雪風と凍れる地の王 (神無月亮)
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予期せぬ寄り道
それでもよければ、どうぞ。
どれほど時間が経っただろうか。私という存在が生まれて幾星霜、追い散らした狩人の数も幾星霜。まだ衰えるほどではないとはいえ、この身も若いとは言えなくなった。そろそろ後進を作り、龍脈に命を返す準備を始めねばならないだろう。
純白の雪原より澄める星空を見上げ、遠き地に住まうであろう同胞のことを思う。だいぶ数が減ってきたから、番となるものを見つけるのも至難の業だろう。それでも、命として生まれた以上はなさねばならぬ。寒い地域を渡り歩いていけば、いずれ見つかるはずだ。
覚悟を決め、飛び立つ。生まれた土地である凍てる海を離れ、似たような環境を持つ地を求めて空を駆ける。飛び立った岸を見れば、この地に住まう黒く這う獣たちが海より上がってきていた。その姿も徐々に徐々に離れて、最後に見えなくなる。もう後戻りはできない。
ならばよし。是非もなし。もとよりあの地に骨を埋めるつもりはない。自然を司るものとして、星に命を返すまでだ。翼を動かし、風を受け止め、空を走る。我が翼の粉塵が空気の壁で剥がれて、彗星の尾のように我が後を彩る。
それはそれとして、ここはどこだろう。見渡す限り海が広がる中、一度進行を止めて周囲を見回す。うむ、海しかない。食事を行おうにも、海の上では安定するまい。我が力で凍らせてもよいが、大きな足場は望めまい。さて、どうするか。しばし考え、立ち往生。最終的に進めばよいのだという結論に達した。進んでいるのは確実。ならば直進に向かっていけば、どこかにたどり着くだろうと。……我ながら無謀だと思う。
進み続けた先に、一つ奇妙なものを見つけた。白く平たい何かが、空間に浮かんでいるのだ。さすがに怪しすぎる。遠巻きに眺めつつも、好奇心のままに旋回し近寄る。本当はこんなことしている場合ではないが、見たことないものに少しばかり興奮していた。そういえば、ハンターと名乗る者らのうちの一人が似たようなものを持っていた気がする。確か、鏡だったか。それに近いような気がする。
まあ、あまりここで時間をかけるのもあれだろう。おそらくこれはこの星のものではあるまい。であれば、破壊するまで。異端は消さねばならぬ。もし予想が正しいのならば、強い衝撃で砕け散るはずだ。であれば、力を振るうまでもない。砕き、その先に進むまでよ。
少しばかり離れ、体勢を整える。高度を調整し、斜め下に鏡のようなものが来るように調整。周囲に外敵がいないかを確認する。そしてすべての準備を終えた直後に――
一気に突っ込み、破壊する!
渾身の一打、そう呼ぶしかない一撃だった。重力の助力をわずかに受け、加速する我が五体で風を浴びながらそう思う。今更ながら短慮過ぎないかと思うも、勢いづいた体は急に曲がれず。近づいて初めて我を呑み込めるほどに鏡が広がっていることに気づいたというのに、進路は変えられず。鏡は割れることなく、あろうことか何の抵抗もないままに我を呑み込んだ。
暖かな風が全身を撫でる。肌に触れる氷や水とは違う感触が、知らぬ場所に着いたことを知らせてくる。未知でありながら心を擽る香りが、鼻腔を弄ぶ。耳に入る無数の雑音が、周囲に動物たちの群れがあることを告げてきていた。どうも別の場所に来てしまったらしい。
目を開き、世界を覗く。緑色の細い何かが生えている。その下にあるのは、土というものだろうか。周囲を見渡せば、そこにはハンターと似たような生命体たち。左を見れば、青髪の背丈の小さい個体がこちらに棒状のものを向けていた。
奇妙なことである。この個体らはなぜ黒い肌をしているだろうか。頭が白いのに胴体は黒いなど、不自然にも程があろうに。何かの擬態だろうか。
しかし、困った。この大地、龍脈らしきものはあるが、どうも勝手が異なるらしい。力を扱おうにもなかなかうまくいかん。慣れれば元のように振るえるだろうが、それでもだ。既になんらかの支配が及んでいる。全く、自然を支配しようなどと、ずいぶんと傲岸な奴がいるものだ。自然は星に生きる全ての命のためにある。見つけ次第、消さねばならんな。
しかし、さきほどから何やら感覚がおかしいな。四足で歩くのが普通のはずなのに、なぜか今は無性に二足で立ちたくなる。はて? 二足で走るは、ハンターらの特徴のはずだが。
「……………………」
なんだ、貴様。先ほどからぶつぶつとうるさいぞ。そこの頭を照らしている個体は、貴様の親か。全く、我を崇めるのならばもう少し静寂を尊べというに。
「…………………」
だからなんだ、何を言っている。ハンターどもの言葉はわかるようになってきたが、お前たちの言葉はとんとわからんぞ。
「……………………」
なぜ顔を近づける。その棒状の杖はなんだ。龍脈に近いものを感じるぞ。肩に手を置くな、跳んで距離を縮めようとするな。……肩?
一度振り払い、自らの体を確認する。角はある、尻尾もある。翼もある。だが、なぜか四足ではなく二足で立っている。手や足は鱗に覆われているとはいえ、ハンターらの素肌に近いものが見える。……なんだ、この姿は。
「おい」
尻もちをついて立ち上がろうとしている青髪に、声をかける。やけに口がよく動く。嫌なまでに舌が回る。当たってはほしくなかったが、どうもハンターに近づいているらしい。あの何度氷漬けにしても、学ばずに攻めてくるあの化外どもに近づくとは、屈辱の極みだ。まさかとは思うが、力がうまく扱えんのはこの姿なのも関係しているのではないだろうな。
青髪もまた、意味が分からないのか目を瞬きさせているので、使い物にならん。ええい、まったく。
「解決策はどこにある」
思わず呟いた言葉に、青髪が立ち上がった。と思ったら何やら手を振り始める。かがめ、だろうか。ハンターと同種の指示になど従いたくないが、当てもなく放浪するわけにもいかん。しぶしぶとだが、青髪の目の前にまで顔を近づけた。ほれ、望みはこれだろう。
予想通り、青髪は顔を近づけてあまつさえ口同士を触れ併せてきた。餌が欲しいのだろうか。背丈も小さいし、ありうる話ではあるな。しかし、ずいぶんと賢い幼児よ。
「いや、振り払われてたときはどうしようかと思いましたが、無事に済んでよかったです」
「む、なんだ話せるではないか。なぜ先ほどはその言語を用いなかった」
感心していると、頭を光らせている個体が安堵で胸を撫でおろしていた。なんか言葉がわかるようになったな。いや、向こうが合わせたのだろう。口づけで我の知る言語で話せるとは、ハンターどもの技術はおかしいな。まあ、今に限った話ではないが。なんだ、あの動き。我の氷をことごとくすり抜けおってからに。
遠き記憶にため息を吐いていると、青髪の幼児が立ち上がった。手はいらんかったらしい。いや、出してすらいないが。
「違う。あなたのほうが私たちの言語を話せるようになった」
「なんだと、ぐっ!? 何をした、幼児!!?」
全身が熱い。かつて炎を発する武器を振りかざすハンターと戦ったことがあるが、そのときのようだ。燃えるというのはこういう感触のことを指すのだろう。あまりの熱に、気が狂いそうだ。
「……すぐに終わる、じっとしてて」
「すぐにだと!? ふざけるな、こんなげきつ……う……。あれ? 収まった」
本当にすぐに終わった。おい、どういうことだ。行き場を失った怒りを向ける矛先に、思わず困惑する。腕になにやら妙な文様が描かれているが、まさか痛みの原因はこれか。どういうことだと、幼児に視線で問いかける。なにやら頬が僅かに膨らんでいるが、何が不満だ。
「とりあえず、ついてきてほしい。あと、私は幼児じゃない。タバサだ」
「ふん、そういう個体名か。いいだろう、タバサ。本来ならば相容れぬもの同士ではあるが、少しばかりは貴様に協調してやろう。我に名はないが、そうさな。ハンターどもからは、凍王龍トア・テスカトラと呼ばれている。お前もそう呼ぶがいい」
踵を返し、歩き出すタバサと名乗る幼児についていく。それを周りは遠巻きに畏怖の目で眺めていたが、特段気にするものでもなかった。直接剣を向けてくるのでもなければ、戦う必要はない。せいぜい我を畏れ、ひれ伏すがいい。食事の邪魔さえしなければ、我も怒りを向けることはせんよ。
ところで、ここに我の同種はいるのだろうか? そこだけは無性に気になった。
誤字報告などはどうぞ。感想も歓迎しています。
それでは、またいつか。アカデミアの方は多分、二週間以内には上がります。
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貴様……!
