たった一つの小さな願い (moco(もこ))
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‐壱‐

 ちゃぽん。ゆるりと釣竿を振って餌を落とす。真っ青な空にはカモメ達がのどかに舞っている。今日は少し波が高いだろうか。のんびりと堤防に腰掛けて釣りを楽しんでいたら、後ろの方からたったった、と小走りに人が近づいてくる音がした。

 

「ヘーイ、テイトクーゥ!釣れてる?」

「ぼちぼちですかねぇ」

「釣りもいいんだけどサー、これ。届いてたヨー?」

 

 ううん、もう少し楽しみたかったんですが。秘書艦である金剛がわざわざ持ってくるということは、結構な内容なのだろう。どれどれ、と手にとって眺めて。

 

「……」

「テートク?」

「……あんにゃろう」

 

 また、面倒臭そうなことを押し付けられたのを確認し、思わず毒づいてしまっていた。

 

「お口悪いデース」

「あいつ限定です」

「ム。妬けマース」

「いやそんなところで嫉妬されても…」

「でもなんだかんだ好きデショー?呉の提督」

「クソ喰らえです。でもまぁ」

 

 ガチャガチャと片付けをしながら、そこで一旦言葉を切る。

 

「人を見る目だけは信じてます」

 

 よっこらせ、と荷物を肩にかけて歩き出す。せっかく最近は落ち着いてきたというのに、そういうタイミングを見計らったかのように面倒事を押し付けてくるのだ、あいつは。

 

「やっぱり妬けマース」

「はいはい。ほら、準備しないと。忙しくなりますね」

「あ、待ってヨー、テイトク!」

 

 ここは南方にあるとある泊地。人々から忘れ去られたこの土地に。新しい風が舞い込んでくる予感が、した。

 

 

「─転籍命令ですか」

「ああ」

 

 提督の執務室に呼び出され向かえば、開口一番、彼は本題を切り出した。

 

「僻地にあるとある泊地なんだがな。そこに腕のいい艤装技師がいる。そこで大和の艤装を調整してもらえ」

 

 ぎ、と椅子の背もたれを鳴らし、つまらなさそうな顔をしながら提督がそう続ける。最も、会うたびにこのような表情を浮かべているのでこれが彼の普通なのかもしれないけれど。

 

「……それは、一時的な転籍、でしょうか」

「さて、どうだかな。……なんだ、お前ここ、結構気に入っていたのか?」

 

 含みを持たせたニヤニヤ笑いは見ていて気持ちのいいものではないが。彼はここ、呉鎮守府の提督であり、私は彼の部下である。内面をおくびにも出さずにただただ黙って彼を見つめる。

 

「お前はてっきりここが嫌いなのかと思っていたんだが。息が詰まるだろう、ここは。色んな意味でな」

「……そんなことは、ありません」

「そうかい。ま、もう決まったことだ。なぁに、向こうの艤装技師も提督も腕は確かだ。俺は嫌いだが」

「お知り合いですか」

「残念ながらな。まぁ使えるモンは使う、それが俺の流儀だ」

 

 ひらり、とあっち行けと言わんばかりに手を振られる。どうやら話は終わりらしい。一礼して執務室から出て行こうと扉に手をかけて。

 

「─ちゃんと使えるようになったら、呼び戻してやっからよ」

 

 そう揶揄する彼の声に反応することなく。そのまま執務室を、後にした。

 

 

 船体が勢いよく跳ねるのを感じて目を覚ます。どうやらこの辺の波は少し荒いらしい。軽く伸びをして凝り固まった体をほぐし、甲板へと出た。

 転籍命令が出された泊地は、南方の離島にあり、戦術的重要性もなければ、深海棲艦も滅多なことでは出ないところらしい。元々は本当に何もないところだったそうなのだが、今の提督がそこに着任してから暇つぶしで訓練施設を作っていたらいつの間にかそこそこの設備になっていたようで、今では艦娘候補生の訓練施設も兼ねているらしい。

 らしい、らしい、というのは、どれも伝聞によって得た情報で確かなものではないからだ。提督にどんなところなのかを確認しようとすれば、苦虫を噛み潰したような顔で行きゃわかんだろ、と吐き捨てられ、その他の艦娘達に尋ねてみても、そもそもその場所を知っている娘すらほとんどいなかった。

 甲板で煽られる髪をおさえながら海面を覗けば、目的地である泊地へと向かうこの補給艦の護衛をしている艦娘が、ちょうど隣を並走していた。

 

「あと少しで着くわよ」

「そうですか、ご丁寧にありがとうございます」

「……ふん」

 

 愛想はあまり良くはないが、なんだかんだ道中こちらを気にかけてくれた優しい娘である。

 

「ま、精々頑張んなさいよ」

「はい?」

「候補生なんでしょ?しかもその感じ、戦艦候補生じゃない?」

「……」

「ああ、別に答えなくていいわよ。正式に艦娘にならないと名乗れないものね」

 

 どうやらこの娘は私のことを候補生と勘違いしているようだった。艦娘ならそもそも自分の艤装を使って航行するものだから、それも仕方がないだろう。実際似たようなものだし。彼女が勘違いをしていることをいいことに、曖昧に笑って誤魔化した。

 深海棲艦という人類の敵が現れて早数十年。当初、為す術もなく絶滅の危機に晒されていた人類は、後々に『始まりの四隻』と呼ばれる四人の艦娘の出現により生活圏の奪還に成功し、以来、艦娘という存在は深海棲艦に唯一対抗できる希望の光として取り扱われるようになった。

 こう言えば聞こえはいいものの、艦娘適性を示したものは本人の意志によらず艦娘候補生として国に登録され、一度正式に艦娘となればその娘は人の名を捨て、一生を艦の名で過ごさねばならないという人権もへったくれもない存在と言えなくもない。解体処分を受ければまた人に戻って生活することもできるらしいが、このご時世、基本的にはほとんどないと言っていい。

 

「最近は深海棲艦も頭使ってくるから、やんなっちゃうわよ。いつでも仲間は歓迎よ、人手が足りないったらないわ」

「あはは……」

 

 人語を発する深海棲艦が初めて観測されてから十数年。最初はただ闇雲に襲ってくるだけだったやつらは、いつの間にか艦隊行動を取るようになり。さらには強力な人型の深海棲艦も続々と発見され、人類と深海棲艦の戦いは今でも膠着状態だ。むしろ、戦いに関して言えば昔より苛烈になったと言ってもいい。

 

「お名前をお伺いしてもよろしいですか、先輩」

「は、駆逐相手に丁寧なことで。……曙よ。別に覚えなくていいわ、どうせ」

「道中気にかけて頂きありがとうございます。残り少ない時間ですがよろしくお願いします、曙さん」

「なんっ……」

 

 本心だ。こうやって艦娘が補給艦の護衛をしてくれるから、私達は問題なく生活を送ることができる。例え、この身が今後最前線に放り込まれるとしても。この娘と一緒に戦うことはなくとも、尊敬すべき先輩に変わりはない。

 

「……調子狂うわ」

 

 ぷいとそっぽを向かれるも、その行動がなんだか可愛らしくてくすくすと笑う。そうしたら、がしがしと頭をかいていた曙さんが一点を指差した。

 

「見えた。あそこよ」

 

 視線をその先に移せば、陸地が見えた。

 

「今日はいないといいんだけれど」

「何がですか?」

 

 その言葉にちらりとこちらに視線を移した曙さんは。

 

「……鬱陶しいお迎え」

 

 心底嫌そうにそう呟いた。

 

 

「今日は曙が護衛だったんだ、言ってよ」

「アンタに会いたくないから言わなかったの!!」

 

 到着と同時に、陸地で待ち構えていた陽気な女の子が両手を広げて曙さんに抱きつこうとして、それを華麗に曙さんがかわす。

 

「うざい!」

「相変わらず恥ずかしがり屋なんだから」

「違うっての!」

 

 その攻防を眺め、さて声をかけるべきかどうかと悩んでいたら、曙さんに絡んでいた方の、リボンで髪を二つに結えている女の子がこちらに気づく。

 

「あ、もしかして」

「本日、こちらに着任いたしました」

 

 海軍式の敬礼をしながら挨拶をする。一瞬、曙さんと目が合った。それを、逸らして。自己紹介を続けた。

 

「大和型戦艦一番艦、大和です」

「はぁ!?」

 

 案の定横から素っ頓狂な声が上がる。

 

「アンタが?あの?大和!?」

「ちょ、曙、落ち着いて」

「落ち着いてらんないわよ!!なんでこんなド僻地に超弩級戦艦が着任すんのよ!なに?深海棲艦が攻めてくるわけ!?聞いてないわよ!!」

「どう、どーう!!」

 

 私に食ってかかる勢いで迫る曙さんを、隣にいた女の子が体を私とその子の間に滑らせて止めた。

 

「そうじゃないんだって」

「じゃあ何よ!」

「ええっとぉ……」

 

 言葉に詰まるその娘の後を継いで、私が代わりに答える。

 

「戦えないんです」

「は?」

艦魄(かんぱく)が、反応しないんです。現に船に乗っていたでしょう」

「……でもアンタ、今大和って」

「国内初の大和型適性保持者らしくて。候補生をすっ飛ばして、艦娘扱いなんです。名ばかりですけどね」

 

 その言葉に曙さんが複雑そうな顔で押し黙る。どう思われただろうか。まぁ、事実だ。どう思われようが受け止めるしかない。

 

「呉ではどうすることもできなくて。こちらに腕のいい艤装技師がいらっしゃるということで、お伺いいたしました」

「ああ、おやっさん目当てか」

「おやっさん?」

「うん、うちの艤装技師責任者」

 

 そうのんびりと答えた女の子が笑いかけながら敬礼を返す。

 

「陽炎型駆逐艦のネームシップ、陽炎よ。よろしくね」

「はい、よろしくお願いします」

「じゃあとりあえず提督に挨拶行こうか。こっちこっち。あ、曙!ちゃんと補給していきなよ」

「うっさい」

 

 手招きをされ、まだしかめっ面をしている曙さんに一礼して歩き出す。

 

「大和!」

「あ、はい」

「……呉に帰るときは護衛くらいしてあげるから!精々まともに航行できるくらいにはなりなさいよね!!」

 

『なにが大和適性だ。とんだ予算の無駄遣いではないか』

 

 呉にいたときは色々なことを陰で、そして面と向かって言われたものだ。もちろんろくに戦えない自身に非があるのだが、それでも言われ続ければ心は疲弊していく。

 

「曙さんは」

「なによ」

「優しいんですね」

「はぁあああ!?」

「そうなのよ、なのに照れ隠しが激しくてねー」

「陽炎うっさい!」

 

 もしかして、提督は気晴らしも兼ねてここに転属させたのだろうか。……いや、ない。あの性格の悪い人がそんな優しいことを考えるわけがないけれど。

 

「今日生姜焼きだよ」

「……」

「食べてくでしょ、鳳翔さんのご飯」

「……しょうがないわね」

「素直に食べたいって言えばいいのに」

 

 バシーン!と鳴り響くいい音と。あ、いったぁ!!と悲鳴をあげる陽炎さんを見て、ふと、心が安らいだ。

 

 

「大和型一番艦、戦艦大和、着任いたしました」

「御苦労様です」

 

 案内された執務室に入り、僅かに緊張しながら敬礼をすると、この泊地の提督がどこかぎこちなくゆっくりと右腕をあげて敬礼を返した。

 

「すみませんね、少し右腕が不自由でして。不格好な敬礼で申し訳ない」

「いえ」

 

 南方の泊地だというのにしっかりと長袖の制服を着込み、そして右手にはご丁寧にも白い皮手袋がはめられていた。

 

「見ていて暑苦しいとは思うのですが。どうにも、この下は見苦しいものでして」

「大丈夫です」

「そうですか、ありがとうございます」

 

 にこにこと柔和な笑みを返してくる提督の穏やかなその物腰に緊張は幾ばくかほぐれる。しかしながら、女性なのか男性なのか判断しかねるその中性的な顔立ち、そして見た目は二十代後半から三十代前半にしか見えないのに、それに反して帽子から覗き見える真っ白な髪など、どうにも浮世離れした雰囲気をその人は醸し出していた。

 

「いやー、なんにもないところですけれど、まぁゆっくりしていってください」

「はい」

「何か質問があれば遠慮なく」

「それでは。……あの」

「なんでしょう」

「……なぜ、提督は椅子に縛りつけられているのでしょうか」

 

 そして、にこにこと。執務室の椅子にしっかりとしたロープでガチガチに縛られているその姿が、異様であった。

 

「よい質問です」

「えっと」

「陽炎型駆逐艦二番艦、不知火です。こちらで秘書艦補佐をしております、以後お見知りおきを」

 

 執務机の隣でしゃんと立っている少女が代わりに答える。背丈は小さいものの、その毅然とした態度には貫禄があった。

 

「……解いてくれませんか?」

「ダメです。釣りで十分リフレッシュしたことでしょう、終わるまで解きません」

「でもほら。新しい娘に示しが」

「どうせ後で貫禄もなにもないとバレるのなら、最初から知ってもらえた方がいいでしょう」

 

 冷ややかな目でどさ、と付箋が大量についた書類の束を執務机に投げ置く不知火さん。

 

「いつになったらまともに書類業務ができるようになるんでしょうか?」

「えっと」

「訂正、お願いします」

「あの」

「座ったままでも、業務連絡はできるでしょう」

 

 有無を言わさない態度に提督が押し黙る。にこにこと表情は崩れないものの、その顔には冷や汗が浮かんでいた。

 

「……さて、ではこれからのことですが」

 

 どうやらこのまま話を進めるらしい。隣で陽炎さんが苦笑いをしている。

 

「大和さんはこちらで一時預かりという形になります。艦魄および艤装回路の調整が済み次第運用訓練に入って頂きます」

 

 艦娘とは、艦艇の付喪神の分け御霊をその身に降ろす依代となる少女達の総称である。分け御霊を閉じ込めた艦魄という霊珠をそれぞれの艦に由来する触媒に固定し、それを身につけることで艦娘は艦艇の神々を降ろす。

 最も降ろすといっても神に体を乗っ取られるというわけではなく、あくまで力を借りるだけ。降ろすのは専ら艦艇の知識、経験であり、そういったものを身につけることでただの少女達は命のやり取りをする戦場においてどのように戦えばいいのかを本能的に察することができるのだ。

 

「触媒はどちらでしょう」

「これです」

 

 ことり、と首に装着するタイプの金属輪を机に置く。内側には大和の鑑魄がはめこまれている。それを手にとって、しげしげと提督が細部を眺めた。

 

「戦艦大和の艦首を模しているのでしょうか」

「ええ」

「なるほど。うん、よい触媒ですね。艦魄の反応がないということですが、艤装運用の経験は?」

「一通りは」

 

 艦魄の反応がなくとも、艦娘適性のあるものはその艤装を運用することが出来る。実際、大破時などはほぼ艦魄から力の伝達が行き届かなくなるので、自動的にマニュアルモードに切り替わる。それを操作して一応は航行を続けることができるのだ。

 ただし、あくまでこれは緊急用で、艦魄から力が得られなければ艦娘はただの少女となんら変わりはなく、この状態になればあと一撃でも食らえば轟沈してしまう。大破進軍で轟沈率が高くなるのはこのためであり、つまり艦魄から力を得られない私は常に大破状態と言ってもいい。当然、戦いに出ることはできない。

 

「なるほど、なるほど。では後は艤装と艦魄を繋ぐ回路たる神衣(かむい)を調整して─」

 

 神衣は、特殊繊維によって編まれた艦娘の戦闘服である。艦魄から艤装へのいわゆる力の伝導回路のような役割をしている。艦魄から神衣に力が流れることで艦娘の体全体に防御結界が張られ、人を遥かに凌駕する強靭さを得ることができる。そして、高速航行をしたとしても空気抵抗を受けることなく、まるで海上を踊るかのように滑ることができるようになるのだ。大破時、神衣が破れることで能力が著しく低下するのはこれに由来する。

 

「隙間時間に対話を重ねて、その後に訓練ですね」

「……対話、ですか?」

「ええ。あれ、今対話って言わない?」

「同調訓練のことでしょうか」

「え。いや、その前に。同調訓練の前に同調率を上げるために、艦艇の神々と交流することを対話、と」

「……」

「呼ぶんですけど」

 

 困ったように見つめられ、静かに首を振る。ちらりと提督が不知火さんに視線を送れば、同じように彼女も首を振った。

 

「不知火が呉にいた頃にはすでにその過程は省かれていました」

「まじですか」

「あそこは最前線ですから。質より量です。同調率も最低基準値でろくに練度も上げられぬまま前線に駆り出される娘がほとんどですよ」

「まじですか。陽炎は?」

「私!?えーと……同調訓練後の砲撃成績を見られてすぐここに飛ばされたし……うん、やってないかも」

「まじですか」

 

 時代の流れなんですかねぇ、とぼやきながら提督がため息をつく。

 

「まぁ、いいです。郷に入りては郷に従え、私のやり方に従ってもらいます」

「はい」

「─そもそも」

 

 そう言って、大和の触媒の金属輪をあらゆる角度から。右眼を細めて何かを見透かそうとする提督のその眼が、赤く、光った、ような。

 

「これは、同調訓練だけではどうにもならないでしょうね」

 

 ふ、と表情を和らげれば、その眼は元通りで。あれは、幻覚だったのだろうか。

 

天岩屋戸(あまのいわやと)

「え?」

「まるで、天岩屋戸にこもった天照大御神(あまてらすおおみかみ)のごとし、って感じですね」

「……それは」

 

 どういう意味でしょう、と続けようとして。

 

「ヘーイ! テイトクゥ!ティーターイム!デース!!」

 

 けたたましい音を立てて現れた乱入者に、思わずびくっと身を竦めた。

 

「……ここで会ったが百年目」

「ゲェ!不知火!!」

「あなたも、いつになったら誤字、脱字がなくなるんですか?」

 

 ゆらり、とその不知火という名のごとく怒気をはらみ、鋭い眼光で書類を突きつける不知火さんに対してじり、じり、とその少女が後ずさる。

 

「秘書艦であるあなたがこんなんだから、不知火が」

「Oh、急に用事を思い出しマシタ……good bye!!!! 」

「逃がすか!!」

 

 バァン!!と勢いよく女の子が扉を開いて脱兎のごとく逃げ出し、そしてその後を不知火さんが追う。怒涛の展開にぽかんと口を開いて見送ってしまった。

 

「陽炎、陽炎」

「……なんですか、提督」

 

 小声で提督が陽炎さんに声をかける。

 

「これ。解いてください」

「イヤです。私が不知火に怒られちゃうじゃない」

「そこをなんとか」

「ダメ。仕事してください、提督」

 

 ……なんというか。

 

「うう」

「行こう。ここ、案内するわ」

 

 この泊地。いや、ここの提督、大丈夫なのだろうか。一抹の不安を覚えつつ、さっさと執務室を後にする陽炎さんについていくのであった。

 

