我が主君はひとでなし (昆布たん)
しおりを挟む
序幕:彼の境遇
時は戦国時代の末期。
大名や領主に仕え、また独立して諜報活動、破壊活動、浸透戦術、謀術、暗殺などを生業としている忍者と呼ばれる者たちがいた。
彼等は決して他の者に正体を知られることも無く、日の目を浴びずにひっそりと裏の世界で暗躍する。
そんな忍者が稼業のとある家で、一人の赤子が生まれた。
男しての性を受けたその赤子も、物心がつき始めた頃には例外なく父親から過酷な修錬を強いられ、くる日もくる日も睡眠や食事に行水をする以外は休むことなくひたすら鍛錬に励むことで忍者としての知識や技術、身体能力を磨き上げていた。
彼の家は同業の中でも極めて優秀な忍者が生まれる家系とされ、その修錬の内容はどれも死より恐ろしい苦痛や辛さを伴う道理を外れたものばかりであった。
その為、父親は彼に対して僅の愛情も持たぬどころか、名を与える事もなくただ最強の道具として磨き上げることに囚われていた。
彼は、父親から暗殺、諜報、拷問、性技……ありとあらゆる知識、技術を体と脳に教え込まれた。
中でも取り分け父親が力を入れて教え込んだのは、夜の務めや、敵の捕虜となった際、拷問を耐え凌ぐ訓練であった。
彼は生まれつき容姿が両性的で細くしなやな躰つきの為、異性同性問わず誰もが目を惹く様な魅惑を秘めていた。
その為、彼が齢七つの時には、既に家で仕える老若男女の使いを相手に夜伽の研鑽を強いられいずれの貞操も失う事を余儀なくされた。
今まで当主の子として丁重に彼へ接していた使い達が、夜はよがる雌犬のように、又は飢える獣のように彼の体を一心不乱に夜明けまで貪り続け、それに抵抗を示すどころか、彼は嫌な表情をおくびにも出さずありのまま受け入れ、ひたすら相手を悦ばせる為の性技を頭と体に叩き込んでいった。
この時から彼にとって性交とは、ただ任務を円滑にこなす手段の一つに過ぎぬ行為となる。
拷問の訓練において彼は父親から、人としての扱いを他人から受ける事などお前には許されないと、完全な道具へ近づける為に喉を切除され、言葉の交わりを一切禁じられた。
それでも彼は逃げることも弱音を吐く事もなく、ただ言われるがままに父親の命に無心で従い続け、これが自分の定めであり、忍者となる為己に必要な試練であると自分へ課し、信じて取り組み続けた。
十の誕辰を迎えたと同時に、彼は一人前の忍者としての皆伝を受けると、家族としての関係を断ち切られそのまま家を出た。それが、彼の家系が代々受け継ぐ儀礼であるからだ。
彼は様々な町や村を周り、大名や領主からの信頼を得ると次々に依頼をこなしてはその場へ髪の毛一本の形跡すらも残さずに、通り風の如く、誰一人の目にも止まらぬよう静かに立ち去った。
そんなある日、彼はとある町で運命的な出会いを果たす。
彼はある大名から諜報活動の依頼を受けて他の町の領主の懐へ取り入り、知り得た情報を逐一依頼主へと報告する任をこなしていた。
しかし、その領主や家族の優しい人柄に触れていくうちに、あたたかな安らぎと、この領主の側でずっと仕えていきたいという本当の忠義心が、彼の中で徐々に芽生え始めていた。
こんな言葉も交わせない得体の知れぬ輩に、食べる物や住む場所まで分け与え、尚且つ名前まで与えてくれた領主を、彼は一生守り続けると心に誓った。
領主もそんな彼を我が子のように思い、領主の妻と実子も彼を家族のように受け入れていた。
この町の生活にもすっかり慣れた頃、領主から彼にある物が贈られた。
「ほら、これをやろう。鈴の付いた首紐だ。私の子供にも同じ物をくれてやったから、お前達だけのお揃いだな」
「わーいっ。おっそろーいおっそろーい!」
領主の手から渡されたその首紐を、彼は両手の平にすくい乗せじっと眺め続ける。
そんな物珍しそうに目を丸くさせた彼の傍を、領主の子供がとても嬉しそうにはしゃぎながら跳ね回っていた。
「なあ……お前さえ良ければ、私達の本当の家族になってはくれまいか? 妻も子供も、私と同じようにそれを望んでいる」
「この人の言う通りよ。私達は、貴方と出会ってとても幸せな毎日が送れてるの。もし受け入れてくれるなら、了承の返事としてそれを首に着けて貰えたら嬉しいわ」
そんな二人の言葉を受け、彼は何とも表せない感覚が胸の内よりこみ上げると、目の端からみるみる涙を零し始めた。
この時、彼に初めて感情が生まれたのだ。
彼は未だ涙を流しながら首へ紐を結び付けるとゆっくりその場へ片膝をつき、そのまま頭を深く下げ、心からの感謝と敬意の念を三人へ示す。
「ありがとう。これからも宜しく頼むぞ、────」
領主が感謝を述べて名前を呼び上げると、彼は頭を上げて頷くと共に、心の中である決心を下した。
数日後。
彼は久しぶりに忍び装束へ袖を通すと依頼主の下に直接赴き、これ以上の任務を行わない旨の文言をしたためた文書を渡す。
「……なに? 任務を中止したい、だと?」
じろりと睨みつけるように問う依頼主へ、迷う事なく頷きで返す。
「それは困るな。あれにはまだまだ知らぬ事がある故、貴様にはもう少し動いて貰わねばならぬ。でなければ、何のために奴の懐へ潜り込んで貰ったと思うておる? それに、貴様等忍者に任務を止める権限などあるわけが無かろう。身の程を知れ、ただの道具風情が……分かったのなら、さっさと戻ってより多くの情報を集め知らせろ」
依頼主の却下を受けてなお、彼はその場から動こうとはしない。
「……そうか。ならもう貴様に用は無い。他の者に継がせ、事が終わり次第あの領主の寝首を掻いて町を我が支配下に置くだけのことよ。ああ……任を降りた者に聞かせる話などでは無かったな」
その瞬間、彼の中に憤怒の感情が生まれた。
強く握り締めた拳の中から僅かな血が滴り落ち、彼は今まで見せた事の無い激しい表情を依頼主へと向ける。
「ふむ。こんな道具にもまだ心が残っておったとは驚きよ。能天気な奴らに絆されるなど、忍者の名を語る資格も無し。情報を持ち帰られても面倒だ……出合え」
依頼主の号令を合図に、天井や障子、襖に床の下から同業と思われる者たちが彼を囲むように姿を現す。その数、凡そ十数。
各々が全国から寄せ集められた精鋭である事は、彼の鍛え上げられた洞察力を持ってすれば一目で把握出来た。そも、始めからこの者達の気配など、彼は早々に気付いていたが。
「貴様のような小童如きにこいつらを仕向けたのはちと過剰かも知れぬが、此の所余は退屈しておったのでな。今日は盛大な余興として、貴様の無惨な散り様を肴に酒でも呷る事に決めた。精々足掻き
再び下された号令を受け、同業達はそれぞれの獲物を携えると一斉に彼に向けて飛び掛かり、勢いのままに凶器が振り下ろされ、盛大な鮮血の花を咲かせて辺りに飛び散る。
しかし、その血を流したのは、あろうことか一斉に彼へと襲いかかった筈の、同業達の首の断面であった。
彼は強すぎた。
あの父親から受けた数々の訓練は、もはや人としての次元を超えた領域まで達していたのだ。
その健脚から生み出される速さは、誰の目にも止まらず、追われずに背後から首を捻り取るという、受けた者は死を自覚することも無く命を絶たれる程の鮮やかな手際であった。
「ば、ばかな……余の精鋭達が、一瞬で……!」
大名が腰を抜かしながら震える視線の先で、幾重にも重なった首無し死体の上に立つ彼の姿があった。
その手には、襲撃した同業達の頭部を束ねるように髪の毛がしっかりと握られており、奴等の首から噴き上がった血に塗れた彼の目は、腰を抜かして怯え震える大名を真っ直ぐに見据えていた。
「ひ、ひぃ……っ!」
「どうやらお困りのようですな」
前触れも無く訪れた背後からの殺気に気付いた彼は、手にしていた頭部を投げ捨てつつすぐさま腰の鞘から小刀を抜き出し、振り向きざまに頭上へと刃を水平に掲げる。
その直後に襲いかかった力強い衝撃の重さが小刀を介して自身の手へと伝わるのを感じつつ、一度相手から距離を取る為に後ろへ向かって跳躍した。
人類の道理を外れた訓練を積んだ彼でさえも、声が聞こえるまで気付けなかった隠密技術と襲撃を受けた手応えから、背後を取ろうとしたこの者が今までの同業達とは全く比べものにならない程の実力者である事を直観的に理解した。恐らく、自身と同等か、それ以上の強さを持っている、と。
「まだ貴方様からの合図は頂いておりませんでしたが……急を要する事態かと、失礼を承知で馳せ参じました。何卒ご容赦を、主殿」
「い、いや……良くやった……! さっさとその化け物を仕留めるのだ……!」
「御意に」
その者の了承を経て、大名は立てぬ体へ鞭を打つようにわたわたと四つん這いのままで逃げ出した。
「ふん……この様な塵芥を仕えさせて鼻を鳴らしているとは、奴も同じ穴の貉ということか。所詮は金を吐き出すだけの鴨に過ぎん」
大名の姿が消えたのを見届けると、その者は唐突に鼻で嘲笑しながら自分の主を卑下し始める。
「そもそも、彼我の実力も測れぬ此奴らでは、お前に傷を一つ残すどころか触れる事も出来ぬのは当然の道理。それはお前自身も分かっていたのではないか?」
何故戦闘を始める事もなくこちらに話を振るのか理解が出来ず、彼はその者からの問い掛けに頷きも否定もせず、警戒体勢を整えながら睨み続ける。
「ん? ああ……そうか、お前は喉を無くしていたのだったな。これはうっかり失念していた」
その言葉に、彼の体が一瞬固まった。
奴が明かしたのは、彼の家族と家の使い以外は絶対に知る筈の無い情報だったからだ。
彼はいつも、他の人には生まれつきのものとしか説明しておらず、誰に対して一度も喉の切除が原因と打ち明けたことも無ければ、見られる様な失態も犯してなど絶対に無い。
ならば、何故目の前にいるこの者がそれを知っているのかと、考えを巡らせる。
やがて熟考の末に浮かび上がった結論は、彼の顔を驚愕に染めた。
「ふむ。どうやらその反応を見るに、この身の正体に気付いた様だな。なれば、互いに素性が知れた所で顔を隠していても仕方なかろう」
取られた頭巾から現れたのは、見間違えることも無く、想像した通りの素顔である父親その人であった。
「少し顔を見ぬ間に随分と見下げ果てたものだ。潜入先の領主へ心を許すばかりか、挙句の果てに任務を放棄するなど……我が血筋に泥を塗りおって……! この私が直々に殺してやる……お前の様な面汚し、ただで死ねると思うなよ」
威圧の篭った宣告を終えると、父親は一瞬でその場から姿を消した。
その場から見失ったと彼が知覚した時には、もう既に遅かった。
「──たわけめ」
彼の脇腹に強烈な蹴りが叩き込まれ、その勢いで襖を背中に巻き込みながら奥へと吹き飛ばされる。
過去、彼は父親と幾度となく実戦形式の組手を重ねてきたが、その実一度も勝利を収めた事などなかった。
「こんな手抜きの初手も躱せぬとは……大分腑抜けた日々を過ごして来たと見える。家を出る前の頃の方が余程やり甲斐を感じたわ。まあ……あの様な薄ら馬鹿共に少し優しくされた程度で尻尾を振っているお前などに期待をするのも可笑しな話か」
呆れた様に鼻で笑う父親の呟きを耳にした彼は静かに立ち上がり、頭巾を外すと両の拳を握りしめ、自身の父へと初めての敵意を向ける。
「ほう……先程とはあからさまに目つきが変わったな。お前の私に対する憤り、しかと伝わってくるぞ。そうだ……もっと己の怒りを、恨みを、憎しみを、私にその手で以って思い切りぶつけてくるがいい。これからが本番だな……ふっふっ……やっとおもしろくなりそうだ」
直後、二つの影がぶつかり合う。
そこからは、お互いに一歩も譲らぬ攻防の嵐を繰り広げた。
近接戦闘による武器を交えた徒手格闘、遠距離戦での手裏剣や苦無の投擲など、その戦いはどこまでも勢いを増していった。
彼等の戦いは、他の者からすれば互いの姿など目に見えず、絶えることのない金属音が響き渡り、あちこちで小さな火花が起きる光景が広がっていることだろう。それ程までに、この二人の戦いは人類史上最速の殺し合いと称されても過言ではない位の壮絶な激闘であった。
そんな状態が続いた十数分後、周囲の壁や天井に激しい死闘の爪跡が刻まれた室内に立っていたのは、父親の方だった。
「ふん……よもやこの程度とは、すっかり拍子抜けだ」
時間が経つにつれて徐々に戦況が父親へと傾き始めると、彼はみるみる劣勢に立たされていき、遂には左腕を斬り飛ばされ、そのまま倒れ伏してしまった。
その際、激しい躍動の末、結び目の緩くなった首紐が彼の前へと解け落ちる。落下と共に鳴り渡った鈴の音に気付くと、彼はほぼ動かぬ右腕へ願う様に、首紐へ向けて懸命に震える手を伸ばす。
しかし、彼の右手が届く前に、目の前の首紐は無残にも父親が勢いよく下ろした足によって鈴ごと踏み潰されてしまった。
ヂリンと鳴った鈴の音は、彼の今の気持ちを代弁するかの様に悲痛な叫びとなって室内に小さく響いた。
「ふん。一族の恥晒しとは言え、忍者たる者がこんなふざけた首飾りなどつけよって……この愚図めが」
彼を罵倒しながら、父親は首紐を潰した足で更にぐりぐりと踏み躙り、鈴が呼応するかのように何度も壊れる音を鳴らし続けた。
瞬間、彼の何かが完全に切れた。
完全に動かなかった体へ、言い様のない沸々とした込み上げる真の怒りを糧と変えて彼は静かにゆっくりと立ち上がり、目の前の父親……否、外道を見据える。
「ん……? ──っ⁉︎貴様……何故立ち上がって……ま、まさか……その姿は……っ!」
心も体も、彼を支配するのは憎悪と怒り。純粋に奴の首を取らんとする真に芽生えた殺意の塊だった。
彼の背後には、鬼の姿を象ったような紺青の焔が揺れ動き、額には天へ目掛けて曲線を描いた黒く光る三寸ばかりの双角が生え伸び、瞳孔は爬虫類のように細く形を変え、烈火の様な紅に染まった瞳の周りはどこまでも暗い漆黒に覆われている。
「“
父親は、目の前の現実が受け止められなかった。
今まで誰よりも、どの先祖よりも一番に武功をあげ、強さに磨きをかけたと自負していたのに、敬愛する始祖が選び取ったのは、自身の在り方とは真っ向の反対に位置する我が子であることが。
信じられない、信じたくない。こんなことがあって良いはずなどない……!
「ふざけるな! それに相応しいのは、お前などではなくこのわ──」
父親の怨言を聞き終える事もなく、彼は一瞬で側を横切り、動き出すと同時に手にしていた小刀を再び腰につけた鞘へと戻す。同時に、父親の頭はぽとりと転がり落ち、首から盛大な血飛沫を噴き出した胴体が背中から倒れ落ちた。
彼は振り返り、父親の足下でひしゃげた鈴付きの首紐を拾い上げて懐へ忍ばせながら踵を返すと、最後の始末をつけるためにゆっくりと歩みを進め始めた。
「ひ、ひぃーっ! 誰か、誰かあぁぁあぁあ──」
その夜、とある町の大名の屋敷が原因不明の火の海に包まれ、それからしばらくその町は、この不可解な事件の話で持ち切りになったとのことだ。
翌朝。
領主が目を覚まし、日課である朝日の日光浴を行う為に正門を開けると、そのすぐ側でぼろぼろの忍び装束を纏う血濡れの彼が虫の息で門柱に凭れかかっており、顔や体には複数の傷がみられ、左肩から先を失っていた。
「おい! 聞こえるか⁉︎私だ! しっかりしろ! 誰か──」
彼の傍へと駆け寄り、しゃがんで力の限り呼びかけた後、他の者を呼び集めんと再び口を開きかけた時、彼の右手が僅かに領主の共衿部分を掴んだ。
その動作が他の人を呼ばないで欲しいという彼の意思によるものであることをすぐに理解し、領主は一度口を噤む。
「何があったかは、聞かない方がいいんだろう……?」
彼は、頷く。
「その装束……お前は、忍だったのだな?」
また、頷く。
「……何となく、分かってはいた」
彼は目を見開かせる。
「時折夜中に姿を消して、何処かへ行っていることも……それが、あの大名へこの町の情報を流す為のものであったことも……」
黙っていたことや、騙していたことを謝罪するように、彼は顔を俯かせる。
「だが、そんなことはどうでも良い。私は……いや、私たちは、お前と共に過ごす日々が何より幸せだった。お前と一緒にいられるのなら、私たちは奴等に全てを奪われようとも命を遂げる覚悟は出来ていた……」
彼が再び領主を見上げる。
「……私たちを、守ってくれたんだな」
彼は領主の目を見つめ返したまま、頷きも否定もしない。
「ありがとう……」
滅相もない、と彼は首を振る。
「私は、この先もずっと……お前と一緒に人生を送っていきたい。だから……っ、だがら……いっじょゔのお願いだんだ……! じぬな……っ! まだ、いがないでぐれぇっ! お前どいっじょに、だのじぐずごじだいんだ……っ!」
領主の目から溢れ出る涙が、彼の目もとへ落ちては頰を濡らし、伝い流れていく。
彼は自分の懐へ右手を伸ばすと、取り出した何かを掌に乗せて領主へと差し出した。
それは、領主が彼へ贈った物とは思えぬまでに、歪な形へ変えられたあの首紐だった。
「ごれは……そうが、わかっだ……」
領主はそれを受け取り、ゆっくりと彼の首へ結び付けた。
しかし、揺れ動く鈴から音が鳴ることは無く、まるで彼の危篤を表しているかのようだった。
「やっぱり……似合うな。あの子よりずっと」
次第に、彼の呼吸は更に弱々しく、ゆっくりとしたものになっていく。
そんな中、彼は長らく閉ざしていた口を僅かに開き始め、必死の思いで何かを伝え始める。
あ……り……が……と……う……。
た……だ……い……ま。
とても小さな掠れ声で、彼は領主へ初めて自身の思いを言葉で伝えた。
「ああ……お帰り……──」
途切れ行く意識の中、領主から迎えの返事を受けとると、彼は一番に愛する人の腕の中で、静かに息を引き取った。
なにこれ、本話レベルのボリュームになっちゃった。
とにかく、どんな出会いになるか、お楽しみに。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
主人公設定
【名前】雪葉
【年齢】10歳
【性別】男?
【誕辰】師走十六日
【身長】四尺二寸(約127センチ)
【体重】七貫(約26キロ)
【好きなもの】米、緑茶、主君(敬愛的意味合)※追加:友人(ウィズ)
【嫌いなもの】主君に仇なすもの
【特技】瞬動絶殺
【趣味】園芸、菜園
【座右の銘】主君在れば此の身散ること無かれ
小さい頃から忍者の全てを叩き込まれた少年。
彼の中には忍者としての技術や知識が数限りなく、今まで斬殺して来た人の首は数知れず。
彼は、命令が下されれば躊躇なく命を奪う。
恐らく、現在の主君であるカズマが命令さえすれば……しかし、そんな外道まで落ちてはいないので、彼がこれ以上“人”を殺める機会はやって来ないことを祈るばかりである。
ちなみに、彼の衣装については、織田信奈の野望から、蜂須賀五右衛門の衣装にインスピレーションを受けています。
まあ、コミュニケーションに難あり、というところでも、無意識の内に五右衛門ちゃんの姿をどこか投影させていたような気がしないでもないですが、彼自身の個性もこれから際立たせて行きたいと考えておりますので、長い目で見ていただけると嬉しく思います。
このオリ主で小説を書こうと思ったきっかけは、圧倒的に前衛型の火力特化がいないなぁと感じた所からでした。
攻撃と素早さに極振りした神風特攻キャラがいれば、更にパーティを賑やかに振り回してくれるのではないかという安易な考えと、転生する切っ掛けとして多少拘りつつカズマとは対極的な経緯を経て死を遂げる流れを作りたいと常々思っていて、その過程をどういったものにすれば読者が感情移入出来て次の本編へとのめり込めるかと、試行錯誤の末に生まれたのが、雪葉くんでした。
他作品のこのすば小説を色々漁っていましたが、やはりどれも切っ掛けとなるプロローグ部分の芯がしっかりとしていて、自然な流れで本編へと合流させる他の作者の執筆力には、度肝を抜かれました。
しかし、今回プロローグだけでもという見切り発車で幕を開いたこの小説。正直なところ、今の段階ではあまり先の展開までは深く考えてなどおらず、とりあえずアニメの1クール辺りまで上手く作れたらいいかなあ、なんて楽天的な思考で執筆をしている現状です。
それでも、キャラを生み出したからには、それは自分の子供同然と考えている自分がいるので、自分の気力が精魂尽き果てぬ限り、読者の皆さんに少しでもクスッと笑ってもらったり、雪葉くん健気やわぁ、とか我が子に愛着を持ってもらえたりなんかしたら、かなり嬉しいですね。
こんな拙い小説にお目を通してくださった皆さん、どうぞこれからも雪葉くんの幸せをたくさん集めていく、くだらなくも素晴らしい世界の日常に温かい目を向けていただけるなら、これに勝る喜びはありません。
※なお、設定項目は随時更新される場合がございますのでご了承ください。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
忠誠【壹】:忍者、大地に立つ!
「ううう……ひっく……ぐすっ……っ」
徐々に鮮明になる意識につられてゆっくりと瞼を開いた彼の先で、自身の身長と同じぐらいまで伸びた銀髪の毛先を二つに束ねた美しい女性が佇み、何故か啜り泣きながら溢れ出る涙に濡れる目端を布切れのようなもので拭き取っている。
周囲は暗闇の景色が広がるばかりで、存在するのは彼と目の前で涙を流す女性に、現在彼が腰を下ろしている木製の椅子だけであった。
「あ、気が付いたんですね……ずびっ。すみません……見苦しいところをお見せしちゃいましたね。──こほん。では、気を取直して。ようこそ死後の世界へ。あなたはつい先ほど、不幸にも亡くなりました。本当に……本当に……っ、短い人生でしたが、あなたの人生は終わってしまったのです」
真っ暗な空間の中、彼は唐突にそんな事を告げられた。
しかし、意味が分からない場所にいつの間にかいる事よりも、己が死んだことを告げられた事よりも、彼が真っ先に驚きを示したのは、有るはずの無い咽頭と左腕の確かな感覚であった。
彼は目を丸くさせたまま、目の前で穏やかに自分を見つめている女性へ説明を求めるように視線を送る。
「えっと、自己紹介がまだでしたね。私はエリス。この天界で、若くして不遇の死を遂げた人間を導く女神です。あなたが気にされている失った筈の喉と左腕については、こちらの天界へ呼び出す際、元の状態に戻るようになっているんです。もちろん、あなたが身に付けている衣類や物も例外なく」
エリスと名乗った女性は、彼に首元を確認する様に自身の首を指で示し、誘導する。
彼がその動きにつられて首に触れると、ぼろぼろだった紐は新品のような手触りを取り戻し、それに付いているあの形が崩れてしまった鳴らない鈴も、凹みの無い艶やかな感触と、触れた振動によってチリンチリンと涼やかな音を立てた。
驚きの表情で見据える彼を他所に、女神エリスは再び口を開き始める。
「女神の役割として、私はあなたの人生を一部始終見守っていました。あなたの人生は、今まで見たどんな方の人生よりも……ぐすっ。すみません、また感情が込み上げて……っ」
どうやら彼が悲惨な死を遂げた結果、この場所へと招かれた上、生前に起きた一連の出来事を女神エリスが見届けていたらしく、そのあまりの境遇故に涙を流さずには見ていられなかったと言う。
「──えっぐ……ずずっ。何度もすみません……さて。それでは、改めて。初めまして。私の名はエリス。いきなりではありますが、不幸にも死んでしまったあなたには、二つの選択肢があります。一つは人間として生まれ変わり、新たな人生を歩むか。そしてもう一つは、天国のような所でお爺さんのような暮らしをするか」
選択肢の内容を説明しながら、女神エリスは順繰りに人差し指と中指を立てていく。
「えーと、もう少し説明が必要みたいですね。天国というのはあなた方人間が想像しているような素敵な場所とは言えません。死んだら食べ物は必要ないし、物も当然産まれることもなければ、作ることも出来ません。がっかりさせてしまうようですが、天国って特に何もないんです。もちろん娯楽のようなものもないですし、そこにいるのはすでに死んだ先人達。そもそも魂だけの存在ですから何もしようがありません」
そんなエリスの説明に対し、彼は特に何の反応も見せずただ耳を傾けている。
「もし、そのどちらも望まないと言うのであれば、最後の選択肢がありますけど、どうしますか?」
打診するエリスの言葉へ、僅かに頷く。
再び咳払いをした後、しばらく語ってくれた女神の話を要約すると、こう言う事だ。
今いるこことは別の世界、すなわち異なる世界に魔王と呼ばれる多種多様の物の怪を統率している頭目がおり、それが指揮する怪物の群衆、通称魔王軍による侵攻で、その世界は危機に瀕しているとの事。
また、その世界では、忍術とは異なる魔法と呼ばれる摩訶不思議な現象を人の手で行う事が可能であるらしい。
彼は、些か面妖な世界があるものと感心しつつ、エリスの説明へ耳を傾ける。
「その……実は私、今説明した世界の女神を担当していて、そこで生まれた人は大概別の世界へ生まれ変わる事を望んでしまい……所謂、救世主の人手不足に陥ってしまいまして……。なので、こんな風に別の世界から送り込んで人手を確保するのはどうか?ということになりまして」
どの業界でも悩まされる人手不足の深刻さに、彼はどことなく共感と敬意の念をはらった。
「なので、どうせ送るなら若くして亡くなった未練ある人たちを、肉体と記憶はそのままで送ってあげる事になったんです。しかし、送って早々に死なれてしまうのも意味がありませんから、何か一つだけ。向こうの世界に好きなものを持っていける権利をあげているんです。例えば、強力な特殊な能力だったり、とんでもない才能だったり……は、あなたからすればあまり必要無さそうな感じですね。他には、神器級の武器を希望する人もいましたね。……どうでしょう?あなたは、異世界とはいえ人生をやり直せる。異世界の人にとっては、即戦力となる人がやってくる。悪い話では無いと思いませんか?」
彼は、口元に曲げた人差し指を添え、黙考を始める。
「それと、異世界での対話についてですが、私達女神のサポートにより、異世界へ行く際にあなたの脳へ少し負荷を掛けることで、すぐに習得が可能になります。もちろん文字も読めますよ?副作用として、場合によっては何かしらの障害が残る可能性はありますが……」
最後の補足を述べる際、彼女は頰をぽりぽりと掻きながら苦笑いの表情に変わった。
これまでの説明を頭の中で反芻した彼は、考えをまとめてエリスと向き直る。
そして、きっぱりと首を左右に振った。
「──え、ええええええ⁉︎」
彼の返答を目にしたエリスは、整った可憐な容姿を驚愕の表情に染める。
「ど、どどどどうしてですか⁉︎異世界ですよ⁉︎ファンタジーですよ⁉︎今まで見たことない生き物とか町とかダンジョンとか、あなたの知らない世界が広がっているんですよ⁉︎興味湧きませんか⁉︎」
彼は、いや、全く。とでも言うようにまた再度首を振る。
「最強の能力や最強の武器で無双ですよ⁉︎皆にモテまくりですよ⁉︎下手すれば女性たちを侍らせるんですよ⁉︎」
驚きのあまり、普段の彼女では口にしないような単語が飛び交っているのだが、そんな事情を知る筈のない彼は、しつこく押し売りをされているような気分に顔を顰めた。
「あなたは、あの人生で満足だったんですか⁉︎思い残しがあったんじゃないんですか⁉︎」
彼は、その問いに迷う事なくはっきりと頷く。
「だったらなぜ……」
語気に勢いを無くした彼女の静かな問いに、彼は答えるように首紐の鈴を指し示す。
確かに、短すぎる人生ではあった。それでも、彼はあの領主や家族と共に過ごした日々に、十二分満足していた。
こんな自分に名を与え、住む場所や温かい食事を分けてくれた。
そしてなにより、領主達の向ける笑顔が、彼に生きる事の幸せを教えてくれた一番の宝であった。
死ぬ間際には、最も敬愛する領主へ、自分の言葉で精一杯の気持ちを伝える事が出来た。
他の人からみればたったそれだけの事でも、彼にとっては十分過ぎる程に掛け替えのない全てなのだから。
己の人生に思い残す事はあれど、後悔など欠片も無かった。
「じゃあ、日本でまた生まれ変わるんですか……?」
首を横に振る。
「では、天国へ……?」
首を縦に振る。
「そんなの……そんなのダメですっ!」
選べと言われて出した結論を唐突に否認され、彼は戸惑いの表情を見せる。
「ええそうです!あなたは確かに満たされて人生を終えました!しかし!幸福の女神として、あのままで人生を終わらせるなんて事、認めるわけには行きません!ですから、私がここへ招きましたっ。あなたをよりたくさんの幸せな人生へと導く為に!」
思わぬ秘密を暴露する女神に対し、彼は余計なお節介と思う反面、彼女の優しさと誇りに敬意を感じ、どうしたものかと悩ましげな表情で頰を掻いた。
「なのでお願いです。どうか私の手を取り、自分の人生を豊かなものにして下さい。あなたを退屈させず、より幸せな人生が待つ素晴らしい世界へ招待すると約束します……!」
毅然と言い切って歩み寄り、こちらに向けて右手を差し伸べたエリスを、彼はその洞察力で隈なく注視していく。
瞳孔、脈動、姿勢、挙動……ありとあらゆる箇所を見つめ、一箇所にでも嘘の意図が見受けられれば、彼はそれ以上取り合わずに是が非でも天国へ送らせようと決意を固めていた。
だが、真っ直ぐに彼を見据える彼女の瞳も、脈動も姿勢も何もかも、彼を騙そうといった虚偽で発生する緊張の動きは、体のどこにも認められなかった。
彼女は本気で、彼を幸せな人生へと導くつもりらしい。
真摯な姿勢と真実の心で向き合った彼女の信念に感銘を受けた彼は、目の前に差し伸べられた掌へ自分の手を重ねて静かに微笑んだ。
「…………はっ⁉︎すみません!──こほん。ありがとうございます。では、なんでも一つだけ、あなたの望むものを選んで下さい」
何故かしばらく彼の顔を呆然と見つめていたエリスは、かぶりを振ると一度定位置まで戻り、彼の前に様々な武器や能力が描かれた用紙を広げる。
されど、彼はそのいずれにも目を通すこと無く首を振り、腰に携帯する小刀を取り出しそれを突き出すようにエリスの前へと掲げる。
まるで、この一本さえあれば武器等他には何も要らない、とでも主張するように。
「え……じゃ、じゃあ、何が欲しいんですか?」
またもや予想の遥か上を突いた返答にエリスが苦笑いでもう一度尋ねると、彼は暫く熟考した後、やはり特に無い、と再び首を左右に振った。
「はあ……ここまで無欲な人、私初めて見ましたよ……。念の為に女神の力で心を読みましたけど、本当に何も無いだなんて」
公的にも私的にも彼に何かしらの特典を与えたかった為か、エリスは落胆ながらに溜め息を吐くと、顔を引き締めて彼へと向き直る。
「分かりました。では、私からあなたに特典を与えましょう」
そう進言し、エリスは彼の元へ歩み寄ると、彼の小さな額の前へ手をかざして何かを呟いた後、額から手を戻してにこやかに微笑んだ。
エリスの行動にいまいち理解の及ばない彼は、自分の額へ手を当てながら、彼女へ問いかけるように首を傾げる。
「ちょっとしたおまじないを掛けました。まあ、あなたが大きな怪我をしないように、との御守りみたいなものです」
おまじないを掛けたと告げ、エリスは次に彼の手を取ると真剣な表情に変えて彼に語りかける。
「いいですか?くれぐれも生前みたいに一人で無茶をしたりしてはいけませんよ?後、知らない人にも着いて行かないことっ」
何だか過保護な親が子供に釘を刺しているかのような彼女の優しさに、実の親からそんな言葉を一度も掛けて貰えなかった彼は、嬉しさと気恥ずかしさに胸を
そんな時だった。
チリンチリン、と二度の鈴鳴りが、確かに彼の頭へ響き渡った。
それは、彼の首に付けたものから発せられた音では無かったが、同時にその音は確かに彼の身に付ける鈴と寸分違わぬ同じものであった。
そして、彼は直感で理解した。これは、あの時領主の子が付けていた自分とお揃いの首紐から発せられている鈴の音で、その音色がこの鈴へ呼びかける様に、異世界から助けを求めているのだと。
そう結論を出すやいなや彼はすぐに立ち上がり、目の前のエリスへ訴える様に未だ鳴り続ける音源の先へと繋がる虚空を見上げた。
「どうしたんですか?」
きょとんとした表情のエリスに向けて、彼は伝わるように心で強く念じる。
誰かが自分に助けを求めている。行かなければ、と。
「分かりました。では、始めます」
エリスが快く了承し、柔らかな笑みを浮かべると共に、彼の足下に、青く光る魔法陣が現れた。
「あなたをこれから、その助けを待つ者の場所へと送りますので心の中で行き先を強く念じて下さい。そして、魔王討伐のための勇者候補の一人として。魔王を倒した暁には、神々からの贈り物を授けましょう」
贈り物……?
そう心の中で問いかける。
「そう。世界を救った偉業に見合った贈り物。……たとえどんな願いでも。たった一つだけ叶えて差し上げましょう」
エリスの返答に、彼はすぐに願いを打ち立て、胸の奥底へと秘めた。
「すみません。一つ言い忘れていましたが、あなたはもう喉が戻っていますから、普通に話せるんですよ?」
すっかり失念していた事実に、彼は口もとを隠すように指先を当てた。
「願いは、決まりましたか?」
彼女の問いに、彼は迷う事なくゆっくりと頷く。
「そうですか。──さあ、勇者よ!願わくば、数多の勇者候補達の中から、あなたが魔王を打ち倒す事を祈っています。……さあ、旅立ちなさい!……あ、それと」
最後に、エリスはこう付け足す。
「私が個人的にあなたを此処へ招いたのは、天界規定に違反していることなので、このことは、二人だけの秘密ですよ?そして……どうかあなたに、この女神エリスの加護があらんことを」
両手を胸の前で組みながら、彼女は宙へ浮かびつつある彼に祈りを捧げた。
始終甲斐甲斐しく親切な振る舞いを見せたエリスへ、彼は閉ざしていた口を開き、感謝の言葉を述べる。
「……えりす、様……ありがとう」
「──⁉︎……はい!」
曇りの無い笑顔を咲かせた彼は明るい光に包まれると、そのまま光の消失と共に異世界へと姿を消した。
一人残った彼女は少年が異世界へと旅立つのを見届け終えた直後、力が抜けたようにその場へへたり込み、両頬へ手を当てながら顔を真っ赤に染め上げる。
無粋とは思いながらも、エリスは彼の願いを興味半分に力で覗いてしまい、その内容に内心驚き戸惑いつつも、彼に気取られぬよう必死で平常な様相を保っていたのだ。
その願いとは。
『自分や他の皆だけでなく、幸福を与える
「自分への願いはおろか、他人の為だけでなく、まさか私の為に願いを使おうだなんて……っ。あなたの方がよっぽど優しいじゃ無いですか……!でも……私、期待しても良いんですよねっ?小さい素敵な勇者さん?」
彼女は忙しなく脈打つ胸に手を当てながら穏やかに微笑み、彼の姿を頭に浮かべながら、静かに呟いた。
皆さん、こんにちは。佐藤和真です。
今、俺は異世界転生にて、窮地に立たされています。
その日、俺は新作のゲームを買う為に渋々外出した。
しかし、それ以外にも欲しい物が幾つもあった為、代々家の家宝として神棚に飾られていた、鈴が付いた古い首紐に目をつけた。
なんでも、戦国時代の先祖からずっと受け継いで来たものらしく、その価値は値段に置き換えるのも躊躇われる程の超一級品だとか。
戦国時代という辺りから何やら胡散臭い話だと思ったが、現にここまで丁重に扱われていると、どことなく希少価値を信じたくなるのが人の性というものらしい。
俺は新作のゲームを購入した後、更なる娯楽費の足しにする為、神棚からこっそりくすねてきた首紐を手に、近場で唯一の質屋へと回った。
だが、持ち込んだ首紐をひと通り鑑定した店主は急に顔色が青ざめたと思えば、額から尋常じゃない量の冷や汗を流し始め、「あ、あんちゃん……悪い事は言わねぇ……。これは確かにとんでもねえ価値がつく一級品だ。紐だけで数十万……鈴も付けて百数十万は下らねえだろう……。だがそれ以上に、この首紐にはとんでもねえ何かが込められてやがる……!呪いだとか怨念だとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ……!コイツからは、もっと恐ろしいものの片鱗を感じたぜ……!」と、体を震わせながら歯をカチカチと鳴らしていた。
あまりの真に迫った姿に、俺も思わず足を竦ませて生唾を飲み込み、目の前の首紐へ視線を下ろした。
「悪いが、これは買い取れねえ……さっさと家に持ち帰って丁寧に保存した方があんたの身のためだぜ……!」との忠告を店主から受けた俺は、すぐに首紐をポケットへ仕舞い込んで質屋を後にした。
「……けっ。何が恐ろしいものの片鱗だ。あんなもんただの一円の値も貼れねえただのボロだっつの。迫真の演技のおかげで、疑われずにさっさと帰ってくれたから良かったが……。あんなゴミで棚のスペースを無駄に占領されても困るからな」
そして、俺は帰り道に、車に轢かれそうになっていた女の子を助けようと柄にも無いことをしでかし、世界で一番情け無い死に方を衆目に晒したのだった。
それから、俺は怒り任せで異世界に駄女神を持ち寄ったり、職業登録では基本職の冒険者一択を余儀なくされたり、使えないアクアと共に馬小屋で雨風を凌いだり、土木作業などの冒険者らしからぬ依頼で食い扶持を繋ぐ貧民生活を強いられ続けていた。
めげそうになった時は、何故かこの世界へ一緒に持ち込めた首紐を何度も売ってしまおうかと思ったが、その度にあの質屋の店主の忠告が頭をよぎっては売り払う勇気も出ず、かといって捨てるのも後が恐ろしい為、終いには御守り代わりとして首に巻こうかと思い立ったが、子供用に作られていた為か俺の首では長さが足りず手首へ身に付ける事にした。
そんな異世界らしからぬ生活に痺れを切らし始め、俺たちは現在、初めて冒険者デビューにぴったりの依頼。ジャイアントトードという大きな巨体を持つ蛙型のモンスターの討伐に赴いていた。
しかし、牛などの家畜を一等丸々飲み込む程の大きな口や、一切の物理攻撃を通さない分厚い脂肪と、蛙生来が備え持つジャンプ力を前に俺たちは苦戦を強いられ、アクアに至っては一度飲み込まれかけていた。
あまりの困難な戦況に、俺たちは二匹を討伐したところで一時的撤退に踏み切って後ろを振り返ると、ジャイアントトードが逃すまいとでもいうように佇んでいた。
「かあじゅまああああ!私もう飲み込まれたくない!早く!早く!やっつけて来てええええ!」
「無茶言うなって!あんなのと正面で単騎決戦とか敗北フラグしか立ってねえだろ!」
てなわけで、俺、佐藤和真。絶賛窮地に立たされています。
「へぶぅっ⁉︎」
二人で必死に逃げ回る中、全身粘液に塗れていたアクアが足を滑らせ、その場へ転倒した。
「アクア!」
俺はそれを好機と捉え、駄女神をジャイアントトードの釣り餌に、後ろから回って討伐を試みようとアクアへ呼びかける。
「待ってろ!今俺が後ろから──ぶへぇ⁉︎」
刹那、倒れ伏したままのアクアが俺の足首を掴み、つられて俺も転倒する。
「なにしやがんだこのアホ女神⁉︎せっかくの奇襲作戦が台無しだろうが⁉︎」
「それ私がまた飲み込まれるの前提の作戦でしょ⁉︎そんなのもう嫌よ!こうなったらあんたも粘液塗れになって、私と同じ苦しみを味わうがいいわ!」
「こんの馬鹿!下らねえ事で俺を巻きむ──な……」
アクアに向かい、罵倒を続けようと振り向いた先で、ずずんと着地した巨体が、俺たちをじっと見ていた。
「あ、あわわわわわ……か、カズマさん、早く、そのナイフでズバッと……!」
「むりむりむり……これ切るやつじゃないし、何十回も刺さないと倒せないって……!」
しばらく沈黙していたジャイアントトードは大きく口を開け、俺たちに向けて頭を勢いよく振り下ろした。
「いやあああああああああああ!」
「ぎやあああああああああああ!」
その時だった。
頭上から差し込める眩い光に、ジャイアントトードが動きを止めて天を仰ぎ掛けた刹那、その頭が凄まじい速度で地面へと叩き付けられる。
その反動により、胴体は一度宙へと舞い上がりながら再び地面へと投げ出され、一瞬ばかりの一撃が壮絶な威力を物語っていた。
「…………ふぇ?」
「な、なんだ……?」
光が消えると、絶命したジャイアントトードの頭上に、人影がたっていた。
両肩を出した袖の無い黒ずくめの衣装、その中にちらりと覗かせる網目状の鎖帷子。間違いなく、前の世界において、様々なメディアで見かけた事があるものだった。
「カズマ……あれって」
「ああ、間違いない……忍者だ」
だが、それ以上に俺たちの目をひいたのは、それを身に纏う者自体の容姿であった。
顎先で長さを切り揃えられた雪のような白い髪、こちらを見下ろす大きな桔梗色の瞳。
極め付けは、その幼くも綺麗に整った顔立ちと、細くしなやかで、小さな体躯だ。
一言で表すなら、その子の印象は儚げな忍者少女、といった所だろう。
その少女は、手にしていた短い刀を腰の鞘へ戻すと軽やかにジャイアントトードの頭から降り立ち、ゆっくりとこちらへ歩み寄ると、何かを確認するように俺たちをじいっと見つめ始めた。
やがて、値踏みするような視線が俺の手首に付けた首紐に留まると、彼女は大きく目を見開かせた。
「……見つけた」
「へ?」
そう呟くと、彼女は未だ腰を抜かしている俺の前に跪き、深く頭を下げると静かに言葉を続けた。
「……お初に、お目に……かかります……名を……
小さな抑揚の無い声で、少女は俺に向けてそう宣言し、頭を上げた。
その後、俺とアクアは討伐依頼を終え、街へと帰還し、真っ先に大浴場へと向かっていた。
すたすた。
向かって、いた。
すたすた。
向かって……いた。
「ねえねえカズマさん?」
「なんだいアクアさん?」
にこやかに呼びかけるアクアへ、俺も同じ表情で応える。
「さっきからずっと、忍者の格好をした可愛らしい少女が私たちの後をついて来てますよ?」
「ははっ、そうだね」
「ねえねえカズマさん?」
「なんだいアクアさん?」
「ついに私たちの隣まで来たわよ?」
「ははっ、そうだね──て、いつまで着いてくるんだ⁉︎」
「……どこまでも……主君の、行く所……この身の、行く所」
何故かは分からないが、俺はこの子に主君と呼ばれ、ずっと着いて回られていた。
まあ、美少女に懐かれる事に対しては嬉しい限りだが、側から見れば少女を連れさらっている青年の図に見えなくも無いのでタチが悪い。
「何か、あんた達だけ見ると犯罪の臭いがえげつないわね」
この駄女神。敢えて口にしていなかったのに、空気を読め低知能プリーストが!
警察署に連れて行こうとも思ったが、多分間違いなく俺が問い詰められて牢屋にぶち込まれる未来が見えた為、仕方なく少女を大浴場に同行させた。
道中、少女から詳しい経緯を伺った所、どうやら彼女も俺と同じ境遇でこの世界へと送り出されたらしく、俺が身に付けたこの鈴の音を頼りにやってきたとのことだった。
おまけに、少女も俺と同じ首紐を首元に付けていたのだが、これは当時、彼女が遥か昔に俺の先祖から贈られたものだと言うのだから驚きだ。
親から聞いた話は、真実だったらしい。
「で、ユキハ、で良いんだよな?お前、金はあるのか?」
大浴場の受付まで辿り着くと、俺はユキハに持ち金の有無を尋ねた。
だが、彼女は俺の問いに対し、ふるふると首を横に振る。
「……だよなぁ」
「ちょっとカズマ!その子に奢るんだったら、私の分も払いなさいよ!このロリコン引きニート!」
「どういう暴論だアホ女神!お前は金あるんだから自分で払え!」
本当、何でこんな使えない廃品持ってきちまったんだ、俺。
ふと、袖を引かれる感触に目を下ろすと、ユキハが控えめな表情で俺を見上げていた。
「……主君……この身……行水で、十分……湯浴みは……不要」
「ばっか、お前。風呂は命の洗濯だぞ?仮にも女の子が風呂に入らないなんて野暮な事言うもんじゃないからな?」
「……女の子?……主君……この身は……お──」
「おっちゃん、大人一枚と子供一枚」
「あいよ」
「うっし、アクア。ユキハ頼んだぞ」
「はいはい。ほら、行くわよ」
「……でも……主君の安全を……」
「こんな場所で襲う奴なんかいないわよ。そもそも、カズマ如きの命を狙うぐらいなら他の冒険者を狙うに決まってるわ。わかったらさっさと着いて来なさい」
ユキハの訴えに耳も貸さず、アクアは彼女の手を引いてずんずんと脱衣場の奥へ姿を消した。
つうか、一言多いんだよなあ、あの駄女神。
溜め息を漏らしつつ、俺も大浴場へ疲れた体を癒しに向かった。
その後、受付前のホールで待ち合わせたアクアから、ユキハが男であると驚愕の事実を知らされ、俺の思考が数分間停止したのはここだけの話だ。
大浴場で疲労と汗を洗い流した俺達三人は、討伐依頼の結果報告と討伐したカエルの肉を売る為、冒険者ギルドへと足を運んだ。
中に入るやいなや、ユキハは目を丸くしながらギルド内を物珍しそうに見渡し、初めて目にする光景の数々に目を爛々と輝かせていた。
いや、まじでこんな可愛い少年とか存在してた方が驚きだよ、こっちは。
受付の前へと着くと、先に俺とアクアのカエルの肉の買取手続きを済ませた後、今度はユキハの冒険者登録の手続きを申請する。
「すみません。冒険者登録をお願いしたいんですけど」
「はい。どなたが登録されますか?」
にこやかに微笑むおっとり巨乳受付嬢の問いに、ユキハが真っ直ぐ手を挙げる。
「か、可愛い!──こほん……ええ、と……登録の前に、あなたはお幾つですか?」
一度顔を綻ばせたと思えば、咳払いをして少し笑みを崩す受付嬢に、ユキハはビシッと両掌を掲げた。
「じゅ、十⁉︎申し訳ありませんが……冒険者ギルドは、十三歳以上の方からしか登録を受け付けておりませんので……」
残酷な現実を突きつけられ、ユキハは愕然と肩を落とした。
だが、あのジャイアントトードをいとも容易く打ちのめしたこの子の実力を利用しない手など無い。
「じゃあ、せめて能力値を図るぐらいなら出来ますよね?」
「ちょっとカズマ、あんた何をたくら──もが」
「え、ええ……それならば可能ですが、それでも冒険者カードを使用するので、手数料として千エリスを頂くことになりますが」
「問題無いです」
「分かりました。……では、まずこちらの書類に身長、体重、年齢、身体的特徴の記入を願います」
受付のお姉さんが差し出した書類に、ユキハは自分の特徴を書いていく。
内容を覗いてみると、身長四尺二寸、体重七貫、白髪に桔梗色目……いやいや。
「ユキハ」
俺の呼びかけに、ユキハは何用かと純粋な瞳を向けてくる。
この子が記入した項目全てが日本語の漢字で書かれており、多分これではこの世界の人達には伝わらない気がする。
それはギルド内の至るところに表記された、あからさまに日本とは象形の異なる文字が全てを物語っていた。
おまけに身長や体重に記された書き方から見ても、生まれた時代のせいか、算用数字も知らない様子。
「その紙とペンを貸してくれ」
即座に書類とペンを差し出したユキハから受け取り、俺は前世の記憶を頼りに、彼が書いた項目全てを修正した。身長127センチ、体重26キロ……。
「すいません、これで」
「はい、結構です。えっと、では、こちらのカードに触れてください。それであなたのステータスが分かりますので、その数値に応じてなりたい職業を選ぶようになります。経験を積む事により、選んだ職業によって様々な専用スキルを習得出来るようにはなるんですが、今回はあくまで能力値の測定が目的です」
説明を終えて受付のお姉さんから差し出されたカードを、ユキハが不思議そうに受け取った次の瞬間。
「きゃ⁉︎」
「んげ⁉︎」
「ちょ⁉︎」
唐突にカードから発せられた眩しい光がギルド内を照らし、その場に居合わせたユキハを除く全員が目を閉じながら顔を逸らし、過度な光の侵入を防いだ。
光が消え、視界が戻ると、あいつの手元にあるカードには何やら火花が飛び散っていた。
「ユキハ。あなたあの光もろに見てたけど大丈夫なの?」
珍しく人様の無事を伺うアクアの問いかけに、ユキハは何でもないように頷いてみせる。
「と、とりあえず、カードの内容を見てみますね」
突然の事に戸惑いながらも、受付のお姉さんは冷静に努めつつユキハの持つカードを確かめる。
「えっと…………──こ、これって⁉︎」
ユキハの触れたカードを目にしたお姉さんは、アクアのカードを見た時の何十倍も血相を変え、ユキハの前から後ずさって行く。
「こんなことがあり得るなんて……今すぐ本部に連絡を入れて来ます!」
「何かあったのか?ユキハ」
「……不明」
慌てて奥へと戻って行くお姉さんを尻目に、俺はユキハのカードを覗き込んでみた。
【名前】ユキハ
【年齢】10
【性別】男?
【レベル】1
【生命力】12
【筋力】計測不能
【防御】2
【魔力】0
【器用度】計測不能
【敏捷性】計測不能
【知力】78
【幸運】計測不能
【固有職業】忍者
【常時発動】女神の寵愛:幸福
なんだこれ、まったく分からない。
計測不能?一体どういう事なんだ。
「カズマ……この子、とんでもない強さよ」
「やっぱ、そうなります?」
「計測不能は、カードで測れる限界を超えてる何よりの証拠ね。そして何より、一番恐ろしいのは……」
「お、恐ろしいのは……?」
「常時発動スキルに女神の寵愛:幸福ってあるでしょ⁉︎つまり、この子が私の後輩である女神、エリスのお気に入りってことよ!まだこんなに幼い子を毒牙にかけるショタ好きだったなんて、上げ底だけじゃ満足出来なかったみたいね……!我が後輩ながら末恐ろしくて鳥肌が立つわ……!」
「あー、うん」
取り合った俺がバカだったわ。
「本部と連絡がつきました!ユキハさん!あなたは特例により、冒険者として認可されました!是非ともその絶大な力を魔王討伐に役立ててくれることを期待しています!」
急ぎ戻ったお姉さんからの報告を受け、ユキハは事態を飲み込めていないのかきょとんとしており、周りは新たな勇者候補の誕生に盛り上がりを見せ始めた。
しかし、俺たちはこの出来事が意味するわけを、この時は知る由もなかった。
本編突入出来ました。
とりあえず一安心。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
忠誠【貳】:爆裂娘と被虐美女と寡黙幼女←?
あの後、彼の少年雪葉の噂は瞬く間に街へと蔓延し、ギルド内は一時大人数の冒険者達で埋め尽くされた。
噂を聞きつけた者たちが彼の下へ訪れては、その愛らしい見た目に心を打たれ、口々に自分達のパーティーへ入らないかとあの手この手で引き抜こうと試みるが、彼は一度首を振ってから桜の花弁を想わせる様な薄桃の唇を開き、同じ返答を告げるのだった。
「……この身……主君に……全て捧げた……故に……他へ……仕える道理……無い」
次々に素気無くあしらわれた冒険者達は皆一様に落胆しながら、去り際に和真へ罵倒や舌打ちを零し、姿を消していった。
「……なあ、アクア」
「何よ?」
「ユキハを勧誘にきたの、今ので何人目だ?」
「そんなの数えてないから知らないわよ。少なくとも、三時間待ちの行列が出来てたのは確かね」
「何でだ⁉︎俺とこいつでどうしてこんなに扱いが違うんだ⁉︎」
「何言ってんのよ、一目瞭然じゃない。顔も能力も、何もかも全部あんたより優れてるユキハを仲間に入れようと考えるのは当然でしょ?私だってそうするわ」
至極真っ当に提示されたアクアからの帰結に、和真は口を噤むと一瞬怒りで立ち上がった己を恥じるように、静かな動作で腰を下ろした。
「まあ、それはいい。百歩譲って良しとしよう。だが……ユキハに金を恵んで行く奴らは何なんだ⁉︎」
歯噛みながらに和真が指を差すのは、雪葉の前に積み上げられた卓上の小さなお金の山。
冒険者の中にも敬虔なエリス教徒が多数おり、パーティーへの加入とは別に、雪葉をこの目にせんとやってくる者達もギルドを訪れた。
彼の姿を目にした信徒は、全員みるみる涙を零し始めながら、「ああ……見える、見える!我等が信教の御神体であらせられる女神エリス様の寵愛を受けしその証が……!あなたの尊きお姿を拝謁の栄に預かり出来た事、心から感謝を申し上げます。これは、少しばかりの気持ちです……!」と次々に謝礼金を彼へと渡して行くのだ。
もちろん、こんなものを受け取る訳にはいかないと思う彼は毎度首を振りながら信徒達へと断りを返すのだが、彼等は終いには「何卒……!何卒この信心の証をお受け取ください……!でなければ私には生きている価値などない……っ!」と土下座を敢行したり、中には己の首元へ素材の剥ぎ取りなどで持ち合わせているナイフを突き立てようとする姿が見られた。
彼はその後、渋々受け取らざるを得ない心境に立たされ続け、やがて集め終えた金額は、凡そ五十万エリスをゆうに超えていた。
これは女神エリスによって施された特典である常時発動型のスキル、女神の寵愛:幸福による恩恵なのだが、彼女が本来意図するものとは違う形でその効果が表れてしまったのだ。
結果、彼が幸福感ではなく罪悪感に苛まれたのは言うまでもない。
「ああ、それはエリスがこの子に与えた恩恵の効果ね。多分この街はエリス教徒ばかりだから、何処に行ってもこんな風にお金貰ったり、信徒のお店にある商品は何でも半額以下になる上、おまけまでして貰えるわ」
「もうそれ一瞬の催眠じゃねえか」
その絶大なスキルの効果に、和真は羨望しつつもちょっぴり恐ろしさを感じながら、雪葉に目を配る。
「……主君……お金……大量……困った……」
「ああ、それなら俺が預か──」
「カズマ。それでもし一エリスでも自分の為に使ったりしたら、信徒に何されるか分からないわよ」
「──大事にとっておけ。今後欲しいものが出てきた時の為にな」
「……ん……承知」
前の世界では、領主に出逢うまで宵越しの金すら持たず、日々虫や爬虫類、草花で腹を満たしていた為、今まで目にした事も無かった硬貨の山を前に、彼は困惑の表情を浮かべながら和真へ助言を求める。
そんな視線を受け、上手くいけば自分のものに出来ると言葉巧みに説き伏せようとした和真だが、横槍を入れたアクアからの忠告に怖気付き、素直に普通のアドバイスを送った。
雪葉は和真の助言に一度頷くと懐から巾着袋を取り出し、お金を詰め込んで再び懐へ戻す。
傍目からは不自然に片胸が盛り上がっている様に見える為、和真達が座るテーブルの横を過ぎ行く人は、皆怪訝な表情で雪葉の胸付近を横目に伺いながらその場を去っていった。
雪葉の件がひと段落すると、アクアは唐突に口を開き始める。
「アレね。仲間を募集しましょう!」
ギルド内に併設された酒場で、雪葉達三人は作戦会議を始めた。
ここ、冒険者ギルドは、冒険者達の待ち合わせや溜まり場としても使われていて、討伐したモンスターの買い取りと、モンスターの料理が売りの大きな酒場が併設されており、彼等はそこで話し合っている。
今日は討伐したカエル三匹の肉が調達出来た為、ギルドへカエル肉を売り、和真とアクアはそこそこの小遣いを入手。
通常、あのような巨大なモンスターを討伐した場合、ギルドへ依頼すれば、倒したモンスターの移送サービスを行ってもらえる。
しかし、モンスターの種類ごとに移送の手間が異なる為、比例して金額にも大きな差が出てくるとの事。
今回のモンスター、ジャイアントトードの引き取り価格は三匹纏めて移送サービス込みで一万五千エリス。
その内一匹は、まだ冒険者登録をする前の雪葉による討伐だったが、これからの活躍への投資代金として、ギルドから特別に引き取ってもらう事が出来た。
そして、卓上に並べられた蛙の様々な料理に、彼等は手を伸ばしながら次の議題を討論していた。
「いや、ユキハが加わったんだから、別に十分じゃないか?」
「……ん……主君の為……この身……数多の武功……確約……」
「何言ってんのよ。パーティーにはバランスってもんが大事でしょ?私達には遠距離で攻撃出来る魔法使いや、守ってくれる壁や囮になるクルセイダーとかが必要なのよ。ユキハは接近戦専門じゃない」
アクアらしからぬ要点を押さえた何気ない言葉に、雪葉は何故か説明しようのない不吉な予感を察知した。
「でもなあ……。仲間ったって、ユキハ一人ならともかく、駆け出しでロクな装備もない俺達と、パーティー組んでくれるやつなんかいると思うか?」
口一杯にカエルのモモ肉を頬張るアクアは、手にしたフォークを左右に振った。
「ふぉのわたひがいるんだはら、なかああんて」
「飲み込め。飲み込んでから喋れ」
「……口に入れたまま……話す……誤嚥の危険……高い」
口の中の物をゴクリと飲み込み、
「この私がいるんだから、仲間なんて募集かければすぐよ。なにせ、私は最上級のアークプリーストよ。あらゆる回復魔法が使えるし、補助魔法に毒や麻痺なんかの治癒、蘇生だってお手の物よ?どのパーティーも喉から手が出るくらい欲しいに決まってるじゃない。カズマのせいで地上に堕とされ、本来の力からは程遠い状態とはいえ、仮にも女が……、コホンッ!このアクア様よ?ちょろっと募集かければ『お願いですから連れてってください』って輩が山ほどいるわ!分かったら、カエルの唐揚げもう一つよこしなさいよ!」
「……主君の奪う……めっ。……この身の……肉……与える」
「あらそう。じゃあ、遠慮なく」
と言って、自身の代わりに雪葉から唐揚げを摘まみ取った自称女神を、和真は不安げに眺めていた。
翌日の、冒険者ギルドにて。
「……………………来ないわね……」
アクアが寂しげに呟いた。
求人の張り紙を出した彼等は、冒険者ギルドの片隅にあるテーブルで、すでに半日以上も未来の英雄を待ち続けている。
どうやら、張り紙が他の冒険者の目に留まっていない訳ではないらしい。
彼等以外にも、パーティー募集をしている冒険者はそこそこいる。だがその人達は次々と希望者が現れ、面接ながらに談笑を交わした後、どこかに連れだって行った。
だが、彼等が出した張り紙とは別に、こちらへ用件を持ちかけてくる冒険者が何組か訪れたが、そんな冒険者達が話しかける相手は、専ら雪葉であった。
雪葉は一応用件の内容を把握する為に取り合うが、話す内容がどれも建前ばかりで、相手の本音は彼に対する視線が如実に物語っていた。
彼の全身を舐め回すように視線を動かし、場合によっては接触を試みようと手を伸ばして肩を組もうとしたり、片膝をついて手を取ろうと企む輩がいたが、その誰もが、瞬時に背後を取られて首元へ刀を添えられる。
「…………手前は……既に主君の者……
彼の強烈な返答を受けた冒険者達は、恐怖に染まりながらそそくさとギルドを後にして行く。
こんな輩以外、誰も来ない理由はただ一つ。
「……なあ、ハードル下げようぜ。目的は魔王討伐だから仕方ないっちゃ仕方ないんだろうが……。流石に、上級職のみ募集してますってのは厳しいだろ」
「うう……。だってだって……」
この世界の冒険者には、上級職というのがある。
アクアが就いた、アークプリーストも上級職の一つだ。
普通の人間ではそうそう、就けない、言ってみれば勇者候補だ。
ちなみに、雪葉の職業は唯一職という例外に分類され、彼以外に就く事は叶わぬ究極の職業として、ギルドでは永久欠番などと訳のわからぬ扱いで登録された。
当然、そんな勇者候補は既に他のパーティーで優遇されている訳で……。
アクアは、魔王討伐の為に出来るだけ強力な人材で固めて万全な布陣を築きたいと考えているのだ。
しかし……。
「このままじゃ一人も来ないぞ?大体、お前とユキハは上級職以上かも知れんが俺は最弱職なんだ。周りがいきなりエリートばかりじゃ俺の肩身が狭くなる。ちょっと、募集のハードル下げて……」
和真がそう言って、立ち上がりかけた時である。
「上級職の冒険者募集を見てきたのですが、ここで良いのでしょうか?」
どことなく気怠げな、眠そうな赤い瞳。
そして、黒くしっとりとした質感の、黒マントに黒いローブ、黒いブーツに杖を持ち、トンガリ帽子まで被った、典型的な魔法使いの少女だった。
まるで人形のような顔をした、ショタっ子な雪葉に続く──ロリっ子──である。
この世界では、子供が働いているのも別に珍しくは無いようだが……。
どう考えても12〜13歳程にしか見えない、片目を眼帯で隠した小柄で細身なその少女は、突然バサッとマントを翻し、
「我が名はめぐみん!アークウィザードを生業とし、最強の攻撃魔法、爆裂魔法を操る者……!」
「…………冷やかしに来たのか?」
「ち、ちがわい!」
「……主君……幼女の、児戯……静かに……見守る」
「と、歳下に幼女呼ばわりされた⁉︎しかも子供の悪戯扱い⁉︎」
女の子の自己紹介に突っ込んだ和真に、その子が慌てて否定した矢先、雪葉は彼女に対する善意からの気遣いで己の主人へ進言したつもりなのだが、それは却って女の子の自尊心を軽く傷付けていた。
「……その赤い瞳。もしかして、あなた紅魔族?」
アクアの問いにその子はこくりと頷くと、アクアに冒険者のカードを手渡した。
「いかにも!我は紅魔族随一の魔法の使い手、めぐみん!我が必殺の魔法は山をも崩し、岩をも砕く……!……という訳で、優秀な魔法使いは要りませんか……?……そして図々しいお願いなのですが、もう三日も何も食べてないのです。できれば、面接の前に何か食べさせては頂けませんか……」
めぐみんは、そう言って悲しげな瞳でじっと彼等を見つめてきた。
それと同時に、めぐみんの腹の辺りからキューと切ない腹の虫が鳴る。
「……飯を奢るくらいなら構わないけどさ。その眼帯はどうしたんだ?怪我でもしているのなら、こいつに治してもらったらどうだ?」
「……フ。これは、我が強大なる魔力を抑えるマジックアイテムであり……。もしこれが外される事があれば……。その時は、この世に大いなる災厄がもたらされるだろう……」
「へえー……。封印みたいなものか」
「まあ嘘ですが。単に、オシャレで着けているただの眼帯……、あっあっ、ごめんなさい、止めてください引っ張らないでください!」
「……主君への……虚言……制裁は……至極当然」
「やめ……、やめろーっ!」
「良いぞー、ユキハ。俺の意図をしっかり理解してもらえて何よりだ」
「……ええと。二人に説明すると、彼女達紅魔族は、生まれつき高い知力と強い魔力を持ち、大抵は魔法使いのエキスパートになる素質を秘めているわ。紅魔族は名前の由来となっている特徴的な赤い瞳と……。そして、それぞれが変な名前をもっているの」
無表情でめぐみんの眼帯を引っ張っている雪葉とそれを称賛している和真に、アクアがめぐみんを始めとする紅魔族の詳細を述べた。
「……名前といい眼帯といい、俺をからかっているのかと思ってたわ。ユキハ、もういいぞ」
「……御意」
「あ゛あぁぁ!いーったい目がぁー!」
引っ張られたままの眼帯を勢いよく解放され、強烈な衝撃を左目に受けためぐみんはしばらく蹲った後、再び和真達へと向き直る。
「へ……変な名前とは失礼な。私から言わせてみれば、街の人達の方が変な名前をしていると思うのです」
「……ちなみに、両親の名前を聞いてもいいか?」
「母はゆいゆい。父はひょいざぶろー」
「「…………」」
「いだだだだだっ、こ、こめかみがぁーっ!」
「……またしても……主君に、虚言……慈悲は、無し」
「……ユキハ。多分本当だから……離してやれ」
「……御意」
「頭が、頭があああぁ!」
思わず沈黙する和真とアクアを背に、彼は床の上でごろごろと左右に転がり続けるめぐみんを無心で見下ろした。
「…………とりあえず、この子の種族は質のいい魔法使いが多いんだよな?仲間にしてもいいか?」
「おい、私の両親の名前について言いたい事があるなら聞こうじゃないか」
和真に顔を近づけようと迫るめぐみんのマントを雪葉が引っ張って押さえ、尚も諦めぬ彼女へアクアが冒険者カードを返す。
「いーんじゃない?冒険者カードは偽造できないし、彼女は上級職の、強力な攻撃魔法を操る魔法使い、アークウィザードで間違いないわ。カードにも、高い魔力が記されているし、これは期待できると思うわ。もし彼女の言う通り本当に爆裂魔法が使えるのなら、それは凄いことよ?爆裂魔法は、習得が極めて難しいと言われる爆発系の、最上級クラスの魔法だもの」
「……主君……望むなら……手前……これの加入……同意」
「おい、彼女やこれではなく、私の事はちゃんと名前で呼んで欲しい」
抗議してくるめぐみんに、和真は店のメニューを手渡した。
「まあ、何か頼むといいよ。俺はカズマ。こいつはアクアに、この子がユキハだ。よろしく、アークウィザード」
「……主君の……厚意……有難く……受け取る、べし」
めぐみんは何か言いたそうな顔をしながら、無言でメニューを手に取った。
その後、腹一杯料理を嗜んだめぐみんは、お腹を摩りながら唐突に口を開く。
「そう言えば先程、あなたはカズマと名乗っていましたね」
「ああ、そうだけど」
「ではあなたが噂の“ゲドウカズマ”でしたか」
「ユキハ」
「……承知」
「待ってくださいこれにはワケがあるんです!話の続きを聞いてください!」
「止め」
「……御意」
めぐみんの聞き捨てならない一言に、和真は雪葉を嗾けようとしたが、話の続きがあるらしき彼女からの懇願を受け、制裁を一旦中止させるも、すぐさま再開できるよう雪葉の手はめぐみんの眼帯を摘む様に目の前で停止している。
「プー、クスクスッ。で、それってどんな噂っ?」
口もとを隠す様に指先を添えながら笑いを堪え、体を震わせるアクアが問いかけると、めぐみんは再び語り始めた。
「……実は、ここに来る途中、妙な噂を街の広場で聞いたんです。この街には、幼い少女を奴隷として連れ歩く屑野郎がいると。その名はゲドウカズマ。短い茶髪に茶色い目の、緑色の変わった服装をした冴えない顔の男だ、とも言ってました」
「完全にカズマとユキハのことね」
「今からそいつの顔を拝みに行きたいんだが、どんな奴か覚えてるか?」
和真は徐に腰を上げ、めぐみんに噂を広めた犯人を誰何する。
「いえ、遠目からだったので顔はよく覚えてませんが……確か三人組の男だったかと。しかもその三人組、何やら自分たちの武器を見せつけては、妖刀ナンチャラとか、豪拳カンチャラとか、天弓ドウタラとか自慢していましたね」
「ふっ……負け犬の遠吠えに相手をするまでもないか」
軽く鼻を鳴らし、和真はゆっくりと椅子へ腰を預けた。
「カズマ。あんた相手が自分と同じ転生者だからって怖気づいたでしょ」
「やかましい!見逃しただけだし⁉︎別に何と言われようが気にしてないし⁉︎」
「……流石……主君……器……大きい……」
「まあユキハの様子からして、あくまで噂でしたね。クエストを行う上では何の不便もないですし、気にする必要なんてありませんよ」
「はあ……そいつら、明日には広場に裸で磔にされてねえかな……」
「そんなくだらない神頼み、誰も聞かないわよ?」
そんなやり取りを交わし、彼等は新たな勢力を連れて再びクエストへと向かった。
「爆裂魔法は最強魔法。その分、魔法を使うのに準備時間が結構かかります。準備が調うまで、あのカエルの足止めをお願いします」
和真達は満腹になっためぐみんを連れ、あのジャイアントトードのリベンジに来ていた。
平原の遠く離れた場所には、一匹のカエルの姿。
そのカエルは、こちらに気付いて向かって来ていた。
だが、更に逆方向からも別のカエルがこちらに向かう姿が窺える。
「遠い方のカエルを魔法の標的にしてくれ。近い方は……おい、行くぞアクア。ユキハの手を借りずに今度こそリベンジだ。お前、一応は元なんたらなんだろう?たまにはなんたらの実力を見せてみろ!」
「元って何⁉︎ちゃんと現在進行形で女神よ私は!アークプリーストは仮の姿よぉ!」
涙目で和真の首を締めようと雪葉に止められる自称女神を、めぐみんが不思議そうに。
「……女神?」
「……を、自称している可哀想な子だよ。たまにこういった事を口走ることがあるんだけど、できるだけそっとしておいてやって欲しい」
「……主君……一応……事実」
和真の言葉に、同情の目でアクアを見るめぐみん。
涙目になったアクアが、拳を握ってヤケクソ気味に、近い方のカエルへと駆け出した。
「何よ!打撃が効き辛いカエルだけど、今度こそ女神の力を見せてやるわよ!見てなさいよカズマ!今のところ活躍してない私だけど、今日こそはっ!」
そう叫び、見事カエルの体内へ侵入を果たした学習能力の無いアクアが、やがて動かなくなり、そのまま一匹のカエルを足止めする。
彼女は女神の意地を通すべく、身を呈して時間稼ぎをしてくれるようだ。
「……主君……あれ……助太刀……必要?」
「いや、あれはアクアなりの覚悟だ。静かに見守ってやれ」
「……承知」
そんな中、めぐみんの周囲の空気がビリビリと震えだした。
めぐみんが使おうとしている魔法が壮絶な威力を誇るであろう事は、魔法を知らない和真や雪葉でも察知した。
魔法を唱えるめぐみんの声が大きくなり、彼女のこめかみに一筋の汗が伝う。
「見ていてください。これが、人類が行える中で最も威力のある攻撃手段。……これこそが、究極の攻撃魔法です」
めぐみんの杖の先に光が灯った。
膨大な光をギュッと凝縮した様な、とても眩しいが小さな光。
めぐみんが、紅い瞳を鮮やかに輝かせ、カッと見開く。
「『エクスプロージョン』ッ!」
平原に一筋の閃光が走り抜ける。
めぐみんの杖の先から放たれたその光は、遠く、こちらに接近してくるカエルに吸い込まれる様に突き刺さると……!
