銀河要塞伝説 ~クレニック長官、デス・スターを建造す~ (ゴールデンバウム朝帝国軍先進兵器研究部)
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01.アルテナ会戦

 漆黒の銀河の闇に、目も眩むような閃光が走る。

 

 

 

 恒星や彗星の光ではない。大勢の乗組員の命と引き換えに、宇宙戦艦が放つ最後の輝きだ。

 

 

 この日、アルテナ星域では多くの命が散っていた。

 

 

 

 帝国暦488年、銀河帝国政府と貴族連合との間に発生したリップシュタット戦役最初の戦闘がこの日、アルテナ星域で始まっていた。

 

 

 ***

 

 

 時おり眩い光を放つ銀河の大海原を、一人の男が見上げていた。

 

 

 天上を彩る無数の星々の煌めきが、壮年に差し掛かった男の灰色の髪を照らす。肌は白く、淡いブルーの瞳が理知的な印象を与える男であった。

 

 

 彼は何光年にも広がる漆黒の銀河を静かに眺めながら、ただじっと何かを待っていた。

 

 

 その横には巨大な円形の管とでもいうべき空間が存在した。なめらかな強化セラミックのトンネルが前後に果てしなく伸びている。その幅は小型の宇宙船が通れるほど広い。

 

 

 

 やがて“その時”が来た。

 

 

 

 技術者らしき白衣の若者が近づいてくる。背後には帝国軍の黒い軍服を纏った偉丈夫がぴったりとついていた。

 

 

「どうだ?」

 

 

 男は宇宙を見上げたまま質問した。

 

「準備に抜かりは無いだろうな?」

 

「はい。連中の度肝を抜いてやりますよ」

 

 当然だ。その為に何年もかけてこの要塞を改造したのだから。

 

「いよいよ、ですね」

 

 若い技術者の返答に満足したように男は頷き返すと、壁に掛けてあった通信機を手に取った。

 

 

 

『―――兵士諸君』

 

 

 

 要塞の至るところに備え付けられているスピーカーを通して男の声が響く。作業をしていた兵士たちは一斉に動きを止め、男の言葉を待った。

 

 

『歴史の歯車は動き出し、帝国の未来は勝利と栄光によってのみもたらされる。決戦の如何は、ひとえにこの要塞と新兵器の健闘にあり。我ら決戦の火蓋を切り、勝利への号砲と為さん!――― 銀河帝国に栄光あれッ!!』 

 

 

 おお、と歓声をあげる部下たちを見渡すと、男は再び視線果てなく続く巨大な円形の管へと向けた。

 

 膨大なエネルギーが目の前で充填されていく。禍々しい緑色に輝くクリスタルを食い入るように見つめながら、男は誰にともなく呟いた。

 

 

「そうだ……この要塞砲こそが未来の戦争の行方を決める。歴史を動かすのはこの私、オーソン・クレニックなのだ」

 

 

 

 ***

 

 

 

 帝国暦488年 4月24日 アルテナ星域

 

 

 

 ゴールデンバウム朝銀河帝国を二分した“リップシュタット戦役”、その初戦である“アルテナ星域会戦戦”は反乱を起こした門閥貴族連合軍の惨敗に終わろうとしていた。

 

 

 

「右翼ヒルデスハイム伯軍、壊滅した模様!」

 

「シュターデン提督がストレスで吐血したぞ! 速く医務室へ運べ!」

 

「退却だ! 急いでレンテンベルク要塞まで退却するんだ!」

 

 

 

 この日、シュターデン率いる門閥貴族軍は16000隻の艦隊のうち、実に7割を失い敗走の真っ最中であった。

 

 

「いいぞ! このまま追撃して敵を蹴散らせ!」

 

 

 対して初戦で勝利した銀河帝国軍は将兵共に士気軒昂、敗走する敵軍を猛追撃している。艦隊司令官であるミッターマイヤー提督得意の素早い用兵もあってか、一人も逃がさぬと言わんばかりの勢いだ。

 

(このままでは、本隊が到着する前に敵を全滅させられるかもしれんな)

 

 あっけない敵軍の崩壊と無秩序な敗走を見て、ミッターマイヤーは過信や驕りではなく冷静な分析からそう判断する。元より烏合の衆であった門閥貴族軍は、指揮官であったヒルデスハイム伯を失い、シュターデン大将が倒れたことで混乱の極致にあった。

 

 

「全軍、そのまま追撃の手を緩めるな! 1隻でも多くの敵を沈めろ!」

 

 

 指示を出しながら、ミッターマイヤーは敵軍の進路を見やる。敗走する門閥貴族軍が目指しているのは、隣接するフレイヤ星域にあるレンテンベルク要塞だ。

 

 

 小惑星をくりぬいて作られた勾玉のような形状をしたレンテンベルク要塞は、銀河帝国の標準的な要塞での一つだ。

 イゼルローンやガイエスブルクのような主砲こそ無いものの、100万単位の兵員と1万隻を超える艦艇収容能力をはじめ多くの機能と兵力を擁した重要な軍事拠点であり、リップシュタット戦役の勃発にともなって貴族連合軍の勢力下に入っていた。

 

「無視されるためにある難攻不落」

 

 誰が言ったか定かではないが、とにもかくにも昔から今まで要塞は堅牢であればあるほど迂回される傾向にあって、その実力がいかんなく発揮された事例は驚くほど少ない。

 マジノ線然り、バーレブ・ライン然り、である。もちろん攻め手からすれば守り手の都合に付き合ってやる義理はないのだから当然ではあるのだが、かくしてミッターマイヤーもその手の合理的判断を有する指揮官であった。

 

 

「閣下、このまま追撃して要塞まで肉薄いたしますか?」

 

「いや、要塞の射程圏内に入る直前で離脱する。要塞に逃げる敵を追って城ごと陥落させるというのも魅力的だが、そこまでは欲張らんよ」

 

 

 ただし要塞の射程圏内までは追撃の手を緩めるな、とミッターマイヤーは念を押す。欲張るのは愚かであるが、無欲も過ぎれば怠惰である。無理をしない程度にほどほどの欲を出す事の積み重ねが功績に繋がるのだ。

 

 

(初戦は我が軍の勝利とはいえ、未だに貴族連合軍は多くの兵力を有している。敵は削れるうちに削れる分だけ削るべきだろう)

 

 

 同盟を名乗る叛徒との戦いと違って、今回の戦争は内乱である事もミッターマイヤーのこうした判断を後押ししていた。

 

 

 身内が殺し合う内乱が長引けば、どちらが勝っても帝国の国力は低下する。被害を最小限に食い止めるには可能な限り戦争を早期終結させることが望ましい。

 

 せめて要塞の対空砲火の射程ギリギリまでは追撃して後顧の憂いは取り除いておきたい、とミッターマイヤーが考えた時の事だった。

 

 

 

「レンテンベルク要塞より、高熱源反応あり!!」

 

 

 

 司令室にオペレーターの悲鳴が響き、全員が一斉にスクリーンを見る。

 

 

「ば、馬鹿な!レンテンベルク要塞には対空砲火しか無いはずだ!」

 

 

 幕僚の一人が叫ぶ。ミッターマイヤーが技術士官と諜報参謀を順に見るが、どちらも困惑するばかりだ。

 

 

「相手はイゼルローンやガイエスブルクじゃないんだぞ!? どこにそんなエネルギーが……!」

 

 

 たじろぐ幕僚たち―――だが、その間にもレンテンベルク要塞の一角からは不気味な緑色の光が漏れ出し、どんどん輝きを増してゆく。司令室中の人間から血の気が引き、瞬く間に恐怖が全軍に伝播していった。

 

 まずい、とミッターマイヤーは直勘的にそう判断した。

 

 

「全軍、かい―――」

 

 

 ミッターマイヤーが回避の指示を出そうと口を開いた時、レンテンベルク要塞が眩い光を放つ。激しい閃光によって、ブリッジでさえ眼も開けられないほどだ。

 

 

 

「っ―――――!?」

 

 

 

 次の瞬間、スクリーン全体が緑色の光に包まれた。目も眩むような閃光と共に船体が大きく揺れ、ミッターマイヤーもバランスを崩して柱に掴まる。

 

 

(一体なにが………?)

 

 

 至る所でエマージェンシーコールが流れ、救援や被害報告を伝える通信が鳴り響いている。詳細は分からないが、自軍に大損害が出たことは確実のようだ。

 

 

「状況はどうなっている……?」

 

 

 ミッターマイヤーが目を開くと、そこには艦隊の半数を失った自軍の残骸が広がっていた―――。

 

  




ノリと勢いで作ったほぼ一発ネタ


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02.ラインハルトとキルヒアイス

    

 

「ミッタ―マイヤー艦隊が半壊した……?」

 

 

 その報告を受けた時、ラインハルト・フォン・ローエングラムは滅多に見せない驚愕の表情を浮かべた。

 

 

 彼だけではない。ラインハルト陣営の多くも同様あるいはそれ以上に衝撃を受け、ロイエンタールに至っては前線に二度も確認したほどだ。

 

 

 超光速通信の向こうにいるキルヒアイスもまた、驚愕の表情を浮かべていた。

 

「いったい何があったのですか? ミッタ―マイヤー大将ともあろう者が、門閥貴族たちに後れを取るとは思えませんが……」

 

「追撃戦の最中にレンテンベルクからイゼルローンのトゥール・ハンマーに相当する威力の砲撃が放たれたらしい……軍務省や統帥本部に問い合わせても、記録には無い装備だと」

 

 

「なっ……!」

 

 そんな戦略級の超兵器を隠し持っていたとは。

 

 キルヒアイスも決して敵を見下していたつもりはないが、それでもやはり心のどこかで「所詮は烏合の衆」という侮りがあったのだあろう。想像していたより、敵は周到に準備を重ねているらしい。

 

 

「門閥貴族共め……正面決戦は苦手でも小細工は得意と見える」

 

 苦々しげなラインハルトの呟きに、キルヒアイスの眉が僅かにうごめいた。

 

 ミッタ―マイヤーはまだ若いが、才気も勇気も備えた名将である。ラインハルトの幕僚としてもいくつかの戦場を潜り抜け、いずれも非凡な実績を残してきた。

 

 そのミッタ―マイヤーが負けたのである。しかも艦隊の半数を失うという、大敗北であった。

 

 

「ですが、我々はその小細工にしてやられたのです。あのミッタ―マイヤー大将が指揮を執っていたにもかかわらず、です」

 

 

 主君の過小評価を戒めるキルヒアイス。続けてパネルを操作し、画面に一人の男を映し出した。

 

 典型的なゲルマン風の容貌で、灰色の髪とブルーの瞳が特徴的だ。年齢はラインハルトやキルヒアイスより20~30歳ほど年上だろうか。帝国軍にしては珍しく白い軍服と、同じ色のケープを纏っている。

 歴戦の勇者というよりは、大学教授や大企業の重役を思わせる印象の男だった。

 

 

「オーソン・カラン・クレニックか……」

 

 

 画面に映し出された肖像を見て、ラインハルトが呟く。帝国軍においてはそれなりの知名度と実績を誇る男だ。

 

「アスターテで会った時は少将だったと記憶しているが、順当に出世したと見える」

 

 しかしながらラインハルトの評価にどこか皮肉げな響きがあるのは、この稀代の英雄もまた個人的に面識があるからなのであった。「戦争の天才」としての評価を確固たるものにした、かの有名なアスターテ会戦で両者は一度議論を戦わせている。

 

 

「倍の敵に包囲されつつあるこの状況で、200万以上の将兵が命を賭すほどの戦略的意義をこの戦いには感じませんな」

 

 

 撤退を進言したシュターデンの意見を「勝てる戦いだ」と一蹴したラインハルトに対して、間髪入れずに横槍を入れた時が両者にとって初めての会話であった。

 

 このときクレニックは暗に「なぜ戦略的な意義のないアスターテの戦いで、将に手柄を立てさせるために兵が命をかけて優勢な敵と戦わねばならんのだ?」と批判したのである。

 

 もちろん兵の命を本気で心配している訳ではあるまい。しかし諸将に向かって「作戦に忠実に従ってくれれば勝算はある」と言い切ったラインハルトへの、「忠実に従うべき理由がどこにあるのか?」という見事なカウンターであった。

 

 

 

「あれは厄介な男だったな。キルヒアイス」

 

「ええ。純粋な軍人としてはさほど脅威ではありませんが、軍官僚としては警戒すべき相手です」

 

 

 銀河帝国軍幼年学校にはオーソン・クレニックの名前が刻まれている。当時の彼は若くして天才と評価されており、建築学をもっとも得意としていた。

 

 後にクレニックは銀河帝国軍工兵隊の設計連隊に加わって着実に出世を遂げ、レンテンベルク要塞をはじめとする宇宙および地上での巨大建造物改修プロジェクトを取り仕切った他、自由惑星同盟の技術と科学力を利用するためにフェザーンを通じた裏取引にも携わっていたという。

 

 

 しかし彼のもう一つの能力は、他者の心を読んで操るカリスマ性や根回しといった政治家としての才能であった。

 

 前世における最大の功績であるデス・スター建設においても、スーパー・レーザー開発の肝となるカイバー・クリスタルを応用したエネルギー制御についての専門的な部分は主任研究員であるゲイレン・アーソに任せっきりであった。

 

 それでも彼が先進兵器研究部門のトップに君臨できたのは、素晴らしい技術や才能を持つ人物を見抜いて彼らを利用する術に長けていたからだ。

 天才ではあるが平和主義者でもあったゲイレン・アーソを言葉巧みに言いくるめ、その成果を大量殺戮兵器へと転用して自らの功績とする……クレニック本人に素晴らしい新技術を生み出す才能は無いが、一流の研究者の上に立つ研究所の所長として彼の右に出る者はいなかった。

 

 

 無論、そこまではラインハルトやキルヒアイスらの知るところではない。

 

 だが、単なる「戦いの専門家」に留まらない政治的な思考が出来る軍人であるクレニックが功績をあげたという事だ。そのような人物の発言力がリップシュタット連合軍で高まれば、戦況が彼らに有利な方向へ傾く可能性がある。

 

 野心家のクレニックは間違いなく、この戦いの勝利を敵味方に対して盛んに喧伝するだろう。その政治的な影響は彼の経歴に箔をつけるだけに留まらない。

 

 

「既に兵たちの間では動揺が走っています。早急に対策を取らないと、日和見をしている者や面従腹背でこちらに従っている者たちが離反しかねません」

 

 

 純粋に軍事的な観点から見れば、アルテナ星域会戦に戦略的意義はほとんど無い。

 

 アルテナ星域が戦略上の要衝というわけでもなく、シュターデン艦隊16000隻の半数を撃破した程度では総数15万隻とも号されるリップシュタット貴族連合軍全体に与えた損害はそこまで大きくない。

 

 もちろん逆にいえばクレニックの要塞砲がミッタ―マイヤー艦隊14500隻の半数を喪失させたというのも、戦術的な敗北に過ぎず戦略にはそれほど痛手ではなかった。むしろ早期に敵の手の内が分かった事で、今後の対策が取りやすくなった程だ。

 

 

 しかし軍事的には小さな勝利や敗北であっても、歴史は時としてそれを政治的に大きな勝利と変えてしまう。

 

 帝国を二分するこの大規模な内戦でリップシュタット貴族連合軍が“最初の戦闘に勝利した”という象徴的な実績は彼らの士気を大いに上げ、ラインハルト陣営の威信を傷つけた。どちらに付くか迷っている日和見主義者にとっては前者に与する理由がひとつ増えた事にもなる。

 

 

 だが、ラインハルトは自信たっぷりに、キルヒアイスの懸念を一蹴してみせた。

 

「心配性は相変わらずだな、キルヒアイス。確かにお前の言う通り、小さな誤算が歴史の歯車を大きく変えてしまうこともある。だが実際には予期せぬ奇跡など、大抵は有効に利用できず時代に埋もれさせてしまうものだ」

 

 もしリップシュタットにおいて密約を交わした貴族たちが用意周到に反乱を計画し、内乱で二分された銀河帝国を再統一するようなグランドデザインを描いており、その壮大な戦略の一部としてアルテナ会戦におけるクレニックの要塞砲が組み込まれているのだとすれば、キルヒアイスの危惧したような事態も起こり得よう。

 

「クレニックは厄介な男だが、それだけだ。あの男は門閥貴族共の指導者でもなければ、その器でも無い。当の本人にもその気はないだろうよ。あれはただ、巻き込まれただけだ」

 

 ラインハルトにあっさりと断言されて、キルヒアイスは言いよどむ。そんなに単純に割り切っていいのだろうかとも思うが、思い返してみればリップシュタット貴族連合軍は成立からずっと受け身で場当たり的に対処してきたに過ぎない。

 

 もともと反ラインハルトで集まっただけの貴族たちに、統一された将来像などあるはずがないのだ。

 レンテンベルク要塞の勝利もまた、戦略的な勝利につなげる作戦術に応用できなければ、単なる一過性の奇襲的勝利としてミッタ―マイヤーの経歴に小さな傷をつける程度の意味しか持たないだろう。

 

「アルテナ会戦はあくまでクレニック長官の勝利であってリップシュタット連合軍の勝利ではないと、そういう事ですか。ラインハルト様」

 

 薄い笑いがラインハルトの口元に浮かぶ。端正な唇からのぞく真っ白な歯がギラリと刃のように光り、キルヒアイスの背筋に戦慄を走らせた。

 

 このような笑みを浮かべる時、たいていラインハルトは上機嫌である事をキルヒアイスは知っている。しかし機嫌がいいことと、慈悲深さや寛大さは必ずしも連動するわけではない。それは例えるなら、獲物をしとめる直前の猟師が、期待に胸を膨らませているようなものであった。

                     




 クレニック長官、銀河共和国未来プログラムに選ばれるぐらいだから一般人からみれば充分に「天才」の部類には入ると思うんですよね。天才の中にも天才がいるってだけで


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03.宇宙に浮かぶこけおどし

 

 あまり知られてはいないが、クレニックはオフレッサーらと同じ帝国軍では数少ない、ほぼ平民と同様の下級貴族出身の将官である。

 

 しかし反ラインハルトの急先鋒として知られるオフレッサーと違って、クレニックの場合はどちらの陣営にもそれほど思い入れがあるわけではない。そんな彼がリップシュタット貴族連合軍に参加している理由はと言われれば、実に個人的で切実な理由の為であった。

 

 

 ――宇宙要塞の建設には金がかかる。

 

 

 これが「巨大な宇宙戦艦」レベルであれば、まだ軍の研究所でも実現できただろう。だが「惑星1つを吹き飛ばせる威力の要塞砲の建設」ともなれば、常識的な思考の正規軍人が務める軍研究所では物笑いの種にされるのがオチだ。

 

 その点、門閥貴族たちはケチな正規軍の財務官僚よりも気前が良かった。

 

 世の中にいる金持ちの中には、そういった荒唐無稽とも思える壮大な計画にこそロマンを感じて巨額の資金援助を申し出る様な道楽者もいる。クレニックは彼らの虚栄心を満足させるような壮大な宇宙要塞を次々に作り上げ、今の立場を作り上げたのだった。

 

 

 **

 

 

 大軍の指揮官に必要な素質は、いわゆる“戦上手”と呼ばれるような戦場で敵を華麗に打ち破る戦術家としての能力だけではない。

 

 巨大な組織を管理し、関連部署を運営し、現場指揮官たちの要請に優先順位をつけ、限られた物資・人的資源を適材適所に配置し、多くの利害関係者の調整を行い、最小限の労力で効率よく統制する……それに必要なのはむしろ政治家や官僚の素質であり、そうした組織化力、調整力、裁定力および計画立案においてこそオーソン・クレニックの真価が発揮される。

 

 工兵出身であるクレニックの得意分野は建築学であったが、彼の数学的才能はこうした緻密な計算を要求される組織のトップとして必要な兵站、管理そして政治分野で十分な実績をあげていた。

 

 

 一方でクレニックは野心家でもあり、他人からの評判は必ずしも身の丈に揃える必要がなく、時として自らを大きく見せなければ己の能力を十全に発揮できない事もあると考えていた。

