蟲の女王 (兼無)
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導入のつもりがなんだか変なことに。


 体を弄られる違和に身を任せ、ただ、そこにあろうとする。痛み。もどかしさ。いきぐるしさ。怖気。水音。全てをただ受け入れる。

 目を開けば蠢くは醜悪な蟲達。体の上を這いまわるそれらをしたい様にさせておく。彼等は私を貪り、それ故に私は彼等を使役できるのだ。

 乳房の上を、節足を軋ませながら百足のような蟲が這っている。

 彼等は私の手足であり、目であり、肉だ。

 自らの手足を嫌悪する理由はない。

 ただ、手足なら上手く使えるに越したことは無いと考えた。

 故に私は蟲の女王になろうと思ったのだ。

 ともすれば上気しそうになる呼吸を落ち着ける。

 あらゆる感覚を感覚としてのみ受け取れば、意識はゆっくりと内側へ向かう。

 深く、ふかく。

 更に意識を深く落とそうとして、雑音に気が付いた。

 ざわざわと蟲達の蠢く音に混じって、こつ、こつ、こつ、と石段を刻む足音とコ、コ、コと高い音が暗い地下室に反響している。

 なにかと忙しない時期だからと気を使ってこうやって引き篭もっていると言うのに一体何の用だろうか。

 

「下れ」

 

 体の内外で蠢く蟲達を退け、ゆっくりと蟲の海から立ち上がる。

 生娘なら卒倒しかねないほど醜悪な見た目ではあるが、こんな物でも純潔をくれてやった生き物には違いないし、何より間桐の魔術を支える為には必要な物だ。今となってはさほどの嫌悪も湧かない。

膣口からぼとりと零れ落ちた最後の一匹を足で払い、彼等を踏みつけぬよう気を払って階段へと向かう。

 

「捗っておる様じゃの皐月」

 

予想通りのしわがれた声が振ってきた。足音に杖音が混じっていたし、爺様ぐらいしかここには寄り付かない。

父も私がこうなってからは修行をやめてしまったし、慎二はここを恐れている。

階段の上、地下室の扉を見上げる。機嫌よさげに歪んだ顔で爺様が私を見下ろしていた。

 

「ああ、爺様が来るまではな」

 

 取ってつけたような皮肉に、掠れた声で爺様は笑った。

 間桐臓硯。五百年を生きた怪人にして間桐の当主。対外的には祖父に当たり、私の魔術の師であり、そして間桐の魔術そのもの。

 自身を維持するために蟲を使役する術を極め、いまや間桐の魔術とは文字通り間桐臓硯を生かす為だけに存在する魔術だ。

 間桐はこの爺様から始まり、ゾォルケンの歴史はこの爺様で終わったと言えば分かりやすいだろうか。

爺様の底意こそ分からないものの、先祖より受け継いできたゾォルケンとしての使命を投げうち、子孫を貪り、磨耗した魂を引き摺って生き永らえようとする意志力だけは、一流のそれだ。

 ただ、真実ゾォルケンの魔術が失伝したかどうかについて私は確証を持っていない。どちらにせよこのままでは爺様の磨耗と共に消えていく事だけは確かだが。

 

「それはすまなんだ。いやなに、この間の話を蒸し返しに来ただけじゃ」

 

 この間の話。ここ最近爺様と私に共通の話題と言えば──────そうか。

 間桐の魔術は爺様の延命に集約すると言ったが、爺様の磨耗を見れば分かるようにその延命は確かな物ではない。

故に二百年ほど前、爺様は別の手段に長命を託す事にした。

 手段の名を聖杯戦争。

 聖杯を争い、魔術師達が秘奥を以って我意を通す、文字通りの戦争だ。

願望機たる聖杯を持って不老不死に至ろうと言う訳なのだが、私は度々次の第四次聖杯戦争に出ないかと爺様から打診されている。

 

「……耄碌したわけじゃないだろうな? その気は無いと言ったはずだ」

 

 石段に放ったままのタオルケットを羽織り、上へと登っていく。石段は素足には些か冷たいが火照った体には心地よい。

 

「そう話を急くでない。ちと状況が変わってのう」

「聞くよ。直ぐ終わるなら立ち話でも構いいけど、どうせ長い話なんだろう?」

 

 爺様は阿呆ではない。私の心変わりがありえるだけの材料を揃えているのだろう。

 となれば当然長い話になる。なにしろ私の心変わりなんてありえないのだから。

 聖杯戦争は次で第四次を数えるほど続けられてきた催しだ。決して愚かではない魔術師達が七人揃って三回も殺し合いをした挙句誰一人杯を手にしていないと言うのだから馬鹿げている。

 秘奥に至るためならば命を惜しむ魔術師はいないが、あまりにも効率が悪い。中には代々継いできた魔術刻印を失った者までいるという。

 聖杯戦争の成果として『』に至ったならば魔術刻印など些事かもしれないが、そうでないならば、何時の日か子孫が天元へと至ることを願い先代たちが積み上げてきたものを屑籠に放り込んだに等しい行為だ。

 或いは更に代を経て、子孫が至る事も万に一つはあっただろう。その可能性すら失ったとあらば、もうそれは愚行を通り越して凶行である。

 そんなわけで聖杯戦争に参加などしても、爺様の後釜を虎視眈々と狙っている私には何一つメリットがないのだ。

 

「カカカ、孫に年寄りを労わるだけの人間らしさが残っておってよかったわい。そうさな、続きは儂の部屋にしようかのう」

「着替えてから行く。シャワーを浴びたいから三十分くれ」

「構わんよ。孫とは言えその体は目の毒じゃ」

 

 ぞぞぞ、と怖気が走った。何言ってんだこの爺。

 

「……枯れた爺の冗談とはいえ八歳のガキに言う言葉じゃない。ご町内でも間桐の家は浮いてるんだからそういうのはほどほどにしてくれ」

 

 ただでさえ悲鳴が聞こえたとか、変な蟲が庭先を這っていたとか、間桐の家はなんだか湿っているとか、良くない噂が後を立たないのだ。全部事実なだけに誤魔化しにくくてしょうがない。

 

「ふむ、可愛い孫の頼みなら仕方あるまい。あい分かった。では後でな」

「ああ」

 

 滑るように廊下の暗がりに姿を消した爺様を見送り、浴室へと向かう。

いつものことなので着替えは先に用意してある。

 ひたひたと廊下を歩いていると、静けさも相まって妙に肌寒い。

つい先日、弟は留学先の下見にアメリカへと向かい、父もそれに付き合って出ているのでこの家には爺様と私しかいない事を思い出す。

 無能な上に姉さん姉さんとやかましい弟が居ないだけでこうも違うものかと、思わず笑ってしまった。

 タオルケットを床に放り浴室に入る。

 

「熱い湯を浴びたいな」

 

 何の気なしに呟いた言葉に一人頷きながら、私は体に纏わりついた粘液を洗い落としていった。

 

 

 

 

 

 濡れ髪もそのままにいつもの面白みの無い服を着て爺様の部屋を訪ねると、茶をすすっていた爺様が座布団を勧めてきた。

 

「で、何の話だったか」

「次の聖杯戦争、お前をマスターとしたい、という話じゃな」

 

 聖杯戦争。正直なところまるで興味が無い。間桐の魔術にとってそんな物がどれだけ価値があるというのか。目の前の化け物は詳しいことを聞かせようとはしないが、爺様の私利私欲に付き合うのも限度がある。

 魔術師の家系にあるまじき行為と言い切ってしまいたいが、最早この家は間桐であってゾォルケンではない。私がゾォルケンではなく間桐であるように。

 ならば初代当主である爺様の意向こそがこの間桐の行く末を定めるのは道理であり、爺様の私利私欲こそが、間桐の目指す先でもある。

 少なくとも今のところは。

 

「何かしら納得できる材料を持ってきたんだろうな?」

「もちろんじゃとも。実はの、遠坂から養子を取ることにした」

 

 遠坂から養子をとる事にした。

 言葉の意味を理解するのに一秒、その言葉が何を意味するのかを推し量るのに更に一秒。

 本来ならありえない話。この爺がした、というからには既に遠坂と話は纏まっているのだろう。

 養子。後継者としてか? ありえない。私が居る以上少なくとも、私が時期当主だと思われているはず。

 で、あるならば。

 

「…………今から私は魔術もろくに使えない出来損ない、ということか?」

「カカカカカ、飲み込みの早い孫で助かるわい。ま、あくまで対外的にということじゃがな」

「いいのか? のちのち遠坂との間に禍根を残すことになると思うが」

 

 懸念を覚える私とは対称的に、実に楽しそうに爺様の顔が歪んだ。

 遠坂の姉妹が優秀だと言う話は聞き及んでいる。姉の方とは同じ学校に通ってはいるものの年齢的には私の一つ下なので実際に見た事は無い。

 年始の挨拶に出ていれば目にする機会はあったのだろうが、生憎私は三が日を寝て過ごす事にしている。

 

「それこそお門違いよ。儂は優秀な後継を望んで養子を取ったというのに、出来損ないのお前に劣るようではとても間桐を継がせるわけには行くまい?」

「…………間桐の後継になることを前提として養子として出したというのに、出来損ないの私に間桐を継がせるとはどういうことか? ぐらいは言って来るんじゃないか」

 

 爺様の言葉を真似て言い返したものの、そんなことは爺様とて良くわかっているだろう。

 

「その時はその時よ。こちらにも理がある以上は文句は言わせぬ」

 

 爺様の老獪さを相手にしては、俊英と誉れ高い遠坂の当主とて押し通る事は叶うまい。

 だから問題があるとすれば。

 

「こっちにツケを回さないでくれ。言うだけ無駄だろうけど」

「そんなことはないぞ。孫の頼みじゃ、考えておこう」

 

 間桐の魔術も爺様もそんなに嫌いじゃないけれど、爺様のこういう態度だけは気に食わない。

 

「ところでその養子、一体何に使うんだ?」

 

 天賦にもよるだろうが、魔術は血に依存するところが大きい。

魔術は身に刻むもの。そして魔術の継承とは、魔術を刻んだ血肉を次代へと継いで行くものだ。

間桐の末である私と外様の魔術師とでは前提条件が違う。例えば私を超える才を持っていたとしても、私より優秀な間桐の魔術師になるとは限らない。

 

「胎盤と、そうじゃな、保険かの」

「益々分からなくなってきたな。胎盤だと? 一体何を孕ませる気だ?」

 

 間桐の胎盤としてその養子を使うのでは理が通らない。

 何しろ私は女だ。

 私が受け入れるかどうかは別としても、間桐の繁栄を求めるなら私に優秀な魔術師でもあてがった方が話が早い。

 そもそもこうして爺様が小娘に過ぎない私に耳を貸すのは魔術師としての才だけでなく、そういう価値が私にあるからに他ならない。

 であればそれこそ研究の道具として使い潰すぐらいしか見当が付かないが、それでは遠坂と完全に決裂してしまう。

 

「何をとはひどいことを言う。少しは歳相応に振舞えんのか?」

「寝言は寝て言えよ。人の処女を初潮前に切っておいて何を言ってる」

 

 何をされているのかすら当時の私は分かっていなかった。救いがあったとすればそれだろう。もう少し知識を身に着けていたらこうまで割り切れはしなかったはずだ。

 言うほど根に持っていないのは爺様にも分かったようで、鼻で笑われた。

 

「慎二にくれてやればよかろう。あるいは良い血と交わって間桐の魔術回路が蘇るやもしれぬ」

 

 冗談にしてもつまらない寝言を吐かれた。言う気はないということだろう。

 

「ああそう。それで? 今のは間桐の当主としての決定事項を告げただけだろう。それがどう私の聖杯戦争参加とつながるんだ?」

「だから言っておろう。保険じゃよ、皐月。これでぬしが死んだとて間桐の家は潰えぬだろう?」

 

 いやらしい笑み。お前の価値はたった今無に帰したと、その目は告げていた。

 全く以って度し難い。

 

「いい加減にしてくれ爺様。楽しくお喋りするために呼んだって言うなら帰らせてもらう」

 

 その纏わり付くような視線をため息で切って捨てる。

 ことこの身が、間桐にとって不要になることなどありえない。

 案の定爺様は喉を鳴らして笑いだした。

 

「いや、すまんすまん。しかしからかい甲斐のない孫じゃ。年寄りを少しは楽しませぬか。

 まあ保険というのは嘘ではない。サーヴァントを小娘に召喚させぬしが使役すれば、皐月、お前は十全に力を振るえる。たったそれだけで時臣相手とて不足無く振舞えよう?」

「……一考の価値はあるが、まずその小娘にサーヴァントが十全に振舞えるだけの魔力供給が可能なのかどうか。

 それにサーヴァントを連れて戦いに赴くことには変わらない以上、私が無事帰還するとは限らないこと。

 あと、間桐の魔術と遠坂の魔術の相性は最悪だぞ爺様。流石に真っ向勝負では相手にならんと思うんだが」

 

 そんなことは爺様とて分かっているだろう。何より当主として命令しないのがその迷いの現れだ。

 衰退しきった間桐において先祖還りと言ってもいい奇跡である間桐皐月を無為に失うのが惜しいのだろう。

 メイン、サブ合わせて百二十九の魔術回路。水と地の二重属性。流転と回帰を起源とし、全盛期の爺様に届かんとする魔力量を持つ魔術師。

 爺様に魔術刻印を譲る気さえあれば、今すぐにでも間桐の当主になりえるだけの才を持ち合わせていると自負している。

 そんなわけで割と爺様は私を認めてくれているのだ。

 今の話は判断を尊重しよう、ということだろう。

 

「…………だめかのう、いい考えだと思ったんじゃがのう」

 

 前言撤回。未練たらたららしい。

 だけどこれで本題は終わり。あとは定例になりつつある腹の探り合いだ。

 

「だいたい爺様はじゃあ今回は見送るかのう、とか言ってただろう。どうしても出ろって言うなら魔術刻印全部よこせ。一年あれば定着するだろう?」

 

 これは割と本気だ。むしろ魔術師としての私はその為だけに全力を傾けていると言ってもいい。

 

「儂に死ねというか? 刻印虫ぐらいなら貸してやると言ったじゃろう」

 

 同時に、既に自身の肉体をほぼ全て失った間桐臓硯にとって、魔術刻印は命を繋ぐ唯一の鎖だ。自らの肉体を失った爺様は、蟲にそれを刻む事によって機能させ生き永らえている。

 故にそれでは足りない。刻印虫を借りるのでは単に爺様の力を借りる事に等しい。

 

「蟲に刻んでどうする。身に刻まねば意味など無い。だいたい蟲共なんか爺様がその気になれば私の言う事なんか聞かんだろう」

「……最近そうでもないんじゃが、衰えたかのう」

 

 爺様の衰え云々は別にして、一部の蟲が爺様の制御下にない事は事実だ。私が侍らせている蟲共は九割方の制御を掌握している。これは私が魔術師として爺様より優れているなどと言う事ではなく、単に餌である魔力を供給する私に本能的に靡いているに過ぎない。

 実力行使で刻印蟲から刻印を剥ぎ取るにはまだ足りないのだ。

 

「妖怪爺が何を言ってる、まあ、どっちにしろ参加は見送りだ」

 

 その制御を強制的に引き剥がす手段を爺様が持っているかどうか。その当たりも暇を見て探っていこうと思う。

 

「仕方ないかのう」

 

 それでもまだ諦め切れてはいないようだ。釘を刺しておく必要があるか。

 

「ああ、でも参加者次第では出てもいいぞ。三流揃いなら私の勝ちは揺るぐまいさ」

「なんじゃ、時臣には勝てんのではなかったか?」

「もちろん私一人ではな。可愛い孫が爺様のために挑む戦いだ。その危機に楽隠居を決め込むほど人を止めちゃいないだろう?」

 

 私の命を賭けに使いたければ、自分の命も使ってもらうぞ、という警告。

 

「最近の若い者は年寄りに厳しいのう。わかった。その時には手を貸そう」

 

 当然のようにのらりくらりと爺様は渋る。

 

「馬鹿を言うな、全面的にバックアップしろ。大体監督役の言峰璃正は遠坂の後援者だろう?

 爺様が大手を振って私に手を貸したとて、問題は有るまい。まして家督を養子に奪われた無能な小娘一人には当然のことと皆目を瞑るだろうさ」

 

 爺様の老獪さならあの二人を相手取ってなお対等に立ち回るだろうし、これで乗ってくるようなら聖杯戦争参加もやぶさかではない。

 が、案の定と言うべきか、爺様は首を横に振って退出を促してきた。

 

「…………皐月は誰に似たのかのう。儂はそんなに性格歪んでおらんのじゃが」

 

 去り際爺様の投げた言葉について、後ろ手にドアを閉めてから考える。

 父か、母か。

 直ぐに結論が出た。

 

「大体間桐なんて皆どこか歪んでいるじゃないか」

 

 

 

 

 

 そんな話をした一週間ほど後だっただろうか。

 養子を迎えに行くからついて来いという爺様の言葉を、

 

「どうして私が出向かねばならない? 私を無能だと言う事にしておきたいならなおの事出向くべきではないと思うが」

 

 とすげなく切って捨て、自室で昼寝を決め込んでいた。

 実は体調が悪い。

 都合上魔術回路の補佐無くしてこの体は機能しないが、無能を装う為に魔術回路は最低調でしか回せない。

 これからずっと続くとなると辛い。無能なりの研鑽の結果として少しずつ調子を上げていくつもりだが、しばらくは学校も休まねばなるまい。

 などと、物思いに耽っているうちに浅い眠りに入っていたらしく、コンコンと部屋のドアを叩く音に目を覚ました。

 爺様はノックなどせずに勝手に入ってくるので違う。ならば件の桜だろう。

 慎二は部屋の外で姉さん姉さんとやかましいから直ぐ分かるし、父に至っては私の部屋により付こうともしないので、ともすれば私の部屋のドアがノックされたのは初めての事ではあるまいか。

 

「開いているよ」

 

 取って付けたような返事にゆっくりとドアが開いた。

 

「あの、初めまして。桜と言います」

 

 部屋の構造上ドアの方は見えないが、予想通りというところか。

 

「ああ、爺から話は聞いている。皐月だ。よろしく」

 

 ベッドから起き上がりもせず、ぞんざいな返事を返すと、おそるおそるといった風に桜はベッドの脇まで近寄ってきた。

 

「あの、寝ているところでしたか?」

「……見ての通りだ」

 

 そこで漸く私は桜を見た。少女らしい華奢な体に、艶のある黒い髪。可愛げのある顔をしているが表情は沈んでいて、その目は不安そうに私を窺っている。

 当然なのかもしれない。

 まだ親に甘えたい盛りだろうに家族と引き離されたばかりか、この家に少女が知る者は無い。ましてその不安は概ね的中するだろうから悲惨と言ってもいい。

 なにしろあの爺が手ずから調整するのだ。

 普通を知らぬ身であれば私のごとくさして苦痛も無かろうが、少女は普通を知っている。いくら魔術師の家系の出とは言え、この子は魔術師として育てられたわけではないのだろうし。

 

「…………その、お邪魔ですよね、失礼します」

「待ちなさい」

 

 慌てて退室しようとした少女を呼び止め、ベッドから起き上がる。

 

「どうあれお前は今日から間桐の人間で、私はお前の姉になった。妹など持った事はないが、姉が妹にする程度の助力はしよう。困った事があったら言いなさい。助けてやれるかは分からないが、相談には乗るから」

「…………はい、ありがとうございます」

 

 言っている意味が分かったのか、桜はぎこちなくも笑ってくれた。

 

「引き止めて悪かった。自室の整理もあるだろう。行きなさい」

「はい、皐月さん」

 

 パタンと閉まったドアを眺めながら考える。

 これから絶望を味わうだろう少女に中途半端な希望を抱かせて良かったのだろうか。

 まともに間桐の魔術を叩き込まれるならば、そう悪い事でもない。魔術師たろうとする覚悟さえあれば耐えることもできよう。

 しかし爺様の口ぶりではそうはなるまい。桜に何を求めているかは見当がつかないが、まともな魔術師にする気はなさそうだった。

 

「妹、か。分からんな」

 

 弟なら分かる。慎二とは付き合いも長いから。

 何かと纏わりついてくるアレを私は随分ぞんざいに扱っているが、決していじめたりはしていない。

 魔術師としての素養は皆無だが間桐の人間、それも長男だ。甘ったれた人間にしない為にもそれなりに厳しく接している。

 それでもなおあれが私を慕うのは、爺様への恐怖と、父が庇護者としてあまりに脆弱だからだ。

 ならば桜はどうだろう。

 ぱっと眺めただけだが、遠坂が悩むだけの素質を持っているように見えた。間桐の魔術にどれほど馴染むかは分からないが、最大限あの素養を伸ばせば魔術師として大成することは間違いない。

 とは言え今はただの小娘。爺様の前に立って意を通せるはずもなく、爺様は桜にとって恐怖の権化となるだろう。

 そしてこの家に桜の庇護者はいない。

 

「爺様次第か。廃人になるような無茶はすまいが、だからこそ生殺しだな」

 

 そして生憎当主に逆らってまで彼女を助けるほど、私は桜に思い入れがない。

 

「まあ、運が悪かったと思うほか無い。案外馴染むかもしれないし」

 

 ただ、蟲蔵に落ちると分かって娘を養子に出した時臣という男に、少しだけ興味が湧いた。

 

 

 

 

 

 適当に買って来た材料を適当に調理しただけの夕食を、無駄に広い食堂で桜と二人つついていると、爺様が食堂に顔を出した。

 余談だが、爺様は食べたり食べなかったり、或いは自室で食べたりと自分勝手なので、何か食べたければ出前を取って勝手に食ってもらう事にしている。

 

「おや、爺様。何かあったか?」

 

 萎縮している桜を横目に爺様に声を放る。

 

「桜にちと話があってのう。まだ飯であったか」

「茶ぐらい淹れるから座って待っていろ」

 

 いいつつ席を立って茶を淹れる。

 

「そうしようかのう────のう、桜よ。この家には慣れたか?」

「あ、えっと……」

「来て一日で慣れる訳がないだろう」

 

 言葉に詰まる桜に代わり言うと、すみませんと桜が頭を下げた。随分と参っているのかそれともこの子の素なのか。あまり気の強い方ではなさそうだ。

 

「カカカ、よいよい。間桐の魔術の修行に入れば嫌でもこの家の空気に馴染むことになる。話とはそれよ」

 

 淹れてやった茶をずず、と啜りながら爺様は喋り続ける。

 

「間桐の魔術と遠坂の魔術は全く別の系統でな、まずは桜に間桐の魔術に慣れてもらわねばならぬ。間桐の後継となる以上、桜には覚えてもらわねばならぬ事も多く、あまりゆっくりとはしておれんのだ」

「話が長いぞ爺様。要は今日から修行を始めるというだけの話だろう?」

「混ぜっ返すでない。時臣は桜を魔術師として育てておらなんだ。ならば詳しく話しておくに越した事はなかろう?」

「なるほどな。じゃあ私はしばらく蟲倉を使えないわけか」

 

 面倒な事だ。あれは所詮爺様の工房ではあるが、私の研究にとっても必要な場所なのだ。

 

「悪いがそういうことじゃな。なに、桜の素養を考えれば長くて三日というところか。そういうわけじゃから桜にはそれまで外出を控えてもらわねばならん」

 

 爺様の眼が可否を問うように桜を見た。

 なるほど、爺様は三日で桜を従順な羊に仕上げるつもりらしい。爺様の手管を鑑みれば妥当とも言える期間だが、『修行』は相当ハードになりそうだ。

 

「無論、それさえ済めば後は普段の生活をしながらゆっくりと修行は進める。三日だけ我慢してくれんかのう?」

「わかり、ました」

「桜は良い子じゃのう────さて、食事も終わったようじゃな。桜、ついて来なさい」

 

 爺様の後をついて歩く桜の背を眺めつつ、食器を片付ける。

 

「爺様」

「なんじゃ、皐月?」

 

 意外そうに爺様が振り向いた。私も特に考えがあったわけではない。

 

「せっかくできた妹だ。あまりいじめるなよ?」

 

 だから口を突いて出る言葉をそのままに告げる。

 

「……カカカ、分かっておる。いじめたりはせぬ。まあ、魔術の修練はそれなりに厳しい。それはどんな魔術とて同じ事よ」

 

 そうならない事など分かっていたが、それでもそうなら良いと思っている自分に驚いた。

 

「それだけか?」

「ああ。二人ともおやすみ」

「うむ」「おやすみなさい」

 

 今度こそ二人を見送り、台所へと向かう。

 なんて事の無い重さの食器が今はひどい枷になる。ゆっくりと気を配りながら私は膳を下げた。

 普段より幾分重たい体で食器を洗っていると、桜の悲鳴が聞こえた気がした。




全文一括を前提に書いているので変なとこで切れちゃいますがあしからず。


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2

特には。


「それでは桜のこと、しかと頼んだぞ、皐月」

「ああ、面倒だが任された。爺様も気をつけてな」

「うむ」

 

 なんてやり取りと共に、爺様は例年通り各地に散らばる土地の管理のための行脚へと旅立っていった。全く冗談じゃない。

 私はこれでも学校に通う身だ。つまり平日の半分を学校に拘束される。

 その間桜は家に一人でいることになる。頼んだ云々はつまり、桜を一人家に置いて不自由がないようにしておけ、ということだろう。

 

「爺様もよくやる。勝手に養子を取ったかと思えばこれだ」

 

 ため息混じりに呟きながら屋内へと引き返すと、桜と目が合った。

 黒く艶やかだった髪は色を失い暗い青に染まりつつある。それは間桐の色だ。

 桜がうちに来てまだ一週間と立っていないというのに。

 たった一週間であの用心深い爺様が目を離して良し、と判ずる程度には桜の様子はひどい。諦めきっているというよりは、そういうものなのだと信じている。

 そうでもしないと心が保たないのだろう。

 

「爺様はいつもなら暫く帰って来ないが、聖杯戦争の事もある。うちから参加する予定の者が無いとはいえ家を開けっ放しにはしないはずだ」

 

 ならば現実という奴をきちんと理解しておいてもらった方がいい。桜の恐怖は時を置かず戻って来ると、そう伝えた。

 

「…………わかりました」

 

 桜の表情は欠片も変わらない。

 

「しかし困ったな。私は普段桜が何をされているか知らん。任せたぞ、なんて言われてもさっぱりだ」

 

 わざとらしく独り言めいた言葉を桜に聞かせる。

 盗み見た桜の顔に一瞬期待めいたものが見えたが、すぐに元の抜け殻のような顔に戻った。

 爺様め。随分いじめたようじゃないか。

 

「そうだな。出かけるとしようか、桜」

「…………外に、ですか?」

 

 意外で、そして不安なのだろう。何しろ私は桜をいじめる爺様の孫であり、その爺様から桜を任された人間だ。

 外に何をしに行くのか気になって仕方がないという顔だ。

 

「ああ。ただの買い物だから着替えておいで。ただし連れて行くのには条件がある」

「条件、ですか?」

 

 少しだけ表情を取り戻した桜の顔が固まった。

 

「そう、それがいけない。いいか、内面は隠し通せ。無表情では爺様を欺くには足りない。笑え。できるだけ綺麗に、自然にだ。この家でうまくやっていく為の最低条件だし、普段も使える便利なスキルだ」

 

 そうとわからない作り笑いは恐ろしい。

 同時に内面を他者の目に晒さないという事は、誰一人自分の在り方を咎めてはくれないということ。

 あらゆる自制を自分で課さねばならない。

 だが、それができぬのなら桜は壊れる他ない。

 或いは本心を見せられる程信用の置ける者があれば話は別だが、桜の場合はそれも難しい。

 

「私には人形を妹にする趣味はない。出来るか、桜?」

 

 暗に、それができねば僅かな手助けすらしない、と私は言った。

 

「…………今は、無理です。でも、いつかきっと」

 

 なるほど、遠坂の姉妹が俊英だというのは本当だったらしい。

 

「よし。それじゃ今日から私がお前の姉さんだ。宜しくな、桜」

「はい、姉さん」

 

 酷く出来の悪い笑顔だったが、それでも今は十分。

 実の姉を置いて私を姉さんと呼び、なお笑ってみせたのだからこれ以上を求めるのは酷と言うものだろう。

 

「それで、何を買いに行くんですか、姉さん?」

「心の守り方は教えてやったからな、次は体だ。何かとうちの魔術はハードでな。鍛えておいて損はないが、鍛えるには糧がいる────桜、お前料理はできるか?」

「手伝いをしたことはありますけど…………」

 

 ならば手際は側で見ているか。

 ウィッチクラフトなどは料理と段取りは変わらない。優れた魔女は料理も上手いのだ。

 間桐の魔術に限ればそんなものは何の役にも立たないが、あって邪魔なスキルでもない。

 

「私も上手いわけではないが教えてやる。嫌でも食っておけば気力になる。それが旨ければ尚更だ。簡単なものから始めよう。何か食べたいものとか作ってみたいものはあるか、桜?」

「えっと、最近暑いですし冷やし中華とかどうでしょう?」

 

 ちょっと簡単すぎる気がしないでもないが、桜がどの程度できるのかを見るにはちょうどいいかもしれない。

 

「いいんじゃないか? 商店街まで歩くからそういう格好をしておいで」

「はい、姉さん」

 

 幾分足取りが軽くなったように見える桜を見送りながら、柄にもない事をしている自分が少しだけおかしく笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 桜が私の妹になって三ヶ月ほどが過ぎた夜の事だ。壁越しに桜のすすり泣く声を聞く事もなくなり、私も低調でしか回せない魔術回路に慣れてきたとあって、私は久方ぶりの安眠を味わっていた。

 だというのに、

 

「何事だいったい」

 

 そんな安息が、階下から響き渡る物音で台無しになった。

 ぱっと思いついたのが父のヒステリーだったが、父は家を空けている。なんでも聖杯戦争中家に居たくないらしく、その準備に奔走しているようだ。

 何にせよ考えていても仕方がないとベッドから起きだした所に、コンコン、と控えめなノックがあった。

 ドアを開けると桜が寝間着のまま部屋の前に立っていた。

 

「桜も起きたか」

 

 よもや別な用でもあるまい。この妖怪屋敷では夜一人でトイレに行くのが怖いなんてつまらないホラーは起こらないのだ。

 いやまあ、慎二に限って言えば、夜中にこの家を一人で歩き回るのが怖いと、たまに私の部屋にやってくるのだが、あれも妹が出来たと気を張っているのでそんな無様を晒すまい。

 

「はい。一体なんでしょうか?」

「爺様がぶっ倒れた、とかではなさそうだな。面倒事かもしれないし私が見てくる。寝ていていいぞ」

 

 爺様への魔力供給はここのところ桜がほとんどを補っている。こうしている今も桜の頭は眠気でふらふらと揺れていた。

 

「えっと…………」

 

 恐る恐るこちらを伺うような表情。思わず手助けしてやりたくなる顔だ。

 少しずつ表情を操る術を身に着けてきたようでうれしい。

 

「そういう顔ができれば上出来だ。が、世の中には特殊な性癖を持つ連中もいる。相手がどういう人間かまできちんと見極めてそうしろよ?」

 

 嗜虐癖なんて厄介な性質を抱えてる奴だっているにはいるのだ。どちらかと言うと私もそのクチなのでちょっと苛めたくなってしまう。

 

「あはは、でも姉さんは優しい人ですから」

 

 桜はくすぐったそうに笑っている。その真贋を私の目は見抜けない。

 

「そう思っているならまだ甘い。まあ帰りがけに部屋に寄るよ。桜が起きてたら何があったか教えてやる」

 

 桜の頭をひと撫でして私は階下へと足を踏み出した。

 

 ひたひたと廊下を進んでいるうちに、爺様の書斎から言い争うような声が聞こえてきた。夜分に爺様相手に口論など、とんでもない客がやってきたらしい。

 命知らず、と言い換えてもいい。

 

「儂を舐めておるのか、雁夜?」

「御託はいい、さっさと桜ちゃんを出せ、クソジジイ」

「カカカ、吼えおるわ。いったいどの面下げて間桐の家に戻ってきた? この家の事に口を出す資格なぞ貴様にはないぞ、雁夜よ」

 

 雁夜。叔父の名だ。私が生まれる前にはこの家を出奔していたと聞いていたが。

 

「うるさい。俺は葵さんの友人としてここに来たんだ。桜ちゃんに会わせろ。時臣は騙せても俺は騙せ無いぞ」

「騙すなどとんでもないわ。遠坂と儂は合意の上で桜を間桐の養子としたのだ。一体何の問題がある?」

 

 爺様の部屋に近づくにつれ、声はどんどん大きくなる。これは外にも漏れてそうだな。

 片手間に屋敷に付属する結界を発動させ、音を遮断しておく。

 爺様の事だからそのあたりはしっかりしていると思うが、念のためだ。

 

「問題がって、そんなこと────」

「遠坂の小倅が望んだ通り、儂は桜を間桐の魔術師にするために尽力しておる」

「き、きさま、あの子を蟲蔵に落としたのか!?」

「当然じゃろう。間桐の魔術とはそういうもの。そりゃ生娘には少々辛かろうが、遠坂との約定を守るためには致し方あるまい?」

「そんな、そんなひどいことを…………あの子はまだ六歳だぞ!」

「あら、わたしは五つの時でしたけど。こんばんは雁夜叔父様。はじめまして、ですよね?」

 

 半開きの扉から滑りこむように室内に入り、激高している男の背にそう言葉を放った。

 その向こうで爺様の顔がにやりと歪む。

 男はそれには全く気づかずにゆっくりとこちらに向き直った。

 

「…………君は、誰だ?」

「皐月といいます。鶴野の娘ですから、雁夜さんの姪にあたります」

 

 他所行きの口調。敢えて抑圧されている風を装う。

 

「な、え? ま、まて臓硯、どういうことだ?」

「どうもこうも無いわ。今そ奴が言った通りよ」

「後継がいるなら何故桜ちゃんを──」

「仕方あるまい。雁夜、お前とて知っておるだろう。間桐は衰退の一途を辿っておる。良い血を入れねば滅ぶは明白よ」

 

 爺様は実に楽しげだ。大方叔父をいじめて楽しむ算段でも立てているのだろう。

 私としては眠りを妨害された愚痴を言いに来たのだが、都合がいいことに捌け口になりそうな人がいたというだけのこと。

 あまりその気はないのだが。

 

「しかし、その子がいるじゃないか!」

「恥ずかしい話ですが、わたしはあまり出来が良くありませんの。お爺様には無駄に手間を取らせてしまい申し訳なく」

 

 殊勝に頭を下げる私に爺様は鷹揚に頷いて応えた。

 

「それじゃ、それじゃ、君のせいなのか?」

 

 爺様へと向いていた憎悪が私へと向けられようとしている。しかし錯乱気味とは言え今の言葉は癇に障るな。

 少しだけ爺様の余興に付き合うことにする。

 

「わたしが力及ばぬばかりに、桜に苦労を強いているのは事実です」

 

 目を伏せ、さもそうするしか知らぬという風に詫びる。

 

「それは違うぞ雁夜。元はといえば早々に役目を捨てて逃げ出した貴様自身の責であろう?」

「それは…………だが────」

「桜はいいですね、そんな風に心配してくれる人がいて。わたしの時などは皆喜んでわたしを蟲蔵に突き落としたのに」

「────あ」

 

 まともな常識があれば自分が論理ではなく感情によって動いていることに気がつくだろう。それは交渉ではない。

 そして交渉でないのなら残された道は互いの排除であり、排除されるのはいつだって弱者だ。そしてこの場で排除される弱者とは間桐雁夜を指す。

 ならば論理を以って交渉に挑む他無く、そして論理を以ってすれば、今の自分が私にとっていかに惨いことをしていたのかに気づいてしまう。

 

「お爺様、先ほど雁夜叔父さんは逃げ出したのだ、と言っておられましたが」

 

 私の意図に気がついたのだろう。

 

「うむ。お前には話しておらなんだな。此奴は鶴野などよりよほどに才があった。お前よりもな。にも関わらず蟲蔵に落ちるのは嫌だと逃げ出しおったのだ。故に今お前と桜が蟲蔵に落ちておるは此奴のせいであるとも言える」

「…………そう、なのですね」

 

 恨みよりも羨むような顔で、私は叔父をじっと見つめた。

 自由のために逃げた者が、自分でない者を助けるために戻ってきたのだと、ただ受け入れるだけの表情。一切責めを匂わせぬが故に、叔父は今自責に駆られているだろう。

 実に単純なすり替えだ。間桐の家に於いて一切の原因は爺様に集約する。間桐の家の人間ならばそんなことは承知のはずだが、それでも自己に非があれば、他人を責める舌鋒も鋭さを失ってしまう。

 

「俺は、確かに逃げたさ。もう遅いのかもしれない。しかし────臓硯、俺にチャンスをくれ」

「ん? 何が出来るというんだ貴様に」

「そろそろ聖杯戦争の時期だろうが。俺が出てやるって言ってるんだ」

 

 今度こそ爺様は吹き出した。私もなんとか下を向いて笑いをこらえる。下手をすれば先の暴言などよりも冒涜的だ。

 それは私が、魔術師達が積み上げてきたモノの価値を否定するに等しい行為なのだから。

 

「馬鹿を言え。貴様とて鶴野よりは才があるというだけの凡人。それもまともな鍛錬すらして来なかった貴様など、聖杯戦争に参加する資格を得られるかどうかすら危ういわ」

「だが、最早よそ者に過ぎない俺が彼女たちを救い出す為には、ジジイ、お前の望みを叶える他ないだろう!」

「それが無謀だ、と言っておるのだ。才こそ無いに等しいがな、お前などよりそこの皐月の方が聖杯戦争に挑むと言うなら望みがある」

 

 貴様が出たところで早々に命を散らし、間桐の家名に泥を塗るだけだ、と締めくくり、爺様は椅子に座り直した。

 

「皐月よ、すまぬが茶を淹れてくれぬか? 馬鹿を相手に長いこと喋っておって喉が乾いたわい」

 

 爺様の顔色を伺う。

 話し疲れたというよりも、何か思いついたという悪い顔だ。

 

「わかりました。叔父様の分も用意して参ります」

 

 従順を装い部屋から引き下がり、暗い廊下を台所へと進む。

 

「あれで良かったか?」

 

 十分に部屋から離れて暗がりへと声を放ると、わさり、と影が揺れた。

 

「上々よ。皐月は気が利くから助かるわい」

「気持ちよく寝ていた所にでかい音を立てられて気が立っていただけだ。爺様は叔父をどうする気なんだ?」

「出たい出たいと言うのだから聖杯戦争に出してやればよい。自分は死んでも良いなどと言っておるしな。最初から死ぬのを前提にすれば、或いはあれでもいいところまで行くやもしれぬ」

 

 なるほど。爺様にはその程度の肉体改造など容易かろう。

 

「良かったじゃないか、聖杯戦争の駒が手に入ったぞ、爺様」

「馬鹿を言え。あれには万に一つも望みは無いわ。場合によっては後押してやらんでもないが」

 

 カカカと声を上げて笑う爺様。

 

「しかしまあ、桜に加えて雁夜叔父の調整と、随分忙しくなるな。頑張れよ爺様」

 

 湯を沸かしつつそんなことを言う。

 実際この家の資金繰りすら爺様の手腕に寄るものであり、父などはほんの補佐に過ぎない。妖怪爺とは言え過労で倒れかねない。

 

「なんじゃ、手伝ってはくれんのか?」

「…………桜の調整を一切任せてくれると言うなら考えてもいい」

 

 薬缶から吹き上がる蒸気を眺めつつ、そう呟く。

 

「…………よもや情ではあるまい? 貴様にはそんなものなどなかろう。何を考えている?」

 

 訝しむ爺様の目。

 

「私は無駄が嫌いだ。すぐ死ぬ者を手塩に掛けて育てる趣味はない。この時点で雁夜叔父は駄目だ。どうせ死んでしまう。その点桜ならうまく仕込めば私の助手ぐらいにはなる。それに爺様が随分いじめたようだからな。少し甘い顔を見せれば私に靡くのは当然だろう? 修練も進めやすい」

 

 爺様が何に桜を使う気なのかは知らないが、間桐の魔術を仕込んでおいて損はないはずだ。文句はあるまい。

 

「なるほどな。矛盾はない。だが、貴様は儂が桜を何に使うか知っておるのか、皐月?」

「知らん。だからやるなら一人でやってくれと言った」

 

 桜の調教を引き受けてもいい。それは私にとってただの譲歩であって要求ではない。そこを間違えられても困る。

 

「分かった。儂が時々介入する事を認めるなら、桜はお前に任せてもよい」

「介入は構わんが、勝手に持っていくなよ? 掛けた手間分ぐらいは要求するぞ」

「分っておる、分っておる」

 

 湯が沸くのを合図に、爺様の姿はふ、と消え、台所には静寂が戻った。

 

「はは、楽しくなりそうじゃないか」

 

 茶を入れながらつい呟いた。

 あれだけの才だ。きちんと導けば私などより面白い魔術師になる。

 仮面のまま叔父に茶を差し入れた私は、そのまま桜の部屋へと向かった。

 

 

 

 軽いノックの後、返事を待たずに私は桜の部屋へと入り込んだ。

 

「桜、起きてるか?」

 

 小さな膨らみの有るベッドへと歩み寄ると、もぞりと桜が起き上がった。

 

「はい。姉さん、下はどうでしたか?」

「ただの来客だった────お前は見知っているかもしれん。間桐雁夜という男だ。私達からすると叔父になる」

「雁夜おじさん、ですか?」

「ああ。私は初めて会ったのだがな」

 

 一言断ってベッドの端に腰を下ろす。

 

「よく、会っていたのか?」

「…………どうしてそんなことを訊くんです?」

 

 桜の様子が少し強張ったのを空気で感じた。

 

「何か勘ぐっているわけじゃない。叔父が随分と桜の事を気に掛けている風だったからな。そうではないかと思っただけだ」

「────お母さんの幼馴染だとかで、わたしと姉さんにも…………その、良くしてくれました」

 

