ジャクソンの見た夢は (チームメイト)
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こうしてオレはボーダーへと入る。

香取隊が好きなので、香取隊が中心の二次創作です。

投稿した話についてのあれこれは、後書きではなく投稿時に更新する活動報告の中で触れる予定です。苦手な方などはご注意ください。


「若村ー」

「どうした香取?」

「ちょっと相談があるんだけどいいかな」

 

 日が落ちるのがすっかり遅くなり、夕方になっても中々気温が下がらなくなってきた6月のとある日。

 絵にかいたような夕陽が赤く染める放課後の教室で、親友と呼んでいい友と向き合っていた。

 

 これが男女だったら告白するには絶好の状況だけに、目の前の男が何を言い出すのかが正直、少し怖い。

 

 さっきまで集団でワイワイ雑談していた時は何も言わなかったくせに、1人抜け2人抜け、ついに2人っきりになったところで持ち出すあたり少しどころではないかもしれない。

 

「なんだ? 珍しいな」

 

 できるだけ平静を装いつつ話を促す。

 奴は、頬を赤く染めて鼻を軽く指でかくという、できれば辞めて欲しかった仕草を1つ入れて、こう言った。

 

「俺、ボーダーに入ろうかと思うんだ」

 

 とりあえず最悪の事態は避けられたらしい。

 これが全ての始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 三門市。

 

 特産品は三門みかん。いや、それはどうでもいい。

 

 異世界へのゲートがある日突然開き「近界民(ネイバー)」という侵略者に蹂躙された街である。

 

 あわや三門市は壊滅かと思われたが、そこに「ボーダー」という近界民(ネイバー)から守る集団が現れたことにより、壊滅することは免れた。

 

 だが被害は大きく、特に東三門はほぼ壊滅状態で、近界民(ネイバー)の侵略が落ち着くまでに、犠牲者1200人以上、行方不明者400人以上という大惨事だった。

 

 大量の近界民(ネイバー)が一度に現れたのはその時だけだったが、その後も近界民(ネイバー)からの侵攻は散発的に続いている。

 それに対抗してボーダーは三門市に基地を作り、近界民(ネイバー)の現れる地域をどうやってかは知らないが基地周辺の警戒地域というクッション地帯に限定することにより、近界民(ネイバー)の侵攻から三門市を守るようになった。

 

 それから2年。(ゲート)は未だに開いているが、ボーダーの活躍により三門市は、危うさも残りながらもとりあえずの平穏を取り戻していた。

 

 

 幸いと言っては、被害にあった方々に申し訳ないが、オレ若村麓郎(わかむらろくろう)の家は、特に被害に遭わずに済んだ。

 災害が落ち着いて再開された学校で、友人の何人かの姿を二度と見れなくなったのは悲しかったし、被害に直接遭わずとも街を離れる連中もいたが、あんなSF世界から飛び出しました、みたいな集団が襲ってくるのを目の当たりにしては仕方のないことだと思う。

 

 オレの親父も三門市を離れることを考えたらしいが、仮に街を離れる場合に転居費の全額が補助されるのは、警戒地域内の住民か、近界民(ネイバー)からの被害により住宅に半壊以上の被害を受けた住民だけで、それ以外に対しては多少の補助金が下りる程度だったらしい。

 

 つまり何が言いたいかというと、仮に三門市を離れた場合、家と土地がよほど高値で売れない限りローンの返済だけが残るという悲しい現実が待っていたのだ。

 親父は泣く泣く離れることを諦めて今に至ってしまった。

 

 まあ、ボーダーが近界民(ネイバー)を防いでいる限り、警報や爆発音などは余計だが、それに慣れてさえしまえば他所とは変わらない生活を送れているのでよしとしよう。

 それに、今は近界民(ネイバー)からの(ゲート)をボーダーが三門市だけに留めているが、いつ三門市以外が襲われるのかもよく分からないので、それならボーダーのいる三門市に居る方が下手すれば安心かもしれない。

 

 三門市と近界民(ネイバー)とボーダーの関係を簡単に説明すればこんなもんだ。

 

 

「で、なんでこの時期にボーダーに入るんだ?」

 

 付け加えるなら、ボーダーは近界民(ネイバー)から街を守る隊員を常に募集しており、目の前のどちらかといえば冴えない部類に入るであろう友がボーダーに入りたいとはそういうことだろう。

 

「この時期って?」

「オレ達は受験生だぞ。勉強どころでそれどころじゃねえだろ。夏にどこの塾に通うか決めたのかよ」

「あー、それもあったなぁ」

「あったなぁじゃねえよ」

 

 いかにも忘れてました、みたいな反応するんじゃねえよ。

 

「ごめんごめん。正直それどころじゃなくてさ」

「お前がボーダーに入りたいって何があったんだよ。話だけなら聞いてやるからさっさと話せ」

「冷たいなぁ」

「どっちがだよ」

 

 これでも香取とは同じ高校に行く約束をした仲だ。目指す高校は少し背伸びした進学校だけに、夏にどれだけ成績を伸ばせるかが合否にそのまま直結する。オレよりも成績がやや落ちる香取はなおさら必死に頑張ってもらわないとまずい。

 だが、目の前の男はそんなもん二の次だったようだ。

 

「いやさ、葉子がボーダーに入りたいって言っていて」

 

 これが彼女だったらリア充爆発しろって感じだが、オレの親友に限ってそれはない。

 

「葉子ってお前の妹だよな?」

 

 香取の家には何度も遊びに行ったことがあるので、家族構成は把握していた。

 確か1個下の妹だ。

 見た目は良いが……って感じの妹だったはずだ。

 

「そうだよ。それを父さんが反対しててさ」

「まあ、反対するだろうな」

 

 香取の家における香取の妹の可愛がられっぷりは異常だ。確か近界民(ネイバー)による災害前だからもう2年以上前だが、ある日香取の家に遊びに行ったら部屋の配置が妹と香取とで入れ替わっていた。

 その時にちょっとしたトラブルがあって、おかげでメガネを新調する羽目に……ってこの話は話の筋からそれるか。

 

 

 なぜ、部屋の配置換えが起きたのかというと、香取の妹がそれを望んだかららしい。

 

 それを聞いた時は、いやねーよって感じだったが、香取はそれを受け入れて部屋を交換するぐらいには妹のことを溺愛しているという話だ。話を聞く限りでは、父親も母親も賛成したらしいので、香取家の中での香取の妹の溺愛されっぷりが分かるというものだ。

 

 その溺愛されている香取妹が近界民(ネイバー)と戦うボーダーに参加するなんて言い出したらどうなるか。香取父が反対する姿は簡単に想像できた。

 

「親の許可がいるんだったか?」

「そうそう。未成年や学生は親の許可が無いとダメって規則だからね」

 

 一種の軍隊みたいなもんだからそんなもんだろう。

 

「とりあえず反対しとけばそのうち葉子も諦めるだろうって思ってたんだけど、今回はどうにも違って」

「粘っている、と」

「うん、そんな感じというか、もう1年以上ボーダーに入れろって騒いでて」

「1年もか」

「毎日ってわけじゃないけど、週に一度は父さんと葉子で言い合いになっている感じ」

「それはいい迷惑だな」

 

 しばらく顔を見ていないが、優しそうな親父さんと生意気そうな妹じゃ、親父さんも大変だろう。香取は香取で大人しいタイプだし、妹が一方的に近い形で騒いでいるに違いない。少しだけ同情する。

 

「さすがに父さんも根負けして、条件付きで認めることになったんだけど……」

「だけど?」

「その条件が、俺も一緒にボーダーに入るならって条件でさ」

 

 ああ、なるほど。それは少しと言わずに同情してもいいかもしれない。

 

「でも、俺だけだと怖いし若村と一緒がいいなぁって」

「そこにオレを巻き込むのかよ」

 

 前言撤回。同情なんかする価値は無かった。

 

「頼むよー、若村ぐらいしか頼めないし」

「他にもいるだろ」

「葉子のこと知ってて巻き込めそうなのは、若村しか居ないんだよ」

「巻き込むって素直だな、おい」

 

 ああ、なぜオレはこいつの友人をやっているんだろうか。

 ずれ落ちそうになったメガネを中指で整え、小さくため息をついた。

 

「頼むよー、俺と一緒にボーダー入ってよー」

「オレは、一緒に夏期講習に行きたいんだが」

「ボーダーって頑張ればお金も貰えるらしいよ」

「勉強だって頑張って特待生で入れば高校から貰えるだろ」

 

 今の頑張って合格を目指すオレ達の状況じゃ、絶対に無理だろうけどな。

 

「若村のこと、俺は親友だと思ってるよ」

「オレも香取のこと親友だと思ってたよ」

「過去形!?」

「誰のせいだ」

 

 せめて夏期講習のことを覚えていたら印象もまた違ったんだが、忘れていた奴をオレは親友とは呼ばない。

 

「葉子一人じゃ心配だし、だからと言って俺が一緒に入って何か変わるわけでもないだろ?」

「それはそうだな」

 

 香取は大人しい文化系って感じで、運動は不得意だ。

 別にオレも得意というわけではないが、まだオレの方がマシなはずだ。

 

「俺一人なら死ぬよ。絶対に死ぬよ。後味悪いよ、いいの?」

「説得の仕方が最悪過ぎる」

「分かった。俺は若村が居てくれたら助かったのにって思いながら死ぬよ」

「やめろって」

 

 くにくにと軟体生物みたいに身体をくねらせながら倒れこむな。つーか、柔軟性すげえな、それだけ動けたら死なないだろ。

 

「そんな危険なことに親友を巻き込むなよ」

「いやー、俺も詳しくは知らないけど死ぬことは中々ないらしいけどね」

「死なないのかよ」

「そんなバンバン死んでたら未成年の隊員募集なんかできないって」

 

 まあ、それもそうなのか?

 

 確かに、ボーダー隊員に死者が出たという話はあまり聞いたことが無い気がする。やっていることは危険なはずなのに何故だ。

 よほど優秀なんだろうか。

 

「だからさ。頼むよ若村。俺を助けると思ってさ」

「だいたいそんなほいほい隊員になれるのかよ」

「入隊試験があるらしいけど……」

「オレも運動とか自信があるわけじゃねえぞ」

「病弱な人も受かってるみたいだから、あんまり関係ないみたい。ペーパーと面接重視なのかな?」

「それで大丈夫なのかよ、ボーダー」

 

 化け物連中相手に、勝った負けた……いや、負けられたら困るけど、をやる連中に体力が必要ないとかどんな特殊兵器だよ。

 というか、防衛隊員は10代がメインとかどんな防衛組織なんだ。

 

「分かった。じゃあ、受けるだけでもいいからさ。若村が落ちたらどうしようもないし、諦めもつくから一緒に受けてよ」

「……受かったらどうするんだよ」

「受かったら一緒に頑張ろうよ。才能があったってことだし、活かした方がさー」

「受験勉強は?」

「ボーダーに受かったら就職するみたいなもんだから大丈夫?」

「勉強しないのが前提かよ」

 

 どう考えても見積もりの甘い人生設計な気がしてならないが、香取が言うと不思議とそういうもんかって思えるのはこいつの人徳なんだろうか。

 しつこいのは香取妹という話だったが香取兄も大概しつこいな。この兄にして妹有りって感じなのかもしれない。

 

 根負けするのは非常にあれだが、いい加減話がループしそうなので折れてやることにして大きく肩を落とした。

 

「……ったく、仕方ねえか。親が反対しなかったら一緒に受けてやるよ」

「うん、さすが若村、話が分かる」

「やめろ、うっとうしい」

 

 どうやら入隊試験を受けなければ、香取を説得することは難しそうなので、とりあえず受けてみるしかないようだ。

 嬉しそうに手を掴んでくるのは、うっとうしいがコイツと同じ高校に通いたいというのは嘘じゃないしな。

 

「落ちたら夏期講習だからな?」

「うん、落ちたらどうしようもないし、塾をどこにするか考えとくよ」

 

 香取は本当に調子の良い奴だと思う。

 

 まあ、受かることなんか無いだろう。

 香取は受かる気まんまんっぽく話していたが、ボーダーの入隊試験の難易度は、結構高いようで、元運動部の中心選手だった生徒会長も落ちたというのは中学に伝わる噂話だ。

 勉強も運動も人望もオレより格段上の奴でも落ちる試験に、オレや香取なんかが受かるわけがない。

 

 2人揃って落ちれば、まあ、いい思い出になるだろう。

 

 

 

 

 なお、親への申し出はあっさりと通った。

 

 親父は、家に残されたローンを気にしており、自分で小遣いを稼いでくれるなら大賛成らしい。

 ボーダーをどっかのスーパーのバイトと同一視しているんじゃないだろうか。

 

 お袋は、夏季講習代を払わなくて済むのなら家計が助かると大喜びだった。

 気にするのはそこなのか正直疑問に感じてならない。

 

「え? 麓郎がボーダーに入って家にお金入れてくれるの? じゃあ、私大学に行ってもいいよね?」

 

 姉に至っては、誰も家にお金を入れるとは一言も言ってないのに、人の金をあてにして大学に進む気になっていた。

 万が一ボーダーに受かったら半分ぐらいは家に入れるつもりだったが、こうもあからさまに言われるのはどうなんだ。

 

「いい、あんた絶対に受かりなさいよ。落ちたら二度と若村家の敷居は跨がせないからね」

 

 あっという間に、記念受験とは言い出せない環境が誕生していた。オレの家族は香取の妹以上に色々とあれかもしれない。

 

 家族が反対してくれるのが断る口実としては一番楽だったのだが、そうは問屋が卸さないようだ。まあ、中途半端に反対されるよりはこれぐらい応援される方が良いのかもしれない。

 

 とりあえず、落ちても若村家の敷居を跨げますように、とだけ神様に祈りながら入隊試験に備えることとなった。

 

 

 

 

 

 ボーダーの入隊は広く応募を受け付けており、毎月行われる入隊試験の一週間前までに書類を投函すれば、受けられるらしい。

 

「だからと言って、8日前に声を掛けるか?」

「どう声掛けたらいいか迷ってさ。間に合うんだからいいじゃん」

 

 翌日、土曜日。

 

 ファーストフード店で合流し、適当に注文して座席に着き、食事を終えたところで本題に入った。

 

 応募に必要な書類を香取から受け取りながらメガネ越しに睨みつける。

 香取はひょうひょうと書類を渡すだけで一切気にするそぶりが見えない。

 

 ああ、やっぱり早まったんじゃないだろうか。

 