その直後、凶悪な魔法の効果が現れた。
目も眩む強烈な光、そして辺りの空気を震わせる轟音と共に、カエルは爆裂四散した。
凄まじい爆風に吹き飛ばされそうになりながらも、和真達は足を踏ん張り顔を庇う。
爆煙が晴れると、カエルのいた場所には二十メートル以上のクレーターができており、その爆発の凄まじさを物語っていた。
「……すっげー。これが魔法か……」
「……!主君……っ!」
和真がめぐみんの魔法の威力に感動していたその時。
雪葉が和真へ注意を促し、警戒態勢を形成しつつ見つめる先から、魔法の音と衝撃につられて目覚めた一匹のカエルが地中からのそりと這い出て来た。
カエルはめぐみんの近くから這い出ようとしているが、その動作は非常に遅い。
この隙に三人でカエルから距離を取り、先程の爆裂魔法で消し飛ばしてもらえばいいと考えた和真は、
「めぐみん!一旦離れて距離を取ってから攻撃を……」
そこまで言いかけて、めぐみんの方向を向くと同時。
和真はそのまま動きを止める。
そこにはめぐみんが倒れていた。
「ふ……我が奥義である爆裂魔法は、その絶大な威力ゆえ、消費魔力もまた絶大。……要約すると、限界を超える力を使ったので身動き一つ取れません。あっ、近くからカエルが湧き出すとか予想外です。……やばいです。食われます。すいません、ちょ、助け……ひあっ……⁉︎」
和真は溜め息を吐きつつ、側で佇みながら無表情でカエルに飲まれていく二人を眺める雪葉に呼び掛ける。
「……雪葉」
「……御用命……如何に」
何となく、和真からその後を聞かずとも雪葉には分かっていたが、己が勝手に助けを出す訳にもいかず、態々主からの命令を待つ他無かった。
「……アクアの方を助けてやれ。俺はあっちを助けてくる……」
「……御意」
和真の命を受け、彼は一瞬の間にアクアを飲み込んだカエルの懐へと潜り込み、その腹に手を翳す。
「……破」
彼が抑揚無く発声しながら打ち込んだ掌底は、巨大な風船が割れた様な破裂音を生じると共に、カエルの体を微塵の肉塊に変えた。
一度空中に舞い上がったカエルの体内から飛び散った臓物は、べちゃべちゃと不快な音を立てながら遥か先の草原をその鮮血色に染めていく。
こうして、アクアとめぐみんが身を投じて動きを封じたカエル二匹に男組がとどめを刺し。
何とか、三日以内にジャイアントトード五匹討伐のクエストに一匹追加で任務を満了させた。
「うっ……うぐっ……。ぐすっ……。生臭いよう……。生臭いよう…………」
「……あくあ……蛙の動き……体で止めた……大変……名誉なこと……」
「ぐすっ……うえええええん……っ。私を女神として扱ってくれるの、ユキハだけよおお……。もっと褒めてぇえぇぇ……!」
「……今のあくあ……接触禁止」
嬉しいのか悲しいのか区別のつかない涙を流すアクアは、側で気遣う雪葉へ抱き着こうとするが、すぐに距離を置かれるやり取りを交わしつつ、和真の後を付いて来ていた。
「カエルの体内って、臭いけどいい感じに温いんですね……。知りたくもない知識が増えました……」
アクアと同様粘液まみれで、知りたくもない知識を教えてくれながら、めぐみんは和真の背中におぶさっていた。
魔法を使う者は、魔力の限界を超えて魔法を使うと、魔力の代わりに生命力を削る事になる。
魔力が枯渇している状態で魔法を使うと、命に関わる場合もあるようだ。
「今後、爆裂魔法は緊急の時以外は禁止だな。これからは、他の魔法で頑張ってくれよ、めぐみん」
和真の言葉に、背中におぶさっためぐみんが、肩を掴む手に力を込めた。
「…………使えません」
「…………は?何が使えないんだ?」
めぐみんの言葉に、和真がオウム返しで聞き返す。
彼女は、和真へ掴まる手に更なる力を込め、その薄い胸が和真の背中へと押し付けられた。
「…………私は、爆裂魔法しか使えないんです。他には、一切の魔法が使えません」
「…………マジか」
「…………マジです」
和真とめぐみんが静まり返る中、今まで鼻をぐすぐす鳴らしながら雪葉へ縋り付こうとするも頭を押さえられ、近寄れなかったアクアがようやく会話に参加する。
「爆裂魔法以外使えないってどういう事?爆裂魔法を習得できるほどのスキルポイントがあるなら、他の魔法を習得してない訳がないでしょう?」
……スキルポイント?
そういえば、ギルドのお姉さんが何かを説明していた事を、和真と雪葉は思い出す。
そんな二人に目を配ると、アクアが説明を始める。
「スキルポイントってのは、職業に就いた時に貰える、スキルを習得する為のポイントよ。優秀な者ほど初期ポイントは多くて、このポイントを振り分けて様々なスキルを習得するの。例えば、超優秀な私なんかは、まず宴会芸スキルを全部習得し、それからアークプリーストの魔法も全部習得したわ」
「……宴会芸スキルって何に使うものなんだ?」
その後も、和真の宴会芸スキルに対する質問をアクアは無視し続け、爆裂魔法のみを習得する為にアークウィザードの道を選んだめぐみんの姿勢に感銘を受けたアクアは、二人で意気投合し始め、めぐみんをおぶさる和真は盛大に肩を落としながら溜め息を吐いていた。
そんな三人から少し離れる様に雪葉は後ろからついて行き、その背中を見つめながら静かに微笑みを浮かべ、天界から見守ってくれているであろう幸福の女神様に向けて、感謝が伝わる様に空を仰いだ。
「ふえぇ⁉︎……もうっ。感謝の不意打ちなんて、卑怯ですよ……っ!」
一人天界から下界を見守っていたエリスは、予期せぬ彼の謝意を受け、茹で上がる自身の顔を冷まそうと必死に両手で扇いでいた。
ちなみに、紆余曲折の末、めぐみんは正式にパーティーの仲間入りを果たしたのだった。
「はい、確かに。ジャイアントトードを三日以内に五匹討伐。クエストの完了を確認致しました。ご苦労様でした」
冒険者ギルドの受付に報告を終え、想定の報酬を貰う。
その際、受付の女性は雪葉に向けてひらひらと笑顔で手を振り、彼もそれに応える様に一度だけ会釈をした。
粘液にまみれたアクアとめぐみんは、そのままだと生臭い上、先程ギルドへ戻る途中、和真が街の人からあらぬ誤解を受けた時の様にまた怪しまれる可能性がある為、すぐさま大浴場へと追いやった。
仕留めたカエルの内一体は爆裂魔法で消滅、もう一体は雪葉の掌底で、打撃を受け付けないはずのカエルが謎の爆散を遂げた為、クエスト完了の報告はどうなるかと和真は不安げに思っていたが、冒険者カードには、倒したモンスターの種類や討伐数が記録されていくらしい。
和真は自分のカードと、めぐみんから預かったカードを。雪葉も自身のカードを見せると、受付は妙な箱を操作して、それだけでチェックを終えていた。
和真はレベルが4にあがり、雪葉はレベルに変わりはなかった。
あのカエルは駆け出し冒険者にとってレベルを上げやすいモンスターである為、レベルの低い人間ほど成長が早いのだが、こと雪葉に至っては職業や能力値の関係上、そんじょそこらのモンスターをいくら倒そうとも、一生レベルが上がる事は無いほどに莫大な経験値が必要であるとの事だ。
強いて言うなら、彼が1レベル上げるのに、純粋なドラゴン系統のモンスターを三十匹以上は討伐しなければならないと受付の女性は断言した。
そんな圧倒的実力の差を思い知らされた和真は、雪葉が自分を第一に考える忠心深い仲間であることに感謝しつつ、これも己の幸運値の恩恵であるとほんの少し自賛していた。
「……しかし、本当にモンスターを倒すだけで、強くなるもんだなぁ……」
和真は思わず呟いた。
彼のカードには、スキルポイントと書かれていて、そこに3と表示されている。
これを使えば、和真もスキルを習得する事が可能となる。
「ではジャイアントトード二匹の買い取りとクエストの達成報酬、それと個体値の強かった一匹の追加報酬を合わせまして、十五万エリスとなります。ご確認くださいね」
受付から手渡された手元の報酬を眺めながら、和真は考えていた。
十五万か。
あの巨大なカエルが、移送費込みで一匹五千円程での買い取り。
そしてカエルを倒して追加と合わせた諸々の報酬が十四万。
アクアの話では、クエストは四人から六人でパーティーを組むのが通例らしい。
なので、普通の冒険者の相場だと、一日から二日をかけて命懸けで戦い、カエル五匹討伐の取引と報酬、合わせて十二万五千円。五人パーティーだったとして、一人当たりの取り分が二万五千円。
……割に合わねー。
クエストが一日で済めば日当二万五千円。
これだけ見れば一般人にしてはいい稼ぎに思えるかもしれないが、命懸けの仕事にしては割に合っていない気がする。
事実、今日なんてカエルがもう一匹湧いて、尚且つ雪葉がいなかったら、和真も食われて、誰も助けることが出来ず、あっさり全滅していただろう。
和真は想像すると、一瞬身震いを起こした。
「…………主君?」
そんな姿を見ていた雪葉が、和真の顔を怪訝そうに窺う。
「あ、ああ……なんでも無い。ちょっくら他のクエストでも見にいくか」
「……ん」
何でも無いと努めて平静を装う和真から頭を撫でられ、彼はとても嬉しそうに目を瞑り、頭に触れる温もりと手触りに幸福を感じるのだった。
二人はそんな微笑ましいやり取りを終えると、一応他のクエストにも目を通す為、掲示板の張り紙を確認してみると、そこに並んでいたクエストは……。
『──森に悪影響を与えるエギルの木の伐採、報酬は出来高制──
──迷子になったペットのホワイトウルフを探して欲しい──
──息子に剣術を教えて欲しい──※要、ルーンナイトかソードマスターの方に限る。
──魔法実験の練習台探してます──※要、強靭な体力か強い魔法抵抗力…………』
うん。
この世界で生きていくのは甘くない。
冒険二日目にして、和真はもう日本に帰りたくなって来た。
「……すまない、ちょっといいだろうか……?」
近くの椅子に座り、軽くホームシックに陥った和真を雪葉が介抱していると、背後からボソリと声がかけられた。
異世界の現実を見せつけられて項垂れた和真が虚ろな目で振り向いた。
「なんでしょ…………うか……」
「……主君……?」
雪葉の声も届かず、後ろを振り向いて固まった主の視線につられて先を辿る。
女騎士。
かなりの美人であった。
一目でクールな印象を受けたその美女は、無表情に雪葉達を見ていた。
身長は和真より若干高い。
和真の身長が165センチ。
それより少し高いとなると、170ぐらいだろうか。
頑丈そうな金属鎧に身を包んだ、金髪碧眼の美女であった。
和真よりも一つ二つ年上だろう。
「あ、えーっと、何でしょうか?」
同い年の様なアクアや年下のめぐみんと違い、年上の美人を相手に、和真は緊張のあまり若干上擦った声を漏らした。
長い引き篭もり生活の弊害である。
「うむ……。この募集は、あなた方のパーティー募集だろう?もう人の募集はしていないのだろうか」
その女騎士が見せてきたのは、一枚の紙。
思えば、めぐみんをパーティーに加入させてから、募集の紙をまだ剥がしていなかった。
「あー、まだパーティーメンバーは募集してますよ。と言っても、あまりオススメはしないですけど……」
「ぜひ私を!ぜひ、この私をパーティーに!」
やんわり断ろうとした和真の手を、突然、女騎士がガッと掴んだ。
一瞬主へ迫る挙動に警戒心が生まれ、主を彼女から距離を置かせようかと思い立った雪葉だが、特に危険性を感じる事もなく、一先ず警戒体勢を解く事にした。
「い、いやいや、ちょっ、待って待って、色々と問題があるパーティーなんですよ、この子はともかく、後の仲間二人はポンコツだし、俺なんて最弱で、さっきだって仲間二人が粘液まみれ、いだだだだっ!」
粘液まみれと言った瞬間に、和真の手を握る女騎士がその手に力を込めた。
「やはり、先ほどの粘液まみれの二人はあなた方の仲間だったのか!一体何があったらあんな目に……!わ、私も……!私もあんな──」
女騎士が全てを言い終える刹那、彼女は雪葉の手によっていつの間にか床の上に組み伏せられていた。
「……主君へ……痛み……与えた……無礼千万……謝罪の、証……
「ちょ、ユキハ⁉︎それは流石に──」
「き、気にするな……っ。私なら心配は──ぐっ……!」
「……自立的発言……却下……主君の……問いに、のみ……汝……発言……可能」
主人への無礼極まり無い振舞いと断定した雪葉は、口を開く女騎士の頭を押さえつけ、発言の権限は和真の問いに答えるのみと彼女へ言い渡した。
冷酷な目で女騎士を見下ろす雪葉へ、何を言っても解放する気は無いと思った和真は、話を進めるために組み伏せられたままの彼女へ問い掛ける。
「えっと……さっき、何と?」
「先ほどの発言は間違いだ。あんな年端もいかない二人の少女、それがあんな目に遭うだなんて騎士として見過ごせない。どうだろう、この私はクルセイダーというナイトの上級職だ。募集要項にも当てはまると思うのだが」
そう進言する彼女の目はどこか常軌を逸しており、和真の危機感知センサーが反応していた。
この女はアクアやめぐみんに通じる何かがあるタイプだと。
「いやー、先ほど言いかけましたがオススメはしないですよ。仲間の一人は何の役に立つのかよく分からないですし、もう一人は一日一発しか魔法が撃てないそうですし、この子に至っては俺の命令以外に耳を貸さない上、多分怒らせたらこれ以上に何されるか分かんないです。そして俺は最弱職。ポンコツパーティーなんで、他の所をオススメしま……て、うおっ⁉︎」
「なら尚更都合が良い!いや実は、ちょっと言い辛かったのだが、私は力と耐久力には自信があるのだが不器用で……。その……、攻撃が全く当たらないのだ……」
和真の意図する結果とは裏腹に、女騎士は下げられた頭を起こしつつ喜色満面で答えると、今度は己の短所を打ち明けながら顔を俯かせたりと忙しなく首を動かした。
「という訳で、上級職だが気を遣わなくていい。ガンガン前に出るので、盾代わりにこき使って欲しい」
女騎士が、再び顔を上げて凛とした表情で和真を見上げる。
「……主君……これ……不要」
「んく……っ!なかなか手強い少女だな……私を容易く取り押さえた挙句、こんな誹りを受けるとは……くふっ!」
雪葉へ首を向けながら後ろ目に語る女騎士の顔は、悔しそうなのに何処か嬉しそうな雰囲気も醸し出し、頰を染めていた。
「あの、この子男なんですけど。ユキハ……もう解放してやれ」
「……承知」
そんな姿を目の当たりにした和真は冷めた表情で彼女を見下ろしながら雪葉に拘束を解くよう諭し、聞き受けた彼はすぐに女騎士を解放すると一瞬で主人の傍についた。
「これは失礼した。しかし先の件、どうかよく考えて欲しい!」
すると彼女はすぐに立ち上がり、雪葉へ向かって謝罪の一礼を深々とした後、目を輝かせながら和真の手を再び握り締め、その端正な顔を寄せて真っ直ぐに彼の瞳を見つめる。
思春期真っ只中の童貞な和真は、その魅惑的な刺激の強さに心臓を高鳴らせるも、色香に惑わされんとかぶりを振り、顔を引き締め直す。
「いや、女性が盾代わりだなんて、ウチのパーティーは貧弱なんで本当にあなたに攻撃が回ってきますって。それこそ毎回モンスターに袋叩きにされるかもしれませんよ⁉︎」
「望む所だ」
「いや、アレですよ。今日なんて仲間二人がカエルに捕食されて粘液まみれにされたんですよ⁉︎それが毎日続くかも」
「むしろ望む所だっ!それに、先ほどの彼の拘束技術といい、絶妙な力加減といい、素晴らしいものだった!彼の才能をもっと間近で見せてはくれまいか⁉︎」
頰を紅潮させて和真の手を強く握る女騎士。
それを見て和真が悟った様に溜め息をもらす姿を、雪葉は心配そうに見つめながら主人の裾を握り締めた。
そんなクルセイダーと出会ったその日の夜。
路地裏で、三人の男達達が下卑た笑いを交わしながら今日の愉快話をしていた。
「いやー、あの噂どんだけ広まんのかなぁ?何か冴えねえ奴だったから、昔いじめてたヤツを思い出してついやっちまったわあ」
「てかお前の作ったネーミングセンス高すぎな。ゲドウカズマとか……やっべ、また笑えてきたわ」
「これで新人潰すの何回目だっけ?やり過ぎてまじで覚えてねえし」
再び、大きな笑い声を上げ、彼等は酒を呷った。
そんな彼等の前に、一つの影が姿を現した。
綺麗な夜空に浮かぶ満月を背後に、顎先の辺りで切り揃えられた雪原のように綺麗な白髪を靡かせ、桔梗色の瞳を男達に向けるその小さな少女らしき影は、黒い忍び装束に身を包んでいた。
「あ?なんだぁ、お嬢ちゃん。こんな夜に一人で、迷子にでもなったのか?」
「それとも、お兄さん達と夜の遊びをしに来たとか?ごめん、流石に君は対象外だわ」
「いやいや、俺は別にアリだけど?」
そう三者三様に揶揄う三人へ、その影はゆっくりと近づいて行く。
「お、まじでヤる気?でもやっぱりお嬢ちゃんには──」
少女の様な影が近寄ってきた一人の横を通り過ぎると、その男はいきなり白目を剥いて地面へと体を横たわらせる。
「てめ、何を──」
二人。
「ひ、ひい!助け──」
三人。
神器級の武器を持った三人は、振るう間も無く小さな一人の子供によって意識を刈り取られたのだった。
翌朝。
アクセルの街の中心広場に、全裸で意識を失ったまま磔にされた三人の男が発見された。
彼等はその後、悪行から手を引き、再び魔王を倒すことを誓い、ひたすら冒険者稼業に身をやつしたという。
後に、その内の一人が語った。
アクセルの街で悪名が高くなると、小さな影がそいつを制裁に訪れると。
また、それが悪人へ裁きを下す姿は、何処か鬼の様にも見えた、とも。
いつしかそれは、白い髪の姿であったことから、『白鬼』と街で恐れ伝えられ、瞬く間に噂は蔓延していき、アクセルの街から悪人が姿を消したのは、また別の話である。
何だか振り回されるどころかぶん回してる様な……。
結論。彼を怒らせてはなりません。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
忠誠【參】:キャベツ検定2級
単発魔法使いが現れた。
被虐趣味騎士が現れた。
カエルを討伐した翌日。
雪葉達はギルド内の酒場で、遅めの昼食をとっていた。
そして、彼の主、和真はスキルの習得方法についてめぐみんへ問い掛ける。
「なあ。聞きたいんだがスキルの習得ってどうやるんだ?」
質問に対し、めぐみんはフォークを握り締めたまま顔を上げて和真へ解を提示する。
静々と慎ましやかに食事へ手を伸ばしながら、雪葉も今後の為にめぐみんの説明を一応耳へと入れておく。
通常、何かしらの職業についていれば、レベルが上がる毎にスキルを習得する為のポイントが付与され、ある一定の値まで達するとそれに応じたスキルが現在習得可能なスキルと書かれた箇所へ新たに追加されて行くと言うものらしい。
だが、和真は初期職業と分類されている冒険者である為、スキルを習得する際は同様のスキルを身につけている先人達から使用方法を教授して貰わねばならず、その過程を踏まえる事で初めて項目として追加され、望みのスキルへポイントを行使して漸く習得が可能となる。
尚、全てのスキルが習得可能な冒険者とは言え、職業補正の効かない初期職業では本職よりもスキル獲得に有するポイントはより多く、めぐみんが持つ爆裂魔法に至っては、冒険者風情など20〜30程度を貯蓄した程度ではまだまだ物足りないぐらい気が遠くなる様な手間と時間がかかるのだと、アクアから補足が加えられる。
爆裂魔法の話を振られ、目を輝かせながら和真に顔を近付けるめぐみんと、顔を少し赤くさせて困惑している主の姿を横目に、雪葉は自分のカードを取り出して、スキル項目へ目を通してみた。
無論レベルに変化のない彼のカードは、モンスター討伐の関連項目しか更新されておらず、スキルの項目内には何も記されていない。
しかし。そんなものが無かろうとも、彼には今まで培った経験や技術が体の底に染み付いていることを忘れてはならない。
転生前から、人並み外れたありとあらゆる忍者としての業をこの手で亡き者にした父親から教わったその数々は、彼にとって歩く事と同様に容易いほど、当たり前な所作の一つであるからだ。
姿を消している訳ではないのに、目の前にいる一切の者が彼の存在を気づけ無くなる隠密。
遥か先、凡そ数キロ離れていようともその姿形をはっきりと捉え、動くものの姿を決して見失わぬ優れた深視力と動体視力。
どんな僅かな音も聞き逃さず、その音を発するものの特徴や位置まで把握出来てしまう驚きの聴力。
相手が命を持つものであれば、例外なく命を刈り取ることが出来る暗殺技術。
これらは全て、雪葉が日々の修錬と研鑽を積み重ねた結果であり、彼個人の能力として昇華されている。
故に、スキルとして分類されない彼の技は、魔法やスキルによって封印される事も無いので、彼の気力や体力が尽きぬ限り敵はやられ放題待った無しの雪葉無双状態となるだろう。
アークプリーストが持つセイクリッドブレイクスペルによって解除されてしまう、アンデッドが放つ死の宣告も霞む程、命あるものにとって一番の恐怖とは彼の暗殺技術以外に他ならない。
いつの間にか萎らしい表情で項垂れなら再び定食を食べるめぐみんを他所に、和真はアクアへと教えを請いていた。
だがそんな期待をへし折るのがこの駄女神。
彼女は和真の期待からかけ離れ、あろうことか宴会芸のスキルを教えようと躍起になり、和真から罵倒を受ける始末。
アクアもめぐみん同様、哀しげな雰囲気を纏いながら
そんな時だった。
「あっはっは!面白いねキミ!ねえ、キミがダクネスが入りたがっているパーティーの人?有用なスキルが欲しいんだろ?盗賊スキルなんてどうかな?」
それは、横から突然に掛けられた声。
雪葉達が振り向いた隣のテーブルには、二人の女性。
頰に小さな刀傷があり、言動に明朗快活な印象を受ける銀髪の美少女。
その隣には、荘厳な全身鎧を身に付けた長い金髪を後ろで一つに結わえた美女。
よく見ると、片方は先日自分の主に不敬を働いた被虐性癖の女騎士だった。
彼女は荒々しく肩呼吸を行いながら頬を僅かに染め、どこか期待する様な視線を雪葉に向けていた。
彼は一度それに気付くと、何事も無かったかのように軽く鼻を鳴らしながらあからさまに顔を逸らす。
沈黙の冷遇を受けたにも関わらず、嬉しそうに身を捩らせる女騎士の姿を一瞬視界に入れた雪葉はまさかの失態に内心頭を抱えた。
そんな二人のやり取りを苦笑いで見つめながら頰を掻いた盗賊の少女は、己のスキルを和真へ教える代わりに飲み物を一杯奢るよう交渉を持ち掛け、興味を抱いた主が是非にと了承する姿を横目に、より強烈な期待の眼差しを突き付けてくる女騎士の猛威に耐えつつ無言で成り行きを見守る事にした。
▼
「まずは自己紹介しとこうか。あたしはクリス。見ての通り盗賊だよ。で、こっちの無愛想なのがダクネス。昨日ちょっと話したんたんだっけ?この子の職業はクルセイダーだから、キミに有用そうなスキルはちょっとないと思うよ?」
「ウス!俺はカズマって言います。クリスさん、よろしくお願いします!」
冒険者ギルドの裏手にある広場にて、雪葉と和真、クリスにダクネスの四人は人気の無いこの場所を確保していた。
ちなみに、連れの二名は酒場のテーブルで意気消沈しているためそのまま放置。
「……えっと、……そっちのキミも、良かったら──」
「あなたのっ!あなたの名は何と言うのだ⁉︎出来れば好きな
クリスが緊張した面持ちで、雪葉を躊躇いがちに呼びかけた時、ダクネスが堤を切らしたようにいきなり間へ割り入ると、彼の手を取りながら輝かせた目を真っ直ぐに合わせ、上気させた顔を寄せつつ名を問い質す。
「ああっ!ずるいですっ……──おほん。取り敢えずその手を離そうか、ダクネス」
「……はっ⁉︎す、すまない、つい我を忘れてしまっていた……。非礼を詫びよう」
何かを言いかけたクリスは一度咳払いをして、鼻息を荒くさせながら雪葉に詰め寄るダクネスの肩に手を掛ける。
心なしか、ダクネスへ向ける彼女の笑みに、雪葉は静かな怒りが潜んでいる気がした。
「…………雪葉」
彼は目の前で昂ぶりを抑え込んで平謝りする変態騎士から隠れるように主である和真の背後へいそいそと回り込み、顔を覗かせ静かに名乗る。
「おっけー、よろしくね!」
「ユキハか。覚えておこう」
クリスは朗らかに手を振り、ダクネスが雪葉をしかと目に焼き付けるかの如く凝視する。
彼は生業上の癖でダクネスを拘束してしまったのだが、彼女を組み伏せた挙句、発言の自由すら奪い去ると言う仕打ちを与えた昨日の自分を殴り飛ばしたくなった。
普通の人であれば、あのように苦痛を与えればそれ以上関わりを持とうとして来なかったのだが、寧ろまた望まんばかりの態度を晒け出して来るダクネスに対し、彼は些か嫌悪感を示した。
「では、まずは《敵感知》と《潜伏》をいってみようか。《罠解除》とかは、こんな街中に罠なんてないからまた今度ね。じゃあ……、ダクネス、ちょっと向こう向いてて」
「……ん?……分かった」
ダクネスは言われた通りに反対を向き、それを確認したクリスは少し離れた樽への中に入り上半身を外へ残すとダクネスの後頭部目掛けて石を投げつけ、今度は全身を樽の中へ潜めた。
一連の流れを見ていた雪葉は、正直子供のかくれんぼ程度にしか思えず、無言のダクネスに転がされる樽に呆れた目を向けていた。
彼であれば、例えあの距離で石を投げつけても位置を特定される様なヘマは絶対にしない。何故なら、雪葉の人としての限界を超越した隠密技術の前ではいくら相手が彼を意識して探そうとも、彼自身が気配を戻さない限りは、永遠に認識することが不可能だからである。
とはいえ、主へ教えたくとも雪葉の業はスキルでは無い上、他の者が生涯を懸けて修錬を積もうとも、彼と同じ様に会得する事など決して叶わぬ絵空事とでも言うべき代物。それこそほぼ四六時中自分の時間を修行に捧げ続けなければならない為、体得するのなら人としての生活や道理を長らく捨てて死より恐ろしい苦行を自分へ強いる以外に道は無く、そんな辛酸を嘗めさせるなど例え和真が望んでも経験者である雪葉自身が許せない。
彼は言葉に出さず、主のスキル習得をただ心で祈りながら見届ける他無かった。
樽から出てきたクリスは暫く目を回していたが、やがて視界が戻ったのか次のスキルを和真へ教授する。
窃盗。これは相手が所持する持ち物を何でも一つだけ奪い取る優秀なスキルで、相手が例えしっかりと把持する武器だろうが、懐深くへ忍ばせておく貴重品だろうが、無作為に奪取が可能。また、窃盗が成功する確率は使用者の幸運値に依存する為、場合によっては不利な状況を一転させる可能性も見出せる使い勝手の良いスキルだと言う。
だが、無論雪葉の盗取技術は幸運値関係なく技量や筋力、敏捷性を駆使したごり押し技で確実に狙った持ち物を奪う事が出来るので、彼は窃盗スキルに然程利便性を感じてはおらず、寧ろスキルが発動するまでの時間が勿体無いと問題点まで洗い出していた。
恐らく彼が本気で臨めば、相手が窃盗を発動してこちらの持ち物を一つ盗み出した時には、目にも止まらぬ彼の手技によって身ぐるみ全てを剥がされている事だろう。
それ以前に、雪葉の速さならのうのうとスキルを行使させる前に拘束するなり腕をへし折るなり相手が無力化される結果に終わる為、彼に盗みを働くなら、それ相応の覚悟を持たねばならないだろう。
自分の技能と窃盗スキルの優劣について分析を終えた雪葉が再び和真達に意識を向けると、どうやらクリスが窃盗の実演をみせてくれる様子。
「じゃあ、キミに使ってみるからね?いってみよう!『スティール』ッ!」
クリスが和真に向けて手を突き出して叫ぶと同時に、その手に小さな物が握られていた。
「あっ!俺のサイフ!」
それはカズマの厚みが見られぬ財布であった。
「おっ!当たりだね!まあ、こんな感じで使うわけさ。それじゃ、サイフを返……」
和真へ財布を返そうとするクリスの手が止まり、加えて何かを企む様な笑みを浮かべ始めた。
「……ねえ、あたしと勝負しない?キミ、早速窃盗スキルを覚えてみなよ。それで、あたしから何か一つ、スティールで奪っていいよ。それがあたしのサイフでもあたしの武器でも文句は言わない。このサイフの中身だと、間違いなくあたしのサイフの中身や武器の方が価値があるよ。どんな物を奪ったとしても、キミはこの自分のサイフと引き換え。……どう?勝負してみない?」
そう突拍子も無いことを言い出し、クリスは手にした和真のサイフをひらひらと見せつけている。
心配そうな雪葉が和真を見上げると、彼は少しの間カードの表面に指を触れてひと通り操作を終えると、好戦的な笑みを浮かべてクリスへと対峙した。
「早速覚えたぞ。そして、その勝負乗った!何盗られても泣くんじゃねーぞ?」
「いいねキミ!そういう、ノリのいい人って好きだよ!さあ、何が盗れるかな?今ならサイフが敢闘賞。当たりは、魔法が掛けられたこのダガーだよ!こいつは四十万エリスは下らない一品だからね!そして、残念賞はさっきダクネスにぶつける為に多めに拾っといたこの石だよ!」
「ああっ!きったねえ‼︎そんなのありかよっ!」
どうやら余分な物を沢山所持する事で、クリスは重要な物を盗まれる確率を減らす対抗策を講じていたようだ。
「これは授業料だよ。どんなスキルも万能じゃない。こういった感じで、どんなスキルにだって対抗策はあるもんだよ。一つ勉強になったね!さあ、行ってみよう!」
また新たな欠陥が見つかった事で、やはり自分自身の腕を磨くのが確かな道だと改めた雪葉は、そっと主の裾を引いて見上げる。
「ん、どうした?」
「……主君……大丈夫……幸運値……最優」
「ユキハ……」
「……絶対……出来る…………ふぁいと」
「──今なら俺、何でも出来る気がするわ」
唯一愛らしい仲間からの声援を受けた和真は、悠然とした面持ちで再びクリスへと向き直り、パキパキと拳の関節を鳴らした。
「よし、やってやる!俺は昔から運だけはいいんだ!『スティール』ッ!」
叫ぶと同時、和真が突き出した右手には何かがしっかりと握られており、彼はそれを広げた。
「……なんだこれ?」
それは、一枚の純白な布切れ。
和真がそれを両手で広げて陽にかざす。
「ヒャッハー!当たりも当たり、大当たりだあああああああああ!」
「いやああああああああ!ぱ、ぱんつ返してえええええええええええええええええっ!」
クリスが自分のスカートの裾を押さえながら、涙目で絶叫した。
だが、一人現状をつかめない者がいた。
「いよっしやあああああ!きたきたっ──ん?」
「……主君……それ……何?」
かの少年、雪葉である。
彼は戦国時代の生まれ。その当時、日本人の下着と言えば、男性は褌。女性は湯文字と呼ばれる謂わば腰巻の様な物を下着として身に付けるのが風習であったため、奇抜な形の布切れを初めて目にした彼は、純粋な興味本位で和真へと尋ねているだけで、其処に一切の下心は無い。
雪葉は、和真の手によって意気揚々と振り回されている真っさらな布切れを珍しそうに見上げまま指差すと、不敵な笑みを浮かべた主が再びその布切れをがっしりと握りしめる。
「これはな、ユキハくん。ぱんつと言って、今の女性達が履いている下着の一種だ。これを手にすることは、君の時代で言う、武士が敵軍の大将の首を討ち取ることと同じぐらい大変名誉な
「……成程……流石……主君……この身……更なる……敬を、以って……仕える」
無論、そんな事実などある訳がない和真のふざけた口八丁だが、忍者として必要な知識や技術以外など育まずに生きてきた純粋無垢は、疑う事なく彼の前に跪き、称賛の口上を述べた。
「ちょっとキミ!いたいけな子供に変な事吹きこんでないで早く返してよおおおお!幾らでも払うからあああああ!」
「ほお?なら、自分のぱんつの値段は自分で決めろ。だが、その言い値で俺が満足しなけりゃ、もれなくこのぱんつは我が家の家宝として奉られることになるがな」
さっきまでの威勢がすっかり消えて泣き縋るクリスに対し、和真は再び彼女へ見せつける様に人差し指を軸にしてくるくるとぱんつを回す。
「わかった!わかったから!キミの分とあたしの分全部出すからああああああああ!」
「察しが早くて何よりだ。ありがたく受け取っておこう」
傍若無人に振る舞う和真を一刻も早く止めたいクリスは、懐から自分のサイフを取り出し、窃盗スキルで手にしたサイフと共に彼へ返上し、代わりにぱんつをその手に渡される。
クリスの手の平に置かれたくしゃくしゃのぱんつは、彼女が履いていたせいか和真が握り締めていたせいかよく分からない温もりが残っていた。
「そんじゃ、ギルドに戻るか。ユキハ……って、おい?」
踵を返す和真の呼び掛けに応えることなく、彼はゆっくりとクリスの元へ近づき、地面に座り込んで啜り泣く彼女の前で歩みを止める。
「……ひっく、ぐす……。…………なに?みっともないあたしを笑いに来たの……?」
辱めを受けたせいか恨めがましい目を向ける彼女に対し、雪葉は違うと首を振る。
「だったら、何しに…………えっ?」
彼は懐から巾着袋を取り出し、あろうことかまるごと彼女へ差し出した。
「こ、これ……」
「……お金……五十万エリス」
「な……っ⁉︎」
「はあ⁉︎」
驚愕するダクネスと和真を他所に、彼は巾着袋をクリスの膝上に置く。
「どうして……?」
「……意味不明」
「どうして……初めてあったばかりのあたしにお金をまるごとくれるの……?」
信じられない様子のクリスに対し、彼は静かに口を開く。
「……ある人……言った……困っている人、いたら……迷わず、手を……差し伸べろ……善人も、悪人も……関係ない……どっちも、助ける……理由も……いらない……それが……本当の……優しさ」
彼にも、忍者として以外で唯一領主によって培われたものがあった。
優しい心である。
「……それに……使い道……無かった」
「……そっか。でも、こんなに受け取れないから半分でいいよ」
そう言って、クリスは袋から二十五万エリスを抜き取り、彼に突き返した。
「……汝……元の……所持金……もっと、あった……」
「ううん。これで十分だよ………………十分過ぎるくらい、ね」
「──おほん」
彼女は両手を胸の前で握り締めながら、雪葉へ微笑んだ。
すると、そこにダクネスが二人の横に立つと、気まずげに咳を払う。
「クリス。まずはそこの路地裏でぱんつを履いてこい。お礼の話などはその後でも出来るだろう」
「あ、うん……じゃあ、ちょっと失礼するよ」
ダクネスの打診を受け、クリスは一度雪葉へ声を掛けるとぱんつを身につけるため路地裏へと姿を消した。
目の前に佇むダクネスに対し、雪葉は何か用かとでも言いたげな視線を向ける。
「すまない。あいつの自業自得もあるとは言え、温情をかけてくれたあなたに、彼女の友人として、心から感謝を述べさせてもらいたい。ありがとう」
「…………別に……この身が……勝手にした事……」
先程の姿とは別人の様なダクネスに、彼は少し呆気に取られつつも気にする事は無い旨の返事を返した。
そこに、頭の後ろで手を組みながら和真が戻ってくる。
「ユキハ、良いのか?」
「……主君……誠に……申し訳ない」
「ん?ああ、金のことなら俺に謝る必要ないぞ。あれはお前の金だし、何に使うかもお前の自由なんだから、俺がとやかく言う権利もつもりも無いしな」
「……主君……」
「それに、お前が金をやることと俺がクリスさんから金を巻き上──貰ったことはまた別の話だから、気にすんな」
「……ん」
和真から伸ばされた手が雪葉の頭を撫でると、彼は差し出す様に頭を前に向けつつ、了承の意を示した。
「……やはり、本当に凄まじいのは彼ではなく、この男……」
「ん、何か?」
「いや、何でもない。……む、どうやら終わったようだな」
何かを呟くダクネスに和真が声を掛けるも、彼女は特に説明をする事なく話を打ち切り、裏路地から再び姿を現したクリスへ振り向く。
「ごめんごめん、少し待たせたかな。それじゃあ、カズマくんもスキルを覚えられたことだし、ギルドに戻ろうか」
「ああ」
「ウス。あー、何だかスキル教わってたら何だか小腹が空いてきたなあ」
戻ってきたクリスの進言を受け、ギルドへ歩みを進め始めた和真とダクネスに雪葉も続こうと足を運び始める。
「あ、キミ。ちょっといいかな」
「……?」
その時、クリスが唐突に雪葉を呼び止め、彼は一度足を止めた。
すると彼女は彼の元へ近づき、耳元へ顔を寄せると、
「……ありがとうございます」
先程までの彼女からは予想もつかない穏やか且つ清廉な口調と声音で謝辞を述べると、すぐに彼の前へと回り込んで後ろ手に組みながら、とてもにこやかな笑顔を見せてくれた。
この時、彼は初めて顔を合わせたクリスに対して、何故か言い様のない既視感を感じた。
▼
四人がギルドの酒場に戻ると、そこは大変な騒ぎになっていた。
アクアの周りに群衆が集まり、彼女の宴会芸スキルに取り付かれた者たちが≪花鳥風月≫なるものの技を再び目にせんとあの手この手で懇願している風景が広がっている。
「──あっ!ちょっとカズマ、やっと戻ってきたわね、あんたのおかげでえらいことに……。って、その人どうしたの?」
人だかりを面倒くさそうに押しのけながら、和真の隣で溜め息を吐き項垂れるクリスにアクアが興味を抱く。
すると和真が説明する前に、ダクネスが口を開いた。
「うむ。クリスは、カズマにぱんつを剥がれた上にあり金毟られて落ち込んでいるだけだ。まあ、これでも雪葉のおかげで大分マシにはなったがな」
「おいあんた何口走ってんだ!待てよ、おい待て。間違ってないけどほんと待て」
ダクネスの言葉に軽くひいているアクアとめぐみんの視線を受ける和真を他所に、やがてクリスは落ち込んでいた顔を上げた。
「公の場でいきなりパンツ脱がされたからって、いつまでもめそめそしててもしょうがないね!よし、ダクネス。あたし、悪いけどちょっと臨時で稼ぎのいいダンジョン探索に参加してくるよ!ユキハくんの助けがあったとはいえ、下着を人質にされてあり金けっこう失っちゃったしね!」
「おい、待てよ。なんかすでに、アクアとめぐみん以外の女性冒険者の目まで冷たい物になってるからほんとに待って」
「……主君……あれ……尊敬の視線?」
「すいません嘘です僕の行いは不名誉どころか外道の極みでしたそうです僕がゲドウカズマです」
「……主君……主君……」
今の会話が聞こえていた周囲の女性冒険者達から寄せられる冷たい視線を受け、無自覚な雪葉のとどめによって、遂に現実逃避に陥ってしまう和真に、クリスがクスクスと笑う。
「このくらいの逆襲はさせてね?それじゃあちょっと稼いでくるから適当に遊んでいてねダクネス!じゃあいってみようかな!」
そう言うと、クリスは冒険仲間募集の掲示板に行ってしまった。
「えっと、ダクネスさんは行かないの?」
「……うむ。私は前衛職だからな。前衛職なんて、どこにでも有り余っている。でも、盗賊はダンジョン探索に必須な割に、地味だから成り手があまり多くない職業だ。クリスの需要ならいくらでもある」
以前にアクアもアークプリーストは希少で引っ張りだこだと話しており、クエストや職業の関係に寄って優遇されるシチュエーションは多種多様らしい。
ほどなくして臨時パーティーが見つかったエリスは、数名の冒険者を連れ立ってこちらに手を振りながらギルドを後にした。
「それで、カズマは無事にスキルを覚えられたのですか?」
めぐみんの言葉に、和真はにやりと不敵に笑い、彼女へ向けてスティールを発動。その手には真っ白なぱんつが握られていた。
「……なんですか?レベルが上がってステータスが上がったから、冒険者から変態にジョブチェンジしたんですか?……あの……スースーするのでぱんつ返してください……」
「あ、あれっ⁉︎お、おかしーな、こんなはずじゃ……。ランダムで何かを奪い取るってスキルのはずなのにっ!」
「……主君……狙い通り……二度目の……御首級……完全に……使いこなせてる」
「……やはり変態にジョブチェンジを……」
「違う!違うんだって!まじでランダムなんだからなっ⁉︎」
慌ててめぐみんにぱんつを返す和真へ、更に冷たい視線が周囲から注がれていく中、突然テーブルを叩きながら、ダクネスが椅子から立ち上がった。
その目を何故か爛々と輝かせながら。
「やはり、私の目に狂いは無かった!無垢ながらも人を甚振る腕前を持ついたいけな少年を調教し付き従えるだけでなく、こんな幼げな少女の下着を公衆の面前で剥ぎ取るなんて、なんという鬼畜外道……っ!是非とも……!是非とも私を、このパーティーに入れて欲しい!」
「いらない」
和真の即答に、ダクネスが頰を赤らめて身を震わせた。
その後、ダクネスに興味を抱いたアクアとめぐみんの本格的な会話の参加により、事態は更にややこしい方向へと進んでいった。
その時。
『緊急クエスト!緊急クエスト!街の中にいる冒険者の各員は、至急正門にあつまってください!繰り返します。街の中にいる冒険者の各員は──』
街中に大音量の放送が響き渡ると共に、正門の上の見張り台から警報を報せる鐘が何度も打ち鳴らされた。
「おい、緊急クエストってなんだ?モンスターが街に襲撃に来たのか?」
不安げな和真とは対照的に、ダクネスとめぐみんはどことなく嬉しそうな表情だ。
「……ん、多分キャベツの収穫だろう。もうそろそろ収穫の時期だしな」
「は?キャベツ?キャベツって、モンスターの名前かなんかか?」
呆然と告げる和真に、めぐみんとダクネスは可哀想な人を見るかのように目を向ける。
「キャベツとは、緑色の丸いやつです。食べられる物です」
「噛むとシャキシャキとする歯応えの、美味しい野菜の事だ」
「そんなの知ってるわ!じゃあ何か、俺達冒険者に農家の手伝いをさせようってのか⁉︎」
全貌の分からない緊急クエストの内容に、和真が痺れを切らして狼狽え始める中、雪葉が和真のジャージの裾を二回ほど引く。
「どうした?」
「……くる」
「何が?」
「……無数の……何か……空から」
彼の静かな報告を皮切りに、和真一行は他の冒険者達と正門に向けて急ぎ向かった。
▼
「何だよ……あれ……」
正門に駆け付けた和真一行や冒険者達の前に広がるのは、圧巻の一言に限る光景であった。
空からいなごの群れのように大量の緑色に染まった球体が羽虫の様に、葉を羽ばたかせながらこちらに向かって飛来していた。
「何でキャベツが飛んでんだよ!」
目の前にある常識外れな現象に困惑しながら絶叫する和真を他所に、ギルドの職員が説明を始める。
「冒険者の皆さん!もうすでに気づいている方もいるとは思いますが、キャベツです!今年もキャベツの収穫時期がやって参りました!今年のキャベツは出来が良く、一玉の収穫につき一万エリスです!すでに街中の住民は家に避難して頂いております。では皆さん、できるだけ多くのキャベツを捕まえ、ここに収めてください!くれぐれもキャベツに逆襲されて怪我をしない様お願い致します!なお、人数が人数、額が額なので、報酬の支払いは後日まとめてとなります!」
呆然と立ち尽くす和真と傍らでキャベツの群勢を興味津々に見上げる雪葉へ、いつの間にか隣に来ていたアクアが厳かに。
「この世界のキャベツは飛ぶわ。味が濃縮してきて収穫の時期が近づくと、簡単に食われてたまるかとばかりに。街や草原を疾走する彼らは大陸を渡り海を越え、最後には人知れぬ秘境の奥で誰にも食べられず、ひっそりと息を引き取ると言われているわ。それならば、私達は彼らを一玉でも多く捕まえて美味しく食べてあげようって事よ」
「俺、もう馬小屋に帰って寝てもいいかな」
「……主君……この任務……出来高制……より多く、とれば……それだけ……報酬……倍増」
呆然と弱音をこぼす和真をどうにかして励ます雪葉の隣を、勇敢な冒険者達が気勢を上げて駆け抜けて行く。
「はあ……仕方ねえか」
後頭部をぽりぽりと掻きながら、和真が重い腰を上げる。
それを見つめる雪葉は、遠慮がちに口を開いた。
「…………主君」
「ん?」
「……この身……少々……本腰……入れる……故に……手前の近く……危険」
「お、おう?」
彼は徐に準備運動を始めると、和真に対して少し離れるよう注意を促し、自身から距離を置いたことを確認すると、
「……疾」
「うおっ⁉︎」
瞬間、巻き起こる突風のような風圧を受けてたじろぐ和真の視界から、彼が一瞬にして姿を消した。
「あれ、あいつどこに……」
「きゃあ!」
「ん?」
背後から聞こえたギルド職員の声に振り向くと、正門前に用意された複数ある巨大な檻の内の一つが、いつの間にやら大量のキャベツで埋め尽くされていたのだ。
これには、他の冒険者達も目の前の光景に唖然としていた。
だが、事態はそれだけでは収まらず。
「おい!三時の方向にいたキャベツの群れがいつの間にか消えたぞ!」
「こっちは二つ目の檻が既に満杯になってるぞ!一体どうなってやがるんだ⁉︎」
次々とキャベツの群れが上空から消えては檻に閉じ込められていくまさかの現象に、和真は直感で全てを察した。
「ああ……そういうことか」
和真の推察どおり、雪葉は凄まじい速度と精度でキャベツを捕まえては、数秒ほどでとんとん拍子に檻の中へとキャベツを放り込んでいた。
「これは凄い……!至急、捕獲用の檻を追加してきます!」
正門付近で推移を見守っていたギルド職員達数名が、予想外の事態に檻を補給する為、ギルドと正門の間をひっきりなしに慌ただしく往復し始める。
そんな光景を横目に、和真は覚えたてのスキルを駆使しながら地道にキャベツを捕獲しつつ、他の仲間に目を向ける。
花鳥風月で檻に水を加えてキャベツの鮮度を保たせ、冒険者達のモチベーションを維持させるべく給水するアクア。
キャベツに襲われている他の冒険者を庇うという建前を利用し、次々と己に突撃してくるキャベツの猛攻を全身で受け止めて恍惚な表情を浮かべているダクネス。
そんなダクネスに集中しているキャベツ達を一網打尽にせんと、ぶつぶつと呟いていた詠唱を終え、爆裂魔法を穿ち放っためぐみん。
阿鼻叫喚の光景を目にした和真は、盛大に溜め息を漏らした。
▼
その後、無事にクエストを終えた雪葉達はギルドの中で出されたキャベツ料理の数々に舌鼓を打ち、慰労会を開いていた。
「しかしやるわねダクネス!あなた、さすがクルセイダーね!あの鉄壁の守りには流石のキャベツ達も攻めあぐねていたわ」
「いや、私など、ただ硬いだけの女だ。私は不器用で動きも速くは無い。だから、剣を振るってもろくに当たらず、誰かの壁になって守るしか取り柄が無い。……その点、めぐみんは凄まじかった。私を取り囲んでいたキャベツの群れを、爆裂魔法の一撃で吹き飛ばしていたではないか。あれは今まで受けたどんな攻撃よりも骨身に沁みたぞ」
「ふふ、我が必殺の爆裂魔法の前において、何者も抗う事など敵わず。……それよりも、カズマの活躍こそ目覚ましかったです。魔力を使い果たした私を素早く回収して背負ってくれました」
「ああ。だが、何より一番の貢献者はユキハだろうな」
「はい。まさかギルドが所持している捕獲用の檻を全て出さなければならない程、とてつもない数のキャベツを収穫しましたからね。報酬金額は馬鹿にならないでしょう」
そういって、彼女達が口々に和真と他人事のようにもそもそ静かにキャベツ料理をつまむ雪葉を褒めそやしている中、やがてアクアが、テーブルの上に平らげたキャベツ皿を置く。
気の向くままにキャベツを追いかけ回していた無能な駄女神は、優雅に口元を拭い、
「カズマ……。私の名において、あなたに【華麗なるキャベツ泥棒】の称号を授けてあげるわ」
「やかましいわ!……ああもう、どうしてこうなった!」
和真が頭を抱えてテーブルへ突っ伏したのには訳がある。
「では……。名はダクネス。職業はクルセイダーだ。一応両手剣を使ってはいるが、戦力としては期待しないでくれ。なにせ、不器用すぎて攻撃がほとんど当たらん。だが、壁になるのは大得意だ。よろしく頼む」
仲間が一人、増えたのだ。
「……ふふん、ウチのパーティーもなかなか、豪華な顔触れになってきたじゃない?アークプリーストの私に、アークウィザードのめぐみんに。そして、防御特化の前衛職である、クルセイダーのダクネス。極めつけは超攻撃特化の固有職業、忍者のユキハ。五人中三人が上級職に加えて職業の究極系、唯一職がいるパーティーなんてまずいないわよカズマ!あなた、凄くついてるわよ?感謝なさいな」
「ふざけんなよ?一日一発魔法使いとノーコン騎士と低脳運無神官て。ユキハと俺だけでパーティー組んだ方が断然マシだわ」
「そんなのダメよ。あんたとユキハだけなんかにしたら、この子がどんな風に育つか分かったもんじゃないわ」
「そうですよカズマ。私の弟分に悪影響を与えてもらっては困りますから」
「いや、お前らいつからユキハの保護者になったの?」
「……暑苦しい」
和真から守るように二人が雪葉を抱き寄せるが、当の彼は少し迷惑そうに訴えつつも特に抵抗する様子はない。
これも雪葉がある程度彼女たちに心を開き始めた証拠であり、仲間と認めているからに他ならないのだが、本人は無自覚の為、普段どうりに接しているつもりである。
彼女たちに至っては完全に心を砕いており、アクアは己を女神と信じてくれる素直さを。めぐみんはその純粋無垢な言動に、どこか故郷の妹の姿が重なり、それぞれ愛でる様に彼を可愛がっていた。
「んく……っ。ああ、先ほどのキャベツの群れからボコボコに蹂躙さたり、それを見兼ねたユキハに『……不能……邪魔』と罵られつつ蹴飛ばされた時は堪らなかったなあ……。このパーティーではユキハも本格的な前衛職だが、攻撃専門の様だから、遠慮なく私を囮や壁代わりに使ってくれ。なんなら、危険と判断したら捨て駒として見捨てたり、使えないと思った時は容赦なく痛めつけて貰っても構わない。……んんっ!そ、想像しただけで、む、武者震いが……っ!」
頰をほんのり赤く染めて、小さく震えるダクネス。
「それではカズマ。多分……いや、間違いなく足を引っ張る事になるとは思うが、その時は遠慮なく強めで罵ってくれ。ユキハも、不甲斐ないと判断した時は自由にこの体へ仕置きをしてくれ。これから、よろしく頼む」
あらゆる回復魔法を操るアークプリーストに、最強の魔法を使うアークウィザード。
そして、鉄壁の守りを誇るクルセイダー。
それだけ聞くと完璧そうな布陣なのに、これから苦労させられる予感しか感じない和真は、一縷の望みである最強忍者に全ての信頼を託す他無かった。
時はきた。
今後の五人の展開をお楽しみに。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
忠誠【肆】:ウィズは友達が少ない 〜前編〜
また、本編の都合により、原作との時系列がほんの少しずれてしまいますがご承知いただけると助かります。
これまでに無い2万文字という長編となっていますので、どうか最後までお付き合い頂けると幸いです。
先日。ダクネスという新たな前衛職が仲間に加わり、次に受けるクエストについて和真達一行はギルド内にある酒場のテーブルにて顔を合わせながら討論を交わしていたが、雪葉は途中で尿意を催し一旦席から離れていた。
和真達の元へ戻る最中、クエストが貼られている掲示板の前に何やら人集りが出来ており、少々気になった彼は、一番後ろで首を伸ばしていた男性冒険者に何事かと声を掛ける。
「ん?ああ。何でも、あの魔道具店の貧乏店主さんからのパーティー募集も兼ねた依頼のクエストが貼り出されてたのを、今日誰かが見つけたらしくてな。その貧乏店主さんが依頼したクエストがどんなもんか、皆一目見ようとこうして集まってるわけよ」
何も知らない雪葉へ、男性冒険者は親切に教えてくれた。
聞けば、その人は依然凄腕のアークウィザードとして名を馳せた元冒険者で、アクセルの街ではその名を知らぬ者は殆どいないと言われるぐらいの有名人だとか。
そんな人がギルドへ依頼を出してパーティーを募らなければならない程のクエストに、噂を聞きつけた他の冒険者達は興味と意欲を湧き立たせて足を運んで来たという。
しかし、それが事実なのかは雪葉にとって定かではないが、説明の中でそう何度も貧乏店主と本人の
すると、先程まで掲示板に群がっていた者達が一様に顔を青ざめながら蜘蛛の子を散らす様にその場から立ち去っていき、残ったのは雪葉と快く答えてくれた男性冒険者のみ。
「な、なんだ……?まあ、よく分からんが、あの人とクエストを共に出来るなんて滅多にない機会だからな。どんな内容だろうがレベル40の俺様ならたやす──」
自信有り気に語りながら掲示板へ近づく男性冒険者が貼り紙の内容を目にした途端、驚愕のあまり冷や汗をかきながらヨタヨタと後退り、雪葉の隣で腰を抜かした。
いきなり様子の急変した男性冒険者を怪訝に見下ろしつつ、雪葉は血相を変えてどうしたのかと隣の彼に尋ねてみる。
「……む、無茶だ……!あんなの……この街の冒険者が束になっても勝てるわけがねえじゃねえか……!それに、ヤツはあのミツルギさんでも歯が立たなかった……!」
こちらの言葉に耳を貸す余裕もない男性冒険者は、戦慄に身を震わせながら固まったままぶつぶつと何かを呟く。
何度呼び掛けたり肩を叩こうとも反応を示さない為、仕方無く雪葉は掲示板に歩み寄り、例の貼り紙へ目を通してみた。
『──超級素材採集クエスト。危険指定種ヴォルケーノサラマンダー、個体名【火山王】の素材採集。レベル制限なし。上級職以上。報酬は直接要相談の為、受付を終えたらこちらまで。──』
ひとどおり内容を読み終えた雪葉は、凄腕のアークウィザードがパーティーを募らなければならない程の危険を有するモンスターに興味を示すと、己の実力を測るのに打ってつけなクエストではないだろうかと思い立つや、直ぐさま貼り紙を剥がし取って和真達のもとへ向おうと踵を返す。
だが、そんな雪葉へ意識を取り戻し立ち上がった男性冒険者が、慌てて引き止めようと彼の肩に手を掛けた。
「おいおい正気かお前⁉︎冗談にしちゃあ洒落になってねえぞ!そもそもそのクエストはアクセルの街どころか、王都で扱ってもおかしくねえぐらいの超高難易度クエストだ!間違ってもお前達駆け出し冒険者が遊び半分で手を出していいシロもんじゃねえんだぜ⁉︎」
全くもって失礼な。
いくら駆け出しとは言え、自分がおふざけでクエストを受けようと誤解している男性冒険者に少々眉根をひそめながら、彼は本気でクエストを請け負う考えである旨を伝える。
「マジでやるつもりかよ……そんなクエスト受けるからには、それなりのモンスター倒してるんだよな?」
呆れた様に溜息をつく男性冒険者の問いに、彼は指を二本立てて巨大蛙の名前と討伐数を口にした。
「……悪りぃ。何だか聞き間違えた気がするから、もう一度言ってくれねえか?」
再び聞き返す男性冒険者に対し、もう一度はっきりと蛙の名を告げる。
「ふざけてんのか⁉︎」
雪葉は至って大真面目だと顔を顰めた。
「そういう問題じゃねえ!火山王は火山地帯に棲むモンスターの中でも危険種に指定されてるめちゃくちゃ獰猛なヤツなんだぞ!ジャイアントトード二匹しか倒した事の無いトーシロが挑んでいい相手じゃねえつってんだよ!死に急ぎてぇのか⁉︎」
確かにはたから見れば至極真っ当な正論だが、それを耳にしているのは人外魔鏡の様な家庭環境で生まれ育った、浮世離れも甚だしい頭も強さもぶっ飛んだ、非常識ながらも純粋無垢で形成されているトンデモ忍者である。
何度男性冒険者から諭されようが、一度引き受けると決めた任務はあの領主の時を除き、忍に生まれた者として例え死んでも投げ出すわけにはいかないのが彼の信条。
男性冒険者の手を肩から払い、その親切心に軽く感謝を述べた後、彼は己の決意を曲げる事はないときっぱり言い放つ。
「……何を言おうが考え直すつもりはないんだな」
こちらを見定める目で問い掛ける男性冒険者に、彼はゆっくりと大きく頷いてみせる。
「はあ……分かった。もう止めたりはしねえ……その代わり、必ず仕留めて来い。クエストが成功したら、俺が祝いに一杯奢ってやっからよ!」
一度大きな溜め息を零し、雪葉の背中を押しながら親指を立てて見送る男性冒険者に、彼は同じポーズで答えると和真達の元へ戻って行った。
▼
「うん……それ無理」
「……しかし……主く──」
「いやいや無理ですって」
「……でも……」
「死にたくないんです……」
彼は、絶賛足止めを食らっていた。
四人へ受けたいクエストがあると彼が伝えた当初は、皆それぞれが快い反応を示してくれたのだが、内容に目を通した直後、クエストを読み上げていたアクアは突然ばたばたと席を離れかけ、めぐみんは帽子を目深に被りながら杖を抱えて身を縮めつつ震え出し、ダクネスは興奮した様子で息を荒げ始め……いつも通り異常運転である。
和真に至っては、一縷の望みであった筈の雪葉ですら他の三人同様の異常性を感じて悩み始めると、テーブルに肘をつきながら頭を抱え、自分の中の雪葉に対する理想像が瓦解されたショックのあまり、彼の呼びかけにもまともに取り合わなくなる始末。
雪葉は仕方無く、和真以外へ声を掛けることにした。
「……あくあ……これ……だめ?」
「……っ!っ!」
青ざめた表情で頻りに首を左右に振り続けるアクアを前に、彼は断念してめぐみんへと顔を向ける。
「あの、ですね……確かに我が爆裂魔法にかかれば火山王も相手ではありません……。……しかし、あれはアダマンタイトなみの硬い鱗を持ち、魔法防御にも高い耐性を誇る火の精霊を司る竜です。恐らく魔力を全て解放しつつ詠唱時間をフルに使ったとしても、一撃で倒すのは難しいかと……」
柄にも無く消極的な発言のめぐみんに対し、ならばダクネスの囮スキルを使えば時間を稼げると彼が打開策を提示するも、それはダクネス本人によって否定された。
「いや、それは不可能だ。火山王は頑強であると同時に知能も高い。私がデコイを発動しようとも、奴はその知能の高さですぐに私を囮だと理解し、真っ先に脅威となるめぐみんやユキハ、場合によっては支援魔法のエキスパートであるアクアを真っ先に狙うだろう。奴はゴツい見た目に反して狡猾な性格ともいわれている。お前ならともかく、私達が同行しても足を引っ張る結果になるだけだと思うが」
珍しくまともな態度でユキハへ答えるダクネスに、彼は目を丸くさせながら振り向く。
「んん……っ!しかし、知能が高いとはいえ、デコイを発動させたにも関わらず、モンスターに素気無くあしらわれる屈辱……んくっ!そ、想像しただけでもなんて魅力的なんだ……っ!」
かと思えばすぐに自分の世界へ浸り始めたので、後は相手にしないことに決め、再度主へ呼び掛けてみる。
「……主君……どうか……」
「つっても、このクエストって上級職以上だろ?基本職の俺じゃ参加出来ないぞ?」
彼等から寄せられた意見を踏まえ、雪葉は熟考を始める。
やがて、結論をまとめた彼は四人に向けてはっきりと告げた。
「……ならば……この依頼……一人で……」
「「「「…………──はああああああ⁉︎」」」」
この日、今日イチの絶叫がアクセルの街に響き渡った。
▼
あの後、物凄い剣幕で引き止めてくる三人を何とか説得し、「ここを通りたくば、私を倒してからにしろ!」と恍惚な表情で加虐を要求して来る変態一人から逃れる事に成功した雪葉は、クエストの詳細を聞くために手続きを済ませた受付嬢から依頼主の居場所を教えてもらい、件の魔法道具を取り扱うと言うお店に足を進めていた。
その際、彼から受け取ったクエストの内容をひと目確認した巨乳受付嬢の端整な顔立ちが見事に引きつっていたのは記憶に新しい。
「あの、クエストは何を受けられますか……?」等と手元の依頼用紙を視界の外に追いやっている受付嬢に対し、彼は人差し指でトントンとカウンターに置いた依頼用紙を指し続け、目の前にある現実から目を背けるなとでも言いたげな視線で訴えるのだった。
そんな受付嬢から渡された案内図に従って辿り着いた先には、こじんまりとした素朴な木造一軒屋。
彼はその建物にどこか馴染み深さを感じながら静かに扉を開く。
内側の扉の上部に付いていた客の入店を知らせる為の鈴が鳴ると、カウンターの奥から一人の女性が姿を見せる。
「いらっしゃいませ!《ウィズ魔道具店》へようこそ!今日はどのような商品を……て、あら?」
カウンターに立ったのは、ロングウェーブの茶髪で目尻の下がった茶色い目をした、顔の青白い穏やかで大人しそうな巨乳の美女だった。
恐らくこの人が、先の依頼者であるここの店主だろうかと彼はあたりをつける。
現に、目の前で不思議そうに雪葉を見つめている彼女以外、彼の気配察知に引っかかる反応が無いからだ。
彼はクエストの詳細を確認する為、彼女を見上げながらカウンターの前へと歩を進める。
すると、雪葉が口を開こうとした矢先、店主が心配そうに話しかけて来た。
「ええっと……もしかして、迷子なんですか?お父さんかお母さんは……?それともおつかいに……?」
まあ、確かに自分の様な子供が一人で店に来るとしたら、普通はそう考えるのが妥当かと彼は割り切りながらも、少し不満げな表情でクエストの依頼用紙と自分の冒険者カードをカウンターに置いた。
「ええ⁉︎も、もしかして冒険者さんだったですか……?じゃあこれって、この前ギルドに依頼した……。す、すみませんすみません!まさか冒険者の方とはつゆ知らず……失礼しました!」
何度も平謝りする店主に、彼は手を振りながら然程気にしていない事を伝え、先程から気になっていた事を正直に彼女へ聞いてみることにした。
「……其の方……不死人?」
「そ、そんな……⁉︎ど、どうして私がアンデッドのリッチーで魔王軍の幹部だと分かったんですか⁉︎」
いきなり自分の正体を見抜かれ、慌てふためく女店主をアンデッドと見破ることが出来たのは、
しかし、別にリッチーや魔王軍の幹部だとまでは判別していなかったので、これに関しては彼女の勝手な情報漏洩なのだが。
魔王軍幹部との情報には驚かされたが、よくよく話を聞いてみるとどうやらかなり込み入った話である事が分かった。
彼女が以前現役冒険者だった頃、別の魔王軍幹部によって死の宣告という余命を告げられる呪いのスキルを掛けられ全滅の危機に瀕したのだが、前に知り合った地獄の公爵から、自分の命を代価に仲間の呪いを解いてもらうという申し出を断られた代わりとして不死化の呪法を教わり、それによってリッチーとなった彼女は、単身で魔王城に乗り込み例の呪いを掛けた幹部含め数人をボコボコに痛めつけたところ魔王本人からスカウトを受け、幹部になって魔王城の結界を維持する役割を担う代わりに、『冒険者や騎士など、戦闘に携わる者以外を殺さない事』を条件として引き受けたとの事らしい。
そんな話に相槌を打ちつつ、雪葉は女店主を目にした時点から彼女の体に施されているであろう不死化の呪法を自身の研ぎ澄まされた五感で敏感に感じ取っていた。
ついでに言えば、且つて父親から聞いた一部の忍者のみが知る事を許されていた伝説の秘術、不老不死の術に限りなく近い特徴を持っていた事も判断材料の一つにあげられる。
雪葉が正体を見抜いた要因をすらすらと言い上げた途端、彼女はカウンターからずり落ちるように乗り越え、彼の腰へと縋りついて来た。
「お、お願いです!それだけは!私がリッチーで魔王軍の幹部をやっていると言うことだけは、誰にも言わないでください!なんでも言う事を聞きますからああああ!」
どちらかと言えば、今ここで自分に対し大声で懇願している状況こそ周囲の人にばれる可能性が高いのではないかと彼は内心で呟きながら、女店主を引き剥がしに掛かる。
目尻に涙を浮かべながらこちらの体を揺らしている彼女に、雪葉は落ち着くよう諭しながらこれっぽっちも他人に言い触らすつもりは無い事を伝える。
「ほ、本当ですか⁉︎秘密にする見返りも無いんですか⁉︎よ、よかったあ〜……」
困惑した泣き顔から一変。漸く拘束を解いて安堵に表情を弛ませる女店主の姿を見た雪葉は、彼女に対し《おっとりっちい》のあだ名を心で授けた。
その後、彼は本題に入って貰うため、一度アンデッド云々の話題を切り上げてクエストの詳しい話を聞かせるよう進言する。
「あっ、はい。クエストと報酬についての詳細を知りたいんですね?立ち話もなんですから、そこの椅子で休んでいてください。今飲み物をお持ちしますね」
窓際の小さな丸テーブルと椅子を手の平で示しながら言い残すと、すっかり調子を取り戻した彼女はトコトコとカウンターの奥へ再び姿を消した。
数分後。
彼女がトレイに二人分のティーセットを載せて持って来ると、慣れた手つきでカップに温かい紅茶とミルクを注ぎ入れ、少々砂糖を加える。今度はマドラーでこれまた鮮やかにくるくるとかき混ぜ、自分と雪葉の前へ静かにカップを置いた。
「あまり良い物は出せませんが……よかったらどうぞ」
「…………」
「えっと、あの……」
しかし、彼は手をつける事なくひたすら目の前に出された紅茶を見つめ続けていた。
無理もない。彼の時代には紅茶などと言う飲み物は存在せず、精々水か、麦湯と呼ばれる今で言うお茶のようなものか、お酒しか無かったからである。
おまけに、雪葉達忍者は決して身分も高くない上、彼に至っては大好きな領主やその家族以外からほぼ道具のような扱いを受けていた為、ただの水以外を初めて口にしたのも領主へ仕える様になってからだった。
あの時初めて麦湯を口にした瞬間の感動は、今でも忘れられない彼の思い出の一つとなっている。
やがて、彼は一度店主を見上げながら、困った様に見つめ返している彼女へ疑問を擲つ。
「……これ……何?」
「何って……ミルクティーですよ?」
「みるく、てぃい?」
「もしかして、ご存知ありませんか?」
女店主の問いに彼はこくりと頷き、カップを手に持ち匂いを嗅ぐ。
その持ち方も、ハンドル部分には指を掛けずに容器本体を両手で包み込み、湯呑みを手にする様に持っている。どうやら、毒の類は入っていないようだ。
そもそもそんな物を入れるような人物とは微塵も思っていないが、これも忍者特有の職業病の一種であり、彼は彼女に対して悪意や敵意は一切持っていない。
薄茶に染まった液体をまじまじと見つめた後、彼はゆっくりと口の中へ運ぶ。
瞬間、口の中に広がる独特な茶葉の香りと舌を包むような甘味が、雪葉の脳に衝撃を与えた。
「……誠、甘露っ」
初めて口にしたその味に感銘を受けた彼は、両目をキラキラと輝かせながらお代わりを要求するのであった。
その後。満足した表情で頬を押さえがら、頭頂部から目立つ様に生えたあほ毛を犬の尻尾の様に機嫌良く揺らしている彼に対し、店主が微笑みかける様に口を開く。
「本題の前に、まずはお互い自己紹介をしましょうか……。私の名前はウィズ。職業はアークウィザードで、今は冒険者稼業から身を引いてこの店の店主をやっています……。……まあ、店の売れ行きはご覧の有様で、従業員は私しかいませんが……」
言葉の端々に悲しみや儚さを匂わせながら自己紹介を終えるウィズを心配そうに見つめながら、雪葉が自己紹介を返す。
「……名を、雪葉……職業……忍者……此度……己の力……測る為……任務……引き受けた」
「ユキハさんですね。よろしくお願いします。ですが……忍者って、聞いたことの無い職業ですね。一体どんなスキルが使えるんですか……?」
「……すきる……皆無」
「え、ええぇ⁉︎」
彼から告げられた思いがけぬ事実に、ウィズは血色の悪い顔を更に青ざめさせた。
「じゃ、じゃあ単純な物理攻撃だけ……?魔力や知力を見たところ、魔法の適性がある訳でも無さそうですし……」
「……否……すきる……無くとも……この身……業、ある」
「業……ですか?」
「……然り……例えば……」
そうウィズへ語りかけると、彼は忽然と目の前から姿を消した。
「あ、あれ……?消えた……?」
いきなり自身の視界から消えた雪葉の行方を探そうと、ウィズが辺りを何度も見回す。しかし、何処にも雪葉の姿は見えず、アンデットとしての力で彼の生命の気配を辿ろうとするも全く彼女の探知に掛かることは無かった。
その後、雪葉が彼女の前に気配を戻して姿を現わす。
「え、え……?一体どこにいたんですか……?」
これこそ、雪葉が誇る隠密技術の真骨頂。
雪葉の業、隠密は複数単体問わず対象を選定出来る上、一度行使すれば自身が隠密を解かない限り、相手は彼を認識する事が不可能となる。
潜伏スキルと似てはいるが、その実性能は月とすっぽん。
隠密は五感全てが彼を捉えられず敵感知スキルにも反応しない上、隠密自体がスキルや魔法ではない為、解除魔法も効果が無い。
あまりの反則性能に、神すらも一言物申したくなる超神業である。
「……ずっと……ここ……いた」
「あ、あの……すいません、話が見えて来なくて……」
ウィズが不安げに戸惑うのも無理はない為、彼はゆっくりと隠密の効果について懇切丁寧に補足説明を加える。
「なるほど……つまりあなたの隠密という業は、それを解かない限り相手から認識されることがない、という事ですか……。何だか盗賊職が持つ、潜伏スキルの上位互換みたいですね……」
さすがはアークウィザード。持ち前の知力ですぐに理解を示し、誰でも分かる内容に噛み砕いてみせる頭の回転の速さに、彼は僅かに感嘆の声を漏らした。
「ですが、ひとどおり貴方のカードに書かれていたステータスを見る限り……生命力。つまり、モンスターから受ける攻撃を耐えるのに必要な体力が少ないのがかなりネックですね……。私はアークウィザードの攻撃魔法専門なので……、職業柄、回復魔法や支援魔法は身に付けられないんですけど……、何か対策はありますか……?」
「……不要」
「え?」
「……攻撃……回避……当たらなければ……問題無い」
「いやいやいやいや問題大アリじゃないですか……⁉︎万が一にも火山王の攻撃が当たれば、貴方の生命力では間違いなく一撃で死んでしまいますよ……⁉︎」
またもや飛び出す雪葉からの爆弾発言に、ウィズが待ったをかける。
「戦闘において、負傷する可能性はゼロではありません。ですから、目的地の《煉獄火山》へ向かう前に、予めテレポート先に指定している途中の王都で、回復アイテム等を準備してから挑みましょう……!でなければ、貴方をパーティーに参加させられません……っ!」
眉尻が僅かに吊り上がっただけで、顔付きはあまり変わらずおっとりっちいなままのウィズだが、これだけは譲らんとする頑固な意志を何処と無く彼女から感じ取った雪葉は、呆気に取られつつ首を二度ほど縦に振った。
「分かって頂けたのならなによりです……。では、そろそろ本題へ入りましょう。まず……──」
それから、ウィズはクエストを依頼するに至った経緯やクエストの報酬と内容について語り始める。
依頼を出すことにしたのは、ウィズが経営するこの魔道具店が懇意にしている取引先より、ある頼み事をされたからとの事。
何でも、新商品の開発にあたって、ヴォルケーノサラマンダーから採取出来る諸々の素材がどうしても必要不可欠であるらしい。
そんな取引先の新商品というワードに心を掴まれたウィズは、興奮冷めやらぬテンションに流されるがまま、見切り発車でクエストを依頼した。
しかし、クエストの内容が余りに高難易度な為、ギルドへパーティーを募ってから数日経過しても一向に音沙汰無しの状態が続き、今日で仕方無く諦め、依頼を取り下げた後は取引先へ謝りに行こうかと思い悩んでいた丁度その時、雪葉が彼女の元へ訪れたのだ。
「私が依頼を出した切っ掛けはこんなところです。次にクエストの内容ですが……、対象のモンスターは、ヴォルケーノサラマンダーと言う名前の他、【火山王】の異名でも呼ばれています。その特長は何といってもアダマンタイト級の硬い鱗と、体内にある高熱器官で生み出して口から吐き出す超高熱の熱線でしょうか……。おまけにとても知能が高いので、罠といったトラップアイテムを避けて壊す傾向があり、パーティーで挑むと、優れた嗅覚で魔力量の匂いを嗅ぎ分けて、遠距離攻撃や支援魔法を使うウィザードやプリーストの冒険者を真っ先に襲うとか……。今まで数々の冒険者達が命を落としたり、又は歯が立たずに命からがら逃げ出してきた者が後を絶たなかった事から、超危険指定種に分類されています」
ウィズは一度息を整えながら紅茶で喉を潤すと、静かに耳を傾けて相槌を打つ雪葉へ向けて説明を再開する。
「今回のクエストは素材採集なので討伐の必要はありませんが……、聞いた話によると、火山王は獰猛で好戦的だそうですから……。恐らく戦闘は避けられないかもしれません……。けれど、なるべく無茶なことはしないよう心掛けて下さい……」
固有名称を持つモンスターの詳細を彼女から聞き受ける中、普通の者ならば震え上がって匙を投げたくなるような話であるにも関わらず、この世界には珍妙な生物が多くて面白い所だと、雪葉は的外れな感心を示していた。
最後の情報に確たる根拠が無い為か、自信がなさそうに苦笑いを浮かべるウィズへ、彼は情報が多いに越したことは無いと首を振る。
「それと、報酬についてですが……依頼を出しておいて、その……お店の盛況がこんな感じなので、私個人からお金は払えなくて……代わりと言っては何ですが、ギルドへサラマンダーの素材を買い取ってもらった際のお金……、私の分も、貴方に払うのが報酬……と言うのはどうでしょう……?危険種に指定されてますから、ヴォルケーノサラマンダーの素材はどれも希少価値が高いので、安い部位でも300万エリスはくだらないそうですよ?……私は目的の素材が入手出来れば、それで十分ですから」
「……却下」
躊躇いがちに打診するウィズに対し、彼はきっぱりと言い放ち、続け様に口を開く。
「……買取金……お互い……平等……絶対」
「で、ですが……依頼した私が同じ金額というのは……」
「……請け負った……目的……報酬……否……この身の……実力……知る為」
尚も引き下がろうとしないので、雪葉はウィズの言葉を手で制し、再度自分がクエストを引き受けた理由を彼女に言い聞かせた。
「…………分かりました。では、買い取りで支払われたお金はお互い山分けにしましょう。それで良いですか……?」
ウィズが漸く折れてくれたので、彼は満足気な表情をしながら二回頷く。
「……今更こんな事を言うのは野暮かもしれませんが、このクエストは下手をすれば命を失う可能性のあるとても危険なものです。今ならまだ、キャンセル出来ますよ……?」
そんな彼女の打診を受け、雪葉は徐に口を開いた。
「……きゃんせる、したら……うぃず……困る?」
「え?……そ、そうですね……、やはり一人では火山王に勝てるか分かりませんから、少し困ると言えば困りますが……。でも、ユキハさんがやめたいとおっしゃるのなら──」
「──……なら、愚問」
「え?」
しょんぼりとしながら答えていたウィズの話を遮る様に、雪葉は彼女に向けて手の平を翳して言葉を途切らせた後、一言毅然と言い放ち再び語り始める。
「……中止は……うぃず……困る……続投は……うぃず……嬉しい?」
「あ、えっと……はい」
「……なれば……断る理由……無い……この身……其の方へ……助力……誓う」
ウィズの返答を受け、再び依頼の受諾を決心した雪葉は彼女へと微笑みながら手の平を差し伸べる。
「はいっ、よろしくお願いしますね……!」
彼女は微笑んで了承すると、彼から差し出された手の平を握り、お互いに一時的パーティー結成の握手を交わした。
▼
その後、雪葉とウィズの二人はテレポートにて王都へと訪れていた。
何でも目的地の煉獄火山と言う場所は、アクセルの街から遥か遠くに位置する為、ウィズの転移魔法によって一度中間地点の王都に向かい、道具屋で雪葉が回復アイテムを調達した後、馬車を使って現場に近寄れるギリギリの所で降りた後、徒歩で向かう予定となっている。
