路地裏の国のアリス (和泉キョーカ)
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路地裏倉庫
パトカーのサイレンが鳴りやまない犯罪地方、ジャックドッグ。高層ビルが立ち並ぶジャックドッグ随一のオフィス街、ロードフランクの三番街大通りから一本入って少し車を走らせて、スクラップ置き場の角を曲がった細道に、そのぼろ倉庫は寂し気に建っている。
ジャックドッグでも知る人ぞ知る何でも屋、『ワンダーランド』の事務所兼生活拠点である。早速蝶番もガタガタになった錆びたドアをくぐってみよう。
まず真っ先に目に飛び込んでくるのは、これもまたごみ処理場で拾ってきたかのように異臭を放つ、ぼろぼろの緑がかったロングソファ。そこにタバコを咥えて寝転がっているのは、青のワンピースに白のエプロンドレス、手入れすれば輝くであろう薄汚れた金髪には青いリボンをつけ、白いニーソックスと黒い靴を履き、人を信じることを忘れたかのような、無垢の「む」の字も見当たらない細められた青い瞳を持つ年のころ十五ほどの少女のはずだ。彼女が『ワンダーランド』の代表にしてリーダー、人呼んで、『アリス』。
彼女が寝転ぶソファの後ろで手を後ろ手に組んで直立する、高級そうな真っ黒いスーツを身に纏ったウサギ頭の大男が、彼女の護衛にして『ワンダーランド』の
『ワンダーランド』に依頼をするときは、ひとつのルールを踏まえなければいけない。それは、『アリスが気付くか起きるまで口を開いてはいけないし、ドアから離れてはいけない』。これを破ると、倉庫の梁の上でこちらをにやにや見下ろす双子の幼い兄妹、『ディー』と『ダム』に殺されてしまう。
さて、アリスが起き上がったら、コホンとひとつ咳ばらいをしよう。そうすればアリスはこちらに気付いてその三白眼をこちらに向けてくるだろう。
「……何の用だよ。」
そう言われたら、ようやく依頼を口にしよう。それは復讐だろうか? 人命救助だろうか? 盗品回収だろうか? それとも家出した猫の捜索? あぁ、最後の一つを頼むのなら、猫の命は百パーセントないと思ったほうがいい。なぜならディーとダムが殺してしまうから。
「……報酬は?」
ものを頼むには見返りが必要だ。アリスに報酬交渉を取り付ければ、あとは家の安楽椅子でコーヒーでも飲んでいよう。自然と依頼は片付く。
以上が、『ワンダーランド』に依頼するハウツーだ。もっとも、『ワンダーランド』に依頼をするなんて、この世でも指折りのイカレた選択だけどね。
『ワンダーランド』本拠地中央、緑色のおんぼろソファに寝転がるアリスは、やることもなくただぼけぇっと、倉庫の梁の上を走り回るディーとダムを眺めながら、タバコを吸っていた。
「なぁホワイト。」
そばで直立する兎頭の獣人に声をかける。
「なんだ。」
無駄にいい声で、ホワイトが短く応答した。
「することがねぇ。」
「寝てろ。」
「寝た。」
「ディーとダムと遊ぶか?」
「めんどい。っつか死にたくない。」
「ハッターの実験でも見てればいいだろう。」
「死にたくねぇっつったろ。」
「そうなったら私に言えることはないな。」
「能無しかよこのウサギ頭。」
盛大に舌打ちし、咥えていたタバコを吐き出す。すぐにエプロンの裏ポケットから『Griffon』と銘打たれた紙のシガレットケースを取り出し、タバコを一本取って上下の口唇で挟むと、すかさずホワイトがそれにジッポライターで火を付けた。
「あまり吸いすぎるのもいかんぞ。」
「父親面かよ。やかましンだよバぁカ。」
歯で噛むようにタバコを咥えたまま、唇と舌で、梁の上の双子に怒鳴りつける。
「おいガキ共! 窓の外がタール色なの見りゃわかるだろ! さっさと寝やがれ!」
ネズミを追いかけ回していた兄妹は、その言葉でぴたりと止まり、ネズミの頭部を鉄骨で叩き潰してから、アリスに反論した。
「アリスアリス! ぼくらまだ遊び足りないよ!」
「アリスアリス! ボクらまだ暴れたりないよ!」
性格も顔の造形も表情もうり二つの兄妹を見分けるには、声の高さと、発言する順番しかない。先に発音する妹よりはやや低い程度の声の少年がディー、兄よりはやや高い程度の声の少女がダムで、何があってもまず先にディーが発言する。
「充分遊んだろ……さっさと寝ねぇとホワイトにおしおきさせんぞ。」
「アリス! ぼくらここ一週間人を殺してないよ!」
「アリス! ボクらここ一週間依頼を受けてないよ!」
「平和だねダム?」
「退屈だねディー?」
「うるさいわ! 依頼が来ようと来まいとわたしらは毎日寝て食ってションベンしてかねーといかねぇんだよ! わたしらだって人間なんだぜ!? おいバンダースナッチ! ふたりをベッドに連れてけ!」
アリスが怒鳴ると、倉庫の奥から、下手な狼よりも大きな体躯を持った、赤目の黒犬がのしのしと闊歩してきて、ディーとダムを見据えた。兄妹は「ひゃー!」と言いながら梁の上を逃げ回ったが、結局二人とも『バンダースナッチ』と呼ばれた黒犬にフードを咥えられ、寝室まで連行されていった。
「アリス、君も寝たほうがいいぞ。君だってあの二人に偉そうなこと言えるような年齢でもないだろう。」
「だから親父面すンじゃねぇっつってんだろッ!?」
「……すまん。」
「もう寝たってさっき言ったばっかじゃねぇか。お前脳みそあんのか?」
そう言って大ため息をつき、アリスはイライラとした表情のまま瞼を閉じた。
「アンハッピィバースデイ、ホワイト!」
「しっ。」
真夜中の三時過ぎ。黒い中折れハットを被り、レンガ色のベストにネクタイ姿の青年が現れ、帽子を取って大仰な仕草でホワイトに挨拶したが、ホワイトは指を口元に当て、鋭く息を吐いた。彼の直下では、アリスが年相応の少女らしいあどけない寝顔を晒していた。