開幕睨み合いが発生してますが、それでもよければどうぞ。
腹立たしい事態が発生した。あの憎きハンターが、我の目の前に現れたのだ。おのれ、ピンク髪。貴様、ハンターの手先か。
「ピンク髪。貴様、ハンターの手先か」
「誰がピンク髪よ! 誰が手先よ! 私のほうが主に決まってるでしょ!?」
「…………あ、モンスターなのかあいつ」
おっと、口に出してしまった。だが、別にいいだろう。特徴は捉えている。それよりもだ。まさか、ハンターがここに来るとはな。やけに緊張感が見受けられないが、数々の奇策を以て我を苦しめた強敵。油断はできん。
「知り合い?」
「敵だ」
隣に立つ幼児が上目遣いで問いかけてくる。それに対して、実にわかりやすく答えてやった。しかし、本当に小さいやつよ。こんな体躯では、自然界で生き残ることなどできまい。せめてその死は看取ってやろう。何も言うな、幼児。お前の寿命よりかは長生きだからな、ありがたく受け取るがいい。
「ウィンディ・アイシクル」
「何をする、貴様ぁ!」
慈悲をかけてやろうと思ったら、氷雨で返された。解せぬ。そんなに見下されるのが嫌か。それならば、もっと背を伸ばせというに。
ほれ見ろ、ハンターなぞ呆れた目でこちらを見てくるぞ。あいつもお前の子供らしさに呆れているようだぞ。これを機にもっと大きくなったらどうだ、幼児。
「コルベール先生、チェンジはできませんか?」
「私もお願いします!」
「なぜだぁ!」
「おいぃ!?」
ため息を吐いたらなぜか変更を要求されたぞ、どういうことだ。おかしいだろう。我はただ憐れんでやっただけだというのに。一体、何が不満なのだ。答えろ、幼児。
ツッコミを入れているハンターとともに、驚愕で顔を染めてしまう。そして、幼児とピンク髪の間に挟まれた、頭が光っている個体は首を横に振った。
「契約の変更は認められません、ヴァリエールにタバサ。さ、もうすぐ授業が始まりますので、宿舎に戻りますよ」
顔を強張らせる幼児と口を馬鹿のように開けるピンク髪を置いて、輝く頭の個体が、翼もないのに宙に浮いて去っていく。空を飛ぶのも相まって、やけに眩しい。あいつ、あの光で幼体どもの目を潰してはいないだろうな。
輝く頭が飛んでいくのに合わせて、幼体どもも空に上がっていく。幼児も含めて。仕方ないので、我も翼を動かし飛び上がる。力はうまく使えんが、飛び立つことくらいはできるようだ。
地上に置いて行かれたハンターとピンク髪が、何か喚いていたような気がした。
「おい、幼児。なぜ先ほどから不機嫌なのだ。答えろ、幼児」
「タバサ」
ずいぶんと綺麗な洞窟内。窓なる光を取り入れるものが大量に取り付けられたそこを歩く最中、先を行く幼児に問いを投げかけたら突然名乗られた。いきなりの言葉に、思わず顔をしかめてしまう。
「何?」
「タバサと呼んで。幼児じゃない」
ほぼ拒絶するかのような声音。よほど呼ばれたくないらしい。だが、理解できん。まだ成体になっていない個体を、幼児と呼んで何が悪いのか。
「……は? 幼児は幼児だ。お前もあいつらも、幼児だろう。まだ育ち切っていない個体群。例外はあの輝く頭だ」
我らを遠巻きにざわめきながら通り過ぎている連中を見回しながら、思ったことを口にする。どいつもこいつも、黒い胴体だ。ハンターの幼体というのは、黒い体毛を生やすらしい。
「だとしても、私にはs……タバサという名前がある」
「ふん、だったらただの幼児ではないと証明してみろ。どれほど喚いたところで、幼児であることに変わりはしない」
会話を打ち切り、無言の間が再び展開される。心なしか、前よりも足取りが早い。気に入らない、といったところだろう。だから、幼児なのだバカめ。
お互い口を利かず、歩き続ける。そうして歩き続けてしばらくして、一つの巨大な茶色い壁に到着した。
「これはなんだ?」
「扉。ここのような廊下と部屋を介する障壁のようなもの」
「つまり仕切りか」
「そう」
指さして問いかけると、打てば響くとばかりに答えが返ってくる。ぶっきらぼうな物言いだが、そういうのは嫌いではない。無駄に騒がしいよりかは、遥かに素晴らしい。
幼児が扉というものに手をかける。それだけで扉は重厚な音を立てて開いていき、広い空間を我らの視界に映した。
思わず感嘆の声を上げる我を差し置いて、幼児は何のためらいもなく進んでいく。空間内には既に多くの幼体どもでひしめき合っており、非常にざわついていた。
「騒がしいな。まあ、幼体どもの群れなら納得か」
「……なんか、私とそれ以外で呼び方が違う」
「意図的だ。区別できん呼び方はせん」
幼児の隣に、ちょうどいい足場があったので、そこに腰かける。周りの幼体どものひそひそがやかましいが、別に殺したくなるほどではないので無視する。それに、煩さならあの這う獣のほうが上だ。
「して、授業だなんだと言っていたが。これから何をするんだ?」
「話を聞いて、呼ばれたらあそこに行く。それだけ」
幼児の指すままに、空間の中でひときわ広い空間に目を向ける。なるほど、あそこで何かを行うわけか。確かに運動することはできるほどの大きさではある。だが、狩りほどの激しい動きはできないだろう。
「大体は理解した。それでは、我はここで寝ている。後は勝手にするといい」
「……もう好きにして」
幼児の許可も得たことだし、眠り始める。なにやらドタバタと誰かが走ってくる音が聞こえたが、どうでもいいので無視した。
眠っていたら、突然の爆発に吹き飛ばされた。何事かと前を見れば、そこには焦げだらけのピンク髪と、見知らぬ成体。ずいぶんと落ち込んでいるようだが、さて何があったのか。
「ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール」
「はい」
見知らぬ成体がピンク髪に声をかける。ピンク髪も予想はしていたのか、震えていながらも返事を返した。ふむ?
「あなたに掃除を命じます」
「はい」
こそこそと顔を上げながら、憐みの目でピンク髪を眺めているハンターが目立った。
あんまり進まなかったような。まあ、もともとそんな感じですし、いいですよね。
誤字脱字報告などの感想は歓迎しております。では、またいつか。
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自殺行為
では、どうぞお読みください。
昼食時、黙々と片づけの手伝いをしていたハンターと爆発物の液体が流れるピンク髪を置いて食堂に来ていた我は、幼児の指示のもとテーブルなるものに餌を置いて食べていた。隣の幼児どもは金属質の棒を振り回しているが、そんなことせずともかぶりつけばいいだろう。
しかし、やはり肉はいいな。体を動かすには肉が一番だ。なぜか焼かれているが、次は焼かないでもらえるとありがたい。
「野菜も食べて」
黙々と食べていると、幼児が何か言ってきた。野菜、この地面に生えていたものと似た色合いを中心とした平たいものたちか。驚いた、これも食べられるのか。幼体どもは肉ばかり食べているから、気づかなかったぞ。
まあいい。食べられるのなら食べてやろう。我の体内を介し自然に帰るがいい。まずはお前だ、緑色の平たい体をもつものよ。
「………………」
なんだこれは。苦い、ひたすらに苦い。うっかり毒物を食べた気分だ。というより、毒物だろうこれ。
「…………」
どういうつもりだと抗議の目を幼児に向ける。幼児は我と似たようなものを黙々と、いや、速い。すさまじい速度で食い尽くしていく。貴様、まさかこれが主食か!