煉獄火山はあちこちから溶岩が流れ落ち、無数に屹立した火山が絶えることなく噴火を起こす超危険地帯で、そこには上級職の冒険者すらも一筋縄では倒せない強力なモンスター達が棲んでおり、その中でも最も危険なモンスターが、今回のクエストの標的となっているヴォルケーノサラマンダー。通称火山王である。
雪葉は出発前、ウィズの案内で王都のとある道具屋へ立ち寄って回復アイテムを購入。しかし、王都はアクセルの街より魔王城へ近い場所に位置するので、前線により近いためか上質な商品ばかりが取り扱われており、ひとどおりのアイテムを購入した彼の懐事情は、三分の一以下の侘しいものとなってしまった。
それでも金に執着のない彼は、特に気にした様子も無くこれから向かうであろう未知の領域へ、期待に胸を躍らせている様だ。
そんな雪葉を微笑ましそうに見つめながら、ウィズが彼へ呼びかける。
「ユキハさん、王都は初めてでしたよね?」
ウィズの問い掛けに、王都を眺め回っていた彼はキラキラとした視線を彼女へ送り返しながら二度ほど頷く。
「せっかくの王都ですから、依頼した馬車が迎えに来るまで時間潰しに、もう少し他のお店もまわってみませんか?……私も久しぶりなので、ちょっと覗いてみたいところがあるんです」
そう告げる彼女の打診を受け、雪葉は再び首を縦に振る。
二人はお互いに一瞬微笑みを交わし、どちらからともなく歩を進め始めた。
様々な店を巡り歩いた二人が最後に足を運んだのは、のどかな雰囲気を感じさせる小さな骨董屋であった。
「わぁ〜……っ、凄い商品の数……。これだけの物を仕入れるのに、一体幾ら掛かったんでしょう……?」
中に入ると、店内は様々な壺や置き物等の骨董品が所狭しと並べられ、その品数の多さに雪葉のみならず、同じく店を経営するウィズでさえも圧倒され、感嘆の声を漏らしてしまう程。
すると、来客の気配に気づいたのか、店の奥からふてぶてしい表情をした天然パーマの頭に無数の寝癖をつけた男性が現れ、ぼりぼりと頭を掻きつつ欠伸をしながらカウンター側の椅子へどっかりと腰を下ろす。
「……らっしゃーせー……。まあ、どうせあんたらも時間潰しの冷やかしだろうが……気にせず見て行ってくれや。おれぁ一応カタチで顔見せただけだから」
「あ、あははは……じゃあ、その……お言葉に甘えて……」
なんともやる気の無さそうに二人の来店を迎え入れた店員に、ウィズは苦笑いでぺこりとお辞儀をし、雪葉は無言で軽く顎を引くように会釈を返してそれぞれが品物を見て回る。
くかぁー……くかぁー……。
ふと耳に入ってきた音を辿り雪葉がカウンターへ目を向けると、店員が頬杖をつきながら盛大にいびきをかき始めており、この図太い神経は何処から来ているのかと雪葉は疑問を抱いた。
「あ、ユキハさん。これ見てください」
しばらく商品を見ていると。ウィズがこちらへ向けて手招きをして来たので、雪葉はそちらへ歩み寄る。
彼女が手にしていたのは、およそ15センチ程の大きさの白い体に点々と黒や茶色のぶちがある、左手を挙げながら直立する猫の置き物。
「これ、猫ですかね?立つことが出来るなんてきいたことないですけど……でもなんだか、これはこれで可愛らしいですね」
そう感想を述べるウィズに、彼も頷いて同調する。
「……あー、そりゃ招き猫っつうらしいぞ」
いつの間にか目を覚ました店員が、そう二人へ置き物の名前を明かした。
「招き猫、ですか?」
「ああ。おれも詳しくは知らねえが……、確か幸運だかを招いてくれる効果があるっつう縁起物みたいだぞ。前にここへそいつを売りに来たやつが言ってたな……。ニホン?だかってとこでは、かなり重宝されてたっつう話だぜ」
それを聞いた瞬間、彼は少し驚きの表情をみせる。
つまり、猫の置き物はこちらの世界に来た日本人がつくり、それをこの骨董屋に売ったのだろう。
どういった経緯でこれを作り売ったのかは不明だが。
「ニホン……ですか。聞いたことない場所ですね……──て、もうこんな時間⁉︎ユキハさん、迎えの馬車がもう来ている時間です!急ぎましょう!」
ふと店の時計が視界に入ったウィズが慌てて雪葉の腕を取り、急いで店の出口へと向かい、
「長々とお邪魔してすみませんでした!」
そう彼女が一言残し、二人で骨董屋を後にした。
「またのお越しを……って、来るわけねえか」
▼
馬車と徒歩で煉獄火山へ向かう道中、二人はモンスターに遭遇することなく目的地に到着する事が出来た。
これも偏に、雪葉の常時発動スキル【女神の寵愛:幸福】による恩恵の効果である訳だが。
「さすが国教にもなっている女神様の力ですね……まさかモンスターに一度も遭遇せずに辿り着くなんて、こんなこと滅多にないんですよ……?」
驚嘆しながらこちらに告げるウィズに対し、彼はそういうものかと言いたげな視線を送ると、再び前を向いて歩き始める。
二人は今、ヴォルケーノサラマンダーが棲み処にしている煉獄火山の深奥部へ向けて歩みを進めていた。
「そういえば、私はリッチーなのである程度の暑さや寒さには耐性があるんですが……。ユキハさん、この煉獄火山に入ってから全然汗をかいてないように見えますけど……平気なんですか?先程から見ていた限り、事前にヒエヒエールを飲んだり、熱耐性の装備を身に付ける等の暑さ対策なんて、特にしていなかったような……」
薄々気になっていたのか躊躇いがちに質問を投げかけるウィズに、雪葉は首を頷かせつつその理由を明かす。
「……なるほど、前に修行の一環で、釜茹でされた熱湯の中で一ヶ月間座禅を組んでいたから──って、釜茹で……⁉︎なんで生きてるんですか……⁉︎」
捉え方よっては死んでなきゃおかしいだろうとの失言にも聞こえるが、どちらの意味合いにせよ雪葉は気にも止めていない上にウィズとしては今の言葉に悪意は無い為、彼は言われてみれば確かに生きていたのが不思議なくらいだと、他人事の様にくすりと笑ってみせた。
「あの、決して笑いごとじゃありませんよ……。リッチーの私が言うのもアレですけど……ユキハさんって実は人じゃなかったりしませんか……?」
まさか人としての枠を外れた張本人からの人外扱いに、雪葉は心外とばかりに少し歩調を早めつつ、ウィズから距離を置く様に先行していく。
「あ、あの、ユキハさん……っ!そっちは、違う道です……」
ずかずか早歩きをしていた足をピタリと止め、雪葉は足早にウィズの元へ戻ると、頬をわずかに染めた仏頂面で彼女の袖を握りしめ、
「……早く……向かう」
ぼそりと呟きながら握った袖をくいくいと引っ張り始める。
そんな雪葉の姿を目にしたウィズは、片手で目元を覆い隠しながら天を仰ぐと、
「…………何ですかこの可愛い生き物」
そう静かにぼやきながら、数分程己の理性が崩れぬようにひたすら口を引き結び、首を傾げて袖を引っ張り続ける雪葉の純粋無垢な誘惑を堪え続けたのだった。
しばらくすると、二人は標的が棲み処にしているであろう火山の深奥部へと足を踏み入れていた。
「いよいよここから、火山王の縄張りです。ここからは気を引き締めて──っ⁉︎」
ウィズが雪葉へ注意を呼び掛けた時、地表が轟音を立てると共に大きく揺れ動き始めた。
「……来る」
震動の際、今まで感じた事の無い強大な気配を感じた雪葉は、ウィズへ何者かの来襲を告げながら、念の為に警戒体勢を整える。
直後、地中から緋色に染まった途轍も無い巨体が姿を現し、耳を劈くほどの雄叫びをあげながら、ギラつく針の様な瞳で二人の姿を捉える。その大きさ、正に山の如し。
二人へ鋭い視線向けながら、喉の奥より悍ましい唸り声を鳴らす巨大なこの四足竜こそ、個体名火山王の名を持ち、凄まじい凶暴性があると言われる超危険なネームドモンスター、ヴォルケーノサラマンダーであった。
「……くれぐれも無茶はしないでください。そして、一切気を抜いては……──あ、あのっ、ユキハさん……⁉︎」
眼前に現れた火山王を初めて目にした彼は、今迄見た事の無いその圧倒的な姿を前に思わず警戒を解くと、ウィズの制止も耳に入らずゆっくりと火山王との距離を詰めていく。
「ユキハさん!それ以上近付いたら……っ!」
再度雪葉を追いかけながら呼び止めるウィズだが、彼は尚も歩みを進め、彼我の距離が2メートル程の地点で漸く足を止めると真っ直ぐに火山王を見据える。
追いついたウィズも、雪葉の傍らで立ち止まると緊張の冷や汗を一滴流しつつ、上からささる視線へ応える様にゆっくりと仰ぎ見ながら魔法を発動しようと火山王へ向けて手を翳しかけた時、雪葉が彼女の手を掴んで止めた。
「ユキハさん……?」
「……襲撃……不要……この者……敵意……皆無」
『ほう……。我が姿を目にして恐れぬどころか、得物すらも手に取らぬとは……漸く話が通じそうな者達が来たようだ』
「え……?」
「……?」
その直後、何処からともなくそんな言葉が二人の頭に浮かび上がる。
突然の不可思議な現象に雪葉達が周りを見渡すも、他に人など見当たる訳もなく、お互いが怪訝に目を合わせた時。
『その反応、我が身の思念が伝わっておるとみえる。ならば、うぬ等が顔を向けるべきは、目の前におるコレよ』
淡々と頭へ告げられる内容に準じて、二人は再び正面へと振り返る。
『そうだ……。うぬ等に語りかけている主こそ、我が身である』
「これって……まさか思念伝達……⁉︎」
火山王が二人に行使している不可思議な現象の正体を、やがてウィズが看破しながら驚愕に顔を染める。
そんな彼女に対し、いまいち状況を把握し切れていない雪葉が現状の説明を乞うように視線を送ると、それを受けたウィズは頷くと共に火山王を見据えたまま徐に語り始めた。
「一部のモンスターの中には、言葉を話したり思念伝達のスキルを使う事が出来る比較的知能の高い種類が存在します……。ですが、まさか思念伝達を使える上、好戦的な性格と言われる火山王からコンタクトを取るなんて、聞いたこともありません……っ」
『戸惑うのも無理は無かろう。我が身もこれを使ったのはうぬ等が初めてであるからして。……しかし、好戦的と言われるのは、我が身としては些か心外であるな』
「ですが……っ、実際貴方は、今まで多くの冒険者達の命を奪ってきた筈です……。なのに、何故私達とは対話を試みようと決めたんですか……?」
『今までの奴等は得物を手にし、我が身と話を交わすことなどろくに考えもせず、敵意を顕に我が身を討ち滅ぼさんと立ち向かってきた……。ならば、我が身も奴等に対して同じ様に力で示しただけのことよ。当然であろう?それとも、得物を抜いた輩共へ無抵抗で語りかければ、こちらの言葉に耳を貸したとでも言うのか?……ぬかせ。得物を手にし、我が身へ刃を向けるのならば対話の意思等そこにはなかろう。無論、我が身もそんな奴等に取り計らい続けるなど、利益も無ければ与える慈悲も無い』
「それなら、何処かに隠れるなり相手にしない等、別の方法もあったのでは……」
『ならば、うぬは己の家に土足で踏み込んでくる輩をそのままにしておくのか……?』
「い、いえ……」
どうやら、獰猛な性格と言うのは逃げ帰ってきた冒険者の完全な誤解によって広められた噂に過ぎなかった様だ。
現に、こうしてウィズと対話を交わし続けているのが何よりの証拠な上、火山王によれば、これまでの冒険者達が勝手に武器を向けて勝手に襲い掛かってきたから返り討ちにしたまでと言う話なのだから、これは考えるまでも無く仕掛けた冒険者側の自業自得だろう。
敵意があるかも判断せず、そのうえ彼我の力量差も測らずに武器を取ろうなど、おつむを無くした死にたがりなのかと雪葉はかつて挑んだ愚か者達に向けて大きな溜め息を零すのだった。
「じゃ、じゃあ、さっきのとんでもない咆哮は何だったんですか……?私たちに対する威嚇だったのでは……?」
『む?あれはただの欠伸だ。お前達が来るまで侵入してくる者等
確かに敵意は無かったにせよ、なんと傍迷惑な欠伸だと雪葉は呆れた表情を浮かべる。
『して、うぬ等が我が身のもとへ訪れる程の用件とは何だ?まさか理由も無くここへ足を運んで来た訳ではあるまい』
「え、ええと……その……」
「……火山王……其の方の……素材……必要……出来れば……分配……所望」
火山王の機嫌を伺いながら慎重に言葉を選定するあまりどもってしまったウィズの姿を見兼ね、雪葉がきっぱりと用件を告げた。
「ゆ、ユキハさん……!そんなストレートに言うなんて……っ」
『素材か……。然らば、そこの穴ぐらに今まで我が身から剥がれ落ちた鱗に抜け落ちた牙や爪、他にも生え変わりの為に自身で切り落とした様々な体の部位が置いてある。それで良いのなら、好きに持って行け』
「……いいの?」
『うぬ等は要らぬゴミを他人へ与える際に対価を要求するのか?』
「……確かに」
『そういう事だ。分かったのならさっさと手にして立ち去るがいい。我が身はまだ睡眠の途中なのだ』
「……承知……うぃず」
「…………へ?あ、はい……⁉︎」
「……あれで……問題、ない?」
呆然としていたウィズの裾を引っ張って彼女の意識を戻すと、雪葉は彼女に穴ぐらに積まれた素材へ指を差しながら可否を問う。
「はい、問題ありません。見たところ、風化や傷の後も見られないので、ギルドに買取りをお願いすれば原価かそれ以上で払ってもらえますし、私が頼まれた素材も沢山あるので、お互いに無事依頼は達成出来そうです」
「……なら……重畳」
やり取りを終え、二人は早速穴ぐらへ向かうと手にしていたリュックと風呂敷の中へ次々と詰めていく。
やがて、二人が採集し終えたのを見届けていたのか、火山王は雪葉達へ背中を向けると再び思念伝達で語りかける。
『欲しいものはひとどおり手に入れた様だな。では、我が身は眠るとする。うぬ等も早急に立ち去るがいい』
「はいっ。ありがとうございました」
ウィズの謝辞に続き、雪葉もぺこりと頭を下げる。
『礼には及ばん、要らぬものをくれてやった迄よ。だが、うぬ等との対話……数千年の時を生きてきた我が身の人生で、中々の充実したひと時であった。此方も感謝を述べよう』
「そ、そんな……私たちは何も」
「……この身も……満足」
慌てふためきながら両手を忙しなく振るウィズに対し、雪葉は穏やかな表情で火山王に同意の言葉を返す。
『では、な。もう会う事も無かろう』
「どうか、お元気で」
「……達者で」
『ああ……』
二人から別れの挨拶を背中に受け、火山王は静かに元の場所へと歩いて行く。
『──あ』
ふと何かを思い出しのか、火山王は一度足を止め、二人に背中を向けたまま
『我が身の話し相手を務めた礼として、うぬ等に餞別をやろう』
「え?」
「……餞別?」
『しばし待て。今出す』
疑問を浮かべる二人に対し、火山王は踏ん張る様に足を広げて全身を震わせ始めた。
「ま、まさか……⁉︎」
何を察したのか、元より血色不良な顔をみるみる青ざめさせていくウィズを横目に、雪葉は火山王が与えてくれるという贈物を静かに待ち続ける。
『うぬぬぬぬ……ふんっ!』
斯くして、しばらく力み続けていた火山王が全身の力を緩ませると共に、尻尾の付け根付近からゴトリと直径20センチ程の煌々と赤色に輝く巨大な丸い石のような珠が転がり落ちて来た。
その巨大な珠を目にしたウィズは、一層目を見開かせながら口もとを押さえて驚愕を露わにする。
「あ、あああああれって……!こ、こここここ『コロナタイト』⁉︎」
「……あれ、何……赤い……大きな……石ころ?」
聞き知らぬ名称に、雪葉が何気無く内心で抱いた印象を口から零した途端、動揺のあまり口を戦慄かせていたウィズが彼の両肩を掴んで体ごと自分へ向き合わせ、口早に巨大な赤い珠の詳細について語り始める。
「いいですか……⁉︎あれは世界中で知らない者はいないぐらい有名で、途轍もなく超希少と言われている『コロナタイト』と呼ばれる幻の宝珠なんです……っ!あれ一つだけで無限の動力エネルギーを生み出し続けることが出来る為、その価値は計り知れないものになります……!」
鬼気迫る顔で詰め寄るウィズから僅かに顔を仰け反らせ、早く離して欲しいと言わんばかりに雪葉がこくこくと素早く頷いた。
「ですが……コロナタイト自体、超高熱ですから素手で持てませんし、何より火山王の排泄口から出てきたものを触るというのは……ちょっと……」
超希少な宝珠が手の届く距離にあるのにも関わらず、その高熱さと衛生面を視野に入れてしまうと、やはり持ち帰る事が不可能であるという僅かに起こり始めた欲望と忌避感の板挟みに陥ったウィズは、その場で頭を抱えながら蹲ってしまう。
さすがに知能が高いとは言え、火山王はモンスター。確かにモンスターによっては、自身の排泄物を不衛生な物と認識して触らぬ様避ける種類も存在する。
しかし、彼はそういった例とは違い、排泄物に対して嫌悪感も忌避感も抱かない。あまつさえ、火山王自身、場合によっては眠気が強いあまり、地上へ出て食料の溶岩を態々食しに赴くのが億劫な時に、決まって己の排泄物を糞食する傾向にある部類であった。
『少しばかりの餞別だ。この間うっかり溶岩と間違えて口にしてしまったのだが、まあ大した旨味のない溶岩にも劣る味な上、消化も出来ずにそのまま腹の中に残っておったのでな。どうせならうぬ等にくれてやった方が有効活用するだろう』
常識的なのか非常識なのか、なんとも区別の付けにくいインテリモンスターである。
『では、今度こそ我が身は眠りに入る。くれぐれも二度は起こすなよ……?その時は、問答無用でうぬ等を敵対勢力と見なし……我が身の全霊を以ってうぬ等を焼き消してくれる』
火山王がそう告げると共に振り返りつつ二人に目を向けた瞬間。
雪葉達の全身を、今までに無い壮絶な悪寒が駆け巡った。
『ああ、それと……くれぐれも他の者には我が身が対話出来る事などバラしてくれるなよ?でなければ、我が身に挑む奴がいなくなるのもつまらな過ぎて退屈になる』
「……でも……好戦的は……心外……そう、言った」
『好戦的と言われたことに対して、確かに心外と返したな。……だが、誰が戦いはしたくない、嫌いだと言った……?』
「……あ」
『さらばだ、小さき強者と不死の王よ。もし仮に再び相見えた時は、今度こそ命を懸けた死闘を交わす事となろう』
不敵な笑みを残し、火山王は再び咆哮を轟かせながら元来た場所の大穴から地中へとその巨大な身を苦労なく潜めて行った。
しかし、あれも入眠前の欠伸であると考えると、一体彼のいびきや本当の威嚇による咆哮はどんな威力を秘めているのかと少し気になった雪葉は心の中で呟く。
そんな火山王の姿が消えるまで呆然と眺めていた二人は、我に帰るとすぐさま素材を詰め込んだ荷物を背負い上げ、辞去の準備を整える。
「ふぅ……。火山王が実際は穏やかだったおかげで、何とか事なきを得ずに済みましたね……あれ、私また何故か正体がばれていたような──て、ユキハさん⁉︎」
ぼそぼそと独り言を呟いているウィズを他所に、雪葉はふと思い出したようにすたすたとコロナタイトへ歩み始め、あろうことかそのまま素手で持ち上げたのである。
これには穏やかな表情だったおっとりっちいですら、物凄い剣幕で彼に詰め寄って語気を荒げ、説得にかかる。
「一体貴方は何を考えてるんですか⁉︎幾ら壮絶な修行をこなして来た忍者とは言え、生身の人間が素手で持ち続けられるものじゃないんですよ⁉︎しかもそのコロナタイト、火山王の肛門から出て来たのを貴方もしっかり見ていましたよね⁉︎」
「……この程度の、熱……手前……へっちゃら……それに……この珠……周囲……排泄物……付着……皆無……匂いも、無い」
「貴方が熱に強い事は、この際置いておきましょう……っ!ですが!後者においてはそういう問題ではなく、倫理的問題の事を言ってるんです……!大体貴方は……」
その後も、倫理不足な純粋少年は、ウィズから口煩く人としての倫理を叩き込まれ続け、アンデットから人の道理を教え込まれる人間の構図が出来上がっていたという。
▼
日が沈みかけた夕暮れ時。
煉獄火山より何事も無く帰還を果たした二人は、王都のギルドで火山王の素材と結局持ち帰って来たコロナタイトを受付に提示したのだが、夢にも思わぬアイテムを目にした者達が連鎖するかの如く驚嘆の声を上げ続けて行き、ギルド内が一時騒然となったのは言うまでもない。
ちなみに買取については、何せ初めて世に出回ったヴォルケーノサラマンダーの素材とコロナタイトを取り扱う為、専門家や指折りの名だたる商人達を集めて精密な鑑定を行った後、その査定額をアクセルの街のギルドへ伝え、後日同ギルドから本人達へ一括で手渡されるという事で決まった様だ。
雪葉個人としては、今回腕試しが出来なかった事に些か不服を感じていたものの、ウィズから送られた笑顔と労いの言葉を受けて、また次の機会へ期待することで仕方無しと帰結。
また、ギルドから出る際、雪葉は王都へ帰還前に道中の馬車でウィズより口酸っぱく釘を刺された指示に従い、丁寧に指先から手首まで皺の溝すら隈なくみっちりと小一時間程、厠にて洗面台と向き合わざるを得ない二度目の人生で初めての苦行を強いられた。
その後、ギルドにて諸々の手続きを済ませた二人は、アクセルの街へと帰投する為、現在テレポート位置に指定されている場所へと向かっている。
そんな帰途の最中、ウィズが何気無く独り言を漏らす。
「はあ……せっかく王都に来ていて、お金が無い為に記念のお土産も買えないなんて……」
「……お土産…………あ」
彼女の呟きを耳にしていた雪葉は、ふとあることを思い出し、隣で落ち込む様にがっくりと肩を落としたウィズへと声を掛ける。
「……うぃず」
「はい?」
「……この身……野暮用……あった……先……行ってて」
「いえ、私も付き添いますよ?」
「……だめ……これは……個人的……用事……うぃず……来ては……ならない」
「そ、そうですか……。じゃあ、私は先に、テレポート広場で待っていますね……?」
そう言い残し広場に向かうウィズを尻目に、彼は彼女と別の方向へと足を向けて目的の場所に駆け出し始めた。
彼等が一時別行動を取ってから十分後。
テレポート広場にて、ウィズは溜息を吐きながら雪葉の到着を待っていた。
「…………はあ……。さっきのユキハさん、どこか私を避けていたような……やっぱり、私がリッチーで魔王軍の幹部だからでしょうか……」
彼女はそんな風に悲観的な考えを浮かべつつ、再び溜息を零して独り言を呟く。
「……少しは、打ち解けた様な気がしたのに」
「……何が?」
「え?」
不意に投げ掛けられた、ごく最近頻繁に耳にしている声の方へ振り向くと、いつの間にやら用事を済ませた雪葉がウィズの隣で佇んでおり、不思議そうに彼女を見つめていた。
「うえぇえ⁉︎い、いつの間に着いてたんですか⁉︎」
「……今しがた」
「寿命が縮まるかと思いました……」
「……それは……変……うぃず……不死人……寿命……無い」
「こ、言葉の綾ですっ。一応これでも、元々は人間なんですからね?……おや?」
そう言って自分に対する彼の認識をもう少し改めて貰おうと向き直るウィズの目に留まったのは、彼が右手に抱えている十数センチ程の縦長で、紙に包まれた中身のよく分からない小物。
「何か買って来たんですか?」
彼女の問いに、雪葉はこくりと頷いてみせる。
「誰かに、お土産とか?」
「……教えない」
「そ、そうですか……まあ、私には関係ありませんしね……」
「……その、ちが──」
「では、ユキハさんの用事も済んだ事ですし、アクセルの街に戻りましょうか」
どこか寂しげに悲観するウィズは、彼の続きの言葉を耳へ入れずに、直ぐさまテレポートを発動し、王都を後にした。
▼
転移魔法でウィズの店の前に到着した二人は、別れの挨拶をしようとその場で顔を合わせていた。
先に口を開き始めたのは、ウィズの方からである。
「今日は、本当にありがとうございました。お互い無茶をせずに何事も無くクエストを達成出来て、何よりです」
彼女の言葉に同調したのか、雪葉も首を二度ほど縦に振って返す。
しかし。
「……あ……う……え、と……」
「……?どうかしたんですか?」
直後、彼は唐突にもじもじと体を捩らせ始め、心配そうな表情を浮かべるウィズを見上げては恥ずかしそうに目を逸らす行動を繰り返し、やがて何かを決心したのか右手に抱えていた物を両手に持ち替え、顔を伏せながら彼女の前へと突き出したのだった。
側から見れば、少年が年上のお姉さんに告白している光景に見えなくもないが。
そんな状況に思われるようなシチュエーションなどとは微塵も感じていない片割れのウィズは、突然の事に頭が追い付けずにいた。
「え、えっと、あれ?それ、さっきユキハさんが買ってきたお土産、ですよね?」
「……これ……うぃずに」
「わ、私に……ですか?」
「……ん」
「そ、そんな!ただでさえあんな依頼を引き受けてくれた人から、プレゼントを貰うなんて……!」
何故か避けられていると思っていた雪葉から差し出された物を前に、彼女はあたふたとやんわり受け取れない旨を伝えるも、その返答に対し、雪葉は顔を上げて静かに告げる。
「……これ……ぷれぜんと……否……今日の……お礼」
「お、お礼なんて……それこそ私なんか何もしていないのに、貰う権利なんか……」
「……権利……ある」
「え?」
「この身……王都……火山……うぃず……未知の……場所……沢山……教えて、くれた……連れてって、くれた……だから……その、お礼」
「ユキハさん……」
「あ、後……これ……受け取る……報酬の……代わり」
ウィズが理由をつけて断わる退路を絶つ為、雪葉は温めておいた取って置きの切り札を彼女へ突き付けた。
「……ずるいじゃないですか。そんな事言われたら私、嫌でも受け取らなくちゃいけませんよ……でも、凄く嬉しいです。……ありがとうございます」
退路を絶たれたにも関わらず、ウィズは綺麗な笑みを浮かべながら雪葉の手から縦長の包み物を受け取る。
少しばかり手の中にずしりとした重みを感じながら、彼女は雪葉へ躊躇いがちに一言聞いてみた。
「…………開けてみても良いですか?」
ウィズの問いに、彼は静かに頷いた。
了承の意を受け取った彼女は、ゆっくり且つ丁寧に包み紙を破いていく。
「……!これって……!」
包みを破いた中から現れたのは、火山へ向かう前に王都で最後に立ち寄った、あの骨董屋に置かれていた三毛猫の置き物であった。
目を丸くさせているウィズに向け、雪葉は徐に選んで購入した経緯を語り始める。
「……今日……まわった……店で……それ……一番……うぃず……眺めてた……後……それ……人……招く……縁起物……だから……其の方の、店……千客万来……祈り……込めた」
「……ですか……」
「……前半……聞き取り……不可……復唱……求む」
「どうして……リッチーの私なんかに、魔王軍の幹部に、ここまでしてくれるんですか……っ。私なんて、貴方の役に立つようなことなんか、何も……」
徐々に嗚咽が混ざり始めるウィズの姿を目にした彼は、懐から取り出した手拭いで懸命に爪先立ちと背伸びをしつつ、彼女の涙を拭う。
「……リッチーも……損得も……魔王軍幹部も……関係、無い……この身が……うぃずに……渡したかった……ただ……それだけ」
「……本当に、貴方はずるい人ですね」
そう雪葉に告げた彼女の表情は曇り一つ無いとても晴れやかな笑顔であった。
すると、雪葉はハッと思い出した様に目を見開かせる。
「……そろそろ……時間……皆……待ってる」
「お仲間、ですか?」
「……ん」
「じゃあ、最後に一つだけ……お願いを聞いてくれませんか……?」
「……何?」
彼を呼び止めたウィズは一旦深呼吸にて調子を整えると、目の前の優しい少年の顔色を伺う様に打診した。
「また……この店に来てもらえますか?……その、今度は依頼云々とか、お客さんとしてではなく……し、知り合いとして……!」
「……否……友達として……また来る」
ウィズの言葉に対し、更に段階を超えた返しを告げながら去っていく雪葉の背中を見届けつつ、彼女はしっかりと落とさない様に、慈しむ様に腕の中の招き猫を抱き締めた。
「…………ふふ♪」
その後、ウィズ魔道具店のカウンターには、『店長の許可無く触れないで下さい!』との内容が書かれた三角紙の側に招き猫が置かれ、収入は依然として見込めないものの、ウィズ魔道具店は招き猫を置いた後から、来客の数が今までの倍に増えたとの話である。
また、一部冒険者の話では、あそこの店主は客がいない時は必ず招き猫の前に座って頬杖をつきながら二、三時間ほど眺め続けたり、暇さえあればその置き物を手入れし続けているなどの目撃情報が相次いでいるという。
「……ん⁉︎何だか、凄い嫌な予感がします……っ!」
ちなみに、とあるダンジョンにパーティーで潜り込んでいたある銀髪の女盗賊が、敵感知以外の何かで一抹の不安を察知したのは、ここだけの話。
とっもだっちひっとり、でっきまっした〜♪
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
忠誠【伍】:ウィズは友達が少ない 〜後編〜
リッチー編パート2です。
雪葉がギルドへ戻ると、酒場で今か今かと帰りを待ち侘びていた和真達が一斉に彼の元へ駆け寄り無事な姿を目にするや、帰還を快く迎え入れた。
「よく無事だったわね。あんな物好きしかやらないような鬼畜クエスト引き受けて行っちゃうんだもの、てっきり炭焼きにされたのかと思ったわ。それにしても、初心者の街で超危険指定種のネームドモンスター関連のクエストを募集するだなんて、依頼主は何を考えてるのかしら」
かと思えば、不謹慎且つ無遠慮な感想をつらつらと口にするアクアに対し、雪葉は苦笑いで無事帰投したことを告げる。
「どうやら怪我も無く戻ってこられたようですね。まあ、私は別に心配などしていませんでしたが」
「先程までギルドの出入り口を忙しなくうろついていたのはどこの誰だ?」
「し、しとらんわい!」
めぐみんとダクネスの交わすやり取りの真意に気付かぬ雪葉が不思議そうに首を傾げながら二人を見つめていると、和真が声を掛けてきた。
「で、クエストの結果はどうだったんだ?」
引き受けたクエストが高難度であったせいか和真の表情はどこか不安な色をみせているが、雪葉はピースサインを掲げながら恙無く達成した事を報告。
途端、アクアが目を輝かせながら彼に詰め寄り、
「それで報酬は⁉︎素材はどのぐらいとれたの⁉︎買い取ってもらったお金は全部でいくらになったの⁉︎」
依頼達成の報せを聞きつけるやいなや、あわよくば雪葉の善良な人柄にあやかろうと、主に金銭方面の詳細を矢継ぎ早に問いただし始めたのである。
「この駄女神……、お前ほんっと……!」
「アクア……流石にそれはどうかと思いますよ」
「せめて無事を喜ぶ一言はあってもいいと思うのだが……」
「なによ⁉︎私何か悪いこと言った⁉︎今まで討伐どころか、素材すら出回ったことの無かったあの火山王のクエストよ⁉︎最低300万エリスはくだらないと言われてるモンスターの素材なんて、数によっては億を超えるかもしれないのよ⁉︎気になって当然じゃない!」
他三人から非難をぶつけられたアクアは目尻に涙を浮かべながら罪の自覚もなく反論を行い、三人から更に冷たい視線を飛ばされるのであった。
そんな光景を眺めつつ、雪葉が口を開く。
「……金額……まだ、不明……鑑定後……後日……此処で……受領……予定」
「では当日にお金を渡されるまでは分からないと言うことですか」
「なんで……なんでその日に出さないのよ……っ」
「何せあの火山王の素材が初めて手に入ったのだ。それなりに慎重な鑑定が必要なのだろう。……くっ、出来れば私も同行し、奴の高熱ブレスをこの身に受けてみたかった……っ」
雪葉とめぐみんによって告げられた悲報を受けて悔しさと怒りを顕に嘆きだすアクアと、心底口惜しそうな表情で呟き身を震わせたダクネスが胸の前で拳を握りしめる。
そんな彼女達を横目に項垂れ始める和真に対し、雪葉は主に少しでも負担がかからぬよう、これからは自分だけでも身の振り方を真っ当に努めねばと人知れず決心を固めた。
ふと、片手で頭を抑える和真を見上げていた雪葉は、主人の姿の異変に気付く。彼がクエストへ出立する前、和真は確かにジャージを着用していたのだが、今は一風変わってこの世界らしい軽めの装備と衣服を身につけているのだ。
某駄女神と被虐女騎士の非常識な言動に気を取られていたとは言え、主人に仕える身である自分が和真の目に見える変化をいの一番に気付けかった事に、雪葉は一生の不覚と内心臍を噛みながら和真に尋ねようと思い立つ。
「……主君……出で立ち……変わった」
「ん?ああ。前からアクアが俺のジャージ……、じゃ伝わんねえか。前の服装にしつこくケチつけられてたから、一応この世界に馴染む様なものを選んだつもりなんだが……変だったか?」
「……否……とても……似合う……無論……以前の、姿……あれも……大変……魅力的……これも……また違う……魅力……奔出」
「そ、そうか……?」
控えめながらもどこか嬉しそうに聞き返してくる和真に対し、雪葉は己の偽り無い本心である事を知らせる様に大きく二度頷きながら肯定の意を示す。
余談だが、雪葉の従者フィルターにより、彼の目には和真の姿がどんなものであろうと神々しい姿のカミマとして映る為、彼の口から主人に対する蔑みや否定の言葉が紡ぎ出される筈も無いうえ、寧ろ彼は仮に和真が褒めろと命令したならば、やめろと静止の声がかかるまで己の内から止めどなく溢れ出る衝動のままに喜んで褒めちぎり続けるに違いない。
なにせ、今も彼の胸中では数え切れないほどの称賛が生み出され続けており、その凄まじさは一秒に百を超える勢いである。
驚異的な視力を持ち得る雪葉も、いざ主の事が絡むと盲目どころか幻視が見える程のぽんこつと成り下がるのだ。
「確かに随分と印象が変わりました。前はおかしな格好をしていたので、初めてカズマを見た時は正直こんな人が冒険者なのかと疑っていましたよ」
「いかにもヒキニートの格好してるんだもの、そう感じるのも無理はないわ、めぐみん。あんなだっさいジャージ姿のままじゃ頼りなさそうだったし、私の最っ高にイカしたアドバイスのおかげで少しはまともな見た目になれたんだから、感謝なさい!」
「おいまじふざけんなよ?見てくれだけのオツムポンコツ女神と脳みそ爆裂ロリータに言われたくねえわ」
「誰がポンコツよ!私は正真正銘の超すごい女神様なんですけど!」
「おい。脳みそ爆裂なんたらについて詳しく聞かせてもらおうか」
思わぬ横槍を投げつけてきたアクアとめぐみんに対し和真が猛反論を返すと、そのまま三人で不毛な口喧嘩に突入してしまい、傍から見ていた雪葉が悩ましそうにおろおろしていると、ダクネスがそっと彼の肩に手を掛けて微笑みかける。
「放っておいても心配はない。ああやって腹を割りながら喧嘩することも、パーティーには必要なのだ」
そう淑やかに語り掛けるダクネスに目を向けながら、珍しくまともな事を教えてくれた彼女へ雪葉はお礼代わりに笑みを返す。
「さて、カズマ達の喧嘩が収まるまで、よかったら私に受けて来たクエストの詳しい話を聞かせてはくれないか?お前がその目で何を見て、その耳で何を聞き、そ……その体にっ、どんな熱さや痛みを感じてきたのか……んんっ!火山王が出すあんなアツいものを身体中に浴びせられる事を想像しただけで、思わず震えが……!」
聖騎士らしい振る舞いに雪葉が見直し始めた矢先。徐々に化けの皮が剥がれ始め、みるみる内に頬を染め上げ絶え間なく吐息を漏らし続ける狂セイダーへと変貌を遂げたダクネスに、彼は光の消えた目を向けながらゆっくりと距離を開く。
ちなみに、ダクネスが妄想に耽っている対象はあくまで火山王の熱線であり、それ以外の何物でも無いことを御承知頂きたい。
もし自分が火山王の攻撃を一度でも受けようものならここに帰ってなど来れないうえ、そもそも今回は戦わずに素材を調達出来たのでダクネスが期待しているような展開など微塵も無かったことを雪葉が伝えると、今度はダクネスが両目の輝きを失いながら手足を床についてその場に崩れ落ち、虚ろな表情で念仏のように何かを呟き始めてしまう。
余程クエストの土産話を期待していたのか大いに落胆するダクネスの姿に、彼は抱く必要の無い罪悪感に苛まれつつどうしたものかと頰を人差し指でぽりぽりと掻いた後、彼女の肩に手を掛けてこれまた要らぬ謝罪を述べると共に励ましの言葉を懸命に絞り出しながら語りかけ、彼女が立ち直るのをひたすら待ち続けるのであった。
五人を目の当たりにしていたある冒険者が後に語る。あれ以上のくだらない光景を見た事は無かったと。
雪葉の慰労会がひと段落した所で全員が再び腰を下ろす。片側にめぐみんとダクネス、反対側にアクアと雪葉、上座に和真の位置で着席。
その直後、彼等の元に一人の男性冒険者が歩み寄って来た。
見知らぬ人物の訪問に訝しげな視線を向ける他の面子には目もくれず、男性冒険者は静かに見上げる雪葉へと声を掛ける。
「聞いたぜ、小せえの。まさか本当にやってみせるとはな。見た目の割に中々肝が座ってやがるぜ。ほら、約束のモンだ」
そう雪葉を褒め称えながら男が指を鳴らすと、厨房の奥から姿を現したホールの女性が雪葉の前にいくつもの料理と飲み物を並べていく。
クエストを受注する前、確かに雪葉はこの男と無事達成した暁に一杯奢ってもらう約束を交わしてはいたが、あくまで雪葉の中では飲み物を一杯だけという認識だったので、男にどういう風の吹きまわしかと疑問を擲つ。
「あ?
悪戯な笑みを浮かべる男に、まんまといっぱい食わされた雪葉は成る程と得心がいった様に呟き、ぺこりと一礼する。
「お前らも遠慮なく食べてくれ。んじゃな」
去り際、和真達にも目を配ると気兼ね無く食すよう促し、用事を済ませた男性冒険者は踵を返しながら投げやりに片手を挙げつつ、その場を後にした。
「なんだ、知り合いか?」
主からの問いに、雪葉は先のクエストボード前で交わしたやり取りの経緯を説明すると共に、知り合いと言うまでの関係性は無いと報告。
「そっか。まあ、あの人が食えって言うんだから、お言葉に甘えるとしますか」
「そうね。善意はありがたく受け取るべきだわ」
「今日の食費が浮くなら喜ばしい限りです」
「ほら、主役のお前が最初に手を付けないでどうする」
各々四人からの催促を受け、雪葉が手を合わせて食事を始める前の挨拶を述べると、和真達も彼に続いて目の前の料理へ手を伸ばし、賑やかなひと時が流れ始めた。
▼
その翌日。
雪葉達一行は、次なるクエストについて討論を交えていた。
その際、和真より四人へ装備を調えスキルも覚えたついでの腕試しがしてみたいとの要望が上がると、ダクネスがふむふむと頷く。
「ジャイアントトードが繁殖期に入っていて街の近場まで出没しているから、それを……」
「「カエルはやめよう!」」
彼女の提案は、アクアとめぐみんによって即座に拒絶されてしまう。
二人の反応に疑問を浮かべるダクネスへ、和真が彼女等はカエルに飲み込まれかけた経験による心の傷が残っていることを説明すると、何故か少し頰を赤らめる。
「あ、頭からパックリ……。粘液まみれに……」
「……お前、ちょっと興奮してないだろうな」
「してない」
目を逸らし赤い顔でもじもじしながら即答するダクネスに和真は一抹の不安を抱え始めるが、気を取り直し改めてこの五人で華やかな初陣を飾れる手頃なクエストがいいと意見を述べた。
それを聞き届けためぐみんとダクネスが、掲示板へ和真の要望に見合うクエストを探しに腰を上げて向かう。
雪葉に至っては、レベルが上がった和真の更なる大活劇に胸を馳せており、ぽわーっと上の空で何かを考え始めていた。
すると、同様に話を聞いていたアクアが、和真へ小馬鹿にした様子で茶々を入れ始める。
「これだから内向的なヒキニートは……。そりゃあカズマは一人だけ最弱職だから慎重になるのも分かるけど、この私を始め、上級職以上ばかりが集まったのよ?もっと難易度の高いクエストをバシバシこなして、ガンガンお金を稼いで、どんどんレベルを上げて、それで魔王をサクッと討伐するの!という訳で、一番難易度の高いヤツをいきましょう!」
そう活き活きと短絡的な提案を告げるアクアに対し、和真は冷めた目を向けながら徐に口を開き、静かに彼女へと前々から心の内に秘めていた印象を打ち明けた。
「……お前、言いたくないけど……。まだ何の役にも立ってないよな」
「⁉︎」
ビクリと目を見開かせるアクアに構わず、和真が言葉を続ける。
「本来なら俺は、お前から強力な能力か装備を貰って、ここでの生活には困らないはずだった訳だ。そりゃあ俺だって無償で神様から特典を貰える身で、ケチなんてつけたくないよ?それにその場の勢いとはいえ、能力よりお前を希望したのは俺なんだし!でも、俺はその能力や装備の代わりにお前を貰った訳なんだが、今のところ、特殊能力や強力な装備並みにお前は役に立ってくれているのかと問いたい。どうなんだ?最初は随分偉そうで自信たっぷりだった割に、ちっとも役に立たない自称元なんとかさん」
「うう……、も、元じゃなく、その……。い、一応今も女神です……」
しゅんと俯きながら呟くアクアに、和真は更に声を張り上げ。
「女神‼︎女神ってあれだろ⁉︎勇者を導いてみたり、魔王とかと戦って、勇者が一人前になるまで魔王を封印したりして時間稼いだりする!今回のキャベツ狩りクエストで、お前がやった事ってなんだ⁉︎最終的には何とかたくさん捕まえてたみたいだが、基本はただ水ぶちまけたり、キャベツに翻弄されて、転んで泣いてただけだろ?お前、野菜に泣かされといてそれで本当に女神なの?そんなんで女神を名乗っていいのか⁉︎この、カエルに食われるしか脳の無い、宴会芸しか取り柄のない穀潰しがぁ!」
「わ、わああああーっ!」
「……?……あくあ……何ゆえ……号泣?」
話の途中から、敬愛する主がどのような勇姿を見せてくれるかと想像に耽っていた雪葉が不意に膝へのしかかる重みに視線を下ろすと、アクアが顔を突っ伏して盛大に涙を流し始めていた為、事の顛末を一切目にしていなかった雪葉は説明を請う様にアクアと和真へ交互に首を動かしながら、ひとまずメソメソと
見た目は自身と同じぐらいの自称女神な成人女性が、遥かに下回る年齢の幼気な子供に慰められている光景を目の当たりにした和真は、内心女神の称号を雪葉へ譲った方が良いのではないかと思いながら深い溜息を漏らしつつ、彼に経緯を説明。
一連の流れを聞き受けた雪葉は数瞬考えを巡らせ、今度のクエストで確かな成果をあげれば我が主もきっと見直してくれると助言を授け、優しくぽんぽんと背中を叩きアクアを励ます。
和真の抱いた感想は正しく、恐らく傍目から今の光景を鑑みた限りでは、一部アクシズ教を覗き殆どの者が雪葉を女神のようだと支持することだろう。
しかし同時に、図らずも雪葉の膝に飛び込んだアクアへ少しばかり羨んでいる自分がいることに気づいた和真は、すぐさまかぶりを振って気の所為だと己を自制した。
すると、しばらく雪葉によって介抱されたおかげで気力を取り戻したアクアが彼の膝上からキッと顔を上げ、小賢しくも反論を行う。
「わ、私だって、回復魔法とか回復魔法とか、一応役に立っているわ!なにさ、ヒキニート!じゃあ、このままちんたらやってたら魔王討伐なんてどれだけかかるか分かってんの⁉︎何か考えがあるなら言ってなさいよ!」
涙を溜めた上目遣いで下から睨みつけるアクアに対し、和真は鼻で嘲笑ってみせ、自分の幸運値や器用度の他、日本の知識を生かしてこの世界にない固有品を作り、商売で副業を兼ねるといった他の手段も視野に入れていることを明かす。
和真は内心、冒険者稼業など個人的には割に合わないと考え始めており、この世界における命の価値観が報酬に見合っていない事にやる気を削がれつつある為、正直彼自身は現在魔王を倒す事に対して毛程も興味関心が無い。
なので、和真はこの世界でどうすれば一番手軽に生計を立てていけるのかを模索中であり、魔王討伐については、いずれ他の誰かがやってくれるのではないかと他力本願な期待を抱く始末であった。
「と、いう訳でお前も何か考えろ!何か、手軽にできて儲かる商売でも考えろ!あと、お前の最後の取り柄の回復魔法をとっとと俺に教えろよ!スキルポイント貯まったら、俺も回復魔法の一つぐらい覚えたいんだよ!」
「嫌ーっ!回復魔法だけは嫌!嫌よおっ!私の存在意義を奪わないでよ!私がいるんだから別に覚えなくてもいいじゃない!嫌!嫌よおおおっ!」
唯一の存在意義を和真から奪われまいと再び膝上に身を預けながらおいおい泣き崩れてくるアクアの頭を、雪葉が静かによしよしと撫でて情緒が安定するよう優しく労わる。
精神年齢的に赤ん坊とどんぐりの背比べな挙動を振りまくアクアに対しいよいよ疑いが確信に迫り始めてきた和真と、喜怒哀楽が著明で嫌な事があった時は決まって自分へ甘え縋るアクアに対しペットの様な愛護心が芽生えつつある雪葉の元に、めぐみんとダクネスが帰って来た。
「な、なんと羨ま──……ゴホン。……何をやっているんですか?……カズマは結構えげつない口撃力がありますから、遠慮なく本音をぶちまけていると大概の女性は泣きますよ?」
「うむ。ストレスが溜まっているのなら……。アクアの代わりに私を口汚く罵ってくれても構わないぞ。……クルセイダーたるもの、誰かの身代わりになるのは本望だ」
そう和真に指摘しつつ、頻りに横目を配りながらアクアの姿をどこか羨ましそうに気にかけているめぐみんと、まるでそれがクルセイダーの務めだと言わんばかりに胸を張り、その実聖騎士としての職業へ泥を塗りたくっている事に気付かず独善的な在り方を示したダクネスの視線が、雪葉の膝上で泣きじゃくるアクアへ注がれている。
皆の注目を集めていることを自覚したように、未だ雪葉の膝を涙で濡らしながらも顔を埋めた腕の隙間から時折ちらちらと様子を窺う彼女へ、和真は苛立ちのあまり片方の下瞼が一瞬ひくつく。
「こいつの事は気にしなくていい。しかし……」
和真がダクネスに視線を移す。
「……ダクネスさん、着痩せするタイプなんですね……」
今日のダクネスはタイトな黒一式のスカートとタンクトップに革ブーツといった装いをしており、彼女の起伏に富んだ身体つきが思春期真っ盛りな和真を刺激するので、目のやり場に困ったのか隣に立つめぐみんと比較して自身の平静を保もとうと試みるものの、あまりに綺麗な姿でダクネスが映るためか多少性格の破綻には目を瞑ろうと思い立つ。
だが、アクアとめぐみんにも目を配り終えてすぐに性格の重要性を再認識しつつ、結局傍らで静かに皆を見守っているこの少年が総合的にも鑑みても一番なのだなと同性であることや年齢差に内心歯痒さを感じながらも仕方なくそう帰結させるのだった。
そんな和真の姿に訝しんだめぐみんが自分に対して注がれた視線の意味を問い詰めて一悶着になろうかとした時、ダクネスが論点を戻そうと持ちかけ、その場が事無きを得たのを確認してから再び口を開く。
「話を戻すがクエストを受けるなら、アクアのレベル上げができるものにしないか?」
「どういう事だ?そんな都合のクエストなんてあるのか?」
「プリーストは一般的にレベル上げが難しい。なにせプリーストには攻撃魔法なんてものが無いからな。戦士のように前に出て敵を倒すわけでもなく、魔法使いのように強力な魔法で殲滅するわけでもない。そこで、プリースト達が好んで狩るのがアンデッド族だ。アンデッドは不死という神の理に反したモンスター。彼らには、神の力が全て逆に働く。回復魔法を受けると身体が崩れるのだ」
そんな説明を和真と共に耳にしていた雪葉は、先日初めて出来た友人であるおっとりっちいの姿を思い浮かべながら元気でやっているだろうかと気にかけると同時に、居心地が良いのか未だ膝から離れる様子も無く甘えるように頰を擦り付けるアクアの知力が上がって今後大いに活躍出来るようにとの願いを込めながら、彼女の頭をゆっくり撫で続ける。
やがて、雪葉と同じくアクアの知力と戦力アップに可能性を見出した和真が思案を終え顔を上げた。
「うん、悪くないな。問題はダクネスの鎧がまだ戻ってきてないことなんだが……」
すると、ダクネスは腕を組んで堂々と言ってのける。
「うむ、私なら問題ない。伊達に防御スキルに特化している訳ではない。鎧無しでもアダマンマイマイより硬い自信がある。それに、殴られた時、鎧無しの方が気持ちいいしな」
「……お前今殴られると気持ちいいって言ったか」
「……言ってない」
「言ったろ」
「言ってない。……後は、アクアにその気があるかだが…………」
ダクネスが、未だ雪葉の膝へ顔を伏せているアクアに視線を向ける。
「おい、いつまでもユキハの脚でめそめそしてないで会話に参加しろよ。今、お前のレベルの事……」
和真がアクアへ振り向き、彼女の肩を叩こうと手を伸ばしかけて気づく。
「……すかー…………」
「……先程……入眠……確認」
そこには、子供の膝で眠る子供以上に子供な駄女神が、それはそれは心地好さそうに充足した表情で寝息を立てていたという。
▼
街から外れた丘の上には、お金や身寄りに恵まれなかった人々がまとめて埋葬される共同墓地がある。
ちなみに、この世界の埋葬方法は一貫して土葬なのだそう。
今回雪葉達が引き受けたクエストは、共同墓地に湧くアンデッドモンスターの討伐。
時刻はそろそろ夕方にさしかかかろうとしており、一行は現在墓場の近くで夜を待つべくキャンプを行っていた。
「ちょっとカズマ、その肉は私が目をつけてたヤツよ!ほら、こっちの野菜が焼けてるんだからこっち食べなさいよこっち!」
「俺、キャベツ狩り以来どうも野菜が苦手なんだよ、焼いてる最中に飛んだり跳ねたりしないか心配になるから」
「……めぐみん……これ……焼けた」
「ありがとうございます。ユキハも、早く食べないとお肉が無くなってしまいますよ?」
「……此の身……残り物……いただく」
「せっかくのバーベキューで肉を食べないでどうする。私が代わるから、お前もたくさん食べるといい。ほら」
「……ならば……お言葉に……甘える」
彼等は墓場から少し離れた所で鉄板を敷き、バーベキューに興じて時間を潰す。
今回請け負ったクエストの討伐対象は、ゾンビメーカーと呼ばれるゾンビを操ることが出来る悪霊の一種で、自らは質のいい死体に乗り移り、手下代わりに数体のゾンビを嗾けて高みの見物をするような中身も相当腐りきったモンスターだが、駆け出しの冒険者パーティーでも倒せる程の相手らしく、これならば鎧が無いダクネスでも危険の少ないお手頃なクエストと判断し引き受けたのだ。
バーベキューで皆が腹を満たすと、和真がキャベツ狩りで仲良くなった冒険者から教授された覚えたての初級魔法を使用し、見事にコーヒーを作りあげ一服。
そんな和真を見ながら、めぐみんが複雑そうな表情で自身のコップを差し出して水を要求し、自分よりも器用に魔法を使いこなしている事に不平を漏らす。
一方の雪葉は、主人の手から次々と生み出される不可思議な現象に目を輝かせ、あっという間に使いこなすその華麗な手際に拍手を送りながら更なる憧憬を抱くのであった。
「いや、元々そういった使い方するもんじゃないのか?初級魔法って。あ、そうそう。『クリエイト・アース』!……なあ、これって何に使う魔法なんだ?」
めぐみんの言及に返事をしつつ、和真は手の平に出した粉状の土を彼女の前に掲げてみせる。
「……えっと、その魔法で創った土は、畑などに使用すると良い作物が穫れるそうです。……それだけです」
その説明を聞き、アクアが吹き出した。
「何々、カズマさん畑つくるんですか!農家ですか!土も創れるしクリエイト・ウォーターで水も撒ける!おまけにティンダーで火起こしとかカズマさん天職じゃないですかやだー!便利なコンビニなのっ?農夫なのっ?今日からあだ名は"ファミマ"で決まりね!どう?私ってばネーミングセンス抜群じゃないかしら!プークスクス!」
某コンビニチェーン店と農家の英語名であるファーマーを掛けたのか不名誉極まりないあだ名を名付けて嘲笑するアクアに対し、和真は右の手の平に載せた土を彼女に向け、左手を構えた。
「『ウインドブレス』!」
「ぶああああっ!ぎゃー!目、目があああっ!」
突風によって吹き飛ばされた土がアクアの顔面を直撃し、目に砂埃が入って女神は地面を転がり回る。
「……なるほど、こうやって使う魔法か」
「違います!違いますよ、普通はそんな使い方しませんよ!というか、なんで初級魔法を魔法使い以上に器用に使いこなしてるんですか!」
「……流石……主君……優れた……知略」
「こんなの
「……称賛……痛み入る」
「全然褒めてませんよ!」
夕闇の空に、不毛な喧騒が響き渡っていた。
▼
「……冷えてきたわね。ねえ、カズマ、引き受けたクエストってゾンビメーカー討伐よね?私、そんな小物じゃなくて大物のアンデッドが出そうな予感がするんですけど」
月がのぼり、時刻は深夜を回った頃。
アクアがそんなことをぽつりと呟いた。
「……おい、そういった事言うなよ、それがフラグになったらどうすんだ。今日はゾンビメーカーを一体討伐。そして取り巻きのゾンビもちゃんと土に還してやる。そしてとっとと帰って馬小屋で寝る。計画以外のイレギュラーが起こったら即刻帰る。いいな?」
和真の問い掛けに、パーティーメンバーがこくりと頷く。
時刻もそろそろ頃合い。クリスから教わった、敵感知スキルを持つ和真と人並み優れた五感に気配察知の業を有する用心棒も兼ねた雪葉を先頭に、一行は墓地の中を慎重な足取りのままゆっくりと突き進む。
しばらくすると、斥候を務める二人の感知に反応が表れ、二人で後列から続いてくる三人へ手で制しながら立ち止まり、全員で物陰へと潜んで先の様子を窺う。
「何だろう、ピリピリ感じる。敵感知に引っかかったな。いるぞ、一体、二体……三体、四体……?」
その数、四体。
「……あれ、多いな?ゾンビメーカーって、取り巻きのゾンビはせいぜい二、三体って聞いてたんだが。ユキハ、そっちはどうだ?」
和真は誤差の範囲と帰結しながらも、念の為敵感知より遥かに優れた斥候技術を持つであろう雪葉に呼び掛け、正確な情報を要求する。
「……敵数……主君の……感知どおり……でも……⁉︎」
「でも、なんだ?」
珍しく目を見開かせた雪葉の姿に違和感を覚えた和真が怪訝に尋ねると、彼は一度かぶりを振り、いつも通りの物静かな表情を見せながら和真へ向き直り徐に口を開く。
「……主君……更なる……厳戒態勢……推奨」
「わ、わかった。じゃあ、先進むぞ」
「……ん」
一行が再び歩みを進めようとした矢先、墓場の中央で青白い光が走る。
それは、どこか妖しくも幻想的な青い光で、遠くから見えるその光は大きな円形の魔法陣を象っており、側には黒いローブの人影が佇んでいる。
「……あれ?ゾンビメーカー……ではない……気が……するのですが……」
めぐみんが自信無さげに呟いた。
その黒いローブの周りには、ゆらゆらと蠢く人影を数体確認。
だが、雪葉だけはそんな人影などには目もくれず、その中心に立つ黒いローブの影へとまっすぐ視線を注いでいた。
彼は、自身の索敵術によって察知した時から既にあのローブを纏った者が他とは比べ物にならない程の圧倒的実力の持ち主である事を薄々感じており、戦闘になれば恐らく一筋縄ではいかないだろうと推測を終えるとすぐさま己の精神を統一させて臨戦態勢を整えつつ、敵の正体と動きを見極めるためじっと目を凝らす。
「突っ込むか?ゾンビメーカーじゃなかったとしても、こんな時間に墓場にいる以上、アンデッドに違いないだろう」
ダクネスが大剣を胸に抱えたままそわそわしている為、一度落ち着いて気を引き締めるよう注意喚起を促そうと雪葉が口を開きかけた時、アクアがとんでもない行動に出る。
「あ────────っ‼︎」
突如叫びながら立ち上がったアクアは、そのままローブの人影に向かって走り出す。
「ちょっ!おい待て!」
和真の制止も聞かずに飛び出していったアクアは、ローブの人影に駆け寄り、ビシッと指を差して高らかに宣言する。
「リッチーがノコノコこんなところに現れるとは不届きなっ!成敗してやるっ!」
そうアクアの言葉を耳にした瞬間、雪葉の中で全てが繋がった。
何故取り巻きのゾンビの数が多かったのか、何故一つだけとてつもない力を感じたのか。
そして、アクアによって紡ぎ出されたリッチーというキーワードによって雪葉の中で疑念は確信へと変わり、彼の心臓が喜びと焦燥感に駆られ凄まじい速度で脈を打つ。
「や、やめやめ、やめてええええええ!誰なの⁉︎いきなり現れて、なぜ私の魔法陣を壊そうとするの⁉︎やめて!やめてください!」
「うっさい、黙りなさいアンデッド!どうせこの妖しげな魔法陣でロクでもない事企んでるんでしょ、なによ、こんな物!こんな物‼︎」
リッチーと呼ばれたその者が、ぐりぐりと踏みにじるアクアの腰に泣きながらしがみつき、食い止めていた。
周りの取り巻きアンデッド達は、そんな揉み合う二人を止めるでもなく呆然と眺めるのみ。
「やめてー!やめてー!この魔法陣は、未だ成仏できない迷える魂達を、天に返してあげるためのものです!ほら、たくさんの魂達が魔法陣から空に昇って行くでしょう⁉︎」
リッチーの言う通り、どこからか集まってきたらしき青白い人魂がふよふよと魔法陣に入ると、そのまま青白い光と共に天へと吸い込まれていく光景を、雪葉は感動の眼差しで見届ける。
「リッチーのくせに生意気よ!そんな善行はアークプリーストのこの私がやるから、あんたは引っ込んでなさい!見てなさい、そんなちんたらやってないで、この共同墓地ごとまとめて浄化してあげるわ!」
「ええっ⁉︎ちょ、やめっ⁉︎」
アクアの宣言に、慌てるリッチー。
それに構いもせず、アクアは手を広げて大声で叫びかける。
「『ターンアンデ』ちょ、ユキハ!何すんのよ!」
しかし、それは奇しくも雪葉がアクアの腕を掴むことによって阻まれた。
彼は一瞬でリッチーを自分の背後へと抱え運んだのか、彼女をアクアから庇うように立ちはだかって相対する。
そんな雪葉の挙動に事態を飲み込めていないせいか、彼以外の五人は呆然としたまま彼に視線を注ぐ。
やがて、リッチーは驚愕に目を見開かせながら目深に身に付けていたフードを下ろし、徐に雪葉へ語りかける。
「あ、あの、もしかして……?」
「……うぃず……昨日ぶり」
彼の予想どおり、正体は昨日クエストを共にし、初めて出来た友人であるウィズであった。
「ユキハ!一体どういうつもり⁉︎なんでリッチーなんか助けてるのか意味分かんないんですけど!」
そう問い詰めながら乱暴に腕の拘束を振りほどいたアクアに対し、雪葉はウィズが善良で無害なアンデッドであると諭すも。
「ちょっと、あなた正気なの⁉︎リッチーが無害で善良とかそんな事どうでもいいのよ!プリースト、いや、女神として、私は神の理に反する忌まわしいアンデッドの存在が許せないの!分かったらいい加減そこ退きなさい!ゾンビもリッチーも、全部まとめて浄化してやるんだから!」
彼の説得も虚しく、アクアは更に逆上しながら雪葉へ大人しく退くよう怒気を混じえて要求する。
しかし、譲るわけにはいかないのはこちらも同じ。
雪葉はアクアの求めに応じる事無く、その場で立ちはだかったまま普段下がり気味な眉をこれでもかと吊り上げた。
「……あ、あの……どうか、私の話を聞いていただく訳には……」
「はあーっ⁉︎女神たるこの私にアンデッドと話す事なんかこれっぽっちも無いんですけど!」
「ひう……」
これ以上アクアが聞く耳を持たない様子と判断した雪葉は、アクアの怒号に怯んで縮こまったウィズへ気に病まぬよう背中越しに声を掛けながら励ますと、一度呼吸を整えつつゆっくり腰を沈めて戦闘態勢へと身構え、相手に正面から迎え撃つ姿勢を見せる。
幾ら仲間であるアクアに女神としての事情があろうと、友人であるウィズが消滅される身勝手な判決など雪葉には呑めるはずもない。
ましてや、まだ知り合って日も短く、二人でこれから親交を深める約束を結んだばかりである矢先に掛け替えのない友人を喪うなど、彼にとってそれはあまりにも絶望的で残酷な仕打ちだ。
そんな自分が死ぬよりも恐ろしい悲惨な結末を阻止する為、雪葉は自身を不安げに見守っているウィズを守り抜く決心を下すと共に、己の確固たる意志をアクアに告げた。
「な、なによ!あくまでリッチーの肩を持つのね!いいわ、やってやろうじゃない!言っとくけど、普段甘えさせてもらってるからって容赦しないんだから!」
覚悟を決めて力強く拳を握り締める雪葉の姿を前に、アクアもそれに応えんと慣れないファイティングポーズを取って対峙し、両者の間に生温いそよ風が吹き抜けると墓地内は無音に近い静寂が訪れる。
今この状況であれば、ウィズには逃走するなり転移魔法を使用するなり、この場から逃げ出す手段は幾らでも有している筈だが、彼女がいずれかの方法を選んで姿を消したところで彼女の存在自体を良しとしないアクアは遅かれ早かれ確実にその手で忌む敵を抹殺するまで諦める事無く血眼になって探し続けるか、もしくは彼女の正体を街中に触れ回るなりの仕打ちはしでかすだろう。
であれば、逃走という選択肢は妥当ではない為、ならばウィズがこれからも静かにアクセルの街で暮らしていけるよう我が手で道を切り開くのみと雪葉は背水の陣に立たされた心境で臨む。
今、更なる覚悟を決めた彼の中には、仲間へ危害を加えることや場合によっては命を奪うことへの躊躇いや良心の呵責は一切無い。
雪葉は、ウィズを守る為ならば如何なる手段を用いようとも厭わぬ不退転の決意で満ちた胸に火を灯す。
「ちょ、何すんのよ!離しなさいったら!アンデッドに毒されたバカなユキハの頭にゴッドブロー叩き込んで目を覚まさせてやるんだから!」
「目を覚ますバカはお前だ!あんな素人でも分かるえげつない殺気出してる奴に勝てるわけないだろ!あれ絶対手脚とかへし折る目ェしてるぞ!漫画やゲームで見たことあるぞ!」
「あなたも和真から聞いたでしょう!彼ジャイアントトードに触れただけで爆散させる程とんでもないんですよ⁉︎下手したら今度はアクアの体がそうなるかも知れませんよ⁉︎」
しかし、両者の激突は和真とめぐみんがアクアを押さえる事によって未然に防がれ事無きを得る。
興奮冷めやらぬまま手足をばたつかせるアクアを宥めすかしつつ雪葉から引き離す二人と入れ替わるように歩み寄って来たダクネスが、いつになく真剣な表情で彼を見下ろす。
「先程そのリッチーと挨拶を交わした様子から察するに、お前はその者と知り合いであるかの様に見受けられたのだが」
聞いたことのない声音の低さで問いかけるダクネスに向け、雪葉は知り合いではないと首を横に振りながら否定する。
「知り合いではないなら、何故そのアンデッドを無害と断言し、今もなお庇い立て続ける必要がある」
彼は躊躇うことも口籠ることもなく堂々と語り始めた。
ウィズは昨日のクエストを通して、初めて自分に出来た掛け替えのない友人である。
彼女は自分の知らない事や見た事の無い場所を親身に教えてくれたり、間違いを起こそうとすれば誠意を持って自分を怒り正しい方へと導いてくれた恩人でもあるのだ。
半日にも満たないひと時ではあったものの、様々な喜怒哀楽の表情を見せたウィズの人間と遜色ない感情に溢れる姿を、この場の誰よりも知っている自負があるうえ、短い時間ではあれど彼女と過ごした日々は既に自分の中で輝かしい思い出の一つとして昇華されている。
もし、周りが付き合いの長さで自分とウィズの親密の価値や種族について物申すのなら、そんなものは糞食らえと言いたい。
「だが、お前が何と言おうとその者がリッチーというアンデッドの頂点に君臨するモンスターであることに変わりは無い。私としても、アクア程では無いにせよ、アクセルの街にアンデッドが暮らしていたというのは正直認め難い部分がある。仮にその者の正体が街全体に広まれば、否応無く非難の声や視線をぶつけられるのは避けられまい。下手をすれば、冒険者を総動員して彼女を擁護するお前ごと不穏分子として街から叩き出されるか、一生冷遇の扱いを受け続けなければならない可能性もある。それでも、お前は彼女を護ろうというのか」
全くもって愚問である。
ウィズ擁護する自分が周りからどう思われ悲惨な扱いを受けようと、彼女を見捨てる理由になど到底値しない。
もし街が総勢を上げて彼女へ危害を加えるのならば、自分は全霊をかけて害をなそうとする者全てを斬り伏せる覚悟があり、それは決して揺らぐ事の無い己の命よりも優先すべきものだ。
例え敬愛する主人や仲間であるめぐみんにダクネスあろうと、自分の大切な唯一無二の友人へ刃を向けるのならば、迷う事なく立ち塞がり場合によっては命を摘み取ることもやむを得ないだろう。
「……何故だ。そうまでして、アンデッドである彼女を護ろうとするお前の心を突き動かすものは、一体何だ」
理由などない。
自分は友人を護りたい、ただそれだけ。
大切な人を守るのに、人は一々理由を並べなければならないのか。
そうではないはずだ。
その人を守ると決意した時、既に自分の体は動いているのではないか。
ようは自分の気持ちだ。守りたいのか、そうではないのか、たったそれだけのこと。
頭ごなしの理由を並べたところで、それは心の底から思い浮かんだ本心に比べれば些末なものである。
それに、アンデッドが何だ、リッチーが何だと言うのだ。
ウィズが自分たちに何かしたのか、街の人々から一度でも彼女から危害を加えられたとの声が寄せられたのか。
自分の友人がリッチーであろうがスライムであろうがはたまた幽霊であろうが悪魔であろうが、そんな下らぬ事に固執する方が余程馬鹿らしく思えてくる。
初めて出来た友人がたまたまリッチーというアンデッドであっただけの事、ただそれだけの事。
他人から野次を飛ばされる謂れも無ければ、後悔するような後ろめたさなど微塵も無い。
新商品について嬉しそうに語るウィズ。
初めて紅茶を口にした自分を微笑ましく見つめるウィズ。
骨董屋の品数に驚きの表情を見せるウィズ。
何の躊躇いも無く火山王の肛門から産み落とされたコロナタイトを手にしたら、倫理を説く為真剣に怒ってくれたウィズ。
わざとでは無かったとはいえ、お礼の品を渡す前に余所余所しくしてしまったせいで落ち込んでしまうウィズ。
こちらの真意が漸く伝わり、手渡された招き猫の置き物を抱き締めながら涙を零すウィズ。
そんな喜怒哀楽を見せてくれたウィズが、優しい人柄で色々と気にかけてくれたお人好しで、どこか鈍臭くほっとけない友人が大切だから、自分はただ彼女ともっと仲良くなって語りたいだけなのだ。
それが、今己の中に芽生えつつある生き甲斐の一つでもある。
「なっ……⁉︎」
「ユ、ユキハさん……⁉︎」
「……だから……後生……うぃず……討伐……やめて……他の人に……正体……吹聴……しないで」
今の言葉に嘘は無い事を証明する為、彼はその場に正座をすると土下座を敢行しながらダクネスへ懸命に乞う。
雪葉の予想だにしない姿を目にしたパーティーメンバーとウィズは、驚愕を顕にただ呆然と見下ろす他無かった。
「ま、待て!何もそこまでする必要は無い!私はただ理由を聞きたかっだけで、土下座をさせるつもりなど無かったのだ!お前の気持ちはよく分かったから、早く頭を上げて欲しい!これでは私が無理強いさせたみたいに見えてしまう!」
あまりに唐突であった為、事態を飲み込むことに時間の掛かったダクネスがすぐに膝をつき、おろおろと慌ただしい様子で頭を上げるよう雪葉に求める。
「……どうか……どうか……うぃずを……」
「私は別に彼女を討伐するつもりも言いふらすつもりもない!だから、どうか頭を上げてくれ!」
「…………温情……痛み入る」
ダクネスからの確かな宣言と要求を聞き届け、彼はゆっくりと顔を上げる。
漸く土下座が解かれたことに安堵しながら、ダクネスは後ろを振り向き大きめの声で三人へ呼び掛ける。
「話は聞こえていただろう!ここは一先ず、話し合いで解決させるというのはどうだ!」
ダクネスの問いかけに迷い無く和真とめぐみんが頷く中。
「なーに言ってんのよ!まさかダクネスまでそんなクソリッチーに毒されたっていうわけ⁉︎こうなったらとっておきの技、『女神百烈拳』を解放するしか……」
「いい加減にしろ」
「っ⁉︎痛、いったぁ……っ!ちょっと!いきなり何してくれんのよバカズマ!」
未だ納得の行かぬまま暴挙に踏み出ようとするアクアに対し、和真は手にした短剣の柄でゴスッと小突く。
「それはこっちの台詞だアホア。今のユキハを見てまだやる気になってるお前の方がよっぽど凶悪モンスターに見えるわ。流石に同意しかねるぞ」
「あんなに自分の気持ちを表に出すユキハなんて見たこともありませんでした。余程あのリッチーとの仲を懇意にしてるのがとてもよく伝わりましたよ。……なので、今のアクアは、正直和真以上に非道だと思います」
「アクア、お前は人としての心を何処に置いてきたのだ……」
「なによ!私別に間違ってないんですけど!自分の役割を果たそうとしてるだけなんですけど!」
雪葉以外のパーティーから非難の視線と言葉を浴びせられたアクアは、目尻に涙を浮かべながら否定の声を張り上げた。
▼
その後、中々ウィズの話に耳を貸そうとしないアクアを説得する事に時間を割かれたものの、ウィズ自身による魔王幹部の関連を伏せながら語った身の上話が和真達の耳へ聞き受けられた事により、彼女の討伐は無事取り消される手筈で収束。
また、アンデッドや迷える魂の浄化については、毎日暇を持て余しているアクアが引き継ぐ事によって折り合いがつけられる方向で終着し、取り巻きのゾンビのみアクアによって浄化された。
気付けば、空は既に白みがかってくる時間帯まで過ぎている。
「じゃあ俺達は先に戻ってるから、用が済んだらさっさと帰ってこいよ」
そう言い残して墓地を後にする和真と三人の背中を見届ける。
アクアにいたっては、まだ納得し切れていない為か時折振り返ると、ウィズに向けて舌を出し、侮蔑する姿を見せていた。
そんなアクアの敵意を受けつつ苦笑いで見送るウィズを見上げていると、彼女も視線に気付いたのか雪葉を見つめ返しながら申し訳なさそうな表情で口を開く。
「あの……さっきは助けて頂き有難うございました。私のせいで、お仲間さんと喧嘩する羽目になってしまって、どうお詫びをしたらいいのか……」
悩ましげに伺うウィズに対し、雪葉は別に気にもしていなければウィズが詫びる必要などこれっぽっちも無いと諭す。
一連の諍いは自分の我儘が引き起こしたものでありウィズが気に病むことでは無いうえ、目の前で友人が傷つけられる事に看過出来なかっただけなのだ。
自分としては友の為に当たり前の行動を起こしただけに過ぎない。
寧ろこれで現物を御礼として渡されては、まるで利害の為に彼女を守った上辺だけの関係と見間違われそうなので、それだけはご遠慮願いたい。
「とは言え、二度もあなたに借りを作るなんて……私、友人失格じゃないですか……?」
そんなことはない。
雪葉は友人が困っているのならすぐに手を差し伸べるし、先程のような命の危機に瀕する事態に巻き込まれたのなら、誰よりも疾く駆け付け、如何なる者からも命を賭してウィズを守りぬくとこの胸に誓ってみせると告げる。
「気持ちは嬉しいですけど、自分の命はもう少し大切にしてください……!」
惜しむことなく堂々と胸を張って宣言する雪葉は、恥ずかしそうに目を逸らすウィズからもう少し己の命について価値を見直すよう指摘を受けるも、生憎一度決めた覚悟を取り消す訳にはいかないと融通が利かない反応を示す。
「……もしかして、意外と頑固なんですか……?」
頑固で結構。それで友人を護れるのならば是非もなし。
「分かりました、分かりましたから!あまりそう何度も護る護ると言われると……困っちゃいます」
雪葉の無自覚な追いうちを受け、ウィズは堪らず顔を手で覆い隠し、茹で上がる頬をリッチーである自らの冷え症な手で冷まし終えると、再び彼に向き直り言葉を続けた。
「以前、現役だった頃……。私、脇目も振らず魔王を倒すことしか頭になかった様な冒険者で……、周りの事にあまり関心を抱かない結構冷めた性格だったんです。おかげで、パーティーメンバー以外の人達からは、腫れ物に触る様な扱いを受けていました。……無理もありませんよね……って、どこへ行くんですか⁉︎」
話の途中で何処かへ向かおうと踵を返しかけた雪葉に気付き、慌てて腕を掴みながら呼び止めるウィズへ、彼はそんな扱いを押し付けた愚か者を制裁に道草をしてくるだけだと返す。
「昔のことですから気にしないでください!それに誰かも分からないのに一体誰を裁くつもりだったんですか!というより、それを道草とは呼びません!」
矢継ぎ早に詰め寄るウィズの姿に気圧され、彼は大人しく話の続きに耳を傾ける。
「少し前までは、もう少し周りに目を向けていれば、もしかしたらリッチーにならずに済んだ違う人生も歩めたんじゃないかと思う時もありました。……でも」
ウィズは雪葉の手を取り、彼の目線に合わせる様に膝をついて正面から見つめたまま静かに微笑む。
「今では、リッチーになってしまった事に対して後悔は全然無くて、寧ろ感謝しているぐらいなんです。だって…………」
一度言葉を噤んで深呼吸をすると、決心のついた彼女は胸に秘めた言葉を紡ぎ出す。
「本当に心の底から大切に思える、こんなに掛け替えのない素敵な友人に巡り会えたんですから……」
瞬間。雪葉の胸の内から、領主の言葉を受けた時と同じ感覚がみるみる込み上げ、次第に彼の目尻から涙が溢れて出しては頬を伝って地面をポツリと濡らす。
自覚は無かったが、雪葉は内心ウィズが本当に自分を友人として受け入れてくれているのか、不安に駆られていたのだ。
もしかしたら一方通行で、彼女にとっては自分のこの想いが迷惑になっているのではないか。
そんな後ろ向きな感情や不安が、彼の心の奥底で潜む様に渦巻いていたのである。
だが、それは目の前で綺麗な笑みを浮かべるウィズ本人の一言によって全てが払拭され、無意識に堪えていた負の感情が堤を切ったように彼の涙となって洗い流されていく。
「ええ⁉︎ど、どどどどどうしたんですか⁉︎私、知らない内に何か酷いことをユキハさんに言ってましたか⁉︎」
「……ひっく……い、否……此の身の……想い……うぃず……本当は……迷惑だった……かと」
「っ⁉︎」
彼の口から明かされた本心を耳にしたウィズは、即座に彼を抱き寄せてきっぱりと否定の言葉を告げた。
「そんなこと、絶対にありません!あなたに感謝こそすれ、迷惑に思うことなんて、何一つだってありはしません……!」
ウィズは力強く抱きしめたまま、今度は優しく雪葉に語りかける。
「私はあなたの友人です。嬉しい時も、悲しい時も……、楽しい時も、辛い時も……。どんな時も、あなたの友であり続けましょう……。あなたの命が続く限り……私も友であるユキハさんを、命を懸けて守ると誓います」
そう伝えるべき事を言い終えたウィズは雪葉を解放し、彼の目尻に浮かんだ滴を優しく親指で拭い取ると、右手の小指を立てて彼の前に差し出す。
「なので、これからもよろしくお願いしますね」
「……うんっ」
彼女と同じ様に小指を立てて指切りの約束を交わす少年は、年相応の無邪気な笑顔を浮かべていた。
二人は結成から僅か二日目にして、友人から親友へとランクアップを果たしたのだった。
「そういえば、雪葉さん達が受けたクエストってどうなるんでしょう……?」
「……あ」
任務失敗。
ウィズ贔屓が凄い。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
忠誠【陸】:腕試しにはデュラハンが良いそうですよ?