 

「さっき一瞬執務室に入って来た人。あの人は金剛さんね。ここ唯一の戦艦で秘書艦」

 

 ここが宿舎、と案内を受けながら、先ほど嵐のように現れ去っていった人について陽炎さんが教えてくれた。

 

「金剛、さん」

「そう。元々ここには私しかいなくてね、提督すらいなかったんだけど」

「え?」

「まぁなんとかなるもんよ。深海棲艦ほとんど現れないし。たまに見つけたと思って慌てれば鯨だったりねー」

 

 あっけらかんと言い放つものの、その内容はわりかしハードだ。思わずまじまじと陽炎さんの横顔を見ていたら、彼女が言葉を続けた。

 

「で、しばらくして今の提督が来たんだけど。その時に提督が連れて来たのが金剛さんと、鳳翔さん」

「……」

「その後に不知火でしょ、それから天龍さんが来て。賑やかになったなぁ」

 

 ひーふー、と指折り数えながら、あ、天龍さんにはまだ会ってないよね、と楽しそうに陽炎さんが笑った。

 

「ここ、ホント何もないからさ。最初はすごく暇だったんだけど。提督が趣味で訓練設備を増築してたら目をつけられてね」

 

 あ、その噂は本当だったんですね、と内心頷く。

 

「今は候補生五人の訓練も私達が持ち回りで担当してるわ」

「楽しそうですね、陽炎さん」

「ん?そうね。いっぱい人がいて楽しいかな、今は」

 

 ここがお風呂、とカラカラと引き戸を引いて中を見せてくれる。予想よりも広く、掃除も行き届いているようだ。

 

「……あの」

「ん?」

「金剛さんと、鳳翔さん、というのは。確か、始まりの四隻のうちのお二方だったと、思うのですが」

「ああ、うん。でもその二人じゃないと思うよ、だって始まりの四隻だったら結構いい歳じゃない?どう見たって若いしなぁ」

「では、次世代の方ですか」

「多分。そういう話しないからよくは知らないけど」

 

 始まりの四隻。深海棲艦の劇的な撃退に貢献した四隻は、華々しくその名を歴史に刻んでいる。基本的に一つの艦艇に対して艦魄はいくつも作られるため、同じ名前の艦艇の子が同時に何人も存在するのが普通であるのだが、どういうわけか、この始まりの四隻については実際に見かけた人はほとんどおらず、最早都市伝説となりつつあった。それが目の前にぽん、と二隻も現れたとなれば、戸惑うのが普通だろう。

 

「まぁでも二人共現役引退してるらしいから」

「そうなんですか?」

「うん。鳳翔さんはここの炊事、空母候補生の訓練を担当してるし。金剛さんも基本的には訓練担当で、たまに秘書艦っぽい仕事をしているというか」

 

 もう秘書艦の仕事はほとんど不知火任せみたいなもんだけど、とぼやきながら先を歩いていく。

 

「呉に比べたら大分ゆるいとこだと思うよ」

「それは、まぁ」

 

 あの様子を見せつけられれば、嫌でもわかる。規律に厳しく、激戦区の戦線維持に努める呉と比べれば、雲泥の差だ。特に提督の扱いが。

 

「あ、おやっさんところも行っとかないとね。工廠はこっち」

 

 面倒見がいいのは、一番艦たる所以か。先程の妹艦に当たる不知火さんを思い起こし、あまり姉妹っぽくはないな、と思った。最も、二人は本当の姉妹ではないのだろうけれど。

 

『─姉さん』

 

「……」

「大和さん?」

「ああ、すみません、ぼーっとしてました」

 

 軽く頭を振り。不思議そうにこちらを見ていた陽炎さんの後を、追った。

 



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‐弐‐

『なぁおい、“海に呼ばれる”って知ってるか』

『なんですかその無駄にロマンチックな表現』

 

 軍の回線から連絡が入ったので出れば、嫌いなあいつからのもので思わずしかめっ面になった。

 

『は!僻地に引きこもってる化石に俺が現代語を教えてやるよ』

『ありがとうございます、慎んでお断りします』

『最近の統計でわかったんだがな。轟沈した艦娘がいる海域に、同型艦を行かせると高確率でそいつらも轟沈するらしくてな。それを俺らは隠語で海に呼ばれるって言ってんだ』

 

 私がこいつのことが嫌いな理由のひとつに、人の話を聞かないということがあげられる。さらりと無視されイライラしながらもまだ電話を切らずにいる私は菩薩のようだな、と思いながら毒を吐く。

 

『浪漫もクソもない事実ですね』

『同感だ。だが、こんな仕事をしているとな、嫌でも縁ってモンを意識しちまうな』

『……そうですね』

 

 例え姉妹艦同士でも、所詮は他人だ。だというのに、気付けば同型艦は同型艦を引き寄せる。そして。

 

『超弩級戦艦タイプの深海棲艦が観測された』

『……』

『まぁそういうこった』

『私に無理難題吹っかけるの、やめてもらえませんかね』

『隠居決め込むのはえーんだよ。まだまだ働いてもらうぜ』

 

 あとこの年上を敬わない態度、人使いが荒いのも嫌いである。

 

『鳳翔さんは元気か』

『ええ。ご飯美味しいです』

『自慢か』

『当たり前でしょう』

『……不知火は』

『戦艦どつき回すくらいには。ここであの娘を止められるのは陽炎ぐらいでしょうね』

『ふ、は!アイツ昔から態度だけは戦艦並みだったからなぁ』

 

 ゲラゲラと電話の向こうで楽しそうに笑っている彼に、眉間のシワが思わず寄る。

 

『……不知火、たまにものすごいあなたの悪口をこぼします』

『だろうなぁ』

『そのときだけ、めちゃくちゃ仲良く何時間でも話せます』

『は!上等、上等ぉ』

 

 嫌いなのだ、なにもかも。

 

『こっちは安全な陸地でのうのうと死んでこいって言う身だ。そんだけ嫌われりゃ提督冥利に尽きるぜ』

 

 クソ野郎ぶっているこの態度も、その考え方も。

 

『まぁ昔から艦娘と馴れあってるお前にゃ一生わかんねぇだろうがな』

『そうですね』

『そんなんだからそんな体になる』

『後悔はないですね。一切』

『理解できないね』

『お互い様でしょう』

 

 生き様が、どうにも合わない。水と油。それでも。

 

『……頼んだぞ』

『言われなくとも』

『一億総特攻の再来なぞ、アホらしくてしゃーねぇ』

 

 どうにもこうにも、切れぬ腐れ縁というものが。

 

『同感です』

 

 ここにも、あった。

 

 

「おやっさん、というのは」

 

 工廠はちょっと離れたところにあるのよね、と言いながら、宿舎から離れて森の中を先導する陽炎さんに声をかける。

 

「そんなにすごい方なのですか?」

「うーん、私も実際どうなのかよくわからないけど」

 

 この辺ちょっと草伸びてきたなー、とガサガサと草をかき分けながら陽炎さんが答える。

 

「おやっさんが調整してくれると、すっごい馴染むのよね」

「馴染む」

「うん。これは使ってみればわかるよ、他のとは全然違うから」

 

 よいしょ、と自身の背丈よりも高い草木を踏み固めながら陽炎さんがずんずんと進んでいく。まるで獣道を歩いているかのような気分になってくる。

 

「あ、あとはー、確か」

「はい」

「えーと。世界で初めて人語を発した深海棲艦、通称泊地棲鬼が観測されたとき。あのときの戦いはもう歴史の教科書に載ってるくらい有名じゃない?」

「ええ」

 

 泊地棲鬼。彼女が登場する以前は、深海棲艦達はただ闇雲に襲ってくるだけで、艦娘の台頭により人類は徐々にその勢力圏を取り返していた。ところが、彼女は歴史上初めて深海棲艦達を統率し、その圧倒的暴力と知略により瞬く間にその勢力図を塗り替えたのだ。彼女の登場はもう十数年前になるが、間違いなく人類史に残る悪夢であろう。

 

「あのとき、泊地棲鬼を倒すために開発された艤装のほとんどは、おやっさんが作ったんだとか」

「……それは」

「本当かはわからないんだけど。そういう噂があんのよ。ほら、あのケッコン指輪」

 

 そう言って親指と人差し指で丸を作って、そこから目を覗かせて言葉を続ける。

 

「あれは専ら、おやっさんが作ったって話」

 

 ケッコンカッコカリシステム。熟達した艦娘の性能を更に高めるための指輪。艦娘の数が揃ってきている現在ではどちらかと言うと提督から艦娘への求婚の意味合いが強く取られがちだが、当時、なにもかもが足りない状態から苦し紛れにひねり出したそのシステムは、戦線の膠着状態を打破する画期的なシステムだったと聞いている。

 

「それが本当ならなんで今こんなとこいるのよ、って感じよね」

 

 思っていてもあえて言わなかったことを先に言われてしまった。

 

「まー変わり者なのは確かね。気をつけてね」

「はい。……はい?」

 

 

「……」

「ほっせぇ腕しやがって。肉食え、肉」

「……」

「駆逐艦のガキんちょ見習え。あいつらああ見えてかなり食うぞ。お前は戦艦なんだからよ、もっと体作んねぇといざというとき役に立たねぇぞ」

「……陽炎さん」

「なに?」

「セクハラで訴えても?」

 

 目が合ったと思ったらいつの間にか腕をむんずと掴まれ確認され。そして今度はふくらはぎのあたりをがっしりと。

 全くもっていやらしい意図を感じないとは言えこう見えて私はうら若き乙女である。控えめに言って怒髪天寸前。

 

「訴えても多分どうにもなんないかなぁ」

「おい、お前五百グラム体重落ちてるぞ。適正体重から落ちるといざってときにだな」

「正直気持ち悪いけどさー、腕は確かだから」

 

 いつの間にか陽炎さんのチェックに移行している初老の男性、おそらくこの人がおやっさんだろう、を意にも介さずにあっけらかんと陽炎さんが答える。

 ……この泊地で一番まともな人に見えたけど、この人が一番大物なのでは?

 

「……あの」

「あん?なんだ」

「金剛さんは、何をしていらっしゃるのでしょうか」

「シィー!今不知火から隠れてるんデース!っていうか誰デスか?」

 

 そして、おやっさんのその後ろ。隅っこでちょこんと座り込み、大量の妖精さんに囲まれているここの泊地の秘書艦、金剛さんを見つけ、思わず声をかけてしまった。そういえば自己紹介はまだだった。

 

「本日こちらに着任いたしました、大和型一番艦、戦艦大和です」

「ワーォ!ユーが噂の!」

 

 ぱっと表情が明るくなったと思ったら、ぴょんぴょん、と足取り軽くこちらに金剛さんが近づいてきた。

 

「久々の戦艦仲間デース、よろしくネ!」

「はい、よろしくお願いします」

 

 握手を求められ、それに応じる。その間にもわらわらと妖精さんは金剛さんに集まり、肩によじ登ったり頭でくつろいだりとやりたい放題だ。

 

「相変わらず妖精さんに人気ですねぇ」

「一緒に戦場を駆け抜ける友、ですからネー。コミュニケーションは大事ネ」

 

 ちょんちょん、と金剛さんの肩にいる妖精さんの頭をつつきながら陽炎さんがそう言うと、金剛さんは腕を組んでふふん、と得意気に答えた。

妖精さん、とは艤装の開発、深海棲艦との戦いなど、あらゆる場面で艦娘達を助ける一種の神仏のような存在、ということで定義づけられている。その外見はおとぎ話のコロボックルのようで、実に愛らしい。直接会話を交わすことはできないが、お互いの理解が深まればそれこそ戦闘においても力強い味方となるので、妖精さんとのコミュニケーションは艦娘の必須事項となっている。

 

「鳳翔さんも凄い好かれるんですよね」

「そうなんですか?」

 

 納得いかない、という表情でそう続けた陽炎さんに相槌をうつ。

 

「鳳翔は空母の母ですからネー、戦闘機乗りの妖精さんに好かれるのは当たり前デース」

「鳳翔さんはわかるんですけどねー」

「ヘイ、どういう意味デスか」

「金剛さんはねぇ」

「このスーパーカリスマプリティ金剛を前に何を言ってるんデース」

 

 びっと親指で自身を指しながら金剛さんが陽炎さんに抗議をするものの、陽炎さんは聞いているのかいないのか、自身の肩によじ登ってきた妖精さんに構い出した。

 呉では上下関係が厳しく、駆逐艦は戦艦に対して尊敬と畏怖の念を込めて接している姿が日常であったため、ここのフランクな、というより主に今まで出会った駆逐艦二人の金剛さんに対するぞんざいな態度に私は戸惑いを隠せずにいた。

 

「……あ」

「ん?なんデスか?」

「あ、いえ、その」

 

 ふと金剛さんの左手に光るそれを見つけて思わず声がこぼれる。気づいたものの、掘り下げていい話題なのかどうかと逡巡していたら、先に気づいた金剛さんがそれを見せびらかしつつ、鼻高々に話し始めた。

 

「フフーン、気づいちゃった?まいっちゃうネー。そう!これがあの有名な」

「ケッコン指輪じゃねーぞ、それ」

「Wait」

 

 ペラペラと喋り続ける金剛さんにおやっさんがぬっと割って入った。その片手には木製の救急箱を抱えている。

 

「ヘーイ人の話に水を差すのはヤボって」

「ん。あいつんとこ持ってけ」

「Thank you!……って人の話聞いてくだサーイ!!」

 

 文句を言いながらちゃっかりと救急箱は受け取る金剛さん。……戦艦で、そして秘書艦。今までなんとなく培われてきたそれらに対する高尚なイメージが、ガラガラと崩れ去っていく。

 

「違うんですか?ここに来たときからつけてたから、てっきりそうなんだと思ってました」

 

 おやっさんの言葉を受けて陽炎さんが言葉を続けた。

 

「ちげぇぞ。似て非なるモンだ」

「フ、フフン。これがケッコン指輪かどうかなんて些末なことデース!」

 

 金剛さんがヤケクソ気味に開き直った。なんだろう、愛嬌があってどこか憎めないと言えなくもない。これも一種のカリスマだろうか。なるほど、だとすると彼女が秘書艦というのも頷け……うん、頷けます。うん、そういうことにしておきましょう。

 

「テイトクがテイトクでいる限り!ワッターシはテイトクの秘書艦、正妻 forever ネー!」

「ほう」

 

 私の背後から、低く鋭い声が届く。その瞬間、金剛さんがビシッと固まった。

 

「いい心がけですね。……では、良き妻となるため、花嫁修業(しょるいぎょうむ)に励んで頂きましょうか」

 

 カツーン、カツーンと硬質な足音が工廠内に響き渡る。ひやりとした空気が漂っているのは、主に後ろから発せられている殺気のせいだろう。振り返って直視する勇気は私にはなかった。

 

「へ、ヘーイ……なんか、ルビがおかしいデース」

 

 ジャキ、とこの場でしてはいけない音が鳴り響く。私の見間違いでなければ、いつの間にか私の前に出ていた不知火さんが12.7 cm連装砲を金剛さんに突きつけているように見える。まさか実弾は入っておるまい、と、思いたいところではあるが。

 

「……エート」

(しごと)か、死か」

「……」

「選べ」

 

 駆逐艦は、恐れず、引かず。薄い装甲だからと怯むことなく敵の懐に潜り込み、自分よりも強大な敵を倒さんとする。その艦種の性質からして血の気が多い娘がほとんどだという。一度喧嘩が始まれば互いにぶっ倒れるまで殴り合いが続くという話を聞いたことがあるが、実際にこの目でそれを見たことがなかった私は噂に尾ひれがついたのだろうな、くらいにしか考えていなかったのだけれども。

 

「……」

「……」

「……働きたいデース」

「よろしい」

 

 あの噂は本当だったのかもしれない。さもありなん。今後、不知火さんを怒らせないよう気をつけよう、と、そっと心の中で誓ったのだった。

 

 

「悪い人じゃないんだけど」

 

 不知火さんに引きずられるように連行されていく金剛さんを、陽炎さんが手を振りながら見送っている。慣れたものだ、もはやあのやりとりは日常茶飯事なのかもしれない。

 

「あれでいて必要最低限はこなしてるし。むしろその見極めが出来るんだからやればできるはず、って不知火が言ってた」

 

 それはそれで腹立たしいってよく言ってるけど……と苦笑いを浮かべている。

 

「戦闘とかね、すごい頼もしいの。まぁ滅多にないんだけどね」

「そうなんですか」

「うん、提督と組むと凄いよ。提督、ああ見えて砲撃の名手でさ。金剛さんとの視界共有と妖精さんからの情報でバシバシ当ててくの」

 

 人は見かけによらないよね、と言いながらぱんぱん、とスカートの埃を払って陽炎さんがおやっさんに声をかけた。

 

「もう行くねー」

「おう。おい、そこの大和」

「はい?」

 

 後にならって会釈をして工廠を出ようとしたところで、おやっさんが無精髭を撫でながら声をかけてきた。

 

「そうさなぁ……二週間程度くれ。艤装の調整をある程度済ませるから具合を見てもらいたい」

「あの、私の艦魄は」

「マニュアルモードでの操作でいい。データが欲しくてな」

「それなら」

「頼むわ」

 

 ひらりと右手を振り、おやっさんは奥の方からおやっさーん、これどこに置けばいいですかぁー、と声を張りあげている年若い男の子に指示を出し始めた。もう一度その後ろ姿に礼をして、足早に陽炎さんの後を追った。

 

「なんだって?」

「艤装の試運転に付き合ってくれないか、と」

「あー、なるほどね」

 

 さっき来た道とは別の方向に陽炎さんが進んでいく。こっちの道は先程のものに比べて幾分か整備されているようだった。

 

「今度はどこへ?」

「まだ会ってない人を紹介しようと思って。天龍さんは今遠征中だからいないんだけれど」

 

 今は多分候補生の指導をしてると思うから、そこに行こっかなって、と続け、頭の後ろで手を組みながらのんびりと歩いていく。

 

「結構広いんですね」

「そうねぇ。まぁ候補生の受け入れを始めてから徐々に設備を拡張してきたしね。土地だけはあるし」

 

 鬱蒼と茂った森をしばらく歩いていくと、急に視界が開けた。どうやらちょっとした沿岸部の崖上に出たらしい。強い日差しに思わず目を細めて右手で視界を遮る。

 

「あ、やってるやってる」

 

 声に導かれて、陽炎さんの見ている方へと視線を移す。遠目に、ゆっくりと何機か艦載機が旋回しているのが見えた。

 

「─?」

 

 そして、それを見て。妙な既視感を覚えた。艦載機の発着艦訓練なら、呉でも何度か遠目で見かけることはあった。だけれども、そういったものに対する既視感ではなく、もっと懐かしい、そう、言わば一種の郷愁のような。

 

「相変わらず、綺麗だなぁ」

「……あれは?」

「鳳翔さんの艦載機だよ。他のどの人よりもゆっくり丁寧に飛ばすからすぐわかる」

 