 

 

「さて、とりあえずデモンストレーションは大成功だが……問題はこれからだな。この成果をどうにかして次の支援に繋げなくては」

 

 

 初戦で大勝利を飾ったのだから、レンテンベルク要塞はさぞ勝利の美酒に浮かれているだろうと部外者は思うかもしれない。

 

 しかし要塞の実態は燦燦たるものであった。

 

 

「宇宙に浮かぶこけおどし」

 

 

 開戦時、機動戦論者であるラインハルトはレンテンベルク要塞に立て籠もるクレニックをそう冷評したものだが、その意味でかの英雄はまさしく彗眼とでも呼ぶべきものを持っていたのであろう。

 

 その「こけおどし」によってお気に入りの部下が指揮する一個艦隊を半壊したことで世間の評価は大きく変わったが、ラインハルトの皮肉がその実、よく的を射ているものであることは当のクレニックが最もよく理解していた。

 

「それで、被害状況は?」

 

 アルテナ星域会戦に勝利したクレニックが手始めに行ったことは、ほとんど機能停止に陥ったレンテンベルク要塞の再稼働させることだった。

 

 圧倒的な威力をもってミッタ―マイヤー艦隊を粉砕したクレニックの要塞砲であったが、それを発射するためにはレンテンベルク要塞のほぼ全機能を生贄として差し出さなければならなかったのだ。

 

 

 クレニックと彼の研究チームが開発した新型の要塞砲は、レーザー・ビームの増幅率を最大限にまで高めるため、8本に分散した高出力エネルギーを巨大な増幅クリスタルの傍に設置された凹面レンズの中心にある増幅点に集約し、それを1本の大砲に集約された状態で発射されるというものだ。

 

 しかしデス・スターでさえ、内部区画の大部分はスーパーレーザーの性能を支えるための施設に割り当てられていた。大型艦船を破壊する規模の砲撃は1分間隔で行うことができるが、惑星の破壊は1日に1回が限界である。それと同じものを数分の1サイズとはいえ再現するのであれば、相応の負担が求められる。

 

 

 対して、当初クレニックに与えられた時間と予算、そして人員はあまりにも少なかった。

 

 だが、無茶な要求を達成してこその一流である。クレニックの場合、その意味では二流であったが、自分を「一流だ」と思わせる程度の能力はあった。

 

 早い話が、大掛かりなハッタリで敵味方を共に欺いたのである。

 

 であれば、アルテナ星域会戦で大損害を被ったミッタ―マイヤーを完全な油断・慢心だと断じるのは酷であろう。というのもクレニックの要塞砲が発射された時、ミッタ―マイヤー艦隊は本来であれば安全なはずの宙域を航行していたはずだったのだから。

 

 もちろん帝国軍情報部とて完全な無能ではない。一応、レンテンベルク要塞に要塞砲が設置されている可能性については報告をあげていた。

 しかしレンテンベルク要塞のサイズから考えて、仮に要塞砲が設置されたからといっても出力はせいぜいトゥール・ハンマーの十数分の1に過ぎないと推測されていた。 

 

 

 だが、大威力の要塞砲をぶっ放すために宇宙要塞そのものを事実上の使い捨てるなどという、非常識な運用を一体だれが想像できたというのだろうか。ここまでくれば奇策というより奇術、あるいは呪術的な思考によって生み出された呪いの類であった。

 

「メイン・リアクターは全て取り替えですね。再稼働させるのは危険過ぎます」

 

 技術主任からそう言われて、クレニックは重々しく頷いた。リアクター以外にも大規模な補修が必要で、恐らく要塞機能の1/5は丸ごと総入れ替えになるだろう。

 

 金はかかるが、仕方がない。とにかく大事なのは資金繰りで、効率が良いとはいえないがスポンサーの機嫌に合わせて援助資金を絶やさないようにするしかない。

 

 通常であれば、こうした要塞砲は何度も発射することを想定して、当然であるが最大出力は「安全に発射できる最大の出力」の範囲内に収めている。

 だが、それではエネルギーが足りないと判断したクレニックは安全制御リミッターを外して、メルトダウンするギリギリまで出力を上げ、それこそ動力炉が融解しかねない最大出力を無理やり引き出した。

 

 しかし、それでもエネルギーが足りない。

 

 そこでクレニックは更に小型のリアクターを何個も外付けで増設し、とにかく数を揃えた。そしてレンテンベルク要塞の内部をくり抜く予算も時間も無かったために、巨大なレーザー砲を突貫工事で増設し、擬態を繰り返してカモフラージュした上でアルテナ星域会戦に挑んだのだ。

 

 そしてその結果、オーソン・クレニックは2基のメイン・リアクターと4基の予備リアクターと引き換えに、ミッタ―マイヤー艦隊7000隻を宇宙の藻屑と化したのである。

 

 

「発射と同時に要塞砲自体にもヒビが入っています。無事なリアクターも全て、メルトダウンの危険があるため稼働を停止中。中枢区画以外も全て停電中で……」

 

「停泊中の宇宙艦隊の動力炉を使うしかあるまい。哨戒中の艦隊とメンテナンス中の艦を除く、可能な限りの艦を要塞内に集めて電力を要塞に供給させろ」

 

 

 これがレンテンベルク要塞のお寒い実態なのであった。要塞砲を一発撃っただけで、肝心の宇宙要塞はほぼ機能停止という、「要塞ごと使い捨てる要塞砲」なる狂気の兵器である。

 まさしくラインハルト風にいえば「宇宙に浮かぶこけおどし」であった。

 

 

 他にも出力の微調整が出来ないだとか、観測艦による座標の照準指示がないと精確な射撃ができないだとか、問題点をあげればキリのない欠陥兵器である。ラインハルトはもちろん、ブラウンシュヴァイク公も実態を知れば絶句するであろう。

 

(もしミッタ―マイヤー艦隊があのまま、彼我の損害を顧みずに突撃していたとしたら……今ごろ私のクビは飛んでいたであろうな。停電中の要塞など、宇宙に浮かぶ大きな石ころでしかあるまい)

 

 我ながら際どい賭けだった、とクレニックは自嘲する。それは敗者の反省というより、勝者の謙遜に近い。そう自らを客観視できるぐらいには余裕があるのであった。

 

 

「私はこれからガイエスブルク要塞に向かう」

 

 

 おもむろにクレニックは切り出した。

 

 もちろん初戦の戦勝記念パーティーに参加する為ではない。手段としてはそれもあるのだが、目的は彼の次なる計画に向けてのコネクションとパトロン作りだ。もちろんその中には要塞の補修費用も含まれている。

 

 問題点をあげればキリがないが、それをうまく隠ぺいして「レンテンベルク要塞、そして新型の要塞砲は強力無比なり」と敵味方に信じ込ませる。

 

 上手くいけば、今まで以上に豊富な援助が受けられる事だろう。そのために必要な演技力、そしてそれを有効活用して資金・資源・人材を引き出す政治力こそがクレニックの持つ才能であった。 

 

 




タイトルは田中芳樹先生の小説「タイタニア」の中にあるワンフレーズから。

「タイタニア」も好きです。


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04.クレニックの秘策

 

        

 ガイエスブルク要塞に帰還したクレニック大将を待っていたのは盛大な歓迎の嵐であった。

 

 

「さすがはクレニック大将! アルテナの勝利はお手柄でしたな!」

 

「金髪の小僧の取り巻きに一泡吹かせた感想はどうですかな? さぞ痛快だったでしょう!」

 

 

 彼の周りには門閥貴族の面々が群がり、口々に賞賛の言葉を紡ぐ。まさに勝てば何とやら、である。クレニックにしてもスポンサーたちに己をアピールする絶好の場であるから、ここぞとばかりに自身(と宇宙要塞)を売り込んでゆく。

 

 

「いえいえ、今回の勝利は私だけのものではありませんよ。敵の艦隊を薙ぎ払ったのは、レンテンベルクに備え付けられた新型の要塞砲によるもの。つまり私の主張に耳を傾けて研究資金を下さったパトロンの皆さまのおかげ、ですな」

 

 宇宙要塞建設には金がかかる。要塞砲の研究にはさらに金と時間がかかる。だからこそパトロンの存在は必要不可欠であり、彼らの歓心を買うためには然るべき実績とそれを生かす政治力の両方が必要だ。

 

 野心家のクレニックは彼らを持ち上げることを忘れず、その上で「今回の勝利は宇宙要塞によるもの」と主張することでパトロンを満足させつつ、更なる資金援助が得られるように話を誘導していく。

 

「儂は最初から期待しておったぞ! やはりこれからは宇宙要塞の時代だ!」

 

「ご理解に感謝いたします。今後も末永いお付き合いをいただけますよう」

 

 このようなやり取りはいつもの事であるが、やはり戦勝の直後という事もあって今日はひときわ客の数が多い。とにもかくにも貴族たちは上機嫌であった。

 

 

 なにせ初陣で勝利したのである。しかもシュターデン艦隊が敗走して危機一髪、という時にロマン溢れる超巨大要塞砲による一撃での一発逆転―――なんとも心躍る物語ではないか。

 

 

 そんなほろ酔い気分の時ほど気も緩むもの。クレニックはほどなくして当初の負債返済と今後の計画への投資をしてなお、お釣りが来るほどの資金援助の約束を取り付ける事が出来た。

 

(とりあえず最初のデモンストレーションとしてはこれ以上ないほどの出来栄えだ……これで誰もが宇宙要塞と要塞砲の価値について認めざるを得なくなる)

 

 クレニックの狙い通り、アルテナ星域会戦の華々しいデビューを飾ったことで、今やクレニックと彼の超兵器に関する名声は銀河中に轟いている。

 

 もちろんブラウンシュヴァイク公らが自身や配下の門閥貴族たちに命じて、貴族の所有するメディアや新聞社などに働きかけた結果であるが、フェザーンや同盟でも大きな反響があったという。

 

(パトロンが増えるに越したことは無い。それが門閥貴族であれ金髪の孺子であれ、フェザーンであれ同盟であれ、パトロンの数だけ私の研究は前進する……)

 

 オーソン・クレニックは野心家であった。彼の目的はただ一つ、前世でついぞ我が物にできなかった“究極兵器”を今度こそ作り上げて手中に収めること。

 

 

(今度こそ……今度こそ“究極兵器”を完成させて私の名を銀河に刻んでみせるぞ……!)

 

 

 そして彼の研究が完成した暁には、その成果の集大成である“究極兵器”は全ての戦争の概念を変えるだろう。

 

 

 **

 

 ガイエスブルク要塞、中央広間にて――。

 

 

「クレニック大将、この度の勝利は大義であった」

 

 貴族連合の盟主・ブラウンシュヴァイク公の御前では勝利を讃える一連の儀礼と論功行賞が行われ、その後に今後の方針についての会議が開かれていた。

 

 

「このまま初戦の勝利の勢いをかって一気に攻め込むべきだ!」

 

 

 威勢よく声を張り上げたのは反ラインハルトの急先鋒で知られるフレ―ゲル男爵であった。アルテナ会戦は主に政治的な勝利であっても軍事的な勝利の効果は小さい、と慎重論を述べるメルカッツら職業軍人たちを一蹴する。

 

「戦いには機というものがある。初戦の敗北よって金髪の小僧とその取り巻きが狼狽している今この時こそ、我ら高貴なる貴族による大軍勢が長蛇の列を成して進む所、勝利以外の何者があるだろうか?」

 

「今こそが攻勢の時だと?」

 

「“大攻勢”だ。メルカッツ大将。大軍をもってオーディンまで侵攻する。それだけで敵の心胆を寒からしめることが出来るであろう」

 

 つい何か月前の同盟軍がこれと全く同じような会話が繰り広げた挙句に大敗北を喫しているのだが、もちろんフレ―ゲルたちはそのことを知る由もない。

 

 もっとも初戦で勝った、という高揚感が士気の向上という好影響を与えるのならば全くの見掛け倒しの茶番だとも言い切れない。

 

 その後も議論は白熱すれど、最終的な流れは同盟のそれと大きく変わることは無かった。

 

 

 そもそも生まれながらの上流階級で、幼いころから将来の政治家となるべく弁論術を叩きこまれた門閥貴族に、叩き上げの軍人が論戦で不利になるのは自明の理である。メルカッツら専門家の慎重論はフレ―ゲルたちの分かりやすくて威勢のいい主戦論に押し切られ、中には「臆病者」「敗北主義者」などと人格攻撃までが展開される始末だった。

 

 

「クレニック大将の考えはどうかな?」

 

 

 メルカッツが話をクレニックに振ると、全員の視線が集中した。

 

 それまで黙って考え込んでいたクレニックが顔を上げると、メルカッツと目が合う。弱り切った表情で暗に「どうにかしてくれ」と一縷の望みを託したメルカッツだったが、クレニックの口から出た言葉は意外なものであった。

 

「ただの攻勢であれば、メルカッツ上級大将の言うとおり様子を見た方が賢明でしょう。ですが、フレ―ゲル男爵のおっしゃる“大攻勢”であれば話は別です」

 

 “大攻勢”という点を強調するクレニック。

 

「大軍をもってオーディンまで侵攻し、敵の心胆を寒からしめる………それほどまでの“大軍”による大攻勢であれば」

 

「何が言いたいのだ? クレニック大将」

 

「中途半端な攻勢ではかえって各個撃破を招くでしょう。攻勢を行うなら少なくとも全軍で一挙にオーディンを目指すべきかと」

 

 

 端の方でメルカッツ上級大将が肩をがっくりと落とすのが見えた。それもそのはず、クレニックの構想は、基本的には開戦前にシュターデン提督から提示された戦略構想とほぼ同一のものであったからだ。

 

 当然、ランズベルク伯アルフレットが「で、誰が別働隊の指揮をするのです?大変な名誉と責任ですが」と返したように別働隊の指揮を誰が執るかが問題になってくる。

 

「クレニック大将、その話はもう既に終わったはずだ。指揮権の問題が……」

 

「ええ、それこそがシュターデン提督の案で解決されなかった問題点でした。だからこそ“全軍で”と言ったのです」

 

「まさかとは思うが……それは文字通りの“全軍”、つまり貴族3740名と兵員2560万名、艦艇総数15万隻の全てでオーディンを目指すという意味かね?」

 

 生真面目なメルカッツをしてさえ、皮肉の一つも言いたくなるほど荒唐無稽な計画。居並ぶ者の中にはタチの悪い冗談か何かと思い、呆れて苦笑を浮かべる者さえいた。 

 

 これが本当に冗談であったのなら、リップシュタット貴族連合軍の命運は変わっていたのかもしれない。だが、クレニックは至って真面目であった。

 

「ええ、まさしく。メルカッツ上級大将のおっしゃる通りの意味ですよ」

 

 対して、メルカッツは沈黙でクレニックに答えた。あるいは単に返答に窮したのかもしれない。真面目に答えるのも馬鹿らしいという事か。

 

 メルカッツに代わり、それまで端の方で黙って話を聞いていたリッテンハイム侯が失望した色を滲ませて口を開いた。

 

「たしかに全軍で進撃すれば指揮系統の問題は解決されるであろう。兵力も十分だ。だが、その為にこのガイエスブルク要塞を放棄するというのは、いささか博打要素が強すぎないかね?」

 

「ああ、それなら心配には及びません」

 

 我が意を得たりとばかりにクレニックが得意げな笑みを浮かべる。

 

 まさしく、それこそがクレニックの求めていた質問であった。

 

 

「先ほど私は“全軍で”と言いましたが、その中にはこのガイエスブルク要塞も含まれています。理論上、技術的な問題は既にクリアされています。本日は、その具体的な計画について申し上げに来たのです」

 

 

 自信に満ちたクレニックの声が、がらんと静まり返った部屋に響く。端の方で話を聞いていたファーレンハイトや、苦々しい顔をしていたメルカッツらの表情が変わる。

 

 今や、この場の空気を支配しているのはクレニックであった。誰もかれもが、その壮大な計画に興味を引かれている。

 

「……詳しい話を聞こう」

 

 ブラウンシュヴァイク公が続きを促した。もしクレニックの話が本当であるのなら、リップシュタット貴族連合軍はとんでもない切り札(ジョーカー)を手にした事になる。

  




シャフト技術大将「私の出番が……」


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05.イカサマ戦争

 

 フェザーンの風景を一言で表すならば、「荒涼の美」という単語がもっともふさわしいだろう。

 

 帝国でも同盟でもないこの特異な惑星は、居住可能惑星でありながら水が少ない。大地のほとんどは赤い岩砂漠の荒野で、浸食と風化の進んだ地形が織りなす複雑な形状の峡谷や奇岩が林立する幻想的な風景を生み出している。

 

 

 その一方で貴重なオアシス地帯には鮮やかな光に彩られたメガロポリスが広がっており、その中でも特に高級地区とされる摩天楼の一室では2名の男女がワインを飲み交わしてた。

 

 

「世の中は不可思議に満ちているからこそ面白い……そうは思わんか、ドミニク」

 

 

 仕立ての良い革張りのソファーに座っている男―――第5代フェザーン自治領主、アドリアン・ルビンスキーは窓際に立つ愛人にそう声をかけた。

 

 

「難攻不落と思われたイゼルローンがあっさりと同盟の手に落ちたかと思えば、空前の規模で行われた帝国領侵攻は散々な結果に終わり、勝ったはずの帝国も国内を二分する内乱で大混乱とは皮肉なものだ」

 

 

「つまりは全て思い通りだと言いたいのかしら?」

 

 

 楽しそうなルビンスキーと違って、ドミニクの声は気だるげだった。政治そのものに興味が無いというより、その手の話に垣間見える男の自己顕示欲に辟易している、といった類の反応だった。

 

 

「一度くらい、貴方が本気で驚いたり慌てふためく姿を拝んでみたいものだわ」

 

「イゼルローンの時もレンテンベルクの時も驚きはしたさ。だからといって慌てふためきはしないがな。その二つは別のものだ」

 

「そう」

 

 

 重ねて問うことはしなかったが、ドミニクはルビンスキーのすぐ隣まで近づいてきてワイングラスを傾けた。

 

 どうやら多少は興味を引く事が出来たらしい。ルビンスキーは口元をほころばせ、新しいワインのコルクを引き抜いた。

 

 

「そうだな……俺が慌てふためくとしたら、それは帝国で市民革命が起こったときか、同盟で全権委任法あたりが可決した時だ。数人の天才が起こした変革程度じゃ物足りない」

 

 

 歴史を動くきっかけは少数の天才が作るが、その流れが続くかどうかは無数の一般人にかかっている。

 彼らのうち多数派が変革を起こす側に回らねば、せっかくの変革も孤立化し、いずれは社会という名のシステムの中へ消化吸収されてしまうのだ。

 

 

「例えばだ、我々が投資したオーソン・クレニックは予想外の戦果をあげた。あれには俺も驚いたが、結果からみれば自治領主として慌てるような事態にはなってない」

 

 

 空になった自分のグラスにも赤ワインを注ぎながら、ルビンスキーが語ったのは奇しくもラインハルトのそれと同じ見解であった。

 

 つまるところレンテンベルクの勝利やクレニックの新型宇宙要塞砲が、最初から貴族連合軍の戦略なりドクトリンなりに組み込まれていたのなら、リップシュタット戦役は軍事上の一大革命になったかもしれない。

 

 だが、そうはならなかった。

 

 貴族連合軍はレンテンベルクの勝利を活かすことができず、戦線は3ヶ月もの間にわたって膠着状態に陥っている。これは双方が軍事的に攻めあぐねているというより、政治的な駆け引きが長引いた結果だった。

 

 

「まずリヒテンラーデ=ローエングラム枢軸だが、初陣の敗北で日和見をしていた貴族・軍人らが動揺している。ローエングラム侯は軍事的な勝利によってこれを覆そうと主張しているようだが、まぁリヒテンラーデ公が認めるはずもないな

 

「どうして? たとえ一時的な同盟だとしても、門閥貴族を倒すまでは味方のはずでしょう?」

 