いざ尋常に 勝負!!
「知ってるか?なんでも魔王軍の幹部の一人が、この街からちょっと登った丘にある、古い城を乗っ取ったらしいぜ」
ギルドに併設された酒場の一角にて昼間から酒を飲んだくれる男と相席する我が主和真の会話を、雪葉は少し離れた別の席より遠巻きながらに耳をそば立てていた。
酒場に飛び交う喧騒の中から目的の会話を聞き取る事など、普通の人であれば干し草の中から針を探すような不可能に近い芸当を難無くやってのけられる程に雪葉は聴覚を鍛え上げている。
盗み聞きと言えば聞こえは悪いが、雪葉は和真達の様子から特段他の者に聞かれたくない密談を交わしている訳でも無さそうとのあたりをつけ、彼等の会話に耳を澄ましうかがっているのだ。
寧ろ雪葉としては、先程からの二人の会話から単に主人がこの街周辺の近況について情報収集を行なっているだけだとの見立てをつけており、少なくとも和真が某駄女神を始めとした中身と性能が廃品水準の女性メンバーから逃れる為の離別法を模索しているわけではないとの確信は自負しているが。
「ねえちょっと、カズマったらあの男の人と何の話してると思う?まさか他のパーティーに入って、私たちをお払い箱にする気だったりしないかしら」
「ま、まさか……しかし、あんなに楽しそうに会話をしている様子を見ると、一概には言えない気も……」
「カズマが、他のパーティーと仲良さそうに……な、何だ……?このもやもやと快感が入り混ざった妙な感覚は……?」
アクア達に関してはそうもいかず会話の中身が聞き取れないせいか目で得られる情報から考えを統合させた結果がこの有り様だ。こんな体たらくでは、主が本気で匙を投げ出すのも時間の問題かと憂慮を覚えつつ雪葉は三人に悟られぬよう溜息を零す。
雪葉の予測通り粗方情報収集を済ませた和真がこちらのテーブルに帰着するやいなや、自分たちの勝手な誤解を不満に変えてぶつける三人からの非難を受け、和真は雪葉と同様の嘆息をつきながら項垂れた。
だがすぐに意識を切り替えた和真が、偏った性能の女性陣に対しどんなスキルを習得しているのか問いかけつつ、今後それを考慮しながら自由にスキルを習得出来る自分が穴を埋めるつもりだと補足を付け足す。
しかし、そんな和真の構想はダクネスやめぐみんの回答によって早くも瓦解を余儀なくされた。
ダクネスは専ら耐性スキルや囮など防御系統のスキルを習得しており、武器などの攻撃スキルに至っては1ポイントも割り振っていないというのだから脱帽ものだ。因みに命中精度を上げるつもりは毛頭無いとの事。
一方のめぐみんは爆裂系のスキル一択。爆裂魔法や爆発系魔法威力上昇、高速詠唱など、ひたすら爆裂魔法を極める事に徹した必要なスキルしか習得していない。ついでにこちらも、使い勝手がいい中級魔法を会得するつもりは微塵も無いと断言。
アクアに至ってはロクなものがあるはずもないと決め付けられたのか、和真から答える権利すら与えてもらえなかった。なんとも不憫としか言いようが無い。
「何でこう、まとまりが無いんだよこのパーティーは……。本当にユキハと一緒に移籍を……」
「「「⁉︎」」」
和真の小さな呟きに三人がビクリとする中、雪葉は主人と二人きりなど嬉しさのあまりこちらの身がもたないかもしれないとニヤつきそうになる口元を必死に引きむすぶ。
されど団子隠そうより跡隠せ。雪葉の頭頂部から生え伸びた一際目立つアホ毛はご主人の帰りを待ち侘びていた飼い犬の如く、これでもかと言わんばかりにぴょこぴょこと激しく左右に揺れ動く。
別に、和真は二人きりとは一言も言っていないのでこれは雪葉の完全なる早計だが、思わず見蕩れてしまう程の愛らしい姿に和真は水を差す度胸を遥か彼方へ払い飛ばすのだった。
▼
緊急クエストのキャベツ狩りと超高難度クエストである火山王の素材採集から数日が経過。
あの時採集したキャベツは、軒並み売りに出されている。
火山王の素材で作られた武器や装備品に魔法道具のアイテム等は、今もなお魔王軍との争いが繰り広げられる前線や王都などで徐々に販売が開始されていると最近王都から帰還したとある冒険者によって情報が寄せられたようだ。
雪葉は現在換金真っ最中であるアクアの後ろで自分の番が訪れるのを静かに待っていた。我儘を言うなら別に雪葉は多い少ないの話どころかそもそも腕試しが目的であった為、報酬金自体に興味もなければ正直貰っても大した使い道が無い。
しかし、このクエスト報酬は親友ウィズからのお礼も兼ねており、それを突っ返そうものなら彼女はその朗らかな愛らしい笑顔を忽ち暗くさせる事だろう。親愛なるウィズをそんな顔にさせたのなら、雪葉は自分に虫酸が走り即刻己の首を刎ねて詫びたくなるに違いなかった。
こんなもしもを想像していることからも分かる通り、雪葉の親友に対する好意は度を過ぎているので、周囲の人が雪葉の考え方を耳にすれば、皆一様に「重すぎる」と彼を批難する事請け合いである。
「なんですってえええええ⁉︎ちょっとあんたどういう事よっ⁉︎」
ギルドに響き渡るアクアの叫び声によって、雪葉は意識を戻された。視線の先で彼女はギルドの受付嬢の胸ぐらを摑み、何やら文句を垂れているようだ。
「何で五万ぽっちなのよ!どれだけキャベツ捕まえたと思ってんの⁉︎十や二十じゃないはずよ!」
「そそ、それが、申し上げにくいのですが……」
「何よ!」
「……アクアさんの捕まえてきたのは、殆どがレタスで……」
「…………なんでレタスが混じってるのよ!」
「わ、私に言われましてもっ!」
やがてこれ以上クレームをつけても無駄と悟ったのか、報酬の五万エリスを渋々受け取ったアクアが笑顔に切り替えて和真へと歩み寄って行く姿を横目に見届けながら、雪葉は受付カウンターへと一歩近づく。
受付嬢は営業スマイルを作り直し、雪葉を迎える。
「こんにちは、ようこそギルドへ。よろしければ今夜お食事でも如何ですか?」
公に向けた仮面の笑顔を張り付けているくせに、口から流れるように私情がだだ漏れであった。
「ちょっと、なに自分だけどさくさに紛れて誘ってるのよ!不可侵条約破るつもり⁉︎」
「そんなの私の知ったことじゃありませーん!そもそもあんたが勝手に言い出したことでしょ⁉︎」
「前々から思ってたけど、あなた最近調子乗ってるんじゃない⁉︎そんなんだから彼氏に『お前、マジ疲れる』とか愛想つかされるのよ!」
「はああああ⁉︎今そんなこと関係無くない⁉︎てかあんたの彼氏家具屋の娘と浮気してんの知らないわけ⁉︎まあ、あんたより断っ然あっちの方が可愛いし無理も無いわよね!」
「殺す!」
「上等!」
気が付けばあれよあれよという間に雪葉の前には受付嬢同士がキャットファイトにもつれ込む光景が広がっており、これでは報酬を受け取れず不覚にも主人を待たせることになってしまう。
何故こんな事態に陥ったのか雪葉には全く原因が浮かばないし正直さっさと報酬を貰って和真の元へ戻りたいので、喧嘩を行う暇があるならまずは自分達のやるべき業務を済ませてからゆっくり興じてほしいものだ。
そもそも恋人がいる身でありながら悪びれもせずナンパを吹っかけてくるなど、この受付嬢達の気は確かだろうか。
仮に相手に不貞を知られた際、面倒な修羅場に巻き込まれるなど雪葉としては御免被りたいので、喧嘩に発展していなかったにせよ選択肢に断る以外の答えは無かった。
結局、彼女達の争いが一向に収束しない様子に見兼ねた男性職員が二人を諌めて受付の奥へと追いやったのち、雪葉へ必死に平謝りしつつ代わりに報酬の手続きを請け負う。
普段であれば受付嬢の中でも唯一下心の無いルナが真摯に応対してくれるのだが、生憎と今は別の業務に追われているらしい。
「えーと……ユキハさん、ですね。あなたにはキャベツ狩りと一緒に、火山王の素材が買い取られた報酬も出ていましたよ。合計金額は……は?」
何やら書面に目を通しながら説明をしていた男性職員の動きが止まった。その後、何故か眼鏡を上げたり下げたりと忙しなさそうに書面の中身を裸眼と眼鏡越しで見比べ始めたので、怪訝に思った雪葉は何事かと男性を呼び掛ける。
「し、失礼しました……では改めて。今回の合計金額は……」
職員から告げられたその金額を雪葉は無表情で聞き届けるとしばらく黙考し、やがて何かを決断したのか男性職員へ顔を上げて徐に口を開き、自分の意思を伝えた。
「え?……そ、それ……ご冗談、ですよね?」
驚愕を顕にする職員に対し、彼は嘘をつく理由がないと訴える様に顔を顰めて否定の意を示す。
それとも何か。今しがた頼んだ要望が不可能な為、ギルドとしては到底聞き受けられないとでも言うのだろうか。
「い、いえ!滅相もありません!あなたがお望みなら、ご希望どおりこちらで手配する事は勿論可能です。しかし、この様なケースは極めて異例な上、長年勤めている私も実際にこんな事を言われたのは初めてでして。無粋な事をお聞きしてしまい……誠に申し訳ありませんでした」
別に悪気があった訳では無いならこちらも気にしないし、何より自分の口にした望みが珍しい事例であったと言うなら少しぐらい対応に迷うのも無理はないと雪葉は得心を得た様に頷く。
なにせ雪葉の思いついたそれは普通の価値観を持つ者からすれば正気の沙汰では無いと批判をされかねないものであり、その決断が英断なのか愚断なのかは各人の主観に左右されるだろうが、そんなものは雪葉にとって取るに足らぬ瑣末な事に過ぎない。
仮に何人からも受け入れられず非難されたりこの場で断られていたとしても、雪葉は揺るがぬ決意の下何が何でも己が手で断行するつもりであった。
だが問題なくギルドで請け負いが可能との返答を受けたことで、雪葉は強硬手段に出る必要がなくなったと胸を撫で下ろす。恐らくこの考えにはウィズも多少驚きはしつつも、最後には笑顔で賛同してくれることだろう。
「では、その様にこちらで進めさせて頂きます。本日のご利用、誠にありがとうございました」
流れる様に綺麗な所作を披露する男性職員のお辞儀を受けた雪葉はぺこりと一礼を返すと主人の元へ戻って行く。
雪葉の姿を目にした和真達は、待ってましたと言わんばかりの期待に満ちた表情で彼を迎えながら早速声を掛けてくる。
「お、噂をすれば本命の登場だな」
「やはりキャベツを狩った数が数ですし、火山王の素材報酬もありますから、期待をするなというのが無理な話ですよ」
「それにユキハの偉業を聞きつけた者達が、態々ギルドへ足を運びに来ているぐらいだからな」
「で⁉︎で⁉︎一体いくらだったの⁉︎早く教えなさいよ!」
《なんか王都での噂じゃああいつ、超レアなアイテムも見つけてきたらしいぜ》
《へー、すげえじゃん》
《てかキャベツもキャベツじゃない?あの子、絶対千以上は捕まえてたと思うんだけど……》
《付き合いたい》
大勢から注がれる期待の眼差しを受けながらも、無表情のまま大衆の前で片手の指を五本立てて金額を示す。
「ご、五千万⁉︎」
「うっそ!高級なお酒いくつ買えるかしら⁉︎」
「普通に上等な装備一式揃えられる値段ですよ!」
「う、うむ。功績が大きい分、報酬もやはり超大金だな……!」
細かな反応は各々違えど和真達は一様に驚愕の表情を浮かべているが、意図した内容どおりに上手く伝わらなかった雪葉は眉を顰めながら左右に首を振る。五千万ではキャベツ狩りの合計金額にしか届いていないのだ。
そもそも最低でも鱗一枚にあたり三百万エリスの値が保証されている火山王の素材をウィズと共に回収用の荷物へこれでもかと詰め込んで持ち寄ったにも関わらず、素材の小計だけでも五千万を超えなければいくら金に無頓着な雪葉でも流石に鑑定を行った者達へ異議申し立てをしなければならない程、総計五千万エリスでは素人目に見てもあからさまに不釣り合いな金額と見なされるのは当然の理。持ち込んだ素材の数は十や二十ではきかないというのに。
驚愕から一転して疑問を浮かべる彼等に対し、雪葉は更に一桁増やすよう促す。
合計、五億エリス。
内訳としては、キャベツ五千玉で五千万エリス。素材報酬はウィズと山分けの為半分の一億五千万エリス。コロナタイトの買取金もそれぞれに分配とし、三億エリス(元値六億エリス)。
「「「「ごっ⁉︎」」」
《五億エリスって聞いた事ねえぞ⁉︎》
《つまりどういうことだ⁉︎エリス様五億人分ってことか⁉︎》
《その計算だとエリス様一人一円になってるわ安すぎよ!》
《そもそもエリス様って買えるんだっけ⁉︎》
《ていうかあの子今コロナタイトって言わなかった?》
《まさか、幻聴だろ》
予想を遥かに超える衝撃の事実に雪葉以外の冒険者達はざわつき始め、ギルド内が喧騒に包まれて行く。それがあまりに喧しく聞こえた雪葉は両耳を塞ぎつつ彼等との距離をじりじりと開き始める。
ちなみに、エリス様は大前提として売買の対象ではないうえ、彼女は女神、つまり神様なので単位の数え方として正しくは一柱二柱が適切なのだが。
何よりもエリス様は一柱しか存在しないのでは、とそう内心で感じている雪葉が今彼等に異論を唱えたところで恐らく正気に戻らぬ限り聞く耳を持つ余裕は無いのだろう。なので、雪葉は何も言わずに彼等を意識の外へ追いやることに決めた。
なによりも、気が動転してるとはいえ国教の女神様に対する言動が失礼極まりない。
ーーあはは……流石に一円はちょっと……。
そう苦笑いで頰を掻く寛大な女神様の姿が浮かんだ。
「それで、五億はどこ⁉︎ちゃんと受け取ったのよね⁉︎」
相変わらず鞍替え上手な水の女神様は胡麻をすりながら雪葉へ詰め寄り、金の在りかを聞き出そうと企んでいるのか欲に塗れた視線と声音で雪葉に尋ねてくる。
和真によって下界での望まぬ生活に巻き込まれたことで神格が殆ど削り落とされているアクアではあるが、初めは持ち合わせていたであろう女神としての最低限の誇りが徐々に廃れつつある姿を目の当たりにしてきた雪葉は思わず目頭を押さえずにはいられなかった。
アクアはプリーストに女神と信じて貰えなかったどころか後輩の女神を崇拝している異教徒からの施しを受けたとの過去を主人から初めて耳にした時、あまりに不憫な彼女を馬小屋で夜どおし慰めたのは懐かしい思い出だ。
そんな不運の女神……もとい水の女神からの詰問を再び受けた雪葉は静かにその在り処を打ち明けた。
「……無い」
瞬間。
先程までギルド内を飛び交っていた数多のどよめきが一斉に鳴りを潜め、雪葉へと全員の視線が降り注ぐ。目の前で動きが止まったアクアも、表情を固めたまま雪葉を凝視している。
「……は?」
「……報酬……全額……街へ……寄付」
「う、嘘よ……嘘よね?私達をからかうためのハッタリなんでしょ?そうなんでしょ?」
「そ、そうですよ。冗談にしてはあまり笑えませんよ……?」
「いやいやいやいや。五億まるごと寄付とか、いくらユキハでもそんな慈善家みたいな事しないだろ。……しない、よな?」
「して、本当はどうなのだ?」
一縷の望みに縋るような彼等の問い掛けに込められた真意を汲み取れない鈍感無垢な雪葉から紡ぎ出された言葉は、容赦なく彼等を裏切りの絶望へと叩き落とす。
「……復唱……報酬……全額……街へ……寄付」
『頭おかしい‼︎』
図らずも、雪葉以外の冒険者達が最も一体感に包まれた瞬間は、後にも先にもこの時だったという。
地べたに崩れ落ちる者、天を仰ぎ嘆き出す者、呆然と立ち尽くし何かを呟く者、泡を吹いて倒れる水の女神様。そんな彼等を目の当たりにしてなお雪葉はその意図を理解する筈もなく、純粋な瞳を向けたまま首を傾げる他無かった。
そんな一方で、雪葉の行いを明確に褒め称える者が一人、彼の肩へと手を置いて微笑んだ。
「お前の善行、しかとこの目に焼き付けたぞ。やはりエリス様の寵愛をその身に授かっているだけあって徳が高いな、私も見習わねばなるまい。それはそうと、お前さえ良ければ私の紹介でエリス教徒になってみる気はないか?エリス教は来るもの拒まずだし、何より皆良い人ばかりだぞ」
好意的な意見や称賛を述べてくれるのは有り難いが、どさくさに紛れての勧誘行為や布教活動をされても雪葉は主君以外に敬信を捧げるつもり等毛頭無いとエリス教への入信をきっぱりと丁重にお断りさせて頂いた。後にも先にも、自分はカズマ教信者なのだから。
そう告げた雪葉は突然ダクネスにがっしりと肩を掴まれ、今からでも遅くないと頻りに退団と解散を勧められるのだった。
現在カズマ教の信者は雪葉一人の為、絶賛入信者募集中。
ーー即刻解団してください!
そんなエリス様の幻聴が聞こえた気がした。
▼
「カズマ、早速討伐に行きましょう!それも、沢山の雑魚モンスターがいるヤツです!新調した杖の威力を試すのです!」
「まあ俺も、ゾンビメーカー討伐じゃ、結局覚えたてのスキルを試す暇もなかったしな。安全で無難なクエストでもこなしにいくか」
「いいえ、お金になるクエストをやりましょう!ツケを払ったから今日のご飯代も無いの!」
「いや、ここは強敵を狙うべきだ!一撃が重くて気持ちいい、凄く強いモンスターを……!」
雪葉が静かに見守る中、他のメンバー達各々がまとまりの無い意見を述べている。ここまで見事に嗜好や性格がばらつくのも、相当稀有な巡り合わせだったに違いない。
彼個人としては火山王への再挑戦が頭の中で候補に挙がったが、前回ダクネス以外のメンバーは頑なに首を縦に振ろうとはしなかったうえ、仮に仕方なく同行したとしても十秒足らずで雪葉とダクネス以外の三人が炭になる未来が浮かんだ為、雪葉は口にする事なく脳内ですぐさま棄却した。ついでに受付の職員から聞いた話によると、現在火山王のクエストはどのギルドでも取り扱っていないらしく、今後は火山王が棲む煉獄火山は著しく立ち入りが制限され、ギルドや政府からの立入許可証を毎度クエスト毎に発行しなければならないそうだ。
なんでも今回雪葉が持ち込んだコロナタイトがあの煉獄火山で発見された事によりあの場所自体が重要資源保護区域となったのが原因のようで、これでは居眠り蜥蜴の起床頻度も更に減るばかりか、唯一の退屈凌ぎが奪われた事に不満を嘆くのは想像に難くない。
雪葉は火山王と死闘に興じる日が遠のくことに歯痒さを感じつつ、機会が巡って来るのはいつになるやらと心底落胆しながら肩を落とす。
「とりあえず、掲示板の依頼を見てから決めようぜ」
和真の意見に、賛同した全員がぞろぞろと掲示板に向かう。
「……あれ?何だこれ?依頼が殆ど無いじゃないか」
そう主が思わず口にしたとおり、雪葉達の眼前には普段であれば掲示板を埋め尽くす程所狭しと貼り出されている筈の依頼が今は数枚しか貼られておらず、掲示板のボード部分が曝け出されているその光景がとても新鮮に雪葉は感じた。
「カズマ!これだ、これにしようではないか!山に出没するブラックファングと呼ばれる巨大熊を……」
「却下だ却下!おい、何だよこれ!高難度のクエストしか残ってないぞ!」
貼り出されていた僅かな希望すら、どれも雪葉以外のメンバーには手の余るものばかり。
そんな失意に陥る和真達のもとにギルド職員がおずおずと歩み寄って来ると、躊躇いがちに事情を説明しだす。
「ええと……申し訳ありません。最近、魔王の幹部らしき者が、街の近くの小城に住み着きまして……。その魔王の幹部の影響か、この近辺の弱いモンスターは隠れてしまい、仕事が激減しております。来月には、国の首都から幹部討伐のための騎士団が派遣されるので、それまでは、そこに残っている高難度のお仕事しか……」
申し訳無さそうな職員の言葉に、文無しのアクアが悲嘆の声を上げる。
「な、なんでよおおおおおっ⁉︎」
金に貧窮しているのが自業自得とはいえ、あまりにも金運に恵まれず悲しみに暮れる不幸な女神様の不憫な姿に、雪葉は哀愁の念を抱かずにはいられなかった。
ぶつくさと不平を垂れながら掲示板の前を後にするアクアと三人達に続こうとした雪葉の背中に、先程のギルド職員ではなく受付の奥から姿を現したルナの声がかかる。
「あの……少しいいですか?」
少々時間を貰いたそうな表情が見受けられるルナに、雪葉は別に構わないと承諾を示す。
和真達へ用事が出来たことを伝えた雪葉は、ルナの誘導を受けて受付奥にある談話室へと案内される。
入室した室内には中々に上等な二つのソファーがテーブルを挟むように向かいあっており、どうやら自分に重大な話が持ちかけられる雰囲気だと雪葉は部屋の様相を見回して悟った。恐らく何か特別な依頼や会議を開く際に使われる場所なのか、壁の構造が他とは違い若干室外の音が普通の部屋と比べて聞き取り難い感じだ。
情報漏洩に対する意識の高さに同じ情報を取り扱う稼業として感心を抱きながら室内を眺めていると、ルナから腰を落ち着けるよう勧められた雪葉はソファーへ腰を下ろす。
「喉、渇いてませんか?良ければお持ちしますよ」
ルナの厚意に、あなたは是非に甘えさせて頂こうと首を縦に降ると、彼女はくすっと笑みを浮かべながら一度部屋を退出。
程なくして、その手にカップと角砂糖の入った小瓶を載せたトレイを携えて再びやって来るとカップを雪葉の前に置く。
中には茶黒の液面が八割程のところで波打ち、これまでに嗅いだことの無い独特な匂いが雪葉の鼻腔内に漂う。
「ギルドに子供が来ることが滅多に無いので、コーヒーしか有りませんが良かったら……。砂糖も使ってください」
申し訳無さそうに弁明しながら腰を下ろしたルナに対し、雪葉は気を咎める必要は無いと言葉をかけつつ見た事のない飲み物の名前をぎこちなく復唱しながら聞き返した。
「え、コーヒーを知らないんですか?……前々からその服装も気にはなっていましたけど、もしかして異国からこの街に?」
コーヒーを知らない人物がいたことに驚きながら目を丸くさせるルナに雪葉は遠い島国からやって来たと肯定の意を示しつつ説明。この世界では目立つことこの上ない忍び装束姿の雪葉が誰かに出身を聞かれた際に怪しまれぬよう、和真が教えてくれた模範回答である。
雪葉が生きていたのは戦国時代。日本地図が出来たのは更に後の時代であり、かの偉人伊能忠敬による測量が行われるまで誰も日本の全貌を目にすることはなかった為、彼より先人の雪葉が海に面した島国である事を耳にして驚いたのも無理はない。
「なるほど。それならコーヒーを知らないのも、無理は無さそうですね」
全ては語らず言葉を濁した雪葉はそれ以上追及されぬよう話に区切りをつける為、カップを手に取って一口試飲。
……苦い。それしか感想が浮かばない。
初めて味わう不思議な苦味に雪葉の眉根が僅かに歪む。
「ふふっ。飲みにくいようであれば、遠慮なく砂糖を入れて頂いても大丈夫ですよ」
クスリと笑うルナにすすめられ、雪葉は小瓶に詰められた角砂糖をカップいっぱいになるまで投入すると一気に口へ流し込み、未だ溶けきれていない砂糖をガリガリと噛み砕く。口内へ沁み渡る心地好い甘味に、雪葉のアホ毛がぴょこぴょことご機嫌に揺れた。
「うわぁ……見てるだけで胸焼けが……」
破天荒なコーヒーの飲み方を若干引き攣った顔で見つめるルナに、雪葉は話があるのでは無かったのかと今度は角砂糖のみを口に運んで飴を舐めるかのように味わいながら打診を擲つ。
砂糖は決してそんな摂り方をすべきでは無いと心で指摘しつつ、雪葉が歯科医の世話になる未来予想図を浮かべながらルナがゆっくりと話を切り出す。
「今回ユキハさんにお時間を頂いた用事というのは、他でもなく魔王の幹部と思われる者がこの街の近くにある廃城に住み着いている件です」
薄々感付いていた予感が的中し、雪葉はやはりと呟く。
「実は来月派遣される予定である討伐隊を編成してくれている国の首都から、ギルドへ依頼があったんです。『魔王の幹部討伐を確実なものとするべく、就いては現地の優秀な冒険者に斥候を務めてもらったのち有益な情報をこちらに提供願いたい』と。ですが、ただでさえアクセルでは斥候に不可欠な盗賊職を希望する人すら限られてくるのに、加えて魔王の幹部と交戦する事になった場合の可能性を考慮するとなるとどうしても…………。それを受けて、ギルドの職員や冒険者の方々からの意見をまとめた結果、やはりあなたしかいないだろう、という結論になりまして……」
終始躊躇いがちなルナの経緯説明に、雪葉は真摯に耳を傾けて続きを促す。
「あ、はい。……報酬は情報の優良性や量にも寄りますが、最低でも三百万エリスは保証するそうです。この様な危険の高い任務をユキハさん一人にお願いするのは、私個人としてはあまり気が進まないんですけど……引き受けてくださいますか?」
自分が手に入れた情報で討伐隊の力となり、結果としてアクセルの街でいつもどおりのクエストが行える様になることで仲間や冒険者達に活気が戻るのなら、こちらとしては願ったり叶ったりなので特に異論はない。
それに、斥候は忍者である自分の十八番であり本業であると雪葉は誇らしげに胸を張ってみせる。
「ありがとうございます。今回のクエストはあくまで調査のみなので、戦う必要は全くありません。危険と判断したら決して無理はせず、すぐに逃げてください。場合によっては緊急クエストとして他の冒険者達へ協力を要請する予定となっていますので、絶対に一人で立ち向かうことだけはしないでください」
ルナから注意事項についていくつか提示されると、雪葉は概ね把握したと二度頷く。
「いえ、全て把握していただきたいんですが……。とにかくあなたは何かにつけて危険に飛び込んだり、強いモンスターと戦いたがるとギルド内では専らの噂ですから、くれぐれも無茶だけはしないようにお願いしますね……?」
雪葉の与り知らぬところで何とも出鱈目極まりない風聞が流布していることに雪葉は心外とばかりに仏頂面で苦言を呈す。
そもそも、あんな被虐性癖持ちの狂人と一緒にしないでもらいたい。雪葉はただ己の実力を測らんが為にあえて身をやつしているだけであり、決してあのくっころせいだーの様に痛みや危険を求めている訳ではないのだ。断じてマゾネスさんとは違う。
「ええと……誰のことかは分かりませんが、いずれにせよ正面から殴り込もうなんていうのはやめてくださいね?いえ、これはフリではないですから、まるで言葉の裏を汲み取ったかの様な頷きはやめてください!本当にフリじゃありませんから!」
何度も執拗に釘を刺してくるルナに、雪葉は十分伝わったので問題はない旨を伝えながら任せろと言わんばかりに親指を立てる。
「……これまで数え切れないほど冒険者の出発を見送ってきましたが……。私、今が一番心配です……」
彼女の鬱屈とした嘆きが、雪葉の耳に届くことは無かった。
▼
あの後、最後にルナからこのことは他の冒険者達にはくれぐれも内密にして欲しいとの要望が添えられた。
なんでも首都側から、魔王の幹部を討伐した功績を是が非でも我が物にしたいという上層部たってのご希望があったらしく、報酬にはそういった口止め料としての意味合いも含まれているようだ。
どうやらどの世にも利己主義なお偉方が付き纏うものかと雪葉は鼻で嘆息しながら最後の角砂糖を口に放り込み部屋を後にした。何度も言うようだが、砂糖は飴玉ではない。
また、和真達には急用のお使いをギルドから頼まれたと嘘ではなくとも真実とは言い難い理由を伝え残して来たのだった。
雪葉は現在、件の魔王幹部が根城にしていると思われる古城を目指しつつ、思わず坂道・トンネル・草葉っぱら、一本橋にでこぼこ砂利道を歩きたくなるフレーズの鼻歌を口ずさんでいた。
まるでそのうちきつねやたぬきを後ろに連れだって林の奥まで探検し始めてしまいそうな曲調だが、これは雪葉のオリジナルである。繰り返すが、これは雪葉が独自に編み出した鼻歌だ。
これから命の危険に関わる任務に身を投じるとは俄に信じ難い気構えで歩みを進める雪葉だが、道中辺りを見渡してもモンスターはおろか、生物一匹すらも姿を現さないというのはやはり魔王の幹部が近辺に住み着いた影響なのだろうか。
いずれにせよ生物が姿を見せないのでは道草を食う必要も無い為、せっせと幹部が巣喰っている住み家へと向かった。
とても静寂に満ちた道のりの末に辿り着いた廃城を見上げる雪葉は、日本の城とは全く異型な外観と佇まいにこれはこれで手入れが面倒そうと筋違いな感想を抱いていた。
一体全体どのような目的でこんな辺鄙な場所に居を構えたのかは、極論主君と親友の存在だけあれば事足りる雪葉にとって心底興味が無いものの、先方へ提供する情報の一つとしてはかなり有益な部類に入るかもしれないと自身を無理矢理納得させてしばらく入り口の前で様子を窺う。
念の為に標的の所在を確認するべく、城全体を領域対象に定めて気配を探ると……、階層のあちこちから似たような気配がうじゃうじゃと感じ取れる。
どうやら城の一帯に配下と思われるモンスター達が
そして、最上階から一際放たれる強大な気配。間違いない、本命は一番上にいるようだ。この気配から察するに、まず初心者の街の冒険者達では敵うはずもない実力の持ち主である事は確かなようだ。
もっとも、あのぬるま湯に浸かり切った冒険者達が最下層を突破出来るかすらも甚だ疑問ではあるが。
とはいえ、雪葉が隠密を行えば一戦も交えることなく頭目のもとまで辿り着けるのはまず間違いないだろう。
だがそれでは面白くない。
そう思い立つやいなや、雪葉は彼等の歓迎の姿勢に応える為、眼前に聳え立つ重厚な鋼鉄の扉を真っ直ぐに蹴破った。
腹に響くような重々しい金属が凹む音と共に、入り口の扉が城内のつきあたりまで吹き飛んでいく。その際、正面を闊歩していた何十体かのアンデッドナイトが巻き込まれ、中心には真っ赤な鮮血で敷かれた血濡れの道が形成された。即席レッドカーペットの完成である。
正々堂々と殴り込みを果たした雪葉へアンデッドナイト達の視線が集まり、唸り声と共に得物を振り上げながら襲い掛かってくる。あれほど口酸っぱく注意喚起を促したルナの努力は一体なんだったのか。
ちなみに雪葉は初めから彼女の忠告を右から左へ聞き流しており、仮に理由を問い詰められた際はこう述べるつもりだ。
把握したとは言ったが、守るとは言ってない。
メインディッシュの前の準備運動には持ってこいの前菜を前に、雪葉は爛々と目を輝かせながらその細い手脚に秘められた剛力を存分に振るわんと晴れやかに大舞台を飛び回り、次々と彼等の首を刈り取っていきながら最上階を目指すのだった。
▼
かくして辿り着いた最上階で待ち構えていたのは、全身に黒い鎧を纏う首無しの騎士であった。
「よくぞここまで上り詰めたな。駆け出しの街の冒険者にしては中々骨のある……あ、あれ?」
左手に抱えていた頭を手の平に乗せ、霞を拭い去るかのように右手でごしごしと擦られた緋色の双眸が戸惑いに揺れながら雪葉をまじまじと見つめている。
「な、なんで子供がいる?いや、そもそもどうやってここまで上がってこれた?」
独り言のようにどもりながら擲たれた首無しの騎士の疑問に対し、そちらの配下を殲滅しつつ正面突破を図っただけと返す。現在、それぞれの階層には綺麗に区分けされた胴体と頭の山が積み上げられている、とも補足を添えて。
「ま、待て待て、頭の整理が追いつかん。えーと……つまり何か?堂々と正面から殴り込んできた挙句、俺の配下を全て亡き者にした下手人が貴様のような年端もいかぬ童女だと?」
その推理で概ね合っているが自分は男であると雪葉が最後の部分に修正を付け足す。
「ふっ、まあいい。幼女だろうが小僧だろうが、お前が見どころのある冒険者なことに変わりは無い」
だから自分は男だというのに。
そう呟く雪葉へ耳も貸さず、不敵に笑う首無しの騎士は高らかに名乗り出る。
「俺はデュラハンのベルディア!魔王軍幹部の筆頭を担うこの俺の力、とくと──おい何をしてる⁉︎」
唐突に怒気がこもったベルディアの呼びかけに雪葉が顔を上げて応じる。その手には一枚の紙とペンが把持され、紙面にはベルディアの全体像や今しがた述べた口上が箇条書きで記されていた。
雪葉は単にベルディアについての情報を集めて記録に残しているだけだと、自分が任務中の身である事を素直に彼へ説明する。
しかし尚もベルディアの憤慨は収まらぬようで。
「相手が名乗っている時はしっかりと顔を合わせながら話を聞け!というか貴様、それを俺自身に馬鹿正直に話すとか一体何を考えてやが──⁉︎」
その時。
鼓膜が揺れ動く程の爆音と共に、城全体が凄まじい激震を起こし外壁が
心当たりのある熱風を浴びながら、雪葉は嬉々として撃ち込んだであろうとある人物の顔が頭に浮かんだ。
「この派手な音と爆発……!まさか、爆裂魔法か⁉︎」
ベルディアの言うとおり、突如二人の対話を途切らせたのは他でも無い取扱危険人物の一人、めぐみんによる爆裂魔法だった。
直撃はしていない為、お互い奇跡的に深手を負ったり命を落とすことも無く五体満足のままであるが、あまりの唐突な大規模襲撃にベルディアは冷や汗を垂らしながら驚愕の表情で狼狽えていた。
「魔王軍幹部である俺の城と知っていながらぶっ放してきたのか⁉︎しかも遠距離から城ごと破壊しようとか陰湿にも程があるだろ!撃ったやつ頭おかしいんじゃないのか⁉︎」
ベルディアの感想もむべなるかな。
めぐみんは確かに頭がおかしいが、今回この古城に向けて爆裂魔法を発動したのは、単に雪葉が乗り込んでいるとは知らなかった為だ。
以前から雪葉は、彼女が爆裂魔法を一日一回使うのが日課との話を聞き及んで偶に帰りの運搬役を仰せつかっていた事もある為、今日もその日課をこなす標的に偶々この廃城がお眼鏡に叶ったのだろう。
となれば雪葉の代役が必要な筈だが、ダクネスは性格柄めぐみんの日課ごなしに協力するとは考えにくいので、消去法的に主の和真かアクアのどちらかに違いない。
妥当な人物像を推測しながらがなり立てるベルディアに対し、雪葉はどうも仲間の頭がおかしくて申し訳ないと代わりにお詫びを入れた。
「よりにもよってお前の仲間の仕業か……なんかもう驚き疲れてきたぞ。……というか、お前がいるにも拘らず撃ち込んでくるとか、そいつもはや人としてどうかしてるだろ。もしかして何か恨みでも買ってるのか?話ぐらいだったら聞いてやるが」
何やら心外な哀れみを抱かれているようだ。
先程こちらに対し非常識だと指摘していたようだが、そちらも勝手に人を加害者扱いするのは失礼に値すると抗議を示しながら雪葉はきっぱりと断りを申し入れる。
「そうか。お前がそう言うなら、これ以上俺は首を突っ込まん。ついでにその頭がおかしい仲間に言っておけ。今度撃ってきたら、直接文句を言いに行くとな」
どこか人情味が見え隠れするベルディアからの伝言を授かった雪葉はとりあえず頷く。
「まあ、それはお前が生きてここから出られればの話だが」
そう呟いた途端、ベルディアから放たれた途轍もない威圧と殺気が雪葉へぶつけられる。どうやら、魔王軍幹部としての役割を果たすことに切り換えたらしい。
「悪いが、魔王軍の幹部として、堂々と殴り込んできた挙句配下を全滅させた不届きな輩を見逃す訳にはいかないんでな。お前も冒険者なら、命を失う可能性は承知の上でここに来たんだろ?それに、少し退屈で仕方なかった所だ。──お前もそうだろ?」
そちらがその気なら是非もなし。雪葉も受けて立つ姿勢を示す為、ベルディアに戦意を向けながら、腹に据えていた己の中で迸る戦闘衝動を一切の躊躇い無く解き放つ。
「っ⁉︎……まさか、これ程の奴に出会えるとは……!貴様、今までどれだけの命をその手にかけてきた」
これは思いがけぬ巡り合わせと不敵な笑みを浮かべながら問い掛けるベルディアに対し、雪葉は自分が食事した回数を一々数えるのかと答えに等しい問いを投げ返す。
今でこそ愛嬌に溢れている雪葉だが、元々彼は忍者稼業の中でも有数の一族の末裔。任務の中で奪って来た命は、領地が一つ滅ぶ規模とそう大差は無いだろう。
「ふ、ふははははは!良い、良いぞ!これは人生の中で最高の戦いになりそうだ!」
ベルディアの真っ赤な双眸が更に輝くと同時に、彼を中心とした半径約1メートルの範囲は床へ亀裂を生じさせ、大気がぴりぴりと肌をひりつかせる程に振動していた。
そんな彼からのプレッシャーを受けてなお、雪葉は戦意を失ったり恐れる事なく、静かに両脚へと力を溜め続けていく。
「改めて名乗ろう!俺は魔王軍幹部筆頭、ベルディア!我が全霊を以って貴様を排除する!」
そう高らかに宣言し、ベルディアは自身の腰に携えていた身の丈程もある大剣を右手に掴んで肩へと剣の腹を預け、迎撃の準備を整える。どうやら先手を譲ってくれるらしい。
「さあ、いつでもかかってこい!だがこの鎧には魔王様のかっ────ごぶぁっ⁉︎」
なので、雪葉は遠慮なく挨拶がてらにベルディアの懐へと瞬時に潜り込み、いつだかジャイアントトードに放った掌底を打ち込む。
直後、盛大に吹き飛んだベルディアの体が壁へと叩きつけられ、そのまま床へと倒れ伏す。
かなり手は抜いた筈だが、相手はどんな出方に踏み切るのだろうか。それを予測しながら戦うのも、雪葉の嗜む戦法の一つである。
………………。
……………………可笑しい。
何故かベルディアに全く動く気配が感じられない。
それどころかあれほど滾らせていたただならぬ威圧や殺気が、嘘のように一瞬で消失してしまった。
一向にビクともしないベルディアに怪訝な視線を送りつつ、ゆっくり近づいてみると。
「………………」
完全に意識を失っているのか、地べたに投げ出された胴体の傍に転がる頭は泡を吹きながら瞳が剥いており、なんど小突いても一向に意識が戻る様子は見られず。
なんという肩透かしであろうか。ウィズと同じ魔王軍幹部を名乗る者の実力へ期待に胸を躍らせていたというのに、蓋を開けてみればこんな手抜きの小手調べを喰らった程度でこのざまとは。あまりに張り合いが無さ過ぎて稽古台にも値しない。
拍子抜けした雪葉は呆気なく伸びているベルディアに対し大きな嘆息を吐きつつ、静まり返った廃城から何の憂いもなく早々に辞去するのだった。
▼
その後、ギルドへ戻った雪葉に渡された情報を事前確認したルナはその内容に疑問を顕にする。
「あの……これは一体……?」
問われた意図が分からない雪葉は、首を大きく傾げた。
「これ、恐らくユキハさんの母国で使われている文字ですよね?お手数ですが、こちらの国の文字で書き直して頂けますか?」
どうやらうっかり日本の文字で書いていたようだ。
この世界へと転生を果たしてから、雪葉は不自由無く会話を交えたり文字を読む事が出来ていたため特に気にしていなかったのだが、思えばこの世界の文字を書いた事はまだ一度も無かったことに気付く。
冒険者カードに登録する際も、主人である和真が一から修正していたことを雪葉は思い出す。
ルナに指摘された事で目から鱗が落ちた雪葉は新しい紙を貰い受けると、再び集めた情報を記すためテーブルと向かい合う。
しかし、新たな紙へペン先をつけたところで雪葉の動きが止まった。
なんと、この世界の文字を書くことが出来ない。
ペンを手から離すと頭の中に該当する単語や文字は浮かび上がるのに、いざ筆を走らせようと紙に接触させると、この世界の文字の記憶が一瞬にして飛んでしまう。
この時、雪葉は転生前に女神エリスがこちらの世界の言葉を理解出来るよう脳へ施す前に、何かしらの副作用が残る可能性があると補足していた事を思い出した。
どうやら彼女が幸運の加護を与えるより先に脳へ負荷を掛けてしまった些細な手順ミスにより、雪葉は本来書ける様になる筈であっただろうこの世界の言葉を文字で表せなくなってしまったらしい。
十回ほど書き直しを試みたが、一文字も書けない不甲斐なさに内心臍を噛みつつ、ルナへこの国の文字をまだ理解しきれていない為だと真実を煙に巻きながら、申し訳無くも代筆を頼み込む。
「そうですか。なら、ご要望にお応えして私が代筆を務めさせて頂きますね。何と書けばよろしいでしょう?」
そう雪葉からの言葉を待つルナへ、彼はつらつらと集めた情報を伝えていく。
「えっと……名前は……ベルディア。種族は……デュラハン。魔王軍幹部。武器は……両刃型の大剣。戦闘形態……近接型。となると、保有スキルは『死の宣告』などですね。貴重な情報提供、ありがとうございます。他に留意事項などはありますか?」
再び問い掛けるルナへ、ベルディアを一時的に無力化した為現在は沈黙している事を明かす。
「………………は?」
その後、無謀な暴挙に踏み出た経緯を雪葉から耳にしたルナは卒倒し、三日ほど寝込んだという。
▼
その後大した活動を行うこともなく、火山王のクエスト報酬で新商品を取り寄せた絶賛ご機嫌週間中なおっとり店主が迎えてくれる閑古鳥が忙しない魔道具店へ、雪葉は連日足繁く通い詰め歓談に華を咲かせる日々を送っていた。
そんな幸せに溢れた日常をウィズと満喫しながら、一週間がたったその日の朝。
『緊急!緊急!全冒険者の皆さんは、直ちに武装し、戦闘態勢で街の正門に集まってくださいっ!』
街中に、お馴染みの緊急アナウンスが響き渡った。
そのアナウンスを耳にした雪葉達も入念に装備を整え、現場へ向かう。
街の正門前に多くの冒険者が集まっており、到着した和真達がその凄まじい威圧感を放つモンスターの前に呆然と立ち尽くす中、雪葉はその姿を捉えた途端、面倒くさそうに顔を顰めながらなるべく気配を絶ち、人混みの中に紛れ込んだ。
そこにいたのは、先日雪葉に一撃で伸され惨めな敗北を喫したあのベルディアであった。
街中から駆けつけた冒険者達の視線が集まる中、ベルディアは自分の首を目の前に差し出すとくぐもった声を放つ。
「……俺はつい先日、この近くの城に越してきた魔王軍の幹部のものだが……」
やがて、首が堤を切らしかけているように小刻みに震え出す。
「出てこい、頭のぶっ飛んだ冒険者あああああ!もう一度俺と戦ええええええー‼︎」
予想どおりの御来訪に、雪葉は盛大な溜息を吐いた。
あれからどれぐらい気絶していたのかは定かではないが、あのベルディアの怒りと鬼気迫る口ぶりから察するに、ここ一日前か今日目を覚ました様に見えると雪葉はあたりをつける。
努めて平静を装おうと堪えていた怒りが、冒険者達の姿を見て何かを思い出した様に切れ始めたベルディアの叫びに、周りの冒険者達がざわつく。
恐らく、雪葉以外その場の誰もが、一体何が起こっているのか理解が追いついていない。
もっとも、自分達が急な呼び出しを受けた理由が目の前の怒り狂ったデュラハンである事は把握出来た様だが。
まさか首無し馬に乗ってまで直接街へ乗り込んで来る程執念深いとは、雪葉は夢にも思わなかった。そもそも、雪葉としてはあれで決着がついたつもりだったので、ベルディアの存在など目にするまで記憶の片隅にすら残っていなかったというのに。
「頭のぶっ飛んだ奴って言ったら……」
「頭がおかしいって言ったら……」
和真と雪葉の隣に立つめぐみんへ、自然と周りの視線が集まった。
周囲の視線を寄せられためぐみんは、フイッと自分の隣にいた魔法使いの女の子を見るが、その女の子もめぐみんを凝視している。
やがて、周りの視線の先と意図を理解しためぐみんが慌てて口を開く。
「ちょ、ちょっと待ってください!異議ありです、異議しかありません!というか、あのデュラハンとは初対面ですから!」
心外とばかりに異論を唱えるめぐみんだが、皆の視線が動くことはない。
そんなめぐみんから救援要請の目配せを受けた和真がおそるおそるベルディアへと問いを擲つ。
「あ、あの……もう少し色々特徴とか、印象とか、無かった……ですか?」
「可憐で慎ましい人形みたいな奴だ」
『じゃあこっちか』
ベルディアからの返答に、めぐみん以外の全員が得心を得たようにすぐさま雪葉へと一斉に注目する。
「おい、今こそ私に視線が集まるべきだと思うんだが」
誠に遺憾と主張するめぐみんに対し、周りの冒険者が口々に言い返す。
「いや、どうみても可憐つったらこの子だろ」
「黙ってたらまじで人形みたいだし」
「てか、こっちの魔法使いが慎ましいのなんて精々む──んぐっ」
「ばっかお前!なに口走ろうとしてんだ!」
「ほう……、私の何が慎ましいのか聞かせてもらおうか。返答次第では、我が自慢の爆裂魔法が炸裂しますよ」
口は災いの元ならぬ、口は爆裂の元という訳なのか。
口もとをヒクつかせるめぐみんの目は今までにない程真紅に輝いており、場合によっては爆裂魔法を本気でかますつもりのようだ。
「おい貴様ら、何をごちゃごちゃやっている!あいつはいるのか!いないのか!」
どうやらあのデュラハン、雪葉と再戦を交えるまでこの場を去るつもりは無いらしい。
面倒な相手に目をつけられたと肩を竦めて嘆息しつつ、雪葉は人波を潜り抜けながらのそのそと前へ進み出す。
正門から少し先の平原でベルディアは佇み、その彼から十メートル程離れた場所に、雪葉が立ち止まって対峙する。
それに続くように、和真やめぐみん、アクアにダクネスも雪葉の横に立つ。
アンデッドを見つけると、まるで親の仇のように襲いかかったアクアもこれほどまでに怒り狂うデュラハンが珍しいのか、興味津々で事の成り行きを見守っていた。
「やはり来ていたか……!何をしたのかは分からんが、あんなもの勝負と呼んでたまるか!もう一度だ!もう一度俺と、小細工無しで正々堂々と戦え!」
そう宣言しながら雪葉へ指を差すベルディアに、めぐみんがフッと小さく笑い、肩のマントをバサッと翻し前に進み出る。
「我が名はめぐみん。アークウィザードにして、爆裂魔法を操る者……!」
「いや、誰だお前。雑魚に用は無いんだが。というかめぐみんって何だ。バカにしてんのか?」
「ちっ、違わい!」
「ん?そういや、今お前爆裂魔法って……」
名乗りを受けたベルディアに突っ込まれつつ素気無くあしらわれためぐみんは気を取り直し、尚も出しゃばりだす。
「我は紅魔族の者にして、この街随一の魔法使い。我が爆裂魔法を放ち続けていたのは、魔王軍幹部のあなたをおびき出す為の作戦……!こうしてまんまとこの街に、一人で出て来たのが運の尽きです!」
「やっぱりお前か!あの時俺の城に爆裂魔法をぶっ放してきた魔法使いは!俺だけならまだしも、殴り込んできた仲間のこいつ諸共消し飛ばそうとかなに考えてやがるんだ!ほんとに頭おかしいんじゃないのか⁉︎」
「え」
再び雪葉へ指を向けながら、めぐみんに文句をぶつけるベルディア。
一方のめぐみんは、憤慨するベルディアの口から発せられた思いがけぬ事実を受け、まるで古ぼけた絡繰人形の様にぎこちない動作で雪葉へ振り向く。
「も、もしやあなた……私が城に爆裂魔法を撃った初日、あのデュラハンと中にいたのですか?」
動揺する視線を送りながら躊躇いがちに問いかけるめぐみんへ雪葉はこくりと頷き、特に大きな負傷も無かったので気にしないよう付け加えた。
「……ま、まあ怪我も無かったようで何よりです」
「思わぬ横槍が入ったせいで話が逸れたな……。まあいい、名乗りを受けたからには、こちらも名乗るのが筋というもの。俺はデュラハンのベルディア。魔王軍の幹部筆頭である」
生唾を飲んで尻込みする冒険者達へ目を向けることも無く、ベルディアは雪葉を睨みながら話し続ける。
「あの時はうっかり聞きそびれたな。貴様の名を聞こう」
耳を澄ます様に首を前に掲げるベルディアへ、自分の名を明かす。
「そうか。貴様の名前、しかと聞き届けた。では、今一度この俺と全力で──」
「我が爆裂魔法はあらゆるものを砕き、なにものをも超越した唯一にして究極の攻撃魔法……。その威力、しかと己が身に焼き付けるがいい……!」
「さっきから何なんだこの娘は!いくらアレな紅魔族とはいえ、少しは空気を読めないのか⁉︎」
「おい、我が部族に文句があるなら聞こうじゃないか」
話の腰をへし折る空気の読めない目立ちたがりに、和真やダクネスが申し訳無さそうな視線をベルディアに送っており、雪葉も思わず苦笑いが浮かぶ。
これにはさすがの疲れ知らずな体を持つベルディアも、精神的負担を感じたのか項垂れた様に肩を落とす。
「……はぁ、まあいい。さっきも言ったが、俺はお前ら雑魚にちょっかいかけにこの地に来た訳ではないし、今はそいつとの再戦が目下の懸案事項だが、本来この地にはある調査に来たのだ。ていうか小娘。貴様さっきの口ぶりからするに、あの日以降も城へぶち込みに来てた様な言い方に聞こえたんだが」
「そう言ったはずですが」
「これからは城へ放つな。つうか爆裂魔法使うな。いいな?」
「それは、私に死ねと言っているも同然なのですが。紅魔族は日に一度、爆裂魔法を撃たないと死ぬんです」
「お、おい、聞いたこともないぞそんな事!適当な嘘をつくな!」
誰でも分かる虚言を宣うめぐみんへ雪葉はそっと五感を研ぎ澄ます。
脈拍、汗、目の動き、呼吸、動揺、声音。彼女は嘘をつく際に現れる筈の著変が何れにも見られていない。
まるで生理現象のように言い放っためぐみんの図太さに、雪葉はどこか薄ら寒さを感じつつ他の仲間を見渡す。
主人である和真やアクアは、ベルディアに噛みつくめぐみんの言動に胸を馳せているのか、興味深そうに眺めている。
一方のダクネスは沈黙したまま冷静に状況を把握しつつ、いつでも敵の攻撃に迎え撃てるよう適度な緊張感を保ちながら警戒を固めているようだ。ここだけみれば、確かに聖騎士として相応しい人格を持つべき者と雪葉は内心で称賛を示す。
ベルディアは右手の上に首を載せ、そのまま器用に肩を竦めた。
「どうあっても、爆裂魔法を撃つのを止める気は無いと?俺は魔に身を落とした者ではあるが、元は騎士だ。弱者を刈り取る趣味は無い。だが、これ以上城の近辺であの迷惑行為をするのなら、こちらにも考えがあるぞ?」
剣呑な雰囲気を漂わせてきたベルディアの威圧を受け、めぐみんがビクリと後ずさった。
だが彼女は不敵な笑みを浮かべ、ベルディアを指差して高らかに告げる。
「迷惑なのは私達の方です!あなたがあの城に居座っているせいで、私達は仕事もろくにできないんですよ!……フッ、余裕ぶっていられるのも今の内です。こちらには、アンデッドのスペシャリストがいるのですから!先生、お願いします!」
何ということか。あれだけ盛大に啖呵を切っておきながら、他人に丸投げした挙句めぐみん自身は高みの見物を決め込むらしい。
清々しいまでの他力本願っぷりに、雪葉は今一度上級職になれる条件を見直すべきではなかろうかと心で嘆く。
「しょうがないわねー!魔王の幹部だか知らないけれど、この私がいる時に来るとは運が悪かったわね。アンデッドのくせに、力が弱まるこんな明るい内に外に出てきちゃうなんて、浄化してくださいって言ってるようなものだわ!あんたのせいでまともなクエストが請けられないのよ!さあ、覚悟はいいかしら!」
固唾を呑んで成り行きを見守る冒険者の視線を浴びながら、アクアがベルディアに片手を突き出す。
それを見たベルディアは、興味深そうに自分の首をアクアに向けて掲げ、じっと目を凝らし始めた。
「ほう、これはこれは。プリーストではなくアークプリーストか?この俺は仮にも魔王軍の幹部の一人。こんな街にいる低レベルのアークプリーストに浄化されるほど落ちぶれてはいないし、アークプリースト対策は出来ているのだが……。しかし、今回の目的はそこの白髪の小童だけだ。貴様等をのんびり相手にしている暇は無い。面倒な雑魚共には、一つ面白いものをくれてやろう」
アクアの魔法詠唱が遂げられるよりも疾く左手の人差し指を雪葉以外のパーティーメンバーへ差し向けたベルディアが、間髪入れず高らかに告げる。
「汝等に死の宣告を!お前達は一週間後に死ぬだろう‼︎」
「『デコイ』‼︎」
直後。めぐみんたちを庇う様にベルディアの前に立ちはだかったダクネスが囮スキルを使い、彼が発動させた暗澹たる靄は全てダクネスへと軌道を変え、彼女の体を一瞬黒い光で包み込む。
死の宣告。
文字通り、発動者によって余命を宣告された者は指定された日時が訪れた途端、生命活動が一瞬にして停止してしまうデュラハン特有のユニークスキル。今まで何人もの神器持ち勇者を亡き者にしてきた、ベルディアの十八番だ。
「なっ⁉︎ダ、ダクネス⁉︎」
「ダクネス、大丈夫か⁉︎痛い所とかは無いか?」
泡を食った様な和真の憂慮を含んだ呼び掛けに、ダクネスは自分の両手を確認するかの様にわきわきと何度か握り。
「……ふむ、なんとも無いのだが」
特に外傷もなく、本人の言動にも不可解な箇所は見受けられない為、どうやら至ってへっちゃららしい。
しかし、ベルディアは確かに一週間後に死ぬと告げたのだ。死の宣告が発動したのはまず間違い無いだろう。
このまま何もしなければ、ダクネスは必ず命を落とす。
呪いを掛けられたダクネスをアクアがぺたぺたと触る中、ベルディアは勝ち誇った表情で話しだす。
「その呪いは今はなんともない。若干予定が狂ったが、仲間同士の結束が固い貴様ら冒険者には、むしろこちらの方が応えそうだな。……よいか、紅魔族の娘よ。このままではそのクルセイダーは一週間後に死ぬ。ククッ、お前の大切な仲間は、それまで死の恐怖に怯え、苦しむ事となるのだ……。そう、貴様の行いのせいでな!仲間の苦しむ様を見て、自らの行いを悔いるがいい。クハハハッ、素直に俺の警告を聞いておけばよかったものを!」
ベルディアの言葉にめぐみんが青ざめる中、ダクネスが慄き叫ぶ。
「な、なんて事だ!つまり貴様は、この私に死の呪いを掛け、呪いを解いて欲しくば俺の言う事を聞けと!つまりはそういう事なのか!」
「えっ」
「くっ……!呪いぐらいではこの私は屈しはしない……!屈しはしないが……っ!ど、どうしようカズマ!見るがいい、あのデュラハンの兜の下のいやらしい目を!あれは私をこのまま城へと連れて帰り、呪いを解いて欲しくば黙って言う事を聞けと、凄まじいハードコア変態プレイを要求する変質者の目だっ!」
「……えっ」
大勢の前で突然不名誉極まりない烙印を押し付けられ、思わずベルディアが素の声を漏らしてしまったのも無理はない。
「この私の体は好きにできても、心までは好きにできると思うなよ!城に囚われ、魔王の手先に理不尽な要求をされる女騎士とかっ!ああ、どうしよう、どうしよう、カズマっ‼︎予想外に燃えるシチュエーションだ!行きたくはない、行きたくはないが仕方がない!ギリギリまで抵抗してみるから邪魔はしないでくれ!では、行ってくる!」
「ええっ⁉︎」
「止めろ、行くな!デュラハンの人が困ってるだろ!」
尚もベルディアの反応を気に留めず、身勝手にも己の願望と思わしき妄想をつらつらと述べ終えるや、彼のもとへ嬉々として駆け出そうとするダクネスを和真が羽交い締めにして引き止めた。
とんでもない暴走機関車の緊急停車措置が断行されたことにより、かなり困惑していたベルディアが胸を撫で下ろす。
「と、とにかく!これは見せしめだ!貴様等がこの決闘に水を差すなら、俺は容赦無く呪いを掛ける!それが嫌なら大人しくしていろ!…………ふん、どうやら歯向かうものはいない様だな。ならば、漸くお前との再戦に臨むと……ん?」
自身のスキルの目の当たりにし、怖気ついたまま沈黙している冒険者を横目にベルディアが再び雪葉を見据えると、雪葉は顔を俯かせたまま拳を震わせ立ち尽くしている。
「ククククッ、クハハハハハハハッ!どうした?この俺のスキル、死の宣告を前に恐れを成したか?それとも、大切な仲間へ呪いを掛けた事に腹が立ったのか?いずれにせよ、お前に戦う以外の選択の余地はない。潔く俺と戦え。まあ、勝負の結果次第では、そこのクルセイダーに掛けた呪いを解いてやらんでもないがな」
そう哄笑しながらベルディアが語る中、雪葉は俯いたままゆっくりと彼のもとへと一歩ずつ歩み寄って行く。
やがてベルディアの目の前で立ち止まり顔を上げたその目は冷酷な迄に据わっており、光を失くしつつも瞳の中にベルディアの姿をはっきりと捉えていた。静かな怒りの焔が雪葉の心に立ちこめる。
「ほう……、いい目をしているな。この間と違い、今は戦意だけでなく明確な怒りと敵意を覚えている目だ。となれば、こちらも心置き無く本気を出せるというもの。──決闘開始だ‼︎」
始まりを告げる号令と共に、ベルディアが雪葉へ向けて勢い良く大剣を振り下ろす。
しかし、頭上へと振り下ろされた刃を雪葉は片手で剣の腹を摘むように掴んで容易く止める。
『へっ?』
思いもよらない光景に冒険者のみならず、まさか片手で止められるなどと微塵も予想していなかったベルディア本人も、素っ頓狂な声を漏らしつつ冷や汗を垂らす。
「な、中々見た目によらず腕力があるようだな。おまけに動体視力と反応速度も申し分ない……。しかし今度はそうもいかっ、っと、このっ………………あ、あれ?」
だがすぐに気を引き締め直し、雪葉の手から大剣を引き戻そうとするがうんともすんとも動かない。まるで固い大岩に深く突き刺さり、尚且つ固定魔法を掛けられたかのように微動だにしなかった。
尚、指だけでベルディアの猛威を受け止めている雪葉は何処吹く風とでもいうように涼しい顔をしている。
「え、嘘っ、あれ、何でっ、ちょ、ふんぬうううううううううっ‼︎うるああああああっ、と、っと──ゔふぇっ‼︎」
懲りずに力を込め続けるベルディアの反動を利用し、雪葉は大剣から手を離すと、不意に力の釣り合いが失われた事で体勢を崩したベルディアの鳩尾に肘打ちを食らわす。
見事にがら空きの急所を突かれたベルディアは必死に痛みを堪えているのか、体が震えながらも声を抑える為に頭の口部分を塞ぐように持ち変えてその場に蹲った。
だがそこはアンデッドであるデュラハン。体からすぐに痛みの消えたベルディアは再び立ち上がり、大剣を構え直す。
「ふっふっふ……ど、どうやら大分お前の力を見くびっていたようだ。だが今度こそ容赦はせん、全力で貴様を倒す!」
高らかな宣言を述べたベルディアは左手に持っていた頭部を空高く放り投げ、得物を両手で握り締める。
打ち上がったベルディアの首は、顔の正面を地上へと向けながら宙を舞う。
「逃げろ!ユキハァアァァア!」
「おそいわああああ!」
それを見た和真が何かを察したのか、雪葉へ叫び知らせる。
だが、そんな和真の英断も振るわず、ベルディアの大剣が雪葉目掛けて横一閃に斬り払われた。
「なっ」
その間際。
雪葉の姿が一瞬にして消え去り、ベルディアの大剣は虚空を斬り裂く。
再び起こった予想外の事態に、信じられない光景を目撃した全員が慌ただしく辺りを見回すが、周辺のどこにも雪葉の姿は無い。それは、上空から見下ろしていたベルディアでさえも雪葉の動きや消えた移動先が全く掴めていなかった。
「ど、どこだ⁉︎どこに行った⁉︎あいつは魔法使いではない、転移魔法なんて使える訳が無い筈だ!必ず近くにいる!」
なるべく滞空時間を利用し、必死に目を動かしながら地上を探し回すが、やはり影すら見当たらない。
「一体どこへ──」
《お、おい!あそこ見ろ!上だ!》
《は?上?いやいや、お前何言って……うわ、いた!》
《上だわ!デュラハンの頭の上よ!》
「……ふぁ?」
果たして、地上の冒険者からの響めきを耳にしたベルディアの頭上へ雪葉は跳躍していた。その高さ、約15メートル。
またしても人外じみた絶技を難なくやってのける彼の姿に、ベルディアが困惑と疑問が入り混じった声を上げたのも無理からぬもの。
そんな狼狽に陥るベルディアの姿など目もくれず、雪葉は動揺に染まった彼の顔をボールの様にがっしりと引っ掴む。
「え?え?なっ、ちょっ、へ?」
尚も混乱したままのベルディアの思考を置き去りにしつつ、雪葉は頭を握りしめた右手を振りかぶり、遥か地上で棒立ちする彼の胴体へ視線を移す。
やがて雪葉のやらんとする意図を理解したベルディアの顔が青ざめると共に、雪葉へ思いとどまる様必死の形相で矢継ぎ早な説得を試み始める。
「ま、待て待て待て!ほんとに待て!この高さから投げ落とされたら、俺の頭も体も溜まったもんじゃないぞ⁉︎死にはしないが死ぬほど痛いぞ!考え直せ、まだ他に方ほ──いやああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
無論怒りに燃えている雪葉にはベルディアの言葉など一言も耳に届く訳も無く、無慈悲に彼の頭が胴体目掛けてぶん投げられた。
直後、頭が地上へと真っ直ぐに投げ落とされ、盛大に叩きつけられた落下音と共に砂埃が舞い上がり落下地点を中心に地表へ亀裂が走る。
数秒後、雪葉も軽やかに地面へと着地を果たし、ゆっくりとベルディアのもとに近づいて行く。
雪葉の中には、ベルディアに対する殺意のみが支配していた。だがそれは仲間であるダクネスが死の呪いに掛けられたからではなく、主人である和真も危うく呪われそうになったからだ。
恐らく雪葉は他の者だけに向けられていれば怒る事もなくただ静観したまま、ベルディアとまともに取り合う気など無かっただろう。
しかしベルディアは和真の命をも手にかけようとした事で図らずも雪葉の怒りを買ってしまい、彼の戦意を焚きつけたのはいいが、ベルディアの描いていた理想像とは全く異なる展開を招く結果となった。
こうなった雪葉は最早誰にも止められない。主人の命を脅かそうとする不届き者がいれば、雪葉は確実に息の根を止めるまでその手を休めることのない冷酷な殺戮人形と化す。
主人の命を狙った、殺す。主人の不穏分子に成り得る者は殺す。何者だろうと関係ない、殺す。
「ふ、ふふ……問答無用で投げつけてくれたな。アンデッドなのに危うく走馬灯が見えかけたぞ……。しかし、ここからが本番だ。今までの俺はまだほんの一部の力しか出し──お、おい。俺の剣を拾って何するつもりだ。それも魔王様の加護が掛かってるんだぞ、そんなもんお前の腕力でぶん回されたらひとたまりもな──ぶへぇ‼︎おい、まだ話の途ちゅ──んでぇ‼︎ちょ、ちょっとタンマ……うぎぇ‼︎」
雪葉は先程ベルディアの胴体が頭との衝突で手放した大剣を拾い上げ、何度も振り下ろす。
雪葉が大剣をベルディアの腹目掛けて容赦無く叩き込む度に地面へ亀裂が走り、壮絶な地鳴りと共に大地が大きく揺れ動く。
もはやそれは自然災害にも及ぶ規模となり、傍観していた冒険者達が立っていられない程の震度まで増大して行くと、彼等の背後に聳え立つ正門と外壁がみるみる内に崩れ落ちていった。もはや雪葉の力は生ける災害だ。
冒険者達の戸惑う声やこちらを静止させようとする呼び掛けなど耳にも入らず、雪葉は無心でベルディアに大剣を叩き落とす。
その度に鎧が砕け散り、やがて露わになった胴体へ太い刃が叩きつけられると天高く噴水のように血飛沫が舞い上がり、雪葉の全身へ雨のように降り注ぐ。
やがて、大剣を振り下ろされるたび悲痛な叫びを上げていたベルディアの声は途絶し、彼の血肉が斬りつけられる不快な音だけがグチャグチャと周辺に響き渡っていた。
数分後。
血煙と悲鳴を上げていたベルディアの絶命を確認した雪葉は留めに彼の頭部へと刃毀れの凄まじい剣を真上から突き刺し、遠目から悲惨な末路を見届けていた和真達の元へ踵を返す。さっきまでの怒りが嘘の様ないつもの無表情で勝利のピースサインを掲げた。
先程の震動で腰を抜かしていた和真達が、苦笑いで雪葉を見ながら立ち上がり、言葉をかける。
「お、おう……まじで凄いなお前……、まじで……いやもう色んな意味で凄いわ……。もしかして、勇者よりも魔王の方が向いてるんじゃないか?」
「私、アンデッドは全部滅ぶべきだと思うぐらい大っきらいだけど、あなたそれ以上に容赦ないわね……エリスったら、ちゃんと勇者適性の判定したのかしら?」
「先程のあなたの華麗な動きに一瞬憧れを抱きましたが……今ので冷めました。多分、あなた程ぶっ飛んだ冒険者は他を置いていないと思います」
「功績としては大変素晴らしいが……手段としては、あまり褒め難いな。それはそうと、さっきのあれが私に耐えられるか、今から試してみてはくれまいか?いやなに、あくまでクルセイダーとして自分がどれだけの苦痛に耐えながら皆を守れるのかが知りたいだけで……んくっ!べ、別に他意など無いんだからな⁉︎」
例外一名を除き、仲間たちから口々に告げられる皮肉を理解出来るはずもない純粋無垢な雪葉は首を傾げる。
そんな中、ふと思い出しようにめぐみんが口を開く。
「って、それどころじゃありませんよ!ダクネスにかけられた呪い、デュラハンが死んでしまったのにどうやって解くんですか!」
「そういやそうだった!おいダクネス !デュラハンには解いて貰えなくなっちまったが、なんとか他の方法を絶対に探してやるからな!だから、安心……」
「『セイクリッド・ブレイクスペル』!」
ダクネスを元気付けようと、和真が声をかける最中。
それを遮る形でアクアが唱えた魔法を受けて、ダクネスの体が淡く光り、発動を終えた事を確認したアクアが嬉々として告げた。
「女神であるこの私にかかれば、デュラハンの呪い解除なんて楽勝よ!どう、どう?私だって、たまにはプリーストっぽいでしょう?」
「それが毎回出来ないのかお前は。そんなんだから一向に活躍出来ない駄女神なんだよなあ」
「確かに今のはファインプレーでしたが、だからと言って何かにつけてあまり自分が女神と吹聴するのは、いい加減やめた方がいいと思いますよ」
「ちょっと、何で褒めてくれないのよ!私活躍したんですけど!人の為になることやったんですけど!」
和真とめぐみんから称賛どころか誹りを受けてアクアが憤慨する中、彼女の裾を雪葉は引っ張った。
「……なによユキハ。あなたまで詰るつもり?」
いじけたように振り向いてくるアクアに、そうではないと雪葉は首を振る。褒める褒めないの云々はさておき、一先ずあの死骸を浄化して欲しいと伝えながら見るも無惨な亡骸へ指を差す。
「え、あれ消すの?うーわ……肉片の浄化とか、凄い気が引けるんですけど……。はぁ……、『セイクリッド・ターンアンデッド』!」
嫌々ながら発動させたアクアの浄化魔法により、ベルディアの死体は飛び散った血を一滴も残さずに白い光に包まれ消えていく。
こうして、魔王の幹部は本来の目的を告げるどころか、年端もいかぬ子供一人の手によって惨たらしく討伐され、冒険者達は自分達の出動を無意味にした血塗れの殺戮者をただ黙って見つめている他無かった。
▼
ベルディア討伐の翌日。
雪葉と和真は、二人でギルドへと赴いていた。
その道すがら、和真が雪葉に向けてとある話を持ちかけてくる。
「なあ、もしかしてまた報酬を寄付しようとか考えてるのか?だったら一つ提案があるんだが」
どうせ使い道も無いので再び街へ寄付しようと考えていた矢先、崇高なる主人からのお達しは雪葉にとってまるで地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸のような希望であった。
もちろん主人の言葉に雪葉が耳を貸さない理由は無く、どんな提案も聞き入れんとする姿勢で和真を見上げる。
冒険者ギルドの入り口に手をかけると、人の熱気と酒の臭いで充満した空気が外に向かって流れ出してくる。
中では一心不乱に酒を呷る冒険者達の喧騒で賑わっているが、実際は魔王幹部の討伐で僅かな貢献も果たせなかった腹いせの自棄酒である事など、雪葉は知る由もない。尚、真実を察した和真に関しては、苦笑いを浮かべながら憐れみの視線を送っていた様だが。
「あっ!ちょっと遅かったじゃないの!もう既に、出来上がってるわよ!」
ギルドに足を踏み入れた雪葉達に、アクアが上機嫌で笑いかけてきた。
「ねえ二人とも、お金受け取って来なさいよ!もうギルド内の冒険者達の殆どは、魔王の幹部討伐の報酬金額貰ったわよ。もちろん、私も!でも見ての通り、もう結構飲んじゃったんだけどね!」
何とも嬉しそうに報酬の詰まった袋を開けてこちらに見せつけ、たはー、と頭をぽりぽりと掻きながら、アクアが楽しそうにケラケラと笑う。恐らく溜まっていたツケの分も解消される為、尚更気分が舞い上がっているのだろう。
酔っ払いをさておき、二人はカウンターへと向かう。
そこには既に、ダクネスとめぐみんの姿があった。
「やっと来たか。ほら、お前達も報酬を受け取ってこい」
「待ってましたよ二人とも。聞いてください、ダクネスが、私にはお酒は早いとどケチな事を……」
「いや待て、ケチとは何だ、そうではなく……!」
こちらの二人もアクアほどではないが、幹部討伐の報酬を前にどこか浮ついた様子が見て取れる。
そんな彼女らの姿を微笑ましく見守りつつ雪葉と和真はルナの前に立つ。
しかし、ルナはこちらを目にするや何やら微妙に引き攣った笑みを浮かべており、違和感を覚える雪葉としては報酬を受け取って一件落着で終わらなそうな気がしてならない。
「あの……。まずはそちらのお二方に報酬です」
ルナは小さな袋をダクネスとめぐみんに手渡した。
何故かそれ以上小袋を取り出す様子の無いルナに、和真は疑問の表情を見せている。
やがて、おずおずとルナが話を切り出す。
「……あの……。ですね。実は、カズマさんのパーティーには特別報酬が出ています」
「え、何で俺達だけが?」
和真の疑問に、誰かが答えてくれた。
《おいおいMVP!そこの小せえのがいなきゃ、デュラハンなんて倒せなかったんだからな!》
《そうだそうだ!そこの小さいののインチキスペックがあったからこそ救われたようなもんだぜ!》
《おうよ!小さいのがチート過ぎて誰一人何も出来なかったのは少し遺憾だが、報酬が貰えたからどうでもいいわ!》
若干名やけっぱちな応答が聞こえたものの、雪葉達への特別報酬に不満を漏らす輩は一人もいないようだ。
