そして少女は掴み取る (ニシウラ)
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#01 出会いとプライド

 年の瀬が迫り、師走と呼ばれる月になったその日、阪神レース場ではルーキー女王を決めるGIレースが行われることになっていた。

 阪神ジュベナイルフィリーズというそれを目当てに、朝のうちから多くの客が詰めかけ場内はごった返していた。圧倒的一番人気に支持されていたニシノフラワーや、対抗馬としての声が高いシンコウラブリイ、サンエイサンキューといったウマ娘たちの名前が至る所で飛び交っている。

 

 そんなお祭りムードの中で、おそらくほとんどの客は見向きもしていないであろうお昼休み前の第5レースに彼女の姿はあった。芝でもダートでもない、基本的にそれらで通用しないと言われたウマ娘たちが最後にすがる、障害レースを走るためだ。

 

 「・・・最後は5番、一番人気のメジロパーマー」

 このレースで圧倒的支持を受けていた彼女──メジロパーマーは、アナウンスと共にやや暗めの茶髪ロングヘアーを後ろで束ね、障害レース特有のプロテクターを両腕両膝につけた姿でパドックに現れた。

 障害ではまだ1戦しかしていなかったが、転向初戦の勝ちっぷりは見事なもの。ジャンプが不安定ではあったが、道中の脚の違いで後続を寄せ付けなかった。これだけの支持も頷けるというものだ。

 そして何より、パーマーには障害レースを走るようなレベルとは思えないくらいに平地での実績もあった。

 

 パドックでのパーマーは、遠目からでも分かるくらいに元気がないように映った。しかし前走もそのまた前走も、というよりここ最近ずっとパーマーはこんな感じだったので、熱心に全レースを見ているような客の中には、気に留める者はいなかった。

 

 「・・・ははっ」

 小一時間が経ち、レースは終わった。ゴール後、息を切らし膝を手についたパーマーは思わず笑みを零した。嬉しいからではなかった。

 「わたし、何やってるんだろう・・・」

 このレース、パーマーは2着に敗れた。

 

 (「わたし、何やってるんだろう、か」)

 地下バ道を歩きながら、さっき不意に出た言葉をリフレインする。

 今年は夏の北海道で重賞を勝ち、嫌になるくらい強い同期たちには遥かに及ばなくても、自分の中で力はついてきたような気はしていた。しかし半年が経ち年の暮れが迫ってきている今、自分で思い込んでいた強さは明確に否定されている。

 夏に一瞬晴れた心は今、それ以上の闇で埋め尽くされていた。

 そして何より、障害レースを走ることは自分の本意ではなかったのだ。決して障害レースをバカにしているのではない。しかし飛越が下手っぴで、平地の力だけでまわりの娘と勝負しているのは自分でも分かりきっていた。今日は障害の度に失速し前を捕まえきれなかったし、走る能力は障害レースを走るウマ娘の中で抜けていても、根本的に向いていないのは明らかだった。

 平地の方が自分の力を出せる。しかし諦めざるを得なかった。いや、諦めさせられたのだ。

 (レースって、走ることってこんなに苦しかったっけ?)

 

 「レースって苦しいなあって顔してるね」

 後ろから心の中を見透かされたような言葉が飛んできて思わず振り返る。もしかして声に出てしまっていただろうか。

 そこには着崩したスーツ姿の男が、薄い顎髭をさすりながら顔だけをこちらに向けて立っていた。身長も恰幅も平均くらい、歳は20代半ばといったところだろうか。

 「・・・わたしに何か用ですか?敗者に用なんてないでしょ?」

 ぶっきらぼうに吐き捨てる。今は誰とも話したくなかった。

 「いや、そんなに苦しそうに走る娘なんてスタミナ切れ以外で見たことなかったからね」

 「そうですか、まあ年頃の女の子にはいろいろあるんですよ」

 「うちのチームにも年頃の女の子いるけど、ずっと楽しそうな顔してるけどなあ」

 「ウイニングライブがあるんでもういいですか?一応2着なんで」

 なんだか苛立ってきたので会話を終わらせようとする。何よりこの男(うちのチーム、と言っているので一応トレーナーだろうか)、絶妙に胡散臭い。関係者パスを下げて地下バ道にいるので不審者ということはないだろうが、あまり関わりを持ちたくはない。

 

 「・・・じゃあ最後にいいかな」

 「・・・」

 「なんでキミ、障害レース走ってるの?自分の意志じゃないよね?」

 許可してないのに質問を投げかけてくる。そしてその質問は嫌になるほど核心を突いていた。

 「・・・それが家の考えなので。『メジロ』の家のね」

 それ以上、何か声が返ってくることは無かった。

 

 ウイニングライブを終え、今日のメインイベントであったGIレースを見ることなく学園寮に戻った。ベッドに腰掛けてテレビをつけると、一番人気だったニシノフラワーが圧勝したことをアナウンサーが興奮気味に伝えていた。

 なんとなくいたたまれなくなってテレビを消す。晴れてルーキー女王となった彼女は目が輝いていて、インタビュー内容は来年の桜花賞・オークスへの抱負を語る、希望に満ちたものであった。今のパーマーは、それを直視できない。

 

 ため息をひとつついて、ベッドへ思いっきり四肢を投げ出す。

 苦しそうな顔をしてる、と言われたことが未だに頭の中をぐるぐるしていた。そしてそれは純度100%の事実である。

 

 だって今、わたしはレースが全然楽しくない。苦痛でしかない。

 

 昔は走ることが楽しかったし、なかなか勝てなくてもレースを元気に走っていた。

 しかし、同じ『メジロ』の名を持つ同い年の2人は強すぎた。必然的にわたしは家のみんなから落ちこぼれの目で見られた。テレビの中の彼女が持っていたものと同じような希望は、どんどん劣等感で埋め尽くされていった。

 そして今年の秋、京都レース場で美しい芦毛のロングヘアーを持つ『メジロ』の馬に大差をつけられ敗北したわたしは、その日のうちに障害レースへの転向を「命令」された。

 かすかに燃えていた炎は、完全に消え失せた。

 

 「いつからわたし変わっちゃったんだろうなあ」

 天井を見つめているうちに、また言葉が漏れ出た。パーマーと同じようにダウナー系であるルームメイトは不在にしていて、返事は誰からも聞こえてこない。

 

 はずだったのだが。

 

 「あたしは変わりましたーーーーーーーー!!!!!!!!」

 外からとてつもない絶叫が聞こえてきた。

 あまりに自分が漏らした言葉とシンクロしていたので、思わずベッドから飛び起き、声の聞こえる方向──グラウンドへ窓から身を乗り出して目を向ける。寮生のうち大多数はGIレースを見るため学園を出ているはずだ。よっぽど冷めている自分以外、いったい誰が寮に残っているのだろうか。

 

 そこにはウマ娘がひとりと男がひとり。

 「あたしはあたしはあたしはあたしは、勝てなかった自分とバイバイしました!!!長い長い修行をして、がんばってがんばってがんばって、ついについに勝てました!!!」

 「よしよしわかったわかった、お前は頑張ったのは間違いないから、頼むからもう少しボリュームを下げてくれ」

 小柄でまんまるな顔をした、ボブカットにカチューシャのウマ娘は、両腕を上下にバタバタ振り回して興奮して叫んでいる。それを制止している男は、どこからどう見てもさっきパーマーの心を見透かしてきたあの胡散臭い男だった。

 ・・・もしかしてさっき言っていたうちのチームの年頃の女の子とは、絶賛ジタバタ中の彼女のことだろうか。そりゃあ常日頃から楽しそうにしているだろう。

 引きつった笑いを浮かべながら窓を閉めようとする。

 

 が、その刹那。そのジタバタしている彼女と目が合ってしまう。

 

 あーーーー!!!!!という叫び声をあげて走り寄ってくる彼女。反射的に窓を閉めて鍵をかけるパーマー。といっても生憎パーマーの部屋は3階のため、襲撃を受ける心配はなかった。

 しかし彼女は構わず突っ込んでくる。遥か上にいるパーマーの方を向いたまま、寮の手前にある小川に猛スピードで飛び込んだ。

 そして突っ込んだまま動かない。

 「ああ、この娘アホの子だ・・・」

 薄茶色の尻尾がプカーと浮かび上がってきた。

 

 胡散臭い男と、なんとなく責任を感じて降りてきたパーマーの手によって彼女は保健室に搬送され、ベッドに寝かしつけられた。

 目を回している間に、彼女のプロフィールをある程度聞いておいた。変人も多い学園の中でも、なかなかいないタイプの娘だったので単純に気になったのだ。

 

 名前はエルカーサリバー。今年の夏にデビューしたルーキーウマ娘であり、今日パーマーと同じ阪神レース場で未勝利戦を走っていたようだ。

 素質は確かだったものの、いかんせん元気がよすぎる性格が災いしたのかあと一歩勝利が遠く、頭を冷やさせるために秋の間ずっとレースには出していなかったらしい。まあ、本人にはレースに出さないことを「修行」と伝えていたらしいが。

 そして今日、久々のレースで初勝利を掴み取り、いつもの5倍増しのテンションになっていた矢先の出来事だったそうだ。

 

 「でもなんでわたしの事を見て駆け寄ってこようとしたのかな?ウマ娘がレースの日のこの時間にいることが珍しかったから?」

 「いや、キミだからリバーは追いかけたんだと思うよ」

 口にした疑問は、意外な答えで返された。

 「今日まで面識はなかったけれど」

 「お昼にレースに出てたじゃないか」

 「それだけで?」

 「それだけだろうな、それだけでリバーには充分な理由さ」

 「でもなんで初めて見たわたしの顔をすぐ覚えて・・・」

 「────はっっっっ!!!!!」

 言い終わらないうちに、目を回していたリバーがベッドから飛び起きる。第一声のボリュームがいきなり大きい。

 「おきましたーーーーー!!!!!」

 

 目覚めたリバーは、ベッド横のイスに腰掛けていたパーマーに顔を向け、大きなまんまる目でじーっと見つめている。

 (・・・なにこの状況)

 見つめ合いに耐えられなくなったパーマーが引き笑いしながら少し目を逸らした瞬間、また大きな声が保健室内に響き渡る。

 

 「おねえさんおねえさんおねえさん!!!おねえさんはなんでなんで、辛そうな顔で走っているのですか!?」

 

 ああ、この娘にも見透かされていたのか。

 不意を突かれ一瞬で真顔に戻ったパーマーだったが、すぐに乾いた笑いが漏れ出した。今日初めて会ったはずの娘に顔を覚えられていた理由も分かった。いつの間にかリバーのトレーナーは部屋からいなくなっていた。

 

 「レースは楽しい楽しいものですよ!?そんなおかおをして走るなんて、不思議で不思議でたまりません!!!」

 

 やめてくれ。

 

 「おねえさんが出ていたレースも、みんなみ〜んな楽しそうにがんばっていました!!!」

 

 やめろ。

 

 「でもでも、おねえさんだけは」

 「やめろ!!!」

 

 叫んでしまった。リバーはまんまるな目を更に丸くしてきょとんとしている。

 「・・・急に叫んでごめん。でももうやめて、わかってるんだよ、自分でも・・・」

 「昔はみんなと同じで、レースは楽しかったのですか?」

 「・・・そうだね、楽しかった・・・わたし、いつの間にかおかしくなっちゃったんだ」

 また乾いた笑いが漏れた。今わたしどんな顔してるんだろうな。何かを憐れんでいるような顔なのか、泣きそうな顔なのか。それがあやふやなくらい、自分の感情も分からなくなっていた。

 

 「な〜に人生終わったみたいな顔してるんだよ」

 スチールの感触を頬で感じた。飲み物を買いに行っていたらしいリバーのトレーナーによって、自分の表情を確認させられた。

 「・・・実際、わたしの人生にもう希望なんてないかもしれないですね」

 缶コーヒーをあける音だけが響く。

 「家に帰れば落ちこぼれ扱い。命令に従わなければ勘当。だから家の命令で走りたくもないレースに出て、ほどほどにやるだけ。走ることは楽しくない、ただ苦しいだけ・・・」

 ふふっと鼻で笑う。本人も気づいていないが、悲観的になると笑ってやりすごす癖がパーマーにはあった。

 

 「じゃあもう家から出ていけばいいじゃん」

 そう言うと彼も缶をあける。その単純で無責任としか思えない発言が、パーマーにはかえって新鮮に感じられた。

 家を出れば、そりゃあ自由気ままに縛られず、自分のやりたいように走ることができるだろう。とても魅力的だ。家の命令で障害レースに出る必要もない。落ちこぼれのわたしを止める人もいないだろう。

 しかし、それを決断するには生半可ではない巨大なものが立ちはだかる。

 「・・・家を出て『メジロ』ですらなくなったわたしには何が残るんでしょうね」

 「その『メジロ』のプライドがキミを邪魔してるんじゃないの?プライドばっかり気にしてさ、走るどころか生きることすら辛くなってたらなんの意味もないよ。第一その名前に縛られすぎて、キミ自身のプライドがないじゃん、そこには」

 「わたしのプライド?そんなものどこにもありませんよ」

 「あるよ、生きているだけで誰にでも」

 そう言ってコーヒーを再びあおる。その時間は、パーマーにはとても長く感じられた。

 「自分が自分であることがプライドなんだよ。いくら名家に居たって、押し潰されそうな大きなものがあったって、最後に自分のプライドが立ちはだかるんだ」

 ずっと押し黙っていたリバーも飲み干したにんじんジュースの缶を両手に持ち、ぶんぶんと鼻息荒く首を振る。

 

 「キミがやりたいようにやれよ。自分の人生だろ、家柄なんかに縛られるちっぽけなプライドなんかクソ喰らえだ」

 「あたしは細かいことは全然全然わからないですけど、自分が楽しくないといけないと思います!!!」

 

 これまで誰も言ってくれなかったその言葉に、胸が熱くなる。

 ああ、わたしもわたしでいていいんだ。

 家柄なんかに縛られない、やりたいようにやる自分でいていいんだ。

 溢れそうなものを堪えながら、丸い三脚イスから立ち上がる。胡散臭い男と、元気があり過ぎる少女によって、長い間見えなかった自分の道は開けた気がした。

 「・・・ありがたいお話をありがとうございました。まあ家を出て行くかはともかくとして、もう少し自分のことは見つめ直してみます」

 ドアに手をかける。自分の中では答えはほとんど決まっていた。

 

 「あーあー、ちょっと待ってくれるかな?」

 「・・・なんですか?」

 「もしも、もしもだけどメジロの家を出るってなったらその時はキミは無所属のウマ娘になっちゃうんだよな?」

 「そういえばそうなるんですかね、まあ無所属でもレースには出られますし、トレーニングの方法ももう──」

 「ってなわけで、なあ?」

 「ですですです!!!」

 「・・・?」

 顔を見合わせたふたりは、言葉を遮られきょとんとしているパーマーに向かって満面の笑みで向き直る。

 

 『ということで、チームポラリス(うちのチーム)へようこそ〜!!!』

 「・・・は?」

 

 いつの間にか、陽はもう暮れていた。




エルカーサリバーをアホの子にしすぎました。


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#02 叫びと決意

 「どうしたもんかねぇ・・・」

 胡散臭い男と元気がよすぎる少女との出会いから一夜明けた月曜日、授業を終えたパーマーは自室の机に向かって唸っていた。

 そこには白い紙が一枚。もう一時間はそのままだ。

 

 昨日レースに出たので、今日は身体を休めるように『メジロ』の家からの指令が出ていた。

 基本的にメジロの馬は、学園内のチームに所属することはなく、家お抱えのトレーナーによってその日のメニューであったり今後のレース選択をまとめて管理されることになる。

 そして結果を残せないウマ娘は、自分がやりたいようにレースを選んだり、自己流の練習を行うことを到底許されない。

 ただ、今日のパーマーは仮に休養の指示があろうとなかろうとトレーニングをするつもりはなかった。改めて考えたいことがあったからだ。

 

 パーマーは、本当にメジロ家から飛び出してしまってもいいのかどうか、日が変わって再び苦悩していた。

 昨日出会ったふたりは、わたしの意思で生きていく選択をすべきだと言っていた。チームに入れとも言ってくれた(ちょっとあのテンションはわたしにはしんどそうだけど)。

 しかし、いくら自分が目の上のたんこぶのような扱いを受けているといっても、慣れ親しんだ家であることには変わりない。もう全然会っていないが、母親やふたりの同級生と会うこともできなくなると考えると、どうしても二の足を踏む。

 自分が自分であるためのプライドを守るためには家を出て行く必要があるが、失うものも大きい。必ずどちらかを捨てないといけない。

 

 「わたしって意外と優柔不断なんだな・・・」

 自分でも知らなかった一面にまた気づいてしまったのかもしれない。

 約束の時間になってしまった。全く決められなかった自分に苦笑しながら、部屋を出る。

 

 「で、結局まだ決めかねていると」

 「はい、その通りでございます・・・」

 「まあ、家を捨てるってのは簡単にできる決断ではないだろうな」

 「昨日はえらく簡単に言ってくれましたが、まあそうですね」

 

 目の前をちんちくりんな少女が駆け抜けていくのを見ながら、今日はジャージを着ている彼女のトレーナーとそんな話をしていた。というか、今叫びながら爆走しているルーキーの彼女もわたしと同じで昨日レースに出たはずなのに、なんでいきなりこんな全力で飛ばしているのだろうか・・・

 「・・・リバーは性格的に走らせてないと余計調子が悪くなるからな、むしろ昨日まで3ヶ月レースに出さずに抑え込めたのが奇跡だったよ」

 「・・・それをなんとかするのがあなたの仕事なんじゃないんですか?」

 「ああ、間違いないな」

 

 リバーは向正面のあたりにいた。明らかにペースが落ちているが、いったいグラウンドを何周しているのだろうか。

 「まあ、どっちにしろ年内にもうひとつレースを使わせようと思ってたからな、幸い休み明けで疲れもないから多少の無理は利くよ」

 「結構スパルタなんですね」

 「彼女もそれを望んでる」

 「と、いいますと」

 「今日の練習前、耳がいつもよりひょこひょこ動いてた」

 

 えらくテキトーに見えるが、ふたりの間には確かな信頼関係があるようだ。

 今のわたしには手の届かないものを見て、少し羨ましくなった。

 いろいろと胡散臭いことに変わりはないが、しっかり担当ウマ娘のことは考えているし分かっている、いいトレーナーなのかもしれないな。みんなにも慕われているようだし。みんな──

 

 そう思ったパーマーだが、ふと違和感をひとつ覚えた。

 「・・・ねぇ、リバーは分かるんだけどこのチームって他のウマ娘は・・・?」

 「・・・その話はやめようか」

 チームポラリスは、ひとりとひとり、合わせてふたりのチームであったらしい。いわゆる弱小軍団である。

 

 「おねーーーさん!!!いつからいつからいたのですか!?!?」

 超がつくほどヘロヘロになっていたはずのリバーが、わたしを見つけた途端に昨日と同じボリュームで叫びながら駆け寄ってくる。

 2つしか歳は違わないはずなのだが、どこからそのエネルギーは来ているのだろうか。

 「いや、そこのお兄さんに放課後グラウンドに来てくれ、って言われたからね」

 「トレーナーさんが!!!」

 「まま、昨日はチームに誘ったら滅茶苦茶微妙そうな顔してたからな、練習見てもらったら考えも変わるかなと思ってね」

 「元気な後輩ちゃんが楽しそうに走ってるのだけ見ても変わらないと思うんだけど・・・」

 「おねーさんおねーさん!!!うちのチームに入ってくれますよね!!!!!」

 有無を言わさないという態度で鼻息も荒くリバーが詰め寄ってくる。その意気に少したじろいだ。

 「ま、まあ、まだ家を出るか決めたわけではないし、出たとしてもこのチームに入るかは正直まだ微妙なとこかな・・・」

 そう言い終わらないうちに、リバーはみるみる小さくなっていった。まんまるな目には涙をためている。

 「はいはいはいはい!ほらキミも人助け、いやウマ助けだと思ってそこをなんとか!」

 「いやいや、さすがに泣いてる子をあやすためだけに入るってのも・・・」

 「あーもうこの際今入らなくてもいいから!最悪子守唄でも歌って寝かしつけてくれてもいいから!」

 「わたしは保母さんか!」

 「いいえ、大丈夫です!!!」

 