「ローエングラム侯にとってはな。だが、リヒテンラーデ公にとってはそうではない。この戦いはローエングラム侯は内乱に“勝たねばならない”戦いだが、リヒテンラーデ公にとっては“負けなければいい”戦いだからだ」

 

 

 そもそも傀儡であるエルウィン・ヨーゼフ帝を擁立し、宮廷貴族の最上位である宰相にまで上り詰め、内戦によって外戚たる門閥貴族を宮廷から追い出した時点で、リヒテンラーデ公は既にゴールデンバウム王朝の最高権力者として君臨しているのだ。

 

 

「つまり、リヒテンラーデ公は帝国を2つの国に分けて、そのうち片方の支配者でいられれば満足ってことね」

 

「そうだ。仇敵たる自由惑星同盟は先の帝国領侵攻で大きく疲弊し、帝国に再度の侵攻をしかける余力はない。そしてリップシュタット貴族連合軍が存在している限り、彼らに向けられたローエングラム侯爵の矛先がリヒテンラーデ公自身に向かうことはない」

 

 

 現状維持――-それがリヒテンラーデ公にとってベターの状態なのだ。

 

 もちろんベストは門閥貴族を撃破した後にローエングラム侯爵を失脚させることだが、固有の軍事力をもたないリヒテンラーデ公にとってラインハルトと直接対決のリスクは大きすぎた。

 

 あるいは共倒れを狙うという事も考えられるが、もし戦場でどちらかが大きく勝つような事になれば絵に描いた餅である。そもそも軍人でないリヒテンラーデ公が、ラインハルトと貴族連合軍のどちらも勝ちすぎないようにバランス調整をするなど出来るはずもなかった。

 

「つまり内政面においてリヒテンラーデ公としては、ローエングラム侯に防戦を命じて彼がこれ以上の功績を上げるのを防ぎつつ、裏で中立派の貴族や軍人と結んで自前の戦力を揃え、ローエングラム侯ら軍部のクーデターを牽制する、というのが妥当な戦略だろうよ」

 

 

 そこまで言って、ルビンスキーがにやりと意地悪く笑う。

 

 

「そして現状、戦場と宮廷の両方に敵を作るわけにいかないローエングラム侯は歯がゆい思いをしているだろうな。どれだけ大軍を率いていようと、全てはリヒテンラーデ公の掌の上という訳だ」

 

「あら、随分とリヒテンラーデ公を高く評価しているのね」

 

「そうでもないさ。ローエングラム侯も思いのほか不甲斐ないと言ってるだけだ」

 

 

 そう言って、ルビンスキーは手に持ったワインボトルを傾けた。ドミニクのほっそりとして手に握られたグラスに年代物の赤ワインが注がれ、芳醇な香りが彼女の形のいい鼻をくすぐる。リッテンハイム侯の所有する惑星にある高級ワイナリーで生産された、100年物のヴィンテージだ。

 

 ドミニクはワインに口を軽くつけると、ルビンスキーの方へ向き直った。

 

「そういえば、最近だとローエングラム侯より、いつも一緒にいる赤毛の坊やの方が目立ってるみたいね。辺境の平定が成功して、“辺境星域の王”なんて御大層な異名までついてるみたいじゃない」

 

「キルヒアイス上級大将のことか」

 

 

 レンテンベルク要塞をはじめとする主要な星域で戦線が膠着している間、唯一の例外といっていいほど目立った功績を挙げたのがキルヒアイス上級大将だ。

 

 彼の指揮する討伐軍別働隊は辺境星域の平定にあたり、発生した60回以上もの小戦闘にもすべて完勝をおさめている。

 

 

 キルヒアイス上級大将の採用した戦法は「プラネット・ホッピング」と呼ばれ、要塞化されるなどして侵攻が困難な敵惑星を避けながら、比較的敵軍の戦力が薄い惑星に帝国軍の戦力を集中させて攻め落としてゆくというものだった。

 

 

 これを可能にしたものはキルヒアイス上級大将の指揮能力と将兵の練度の高さであり、討伐軍は艦隊決戦においてほぼ無敗を誇ったため、多くの貴族の惑星を孤立させ、無視できる存在にした。

 

 また、もともと貴族連合軍がガイエスブルク要塞における決戦を基本戦略としており、残る惑星や拠点を戦略縦深上の捨て駒として敵に消耗を強いる以外の役割を期待していなかったこともプラスに作用したといえよう。

 

 

「最初はローエングラム侯の腰巾着ぐらいにしか思われてなかったけど、今じゃそのうちローエングラム侯のライバルになるって噂もあるぐらいよ。見た目も同じぐらいハンサムだし、人気は出ると思うわ」

 

「なんだドミニク、随分と詳しいじゃないか。それとも、ああいうのが好みなのか」

 

「同じ赤毛として親近感は持っているけど、どうかしら。目立つようになると自分の意志とは無関係に周りから持ち上げられるから、彼の今後を考えると少し同情はするわね。誰の事とは言わないけど」

 

 

 ドミニクの瞳が疑るようにルビンスキーをとらえると、禿げ頭の男はおどけるように肩をすくめた。

 

 

「人聞きが悪いな。帝国も同盟も、貴族も帝国軍も特定の誰かが勝ち過ぎないよう、銀河のパワーバランスを保つのが自治領主の仕事だ。そのために打てる布石は全て打っておくさ」

 

「そのうち誰かに後ろから刺されそうな仕事ね」

 

「そうなったら俺もそれまでの男だったという事だ。だが、キルヒアイス上級大将に関していえば俺は何もしてないぞ。少なくとも今のところは、な」

 

 

 ラインハルトに対するキルヒアイスの忠誠心は本物だ。たとえ外堀を埋めて反逆せざるを得ない状況に追い込んだとしても、反旗を翻したりせず素直にその首を差し出すだろう。ジークフリード・キルヒアイスとはそういう青年なのだ。

 

 とはいえ、ルビンスキーは友情や忠誠心などといった実体の無いものを信じるタイプではない。彼の場合はもっと単純な理由からだった。

 

「工作を仕掛けようと思えば出来ない事はないが、その必要がない。既に現状、帝国は事実上の4派閥に別れつつある。表向きは門閥貴族軍と討伐軍の戦いだが、前者はブラウンシュヴァイク派とリッテンハイム派に、後者はリヒテンラーデ派とローエングラム派に分かれて水面下で暗闘や駆け引きが繰り広げられている」

 

 

 つまりはこれ以上、帝国を分裂させて弱体化されては困るのだ。フェザーンは常に、銀河帝国と自由惑星同盟の間でバランスをとる事で生き残ってきたのだから。

 

 

「でも自由惑星同盟の方は帝国領侵攻作戦で大敗した上に、今度は国内で救国軍事会議のクーデターまで発生してるわよ? 帝国にはもっと弱体化してもらわないと、銀河の黄金律は維持できないんじゃないかしら」

 

 

 ドミニクが言う“黄金律”とは「帝国48:同盟40:フェザーン12」という、半世紀以上も昔からの勢力比の事である。これを維持し続ける事が、歴代のフェザーン自治領主の仕事と言っても過言ではない。

 

「痛い所を突くな。軍事的にはお前の指摘はもっともだが、経済的にはそうもいかん」

 

 フェザーン経済における利益の源泉は、帝国と同盟との間で行われる中継貿易だ。双方がともに疲弊して経済活動と国際貿易が縮小すれば、むしろその煽りを一番受けるのが両者に依存するフェザーン自身なのである。

 

 既に同盟が帝国領に攻め込み、同盟と帝国の両方で同時に内乱が発生したことで、フェザーン経済が被った損失は計り知れない。一部では経済危機の可能性すら囁かれるほどだ。

 

 さらに帝国と同盟が共に打撃を受けたことで、銀河におけるフェザーンの国力が相対的に向上しており、「侮りを受けるほど弱からず、恐怖されるほど強からず」という国是も揺らいでいる。

 フェザーンの国際的な地位向上は帝国・同盟両者の反発と警戒を呼びつつあり、下手を撃てば双方から抹殺されることになりかねない。

 

 

「どうするつもりなの?」

 

「何もしない。アルテナ星域の戦いのおかげで、しばらく銀河は誰も動けないはずだ。だから俺も焦らず事態が変わるまで静観するさ」

 

 

 ルビンスキーはそう言うと、ワインを一気に飲み干した。政治談議を兼ねた自慢話はこれで終わり、ということなのだろう。

 

 

「長話をしてしまったな。次はお前のステージの仕事が終わった後に会いたいものだ」

 

「……もし時間があればね」

 

「たまには夜通し語らいたいものだ。色々と」

 

 

 ほんの少しだけドミニクの頬が緩んだように見えたが、すぐに身支度を整えて仕事場へと消えていった。それを見送った後、ルビンスキーはしばらく空になったグラスを見つめていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 イカサマ戦争―――。

 

 

 

 帝国暦488年4月に始まった、銀河帝国政府と門閥貴族連合との間に発生したリップシュタット戦役を、人々は翌月からそう呼ぶようになっていた。

 

 

 事実、両軍は前線での睨み合いに終始し、大艦隊同士の正面決戦を回避しようと努めていた。

 

 

 無論、まったく戦闘が無かったわけではない。

 

 小規模な哨戒艦同士の偶発的な戦闘や、キルヒアイス上級大将の辺境星域制圧といった軍事行動、そして門閥貴族の所有する惑星や討伐軍の占領地における暴動といった流血沙汰はあったものの、いずれも小規模に終わっている。

 

 その理由についてはルビンスキーが看破したように、両軍がどちらも一枚岩でなく、政治的な暗闘によって積極的に攻撃に移れない事情が指摘されている。

 

 

 全てのきっかけはアルテナ星域会戦の結果がもたらしたものだ。

 

 

 もしあの戦いでミッタ―マイヤーが勝利していれば、ラインハルトはそのまま勢いに乗ってリップシュタット貴族連合軍を一気に滅ぼしていたかもしれない。

 

 

 だが、幸か不幸かそうはならなかった。

 

 

 そしてその原因を作った張本人であるオーソン・クレニック長官はこの「イカサマ戦争」と呼ばれる戦闘休止状態を利用して、次なる“移動要塞”構想を現実のものとすべく、着々と準備を進めていた……。

  

     




 唐突なルビンスキー回。門閥貴族軍も討伐軍も水面下の派閥闘争のせいで迂闊に動けず、フェザーンにとっては都合がいい状態。

 そして相変わらず宇宙要塞を作り続けるクレニック長官(今回は出番ないけど)


 ちなみに作者的にドミニクさんは石黒版の方が好み。ジェシカも石黒版で、アンネローゼとフレデリカはノイエ版、ザビーネ様はフジリュー版、ヒルダはフジリュー版も割と好きだけおノイエ版も気になる(どうでもいい情報)


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06.要塞が征ゆくは星の大海

 帝国暦488年7月――。

 

 

 フレイヤ星域を哨戒中だった巡航艦ビヨルンのオペレーターが、本日3杯めのコーヒーを胃に流し込みながらレーダー画面を眺めていた。今のところ、レンテンベルク要塞から敵が出撃してくる気配はない。

 

「フレイヤ戦線異状なし、っと……今日も暇だな」

 

 アルテナ星域会戦の結果、門閥貴族軍では勝利したがゆえに、そして討伐軍では敗北したがゆえに、戦線そっちのけで主導権を奪い合いを目的とした政治闘争が連日のように繰り広げられている。

 こうしたイカサマ戦争と呼ばれた戦闘休止状態が長引くにつれ、前線に勤務する将兵たちにも戦意の低下が見られるようになっていた。

 

 

 一応、ラインハルトら討伐軍はリップシュタット貴族連合軍の管理下にあるフレイア星系レンテンベルク要塞の戦略的重要性を危険視し、この要塞を全面攻撃するべく準備を重ねてる最中だ。

 

 

 しかし現実にはラインハルトたちを警戒するリヒテンラーデ公の妨害によって前線に必要な物資が届かなかったり、またキルヒアイス上級大将が制圧した辺境星域の占領統治に人手や物資をとられている状態で、かれこれ半年以上も戦線は膠着している。

 

 

「眠い……夕食までまだ2時間もあるのか……」

 

 オペレーターが体内にカフェインを追加補給すべく次のコーヒーに手を伸ばそうとしたその時、異常事態を告げる警報アラームが鳴り響いた。

 

 

「レーダーに反応あり! 前方から何かが接近中! 識別シグナルは………」

 

 

 オペレーターの眉根に皺が寄り、声のトーンが下がっていく。困惑そのものの表情で、再び口を開くまでに数秒の間が開く。

 

 

「識別シグナルは――――不明です! これまでに見たことの無い敵の新型艦のようです!」

 

 

「なんだとぉッ!? 大きさはどのぐらいだ!」

 

 

 艦長の怒声が飛ぶも、オペレーターは唖然とした表情のままで答えようとしない。業を煮やした艦長がレーダー画面の前に立つと、今度は彼が青ざめる番だった。

 

 

「嘘だろ、こりゃ敵の新型艦どころの話じゃないぞ………」

 

 

 宇宙戦艦、いや天体サイズはある。

 

 

 そんなものが接近しているというのか。とてもではないが、巡洋艦程度でどうにかなる相手ではない。

 

 艦長は慌ててマイクを取り出すと、全乗組員に命令を下した。

 

 

「総員に告げる! 今すぐこの星域から離脱しろ!!」

 

 

 命令を受けて、巡洋艦ビヨルンは飛び跳ねるように後退を開始した。エンジン出力が出せる限界のスピードで、アルテナ星域から遠ざかる。

 

 その間にも巨大な物体はゆるやかに接近しつつあった。その距離は徐々に縮まっていき、やがて映像で確認できるようになると、彼らの口から声のない悲鳴が上がった――。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 それから30分後―――。

 

 

 フレイヤ星域を統括する、ロイエンタール艦隊の旗艦トリスタンは慌ただしい空気に包まれていた。

 

 オペレーターたちが両手と視線と声帯を休む間もなく動かしつづけ、ロイエンタールら指揮官たちがそれを見守っている。

 

 

「急報でございます。哨戒艇からの連絡によりますと、敵は大規模な艦隊を率いてフレイヤ星域から出撃いたしました」

 

 

「ついに来たか」

 

 

 少し意外だな、とロイエンタールは片眉を吊り上げた。てっきりこのまま穴熊を決め込むものかと思っていたが、どうやら気が変わったらしい。

 

 

「それで、敵の数は?」

 

「恐らくは敵の全兵力と思われます。艦隊総数およそ15万……その全てが一斉に移動しております」

 

 

 予想外の返答に、金銀妖瞳の端麗な顔がみるみる内に崩れていく。部下たちが物珍しげに上司の貴重な変顔を眺めている間、ロイエンタールの脳内を駆け巡ったのは以下のような疑問であった。

 

 いったい全体、門閥貴族たちはどういう意図を持ってそんな暴挙に出たのだろうか。

 ガイエスブルク要塞という難攻不落の拠点がありながら、それを空っぽにしたとでもいうのか。

 いくら指揮系統に問題があるからといって、まさか全兵力で出撃するとは。やつらは正気なのか。

 

 

(正気の沙汰とは思えん………いや、だがしかし万が一ということもある……)

 

 

 もし連中が正気だとしたら。

 

 

 

「か、閣下……っ!」

 

 チーフ・オペレーターが緊張した表情で呻く。

 

「敵艦隊の中心に、巨大な……巨大な質量を感知しました! まもなく映像出ます!」

 

「これは一体……!?」

 

 ロイエンタールは危機的状況下においても冷静な男だが、その映像を見た時は流石に平常心ではいられなかった。庶民向けの娯楽映画のように頭の悪い光景が、現実のものとなって目の前のスクリーンに広がっていたからだ。

 

 

 

「が、ガイエスブルク要塞が………動いているだとぉッッ!!?」

 

 

 

 動いていたのである。

 

 

 「禿鷹の城」を意味する直径45kmの人工天体、イゼルローンに次ぐ帝国第二の強力な宇宙要塞―――現状、銀河帝国が所有する最大最強の建造物が、その巨体を15万隻の大艦隊に守られながらゆっくりと移動していた。

 

 

 これこそがクレニック大将の奇策、貴族連合軍の最終決戦兵器・ガイエスブルク要塞に12個のワープ・エンジンを取り付けて帝都オーディンまで移動させるという、空前絶後の計画であった。

 

 

(俺は……悪い夢でも見ているのか?)

 

 

 ロイエンタールが感じていた感情の中で最も大きいものは驚愕であったが、どちらかといえば「あまりに馬鹿らし過ぎて、まさか本気でやるとは」という類のものであった。

 

 まともな軍人ならおよそ思いつく発想ではないだろう。あるいは少し変わり者の軍人が一度ぐらいは夢想するが、具体的な話になると結局は無理だと笑い飛ばすようなシロモノである。

 

 

 ところがオーソン・クレニック大将はその意味で誇大妄想ぎみの戦略家であると同時に、相応の才覚を持つ軍事技術者であったらしい。

 

 移動要塞プランを現実のものにするにあたって必要とされた、ワープ・エンジン12個の完全同時作動を難なくこなしてしまうあたりはその面目躍如と言えよう。

 付け加えるならば下準備をしていたとはいえ、これほど大掛かりな工事を3か月たらずの突貫工事で完成させてしまった事もまた、組織の管理者としての非凡な能力をもあらわしている。

 

 

「これはひょっとすると……かなり不味い状況かもしれんぞ」

 

 

 ロイエンタールの眼前にあるスクリーン上では、ガイエスブルク要塞の周囲を埋め尽くすように15万隻の大艦隊が集結している。

 それは漆黒の銀河に浮かぶ星々の群れの様でもあり、どこか危険な美しさがあった。

 

 

「ただちに全艦隊を退却させろ!それから急いでブリュンヒルトにこの映像を送れ」

 

「はっ!」

 

 

 最悪の結果を考慮して、ロイエンタールは迅速に行動した。15万隻の大艦隊が一丸となって動き出したというだけでも手に負えないのに、宇宙要塞という特大級の“おまけ”までもが付いてきたともなれば、もはや彼一人の裁量でどうにか出来る事態ではない。

 

 すぐさまトリスタンからブリュンヒルトへと超光速通信が飛ぶ。

 

 

「賊軍は全軍をもって出撃せり。進軍中の敵兵力は艦隊15万隻およびガイエスブルク要塞。現在、我が軍は兵力を温存すべく退却中………至急、指示を請う」

 

 

 **

 

 

 この時、ロイエンタールがとっさに取った退却行動については、当時および後の歴史家のほとんどが高い評価、つまりは“花丸”が付いている。

 

 一戦も交えず退却するとなれば臆病者の誹りを免れない事は古今東西の共通であるが、逆にこの行動によってロイエンタールは自らの誇りや名声よりも、主君の勝利を優先できる将であることを証明したと言えよう。

 

 

 このとき、ラインハルトの指揮下には10個の正規宇宙艦隊が存在していた。

 

 もともと銀河帝国には18個艦隊が常備戦力として保持されていたが、リップシュタット戦役の勃発に伴って8個艦隊が正規軍を離脱して、門閥貴族たちに合流している。

 

 そしてリップシュタット貴族連合軍には、これに門閥貴族の保有する私兵艦隊がおよそ7個艦隊分が加わっており、合計で15個艦隊相当の戦力を有している事になる。

 

 

 つまり単純な数だけを見れば、このときラインハルトは門閥貴族の2/3ほどの艦隊しか持ち合わせていなかった。

 

 しかも実際には一定数を対同盟用にイゼルローンに配備したり、キルヒアイスの制圧した辺境星域に配備しなければならず、本来であれば全てをリップシュタット貴族連合軍にぶつける事は不可能に近い。

 

 

 しかし帝国を2分した内戦を戦うに先立って、ラインハルトは門閥貴族と自由惑星同盟の両方を敵に回すに正面作戦の愚を犯さぬよう、入念に準備していた。

 

 かつてエル・ファシルにおいて名声を地に落とした同盟軍のアーサー・リンチ少将を利用し、同盟内部で内乱を誘発させるという大胆な謀略を計画する。

 キルヒアイスを使者としてイゼルローン要塞へ送り、同盟との捕虜交換式によってリンチを送り返し、彼を反トリューニヒト派の軍人と接触させて武装蜂起を促したのである。

 