報酬を受け取るため、和真が五人の代表としてルナの前に進み出る。
ルナがコホンと咳払いし、改めて口を開く。
「えー。サトウカズマさんのパーティーには、魔王軍幹部ベルディアを見事討ち取った功績を称えて……。ここに、金五億エリスを与えます」
「「「「ごっ⁉︎」」」」
雪葉以外の仲間達は思わず絶句していた。
それを聞いた冒険者達も、シンと静まり返る。
そして……。
「おいおい、五億ってなんだ、奢れよカズマー!」
「うひょー!カズマ様、奢って奢ってー!」
冒険者達から上がり始める催促の嵐。
しかし、そんな彼等の喚声に応えること無く、和真は一度深呼吸を行うとダクネスとめぐみんに向き合う。
「おいダクネス、めぐみん!お前らに一つ言っておく事がある!これはさっきユキハにも伝えたが、俺は今後、冒険の回数が減ると思う!大金が手に入った以上、のんびりと暮らしていきたいからな!」
「おい待てっ!強敵と戦えなくなるのはとても困るぞっ⁉︎というか、魔王退治の話はどうなったのだ⁉︎」
「私も困りますよ、私はカズマに着いて行き、魔王を倒して最強の魔法使いの称号を得るのです!」
冒険者の風上にもおけない和真の腑抜けた宣告に、二人の顔が困惑の色を示したのは言うまでも無い。
無論、主人の意向に何ら異論があろう筈もない雪葉は、転生直前に決意した、魔王を討伐し願いを成就させる事などすっかり頭から抜け落ちた様に、和真の宣言を受けてうんうんと頷いていた。
この者、とことん主に対して甘やかす駄目人間製造機である。
そんな中、申し訳無さそうな表情を浮かべるルナが、和真に一枚の紙を手渡す。見たところ、どうやら小切手の様だ。
酔っ払ったアクアが上機嫌で和真の隣へやって来ると、彼の手元の紙を横から覗き込む。
「ええと、ですね。今回、カズマさん一行の……、その、ユキハさんが戦っていた際に起こした大規模な地震により、正門やその周辺の外壁が全壊し、街の入り口付近の家々や公共施設が一部倒壊するなどの被害が出ておりまして……。……まあ、魔王軍幹部を倒した功績もあるし、全額とは言わないから、一部だけでも払ってくれ……と……」
「で、でも……この間ユキハが街に寄付した五億エリスがあるなら、それを使えばいいんじゃ……」
「実は、数日前からユキハさんに寄付して頂いた五億で、街の様々な施設や設備を改修していたんですが……。その矢先に、こんな事態に見舞われたと言えば、ご理解頂けますか……?」
「…………あ、はい」
ルナはそう告げると、そっと目を逸らしてそそくさと奥に引っ込んで行く。
和真の手元の紙を見て、まずめぐみんが逃げ出した。
次いで、逃げ出そうとするアクアの襟首を和真が素早く掴む。
和真達の雰囲気で請求の額を察した冒険者達が、そっと目を逸らす。
請求を見ていたダクネスが、和真の肩にポンと手を置き……。
「報酬五億。……そして弁償金額が五億四千万か。……カズマ。明日は金になる強敵相手のクエストに行こう」
ダクネスは心底嬉しそうに良い笑顔で笑っていた。
最早先程まで高らかに宣言した時の興奮が冷め切った和真の落胆振りを前に、怒りで我を忘れていたとは言えこんな事態を引き起こしてしまった己の不甲斐なさに内心で怨嗟を嘆きつつ、雪葉はこの世界で二度目の土下座を和真に向けて敢行した。
何気、主人公の副作用は後の伏線になりやがります。
この段階で解を得た人は私の事好きにちげえねえです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
忠誠【漆】:「これじゃただの剣よ!」「だったら売ればいいだろ!!!」
容疑者は男性、髪は茶、装備ガチガチ、偽善者気取りの石頭だ。
※前の話と矛盾してしまう描写があったので、一部修正してます。
ベルディアを倒した雪葉は念願でもあったレベルアップを果たし、1から2へと上がった。
1。たった1である。
以前受けたルナからの説明によれば、レベルが上がる毎に必要な経験値も増えていくと言うのだから酷い話だと雪葉は落胆を禁じ得ない。
最低でも魔王の幹部に相当する敵を倒さなければレベルアップが見込めないとは、恐ろしく気の遠い道のりだ。この先どんな強敵が待ち受けているのかも分からない以上、主人と親友を守る為にも雪葉にとってレベルアップは必要不可欠だというのに。
竜谷にでも赴いて竜狩りに身を投じるのも一興かもしれない。
そんな事を柄にもなく思い立つ雪葉だったが、自分の時間はこれから先一秒でも長く主人と親友の為に費やすべきだとかぶりを振って愚考を払いつつ、懐から冒険者カードを取り出す。
相変わらず能力値の記載が測定不能だったり心許ない数値だったりと非常に極端であるが、項目欄には新たに会得したスキルが一つだけ記されていた。
──【会得スキル】瞬間移動──
他に新しいスキルの記載も無い為、雪葉はギルドで更新したその場でポイントを割り振って習得を終えた早々試しに使ってみたが、かなり使い勝手がいいスキルであることが判明。
一度訪れた場所へ瞬時に移動が出来る所は転移魔法と同じだが、なんとこのスキル、気配を探ることが出来ればそれを持つ者の元へも移動が可能だった。和真達の協力を得て実証された為、まず間違いなさそうだろう。ただし移動出来る対象は、使用者である雪葉自身だけだが。
気配察知による移動は雪葉が探知する事の出来る半径5キロの範囲内に限定されるのであまり遠くまでの移動は不可能だが、そんな欠点は雪葉にとって瑣末の域を出ない。
余談だが、唯一職が覚えるスキルは魔力を消費しないようなので、雪葉としては新たなスキルの登場が今から待ち遠しい。だが同時にレベルアップがネック過ぎて既に雪葉は気が滅入りそうである。
哀楽入り混じった心境をリセットする為、雪葉は深呼吸がてらに空を仰ぐ。
真っ青な雲一つ無い空の中 、ピーヒョロと優雅に飛び回る小さな影を茫然と見上げる雪葉は、思えば空を仰いだのはいつ振りだろうかとふと気付く。
記憶を掘り出せば、浮かび上がるのは鬱屈によどんだ空から降り注ぐ雨粒と、濡れた服が肌に張り付く冷ややかな不快感。
自身の周囲に横たわる、地に落ちて流水となった雨と混ざる鮮血を止めどなく垂れ流す死体の山。
視線の先に広がる、見る影もなく崩落した無数の瓦礫。
全身に纏わりついた返り血が雨水によって伝い落ちようと、この罪まで洗い流される事は決して無いのだろう。
それは、雪葉が前世で請け負った任務の中でも最低最悪に残酷無比な仕事の記憶。
とある大名から拝命したその内容は、『敵領地の中心街である城と城下町の壊滅、及びそこに住む者達の殲滅。無論、老若男女全て抹殺、手段は問わない』と言うものだったように憶う。
当然、領主に出会う前は機械人形と相違なかった雪葉は一も二もなく大名の命令を実行に移すと、その要望を一夜にして叶えてみせた。
最後の一人の首を胴体から分断させた直後、
あの日、雪葉は人生で一番多くの者をその手に掛けた。性別、年齢、善悪の何れも問わず。
赤子の手を捻るが如しという言葉通り、首も座らぬ赤ん坊の頭を躊躇いなくひねり取った事も一度や二度の話ではない。
雪葉の数え切れない非道を耳にすれば、当時の雪葉が今よりも残忍且つ無慈悲であったことに誰もが総毛立つ事だろう。
別段思い出したからといって当時の行いを悔いたり心を傷ませる訳でもないが、流れ作業のように淡々と殺めていった彼等の断末魔の叫びや、死が迫る恐怖に染まった形相が今になって次々と目に浮かぶのは、以前と比べ報われなかった者達を気にかけるぐらいの人間性を身につけたからという事にしておこう。
命を奪うことへの抵抗など、雪葉は物心つく前からとうに捨てているのだから。
さて、そんな元殺戮天使の雪葉が赴いたのは、親友という堅固な絆で結ばれた貧乏店主の経営するウィズ魔法道具店。別名『廃品の吹き溜まり』である。
というのも、ウィズは回復ポーションを除けばそのいずれも価格だけは箔付きの不能品ばかりを並べたがるきらいがあり、招き猫のきたろう(命名は雪葉)のおかげか以前より客足は増えども、購入した客は雪葉が初めての売高、と言えば万人が苦笑いで察すること請け合いの魔道具屋だ。
されど聞いて驚くには時期尚早。
なんとこの店主、心の底から自分は素晴らしい商品を取り扱っていると信じて疑わないまでの節穴を超えた目利きと商才をお持ちで、この間受け取った火山王での報酬も既に新商品の入荷費用として使い切ったと言う。
当初耳にした雪葉が数瞬、瞠目結舌に襲われたのもむべなるかな。
異名を不死王から散財王に改名した方が良いのではなかろうか。
「あ、いらっしゃいませ! 今日はどんな商品をお探しですか?」
にも関わらず、素寒貧など気にもとめていない、まるで能天気を絵に描いたようなおっとりっちいは、柔和な笑みを浮かべながらいつもの様に雪葉を迎え入れる豪胆ぶりときている。
彼女から、週に三度は隣家から漂ってくる夕飯の匂いが一日のご飯という貧困どころの話では済まされないサバイバビリティー溢れる暮らしぶりを初めて耳にした際は、流石の雪葉でさえも背筋が凍ったものだ。
ちなみに、あの時出されたミルクティーに関しては専ら来客用であり、個人で飲む事は滅多に無いという。他人へ馳走を振る舞う前に、まずは己の私腹をある程度肥やして欲しいと思わずにはいられない。
こぼれ話ではあるが、そんなウィズの商才に頭を悩める雪葉は、彼女の扱う商品が全て無用の長物である事は重々承知していながらも、頻度は稀だが最近購入し始めた数少ない顧客の一人だ。というか雪葉しかいない。
和真達とのクエストをこなしては、少しの合間に高難度のクエストを一人で引き請け、凡そ十分で成果を上げて戻るという高レベルの冒険者も裸足で逃げ出す人外ぶりを垣間見せその報酬を殆どウィズのつっかえ商品に注ぎ込んでいる。
とはいえ、これは単に雪葉がトチ狂って買い漁りを始めたという事ではなく、雪葉にはウィズの生活水準を少しでも良くさせてあげたいという根底の願いがある故の敢行な訳だが。
しかし生活の質を向上させたいとはいえ、このおっとりっちいのことだ。理由もなく純粋に現金を渡せど、そのまま突っ返されるのは想像に難くない。
ならばと雪葉が思いついたのは、自身が顧客となってウィズの商品を購入し、堂々と彼女の手に渡せる大義名分を掲げる作戦だった。これならばあの善人リッチーも、正式な売買のやり取りとして気負うことなく雪葉からの金を受け取ってもらえるという寸法である。
されど如何せん。現在雪葉は例の震災騒動によって負債を抱えた身であり、暫くはパーティーの借金返済に奔走しなければならず、この店へ本格的に金を落とし込む鴨となるのは少し先の事になりそうだ。
だが今回雪葉がここに足を運んだ目的は買い物というわけではない。
「買い物ではない…………あ。じゃあ、その……あ、遊びに来てくださった……とか?」
訥々と語りながらもじもじする姿が微笑ましいウィズに対し、雪葉はそういった側面もあると僅かに頷く。
それにしても、親友と相なってから雪葉はかなりの頻度で遊びに訪れているにも関わらず、ウィズの反応が当初と一向に変わらないのは何故なのか。
気恥ずかしそうに顔の前で両指を合わせながら頬を染めてこちらを窺う姿は非常に愛らしく、思わず雪葉も頰が緩んでしまう程に大変魅力的で結構。
なんなら最近我が主から伝え聞いた写真だとかいうものに収めて日夜眺め続けたい所ではあるが、それとは別としていい加減慣れて欲しいと切実に思う。
「え、写真⁉︎そ、それはちょっと……恥ずかし過ぎて私、死んじゃいますから……」
何を言うかと思えば。ウィズはリッチーなので、死を迎える事など半永久的に有りはしない筈だ。
「うう……、確かにそうですけど……。ですが、そんな事されたら、恥ずかしさのあまり死にたい気分になります、絶対」
両頬に手をあてて茹で上がった顔を冷ますほかほかりっちいの姿を前に、今この瞬間も撮影の食指が動き始めている雪葉を誰が責められよう。
自分の子供やペットを撮ってアルバムにする人がいるように、雪葉もまた、ウィズの様々な姿を半永久的に一面として収めたいだけである。可愛いは絶対的正義だし、現在異論は受け付けてない。
とはいえ、別に雪葉は親友を揶揄いにわざわざ来た訳ではなく、つい先日雪葉の手で一矢報いることも許されずに葬られた魔王軍の幹部、ベルディアについての話を聴聞に訪れたのだ。
同じ魔王軍の幹部であるウィズは、ベルディアとの面識はあるのだろうか。
「え、ベルディアさんですか? 確かに知ってますけど、あの人がどうかしましたか?」
▼
「なるほど、そんなことが……」
雪葉から一連の説明を受けたウィズは、雪葉がベルディアを倒したことに対して特に表情を曇らせたり一言も咎める様子は無かった。
もしや冒険者時代にウィズ達を追いつめたという元怨敵の死は、願ってもないものだったのか。
「うーん……。確かに現役だった頃、彼の手でパーティーが死の宣告に晒された時は、物凄く怒りが込み上げてきましたけど……。ある人のお陰で沢山仕返しが出来たので呪いは解いて貰えましたし、リッチーとなった今では、特にそういったものは無い様な気がします……。ただ……」
おずおずと語るウィズの口ぶりから察するに、それ以外の何かがあるように伺えるが。
「はい。……私が魔王軍幹部となって、偶に魔王の城へ幹部が招集される定例会があるんですが……。それでベルディアさんと顔を合わせる度、その……彼、わざと頭を落としたように見せかけて、私のローブの中を覗こうとしたりして来るので……まあ、どちらかといえば苦手な顔見知り、という感じでした」
確かあのデュラハン、自分は誇り高い真っ当な騎士だったとか宣っていたようだが、その実ただのセクハラ野郎であった。
彼もダクネスも大まかな分類では団栗の背比べだろう。まったくもって嘆かわしいことこの上ない。
もしベルディアが不滅の体で、ウィズから話を耳にした後に彼と対面していれば、雪葉は死よりも恐ろしい苦痛を味あわせていたに違いなかった。
ウィズに害を成す者は、例え魔王だろうが神だろうが容赦はしない、全霊を以って排除する。雪葉にとってこれは絶対的優先事項なのだ。
「あの、何度も言うようですけどっ。そういうのは、せめて私の耳に入らない所でお願いします!」
ぱたぱたと両手で扇ぐウィズを前に、雪葉は然程悪びれる様子もなく軽めの謝罪を述べた。
「もう! わざとでしょうっ。今日は少しいじわるじゃないですかっ?」
詰問するウィズは遺憾とばかりに焼き上がった餅のような膨れっ面である。もし食べる事が可能だったのなら、さぞ美味に違いない。
「私は食べ物じゃありませんっ」
プンスカと聞こえてきそうなふっくらりっちいの姿に心を和ませる雪葉はクスクスと小さく笑う。
その時、ふと雪葉の目に見慣れぬ光景が飛び込む。
それは、カウンターの隅に佇む招き猫のきたろう。ではなく、そのきたろうが入れられた、如何にも頑丈そうな透明の箱型ケースであった。
一体、何故きたろうがあそこまで丁重な扱いをされているのか雪葉には不思議でならない。
「あ、ケースですか? あれはこの間、王都にある専門店から取り寄せて昨日届いた、とっても頑丈なものなんですよ。素材はミスリルを使っていて、中に入れたものが壊れたりしないよう内側には衝撃を吸収する魔法が施されていて……え? 価格ですか? ええと……確か、百二十万エリスぐらいだったような……」
衝撃の価格に、雪葉は思わず突いていた頬杖を崩しかける。
宝石でもないのに、何故そんなケースを購入するほどの厳重保管なのか。極め付けは、ケースが本体の二百倍以上も金額を超えている有様だ。
あれは大した値打ちにもならない、ただ招客を願うだけの置き物である。何もそこまでするほどの価値など無いというのに。
「何言ってるんですか! きたろうはあなたから貰った大切な宝物で、私にとって何よりも価値があるんです! お金なんかには代えられないぐらい大事な物なんですから! 寧ろ、アダマンタイト素材のケースが本当は欲しかったのに、どこにも売ってなくて……っ」
突然テーブルを両手で叩いて立ち上がりこちらの眼前まで詰め寄りながら熱弁したかと思えば、心底口惜しそうに嘆き始めるウィズの姿に思わず雪葉はたじろいだ。
さもありなん。まさか自分のプレゼントにそこまで愛着を持つなど、雪葉自身を含め誰が予想出来ただろうか。
思いがけぬ事実に対する喜びと気恥ずかしさのあまり、今度は雪葉の頬がほんのりと赤く染め上がる番だった。
思わぬしっぺ返しを受けた雪葉は火照った顔をすぐさま手で覆い隠す。
「ゆ、ユキハさんが照れるなんて、これはとても貴重な光景……! 今ならあなたが写真に収めたいと言っていた気持ちが、よく分かります……!」
違う、そうではない。雪葉がウィズへ真に汲み取って欲しいのはそちらではなく、貧困生活の改善についてだ。
なのでカメラを探しに店の奥へ消えようとするのは、雪葉にとって死体蹴り以外の何物でもないので止めてほしい。後生である。
はたして、からくも撮影地獄への入獄は免れたものの、ウィズの脳裏に雪葉の恥ずかしい一面が焼き付けられた事など、当の雪葉は知る由もなかった。
▼
さて、貧乏店主との朗らかなやり取りを終えて店を後にした雪葉は現在ギルドへと歩みを進めている途中である。
だがこのままのペースでは和真達との集合時間に些か早く到着してしまう為、雪葉は道すがら少々中央広場へと立ち寄ることを思い立ち足を向けた。
広場の目玉ともいえる噴水の前では小さい子供達が紙芝居屋と思しき初老の男性の前に座り込んでおり、読み聞かせが始まるのをガヤガヤと待ち侘びている姿は雪葉にとっても非常に微笑ましい光景だ。
ふと、そんな子供達を温かく見守る雪葉の背中に声が掛けられる。
「おや? そこにいるのは、もしかしなくてもユキハくんじゃない?」
振り向いた視線の先には、やあ、と片手を上げて気軽に挨拶をしてくるすらっとした細身と銀髪が目を引く少女。
確か、以前我が主人に窃盗試合を持ち掛けて悉く返り討ちにあった不憫な女盗賊。名前は、クリスだったか。
「覚えてくれていたのは嬉しいけど、あの時の話は掘り返さないで! 本気で泣きたくなるから!」
赤面ながらに懇願するクリスに雪葉は哀愁漂う笑みを返す。
雪葉としてはクリスに対する印象がそれしか浮かばぬ上、彼女と自身の共通するエピソードなど、今のところあの下着強奪事件ぐらいのものだ。他に何かあるかと問われても特には無い。
そもそも勝負を申し込んで負けたのはクリスの自業自得でもあると思うが。
「うっ……、それはそうだけど……」
それはさておき、クリスは一体こんな所で何をしているのか。
我が主人から毟り取られた有り金分を稼ぐ為、臨時パーティーと共にダンジョンへ出立したのを見届けたきりであったが、損失分は無事取り戻せたのだろうか。
「うん、それなら大丈夫だよ。あれから色んなクエストこなしたから、以前の倍は稼げたんだ。ほら」
自慢げに財布を見せつけてくるクリス。
盗賊職を名乗る者が不用意に財布を取り出すのは浅はか過ぎると雪葉は財布を仕舞うようクリスへ注意を促す。
「それもそうだね。キミの忠告通り、ちょっと軽率だったよ」
他の盗賊職が事に当たればどうなるかなど雪葉の知る所ではない。
だが雪葉であればクリスが懐から取り出したあの一瞬で財布の中身を全て抜き取ってから戻す事など朝飯前だ。
恐らく彼女は中身を盗まれたどころか、一度自分の手元から離れたことにすら気付かないだろう。
実際それほどまでに雪葉の奪取技術は磨き上げられている訳だが、生憎コソ泥を働くほど落ちぶれたつもりはないので、盗む気など雪葉には毛頭無いが。
「とまあ、あたしはただ何となく街中をフラついてただけなんだけどね。そしたら偶然ユキハくんの背中を見つけて、声を掛けたというワケさ。で、そう言うキミはどうしてここに? ギルドへ向かうにしては、この道遠回りだけど」
相変わらず潑刺とした調子で問いかけてくるクリスへ、雪葉は待ち合わせ時間の調整がてら此処へ寄り道してみた事を告げる。
「そっか。確かにその時間だと、まだ余裕あるしね。そういやダクネスがキミ達のパーティーに入ったんだって? 色々迷惑とか掛けてない?」
あえて言おう、愚問であると。
あの被虐性壁持ちが引き起こした迷惑行為など、雪葉が思い付くものだけでさえ枚挙に暇がない。主に主人の精神面で。
一度医者にかかる事をお勧めしたがきっぱりと断られたので、友人のクリスからも真摯な説得を試みて欲しいくらいだ。
「それについては本当に申し訳ないと思ってる。でもそれはあたしでも手の施しようが無かったんだ……。どうやったら治るんだろ、アレ」
どうやら雪葉だけでなく、ダクネスの友人的立場にあるクリスも同じ境遇で悩まされている被害者の一員のようだ。ダクネスを最早アレ呼ばわりである。
雪葉はほんの少し親近感を覚え、苦笑を浮かべながら相槌を打つ。
「でさー…………あれ? これってもしかして……絶好のチャンス? ……うん、そうだよ。彼と交流を深められるんだ。こんな滅多にない機会を、早々逃すわけにはいかないもんねっ」
会話がひと段落したかと思えば、何故かクリスはこちらに背中を向け、突然独り言に耽溺し始めてしまったではないか。
時折チャンスだの絶好の機会だのと呟きながら両手を握りしめている彼女だが、一体どのような思案を巡らせているのやら。
自問自答に耽るクリスを呼び掛けた雪葉の眉根が怪訝そうに顰む。
「へ? いや、な、何でもないよっ? そ、そうだ! 時間があるんだし、キミが良かったら……その、近くの店で……一緒に……お、お茶なんて……」
――さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! これより素敵で華麗で途轍もない、嘘のような本当のような紙芝居が始まるよお! さあさあさあ!
――やったやったー!
――早く早く!
――読んで読んでー!
――とんでもねえ、待ってたんだ
思い切ったようなクリスが何やら訥々と切り出し始めた直後、噴水前から男性と子供達の賑やかな声が聞こえ始め、興味をそそられた雪葉の顔がそちらへと向けられる。
どうやら紙芝居が始まるようだが、一体この世界にはどんな逸話や昔話が語り継がれているのだろう。純粋無垢な雪葉の好奇心がみるみる掻き立てられていく。
「……え、ちょ、タイミング悪すぎない? これでも運は良い方なのに、何で?」
腑に落ちない様子で項垂れているクリスへ、ちらちらと噴水の方を気にかけている雪葉は彼女が何か言いかけていたことを問い質す。
「はあ……何でもない。ていうか、紙芝居気になるんでしょ? 見に行って来たら?」
無論雪葉はそのつもりである。
そうではなく、クリスも一緒にどうかと雪葉は誘いをかけた。時間潰しに困っていた自分達には打ってつけとも付け加えて。
「あ、あたしも? いやー……、キミは年齢的に問題ないかもしれないけど……あたしはもうそういうの見るトシじゃないっていうか、あの中に混ざるのはかなり勇気がいるというか……ね?」
頰の傷跡を掻くクリスから雪葉へ何かを訴えかけるような視線が送られている。もしかして紙芝居が嫌いなのだろうか。
「いや、そういう訳じゃないんだけど……。だからさ、その……あたしぐらいの歳になると、もう紙芝居とかは……あんまり嗜まないと言うか、何というか……」
そんな収束の目処が立たない雪葉とクリスのやり取りなど御構いなしに、紙芝居の開幕は刻一刻と迫っている。それでも尚歯切れの悪い様子で迷い気に唸り続けるクリス。
ええい、じれったい。
「あ、ちょっと……」
いい加減痺れを切らした雪葉はクリスの手を取り、いそいそと噴水前に向かう。
どうやら雪葉の咄嗟な判断が功を奏したお陰で、紙芝居の開幕には間一髪間に合ったようだ。座り込む子供達は目を輝かせながら頻りに拍手を送っている。
安堵の息を吐いた雪葉はクリスと繋いだ方の手を引っ張りながら彼女にも座るよう促し、予め用意されていた敷物の上へと腰を落ち着けた。隣のクリスへ鼻息が聞こえそうなほどに雪葉の高揚はとどまることを知らない。
――あれ、姉妹かな? どっちも綺麗な顔立ち。
――どう見てもそうじゃね? 髪の色ぱっと見同じだし。
――ワガママな妹とそれに付き添う姉。微笑ましいわ……。
――信じられないだろ。あれ、俺の子供なんだぜ?
――お前と似てるとこなんて精々人間ってとこぐらいだけどな。
「……うん。まあ、そう見えるのが普通か……何となく分かってはいたけど。……でもやっぱり僕はツイてるよね、うん」
徐にしんみりと呟き、繋ぎ合わせた手を見下ろして笑みをこぼすクリス。一方当の雪葉といえば、そんなことは意にも介さずひたすら目の前の紙芝居へと視線が釘付けのまま最早手を繋いでいる事すら忘れていた。それ程の集中力である。
もはやクリスが幾ら呼び掛けたり肩を揺すろうと、紙芝居の閉幕まで雪葉が意識を逸らすことも無さそうなのは一目瞭然だ。
「はあ……ま、いっか。少しでも長く居られるなら、この際何でも」
自分を納得させ、クリスも渋々紙芝居へと目を向ける。
今回初老の男性が読み聞かせてくれる話は、王道中の王道とも言える、遥か昔に存在していたとされる、ある勇者の物語。
この世界に住む者達なら一度は耳にした事があるとても有名な話だ。無論、クリスも例に漏れず。
二人は静かに、始まりを告げた紙芝居へと耳を傾ける。
晴れやかな空の下。アクセルの街には、今日も人々の長閑な喧騒が飛び交っていた。
▼
ーー知ってるか? 最近、川や水源のあちこちで珍種が確認されてるらしいぜ? 何でも十年以上も前に他の国へ旅行に出かけた貴族の奴らが一興で飼ってきた生き物を捨てたのが原因だとよ。面倒見れねえならはじめから飼ってくんなっつうの。
ーーその話知ってるぜ。あの時は奴等の間じゃあ空前の水棲ペットブームだったからなあ。今じゃあ捨てられたペットはデカくなって大暴れ。そんで、貴族共のケツを俺ら冒険者がクエストっつう名義で拭かされてるってわけだ。ったく、つくづく笑えねえ話だよな。
後ろのテーブルで愚痴を零し合う冒険者達の会話を適当に聞き流しつつ、雪葉はパーティーメンバーが議論し合う姿を静かに見守っている。
あの後、感動的な紙芝居に感銘を受けて子供達と共に盛大な拍手を送った雪葉はいつの間にやらご機嫌が有頂天に達していたクリスと分かれ、ギルドで和真達と合流していた。
何故先程まで溜息の連続だったクリスが二十分足らずの経過で気分上々していたのか真相は不明だが、大方何度も目にしてきたというあの紙芝居の話がお気に入りだからだろうと雪葉は帰結した。
とはいえ、クリスが雪葉の的外れな推測を聞いていたなら、十中八九遺憾の意を示したであろうが。
「クエストだ! 多少キツくてもいいから、金になるクエストを請けるぞ!」
「「おー……」」
「うむ、望むところだ」
和真の宣言にアクアとめぐみんのやるせない声が同時に漏れた後、ダクネスが胸に拳を当てながらいつもより揚々とした声音で応えたのを見届け、雪葉も黙ったまま頷く。
現在雪葉達一行はベルディア討伐の際に街を倒壊させた事で、多額の借金を抱えた身である。
五億もの報酬は丸々街の補修費用として徴収され、手元に残ったのは基本報酬のみ。まだ数千万エリスの借金を返さねばならない。
以降のクエスト達成時、報酬から天引きされることを鑑みて最低でも数十万以上の報酬が見込めるクエストをこなさなければ早々この負債を解消させられない事は誰の目にも明らかな金額だ。
無論雪葉は当初ギルドの職員へ自身が元凶の全てなのだから一人で残りの借金を担う旨を伝えた。
それならば数千万以上の高難度クエストを容易にこなせるし、手っ取り早く債務を終わらせられると思ったからだ。
しかし、ギルドからは『あくまでパーティーとして達成したクエストの報酬からでなければ認められない』と無情な返答を突き返されしまい、雪葉はほとほと困り果てている。
だがある冒険者曰く、これがまさにパーティーの醍醐味らしい。
一人はみんなの為に、みんなは一人の為にクエストへ臨み、例えそれが失敗や成功のどちらに転んだとしても、それを全員で等しく分かち合えるのがパーティーの特権だ、とも。
そう雪葉へと熱く語ってくれたその冒険者は、これまでずっとソロのままクエストをこなして来た、紛う事なき筋金入りの独り法師であったが。
余談だが、当時床に崩れ落ちて癲狂に駆られた己の行いを悔やみ嘆いた雪葉の絶望は、この先お目にかかるであろう地獄の公爵が一柱の愉快な悪魔が居合わせていたなら、「フハハハハハ! 飛び切りの悔みに染まりし悪感情、誠に美味である!」と哄笑するのは想像に難くない。
無論今の雪葉は自身の命を脅かしかねない程の実力を秘めた悪魔との遭遇に直面する事など知る由もないが。
その為、事の発端である雪葉としては主人を始めとしたパーティーを力の限り守り抜く所存だ。
「だけど魔王の幹部が倒された今でもまだ影響は残ってるみたいよ? 殆どが凶暴モンスターの討伐とか捕獲とか、高難易度ばっかりだし」
「……なあ。火山王の時みたいな、高額の素材採集とか無いのか?」
アクアの話を受け、和真が先程までの威勢を失くした様に項垂れながら誰に言うでもなく零した問いを見兼ねためぐみんが拾い上げる。
「そんな都合の良いクエストが転がっていたら、みんな我先にと飛びついていますよ。仮にその様なクエストがあって、引き請けたとしましょう。素材採集と一口に言っても高額である理由を考えてみてください。絶対道中や目的地は、えげつないモンスターの巣窟に決まってますよ」
「だよなあ……」
「私はそれでも一向に構わないが」
「金の前に命散らしたら元も子もないだろ、このドM騎士」
「んくっ! なんの前触れも無く罵倒を入れてくるとは……やるな、カズマ……っ!」
今回の討論会からダクネスを離席させたい主人は冷ややかな視線を注いだ。
ふと、席が埋まっているべき雪葉達のテーブルで、一つ空席の椅子がある事に和真が気付く。
「あれ。そういえばアクアの奴、どこ行った?」
「アクアなら、掲示板の方に行ってしまいましたよ。カズマがダクネスと話している間に、『だったらこの私が手頃なクエストを選んであげようじゃない』とか息巻いて」
忽然と姿を眩ませたアクアの所在を尋ねた和真に対し、めぐみんが説明しながら行き先を指差す。
主人と同様に雪葉も辿るように視線を向けると、丁度クエストボードへ意気揚々と跳ねて行くアクアを捉える。
「あんっのアホ女神!」
気ままに振る舞う女神様に業腹な主人の背中を追うように雪葉も掲示板へと急行。
追いついた先では何やら難しい顔で請け負うクエストを吟味しているアクアが決められなさそうに唸っており、雪葉と和真は彼女の後ろに立つ。
やがて、背後に佇む雪葉達に気付く事もないアクアは一枚の紙を掲示板から剥がして手に取った。
「……よし」
「よしじゃねえ! お前、何請けようとしてんだよっ‼︎」
和真がアクアの持っていた依頼書を取り上げる。
『──マンティコアとグリフォンの討伐──マンティコアとグリフォンが縄張り争いをしている場所があります。放っておくと危険なので、二匹まとめて討伐してください。報酬は五十万エリス』
「アホか!」
怒鳴る和真が張り紙を元の場所に貼り直す。
「何よもう。二匹まとまってるとこにめぐみんが爆裂魔法食らわせれば一撃じゃないの。ていうか雪葉に任せればいいのよ。そもそもこうなったのはこの子のせいなんだから」
「おまっ! そんな事いったら……」
むべなるかな。雪葉は言い返す言葉も無く、その場で迅速な土下座を敢行した。
――おい、あれあれ。カズマの奴、またやってるよ。
――あの子も可哀想だよなあ。あいつの命令で、魔王軍の幹部とタイマン張らされたって噂だろ?
――まだ幼い子供よ? なのに、あの子にだけ戦わせて自分は高みの見物決め込んでたなんて。
――クズマが。
――カスマめ。
――ゲスマね。
「ほうら、やっぱりこうなった! 毎度毎度余計な事を言わなきゃ気が済まないのかお前は! 結果的に俺が悪者扱いじゃねえか!」
「いひゃいいひゃい! はのむはらひっはららいれー!」
「ユキハ、こいつの言うことは気にするな! あとこのままだと俺が社会的に死にそうだから早く頭を上げてくれ!」
アクアの頬を引っ張る主人の切迫した要求を聞き受けた雪葉はすぐに頭を上げて立ち上がる。
その後、数分程和真とアクアの不毛な言い争いが続いたが、やがて馬鹿らしくなったのかどちらからともなく引き下がり、からくも閑話休題の運びとなった。
ちなみに、先程一方的な批難を和真に浴びせていた冒険者達の顔をしかと目に焼き付けた雪葉が後日闇討ちに赴いたのは言うまでもない。
「……まあいいや、取り敢えずコレを請けよう。だが今日はもう一つ請けるぞ。と言っても俺たちじゃなく、アクア。お前がちゃんと活躍出来るクエストな。今んとこ大した成果上げてないんだから、今回こそはまじで役立ってもらうぞ、元なんとか」
そう溜め息を零した和真が戻した張り紙を再び剥がし取り、アクアへと胡乱な視線を向ける。
「元なんとかって何よ! ていうか何度言わせれば気が済むわけ⁉︎私現在進行形で女神なんですけど! 清廉潔白で聡明と名高いアクア様なんですけど! いーわよ! そこまで言うなら、私が華麗に素敵に活躍する勇姿を見せてあげようじゃない! そして、崇高なるこの私の前にひれ伏し、崇めて甘やかすがいいわ!」
女神である事実はともかく、清廉潔白と聡明の箔付けは満場一致でダウトと見抜けるぐらいに信憑性が低い。
アクアが日頃から主人に酒を寄越せだの自分を甘やかせだのと私欲に溺れた痴態を晒している姿以外雪葉は目にしていないし、ましてや彼女の言動から知性を感じた事など一度たりとて記憶に無いのだが。
そんな雪葉の独白も露知らず、自身に最適なクエストを見つけたらしきアクアが興奮しながら和真の袖を引く。
「ちょっと、これこれ! これ、見なさいよっ‼︎」
言われて、アクアが剥がした依頼書の内容を雪葉と和真が確認する。
『──湖の浄化──街の水源の一つの、湖の質が悪くなり、ブルータルアリゲーターが棲みつき始めたので水の浄化を依頼したい。湖の浄化が出来ればモンスターは生息地を他に移すため、モンスター討伐はしなくてもいい。※要浄化魔法習得済みのプリースト。報酬は三十万エリス』
「……お前、水の浄化なんてできるのか?」
「バカね。私を誰だと思ってるの? と言うか、名前や外見のイメージで、私が何を司る女神かぐらい分かるでしょう?」
「宴会の神様だろ?」
「助けてユキエモン! このヒキニートが私のこといじめてくるのよお!」
立ち振る舞いが女神と信じ難いのは確かであり、和真のアクアに対する手慣れたあしらい方は、雪葉にとって目を見張るものがある。
現に先程まで自分に対し悪因扱いだったにも関わらず、ころっと鞍替えを図る横着な女神アクアから助けを請われたこの状況は、雪葉としても苦言を呈したくなる虫のよさだとは些か思う。
されどもそんな図々しいアクアに雪葉は怒りや不満をおくびに出す事も無く、目尻に涙を浮かべて抱きつきながら頭を差し出す彼女の要求を承り、優しく頭を掻き撫でた。望み通りの待遇に、水の女神様は鼻を鳴らして御満悦の様だ。
とは言え、雪葉の行為はわがままな愛らしいペットに対する飼い主に似た心情によるものであり、決して女神としての敬意を表するものでは無いが。
「じゃあ別に構わないから、それを請けろよ。ていうか、浄化だけならお前一人でもいいんじゃないか?」
だがそんな和真の提案に、ユキハセラピーで立ち直ったアクアは臆面もなく苦い表情を顕にする。
「え、ええー……。多分、湖を浄化してるとモンスターが邪魔しによってくるわよ? 私が浄化を終えるまで、モンスターから守って欲しいんですけど」
アクアの躊躇いがちな打診は最もだ。
己の棲処に不届き者が侵入して来ただけでは飽き足らず、剰え湖を浄化されて追い払われる暴挙を黙って甘んじる筈もないだろう。奴さんらが全力で食って掛かるのは想像に難くない。
多少命の危険を伴う任務ともなれば、アクアの反応は推して知るべし。渦中に飛び込むと同義である。
「ちなみに浄化ってどのぐらいで終わるんだ? 五分くらい?」
恐らく短時間であればめぐみんの爆裂魔法でなんとかなると考えた主人の問いに、アクアは小首を傾げながら告げた。
「……半日くらい?」
「長えよ!」
無論ブルータルアリゲーターなど雪葉の聞き知らぬ名前ではあるが、響きから察するに決して穏やかな気性では無さそうだ。
それにしても、半日近く危険と隣り合わせの湖でひたすら浄化に当たって報酬三十万とは、依頼主は存外鬼畜なのだろうか。
本当にこの街が初心者に相応しい場所なのか、甚だ疑わしく感じ始めた雪葉は誰に対するものでもない軽い溜め息を零す。
増してや住民に至っては、無知能女神、爆裂紅魔娘、被虐性騎士の表面だけは一端の三竦みに、商才皆無の不死身店主と容量過多も甚だしい顔触ればかり。
ここアクセルは、肩書きを駆け出しの街からキワモノの巣窟に改名する事を雪葉個人は是非ともお勧めしておく。
「ああっ! お願いっ、お願いよおおっ! 他に活躍出来そうなクエストが無いの! 協力してよカズマさーん!」
黙考していた雪葉の前では、取り上げた張り紙を掲示板に戻そうとする和真の右腕に縋るアクアが嫌々と泣きついていた。
やがて、和真が何かを思い付いたのか徐にアクアへ問い掛ける。
「……なあ、水の浄化ってどうやってやるんだ?」
「……へ? 水の浄化は、私が水に手を触れて浄化魔法でもかけ続けてやればいいんだけど……」
「おい、アクア。多分、安全に浄化ができる手があるぞ。これなら名誉挽回のチャンスもあると思うんだが、お前、やってみるか? ……と、その前にまずは害獣退治だな。行けるか、ユキハ?」
主人からの期待に満ちた視線を受け、雪葉は大きく頷いてみせた。
▼
「いやあ、本当に一瞬だったな」
「魔王の幹部すら手すさびの様なものでしたからね。たかがグリフォンとマンティコア二匹なんてワケもありませんよ」
「カズマもめぐみんも自分のことの様に自慢げだが、奴らを倒したのはユキハだろう」
にこやかに談笑している和真とめぐみんの会話へダクネスが無粋に水を差すと、二人は突然顔を顰めてダクネスに詰め寄る。
「真っ先に突っ込もうとした誰かさんを止めたの誰だと思ってんだよ!」
「そうですよ! ユキハ以外の三人がかりで何とか止めたはいいものの、あの子が一瞬で仕留めなければ数秒と持たずに私たちを振り払ってあなた飛び込みそうな勢いでしたよ! 死にたいんですか⁉︎」
「わ、私はただユキハを手助けする為に、囮スキルが有効な距離まで近付こうとだな……」
「嘘つけマゾネス!」
一つ目のクエストは雪葉が二匹を瞬時に縊り殺し、恙無く達成。
その際、息も荒々しげに特攻しようと走り出したダクネスの足止めに追われる他のメンバーが必死に団結していた姿は、とても雪葉の記憶に新しい。
五体満足で絶命した二匹はギルドから借りた荷馬車に積んで運んだが、荷重の増えた事へ不満を漏らす様にブルルと鼻を鳴らした馬のやる気を促す方が雪葉には手間であった。
現在雪葉達がいるのは、街から少し離れた所にある大きな湖。
街の水源の一つとされており、湖から小さな川が流れそのまま街へと繋がっているようだ。
湖のすぐ傍には山がある。その崩れた斜面から土砂と入り混じるように、そこから絶えず湖へと川が流れ込んでいた。
どうやら雪葉の奮撃による余波がこんな所にまで及んでいたらしい。雪葉は悩ましそうに右頰を掻く。
依頼の内容通り水は汚濁しており、お世辞にも湖とは少々呼び難くどちらかと言えば沼と呼んだ方がしっくり来そうな有り様だ。
そんな湖を眺める雪葉達の背中に、おずおずと声が掛かる。
「……ねえ……。本当にやるの?」
それは凄く不安気なアクアの声。
彼女は一体我が主人の考えた作戦の何が不安だと言うのか。
「……私、今から売られていく、捕まった希少モンスターの気分なんですけど……」
希少なモンスターを捕獲しておく鋼鉄製のオリの中、三角座りでアクアがボソリと呟く。
本作戦の内容。それはオリに入れたアクアを湖に投入し、浄化するというもの。
なんと水の女神アクアは水に浸かるどころか湖の底に沈められても、呼吸に困る事はなく不快感も皆無らしい。また本人曰く、浄化魔法を使わずともアクア自身が湖に浸かり続けるだけでも浄化の効果があるそうだ。
なんと清い女神なのだろう。性格は淀んでいるというのに。
アクアが入ったオリは、当然メンバー随一の腕力を持つ雪葉が湖の際まで担いで運んだ。
触れているだけで浄化できる彼女は少し浸かる程度の位置に置けば十分だと言っていたが、表情は『何かあったらすぐに離れられる所がいい』と訴えていた為、雪葉は顔から明け透けなアクアの真意を快く汲み取る事にした。
それに万一の場合に駆け付けやすいという確かな利点もあり、雪葉としても距離が近いに越した事はない。
ついでに保険を重ねてオリには頑丈な鎖が繋がれており、緊急の際には雪葉が担ぐか引っ張り上げる手筈となっている。
しかし本クエストはアクアの汚名返上が目的であるとの事で、余程の事態に陥らない限り雪葉による介入は許されていない。
アクアを入れたオリを湖の際に沈め、雪葉達は少し離れた距離から待機して湖の様子を伺う。
後はこのまま、四人は離れた所で待ち惚けである。
「……私、ダシを取られてるティーバッグの気分なんですけど……」
静かな湖の畔で、女神の微かな呟きが聞こえた。
▼
出涸らしの女神様を浸け始めてから二時間が経過。
未だにモンスター襲来の気配も無く、雪葉達はアクアから二十メートル離れた陸地で彼女の様子を見守っていた。
「おーいアクア! 浄化の方はどんなもんだ? 湖に浸かりっぱなしだと冷えるだろ。トイレ行きたくなったら言えよ? オリから出してやるからー!」
「浄化の方は順調よ! 後、トイレはいいわよ! アークプリーストはトイレなんて行かないし‼︎」
大方嘘に違いない。
何故そんな意味のない嘘をつくのか雪葉には理解し難いが、女として譲れない部分なのだろう。過度な詮索はやめた方が良さそうだ。
「何だか大丈夫そうですね。ちなみに、紅魔族もトイレなんて行きませんから」
それをこちらに告げてどうしろというのか。するしないに拘る必要も無いだろうに。
仕様のない虚勢を張る暇があるなら、湖で真摯に浄化を行なっているアクアを励ますなり背中を押しながら見守るべきだと思うが。
雪葉は呆れた様に肩で息を吐いた後、湖に浸り続ける出涸らしアクアへと視線を戻す。
「私もクルセイダーだから、トイレは……トイレは……。……うう……」
「ダクネス 、この二人に対抗するな。トイレに行かないって言い張るめぐみんとアクアの二人には、今度、日帰りじゃ終わらないクエストを請けて、本当にトイレに行かないかを確認してやる」
流石は雪葉が認める主人。
オリの中からティーバッグ作戦に始まり、他の者には思い付かない奇策を発案し、平然と即決即断してのけるその非情ぶり。
正に上に立つべき者に相応しい機転と決断力を兼ね備える和真に感服した雪葉は絶賛の拍手をこれでもかと打ち鳴らす。やはり自分の目に狂いはなかったのだ。
「や、止めてください。紅魔族はトイレなんて行きませんよ? でも謝るので止めてください、ユキハに悪影響ですから。……しかし、ブルータルアリゲーター、来ませんね。このまま何事もなく終わってくれるといいのですが」
めぐみんがそんな事を呟いた矢先、湖の一部に小波が走ると水面から無数の影が姿を現わす。
主人和真から伝え聞いたワニとは多少見た目に違いがあるものの、大きさは殆ど変わらない様だ。しかし、こちらのワニが群れで襲う光景を、和真は感慨深そうに眺めていた。
気になった雪葉が問い掛けてみたところ、どうやら雪葉達が元いた世界のワニは、狩りに於いて単独気質な生態との事。
互いの世界で似通った生物を比較するのは中々趣がありそうだ。雪葉の旺盛な好奇心がとてもくすぐられる。
「なんか来た! ねえ、なんかいっぱい来たわ!」
目尻に涙を溜めながらオリの鉄格子を掴んで揺らすアクアそっちのけで。
──浄化を始めてから四時間が経過──
当初はただ湖に浸かり、水の女神が備え持つ浄化能力だけを頼っていたアクアも、今は一刻も早く浄化を終わらせんと一心不乱に浄化魔法を連発している。
「ピュリフィケーション! ピュリフィケーション! ピュリフィケーションッ!」
アクアが入っているオリは大量のワニ達に囲まれ、鋭利な歯で食い破らんとひたすら齧られている。
オリのアクアが何やら喚き立てている様だが、唯一助け舟となり得る雪葉はまだ許可を受けていないので静かに棒立ち中だ。
「アクアー! ギブアップなら、そう言えよー! そしたら雪葉が鎖引っ張ってオリごと引きずって逃げてやるからー!」
とは言え、先程から主人和真がこう繰り返しているのでいつでも雪葉は救援態勢が整っているにも関わらず、一向に駆け付けられないのは偏に怯え続けるアクア自身が理由だ。
彼女は未だオリの中で震えながらも頑なにクエストのリタイアと救援を拒み、自身の力でやり遂げる事に拘っていた。
愚直なまでの勇姿は誠に感心だが、やはりアクア単独に任せておくことに不安が拭いきれないのも仕方がないのだろうか。
場合によっては今後英霊としてアクシズ教徒達に祀り上げられる未来が待ち受けていそうで、流石にそんな末路を迎えるのは、アクアでなくとも甚だ不憫でならない。
「イ、イヤよ! ここで諦めちゃ今までの時間が無駄になるし、何より報酬が貰えないじゃないのよ! 『ピュリフィケーション』! 『ピュリフィケーション』ッッ! ……わ、わああああーっ! メキッていった! 今オリから、鳴っちゃいけない音が鳴った‼︎」
毅然と一人で立ち向かう意志を示したわりにはわあわあと泣き叫ぶアクア。
彼女を取り囲むワニの群れは雪葉達傍観組など目もくれず、オリの鉄格子を噛み砕く事へ躍起になっている様だ。
そんな不遇に見舞われている四面楚歌のアクアを見ていたダクネスがほんのり頬を染めて呟く。
「……あのオリの中、ちょっとだけ楽しそうだな……」
「……行くなよ?」
大方ダクネスの被虐心が唆られているのだろうが、雪葉においては何処か回顧の念を催させていた。
それは、昔任務中に雪葉が見舞われた様々な窮地の中の一つだったように憶う。
雪葉の周りを囲む数十の敵忍者。その者達の猛襲をひたすら躱し続けた後、御礼がわりに全員の首を斬り飛ばしたのは、雪葉にとって今でも感慨深い思い出の一つだ。
ああ、何だか体が少し疼いて来てしまったらしい。ワニ達の元へ剣呑な視線を向ける雪葉は、もどかしさのあまり何度も両手を握り直す。
「まあ、この調子なら何とかなりそうですね。あれ以上にヤバいモンスターが出なければ恐らくいけますよ」
「おまっ、めぐみん! また変なフラグ立ちそうな事を……」
和真がめぐみんの不用意な発言を咎めた直後、湖面の奥で揺らめく一瞬の発光を雪葉は見逃さなかった。刹那、間髪入れずに雪葉の五感が危険信号を報せ始める。
正体はまだ掴めていないが、あれがブルータルアリゲーターなど比較にならない強さであることは明白だ。気配の格がまるで違う。
そう分析を終えた雪葉の行動は迅速だった。
すぐさま鎖を手にすると、そのままアクアが入ったオリごと陸地へと引っ張り上げる。
一度空中に打ち上げられたオリの中で、何やらアクアが涙で顔を濡らしながら癇癪を起こしている様だが、緊急事態につき文句は後で幾らでも雪葉が聞き受ける所存だ。
オリが雪葉達の側へと落下して間もなく、耳を劈くような甲高い雷鳴と共に青白い雷光が湖一面を迸り、のたうち回るブルータルアリゲーターの群れが次々と焦がされていく。
「な、なんだ⁉︎」
「水の中から、雷が……!」
「どういうことだ……?」
ブルータルアリゲーター達が一瞬で絶滅していく様子から察するに、かなりの高電圧の様だ。常人ではひとたまりも無い威力だろう。
「あんな数の群れが、一瞬でやられたのか……?」
「どうやらとんでもないモノを起こしてしまった様ですね……。全員、気を引き締めてください」
「あの電撃……一体どれ程の威力が……」
突如湖を駆け巡った雷光に和真とめぐみんが冷や汗を流す中、一人温度の違う汗を滲ませながら喉を鳴らしたのは、いうまでもなく我等が不朽の盾を自称するダクネスである。
こんな時に欲情など勘弁願いたい。彼女は分別を弁える理性を母親の胎内にでも置き忘れてしまったのだろうか。
それはさておき、あのまま放置していれば世にも珍しい女神の丸焼きが出来たであろう未来が雪葉の目に浮かぶ。
アクシズ教徒が目にすればどんな反応を示したのかという興味がほんの少しだけ唆られたのは、雪葉だけの秘密にしておこう。
だがどうか許容願いたい。決して雪葉に悪意は無く、今のは単なる好奇心に駆られた思い付きなのだ。
やがて、湖面に浮かび上がるワニ達の焼け焦げた死体。
その中心から搔き分ける様に湖の際へ姿を現したのは、全身に電気を帯びた体長がゆうに3メートルを超える巨大な黄金のシャコ。
胸部から生えた一際目立つ、見るからに堅固な捕脚を銃弾の様に撃ち出す姿は、自分がこの湖の王者だと言わんばかりの自信に満ちた風格を示していた。
雪葉は無事を確認する為、引っ張り上げたオリの中のアクアへと目を配る。彼女は何やら念仏を唱えながら震えており、ダクネスが外から声を掛け続けて精神の介抱を行なっている最中の様だ。
アクアほどのアークプリーストでも、どうやら自分の心を癒すようスキルや魔法は持ち合わせていないらしい。この世界も全てが都合の良いように出来ているわけでは無いという事だろうか。
取り敢えず怪我も無く重畳と判断した雪葉は新手の来訪者へ視線を戻す。シャコは近くに浮かぶブルータルアリゲーターの群れの死体へ次々とパンチを打ち込んでおり、風船が割れた時の様な耳障りも甚だしい破裂音だけが辺りに反響している。
まるでサンドバッグの様な扱いに、雪葉はほんの少しだけブルータルアリゲーター達の不憫さを愁いて合掌した。
「……何かヤバそうなのが出てきたぞ。身体中電気走ってるし、危険極まりないだろ、アレ」
生唾を飲み込む和真に、いきなり目を輝かせためぐみんが彼の袖を引っ張りながら昂ぶった声音でシャコを指差す。
「カズマ! カズマ! これは思い掛けないラッキーですよ! まさかこんな珍しいモンスターに会えるなんて! 今日はツイてましたね!」
「いやいや、見るからに物騒なモンスターとのエンカウントだぞ。誰がどう見ても不幸に見舞われてないか?」
「何を言ってるんですかこの男は。あれは世にも珍しい世界三大珍味食材の一つであるシャコミソの持ち主、『オウゴンハナシャコ』に決まってるじゃないですか! シャコミソには全身が痺れる程の麻痺毒が有りますが、それ以上に絶品な旨味が凝縮されたとても希少な食材なんですよ! 食べれば死ぬほどビリビリしますが、それでも一度は食べてみたいと求めるグルメ達が後を絶たない超高級食材と言われています。おっと、想像しただけでお腹が空いてしまいました」
懇切丁寧な説明を終え、可愛らしい音で空腹の合図を報せたお腹を押さえるめぐみん。
すると、先程までアクアの慰労に専念していたダクネスが聞き捨てならないとでも言いたげな表情で顔を上げる。
「めぐみん! 今、シャコミソと言ったか⁉︎あの死ぬほど身体中が痺れる事で有名な拷問食材だろう⁉︎ああ……っ! 一体どれほど凄いんだろう……んんっ!」
「お前、さては痺れてみたいだけだろこの淫乱」
「んくっ……! ま、また前触れも無い罵り……! お前はどれだけ私を苛め抜けば気が済むというのだ……!」
「ダクネス、頼むからもう黙ってろ」
今度主人を悩み相談所にでも連れて行くべきか。雪葉はそう密かに心で嘆く。
「とは言え、爆裂魔法では跡形も無く消えてしまいますから、残念ながら私の華麗な活躍は見込めそうにありませんね。アレ自体ギルドに買い取って貰えれば二、三百万はくだらないというのに。というかミソが食べたくて仕方ありません」
報酬より食欲が優先とは、如何にもめぐみんらしい。
「めぐみんじゃ消しちまうもんなあ……。となると……」
「ええ」
「ああ」
やがて、未だブツブツ呟き続けるアクアを除いた三人の視線が雪葉へと注がれる。どうやらパーティー総意による御指名のようだ。
攻撃の当たらない被虐趣味のクルセイダー。戦闘面における身体能力が心許ない最弱職の冒険者。継戦手段が皆無の一発屋アークウィザード。虚ろな目で座り込んだまま遠くを見据えるアークプリースト。
目の前の敵が持つ実力や特性を含め、誰が見ても雪葉に白羽の矢が立つのは推して知るべしと思わざるを得なかった。
雪葉はこくりと頷き、躊躇うことなくゆっくりとオウゴンハナシャコとの間合いを詰めていく。彼我との距離が残り五メートルとなったところで、相手が雪葉の存在に気付き、傲岸不遜にシャドーボクシングを繰り返しながら雪葉との対峙を果たす。
シャコは逃げるつもりも投降の意志も無いらしい。ならば雪葉が手を下さない理由など最早何処にも見当たらなかった。
恨みは無いが、大人しくパーティーの舌を肥やす糧となって貰おう。
挑発を兼ねた雪葉の挨拶が通じたのかは不明だが、シャコは野郎・オブ・クラッシャーとでも言わんばかりに両方の捕脚を打ち鳴らす。
それとも単なる威嚇行為だろうか。どちらにせよ、相手もやる気は満々の様だ。
二者はどちらからともなく攻撃の姿勢を構えた。
数分後。
和真達の目の前には気絶したまま痙攣するオウゴンハナシャコが転がっており、その半分にも身長の満たないまだあどけなさの残る小柄な男の娘が、鼻歌を口遊みつつシャコを縛り上げていた。
言うまでもなく雪葉の勝利だ。
余談だが、他のメンバーは後にこう述懐している。
「あれは戦いとすら呼べなかったな。シャコパンチが掠りもしてなかったし」
「知ってましたか? あの子曰く誰でも訓練さえ積めば、雷より速く動くなんて造作もなくなるらしいですよ。あれはきっと子供の皮を被ったナニカでしょう」
「せめて一瞬だけでもあの電撃を代わりに味わってみたかった……っ。本当に残念でならない……! くそっ、くそぅ……っ!」
「オリ……湖……ワニ……うっ……、頭が……!」
閑話休題。
余裕綽々で雪葉が討ちのめしたシャコは、現在和真のフリーズによって鮮度を保つ為に冷凍保存され、先に積まれたマンティコア達と共に荷台へと載せられている。
余計な荷物を加えられたせいか、頗る不機嫌な荷馬の嘶きが静かな湖畔に響く。
その姿に自責の念を感じた雪葉は、馬の眉間を撫でながら帰路の途中で人参を買い与える事に決めた。
また、湖面に浮かんでいたワニ達の群れは、雪葉が近くの地面に大穴を掘った後まとめて埋葬。その間、僅か三分の作業である。
「さて、思わぬトラブルもあったが、これで漸く安全に浄化を続けられそうだな。アクア、続き頼んだぞ。……おーい、アクアー?」
返事のないアクアに和真が再度呼びかけるも、彼女から一向に言葉が返ってくる事は無く、ただ静かに焦点を失くした目で膝を抱えたまま、遠くを見つめるばかりであった。
「どうしましたアクア。浄化をしないとこのクエストは達成出来ないんですから、早くオリから出てちゃっちゃと浄化を済ませてしまいましょう。そして、ギルドに戻ったらこのシャコの金ミソをみんなで頂こうではないですか」
「それに、このクエストはお前がやりたいと言い始めたクエストだろう。ワニ達に襲われてなんと羨まし……恐ろしかったのは分かるが、冒険者なら最後まで責任を持ってやり遂げるべきだと私は思うぞ」
めぐみんとダクネスからも催促を受けたアクアは、一度二人へ視線を寄越すと再び真っ直ぐ何処かを眺めながらゆっくりと小声で呟く。
「………………て……」
「え?」
「…………ままてって……」
「なんだって?」
「……オリの外の世界は怖いから、このまま湖までもう一度連れてって」
聞き返した和真を始め、アクア以外の四人が一斉に口を噤む。
どうやらアクアは以前のカエル討伐に続き、今回もトラウマを植え付けられてしまったようだ。
「……ねえ、お願い」
囁やく様に乞うアクアの要求をこくりと承諾した雪葉が再びオリごと担ぎ上げ、静かに湖へとアクアを浸す。
「……ピュリフィケーション……ピュリフィケーション……ピュリフィケーション……」
未だ嘗て、これ程弱々しい魔法の詠唱を聞いたことがあるだろうか。
無心で浄化魔法を唱え続けるアクアの背中に、声をかける者は誰一人としていなかった。
結局、アクアが浄化を終えたのは開始から約七時間後。
あまりの姿に痛ましさを覚えたメンバーの議論により、本クエストの報酬は全てアクアのものとする運びとなったものの、尚も彼女はオリから出ようとせずこのまま街へ連れて行けと薄弱に訴え続ける為、四人は仕方なくその意思を尊重した。
ステータスが軒並み高いにも関わらず、この世界はとことん女神アクアに厳しい気がしてならない。
まるで、アクアに不満や恨みを抱いている何者かがこれ幸いと苦行を強いているのではないかと疑う程に。
雪葉はこの日、二度目となる空を仰いだ。
――わ、私は何もしてませんからね⁉︎
何気無く雪葉の頭に浮かんで来た脳内エリス様があたふたと無実を主張していたのは、一体何を伝えたかったのだろう。
雪葉の問い掛けに対し、エリス様の幻はそれ以上何も答えることは無かった。
▼
「きーっとーこーのーまーまー……売られてゆーくーよー……」
「おいアクア、もう街中なんだからその歌は止めてくれ。ボロボロのオリに膝抱えた女を運んでる時点で、人の注目集めてるんだからな? というか、いい加減出て来いよ」
「嫌。この中こそが私の聖域よ。外の世界は怖いからしばらく出ないわ」
無事にクエストを終え、街の正門で補修作業を監督中だったギルド職員に荷重なモンスター三体を預けた雪葉達は、ギルドへ向かう道中で生温かな衆目に晒されている。
頑なに
そんな時。
「め、女神様っ⁉︎女神様じゃないですかっ! 何をしているのですか、そんな所で!」
薮から棒な大声に一体何事かと後ろを振り向いた雪葉達の先で、オリに引き篭もるアクアの側に駆け寄った男が鉄格子へと手をかけるや、事もあろうにそのまま躊躇なく捻じ曲げたではないか。
男の素性を知らないこちらからすれば、彼が鉄格子を破壊した事は血迷った蛮行としか思えない。とんだ傍迷惑である。
ブルータルアリゲーターが囓り付いても壊れなかった鉄格子を容易く曲げてみせた男の腕力に皆が瞠目する中、雪葉は借りて来たオリの補修費用を一体誰が持つ事になるのか憂慮を覚えていた。
ただでさえ多額の借金を抱えているというのに、仮に自分達があの見るも無残なオリを弁償する事になれば泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目も同然の仕打ちだろう。
それは非常に勘弁してほしい。これ以上我が主人の精神へ負担となるような懸案は持ち込まないで貰いたいのだが。
唖然としている和真とめぐみんを尻目に、見知らぬ男はアクアへと手を差し伸べる。
「おい、私の仲間に馴れ馴れしく触るな。貴様、何者だ?」
その間際、アクアの手を取ろうとした男の身勝手な振る舞いに、腹を据えかねたダクネスが呼び止める。
ワニ達に集られるアクアを羨んでいた先程とは見違える様な聖騎士ぶりは、正しく仲間を守る盾としての使命に燃えるクルセイダーの鑑と言って相違無い姿で思わず雪葉は心の中で密かに拍手と称賛を送った。同時に、いつもこの様に頼もしい姿を見せられないのか、との口惜しさも感じたが。
それはそうと、何やらきな臭い雰囲気に変わり始めたせいかいつもは我先にと好き勝手に振舞うめぐみんも、何故か今は借りて来た猫の様に大人しい。彼女にも場の空気を読めるぐらいの分別がつけられたとはかなり驚きだ。けれどしつこいようだが、それは今のみならず、めぐみんも常日頃から心がけるべきではないだろうか。
しかしいくらダクネスやめぐみんの悪癖について雪葉が思慮を巡らせようとも、本人達に改善の意思が見られないので最早暖簾に腕押しと諦めるしかないのかもしれない。
ダクネスが見知らぬ男を怪訝に誰何する一方で、和真がオリへ入り浸るアクアにそっと耳打ちする。
要約すると、女神としてのお前の知人なんだから早くなんとかしろとのお達しだ。
そんな和真の囁きに一瞬疑問の色を浮かべた女神アクアが思い出した様に目を見開く。
「そう、そうよ! 女神よ私は。それで? 女神の私にこの状況をどうにかして欲しいわけね? しょうがないわね!」
十中八九自分が女神である事は頭の片隅にすらなかったのだろう。
雪葉は割と本気でアクアを調教してくれるテイマーをクエストとして募集する必要がありそうだと思い始めていた。
いずれ我が主と検討すべきだろうか。
もぞもぞとオリから出てきたアクアは、自分の知り合いと言い張る男を目にした途端、徐に首を傾げる。
「……あんた誰?」
どちらの言い分が正しいかは一目瞭然だった。何故なら男が真に迫った様な瞠目ぶりだから。大方アクアが忘却しているだけに違いない。
彼女の印象に残る自分達は余程強烈な曲者揃いの様だ。そんな事を考えつつ、仲間の顔を順繰りに眺め終えた雪葉は自嘲めいたように軽く鼻で笑った。
「何言ってるんですか女神様! 僕です、御剣響夜ですよ! あなたに、魔剣グラムを頂いた!」
「え?」
「へ?」
自身が下賜した神器を見せられてさえ、アクアには毛程も男の顔に覚えがないらしい。
一方の雪葉においては、ミツルギと名乗った男の発言から、自分や和真と同じ日本人の転生者である事を確信した。
些か異風な名前ではあるものの、先程の彼の言からして転生前にアクアから神器を授かった日本人の一人であり自分や和真より前に転生した先駆者なのだろう。
正義感が強そうなきりりとした目つきと茶髪。
風貌に至っては、雪葉の生まれた時代から見ても色男として持て囃されたであろう整いぶりだ。年齢は主人と変わらないくらいか。
全身は鮮やかに輝く蒼の鎧を身に着け、腰には黒鞘に収まった剣を下げており、あれが例の魔剣グラムだろうと雪葉は当たりをつけた。
佇まいから、ある程度身の引き締まった程良い筋肉をつけていることは、雪葉の目を以ってすれば容易に窺い知れる。
神器の恩恵によるものかは不明だが、なるほど身体的にもかなり恵まれている様だ。見方によっては彼も生来の幸運持ちとも言えるだろう。
その点一体我が主人和真の高い幸運値は、この先窃盗スキル以外のどこで振るわれるのか。雪葉はこっそりと、同じ日本人であるにも関わらず全く違う境遇に置かれた二人の少年を見比べつつ、そんな事を慮った。
よくと目を凝らせば、後ろには槍使いの戦士風な少女と革鎧を身に纏う腰にダガーナイフをぶら下げた少女を引き連れている。和真も雪葉と同じく二人の少女を視界に捉えた様だが、再びミツルギという男に視線を戻した主人の目が先程よりも遥かに温度が下がった様に映るのは、雪葉の気のせいだろう。気のせいに違いない。
「ああっ! いたわね、そういえばそんな人も! ごめんね、すっかり忘れてたわ。だって結構な数の人を送ったし、忘れてたってしょうがないわよね!」
逆に問いたいが、女神アクアは和真以外のこれまで送り込んだ日本人達の中で、一人でも覚えている人物はいるのだろうか。いや、考えるまでもなく愚問だろう。
彼女は中身が杜撰で構成された様な適当ぶりである。
大方綺麗な外面を張り付け、転生する人の顔などどれもジャガイモ程度の認識で芋洗いの様にほいほいとこちらの世界へ送り込む光景がありありと雪葉の目に浮かぶ様だ。オフの時は椅子の手摺に肘をついて凭れながらお菓子を貪っていた事だろう。
でなければミツルギのアクアに対する陶酔ぶりは、アクシズ教徒に負けず劣らずの奇人変人か度の過ぎた聖人君子かのどちらかとなる訳だが、彼が頰を引き攣らせている姿から察するにアクシズ教徒ほど彼女を狂信的に崇拝しているわけでもなく、かといって聖人と言うまでの器量を持ちあわせている様にも思えない。
故に、アクアの猫被り説が有力だろうと雪葉は結論づけた。
「ええっと、お久しぶりですアクア様。あなたに選ばれた勇者として、日々頑張っていますよ」
その後も嫌味を感じさせない自然な口調で、職業はソードマスターだのレベルは37まで上がりましたなど、ここぞとばかりに途中経過を報告しているミツルギ少年。
隣から聞こえてくる舌打ちや怨嗟の主が、雪葉の敬愛する主人のものでない事を祈るばかりだ。
「……ところで、アクア様はなぜここに? というか、どうしてオリの中に閉じ込められていたのですか?」
ミツルギとやらは、ちらちらとやさぐれた様な和真の顔を伺いながらアクアに問いかける。
どうやら雪葉の見立ては正しかったらしく、アクアはこの男に、あなたには選ばれた勇者としての活躍を期待していますよ、だとか場当たり的な言葉を掛けてこの世界へと送り込んだようだ。とはいえ、そんな言葉を鵜呑みにしているミツルギ自体も雪葉としてはかなりどうかと思うが。
仮に雪葉を転生させる担当の女神がアクアであったなら、雪葉はその薄っぺらな真意を見抜き、有無を言わさずただちに天国へと送らせていた事だろう。
要らぬたられば話はさておき、ミツルギが主人和真へと度々視線を寄越す姿は、アクアをオリに閉じ込めた下手人が我が主だと誤解している様にも見える。
あのアクアに対する入れ込みっぷりからして、本人の意思による閉じ籠りと弁解した所で、到底受け入れそうに無いのは想像が容易い。
しかし現状それ以外に疑心で満ちた彼を納得させるような方法も無いと判断したらしく、主人和真が自分と一緒にアクアがこの世界に来る事になった経緯や今までの出来事をミツルギに説明すると。
「……はあ⁉︎女神様をこの世界に引き込んで⁉︎しかもオリに閉じ込めて湖に浸けた⁉︎君は一体何を考えているんですか⁉︎」
待って欲しい。それでは主人の説明にあった、アクアの度重なる自業自得な愚しい行為の数々が悉く抜け落ちているではないか。
都合の良い部分だけを抜粋して和真へと当たるのは不愉快極まりないので、雪葉としてはすぐさま撤回を求めたい。
いきり立って和真の胸ぐらを掴むミツルギをすぐにでも地面に組み伏したい雪葉だが、以前ダクネスへ仕掛けた後、和真からなるべくそういった揉め事になる様な行いは避けて欲しいとの命を仰せつかった手前、軽率な振る舞いを極力起こさぬよう雪葉は自身に厳しく科しているのだ。
二律背反の心境に立たされたもどかしさのあまり、雪葉はこれでもかという程に強く握りしめた拳を打ち震わせる。
「ちょちょ、ちょっと⁉︎別に、私としては結構楽しい毎日送ってるし、ここに一緒に連れてこられた事は、もう気にしてないから!」
「……アクア様、こんな男にどう丸め込まれたのかは知りませんが、あなたは女神ですよ? それがこんな……」
初対面で言いたい放題とは、この男生来の石頭なのか。そもそも丸め込まれた愚かな単細胞はミツルギの方だろうに。
アクアの素性を碌に知らないでよくもまあぬけぬけと雪葉の崇高なる主人を貶してくれたものだ。
「ちなみに、アクア様は今どこに寝泊まりしているんです?」
「え、えっと、みんなと一緒に、馬小屋で寝泊まりしてるけど……」
「はあ⁉︎」
ミツルギが胸ぐらを掴む手に力が込められ、苦痛に顔を歪める主人。
駄目だ、この男は殺そう。そうだ、今ここで息の根を絶つのが良い。
我が主に愚行を働く蒙昧など、生かしておく理由が雪葉には到底見当たらなかった。
ベルディア以来の虐殺天使ユキハちゃんへと変貌を遂げた雪葉が、目の前の愚蒙な標的を見据えながら、ゆっくりと腰の愛刀を抜いていく。
「おっと、それはいけませんよ」
しかし、それは奇しくもめぐみんが愛刀を引き抜こうとした雪葉の手を掴んだ事により阻まれてしまう。
自分は今よりあの軽忽な輩の首級を主人へと捧げなければならないのだから直ちに解放するようめぐみんに告げる。
「どーどー……ユキハの気持ちはよく分かりますよ。現に私も、少しあの男に爆裂魔法を撃ちたい気分ですから。ですがよく考えてみてください。今ここであなたが犯罪者になれば、ただでさえ悪評があちこちに広まっているカズマは、一層他の人からの風当たりが強くなるかもしれません。それはあなたの望むところではないでしょう?」
めぐみんの指摘はむべなるかな。それは雪葉や和真にとって全く好ましくないどころか、悪戯に主を精神的に追い詰めることにしかならない。
彼女の手で優しく頭を撫でられる雪葉は、抜きかけの小刀を渋々鞘へと収めた。
だが勘違いをしないでもらおう。
今度あの男が再び同じような暴挙に踏み出ようものなら、雪葉は直ちに取り合うことなくミツルギの命を斬り捨てる所存だ。
次に不敬な愚行を犯すその時まで、精々後悔のない人生を歩むが良い。月夜の晩だけでは無いのだから。
そんな雪葉の怒りをほんの少し代弁するかのように、ダクネスが和真へと詰め寄るミツルギの腕を横から掴む。
「おい、いい加減その手を離せ。初対面だというのに、礼儀知らずにも程があるだろう」
基本的に被虐的言動を起こす以外は物静かなダクネスが、珍しく怒っている。
隣を見れば、先程まで雪葉を諭していためぐみんもあろうことか新調した杖を構えて今にも爆裂魔法の詠唱を始めそうな勢いだ。
――本当は私があの男に爆裂魔法をぶち込みたいだけでした!