「親にサインして貰って今日中に三門市内から投函すれば間に合うから」

「香取はもう出したのか?」

「うん。葉子のと一緒に昨日出したよ」

「これでオレがやっぱりやめたってのは?」

「泣くよ? 俺泣くよ? 毎日若村の席まで行って泣くよ?」

 

 冗談だと思うが、香取が言うと絶対に冗談だと言い切れない怖さがある。

 毎朝登校したら、自分の席に座って泣く親友の姿があるとかどんな地獄だ。

 

「で、今日からどうするんだ?」

「どうするって?」

「学科試験と体力テストと面接があるんだろ。対策とかどうするんだよ」

「あーそっか。どうしよっか」

「何も考えてなかったのかよ」

「ごめんごめん、若村をどう説得するかでいっぱいいっぱいだったんだよ」

「昨日説得は終わっただろ」

「ほっとして全部終わった感がさ」

「これからだろっ」

 

 本当に、なんでこいつの親友なんかやってるんだろうか。

 なんとなく憎めないのが憎い。

 

「でもさ、あと1週間しかないよ?」

「誰のせいだよ」

「若村がごねるから」

「ごねてねえよ」

「夏期講習に行きたいってごねたじゃん」

「ごねたけど時間的には30分もごねてねえよ」

 

 オレが香取から入隊試験に誘われたのは昨日のことだ。

 それ以前はボーダーに入る気もなく、入隊試験の仕組みなんかも知らなかったんだからどうしようもない。

 

「この書類を破り捨てるぞ」

「ごめんごめん、俺が悪かった悪かったから一緒に応募しよ」

「最初から認めろよ」

「まあ、その書類破り捨ててもまだ予備があるんだけどね」

「用意周到過ぎるわ」

 

 なお、応募に必要な書類は三門市の役所に行けば貰えるものらしい。

 今日が土曜日じゃなければ自分で取りに行ったんだが、次の入隊試験に間に合わせるには今日香取から受け取るしかないという悲しさだ。

 

 昨日、親の説得に成功してしまってから、次の試験に間に合わないことに気づき、香取に『すまんが書類が無いから無理だわ』とメールを送ったら『若村の分は用意しているから大丈夫』と嬉しくもない返事が届いて今日こうしているというわけだ。

 

 この準備の良さを夏期講習に向けてくれたら言うことが無いんだが。

 

「どんな問題が出るかは知らんが、常識問題とかはやっておいた方がよくないか?」

「大丈夫だって、小学生でも受かることあるらしいから難しい問題は出ないはずだよ」

「ランニングとか柔軟とか身体を動かす準備ぐらいはしといた方がよくないか?」

「いきなり運動しても筋肉痛になるよ。万全な体調で挑む方がマシだよー」

「……面接の練習ぐらいはしといた方が」

「俺、緊張とかしない方だし別にいらないかな」

 

 そういえば香取はこういう奴だった。

 

 まあ、残り1週間じゃできることはたかが知れている。焦るよりは、香取みたいに堂々と構えていた方がマシかもしれない。

 こういう時に、色々と考えてしまうのはオレの悪い癖なんだろうか。

 

 面接とかマジで勘弁して欲しい。緊張して焦って頭が真っ白になる自信があるぐらいだ。

 

「なら落ちたときのことを考えてどこの塾に行くかを」

「やる前から落ちることを考えちゃダメだよ」

「…………」

「…………」

 

 つまり香取は、入隊試験に受かることだけ考えているから、今はとくに何かをする気は無いと。

 これはやる気があるっていうんだろうか、やる気がないっていうんだろうか。

 

「分かった。じゃあ、オレは書類出さないといけないから帰るぞ?」

「うん、よろしくねー」

 

 香取とはこの日はこれで離れた。

 

 このまま書類を出さずに済ませようかと思ったが、家族が応援する環境になっている我が家ではそれは無理だった。

 帰宅早々に、この日は家にいた両親から書類を寄こすように言われ、あっという間に必要事項が埋まった後に投函されてしまった。

 

 その間が僅か5分といえば、家族の本気っぷりがうかがえよう。

 

「……オレも香取を見習うか」

 

 なんとなく感じたやるせなさをどう消化するかでゴロゴロすることに決めた。

 

「麓郎。何やってるの?」

「なんだよ、姉貴」

「試験は来週でしょ? あんた走り込みに行ってきなさい」

「は?」

「あんたがボーダーに受からないと、私が困るのよ」

「いや、1週間じゃ付け焼刃だろ。筋肉痛とかになっ──」

「──あんた、逆らう気?」

「……滅相もございません」

 

 オレは香取ほど要領よく生きていくことはできないようだ。

 わざわざ携帯を使って位置情報をチェックされるという、科学の進化がもたらした弊害を身に沁みつつオレはランニングへと向かったのだった。

 

 

 

 

 

 月を跨いで7月の第1土曜日。

 

 いよいよ、ボーダー試験本番だがオレはホッとしていた。

 

「これで、姉貴のしごきからも解放か」

 

 この1週間、早起きして登校前の1時間のランニングから始まり、帰宅後も軽くはない運動に、常識問題の問題集(姉が買ってきたのになぜか支払いはオレだった)を解き、間違いが多かったら折檻を食らうという日々だった。

 

 昨日行われた面接の練習では、面接官に扮した姉を前にして自分の恥ずかしい過去を語るという羞恥プレイを行うことによって、面接への慣れを備えつけるという地獄のトレーニングだ。

 

 正直、面接に対する苦手意識が強まっただけだったが、何はともあれ今日で晴れて解放である。

 ボーダーの入隊試験は、一発勝負で、二度目は無いらしいので落ちてしまえば安心というものだ。

 

「若村、おはよう。なんかやつれてない?」

「お前は調子良さそうだな」

「うん、昨日もぐっすり寝て今日に備えたし」

「妹の調子は?」

「葉子もしっかり寝て万全って感じだったよ」

 

 そりゃ羨ましい兄妹だ。オレも香取さんちの子供になりたかったわ。

 

「で、その肝心の妹は?」

「体力テストの内容が違うとかで、一緒に居ても試験は男女別グループに分けられるから」

「そうなのか」

「そうだよー。葉子は友達と一緒に行動するってさ」

「ふーん、ま、いっか。一緒に行動して受かるってもんでもないしな」

「だねー、でも受かるよ。俺と若村の伝説は今日からはじまる」

 

 正直、入隊試験の話を聞いたときは、落ちてしまって伝説が始まらない方が良いって返しただろうが、この一週間で多少は考えが変わったかもしれない。

 

「そうだな、やってやろうぜ」

 

 やる気が無かったのに、1週間も姉という鬼教官にしごかれたら、なんか落ちたらこの1週間がもったいない気がしてきた。

 頑張った分だけリターンがあった方が良いな。

 

 

 気合の入れ直しに、香取と一度手を打ち合ってから、試験会場へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2ヶ月後の9月某日。

 

 

 無事にボーダー入隊試験を突破したオレは、()()()入隊式へと向かっていた。

 

 一緒に受けたからといって2人とも受かるとは限らない。

 それは仕方のないことだ。だが、一言だけ言わせて欲しい。

 

「誘っといてそっちだけ余裕しゃくしゃくで受けて落ちてるんじゃねえよ」

 

 これは想定外だったが、こうしてオレのボーダーライフは始まった。



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正式入隊日

「思ったより多いな」

 

 ボーダー基地で案内された広い部屋には、既に大勢が集まっていた。どれぐらいいるだろうか。

 

 ボーダーの入隊試験から考えてみるか。

 

 入隊試験自体は毎月行われるが、入隊式は毎月行われているわけではない。

 入隊式は年に3回、1月、5月、9月に行われ、今回9月であれば、前回の5月から8月までの間に入隊試験を突破した人が集められて行われることになる。

 

 オレの場合は、7月の試験を突破した形だが、合格者発表で張り出された数字は23人分だったので、これが平均だとすれば4ヶ月で100人弱といったところか。

 

「で、香取の妹はあそこか」

 

 香取兄は、オレを誘っておきながらあっさりと試験に落ちたが、妹はしっかりと合格していた。

 記憶にある容姿からはこの2年で成長していたが、すぐにどの子かは分かり、見つけることができた。

 

「ん? 香取妹の近くにいるのは、染井さんか。あの2人知り合いなのか」

 

 その香取妹は、最近知り合ったメガネをかけた子と行動を共にしていた。

 親しそうに話す様子からは、どうやらこの場で知り合ったとかではなく友達のようだ。

 

 さて、どうしようか。

 

 香取からはくれぐれもお願いねー、と頼まれているが、周囲を見る限りでは香取妹たちと同じように知人同士でそれぞれ固まっているようだ。オレのところにも、知り合いが声を掛けてきたがとりあえず追い払わせてもらった。少しは悪いと思っている。

 で、それぞれが談笑しながらも周囲を伺っているような気配がある。

 

 この場で初めましてに近い香取妹に話しかけるのは、変な意味で目立ちかねない。

 これが男同士なら気にする必要はないんだろうが、男女間で変に悪目立ちするのは、まずい。

 

「ま、顔つなぎは後でいいか」

 

 というか、普通に友達と一緒ならオレの出番は無いんじゃないか、香取よ。

 

 そうこう考えているうちに時間が来たようで、入隊式が始まった。

 

 適当に整列させられて、本部長から歓迎の言葉と今の自分たちの立ち位置を教えてもらう。

 学校での校長の話みたいなもんだと思うが、話が短くまとまっていてありがたい。

 長々と話をされるよりは好印象だ。

 

 ボーダーに入隊してもすぐに対近界民(ネイバー)への実戦に投入されるわけではない。

 まずは、C級隊員としての所属となり、扱いとしては訓練生だ。

 

 訓練を積んで一定の基準を満たしてB級隊員にあがることが、ボーダーに入隊して最初の目標となる。

 C級隊員のうちは、給料が貰えないので、金銭的にもさっさとB級に上がりたいところだ。

 

 続いて、本部長と入れ替わりで隊員3人が入ってきて、入隊式を引き継いだ。

 美男美女の登場に会場は、ワーキャーと盛り上がっている。

 

「ここからは、オリエンテーションを始める。まずは、ポジションごとに別れてもらう。スナイパー志願者は別行動になる。東さんお願いします」

 

 東さんと呼ばれた一番年配に見える(さっきの本部長と変わらないぐらいか)男性隊員がスナイパー志望者を集めて、会場を離れていった。

 香取妹がその中に加わったら香取兄への義理としてオレも付き合うところだったが、香取妹はこの場に残っている。スナイパー希望では無かったらしい。

 

「嵐山隊の嵐山だ。アタッカー組とシューター組を担当する。まずは、入隊おめでとう」

 

 イケメンの説明が始まる。

 できれば隣にいる美人なお姉さんに説明を受けたいが、どうやら美人お姉さんはサポート担当のようだ。

 

「君たちの左の甲を見てくれ。そこにある数字は君たちがトリガーをどれだけ使いこなしているかを表している」

 

 オレの左手の甲には、1010と数字が記載されていた。

 

 別に、オレの身体に直接記載されているわけではない。現在オレの身体は、トリオン体というボーダーの技術によってつくられた戦闘向けの体になっており、そのトリオン体の左手の甲に数字が浮かび上がっている形だ。

 

 トリオン体とは、某特撮ヒーローものの変身をイメージしてくれたらいい。

 もっとも、見た目は普段のオレから服装がかわった程度で、大きく変わるわけではないが。

 

「その数字を4000まであげること。それがB級昇格の条件だ」

 

 そしてトリガーとは、ボーダーが用意した武器だ。

 C級、訓練生の間は各自が一つだけ装備している。

 

「ほとんどの人間は1000ポイントからのスタートだが、仮入隊の間に高い素質が認められた者は、ポイントが上乗せされてスタートする」

 

 もう一度手の甲を確認するが、1010ポイントのままだった。

 10ポイント増加って微妙過ぎるだろ。

 

 夏休み期間だったので、仮入隊の間に結構活動していたんだが、どうやらオレは素質がほとんど認められなかったらしい。

 仮入隊時の活動である程度そうじゃないかって自覚はあったが、こうして客観的な数字として示されるとやはり辛いところだ。

 

「ポイントを増やす方法は……」

 

 説明が続くが、まとめるとこんな感じだ。

 

 ポイントを稼ぐ方法は二つ。

 

 1つ目は、週2回の訓練に参加して結果を出すこと。

 訓練の成績に応じてポイントが貰える。規定を満たせば確実に増えるが、貰えるポイントはそこまで多くないらしい。

 

 2つ目は、ランク戦で奪い合うこと。

 こちらは、単純明快でC級隊員同士でトリガーを使って戦闘を行い、勝てば相手からポイントをもらえ、負けたら相手にポイントを取られるというもの。

 負けたときのリスクもあるが、こちらは数をこなすことができるので勝ち続ければ多くポイントを稼ぐことができる。

 

「まずは、訓練から体験してもらう。ついて来てくれ」

 

 今日はオリエンテーションだけかと思ったが、さっそく訓練へ参加するようだ。

 いや、訓練まで含めてオリエンテーションってだけか。

 

「対近界民(ネイバー)戦闘訓練だ。データから再現された近界民(ネイバー)と戦ってもらう」

 

 いきなりの戦闘訓練にざわめきが起きるがお構いなしだった。

 

 どうせいつかは経験しないといけないものなら、最初に経験させて適性を見るとかあるんだろうか。

 

「仮想訓練では、ケガはしないから思いっきり戦ってくれ」

 

 安全面の配慮は万全だ。仮入隊期間中に体験済みなので、間違いない。

 首をぶっちぎられたときは何とも言えない気分だったけどな。

 

「制限時間は1人あたり5分。早く倒すほど評価は高くなる。高得点を狙えそうなら狙って欲しい」

 

 

 

 いくつかの部屋に別れて訓練生が入っていき、訓練が始まった。

 

 訓練は先着順に、並んだ順番で行われていく。

 順番待ちの間は、大部屋から各訓練室の様子を見ることができた。

 

 対戦相手は初心者用で、ボーダー基準ではたいして強くないらしいが、それでも苦戦する訓練生が出ている。

 近界民(ネイバー)に倒されたり、5分の時間制限をオーバーしたりだ。

 

 それとなく香取妹の姿を探すと、入隊式前と同じように染井さんと会話中だった。特にモニターなどは見ていない。

 順番待ちにわざわざ並ばなくても、そのうち訓練を終える人が増えれば部屋は空くはずなので、わざわざ並ぶ必要はない。

 