 つい、と向けられた指先を追う。そこには、海面をゆっくりと航行している人達がいた。流れるように着艦を済ませ、後方にいた年若い少女達に話しかけている、その人が、恐らく。

 

「おおーい!鳳翔さーん!!」

 

 隣で陽炎さんが大声をあげる。それに気づいたのか、件の女性はこちらを見上げ。

 

「─」

 

 視線が、合ったような気がした。後ろで一つにまとめた美しい黒髪をなびかせながら海上に佇み。見間違えでなければ、その人は私を見た瞬間、微かに目を見開いたように見えた。

 

「行こっ。こっから降りられるから」

 

 そう言って足早にかけてゆく陽炎さんの背中を見送って。もう一度、鳳翔さんの方を見る。すでに彼女はこちらの方を見ていなかった。

 

「大和さーん?」

「あ、はい。今行きます」

 

 疲れているのだろう。なんたってここに着いてから休みなしで歩き回っている。きっとそうだ、あの妙な既視感も。あの、懐かしさもきっと呉鎮守府での航空訓練と重なって、ホームシックにでもなったのだ。そう思い直して、こちらを待っている陽炎さんの元へと急いだのだった。

 

 

 戦艦だ。すごいね、金剛さんより大きい。強そうだね。後ろにいた候補生二人のさざめき声がこちらに届き、少々居心地が悪い。名乗るのは苦手なのだ、こうやって羨望の眼差しで見られて。後々に、その実態を知られてそれが失望へと変わっていく様を見るのは、あまりいいものではなかったから。

 

「こーら、あんた達!みっともないでしょ!」

 

 すかさず陽炎さんがたしなめると、怒られた二人は、子供のように首を竦めてごめんなさい、と声を揃えて謝った。

 

「いえ、気にしてませんから」

「ダメダメ、ここは上下関係ゆるいけど、ここから出て行った時に苦労するのはこの子達なんだから。呉に配属されてみなさい、周りはみーんな不知火みたいなやつよ、同じこと出来るのあんた達」

 

 それを聞いて二人は顔を真っ青にしてブンブンと横に振る。なるほど、候補生にも彼女は恐れられているらしい。ちなみに呉出身の私からはそんなことはないと言いたいがここは黙っているのが吉であろう。

 

「なにも媚びへつらえってんじゃないのよ。時と場合にあった態度を取ること。信頼関係は大事よ、今後命を預ける大切な仲間になるんだから。初対面でそれは失礼でしょ」

「「はい、すみませんでした」」

「はい、じゃあかしこまった時間は終わり」

 

 ちょっと驚いた。わりかし気さくに接してくる陽炎さんだが、候補生に対して指導をするその姿は様になっている。面倒見がいいようだし、こういった人が嚮導艦(きょうどうかん)に向いているのかもしれない。

 

「もう立派な嚮導艦ね」

「う、やめてください。私実戦経験乏しいですし。鳳翔さんにそういう風に言われると恐れ多いです」

「あら。かしこまった時間はもう終わりなんじゃなかったかしら」

「もーぅ、ほーしょーさーん!!」

 

 くすくす、と候補生の隣に立っていた女性がたおやかに笑う。

 目の前に立って見ると、思ったよりもその人は小柄だった。私と比べれば二回り、候補生達と比べても一回りは小さい。体格に個人差はあれど、まるで駆逐艦のような背丈だ。しかしながら滲み出る風格が全く異なる。この人、が。

 

「航空母艦、鳳翔です。はじめまして、大和さん」

「は、はい!はじめまして!」

「ふふ、あまり固くならないで。今はくだけた時間ですから」

 

 始まりの四隻にして全ての空母の母。世界初の空母でありながら終戦まで生き延びた過去を持つ艦艇の艦娘が、彼女なのである。そうは言われても緊張してしまうのは仕方がないことだった。

 

「はい、はい!航空母艦の蒼龍です!」

「あ、同じく飛龍です!」

 

 そしてその横でぴょこんと手を上げながら候補生の二人が名乗りをあげる。

 

「あれ、あんた達名乗っていいの?」

「技能試験通りました!二人共正式な艦娘になりました!」

「次の配属まで今後ともご指導ご鞭撻よろしくお願いします!」

「それ、不知火の口癖……」

「「最初が肝心だと伺いましたので!」」

 

 息ぴったりだ、まるで双子のよう。その言葉を聞いて育て方間違えたかも、と陽炎さんが頭を抱える。

 

「素直ないい生徒ですね。嚮導の指導の賜物です」

「そうですね。金剛さんに習ったギンバイのやり方も素直に実行できるいい子達です」

「う」

「なぜそれを」

「詰めが甘いのよ。もっとうまくやらないと」

 

 ギンバイ、とは要は食料やら嗜好品を人目を盗んで手に入れる行為のことだが、そこはやるなではないのか、と思っても言わずにおいた。

 

「邪魔してすみませんでした」

「いえ。大和さん」

「は、はい!」

「これから、よろしくお願いしますね」

 

 そう言ってぺこり、とお辞儀をして。また桟橋から三人は海に出て行った。飛龍さんが発艦し、艦載機が飛び回る。続けて蒼龍さんも発艦した。

 

「どうかした?」

「あ、いえ。艦載機の動きも、やっぱり人によって違うんですね」

「そうねぇ。結構個性がでるわよね」

 

 そして最後に、鳳翔さんが発艦する。今度は敵役なのだろうか。鳳翔さんの艦載機が反転して二人の艦載機に襲いかかる。蒼龍さんと飛龍さんの艦載機は素早く飛び回って攻撃を繰り出しているのに対して、鳳翔さんの艦載機はゆっくりと、踊るかのように優雅に飛んでいる。それなのに、まるで彼女達の攻撃が届いていないようだった。気づけば一機、二機と撃墜されているのは蒼龍さん達のほうだった。

 

「─」

 

 穏やかな海。私の目の前をゆっくりと航行していく、小さな船。空ではまだ飛び方も知らぬ雛鳥達が、初めて飛ぶことの喜びと恐ろしさに触れ四苦八苦していて。それをひとつひとつ優しく導く、その船を。あの(ひと)を。私は。

 

「これで大体全部回ったかな。ごめんね、着いて早々連れ回しちゃってさ」

「─あ、え?」

「疲れちゃったでしょ?」

「あ、はい。そうかも、しれません」

「明日はとりあえずヒトマルマルマルに執務室に行ってくれればいいから。それまでゆっくり休んでね」

「わかりました、ありがとうございます」

「じゃあ部屋に案内するね」

 

 頭を振る。長旅と、気候も異なるからだろうか。時折、頭がぼんやりとする。着任早々風邪をひいてはたまらない。今日は早めに寝ることにしよう、と思いながら陽炎さんの後をついていった。

 

 

 宿舎の渡り廊下。縁側になっているところに腰掛けてぼんやりと月を見上げる。南にあるとはいっても、夜は少し冷え込む。だけれども、頬を撫でる夜風は心地よく、こうしてたまにここで物思いにふけるのが結構好きだった。

 しかし、まぁ。今日は一段と不知火の圧が強かった。どうやら蒼龍達にギンバイを唆したのがバレていたようで、もっと骨のあるギンバイはできないのですか、と冷ややかにバカにされたので次の作戦を練らなくてはならない。

 

「寝られないんですか?」

 

 うんうんと唸っていたら、声をかけられた。

 

「それ、わかってて聞いてるデショー?」

「ふふ、そうですね。もしよろしければ、晩酌に付き合っていただけませんか?」

 

 そう言って鳳翔がお盆の上に乗っているとっくりとおちょこを見せる。

 

「オフコース!でも珍しいネ?」

「ちょっと、そんな気分になったものですから」

 

 静かに鳳翔は隣に腰をかけて、おちょこにお酒をとっと、と注いでくれた。それを受け取り、くいっと一杯飲んだ。普段は基本的には紅茶を嗜むが、お酒だってもちろん好きである。

 しばらく静かに二人でお酒を楽しんでいたら、徐に鳳翔が口を開いた。

 

「ちょっと、びっくりしました」

「んー?大和のことデスかー?」

「ええ」

 

 そう言ってお酒をひとくち口へ運ぶ。

 

「そう言えば鳳翔は昔、大和のお守りをしてましたネー」

「そんな大層なものではないですけれど」

 

 軍事機密とされていた大和の存在を隠すための目隠しという名目で、建造中の大和に常に寄り添っていたのは何を隠そうこの鳳翔なのだ。

 

「昔の大和はどんなコだったんデスか?」

「そうですね……強く、優しく。綺麗な娘でした。少し人見知りをするようでしたけれど」

 

 懐かしむようにそう鳳翔が続ける。彼女の横顔から自身のおちょこに視線を戻すと、ぼんやりと月がその表面に浮かび上がり、なるほど、月見酒というものも風情があっていいものだな、と改めて思いながらそれを飲み干した。

 

「戦艦は、憧れの存在でしたから」

「ワーォ、照れちゃいマース」

「ふふ、ええ、もちろん金剛さんも」

 

 世界で初めての空母。彼女がこの世に生まれ落ちたときは、戦艦が華とされる時代だった。それこそ、航空戦が主体となる時代が来るなぞ誰も思わなかった時代。その当時、鳳翔はただ一人の空母として手探りのなか奮闘していたのだ。そして。

 

「……皮肉なものね。戦艦の衰退の引き金となった私が、おそらくあの子と一番一緒にいたのだから」

「ヘイ、それは」

「わかっています。わかっては、いるのだけれど」

 

 そう言ったきり、鳳翔は黙って視線を手元のおちょこに落としてしまった。

 戦艦大和。タイミングが悪かったのだ。あれは充分な航空支援のもと、最大の戦力を発揮するように設計された。だけれども、本格的に投入されるのが遅すぎたのだ。燃料の枯渇。不十分な航空支援。そして最後に行き着く先は一億総特攻の魁(さきがけ)。

 あの特攻はなんだったのだ。どうしてあんなことをしたのだ。航空隊が特攻をしかけているのに水上隊が出撃しないわけにはいかぬだろう。燃料がなくなり、なにもしないうちにやられるか、その前に特攻するか。それしか、なかろう。色々な思惑があっただろう。だけれどもその結果は、無残な敗退だ。

 

「逆に言えば、十分な航空支援があればあの子は活躍できたはずデース!現に今は戦艦も活躍してるネ!だから……」

「ええ、わかってはいるんです。ただ」

「ただ?」

「……先立たれるのは。それを見送るのは、いつになっても慣れないですね」

 

 それを、思い出してしまいました、と彼女は困ったように笑いながらことり、とお盆に空のおちょこを置いた。

 その姿を見て、ぬっと彼女の方へと手を伸ばす。

 

「きゃっ」

「なら今度はちゃんと帰ってくるように見守ればいいだけデース」

 

 わしゃわしゃとぞんざいに彼女の頭を撫でる。

 

「まったく鳳翔は甘え下手デース!こーゆーときは年上に甘えなきゃですヨー?」

「……」

「空母の中では最年長かもしれないけど、戦艦も含めたら年上がいっぱいいるんだから、ネ。この金剛オネーサンにドーン!と甘えちゃってくだサーイ!」

 

 わしゃわしゃとなで続けていると。ちょっと恥ずかしかったのか、はたまた酔いが回ってきたのか、ほんのりと頬を赤らめながら。

 

「甘えている、つもりだったんですけれど」

「ノーゥ!慎ましやかすぎマース!もう、お酌するから今日は飲むネー!」

 

 そんなことを言うものだから、この甘え下手な友に今日はとことん付き合ってやろうと心に決めたのだった。

 

 



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‐参‐

 

『─空母さえ、いなければ』

 

 夢を見ている。夢を夢とわかるのは、確か明晰夢と言っただろうか。何もかもが朧気な中、凛と響くその声だけがはっきりとしていた。

 

『ああ、この主砲を存分に撃ち合いたかったな』

 

 誰に話しかけるでもなく。一人ぼやくかのように紡がれる言葉の数々。そのほとんどがすり抜けていく中。悔恨に滲んだ言葉だけがよく耳に残った。

その声を、私は聞いたこともないのに。なぜか、妙に馴染み深く感じた。

 

『─なぁ。そうは思わないか』

 

 不意に。言葉がこちらに向けられる。何に対しての肯定を求められているのだろう。そも。

 

『─姉さん』

 

 私に、妹は、いないのに。

 

 

「じゃあ対話、いってみましょう」

 

 執務室に着くやいなや、ちょっとそこらに飲みに行きましょう、くらいの気軽さで提督が提案してきた。

 

「あの、私やったことな」

「だぁーいじょうぶです。ちょっとチクっとするだけで後はなるようになります、ね?」

 

 余計に不安が募る。

 

「まぁ冗談は置いといて。大丈夫です、ここでは候補生達も皆やってることですから」

「はぁ」

「対話訓練を重ねれば過同調防止にも役立ちます。危なくなったら私が止めますので」

 

 過同調とは、その名の通り艦艇の神々と同調しすぎてしまう現象である。一般的に同調率は五十から六十パーセント程度がいいとされ、それ以上同調を強めていくと艦艇の神々の感情が自分自身に流れ込んできて、自身が何者であるか混乱をきたし、下手をすると廃人になる可能性すらあるとされている。

 艦娘は前線に出ずっぱりになればなるほどストレスが高まり、この過同調になりやすいと言われている。練度が高いからといって酷使すればするほど、その艦娘は短命となるのだ。

 

「ものは試しです、工廠に行きましょう。おやっさんが待っていますよ」

「……わかりました」

 

『これは、同調訓練でどうにかなるものではありませんね』

 

 提督のあの言葉には、妙な確信が込められていた。ならば、きっとここに何かしらのヒントがあるのだろう。虎穴に入らずんば虎子を得ず。よし、と気合いを入れて敬礼をする。

 

「よろしくお願いします」

「うーん、真面目ですねぇ。いいことです」

 

 どっこいしょ、と言いながら立ち上がり。扉の前でにこやかに手招きをする提督に連れられ、工廠へと向かった。

 

 

「どうでぃ、ハイカラだろう?」

「はぁ」

 

 ヘッドギアを得意気に渡され、思わず気の抜けた返事が出る。

 

「なんだ、反応薄いな」

「VR 装置ですか」

「なに?びーあーる?」

「VR です、バーチャル・リアリティ」

「よくわかんねぇがそんな玩具とこれを一緒にすんじゃねぇよ」

 

 ふん、と一笑に付しておやっさんが言い切る。呉で最近訓練にも取り込まれた最新技術なのだけれど、それを言うと話がややこしくなりそうなので黙ってそれを見る。

 

「頭にそれをつけて、そこに寝てください。なに、難しいことはありません。夢を見るようなものです」

 

 指を差された先には、なにやらものものしい皮張りの椅子があった。例えていうなら、そう、歯の治療で使われている、あの椅子に近い。

 

「夢、ですか」

「ええ。対話の形は人それぞれですねぇ。艦艇の記憶を追想したり、一緒に追いかけっこをしたり。様々です」

「は、はぁ」

「習うより慣れろです。ささ」

「え、ちょっと、まだ心の準備が」

「ごーごー」

 

 ぐいぐいと背中を押され、ソファに押し込められる。文句の一つでも言おうかとしたところで、がぽっとヘッドギアを被せられ。

 

「良い船旅を〜」

 

 なんだその緊張感のない言葉は、と思ったところで。バチっと衝撃が頭に走り、意識を失うのだった。

 

 

 ─ぴちょん。

 

 頬を叩く水の冷たさに目を覚ます。体を起こすと、節々が痛んだ。と、同時にこれは現実ではないなということを理解する。

 なるほど、言われてみればこれは夢だと自覚した夢のようなものなのかもしれない。最も、こんなに意識がはっきりとした夢は初めてだけれど。

 暗闇に目が慣れると、どうやらここは洞窟の内部らしいということがわかった。恐る恐る立ち上がると、この身は一般の人よりかは大きいけれど、頭をぶつけることもない。よくできているな、と思いながらとりあえず前に進む。

 しばらく歩いていると、行き止まりのようなところへと出た。この道は間違っていたのだろうかとちょっと困っていると、ある部分から微かな光が漏れているのに気づく。近づいてよく見れば、どうやらそこは大きな岩で入り口を塞がれているようで、動かせれば先へと進めそうだった。ものの試しにえいやっと岩を動かそうとしても、ビクともしない。さて、どうしたものかと考えていると。

 

「─どちら様でしょうか」

 

 閉ざされた扉の先から。柔らかな女性の声が響いた。それを聞いて、ピンと来る。

 

「あの、私─」

 

 尋ねられたので名乗りをあげ。続けざまに話しかける。

 

「大和様で、いらっしゃいますか」

「……」

「お力を借りたく、参上いたしました」

 

 答えを待って暫く黙る。すると、静かに彼女が問いかけてきた。

 

「なぜ、力がいるのでしょう」

「戦うためです」

「なぜ、戦うのでしょう」

「それは」

 

 一瞬言葉に詰まる。けれどもここで黙っていては始まらないと、必死に言葉を紡いだ。

 

「人々のためです」

「……」

「みんなが、大和様を待っています。この国の人々を、救うために」

「─無理ですね」

 

 言い終わらないうちに。バッサリと彼女は私の言葉を切り捨てた。

 

「─は」

「あなたは、戦えないわ」

「何を」

「お引き取り下さい」

「ちょっと、待ってください!なぜですか、理由を」

「だって」

 

 岩一枚隔てて。その向こうで彼女が笑ったような気がした。

 

「だって、あなたは大和(わたし)だもの」

 

 

「─っ!!!」

 

 バツン!と頭に衝撃が走って思わずヘッドギアを脱ぎ捨てる。は、は、と息は上がり、ただこの座椅子に座っていただけだと言うのに全身にじっとりと汗をかいていて気持ちが悪い。目眩がして思わず片手で目を覆う。

 

「大丈夫ですか」

 

 静かに声をかけられ、そちらに顔を向ける。こんな動作ですら、ひどく億劫に感じた。

 

「私が、誰かわかりますか」

「……てい、とく」

「ここがどこだかわかりますか」

「ここは。こう、しょうで。私、は」

「大丈夫、大丈夫です。ゆっくり息を吸って」

 

 言われた通りに深呼吸を繰り返す。だんだんとバラバラになっていた意識がまとまり、私が私であることを、思い出してゆく。

 

「─っ」

「頭が痛みますか」

「いえ、大丈夫、です」

 

 気持ち悪い。だけれども、この気持ち悪さでさえ、今私が生きている証なのだという妙な安心感すらあった。

 

「……すみません。まさか、こんなことになるとは」

「私は。どう、なったのでしょうか」

 

 苦しく息をつきながらそう提督に尋ねると、提督は申し訳なさそうな顔をして言葉を続けた。

 

「端的に言えば。大和に拒絶されました」

「……」

「へそを曲げているな、とは感じていたんですけれど。まさか追い出しにかかるとは思っていませんでした、私の判断ミスです」

 