「おやおやお嬢は
「あまり大声を立ててやるなよ……彼女ほどの年頃の子供はとかく睡眠が何より大事なんだ。」
「ホワイトもすっかりパパだねぇ。」
「……よく言われる。」
「しかしいつものあの顔を見てると、この寝顔はあまりにもらしくない、じゃないか? ほんとにお嬢かねぇ?」
そう言って、中折れハットの青年――通称『ハッター』は、アリスの頭の近くにしゃがみこんだ。
「この顔のまま生活してりゃ今頃ハイスクールのプリンセスだったろうになぁ。」
「まったくだ。」
「プリンセスっつぅよりはブラッディ・マリーか? ケケ!」
そう不敵に笑うと、ハッターは立ち上がり、背後に向かって声を上げた。
「おい双子ォ。」
倉庫の隅で、ふたつの影がびくりと揺れた。そのまま、すごすごとホワイトとハッターの元へやってくる。それはハッターの言う通り、ディーとダムであった。
「お前らはお嬢以上に寝なきゃいけないだろうが。」
「だってハッター! 退屈だよ!」
「だってハッター! 暇だよ!」
白いたっぷりとしたフードを揺らしながら、交互にぴょんぴょんと飛び跳ね主張する兄妹。それに聞く耳も持たず、ホワイトがふたりを寝室に連れ戻そうとしたとき。
『おりゃ。みんなお揃いじゃないか! ちょうどイイや!』
虚空から声がした。そこから一秒経たぬ間に、ホワイトが双子を手放し、襟の裏から拳銃を取り出し声のした方向へそれを向け、ハッターも同じように拳銃を構え、ディーはどこからともなく斧を、ダムはどこからか鉈を取り出した。
『おぉ、コワイコワイ。あたいだよあたい。銃をしまっておくれ。』
そう言って虚空から現れたのは、半獣人の少女だった。ピンク色のネコ耳と毛を持ち、中空をふわふわと漂っている。その顔は表情筋が固まったかのようににやにやしている。
「ハハ、お前ならなお銃はしまえねぇな!」
そう言って、ハッターが安全装置を外す。
『ひどいなぁ、あたいは君らにチカラをあげた、いわばスポンサーじゃないか!』
「そのせいで確かに我々は得もしたが損もしているのだぞ。」
「チェシャ! 次動いたら殺す!」
「チェシャ! アリスに何かしたら殺す!」
『ひゃあ~コワイなぁ。わかったわかった、退散する前に情報をあげるよ。』
「情報?」
『チェシャ』と呼ばれたフシギな半獣人は、くるくると宙を舞いながら、その情報とやらを開示した。
『ジャックドッグで一番大きな犯罪組織、ホワイトちゃん知ってるかしら?』
「……『クランベリー』。」
ホワイトが、拳銃は降ろさずに、その超巨大組織の名称を答える。
『うん! そうだね! そのクランベリーのトップが「フシギ」を与えられたみたいなんだ!』
「何!? 貴様、どういうつもりだ!」
『わわ! あたい何もしてないよ! あたいはただのしがない武器商人さ! 「フシギ」を与えているヤツはあたいの他にもいるってことさ!』
「はん、にわかにゃ信じられねぇな。チェシャだし。」
『まぁまぁ、それが言いたかっただけだからさ! それじゃあたいはこの辺で!』
「おい、待ちな。」
ハッターの制止に、チェシャはにやにや笑いながら振り向いた。
『ん?』
「お嬢が挨拶したいってよ。」
『んん――?』
その瞬間、チェシャの腹部に風穴があいた。
『……ゴフッ。』
チェシャは驚愕に目を見開きながら、にやにやと歪めた口の端から血を吐き出した。
「……オイ。」
その銃弾の主は、睡眠を妨害されたアリスだった。いつもの悪すぎる目つきでチェシャを睨み、拳銃を構え直す。
「わたしゃあな、寝るのが何より好きなんだよ。わたしの至福のオネンネタイム邪魔してんじゃねぇぞクソビッチ猫サマよ。」
『はいはい、お邪魔しましたよ!』
直後、チェシャは煙のようにその場から消え失せた。
「
中指を突き立て、チェシャが消えた虚空に唾を吐くアリス。しかしその後、怒りの矛先はその場にいた面々に向けられた。今にも発砲しそうな様子のアリスをなんとかなだめ、ハッターは研究室に、双子は寝室に戻った。
「チッ。ざっけんなクソ共が。」
「だいぶストレス溜まってるな?」
「ったりめぇだ、ガキ共にあぁは言った手前、わたしだって暴れたりねぇさ、ここ一週間人の血を見てねぇ。」
「……アリス。来客だ。」
「噂をすれば、か。ネコ探しならネコもろともドタマぶちぬくけどな!」
キシシ、と笑い、開かれた倉庫の扉に目をやる。その瞳は、おもちゃを買ってもらう直前の幼子のようにきらきらと光っていた。
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アダム・アバークロンビー殺害任務(前編)
そこに立っていたのは、中肉中背で、前を開けた黒のロングコートにフードを被り、迷彩柄のバンダナをマスクにした、見るからに悪そうないで立ちの青年だった。
「よぉ、お前は運がいいな。わたしが起きてるときにやってくるなんてよ。」
青年は、ロングコートのポケットに手を突っ込んだまま、アリスを睨み、低い声で尋ねた。
「……お前が、アリスか。」
「あぁ、わたしが何でも屋『ワンダーランド』主人、アリスだぜ。」
久々の依頼人だからか、アリスは高揚した語調でそう答えた。青年は、きょろきょろと辺りを見回してから、近付いてもいいかと尋ねた。アリスは承諾し、青年はアリスの数十センチ先の場所まで歩み寄ってから、依頼内容を伝えた。
「……俺、トーマスってんだ。フルゼルンの方で
「はん。」
アリスは鼻で笑い、先を促した。
「ひとりの男がいてさ……。ソイツ、俺の顧客だったんだけど、軍人だったんだ。そろそろ……ヤバそうでさ。」
そう言って、青年はこめかみの辺りで指をくるくると回した。
