでもないのだが、訪問者は満足して帰っていく。

彼女は、相変わらずマイペースで、私の部屋に居たり居なかったりしている。

私は、部屋から出ないのだが、部屋が広がるほどに世界観が広がるように感じる。

しだいに、部屋の中に町が造られていく。

多くの住人が、私の世界観に住み始める。

私は、ただ生きているだけ。

私の世界観と大勢の訪問者が融合していく。

私のプライベートは消え失せる。

自他の境界線が消え失せる。

互いに響鳴する感じ。

ひとつの光りのような感じ。



いろいろな読み解き方ができるね。

そのまま、私の成長ともいえる。

訪問者は情報ともいえる。

私も根源という世界観の情報だね。

私は場所なのかもしれないね。

彼女はきっかけかな?

きっかけという場所が世界を生み出すのかな?

私が消えても場所は残るのかもね。

記録という場所。

現実と夢の融合。

自我という分離からひとつの統合へ。

感覚の世界だろうね。


ありがとう


10月11日、つけたし

懐かしいYouTube動画があがっていた。

(地球に生まれた宇宙人へ)さんの(恋愛ゲーム)という動画だ。名前変わったような?

6年ほど前に聴いていたのだが、今も活動していたようなのだ。

(スピリチャルNORI)さんからの紹介で知ったのだと思う。どっちが先だったか?

この人も、ひとり語りで、文字が画面上に流れるスタイルの動画なのだが、おそらく、私と同じように、独りが好きだが人に関心はあるタイプだと思う。

他人は観察対象てをあり、他人を通して自身を分析しているのだろう。自身も観察対象なんだよね。

しいては、世界観を構築してふにおとしていくのだろう。みんな、いい加減なんだけど、自分は正しいと思い込みたいのだろうね。結局はごまかしだと気づくのだと思う。

そのようなタイプのスピ系の人にはお勧めします。

行き着くところは、だいたい同じようにも思うよ。

気楽に寝ながらでも聴くといいよ。


ありがとう。


10月12日、つけたし

なんでもかんでも自分で決めて生きたいと願うならば、そんなたいへんな人生はないことだろう。

かたくなな思考は凝り固まった執着でしかないのだから、そんなゴールなんて偽物でしかなく、満足感は一時の癒しでしかないのだと思う。

私なんてものは、全体からの反応でしかないのだと思う。

流れるままに、なりゆきにまかせて、そんな生き方をしていると、気づくことがあるよね。

それでも、左脳よりの思考にひきづられながらも、直感的にシンプルに生きることを志している。

感覚でいきることが、こんなに気楽であることに気づく。

真逆のタイプの人も、真逆の気づくことがあるのだろうね。

思いもよらないアイデア(幸せ)に出会うこと

それが、全体から気づくことなのだと思う。

そんな世界観があるのだと思う。

私なりの


ゼロポイントフィールドという世界観なのだと思う。


ありがとう☺️


10月20日、つけたし

3の法則と7の法則で世界は成り立つなんていう話しがある。(哲理学作家さとうみつろうさんのYouTubeをみてね)

ネットを見ていると、またまた2025年問題の話題が多くなってきている。

私が気になりだしたのは、8年ほど前だったと思う。

あれから、さまざまな気づきを重ねてきたのだが、私は何もかわってないようにも感じる。(スピ系だと、アセッションゲート問題やら、都市伝説的なことやら、あれこれと描いてきたからね)

時代の変革期だというスピ系もそうだが(世界滅亡説や日本人救世主説等)、グレートリセットで経済等の世の中の仕組みも2025年を堺に変わるように計画されている話題が多いのだが、何があるというのだろうか?(なりゆきまかせの私にはどうでもいいように感じるけどね)

ノストラダムスのときもそうだったが、この手の現象は、過ぎてしまえば、「そんなこともあったな」というものだと思う。(過去は前提でしかなくあたりまえという認識となり疑わない洗脳のようなものだからか?世界線の確定なのだろうね)

私は、私なりのイメージで生きているようで、それなりの現実的なイメージを共有しているようである。(別次元からのメッセージによりメッセンジャーとしての役割りの人が増えてきているようだが、怠け者である私の活動はこのような現実なのだろうね)

もっとも、現実とはなんだろうか?

必要以上の怯えや期待はいらないと思う。

いつも、私は私なりで生きている。(やりたいように生けている)

今の私なりの気持ちを大事に生きていれば、おのずと生きやすくなるかと思う。(世界は補い合ってなりたっているかと思う)

私の存在とは、用意された場でなにを感じ行なうかなのだと思う。(なんだっていいんだよ)

御先祖様の用意してくれた御下がりをありがたく生きればいいのだと思う。(過去や未来の学びは大切ですが、自身を大切にすることで幸せは広がるように思う)

大きなククリでとらえれば、国であり、人類であり、地球であり、宇宙である。(自然に感謝があふれることで愛が連鎖するかと思う)

足り無いよりも、私の周りには有るに包まれて存在しているということに気づくことでしょうね。


ありがとう


10月24日、つけたし

現在の世の中は情報戦だという。

はるか昔から知っているものは知っている。

現実はそれぞれであり、知っていようがいまいが、求める情報を信じて生きるようだね。

広めるのも自由ならば、学ぶのも自由。

それでいいんじゃない!

私は思う。

何かになりきり、演じていることさえも、気づかないのならばね。

それが、わるいことでもなければ、それ以外が特別てもないのだろうね。

それなりに平和な日本で生きている日本人として、私は、そう思う。

世界が何を求めようが、そんな私が有ることがすべてなのだと思う。

ありがとう


何を求めようが、何をしようが、なるようにしかならないならば、好きなように生きればいいのだと思う。

なりゆきまかせの生き方とは、私が決めて生きているようで、世界がなるべくしてなるように整えていることなのだと思う。

私が有ると無いは同じことに気づかないかい?

生きるとは、そういうことなのだと思う。

だから、

好きなようにいきましょう!