幼児の新しい事実に戦々恐々としながら、毒物を吐き捨て肉にかぶりつく。奴め、まさか毒物を優先的に食う生態をしているとは。あそこに生えていた緑色のものたちも、奴の食糧なのだろう。すぐに死ぬ生き物だと侮っていた。体躯の小ささを、毒物を捕食できるという利点で覆す進化を果たしたのだ。
「お前もお前で進化を果たしたのだな」
「?」
野菜なるものたちを幼児に与え、肉を食い続ける。それは我には消化できんものだ、貴様が食らうがいい。
なぜか突き返されたので、再び与える。また突き返された。解せぬ。
「そういえば、だ。貴様は我をどういうものだと思っている」
「主人を幼児と馬鹿にしてくる龍」
幼児と我で野菜なるものの押し付け合いを繰り広げる中、ふと気になったことを口にする。幼児はそれに対し、押し付ける手を止めることなく淡々と答えた。どうやら、我が龍であることは知っているらしい。あと、幼児は幼児だ馬鹿め。
「なぜ我が龍であることを知っている」
「あなたが来たとき、あなたの姿は今の姿じゃなかった。四足で鬣があって、威風堂々とした佇まいの龍だった」
ほう、つまりは来た直後は元の姿のままだったと。興味深い内容だったので、続きを促す。そして、さっさと食え。それは貴様のみが消化できるものだ。
「でも、すぐに光があなたの体を包んで。消えた頃には、あなたは今の姿になっていた。あと、野菜を食べろ。栄養バランスが乱れる」
「ふむ、光か。我の同胞の仕業、にしては手が凝っているな。この世界の龍脈の支配者が何かしたのかもしれんな。そして、それは貴様が食え、幼児。それは、貴様だけが消化できる毒物だ」
熾烈な戦いになってきた押し付け合いに意識を割きながら、得た情報を整理する。おそらく、我が力を十全に振るえなくなったのは、この姿になってからだろう。かつて来た我の同胞の言葉を信じるならば、我らには龍以外に人の姿があるらしい。こちらに来てしまったときに、強制的に人の姿に変えられてしまったのだろう。
だが、希望はある。我らは祖の龍を通じて繋がっている。ましてや、人も龍もともに龍脈より生まれしもの。本質的には同じ。人から龍に戻る方法もあるはずだ。それさえ見つけ出せば、我はまたあるがままに振舞えるだろう。
「問題は、どこに手がかりがあるか、か。龍脈を辿り、支配者を見つけ出すのも手だな」
「さっきから言っている龍脈は何?」
考え事をしていると、幼児が問いを投げてきた。貴様、さんざん使っておきながら気づいていなかったのか。いや、もしかするとこの地では別の言い方があるのかもしれぬ。
「大地を流れる自然のエネルギーだ。貴様らもその杖に龍脈を流しているだろう」
「魔力のこと? あなたたちは龍脈と呼んでいるんだ」
口をぽかんと開け驚く幼児。その目は好奇心で満たされているのか、星空のように煌めき瞬いている。まるで幼児だな。いや、幼児だったな。あと、手が止まっているぞ。ほら、この毒物をくれてやろう。
「あなたたちも魔力、そっちでの龍脈を使って『決闘だ!』」
「ん?」
心なしか気分が高揚している幼児が何かを問いかけてきたが、途中で周囲の幼体どもの声で遮られた。けっとう、どういう意味だろう。おそらく、縄張り争いのようなものだろうが。
気になって後ろを見てみれば、そこには金髪の幼体と中腰で両手を交互に突き出すハンター。相変わらず隙だらけな奴らよ。しかし、それで死んだ竜もいた以上、威力はバカにできん。
さて、隣から冷気が漏れ出ているな。そんなに話を遮られたのが不満か。
「……………」
「不満ならば、声を上げてきたらどうだ。無駄な行為ではあるが、どちらが上かはすぐに決められるだろう」
絶対零度を思わせる氷の視線で、熱狂している幼体どもを睨んでいる幼児に、発破をかける。しかし、幼児はそれに乗らず。また毒物を食い始めた。よしよし、たんと食べろよ。我は肉を食うからな。
まあ、あの化け物の一人なら平気だろう。あいつら、凍結させようが、粉々にさせようが、海に落とそうが、小さな毛玉に回収されてすぐに戻ってくる生き物だからな。一時的に戦闘不能に追い込むのは簡単だが、殺しきるには苦労する手合いよ。
我は最後の一かけらを放り込み、息を吐いた。
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対等の契約
まあ、いいです。それでは、どうぞご一読くださいな。
喧噪から遠く離れ、何やら平たく茶色いものが密集する、広いながらも狭い空間に来た我は、幼児の指示のもと、幼児の隣に座っていた。背中に平たく茶色く硬いものがあるせいで、尻尾がつっかえて仕方ない。
「それで、これが――」
「ふむふむ」
幼児が本を広げ、一つ一つ何かの文様を指して説明していく。なんでも、我に物を教える代わりにこちらの知る情報を教えてほしいらしい。何が目的かは知らんが、長く生きたことによる知恵を頼る手は悪くない。少しは評価を上げてやろうか。
しかし――
「おい、先ほどからうるさいぞ」
「ああ、そんなことを言わないで! そんな目で見られたら、あまりの冷たさに熱く燃え盛ってしまうわ!」
先ほどからついてきているこいつは何なんだ。ぐねぐねと吐き気を催しそうな動きをしている赤髪を、何か物申したそうな目で見ている幼児に視線で問う。
「キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーよ。キュルケと呼んで」
「いいだろう、ぐねぐね」
「ぐねぐね……!?」
何かおかしなことを言っただろうか。さきほどからぐねぐねと体を揺らしていたお前にふさわしい呼び名だろうに。なあ、幼児。
「諦めて。こいつは人の個人名とかに意味を見出していない。呼ぶ価値ができない限り、彼はきっと普通に呼ぶことはない」
「どこぞの王様みたいね」
よくわかっているではないか、幼児。その通りだ。大自然を前に、名前など意味を持たん。ただ強いか弱いか、適応できるかできないかのみだ。
「名前なぞ、ハンターの同種どもがつけた識別名だ。我のトア・テスカトラというのもまた、ハンターどもが識別するための記号にすぎん。であれば、幼児もぐねぐねも誰を呼んでいるかわかる以上、差はあるまい」
「それはそうだけど……」
「じゃあ、使い魔」
「つかいま?」
なんだそれは。幼児が我を指さしながら言った言葉に、首をかしげる。はて、どういう意味か。
「私たちメイジの従者、ようは手下のこと」
「え、p「黙って。こいつにはこれが効く」」
「なん……だと……」
幼体のさらに下に位置する下僕という意味合いだと。い、いつの間にそんな存在に。まさか。
「あの熱は、その証だというのか」
「そう、あなたはあの瞬間に私の従者になった」
「珍しく、タバサが容赦ない……」
思わず地に手をついてしまう。なんということだ、我は知らぬ間にハンターどもの支配下に入ってしまっていたのか。これでは、元の姿を取り戻しても真の自由は得られん。
「目的が一つできたぞ、幼児」
「何?」
「貴様の支配から脱することだ。我は自然を司り、管轄する古龍の一柱。決して貴様らハンターどもの玩具にはならん。あの汚らわしい道具を、再誕させてはならん」
苛立ちのままに立ち上がり、空間と外を仕切る窓より飛び立つ。ぐねぐねが追いかけてきたが、さすがに即座に飛ぶことはできないようで、空間から出てくることはなかった。
塔、とかいったか。高い洞窟の先端部に足を下ろし、我は夜空を眺めていた。ひときわ大きい星、月というものが二つ。星々もまた位置とかでなく、配置が異なっている。これでは、むやみに飛び立っても、帰っては来れまい。龍脈を辿れば、収束している筋が南に一筋。おそらく、あちらに支配者がいるのだろう。
「飛び立ってもいい、が。勝てるかどうかは怪しいうえに、支配しているにも何らかの理由があるはず。無闇に攻撃を仕掛け、自然を滅ぼすことこそ愚物のすることか」