 出来の悪い漫才みたいな掛け合いをしているうちに、いつの間にかリバーはケロっとしていた。慌て気味にも見えたトレーナーの顔も一瞬にして晴れた。

 「さっすがリバーだ、強い子だな〜よしよし」

 「えへへへへ〜〜〜」

 

 ──わたしは一体何を見せられているのだろうか。

 ふたりのイチャイチャ(というより、幼い娘をあやしている父親のような関係だろうか)を白い目で眺めながら、そんな感想が浮かぶ。

 

 そして同時にひとつ疑問点が生まれた。リバーの性格のことだ。

 まだ会って1日とはいえ、彼女の感情表現がいくらなんでも激しすぎるのは既に分かっていた。

 そんなリバーなら今みたいなちょっとのことでも、赤ちゃんのように大泣きしてもおかしくないはずだ。考えすぎなのかもしれないが、どこか引っかかる。

 「本当に、強い娘なんだよな」

 小さな声で彼が呟いたのを、パーマーは聞き逃さなかった。

 

 とりあえず今日のうちはまだ決められないという旨を伝えた上で、グラウンドを後にする。

 リバーはわたしが見えなくなるまでずっとぶんぶん手を振っていた。ような気がする。

 部屋に戻ると、持ち出さず机に置いたままのスマホにメッセージが入っていた。送り主は十中八九わかっている。内容を確認すると、軽く溜息をついた。

 「やっぱりわかってくれないんだなあ・・・」

 

 文面にはこうあった。次走は12月22日、阪神レース場の障害レースに出るように、と。

 パーマーの心はまた闇に覆われていった。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

 それから2週間が経った。パーマーは心を曇らせながらも、一週間後に迫った障害レースに出るために、メジロ家から命令された練習メニューを機械的にこなしていた。

 当然、絶縁状は白紙のままだ。結局あと一歩踏み込めない自分に嫌気が差してきていた。

 自分を手に入れるためには犠牲にしなければならないものがある、と分かっているはずなのに。

 

 そんな時、ふたたびリバーのトレーナーから声がかかった。リバーがまたレースに出るから応援に来てくれないか。彼女も大喜びするだろうし。そんな内容であった。

 少し悩んだが、行くことに決めた。気分はかなり沈んでおりとても他者のレースを見れるような感情ではなかったが、だからこそなのかもしれない。あのふたりのテンションは、軽い面倒臭さは、そして暖かさはまた曇ってきたわたしの心を晴らしてくれるかもしれない。

 

 「なんだ、嫌そうな顔してたのに結局来てくれたんだな」

 「せっかくお招きいただいたのに断るのもなんだかね、どうせ暇だったし」

 「おねーさんが来てくれたので、今日は絶対に勝ちます!!!」

 リバーは鼻息も荒く健気に笑っていた。

 

 今日は未勝利レースに比べると、相手も強くなったけど頑張ってくれるかもしれないな。

 わたしは無意識のうちに一縷の希望を抱いていたのかもしれない。

 

 リバーは6着に敗れた。

 もちろん勝者がいれば敗者はその何倍もの数いるのだ。負けることは誰にでもある。それは仕方ない。

 今日は前に比べてメンバーが揃っていた、展開が向かなかった、人気の割に健闘していた、いろいろ慰める言葉は思いついたが、帰ってきた彼女を見てそんな言葉を口にすることはできなかった。

 帰ってきたリバーを見て、わたしは恐怖感を覚えてしまった。

 

 リバーは笑っていた。どう見ても心からのものではない、作った笑顔で。

 

 「トレーナーさん、おねーさん、応援ありがとうございました!」

 悔しいなら、無理に笑わないでくれ。

 

 「今日はからだが風にうまく乗ってくれませんでした、でも次は大丈夫です!」

 悲しいなら、いつもと同じくらい大きな声で泣いてくれ。

 

 「次は、負けません!」

 その顔をやめてくれ。お願いだ。

 

 怖くなって、わたしはふたりを見送ってすぐにレース場から逃げ出してしまった。

 

 電車に飛び乗り、学園に逃げ帰ったパーマーは、布団をかぶりなぜ自分が震えているのかを考えていた。

 いや、考えるまでもなく答えは見えていた。

 

 彼女は、リバーはわたしの「正反対」なのだ。そう思っていた。

 

 走ることはとても楽しいという「あの娘」と、苦痛にしか感じられなくなってしまった「わたし」。

 信頼を結んで生きている「あの娘」と、誰にも腹の中を知らせられない「わたし」。

 わたしにないものだけを集めたような彼女を心の中で羨んでいた。

 

 でも、さっきのリバーは今のわたしのようだった。取り繕った笑顔が、元気がないのに強がっている姿が、簡単に見抜けてしまう苦しさが自分の鏡写しに見えた。それにぞっとした。

 あんなに元気な子でもちょっとのことで何かが壊れてしまう。それは決して珍しいことではない。

 心を壊し、体力はありあまっているのに急に走れなくなってしまうような子は何人も見てきた。

 しかし、それを見るのはとても残酷で、何回見ても慣れるものではない。

 

 そして、わたしは認めたくなかった現実を受け入れざるを得なかった。

 「今のリバーは、昔のわたしなんだ・・・」

 

 昔のわたしは、一緒に育てられてきた異母姉妹のふたりよりも間違いなく走ることを楽しんでいた。

 先頭に立って風を受けながらなにもない大平原を駆け抜けるのが大好きだった。

 それこそ、元気いっぱいで練習をしていた彼女のように。

 しかしわたしは、闇を抱え込んでしまった。それを解き放とうともしなくなっていた。彼女ももしかしたらそうなるのかもしれない。

 それだけは、なんとしてでも避けたかった。悲惨な思いをするのはわたしだけで充分だ。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

 「──ぱい、せーんぱい起きてください」

 「・・・あえ」

 「先輩何寝ぼけてんすか、もう食堂あいてますよ」

 「・・・寝てたのか」

 気づけば、もう夜になっていたようだ。目をこすると、そこには1つ歳下の後輩が立っている。

 ずっといろいろな感情が頭の中を駆け巡り続けている間に、わたしの頭はオーバーヒートののち機能停止していた。

 「あー、わたしあんまり食欲ないから、ネイチャ先行っといてくれる?少しその辺ぶらついてから行くから」

 「りょーかいです、席だけ取っときます」

 ツインテールに緑リボンのダウナー系ルームメイト──ナイスネイチャは、いつものように気怠げな声色で部屋を出ていった。

 

 少し伸びをして、わたしもとりあえず部屋を出ることにした。そこまで食欲はないので、まっすぐ食堂へ向かう気は起こらない。

 まだ少し頭は熱い。少し夜風を浴びたくなり、靴に履き替えて中庭をぶらつくことにした。

 もうグラウンドで自主練をしているウマ娘もいない。静寂の中で聞こえるのは、風が木を揺らす音だけだ。

 

 足は自然に中庭の切り株の穴に向かっていた。

 何か叫びたいことがあるわけでもない。いや、あるのかもしれないがぶちまけたい感情は頭の中でこんがらがって分からなくなっていた。

 それでも、数多の敗北や悔しい思いを受け止めてきたであろうそれを見たくなったのだ。

 

 先客がいる。

 それも、見知った人影だ。小さくてまんまるな顔をした、カチューシャの少女だった。

 とっさに木陰へ身を隠すが、今日敗れた彼女は穴に向かって叫んではいない。しゃがんで穴を見つめている。

 わたしは、金縛りにあったように動けなくなっていた。

 

 どれほど時間が経っただろうか。ふたりの間の静寂は永遠にも感じられた。

 その刹那。

 「・・・おうえんしてくれるひとがいたのにっ、つらいかおをしてしまいましたっ!!!」

 どきりとする。

 「ぜったいにあんなかおはしないってきめたのにっ、まもれませんでしたっ!!!」

 涙声でそれだけ叫ぶと、リバーは穴に顔をうずめ、大きな声で泣き始めた。

 「うぅぅぅうぅ・・・うわぁぁぁああああ〜っ!!!」

 それまで彼女が溜め込んだものが一気に溢れ出している。

 

 「あいつ、人前では絶対に泣かないんだよな」

 不意に後ろから声がした。いつの間にか、彼も立っていたようだ。

 「まあ、まだいろいろ幼いから抱え込んでるのバレバレなんだけどね。でも、泣きそうになっても涙だけはこぼさない」

 そう言いながらタバコをつける。校内は禁煙だが、もうこの時間だ。咎める人もいない。

 「・・・わたしはあそこまで勝負に気持ちを入れられないですね」

 「いや、負けたから泣いてるわけじゃないさ」

 「期待に応えられなかったから、ですか」

 「半分正解だ」

 煙を吐き出す。

 

 「期待してくれている人を不安がらせたくないんだろうな、まあ、現にキミにも俺にも感づかれてるし、まだまだできてないけど」

 「・・・なんで、そんなこと」

 「自分の走りで応援してくれる人を幸せにしたい、そういう娘なんだ、だから自分が辛そうにしているのを見せるなんてもってのほかってことだ」

 

 束の間の静寂。

 

 「本当に強い娘だよ、あいつは」

 この前言っていたのと同じセリフだ。

 「あの娘も、今は健気でも、越えられないものを見て、潰れちゃうかもしれない・・・」

 声を絞り出す。わたしみたいに、という言葉は心の中に飲み込んだ。

 「ああいう感情を抱え込むのは当然よくないよな。当然これからは99%勝てないような相手だって出てくるだろうね。だから、今のあいつに本当に必要なのは、弱味を見せない精神力じゃない、本当に辛い時に腹を割って話せる仲間だ」

 2本目のタバコに火をつける。

 

 「そしてそれは、キミにも必要だろ?」

 「・・・間違いないですね」

 腹のうちを晒すことができる仲間。わたしには、いやわたしにも、それはない。

 

 それでも、やっぱり──

 「でもわたしには、あの娘と違ってもう期待してくれてる人なんていない」

 「あいつが期待してる、もちろん俺も」

 「なんでわたしなんかに!!」

 語気が荒くなる。

 「・・・やっぱりわからないよ、なんでこんなわたしに期待なんかしてるの・・・もっと素質ある娘はいくらだって──」

 「北海道のレース、俺とあいつで見てたんだよ」

 はっと振り返る。

 「たまたまリバーの出た未勝利戦の次の日だったんだよ。函館のレースだ、ものすごい先行争いで前にいったウマ娘は軒並み脱落、その中で根性だけで踏ん張ったキミにリバーは感動してた」

 「・・・踏ん張った、っていっても5着だけどね」

 「充分さ、ずっと競りかけられてたしもっと大敗してもおかしくない」

 その言葉は、絞り出したただの慰めではないことはわかった。

 

 「あの時のキミは、なにか目指すものがあっただろ?限界が来ても最後まで目が死んでなかった」

 

 ああ、そうだ、わたしにも一瞬燃え上がりかけた炎があった。半年くらい前のことなのに、もう忘れていた。

 秋にメジロの同期、そしてメジロの最高傑作と戦うことになった、だから絶対に全てを見返してやる。その気持ちを夏の北海道遠征では持ち続けていた。

 がむしゃらだった。

 1%でしか勝てない相手を倒そうとしていた。

 それがわたしの最後のプライドだった。

 そして、それは粉砕された。

 

 「そんなキミにリバーは惹かれたんだと思うよ、ただの素質じゃない。少なくとも俺はそうだ、キミはこんなとこで踏みとどまっていていいはずがない」

 「・・・わたしもまた、あんな気持ちになれるかな」

 「なれるよ、キミの心はまだ折れてない」

 「もうなにもかもどうでもよくなっていたとしても?」

 「自分に苛立っているのが、その証拠だ」

 「・・・」

 「前にも言ったはずだ、キミ自身のプライドはまだ死んじゃいない」

 

 ぐちゃぐちゃだった感情が、まとまった形になっていく。

 

 まだわたしは、終われない。

 こんなわたしを見てくれている人がいる。

 期待してくれている人がいる。

 こんなところで止まっていられない。

 

 いつの間にか、リバーの姿はなくなっていた。

 「ありゃ、泣き疲れて帰っちゃったかな?」

 「・・・ちょっとそこの穴に叫んでくるから耳塞いで後ろ向いていてくれませんか?」

 ふふっ、と彼が鼻で笑う。

 「キミが顔を歪めて叫ぶところ、見てみたいけどなあ」

 「いーから!恥ずかしい!」

 強引に人払いをして、穴に顔を向ける。

 

 これまで生きてきて一番の大声をあげて、大粒の涙をその穴に注ぎ込んだ。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

 今のわたしはどんな顔をしているだろうか。

 晴れやかな顔?

 憑き物が落ちたような顔?

 いや、そんなことは今はわからなくてもいい。

 

 「・・・もう決まったかな」

 「ええ、おかげさまで」

 夜闇の中で、改めて彼の方へ向き直る。

 

 「あの娘を守りたいし、あの娘から学びたい」

 決意は、本当に固まった。

 「あの娘みたいに、あの娘といっしょに強くなりたい」

 

 目の前にいるリバーのトレーナー、そしてわたしのトレーナーに手を伸ばす。

 何本目かのタバコを足で踏み消し、彼も手を差し出した。

 「あらためて弱小チームへようこそ、お嬢さん」

 

 わたしの次走は、『未定』になった。




月2回くらい更新できたらいいですね〜って感じです(無責任)


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#03 決別と人さらい

 冬の北海道は、過酷である。

 基本的に吹雪が窓を叩くし、晴れていても気温は氷点下二桁を示すことがざらだ。

 洞爺湖畔にあるメジロの本家付近は、北海道基準であればむしろマシな方かもしれない。それでも寒いものは寒いし、きついものはきつい。正月のいざこざを一通り終えた今になっても、まだおめでたい気分にはなかなかならない。

 

 やはり春にならないと、雪が溶けて緑が顔を覗かせないと気分は上がってこないのかしらね。

 正月休みで帰省していた銀髪ストレートヘアのウマ娘は、読んでいた本を閉じ、一人掛けのソファから立ち上がって身体を伸ばす。

 窓からわずかに顔を覗かせる太陽と、雪に覆われた湖を見て、なんだか感慨深い気分になっていた。

 

 「しかし、今日はなんだか騒がしいですわね」

 

 もう三が日も終わり、来客もめっきりなくなった今になって、なんだか家の中が慌ただしくなっている気がする。

 

 「・・・まあ、いいでしょう」

 そう呟くとまた椅子に身体を沈み込ませ、目を閉じる。まだ少し疲労が残っていた。それもそうだ、二週間ほど前に走った一年最後の大レース──有馬記念には、メジロの誇りを持ち途轍もないプレッシャーを受けて臨んだ。疲れもどっと出る。

 

 そして、敵とも思っていなかった相手に勝利を奪われた。

 してやったりのガッツポーズをする彼女を見て、私は自分の未熟さを思い知った。

 

 昨秋は不本意としか言えない成績だった。

 有馬記念の他にも、ジャパンカップでは外国ウマ娘3人に力負け、そして思い出したくもない秋の天皇賞──あそこまで我を忘れて取り乱したことは、生まれて初めてだった。

 

 今は休養を命じられているが、早く練習に戻りたい。そして、どんな相手も甘く見るようなことはもうしない。全レースで勝ち続ける。

 

 こう思うのはもう何度目だろうか。

 改めて気を引き締めるが、ふかふかのソファーはすぐに心地良い眠気を届けてくる。抵抗はせず、身を任せる。

 

 彼女──メジロマックイーンが家中の慌ただしさの理由を知るのは、もう少し後のことになる。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

 チームポラリスの練習は、お世辞にも良好とは言えない環境で行われている。

 というのも、単純に人数が少ないのだ。コースは大所帯のチームが優先的に使えるように取り決められており、人数が少ないチームが使えるタイミングは中々回ってこない。ウエイトルームも同様だ。一般市民の迷惑になるので、この時間は河川敷も使えない。全然ウマ娘もいない弱小チームが入っていけるスキはなかなかない。

 だから他のチームがグラウンドからいなくなるまでは、中庭や駐車場の一角、果ては校内の廊下や階段を使って身体を動かすしかなかった。

 元々メジロのウマ娘であったパーマーは、学園から少し離れたところにあるメジロ家専用のコースを使ってトレーニングができたが、もうそこを使うことはないだろう。つまりは、この不自由な環境に慣れないといけないのだ。

 

 「うーーーー、はやく走りたいのです!!!」

 「こーら、どっちにしろ今日はお前はダメだ」

 だだっ広い駐車場の一角で、うずうずしているリバーをトレーナーが諌める。

 「つい昨日思いっきりレースに出たところだろうが、今日はストレッチだけだ」

 「でもでもでも、昨日も勝てませんでした・・・!もっともっともっともっと練習しないといけません・・・!」

 「なーにそれでも2着だ、展開も向いてなかったしあの中で一番強いレースをしていたのはリバーだよ」

 「ほんとうですか!!!!!」

 「あー間違いない、次は絶対に勝てるな」

 

 (・・・微笑ましいというか、なんというか)

 歓喜の声を上げぴょんぴょんと飛び跳ねるリバーを、パーマーはやや遠目からストレッチをしながら眺めていた。

 (やっぱり愛嬌があるっていいよね)

 とにかく底抜けに感情表現豊かなリバーは友達も多いように見える。昨日だってただの条件レースなのに、正月早々で実家に戻っている子も多いにも関わらず、わざわざ何人かのクラスメイトが応援に来ていたようだ。そしてパーマー自身も、彼女の明るさと真剣さに好意を抱いている。

 

 社交的とは言えないパーマーとは、性格の面では真反対だ。だから眩しい。

 (自分を変えるって決めても、あそこは真似できないかな)

 

 一呼吸ついて立ち上がると、まだはしゃいでいるリバーとトレーナーの方に歩いていく。

 「あのー、わたしは今日走っていいんですよね?というか、一応年末にレース出るつもりだったから仕上がっちゃってるんですけど」

 「まあ、今日のところはウマなり程度にしておけ。あと言ってなかったが、冬のうちはキミをレースに出そうとは考えていない」

 「・・・え?」

 予想外の言葉にフリーズしてしまった。

 

 「・・・いや、なんでですか?とりあえずわたしの今の能力を見たいとか、そういうのもないんですか?」

 「ないよ、仮に走ったところで結果も分かってるしね」

 少し苛立つ。

 「やっぱりどこか焦ってるな」

 「まあ同級生と比較しても、ろくな結果出してませんしね。そりゃ少しは焦りもありますよ」

 自嘲気味に言葉を紡いだ。

 

 「キミがなかなか勝てないのは、メジロのプレッシャー"だけ"じゃあない、それは分かってるよね?」

 「・・・まあ」

 「家を出たとしても、まだその余計なプレッシャーが取れただけだ。本来の能力が出せるようになったとしても、キミは一線級にはまだまだ力が足りていない」

 痛いところをついてくる。

 それはそうだ。まずメジロ家での立場が決定的に悪くなったのも、あの異常に強い同い年の妹に大敗したことなのだから。しかも本番はその先だったあの子と違い、わたしは本気で勝ちに行っていた。

 あれだけの差をメンタルだけで覆せないことくらい、自分でもわかっている。

 

 「いいか、実戦での結果を今は求めるな」

 「じゃあ何をしろと?もうそんなに時間の余裕もないのに今更他に何を?」

 「決まってんだろ、イチから叩き直すんだよ」

 「レーススタイルを変えろとでも?」

 「なーんだ、よくわかってんじゃん」

 「ははっ、今更控えるスタイルでも試してみますか?」

 「ああ、逆にそれもアリかもしんないね」

 「ふざけてんですか?」

 「喧嘩はやめてくださーーーーーい!!!!!」

 