 もう艦魄には繋がねぇからちっと辛抱な、とおやっさんがヘッドギアをもう一度私に被せ、何やら確認していく。

 

「脳波異常なし。後遺症もなさそうだな」

「そうですか、よかった」

 

 おやっさんが再度ヘッドギアを外すと、提督は心底安心したように息をついた。

 

「なにが、見えましたか」

「洞窟と。その先に、扉をかたく閉ざしてこもっている、大和様と」

「……」

「あなたは、戦えない。あなたは、私だからと。言われました」

 

 それを聞いて提督とおやっさんが顔を見合わせた。

 

「そうですか」

「……」

「とりあえず、今日は体を休めて下さい。次をやるにしても何か対策を考えなければ。こんなことを続けていたらあなたが先に参ってしまう」

「は、い」

「お風呂はもう使いましたか。うちのお風呂、ちょっと自慢なんです。ひとっ風呂浴びて、そしたら食堂でご飯でも食べて下さい。今日はカレーですよ、カレー。私の大好物なんです。ね、だから」

 

 ぽん、と提督が優しく私の肩に手をかけ。

 

「憔悴しているときに考え事は、禁物です。だから、今はゆっくりと休んでください」

 

 そう言って、安心させるように笑いかけてくれた。

 

 

 汗を綺麗さっぱりと洗い流し、お風呂にゆっくりと浸かっていたら幾分か気分がマシになってきた。

 それでも、やはり考えてしまうのはあの言葉。

 

『─あなたは、戦えないわ』

 

 私の心を見透かし、嘲笑うかのように告げられた、あの言葉。私は、大和だ。超弩級戦艦、人々の期待を一身に背負い、そして、その期待に見合う戦果をあげなければならない、あの、大和なのだ。戦わなければならない、そうしなければならないのに。結局ここにいるのはまともに前線に立つことも出来ぬ大和とは名ばかりの役立たず。

 

「……はぁ」

 

 思わず重いため息がこぼれる。提督も言っていたように、艦艇の神に拒絶されるなんて前代未聞だったのだろう。本当に私には大和適性があるのかしら、とついつい弱気になっていると、どこからともなくいい匂いが漂ってきた。

 

『今日はカレーですよ、カレー』

 

 ぐぅ。ああ、こんなに落ち込んでいるというのに私のお腹はいつもと変わらず元気なんですね……。なんだか段々情けなくなってきた。それでも食べなければなるまい、食べなければ明日から頑張れないもの。

 カラカラ、と引き戸を引いて厨房の方を伺う。

 

「あら。いらっしゃい」

 

 入り口付近でまごまごしている私を見つけると、鳳翔さんが穏やかに笑いかけてくれた。なんとなく、ホッとする笑顔だ。

 

「いっぱいあるから、どんどん食べてくださいね」

「あ、ありがとうございます」

 

 プラスチックのトレーをとって、そこに鳳翔さんがよそってくれたカレーを置く。お野菜がごろっと大きくて、美味しそうだ。

 

「お腹が空いてると、つい、くよくよしちゃいますから」

「え?」

「おかわりも気軽に声をかけてくださいね」

 

 スプーンを取ろうとしたところで、にこりとまた笑いかけられた。

 ……この人は、どこまでわかっているのだろう。少し気恥ずかしくなりながら、ありがとうございます、と小声で答えて席を探す。

 

「今日はカレーかぁ。美味しそう!」

「ええ、いい匂いです」

 

 どこに座ろうかと辺りを見回すと、向かい合って座っている陽炎さんと不知火さんを見つけた。近くに座ってもいいものか悩んでいると、陽炎さんがこちらに気づいて手招きをする。

 

「やっほ、大和さん。良ければ一緒に食べない?」

「あ……ありがとう、ございます」

 

 おずおずと陽炎さんの隣に座ると、ちょうど訓練を終えたのか蒼龍さんと飛龍さんも私達もいいですかー?と近くに寄ってきた。なんだか大所帯だ。こんな大人数でご飯を食べることが最近はほとんどなかったので、少々落ち着かない。

 

「ていうか、今更だけど馴れ馴れしかったかな。呉は上下関係が厳しいって聞いたんだけど」

「いえ。ちょっと戸惑いますけど、私はこちらのほうが好きです」

「そう?よかったー。何か気になることがあったら気軽に言ってね」

 

 そう言って頂きます、と陽炎さんがカレーを食べ始める。そしてそれに倣って不知火さんも手袋を外して静かにカレーを食べ始めた。

 何気なくその所作を見ていたら、たまたま彼女の左手にある大きな傷が目に入り、息を飲む。大きな音を立てたわけではなかったが、私の様子に気づいた不知火さんが、ああ、と声をかけてきた。

 

「気になりますか」

「あ、すみません……」

「構いません」

 

 もぐもぐと無表情でカレーを咀嚼しながらこちらを見つめる彼女に対してなんとなく気まずく思っていたら、コップの水を一口飲んだ後に不知火さんが徐に口を開いた。

 

「これは、味方に撃たれたときの傷です」

 

 淡々と、何でもないことのように彼女がそう言った瞬間。私と、地味に隣で耳をそばだてていた蒼龍さん達が固まる。味方に撃たれた。それは、誤射というものなのか、それとも怨恨、あるいは痴情のもつれ。ぐるぐると思考を巡らせていると、私をじっと見つめていた不知火さんが冗談です、とぼそりと呟いてまたカレーを口へ運んだ。それと同時にぱこん、と陽炎さんが不知火さんの頭を叩く。

 

「痛いです、陽炎」

「冗談はもっとわかりやすく言わないと伝わらないわよ」

「そうですか。難しいですね」

 

 そう言いながらも、表情を変えずにもぐもぐと不知火さんはカレーを食べ続けている。冗談、だったのか。てっきり本当のことかと思ってしまった。安心して、ほう、と胸をなで下ろした。

 

「ごめんねー、この子無愛想でわかりにくいけど、いいやつだから」

「別に、無愛想ではないでしょう」

「え、本気で言ってる?じゃあちょっと可愛くお姉ちゃん、って私に言ってみてよ」

「バカなんですか?」

「そういうとこだよ!!不知火のバカ!!!」

「食事中くらい静かにできないんですか」

「むきー!!!」

 

 髪の毛を掻きむしって奇声を発する陽炎さんを、不知火さんは冷めた目で見ていた。

 

「仲、いいですよねー」

 

 そんな姿を見て、不知火さんの隣に座った蒼龍さんがのんびりと声をかけた。

 

「そう?まーね、なんたって姉妹艦ですから!私はネームシップでお姉ちゃんですから!」

「成績は不知火のがいいですけどね」

 

 さらりと続けた不知火さんに、陽炎さんがすっと腕を伸ばす。

 

「余計なこと言うのはこの口かしら?」

 

 むに、と左手で陽炎さんが不知火さんの頬をつねると、さすがに今まで一切表情を変えなかった不知火さんもしかめっ面になった。

 

「不知火に、落ち度でも?」

「落ち度しかなくない?」

「事実です」

「あんたのそーゆーとこ、可愛くない」

「そうですか。陽炎はいつだって可愛いですけど」

「……」

「おちょくりがいがあって」

「こんにゃろう」

 

 もう片方の頬をつねろうと陽炎さんが反対側の手を伸ばすと、すかさずその腕を不知火さんが素早く掴んで静かな攻防が始まる。その様がおかしくて、思わずぷ、と吹き出してしまった。

 

「あ、笑った」

「え?」

「んー、ここに来てからずっと緊張してるみたいだったからさ。よかった。ほら、不知火お手柄よ」

「そうですか、じゃあこれどけてください」

「それはイヤ」

 

 そしてまた攻防を再開する二人を眺めながら、むぎゅ、と両手で自身の頬をおさえた。実は少し人見知りなところがあるのだけれど。なるべく悟られないように振る舞っていたつもりなのに、よく見てるなぁ。

 

「ここはオンとオフの落差が激しいから、最初は戸惑いますよねー」

 

 いつの間にかおかわりを片手に戻ってきた飛龍さんが声をかけてくる。

 

「普段はこんな感じで友達みたいに接してくれるんですけど。訓練中は鬼ですよ、鬼」

「私、毎回スコール来るなって祈ってる」

「喜々として突っ込んでいくよね、陽炎さん」

「あと模擬戦」

「わかる。不知火さんのあの視線だけで殺されそう」

 

 隣に本人達がいるというのに二人は言いたい放題である。

 

「聞こえてるわよ」

「あのくらいで怯んでいたら実戦で死にますよ」

「まだまだ元気みたいだから午後の訓練もっと厳しくしよっか」

「はいはーい!そうやって毎回何かしら理由をつけて厳しくするの、パワハラだと思います」

「愛ゆえよ」

「もっと優しく抱きしめるような愛がいいです。鳳翔さんみたいな」

「あんた達鳳翔さんに甘えっぱなしじゃない。これくらいでちょうどいいわ」

 

 いいな。わいわいと仲良さげに喋っている様を見て、素直にそう思った。

 呉にいる艦娘達も、皆いい人達だったけれど。やはり、あの大和ということもあってどこか壁を感じていた。だから、純粋にこういった関係は羨ましく感じる。

 

「もー、大和さんも言ってくださいよ!」

「え?」

「私達は褒めて伸びる子です!ね、大和さん」

「え、ええと?」

「時に大和さん、ギンバイに興味はありませんか?」

「ちょっと、あんた達!どさくさに紛れて抱き込もうとするんじゃないわよ!」

「次は完璧に目を盗んでみせますから!」

「だからって目の前で相談すんな!」

 

 わいわい、がやがや。喧騒にいつの間にか巻き込まれ、目を白黒させる。ああ、なんだろう。

 

「……美味しい」

「でっしょー、鳳翔さんのご飯は世界一美味しいんだから」

 

 そう言ってにかっと笑いかける陽炎さん。

 

「栄養バランスもしっかり考えられていますし、メニューも豊富ですから。明日も楽しみにしているといいですよ」

 

 そう言って、いつもより表情穏やかに話しかけてくる不知火さん。

 

「あー、私ずっとここがいい。もう鳳翔さんのご飯以外食べられない〜!」

「空母はいつだって人手不足だからまぁ無理ね」

「無慈悲!もっと優しくしてください!」

「あんた達は空母期待の星よ!前線でバリバリちゃっちゃか働いてきなさい」

「そうじゃない!!」

 

 その喧騒に身を任せ、もう一口カレーを口へと運ぶ。

 その日、食べたカレーは。今まで食べた何よりも。美味しいと、感じた。

 

 

「ふむ」

 

 先日金剛から受け取った包帯をしっかりと右腕に巻いていく。最初のうちは一人で巻くのにも悪戦苦闘したものだけれど、慣れたものだなぁ。最後に包帯の上から右手にはめられている指輪の存在を確認し、先ほどまで巻いていた包帯を木箱に入れ、丹念に呪符を張っていく。後でおやっさんのところに持っていかないと。全ての行程を終え、左手でコーヒーカップを掴み啜っていると執務室の扉が勢いよく開かれた。

 

「あー!まーたコーヒー飲んでマース!!」

「む、いいじゃないですか。コーヒー派なんですよ私は」

 

 むー、と頬を膨らませながら金剛が非難を続ける。

 

「大体そんなに砂糖と脱脂粉乳を入れたらもう原形がないじゃないデスか」

「金剛だって紅茶にドバドバ入れるじゃないですか。いいんですよ、私はただコーヒーが飲みたいんであって美味しく飲みたいわけじゃないんです。不味いコーヒーは味を誤魔化してこそです」

 

 紅茶も悪くはない。だけれども、やっぱり体が欲するのはコーヒーのカフェインなのだ。

 

「理解できないデース」

「そんなことより。ほら、紅茶淹れてくれるんでしょう」

「コーヒーのが好きなんデショ」

「金剛の淹れてくれる紅茶のが好きですよ」

「……」

「ただ、一人で飲むならコーヒーです」

 

 ずず、と残りの冷めきったコーヒーを流し込む。

 

「今日の紅茶はなんですか?」

 

 最前線にいた頃からの長い付き合いだ。これだけお茶に付き合っていたら自然と詳しくなる。それを嫌だと思ったことなどないし、むしろこの時間がない方が調子が出ない。不知火もなんとなく察してくれているのか、この時間帯のお茶だけは邪魔しないでくれていた。最も金剛は隙あらばティータイム!と休憩を挟もうとするのでここの時間帯以外は遠慮なく口を挟んでくるけれども。

 

「もー!そんなんじゃ誤魔化されないんだからネー!」

「はぁ」

 

 なんだかわからないけれどプリプリしている金剛をいなしながら、しっかりと封をした木箱を執務机の引き出しにしまい込む。

 

「……調子は、どうデスか?」

「いいんじゃないですかねぇ。最初右半身全体にあったのが今じゃ肘下まで抑えられてますから。それに悪いことばっかでもないですよ」

 

 とんとん、と自身の右頬を叩いて右眼を差し示す。一時期体半分持ってかれた弊害か、この右眼は人ならざるものをより鮮明に見られるようになっていた。色々な不都合と合わせれば差し引きは勿論マイナスではあるが、使えるものは使うだけだ。しかしあの頃は若かったとはいえ無茶をしたものだ。私がこうしてしぶとく生きていられるのも、一重におやっさんの呪具のおかげである。

 今では随分と技術が進歩し、そういった神仏的な側面はどんどん忘れ去られてしまっているようだけれども。果たして今の世代は元々提督業というものが神職扱いで、艤装技師は神具を作製する者のことを指していたという事実を知っているのだろうか。

 ぐっぱ、と右手の調子を見ていたら金剛がことり、とティーカップをソーサーごと机に置いた。

 

「あ、そうだ聞きたいことがあるんですよ」

「なんデスか?」

「大和のことなんですけど」

「アー」

 

 紅茶をしばし楽しんだところで、話題を切り出す。

 

「あれ。なんですか(・・・・・)?」

「ンー、ワタシも鳳翔もはかりかねてマース」

「と、いうと」

「確実に人間ではありマース。ただ」

 

 そこで切ると、何かを考え込みながら金剛が紅茶を口へ運ぶ。

 

「鳳翔が、最初に大和(・・)と見間違えてマース」

「じゃあ」

「でも人間デース、間違いなく。ただ、普通の艦娘とはちょっと違うような気はしますネー」

 

 なんとも要領を得ない。思わず執務机にぐだっとのびた。

 

「お行儀が悪いデース」

「悪くもなります……結局どうすればいいんですかぁ」

「しばらくは様子見ですネー」

「ぐぬぬ。あいつ、絶対わかってて押し付けたな」

 

 ギリギリと歯ぎしりをしていると、金剛が自身の頬を人差し指でトントン、と叩きながら笑いかけてきた。

 

「ヘーイ、そんなお顔じゃせっかくの紅茶が台無しデース。スマイルスマーイル、ワタシのときもどうにかなったデショー?」

 

 思えばこの笑顔に何度救われてきたことか。周りからぞんざいな扱いを受けるのも、この人なら甘えても大丈夫という気やすさがあってこそ。艦艇だった頃から変わらない、人々が歌まで作ってしまうほど愛された戦艦、それがこの(ひと)なのだ。

 

「……ほんと、体張った甲斐があるってもんです」

「デショー?」

「ええ。鳳翔さんも泣かせずに済みました」

「鳳翔だけデスか〜?」

 

 机に突っ伏したまま、左手を伸ばしてスコーンをかじる。うん、サクサクで美味しい。

 

「好きでもなけりゃ、そもそも体張らないですよ」

 

 まぁたまにはね。リップサービスくらいしてあげましょう、うん。満足そうにこちらをにこにこと見ている金剛の方をなるべく見ないようにして。また、あむっとスコーンを頬張るのであった。

 

 



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‐肆‐

 洗濯物がどっさりと入った籠をよいしょ、と抱える。呉に比べればここにいる人達は少ないとは言え、訓練生を含めれば結構な量になる。

 

「助かります、私だと何往復もしなければならなくて」

「いえ。これくらい、お安い御用です」

 

 対話はしばらく中止。艤装の調整ももう少しかかる、ということでやることが全くなくなってしまった私は、鳳翔さんのお手伝いを買って出たのだ。

 手伝い始めて思ったのだけれど、この人働きすぎじゃないだろうか。朝は誰よりも早く起きて朝食の準備。洗濯や掃除を間を縫うように行い、昼食を振る舞い、日中には蒼龍さん達の訓練。夜は遅くまで次の日の仕込みをして…一体、いつ寝ているのだろう。いつか倒れるんじゃないだろうかと本気で心配になる。

 働かなければ。ただでさえ穀潰しのような存在なのだ、せめてこの人の負担を減らしたい。気合いを入れて物干し竿がある砂浜の方へと歩いていく。

 

「……あれ?」

 

 ざっざ、と乾いた白い砂浜の上を歩いていると、遠目に桟橋に腰掛け、ぷらぷらと足を揺らしながら海を眺めている陽炎さんを見つけた。なんとなく立ち止まって見ていると、何かに気づいた彼女はぴょん、と立ち上がってめいいっぱいに両手を大きく振り出した。その先に視線を移すと、海の向こうから水飛沫をあげながら近づく人影が。

 

「しーらーぬーいー!!」

 

 ぶんぶんと両手を振り続けながら陽炎さんが声をはりあげる。不知火さんはとっくに気づいていたのか、一直線に陽炎さんのいるところへと滑り込んだ。

 

「おかえり!」

「……ただいま」

 

不知火さんが桟橋に上がった瞬間に勢いよく陽炎さんが飛びつく。結構な勢いだったと思うのだが、不知火さんはそれを涼しい顔で受け止めながら淡々とこたえている。

 

「怪我してない?」

「問題ない」

「そっかそっか」

 

 端から見ると陽炎さんが一方的に絡んでいるようだけれど、それに相槌を打つ不知火さんの横顔がいつもより柔らかく感じるのは気のせいではないように思う。何事か話しながら去っていく二人の背中を見送っていると、いつの間にか隣にいた鳳翔さんが口を開いた。

 

「ああやって、時間が合えば任務から帰って来た人を出迎えているのよ」

「そうなんですか」

「ええ。元々、ここは彼女一人だけでしたから。初めて自分が海から帰って来たときにおかえり、と言ってもらえたことが嬉しかった、って言っていたわ」

 

 そう言って、鳳翔さんはどこか遠い目で海の先を見つめていた。

 

「……海に出れば。また、帰って来られる保証はないですから」

「え?」

「だから、おかえり、って言うんですって。生きて帰って来てくれて、ありがとう、って」

 

 そう言ってこちらに笑かける鳳翔さんは、どこか、儚く。思わず言葉に詰まってしまった。

 

「さぁ、洗濯物をかたしちゃいましょうか。そろそろお昼の準備もしないと」

 

 そう言って歩き出した鳳翔さんは、端から見ればいつも通りで。結局、私は何も聞くことができず、ただ黙ってお手伝いをするしか、なかったのだった。

 