 しまった、という顔をする桜。その心中は分からないでもないが、その遠慮は無意味だ。

 

「いい。凛だったか、あれはお前の姉だろう。ならば姉さんでいい」

「…………でも、私は捨てられたんですよ?」

 

 酷く暗い声。つまりそれは桜の本心だ。

 

「────桜、眠くないなら少し話をしてもいいか?」

「はい、大丈夫、ですけど」

 

 私の声色が変わったのに気がついたようだ。

 

「まずその言い方では間桐の家はゴミ箱だ。そう違わんというのが頭の痛い所だが」

「す、すみません、そんなつもりじゃ…………」

「いい。お前は凛が好きか?」

「…………分かりません」

「質問を変えよう。また会いたいか?」

「………………会いたい、です」

 

 つ、と頬を涙が伝った。黙ってタオルを取ってやる。

 

「そうか────これから私が口にすることは単に私の推測だ。そういう前提で話を聞いてくれ」

 

 嗚咽で声が出ないのか、タオルを顔に押し付けたまま桜は小さく頷いた。

 

「基本的に魔術師の家というのは絶対的な家長制度を布いている。桜がうちに養子にきたのは、うちの爺様と桜の父、時臣氏の意向だ。

 凛が嫌だといっても時臣氏は止めなかっただろう。お前の父は魔術師としては間違っていない。お前の才能は稀有なものだ。下手をすれば魔術の研究材料にされかねないほどにな。そういう者には魔道の加護がいる。没落しかかった間桐の家は悪くない選択肢だったのだろう」

 

 桜とて頭ではわかっているはずだ。

 

「…………でも、わたしは────」

「だけどな、桜。時臣はお前を間桐に送れば、お前が蟲蔵に落ちることなんて分かっていたはずだ。うちの爺様が五百年生きた化物であることなんて周知の事実だ。普通の魔術ではそんな長命を得られはしない────それでもあの男はお前の才が活かされる事を望んだ」

「…………っ」

「分かっている。お前は魔術なんてどうでもいい。ただ母と姉と父と、四人で幸せに暮らしたかっただけだろう?」

「あ、わ、わたしは」

「魔道の庇護がなどというがな。遠坂とて魔道元帥の系譜だ。お前を庇護するのに力が足りぬなどということはない。凛とてお前の庇護のためならば父の跡を継いだ後も助力を惜しまなかっただろう。

 そういう意味で、お前は父に捨てられたのだと言っても間違ってはいない」

 

 言葉を切り窓の外を眺める。

 

「…………恨むならお父様を恨め、と言うんですか?」

「そうは言わない。ただ、時臣という男はお前の父であるよりも、魔術師であることを取ったと、それだけのことだ。実際にお前にひどい事をしたのは爺様で、知っていてただ見ていたのは私だ」

 

 まだ前置きだというのに喉が渇いた。

 

「これがおおよそお前が今置かれている状況を作った原因だな。私が本当に話したいのはここからだ」

「ここから、ですか?」

 

 話は終わりだとでも思っていたのだろうか。こんなものは前提に過ぎない。

 

「ああ。その上でお前は魔術師として生きることを強要された。これはもうどうにもならん。あとは心構えの問題だ。お前は嫌々魔術の研鑽に人生を費やす気か?」

「…………望め、と言うんですか?」

「望んだ方が気が楽だぞ、と言っている。ああ因みにお前の教育係は今日付けで私になった」

「…………姉さんが、教育係」

 

 桜の口から安堵の息が漏れる。

爺様よりマシだと信用してくれるのは嬉しいが、それは甘い。

 

「安心するのは早いぞ。爺様のような無茶をする気はないが、魔術とは身に刻むものであり、間桐のそれは心身共に痛みを伴うからな。

 だいたいお前悔しくないのか? 時臣はお前ではなく凛を取った。それはつまりお前より凛の方が大成すると踏んだという事だ。今こうしている時にも凛は父母の側で幸せに過ごしている。遠坂の魔術とて痛みなく身につくものではあるまいが、お前の姉は魔術の修行が辛いとお前にこぼした事があるか?」

 

 無いはずだ。誇りを持たぬ魔術師は存在しない。我が身の研鑽を次代に継ぐ。その喜びと矜持無くして魔術師足り続けられる者はいない。

 より高みをと目指せば更なる苦痛が待っているのだ。笑いながらそれに挑める者でなければ魔術の研鑽は成らない。

 

「父と姉を見返してやるがいい。お前の姉がどのような魔術師になるかなど知らんが、お前を養子に出した事、後悔させてやればいい」

「それは────」

「まあ修行の目的としては少々歪んでいるがな。そうでもしないとお前、ずっと嫌々だろう。私だってやる気のない生徒に物を教えるのは苦痛だ。私とてお前が来るまでの三年間爺様に扱かれてきた。ただ、それを辛いと思った事は無い」

「無い、んですか?」

 

 目を見開いて見上げてくる桜を見返す。

 

「ああ、無い。もっとも私は普通を知らないからな。前提が桜とは違うのだが────それでどうする、桜? お前が間桐に飼われる犬ではなく、間桐の魔術師になりたい、と言うのであれば私は全力で手を貸す事を約束する。爺様に約束は取り付けたぞ?」

「お爺様が、ですか?」

「ああ。もし爺様がお前を自分のために使うなら、私がお前に掛けた手間を要求すると言っておいた」

「それって…………」

「お前が私に爺様が対価を用意できないぐらい世話を焼かせればいいということだ」

 

 ようやく桜は笑ってくれた。

 言いたいことは言えたので私も立ち上がる。いい加減眠い。

 

「分かりました。一つ訊いてもいいですか?」

「なんだ?」

「どうして急に姉さんが私の教育係に?」

 

 もっともな疑問だ。肝心のところを話していなかった。

 

「その、なんだ。叔父が聖杯戦争に出ると言い出してな。爺様はそっちで手一杯、というところだ」

「叔父さんが、どうして?」

「聖杯を手にすれば、間桐の探求は一応終わる。そうなればお前も私も用済み、とでも考えたんだろう」

 

 魔術とはそんなものではないし、爺様の出方次第では目すらない。

 

「…………でも、それは違いますよね?」

 

 桜の頭を撫でる。

 この子は賢い。たとえ無意味だから止せと言ったところで叔父は止まるまい。ならば有難く受け止め、訪れるだろう彼の死を悼んでやるのが出来る最善だ。

 

「分かってきたじゃないか。そうだ。魔術師とは高みを目指し進む求道者だ。爺様とて長命を求めるのはそうでもしないと届かぬ所にある物を求めているからだ。だが摩耗しきった爺様では聖杯を手にしたとて最早叶わないと私は考える」

 

 停滞することに慣れた者が、再び足を踏み出すのは難しい。まして当初の目的を覚えているかすら怪しいのだ。

 爺様に一度問うた事がある。不死を願い、何に手を伸ばすのかと。

 爺様は珍しく表情を消し黙り込み、暫くしてお前が知るのはまだ早いとだけ言った。

 それ以来その話題には触れて来なかったが、私の疑惑は晴れない。

 

「姉さんが跡を引き継ぐんですか?」

「そのつもりだったがな。お前がやってきた。毒を食らわば皿までだ。桜、そこまで手を伸ばしてみないか?」

「それが、お父様たちを見返す事になるのなら」

 

 桜に会ってから聞いた一番強い声だった。

 今はそれでいい。いずれ探求自体を楽しめる様になってもらいたいが、それは私の手腕次第だ。

 

「遅くまで悪かったな。お休み桜」

「はい、おやすみなさい姉さん」

 他人行儀な挨拶ではない。

 ただ少しだけ桜を近く感じた。




もうちょっとこう、ううん。


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3

特には。


 それから更に一年が過ぎた。私はと言えば桜に魔術師としての基礎を教え続けた。

 例えばこの一年、爺様が地下で叔父が教えてきた蟲の使役は実のところ使い魔を用いる魔術の延長に過ぎない。

 聖杯戦争のマスターとして急造される以上一点特化になるのは仕方のない事だが、叔父と違い桜には時間がある。

 使い魔に造詣の深い間桐ではあるが、その本質は吸収にある。

 その特性を活かす形になることが望ましいが、その道を選ぶのは私ではなく桜だ。

 魔術師にしてやるという約束の手前、私は魔術を学ぶ上での基礎、つまり爺様が面倒臭がって教えない知識を書籍から得るために必要な知識を桜に与えたのだ。

 現代でも用いられる英語、書籍数が多いラテン語、そして間桐、つまりゾォルケンの書籍を解する為のロシア語。

 いずれの言語も書籍自体が書かれた時代とは少々形を変えているが、一通り学んでおけば読めなくもない。

 読めさえすればいいのでハードルは低いと言える。

 幸いというべきか、桜は熱心に学んだ。魔術を身に刻む前提となる教養は修了したと言える。

 間桐の魔術系統は少々複雑だ。爺様から手ほどきは受けたものの、どちらかと言うと風土呪術に近いものがある。間桐が日本に本拠を変えて衰退しだしたのも、その普遍性が機能しなくなった事に起因するのではないかと最近は思っている。

 桜の才を活かすならカバラやルーン、アストロロジーなど強固な魔術基盤を借り受ける事も考えておいた方がいい。

 早い段階で起源を自覚してしまった私とは異なり、桜には広い選択肢がある。架空元素・虚と間桐の吸収。ちょっと考えただけでも研究しがいのある方向性が思い浮かぶ。

 

「…………さん、姉さんって」

「ああ、済まない。ぼうっとしていた」

 

 少し不機嫌そうな様子を見れば、桜は随分前から私に呼びかけていたのだと察しがつく。

 ノックの音にも気づかないほど深く潜っていたようだ。

 

「見ればわかります。お爺様が今日雁夜おじさんにサーヴァントを召喚させると。姉さんに言っておけとのことでしたから」

「そうか。私は叔父を侮っていたな。よもや本当に一年で令呪を得るとは」

 

 間桐に優先的に与えられる令呪を得ただけの事、といえばそれまでだが、聖杯を望む意志だけでは足りない。

 少なくとも聖杯に魔術師として認知されるだけの技量は修めたのだろう。

 

「…………だいぶ、無残な姿になってしまいましたけど」

「お前を思ってのことだろう?」

「どうでしょうか」

 

 桜はすこしずつ可愛げが無くなってきた。可愛いだけで生きていける世界に居ないのだから悪いことではないが、からかっても面白く無い。

 そんなことを考えて、面白いかどうかを気にする自分の思考に驚いた。

 

「何がおかしいんです?」

「いや、お前も間桐の女になりつつ有るなと思っただけだ。間接的であったにしろ、お前のため、であることには違いないだろう?」

「それは、分かりますけど」

 

 間桐の女、というフレーズが不本意だったらしい。

 私とて不本意に思うが、本当のことだ。

 

「前に言った通りだ。少なくともお前が感謝している振りをしておけば叔父は喜ぶ。どうせ勝ち残れはしないが、救おうとしたお前に嘲笑われては哀れだよ」

「嘘でも嬉しいものでしょうか?」

「嘘だと気づかなければな。稀に嘘だと分っても喜べる嘘というのもあるらしいが、この場合はどうだろうか」

 

 言外にうまく騙せと伝え、開きっぱなしにしていた魔術書を閉じる。

 

「…………今度は何に手を出したんですか、姉さん?」

「ただの復習だよ。マナの変換効率を間桐の吸収で高められないかと思ってね。相性のいい魔術基盤を用いて儀式魔術化、テンカウントを礼装で短縮しつつ、ついでにオドへ変換して貯蓄するコンデンサの役割を持たせようか、ってとこだ」

 

 限定礼装として成立させるためにクリアしなければならない課題は多いが、起源に縛られる私は工程が複雑化した魔術の行使に難がある。

 間桐の魔術すら完全に修めていない以上儀式魔術に手を出すのはまだ先の事だが、今のうちから補助の手段を検討しておく必要はあるだろう。

 魔術師としても礼装の充実には腐心しているのだ。

 

「…………それって魔術の探求っていうより戦闘魔術向きですよね?」

「そりゃそうだろう。雁夜さんが失敗するのは不可避だ。次の聖杯戦争に出るのは私か桜の子か孫だぞ。その子のためにも足しになる研究だ」

 

 もちろん建前だ。実のところ対爺様の武装だったりする。いい加減魔術刻印が欲しくて仕方ない。いちいち魔術を一から構築する手間は、私の研究を確実に遅らせている。

 

「────姉さんは聖杯に興味が無いと思っていました」

 

 心底驚いた、という顔をする桜。教えた手管を私に向けるのは想定内だったが、実にめんどくさい。

 

「それは何か? 真意を教えろと言うのか? 聞かせてやってもいいが、心労が増すだけだぞ?」

 

 好意的な姉と意地悪な爺様の板挟みなど、めんどうな事を望みはすまい。

 

「…………ずるいなぁ、姉さんは」

「ずるくはない。私とてお前の内心は知らんからな。いまいち従順ではない私よりお前を爺様が可愛がりだすのは時間の問題だし、お前の目的が間桐の根絶であるならば、御しやすい私をどうこうするのが先だ。或いは爺様をけしかけて互いに消耗させてもいい」

「そんなこと考えてません」

 

 桜はむくれてみせたが、こんな顔をするようになったのもつい最近の事だ。

 

「私ならそうする、というだけの話だ。まだ今の状況に不満があるのならな?」

 

 意趣返しも込めて矛先を向ける。

 どちらにせよ近いうちに確認しておかねばならないと思っていた。此処から先の研鑽は真実痛みが伴う。

 

「…………最近は魔術師であることも、そのための苦労も嫌じゃないんです。でも、それを肯定してしまうと、お父様────時臣さんの考えを認めてしまうようで」

「魔術師にもいろいろいる。桜は子を蟲蔵に放り込むような魔術師になりたいのか?」

「だって、必要なんでしょう?」

 

 そうでなければならない、無意味だったなら無駄に辛く、痛い思いをした事になってしまう。

 受けた苦しみが摂理ではなく不条理だったなんて耐えられない、と。

 そんな悲壮な声だ。

 

「効率は悪くない。必要とあれば私は躊躇しない。が、それは本人の意志がなくては意味が無い。これも昔言った事だ。嫌々では身に付かない」

 

 そんなものを育てる暇があったら他所から優秀な養子でも取った方が早いというのが私の考えだ。

 

「まあ、桜も気づいてはいるだろうが、あの蟲風呂とでもいうあれは、爺様の延命が第一目的だ。強く接触することでその本質を理解し、パスを作成する上で悪い手ではないがな。今現在、間桐の魔術とは間桐臓硯を指すんだよ」

「────姉さんはそれでいいんですか?」

「いいも悪いもない、間桐とはそういうものだ。ただ、間桐の魔術師として、爺様の摩耗とともに、その秘奥が失われていくのは我慢ならない」

 

 それは連綿と間桐がゾォルケンであった頃から受け継がれてきた物だ。それらに進展を加え次代に残すのが魔術師の責務であり、欠くなどとはあってはならないことだ。

 

「お爺様を、殺めると?」

 

 絞りだすような声。口にするだけでも恐ろしいのだろう。

 

「それは最終手段だな。私は正規の手続きで爺様から間桐の全てを譲り受けたいと思っている。桜、お前には嫌いな妖怪かもしれんが、私は師として、祖父代わりとして間桐臓硯の事を気に入っているのだ」

 

 おかしいか、と問うとわかりません、と桜は答えた。

 おかしいし分からないに決っている。私とていまいち納得がいかない。

 今でこそ爺様は私の自由意志を認めてくれているが、随分とひどいことをされてきた。当時はそれがひどいことであるなんて知識はなかったけれど。

 

「爺様の願いが最初から自身の延命であったはずがない。何かを成すために長命を求めたというのなら、それは次に託すべき命題だ。いつまでも一人で背負う物じゃない」

 

 それを預けるにはまだ私が未熟だというのであればさらなる研鑽を積もう。だが、その判断さえ付かぬほどに摩耗しているのなら。

 

「まあ、そんな話はいいか。爺様からも言われたと思うが、これからこの街は戦場になる。基本は夜中だけの争いとはいえ、昼間とて安心は出来ないし、何よりこの家からマスターが出た以上、場合によっては敵が乗り込んでくる事もある。できる用心もそうないが、私の目の届く所にいるように」

 

 妹一人守れるぐらいの器量は持ち合わせている。

 まあそのサーヴァントとかいうのがどの程度ぶっ飛んでいるかは知らないが。

 

「はい。わかりました姉さん」

「うん。じゃあ今日は遅いからもう寝なさい」

 

 退出した桜を見送り、スタンドの明かりを消した。

 今日も随分夜更かししてしまった。早く寝ないと明日が辛い。

 ベッドに転がりながら聖杯なんてもののために命を投げ出すことを選んだ者たちの事を思う。

 

「物好きなことだ。蛾じゃないんだから火に飛び込む事もあるまいに」

 

 陳腐な感想しか出てこない自分にも呆れつつ、ゆっくりと意識はまどろみに落ちていった。

 

 

 

 

 

 その日も特に変わったことはなかった。

 先日未遠川に現れたという怪獣以外は私の興味を引くものが無い。

 子供ばかりさらっている殺人鬼だとか、港を誰かがふっ飛ばしただとか、ホテルが根こそぎ崩れ落ちたとかいろいろ耳にはしているものの、私の周囲には何一つ影響しないものばかりだった。

 叔父は日が落ちるとともに出かけていくし、爺様も何か思うところがあるのか家に居ない事が多く、この家には桜と私しかいない。

 魔術師の家に単身乗り込んでくる愚か者などいないだろうが、念の為に探知結界を常に励起させ、桜も私の部屋に置いていた。

 

「姉さん、まだ起きてますか?」

 

 くぐもった声が私のベッドから聞こえてくる。私はと言えばソファの上に寝そべっていた。

 

「ああ。眠れないのか?」

「姉さんだって起きてるじゃないですか」

「違いない。いや、この馬鹿げた戦争のことを考えていた」

 

 不遜な物言いに慌てる様子が手に取るようにわかる。桜は爺様に聞かれることを恐れているのだろうが、聞かれて困るような話ではない。

 むしろ私がそう思っていることは知っておいてもらわなければ困る。

 

「馬鹿げた、ですか?」

「私はそう思っているというだけのことだ。身の丈以上の物を求める者には縋らずには居られない物なのかもしれないが。桜は何か聖杯に願ってみたいものでもあるか?」

 

 訊くまでもないことだ。

 

「それは…………」

「言わなくていい。わかるから。ただ私にはそういう願いがないから馬鹿げて見える。それだけの話だ」

 

 それっきり私は黙って目を閉じた。

 気配を察したのか、桜もそれ以上口を開かず、しばらくすると穏やかな寝息を立て始めた。

 

 

 

 じくじくとした回路の疼きで目が覚めた。

 目を閉じてから二三時間ほどたっているだろうか。

 

「どんな馬鹿だ、いったい」

 

 体内に飼っている刻印虫が、探知結界を抜け屋内に踏み込んだ者の存在を教えている。

 通常魔術師の家ともなれば多数の結界で魔的に守られているのだが、間桐の屋敷における結界は基本的に地下の工房と爺様の部屋に集中している。

 ほとんど無防備といってもいい。私の組んだ結界も言ってみれば従えている蟲を監視カメラ代わりに使っているような物で、さほど高度な物ではない。

 起き上がりながらベッドに視線をやる。桜が起きた様子はない。

 

「ならば構わんか。

──────蟲毒の壷で我は謳う──────」

 

 自己に埋没する暗示を受けて魔術回路が高速で回転する。久々の本調子に体がざわめいているのを感じる。

 音を立てずに部屋を出て、蟲共に従うまま足を進めると、父の書斎の扉が開いていた。

 ロングコートの男。歳は父と同じぐらいだろうか。

 

「当家に何か御用でしょうか?」

 

 とりあえず、とばかりに声を放る。

 男は機敏な動きでこちらに向き直った。

 用がなければこんな幽霊屋敷に踏み込んでは来るまい。深夜、それも片手に銃器をぶら下げている男に対して言う台詞ではないなと、言ってから自分でおかしく思った。

 

「君は…………いや」

 

 一瞬男は困惑したような顔を作ったが、すぐさま無表情に戻り、銃口を私に向けた。

 

「アイリスフィールはどこだ?」

 

 質問の意味が分からない。アイリスフィールとはなんだろうか。固有名詞のようだが。

 響きは西洋風で、目の前の男がそれで通じると考えているとなると、

 

「それはアインツベルンのマスターでしょうか?」

 

 当たりらしい。が、望んだ返答ではなかったのだろう。男の顔が渋くなる。

 

「質問を変えよう。間桐のマスターの居場所を知りたい。答えろ」

 

 先ほどよりも不躾な質問だが、内容自体はわかりやすい。予想通りこの男は聖杯戦争のマスターなのだろう。

 

「生憎ですが、存じ上げません」

 

 銃声。耳元を何かが掠めていったのを遅れて察する。

 

「悪いが僕は急いでいる。時間稼ぎに付き合う暇はない」

「…………叔父と当主は不仲です。当主ですら叔父の行き先など知らないでしょう。今、屋敷にいる様子もありません」

 

 いや、爺様ならきっと知ってはいるのだろうが、爺様自体今家に居ないのだからどうしようもない。

 むしろ銃弾とともに散った数条の髪の方がいくらか気になった。

 

「一発目はただの脅しだ。次は膝か肩を撃つ」

 

 冷えきった声。

 新たな銃弾がその銃身に飲み込まれていく。

このような男ばかりが聖杯戦争のマスターなら万に一つも叔父の勝ち目はあるまい。

 

「警告有難うございます。ですが望まれた情報はお伝えしましたし、これ以上危害を加えられるようなら自衛しなければなりません」

 

 ざざ、と蟲達が集まってくるのを感じる。

 私は指示を与えていない。大方餌を取られては困るという本能だろう。

 

「やめておけ。君に僕をどうこう出来るとは思えない」

「これは私の意志ではありません。もっとも、自衛する旨はお伝えしたはずです」

 

 銃声。

 大きくバランスを崩した私は前のめりに倒れ、立ち上がろうとして失敗する。

 左肘から先が無かった。

 

「驚きました。あまり痛くないのですね」

 

 流れ出る血液が意識を漂白する。

 ここからの私は生存本能に従って動く機械だ。

 魔術回路が生成する魔力量を跳ね上げる。蟲達は命令ではなく、自発的にその姿を失い、私の傷に群がる。

 私の肉体へ接続し、同化。自らの性質を消失してまで私を活かさんと欲するその様は、群体として人などより余程に完成されている。

 その間にも私の楯になるように、ホバリングする翅刃虫の群れを前にして男は銃を構えたまま考えている。

 歪な腕を引き摺って立ち上がった私と、銃を構えたままの男の視線が交錯した。

人としては既に死に体の私だが、生き物としては目の前の男より強いと自負していた。なにしろこんなにも生きたいのだから。

 間を置かず男はす、と身を引いた。

 

「知りたい情報を得られないのならこれ以上留まるメリットはない。失礼する」

 

 肩透かしだとは思わなかった。男の言葉は事実だろう。

 

「ええ、もう会うことはないでしょうけど」

 

 男の気配が家から消えるのを待って息を吐き、蟲を下がらせ父の机に寄りかかる。

 振り返ってみれば壁に大きな穴が一つ、そして床に打ち捨てられた私の左腕。

 

「恐ろしいな、全く」

 

 思わず口にした言葉は紛れもなく私の本心で、爺様の勧めに乗って聖杯戦争に参加しなかった事に私は心底安堵しつつ、その意識を手放した。




zeroじゃねえかと言われるのもここまで。
ようやくstay nightに移れる!
駆け足気味なのは許してください。


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4

やっと5次に入れそうな。


 墓地はその用途にふさわしく、しめやかな静けさに包まれていた。

 空気が淀んでいるということもなく、見あげれば空は晴れ渡り、通路脇に植えられた木々からは小鳥のさえずりが聞こえる。

 空気さえ澄んでいるようで、私は思いの外この場所を気に入った。

 

「すみません姉さん、付き合わせてしまって」

 

 墓石の前に座り込み、手を合わせていた桜が振り向く。気が済んだのだろう。

 

「いつものことだ、気にするな」

 

 墓の主は間桐雁夜だ。

 爺様が叔父を間桐の墓に入れるを良しとせず、また叔父とてそんなことは望んでいなかっただろうから、こうして別の墓に収まっているのは良いことだと思う。

 弔花を携えて訪れる者は少ないようだが、こうして桜が荒れない程度には足繁く通い、清掃に勤しんでいた。

 因みに父は酒に溺れすぎて体を壊し、既にこの世にない。

 娘としては悼むべきなのだろうが、魔術師としても一人の父としてもあまり尊敬できる死に様ではない。

 間桐の墓に納まって入るものの、私は一度もそこに出向いたことなど無かった。

 あれからもう十年近い年月が過ぎた。

 あの数日のうちに、叔父が死に、遠坂時臣が死に、聖杯戦争の関係者もそうでない者もたくさん死んだ。おまけに誰一人聖杯を手にしていないというのだからお笑いにもならない。

 未だに爺様が聖杯に縋っているのが不思議に思えてくる。いや、最早別の術を見出すだけの気力が残されていないのか。

 桶を片手に通路を二人歩いていると、青と碧と灰色だけの世界に異質な赤が映った。

 お互いとっくに気がついていながら目と鼻の先に辿り着くまで黙っていたのは遠坂の在り方に合わせたためだ。

 

「あら、こんにちは間桐先輩」

「ああ。奇遇、でもないか。遠坂はお父上の墓参りか?」

 

 荷物が似合わないごついハサミだけなところを見ると、遠坂も帰るところなのだろう。

 

「ええ────失礼ですが間桐のお墓はこちらではなかったように思いますが?」

 

 目こそ私に向いているが、気は桜へと向けられている。

 桜は桜で私の後ろで縮こまっているのだから、この姉妹は面白い。

 

「ああ。叔父はうちの墓には入らなかったのでな。桜には縁があった人だというし、こうして良く通っている。私はただの付き添いだ」

「そう、ですか」

 

 ふと、遠坂の目が通路の先、叔父の墓へと向いた。

 

「そうか、遠坂も雁夜叔父とは縁があったのだな。私が言うことではないが、気が向いたら線香でもあげてやってくれ。喜ぶだろう」

「そうさせてもらいます」

「じゃあ、お先に失礼するよ。桜、行こう」

「はい、姉さん」

 

 すれ違いざま遠坂の顔が強張ったのを私は見逃さなかった。

 見ぬふりをしてして早々に墓地を出る。

 

「なあ桜、お前遠坂の事をどう思う?」

「…………どう、とは?」

 

 小首をかしげている仕草には誤魔化しなど見られない。

 

「お前の姉だろう。私が昔言った事も含めてどう思っている、と聞いている。言いたくなければ言わなくてもいいぞ?」

「それは────」

 

 桜のこの臆病な質だけは生来のものだったようで、あまり私好みではない。

 もちろん相手の出方を予測した答えを用意するのは悪いことじゃない。器用な生き方だと思う。ただ、予測した上での答えだと相手に見抜かれては話にならないし、そもそも予測が立たず、こうしてまごついているのでは意味が無い。

 

「────遠坂はお前のことを気に掛けているようだ。お前が私を姉さんと呼んだ時、顔が強張っていた。まだアレはお前の姉であるつもりなのだろう」

「…………私は間桐桜です」

「知っている。が、それはお前が思っていることではなくて、ただの事実だろう。どう在りたいかを問うているのだ」

「…………どうとも思いません。ただ────たまに見せる遠坂先輩の憐れむような顔は好きじゃないです」

 

 あれはむしろ姉として、妹がどうしているか心配している顔だと思うのだが、まあ構うまい。二人の仲を取り持ってやる義務もない。

 

「そうか。妙なことを聞いたな。すまん」

 

 もとより気にしすぎるのも余計なことかもしれないが、私はこの優秀な妹を随分可愛く思っている。

 慎二のようにわかりやすいひねくれ方をしていないのが面白いのだ。

 

「いえ────姉さんはこれからどちらに?」

「いつも通り教会だ。それがどうかしたか?」

 

 ここ最近の私は足繁く言峰教会に通っている。

 信徒と言うわけではないからあちらもあまりいい顔をしないが、最も強固な魔術基盤と言ってもいい神の教え、摂理と言う奴を知識としてでも理解しておくのは後の私の糧になる。

 面と向かって秘蹟を宗教魔術呼ばわりしたことはないが、あれは信仰心を働きかけることで作用する物なので、信徒でもない私には実用は難しいと言われたし、私もそう思う。

 むしろ私の関心は、神父が得手としている体術にある。

 戦闘となればシングルアクションでの魔術行使に頼れる状況ばかりでもないだろう。弟子にしてくれと言ったら凄く嫌な笑顔で了承されたので、時折見てもらっている。傍目にはただの婦女暴行な修行でも少しは身についたと言えるだろう。

 少なくとも痛くない殴られ方は身についた。

 

「わたしはあそこの神父さん苦手です」

 

 あれが苦手でない人間などどこかおかしい。

 

「遠坂もそう言っていたな。私とて苦手だ」

「…………遠坂先輩も言っていたってどういうことです?」

「なんだ、私も詳しくは知らんが、綺礼は遠坂の兄弟子に当たるらしいぞ。時臣氏が健在だった頃は遠坂邸に滞在していたようだし」

 

 桜とてそんなことは知っていそうなものだが。

 

「そうじゃなくて、姉さんは遠坂先輩と良く話をするんですか?」

 

 すごい剣幕で迫られた。こういう桜はあまりみないので面白い。

 

「友達付き合いをしているわけじゃないが、道で会ったら挨拶ぐらいするし、お互い暇なら世間話ぐらいはするだろう? 間桐と遠坂の不可侵は魔道としての話だしな」

「それは、そうかもですが…………」

「ふむ。よく分からんが私は教会に行くぞ?」

 

 話しているうちに坂の上への道を通り過ぎそうになっていた。

 

「はい。あ、そうだ。これから夕飯の材料を買いに行くんですが、なにか食べたいものありますか?」

 

 今となっては私などより桜の方がよほど料理が上手い。良い師匠を得たのである。自然食事の担当は桜になり、私は楽をさせてもらっている。

 

「なんでもいい。桜の料理は旨いからな」

「…………姉さんのそういうところは兄さんに似てます」

 

 責めるような視線に、思わず唸ってしまった。

 なんでもいいというのは料理人に対しては禁句だ。

 

「────料理をしなくなって久しいんだ、仕方ないだろう。そうだな、よさそうなキャベツがあったらロールキャベツとかどうだ?」

 

 手間が掛かる料理だけに、桜もあまり作らない。

 

「分かりました。キャベツが無かったら勝手にします」

「ああ。それじゃ、気をつけてな」

 

 手を上げて桜に背を向ける。

 

「姉さんこそ気をつけてくださいね」

 

 半ばからかうような桜の返事に思わず苦笑いしてしまう。

 確かに教会から帰る度に私は青痣の数を増やしている。一度は腕を折ったこともあるので鼻で笑うわけにも行かなかった。

 教会の主は元代行者、言峰綺礼。

 十年前の戦いを生き延びたというだけで、評価に値する化物だ。

 

 

 

 

 

 なんだかんだで手入れされている花壇の先に、言峰教会が建っている。立地が丘の上なので、見栄えはいい。

 綺礼が花壇の世話をしているところを一度見てみたいと思っているのは私の秘密の一つだ。似合わなすぎてきっと笑える。

 ぎぎ、と軋む扉を抜けると、祭壇の前で神父が膝をついていた。

 

「皐月か。熱心だな」

「邪魔なら待つぞ?」

「構わんさ。しかし前々から気になっていたのだが、お前はマゾの気でもあるのか? 飽きもせず殴られに来るなどまともではない。そういう性癖から私の所に来るのであれば遠慮願いたいのだが」

 

 邪険にするのもめんどくさいと言わんばかりの顔で、綺礼は私へと向き直った。こいつの言い草は毎回こんなものだ。

 

「魔術師なんてどいつもこいつもマゾばかりだろう。私は打たれるのも嬲られるのも好きではないがな」

「ほう? その割には私との組手では殴られてばかりではないか」

「…………好きで殴られているわけじゃない。お前を殴ってやりたいが実力が足りないだけだ」

 

 身長と体重、手足の長さの差は如何ともしがたく、経験量、そして才能でも私は綺礼に劣っている。

 それにこの男は加減などしない。

 いやこの男に加減なく殴られれば私の絶命は必至だが、小娘相手にふさわしい手加減、というのをしない。

 お陰で私の体にはどこかしら必ず青痣があるのだ。

 以前小娘の形をした物を打ち据えることに呵責は無いのか、と尋ねたことがある。単純な興味と言うよりも、あんまりぼこすか殴られるので嫌味を兼ねていた。

 何を当たり前のことをとでも言いたげに私を見下ろし、私は代行者だぞ? と綺礼が答えてみせたのをよく覚えている。

 

「それは申し訳ないがな、お前を打ち据えているうちに特殊な性癖に目覚めてしまったらどう責任を取ってくれるんだ?」

「結構な事じゃないか。つまらなそうな顔をして聖書を睨んでいるよりは余程健康的だ。犯罪に走らなければな」

 

 冗談で返したつもりだったが、殊の外綺礼は驚いた顔をした。

 

「それで、だな。今日は殴られに来たわけじゃないんだ」

 

 予想しない反応に多少の気まずさを覚えながらも、私は本題を切り出した。

 

「と言うと?」

 

 す、と制服の袖を捲り、腕を言峰へと向ける。

 

「ほう」

 

 あまり驚いた風でもない、わざとらしい感嘆を貰った。

 

「良かったではないか。間桐の直系たるお前が令呪を手にすることになるのは、半ば道理だ」

 

 意地の悪い感想が返ってきた。

 

「馬鹿を言え。しかし驚かないな。前回から十年しか経っていない周期外れの聖杯戦争、お前はこれを予期していたのか?」

「もちろん違う。だが、前回は誰の手にも聖杯は渡らなかった。蓄えられた魔力が消費されなかった事で何かしらの影響は出るだろうとは踏んでいた」

 

 矛盾はない。

 つついても出てくる情報は無さそうだ。袖を直しつつ、歪な蟲の形をした令呪を隠す。

 

「しかし桜がマスターなら或いは間桐の勝利もあっただろうが、私ではな」

「なんだ、早いギブアップに来たのか?」

「まさか。ただ、心当たりが無くてな。お前は前回の聖杯戦争に出ただろう?」

「ああ。早い段階で敗退したがな」

 

 何かを思い出すような表情も一瞬で、綺礼はすぐに神父らしい厳粛な雰囲気を取り戻した。

 私が何をしに来たか察したのだろう。

 

「参考にしたい。お前は何を思って聖杯戦争に参加したんだ?」

「ふむ、答えるにやぶさかではないがお前の助けにはならないだろう。何、なんのことはない。単に師を手助けさせるために我が手に令呪は現れたのだ」

「…………へえ。そうなんですか」

 

 そんな寝言を聞きに来たわけではないのだが、言いたくないのなら無理に訊くものでもないか。

 

「…………信じられない、と?」

「当然だろう。遠坂は敗れたじゃないか、前回。言いたくないなら聞かない。邪魔したな綺礼」

「…………一つだけ忠告しておこう。あれは望む物無しに生き残れる戦いではなかった。早く真に欲するものを見つけておくがいい」

 

 さっさと背を向けた私に投げられた言葉は、今にして思えば綺礼なりの手向けだったのかもしれない。

 

 

 

 言峰と別れ、なだらかな坂を下っていると、ライダースーツの男が正面から登ってきた。この先にあるのは言峰教会だけだから男の用もそこだろう。

 教会には似つかわしくない雰囲気に当てられてつい不躾な視線を送ってしまう。

 

「小娘、この協会に何か用か?」

 

 当然のように気づいた男が足を止め、こちらへ向き直った。

 たったこれだけの言葉に自分は偉いと意志を込められるのだから、数奇な人物だろう。

 

「ああ。神父には良く稽古をつけてもらっている。初対面だと思うが、貴方はこの協会の縁者か?」

「我に対して不遜な物言い、普段なら許さぬが綺礼の客ならば大目に見よう。我は昔から厄介になっているがお前に会うのは初めてだな」

 

 男の言葉が事実なら、今まで会わなかった事が不思議でならない。

 

「足繁くと言うほどではないが、ここ三年はそれなりに通っている。間が悪かったようだな。間桐皐月という」

「雑種の名などどうでもよい。しかし信徒なら兎も角、稽古のために通うとはな、おもしろい」

 

 にやりと笑うその顔はどこか人を馬鹿にしたものだったが、それが当然であるかのような振る舞いは、何故かしっくりきた。

 

「…………話はそれだけか?」

「ああ。言って良いぞ。今の俺は機嫌がいい。運が良かったな」

「良く分からんが失礼する────ああ、ひとつ訊いてもいいか?」

 

 止せばいいのに振り返って男の背に声を放る。

「…………つまらぬ話なら我の怒りを買うぞ?」

 

 不機嫌を隠しもせず、しかし男は足を止めた。

 

「なに、教会の花壇を手入れしている者を知りたい」

「綺礼だが、それがどうかしたか?」

 

 つまらんことを訊くなとでも言いたげな男だが、こっちにしてみればこれほど面白いことはない。

 

「くくく、似合わんだろう。いや、是非その様を見てみたいと前から思っていてな。通う目的が増えた。礼を言う」

「…………なるほどな、言われて見ればあの男が花の世話などと似合わぬにも程がある。見慣れているせいか思いあたらなんだ。それではな、小娘」

 

 あっさりと男は機嫌を良くして歩き始めた。

 その背を見送ってから、私も家路へと戻る。

 

「意外だな。綺礼め、男色の趣味でもあるのか」

 

 禁欲的な教会に似つかわしくない男の客。それも長く滞在しているとなれば或いは。

 

「いかんな、無さそうなだけに一番笑える」

 

 愚にもつかない妄想を噛み殺し、私は再び歩き出した。

 

 

 

 

 

 相変わらず間桐の家は湿っている。

 薄暗いのでよく分からんが部屋の隅にカビが湧いていそうだ。

 ひたひたと廊下を進むと居間の方から争う声が聞こえてきた。

 

「だから、僕が出るって言ってるだろ桜!」

「に、兄さん、でも」

 

 いつもの事だ。何かと桜にちょっかいを出す慎二と、煮え切らない返事をする桜。いまいち噛み合っていないが、腹の底に黒いものを抱えているという意味で私には仲の良い兄妹に見える。

 

「なんだよ、僕じゃ不足っていうのか?」

「違います。でも、お爺様に許可を取らないと…………」

 

 しかし爺様に裁可を仰がねばならない話となると、少し興味が出た。

 慎二の背中越しに首を突っ込む。

 

「お前たち何の話をしている?」

「げ、姉さん」

 

 よろめくように慎二が私から距離を取った。昔はあんなに懐いていたのに。

 

「げ、とはなんだ。桜が可愛いのは分かるがあんまりいじめるな。小学生かお前は」

「そ、そんなんじゃないよ。だいたい俺はこんな牛みたいな女より──」

「より?」

「ぼ、僕の女の趣味なんかどうでもいいだろう?」

 

 慎二をからかうのは楽しい。慎二の姿は虚勢で出来ている。打てば容易くひびが入る虚勢だが、それも貫けば一つの真実だ。

 歪んでいるとはいえ弟の成長を楽しむのも、その薄皮の下を覗きこむのも姉の特権だと思っている。

 

「ああ。だから何の話をしてたと聞いてるんだ」

「姉さんには関係無いだろ?」

「別に言わなくてもいいぞ? 桜から聞くから────桜、慎二に何を強請られたんだ?」

「え、えっと」

 

 ちらちらと慎二を盗み見る桜と、言うなよと表情で訴える慎二。

 

「言い難いことをされそうになったのか? 仕方がない、間桐の男は皆ちょっとおかしいからな。度が過ぎるようなら言いなさい。私が去勢してやる」

 

 桜をあやすように抱きしめながら、汚いものを見るような目で慎二を睨む。

 

「そそそそんなんじゃないって、姉さんが言うと洒落になんないだろ!」

「もちろん冗談じゃない。だが、私も勘違いで間桐の種を枯らしては爺様に顔向けが出来ない。本当の所を聞きたいが」

「…………っち、爺様から聖杯戦争が起きるって聞いたからな。マスターとして出たいと思ったんだ。十中八九うちのマスターは桜だろ? だから、そうなったらサーヴァントを貸せって────」

「────く、ははは、本気か慎二?」

 

 腹が痛い。私は少しも慎二の事を理解していなかったようだ。

 慎二が望む程度の物は爺様に頭ひとつ下げるだけで手に入るだろうに。

 

「…………そうやって笑うから姉さんには話したくなかったんだ」

 

 拗ねてしまった。今のは私が悪いので頭を下げる。

 

「いや、すまん。しかしお前にそれほど望むものがあるとは知らなかった。後学のために知っておきたいが、何が目当てなんだ?」

「それは、その」

「…………もしかして、遠坂先輩と────」

 

 桜がおずおずと口に出したそれは私も噂に聞いている。

 

「余計なことを言うな!」

 

 この反応、どうやら図星らしい。

 

「それは私も聞いたな。遠坂に振られたんだったか」

「ち、違う。僕はただちょっとからかっただけなのに、あいつが本気にしただけだ」

 

 その言い訳は苦しいが、しかし。

 

「で、目的は?」

「…………目的って?」

 

 不思議そうにこっちを見返す慎二。いまいち反応が鈍い。

 

「遠坂に振られた話が原因なら、聖杯戦争で遠坂を見返したいとか、いっそ聖杯に遠坂が自分のものになるように願うとか、そんなとこだろう。どっちなんだ?」

 

 慎二は目を剥き、桜は体を竦ませた。

 

「…………姉さんはこれだから怖い。いくら僕でも聖杯で遠坂を自分の物にするなんて悪どい事は思いつかないよ」

 

 となると前者か。

 

「見返すってことはつまり、えっと、いいとこを見せたいって事か? それとも遠坂を倒すところまで行くのか?」

「それは…………後者っていいたいけど、僕は馬鹿じゃない」

 