 険悪なムードになってきたところで、横でおろおろしていたリバーが涙混じりの声で叫ぶ。

 「トレーナーさん、おねーさんをいじめてはいけません!!!」

 短い両手を大きく伸ばしてわたしの前に立ちはだかる。どうやらこちらの味方らしい。

 「うーん、いじめたつもりはないんだがなあ」

 「あーもう・・・いいですよ、とりあえず校舎周りでも走ってきますから」

 少しかっかしているのでとりあえずこの場を離れたかった。

 「無理やり飛ばすなよー」

 やっぱりどこか適当なんだよなあ・・・

 返事はせず、背を向けその場を立ち去った。

 

 校舎周りを「指示通り」軽めにランニングしてから、寮に戻りベッドへ寝転がる。そして、また悶々と考える。

 別に不信感が生まれたというわけではない。ただそれでも、自分のことは自分がいちばん分かっていると思っていた。そして、今の逃げ先行というレーススタイルが自分にいちばん合っているという自信もあった。

 

 しかし、今のままではまだ勝てない。

 まあ、実際にメンタルだけで埋められる差ではないことは誰が見ても明らかなので、そう言われるのも無理はないのだけど。

 それでも、自分の中の触れてほしくない部分をいじられたような気がして、少し嫌な思いをしてしまった。

 ろくに積み上げてきてもないものを否定されていらつくとは、我ながらなかなか滑稽だ。

 

 「年明け早々なんか考えごとですかー?」

 唸っていると、帰省の大荷物を持ったネイチャがそこに立っていた。

 「あー、おかえり、明けましておめでとう」

 「今年もよろしくおねがいしまーす、お年玉ください」

 「わたしが出世したらね」

 「そういえば先輩実家帰らなかったんですか?」

 「んー、まあいろいろあってね」

 

 そういえばネイチャには言ってなかったな。いや、ネイチャどころかあの2人以外の誰にも言ってないんだけど。

 

 「・・・先輩なんかいいことでもありました?」

 「へ?」

 「いや、秋の暮れあたりはなんかほんとに元気なかったのに、今はケロッとしてますし」

 

 言っちゃおうか。

 

 「・・・いや、特になにもないよ」

 

 やっぱり、今はまだ。

 

 「はー、先輩嘘つくの下手ですね、いっつも微妙に顔に出てるし」

 お見通しというわけか。

 「・・・また今度話すよ」

 「はいはい、明日から授業始まりますしさっさとご飯食べて寝ましょう」

 

 そういえばわたし・・・あのポンコツ妹以外にはポーカー勝てなかったなあ・・・

 とりあえず、クール気取りはやめておいた方がいいようだ。

 自分が表情を隠せるタイプではないことを、ここ最近幾度となく思い知らされている。

 

・・・・・・・・・・・・

 

 「・・・というわけで、きょうはぜったいぜったいに遅れずに練習に来てください!!!」

 「わかったわかった、とりあえず早くお昼行かないと食べる時間なくなっちゃうよ?」

 「はっ!!!そうでした!!!」

 そんなことは全く考えてもみなかったかのようなリアクションでリバーは猛ダッシュで食堂方面へ消えていった。

 日は変わり、時は昼休み。

 始業日なので授業はここまでだが、ほとんどの生徒は昼休みを挟んでここから各チームの練習がある。

 そして、今日は珍しくうちのチームがコースを使える日になっているそうだ。といっても30分だけであるが。

 

 しかし、慌てて走り去っていったリバーが伝えに来たことはそれだけではなかった。

 「併走してくれるウマ娘、か・・・」

 

 リバーが言うにはこうだ。トレーナーさんが、おねーさんのために強いウマ娘を呼んできてくれた、だからきょうはいっぱい走れます!!!これだけの内容を腕をぶんぶん振り回しながら大声で話していた。

 

 幸いにも昼休みに入っていて教室にはほとんど他のウマ娘はいなかったが、結構こっぱずかしかった。リバーには直接関係ないのに、テンションがいくらなんでも高すぎる。

 

 どうも昨日のメニューが異常に軽かったのは、今日の併走を見据えてだったのかもしれないな。

 なにより適当なことを言っておきながらも、わたしのことを多少なりとも考えていてくれたという事実のほうに、心なしか頬が緩む。

 

 さあ、早く練習に行こう。

 トレーナーにちょっと不信感を抱いたことを心の中で謝りながら、その前にさっさとお昼を食べてしまおうとして教室を出る。

 

 出たのだが。

 

 今いちばん会いたくなかった彼女が、廊下にもたれかかっていた。

 

 「久しぶりですわね、ちょっとお時間よろしいかしら?」

 「・・・手短に頼むね、マックイーン」

 ゲーム全般は異常に弱く、レースは異常に強い同い年の妹──メジロマックイーンが目の前に立っていた。

 

 廊下には他に誰もいない。もう昼休みも終わりが近い。

 「・・・なんで私が来たか、お分かりですよね?」

 「さあ、なんだろ?」

 「とぼけないでくれませんこと?」

 すっとぼけた返しは、いとも容易くシャットアウトされた。

 予想通り、正月休みのうちに全部聞いたみたいだな。

 

 「・・・メジロの家を出ていくって、何を考えていますの?」

 「別に、いろいろと嫌になっただけだよ。あそこの人達よりわたしを見てくれてる人もいるしね」

 「パーマー・・・あなたは少し伸び悩んだところもありましたけど、それでも確かに実力はありますわ」

 「マックイーンの10分の1くらいのね」

 「茶化さないで」

 「・・・」

 

 「結果が出ないことに焦っているのですか?」

 「それはそうかもしれないね」

 トレーナーにも言われたことだ。焦って空回りしているように見えていたのは、マックイーンも同じだったようだ。

 「結果が出ないから環境を無理やり変えてみたかった、支援してくれる人も見つかった、これだけじゃダメ?」

 「だとしても、家を捨てる必要はないでしょう」

 やっぱりわかっちゃいないんだね。

 わたしを追い込んだのは、メジロの家そのものだし、あなたたち2人なのに。

 適当にはぐらかしてやり過ごそうとするが、全くわたしの気持ちも分かっていないマックイーンに苛立ちを覚え始めた。

 

 「それに、障害レースというあなたが活躍できる道も開けたじゃないですか、それなのになんで──」

 「障害レース?」

 言い終わらないうちに言葉を遮る。

 その言葉は受け流せない。最後まで残っていたなにかが、この瞬間に決壊した。

 

 「ははっ、やっぱりわたしのことなんて全然見てないんだね。障害がうまい?レース見てたらそんなこと言えるわけないよね?」

 屈辱だった。

 あの飛越っぷりを見て、レースセンス抜群のマックイーンがそんなことを言うはずがない。1着・2着という結果と、いいようにだけ書き立てる新聞しか見ていないことは明らかだった。

 

 そして、やはりマックイーンは押し黙ってしまった。

 無性に腹が立つ。

 自分を全く見ていないことへの怒り?

 それとも毛ほども相手にされていない自分への?

 分からなかった。

 

 「もういいよ、つまりどうでもいいんでしょう、出来の悪い『お姉さま』なんてね」

 もう話すことなんてない。

 マックイーンを放置して立ち去ろうとする。

 「でも・・・それでも・・・わたくしは・・・」

 「はっ、今更なにさ?」

 絞り出すような声だった。

 

 「京都で・・・一緒に走れて嬉しかったのに・・・」

 

 「あっそ、わたしは嬉しくもなんともなかったよ」

 

 昼休みはとっくに終わっていた。

 

・・・・・・・・・・・・

 

 当然こんなやりとりをしたあとでそのまま練習に向かえるような気分ではないわけで。

 パーマーは学園近くの河川敷に寝っ転がっていた。

 とりあえず、マックイーンはわたしのことを全く気にもかけていない。いや、家を出ていくという状態になって初めてわたしに構おうとはした。

 

 そんなもの、遅いに決まっている。

 

 昔はずっと一緒だった。だからこそ、ズタズタになっていたわたしを救い出して欲しかった。

 全く連絡もなかったのに、わたしのことなんてどうでもいいっていう本音も透けているくせに、今になって家族面をしてくる。

 許せるわけがなかった。

 

 そして、もう1人の妹──メジロライアンからは、今になっても連絡はなにもない。

 そもそも、メジロ家からもまだなんの反応もない。さっきのマックイーンが初めてのリアクションだった。

 去るものは追わないと?随分薄情ではないか。

 捨てたこちらが言うのもなんだが、多少構って欲しい思いもどこかにあった。

 やっぱり実力のない──いや、見せつけていない者はいらない、これがメジロなのだろう。

 

 「逃げてよかったな」

 あのまま残っていたらどうなっただろうか。劣等感に押し潰される、だけで済めばいい方だったのかもしれない。

 諦念からぽつりと漏れ出た言葉には、安堵の意味もこもっていた。

 

 「「今、『逃げてよかった』って言ったよな(言いましたね)!?」」

 耳元で不意に声がした。驚いて飛び起きる。

 そこには、初めて見るウマ娘が2人。

 ──いや、背の高い方は見たことあるかも?どこだろう?

 なんて考えていたら。

 

 「よし、袋被せろヘリオス!!!」

 「はいっ、師匠!!!」

 きょとんとしているうちに、いつの間にか視界が真っ暗になった。

 「え!?え!?」

 「そのままウチらのアジトまで連行だオラァ!!!」

 「はいっ、ししょー!!!」

 

 何が起きているか全くわからないが。

 これはもしかして。

 

 誘拐、なのではないだろうか。

 

 「やりましたね、師匠!!!」

 「おう、これであとは──」

 猛スピードで揺さぶられ、意識が遠のく。

 

 ああ、短い命だったな・・・

 

 「はわわわわわ、どうしましょーーー!!!」

 練習に姿を見せないパーマーを探していたリバーは、何者かに担がれていくパーマーを見て、へたりこんでしまった。




エルカーサ/リバーなのは有名な話ですね。


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#04 困惑と混乱

 人は目の前で信じられない事態が起きた時、どのような行動を取るのだろうか。

 取り乱す?呆然と立ち尽くす?それとも見なかったことにする?

 

 生まれてから初めてその場面に直面したエルカーサリバーは、思いのほか冷静だった。

 いや、冷静ではないのだが、結果的に正しい行動を取ったと言うべきか。

 目の前にいた尋ね人が、急に見知らぬ2人組に連れ去られていったのだ。それこそパニックになってもおかしくなかったが、とにかく誰かにこのことを伝えなければいけない。急いで学校に戻って、頼れる大人──この場合は、彼女とその連れ去られた尋ね人のトレーナーである男──の元へ、超速で舞い戻った。

 

 「たいへんですたいへんです、おねーさんがあああーーー!!!」

 「どうしたんだリバー、とりあえず落ち着いてくれ」

 待ち合わせ場所であったグラウンド脇に着くなり、リバーは涙混じりの声で叫ぶ。あやしながら、状況をなんとか聞き出した。

 「・・・ふーん、ウマ娘2人組、ねぇ」

 「おいかけたかったんですけど、ちからが抜けちゃってぇ・・・」

 「・・・いや、その2人なら放っておいても大丈夫だろう」

 「へ!?」

 リバーが語った外見的特徴と状況証拠から、アタリは割り出せる。

 パーマーを連れ去ったグループは、ある意味で有名であった。

 

 「少なくとも悪さはしないな、彼女たちなら」

 きょとんとしているリバーを横目に続ける。

 「むしろやることは同じだろうし、今日普通にコースで併せるよりもいいかもしれないな、キミもそう思うだろ?」

 同意を求めた相手はリバーではなかった。体育倉庫の壁にもたれかかっていたウマ娘が答える。

 「・・・ふふっ、まあ、そうかもね」

 

・・・・・・・・・・・・

 

 バスン。

 なにかに身体を投げ出された拍子にパーマーは意識を取り戻した。

 「よーし、袋を取れヘリオス!」

 「はいっ、師匠!」

 「・・・っ」

 視界を取り戻したパーマーが見たものは、2人のウマ娘だ。

 外見的特徴は、小さい方が茶髪に大きなツインお団子、大きい方が黒髪のベリーショートだ。小さい方が「師匠」と呼ばれているため、上下関係はわかりやすい。

 

 というかここはどこなのだろうか。

 場所は河原沿い。どうやらさっきまでいた河川敷と繋がっているようなのだが、学園からはおそらく結構離れている。知っている限りで、こんなに殺風景なエリアはない。

 不法投棄されていたものを拾ってきたのであろう、おんぼろなソファーに投げ出されたままの姿勢で、あたりを見渡す。

 周りには草が生い茂っており、ダンボールで作った住居もちらほら見られる。そして、おそらくウマ娘が踏み荒らしたであろう草が不自然に禿げているラインが2本。

 

 ──ああ、そういえばアジトがどうのこうのみたいなことを言っていたような・・・

 

 なんとなく状況は把握した。ただし意図がわからない上に、自分の身が安全なのかもまだ不透明だ。

 

 「おいっ、おいっ、おまえ名前は???」

 師匠、とさかんに呼ばれていた小さい方のウマ娘が食い気味で話しかけてくる。

 「・・・人を連れ去ってんですから、まずそっちが名乗るべきじゃないですか?」

 「はー、うーん、それもそうだ」

 気づかなかったなあといった様子である。

 「アタシはツインターボっていうんだ、でこの大きいのがダイタクヘリオス、アタシの弟子だな!」

 「ヘリオスって呼んでねぇ〜、よろしくぅ〜」

 2人してものすごいドヤ顔だ。

 というかこの師匠と呼ばれているウマ娘──ツインターボ、かなり小さい。リバーよりも更に一回りくらい小柄で、140cmもないのではないだろうか。横でにこやかに手を振っているダイタクヘリオスというウマ娘が、逆に170cmを超えていそうな長身なせいで、余計にそう見える。

 

 というか、ダイタクヘリオスという名前とその顔はどこかで見たことがあるような・・・

 

 「・・・ヘリオスさん、わたしとどこかで会ったことあります?」

 「え〜っ?う〜ん、ないと思うけどなぁ〜」

 「おいおい、それよりお前も名前教えてくれよ」

 「・・・メジロパーマー」

 「か〜っ、メジロ?大層なお嬢様じゃないか」

 「すごいねぇ〜、きっと特別なトレーニングをしてるんだろうなぁ」

 名前を言っただけでピンポイントで地雷を踏み抜いていく。声を荒らげるのも面倒になってきた。

 

 「それより、こんなとこに無理矢理連れてきた目的はなんなんですか?まさか遊び相手欲しさってことはないですよね?」

 「うーん、いい質問だ!」

 未だにノリが掴めないので一先ず静観しておく。ヘリオスはヘリオスで横で拍手しているし、本当によくわからない。

 

 「知ってのとおり、アタシツインターボは半年間のドクターストップをかけられてしまった!」

 いや知らんが。

 「師匠体調ダメなんだってぇ、今はとてもそう見えないだろうけどねぇ〜」

 「いやー、これは由々しき事態ですよお嬢さん!」

 「はぁ、そうですか、お大事になさってください」

 「お大事になんかしてられませーーーん!」

 ばんばんとパーマーの肩を小さな両手で激しく叩く。

 「いいか、アタシがここで倒れると言うことは逃げウマそのものが倒れるってことだ!」

 「日本語ちょっとおかしいですよぉ〜師匠」

 「こまけーこたぁいいんだよ、とにかく今この日本、いや世界にだってアタシより『逃げウマ』してる逃げウマはいない、これは間違いねぇ!」

 

 エラい自信だなぁ・・・

 しかしここまで息巻いている割には、パーマーはツインターボというウマ娘を聞いたことがなかった。

 

 「しかし病魔は着実にアタシの身を蝕んでいるという事実・・・ああなんてことだ、志半ばでか弱き乙女は若き命を散らしてしまうのだろうか・・・」

 「信じられないかもしれないけどぉ、師匠年末レース終わって引き上げた瞬間にぶっ倒れて、そのまま年明けまで寝てたんだよぉ〜」

 「そ・こ・で・だ」

 身振り手振りのオーバーリアクションで、それこそヘリオスの言う通り病人には見えないようなアグレッシブな動きを見せていたツインターボは、死んだ目で眺めていたパーマーに詰め寄る。

 

 「アタシは、後継を作ることにした」

 いくらなんでも近すぎるので自然に視線が逸れる、が、ツインターボは身体を思いっきり捻ってついてきて、目を離させてくれない。

 

 「アタシの意志を継いだ最強の逃げウマ・・・いやアタシがいるから最強にはなれないが、まあとにかく『逃げウマ』の矜恃を守り抜けるだけのウマ娘を作り上げてから、アタシは逝くことにした!」

 「はあ・・・それでとりあえず逃げの実績が多少はあったわたしに目をつけたと?」

 「ん〜?お前、そんなに実績あんの?アタシ知らんが」

 

 ・・・ああ、そういや最初に『名前は!?』って聞かれたなあ・・・

 つまるところ、わたしだから連れ去ったという訳では無いのだろう。誰でもよかったのだ。余計に謎が深まる。

 

 「・・・じゃあなんでわたしを?」

 「いや、お前、だって言ってたじゃん」

 「え?」

 「『逃げてよかったな〜』って」

 

 そういう意味ではない。

 

 「いやー、逃げの美しさを知るウマ娘が少なすぎてなかなか難儀してたんだよな〜、あーでもお前は二番弟子な!一番弟子はこいつ、ヘリオス!」

 「ど〜もぉ、一番弟子で〜す」

 「こいつは結構センスあるぜ〜、おっとりしてるのに目が覚めるような逃げを決めやがる、そして普通に走っても──」

 「あの〜、帰ってよろしいでしょうか」

 パーマーとしては、ここに長居する理由は全くなくなっている。

 

 「おいおいなんだ、二番弟子が不満なのか?」

 「いや・・・まあなんというか、ツインターボさんの期待に添えられるほどわたし逃げが好きなわけでは無いんで・・・」

 「えー、さっき逃げてよかったつってたじゃねぇか、アレは嘘だってのかい?」

 「嘘はよくないよぉ」

 「あーあの、嘘ついたつもりは毛頭なかったんですが、そのように誤解させてしまったのであれば誠心誠意謝らせていただく所存でございますが」

 「じゃあ聞くが、逃げの美学や逃げウマの矜恃ってのはわかんねえのか?」

 「いやー、わたしはそんな大層なこと考えながらハナを切ったことはないですね、はい」

 

 早く面倒事は片付けたい。その一心でパーマーは下手に出る。

 ただまあ、正直に言うと逃げは好きな戦法だ。自分の能力が発揮できるのは逃げもしくは先行であるし、前に誰もいない道中は爽快だ。

 

 しかし、それとこれとは別である。

 いろいろ演説をしてくれたのでツインターボの真意はまあ汲めなくもないが、わざわざ協力する義理は全くない。そんなことより、早く帰って練習をしたい。

 だいたいなんなんだ、逃げウマの矜恃というのは。パーマーがあまり他のウマ娘に興味がないというのもあるが、さすがに今の今まで名前も知らなかったウマ娘がそんな理論を振りかざすのも違和感があった。

 

 そんなことを考えながら、ふと顔を上げ目の前を見る。

 そこには、眉をひそめさっきよりも遥かに険しそうな顔をしたちびっ娘がひとりと、相変わらずにこにこしている大柄な少女がひとり。

 言葉の上では下手に出ていたが、不満感が漏れていたのだろうか。

 

 「ふーんそうかい、ただこのアジトを知られてタダで返すわけにはいかないよなあ?」

 「そうですねぇ〜、かわいそうだけどそのままってわけにはいかないよねぇ〜」

 

 急に物騒な感じになってきた。目の前にいるのはただのイロモノコンビだとわかってはいるものの、思わず身震いをする。

 「つーわけで、だ」

 またさっきのように、ツインターボがパーマーの両肩に手を置いた。

 「とりあえず今日の練習最後まで付き合え♡」

 帰って練習をしたい、というパーマーの願いは叶いそうにもない。

 