 

 ここに来てから早二週間。鳳翔さんのお手伝いにも慣れてきた頃、ようやっと大和の艤装の調整が一段落ついた、とおやっさんから報告が入った。

 

「簡単な航行と、砲撃訓練をやってもらいたい。やったことはあるか?」

「呉で、一応は」

 

 手渡された神衣を着込んで両足に主機(しゅぎ)を装着し、くるくると足首を回して様子を見る。どう見てもただの靴にしか見えないが、この主機は一度海に飛び出れば背中に背負った燃料ユニットからエネルギーを還元し、足裏に推進力を発生させるのだ。航行には欠かせない、艦娘を艦娘たらしめる大事な艤装の一部だ。

 ひょこひょこ、と妖精さんも数人乗り込んでくる。主砲の角度調整の手伝い、風向きなどの情報の伝達をしてくれる彼らは力強い味方である。今日は何回か工廠を訪れた際に懐いてくれた妖精さんに手伝ってもらうことにした。

 全ての艤装の装着を終えると、無線を手渡された。

 

「じゃあまずは指示通りに航行してもらえるか」

「わかりました」

 

 桟橋から滑るように海に出る。今日は天気も良く、波も穏やかなので特に問題もなく海上に立って指示を待った。

 

『両舷前進原速』

 

 指示通りに進み出す。ああ、なるほど。まだ調整の初期段階だというのに、私は陽炎さんの言っていたことを理解した。確かにこれは、よく馴染む。艤装は艦魄ときちんと同調できていれば手足のように動かせるようになると言われているけれど。マニュアルモードだというのにこれだけスムーズに動かせるのだから、素直に凄いと思った。

 

『Q方』

 

 後方に白い航跡(ウェーキ)を残しながら、左に四十五度舵を切る。

 

『両舷前進原速、黒十五』

 

 主機の回転数を上げて速度を調整する。その後も何度か指示を受けながら、海上を航行した。

 

『慣れたもんだな』

『そうでしょうか。基本的な航行ですし』

『……マニュアルモードだぞ』

『はぁ』

 

 そんなことを言われても、こちらはそもそもマニュアルモードでしか操作をしたことがないのでなんとも言えず、言葉を濁した。

 

『まぁいい。その先にある攻撃目標、見えるか』

『……なんですか、あれ』

『深海棲艦の模型だ。見りゃわかるだろ』

 

 案山子が海を漂っているようにしか見えませんが。

 

『じゃ、砲撃開始』

 

 あの間抜けな顔の案山子相手だとなんとも気が抜けるけれど。気を取り直して、距離と方位を測定する。キリキリキリ、と妖精さんが射角の微調整をしてくれる。不思議なもので、お互いに言葉を発さなくても次に何をどうしたいのかきちんと通じ合っているように思えた。

 

「─てぇ!!」

 

 体全体にズドン、と重い衝撃が走る。砲弾は弧を描きながら飛んでいき、そして。

 

『ああ゛?』

 

ドォオオンと鼓膜にビリビリと響く轟音と共に。大きな火の柱が立ちのぼり、模型の残骸が燻りながら木っ端微塵に四散した。

 

『……ちょっと、待ってください。これ、実弾』

『チッ、初弾命中』

『話を聞いてください!』

『実弾に決まってんだろ。訓練は実戦のように、実戦は訓練のように。常識だろ』

『せめて最初に教えてください!!』

 

 呉で使ったのはあくまで模擬弾。しかも一回きりで、それ以外はVR 装置による訓練しかしてこなかったのだ。何もかもが違う。威力が。その、殺傷力が。音で、匂いで、五感で感じる全てが、何もかも。

 

『……体、なんともねーか?』

『特に、問題はないです、けど』

 

 体は問題ない。ただ、心が。自身の砲の破壊力を目の当たりにして、怖じ気づいてしまった。

 大和はなにをどうしようとも、運用まで持って行かねばならぬ。この火力があれば。この装甲があれば。より多くの深海棲艦を屠ることが可能であろう。ずっとずっと、そう、言われ続けてきた。お前は人類の希望なのだ、期待には応えねばならぬと。だというのに、これはどうだ。この身は。これは、ただの、殺戮兵器では。

 

「─」

 

 何かが聞こえた。ハッとして辺りを見回すも、それの発生源と思われるものは見当たらない。

 

「─」

 

 今度は、よりはっきりと耳へと届く。その意味を理解するよりも先に、体が恐怖でこわばった。

 

『─おい。おい!聞こえてんのか!!』

 

 耳元から怒鳴り声が聞こえて我に返った。

 

『やっぱどっか怪我してんじゃねぇだろうな?』

『だ、大丈夫です。初めての実弾だったので、ちょっとびっくりしてしまって』

『そうか。続けられんのか』

『大丈夫です、やらせてください』

 

 クスクスと。先ほど聞こえた女性の笑い声を振り切るように。

 

『─正面砲戦!!』

 

 訓練へと、打ち込むのであった。

 

 

 訓練を一通り終えて汗をさっぱりと流した後、私はあてもなく歩いていた。

 あれは、なんだったのだろう。落ち着いてしまえば再度頭をもたげるのは先ほどの不気味な声。海風を空耳したのだろうといえばそれまでかもしれないが、どうにも嫌な感じが拭えなかった。最近夢見もあまりよくない気がするし、疲れているのだろうか。ここの方が何倍も呉より居心地がいいのに、贅沢になったものだ。今日は訓練があるならお手伝いはいいですよ、と鳳翔さんに言われたけどどうしよう、と思っていたら、向かいから陽炎さんが駆逐艦の候補生三人を連れて現れた。

 

「これから訓練ですか?」

「そうそう。金剛さんと不知火のお手本を見て貰おうと思って」

 

 私が陽炎さんに話しかけると、候補生の娘達が少し離れたところで立ち止まり、ぺこりと挨拶をしてきた。艦娘となった蒼龍さん達と比べ、こちらの候補生達はまだまだ新人なようで、緊張がその全身から滲み出ていた。

 

「あの」

「ん?なぁに?」

「良ければ、なんですが。私も見学させていただいてもいいですか?」

 

 純粋にどんな訓練をしているのかという興味半分。先ほどの嫌なことを忘れるための気晴らしになればいいな、と思ったのが半分。私の急な申し出にも関わらず、陽炎さんは快く受けてくれた。

 

「おっけー。そしたらはい、無線」

「……これは?」

「不知火達の会話を拾う用。チャンネルはもう合わせてあるから」

 

 そう言うと、じゃ、行くわよーと後ろの候補生達に声をかけ、歩き出す。その横に並んで彼女に話しかけた。

 

「今日は何の訓練なんですか?」

「回避運動と駆逐艦の浪漫、魚雷の使い方ね。まぁ陽炎型と睦月型じゃ構造違うんだけど、雰囲気を感じてもらおうかなって」

 

 なるほど、候補生達はみんな睦月型なのか。ちらりと視線を後方に向けると、長い金髪と、同じく金眼が印象的な快活そうな女の子と目が合う。慌ててその子が会釈を返す。あまり気を使わなくていいのだけど、と思いながら、むしろ呉ではこれが当たり前だったことを思い出す。随分と思考がここに染まってしまったようである。

 

「金剛さんは何の役なんですか?」

「標的よ」

 

 訓練場に着くと、金剛さんと不知火さんが既に待機していた。金剛さんを円の中心として一定の間隔で浮標が浮いているけれど、あれはなんだろう。

 

「はい、じゃー今日は回避行動の基本、之字運動(のじうんどう)と簡単に水雷戦闘を見てもらうから。知っての通り、駆逐艦の装甲は紙同然です。だから砲に当たらないっていうのが戦闘における基本になる、ここまではいいわね」

 

 陽炎さんが候補生に話しかけながら無線のチェックをする。どうやら問題ないようだ。

 

「主砲は貧弱で装甲は紙。だからといって悲観することはないわ。自慢の足とこの魚雷。これが私達最大の武器。うまくやれば戦艦だって沈められるんだから」

 

 そう言って自身の艤装にセットされている魚雷を指し示す。

 

「金剛さんの周りにある浮標、あれが魚雷の射程圏内を表してるから。見学が終わったら実際に魚雷撃ってもらうからね」

 

 じゃあお願いします、と陽炎さんがマイクに話しかける。それに呼応して、不知火さんが動き出した。

 

『ではまず之字運動。金剛さんはちゃんと当てる気で撃ってくださいね』

『ラジャー!』

 

 不知火さんが金剛さんに対して横に、右へ左へとジグザグに海上を滑っていく。之字運動を続ける不知火さんに対して金剛さんが砲撃をするが、徐々に加速し、予測不能な動きをする不知火さんには中々当たらない。外れた砲撃によって大きな水柱が乱立し、一瞬不知火さんの姿を見失った。その時。

 

「─っ!」

 

 ぞくり。背中を駆け抜ける悪寒は一瞬。たち込める水柱の一柱から水飛沫をあげて不知火さんが金剛さんめがけて一直線に速度を上げながら突っ込んでいった。

 

『え、ちょっと!?』

 

 隣で陽炎さんが焦ったような声をあげ、その声がマイクに拾われ無線へと乗った。聞こえているのか、いないのか。彼女は口の端を上げ、笑ったように見えた。

 そんな彼女に対して、金剛さんは微動だにせず、表情すら変えずに淡々と副砲を打ち込んでいく。至近弾も何発かあった。その度に彼女の体は衝撃波で大きく揺さぶられ、水柱が彼女の目の前に何度も立ちはだかるというのに、彼女は怯むどころかどんどん加速していく。そして、候補生達にわかりやすいようにと設置されていた魚雷射程範囲を表す浮標を飛び越え、さらに前へ、前へ。不知火さんの背中のアームが動き、魚雷発射管が金剛さんを捉えた。

 

『─沈め!!!』

 

 左手を振り切るようにして、不知火さんが魚雷を発射した。雷跡が四条、扇形に広がりながら金剛さんに襲いかかる。

 

『甘いデース!!!』

 

 無線から、場違いなほど陽気な声が届く。と、同時に彼女は自身の手前に砲弾を打ち込んでいった。直後に今までで一番大きな轟音と共に瀑布のごとく激しい水飛沫が上がり、こちらまで飛んできた海水に思わず目をつぶる。

 目をつぶっていたのは、果たして十秒か、それとももっと長かっただろうか。恐る恐る目を開ければ。飛沫で視界がけぶる中、傷一つない金剛さんと、所々に傷を負っている不知火さんが互いの額に主砲を突き合わせて立っている姿が見えた。

 

『フッフーン。主砲同士のガチンコ勝負なら負けないネー!私の勝ちデース』

『……信管を意図的に起爆させましたね?』

『イエース。その後不知火がきっちりとどめを刺しに突っ込んでくるのも読めてたネー。不知火は熱くなると動作が単調になりがちデース、悪い癖デース』

『……』

『もっとブゥレインを使わないとー、このスーパープリティーパーッフェクトな戦艦金剛には勝てませんヨー?』

 

 なるほど、自身の手前に砲弾を打ち込んでいたのはその衝撃で信管の誤作動を狙ったのか、と感心したのも束の間。金剛さんの言動が段々と不知火さんを煽るものなっていき。押し黙る不知火さん。そして。

 

『でぇええい!!』

『それも読めてマース!!』

 

 スパァアン!と小気味のいい音が無線に乗る。不知火さんがきれいな右ストレートを金剛さんに打ち込み、それを金剛さんが片手で受け止めたのだ。最早私と候補生達はポカンとそれを見ていることしか出来ない。

 

『沈める!!』

『やってみろってんですヨー!!』

 

 前代未聞。戦艦と駆逐艦の掴み合いの喧嘩が海上にておっぱじめられた。

 

『……ちゃ、』

 

 隣を見やれば、陽炎さんの眉間に青筋が。あ、これは本気で怒っている顔です。直後。

 

『ちゃんと言われた通りのことしろぉおおおおお!!!!』

 

 耳の奥がキーンとなるような怒声と共に陽炎さんが海へと飛び込み。最終的には三つ巴の喧嘩の様相となった。うん。

 

「あれは、真似しちゃダメですよ」

「真似したくても出来ないよ……」

 

 悪い影響を受けたらいけない、と隣の候補生に話かけると、呆れるようにその子が答えた。

 

 

「こんなことは、あり得ねぇ」

 

 執務室に入ってくるなり、おやっさんが大和の訓練データをまとめた書類を机に叩きつけてきた。

 

「はぁ。優秀ですねぇ」

 

 初弾命中。その後も動く攻撃目標に対して数回の砲撃で夾挟(きょうさ)し、目標を撃破している。陽炎も見習ってほしい、最近は一応標準レベルには達したけれども。

 

「そこじゃねぇ」

「えーじゃあどこですか」

「マニュアルモードだぞ、これ」

「もっとわかりやすく」

「赤ん坊が自家用ボートに乗り込んで楽々操縦しているようなもんだ」

「天才じゃないですか!」

「馬鹿野郎そうじゃねぇ。あり得ねぇっつってんだよ」

 

 いいか、とこちらを睨みつけながらおやっさんが続ける。

 

「艦娘つっても艦魄の力が得られなけりゃただのガキだ。手足のごとく艤装を扱えるなんてあり得ねぇ」

「まぁ、そうですねぇ」

「ついでに言うとな、神衣自体にもある程度防御結界が組み込まれてるっつってもそりゃ必要最低限だ。俺は砲撃であいつがひっくり返るもんだと思ってたんだがな」

 

 神衣には厳密に言うと二種類の防御結界が組み込まれている。一つは、艦魄と同調せずとも常時発生している微弱なもの。もう一つは、艦魄と同調して艤装回路に力が流れ込むことで発生する強力なものである。海上を普通に航行する分には前者だけでも問題無いが、深海棲艦と撃ち合いをするためには後者が必須だ。なぜならば前者だけでは砲の反動に体が耐えきれないからだ。特に、戦艦クラスとなれば。

 

「……それわかってて撃たせたんですか?」

「死ぬわけじゃねぇからな。防御結界も見直したからそれのデータも欲しかったってのもあるが」

 

 無茶苦茶である。艦娘を思ってのことなのだが、こういったギリギリのところを試すのは彼の悪い癖だ。だから干されるのに、私みたいに。……言ってて虚しくなってきた。

 

「艦魄反応もチェックしたがもちろんゼロ。どーなってんだ」

「うーん」

 

 それはむしろこっちが聞きたい。ない知恵を絞りながら、今までの情報を整理していく。

 

「艦魄反応がないのにまるで艦魄反応があるかのような動きだった、ってことですか」

「おぅ。十パーセント前後くらいの低同調状態に感じたな。煩雑なマニュアルモードを操作している自覚はあるが、なんとなく感覚で動かしている、ってレベルの」

「じゃあ、あるんじゃないですかね、反応している艦魄が」

「あん?どういうこった」

「例えば」

 

 そこで言葉を切る。思いつきだったけれど割と的を射ているように感じた。

 

「彼女自身が、艦魄の代わりになっているとか」

「はぁ?」

「─あなたは私」

 

 対話をさせたときに彼女が発した言葉を思い返す。

 

「それが、その通りだとしたら?」

「……何が言いたい」

「神々の分け御霊が胎児に混入するなんて、まぁある話じゃないですか」

 

 前世の記憶、というものはそういったものによるものだ。もっとも、強い未練、後悔などの感情を抱えていない場合、その前世の記憶を思い起こすことは滅多にない。だから人々はそんなバカな、と笑い飛ばすことも多いのだが、それは間違いなく彼らの魂の記憶の一部なのだ。

 

「まぁぜーんぶ憶測ですけど。もしかしたら。もしかしたら彼女は、あの大和の生まれ変わりなのかもしれない、とか」

「……んな馬鹿なことが」

「ギンバイして女の子から締め上げを食らう神様もいれば、深海棲艦もどきの人間だっているんですから。この世はなんだってありですよ」

 

 そう言って手元のコーヒーを啜ると、おやっさんが苦々しい顔で言い放つ。

 

「オメーらがおかしいんだよ」

「はて。なんのことやら」

 

 しらをきっていると、おやっさんは大きなため息をついてガシガシと頭をかいた。

 

「まぁ、だとしてもだ。今のままじゃ前線に出せないのは間違いねぇ」

「そうですね。あっちの方はどうですか」

「防御障壁三枚かませた。大丈夫だと思うが」

「そうですか」

 

 ずずず、とコーヒーを全部飲み干して、思わず一言。

 

「そりゃうまくいきませんよねぇ」

「なにがだ」

「だって自分の内面と話しているようなもんですよ。見たくない部分もまるっとお見通し、ってやつです」

 

 私だったら絶対にごめんですね。酷なことをさせているのかもしれない。戦艦大和としてのプレッシャー。そして。

 

「……あんな最期、ですし。そう考えると艦魄の中の大和が向こう側に堕ちてない方が奇跡かもしれませんけれど」

 

 もしかしたら。自身の最期の瞬間を思い出して、心が挫けてしまうかもしれない。

 

「あー、提督業なんて嫌な仕事ですよホント」

「引退したらどうだ」

「出来るならしてますぅー」

「ふん、思ってもねぇ癖に」

 

 ニヤニヤとこっち見ちゃって、まー感じが悪いったら。引き出しから件の箱を取り出して押し付ける。

 

「はい、はい。さっさとこれ浄化しちゃってくださーい」

「お前な、人にものを頼む態度か、それ」

「いつも感謝してまーす」

 

 そういうとこだぞ、お前、とおやっさんがため息をつく。

 

「あー、早く引退してくれねぇかな。こっちの体がもたねぇよ。いつまで働かせる気だ」

「なに年寄りぶってんですか、同い年でしょ」

「バァーカ」

「バカって言う方がバカなんですぅー」

 

 まるで子供のように言い合いをする。同期もほとんど引退して、まともな知り合いといったらこのおやっさんと呉のあの若造くらいだ。なんだかんだ付き合いがいいおやっさんには感謝してもしきれないけれど。

 

「ちょうど入ってきた間宮の羊羹、あげませんよ?」

「あ、てめっ、ずりぃぞ!!」

 

 まぁそんなのを面と向かって言うには少々気恥ずかしいくらいには、長い付き合いになったものだ。

 

 

 艤装の試運転に付き合ってしばらく経ってから、また工廠へと呼び出された。工廠の中に入っていくと、妖精さんが何人か寄ってくる。そいつらはもうお前専用だなぁ、とおやっさんがぼやきながら本題を切り出した。

 

「対話装置に防御障壁をかませた。精神攻撃を食らっても脳に異常が出ないよう俺達が見張るし、前より安全だ」

 

 腕を組みながらじっとこちらを見つめている。暗に、やれんのか?と聞かれているようだった。

 

「……わかりました」

 

 前回の意識がバラバラにされるかのようなおぞましい感覚が込み上がるのをぐっと抑えて、そう続けた。私は、このためにここに来ているのだ。断ることなんて。

 

「いいんですか?」

 