 堪えるようにそう吐き出した慎二の頭を撫で回す。

 小狡さでもあるが、分を知るのは大切なことだ。

 まあ、見栄を張るために命を危険に晒すのは戴けないが、それぐらいの意地がなければ行く末は父のような逃亡者だ。

 叔父のように暴走しない程度の無謀さであれば、男なら必要な物かもしれない。

 

「知ってるよ。が、天才でもないことを自覚しておけ────ま、万が一私が聖杯戦争に出ることになったら暫くサーヴァントは貸してやる」

 

 喜びと疑いの色が慎二に浮かぶ。

 

「桜が出るなら間桐の本願を掛ける戦いだ。お前の私事に構えはしないが、私が出るのなら爺様は今回を捨て様子見に徹するだろう。ならば、そのくらいの好き勝手は見逃してくれそうだ」

「…………桜だったら諦めろってこと?」

 

 不満気ではあるが、それ以上は私の判断では難しい。

 

「当然だ。爺様相手に直談判してみるか?」

「…………やめとくよ。でも今の約束だからな?」

 

 どうなるかは想像に容易かったらしい。

 

「ああ。だが、止めてもいいぞ? なにせ命が掛かっている。前回の聖杯戦争で生き残ったマスターはわずかに三人。私はその内の一人に対面したことがあるが、身を守る術すらないお前がああいう輩と相対したら死は免れない。可愛い弟の死なんぞ見たくない」

 

 嘘偽り無い言葉だったのだが、慎二は今から楽しみでしょうがないという顔のまま出かけていった。

 聞こえていても頭に入ってはいるまい。

 

「あの、良かったんですか姉さん?」

 

 心配そうな桜の顔は勝手に慎二と約束してしまった事に対する心配だろう。

 

「ん? 構わんだろ。令呪はもう桜に出てるんだから」

「…………知ってたんですか」

「爺様が悪そうな顔をしていたからな。今から策を色々練っているんだろう」

 

 それでも桜の表情は暗い。

 

「衛宮が気になるか?」

「────」

 

 桜の気配が一変する。ゆら、と周囲の影が蠢いた。

 魔術師として既に桜は一人前だ。爺様でさえ桜が望まぬ修練は出来ない程に。

 

「怖い顔をするな。魔術師だと知られたくない、というのは私にはよく分からんがな。衛宮も魔術師なのだろう?」

「はい。ですが、その────」

「三流か。子を残す相手としては不足だろうが、それが気になるというわけではなかろう?」

 

 爺様の命もあり、桜は暫くの間衛宮邸に出入りしている。料理の師匠もその衛宮だ。

 それからというもの桜は少しだけ活発になった。単純に好意があっての事だろう。

 

「…………わたしの初めては蟲ですよ?」

 

 儚げな笑いとはこういう物だろうか。

 

「私とてそうだが? なんだ気が引けるか?」

 

 桜は小さく頷いた。

 分からんでもないが、いや、やはり分からん。

 

「衛宮はお前が来るのを嫌がるわけじゃあるまい。それなりに好意を抱いているから熱心に料理を教える。ただの後輩への態度じゃないぞ」

「でも、先輩は優しいですから」

「それも噂に聞いている。お前は相手の気持ちを無視しすぎだ。勝手に好きになられて勝手に諦められては衛宮が哀れだな。学内でもお前は遠坂と人気を二分する美人だぞ?」

「ね、姉さんだってその────」

 

 言いにくそうに桜が声を潜めた。一年の頃しつこく言い寄ってきた上級生に言峰直伝の鉄山靠を見舞って以降三年間、私の周りに男っ気はない。

 肩を抱こうとした男がそのまま崩折れて救急車で運ばれたとなれば、当然の事だ。

 

「世辞はいい。で、どうなんだ?」

「で、でも、先輩の趣味は────」

「なんだ、衛宮は小児性愛者か?」

 

 めんどくさくなってきた。叶わぬ夢なら見たくない、というところだろうか。そのくせ諦めきれていないから質が悪い。

 

「…………知りません」

「じゃあ知る努力をしろ。本当に好きなら虜にして飼い殺すぐらいの気概を見せろ」

 

 半ば本気だ。実際桜の恋はそれぐらい厳しい。

 爺様が存命である以上、それは爺様によって決められることだからだ。

 

「そ、それはちょっと」

「だが、先ほど衛宮のことを口にした時、私は殺されるかと思ったがな」

「それは、つい」

 

 つい、で殺されては敵わないのだが。

 

「あまり真に受けなくてもいい。私とて恋愛経験など無いからな。あまり思いつめるなと言いたかった」

 

 言うだけ言って私は廊下へと引き返す。

 

「姉さん、どちらに?」

「爺様にちょっとな」

 

 関わるつもりは無かったが、この手に令呪が浮かんだ以上、私も無関係とは行くまい。

 面倒だとは思いつつも私は爺様の書斎へ足を進めた。




特には。


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5

Q.間桐の男の人はおかしい、というけど、じゃあ女はどうなんでしょう。


 時期はずれな聖杯戦争に急遽各地の行脚を中断して戻ってきた爺様は、そのすりあわせに忙しい。邪魔はしたくないが、仕方のない事と言える。

 

「これでよいか────待たせたな皐月。何用じゃ?」

 

 作業に区切りがついた爺様はようやく私へと向き直った。

 

「いくつか確認に来ただけだ。爺様は今回は聖杯を取りに行くんだよな?」

「うむ。とはいえ桜に埋め込んだ聖杯の欠片が芽吹くかどうか、という所じゃが」

 

 この件については既に私も了承済みだ。

 桜を使い潰すならば、聖杯の取得に関わらずその魔術刻印の一切を、爺様の生命維持に関わらぬ物から順に私が貰い受ける。そういう約束になっている。

 

「そっちじゃなくても勝ちの目があるかもしれん」

「ほう」

 

 袖が捲られた腕を凝視し、爺様は黙った。

 

「正直魔術刻印の事が無ければ黙っていようかと思ったんだがな」

「カカカ、それでこそ我が孫よ。しかしそうか…………」

 

 爺様の悩みは察せた。

 

「あまりおおっぴらにするとな。間桐からマスターが二人となると、警戒は当然のこととして、対間桐の同盟までありえる」

 

 初期から味方がいるというアドバンテージを失うのは避けたい。

 

「うむ。となれば────」

「桜のサーヴァント次第だが、私は隠密に向くサーヴァントがよさそうだ。爺様、聖遺物の手配はどうなってる?」

「何分急じゃったからな。ほれ、エトルリアより発掘された鏡じゃ」

 

 古い事は分かるが、あまり縁には期待できそうにない。

 

「もう一つ、となると厳しいか」

「そうじゃのう。皐月がアサシンを引当て、桜が三騎士のいずれかを召喚するのが一番良い流れじゃが」

「いっそ桜が召喚したサーヴァントを触媒にしてもいいがな」

「ふむ、それも無い手ではないか」

 

 難しい顔をして爺様は黙った。策を組み直しているのだろう。

 

「私の用はそれだけだ。それじゃあな」

 

 返事はない。思考に没頭しているのだろう。構わず私は部屋を出た。

 

「しかし聖杯戦争か。全く厄介な事に巻き込まれたものだ」

 

 ため息混じりにそうこぼしながら、私は自室へと引き上げた。

 

 

 

 

 

 卒業を間近に控えた時期だけに、最早定例になりつつある進学相談の為に私は職員室へ呼び出されていた。

 

「間桐は本当に進学する気はないのか?」

「はい。卒業後は暫く国外を回ってみようと思っています」

 

 そもそもセンター出願の時期は過ぎている。今さら何を言うのか。

 

「悪いことじゃないが、間桐の成績ならいい大学に行けただろうに」

「多少悩みはしましたが、後悔はないですよ」

「そこまで言うならもうとやかく言わない。呼び止めて悪かったな」

 

 先生なりに気遣ってくれているのはわかるので、一礼して応えた。

 ただ、今の私は忙しい。赤本とにらめっこしたりセンターの過去問と格闘している同級生たちとは別な意味で。

 教室への階段、その脇に赤いコートの端がちらついている。

 

「遠坂も職員室に用か?」

 

 無いと知りつつ口にする。

 

「いいえ間桐先輩、貴方にです。教室に行ったら職員室にいらっしゃるとのことでしたので」

「その気持ちの悪い敬語はよせ。この時期の用向きなら察しがつく。屋上でどうだ?」

「構いません」

 

 一つうなずき、遠坂は屋上へと足を進め始めた。

 

「忙しい時期にすみません。一つ確認しておきたい事があったので」

 

 歩きながら遠坂はそんなことを言ってきた。

 

「私は進学しないから、その心配は無用だ」

「…………意外です。就職するんですか?」

 

 本当に驚いたらしい。

 

「いや、外国を歩いてみようと思っている。そんなに意外か?」

「…………はい。正直先輩はあまり周りに興味が無いものかと」

「そんなことはない。関心が無ければ自分に関係のない話を聞きたがっている遠坂に付き合ったりはしない」

 

 そうですね、なんて可愛げのない口調で遠坂は答えた。姉の贔屓目が入っているかもしれないが、これなら桜のほうが可愛げがある。

 寒くなってきた事もあり、屋上には人影がなかった。

 

「で、要件はなんだ、遠坂」

「念のためです。先輩、両手の袖、捲ってもらえますか?」

「構わんぞ」

 

 言いつつ私は両腕の袖を肘まで引き上げた。

 当然そこには令呪など無い。

 

「…………ってことは」

「ああ、間桐のマスターは桜だよ」

 

 遠坂の顔が翳った。まあ、姉妹で殺し合いなんて面白くもなかろう。

 

「そう、ですか。ありがとうございました」

 

 用は済んだとばかりの遠坂だが、それでは足りない。

 

「まて、お前はマスターで間違いないんだな?」

「何故そんなことを?」

 

 答える必要があるか、と問いたげな顔。

 

「等価交換だろう?」

 

 これでチャラにしてやるぞ、という意図は正しく伝わったらしい。

 

「…………ええ遠坂のマスターは私です。他に人もいませんし」

「だろうな。安心しろ、桜はちゃんと魔術師だ」

 

 それはつまり、魔術師として正道たれば、実の姉と戦うだけの気概が有るということ。

 思う存分戦えという言葉は、人としては残酷で、魔術師としては正しい。

 

「っ────ありがとう、ございます」

 

 髪を翻して去っていく遠坂を見送り、息を吐く。

 ざわりと私の左腕が蠢いた。

 

「しかし、慣れんなこの感覚は」

 

 左腕に令呪があるのを確認して袖を戻す。

 間桐の吸収を以って蟲を取り込み、起源たる流転と回帰で以って肉体をある程度自在に操る術を持つ私に取って、皮膚に刻まれた令呪の位置など容易く動かせる。

 もっとも肉体に取り込んだ蟲を人体に擬態させる為に常に魔力を消費しているため、私の健康状態は魔術回路の励起と比例する。

 爺様の様に全身を蟲に置換していれば完全に安定するのだろうが、流石にまだ人をやめる気はない。

 これは単にいざという時、つまり爺様が死んだ時、その肉体を構成する蟲を取り込み、魔術刻印を抽出、定着させるための予行演習のようなものだ。

 遠坂には嘘はついていない。間桐のマスターは間違いなく桜だし、私がマスターでないと言ったわけでもない。

 言峰には教えてしまったからあまり効果は期待できないが、何もしないよりはマシだ。

 

「今晩あたり私も喚ばねばならんか」

 

 重い気を引きずりながら、私は教室へと引き返した。

 

 

 

 

 

 日が落ちようという頃、ようやく家に帰り着いた私を出迎えたのは一本の杭だった。

 玄関をくぐったと同時にピタリと喉に押し付けられたそれと、目の前に立つ眼帯の女。  

 尋常ではない雰囲気と、日常では有り得ないシチュエーションに、私は珍しく思考停止した。

 女の後ろに桜の姿を認めて私の脳は再起動する。

 状況からして、この女が桜のサーヴァントなのだろう。

 

「おい桜、これは一体どういうことだ?」

 

 生憎と首は動かせないので視線だけを妹に移す。

 流石に間桐家断絶計画が発動したわけではないだろう。単にサーヴァントの独断だと思われる。

 

「ら、ライダー、この人は私の姉さんです」

「…………そうでしたか。これは失礼しました」

 

 桜の言葉を受けて首筋に突き付けられていた杭が引っ込む。言葉に悪びれた様子が無いのは気に入った。

 

「あまり驚かせるな。サーヴァントの召喚に成功したようでなによりだ」

 

 首筋を擦りながらようやくそれだけを言う。

 大概擦れた性格をしているがそれでも死は恐ろしい。

 他人ごとのように自己分析しつつ、桜のサーヴァントだという女を見やった。

 

「背、高いなお前」

 

 私はこれでも一六五cmと平均以上に背が高い。その私が目を合わせようとすると少し上向き加減になる。

…………もっともその眼は眼帯に覆われているので気分の問題だが。

 ただの感想だったが、サーヴァントから歯ぎしりのような音が聞こえた。

 背が高いのを気にしているのかもしれない。

 

「…………身長の高低を競わせる為にあなた方はサーヴァントを呼んだのですか?」

 

 訂正、気にしているようだ。

 ん、あなた方?

 

「他でも同じ事を言われたのか?」

「その、兄さんが」

「…………慎二を殺しちゃいないだろうな?」

「ええ、それは、大丈夫です」

 

 桜の目が泳いでいる。

 大方部屋に篭って泣きべそをかいているのだろう。

 

「それはいいか。遠坂と会ってきたよ。あれもマスターだった」

「…………そう、ですか」

 

 分かっていたことだろうに、目に見えて桜は暗くなる。

 

「どうしようがお前次第だ、桜」

「はい。分かっています」

 

 好きにしていいぞ、と言う意味で言ったのだが、ますます思いつめてしまったようだ。

 

「ライダーだったか。見ての通り桜は少し内向的なところがある。魔術師としての性能には問題ないだろうが、うまく支えてやってくれ」

「心得ています。えっと────」

 

 そういえば名乗っていなかった。

 

「皐月だ」

「サツキ。正直貴方が居てよかった。どうにも間桐の人は皆どこかおかしい」

 

 あんまりな言い草だったが事実なので仕方がない。

 

「…………苦労を掛けると思うぞ。それに私も間桐には違いない。まだ尻尾を出していないだけだ」

「気をつけておきます」

 

 英雄だなんだというからもっと堅いものを想像していたが、冗談を解すらしい。

 にやりと歪んだ口元はしてやったりと言わんばかりで、私は英霊に対する認識を改めることにした。

 

 

 

 

 深夜、全てが寝静まった時間になって私はベッドから這い出し、爺様の部屋へと向かった。

 半開きの扉から茫、と明かりが漏れている。起きているようだ。

 

「爺様」

「どうした皐月?」

 

 驚きもせずに爺様は私を迎え入れた。

 

「今日、喚ぶことにする」

「…………聖遺物はないが、よいのか?」

「仕方ない。欲を言えば言峰から現在召喚済みのサーヴァントぐらいは訊いておきたいところだが、教えてはくれないだろうしな」

 

 最善手ではない。爺様は悔しかろう。

 これが周期通りの聖杯戦争であれば話は違ったのだろうが。

 

「────ふむ。許可しよう。蟲蔵は開けてある」

「ああ。それじゃ」

 

 それだけの短い会話の後、私は蟲蔵へと足を進める。

 魔力を漏洩しないための結界を起動。

 

「さて、と。

──────蟲毒の壷で我は謳う──────」

 

 ついで、抑えている魔術回路を最高調で回す。

 望むのはアサシン、暗殺者などと卑下され忌避される者。それでも英霊に属する者には違いない。迎えるこちらに手落ちなどあってはならない。

 何をして英雄になったかに好悪はあるが、人の身でそこに至ったとあれば敬意を以って事に当たらねばならない。

 故に切り札とも言える子飼いの蟲、中でも私に同化し、そのオドを十分に喰らったもの、それらの体液で以って方陣を描く。

 触媒は無いが故に、用いたのは自身そのもの。

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。

降り立つ風には壁を。

四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。

閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。

繰り返すつどに五度。

ただ、満たされる刻を破却する」

 

 高まるオドにマナが共鳴する。一つの魔術として形を成さんと、暴風のようにマナが荒れ狂う。

 その勢いを削ぐ事なく、儀式魔術として最適な形へと導く。

 只々、殉教者として、狂信者として、滅私し続けたであろうイスラムの一教団、その長の顕現を願う。

 

「――――告げる。

汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ 

誓いを此処に。 

我は常世総ての善と成る者、 

我は常世総ての悪を敷く者。

汝三大の言霊を纏う七天、

抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――」

 

 ────成った。

 あれだけのマナが掻き消え、令呪に鈍い痛みが走る事こそその証左。

 直立する黒い影が、ゆっくりと方陣より歩み出る。

 凡俗である私の目が、それは埒外の存在であると告げる。

 私に許されるのはただ、その様子をできるだけ泰然と見守る事だけ。

 男が被ったフードが影になって顔は見えないが、目と目があっているのは間違いない。

 一度主従となればその不遜は叶わぬが故に、この英霊は今、私を見極めんとしている。

 

「お前が俺のマスターか?」

 

 響く声は透徹している。

 彼は英雄だ。ならば仮にもその主を僭称する私は、それに足る姿でなければならない。

 

「そうだ」

 

 ただ一言、切って捨てるように応えた。

 ぐ、と男が膝を折り、頭を垂れる。

 

「サーヴァントアサシン、召喚により参じた。この身、好きに使うがいい」

 

 そのまま男は動きを止めた。

 それが至らぬマスターから顔を背けるためのものか、主の言葉を待つためのものか、私にはまだ分からない。

 

「ああ、そのつもりだ。だがしかし今は気配遮断を。続きは念話でしよう」

 

 言うやいなや、その存在は知覚できなくなる。

 去り際に見えたそのステータスはアサシンとしては破格のもの。

 

『よもや願ってアサシンを呼び出す者が有るとはな』

 

 正面から他の英雄と打ち合うには脆く、また、アサシンを懸念することからマスター達の警戒は厚い。

 難しいサーヴァントではあるだろう。

 だが、

 

『私は最優を引き当てたつもりだぞ』

 

 真にアサシンが恐れられたのは目的の為に好悪を廃する合理主義。そして誰を討てば望む形に世が進むかを計れるその政治嗅覚。

 そしてなにより、時代の英雄と呼ぶべき者たちを必要と有らば消すことが出来るだけの計画性と実行力。

 その頂点に立つハサン・サッバーハ、つまり山の翁は、属するアサシン達を手足のように使いこなす器量を持たねば勤まらない。

 

『…………冗談ではないようだが、俺は一介の暗殺者に過ぎない。忘れるな』

 

 過度の期待からくる無理難題への予防線だろう。

 この計算高さが、私の予測を裏付ける。

 

『心配せずとも無理は言わない。アサシンはアサシンとして使う────ああ、クラスとしてアサシンと呼んでいるが気に入らなければハサンと呼ぶぞ?』

『…………気にはしないが、その配慮は有難く受け取らせてもらおう』

 

 アサシンとはハシシを吸う者の意とも言われる。その説が正しければアサシンの呼称は、死への恐怖を麻薬で誤魔化す薬中呼ばわりにも等しい呼び方になってしまう。

 私に言わせれば馬鹿馬鹿しい。現代の戦争でさえ、前線に立つ者には向精神薬が配給される。怯懦を消す為の物という意味でそこに差はない。

 とはいえ最早アサシンは元の語義よりも、暗殺者の意味合いを強くしている。ただ、時代を超えてここにいるハサンの心情を考えれば無配慮なマスターとして振る舞うべきではないだろう。

 

『言いたいことがあれば言ってくれ。私のような小娘より、教団を統率してきたお前の方が見える物もあるだろう』

『…………そうだな。この家には他にもサーヴァントの気配があるようだが』

 

 ハサンの優先順位はそこか。

 

『それは今のところ味方と考えていい────召喚からお前の気配遮断までで、相手に気付かれたと思うか?』

『恐らく問題ない』

 

 ハサンは返答に迷わなかった。

 スキルとしての気配遮断は別に、暗殺者として身に付けた在り方がそうさせるのだろう。

 

『ならいい。そのマスターには私がマスターであることは秘している。案ずるな』

『わかった。それと────言い難いが、マスターからの魔力供給量が落ちている。体調が芳しくないのか?』

 

 次は戦力査定。その腕力よりも技量に重きを置く存在とはいえ、当然の疑問だ。

 

『召喚の疲れはあるが、これは意図して落としている。有事とあらば召喚時並の魔力供給を約束する。不満か?』

『いや。無能を装わねばならない事情があるんだな?』

 

 口角が釣り上がるのを抑えられなかった。

 

『話が早くて助かる。が、私はお前ほど聡明ではない。重ねて言うが、思う所あればすぐに言ってくれ。令呪を使ってでも頼みたいぐらいなんだ』

『そんなことに使われては敵わん。心得ておく』

 

 これほど自制の効いた英雄を外れなどと言った奴はなんだったんだろうか。今代までのアサシンのマスターが無能揃いだったか、私が飛び切りの当たりを引いたに違いない。

 召喚陣を掻き消し、結界を解く。

 長居は無用だ。気怠さを抑え、部屋へと戻ることにした。

 

『お前にはサーヴァントとマスターのペアを探して欲しい。まずは情報を集めたい。だが如何な好機であろうと手を出すな。気配遮断を破る宝具とて有り得なくはない。油断はするな。不満はあるか?』

『…………マスターが本気で勝ち残る気なのが良く分かった。俺に異論はない』

 

 つまり私はハサンを用いた直接対決はしないと言った。

 別にハサンの英雄としての性能を軽んじているわけではない。

 ただ、個人の武勇に頼るよりは、戦略でもってマスター達を潰し合わせ、弱った最後の一組を刈り取ると、そう言ったのだ。

 それをハサンは良しとした。

 真っ向勝負を好む、正道の英雄であればこうは行かなかっただろう。

 

「おやサツキ、こんな夜中にどちらへ?」

 

 不意に掛けられた声の方を見やると、桜の部屋の前、眼帯の女が座り込んでいた。

 

「ああ、ライダーか。急に声を掛けるな。びっくりする」

「…………それは失礼を」

「シャワーを浴びたくなってな。どうも体が冷える。ライダーこそそんなところで何をしているんだ。部屋の中で霊体化していれば桜は守れるだろう?」

 

 それと悟られぬようその様子を探る。

 

「その、慎二が────」

 

 馬鹿め。引きどころは弁えているから無軌道でこそないが、またぞろ桜にちょっかいを出したようだ。

 

「────みなまで言うな。分かった。去勢はともかく割礼ぐらいはしておく」

「ああいえ、そうではなくてですね、桜に私を貸せ。と」

 

 困ったようにライダーは顔を伏せた。

 本当に見境の無いやつだ。

 

「やはり去勢するしかないか」

「ですから、女としてではなく、サーヴァントとしてです! 慎二にはマスターたる素養がありませんし、私としても桜から離れる気はないのですが、桜は押しに弱い。会えば頷いてしまうと────どうしてこう間桐の人はシモな方に話を持っていくのですか」

 

 最後の方はほとんどライダーの言葉は聞こえていなかった。

 私がサーヴァントを手にしたら貸してやるが、桜から借りるのは諦めろと私は言ったはずだ。まあ約束を破っているのはお互い様だが、私のはまだバレていないので考慮しなくていい。

 

「ふん、いいだろう。私に逆らうとどうなるか未だ身に染み付いていなかったようだな」

「さ、サツキ?」

 

 背後で誰かが呼びとめた気がするが、知らない。

 ノックもなく慎二の部屋の戸に手を掛けるとどうやら鍵が掛かっている。

 ふむ、どうしようか。

 などと悩む頭を置き去りに、体は既に動き出していた。

 掌打一発でドアはドアとしての機能を消失した。

 

「な、ひ、え。ね、姉さん、なんだよ急に」

 

 轟音に驚いて飛び起きたといった風情の慎二を嬲るように見下ろす。

 

「いや何、私に逆らうとどうなるか忘れてしまった馬鹿者がいるようなのでな。覚えの悪い頭ではなく、体に思い出してもらおうと思っただけだ」

 

 するり、と寝間着を肌蹴させる。

 

「って何を、う、うわああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 深夜二時を回った頃、間桐邸から響いた絹を裂くような悲鳴に、近隣住民は、

 

「なんだ、また間桐か」

 

 と安心したように二度寝を決め込んだという。

 

 

 

「やれやれ。疲れているというのに手間を掛けさせる」

 

 慎二への制裁を終え自室に戻るとハサンが床に付し、礼を取っていた。

 

『なんだ、どうした?』

『いや何、決してマスターには逆らうまいと思っただけの事だ』

 

 よく分からないが粉骨砕身仕えてくれるというのなら有難いが、しかし。

 

『忠義は有難いが、お互いを知らねばそれは成らぬ事だろう?』

 

 形だけの忠義立てでは無意味だ。知り合い、尽くす価値があると踏んでのその態度なら素直に喜べるのだが。

『それはそうだが、さっきの男と同じような目に合いたくはないのでな』

 

 好いた女でも居たのだろうか。そもそも私にその気はないのだが。

 

『なんだか腹が立つが私は寝る。疲れた』

 

 何故か部屋の隅で身構えているハサンを放置し、ようやく私が安眠を手にしたのは明け方四時を回ろうかという頃だった。




A.やっぱり女の人もおかしいようです。


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6

言い訳は後でしようとおもいます。


 

 

 

 

 

 ──赤い十字を染め抜いた軍服の騎兵が、列を成して凱旋する。

 ──豊かな海の街、商人と武器を携えた人々がごった返している。

 ──銀の盾に金の十字をあしらった旗が高々と掲げられ、縋るようにそれを見つめるみすぼらしい姿の人々が路傍に座り込んでいる。

 

 疲弊しきった戦場のようだと、そんなことを思った。

 嗅ぎ慣れた死臭が、街全体に染み付いている。

 慣れ親しんだ渇いた砂混じりの風の中でも、海沿いの潮の香る風の中でも、付き纏い続ける腐った血の臭いだ。

 

 ──地響きのような人々の歓声に彼らの視線を追う。

 ──海上を睨む砲台の上から一人の男が姿を現す。歓声に応えるように拳を振り上げ、勝利の喜びを唄い、反撃を誓う。聖地の奪還を、と。

 

 皆の目は希望に輝いているというのに、私はそれを苦々しく見つめていた。

 街の名をティルス。エルサレム王国最後の国土であり、私がその男を手に掛ける五年前の事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございます、兄さん、姉さん」

 

 今日は桜も衛宮の家には行かなかったようだ。

 聖杯戦争の参加者ということもあり、巻き込むことを避けたのだろうか。

 

「ああ……おはよう…………桜」

「おはよう桜、いい朝だな」

 

 頬は痩せこけ、枯れ木のような風情になった慎二とは対照的に私の気力は漲っていた。サーヴァント召喚による疲労は一夜の睡眠で完全に回復したと言っていいだろう。

 

(…………あの、姉さん? 兄さんになにを)

(ああ、私の言いつけを破ろうとしたのでな。少し灸を据えてやった)

(……………………そうですか)

 

 桜はそれ以上追及してこなかったが、ライダーが私を見る視線は同族に対する敬愛で、まあおおよそ桜も察した事だろう。

 消費したオドを求めて半ば暴走した事は理解しているが、そうでなくても私はああしたと思う。

 

「爺様、わざわざそこに座っているんだ。言いたいことは言ってしまえ」

 

 鮭をほぐしながら、茶を飲んでいる爺様に話を振る。

 

「そうじゃのう。その前に皐月は学校に行く気か?」

 

 私が制服に着替えている事を見れば明らかな事だ。

 

「そのつもりだ。どうせ遠坂はマスターだからな。桜が近寄れば争いは避けられないが、私なら特に問題ない。それとなく監視するつもりだ」

 

 遠坂の気性なら、参加者でもない私を排除しようとはすまい。

 

「ふむ。お前には明らかになっておらぬマスターの捜索を任せたかったのじゃが」

「馬鹿を言え。遠坂は手出ししてこないが、他のマスター連中はその限りではあるまい。そんな恐ろしいことが出来るか」

 

 昨夜のうちにハサンにそれを命じた事はおくびにも出さない。

 

「それだけ、かの?」

「いや。桜にも学校に行ってもらう。遠坂が仕掛けてくるならそれでいい。桜は私のサポートを受けられる。自信家な遠坂なら或いは仕掛けてくるかもしれんが、十中八九動くまい。それに少なくとも二組のマスターが集う場所だ。他のマスターへの撒き餌にもなる」

「なるほどな。桜もそれでよいかの?」

「…………はい、お爺様」

 

 多少の迷いはあるだろう。場合によっては実の姉を殺めることになるのだ。

 

「で、慎二…………一晩で随分やつれたのう。学校はどうする?」

 

 最後に爺様は見る影もなくなった慎二を見やる。

 

「正直休みた────い、いきます」

 

 慎二はじろりと睨むとすぐに言葉を翻した。

 

「皐月、あまり慎二をいじめるでない」

 

 爺様は慎二を可愛がっている。甘やかし甲斐があるのだとか。

 だが私とてそうなのだ。躾甲斐があるという意味でだけど。

 

「可愛がった覚えしか無い」

「…………まあよいか。ではそういう事にしよう。儂は蟲を使ってマスターを探しておく」

 

 茶を飲み干した爺様が屋敷の奥に引っ込むと部屋の空気がわずかに弛緩した。

 

「ああ慎二」

「ひっ」

 

 箸を取り落とすほど怯えなくてもいいだろう。

 

「いや、怯えるな。昨日はやりすぎた。許せ。辛かったら休んでもいいぞ」

 

 お前には早く元気になってもらわんとな、と舌なめずりしつつ小さく付け加えるのを忘れない。

 

「ああ、うん。いいよ行くよ。だいたい姉さんがああなのは昔から分かってたことだし」

 

 呟くように返事をした慎二はどこか遠い目をしている。

 

「ね、姉さん、私は部活があるのでそろそろ行きますね」

「あ、待てよ桜。僕も今日は顔を出す。一緒に行こう、な、置いていくなよ」

 

 そそくさと二人して食器を下げて走り去っていった。

 道化役の私が馬鹿の様だが、聖杯戦争中だという無駄な気負いは抜けただろう。

 あのままでは誰の目にも関係者だと明らかだ。

 

「ライダー、桜から目を離すな」

「ええ。皐月も気をつけて」

 

 それだけ言うとライダーも慌ただしく出ていった二人を追って霊体化してしまう。

 

『そういう訳だ、ハサン。学校では少なくとも味方のサーヴァントがある。私は気にせず安心して探索に勤しめ』

『わかった』

 

 私の信頼すべき片腕は短く応えて消えた。

 

「さて、用意は整ったか」

 

 爺様の、ひいては私の為にこの戦いに勝てる図面を引くとしよう。

 

 

 

 

 

 始業十分前、と言う頃になって私はようやく学校についた。

 朝一秒でも長く寝ていたい手合いがやってくるのがこの時間だ。

 そんな覚醒しきっていない彼らの歩みが人並みの速度を保っているのは、校門の門柱、その横に学園のアイドルが直立しているからに他なるまい。 

 なにをしているのかと興味本位で視線をやると、射殺さんばかりの目で睨まれた。

 どうやらお目当ては私らしい。

 

「間桐先輩おはようございます」

 

 遠坂はすいすいと人ゴミの中を泳ぐように、というよりは人の海をモーゼの如く叩き割って私の腕をがっちりと掴んだ。

 綺礼から私がマスターだとバレたかなと少しだけ警戒したが、辺りにエーテル体は観測出来ない。

 アーチャーや自身の伝承に気配遮断を持つ者も有るだろうから油断は出来ないが、とりあえず命の危険はあるまい。

 普段関わらない私と遠坂の関係を奇異に思って見ている視線を誤魔化すべく、私は遠坂の手を握り返した。

 

「ああ、おはよう。なんだ、寂しくなったか?」

 

 ざわめく周囲。え、何今のってどういうこと? あの人ら男っ気ねーなと思ったらそういうことだったの? 俺先輩から聞いた事あるけど、あの間桐って先輩一年の時に上級生の男沈めたらしいぜ、うっわマジかよ、俺に勇気なくてよかったー、などなど、声量は抑えてあるものの言いたい放題言われている。

 素知らぬ顔で遠坂を引きずり、校舎裏へと向かう。遅刻は甘んじて受け入れよう。

 

(ちょっとどういうつもりよ!)

 

 腕の中で遠坂が呻いた。

 

(それはこっちの台詞だ。私の円満な学園生活に水を差す気か?)

(そんなものどっちみち今ので終わったじゃない!)

 

 あんたと違って私はもう一年ここで過ごすのよ、とかなんとか言っているが知った事ではない。暗くなる遠坂を構わずぐいぐいと引っ張り、さくっと簡易な人払いの結界を張る。

 

「ふう、このあたりでいいか。何か言いたいことがあれば言っていいぞ?」

「…………慎二といいあんたといい間桐の人間がちょっと変なのを忘れてたわ。わたしが聞きたいのはね、どうして桜が学校にいるかって言うことよ。あの子マスターなんでしょ?」

 

 私はその質問の意味を捉えかねた。

 

「学生の本分は学業にある。登校は当然の事だろう?」

「……………………とぼけてるってわけじゃないのね?」

 

 声が震えている。今日はそう寒くもないが風邪でもひいたのだろうか。

 

「もちろんだ。むしろ私には何故遠坂が腹を立てているのかわからんな」

「ああそう、じゃあ言ってあげる。わたしを舐めてるのかって言ってるのよ。いい? この学校はわたしの縄張りなの。そこにのこのこと現れた魔術師が、どういう扱いを受けるか、分からないあんたじゃないでしょう?」

 

 なるほど、侮られた、と思っているのか。

 では桜のために、いや間桐の名誉のためにその勘違いを正してやろう。

 

「舐めているのはお前の方だぞ、遠坂。桜は間桐の次期当主。爺様は半ば隠居を決め込んでいるから、間桐の顔は桜と言っていい。なぜ間桐が遠坂ごときに怯え、振る舞いを変えねばならない? あれはお前と対等に振る舞える魔術師だ」

 

 事実上の宣戦布告に等しい。

 

「────言いたいことはそれだけ?」

 

 ぎち、と遠坂の右手が鳴った。恐らく宝石でも握りこんでいるのだろう。

 

「いいや、まだあるぞ。無論冬木のセカンドオーナーたる遠坂が、学生を巻き込んでまで闘争を望むことはなかろうという計算もある。不心得者が現れた時、排除のための共闘の約束も取りつけやすい。それに、外道とて参加しうる戦いだ。私や慎二を人質に取られれば桜は揺らぎそうだしな。ならば目の届く所に居てやるのが私にできることでもある」

 

 それに引き換え、遠坂こそ何を考えているのだろうか。

 

「どういう意味よ」

「言葉通りの意味だ。お前は私達が学校に訪れないと踏んでいた。いいか? 間桐と遠坂はその性質上聖杯戦争への参加とその所在を前もって知られるという弱点を持っている。不心得者がお前を狙えば学校に類が及ぶのは推して知れる事。級友を巻き込む事に呵責はないのか?」

「なによ。あんた達だって────」

「それは遠坂が学校にいる事を予想したためだ。いなければ仮病なりを使って引き上げていた。共闘であれば、犠牲者なく事を済ませられるだろう?」

「…………わたしは一人でも守れる」

 

 食いしばるような声が遠坂から漏れた。

 

「どうだかな。例えば前回の聖杯戦争、時臣氏は優秀な魔術師だったと聞くが、自分の身すら守りきれなかった。そういう戦いだぞ?」

「あんたにお父様の何が────」

「────桜の実の父だ。直接会ったことはないが、知る努力を欠いた事はない」

 

 正確には個人的な興味だが。

 人格と才能が比例するなどとは思っていないが、私は桜の一件で遠坂時臣を無能と見た。いずれ捻りつぶしてやりたいと思っていたが、それはもう叶わない。ただそれだけの事。

 

「…………そう。ありがとう」

「礼を言われる筋合いではない。桜の姉なら当然の義務だ」

 

 遠坂はそれで黙ってしまった。

 

「私は教室に行く。放課後までの不可侵、とりつけたと思っていいか?」

「………………ええ。了解したわ」

 

 これで遠坂の動きは鈍る。昼は本来索敵に割くべき時間だ。遠坂とて様子見のための登校だろうが、今の了承で、以降遠坂は昼、学校に拘束されることになる。

 そしてハサンというカードを持つ私は座したままそのアドバンテージを一方的に取れる事を意味する。

 初戦は優勢。

 あとは他のマスターを発見してからだ。

 

 

 

 

 

 進学校だけに授業の内容は入試対策を優先するものに変わっている。

 時期が時期なので仕方がないのだが、私には不要なもので、必然、あまり身が入らない。

 目に見えて手を抜いているわけではないが、多分寝ていても咎められはしないだろう。

 だから私の意識は今朝見た夢へと向いている。

 私ではない誰かの中から、私はその夢を見ていた。

 およそ察しはつく。ハサンの記憶を夢に見ているのだろう。

 聖杯戦争に招かれる者達は皆英雄だ。それも生半可な者達ではない。例えば叔父が喚んだのはサー・ランスロット。アーサー王伝説の中でも特に武勇に優れた人物だ。

 三騎士はもちろん、ライダーやキャスターとて無名ではあるまい。

 だが、アサシンというクラスはどうだろう。

 暗殺とは政治的、宗教的な背景を理由に要人を殺害する行為であり、そこに隠密性は必ずしも求められない。

 とはいえ、暗殺されるような心当たりのある人物、それも要人がその危険への対策を取らぬはずがない。自然そういった人物の周囲は厳重に警護され、暗殺にはその警護を出し抜く技量が必要になった事だろう。

 結果として生還する暗殺者もあるだろうし、時には捨て身で相打ちを取りに行かねばならない者もあるだろう。

 そこで死ぬような者はハサンという頂点には至れない。暗殺に気付かれぬ程の技量か、暗殺後周囲の護衛を突破して生還出来るほどの実力者でなければならない。

 襲撃される側に、暗殺者の情報は残らないわけだ。

 同時に、一介の暗殺者に過ぎない者の名を教団が書物として残しているはずもない。

 こうして名無しの暗殺者は、実績を積み上げ、教団内の政争を勝ち上がり、指導者たるハサン・サッバーハとなる。

 暗殺者個人としての伝説はこうして姿を眩ますのだ。

 故に伝承として後押しされるような神秘はハサン個人には無い。得手不得手はあってもそれは個人としてのものであり英雄としてのものではない。

 そんな理由もあり、私は当初ハサンを深く知るつもりはなかった。

 そもそも私はハサンの武勇に頼る必要のない状況を作る事を第一義としていたからだ。

 しかし物事がそううまく運ぶとは限らない。最悪の場合ハサンに白兵戦を強いねばならない事もありえる。

 暗殺者を白兵戦で使う。誰の目にも悪手だが、ハサンが白兵戦ですら他を圧倒する技量を持っているなら話は別である。

 夜にでもハサンに詳しく聞く気はあるが、先んじて予測を立てておいた方が話は早い。幸い夢というヒントも出たことだし。

 長々と言い訳じみた思考を放棄する。

 つまるところ暇潰しめいた思考の山車にハサンを使うことに対する後ろめたさの表れなのかもしれない。

 クラス・アサシン。

 その出自は皆、山の翁、ハサン・サッバーハとされる。

 最初の、つまりオリジナルのハサン・サッバーハはニザール派を興した人物だと記憶している。

 後に暗殺教団とまで呼ばれるニザール派だが、暗殺という手段は源流となるイスマーイル派のフィダーイーの思想から来ている。

 中東に限ってさえ暗殺の歴史は古いのだ。

 とはいえ最初のハサン以前の暗殺者はハサン・サッバーハになり得ない。

 ニザール派の興りは、一〇九五年、イスマーイール派のカリフ位争いに敗れたニザールがアレクサンドリアで興した反乱に同調した者たちだ。この時既にイラン方面のイスマーイール派の中でも頭角を表しつつあったのがハサン・サッバーハであり、ニザールを支持し、ファーティマ朝との関わりを断つことになる。

 詳しい歴史は置いても、初代ハサン・サッバーハ自身は暗殺者足り得ない。彼は宗教者であり政治家である。

 彼が没したのが一一二四年。私のサーヴァントであるハサンは少なくともそれ以降の存在だ。

 そこで夢の内容を吟味する。

 赤い十字をあしらった軍服に聖地奪還とくれば、それは最早十字軍以外の何物でもない。

 第一回は初代ハサンの没年以前なので違う。

 第二回は既に聖地、エルサレムを十字軍王国が抑えていることから違う。

 戦闘の有無、エルサレムを十字軍が支配しているかどうか、攻略目的地がエルサレムであるか否か。そしてティルスという地名。残るのは第三回のみである。

 第三回十字軍。イスラムの擁護者サラディンによるエルサレム制圧と時の教皇グレゴリウス八世の聖地奪還呼びかけに端を発する宗教戦争だ。

 夢で見た地がティルスであるというのなら、砲台の上に居た男はモンフェラート侯コンラート一世になる。

 後にエルサレム王国、国王位に着かんとする男を暗殺したのがハサンということになるわけだ。

 

「実感が、わかないな」

 

 つい零れたひとりごとだったが、誰にも聞きとがめられることは無かったようだ。

 ただ、ハサンの事は少しだけ分かった。

 暗殺者であったのならフィダーイー、つまり自己犠牲を厭わぬ者として完成されている可能性がある。無茶をしないよう手綱を引いておかねばならない。

 

 

 

 

 

 遠坂との不可侵は放課後まで有効だ。いきなり私を狙うことはないと思うが、それもサーヴァント次第と言える。

 マスターである魔術師などより余程に優れている存在がサーヴァントとして従うのは、自身の望みと令呪の存在によるものだ。

 自然、サーヴァントと良好な関係を築きたければある程度その意見を容れる必要がある。

 私の遠坂への態度はお世辞にも友好的とは言えなかったし、マスターではないと言っても敵マスターの姉でしかも魔術師だ。

 遠坂のサーヴァントが排除するべきだと遠坂に進言する可能性もあるし、あるいは独断で排除に動く可能性もある。

 そういう理由で私は学校に長居するわけには行かなかった。

 HRの終わりと同時に私はさっさと学校を後にする。慎二はまあ放っておいて大丈夫だろう。あれも下手をすれば自分も巻き込まれる立場だということは良く分かっているはずだ。