 香取妹のこの態度も問題はない、が。

 

「……兄妹だな」

 

 どことなく香取兄の姿が被る。

 

 香取兄はそういうところがある。テスト当日にクラスで最後の悪あがきが行われている時に、話しかけてきたりするから扱いに困る。

 それでいい成績を取るのなら余裕の表れだが、そういうわけではないというのがもはや意味不明だ。

 

 皆がモニターに注目している今は話しかけるチャンスだが、あの談笑に参加するほどの余裕はなかった。

 

 とりあえず自分の訓練に集中するか。

 香取妹の件は、自分のことが終わってからだな。

 

 待機者の並びが少ない列の最後尾について、自分の番が回ってくるのを待った。

 

 

「おー、すげー」

「見たか、あいつ。1分掛かってねえぞ」

 

 好成績の訓練生が現れると、ちょっとした騒ぎになる。

 

 

「見られながらってプレッシャーだな」

 

 こうやって見られるのも訓練の内なんだろうか。

 オレも待機中に見ていたが、いざ見られる側に回ると胃が痛くなりそうだ。

 

 様子を見るのではなく、さっさと並んで訓練を終わらせて、落ちついて見る側に回った方がマシだったかもしれない。

 

 気合を入れなおして、訓練室の一室へと入った。

 

 

 

「…………」

『仮戦闘用意』

 

 仮想空間にアナウンスが室内に響くと同時に、目の前に近界民(ネイバー)が現れた。

 

 自分の身体の数十倍のサイズと対峙するのは、仮入隊中に何度も経験したが未だになれることはない。

 

 はやる鼓動を抑えるために、左手を胸のあたりにあててゆっくりと目を瞑った。

 

『はじめ』

 

 開始の合図とともに、目を開き、戦闘を開始する。

 

「アステロイド」

 

 正面の敵へと向けてトリオンで出来た攻撃用の弾を発射する。

 

 オレが仮入隊の間に選んだトリガーは、離れた位置から弾を発射するシュータータイプのものだ。シュータータイプのトリガーにもいくつか種類があるが、とりあえずは基本の真っすぐ弾を飛ばすだけのタイプを選んでいる。

 

「…………」

 

 オレの放った弾は近界民(ネイバー)にひっとしたものの分厚い装甲に遮られ、ダメージはあまり通っていない。

 

 対峙している近界民(ネイバー)は、攻撃自体はそこまで脅威ではない。

 相手の主な攻撃方法は、分厚い装甲と体格差を活かした、首を動かしてくる突進と大型な口による噛みつき攻撃だ。

 

 噛みつきは距離を取っていれば問題にならず、厄介なのは勢いをつけた首振り突進をどう処理するかだが、タイミングをはかって横へと避ければそれで攻撃をかわすことができる。

 

 他にも手を使ってきたりもするが、全体的に動作はゆっくりなので突進か噛みつき以外はそこまで脅威にはならない。

 

 

 あとは、相手の分厚い装甲に対してどうダメージを通すのか。

 

 装甲の上からの攻撃でも、まったくのノーダメージというわけではない。攻撃を繰り返しせば、そのうち削り切ることもできそうだが、それでは時間が掛かり過ぎだし、その間ずっとタイミングよく突進をかわし続けることができるのかが課題だ。

 

「うぉっと……」

 

 二度目の突進を避けた方向が悪く、相手との距離が詰まっていた。

 噛みつき攻撃を避けているうちに逃げるスペースが狭まっており、それでも三度目の突進をギリギリ横に避けながら、反撃にアステロイドを撃つ。

 

 これが、アタッカー用の近接戦闘向けのトリガーならもう少し楽に攻撃が通るが、その分接近しなければならず、突進を処理する難易度があがるから一長一短だ。

 

 仮訓練期間中に、一通りのトリガーは試してみたが、どうやらオレには近接戦闘は向いていないらしい。

 剣を振るって戦う方がカッコよさ的には憧れるが、それで相手の攻撃を避けることができずに、やられるようではダメだろう。

 

 かといって、シューター用トリガーを器用に操って狙った場所にピンポイントに当てるほどのセンスも無かったわけだが、巨大な近界民(ネイバー)相手ならある程度方向を指定して飛ばすことができれば、とりあえず攻撃はヒットする。

 それだけでもアタッカー用トリガーを使うよりはマシってだけの、はっきり言ってしまえば、消去法によるトリガー選択だった。

 

「弱点は正面。分かっていても、どうするんだよ」

 

 分厚い装甲に覆われた近界民(ネイバー)にも、狙うべきポイントは存在している。

 攻撃に使われる口の中が弱点だが、そこに当てるためには相手の正面に立たなければならない。

 

 突進攻撃時か、噛みつき攻撃時に口が開き、弱点が露出されるが、そのタイミングで露出されてもこちらは攻撃を避けるので精いっぱいだ。

 

 分かっていても手を出すことは難しい。

 

「まあ、焦ってやられるのが一番まずいか。地味にやっていけばいいんだろ」

 

 焦りかけている自分を落ち着かせて、次に突進が来た時に避ける方向を探しつつアステロイドを放つ。

 追い込まれないようにスペースを常に見つけておけば、ピンチにもならないはずだ。

 

 地味過ぎるが

 1、スペースを見つけながら攻撃

 2、相手の攻撃を避けて反撃

 

 この繰り返しでやっていくしかないか。

 

 あとは、集中力が切れないことと、時間内に倒せることを祈るだけだな。 

 

 

 

 

 

 

 

「3分50秒。まあ、倒せただけよしって感じか」

 

 パターン化しているうちに、避けながらアステロイドを適当に放てるぐらいには慣れてきて、カウンターを繰り出せるようになったのが大きかった。

 適当打ちなので命中精度は酷いが、それでも弾をばらまけば、一つや二つは弱点へとヒットして与えるダメージが増加したのだ。

 

 たまに全弾明後日の方向に飛んだり、腕に防がれたりしたりもあったが、しっかり倒すことができたからマシだろう。

 

 最初に戦った時は、食われて終わったからな。

 

「お疲れさま」

「……見てたのか?」

「途中からね」

「それは、恥ずかしいな」

 

 自分なりにプチ反省会をしていたところで、染井さんが話しかけてきた。

 どうやら香取妹もようやく重い腰を上げたらしい。列の先頭に並ぶ後ろ姿が見えた。

 

「わたしには出来ないことだから」

「……オペレーターに決めたのか?」

「ええ」

「そっか……」

 

 軽く話に聞いていたが、実際にそうと言われてはどう返していいのか言葉に詰まる。

 染井さんは、戦闘員希望だったが、残念ながらトリガーを扱う才能には恵まれなかったらしい。

 

 いや、オレもトリガーを扱う才能があるとは口が割けても言えない有様だが、どうも根本的な部分での差があるらしい。

 トリガーを起動したときの出力には個人差があり、染井さんの才能では戦闘にはギリギリレベルの出力しか出せなかったのだ。

 

 仮入隊中に、染井さんと戦闘で向き合ったこともあるが、同じ距離から同じトリガーで撃ち合っても威力や弾の速度に大きな差が出るのだ。

 

 ボーダーではチームを作ってトップを目指したいって話を聞いていただけに、やるせない話だ。

 そうえいば、チームを組むあてがあるっぽい感じだったが、あれは香取妹のことだったんだろうか。

 

「わたしに何か用があったんじゃない?」

「え?」

「わたし達を何度も見てたから」

「気づいていたのかよ」

 

 だったら何か反応して欲しかった。

 話しかけるのを勝手に諦めたのはオレだし、染井さんに何かを言えるような立場ではないが。

 

「用があったのは、染井さんじゃない」

「……葉子に?」

 

 訝しげな眼でレンズ越しに見上げられた。

 かなり警戒されたのは、地味にショックだ。

 

「妹のことをよろしくって頼まれたんだよ」

「葉子たちと知り合い?」

「いや、知り合いなのは香取兄だけだ。あとそれはむしろこっちの台詞だ。香取妹と親しかったんだな」

「意外と世間は狭いのかしら」

「この場合狭いのは世間ではなく三門市だろ」

「……そうかもしれない」

 

 親しかったというのを否定しないってことは、肯定したってことでいいんだろうか。

 

「染井さんがいるのなら、別にオレがよろしくする必要はなかったな」

「どうかしら。わたしは戦闘員じゃないし」

「一人じゃなけりゃ大丈夫だろ。それに、香取妹がオレによろしくされて喜ぶタイプとも思えないし」

「…………」

 

 肯定したいけど、肯定したら失礼なるかもしれない、みたいな沈黙はやめて欲しい。

 

 まあ、いいや。友人もそう思っているのなら、オレの役割は始まる前から終わりでいいだろう。

 

 一応義理として、香取妹に挨拶はしておくが、それ以外の付き合いは基本無しでも問題ないか。

 何か困っているのを見つけたら声を掛けるぐらいはするが、積極的にかかわらなくても、染井さんが居ればきっと大丈夫だ。

 

「……葉子の番」

「みたいだな」

 

 香取妹の番が回ってきて、訓練ブースに入っていく。

 

 まあ、お手並み拝見とさせてもらおうか。

 

 

 

「……あいつ、仮入隊期間に訓練に参加してないのか?」

「そうね」

 

 初めてトリガーを起動させましたという挙動を見せる香取妹。

 

「7月の試験突破だよな? 仮入隊は何やってたんだ?」

「夏休みは休むためのものって言っていたわ」

「どうりで見かけなかったわけだ」

 

 見つけたら声を掛けるつもりだったが、仮入隊期間中に結局その姿を見ること無く今日を迎えていた。

 

「つーか、それでスコーピオンかよ」

「センスが必要って聞いて、アタシにぴったりじゃんって即決だったわ」

 

 スコーピオンはアタッカー用のトリガーで、決まった形状を持たない武器だ。

 任意で身体のどこからでも自由なサイズでブレードを出すことができるが、自由度が高い分だけ扱いは難しい。

 

 オレも仮入隊期間中に使ってみたが、ブレードを伸ばしすぎて強度不足であっさり割れたり、逆にブレードをイメージより短く出してしまい、攻撃が届かなかったりと散々な目にあった。

 

 香取妹は、敵を目の前にして、腕からブレードを出してみたり消してみたり、伸ばしてみたり縮めてみたりと感覚を確かめている。

 

「──危ないッ」

 

 近界民(ネイバー)は香取の準備が整うまで待つわけなく、スコーピオンの扱いに意識が向かっているところに首を伸ばして突進してきた。

 思わず声をあげてしまったが、香取妹は近界民(ネイバー)を見もせずに、軽くジャンプするようにして位置をずらして攻撃をいなす。

 

「……なに首をかしげてるんだ?」

「動きに納得していないみたい」

 

 オレが近界民(ネイバー)に意識を集中してようやくやっていることを、いとも簡単にやってのけたのに、まだ不満らしい。

 

「あれでかよ」

「トリオン体の身体能力に慣れていないから」

「たしかに桁違いだけどな」

 

 トリオン体では、生身の体とは全く異なるといっていいぐらいのパワーとスピードが出せる。

 オレにはまだ無理だが、正規隊員なんかになるとビルの壁を走って登ったりなんかもできるらしい。制御に慣れてしまえば、トリオン体時と通常時の動きの違いについて、意識を切り替えてできるようになるらしいが、慣れるまでは違和感が残りながら体を動かしていくことになる。

 

 だからこそまずは、訓練をこなすことによりトリオン体に慣れることが大事で、これが初めてならどうしようもないだろう。

 

「こりゃ厳しそうだな」

「どうかしら」

 

 ブレードの扱い方を確かめた後は、飛んだり跳ねたり走ってみたりと近界民(ネイバー)をほとんど無視した動きをしていた。

 既に一分が経過しているが、まだダメージらしいダメージは通っていない。

 

 そもそも、攻撃自体が適当にブレードを相手の装甲に当てて割られた1回だけなので当たり前だ。

 

 あんまりみじめな姿を見ているのもかわいそうか。

 

 別のブースの様子へと視線を切り替えようとすると、

 

「そろそろみたいよ」

「え?」

 

 染井さんの言葉が耳に届き、すぐに香取妹へと戻す。

 

 香取妹は動きを止めて、無防備に両手をだらっと下げて近界民(ネイバー)と対峙していた。

 

「あれは、諦めたのか?」

「違うわ」

 

 ちら、と隣を見ると真剣な表情でモニターを見る染井さんの姿があった。

 その瞳は、欠片も自分の言葉を疑っていない。

 

 さて、どうなるかとオレもモニターに戻る。

 

「…………」

 

 近界民(ネイバー)と向き合ったまま動かない香取妹。

 

 ジリジリと近界民(ネイバー)が詰め寄っているが微動だにしない。

 

 ついに、近界民(ネイバー)の必殺の間合いに入り、近界民(ネイバー)が首を伸ばして香取妹へ襲い掛かった。

 

 こりゃ終わった、と思った瞬間、香取妹の姿がぶれた。

 ふわりと前方に飛び上がり、一瞬の閃光のように、相手の伸びた首、開いた口のギリギリ上を通過してそのまま相手の後方へと消える。

 

 次の瞬間、近界民(ネイバー)が弱点を中心に上下に割れ目が入り、そのまま消滅していった。

 

「…………」

 

 いつの間にか、彼女の腕からスコーピオンが生えている。

 

 オレは忘れていたように、瞬きを一つ取った。

 

 相手の間合いで攻撃を誘い、ギリギリのところですれ違うようにして避けると同時にスコーピオンで切り裂いた。

 

 言葉にするとこれだけだが、オレは信じられないものを見た思いでいっぱいだ。

 

「なんだ、今の動き……」

 

 少なくともオレには無理だ。

 動きとして何をやったかは分かるが、再現するとなると超えないといけないハードルが多すぎる。

 

 近界民(ネイバー)の攻撃を近くまで引き付ける恐怖心の克服、攻撃を受けずに動き出すタイミングの見極め、ギリギリを避けながら反撃するトリオン体のコントロール。そのどれもが今の俺は持ち合わせていない。

 

「葉子がこうすればいいって思った動きよ」

「ふざけんな、アイツ初めてだったんだろ」

 

 思わず口調が荒くなってしまう。

 既に確認していた情報を改めて口にしてしまうぐらいにオレは動揺していた。

 

 こうすればいいなんて思うのはできても、それを実現することなんて無理なはずだ。

 

 今見たものが信じられなかった。

 

 撃破に要した時間は、1分58秒。だいたい平均ぐらいで、大きなざわめきは起きなかった。

 前半の動きが悪すぎて、最後のシーンを見ていた人がほとんど居なかったからだろう。

 

 残した成績としても非凡なものではない。

 

 だが、オレに与えた衝撃は、他のどんな訓練生よりも上だった。

 

「華、見た? 今のアタシの動きって誰よ、そいつ」

「見てたわ。この人は──」

「──若村麓郎だ。なあ、正規隊員になれたらオレとチームを組んでくれないか」

「は?」

 

 これが、オレと香取妹こと葉子との最初のコンタクトだった。



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香取隊、結成?