翼を広げ、地に舞い降りる。少し離れたところより、ハンターの同種らとは違う鳴き声が聞こえる。我と同じ境遇を甘んじて受け入れているものどもが群れているのだろう。哀れな。貴様らもいずれ、あの連中に食い潰されるというのに。
だが、ともに自然に住まうものだ。起きた頃にでも、警告を入れてやろう。ハンターの同種どもは、かつて自然を滅ぼしかけたとな。
脳裏に、かつて我が凍れる地に訪れた祖の言葉がよぎる。
――あなたはまだ、人を信じないの?――
ばからしい。人は、ハンターの同種どもは学ばん。どれほど自然とともにあろうと言っても、結局あいつらは己の欲のままに自然を食い尽くすのだ。
どこまで行っても、人は身勝手な生き物なのだ。
――ええ、そう。何千年も経てば、人は全てを忘れて暴走するでしょう。彼らは自然に生まれながら、自然を滅ぼすもの――
それ見たことか。目の前に立っているわけでもないのに、思わず吠え猛る。周囲に起きているものはおらず、ただ我の荒い息だけが闇に消えていった。
――でも、今は違う。彼らは私たちを敬い、畏れている。でしたらほら、少しは期待してもいいでしょう?――
知らんよ、どうでもいい。我はただ我の知りうる場所が無事ならばそれでよい。龍脈を乱すな、自然を壊すな。我らが母を砕く真似をするな。ただそれだけだ。
――やっぱり。あなたは積極的に人を廃絶するつもりじゃない。無関心を貫いていながら、それでも人を気にかけている――
黙れ。
――慈悲深いわね、あなたは。あなたは彼らの立ち位置を支持しているのですから――
「黙れと言っているのが聞こえんか、祖なる龍よ!」
咆哮とともに幻影が消える。それと同時に、かつての故郷の光景が掻き消え、草という生き物が生い茂る広場に戻る。
ずいぶんと、心乱された。あの幼児と触れ合ったことで、思い出したくもないことを思い出してしまったようだ。おのれ、ハンターの同種どもめ。殲滅してやろうか。
昂る呼気を落ち着け、広場を歩く。やはり、何も聞こえない。いや――
「まだ起きていたのか、幼児」
「勝手にいなくなったら困る」
そうか、こちらは困らんな。暗闇から姿を現した幼児に、鼻を鳴らす。
「して、我を連れ戻しに来たのか」
「いや、その前にしたいことがある」
「ほおう?」
いいだろう、見せてもらおうではないか。それをもって、開戦の合図としよう。
牙を剥き、翼を開き、幼児の次の動向を注視する。さあ、先手は譲ってやるからかかってこい。貴様を殺し、人に自然に対する畏怖を刻み込んでやる。
「さあ、かかって「ごめんなさい」なに?」
しかし、返ってきたのは謝罪の言葉。幼児は無防備に我の前に頭を差し出しており、動く気配がない。
「どういうつもりだ」
つい困惑を口にしてしまう。戦う意思は、とうになくなっていた。我の攻撃がないことを確認すると、幼児は次々と言葉を発する。
「私は、あなたを利用しようとした。龍であるあなたなら、お母さんを治す治療法を知っているんじゃないかって。そう思っていた」
「我がそのようなものを知るわけがなかろう。我は確かに自然の原理については詳しい。だが、人の親の病を治す術など知らん」
「そうだよね。そんな都合よく行くはずがない。それに、図書室であなたが言った言葉が強く心に残った」
……あれか。ようやく、我を玩具ではないと改めたようだな。
「あなたたちは私たちが扱いきれる使い魔じゃない。もっと勇壮で偉大な、大自然の象徴なんだ」
その通りだ。それで、どうする? 言葉だけで済ませるつもりか。
「まだ、私はあなたを手放せない。まだ必要なのもある。でも、契約を切る方法を知らないのが主な理由」
「探すつもりか?」
「……うん」
頷きは重々しく。しかし、それだけにこいつの覚悟が見て取れた。……こちらも少しは態度を改めねばならんな。
「いいだろう。契約を結んでやる。我の力が戻り、お前の母が治るそのときまで、我の全てを貴様に預けてやる。名を名乗れ、幼児。タバサでは格好がつくまい」
「……! 私は、雪風のタバサにして、ガリア王国の王族の娘シャルロット・エレーヌ・オルレアン! あなたの主となる者だ!」
「いい名乗りだ、シャルロット。古龍の一角、凍れる地の王。凍王龍トア・テスカトラが貴様を主として認める」
顔を上げ、はっきりと己の誇りを口にするシャルロットに、我は満足し頷く。そして、我もまた誇りをもって名乗りを上げて、お互いに対等であると言外に手を結び合った。
人というのはどいつもこいつも信用ならんが、お前くらいは目をかけてやろうではないか。シャルロット・エレーヌ・オルレアン。何、案ずるな。違えたその時は、お前の首を刈り取るだけよ。
腕が再び熱くなったが、今度の熱は痛みを伴うものではなかった。
展開が早いと思ったあなた、その通りです。ぶっちゃけると、二話に分けようかと思いました。でも、筆が進みましたからね。仕方ないですよ。
さて、次はどうしますかね。ま、そろそろ後進スペースが一気に落ちそうですので、気長にどうぞ。
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騒がしいな
まあ、そんなこんなで書いた話です。それでもよければ、ご一読くださいな。
「起きろ、主。授業なるものがあるのではないか」
「……今日は、虚無の曜日だからない」
対等の契約を結び、暫く。ある程度人間どもの生活に慣れてきた我は、主の要求通りにモーニングコール、なるものを行っていた。ていうか、さっさと起きんか。例の毒物を口に突っ込むぞ。
「起こすのは決定事項だが、気になる言葉がある。虚無の曜日とは、なんだ」
「虚無の曜日というのは、私たちにとっての休みの日。授業もないから、生徒たちは自分の趣味に熱中する」
布団の繭をはぎ取り、寝間着という制服とは違う服を着て寝ている主を抱える。筋力は下がっていないので、主一人を持ち上げる程度は苦も無く行える。
問題は――
「やはり鱗が引っかかるな」
我の体に纏わりつく服が再び破れたことに、舌打ちする。これが問題なのだ。
というのも、人の社会というのは非常に面倒なもので、人に見えなくもない我が全裸で歩くのは少々まずいらしい。別にいいのではないかと思ったが、そういうわけにもいかないとのこと。さすがに主との契約を違えるわけにもいかず、渋々と人の常識に合わせたわけだ。
だが、ここで問題が発生した。まず尻尾と翼が収まらない。次に、爪が服を切り裂く。最後に、鱗が服を破くのだ。服を着なければならないというのに、その服がまともに着れない事態に、我らは途方に暮れた。さてどうしたものかと考えて、主が一言。
「じゃあ、私が着せればいい」
鶴の一声、とはああいうことを言うのであろうか。そこから先はあれよあれよ、我用の服が教師と名乗る者らに作られ、破られにくい服を主が着せることとなった。これでは、我が幼児のようだな。今では、我一人で着こなせるように練習している。
まあ、そんなことは今はいいだろう。
「ほれ、起きろ」
「寒い」
粉塵をわずかに振りかけ、主の熱を奪う。力を封じられているとはいえ、この程度のことは造作もない。それに、シャルロットを主として認めてからは、使える力のキャップが少し上がった気がするからな。幾分か動きやすい。
我の腕の中で、主が体を揺らし始める。どうやら起きる覚悟を決めたらしい。よしよし、今日は早かったな。止める理由はなく、主を床に下ろして立たせる。
「して、授業がないのならどうする。いつも通り、図書室に籠るか?」
「それもある。あるけど、少し知りたいことがあるから城下町に行こう」
まだ眠いのか目をこすりながらも、確かな動きで服を脱ぎ始める主の言葉に、新たな疑問を覚える。
「知りたいこととはなんだ?」
「あなたの素性。もっと言うなら、古龍という括りそのもの」
「そんなこと、我に聞けばいいだけの話ではないか」
「私で調べて、私の手で知りたい。無闇にあなたの手は借りたくない」
「そうか」