「このままあいつが軍務を全うしちまうと、いずれあいつの上官があいつがキメてるってことに気付いちまう。そうなると俺が塀の向こうでオネンネすることになるのも時間の問題だ。そうなったら俺商売あがったりだぜ。上物の顧客の不満買ってムショ出た途端今度はカミサマのお膝でオネンネなんてイヤだぜ。」
「つまりそのドラッグピクルスの野郎をぶち殺せってのか? それだけのために『ワンダーランド』に?」
「問題はそこからなんだ。あいつ、何を考えたのか自分が殺されそうなことに気付きやがった。あいつは数人の傭兵を雇ったんだ。俺も普通の殺し屋も何人か雇ったけど、全員その傭兵に殺された。」
「それでウチに――か。」
「もう頼れるのがあんたらしかいないんだ、頼むよ!」
そこまで聞いて、アリスは青年に向かってゆっくりと手を差し伸べた。青年が困惑しながらアリスの手を取ろうとすると、アリスはその手をはたき、今度はびしっとまた手を差し出した。
「いくら出すんだ?」
「あ……あぁ、そういうことか……あいにくと持ち合わせがほとんど前の暗殺者たちで消えてるんだ。五万ドルじゃダメか?」
「……おいおい、聞き間違いか? おいホワイト、このガキ今なんつった?」
「嘘だろ!?」
アリスの不敵な笑みに、青年は絶望の悲鳴を上げる。
「……五万ドルと。確かにそう言ったな。」
「はっはー! おいおい小麦農家さんよ、ナメてもらっちゃ困るんだよ、わたしらは天下の『ワンダーランド』……ジャックドッグいち頭のイカレた何でも屋だぜ? そんなはした金で動くと思ったらそりゃお前のママはお前の育て方間違えたな!」
「この金キチガイのビッチが! こっちは金がねぇっつってんだろホントに耳大丈夫かよ!?」
「ゼロふたつ足りねぇなぁ。」
唾を吐くほどの罵倒も意に介さず、アリスは青年の眼前でピースサインをする。
「五百万ドルだ……それなら乗るぜ。これからの人生とドル札、どっちが大事だよ? しかも今ドル札選べば確実な安全が保障されるぜぇ?」
青年はたじろぎ、一歩後ずさった。その額には、これでもかというほど汗がにじんでいる。コートの袖で汗を拭い、歯ぎしりをしながら、言葉を紡いだ。
「そ、……そんな大金、用意できない。」
「じゃ、交渉決裂だな!」
「ま、待ってくれ!」
「……なぁんか勘違いしてるみたいだけどよ、ビジネスマンさんよぉ。わたしゃあ、何も今払えなんて言ってないんだぜ?」
「……え?」
「『払えるときに』五百万ドル払えっつってんの。」
その言葉で、青年の表情に一気に明るさが戻った。その瞳には、涙すら浮かんでいる。
「ほ、ホントにいいのか!?」
「いいっつってんだろ。気が変わらねぇうちに『それで』っつっとけタコ。」
「ありがとう! よろしく頼む、『ワンダーランド』!」
「毎度あり!」
アリスは、その目つきの悪すぎる視線で青年を睨み、にかっと笑って青年と握手をした。
「アリスアリス! 久しぶりの人殺しだね!」
「アリスアリス! 久しぶりの依頼だね!」
「あぁそうともよ……この時を一週間待ち遠しみにしてたぜ! これでその傭兵とやらが弱っちょろかったら、あのブツ売りのガキの脳みそでプラマイゼロだな。」
倉庫に設けられた一室で、『ワンダーランド』の面々は作戦会議を行っていた。真ん中にスチール製の大きなテーブル、四方の壁にはジャックドッグの指名手配犯の顔写真や、主な観光名所のパンフレットが広げられた状態でピン留めされている。
今、テーブルの上には、ジャックドッグ全体の地形図が広げられている。そして、テーブルを囲んでいるのは、まず北側にアリス、東側にホワイト、ハッター、西側にディー&ダムと、ハッターの従弟で爆弾処理を得意とする『マーチ』がいるような形だ。
「この倉庫から件の軍人……名前を『アダム・アバークロンビー』。ちなみに階級は陸軍軍曹だそうだ。アバークロンビー邸までは、私の運転であれば三十分あれば到着する。ラルヴァによる情報が正しければ、アバークロンビー邸に配置された傭兵の総数は六人。二人は正門前、二人は庭番、ひとりは屋根の上、ひとりは邸内を警邏しているらしい。」
ホワイトが、倉庫から目的地までのルートや基本情報を伝達していく。
「まぁ、大抵の暗殺者はやられてるって言うし、あまり正面突破はしたくないところだな……。」
アリスが呟くと、ディーとダムが飛び跳ねながら反論した。
「アリス! ぼくら正面から行けるよ!」
「アリス! ボクらヘイト集めできるよ!」
「なる、ほど。」
アリスは二人を見て何か思いついたのか、その場の面々に作戦を伝えた。
「暇だな。」
「暇つってもこれが仕事なんだぜ?」
アバークロンビー邸正門。二人の防弾チョッキ姿の男が、銃を携えた状態で会話をしていた。
「ちょっと前まではなんか暗殺者だの狙撃手だの来てたんだけどなぁ……。」
「クライアントは命を狙われてるのかね?」
「さぁ……。俺にはただのヤク中にしか見えねぇけどな。」
そこへ、白い厚手のローブを着た、二人の子供がやってきた。子供は正門のふたりの前で立ち止まると、両手をふたりに差し出した。
「「トリックオアトリート!」」
息を揃え、そうにこにこ笑顔で言い放つ。正門を見張っていた二人は、一瞬唖然としてから、大笑いして、ひとりが彼らの目線に合うようにしゃがみこんだ。
「おいおい坊ちゃんたち、双子かい? トリックオアトリートってのはな? ハロウィンの時に言うセリフだぜ。」
「おじさんお菓子持ってないの?」
「おじさんトリート持ってないの?」
双子はそう確かめ、また息ぴったりに叫んだ。
「「それじゃ、
双子のうち声の低いほうはフードの中から斧を、声の高いほうはローブの裾から鉈を取り出し、しゃがんでいた男に斬りかかった。しゃがんでいた男の頭蓋に斧と鉈がめりこみ、血の噴水を作り上げながら男が倒れこむ。
「こッ、こいつら!?」