「──若村麓郎(ろくろう)だ。なあ、正規隊員になれたらオレとチームを組んでくれないか?」

「は?」

 

 オレはいったい何を口走ったんだ。

 

 香取妹の動きに衝撃を受けて、感動を受けて、嫉妬をして、考えがまとまらないうちに口から発せられた言葉だった。

 

「嫌よ」

「…………」

 

 そして、自分の言葉に驚いているうちに、あっさりと断られる悲しいオチだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 若村(おれ)の見た夢は、完結。

 

 

 

 

 

 

 

 じゃねえよ。

 

「行こ、華」

「いや、待てよ」

「なによ」

 

 これで話は終わり、とばかりに染井さんを連れて立ち去ろうとする香取妹を呼び止める。

 

 呼び止めてみたがどうする。

 はっきり断られたことを再び持ち出してもどうしようもないだろう。

 

「一応、自己紹介ぐらいさせてくれ」

「……若村麓郎でしょ」

「そうだが、名前だけじゃなくて……」

「別に、いらない」

「そこを何とか」

「うざいんだけど?」

 

 年下女子に必死にすがるメガネ男子の図とか情けない限りだ。

 香取よ、お前の妹はちょっと生意気過ぎないか?

 

「葉子、話ぐらい聞いたら?」

「…………」

 

 困り果てたオレに女神が助け舟を出してくれた。

 友達の言葉をむげに扱う気はないらしく、香取妹はこちらへと顔を向けて言葉を促してくる。 

 

「オレは、若村麓郎。お前の兄の親友だ」

「は?」

「覚えてないか? 香取の家に遊びに行ったときに、何度か顔を合わせているんだが」

 

 最後に会ったのは2年以上前なので、覚えているのかは微妙だが、一応事実を開示しておく。

 よくよく考えてみたら、別に今ここでこうしているのは、ファーストコンタクトでもなんでもなかったな。

 

 香取妹は、訝しげな目でオレの顔をじっと見てきた。

 

「あっ」

「覚えていたか」

 

 何かに気づいたらしく、目を見開いてオレを指さしてきた。

 

「人の部屋に勝手に入ってきた変質者」

「声がでけえよ」

 

 インパクトが大きい出来事だし、最後に会った時のエピソードだけど思い出すのはそこかよ。

 

「若村さん?」

「染井さん、何か誤解してませんか?」

 

 露骨に引かれて、香取妹を守るように染井さんが手で香取妹を下げさせる。

 思わず丁寧口調になってしまった。

 

「あれは事故だろ。文句は香取に言えよ」

「なんであたしに文句言うのよ」

「だー、香取兄に言えよって意味だ」

 

 兄妹が同じ苗字だとややこしいな。

 

 いや、兄弟が違う苗字の方がややこしいけど。

 

「二人に何があったの?」

「華、聞いて。こいついきなり部屋のドアを開けてきて、私の下着姿を見てきたの」

「最低……」

「違う。いや、違わないんだが、オレはこいつの兄の部屋に入ったつもりだったんだ」

 

 確かにオレがドアを開けたとき、香取妹の下着姿を見ている。

 

 厳密に言えば服も着ていたんだが、どうやら寝ていたらしく完全に服が乱れており、シャツはまくり上げられ、スカートはずり落ちており、下着も丸見えだったってわけだ。

 

「は?」

「あん時も説明しただろうが。部屋を交換しているとか聞いてなかっただけだ」

 

 聞く耳持たず、というか説明と謝罪の途中で目覚まし時計が飛んできて、二代目メガネさんがご臨終なさって終わったが、一応部屋を間違えたということは伝えていたはずだ。

 

 おまけにいえば、香取も『俺からも説明しとくよ』とか言っていたはずだが、香取妹は説明を受けて忘れているのか、そもそも香取が説明しなかったのかどっちだろうか。

 香取なら後者もありえるのがメンドクサイ話だ。

 

「……お前が壊したメガネ高かったんだからな」

「あんたが悪いし。あとさっきからコイツとかお前とか言わないで」

「お前もあんた呼ばわりじゃねえか」

 

 今時の量産品フレームのメガネではなかったため高額だったのだ。

 値段で言えば二代目メガネのフレーム代だけで今掛けているメガネがレンズまで含めて2つ買えるぐらいの価格差だ。

 

「事情は分かったけど、不用意じゃないかしら?」

「香取兄から勝手に上がってこいって言われたんだよ」

 

 冷静になって考えたら、アイツは騒動が起きることを狙ってたんじゃないか。

 メガネを失って傷心のオレをやたらニヤニヤ見てたし。

 

「悪かったのは認める。すまんな、香取妹」

 

 まあ、どう取り繕っても下着姿を見たという事実は変わらないし、謝るしかないか。

 

 もっとも下着姿と言っても、当時の香取妹はブラなんかつける意味があるのかっていうぐらいのまな板だったが。

 

「あんた今、思い出したでしょ」

「思い出してないから胸倉を掴むな、香取妹」

「その香取妹ってのもやめてくれない?」

「だったらどう呼べと、君か? あなたか?」

 

 香取と呼ぶと兄と被ってややこしい。お前は却下で香取妹も嫌。選択肢は残り少ない。

 

「葉子でいいんじゃない?」

「「それはちょっと……」」

「息合ってるし」

 

 染井さんの提案に否定したら、香取妹の声が重なった。

 なぜ、オレがこのクソ生意気な奴のことを下の名前で呼ばないとならんのだ。

 

「他に選択肢は無いわ。葉子も変なあだ名とかは嫌でしょ?」

「当然でしょ」

「なら少しは、我慢しなさい」

「……なんでアタシだけ」

「若村さんも、それでいいわね?」

「うっ……」

 

 染井さんにレンズ越しで見られたら抵抗しにくい迫力がある。

 というか、香取妹がそれで納得するのなら、ここでオレが抵抗するのは大人げない気がしないでもない。

 嫌だけどな。

 

 中学2年女子に逆らえない中学3年男子とか構図としては情けないが、年齢とその人物が醸し出すオーラは関係ないからな。

 

「分かった。葉子って呼ぶわ」

「…………」

「これからよろしくな葉子」

 

 呼んでいる側ですら、うすら寒いものを感じている。だったら、呼ばれている側はたまったもんじゃないだろう。

 でも、知ったことか。どうせならもっと嫌がれ、とオマケで握手まで求めて手を差し出して。

 

「……麓郎」

「は?」

「麓郎、麓郎、麓郎」

「やめろ」

 

 手は握られることなく返ってきたのは、オレの名前の連呼だった。

 呼ばれるたびに確実にオレの中の何かが削れていく。

 

「二人は仲良くなれたみたいね」

「華」「染井さん」

 

 全力で否定したいところだが、また二人の声が重なってしまった。

 声が重なったことに対して、互いににらみ合うタイミングまで一致とか本当に勘弁して欲しい。

 

「わたしも華でいいわ。麓郎君」

「分かった。葉子と華さんって呼ばせてもらう」

 

 おお、葉子との距離はどうでもいいが、華さんとの距離が近づいたのは良いことでしかないな。

 そう考えると葉子も少しは役に立ったのかもしれない。

 

「なんで、アタシが呼び捨てで華はさん付けなのよ」

「別に、葉子さんを葉子さんって呼んでもいいが?」

「……それはそれで気持ち悪い」

「酷い言われようだな」

 

 オレも百歩譲って葉子呼びの方がマシだった。

 変なところで意見が一致するのは、やめて欲しいものだ。

 

 葉子に合わせて、華さんを華って呼ぶのもダメだ。

 それには華さんが醸し出す華さんオーラをどうにかしなければならないという難易度の高過ぎるいばらの道が待っている。

 

「もう話は終わりよね? 行っていい?」

「……チームの件考えといてくれよ」

「はいはい。行こっ華」

「またね、麓郎君」

 

 華さんとは正直もう少し話したかったが、葉子に引っ張られるようにして去っていった。

 おまけで葉子がついてくるのなら、別れるのもやむなしか。

 

 どちらにしても、この日のオリエンテーションは、戦闘訓練までで終わりとなり解散となったので、オレも家路へとつくことにする。

 

 

 帰りながらさっきの話について考えていた。

 

 今度は否定されなかったので、多少は前に進んだってことでいいんだろうか。

 

 勢いで言ってしまっただけだから、別にチームの件は引っ込めてもよかったんだが……いや、葉子だけなら微妙でも華さんももれなくついてくるのなら、やはり葉子とチームを組むべきか。

 

 葉子がアタッカーならシューターを希望しているオレともバランスがいいはずだしな。

 

 

 ちなみに、チームとはそのまんまチームである。

 

 ボーダーでは、対近界民(ネイバー)戦ではチーム単位での活動が基本で、正隊員に上がったらどこかのチームに入ることになる。

 中にはソロでも活動している人もいるらしいが、ソロの人は任務ごとに臨時でチームを組んで活動することになる。

 毎回臨時の相手と組むのは、オレには向いていないので無理だろう。

 どこかのチームに所属するのが無難な選択だ。

 

 チームは、サポート役のオペレーターと戦闘員のセットで構成されて、最少人数はオペレーター1人、戦闘員1人の2人だ。

 さすがに最少人数は尖った編成で、チーム編成で多いのは、戦闘員3人でオペレーター含めて4人のチームらしい。

 

 オペレーターの限界から、戦闘員は最高で4人までとされているが、この辺の実情はどうなのかが不明だ。

 実際に組んでみないとどんな感じかはさっぱりだ。

 

 この話を教えてくれた人は、訓練生の間はあまり気にする必要はないと言っていた。

 ただ、訓練生でも有望株だと認められた場合、正隊員になる前からチームに入らないかと声が掛かったりするらしいので、まったくの無関係というわけでもない。

 

「有望株には声掛けね。ないな。うん、ないない」

 

 初回の戦闘訓練で4分近くかかったオレはお呼びでは無いだろう。

 そもそも正隊員にいつ上がれるのかも今の時点では未定だしな。

 

 

 少し今の状況を整理する。

 

 B級、正隊員に上がったら出来るだけチームに所属する。

 訓練生の間に正隊員から声が掛かることはない。

 今のところ第一希望は、葉子と同じチーム。

 

 葉子と華さんでチームを組むだろうからそれに混ぜてもらうのが第一方針で、無理なら無理で訓練生の中から一緒にやっていけそうな奴を探して声を掛けるって感じか。

 

 こうしてオレのボーダー活動の初日は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 というわけにも行かず、夕食時に家族会議が開かれた。

 

 最初はオレの好物が食卓に並んでいたので、入隊を祝ってくれるのかと思ったが、その場でなされた話については絶望したくなるような内容だった。

 

 要約すると「お前、ボーダーに入ったからあとは自分の力で生きていけよ」である。

 

 まずは、親父とのやりとりだ。

 若村家では、中学生にはお小遣い2000円と相場が決まっているが、これが廃止されることとなった。

 

「ボーダーに入ったからには一人前として取り扱う。小遣いは廃止だ」

 

 という一方的な通達だった。

 

 訓練生は半人前で訓練生の間は、給料がもらえないことをアピールしたのだが、親父曰く「なら正隊員に向けて励めるように追い込むがよい」とかいう、何がよいのかよく分からない理屈を申しつけられて覆すことができなかった。

 

 次に、お袋とのやりとりだ。

 若村家では、パートタイマーのお袋が食事を担当しているが、お袋が食事を作れないときは別途食費が支給される。

 これでお弁当でも食べなさいって感じで一食につき500円が相場だったが、これが廃止されることとなった。

 

「ボーダーには食堂があるらしいじゃない。なら食費はいらないわね」

 

 という一方的な通達だった。 

 

 ボーダーの食堂は一般の飲食店よりは安く提供されるとはいえ、お金が掛かることをアピールしたのだが、お袋曰く「いいじゃない学割みたいで」とかいう、よく分からない理屈を申しつけられて覆すことができなかった。

 

 最後に、姉貴とのやりとりだ。

 

「あんた、私が受験生になる前に正隊員になりなさいよ。どの大学に進むのかそれまでに決めたいから」

 

 という一方的な通達だった。

 

「どういうことだ?」

「あんたがお金を家にどれだけ入れるかで進める大学が変わるでしょ。正隊員になれなかったら殺すから」

 

 ボーダーの訓練生から正隊員は、早い奴でも1ヶ月ぐらいは掛かり、無理な奴は正隊員になれずに辞めたりとかもあるらしいとアピールしたのだが、姉貴曰く「は?」という、よく分からないけどよく分かってしまう威圧の一言で、終わってしまった。何もかもが終わってしまった。 

 

 どうやらオレの命は正隊員になれるかどうかで決まるらしい。

 我が姉は現在高2なので、来年の3月、半年がリミットだ。

 

 まあ、半年で正隊員というのは平均的な数字らしいので今が9月で来年の3月までなら平均的な結果さえ出せれば無理のない目標となる。

 

 小遣い、食費停止という兵糧攻めも決まったので、さっさと正隊員に上がるのは望むところだ。

 

「やるしかないか」

 

 どうしてオレは若村さんちの麓郎くんとして生を受けてしまったのかに悩みつつ、気合を入れなおしてボーダー生活を開始したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ? 若村、眠そうだね」

「眠いからな」

「そっかー。それで、若村、話があるんだけど」

「お前は、眠そうな親友を寝かせてくれないのかよ」

 

 翌日。登校して早々に机に突っ伏して寝ているオレをわざわざ起こしに来る人物がいた。

 

 ああ、兄が悪魔だから妹も悪魔なのかもしれない。

 

 回らない頭でそんなことを考えながら体を起こす。

 

「どうしたんだ?」

「若村こそ、寝てないの?」

「昨日色々と考えることがあったんだよ」

 

 若村さんちの麓郎くんとして、あれこれ思い悩んでいるうちに寝るタイミングを逃してしまったのだ。

 まあ、それは思考のスタート部分であって、半分ぐらいはこれからのボーダー生活について考えてしまったのが原因だったりするが。

 