とでも言いたげなしたり顔を向けてくるめぐみんに、雪葉はよくも騙してくれたものだとばかりに仏頂面で返して見せた。
ダクネスの制止を受け、手を放したミツルギが興味深そうに順繰りと雪葉達三人を観察してくる。
「……クルセイダーにアークウィザード? ……それに、随分綺麗な人達だな。……おや? …………え、あれ? こ、子供の……アイエエエエ! ニンジャ⁉︎ニンジャナンデ⁉︎」
出会った当初、和真からも今のミツルギ様な驚きの視線を向けられた雪葉だが、彼等の時代において雪葉達忍者の存在は頗る珍しいようだ。
和真曰く、男なら誰でも一度は夢見る憧れの存在らしい。
「君! ただでさえパーティーメンバーが上級職の人達で恵まれているというのに、こんな幼い女の子を誘拐しただけじゃなくクエストにまで連れ回すなんて、一体どういうつもりなんだ⁉︎しかもこんな忍者のコスプレまでさせて! 挙げ句の果てに馬小屋で寝泊まりさせるなんて、自分が恥ずかしいとは思わないのか⁉︎さっきの話じゃ、就いている職業も、最弱職の冒険者らしいじゃないか」
ミツルギの言い分だけ聞けば、和真は凄く仲間に恵まれた環境にいるだけでは飽き足らず、幼女を攫って連れ歩く外道者の様な言い草である。
荒唐無稽なミツルギの独り善がりを改めさせるには、やはり生まれ変わってもらうしかないだろう。
つまるところ、殺るしかないのだ。
苛立ちを隠そうともしない雪葉が腰の愛刀をカチンカチンと手持ち無沙汰に挿抜する中、雪葉の隣で憮然な表情を浮かべている和真がアクアへと耳打ちする。
「なあ、この世界の冒険者って馬小屋で寝泊まりなんて基本だろ? こいつ、なんでこんなに怒ってるんだ?」
「あれよ、彼には異世界への移住特典で魔剣をあげたから、そのおかげで、最初から高難易度のクエストをバンバンこなしたりして、今までお金に困らなかったんだと思うわ。……まあ、能力か装備を与えられた人間なんて、大体がそんな感じよ」
臥薪嘗胆を毛ほども知らずに生きてきた輩に、なぜ一から苦労を積み重ねてきた我が主が上から目線で説教を強いられなければならないのか。
雪葉としても腑に落ちないどころか、甚だ不服である。
雪葉達一行の不快そうな雰囲気を微塵も察していないミツルギは、同情でもするかのようにアクアやダクネス 、めぐみんに対して憐れみの混じった表情で笑いかけた。
「君達、これからは、僕と一緒に来るといい。もちろん馬小屋なんかで寝かせないし、高級な装備品も買い揃えてあげよう。というか、パーティーの構成的にもバランスが取れていいじゃないか。ソードマスターの僕に、僕の仲間の戦士と、そしてクルセイダーのあなた。僕の仲間の盗賊と、アークウィザードのその子にアクア様。まるであつらえたみたいにピッタリなパーティー構成じゃないか!」
身勝手なミツルギの誘い文句に、こちらの女性陣達三人は互いにひそひそと囁き出す。
性格に身勝手な側面が見受けられるミツルギ少年だが、待遇としては確かに悪くない提案だ。
かなりの好待遇を前に当然アクア達も鞍替えを図らない道理は無いはず。そうなれば、主と雪葉二人きりの新しい人生が幕を開ける瞬間はすぐそこまで迫っている。
これは誰にとっても、正に重要な人生の分岐点に他ならない。
だがまだだ、まだそうと決まったわけではない。
となれば、確信を得る為に彼女達の会話を伺うのが手っ取り早いだろう。
雪葉はそっと三人の会話に耳を澄ます。
「ちょっと、ヤバいんですけど。あの人本気でひくぐらいヤバいんですけど。ナルシストも入ってる系で怖いんですけど」
「どうしよう、あの男は何だか生理的に受け付けない。攻めるより受けるのが好きな私だが、あの男だけは何だか無性に殴りたいのだが」
「撃っていいですか? あの苦労知らずの、スカしたエリート顔に、爆裂魔法を撃ってもいいですか?」
なんだ、全然効果無いのか。
甚だ遺憾な雪葉は、人知れず嘆息をついた。
すると、ミツルギが今度は雪葉へと近付き、目線を合わせるようにしゃがみながら語り掛けてくる。
「君、どこの子? 知らないお兄さんに無理矢理連れ回されて、怖かったよね。良かったら僕が君の家まで送り届けてあげよう。大丈夫、僕はそこの怖いお兄さんみたいに嫌なことなんてしないから、ほら」
まさに今、無理矢理嫌な事をされていた。独り善がりもここまで来るといっそ狂気の沙汰としか思えない。
雪葉は心底不快な表情を浮かべ、じりじりとミツルギから後ずさった。
直後、手を差し伸べたミツルギからより遠ざけるようにめぐみんが雪葉を抱き寄せて迅速に後退を続ける。
続け様に雪葉達二人とミツルギの間を壁のように阻んで佇んだダクネスがいつになく眉を吊り上げてミツルギを睨んで見据え、そのまま追撃とばかりにめぐみんと共にミツルギへと向けて口を開く。
「人の話を聞かないばかりか、事もあろうに私達の前で堂々と仲間を誘拐宣言とは、ある意味見上げた度胸ですね。幾らそういう趣味とは言え、小さい子供を拐かそうだなんて、恥を知るべきなのはあなたの方です。撃ちますよ? 本気の爆裂魔法撃ちますよ?」
「へ?」
「全くもって同感だな。年端もいかぬ子供に初対面で気安く近付いたばかりか、剰え公衆の面前でその手に掛けようとは……冒険者の風上にも置けぬ嘆かわしい奴め。盾を担う聖騎士として、貴様のような犯罪者予備軍をこれ以上仲間へ近づけさせはしない」
「いやいや、そんなつもりは無いよ! 僕はただその子を親御さんの下まで送り届けようと──」
「それは誘拐犯がよく口にする常套手段の一つであることは分かっています。大人しく諦めてください」
「この期に及んでまだ自分の犯行を認めないつもりか。こんな奴が同じ街に住む冒険者とは反吐が出る」
いつになく真剣な眼差しの二人。まさか自分がミツルギに近付かれた事にここまで過剰な防衛線が張られるなど、雪葉は夢にも思わなかった。
少し彼女達に対する見方を改めてみてもいいかもしれない。
険しい表情のまま、ミツルギの言い訳を聞く耳など持たないめぐみんとダクネスは毅然とした態度で間髪いれずに言い放つ。
「あなたに私の弟兼子分は渡しません!」
「貴様に私のお仕置き係を渡すものか!」
前言撤回。雪葉は少し前の己に怨嗟の声をぶつけたくなった。
なんという戯言を宣ってくれたのでしょう。
辺りの空気が凍りつき、賑やかな通りが一瞬で静寂に包まれたではありませんか。
「…………は?」
当のミツルギに至っては、理解の及ぶ範疇を完全に飛び越えてきたた二人の発言を前に、口が開いたまま困惑している有様だ。甚だ不本意ではあるが、その反応には雪葉も大いに同調したい心境である。
「ねえカズマ。もうギルドに行きましょう? 私が魔剣をあげておいてなんだけど、あの人には関わらない方がいい気がするわ」
さもあらん。ここはアクアの助言に従って即刻立ち去るべきだろう。いつまでもこんな偏屈者を相手にしていては、雪葉の苛立ちを抑えているなけなしの理性が音を上げてしまい、ミツルギの首から先が血の花を咲かせる惨劇にもなり兼ねない。
なるべく面倒ごとを避けたいという主との約束を含め、一刻も早くこの場から脱却して安寧の心を取り戻したい雪葉も、和真を見上げて催促するように頷く。
「えーと。俺の仲間は満場一致であなたのパーティーには行きたくないみたいだし、この子もすすんで自分から俺についてきてるだけなんで。ていうかそもそも女の子じゃなくて男だし、この子も俺やあなたと同じ境遇って言えば伝わりますよね? とまあそんなわけで、俺達はクエストの完了報告があるから、これで……」
馬を引く和真の挨拶を皮切りに、パーティーが立ち去ろうとした。
………………。
「……どいてくれます?」
すぐさま気を取り戻すとこちらの進路方向に立ち塞がったミツルギに、主人がイライラしながら告げる。
どこまでも人の話が通じない堅物ほど面倒な者はいない。
流石の雪葉もここまで煩わしさを覚える輩は見た事がなかった。
「悪いが、アクア様をこんな境遇においてはおけない。……君は、この世界に持ってこられるモノとして、アクア様を選んだという事だよね?」
「……そーだよ」
「なら、僕と勝負をしないか? 僕が勝ったらアクア様を譲ってくれ。君が勝ったら、何でも一つ言う事を聞こうじゃないか」
「よし乗った‼︎じゃあいくぞ!」
言うが早いか、和真は一も二もなく小剣を引き抜き襲い掛かった。
先手必勝。基本職と上級職の圧倒的優位の差を覆す為にはなりふり構ってなどいられないのだ。
和真が取った行動は、対人戦を練達している雪葉から見ても極めて絶賛の英断である。
そもそも、まともに闘えば目に見えている様な勝負を躊躇い無く仕掛けてきた奴に、卑怯などと非難される謂れは何処にも無い。
まさか持ちかけた話の返事と同時に斬りかかられるとは微塵も予想していなかったであろうミツルギがたじろぐ。
「えっ⁉︎ちょっ! 待っ……⁉︎」
しかしそこは流石の高レベル冒険者。
咄嗟の反応でグラムを抜剣したミツルギは、和真の攻撃を防ごうと手にしたグラムを自分の前へと水平に翳す。
この時雪葉は確信した。
勝利の星は我が主君の手にある、と。
「スティールッッッッ!」
和真が叫んだと同時、その左手に把持されている大きな魔剣。
ここに来て、先程和真の将来性に対して抱いていた雪葉の憂慮は、杞憂へと変わった。
和真の小剣を受け止めようとしたミツルギの手からは、掲げていた魔剣が綺麗さっぱり姿を消している。
これで勝敗は既に決したも同然だろう。
「「「はっ?」」」
その間の抜けた声は誰が発したものだったか。
和真や雪葉以外全員の声だったのかもしれない。
窃盗スキルを組み込んだ主人の巧みな双撃に、ミツルギは成す術も無く奪われた魔剣の腹で頭を強打され、その場で倒れ伏しのだった。
「卑怯者! 卑怯者卑怯者卑怯者ーっ!」
「あんた最低! 最低よ、この卑怯者! 正々堂々と勝負しなさいよ!」
ミツルギの仲間である二人の少女から浴びせられる罵倒を甘んじて聞き入れる和真の顔は、レベル差が凡そ十倍近い格上の相手から勝利を収めたにも関わらず信じ難い程に虚しそうな表情であった。
さて、一方の雪葉といえば完全にのびているミツルギを見下ろすその表情は極めて爽快に満ちた笑みを浮かべている。
いくら高レベルの冒険者と言えど、神器の刀身で頭を殴られてはひとたまりもなかった様だ、ざまあない。話すら通じぬ様な苦労知らずの独善脳筋には、かなり良い薬になっただろう。
ここぞとばかりにミツルギを鼻で嘲笑した雪葉はスキップで主人の下に向かった。
「じゃ、俺の勝ちって事で」
そう言い残し、魔剣を引きずりながら持ち帰ろうとする和真を引き止めるように一人の取り巻き少女が文句を擲つ。
「なっ⁉︎グラムを返しなさい! その魔剣はキョウヤにしか使えないんだから!」
自信たっぷりな少女の言葉に、和真がアクアの方へ振り向く。
「え、マジで?」
「残念だけど、魔剣グラムはその痛い人専用よ。装備すれば人の限界を超えた膂力が手に入り、石だろうが鉄だろうがサックリ斬れる魔剣だけれど。カズマが使ったって普通の剣よ」
神器というだけあり中々見上げた恩恵が与えられるようだが、持ち主ありきの性能では、所詮武器は武器の域を出ないという事なのだろう。
そもそもそんな膂力程度、態々グラムの恩恵を受けずとも雪葉直伝による鍛錬法をひたすら積み重ねれば誰でも身につけられる。
但しその間は人としての生活など捨て去ることになるので、己の身を捧げる覚悟と絶対に揺るがぬ信念を持参の下で門を叩くことが前提になるが。
雪葉の小刀は名うての鍛治師によって造られたものだが、当然刀自体に神器のような恩恵は何も備わっていない。
あくまでそこらの刀より少しばかり上等なものという、単にそれだけである。要は力と技術を持つ者に敵うものなどないということだ。
この二つがあれば、どんな鈍を用いても、鉄だろうが世界一硬い鉱石だろうがスパッと一刀両断なんて誰でも朝飯前のお茶の子さいさい間違い無し。
雪葉も太鼓判を押しているし、確かな品質を約束しよう。
とは言え、されど神器。
他者の手に渡ればあの魔剣はただの剣と成り下がってしまうが、剣自体は恐らくこの世界でも指折りの武器として重宝される筈だ。
元より使われている素材のレベルが違うのだから。
「まあ、せっかくだし貰っておくか」
要するに、主人和真が貰い受けても然程損はしないと言う事になる。
「ちょちょちょ、ちょっとあんた待ちなさいよっ!」
「キョウヤの魔剣、返してもらうわよ。こんな勝ち方、私達は認めない!」
いまだ食い下がる二人の少女。
それを受け、和真は手をワキワキと動かしながら彼女達に向けて見せつけた。
「真の男女平等主義者な俺は、女の子相手でもドロップキックを食らわせられる公平な男。手加減してもらえると思うなよ? なんなら公衆の面前で、俺のスティールが炸裂するぞ?」
更に彼女達の気勢を削ぐべく、雪葉が和真の言葉を端的に解説する。
我が主は男女関係無く叩きのめすし、当然容赦はしない。この場で身包み全部剥がされたくなかったら、さっさとそこで伸びている阿呆を連れて立ち去れと仰せだ。
因みに雪葉も二人相手に酌量の余地など与えないし、主人の許可さえあればその腑抜けた頭を蹴り飛ばしてやる事も吝かでは無い。
無論飛んで行くのは頭だけなので、しっかり腹を括る事を雪葉からもお勧めしておく。
一頻り説明を終えた雪葉が警告の証明とばかりに爪先を軽く地面に小突くと、路面に敷き詰められた煉瓦がピシリと音を立てながら半径十センチ程の範囲に亀裂を生じさせた。
これは迂闊。どうやら雪葉の手加減が足りなかったらしい。
「「ひ、ひいぃ!」」
抱き合いながら震え出す二人の少女から、何やら覚えのあるような刺激臭が漂い始めたのはきっと雪葉の気のせいだろう。
取り巻きの少女達の太腿から伝い落ちる透明な何かも、それが地面に溜まり落ちて出来た水溜りから立つ湯気も、恐らくは雪葉の錯覚に違いない。
「「「うわあ……」」」
背後から感じる仲間の女性メンバーの冷ややかな視線は、一体主人と自分のどちらに向けられたものなのだろう。
雪葉の疑問が終ぞ晴れる事は無かった。
▼
雪葉達は借りていたオリを運んで、ようやくギルドへと帰ってきた。
浄化クエストの報酬は全部アクアに譲渡すると決まったので、諸々のクエスト達成の報告はアクアに任せ、和真と雪葉は馬を返すついでに、一度戦利品の魔剣を携えてある場所へ立ち寄った後、皆より遅れて冒険者ギルドへとやって来たのだが。
「な、何でよおおおおおっ!」
ギルド内を喧しいアクアの叫びによる反響が包み込む。
あの泣き虫女神様は、一々癇癪を起こさねば気が済まないタチなのだろうか。
雪葉と和真が受付カウンターに目を向けると、そこでは涙目になったアクアがルナの胸倉を掴んで頻りに揺らしていた。
ひとどおりルナとやり取りを交わしたアクアはやがて諦観した表情で報酬の入った小袋を受け取り、和真達のテーブルへトボトボとやって来る。
「……今回の報酬。まずマンティコアとグリフォンの討伐クエストは、半額借金への天引きで二十五万エリス。オウゴンハナシャコはなんか別のクエストで張り出されてたみたいで、まるごと買取と合わせて臨時報酬二百万エリス。これも天引きされてこの報酬だって。で、問題の浄化クエストだけど……壊したオリのお金と天引きで、五万エリスだって……。あのオリ、特別な金属と製法で作られているから、二十万もするらしいわ……」
しょんぼりと肩を落としながら小分けされた袋を雪葉達に渡すアクアの虚ろな姿は、流石に同情を禁じ得ない。思わず雪葉の顔から苦笑いが零れるほどに。
オリの件に関しては、アクアはとんだとばっちりだ。
「あの男、今度会ったら絶対ゴッドブローを食らわせてやるわっ! そしてオリの弁償代払わせてやるから‼︎」
アクアが席に着いてメニューを握り締めながら歯軋りをする。
なるほど、どうやらその迅速な決意が功を奏したのかもしれない。
存外その未来は然程遠くないとアクアに告げた雪葉は、彼女の視線を導く様にギルドの入り口へと指を差す。
「ここにいたのかっ! 探したぞ、佐藤和真!」
そうら、鴨が葱を背負ってお出ましだ。
雪葉が示した先には、ちょうど話題に上がっていたミツルギが取り巻きの少女二人とともに立っており、遠目からでもはっきりと分かるぐらいにかなりの剣幕である。
名乗った覚えもない和真のフルネームをいきなり叫んだミツルギは雪葉達の方へズカズカと怒肩で歩み寄ると、テーブルへ叩きつけるように手を置いた。
「佐藤和真! 君の事は、ある盗賊の女の子に聞いたらすぐに教えてくれたよ。ぱんつ脱がせ魔だってね。他にも、女の子を粘液まみれにするのが趣味だとか、小さい女の子を奴隷にして引っ張り回しているとか、色々な人の噂になっていたよ。鬼畜のゲドウカズマだってね」
「おい待て、誰がそれ広めたのか詳しく!」
盗賊とは、大方クリスのことだろう。
この機を逃すまいと意趣返しを図ったことは容易に想像がつく。
数時間前に出会ったクリスは、その話を蒸し返さぬよう入念に雪葉へと頼み込んでいた憶えがあるが、その割には彼女自身に相当な執着が残っているように雪葉は思えてならない。
あの時は座り込んで咽び泣くクリスの姿があまりに痛ましくて金を譲渡したが、ぱんつを盗むことは現代における首級を手にする事だと主人からの言を受けた雪葉が今になって思えば、彼女は名誉な敗北にあやかる事が出来たと言うのに何故そこまで根に持つのか不思議で堪らなかった。
余談だが、クリスは決闘で負けた悔しさの余り泣いてしまった、と今も尚気付かぬまま雪葉の中ではそんな誤解が続いている。決して彼女がぱんつを盗まれた恥辱で泣いていたなどと、雪葉は夢にも思っていない。
クリスの件はともかく、噂が噂を呼ぶとはよく言ったように散々な悪評が街を飛び交っているみたいだが、如何せんそれが全て我が主人のものである事は雪葉にとってかなりの大問題だ。
雪葉にとってこれは到底看過など出来ない懸念事項な上、誠に遺憾であると抗議を示したい程に、理不尽な仕打ちも甚だしい。
ひょっとして我が主に対する宣戦布告のつもりだろうか。もし喧嘩を売っているつもりなら、代わりに雪葉が喜んで買わせて貰うが。
仮に下手人共が街全体におよんでいるとしたら、雪葉は例え相手が誰だろうと一切手心など加えるつもりはないし、場合によっては一帯を更地にすることもやむを得ないと考えている。
無論親友であるウィズは例外だ。
そもそもウィズが他人の風潮に惑わされてしまうような盆暗では無いことなど、彼女との親交に勤しむ雪葉自身が身を以て知っている。何せ死の呪いにかけられた仲間の為、人としての人生など躊躇いなく捨てられるほど意志が強い女性なのだから。
命に代えても守りたい。そう雪葉が突き動かされた程の女性など、ウィズをおいて他には誰一人としていなかった。
とまあ、一の不条理に対し十以上の不服を申し立てたい雪葉だが、徐にミツルギと和真の間を阻むようにゆらりと立ち塞がったアクアの姿が見えたので、今から訪れるであろう痛快劇の幕開けを予感した雪葉は期待に胸馳せながら静かにその瞬間を待つ。
「……アクア様。僕はこの男から魔剣を取り返し、必ず魔王を倒すと高います。ですからこの僕と同じパーティー──」
「ゴッドブロォォォォ!」
「ぬはあぁぁあんっ⁉︎」
「「キョウヤ!」」
アクアの叫びと共に放たれた女神の聖拳が、ミツルギの右頬を見事に撃ち抜きながら盛大に吹っ飛ばした。
床へと転がるミツルギに、慌てて仲間の少女達が駆け寄る。
触らぬ神に祟りなし。
その諺を体現するが如く、女神アクアの怒りと悲しみが拳に宿った正に会心の一撃である。不届き者に神の裁きが下ったのだ。
雪葉はちゃんちゃら可笑しいあまり、思わず笑いが込み上げそうになるのをなんとか堪えた。
もしこの場にアクシズ教徒が居合わせていたなら、自分達が崇拝する女神アクアに殴られるという奇跡体験を味わったミツルギをさぞかし羨んで歯噛みすること請け合いである。
雪葉の記憶では、確かミツルギはアクシズ教徒ではないにせよ、彼等と同様アクアを敬信している一人だった筈だ。となれば、敬愛なる女神に殴られた事へ感謝こそすれ、ミツルギはオリを壊した張本人なのだから、アクアが彼に咎められる謂れは何処にも無いだろう。
一先ずミツルギはすぐにでもアクアに謝罪の意を示した方が良いだろうが、散々っぱら和真を非難した無礼者へ助言を与えるほどお人好しな雪葉ではない。寧ろもう二、三発ぐらいアクアから神罰を受けて、自分の愚かさを存分に悔やむがいいとさえ思っている。
何故殴られたのか不思議そうな表情のミツルギに、ツカツカと詰め寄ったアクアが彼の胸倉を掴み上げた。
「ちょっとあんた! 壊したオリの修理代払いなさいよ! 四十万よ四十万!」
先程雪葉が聞いた限り、アクアは間違いなく二十万と申告していた筈だが。
元値の二倍をせしめようとする、つくづく強情豪気な女神様に対し本来ならば咎めたい所である雪葉だったが、ことミツルギが相手においては、話が全くの別物となる。
そうだ、思う存分取り上げてしまえ。そんな腑抜けに情けをかける必要なぞ露ほどもありはしない。
そんな詐欺師アクアの剣幕に気圧されたミツルギが、尻餅をついたまま素直に財布から金を取り出す。彼から金を手荒に抜き取ったアクアは雪葉達のテーブルに戻ってくるとすっかりご機嫌な笑顔でメニューを吟味し始め、やがて片手を上げつつ高らかな声で店員を呼んだ。
気を取り直して立ち上がったミツルギは、一度深呼吸を行った後、徐に和真へ頭を下げる。
「……あんなやり方でも、僕の負けは負けだ。それでこんな事を頼むのは虫がいいのも理解している。……だが頼む! 魔剣を返してはくれないか? 代わりに店で一番良い剣を買ってあげても──」
頼み込むミツルギの言葉を途切らせたのは、ミツルギのマントを引っ張るめぐみんだった。彼の注意を引いためぐみんは、そのまま和真の腰の辺りを指し示す。
「……まず、この男が既に魔剣を持ってない件について」
「⁉︎」
めぐみんからの指摘を受けたミツルギの表情が、次第に青ざめていく。
「さ、佐藤和真! ぼ、僕の魔剣はどこへやった⁉︎」
「売った」
「ちっくしょおおおおおおお!」
「キョウヤアアアア!」
ミツルギは泣きながらギルド飛び出し、取り巻きの二人も続いて立ち去る。
「……さて、この虚しい金をギルドに出してくるか」
そう呟く和真は受付窓口へと向かっていった。
ちなみに、魔剣グラムの買取価格は三百万エリス。
今回の返済金額、しめて五百二十五万エリス。
残り、あと三千四百七十五万エリス。
返済の満了にはまだまだ程遠い。
溜め息を吐いた雪葉は、親友の笑顔がふいに恋しくなった。
その後、雪葉達はアクアの支援魔法で状態異常の強化を行い、ギルドの食事処で調理してもらったシャコミソにありつく。
皆が絶品の旨さに舌鼓を打って盛り上がる中、若干一名はこの世の終わりとでもいうように影を落としながら、細々とシャコミソを味わっていた。
「……美味い。……美味いのに、全然嬉しくない……っ!」
カズマ「魔剣は貰うと約束したな」
ミツルギ「そうだ佐藤……だが返して……」
カズマ「あれは嘘だ」(金の入った小袋を見せつける)
ミツルギ「うわあああああ‼︎」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
忠誠【捌】:冬の其方
いざ尋常に 勝負!!
「佐藤和真さん……。ようこそ死後の世界へ。私は、あなたを新たな道に案内する女神、エリス。この世界であなたの人生は終わったのです」
目を開けた和真は神殿の中の様なところにいた。
自分の身に何が起きているのかも分からぬまま、目の前の少女にそんな事を告げられる。
ゆったりとした白い羽衣に身を包み、長い白銀の髪と白い肌。
どこか儚げな美しさを持つ少女の顔にはどこか陰りが感じられた。
見た目で言うならば、和真より若干年は下だろうか。
エリスと名乗った女神の青い瞳が、呆然と立ち尽くす和真を哀しげに見つめていた。
そんなエリスの姿を目にしつつ、和真は先ほどの言から自分が死んだ事を自覚する。
この感覚には覚えがあった。
和真があの世界へ行くきっかけとなった
──なるほど、俺はまた死んだのか。
そう思った瞬間、和真の頰を熱い雫が伝い落ちていくのに気がついた。
初めて死んだ時はこんな事など無かったように憶う。
ああ、そうか──
自分は大嫌いだと思い込んでいたあのろくでもない世界を、存外気に入っていたようだ。
▼
ギルドへ向かう雪葉の頰を撫でるように冷たい風が吹きつける。
どうやら冬の到来を報せてくれたようだが、隣の主人和真が肩を竦めながら震えているので正直ありがた迷惑なことこの上ない。
ベルディア討伐から約一ヶ月あまり。
未だにこの世界の文字を一つも書けず、雪葉は筆舌に尽くし難い歯痒さを痛感していた。
古城の潜入調査任務の際に発覚してから、めぐみんやダクネスの献身的な識字教育を受けたにも関わらず、露ほどの成果も得られないとは此れ如何に。
あの時のこちらを見つめる二人の憐憫を孕んだ視線が時折浮かんでは惨めさや怒りに任せ幾つもの筆を犠牲にしてしまったが、恐らくその数は十や二十ではきかないだろう。
結局のところ、何を試そうが肩透かしを喰らう為、これ以上はお手上げとばかりに臍を噛む徒労に終わった訳だが。
「ふ、ふぇ……へっくしょい! あー、さっぶ……」
「なに? カズマったら風邪でも引いたの? どーでもいいけど、あんまりこっち向かないでくれる? 超神聖な女神である私に、あんたが飛ばした唾の一つでも付いてみなさい、ゴッドブロー喰らわすわよ」
くしゃみをして自分の体を抱くように摩る和真に対し、しっしっと邪険そうに手を払いながら釘を刺すアクア。
すぐさま雪葉も頭を切り替え、優先事項が同列一位である和真の体調を伺う。
言わずもがな、同列の片割れは唯一無二の親友ウィズである。
「……ちょっと寒いだけだ。というかお前らこそ、そんな格好で平気なのか? 袖無いし薄着だし、見てるこっちが鳥肌立ってくるんだが」
「当然でしょ? この女神の証たる神器は、装備すれば最高の防御力が備わるだけじゃなく、状態異常だって全部無効化しちゃう超素敵アイテムなんだから! もちろん暑さ寒さにも耐性がつく、正に崇高な女神である私の為に誂えたような──ちょっ、いきなりなにすんのよ! そんなに強く引っ張らないでったら!」
「ふっざけんなよこの穀潰しのクソ女神! 上級職だの勇者候補だの、実際なんの役にも立ちやしないのにお前ばっかが良い様に持て囃されるわ、挙げ句の果てにこんなチートアイテム持ちやがって! それなのに俺は周りからゲスマだのクズマだの、果ては有能なパーティーに取り付く寄生虫呼ばわりだぞ! 止めはお前ら三バカどものお守りに尻拭いと来たもんだ! 少しぐらい俺に感謝して然るべきだろ! 分かったらさっさとそのヒラヒラを貸しやがれ! 第一バカは風邪なんか引かないだろうが!」
「ああ! またバカって言った! 二回も言った! 謝って! 私にバカって言ったこと、ちゃんと二回謝ってよ!」
何やら癇に障った和真から羽衣を盗られまいと奮闘する涙目のアクアはともかく、齢二歳にして極寒の雪山に放り込まれた雪葉からすれば、この程度は寒さを覚える一助にすらなりえない。
敬愛なる我が主人に自分などが気を遣って貰えるというのは大変身に余る光栄だが、同時に要らぬ心配を掛けさせてしまった事に気が咎めた雪葉は最敬礼ながらに謝辞を述べた。
「いや、お礼は分からんでもないが、別に謝ることじゃないだろ」
「グス……ッ、馬鹿じゃないもん……ちょっと楽天的なだけだもん……ッ」
羽衣の強奪は諦めたのか、不貞腐れながら愚図るアクアを尻目に、和真が雪葉に向かって気にするな、と軽く手を振って見せる。
なんと慈悲深いのだろう。
今この時、主人より魔王討伐の命が下されたならば、雪葉は直ちに討伐へ赴く事も吝かではない。
「言っとくがそんな命令しないからな? また周りに見られたり聞かれでもして、下手な悪評広められたら堪らんし──……うーさむさむ。とりあえず、早く中に入ろうぜ。先にめぐみんたちも着いてるだろうし」
さもあらん。主人と過ごすこのひと時が終わってしまうのは実に口惜しいが、いつまでも寒空の下に立たせておくなど愚の骨頂。
ここで主人に従者失格だ、とでも言われようものなら雪葉は己の首を斬りとばして自害に甘んずるつもりだが。
「シャレにならんからまじでやめろ。おいアクア。いつまでもメソメソしてないで、さっさといくぞ」
「ひっく……グスッ……」
和真に続き、頷いた雪葉も未だに咽び泣くアクアの手を引いてギルドの入口をくぐる。
顔を合わせるや否や、矢継ぎ早に自分達の受けたいクエストを押し売りしてくるめぐみんとダクネスの提案を主人和真が即行で棄却し、一同は再び今日のクエストについて意見を交わし合う。
無論、各々の希望を押し通そうとする話し合いなど収束の目処が立つわけも無く、これ以上アクア達女性陣の意見に耳を傾けていても徒らに時が過ぎて行くのは最早誰が見ても明らかなグダつきだった。
結局和真がクエストボードから選ぶ事となり、現在掲示板の前で唸りながら手頃なクエストを吟味している所である。
主人の厳命により、残りの者達で所在無さげの待ち惚けを強いられる中、アクアがやおら小声で話を切り出す。
「ねえ、私思うんだけど」
「どうしました、アクア?」
「カズマって、私たちがいる事のありがたみをぜんっぜん分かっていないと思うのよ」
「確かに。それは由々しき問題ですね」
「うむ。アクアの意見は私も常々感じていたところだ」
めぐみんの返答に間髪入れず、ダクネスも腕を組んだままアクアの提言にこくりと頷く。
ああ、また始まるのだろう。
別段珍しい事ではない。
女三人寄らば姦しいとのとおり、女性陣は顔を合わせようものなら不毛な話がおっ始まるので、よくもまあ懲りないものだと雪葉は頭を痛める。一体これで何度目だろうか。
とはいえキワモノ達だけで野放しにしておくのも、それはそれで気掛かりを拭えないわけで。
話の中身によっては主人和真へ即座に告げ口する事も辞さないつもりの雪葉だが、果たしてどんな議論が飛び交うやら。
人知れずやれやれと嘆息した雪葉は静かに気配を絶ち、三人の話に耳をそば立てる。
「でしょ? だから今日のクエストで私たちがどどーんと活躍出来れば、あんぽんたんのカズマもきっと見直す筈だわ! それに今回は素晴らしい作戦も考えてあるの!」
「ほう、アクアにしてはいつになくやる気だな」
「で、どんな作戦なんですか?」
珍しく意欲的な姿勢に目を丸くさせるダクネスとめぐみんを前に、アクアが自慢気に鼻を鳴らす。
「まず私がフォルスファイアで敵を挑発しておびき寄せるわ。そしたらダクネスの囮スキルで一箇所に集めて、止めにめぐみんの爆裂魔法で一丁あがりって寸法よ! どう? 凄く画期的な作戦でしょ?」
「……え、ええ……そうですね」
「ああ……い、良いんじゃないか?」
はて。雪葉の記憶が間違いでなければ似た作戦をこれまで幾度となく目の当たりにしている気もするが、当のアクアはさも革新的な作戦を編み出してやったと言わんばかりにご満悦だ。
一方のダクネスとめぐみんはしたり顔で見つめてくるアクアの言に正気を疑っているのか苦笑いを浮かべ、無関係である筈の雪葉も内心疑問の声を禁じ得ない程に彼女の提案は衝撃的であった。
いっそ本当に先駆けた発想だと錯覚してしまいそうなアクアの驕り様は、めぐみん達が容喙の気も失せる程なのか二人の顔に掛かる翳りが目に見えて酷い。
「やっぱり二人も賛成してくれると思ってたわ! なんと言っても一週間かけて編み出した作戦だもの。女神の私が本気になればこれぐらい朝飯前……て、何で目を逸らしてるのよ! ほら、早く女神である私を崇めなさい! 今ならアクシズ教に特別待遇で入信させてあげてもいいわよ?」
話の途中で目を逸らされた事に不満を漏らしながらも傲岸不遜に踏ん反り返って入信を勧めてくるアクアに対し、二人が
危ない危ない。思わず開きかけた口を雪葉が直ぐに閉じられたのは幸いだろう。
恐らく茶々を入れようものなら雪葉にも矛先が向けられ、執拗に入信を迫ってくる事は想像に難くない。
あんな街中を駆け巡って声高らかにエリス教をこき下ろしたり、家々の郵便受けにありったけの入信書を詰め込んでとんずらするような偏屈集団への仲間入りなど、無論雪葉は全力の否一択である。
触らぬ神に祟りなしとは正にこの事、と内心で吐露した雪葉は間一髪舞い降りた自分の英断に称賛を送りつつ冷や汗を拭った。
「……アクア。何度も言うようですが、いい加減その女神ごっこはやめませんか? 見ていてこっちまで痛々しいです」
「めぐみんの言う通りだ。エリス教徒である私が言うのもなんだが、いくらアクシズ教の女神様と同名とは言え、本人を騙るなどあまり褒められたことではないぞ?」
「ああもう、何度言えば分かるのよ! そうじゃなくて、私がアクシズ教の御神体になっている女神アクア! 水を司る女神アクアその人なんだってば!」
「「ていう夢を見たのか」」
「だからちっがうわよ!」
悲しきかな。アクアが女神としての認知を二人から勝ち取ることは果たして叶うのだろうか。
今のめぐみんとダクネスがアクアに向ける視線は、
どうやら今回も骨折り損の討論会は幕引きとなったらしい。
特に主人へ悪影響を及ぼす可能性が無いと判断した雪葉は、気配を戻すと手元のジュースで喉を潤す。
「おーい、今日の良さげなクエスト選んで来たぞ」
まるで無駄話が終わったタイミングを見計らったかのように、和真が一枚の張り紙をひらひらと翻しながら戻ってきた。
さて、今回はどの様な任務だろうか。
この世界には雪葉のまだ見ぬ生物や物の怪がごまんといるのだ。期待に胸が弾んでしまうのも無理はない。
密かな欲を言えば、雪葉としては火山王をはじめとした張り合いの見込めそうな強敵の出現も望ましいところだがはたして。
ほれ、とテーブルに置かれた張り紙の内容に和真以外の四人が目を通すと。
「ほう、雪精討伐ですか。それも一匹につき十万エリス、と」
「他の白狼とか一撃熊に比べたら、名前からしてそんなに強そうに聞こえなかったから選んでみたんだが、実際どうなんだ?」
「カズマの言うとおり、雪精はとても弱いモンスターです。雪深い雪原に多くいると言われ、剣で斬れば簡単に四散させることができます。ですが……」
「んじゃ、これでいいか」
めぐみんの言葉を皆まで聞かず、和真はテーブルに置いた張り紙を再び手に取る。
どうやら雪葉の腕試しは今日もぬか喜びに終わった様だ。本当に残念でならない。
強敵とのご対面が先送りとなるのは確かに遺憾だが、主人が選んだものであれば雪葉に否やなどこれっぽっちも無かった。
その分雪精達にはとことん雪葉の憂さ晴らしに付き合って貰うことになるが。
「雪精の討伐? 雪精は特に人に危害を与えたりしないけど、一匹倒す毎に春が半日早く来るって言われてるモンスターよ。その仕事を請けるなら、私も準備してくるわね」
ちょっと待ってて、と言い残して立ち上がり何処かへ向かうアクア。
どうやら先程の作戦会議で発破が掛かっているのかご機嫌に鼻歌まで口ずさんでおり、和真も物珍しそうに目を瞠っている。
「……アクアのやつ厭にやる気だな。俺がいない間になんかあったのか?」
いつも通りの取るに足らない話だ。わざわざ主人の耳に入れておくほどのものではないだろう。
雪葉は特には、と首を振り、和真が気にかける程の要り用な話ではない事を示す。
「そっか。ならいいんだが」
じゃあ先に手続き済ませてくるわ、と受付へ足を運んで行く和真。
そんな彼の背中を見届ける雪葉の横でダクネスがぽつりと独り言をこぼす。
「雪精か……」
命を脅かしかねない程の強力なモンスターとの交戦を日夜渇望する被虐趣味な性騎士ダクネス 。
彼女が何故か雪精という弱いモンスターへ心躍らせていることに違和感を覚えた雪葉だったが、準備から戻ったアクアの到着により疑問は終ぞ晴れぬまま雪精討伐へ出発した。
▼
街から離れたところにある平原。
アクセルではまだ確認されていないにも関わらずこの平原だけが雪で一面真っ白に輝き、思わず一同は再度確かめるように瞬きをしながら茫然と佇む。
棒立ちする雪葉達の先で、ちらほらと手の平ほどの大きさの白く丸い塊がふわふわと宙を漂う姿を視界に捉える。
おそらくあれが雪精だろう。
念の為、練達した雪葉の洞察力で雪精の実力を計るも、街中の何処でも見かけるそこらの猫にすら劣った危険度に雪葉は思わず落胆の声を漏らす。
弱い弱いとは聞いていたが、まさか野良猫以下とは雪葉もさすがに誤算だった。冒険者はおろか、下手すれば子供に棒切れを持たせたって狩り殺せそうなぐらいの貧弱ぶりとは。
こんな無害そのものを体現する白玉達に何故一匹十万エリスもの懸賞金がかけられているのかなど雪葉の知ったことでは無いが、しかしこうも高額だと何か訳ありではないかと、雪葉の勘がそう告げてならない。
「……お前、その格好どうにかならんのか」
そう呆れた視線を向ける和真の先には、捕虫網といくつかの小瓶を携える場違いな風貌のアクアが肩を回しながら気炎を揚げていた。
セミ捕りに行くバカな子供じゃあるまいし……、とはげんなりした和真の呟き。
もしアクアが本当に季節外れも甚だしい昆虫採集に興じようものなら、雪葉直々に折檻増し増しで躾けることもやむを得ないつもりだが。
和真の問いを受け、甚だ不本意とばかりにアクアが顰めっ面で彼を睨み返す。
「これで雪精を捕まえて、この小瓶の中に入れておくの! で、そのまま飲み物と一緒に箱にでも入れておけば、いつでもキンキンのネロイドが飲めるって考えよ! つまり、冷蔵庫を作ろうってわけ! どう? 頭いいでしょう!」
もはや最後の問い掛けが頭の悪い者の典型と言えなくもないが、一人として苦言を呈さないのは仲間であるアクアに対するせめてもの情けなのか。
耳にしたのが雪葉のみなら一切慮ることなく異論を唱えていたかもしれないが、周りの空気を読まぬほど雪葉も無粋ではないつもりだ。
それはそうと、三人で武功を挙げて和真を見返すという当初の目的がとっくにアクアの中から忘れ去られていた。
「……どうやら言い出しっぺは完全に忘れているようですね」
「ああ……。予想はしていたが、何とも遣る瀬無いものだな……」
記憶から抜け落ちただけに収まらずよもや雪精捕りにご執心なアクアの後ろで、諦観の溜息を吐きながら空を仰ぎだしためぐみんとダクネスには雪葉も心より心中お察しする。
ここはアクアが任務の標的を逸れなかっただけでも幸いと汲み取っておくべきだろうか。
「んで、お前は鎧どうした」
「んえ? あ、その……じゅ、準備中だ」
和真からの思わぬ水を向けられ、間の抜けた声を上げてからどもるダクネス。
どこか辿々しい様子の彼女も、私服姿に大剣を背中に携えただけのとても壁役を担う聖騎士とは思えない軽装姿である。
唯一身につけた大剣ですら、パーティー内では既に言わずと知れた屈指のノーコンマエストロであるダクネスがいくら標的に向けて振るおうとも、あの腕前で成せる成果など最早言を俟たない。
屈辱と悦楽の二律背反なもどかしさに息を荒げる姿がありありと雪葉の目に浮かぶようだ。武器が当たらないのならいっそステゴロで臨んだ方が少しはパーティーへ貢献出来るかもしれないというのに。
とはいえ、例えアクア達が何もせずとも最悪パーティーで任務を遂行したという結果さえあれば、別にどれだけ雪葉の独壇場だったクエストになろうがギルドはあくまでパーティーの活躍として見なすだろう。
ありていに言えば、報酬から借金の一部を天引きしてくれるなら雪葉としては彼女達がクエストをこなそうとこなすまいと歯牙に掛ける必要もないのである。
「……キャベツの時から大分経ってると思うんだが」
「いや、その…………そ、そう! キャベツ収穫の為に、めぐみんの爆裂魔法を受けただろう。思いの外あの時の損傷が激しくてな。なので修復にはまだ少し時間が掛かるらしい。……決して薄着で我慢大会をしてみようとか、あれの一太刀がどれ程の威力なのか確かめてみようとかそういうことではないぞ」
「おい、今ぶつぶつと後半何を言った」
「言ってない」
「言っただろ」
「言ってない」
主人からの尋問にしれっと否定するダクネスだが、興奮を隠し切れないその息遣いが全てを物語っていた。
意外な事に雪精討伐は苦戦を強いられている。
何もしなければのろのろと漂うだけなのだが、己が身に危険が迫ると突然そそくさ逃げ回る雪精は中々に厄介なことこの上ない。
主人らの得物を空振る音や苛立ちの声が雪葉の耳に届くことの何と虚しきものやら。
さて、雪葉といえば何故か親近感を抱いた無数の雪精達から執拗に纏わり付かれていた。それも頭へ集中的に。
何もせずとも向こうから近付いてくれるのは非常に好都合だが、しかし人の頭上にばかり群がるのはやめて貰いたい。雪葉の白髪を大きな仲間とでも誤認しているのか。
主人が撫でる際いつでも極上の手触りを提供出来るよう今やこの髪は欠かさず入念な手入れを心掛けているのに、静電気でも生じて髪がパサついたら雪精達はどう責任を取るというのだ。
鬱陶しさに痺れを切らした雪葉がまとめて愛刀で斬り払い雪精を次々と霧散させていく。ざっと十ハ匹程は一掃できただろう。
「くそ! チョロチョロとすばしっこいなコイツ!」
「四匹目の雪精捕ったー! カズマ、見て見て! 大漁よ!」
どうやら他の面子もダクネスを除き、数は然程目ぼしくないものの着実に一匹は仕留めたか或いは捕まる事が出来たらしい。
「めぐみん! そっちへ行ったぞ!」
「合点! カズマ!」
「よし! やれ!」
雪精達を追い回して来たダクネスからの合図を受けためぐみんは目の前の一匹を杖で叩きのめすと、主人和真による爆裂魔法の発動許可を得てから嬉々として呪文を唱えだす。
「原初に出ずるは混沌の災禍。祖に願うは万象一切の灰燼。我が力の頂きに座するは、空を貫き地を砕く、比類なき天上天下の根源也。爆ぜろ、爆ぜろ、爆ぜろ。暗澹たる闇をも飲み込む我が深紅の流出を以って、眼前に阻む白き世界を覆さん! 光れ! エクスプロージョン!!」
冷たく乾いた空気の振動と共に耳を劈く程の轟音。目を瞑り顔を覆わねばならぬ程の風圧。雪原はおろか、地面すらも抉り抜いた深く大きな衝突孔。
日に一度の爆裂魔法によって魔力を枯渇させためぐみんが雪の上にうつ伏せたまま、自分の冒険者カードを自慢気に見せて来た。
「八匹! 八匹やりましたよ。レベルも一つ上がりました!」
相変わらずの規格外な範囲と威力に、流石の雪精も逃げる間も無く爆散したようだ。
逃走対策の奇襲にしては過剰な火力と言えなくもないが。
これで、主人和真が三匹、めぐみんが九匹、雪葉が十八匹の討伐総数は計三十匹。
アクアが捕まえた分も数に加えると、合計三十四匹で三百四十万エリス。
五人で割って、一人当たり六十八万エリスの配当となる。
それにしてもここまで仕事が破格な容易さだと却って第六感がけたたましく警鐘を鳴らして来るので、雪葉としては出発前からの違和感が一向に拭えずなんとも苦々しい。
こんなに割りの良いクエストなら、冬眠気質なアクセルの冒険者達が我先に飛びついたとしても可笑しくはないし、あのダクネスが悦びに浸る様なクエストであるとも思えないが。
そんな独白を零しながら雪葉が顔を上げた十数メートル先で、いつの間にか佇んでいた
気配察知で探れば、ベルディアすら足下にも及ばない程の絶大な威圧感に、雪葉はすぐさま愛刀を構え直しながら対峙する。
どうやら鰯網で鯨が捕れてしまったようだ。しかも相手にとって一片の不足なしとは雪葉にとって正に僥倖。
この時雪葉は初めて女神エリスへと感謝の意を込めて祈りを捧げた。
もしそれが刃を交えようというならば、久しぶりに伯仲の闘いが見込めそうな機会を逃すつもりなど雪葉には更々無い。
「……ん、出たな!」
少し遅れて気付いたダクネスも大剣の持ち手を強く握り締めると、静かに佇むそれに振り向きながらほくそ笑んだ。
なるほど、確かに彼女がこのクエストを一も二もなく快諾するわけである。
「な、なんだあれ……?」
和真の握りしめた小剣は、持ち主の狼狽に呼応するかの様にカタカタと震えていた。
その主人の足下付近には、雪原に顔を突っ伏したまま無言を決め込むめぐみん。
はたして一行の視線を集めるそれは、雪葉や和真にとって覚えの深い風体であった。
「……カズマ。あれこそが冒険者達が冬にクエストを受けなくなる理由の正体。雪精達の主にして、冬の風物詩とも言われている……」
アクアが一歩ずつ後ずさりながら、されど目をそらす事なく言葉を紡ぐ。
全身を白く染め上げる重厚な鎧兜に、真っ白なキメ細かい陣羽織へ袖を通した鎧武者。その腰には冷気を纏う一本の打刀。
総面の眼窩に覗かせる一対の光が青白く輝き、全身から漏れ出すように吐かれる悍ましい気炎。
「そう。冬将軍の到来よ」
「バカッ! こんな世界なんざクソ喰らえ! 人も食い物もモンスターも、皆揃ってクソッタレの大バカ野郎だ!!」
高い金属音と共に鞘から抜刀された抜き身の打刀を煌めかせながら殺気を盛大に漂わせて迫り来る冬将軍へ相対する為、雪葉も愛刀を握りしめて駆け出した。
▼
強い。
結論から言えば、雪葉がこの世界に来てから遭遇した者達の中で、冬将軍は今までに類を見ない正真正銘の強者であった。
十二分に雪葉を死に至らしめる技量を有し、無骨な鎧を纏う姿からは想像もつかぬ正確無比な剣捌きが、一瞬の隙も作らせない程に。
「ああっ!? わ、私の剣がっ……!?」
正に今、襲い掛かる冬将軍の白刃を受け止めたダクネスの大剣がほぼ根元から叩き折られる。
迷い無く振り払われた鋭い一閃。速さだけではなく、その腕前すら雪葉と比べてもなんら遜色がない。
強敵上等と高揚する雪葉の背後で、小瓶を抱きかかえたアクアが何やら和真に説いていた。
時折火の精霊は蜥蜴だの水が美しい乙女だのと飛び飛びの単語を耳にするが、生憎こちらはアクア達に目を掛けている余裕など無いので距離を取るか、もしくは早々に撤退して欲しいところだが。
「アクア! ここはユキハに任せて少しでも遠くへ……」
「それが出来たら最初からそうしてるわ。周りをよく見て」
和真の提案に首を振るアクアの返答に、雪葉と和真が周囲へと目を凝らす。
いつの間にやら雪葉達を中心に、横から吹き付ける様に雪葉達と冬将軍の周囲を阻む吹雪の壁。
「あれも冬の精霊の頂点に君臨する、冬将軍の力よ。あれに触れたら最後、高い耐寒の効果を付与された防具や神器でさえ意味を持たずに一瞬で凍りづけになって凍死するわ。もう、私たちに逃げ場なんてないの」
ここから一人も逃すまいと辺りを囲む吹雪の壁を目にした雪葉は思わず舌打ちを禁じ得ず、内心臍を噛む。
まさか武技のみならず知力にまで富む猛将とは御見逸れした。戦略に於いては相手の方が一、二枚上手のようだ。
雪葉は決して自分の力に驕らず、冬将軍の実力を軽んじていたわけでもないが、流石にこれは予想外の言に尽きる。
いや、冬の精霊を司る冬将軍ともなれば、雪を操るなど造作もないことは推して知るべし。これは完全に雪葉の浅慮と言わざるを得なかった。
冬将軍の機嫌次第では、雪葉達パーティーの命など手の平の上と言うことだろう。まったく前門の虎後門の狼どころの次元の話では無い。
「つまりこいつは、日本からこの世界に来たどっかのアホが、冬といえば冬将軍みたいな乗りで連想したから生まれたのか? なんて迷惑なんだよ、どうすんだこれ。吹雪も操れる冬の精霊なんてどう戦えば──あれ、ユキハ?」
ダクネスの横で投げやりに愚痴を吐き捨てながら剣を構えた和真の呼び掛けに応える事無く、雪葉は隠密の業を発動する。
確実な奇襲を遂げるべく、雪の上に足跡が付かぬよう雪葉は爪先へ全神経を注いで足音も殺しつつ歩み出す。さながら路傍の石、或いは必然と漂う空気の様に。
そのまま冬将軍の背後へ回ろうと足を進め、はたと気付く。
隠密によって雪葉が匂いや音、果ては気配まで全ての知覚され得る要素を絶ったにも拘らず、冬将軍が脇目を振ることもなくまっすぐな視線をこちらへ向けているのだ。
この時、雪葉は不覚にも歩みを止めて瞠目した。
油断も慢心もしていない今のこれは、全身全霊で意識を張り巡らせた史上最高とも自負できるぐらいの隠密であるというのに。
しかし現に冬将軍の眼差しは雪葉を捉えて離さず、俄かには信じ難い光景であるにせよ今の雪葉にこの状況を否定する術は無い。
誰一人として見破れる者はいない、などと自惚れていた雪葉ではないが、現実に直面すればなるほど。それなりに抱いていた隠密への自尊心をここまで打ち砕かれる衝撃とは思わなんだ。
最早隠密を続けていても糠に釘、と諦観した雪葉は潔く気配を戻す。
それとほぼ同時、アクアが手にしていた小瓶の蓋を開け、せっかく捕まえた雪精達を解放する。一体何のつもりだろうか。
「カズマもユキハも聞きなさい! 冬将軍は寛大よ! きちんと礼を尽くして謝れば、見逃してくれるわ!」
降り積もった雪原へとそのまま瞬時に平伏するアクア。
「DOGEZAよ! DOGEZAをするの! ほら、皆も武器を捨てて早くして! 謝って! カズマも早く、謝って!!」
躊躇いもなく頭を地面に接地させるアクアの姿を信者たちが目にしたなら、彼等もこうべを垂れて終いには感涙に咽ぶかもしれない。それは実に滑稽な一齣になりそうだ。
そして一方では、先程から微動だにせず死に真似を貫き続けるめぐみん。これには雪葉も拍手を送りたいと思うほど、忍者顔負けの素晴らしい偽装工作である。
アクアが土下座を敢行したことにより、いよいよ残りの雪葉とカズマ、ダクネスの三人へと的を絞ったように無感情な視線を向け直してくる冬将軍。
冷ややかで剣呑な冬将軍の威圧にあてられ、和真も慌てて土下座を行う。
礼を尽くして冬将軍が矛を収め、主人和真への危害が無くなるならば地に額を擦りつけるなど雪葉にとって微塵も苦ではない。
雪葉も静かな所作で愛刀を腰の鞘へと戻し、頭を下げようと膝を曲げた所で、思わずそちらを二度見した。
アクアの啓発が届いていた筈だというのに、腰を落とす気もなく突っ立ったままのダクネスが冬将軍へと対峙を続けているではないか。
「おい何やってんだ、早くお前も頭を下げろ!」
雪葉と同様に気付いた和真が忠告を飛ばすも、ダクネスは了承するどころか切り飛ばされた大剣を投げ捨て歯噛みながらに冬将軍を睨んでいる。
全くもって主人の言はむべなるかな。
ダクネスがこの状況で何を血迷っているのかとても理解に苦しむが、今は身の安全が最優先なのだ。特に主人和真の命は何に差し替えてでも。
にも拘らず、主人の言に耳すら貸さぬとは無礼千万。一体何を以ってしてそこまで頑なに拒むのか。
「くっ……! 私にだって、聖騎士であるプライドがある! 誰も見ていないとはいえ、騎士たる私が、怖いからとモンスターに頭を下げる訳には──むきゅっ!?」
そんな御託を聞いてる暇は無い。さっさとしろ。
うだうだと今この場には必要の無い矜持を貫くダクネスの頭を掴んだ雪葉は瞬時に雪面へと抑えつけた。
「よ、よし。ナイスユキハ!」
「や、やめろお! くっ、下げたくも無い頭を無理やり下げさせられ、地に頭をつけられるとかどんなご褒美だ! ハアハア……。ああ、まるで万力で挟まれているかの様な後頭部の痛み……! 押しつけられた頰に染みる雪の冷たさ……! んんっ……! だ、だが時と場所を考えろ……! お前が私を痛めつけたくなる劣情に駆られてしまうのは仕方がないにしても、今は遊んでいる場合では──わぷっ」
甚だ心外である。
情欲に染めた瞳を向けてくる奴がどの口で宣うのか。
雪葉は無言のまま、懲りもせず発情するダクネスの顔面を完全に雪の中へと突っ込む。頭を冷やすのに事欠かないこの環境はとても都合が良い。
なに、たかが数分の間冬将軍が去るまでの辛抱など、クルセイダーである彼女ならそのくらい屁の河童だろう。特に根拠は無いが。
「ほろほひゅうがままはらはいどょうひょう……ほれはほれでまは……」
真摯なオネガイが功を奏したのか、漸く素直に応じるダクネスを抑えつけたまま雪葉も静かに頭を下げて謝意を示す。
土下座の間際に冬将軍の様子を伺うと、すでに刀を収め冷気も穏やかなものに変わっていた。
「カズマ、武器武器! 早く手に持ってる剣を捨てて!」
「っと、やべ」
アクアの真に迫った警告に、慌てた和真が右手に把持する剣を投げ捨てる。
咄嗟の判断であった為か、武器を手放した彼の頭が迂闊にも上がってしまう。
間を置かず、冬将軍が鞘へ収めた鍔に左手を添え、親指を掛けて僅かに刀身を覗かせた音を聞き逃さなかった雪葉が愛刀を即座に取り出し雪面を跳ねる。
「──へ? あ……あっ、ぶねえぇぇ……!」
冬将軍が振るった白刃が和真の首を捉えるすんでに、両者の間へ躍り出た雪葉が愛刀で冬将軍の一閃を阻む。
そのまま冬将軍の腹を蹴り飛ばし、一度彼我の距離を開いて体勢を立て直す。
「わ、悪い助かった! お前も早く刀を捨てて……」
和真が口を閉ざしたのも無理はない。
主人の言に耳を傾ける事もなく、雪葉の目がまっすぐ冬将軍へと向けられているからだ。
剣呑とした視線に明確な殺意を孕み、雪葉は殺気を余す事なく開放しながら愛刀を強く握り締めた。
もう我慢の限界である。
あれは主人の命を奪わんとする怨敵だ。一切の慈悲も与えず、確実に息の根を止めてやろう。
――ええ、ええ。とても良い心掛けです。
はて。何やら怒りに身をやつすあまり、聞き知らぬ女の声が雪葉の頭に届いてしまったようだ。
時折聞こえてくるエリス様の声とは違い、こちらは何処から艶やかで少し大人びた中にどこか妖しさを孕んだ印象を受ける。
よもや知らない女の幻聴が聞こえてしまうほど、雪葉の精神状態はおかしくなっしまったのだろうか。
――まあっ、幻聴だなんて。其の様な酷いことおっしゃらないで下さい。わたくし心があまり強い方ではありませんので、どうか優しく
やけに現実味を伴う怪異である。
雪葉自身が起こした錯覚なのか、はたまた本当に何者かが語り掛けているのか今は白黒つけている暇はない。すぐにでも目の前の忌敵を討たねばならないというのに。
――ええ、心得ておりますとも。ですからお力になる許可を頂きたいと具申します。さすれば、必ずやあの愚かな白甲冑に目に物を見せられるとお約束しましょう。
その申し出には是非も無い。
主人に刃を向けたあの不届き者を制裁出来るのであれば、どんな手段であろうと雪葉が否やを示す理由など一つも無いのだから。
この際何でもいいので、さっさとこの怪奇現象とのやり取りを打ち切って冬将軍を仕留めたいのだが。
――ええ、喜んで。この力、存分にお役立てください。
くすくすとその声が笑った瞬間、雪葉の体の奥底から身に覚えのある感覚が湧き出す。そう、確か。
――お気付きになったようですね。ええ、そうですとも。憎きあの父親を仕留めた始祖の力です。しかしこの力は諸刃の剣。人の身による長時間の使用は体が保ちません。ですので、無理のないよう今回はほんの少しだけお貸ししました。
雪葉の見た目に特に変化はない。
あの時に比べても力は微々たるものだが、それでも冬将軍との決着をつけるには十分事足りるだろう。
しれっと雪葉の過去を吐露した
周りの音一切を遮り、腰を落とした雪葉が両足へと力を込めて視界に映すは刀を構えて佇む冬将軍ただ一体。
より確実で強力な一撃を加えようと雪葉が柄を逆手から順手に持ち変えて息を整えた直後、愛刀が唸るような音を立てながら刀身に見覚えの深い蒼炎を煌々と纏い始めた。どうやらこれも例の力の一端らしい。
――さあ。万物を斃して来た比類無きこの力、遠慮なくお振るいください。
幻聴から掛けられた発破を合図に、雪葉は冬将軍へと向かい、思い切り地を蹴り出す。
一瞬の間に接近した雪葉に刀を振り下ろす冬将軍。その速度が雪葉には走馬燈のように酷く緩慢に見えた。
どうやら諸々の身体能力が格段に向上しているようだ。ならばまずはその得物を無力化させて貰おう。
鋭く斬り払われた雪葉の一閃は冬将軍の刀の刀身を横から捉え、折れた刀身の先が空高く空中へと舞い上がっていく。
次は右手。そして左手。
すかさず斬撃を叩き込み、冬将軍の両手を斬りとばす。
遥か後方へと飛んでいく両手は次第に実体を保てずゆっくりと消えさり、先程とは大化けした雪葉の猛襲に後退る冬将軍。
さて、後は両足と首を残すのみ。次なる箇所へと狙いを定め、音も無く静かに一歩踏み出す。
――あら、もう時間切れのようですね。
瞬間、雪葉の全身を前触れもなく壮絶な痛みと脱力が襲う。
堪らず地面へと俯せに身を投げ出した雪葉は今までの訓練すら凌ぐ程の苦痛に思わず顔を歪ませた。
一体何が起きたというのか。雪葉は事情を知り得る可能性が最も高そうな怪現象を呼びつける。
――むふふ……何て良い声で
白々しい。言い直した所で労りの声が喜色塗れだ。
そんなことよりも、まずはたった今雪葉の身に起きているこの状況に説明が欲しいところだが。
――先程も申し上げましたが、その力は諸刃の剣。使えば必ず代償を伴います。常人ならあまりに耐え切れず、死に至るぐらいには苛烈極まりない激痛なのですが……意識を保っていられるとはさすがです。ああ……、それにしても何という御姿。苦痛に歪むその面貌が途轍もなく堪りません……っ!