・・・・・・・・・・・・

 

 場面はパーマーがさらわれた学園近くの河川敷に戻る。

 人がひとり明らかに怪しい集団に連れ去られたにもかかわらず、現場周辺は全くもって日常のままであった。

 日本人の無関心さがそうさせるのか、そもそも目撃者が(例のうるさいウマ娘以外に)いなかっただけなのかはわからない。

 

 メジロマックイーンはたまたま、パーマーとほとんど同じ場所に座り込んでいた。

 秋の連戦の結果とそれに伴うメンタルの問題を受け、とにかく頭を冷やせと厳命されていたマックイーンは学園生活が再開しても完全オフの状態が続いていた。

 自由な時間は無限に感じられるほどに存在している。

 

 そして、雲の流れを見つめながら物思いにふける対象はただひとつ。

 家を出ていった異母姉のことだ。

 マックイーンの脳内は『困惑』で埋め尽くされていた。

 

 パーマーは繊細なところがある。考えすぎるところがある。

 だから力んで思うように結果がついてこないだけで、幸運にも結果を残せている私達と同じように、素質は秘めているはずだ。

 なにより、私達といっしょに走り回っていっしょに成長した姉妹なのだから。

 だから、彼女のことを『出来の悪いお姉さま』と思ったことはなかった。少なくとも自覚の上では。

 

 でも深層心理では?さあ、どうだろうか。

 酷いことを考えていたかもしれない自分が怖くなった。だから、あの場でパーマーを追いかけることはできなかった。

 

 そして、自分が彼女にあまり向き合っていなかったのも事実である。

 結果が出せずに障害レースへ戦場を変えさせられたことも、そこで見た目の上ではある程度結果を残せていたことも、己の目で見たものではない。メジロの家人からの伝言で知った。だから彼女の指摘は100%曇りなしの正論であった。

 

 メジロ家は名家だ。だから、結果を残せない者は次第に肩身が狭くなっていく。無言のプレッシャーによって。

 しかし、姉妹である私達までもそのプレッシャーを与えてはいけなかった。親身になってあげなければならなかった。

 

 確かにあった姉妹の絆は、無意識のうちに自分の手からすり抜けていっていた。そして失って初めて気づくのだ。

 

 こんなにも手が届きそうなところにあるのに──

 

 「あれっ、マックイーンさんじゃないですか?」

 

 急に声がして振り返る。

 そこにはジャージ姿のウマ娘。少し考えたが、声の主が誰かはすぐに思い出せた。

 

 「あなた確か有馬の・・・」

 「ナイスネイチャっていいます、覚えててくれてないと思ってましたけど」

 「そんなことより、この時間まだ学園生は走行禁止ではなくって?」

 「はは、バレなきゃ大丈夫ですって。それに軽いランニング程度で目くじら立ててくる人なんていませんよ」

 けらけらと笑ったと思うと、急に少し真剣味を帯びた目付きになって。

 「それに、いつもならそこにうちの先輩がいるんでね」

 「先輩・・・?」

 「わたしのルームメイトのメジロパーマーお姉さま先輩ですよ、マックイーンさんもよく知ってますよね?」

 「それは・・・そうね・・・」

 

 そうだ、その名前はよく知っている。

 でも本当に、その名前の持ち主のことをよく知っていたのだろうか。

 

 「先輩たち確か同い歳ですけど姉妹ですよね?ふたりして同じところに引き寄せられてくるなんて、血は争えないってことなんですかねぇ」

 「ふふ、そんな単純なものでもありませんわ」

 「そういえばうちの先輩、最近なんかあったんですかね?」

 「・・・さあ、どうでしょう」

 

 いつの間にかナイスネイチャは、マックイーンの横に座っている。

 

 「なーんか去年の末くらいから微妙に人が変わったというか気持ち明るくなったというか・・・いや、ちょっと前の先輩に戻ったってだけかな」

 「・・・」

 「それまではなんかこう思い詰めているというか・・・いつ消えちゃってもおかしくないというか・・・まあ、ずっと何か抱え込んでそうなとこあったんですけど、それも知りませんかね?」

 「・・・いや、分かりませんわね」

 「ふーん、まあわかりました」

 そう言うと、ネイチャはふーっと一息をつく。

 

 「やっぱり血は争えないみたいですね、マックイーンさんも先輩と同じくらいなんか隠してるのバレバレですもん」

 「えっ・・・」

 「あーまあ、別にわたしになんか言う必要なんてないですよ」

 『・・・また今度話すよ』

 「また先輩から話してくれるの待ちますから」

 

 「待って下さい」

 草を払い立ち上がっていたネイチャを引き止める。

 「私もその・・・彼女が、パーマーが、今何を求めているのか、それがわかりません」

 「つまりそれは?」

 「パーマーの私達への想いと今の心境は伝わりました。でもそれは──」

 私達、そして生まれ育った家の拒絶。

 しかし本当にパーマーはそれを求めているのだろうか?それで満足なのだろうか?

 私が同じ立場に立ったとして、その選択を取るだろうか?

 本当にパーマーが許せなかったものは、なんなのだろうか?

 

 「・・・まあ、何があったかわたしは知らないんであれですけど、マックイーンさん自身が先輩を追い詰めてたって自覚がもしあるのなら、答えは自ずと見えてくるものなんじゃないんですか?」

 「・・・」

 「まあ、今仮に先輩と話したとしても、その様子じゃ火に油でしょうけどね」

 「でも・・・」

 「あー、もうこの際はっきり言いますけど、マックイーンさんたぶん無自覚に人を傷つけてるとこあると思いますよ?」

 

 俯いていた視線が思わず上がる。

 

 「1回しかいっしょに走ったことなくてもそう思いますもん、自己に徹しすぎて周り見てなさすぎるところとか、無自覚かもしれないですけどあるんじゃないんですか?」

 「いえ、私、そんなことは──」

 「そうそう、先輩が本格的にやばそうな感じになったのって、去年の秋に京都から帰ってきたタイミングでした」

 

 『あっそ、わたしは嬉しくもなんともなかったよ』

 

 ああ──

 

 「・・・あはっ」

 なんてことはない、愛していたはずの姉をおかしくした、その決定打になったのは、無言のプレッシャーをかける家でもなく、もうひとりの妹でもなかった。自分だということがはっきりしただけだ。

 

 「・・・ふふふふふ、ははははは」

 全身の力が抜けて膝が地面に落ちる。

 

 無自覚のうちに傷つけた?

 ああそうだ。

 

 一緒に走れて嬉しかった?

 その場しのぎの言葉でしかなかった。

 

 そうだ、何の気なしに彼女を殺したのは、京都で共に走った、無関心で周りを省みない自分なのだ。

 そして、そのことに今の今まで気づかなかったのだ。いや、気づいてはいた。それでも、認めたくなかったのだ。彼女に拒絶されても。

 

 ナイスネイチャはいつの間にかいなくなっていた。

 

・・・・・・・・・・・・

 

 「よーし、着いたぞ!!」

 パーマーはツインターボにずるずる引きずられ、彼女たちのアジト(と言っていた)からほど近い広大な空き地の前に立っている。ヘリオスも当然一緒だ。

 

 看板には立ち入り禁止の文字。錆びた有刺鉄線が道路沿いにずっと伸びている。

 

 「ここは?」

 「なんだっけな、なんかの工場の跡地らしいぜ?でもなんか悪評高い土地らしくてなあ、買い手がつかないからこうやってずっと放置されてる」

 「・・・普段ここで走ってるんですか?」

 「長めの距離走る時はここだな、ダッシュ練とかはアジトの前でやってる・・・あ、もしかして『立ち入り禁止って書いてるじゃないですか〜』みたいなこと言うつもりか!?」

 「いや、もうそのへんはなんでもいいです」

 「まあまあ、学校のコースはそうそう使えないしねぇ〜、怒られないうちはいいと思うよぉ」

 「そういうことだ、そういうのは怒られてから考えたらいい」

 

 そう言うと、ツインターボとヘリオスはするすると有刺鉄線の隙間を抜けて中に入る。手慣れたものだ。

 「おーい、お前も来いよ」

 ため息をつくと、パーマーも軽く助走をつけて有刺鉄線の柵を飛び越える。せいぜい1.5メートルくらいの高さだ、ちょっと前まで障害レースに出ていた自分には屁でもない。

 「へぇぇ、すごいジャンプ力だねぇ」

 「お前ジャンプレースにでも出てみたらいいんじゃねえの?向いてるだろ、知らんけど」

 

 この二人、本当はわたしのことを知っている上で地雷原でタップダンスでもしているのではなかろうか。

 

 白い目で見ているパーマーをよそに、ツインターボとヘリオスは準備体操を始めている。

 「おーい、お前も身体ほぐしとけよー、今日は付き合ってもらうんだから」

 「ツインターボさんドクターストップって言ってませんでしたっけ?」

 「ばっか今日は特別だ、ヘリオスにもお前にも、逃げウマとはなんぞやってのを改めて見せてやらんとな」

 「さすが師匠!」

 ヘリオスもにこやかに笑いながら拍手で応える。

 

 ・・・まあとりあえず、今日さえ付き合ってやれば終わるのだろう。

 面倒くさいという次元ではないが、さっさと終わらせるために大人しく従っておくことにした。

 

 「よーし、もういいだろ、こっち来い!!!」

 いつの間にか離れていたツインターボが手招きする。

 「よし、とりあえずいつもみたいにコース3周すっか」

 「あー、コースっていうのはねぇ・・・」

 ヘリオスから説明を受ける。といっても、とりあえずこのだだっ広いグラウンドもどきを、自分たちで立てたポールからポールを渡るようにして3周する、それだけのことだった。

 よくよく見ると、確かにその辺に落ちていたであろう角材の切れ端や棒っきれがところどころに立てられていて、ポールの役目を果たしているようだ。

 幸い路面はならされているようで、必要以上に脚元を気にすることはなさそうだ。

 

 「あのー、ペースはどんなもんで走ればいいんでしょーか」

 「は?何言ってんだ、全力出し切るに決まってんだろうが!」

 「・・・一本しかやらないんですか?」

 「いんやー?まあ、残り体力次第だな」

 なんて適当な返答なのだろうか。これまで管理されたメニューをこなしてきた、こう呼ばれたくはないが『お嬢様』ともいえるパーマーとしては考えられない練習姿勢である。

 

 しかしまあ、今日のところは合わせてやらないといけない。

 改めて空き地を見渡す。一周はざっと500mくらいだろうか。3周となると、マイルに近いペースで走ればいいか。といっても、マイルは個人的に距離が足りないので、意識してスピードを出していかないといけない。

 そうだ、どうせならわたしからハナを切ってやろうではないか。一応わたしだって逃げが得意戦法なんだ、スタートには自信がある。

 そしてなにより、わたしがハナを奪ってさえしまえば、仮にこのランニングで敗れたとしても、逃げウマがどうたらなどと言ってわたしに絡んでくることはなくなるかもしれない。

 つまり、今日は解放されたとしても今後無駄に絡まれる可能性をできるだけ排除しておきたいのだ。

 

 「よしっ、さっさとやっちゃいましょう」

 「おお〜、やる気じゃねえか、んじゃそろそろスタートすんぞ」

 「わたしはいつでもいけますよぉ〜」

 「んじゃアタシがよーいドン!つったらスタートな」

 ツインターボがスタート姿勢になったのに倣う。とにかくまずはうまくダッシュをつけることだ。

 

 「よーい・・・」

 

 スタート集中。

 

 「ドンッ!!!」

 

 同時に飛び出した。

 よし、スタートは悪くない、あとはいつもより早めにスピードに乗せて彼女たちから先頭を──

 

 「・・・あれ?」

 横を見やったパーマーの視界から2人が消えている。いや、消えるはずはないのだが、いったい──

 

 ──まさか。

 あわてて前を見る。

 そこには確かにツインターボとダイタクヘリオスの姿があった。

 

 スタートから100m弱、既に20m近くの差がついていた。




基本的に元ネタ様の生年準拠で年齢の上下を設定しています。なのでアニメメンバーは・・・出せるかなあ・・・


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#05 矜恃と意地

いや、おかしいだろう。

 

一瞬なにがなんだかわからなくなっていたパーマーだったが、目の前で起きていることがおかしいことくらいはすぐに分かった。

 

走りながら、改めて整理する。

 

まず、このレース・・・みたいなものは、一周500mくらいのグラウンドを3周する。つまりマイルくらいのペースで走ればいいはずだ。というか、そうすべきだ。普通に考えて。

 

なんだあれは。

 

ペースという概念を知らないのだろうか。軽めに見積っても先行が激化した時の1200のスプリント戦くらい、いやもっと短距離じゃないと許されないような走りだ。

 

え・・・もしかしてこれでマイル持つのか・・・?

 

いやいやいや、と首を振る。さすがにこのペースで走り切れるようなウマ娘なら、あまり他のウマ娘に関心がないパーマーでも知っているようなとんでもない名バなはずだ。つまりあれはただの暴走。そう結論づける。

 

じゃあ、あれを放置するのか?

『レースに勝つ』だけならそれが最適解だろう。

幸い、あれはいわゆる『単騎逃げ』ではない。お互いがプレッシャーをかけあっているから、余計にスタミナを消耗しているだろう。大逃げしているウマ娘をそのままやすやすと勝たせてしまう、ということは稀にあるが、激しく競り合っている今回はさすがにない。

つまり、このペースでやりあっている以上最後の一周にでもなれば落ちてくるのは自明だ。

 

しかし。

 

(──いや、捕まえに行かないと余計に面倒なことになるかも・・・)

 

根拠はある。

ツインターボは『逃げウマとは何ぞや』などと言っていた。はっきり言って、勝負度外視としか思えないこんなペースで逃げるやつに逃げウマもへったくれもない。だって逃げ切れやしないのだから。

へったくれもないのだが、ツインターボとその弟子ヘリオスは大いなる勘違いをしている。パーマーは息を切らしながらそう推理した。

 

(あれ多分・・・勝つことより逃げること優先してる・・・)

信じられないがそうとしか答えが出せない。

 

と、いうことは。

 

(・・・無理矢理にでも先頭を奪わないと、これからもめんどくさい事に巻き込まれるかもしれない!)

 

理不尽なんてレベルではないが、彼女たちが勘違いをしているのはおそらく間違いない。そしてそのバカな土俵にわたしも乗らない限り、面倒事が続くリスクはつきまとい続ける。

 

『逃げウマ』がどうこう言う相手を封じるには、それ以上の逃げをかますしかないのだ。

 

パーマーもギアを一段階上げた。

今後の安寧のために、今は無茶をする。

 

先頭のふたりも、並んで走っている訳では無い。

前にいるのはツインターボ。1バ身ほど離れて、ヘリオスが追走していた。

「ししょ〜、今日いつもより速くないですかぁ〜?」

「へへ、気づいたか」

「あの娘がいるからですかぁ?」

「まま、そんなとこだな、あいつに逃げウマとは何か教えてやるつっただろ?やっぱりあいつも逃げとはなんなのか、結局分かってないみたいだからな!」

「ハイペースすり潰しってやつですねぇ」

「おっ、やっと覚えたか、そうだよ、ただ前にいるだけの逃げもどきなんてクソ喰らえだ」

風を切りながらそんな会話をしているうちに、ツインターボとヘリオスは2周目に入っている。

 

(そういえば、あの娘はぁ・・・)

レース運びのセオリーを名家で学んできたであろう今日のゲストにとっては、今の展開は異次元もいいところで面食らっているだろう。果たしてどういうリアクションを取っているのだろうか。

そのお嬢様を探そうとヘリオスは振り返るが、すぐに向き直って満面の笑みを浮かべる。

「ししょー、パーマーちゃんもすぐ後ろに来てますぅ!」

「ほぉ?」

 

いつの間にか、パーマーは必死の形相でふたりのすぐ後ろに取り付いていた。

「へへ、思ったよりやるじゃねぇか」

「・・・お二方、そこ・・・空けてもらって・・・いいですか・・・」

「なに甘いこと言ってんだ、力づくで奪いにこいよっ!」

「は〜い、わたしもいきま〜す、ししょー!」

残り半分ほどであろうか。三者の先頭奪い合いレースがスタートした。

ウマ娘レースの常識など通用しない、根性比べが。

 

(・・・ったくもう、なんでこんなことにっ)

パーマーは心の中で毒づく。

原因は面倒事に巻き込まれているから、だけではない。どちらかといえば、自分がやったことのないパフォーマンスをいきなり強いられているからだ。

というのも、距離適性がどちらかといえば長距離に寄っていたパーマーは、トップスピードに乗るまでにどうしてもかなり時間がかかる。それは自分でも分かっていたし、マイル程度の距離でも自分からハナにいくために、今日はいつもよりスタートから足を使うことを意識した。

 

ただ、それくらいの心意気ではこのふたりのダッシュ力には通用しなかったということだ。それは認めるしかない。

だから、今は強引に身体に鞭打って相当早い段階から全力トップスピード、いやそれ以上のスピードを強いられているのだ。

 

「・・・ただ逃げるだけなら、確かにわたしより・・・お二方のほうが・・・才能あるみたいですね・・・」

「だーかーらー言ったろ?逃げ教えてやるって」

「・・・いや、いいです・・・自分で理解しますから・・・」

息も絶え絶えになりながら、強引にパーマーは先頭に立った。スタミナには自信があるのだが、想定外のペースで相当体力はすり減っている。

「うわぁ〜すごい根性だねぇ」

「へへ、こりゃー負けてらんねぇぜ!」

パーマーの先頭はすぐ終わった。どこに隠し持っていたか知らないが、第2のギアを発動させたであろうツインターボとダイタクヘリオスが更に加速して抜き返して行く。ほぼ同時に、ファイナルラップに突入した。

既にトップスピードもいいところであるパーマーはこれについていけるはずもなかった。

 

(ああ、こんなところでもわたしは負けるのか・・・)

意識が朦朧とする。少しずつ遠ざかるふたりの背中を見ながら、自己への嘲笑が漏れる。

 

しかし。

 

「・・・あー、これアレだ、ダメなやつだ」

「わたしはもうちょっといけますよぉ〜」

「おー、がんばれよ」

 

ひゅん。

下を向いて走っていたパーマーだが、何かを真横に置き去りにした気がする。

なんだ?ポール?いや違う。じゃあ──

 

振り返って真顔になる。

 

完全に死んだ顔で、止まっているようなスピードにまで落ちているウマ娘、ツインターボその人だった。

「あー・・・、やっぱダメだったわ」

「・・・でしょうね!」

 

・・・・・・・・・・・・

 

「・・・ふー、やっと終わったぜ」

そう言うとツインターボはうつ伏せで倒れる。パーマーがゴールしてから10秒ほどは離されていたのではないだろうか。

 

結局、パーマーは先頭でゴールすることとなった。

ツインターボと同じようなペースでぶっ飛ばしていたヘリオスも残り200mほどで力尽き(こちらは満面の笑顔であったが)、スタミナでは勝っていたらしいパーマーが漁夫の利を得た形だ。

もっとも、パーマーも最後にはヘロヘロのジョギングのようなペースになっていたが。

 

「ハァハァ・・・いやー、しかし、あのペースに、食らいつきながら、完走できるなんて、お前、スタミナ、すげぇな」

「・・・いや、最後、わたしも、歩いてましたし」

「ふたりともぉ、今はしゃべらないほうがいいんじゃないかなぁ」

スタミナは完全に切れている。あまり喋らない方が回復は早いだろう。

 

パーマーは思いっきり四肢を投げ出し、仰向けに倒れ込んでいた。

苦しい。しんどい。でも、久々に本気で走ったような気がする。

目的は不純でも、強引に前を目指して脚を出した。

でも、また才能の壁、自分が持っていないものの存在を知ってしまった。結果的に大失速しているしバカにしか見えなかったとしても、あれだけ飛ばせるのは間違いなく才能だ。

まあ、今更これくらいで折れるようなことは無いのだけれど。

 