立っていたほうの男は、手にしていたAk5を乱射しながら後退し、身に着けていたトランシーバーに怒鳴りつけた。
「き、緊急! ファルコが殺られた! 敵は正門にいる! 応援頼む!」
幼子の速度とは思えぬスピードで次々に得物を振るう双子から距離を取り、開けた前庭に逃げ込んだ時、斧を持った幼子の胸部に一撃の銃弾がぶすっと音を立てて貫通した。その場で鉈を持ったほうの幼子が相方に駆け寄ると、その幼子の肩にも銃弾が撃ち込まれる。
狙撃の主は、アバークロンビー邸の屋根の上にうつ伏せの状態でライフルを構える、やせ型の男だった。
「こちらビクター、ガキの死亡確認を頼む。」
狙撃手がそう言って退屈そうに欠伸をしたときだった。突如狙撃手のこめかみから血が勢いよく吹き出し、狙撃手が屋根の上に力なく倒れた。その傷口は、完璧な円形だった。
「……アタマ入ったよ。移動して。」
そう淡々と伝えて、少年は搭乗していたヘリコプターの座席に倒れこむ。
「危ないからシートベルトを付けろ……。」
ホワイトが呆れながら言うも、少年は既に寝落ちしていた。この小さな体躯のどこにそれを扱う筋力があるのか、狙撃銃H&K G28を抱えて眠る白髪のこの少年は、『ワンダーランド』狙撃担当、『ダンテ』。アリスが拾ってきた、アリスと同じく孤児である。
ホワイトはやれやれと首を振りながら、なるべく揺れぬようヘリコプターを操作し、その場から離れるのであった。
既に死亡した狙撃手の通信を受け、Ak5を持った男は、折り重なるように倒れる幼子のもとに歩み寄り、その弾痕を確かめる。確かに、片方の幼子の心臓の直上から、背中に向かって貫通しているし、もう片方の幼子だって、肩から入って首を貫通している。
「……こんなガキが……殺し屋だってのか……? クソッ! なんだって俺はこんなガキ相手に……。」
そう、男が悔悟の毒を吐いた時だった。男の視界の端で、ふたつの死体が動いた。
「え――?」
「「トリックオアトリート!!」」
瞬間、男の両目に、銃弾がめり込んだ。
「――っ!? っ、ぐ、ぎゃああぁぁ!!?」
死ぬに死にきれず、男が悲鳴を上げながらのたうち回る。
「見えない! 何も、何も見え、ひいぃぎゃ、あああぁ!!!」
「うるさいよおじさん。」
「やかましいよおじさん。」
幼子の似たような声が、男の耳朶に触れる。状況判断をするならば、幼子が男の眼球目掛けて銃を発砲したのだろう。
「おじさん、だめじゃないか、子供に銃を向けたら。」
「おじさん、いけないことだよ、子供を銃で撃つなんて。」
「「だからぼクらが、おじさんに銃の使い方、教えてあげる!」」
なぜ生きているのか、喋れているのか、そんなことを考える暇もなく、男は撃たれ続けた。即死するような場所ではなく、ギリギリ生きていられるような箇所を重点的に。
「はーいさっさと入ってー。」
アバークロンビー邸、庭園。別動隊のアリス、ハッター、マーチが、垣根を飛び越えて邸内に侵入していた。ハッターとマーチは抵当姿勢で隠密行動をしていたが、アリスは臆することもなく堂々と庭内を闊歩している。
「お嬢、ちったぁ隠れてくれよォ! ばれたらどうすんだよ!」
「ハッター、今更ってもんだぜ、それこそ……。」
「ばれたら? こうするんだよ。」
突如、発砲方向も見ずに、アリスが手にした拳銃の引き金を引く。その数メートル先で、ライフルを手にした男が、プールの中に水しぶきを上げて倒れ落ちた。
「おバカーーー!!」
「お嬢、
ハッターとマーチが顔を真っ青にしてアリスを叱るが、アリスは耳を塞ぎ、
「あー、あーー。んなギャアギャア言う暇あるならアレ殺ってこいよ。」
と言って、プールの奥から現れた巨漢を指さした。巨漢は毛むくじゃらで、熊の頭を持ち、銃器の類は一切所持していなかった。
「わーお、ハッター、獣人だぜ獣人。」
「見りゃアわかるわ!」
「じゃ、せいぜい死んでこいや
「お嬢ー!?」
直後、ドカンと大きな音と衝撃が感じられたが、アリスは構わず邸内に侵入した。
「『ワンダーランド』とお見受けするが、どうかな。」
エントランス・ホールのど真ん中に仁王立ちしていたのは、細身の青年だった。手には二挺拳銃。アリスは手にした拳銃を握り直し、その質問に答えた。
「あぁ、確かにわたしらは『ワンダーランド』だぜ。よくわかったな。」
「この街に住んでいる裏者として、その名前とメンバーの顔くらいは覚えていないとね。」
「なるほど……な!」
次の瞬間、青年とアリスは同時に走り出していた。
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アダム・アバークロンビー殺害任務(後編)
アリスは、エントランス・ホール両壁際に配置された二階への階段の裏側に隠れていた。既に体力を大幅に消費し、肩で息をしている。
「お疲れですか? アリスちゃん。」
「ケッ、『ちゃん』はやめろトニー・スターク! お前女癖悪いだろ!」
相手もどうやら反対側の階段の裏側にいるようだ。アリスは弾切れになった拳銃をリロードしながら、階段越しに怒鳴る。
「そこそこ楽しいぜ、せっかくだ、お前の名前聞いてやるよ、トニー・スターク。お前名はなんていうんだ?」
「皆からは『
「聞いたことねぇ名前だな……お前ジャックドッグの人間じゃねぇだろ。」
「流石、ジャックドッグに名高い何でも屋の総大将だ。お見通しだね。そう、僕らは遠くフロリダから来たのさ。」
「はん、反対側じゃねぇか。よくもまぁこんなヤク漬けチンコの護衛なんて引き受けたな。」
「アダムは僕の軍役時代の後輩でね。まぁそのツテでさ。」
「あー? お前今何歳だ?」
「今年で六十八になるよ。」
「馬鹿言え、んなツラじゃねぇ、そいつぁハタチそこそこの甘ちゃんじゃねぇか。」