 桜にはライダーがついている。

 争って敗れる事はあっても、それはマスターとしての責任だ。

 

「さて、まっすぐ帰るべきか」

『帰るべきだ、と言いたい所だが、幸い俺がいる』

 

 ただのひとりごとに返事があった。

 驚きはしたが、念話となれば一人しか相手は思いつかない。

 

『ハサンか。いいところに来た。買い物に行くから護衛してくれ』

 

 向かう先はマウント深山。目当ては大判焼きだ。

 

『………………必要な事なのか?』

 

 言葉だけで不満をいっぱいに表してくるが、どうやらついてきてくれるらしい。

 

『当然だ。心身の管理とて重要な戦略課題だろう?』

『俺が覚える疲労感は計算外なのか?』

『英雄と小娘ではその比重が違いすぎるだろう。まさかちょっとした散歩さえ苦痛だと言う気じゃないだろうな?』

 

 ちょっと嫌味を言っただけなのにハサンはそれで黙ってしまった。

 一つだけ奢ってやることにしよう。

 

 

 

 

 こしあんが詰まった大判焼きを手に公園のベンチに腰掛ける。

 

「ほら、うまいぞ」

 

 いいつつ私は自分の大判焼きに齧り付いた。お茶が欲しくなる甘さがたまらない。

 

「君は理知的な方だと思ったが、案外無謀だな」

 

 ハサンは受け取った大判焼きを観察している。

 公園には学校帰りの子供たちの声が響きわたっているが、誰一人完全武装のハサンに気付かない。

 認識阻害の結界は、聖杯戦争に参加する上で必須な技能だ。

 

「あったかいうちに食え。十三世紀中東の料理がどんなものだったかは知らんが、流通に関しては今の方が間違いなくいい。調理法も時代と共に洗練される物だしな」

 

 既に二つ目の大判焼きに手を伸ばしている私を見て不味いものではないと踏んだか、ハサンは意を決したように手の中のそれを齧った。

 黙したまま咀嚼しているその様を私はただ見守る。

 

「……………………うまい。が、随分と甘いんだな」

「現代人は濃い味付けに慣れているからな。私はあっさりしたものの方が好きだが、たまにはこういう物も食べたくなる」

 

 言いつつ大判焼きを頬張る。

 

「……選べる豊かさがあるというのはいい事だ」

 

 どこか遠くを見ているハサンを横目に、自販機でお茶を買う。やはり甘すぎる。

 

「…………どこかに皺寄せが行かなければな。ハサンの時代だって富める者はいいものを食べていただろう?」

「この時代でもそうなのか?」

「意識しにくいようにより巧妙化されてる分、昔よりもひどい気がするよ。その昔も知識でしか知らないんだけどな」

 

 受け取ったペットボトルを戸惑いつつ受け取ったハサンは、少考して蓋の開け方を悟り、便利なものだと呟いた。

 

「それを正そうとする者は居ないのか?」

「いるんだろうけどさ、何かを変えるには痛みが伴う。それで助かる者も何かを失う者もどっちも痛いんだ」

 

 そんな事に挑めるほど強い者ばかりじゃない。

 

「そればかりはいつの世も同じだな」

 

 諦めたように、ハサンはそう呟いた。寂しそうな顔が、諦めきれていないのだと私に教える。

 

「────なあハサン。私はお前の事を知ろうと思ったんだ」

「知ってどうする?」

「『彼れを知りて己を知れば、百戦して危うからず。彼れを知らずして己を知れば、一勝一負す。彼れを知らず己を知らざれば、戦う毎に必らず危うし』隣の国の物を知る人が昔言った言葉だそうだ。今の私達は一勝一負も危ういことになるだろう?」

「過去の偉人に倣うのは今も同じか」

 

 言葉自体には異論はないようだ。

 

「ホントのことを言えば、今朝お前の生前の記憶を夢で見て、少し調べた」

「俺の生きた時代を言い当てたからな。そうでないかとは思っていた」

 

 嫌な顔をするかと思ったが、ハサンは当たり前の事だと笑った。

 

「いいだろう。だが、後でお前のことも教えてもらうぞ」

 

 そう断って、ハサンは話し始めた。

 

 

 

 アルタイル・イブン・ラ・アハド。

 ハサンは生前の個人名をそう名乗った。

 私の予測通り、十二世紀末から十三世紀にかけての中東で主に活動していたようだ。

 それも山の翁となった後も十字軍の残党と直接戦うほどの武闘派だったという。私が山の翁としての戦略能力に期待しているという事を知った上で、戦力としてのみ期待してくれとハサンは苦笑いした。

 

「私は歴代のハサンと同じく、お前の望みは聖杯を手にすることにあると予想しているが────確認しておく。聖杯に掛ける望みはなんだ?」

「俺の願いは俺の子孫と民衆の繁栄と安寧だ。そのために大いなる力を不心得者が持つことを阻止したい。故に俺に取って聖杯とは願う物ではなく守護する物に過ぎない」

 

 聖杯に願う物などない、そうハサンは言い切った。

 

「本当に、無いのか」

 

 私が知る限りでは、マスターなどよりも余程優れた英霊たちがサーヴァントとして使役されることを甘んじて受け入れている理由は聖杯を望むがためである。

 ならば何故この男は私の召喚に応えたのだろう。

 

「ああ、無い。無論人並みの望みは持ち合わせている。ひと目妻と子らの顔を見たいと願わなくもない。だが、そう思える事を喜びこそすれ、実現するために誰かの願いを退けようとは思わない」

 

 ささやかな望みはあるが、叶えるために血道を上げる類のものではないのだと、この男は言う。

 

「どうしてそう考えるのか訊いてもいいか?」

「……………………俺は俺の子らを信じている。必ず困難を乗り越え生を繋ぐと。民にしてもそうだ。戦乱に飲まれようと、病に侵されようと今この時代に彼らはちゃんと生きている。過去の亡霊に過ぎない俺が現代に掛ける望みはないだろう?」

 

 欲が無いのではなく、それは欲する事ではないと言うことだろうか。血族自体が悲願へと向かうための機能である魔術師には理解しがたく、ただその無駄のない思想には好感を覚える。

 しかし、扱いにくくなった。

 私自身には聖杯に掛ける願いなど無いが、私の目的は爺様に聖杯を差し出す事だ。

 世間一般の常識に照らすと、爺様は不心得者、という事になりはしないか。

 その願い自体は不老不死で間違い無いだろうが、ここに至るまでの過程で、爺様はあまりにも殺しすぎている。

 

「さあマスターの番だぞ。マスターの願いはなんだ?」

 

 来た。

 忘れていてくれればよかったがそう都合よくは行かないらしい。

 それにしたって、どこまで話していいか分からない。

 

「私自身には聖杯に望みはない。ただ、爺様に聖杯を差し出すことで、対価として私は私の望みを叶える事になる」

「ふ、む。その望みとは?」

 

 ぼかした物言いでは当然満足してくれない。

 

「私が間桐の全てを手にし、その悲願を引き継ぐ事だ。ハサン、魔術師とは自身のみならずその子孫まで巻き込んで一つの願いを追う生き物だ。理由は知らないが爺様は歩みを止めてしまった。ならばその子孫たる私には後を引き継ぐ義務がある」

「義務感から聖杯を手にする、と?」

「そうじゃない。言い方が悪かったな。私は魔術師として育てられた。魔術師にとってそうすることは当然で、言うなれば、そう、息をするのと同じようなものだ」

 

 最早そう有ることが私にとって自然なことなのだ。

 

「……………………それは洗脳とどう違う?」

「違わないさ。極論教育とは取捨選択を許した洗脳だ。常識に沿えない人間が異常者として排斥されるのが世の在り方であるのなら、洗脳によって常識を刷り込まれる事は不幸ではない」

 

 ハサンの眼が射抜くように私を見た。

 

「認めがたいな。そこまで考えられるなら、何故それを是とする? 受け手に取捨選択の機会が与えられている事こそが洗脳と教育の最大の差だろう?」

 

 しかしその選択は私の平穏を脅かす。

 

「…………それを悪だと断じてしまえば、私が洗脳される様を見過ごした者たち全てを恨まずにはいられなくなる。恨みは理屈を飛び越える。きっと私は誰かれ構わず痛めつけ、苦しめる鬼になってしまうよ。だから私は洗脳されているままでいることを望むんだ」

 

 この思想に身を浸していたからこそ、私は今日までの苦痛の一切を耐えられたのだ。そう有ることが当然である。その一事が私の精神を支えてきた。

 黙り込んだハサンへとできるだけ気楽に笑いかける。

 

「まあ、どう生きるのが正しいなんて事はない。だからこそ他人の生き方をどうこうすべきではないし、自分の生き方を貫くにしても、できるだけ他人を妨げないように気を使う。私に出来る譲歩はこれくらいだ」

 

 他人に内心を吐露したのは初めてかもしれない。心地よさと同時に気怠さがある。

 これは賭けでもある。ハサンが相容れられぬと言うのであれば決裂も仕方がない。サーヴァントを失うのは惜しいが、結束無くして生き残ることは難しい。

 

「…………マスターの考えは了解した。他者への配慮が消えぬ限り、俺はマスターに従おう」

「助かるよ、ハサン」

「何、俺はアサシンとして多くの者の生を奪ってきた。良かれと思って殺した事も、ただ命に従って殺したことも、手向かわれて斬った事もある。そんな人間がとやかく言える事でもない────だからこれは失敗した者としての助言だ。洗脳の結果であってもいい。だがそれと気づいて反発してしまったなら、もう一度、自由意志で掴み直さなければ、マスターは決して救われない」

 

 奇しくも私が桜に言った事とほとんど同じ言葉だった。

 嫌々やっても身に付かない。やるなら好きでやらねばならないのだと、私は知っていたはずなのに。

 何のことはない。あれだけ偉そうに桜にものを言っておきながら、心得ていないのは私も同じだったということ。

 

「────ありがとう。一つけじめがついた気がする」

「マスターに迷われては俺が困るからな」

 

 言われてふと、まだ名をきちんと名乗っていなかった事を思い出す。

 

「私は間桐皐月だ。皐月と呼んでくれ」

 

 主従としてではなく、協力者として見ると言う宣言。

 差し出した手をハサンはしっかりと握り返してくれた。

 

「ああ、よろしく頼むよ皐月」

 

 照れたように鼻先を指で擦るハサンはどこまでも人間的で、その存在を少しだけ近く感じた。




タブを見て察しをつけていた方も多いかと思いますが、見ての通りです。
五次ハサンディスってんのかああん? などなど言われそうですが召喚のプロセス的に彼が出てきていい物なのか、とか悩んだ結果がこれです。
絶望的に勝利の可能性が無い間桐陣営にはこれくらいのテコ入れいるんじゃないかなーとか考えた結果ではないと思います、はい。


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7

特には。


 一度家に戻り爺様の集めた情報と桜の様子を確認しておきたかったが、アサシンの提案に従い、私は学校へと向かっていた。

 今日一日の探索でアサシンは既にキャスターの捕捉に成功したという。

 

「それにしても柳洞寺か」

「まずいのか?」

「ああ。この街で最も強力な龍脈の上にある。しかも山門以外は強固な結界が元々敷設されている。魔術的な要塞だけに、この地の知識を持つマスターから捕捉されやすいデメリットもあるが、キャスターは陣地作成スキルに優れているからな」

 

 引きこもるには最適な場所と言える。陣地作成の進行度次第では強襲する手もあるが、ハサンの性能はともかくアサシンはそういう使い方をするサーヴァントではない。

 不利と知ってなお挑みたがる奴がいれば放っておいても手を出すだろうし、そちらに関しては静観で構わないだろう。

 

「で、なんだって学校なんだ?」

「…………暗殺者の視点だが、事を実行する前に綿密な下調べをするのが習いだ。遠坂と間桐からマスターが輩出されることを知っている者なら、まずは確実にそれらが出向く場所を他人の目が無いうちに把握しておく。有利な位置取りのため、失敗時の逃走経路確保のため、あるいは先んじて罠などを仕掛けるために有効だ」

 

 膠着を嫌うマスターなら、捜索するまでもなく判明しているマスターに手を出すのが最善手か。

 一度戦端が開かれればそれにつられてやってきたマスターを把握することにも繋がる。魔力消費の激しいバーサーカーのマスター等であればその方向性は顕著だろう。

 

「どうやら当たりのようだぞ皐月」

 

 ハサンの顔が精悍に引き締まる。

 どうやら既に戦いが始まっているらしい。

 

「消えていろ」

「ああ」

 

 気配遮断したハサンを連れて、学校の裏手、雑木林の方から校舎へと入り込んだ。

 蟲を入れて強化された肉体は容易く私を屋上へと導いた。

 

「あれは、遠坂か」

 

 赤いコートを羽織った遠坂の側に控えるのは赤い外套の男。その手には双剣が握られている。

 セイバーなのだろうか。

 相対しているのは青い鎧を身に纏い、槍を構える男。

 こちらの側にはマスターらしき人物は見当たらない。

 

『ハサン、周囲に人影はあるか?』

『ふ、む。校庭の右、フェンス脇に男が一人立っている』

 

 既に日が落ちているし、この距離ではぼんやりと影がある程度の事しかわからない。

 目を強化して顔を確認することも考えたが、魔力を漏らして察知されるのは避けたい。

 

『マスターだと考えるべきだろうな』

 

 何故サーヴァントの側にいないのかと思案していると、

 言い合っていた青と赤のサーヴァントが動いた。

 激しい応酬。ヒーロー物の映画でも見ているようだ。

 強化していない目とはいえ、俯瞰できる位置にいるにも関わらずその動きの多くを追う事が叶わない。その一事で彼らの凄まじさは察せる。

 

『ハサン、どう見る?』

『相手をするのは俺にも可能だろう。赤い方は上手いな。カウンター狙いなのか見せる隙が妙に多い。誘いと本物の隙の差を一目で判断が付けられない。いやらしい戦い方だ』

 

 ハサンの目にはしっかりとその全てが見えているようだ。

 

『青い方は?』

『…………随分と余力があるな。手捌きと槍の速度が合致しない。様子見というところだろうか。推測でしか無いがあの男が全力で槍を振るえば俺では防戦が手一杯だろう』

『なるほど、白兵戦は不利か』

『当たり前だ。俺はアサシンだぞ?』

 

 呆れたようにハサンが笑う。

 

『ただの確認だよ。ん? じゃあ赤い方ならなんとか出来るってことか?』

『あれが全てならな。俺以上にランサーが本気でない事を察しているだろうし、当然手札は隠していると考えるべきだ』

 

 そんなことを話していると両者が弾かれたように離れた。

 ついでランサーの槍が激しい魔力を帯びる。

 

『宝具、か』

 

 ここで他サーヴァントの手札を見れるのはうまい。欠片も見逃すまいと集中する。

 迎え撃つ赤いサーヴァントも対応するように帯びる魔力を高めはじめ、当てられたように周囲の音すら消え失せたその時、

 

 ──パキリ──

 

 と、均衡を壊すような高い音が響いた。

 何事かを叫び走り出すランサーと、弾かれたように走りだすフェンスの男。ついでその後を遠坂達が追う。

 

『なんだ?』

 

 あれがランサーのマスターなら何故ランサーから逃げるのか。

 

『どうする皐月?』

『とりあえず階下に降りる。気配遮断は続けろ。私の身の安全は任せる』

 

 ハサンの了承に頷きつつ、私は階下へと走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走る。只々走る。

 人外の戦いに見惚れていたのがそもそもの誤りだ。

 あの連中がマトモでないことなんか分かっていたはずだ。常人が見ることなど許されないと察することだってできたはずだ。

 走り来る男の殺気に麻痺した頭は人気のない校舎の中へと俺を逃げ込ませた。手詰まりだと分かっている。

 このまま走っていたってすぐに追いつかれてしまう。必要なのは何か状況を打開出来る策。

 それは今すぐ足を止めてでも考え見つけなければならないものだと分かっているはずなのに、恐怖に駆られた足は止まることを許さない。

 心臓は今にも破裂しそうなほどにやかましく、はあはあと自分の息遣いだけが暗い廊下に響く。職員室まで向かえば宿直の先生はいるだろうが、この状況で先生などなんの役に立つ?

 どこをどう走ったのか何故か自分は今二階にいる。

 逃げるなら下だ。隠れるような場所はどこにもない。

 気力を振り絞り走りこんだ階段で、俺は何かにぶつかって倒れこんだ。

 

「いたた、この時間に人がいるなんてな。走るなら校庭にしておけ。そこなら夜分に忍び込んでも大目に見てもらえるぞ、きっと」

 

 目の前から聞こえる声はあれだけ酷くぶつかったのに、随分と余裕がある。

 

「す、すみません」

 

 声を出す暇があったら呼吸をさせろとごねる体を黙らせ、なんとかそれだけを絞り出す。非があるなら謝罪はしなければならない。大事な事だ。

 

「ほう、衛宮だったのか。いいからどいてくれると嬉しいな。誰かに見られたら勘違いされそうだ」

 

 言われて自分が相手を下敷きにしている事に気がついた。

 ────いや、まてよ。

 体を無理矢理起こそうとすると、妙に柔らかい弾力が顔に返ってくる。女性、それも俺を知っている。というか、この声は。

 

「しかしこれなら心配は要らないか。衛宮がちゃんと女好きだと教えてやれば桜も喜ぶだろう」

 

 起き上がる半ばで呆然とする俺を押しのけ、その女はゆっくりと立ち上がった。

 間桐皐月。

 俺に懐いている間桐桜の姉にして、最も不用意に触れてはならない女として語り継がれる穂群原の男嫌い。

 何やら不穏な事を呟いているが、そっちは耳に入れたくない。

 

「ひぃ。ああ、す、すいません。け、怪我とかないですか?」

 

 体の疲れも忘れて飛び退る。事故とは言え押し倒されたなんて吹聴されては衛宮士郎は社会的に死にかねない。

 

「まあいいさ。怪我もしてないし。何をそんなに急いでいたんだ?」

 

 死にかねないで思い出したが、今俺は危機的状況にあったのだった。

 

「いやその────」

「────追っかけてみれば女と二人か。死に際の本能としちゃ上等だが、ちっとばかしぬるすぎねえか、坊主?」

 

 うっすらとかかる月明かりを遮り、槍を持つ男がそこにいた。

 

「おや、衛宮、知り合いか?」

 

 これだけ殺気をぶつけられて何を言っているのか。

 何にせよ桜の姉を巻き込むわけには行かない。

 

「────逃げて下さい」

 

 立ち向かえば死ぬと本能が告げている。だが、それでも引けなかった。

 

「いい面構えだぜ坊主。殺すのは惜しいが、まあ運が悪かったと思って諦めてくれや」

 

 槍を左右に払う予備動作。数瞬先の自分の死を噛み締めながら、

 

「あれっ?」

 

 俺の意識はあっさりとどこかへ旅立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 衛宮の脳に一時的な負荷をかけ意識を奪った私は、倒れかかる衛宮を抱きとめ、階段を後ろ向きに飛び降りる。

 

「…………なんのつもりだ嬢ちゃん?」

 

 踊り場に立つ私と階上のランサーの距離は槍の間合いより広いが、容易く詰められる自負があるのだろう。ランサーの余裕に陰りはない。

 

「この男は妹の想い人でな。死なれては困る」

「…………なるほどな」

 

 ざり、とランサーは一歩下がる。

 

「消しておかなくていいのか?」

 

 もうじき遠坂がやってくる事を差し引いても、撤退を考えるには早すぎる。ランサーの手にかかれば私と衛宮二人を消すのに時間など必要ないだろう。

 

「ああ。マスターが帰って来いってさ。運がいいな、お前」

 

 不審を隠そうともしない私を放置し、溶けるようにランサーは姿を消した。

 

『ハサン、どう思う?』

 

 ハサンを使わずに済んだのは好都合だが、ランサーが引いた理由がわからない。

 

『まさか俺に気づいたということもあるまい。だが皐月、まだ気を抜くな。さっきの赤いのが来る』

『ああ、分かっている』

 

 ハサンとの念話を打ち切り遠坂の到来に備える。

 それにしても赤いのときたか。

 思わず笑ってしまった。

 衛宮を担ぎあげながら、足音のする階下へと向かう。

 

「…………っと、間桐先輩?」

「ああ、遠坂か。衛宮は気絶してるし猫被らなくていいぞ」

 

 私の目が背後に立つ赤いサーヴァントを見ているのに気がついたのだろう。遠坂は視線で下がるように伝え、サーヴァントはそれに従って溶け消えた。

 

「こんな夜中になんだって学校にいるんですか。先輩はマスターじゃないけど停戦は昼だけの約束です」

「分ってはいるが、呼び出されては無視するわけにもいかないだろう。進路指導だよ」

 

 断りなさいよ、などと言いつつも遠坂は納得したようだ。

 

「で、ランサーがこっちに来たと思うけどよく無事でしたね?」

「あの青いのだろう。相対はしたが、毒気を抜かれた風ですぐに帰ったぞ」

「帰ったって、何があったんですか?」

「走ってきた衛宮に巻き込まれて私は階段を転げ落ち、気絶した衛宮にのしかかられた、というところか。ランサーがそれをどう見たかは知らん」

 

 ところどころ脚色を加える。遠坂へ与える情報は虚偽でも問題ない。

 

「ま、まあ、無事ならいいんだろうけど。で、あんたどうするの?」

 

 どんどん口調が崩れていく。

 見た目通り、折り目正しいだけの女でないことは心得ていたが、こんな遠坂を見たら学園の男共はどんな反応をするだろうか。

 

「衛宮を家まで送っていくつもりだが、遠坂こそどうするんだ? 一応私は敵マスターに連なるもの、ということになるんだが」

 

 なにしろ夜だ。排除する名目は立つ。

 

「…………ここで潰しておく、と言ったらどうするのかしら?」

 

 遠坂のサーヴァントが一歩前に出た。

 

「…………実は危ないからと桜がサーヴァントを付けてくれてな。やるというのなら、私を守りながら撤退してくれるだろう」

 

 ブラフだが遠坂にその真偽はつくまい。桜なら言いそうな事だ。

 ならば対等と遠坂が攻勢に出てもよし。

 衛宮を気にして、遠慮してくれても構わない。

 

「…………じゃあ護衛はいらないわね。さっさと衛宮君を家まで送って下さい──っていうか先輩、衛宮君の家知ってるんですか?」

「桜が良く出入りしているからな」

「…………そう、でしたね」

「行っていいか?」

「ええ。でも、これに懲りたらもう夜はうろつかないでください。次は容赦しませんから」

「覚えておく。それじゃ、また明日」

 

 もう暫く校舎を見まわるという遠坂を残し、衛宮を担いだ私は校舎を後にした。

 

 

 

 夜の道を衛宮を担ぎながらゆっくりと歩く。

 

『皐月、何を考えている?』

『いや何、私がランサーのマスターならどうあっても私と衛宮は消していただろうと考えていた。魔術とは秘匿するもの。サーヴァントとてその一片だ。私を魔術師と見抜いたならば尚更消しておくべきだろうし、ただの一般人だとしても記憶を改ざんする』

 

 それが出来ないなら殺すのもやむなしだろう。

 そもそもランサーが衛宮を追ったのはそういう理由からだ。

 自らの手による記憶の消去ではなく、ランサーによる殺害を狙った理由は察しが着く。

 おそらくランサーのマスターは近くに居なかったのだろう。こと戦闘においてサーヴァントに比肩するなどという事は不可能だ。今日それを実感した。

 的確にサーヴァントを支える事が出来るのならまだしも、そうでないなら足手まといになる。

 サーヴァントの側にいるよりも隠れている方がいいと踏んだか、アサシンによる暗殺を警戒したか。そのどちらかだろう。

 

『────あるいは、遠坂だったか、あれがこの学校の生徒だと知っている者がマスターだったらどうだ?』

 

 ハサンの言わんとする事は分かる。遠坂ならば学友を殺すよりも記憶を改竄する事を選ぶ。追ってきているだろう遠坂に任せれば問題ないと判断した、ということだろう。

 

『…………少なくとも遠坂の魔術師としての技量に心当たりがある人間、ということか』

 

 しかし遠坂の俊英っぷりは十年前から噂になっていたし、その頃は当然時臣氏が当主なので時計塔との繋がりも密だっただろう。

 はるばる極東の儀式に参加しにくる魔術師が多くあるとは考えにくいが、そこまで視野にいれると絞り切れない。

 

『なんにせよ、幾つか情報が手に入ったな』

『ああ。こちらが切った手札の少なさを考えれば上等だ』

 

 今日はとりあえず背中の荷物を送り届けて良しとしよう。

 

 

 

 

 

 衛宮の記憶を消して居間に転がした私は、自分の痕跡を残さぬように家へと戻った。

 桜にこの事を知らせれば心配するだろうが、教えなければ後が恐い。聖杯戦争自体には差し迫った危機はない。強いて挙げるならキャスターを放置し続けるのは不味いということか。

 

「ようやく戻ったか、皐月」

 

 居間に顔を出すと全員が揃っていた。

 

「遅くなってすまん爺様。サーヴァントとかちあってな」

 

 言いつつ席につくと桜がお茶を淹れてくれた。

 

「ほう、よく無事じゃったのう」

「全くだ。我ながら運がある。先に報告しておこうか、遠坂が引き当てたサーヴァントは剣を使っていた。奥の手を見たわけじゃないからセイバーだとは言い切れないが」

「ふむ。遠坂の娘が最優を引き当てたとなればやっかいじゃのう。他にはないのか?」

「ランサーには会ったぞ。マスターには直接会っていないが、恐らく遠坂にそれなりに縁がある人物だ」

 

 爺様は何故と聞いて来なかった。私の推測への一定の信頼だろう。

 

「それと、柳洞寺にキャスターが居を構えている。消去法だけどな」

 

 この場ではアサシンの存在を明かせない。

 

「あんな場所に居を構えられるのは、時を稼ぐほど有利になるキャスターぐらいのものだ。

 他の主従が手出しすべきか判断を迷っているうちに陣地を強化する腹積もりだろう」

 

 茶をすすりながらそう締める。冷えた体に熱が戻る。

 

「儂はアインツベルンの森と、双子館を見てきた。アインツベルンの結界がきちんと機能しておるところを見ると、参戦は間違いない。双子館の方はもぬけの殻じゃった」

「キャスター、ライダー、遠坂のサーヴァント、アインツベルンのサーヴァント、そしてランサーか────ランサーがアインツベルンのサーヴァントである可能性はあるな」

 

 アインツベルンの魔術は戦闘に向かないと聞いている。引きこもってサーヴァントだけを活動させる可能性は十分にあった。

 

「残るはバーサーカー、アサシン、セイバー、アーチャーか。遠坂のサーヴァントはセイバーかアーチャーというところかの?」

「だろうな。狂っている様子は無かったし、ランサーと打ち合えるならセイバーが有力だが」

 

 アーチャーを視野にいれるなら当然アサシンも入るが、爺様は私がアサシンを引き当てたと確信しているのだろう。敢えて候補には入れなかった。

 

「ふむ────桜、慎二。主らは何かなかったか?」

「いいえ、特には」「僕もさ」

 

 二人の答えに爺様は唸りつつ黙した。

 

「────方針は決めておかねばなるまいて。儂は今少し様子見に徹したいが、皐月、どう思う?」

 

 爺様の慎重さは筋金入りだ。意見を求めてはいるが、何を言っても動くまい。

 それに私にもいい策があるわけではない。

 

「問題ないだろう。ただ、キャスターが力を蓄えるのを黙って見ているのも座りが悪い。新都のガス爆発、あれは魂喰いだろう?」

 

 龍脈から回収するマナ、それに加え魂喰いとなれば、最弱の謗りをうけるキャスターとて楽観視はできない。

 手持ちのサーヴァントは三騎士のクラスではないだけに対魔力に優れない。十分脅威になり得る。

 

「じゃろうな。綺礼めが奔走しておるわ」

 

 愉快そうに笑う爺様だが、心底喜んでいるというわけでは有るまい。

 

「あの規模で魂喰いをするとなればキャスターである可能性が高い。死者は出していないようだが、討伐令を監督役から取り付ければ杞憂は晴れる」

 

 とは言え魔術的な隠匿は完璧だ。だからこそキャスターだと私は睨むが、隠匿されているからこそ、キャスターの振る舞いに問題は無い。

 

「今は、放っておくしかなかろう。可能ならそれとなくキャスターが柳洞寺に有ることを他のマスターにちらつかせよ。あるいは三騎士の対魔力を以って討ち果たそうとする者もあるやもしれぬ」

「わかった。遠坂にはそれとなく伝える」

 

 あれが対魔力に優れると言われるセイバーなら、遠坂は自分の土地で魂喰いをするサーヴァントを放っておきはすまい。

 

「桜もそれでよいな?」

「はい、お爺様」

「慎二も今しばらくは夜遊びを控えておれ。間桐は顔が割れておる。捕まって人質などになればその生命は保証できんぞ?」

「ああ、解ってるよ。だけど提案がある」

 

 慎二にしては酷く真摯な顔だった。

 

「桜、先に確認しておくけど、お前戦いたいのか?」

「どういう意味ですか、兄さん」

「桜が戦いたくてしょうがないっていうんなら別にいいけどさ、そうでもないって言うなら僕がライダーのマスターってことにしておいて、陽動しようかと思ったんだ。正規のマスターじゃない僕をライダーが必死になってかばわなくていいって言うのはメリットだと思うけど?」

 

 爺様は黙って慎二を見据えている。

 

「悪い手ではないが、遠坂は桜がマスターだと知っているぞ慎二。何よりお前、それはいざとなったら死ぬってことだ」

「だからこそだよ。僕への警戒はすこぶる薄いはずだ。魔術師と言える姉さんと違って僕は本当に出来損ないだしね。桜がどうしても遠坂と戦いたいって言うなら大人しくしてるけど、仮にも実の姉だろう?」

 

 自嘲気味に言う慎二。少々危うい。

 

「…………いいえ、遠坂先輩はわたしの手で降します」

 

 桜にしては珍しく強い声に慎二は口を開こうとして黙った。

 

「でも兄さん、ありがとうございます」

 

 慎二をよく知る人間ならば、その言葉がただの利己主義から出た物で無いと分かるはずだ。歪んでいるからわかりにくいが、慎二は大事な物にはそれとなく気を使う。

 

「な、なんだよ。当たり前だろ? 僕は桜の兄だし、なにより間桐にとっての重要度が違う。そうじゃないか、お爺様?」

「うむ。だが慎二、お前は間桐の直系だ。好き好んで切り捨てたりはせぬ」

 

 否定する爺様だが、慎二の策を吟味しているのが伺える。この十年で桜は間桐の魔術師としても十全の力を手にしている。

 爺様が惜しむのは当然だ。

 

「なんにせよ、この段階で使う手じゃないな。だが悪くはないと思うぞ、慎二」

 

 あれだけ反対していた私が賛同したことに驚いているのだろう。訝しそうにしていたが問い詰めてはこない。賛成意見を潰すことを避けたようだ。

 

「慎二の案は考えておく───じゃが、暫くは静観じゃ」

 

 話はそれでおしまいだと、爺様は居間を後にする。

 残った桜と慎二の顔に不満がないことを確認して私も自室へと引き上げた。




というわけで単独一人称では物語の内容を表現しきれないんじゃね、という危惧から衛宮君視点を実験的に導入してみました。
だって元々のお話が衛宮陣営主体なんだもの。しょうがないよねとか言い訳してみます。
………………力不足ですすみません。
ペースだけは落としたくないですがさてどうなることやら。
三人称? 最初から書きなおすとかヤです。


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8

二次創作を読みあさっているうちに原作の流れを忘れることってありますよね。


『しかし、困ったな』

 

 慎みなくベッドに転がりながら、ハサンに話しかける。愚痴のような物だ。

 

『困るような事があったか?』

『ああ。何しろお前は暗殺者だ。一撃必殺を旨とし、マスター殺しが運用の大前提になる』

 

 ハサンは黙って私の言葉を聞いてくれている。

 

『凛は────あの赤いサーヴァントのマスターだが、出来れば殺したくない。ランサーのマスターは引き篭もりだし、キャスターのマスターは不明だ。残るは二騎だが、どちらも手がかりがない。お前、今日どこまで探索した?』

『新都と御山町はほぼ全て見て回った。入れ違いになっていなければまず間違いなくその周辺にはいないな』

『アインツベルンの本拠は郊外の森の中だから除外するとして、うまくお前の目を逃れたのが、三騎。うち遠坂のサーヴァントは遠坂についていたから除外してニ騎か。サーヴァントの技能は当然だが、マスターの戦略として姿を隠しているなら厄介だ』

『…………考えすぎじゃないか? 優れた者が居ないなら楽でいいが、その程度を弁えていない敵ならそもそも相手ではない』

『そう、だな』

 

 自分の思考で体を縛っていては話にならない。ある程度臨機応変に対応する必要があるか。

 そんなことを考えていた時だった。

 ちり、と刻印虫が疼いた。爺様が町中に放っている監視用の蟲がサーヴァントとの交戦にかち合ったようだ。

 

『皐月、どうかしたか?』

『ああ。サーヴァントが交戦中だ。案内をつけるから見てこい。私が行っては間に合わんかもしれん。気配遮断したまま視覚の共有は可能か?』

『問題ない』

 

 目を閉じると同時、飛ぶように流れる景色が脳裏に流れ込む。

 跳ねるように家屋群を駆け抜け、揺れたマナを追ってハサンが走る。

 想定していたよりも距離がある。結界こそ有るようだが、これはかなり本気でやりあっているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 衝突は突然だった。

 ただでさえ平常でない心を更にかき混ぜられたような拠り所の無さに思考は定まらず、ただ帰巣本能に従って足を動かしていたに過ぎない。

 だから、

 

「こんばんは、お兄ちゃん」

 

 なんて急に掛けられた言葉の意味なんか深く考えられるわけもなく、真っ白な少女の隣に立つ、巌のような巨人の気配に体が固まってしまったのもしかたがないのかもしれない。

 

「シロウ、下がってください!」

 

 雨合羽を脱ぎ捨てたセイバーが前に出る。

 

「アーチャー、セイバーの援護を」

「心得た」

「衛宮君、下がって!」

 

 俺以外の全員は成すべきことを理解していて、俺はただ遠坂に襟首を掴まれて後ろに引きずられただけだ。

 突然現れた青タイツに殺されかけ、やっぱり突然現れた少女が俺を守ってくれた。セイバーと名乗る少女は何故か深夜に彷徨いていた遠坂を殺しかけるし、遠坂の怒りは何故か俺に向かう。

 なんとか説明は理解したが、納得はしていない。

 モヤモヤしたものを抱えたまま教会に行っててみれば、十年間抱えた俺の目的は悪を望むものだなんて笑われる。

 そんなはずはないのだ。なにせ親父は本当に嬉しそうで。あんなふうに笑えるなら間違った望みであるはずがない。

 

「ちょっと、衛宮君、しっかりしなさい!」

 

 そうだ、しっかり、しっかりしなくては。

 セイバーが巨大な石斧に弾き飛ばされる。

 アーチャーの援護は巨人の肉体の前にほとんど意味を成さない。

 

「セイバー、大丈夫か?」

「問題ありません、ですからシロウは────」

 

 言いかけて弾かれたようにセイバーは動いた。

 

「セイバーの邪魔をしない!」

 

 再度バーサーカーへと向かうセイバーの背を目で追いながら、遠坂に頬を張られる。

 

「死にたくなかったらそこで大人しくしてなさい!」

 

 死にたくない。当然だ。

 でもそれ以上に、セイバーの、女の子の影に隠れて守られているだけなんて、我慢ならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バーサーカーとセイバーが打ち合う度にハサンの視界が揺れる。

 結構な距離を取っているはずなのにその振動がハサンにまで伝わっているのだ。

 

『凄いな、これは』

『バーサーカーの相手は万に一つもできんな。マスター殺しであれば俺にも勝機があるが』

『視野には入れている。欲を言えばあれにサーヴァントを間引かせたいところだが、あれを打倒出来る者には残ってもらわねばなるまい』

 

 宝具次第ではあるが、三騎士には期待できる。

 さておき衛宮がマスターだったのは意外だ。遠坂が側にいるということは師弟だったのだろうか。もしそうならアーチャーとランサーの一戦を側で見ていた理由にもなる。

 いや、それならば桜とて気がつくはずだし、気絶した弟子の世話を私に任せはすまい。

 恐らくは衛宮の不甲斐なさにおせっかいを焼きたくなったと言うところだろう。

 ともあれこれでキャスター、ランサー以外の主従が知れた。

 遠坂・アーチャー、衛宮・セイバー、アインツベルン・バーサーカー、桜・ライダー、そして私がアサシンのマスター。

 キャスターは所在を把握しているので問題ない。陣地を構える以上余程のことがなければそこから動くまい。故に問題はランサー。

 アインツベルンがランサーのマスターでなかった以上、外部の魔術師、あるいは数合わせに巻き込まれた一般人がマスターであると考えるのが妥当だ。

 外来ならホテルを当たればいいとして、一般人となるとマスターは出てくるまい。

 ランサーは弁えているようだったし、一般人がマスターなら隠れているよう言い含めているはずだ。

 

『ランサーだけは真っ向勝負する必要があるか』

『…………やれというならやるが、勝算は薄いぞ?』

『分かっている。適当にぶつかって消えてくれれば有難いが』

 

 ハサンの視界では既に決着がつこうとしている。

 セイバーは血を流し倒れているし、アーチャーの矢は役に立っていない。

 バーサーカーがとどめを刺そうとセイバーに岩斧を振り下ろし、

 

『────馬鹿かあいつは』

 

 あろうことか衛宮がセイバーを庇った。遠めにも致命傷でざっくりと腹が裂けている。

 あの傷では助かるまい。

 拾った命を無駄にするとは正気の振る舞いではない。

 何にせよセイバーの敗退は堅いか。

 興が削がれたとでもいう顔でアインツベルンが退く。遠坂とセイバーが衛宮に駆け寄るのを確認してハサンに呼びかける。

 

『ハサン、もういいぞ』

『わかった』

 

 死ぬか生きるかは衛宮の運次第だろうが、もし死ぬようなら桜が悲しむな、とただそれだけを思った。

 ハサンの撤退を確認して目を開ける。

 目を開けると腹が減っていることに気が付き、夜食でも食べようと部屋を出る前にふと窓の外が気になったのは、だからただの偶然だ。

 

「…………なんだっていうんだ」

 

 ちら、と見ただけだというのに男はこっちに気づいてニヤリと笑う。

 青い軽装鎧と赤い槍。見間違えるはずもなかった。

 弾かれたようにランサーが飛ぶ。ライダーの強襲だ。

 

「姉さん、ライダーがサーヴァントが来たって────」

 

 ノックもなしに桜が部屋に飛び込んできた。

 

「ああ、ここから見えている」

 

 ライダーの繰り出す杭をランサーは容易くいなしていく。

 

『皐月、何かあったか?』

『ああ。家の前でライダーとランサーが戦っている。気配遮断はしっかり頼むぞ』

 

 それはつまり参加するなということ。

 

『心得た』

 

 ハサンは当然だと言いたげに応えてくれる。

 

「桜、ライダーの援護をしなくていのか?」

「ライダーが必要ないと。やっぱりわたしも行ったほうがいいでしょうか?」

 

 戦いの経験など無かろうが、桜の魔術師としての技量はライダーの援護に十分だ。しかし、どうにもランサーにはやる気が無いように見える。

 

「いや、ライダーがいらないって言うならいいんじゃないか? 私は爺様のところに行ってくる。しっかり見ておけ。ライダーの動きを支える援護の手段を今のうちに組み立てておくんだ」

「はい、わかりました」

 

 返事はあったものの、桜は窓の外から視線を動かしていない。

 言うまでもないことだったかと自嘲しつつ、爺様に今見た全てを伝えに向かった。

 

 

 

 ひと通りを話すと爺様は満足気に喉を鳴らした。

 

「そうかそうか。では引き続き遠坂と衛宮の監視を頼むぞ、皐月。その様子では同盟を組みかねんからの」

 

 それも衛宮が生きていればの話だが。

 もちろん爺様とて分かっているだろう。生きていればという前提での話と取った。

 要するにその矛先がこちらに向かぬように調整しろという事だろう。

 

「組ませてバーサーカーと潰し合わせるのが良さそうだ」

「うむ。バーサーカーにキャスターを潰させ、そのバーサーカーを遠坂達に討たせる。しかるのちに遠坂なり衛宮なりを人質に二人の令呪を破棄させ、ライダーでランサーを潰す。これが理想型じゃな」

 

 そうなれば間桐の必勝は揺るがない。が、クリアすべき問題は多い。

 

「あとはそうなるように手を加えていけばいい、か。幸いアインツベルンは衛宮に因縁があるようだったが、爺様は何か知っているか?」

「何、衛宮は元々アインツベルンに雇われて第四次聖杯戦争に参加したのじゃ。小倅には大した教育をしておらぬようじゃったが、あれの義父は衛宮切継、魔術師殺しと呼ばれた暗殺のプロでな。大方裏切りの制裁というところじゃろうて」

 

 ふと脳裏に十年前見た男の姿が蘇り、左腕が疼いた。

 あの無表情な男がきっとそうなのだろうと確信する。あの男に育てられてどうして衛宮の人格になるのか少々疑問に思わないでもなかったが。

 

「では遠坂達がアインツベルンに向かう際はそれとなく助力するとしよう。今日の一戦を見るにバーサーカーの打倒は容易くなさそうだからな」

「許可しよう。が、手札は切らせよ。疲弊させるほどこちらは有利になることを忘れてはならんぞ?」

「わかっているさ」

 