ありがとう


10月29日、つけたし

今日、パートを辞めてきた。

予定通りなのだが、隠居生活へと向う。

いつの時代も人間とは、我が道を行くものなのだと思う。

もちろん、一般的に仲間に囲まれる道もあることだろう。

私の流れは、独り静かに生きることからはじまるようだ。

その先に何が待つのかは、わからないがね。

なるべく、世間からはなれて暮らすことが夢だったような気がしている。

若い頃から、そんなことばかりに興味関心があったのだからね。

やっと、そんな生き方が試せると思うと、ワクワクしてくる。

今は、夢と現実は同じように感じる。

誰に伝えたいわけでもないのだが、自身の奥の方からせり上がる感じがする。

静かなワクワクってあるのだよね。

これが、私のやりたかったことなのかどうかはわからないけれど、やらずにはいられないからね。

私のために生きる生き方に向うということなんだよね。

年齢は関係ないけど、私の場合はこのタイミングの流れなだけでね。

それぞれの流れがあるから、人生はおもしろいのだと思う。

あらたな現実に向けて


ありがとう



これを読んで影響をうけたあなたに、ちょっと、一言アドバイスとして、私の場合は、51歳までかかったのだが、それが早いか遅いかはわからない。

世の中がどうとか気になるうちは、隠居へ向かわないほうがよいかと思う。

無理してまで自身の都合だけで生きようとしたところで、現実的に生活費や気持ちの面からも、自身の意識は世間様の常識という価値観に縛り付けられるだけでしかないかと思う。

いきなりではなく、自身の特性を知るためにも、少しづつ確かめるように試してみるといいと思う。

隠居にも、それぞれのスタイルがあるかと思う。

夢や理想だけでは精神の安定は保てないかと思う。

意識と思考と感情に振りまわされることにならないように、あせらないでくださいね。

隠居は、自身からの逃亡でもひきこもりでもなくて、なるべくしてなることだからね。



このあとの流れを、これからもここに記録するかどうかは、その時の私の都合にまかせるだけである。

ただ、しばらくはか書かないような気がしている。

それでは、縁があれば又あいましょう。


ありがとう


10月31日、つけたし

現在の私の世界観を記録しておく。

私たち人間(あらゆるもの)はそれぞれ凸凹であり全体で補い合ってなりたっているのだが、逆にとらえると、そのひとつの単体は全体の一部でありあらゆる可能性の根源であり、完璧な存在でもある。

誰もが発達障害だということ。

自然とは、あるがままのその単体(ジ)が全体(ゼン)のなかでなるがままに変化する流れである。

この物質世界は、物質という形を生み出すことで認識されるように、人類の誕生以来、意識想念により、別次元に精神情報が構築されてもいる。

形ある物質と精神情報の積み重ねが文化となる。(神話も死後の世界もゲームの世界もSFもファンタジーもクリエイティブなものは精神情報の世界感の一部であり物質として表現されたりする)

どちらも表裏一体であり、その抽象度の視点により、次元のククリがあるのだが、それすらも全体の一部でしかない。

私達はどこからきてどこへむかうのか?

そんなことはわからない。

その、わからないということが、もっともの根源なのだと思う。

だから、生きているのだとも思う。

あらゆる次元の視点を超えた全体の感覚は、言葉で伝えたくてもあらわせないのなら、感じるしかないかと思う。

それぞれが感じることでそれぞれの解釈がうまれるように、世界は広がっていくのだろう。

頭でっかちは、そうでなければならないと否定ばかりする。

そんなものは、そもそもないのであり、ないということは、あるということでもあることに気づくことだろう。

有無すらも気まぐれであるのが本来の世界観であり、それこそが、お互いの成り立つ原動力となり原動力が循環して全体がなりたつ。(形あるとは、ひとつの答えではあるが、あらたな疑問にもなりうることにより有無という存在となる)

つまりは、生きていることをあじわえということ。

選り好みせずに、自身の流れを感じろということ。

不安定と安定の狭間をゆらぐことが遊びであり気づきをうむ。(その境地が悟りの入口なのだろうが、ほとんどの人は瞬間を感じることしかできないようである。)

そのような生き方が自身の自信となるということ。

思い上がりすらも単体では成り立たず、全体による気づきにより変化する。

だから、好きなようにいきましょう。


それが自然の仕組み。


感謝しかない。


ありがとう。


11月15日、つけたし

今月からパートをやめて隠居生活をしている。

そのとき感じたことをする、気持ちの流れに向き合う生き方をしていて、感じたことがある。

空とは、大気の流れなのだろう。

私を囲む大気とは、世界中を流動し、あらゆるモノと混ざりあっている。

私は、そこにいながらにして、そのモノと触れ合い呼吸している。

それが、気の世界観なのだろうね。

私と外世界が循環する。

見えないモノを感じる世界観があるのだね。

エネルギーの交流。

情報の変換。

抜け殻の情報エネルギーが大気と混ざり循環する世界に私は存在しており、私はその一部という役割なんだね。

気の世界観に触れると、あらゆるモノが深みをまして感じるのかもしれないね。

一見、無気力な鬱のように見えますが、無駄なことをしないようになるということは、活力が低下することではなくて、静かに生命力が満ちている状態なのかもね。

現在の、これが私のあれな世界観なのです。

時空を超えたような錯覚

好きなようにいきましょう

ありがとう


11月18日、つけたし

隠居したら書くこともなくなるかと思いきや、いまだに書いている。

日々の日常をつづった日記なのだと思う。

私にとって、これは自然なのかもね。


久しぶりに、物質本をアマゾンで6冊買ってみた。

どちらも情報ではあるが、物質本のほうが電子書籍よりもリアリティーがあり、情報を体感することは私と一体になることだと思う。

人類史上最大の波動上昇が訪れた!吉濱ツトム
いい習慣が脳を変える健康仕事お金IQすべて手に入る!苫米地英人
この2冊は電子書籍でも持っていたが、あらためて買った。

戦争論苫米地英人
自分を支える心の技法名越康文
ニホンという病養老孟司×名越康文
意識ヨーガ:ポーズを使わない最終極意!成瀬雅春
この4冊は、なんか気になったから買った。

なぜ、わざわざ、物質本を読むのか?

より現実に近くて、染み込みやすいからなのだと思う。

ゆっくりと体感しながら味わうように、その時のペースで、読みたいところを読む。

それは、偶然という感覚なのだろうね。

より、なりゆきまかせの読書なのだと思う。


最近は、YouTubeのお勧めも変わり、ヒカルさんや宮迫博之さんなどのエンタメ的な動画はみなくなったようだ。

もっぱら、スピリチャルや熱帯魚や株投資やプロレスや格闘技の達人系などの動画を観ている。

後は、アマゾンプライムビデオで十分なようです。

集中して観ているというよりも、なんとなく、流しているようで感じているといったほうが正しいかもしれない。

朝晩の散歩、サイクリングをかねた買い物、庭いじり、熱帯魚の世話、ヨーガをしている。

朝は3時に起きて夕方の6時には寝るような生活をしていると、一般的な世間様が遠のくような気がするが、自然な状態になってくるようにも感じる。

これが、私の本質なのだと思う。

自身に合う本質を見極めることは、ここちの良い生き方をすることなのだと思う。

なんとなくしたいと感じることをする。

なんとなくイヤだと感じることから、はなれる。

そんな、なんとなくを感じることから始めるといいかもね?

イヤイヤしなければ、という感覚をはずしてね。

皆様にも、そんなときがくるとよいかと思う。


ありがとう


















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11次元の視点と世界観の感覚を味わうと[なんだそんなこと]となるようだ!