 ヘッドギアへ手を伸ばすと、横にいた提督が静かに声をかけてきた。

 

「え?」

「だってこんなこと言われても、次どうなるかわからないじゃないですか」

「え……っと」

「本当に、やりたいですか?」

 

 提督の言わんとすることを図りかねて困惑する。その様を見て、提督は眉をハの字にしながら言葉を続けた。

 

「ごめんなさい、困らせたいわけじゃないんです。ええと、なんて言えばいいですかね」

 

 うーんと考え込みながら、提督が言葉を選ぶようにして口を開いた。

 

「例えばですね、戦わねばならない、と戦いたくないは両立していいんです」

「え?」

「私は、提督です。この陸地で優雅にお茶なんか飲みながら艦娘達に死んでこいと言うのが仕事です」

 

 そう、淡々と続けている。おやっさんは隣でじっと黙って聞いていた。

 

「明日には、あの娘は死んでしまうかもしれない。私の指揮が悪かったから、死んでしまったのかもしれない。戦わせたくなんかないんですよ、できることなら」

「……じゃあ。なぜ、提督は、提督をしておられるのですか」

「うーん、そうですねぇ」

 

 困ったように笑いながら提督が頭をかく。いつも穏やかに、艦娘達に囲まれにこにこと笑っているこの人にも。抱えているものが、あるのだ。

 

「最初は憧れだったんです」

「憧れ、ですか」

「ええ。若い頃にね、船に乗っているときに深海棲艦に襲われたことがあるんですけど。その時にとある艦娘さんに助けて頂きまして。幸い適性もありましたからね、志願したんです。近くで支えたかった、というとちょっとおこがましいかも知れませんが」

 

 なぜだろう。どう見たってこの人は若いのに、そう思い出しながら語る提督はまるで老兵のような趣があった。

 

「私はぶっちゃけて言えば戦いたくないです。でも、この職業から逃げたところで、私の見えないところで彼女らは傷つき、倒れていくんですよ」

 

 それだったらね、と。ひとつひとつ、私に言い聞かせるように。

 

「私は、私の出来る範囲で出来ることを頑張りたいんです」

 

 ここには、自分の意志でいるのだと。そう、語った。

 

「私は、私の意志で提督業をやっています。……あなたは?」

「え?」

「あなたの意志は、どこですか?義務感は自身の心を隠します。そして、義務感だけでは人は前に進めません」

 

 大和だから。みんなの期待に応えなきゃ。

 

「義務ではなくて。あなたは、戦いたいと、思いますか?」

 

 だって、戦いたくないなんて。言えるわけが、ない。だから、戦いたくないなんて気持ちは。こんなものは。

 

「……ちょっと、時間を置きましょう。あなたは責任感があって、真面目でいい娘です。だからこそ、私は潰したくないんですよ」

 

 本当に対話を受けてもいいと思ったら、声をかけてくださいと言われ。私は、その場でなにも言うことが、できなかったのだった。

 



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‐伍‐

「─こんなところでこんな時間にそんな格好でいたら、風邪を引きますよ」

 

 昼に言われたことが頭から離れず、どうにも寝付けなかったので寝巻きのままに宿舎の縁側に膝を抱えて座りこんでいたら。不知火さんがいつの間にか近くに佇んでおり、声をかけてきた。

 

「ここは夜、結構冷えるんです」

「……」

「眠れないのですか?」

 

 言葉では答えずに、小さくこくり、と頷くと不知火さんは少し考える素振りを見せ、そして静かに私の隣に座ってきたのだった。

 

「夜はいいですね。不知火は昼の海より夜の海が好きです」

「……」

「闇夜に紛れてより強大な敵を倒せますからね。血が滾ります」

 

 冗談なのか、本気なのか。相変わらずわかりづらい。だけれども、いつもより口数が多いのはきっとこちらを気にかけてくれているからだろう。眼光は鋭いし、先日の訓練で一瞬この身に受けた、息が詰まるほどの殺気を発したのも彼女なら、今ここで静かに寄り添ってくれるのもまた彼女なのだ。

 

「……不知火さんは」

「はい」

「なぜ、そんなに強いのでしょう」

「……強い、とは」

「どうして、死地で。そんなに心を強く保っていられるのですか」

 

 純粋に羨ましかった。駆逐艦とは、一寸先は闇ならぬ死。なぜそんなに勇敢に戦いに臨めるのか。なぜ、この人が駆逐艦で、私のような臆病ものが戦艦なのかと。こんなことを思ってはいけないのに、昼に私の弱い部分を見透かされたことでささくれだった心では、嫌でもこういった卑しい考えが頭をもたげてしまう。そして、そんな自身にまた自己嫌悪をしてしまうのだった。思わず膝に顔をうずめて黙っていると、しばらくして。

 

「─強くは、ないですよ」

 

 予想外の言葉が、隣から聞こえてくる。その意味を理解し、ゆっくりと彼女の方に顔を向けた。闇夜の中で、彼女の淡青色の瞳がゾッとするほど透き通っていて、吸い込まれてしまいそうだった。

 そんな私の様子をしばらく黙って見ていた不知火さんは、徐に左手の手袋を抜きとって。いつだったか、味方に撃たれたんですよ、と冗談を言ってみせた、その傷をこちらに見せながら。

 

「─不知火は。味方を見捨てた臆病ものですから」

 

 そう、淡々と。過去の話を、私にしてくれたのだった。

 

 

 ─ガァン!!

 

 耳をつんざく発砲音。遅れて伸ばしかけていた左手にじくじくと熱を感じて、どうやら彼女が撃った砲弾がかすめたのだ、ということを理解した。

 

「外すつもりで撃ったのに、当たるなんて」

 

 どう足掻いても疫病神ね、とか細い声が耳に届く。なにを、やって。なにを、言って。ジンジンと耳の奥がうるさい。うるさい、うるさい。

 

「なに、を」

「また、見ているだけだなんて。真っ平ごめんだもの」

 

 そう言って、今度はぴたりと。先ほど、不知火に対して発砲をした夕雲型駆逐艦、十七番艦の早霜は、こちらの額に主砲の照準を合わせてきたのだった。

 

「ねぇ、わかるでしょう?」

「……」

「ここで全滅したら、ダメよ。あなたが。生き残っているあなたが、帰ってこのことを伝えないと」

「あなた、だって。まだ、生きているでしょう」

 

 絞り出すように声を出す。その先を。お願いだからどうか。

 

「ええ。まだ、ね。……ねぇ、不知火」

「……うるさい」

「ごめんなさいね、私は」

「っ、黙れ!!!」

 

 どうか、言わないでほしいのに。

 

「……私は、助からないわ」

 

 静かに、淡々と。自身がずっと目を逸らし続けているどうしようもない事実を。どうしてあなたが、よりにもよってあなたが突きつけてくるのですか。

 

「ま、だ。諦める、には」

「わかっているでしょう。私は餌なの。味方をおびき寄せるための。……ああ、本当に嫌になるわ。私は早霜であって早霜じゃないのに。こんな時だけこの()の感情に引きずられてしまうのだから」

 

 因果なものね。そう言いながら、笑いながら流す涙はどちらのものなのか。

 やめて。お願いだから、やめて欲しい。こんなときに、この()の感情と自身の感情がない混ぜになってうまく頭が働かない。

 いやだ、いやだ。諦めたくない、見捨てたくない。だって、まだ、彼女は、早霜はここにいるのに、生きて、いるのに。今度こそ、救えるかもしれない、のに。

 

「─ああ、あなたも同じなのね。あなた、一見クールだけど根は優しいから。そんなところも不知火らしいわ(・・・・・・・)

「はや、しも」

「だからね、わかるでしょう」

 

 制御できない感情のうねりが涙となって溢れる。喉は焼けつくようにひりひりと乾き、思ったように声が出ない。それでも、彼女から。

 

「二度も目の前で。私を助けようとするあなたが轟沈する姿を見るなんて、ごめんよ」

 

 彼女のその、儚くも強い意志のこもった目から。自身の目を、背けることが、できなかったのだった。

 

 

「─早霜を含んだ行方不明艦隊の捜索。それが初陣でした」

 

 きゅ、と左手に白い皮手袋を嵌め直し、淡々と不知火さんが続ける。

 

「不知火が生き残れたのは、ほとんど幸運によるものです。それでも、彼女のあの判断がなければ確実に死んでいたでしょう」

 

 助けようとするなら。敵にやるくらいなら、私があなたを殺す、と言われました。その言葉はこの月明かりの夜に静かに溶けていった。

 空を見上げる不知火さんの横顔は、月に蒼白く照らされているせいか、まるで感情が抜け落ちているようで。その様はとても冷たく、そして恐ろしいほど綺麗に私の目に映った。

 

「陽炎型、夕雲型は後期に造られた駆逐艦なので。その性能面から、ろくな訓練も積まずに前線に駆り出されることがほとんどなんです」

「……」

「呉の同期で生き残っている陽炎型駆逐艦は、おそらく雪風だけですね。あの子は天才ですから」

 

 元気にやっているといいのですが、と月を見上げながらぽつりと不知火さんが呟く。

 

「後にも先にも、あそこまで艦魄の中にいるあの()が感情的になったのは、あの()の感情が一方的に流れてきたのはあの一回だけです。この()は早霜を助けようとして彼女の目の前で轟沈した過去があるので、その時と重なって見えたのでしょうね」

「……」

「後悔しか、なかった」

 

 口を挟むことなど出来なかった。戦争をしているのだ。砲弾が飛び交い、目の前で仲間が沈んでいく。それが、当たり前。当たり前であるということを私は知識としては理解していても、この、不知火さんが語るような生々しい現実を本当の意味では理解していないのだということを、突きつけられた。

 

「だから一体でも多く沈める」

「……え?」

「敵を全滅させれば、味方を守れるでしょう。それに、そうしなければ。……気が狂いそうでした」

 

 金剛さんとの演習で垣間見えた、不知火さんの戦闘スタイル。いくら駆逐艦とはいえ、あそこまで肉薄し、死なば諸共、といった気迫すら感じられるほどの殺気で相手を屠ろうとするその姿を、思い出す。

 あの時は、日頃の金剛さんの行いに鬱憤が溜まっていたのだろうと苦笑いすらしていたけれど。本当は、そうでは、なかったのだ。あれは、あの戦い方は、彼女の身に染みついてしまったものだったのだ。

 

「聞こえるんです」

「なにが、ですか?」

「沈んでいった、あの娘達の声が。ダブるんです。敵の姿が、あの娘達に。だから、聞こえる前に、見える前に沈めていった」

「……」

「とうとう狂ったかとあの時は思ったものですが。雪風も聞こえると言っていたので、案外本当に敵は沈んでいったあの娘達かもしれませんね」

 

 人型の深海棲艦が多く観測されるようになってから、まことしやかに囁かれている噂。深海棲艦は、沈んでいった艦娘かもしれない─。火のない所に煙は立たない。きっと、多くの前線を駆け抜けている艦娘達が不知火さんのように確信めいたものを感じているのかもしれない。

 

「あなたも、そうなんじゃないですか?」

 

 それは、質問というよりかは確認するかのようだった。

 

「……なにが、でしょう」

「海に。誰かに、呼ばれているのでは、ないですか」

 

『─姉さん』

 

「……不知火さんは。怖くは、ないんですか」

 

 絞り出すように内心を吐露する。周りからの期待。艦娘として、こんなことを思ってはいけないという理性により、内にずっとずっと押しとどめていたものを。この人になら、話してもいい気がした。

 

「ええ、そうです、呼ばれるんです。夢で、海で。日に日にその声が鮮明になっていくようで」

 

『─ナンデ。ナンデ、ソッチニイルンダ?』

 

 くすくすと。あの笑い声が、耳を離れない。あの時だけではない、海に出れば。夢の中に落ちていけば、聞こえる。

 

「……私は、海に出るのが、戦うのが怖い。人でなくなってしまうことが」

 

 一瞬で深海棲艦を爆発四散させる火力。自身の力を自覚すればするほど、この身は人ではないなにかのように感じ。

 

「あちら側へ、引きずりこまれてしまうのではないかということが」

 

 お前は、こちら側だろうと囁く声が、とても。

 

「……怖い」

 

 内に溜まっていた、どろどろとした恐怖心を。誰にも打ち明けることのできなかった苦しさを、吐き出すかのように言葉にした。

 その言葉を受け、しばらくじっとこちらを見つめていた不知火さんが静かに口を開いた。

 

「不知火も怖いですよ。戦うのは、死ぬのは。……あちら側へと堕ちてしまうのではないか、という思いは。怖いです」

「じゃあ、なぜ」

 

 同じものを抱えているはずのあなたは。

 

「不知火さんは、戦うのですか」

 

 前を向いて、進んでいけるのですか。

 

「生きるためです。仲間と共に」

 

 その言葉は、とても力強く。はっきりと私の耳に届いた。

 

「……もっとも、そう思えたのはここに来て、陽炎と出会ってからなんですけれどね」

 

 そう言って。ふ、と彼女は表情を緩めた。

 

「呉にいた頃は、なるべく誰とも馴れ合わないようにしていました。どうせ、いつか沈むから、と。情が湧いたらいけないから、と一定の距離を保って。艦隊を組んで戦っていても、結局はひとりで戦っているようなものでした」

 

 そんなある日のことです、と彼女は続けた。

 

「呉の提督に呼び出されて。お前は使えないからクビだ、と、ここに飛ばされたんですよ」

 

 少し過同調のきらいもありましたからね、と顔を歪めながらそう語る不知火さんの横顔を見て、呉の提督は昔も今も変わらないな、と思いながら続きの言葉を待った。

 

「命令とあらば逆らえません。ここは見ての通り非常にのどかなところですから。正直、最初はここも、陽炎のどこか楽観的な考え方も、好きではありませんでした」

 

 それを聞いて意外に思う。今の二人はどこからどう見ても仲のよい姉妹艦だ。そんな姿はちょっと想像ができなかった。

 

「色々ありました。本気の殴り合いの喧嘩をしたり」

「え」

「頭突きは中々効きましたね」

 

 駆逐艦は手が出るのが早いんですよ、とどこか懐かしむように不知火さんが笑った。

 

「陽炎に言われたんです。そっちばっか見てんじゃないわよ、こっちを、生きている私の方を見ろって」

「……」

「提督が言っていました、陽炎は練度も低いし砲撃なんて目も当てられないけれど、艦隊に一人は欲しい存在だと」

「それは、なぜですか」

 

 私のその言葉を聞いて。不知火さんが、今までに見たことがないほど穏やかな表情で答えた。

 

「あの子がいると、なんとなく皆を生きて帰してくれそうだから、だそうです」

 

 まぁ、いつもボロボロにはなるんですけど、と言ってちょっと困ったかのように笑っている不知火さんは。私と同じ恐怖に苛まれているはずの彼女は、とても眩しく見えた。

 

「一人で向き合おうとするから無理が出るんです。不知火はそれをここで学びました」

「……」

「もっと周りを頼ってくれていいんですよ。そうですね、手始めに大和さんが向こう側にふらふらと行こうとしたら、この不知火がぶん殴って止めて差し上げましょう」

「それは……ご遠慮、願いたいですね」

「そうでしょう。なら、おとなしく生き残ってくださいね」

 

 そう言って、不知火さんは静かに立ち上がった。

 

「戦え、とは不知火の口からは言えません。でも、逃げても結局は後悔するんです。悩んで、悩んで。それから答えを出すことは、悪いことではないですよ」

 

 強いな、と。そう思った。私が今直面している問題を乗り越えた彼女は。強くて、優しくて。それでいて美しいと思った。

 

「夜更かしは体に毒ですよ。もう、寝ましょう」

「……そうですね。ありがとう、ございました」

「さて、なにがでしょう」

 

 ああ、これはおどけているのだな。なんだ、この人はよく見ればきちんとその心を私に開いてくれていたのだ。閉ざしていたのは、私自身。

 

「ああ、それと」

「はい?」

 

 二人並んでそれぞれの部屋へ向かっていると、ふと思い出したかのように不知火さんが声をあげた。

 

「金剛さんにも、相談してみるといいですよ」

「金剛さん、ですか?」

「ええ。あの人、普段はちゃらんぽらんですけれど、曲がりなりにも日本最古の戦艦ですから」

「……意外です」

「なにがですか?」

「失礼ですけど、その。嫌いなのかと思っていたので」

「ええ、嫌いですよ」

 

 さらりとそう言い切って。

 

「むかつくくらい、頼りになりますからね」

 

 笑いながら、おやすみなさい、と私に言って。不知火さんは自室へと消えていった。

 

 

 あの日から数日後。執務室の扉が控えめにこんこん、と叩かれた。

 

「どうぞ」

「……失礼します」

 

 扉の向こうから現れたのは、案の定。決意と共にここを訪れたのはわかったが、その顔はどことなくまだ迷いがあるようだった。

 

「その様子だと、まだ迷いは晴れていないようですが」

「そうですね。私はずっと、迷っています」

 

 迷っている、と素直に認める言動におや、と思う。以前の彼女はその心の内を晒さぬよう、義務感でコーティングされた言葉しか発さなかったけれども。男子三日会わざれば刮目して見よ、というけれど、この娘もどうして中々。

 

「戦うのは怖い。でも、ここから逃げ出すには。私は、なにも知らなすぎる」

「……」

「これは、大層なものではないです。言わば私の、ちっぽけな矜持。私は」

 

 迷いの中にあって、どうして中々。

 

「理由もわからず。大和に拒絶されたのが、気に食わない」

「……」

「だから、もう一度。チャンスをください」

 

 その目の奥に宿る強い意志。そんな言葉がまさか飛び出てこようとは。

 

「……ぶっ、あ、はははは!!」

「ちょっと、提督!笑い過ぎです!!」

「だって、ねぇ!ふは、結構、結構!どうして中々、好感が持てますよ!」

 

 要はこうだ。大和が自身を拒絶する理由を、あやつをふんじばって吐き出させてやると。可愛らしい顔をして、まぁ勇ましい。そして私は、こういう娘が嫌いではないのだ。

 

「─いいでしょう。全力で我々はあなたの安全をサポートします」

「あ、ありがとうございます!!」

「大和をぶん殴るなりなんなりして、自分の納得のいくものを手に入れてください、ふは」

「もうっ!提督!!」

 

 ああ、こちらが素か。なるほど、どうして中々。可愛らしくて好感が持てる娘だ。

 

 

「防御障壁をかませてっから、前とはちょっと感覚が違うかもしんねぇ」

 

 カチャカチャと最終的なチェックを終わらせ、おやっさんがこちらにヘッドギアを差し出す。それを、今度は迷いなく受け取る。

 

「大丈夫です、安全なんでしょう」

「いや、まぁそうなるように全力は尽くしたがよ」

「なら、大丈夫です」

 

 本当はまだ少し怖い。それでも、ここで尻尾をまいて逃げるのはかっこ悪いから。まだ、私はなにも知らないから。そして。

 

「おやっさんなら、大丈夫でしょう?」

 