 勝ちの目筋が立ってきた事で爺様も気が急いているのだろう。分かりきった助言は裏返せば自分を落ち着かせようという戒めだ。

 気持ちは分からなくもない。五百年の願いについに手が届こうというのだ。

 

「爺様、約束は覚えているだろうな?」

「もちろんじゃ。不老を得てなお惜しんだりはせぬ」

 

 覗きこんだ爺様の目はいつもと変わらず淀んでいて、その真意は分からなかった。

 

 

 

 部屋に戻る前に書斎へと寄ると、先客があった。

 魔術関連の本は当然だが、その他雑多な書籍がこの部屋にはある。私は前者にしか用がないが、どうやらライダーはそうでもないらしく、召喚されて以来この部屋にいることが多い。

 私の入室と同時、ライダーはバイザーで目を隠した。

 

「サツキですか。必要なら外しますよ?」

 

 気を利かせて立ち上がったライダーを手で制す。適当な一冊を自室に持ち帰るだけなので必要ないし、本を読むだけならばライダーが居ようと問題ない。

 ────いや、あのバイザーの下にある眼が盲ていないのであれば、必要なのかもしれないが。

 ライダーは桜のサーヴァントだ。桜の真意が分からない以上ある程度警戒しておく必要が有る。なにしろ爺様は、いや間桐は桜にひどいことをしたのだから。

 

「いいや、本を取りに来ただけだ、気を使うな。それにしても早く終わったな。ランサーは退いたか?」

 

 殊更ライダーを見ないままに、書架を物色する。

 

「ええ…………サツキはランサーが退くと知っていたのですか?」

 

 知りえぬ情報は、知っている事を悟られた時点で意味を失う。私は細心の注意をはらって言葉を選んだ。

 

「まさか。家の前、それもマスターを守りにくい状況下、ライダーは背後を気にしなければならない一方でランサーはその必要がない。それじゃあ攻める側のランサーと拮抗できない。にも関わらずライダーがここでのんびり出来ているってことは、ランサーがとんでもなく弱いか、やる気がないかってところだ。でも前者はない」

 

 校庭での一戦はそんな物ではなかった。

 もちろんとんでもなくライダーが強い可能性もあるけれど。

 そういうとライダーは笑って否定した。

 

「なるほど、皐月は一度ランサーが戦うところを見ていたのですね」

 

 ライダーの語調に変化はない。

 私も目当ての本は見つかった。これ以上の長居は無用だろう。

 

「ああ。それじゃおやすみ、ライダー」

「はい。おやすみなさい」

 

 

 

『皐月、無事だったか』

 

 部屋に戻ってベッドに転がるとすぐハサンから念話があった。

 

『ああ。やっぱりランサーはあっさり退いたよ』

 

 途中からだが見ていた、とハサンは言う。

 どちらにせよこれでランサー陣営が取っている戦略が見えてきた。

 

『最早決まりだな』

『戦力査定。間違い無いだろう。私達と同じ眼でこの戦争を見ている人間がいる、ということだ』

 

 一対一で撃破可能なペアを最後に残す事を念頭に置いた、戦力調査。最終局面での使用に信頼の置ける宝具を所持していると判断すべきだ。

 あとは打倒可能なペアのみを残し、他が脱落するようにうまく誘導する。

 私とアサシンが取っている戦略にかなり近い。

 

『ランサーの主従は厄介だな。マスターの立案だとすると、巻き込まれた一般人だというのは甘い見積もりかも知れない』

『厄介事は多いぞ。柳洞寺のキャスターは長く放置できない。バーサーカーはいささか強力過ぎる。アーチャーとセイバーの主従は────セイバーのマスターが生き残っていればまず同盟を組むだろう。何しろバーサーカー相手に単騎で伍す無茶を身を持って知ったわけだ』

 

 つまりどの敵も厄介ということになる。

 勝手に潰し合ってくれる事を期待してはいるが、キャスターとランサーはそう簡単には動くまい。

 バーサーカーとアーチャー・セイバーはその優位を以って他陣営を攻めてくれそうではあるが、

 

『弱いところから攻めるのはセオリーだよな』

 

 現状目に見えた脅威を発揮しないライダーはどの陣営にも与し易く映る可能性がある。

 少なくとも今私が持っている情報だけで判断すれば、私ならライダーから崩していく。

 

『ああ。今のうちに訊いておくが、ライダーが斃れるのと俺と皐月が参加者だとバレるのどっちがマシなんだ?』

 

 それはライダーを援護して真っ向から戦う手も選択肢にあるのか、という問い。

 

『そんなもの、どっちも最悪だ。が、そうだな、ライダーと共闘するとなれば最悪お前を正面から敵サーヴァントに宛てる事になりかねない。総戦力で他陣営全てを上回っていれば露見しても構わんが、そうでないならば、お前に頼ったマスター殺しに戦略を絞ることになる』

 

 取れる最善手としては今のところこんなものだろう。

 

『覚えておく』

 

 ハサンに反論はないらしく、会話はそれで途切れた。

 それにしても情報では優位に立っているはずなのにこうも気が休まらないのは一体何故だろうか。




話が進展しないのは仕様です。


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9

特には。


 翌々日。

 昨日はせっかくの休日だと言うのにランサーとライダーによって耕された庭先の整備に骨を折っていたせいで私自身は何一つ行動が取れなかった。偵察に出ていたハサンの方でもめぼしい物は無かったようだし先が思いやられる。

 今日はと言えばハサンを偵察にやった私は平素通りの生活を装い、つつがなく放課後までを過ごしていた。

 不本意ながらクラスの役員をほぼ全て兼任しているためどうにも忙しい。

 

「いかんな。結構な時間だ」

 

 窓の外は夕焼けに染まっている。

 部活棟や校庭にはまだ人気があるものの、遠坂との協定には際どい時間帯になってしまった。

 進学する気がない私にクラスの雑事が回ってくるのは避けがたく、文句は言えないのだが。

 

「っと、なんだ?」

 

 殆ど隠す気の無い魔力の動きがあった。規模は小さいが、まともな魔術師なら気が付く。

 心当たりは遠坂ぐらいだが、遠坂が魔術を行使する相手となると。

 

「桜、か?」

 

 今日は衛宮の家に行くと言っていたような気がするからもう校舎にはいないと思う。そのまま食事を摂ることが多いので食材を買っていくのだそうだ。時間からして間違いない。

 関わりたくはないがどうにも隠蔽が甘く、見過ごすわけにはいかない。嫌な予感を覚えつつも私は階段を降りていく。と、

 

「…………ほう」

 

 鼻先を黒い呪塊が掠めていった。挨拶もなしに攻撃とは随分とにぎやかで結構な事じゃないか。

 

「待ちなさい────って、間桐先輩?」

「これは攻撃行為と取って構わないよな遠坂?」

 

 半休止していた回路に意識を集中する。

 遠坂に全力を見せるわけにはいかない。少ない魔力をやりくりする必要がある。

 指差ししたまま固まっている遠坂から察するに種別はガンド。校舎の壁に生じた崩れからフィンの一撃に相当する物と考えられる。

 人が減ってきた校舎とはいえ人払いの結界も敷かずにそんなものを連射するとは相当頭に血が上っているようだ。

 連射。つまりシングルアクションか。恐らくは魔術刻印によるバックアップがあるのだろう。うらやましい。

 即座にカバンへの概念・構造強化。一時凌ぎの盾とする。

 有する武装のうち問題なく機能するのは体内の刻印虫三匹に加え、翅刃虫十匹と限定礼装『蟲の檻』・『蟲の匣』のみ。切り札とも言える蟲の左腕はハサン同様晒したくない。

 それ以外の魔術は今の魔力量での使用は難しい。それにどうせ魔術戦では魔術刻印を持つ遠坂相手に分が悪い。

 接近戦。それも肉体に主眼を置いた戦術が望ましい。

 

「──────蟲毒の壷で我は謳う──────」

 

 体内に溶け込んだ蟲を擬似神経化し、刻印虫と直結。強制的に制御下に置き、更に神経網と肉体へ強化を施す。

 単純出力で常人の四倍程度、反応速度では三倍程度を獲得してはいるが、全開ではない魔術回路ではこれが限度だ。彼我の距離を考えると接近戦に持ち込めるかは危うい。何しろ相手にはサーヴァントがある。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、何やる気になってんのよ!」

 

 遠坂の狼狽は当然だ。私は切り札の一つを切っている。

 まともな魔術師なら周囲のマナ総量の変化に気が付くはずだ。

 限定礼装『蟲の檻』。マナを吸い上げオドへと編み直すだけの礼装だが、それだけで第一級の魔術行使だ。

 遠坂の目で見れば、本来なら土地と直に契約した上で儀式魔術を経なければならない神秘を一瞬で為したように映るはず。

 実のところ蟲の呼吸でマナを吸収、オドへと変化させた上で私に注ぎ込むだけのシンプルな作りなのだが、普通の人間が同じことをやると、蟲と自分のオドの差異で拒否反応を起こし、最悪ショック死する。

 蟲に慣れすぎた間桐でなければ使えないのだ。

 

「何を言っている? お前の行為は魔術の秘匿に抵触する。排除は当然だと思わないか、遠坂」

「私は聖杯戦争してるの! あっちのへたれはマスター! いい?」

 

 言われて遠坂が指差す方を見やる。

 教室の入り口から頭だけを出した人物がいた。どうやらこっちの様子をうかがっている。特徴的な髪の色ですぐに思い当たった。

 あれだけの傷を受けて生きていたらしい。ゴキブリか何かだろうか。人のことは言えないが。

 

「おや、衛宮じゃないか」

 

 もちろんそんな思考はおくびにも出さず、知らないものとして振る舞う。

 

「はあ、えっとその、覚えてませんけど有難うございました」

 

 何を言っているのかと頭を捻り、おとといの事を思い出す。

 しかし衛宮の記憶は消してしまったはずだが。

 

「ああ、なるほど。遠坂から聞いたんだな」

「はい。あと今も」

 

 衒いなく頭を下げられる在り方は好感が持てる。桜が気に入るのも頷けた。実直な人柄なのだろう。

 もちろん何事につけ礼儀は大切だ。

 だが、それも時と場合による。

 

「ストップ! で、まだ邪魔するって言うならわたしも考えるけど?」

 

 この場に衛宮の態度はいまいちふさわしくない。

 

「それと魔術の秘匿を蔑ろにした点は別問題だ」

「それはあんただって────」

 

 言いかけて気がついたらしい。

 

「もちろん人払いの結界は敷いてある。何か問題でもあるか、遠坂?」

「…………分かったわよ。で、要求は?」

「要求な、特に────」

 

 ふと衛宮が縋るような眼でこっちを見ていることに気がついた。

 

「────そうだな、私は監督役ではないが、魔術に関わる者として公正に判断するとだ、遠坂がそこの衛宮を追い詰められたのは本来踏むべき手順である結界の敷設を疎かにしたためであるとも取れる」

「ちょっと────」

「もちろん、遠坂ならばその手順でも彼を追い詰めることは問題無かっただろうが、落ち度は落ち度だ。仕切り直し、もしくは無かったことにするのが妥当と判断する」

 

 何故私がこんなところで手間を負っているのかはさっぱりだがこれで遠坂は引き下がるだろう。

 この判断に逆らうなら私も敵に回るということ。この場は勝ちを収められても後のことを考えれば乗るしかない。

 

「オーケー、分かったわ。じゃあそういうことだから行きましょうか衛宮君」

 

 見る者すべてがぞっとする笑みを浮かべ遠坂が衛宮の腕を掴む。

 

「待てよ遠坂、今のでこの場は終わりだろ?」

「ええ。もちろん。でも貴方には言っておきたい事が山ほどあるの。そういうわけでこれ、連れて行っていいわよね、間桐先輩?」

 

 これ以上付き合う義理はないし、うちの学校には生徒間の交友を妨げるような了見の狭い校則などない。

 

「構わんぞ。魔術師の流儀、という意味では遠坂の振る舞いに私は一定の信頼を置いている」

「それはどうも。失礼しますわ」

 

 去っていく遠坂とドナドナよろしく引っ張られていく衛宮。なんだか歪んだ高笑いが聞こえた気がしないでもない。

 

 

 

「何の騒ぎかと思えばあんたか」

 

 不意に掛けられた声だったが、私は落ち着き払って振り向くことができた。

 人払いの結界の敷設は完璧だったのだから、この声は魔道に関わる者の物でなければならない。

 なにより私はその声をよく知っている。

 

「それは正確じゃないな沙条。騒ぎを起こしたのは遠坂と衛宮で私はその尻拭いだ」

 

 いっこ下の後輩だから穂群原のブラウニーなどと揶揄される衛宮の事はよく見知っているはずだ。

 遠坂については言わずもがな。家業の都合上面識がないはずがない。

 

「ふぅん、どうでもいいけどさ。学校でそういう事するのは遠慮して欲しいね」

 

 皮肉っぽい言い草で誤魔化しているが紛れも無い本心だろう。

 

「同感だ。是非遠坂にも言ってやってくれ」

「わたし、あんたのそういうとこきらい」

 

 そして私はというと、過去に共同で研究をしていたぐらいにはよく知っていて、

 

「そうは言うがしょうがないだろ。私のせいじゃないんだし。むしろ最も穏便な形で収めたぐらいだ。我ながら称賛に値する行動だったと思うぞ」

 

 心置きなく無駄口を叩くぐらいには懇意にしている。

 

「…………………まあいいけどさ。聖杯戦争だっけ、さっさと終わらしてちょうだいよ。夜中に五月蝿くて敵わないわ」

「暴走族じゃあるまいしうるさいなんて事はないと思うが。そもそも私は参加者でもないしな」

 

 沙条の迂遠な物言いの意図は察せるが、無関係の私には何を言うこともできない。

 

「………………新都のガス爆発、あれってさ」

「らしいな。教会の神父が愚痴っていた」

 

 当然のように虚偽を混ぜる。

 

「ほんと、いい迷惑よね」

「全くな」

 

 同調する他ない。私としても好みの手ではないし。

 会話が途切れる。

 

「こんな時間まで学校に残って何してたんだ、沙条」

 

 誰の目にも明らかな場繋ぎの言葉だ。

 会話が途切れたというのに突っ立っているのだから二人とも悪い。

 

「図書館で調べ物。欲しい野草があってね」

「へぇ」

 

 他に言いようもあったのだろうが、私は沙条に気を使ったりしない。

 

「興味ないなら聞かないでよ────薬、まだいいの?」

 

 薬。まだ棚にいくらか残っていたように思う。

 

「もう少し残ってる。なくなったら貰いに行く」

「そう。それじゃあね」

「ああ、また。そのうち」

「はいはい」

 

 ひらひらと手を振って去っていく沙条を見送り人払いの結界を解く。

 なかなか立ち去らないと思ったら、薬のことを気にしていたようだ。妙に律儀なところがある。

 数少ない友人と呼べる女。

 

「沙条はマスターじゃない、か」

 

 間桐や遠坂とは大きく異る系統の魔術を伝える家の後継。その資格は十分だが、口ぶりから察するにそうではないだろう。

 他人を騙してばかりいるのに、他人の言葉には信を置く矛盾に思わず唇が釣り上がる。

 やっぱり私は歪んでいるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おはようございます。衛宮士郎です。

 突然ですが、

 

「いったいどういうことか説明してもらえないか?」

「あら、間桐先輩。私はただ本当のことを言っただけですよ?」

 

 家の空気が最悪です。

 

 

 

 話は朝に遡る。

 なんとか遠坂とセイバーの宿泊を藤ねえと桜に認めて貰ったのも束の間、遠坂の一言がこの大惨事を呼んだ。

 曰く、間桐桜は暫くこの家に近寄るべきではない、と。

 遠坂の言わんとすることは分かる。何しろ俺は聖杯戦争に参加することになったのだ。

 当然この家も戦場になる可能性がある。

 桜の安全を考えるなら、ここに置くべきではないということぐらい俺にも分かった。

 ただ、その方法がまずい。

 いくらなんでも俺と遠坂が恋仲だなどと思わせ振りな事を言って邪険にするのはあんまりだ。

 最初は俺の怪我を気にして家の手伝いをしてくれただけ。それからは俺に料理を習っているだけ。

 鈍いとからかわれることも有る俺だけど、それだけじゃない事にはなんとなく気がついている。

 勘違いならそれでもいい。桜はいい子だし、もっと良い人と出会うこともあるだろうから。

 だから俺にとって桜は妹分なんだけど、その、桜がどう思っているかという話であって。

 結局桜は遠坂に反論出来ず、俺に助けを求めるように視線を逸らし、臆病者の俺は遠坂からの殺人的な視線につい同調してしまったのだった。

 

 

 

「だからそれをこの場で言ってみろ。場合によってはこの場でミンチに変えてやる」

「あら、随分と野蛮な言葉を使いますね。それに関係のない間桐先輩に一体何を教えなければならないというんですか?」

 

 飛び出していった桜を追う資格など俺には無かったが、こうなることが分かっていたら、恥を忍んで呼び止めただろう。

 玄関先であかいあくまと正面から対峙しているのは間桐皐月。桜の姉で、遠坂曰く、俺の命の恩人。昨日も遠坂に殺されかかったところを助けられた。

 なし崩しに遠坂と同盟を組める事になった一因でもある。

 つまり、魔術師なのだ、この人は。

 普段あまり目立たない物静かな人だと思っていたが、例の伝説を鑑みればその気性が見た目通りではないことなど分かることだったし、今にも遠坂に掴みかかろうかというぐらい、間桐先輩は激していた。

 

「埒が開かんな。どちらにせよ桜を泣かした罪は償ってもらう」

「ご随意に。桜にも劣る貴女に出来るのならば、ですけどね」

 

 振り返るように遠坂が背後に視線を走らせたのは、つまり私はサーヴァントを侍らしているぞという脅迫。

 遅刻確定になったとはいえ、それはちょっとやりすぎだ。

 気づいているのかいないのか、間桐先輩は一向にそれを気にする様子がない。

 

「結構。だが、忘れるな。私は何事も最後までやり遂げる質だ。泣こうが喚こうが止めはしない────衛宮もそれでいいな?」

 

 人事のように二人の争いを眺めていたら、じろりと間桐先輩に睨まれた。

 なんでさ。

 

「え、お、俺もですか?」

「当然だ。私は物分りが良い方だと自負しているからお前が不埒なまねをしたなどとは思わないが、客観的に考えてみろ。若い女がしょっちゅう出入りしている先輩の家から泣きながら走り出ていったんだぞ。それも朝っぱらからだ。下衆じゃなくても勘ぐる。そういう眼で桜が見られるなど、私には我慢ならんな」

 

 …………ああ、やばい。状況が悪すぎる。

 

「俺は、その…………」

 

 助けを求めようと遠坂に視線を送るが首を横に振られた。

 

「まあ、お前に桜を任せていいと思った私も間違っていた」

 

 そこまで言われては言い返したくもなるが、しかし。

 

「で、本心はどこにあるんですか?」

 

 先にも増して遠坂の顔は険しい。

 

「本心、だと?」

 

 地の底から湧いてくるような声に、ピシッと空気に罅が入った。

 

「人払いと防音の結界を敷設しましたからどうぞ。どうせ今のうちに敵マスターの同盟を妨害しようという考えでしょう?」

 

 間桐が魔術師の家系だということは聞いている。だけどそれは、

 

「いくらなんでも遠坂────」

「────く、ははは! これはいい。良くないが、仕方がない。

 ああ安心したよ遠坂。お前は根っからの魔術師だ。そうだろうとも。なにせあの時臣の娘だ。これで桜も心置きなくお前を打ち倒せるだろう。

 ──────朝からすまなかったな。失礼する」

 

 放心した。滾るような憎悪に身を貫かれる感覚。

 遠坂も顔色を無くしている。

 

「…………一つだけ言っておく。私の知る限りだが、衛宮。桜はどんなに痛かろうが、死ぬほど辛かろうが、人前で泣いた事はない。私の前でさえ一度きり、だ。今日まではな」

 

 去り際、振り返った間桐先輩が吐いた言葉は、まるで呪いそのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『大したものじゃないか皐月』

 

 半ばからかうようなハサンの言い草は、私が本気で怒っていた事を知ってなだめているのだろう。

 分かっている。彼らに対し怒りを抱くのは筋違いだ。

 

『まあ、これで間桐と遠坂の陣営の対立は必至だな』

『全くだ。しかしいざとなれば俺がいるとはいえ、よくサーヴァントの存在をちらつかされてひるまなかったな』

『あれは仕掛けてこないさ。私が参加者だと知っていれば躊躇いはしないだろうが、遠坂は妙に誇り高いところがある』

 

 魔術師相手であれば魔術を以って捻じ伏せる。その矜持を私は信用している。

 だからあの脅しはただの方便だという、計算だった。

 

『…………私はな、姉として桜には普通の幸せも味わって欲しかった』

 

 それが自分では叶わない夢を背負わせるだけの一人よがりだったとしてもだ。

 誰だって幸せになりたいに決っている。

 

『そうか』

 

 私は最早普通を願えない。それが幸せだと思えない。だが、衛宮の家に行くようになってからの桜は、本当に自然に笑うようになったのだ。

 切り替える。ここからは魔術師として動こう。

 

『遠坂と衛宮の同盟は明らかになった。加えて衛宮はすでに回復している。どちらかのサーヴァントに高度な治癒能力が備わっている可能性が高い。警戒は厚くする』

『他には?』

『可能ならば遠坂を暗殺する。桜には恨まれるかもしれないがな』

 

 あれは邪魔だ。間桐が聖杯を手にする上で必ず私の前に立ち塞がる。

 桜を焚き付けはしたし、桜の恨みを受け止めるにふさわしい人間であるようだが、肉親を殺せば、その事実は桜を苦しめ続ける事になるだろう。

 桜は初めて私に泣き付いた。それはつまり私を利用してでも衛宮と離れたくないということ。奸計を巡らせ、誰かの道を捻じ曲げてまでその位置についた時、重りは少ない方がいい。

 

『少年の方はどうする?』

『魔術師としては三流だろう。暗殺が私の手によるものだと判明しなければ問題ない』

 

 とは言え遠坂のサーヴァントはアーチャー。マスターが消えようと単独行動スキルが報復を可能とする。

 私がマスターだと露見しないこと。アサシンの手によるものだと分からせること。桜のサーヴァントをライダーだと知らせておく事。

 私が裏に居ることを悟られないためには、これだけの条件をクリアしなければならない。

 

『ハサン、働いてもらうぞ』

『心得た』

 

 短い返事を心強く感じながら、私は遅い登校を果たした。

 

 

 

 

 

 軽い自己嫌悪と、状況が動くまですることがないという閉塞感から、私は生徒会室で茶を飲んでいた。

 わざわざ学校には来たものの、授業を受ける気分でもなかったのだ。

 これでも去年までは書記としてなんやかんやと雑務を熟してきたのだから、備品の茶を飲むぐらいの事は許されよう。

 他四陣営のうち、私のコントロールを受け付けるのはわずかに遠坂・衛宮陣営のみ。とはいえキャスターをバーサーカーに排除させるという計画の初動は動かし難く、こうして生徒会室にいるのもそのためだった。

 

「おや、間桐先輩ではないか。こんなところでサボって居眠りとは関心しませんな」

 

 仮眠のつもりが本格的に寝入っていたようだ。私が目を開けた時には既に男は目の前に立っていた。

 

「…………そう言うな。私とてたまには疲れる。教室で眠るよりは周りに配慮した行動だろう、生徒会長?」

 

 この生徒会室の主、柳洞一成である。

 柳洞寺の次男坊。生徒会顧問の葛木も柳洞寺にやっかいになってはいるし、どちらともそれなりの縁故はあるが、一成の方が取っ付きやすい。

 

「そういうところは慎二と一緒ですね。姉である先輩が手本となる姿を見せないからあれはああなのです」

 

 弁当箱を開きながら柳洞は愚痴る。

 質素な弁当の中身を見ていて朝から何も食べていないことを思い出した。

 

「だいたいあの男は…………って何を見ているんです?」

「いや、腹が減ったなと思っただけだ。心配せずとも取ったりはしない」

 

 安心したように食事を始めた柳洞を眺める。どことなく顔色が悪い。

 陣地を組む以上、キャスターのマスターも柳洞寺にいるはずだ。

 外部の人間である場合、柳洞寺の人間から身を隠す必要があるが、キャスターと違い霊体化出来ないマスターはその姿を住人から隠し通す事は難しい。

 加えて食事だ。寝る場所も食い物も柳洞寺の外から手に入れる必要がある。

 わざわざ買い出しに出るような間抜けはすまい。本気でキャスター討伐を考えれば、まずすることは柳洞寺に出入りする人間の観察だ。

 マスターと踏んだ時点で殺してしまえばいい。

 だから、その可能性は低い、と踏んでいた。

 むしろ疑うべきは柳洞寺の関係者。そのとっかかりとして柳洞一成と会おうと。

 しかし。

 

「柳洞、お前顔色悪いな」

「どうにもここ最近だるいのです」

 

 自覚するほどに体調が優れないようだ。

 

「精進料理ばかり食っているからだ。肉を食え」

「生まれてこの方この手の料理ばかりです。それが原因とは思えない。風邪のひきはじめかもしれないですが。どうにも寺の皆も体調が振るわぬようだし」

「…………感染すなよ。私はいいがクラスメイトは受験を控えている」

「ここは俺の場所ですよ」

「知ってる────なあ柳洞、最近柳洞寺で変わった事はないか?」

「…………間桐先輩もそれを聞くのだな」

 

 箸を止めて柳洞がじっとこちらを見た。

 

「も、というと?」

「あの女狐ですよ」

 

 忌々しそうに柳洞が吐き捨てる。この男が品行方正な生徒会長らしからぬ言動をする相手となれば遠坂しかいない。

 藪蛇だったか。遠坂も柳洞寺の龍脈には注目していて当然だ。

 

「遠坂が何を言ったか知らんが、私は寺の皆とお前が言ったからだ。お前一人ならただの風邪だろうが、皆となるとな。相当質の悪い風邪か、下手をすればインフルエンザだ」

「なるほど。確かにインフルエンザは良くない」

 

 一応納得したらしく柳洞は手を動かし始める。

 

「葛木先生はどうだ? 授業はないから顔を見ないが」

「宗一郎兄は変わらず壮健です。ただまあ…………」

 

 言葉を濁して茶碗を手に取る。空だったらしく、そのまま下ろした。

 

「なんだ?」

「…………最近どうも妙な女にひっかかったようでして。宗一郎兄の縁者というか、その、これは内密に頼みますが結婚するような事を言っているのです」

 

 結婚。

 一瞬馬鹿みたいに放心してしまった。

 

「まさかとは思うが葛木先生とか?」

「他に誰がいるというんですか。だいたいそういう言い方は宗一郎兄に失礼だ」

 

 柳洞は立腹しているようだが、私は葛木を侮辱しているわけではない。

 むしろあの寡黙さは好感が持てる。

 

「そうじゃない。皆あの人を寡黙で実直というが、私には枯れているように見える。だからそういうこととはかけ離れて見えるというだけだ────それに、事実なら世話になった師の結婚は祝いたいだろう?」

「たしかに。まあ寺に身を置いていることもあって、宗一郎兄も遠慮があるのかもしれないが」

 

 なんにしろその女が十中八九キャスター、或いはそのマスターで間違いない。

 柳洞に疲労があることから、外部の者がマスターで有ると踏んでいただけに、その女はマスターである可能性が濃厚だ。

 魔術師は身内に甘い。例えば柳洞寺内部にマスターがいるなら、一成達から魂を吸い上げるような真似はすまい。

 どちらにせよ葛木は洗脳下に置かれていると見るべきだろう。

 

「なんにせよ、一度顔ぐらいは見てみたいものだ。葛木先生が側においてもいいと思う女というのにはその、なんだ、興味が湧く」

「下世話ですよ、間桐先輩────顔の美醜をあれこれ言うのは好きませんが、美人ではありましたが。それは置いても宗一郎兄が選んだなら問題ないと俺は信じています」

 

 その割には妙な女とか言っていたような気がするが。

 

「そうか。まあ、風邪だかインフルエンザだか知らないがお大事にな」

 

 言って席を立つ。聞きたいことは聞けた。

 傍観などと言っては居られなくなってしまったか。

 何しろキャスター陣営は、私の環境に手を掛けた。

 

「おや、どこに行くんですか?」

「どうせ今日は授業に出る気もない。帰って昼寝の続きでもする」

 

 息を吐くように嘘を吐いた。

 足の向かう先は柳洞寺。

 葛木の帰宅を狙って待てる場所の物色だった。




あれですかね、間桐って皆ヒスの気でもあるんですかね。


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10

罵声が飛んできそうな内容に。
言い訳はしないと決めていたつもりでしたが、ぐぬぬ。


『いいのか皐月?』

『構わんさ。どうせ私の顔が割れるわけじゃない』

 

 幾つかの段取りをつけたあと、蟲を目の代わりに、私はハサンを葛木の帰路に差し向けた。

 もちろん暗殺しようと言うわけじゃない。ただ、キャスター陣営にとって葛木は柳洞寺に身を置く上で必要な存在に違いない。

 彼にちょっかいを出すとどういう反応が返って来るかを測っておきたかった。

 蟲を使ったのもそう言う事。土台間桐の手による襲撃だと気付かせないのは無理だ。相手は稀代の魔術師であるキャスター。私如きが手を労したとてあっさり見破られるだろう。

 だからこれは事態に流動性を持たせる為の一手。

 ただ、キャスターがクラス通りの優れた魔術師ならば、後手に回って勝利を掴むのは難しい。

 サーヴァントをアサシンと見たキャスターが間桐に攻め入ってくるならまだ良い。ライダーによる応戦の後予想外の事態を不利とし、撤退に入ったキャスター達を追撃、掃討、という筋道は見える。

 しかしお互いを敵と認知して膠着状態に陥った時は恐い。キャスターが龍脈から汲み上げる魔力を考えれば、消耗戦で不利を被るのは間桐だ。

 気乗りしない手を打つしかなくなる。

 故に先手。それも二重三重に策を巡らし、キャスターの打倒までを視野に入れた策を立てた。

 もちろん私ごときの策で綺麗に型に嵌ってくれるとは思えない。しかし策でキャスターに抗しようというのなら、手札が見えない今しかない。

 互いの手札を把握していればそれはチェスのようなもの。経験と実力がある者に運で勝つ事はできない。

 しかし手札が見えなければどうだろうか。不意の一撃。それもキャスターが予測できない物を最高のタイミングで叩きこめば、或いは。

 もう少し事態の推移を見守りたかったというのが本音だが、キャスターの行動は私の本義に抵触する。見過ごせば私はブレてしまう。

 実行の段になってあれこれ考えるのは二流のすること。頭では分かっているが満足の行く流れではない。

 

『来たぞ、皐月』

 

 そんな私の内心などお構いなしにその時は来た。

 

『じゃあ頼む』

 

 簡潔に迷いなく。嘘を吐くのには慣れている。

 作戦の初動は簡単なもの。ハサンによる葛木の強襲だ。

 夜、それも街灯の眩しさが暗がりをなお暗くするこの条件化で、気配遮断したサーヴァントの一撃を防げる者など存在しない。

 蟲の視界から盗み見たに過ぎないが、ハサンが振り上げた拳は、それが暗殺を意図して放たれていれば間違いなく葛木を絶命させていたと確信させるほど見事なもの。

 だから後頭部を強打されてたたらを踏んだ葛木が、流れるような身のこなしで通勤鞄を盾に体を立て直した異常を前に、様子見に徹するよう言い置いたハサンがじゃきり、と腕に仕込まれたアサシンブレードを作動させたのは、最適な判断だ。

 

『ハサン』

『分かっている。この男、何らかの武芸の心得がある。それもえらく実践的だ』

 

 不意に背後から殴られる心構えがあるなら、それは武道ではなく武術だ。それも真っ当ではないものであると考えるべき。

 

『殺さぬ程度に追い込んでみろ。無関係にしてもその武術はただごとじゃない』

 

 気に入っている教師を半殺しにしろと何の気負い無く命じた私。

 実に魔術師をしている。

 

『了解した』

 

 つかみ掛かるように腕を突き出すハサンの手を、当然のように拳で受ける葛木。交錯する度に赤い血が跳ねるが、葛木は顔色一つ変えない。

 手抜くようハサンに命じたのは私だが、それでもサーヴァントと打ち合える葛木は一体どれほどの異常か。

 武芸に明るくない私の目にも、淀みなく足を運びハサンの攻撃を最小の被害で逸らし続ける技量は明らかだった。

 何度その拳をアサシンブレードが貫いただろうか。

 あたりは葛木一人の飛び散った血で濡れ、最早その手は拳を握れていない。

 

『いい。やめろ、ハサン』

『心得た』

 

 ぴたりと動きを止めたハサンに僅かに遅れ葛木も足を止める。ただ、構えは解かぬまま大きく熱を吐き、吸う。

 

「……やめて良いのか?」

 

 ぼそりと葛木が問う。

 

「ああ。マスターの命でな」

 

 応じるハサンは打ち合わせ通りの答えを放った。

 

『皐月、この後はどうする?』

 

 事前の打ち合わせで決まりきっている事だが、プランが悪い方に流れている事を汲んでの問いだろう。

 

『そのまま放置、気配遮断して後をつけてくれ。キャスターが出てくるならそれでいい。出てこないなら…………私が責任を取る』

 

 しかしそれは見縊りすぎだ。たとえ迷おうと、迷いながらでも私は進める。

 計画の一つの分岐点。 

 キャスター陣営が現れ葛木を保護、乃至、情報の損失を確認後破棄するようならサーヴァントに強襲させればいい。それがキャスターのマスターなら話は終わり。キャスターで、かつ大した事が無ければ、やっぱりそれで終わり。サーヴァントを退けられるだけの技能を持ち合わせていた場合は、とりあえずこの場を引く。

 消耗戦になるようなら、キャスターが魂喰いの実行犯で有ることに託けて遠坂との協定を取り付け、頭数の多さで圧殺する。

 問題はキャスター陣営が葛木を見捨てた場合。私はマスターでもない人間をサーヴァントに襲わせた責任を取らねばならない。

 がさり、と耳元で枯れ草が鳴った。

 日暮れ前からかれこれ二時間、私は柳洞寺の山門脇に潜り込んでいる。

 唐突に姿を消したハサンを警戒するように周囲を見渡していた葛木だが、然程間をおかず怪我を庇うように鞄を拾い上げ、帰路に戻った。

 ぎり、と歯が鳴るのを抑えられない。

 葛木に傷を負わせたのはハサンで、それを命じたのは私だ。

 だが、葛木がキャスターの影響下にあるのは間違いない。何故この場に現れないのか。葛木は駒だとでもいうのだろうか。

 そうなる事を予期していながらこうも気分が悪いのは同属嫌悪に違いない。

 ハサンの視界が私の居る場所へと近付いてくる。

 コツコツコツとゆっくりとした靴音が近付いてくるのが分かる。

 

『皐月』

『ああ。仕方ない』

 

 皆まで言われずとも分かる。位置的に限界だ。責任を取るとしよう。

 ごそりと身を起こし、服についた枝葉を払う。

 山門の下で、物音に気が付いた葛木が足を止めこちらを見上げていた。

 

「……間桐か」

「ええ。こんばんは葛木先生」

 

 足早に石段を下り葛木の前に立つ。葛木はシャツで乱雑に縛り上げた手を隠そうともしない。鞄は血に汚れてもう使い物にはならないだろう。

 私が様子を探る間、葛木は血の気の薄い顔でじっと私の眼を見据えていた。

 

「手、出してください」

「…………見て気持ちのいい物ではない。それにもう遅い時間だ。良い生徒なら家に居なければならない」

 

 まだるっこしい。鞄を奪い取り適当に縛られたシャツを引き裂く。

 

「私は良い生徒じゃないですから」

 

 穴だらけの拳。指が千切れかけている。その拳は巌のように硬かった。

 

「痛いと思いますが我慢してください」

 

 葛木の手を握り込み魔術回路を起動する。全力での魔力使用。オドを浸透させる事で一時的に葛木の手を自身の肉体と同期、支配下に置く。

 次いで限定礼装『蟲の檻』を起動。周囲から人体を構成するために必要な全てを汲み上げ、吸収でもって葛木の傷へと集約。足りないものは自身の要素から抽出して補う。

同時に葛木ではないそれらと葛木自身の肉体に生じる齟齬を修正し続ける。

葛木の手が構造を取り戻したのを確認し、魔術基盤を切り替え、損傷した状態を正とする葛木の霊体を霊媒治療で書き換える。

綺礼程の腕が無い私には霊体からの肉体修復は不可能だが、この手順でならその真似事が出来る。

霊体と肉体両者を騙し、お互いを疑わせない事で葛木の腕は機能を回復した。三日も掛けずに元の性能を取り戻すだろう。

 

「────手、ちゃんと動きますか?」

 

 傷を失った自分の手を眺めながら閉じ開きしている葛木から距離を取って立つ。

 

「────ああ。問題ない。礼は────不要だな?」

 

 びゅ、と風を切って葛木の拳が翻った。

 既に強化を終えていた私は余裕を持ってその射程外へと逃げ出している。

 

「ええ。でも今日はご挨拶だけです」

 

 薄々察していたが、最悪のケース。葛木がキャスターのマスターである場合。

 

「そうか。夜にマスターが出会えば殺し合いになるとキャスターは言っていたが」

 

 一歩下る私と、一歩前に出る葛木。

 

「それでも、です。葛木先生にその気があればお受けしますが」

 

 どうあれ先に仕掛けたのは私だし、この先にも一手置いてある。

 

「ふむ────キャスター、どうする?」

「ふふふ、逃げられると思って? まさかのこのこと姿を現すなんてね。罠だとか少しも思わなかったの? 間抜けにも程があるわよ?」

 

 強大にして緻密。圧倒的な精度で行使された魔術が葛木の背後を歪めた。

 空間転移。最も魔法に近い魔術の一つが私の目の前で行使される。

 現れる紫のローブ。それがキャスターなのだとあらゆる状況が告げている。

 

「お前と話す事なんてない。言いたいことはあるけど、お前の言いたいことを聞く気がないからフェアじゃない。だから言わない─────葛木先生、近々ご結婚なさると聞きました。お相手はそちらの女性ですか?」

「そうだ」

 

 ゆるぎない答え。

 

「ご自身の意志ですか」

「そうだ」

 

 キャスターの洗脳下にあるはずが無い。僅かとは言えサーヴァントと打ち合える彼が、洗脳などと下らない物を受けるはずが無い。

 希薄であるがゆえに確固とした自己を持つ。

 一見矛盾した在り方は東洋の仙人のようで、少しだけ羨ましい。

 

「残念です」

「────」

 

 キャスターは鼻白み、葛木は私を見据えたまま沈黙を守る。

 

「先生はもう少し枯れた方だと思っていました。でもお祝いします」

「そうか」

 

 更に一歩前に出る葛木。しかし今度は私は下らなかった。

 

「長々とすみません。ですが最後の質問です。一成達が体調を崩している理由、ご存知ですか?」

 

 これが最後の分岐点。葛木とて私がスタンスを定める為に問いを放っているのには気が付いているだろう。

 

「ああ。知っている」

 

 そして躊躇無く葛木は是認した。

 キャスターが笑みを深くする。

 罠に嵌った間抜けな魔術師の韜晦か何かだと思っているのだろう。

 私が欲したのはその油断だ。

 キャスターにとって葛木は間抜けな魔術師を釣り上げる餌だったのかもしれないが、私にとっても同じ事。キャスターが釣り上げた間抜けな魔術師の顔を見にやってくるなら、葛木は餌として機能する。

 なにしろここは山門の前。キャスターの神殿の外だ。

 

「そうですか。残念です、先生」

「ああ」

 

 唸りを上げる葛木の両腕を見据えたまま私は動かない。

 ────本当に残念だ。

 じゃり、とその音は真上から聞こえてきた。

 

「おしまいだ、キャスター」

 

 二条の鉄鎖が槍のごとく宙を走り、正確に葛木の両腕を貫いていた。

 衝撃から立ち直る暇さえなく吊り上げられた葛木の両腕が、かかる力に耐え切れず千切れ飛ぶ。

 

「姉さん、ご無事ですか!?」

 

 桜が駆け寄ってくる。

 桜の心配は当然だ。今の私はキャスター陣営に対する囮役を買って出た無力で脆弱なただの魔術師なのだから。

 両腕を失ってなおたたらを踏むのみにとどめた葛木を捕まえ、その首に手を掛ける。キャスターに対する人質だ。

 

「葛木の止血を────ライダー、葛木の腕に令呪はあるか?」

 

 油断なくキャスターに気を配り、指示を飛ばす。

 

「いいえ、サツキ」

 

 杭から引き抜いた腕を無造作に放り、ライダーは血を払った。その顔はまっすぐキャスターを睨んでいる。

 

「あ、あ、宗一郎様、血、血が!」

 

 キャスターはこちらなどお構い無しに、ただ頭を抱え立ち尽くしている。

 ひどく滑稽だ。何故ハサンに襲われた時に現れてそうしなかった?