雪葉が窮地であるにも拘らず、ひとの苦しむ顔で臆面も無く悦びの声を上げるとはつくづく自由奔放で不躾な怪現象である。
さて。幻聴曰く、力の代償とやらによって雪葉は今や元の木阿弥どころか苦境に立たされた訳だが、ここから先の事など頭の片隅にも無かったので無論五里霧中の手詰まりだ。
殆ど力の入らぬ体に鞭を打ちながら振り返れば、頭を下げながらも雪葉へ頻りに呼び掛けている仲間達の姿。
再び前を向けば、いつの間にやら両腕を再生させた冬将軍が物言わず雪葉を見据えたまま、左の腰に携える鞘へと権能で生み出した新たな一振りが納刀されていく。
鞘へと収め終えゆっくりと歩み寄ってくる冬将軍の姿を前に、雪葉は歯を食いしばりながら力の入らない体をどうにか動かさんと歯をくいしばる。
まだだ、まだ借金の返済を満了していない。主人の最期を見届けていない。ウィズとたくさん話したい。美味しい物を食べたい。まだ見ぬ場所や景色が見てみたい。
何とも心残りがありすぎる。雪葉はまだ死ぬ訳にはいかないのだ。
――いくら足掻こうとしても詮無き事ですよ。少なくとも一日はまともに動けませんので。それに、もう十分為すべきことは果たせました。
この怪異は雪葉に甘んじて死を受け入れろとでも言いたいのだろうか。それは断固として御免被るし、雪葉は出来る限り最後まで諦めずに抗うつもりだが。
――いえ、そうではなく……まあ、すぐにわかりますから。
先程までの親身な態度で接して来ていた声と同じものとは思えない、偉く投げやりな声音で呟く怪異の要領を得ない言に、雪葉は眉が顰む。
やがて、すぐ正面に辿り着くと雪葉を見下ろし、そのまま両手を胸の前まで掲げると、右手を上に、左手を下に添えながら何度も拍手を鳴らし始める冬将軍。
これには雪葉も呆然としてしまう。
暫く続けていた拍手を終えた冬将軍は、翳した左の掌へと雪葉達の周囲を囲んでいた吹雪を凝縮させていく。
気付けば、冬将軍の殺気は知らぬ間に鳴りを潜め、眼窩に覗く瞳のような光も何処か穏やかそうに雪葉を見つめている。
「な、なんだ? 吹雪が止んだぞ?」
「しっ! まだ頭を上げちゃダメよ!」
「ハアハア……ちべたい……っ」
どうやら主人達にも危害を加えられた様子は無いようだ。
雪葉はほっと一息胸を撫で下ろす。
すると、徐に膝をついた冬将軍が吹雪を集めた左手を雪葉に向けて差し出して来る。
そこには、白銀に輝く雪の結晶が象られた直径五センチ程の首飾りが一つ。
どうやら受け取れ、との事の様だが、一体どういう風の吹き回しだろうか。
――刀を折られた時点で、既に冬将軍の中で決着はついていたのです。あれは将軍である前に一人の武士。闘いの勝者に対する敬意の証を贈りたいのでしょう。受け取っておいて特に損は無いかと。
様々な遺恨が残ってはいるが、相手に害意が無い上雪葉もまともに動けぬ身ではこれ以上の継戦が不毛なことは誰の目にも明らかだ。
雪葉は渋々頷き、痛みでまともに動かせない手をぎこちなく伸ばす。
冬将軍は雪葉が伸ばした掌へと首飾りを丁寧に載せると、全身を吹雪で包み込み、この場から姿を眩ませた。
今回は仕留め損ねたが、必ずや主人に矛を向けた愚挙への天誅をくだして見せる。
そう雪葉は消えた冬将軍へと一方的な誓約を結んだ。
さて、少しばかり本来の思惑から外れた勝利ではあるが、一応この幻聴には雪葉からしっかりと謝意を示しておかなければならないだろう。
雪葉は手短に心で謝辞を述べる。
――礼には及びませんが、他ならぬ貴方様からの感謝の言葉を無為になど出来るわたくしではありませんので、有り難く受け取らせて頂きますね。
何とも掴み所のない怪異に、雪葉は頭を悩ます。
雪葉の過去を知っている線から雪葉自身の生み出した幻覚では無いかとも疑っていたものの、冬将軍の意図を雪葉へ説いてきた事から察するにそういったわけでもないようだ。
それに、
――あまり乙女を詮索するなど、野暮というものですよ。とはいえ、その内分かる事ですから今すぐどうこうと考える必要はありません。
どうやら正体を吐くつもりは無いらしい。しかし雪葉としては一つだけどうしても聞いておかねばならない事がある。
主人やウィズに仇なすものなのか、それとも味方なのか。
――少なくとも貴方様の味方です。わたくしはとうに貴方様へと全てを捧げた身ですから。──あら。どうやらこれ以上の現界は厳しい様ですね。……では、またの逢瀬を楽しみにしております。それまでご壮健を、わたくしの唯一にして愛しい
そう怪電波が言い終えると、言い様の無い感覚が消えたように雪葉の気分が少し軽くなった。
結局何者かははっきりと分からぬままだったが、本人がその内分かる事だと言うのなら無理に雪葉から答えを求める必要もないだろう。
「おーい、大丈夫かー!」
遠くから声を上げる和真の呼び掛けに雪葉が小さく頷くと、ダクネスが雪葉の下へと緩やかな駆け足でいの一番に辿り着く。
「さすがは私の見込んだ奴だ。騎士道精神にも劣らない、正に勇猛果敢な戦いぶりだったぞ」
柔和な笑みを浮かべたダクネスがしゃがみ込み、そのまま雪葉の頭を優しく撫でる。
何やら清楚然として誉めてはいるものの、その実見込んだ理由はとんでもなく不純な動機である事を知っている雪葉としては精々苦笑いでしか彼女の賞賛に応える事ができない。
一言水を差そうかとも思った雪葉だが、頭の心地好さに免じて今回は不問としておく事にした。
「あの力、僅かな間とはいえかなり体を酷使するものの様だな。なんと羨ま──いや、凄まじい力だ。その様子だと、まともに体も動かせないのだろう? 私が負ぶってやる」
これくらいお安い御用だ、と雪葉の返事も待たずに背中へと背負い込むダクネス。
何故平素からこういった頼り甲斐のある一面を見せられないのか雪葉としてはとても理解に苦しむが。
そこに後からトテトテと追い着いてきたアクアが雪葉の姿を間近に見るや、怪訝な目つきで告げてくる。
「ちょっとユキハ、あなた身体中から変な気配が漂ってるじゃない。ダクネス、一回そのままストップ」
真剣な表情でダクネスに厳命したアクアは探偵もかくやあらんといったポーズを取りながら値踏みするような視線を雪葉の全身へ注ぐ。
「ふむふむ……あー、なるほど。見たところ、神の力を人なんかの体に無理矢理堕ろしたからこうなってるわけね。これじゃいくら高貴な女神の私でも治しようがないじゃないの。え、嘘。しかもこの神気、私よりも神格が高い奴の仕業? 何それすんごい納得いかないんですけど……」
何やら珍しくぶつぶつと熟考に耽るアクア。
そんな彼女の姿に違和感を示したダクネスが、雪葉を背負い直しながら訝しんだ様に問い質す。
「む、どうしたアクア。お前でも治せないものなのか?」
「認めたくはないけど、そういうこと。と言っても一日で治るものだし、命に関わることじゃないから大丈夫よ。まあ、それまでは体なんて殆ど動かせないでしょうけど」
「ふむ。ではギルドへ戻ったら、今日一日のユキハの世話について皆で検討せねばなるまい。カズマとめぐみんにも伝えておこう」
「じゃあ、私が二人に伝えてくるわ。ダクネスはこの子を背負ってるんだし、後からゆっくり来てちょうだい」
和真達の下へと踵を返しながら、アクアが叫ぶ。
「カズマさーん! ちょっとー!」
「おいバカ、そんな大声出すな! また冬将軍が現れたどうすん──」
「「あ」」
刹那。
それはまだ消える事なく宙を舞っていたのだろう。
上空から聞こえてくる落下音に雪葉が気付いた時には既に遅く、無情にも回転を加えながら落ちてきた刀身は、まさに今腰を上げようとしていた和真の首を胴体からいとも容易くすっぱりと分断し、雪原へ突き刺さると跡形も無く霧散した。
「どうやら冬将軍は立ち去ったようですね。どうでしたかカズマ、私の華麗な死んだフリ作戦…………は」
漸く体を起こして隣の和真へと目を配った先で、ぼとりと落ちた彼の首と、断面から血煙を滾らせて倒れる胴体を間近で目撃し、絶句ながらに放心するめぐみん。
人の首が飛ぶ光景など幾度もその目に焼き付けて来たはずの雪葉ですら、この時ばかりは眩むように視界が白んだ。
▼
──完全に思い出した。
「あの……。落ち着かれましたか?」
「あ……、すんません、取り乱して。情けないところを見せちゃいましたね」
真っ白な神殿の中、女神エリスの前でみっともなく泣いた和真は、流石に恥ずかしくなり顔を逸らして涙を拭う。
「何も恥じる事などありません。大切な命を失ってしまったのですから……」
しかし、女神エリスは憂いを帯びた表情で首を振ると、和真を案じるように諭しながらも悲しげに目を閉じた。
「あの、聞いてもいいですかね? 俺が死んだ後、仲間達がどうなってるか分かりますか?」
「大丈夫です。今のところ、お仲間の皆さんに危険はありません」
右手を胸の前に添えながら柔和に微笑む女神エリスの言に、和真はホッと胸を撫で下ろす。
そんな和真の姿を見て、女神エリスが悲しそうに目を伏せる。
「佐藤和真さん。せっかく平和な日本からこの世界に来てくれたのに、この様な事になり……。気休めにはならないかもしれませんが、日本へと転生する前に、せめて愚痴でも吐き出していかれませんか? こう見えて私、聞き上手なんですよ?」
気遣わしげに和真へと打診し、照れ臭そうに笑う女神エリス。
この時和真はふと思った。こういうヒロインが側にいて欲しかったんだけどな、と。
「……そうですね。じゃあお言葉に甘えて……愚痴、聞いてもらえます?」
「はい、私でよければ」
それから和真は日本や異世界の出来事など関係無しに、女神エリスへここぞとばかりに愚痴を零し続けた。
小学生の頃に結婚を約束していた幼馴染みが、時を経ていつの間にか不良の先輩と付き合っていた事。
引きこもってから、偶に外へ出れば腫れ物に触る様な態度で接して来る近所の人達の事。
情けない死に様を大衆に晒しながら無様に死んだ事。
誰しもが一度は憧れる夢のファンタジー異世界で頼れる仲間達と協力しながらめくるめく冒険が待っていたかと思えば、おばかプリーストや一発屋ウィザードにドMクルセイダーと手を焼くどころか焼失しかねない程の問題児達に振り回され、日々抱いていた夢や希望が打ち砕かれていった事。
日本もこの世界も、自分に一体何の恨みがあるのか。和真はただ、人並みの幸せや夢を願っていただけだというのに。
軒並み平凡なステータスの中、唯一高いとされる幸運値も冒険者稼業ではほぼ何の役にも立たず、弱り目に祟り目どころの話では済まないレベルで災厄が降りかかってくるばかりだ。
ほぼ和真が一方的に話し続けている中、女神エリスは適度な相打ちを挟みつつ、決して和真の意見に否定をせず真摯に耳を傾けてくれている。
「なんで、もう一人の仲間だけが唯一の良心ですよ。他の奴らと違って、いつも俺に文句も言わずについてきてくれて……良くも悪くも純粋で可愛い弟、みたいな存在ですかね……。もしそいつがいなかったら……いや、想像したくねえ……」
雪葉のいなかった場合のパーティーの行く末など考えたくも無い和真は怖気を感じて体を震わせた。
「……ええ、とても優しい人ですから……」
「へ?」
「ああいえっ、何でもありません! ただのひとり言で……。すみません。あなたの愚痴を聞くと言った筈なのに……」
「謝んないで下さい。言いたいことはほとんど言い尽くしたし、流石にこれ以上女神様を付き合わせるのも、罰が当たりそうなんで止めときます」
徐に謝罪する女神エリスに気を咎めないよう和真は愚痴もやめ時であった事を付け足す。
嘘ではない。誰にも言えなかった事を吐き出した事で、不思議と和真の胸中はなんとも晴れやかな気分だ。
これなら愚痴を零す前よりかは潔く転生に踏み切れるだろう。
「……ん?」
ふと、和真は女神エリスの背後にある丸型のサイドテーブル上に置かれたものへと目が止まる。
和真の見間違いでなければ、それは日本にいた頃ならばとても馴染みの深い、誰もが一度は目にした事がある
「あの、どうかされましたか?」
無論、和真と対面する女神エリスが目線をずらした和真の姿に気付かない筈もなく、小首を傾げながらもの問う。
「あ、いえ、すみません。女神様もお金をためたりするのかなって……後ろのそれ、貯金箱ですよね?」
「はい。おっしゃる通り、これは貯金箱です。でも、貯めてるわけでは無いんですよ? 勿論中にお金は入っていますが、この先一エリスたりとも使うつもりはありませんから」
えへへ、と右頰を掻きながら何故か気恥ずかしそうに笑う女神エリスの姿に、和真は心で叫んだ。
――よく分からんが可愛い過ぎる!!
「……て、私の話は良いんですっ。それよりも──おほん。では、気を取り直して。……異世界から来られた勇敢な人。せめて私の力で、次は平和な日本で、裕福な家庭に生まれ、何不自由なく暮らせるように。幸せな人生が送れるような場所に転生させてあげましょう」
仕事モードに切り替わった女神エリスの言葉に、ああ、そうかと思い出す。
確か、死んだら天国で暮らすか、赤ん坊からやり直すのだったか。
そもそも、この訳の分からない世界でもう一度人生をやり直せた事が異状だったのだ。
短い間だったが、最後に少しだけ楽しめたと思っておこう。
あの傍迷惑な連中や愛らしい弟分と会えなくなるのは、少しだけ。
そう。ほんの少しだけ。いや、弟分の方はかなり寂しいが。
そんな気持ちが顔に出ていたのか、和真の顔を見て女神エリスが哀しそうに目を伏せて和真へと右手を翳す。
《さあ帰って来なさいカズマ! こんな所で何あっさり死んでるの! まだ終わるには早いわよ!》
それは突然聞こえて来たアクアの声。
和真と女神エリスしかいないこの空間に、ドップラー効果を伴って大音量で響いてきた。
「ちょ、な、なんだ!?」
堪らず和真は驚きの声が上げる。
そして、アクアの声に驚いたのは和真だけでは無かった様だ。
「なっ!? この声は、アクア先輩!? 随分先輩に似たプリーストだなと思っていたら、まさか本物!?」
女神エリスは目を見開き、信じられないといった表情を浮かべ、虚空を見つめて大きな声を上げていた。
《ちょっとカズマ、聞こえる? あんたの身体にリザレクションって魔法をかけたから、もうこっちに帰ってこれるわよ。今、あんたの目の前に女神がいるでしょう? その子にこっちへの門を出してもらいなさい》
再び耳に届くアクアの声。
まさか蘇生魔法すらも扱えるとは、さすがアークプリースト。ノータリンでもやる時はやってくれるらしい。
「おし、待ってろアクア! 今そっちに帰るからな!」
声が向こうに届いているのかは分からないが、和真は虚空に向かって叫び返し、飛び跳ねて喜んだ。
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待ってください! ダメですダメです、申し訳ありませんが、あなたはすでに一度生き返ってますから、天界規定によりこれ以上の蘇生はできません! アクア先輩と繋がっているあなたじゃないと、向こうの世界に声が届かないので、そう伝えては頂けませんか?」
慌てた様子でアクアへの伝言を和真に依頼するクリス。
喜びもつかの間、和真はとんだ肩透かしを喰らってしまう。
「おいアクア、聞こえるかー!? 俺って一度生き返ってるから、天界規定とやらで、もう生き返る事は出来ないんだってよー!」
《はあー? 誰よそんなバカな事言ってる女神は! ちょっとあんた名乗りなさいよ! 仮にも日本担当のエリートな私に、こんな辺境担当の女神がどんな口利いてんのよっ!!」
実にやめてもらいたい。
和真の目の前で、その辺境担当の女神様がそれはそれは引き攣った顔をしていらっしゃるのだ。
「えっと、エリスって女神様なんだけども……」
《エリス!? この世界でちょっと国教として崇拝されてるからって、調子こいてお金の単位にまでなっただけじゃ飽き足らず、いつも信者を等しく平等に愛していますとかほざいておきながら、ちょっと優しくされただけであの子に直接女神の恩恵を与えちゃうようなチョロ甘ショタの上げ底エリス!? ちょっとカズマ、エリスがそれ以上何かゴタゴタ言うのなら、その胸パッド取り上げてやり》
「わ、分かりましたっ! 特例で! 特例で認めますから! 今、門を開けますからっ!」
アクアの喚き声を遮ると、エリスは顔を赤らめて指を鳴らした。
それを合図に、和真の前に飾り気のない白い門が姿を現わす。
しかし、今の和真はそれどころでは無かった。
先程耳にしたアクアの言が、和真の頭の中を反芻しているからだ。
そう、和真とアクアがあの少女と見紛うような少年と初めて出会った時の事。
少年が登録した冒険者カードに記された、女神の寵愛という常時発動スキル。アクア曰く、あれは女神によって与えられる恩恵で、真に心を許した者にしか女神達が下賜する事は無いらしい。
それも女神の加護ではなく寵愛。信頼を超え、特別な感情を抱いた相手に対する証であり、まあ、要するに女神が個人を特別扱いしていると言う、仮にも国教にまで上り詰めた女神にあってはならない諸行な訳で。
目の前の女神エリスは、少なくともあの少年を憎からず思っているのだろう。当の少年が女神エリスをどう思っているかについては定かではないが。
それにしてもこれは勘弁して欲しい。
先程心で叫ぶぐらいには高揚してしまった和真の純情を返して欲しいくらいである。
カップルのイチャつくサマをまざまざと見せつけられるなど言うまでもなく業腹だが、のっけからルートを叩き折られるというのも中々に残酷極まりない。まだ始まってすらいなかったというのに。
再び幻想を木っ端微塵に砕かれた和真は胡乱な視線をエリスへと注いだ。
「さあ、これで現世と繋がりました。……まったく、こんな事普通は無いんですよ? 本来なら、魔法で生き返れるのは王様だろうがどんな人だろうが一回まで。……カズマさん、聞いてます?」
「キイテルキイテル」
「なんだか、いきなり投げやりになってませんか……? まあいいです」
和真が遣る瀬無くなるのも無理はない。
先程までちょっと良いかも、と気になっていた相手との進展が速攻で絶たれたのだから平静を装えと言うのが酷な話である。
すると、エリスが次第にもじもじと手遊びを始め、気遣わしげな表情で和真の顔を窺う。
「……あの、現世へと帰る前に、一つだけお願いを聞いてもらえませんか?」
「断る」
「ええ!? そんなお願いです! 一言だけ、一言だけあの人に伝えて欲しいんです!!」
「あの人じゃ分からん」
「もう! 分かってる筈ですよ! 女の子に一々言わせるつもりですかっ?」
なんと図々しい。そこら辺は先輩だというアクアに似たものがあるが。
和真はげんなりしながら、渋々エリスの伝言を賜る。
やがて、困った様に頬を掻いていたエリスはいたすらっぽく片目を瞑り、少しだけ嬉しそうに囁く。
「くれぐれも伝言、忘れないでくださいね? 後、ここでの事は、内緒ですよ?」
「ウン、ソダネ」
「あの、本当に分かってますか? ちゃんとあの人に伝言を──」
エリスの文句を皆まで聞かず、和真は白い門を押し開けた。
▼
「チェンジ」
「上等よこのクソニート! そんなにあの子に会いたいなら、今すぐ会わせてあげようじゃないの!」
「や、止めろお! 死に戻った人間に乱暴するなよ暴力女神!」
夢でも見ているのだろうか。
意識を取り戻した雪葉の目に映ったのは、先程まで首を分断された筈の和真が五体満足で殴りかかるアクアを制止するいつもの姿だった。
雪葉の直近の記憶に依れば、確か主人和真の首は空から落ちて来た刀身によって落命したように憶うが、一体彼が何故生きているのだろうか。無論雪葉としては万々歳だが。
そんな二人をまあまあと宥めるダクネスに背負われた雪葉の横で、めぐみんが微笑を浮かべながら雪葉の髪を撫で掬って声を掛ける。
「おや、気が付きましたか? 私は死んだフリをしていたので、あなたの身に何が起きていたのか殆ど分かりませんでしたが、一連の出来事はダクネス達から聞きました。良くやりましたね」
流石私の弟です、と自慢げに鼻を鳴らすめぐみん。
いつから彼女の弟になっていたのかという野暮な事をつつく雰囲気でもない為、雪葉はされるがままに甘んじて紡ぎかけた言葉を飲み込んだ。
「ん、目が覚めたようだな。おい二人とも! ユキハが目を覚ましたぞ」
「お、大丈夫か? 俺? 俺はこの通り、アクアの蘇生魔法で首も繋がって元気全開だよ。首に傷跡すら残ってなくて、死んだのが嘘みたいに思えるけどな」
「そう! 有能なアークプリーストである私の手にかかれば、一人や二人蘇生するなんてお茶の子さいさいなんだから! ほら、私役に立ったんだから! ねっ? ねっ?」
どうやらアクアの蘇生魔法によって息を吹き返したらしい。これには雪葉も天晴れ、とアクアに向けて賞賛ながらに微笑んだ。
目と仕草で頻りに訴えながら待ち構えているアクアの要請を快諾し、雪葉は預けてきた彼女の頭を丹念に優しく撫でる。
「ほんじゃ、街に帰るか」
和真の提案に、全員が揃って頷いた。
▼
街へと無事帰投した雪葉達は、そのまま報酬を受け取る為ギルドへ向かう。
「しかし、小一時間で三十匹。三百万か……。稼ぎはでかいが、死んだのが割りに合わないな。あの冬将軍ってのは、火山王と同じ特別指定モンスターとか言ってたな。あいつには、どれだけの賞金がかかってるんだ? ダクネスの剣が一撃で折られたりだとか、雪葉が仕留めきれなかったとか、ハッキリ言って、五億の賞金首がかけられていたあのベルディアよりも強かったぞ」
「冬将軍は、雪精にさえ手を出さなければ無害なモンスターですからね。それでも、賞金は二億エリスほどかかっていた筈ですよ。魔王軍の幹部で、明確な人類の敵だったベルディアはその危険度から賞金が高かったのですが。冬将軍の場合、本来はあまり攻撃的ではないモンスターなのに二億もの賞金がかけられています。この破格の賞金はそれだけ冬将軍が強いって事なのですよ」
「…………」
めぐみんの説明に黙り込む和真。
よくよく思えば、街に寄付した火山王の報酬でなに不自由ない生活を和真へ進呈出来た事に最近気付いた雪葉だが、既に覆水盆に返らず。
借金が無くなったら、雪葉は今度こそ和真とウィズの生活水準を上げるために奮闘する所存だ。
「……めぐみん、あいつを爆裂──」
「火山王の時にも説明したはずですよ。精霊の類は生来の魔法耐性があり、精霊達の王ともいえるあの二体ともなれば、そりゃあもう魔法防御力も凄いものです。どんな存在にもダメージを与える爆裂魔法でさえ一撃では不可能でしょうね。……というか、あんな怖いの相手に爆裂魔法を撃ちたくないです」
めぐみんがあれらとの交戦を避けたがるのもむべなるかな。
攻撃と防御のいずれも兼ね備えたあれらは、雪葉でさえも一筋縄ではいかない程の強者だ。
今後は更なる強敵との戦いに向けて、より一層の力をつけて挑む事が必要となるだろう。
女神エリスの言葉通り、この世界はどうやら雪葉に退屈などさせてはくれないらしい。無論雪葉には否やなど無いが。
「さっさとそいつを貸せ! 討伐してやる」
「ダメよ! この子は持って帰って家の冷蔵庫にするの! 夏場でもキンキンに冷えたネロイドが飲めるように……、いやよ、この子はいやあああ! もう名前だってつけてるのに殺させるもんですか! やめて、やめてー!! 助けてユキえもーん!」
街の往来でひとの名前を叫ぶのは、流石の雪葉でも勘弁願いたい。
何やら声のする方に雪葉が顔を向ければ、雪精が入った小瓶を懐に抱えて抵抗するアクアへ、小剣を取り出した和真が不敵な笑みで詰め寄っている。
「……どうするんだ?」
背中に背負う雪葉へと振り返り、方針を請いてくるダクネス。
いつもなら即決で主人和真の味方をするところだが、今回は蘇生へのお礼も兼ねてアクアの肩を持つ事としよう。
溜息交じりで肩を竦めた雪葉は、必死に救難信号を発し続けるアクアの下へとダクネスの足を向けさせた。
ギルドで精算を済ませ、借金から天引きされた報酬をそれぞれで分配する。
少し早いが、主人和真のあまり無理をしたくないという意見も鑑みた結果、今日のクエストはこれで終いの運びとなった。
その為、上々だった今回の稼ぎで宿に部屋を借りて早めに体を休める事に。
一日での儲けにしては破格なのだろうが、いかんせん借金の額からみれば焼け石に水の為、どうにも手放しには喜びづらい。
雪葉の当面の課題としては、何よりも自己研鑽だろう。
今回の冬将軍との戦いで、雪葉と肩を並べるか若しくはそれ以上の強敵が存在する事が証明された。ならば雪葉はより過酷な鍛錬へと身を投じるだけである。
一々迷う暇があるなら、力をつけるために一秒でも己を向上させた方が余程利口と言うものだ。
そんなことを雪葉が考えていれば、いつの間にやら宿の前に到着していたらしい。
「ふふっ、この子は大事に育てて、夏になったら氷を一杯作ってもらうのよ。そして、この子と一緒にかき氷の屋台を出すの! 夏場の寝苦しい夜には一緒に寝て……! ……ねえめぐみん、この子って、何を食べるのか知らない?」
「雪精の食べ物なんてちょっと分からないですね? そもそも精霊って何かを食べるのでしょうか?」
「フワフワしていて、柔らかそうで、砂糖をかけて口に入れたら美味そうだな……」
思考から意識を戻した雪葉の目の前では、女性三人が能天気な会話を繰り広げている。
すると、宿のドアに手を掛けた和真がアクア達へ振り返り、それぞれの顔をじっと見つめ始めた。
「「「……?」」」
視線に気付いた三人がキョトンとした表情で和真を見返す。
「……ハァ」
「「「あっ!!」」」
徐に溜息を零した和真の姿にぎゃあぎゃあと騒ぎ出す三人を尻目に、彼は女性陣を適当にあしらいながら、ダクネスに背負われた雪葉の下へと回り込む。
「そうそう、エリス様からお前に伝言預かってたんだった。『あまり無理はしないでください』だってよ。……けっ、何でこんな役回りを俺がやらにゃいけないんだよ……」
そう雪葉へと耳打ちをした後、和真は煤けた背中で宿のドアを開けるのだった。
翌日。
他のメンバーがギルドへと集合した中、指定の時間になってもアクアだけが姿を見せず、雪葉が様子を見に行く事になり彼女の部屋のドアをノックする。
しかし、一向に在室を知らせる合図もない為、雪葉は痺れを切らしてドアを開いた。
そこには、小瓶を抱えてさめざめと泣き続けるアクアの姿。
肩を竦める雪葉の呼び掛けに漸く気付いたアクアが、涙で顔を濡らしながら徐に問いだす。
「どーじで……ッ、どーじで雪精じんじゃっだの……ッ?」
そんなもの、考えるまでもなく単純明解である。
悲しみに暮れるアクアに対し、雪葉は部屋の隅で煌々と燃える暖炉を一度横目に配り終えてから静かに答えた。
――生き物には自然が一番。
今回は超長らくな更新。
次回はなるたけ早めに出したい所。
ちなみに、めぐみんの詠唱は八割方自作。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
忠誠【玖】:ぼっちウィザードは突然に
読者「遅かったじゃないか……」
待ちわびていた皆様、長らくお待たせしました。
またしても3万超えですのでお覚悟を。
せーの、「とんでもねえ、○○○○○○」
――急な話ですまないが、明日は家の用事が出来てしまってな。出来れば二日ほどパーティーを休ませては貰えないだろうか。
昨夕の事。クエスト終わりで食事をしていた中、ダクネスが突如雪葉達にそう言い出した。
どうしても無下には出来ない要り用であり、明朝にはアクセルを発たねばならないと添え足しながら頭を下げて。
無論雪葉達が快く彼女の頼みを承諾した事により、今日と明日は日がな一日休みである。
しかしそれは雪葉にとって僥倖とも言えた。何故なら親友ウィズとのひと時を過ごす時間が増えた事に他ならないからだ。
無論雪葉の足も嬉しさに乗じて自然と軽くなるというもの。
軽快な足取りでウィズ魔道具店へと着いた雪葉はゆっくりとドアを開く。
店内へ足を踏み入れた雪葉を迎えたのは、嗅ぎ慣れた様々な商品の匂い。変わらない陳列。相変わらず無骨なケースに厳重に保管され、カウンターの横に佇む目立つことこの上無いきたろう。
「いらっしゃいませ。本日はどのような商品を……あ、ユキハさん」
そして、来店したのが雪葉と分かるや輪を掛けて笑顔で迎える、ピンクのエプロンに身を包んだウィズ。
格好も相俟って、その姿は正に新婚の若奥様と言わんばかりの愛らしさに溢れている。
「ちょっと待っててくださいね。今温かいものを出しますから」
加えてすぐさまおもてなしを始める良妻ぶりに、何故身が固まらないと不思議な雪葉は、せっせとお茶を持ってきたウィズにお礼を告げながらそんな疑問を抱くのだった。
それから数分後。
雪葉とウィズはテーブルを挟んで対面し合い、取り留めのない話を交わしいた。
今は先日邂逅したシャコついて、雪葉がウィズにジェスチャーを混じえながら事の顛末を諄々と聞かせている。
「ええっ!? あのオウゴンハナシャコが、この街の近くの水源にいたんですか!?」
いつもおっとりとした姿からは想像もつかない剣幕で詰め寄ってくるウィズに雪葉はこくりと頷く。
「でも、あのモンスターは、本来この辺りには生息していないはず……あっ。そう言えば確か、随分前にある動物好きの貴族が、道楽で旅の土産に飼った水棲ペットを三日坊主で周辺の水源に放流したという話が冒険者の間で一時期持ちきりになってましたね。恐らくですけど、オウゴンハナシャコがその捨てられた内の一匹だったとか」
そう記憶を辿りながら推察を呟くウィズの言に、雪葉も聞き覚えがあると首肯で同意を示した。似た話を、この間ギルドで呑んだくれる他の冒険者達が酒の肴に便々と愚痴垂れていた様に記憶している。
まさか偶然耳にしたあの会話が、シャコと遭遇する暗示であったとは夢にも思っていなかったが。
まあ何にせよ、シャコの味は絶品だったと、この一言に尽きるだろう。
「やっぱりあなたもシャコミソ食べたんですね、懐かしいなぁ……。私も現役の頃に、仲間と一度だけ食べた事がありますが、翌日全員揃って宿屋のベッドから半日くらい動けなかったんですよね。まるで全身が筋肉痛みたいにピリピリして……正直、あれはかなりキツかったなぁ。でもやっぱり味が気になって仕方なかったので、結局食べちゃいましたけど」
懐古に浸り、染み染みと当時の思い出を語りながら面映ゆそうに毛先をクルクルと弄ぶウィズ。
雪葉や主人和真達は、アクアの魔法があったからこそリスクも無くシャコミソにありつけたものの、もしウィズ達同様に半日も身動きが取れなかったらと思うとゾッとしない。
「まあ最近では外来種の討伐依頼なども増加の傾向にあるみたいですから、この辺一帯の川や湖は、多少なりとも生態系が変わっているかもしれませんね。少し寂しい気もしますけど」
哀愁の漂う苦笑を浮かべ、在来種の生き物達を憐れむウィズに雪葉もたらればを打ち切り、相槌を打って同調の意を示す。
以前に主人和真からもそんな話を聞いた覚えがある。
最近の日本でも、外来種が生態系を崩す主な要因として
正直その時は生態系云々の話よりも
さて、歓談も一入に堪能した雪葉はふとある事を思い出し、ウィズは鑑定のスキルを持っていないかと不意に彼女へ切り出してみた。
「鑑定スキルですか? えっと……私はアークウィザードなので、そういったスキルは覚えられなくて……で、でもっ、私だって商人の端くれですっ。大体のアイテムや素材は頭に叩き込んでいますから大丈夫だと思います」
意気込んだように胸の前で拳を作るウィズに期待の眼差しを向けつつ、例の首飾りを懐から取り出した雪葉は彼女の目の前へと翳す。
左右に揺れる度、反射で眩く光る首飾りに目を丸くさせ、まじまじと眺めているウィズが問いかけるように呟いた。
「……随分綺麗な装飾のあしらわれた首飾りですね。これをどこで?」
勿論これは先日のクエストで冬将軍に勝利を収めた暁に賜ったあの雪の結晶が象られた首飾りである。
実を言うと、これが一体どういうものなのか聞きたかったのもウィズの下へ訪れた用件の一つなのだ。
しかし、雪葉個人としては不服な部分も多く、次の機会があると信じ、再戦を渇望して止まない。
「え? あの冬将軍に勝って、それで貰った? うわぁ……あなたはいつから人間をやめてしまったんですか……?」
ウィズが若干引き攣った表情で疑問を投げ掛けてきた。
さすがにその言い草は些か失礼では無いだろうか。幾らウィズといえども聞き捨てならない。
確かに身体能力が人外じみている自覚はあるが、人である事をやめたつもりは一度もないと雪葉は眉を顰める。
だがアンデッドの王たるリッチーから二度も人外呼ばわりされてはさすがに堪え、雪葉は一瞬人間である自信を無くしかけそうになった。
閑話休題。
この世界に関して、雪葉は圧倒的に知識が足りていない。
なので首飾りの詳細を知るため、魔道具関係に博識な人物を頼るに至ったわけだが、結果はこの通り、ウィズに白羽の矢が立った次第である。と言うより雪葉の少ない交友人数ではどう考えてもウィズしかいなかった。
「なるほど、この首飾りがどんなものか知りたいと。ですが、私も初めて見るアイテムなので……期待に応えられずすみません。何せ精霊が人に何かを与えるなんて事自体、前例が無いですし……あ、でも、もしあなたが預けてくれるなら、私頑張って調べますからっ!」
しょんぼりと俯いて自分の至らなさを嘆きつつも、検分の為に首飾りを自分に預けて貰えないかとウィズがそう真摯に打診してきた。
なにも答えを急いでいるわけではないし、ウィズさえ良ければじっくり調べて貰っても雪葉としては一向に構わない。
何より親友の申し出を雪葉が断わるはずもなく、即座に頷いてウィズに手渡す。
「い、いいんですか!? じゃあ、お言葉に甘えて……」
雪葉の承諾にほわほわと表情を綻ばせて目を輝かせて受け取ったウィズが非常に愛らしすぎるあまり、思わず口から湯水の如く本音がこぼれ出る。
可愛い。肌身離さず懐にしまっておきたいくらいにとても可愛らしい。特に笑った顔が飛び抜けて魅力的だ。
まあ普段から抜群に可愛いのは言うまでもないが、寧ろ何故いつもそんなに可愛いのか。
「い、いきなり何を言い出すんですか!? と言うかそんなに何度も連呼しないでください! お世辞とは言え、流石に恥ずかしくなるので……」
ウィズの言こそまさかである。友人におべっかを使って顔色を伺うほど雪葉は無粋ではないつもりだ。
これは嘘偽らざる心からの感想だと、恥ずかしそうにたじろぐウィズへきっぱりと言い返す。
「ほ、本当ですか? ありがとうございます。えへへ……」
ほんのり頬を染め、『秘蔵! 1ヶ月2枚まで!』と書かれたお菓子の袋を引っ張り来るあたりがなんとも微笑ましくいじらしい。
悦に浸って綻ぶ彼女の姿に、雪葉の心もついついほっこりと和らぐ。いつから癒しの王に転職したのだろうか。
とはいえ、そのお菓子の袋に書かれた殴り書きからは、ウィズの貧窮事情が察するに余りあるので、自分の数少ない楽しみを犠牲にするのはどうかやめて貰いたい。
「え、一枚だけでいいんですか? とても美味しいですよ?」
親友からの勧めであろうと雪葉は一枚で十分だと遠慮させてもらった。
ただでさえ良心が痛むのに、二枚目を貰った折には罪悪感で心がガリガリと削られそうだ。というか現に少し削れている。
「そうですか……なんだか気を遣わせちゃいましたね」
変な気遣いをしているのはウィズの方である。
第一これは自分の問題であるとウィズに言い切り、雪葉は申し訳なさそうに身を竦める彼女へ気に病む必要は無いと首を振った。
そんなウィズの正体は魔王軍の幹部の一人であり、アンデッドの頂点に立つリッチーである事を既に聞き知っている雪葉でさえ時折忘れ掛けてしまうほど温和を絵に描いたような彼女だが、正直雪葉としてはウィズの過去にとても興味をそそられてやまない。特に、本人が黒歴史と自称してそれ以上明言したがらない当時の姿には。
本人に気取られぬよう、その内諜報活動に乗り出して写真を入手する心算である。
ウィズには申し訳ないが、雪葉にとってそれは喉から手が出るほどのお宝も同然。踏み止まる理由などどこにも見当たらなかった。
「では、私が責任持って預かりますね。こう見えて、冒険者をやっていた頃はレアアイテムの収集なんかにも手を出していたので、久々に腕がなりますっ」
預かった首飾りを手に、よしっ、と雪葉の思惑も知らずに熱意を燃やすウィズへ、くれぐれも無理をしないよう念を押しつつ細やかに激励する。
「──あ、そうだ! あなたに渡したいものがあったんです」
徐に手を合わせたウィズが店の奥へと姿を消してから数分後、戻ってきた彼女の手には何やら淀んだ色のポーション瓶が一つ握られていた。
「見てくださいコレ! なんとモンスターが寄り付かなくなる凄いポーションなんですよ? その代わり、全身が一日中魚のように生臭くなるのが難点ですけど。本来であれば一本五十万エリスになるんですが、友人であるあなたに日頃のお礼ということで、どうぞ」
どうやら、また性懲りもなく廃品を新しく入荷していたらしい。というかそれはどう考えても臭いでモンスターが避けているだけに思えてならないのだが。
もはやウィズの商才は向き不向きで済む次元の話では無い気もするが、本人は自分の審美眼を露ほども疑っておらず、周りが指摘したところで所詮は犬に論語なのは火を見るよりも明らかだ。
ウィズの生活を潤す為にも出来るだけお得意様の復帰を急がねばと、彼女から苦笑いで曰くつき商品をタダで受け取った雪葉は今一度決意の火を胸に灯し、ギルドへ向かう事に決めたのだった。
▼
首飾りをウィズに託して店を跡にした雪葉は、先刻の決意どうり親友の生活を潤沢にする為の資金繰りにと確固たる意志でギルドへと足を進めている。
本格的な冬の到来を迎えた街は死んだ様な静寂に包まれ、人っ子一人ともすれ違わない光景は、かつて雪葉が全滅に追い込んだ廃村をどことなく想起させた。
こんな物騒な懐古を抱く辺り、雪葉の感性は誰に聞かせても顰蹙を買いそうな異常ぶりだが、日々死線を潜り抜けて来た雪葉に自覚があるかなど言わずもがな。非難の雨待った無しである。
そんな街中を横切って行くさなか、ふと橋の下の川縁で蹲る人影が雪葉の目にとまった。いや、正確には見つけてしまったと言うべきか。
セミロングの黒髪をリボンで二つに束ね、見覚えの深い真っ黒なマントを身に纏う十代半ば前後の少女が、裸足で膝を抱え込んだまま呆然と川の水を眺め耽っている。時折足下に転がる石を川へ投げ入れながら。
その悲観に暮れた赤一色に燃える瞳は、雪葉の姉を自称するあの傍若無人な頭のおかしい爆裂っ子を彷彿とさせた。似通った特徴から、恐らく少女も同じ紅魔族だろうと思われる。
唯一見た目の違いを敢えて挙げるなら、発育の良さが月とすっぽんと言ったところだろう。めぐみんを尊重し、敢えてどこがどうとは言及しないが。
少女は見るからに困り事を抱えている様子だ。そうでなければ、こんな寒空の下に裸足のまま入り浸るなど余り正気の沙汰とは言い難い。というか思いたくはない。
状況から察するに、川へ入らざるを得ない何かしらの災難があったのだろう。それにあの様子ではどうやら問題も未だに解決していないように見受けられる。
正直紅魔族に関しては当のめぐみんが何かと痛々しくて目も当てられないが、いと尊き領主から授かった『困っている人には手を差し伸べろ』との教えに従い、少女の下へと歩み寄った雪葉はここで何をしているのかと声を掛けてみた。
「えっ……? あっ、えっと……ちょっと、ヘマしちゃって……」
ちょっとにしてはかなり絶望の顔で川を見つめていたみたいだが、本当に些細なヘマをしただけなのだろうか。
傍から見ていた限り、何やら重大な問題と直面している様に思えるが。
「うぐっ……実は川の中にサイフを落としちゃったの……。うぅ、前々からコツコツ貯めてきたのに……」
目尻に涙を浮かべて訥々と経緯を語ってくれた少女の話を要約すると、どうやら彼女は宿からギルドに向かう途中、石ころに躓いてうっかりサイフを落としてしまい、それをどら猫が咥えて逃走。
すぐさま少女は追いかけていき、やっとの事で袋小路まで追い詰めたと思えば、突如上空からカラスが猫を急襲。サイフを手放して逃げ出した猫の代わりを務める様に今度はカラスがサイフを鷲掴みにして掻っ攫っていき、少女は再び追走を始める。
やがて、痺れを切らした少女が魔法でカラスを驚かせてサイフを開放させる事には成功したが、運悪くカラスが飛んでいたのは川の真上でそのままサイフは川ポチャ。
おまけに偶然魔法を目撃して駆け付けた衛兵からいたずら目的と誤解され、それに対して少女が弁解を行えばこんなクソ寒い中無駄足を踏ませるなと舌打ちまでされる始末。
ひょっとしなくても明らかに八つ当たりをされているし、間違っても衛兵がいち住民に対して口にすべき言葉では無かった。少女は訴えても良いだろう。
そして現在に至るとの事だがどうしたものか。これにはさしもの雪葉でも言葉に窮せざるを得ない。
普通であればこんな季節に外へ出てくる筈のないどら猫やカラスに出くわした挙句に落し物を持ち去らわれ、終いには衛兵から悪態をつかれ、もう泣きっ面に蜂もいいところである。
はっきり言って業が深いアクアと互角に渡り合えるぐらいには不憫極まりない。もしや少女は日頃からエリス教に聖戦の火種を撒き散らしているアクシズ教徒の一員なのだろうか。
ちなみに雪葉はアクシズ教徒からエリスの毒牙にかけられた哀れな子羊と思われており、迫害を受けるどころか凄い同情されている。
なのでアクセルの街でアクシズ教徒とすれ違えば必ず呼び止められ、アクシズ教徒の巣窟でもある水の都アルカンレティアに赴く事をしつこく勧められては知らぬ間に雪葉の懐へありったけの入信書を潜ませて行くのだから中々どうして侮れない。
あの思い返すほどに悍ましい手際には、不本意ながら目を見張るものがある。
信者達の話では、そこにアクシズ教の最高責任者であるアークプリーストがいるらしく、彼なら魔神エリスの寵愛などと言う口にするのも憚られるほど穢らわしい呪いを祓ってくれるだろうとの事だが、もはや女神エリスがアクシズ教徒から魔王よりも目の敵にされていてとても聞くに忍びなかった。
ゆえに少女がアクシズ教徒なら、雪葉は少女から出会い頭にしつこく勧誘されているか同情の涙を流される筈だし、エリス教の教区であるこの一帯で何かしらの侮辱行為に及んでいないのはどうも不思議でならない。根拠は一つ。それがアクシズ教徒たり得る所以だからだ。
正に悪質教極まれりとは誰が上手い例えを考えついたものか。
――ウラァ! 聖なる神罰を喰らいやがれぇ!
――ヒャッハー!
――あくしろよ、ショバ代出せやオラァン!
とまあ、あの様に投石して家の窓をぶち破ったり、エリス教徒に水風船を投げつけたり、先端に動物のフンを塗した木の棒で恐喝するなどの狼藉を働いている彼等こそが正真正銘のアクシズ教徒である。神罰を受けるべきは明らかに彼等の方だが。
果たせる哉、騒ぎを聞きつけた衛兵がすぐさま飛んで来るがアクシズ教徒達は捨て台詞を吐いて脱兎の如く逃げ去ってしまった。
最早アクシズ教の信者に関しては狂徒と呼ぶのが相応しいだろう。アルカンレティアにはあんなのが跳梁跋扈していると思うと実に嫌気が差す。
なので女神エリスによるアクシズ教徒への神罰の線は薄いだろうと雪葉は帰結した。
そもそも、あれほど親身に接してくれた大恩ある女神エリスが他宗教の信徒を罰するなどそれこそ驚天動地である。
仮に事実だったなら、雪葉は波風立てまいと目を背けるだろう。宗教同士のいざこざに首を突っ込めば十中八九碌な事にならないのは推して知るべしというものだ。
「で、でもっ、すぐに見つかると思うし大丈夫っ。それに、話を聞いてもらったから、お陰で気分が少し楽になったわ。ありがとうっ」
一連の経緯を語り終え、空笑いを浮かべる少女。
その言が単なる痩せ我慢である事など、雪葉は当然見抜いている。
雪葉のように耐寒訓練を受けているのなら多少頷けるが、身を抱えるように縮こまって震える彼女の様子から察するにそういうわけでもなさそうだ。
この時季の水温はさぞ体に堪えたに違いない。顔の血色も普段のウィズぐらいに青白いし、手足も霜焼けで赤くなりかけている。
流石にこれ以上は少女の命に危険が及びかねないので雪葉は捜索を中断するよう少女に告げた。
「えっ? でも、あれが見つからなかったら私お金無いし、そうなったら馬小屋に泊まるしか……」
馬小屋の不便さは雪葉もよく知るところである。
しかし少女に言いたいのはそういう事ではないのでふるふると首を振った。
「じゃあ、どうしたら──え」
サイフを失くした経緯を聞いた時点で既に乗りかかった舟だ。
諦観する少女の両肩を掴み、雪葉はそのまま彼女へ顔を近づけて行く。
「うぇっ、ふえぇ!? ちょ、ちょちょちょちょちょっと待って! なんで!? どうしていきなり!? こういうのはちゃんと順を追ってからだってお母さんが……」
あたふたと忙しなく身振り手振りを始めて赤面する少女。
何を言いたいのかさっぱり分からないがあまり動くと狙いが狂うのでじっとしている事はできないだろうか。遊び盛りの子供じゃあるまいし。
「で、でも……! やっぱりダメよこんなこと! だってどう考えたって初対面でそんな……き、キ…………うぅぅぅ……」
何とも歯切れの悪い少女のくぐもった呟きに痺れを切らしかけている雪葉が苛立ちに片目をひくつかせ、一層顔を真っ赤にした少女へこれが一番手っ取り早くて必要な事だと再度説得に掛かる。
「うぅ……わ、分かったわっ。だけど、少しだけ時間が欲しいの! せめて心の準備はさせて! …………よしっ。──スゥーッ……、ハァー…………は、はいっ!」
暫くぐずぐずと逡巡していた少女は漸く腹を決め、数回深呼吸を繰り返した後に思い切り目を瞑ると、ぎこちない動きで顔を上げた。
今からする事にそこまで覚悟が必要なものかと疑問を感じた雪葉だったがまあいい。大人しくなったのならこちらも早く事を済ませられるに越したことは無いのだから。
震える少女へ応えるように雪葉も再び顔を近づけ……彼女の首筋に鼻を添えて匂いを嗅いだ。
嗅ぎ終えた少女の匂いをしっかりと記憶した雪葉は草鞋と足袋を脱ぎ捨て、躊躇うことなく川の中に足を踏み入れて行く。
「………………あ、あれ?」
呆然と目を見開いた少女に目もくれず、覚えた匂いを頼りに鼻を利かせ、探し始めてから僅か一分足らずで位置を割り出した雪葉が川の中へやおら手を突っ込んで引き上げると、すっかり水の染み込んだずぶ濡れのサイフが握られていた。
何者も比肩にならないほど磨き上げられた雪葉の嗅覚を持ってすれば、川の中から物を探し当てるぐらいは朝飯前である。
「………………」
川縁へと上がった雪葉が戻ると、俯いた少女が先程よりも体をぷるぷると大きく戦慄かせている。
恐らくここまで貫いてきた寒さへの痩せ我慢にも限界が訪れているのだろう。雪葉は一刻も早くギルドで暖をとるよう促しながら彼女にサイフを差し出す。
「……──ッ!!」
すると、再び真っ赤に染まった顔を上げた少女がこれでもかと眉を吊り上げて雪葉を睨み、唐突に胸ぐらへ掴みかかってきた。
もしかしてこのサイフではなかったのだろうか。
「うわああああああんっ!! 酷いっ、酷すぎるわっ! こんなのってあんまりよっ! 私、凄い勇気出したのに! 恥ずかしいのとか、色々我慢した結果がこんな仕打ちだなんてっ! バカッ!! ペテン師ッ!! 鬼畜ッ!! スケコマシッ!! 返してっ! 私の覚悟を返してよおおおおおおおっ!!」
いきなり癇癪を起こして雪葉の体を揺らしてくる涙目の少女から糾弾される意味が分からず、心当たりが無い罵倒の嵐をぶつけられても雪葉は只々首を傾げる他なかった。
▼
ギルドに着いた雪葉と少女は酒場のテーブルに向かい合って座ったものの、場の雰囲気はとても鬱屈としている。
「ご注文は御座いますか?」
「…………」
「あ、あのぉ……」
怪訝な眼差しで注文を伺うウェイトレスの呼び掛けに対し、テーブルへ顔を突っ伏したまま沈黙を貫く少女。
代わって雪葉が仕方無く彼女の分も適当にメニューから見繕い、注文を伝える。
「以上でよろしいですか?」
復唱された注文に雪葉が相違無しと頷くと、恭しく頭を下げてその場を後にするウェイトレスは、去り際にちらちらと後ろ髪を引かれる様に雪葉達の方へ振り返りながら厨房の奥へと消えて行く。
店の中でこれだけ沈んだムードの客が居座っていては無理もないだろう。実際雪葉も目の前の少女にどう声を掛けたものか考えあぐねているぐらいだ。
「……さっきは本当に助かったわ。この時期に馬小屋なんて、冗談でも笑えないもの」
やがて、沈黙を破るように謝意を述べながら頭を上げた少女。
その目からは、言外にさっきの暴走は忘れろと言われている様で、薮蛇な真似はせず雪葉は黙って首肯で返す。
さて。感謝の言を受け取ったのは良いが、お互いにまだ名を名乗っていないのは自分の気のせいだろうか、と雪葉は暗に双方の自己紹介をしてはと少女へ勧めてみた。
「うっ……そ、そういえばまだ名乗ってなかったんだ……。コホンッ、わ……我が名はゆんゆん! アークウィザードにして、上級魔法習得を目指す者。やがては紅魔族の長となる者……!」
唐突に立ち上がってバサリと黒いマントを翻しながら見覚えのあるポーズで少女が名乗り終えると、ギルド内のスタッフの困惑を孕んだ視線が一斉に彼女へと突き刺さる。
「──ッ!! はうううう……やっぱりやるんじゃなかった……っ!」
衆目を集めた少女はすぐに座り込み、真っ赤な顔を伏せながら悔やむ様に臍を噛んだ。見事なまでの後悔先に立たずっぷりである。
そんな少女の心情を察したスタッフ達は何事も無かったようにゆっくりと顔を逸らし、再び業務へ取り掛かった。
やはりめぐみんと同じ紅魔族のようだが、彼女と違い目の前のゆんゆんと名乗った少女が辿々しく自己紹介を告げた所作は、めぐみんと比較すると正に月と鼈だ。
まさか紅魔族の中にもアレに抵抗を覚えるまともな感性を持つものがいたとは、内心驚きである。あちらにとっては逆にゆんゆんが異質の存在なのだろうが。
無反応はさすがに失礼なので、一先ず雪葉もぺこりと一礼して名乗り返す。
「あ、あれ? 私の名前を聞いても笑わないの? どうして……?」
既に初見のめぐみんから洗礼を受けている雪葉に然程の衝撃は無いが、紅魔族の風習らしいあの口上とポーズにはさしもの雪葉も少々辟易している。
おまけに名前がキラキラネームもかくやというほど個性の範疇から外れており、初めてめぐみんの名前を耳にした時は、主人和真を愚弄しているのかと疑ってかかったくらいだ。
しかも紅魔族からすれば、自分達以外の人間の方が変な名前をしているとはめぐみん当人からの弁である。つくづくアクの強い連中と言わざるを得ない。
さすがは魔王軍すらも忌避する、触れてはならぬ、関わってはならぬのアクシズ教と並ぶ二大禁忌である。
もしも双方が手を取り合えば、よもや魔王など取るに足らないのでは……いや、よく考えたら世界が滅びかね無いので雪葉は悍ましい邪推をすぐに消し去った。
故に常識的感性を持ったゆんゆんからすれば、周りの同族達の言動に常々頭を悩ませていた事だろう。誠に心中お察しする。
「な、何だろ……私、今凄い憐れまれてる?」
どうやら哀愁漂う笑みを浮かべた雪葉の反応が予想外だったのか、目を丸くさせながら独り言のように疑問を呟いたゆんゆんを尻目に、雪葉は淡々と自分について語っていく。
「え、あなた冒険者なの? でもさっき歳は十歳だって言ってた気がするんだけど……」
雪葉の自己紹介に困惑するゆんゆん。
大方そんな反応が返ってくるだろうと予想していたにせよ、口頭で一々受け答えをするのも手間に感じた雪葉は、ゆんゆんの疑問を一挙に解決出来る冒険者カードを彼女へ手渡した。
「わあ……カードは偽造出来ないから、本当に冒険者なんだ……──え、何これ。ステータスが殆ど計測不能? 忍者? 女神の……寵愛?」
これは不覚。まさか新たな疑問の種を増やす羽目になろうとは。
つくづく異例すぎる自分の難儀さに怨嗟をぶちまけたくなった雪葉が物憂げにうへえと声を漏らし、愕然と冒険者カードを見つめるゆんゆんに補足説明を加えかけたその時。
「──ええ!? それは本当ですか!? ……はいっ。…………はいっ。……ええ、すぐに取り掛かります。……はい、では」
突如ギルド内に響き渡った驚きの声に、雪葉とゆんゆんは何事かと振り向いた。どうやら声の主は受付カウンターにいたルナの様だ。
彼女はギルド内の全スタッフを呼び集め、何やら鬼気迫った表情で全員に何かを伝え始める。
「何かあったのかな? あの様子だと、あんまり良い話じゃなさそうな……」
ゆんゆんが囁くようにそう耳打ちしてきた。
彼女の言う通り、見るからにあの一帯だけが只事では無さそうな空気に包まれ、時折どよめきの声が聞こえてくる。十中八九穏やかな話では無いだろう。
こういうのはいつどこに興味を唆られるような強敵の情報が転んでいるとも限らない。斯様な事態なら尚の事気になるのが雪葉という人間である。
となればやるべきことは一つ、とばかりに雪葉はスタッフ達の方へどれどれと耳を傾けた。
「それは確かですか!? あの方の姪御様が少し前に連れ去られたというのは!」
「ええ、本当です。正門の衛兵からの連絡によれば、姪御様はどうやらダスティネス邸に馬車で向かっていたらしく、その道中で何者かの急襲を受けて攫われたと、傷を負った体でアクセルへやって来た従者が話していたそうです。もし彼女の身に何かあれば、もはやギルド内のみならずアクセル全体がどうなるか……」
「で、ですが、確かあの家は王都の騎士と並ぶ腕前の専属護衛を雇っていた筈では?」
「勿論護衛は付いていたそうです。しかし、誰も犯人の気配に気付くことなく立ち所に無力化され、今はアクセルの診療所に運ばれ治療を受けていると……」
思わぬ事実に、スタッフ全員から驚愕の声が上がる。
「なら、一刻も早くギルドから依頼を出しましょう! 街の冒険者全員に緊急クエストとして呼びかければ……」
「おいおい、さっきの話聞いてなかったのか? 姪御様が攫われた事は出来る限り公にするなっつうあのお方直々のお達しなんだろ? だったら少数パーティーで行ってもらうしか方法はねえ」
「そんな無茶な! 相手の正体や勢力だって分からないのに!」
「でもそうするしか無いでしょ。無理だろうがなんだろうが、あの方がやれと仰ってるんだから」
「それに、冒険者達が集まるのを待っている時間も惜しいですし……そもそも相手は、王都の騎士に並ぶ護衛を容易くあしらえる様な力を持っているんですよ? 対抗出来る冒険者なんて、このアクセルにいるでしょうか……?」
「ミツルギさんだ! 魔剣使いのミツルギキョウヤさんなら……」
「彼、別のクエストで遠征に出ているからここにはいない筈よ」
「くそっ! なんでこんな時に!」
どうやらああでもないこうでもないと終わりの見えない問答ばかりで中々結論がまとまらないらしい。スタッフ達の慌てぶりを見るに、余程の事態に晒されている事はなるほどよく分かった。
まあ、女子供というのは交渉ごとの脅迫材料や人質として利用するなら確かに御誂え向きであり、実際雪葉も当時お偉方から似たような人攫いや護衛の任務を何度か請け負った経験があるので、犯人の迅速な目利きと鮮やかな手際には少し興味を惹かれる部分もある。
いきなり攫われたその姪御もさぞ気の毒と思うが、彼女には雪葉と下手人を繋ぐ為の橋渡しとなってもらおう。助けるのはもののついでになるだろうが文句なら後で幾らでも聞き受ける所存だ。
人質の安否など二の次な雪葉は、スタッフ達の会話へ再び耳を澄ませた。
「どう考えてもここの冒険者じゃ手の打ちようがない。第一あのミツルギに並ぶ実力を持つ奴など……」
「ええと……一応、いるにはいるんですが……」
「じゃあすぐに呼びましょう! 街に放送をかけますか? それともみんなで探し回りますか?」
「いえ、そこに……」
他スタッフの問い掛けに口ごもりながら否やを告げたルナの視線が、他でも無い雪葉へと向けられる。これは願ってもない展開だ。
「……例の、あの方です」
『おおおっ!』
「え? え? どういうこと?」
細々と告げたルナとは反対に色めき立つスタッフ達の期待に満ちた眼差しが、一斉に雪葉へと注がれる。
一方で、状況が掴めていないのか頻りに雪葉とスタッフ達に視線を泳がせているゆんゆん。話の経緯を知らないのだから無理もない。
「そうか……頭のおかしい忍者がいたな」
「そうだ。アクセルには頭のぶっ飛んだ残忍天使がいるじゃねえか」
「ええ、頭のどうかしてる戦闘妖精がいたじゃない」
「ああ、頭のやばいのがいれば百人……いや、千人力だぜ!」
雪葉を目にするや、水を得た魚の如く気勢を上げるスタッフ達。
次第に指笛まで聞こえ始め、もはやさっきまでのどんよりとした雰囲気は何処へ行ったとでも問いたくなる変わり様だ。
それはそうと、中々愉快な冗談があちこちから聞こえてきたようだが、彼等は喧嘩でも売っているのだろうか。
「「……?」」
無言で見つめる雪葉の様子に違和感を感じ始めたスタッフ達との間に物々しい雰囲気が漂い始め、ギルド内がシン、と静まり返る。
時折外風がヒュルリと建物を撫でては静けさに拍車がかかり、互いが黙したまま見つめ合う時間だけが過ぎていく。
やがて、徐に口もとを弧に描いた雪葉は、何かを察して生唾を飲み込むスタッフ達にピシャリと言い放った。
首を出せ。
「え、なに!? いきなりどうしたの!?」
拳を作るようにパキパキと関節を鳴らし、後ずさるスタッフ達に迫ろうとする雪葉の肩を掴んで呼び止めるゆんゆんに物申す。
どうしたもこうしたもへったくれもない。
あんな不愉快極まりない異名で雪葉を煽り散らした輩へ直々にお礼参りをくれてやるのだ。
なあに心配は無用である。彼等が気絶する程度には力を抑えるつもりだから何も問題はない。
「何それ尚更安心出来ないわよ! ていうか普通に衛兵案件だから絶対やめて!!」
雪葉に引き摺られながらも正鵠を得た指摘を突き付けるゆんゆんに咎められ、雪葉はぴたりと足を止めた。
さすがに衛兵の世話になるのは勘弁願う。主人和真やウィズを悲しませるなど、合わせる顔が無くなってしまうではないか。
実に不服だが、主人達を天秤にかけられては背に腹はかえられぬ。ここは止む無しと彼等の軽挙を見逃すことした。
苛立ちを抑えて深く息を吐き、徐に顔を上げた雪葉が再び目を向ければ、怯えたスタッフ達は青ざめた顔で蜘蛛の子を散らすように持ち場へ逃げ戻り、残ったルナただ一人が苦笑いを浮かべていた。
その呆れた様な顔からは、他のスタッフ達に対する彼女の心労がひしひしと伝わってくる。
ルナは困り眉で雪葉達に歩み寄り、躊躇いがちに訥々と語り掛けてきた。
「他の者が失礼を働き申し訳ありません。後でよく言って聞かせておきますので……。それで、重ねて不躾なお願いなんですが……ある緊急のクエストを引き請けて頂けたらと思いまして……。差し支え無ければ、話を聞いてもらえませんか……? 出来たらそちらの方もご一緒に」
「え? わ、私も?」
自分を指差して聞き返すゆんゆんをよそ目に、雪葉は承諾の返答をルナに告げて詳細を説明するよう仰いだ。
「──……と、言うわけでして」
「つまり、大貴族の姪御さんを救出すればいいんですね? でも、私たちだけで大丈夫なんでしょうか……」
「誘拐犯の正体やはっきりとした実力が分からないので、今は何とも……。それに姪御様は今回お忍びでいらしていたらしく、あまり多くの方に知られる様な事態は自分の面目が立たないから絶対に避けろと、大貴族様から言伝がありまして……なので今回は緊急クエストではあるものの、あなた方お二人にお願い出来たらと思ったのですが……どうでしょうか?」
「いやどうでしょうと言われても、話を聞いてしまった時点でもう既に片足踏み入れちゃってますよね、これ……。断ろうにも断れないレベルの話なんですけど……」
ジト目で突っ込んだゆんゆんの言う通り、しれっと責任の片棒を担がせて退路を断ってきたルナの手口は正に名実共に一番を誇る受付嬢と言える策士ぶりだ。雪葉も実に感服せざるを得ない。
尤も、そうルナの事を持て囃している者の大半は下心見え見えで彼女に接して来る男性冒険者ばかりであり、終いには女性冒険者達にゴミを見るような目を向けられるまでが彼等のテンプレである。
「ねえ、どうする?」
悩ましそうに雪葉を見遣るゆんゆんの問いは、恐らく引き請けるか否かではなく、二人だけで大丈夫なのかと暗に嘆いているのだろう。
敵の詳細も不明な現状に不安を覚えるのも頷けるが、何より先方が出来る限り少数に留めろと厳命しているのだから、今のところ雪葉に増員の考えはない。
余談だが、雪葉が一人でクエストを請けるのはどうだろうと物は試しでルナに申し出た結果、凄まじい形相に変わった彼女から即座に両手でばつ印を作って却下された。
ガッデム。余程ベルディアの一件がトラウマになっているようだ。
「うぅ……凄い不安になってきたなぁ……あの、本当に私達二人だけで大丈夫ですか?」
「実を言うと、この人は危険に飛び込みたがる傾向があるので……えっと……」
「……ゆんゆんです。そんなに無鉄砲なんですか? この子」
「はい、どうしようもないくらいには……。ですから、ゆんゆんさんには監視役兼ストッパー役として彼に同行して頂きたいという理由もありまして……。どうか可能な範囲で構いませんので……」
「私、どっちも務め切れる自身無いんですけど……」
「……お二人のご健闘を祈っています」
「出来るだけ頑張ってみます……」
盛大に嘆息し合うルナとゆんゆんの憂慮だらけなやり取りをよそに、雪葉は一人まだ見ぬ敵に想いを馳せ、人知れず不敵に微笑んだ。
▼
入念に武装を調えた雪葉とゆんゆんは現在、誘拐犯が護衛達に置いていったという声明文を頼りにひたすら目的地へと向かっていた。
その内容とは、『近郊の丘にある城にて我等に抗う冒険者を待つ。時間は日没まで。来なければ人質の小娘は容赦なく殺す。又、そいつらが負けても人質に命は無い』というなんともざっくばらん且つ理不尽なものだ。まあ下手に出て要求する犯人もいないだろうが。
幸いアクセルの近郊にある城といえば、嘗てベルディアが根城にしていたあの古城以外には存在しないとルナが言っていたのでほぼ確定だろう。
それにしてもまたあの廃城である。あの辺境に佇む城には悪党を惹きつける魅力でもあるのだろうか、それとも雪葉があの城と何かしらの縁があるだけなのか。さすがにそれは嫌過ぎるが。
とはいえ、探す手間が大いに省けたのは僥倖だった。幾ら雪葉でも徒らに走り回って骨折り損のくたびれ儲けなど御免被りたい。忍者は無駄なく迅速かつ丁寧に、がモットーなのだ。
「そういえばあなたの自己紹介が途中になってたけど、忍者ってどんな職業なの? 私が覚えてる限りだと、冒険者マニュアルにそんな名前の職業は載ってなかった気がするんだけど」
両手を顔の前に翳し、吐息で温めているゆんゆんがそんな風に尋ねてきた。
少々具体性に欠ける質問で答えづらいが、端的に例えるならば盗賊やアサシンを掛け合わせた職業とでも思って貰えば想像がつきやすいだろう。要するに斥候や不意打ちに長けた戦法を主とするのが忍者の戦場における役割だ。
無論ベルディアとの闘い同様、正々堂々の勝負に於いても全く問題は無いが。
「うーん……忍者はよく分からないけど、スタッフの人達があれだけ期待しているんだからよっぽどあなたって強いんでしょ? ……頭がどうかはこの際置いとくとして」
少なくともアクセルの街で雪葉に並ぶ実力を有しているのはウィズぐらいのものだろう。後は目くそ鼻くそだ。
序でに言うと、頭がおかしいと言われた事に関しては実に腹立たしいし、雪葉は至って普通の価値観を持っていると自負している。下手人の顔はしっかりと記憶したので彼等に二度目は無い。
それはそうと、暇を持て余していた雪葉はともかく、ゆんゆんの方は本来ギルドにどんな用事があったのだろうか。
冬場のクエストは強力なモンスターしかいないのに、態々依頼を受けようとしていたのなら随分と殊勝なことだが。
「そ、そうじゃなくて、その…………を、募集してるから……毎日誰か来ていないか、確認を……」
小声でぼそぼそと囁いても、雪葉にははっきりと聞こえていた。
どうやらゆんゆんはパーティーの募集をしているようで、毎日ギルドへ通い詰めては応募者が来ていないか確認に訪れているのだと言う。
なるほど、道理で朝早くにギルドへ赴こうとしていたわけである。
一瞬、何故か雪葉の胸中にズシリと何かが重くのしかかった。
威圧とも違う未知の感覚に心がほんの少しざわついたが、恐らくまだ見ぬ敵に昂ぶる武者震いだろうとかぶりを振って邪念を払う。
そんな雪葉を尻目に、青菜に塩をかけたようなゆんゆんの語る声が徐々にくぐもっていく。
「もう貼り出してから数ヶ月経ったけど……誰も希望者がいないどころか、せっかく目を通されても、どうしてか皆見えないふりをして去って行くの……ここ最近はギルドに来る冒険者すら見かけないし」
なんとも不可解ではある。ゆんゆんは正真正銘のアークウィザード。つまりは上級職であるにも拘らず、数ヶ月に渡って一人も応募者が名乗り出てこないとはどういうことなのか。
本来であればアクセルの街の冒険者にとって上級職は稀少な存在。それこそアークウィザードという攻撃魔法に特化した遠距離型の超火力なら、喉から手が出るほどに引く手数多の筈なのだが。
とは言え、めぐみんという超弩級の例外であるならばその限りでは無いが、アクセルで爆裂魔法を覚えている逸材など自分くらいのものだとはめぐみん自身の弁である。
ゆんゆんの性格から見ても爆裂魔法にのめり込むような感じでは無さそうなので、未だソロというのは尚のこと疑問が拭えない。
一先ず、見る間に気落ちしていくゆんゆんの背中をポンポンと軽く叩いて励ましつつ、因みにどんな募集内容を記載したのか尋ねてみると、不意に頭を擡げたゆんゆんはいそいそとポケットから一枚の折り畳まれた紙を取り出し、ハイこれ、と雪葉に手渡してきた。
さて、一体どんな募り文句を記したのか紙を広げて目を通してみると。
『パーティーメンバーを募集しています。レベルや職業は問いません。優しい方、名前を聞いてもバカにしない方、年齢の近い方、話を聞いてくれる方であればどなたでも大歓迎です。出来ればクエストのみならず、休日でも一緒に過ごして下さると尚嬉しいです。──ギルド酒場の◼︎番テーブルにて、始業から終業までいつでもお待ちしています』
雪葉は目が霞んでいるのかもしれないと片腕で拭った。
しかし何度目を凝らそうと内容は変わらず、まるでこの文面が現実から目を背けるなとでも否定してくる様だ。
なんじゃこりゃ。ただただ酷い。
これではパーティーメンバーの募集ではなくただの友人の募集である。
それもギルドで一日中待ち続けているとか最早救いようが無いし、酒場のスタッフからすれば普通に迷惑な客だった。募集の文面は誰がどう見ても応募したくなる魅力が一つも無いどころか、完全にマイナス方面に作用しているとしか到底思えないが。
今までの先人達が黙殺して立ち去ったのもむべなるかなといったところだ。誰だってこんな地雷確定の紙を手に取りたくはないだろう。
「ど、どう……?」
おずおずと伺う声に振り向けば、キラキラと期待の眼差しを雪葉に注いでいるゆんゆん。
正直気が進まないが、ゆんゆんがあのギルドで来るはずのない応募者を一生待ち続ける事のないよう、雪葉は今ここで苦言を呈することに決めた。さもなくば、主人和真が涙ながらに聞かせてくれた、忠犬ハチ公の様な結末を彼女が迎えてしまいかねないと思ったのだ。
誰に任されたわけでもないのに、これまで受けてきたどんな任務よりも今が一番荷が重い。
雪葉は苦笑いを浮かべ、このクエストが終わったらギルドの掲示板にある貼り紙を外すようそれとなくゆんゆんに進言した。
「じゃ、じゃあ、私とパーティーを組んでくれるの……!? 本当に……!?」
一体ゆんゆんは何を言っているのか。雪葉はそんなこと一言も口にしていない。
はて、いつの間にゆんゆんとパーティーを結成したのだろう。
そういった方面の知識はさっぱりな雪葉だが、さすがにこれはおかしくないだろうか。誰が聞いてもゆんゆんの発言はぶっ飛んでいると口を揃えること請け合いである。
雪葉の思考を置き去りにする荒唐無稽なゆんゆんの強硬に呆れながらも、雪葉は申し訳ないが自分は既に他の者とパーティーを組んでいることをはっきりとゆんゆんに告げた。
「え? ──あっ…………そ、そうよね……私ってばつい舞い上がって…………ごめんなさい。助けてもらった分際で勝手にパーティーだとか、図々しいこと言っちゃってごめんなさい……やっぱり私みたいなのは、ソロがお似合いよね……」
ゆんゆんがいよいよご乱心である。誰もそんな事は言っていないというのに。
何やら途轍もなく曲解されていた。少々……いや、かなり面倒くさい。
流石にパーティーは組めなくとも、知人として偶に協力するぐらいならどうにかなると雪葉が言い添えると、即座に反応したゆんゆんが顔を上げて赤い目を爛々と光らせた。
その様子を目にした雪葉は、紅魔族の目が光るのは昂ぶっている時に顕れる生理現象なのだとめぐみんに無理矢理聞かされた事を思い出す。
「知人……知人……うん、分かったわっ。今日から私たちは知人ねっ! そう、知人!」
雪葉からの提案を噛みしめるように、にこにこと快諾するゆんゆん。
知人程度でそんなに喜ばれるのも何だかむず痒いが、彼女の心から嬉しそうな姿に、口を挟むのも無粋と感じた雪葉は人知れず言葉を飲み込んだ。
▼
あれからというもの、何故かゆんゆんは城までの道中やたら上機嫌に笑みを浮かべ、足取りも見違えるように軽くなった。ついでに雪葉へ話しかけてくる頻度も。
なんとも御し易いの一言に限る。願わくば彼女が不徳な輩に引っ掛かからん事を。
「あわわわわ……! 無理よ、あんなの絶対無理……っ! 私もう帰りたい……っ!」
そんなゆんゆんは現在、雪葉の背後で隠し切れる筈もない体をびくびくと懸命に縮こませ、城の正門に佇む二体の巨大ゴーレムを少し離れた所で見つめながら細々と弱音を吐き続けている。
これはもしかして見込み違いだったのだろうか。しかし練達した雪葉の目は確かにあのミツルギと渡り合えそうなゆんゆんの内に秘めた可能性を見抜いていたのだが。
かくなる上は彼女をゴーレムの下へ嗾ける他に証明する手段はないだろう。そうとなれば早速出陣あるのみである。
雪葉は怯えるゆんゆんの後ろに回り込むと一度しゃきっとするよう喝を入れ、躊躇いもなく淡々とゆんゆんに言い放った。
いけ、ゆんゆん。
「ねえ、後ろに回ってどうする──ちょ、ちょっと待って!! なんで執拗に私の背中を押してくるのっ!?」
是が非でも動かんと踏ん張るゆんゆんに対し、雪葉は説得を試みる。
ゆんゆんもアークウィザードなら、あんなゴーレム程度容易く粉砕出来るはずだ。なあに、勝手知ったる仲ではないからと言って変な遠慮をすることは無い。思う存分好きなだけ暴れまわるといい。
「嘘でしょ!? 一緒に戦ってくれないの!? だってあれどう見てもタイラントゴーレムじゃない! あのモンスターの適正レベル知らないの!? 40よ40!! 間違っても私たちみたいな駆け出しが挑むような相手じゃないわ!」
そう雪葉へ諭しながら抵抗を続けるゆんゆん。
だが遺憾ながら雪葉のよく知るあの頭のおかしい少女は爆裂魔法しか会得していない為、雪葉はアークウィザードの攻撃手段というものを爆裂魔法以外に於いて凡そ見たことが無かった。
――え? なぜ爆裂魔法だけなのか、ですか? フッ……いい事を教えてあげましょう。私たち紅魔族は、生まれながらに魔法へ高い適性を持った極めて優秀な部族であり、もはや魔法職のエキスパートと言っても過言ではありません。何より私たち紅魔族が追い求めるのは、派手さ、威力、カッコよさを兼ね備えた究極のロマン……つまり、攻撃魔法と呼べるものなど、この世で爆裂魔法以外に有り得ないのです! そもそも私が爆裂魔法と出会ったのは……。
どうやら爆裂魔法の言葉に引っ張られたせいかどうでもいい事を思い出してしまったようだが、まあそれはさておき。
雪葉はかぶりを振り、めぐみんから耳にたこが出来そうな程長々と聞かされた『爆裂魔法邂逅録』を記憶から払い飛ばした。
正直途中から目を開けたまま寝ていたので内容はからっきし覚えていないが。
何はともあれ、ゴーレム共が任務の邪魔立てをするというなら躊躇う理由はどこにも無い。それにゆんゆんの実力を図るには丁度良さそうな相手だ。
道中での話によれば、めぐみんと違いゆんゆんは多種多様な魔法をバランス良く覚えているとのこと。俄然雪葉の興が湧くのも無理はない。
というわけでゆんゆん、出番である。
「お願いだからあんまり押さないでっ! どうしてそんなに私を闘いさせたがるの!?」
どうしても何も、先程も言ったように雪葉は爆裂魔法以外の攻撃魔法がどんなものかと気になって止まない好奇心を単純に満たしたいからだ。
爆裂魔法がキワモノと言うのなら、本来あるべきアークウィザードの戦い方をゆんゆん自身の手で証明するのは当然の帰結だと思うが。
「え、ほんとに待って!? たったそれだけの為に私、闘わされそうになってるっていうの!? ていうか私まだ上級魔法は一つしか覚えてないんだけど!? それに前衛で誰かがひきつけてくれないと、あんなの私一人じゃ倒せっこないわ!」
ゆんゆん、耳の穴をかっぽじって聞くといい。
回避こそ最大の防御。当たらなければどうという事はないのだ。
「誰か助けてぇぇ! この子全然話が通じなああああい!」
わざわざ背中を押す発破を掛けてやったというのに、助けを請いながら泣き叫ぶゆんゆん。
何やら今の助言にどこか不服があるような物言いに聞こえるがどこがおかしかったのか。
「そんなの全部に決まってるじゃない! 第一そこまで見たいなら、クエストが終わった後で幾らでも見せてあげるから! だから今だけは本当に勘弁して!」
何が何でもゴーレムとの交戦を避けまいとゆんゆんは激しく首を振って拒み続ける。
これ以上しつこくこちらの事情を押し付けてもただの無理強いになるだけなので、やむを得ず断念する事にした。
まあ、雪葉も肩慣らしの相手を探していた所だったので取り敢えずは良しとしておき、仕方なくゆんゆんを退がらせて自分が前へと進み出ると、雪葉の接近に反応したゴーレム達が両手を組んで頭上へ掲げると、そのまま雪葉目掛けて勢いよく振り下ろされる。
悪いがのんびり相手をしている暇は無い。
雪葉は早々に一瞬で二体の頭を捻り取ると、ゆっくり倒伏するゴーレム達を尻目に、後ろで呆然と瞠目していたゆんゆんに向けて一丁上がりとばかりに親指を立ててみせた。
「スタッフの人達が言ってたこと、本当だったんだ……」
どん引きで後ずさるゆんゆんに何と失礼な言い草だ、と顔を顰めた雪葉は、予想外の敵の呆気なさに肩を落とすと興醒めとばかりに鼻白んだ。何とも他愛のない。
思いの外張り合いも無くすっかりやる気の削がれてしまった雪葉があーあ、と嘆息交じりでゴーレムの頭を後ろへ投げ飛ばすと、青ざめたゆんゆんを気にも掛けず、単身で躊躇なく城の中へと侵入して行った。
城から放たれる、一際強大な気配に胸を馳せながら。
「ちょ、ちょっと! 置いてかないでってばあ!」
「わぁ……いかにもって感じの雰囲気。暗いし、なんかじめじめしてる……」
城内へと足を踏み入れて早々、城の外見に似つかわしく古びた内装の大広間を見回しながら、雪葉の背中に引っ付いて見たままの感想を漏らすゆんゆん。
あまりくっつかれては流石に雪葉でも歩き難いのだが。
「そ、そんなこと言ったって……何処から襲われるか分からないじゃない……!」
「──その心配はいらねーぜ。こっちから出迎えに来てやったからな」
「──っ!? だ、誰!?」
突如、小馬鹿にした様な声に雪葉達は正面の大階段へと視線を向けた。
そこにいたのは、深緑の長丈ローブに身を包んだ、勝ち気な印象を受ける短髪の少女。頭の後ろで組んだ手には禍々しい杖を携えており、その目は自身で満ち溢れている。歳は見た目からして主人和真やミツルギと一緒のくらいだろうか。
雪葉達に向けられる敵意や風貌から見るに、件の救出対象である令嬢とは全く似ても似つかないのでどうやらこの少女では無いようだ。
序でにいえば、この少女は城外から感じたあの気配でも無い。誠に期待外れである。
確か、よくアクシズ教徒がこういった不本意な心境の時、毎回口癖のようにこう吐き捨てていた。
エリスの胸はパッド入り、と。
一人興の乗らない雪葉が内心怨嗟を嘆く中、ローブの少女が見下すような目で雪葉達を睨みながら口を開く。
「しっかし驚いたぜ。初心者しかいねえ辺境の地に、まさかこんな歯応えのあるヤツがいたとはな。タイラントゴーレム相手に無傷たぁ、なかなかどうして。……ん、そういやまだ名前言ってなかったか。 あたしはマルル。世にも珍しいドルイドの一人にして、これまた貴重な召喚術士ときたもんよ。ま、短い間だろうけどよろしくなっ」
「……どうしてこんなことを? 御令嬢を攫った目的はなに?」
「おいおい、勘違いしてもらっちゃ困るぜ。あれを攫ったのはあたしじゃなくてもう一人のヤツだかんな? ま、確かに協力はしたけど目的なんか知らん。そりゃこの計画を立てたもう一人のやつに聞いてくれ」
嘲笑気味に弁解するマルル。彼女の全身に雪葉が目を凝らしても確かに嘘をついた兆候は見受けられなかった。
となれば気配の正体がそのもう一人から発せられたものである事は最早言を俟たないだろう。俄然期待に胸が躍るというものだ。
何にせよ、彼女をどうにかしなければ、御令嬢のもとには辿り着けないという訳らしい。人質がいなければ、遠慮無く乱戦に持ち込んでいた雪葉だが今回はそうも行かない。
出来れば道を譲るか、大人しく投降してくれると有難いが。
「笑えねー冗談かましてんじゃねーよ。久しぶりに張り合いのある戦いが出来そうだってのに、わざわざ自分でおじゃんにするバカがどこにいんだっつーの。甘ちゃんなコトぬかしやがって、そんなに潰されてーかボケが」
「……っ!」
けんもほろろに取りつく島もないマルルの悪態に思わず杖を握りしめて生唾を飲むゆんゆん。
そんな要求を飲むくらいなら初めからこんなことを仕出かす訳もないのはゆんゆんも自明の理だろうが、それでも敢えてマルルにそう聞いたのだった。
さて、お望みの相手がマルルではない上に令嬢も別の階層にいる以上、最早この場に留まるつもりなど雪葉には毛頭無い。
既に気もそぞろな雪葉は内心ゆんゆんにマルルの相手を押しつけ、さっさと先へ進む腹づもりだ。
屋敷内の全てを範囲に収めて気配を探ると、なんとまあすぐに本命と思しき二つの気配を探り当てる事に成功。思わずほくそ笑む雪葉のにやけが止まらない。
幸先が良いのは何よりである。これも女神エリスの力だとしたら、いよいよ彼女の方へ足を向けては寝られないだろう。
ゆんゆんにはマルルをあてがっておき、代わりに本命の相手を雪葉が請け負うとしよう。
よもや完全にマルルを歯牙にも掛けていない雪葉は、ゆんゆんの肩に手を置き、大して悪びれた様子も無く一言だけ告げると、隠密を発動し忽然と広間から姿を消した。
「え? 今なんて──あれ!? 何処行ったの!?」
「おいおいコソコソと何を企んで──っておい、あのガキんちょどこ行きやがった!? ……まさか。いや、そんな筈はねえ! 俯瞰の加護を持つあたしの目から逃げられる訳が……んがーっ! もうめんどくせー!