「ああ、お水なくなっちゃったぁ」

不意に素っ頓狂なヘリオスの声が響いた。水の入っていたボトルをさかさまに振りながら、首をかしげている。

「おいおい・・・水分補給だけは・・・ちゃんとやれよ」

「う〜ん、じゃぁ買ってきますねぇ」

「あー・・・どうせすぐなくなるんだ、アタシとこいつの分も頼むぜ・・・」

「はぁ〜い!」

ヘリオスはそう言うと小走りで空き地から出ていった。まだ息が上がりっぱなしで動けないパーマーとツインターボと比べると、異次元の回復力であると言わざるを得ない。

「・・・ヘリオスさん・・・どうなってんですかね・・・」

「・・・さすがにあいつは・・・おかしいな・・・連闘でGI走るくらいできるぜ、あれ・・・」

レース中に発揮できるスタミナは勝っていたかもしれないが、体力・回復力というところで見ると、どうやっても敵わない相手であるようだ。もっともそれは、ひとつひとつのレースというカテゴリーだけで考えれば、あまり活きるとは思えない才能なのだが。

 

5分ほど経っただろうか。

しばらく冬の冷風を浴びていると、息も整ってきた。横にいる小さな少女は未だに突っ伏してゼェゼェ言っているが。

「あのー、もしかしておふた方はスプリントのレースに普段出てるんですかね?」

不意に走りながら浮かんだ疑問を、自分が持っていないもののルーツを知りたくなった。

ツインターボは未だに死んだ目をしていたが、気だるそうにして口を開く。

「・・・いや、アタシは専ら中距離、ヘリオスは・・・レース出まくっててよくわからん」

「・・・」

じゃあやっぱり暴走だったんだな・・・

「普段のレースでもあんな感じで?」

「アタシは・・・そんな器用じゃねーよ・・・」

「・・・勝ててないですよね?」

「・・・まあ、アタシは・・・あんまり勝てねえかな・・・」

「もっとペース考えた方がいいと思うんですけど」

少し間が空いて、返事の代わりに、大きなため息がひとつ聞こえてきた。

 

「お前・・・どうしても勝てないって相手いねえのか?」

「・・・いますよ、いくらでも」

「まさかとは思うが、勝てないって諦めてんじゃねぇだろうな?」

 

思わずふーっと息をつく。

ふたりして嫌なところをピンポイントで踏み抜いて来るとは思っていたが、こんなことまでしっかり当ててくるとは。

 

「そうですね・・・今は諦めてるかもしんないですね」

今は、だ。

「アタシはいくら勝てないって思っても、勝ちを諦めたくはないんだ・・・だからぶっ飛ばすんだよ・・・」

「だから?」

「これは例え話だけどよ・・・前半も後半も58秒で走るスーパーウルトラウマ娘がいたとするだろ?じゃあ、そいつになんとか勝とうとするなら、どうしたらいい?」

「・・・わかんないです」

「勝とうと思うなら、そいつの前にいるしかねぇんだよ・・・前にさえいれば・・・息が切れても死ぬ気で脚を前に出せば、抜かせさえしなければ、勝つ可能性は潰えねえ。でも、ペースを気にして優等生みたく前半を60秒で流したら・・・アクシデントでもねぇ限りそいつには絶対勝てねえじゃねーか・・・」

「それが逃げの矜恃ってやつですか」

「・・・どんな相手にも勝てるかもしれねぇのは・・・逃げだけなんだよ・・・」

 

──どんな相手にも、か。

 

レースに賭ける意地、というようなものだろうか。

なんだ、とても強いじゃないか。

リバーにだって同じようなものを感じたじゃないか。

 

「あの、もうひとつ聞いてもいいですか」

「それ・・・今じゃないとダメか?」

「できれば」

「・・・言えよ」

「ツインターボさんの勝てないって思う相手って──」

「お水買ってきましたぁ〜!」

 

急に後ろから声がしたので普通に驚く。

そこには、10本くらいの500ミリリットルペットボトルをいっぱいに抱えて、満面の笑みを浮かべているダイタクヘリオスが立っていた。さすがに過剰な気がする。

「あのねぇ〜、すぐ近くにあったコンビニがいつの間にかマッサージ屋さんになってたから結構遠くまで行ってたんだぁ」

「あー・・・おつかれさまです」

「せっかく買ってきたんだから、パーマーちゃんも飲んでねぇ」

ヘリオスから水の入ったボトルを受け取る。買った時には冷たかったであろうそれは、体温と時間経過で少しぬるくなっていた。

 

「ヘリオスさんは──」

「呼び捨てでいいよぉ、パーマーちゃんわたしと歳いっしょでしょ?」

「え、わたしのこと知ってるんですか」

「タメ口でいいよぉ〜、あのね、最近わたしのトレーナーさんに話聞いたことがあったんだぁ」

「・・・さっき河川敷で『知らないなぁ〜』みたいなこと言ってませんでしたっけ?」

「『会ったことありますか?』じゃなかったかなぁ、確かに会ったのは今日が初めてだと思うよぉ」

「・・・まぁいいや、ヘリオス──は、なんで逃げるんで・・・逃げるの」

「ん〜、わたしはししょーみたいになんでもかんでも逃げるわけじゃないよぉ」

「え?」

「だってぇ、毎回なにも考えずに逃げても勝てるわけじゃないんだから、まわりの子の得意戦法とか考えて走らないとねぇ・・・あ〜、でも逃げるのがいちばん好きだよぉ、目の前に誰もいないのは気持ちいいし!」

「・・・じゃあなんであの人についてるの?」

「う〜ん、わたしも逃げて勝ちたい子がいるからだねぇ」

「それは逃げないとダメな感じなの?」

「そうだねぇ〜、わたしには振り向いて欲しい子がいるんだけどねぇ、その子はわたしにはあんまり興味がないみたいで、知らんぷりされちゃうんだ・・・でもねでもね、先頭に立って逃げてたら、その子にずぅっと見てもらえるでしょ!だから、逃げもできるようになりたいんだぁ」

「うーん、ごめんよくわからない」

冷ややかな視線を送るパーマーをよそに、ヘリオスは目をきらきらさせながら熱弁を続ける。

「それにねぇ、ししょーくらいずぅっと全力で走ってるウマ娘なんて他にいないしねぇ、歳下だけど尊敬してるんだぁ」

「・・・え?ちょっと待って歳下?」

「あれ、言ってなかったかなあ、ししょーはわたしたちのひとつ歳下、去年クラシックに出てた学年だよぉ」

「絶対歳上だと思ってた・・・」

 

少し後ろで突っ伏したままの小さな娘を見る。小柄な身体に大きなふたつのおだんごヘアー、それに高めの声と、確かに言われてみればむしろ歳下属性の要素は揃っていた。ただ言動や行動がとてもそうは見せなかった、ということなのだろうか。

 

「・・・あ、そういえばツインターボ・・・さんのお水もあるんじゃなかったっけ」

「あぁ〜、そうだったねぇ、ししょーのぶんも買ってありますよぉ!」

しかし、ふたりの視線の先にいる水を欲していたはずのツインターボからは返事が返ってこない。そういえばさっきと同じように地面に突っ伏したままであるが、ずっとゼェゼェ言っていたはずの呼吸音はいつの間にか収まっている。

「おーい、ツインターボさーん・・・」

 

ぺちぺち。

反応がない。

 

耳を掴んでみる。

反応がない。

 

ペットボトルを開けて頭に水をかけてみる。

反応がない。

 

「・・・あのー、ツインターボさん意識ありません」

「はぁ〜、やっぱりドクターストップは本当だったんだねぇ」

そんなことを言っている場合ではなさそうだ。

 

・・・・・・・・・・・・

 

暮れからの吹雪続きの天気もひと段落して、洞爺湖畔にも太陽がたびたび顔を出すようになっていた。

もっとも、地面が一面雪景色なことには変わりはないのだけれど。

 

「帰郷早々あまり穏やかな話でなくてすみません、姉様」

屋敷の外、湖畔の雑木林の中をふたりのウマ娘が歩いていた。

確かに晴れてはいたが、木々の中を寒風が吹き抜けていくことに変わりはない。おかげで、どこか声にも刺がある。

 

「う〜ん、パーマーちゃんにそんな行動力があるとは思わなかったわね、若気の至りってだけじゃないでしょうし」

「・・・放っておいて宜しいのですか?」

「いいのよアルダン、今は好きにさせてあげなさい」

「お言葉ですが、姉様」

アルダン、と呼ばれた中性的な出で立ちのウマ娘──メジロアルダンは畏まって口を開く。

「当家にも名門としての格というものがあります。見逃したままだと、『メジロ』という名に傷がつくようなことが起きないとも言い切れないのでは?」

「そうねえ・・・じゃあアルダンはなんでパーマーちゃんが出ていったと思う?」

「それは・・・マックやライアンとの比較に耐えられなかったという事ではないのですか?」

「う〜ん、たぶん30%くらい正解ね」

「と、いいますと?」

「まあ、私はパーマーちゃんじゃないから確証はないけど、遠からず近からず、ってことよ」

 

怪訝な顔をしているアルダンをよそに、大きな帽子からのぞく長い黒髪を靡かせて湖の方に足を進める。

「まあそれに、あの娘が、いえ、あの娘に限らずメジロの名を持つものが最後に帰ってくるところは、いつだって変わらないのよ」

「しかし、それではおばあ様が・・・」

「な〜に、あの耄碌おばあちゃんが何か言ってるの?」

「いえ、まだ何も」

「ふ〜ん、まあその何も言ってこないってのが答えなんじゃない?・・・あれ、噂をすれば」

湖のほとりに老婆が立っていた。ふたりが今話題に挙げていたその人であることに疑いの余地はない。

 

「はるばる帰ってきましたよ〜おばあちゃ〜ん」

声をかけられた老婆は、驚くことも無くゆっくりと振り向く。

「帰っておったのか、ラモーヌ」

「いや〜、たまには後身の育成をと思ってね?」

「心にもないことを」

「え〜、そんな薄情に見える〜?」

「ふん、情云々の前に元より教えベタのお前にそこは期待しとらんわい」

「にしてもここ寒すぎでしょう・・・みんなであったか〜いとこでも行きましょうよ、今どき雪上トレーニングなんて流行らないわよ」

「そんな戯言を言いに戻って来たのか?」

「ふふっ、まさかね〜」

 

飄々としていたラモーヌは、途端に真剣な目付きになった。

「マックなんだけど、私に預けてくんない?おばあちゃん♡」

「・・・後身の育成ってのは、戯言じゃないんじゃな」

「うふふ」

 

不敵な笑みは、吹き付ける風に乗ることなく留まっていた。




桜花賞、◎シゲルピンクダイヤで0円でした。
皐月賞は◎アグネスタキオンです(錯乱)


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#06 目標とリミット

トレセン学園の保健室は、そんじょそこらの病院となんら変わりない程度には設備が充実している。

というのも、ウマ娘は人間とほとんど同じような見た目であるにも関わらず、トップスピードに乗れば車と同じようなスピードが出てしまう。そのような生き物であるから、例えばトレーニング中に転倒したりすると大怪我どころか最悪命にもかかわり、迅速な治療が求められる。

そういった事情から、学校施設とは思えないほど医療設備には大きく力を入れているのだ。

 

そんなわけで、メジロパーマーとダイタクヘリオスが返事のひとつもしなくなったツインターボを運び込んだのは、必然的にここであった。そもそも、救急車を呼んで大きな病院に運び込むよりも、ウマ娘の脚力で河川敷を学校までぶっ飛ばしたほうが早い。実際に、10分も経たないうちにツインターボはベッドの上の人になっていた。

 

「・・・うん、だーかーらーこの娘には私がいいって言うまで走るなって言ったはずなんだけど、やっぱり無視したのね」

白衣に身を包んだ明るい茶髪のウマ娘は、自分の言いつけをハナから守る気がなかったであろう元患者を目の前にして、ため息をついた。

 

「あのーせんせ、テンポイントせんせ」

「どうしたの、スパート」

腕に『保険委員長』と書かれた腕章をつけたドクタースパートが、おろおろした様子で校医であるテンポイントに助けを求めているような目をしている。

「ツインターボさんを運び込んできたあのふたりも、診てあげたほうがいいんじゃないでしょうか」

「え?」

ドアの外の廊下を指さすドクタースパートに従って外に出ると、そこには先程息を切らしながら問題児を運び込んできたウマ娘がふたり、仰向けのまま行き倒れていた。

「・・・あー、こりゃこの娘たちの保護者サンも呼び出さなきゃなんないかな」

もう一度深くため息をついて、スマホを取り出した。

 

・・・・・・・・・・・・

 

「・・・あれ?」

目覚めると、見知らぬ天井が見える。

ここは──保健室だろうか。脚周りの筋肉痛以外に痛むところはないが、身体を起こすと何かがのしかかっているように思えるほど、疲れが残っている。

なぜここにいるか、そのあたりの記憶が曖昧だ。えーと、わたしはどうして──

「あーそうか、ツインターボさんをヘリオスとふたりで運んで・・・それから──」

言いながら周囲を見回そうとして、ベッドの横に座っていたウマ娘に気づき、驚いて耳が跳ね上がる。

 

ヘリオスよりも短く切り上げたベリーショートに、大きな白い流星のウマ娘。

マックイーンの時と同じだ。また会いたくない相手が目の前にいる。

「やあ久しぶり、大丈夫?」

「ライアン・・・なんであんたがいるのよ」

ニコニコしているメジロライアンを、パーマーは睨みつける。

「だってわたし、保健室の常連だから。去年の秋終わりくらいまでずっと脚痛めてたし」

そういえばそうだったか。連絡もよこさなかった上に他のウマ娘にはあまり興味もないパーマーでも、GI戦線でも有力なウマ娘の故障情報くらいは、嫌でも耳に入ってきていた。

 

「まあ、今回は保健室に用事があったんじゃなくて、先生から直々に呼ばれたから来たんだけどね。あなたの姉妹が行き倒れてて、今寝かせてるから迎えに来て、って」

「なに、わたしの保護者があんたってわけ?」

「まあ同じメジロの姉妹だし、そういう扱いでも不思議はないんじゃない?」

「ふーん、いい迷惑でしょ、そっちからしたら」

「そんなつんけんしなくてもいいじゃないか、久しぶりの姉妹水入らずなんだから、さ」

「わたしは誰かに邪魔して欲しい気分だけどね」

皮肉たっぷりに返すと、パーマーはベッドから出ようとする。

「なんだ、もう行くのかい?」

「別にわたし病人でも怪我人でもないし、貴重なベッド占拠するわけにもいかないでしょ」

「ふーん、まあ寮まで送るよ」

「あんた美浦だから真逆でしょ、来なくていいから」

そう言って、ベッドを囲んでいるカーテンに手をかけた。

「まあ、今日のところは疲れてるだろうから帰って休んどくんだよ」

相変わらず明るいトーンでライアンは語り掛けてくる。

「・・・あんたは、マックイーンと違ってなんにも言わないのね」

「うん、言わないよ」

「高みにいるウマ娘様は、わたしみたいな落ちこぼれに興味なんてないってこと」

「まさか、単にパーマーの意志を尊重してるだけだよ」

「ふーん、物は言いようね」

「本気だって、パーマーがそんな簡単に生まれ育った家をポイ捨てするような子じゃないことくらい知ってるさ」

「知ったようなこと言わないでくれる?わたしのことなんてなにも知らないくせに」

振り返ってライアンを睨みつける。

理不尽なことを言っているとは、自分でも分かっていた。それでも、怨念か嫉妬かもわからない感情をぶつけたいのだ。

 

「・・・うん、そうだね、わたしはパーマーじゃないからパーマーが何を思って出ていったか、そんなこと分かるはずがない。だからわたしは何も聞かないし何も言わないよ」

「・・・」

「ま、もし戻りたくなったらいつでも帰ってきていいからね。家内に嫌がる人もいるかもしれないけど、わたしとマックイーンが力になれるなら、その時は協力するよ」

「おあいにくさまだけど、たぶん頼ることはないわね」

「まあまあ、待ってるからね、それじゃ次会う時はレースで、かな?」

「あんたがそこらへんのオープン競走にわざわざ出てくれるなら、そうかもね」

「いや、勝負服を着て待ってるよ」

勝負服──GIレースに出る時にだけ着ることができる、特殊なユニフォーム。毎レースのように着ているライアンやマックイーンと違って、パーマーは、1回しか着たことがなかった。

部屋の押し入れのどこにしまっただろうか。それすらわからなくなっていた。

「・・・まあ、考えとく」

ライアンには聞こえないような小さな声で呟いて、カーテンを開け外に出る。

 

「あれ?」

「あれ?」

そこにはまた見知った顔がふたつ。

「おね」

まんまるちっちゃな元気いっぱいウマ娘・エルカーサリバーは、そこまで言おうと──いや、叫ぼうとするとあわてて自分で口をふさいだ。

「おっ、リバーもちゃんと病院では大声は出さない、って学習したじゃないか」

トレーナーがそういうと、嬉しそうにリバーは口をふさいだまま首を大きく縦に振る。

「え?ふたりともなんでいるんですか」

「いや、保健の先生様からお電話いただいたからね」

「なんですか?わざわざ迎えに来てくれたんですか?」

「あーその・・・申し訳ないんだけど、キミもいることはたった今知った」

「え?じゃあなんで」

「・・・なんか保護者ってことになってるみたいだから、呼びに来たんだよ、彼女を」

そう言うとトレーナーは、パーマーがいたベッドの隣のカーテンを開ける。

 

そこには、バカみたいなランニングを共にした同志が、軽くいびきをかきながら枕を抱き布団を蹴っ飛ばして爆睡していた。

「・・・え?ヘリオス?」

「そう、この子を迎えに来たんだよ。倒れてるってか爆睡してるから迎えに来てくれ、あなたのチームの子でしょ?って先生に言われちゃったからなあ」

 

頭の中に疑問符が大量に浮かぶ。パーマーの知る限り、このチームには自分とリバーのふたりしか所属していなかったはずだが。

 

というかそれはリバーも同じだったようで。

 

「あーーー!!!この人おねーさんをさらった」

そこまで叫んでリバーはまたあわてて手を口に押し当てる。いや、もう保健室が軽くざわついているので手遅れなのだが。

 

「誰っ!?騒がしくしてるのはっ!?」

保険委員長の怒りに満ちた声が聞こえてくる。ここに長居するのはあまりいい結果を招かなさそうだ。

「あー・・・よし、こうなったらまだヘリオスくん寝てるけどクラブハウスまで移動させるか」

「え?」

混乱しているパーマーは思わず間の抜けた声を漏らす。

「どうせ近いうちに軽くミーティングでもしようと思ってたからね。正直彼女はいてもいなくてもどっちでもいいんだけど、連れ帰ってって言われている以上、担いでいくしかないか」

「え、いや待って、どういうこと・・・なんでヘリオス?」

「よし、俺上半身持つからリバーとパーマーくんで脚支えてあげて」

「ひーとーのーはーなーしーをーきーけーっ!!!」

「おねーさんっ!!!保健室ではしずかにしないといけません!!!!!」

「そこーっっっ!静かにしなさぁぁぁぁぁい!!!」

保健委員長・ドクタースパートの怒りの叫びから逃げるように、3人は相変わらず爆睡したままのヘリオスを抱えて、逃げるように保健室から飛び出した。

 

・・・・・・・・・・・・

 

「──さて、とりあえず説明してもらいましょうか」

「・・・イッタイナンノコトカナ」

 

ドンッ!!!