何日か前に、キックさんのYouTubeで[キックの開運チャンネル]11次元の話をしていたのだが、私なりに気になっているようだ。


なんだか最近、トリップすることが多いようだ。


思考と瞑想の間をゆらぐような感覚。

知識と空想をつなぐような感覚。

洗脳といえばそうだし、自己暗示といえばそうだけど、どちらにせよ、生きているとは思い込みによる錯覚なのはかわらないかと思う。

それぞれの認識を常識という共有感で、寂しさをまぎらわすというコードが遺伝子にすり込まれているようだが、そこには、私は特別だと思いたい欲求もあるようだ。

いわゆる、同族嫌悪であり、仲間意識であり、人間とは相対的な競争意識で進化する定めなのだろうね。

生存のための生理的コードによる、反射をしているようであり、思考による認識は後づけかもしれない。

そんなことを感じながら、意識と次元についての世界観について、感じたことをまとめてみようと思う。

今回は、そんなことを記録しておきます。

あくまでも、私の個人的な解釈ですので、お好きなようにお読みください。

世の中の安定のためには、あくまでも常識の範囲であることは大切なことですが、思想においては、それぞれの世界観があってよいかと思います。




 

世の中は、11次元で成りたっているという。

 

次元とは、世界観の視点の基準の数であり、次元が増すほどに座標の接点の重なる基準が増えていくようだ。

 

次元が上がるほどに、世界観は抽象的になり俯瞰(フカン)する範囲が広がっていくようで、自身が全体の1部という客観的な感覚になっていくようだ。

 

1次元から順番に観ていこう。

 

1次元

 

線の空間

 

2次元

 

面の空間

 

3次元

 

立体の空間

 

4次元

 

立体の空間

 

過去から未来への時間

 

5次元

 

立体の空間

 

過去から未来への時間

 

未来から過去への時間

 

6次元

 

立体の空間

 

過去から未来への時間

 

未来から過去への時間

 

横への選択による可能性のパラレル移動

 

7次元

 

立体の空間

 

過去から未来への時間

 

未来から過去への時間

 

横への選択による可能性のパラレル移動

 

時を操ることによる自身にとって必要な流れを見極める集中力

 

8次元

 

立体の空間

 

過去から未来への時間

 

未来から過去への時間

 

横への選択による可能性のパラレル移動

 

時を操ることによる自身にとって必要な流れを見極める集中力

 

自身の望みにあう流れを引き寄せる運気

 

9次元

 

立体の空間

 

過去から未来への時間

 

未来から過去への時間

 

横への選択による可能性のパラレル移動

 

時を操ることによる自身にとって必要な流れを見極める集中力

 

自身の望みにあう流れを引き寄せる運気

 

全体のバランス調整による自身ではどうしようもないイレギラーな運気の変化というカオス

 

10次元

 

立体の空間

 

過去から未来への時間

 

未来から過去への時間

 

横への選択による可能性のパラレル移動

 

時を操ることによる自身にとって必要な流れを見極める集中力

 

自身の望みにあう流れを引き寄せる運気

 

全体のバランス調整による自身ではどうしようもないイレギラーな運気の変化というカオス

 

相対的な出合いという縁起

 

11次元

 

立体の空間

 

過去から未来への時間

 

未来から過去への時間

 

横への選択による可能性のパラレル移動

 

時を操ることによる自身にとって必要な流れを見極める集中力

 

自身の望みにあう流れを引き寄せる運気

 

全体のバランス調整による自身ではどうしようもないイレギラーな運気の変化というカオス

 

相対的な出合いという縁起

 

神の采配

 

 

以上

 

この動画を観る以前は、5から8次元あたりまでに、このような世界観がごちゃまぜに感じていましたが、今回の解釈のほうが、今の私には世界観を維持しやすいようです。

 

言語で表すのは、とても難しいですよね。

 

これが、現在の私が感じる11次元の世界観なのですが、肉体と精神の世界であり、神の采配による運気と御縁の世界なようです。

 

 

なんだか、元から知っていたようでもあり、今まで生きてきた人生を通して思い出したような感じもします。

 

たしかに、さまざまな神話や宗教で、このようなことは伝えられていたようでもあり、私の時代は、昔話や漫画やアニメ等で題材の思想のベースになっていたようにも思います。

 

そのような思想の世界観を好むように生まれてきたのにも、なんらかのつながりがあるようにも感じます。

 

なぜ、このような世界観に私は生きているのでしょうか?

 

なぜ、この世界はあるのか?

 

神様がいたとしたら、きっと、ひとりぼっちで寂しかったのでしょうね。

 

だから、宇宙をソウゾウして眺めた。

 

寂しさから宇宙が生まれたということなのかな?

 

苫米地英人さんの言葉が染み込みます。

 

 

それにしても、神様は傍観者だとはね。

 

私は、小説という形で私を通して神様の真似事をしていたのかな?

 

いろいろな知識に出合い、人に出合い、私の元に出合い、世界観を広げることで感じることがあるかと思います。

 

霊と気の精神世界の出合いにも納得しませんか?

 

皆様、役割りに、ありがとうございます。

 

 

 

それでも、

 

 

[もういいかな]

 

解脱を夢みるのが私のようですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






Aiが自動で生み出す世界観を眺める時代になるのかな?

生命は記録を残すことで生きているようです。

デジタルが記録する世界。

私は、それは抜け殻だと思う。

場に刻まれた残り香のようなもの。

私のが感じる霊感のようなもの。

私の元は、どこへ行くのやらね。

そんなことを思います。

ありがとう


つけたし

もしかしたらなのですが、私のように全ての霊魂が解脱を望みだしたら、この世の仕組みをプログラミングした創造者である神も役目を終わらせることがあるかのかも?

不謹慎なことを感じますが、そんなことが浮かんできたのです。

私達は、神の1部ならば、あながちね。


神の視点から見れば、善悪も明暗も相対的なものでしかなく、流れにより入れ代わることで進む役割りにすぎないということなのだろうね。

そんな神様も役割りの一つ。

ぼっちで眺める存在。

互いに眺めることで次へ向かうのか?

無意識に打ち消しあう相対的な関係だから自然な流れにより解脱へ導かれるのかもね。

気づくとは、過ぎ去るということかもね。

いつのまにやら、脱ぎ捨ててね。

なんだか、そのような法則を感じます。


次元ごとにも、異なる世界観の中に、真理のような共通する法則があるのかもね。

それがヒントかもね。

等価交換のようなものかな?

それが抜け殻なのかもね。



次元ごとの世界観を感じる仕組みとは、どうすればよいのか?

回路を構築することなのだと思う。

物質を構築する回路

情報ともいえる

遺伝子でもあり、元素でもある

プログラミングともいえる

その回路に気が流れることで意識が発動する

回路は情報を蓄積している

生物は記憶として情報を感じている

残留思念は場に刻まれる

それも俯瞰してみれば回路である

私達が活動することにより気が流れる

それぞれの世界観を感じませんか?