 そのためリップシュタット戦役の開始とほぼ同時に、自由惑星同盟ではアンドリュー・フォーク予備役准将によるクブルスリー大将の暗殺未遂事件を皮切りとして、ネプティス、カッファー、パルメレンド、シャンプールの4惑星で次々と軍による反乱が勃発する。

 

 無謀な帝国領逆侵攻作戦の失敗などで常設12艦隊のうち10艦隊を失った同盟で、貴重な正規編成の艦隊である第11艦隊と第13艦隊が敵味方に分かれて潰し合うように仕向けた事は、数万の艦隊に匹敵する偉業であった。

  

 ラインハルトはイゼルローン周辺の部隊をリップシュタット戦役のために動員することが可能となり、またキルヒアイスの戦況星域制圧も門閥貴族がほぼ全ての艦隊をガイエスブルク要塞に集結させていたため、圧倒的な宇宙での優位を以て重要な惑星のみを占領して可能な限り地上制圧戦を避ける「プラネット・ホッピング」と呼ばれる戦術によって短期間のうちに目標を達成している。

 

 

 早い話が、ラインハルトの謀略とキルヒアイスの戦術によって、討伐軍は残された戦力を全てリップシュタット戦役へ向ける事が出来たのである。

 

 しかし裏を返せば門閥貴族軍もまた、15万隻にも及ぶ大艦隊をほぼ無傷のままガイエスブルク要塞周辺に温存していたという事に他ならない。

 

 

 ラインハルト元帥府でもナイトハルト・ミュラー中将などがその危険性を指摘する一方で、エルネスト・メックリンガー中将ら大部分の将兵の意見は次のようなものであった。

 

 

「巣に入りきらぬほどのアナグマが穴熊を決め込んで、いたずらに遊兵を増やしているだけではないか」

 

 

 大軍はただ存在するだけで食料や燃料といった物資を食い潰す。門閥貴族軍のほぼ全軍が何もせずただ宇宙要塞に立て籠もる、というのは補給部門からすれば憤慨ものの愚行である。中にはあわよくば勝手に兵站が尽きて自滅するのではないか、などという楽観的な予想を立てる者さえいた。

 

 

 だが、こうした予測が説得力を持ちえたのは全員に一つの共通認識があるからなのであった。あまりに当たり前すぎて、わざわざ口に出そうなど思わぬほど当然の理。

 

 

 ――――要塞は動かない。

 

 

 だが、そんな常識は過去のものとなった。オーソン・クレニックがデス・スター再建に懸ける偏執的とも思える病的な情熱により、改造を施されたガイエスブルク要塞は銀河を股にかけた一世一代の大航海を始めたのである。

 

 星々の海を抜け、生まれ変わった宇宙要塞が向かうは銀河帝国首都惑星オーディン。15万隻の大艦隊を引き連れ、ガイエスブルク要塞はクレニックの果てしない野望と共に銀河を突き進んでゆく……。

     




動いちゃうガイエスブルク要塞

やってることはシャフト技術大将とほぼ、というか全く一緒。第8次イゼルローンの時のヤンと違って、ラインハルトにはイゼルローンもトゥールハンマーもないのが辛いところ。

ヤンより有利な点としては配下の宇宙艦隊と指揮官が健在なとこですが、門閥貴族軍も数の上では大艦隊持ってるのでやっぱり辛い。


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07.決戦への道

 ラインハルト元帥府所属、旗艦ブリュンヒルトにて――。

 

 

 さほど軍事的な価値のない初陣であるアルテナ星域会戦が、リップシュタット戦役全体の趨勢にここまでじわじわと響くなどと誰が予想できたのだろうか。

 

 

 超光速通信でラインハルトに面会したリヒテンラーデ公爵の顔は興奮で赤く充血しており、不満であることは言うまでも無い。

 

 だが、それ以上に高齢なリヒテンラーデの血圧を侍医に心配されるほど急上昇させた理由は全て、ラインハルトのとった行動にあった。

 

 

「ローエングラム侯はなぜ戦わぬ!?」

 

 

ロイエンタール艦隊から報告を受けてというもの、ラインハルトは「拙速」とも評されるスピードで大艦隊を全速後退、帝都オーディンへ向かって一直線に退却を続けているのである。

 

 

「たしかレンテンベルクには2個艦隊が配置されていたはず。敵が眼前を悠々と通過しているというのに、ただの1度も攻撃せぬとは!」

 

「ほう、15万隻に対して2万隻で攻撃しろと?」

 

 

 負の感情を隠そうともしないリヒテンラーデに、ラインハルトもまた苦虫を噛み潰したような表情で応じる。

 

 

「もしそれで戦えというのならロイエンタールとミッタ―マイヤー、そして200万の将兵と2万隻の艦隊を無意味に失うことになるが」

 

 

 勝利に至る条件の第一段階は敵を上回る兵力を揃えることだが、この段階においては元々貴族連合軍がラインハルトを制していた。“大軍に奇策なし”と古来より言われるように、いかに勇猛果敢な将軍に頭脳明晰な参謀といえども、15万隻もの大艦隊に守られた超巨大宇宙要塞の前にしては手の出しようがない。

 

 

 これこそ、クレニックが敢えて「全軍で」と主張した意味なのだ。

 

 

 もともと「巨大なワープ・エンジンを取り付けてガイエスブルク要塞を移動させる」というアイデアは言わば「スケールが大きいだけの素人意見」とでも呼ぶべきものであって、軍事理論家のシュターデン提督に言わせれば「開いた口がふさがらない」という類のものではあった。

 

 ごくごく普通に考えて、どうやってワープ・エンジンを敵の攻撃から守るのかという疑問が残る。天体サイズもの巨体を動かすとなれば、エンジンの方もそれこそ敵から見れば狙いを外しようがない大きな的だからだ。

 

 だが、15万隻にも及ぶ門閥貴族艦隊を文字通り“鉄壁の守り”とすることで、クレニックは見事この問題を力技で解決したのである。

 

 

 さらに要塞正面には出力7億4000万メガワットの主砲ガイエスハーケンが備え付けられており、下手に接近しようものならイゼルローンのトゥール・ハンマーに匹敵するビーム砲で一方的にアウトレンジ攻撃されてしまう。

 

 要塞砲の死角には前述のワープ・エンジンとそれを守護する15万隻の大艦隊が待ち構えており、まさに難攻不落の移動要塞であった。

 

 こうして条件さえ揃えれば、時代遅れの大艦巨砲主義的発想で作られた巨大宇宙要塞が現代でも通用することを、オーソン・クレニックは証明したのである。

 

 

 

 もしラインハルトがこれに対抗しようと思えば、こちらもまた数の暴力に飲み込まれない程度の数を揃える必要がある。

 

 それには辺境に向かったキルヒアイス艦隊や帝都オーディンの防衛艦隊、イゼルローン回廊やフェザーン回廊を見張っている回廊警備艦隊といった全ての戦力を結集せねばなるまい。

 

 

 だが、それには時間が必要だ。

 

 全軍が集結するまでは、門閥貴族のかき集めた「烏合の衆」である大艦隊と「宇宙に浮かぶこけおどし」である宇宙要塞がオーディンへ向けと堂々と進軍する様を、ただ眺めている事しかできない。

 

 

「そもそも当初の計画では、門閥貴族共の拠点を無視するか無力化するかに留めてガイエスブルクへ直行する予定だったはずだ。それをアルテナ会戦の後に口出ししてきて、兵力を分散して貴族領を制圧するよう主張したのは宰相殿、あなた自身ではなかったか?」

 

 

 ラインハルトの痛烈な反駁に、図星を指されたリヒテンラーデ公は思わず言葉に詰まる。もちろんキルヒアイスらが占領した門閥貴族領は、リヒテンラーデがちゃっかり自分や親しい派閥に属する者の懐に入れているので、実に痛い所を突かれた形になる。

 

 

「か、勝たずともよい。せめて同等の損害を敵に与えることは出来んのか。時間ぐらいは稼げるだろう」

 

 

 苦し紛れの反論にラインハルトは沈黙で答えた。しかしその澄んだ青い瞳にはぎらり、と紛れもない反骨の光が走り抜けている。

 

 無理もない。リヒテンラーデの言は、暗に全滅を覚悟で双璧とその部下たちを玉砕させよとほめのかしているに等しいのだから。

 それでいて、門閥貴族とラインハルトらを互いに争わせて漁夫の利を得ようという魂胆までもが透けてみえる。

 

 

「よいか、帝都オーディンは神聖にして不可侵である。もしその眼前に敵が現れる様な事があれば、帝国軍の名誉と名声は共に地に落ちるであろう。その結果が分からぬほど、卿も政治に疎い訳でもあるまいに」

 

 

 しかしながらリヒテンラーデの主張にも一定の説得力はあった。軍事的には正しくとも政治的には、という奴である。

 

 たしかに一戦も交えず首都までひたすら逃げ続ける、といのは体裁が悪い。それを見た民衆や中立派の貴族・官僚がどう思うか。

 

 

 事実、軍事的にはそうせざるを得ない状況とはいえ、「ラインハルトは門閥貴族にやられっ放し」という印象を世間に与えてしまっていた。もし戦わずしてオーディンへ貴族連合軍の進撃を許せば、軍事的にも政治的にも“追いつめられた”という印象を万人に与えかねない。

 

 加えて「神聖不可侵のオーディンまで攻めてこられるようなら、ゴールデンバウム王朝もおしまいだ」というのが銀河帝国に住む大多数の人々の認識である。

 「何かをしたことでどうにかなるのか」はさておき、少なくとも「何かをした」というポーズは必要であった。

 

 いっそ損害を覚悟で数個艦隊を率いて敵軍に奇襲攻撃をかける、という手もあった。そうすれば少なくとも「オーディンまで進軍する敵を、ただ漫然と眺めていた訳ではない」という政治的メッセージは発信できる。

 

 

「卿とてオーディンを火の海にしたくはあるまい。新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)には姉君も……」

 

 

 途中まで言いかけて、リヒテンラーデは凍りつく。スクリーン越しですら圧倒せざるを得ないほどの怒気を含んだ圧力が、数千万キロ以上も彼方の銀河にいるはずのラインハルトから発されていた。

 

 

「宰相、それ以上続けてみろ。姉上に何かあれば承知せぬ」

 

 

 絶対零度の声でそう告げるラインハルト。さすがのリヒテンラーデも気圧されたのか開きかけた口を開けっぱなしにしたまま、気まずい沈黙が数十秒流れた。

 

 

「……キルヒアイスほか、別行動をとっていた全ての将兵を呼び戻している。戦力が集結し次第、すぐにでも総攻撃をかけるつもりだ」

 

 

 現状では、ラインハルトはそう返すのが精いっぱいであった。リヒテンラーデが無言で頷くと、5秒後に通信が切断される。

 

 

 

「ッ――――――!」

 

 

 

 憤激のあまり、ラインハルトは卓上にあるものを片手で勢いよく薙ぎ払った。

 

 書類が散乱し、小型のデバイスが床に叩きつけられ、コーヒーカップや皿までもが砕け散る。大きく息を吸って椅子から立ち上がったラインハルトは、怒気の塊と化していた。

 

 

「おのれ……!」

 

 

 不甲斐無い。あまりに不甲斐無い―――。

 

 苦境の原因を作った門閥貴族や足を引っ張り続けたリヒテンラーデへの恨みもあるが、それ以上に自らの慢心と油断が今の事態を招いてしまった事に気付かぬほどラインハルトは無知でも蒙昧でもない。

 

 だからこそ、余計にこの現状に我慢がならなかった。

 

 

 今すぐにでも軍を率いてガイエスブルクに突撃したい気分を抑え、ラインハルトは理性を働かせる。

 

 しかし考えれば考えるほど、とれる選択肢はそう多くないのが現実だった。将の力量と兵の忠誠は疑っていないが、彼らとて全滅を覚悟で玉砕を挑むほど狂信的でもない。

 

 ヒット&アウェイ、あるいは分進合撃という手もあるが、各艦隊の離脱や集合のタイミングが少しでも狂うと戦力の逐次投入の愚行となる。次々に到着する艦隊が、次々に各個撃破されて、あげくに全滅という醜態に陥りかねない。

 

 完全勝利を望むラインハルトとしては、ただでさえ少ない兵力を逐次投入することだけは何としても避けなければならなかった。

 

 

 しかもリップシュタット貴族連合軍の進軍速度は予想より遥かに速い。もはや一刻の猶予も無かった。

 

 ラインハルトは決断した。

 

 

「こちらも全艦隊をもって、オーディンにて賊軍を迎え撃つ」

 

 

 考えてみれば、他に選択肢はないのである。1個艦隊や2個艦隊を順次出撃させても、15万隻の大艦隊に各個撃破されるだけだ。

 

 

 しかも敵にはガイエスブルク要塞がある。小破した程度の艦船ならすぐに応急修理される大型ドックを持ち、そもそも要塞それ自体が難攻不落の一大拠点だ。ガイエスハーケンという、イゼルローンのトゥールハンマーに匹敵する要塞砲もある。

 

 

 

 だが、こちらとて策が無い訳ではない。世間で「イカサマ戦争」など揶揄されている間、ラインハルトもまた密かにガイエスブルク決戦のための“秘策”を準備していた。

 

 手元のコンソールを叩き、元帥府高官用の暗号通信回線を使ってシャフト技術大将を呼び出す。

 

 

「例の“弾丸”をありったけ用意しろ」

 

 

 攻守の立場が逆転したが、大した問題ではない。必ずこの内戦に勝利し、姉上を守ってみせる――――胸に滾る熱い思いを込めて、ラインハルトはただ叫ぶ。

 

 

「在庫は残すな、全てオーディンの絶対防衛ラインに配置しろ。あの忌々しい金属玉、元の形も分からぬほど粉々に打ち砕いてやる!!」

 




            
クレニック「来いよラインハルト、策なんか捨ててかかってこい!」

ラインハルト「宇宙要塞なんか怖くねぇ! 野郎、ぶっ殺してやぁぁる!!」


色々ありましたけど、「とりあえずお互いオーディンに全軍集めて決戦」っていう頭の悪い展開になった事がこの話の内容です。


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08.オーディン会戦①

 

 帝国歴488年8月上旬、首都惑星オーディン上空にて臨戦態勢を取りつつ、警戒にあたっていたワーレン艦隊は哨戒艦からの緊急通信を受けていた。

 

 

「――――レーダーに敵影あり!!」

 

 

 通信回線を疾走した短い言葉は、嵐の前触れであった。ワーレン艦隊から更に全軍にそれが伝えられると、帝都を守護する10万隻の艦隊に緊張が走る。

 

 やがて暗い銀河が歪みはじめ、そこから現れたのは不気味な銀色の反射光を放つ巨大な人工天体と、無数の門閥貴族軍艦隊であった。

 

 

「圧倒的ではないか、我が軍は!」

「この戦い、我々の勝利だ!」

 

 

 ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯は、彼我の戦力差を確認して早くも勝利を確信した。ガイエスハーケンがその火を噴く前から、既に門閥貴族たちは興奮状態にある。その理由はいかのようなものであった。

 

 

 ――――兵力はこちらが上、移動するガイエスブルク要塞という地の利もある。かくなる上はガイエスハーケンにて敵を一掃し、残る敗残兵を蹴散らせば帝都オーディンは目と鼻の先ではないか。

 

 

 単純化し過ぎたきらいはあるが、軍事的にもそれなりの合理性が無い訳ではない。

 

 まずラインハルト陣営はオーディンを防衛しなければいけないため、これ以上の撤退は不可能という前提条件がある。その上で宇宙戦艦より長い射程を持つガイエスハーケンを用いれば敵の射程外から一方的にアウトレンジ攻撃する事も夢ではない。

 

 しかる後に15万隻の大艦隊が一斉にオーディンへ向けて一丸となって突入すれば、ガイエスハーケンの撃ち漏らした敗残兵の群れなど容易に蹴散らせる………。

 

 この単純だが確実な戦法は、それを可能にする宇宙要塞と大艦隊の威容も相まって門閥貴族たちを魅了したばかりか、正規軍人であり正統派の用兵家であるメルカッツやシュターデンのお墨付きすら得たのである。

 

 

 やがてガイエスブルク要塞の主砲が妖しく輝き始めると、その興奮は最高潮に達した。

 ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯、およびその娘にして皇位継承者たるエリザベートおよびサビーネの二人が口々に叫ぶ。

 

 

「「――-焼き払え!」」

「「――-薙ぎ払え!」」

 

 

 4人の絶叫と共に、要塞砲の第1射が放たれた。瞬く間に300隻以上の艦船が炎に包まれ、宇宙の藻屑と化した。

 続いて第2、第3射が放たれるとオーディンの上空に整列していた宇宙艦隊は文字通り消滅し、残った艦船も我先にと逃亡を始める。

 

 

 ガイエスハーケンの砲火がラインハルトら討伐軍を圧倒し、戦いは門閥貴族軍に有利に展開するかに見えた。

 

 

「全軍後退せよ! 今やられた先鋒は中古艦を並べただけの囮だ! 焦る事は無い、陣形を維持しつつ秩序を保て!」

 

 

 ラインハルトの檄と共に、彼の艦隊は後退する。それと入れ替わるように門閥貴族軍は前進し、ゆっくりとオーディンへ近づいていく。

 

 

「このまま前進するのだ! ガイエスハーケンの傘があれば、金髪の子憎など恐れるに足らず! 我らの勝利は目前ぞ!」

 

 

 勝利に浮かれたブラウンシュヴァイク公がそう叫んでいた頃、ラインハルトはあらかじめ予定していた策を実行に移そうとしていた。

 

 手元の小型通信機を取り出し、その先にいるシャフト技術大将に告げる。

 

 

「――-待機中の『フローズヴィトニル』隊に即時攻撃を命じよ」

 

 

 オーディンの主戦場から離れたデブリ帯の陰に、大小様々な工作艦や特殊作業用の小型艇、鉱山採掘用の大型無人機、装填用の補助クレーン艦などを含めて300以上の特殊艦艇群が待機していた。

 

 

 そして彼らの前に整然と一列に並んでいたのは、6000個もの巨大なドライアイスであった。

 

 

 勿論ただのドライアイスではない。それぞれのドライアイスには巨大なブースターと制御弁、および小型の高速艇が取り付けられていた。

 

 堂々たる布陣で進撃してきたリップシュタット貴族連合軍に対して、デブリに擬態した上で接近して側面から痛烈な砲撃を加える事が彼らの使命である。

 

 この『フローズヴィトニル』隊は半ば特攻に近い形の運用を期待された部隊であり、それぞれ射線上まで移動するとドライアイスを発射、同時に乗組員も高速艇に乗って脱出するというものであった。

 

 

 一発二発、などと景気の悪い事は言わない。立て続けに200以上ものドライアイスが発射される。

 

 同時に正面のラインハルト艦隊もそれを支援するように遠距離攻撃用のミサイルを射出、細長い光の線が銀河に糸を引いていく。

 

 すぐさま門閥貴族艦隊の先鋒でいくつもの爆発が生じ、四散した艦艇の破片が宇宙を舞う。護衛の艦艇をすり抜けた100ほどのドライアイスは速度を維持したまま、ガイエスブルク要塞に向かって吸い込まれていく……。

 

 

「馬鹿な!?」

 

 

 こちらに向かってくる巨大なドライアイスの塊を見て、シュターデン大将が目を剥く。

 

 

「ローエングラム侯には、銀河帝国将兵としての矜持というものが無いのか!?」

 

 

 シュターデンが驚いたのも無理はない。何を隠そう、自由惑星同盟でヤン・ウェンリーが「アルテミスの首飾り」を破壊したのと全く同じ戦術であったからだ。

 

 

 同盟でそのような戦法が使われたことを、シュターデンが知らなかった訳ではない。しかし敵であるはずのヤン・ウェンリーが使ったものと全く同じ、改善も改良もない丸パクリをさほど時を置かずにこの目で直に見ようとは想像しえなかった。

 

 なにせ指揮官は、あのプライドの高いラインハルトである。切り出したドライアイスにブースターをくっ付けてぶつける、という貧乏くさい上に邪道そのものの発想ほど彼に馴染まない戦い方も無いだろう。

 

 しかも敵の指揮官の発想をそのまんま使うという芸の無い戦い方をローエングラム侯が用いるはずがない……その先入観がシュターデンを初めとする門閥貴族軍指揮官の目を曇らせた。

 

 

 ―――しかし。

 

 

 眼も眩むような眩い閃光が、一瞬のうちに戦場で炸裂する。それから少し遅れて巨大な衝撃波がガイエスブルク要塞の周囲から広がり、戦場にいる戦闘艦のモニターがブラックアウトする。

 

 

(…………やったか!?)