「僕、ムカシトカゲのクォーターでね。流石に純正並みの長寿とまではいかなくても、六十八ってのは本当さ。」
「はーん。……ところでよぉ、シュガービーンの兄ちゃん。そろそろシェスタおしまい、でいいか?」
「僕はいつでもそのつもりさ――!」
その声がしたのは、アリスの頭上だった。吃驚の表情でアリスが直上を見上げると、吹き抜けのエントランスホール二階から、シュガーハットがアリスを飛び越えながら二挺拳銃をこちらに向けているところだった。
アリスは咄嗟に前転でその場から離れるも、その白いニーソックスを裂き、弾丸が彼女の太ももをかすめた。
「ち――!」
自分の目の前に着地するシュガーハット目掛けて発砲しながら、アリスは踵を返して階段の裏側に回り込んだ。壁に背をくっつけ、飛び出してくるシュガーハットの鳩尾に裏拳を入れようと手を鋭く動かす。
しかし、逆にその腕を掴まれ、アリスは高く宙に投げ飛ばされた。アリスとシュガーハットは互いに銃を向け合い牽制しつつ、やや距離を取る。
「さて、僕のことを甘ちゃんというんだ……
「ケッ、シュガーバナナ野郎が……。」
「シュガーハットね。」
「うっせ死ね!」
そう吐き出し、一気に三発発砲する。しかしシュガーハットは素早く低頭姿勢を取り、銃弾を躱し、走り出した。視界から消えたシュガーハットを目で追って振り向いた瞬間、アリスの鼻先に鈍い激痛が走る。
「……っの……!」
拳銃のグリップでアリスの顔面を殴ると、そのまま彼女の額目掛けて発砲するシュガーハット。アリスは相手の拳銃のスライドを掴んで照準をずらし、なんとか頬のかすり傷で済ませた。
「クソガキとのチャチャチャは楽しいかよ、シュガーパイ!?」
「シュガーハットね!」
シュガーハットの中段蹴りを避けた次の瞬間、アリスの眼が、文字通り光った。それは彼女の持つ青い目ではなく、虹彩が赤からオレンジのグラデーションという、不思議な色合いの眼だった。
「それは……!?」
吃驚したシュガーハットが一歩退くと、彼の腹部に強烈な衝撃が突き刺さった。
「アリスアリス! こちらディーとダムだよ!」
「アリスアリス! 門番死んじゃったよ!」
ぐちゃぐちゃになった肉塊の前で、ディーとダムが無線のスイッチを入れ、報告する。
「こちらホワイト。連絡が遅れたが狙撃手は始末できた。あまり遅くなるなよ。」
本拠地倉庫の車庫、高級そうな黒塗りのセダンのトランクで丸まって眠るダンテに毛布を掛けながら、ホワイトも無線を入れる。
「お嬢! こっちもなんとかなったぜェ!」
「俺の脚が折れたことは『なんとかなった』に入るのか!?」
小型照明機材が突っ込まれたプールの中に沈む熊の獣人を覗き込みながら、ハッター、マーチも連絡を終える。
「――だってよ。どうだい、気分は?」
アリスが無線を切って左を向く。そこには、頭から血を流して壁にもたれかかるシュガーハットがいた。背後の壁には小さなへこみができており、どうやらそこに叩きつけられたのだろうと考えられる。
「……ハハハ、人間の身体能力じゃないよ、それ……。一体何が起きたのか教えてもらえるかな?」
「こいつか?」
赤みがかった瞳を指さし、アリスは不敵に笑う。
「この街で見られる怪奇現象だ、総称『フシギ』。怪奇現象を人間の能力として備えるチカラって言って方が分かりやすいか。
わたしが持っているのは『ユウキ』らしい。圧倒的不利な状況に陥った時や自分の身に危険が迫った時なんかに発動する。こいつぁわたしの挑戦心や闘争心の強さに応じて、わたしの身体能力をガン上げしてくれるのさ。ま、
そう言って、踵を方向転換させ、シュガーハットめがけて突進していく。シュガーハットは苦々しい表情で舌打ちし、その場で二挺拳銃を乱射した。そのことごとくを人間とは思えぬ速度で躱し、シュガーハットの鼻先まで肉薄するアリス。そして。
「おチンチンにバイバイしなァ!!」
そう雄叫びを上げ、その上昇した脚力で、シュガーハットの股間を蹴り上げた。人間を容易く吹っ飛ばすほどの脚力で股間を蹴られたシュガーハットは、白目をむき口から泡を吐きながらその場に倒れ伏した。
アリスはそのまま邸内をくまなく探したが、アダム・アバークロンビーの姿はどこにもない。
「あー。ハッター、マーチ。ターゲットは見つかったか?」
無線で尋ねると、すぐにマーチから返答があった。
「お嬢、書斎に地下通路への隠し扉があったぜ。」
「でかしたマーチ!」
アリスが書斎に向かうと、確かに本棚の裏の床にぽっかりと穴が開いており、下へ降りるためのはしごがかかっていた。
七メートルほど降りた地下通路は薄暗く、遥か先まで続いていた。進行方向を見つめると、暗い闇に吸い込まれそうな気がして、アリスは少しぶるりと身を震わせた。
「あ? なんだお嬢、チビりそうか? ケケケ!」
そうからかうハッターの股間も蹴り上げたが、幸いその目は青色に戻っていた。
「イテテ……おいお嬢、蹴るなら蹴るって言えよ!」
「言ったらどうしたんだよ。」
「逃げた。」
「それ見ろ。」
不用心に銃も構えず突き進むアリス。ハッターとマーチはやれやれと首を振りながら、手にしたAK-74を構え、アリスに追従して歩く。
十分ほど歩いた頃、進行方向から声が聞こえてきた。曲がり角があるらしく、アリスがその曲がり角で一旦停止し、声のする方をちらりと覗くと、そこには写真で見たアダム・アバークロンビーと、黒服の男が話し込んでいるところだった。
「話が違う! お前たちならどんな暗殺者が来ても対処できると言ったじゃないか!」
「これは想定外だ。まさか相手が『ワンダーランド』を雇うとは思ってもいなかった。完全に私の慢心だ。この通路の先は下水道につながっていると言ったな? アバークロンビーさん、あなただけでも逃げてくれ、ここは私が――。」