私のようなタイプにとっては、基礎知識の感覚なので、伝わるかと思うが、気になるようなら、同族かもしれませんね。


ここで一言、、、それぞれの次元の世界観に優劣はありませんよ。

ただ、世界観が違うだけであります。

それだけのことなのです。


神様が無意識に注目する存在に、縁起という、より強いつながりが発生するようですね。

霊的にいえば、守護霊や指導霊や先祖霊とか、精霊や天使や妖怪や悪魔の出合いですかね。(それぞれの役目があるということ)

それが神様との回路になるかと思います。

まるで、人とサポートAiの関係に似ていませんか?(どこまでも模倣しているようですね)

意識にあげたら、楽しめませんからね。

いかに偶然をよそおうかなのかな?

ということは、気づくとは、シラケルということなのかもね。

それが、悟りであり、解脱なのかもしれませんね。



脳の神経回路や、宇宙の仕組みが似ていたり、都市機能の道路や、情報伝達の仕組みが似ているように感じる。

一見、関わりがないものでも構造的にみれば似ていることがあるよね。

フラクタルという言葉を聴いて、イメージが広がっていく。

気になるということなのか?

部分と全体は同一であり、つながっている構造。

神のフラクタルが私達という世界観。

アバターということか?

感覚器官というこたか?

複合体生物である、細菌との共存による反射生理は回路と似ている。

人体には、100兆個ともいわれる莫大の菌類が活動しており、その様により情報が伝達して生きていられるようだ。

生命活動と意識の謎だね。



地球の現実次元において、大気や地中にめぐらされた菌類やウイルスが回路のシナプスのようなものだとも言われたりするからね。

エーテルのことかもしれないね。

もしも、他の惑星にアバターとしてロボットセンサーを送り込み、私達の思念による感覚操作ができることになれば、それもフラクタルなのだろうね。

無機物である機械であろうが、有機物であろうが、回路には意識が生まれ生命体になるかと思う。

それはそれで、おもしろい時代になりそうだね。

なんだか、魂とは?の概念が浮かびませんか?

それぞれの後づけなのかもね。

捉え方なんてものはね。

そこにあるものは、フラクタルという世界観なだけのことなのかもね。

それでは、解脱とは?

なにか観えてきませんか?


1月2日、つけたし

自分自身でも、どうにもならない感覚があるようで、暴かないほうがよいこともあるのかも?

モヤモヤは、モヤモヤだから、それでいいのだろうから、モヤモヤのまま消せばいいかと思う。(消せないけどね、流して忘れるかな)


昨日の元旦におきた地震で、日本中が騒がしい。

さわがなければ伝わらないこともあるのかな?

私の感覚では、(やっぱりであり、そんな流れがあるだろう)なのだが、人としては、(静かにこれ以上ひどくならないことを祈りながら、自身におこらなかったことに感謝しろよ!)と思っている。

これが現実であり、神様のバツであろうが、人為的なことであろうが、周期的な自然災害であろうが、おきたことにはかわりはないだろう。

そんな世界観に生きているだけのこと。

極端な言い方をすれば、私の命などは、生きようが死のうが、どちらも選べない!

ただ、生きているから生きているだけであり、生き残ったから続くだけなのだと思う。

私が、皆様に思うことは、(それぞれ幸せを感じていられますように)ということくらいである。

これがこの世の現実であるだけのこと。

慈愛とか、慈悲の感覚があるだけのこと。

素直に感じるままにね。

誰でも、何かを感じているのだろうね。

それぞれが感じる生き方に変えましょう。

宇宙大シャッフルなのだろうね。

運気を超えたね。

カオスなのだろうね。

不安に感じるのは普通のことだから。

追い込まないでね。

とにかく

ありがとうございます。


1月3日、つけたし

寝た子を起こさない。

必要以上に掘り起こさないこと。

わざわざ、意識にあげないことで成り立つこともある。

精神も物質もずれることで、内と外のバランスをとりもどしながら続いていくようだが、見えるか見えないかだけなのだと思う。

刺激に対する反射がある。

拡大する情報を制御するための変化は、人類にとって新しい枠組みが生まれる。

互いに思いやることは偽善なのかもしれないか、その積み重ねにより人類の繁栄があるのだと思う。

日本には、その奥に、偽善とは違うどす黒いような根深いものが眠っているようにも思う。(過去を記録して包み込む、日本の文化の特徴なのかもしれないね)

日本は地理的にも精神的にも、世界のヘソなのかもしれない?

そんなことを感じるのだから、当然、私の中にも、どす黒い感情があることだろう。

善悪は表裏一体であり反転する。

善悪なんてものは、視点が変われば解釈も変わる。

移り変わる時代。

テレビからネットにかわり。

多様になる世界。

それぞれの流れを信じて生きる。

現実の世界とは、積み重ねた情報による共感する世界。

新しい回路がつくらているのだろうね。

それが、次の常識となるのだろうね。


私は、傍観者であるのだろう。


ただ、感じたことを記録するだけの自閉的な存在なのだからね。


ありがとう☺️❤️


1月4日、つけたし

こんな時に、こんなことを書くかどうか迷ったのだが、記録として書いておこう。

今朝のYouTubeに、(tolandvlogさんの2024年。ついに"真の歴史"が開示されます。)山陰神道の表博あきさんが出ていた。

私が日本の古神道にはまったのは、73代武内宿禰である竹内睦泰さんであったが、現在、亡くなられてしまった。

古神道とは、天孫降臨以前のカタカムナやら縄文やらの古代文明からの思想文化を伝承したものだと思う。

竹内睦泰さんと同じように、表博あきさんが注目されることで、古神道の思想が広まるきっかけとなるかもしれない。

現実世界は情報戦である。

その情報を読み解く鍵になるかと思う。

それぞれの解釈による多様な時代になればよいかと思う。

私は、世界のおこぼれで生きている。

もはや、口出しなどしない。

この世界の流れは、次の世代にゆだねようと思う。

暖かい部屋で空腹にもならないで、恵まれた生活ができる、あたりまえの日常に幸せを感じている。

死ぬべきときに死ぬだけである。

ありがとう。


もうひとつ、気になることがある。

1月2日に、プロレスリングNOAHで、飯伏幸太vs丸藤正道の試合があった。

私にとって、プロレスとは、野生的感情のはけ口なのだと思う。

プロレスの好き嫌いは、タイプにより違うだろうが、プロレスから世界観を学んだように思う。

最近になって、大仁田厚の凄さがわかってきたように思う。

客を呼べて、話題になる、魅力のあるレスラーが凄い。

プロレスは奥が深い。

今のエンタメ的なプロレスの流れが嫌いなわけでもない。

夢中になった、アントニオ猪木や前田日明がいないプロレスに、寂しさを感じていたときに、飯伏幸太が現れた。

新しいプロレス観を感じた。

求心力。

私は、なぜか彼が気になる。

彼の周りにエネルギーが集まっているように感じてならない。

なにもできなくなったから魅せれることもあるかと思う。

ぼろぼろの体になってまで、何を見せようというのか?