 

 

 やってない。

 

 

 これがガイエスブルク要塞の断末魔だとしたら、ラインハルトに開かれた道は明るかっただろう。ここ最近の不名誉に甘んじることなく、ライバルの使った戦法を柔軟に取り入れたことでその栄光は更に強化されたはずだ。

 

 しかし映像モニターが回復した時、そこに移っていたのは当然のように無傷のガイエスブルク要塞と、宇宙を漂うドライアイスの残骸だった。

 

 

(おのれ、怪物め………)

 

 

 部下に発破をかけながら、ラインハルトは内心で軽く吐き捨てる。

 

(やはり……そう簡単にはやらせてくれないか。だがこれで敵の主砲を封じることが可能だと判明した)

 

 ラインハルトが内心でそう呟くと、お返しとばかりに再びガイエスハーケンの主砲発射口に光が宿る。

 

 

 次の砲撃が放たれる前に、ラインハルトもまた素早く次の指示を出す。

 

「シャフト技術大将に告ぐ。フローズヴィトニル隊は攻撃の手を休めるな。一瞬でも攻撃を止めたら即座に焼き払われると思え」

 

 ラインハルトが命じた直後、デブリ帯から100を超えるドライアイスが一斉に射出された。

 

 瞬く間にガイエスハーケンによって派手に吹き飛ばされるが、ラインハルトとシャフト技術大将にとってはそれも織り込み済みだ。

 

 

「第8攻撃部隊、被弾に続き壊滅! および第6補給ポイント、蒸発!」

 

「続いて、第7攻撃陣地、ドライアイスの射出を開始します!」

 

「第2監視モニター、ブラックアウト!第5射撃管制装置もシステムダウン!」

 

 

「構わん! 撃て! 撃ちまくれ!」

 

 

 味方の被害をものともせず、シャフト技術大将の攻撃指令が続く。少なくともドライアイスが撃ち込まれている間、ガイエスハーケンの光が自軍に向けられる事は無い。

 

 

 しかし同時にラインハルトの切り札たる、切り出したドライアイスとて無尽蔵ではない。

 それ自体に限りがあるというより、狙いをつけて射出するのに適した場所、および敵の攻撃を受けない運搬ルートという制約があることが問題だった。

 

 

 だからこそ、足止めできるうちに可能な限り戦況を有利に導く。少しでも敵の数を減らし、ガイエスブルクに肉薄しながら要塞を丸裸にするしかない。

 

 

「全軍に告げる! ガイエスハーケンは我が軍の波状攻撃で封じた! もはや恐れる事は無い! 今こそ卿らの力を示せ! オーディンが見ているぞ!!」

 

   

 ラインハルトの鼓舞によって士気を上げた討伐軍は、その勢いを駆って一気に門閥貴族艦隊へ肉薄攻撃をしかける。

 ガイエスハーケンによるアウトレンジ攻撃を無効化され、浮足立った門閥貴族艦隊は主導権を奪われた。  

 

 

 天下分け目の決戦たるオーディン会戦は次のステージへと移行し、第二幕が幕を開けようとしていた……。

    




 すでに勘のいい方は気付いていたかもしれませんが、普通に何のひねりもなくドライアイスです。だって実際、安いし便利だし(想像力の無い作者にだって有効だって分かる)

 ラインハルトの作戦は対ラミエル戦のヤシマ作戦的なのをイメージしていただければと。ドライアイスの飽和攻撃でガイエスハーケンを封じて、その隙に艦隊が要塞に一点突破をしかける感じです。


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09.オーディン会戦②

 

              

 銀河帝国に存在する18個の正規艦隊、そして貴族の私兵である7個艦隊分を合わせて計25個艦隊もの大兵力が、帝都オーディンを巡って攻防を繰り広げている。

 

 漆黒の銀河を背景にした死の舞踏会。歴代の皇帝が想像もせず、自由惑星同盟が夢見た壮大な光景が、オーディンの軌道上で繰り広げられていた。

 

 

 銀河帝国は、空前の規模をほこった自由惑星同盟の帝国領逆侵攻から1年も経たない内に、再び銀河最大規模の殺戮戦を経験していた。

 

 

 

「まずいぞ……敵に懐へ入り込まれた!」

 

 

 要塞司令室中央に設置された立体三次元モニターを見ながら、シュターデン提督が上ずった声を上げた。

 

 

 

「金髪の孺子どもは並行追撃をしてくるのではなかったのか!?」

 

 

 

 驚いたのはシュターデンだけではない。正当派の用兵家であるメルカッツやファーレンハイトといった正規軍諸将もまた、ラインハルト軍のとった行動に驚きを隠せないでいた。

 

 彼らは正規の軍人であるがゆえに、先例と経験を重んじる。それゆえ古今東西の研究を通じて分析した結果、ラインハルト陣営がガイエスブルク要塞を攻略する方法は一つしかないとの結論に至った。

 

 

 すなわち、かつての敵である自由惑星同盟のシドニー・シトレ元帥が第5次イゼルローン要塞攻防戦で用いた並行追撃戦法である。

 敵艦隊に対して乱戦に持ち込み、至近距離まで肉薄して要塞を攻略する。敵味方が入り乱れている中に、普通なら主砲は撃ちこめまい。

 

 

 だが、ラインハルトの軍勢は乱戦に持ち込もうとせず、そのまま突撃の速度を緩めないまま要塞に向かって突っ込んでいったのだった。その勢いは回避が間に合わず、門閥貴族艦隊と正面衝突する艦が出るほどだった。

 

 

 

「全艦に伝えろ―――“撃てば当たる。攻撃の手を緩めるな”とな!」

 

 

 先鋒を務めるフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト中将はその圧倒的な破壊力をもって、分厚い門閥貴族艦隊に無理やり風穴をこじ開けてゆく。それに続く全軍が一体となって紡錘陣で一点突破を図り、そのまま一気にガイエスブルク要塞表層にまで到達したのである。

 

 

「主砲発射!」

 

 

 ビッテンフェルト艦隊の主砲が火を噴く。イゼルローンと違ってガイエスブルク要塞の表層からは流体金属が蒸発しており、集中砲火を受けた区画はひとたまりもなく次々に爆散した。

 

 

「続けて姿勢制御スラスター噴射! 下部エンジン機関最大、急上昇して離脱せよ!」

 

 

 あと少しで要塞表層に激突する、というところでビッテンフェルト艦隊は大小のスラスター噴射で姿勢を建て直す。そのまま要塞の表層スレスレを低空飛行する形で離脱していった。

 後続の艦隊もまた順次突貫し、着弾を見ながら主砲を斉射、姿勢制御ののち離脱という動きになる。

 

 

 早い話が、急降下爆撃機の要領だ。下手をすれば艦隊ごと要塞に激突しかねない危険な艦隊運動であり、指揮官の技量はもちろん個々の艦長にも高い操舵能力が求められる。

 

 実際、中にはスラスター噴射のタイミングが遅れてしまい、そのまま意図せず要塞にカミカゼ特攻をかけてしまう艦や、急上昇した際に後続の急降下してきた艦と激突してしまう艦もちらほら見受けられた。

 

 

 しかしそれでも全体としては急降下攻撃に成功しており、改めてラインハルト陣営に属する将兵の質の高さを見せつける結果となった。

 

 

 **

 

 

 繰り返し攻撃を受けたことで強固な要塞表層にも徐々にヒビが入り、さらに後続の艦隊が亀裂目掛けて精度の高い砲撃を行ったことで、ガイエスブルク要塞では完成してから初めての死傷者が出ていた。

 

 

「こちら要塞司令部、クレニック大将である。被害を報告せよ」

 

「第7区画、崩落! 第8区画にまで爆発が広がっています!」

 

「了解した。 第7区画および第8区画は封鎖区画に設定、全ての隔壁を起動して被害の拡大を遮断せよ。その他の区画についてダメージコントロールを継続」

 

 

 目の前のモニターに広がる兵士たち必死の消火作業には目もくれず、クレニックは淡々と応急処置を指示する。

 封鎖区画に設定された通路では警告音と共に赤い非常灯が点滅し、分厚い強化装甲でできた隔壁がゆっくりと降りていく。

 

 

「やばいぞ、逃げろぉおおッ!」

「誰か助けてくれ! まだあっちには怪我をした部下が……」

「諦めろ! このままじゃ皆閉じ込められて死ぬぞ!」

 

 

 まるで沈没寸前の豪華客船のボイラー室のように、大を助けるための小として犠牲にされた兵士たちの悲鳴が響く。その間にもラインハルト軍の攻撃により、次々に被害は拡大していく一方だった。

 

 

「なんという事だ……」

 

 メルカッツの顔に沈痛な表情が浮かぶ。恐らくは犠牲となった兵士たちの事を悼んでのものだろう。

 クレニックの顔にも沈痛な表情が浮かんだ。こちらは恐らく被害を受けた要塞のことを慮ってのものだろう。

 

 

「よくも私の要塞を……!」

 

 

 クレニックの口から、苦々しげな呪詛が漏れる。

 

 その間にもラインハルトの艦隊は超低空飛行で要塞の表層を縦横無尽に動き回り、戦果を拡大していった。

 

 

 

「ええい、早くガイエスハーケンを撃たんか! このままでは要塞を削り取られてしまうぞ!」

 

「この状況でガイエスハーケンを撃つのは不可能です。敵がいるのは主砲の死角、近すぎて主砲を撃とうにも俯角が足りません」

 

 

 焦るブラウンシュヴァイク公に、クレニックが重々しく告げる。

 

 だが、やられっ放しという訳にもいかない。クレニックはすぐさま戦闘指揮所に向かって指示を飛ばした。

 

 

「第13から第29区画、全ての砲塔を起動せよ。対空機銃は自動迎撃システムを起動、ターボ・レーザーは各自手動操作で大型戦艦を優先目標に設定」

 

 

 クレニックの指示が次々に伝達され、宇宙要塞は敵の肉薄攻撃に備えた。特に新型の2連砲塔XX-9重ターボレーザーは、例え相手が宇宙戦艦であろうと一撃で消し去る威力がある。

 

 

「――――敵艦隊、接近中!」

 

「射程圏内に入り次第、各自迎撃を開始せよ。全兵装使用自由(オール・ウェポンズ・フリー)!」

 

 

 クレニックの号令と共に、ガイエスブルク要塞は全身からハリネズミのように十字砲火を放つ。重ターボレーザーは相手の射程圏外から宇宙戦艦をズタズタに切り裂き、その威力を周辺の小型艦艇にまで撒き散らした。

 

 爆発が連鎖し、破壊された戦艦から飛び散る破片は流れ弾となり、脱出しようとしたワルキューレの一団に容赦なく降り注いでいく。

 

 

 そして遅れて登場するのがお決まりの騎兵隊が姿を見せると、再びガイエスブルク要塞司令部は歓喜の声に包まれた。

 

 

 

「叔父上! 不肖フレーゲル、ただいま到着いたしました!」

 

 

 

 ラインハルト軍にすり抜けられた、門閥貴族艦隊が大挙して追いかけてきたのだ。

 

 

「お待たせしました叔父上。この私が来た以上、もう金髪の孺子の好きにはさせません!」

 

「おお、よく来たフレーゲル!頼りにしているぞ。見事あの小癪な金髪の孺子を討ち取って我らの武名を銀河に轟かせるのだ!」

 

「お任せください! 聞いたか皆の者! 宇宙要塞の危機を助けるのだ! ふはははははははは!」

 

 

 フレーゲル男爵の高笑いがオープン回線で響き、同様の興奮に駆られて門閥貴族艦隊は動き出した。

 

 

「跳んで火に入る夏の虫とは奴らの事よ!」

 

 

 自信たっぷりなフレーゲルの物言いは、常識で考えればあながち間違いとも言えなかった。なにせ艦隊数は1.5倍ほど上回っており、要塞に備え付けられた対空砲火やターボ・レーザーまであるのだ。

 

 ガイエスハーケンの射程内にいても発射の邪魔になるだけなので、もともと門閥貴族軍宇宙艦隊の大半は主砲の死角に配置されている。そこにラインハルト艦隊が突っ込んできたのだ。

 

 数で上回る門閥貴族艦隊は敵を前後左右から包囲し、その圧倒的な火力によってラインハルト艦隊は、陽光に照らされたアイスクリームのように溶けて消えるはずだった。

 

 

「やはりラインハルト元帥の軍が有利か」

 

 

 目の前で艦隊戦が繰り広げられていくのを見て、メルカッツがそう呟いた。彼でなくとも、正規の教育を受けた軍人ならすぐに分かることだった。

 

 もし貴族連合軍が有利であればフレーゲルの目論み通り、ラインハルト艦隊はとっくに消え去っていただろう。そうなっていないのは、ラインハルト軍が善戦しているからだ。

 

 

 局所的には、門閥貴族側が勝っているように見えなくもない場面もあった。だが、それは見せかけの優位であり、さらなる罠へと彼らを誘う前座に過ぎない事に気付いた門閥貴族はほとんどいなかった。

 

 

「いいぞ!もっとやれ!」

 

 

 中でもヒルデスハイム伯爵の艦隊の勢いは凄まじく、彼に率いられた貴族軍艦隊は猛烈な砲火を討伐軍に浴びせ、自らの陣形が崩れる事も厭わずに後退する敵を猛追する。

 

 

「なんと愚かな!」

 

 

 見る見るうちに整然とした陣形が無秩序へと変化していくのを見やり、シュターデンはそう毒づかずにはいられなかった。

 

 あれでは指揮も作戦もあったものではない。興奮に駆られてやみくもに走り出す水牛の群れではないか。火力の優位を活かすには、整然とした陣形を維持した砲撃戦に限る。乱戦など敵の思う壺ではないか。

 

 

 一方で、もう一人の帝国正規軍指揮官であるメルカッツ大将は落ち着いて事態を静観していた。門閥貴族との付き合いも長い彼にしてみれば、生まれてから我慢することを知らないまま育った貴族たちをよく今まで抑えてこれたものだ、という達観の方が大きい。

 

 

「艦隊、各自の判断で敵を攻撃せよ。繰り返す、各自の判断で敵を攻撃せよ」

 

 

 シュターデンやクレニックが驚く中、メルカッツは諦めのこもった声で全軍にそう告げ、ファーレンハイトに向き直った。

 

 

「ファーレンハイト中将……彼らのフォローを頼む」

 

「尻拭い、の間違いではないでしょうかね?」

 

 

 皮肉っぽく返したものの、ファーレンハイトはメルカッツの決定そのものに異を唱えることはなかった。彼もまた、そうするしかないだろうなと薄々感づいてはいたからだ。

 

 各艦隊がそれぞれの指揮官の判断で動くということは、門閥貴族艦隊に行動の自由を許す愚策である一方、裏を返せばファーレンハイトら正規軍艦隊もまた陣形にとらわれず柔軟に動けるという事でもある。

 

 元より門閥貴族艦隊に期待していないメルカッツとしては、戦術の素人である門閥貴族たちに対して、細かい戦術的技巧にこだわる事は諦めていた。ただ彼らの数のみを頼みとして戦術的縦深として扱い、ファーレンハイトら正規軍艦隊を機動防御に当てる腹積もりであった。

 

 

 ベストではないが、ベターな選択といえよう。それこそが、「堅実にして隙なく、常に理にかなう」と賞賛されたメルカッツの艦隊指揮能力の神髄であった。

 

 




ちょっとした解説

第5次イゼルローンの並行追撃と違う点として

①第5次イゼルローンの時は主砲を撃てる状態なのに対して、今回は一応ドライアイス攻撃で封じてある

②第5次イゼルローンでは攻撃側の同盟軍艦隊の方が数が多かったのに対して、今回はむしろ防衛側の門閥貴族軍の方が数が多い

そのため、要塞に近づくのは第5次イゼルローンより難易度は下がっているんですが、代わりに艦隊戦の難易度は上がっているので、並行追撃より一気に敵艦隊を突破して要塞に肉薄した方が自然かなと

ついでに一度肉薄してガイエスハーケンの死角に入りこんでしまえば、要塞の対空機銃の被害は増えるでしょうが、ガイエスハーケン撃ち込まれるよりかは被害は減るでしょうし。

艦隊戦は将兵の質でゴリ押し。


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10.史上最大の人質

 両軍の指揮官は好対照を為していた。ラインハルト陣営の提督が自ら専用艦に座乗して戦場を縦横無尽に疾駆したのに対して、貴族連合軍の上層部は難攻不落のガイエスブルク要塞中心部に設置された戦闘指揮室から一歩も出る事はなかった。

 

 その一方で、前線ともなれば今度は話が逆転する。

 

 ラインハルト陣営の戦術用兵は多様で巧妙を極めた。彼らは全ての戦場において有利を確立した上で、局地戦の駆け引きを楽しんでいるようにさえ見える。

 

 対して門閥貴族軍はまさに荒れ狂う猛獣さながらであった。誰もかれもが貴族特有の高いプライドと功名心を滾らせ、正面からひたすらに猛進する。

 

 

「メルカッツめ……貴族の阿呆どもに合わせて、敢えて阿呆な戦いを仕掛けてきたか」

 

 

 ロイエンタールが通信システムごしに呟く。

 

 貴族同士の不和や戦術センスの無さを、分かり易さと熱狂で補おうというメルカッツの妥協であったが、大軍であることも相まってロイエンタールやミッタ―マイヤーといった名将すらも手古摺らせるほどの勢いだ。

 

 

「進め、進め、突っ込め!」

 

 

 フレーゲル男爵は自ら宇宙戦艦に乗り込んで指揮を執った、数少ない勇猛果敢な門閥貴族であった。奇しくも対峙したのはミッタ―マイヤーである。

 

 単にミッタ―マイヤーを侮っていただけとも、蛮勇とも評される事のある行動であるが、「高貴なる貴族が最前線で自ら指揮を執る」というノブレス・オブリージュに照らし合わせれば一定の評価が下されるべき行動であった。

 

 

「主砲斉射二連!その後、5000キロ前進!」

 

 

 フレーゲルが絶叫する。それは指揮というより、興奮状態の発露にしか過ぎないが、少しでも油断を見せれば対応しているミッタ―マイヤー艦隊は瞬く間に食い破られてしまうほどの勢いがあった。

 

 

「10時半方向の反逆者どもを、まとめて吹き飛ばせ!」

 

 

 片足を床に付け、もう片足を上げてシートを踏みつける。フレーゲルの情熱的な指揮は勇猛と呼ぶに相応しいものであったが、彼の評価もそこまでだった。

 

 あと一歩で敵を崩せる、というフレーゲルの勝利への確信は20分ほど続き、そして永遠に失われてしまった。

 

 

 フレーゲルの部隊は突進し過ぎ、他の部隊との連携を欠いた。自ら味方と離れて孤立する形となり、それに気づくことなく急進撃を続けた。

 

 これをミッタ―マイヤー艦隊が見逃すはずもなく、砲火を集中させたのちに100機以上のワルキューレが一撃離脱方式でしたたかに弾列を撃ちこんでゆく。傷ついた艦底に三本の太いビームが集中し、彼の乗艦はフレーゲルもろともオレンジ色の火球となって四散した。

 