問いかけて返ってくる回答に、端的に話を打ち切る。何をそんなに意固地になっているかはわからんが、芯の強い奴ではある。なんらかの考えはあるのだろう。
「トアは、一人で着替えたんだ」
「ああ、先にさせてもらった。まずかったか?」
着替え終わり、初対面と似た感じの服装になった主が、こちらに目を向ける。どうも我が先に着替えたことを気になっているらしい。何か不都合があったか問いかければ、首を横に振られた。別に構わらないらしい。では、なんだというのか。
「ただ、もう幼児扱いはできないなって思っただけ」
「ほう?」
貴様、まさか今まで我のことをそう思っていたのではあるまいな。我が貴様を幼児扱いするのは当然としても、我より後に生まれた貴様が我を幼児扱いなど、不敬にも程があるぞ。
休みの日を氷漬けで過ごさせてやろうかと思っていたら、くすくすと小さく笑われた。それだけで気がそがれてしまう。
「ごめん。じゃあ、行こう。道案内は、私がする」
「……チッ、仕方ない。そら、こっち来い。短い生だ、無駄にできる時間はない」
主を抱え、窓より飛び出す。空気の流れを翼で受け止め、主を胸に空を舞う。主の体がさいからこそ、できる芸当だ。小さい小さい言ってきたが、こういう時は便利だな。
そういえばだが、この数分後に、ぐねぐねが主の部屋を訪ねていたらしい。我らに用があるのなら、もっと早く来いと言うに。
「して、主よ。城下町に着いたが、何をするつもりだ?」
「まず古本屋。次に八百屋」
「ふむ」
人どもが行き交う大通りに降り立ち、主を下ろす。そして、行き先を問えば、短い口頭で返答される。貴様の口数の少なさには、だいぶ慣れてきたぞ。あと、シャルロット。お前は肉を食え、肉を。毒物ばかりを食うから、体が大きくならんのだ。
翼を折りたたんで、歩き始めた主を追う。主はこの町の大体の構造を把握しているようで、迷うことなく進んでいった。我もまた、主を見失わぬように主の臭いを追っていく。
「図書室と似た雰囲気だな」
「本がたくさん置かれているから、似るのは当然」
そしてたどり着いたのは、図書室とは比べ物にならないほどに小さいが、それでも町の中とは思えないほどに静かな構造物。お目当ての建物のようで、主は何のためらいもなく入っていった。我自身、静かなのは好きなので、心を落ち着けるためにも中に入る。
内部は、やはりというべきか本で敷き詰められていた。古い本独特の臭いが、我の嗅覚に充満する。少し顔をしかめてしまうが、主の調べもののために我慢した。
「あった」
だが、それでも嫌な臭いなのは確かなので早く終わってくれないかと思っていたら、お目当てのものを発見したらしい。ひときわ古い本を持って、主が机に肘を立てている個体に声をかける。
金属、だろうか。主はいくつかの小粒の金属を個体に渡すと、こっちに戻ってきた。その手には、ハルケギニア伝承と書かれた本が一冊。
「それが目的か」
「古龍、という言葉が真実なら、あなたは古くから生きていた存在になる。だったら、私たちとは遠く離れた場所で住んでいない限りは、あなたのことを書かれた伝承があるはず」
「この世界に、我のことを書かれている書物があったら、それこそ驚きだがな」
だが、確かに目の付け所は悪くない。我らは遥か昔より生き続けた生命。我らが気まぐれに訪れた地に住まう人々が記した伝承はあるのだろう。
まあ、それでもこの世界にはないだろうがな。この地は我の常識とは大きくかけ離れている。おそらくは、生態系すら似ても似つかんだろう。ならば、我らのことを記したものなど、あるわけがない。
「ともかく、次は八百屋か。読むのは帰ってからにしろ」
「……わかった」
「なんだ、今の間は」
本を大事に抱えながら顔を背ける主に、彼女の性格を垣間見た。
そしてまた余談だが、追いかけにきたぐねぐねが去っていく我らの姿を見たらしい。だから、会いに来たのならもっと早く来いというに。
夜、主の自室にて。確認のためと懇願されて起きている我は、主が穴が開くほどに紙を見つめているのを眺め続けていた。その横では、ぐねぐねが我に対してひたすらに騒ぎ続けていた。
「置いていくなんてひどいわ、二人とも!」
「うるさい」
「黙れ」
ぐねぐねが喚くも、主とのコンボで黙らせる。それだけで涙を流し始めるぐねぐね。どうでもいい。
「泣くなら、主の本にかからない位置でやってくれ。主は人より本を優先する気がある」
「知ってるわ……」
ぐねぐねは泣いてはいるが、去る気配はない。そういえば、涙も何やら嘘っぽい。まさか、さっきのはウソ泣きか。お前はそういう風に進化しているのか。どういう利点があるのかはわからんが、すごいな。
「あった。このページを見て」
と、何か見つけたらしい。ぐねぐねから意識を戻し、主の指すページを見る。ぐねぐねもまた、気になるのか我に乗る形で覗いてきた。どけ、重い。なんだ、その脂肪の塊は。削げ、邪魔だ。
ぐねぐねの体に文句を抱きつつも、主の指の先の文を読む。なになに。
「日と月入り混じるとき、空より白き龍が来る。その者、紅き雷纏い、我らに審判を下さん……。これは、祖なる龍か?」
「当たり。あなたと関連がありそうなのは、この文だけだった。でも、確かにあなたたちのことは、この世界でも知られている」
主の言葉に、考えを巡らす。もしも主の言葉が正しいのならば、この世界と我らの世界は繋がっている証左になる。しかし、それならば他のメイジどもの使い魔が、我の知るものでないのはおかしい。確かに我はの世界での生命をほとんど知らん。だが、感覚的にわかるのだ。あの命らに流れる龍脈の力が。それをうまく感知できないのがおかしい。
「もしかすると、あなたが元の世界に戻る方法はあるのかもしれない。そっちの方法も探してみる」
「……いいだろう。ならば、我もまた貴様の身を全力でもって守るまでだ」
「あらあら、まるで勇者様みたい」
「勇者……」
なんだ、ゆうしゃとは。ぐねぐねの言った言葉を知るため、ぐねぐねに顔を向ける。主の視線がやけに刺さるが、一体何がそんなに気になるのだ。
「おい、ゆうしゃとはなんだ」
「タバサの大好物よ」
「我は食い物ではないぞ、主」
ぐねぐねの言葉通りなら、主はあの毒物以外に我のようなものを食べるらしい。雑食にもほどがあるぞ。
さすがに食われるわけにもいかず、何やら頬が赤い主に注意する。それだけで主は一転してふくれっ面になり、本を閉じた。寝る気らしい。ぐねぐねは、何がおかしいのか笑っていた。
「主は眠るつもりらしい。我でも、さすがに寝ている間は警護ができるわけではない。出て行ってもらおうか」
「くすくす。ええ、そうさせてもらうわ。おやすみ、タバサ、トア」
「おやすみ、キュルケ」
「ああ、おやすみ。主にぐねぐね」
我自身も寝る準備のために、ぐねぐねを追い出す。人の女というのは、大体がああいう風に胸に脂肪を蓄えるそうだ。一体、何のためにそんな進化をしているのか。
服を脱ぎ始めた主を横目に、我も寝間着なるものに着替え始める。何はともあれ、次の行動はまた明日。眠気のままに眠るとしよう。
と行けばよかったのだがな。
「伏せろ、主」
「え」
半脱ぎの主を抱えて地面に転がると同時に、鳴り響く轟音。大方、誰かが魔法を暴発させたのだろう。もしくは、異常を相手に知らせるために意図的か。どちらせよ、起こった以上は無視はできん。原因を排除せねば、またあの爆発が起こるだろう。
主を離し、服を整える。まだ脱ぎ掛けなのが幸いし、すぐに外に出る準備はできた。あとは、主の準備ができるのを待つだけだ。
窓に足をかけ、外を見る。遠方より煙を確認。あそこか。急いで向かうぞ、と意思を込めて見れば、虚空を眺めて惚けている主の姿。何をしているんだ。
「起きろ!」
「はっ!?」
声をかけると、復活した。主は現状を確認すると、いそいそと服を着なおし始める。そして、杖を持って眼鏡をかけると、我の前に立った。
主を抱え、夜空に飛び立つ。向かうは、煙の上がる場所。遠くからでもわかる熱気に、我は辟易とした。