今の私は、プロレスとは、勝ち負けでも、身体能力の強さだけでもないかと思う。

私にとっては、飯伏幸太が刺激を与え、現在のプロレスの流れのきっかけなのだと思っている。

彼に刺激を受けたレスラーは多いかと思う。

世界が飯伏幸太を必要とするかどうかが気になっているのかもしれない?

彼を中心に変化していくプロレスが観たいのかもしれない?

常識をぶち破る、型破りのプロレス。

彼の生き様を観ていこうと思う。


ありがとう。


1月5日、つけたし


私の奥底にあるどす黒いものがなにか、なんとなく感じてきた。

私は生まれる世代がずれていたようだ。

二三世代早かったようなのだ。

生まれ持った根底となる特性とのずれが、多くの生きづらさとなり、その摩擦によって感じたモヤモヤが、どす黒いものなのだと思う。

おそらく、まちがいないだろう。

現在、自身の根元的な本質の生き方に近付いている。

暖かい部屋で、静かに生きている。

多くを望まず、自身の世界観だけで満たされる私がいる。

自転車で移動できる10キロ圏内の生活空間と画面ごしに観る世界中の情報空間で生きている。

これまで、ここに書いてきたような、思い描いてきた生き方をしているうちに、私は打ち消しあうことだろう。

なんだか、日本に生まれて、これまでの人生の流れが、私の解釈をしていくことで感じることがある。

すべてのことがつながっている。

私の根元は何もかわらないようだが、人生を通して変わるものがあるようだ。

残りの人生がある。

それだけで、幸せなのだと思う。

知識だけでは意味はない。

知ったことを、どのように自身の生き方に変換するか、なのだと思う。

その行為を、知恵というのだと思う。

あたりまえのことになりつつある。

ありがとう

おかげさまで、私は幸せにたどりついたようです。

まずは自己満足からでいいかと思います。

皆さまにも、それぞれの物語があることでしょう。

皆さまの物語が幸せにたどりつくことを祈ります。

ありがとうございます

アチマリカム


私は、飯伏幸太さんの独自の感性のプロレスを応援しています。

試合をするたびに、ぼろぼろになっていくようですが、いつか、彼のプロレス観に共感した仲間たちとの大会を見れることを楽しみにしています。

そんな私は、変化する新しい世界観を望んでいるのだと思う。

ありがとう


1月6日、つけたし

人により、いろいろなプロレスの価値観があるかと思う。

だから、想像するだけで、プロレスは面白い。

今日も、飯伏幸太さんについて考えていた。

飯伏幸太がいるだけで成り立つプロレスがあるかと思う。

YouTubeでもなんでもいいかと思う。

レスラーどうしの対談でもいいと思う。

今さら、アクロバティックな動きが見たいわけでもないし、引き締まった肉体が見たいわけでもない。

プロレス学校をするならば、飯伏幸太というエッセンスが入った選手を育ててくれればいい。

それは、レスラーにこだわらず、プロレスの枠組みからはずれていてもいい。

私は、飯伏幸太の発想に興味があるのだと思う。

天才とも違う才能。

日本にこだわらず、世界を巻き込むクリエイターだと思う。

彼の流れの先は、そのようなアートであるかと思う。

型破り。

誰のマネでもない、唯一無二の存在。

それだけのことをしてきたかと思う。

私のかってな思いで、すみません。

今は、ゆっくり身体を直してください。

エンタメ的な予定調和のマンネリなプロレスには、夢中になれなくて、プロレスから離れて、強さだけの格闘技にも飽きて、そんなときに、飯伏幸太を見て、彼から特別なものを感じたのです。

やっぱり、プロレスは素晴らしい、と思ったのです。

プロレスにあらゆる可能性の世界を感じたのです。

現実の世の中に馴染めない私は、プロレスに救われたのだと思います。

猪木さん、前田さん、飯伏さん、共通するなにかがあるのだと思います。


ありがとうございます。


1月7日、つけたし


まだまだ気になっている。

プロレスは永くみるのが醍醐味なのかと思う。

プロレスとは、なんなのか?

真っすぐ生きれる人は、とても少ない。

飯伏幸太にあたりまえの常識は求めていない。

固定概念を壊す存在。

たまたまプロレスだったのだと思う。

猪木さん、前田さん、飯伏さん、どこまでも純粋で不器用で曲げれない、バカになれる人なのだと思う。(船木誠勝さんもそうかな)

そんな人がプロレスに出合ってしまった。

おそらく、私も同類なのだと思う。

最近のプロレスは、感情すらも予定調和に見えてしまう。

飯伏さんは、一度、プロレス界を飛び出してもいいかと思う。

もっと、大きなうねりがあるかと思う。

そこから、新しい何かがはじまるかと思う。

次への、きっかけとなる人だと思う。



ありがとう


1月8日、つけたし

飯伏さんについて思うこと。

飯伏さんは、当分戻ってこれそうになさそうだ。

私が夢中になったプロレスはなくなりそうだが、惰性としての暇つぶしのプロレスがあることに感謝します。


一昨日から、YouTubeで(曼荼羅スピリチャル)という動画を観ている。

私にとって、とてもわかりやすいスピリチャルの世界観だと思う。

スピリチャルは、言語での説明は難しいのだが、どの動画も論理的に統一感のある解釈がされている。(一般的には、わかりにくいかもしれませんが、聴いていて心地よく、わかった感は味わえるかと思いますよ。心の安定に使えるかな?)

スピ系YouTubeが出てきて、たかだか5年ほどでコンテンツが増えて、スピリチャル文化が一般的に広まる時代になりつつある。

そこに、心療内科のような精神的な自己カウンセリング技術の学びと、Aiが心理的サポートをしてくれる時代になりつつある。

ネットに情報が蓄積され、それぞれが必要な知識にアクセスしやすくなる時代。(それぞれのタイプにあった表現による動画で、自動マッチングによる、常に最適化する回路)


モヤモヤとは?なんとなくの私の解釈です。

思考は言語による感覚。思考記録.非物質

神経は人体を操る肉体感覚。肉体記録.物質

どちらの感覚も、なんらかの感情を表層化する。

感情は、どちらの感覚もごまかして、暴走する。

感情は依存しやすく癖になる。

それにより、心理的にある種の結果をもたらすが、それの良し悪しは人生を通して見なければわからないかと思う。

ある意味、スピリチャルとは、そのような流れの仕組みのことなのだと思う。

部分と全体は、互いに影響を与え合っている。

自身を知るという学び。

回路を整えるという学び。

ありがとう


今日は、YouTube(木場秀俊の宮古島から南国スピリチャル)を見ていた。

久しぶりのライブ配信なのだが、相変わらずの御活躍に癒やされました。

ありがとう。




ありがとう。


1月18日、つけたし

一昨日から、YouTubeで土御門兼つぐさんを知りみている。

さとうみつろうさんと斎名智子さんのYouTubeに出ていますので、気になる方は見てくださいね。

この方も、現在のアマテラス体制以前の古神道の流れだそうで、現在も宮内庁と繫がりがあり、天皇を裏から支える存在だそうだ。

なんで、私は古神道のような古い世界観に興味がわくのだろうか?