「そう簡単に行かせるかよ!」
会話を妨げ、アリス、ハッター、マーチが飛び出し、それぞれの得物を乱射させる。
しかし、黒服の男がアダム・アバークロンビーをかばうように通路に立ちふさがり、銃弾はすべて男の体に当たった途端ひしゃげて地に落ちてしまった。
「アバークロンビーさん、逃げてくれ!」
アダム・アバークロンビーが逃げ去ると、男は身動きもせずその場に立ち尽くした。
「俺はフシギ持ちのニコラ・レンポート! 俺のフシギは『コウカ』! 俺の体はいかなる銃弾、いかなる刃をも通さぬ鋼鉄の肉体だ! ここは通さんぞ、『ワンダーランド』!」
アリスたちは微動だにしないニコラから離れ、曲がり角に引っ込んだ。
「おいおい、こっちも初耳だぜ、わたしらと華僑以外にもフシギを持ってるやつらがいるのか!?」
「この前のクソネコの話じゃ、ネコ以外にもフシギをばらまいてる奴がいるんだってよ。」
「……で、あの黒くて硬くて大きな
「へし折るしかねぇだろ。」
「どうやって?」
「ドク、今日のオクスリは?」
アリスに尋ねられたハッターは、ウェストポーチからコルク栓がしっかりと閉められた試験管や丸底フラスコを取り出した。どれも、中身は緑や紫の液体で満たされている。
「即時回復、全身麻痺、殺人強酸……の三種類だな。即時回復はマーチに使って一本減ってる。」
「よし、三番目で行こうぜ。」
アリスは黄色い液体の入った丸底フラスコに粘着爆弾を貼り付け、曲がり角から男のいる方向へ投げ込んだ。すぐにドカンという爆音と衝撃、爆風がしたが、その数秒後にこの世のものとは思えぬ断末魔が聞こえた。やはり、爆発では死ななかったようだ。
「どうなったかなーっと!」
曲がり角から男がいた方を見ると、そこには何もなく、血の海だけが広がっていた。
「お嬢、その血、まだ酸が残ってるから気を付けろよ。」
血の海を飛び越え、逃げ去ったアダム・アバークロンビーを追いかけて走る一行。しかし、標的は案外遠くには行っていなかった。なぜなら、暗闇の通路の途中でうずくまり、なにかをぶつぶつと呟き続けていたからだ。
アリスらは互いに互いを見合い、肩をすくめると、代表してアリスが彼の後頭部を撃ち抜いた。
「任務は完了だ、小麦屋さんよ。」
「ありがとう、『ワンダーランド』! あぁこれ、とりあえず二百万ドルだ。残りはぼちぼち返していくよ。」
ジャックドッグの港湾地区、フルゼルン。アリスは任務達成の報告を、依頼主のトーマスに伝えに来ていた。そこで報酬の一部をもらい、少し会話をしていた。
「そういや、小麦屋さんはどっからホットケーキ・ミックスを仕入れてるんだい?」
「俺か? 俺は竜門会っていう中国マフィアからさ。知ってるか?」
「いや、知らん。有名か?」
「そんなに、だな。でも容赦ないって聞いてるぜ。実際、同業の別人がイキがってその場で射殺されてるのを見た。あぁはなりたくねぇな。」
「ハッ、まぁせいぜいチャイニーズに頭ペコペコさせて生きてるんだな。」
アリスはそう鼻で笑い、ホワイトのセダン車に乗ってその場を去っていった。
「見ていたか? ワン。」
「えぇ、ばっちり録画済みです。」
「いずれ会うであろう『ワンダーランド』……まさかあんな少女がいるとはな。」
アリスたちが会話をしていた場所から少し離れたコンテナの上で、アジア系の顔立ちの二人の男が、カメラを回していることに、アリスも、トーマスも気付いていなかった。
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ミス・ドルフィンの武器商店
『ワンダーランド』本拠地倉庫、ダイニングキッチンルーム。寝ぼけ眼のアリスとディー&ダムが、おぼつかぬ手でグレイビーソースがかかったパンケーキという妙ちきりんな食べ物をもそもそと食している。その横では、普段通りの黒スーツを身に纏ったホワイトが、かなりの速度でシーザーサラダを口に運び続けている。
「よォ野郎共、アンハッピーバースディ!」
「んん……おはようハッター……。」
いつもの低い声ではなく、年相応のかわいらしい声で、アリスは部屋に入ってきたハッターに挨拶する。ハッターはアリスの向かいに座り、既に手元に置かれていたアーモンドミルクを飲み干し、アリスに話しかけた。
「お嬢ー。やっぱアンタそのまんまでいた方がいいぜ、何かとよォ。」
「んー……。いざとなりゃ猫被れるし……。」
「意識あるんだな……。あ、マーチ! 俺スクランブルエッグな!」
キッチンに立っていたエプロン姿のマーチが手を振って応答すると、ハッターは背もたれに大きくもたれて、今度はホワイトに話を振った。
「ホワイト、今日の予定はどんな感じなんだ?」
「今日は特に用事は無いな。強いて言うならドルフィン嬢に会いに行く程度か。」
「げぇ、ミス・ドルフィンかァ……。そりゃまたどうしてだよ?」
「FOL社の最新式ガンシップを入荷したらしい。ついでにハインドでも買えれば重畳だな。」
「置く場所あんのかァ?」
「地下ならまだある。」
マーチがハッターの前にスクランブルエッグが盛られた皿を置くと、いったんそこで会話をやめ、ハッターはスクランブルエッグをトーストに乗せ、速くもなければ遅くもないスピードで食べ始めた。
そこへ、バンダースナッチを連れた、アゲハ柄の着流しを片肌脱ぎで身に纏う、アジア風の顔立ちの青年が現れた。
「あぁ、ラルヴァか。珍しいな。今日は一番遅かったぞ。」
ホワイトにそう言われ、青年は手にした煙管をすぱ、と吸い、微笑んで見せた。
「夜更かしが過ぎてしまったものでね。」
彼は情報戦や敵情偵察などを担当する日本人、『ラルヴァ』。自称ニンジャである。ラルヴァは戸棚からドッグフードを取り出してステンレス製のフードボウルに盛り、バンダースナッチに差し出すと、自身は冷蔵庫から白米を取り出し、レンジで温め、生卵をその上に割り、醤油をかけたものをさくさくとかきこんだ。