 この人の仕事を、私は信じている。

 

「……お前、そんな性格だったかぁ?」

「ふふ、さて、どうでしょう」

 

 座席へと向かい、頭にそれを被る。

 

「何かあったら、すぐに遮断しますから。大和を殴れなくても文句は言わないでくださいね」

 

 最初はなんとも頼りない人だなぁと思っていたけれども。今まで会ってきた上司の中で、この人だけは私を大和(へいき)ではなく、一人の人間として心配してくれた。きっとこの人も、約束は守る人だ。そう思えば、こんな軽口も心地いい。

 ─大丈夫。私は、一歩、前へ。

 

「─御武運を」

 

 もう、進めるはずだ。

 

 

 ザザザザ、と砂嵐のような視界と不快なノイズ。若干の不快感を越えて、私は大和になる。あの日。あの場所で。

 

「くっ、いいぞ、当ててこい!」

 

 大和(わたし)の妹が、沈む様を。ただただ、見届けるしかできなかった、大和に。

 

「─私は、ここだ!!!」

 

 シブヤン海で。飛行機の擁護がない中、米軍機の猛攻に晒される、武蔵を。

 それは自身の命運を理解していても、最後まで衰えを見せなかった彼女の矜持。

 

「まだだ…まだこの程度で、この武蔵は…沈まんぞ!!!」

 

 吠えるように。せめて他の艦艇の分までこの身に攻撃を受けてやるのだという気迫と共に。今まで沈んでいったどの艦艇よりも多くの弾をその身に受けながらも沈まず、海に佇む。その姿は、まさに素戔嗚尊(すさのおのみこと)の如く。

 それでも、それでも見てしまったのだ、大和は。沈むその瞬間。悔しさで表情を歪めた、あの子の姿を。

 

 ─ザザザ。

 

 大和船内。頭を抱えて座り込む若者がいた。突如、その男が腕時計を引きちぎって投げ飛ばす。

 

「おい」

「嫌んなるぜ……秒針の音が、嫌に耳に響く」

 

 思わず仲間が咎めるような声をあげると。その男は吐き捨てるようにそう言った。

 

「……このまま。死ぬのか」

「……」

「何も。何も知らない。酒も、煙草も。俺は、なんのために」

「俺は。家族のために戦うぞ」

「……」

「俺がここで戦うことで、家族が助かるんだ」

 

 自分に言い聞かせるように。逃れられぬ、死という運命に心が挫けぬよう、静かに仲間がそう言った。

 

「……そうかぁ」

「……」

「じゃあ、俺は。仲間のために、戦おう」

 

 その声は、啜り泣くようで。深く、深く帽子を被り、その顔を隠しながら。それでも。男の、自身の最期の矜持なのだと言わんばかりに。彼は、不格好にも笑ったのだった。

 

 ─ザザ、ザ。

 

『左舷に攻撃集中!!』

『左舷傾斜二十度ォォオ!!』

 

 ─沈む。色々な人の、大和の感情や映像がごちゃ混ぜになってゆく。

 何も出来ていない。この特攻に、意味はあったのか。いやだ、死にたくない。

 重油にまみれた海でもがき苦しむ人々。駆逐艦から救助用のロープが落とされる。必死に掴むも、這い上がれるほどの力が残っておらず、海へと沈む。一つのロープに二人がつかまる。一人が、落とされる。

 こんな、ことが。こんな最期が。

 

『─一億総特攻の、(さきがけ)となれ』

 

 この特攻に。沈んでいった仲間達に。何が、残るというの。

 憎悪、悲しみ、悔恨、苦悩、死への恐怖。それらが洪水となって押し寄せる。だめだ、飲まれる。もがきながら、救いを求めて手を伸ばす。暗い、暗い。寒い、寒い。海の底はこんなにも静かで。静寂という名の恐怖が大和に襲いかかる。

 

「─?」

 

 それは救いを求めるあまりの幻覚か。光が、一筋差した気がした。藁にもすがる思いで、必死に手を伸ばす。それは。これは。

 

 ─ザ、ザ、ザザザザ。

 

「─いって、参ります」

 

 呉の軍港で、その(ひと)とすれ違う。生まれる前から、ずっと大和に寄り添ってくれていたその(ひと)と。

 もうここに帰ってくることは、ないだろう。だからこそ、最後にその(ひと)に挨拶がしたかった。

 

「……」

 

 ああ、そんな顔をさせたかったわけではないのです、大和は。極秘裏に建造されていたとき、周りからの期待と重圧で不安になっていたときに、優しく、慈しむように見守ってくれていた、あなたに。

 

「……ええ、いってらっしゃい」

 

 最後に見るあなたに、そんな顔をさせたかった、わけでは。

 ああ、何と言えばよかったのだろう。自身の後に竣工された娘たる航空母艦達が次々と沈んでゆくのをただ、ただ静かに見送り。涙を流さず、ただ己の中で深い悲しみに暮れるあなたに。

 何を、言えば。

 ─ああ、できることなら、大和は。

 あの人の笑顔を。もう一度、あの人に。ただ、─と。言いたかっ───ザ、ザ、ザザザザザ!!!

 

 

「大丈夫か!!!」

 

 急に視界が開ける。光だ、と思わず大きく息をついた。

 

「っ、は」

「大丈夫ですか!」

「は、い」

 

 どくどくと、鼓動が嫌に耳に響く。それでも、前回よりも自分を保っていられていることを自覚し、安堵する。

 

「大、丈夫です」

 

 息を整え、二人を見返す。その様子に二人はほっと息をついた。

 

「よくやった。大和の艦魄が微かに反応している」

「本当ですか」

「ああ、まだ実戦に出せるレベルじゃねぇがな」

 

 大和の記憶を覗き見た。ただ、それだけだ。果たしてなにが認められたのかわからずじまいだったけれども、それでも進展があったことに喜びを感じていたら。

 

「─」

 

 バッと工廠の開け放たれた入り口を振り返る。

 

「おい、どうした」

「……いえ」

 

 あれは。あの、声は。

 

「体力を消耗しているでしょう?続きをやるにしても、また別の日にしましょう」

 

 提督のその言葉に頷いて。また、入り口へと視線を戻す。

 

『─マッテイルゾ。姉サン』

 

 海風に乗って、今までより鮮明に。海からの呼び声が、聞こえた。

 

 

 一人、海上を緩やかに航行していく。

 

「……こんな任務ばっかだと、体がなまっちまうなぁ」

 

 ぼやいたところでそれを拾うような相棒は居ない。そりゃそうだ、この海域には滅多なことでは深海棲艦は現れない。このくらいの簡単な任務なら一人で十分。

 

「くそっ」

 

 こんなところでまごついている場合ではないのに。左目を失ったことで、色々な不都合が出てきた自身を上はこの腑抜けた平和な泊地へと追いやったのだ。もう、オレは戦える。片目を失うことによる距離感の喪失を補えるよう、五感を死に物狂いで研ぎ澄ましたのだ。早く戦場に、龍田のところへと戻らねば。

 

「─なんだぁ?」

 

 違和感を覚えて立ち止まる。この辺は小さい島とも呼べぬ陸地が点々と存在するのだが、その一角に深い霧がたちこめていたのだ。

 

「……」

 

 妙だ。この天気で、あそこに霧が発生しているのは、明らかにおかしい。念のために提督にあらかじめ信号を送っておき、慎重に近づく。

 

 ─ゾクリ。

 

 自身の肌が粟立つのと同時に、主機を一杯まで叩き込んでその場を急加速で離脱する。それは、常に戦場に立ち続けた己の経験。ここにいては、まずいという感覚。

 

「─!!!」

 

 直後。轟音と共に、自身の体が吹っ飛ばされた。

 

 

 宿舎の外に備え付けてある木製の丸テーブルと椅子。外で紅茶が飲みたいと駄々をこねておやっさんに作ってもらったものだが、無骨な見た目に反して繊細な感性の持ち主の彼によって作られたこのテーブルは、それこそテーブルクロスでもかけてしまえばまさに英国式ティーパーティにふさわしい可愛らしさを兼ね備えていた。

 そこに一人腰掛け、のんびりとひなたぼっこを楽しむ。さすがに一人で紅茶を飲むのはさみしいというものだ。昔はそれこそ比叡達と頻繁に飲んでいたものだけれど。あの娘達は元気だろうか。あの頃からもう十数年経っているから、もう世代は入れ替わっているだろうけど。

 

「金剛さん」

 

 目を閉じてうとうととしていたら、声をかけられたのでそちらへと顔を向けた。

 

「ハーイ、大和。今日は日差しが気持ちいいですネー。一緒にひなたぼっこでもどうですカー?」

 

 にこやかに話しかけるも、大和は緊張した面持ちで黙って立っているだけだった。その様子を見て、ぽんぽん、と空いている椅子を叩いて着席を促す。

 

「紅茶はありませんが。良ければお話しまショウ」

 

 そう言うと、こちらの言葉に従って彼女は静かに椅子に座った。

 

「ここは穏やかでいいところデース。不満があるとしたら紅茶仲間が全然いないことですネ。みーんな飲み過ぎだと言って付き合ってくれないんですヨー」

「……」

「鳳翔は緑茶派デスし。テイトクはコーヒー。さみしいもんデース」

「……金剛さん、は」

 

 沈黙があまり好きではないので、ペラペラとどうでもいいことを喋っていたら、大和がゆっくりと口を開いた。

 

「声を。聞いたことは、ありますか」

「声、デスかー?」

「はい。海に出ると、呼ばれているような、気がするんです」

 

 そう言ってこちらを見つめるその顔には、微かな怯えが見て取れた。

 

「……毎回じゃないデスが。ありますヨ」

「それは」

「ワタシ達は表裏一体、引き合うのは必然ですからネー。宿命というものデース」

 

 あの娘は、大和の生まれ変わりではないですか?その言葉がストンと胸に落ちた。人の身でありながら、妙な懐かしさを感じるのも、そういうことなのだろう。

 

「それは、どういう」

「この金剛はとーっても優しいので。特別にミナサンが知らないことを教えてあげまショウ!内緒ですヨー?」

 

 この娘には、知る権利があると思った。こちら側に、知らず知らずのうちに迷い込んで来ているこの娘の、道しるべとなるものを。

 

「深海棲艦、とは、その実態を悟られないよう名付けられたものなのデース。モンスターっぽい名前デショー?中々うまくカモフラージュしてくれていマース」

 

 この娘を守るために。あの不器用な友人を悲しませないために。

 

「……何を、言って」

「─その本質は。ワタシ達が艦魄に閉じ込めているモノと一緒」

 

 知恵を。与えなければならないと。

 

「深海棲艦とは、堕ちた艦艇の神々。要は艦艇の付喪神が祟り神となったものデース」

 

 その上で、彼女に決断をしてもらわねばと。思った。

 

「海域を切り開けば切り開くほど艦娘の種類が増えていくのは、祟り神の浄化に成功し、艦魄が手に入るからなんですヨ」

「……」

「艦娘達の。ワタシ達の攻撃は、彼女らへの手向けなのデース」

 

 だから人じゃ倒せないんですヨ、と告げて、ぐっと伸びをする。さやさやと心地のいい風を堪能していると、大和がその重い口を開いた。

 

「……あなたは。なんなのですか(・・・・・・・)?」

「察しのいい娘は嫌いじゃないデース。そうですネー、端的に言えば神様デース、そこにいるのと同じ」

 

 大和の首にある金属輪を指差す。

 

「このことは内緒でお願いしマース。お供えなんかよりも自分でギンバイする方が何倍もスリリングでエキサイティング!」

「……まさか、艦娘はみんな」

「あ、それは違うヨー。ワタシのような存在は始まりの四隻と呼ばれている四人だけデース。現に大和は人間デショー?」

 

 もっとも、あなたは割とこっち側ではあるけれど。それを言う必要はない。

 

「それでも。艦娘自体は普通の女の子であったとしても。艦艇同士の縁というものは、その娘達を巻き込む程に強いんですヨ」

 

 同型艦は、姉妹艦はお互いに引き合う。例え他人同士であったとしても何か通じるところがあり、そして時には艦艇の辿った歴史をなぞるように追体験するような娘すらいる。天龍が事故で左目を失ったのも、そういったものが多分に関係するだろう。

 

「縁が、お互いを手繰り寄せる。声が聞こえると言いましたネー?」

 

 大和の艦魄が引き上げられたとき、予感はあった。姉妹艦は互いに互いを求める。それは、向こう側にいようが、こちら側にいようが関係ない。

 

「きっと大和を呼んでいるのは。……大和型戦艦二番艦。戦艦、武蔵、ですネ」

 

 思い当たる節があるのか。大和は顔を強張らせて固まってしまった。これは、思ったよりも時間がないのかもしれない。隠居生活も割と気に入っていたけれど、まぁ仕方がない。

 

「戦わないという選択肢ももちろんありマース。でも、この宿命からは逃れられない」

「……」

「巻き込んでごめんネ。逃げても責めはしないデース。大和の運命は、人の身には重過ぎる」

 

 推定魚雷二十本以上。被爆十七発以上、至近弾二十発以上を受けてもなお航行能力を保った不沈艦と名高い戦艦武蔵。少々荷が重いどころではないが、それをこの少女一人に背負わせようとしている上層部の好きにはさせない。これは自身が戦艦であることに対しての矜持ももちろんある。

 

「なんたってここには心強い味方がいっぱいいますからネー!大和一人いなくたってへっちゃらデース!」

 

 半分は強がりだ。あの不沈艦を相手に取るには、あまりにもこちらの戦力は心もとない。それでも、怯えず、引かず。

 

「……それでも。大和がワタシ達の仲間になってくれるのだとしたら」

 

 仲間を信じ、自身を信じ。

 

「その時は、私達が。全力で、力になりまショウ!」

 

 あなたを、信じて待つだなんて。自分勝手もいいところだけれど。仕方がない、だって。

 

『─泊地内にいる艦娘は、候補生関わらず速やかに執務室へ集合せよ』

 

 けたたましい警報と共に、テイトクの声が響き渡る。

 ─敵は。相手は、こちらのことを待っては、くれないのだから。

 

 

 ここにこんなに艦娘が集まるのはいつぶりだろう。元々そこまで広くもない部屋だ、寿司詰めのぎゅうぎゅうである。そして、みんなの顔には一様に緊張が見て取れた。当然か。

 

「天龍。報告を」

「遠征からの帰りに、新型の深海棲艦を見つけた」

 

 ところどころに擦り傷、衣服の破れ。その損害は小破程度ではあるが、彼女の顔には悔しさと怒りが滲んでとれた。

 

「戦艦…いや、超弩級戦艦だな、ありゃ。一発、当てこすり程度の攻撃をして。オレを追うこともせず、笑ってやがった」

 

 あいつ、あえて見逃しやがった、と吐き捨てるように彼女が続けた。

 

「ご苦労。これより、当泊地は新型深海棲艦に対して迎撃体勢へと移行します」

 

 ざっと皆を見回す。これから私は酷なことをする。この瞬間はいつだって好きになれない。それでも、やらねばならないのだ。己の、仲間のために。

 

「討伐艦隊。旗艦、金剛。その他、陽炎、不知火、鳳翔とします」

「おい待てよ!!」

 

 言い切った瞬間に天龍が噛み付いてくる。

 

「オレも連れてけ!!」

「ダメです。入渠してきてください」

「こんなんかすり傷だ!いいから、オレを!」

「─入渠を」

 

 圧をかけて、黙らせる。わかっている。やられっぱなしは、戦いに出られないのは辛かろう。それでも。

 

「悪いようには、しません」

「……」

「信じて、もらえませんか」

 

 あなたは十分に強い。戦力外通告を受けてここに流れついてきたけれど、ここはあなたには似つかわしくない。すぐにでも龍田のいる最前線へと戻すつもりだった。それくらいには、あなたのことを戦力として認めているのだと。その気持ちを言葉に込める。

 

「……くそっ」

「ありがとう」

 

 そして、またぐるっと見回して言葉を続ける。

 

「討伐艦隊は以上。残りは待機です」

「ま、待ってください!!」

「私達も戦えます!!」

 

 うん、それも見越していましたよ。異議を唱えた二人、若き艦娘の蒼龍と飛龍に目を向ける。

 

「ダメです」

「なんでですか!!」

「私達も艦娘です!!」

「あれは、初陣を飾るべき相手では、ない」

 

 これが普通の討伐であればもちろん戦力に入れていた。それくらいにはうちの戦力は逼迫している。だけれども、相手は恐らくあの戦艦武蔵。むざむざ死なせに行くことはできない。

 

「あなた達のことを弱いと思ったことはありませんよ。でも、あなた達まで出撃したらここは空っぽですよ。候補生達には荷が重い」

「……」

「だから。彼女達が帰るべきこの場所を、守ってくれませんか」

 

 悔しさで唇を噛みながら押し黙る二人。ごめんなさい、と心の中で謝って、視線を他方へと向ける。

 

「それと。鳳翔、金剛両名に改式、改二式許可を与えます」

 

 引き出しから小箱を二つ取り出し、机にことりと置く。この中には指輪が納められている。もう使うこともないと思っていたけれど。金剛の顔がこわばった。それを視線でなにも言うなと釘を刺す。なぁに、高々一回の艦隊決戦。高々二人の神様の高次元艤装を保つくらいの霊力も、一々小煩いこの右手も、御してみせる。

 

「作戦は追って指示する。本作戦はヒトヨンマルマルより決行。以上、解散!!」

 

 私の号令に相反して、皆がそれぞれの思惑を抱えて佇む、その中で。

 

「─」

 

 ただ一人。足早にこの場を後にしたその娘を。私は、黙って見送った。

 



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‐陸‐

 

「それはあっちに運べー!!」

 

 作戦準備で慌ただしくなる工廠内。大声で指示を出しながら準備を整えていると、ふと視界に場違いな人物が飛び込んできた。

 

「おい!なんでお前がここに」

「おやっさん」

 

 そいつ─大和はこちらに目もくれず、むんずと対話用のヘッドギアを掴んで淡々と質問をしてきた。

 

「防御障壁ってどのくらいで外せます?」

「ああ?まぁ、外すのはそんなかかんねぇけど」

「外してください。全部」

「はぁ!?何考えてんだ!こんな時に!!」

 

 掴みかかる勢いで詰めよると。その瞳の奥底に、静かな怒りが宿っているのに気づき、思わず動きを止める。

 

「─こんな時、だからです」

 

 これは、他者への怒りではない。己自身の無力さへの憤りだ。ああ、こんなことしてる場合じゃねぇってのによ、俺もどうかしてるぜ。

 

「……くっそ、なんかあったら俺を恨めよ!!」

 

 怒声を上げながら作業に取り組み始める。一刻も早くこんなくだらないことは終わらせねばならないのだ、なんたってこの身はこの工廠における最高責任者。もしこれのせいで全員死んだらあの世で皆にどつかれる。

 そこは普通、何があっても恨むな、ですよ、と。こんな時だってのになんだか余裕すらありそうなそいつが気に食わなくて。うるせぇ!!と叫び声をあげた。

 

 

「─そこにいるんでしょう」

 

 固く閉ざされた岩戸の先に声をかける。私は、今怒っている。無力な自分に。

 

「……また、来たのね」

 

 いじけて、引き篭もっている、こいつに。

 

「あの子が来ているのでしょう。大和に、今度はあの子を沈めろと?」

「あれは、もう武蔵じゃない」

 

 最後まで気高くあり続けた戦艦武蔵。だが、あれは。夢で、海で呼びかけてくるあいつに最早あの頃の面影はない。

 

「それに。戦うのが怖い臆病者なくせに」

 

 あなたじゃどうせあの子には勝てないわ、と嘲笑うそいつに。そいつの指摘通りな私に。怒りが募りすぎて目眩がしそうだ。

 

「だから、なんだって言うんですか」

 

 人の身である私を、ちっぽけな存在であると一笑に付すそいつに。力があっても、自身の殻に引きこもって不幸に酔いしれるそいつに。なにもできない自分に、腹がたって仕方がない。

 

「ええ、怖いですよ。当たり前じゃないですか。私は、普通の人間の女の子なんですから」

 

 自身の弱さを認めるのは恥ではないと、教えてくれた不知火さんを。

 

「自分が、死ぬのではないか。人ではない何かになってしまうのではないか。怖くて、当たり前じゃないですか」

 

 戦艦大和という重圧に、自身が卑屈になっている時。笑いかけてくれた陽炎さんを。

 

「─それでも」

 

 こんな自分を、待っていると言ってくれた、金剛さんを。

 

「私は。私のせいで、あの人達が死ぬようなことがあれば」

 

 大和の絶望の記憶の中。それは、ほんの少し垣間見えた小さな小さな願い(きぼう)。私を、大和をすんでのところでこちら側に引き止めてくれた、あの人を。

 

「私は、私を許せない」

 

 むざむざ死なせるなんてことは、許さない。

 岩戸なぞ知ったことか。これは、こいつのただの意固地。それがイメージとなって立ちはだかっているだけだ。こんなもの、こんなものは、ここに存在なんか、していない!!!