 

パーマーが机を勢いよく叩いた音に反応して、トレーナーとリバーは思わず肩を震わせる。

チームポラリスのクラブハウスに舞い戻った3人は、相変わらず爆睡を決め込んでいるヘリオスを隅っこのイスに横たわらせ、今は部屋の真ん中にある机に向かって膝を突き合わせている状況だ。

 

そして、目が泳いでいるトレーナーに対してパーマーは追及を行っていた。かたわらにはリバーもいるが、彼女もヘリオスのことについては何も知らないようで、まんまるな目でトレーナーをじぃーっと見つめている。

 

「で、わたしが知らないチームメイトがいるって、いったいどういうことですか〜???」

「そんな話しらなかったのです!!!」

「いや違うんだ・・・確かにヘリオスくんもチームメイトっちゃチームメイトなんだけど・・・」

「「なんだけど???」」

「いや、単に名前を借りてただけなんだよ、彼女の」

「なんで?」

「・・・あのね、『チーム』として学校から認定されて、設備や予算、練習場所を割り当ててもらうには最低でも2人の学園生が必要なんだよ」

「わたしが入るまではリバーとヘリオスのふたりでやってたってことですか?」

「まあそういうことだな・・・最も、ヘリオスくんについてはさっきも言ったように『名前を借りていただけ』だから、チームメイトとして僕とリバーと一緒に活動していたことはほとんどないんだけど」

「・・・リバーもこのこと知らなかったんだよね?」

「はい!しりませんでした!」

「リバーも知らないんだったらそれはもうチームメイトじゃないでしょう・・・」

「実際そんなんだから、今日呼び出されたのもちょっとびっくりしたんだよな・・・まあ確かに、チーム所属名簿に名前がある以上、僕のところに連絡が来るのも当然なんだけどね」

「・・・とりあえず事情は分かったんですけど、なんでヘリオスなんですか?というか、なんで幽霊部員になってんですか?」

「練習に来ないのは外に師匠──ってか、キミを連れ去ったもうひとりがいるからって言ってたな」

「もしかしてツインターボさんのことも知ってたんですか?」

「というかあのふたりについては、キミが知らない方がおかしいと思うんだけどな・・・レーススタイルが破天荒すぎるツインターボくんも、GIウマ娘にもかかわらずなぜか弟子ポジションにいるヘリオスくんも有名人なんだけど」

「・・・え?GI?」

「・・・ヘリオスくんは去年のマイルチャンピオンシップ勝ってるんだよ」

「このおねーさんそんなにすごいひとなんですか!!!」

「そうだぞ〜、リバーもGIくらいは知ってたか」

「授業でならいました!!!フラワーちゃんやブルボンちゃんよりもすごいんですか!!!」

「そうだなあ、そのふたりでもなかなか勝てないだろうなあ」

 

GIウマ娘。誰もが憧れる称号を持ったウマ娘がすぐそこにいると知ったリバーは、見るからにテンションが上がっているようだ。

そして、パーマーも何故かどこかでヘリオスの顔を見た事がある気がしていたが、理由がやっと分かった。おおかた、新聞なりニュースなりでその時の顔を見ていたのだろう。

リバーとは違ってGIウマ娘どころか、他のウマ娘に全然興味がないパーマーは気にも留めていないつもりだったが、無意識のうちに脳裏のどこかにその顔がこびりついていたのだろうか。

 

「ふぁ〜あ、ここどこ?」

 

パーマーの背後から気の抜けた声がする。声の主はようやく長い眠りから醒めたようだ。

 

「あ〜、トレーナーさんにパーマーちゃんもいる」

「・・・あんたのチームのクラブハウスじゃないの、ここ」

「へぇぇ、そうだったんだねぇ、来たことないから知らなかったよぉ」

まだ眠いのか、目をこすりながら気の抜けた声で返事をする。

 

「一応形の上ではチームメイトなんだから、これからはキミも来てくれていいんだぞ?」

「うーんどうしようかなぁ、じゃあたまにお昼寝しにくるねぇ」

「あのあのあの、はじめまして!!!あたしエルカーサリバーっていいます!!!」

「ええっと、サリバーちゃん?よろしくねぇ」

「サリバーじゃないです!!!リバーです!!!」

「あ〜、リバーちゃんはかわいいねぇ〜」

名前のアクセントを間違えられてむくれたリバーの頭を、やさしくヘリオスは撫でる。

精神年齢はどちらも幼く見えるが、こうやって見ると親子にも思えてくるような身長差だ。

 

「ねぇ、あなたがわたしのこと知ってたのってもしかして・・・」

リバーのほっぺをぷにぷにして遊んでいるヘリオスにパーマーは声をかける。

「そうだよぉ、このまえトレーナーさんが、新しくキミと同い歳の子が入ってきてくれたって教えてくれたから、パーマーちゃんのこと知ってたんだぁ」

「そのトレーナーさんってのはこの人で間違いない?」

「ふふ、他に誰がいるのぉ」

「・・・ツインターボさんと一緒にわたしをさらったのもその情報があったから?」

「いや、それはたまたまだよぉ」

「ほんと〜?」

 

非常に胡散臭い。そこのトレーナーが暴走逃げウマ軍団にわたしの脚質を漏らしたせいで、無駄な面倒事に巻き込まれるハメになったのではないだろうか。

そんな疑念がふつふつと湧いてきて、パーマーは白い目でトレーナーの方を見る。

「いやいや、本当になにも言ってないんだって・・・この前、中庭でばったり会った時キミが新しく加入したことは近況報告的に伝えたけど・・・」

パーマーから疑いの視線を向けられたトレーナーはあわてて両手を振り否定する。

 

「・・・まあ、そこ問い詰めてもなにか変わるわけでもないからもういいです」

「ほんとに潔白なんだって、信じてくれよ〜」

「まあまあパーマーちゃん、これからはチームメイトとしてよろしくねぇ」

「あんた練習来ないんだったらチームメイトもなにもないでしょ」

「う〜ん、でも師匠も身体ガッタガタみたいだからあんまり走ってもらいたくないしなぁ」

 

そこまで言って、ふたりはようやくそのことに気づいた。

 

「「あれ?ツインターボさん(ししょー)は?」」

「わたしとパーマーちゃんで病室に運んでぇ・・・そこまでしか記憶がないなぁ」

「わたしもすぐ疲れて倒れちゃったみたいだから、記憶がそこまでしか・・・」

「保健室で寝たままなのかなあ?」

「いや、あんた連れ出した時には少なくとも見当たらなかったけど」

「ししょーいびきものすごく大きいから、いるなら気づくと思うよぉ」

いびきはあんたも大概だけどね。

それはいいとして、ヘリオスの証言からするとツインターボは既に保健室にはいなかったことになる。

もしかしてもう帰されたのだろうか。いや、保健室の先生の怒りを取り繕った笑顔を見る限り、そんなことが許される空気ではなさそうだが・・・

 

「まあ、でもツインターボくんはどっちにしろ体調よくないみたいだし、今日倒れたってんならもう無理に外で走らなくてもよくないかな?」

「う〜んそうだねぇ、うん、それにパーマーちゃんもいるから、ししょーが帰ってくるまではここで走ることにするよぉ」

「パーマーくんも良かったな〜、これで同い歳の併走相手ができたぞ」

「いや、ヘリオスの併走って絶対ペースもなにもないような暴走ですよ・・・練習にならないとしか・・・」

「え〜、わたしふられちゃったぁ?」

「ヘリオスおねーさん!!!それじゃパーマーおねーさんのかわりにあたしと走ってください!!!」

「いいよぉ〜よろしくねぇ」

「やったー!!!」

「あーその、盛り上がってるとこ申し訳ないんだけど、パーマーくんはヘリオスとやってもらう、あとリバーはさすがにまだ古ウマとやるのはダメだ」

「そんなー!!!」

「・・・分かりましたよ、でもさすがにあんたもペース考えて走ってよね」

「そうだね〜努力するよぉ」

「いや、ヘリオスくんはその暴走ペースのままでいいぞ、というかパーマーくんも併走の時は同じようなペースで走るように」

「え?」

 

意味がわからない。あの暴走ペースで走ることをこともあろうにトレーナーという立場の人間が推奨するのか?

レースで勝つことを考えるなら、あの無茶苦茶な暴走に意味があるはずがない。「前にいれば可能性はある」というツインターボの考え方には感心したが、それとこれとは別だ。現に今日のランニングではツインターボはもちろん、横にいるGIウマ娘(であるらしい)ヘリオスだってしっかり急失速した。

 

「うーん、ご不満かな」

「・・・ヘリオスやツインターボさんには悪いけど、あんなものがなんの練習になるってんですか?理解できないです」

「その説明も含めて今から軽くミーティングしようと思ってたんだ、とりあえずリバーとパーマーくんはこのプリントを見てくれないか」

そう言ってトレーナーから手渡されたプリントを覗き見る。そこには、今後一週間のトレーニング計画や次走予定が記されていた。

 

記されていたが。

 

パーマーは次走予定のところを見て目を疑った。

 

「よーし、とりあえずリバーは次2月頭のつばき賞だ」

「はいっ!!!」

「もしここを勝てたら、チューリップ賞かアーリントンカップを経由して目指せ桜花賞!だな」

「フラワーちゃんと走れるんですか!!!」

「そうだなー、でも全てはつばき賞を勝ってからだ、トレーニング頑張ろうな」

「はいっ!!!」

 

「あの〜・・・」

 

「で、ヘリオスくんは・・・」

「勝手にマイラーズカップに行こうと思ってましたぁ」

「まあやっぱ勝手に決めてたよな・・・まあ、それで問題はないから明日からは僕のメニューに従ってくれるかな?プリントもまた渡すから」

「いいですよぉ、パーマーちゃんとの併走楽しみだなぁ」

 

「あの〜・・・」

「ん、パーマーくんどうした」

「これ・・・間違いじゃないんですか?」

「うーんどれどれ・・・いや、全然間違ってないね、ここに向かってしっかりトレーニングしていこうな!」

「無理に決まってんでしょうがあああ!!!」

絶叫したパーマーは目の前のトレーナーにつかみかかり、胸ぐらを激しく揺らす。

「え〜と、3月29日、阪神のコーラルステークス・・・芝1400m。」

 

パーマーの手からこぼれ落ちたプリントをヘリオスが読み上げる。

 

「マイルでも短いなんてもんじゃないのに、スプリントとか論外なんですけど!!!」

「痛い痛い、離して離して!!!」

「ふたりとも、けんかしないでください!!!」

半泣きのリバーの絶叫が部屋中に響き渡った。

 

・・・・・・・・・・・・

 

保健室が騒々しくなってから少しあと、戻ってきたテンポイントはふたつのベッドがもぬけの殻になっていることを確認して、一息をついた。

いや、窓側にあったベッドの横には未だに客人がひとり、座ったままであったが。

 

「あれ、パーマーちゃんはひとりで帰ったの」

「いやあ、寮まで送っていこうと思ったんですけどふられちゃったみたいです、ヘリオスといっしょにトレーナーさん?がついていってくれたみたいですよ」

「ふーん」

「先生こそ、人を呼び出しておいてどこにもいないのはひどいんじゃないですか?スパートさん、疲れて死にそうな顔してましたよ」

「まあ私にもいろいろあるのよ・・・脱走犯を地下室に縛り付けたりね」

本当に病人なのか疑わしいほど元気すぎる患者が、ふたたびテンポイントの脳裏に浮かぶ。幸い気を失ったままだったので今回の拘束には手こずらなかったが、目を覚ましてからのことを考えて今から憂鬱になる。

 

「というか、呼び出した案件が片付いたのなら帰ってもらっててもなんの問題もなかったのだけれど」

「いや、わたしもちょうど話したいことがあったんで待ってました」

「というと?」

「わかってるくせに、脚のことですよ」

「・・・見せてみて」

ライアンを先程までパーマーが寝ていたベッドに腰掛けさせ、テンポイントは触診を行う。

ライアンの右脚の腫れは一見治まっていたが、直接触れてみるとなるほどまだ軽くしこりがあった。

 

「・・・まだ痛むの?」

「そうですね」

「本当は?」

「・・・まだ、というよりはずっと」

「じゃあ自分でも痛みをわかってて黙って復帰したのね、あなたもあの地下室にいる娘と同じじゃない」

「夏のグランプリを勝ったウマ娘が冬のグランプリから逃げていいはずがないじゃないですか、それにもう一度決着をつけなきゃいけない相手もいたんですから当たり前ですよ」

「・・・まあその件については、腫れが消えていたとはいえ、あなたの自己申告を鵜呑みにしてゴーサインを出した私にも責任があるわね」

 

そう言うとテンポイントは、ベッドの下から何かを取り出そうとする。

「なにしてるんですか?」

「あなたの脚を固定するのよ、医者としてそれは見過ごせないからね」

そう言って引っ張り出したものは、簡易的な固定具であった。

「そんなことをしてもらうために私は先生を待っていたわけじゃないですよ」

「私は私の仕事をするだけよ、時には患者の意志を無視することだってあるわ」

「今月末、レースに出るんです」

「じゃあそれは回避するしかないわね」

「嫌だと言ったら?」

「いい加減にして!」

不気味なほど静かだった室内に怒声が響き、間を開けずまた冷たい静寂が戻る。騒音を注意する保険委員長ももういないようだ。

 

「今無理をして、走れなくなることがどれだけ辛いことか貴方は知らないでしょう!私はもう、そんな思いを誰にもさせたくないの」

「・・・先生は優しいですね。でも私にとっては、将来走れなくなるよりも、今走れない方が苦しいです」

「・・・何をそんなに急いでいるの?今ダメでも、しっかり治しさえすれば──」

「いや、もうどちらにしろ元の脚には一生戻らないと思います」

「・・・随分刹那的ね」

「他人のことはわからなくても、自分のことは自分が一番わかるんです。脚を壊して選手から裏方にまわった先生も、そうだったんじゃないですか?」

 

また重い静寂が訪れる。

沈黙を破ったのは、テンポイントのほうだった。

 

「・・・どれくらいだと思うの?」

「具体的なところまではわからないですけど、どちらにしろもう長くないです。持って半年──ですかね」

「それでどうするの、引退するって言いに来たんじゃないでしょう?」

「もちろんしないですよ、本当に走れなくなるまではやります」

「・・・何があっても見過ごしてくれって言いたいの?」

「はい、あと痛み止めでもくれたら嬉しいなって」

寂しそうに笑うと、ライアンは外を眺める。1月の太陽は既にどっぷり落ちて、月明かりと中庭の街灯の光だけが窓から部屋の中を照らす。

 

最後にもうひとつ、あとひとつだけやりたいことができた。

 

自らの終着点を決めたライアンの顔は、晴れやかにも泣きだしそうにも見えた。

月は薄雲に覆われて、先ほどよりも少し暗くなった光が窓から保健室内を照らしていた。




えらく更新が遅れてしまいました。。。


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#07 答え探しと限界探し

「あーそこ・・・もうちょっとそこ伸ばして」

「脚パンパンじゃないですか先輩、ダッシュメニューばっかりやってんですか?」

「あ〜効くぅ・・・」

「というか、先輩がスプリント戦に出ようとするとは考えてもみなかったです」

「・・・わたしもつい最近までそう思ってたんだけどね」

 

スプリントのコーラルステークスを次走に命じられたパーマーは、ここのところ練習後にダッシュの連続で疲弊した脚を、ルームメイトのナイスネイチャにマッサージしてもらうのが日課のようなものになっていた。

ひたすらに繰り返されるダッシュメニューに、暴走としか思えないペースでのヘリオスとの併せウマ。チームポラリスに移籍してから新たに組まれるようになったこれらのメニューは、パーマーがこれまであまり使ってこなかった筋肉を酷使しているようで、どうにも脚の疲労が抜けにくいのだ。

 

「それにしてもメジロがスプリントって珍しいですよね、なんというか、長距離至上主義!みたいなところあるように思ってたんですけど」

ネイチャは反対側の脚に手を伸ばす。

「・・・マックやライアンはそうなんじゃないの、わたしは違うってだけ」

「でもレースまで2ヶ月も猶予があるってことは、それだけ先輩の適性に期待してじっくり鍛えてるってことなんじゃないですか?」

「ポジティブに考えればそういう見方もできなくはないわね」

「先輩がネガティブすぎるんですよ〜」

 

至近距離のネイチャにも気づかれないような、小さなため息をつく。

人の気も知らないで──

ただ、会話が微妙に噛み合わないのは、ネイチャにはまだメジロ家から縁を切ったことを伝えていないからにほかならない。察しろと言う方が無理な話なのだ。

 

「それにしても明日は楽しみなんじゃないですか?」

「明日?なにかあったっけ」

「いやAJCCあるじゃないですか、ライアンさん出るんでしょ?」

身内が出る大きなレースを忘れるなんて、というところだろうか。信じられないと言った表情で見つめられ、仰向けになっているパーマーはバツが悪そうに顔を少し逸らす。

 

「・・・ごめん、普通に知らなかった」

「ってことは見に行かないんですか?」

「行かないもなにも、明日も普通に練習」

「ふ〜ん、言ってもまあGIIですし、わざわざ家の人たちも応援にも来ないんですかね」

「まああの子ならまだGIも勝てるだろうし、ただの前哨戦くらいで騒ぐこともないでしょ」

 

メジロ家では、生まれ育った子達が大レースに出る時には伝統的に大応援団を編成して北海道から出てくることになっていた。

実際にパーマーが出た唯一のGIレースでも、よく知らない顔も含めた大量の親戚が京都レース場に遠征して来ていた。

まあ最もそのレースでもあくまでパーマーはおまけであって、一同のお目当ては大本命だったマックイーンだったのだろうけど。

 

「──ふぅ、こんなもんでいいですかね」

「ありがとう、おかげでだいぶよくなった気がする」

その後もやれ食堂の限定メニューの話だとか、やれ2階のトイレの端の個室がずっと鍵がかかったままだといった他愛のない話をしているうちに、パーマーの両脚は軽くなっていた。

 

「少し気になったんですけど、先輩今ちょっとさすがにオーバーワーク気味じゃないですか?やりすぎて怪我しちゃったら走れないの退屈ですよ〜」

こう言うナイスネイチャも実は今脚を痛めてしまっており、休養を余儀なくされている。昨年の秋頃に勝ち続けてクラスを一気に引き上げて有馬記念にまでたどりついたが、脚は耐えられなかったようだ。

「いや量は大したことないのよ・・・単に慣れてなさすぎるだけで」

「でもスタートダッシュは今でもめちゃくちゃうまいじゃないですか、本当にダッシュ系のメニューあんまりやってなかったんですか?」

「あれはあくまで中長距離を走るメンバーの中では速いってだけ、スプリントだと先行集団になんとか取り付けるか、ってとこなのよ」

「ひぇ〜、おっそろしい世界ですね」

「ほんと、練習だけでも別世界って分かるよ・・・」

 

そう、別世界だ。パーマーがこれまで主戦としてきた中長距離レースとは全く違う。

だからこそ解せない。なぜトレーナーがわたしにスプリントを走らせようとしているのかが。

障害もそうだったように、これが全く向いていないのは自分でもよく分かる。トレーナーだってプロなのだ。それが分からないはずはない──と思うのだが。

 

『なんでなんですか・・・絶対に向いてないです、自分が一番わかります』

『いや、今のキミに一番必要なものがそこにある』

 

「・・・なんなんだろうなあ」

「ふえ?」

「こっちの話、気にしないで」

「なんですかそれー、それより明日も練習なんだったらもう寝ましょうよー」

「・・・そうね」

 

もしかしたら、また明日走ってみれば何かが見えてくるのかもしれない。自分でもまだ気づいていないトレーナーの真意に。

今は明日への希望がある。微かではあっても。

そんな想いが脳裏を巡りきる前に、疲労困憊のパーマーはすぐ深い眠りについた。

 

・・・・・・・・・・・・

 

「う〜ん、スプリントの練習をする理由?」

「そ。いろんな距離走ってるらしいあんたなら、なんの意図があるかとか分かったりしない?」

「え〜、わたしトレーナーさんじゃないし、そんな難しそうなことわかんないよぉ」

「・・・まあ、そう言うと思ってた」

翌日の朝、トレーニング前の準備体操をしながらパーマーはヘリオスにも疑問をぶつけていた。

が、案の定というかなんというか、ヘリオスも何もわからないようである。いや、明らかに適当というか深く物事を考えていなさそうなヘリオスにそこまで期待していたわけではないのだが。