 指揮官を失ったフレーゲル隊は、そもそもが男爵の私兵艦隊であったことも災いし、指揮系統がはっきりしないまま指揮官を失った事もあり、権限移譲が無いままに大混乱に陥る。そこへミッタ―マイヤー艦隊が集中砲火を浴びせ、たちまちに各個撃破されていく。

 

 

「ここまで一方的にやられるとはな……」

 

 

 クレニックは眼前の風景が色を失うような感覚に捕えられた。

 

 ラインハルト陣営に属する将兵の用兵は、クレニックに実戦指揮官というよりオーケストラの指揮者を思い起こさせた。指揮官クラスの艦隊運用も見事ながら、それを実行する兵士たちの練度と士気の高さにも舌を巻かざるを得ない。

 

 

 一方でここに来て、貴族連合軍は烏合の衆の弱点を露呈していた。彼らはいっこうに勝機をつかめず、貴重なチャンスを幾度となく逃がした。

 

 

(あるいは、ローエングラム侯がその隙を与えなかったとみるべきか……)

 

 

 転生者とはいえ銀英伝の歴史を知らぬクレニックは、ラインハルトのことをせいぜい「歴史に名を残す程度の名将」とばかりに思っていたのだが、その評価を大きく上方修正していた。

 

 ――あれは、かのダース・ベイダ-卿やそれこそ皇帝パルパティーンに匹敵するような「歴史そのものを作り出してしまう」ほどのバケモノなのかもしれない。

 

 

 **

 

 

 めくるめくビームの交差に、宇宙要塞に設置された砲台が爆散する。エンジンを破壊されて宇宙に漂うワルキューレに、炎上中にもかかわらず懸命の砲撃を続ける巡洋艦……膨大な人命とエネルギーが浪費され、常闇の中に飲み込まれていく。

 

 

「戦艦アウスラグ、戦闘続行不可能!」

 

「重巡イーヴァルは主砲破損、自力での修復は困難です!」

 

 

 被害を報告する通信がガイエスブルク要塞の戦闘指揮室に溢れかえり、居並ぶ門閥貴族たちの間で徐々に動揺が広がっていった。

 

 リッテンハイム侯が叫ぶ。

 

 

「ええい、味方は何をしておる! なぜ敵を上回る兵力を有していて勝てんのだ!?」

 

 

 ここに来て、連合軍という性質が仇となっていた。ラインハルト・フォン・ローエングラムただ一人を頂点としてピラミッド型のトップダウン独裁を敷く討伐軍と違い、門閥貴族の寄り合い所帯というリップシュタット貴族連合軍の弱点が顕在化していた。

 

 門閥貴族艦隊は数こそ多いものの連携を欠き、各自がバラバラの判断で目標を撃っているために火力の集中ができず、その優位を活かせないでいた。

 

 対してラインハルトの艦隊は密な連絡と高度な艦隊機動によって局所的な数の優位を作りだし、その火力を集中して相手を的確に葬っていく。

 

 門閥貴族艦隊にって不幸中の幸いといえたのは、メルカッツが複雑な用兵を放棄して単純な波状攻撃に徹した事で、被害こそ多いものの戦線の崩壊には至らなかった事ぐらいか。

 

 それでも味方が一方的にやられていく様は、許容範囲の被害とはいえ門閥貴族軍上層部に強い衝撃を与えた。中でも甥のフレーゲル男爵を戦闘で失ったブラウンシュヴァイク公は取り乱し、アンスバッハ准将に宥められてやっとのことで平静さを取り戻すも、その瞳には暗い光が宿っていた……。

 

 

 **

 

 

 事態が動いたのは、ブラウンシュヴァイク公が自ら指揮を執ると言い出した事がきっかけだった。

 

 

「このままでは埒が明かん。エンジンの出力を最大にせよ」

 

 

 司令室に、目に見えない氷水が撒き散らされる。メルカッツ上級大将ら正規軍将兵が色を失う中、最初に声を上げたのはリッテンハイム侯だった。

 

 

「どういうつもりだ? この状態でエンジンの出力などあげてみろ。前方で戦っている味方にでもぶつけるつもりか?」

 

「味方に要塞をぶつける阿呆がどこにいる。ぶつける相手はその先の敵艦隊に決まっておるだろう。味方には退避命令でも出しておけ。――できるな?クレニック大将」

 

 

 ブラウンシュヴァイク公に睨まれたクレニックは一瞬黙り込み、やや間をあけてから肩をすくめて答えた。

 

 

「どうしてもとおっしゃるなら出来なくはありませんが、危険が大きい割には効果が薄いかと。敵の攻撃でエンジンが被害を受ければ、要塞の移動が制御不能になる恐れがあります」

 

 

 現在、ガイエスブルク要塞はエンジンを停止させてある。クレニックらの知る由もないが、実際のところラインハルトは門閥貴族軍がガイエスブルク要塞のエンジンを再点火する機会を虎視眈々と狙っていた。

 

 移動中に一部のエンジンだけが破壊され、残ったエンジンが点火中ならどうなるか。制御を失って壮大なスピンをかましながら回転し、あらぬ方向へと酔っ払いのように艦隊を巻き込みながら飛んで行ってしまうだろう。

 

 それを最初からしなかったのはガイエスハーケンと遠距離砲撃戦をやって被害が増大することを恐れたからであるが、もはやその恐れも無い。

 一点突破によって要塞に肉薄したラインハルト軍は門閥貴族軍をじわじわと削り取りながら、敵がしびれを切らして自ら墓穴を踏むのを待つばかりであった。

 

 

「一瞬だけでも構わん。ここは宇宙だ。慣性の法則で一度動き出せば、そう簡単には止まらん」

 

「……宇宙戦艦にぶつければ、それが摩擦となって徐々に運動エネルギーは失われますが」

 

 

「ガイエスハーケンがオーディンを射程にとらえるまでで良い」

 

 

「ッ……!?」

 

 

 ブラウンシュヴァイク公が言わんとしていることを悟り、流石のクレニック大将も唖然とした。見れば、居並ぶ諸将も絶句している。

 

 これまでブラウンシュヴァイク公は軍功とは無縁だと思われており、彼を単なる「専門家の足を引っ張る金持ち素人」としか見ていなかったメルカッツら正規軍将兵たちは、身を疑う思いでこの発言を聞いていた。

 

 

「い、今なんと?」

 

「まだ分からぬのか? オーディンにガイエスハーケンを直接叩きこんでやれと言っておるのだ」

 

 

 繰り返し反論されたブラウンシュヴァイク公の顔が、徐々に内に赤黒く染まっていく。怒鳴ることはなかったが、雷の響きにも似た重く低い声がかえってオペレーターたちを戦慄させた。

 

 

「そもそも我らの目的は、金髪の孺子を倒す事では無い。この内戦に終止符を打ち、帝室の藩屏たる我ら貴族が正当な地位を取り戻すことにある。金髪の孺子とは厄介だが、たかだか宇宙艦隊司令長官ではないか」

 

 

 その「たかだが宇宙艦隊司令長官」にここまで苦戦しているのだが、というツッコミはさておき、同時にその発言がブラウンシュヴァイク公が自らの地位の高さのみを誇っているものではない、という事もクレニックはたちどころに理解した。

 

 

「つまり公は、帝国宰相リヒテンラーデ公……いえ、侯さえ降伏させれば、帝国軍は降伏すると?」

 

 

 わざわざリヒテンラーデの爵位を戦役前のそれに修正し、ブラウンシュヴァイク公の機嫌を伺いつつ確認をとるクレニック。彼の雇い主は鷹揚に頷き、その推測を肯定した。

 

 

(なるほど……戦術で失敗しようとも、戦略で失敗していなければいくらでも挽回の余地はあるという訳か)

 

 

 さすがは銀河帝国の頂点に立つだけの事はある。少なくとも戦術という次元を超えた、戦略という次元においてブラウンシュヴァイク公は非凡であることを、クレニックは認めざるを得なかった。

 

 

 理屈から言えばブラウンシュヴァイク公の言っていることは正しい。軍というのはあくまで政府の暴力装置の一つに過ぎず、その頂点には皇帝ただ一人が立ち、その皇帝が幼かったりする場合には帝国宰相がその政務を代行する。

 

 であれなら、帝国宰相が停戦命令さえ出せば軍は従わざるを得ないはずだった。

 

 

 ――通常であれば。

 

 

 だが、ラインハルトという稀代の傑物に対して、果たしてそのような常識がが通用するだろうか?

 




 オーディン人質大作戦、元ネタは皆さまご存じのバーミリオン会戦におけるハイネセン侵攻です。


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11.ティアマト・プラン

 

 歴史上、王や貴族といった支配者は政治家であると同時に軍人でもある。そもそも国家の成り立ちが基本的には武装集団を起源としている。ハイネセン記念大学の社会組織論の講義などでは「国家とは公認のヤクザであり、ヤクザとは非公認の国家である」と教えられているほどだ。

 

 その意味において、ゴールデンバウム朝銀河帝国における文民統制は、自由惑星同盟のそれとは趣を異にする。

 

 後者が一般的に「文民統制」のイメージ、すなわち軍人の文民に対する影響力を最小化することで軍人が政治に口出しすることを防ぐものであるのに対して、帝国のそれは逆に文民の軍人に対する影響力を最大化することで政治が軍事を完全に統制する事を目指したものである。

 

 

 別の視点から見れば同盟のそれは徹底した専門化と分離によって政治と軍事それぞれのスペシャリストが水平分業した関係を構築するのに対して、帝国は両者を融合することで政治と軍事の両方に精通したジェネラリストが垂直統合した関係を構築する。

 

 であれば必然的に帝国の高級軍人は軍人であると同時に高級官吏でもあり、その区分はあくまでどちらに比重を置くか程度の違いでしかなく、その意味でラインハルト元帥府とは軍事専門家の集団というより、高度な軍事知識を有する政治集団であった。

 

 

 ゆえに、もし自由惑星同盟と民主主義を愛するヤン・ウェンリーなどに対してであれば、ハイネセンの同盟政府からの停戦命令は確かに有効であろう。停戦、という文民の決断に対して軍人でしかないヤンは異論を挟む余地が無いからだ。

 

 しかしラインハルトであれば話は別である。帝国軍人は官僚でもあり、政治家でもある。ラインハルトは停戦命令そのものを政治問題として、異議を唱えることが理論的には可能であるのだ。

 

 

 ゆえに、繰り返しの問いで雇い主の機嫌をさらに悪化させるリスクをとりつつも、クレニックは再度の質問を試みる。

 

 

「ローエングラム侯がそうやすやすと停戦命令に従うでしょうか? 彼にしてみれば、無視した方が得るものははるかに大きいのではありませんか?」

 

 

 加えて、ローエングラム侯がゴールデンバウム王朝を憎んでいるというのは、いわば公然の秘密だ。

 

 ラインハルトにしてみれば新無憂宮殿(ノイエ・サンスーシ)がどうなろうが内心では知った事ではないだろうし、いっそリヒテンラーデもろとも吹き飛んでしまった方が、将来の強力なライバルが一人減って好都合なのではないか。

 

 

 しかしそのような慎重論を、ブラウンシュヴァイク公は事もなげに一蹴する。

 

 

「ふん、その程度は儂も考えておる。安心せよ、リヒテンラーデは臆病だが馬鹿ではない。奴の下には“人質”がいる」

 

 

「……グリューネワルト伯爵夫人ですか」

 

 

 ラインハルトのアンネローゼに対する執着は有名だ。そして彼のみならず、その一番の親友にして右腕とされるキルヒアイスが彼女に抱く想いもまた、貴族の社交界では広く知られた噂である。

 

 

「戦いで勝つばかりが戦争ではないぞ。儂は今まで多くの人間を見てきた。そして気付いたことがある――――存外、有能な人間は世にありふれているが、己の大事なものを躊躇なく自ら生贄として差し出せる人間はそう多くない」

 

 

 いかに常勝の英雄ラインハルトとはいえ、キルヒアイスとアンネローゼに関しては「例外」尽くしなのだ。それを利用しない手は無い。

 

 

「今となっては隠す必要もないが……先帝が亡くなった時はグリューネワルト伯爵夫人を儂とリッテンハイムとリヒテンラーデ、そして金髪の孺子で奪い合ったものよ。結局、リヒテンラーデの老いぼれが我らに先んじて身柄を抑えたのだがな」

 

 

 先帝が崩御した時、もっとも宮廷に通じたリヒテンラーデがいち早くその知らせを受け取り、真っ先にエルウィン・ヨーゼフ帝の擁立に動いたことはよく知られているが、同時に「先帝の寵姫を保護する」という名目でアンネローゼを実質的な人質として捕えている。

 

 だからこそ、血気盛んなラインハルトを今まで抑え込んでいられたのだ、というのがブラウンシュヴァイク公の推測であった。

 

 

 であれば、この際である。いっそのことオーディンごとアンネローゼまでこちらが人質にとってしまえばいいのではないか。

 

 

「異論は無いようだな」

 

 

 ぐるっと全員を見回し、ブラウンシュヴァイク公はそう結論づけた。

 

 

 **

 

 

「さて、となれば後はいかにオーディンを人質に取るかだが、やはりリスクを冒してでもエンジンを再点火し、オーディンをガイエスハーケンの射程内におさめるしかあるまい」

 

 再びブラウンシュヴァイク公が口を開いた。それに対して答える者は無く、一同の視線は自然とガイエスブルク要塞の責任者たるクレニック大将に注がれる。

 

 

「………」

 

 

 クレニックは即答しなかった。彼にとって重要なのは、銀河の行く末ではない。どちらの陣営が勝とうが、彼の目指す最強兵器「デス・スター」を完成させられる環境を整える事である。

 その為には、宇宙要塞の価値をいかなる形であれ、周囲に示す形で戦争を終わらせる必要があった。

 

 ややあってクレニックは小さくため息を吐き、口を開いた。

 

 

「……残念ですが、オーディンに接近するのはやはり難しいと言わざるをえません。いかにメルカッツ大将が全力で防御しようと、宇宙で慣性の法則が働こうと、ガイエスハーケンがオーディンを射程に捉えるまでにはエンジンの再点火と進路の微調整が必要になります」

 

 

 ラインハルトがまだ奥の手を隠しているかもしれないし、一瞬だけエンジンを点火して一瞬のうちに進行方向を微調整するというような寸分のミスも許されないような職人技的な作戦は、あまりにリスクが大きかった。

 

 

 ですが、と前置きした上でクレニックはニヤリと笑って告げる。

 

 

「オーディンに私の要塞を当てることそれ自体は難しくありません」

 

 

「どういう意味だ? クレニック大将」

 

 

「簡単ですよ。この宇宙要塞のリアクターを暴走させて、要塞そのものを爆破してしまえばいい」

 

 

 その言葉を聞いた時、誰もが聞き間違いではないかと耳を疑った。

 

 

 ――要塞を自爆させる? それはもはや、作戦ですら無いではないか。

 

 

 

 だが、クレニックは涼しい顔で告げる。

 

 

「もちろんこの要塞を丸ごとオーディンにぶつけてしまえば、それこそオーディンは惑星ごと崩壊します。ですが、ガイエスハーケンほどの威力で良いのなら破片の一部でも十分過ぎるほどです」

 

 

 一説によれば、地球に直径10kmほどの隕石が衝突した時、その威力は核ミサイル1万発分に相当したという。1兆トンにものぼる土と岩が大気中に撒き散らされ、その粉塵が地球をすっぽり覆うことで1000年もの間日差しが遮られた。当時の生態系の頂点に君臨していた恐竜を含む、地球上の75%の種と個体数では99%が死滅したという説もある。

 

 

 ちなみにガイエスブルク要塞の直径は45kmもある。体積にすれば90倍以上だ。

 

 

「イゼルローンの陥落を受け、万が一の場合に要塞を無力化する作戦計画『ティアマト・プラン』を用意しておいたのですが、まさかこんなに早く役に立つ時が来るとは」

 

 

 なんとも傍迷惑なバックアップ・プランであるが、きちんと計画として策定されているだけあり、クレニックの自爆作戦の説明は現実味を帯びたものであった。

 

 

 ――自爆とはいえあまり木端微塵に吹き飛ばしてしまっては、此処の破片も小さくなるし、何より脱出する自分たちの身も危ない。

 

 クレニックのいう「自爆」とはあくまで小惑星が徐々に崩壊して隕石片を撒き散らしていくように、ブロックごとに小規模リアクターを時間差で爆発させ、崩壊した破片が確率論的にオーディンへの衝突コースを辿るように仕向ける、といった類のものであった。

 

 

「いわば散弾銃の要領です。エンジンを再点火してガイエスハーケンの射程圏内まで移動し、要塞砲を確実に撃ちこむことは難しいですが、この場で要塞を自爆させて確率論的に破片を当てる程度であれば、そう困難な作業ではないでしょう」

 

 

「クレニック大将!」

 

 

 思わずメルカッツが声を荒げた。

 

 下手をすれば惑星ひとつが丸ごと死滅するというのに、何故こうも平然とできるのか。既にクレニックが前世で惑星ジェダの聖都を吹き飛ばし、その後にグランドモフ・ターキンによって惑星スカリフごと吹き飛ばされたことを知らないのだから、メルカッツの憤りはごく常識的な反応といえた。

 

 

 しかしクレニックは心外だ、と言わんばかりの表情でメルカッツに向き直る。

 

 

「これは失敬。ですが、脅迫において重要なのは実際にやるかどうかではなくそれが可能かどうか、では?」

 

 

 人質に銃を突きつけるのは、殺すのではない。人を殺すことが可能な武器を突き付ける事で「最悪、人質が殺されるかもしれない」と相手に思わせる為である。

 

 

 であれば、何も必ずしも要塞を爆破する必要はない。爆発したらオーディンは終わりだ、とラインハルトやリヒテンラーデに思わせればそれで十分なのだ。

 

 自分の身が危ないリヒテンラーデは勿論の事、アンネローゼの命がかかっているとなればラインハルトやキルヒアイスも交渉のテーブルに着く可能性は充分にある。

 

 

 それから、とクレニックが思い出したように付け加えた。

 

 

「当然といえば当然ですが、皆様の安全はこの私オーソン・クレニックが保証いたしましょう。もちろん各自の旗艦で脱出していただいても結構ですが、この私の旗艦『スター・デストロイヤー』には最高峰クラスの装甲が採用されております」

 

 どうぞ最高の観客席で銀河の頂点を決める戦いをご鑑賞下さい、そう言ってクレニックはおどけるように一礼する。この時点で、既に結論は出たも同然であった。

               




 今後についてですが、別にヒルダとラインハルトが入れ替わったりもしないし、石油堀りがスペースシャトル乗ってガイエスブルクを爆破しに向かったりもしません。


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12.オーディンに告ぐ

「オーディンに告ぐ!!!」

 

 

 両軍の通信網に割れんばかりの大声が響き渡った。

 

 

「儂はオットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵である! 二時間以内に降伏し、直ちに武装を解除せよ!」

 

 

 雷鳴のごとき轟きを伴って放たれるブラウンシュヴァイク公の低い声に、ラインハルトは弾かれるようにして顔を上げた。次いで、やや混乱気味にスクリーンに視線を転じ、キルヒアイスと視線を交わし合う。両名の顔に浮かんでいるのは「困惑」の二文字であった。

 

 いきなり何を言い出すのかと思えば、唐突に降伏勧告と高圧的な停戦命令である。その程度で怯むようなラインハルトであれば、リップシュタット戦役はとっくに終わっていただろう。

 

 

 

 だが、続いてブラウンシュヴァイク公の口から飛び出した言葉は、常勝の英雄をしてその心胆を寒からしめるに十分な内容であった。

 

 

「繰り返す、二時間以内に降伏せよ。さもなくばガイエスブルク要塞をオーディンに落下させる。言っておくが、妨害しようとしても無駄だ。必要とあらば要塞のリアクターを暴走させて、破片だけでもオーディンに落としてやる。わかったか!?」

 

 

 まさにゴールデンバウム朝銀河帝国に対する明確な反逆であった。ブラウンシュヴァイク公はオーディンを人質にとり、下剋上を果たさんとしていた。

 

 

「やってくれたなブラウンシュヴァイク公!」

 