 今の反応を見れば少なからずキャスターと葛木の関係が良好だったのは見て取れる。それは認めよう。きっとハサンが現れたとき、直ぐにでも駆けつけ盾になりたかったのだろう。

 だが、ハサンの襲撃が必殺を企図したものでない事から葛木の死はない、と魔術師としての計算を働かせてしまった。

 ならば相手は魔術師だ。

 魔術師相手に私は情など挟まない。

 

「ライダー、キャスターの手を捥げ」

「……分かりました」

 

 キャスターは抵抗するように魔術を編むが、人質を取られ精彩を欠いたそれではライダーの速度を捉えられない。

 アサシンを侮り、山門を出てきたのが敗因。

 少し頭を働かせればそれが陽動である可能性に思い至っただろうに。

 そもそもこの策を取らねばならなかった時点で私は八割方敗北していたのだ。

 走り寄るライダーがその手を掴み上げ、力任せに引き抜いた。

 

「申し訳ありませんが…………」

 

 ばちり、と肉を絶つ音と、悲鳴。

 

「ご苦労、ライダー」

 

 無造作にその血肉の塊を受け取る。

 その甲に刻まれた聖痕を右手へと移す。じくりと焼けるような痛みが腕に走った。

 本来は慎重な手順を踏んで行うべき魔術だが、エーテル体であるキャスターの一部に過ぎないこの腕は本体が消えてしまっては長く保たない。

 

「これで私もマスターか」

「…………私をそれで縛るつもりかしら?」

 

 射殺すような視線と、背筋が凍るような殺気。

 半死体になってなおキャスターは魔術師だった。

 つまりは矜持と計算。媚びることなく、しかし背を見せれば刺す。

 

「馬鹿を言え。お前なんかに背中を見せられるか。ライダー、キャスターを殺せ」

「…………宜しいですね、桜?」

 

 欠片の躊躇もない私の命をライダーは反芻する。私はライダーのマスターではないのだからそれは当然。

 

「ええ。姉さんの言うとおりに、ライダー」

 

 そして桜が私の判断に従うのもやはり当然だ。キャスターの持つ英知は魔術師として惜しいが、生憎キャスターを縛れるほど私達は熟練した魔術師ではない。

 キャスターには目もくれず思考に耽る私を置いて、報復のチャンスすら失ったキャスターの心臓を、ライダーの杭が貫いた。

 

「ご苦労。ライダー、嫌な役を押し付けたな。すまない」

「いえ、サクラも反対しませんでしたし、サーヴァントとは本来こういうもの。サツキがもっとも危険な役を買って出た理由、理解しています」

 

 ライダーは困ったように眉根を寄せ、しかし微笑んでくれた。

 少々勘違いがあるようだが、私に不都合はない。

 

「桜、葛木の血は止まったか?」

「ええ。なんとか。それでどうしますか、姉さん?」

 

 元々血色のいい方ではない葛木だが、今の顔はまさしく土気色、という奴だった。血が足りないのだろう。

 

「言峰教会に運ぶ。葛木の腕は…………言峰ならあるいは直せるかもしれん。私が行こう。桜は今日はもう休め」

 

 桜は覚悟はあってもそもそも荒事に向いていない。今の葛木の手当てにしても普段の五割以上、魔力効率が落ちていた。

 

「でも姉さん、この時間の一人歩きは…………」

 

 遮るように右腕にある令呪を見せる。

 

「一応令呪もある事だ。いざとなったら略式召喚する」

「……わかり、ました」

 

 俯いた桜の頭を撫で、葛木を背負う。ちぎれた腕はポケットに突っ込んだ。

 

「それでいい。ライダー、桜がしっかり眠るように見張っておいてくれ」

「ええ、お任せ下さい。皐月も気をつけて」

 

 ライダーに抱えられ、あっという間に夜空に溶けた桜を見送り、背中の気配へと声を掛ける。

 

「葛木先生。キャスターは死にました。敵を討つ、というのならお相手しようと思います」

「…………気付いていたか。それはいい。お互い殺し殺され、今回は負けた、それだけだ」

 

 弱弱しいがはっきりした声を聞きながら足を動かす。

 

「…………キャスターとの結婚、偽装ではないのでしょう?」

「…………なぜ、そう思う?」

「だって、偽装なら葛木先生はキャスターを一成達に会わせたりしないでしょうから」

 

 葛木には葛木の理屈がある。わざわざサーヴァントを自身の伴侶にしたいと一般人に晒した理由は明白だ。

 

「…………私はとうに死んだ人間だ。死んだ人間には目的が無い。あれに目的を与えられれば生きた人間になれるかと思ったが、どうだろうな」

「どうでしょうね。そうはならなかったわけですし」

 

 過ぎた事だ。

 

「ああ、そうだな」

 

 葛木の声に寂しさはあっても未練はなかった。

 

「その腕を治せるかもしれない人のところまで行きます」

「聞いていた。宜しく頼む」

 

 あの技量を取り戻させる事に恐れが無いわけではないが、彼の腕は教鞭をとるためのものでもあるのだ。

 

「はい。でも、眠かったら眠ってしまっていいですよ」

「そうか」

「私は葛木先生の授業、好きです」

 

 返事は無い。眠ったのだろう。

 これで一騎脱落。

 柳洞寺が空になり、原因不明のガス爆発は無くなる。直ぐに他の陣営もこの事態を知る事になるだろう。

 

「これでもまだ動かない、というのならもういい。片っ端からマスターを殺してやる」

『おい、皐月。そうなったら殺すのは俺なんだが?』

 

 不満そうにハサンが呟く。

 

『ただの八つ当たりだ。本気じゃない』

 

 なにしろ言峰教会に足を運ぼう、というのだ。

 これくらいの愚痴ぐらいは許して欲しい。

 

 

 

 

 

 軋む扉を開くと、待ちわびていた、と言わんばかりに言峰がいやな笑顔で立っていた。大方サーヴァント脱落を知って、敗退者が現れるのを今か今かと待っていたのだろう。

 

「なんだ、一騎落ちたと思ったらお前だったか、皐月────なんてつまらない冗談はやめてくれよ?」

 

 先手を打ってその無駄口を阻止する。

 

「くくく、からかい甲斐のない弟子だ」

 

 本気で残念そうに私を迎え入れる言峰。背中の葛木を引き受けてくれた。

 

「へえ。お前、私を弟子扱いしていたのか。なんだ、お前の師匠はお前をサンドバッグにするようなキチガイだったのか?」

「────豪く気が立っているな。急いでいるのではなかったか?」

「ああ。さっき落ちたのはキャスター。それでその男がマスターだ」

 

 信者席に寝かせた葛木を見定めるように言峰が見下ろす。

 

「腕を捥いだか。令呪は?」

「…………ここにある」

 

 右手を晒す。

 興味深げに言峰がそれを眺め、頷いた。

 この男には私のみが間桐のマスターだと思わせておきたい。

 言峰が別のマスターに肩入れしていた場合、即座にそれを看破するための欺瞞。余剰令呪の使い道は考えてあるが、今は大人しく見せておくのが良いと考えた。

 

「…………いいだろう。では規定通り敗退マスターとしてこの男を保護する。さあ用も済んだだろう、帰るがいい」

 

 せっつくように肩を掴んだ言峰を、そのまま押し返す。

 

「いいや、まだだ。お前霊媒治療は得意だっただろう。これ、くっつけておいてくれ」

 

 スカートのポケットから取り出された教会には相応しくない物体に、言峰が顔を顰める。

 

「…………凛といいお前といい、私の周りには私を便利屋か何かと勘違いしている者が多すぎる」

 

 言外の拒絶。或いは対価の要求。

 

「その男は私の学校の教師だ。彼の教えは神の教えなんぞより生徒を正しく導いているぞ」

 

 事実生徒の間でも葛木の評判はいい。

 

「それがなんだ?」

「お前がその男の教師生命を救えば、間接的に神の教えによってその男は生徒を導き続ける事になる」

 

 じ、と睨むと漸く言峰は二本の腕を受け取った。

 

「…………反論するのも面倒だ。腕を繋いで元通りにすれば良いのだな?」

「よろしく頼む。ああ、それと凛も来たようだが何か言っていたか?」

 

 その背中に声を放る。凛へ漏れた情報は把握しておきたいし、私に漏れる情報があるなら取っておきたい。

 

「腑抜けているのではあるまいな? お前も凛もマスター。監督役の私がどちらかに肩入れするわけにはいかない」

「そんな事言って私の事はなんか喋っただろう?」

 

 ぴたりと足を止めて言峰が振り返った。

 

「…………お前が私をどういう目で見ているかは良くわかった。そんなに喋って欲しければ今度来た時にでも喋ってやる」

「いや、冗談だ。お前がお前自身の為にならない事をするわけが無い」

「ほう?」

 

 眉を吊り上げ言峰は先を促す。

 

「だって情報が漏れたら最初に疑われるのはお前だからな」

 

 余計な事をすれば殺すぞ、と脅しておく。

 

「…………なるほどな。さて、私はこの男の治療に忙しくなる。お前はもう帰れ」

 

 もちろんこんな脅しなどこいつには意味が無い。

 淀みなく葛木を抱き上げた言峰を尻目に身を翻す。義理も用も済んでしまった。

 

「そうするよ。それじゃおやすみ言峰」

「ああ。おやすみ皐月。精々生き足掻くがいい」

 

 なんだかんだで返事をしてくれるのだから、割と良い師匠には違いない。




きっと構成に問題があったんだ。
僕は悪くないよ。構成したの僕だけど。


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11

待っていて下さった方には申し訳ない。
大幅な改変です。11以前に変更はありませんので、追って読みなおす必要はないかと思います。


 それにしても。

 

「他のマスターもこんなに多忙なのか? 私だけなら聖杯とやらを呪ってやりたいよ、まったく」

 

 言峰教会から出てまだ五分と経っていないのに、そいつはそこに立っていた。

 

「よう、また会ったな嬢ちゃん」

 

 あの青い軽装鎧にはいやというほど見覚えがあったし、真っ赤な槍が通り魔ではないと教えている。まあ通り魔の類ではあるのだけれど。

 

「随分と暇なようだな、ランサー」

 

 ランサーが槍を構えて静止した。

 サーヴァントぐらいは呼ばせてやるぞ、と言う事だろうか。

 お喋りには乗ってくれないらしい。取り敢えずとばかりに回路に火を入れる。

 

「さあ、ライダーを出せよ、お嬢ちゃん」

 

 私をライダーのマスターだと思っている?

 ランサーペアの戦略は敵戦力の正確な測定。故に消去法でアサシンのマスターと見抜いた上で声を掛けてきたかと思ったがそうではないようだ。

 家へ襲撃してきたことから間桐を参加者と知る者。にも拘らず私がマスターだと思っている者。

 現段階で特定は不可能だが、一人、心当たりが出来た。

 背後に立つ教会を振り返ろうとして、やめる。

 目の前のランサーがそれを許すとは思えないし、

 

「…………タイミングが際どすぎる」

 

 仮に言峰がそうならば、もう少し疑われない機会を狙うだろう。

 

『どうする、皐月?』

『考える。後は合わせろ』

「なんだ、サーヴァントも呼ばずに死ぬのが望みか?」

 

 ぐぐ、とランサーの槍に力が入る。

 

「いや、勘違いをしているようだから言っておくが、私はマスターではないぞ」

「…………おいおい、よせよ。こんな夜更けに監督役の所まで出向く以上聖杯戦争の関係者には違いないだろうが」

 

 舌打ち混じりの返答はつまらない会話で興を削がれたことに対するものだろう。

 ランサーは好戦的な性格らしい。

 

「それは否定しないが。教会のスタッフかも、とか考えなかったのか?」

 

 言峰の卒の無さは知っているが、聖杯戦争にまつわる一切の揉み消しを一人で担うのは無茶だ。慣例として教会からこの時期のみ送られてくる者達が居ることを私は前もって知っているし、多少頭が回れば予想することもできるはずだ。

 システム上必要な要素ではないとしても、聖杯戦争を円滑にすすめる上で、監督役とそのスタッフに好き好んで穂先を向けるマスターはいない。

 これはつまり、私を教会とは無関係だと断じるに足る情報を持つ者か、その程度の判断もできない阿呆でなければ起こせない状況。

 

「…………スタッフねえ。嬢ちゃんはそうなのかい?」

「違うから、まあお前の行動はそうおかしくはないんだが」

 

 そうだと言ったところで聞きやしないだろうし、証明するためにのこのこと教会に出戻っても、そもそも虚言なので意味が無い。

 良くて監督役から減点を貰う程度。悪ければその場で制裁。

 手詰まり気味な状況では、時間稼ぎ程度の嘘しか思いつかない。

 一方ランサーは私の肯定に気を良くしたらしく、その表情に獰猛さが宿る。

 随分とせっかちなようだ。

 

「しかしマスターじゃないとはな。あんまり無抵抗のガキをやるのは面白く無いんだが」

 

 形だけの構えだったランサーの四肢に力が込められる。

 必至の幻影が網膜に焼き付く。こんなところで死んでいられるか。

 考えねばならない。

 ハサンの言を信じるなら、ハサンに頼るのは得策ではない。ハサンではランサーに抗し得ない。

 しかし、現状は他の手段を許さない。

『ハサン、頼めるか?』

『無論、命とあれば。しかし勝ちの目が無いとまでは言わないが……………』

『いや、防戦一方でも構わない。それと悟られるのは不味いかもしれないがな』

 これまでに二度、ランサーの戦闘に遭遇している。

 一度目は放課後の学校。衛宮という闖入者によって戦闘は中断されたが、ハサンはランサーを手抜いていると評した。

 二度目は間桐の家。ライダーと相対したランサーはあっさりと撤退を選んだ。

 彼らの戦略は徹底した他陣営の戦力査定。

 ここで間違える訳にはいかない。

 乱雑に象を成す思考が、論理的に、直感的に事象を結びつけ、或いは切り離す。

 脳裏に引っかかる懸念はタイミングの悪さ。

 つまりは言峰綺礼。

 半信半疑だが陽動は打っておくべきだ。

 

「冗談だろう? ただ、命を取られるぐらいなら、マスターぐらいやってやるさ」

 

 強くランサーを睨み返す。

 

「──────蟲毒の壷で我は謳う──────」

 

 私が選んだのは召喚を模したアサシンの実体化。

 ランサーを打倒するならばハサンの気配遮断は潰せないアドバンテージだが、ランサーとの引き分けが目的の今は無用だ。

 むしろ不意の一撃を根に持って追撃などされてはたまらない。

 マスターではないという私の虚言を嘘にしない為にも、この欺瞞は必要だ。

 こっちはあまり期待していないが、ハサンの姿はまあセイバーに見えなくもないだろう。 クラスをアサシンと侮ってこの場で勝敗を決しようと逸られては困るのだ。

 戦力査定というだけならば、藪蛇を嫌ってランサーが退く事も見込める。

 とは言え、わざわざ単騎で間桐の屋敷にやってきた事を考えれば他所でも同じ事をやっている可能性がある。

 もし私達がランサーに取っての七騎目ならば、クラスを見抜かれるも同然の振る舞い。

 ことアサシンというクラスにおいてその所在を明確にするのはデメリットでしかない。

 そのことに満足して引いてくれるなら御の字、欲を出してこの場での打倒を視野に入れられた場合は、全力で戦って無様に逝く事にしよう。

 そうならないよううまく事を運ぶのが私の役目なのだが。

 右手の令呪に重なった蟲に許容外の魔力を注ぎ込む。令呪の起動のカモフラージュになればいいが、サーヴァントというのは目が良いらしい。

 普段の私ならまずやらない無策。苦い笑みが溢れるのも已む方無しだ。

 魔方陣を組まず、詠唱すら省略した強引な契約だ。成立させるための条件は魔力の量と加速。

 過剰量の魔力をきちんと変換するために、最悪の効率で空気中の水分を操作する。

 熱量への介入が最も容易そうだが、

 

『それ、熱くないんだろうな?』

 

 ハサンのわがままでボツになった。

 

『…………………霊体に影響が無いようちゃんと取り計らう』

 

 ハサンの要求に応えるべくプロセスを変更し、魔術行使を準備する。

 要は召喚を模した靄が出ればいいのだ。難しく考えるな、私。

 限定礼装『蟲の匣』を起動。左腕を為している蟲達が形を変え体内を駆け巡る。

 メイン六十本とサブ二十三本三列からなる本来並列な魔術回路が、左腕に擬態した蟲と刻印虫で作り上げた擬似的な回路で直列した円陣に組み直される。

 ほぼ間を置かず限定礼装『蟲の檻』から流入するオドが、歪な構造の魔術回路を自壊寸前で疾走する。

 あとは解き放つタイミングだけを間違えなければ形にはなるか。

 過負荷に刻印虫の回路が焼き切れ、許容外のオドの奔流に回路が軋み悲鳴をあげる。

 騙す以上は迫真でなければならない。多少の痛みは覚悟の上だ。

 

「――――告げる。

 我は常世総ての善と成る者、

 我は常世総ての悪を敷く者。

 汝三大の言霊を纏う七天、

 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」

 

 一息での詠唱には何一つ言霊など乗っていない。

 ほぼ同時、前方一メートルの地点、二メートル四方に魔術的手法で集められた水分子が飽和水蒸気圧に従って科学的に液化する。

 幸い周囲は花壇に囲まれて塵には恵まれている。過飽和は避けられそうだ。

 加減を誤らぬよう、環境への操作を断続的に行う。

 現象の準備こそ科学を逸脱しているが、現象自体は科学の範疇。エーテルで構成されるハサンには影響するまい。

 そこまでの気配りが必要なのか甚だ疑問だが。

 空気の流れを操作し、靄を下に押し流す事でハサンを喚び出した状況を視覚的に再現した。

 水はともかく風の操作は専門外。ましてこういう細々とした魔術は最も私が苦手とする分野。実に酷い魔力効率だ。

 晴れていく靄の中、ハサンの姿が見える。

 

『皐月は舞台の裏方とかできそうだな』

 

 余裕綽々といった風情のハサン。いっそ楽しそうな気配すらするのは気のせいではあるまい。

 

『どこで身に付けた、そんな知識』

 

 慣れない魔術に疲弊しきったマスターを放って一体何を考えているのか。分からなくはない。しかし、後は任せておけとどうして素直に言えないのだろうか、こいつは。

 

「サーヴァントアサシン、召喚により参じた………………などと呑気なことを行っている場合ではなさそうだな」

 

 油断なくランサーを見据えたまま、ハサンは剣を抜く。

 見抜かれていればお笑いにしかならない茶番だというのに、なかなか堂に入った演技だ。

 

『お前だって役者になれそうじゃないか』

『………………皐月は案外根に持つな』

 

 軽口を叩きながら、私の目はランサーを凝視している。

 

「随分と待たせてアサシンとはな。ちったあ楽しめるんだろうな、てめえ」

 

 果たしてランサーには気づいた様子がない。

 気付いた上で気付かない振りをしているのか。

 小手調べと言わんばかりに払われる横薙ぎの一撃をハサンが手甲で摺上げた。そのまま一歩前に出るハサンを引き戻した槍の穂先でランサーが牽制する。

 見る限りハサンの動きに淀みはなく、またその表情にも陰りはない。

 

「ま、仮にも英霊ならこれくらいはできるわな」

「返す言葉もないな。あまり侮っているとあらぬところで命を落とすことになるぞ、ランサー」

 

 楽しげに鼻を鳴らすランサーと、憮然とした態度のハサン。

 放っておいても大丈夫そうなのでさっさと逃げることにする。

 ゆっくりと下がる私を視野にいれつつ、ランサーはハサンから目を逸らさない。追わないでくれるらしい。

 

『一切を任せる。適当なところで退き上げてこい』

『分かっている』

 

 確かな返事を背に私はその場を後にする。撤退を前提としている以上、私がこの場に留まってもハサンの邪魔にしかならない。

 あとはハサンに期待するとしよう。

 

 

 

 

 

「サーヴァントを置いて自分はさっさと逃げるってか。大した奴だな、お前のマスターは」

 

 くるりと槍を取り回し、拳一つ分、ランサーは槍を短く握った。

 

「居ても邪魔にしかならない。弁えていると俺は判断した」

「そりゃどうだかな」

 

 軽口を叩きながらもランサーの槍は止まらない。

 ランサーがわずかに短く槍を握り直したのは、一歩前に出た俺が懐に入るのを警戒してのことだろう。

 逆に言えばその僅かな握りの差で、俺の動きに対応出来ると踏んだということだ。

 仮にも英霊、その目測に誤りは無いだろう。俺もその対応で正しいと判断した。

 皐月がどう見たかはともかく、やはりランサーの技量は俺を上回っている。

 リーチの差は如何ともしがたく、俺がランサーに脅威を与えるためにはあの槍に相対してなお間合いを詰める必要がある。

 ものは試しと無造作に更に一歩を踏み込む。

 

「っとぉ」

 

 とたん鋭さを増す突き。俺は後退を余儀なくされる。

 たった一歩の距離がランサーの質を大きく変える。

 直線的で早いだけだった突きは防ぐことすら難しい槍衾に姿を変え、いささか大振りだった払いは、腰を梃子にした重い物へと切り替えられる。

 やはりこれでは届かない。次はもう一手凝らす。

 牽制の突きを捌き、払いを逸らし待ち続ける。

 そうして待ち続け、極稀に予告なく現れる本命、心臓狙いの一撃を半歩横に滑ることで中心線からずらし半身に躱す。

 それが槍である以上、加えられる動作は払いか引き戻し。

 ランサーが選んだのは後者で、俺の要求を満たす物。

 引き戻される槍と共に一歩を踏み出す。

 ランサーの眼がわずかに鋭さを増した。

 この位置ならランサーはまだるっこしい牽制などしてこない。必殺を意図した槍ならば、その軌跡を絞る事ぐらい容易く、そして今の俺にはランサーの次の手に対応する用意がある。

 予想される全ての攻撃を払い、或いはかわせる運動。それらは更なる一歩を踏まえた物。意識は更に研ぎ澄まされ、視野はランサーの両腕に集約される。

 が、その一撃がこない。

 代わりにランサーが一歩下がった。

 たった一歩下がるだけで、俺が積み上げた思考を無駄にできるのだから随分と割に合わない遊びだ。

 

「なかなかどうして、やれるじゃねえか、アサシン」

 

 そう、遊びだ。ランサーにやる気があれば、サーヴァント中最速と謳われる脚力を活かさない手はない。

 にも関わらず突っ立ったまま槍を振り回したのは、俺の戦力を測るため。

 しかし、皐月が予想するように敵サーヴァントの実力を測り、聖杯戦争を有利に戦おうなどとこの男は思っていない。

 武人でこそないが、生き残るため武芸を磨いた身には分かる。

 己が全力で戦うに足る相手か、戦って楽しめる相手かどうか、ただそれだけしか頭にないのだ。

 

「手を抜かれた状況でようやく、というところだがな」

 

 ランサーの言葉は俺を下に見た物だが、この条件下では俺がランサーに届かないのは事実だ。

 ランサーが手を止めたのは疲労からではなく、取り敢えず真面目に戦うに値すると俺を評したから。

 つまりはここからが本番で、俺はそんなものに付き合うわけにはいかない。

 

「素直じゃねえか。なんだ、あんなマスターでも逃がせればそれで満足ってか?」

「そのために喚ばれたのなら、役割を果たすのみ。命に忠実なのがアサシンの売りだ」

「はっ、会ったばかりの奴になんだってそう忠義立てするんだかな。名誉の戦死とか好みなのかい?」

 

 なんとか顔には出さなかった。欲しかった言葉をランサーから引き出した。

 皐月の懸念は取り敢えず解消されたと見るべきで、これ以上ランサーに付き合う義理はない。

 時間にして三分ほどは稼げただろうか。皐月の身体能力なら十分距離は取れているだろう。

 

「言っている意味が分かりかねるな。それでは今から俺が死ぬと言っているようだ」

「………………そう言っているつもりだが?」

 

 ランサーの肩に担がれていた槍が、再び穂先を俺へと向く。

 慌てることなく手は懐に。かつて忌避し、さんざん面倒をかけてくれた物に助けられるとは不思議なものだ。

 一切を任せると皐月は言った。ならばそれに応えよう。

 

「生憎だが帰って来いとマスターが仰せでな」

「お、おい、どこにいったてめえ」

 

 あたりを見回すランサーの動きは奇襲に備えた見事なものだが、生憎俺は一歩も動いていない。

 ただ、見えないだけだ。

 エデンの果実に魅せられれば、英霊といえども洗脳は免れない。

 とは言え破ることが出来ない物ではない。

 今のうちに引き上げるとしよう。

 

 

 

 

 

 強化した体を駆りひたすらに走る。

 人気のない道を選んでいるとはいえ、誰かに見られでもしたら都市伝説になりかねない。

 認識阻害の魔術もこれだけ派手に動きながらでは満足のいく成果を挙げてはいないだろう。

 遠坂の事をとやかく言えないな、と笑おうとして失敗した。

 心肺機能は蟲の補助を受けてかろうじて機能していると言っていい。

 ただ速く走るという行為を命じられた肉体は無駄な動作を許容しない。

 はぁはぁと浅く早い呼吸はまるっきり犬か何かで、我ながら浅ましい限りだと自嘲したところで、走り疲れた犬のように私は大きく姿勢を崩してつんのめった。

 顔から倒れこむようなことこそ無かったが、時速五十kmで抱きしめてくれたコンクリートは綺礼の拳ぐらいには優しい。

 ごろごろと転がった挙句、壁にぶつかって止まった私。

 強かに打った肩を押さえながらずるりと身を起こす。

 一体なんだって言うんだ、全く。

 

『ハサン、一声かけろ!』

『すまん、忘れていた』

 

 もちろん転んだ八つ当たりをしたわけではない。

 馬鹿な演技に魔力を使い果たし、なけなしの魔力を強化と認識阻害に割いて走っているというのに、突然ハサンにごっそり魔力を持っていかれた。

 強化が切れれば当然私の脚は速度に耐え切れずもつれる。受け身を取れたのは一重に綺礼のお陰と言えるだろう。

 こんな状況に置かれているのは綺礼のせいなのかもしれないのだけど、取り敢えず感謝してやろう。

 魔力切れでは必死に走ったところで思うように距離は稼げない。とはいえ二、三分走ったから距離にして三キロ弱の余裕はある。

 サーヴァントがどれくらいの速さで走れるのかなんて知らないが、ハサンに返答する余裕があったところを見れば歩いたって問題あるまい。

 

「いったい何に使ったんだ、あいつ」

「宝具を使わせてもらった」

 

 独り言に返事があるのはもう慣れた。

 

「無事で何よりだ。にしても宝具を見せたのはやりすぎじゃないか?」

 

 任せると言ったのは私だが、そこまでのサービスは予期していない。

 他の参加者はいざ知らず、私にはボーナスステージがあるかもしれないのだ。伏せておける手札は多いに越したことはない。

 

「向こうはそれと気付いていないはずだ。それより皐月、あの茶番だが」

「思い出したくもないんだが、聞くよ」

「ランサーは騙せたみたいだ」

 

 まあ騙せなかったら本当に馬鹿みたいなのでよしとする。

 それよりもこれからのことだ。

 

「ハサン、大事な話がある」

「聞こうか」

 

 解れた会話に緊張が戻る。

 

「情報収集はやめだ。以降私の警護を頼む」

「……………おい、まさかさっきので怖気づいたのではないだろうな? その程度の物だったのか、お前の願いは」

 

 ハサンの顔は失望というより憤怒に近く、それは私達の関係が良好な証だ。

 しかし言葉をケチったのがまずかった。

 

「ちがう、他所から取れる情報はもう無い、というだけの話だ。ランサーのように自分を使って戦力査定なんてお前にはできないだろう?」

「それはそうだ。俺は暗殺者だからな」

 

 いっそ皆殺しにしていいなら話は別だが、聖杯戦争自体には不要な条件を私は満たそうとしている。

 桜の生死。衛宮の生死。遠坂と桜の因縁。

 マスター殺しを旨とするサーヴァントを駆って、うち三騎のマスターの生存を必要とする重しが私を縛っているのだ。

 それだけ? 

 馬鹿を言ってはいけない。キャスターが落ちた今、サーヴァントは残すところ六騎。

 今上げた条件に抵触しないのはわずかにランサーとバーサーカーのみ。

 ランサーにこちらから接触するには運がいるし、バーサーカーはまあいろいろと無理がある。

 

「それで様子見か」

「事態が動くまでの、だけどな」

 

 バーサーカーに関してはマスター殺しを狙えないという事はないだろうが、マスターはアインツベルン。馬鹿でかい城に居を構える御三家の一角だ。

 しちめんどくさい罠が仕掛けられているのは想像に難くない。

 それに現状、最も難しい立場にあるのはランサー陣営だ。

 規格外のバーサーカーは当然、残りの四騎は2つの陣営に分かれている。

 マスターが割れていないという一事が状況を五分にしているだけで、動かせる戦力に不安を抱えている。なまじ情報を揃えているからこそ動きにくいはず。

 

「現状問題なく動けるのは遠坂達とアインツベルンだけだな」

 

 だから動いて問題ない方々に動いてもらおうというわけだ。

 

「それは構わんが、ランサーは置いても他陣営から見て一番弱そうなのは間桐じゃないのか?」

 

 間桐のサーヴァントはライダーのみ。ランサー以外はそう認識しているはず。

 

「その通りだ。当然そのあたりも考えてあるから、まあ見ていろ」

 

 ランサーのお陰で奇襲の恐ろしさは身にしみた。

 だから次はそのあたりにつけ込んでみようと思う。




なんだかギャグっぽいことになってしまった。いっそ全部書きなおせばいいものを、リサイクルにこだわった結果がこれ。
しょうがないね。


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12

9/9 11修正。


 家に戻ると桜が玄関に立っていた。

 桜の気性を考えれば予想できたことだが、あれだけ言っておいてこのザマでは姉として格好がつかない。

 あちこち擦り剥いて服を台無しにしているのだから取り繕いようもないのだが、とりあえずは、

 

「ただいま桜。その、なんだ」

「ね、姉さん一体何が」

「風呂に入ってきていいか?」

 

 全身汗でぐっしょり濡れて気持ち悪いし風邪を引きそうだ。

 

 

 

 風呂から上がった私は部屋に帰って寝ようとしたところを桜に捕まった。

 

「それで、いったいなにがあったんですか?」

 

 桜に詰問されるのは久しぶりだ。

 もちろん正直に答える訳にはいかない。私は嘘、乃至冗談を口にすることになる。

 

「冷や汗といい汗をかいてきた」

 

 桜の手には処置無しと判断してゴミ箱に投げ込んでおいた服が握られている。

 地味かつ作りがしっかりした服を好む私だが、買い物という行為は嫌いだ。

 自然私の服を買ってくるのは桜で、いつも姉さんの服選びは手間がかかると文句を言われていることを思い出す。

 桜の機嫌が悪いのは、血と汗とほつれでぼろぼろになった服を勝手に廃棄したからだろうか。 

 

「これ、捨てちゃうんですか?」

「………………もう着れないだろ、それ」

 

 葛木の血と私の汗ぐらいなら洗えば落ちたかもしれないが、あちこちささくれた生地は元に戻らない。

 

「そうかもしれませんが………………」

「買ってきてくれた桜には悪いがな………………ああそうだ」

 

 さも今思いついたという風に口を開く。

 

「桜、明日買い物にいかないか?」

「買い物、ですか?」

 

 目を白黒させる桜を眺めながら、やおら策が形を為していく。

 聖杯戦争の最中、買い物に行くという無謀。

 同時に買い物嫌いの私がそれを口に出したという珍事。

 迷った挙句に桜が出した答えは私を満足させるもので、明日を楽しみに私は寝床へと潜った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──約束を果たせなかった男に、しかし人々は歓声を惜しまない。多くの血が流れたことは確かだし、男の独力でもなかったが、それでも男は英雄だった。

 ──我らの王に、と声高に叫ぶ声がある。男は満更でもなさそうに笑って応える。

 

 男がそれを望んでいることも知っていたし、かつて、それは叶わなかった事もしっている。だが。

 

 ──アッコンを奪還し、我らを再びここへと導いた男が我らの王で何の問題がある! 異論あるものは申すがいい!

 

 この戦いを成功へと導いた三人の英雄の中でも最も長くこの地で戦い続けたこの男が、遠からず王位に着くのは必定だ。

 前王たるギー・ド・リュジニャンは当然、獅子心王でさえ、アル・マルキシュの手からその地位を奪うことは叶うまい。

 命が下るとすれば長年あの男を監視し続けた我にである。

 一度命を受けたならそこに迷いはない。

 だが、ようやく安定を取り戻し始めたこの地に諍いの種を撒いてまでそれは成すべきことなのかと、そう思っているのも事実だった。

 治める者が誰であれ、過ごす民に安寧があるのなら、我らの牙は収めるべきではないのか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、眠りから覚めた私は思いの他快適に目覚めた。

 適度な運動が体にいいというのは本当なのかもしれない。

 日頃なら二度寝を楽しむ時間だったが、そんな気分ではない。

 もぞもぞとベッドから抜け出して、適当に着替える。

 余った時間を潰すべく居間に入り茶を啜っていると、桜が顔を出した。

 桜は制服を着ずに、私服、それも出かける格好をしている。学校をサボる気なのは言わずとも察してくれたらしい。実に優秀な妹だ。

 

「ずいぶん早いですね、姉さん」

「ああ。妙に寝覚めが良くてな」

 

 厨房に入った桜を追う。

 下準備は昨夜のうちに終えていたらしく、桜はてきぱきとそれらを調理していく。

 

「座ってていいですよ姉さん」

「うん」

 

 手伝おうにも邪魔になる手際の良さだ。見ていて気持ちがいいので邪魔にならないよう隅から眺めることにする。

 

「桜、解ってると思うが、今日の外出は釣りだ」

「ええ。でも先輩達は学校に行くと思いますよ?」

 

 なるほど、桜があっさり承諾したのはそれが理由か。

 思うところはあるが、桜がそう考えているならば好都合だ。

 

「それでも、だ。まあ襲撃される危険は無いに等しい。私ならまず手を出さない」

 

 釣り餌ではないのかという疑念が行動を妨げる。

 確固とした自負、あるいは無謀。食いつきそうなメンツには対応できる。

 

「姉さんがそう言うのなら私は別に。でもちゃんと買い物には付き合ってくださいね」

「………………ああ、わかってるさ」

 

 にっこりと笑った桜の顔は酷く威圧的で、私はそそくさと厨房から退散した。

 

 

 

「随分夕べは慌ただしかったようじゃが、なにかあったか、皐月?」

 

 このところ爺様の機嫌は実にいい。いよいよ願いが叶いそうだというのだから、それも当然か。

 

「爺様が気を揉むような事じゃないさ。ちょっと死に掛けた、ぐらいの話だ」

 

 魔術師ならば別に珍しくもない事だ。

 

「カカカ、まあ今生きておるならそれでよい。気をつけよ」

「ああ、それで今日は意趣返しをしてみようと思ってな。今日は桜と二人で外出する」

「ふむ。そう容易く釣れはせんと思うがのう」

 

 爺様は私の言わんとする事をあっさりと察した。

 

「釣れない事に意味があるんだ。先に痺れを切らした方が負け。キャスターの一件で思い知った」

 

 無意味だったとは言わないが、キャスターの排除は全てのマスターにとって利益であり、それはつまり手間を負った私達がその分損をしたと言い換える事ができる。

 何もせずに利益が上がるならそれに越したことはない。

 

「…………慎二はどうする?」

「さあ、慎二次第だな」

 

 我関せずと味噌汁を飲んでいた慎二が露骨に嫌そうな顔をした。

 

「なんだ、いやなのか」

「嫌だろ普通。女の買い物になんで付き合わなきゃならないのさ」

 

 その割には取り巻きの女の子にあれこれ奢っていると聞いているが。実は私と一緒で買い物が嫌いなのだろうか。

 

「私はどっちでもいいんだが、まあお前の身の安全を考えただけだ。一人無関係を主張するのと、関係者としてサーヴァントの側にいるのでは、どっちが安全かと思ってな」

「…………そんなの分かるわけないじゃないか」

 

 そう、分かるわけがない。だから決断を慎二に任せたのだ。

 

「ふむ、まあよいじゃろ。好きにせい」

 

 状況を分ける程の行動ではないせいか、爺様も半ば投げやりだ。

 無茶だけはするなと言い置いて屋敷の奥へ戻っていった。

 

「それにしても学校を堂々とサボるとはね。姉さんはともかく桜はそういうの嫌いだろう?」

 

 慎二の疑問は的外れだ。

 むしろ桜は学校に行きたくないはずだ。この状況で遠坂や衛宮と顔を合わせるのは気まずかろう。

 

「昨日の事を考えると遠坂との協定も信用出来ない。まあ、桜が遠坂を殺す決断ができたら一緒に行ってやってもいい。殺せないなら私が殺してやるし、殺したくないなら、殺さずに済ます道を探せ」

 

 姉殺し。辛い道だが、桜がそれをせずにいるのは血肉を分けた姉への親愛からだろうか?