「ラルヴァ~……。いつも思うけど、それうまいの……?」
「おいしいよ。日本人のソウルフード、『卵かけご飯』さ。」
「ジャパニーズのソウルフードはスシなんじゃねぇの?」
「アメリカ人が毎日ハンバーガー食べてないのと一緒だよ。」
眠そうなアリスの質問にも律義に答え、食べ終わった食器を流しに置き、ダイニングキッチンを後にする。
「アリス、目が覚めたら僕の部屋においで。今日は数学と体育だよー。」
「んー……。」
鷹揚な返事を受け取り、ラルヴァがドアを閉めると、各々食事の終わったホワイト、ハッターもマーチに食器を渡し、部屋を去っていく。結局、最後まで残ったのは、食事中に寝落ちしたディー&ダムと、舟をこぎながらパンケーキを食べるアリスだけだった。
アリスは「学校」と名の付く教育機関に入学した経験がない。それでも今こうして何でも屋のリーダーとしてそこそこ立派にメンバーを引っ張っていけているのは、その天性のカリスマもあるが、ジャックドッグのスラム集落、ストリート・ザ・ボッグで、死にかけのアリスを助けたラルヴァが直々に勉学を教えているからでもある。
「……アリス。」
「……んだよ。」
そんなアリスは、ペンを弄りながら、今まで自身がノートに書きこんできた中学生レベルの数式を睨んでいる。ラルヴァは呆れ笑いを浮かべながら、煙管片手に数式の相違点を指摘する。
「ここ、計算が違うよ。」
「うっせぇ! んなもん言われなくてもわかってんだよッ!」
「はいはい、それじゃ正そうね。」
アリスは彼女らしくもなく青筋を立てつつも、素直に消しゴムを使って数式の一部を消し、また書き直した。
「……ん、できた。」
「はい、正解。よくできました。」
アリスが大仕事でも終わらせたかのように大ため息をつきながらどっかりと椅子に深く座りなおした時、アリスの背後のドアが開き、アリスはイナバウアーのような体勢でそちらを見た。
「授業は終わったか、ラルヴァ。」
それは、黒塗りの高級セダンのカギを指でくるくると回すホワイトだった。
「うん、今しがた終わったよ。」
「わかった。アリス、ドルフィン嬢のところに行くぞ。」
「マジ!? 行く行く!」
アリスは目を輝かせ、椅子からぴょこんと飛び降り、ホワイトを追い越し、車庫に走っていった。ラルヴァとホワイトは顔を見合わせ、やれやれと肩をすくめるのであった。
副流煙が充満する車内で、アリスはひとりいつもの悪役のような含み笑いをしていた。後部座席では、ディーとダムが通称『指切りじゃんけん』で遊んでいる。じゃんけんで負けた方が指を一本切り落とされるという、狂気の遊戯だ。再生能力が異常に高いフシギを持った二人だからできる芸当だろう。
「その血しぶき、誰が掃除すると思っているんだ……。」
ホワイトのため息もスルーして、アリスは本日十二本目のタバコに火をつける。
「いいじゃねぇかよ、ホワイト! 子供は風の子元気の子、ってラルヴァも言ってたぜ!」
「本当にドルフィン嬢の元へ行くとなると機嫌がよくなるな、アリスは……。」
陽気に鼻歌を歌いながら、アリスは何度も話題に上がる『ミス・ドルフィン』の滞在するホテルへと向かう。
ジャックドッグ一の歓楽街、リングホールの一画にそびえ建つ高層ホテルの地下駐車場にセダンを停め、一行が下車すると、そこには角刈りの金髪の青年がいた。身長はホワイトと同じくらい高い。マガジンポーチ付きの防弾ベストを身に着け、M16を装備した青年は、アリスに向かって気さくに挨拶した。
「ヨッ、アリスちゃん、元気してたか?」
「レグルス、毎度思うけどよ、んだよそのフル装備! 別にわたしら相手に警戒することもねぇだろ!」
「アリスちゃん、こいつが俺たちの仕事なんだよ。俺ひとりで出迎えしてる時点でかなり警戒してないんだぜ?」
『レグルス』というその青年は、エレベーターホールまで一行の先頭に立ち、まるでボーイのように、最上階のひとつ下の階のスイート・ルームまで案内した。
「ドルフィン! アリスちゃん御一行がご来店だぜ!」
レグルスが呼びかけると、部屋の奥から、アリスと同年代ほどの少女がひょこっと顔を出した。
「やぁアリス!」
「よぉミシェラ!」
沈みかけの夕日のような赤毛の少女は、アリスの元へ駆け寄り、盛大にハグをする。
「アリス、ホワイトさん、ディーちゃんダムちゃん、ようこそミス・ドルフィンの武器商店へ! あいにくと散らかっちゃってるけど、まぁとりあえず座ってよ! ティーポット! みんなにお茶出して!」
そう言ってアリスとホワイトを窓辺のソファに案内するこの少女こそ、何度も一行が口にしていた、『ミス・ドルフィン』、若き天才武器商人である。
ソファにアリスとホワイトが腰掛けると、『ティーポット』と呼ばれた細い眼をした黒人の大男が、三人分の紅茶を出す。見回せば、部屋のあちこちに老若男女問わず、十二人の人がいる。彼らはミス・ドルフィンの護衛であり、私設傭兵集団『イルカ座』のメンバーである。レグルスやティーポットもそのうちのひとりだ。
「さて、先日連絡した通り、実はFOL社の最新式ガンシップが本社のほうに入荷してねぇ、やっぱ最初はイチバンのお得意様であるアリスたちに売ろうかなと思ってさ!」
「武装は?」
イルカ座の面々にお菓子をもらったり遊んでもらったりしているディーとダムを見守るアリスのかわりに、ホワイトが交渉に応じる。
「四連対戦車ミサイルポッド二基、7.62ミリミニガン二基、赤外線探知カメラとステルス機能、おまけに今なら小型レールガン一基付けちゃうよ!」
「案外普通だな。」
「はっはっは! ボクが売る武器が普通だったことが一度でもあった?」