またまた余談だが、この直後にぐねぐねが来たらしい。だから早く来いと言うに。
次回は、フーケ戦。古龍としての力を使えるならば、一発で倒せる相手ですが、今回はそうはいきません。主との協力は必要不可欠となっています。
ではでは、また次回。気が向いたらあげましょう。
※タバサの設定を確認後、騎士ではなく勇者であることが判明。編集し、直しました。
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狩人と怪物
また狩りか、貴様。ほどほどにしておけよ。
何やら巨大な人型の土の塊に対して、黒く武骨で分厚い大剣で応戦するハンターに、我はその一つの感想を抱いた。ハンターの後ろには、あのピンク髪が息を切らしている。土塊の肩の部分には、見知らぬ緑髪の個体が立っていた。あの胸のふくらみして、女のようだ。
まあ、そんなことはどうでもいい。睡眠を邪魔されたのだ。次されないように、ここで叩き潰すまで。翼の粉塵をいつでもふりまけるようにし、土塊に近づく。
「よし、やっぱり来たな!」
「どこでもいいって、まさか助けを呼ぶために私の魔法を利用したの!?」
「え、そう言わなかったか? 俺とお前じゃ戦力不足だから、助け呼ぼうぜって」
「派手にかませ、としか言われてないっての!」
何やら下が騒がしい。ハンターの行動に、いちいち突っ込みを入れるな。そいつらは非常識の塊のようなナマモノだぞ。奴らの行動に癇癪していたら、一年たつより先に血管がはりさける。
ああ、思い出したら腹が立ってきた。
「緑髪。先の爆発の原因は、貴様らだな」
「そうだと言ったら、どうするつもりだい」
「決まっている」
苛立ちのままに、緑髪の問いに答える。貴様がどういう立場で、どういう事情があるかは知らん。ただ――
「死ぬがよい」
龍の暴虐の前に砕けるがいい。粉塵をばらまき、上空で氷塊として形成。土塊に浴びせかける。少し威力が弱いのか、あるいは小さいのか、そんなに崩れなかった。やはり、まだ全力とはいかんな。だが、十分ではある。緑髪は己に被害がいかぬように土で屋根を形成したようだ。あの様子なら、周りは把握できまい。
再び氷塊を生成し、落ち始めるのを確認したと同時に、全力飛行の邪魔となる主を下ろしに地面に降りる。その際、ハンターが何かを手渡してきた。なんだ、これは。
「閃光玉」
また貴様はそんなものを。鎧の上からは見えんが、貴様が今どや顔をしているのはわかるぞ。雰囲気でわかる。あと、その腰元の剣は何だ。
とにかく、主を急いで下ろす。巨大ゆえに動きは鈍重だが、その代わりに威力はバカにならん。まともに受け止めるのは、そこの人外だけだ。
「大丈夫?」
「問題ない。強いて言うなら、出力が足りん」
「お、じゃあ爆弾を使おうぜ。落とし穴しかけるから、あいつの足がはまった瞬間に一斉に攻撃をしかけんだ」
「悪くない手だ。さすがのずる賢さだな、腹が立つ」
どうするかと悩んでいたら、ハンターが作戦を提案してきた。相変わらず頭の回転の速い奴らだ。そのずる賢さに、何度足を掬われたか。
「怖い顔」
「当たり前だ。目の前に宿敵がいるからな。とにかく、作戦はそれでいこう。主はピンク髪と同行し、地上から攻撃を加えてくれ。足を壊れやすくする。ハンターは、言わなくていいだろう。我は上空より奴の気を引き、誘導する。では、行くぞ」
「え、え?」
故郷での苦い経験を思い起こし、歯噛みする。奴らだけ死んでくれんだろうか。死なんだろうなぁ、今までの経験的に。重い気分で、再び宙にはばたく。攻撃がやんだことを疑問に思っていたのか、緑髪が屋根を崩して辺りを見回していた。
「こっちだ、馬鹿め」
隙だらけの背中に、粉塵を飛ばす。もともと挑発、相手に気づかれるのは問題ない。当然、対処されるが再利用できんように、防御に充てられた土を凍らせる。予想通り、緑髪は凍った土を即座に切り捨てた。……力が振るえれば、こんな土塊。吹雪で彫像にできるのだが。
反撃とばかりに飛んできたこぶしを、旋回して避ける。飛んでくる礫も、我の動きを捉えきれず宙に消える。
「ちょこまかと!」
そう言いながら、緑髪は逃げ腰だ。目的は既に達成されているということだろうか。見れば、建築物の一部が崩れている。状況から察するに、あそこからいろいろと持ち出したのだろう。
まあ、どうでもいいが。ただ近場で暴れた、殺す理由にはそれだけで充分である。
「早いな」
地上でハンターがこちらに手を振っているのを確認する。あいつの足元で点滅する光を見るに、あそこに罠か。ならば、そちらに行くように誘導してやるとしよう。
できるだけ土くれを挟んで正対するように立ち回りながら、攻撃を仕掛ける。粉塵を氷雨と変え、風に乗せて飛ばす。角による制御に意識を割きつつ、こぶしによる攻撃をかわし続ける。
相手も何か狙っていることに気づきながらも、その正体がわからず誘導されている。これなら作戦通りに行きそうだな。
「なぁるほどね」
土くれの挙動が変わった。我の攻撃を気にせず、逆に我のほうへと近づいてくる。まずい、気づかれたか。今出せる中で一番巨大な氷塊を形成し、叩きつけるも、腕一本を犠牲に防がれる。このままでは、逃げられる。
「『錬金』!」
半ば諦めていたとき、ピンク髪の声が響き渡った。同時に轟音が鳴り響き、土くれの図体が傾く。巨大な体だ、倒れれば相当な衝撃となる。巻き込まれれば、ハンターや我ら以外は間違いなく死ぬだろう。
姿勢を戻されないように、氷塊を作成。上から叩きつけ続ける。さすがに疲れてきたが、耐える。
「な、くっそぉおおおおおおお!」
緑髪の断末魔が夜空に轟く。それからすぐに巨大物が崩れる音と土煙が巻き起こり、辺り一帯は見えなくなった。翼で煙を払い、地上を見る。我が知っている手合いなら、まだ動くはずだ。警戒は怠らない。
しばらくしたのち、ハンターが緑髪を押さえつけているのを見つけた。奴が持っていた杖もまた、ピンク髪が取り上げている。
遠くから、誰かが走ってくる音が無数に聞こえる。轟音を聞きつけてやってきた手合いだろう。奴らが来る前に殺してもいいが、その場合のハンターの対応が気になる。ここはさっさと戻ったほうがいいだろう。
「あ、押し付けるつもり!?」
緑髪の手足を粉塵で凍らせた後、杖を突きつけていた主を抱え、自室に戻る。何やらピンク髪が騒いでいたが、無視した。
翌朝、院長室というせまっ苦しい部屋に、我と主は待機させられていた。隣にはピンク髪とハンターが立っている。そして、目の前にはショックでへこんでいるふりをしている白髪でしわくちゃな個体がいた。その隣には、輝く頭がいる。
「およよよよよ、まさかミス・ロングビルが、『土くれ』のフーケじゃったとは」
「それほどまでに気にされていたとは、おいたわしい」
「おーい、ウソ泣きしないで本題に入ってくれねえか。じいちゃん」
珍しく、同意見だ。さっさと終わってほしい。そこのピンク髪、騙されているぞ。主も見抜いているんだから、しっかりしろ。
「ねえ、お前ら。わしに対する慰めとかないの」
「え、いるのか?」
「我が人ごときに慈悲をかけると? そも、此度は貴様らの失態だろう。我が何を気にかけるというのだ」
「鬼か、あんたら」
ウソ泣きをやめて抗議の目で見てくる白髪に、ハンターは首を傾げ、我は見下しと睨みで返す。主は……
「…………………」
先ほどから横目かつ無言でこちらを見てくる。何の用なのかとんとわからん。それと、ピンク髪。感情移入もほどほどにしろよ。
「ぐすん。ともかく、此度の土くれのフーケ討伐。大儀であった。単なる金銭で済ませるほどの功績ではないため、ヴァリエールとタバサの両名には爵位申請をしておいた。そなたら使い魔たちは……少しばかりの金銭と、もうすぐ行われる『フリッグの舞踏会』への参加券としよう」
「はーい、じいちゃん。俺、狩りに行きたい」
「終わってからにせい!」