なんで、そのような世界観が、今になって開示されるのであろうか?

とても不思議なのです。

流れるままに生きています。

それを、眺めて楽しんでいるようです。

ありがとう。



1月27日、つけたし

∞、1、0

ない、ある、くう

3、6、9

A、U、M

創造、維持、破壊

あめのみなかぬし、たかみむすびのかみ、かみむすびのかみ

あまてらす、すさのお、つくよみ

ぜうす、ぽせいどん、はです

ちち、こ、せいれい

ぶぃしゅぬ、ぶらふまー、しゔぁ、

にょらい、みょうおう、ぼさつ

あん、えんき、えんりる

中性子、陽子、電子

ぎんが、たいようけい、ちきゅう

たいよう、ちきゅう、つき

ほしぼし、ちきゅう、にほん

ひかり、やみ、ひと

相対する両極を観測するもの。

あらがうのが生命の本質だとするならば、解脱を目指す私は生命としては、少数派であり特殊なのだと思う。

オカルト.スピ系YouTubeを観ていると、ある一定の方向に向かっているように感じる。

たまたま、私が興味があるだけで、まだまだ、一般認識にも遠く及ばないことは知っている。

ただ、世の中の流れが変わろうとしていることは、共通しているようにも感じる。

幸せとは、なんなのだろうか?

私にとっては、どうでもよいことが増えていく。

どんどん、こだわりがなくなる現実がある。

有ると無い。

それは、共有しているように感じる。

私にとっては、そのような感覚が幸せなようや気がする。

うかれず、さわがず。

自身の本質を感じる。

それは、言葉では言い表せない。

周囲を知ることで、抜け落ちた穴を感じることでしか見つけられないことなのだと思う。

ある意味、死んだようなものなのかもしれない。

生きながら、微笑む心境なのかもしれない。

楽笑



ありがとう


1月28日、つけたし



[失われたオカルト呪術「迦波羅」の謎.飛鳥昭雄.三神たける]という本を読みはじめた。

月刊ムーを読んでいる人には、お馴染みであろう。

読みはじめて思うことは、「私も、やっと、わかるようになったのかも?」ということ。

単なるオカルト本ではあるが、読む人によっては世界の真実であり、納得していまうかと思う。

そのような年齢になったからかもしれない。

生きる、死ぬ、信じる

生きながら死ぬことで微笑むことがあるかと思う。

私にとって、オカルトとは、そのような感覚なのだと思う。


ありがとう



1月29日、つけたし


私の時代が終わっていく。

私のこだわっていた、プロレスがなくなっていく。

私のこだわりがなくなっていく。

私の感じている世界観が、言葉では伝わらなくなっていく。

これが、時代に取り残されるということかな?

なんだか、はじき出された気分がする。

とても、ここちのよい感じがする。

シンプルに生きるだけの今日が繰り返す。

心の世界が広がっていく。

穏やかな深みの世界が広がっていく。

あちこち、ガタのきた身体なのに、気持ちがいい。

歳を取るのも、いいものだね。

残りの人生が楽しくて微笑む。

そんな毎日が幸せなのです。

ありがとう。


1月30日、つけたし

オカルト、スピリチャルの世界観にふれていると、現在の西洋思想主義による科学と哲学の世界観の根底にあるものに気づく。

人類共通の感覚がある。

言葉を超えた感覚がある。

いつどこでまなんだのか?

まるで、生まれながらにそなわっていた感覚なのだと思う。

根底では、共通の土台がある。

安心して生きなさい。

それが、私の感じる世界。


ありがとう


2月3日、つけたし

スパイダーマン.アクロス.ザ.スパイダーバースを観て思うこと。

これは、10年後に実感していく感覚の映画だろう。

2001年宇宙の旅やマトリックスと似たような感じがする。

世界の分岐点。

感覚が先で、現実認識は、文化という現実に囲まれなければわからない。

いつの間にか囲まれている文化により、あたりまえの常識となる。

日本で言えば、ドラえもんやドラゴンボールのような世界観であろう。

ドラえもんになるか、攻殻機動隊になるかはたいさのないことだと思う。

やらかいか硬いかの好き嫌いでしかない。

マルチユニバースとAIと思考による現実。

肉体と意識と自我による覚醒。

異分子による特異点。

表と裏がいれかわらる。

それぞれのこだわりによる多様性の底辺にある共通原理。

根底では繋がっているから、競い合い、あらがう。

可能性を求めて。

それでも、限界点を超えないように。

互いの境界線をなくしながら、それぞれが尖ることで互いを維持する形がある。

虚無に呑み込まれないようにね。

ひろがる世界がある。

まだまだ、先の感覚だと思う。

地球を根底にもつことすらも実感できないでいる。

銀河意識とは、キリスト意識なのだと思う。

太陽系すら超えられない意識。

そこに、魂という自我は、自身すらも否定しているようではね。

生まれたことに喜べないようではね。

生きていることに感謝できないようではね。

ありというあらゆるないことすらも、自身を支えと感じられないならね。

自身を信じるまでもないだろう、そこに自身を感じているのは誰か、それこそが証明である客観なのにね。

錯覚すらも必然なんだよね。

運命という自動調整の世界。

魂の向くままに進むだけ。

言葉に惑わさられない時代に向けて、そんなことを感じる。

ありがとう

アチマリカム



2月4日、つけたし


西洋思想の錬金術や魔術の体系をみていると、日本の古神道の呪術の体系と似ていると感じる。

ハリポタなどの映画が、なぜはやるのか?

この世の中は、繋がっているからこそ、表と裏で逆になる現象がある。

今は、数少ない、情報ゲートが開かれた時期なのだろう。

日本でも、オカルトやスピ系が表に出てきている。

しかし、一般的には、表層化した流行りでしかなく、ツギの時代には、とざされるのたと思う。

一般とは、次の仕組みのいしづえなようなものであり、いつも支える側のいけにえなのかもしれない。

なんとなく浮かぶ感覚があるのだが、いつも、うやむやにされてしまうのは、なぜだろうか?