 

 ブリュンヒルトの艦橋では、ラインハルトが興奮のあまり椅子から身を乗り出していた。地面には部下が気を利かせて持ってきたワインが血のように広がり、グラスは砕け散っている。

 

 

「まさかオーディンごと人質にとるとは! なんという無茶苦茶な男だ!」

 

 

 自分でも褒めているのか激昂しているのか分からない。門閥貴族特有の傲慢さと横暴さも、ここまで極まると乱世の梟雄とでも呼ぶ方がふさわしかろう。

 

 

「なんたるザマだ! あろうことか、門閥貴族ごときに軍事で翻弄されるなど!」

 

 苛立たしげに髪をかきむしる。

 

 何より腹が立つのは、自分自身の甘さと不甲斐無さに対してだ。ゴールデンバウム朝を滅ぼすなどと息巻いておきながら、結局のところ既存の歴史や伝統といった常識にとらわれていた。

 

 

 だが、ブラウンシュヴァイク公はこともあろうにゴールデンバウム王朝でリヒテンラーデに次ぐ実力者でありながら、公然と反乱軍を組織して内戦を初め、今や帝都オーディンを文字通り物理的に破壊しようとしているのだ。

 

 

 対して、ラインハルトは望むと望まざるに関わらず、結果的にオーディンとゴールデンバウム王朝を守らねばならぬ立場にいた。これこそ運命の皮肉としか言えないだろう。

 

 

 

「ガイエスブルク要塞、再度エンジン起動しています! オーディンに向けて進むつもりと思われます!」

 

 しかしラインハルトに対策を練る時間は与えられなかった。クレニックら門閥貴族軍は動揺が収まる前にすぐさま次の一手を打つ。今度は誰にも止める事は出来なかった。

 

 

 ラインハルト以外の将官も、今回ばかりは臨機応変に対応するなどという行為は許されない。さすがに帝都とそこに住む全ての民衆の命がかかっているともなれば、下手な動きは勇気の表れと言うより蛮勇でしかないからだ。

 

「よ、よいのですか……?」

 

「よいわけがあるか!」

 

 副参謀長のオイゲン大佐に問われ、思わず大声で吠えるビッテンフェルト。ぶるぶると腕を振るわせ、今にも突撃せんばかりの形相であったが、ラインハルト陣営随一の猛将いえどもオーディンごと人質にとられたとあっては手も足も出ない。

 

「ローエングラム侯はどうするつもりなのだ! このままでは銀河史上、類を見ない大虐殺が始まってしまうぞ!」

 

 

 今のところラインハルトからは総攻撃の命令は出ていない。否、したくても出来ないのだろう。そうした葛藤を尻目に、宇宙要塞は悠々とオーディンに向けて進んでゆく。

 

 

 **

 

 

「1時間経ったな」

 

 

 不気味なほどに静まり返ったガイエスブルク要塞の司令室で、ブラウンシュヴァイク公の呟きが反響した。

 

「金髪の孺子からの連絡は? リヒテンラーデでも構わんが」

 

「いえ、どちらからもありません」

 

「ふん」

 

 ブラウンシュヴァイク公は鼻先で笑い、当然のように命令する。

 

 

「まあいい、まだ1時間ほど猶予はあるが、この辺でリヒテンラーデと金髪の孺子の尻を叩いてやるのも一興というものよ。とりあえず、オーディンの適当な場所にガイエスハーケンを発射せよ」

 

 あまりにも自然な流れで発された言葉に、思わずアンスバッハは頷きかけ、ギリギリのところで思いとどまる。

 

「い、今なんと?」

 

「聞こえなかったのか? ガイエスハーケンを撃てと言ったのだ」

 

 反論されたブラウンシュヴァイク公の顔が、みるみる内に赤黒く染まっていく。怒鳴ることはなかったが、雷の響きにも似た重く低い声がかえって周囲の部下たちを戦慄させた。

 

「しかし、帝都には一般市民も……」

 

 アンスバッハは最後まで言い終える事が出来なかった。銃声が轟き、仕立ての良い士官帽に風穴が空く。真っ青になった臣下を睨みつけ、ブラウンシュヴァイク公は狂気を帯びた声で吐き捨てる。

 

 

「それがどうした。これは戦争なのだぞ。人が死ぬのは当然ではないか」

 

 

 憤怒の表情を見せたブラウンシュヴァイク公に、戦慄する士官たち。メルカッツやリッテンハイム侯も流石に唖然としている。

 

 見かねたアンスバッハが主君を諌めるべく、再び勇気を振り絞った。

 

「窮鼠猫を噛むとも言います。あまり追いつめ過ぎれば却ってローエングラム侯とリヒテンラーデ公の団結を強める恐れが……」

 

「その時は敵艦隊に向けてガイエスハーケンだ。見ろ、敵はオーディンの被害を恐れて及び腰になっているではないか」

 

「しかし閣下、この距離では多くの味方が巻き添えになります」

 

「またそれか。ああ言えばこう言う。よく舌が回るものだ」

 

 老いた名門貴族は音高く舌打ちした。

 

「よいか、儂とて好きでこうしている訳ではない。貴様らが不甲斐無いからだ。敵の1.5倍もの兵力とガイエスブルク要塞をもってしても、金髪の孺子にいいように翻弄されるとは」

 

「それは……」

 

「貴様ら“軍事の専門家”とやらは結局、目先の損失を恐れてみすみす勝機を失った。戦いには非情さも必要だ。味方の損害を恐れて及び腰になれば、結局は勝機を逃して更に多くの損害を被ることになる」

 

 

 痛い点を突く言葉だった。もちろん弁解の余地や公爵の勘違いを幾らでも指摘する事は出来ようが、彼らには公爵を納得させられるだけの実績を持ち合わせていなかった。敵を上回る兵力を持ちながら、ローエングラム公の巧みな用兵に翻弄されていたのは事実なのだから。

 

 

 異議を唱えづらい空気の中、勇気を振り絞ったのかあるいは傲慢さなのかは不明だが、敢えて異論を挟んだのはまたもやリッテンハイム侯であった。

 

 

「帝都にいるのは平民ばかりではない。中立派の貴族や、リヒテンラーデに捕らえられた一族の者も多くいる。彼らを巻き込んでしまったらどうするのだ?」

 

 

 貴族内のマウンティング合戦の色が見え隠れしているとはいえ、唯一ブラウンシュヴァイク公と対等に渡り合えるリッテンハイム侯の口から、比較的まともな反論が出たことにメルカッツら正規軍将兵は安堵する。

 

 だが、すぐにその淡い安心感は打ち砕かれる事になった。

 

 

「貴様はクライスト大将から何も学ばなかったのか? 戦に犠牲はつきものだ。大の為に小を殺すことは止むをえまい」

 

「血迷ったか、ブラウンシュヴァイク!? 味方殺しなどしてみろ、栄光ある我ら帝国貴族の顔に泥を塗ることになるぞ!」

 

 

 特権意識の塊のようなリッテンハイム侯が言っても今更な気もするが、その薄っぺらい建前論ですらマトモに聞こえるほど、ブラウンシュヴァイク公の発言は常軌を逸していた。

 

 元々が生まれついての特権階級なのだ。平民出身の兵士はおろか貴族の命ですら、もはや歯牙にもかけていないのだろう。それがオーディンを前にしたことで建前という仮面が弾け飛び、「あと少しで自分の娘を皇帝位に就けることが出来る」という剥きだしの本音が鎌首をもたげたのだ。

 

 

 ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵の議論はヒートアップしていき、ついには罵倒合戦を繰り広げるまでになっていた。

 

「この臆病者め! あの金髪の孺子さえ吹き飛ばせば我が軍の勝利だ。その程度のことが何故わからんのだ!」

 

「貴様ひとりだけ抜け駆けしようとしたってそうはいかんぞ! この野蛮人!」

 

「人の足を引っ張るだけが能のない意気地なしがよう吠えるわ。戦は機を見るに敏と言う。今こそが金髪の孺子を仕留める、千載一遇の機会であることが分からんのか!」

 

 

「馬鹿馬鹿しい。付き合ってられん! 儂は関わらんぞ! やるなら貴様が一人でやれ!! もう我慢の限界だ! ここを出るぞ、サビーネ」

 

「はい! 父上!」

 

 

 ついにリッテンハイム侯が匙を投げた。メルカッツらが止める間もなく、さっさと娘のサビーネほか取り巻きの貴族たちと一緒に司令室を退出してしまう。

 

 

「あんな腰抜けなど放っておけ! 儂がオーディンを占領したら、敵前逃亡の罪で縛り首にしてやる! リッテンハイムと一緒に心中したい奴はまだいるか!?」

 

 

 ブラウンシュヴァイク公がじろり、と司令室を見渡す。

 

 

「帝国に反旗を翻した以上、儂らに残された道は2つだけだ! 儂が銀河帝国の新たな主となってその下で勝者となるか、敗北して金髪の孺子に逆賊として殺されるか、ふたつにひとつだ! よいか皆の者、覚悟を決めよ!」

 

 

 非常識と誇大妄想も徹底的に突き詰めていけば、立派な乱世の梟雄と化すのかもしれない。その意味ではブラウンシュヴァイク公もまた悪い意味での英雄としての素養を持っていた。

 

 賽は投げられた。こうなってしまえば、もはや宮廷貴族と門閥貴族の権力闘争では済まされない。生きるか死ぬかの究極の選択を突きつけられた幕僚たちは、絶望と恐怖の中に立ち尽くすしかない。

 

 

 もはや逆らう者はいなかった。オペレーターたちはそれそれのコンソールにしがみ付き、機械的に指を動かした。砲術長がひび割れた声で報告する。

 

 

「しゃ、射撃準備を完了いたしました」

 

「よし、ならばすぐに撃つがよい」

 

 

 それから数秒と経たない内に、ガイエスブルク要塞がオーディンの平民居住区に照準を合わせ、眩い光が放たれた―――。

       




ブラウンシュヴァイク公 怒りのガイエスブルク


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13.リヒテンラーデの大安売り

            

 帝都に住む数億の住民は神々の黄昏ラグナロクを思い起こさせる光景に恐怖しながら、自分たちの頭上で繰り広げられる地獄の芸術をただ見ていることしかできない。

 

 

 銀河帝国の中心惑星たる帝都オーディンとはいえ、そこに住む人々の大半はごく普通の平民たちだ。

 もちろんルドルフ大帝以来の伝統により、とりわけゲルマン系の特徴を備えた金髪碧眼白色人種に偏っている節はあるが、それでも大半の平民たちはごく平凡でありきたりな毎日を送っていた。

 

 

 一応は皇帝のお膝元ということもあり、オーディンに住む特権といえば戦乱と無縁であることぐらいのものだったが、今やそれも過去の事となった。

 

 

 

 ブラウンシュヴァイク公の命令で発射されたガイエスハーケンの一撃は、ただの一度の砲撃で街ひとつを巨大な瓦礫の山に変えてしまった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「っ………!」

 

 なんの警告も無しにガイエスブルク要塞からオーディンに向けて主砲が放たれた時、ラインハルトの心に浮かんだのはある種の驚きであった。

 

 オーディンに向けてガイエスハーケンが放たれた、という事にではない。

 

 今のブラウンシュヴァイク公は、何をしでかすか分からない爆弾のようなものだ。だから2時間の猶予を与えると言っておきながら、それを平然と無視しても不思議は無かった。

 

 むしろ清濁併せ持とうと努めながらも、結局は邪道を避け、潔癖にこだわったばかりにその裏をかかれてしまったこと、そしてそれを成し遂げたのが小物でしかないと思っていたブラウンシュヴァイク公であった事であった。

 

(歴史は勝者が作る……俺はこれまで勝ち方ばかりにこだわり、負ける可能性を考えてもいなかった。負ける可能性があると、手段を選ぶなどという贅沢は出来なくなるということか……)

 

 ラインハルトはぎゅっと拳を握りしめる。

 

 

「オーディンの被害を報告せよ!」

 

 

「第7地区が完全に破壊されました!」

 

 モニターを見ていた士官が悲痛な声をあげた。

 

「今の一撃で、およそ40万人のオーディン市民が死亡したと思われます! 続く火災や停電で、他の地区にも二次被害が拡大している模様!」

 

 

「オーディンの事はリヒテンラーデに任せておけ。それより二度目を撃たせないよう、全艦隊の砲撃をガイエスブルク要塞に集中せよ」

 

 

 ラインハルトの額に冷たい汗が浮かんだ。

 

 

(……姉上)

 

 

 ラインハルトは覇道を進むことを覚悟し、必要な犠牲なら厭わぬ覚悟もある。必要であればオーベルシュタインの冷徹非情な策に従って粛清を行うこともあるし、味方の犠牲が出る事を承知で作戦を立てることもある。

 

 同盟の帝国領侵攻作戦では住民から食糧を巻き上げることで同盟の兵站を破壊したが、それによって生じた暴動や食糧不足で多くの住民が死亡したこともまた事実である。

 

 

 しかし、それは少なくともラインハルトにとって「必要な犠牲」であった。より多くを救うための必要な犠牲―――例えそこに自らの家族が入っておらず、偽善だとしても無意味な大量殺戮を命じるつもりはない。

 

 だが、ブラウンシュヴァイク公はあっさりとそれを踏みにじった。ラインハルトの眼前で展開されているのは、およそ会戦などという上等なものではない。戦術とも用兵と無縁な殺し合いに過ぎなかった。

 

 「門閥貴族共は戦術というものをご存じない」とラインハルト陣営は高をくくっていたが、戦術以下の単純な虐殺であれば充分にその力を発揮していた。

 

 

 威風堂々と15万隻の大艦隊を率いて星の大海を征くべき貴族連合軍は、いまや凶暴な肉食恐竜と化して形あるものを全て貪り食っている。その姿には尊厳の欠片も無い。戦略的な意味も、戦術的な必要も無視して、破壊者の牙をそこかしこに突き立てているだけだ。

 

 

 宇宙は広いのだ、とラインハルトは改めて知った。自分よりも更に非常識で、おまけに非人道的な体制の破壊者があろうことか門閥貴族の中から現れ、ゴールデンバウム王朝を破壊しつつある。

 

 ――授業料は高くついた。だが、その分だけ常勝の英雄は成長する。

 

 

 ラインハルトはすぐさま部下を呼び出した。

 

 

「リヒテンラーデに繋げ。今すぐにだ!」

 

 

 ***

 

 

 ちょうどそのころ、惑星オーディンでは数世紀の間に経験したことのない未曽有の混乱が全土を覆ってた。

 

 それは直接被害を受けた平民たちばかりではない。新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)でも宮廷貴族たちが悲鳴を発し、慌てふためいた宮廷官僚たちが逃げ惑っていた。

 

 

「このままでは帝国が滅びてしまうぞ!」

 

「おお神よ、こんな事があってよいのか……」

 

「ローエングラム侯は何をしているんだ!?」

 

 

 市街地では平民がパニックに陥り、催涙ガスやライオットシールドを突破しながら、憲兵隊めがけて殺到している。一部では実弾が使用されるも、すぐに膨大な数の群衆に飲み込まれていき、倒れた憲兵の上を無数の靴が乗り越えていった。

 

 

 首都が無秩序に覆われていく様子を、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の地下に設置された危機管理センターでクラウス・フォン・リヒテンラーデ侯が愕然としながら眺めていた。

 

 

「ガイエスハーケンが再び発射されました! 第7区に続いて第3区も崩壊……!」

 

 

 ヒステリックな報告が地下室中に轟く。隅の方ではエルウィン・ヨーゼフ帝やお付の女官たちが震え、ラインハルトの姉であるグリューネワルト伯爵夫人も顔面蒼白で立ち尽くしている。

 

 

「どいつもこいつも、寄ってたかって帝国に仇を為そうと……!」

 

 

 宇宙を支配し、人類の頂点に君臨したゴールデンバウム王朝500年の歴史が終わろうとしている。

 

 亡きフリードリヒ4世が望んだような「せいぜい華麗に滅びるがよい」という言葉からは程遠く、混乱と無秩序のまま無様に滅びようとしているのだ。

 

 

 惑星オーディンでは情報が錯綜し、恐怖と恐慌に溢れかえっていた。何を信じたらいい変わらないまま人々はぶつかり合い、感情のままに殴り合った。ゴム弾や催涙弾を使った憲兵隊の威嚇射撃はとうに効果を失い、レーザーや実弾を使った正規軍の鎮圧作戦が始まっていた。

 

 磨き上げられたレンガ造りの街路に血が流れ、老人や幼児が倒れ込み、その上を戦車や装甲車が死体を踏みつけていく。一方で逆上した市民は軍用車両を取り囲み、火炎瓶を投げこみ、そこかしこにひっくり返った車両でや瓦礫で作られたバリケードが築かれていた。

 

 

「この期に及んで内ゲバとは……馬鹿者共め! ええい、どこかに味方はおらんのか!?」

 

 

 リヒテンラーでの悲鳴に、しかし答える声はない。どこの部署も同時多発的に発生する大惨事への対応で手一杯だったからだ。

 それは惑星オーディン、ひいては銀河帝国を支配するゴールデンバウム王朝の統治能力低下をまざまざと世に示しているかのようであった。

 

「閣下! ローエングラム侯から秘匿通信です!」

 

 ラインハルトから通信があったのは、その時であった。

 

「ローエングラム侯だと!? あの口先だけの無能め、今更いったい何の用だ!?」

 

 リヒテンラーデはそう毒づくと、ひったくるようにしてオペレーターからデバイスを取り上げる。

 

「――――」

 

 二人の間でどのようなやりとりが交わされたのかは、今もって詳細は分からない。しかし短いやり取りが交わされたのち、通信が切れてリヒテンラーデが何かを決心したことだけは確かであった。

 

 周囲が恐る恐る見守る中、リヒテンラーデは大きく深呼吸した。

 

 

「っ…………こうなっては、儂も腹をくくるしかないか」

 

 

 リヒテンラーデ侯は憮然として呟いた。彼にもまた、今まで内務・宮内・財務尚書・宰相代理という重職を歴任して帝国を支えてきたという自負がある。このまま門閥貴族の暴挙に黙って押し潰されるつもりはなかった。

 

 

「全ての通信回線に繋げ! これより皇帝陛下のお言葉を伝える!」

 

 

 緊張の電撃が周囲に走った。もちろん幼いエルウィン・ヨーゼフ帝は何も発言などしていない。

 

 これほどあからさまな、君主をないがしろにした「虎の威を借りる狐」というのも珍しいものだが、老宰相に手段を選んでいる余裕は無かった。

 

 

「オーディンにいる、全ての将兵に告ぐ!これは勅命である!」

 

 

 大声を出す必要も無かったはずだが、リヒテンラーデ侯の声は雷鳴の轟きを伴って、あらゆる通信回線を揺るがせた。

 

 

 

「この際、身分は問わぬ! 誰でも構わぬから、逆賊ブラウンシュヴァイク公オットーの首を獲るのだ! さすれば身分も2つ昇進させた上で、一生かかっても使い切れぬ賞金と両手いっぱいの勲章、そして居住可能な惑星を含む星系1つ分の領地を与える!」

 

 

 

 ゴールデンバウム王朝が店じまいする前の、特大級のバーゲンセールであった。

 

 後に「リヒテンラーデの大安売り」として銀河の歴史に記録される、今なお議論を呼ぶ不名誉かつ現実的な起死回生の一手であった。

            




 タイトルが紛らわしいけど、リヒテンラーデは安売りしてる側の人間です。安売りされてる側ではないので、間違いの無いよう。

 陛下の大御心を騙るのは基本。要塞は内側から崩すのも基本。


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14.ペンは剣よりも強し

      

 「ペンは剣よりも強し」という古い諺にもあるように、時としてひとつの言葉は万の兵士よりも強い力を発揮することがある。

 

 リヒテンラーデ侯の発した通告によって、ガイエスブルク要塞の中では大きな動揺が生じていた。

 ブラウンシュヴァイク公の暴挙によって二者択一を突きつけられ、ヤケクソで熱に浮かされていたように戦っていた兵士たちの心に、再び冷静な迷いが生じたのである。

 

 

 ――このままガイエスブルク要塞と15万隻の大艦隊の数を頼みに無差別波状攻撃をかければ、オーディンを征服して内乱の勝者となれるのかもしれない。

 

 

 だが、そうなると最高権力者の座につくのはブラウンシュヴァイク公である。惑星オーディンの平民居住区に向けて無差別砲撃を撃ちこみ、敵味方をまとめて吹き飛ばすような戦い方をする男が、銀河帝国の頂点に立つのだ。

 

 

 たとえ勝利してもそれは血塗られた勝利であり、そして実際に血を流すのは自分たち平民である。いかに勝ち馬に乗ったとして、その先はどうなるのだろうか? ひょっとしたら自分たちは、とんでもない男を勝たせようとしているのではないのか――?