 

「…………姉さんは相変わらず厳しいですね」

「お前は慎二と違って強いからな。ああでもしんどくなったら泣いてもいいぞ。ちゃんと可愛がってやる」

 

 もちろん対価は頂く事になるのだが。

 ぺろりと唇を舐めると隣で慎二が悲鳴を上げた。うるさい奴だ。

 

「…………姉さんはやっぱり怖い人です」

 

 

 

 結局学校に行くという慎二を見送り、さて出かけようかというところで思わぬ邪魔が入った。

 

「サツキの意図が私には分からない。桜の身に危険が及ぶ可能性がある以上、私は反対です」

 

 柳眉に皺が寄る。目を覆っているのにライダーの表情は分かりやすい。

 とはいえどこにいて何をしていようとと危険はつきまとう。常日頃と同じ行動を取ってさえいれば安全ということはない。

 ライダーとてそのあたりは了解しているだろうから、この反駁はマスターたる桜の主体性に私が干渉することを嫌ってのものだ。

 

「そうは言うが、学校に行けばそれはそれでマスターと顔を合わせる事になるんだぞ?」

「それは、そうですが」

 

 後ひと押しは餌で釣ろう。

 書斎に篭っているライダーが一際バイクのカタログに興味を示していたのを私は知っている。

 

「あと、これは完全に私の都合だが、バイクの慣らしをしたくてな」

 

 案の定ライダーの顔に迷いが出た。感情的な問題で強く反対するほどライダーは強情ではない。餌で釣ってやれば容易く覆せる。

 

「く、ずるいですねサツキは。ええ、出来れば一度バイクに乗ってみたいと思っていました」

 

 とはいえ生憎とライダーが期待するようなぶっ飛んだバイクはない。

 普通二輪を取った記念に買ったSR400。純正の側車が付いているのはもちろん将来のことを考慮に入れてだ。

 

「サイドカー付きなんだが、構わないよな?」

 後ろに私が乗って認識阻害を続ければ、無免許でも問題ないだろう。仮にもライダーだし、事故を起こすようなこともあるまい。

 

「サイドカーとはなんですか?」

「あー、まあ二輪車の横に荷物やら人やら積める側車をつけた物だな」

 

 法令上は動力の有無などめんどくさい区分があるのだが、無免許上等のライダーには関係ないだろう。

 

「ふむ。それで構いません」

「ただし後ろに私を乗せろ。アレは一応免許がいるからな、後ろで認識阻害を掛けないとな」

 

 聖杯戦争時に真昼間から魔術行使なんて狂っているが、私は目立つ必要がある。

 桜を側車に回したのは、私が桜に負担を掛けないよう配慮しているというポーズ。

 

「……それではサツキに迷惑がかかるのでは?」

 

 こっちを伺うような態度は桜そっくりで、なるほどマスターとサーヴァントは似るらしい。

 

「二輪は整備してやらないとすぐ機嫌を損ねる。乗らないのに整備するのは正直苦痛でな」

「…………サツキは交渉上手ですね。分かりました。条件を飲みましょう」

 

 やる気を見せるライダーに頷いて返し、私は準備に取り掛かった。

 

 

 

 てきぱきと整備をする私を食い入るようにライダーが見つめている。そんなに面白いだろうか。

 ヘルメットを渡してやると嬉しそうに被った。

 

「じゃあ行くか。桜、窮屈じゃないか?」

「いいえ、ちょっとわくわくしてます」

 

 そういえば側車に誰かが乗るのは初めてだ。

 

「私の遊びに突き合わせているようで悪いですが」

「気にしないで、ライダー。無理を言ったのは姉さんなんだから」

 

 二人して悪者にされると居心地が悪い。抗議代わりにライダースーツに身を包んだライダーにしがみ付く。

 

「冗談ですよサツキ」

 

 意図は伝わったらしく苦笑が漏れ聞こえた。心なしか桜の視線が恐い。

 

「………………ライダーを取ったりはしない」

「ならいいですが」

 

 初めてとは思えない手際でライダーが発車する。

 この分なら振り落とされる心配はしなくて良さそうだ。

 簡易結界をかけ、操縦者を私だと誤認させる。何かの間違いで検問にでもひっかかったら私の免許を使わねばならないからだ。

 初めての二人乗り。それも後ろは経験したことがないので、落ち着かないのではと思っていたが、ライダーはしがみ付き甲斐のある体なので悪くない。

 

「あの、サツキ?」

 

 ヘルメット越しのくぐもった声が、私の手を止めた。

 

「なんだ、思ったほどではなかったか?」

「ああいえ、従順で実に乗りやすい。そうではなくてですね、何故そんなにしがみ付くのですか?」

「危ないからだ。私は魔術行使に意識を割くからな。振り落とされてはたまらない」

 

 これはもしかすると桜より大きいかもしれないな。

 ウエストも締まっていて無駄がない。

 あちこち弄っているとライダーが私の手を掴んだ。

 

「く、くすぐったいのですが」

 

 この当たりが引き際だろう。

 

「それはすまなかった────ライダー、分かっているとは思うが」

「────ええ。一組を落としたとなればこちらの疲労を予測したマスターは私とサクラを狙いたがる。これは撒餌なのでしょう?」

「正解だ。よかったよライダーがちゃんと考えていて」

「それはどうも。しかし話の切り替えが無茶苦茶です」

「怒るな。しかし随分反応がよかったぞ、ライダー。もしかしてそっちのケもあるんじゃないか?」

「────サツキ?」

 

 ゾッとするほど低い声。からかいすぎたようだ。

 

「悪かった。真面目な話、な。認識阻害の程度を下げて探査に意識を割いてるんだ。普通にするから掴まらせてくれ」

「分かりましたが、次はありませんよ」

「分かったって。しかし私は結構ライダーは好みなんだがな」

「…………まだ言いますか」

 

 げんなりしたように言葉を切ったライダーだが、私の魔力制御がそこそこ複雑なのを把握したのだろう。黙って運転に戻った。

 もっとも私が四苦八苦しているのはレイラインの隠匿だ。

 

『そこから左奥のビルの上、遠坂の陣営がいる』

『こっちに気が付いているか?』

『ああ。凄い顔で睨んでいる』

 

 怖い。遠坂には随分嫌われたようだ。

 

『弓を出したアーチャーを遠坂が止めた。仕掛ける気は無いらしい』

『分かった。監視を続けてくれ』

 

 好都合。どうやら衛宮と遠坂は四六時中共にいるわけではないようだ。遠坂は桜次第だが、衛宮に関しては殺さない加減がいる。

 二人まとめて相手にするのは難しいと思っていたところだ。

 

「ライダー、アーチャーペアがいた」

「っ、こちらを──」

 

 取り乱しかけたライダーをきつく抱き締めて黙らせる。察知した事を気取らせては駄目だ。

 

「ああ見ている。手出しする様子は無いからそのまま知らぬ振りをしろ」

「…………何をする気ですか?」

「ついてくるようなら衛宮と遠坂を分断できる」

 

 遠坂ならば昼日中にサーヴァントを争わせるような事態は避けるだろう。

 

「……分かりました────サツキは桜に手を汚させたいのですか?」

「いいや。ただ桜にとってどっちを選ぶも重要な決断だ。ならばその決断と責任を自分で取れるようにしてやりたい」

「貴方はいい姉だと思いますよ、サツキ」

 

 ライダーの警戒が少しだけ薄れた気がする。

 遠坂もしっかりついてきているようだし、精々時間を潰してやろう。

 



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13

まさかの切り取り失敗。投稿後すぐ読んでくださった方は意味がわからなかったかもです。すみません。


「なあ桜、まだまわるのか?」

 

 ヴェルデを彷徨くこと四時間、私の疲労は限界に達しようとしていた。

 実体化したまま付いてくることを選ばなかったライダーは実に賢い。本命の理由は遠坂の監視を嫌っての事だろうけれど。

 両手にぶら下げた紙袋は七つ。幾つかは違う店で買った物をまとめてあるから実際はもっと多くの店舗を回ったことになる。

 なにより流行に逆らう私の趣味を店員に諒解させるのが辛い。益のない会話がこんなにしんどいものだとは知らなかった。

 店舗を変える度にその手間が発生するものだから、私は途中から無口を装って桜の後ろに隠れていた。

 いざ買うとなっても桜はいちいち試着するように強要してくる。

 そんなことをせずとも桜が買ってきた服でサイズに困ったことは無いのだからと言おうものなら精神攻撃が容赦なく飛んでくる。

 普段ならともかく弱った私に逆らう術などなく、只々桜の着せ替え人形になる他なかった。

 一日に二十回以上着替えたのは初めての事だと思う。必要のない経験だ。

 

「んー、もう一軒ぐらい回りたいですが、お腹が空きましたね。ご飯にします?」

「そうだな。うん。実にお腹が空いた」

 

 腹など減っていないがこれ以上は嫌だ。

 憔悴している私とは対称的に桜は出発前より元気になっている気がする。

 

「何にしましょう? 姉さんは食べたいもの、あります?」

「長く座っていられるところならどこでもいいよ」

「あはは、立ちっぱなしですからね」

 

 そういうことじゃないけれど、もうなんだっていい。帰りたい。

 

『ハサン、遠坂はどうなった?』

『上から皐月達を眺めている。あちらも相当参っているようだな』

 

 買い物をしているだけならともかく、監視のために四時間張り付くのは辛かろう。仲間意識が芽生えるのと同時に少しだけ同情した。

 何にせよ付き合ってくれたことには感謝しなければならない。

 これで早々に見切りをつけて帰られては意味が無いのだ。

 陣営ごとに見れば安定した強さを持っているように見える衛宮と遠坂の同盟だが、個々の戦力として考えた時、衛宮は大きな弱点だ。

 聖杯戦争を単純化して捉えれば、各陣営には平等にリスクが振りかかる。

 こうして遠坂を切り離しておけば、衛宮は一人になる。サーヴァントの性能までは知らないが、半人前故に背負うリスクは跳ね上がる。

 遠坂とて同盟を組んだとなれば衛宮になんらかの対策を与えているだろうが、魔術も心構えも一朝一夕で身に付くものではない。

 身に危険が及べば当然衛宮は遠坂に援護を要求するだろうし、そうなればその危機は私の知るところになる。

 それがどれだけのメリットを私に与えるかは語るまでもないだろう。

 そういう意味でこの餌に掛かったのが遠坂だったのは幸運と言える。

 もちろん他の陣営が釣れた時の事も考えていた。

 ランサーはそもそも私をマスターだと知っている。サーヴァントニ騎を相手に、それも昨日襲撃されたマスターが無策でうろついているとは考えまい。

 バーサーカーならどうか。打倒するとなれば十分な脅威だが、逃げるだけなら容易く、また場合によってはハサンによるマスター殺しを狙える。

 衛宮なら懐柔してもいい。三流魔術師相手なら手の打ちようはいくらでもある。

 オムライスを専門に食べさせる某チェーン店へと入る桜の背を追いながら、私は次の状況を考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨夜とは違った意味で疲れきっている姉さんは当然のように店の一番奥、六人掛けの席を占拠した。

 時間は二時を回った所で店内は空き始めたようなので、邪魔になるということもないだろうけれど、傍若無人に見えて人並みには気を使う姉さんらしくない振る舞いだ。

 心が荒むほど疲れているのかもしれない。

 

『ライダーも疲れた?』

『いいえサクラ。しかし、サクラは意外と丈夫なのですね。サツキの疲労は納得ですが』

 

 テーブルに顎を乗せようとした姉さんがちらりとこっちを見て、肘をついて顎を支えるに留める。

 本当に疲れているようだ。

 

「姉さんはやっぱり買い物嫌いなんですね」

「なんだ、顔に出ていたか?」

 

 的はずれなことを言う姉さんが面白く、わたしものってみる。

 

「はい。眉間に皺が寄っていますよ」

 

 額に手を当てて眉間を揉みほぐしている姉さん。たまに抜けた事をする人だが、未だにわたしはその真贋を見抜けない。

 ふと姉さんの眼が一点を見たままなのに気づき、視線を追って振り返る。

 

「ああ。映画とかでよくありますよね」

 

 追った視線の先にあったのは店の入口。姉さんはそこを視界に入れられる位置を選んだのだと納得した。

 

「ん、うん。ほら、あいつの性格を考えるとありそうだろう?」

 

 あいつ。遠坂先輩の事だろう。

 ライダーから教えられた時には取り乱しもした。この外出の意図は聞いていたけれど、遠坂先輩は学校に行くものだと思っていたし、姉さんはわたしがそう考えていることを知って否定しなかった。

 

「姉さんはずるいですよね」

「ずるい、か。桜に言われるとは思わなかった」

 

 意外そうな顔で姉さんは言う。

 

「わたしは正直者ですよ」

「私だって嘘はつ────吐くこともあるけどさ。なんだ、意地悪な姉が弱ってるのをいいことに、今のうちにいじめておこうという算段か?」

 

 らしからぬ全面降伏。それでもわたしを悪者にしようとするあたりが姉さんの強かさなのだろうか。

 

「はい。こんな機会でもないと姉さんは買い物に付き合ってくれないでしょうし」

「買い物に行く度いじめられるとなったら尚更買い物が嫌いになるな」

 

 残念。姉さんは終始仏頂面だったけど、誰かと買い物に行くのはとても楽しかったのに。

 

『さ、サクラ』

『どうしたのライ────』

「へえ。間桐先輩は買い物が好きでもないのにわざわざ学校をサボってまでこうして出歩いていたんですね。酔狂がすぎるんじゃないですか?」

 

 声。

 あり得ることだとわかっていたはずなのに動揺してしまう。

 姉さんの眼が先ほどと違いわたしの後ろを見上げている。気付かなかったのはわたしの落ち度だ。

 

「遠坂こそ。買い物をするでもなくわざわざ学校をサボってまでヴェルデの中を四時間もうろついていたんだな。酔狂がすぎるんじゃないか?」

 

 姉さんからだるそうな気配が消し飛ぶ。

 わたしはゆっくりと振り返り、目が醒めるような赤を認めた。

 

「…………遠坂先輩」

「…………こんにちは間桐さん」

 

 目を合わせることを躊躇うようならしくない逡巡のあと遠坂先輩は短く応えた。

 衛宮先輩の家での一件以来顔を合わせるのが気まずい。あの後姉さんが怒鳴り込んでしまったし、姉さんからその顛末も聞き及んでいる。

 

「それで。遠坂も昼飯か?」

「ええ。いい加減疲れたわ。相席いいかしら?」

 

 二人の声に敵対的な色がない事に愕然とする。先日の一件を分けて考えてもわたしも遠坂先輩もマスターだというのに。

 

「ふむ。私個人としては学園のヒロインが一人寂しくオムライスをかっこむ様子とかに興味があるんだが、桜、どうする?」

「えっと…………」

 

 いっそ姉さんの態度は楽しげで、その心中がわからない。

 

「ほんと意地が悪いわね」

 

 遠坂先輩も了承すら取らないまま席につき、メニューを眺め始める。

 

「なんでそんなに…………」

 

 自然で居られるんだろうか。理解できない。

 

「別に不思議な事じゃないぞ桜。ここは平日昼過ぎの平和なレストランだ。外面を気にする遠坂が猟奇的な事件を起こしたりはしない」

「あら、その割に間桐先輩は飢えた犬みたいに眼をぎらつかせてますね」

 

 毒を吐く姉さんをメニューから視線を上げた遠坂先輩が見下ろす。

 自然というのはわたしの勘違いのようだ。周囲の気温が下がったような錯覚を覚える。

 精一杯無関係ですという顔を取り繕い、運ばれてきた料理を受け取る。今のやり取りがウェイターさんの耳に入っていなければいいのだけれど。

 

「それはもちろん隙あらば私はお前の首を圧し折ってやるつもりだからな。鬱陶しい外野さえいなければ躊躇いなくポッキリやってやるんだが」

「平和な午後に物騒な話を持ちださないで下さいますか?」

 

 遠坂先輩の表情は何かに勝ったというようなそれで、

 

「物騒? 痴情の縺れは今時昼のお茶の間で流れる程度には茶飯事だぞ」

 

 しかし姉さんの一言で表情を改めた。

 

「…………あくまでそういうスタンスなわけね」

「そういうことだな。なんだってお前と情報交換なんかしなきゃならない?」

 

 つまり姉さんの言う外野とは周囲の客の事で、遠坂先輩はサーヴァントを指していると受け取った。ここで聖杯戦争の話には付き合わないと姉さんが突っぱねた形だ。

 

「へえ。貴方はそうでも妹さんはどうでしょうね。ねえ間桐さん?」

 

 あっさりと遠坂先輩はわたしに矛先を切り替えた。

 そもそもわたしは自発的に聖杯戦争に参加しているわけじゃない。考えるのは姉さんとお爺様の仕事で、私はそれに従うだけ。だから、

 

「えっと、わたしはその」

 

 視線で姉さんへと助けを求める。

 

「うちの妹をいじめないでくれないか遠坂。しかし柳洞の眼は正しかったな。今のお前は毒婦そのものだ」

「ちょっと、なんで柳洞君が出てくるのよ。あと関係ない人は引っ込んでいてくださいませんか、間桐先輩?」

 

 その言葉を受けて姉さんは黙った。

 ただ、その様子が尋常ではない。遠坂先輩の舌鋒に気圧されたと言うよりは、魔術の探求時にたまに見せる深い思考に落ちるような集中。

 

「…………関係ない? 舐めているのか、遠坂」

 

 低く威圧するような声色。先ほどのような遊び混じりのそれではない。

 

「もちろん。三流魔術師相手にわたしがどうしてまじめに取り合わないといけないのかしら?」

 

 何かを含ませるような遠坂先輩の答えだが、姉さんは意に介さない。

 

「…………いや、そこまで程度が低いとは思っていなかった。私は何度も告げているのだがな。ふん、これではわざわざ時間を潰した意味が無い」

 

 まるっきり興味を無くしたように姉さんはオムライスを食べ始める。

 

「うん、うまい。遠坂も早く何か注文してしまえ。私達が食べ終わってもお前を待っていてやると思わないことだぞ。気にしないというならそれはそれで面白いが」

 

 敵意の欠片もないそれは普段姉さんが使う外面で、つまりはこれ以上遠坂先輩に取り合う気は無いという意思表示。

 わたしはそれに従うしかないし、物騒な話は好きになれないから不満もない。どちらにせよわたしのしたい事はこの場ではできないのだし。

 姉さんに倣ってスプーンを手に取る。

 しばらく食器の音だけが場を支配する。遠坂先輩は沈思するように黙っているし、姉さんはただ食事のみを楽しんでいる。

 

「…………そう。じゃあ私はこれで失礼するわ」

 

 椅子を引く音と共に遠坂先輩が立ち上がった。

 

「なんだ、食べないのか」

「ええ。邪魔したわね」

「構わないさ。なあ桜」

「はい。遠坂先輩、また学校で」

 

 既に背を向けている遠坂先輩。迷った末にそう声をかけた。

 

「…………ええ、またね。間桐さん」

 

 小さくだけど、遠坂先輩は確かに返事をくれた。

 

 

 

 昼食後、買い物を切り上げたわたし達は依然続く遠坂先輩からの監視を受けつつ、駐輪場に立っていた。

 問題は側車に荷物を押し込んだため一人乗れないということ。

 

「んじゃライダー、桜を家までちゃんと送ってくれ」

 

 そして当然のように姉さんが別行動を取ろうとしていることだ。

 

「それじゃ姉さんが危ないですよ」

 

 この人はつい昨日死にかけたのを忘れているのだろうか。

 サーヴァントと敵対して逃げ切る事ができる訳などないのだ。よしんばそれが叶ったとしてもそんな幸運は何度も続かない。

 死んでしまえばそれまでで、血道を上げて伸ばしてきた手も無意味になるというのに。

 

「幸いさっきの会話で遠坂が全く私を危険視していない事が分かったからな。十中八九お前の後をつけるさ。ちょっと考えれば桜の行動にわたしが介入していることぐらい分かるだろうに」

 

 どうやら姉さんの不満は過小評価されたことにではなく、遠坂先輩が自分の出したヒントに食いついていないことに対しての物だったらしい。

 なんでも思い通りに動かしたがるところは姉さんも兄さんもそっくりだ。

 

「あれ、じゃあ今日の外出も無駄なんですか?」

「…………いや、無駄ではなかったさ。私の予測を外れたというだけで、遠坂とは実りある会話ができた。私はそろそろ遠坂を舞台から下ろしたい。桜、遠坂とサシで話をするなら今のうちだぞ」

 

 そして姉さんが兄さんと違うのは、人の考えを予測することに長けているという点。

 百中というほどではないし、正鵠を射ていない事もあるけれど、大きくは外さない。確かにそれはわたしの望みだ。

 まずはそこを片付けなくてはわたしは何も選べない。

 

「いいんですか?」

「いいさ。私はお前の自由を尊重する。話したくないことは話さなくていいし、聞けと言うなら耳を傾けよう」

 

 それだけわたしに責任を負わせるという事で、だから私は姉さんが恐ろしい。蟲は自ら考える必要など無いというのに、姉さんはわたしに人を思い出させる。

 矛盾。いや、いいのだ。考えるのはわたしの役目ではないのだから。

 

「サツキはお一人でどちらに?」

「衛宮にでも会いに行こうかと思う。こじれそうなら桜を連れてうまく逃げてくれ。桜に撤退の判断は難しいだろうから」

 

 息を呑んだライダーが何を言おうとしたのかは分かる。

 単身でサーヴァントを従えるマスターと相対する危険性。特に完全に敵対関係にあることを指摘しようとしたのだろう。

 

「口を挟んでくれなくて助かるよ」

 

 それは言っても無駄という諦めだろうか。

 

「姉さん、先輩になにを…………」

「ただの確認と揺さぶり。そんな恐い顔をするな。衛宮に手は出さない。まだ悩んでいるんだろう?」

 

 姉さんはよく嘘を吐く。すぐばれるような嘘から、それこそまだわたしが気付いていないような物まで。

 だからせめて自分で見極める。

 半ば睨むように覗きこんだ姉さんの眼は揺れること無くわたしの眼を覗き返していて、ただ表情は満足そうに笑っていた。

 

「はい」

「うん。じゃあ気をつけて」

 

 ライダーに発進を促すように手を振り、姉さんは一歩下がった。

 

「サツキこそ気をつけて下さい。マスターに心労を掛けられては困る」

「それはもっともだ」

 

 ライダーの腰を抱きながら姉さんを振り返る。

 遅れて目立つ赤い服がタクシー乗り場へと駆け込む。姉さんの読みは当たっているようだ。

 つい腕に力が入り、ライダーが変な悲鳴を挙げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 間桐邸、遠坂邸は洋館というもの珍しさもあって目立っているが、衛宮邸は純和風の大邸宅といった風情でやはりこの界隈では目立っている。

 大きい屋敷と言えばもう少し先に藤村の屋敷があったりするのだが、極道の屋敷と大きさを比較できるこの家は少々妙だとは思っていた。

 桜の話では衛宮は一人暮らしだし、その養父、という人物も五年ほど前に彼岸の住人になっていると聞いていたからだ。

 

「まさか、あの男に育てられたとはな」

 

 肩越しに髪を撫でる。

 十年前、恐らくは衛宮切嗣に持っていかれた髪と左腕。

 髪の恨みを義理の息子に返すほど私は暇でも偏執的でもないが、思うところが無いわけではない。

 開け放たれた門を潜るとからん、と澄んだ鐘の音が鳴った。

 

「へえ、侵入者相手の結界としてはよく出来ている」

 

 タタタ、と走ってくる足音を待たずに、インターホンを押す。

 敵意はあるが別に殺し合いをしにきたわけではない。

 やりたい、というのなら付き合う心積もりだが。

 

「…………間桐先輩か。一体何の用ですか?」

 

 家の奥から現れた衛宮はエプロンをつけていた。やけに似合っている。

 料理が得手というのは本当のようで、やけにいい匂いがする。シチューか何かだろうか。昼飯を摂った直後だというのに食指が動く。

 

「いやなに、近くを通ったから顔を見に来ただけだ。先日は失礼をしたからな」

 

 我ながら中身の無い答えだな、と苦い笑いを隠せない。

 

「戯言を。言え、一体何が目的だ!」

 

 音も無く側に寄ったセイバーがその不可視の剣先を私の喉元に突きつけていた。

 もちろんハサンを通して知っていた私は、微動だにせぬままセイバーを睨み、そして衛宮へと視線を移す。

 衛宮は話をしにきた相手を切りつけるような男ではない。

 

「セイバー、やめてくれ」

「しかし────」

 

 反論は認めないと言わんばかりの強い視線にセイバーが黙る。なかなかどうしてマスターをしている。

 

「…………それは、俺も配慮が足りなかったからいいんです。ただ、遠坂に聞いたんですけど桜がマスターって本当ですか?」

「そうだ。だから桜の身を案じて、という理由で桜を側に置かないのは無意味だ」

「でも…………桜には────女の子に危ない目に遭って欲しくないんです」

 

 それは論理として完結していない。

 

「お前は遠坂を側においているだろう? そこに桜が居ないのは何故かと、ただそれだけの話だ。お前の側が危ないと言うのなら遠坂は危険に晒していいと言う事になる」

「それは…………」

 

 しかしなんだって私は小姑の真似事をしているのだろうか。

 

「まあマスターとしての助言でも貰って借りがある、というなら分からんでもないがな。お前は惰性で遠坂と同盟を組み、桜を退けたのか? そうだとすれば二人に対して失礼だ。よもや桜の気持ちに気が付いていないわけではないだろう?」

「遠坂との同盟にそんな感情なんか挟んじゃいない。桜の気持ちにはきちんと答えを出す。どうなるかはまだ分からないけど傷つけるような事はしない。それじゃだめなのか?」

 

 憮然とした態度の衛宮だが、まるで分かっていない。

 これは要するに、とある姉妹の殺し合いが現実になるとすれば、そのきっかけはお前にあるのだぞ、という未来への呪いなのだ。

 長期的には桜が間桐の家に養子に出されたことが始まりだが、人の感情は過去ではなく現在で爆発する。

 過去を理由に感情を燃やしたければ忘却を防ぐためにもその出来事を掘り返し続けなければならない。耐性と摩耗、そして習慣。

 

「ああだめだ。桜にしてみればそれは裏切りも同然だ。それでもお前を憎めない桜の気持ちが何処に行くと思う?」

「まさかリンに?」

 

 反応の悪い衛宮より、セイバーが先に声を上げた。

 

「サーヴァントとは言えやはり女だな。絶対にとは言わないが無い話ではないだろう? 感情は理屈を飛び越える事がままある。殺しあっていなければいいが」

 

 さも愉快だと言わんばかりに表情を作る。

 

「殺し合いってそんな、桜達はどこにいるんだ? そうなるかもしれないんなら何故止めない?」

 

 掴みかかってきた衛宮を嗤う。

 まるで分かっていない。

 ふ、と膝の力を抜く。

 自然衛宮は私に覆いかぶさるように倒れこんだ。

 

「あ、わ、悪い────」

 

 慌てて起き上がった衛宮の手を払いのけ、ゆっくりと立ち上がり埃を払う。

 

「自らの非を追及するより先に、他人を暴力的に問い詰め、目的を果たす為には手段を問わない────養父にそっくりだな、衛宮士郎」

 

 そして動揺した精神を更に揺さぶる。衛宮が亡き養父を敬愛しているという話は桜から聞き及んでいる。

 

「何、を」

「お前の養父は衛宮切嗣だろう? 十年前危うく殺されかけたからよく覚えているぞ」

 

 殺されかけたと言うのは誇張ではない。左腕を失っただけですんだのは、私が何一つ情報を持っていなかったからだ。

 

「爺さんが、そんな、う」

「嘘じゃない。いきなり家に乗り込んできて、まだ七つだった私に向かって発砲を交えながら楽しい尋問をしてくださった。あれほど過激ではないが、今のお前の振る舞いはそれに近かったよ」

 

 襟を糺しながら息をつく。

 衛宮は口を閉じ開きし、そのまま黙った。

 何故かセイバーまで目を伏せている。

 

「まあ、その事については別に根に持ってるわけじゃない。髪と────大事なものを一つ持っていかれただけだ──────質問に答えようか。何処でかは知らない。途中で抜けてきたからな。そして何故止めないか。それは桜にはそうするだけの理由があるからだ」

「理由って…………」

「それをお前に語るわけにはいかない。お前が桜の旦那になると言うのなら言っておかねばならない事だが、今のところその気はないんだろう?」

「だけど理由が分からないと」

「いつでも訳が教えられるなどと思うな。分からんなりに考えろ。一年近く側で桜を見ていて凡その人物すら把握できないのなら、それは衛宮、お前の過失だ」

 

 そうだろう、と衛宮を見返す。

 言い返せない衛宮に代わりセイバーが口を開く。

 

「…………サツキでしたか。貴方の言っていることは正しい。だがマスターを混乱させないで欲しい。シロウはこういう判断に慣れていないし、貴方の言葉が正しいならシロウには落ち着いて考える時間が必要だ────シロウ、リンとの同盟を考えると助力はしておきたいが場所が分からないのでは話にならない。何か連絡を取る手段は…………リンは機械音痴でしたね、そういえば」

 

 セイバーが家の奥を振り返る。電話がそっちにあるのだろう。

 しかしこいつは私の前で連絡手段の有無を明かすデメリットを理解しているのだろうか?

 

「とにかくサツキとてこうして話をしにきた以上その戦いを望んではいないはず。今の話にも嘘はないでしょう」

 

 射抜くようなセイバーの視線は目を逸らす事を許さないものだった。

 

「嘘ではないが、遠坂と桜の殺し合いについてはそうでもない。桜が迷いなく遠坂を殺すと言うのならそれでいいし、自分で手を下せぬが邪魔だと言うのなら、私が殺してやってもいい。恨みは忘れようと思う、というならそれはそれで構わん。わかるか?」

 

 桜に追従するようで、行動を後押しし、或いは代行する指針。

 不満そうな衛宮とは裏腹にセイバーは悲しげに、しかししみじみと目を閉じた。

 

「…………貴方は本当にサクラを大事にしているのですね」

 

 ときたま姉としてのポーズ以上に踏み出してしまうのはそう言う事なのかもしれないが、ただ肯定するのは癪なので無視した。

 

「このまま対象が衛宮に転べば、セイバー。私はお前達と完全に敵だ。人とサーヴァントとの差など関係ない。私はお前を出し抜き、衛宮を縊り殺す」

「そうならない事を願いますが、その時は容赦なく、躊躇なく、貴方を殺して見せましょう」

 

 それはこの状況下で私が受けられる最大の賛辞だった。

 セイバーの眼を見返し頷く。

 

「私の用件は以上だ。言いたいことは言わせてもらったよ」

「そうか。じゃあ、帰ってくれ。少し考えたい」

 

 素っ気ない返事を背に言われるまま衛宮邸を辞す。

 衛宮に楔は差し込んだ。これで残すところはアインツベルン。

 

「さて、桜はうまい事やってるかな」

 

 ゆっくりとではあるが前に進んでいる感触に満足しつつ、桜の考えを読もうとしてやめた。

 桜は一人前。私のすることなど当たりをつけているだろう。



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14

 木々が生い茂る郊外の森でタクシーを降りる。

 この辺りには何も無いが、この森の奥に城があるとかないとかいう都市伝説があるため興味本位でこの森を探索する者はたまにいる。

 すこぶる不本意だがわたしもその手合いだと思われたらしく、タクシーの運転手は物好きを見る以上の視線を向けてこなかった。

 まあ、前のサイドカーを追ってくれなんて台詞を吐いたのだから、その勘違いは妥当と言えるか。

 

「それにしても、何を考えてるのかしら」

 

 吐き捨てるような愚痴は間桐皐月に向けたもの。

 何かしらの考えがあると思っていたが、ヴェルデを出るなりすぐに桜と別行動を取った。

 魔術師としての格はともかく、数を活かす戦略ならば桜の側を離れるのは得策ではない。現にこうしてわたしが桜を追っている。

 予見出来ないとは考えにくい。何しろあの女はキャスターを打倒したのだ。わたしは綺礼からそう聞いている。

 そして桜達が向かった場所。

 嫌な予感がする。

 

「何が言いたいんだ、リン?」

 

 実体化して周囲に気を配っているアーチャーが顔も向けぬまま尋ねてきた。

 

「良い機会だから教えておくけど、この森を奥深く進めばアインツベルンの城があるの。バーサーカーのマスターはそこに居を構えているはずよ」

 

 あれだけのサーヴァントを従えていればこそこそと身を隠す必要もないだろう。きっとこの奥の城で悠然と来訪者を待ち構えているに違いない。

 

「なるほどな。リンの懸念はそこか」

「ええ。最悪はアインツベルンと間桐の同盟よね。でも、あのイリヤスフィールが同盟なんて必要とするとは思えない」

「それは同感だ」

 

 一度だけの邂逅だったが、彼女は自らのサーヴァントの強さを狂信していたし、バーサーカーもそれに見合う強大さを見せた。

 それにアインツベルンと同盟を組む事もメリットばかりとは言えない。

 最終的に聖杯を手にする者は一人なのだから、バーサーカーを打倒しうる手立ての無い者がバーサーカーと同盟しても敗北の先延ばしにしかならない。

 いずれはバーサーカーを打倒しなければならないという足枷は外せないのだ。

 

「それにしてもあの女、ほんとにイライラするわ」

 

 間桐皐月。桜の義姉。後継でもないくせに魔術を志向する。才があるならばそれもいいだろう。優秀であるなら新たに家を興す道も残っている。

 だがあの女は桜に家督を奪われている。

 無能ならば無能らしくしていればいいのに、わたしと対峙し、あまつさえ対等であるかのように振る舞う。

 いや、先の昼食ではむしろわたしを見下してすらいた。

 理で測れない行動は疑念を呼ぶ。無視していい引っ掛かりではないが今は置くべきことも理解している。

 なにしろ苛立ちの原因がそれだけではないことなど承知しているのだから。

 間桐桜。わたしの妹。

 私はすでに桜の姉ではなく、また桜には遠坂の家訓など関係ないのだが、それでもああして周囲の顔色を伺っている様は我慢ならない。

 これから相対するのはそういう相手だ。片付かない感情は思考を鈍らせる。

 戒めるべく殊更気合を入れていたところ、何かに鼻をぶつけた。

 

「ちょっと、急に止まらないでよね」

 

 何かと思えばアーチャーの背中だった。

 自分の不注意を恥じつつも、ごまかし交じりに文句を口にしてしまう。

 しかし普段なら軽口交じりに嗜めてくる相棒は、黙したまま動かない。

 その眼は木々の向こう、ただ一点を見据えていた。

 

「出て来い」

 

 アーチャーの警告。殆ど間を置かず、

 

「遅いですよ、遠坂先輩」

 

 桜が木の陰から現れた。

 側に控える眼帯の女。あれが桜のサーヴァントなのだろう。

 アサシンならばわざわざ姿を現すまい。ならばライダーか。

 

「────間桐さんこそ随分と逃げまわるじゃない」

 

 衝撃を受けた自身を叱責する。桜は間桐の人間でマスター。わたしとは敵同士。分かっていたはずだ。

 

「しつこく付け回されたら普通逃げますよ。一体何の御用ですか?」

「遅いですよ、なんて言っておいて変な事を言うわね。結局わたしを待っていたんじゃない」

 

 何かしらの考えがあるのは明白。

 いいだろう。乗ってやろう。

 くだらない企みで打破できるほどわたしが甘くないと言う事を教えてやる。

 

「あはは、鋭いなあ。ええ、すこしお話しでもできないかと思っています」

「話? そんな迂遠な事をする必要がどこにあるのかしら?」

「どういう意味でしょう?」

 

 わたしは疑っている。

 キャスターが柳洞寺を根城にしていることはわたしも掴んでいた。

 衛宮君の怪我と未熟、セイバーとアーチャーの不調を差っ引いても、セイバー、アーチャーを手駒として動かせる状況にあり、かつ管理者として魂喰いをするキャスター討伐の大義を持ったわたしはそれでも実行をためらった。

 アサシンと並びもっとも脆弱なクラスとされるキャスターだが、それは飽くまで状況次第。燃料たる魔力に制限のあるセイバーと、セイバーにばっさりやられたアーチャーを駆り、十全な魔力を確保したキャスターの陣地へ踏み込むを良しとしなかったのだ。

 目の前のサーヴァントが圧倒的な性能を誇るというならばともかく、間桐皐月がキャスターを出し抜く策謀を巡らせたとは考えにくい。

 つまりは単純に更なる戦力を保有しているという疑念だ。

 マスターであるというのなら、間桐皐月の妙な強気にも納得がいく。

 候補として挙げるならばランサー。序盤の妙な思い切りの悪さに間桐皐月のいやらしさを感じる。

 

「言葉通りの意味よ。貴方達はキャスターを討伐するだけの力を持っている。それなのにわざわざ険悪なわたしと会話を持ってなにか有意義なことでもあるのかしら?」

 

 自らに利益の無い行為はありえない。魔術師は総じて利己主義なもの。

 桜が得る利益をはっきりさせないことには、取引など成立しないのだ。

 

「お昼に話しかけてきたのは遠坂先輩ですよ?」

「ええ。それは貴方のお姉さんが台無しにしてくれたけど。それに話と言ってもマスターとしての会話はあの女の方から蹴ってきたじゃない。確か貴方もそれに従ったと思うのだけれど」

「それは仕方のない事ですよ。あそこで反発しては疑念を抱かせてしまいますから」

 

 小手調べ程度の会話に唐突な切り込み。

 ブラフかと窺った桜の顔には暗い笑みが張り付いていた。

 わたしの知らない桜の顔。

 

「疑念、ねえ。その言い方だと貴方は間桐の家の方針には表向き従っているだけという風に聞こえるのだけど」

「そんなことは姉さんには関係ないでしょう?」

 

 ────確かにわたしを姉さんと呼んだ。ただそれだけの言葉で思考が停滞する。

 

「単にわたしはお話をしにきただけですよ」

「それが分からないって言ってるのよ。ほぼ全てのサーヴァントは知れて、決定的な争いは貴方達とキャスターの一回だけ。交換するような情報はないと思うけど。それとも貴方のサーヴァントの情報でも教えてくれるのかしら?」

「まさか。そんなつまらない話じゃないです。間桐臓硯と皐月の殺害を条件に、わたしを戦力として提供する。どうです?」

 

 理解が追いつかない。

 

「…………桜、あんた一体何を言って」

「姉さんに理解してもらうのは難しいと思いますよ。好きなようにとって貰って構いません」

 

 桜の表情は変わらない。

 ただ仄暗く微笑んでいる。

 

「…………質問は受け付けるのかしら?」

「ええ。もちろんです」

『アーチャー?』

『まさか受ける気じゃなかろうな。不自然な点が多すぎる。ただでさえ君は不安要素を抱えているんだぞ』

『そうじゃなくて、ゆさぶれそうな質問を考えてってこと』

 

 桜の言っていることは無茶苦茶だ。傍目にも間桐の人間は歪んでいるように見えるが、家族仲が悪いようには見えない。少なくとも互いの死を望むような関係ではないだろう。

 ただ一方的に質問できる状況は旨い。桜が本気なら回答を拒否することは無いからだ。提案が流れる可能性を考えれば余程の事以外桜は答えるだろうし、ブラフだったとしてもそれを真に見せるためある程度カードは切ってくるはず。

 

「桜、まず確認しておきたいんだけど、条件に加えなかったということは貴方は聖杯いらないのね?」

「はい。わたしには必要ないものですから」

「サーヴァントもそれを了承している?」

「どうでしょう、ライダー、反対する?」

 

 夕食の献立を聞くような気軽さ。

 

「…………サクラが考えてのことなら従います」

「だそうですよ、姉さん」

「二つ目。肉親を排除する理由」

「うーん、端的に言えば邪魔だからですが、そうですね、魔術師として生きていく上で障害になる、と答えておきます」

 

 現当主を打倒しようというのは分かる。家督を欲しての事だ。だが、間桐皐月を排除しようというのはどういうことだろうか。

 聞けば聞くほど分からなくなる。そもそも全てが嘘である可能性もあるのだ。

 そんな嘘を吐くメリットが見えないが。

 目配せでアーチャーが頷いた。

 

「では私からも聞いておこう。間桐皐月はマスターなのか?」

「さあ。少なくともわたしは知りません。違うと思いますけど」

「へえ、じゃあ貴方達のお姉さんは生身でキャスターを打倒したと」

 

 わたしは綺礼からキャスターを打倒したのは間桐皐月だと聞かされた。あいつがそんなつまらない嘘を吐くとは思えない。

 

「…………言峰神父ですね。大方嘘でも掴まされたんでしょう」

 

 同情するような物言いの桜。

 

「どういう意味よ? 確かに綺礼は間桐皐月にキャスターの消滅を聞かされ、そのマスターの身柄を預けられたと報告してきたわ────それと断っておくけれど、この報告は魂食いを行った主従の処置に関するセカンドオーナーとしての業務連絡として受けたものよ」

 

 管理業務に託つけて半ば強引に綺礼から聞き出したことは伏せておく。

 知られてもメリットにはならない。

 

「それは不正確です遠坂先輩。姉さんが葛木先生を教会へ運んだのは事実ですし、キャスターの打倒において大きな役割を負ってくれたのも事実です。ですがキャスターを消滅させたのはこのライダーですよ」

 

 わたしも頭から綺礼を信用しているわけではない。

 綺礼が嘘を吐かずに内容を誤認するような物言いをするのは確かだ。信用するわけではないが筋は通っているので頷いておく。

 

「へえ。じゃあ間桐さんはマスターになれなかった姉を扱き使ってるわけね。大したものじゃないの。ますます間桐皐月を殺したい意味がわからないけど?」

 

 半ば本気で嫌味を混める。感情的になった人間はえてして言葉をコントロールしそこなうものだ。ぽろりと漏れる本音に期待する。

 

「そう思われても仕方ありませんが────魔術師としての性能でわたしに劣っていたとしてもわたし如きの意のままになるような人ではないんです。困ったことに」

「そうか。ではもうひとつ。話を持ちかける先にセイバーのマスターではなくリンを選んだ理由を聞かせて貰いたい」

「…………先輩は優しいですから。多分反対すると思います」

 

 それはそうだろう。

 あの男が人を殺す手伝いなどするわけがない。

 

「まあ大体話は分かったわ。でも今わたしには貴方の戦力なんて必要ないの。衛宮君との同盟も有ることだし、訳の分からない条件付きの同盟を結ぶメリットが無い」

 

 わたしの言葉を受けてアーチャーが身構える。

 応じるようにライダーが桜の前に出た。

 

「でしょうね。遠坂先輩ならそう言うんじゃないかと思ってました」

 

 しかし桜は身を翻した。

 正しい判断だ。この場で争うべきではない。だからこれは蛇足だ。

 

「待ちなさい、このまま帰れると思っているの?」

「帰れますよ。だって遠坂先輩は姉さんがマスターではないかと疑っているんでしょう? ましてここはアインツベルンの庭。バーサーカーの乱入を考えればこの場で争うのは得策では無いと思いますけど」

 

 そう。桜はわたしを疑念で縛ろうとしている。

 すべてを無視して打ち倒すのがわたしの在り方なのだが、バーサーカーに関してはこの話題に関係なく発生する危険。

 

「それで、どうします、遠坂先輩?」

 

 振り返った桜の言葉に先の剣呑さはない。

 

「どうってどういうことかしら?」

 

 言いたいことは分かるが確約を取っておくべきだ。

 

「アインツベルンのバーサーカーと正面から戦いたい、というのならそれまで暇つぶしにお付き合いしてもいいですが、避けるべきと思うならここでわたしは失礼しますよ、と、そういうことです」

 

 読み通りの内容。しかし、ここで桜の底を暴いておきたい。

 

「あら、そんな事を言って逃げ出したいのは桜の方じゃないの?」

「おっしゃっている意味が分かりませんが」

 

 論拠を明かさない事で困惑させる。

 

「だって貴方のお姉さんは今ここにいないでしょう?」

 

 それはまず間違いない。よしんば間桐皐月がマスターだったとして、サーヴァントだけを桜につけた可能性はあるがそれでも。

 

「……ええ、姉さんは外していますよ。回りくどい話はやめ────」

「キャスターの件を聞けば仕掛け人が間桐皐月である事は察せるわ。彼女の指示にこの状況は入っていたのかしら?」

 

 そして鎌掛け。

 サーヴァント二騎を的確な戦略で操るならば間桐陣営は脅威だ。わたしとて衛宮君との同盟を組んではいるものの、半人前の面倒を見てやっているに等しい。

 間桐皐月がそうであるならば、積極的な排除も視野にいれる。あの女は魔術師としての性能は兎も角、危険でなにより気に食わない。

 

「ふ、ふふふ。下らないですね、遠坂先輩。間桐の当主はわたしでも兄さんでも、姉さんでもないんですよ?」

 

 ぞわりと桜の周りから影が溢れる。キチキチと鳴くその羽虫のような影はどこかで見たような姿をしている。恐らく直接的な魔力で散らさなければ、あれらはあらゆる障害をすり抜けるだろう。

 握りこんだ宝石に力を籠める。

 

「それが何よ?」

「…………姉さんもお父様と同じで魔術師なんですね。吐き気がします────ライダー、帰りましょう」

「はい、サクラ」

 

 あの子はもう遠坂ではない。分かっている。でも。

 

「ちょっと待ちなさい、今のどういう意味よ?」

 

 何故そこで父が出てくるのかわたしにはまるで理解できず、

 

「だからですよ、遠坂先輩」

 

 ライダーの腕に抱かれた桜は問いに答えることなく、あっという間に姿を消した。




ようやく書きたかった話っぽくなってきました。
また横道に逸れたりするんだろうけど。


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15

「そういうわけで遠坂先輩とは身のある話ができませんでした」

 

 家でベッドに寝そべっている私に、桜はあらましを語りそう締めくくった。

 私の尊大な態度は桜と真面目に取り合う気がないのではなく、単に地獄のように不味い薬湯を飲み干した後遺症のようなものだ。飲んだ後の一時間程度は手足の痺れに悩まされる。

 

「それは残念だったな。しかしアインツベルンの反応の薄さが気になる。私なら自分の庭で痴話喧嘩などされたら即座に排除するところだ」

 

 桜と遠坂がどれくらいそこにいたのか知らないが、アインツベルンがそもそも城を空けていた可能性も考えるべきか。

 夜ならばともかく昼間の外出。いざというときにあの隠匿性の低そうなバーサーカーを衆目に晒さず戦う用意があると見るべきで、魔術師としても相応以上の性能を持ち合わせている事が予想される。

 

「…………じゃあ姉さんは遠坂の屋敷に蟲を?」

「それと衛宮邸にもな。距離を置いて監視させてる。遠坂は衛宮邸に戻ったぞ。衛宮は外出中だな」

「そう、ですか」

「…………場合によってはだがな、遠坂を殺そうと私は思う。今の内に桜の考えを知っておきたい。お前は遠坂を殺したいか?」

 

 クリティカルな質問だけに桜は目を泳がせ、私がじっとその様を見ていることに気が付いてため息を吐いた。

 

「…………妬んでいるのかもしれません。でも殺したいと思うほどじゃないんです」

「そうか。じゃあ遠坂がうっかり死んで、つい殺してしまったのが私でもお前は何の感慨も沸かない、と?」

「それは、その…………」

 

 言葉に詰まってしまうのは分からなくもないが、桜の迷いが私の計画の幅を狭めているというのも事実だ。

 

「その逡巡が私やお前やライダーの負担になり、或いは命を落とす事につながるという事だけは覚えておけ。もちろんわざとやっているならそれで構わないが、その時は桜、お前は私の敵になる」

 

 桜は誰かの庇護がなくては生きていけない小娘ではない。

 辛辣な物言いは、それだけ桜を認めていると言うだけの話。それがわからない桜ではないだろう。

 

「どちらを選んでもいいなんて、本当に姉さんらしいです」

「もちろん桜には私の可愛い妹でいて欲しいんだがな────そうやって縛るとお前、甘えるだろう」

 