湧きたつピンク髪と、えー、と抗議の声を上げるハンター、頭を抱える輝く頭を尻目に、次どうするかを考える。
主曰く、この学院に我と主を結ぶ契約を断ち切る方法を記した書物はないらしい。となると、また別の場所に保管されている蔵書に当たるしかないのだが、それが一体どこにあるのかとんとわからぬ。いざというときは、契約を切らずに遠くの山奥にでも飛びさらねばなるまい。
「うぉっほん。これで、話はしまいじゃ。下がってよい」
「はい、忙しい中時間を割いていただきありがとうございました」
「ありがとうございました」
「おう、じゃあな」
退出許可が出たので、主と歩幅を合わせつつ、さっさと出る。廊下に出たと同時に、ハンターが声をかけてきた。
「お前ってさ、古龍だよな?」
「そうだ、それで狩るつもりか?」
「いや、迷惑をかけてないんならいい。それに、お前らクラスは専用の装備を整えねえとこっちが負けちまうからな。やめておくよ」
「ならいい。我も、契約を果たすまで死ぬつもりはない」
お互いのスタンスの確認だったらしい。適当に会話を打ち切り、また主従同士の会話を始める。
「それで、フリッグの舞踏会とはなんだ」
「近日中に行われるこの学院のイベント。ただ踊るだけ」
「理解した」
それもすぐに終わったが。さて、そうなると話すことがなくなるな。どうしたものか。
「はぁ!? 古龍って、そんな化け物なの!?」
と思ってたら、ピンク髪が隣で大声を上げた。あまりの声量に、耳を塞ぐ。主も驚いたようで、耳を塞いでピンク髪を見ていた。叫んだ元凶であろうハンターは、肯定するようにうなずいている。
「え、じゃああれで本気じゃなかったの、あなた」
「何を吹聴されたかしらんが、そうだ。あれは我の全力ではない」
そんなことも気づかなかったのかと呆れを込めて見れば、見る見るうちにピンク髪の顔が赤くなっていく。そんなに嫌か。
「古龍ってのは、超強いぞー。なんてったって、自然の権化だからなぁ。ちゃんと対策を打たねえと、こっちが一方的にやられるぜ」
「そういうお前も、なかなかの理不尽だな。どれくらい狩った」
へらへらと笑うハンターに、仕返しを行う。すると、ぴたりと凍ったかのように奴の笑いが止まり、すぐに我を睨みつけた。
「ま、数え切れねえほどかねぇ」
「そうか、殺しすぎるなよ」
そこから先は、完全に無言だった。自室の前で奴らと別れ、主の就寝に合わせて眠る。災厄が近づいていることなど、露も知らず。我らはまた来る明日に、何の期待もせずに今日を終えた。あ、いや。主は舞踏会のことに沸き立っていたな。
次は、どういう風にするか。あ、フーケはまたいつか出ると思います。ただ、四肢は期待しないほうがいいですね。
それでもよければ、また次回をお待ちくださいな。
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憤怒のままに
もともと排他的な彼は、なかなか他人に気を許しません。特に人類種に関しては、かつての惨劇もあって、非常に厳しいです。そんなこんなもあって、彼としてはタバサ以外は特に気に掛ける必要がないと思っています。何のためらいもなく殺せる、といった感じですね。
あと、話の展開上という理由もあります。今の彼では、人一人を抱えるのが限度ですから。そこにキュルケが乗ろうものなら、すぐに落ちます。彼はそれを無意識下で理解しているため、空を飛ぶときに誰かを待つという発想がないのです。
さて、気になったことはこれで終わりです。では、長いのか短いのかよくわからない話をどうぞ。
ところで、ビダーシャルさんってこんな口調でいいの?
「起きろ、我が主」
特に何の変化もなく、主の布団をはぎ取り、粉塵を一かけら浴びせる。手慣れてきたこともあり、もはや流れ作業だ。
寒さに身を震わせながら、手で追い払う動きをする主を無理やり立たせる。すると、突然に無理やり押し出そうとしてきた。昨日まででは想像もつかないことを主が行ってきたことに、困惑してしまう。
「おい、何がしたい」
「いいから、着替え終わるまで外にいて」
ほとんどない力を振り絞って我を動かそうとする主に問いかけても、いまいち要領を得ない回答が返ってくるだけ。どうしたものかと考えても、答えは出ず。これでは状況が進みそうにないため、渋々と外に出た。
「あら、トアじゃない。おはよう」
「ぐねぐねか。主に用があるなら、後にしろ。今は着替え中でな」
廊下で待っていると、ぐねぐねが声をかけてきた。確か、名前はキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーだったか。ずいぶんと長い名前だ。主を見習え、主を。もう少し短いぞ。
適当に主の現状を伝えると、また愉快そうに顔を歪ませた。一体、何が面白いのだ。
「そういえば、トア。あなた、いつの間にかタバサのことを主と呼んでるけど、どうしてそう呼んでいるの?」
にやにや笑いを止めず、ぐねぐねが距離を詰めながらそう問うてきた。我にとっては既に当たり前の事象だが、ここ最近主と交流できていないこいつが気づける理由はない。妥当と判断し、答えることにする。
「奴とは契約を結んだからな。あいつが違えない限り、我もまた奴の目的に協力する。互いに利用する関係を築き上げたわけだ」
「なんだ、つまらないの。もっとこう、一気に距離が近づくイベントとかがあったんじゃないの?」
「は?」
貴様は何を期待しているんだ?
上目遣いで期待を脂肪に詰め込んでこちらを見てくるぐねぐねに、睨みを返す。ぐねぐねは、パッと距離を離してくるりと回った。
「ああ、そうそう。今夜、フリッグの舞踏会があるの。タバサ、きっと踊る人がいないでしょうから、あなたのほうから誘ってあげて」
「それは、我と奴の目的のどちらにも関係ない話だな」
「そう言わずに、ね。女の子をリードするのは、いつだって男の役目よ」
パチンと片目を閉じて、恐らくウィンクだろう、ぐねぐねは上機嫌で去っていく。結局、我と主のどこにあいつの愉悦があるのか理解できなかった。そも、我の本来の目的は番探しだというのに。
今自分が置かれた状況と本来の予定の乖離にため息を吐いていると、扉からノックの音が聞こえた。準備が終わったということだろう。
「遅いぞ、主」
扉を開けて中を見れば、異様な香りを纏った主の姿。花、だろうか。広場に咲いているものとは、違うな。
「急に花の匂いなどつけて、どうした」
何やら様子がおかしい主に対し、思ったことを口にする。主は依然として沈黙したままだが、小さめとはいえ、初対面のぐねぐねに近い動きをしている。
ふとぐねぐねの言葉が思い返される。
――まるで勇者様みたいなことを言うのね――
まさかあれではないだろうな。当たってほしくはないと思いながらも、確認のために主に問いかける。
「おい、まさか我を勇者だと思っているんじゃないだろうな」
「……!?」
なぜ気づいたと言いたげな主の顔。しかし、我は今それどころではなかった。こいつは我のことを、古龍ではなく騎士なるものだと思っていたのだ。事実誤認にも甚だしい。我は騎士ではない。そんなことも忘れていたこいつが、腹立たしくて仕方ない。
「失望したぞ、幼児。我のことを深く知ろうとし、己の間違いを正そうとする賢人かと思っていれば、ありもしない夢に溺れる愚者だったとは。所詮は、人の子ということか」
「あ……」
「いい。何も喋るな、触れるな、見るな。ああ、まったく。一時の気の迷いになど、乗るべきではなかった」
呆然とした様子の幼児を置き去りにし、廊下を行く。今日は確か授業があったのだったか。だがもう、そんなことはいい。今はただ、遠くに行きたかった。
ハルケギニアの空を宛てもなく飛びながら、我はふと物思う。はて、我はどうしてあそこまで激高したのだと。
別のものだと間違えられたから?
ほかのものと重ねられたから?
急な対応の差が理解できなかったからか?