 

 

 こうした動揺は、門閥貴族の中にも広がっていた。

 

 

 特に、日頃からブラウンシュヴァイク公と対立していたリッテンハイム侯は、強い危機感を覚えていた。

 

 このまま戦いが推移すれば、リップシュタット貴族連合軍は勝利するだろうが、リッテンハイム侯爵家は敗北する。味方ごと敵を吹き飛ばしてローエングラム侯の討伐軍に大損害を与えたのも、ガイエスハーケンを撃ちこんで惑星オーディンごと人質にとって戦を有利に進めたのも、全てはブラウンシュヴァイク公の功績になるからだ。 

 

 

 ――このまま何もしなければ、勝者はブラウンシュヴァイク公になる。

 

 

 そうなればリッテンハイム侯爵家はもうお終いだ。リップシュタット戦役の初期においてリッテンハイム家が行った資金援助や、私兵を率いて加勢したといった功績は都合よく無視されるだろう。

 

 

 ブラウンシュヴァイク公はもともと、そこまで寛大な男ではない。もしリヒテンラーデとラインハルトに門閥貴族連合が勝利すれば、次に起こるのは貴族同士の争いだ。

 

 

「……そうはいくものか」

 

 リッテンハイム侯の脳裏にチラついたのは、「失脚」の二文字だ。名門貴族として長年、魑魅魍魎の跋扈する貴族の政界で生き抜いてきたリッテンハイム侯爵にとって、政争で負けた者の末路は明らかだった。

 

 

「父上! あれを!」

 

 膝を抱えて悩んでいると、娘であるサビーネのヒステリックな声が轟いた。サビーネのほっそりとした指は震えており、それが指し示す先にあったのは小型監視カメラの映像であった。

 

「あれは……っ!?」

 

 そこに映し出されていたのは、黒い装甲服を着込んだ一団だった。先頭には白いケープを羽織ったオーソン・クレニック大将の姿が見える。

 

 

「“デス・トルーパー”隊だと……!?」

 

 

 リッテンハイム侯の声に怯えの色が混じる。

 

 デス・トルーパー隊は、クレニックの個人的な護衛部隊だ。不気味な輝きを放つ黒い特殊な装甲服に身を包み、戦斧と高威力のブラスター・ライフルで武装している。彼らは任務を確実に遂行出来るように特殊な訓練を施されており、戦闘能力・状況判断能力は一般兵の比ではない。

 

 

(ブラウンシュヴァイクめ……ついにこの儂を排除しに来たか!)

 

 

 ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム3世は決断を迫られていた。

 

 

 ウィルヘルムは基本的に豪胆な男ではない。先祖を辿れば武門の家に行き着くブラウンシュヴァイク家と違って、リッテンハイム家のルーツは銀行業で財を為した富豪の家系である。そのため荒事はあまり好まず、家でもフリードリヒ4世の娘である妻クリスティーネに頭が上がらない。

 

 そんな小心者のウィルヘルムではあったが、個人としての性格はともかくとして、名門リッテンハイム侯爵家の長男として体に染みついた貴族教育はそう簡単に抜けるものでもなかった。

 

 ――すなわち、一個人の幸福よりも一族の名誉と繁栄、である。

 

 彼の命は彼だけのものではない。領地や領民と同じく、リッテンハイム侯爵家が先祖代々受け継いできた大事な財産のひとつである。華麗に滅びるならともかく、無様な滅びは許されない。

 

 

「……こうなったら、消される前に消してやる。せめて道連れにするまで死ねるものか」

 

 

 いつかはこうなる日が来ると、薄々感づいていたのだろうか。ついに“その時”が来たことを悟ると、後は驚くほどあっさりと覚悟が決まった。

 

 リッテンハイム侯は反逆を決心すると、選りすぐりの部下を武装して引き連れてクレニックを待ち受けた。

 

 こっそり逃げよう、などと無駄なあがきはしない。改造されたガイエスブルク要塞はクレニックの庭も同然だからだ。主な脱出口はとうに封鎖されているだろう。

 

 

 やがて現れたのは、10人ほどのデス・トルーパーを引き連れたオーソン・クレニックであった。

 

 

「これはこれは、リッテンハイム侯爵閣下」

 

 

 クレニックは軽く敬礼してみせるも、その眼は油断なくリッテンハイム侯とその衛兵に向けられている。

 

 

「ブラウンシュヴァイク公の命により、御身とご息女の身柄を拘束させていただきます」

 

「無礼者! 誰に向かって口をきいておるのだ!」

 

 よく通る声でサビーネが激昂する。しかし流石に緊張しているのか、表情に余裕が無いのが見え見えだ。鍛えて引き締まった体も小刻みに震えており、それがかえってクレニックを苦笑させた。

 

 一方のリッテンハイム侯の方はというと、覚悟を決めたおかげか娘よりはいくばくか落ち着いており、向けられた銃口の数を数えながら椅子から立ち上がった。

 

「拘束とはオットーも随分な暴挙に出たものよ。して、理由は?」

 

「“銀河帝国の正当な後継者”に対する、反逆罪です」

 

「すでに勝ったつもりか。笑わせる」

 

 あざけるような返答に、クレニックは軽く肩をすくめた。

 

「実際、私の要塞はオーディンを射程圏内に収めた。最大出力で主砲を放てば新無憂宮はただの一撃で吹き飛ぶ」

 

 リッテンハイム侯は声を立てて笑った。

 

「“私の要塞”か。貴公は相変わらずだな。正確にはブラウンシュヴァイク家の所有物だったはずだが。そのような不遜な発言がオットーの耳に入れば、縛り首にされても文句は言えぬぞ」

 

「かもしれませんな。もっとも、ブラウンシュヴァイク公の耳に入る前に、それを知る者を撃つことも出来るのですが」

 

 抵抗されたのでやむを得ず、とでも言えばブラウンシュヴァイク公も正当防衛をお認めになるでしょう―――クレニックがそう告げると、デス・トルーパー達が一斉にブラスター・ライフルを構えた。

 

 すぐさまリッテンハイム親子を守るように、侯爵に忠実な家臣たちや私兵たちも銃を構え、一触即発の空気が漂う。

 

 

「ここで殺し合うつもりか? クレニック大将」

 

 張りつめた緊張の中、リッテンハイム侯が努めて冷静な声で問う。

 

「さぞブラウンシュヴァイク公が喜ぶだろう。彼にとっての邪魔者が二人も消えるのだからな」

 

「………」

 

 わずかにクレニックの顔が曇った。

 

 図らずも今回の内戦で最大級の功績をあげたのはクレニックの宇宙要塞であり、それは誰もが認めざるを得ないところだ。

 

 だが、ひとたび内戦がブラウンシュヴァイク公の一人勝ちに終われば、随一の功績を立てたクレニックはむしろ煙たい存在となる。狡兎死して走狗烹らる、という奴だ。

 

「リヒテンラーデと金髪の孺子が死に、この儂までが処刑されれば、もはやオットーを止めるものはおらぬぞ。いや、むしろ貴様がその役を期待されるだろう」

 

「買いかぶり過ぎですよ。私は単なる技術屋に過ぎません。ブラウンシュヴァイク公をお諫めするなど、恐れ多くてとてもとても」

 

「そうだろうな。貴様の望みは最強の要塞を作る事だということぐらい、儂にも分かっておるし、オットーとてその程度は知っておるだろう。だが、人が本人の意思ではなく、立場とその時々の状況で勝手に期待され、勝手に判断されてしまう事ぐらい、貴様とて知っているだろうに」

 

 クレニックはリッテンハイム侯の指摘の正しさを認めたが、それを表情に出すのは憚られた。その程度の事に気づいていなかった訳ではない。

 しかし、かといって積極的にリヒテンラーデやラインハルト、リッテンハイム侯の側につく理由も無かっただけのことだ。

 

 ここが勝負だ――リッテンハイム侯がずい、と前に進み出る。

 

 

「よく聞け、儂はリヒテンラーデに下る」

 




しれっと登場するデス・トルーパー隊。黒い装甲擲弾兵みたいなイメージで。

あとザビーネ様はフジリュー版のイメージです。顔は良いけど性格は門閥貴族のまま、増長して調子こいてたのが慌てふためくわ泣き叫ぶわで、どこぞの筆頭政務官っぽくてシオニストの作者に刺さる(どうでもいい)

リッテンハイム家の先祖云々の話は創作です。なんとなくブラウンシュヴァイク公がそこそこ軍事的才能あったのに対して、リッテンハイム侯はからっきしだったので、軍事貴族ではなくて経済力とかが権力基盤なのかなと。


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15.大妥協

  

 

「よく聞け、儂はリヒテンラーデに下る」

 

  

 リッテンハイム侯の言葉は、先ほどの「恩赦を出す」というリヒテンラーデの声明を受けての決断なのだろう。

 

「もちろん単に言葉を信じた訳ではない。あの老人には儂が必要だ。金髪の孺子に対する牽制も兼ねてな」

 

 天下三分の計、とでも言うべきか。中央の政治はリヒテンラーデが、そして中央の軍事はラインハルト、最後に地方行政をリッテンハイム侯という形で勢力均衡を維持する。

 誰かが大きく一人勝ちすることはないが、大きく負ける事も無い。リターンの最大化よりリスクの最小化に力点を置いた、現実的な青写真ではあった。

 

 

「ご息女を帝位に就ける、という野望は諦めたので?」

 

「サビーネを皇帝にするのは儂の悲願だ。だが、儂の個人的な望みのためにリッテンハイムの血を絶やすわけにはいかぬ。リッテンハイム家は何世紀も前から待っていたのだから、儂の代もまた待ち続けるぐらい訳ないことだ」

 

 

 門閥貴族は古い。彼らには先祖代々受け継いできた伝統と因習があり、時代錯誤と呼ばれようとそれを誇りに思っている。

 それゆえ個人の価値や価値観よりも、先代から受け継いだ価値観を重視し、同じく先祖より受け継いだ財産である特権・領地・地位を守り抜こうとする。その執念こそが、門閥貴族の強さの源なのだ。

 

 

 しばらくの間、沈黙があった。

 

 リッテンハイム侯は一歩も引く気配が無い。もしクレニックがブラウンシュヴァイク公から受けた命令を忠実に実行しようとすれば、銃撃戦は避けられないだろう。

 

(さて、どうしたものか……)

 

 クレニックは思案を巡らす。彼自身、どこかこうなる事を期待していたのかもしれない。だからこそブラウンシュヴァイク公がリッテンハイム侯の排除を決めた時、真っ先に名乗りを上げたのだ。

 

 加えてクレニックはまだリッテンハイム侯が“奥の手”を隠している事にも気づいていた。リッテンハイム侯とて、何の勝算も無いままヤケクソでブラウンシュヴァイク公に反旗を翻すはずがない。実際のところ“それ”が放たれれば、自分とデス・トルーパー隊だけでは荷が重いというのが本音であった。

 

 

「では閣下、このような形では如何でしょうか――」

 

 思ったよりリッテンハイム侯は使えそうだ……そう判断したクレニックが次の一手を打つのにそう長い時間はかからなかった。

 

  

 

 ***

 

 

 

「ふん、このような形で相まみえるとはな」

 

 

 

 失望したようなブラウンシュヴァイク公の声が、ガイエスブルク要塞の指揮管制室に響く。

 その中では数十名の兵士が銃を突きつけあい、今にも引き金に指をかけんと一触即発の状況であった。

 

 

「クレニック大将、よもや自分が状況をコントロールしているとは思っておるまいな」

 

「まさか」

 

 

 クレニックは油断なく銃を突きつけながら言い放つ。

 

 30分前、リッテンハイム侯を拘束したクレニックが指揮管制室に入ってきた。もちろん実際に逮捕したわけではなく、あくまでセキュリティを突破するための偽装だ。

 

 自己保身という点で利害の一致したクレニックとリッテンハイム侯は、共同戦線を張る一方、お互い裏切らないよう保険をかけた。

 

 実はクレニックの周囲にいるデス・トルーパーの中身はすべてリッテンハイム侯の部下に入れ替えられており、本物のデス・トルーパー隊員はザビーネと共に元の部屋に残したままだ。

 偽デス・トルーパーは常に油断なくクレニックを監視し、本物のデス・トルーパーは今もザビーネに銃を突き付けている。

 

 

 そうしてあっさりと疑われる事なくブラウンシュヴァイク公のいる部屋までやってきたクレニックとリッテンハイム侯は、部屋に入ってドアが閉まるやいなや銃をブラウンシュヴァイク公に突き付けた。

 

 

 

 だが、ブラウンシュヴァイク公に驚いた素振りはなかった。主君を庇うようにアンスバッハが前に出て、クレニックたちと向き合う。

 

「ついに本性を現したか。この裏切り者め」

 

 最初から貴様は胡散臭かった、とアンスバッハが告げる。

 

「主君が道を誤った場合、それを正すのも部下の役目では?」

 

 クレニックに皮肉っぽく返されるも、アンスバッハはそれに煽られるような事は無かった。あくまで主君を守るべく、油断なく周囲に目を配る。

 

 ブラウンシュヴァイク公が口を開いた。

 

 

「やはり最後に頼りになるは、昔からの忠臣だな。運気が昇っているときほど気を引き締めよ、というそなたの言葉を信じて正解だった」

 

 

 それが合図だった。ブラウンシュヴァイク公の背後にあった扉が勢いよく開くと、武装した人影が躍り込んでくる。数は16対30で、ブラウンシュヴァイク公の方が圧倒的に有利だ。

 

 

「クレニック長官、貴様にはまだ利用価値がある。悪いことは言わぬ、今からでもリッテンハイムを裏切って儂の側につけ」

 

「それは実に魅力的なお言葉ですが……あいにく私はまだ死にたくない」

 

 

 クレニックが陰気に笑い、ブラウンシュヴァイク公を取り巻く兵士たちを見渡した。

 

 

「勇敢なる兵士諸君、そちらこそ誰に付くか考えた方がいいぞ。家族や恋人がいるだろう。命を無駄に落とす事もあるまい」

 

 

 兵士たちの間に、動揺のさざなみが揺れた。クレニックはそれを見逃さず、迷っている兵士たちにトドメとなるべき言葉を告げた。

 

 

 

「君たちだって“ミンチ”にされたくは無かろう?」

 

 

 

 クレニックがそう告げると、壁が大きく揺れた。砲撃でどこかの区画が崩壊したのではない。物理的な別の力で、壁が力づくで破壊されてるのだ。

 

 

「まさか……」

 

 

 ブラウンシュヴァイク公を守るように油断なく武器を構えたアンスバッハ准将の脳裏に、最悪の予想がよぎった。その可能性を考えるだけで、全身にゾッとした感覚が襲い掛かってくる。

 

 

 次の瞬間、管制室の壁が吹き飛び、煙の向こうかに巨大な黒い影がちらついた。その影がゆっくりと近づいてくる。

 

 もちろん味方の援軍などではない。ドスン、ドスンと重量感のある地響きを鳴らしながら、影はその存在を強調するかのように影が近づいてきた。

 

 その足元には、自ら引き千切って殺害した死者の鮮血と内臓が散らばっていた。それを容赦なく踏み潰しながら、絶望が一直線に近づいてくる。

 

 

 

 それは―――。

 

 

「オフレッサー……上級大将…………ッ!?」

 

 

 アンスバッハの口から、掠れた声が漏れた。

 

 

 それは良く知った男だった。

 

 2メートル以上の巨躯を誇り、類稀なる白兵戦能力を誇る殺戮者。

 

 

「それで? 最初のフリカッセはどいつだ?」

 

 

 煙の中から悠然と現れたのは、装甲擲弾兵総監にして帝国軍上級大将「石器時代の勇者」ことオフレッサーであった。今度こそ本当に絶望がブラウンシュヴァイク公に襲い掛かる―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 それから1時間後、オーディンの上空で殺し合う両軍の通信網にリヒテンラーデの簡潔な命令が走った。

 

 

 

「直ちに停戦せよ! 皇帝陛下の御意である!」

 

 

 

 両軍はやや混乱しつつも、互いに距離を取りながら砲火を鎮めていく。

 

 

「双方の軍は共に戦闘隊形を解除し、主砲を凍結してそのまま動く事なかれ。これは陛下のお言葉である!」

 

 

 ついに終わった。誰が言うでもなく、ほっと安堵したような空気が戦場に満ちた。

 

 やっと終わるのだ。数万の犠牲を出した無意味な殺戮戦が、停戦という形で終わろうとしている。

 

 

「本日、リッテンハイム侯およびその配下の将兵は逆賊オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公を討ち取った功により、課せられていた罪状はこれを全て無効とする。リッテンハイム侯はその功績により公爵へ昇進、加えてオフレッサー上級大将もまた同功績により伯爵の階級と領地を与える。なお軍に属する将兵についてもその罪を免じるものである。全員、速やかに原隊へ復帰せよ」

 

 

 すなわち、「条件付き降伏」という妥協の産物であった。

 

 

 こうして最悪の事態――オーディンでの大量殺戮戦――が回避されたことでリヒテンラーデは一躍、時の人となった。老宰相は「虐殺は回避された!」と盛んに喧伝し、多くのオーディン市民の賞賛を浴びる。

 

 一方でラインハルトやオフレッサーといったタカ派軍人の間には不満が燻り、特にオフレッサーは和平の立役者でありながら「リッテンハイムに騙された。奴は“一緒にクーデターを起こさないか”としか言わなかった」と事あるごとに不満を周囲に漏らしていたという。結局、クーデターは達成されたのだが、その後の展開はオフレッサーが望むものではなかった。

 

 また、リッテンハイム侯は公爵の地位に格上げされると共に所領も増加し、銀河帝国の貴族議会たる元老院の議長に就任した。一方でエルウィン・ヨーゼフ帝の即位については元老院の同意の下、これを承認して後日、ゴールデンバウム朝・第37代皇帝エルウィン・ヨーゼフ2世として戴冠式が行われた。

 

 

 かくしてリップシュタット戦役は終結し、さしたる混乱もないままスムーズに戦後処理が行われ、この事件を「グロース・アウスグライヒ(大妥協)」と呼ぶのが後のメディアでは一般化するようになる。

 

 以降、ゴールデンバウム朝銀河帝国は宰相リヒテンラーデ、宇宙軍最高司令官ラインハルト、元老院長リッテンハイムの3名による「三頭政治」へと移行したのであった。

  




 オフレッサーのBGMはインペリアル・マーチでお願いします。


 なんだがモヤモヤの残る終わり方かもしれませんが、リップシュタット戦役を「平民派vs門閥貴族派」の争いだと考えるとどちらかが滅ぶまで殺し合うしかなくなる一方、
リヒテンラーデ(宮廷貴族派)&ラインハルト(軍閥・平民派)の連合vsブラウンシュヴァイク(門閥貴族強硬派)&リッテンハイム(門閥貴族穏健派)の連合という4派閥の争いという風にとらえると、一番やべー奴を排除するために妥協、という線も無くはないかなと。

 個人的に原作のリヒテンラーデがラインハルト野放しにしてたのがちょっと引っかかってたので、「リヒテンラーデがラインハルトを潜在的な敵としてもっと意識してれば門閥貴族と妥協したのでは?」という思考実験からこのような結果になりました。

 あと単純に銀英伝の世界で「三頭政治」がやってみたかった(本音)


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