 くすくすと笑う桜に一言投げて、身を起こしながら財布を掴み取る。

 

「お出かけですか?」

 

 察した桜が一歩下って場所を空けてくれた。

 

「ああ。大判焼きを食べたくなってな。桜も来るか?」

 

 私に付いて部屋を出ようとした桜が足を止めて肩を落とした。

 

「…………姉さんってたまに間桐っぽいですよね」

 

 心底呆れたような言い草は甚だ心外だし、さり気なく私の前に回って進路を塞いでいるのも気に入らない。

 

「馬鹿を言え。私は正真正銘の間桐だぞ。ほら、邪魔をするんじゃない」

 

 ぐいぐいと桜を押すが、思いの他強い力で押し返された。

 流石に家事をサボっている私とは地力が違う。

 

「どきません! ついさっきあれだけ遠坂先輩を刺激して、ランサーは相変わらず跋扈しているんですよ? アインツベルンだって城を空けていたなら街を歩いているかもしれないですし危ないです」

「だからこそだ。何の為にヴェルデに行ったと思っている?」

「…………姉さんがマスターではないと強調する為、ですよね?」

 

 そう言っていたじゃないですか、と桜はむくれるがそれでは足りない。

 

「不十分だな。他の連中に、マスターではない敵陣営の魔術師である私を御しやすい餌と認識させた上で、そんなものが彷徨いている怪しさに戸惑わせるため、なら合格点だが」

「でも、姉さんには身を守る手段が」

「助けを呼んだら来てくれるんだろう? それまでは粘ってみせるさ。それとも見捨るのか?」

「…………それはもちろん助けに行きますけど」

「素直に喜んでおく。まあそう言う事だから大判焼き、買いに行っていいか?」

 

 しぶしぶながら桜は道を空けてくれた。

 

「大判焼き食べたいだけじゃないんですよね?」

「もちろん」

 

 きっと私は見事な無表情だろう。

 

「もちろん?」

 

 食い入るような桜の視線を頬に感じる。

 

「もちろん、それだけじゃないよ」

 

 だからこの嘘はあっさり見抜かれているし、桜とてこれ以上無駄な忠告を続けるまい。どうせ私が言う事を訊くはずないと分かっているはずだからだ。

 ただ、針の筵のような視線から逃れ階段にたどり着いた私が気を抜いたのは間違いだったといえる。

 

「姉さん」

 

 背後から投げ掛けられる場違いに明るい桜の声。

 それだけでもう良くない予兆なのはわかりきっている。

 

「なんだ?」

 

 立ち止まるだけに留めて聞き返す。

 

「お土産、お願いしますね」

 

 振り返らずとも表情は察せる。

 穂群原では笑うと可愛いと言われる桜だが、私にとって桜の笑顔は数少ない恐怖の対象だ。

 

 

 

 

 

『そうまでして食べたいか?』

 

 マウント深山までの道すがら、ずっと黙っていたハサンがそんな事を言い出した。

 

『食べたいさ。女らしい趣味は持ち合わせていないが、甘味で大騒ぎする気持ちだけは分かる』

 

 こんな気性だから雑談するような友達など殆どいないが、どこそこの喫茶店のケーキは旨いとか、駅前のクレープ屋が新作を出しただとかそういう話だけは耳に自然と入ってくる。

 あ、いや一人いたか。

 聖杯戦争中ということもあり顔を合あわせるのを避けていたが、何かと世話になっている魔女がいるのだった。

 ウィッチクラフトを得手とする魔女、沙条綾香。

 

『好きなのはいいんだが、無茶をされると付き合いきれないぞ。桜としていた話はまるっきり冗談でもないのだろう?』

『囮云々だろう? 当然だ。見てみろ、効果は絶大だぞ』

 

 どう見たってこの辺の住人じゃない女の子。アルビノの特徴を持つその風体は話に聞くアインツベルンのホムンクルスに合致し、なによりハサンの視界から盗み見たバーサーカーのマスターそのものだった。

 

『戸惑っているのか、あれは?』

『いいや、眼が合っただけだな』

 

 今眼を逸らしても無駄だろう。新しいおもちゃを見つけたかの表情を見るにつけ、下手に刺激するよりは流れに従うべきだ。 

 

「あら、私に何か用かしら?」

 

 今気付いたとでも言いたげにその少女は大仰な仕草とともに私に近寄ってくる。

 

「まさか。だが、まるっきり無関係でもないからな。道で会ったら挨拶ぐらいはするべきだろう、アインツベルン?」

 

 腰ほどの高さに手をやる。さわり心地のいいフェルトの帽子が指先に触れた。

 

「この島国では勝手に人の頭に触れたりするのかしら?」

 

 逃げるように身を翻し、アインツベルンはキッと私を睨み付けた。丈が足りないので少しも凄みがない。

 

「糸くずが付いてたのを取ってやっただけだよ。それで私に何か用なのか?」

「そのつもりはなかったけど、せっかくだから聞きたい事がいくつかあるわ」

 

 少し考えるようにしてアインツベルンはそう言った。

 

「話せる事なら話してやるが、私も忙しい。歩きながらでいいか?」

「いいけど、何処行くのよ?」

「大判焼き、ああ、この国の甘味なんだが、それを食べようと思ってな。なんなら一つ奢ってやるぞ?」

 

 どうせお土産でいっぱい買わねばならないのだ。最早一つ二つは誤差の範囲だ。

 

「おいしいよね! 昨日始めて食べたんだ。奢ってくれるなら付いていってあげる」

 

 それに、そわそわしているのが見て取れるアインツベルンの反応は奢り甲斐のあるものだし。

 これが桜のように作った物なら大したものだが、さて。

 

「何よ?」

 

 知らず苦笑いしている自分に気が付く。

 

「いや、お前の名前を知らないなと思っただけだ」

「…………イリヤスフィールよ。あなたは?」

「皐月だ。間桐皐月」

「サツキね。一つ質問が減っちゃった。わたしをアインツベルンだって分かったのはマキリだからよね?」

 

 ちょこちょこと踊るように私の周りを駆け回りながらイリヤスフィールは勝手に話を進める。

 

「そういう事だな。そういえば私も気になる事があるぞ。なんだってお前昼間っからこんなトコを歩き回ってる?」

「あら、サツキだってそうじゃない」

「…………私はマスターじゃないからな。お前はマスターだろう?」

 

 振り向いて腰に手を当てイリヤスフィールは声を眉を顰めた。

 

「なにそれ。普通は逆じゃない? マスターじゃないからサツキは危ないんでしょう? マキリの関係者ならなおさらよ。わたしを見てすぐ逃げなかったのが不思議なくらいだわ」

「はは、私を追い回さなきゃならんような状況の奴等なら恐るるに値しないさ」

「…………程度は兎も角魔術師としては一人前ってことね」

 

 一瞬だけ魔術師の顔をしたイリヤスフィールだが、この程度の確認はそれこそ挨拶代わりだ。私も知らぬ顔で流す。

 

「それはどうも。聞きたい事ってそれだけか?」

「ええそれだけよ。だってマスターでもないサツキが何を知ってるわけでもないでしょう?」

 

 イリヤスフィールの赤い目が妖しく光った。ざらついた意識を意図的に鎮める。

 洗脳は珍しくもない魔術だが、魔眼を経験したのは初めてかもしれない。

 

「それもそうだ。しかし今のは反則じゃないか、イリヤスフィール」

「あら、なんのことかしら」

 

 私がレジストしたのはイリヤスフィールも理解しているだろう。だというのにイリヤスフィールには白々しいほどに悪びれたところはなく、そしてその振る舞いが妙にしっくりくる。

 何故か私はこの小さな魔術師を気に入りつつある。

 

「なあイリヤスフィール、こういうのって聞いちゃいけないんだろうけど、その目って魔眼なのか?」

「…………なんで敵陣営の魔術師にそんな事教えなきゃならないのよ?」

 

 案の定イリヤスフィールは頬を膨らませ不満を表明する。

 

「魔術師として魔眼には興味がある。モノによっては自動発動だろ? 考えようじゃシングルアクションより早い魔術だ。後天的に高い効果を発揮する魔眼を得るのは困難だというのが、一般の見解だが、研究のし甲斐があるジャンルには違いないだろう?」

「そっか、サツキはまっとうな魔術師なんだ」

 

 イリヤスフィールが羨ましげな顔をしたのは見間違いではあるまい。

 

「そういうこと。でもあんまり才能はないみたいで、この通りマスター権すら得られなかったけどな」

「悔しそうじゃないのがまた腹立たしいわね」

 

 アインツベルンの魔術は戦闘に向かない。

 故にアインツベルンは得意とするホムンクルスの鋳造によって優秀なマスターを創り出す事でその不利を補おうとした。

 ホムンクルスとしての寿命に縛られるが故に、イリヤスフィールの余命はそう長くないはずだ。単一機能どころか世の魔術師が羨む程の魔力量を保持し、確固とした自我を持つ奇跡。代償は大きい。

 聖杯戦争を勝ち抜くためだけにある彼女には、人並みの一生など元々付加されていないのだろう。

 

「そういうな。ほら着いたぞ。好きなのを一つ選べ」

「え~、一つだけなの? サツキのケチ」

 

 品書きを眺めて視線を彷徨わせるイリヤスフィールを眺めながら、顔馴染みの店主が楽しげにしている。

 

「一緒に飲むお茶が無くなってもいいのなら二つ食べてもいいぞ」

「ううう、サツキはホントに意地悪ね。さっきつぶあんは食べたから、今度はクリームにしてみようかしら」

「そうか。じゃあ私は全部二個ずつ貰おう」

「ちょっとなによそれ! 自分ばっかりいっぱい頼んで」

 

 期待通りの反応。ころころと変わる表情は実にからかい甲斐がある。

 

「これは家族にお土産だ。私はイリヤスフィールと違ってそんなに意地汚くない」

「わたし、サツキのことキライになりそう」

「ほう、お茶はいらないのか」

 

 腕を振り回して悔しがるイリヤスフィールはバーサーカーを伴っていた時とまるで雰囲気が違う。

 飲まれぬように、私はそっと唇を咬んだ。

 

 

 

 近くの公園のベンチは私のお気に入りのスポットだったのだが、イリヤスフィールの話では衛宮もよく使っているのだそうだ。

 昨日ここで衛宮と大判焼きを食べたのだと、イリヤスフィールは嬉しそうに語ってくれた。

 

「だから私はシロウのお姉ちゃんなんだよ」

 

「見た感じ妹だけどな。でもそうか、それじゃあお前は衛宮切嗣の娘なわけか」

 

 まるで似ていないのはアインツベルンによる調整の結果だろうか。聖杯のシステム自体は殆どアインツベルンの成果物で出来ている。差し出したものが大きいだけに、アインツベルンの聖杯への執念は他の家よりも強い。

 

「キリツグを知ってるの?」

 

 ホットミルクを落としかけるほど、イリヤスフィールの反応は大きかった。

 

「十年前に一度だけ会った。おかげさまで殺されかけたが、なんだ、衛宮切嗣に興味があるのか?」

「…………ええ。だって十年前にわたしを捨てたのよ? 死んじゃったなら兎も角、生きてたんなら会いに来るのが筋じゃない。それに養子まで取って…………」

 

 この子も何かを恨んでいるのか。

 

「しかし切嗣はもう死んでいる。代わりに衛宮を恨むか?」

「……迷ってるんだ。それを決めるだけの情報すら知らないもの。でもいいの。それは自分で集めるから。わたしはサツキが殺されかけたって話に興味があるな」

「くく、おかしな奴だ。私が逆恨みするとは思わないのか?」

「ううん? だってそんなことしたらサツキは死んじゃうじゃない」

 

 それはサーヴァントがいるからということではない。単純にイリヤスフィールには私に勝っているという自負があるのだ。

 私を低く見ていると言うよりも自らの強さを信じているという態度で、だからだろうか、魔術師と対峙する時に感じる不快さは無い。

 

「その言葉には素直に頷いてやれないが、そうだな、衛宮切嗣と会ったのは間桐の屋敷でだ。いきなり夜中に入り込んできてな。家人が出払っているから私が立ち会ったのだが、いきなり銃で撃たれた」

「なにそれ! キリツグが私のイメージと違う!」

 

 立ち上がって抗議するイリヤスフィールだが、事実なのだからしょうがない。

 

「嘘じゃないぞ。前髪、こっち側伸ばしてるけど、反対は短いだろ?」

 

 こめかみから流れる一房をつまんでイリヤスフィールに見せる。

 

「そうね。お洒落でそうしてるのかと思ってたけど…………」

「まさか。このとおり傷が残ってしまってな」

 

 掻き上げた髪の下には頭皮を焼き潰したような傷が見えるはずだ。不恰好に過ぎるし修復は容易かったが、自身への戒めとして残している。

 

「女の子の顔をどうこうするなんてキリツグさいてー! でもやっぱり戦う時は優しくないんだ。私の前ではいつも優しかったんだよ」

 

 先ほど父への恨みを語った口で、いかに父が自分に甘かったかを自慢する少女。

 だから、つい言わなくていいことを口にした。

 

「…………じゃあ、好きでいてやれよ」

「それは────できないよ」

 

 情にすら理屈を求める魔術師においてイリヤスフィールのそれは最大の矛盾点であり、同時に勘所だ。

 

「そうか」

 

 己の魔術師たるを揺るがしてまで保持せざるを得ない歪み。

 魔術師として振る舞うならば敵対しなければならないが故に、自らを晒したイリヤスフィールの振る舞いはこの場では正しく、しかし私の問いはイリヤスフィールを魔術師に戻してしまった。

 イリヤスフィールは下を向いて黙っている。

 

「日が落ちる前に退散するかな。また機会があったらご馳走しよう。そうだな、次は駅前のクレープ屋はどうだ?」

 

 立ち上がりながらベンチに腰掛けたままのイリヤスフィールに問う。

 

「うん。その時は絶対だよ!」

 

 浮かべた表情はきっと作り笑いだろう。

 魔術師として最後の矜持。この場では争わない、という最初の不文律を遵守する為の社交辞令だ。

 

「ああ、約束だ」

「またね、サツキ」

「またな、イリヤスフィール」

 

 それっきり、私達はお互いの顔も見ないままにその場で別れた。

 残された公園で考える。

 

『ハサン』

『なんだ?』

『後を追い、可能ならばイリヤスフィールを殺せと命じたらやってくれるか?』

 

 恐らく可能だ。マスターを失ったバーサーカーからの撤退さえハサンならばなんとかするだろう。

 最大の敵を排除する筋道としては最善。

 

『…………命ならば是非もないが』

 

 言っていることとは裏腹にハサンの反対を期待していた私は、だから韜晦など見せるわけにはいかなかった。

 ここで躊躇えばこれまで踏みつぶしてきた物へ示しがつかない。

 

『後を追え。決断は、私がする』

『了解だ、マスター』

 

 なんでもないように消え去ったハサンを見送り、しばし私はそこに留まっていた。

 

 

 

 

 

 間桐の家とは学校を挟んで反対側、閑静なとでも形容すべき住宅街に中流層が集まって家を立てている一角があり、目的の家はそこにある。

 周囲の比較的新しい家とは趣の違う古風な様式で建てられたその家には沙条という表札がかかっている。

 インターホンを押してみるが出ない。

 勝手に庭を横切り、本格的な家庭菜園を装ったビニールハウスへと足を向ける。

 

「沙条、いるか?」

 

 ビニールハウスの中に立ち入ることはしない。

 魔術師で言うならばそこは工房のようなもので、勝手な真似をすれば身の危険はともかく、相手への無礼になる。

 ビニールハウス横の芝に無造作に腰を降ろし、待つことにする。

 内部に人の気配はあるので、私に会う気があればそのうち出てくるだろう。

 ぼうっと空を眺めながら先ほどのイリヤスフィールとの会話を思い出す。

 あれは私以上に歪められている。

 自らの根源的欲求と、他者から与えられたオーダーの差異を実感として得られない程に歪められた者。

 そういう意味で私とは同種であり、その欺瞞に気付きながら放置している点でも似ている。

 鏡を見せられているようで気分が悪い。まして私などよりあれは上等だ。

 やはり敵と会話をするべきではなかった。

 どうにも気分が良くない。

 

「おい沙条、いるのは解ってるんだから早く出てこい。それとも手が離せないところか?」

 

 普段なら黙って待っているところだが、この落ち着かなさはどうにもならない。

 誰かと益体のない会話でもして気を紛らしたかった。

 

「…………いるけどさー、あんたちょっとはまずいかなーとか考えなかったわけ?」

 

 ごそごそと日除けを払い、私の少ない友人の一人、沙条綾香がビニールハウスから顔をだす。

 

「マスターは出揃ってるからな。お前は違うだろう?」

 

 先日の会話でほぼ確信していたが、流石に私も裏付けなくマスター候補の家までやってきたりはしない。

 ランサーのマスターである可能性は無いと言い切れないが、それならそれで構わない。死ににくいという点で私は優位に立てる。

 隣の芝を示すと沙条は大人しく腰を下ろした。

 

「へえ、もうそんなに進んでるんだ。でもわたしが言ってるのはそういうことじゃなくて、わたしを巻き込まない配慮とかなかったのっていう事よ」

 

 土で汚れた軍手を放りながら、沙条はつまらなそうに私を睨む。

 勝手に大判焼きを取り出して食べている。

 多めに買っているので問題はないが、一言断るとか無いものか。

 

「つまらん殺し合いをしていると心が荒むんだ。癒してくれるのが友達甲斐ってやつじゃないのか?」

 

 沈黙。

 沙条の顔を盗み見ると、毒でも飲んだような顔をしていた。

 

「…………………あんたにしては面白い冗談ね。で、ホントのトコは?」

 

 甘えるな、ということだろう。

 当然と言える。これは私が解決しなければならない問題だし、その場凌ぎの心の安寧では根本的な解決にならない。

 だからできるだけ自然に、

 

「いつもの薬が切れた」

 

 事務的な話を振る。

 

「早いわね。あんまりガブガブ飲むと死ぬわよ? あれも毒っちゃ毒なんだから」

 

 待ってなさい、と言いながら沙条は裏手の納屋へと引っ込んだ。

 私の言う薬、沙条の言う毒はある種の麻薬と言ってもいい。

 とはいえ効能の主眼は人体にはない。薬効の対象は蟲。

 そもそもの始まりは沙条の手管を知ろうと持ちかけた共同研究にあった。より支配的な蟲の制御に血道をあげていた私は、間桐の魔術がフォーマルクラフトよりも原始呪術に近いことに注目し、方向性の近いウィッチクラフトからのアプローチを狙ったのだ。

 奇しくも菜園の害虫と益虫のより分けに頭を悩ませていた沙条の間に取引は成立し、こうして今でも当時の研究の産物、蟲を惹く薬を沙条から受け取りに来ている。

 

「ほら、持って行きなさい」

 

 荒縄で縛られた一斤の薬草束がぽんと放られる。

 煎じ方は私も把握しているのでそれ以上の説明はない。

 

「助かるよ」

「………………いっつも言ってるけどよくそんなの飲めるわよね」

 

 沙条は思い出しただけでも苦いと顔を顰めた。

 完成当初、味がひどいのは効果がある印だと私を実験台にしたのは沙条だったと記憶している。

 

「必要とあればなんだってする。五年続けてまだ体にそれらしい影響は出ていないしな」

「質の悪い有害物質って大概年月経過してから影響出てくるじゃない」

「そのときは、まあ」

 

 爺様のごとく、肉体を捨てる選択も考慮に入れておかねばなるまい。

 

「まあ?」

「うん」

 

 そんなことを言っても詮ないので、適当にごまかす。

 

「うんじゃないわよ。まあいいけど、あんまりふらふらしてると遠坂に殺されちゃうわよ?」

「なんだ、遠坂と話したのか」

 

 意外だ。いや、沙条とて魔道の家には違いないし、セカンドオーナーである遠坂に上納金を入れているわけだから付き合いが無いわけではないだろうが、普段話をしているところを見たことがない。

 

「そりゃ誰かさんと違って真っ先に確認に来たわ。マスターじゃないでしょうね、って」

 

 やることがストレートだ。

 きっと沙条がマスターだった時のことなんか考えてないに違いない。

 

「ああ」

「ああって。なんだか上の空ね。具合でも悪いの?」

「いや、遠坂に殺されちゃうわよ、って私を心配してくれてるんだなぁと」

「……………呆れるわね。迷惑だからさっさと被害が出ないうちに決着つけて欲しいだけよ」

 

 沙条の言う事は良くわからない。

 

「まあ貰うものは貰ったし帰るよ」

「そうして頂戴。生き残ったらまたよろしく」

 

 軽く手を振ってビニールハウスへと戻っていく沙条。

 冷たいようで、この距離感は私に取って貴重なもの。

 いつもと変わらない友人の態度に幾許か調子を取り戻した私は、家へと戻ることにした。



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16

いかん、あきてきた。もとい、だれてきた。


 姉さんの外出と入れ違うように鳴った呼鈴。ドアの向こうに居たのは二騎のサーヴァントを従えた遠坂先輩だった。

 ほぼ間を置かず間に割って入ったライダーの背中越しにわたしは居住まいを正す。今日二度目の相対。一度目はわたしが誘ったようなものだけど、これは違う。

 向けられた杭の先を一瞥し、それでも遠坂先輩は一歩前へ出る。

 応じるように私も前に出る。態度から戦う気がないのは目に見えている。ならば遠坂先輩の望みは対話だろう。

 

「昼間から戦争でもしに来ましたか、遠坂先輩。さっきの話の続きなら喜んでお付き合いしますけど」

「結論だけ言うわ。衛宮君が攫われた。救出に手を貸しなさい」

 

 いつも通りの傲岸な言い草はしかし無神経からではなく、打算と気遣いが入り混じった物だとすぐに知れた。

 言葉が足りないのは急いでいるから。

 急いでいるのにわたしにそれを告げに来たのは、わたしの戦力への期待よりもわたしがそれを知らず、衛宮先輩の窮地に手助けが出来ない事を憐れんだから。

 上から頭を押さえつけるような振る舞いに欠片も躊躇がないのは揺るがない自負故だろうか。

 罠ではない。上気した呼吸と額を濡らす汗がそう告げている。

 全部分かっているのに。

 

「…………どうして」

「聞いてる? どうするの?」

 

 それでも語り口だけはゆったりと余裕を以って遠坂先輩は口を開く。

 

「わたしは遠坂先輩に提示した協定を断られたと思ったのですが」

「そうね。断わった事はちゃんと覚えているわ」

「ではどうして遠坂先輩の同盟者である衛宮先輩をわたしが助けなければならないのですか?」

「貴女が助けたいからよ、桜」

 

 そう。助けたい。

 

「…………質問を変えます。遠坂先輩は独力で同盟者を助けられないと踏んでわたしに助力を請いに来たのですか?」

「有効な手立てがあるなら採るべきじゃない? まあ物事に絶対は無いけど私一人でも問題無いと思うわ」

 

 強い意志をもつ瞳。わたしはあれが苦手だ。なにか悪いことをしていると責められているような疎外感を感じる。

 

「行きます。準備は要りません。わたしの我儘で時間を潰してしまったみたいですし」

「サクラ、サツキかゾウケンに連絡をしなくて良いのですか?」

「構わないわ、ライダー。きっと反対されるでしょうから」

 

 姉さんもお爺様もきっとこの状況を使って他陣営の戦力を探り、削ごうとする。それこそ衛宮先輩の命は二の次に。

 

「……あんた性格悪くなったわね。それで本当に来るのね?」

 

 自分で焚き付けておいて何を言っているのか。

 でも炊きつけたのは遠坂先輩だけど、決めたのはわたしだ。

 

「はい。ですが遠坂先輩の提案に乗ったわけじゃないですから」

「分かってるわ。タクシー呼ばなきゃね。電話借りていいかしら?」

 

 屋敷に入ろうとした遠坂先輩を止める。

 

「…………時間、無いんですよね? ガレージに行きましょう」

 

 そしてやるならば徹底的に。

 中途半端な躊躇が望んだ帰結に綻びを齎すのだと、わたしは良く知っている。

 

 

 

 私は只々走っていた。ここ数日で随分と走り回った気がする。無茶なロードワークをしてまで贅肉を落とさなければならないほど不自由な体の作りはしていないし、人並み以上に健康に気を使ったりもしない。

 何より走らされている事が腹立たしい。私は強制されることが嫌いなのだ。

 ただ四の五の言わずに行動に移したのはハサンから告げられた状況がそうせざるを得ない程に常軌を逸していたからだ。

 一度家に寄った為に発生したロスは自分の足で補わなければならない。ガレージは空だった。サイドカーは桜が無断で持ちだしたと考えるべきで状況にも合致する。お陰でタクシーを使う羽目になったのもロスに繋がった。

 桜が私の物を無断で使用することは通常考えにくい。一言断る時間さえ惜しいという緊急避難的な利用。さもなくば姉の私物を無断で用いることによって発生する問題を切り捨てて良いと考慮するような心境の変化、あるいは内心を隠す意味を消失したか。

 電話に出ないというだけでは判断の材料にならない。

 材料がないうちは考えても詮ない事だが、断定はともかく予測はできる。そしてただこうして走っている間は脳味噌の有意義な利用法と言っていいだろう。

 

『ハサン、そっちはどうなっている?』

『変わらずだ。皐月とて視覚は共有しているだろう?』

 

 先行したハサンは既に桜を捉えている。ただ、状況は道すがら捕捉されていく情報の通り素晴らしく悪い。

 やたらと豪奢なエントランスを見下ろす位置に立つ黒い巨人。そしてそれを見上げる三騎のサーヴァント。それぞれのマスター。

 だが、そうなった理由が分からない。

 衛宮と遠坂だけならばなんら状況に疑問はない。アインツベルンのバーサーカーはどの陣営の目にも明らかな脅威で、現状最大戦力を保有する遠坂達が挑むのは自然な流れだ。

 だが、なぜその場に桜がいる?

 痴話喧嘩染みた一件以来桜は二人から明らかに距離を取っていたし、それ以前にしても桜が遠坂と親密であったとは言いがたい。

 あるいは私に伏せて一定の協力関係を築いていた可能性もあるが、そのコネクションは秘すべき類の物で、活用するにしても対象が聖杯戦争の進行では私が把握する桜の人格とずれている。

 

『俺はどうすればいい? アインツベルンのマスターを殺せばいいのか?』

 

 考えなければならないが、状況は待ってくれない。

 

『待機。バレそうになったら逃げていい』

『…………妹を疑っているのか』

 

 察しが良すぎるのも困りものだ。

 

『ああ。偶然ではこの状況は起きない。桜が衛宮か遠坂と聖杯戦争に関して協定を結んでいた可能性。これを排除せぬままアインツベルンに倒れられては困る』

 

 桜が独断で対アインツベルンの協定を遠坂達と結んでいた場合。これはそもそもありえない。そういう協定であるなら間桐に隠す必要はないのだ。

 爺様や私に秘した協定であるならば、少なくともその協定を知られれば咎められる類の物と考えるべきだ。

 懸念すべきは桜が完全に反旗を翻したという仮定。サーヴァント三騎による間桐の消滅だ。

 

『なるほど。バーサーカーが斃れるにしても一騎は相打って貰わなければ、ということだな』

『そうだ。とはいえ仮定の話に過ぎない。味方であるかもしれない桜、ライダーは除外しよう。お前のクラスを考えると対象は当然マスター。衛宮は桜がこちら側だった場合を考えると殺せない』

 

 無闇に敵を作らない事こそが最善の手だ。

 

『遠坂か』

『もしくはアインツベルン。どちらかの陣営が勝利した瞬間を狙え』

 

 足を止め調息する。

 制御を蟲に任せているとはいえ、実際に動いているのは私の肉体で、疲労は確実に蓄積している。臨機応変を望むならばあらゆる状況に対応できるだけの自力を持つべきで、そんな理想を望むべくもない今は取りうる最善の状態を作ることこそ唯一の筋道だ。

 それに此処から先はアインツベルンの結界の中だ。侵入を察知されるのはうまくない。

 少なくとも直後の行動ぐらいは事前に決めてから侵入したい。

 携帯を取り出し短縮に掛ける。二回のコールで爺様が出た。

 

「爺様、状況は掴んでいるか?」

「つつがなくの。何をそんなに慌てておる。いったいどうしたと言うんじゃ皐月?」

 

 隠し切れない上擦った声を嘲笑うような言い草。爺様の声は酷く落ち着いている。

 それはそうだろう。最初から最後まで見ていて止めなかったのだ。ならば事態は今もって爺様の掌から漏れ出ること無く進行していることになる。

 同時に私と爺様が書いている絵図に大きな差異があることを示していて、それは少なくとも表向き共同歩調を採る私と爺様の間で表面化してはならない事象だ。

 満場の一致は必要ないが、互いの思考だけは理解しておかなければ信用は作れない。くだらない疑念が一切を台無しにすることはままあり、それはどちらも望まない事であるはず。

 少なくとも爺様は私を理解している。私を嗤うとはそういうことだ。

 ただ、私が爺様を理解できていない。それを問題視しないということは私が爺様を疑おうとも爺様には何の問題もないという事になる。

 

「どうもこうもない。この状況は看過できるものではないだろう?」

「…………らしくないのう。衛宮の小倅がアインツベルンに攫われ、遠坂に請われるまま桜がその救出に助力しておる。ただそれだけのことじゃろう?」

 

 そんなことは知らない。ただこの状況に偶然が割り込む余地が出来たというだけで、状況を許容することとは違う。

 私とは違い、少なくとも爺様は桜を縄で縛っておかねばならない立場だ。

 爺様は桜を過小評価している? 馬鹿な。桜は優れた魔術師で爺様もそれは理解している。私の桜に対する優越は単に研鑽に費やした年月の長さと一線を踏み越えた距離、加えて修めた魔術が戦闘向きというだけの、ほんの僅かな差異でしかない。

 それこそ状況ひとつで容易く覆る程の些細な物だ。

 間桐において桜の意向は無視できない程に大きい。

 ならばその意向そのものを押さえつける手札を爺様は持っていると考えるべきで、

 

「…………止めなかった理由は?」

「元からいなければ腹も据わろうがこうして桜とライダーがおれば頼る。状況に組み込みたくなる。それがふと居なくなったりすれば小娘はどうするかのう?」

 

 そして爺様にそれを語る気は無いらしく返ってくるのは的はずれな回答。

 リスクを負ってまで前に出るなど爺様の考える事ではない。用意された建前。こうして私が問うことまで織り込んである。

 つまり場当たり的にこの状況に相対している私では事前に思考を巡らせてある爺様に届かないという事。今は折れるしかない。

 

「爺様の狙いは理解した…………いい機会だから聞いておく。桜の造反は有ると思うか?」

「…………有る無いではなく出来ぬ、というのが儂の見解じゃ。あれは損得の計算が出来ぬ人間ではない」

 

 魔術師としての自己愛、利己主義を指して言っているのならば不十分だ。確かに魔術師たらんとすればするほど歪なほどにそれらに従うのは道理で、慣習として染み付いたそれは最早行動原理に等しい。

 桜の魔術師たるを信じるならそこは疑うべきではないが、しかし、桜はその根っこがそもそも欺瞞なのだ。

 

「爺様がそう言うんならそれでいい。私はどうすべきだろうな?」

 

 問い詰めたとて爺様は答えるまい。ただ、間桐の怪人がそう判断したという事実を評価として受け取っておく。

 同時に現状に対処する上で図面を持っていない私の思考より、爺様の考えの方がより練られているのは事実だ。

 

「珍しいこともあったものじゃ。主が儂に意見を求めるのは久しぶりのことよのう」

「……そんな事は無いと思うが。それで?」

「そのまま見ておれ。すぐ駆けつけられるところにおるのじゃろう?」

 

 中身の無い命令。爺様の考えを探ろうとした意図は見抜かれている。

 

「結界のぎりぎり外だ、走って二分以内というところか」

 

 無理をすれば一分。どちらにせよ私が走るよりはハサンに指示を出した方が早い。

 

「それでよい────あまり不安にさせるでない。主がそう揺れては儂の計画もおぼつかぬわ」

 

 カカカと耳障りな笑い声を残して電話はきれた。ハサンの視界では激しい戦闘が行われている。数に利のある遠坂達がやや優勢といった所だが、それでもバーサーカーはイリヤスフィールを守りながら一歩も引かない。

 

『見ているしかないっていうのは歯がゆいな』

『俺には慣れた感覚だ』

 

 なるほど、機を待つ事。それはアサシンの本分だろう。

 頼もしい相方の台詞にどうにか不敵な笑みを作ることが出来たというのに、私はごぽりと血を吐いた。

 

『生憎だがそうも言ってられなくなりそうだ』

 

 不意に胸を破って生えた赤い穂先を眺め、私の意識は間断した。




飽きたからBADENDで締めた!
わけではないです。短めなのは飽きのせいかもしれませんが。ここで区切るのがちょうどよかったんだよぅと言い訳しておきます。
士郎君は度重なるBADENDを華麗にかわして物語の最後まで行き着きますが、小説という形だとエンディングを複数採るわけには行かないんですね。皐月は類まれなるツキを味方につけてこの有様だと思って頂けると幸いです。


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17

どんどん短くなるよ! やっt(


 俺の意志とは関係なく、体は宙を舞った。

 四騎の猛者が互いの主を庇いながらも存分にその武勇を振るう檻にあって、飛び交う礫さえ俺の動きを邪魔できない。

 人として生きていた頃は当然、サーヴァントと成った今でさえ自力では不可能な速度で地を駆けながら、これが令呪かとその凄まじさを実感する。

 なによりこれだけ走ることに全力を尽くしているのに、隠形に乱れがない。

 そこまで意図したものかどうかはともかく、俺をその場に喚び出すのではなく、走って来いなんて命令を下したマスターには信頼で応えるしかあるまい。

 状況を把握せぬまま喚び出されるよりは、多少遅れても考える時間と初撃に限るとはいえ速度というアドバンテージを与えてくれたわけだ。

 妙に自分を危機に晒したがる皐月の行動を見咎めつつ口には出してこなかった。令呪に期待を置いていたわけではあるまい。これまでも令呪を使えばなお容易く危機から脱する事ができただろうに、彼女はそれを良しとしなかった。

 吝嗇か矜持か。今は置こう。

 そんな彼女が、今初めてその令呪に訴え俺に助けを求めてきた。状況の悪さは推して知れる。分かっている。

 努めて冷静に。

 

「ランサァアアアアアア!」

 

 肩口から右腕を失い、胸から血を流して地に伏せる主を認め、ランサーへと斬りかかった。

 一度の交差にすべての技量を必殺へと傾ける。

 ランサーの手数を以ってしても、死につながる一撃を避けてなお次の一撃までに反撃は用意できない。

 そう判断したし、事実ランサーはそんな神憑りを成し遂げはしなかった。

 突き出された槍に飛び込むように右側面を抜ける。払いへと動きを変えたランサーの槍を撫でるように左手のナイフで捌き、鞘走りの要領でそのままランサーの首へと投擲。

 応じたランサーは槍を握る右手で魔槍をしごくようにして短く握り返し、離した左手の甲でナイフを弾いた。死を回避し、なお前に出る俺と槍の丈を合わせる作業を一手のうちに仕込む最善の動き。

 ただ、獲物を片手で握り、ナイフを払う際に一瞬そちらに意識を割いた事実は消せない。

 引き戻される槍を無理矢理左手で掴んだ。

 令呪の後押しが残る体で地を蹴った俺の速度を、なお上回った槍の引きは賞賛に値する。

しかし槍使いが獲物を掴まれてしまえば最早その力は死んだも同然だ。

 掴んだ槍に引かれるまま、体勢を崩しながら右手で長剣を引き抜き、そのまま薙ぐ。

 これをランサーは脇腹を捨てつつも体を槍に委ねるように大きく躱し、同時に振り上げた右足で槍を握る俺の手を狙ってきた。

 足が振り抜かれるよりも早く、振り抜いた剣の勢いに任せて槍の上へと飛び上がる。

 結果ランサーによって上へと撃ち出された俺は、前進の勢いと共にランサーの頭上を盗む。

 掴み出した投げナイフ全てを出鱈目に放り、見もせずに振りかざされたランサーの槍が幾つかを撃ち落とし、いくつかはその体へと突き立った。

 倒れこむように振り仰いだランサーと目が合うが、既に俺は大上段の一撃を用意している。もちろんランサーは受けきるだろう。

 ただ、状況は有利だ。傷だらけのランサーと無傷の俺。力量差を埋めきれぬにしても、この先皐月の安全を確保するまでの優位は保てる。

 だというのに。どこかに油断があっただろうか。

 防御を無視するかのように振り下ろされた剣を無視し、ランサーの槍は俺の腹に狙いをさだめている。

 秒を刹那で刻むほどに研ぎ澄まされた意識が、この瞬間に至ってなお加速する。

 相打ちは認められない。しかし空中にあって幾許か姿勢を崩しているとはいえ地に構えるランサーの槍は躱せない。

 あらゆる手立てが脳髄を駆け巡り、しかしランサーの槍を受けぬ選択肢を拒絶する。

 死ななかった、ということでなんとかマスターには妥協してもらうとしよう。

 振り下ろされる剣と打ち出される槍は交差すること無く互いの目標を斬り、貫いた。

 方や肩から胸まで届く裂傷を。方や左腕を貫かれ獲物にぶら下がっている。

 強引に腕を振るうことで槍から逃し、ランサーから距離を取った。

 いささかの間断さえなくランサーを見据えたまま応手を打てる体勢を作り直す。続きがあるならばランサーの方が早いのは間違いない。

 しかし意識を燃やし尽くすような集中の後だ。膝をつくことこそ無いが、ランサーの傷も戦闘の継続が致命になるもので、俺が恐れた即座の継戦はなかった。

 

「何故受けなかった?」

 

 深く息を吐くランサーの呼吸を測りながら、短い問いを放る。

 ランサーの技量をもってすれば受けに回って不利になるほど完成した一撃ではなかったはずだ。

 無論こうして俺は傷を負ったが、ランサーの傷はその比ではない。

 この一手が天秤をランサーへ傾ける物ではない事はランサーとて理解しているはずだ。仮令俺を倒したとしても、この後を考えるなら無意味な傷は負うべきではない。

 だというのに、

 

「そっちの方が面白いからさ。全部読み通りみたいな面してたてめぇが最後だけ絵に書いた無表情だったぜ」

 

 楽しくてしょうがないとでも言いたげにランサーは不敵な笑いを浮かべたままそう言い切った。

 本心からそう思っているのだろう。ランサーの表情には何の衒いもない。

 俺とは別種な思考。英雄と言われるような連中は皆こうなのだろうか。

 

「…………俺の人生では会わなかった人格像だ。それで? 引いてくれるなら有難いが」

「馬鹿を言え。お前は期待以上だった。ここを逃しちゃもう次は無いだろ。何しろお前のマスターはくたばっちまったんだし」

 

 親指を向けてランサーは自分の背を指した。

 ランサーが影になって俺の目には見えないが、そこに皐月が居るのだろう。

 ランサーの心得違いを正してやるのは吝かではないが、従者として先にマスターの意向を問わねばなるまい。

 

『とか言っているぞ、皐月』

『…………もっとこう心配するとか無いのか? こっちは初めての死亡経験にちょっと打ち震えてるっていうのに』

 

 相変わらずの冷めた返事。嘘で塗り固められたマスターの言葉だが、冗談めかしている時は本心を口にしていることが多いのだと推測できる程度にはマスターを眺めてきた。

 

『それはここを片付けてからだな。ランサーはまだやるって言ってるが、どうするんだ?』

『付き合ってやりたいところだが、私の心臓は止まっている。急ごしらえの蟲じゃ血の巡り方がおかしくてな。おまけに失血がひどい。ご遠慮いただこう』

 

 おおよそ予想通り。無謀に振る舞うマスターだが無謀に無謀を重ねるような行為は取らない。なにより先の攻防で勝敗を決定的にできなかった俺が、この先でランサーに勝利をおさめられるはずもない。

 俺のような日陰者と戦い、武人として楽しんでくれたランサーにはまっすぐ答えよう。

 

「せっかくの申し出だがランサー、マスターは辞退したいそうだ」

「…………マジか」

 

 振り向いたランサー越しにようやくマスターが生きていることを実感した。

 土気色の顔で、木によりかかりながらではあるものの、間桐皐月は一人で立っている。不気味に蠕動する左腕と何かが蠢き盛り上がっている胸。本当におかしなマスターで、だから俺は目を離す訳にはいかない。

 

「不意打ちなんて味な真似をしてくれるじゃないか、ランサー。お前のマスターの趣味か?」

「………………そうだと言ったら?」

「綺礼によろしく伝えてくれ。借りは返す、と」

 

 当たり前のようにマスターはそう返し、だからランサーの無言は明らかに失敗だった。

 

「マスターが戻って来いと仰せだ…………おい、アサシン。次は決着つけるぞ」

 

 返事はしない。そんなことはマスターが決めることだし、もう一度やれと言われて出来るとも思えない。

 ランサーが去ったのを認めてくずおれかけた皐月腕を掴んでを引っ張りおこす。

 

「もうちょっと扱い方ってものがあるんじゃないか、ハサン?」

 

 乱雑な扱いに抗議の視線を向けてくるが、知ったことじゃない。これに懲りて少しは無謀な真似を控えてくれればいいのだが、きっと皐月は誰かを殺す時、自分の命を天秤にかけるのだろう。

 

「人間離れしたマスターにはふさわしいと思うが。さておき無事で何よりだ」

「無事、かな」

 

 右肩から先を無くし、得体のしれない物で胸と背を埋めた皐月の様は確かに無事とは言えないかもしれない。

 ごごん、と一際大きな音と共に人気のない森にふさわしい静寂を取り戻した城を一瞥し、俺は皐月を担ぎあげた。




戦闘シーンはそのうち書くと言ったな! あれは嘘だ。戦闘シーンが淡白なんじゃなくて、濃い戦闘を書けないんだよド畜生め!
ほんと、読み応えのある戦闘ってどうやって書くんだろう。


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