「へー、それってボーダー関連?」

「まあ、そうと言えなくもない感じだ。……あんまり教室で口にしないで欲しいんだが」

 

 目立つのは本意でない。ボーダーの訓練生になったとか知られたらどういう扱いを受けるのかが怖かった。

 慌てて周囲を見回すも、地味な2人の会話に聞き耳を立てている人は居なかったようだ。

 

 はぁ、と息をこぼす。

 

「場所を移す?」

「時間が無いだろ」

「それもそっかー。じゃあ、昼休みでいいよ」

「起こしておいてそれかよ」

 

 ああ、もういい。香取への文句より睡眠欲が強い。

 しっしっ、と手で追い払ってそのまま夢の世界へと旅立っていった。

 始業までの5分だけだけどな。

 

 

 

 

 

 

 

 ボーダーの正隊員になれば、色々と学業に関して便宜が図られるらしいが、訓練生の間はそういうわけにもいかない。

 疲れていたり寝不足だからと言って授業をサボるわけにはいかないのだ。

 

 これでも受験生だからな。

 高校のランクを進学校から落としたので、授業さえ真面目に出ていれば大丈夫だとは思うが、油断していて落ちたりしたら本当にシャレにならない。

 

 中卒でボーダーに就職しますとか、若村家のためにどんだけ働く気満々なんだって話になる。

 

 というわけで、眠い目を擦りながら授業を乗り切り、昼休みに突入と同時に机へと身体を預けたわけだが、

 

「若村ー、それじゃあ行こっか」

 

 親友は許してくれなかった。

 

「…………」

「人がいないところがいいんだよね? 校舎裏かな」

「なあ、それをわざわざ公言する必要あるか?」

「俺たちのことなんて誰も気にしていないって」

「それはそれで悲しくなるから口にしないでいいだろ」

 

 実際には、クラスで大人しい系の女子が集まっているグループがチラチラとこちらを見て何やら話しているような気がしないでもない。

 というか『男同士で校舎裏』『二人だけの秘密』とか気になる単語が聞こえてきているんだが、気にしたら負けなんだろう。

 

 うん、あれは、オレ達のことじゃない。オレ達のことじゃないよ。

 

「どうした若村? 行くよー」

「へいへい。お手柔らかにな」

「お手柔らかに頂きましたー」

「めぐみ、声が大きい」

 

 オレ達のことじゃないね。うん、言葉選択を間違えたわ。

 

 

 

 

 無人の校舎裏で壁に背中を預けながら、香取と向き合う。

 内緒話をするには、おあつらえ向きな場所だが男同士でいるのはどうなのか。

 

 話はさっさと済ませたい。そしてできれば寝る時間を確保したい。

 

「で、話ってなんだ」

「俺、実は若村のことが──」

「──帰っていいか?」

「冗談だよ、冗談。ほら、お約束ってやつ?」

 

 そういうお約束はいらない。というか、めぐみさんに聞かれたら二人とも死ねるぞ。

 

「ボーダー入隊日はどうだったの?」

「ああ、それか。落ち着いたら話すよ」

「いやいや教えてよ。葉子のことが心配な兄の気持ち分かってよ」

「疲れて眠いオレの気持ちも分かってくれないか?」

 

 ものすごい文句を言いたい話だ。

 

「つーか、葉子に聞けば分かるだろ」

「え? 若村は、葉子って呼んでるの?」

「……香取だとお前と被るからやむをえずだ」

 

 ダメだ。眠すぎて思考が回っていない。

 香取の前で葉子呼びするなんて、失敗も良いところだ。

 

 別に隠したいわけじゃないが、メンドクサイことはできれば回避したかった。

 

 いつかは知られるだろうけどな。

 

「まあ、葉子から聞いてたんだけどね」

「聞いてたのかよ」

 

 脱力して校舎の壁を滑り落ちてそのまま尻をついた。

 地べたに直接座る形になるが構うもんか。

 香取さんちの兄妹は本当に仲いいよな。若村さんちとは大違いだわ。

 

「兄貴の親友がウザイって話だったよ」

「悪かったなウザくて」

「葉子は素直じゃないからね」

「本当にな」

「若村が葉子の何を知ってるんだよ」

「話を合わせただけだろ」

 

 変に香取が迫ってきたが無視だ無視。だる過ぎて立ち上がる気力もない。

 

 一人盛り上がっている香取を座ったまま見上げて会話を続ける。

 場合によっては、口説かれてる構図に見えなくもないかもしれないのが怖いが、まあ、見られてなければ問題はないだろう。

 

「で、若村の目から見たら葉子はどうだった?」

「どうだったって? まあ、見た目だけなら可愛いんじゃねえの?」

「いや、そうじゃなくて……ボーダーでやっていけそうかどうかを聞きたかったんだけど」

「今のは忘れてくれ、頼む」

 

 ダメだ。どうにか眠気を振り払わなければ本気でやばい。

 ぐい、と思いっきり自分の頬をつねることによって何とか思考を促していく。

 

「痛そうだね」

「痛くしてるからな」

 

 少しは頭が回り始めたところで、立ち上がって大きく伸びをした。体の動きに合わせて深呼吸もして体内に酸素を取り組んでいく。

 

「ふぅ……」

「落ち着いた?」

「まあな。で、質問の答えだが、やっていけるんじゃね?」

「その根拠は?」

「華さんが一緒なら問題ないだろ。つーか、オレが居なくても全然大丈夫だっただろ」

「華さんって呼んでるの?」

 

 失敗その2。まあいい、葉子を葉子呼びしているのがバレている時点で、華さんに対しては染井さん呼びしていたら、それはそれで葉子との関係が怪しくなりかねない。

 

「真面目な話をするなら、オレなんかよりよほどうまくやるんじゃないか」

「そうかなー?」

「そうだよ」

 

 まあ、香取としては色々と心配なんだろう。

 そうじゃなければ最初からオレに葉子のことを頼むなんて言わないだろうしな。

 

「……まあ、なんだ……」

 

 どう言葉にしようかと詰まる。

 

 というか言葉にしたくなくて詰まる。

 

「一回か言わないし、質問は受けつけないけどいいか?」

「お、若村のもったいぶった言い回しは久しぶりだね」

「茶化すなよ」

「ごめんごめーん」

 

 真面目な話をしたいときに、たまにやってしまう癖みたいなもんだ。

 

 そこは付き合いの長い相手、冗談めいて茶化したりしても本意は汲み取ってくれて表情が真剣なものへと変わった。

 

 正直、口にするのは非常に癪だが、ここは話をする必要があるんだろう。

 改めて香取と向き合う。

 

「…………」

「…………」

 

 ごめん、やっぱり無しって言いたいが我慢だ。

 

 ああ、こんなことならしっかりと睡眠をとるべきだった。頭が正常な状態だったらこんなことを絶対に口にしなかっただろう。

 そもそもの寝不足になった原因の半分はアイツだ。アイツが悪い。

 脳裏に浮かんだ、見た目は可愛い後輩の姿をアステロイドでめった刺しにしながら、重くなりそうな口を強引に開く。

 

「お前の妹はすごいんだよ。カッコよかったんだよ。憧れたんだよ。実際にあの訓練を見たら、問題ないってはっきりと断言できるわ。悔しいがオレとは持ってるモノが違う。葉子はすげえよ」

「…………」

「何の心配も必要ない。それぐらいオレが持ってないものをハッキリと持ってる。オレはボーダーでそれなりにできたらいいな、ぐらいにしか考えてなかったけどな、そんな考えを捨てたくなるぐらいに衝撃だったんだよ」

 

 こういうのは考えたら負けだ。恥ずかしくて死にそうになる。感情のままに感じたままに口にしてしまうしかない。

 

「オレには葉子みたいな才能はない。それでも、葉子がどこまで上がれるのかを近くで見たいんだ。できれば隣で支えたいって思った。そのためにはメチャクチャ頑張らないとダメだろうけど、そのためなら頑張れるんじゃないかって思ったんだ。むしろオレはそのためにボーダーに入ったんじゃないかって思わせるぐらいにお前の妹は輝いてみえた。……だから、安心しとけ。葉子に何かあったらオレがどうにかする。どうにかできるか分からないけど、どうにかしてみせる。自分でも無茶なことを言っていると思うが、だから、葉子のことは心配するな、オレに任せとけよ香取」

 

 全部を言い終わったところで、はぁ、はぁ、と息が切れた。

 それぐらいには必死で、オレの剣幕が凄かったのか、香取が呆然とした顔をしていた。

 

 自分でも言い過ぎたという自覚があるだけに何とも言えない。

 顔が熱いのが分かる。

 

 きっと今の俺は、クラスメイトのめぐみさんが見たら興奮して鼻血を出すんじゃないかってぐらい、真っ赤な顔をして香取と向き合っているだろう。

 恥ずかしくて死にそうだ。

 

「ま、まあ、こんな感じだ、分かったか?」

「う、うん。分かったよ」

 

 香取が引いているのが手に取るように分かる。

 

 誰のせいでこうなったんだって気持ちよりも、そりゃ引くだろうなって方が強いのが本当にやばい。

 どうしてこうなった。誰かオレをいっそのこと殺してくれ。

 

 オレは再び崩れ落ちた。

 

 制服が汚れることなどお構いなしで、そのまま両手両足を広げて仰向けに寝っ転がって空を見上げる。

 

 今なら何を言われても死ねるに違いない。

 

 香取もそれが分かっているのか、何も言わずにオレの隣へと座りこんだ。

 こういうところがコイツの憎めない部分なんだろう。

 

 何か言いたかったが何も言うこともできず、そのまま2人で無言で過ごす。

 

 

 

 やがて、昼休みの終わりが近づいたことを告げる予鈴が鳴り、ゆっくりと身体を起こした。

 どうやらだいぶ落ち着くことができたようだ。

 

「背中汚れてるよ」

「うるせえ、誰のせいだよ」

「それ言った方が良いの?」

「言うなっ」

 

 どうせ、オレの自滅だよ。

 

 香取が背後に回って、制服の汚れを叩き落とすのに任せつつ教室へと向けて歩いていく。

 朝よりもサボりたい度数は上昇しまくっているが、それはそれこれはこれだ。

 

 まあ、眠気自体はどっかへ消え去ったので、教室に辿りつくことさえできればあとはどうとでもなりそうだった。

 

「ねえ、若村。悪いんだけど、もう1つだけ聞いていい」

「なんだ?」

 

 なんだかんだ昼休みが終わるまで飯も食べずに付き合ってくれた香取だ。

 さっきは、追加の質問を禁止したとはいえ、ここで無視するのは酷ってもんだろう。

 

「若村のことを義弟(おとうと)って呼んだ方が良いの?」

 

 やはり無視するべきだったとオレは深く後悔した。

 

 若村さんちの麓郎くんでいることに対して大いに不満だが、香取さんちのおとうと君になるつもりは欠片もないぞ。

 染井さんちのお兄さんなら手を挙げる可能性が高いが。

 

 

「どういう意味だよ」

「いやー、葉子をよろしくね」

「どういう意味だよ」

「そのままの意味だよ」

「どういう意味だよ」

「これでオレも安心できたよ」

「どういう意味だよ」

 

 意味は分かっても、理解したくないことだって世の中にはある。



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ポイントは減る運命にある。

「ふぅ……」

 

 2度目の活動日、訓練を一通り終えて、ロビーの椅子に腰を下ろしていた。

 

「……いや、我慢だな、我慢」

 

 訓練生の多くが自販機で飲み物を購入して、喉を潤しているのが正直羨ましかった。

 オレも買いたいところだが、兵糧攻めが絶賛始まったばかりだけに、今回は我慢しておくことにする。

 

 ちなみに現在のオレの懐事情は、そこまで切迫しているわけではない。

 7月にボーダーに入隊が決まってからは、お小遣いはあまり使わなくなったからだ。

 訓練に夢中になっていたため、遊びに行ったりとかゲームを買ったりとかはしなかったおかげで、財布には今現在5000円が入っている。

 これに今までのお年玉でオレが自由に使える分も合わせれば、残された資金は3万ちょっとと言ったところだ。

 

 お年玉が引っかかる言い方になるのは、オレが自由に使えない部分のお年玉があるからだ。親父とお袋が貯金してくれているらしいが、正直、半信半疑だった。いや、ボーダー入隊で資金提供が止まったことを考えたら、1割も信じられなかった。

 

 月2000円のお小遣いで生活していたことを考えれば、半年で1万2000円あればどうにかなる計算になるが、食費がどうなるか未知数だけに、積極的に使う気にはなれない。

 

 葉子が華さんと飲み物片手に談笑しているのが視界に入るのは辛いが、これもしばらくの我慢だ。──別に香取さんちの子供になりたいわけではないのであしからず、とだけは言っておく。

 

 

「あと2950ポイントか」

 

 オレの左手の甲の数字は、1050ポイントまで伸びていた。

 

 C級隊員の公式な訓練は週2回で、今回は前回もやった戦闘訓練に加えて『地形踏破訓練』『隠密行動訓練』『探知追跡訓練』が実施された。

 

 ・地形踏破訓練。

 時間内に、設定されたゴールまで向かう訓練。障害物競走の難易度を上げた感じだ。

 

 ・隠密行動訓練。

 設定された時間、見つからずに指定された行動をとる訓練。隠れ鬼の難易度を上げた感じだ。

 

 ・探知追跡訓練。

 指定されたものを探し出し、相手に見つからないように追いかける訓練。一種のストーカーみたいなもんか。

 

 

「全然足りねえな」

 

 今日増えたポイントは、およそ35ポイント。毎回の訓練でこれだけ増えるとすれば、訓練日は週2回だから毎週70ポイントを手に入れることができる。

 半年間だと26週なので掛けることの26をして1820ポイント。これが3月までに訓練で獲得できる見込みポイントとなる。

 

 現在のポイント数を足すと2870ポイントとなる。つまり、正隊員まであと1130ポイント不足している計算だ。

 

「まあ、訓練結果はよくなるはず……って甘く見てたらダメか」

 

 訓練で貰える最高ポイントは、各種目20ポイントが上限だ。訓練はこなせばこなすだけ成績は伸びるはずなので、平均で15ポイントぐらい取れるようになれば、半年で4000ポイントに届くわけだ。

 だが、今は5ポイントずつぐらいしか取れていない。仮に今後15ポイントまで到達することはできたとしても、ここから半年の平均値を15ポイントまであげるのは難しいだろう。

 