「まだ何かあるのか?」
「対放射線、対戦車くらいじゃビクともしない防弾性、おまけにセ氏六百度までなら耐えうる耐熱装甲、さ。」
「メチャクチャだな……よくそんなものを開発できたものだ。」
「お褒めにあずかり光栄だね。」
ミス・ドルフィンがタブレット端末でガンシップのカタログをホワイトに見せている間、アリスはイルカ座のひとり、最年長の壮年傭兵、『アルディ』に話しかけていた。
「何でまたこの街に来たんだ?」
「ちっとソルフィスタンの兵隊サンに武器売ったらよ、敵ゲリラ残党の間でミス・ドルフィンの心臓に賞金かけられちまってな。ジャックドッグにトンズラ中なのさ。」
「ハッ、ご苦労なこったなぁ、わたしらが護衛してやろうか? 料金はまけるぜ。」
「オイオイお嬢、俺たちがただのミス・ドルフィンの愉快な仲間たちだと思ってんのか? 俺たちだって『ワンダーランド』に負けず劣らず精鋭部隊だって自信があるんだぜ?」
「ここにダンテがいなくて良かったな。」
売買交渉が終わったらしいホワイトが、紅茶をすすりながら呟く。
「恐らくそのゲリラ集団はダンテが元々所属していた組織だぞ。あいつもソルフィスタン出身だしな。」
「そういえばダンテくんが見当たらないね。いつも一緒だったじゃないか? あれ? ボクの思い違い?」
「いや、アイツならトランクの吸血鬼だぜ。」
一行がスイート・ルームを後にしようとしていた時、ミス・ドルフィンが、アリスを呼び止めた。何かを思い出したように部屋の奥に走っていくと、数分して、銀色の何かを抱えながら戻ってきた。
「これこれ! 本社で開発された最新式のガンソード! ……の、試作品。」
「ガンソード?」
それは、グリップ部分にトリガーが、鍔付近にシリンダーが、七十センチほどの片刃の刀身に沿うように銃身が装着された、銃のような剣だった。
「ま、見りゃわかるでしょ? 実は今本社で強化人間計画が進められててさ。まぁ人体改造によって身体能力が向上した人間がコレを持つと、半端ない破壊力が得られるんだって。で、テストしようにも本社の理事会が人体実験を嫌っててさ。要は人間の限界を無理矢理ぶっちぎらせるための実験だからさ。」
「長い。三語で言え。」
「Please participate in our experiment (実験に付き合ってください)!」
「オーバーしてるじゃねぇか。……わたしは実験なしでも強化人間みたいなもんだから、ってか?」
コクコクと頷くミス・ドルフィン。アリスは利用されることに苛立ち交じりのため息をつき、ガンソードをひったくった。
「アリスアリス! つけられてる!」
「アリスアリス! 追跡されてる!」
その帰途。後部座席のディーとダムが、緊迫した声をあげた。
「ホワイト。」
「あぁ、すぐ後ろのマツダだろう。わかっている。」
「ガキ共! どこのどいつかわかるか!」
双子がリアガラスから後部を伺い、運転手の人相を確認する。
「アリスアリス! 中東系!」
「アリスアリス! ソルフィスタンのゲリラ組織のマーク!」
「チッ、わたしらをミシェラの仲間だと勘違いしやがったか……。」
「ドルフィン嬢のほうも今てんやわんやだろうな。」
次の瞬間、ディーが鋭く悲鳴のような叫びをあげた。
「Ak-45!」
そして、自動車の後部から、カンカンという金属音が響いた。
「降伏勧告ってかよ。こちとら防弾性だっつの。ガキ共! そこどけ!」
アリスが後部座席に移り、改造によって無理矢理付けたガラスハッチを開け、セダンの屋根から上半身を出す。手元にはミス・ドルフィンからもらったガンソード。後方の車の後部座席の窓から身を乗り出して小銃を構える中東系の男に向かって引き金を引く。
しかし、その瞬間アリスの眼の奥部に激痛が走った。
「っぐぅううあああ!!?」
弾倉に入っていた弾は発射されず、弾倉自体も回転しない。激痛に呻きながら、銃弾の嵐の中を、車内に戻るアリス。
「アリスアリス! しっかりして!」
「アリスアリス! 気をしっかり持って!」
脂汗を垂らし、肩で息をする。ディーとダムに背をさすられ、眼を押さえながら、シートにもたれかかった。
「ミシェラの奴……不良品かましやがった……。」
「いや、そのガンソードは強化人間に対して使うと彼女は言っていた。フシギを起動していないアリスは一般人なんだから、拒否反応が出たということなんだろう。」
ホワイトの推論に、アリスは舌打ちし、ついに激痛の中で意識を失ってしまった。
「ディー、ダム。敵は何人だ。」
「運転手ひとり!」
「射手四人!」
「……ダンテ! 出番だ、起きろ!」
ホワイトの号令の後、セダンのトランクハッチが勢いよく開き、バレットM82を手にしたダンテが現れた。しかし、そこで銃声が止み、スナイパーライフル特有の重い射撃音も聞こえない。代わりに、何やら聞きなれない言語の怒号が飛び交っている。
「ホワイト、ダンテが何か話してる。」
「ホワイト、ダンテの話してる言葉、何?」
「ペルシャ語だな。彼の母国語だ。――恐らく、過去の仲間だったのだろう。」
「ホワイト、危なくない?」
「ホワイト、ダンテ裏切らないかな?」
「……お前たちはダンテを見くびりすぎだ。あいつは、そんな奴じゃない。」
そうホワイトが言った直後、四発の重低音が響き、最後に一発、そして、背後で爆発音が轟いた。ガタガタと揺れるセダンの、トランクハッチが閉まる音がする。
「よくやった、ダンテ。」
ホワイトの賞賛に、ダンテの小さな声が応える。
「……オレには、もう家族がいるんだ。」
何があったのかはあえて聞かず、ホワイトはただ、本拠地へとセダンを走らせた。
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