 

「まあまあそんな難しいこと考えてないでぇ、はやく走ろうよぉパーマーちゃん!」

「・・・今日は一段とお元気なことで」

やはりお気楽モードなヘリオスに、皮肉のひとつでも言いたくなる。

「だって今日は日曜日だよぉ、他のチームのみんなは応援に行ってるから、このコースぜーんぶ使い放題なんだよぉ!」

目の前に広がる広大な学校グラウンド──工場跡の空き地とは比べ物にならないそれを指さして、ヘリオスは声を弾ませる。

「わーい、今日はいっぱいパーマーちゃんと走れるねぇ!」

「テンション高いのはまあいいとして、あんたの暴走ペースに付き合わされる身にもなってくれない?」

「え〜でもぉ、練習で飛ばさないと本番でもスピード出ないよぉ」

「マイルどころか1200すら全然持たないレベルのスピード出力は、どっちにしろ意味ないと思うんだけど」

「そこはぁ、限界を超える!」

左拳を握りしめ、目をキラキラさせているヘリオス。

希望に溢れていて眩しい──というよりかは。

(うーん、やっぱりヘリオスもアホの娘だな・・・)

どうせこのあたりの言動もツインターボから影響されたのだろう。眩しいと言うよりかは、言っちゃなんだがこれは痛々しいの類いだ。

そう考えると少々冷ややかな視線を浴びせたくもなるものだ。

 

「どうしたのぉ、準備体操ももうしたし早くやろうよぉ」

「はいはい、さっさと始めますか」

怪訝そうな顔をしているヘリオスをあしらう。まあとりあえず、今は他人のことよりも自分のことだ。課されたメニューをまたこなしていけば、なにか答えが見えてくるかもしれない。

どっちにしろ、このモヤモヤにはさっさと蹴りをつけたかった。

 

今日のメニューはこんな感じだ。まず準備体操を充分にこなしたあと、アップのランニングを軽いペースでウッドチップコース1周回(ヘリオスはアップにも関わらず爆走していたが)。そのあと1ハロンのダッシュを10本。2ハロンのダッシュを5本。トレーニングルームでバイクメニュー。坂路コースに移動して駆け上がりを2本。そして締めにコースに戻ってヘリオスとの併せウマを2本──

 

「ねぇ・・・ちょっとこれ・・・さすがにオーバーワークすぎない?」

坂路からコースへ戻る最中、息を切らしながらパーマーはヘリオスに問いかける。

「え〜そうかなぁ、わたしはまだまた走れるよぉ」

ヘリオスも同じようなメニューをこなしているにもかかわらず、全く疲れている気配がない。本当に凄まじい回復力だ。もっともメニューが終わる度にグラウンドにぶっ倒れてはいるのだが、10分ほどでピンピンした状態に戻り意気揚々と次のメニューに向かっている。

 

「そんなことより次は併せだねぇ!楽しみだなぁ!」

どうなってんだ、この娘は。

「・・・ねぇ、ちょっと休憩もらっていい?」

「どうしたの、そんなに疲れたのぉ?」

「まあ言っちゃえば、疲労困憊って感じ」

「う〜ん、でも、30分くらい休んだら全力のパーマーちゃんと走れるよねぇ!」

「生憎あんたみたいな回復力は持ってないから、その保証はできかねるけど」

「え〜!」

ヘリオスが素っ頓狂な声を上げるのを尻目に、パーマーは校舎前の道からグラウンドに降りていくスタンド席に腰を下ろした。プラスチック製でいやに冷たいそれの座り心地はお世辞にもいいとはいえないが、この姿勢を取るだけでも疲労感は幾分か軽くなる。

 

「よっこいしょっと」

すぐ横にヘリオスも腰を下ろした。もう夕方が近づいてきている。傾き始めた太陽と、冬の風が疲れた身体に沁み渡る。

「ふぅ〜、風が気持ちいいねぇ」

「気持ちいいってか普通に寒いような・・・」

「あっパーマーちゃん、脚ガチガチになっちゃうから伸ばしながら休んだほうがいいよぉ」

「そりゃそうね、ありがとう」

「パーマーちゃん元気ないねぇ、疲れだけじゃないでしょ、大丈夫?」

「・・・まあ、大丈夫」

 

リバーといいヘリオスといい、なんでこうも察しがいいのだろうか。なんだか嫌になって自然と膝を抱え込む。

実際、元気がない理由は疲労だけではない。まだ練習は終わっていないとはいえ、今日のところも自分がなぜこのトレーニングをしているのか、その真意が見えてこないままなのだ。

目的が見えないトレーニングをしている不安とモヤモヤが、今は心を覆い尽くしている。

出口の見えないトンネルほど怖いものはない。

 

「あー、リバーちゃんたちかなぁ、あれ」

「えーと・・・そうみたいね」

相変わらずの明るい声に誘われ、ヘリオスが指差す方向を見つめると、なるほど向正面のあたりにちんまいウマ娘とおそらくトレーナーだと思われる男がいる。

リバーは膝に手をついて肩で呼吸をしていた。彼女もパーマーが繰り返していたようなダッシュメニューをこなしているのだろうか。

 

──いや、ふたりではないか?

内ラチの下をくぐり抜け、ひとりのウマ娘がふたりの側に立った。遠目ではあるが、風にたなびくふわふわしたセミロングの黒髪がその女性を綺麗に見せる。

 

「・・・ねぇ、あの女の人知ってる?」

今度はパーマーが指を差す番だ。

「え〜、う〜ん、なんだろぉ、なぁんかどこかで見たことある気はするねぇ」

「やっぱりそうよね」

全くの同意見だ。パーマーもいつかどこかでその面影を捉えたことがあるような気がする。あれはいつだったか、学園に入った最初の模擬レース?それともレース場で見たのか?もしくはもっと幼い頃にテレビ越しに?

 

「あーっ!!!おねーさんたち!!!」

突如グラウンド全体に響き渡った嬌声に、思考を巡らせていたふたりは思わずびくりとする。まあ、今の状況から声の主が誰かと言うことくらいは1秒も経たないうちに分かったのだが。

 

「・・・せっかくだしあっち行きましょうか」

「そうだねぇ、またリバーちゃんのほっぺぷにぷにしようかなぁ」

おしりについた少量の砂を払い除けてから、声が呼ぶ方へ脚を進める。

 

「・・・あれ?あの娘と・・・お姉さまかしら?」

ふたりの背後、つまり校舎前を通りかかったウマ娘には、パーマーもヘリオスも気づかなかった。

 

・・・・・・・・・・・・

 

「おねーさんたちは練習終わったのですか!?」

「まだだよぉリバーちゃん、パーマーちゃんが併せやりたがらないんだぁ」

「えー!!!なんでですか!!!もったいないです!!!」

「いや、やらないなんて言ってないでしょう」

「パーマーおねーさんがやらないなら、あたしと走りましょう!!!」

「だから言ってないって・・・それに、リバーはまだダメって言われてるよね」

「あぅぅ」

「なんだ、キミたちまだ終わってなかったのか」

わざわざ4コーナーまで猛然と走ってきたリバーをつかまえてからパーマーたちは向正面に到着した。そこには、やはりトレーナー・・・と、あのウマ娘がいる。

 

「あとは併せやるだけなんだけどねぇ、パーマーちゃん少ししんどいみたいなんだぁ」

「なんだ、さすがにオーバーワークだったか?ダメなら休んでてもいいぞ」

オーバーワークを課している自覚はあったのか。

「・・・いや、大丈夫ですよ、もうやれるんでさっさと終わらせちゃいます」

答えながらちらりと目を横にやる。

今何よりも気になるのは、トレーナーの傍らでふわふわした雰囲気の笑顔を浮かべているそのウマ娘のことであった。

 

「ねぇトレーナーさん、そちらのウマ娘さんはどちらさまなのぉ?」

パーマーが聞くより先に、疑問をぶつけたのはヘリオスの方であった。

「あ〜、やっぱりキミらの世代だとすぐにわかんないもんなのかな」

「ふふふ、もう若くないからね〜」

「・・・いや、あなたそれでもそんなに歳いってないでしょ」

「まだまだ現役のマルゼンさんあたりがおかしいだけで、ワタシは充分おばさんよ〜」

「あーあー、聞かれたら怒られるぞー」

「・・・で、あの、結局そちらの方は・・・」

自分たちを置き去りに話が進んでいるような気がして、パーマーが口を挟んだ。

「あーこちら学園OGの──」

「まあまあワタシの自己紹介なんていいから・・・ええっと、どっちがパーマーさんかしら?」

「あ、わたしですが──」

呼ばれて小さく手を挙げる。なんだ?わたしに用があるのだろうか。

「じゃあこちらが・・・えーと、ヘリオスさんね」

「はぁい、そうです!」

「ふたりともよろしくね〜、トレーナーさんから話は聞いてるから」

よろしくおねがいしまぁす、と呑気に返しているヘリオスの横でパーマーは少し考え込む。

 

この人が誰なのかはもうこの際置いておくとしよう。やり取りの感じだとトレーナーが呼んできた外部の人、ってところだろうか、いずれにしてもまあ信用できない、ということはないのだろう。

ただ引っ掛かるのは学園OGという文字列だ。なんだろうか、なにか心当たりが・・・

 

『トレーナーさんが、おねーさんのために強いウマ娘を呼んできてくれたみたいです!!!おーでぃー?おーじー?とかいってました!!!』

 

ああ、もしかして。

 

「もしかして前に聞いた『一緒に走ってくれるOGさん』って・・・」

「そのおかたのことです!!!」

トレーナーが口を開く前に、もの凄いドヤ顔でリバーが答えた。

「ああそういえばそこはリバーに伝言頼んでたな、そうだよ、この人のこと」

「そういえばこの前はせっかく来たのに約束すっぽかされちゃったのよねーえ、トレーナーさん?」

「・・・その件についてはボクの力及ばない範囲だったとはいえ、申し訳なく思っています」

白い目を向けられたトレーナーは、苦笑しながら肩をすくめる。

まあ、実際にトレーナーは何も悪くない。あの日練習に行けなかったのは、今横でリバーの頭を撫でているヘリオスと、結局今になっても消息がよくわからないまま(保健室の先生は心配ないと言っていたが)のツインターボのせいなのだから。

 

「うそうそ、別に責めてないから・・・うーん、折角だしもう今日から一緒に走ってもいいかしら?」

「そう言えば終わってないのは併せだけって言ってたよね、折角だからふたり纏めて相手してもらえばいい」

「いいんですか?」

「そりゃ、併せやってくれって頼まれて来たんだからいいに決まってるじゃない」

何を当たり前のことを言っているんだ、というような感じで先輩ウマ娘はケラケラと笑う。

 

この人と併せをやるのか。

気付かれないようにちらりと視線を向ける。他者に興味を持っていなくても、オーラや雰囲気というものくらいならパーマーにだって感じることはできた。

今横にいる、正体不明(?)なウマ娘は明らかに只者ではないように感じる。走りたいという気持ちを取り戻しつつあるパーマーにとって、一緒にやってみたいという気持ちが湧き出てくるようなオーラだ。

 

「でもリバーとトレーニングしていらしたんじゃ・・・」

「もう彼女のぶんのトレーニングは終わったからね、レースが来週なんだからそこまで無理はさせないよ」

「それじゃあ、やりましょう!」

先に答えたのは、リバーのほっぺを伸ばして遊んでいたヘリオスの方だった。

「ヘリオスさんはやる気満々ねー、それでパーマーさんはどうかしら?もうできる?」

先を越された格好になったパーマーだったが、こちらとしても断る理由は別にない。

「・・・それじゃ、お言葉に甘えて」

「よーし、併せ2本って言ってたけどもうこの1本だけで終わりにしようか」

「それはまたどうして?」

「充分すぎるくらいに練習になるだろうってことさ」

「・・・それは楽しみですね」

「そうだ、パーマーくんちょっと耳貸してくれ」

「?なんですか、急に」

「いいからいいから」

言われるがままに、左耳をぴょこんと動かして彼の方へ向ける。

「あとひとつだけ・・・死ぬ気で逃げろ」

耳打ちの声は小さいが、口調は強かった。

命令口調を受けたのは家を出てから初めてではないか?指示の内容というよりは、普段とは異なるその真剣な態度に、自然と気が引き締まったような気がした。

 

「ヘリオスがいるのに、ですか」

「ヘリオスくんと言うより・・・いや関係ないな、死ぬ気で逃げろ、逃げられなくても食らいつけ」

「・・・善処します」

「おーい、そろそろ日が暮れちゃうしさっさとやっちゃいましょう、スタートは1600の地点からでいいかしら?」

いつの間にか先輩は30mほど先に立つハロン棒の下にいて、パーマーたちふたりを手招きしている。

「はぁ〜い、最後がんばるぞー!」

「すみません、すぐ行きます」

「あと少しだ、頑張ってな」

 

──あと少し、ね。

まあこれが終われば今日の練習は終わりなのだ。そういう意味では「あと少し」なのだろう。

 

でも、今わたしが探しているものは本当に「あと少し」で見つかるのだろうか──

 

ふーっと息を吐き出す。

・・・まあ、ヘリオスもいるから、勝敗はともかくとして逃げるのは実際問題厳しいだろう。それでも、やれるところまでやってみないと後で何を言われるか分からないな。

己の気持ちと靴紐を引き締めてから、今日最後のスタート地点に向かった。

 

「・・・よーし、じゃあリバーはもうクールダウンして終わりにしようか」

「えー!あたしもあたしもまだまだ走りたいのです!!!」

「だーめ、まだまだ身体もできあがってないんだし本番も近いんだ、無理なトレーニングはゲンキンだよ」

「むー!!!」

ぶーたれているリバーの背中を押しながら、ハロン棒の方をちらりと振り向く。

なんだか難しい顔をしているパーマーが目に入った。

 

──彼女なりに答えを探そうとしてるんだろうな。

 

『絶対に向いてないです、自分が一番わかります』

「まあ、それも『あと少し』で分かるんじゃないかな」

キミが追い求めているものはそうだ、すぐ近くにあるはずだ。

ボクだってそこまでボンクラじゃない。キミにとってスプリントは短すぎる、全くもって向いていないことくらい分かってる。

でも、今短距離を走ることで、改めてそのスピードを身をもって体感することで分かることがあるんだ──

 

・・・・・・・・・・・・

 

「おそいよぉ、はやく走ろうよぉパーマーちゃん」

「まあまあヘリオスさん急かさないで、ワタシは別に逃げないわよ〜」

「・・・思いっ切り内空いてますけどここ入っていいんですかね」

「「どうぞ〜」」

パーマーはいちばん内ラチに近い、所謂最内と呼ばれるポジションを陣取った・・・というか譲ってもらった。すぐ横にヘリオス、ふたりをよく見れるからここがいい、と言っていちばん外に先輩があらかじめ並んでいる。

 

「スターターもいないし、もうワタシのよーいドンに合わせてスタートでいいわよね?他になにか聞きたいこととかある?」

「せんぱい、なんだかいい匂いしますねぇ!」

「あら嬉しい、今日は香水もなにもつけてないんだけどね、ありがとう」

それは質問か?ご機嫌取り?いや、そんな器用なことをするヘリオスではないか。

満更でもなさそうな先輩に対して、パーマーはヘリオスに比べると至極まともな質問を投げかける。

「・・・先輩、お名前なんて言うんですか」

「あ〜、そういえばそこ聞くの忘れてたぁ」

気づかなかったよぉ〜、などと抜けたことを言っているヘリオスは一旦置いておこう。

「ワタシの名前ねぇ・・・そうね、じゃあこの併せでふたりのどっちかがワタシに勝てたら教えてあげる」

なんですかそれ。

「うわぁ〜、これは燃えずにいられないねぇ!」

いや、別にそんなでもないが。

「他は何もないのかしら?それじゃ、今度こそほんとに準備いいわね?」

「はーい!」

「・・・はい」

結局はぐらかされてしまったが、今はもう走るしかない。気持ちをレースに切り替える。

返事をすると同時に、全神経をスタート体勢に集中させた。

「それじゃいくわね、・・・よーい──」

 

わたしは、確かに先輩のドン、の声に被さるか被さらないかのギリギリのタイミング、いわゆる好スタートを決めたはずだ。

 

前傾姿勢から徐々に身体を起こしていく。このスタートなら、パーマーがかつて主戦場としていた中長距離のレースであれば、間違いなく集団のトップに立ち、ペースを支配する権利を手にしている。

 

しかし。

その好スタートから身体を起こしたパーマーの視界に飛び込んで来たものは、ヘリオスの背中・・・だけではなかった。

自分より幾分も前の位置で激しく競り合うふたりの姿がそこにある。

 

・・・ふたり?

あれ?なんだこのデジャブ?

 

今のパーマーが出せる最高のスタートを決めたとしても、ことハナ争いにおいてヘリオスにはまだ勝てないだろう。それは例の暴走トリプルマッチでも、併せウマという名の超全力疾走でもスタートでは勝てないことからも明白であって、今更驚くことではない。

しかし、今日はそれでもすぐ後ろの2番手にはつけられると思っていた。それだけのいいスタートを決めた自信があったからだ。

 

──では、そのヘリオスとスタートダッシュにおいて互角以上、いやむしろ子供扱いしているあの先輩はなんなのか。後先考えていないツインターボですら、あそこまでのスピードではなかった。むしろ引っ張られてヘリオスのスピードもいつもより増しているのではないか?

 

「おーいパーマーくん、言っただろ!食らいついて行かないと意味無いぞ!これはそういうトレーニングなんだから!」

 

遠くからかすかに叫ぶ声が聞こえる。

そういうトレーニング・・・

疲れた頭を回して考える。

 

ヘリオスの暴走ペースについていくことを良しとしたトレーナー。

スプリント出走を目指した練習計画。

そして今3バ身前で繰り広げられている、壮絶なハナの奪い合い。

 

そして、あのふたりを相手に何がなんでも逃げろと言ったトレーナー。

 

・・・ああ──やっと分かった。

脳内でバラバラになっていたピースが埋まっていくような感覚。

 

フッと微笑んでパーマーはギアを限界まで上げにかかる。

 

わたしのギアはいつ全開になるか?

前のふたりが勝手に落ちてくるまでに並びかけられるか?

そもそもヘリオスはともかくとして、あの先輩は落ちてくるのか?そんなことはわからない。でも、追いつかなければいけないのだ。

 

じゃあ追いつくためには何が必要なのか?それが今欲しいものの答えだ。

あの先輩が誰なのか?そんなことは今どうだっていい。

 

「やっと分かったよ・・・短距離でだって通用するようなスピードを手に入れるため・・・ってことが!」

 

心なしか、パーマーのギアはいつもより早くフルスロットルになった。

 

・・・・・・・・・・・・

 

『逃げ切り!逃げ切り!シニアクラス・トウショウファルコ、重賞連勝だー!!!』

同時刻、アナウンサーの絶叫が響き渡るターフコース。

名前をしきりに呼ばれているのは、断然1番人気だった彼女ではない。

 

鼓動がいつもより速い。右脚が鈍く痛む。

うーん、思ったよりもしんどいな。

片膝をついて掲示板を見つめる。勝ちタイム2分12秒8、8番、5番、1番・・・

 

「・・・ライアンさん、どうしちゃったんですか」

道中ずっとライアンと併走していた「5番」の後輩が、心配そうに駆け寄ってくる。

「シャコーちゃんお疲れ、うーん、今日少し寝不足だったからかな〜」

「・・・」

ざわつくレース場において、ふたりの空間はやけに静かだった。

 

中山レース場の着順掲示板には、彼女のゼッケンに記された数字は灯ることはなかった。




トウショウファルコ、好きでした。


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#08 あの娘と似た娘

カツン、カツン。

 

「くそっ、どうなってんやがんだこれ、全くほどけねえ」

 

カツン、カツン。

 

「なんだってアタシがこんなとこで・・・あ〜あのクソババア、せめてこのロープくらい外してくれってんだ」

 

カツン、カツン。

 

・・・ブチイッ!