 何とも前途多難な話だ。

 

 唯一、隠密行動訓練だけは、初回からやたらうまくできて15ポイント取れたが、オレが地味で存在感が無いからだろうか。

 

 深く考えるのは、悲しくなるだけなのでやめておこう。

 

「つーわけで、ランク戦で稼ぐわけしかないが……」

「お? ランク戦か? いっちょバトろうぜ」

「……陽介か」

「なんだよ、嫌そうだな」

「まあ、色々あるんだよ。分かった。対戦ブースに行こうか」

 

 耳ざとく近づいてきたのは、同期入隊になる米屋陽介だ。

 快楽主義のバトルジャンキーと言えば、説明としては十分だろう。

 

 仮入隊期間中に知り合ってから、オレが色んなトリガーを試すことに付き合ってくれた良い奴なんだが、ほぼボコボコにされた記憶しかない相手だ。

 

 正直、ポイントを増やしたいときにランク戦をしたい相手ではない。

 

 それぞれのブースナンバーを確認して、個人ランク戦用のブースに入る。

 

 

 個人ランク戦とは、それぞれが別々の小部屋に入って対戦相手を指定し、戦闘用の仮空間で1対1で戦うという単純なものだ。

 自分から指定するだけではなく相手から指定されることもあり、指定された場合は対戦を拒否することはできない。これは厄介なルールで、対戦をやめたくなったらブースが出ればいいが、出ようと思っている時に限って、次のランク戦が始まったりしてしまうので要注意だ。

 

 ネットカフェの小部屋のようなスペースで、デバイスを操作する。

 

 デバイスには、ランク戦が可能な現在使用されているブース番号、その者の使用するトリガー、所有ポイントが表示されている。名前は表示されないが、今回のように相手のブース番号を把握していれば、特定の相手を指名することも可能だ。

 

「やっぱ弧月かよ。しかも2613ポイント」

 

 陽介は、オレなんかとはスタートダッシュが違った。

 ランク戦に入り浸って稼ぎまくった可能性もあるが、恐らく初期ポイントが大幅に加点されていたのだろう。

 

 ボタンを押すのを躊躇したいが、ここでゆっくりしていると他のブースから乱入されてしまう。

 

 見知らぬ誰かとのランク戦が始まる前に、オレは決定ボタンを押した。

 

 

 

 一瞬だけ視界がブラックアウトして、戦闘用の仮空間へと切り替わった。

 

 さあ、戦闘開始だ。

 

 

「障害物が少ないな、これが有利なのかどうか」

 

 個人ランク戦は、用意された戦闘用の仮空間からランダムで舞台が決定される。

 基本は、ボーダーの防衛任務を想定した市街地だが、市街地の中でも住宅の密度や建物の高さなどには差があり、今回は郊外で住宅密度は低く視界は広い。

 

「アステロイド」

 

 まだ離れた位置にいる陽介の存在も丸見えで、近づかれる前に攻撃を仕掛けた。

 

 陽介が持っているトリガーは弧月。アタッカー用のトリガーで、一言で言えば刀だ。斬られるとダメージが大きい。

 

「アステロイド、アステロイド、アステロイド」

 

 最初の攻撃をあっさりと避けられて、続けて弾を放ちながら後ろへと下がり、近づく陽介と距離を取る。

 

 アステロイドを放つ角度を変えてみたり、速度をいじってみたりと色々と試すがオレに近づく陽介のスピードは落ちない。

 弾をかいくぐったり、飛び越えたりして無効化しながら奴は近づいてくる。

 

「こええっつーの、アステロイド」

 

 こちらも近づけさせまい、と下がっているのだが、後ろに進むオレと前に進む陽介とでは、攻撃を避けながらでも向こうに分があるようでどんどんと距離が縮まっていく。

 距離が近づく分だけこちらの攻撃も避けにくくなっているはずだが、陽介が前へと進む速度に変化は感じられなかった。

 

 ダメだ、このままなら追いつかれて切られる。

 

 逃げながら弾を放ってもジリ貧と判断して、逃げるのはここまでにし、足を止めた。

 動きながら撃つよりは、攻撃だけに集中した方が精度も変化もつけられるからだ。

 

 アステロイドの発射前のキューブだけ浮かべ、これをどう放つべきか、こちらに近づいてくる陽介の動きに意識を集中させる。

 

 

「デカ玉」

 

 今まで20分割していた弾を4つに絞って、陽介が避ける方向を読んで、時間差で放った。

 

 1つ目は、右へと避けられた。

 その動きを追いかけるようにして放った2つ目も陽介の動きには届かない。

 3つ目もギリギリのところで避けられたが、

 

「いっけえーーー」

 

 4つ目、着地する瞬間、相手が止まる一瞬を狙った一発は、綺麗に陽介の方へと吸い込まれて行き、これは当たったと確認した瞬間。

 

「……と思うじゃん?」

 

 陽介の弧月によってオレのアステロイドは切り払わられ、ダメージを与えられなかった。

 

「マジかよ」

「今のはイイ線いってたぜ」

「だったらやられろよ」

「よっと」

 

 ついに弧月が届く距離まで詰められて、陽介のターンが始まる。

 右、左、右と三度目までは、弧月の動きについていけたが、そのスピードは戦闘訓練用の近界民(ネイバー)とは段違いで、あっさりと四度目の斬撃でオレの首は身体とさようならする羽目になった。

 

 ブラックアウト。

 

 

 

 

「…………別に首じゃなくても良かったよな」

 

 無意識のうちに斬られた部分を手でさすって、首と胴体が繋がっているのを確認した。

 当然だが、首と胴体は繋がっていた。そうでなければ、こうして生きているのがおかしくなる。

 

 やられる感覚は、慣れるもんじゃない。

 

 痛覚はほとんどカットされている。そのおかげで痛いわけではないが、首が切られる瞬間は背筋がゾクっとする感触が強く残る。

 何とも嫌な感触で、できれば味わいたくないような類のものだ。

 

 まあ、味わいたい感覚なんかだと訓練にならないだろうから、これはこれで有りなんだろうけど。

 

 

 簡単に、さっきの戦闘を振り返る。

 最後の攻撃は悪くなかったはずだが、陽介はアステロイドを切って無効化してみせた。

 一発当たりの威力と速度を上げるために、弾の数を絞っても無駄だったようだ。

 

 アステロイドは、弾を発射するトリガーだが、その発射する弾は速度、威力、射程等を自由に設定することができる。

 慣れれば色々細かくいじれるらしいが、今のオレにはせいぜい分割数をかえて分かりやすく威力を増すぐらいしかできない。

 

 同じエネルギーなら20個に分けるのと、1個でそのまま撃つのでは威力に差が出るってわけだ。

 

 

「で、どうやって攻略するんだ」

 

 遠距離では、そもそも弾が当たらなかった。

 近距離では、弾は当たりそうだったが、弧月で無効化された。

 

 かくなるうえは、相手の弧月を攻撃で使わせる。つまり、接近戦で弧月を避けてカウンターで放てば──ってそれができれば苦労しねえっつーの。

 

『次、言っていいか?』

 

 次って何戦やる気だよコイツ。

 

 こっちの冷や汗を知ってか知らずか、ブース内に響く陽介の声にため息をこぼしつつ、オレはデバイスを操作して、次の試合を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

「残りポイント978ポイント。減った、ポイントが減った。」

 

 陽介とのランク戦を終えて、ロビーへと戻ったオレは打ちひしがれていた。

 分かっていたことだが、現実として見るのは辛い。

 

 つーか、何戦やったんだっけ。勝つまでやるつもりで粘ったのが完全に失敗だった。

 

「最後の方は、悪くなかったんでねえの?」

「結局、一回も勝てなかったけどな」

 

 何の慰めにもならねえよ。

 

 まあ、最後の一戦は、陽介の弧月を避けることはできなかったが、斬られながらのカウンターを放つことには成功して、足を削れたので一歩は前進したって思っていいんだろうか。

 

「で、なんでアステロイドにしたんだ?」

「なんでって?」

「夏やりあった時は、ハウンドの方が良い結果出てたじゃん」

「ああ、まあな」

 

 陽介的には、オレのトリガー選択が不満らしい。

 いや、不満というか不思議か。

 

 ハウンドとは、簡単に言えば、追尾機能つきのアステロイドだ。ある程度は相手を追いかけて当てることができる。

 追尾機能がついている分だけ、威力などは落ちてしまうがそのデメリットを考えても便利な品物だった。

 

「ハウンドは便利過ぎるんだよ」

「ん?」

「正直、ハウンドを使ってバカスカ弾を撃てばある程度勝てると思うが、それってなんか意味あるか?」

 

 C級隊員は、トリガーを1つしか使えないという縛りがある。

 それを使って相手を倒さなければならない以上、防御用トリガーを使うことができないのだ。

 

 相手の攻撃を避けるか、さっき陽介がやったみたいに、攻撃用トリガーで相殺するしかガード方法はない。

 その条件の中でのランク戦で、ハウンドという相手を追尾するトリガーの存在は反則に近い。

 

 障害物などの邪魔が入らない限り、相手自身か、相手の武器に当たることになる。

 

 結果として、遠距離から打ち続けるだけで、勝ててしまうぐらいに強力だ。

 

 オレと陽介の実力差は、オレがアステロイドなら全敗に終わるぐらいにあるわけだが、ハウンドを使ったときは5割近く勝っていた。

 それぐらいには、便利なトリガーなのだ。

 

 C級ランク戦では、ハウンド最強説を声を大にして唱えたいぐらいだ。

 

 これが正隊員になると、防御用トリガーを使うことができ、ハウンドはそこまで強力なトリガーではなくなってしまうらしい。

 アステロイドと比べて威力が落ちる分だけ、あっさりとシールドという盾のトリガーで防がれるようだ。

 ハウンド最強説は、避けるしか方法が無いC級ランク戦だからこその最強なのだ。

 

「ハウンドで勝っても、訓練にならねえよ」

 

 正隊員になるだけなら、ハウンド無双で突破するのが近道だが、それで正隊員になれても先は無いだろう。

 何のために訓練期間としてC級隊員が設定されているのかが分からなくなる。

 

「変なところ真面目だよな」

「うるせー、オレはアステロイドでいつかお前に勝つ」

「お、続きやるか?」

「今日のところはこの辺で勘弁しといてやろう」

「それかっこいい台詞じゃねえよ」

 

 今日は、これ以上ポイントを減らされてたまるか。

 このまま続けても、今のオレでは陽介に勝つのは難しいだろう。

 

「なら、オレは別の奴とやってくるわ」

「おー、行ってこい」

 

 しっしっ、と手で追い払うようにして、ブースに戻る陽介を見送った。

 

 その手に持っていた飲み物が羨ましくなんて無いからな。うん。

 

「……リベンジ前に、あいつが正隊員とかありそうだよなぁ」

 

 オレからだけで、本日既に72ポイントも奪っていった。

 この調子で大勢から奪いまくったら、あっという間に4000ポイント溜まるんじゃないだろうか。

 

 まあ、ランク戦のポイント移行は、ポイントの差がつけばつくほど不利になるし、いくら陽介が有望な新人だと言っても、アイツよりも強いC級隊員がまだ他にいるだろう。

 

「陽介より強いとか、絶望しかないけどな」

 

 想像するだけで気がめいりそうで、テーブルへと倒れこんで、そのまま伏した。

 

 とりあえずしばらくの間は、仮想ボスは陽介でいいだろう。

 ボスって言っても定期的に出現し、こっちを倒して去っていくタイプの嫌なボスだが。

 

 まあいい。

 陽介に勝つのが当面の目標で、陽介に勝てればC級ランク戦でも、ある程度勝てるようになるはずだ。

 

「お、何をたそがれているのかね、少年」

「少年って同じ年だろ」

「細かいことは気にしない気にしない」

「いや、細かいことじゃないだろ、宇佐美」

 

 身体をテーブルから上げて。声を掛かった方を見ると予想通り、メガネをかけた何とも言えない美少女が居た。

 いや、見た目は可愛いんだが、どことなく胡散臭いのだ。

 

「っと、華さんも一緒か。どうも」

「…………」

「あれ? 華さんって呼ぶようになったの?」

「色々あったんだよ」

 

 メガネをかけた何とも言えない美少女の後ろに、メガネをかけた落ちついた美少女が居た。

 挨拶に対して軽く頭を下げるだけで済まされたことが、地味にショックだった。

 いちいち香取と葉子の話を持ち出すのもめんどくさいので、説明は省略する。

 

「宇佐美のいとこにポイントをガッツリ取られたところなんだよ」

「ありゃりゃー、そりゃ災難だねぇ」

「負けた方が悪いわ」

「華さん、今その正論はきつい」

 

 そう、この目の前のどこか胡散臭さの残る美少女は、宇佐美栞(うさみしおり)。さっき戦った米屋陽介のいとこだ。

 

 宇佐美は、オレと同じ年だがボーダーでは先輩で、オペレーターをやっている。

 オレの現在持つボーダー知識のほとんどは、実はこの人から聞いたことだったりする。

 

「それじゃあ訓練やっとく?」

「対近界民(ネイバー)戦闘か?」

「そだよー。ちょうど華ちゃんに設定の仕方とか教えたところでね、華ちゃんの練習に付き合って欲しいなーって」

「分かった。どうすりゃいいんだ?」

「ここじゃできないから、ちょっと着いてきて」

 

 というわけで、場所を移すことになった。

 

 

 移動中に、宇佐美との出会いを少し紹介しておこう。

 

 前にも触れたが、オレは仮入隊期間中は夏休みということもあり、ボーダーにそこそこ入り浸っていた。

 その最初の頃は、入隊試験によって香取という親友を失い、一人で右も左も分からずに孤立していたのだ。

 

 そうしたオレを見かねてなのか、ただのメガネ好きなのかは分からないが『ナイスメガネだねー』と、声を掛けてきたのが宇佐美だった。

 その後、宇佐美を介してオレと同じように声を掛けられたらしいメガネ娘の華さんと話すようになり、いとこの陽介を紹介されてバトルようになりって感じで、仮入隊期間は過ぎていったというわけだ。

 

 今考えたらオレのボーダー生活では、ずっと宇佐美にお世話になりっぱなしだな。

 あんまりそういうのは嫌がりそうだから、本人にはお礼を言ったりしないが、感謝はしておこう。

 

 そんな世話好きでメガネスキーな宇佐美が、同じオペレーターに決めたメガネの華さんをほっとくわけもなく、色々とオペレーターの仕事をレクチャーしているってことなんだろう。