 

「─な、」

「好きなだけ、そこに引きこもっているといい」

 

 私の意地が、そいつの意固地に勝った。岩戸なんかまるで最初からそこになかったかのように何も遮るものがなくなり、私はそいつの腕を掴んだ。驚愕で歪むその顔さえ、この私と瓜二つだなんて、笑える。

 

「─でも。これは、もらいますね」

 

 好きにすればいい。お前なんかどうでもいい。私は、私のやるべきことを、するだけだ。

 

 

 討伐艦隊が出発して暫く経つ。まだ接敵の連絡はない。微かな緊張を紛らわせるようにトントントンと机を人差し指で叩いていると、いつものあいつが囁いてくる。

 

『─沈メ、沈メ。海ノ、底ヘ』

「うるさいなぁ」

 

 二人に霊力を割いているせいか締め付けが緩くなっているようで、彼女と鏡写しのこの身代わりの指輪の中にいるあいつが、彼女の代わりにこの身に封じる深海棲艦の穢れが、よく吠える。

 

「これからいいとこなんですよ、ちょっと黙ってろってんです」

 

 我ながら博打に出たものだと思う。あの四人だけでは、火力が圧倒的に足りない。そんなの百も承知だ。残念ながら私は根性だ、気合いだで勝てると信じるような熱血漢ではないのだ。だから、あの四人だけでは勝てないのを理解していて出撃させた。

 賭けに出た。なにも確信がない、というよりもう願望に近かった。それでも。

 

「─失礼します」

 

 頬杖をついて、にやり、と笑いかける。

 

「待ってましたよ」

 

 この娘は。大和は、ここに来ると。

 

「出撃許可を」

 

 信じていた。

 

「あー、困りました!」

 

 わざとらしく、大声をあげる。大和が驚いて目をぱちくりさせている。

 

「せっかく戦艦大和が仲間になってくれるっていうのに!一隻だけで行かせたら潜伏している敵に囲まれてボコボコにされてしまうかもしれないなー!困ったなぁ!!」

 

 一体なんなのだ、と大和が困惑顔でこちらを見つめている。すみませんね、このパフォーマンスはあなたに対してじゃあないんですよ。

 

「……どこかに、腕のいい。大和の護衛をしてくれる艦娘がいれば、いいのになぁ」

 

これは。

 

「─白々しいぞ」

 

 賭けに付き合わせた、この娘への。

 

「─オレを。呼んだか?」

 

 軽巡洋艦、天龍への。出撃の合図なのだから。

 

 

『な、んで』

『仰角、十度修正』

 

 僅かに苛立ちが滲む金剛さんの声と、その金剛さんの視界から砲撃補正を淡々と指示する提督の声が無線に乗る。

 

『鳳翔ばっか狙うんデスかー!!!』

 

 怒声と共に、一撃。綺麗にそいつに当たったはずの砲撃は。

 

「─」

 

 砲撃による黒煙の向こうから見える、そいつを。まるで歯牙にもかけぬ、と言わんばかりにそこに佇むそいつを見ていると、本当に当たったのか、と疑問すら湧いてしまう。

 

「かったいなぁ!!もう!!!」

 

 そりゃ愚痴の一つもこぼしたくなる。私も不知火も魚雷は撃ち尽くした。こちらのことを侮っているのか、微動だにしないそいつにほとんど全てを叩きこんだというのに、一体こいつの体はどうなっているんだ。何よりも。

 

『鳳翔、生きてマスかー!!』

『─っ』

 

 乱戦で砲撃の音や荒ぶる波の音にかき消されぬよう無線に大声で語りかける金剛さんに、返事をする余裕がないほどに。鳳翔さんがしつこく狙われていた。

 ほぼほぼ一杯まで速力を維持しながら砲撃の嵐を交わしているせいで、発着艦がろくにできていない。上空を飛んでいる艦載機の燃料が尽きるのが先か、それとも。

 

「っ、あーもう!!せめてこっち見ろ!!」

 

 悔しい。駆逐艦であることに誇りを持っていても、例え戦艦を沈めることが出来たとしても。戦っているときは、常に自身の弱さが歯痒くなる。思い出したかのように副砲で撃たれ、それがかするだけで軽く中破してしまうようなこの装甲を。この小さな小さな主砲を、肉薄して相手の周りを駆け巡るこの身を、まるで相手にしていないのだ。悔しい、悔しい。どうしたら。

 

『─注意を』

 

 その声は、この戦場において酷く落ち着いていて。

 

『引けば、いいのでしょう』

 

 それでいて。喉元に喰らいついてやると言わんばかりの、殺気を、孕んでいた。

 

 

 駆逐艦なぞただの羽虫だ、と言わんばかりのその態度が気に食わない。目線をずっと鳳翔さんに向けたまま、気まぐれに撃たれた副砲で中破してしまったこの身が気に食わない。全てが気に食わない。おい、こっちを見ろ。そこまで馬鹿にされて黙っていられるほど、不知火の人間性はできてはいないのだ。だから、あいつの視界に無理矢理入ってしまうことにした。

 

「前進一杯!!!」

 

 一気にスピードを上げ、激しい白波を立てながら目標まで加速する。主機が悲鳴をあげようが知ったことか。狙うは、アイツの、頭。そこに目がけて、一直線。

 

「─」

 

 そうか、これでも見ないか。本当に舐められたものだ。まぁいい、こんなことをしたら本物の艦艇なら座礁するだけだけれど、ありがたいことにこの身は艦娘という人智を超えた何かだ。

 もっと頭を使えとこちらを煽ったそこの頼りになるうちの戦艦ごと、驚かしてやろう。

 

『─なんっ!?』

 

 あなたが驚いてどうするのですか。いい加減付き合いも長いのだから不知火の突飛もない行動に慣れて頂きたいものです。まぁいい、さぁ、みさらせ。

 

「─!?」

「そうだ、こっちを見ろ」

 

 座礁していた船のスロープを利用して。最高速度で乗り上げ、そのまま空へと舞い上がる。体をひねりながら主砲をそいつに向けて。そいつの視界に、踊り出てやった。

 

「沈め!!!」

 

 あらん限りの砲弾をそいつの顔面に叩き込む。これは駆逐艦としての矜持。随伴艦をなにがなんでも守るという、この小さな体に宿らせた誇り。例えこの主砲が全く効かないとしても関係ない。こちらを見ろ、鳳翔さんから視線を逸らせ!!

 

「─!!」

 

 そいつの口から発せられる不協和音。ようやっとこちらを敵と認識したか、それでいい。砲撃の反動でバランスを崩す最中、砲煙の向こう側から覗き見えたそいつと視線がかち合った。副砲がキリキリと音を立てながらこちらを捉えようと動き始める。着水して、再加速までにどれくらいかかるだろうか、と考えて。やめた。必要ない。

 

『─こんの』

 

 だって、必ずここに。

 

『バカぬーい!!!!』

 

 あいつの攻撃が来るのだから。

 敵の頭部にしっかりと当たったその砲撃の余波で、吹っ飛ばされる。ズタボロになりながら、どうにか海上で体勢を立て直そうとしていたら。

 

『ホント馬鹿なんだからぁあああ!!!』

 

 耳元で、無線で。全力で罵声を浴びせる陽炎が、全速力ですれ違いざまに不知火の手を引いた。

 

「─い、っづ!!」

「肩外れたくらいで文句言わないでよね!!主機は!?」

「……奇跡的に、なんともないですね」

「そりゃ、よかっ、たぁ!!!」

 

 そう叫びながら陽炎がこちらを掴んでいる方の腕を思いっきり振り切った。曳航とその勢いのままに加速して陽炎とは別方向に離脱する。

 

『アホかぁー!!!』

『死ななかったでしょう、信じてましたから』

『こんな時だけ殊勝な態度とっても騙されまセーン!!』

『ちっ』

『what !?』

『喧嘩すんな!!』

 

 じりじりと、頭にもたげる不安を紛らわせるためにいつもよりも口数が多くなる。このままではジリ貧だと誰もがわかっていた。何より。

 

『─っ!!しまっ』

 

 どんなに手を変え品を変えても。あいつの、鳳翔さんに対する揺るぎない憎悪を、逸らすことが出来ずにいた。

 そいつの、必ず命を刈り取りらんとばかりに撃たれた砲弾は。三人の隙間をすり抜け、真っ直ぐに鳳翔さんへと伸びていった。

 

 

 ああ、 私も沈むのかと。妙にゆっくりと感じる時の中、私は、私へと真っ直ぐに飛んでくる砲弾と、それによる逃れられぬ死の瞬間を、その事実を。ただ、ただ静かに受け止めていた。

 世界に一人、航空母艦という艦種として産み落とされ。一人、二人と増えていった、娘のように慈しんだ後続艦達は、こんな小さく貧弱な私なんかよりも頼もしく。前線で活躍するその姿を喜ばしいものだと感じると同時に、一人、二人と徐々に徐々に沈んでゆくあの娘達を、ただ見届けるしか出来なかったこの身を。また、最後に一人となってしまったこの身も。ついに、沈むのか、と。

 

『いって、参ります』

 

 生まれる前からずっと寄り添ったあの娘も、先に逝ってしまった。きっと、あの娘は私を恨んでいるだろう。戦艦の時代の幕引きを引き起こした、航空母艦の最初の一人である私を。だって、彼女の妹である武蔵の声が。

 

「─空母サエ、イナケレバ」

 

 戦い始めてからずっとずっと、うらめしげに私の耳に届くのだから。

 だからこれは、報いなのかもしれないと目を閉じた瞬間。轟音と衝撃。目を閉じていた私には、それしかわからなかった。直射だ、沈む間もなく死んだのだろうか。なんだか誰かに温かく抱きとめられているようで、深く、深く、寒い海底に沈んでいったあの娘達よりも、一撃で屠られた私がこんな優しい死であっては申し訳が立たないな、とぼんやりと思った、その時。

 

「─だいじょうぶ、ですか」

 

 まるで泣いているのではないか、というほどか細いあの娘の声が聞こえてきて。ずっと、ずっと寄り添って、それはそれは目にかけて。その優しさを、その強さを、美しいと憧れ。死地に向かうその背中を見送るしかできなかった、あの娘の、そのぬくもりなのだと。愛しいあの娘が私を抱きとめていることを、ここは死後の世界ではないのだということを、理解した。

 

 

 もうダメだと、思った。初めて仲間を、失ってしまうのだと。

 

『─大和』

 

 着弾するその寸前。盾になるように滑り込んだ、あの人の存在に気づくまでは。それは、一瞬であったかもしれないし、もっと、もっと長い時間であったかもしれない。あの人が現れた瞬間。ここにいる全員が、深海棲艦を含めた全員が、動きを止めた。

 

「─ァァアアアア゛!!!」

 

 その静寂を破ったのは、深海棲艦の怒号。今までにないほどの殺意が、膨れ上がる。何を言っているのかノイズが酷く理解することはできなかったが、その言葉がわからなくても、明らかにあそこにいるあの人に怒っているのだとわかった。

 ─まずい。さっきの砲撃で彼女はダメージを負ったのだ。こちらも幾ばくかこいつにダメージを与えているとは言え、このまま真正面から、鳳翔さんを庇わせながら戦わせるのは。

 

『─オイ』

 

 それは、この無線では初めて聞く声。戦場を求め、負けることをよしとせず。常に前へ進もうとする勇敢なる軽巡洋艦の、声。

 

『どこ、見てんだァ?』

 

 この戦場において、どこか楽しそうに。お礼だぜ、と彼女は笑った。

 

 

「─だいじょうぶ、ですか」

 

 発したはずの己の声は、自分でも驚くほどに情けなく。ああ、やはり自分は臆病者であるのだなぁと、思った。それでも。

 

「─」

 

 きちんとここに、この人のぬくもりがあることを。この人の命の灯火を消さずに済んだのだということを確認出来て、ついつい涙声になってしまうのは、しょうがないことだと思うのだ。

 この身が頑強でよかった。さっきの攻撃で背部の第三砲塔がやられたけれども、そんなのどうだっていい。この人を死なせたら、私は、死んでも死に切れない。

 ゆっくりと身を起こし、彼女を庇うようにして敵を、武蔵を見据える。その瞬間。

 

「─ナゼ!ソイツヲ、空母ヲ庇ウ!!」

 

 武蔵が、吠えた。ああ、そうか。やはりそうなのか。あの日、あなたは空母の存在を恨めしく思いながら、沈んだのか。

 正面から膨大な殺気を受けているというのに、どこか私の心は凪いでいた。

 きっとあれは、あったかもしれない大和の姿。私が、大和が呉に居続けたら飲み込まれていたかもしれない未来。それを、断ち切れたのは。

 

『どこ、見てんだァ?』

 

 舌なめずりでもしそうなほどご機嫌な天龍さんの声が届いた瞬間、武蔵の左側に火柱が立ち上ぼり、微かにあの子がよろめいた。

 そうだ、武蔵が歯牙にもかけなかっただろう私の仲間達の攻撃は、着実に武蔵の身を削っていたのだ。あの日、あの場所で。一人取り残されて標的となったのに、思い出せないのか、仲間の大切さを。

 

「─第一、第二主砲」

 

 私の声に呼応し、妖精さん達が忙しく主砲を動かし始める。

 

「ねぇ、武蔵。確かに私達は空母がいたから沈んだのかもしれないけれど」

 

 この声が届くかは知らない。だからこれは自己満足だ。これから、屠る相手への手向け。

 

「─でも」

 

 このまま撃ち合えば、あちらの方が早いだろう。武蔵はすでにこちらに狙いを定めていた。けれども。

 

「─空母さえ、いてくれたら。私達は、無敵だった。そうでしょう?」

 

 乱戦で攻撃を躊躇し、一時戦線を離脱していた鳳翔さんの艦上爆撃機が、武蔵より早く。最後の力を振り絞って襲いかかる。それにより武蔵が体勢を崩す。さぁ、これで終わりにしましょう。

 

「─斉射、始め!!」

 

 戦艦大和の。皆に期待され、しかしながらその実力を発揮することなく沈んだ、超弩級戦艦の砲撃が。今、一つの幕を引いた。

 

 

『なんだぁ、オイ、みんなだっらしねぇなぁ!!』

『……天龍さん、ちょっとうるさい』

『いやーごっめんなー!美味しいところかっさらっちゃってよー!』

 

 深海棲艦となった武蔵を倒した後、誰一人欠けることなく帰路につくことが出来る安堵感に包まれたのも束の間。周りを見渡せば、皆一様にボロボロであった、天龍さんを除いて。彼女はと言えば、本人の言う通り最後に美味しいところを掻っ攫ってしかも無傷であるから、体力があり余っているようであった。

 

『……ちっ』

『マイクに舌打ちが乗ってんぞぉ!不知火ィ!!』

『マイクテストしただけですが』

 

 対して、不知火さんはほとんど大破といっていい状態。ボロッボロである。気持ちはちょっとわかる。

 武蔵を倒した瞬間。あの子は一瞬こちらを羨むように見返し、そして光となって消えていった。深海棲艦になってしまったとはいえ、数少ない姉妹をもう一度沈めたことに対して心を痛めていたら、金剛さんが大丈夫デース、早く次は、仲間として相まみえたいものですネー!と朗らかに笑いかけてくれたのが救いだ。神様の太鼓判だ。次は、あの気高く頼もしい妹に会えるといいな、と思っていたら、微かに艦魄からありがとう、と大和からの気持ちが流れてきて。ようやく天岩屋戸に籠っていた天照大御神様も外においでなすったか、と自身の相棒たる付喪神様に苦笑した。

 

『あー、やっと帰ってきたぁ』

『ヘイ、なんか蒼龍と飛龍がめちゃくちゃこちらに手を振っていマスが。号泣しながら』

『……お風呂、すぐ入りたいなぁ』

『あの娘達をなだめるのが先でしょうね』

 

 その会話を聞きながら、ようやっと見えてきた陸地、帰るべき場所を見つめる。ああ、たしかに出迎えてもらえるというものはいいものだ、生きて帰ってこられたのだという実感が湧く。

 

「鳳翔さん」

 

 無線のマイクを切って、隣をゆっくりと航行する彼女に話しかける。

 

「はい、なんですか」

「大和は、ずっと、ずっと言いたかったことがあるんです」

 

 それは、大和が死の間際に願った、小さな小さな願い。それを、ようやく達成することが出来る。

 

「─ただいま、帰りました」

 

 もしあの日。自身が死ぬことなく戻って来られたら。この言葉を、彼女に伝えることが出来たら、きっと笑ってくれただろうか。

 小さな、小さな願い。ずっと私に寄り添ってくれて、支えてくれた彼女の笑顔が見たい、という小さな希望。

 

「─」

 

 それを。

 

「─ええ。おかえりなさい」

 

 ようやく。長い年月をかけて。叶えることが、できたのだった。

 

‐終‐

 



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