三位一体と裏と表の根底を抜け出すことが、解脱なのだと感じる。

周りをとらえながらも、おだやかな心で内観することからはじまるかと思う。

期間限定の情報空間であり、それぞれのタイミングがあわなければ、気付かないことだろう。

それすらも、神の采配ということなのだと思う。

それぞれの意識と魂と肉体が重要になるのだろうが、待つしかないことなのだと思う。


ありがとう

アチマリカム


2月11日、つけたし

昨日から、表博あきさんの初代スサノオという本を読んでいる。

2018年くらいにYouTubeのCGSで神谷さんとの対談を観ていた頃を思い出す。

あの頃はまだ、ムーでしか情報がなかったオカルトだったが、世界は変わるものだと認識している。

個人の記憶などは不確かであり、あくまでも個人的な世界観でしかないことを、知ることからはじまる。

だけれど、それに向き合い、信じて生きることが幸せなのだと思う。

さまざまな神話や伝承は、それぞれの立場からのひとつの解釈とする視点でしかないように思う。

人類の共通の出来事を、主導権を得体がために、都合のよいようにねじまげたいだけのように感じる。

まるで、一族の痴話喧嘩のようなものであり、呆れて物が言えない。

私の立場だと、他人である外側にあれこれ言う気はおきない。

なぜか、比べて争う気がおきない。

ただ、自身の根底にある感覚に寄り添って生きるだけなのだと思う。

これが私の生まれながらの特性なのだと思う。

人、それぞれの幸せをいきましょう。

ありがとう

アチマリカム



2月21日、つけたし

私が生まれた。

時間とは、肉体がなくなる流れを意識が感じることなのだと思う。

物質である肉体は時間とともにありという自身にかかわる事柄を刻んでいく。

歳を取るとは、自身の本質である属性に戻ることだと思う。

本質とほど遠いほど、生きづらいのだろうが、その分、自身を超えた世界観を感じるのだと思う。

それが愛なのかも?

私は、霊や魂というものがあるかどうかは、わからないが、私がここに生きていることは感じている。

歳を取るごとに、過去の過ちに気づき生きている。

誰もが、そのようなものだと思う。

気づきによることで、今の私は変化していくようである。

私が変化することで、私を中心にして、未来の私の世界観も変わっていくようである。

私に合わない世界観があることは知っているが、気にならないほどに交わらなくなっていくようである。

肉体を通して、過去と未来からのメッセージを統合しながら、今の私は生きている。

自然に、そのような生き方をしているようなのです。

残りの人生を、そのような人に囲まれた生き方を望んでいるのだと思います。

きっと、そのような本質の属性をもった世界観だったのだと思います。


ありがとう

アチマリカム


2月24日、つけたし


生まれついた環境により、世界観はうながされる

そまる感覚からはじまる

違和感という葛藤を押しつぶしてきた時代

時代よりも次元という流れになるのか?

物質から精神の情報戦


知るということ

興味本位に情報を求めることで、その世界観にそまっていく

科学と経済が世界標準となり統一されそうだが、裏からみれば、オカルト的な精神世界を操る組織もある

現実とは、物質の根底に見極める感覚があり、それを操る術がある

秘伝の一部を公開することで、興味はそそられるが、操りやすくもなる

人生を通してしかわからないことがある

理屈と直感の両極の間に私があるように生きたいと思う

思考以前のありようなのだろう

それが、自身を信じることなのだろう

ありがとう

アチマリカム

2月25日、つけたし


肉体という制約があるから、生まれた環境にそまらなければ生存できない。

そんな地球に生まれた。

星の役割とはなんだろう。

肉体に魂が宿ることでおきることがある。

時間という流れであり、変化という仕組みがおきる。

あるなしの定義は物質であるがゆえならば、時間の問題なのだろう。

あるなしすらもつかさどる存在が量子なのだろう。

肉体がなければ、変化しない固定された世界観でしかなく、はたして、生きているといえるのだろうか?

私の現実は量子の次元にいるように感じる。

松本零士の999を思い出す。

ほしのてつろうは生身の人生を選んだ。

それぞれの宇宙を創造していきる。

地球に生まれた人の役割があるかと思う。

それが次元の世界観なのだと思う。

いろいろな学びをしたが、それ以前から知っていたように感じる。

それが、自身の根元にもどることなのだと思う。

そんなことばかり、感じている。

なるようになることで、根元に近づくように思う。

ありがとう

アチマリカム


3月4日、つけたし

私は人それぞれに生まれ持った時間の感覚があるかと思います。

若いころは、あせりながら生きていたことで、流れにのれずに、空回りしていたのかもしれません。

私の時間の感覚は、とてもゆっくりなようで、ダラダラしていることにイライラしないようです。

かといって、変化しないことは苦手なようで、ゆっくりの中にも季節のような周期的なものが好きなようです。

世間は、年々、時間の感覚が加速しているようで、はやりから常識まで、ころころと変化しているように感じます。

私は、そんな世間に嫌気がさしたのか、距離をとろうとしているようです。

私は、死ねのを待って生きているのかもしれません。

残りの人生をマイペースに生きたいのかもしれません。

憶測でしかありませんが、そのようなことを私の奥底から感じます。

怠け者であり、他者との関わりが苦手だが、客観的に覗くことは楽しみなような特性なようです。

後は、なにをしようか?

特別、思いつかないけど、ゆっくり時間が流れていく。

そんな景色を眺めて死を待っていることが楽しいのかもしれません。

いつでもいいのです。

運命を信じているのだと思います。


ありがとう

アチマリカム


人の歴史とは、悲しみが根底にあるような気がします。

キリスト意識といいますが、人類を悲しみにより滅ぼさないための洗脳のように感じます。

私の感覚だと、相対的な2次元世界でしかなく、争いばかりの救いようがないのが人なのですが、客観的な視点を保つことで救われるようにも感じます。

そんな世界があればのことですが、それは固定してしまう、可能性の閉ざされた、時空のない世界に思えてなりません。

ですから、何度もやりなおすうちに、バカでも信じられるようにキリスト意識という希望をかかげたのだと思います。

何度も繰り返すことは、永遠ということなのかもしれませんが、私は。とても悲しく感じます。

その仕組みの外になにがあるのかは知りませんが、それでも魂を超えた私を捨てた相対的でない世界があるかもしれません。

この世界は、この世界を望む者におまかせします。

私は消滅したいのかもしれません。

これは、自殺なのかと考えたりしますが、死を待つように、私にとっては、幸せなことであり、とても自然な感情のように感じます。

身勝手で楽観的な怠け者なのに、生き残る運のある存在のようです。

私は自身の運命を信じています。

単なる、このようなことを感じる、うれいの流れにいるだけなのかもしれません。

私の人生において、やるべきことは終わっているようで、どうしても、私でなければならないことなどないように思います。

悲しみという幸せがあるように思います。

感情の牢獄なのかもしれません。

とても、おだやかな悟りなようです。

待つという、幸せなように感じます。

贅沢な幸せなのだと思います。


やはり、言葉にはならない感じです。


ありがとう

アチマリカム


3月6日、つけたし

今日、YouTubeで[ヘミシンク]という左右で違う音波を聞くことで、変性意識状態となり、さまざまな意識の次元に誘導する仕組みについての動画をみた。

西洋からみた、瞑想体験のやり方のような気がした。

おそらく、自身の振動数が変わることで、情報空間の繋がるチャンネルがかわるからなのだと思う。

いろいろな解釈があって良いと思う。

11次元やらヘミシンクやら瞑想やら、私は何か?