 

 なんて考えているうちに、訓練室に到着した。

 

「ろっくんは訓練室に入って」

「へい」

 

 宇佐美たちは、訓練室をモニターできるらしい別の部屋へと陣取る。

 恐らくあそこがオペレータールームで、訓練のアレコレを設定する場所なんだろう。

 

『じゃあ、訓練を始めるけど準備はいい?』

 

 訓練室内に設置されたスピーカー越しに、声が聞こえてくる。

 訓練が開始したら仮戦闘スペースに切り替わるだけなので、特に物理的に用意することはなく、あとは気持ちの問題だけだ。

 

「いつでもいける」

『華ちゃん、設定からやってみて』

『はい。……設定完了、訓練を開始します』

 

 一瞬だけ暗転し、仮戦闘スペースへと切り替わった。

 

 オレの目の前に巨大な近界民(ネイバー)が現れる。相手は、正式入隊日や今日の訓練で戦った相手と同じだ。

 正式入隊日は散々だったが、今日の訓練では2分半で倒せている。これは、華さんに良いところを見せるチャンスだろう。

 目標は2分だ。

 

「……ん?」

 

 正面の相手に向かおうとしたところで、背後から気配を感じて振り返る。

 

「あれ?」

 

 オレの想定では、かっこよく目の前の近界民(ネイバー)を倒す予定だったが、予定とは異なりオレは5匹の近界民(ネイバー)に囲まれていた。

 

『ろっくん頑張れー』

「頑張れーじゃねえよ。なんだよ、この難易度」

 

 ようやく、1体なら安定して倒せるかなって段階のオレに5体はねえよ。

 モニター越しで見ているであろうオペレーターに文句を言いたいが、近界民(ネイバー)は待ってくれず、徐々に距離を埋められていく。

 

「……アステロイド」

 

 どうやら倒すしかないらしいことを理解して、とりあえず正面の近界民(ネイバー)へと向かってアステロイドを放った。

 

 

 

 

 

 

 

「いや、無理だろ」

 

 2分後。近界民(ネイバー)の攻撃を避けたところを、別の近界民(ネイバー)に噛みつかれて倒されたオレの姿があった。

 2分で倒すつもりが、2分で倒されたって悲しすぎるわ。

 

『いやー、残念だったね』

「訓練の難易度が高すぎだろ」

『設定したのは華ちゃんだから』

「華さん。もう少しお手柔らかに、1体ずつでお願いします」

 

 思わず敬語になってしまった。

 

『分かった。……設定完了。訓練を開始します』

 

 二度目の暗転。

 

 

 

 さて、次の相手はどうだろうか。

 アステロイドのキューブを浮かべて、いつでも攻撃に入れるように構えると近界民(ネイバー)が現れた。

 

 お、無事に1体だ。これなら行けるか。

 

「アステロイド」

 

 既に2回勝っている相手だ。1対1で慎重にやれば負ける相手ではない。

 ただ、普通に倒してもそれでは訓練にならないだろう。

 

 ここは強気で前へ出て、相手の攻撃をかいくぐりながら、アステロイドを放っていく。

 

「よ、ほ、は」

 

 徐々にだが、相手の弱点にヒットするアステロイドが増えてきている気がする。これなら2分を切れるだろう。

 

「これで、とどめだ。アステロイドッ!!」

 

 相手の弱点が露出した瞬間を狙って4分割のアステロイドを放ち、それが見事に弱点へと吸い込まれていき、近界民(ネイバー)はそのまま後ろへと倒れて消滅していった。

 

「ふう……うわーーーー」

 

 敵を倒して一息ついたところで、先程味わった感触に襲われて叫び声をあげてしまった。

 状況がつかめないまま、噛み砕かれて訓練が終わる。

 

 

「……なんだったんだ」

『いやー、残念だったね』

 

 宇佐美ののんきな声が掛かるが、オレはまだ状況を理解できていない。

 

「何が起きたんだ?」

『ろっくんが倒した瞬間に2体目が背後に登場して、そのまま食べられてたよ』

「2体目!?」

『1体ずつ希望って言うから』

「華さん。間違ってないけど間違ってるから」

 

 オレはその場で崩れ落ちた。

 

 倒せたと油断したところに、2体目が現れるとか、想定外も良いところだ。

 それならまだ最初から2体に襲われた方がマシだったかもしれないぐらいのレベルだ。

 

 いや、それで2体倒せたかどうかは分からないが、不意をつかれて襲われるよりは、マシになったと思いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

『今日はここまでにしとこうか』

「……お疲れ様でした」

 

 その後も妙に難易度が高い戦闘訓練が続き、オレは一度もクリアできないままに終わった。

 仮想戦闘訓練では、体力は消耗しないはずだが、身体が重い。精神的には疲れるので、そのせいだろうか。

 

 なんとか身体を動かして訓練室から出て、宇佐美たちと合流する。

 

「オペレーターはとにかく数こなせばこなすだけ慣れるし、説明を聞くより実際に使ってみて覚えた方が早いから、これからドンドンやっていくといいよ」

「ありがとうございます」

 

 敵がやたら多かったり、倒したと思ったら復活したり、無敵モードだったりと散々な目にあったのは、色々試した結果らしい。

 華さんの成長のためだと思えば、仕方ないかって気持ちも無くは無いが、正直勘弁して欲しいもんだ。

 

「ろっくんもお疲れー」

「マジで疲れた。何回やられたんだ?」

「うーん、7回?」

 

 陽介にやられた分を合わせると、どんだけ今日1日でやられたんだろう。

 

「操作は一通り教えたから、あとは慣れるだけなんだけど、ろっくんはまた協力してあげてね?」

「……はい」

「おー、さすがメガネ仲間」

「いや、仲間というか、華さんとはチーム組みたいと思ってるんで」

「おー、メガネチーム結成だね。メガネ縛り? 私も入ろうか?」

「オペレーター2人チームって斬新過ぎるだろ」

 

 それにメガネ縛りでもない。葉子はメガネを掛けていない。いや、確かに葉子がメガネを掛けたら、それはそれで似合いそうな気がするが、ファッションメガネはメガネであってメガネとは認められないか。

 でもやはり、葉子のメガネ姿も捨てがたい。ここはどうにかして一度掛けてもらうしかないか。

 

「いえ、まだチームを組むか決まってませんので」

 

 葉子にどうやってメガネを掛けさせるのかに思考が飛んだところで、華さんから冷静な言葉が飛んできた。

 

「そうなの?」

「はい。まずは正隊員になってからですし」

 

 訓練生の一部は正隊員に上がることなく辞めていくので、華さんの言葉は間違いではない。

 間違いではないが、ショックを受けている自分がいた。

 

「オレは諦めないから」

「…………」

 

 一応アピールしておくが反応は冷たい。華さんはクールすぎる。

 実力を疑われているんだろうか。なんにせよ、もう少し頑張らないとダメか。

 

「オレは正式な訓練日以外も通うつもりだから、いつでも声掛けてくれたら協力する」

「……覚えておくわ」

「私が毎回見てあげられないと思うけど、申請したら使えるはずだから、ろっくんも協力お願いね」

「任せろ」

 

 自分でも安請負をしてしまったと思うが、口にした以上は協力しよう。

 

 よくよく考えたら、華さんと葉子は既にチームを組むことが決まっているようなもんなんだから、葉子が協力しろよって思わなくもない。

 が、葉子がこういうめんどくさいことに協力するかって考えたら、やるわけがなかった。

 だったらオレみたいな暇人がオペレーターの訓練に付き合うのも、チームのためになるだろう。

 

 オレの訓練にもなるしな。

 

 

 こうしてオレの訓練の日々に、近界民(ネイバー)に食べられるという項目が追加されることとなった。

 いや、勝てば済む話なんだが、中々勝てねえよって難易度なもんで、こればっかりは現時点ではどうしようもない。

 

 華さんの用意した訓練をクリアできるようになれば、米屋からポイントを取り返せるようになるだろうか。

 

 入隊日よりも下がった左手の甲に浮かぶポイントを見ながら、オレはこれからの日々について思いを寄せていた。



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遅れてきた最後の男。

 入隊日から2週間が過ぎた。

 

「現在のポイントは923。順調に減ってるな」

 

 おかしい。

 訓練でポイントを稼いでいるのに、なぜかポイントが減っている。

 

 いや、まあ、ランク戦で取られているからだが。

 オレの献身のおかげか、米屋のポイント数は3000の大台が近いらしい。何とも羨ましい話だ。

 

 オレだって全敗しているわけではない。ちょこちょこ勝利を収めることもあるんだが、いかんせん負けの方が圧倒的に多いっていうだけだ。

 

 米屋対策を身につけようと他の弧月使いに挑んだら、荒船さんにやられてしまった。

 米屋とどっちが強いのか、オレには分からないぐらいオレとは差があった。

 

 弧月使いに勝つのを諦めて、同じシューター同士で勝負してやろうと挑んだら、今度は犬飼さんにやられてしまった。

 同じ位置から撃ち合っても、相手の多彩な攻撃の前に手も足も出なかった。

 

 荒船さんと犬飼さんは、どちらも同期入隊だが、学年は1つ上で既に高校生だ。

 トリオン体での戦闘では年齢は関係ないとはいえ、やはり中学生と高校生では埋めがたい差があるように感じてしまう。

 

 負けたとはいえ、犬飼さんのアステロイドの使いっぷりは勉強になったので、いい経験にはなった。

 いい経験になったんだが、経験だけではなくポイントも欲しかった。割と切実な問題だった。

 

 そのためには、動きながらも正確にアステロイドを相手に叩き込む技能が必要だということは分かった。足を止めた状態なら結構正確に的を狙えるようになったが、足を動かしながらだとそこそこで、足だけでなく全身を動かしながらだと、まだまだ練習不足もいいところだ。

 

 正隊員になると無駄にスタイリッシュにムーブしながらでも、アステロイドを目標に向けて放つ人もいるらしいので、オレはまだまだ精進しないといけないのだろう。

 スタイリッシュに雪だるまを作れるようになれば、オレもスタイリッシュに動けるんだろうか。

 

 

「今日は、華さんと訓練か」

 

 オペレーターの華さんとの訓練は、あれから不定期に行われている。

 

 初回は、宇佐美経由で捕まったが、あの日に連絡先を交換し、2回目以降はメールでやりとりして実施されていた。

 

 華さんの連絡先を手に入れることができたのはラッキーだったが、今のところは業務連絡にしか使われていない。

 1学年下の女子と何のメールをしたらいいのか分からないので、基本的には向こうからのメール待ちだが、業務連絡以外の連絡が来ることは無かったというわけだ。

 

 なお、流れで宇佐美とも連絡先を交換したがこっちは割とどうでもいい。

 どうでもいいのに、いや、どうでもいいからか宇佐美とは業務連絡以外のやりとりも多かったりする。好きな作家が一致して盛り上がったりとかそんな感じだ。うん、どうでもいいな。

 

 間違ってもフラグが立ったりしているわけではないので、その辺は誤解しないように。

 

 

 華さんとの業務連絡は、まさに業務連絡そのもので『今日できる?』とかそんなもんだ。

 現在の最長文字は『今日は、ありがとう』の8文字なので、何とか10文字までは増やしたいところだが、オレの返事も『行ける』程度なのでどっちもどっちなんだろう。

 宇佐美からは無駄に長いメールが来て、読むのに疲れたので長けりゃいいってもんではないが、ちょうどいい塩梅があるにせよ、10文字以下は寂し過ぎるわ。

 

 なお、オレは入隊日から今日までボーダーには皆勤で足を運んでいる。香取含めて周囲の連中が受験勉強真っ最中で、邪魔をしたくないっていうのもあるし、家にいるのが姉に見つかるとやかましい、というのもある。

 華さんも似たような頻度で基地にいるので、事前に打ち合わせたりではなく、今日はどうかってやりとりだけで済んでしまうのも業務連絡が短くなる理由かもしれない。

 学校で香取と飯を食うのに、わざわざ事前に調整したりなんかしないのと似たようなノリだった。

 

 あれから華さんと行われた訓練は、5回を数える。

 宇佐美は居たり居なかったりだが、宇佐美が居たときは新しいオペの訓練が行われる日なので、要注意だ。

 

 暗視訓練の時なんか酷かった。

 

 マップの光量がランダムに切り替わるマップをスタートからゴールまで走破する訓練だが、暗い、見える、眩しい、見える、暗いと、目まぐるしく切り替わり、最後は障害物に引っかかってタイムオーバーだった。

 あの後は、しばらく目がチカチカして眩暈までしてきたもんだ。

 

 これが華さんに代わって宇佐美が支援すれば、的確に暗視モードのオンとオフが切り替わって、無事設定タイム内にゴールが切れたあたり、オペレーターの支援も大事である。

 

 宇佐美はノリは軽いが、オペレーターとしての技量は凄腕らしい。

 オペのことは詳しく知らないが、暗視訓練は宇佐美すげえって思わせるには十分だったと思う。

 

 

 他には、これも真っ暗な空間を今度は暗視モードは使わずに暗いまま、オペの指示だけで動く訓練とかもあった。

 華さんの指示は論理的で分かりやすいが、指示に時間が掛かっている。

 

 例えば、正面から何か障害物が飛んで来たらしいシーンでは、「前方30メートルから飛翔物が接近、3秒後にぶつかるから横へ」といった感じの指示だったが間に合わずに、顔面でトラップを受ける羽目になった。

 

 これが宇佐美になると、必要最低限の早く短い指示で、「そこでしゃがんで」とだけで済ませて、言われるがまましゃがんだオレの頭上を何かが通過して、事なきを得ることができた。

 宇佐美すげえ。

 

 

 あとは、対近界民(ネイバー)訓練は、いつも行っている。

 オレの粘り強い説得により、戦闘は1体1で追加も無しというルールを勝ち取ることができた。

 ただ、1対1で落ちついたのはいいが、それで上手くいったわけではないのが難しいところだ。

 

 例のノッソリとした首伸ばし噛みつき君(バムスターと言うらしい)なら、もはや1対1で負ける相手ではない。

 が、華さんの用意した近界民(ネイバー)はそいつでは、なかったのだ。

 

 最初の近界民(ネイバー)は、腕がブレードになっていて近づいた瞬間、切り刻まれて終わった。

 次の近界民(ネイバー)は、反省して離れて様子を見ているうちに、口からビームが飛んできて終わった。

 なんだよ、口からビームって……本当に散々な目にあったわ。

 