どれも違う気がする。というより、正鵠を射ていない。どれもあっているようで、どこか外れている。心の整理というのは、こういうものなのだろうか。ならば、このようなものはいらないとはっきり断言できる。
眼下では、人々の営みや見たこともない獣どもの生活が繰り広げられており、平時ならば好奇心で少し立ち止まっていただろう。まあ、今の我にとっては憎しみの対象でしかないがな。
しかし、ここからどうしたものか。元の世界に帰る方法は、日と月が交わるというときに空に上がること以外に思いつかず。契約を切る方法は、我一人では探し出せまい。あの幼児の手を借りれば可能なのかもしれんが、あいつの手だけは借りたくない上に、帰り道がわからない。結局、どうしようもない現状に、胸が焼き焦がされた。
進み続けた先、大きな湖を見つけた。大きな龍脈が集う場所だ。この地のエネルギーの支配者が住んでいるのだろう。ふと幼児の言っていたことを思い出す。
――お母さんは、ここから南にある大きな湖のそばに住んでいる――
今更、そんなことを思い出して何になる。もう、あいつとの関係は断ち切っただろう。
通り過ぎようと思ったが、気の迷いから岸辺に舞い降りてしまう。広場とは違う土の感触に驚いていると、湖面より人型の何かが出てきた。水がそのまま人型を取ったような存在だ、我の能力ならばすぐにでも無力化できるだろう。
「龍よ、なにをそんなに怒れる?」
どうも我の怒りの原因が知りたいらしい。なんのために、とは聞くまでもなかった。龍脈が活性化している。我がこの地で暴れることを、畏れているのだ。
ならば聞くがいい、龍脈の支配者よ。我の怒りを、我の嘆きを。
「知らぬ! とんと理解できぬ! 我は凍れる地より来たる王! 我以外の命との交流など、数えるほどしかなかったがゆえに!」
「ならば、この地を去るか怒りを鎮めるがいい。この地に住まう命らを危険に晒すな」
我の叫びに、奴は全く反論の余地もないほどの正論を叩きつける。ああ、なるほど。貴様は我らと同じ存在なのだろう。龍脈より生まれ、力を用い、死して命を還元する。自然の象徴なのだ、貴様もまた。
思わぬ同類との出会いに、心が躍った。そして同時に、我を通して別のものを見た幼児のことを思い出し、再び憎悪に狂う。
「ああ、事実だ。全く以て、その通りだ。自然を司る者として、肯定する。だが、離れられぬ。去ろうと思えぬ。あの幼児の言葉が呪詛のごとく、頭に反響して仕方がない」
「では、どうすれば怒りを鎮める?」
ただつらつらと怨嗟を上げれば、返ってくるのは単調な問いかけのみ。ああ、かつての我を思い出す問答よ。だが、止まるわけにはいかぬ。この問題を解決せねば、きっと我は先へと進めぬゆえに。
そういえば、向こう側に幼児の母がいたはずだ。奴との契約条項に該当する母とやら、一度顔を拝むのも悪くはない。
「対岸に屋敷があったはずだ。そこへ向かう」
「そうすれば、収まるのか?」
「わからん。ただ、気になっただけよ」
同胞との会話を切り、飛び立つ。上空より湖を横切り、目指すは幼児の母が住まう場所。
ずいぶんと広い湖を超え、再び陸地が見えてきた。確かに、幼児の言った通りに湖のそばに屋敷が立っている。別の場所に移されていなければ、ここに奴の母がいるのだろう。病にかかっていると聞いたが、どういった内容か。
入り口に降り立ち、扉を開けようとする。すると、横から剣が飛び出して我の腕とぶつかり弾かれた。何者かと、剣の持ち主がいるほうへと目を向ける。
そこには、耳の長い男がいた。男は我を警戒しているのか、剣を構えて我を睨みつけている。奴の足元からは、龍脈が流れ込んでおり、奴が何かをしているのは一目で理解した。
「なぜ、人風情が龍脈を扱える?」
「先住魔法ではなく、龍脈と呼ぶか。何者だ」
「古龍だ」
問いかければ、投げ返される。その間に、特にこちらから手を出さなければ問題ない類だと理解し、無視して進むことに決めた。が、扉に手をかけると同時に剣が飛んでくる。
何のつもりだ、と目で問えば、耳長は構えを引き締める。どうやら、倒さねば進ませてくれぬらしい。
仕方なし。勝率は五分だが、無理すれば七分まで持っていける。悪い戦いではない。ここで鬱憤のいくつかは、晴らすとしよう。
相手も我がやる気だと判断したのだろう。今まで以上に、龍脈より力を吸い上げている。無駄遣いだな。それに――
我ら古龍を相手に龍脈を用いて戦おうなどと、愚昧にしても程がある。
奴の足元に流れ込む龍脈の流れをむりやり変え、我のところへと流れるようにする。湖が近いせいだろう。膨大なエネルギー量に体が悲鳴を上げるが、一声のもとに叩き伏せた。翼より粉塵を手あたり次第にふりまき、角と尻尾で氷へと変える。余った龍脈で吹雪を形成し、この屋敷全体を白で染め上げる。それでもなお余るエネルギーが、我の体を引き裂き、服を血で染め上げた。
「な、なんだこれは! 貴様、何をした! この風はなんだ!?」
足元から凍り始めた耳長が喚きたてる。大方、自慢の武器がうんともすんとも動かなくなったことに、驚愕しているのだろう。ならば、答えてやろうではないか。
「戯け、貴様の力の原動力を奪っただけよ。そして氷に閉ざされながら聞くがいい。我こそは、凍れる地の王トア・テスカトラ! 氷雪を司る龍である!」
「トア・テスカトラ……!」
吹雪の中に、耳長の声がかき消されていく。吹雪が止んだころには、驚愕と畏怖で口を大きく開けた一つの彫像ができあがっていた。
今度こそ邪魔するものはいまいと、氷で覆われた扉を開ける。周囲もまた場違いな雪が積もっており、草木に至ってはそこの彫像と同じように氷に閉じ込められていた。
内部はそれなりに綺麗な様相を保っていた。エントランスの中央に、老いた個体が我を待ち構えていたのか、立っている。服装からして、メイドたちと同系列か。
「幼児シャルロットの母は、どこだ」
「……あなたは何者ですか?」
「幼児より場所を聞き、容態を見に来た龍だ。幼児とは、喧嘩別れしてきた」
服装から、この屋敷について詳しいだろうと当たりを付け、問いかければ、返ってきたのはまたしても問いかけ。この屋敷に住む連中は、人に対して問いかけで応える癖があるらしい。
とりあえず、敵意はないと両手を上げる。先ほどの蹂躙で、幾らか気は晴れた。ことさら争う気はもうない。
それが伝わったのか、老人は警戒をある程度緩めた。
「なぜ、公夫人様に会われたいのですか?」
「先ほど述べた。さっさと会わせろ、そうすればすぐに帰る」
「…………畏まりました。こちらでございます」
我の言葉に、老人は半信半疑で案内を始めた。老人の足取りを見失わぬように、奴の後ろをぴたりと吐かず離れず追いかける。
そうして進んでいけば、ついたのは何やら得体の知れぬ気配を漂わせている部屋だった。中から、シャルロット、シャルロットとぶつぶつ声が聞こえてくる。
老人のほうに目を向ければ、ただ静かに目を伏せられる。どうやら、ここで合っているらしい。
「入るぞ」
ノックを行い、中に入る。そこにいたのは、人形に延々と世話を焼き続けている女性が一人いた。女性はスプーンに何かの汁物を掬い取り、人形の口に押し当てている。
その口から漏れ出る言葉は、シャルロット、愛しい子とばかり。それが人形であることには、かけらも気づいていない。
その姿が、我を誰かと重ねたあの幼児と重なって――
「戯け。既に経験済みなら、その痛みも理解していただろうに」
思わず、そんな言葉が口から出ていた。もう、あの幼児に対する怒りは消えていた。
この時系列で、ヴィダーシャルがいるのはおかしいと思ったあなた。はい、その通りです。私もなぜ、彼がここにいるのか知りません。誰か教えたんじゃないですかね、古龍が近づいていると。まあ、結果はこれですが。
あと、なんか一日も経たずに怒りが沈静化してますね。慈悲深いというかは、熱しやすく冷めやすいといったほうが正しい気がします。
では、そんな感じで。また明日とか。
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