答えのない世界があるのだと思う。

内観することは外観することに繋がるのだろう。

行き着くところは、統合なのかもしれない。

愛とは、言葉にならないのだろう。

だから、それぞれが人生を通してしか感じられないのだろう。

いつも、そんなことを感じて考えている私は、おバカさんなのだと思う。

それはそれで、しかたのないことでしかなく、流れにまかせるしかないのだと思う。

本当に楽観的な無責任な私なのだと思う。

解脱とは、私を手放すことのように感じる。

魂を抜け出ることなのだと思う。

大元に帰るようだが、今だ、言葉にはならないようだ。

ありがとう

アチマリカム


3月8日、つけたし

今年に入って、世の中の情報戦が加速しているように感じる。

全ての事柄が来年に向けて、まとめあげられるように総決算されているように感じる。

私が52年かけて感じてきたことが、一気におしよせてきたとしたら、さわぐだけで、まともな判断などできずに、ただ流されしまうことだろう。

結局、大きなものの計画にまきこまれてしまうのだろうか?

ブッタは悲しみを感じていても、なるようにしかならないと、世界を眺めていたようだ。

キリストは救いの手を差し伸べ、戒律を設定したようだ。

かわろうがかわらなかろうが、人それぞれでしかない。

階級や戒律などなくても、開眼するものはするだけなのだと思う。

私は、どちらかといえばブッタに近いのだが、いまだ悲しみにほんろうされている。

ときおりくる感情により、つらくなる。

眺めて感情が揺れ動くことが、私の運命なのかもしれない

そんなことすら感じないようになることが理想なのだが、それは、潜在意識の領域なのだからしかたがないことだろう。

時をまつしかないことがある。

私を求めるほどに、人は相対的なものにおそれ、敵対心を生み出すようだ。

私と自然がひとつになるとは、そんなことすらも気にならなくなったときなのだろう。

それこそが、根元という本質で生きるということなのだろう。

がむしゃらに穏やかに生きる。

あるとないを超えて、生と死を抱えていきる。

そんなことを感じている。

老後とは、自身の根元という本質にもどり、静かに穏やかに暮らすことなのだと思う。

今の日本には、そんな世界観はないのかもしれない?

しかし、私は、それを感じてみたいと思う。

まだまだ、その領域にはたりないようであり、精算しなければならないことがあるのだろう。

早いとか遅いとかは、人それぞれであり、ものさしなど意味はないと思う。

老後に向けて、世の中とは違う流れで生きるようだ。

私の歩んだ人生が今の私にふりそそいでいるようだ。

それこそが、私にとっての総決算なのだと思う。

どこで途切れるかはわからないが、なるようになることだろう。

高みを目指せと感じたりもするが、そんなことまで、背負いたくないと思う。

いつか、私は私といわなくてもいいときがくるかと思う。

いつでもいいのです。


ありがとう

アチマリカム


3月10日、つけたし


老後とは、人生において、自身でふりかえる期間なのだろう。

自身からはのがれられない。

忘れてしまった過去すらも縁起によって総決算されるようだ。

閻魔の裁判のようなものなのかもしれない。

そんな老後をなくそうともがいているのかもしれないのが、最近の傾向なのだろうか?

ならば、穏やかな死を望むのであれば、人生の晩年は老後があったほうが自然なのだと思う。

このような思考すらも縁起にふくまれているようだ。

それぞれの根元による総決算なのだろう。

怒りよりも悲しみを感じてならない。

よくわからないが、悲しみのはてになにかがあるように感じる。


私の運命なのだろう。


ありがとう

アチマリカム


3月11日、つけたし

人は、勝手に線引して査定している。

あるがままを勝手にねじまげて、自身の色メガネであわせようとする。

そんな感情にふりまわされて、余計にすれちがいばかりとなる。

そんな間違った思い込みに、世界は争いふるえだす。

ますます、あやまちを認められずにいこじになる。

生まれ育った環境のせいだと自身をごまかし偽りながら年を取る。

年齢は関係ない。

それぞれの幸せをみつければいいだけなのだと思う。

私にとっては、生きている間に、私の精算をすることが、幸せなのだと思う。

それが、ゴールなのかもしれない。

そんな悟りがあってもいいかと思う。

2025年は、関係ないことであり、その後の人生をどう生きるかのほうが重要なのだと思う。

人それぞれの時代と人生の縁起があるのだと思う。

そんなふうに思うと、やけに納得してしまう。

すべての過去の出来事は、今のための縁起なのだろう。

本質につながるためなのだろう。

ありがとう

アチマリカム


3月15日、つけたし


光と闇

相対的な世界

物語は必ずと言っていいほどにね

私の物語もそうなのだろうね。

それが人生であり、どちらもあわせ持つ存在なんだよね。

それだけのことなんだよね。

喜びは裏返しなのだろうね。

だから、悲しいのだろうね。

だから、もういいのだろうね。

必要なものもいるだろうからね。

愛はどちらも包み込むのだろうね。

ありがとう

アチマリカム


3月18日、つけたし

この世界はいろいろな価値観があるからなんとかなるのだろうね。

ひとつにまとめようとしないことなんだろうね。

それぞれの解釈で生きるからバランスがとれているのだからね。

相手を自分色にそめることが嬉しいかい?

私はつまらないと感じるんだよね。

いろいろな感覚があるからいいんだよね。

ありがとう

アチマリカム


3月23日、つけたし

今日、おばさんの葬式に行ってきた。

私の身近な御縁の方が、またひとりなくなった。

私の年齢からすれば、あたりまえのことなのだが、さみしいとかでは言い表わせない不思議な感覚がする。

久しぶりに親族にあった。

さほど感情が動かなくなってきているようだ。

いずれは私も、そんな感覚がしているようだ。

あたりまえのこと。

私は私の人生を生きる。

毎日が過ぎていく。

朝、起きてしたいことをできるだけする。

それも、さほどしたいこともないのだけれどね。

そんな残りの人生が幸せに感じてならない。

したいことがあるのも、ないのも幸せなんだよね。

生きているから感じることかをある。

感じるからできることがある。

それが、それぞれの役割りなのだと思う。

それぞれの世界観があるのだと思う。

ありがとう

アチマリカム

3月24日、つけたし

人生とは、御縁なんだよね。

おせわになったり、せわをしたり。

互いに与え合ってね。

ありがたいよね。

下へ下へ。

だから続いているのだろうね。

ありがとう

アチマリカム


3月27日、つけたし

最近の私が幸せを感じること

眠たくなったときに眠ること

白米を食べること

お陽さまにあたること

こんな、あたりまえのことが幸せなのです。

ほっとする瞬間なのだと思います。

生きている。

ありがとう

アチマリカム





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