 自分よりも強い相手を工夫して倒しなさいっていう華さんからの課題だと思って取り組んでいるが、中々結果はついてこない。

 

 単に、華さんが操作を覚えるために、さっさとオレを始末して次の訓練をやりたいだけの可能性もあるが、そうではないと思いたかった。

 

 

「…………うん、華さんはそんな人じゃないはずだ」

 

 100パーセント否定できないところに、若干の怖さを感じながら呼び出しに応じて、訓練室のあるロビーへと向かった。

 

 さて、今日の華さんはどこだっと、ロビーで目的の相手を探す。

 

「……誰だよ、アイツ」

 

 華さんは、見覚えのない男と談笑中だった。

 いや、まったく見覚えがないというわけではない感じだが、ほとんど記憶になかった。

 

「やたら近いし」

 

 オレと華さんが話すときは、テーブルをはさんで向かい合うのがデフォルトだが、そいつは華さんを横に見れる位置に陣取っている。

 華さんもそれを当たり前に許して、どう見ても親しそうだった。

 

 誰だよ。

 

「…………」

 

 親しそうな男女の仲に、割って入るのもためらわれるが、約束した時間が近づいているから仕方ないな。

 うん、決して邪魔してやろうとかそういうつもりは欠片もない。

 

「すまん、待たせた?」

 

 いつもの位置、華さんを正面に捉えられる席へと腰を落ち着かせながら声を掛ける。

 

「大丈夫」

「あれ? 華、待ち合わせだった?」

「いいの。雄太とも会わせたかったから」

「あ、そうなんだ? じゃあこの人が?」

 

 どうやらこの男は雄太というらしい。何やら一人で納得している。

 つーか、下の名前呼び捨てとか親しそうだな、本当に。

 

「三浦雄太、よろしく」

「……若村麓郎だ。よろしく」

 

 すっと手を差し出されたら握り返すしかない。

 握手しながら、相手の顔を伺う。

 少し冴えない感じだが温和そうな感じだ。若干、香取に似た雰囲気があるかもしれない。

 

「……華さんと三浦さんは、どういう関係?」

 

 どう話を切り出すべきか迷ったが、疑問点をそのままぶつけてみる。

 

「雄太でいいよ」

「いや、初対面だし……」

「えー、でも、これからチーム組むんだよね?」

「は?」

「まだ決まってないわ」

「そうなの?」

 

 ん。どういうことだ。

 オレがこの目の前の男とチームを組む?

 

 いや、待て。そんな約束はした覚えがない。オレがチームを組もうとしているのは、香取と華さんで──ってそういうことか。

 オレが華さんとチームを組み、この男が華さんとチームを組むのなら、必然的にオレともチームを組むことになるのか。

 

 つまり、三浦は華さんのチームメイトとなるわけだ。

 そして残念ながらオレはまだ、華さんとチームを組むのかどうかは確定していない。

 

 あれ? オレ、なんか負けてないか。

 

「そうなんだ。オレと華のチームに入る人かと思ったよ」

「雄太と組むかも決まってないわよ」

「うわー、華、厳しい」

 

 華さんの雄太呼びに続いて、こいつはこいつで華って呼び捨てか。

 本当にどういうことだ。

 

「で、どういう関係なんだ?」

「んー、一緒に住んでる関係だよ」

「は?」

 

 一緒に住んでいる。つまりそれは、いや、ちょっと待てよ。

 

「雄太。……ごめんなさい。雄太とは従兄妹で、雄太の家にお世話になっているわ」

「そういうわけだよ」

「……そうなのか」

 

 リアクションに困る話だ。

 

 話をしっかりと聞いたわけではないが、何となく伝わり聞く限りでは、華さんは大侵攻の被害者らしい。

 家と家族を失って、華さんだけが生き残ったみたいだ。

 

 ボーダーに入ったのは、近界民(ネイバー)への復讐というよりは、自立のためだと聞いていた。

 

 華さんみたいなケースだと、施設に入ったり、親戚の家に世話になったりらしいので、従兄妹の家に身を寄せているのも納得できる。

 が、それを知ってしまってどう返したらいいのかが分からない。

 

「雄太も私たちとの同期入隊よ」

「その割に見たことがないんだが」

「いやー、盲腸とか色々あって1ヶ月ぐらい入院してたから、入隊が決まって今日が初ボーダーなんだ」

「それは……大変だったな」

 

 盲腸で入院は分かるが、盲腸とか色々ってなんだよ。

 いや、大変だったってのは伝わるけどさ。

 これもまた、どうリアクションしていいのか困る話だ。

 

「ちょっと、なに華を囲んでるのよ」

「げ、葉子」

「げって何よ」

「今お前が出てくると、ややこしいんだよ」

 

 とりあえず、三浦を処理させてくれ。

 葉子はこっちの言い分なんか聞く耳を持たずに、華さんの隣に腰を下ろした。

 睨みつけてくるあたり、毎度のように機嫌が悪いのかもしれない。

 

 見た目は良いんだがら、たまには笑顔を華さん以外にも向けてもらいたいものだ。

 

「で、華を囲んでなにしてたのよ」

「自己紹介ぐらいしかしてねえよ」

「は? あんた若村麓郎でしょ」

「三浦とだよ」

「誰よ、三浦って」

「状況で分かるだろうが」

 

 この状況で自己紹介する相手と言えば、オレ以外のもう一人の男しか居ないだろうに。

 

「華さん、葉子にも説明してくれ」

「どうしようかしら」

「そこは素直に説明するところだろ、オペレーター」

 

 華さんは、このカオスに近い状況を楽しんでいるらしい。

 メガネがキラっと輝いて見える。

 まあ、そりゃ第三者ポジションなら楽しいだろう。が、当事者としては、たまったもんじゃない。

 

「雄太。この子が香取葉子。私とチームを組む予定の子よ」

「予定じゃないわよ。決定しているわ」

 

 葉子。そこはお前が噛みつくところじゃねえぞ。

 

「それで、この人が三浦雄太。私の従兄妹」

「よろしく、葉子ちゃん」

「は? なんであんたに葉子ちゃんって言われないといけないのよ」

「若村麓郎です。よろしく葉子ちゃん」

「死ねっ」

 

 左手を掴まれて思いっきりつねられた。

 自分でもないなって思うから、葉子のリアクションは間違いないな。

 口でのからかいで手を出すのは、やめて欲しいが。

 

「って、あんたポイント減ってるじゃない。何やってるのよ」

 

 目ざとく左手の甲のポイントに気づかれていた。 

 

「ランク戦?」

「ランク戦やったらポイントが増えるでしょ、普通」

「それは勝った場合だろうが」

「どうやったら負けるのよ」

「葉子のポイントは、どうなんだよ」

「さっき2000を超えたわよ」

「葉子さんって呼ばせてもらってもいいですか?」

「嫌よ、気持ち悪い」

 

 これだから天才は困る。公式訓練日にしか見かけない以上、そんなにランク戦やってないくせに、ポイントだけはしっかり稼いでやがる。

 それにどうやったら負けるとかなんだよ。凡人は負けることだって当たり前にあるんだぞ。

 葉子がポイントを奪った分だけ、泣いてる隊員だっているって気づけ。

 

「そんなんでよくあたしとチーム組みたいとか言えたわね」

「うるせー。そのうち強くなるんだよ」

「そのうちっていつよ」

「……そのうちはそのうちだ」

「望み薄っ」

「うるせー」

 

 まあ、先行きが見えていないのは事実だから、反論のしようがない。

 

「オレもチームに混ぜてよ」

「は?」

「ろっくんと葉子ちゃんと華でチーム組むんだよね?」

「その予定だが、いきなりろっくん呼びはやめろ」

「勝手に予定にしないでよ、ろっくん」

「お前もここぞってばかりに呼ぶんじゃねえよ」

「お前って言わないでよ、ろっくん」

「へいへい、すみませんでしたね、葉子ちゃん」

「葉子ちゃんもやめてってば」

 

 ろっくんは、宇佐美から呼ばれているからそこまで抵抗があるわけではないが、ほとんど初対面の奴に言われるのは微妙だ。

 初対面じゃなくても葉子に言われるのは、虫唾が走る。

 あれ? でも宇佐美の奴もほぼ初対面で呼んでいた気がするな。

 

 宇佐美は宇佐美だから仕方ない……のか。

 

「本当にふたりは仲が良いわね」

「「誰がよ」」

「ほら」

「…………」

「…………」

 

 互いに睨み合っても、なんか照れ隠しみたいになっているのが嫌だ。

 

「もういいわ。ポイント減るような奴とチーム組むなんて絶対嫌だから。華、行こ」

「私は麓郎君と訓練の予定だったのだけれど」

「オペの訓練でしょ? あたしが協力すれば済む話じゃん」

「…………」

 

 華さんがこちらを伺ってくるので、何も言わずに無言で頷いておく。

 葉子がやる気になっているのなら、葉子に任せた方が良いだろう。

 華さんとの訓練が減るのは、残念だが仕方ない。

 

「葉子は、麓郎君にだけ下の名前で呼ばれたいのよね?」

「はぁ? なんでよ」

「だから、雄太に葉子ちゃん呼ばわりされたくない」

「違うわよ。もう行くわよ」

「またね、麓郎君」

「へいへい、行ってらー、華さんにオマケで葉子」

「誰がオマケよ」

 

 華さんは、この状況を楽しみ過ぎだと思います。

 葉子がオレにだけ下の名前で呼ばれたいとか、あるわけねえわ。

 

 葉子に引っ張られるようにして去っていく華さんを見送り、男二人だけが残った。

 

「…………」

「…………」

 

 微妙な気まずさだが、ここでオレが席を立つのも、初対面の相手に失礼な気がする。

 ここは黙ってオレと同じように、葉子たちの背中を見ている三浦のリアクションを待つことにした。

 

「…………」

 

 三浦は完全に葉子たちが見えなくなるまでその背中を見送って、その後さらに30秒ほど消えた方角を見つめたあとに、ようやく口を開いた。

 

「ねえ」

「なんだ?」

「葉子ちゃんってめちゃくちゃ可愛くない?」

「見た目だけならな」

 

 見た目だけなら確かに美少女の範疇に入るだろう。だが、中身は別だ。くそ生意気過ぎて可愛さの欠片もない。

 だから三浦よ、その恋をしているような目で、葉子の消えた方角を見るのはやめたほうがいいぞ。

 

「いいなー、葉子ちゃん。オレ絶対葉子ちゃんとチームを組むよ」

「発言だけ聞くとストーカーの変態みたいだな」

「ろっくんだってそうなんでしょ?」

「ろっくんというのをまず止めろ」

 

 どうやら葉子は三浦の琴線に触れたらしい。何やらやたら気合が入っている気がする。どんな決意をしたんだか。……オレはこんなんじゃなかったと思いたい。

 

「葉子ちゃんを葉子ちゃんって呼ぶなら、ろっくんはろっくんじゃないかな?」

「葉子を葉子ちゃんって呼ぶのも止められていただろうが」

「でも、ろっくんは葉子呼びだし、オレも葉子ちゃんって呼ぶよ」

「オレはやむを得ない理由があったんだよ」

 

 葉子の兄がオレの親友で、そいつを香取と呼んでいなければ、葉子を葉子と呼ぶことも無かったはずだ。

 

 よくよく考えてみたら、葉子を香取呼びして香取兄を名前呼びすれば、解決したような気がしないでもないが、その場合華さんを染井さん呼びに戻さなければならないので却下だな。

 華さんを華さんと呼ぶためならば、葉子を葉子呼びすることぐらい我慢できる。

 

 ああ、不本意だが、これからも葉子呼びしてやるさ。

 

「ってわけでさ、オレも同じチーム、正隊員目指すからさ」

「どういうわけだよ」

「正隊員になってさ、葉子ちゃんやろっくんや華と同じチームを組む」

「オレもカウントしてくれてるんだな」

 

 葉子には否定されてばかりで、華さんからは保留状態だけに、こんなことでもちょっと嬉しい。

 

「そりゃそうだよ。ってわけで、ボーダーについて色々教えてよ。入院してたから説明とか全然聞いてなくてさ」

「……まあ、それぐらいならいいけど」

「じゃあ、よろしくね、ろっくん」

「だからその呼び方は止めろ」

「でも同じチームになるなら、ろっくんっしょ。オレのことも雄太でいいからさ」

「…………」

 

 否定するのは簡単だが、ふと華さんが最後に言っていた話が脳裏をよぎった。

 

 オレだけが葉子を葉子と呼び、三浦のことは三浦と呼んでいたら、周囲からどう見えるだろうか。

 これではまるでオレと葉子が特別な関係みたいじゃないか。

 

 それを防ぐためには、葉子と同じように三浦のことを雄太と呼ぶのは、ありかもしれない。その代わりにろっくんと呼ばせるかどうかは別問題だが……この調子なら雄太は聞く耳を持たないだろう。

 

 ああ、この感じはやっぱり香取にどこか似ているかもしれない。

 

「今のポイントはどれぐらいだ?」

「ポイントって?」

「そこからかよ。左手の甲にポイント有るだろ」

「ああ、1543ポイントってなってる」

「マジかよ」

 

 オレより高いのかよ。

 正式入隊から今日まで休んでいたとしたら、1500ポイントぐらいスタートかよ。十分有望隊員じゃねえか。

 

 まあ、現時点で1000ポイントを下回っているオレよりは、ポイントが上なのが普通なんだろうけど。

 

「とりあえず、今日の訓練はやったんだよな?」

「やった。戦闘訓練とかだよね?」

「なら後はランク戦だな。いいか、ランク戦ってのはだな──」

 

 本気で正隊員を目指すつもりらしく、三浦は熱心に話を聞いていた。

 

 ああ、こいつとは、たぶん長い付き合いになるんだろうなぁ。

 

 一瞬だけだが、葉子と華さんと三浦と組んだチームについて考えてしまった。

 

 チームの中心として輝く葉子。その背中を守って支える三浦。アタッカーの2人をフォローするオレ。オペレーターの位置から全体を冷静にコントロールする華さん。

 

 かなりオレが振り回されそうだが、意外といいチームになるんじゃないかって、思ってしまった自分が悔しい。

 

 そんな近いのか遠いのか、そもそも、あり得るのかどうかもよく分からない未来のことを思いつつ、オレは三浦へとボーダーについて、説明していくのだった。

 

 

 

 後に、このメンバーで本当に香取隊が結成されたときに思う。もう少しマシな4人の出会い方もあったんじゃねえか、と。



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