ほどくことを諦めて力任せに引っ張っているうちに、ツインターボの足首と柱を結んでいたロープは真っ二つになった。

「お、よっしゃちぎれたぜ」

 

カツン。

 

「なにしてるのかな〜???」

声に驚いて振り向くとそこには・・・白衣姿のウマ娘がひとり、恐ろしいほど満面の笑みで立っている。

「あっク・・・先生じゃないすか、あはは、まだ晩メシには早いんじゃ」

「しらばっくれてもムダよ」

こわ〜っ!!!

あまりに鋭い視線と目付き、ドスの効いた声から出る言葉の切れ味にツインターボは震え上がる。

普段はニコニコみんなに優しい保健の先生って感じなのに、このテンポイントって先生、スイッチが入るとこれまで見てきた中でいちばん怖い存在かもしれない。

「どこかの誰かさんが騒がしいから様子を見に来たのよ、逃げようとしたってムダなのにね」

「え、なんでそれを」

「隠しカメラと盗聴器くらい仕掛けてるに決まってんでしょ」

「お、おーぼーだ・・・」

それがさも当然のことであるかのような軽い口振りである。

アンタの倫理観どうなってんだよ、というツインターボにしては至極真っ当なツッコミは、口にするとろくでもない未来を招くことが確定しているだろう。

 

「そ、そんなことより早く寮に戻してくださいよ、ここからキョーシツ通うの嫌なんすよ!授業中も休み時間もずーーーっと保健委員たちに監視されてるし──」

ギロッ!

「あ?」

「はい!永遠にここから通います!」

身体が勝手に防衛本能を働かせた。明らかにヤバい空気によって、彼女なりの精一杯の反抗を諦めさせられたツインターボは、さながら雨に濡れておびえている犬のようであった。

 

「あなたなんで収監されたかわかってるのかなぁ〜?」

ほらもう収監って言っちゃってんじゃん。イッちゃってんじゃん。

「せ、先生が安静って言ってたのをシカトして走り回ってたから・・・です・・・」

「正解、やっぱりツインターボさんは賢いわね〜♪」

答えるやいなや、急に声のトーンが明るくなる。

ああそうだ、これがアタシがつい最近まで知ってた先生だ・・・

「私だってあなたをこんなとこに留め置いておく趣味はないんだけど、今解放したら絶対に無茶するでしょう?だからあなたのことを考えて、しばらく監視下に置かせて貰ってるの」

「・・・じゃ、じゃあそのしばらくってのはいつまで?」

「それはあなたの態度次第としか言えないわね、医者の言うことを聞かない罪はそれだけ重いってことよ」

 

態度次第。

その言葉を聞くやいなや、ツインターボは正座して地面に両手をつき・・・頭を地面に擦り付けた。

所謂、土下座というやつだ。

「先生このとーりです!!!もう体調が治るまではバカみたいに走ったりしませんので!!!存分に反省致しましたので!!!ここから出してくださあああい!!!」

「じゃあそこのロープの切れ端はなにかな〜?」

・・・あ、そうだった。

モロに状況証拠を目撃されていたことを忘れていた。

「あー、こ、これはその・・・」

「それに土下座したくらいで反省した、なんて思うはずないでしょう、大人を舐めないことね・・・ま、それじゃまたあとで夕食持ってくるから、それまでにどうしたらいいのかいろいろ考えときなさい」

「・・・」

「ああ、というかロープは繋ぎなおさないといけないわね、入るからじっとしてて」

「え?」

そう言うとテンポイントは、白衣のポケットから鍵束を取り出してツインターボと自由とを隔てている鉄扉を開けようとした。

 

今、ツインターボの脚にはロープの切れ端がついているだけで、実質的に自由に動き回ることができる。

 

こ、これは・・・もしかしなくてもチャンスなのでは?

 

ガチャリ。

扉の開く音に合わせて、ツインターボはテンポイントの左脚へ飛びかかった。

「うおおおおおお、今後どうなろうか知ったこっちゃねえ、アタシは自分の部屋に戻るんだーっ!!!」

いくら先生が昔はスゴいウマ娘だったといえども、急に脚を取られたらさすがに隙が生まれるだろう。隙さえあれば、アタシの超バツグンスタートダッシュでこのクソババアを振り切ることくらい造作も──

 

「・・・あれ?」

なんだかテンポイントの脚に触れた感触がおかしい。

いや、おかしいというか人肌の感触がない。パンツ越しではあるが、なんだか硬くて冷たくて──

「気は済んだかしら、不良少女さん?」

「あ・・・その・・・」

「・・・見たいなら見ていいわよ、怒らないから」

なんだかその言葉は、鋭いというよりは冷たく、悲しい雰囲気を纏っている気がした。

おそるおそるパンツの裾を上げてテンポイントの左脚を覗き見る。

「・・・っ」

本来ならば脛や足首があるべきところに、白く硬いプラスチックの塊があった。

 

誰にでもあるはずの左脚がなかった。

 

・・・・・・・・・・・・

 

あと2バ身半・・・あと2バ身・・・あと1バ身!

 

ステイヤー仕様ともいえるパーマーのギアは、前を行く名前も知らない先輩に食らいつくべく、強引な出力変更を強いられている。

それでも、スピードを今以上に手にするためという目標がやっとわかったのだ。目標が明確だからこそ、無意識に脳内でセーブしていたこれまでとは違って、躊躇いなくフルスロットル状態にまで入れることができている。

 

そして、遂に射程圏に捉えられるところまで詰め寄ることができた、だろうか。

 

「ふふ、やっと追いつけそうじゃない?」

うるさい、随分余裕ですね。

「まったく、ちぎられてたら併せにならないじゃない・・・って言おうと思ってたけど、ちゃんと食らいつけるのね」

「おっしゃる通りで・・・並んで抜かさないと・・・練習にならないんでね・・・!」

「そうそう、その意気」

走りながらも軽い笑みを絶やさない先輩が視界に入り、パーマーは苛立った。こっちはこんなにも必死でやってるのに、まるで全く相手にしていないんじゃないか。もちろん自分の力が足りていないのが悪いのではあるが、歯牙にもかけられないのは当然気分のいいものではない。

 

いいさ、そっちがそうなら。嫌でもわたしをその視界に入れてやる・・・!

 

もうスピードは今自分が出せる限界だろう。それでもアクセルを踏み続ければ、今の自分をこの瞬間に超えることができたら、前に立てるかもしれない──

 

「でも残念、ここがゴールね♪」

「・・・あ。」

はっと横を見ると、眼前をゴール板がすり抜けていった。

じわじわ詰めた距離は1バ身・・・いや、半バ身ほど及ばなかった。

 

──また勝てなかった。いや・・・前に立てなかった。

走り切ったパーマーは、ゴールを過ぎた1コーナーの手前で膝に手をつき、枯れ気味になっている真冬の芝生を見つめていた。

 

でも。

 

「あら、負けたのにいい顔してるわね」

「え?」

「なんかいいことでもあったの?四つ葉のクローバーでも見つけた?」

「いや・・・その。」

掌を開いて見つめる。

 

「・・・負けて得るものって、ほんとにあるんですね」

戯言だと思っていた。勝利至上主義とも言えるメジロで育ったパーマーは、よく大人が言うこの文句が信じられなかったのだ。

でも、今確かに胸の中で、掌の上で感じるものがある。

「ふふ、なに当たり前のこと言ってんの」

「そんなこと、経験したことなかったんで」

「あのね、結果が求められるのは自分の最終目標に届きそうな時だけなのよ。それ以外は全て、全てがそこに向かうための研鑽なの。これ、先輩からのアドバイスね」

「併せの勝ち負けなんて端っから関係ないってことですか」

「そんなの当たり前、今日わたしに勝つことがウマ娘人生の終着点じゃない限りはね」

 

(終着点・・・か。)

自分を見てくれない、周りに押しつぶされそう、そんなことに嫌気が差して飛び出したわたしの最終目標は、終着点はどこなのだろう。考えたこともなかった。パーマーは結局のところ、その時の感情に身を任せたまま無鉄砲に飛び出しただけだったのだ。

 

『勝負服を着て、待ってるよ』

 

脳内でリフレインしたその言葉は、自分が思うそれなのだろうか。

 

「やっぱりまだそれはわからない?」

「・・・お恥ずかしながら」

「まあ、それを自分の中で明確にしてる子ってそんなに多くないと思うから、まだあんまり気にしなくてもいいんじゃない?今は無理に探さなくても、ガムシャラにやるうちに見つけていけばいいのよ」

「・・・はい。」

「でも全部すっ飛ばして結果ってところだけで見ても、今日の走りは結構良かったんじゃないかしら?これならあのトレーナーくんも褒めてくれるでしょ」

「いや、そこはダメですよ・・・仮に追いついてたとしても、トレーナーの指示は『ハナを奪え』だったんで」

「まあ、そりゃまた結構な無理難題ふっかけられたわね〜」

「・・・私だって逃げウマなんですけど」

「あらそうだったの、奇遇ね、私もなのよ」

 

・・・なんだろう、やはりこの歯牙にもかけられない感じはどうにも鼻につく。

そっちが逃げウマなことくらい今のレースっぷりを見たら分かるに決まっている。そしてその逃げウマから見たわたしは、スピード勝負の土俵にすら全然立てていない、ただの学生ウマ娘にしか映っていないのだろう。

 

──ああ、そうだ。そうしよう。

「・・・わたし、目標今決めました」

「えらく急ね、もっとゆっくり考えたらいいのに」

「『終着点』ってのは正直よくわかんないんで、それは後回しにして当座の目標ってことです、別に目標って、いくつあっても問題は無いですよね?」

「そりゃあもちろん」

返事を確認してから、パーマーはビシッ!と指を差した。先輩に向かって。

先輩はきょとんとしている。

 

「とりあえず、あなたからハナを奪ってみせます・・・それがわたしの一番近い目標です」

まずはこの人より速くなる。高い壁なのは承知の上で、パーマーは思いっきり喧嘩を売った。

 

「ふーん、思い切ったけどそれは無理ね」

「わたしなんかに負けるわけないってことですか?」

「いや、そういうことじゃないけど・・・そりゃあね、負けるとも思ってないけど、それとは関係なしに無理なのよ」

「・・・?」

「あのねパーマーさん、わたし実はね──」

「あーーーー!!!もう、離れなさいよ!!!」

突然グラウンドに絶叫が響き渡り、ふたりは背中をビクリと震わせる。何かを言いかけた先輩の声もかき消されてしまった。

反射的に声の方へ視線が動く。

 

「・・・そういや途中からいなかったですね」

「ええ、あれはなにしてるのかしらねぇ」

 

ゴール板の手前で、嫌がるウマ娘の脚に幸せそうな顔でしがみついているヘリオスがそこにはいた。

 

・・・・・・・・・・・・

 

「・・・助けてくださってありがとうございます」

ありがとう、という言葉とは裏腹にそのウマ娘──ダイイチルビーというらしい──は頬を膨らませて憮然としたままだ。いや、気持ちは大いに理解できるが。

「その、うちのチームメイトがものすごく迷惑かけたみたいで・・・すみませんでした」

「パーマーさんは謝らなくていいんです!悪いのはこの方なので!」

ダイイチルビーが指さす先には、ロープ(どこから持ってきたのかは分からない)でぐるぐる巻きにされたヘリオスが転がっている。

「ねぇねぇルビーちゃん、そろそろこれほどいてくれないかなぁ」

「ほどくわけないでしょう!」

「え〜なんでよぉ、仲良くしようよぉ〜」

「貴方の『仲良く』は意味がいろいろ違うじゃない!」

「まあまあとりあえず、ルビーもここはヘリオスさんの若気の至りってことで、1回くらい見逃してあげてもいいんじゃないかしら・・・?」

「1回?」

間をとりなそうとした先輩の言葉を、ダイイチルビーは低い声で反芻した。

「1回どころか100回できかないんですのよ!来る日も来る日も学校でバッタリ出くわしたら追いかけてくるし、シャワールームには先回りされてるし、放課後私の机で勝手に寝てるし!!」

──それはもうストーカーなのでは?

「うふふ、ルビーもいい友達を持ったのね」

「今の話を聞いてお姉さまはどこらへんがこの方が私の友達だと思ったんですか!?」

 

・・・お姉さま?

「えぇ〜、わたしとルビーちゃんって友達じゃなかったのぉ」

「ち・が・い・ま・す!」

「あのーところで、ルビーさんと先輩ってどういう関係なんですか?」

ヘリオスがストーカー紛いのことをしていたことは一旦置いておこう。

「どういう関係・・・うーん、そのまま『お姉さま』・・・まあ、近い親戚といえばいいのかしら」

「へぇ、ルビーちゃんの親戚ってことは先輩もすごいおうちの人だったんですねぇ!」

「そうなの?」

「え〜、パーマーちゃん『華麗なる一族』って聞いたことない?」

「・・・ごめんなさい」

確かにパーマーにとっては初耳であった。が、ただなんだろう、ヘリオスに『なんでそんなことも知らないの?』みたいな顔をされると非常に屈辱を覚える。

──ぎゅーっ。

「いやぁぁ、なんで耳掴むのぉ、力抜けちゃうよぉ」

「なんとなくよ、なんとなく」

「まあやはり名門メジロ家のパーマーさんにとっては私達なんて眼中にありませんよね?」

「え、いやそんなことは」

 

あれ、怒らせてしまったか?心なしか急に冷たい視線を向けられているような。

そしてなんだろう、パーマーにとってルビーはなんだか気安く話しかけられないような雰囲気を感じてしまう。

──似てるから、か。

頭の中には、綺麗な長い銀髪の少女が否が応にも浮かんでくる。

 

「でもせめてヘリオスはハギノ姉さまのことくらい知ってなさいよ」

(・・・ハギノ?)

「ハギノさんって誰のことぉ?」

知らないのはパーマーだけではなかったようだ。

「・・・お姉さま、もしかして全く名乗りもせずこの方たちを捕まえて走ってたんですか?」

パーマーに一瞬向いていた気がする冷たい視線は、それよりももっと棘を持って傍らに座り込んでいた先輩に向きなおった。

 

「──ですから、常々言っております通り、私は姉さまにはもっと自覚を持っていただきたいのです!」

「いや〜、だって改めて名乗るってなるとなんだか恥ずかしいじゃない?」

「恥ずかしいとはなんですか!!」

声を荒らげるダイイチルビーはどうもかなりご立腹のようで、もう15分くらいは熱いお説教を続けている。

最も、怒られているはずの"ハギノトップレディ"先輩はそんなルビーをへらへらと受け流しているようだが。

「確かに我が家は超一流とはまだ言えないかもしれませんが、私達だって脈々と受け継がれてきた家の名を背負うものとして、誇りを持たねばいけないのではありませんか!」

「いや〜それが面倒くさいのよ、私はもっと気楽にやりたいのにさー」

「そういう考えがいけないのですわ!・・・ってなにしてるんですか貴方!」

「いや〜、ルビーちゃんロープの縛りが甘かったねぇ」

先輩に説教するルビー、相変わらず飄々と受け流しているハギノ先輩、どうやったのかは分からないが縄抜けして再びルビーの脚に頬擦りしているヘリオスを見つめて、パーマーは逡巡する。

 

(家の誇り、かぁ・・・)

 

やっぱりそうだ、喧嘩別れした妹に似ていると感じる。

だからこそ、自分の家にあそこまで誇りを持っているルビーをなんだか眩しく思ってしまう。誇り高い妹──マックイーンに、全てを放り出した私が抱いている想いも同じなのだろうか。

なにより、彼女への羨望や嫉妬によく似ている。

 

そしていつの間にかパーマーは、夕暮れのクラブルームでひとりパイプ椅子に座り込んでいた。

 

──羨ましい?

いや、違う。だって私は、自分が自分でいられなくなるのが嫌で、認められないのが耐えられなくて家を飛び出したのだから。

マックイーンやルビーのように、健気に大きな十字架を背負ったまま生きていくことを蹴ったのだから。

納得して出した結論に後悔なんてない。

 

でも。

 

「・・・なんなのよこの気持ち」

「どうしたのですか!!!おねーさん!!!」

「うううわっ!!!」

差し込む夕陽にだけ乗せたつもりだった言葉が、耳元で響く特大ボリュームによってかき消された。思わずパーマーは椅子から転げ落ちる。

一瞬だけ何が起きたかわからなかったが、案の定、声の主は元気すぎる後輩だ。

「・・・なんだリバーか・・・びっくりした、なんでここに」

「だってここは、あたしのチームのおへやだからです!!!」

「ああ、確かにそりゃそうよね」

「それよりおねーさん、なにかなやみごとでもあるのですか!?」

「・・・」

最初は適当に誤魔化そうと思ったのだけれど。

リなんだか心配そうにこっちをまんまるな目で見つめているリバーを見て、少し気が変わった。

普段なら彼女に相談なんて絶対しないだろう──まず間違いなく解決しないだろうから。

でもちょっと気になったのだ。

ただひたすらに前向きというわけでもない彼女なりの考えが。

 

「リバーはさ、自分でいらないって決めたものが、また気になって見えてきたらどうする?」

「それはごはんのおはなしですか!?」

「・・・まあうん、それでもいいよ」

「あたしなら、いま持ってるおかずもうらやましいおかずもどっちも食べちゃいます!!!」

「どっちも?」

「はい!!!食堂はただなので!!!がまんするなんてもったいないのです!!!」

 

分かっている、リバーは勝手に食堂のおかずの話だと考えて返事しただけだってことは。

でも、満面の笑みでどっちも諦めないと言い切ったリバーならきっと──

 

「・・・そうだよね、やるだけならタダだもんね」

「???・・・はい!!!」

「まあ、なんだか楽になったわ。リバー、ありがとうね」

「よくわかんないですけど、どういたしまして!!!」

リバーはちょっと首を傾げたけれど、すぐにいつもの元気な声で答えた。彼女の頭をぽんぽんと撫でてから、パーマーはクラブルームを出ようとする。

 

今話を聞きたい人がいるなら、アタックしてみたらいい。そんな当たり前のことに気付かされた。

思い返せばさっき彼女に話しかけにくい気がしたのは、自分の中で「そういう人」への負い目があったからなんだろうな。

 

「どこかへいくのですか、おねーさん!!!」

「そうね、ちょっと軽くひとっ走りしてくるわ」

「あのですね、トレーナーさんがあとでミーティングするって言ってました!!!」

「わかったわ、30分くらいしたら戻るから」

 

(どうせすぐ後で会えるのに)やけに名残惜しそうに手をぶんぶん振るリバーをあしらってから、クラブハウス棟から外に出る。

外の時計はそろそろ5時を指そうとしていた。この季節だともう日もどっぷり落ちて、暗闇が迫る直前といったところだ。

 

ネイチャにも今日は遅くなるって言っておく必要がありそうね。

 

校内にいるであろう尋ね人を探してからミーティングをすると仮定すれば、パーマーが寮に戻る頃には食堂ももう閉まっているかもしれない。律儀に同部屋の先輩のことを待ってくれているであろう後輩の顔を思い出して、パーマーはスマホを取り出す。

 

・・・うっかりマナーモードにしていたから気づかなかったのだろうか。そこには鬼のような着信履歴があった。

 

「・・・ツインターボさんに私の連絡先渡したっけ」

 

所謂『鬼電』を無視するかどうするか──とりあえず後回しにしよう。今やりたいことを終わらせてからでも遅くはない。

 

溜息をついてパーマーは無意識にスマホをしまう。

結果としてこの夜は長くなって、なんの連絡も受けていないナイスネイチャは夕飯を食べ逃すことになる。




半年ぶりとは?


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