苛立ちに髪を掻き毟るマルルが叫ぶように唱えると、大広間の一面に浮き出た魔法陣から種々とりどりのモンスターが現れる。
「そうら間抜けども、待ちに待ったお客様だ! 丁重にもてなしてやれ!」
「ね、ねぇ! ちょっと何処にいったの!? 私一人でなんて無理よお! お願い戻ってきてええええええ!!」
広間に響くゆんゆんの叫びに答える声は無かった。
▼
お楽しみを前に邪魔立てしてくる名も知らないモンスターの群勢を鎧袖一触とばかりに颯爽と蹴散らし終え、口笛を吹きながら愛刀を納めた雪葉の後ろには阿鼻叫喚の光景が広がっている。これを正に、兵どもが夢の跡、とでも詠むに違いない。
長い年月で風化しているとはいえ、少しは絢爛豪華な面影を残した折角の内装に魔物の濁り血や臓物が飛び散り、誰もが目を覆いたくなるような見る影も無い惨状であるにも拘らず、雪葉は良い運動になったと汗一つかいていない額を拭った。
思えばこれほど無双を振るったのはベルディアの前哨戦としてアンデッドナイトを相手に臨んだっきりだろうか。
強敵との死闘は勿論だが、数多の雑魚を一掃するのもまた違った爽快感を味わえるので、こういう一対多も雪葉にとっては堪らなく愉しいので病み付きになる。
何より極め付けは複数の首を斬り飛ばして血の花を咲かせた時。あれには得も言えぬ美しさがあると一家言持つくらいには何度見ても雪葉は飽きることが無い。
ルナ辺りに聞かせれば、またベルディアの調査報告の時と同様に卒倒するのだろうか。それは一興かもしれない。
そんな洒落にならない悪童ぶりを垣間見せた散策の果て、ついに目的の最上階に築かれた玉座の間へと辿り着く。
躊躇いもなく扉を開けた先には、長い桜色の髪に煌びやかなドレスを身に着けた少女が玉座に腰掛け、優雅に一人で紅茶を味わっていた。その姿は間違いなく救出対象である令嬢と合致している。
しかし何とも不可解な状況に思わず雪葉は首を傾げてしまう。
ギルドのスタッフによれば令嬢は攫われたと伝え聞いていたが、この待遇を見ても決して命の危険下に置かれている人質とは到底認め難い。寧ろ優遇のひとときを過ごしていたとしか思えないが。
「あら、可愛らしいお客様ね。それとも迷子かしら? ……いえ。大方伯父様か両親に私を連れ戻すよう遣いに寄越された、小さな冒険者様なのかしら」
口振りから察するに、こちらの事情は概ね筒抜けのようだ。おまけに雪葉へ見下す様な眼差しを向けてくる令嬢の刺々しい言い草は、言外に家には戻りたくないとでも訴えているようにも聞こえる。
「大広間にいたはずの用心棒をどう搔い潜って来たかは知らないけど、外のゴーレムを倒したということは、それなりの実力はあるようね」
高慢具合が鼻に付く隔意満々な令嬢の言動を受け流し、雪葉は彼女に自分達の助けは望んでいないのかと問い掛けてみた。
「さっきそう聞こえるように言った筈だけど? あんな所に戻るだなんて、死んだ方がまだマシってものよ。私はね、望んで攫われたの。貴方に分かる? 望まぬ習い事を強いられ、望まぬ相手と見合いをさせられる貴族の娘の気持ちがっ! ……もううんざりなのよ。あの両親にも伯父様にも、何も出来ない自分にも……っ!」
怒りの衝動に駆られるがまま徐ろにティーカップを壁に投げつける令嬢。ヒステリックな年頃なのだろうか。
パリンッ、と耳ざわりな音を立てて壊れたティーカップの惨状を目の当たりにした雪葉はあーあ、と物惜しむように小さく嘆く。
そんな雪葉を尻目に、令嬢が一度息を落ち着かせて再び語りだした。
「だから私は縋るしか無かった……正規のギルドじゃなく、闇ギルドの冒険者にね。知ってた? 闇ギルドは、普通のギルドでは出来ないようなクエストを可能な限り何でも依頼する事が出来るのよ。暗殺、誘拐、強盗、違法な狩猟……正に悪党どもの吹き溜まりね。で、どう? こんな欲に塗れた裏側を耳にした感想は」
生憎主人和真とウィズに関わりのない裏事情などに一切興味は無い。
端的に言えば、心底どうでもいいし勝手にやってろ、といった具合である。雪葉個人には闇ギルドを排除する理由もつもりも無い。
もし仮に正規ギルド側から仕事として依頼があれば、その時は容赦なく叩き潰す所存だが。
要するに此処も雪葉のいた日本と同様にお偉方、つまり一部の貴族が加担しているという事だろう。
資金は専ら貴族達の不法な援助によって賄われており、闇ギルドの冒険者は代わりに貴族達からの依頼を引き受け、互いに共存の関係を築き上げているといった具合に。
諸々の推測を述べた雪葉の言に目を細めた令嬢は僅かに感嘆の声を零し、雪葉に質問を投げかけてくる。
「へえ、子供にしては随分と察しが良いじゃない。それとも、実は貴方もそっち側だったりするのかしら」
興味深いわ、と掌を返す様に値踏みの視線を注いでくる令嬢に対し、答える義理も無いと突っぱねた雪葉は令嬢の依頼を引き受けた張本人であろうもう一人の居どころを率直に彼女に訊ねた。
「見た目の割に愛想が無いのね、そこはあまり可愛くないわ。何のつもりか知らないけど、お探しの相手はここにはいないわよ。恐らくだけど、広間の加勢にでもすっ飛んでったんじゃない?」
そう投げやりに答える令嬢。ならば本来の任務を遂行するだけである。
そちらがいくら拒もうと問答無用で連れ出す、と断言した雪葉の宣告に、令嬢は諦観の表情で溜息を零し椅子から立ち上がった。
「別に抵抗なんてしないわよ。どうせここまで来られた時点で覚悟は既に出来てたから。最後に悪態でもつけば少しは気が晴れるかと思ったけど、ほんの気休めにもならなかったわね。……さあ、どこへでも連れていきなさい」
両手を差し出して観念の意を示す令嬢の言を受け、殊勝な心掛けと頷いた雪葉もゆっくりと彼女に向かって歩を進める。
ふと頭を擡げた雪葉は、すっかり令嬢に言い忘れていたことがあったと途中で立ち止まりそう口にした。
「何かしら?」
騙し討ちとはこうするのだ。
「い、いきなり何の事──」
訝しげに顔を顰めた令嬢を尻目に、雪葉は振り向きざまに背後へと横蹴りをかます。
直後、凄まじい速度で繰り出された雪葉の脚が何かの感触を捉え、数瞬後に部屋の壁が大きな次々と音を立てて突き抜けていく。こうしてみると壁が独りでに自壊していくように見えるので何とも異様な光景である。
すんでのところで防がれた手応えに、ほう、と感嘆の声を零した雪葉は上出来とばかりにほくそ笑んだ。
「嘘だわ……こんなこと有り得ない」
目を見開いて後退さる令嬢へ、壁の向こうを眺める雪葉から忌憚の無い評価が彼女に下される。
あれで自分を騙せていると思っていたなら飛んだ笑い種である。努力の姿勢は買うが、目線を雪葉の背後に配りがちだ。加えて懸命に平静を装おうとするあまり手遊びや貧乏揺すりなどの不自然な挙動が厭でも目につく。更には声を乱すまいと意識し過ぎて台詞が棒読みになっており、この様にすぐ演技と見抜かれる。とはいえ、最後まで表情を崩さなかった事には少しばかり及第点を与えておこう。
ずばり、百点満点中五点。もはや演芸の道は諦めて他の可能性を探った方が良いと、令嬢に向けてやれやれと肩を竦めてみせた。
「い、いつから気付いて……」
それが強襲に失敗して雪葉に蹴り飛ばされたうつけを指しているのだとしたら、そんなもの城へ殴り込む前からとっくに気付いている。
どんな原理かは知らないが、自分に存在を気取られた時点で姿を隠そうが消そうが豆腐に鎹もしくは焼け石に水。
賽の河原で石を積んでいた方が幾らかマシというものだ。
「……ますます貴方が何者か分からなくなってくるわね。まるで子供の皮を被った化け物だわ」
令嬢の不躾なぼやきに、思わず振返る雪葉の眉が一瞬ピクリと上がった。これまた随分な言い草である。
一日で一度ならず二度までもこの言われよう。さすがの雪葉も腹に据えかねてきた。
今なら令嬢の顔に張り手を一発喰らわせても、彼女以外誰も雪葉を咎めはしない筈だ。
今度言ったら否応無くかまそう。そうしよう。
「まあ、今更貴方がどっちだろうとどうでもいいわ。どうせあの男には敵わないでしょうし」
そう令嬢が呟いた直後、ぽっかり吹き抜けた壁の向こうから漂い始めた殺気の方へ雪葉が向き直る。
目を凝らす視線の先に、一つの影が佇んでいた。この只ならぬ気配、今度こそ間違いなく屋敷の前で感じたものだ。
「……驚いたな。まさか始めから欺かれていたのがこちらの方だったとは。子供だからと侮っていたわけではないが、流石に予想外だったぞ」
肩に着いた壁の破片を払いながら姿を現した高身長の男。
目深に被った黒一色のフードと軽装に身を包んだその風体からはどうも雪葉と同じ様なにおいがする。体つきを見る限りただの盗賊職とは考えにくいがはてさて。
「ちょっと。高い金払ってるんだから金額に見合うぐらいの仕事をしてくれないと困るわ。仮にもあのミツルギに並ぶ実力なんでしょ?」
「……喧しいぞ小娘。指図するなと言ったはずだ」
「だったら早く倒してくれる? そっちこそ口を動かす前に手を動かしなさい。後は頼んだわよ」
男へそう言い残し、そそくさと逃げ出す令嬢。
何処へ行こうとも雪葉の手の平で転がっている事に変わりはないので精々一秒でも長く逃げ回っておくといい。どうせ捕まるのは一瞬なのだから。
「……全く、口の減らない御令嬢だ。受ける依頼は選んだ方がいいな。まあいい、任務が終わったらすぐに殺してやる」
心底物憂げに愚痴を零した男の目が、愛刀をチン、チン、と所在無げに挿抜していた雪葉へと向けられる。
「……まさか我が透魔族の誇るハイドをこうもあっさり見破られるとは。貴様、ただの冒険者ではないな」
男の問い掛けどおり唯の冒険者ではなく、忍者と冒険者という二足の草鞋を履いている主人和真の懐刀。それが今の雪葉だ。
しかし現在は諸事情により個人的な任務の依頼は一切引き請けていないので悪しからず。無論主人や親友からの頼み事であれば話を別に喜んで承るが。
「……忍者? 聞かない職業だな。先程の身のこなしや佇まいを見た限りでは、俺と同じアサシンのようにも見えたが」
アサシン。確か盗賊職から派生する上級職だったか。
ギルドの入り口付近に置いてある教本によれば、忍者とかなり似通った特徴や役割を持っていた様な気もする。
とはいえアサシン如きと一括りにされるのは不愉快なので非常にやめてもらいたい。
「……ふん。本来ならこのまま殺すところだが、ハイドを見破った貴様に敬意を表し、冥土の土産に教えてやろう。俺はヴィード。誇り高き透魔族唯一の生き残りだ。貴様に見破られたあのスキルこそ、我ら透魔族だけが使える秘伝の固有のスキルだったというのに、ああも容易く見破られては部族の名折れ。なんとも己が嘆かわしい。……さて、透魔族随一の俺のハイドを看破した最初で最後の冒険者よ。貴様の名を知りたい」
背中にこさえた二本のマチェットを構えた男へ、雪葉も応えるように愛刀を手にして名乗り返す。
「……いい名だ。覚えておこう」
戦闘準備がてらの手慣らしか、マチェットを振り回してステップを踏むヴィードが戦意と高揚で昂ぶっているのが十分に見て取れる。
やがて、準備を整えたヴィードは片方のマチェットを雪葉に向けて言い放つ。
「……改めて名乗ろう。俺の名はヴィード。透魔族の誇りにかけて、必ず貴様を葬る。若死にとは気の毒だが、悪く思うなよ」
雪葉に挨拶がてらの先制を喰らっておきながら、えらく大層な広言を述べたものだ。吐いた唾は飲めぬと言うのに。
そこまで豪語したからには、是非とも張り合いのある伯仲戦を展開してくれるのだろう。
「……相手にとって不足なし。いざ尋常に参らん!」
気炎を吐いて飛び込んでくるヴィードに対し、雪葉も不敵な笑みを浮かべて迎え討つのだった。
数分後、屋敷の広間へと向かう雪葉は二本の縄で全身を包むように縛られたヴィード──絶賛気絶中──と令嬢を引き回していた。
あれだけ大口を叩いていた割にヴィードは雪葉に一瞬で敗北を喫し、懸命に逃げ回っていた令嬢もヴィードを引き摺りながら追いかけて来た雪葉の手によって敢えなく捕縛。あまりの顛末に目もあてられないばかりか、これでは大した美談にもならない。
何とも呆気ない幕引きに雪葉は気落ちしてしまった。ヴィードの口上とポーズには対象の意欲を削ぐ呪いでも掛けられているのだろうか。
おまけに彼の十八番のハイドとやらは姿が見えなくなるだけで、気配も音も殺せていないお粗末ぶりときている。
雪葉からすれば自分が軽んじられていたとしか捉えようも無く、すっかり毒気を抜かれた気分だ。これで上級職のアサシンとはよくもまああれだけ昂然と宣えたものである。
前々から思っていたが、ギルドは上級職に昇格する方法や基準を見直すべきだと雪葉個人から是非とも提唱させてもらいたい。
冬将軍という超敵と対峙した分、今回の上げ落としは極めてショックが大きい。ぬか喜びも甚だしいあまり、女神エリスから賜った幸運の加護にも疑念が生まれつつあるくらいだ。
女神エリスに会うことがあれば、その時は文句の一つでもぶつけておこう。
デミット。
――んなっ……!? 仮にも女神に向かって何たる暴言……! そんな汚い言葉、誰が、あなたに教えたんですか!? まさか、サトウカズマさん!? それともアクシズ教徒の方から!?
頭に流れ込んできた女神エリスからの幻聴を聞き流し、のんびりとゆんゆんの下へ向かう雪葉の背中に令嬢から声がかかる。
「……ねえ。何かおかしい事に気付かない?」
はて。ヴィードを無力化した以上、さほど警戒の必要は無いと思うが。
正直令嬢が何をそんなに気に喰わぬ顔で雪葉を睨んでくるのか不思議でならない。主人和真が言っていた、俗に言うあの日なのだろうか。
「全然違うわよ! いい? 私は仮にも貴族の娘よ!? それがどうして犯罪者と同じ扱いで縛られているのか聞いてるのだけど! 分かったらさっさと解いて!」
高飛車に命令する令嬢に対し、上から見下ろす様に振り返った雪葉は軽く鼻で笑い飛ばす。
先程令嬢は自分の人生に嫌気がさし、自らを攫う様に闇ギルドへ依頼をしたと言った。
つまりは家を捨て、当然貴族の令嬢としての身分も捨てたのと同義。この扱いのどこに間違いがあろうと言うのか。
更に厳密には、雇い主は契約上によれば令嬢の伯父であり、娘の救出方法については何も明言されていない訳だが。
「そんなことまで一々依頼内容に加える必要ないでしょう!? 普通に考えて分からないの!?」
分かっていないのは令嬢の方である。
一度逃走を図った者が大人しくしている保証も無いのに、おいそれと手放しで自由に歩かせるなど愚の骨頂もいいところだ。
雪葉とて同じ轍を踏むつもりは無い。まあ別に取り逃がしてなどいないが。
有り体に言って、もしや令嬢は阿保なのだろうか。
ちなみにもがけばもがくほど余計にきつくなる忍者御用達の捕縛法なので抵抗はお勧めしない。
「い、言うに事欠いて、この私がアホですって……!? この私に向かってなんたる無礼……! 覚えてなさい! この屈辱、必ず晴らしてやるわ!」
それだけの大言をほざける元気があるなら重畳。
ギルドに戻った際は、是非とも口下手な雪葉に変わって事の成り行きを令嬢自らの口で語って貰おう。
そう令嬢との会話に区切りをつけ、雪葉は二人を引き摺る縄を背負い直し、ゆんゆんが待つであろう一階の大広間を目指すのだった。
「ちょ、痛っ! 階段の段差がお尻に当たって痛いのだけど! せめてレディの私だけでも階段で抱えるくらいの気遣いをなさい! ねえ! 話を聞きなさいったら!」
▼
道中鼻歌を口遊みながら一階へと戻ってきた雪葉の視線の先には、見るも無残に両断されたモンスター達の残骸がそこかしこに散見され、その中心では、膝を抱え込んでさめざめと泣くマルルと、彼女の背中を摩ってなぐさめるゆんゆんの姿が。
一体全体、彼女達の身に何があったのだろうか。
「あ、やっと戻ってきた! もう、一人であんなモンスター達と闘わされてすっごい怖かったんだから!」
両腕を上下に振りながらぷんすかと詰め寄って来たゆんゆんに対し、雪葉は大して悪気も無く薄ら笑いで自分の後頭部を撫でる。
それにしても、あれだけ自信に満ち満ちていたマルルが見る影も無く凋落している姿には、先程まで彼女を気にも留めていなかった雪葉も目を疑うほか無い。
雪葉は心当たりのありそうな目の前のゆんゆんに、マルルは一体どうしてしまったのかと聞いてみた。
「えっと……私もよくは分からないの。無我夢中でモンスターを倒してて、気が付いたらあんな風に……」
「……ふっざけんなよ。こんな初心者の地に紅魔族がいるなんて聞いてねーっつうの。あんなのが来るって初めから知ってりゃ、協力なんざしなかったってのに……グスッ」
悩ましげに経緯を語るゆんゆんの遥か後方から、マルルの不貞腐れた弱音が微かに雪葉の耳に届く。
余程自尊心を打ち砕かれたのだろう。無自覚なゆんゆんの態度が、よりマルルへ死体蹴りを打ち込んでいるようで見るに堪えない。
さすがは紅魔族。えげつない。
「そんなことより、姪御さんは大丈夫なの? 確かマルルの話だと、もう一人仲間がいるって事だったけど……」
不安そうに令嬢の安否とヴィードを指しているあろう伏兵の所在を憂うゆんゆんへ、雪葉は答えるように縛りあげた二人を彼女の前に投げ捨てる。
「いった! あなた、いい加減になさい! これ以上の無礼を働けばどうなるか分かってるんでしょうね!?」
「え……え? え? あれ、ちょっと待って? こっちの男の人が犯人なのは分かったけど、もう片方の人はどう見ても例の御令嬢よね? どうして縛られたままなの? すぐに解いた方がいいんじゃ……」
令嬢の文句に耳も貸さず、雪葉はつらつらと目の前の現状に困惑しているゆんゆんに事の顛末を説く。
「そんな……誘拐は芝居で、御令嬢が闇ギルドのメンバーを雇ってたっていうの?」
「そう、全て私の計画。というか、単なる腹いせよ。……そうね。無力な貴族令嬢の、せめてもの悪足掻きとも言えば少しは聞こえが良いかしら。本当は声明文にあった通り身代金を持って来たあなた達冒険者を倒してもらった後、そのお金で別の国に亡命する手筈だったのだけど……今となっては水の泡よ。主にあなたのせいでね」
自嘲めいたように鼻で笑ったかと思えば、忌々しそうな視線を雪葉にぶつけてくる令嬢の言葉に引っ掛かりを覚えた雪葉は腕を組んで記憶を掘り起こす。
今はのびているヴィードが先刻口にしていた、任務が果たせ次第令嬢を殺すという独白と雪葉達が目にした声明文の内容は、令嬢の言い分とはあからさまに差異が生じていた。
もしや、令嬢は初めからヴィードに化かされていたのではないだろうか。
「……なによそれ、私、そんなの……知らない」
雪葉の導き出した結論に戦慄きながらも受け入れまいと首を振り続ける令嬢の眼前に、これぞ証拠とばかりに雪葉が例の声明文を突きつけると、彼女は奪い取る様に声明文を手にし、食い入る様に中身を読み始める。
「ち、違う……私が頼んだ内容じゃない……ま、まさか……本当に私を……?」
その後、最後まで読み終えた令嬢は脱力した様にその場へへたれ込み、両手で自分の体を抱きながら震え出した。
所詮は箱入り娘が見切り発車で企てた計画。不徳な輩にとって、令嬢からの依頼はさぞ鴨葱だったに違いない。恐らく前払いを済ませていた時点で彼女はヴィードらにとって既に用済みだったのだろう。
これは不憫だ。さしもの雪葉も令嬢に心で南無南無と合掌を捧げてしまう程に。
しかしこれが非常な現実である。
いくら財を成そうとも、社会経験もまともに踏んでいない小娘が生意気に背伸びしようと安易に裏社会へ手を出した末路がこの有様。自業自得である事には変わりない。
「…………なによ。あなたの方がお子様のくせに」
絞り出すように放たれた令嬢の反論も、今の弱々しい語気では惨めさを更に助長しているだけであり、雪葉から返す言葉は何も無かった。
「あ、あの……」
「ヒック……グスッ……良いように私を利用する大人達に腹が立つ……っ! なにより……こんなに無力な自分が、悔しくて堪らない……ッ!」
城内には、咽ぶような少女の泣き声だけが響き続けた。
▼
アクセルの街への帰路は何事も無く、到着も早々に門の前でウトウトと舟を漕いでいた衛兵へ気つけ代わりに誘拐犯二人を押し付けた雪葉とゆんゆんは、拘束を解いた令嬢を連れて、ギルドで任務完了の報告を終えた。
途中、令嬢に対する雪葉の待遇についての報告を耳にしたルナが、突然頭を押さえながら倒れてしまったのは記憶に新しい。
その後、すぐさま令嬢の周りを囲んだギルド内の全スタッフ達が次々と土下座を披露して平謝りを始めていたが、彼等は何か不手際でもおこしていたのだろうか。
因みに雪葉がそのままゆんゆんに尋ねたら今までに類を見ない程のジト目を向けられた。解せぬ。
傷を負った使用人や護衛たちも大事には至らなかったらしく、すぐに令嬢からの謝罪を快く受け入れて迎えの用意をせっせと始める姿は雪葉からみても舌を巻く回復の早さだった。
気付けば外は夕暮れ。
道端に降り積もった雪が溶けて出来たであろう水面には、逆さまになったもう一つの街並みが映し出されており、思わず雪葉の口から感嘆の声が漏れ出る。いとおかし。
一連の騒動を企てた令嬢は、これから関係各所へ頭を下げて回るようだ。
何故か彼女は城で泣き終えて以降、牙を抜かれたようにすっかり大人しくなり、先程のスタッフ達の謝罪にも静かに応じ決して文句や不満を垂れることは無かった。
これには雪葉も精神支配でも受けたのかと邪推してしまうぐらいの驚きである。明日は槍でも降るのだろうか。
「ちょっと! 幾らなんでもそれは……」
「良いのよ別に。これまでの私を見ていた人からすれば無理もないわ。逆に、今はそのくらいの野次を飛ばされた方が、気が楽だもの」
揶揄う雪葉を嗜めかけたゆんゆんの言葉を途切らせた令嬢からまさかのお許しが雪葉へと下された。
続け様に、何やら意を決した様に俯いていた顔を上げた令嬢が、雪葉に向けて口を開く。
「私……今回の件で、色々と学んだわ。今の私じゃ、どう足掻いたって何も変えられないって事に…………だから決めたの。私は、現実から目を背けずに立ち向かうって。今から、少しずつ……ゆっくり、自分の夢……いいえ、野望を叶える為に、前を向くって。いずれは、この腐った貴族社会の風習をぶち壊してみせるわ」
毅然とした表情でそう宣言し、胸の前で拳を握りしめる令嬢。
だが、雪葉からすれば他人である彼女が何をどの様に目指そうともまったく関係が無いので、どうぞご勝手に、と一言だけ返す。
「……それもそうね。あなたに言っても意味は無いのだけれど……これは、自分なりの……そう、けじめかしらね。…………え、ええっと、その……」
そう言い終えたかと思えば、徐にもじもじと身を捩らせ、訥々と要領を得ない様子の令嬢に、雪葉はギルドの方を指差しながらこう告げた。
トイレならそこで借りればいい。
「違うわよ! ……な、名前…………教えなさい」
はて。名前を教えろとはこれまた唐突な要求をされたものだ。
隣にいる少女の名前はゆんゆん。これで満足いただけただろうか。
「誰がへんてこ部族の方を聞いたのよ! 貴方の名前を教えなさい!」
「ひ、酷いっ!?」
ゆんゆん、いとあはれなり。
「もう! 元はと言えば、あなたが素直に自分の名前を教えないで私の名前を出したからこんなことになったんでしょお!?」
ポカポカとこそばゆいゆんゆんの猛攻をシカトしつつ、雪葉は、まず令嬢自身が名乗ってから尋ねるのが世の常と令嬢に指摘を入れる。
生憎非常識な輩に名乗る名を雪葉は持ち合わせていない。
「言われてみればそうよね。まずこういう所から意識を変えて行かなければならないってことかしら……私はリリエーラ。アレクセイ・テルネス・リリエーラ。よくと覚えておきなさい」
スカートの裾を摘んで恭しくお辞儀するリリエーラは、さすが上流階級の娘に恥じぬ見事な所作であった。
暫く感服していた雪葉も、見様見真似で袴の裾を摘み、ぺこりと一礼ながらに自分の名を明かす。
ふと、隣から微かに聞こえて来る声に雪葉が顔を向けると、両手で口許を押さえたゆんゆんが顔を背けてクスクスと含み笑いをしている。何がそんなに可笑しかったのか。
「か、カーテシーはスカートの場合だけで大丈夫よ……。それに、貴方男なのでしょう? なら尚更やる必要なんてなかったのに……クスッ」
なんと。いみじくはづかしきかな。
令嬢からの説明ではたと気付いた雪葉は、顔を手で覆いしゃがみ込んだ。
「……おかげでなんだかスッキリしたわ。──じゃ、縁があったらまた会いましょう」
そう言い残した令嬢を乗せた馬車は、街の中央通りに向かって走り去って行く。
どうやら今日は当初の予定通り、ダスティネス邸とやらで一泊するとの事だが、どこかその名に唯ならぬ既視感を感じたのは、雪葉の気のせいだと思いたい。
なんにせよ、人騒がせな我儘娘の意識があれだけ変わっただけでも実のある任務だったと言えるだろう。
それなりの収益も見込めたのだ。今日はこの報酬金で食材を買い漁り、ウィズへの差し入れにする心算である。久しぶりの相席に、ウィズも首を横には振るまい。
振られたら雪葉はショックのあまり自害するが。
「はぁぁ……なんだか今日は凄い一日中だったなぁ……」
馬車に向けて小さく手を振る雪葉の横で、ゆんゆんは項垂れるようにため息を吐き尽くした後、雪葉へ気遣わしげな視線を送ってきた。
「で、でも……それ以上に、とっても……とっても楽しかったわ! だから、その…………ま、また、私と組んでくれたら、嬉しい……かな」
えへへ、と面映そうに頬を掻くゆんゆん。
もし妹がいたとしたらこんな感じだろうか、とゆんゆんの垣間見せたいじらしさに釣られ、雪葉にしては柄にもない事を思い描く。当のゆんゆんは雪葉より三つも歳上だが。
これが良くなかった。
――は? 何をほざいておっしゃいますのやら。あに様の妹は私をおいて他にいる訳がないでしょう? ヤっていいですか? そのふざけた脂肪を二つぶら下げたいかれビ○チ、斬り刻んでいいですか?
「あれ、なんだろ? 急に凄い寒気が……日が暮れて来たからかな?」
――入りました。この淫乱雌豚、私のブラックリストに入りました。きっとこの純粋を装ったカマトト演技とその見苦しい肢体で、いくつもの男を食い物にして来たに違いありません。違いない、違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない違いない……。
あちゃー、と雪葉は顔を覆う。
即座に邪念波を振り払い、偶になら尽力する事をゆんゆんに約束する。
「え、ほんとにいいの! 私なんかと!? ほんとに!? お金出した方が良い!?」
真紅の瞳を爛々と輝かせて詰め寄るゆんゆんの勢いに飲まれて思わず後退った雪葉のただしお金はいらない、との釘差しに、ゆんゆんは、そっか……としょぼくれた。何故なのか。
――もし、そこのあに様。こんなアバズ○に情けをかける必要はありません。大金せしめてとんずらするのが吉です。
ええい喧しい。
これ以上此処に居ると、この毒電波が本当にゆんゆんへ危害を加えかねないので、彼女に用事を思い出したと伝え、暗に別れを打診する。
「じゃ、じゃあ、都合の良い時とか、気が向いたらでいいから、その時はここに! 居ない時は大抵ギルドにいるから! いつでも声掛けて! 私、あなたの良いように合わせるから!」
文字通りの都合の良い女を務めます宣言に、雪葉は苦笑いを浮かべて了承の意を返す。
ゆんゆんは不徳な輩に引っかかってしまいそうで、雪葉の内心はゆんゆんの先行きが不安で堪らなかった。
若干の後ろ髪を引かれる思いと葛藤しつつ、雪葉はゆんゆんへ手を上げながら別れの挨拶を告げる。
「ま、またねっ! ユキちゃん!」
思わぬ呼び掛けに、雪葉は盛大にすっ転んだ。
今回は結構難産だった……。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
忠誠【拾】:さくせん は ? ガンガン逝こうぜ
快適。
冬将軍との激突から数日。アクセルの街は例年よりも類を見ない早さで春が訪れた。
これも雪葉が冬将軍を撃退した功績だろう、とは、流石私が見込んだ仕置き人だ! と息も荒々しげに雪葉へ情欲の瞳を向け、両手を握って来たダクネスからの所感である。
無論、鬱陶しげに適当な相槌を打つ雪葉からの冷め切った視線にダクネスが身を抱く様に捩らせたのは無理もない。
あの一件依頼、暫く夜も魘されトラウマに苛まれていた主人和真も、なるべく手頃なクエストをこなしていき、少しずつ元の調子を取り戻しつつ借金返済へ地道に精を出している。
徐々に街も本来の賑わいを取り戻し始め、春の陽気に誘われたように冬籠りを終えた冒険者達がギルドへ顔を出す光景は、雪葉には少しだけ久しいぐらいだ。
春昼のそよ風が喚起の為に開けられた窓から隙間風となってギルド内へ吹き渡り、心地よい日光に当てられた酒場の冒険者達が眠気に誘われ、微睡みに沈んでいくそんなある日のこと。
ウィズの店に立ち寄ってから遅れて到着した雪葉の視線の先で、事件は起きていた。
「おい、もう一度言ってみろ」
「何度だって言ってやるよ。荷物持ちの仕事だと? 上級職が揃ったパーティーにいながら、もう少しマシな仕事に挑戦できないのかよ? 大方お前が足を引っ張ってるんだろ? なあ、最弱職さんよ?」
見たところ、主人和真と槍を背負った金髪の男が睨み合っており、二者の間は何やら物々しい雰囲気に包まれ、一触即発の気配が雪葉の所までひしひしと伝わってくる。
周りの冒険者達も何事だと物珍しそうに二人へ好奇の目が集まり、現場には更に不穏な空気が漂う。
頬杖をついて怪訝な視線を飛ばす主人和真の沈黙を萎縮していると受け取ったのか、金髪の男は挑発を畳み掛けるようにほくそ笑んだ。
「おいおい何か言い返せよ最弱職。ったく、いい女を三人も引き連れて、ハーレム気取りか? しかも全員上級職ときてやがる。挙句に幼女まで連れているたぁ、傑作だねえ。さぞかし毎日、このお姉ちゃん達相手に満喫しながら、罪もない女の子をこき使ってんだろうなぁ?」
直後、ギルド内に巻き起こる爆笑の嵐。
しかし、中には男の発言に顔を顰めて否やの視線を飛ばす者も少なからず見受けられ、拳を握りしめる主人和真が手をあげずにいられるのは偏に彼等のお陰だろう。雪葉からも後で謝辞を述べる所存だ。
はたして、聞き捨てならない言葉の数々を耳にした雪葉の胸中に殺意が芽生えたのは最早言を俟たない。
我が主人の苦労など陸すっぽ知りもしないくせに、つらつらとよくもまあ詰ってくれたものだ。死にたいのだろうか。だったら是非もなく息の根を止めてやるがそう易々と楽に死ねるとは思わない方がいい。
まずは拷問にかけてやろう。生爪を剥がすのは勿論のこと、雪葉個人としては二度と主人を愚弄出来ぬよう舌も引き抜いてやる心算である。後は皮を抉って骨を砕いて適当に火葬すると雪葉も男も後腐れが無いだろうか。
せめてもの情けに遺族となった親兄弟の悲嘆に暮れた生首を男の墓標にするのも悪くないかと思い立つも、それは流石に情状酌量が過ぎるか、と雪葉は人知れず静かに自嘲した。
「カズマ、相手にしてはいけません。私なら、何を言われても気にしませんよ」
「そうだカズマ。酔っ払いの言う事など捨て置けばいい」
「そうよ。あの男、私達を引き連れてるカズマに妬いてんのよ。私は全く気にしないからほっときなさいな」
と言う割に、そのくせめぐみんを始めとした女性陣は美女という言葉に味をしめたのか発言とは裏腹にそれとなく三者三様に身なりを整えだしており挙動が満更でもない反応である。
一体どちらの味方なのかと内心頭を抱えた雪葉だが、かぶりを振って男のもとへゆっくりと近づいていく。
「上級職におんぶに抱っこで楽しやがって。苦労知らずで羨ましいぜ! おい、俺と代わってくれよ兄ちゃんよ?」
「あ゛あ゛!? 上等じゃねえか! 大喜びで──」
とうとう耐え兼ねたのか、やおら椅子から立ち上がった和真は、男の背後へ忍び寄る雪葉の姿を視界の端に捉えると急に口を噤み、そのまま委ねる様な視線を一瞬だけ雪葉に配り大きく息を吐いて怒気を収めた。
あれだけギルドに響き渡っていた笑い声も雪葉を視認するや突如として鳴りを潜め、蜘蛛の子を散らす様にじりじりと離れて行くギャラリー達の視線が雪葉と男の間を忙しなく行き交う。
――で、出た……! アクセルの暴君だ……!
――オイオイオイ
――死ぬわアイツ
どよめいている野次馬共は今回に限り大目に見るか、と雪葉は外野で冷や汗を流して息を飲む冒険者達を横目に一瞥し早々に切り捨てる。無論、次に主人をコケにすれば彼等が明日を拝むことは無いが。
ただし金髪、お前は駄目だ。
主からの委任に快諾の首肯を返し、クイクイと男の袖を引っぱって雪葉へ注意を向けさせる。片方は後ろ手に愛刀の柄を握りしめて。
「おいおい、一瞬見せた威勢はどうしたよ? まさか怖気付いちまったのか? 最弱職の冒険者──ちっ、何だようるせえな。今取り込みちゅ…………ゑ?」
煩わしそうに男が振り返った途端、雪葉は居合いから一閃だけ放つ。
直後、遅れてはらりと散り落ちるもみあげ。無論、肌まで傷つけるようなヘマを雪葉がする訳もない。
がくがくと震え出す男を見あげる雪葉は手にした愛刀の峰をこれ見よがしにトン、トン、と肩に当てつつ酷薄に嗤い、ただ一言だけ告げた。
それがお前の辞世の句か、と。
「…………あ、あの……」
「何かね」
「全て前言撤回します! ほんっとにすいませんでしたああああ!」
ぎこちない動きで主人へと向き直る男が披露してみせたのは、それはそれは見事に迅速且つ綺麗な土下座であった。
あまりの潔さと手の平返しに、雪葉も少しだけ感服してしまう程に。
後に男はこう述懐している。
「酒の勢いだったとはいえ、あの時はマジでどうかしてたわ。素面だったら間違いなくちびってたな、うん。アレに挑むくらいなら、魔王軍の方がよっぽどマシ。だってアレの殺気は普通の人だったら失神してるから、冗談抜きで。いや、笑いごとじゃねえんだって」
▼
かくして、ダストと名乗った無礼男が敢行した全身全霊の謝罪を受け入れつつも、どこか気が晴れない和真からの持ち掛けにより、互いのパーティーを一日入れ替える運びに。
勿論、話の展開に置いてけぼりなアクア達の意見など耳にも入れず。
「取り敢えず互いに自己紹介しとくか。俺はダスト。背中の得物を見て分かる通り、槍使いだ。以後よろしく」
親指で背中の槍を示したダストが名を告げると、次の紹介を促す様にアクアへと目を向けた。
正直なところ、雪葉の内心は不安だらけである。
「あら、次は私? 名前はアクアよ。見ての通りアークプリーストにして、その正体は何と……アクシズ教が崇める御神体、水の女神アクアその人なの! どう? 驚いた?」
「また不謹慎な事を……神罰が下るような発言は控えろと言ったはずだぞアクア」
「あ、気にしないでください。こういうジョークですから」
「お、おう……そうか……」
「ちょっと! どうやったらいい加減信じてくれるの!? 現に魔王軍の幹部のデュラハンを浄化したのは私だし、カズマだって、私が蘇生魔法掛けなきゃあのまま死んでたのよ!? なによもう! 少しぐらい褒めてくれたっていいじゃない!! ……うぇえええん、ユキハあああ!!」
涙目で騒ぎだすアクアを手慣れた様子で素気無く遇らうダクネスとめぐみん。
と言うかアクアはこんな事で一々へそを曲げて雪葉に縋り付いてくるのはみっともないのでいい加減に耐性をつけてもらいたい。後、どさくさに紛れてここぞとばかりに雪葉のお腹へ顔を擦り付けるのも。
その様子に困惑しつつも訥々と返事を返すダストから、同情する様な視線が雪葉に送られてきた。雪葉はもうどうでも良くなってきた。
続いて、帽子を被り直しためぐみんがバサリとマントを翻し、高らかに口を開く。
「我が名はめぐみん! アークウィザードを生業とし、唯一無二の攻撃魔法を極めんとする者……!」
「えっと……今の笑うとこ?」
「ち、ちがわい!」
正真正銘本名です! と憤慨するめぐみんの証言を受け疑惑の目を雪葉達三人に向けて来るダストに対し、ダクネスやアクアに合わせて雪葉もこくりと頷いた。
次は私だな、と胸に手を当てたダクネスも凛とした顔つきで潑剌と名乗り出す。
「私はダクネス。職業はクルセイダーだ。硬さなら誰にも負けないと自負しているので、遠慮なく盾にするなり囮にするなりこき使ってくれ。何なら罵倒混じりで命令してくれると有り難い」
「ああ、よろしく……って、今何つった?」
「さあな、気のせいだろう。さて最後は……」
ダストの不穏な指摘にさらりと嘯いたダクネスが、雪葉へと目線でバトンを渡して来た。
案の定度し難い連中の散々な自己紹介に、雪葉は今すぐにでもウィズのおっとりっちい成分を補給しに戻りたい心境に駆られる。
つくづくアレらは主人にとって目の上のたんこぶどころか末期癌だ。よもや手の施しようがない程の。
漸く出番の回ってきた雪葉は諦観に満ちた嘆息を終え、淡々と自己紹介を述べる。
「え、お前男なのか? それにしてもニンジャって職業は初耳だな。格好からして、アサシンみたいな感じか?」
不意にダストの口から出て来たアサシンの単語に、先日のヴィードという取るに足らない雑魚に肩透かしを喰らった事を想起した雪葉は思わず舌打ちを漏らしそっぽを向く。あんなのと一緒にされたのが甚だ不愉快でならなかった。
「あ、えっと、何か気に障っちまったか……それは悪いことしたな、すまん」
とは言え、いつまでも引き摺るのは忍者として恥ずべき愚行に他ならない。
余計な思考を振り払った雪葉はダストへ気に病む事は無いと首を振り、ついでに今日はどんなクエストを請けるのかと添え足す。この面子の性格をどう広い目で見ても、消去法的にダストしかリーダーは務まらないだろう。
そんな事を帰結し、横目でクエストボードを一瞥する。
あれだけ少なかった張り紙も、今は軽易なものから高難度のクエストまで所狭しと貼り出されているようだ。
よく見るとこの時期にしか出現しないモンスターのクエストも散見され、俄然雪葉の食指が動かされるというもの。
さて、一体ダストはどんなクエストを見繕ってくれたのか。
僅かに期待の目を向ける雪葉へ、ダストは決まり切ったようにクエストの内容を告げる。
「ん、今日はゴブリン退治だな。それぞれの実力やスキルを把握するには打ってつけだろ?」
雪葉は失意の眼差しをダストに向けたまま、本日二度目の舌打ちを繰り出した。
「え!?」
突然豹変した雪葉に狼狽するダストが素っ頓狂な声を上げた直後、ユキハセラピーですっかり立ち直ったアクアも雪葉の悪態を皮切りに不服そうな顔で難癖をつけ出す。
「ええー。ゴブリン退治ー? 何で街の近くにそんなのが湧いてるの? もうちょっとこう、ドカンと稼げる大物にしない? 一日とはいえ他所にレンタルされるカズマに、私達が日頃どれだけ有り難い存在なのかを見せつけないといけないの」
根本的な理由は違うが、概ねアクアに同意見な雪葉も二度大きく頷く。ゴブリンでは雪葉にとって遊び相手にもならない。
単純作業なら十分間に合っている。チェンジで。
「い、いや、あんたらが実力者なのは百も承知だが、俺の実力が追いつかねえよ。アークプリーストにアークウィザードにクルセイダーに、えっと……ニンジャ? これだけ揃ってればどんな相手も楽勝だろうけどよ、まあ今回は無難なところで頼むよ。……ところであんた、武器も鎧も持ってないが、まさかその格好で行く気なのか?」
「大丈夫だ。先程も言ったが硬さには自信があるし、武器を持っていてもどうせ当たらん」
「当たらん……? いやその……、……? ま、まあいいか……」
平然と戦力外を宣言したダクネスの言を飲み込めていないダスト。大方素手で何とかしてくれると楽観視しているのだろう。
その程度で済むならばどれだけ良かったことか。
「ふ、ふふふ……今回はゴブリンか……。恐らく奴らは私に集団で襲い掛かり押さえつけてくるだろう……そしてそのまま衣服をひん剥かれ、代わる代わるに身体を弄ばれて……んくっ!」
相変わらず脳内に汚いお花畑が広がるダクネスの独り言を雪葉は決して聞き逃さなかった。いっそのことダクネスを簀巻きにしてゴブリンの巣へ放り込むのも手だが、と当人にとってはご褒美であろう妙案を彼女にこっそり提案してみると。
「な!? それは本当か!? ──オホン。ま、まあそれも一つの作戦だしな。私も別に協力するのは吝かではないぞ?」
何を本気にしているのやら。ほんの冗句なのでそんなに嬉しそうに息巻いて準備運動を始めるのはやめて貰いたい。
「そ、そんな……何という仕打ちだ……その手の冗談は私にとって全く笑えないぞ……くそっ、くそっ」
「うお!? あんた、いきなりどうしたんだよ? 何があったんだ?」
片方の下瞼を伸ばしてちろりと舌を見せた雪葉から全てを悟ったのか、床に手をつき絶望に打ち拉がれるダクネスは悔しさを晴らす様に床を殴り始めた。
前触れも無く奇行に走るダクネスに目を丸くさせたダストが甲斐甲斐しく呼び掛けるも彼女は全く耳に届いていないのか一向に床ドンを止める気配が無い。どうやらおいたが過ぎたようだ。雪葉にも落ち度はあるので少し反省すべきだろう。
「それじゃあダスト、俺たちは先に行くぞ」
雪葉達のパーティーがそうこうしてる間に、受注の手続きを終えた和真達は一足先にゴブリンの出没する現地へと向かうようだ。
和真との別行動は名残惜しく懸念も後を絶たないが、主人を気持ち良く送り出すのも従者の務めと切り替え、彼を激励するために後を追う。
「おう、俺たちも後から──っておい!」
「──おっと、ユキハか。どうした?」
ダストの制止にも耳を貸さず小走りで追い付いた雪葉は呼び止める様に和真の裾を摘み、不安げな表情で彼の顔を仰ぐ。
「大丈夫、心配すんなって。今日の俺は荷物持ちだし、よっぽどの事態にならない限り戦闘には参加しねえから。それに、俺には御利益満載のお守りがあるしな」
わざわざ雪葉の目線に合わせるようにしゃがみ、鈴の付いた首紐を見せる様に撫でながら和真が雪葉に笑い掛ける。
瞬間、その姿に既視感を覚えた雪葉は言い様のない衝動に駆られ、思わず和真の首に手を回し抱き着いた。
「え?」
平時の雪葉なら絶対にやらかさない失態だったが理由はただ一つ。頭を撫でる仕草、屈託のない笑顔が正にあの敬愛なる領主と重なったからに他ならない。
「あ、ああああああの、ユキハさん!?」
豈図らんや突然密着されようとは。
思いもよらぬ雪葉からのスキンシップと鼻腔を擽る甘い匂いに和真が当惑する中、周囲からの容赦無い視線が槍の如く突き刺さってきた。
――うっわ、最っ低……!
――は? クズマに寝取られた
――私、狙ってたのに……!
――え、ユキ×カズも意外と良き
――推しがひたすらに尊い件
特に、女性冒険者からはゴミを見る様な目で。
中には違う温度で見守る者もいる事に、当の雪葉達が未来永劫気付く事は無い。
「……もしかして、そういう趣味?」
「ち、違うぞ!? 誤解だ誤解! 俺にそんな趣味はねえって!」
口もとをひくつかせて後ずさる女のウィザード、リーンへ弁明しようと和真が顔を上げた矢先、憮然とした表情のアクアとめぐみんが続け様に追い討ちをかける。
「このヒキニート! ショタ属性追加とか、どんだけ業が深いのよあんた! さっさとユキハから離れなさい! そして私に返しなさい!」
「まあ個人の趣味を否定するつもりは有りませんが、今後私の半径2メートル以内には近付かないようお願いします。というかそれは私の可愛い弟分なんですから、気安く触らないでくれますか?」
「いや、まじで違うんだって! ほら、ユキハからも説明してくれよ!」
言うまでもないが、正気に戻った雪葉が離れて自戒の念に陥った後でも和真はしばらく四面楚歌の空気に晒され続け、誤解を解くのにかなりの時間を労した。
▼
出立前にギルドから確認した内容によれば、ゴブリンの群れは街の東西に分かれて出没する姿が目撃されているという。
当然、和真とダストのパーティーがそれぞれ二手に分かれて討伐をする事になった訳なのだが。
「うっし。まず各自がどんなスキルを使えるか教えてくれないか?」
「では、私から良いですか」
事前に大まかな役割と作戦を立てるため、雪葉達のスキルを把握しようと尋ねてきたダストの問いに、いの一番に手をあげたのはめぐみんだった。
「お、最初はアークウィザードのあんたか。一体どんな強力な魔法を覚えてるんだ?」
「ふっふっふ……聞いて驚くがいい。私が習得しているのは、比類なき最強の攻撃魔法と名高いあの爆裂魔法です」
「へー、そりゃすげーな。爆裂魔法といやあ、威力と規模は攻撃魔法の中じゃピカイチなんだろ? さすがアークウィザード、期待してるぜ」
この当時を振り返ったダストはこう語っている。
あれが悪夢の始まりだったと。
「ほう。あなた、中々見る目がありますね。ならば、我が力を今ここでとくとご覧に入れましょう」
「へ?」
ダストの返答も聞かぬうち、めぐみんは勝手に独断で爆裂魔法の詠唱を唱え始め、それを目にしたアクアとダクネスは、ああ、またか……とそそくさ距離をとって行く。
恐らく運搬役を仰せ遣う事が目に見えている雪葉も、いつものようにめぐみんの側でじっとその時を待ちながら佇む。今日の晩飯は何を食べようと、全く関係の無い事を考えながら。
「ちょ、待てって! 何も今じゃなくて、ゴブリン達が出て来た時でいいだろ! おい、誰か一緒にこの子を止めてくれよ!」
それが出来るなら雪葉がめぐみんを気絶させるなり杖を強奪するなりとっくに何かしらの策を弄している。
一度魔法を発動させた以上、もう引っ込みはつかないのだ。爆裂魔法に関しては尚更である。下手に邪魔をすればいつ何処に暴発するか分かったものではない。
あたふたと困惑するダストに向け、雪葉は諦めろと言わんばかりに両掌を上にして首を左右に振った。
「人理を超え、大地を抉り、海を割り、悪神百鬼を灰に帰し根源へと至らん常しえの力を今ここに示せ。出でよ! エクスプロージョン!」
めぐみんが詠唱を終え、天高く掲げた杖の先に集約された光は空へと昇り光の奔流となって何も無い平原に目掛け爆音と共に降り注いだ。
衝撃が止み、煙が晴れた先では抉れた平原がクレーターとなり、そこら中に根をのばしていたかつての青々しい草むらはもう見る影も無く、残った焦げ臭さだけが風に乗って雪葉の鼻を衝いた。
一先ず楽に草刈りが出来たと思えばそこまで悪くも無いのでは。
「いやいやいやいや! どう見ても完全に無駄撃ちじゃねえか! そもそも今の轟音でモンスター達に気付かれでもしたら……」
都合良く締め括ろうとした雪葉へ批難しながら最悪を想定するダストにそれはもう後の祭りだと雪葉が言い返す。何故なら既に敵影が此方へ向かっているのだから。
へぁ!? と奇声を漏らすダストへ証明するように雪葉が指差した先から、脇目も降らず猛進してくる一つの影。
黒い体毛に虎の様な体形。大きく発達した二本の太く鋭利な牙をちらつかせ、これぞ我が自慢の得物だとでも主張してくるそのモンスターは、冒険者達からこう呼ばれている。
「しょ、しょ……初心者殺しだ!」
「これは最悪ね。初心者殺しはその名の通り、冒険者になって間もない初心者達が出くわしたらまず勝てない強敵よ。それに狡猾なヤツだから、正攻法で倒すのも難しいわ。つまり、面倒くさい相手なの」
後方で腕を組みながら、仁王立ちで得意げに初心者殺しの解説をしてくれたアクアだが、前に進み出てこない様子から戦闘に参加する意思がよもや彼女に無いことは嫌でも察しがつく。
先刻、常日頃自分達を荷物扱いしてくるカズマを見返す為にどでかいクエストを引き請けろとか不服を宣っておきながらこの女神様は一体何をしに来たのだろうか。
「よし、決めた! ここは一旦退いて、ギルドで体勢を立て直そう!」
まるで英断だとでも言うようにキッパリと言い放ったダスト。聞こえはいいが、人それを敵前逃亡という。
「というわけだアークウィザードの嬢ちゃん。悪いが足止めの為にもうひと働き……何やってんだ?」
「見て分かるでしょう。魔力切れで動けないんですよ。爆裂魔法は膨大な魔力を消費しますからね。なので今の私では精々一発撃つのが関の山です」
「はあ!? ならわざわざ爆裂魔法じゃなくて他のやつを見せてくれれば良かったじゃねえか! 上級職だったら他にも色んな魔法覚えてたんだろ!?」
「いえ、私は爆裂魔法以外使えませんよ。何せスキルポイントは全て爆裂魔法関係に割り振ってますから。あ、因みに今後も他の魔法を覚える気はありませんので悪しからず」
「おいおいおいなんだそりゃまじでピンチじゃねえか! もう直ぐそこまで初心者殺しが迫って来てるってのに!」
いつもの様に雪葉に背負われだらんと力の抜けためぐみんの気倦げな弁に、悲痛な声を上げたダストがうがあああ! と頭を掻き毟る。
普通の冒険者であればその心情に同調していたところだが周りは筋金入りのキワモノばかり。誰一人ダストの気持ちを汲み取ろうと声をかける者はいなかったが、現状を見兼ねたのかこれまで静観していたダクネスが果敢にも最前線へと躍り出た。
とは言え、これも概ねいつもの流れなのだが。
「ならば、ここはクルセイダーの私が
「何言ってんだあんた! 幾らなんでも初心者殺し相手に丸腰なんて危険すぎる! 正気の沙汰じゃねえぞ!?」
お察しが良いようで何より。ことダクネスに於いては思慮分別の概念が元から皆無だったのか若しくは母親の胎内にでも置き忘れてきたに違いない。
「なに、心配は要らない。私は素の防御力だってアダマンマイには負けない自信がある。鎧などなくとも、初心者殺しの猛攻を耐えて見せよう。それに、敵を前にして逃げるなどそれこそ騎士の名折れだ。では行ってくる!」
「そうは言っても──あ、おい! 待てって!」
「ふははは! さあ来い初心者殺し! その強靭な四肢と牙で私を屈服させてみせろ!」
ダストの説得も虚しく、威嚇の唸り声を上げながら牙を剥く初心者殺しのもとへ真正面から迎え撃たんと嬉しそうに駆け出して行く喜色満面のダクネス。傍目から見るとなんとも酷い絵面である。
雪葉からすれば日常の一齣に過ぎず、ダクネスが楽しそうで何よりと抑揚のない声援を彼女へ送る。またどうせやられるだけやられて満足しながら力尽きるのだろうが。
「くそ! あの人を置いて逃げる訳にもいかねえし、一体どうすれば……」
さすがにダクネスを一人残して逃げ出すような薄情は持ち合わせていないようで真剣に頭を悩めるダストに何処か憐憫を覚えた雪葉は苦笑いで頬を掻く。
ついでにダストの憂慮を正しておくと、ダクネスは敵うとか敵わないのとかの話ではなくハナから抵抗するつもりが無いのだ。あれは真性のどえむ狂セイダーなのだから。
「お困りのようね!」
手をこまねく状況にダストが歯噛みする中、突然後方から自信に満ちた声が掛かる。どうせお決まりの流れなので特に振り向く必要など無かったが、敢えて雪葉が背中越しに視線を向けると何やら自慢げに鼻を鳴らすアクアの姿が。一体今度はどんなしょうもない奇策を思い付いたのだろうか。
結局尻拭いをするのは大抵和真と雪葉なのだからせめて大人しくしていろと主人が散々口酸っぱく言い聞かせても、一向に改善する姿勢が見受けられないのでその内誰もアクアの舵を取ろうとするものはいなくなった。
何処かにかしこさを上げる種が転がっていないか、と地べたを舐めるように探す主人の煤けた姿に心苦しくなったのが雪葉は今でも忘れられない。
「この全知全能たるアクア様に掛かれば、こんな事態はすぐに解決よ! とっておきの案、知りたいかしら?」
「ああ、勿論だ!」
「じゃあ、はい」
「……は?」
茫然とするダストなどお構い無くほらほら、と片方の指をクイクイと自分の方へ曲げて何かを要求するアクア。心付けでもせがんでいるのだろうか。
「は? じゃないわよ。この私が力を貸してあげるんだから、それなりの姿勢を見せるのが筋ってもんでしょ? そうね。例えば、お願いしますアクア様! って頭を下げて頼むなら考えてあげるわ」
逼迫した状況にも拘らず、相手が下手に出ると直ぐつけ上がるアクアの悪い癖が出てきた。つくづく空気の読めない自称全知全能である。
このやり取りも何度目にしてきたことか挙げても挙げてもキリが無い。怒りに身を震わせてアクアに容赦なく雷を落とす主人の姿が目に浮かぶようだ。
案に違わず、顎先に手を添えて見下すアクアの高慢な態度に腹を据えかねたダストから憤慨の声が上がってくる。
「こんな時に何言ってんだ! 現にあのクルセイダーが一人で懸命に戦ってるんだぞ!? 少しは見倣えよ! 立派な騎士の鏡じゃねえか!」
違う。そうではなく。ダクネスは一方的な苦痛を味わう為に自ら嬉々として突貫していっただけであり、あんなのと一緒にされるなど同じく身を削る他の盾職が堪ったものではない。
「何よ。ならこのままダクネスが初心者殺しに食べられてもいいって言うの? ていうかそもそも、あなたこそただずっと指を咥えて見てるだけよね? 何もしてないあなたが私に口出しする権利あるかしら」
「……ぐっ! ああもう、分かったよ! お願いしますアクア様! これでいいだろ!」
「まあ、及第点ってところね。じゃあ行くわよ! フォルスファイア!」
図星を疲れて言いあぐねるダストが折れた姿に満足したのか、スキルを唱えたアクアの指先から放たれた炎が打ち上げ花火のように空を目指しながら煌々と蒼白の光を灯す。
「救難信号よ! 本当はモンスター寄せに使う魔法なんだけど、これで他の冒険者が気付いて助けに来てくれる筈だわ!」
「まじか!? でかしたぜアークプリーストのひ……なんだって?」
「だから、これで他の冒険者が──」
「違う! その前だよ! モンスター寄せとか言ってたよな!? お前も聞いてただろ!?」
アクアの不穏な発言を聞き逃さなかったダストが雪葉に真偽を確認してくる。確かにあれはモンスターを誘き寄せる魔法であり、間違いなく雪葉もそう耳にしたと彼にはっきり頷く。
雪葉からの返答で確信を得たダストは大きな溜息を吐いた後、恨めがましい目をアクアへ向けた。
「な、なによ……これで誰かが加勢に来てくれるかも知れないんだからいいじゃない!」
「そんな保証がどこにあるんだよ!? それで誰かが気付いて駆け付けたとしても、モンスターの数が多かったら世話ないだろ! もう頼むからあんたはこれ以上何もしないでくれ!」
「……ふん、なによっ。人が折角親切に助け舟出してあげたのに……ていうかカズマもカズマよ。いっつも自分が苦労してますぅみたいな悲劇のヒロインぶって……! 大体、あのヒキニートは最初から……」
ダストから大目玉を喰らった挙句戦力外と通告され、すっかり不貞腐れてしゃがみ込むとそのまま落ちていた枝を手に地面に落書きを始めるアクア。こうなったらもう暫くは誰が何を言おうと彼女の耳に一言も届く事は無い。
自業自得なので雪葉から特に励ます理由も無いし、いっそこれを機にどれだけ主人の手を焼かせてきたか今までの自分の行いを省みて欲しいくらいだ。
因みにアクアに刑を科すなら、女神エリスのもとで部下として働かせるのが一番だと雪葉は思っている。主人の話によれば女神エリスはアクアの直属の後輩らしく、当時彼女を良いように使いっ走りにしてたと言うのだから下克上はアクアにとってよほど良い薬になるに違いない。
まあ、それは現段階では単なる絵空事にしかならないのだが。
閑話休題。
そんなこんなのやり取りをしている内に、遠方から再び無数の敵影が接近しつつあるのを雪葉は目視にて捉える。
数にして百は超えているだろう。近辺に棲むモンスターや、今回の目的であるゴブリン達が勢揃いといった感じだ。
「おいおいまじかよ……多勢に無勢も良いところだぜ。……ははっ、死んだな俺た……いで!? 急に何すんだ──ってうお!?」
「ぐえっ」
絶望に陥ろうとしたダストに喝を入れんと雪葉は彼の尻を蹴飛ばし、背中に抱えていためぐみんをおまけとばかりに投げ渡す。そのまま肩の荷が降りた様に大きく伸びをしながら深呼吸を数回繰り返すと、今度は徐に準備運動を始め全身を丹念にほぐし始めた。
「いきなり背中から放り投げられた時は何事かと思いましたがなるほど、とうとうあなたが行くんですね」
「おい行くって、まさかこいつ一人だけでか!?」
「心配無用ですよ。私たちが近くにいても寧ろ邪魔になるだけなので。まあ、見ていれば分かりますから。──ユキハ、ダクネスの事も任せましたよ」
結局、いつものように自分にお鉢が回って来るのを薄々察していた雪葉は全てを託してきためぐみんへの返事として親指を立てて見せる。
敵の数は百超。雪葉にとって是非も無い。
実のところ、盛大に暴れられる口実が出来たので内心雪葉からアクアへ感謝の祈りを捧げたいぐらいである。鈍感な彼女が気付くかは甚だ怪しいものだが。
愛刀を手に、敵の群勢に向かって行く雪葉の口もとは不敵に笑っていた。
▼
クエストを達成し、ギルドに報告を終えた雪葉達は、和真達のパーティーが戻るのを今か今かと待ち侘びている。
「本日はお疲れ様でした。大量発生したモンスターの討伐に苦労され……た様子は無さそうですね。ですが、その……返り血を付けたまま手続きをされるのはちょっと……」
困りあぐねたように言い淀むルナからの指摘に雪葉は一度体を逸らし、彼女へ後ろの惨状が見えるように振り返った。
脱力しためぐみんを背負うダスト。
白目をむいて気絶するダクネスを背負いながら泣きじゃくるアクア。
これでもまだそう言えるのか、とばかりにルナへ向き直り目で物申す。
「……まあ、今回ばかりは致し方無いですね。ですが、次からはしっかりと身なりを綺麗にしてから受付へお越しください。掃除が大変なので」
恐らく無理な相談だ。雪葉はああいう一対多が愉しくて堪らないし、何より多くの頭を跳ね飛ばすあの感覚が爽快な身からすれば血で汚れることなど全く以って些事に過ぎない。
嘆息するルナにこくりと頷いた雪葉がダスト達のもとへと踵を返す。
途端、ギルドの扉が開かれた。
そこには、何とも達成感に満ちた表情で笑い合う和真達の姿が。
「ぐずっ……。ふぐっ……、ひっ、ひぐう……っ。あっ……、ガ、ガズマあああっ……」
顔を涙で濡らすアクアを見た和真はそっとドアを閉めた。
「おいっ! 気持ちは心底よーく分かるが、ドアを閉めないでくれよっ!」
散々待ち惚けを喰らって痺れを切らしていたのか、すかさずドアを開けて主人に食って掛かるダストは半泣き状態である。
そのダストを始めとし、順繰りに雪葉達を見渡した和真の視線が更に冷めていくのを雪葉は感じた。
「……えっとなにこれ。いや、大体分かる。何があったかは大体分かるから聞きたくない」
「聞いてくれよ! 聞いてくれよっ!! 俺が悪かったから聞いてくれ! いや、街を出て、まず各自がどんなスキルを使えるのか聞いたんだ。で、この子が爆裂魔法を爆裂魔法を使えるって言うもんだから、そりゃすげーって褒めたんだよ。そしたら、我が力を見せてやろうとか言い出してよ、全魔力を込めた爆裂魔法とやらを、いきなり何も無い平原で意味も無くぶっ放して……!」
半泣きで訴えるダストの言葉から逃げようと、和真が耳を塞ぐ。
「おい、聞いてくれって! そしたら、初心者殺しだよっ! 爆発の轟音を聞きつけたのか初心者殺しが来たんだが、肝心の魔法使いはぶっ倒れてるわ、逃げようって言ってんのにクルセイダーは鎧も着てない癖に突っ込んで行くわ、それで、挙げ句の果てにアークプリーストが救難信号だとか言ってモンスター寄せの魔法を打ち上げて百匹以上も誘き寄せてくれやがったんだ! 極め付けはニンジャだよ! すんげー勢いで次々とモンスターの首を刎ねていって、まじで地獄絵図だったわ! しかも全部殺した後に、血塗れの顔でこっちにニコッてめちゃくちゃ可愛い笑顔で笑い掛けて来たんだ! 逆にこえーよ!! ちょっとちびっちまったわ! そんで……」
「おい皆、初心者殺しの報告はこいつがしてくれたみたいだしまずはのんびり飯でも食おうぜ。新しいパーティー結成に乾杯しよう!」
「「「おおーっ!!」」」
完全に聞く耳を持たずにしらを切る和真と他のメンバー。
彼等が喜びの声を上げる中、悲痛な表情のダストが和真に縋り付く。
「待ってくれ! 謝るから! 土下座でも何でもするから、俺を元のパーティーに帰してくれぇっ!」
「これから、新しいパーティーで頑張ってくれ。あ、ユキハは返してもらうぞ」
「俺が悪かったから!! さっきの事は何度でも謝るから許してくださいっ!!」
これでダストも主人の苦労を嫌というほど痛感しただろう。今後は身の振り方に気を付けて欲しいものである。
遂に土下座まで敢行しだすダストの後ろ姿に満足げな微笑みを浮かべた雪葉は、朗らかに鼻唄を歌いつつ浴場へと足を運んだ。
今回は裏話みたいな感じ。
和真達が順調にクエストをこなしている一方、アクア達は……?という短話を一筆。
目次 感想へのリンク しおりを挟む