やはり俺が765プロで働くのは間違っている。 (けえす@陸の孤島)
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① 偶然にも、比企谷八幡はアイドルと出会う。
道行く桜の木も蕾をぽつぽつつけ始めた三月上旬、俺は一人で都内の街を歩いていた。このころになると度々思い出す。様々なことがありすぎた、今まで一番濃厚な二年間。それを終結させた、もう2年前になる卒業式を。
「考えてもがき苦しみ、あがいて悩め。―君にはまだまだ時間があるのだから」
高校2年生の3月、離任した平塚先生が優しい、しかし泣きそうな顔で言ってくれた言葉。今までの平塚先生との記憶が頭に過ぎり、不覚にも涙を耐えることが出来なかった。本当、俺があと10年早く生まれて、あと10年早く出会っていたら心底惚れていたと断言できる。
結局のところ、俺にとっての”本物”とは何なのか高校卒業までもがいてみたが、結局分かることはなかった。それを漏らせば、きっと優しい微笑みで
「何か答えが出るまで計算し尽くせばいい」
とめちゃくちゃなことを言ってくれるのだろう。あの、欄干で話した時みたいに。
卒業式の日、奉仕部+一色(一色はすでに奉仕部の一員だと主張しているが)とお別れ会なる催しをして解散する直前、あの話をしてる三人にも胸の内を明かしている。二年生の12月、完全に理解したいだなんて、ひどく独善的で、独裁的で、傲慢な願いを聞いてくれた―一色は盗み聞きしたわけだが―三人には、俺の解きかけの答えを聞いていて欲しかったから。「今の俺たちの関係は、偽物ではないと思うが、本物なのかどうかはまだ分からない」という、答えを後回しにするようなものだとしても。話すことに慣れていないためか、途切れ途切れになりながら話を続ける俺を、しかし三人は最後まで聞き届けてくれた。
「そう……。なら、あなたが思うように行動しなさい。その答えが出るまで、私はいつまでも待っていてあげる。難しくても、あなたならどうにかしてしまいそうな気がするから。……それと、もし何か困ったことがあったら、一人で解決しようとしないで連絡しなさい。たまたま、暇で暇でしょうがなかったら相談くらい乗ってあげるから。誠に遺憾ながら、この中では一番比企谷くんに近いから仕方がないわね」
そう言って由比ヶ浜と一色に微笑みを向ける雪ノ下。そりゃあ日本トップの大学に行くのだから自慢したくもなるだろうな。雪ノ下にしては珍しいが。
そう自分で納得した俺に怪訝な表情を雪ノ下が向けているが…藪蛇になりそうだし気にしないでおこう。
「むっ、私も東京の学校選べばよかったなぁ……。ヒッキー、話してくれてありがとう。ゆきのんの真似をするわけじゃないけど、ヒッキーのこと待ってるよ。あっ、地元に帰ってきたときにいつでも相談に乗ってあげるよ! 小町ちゃんと会いに結構帰ってくるでしょ!」
なぜか張り合う、由比ヶ浜。確かに俺の体の必須元素、コマチニウムを摂取するため、定期的に帰ってくるつもりだが。
「先輩、一年だけ、待っててください。 そ・し・た・ら、”二人っきり”で本物を見つけに行きましょうね♪」
一色は一色でとんでもないことを言い出した。何故二人っきりのところを強調したのだろう。やだよ、お前は大学でキャンパスライフ的なのを堪能しといてください。
「なっ!? どういうことか説明してよ、ヒッキー!」
「年下の女の子と二人っきりで何をするつもりなのかしら、性犯罪谷くん」
そんないつものやりとりをやってー
いや、違う。無理やりいつもと同じ空気を作って、紛らわせていたのだ。俺と雪ノ下は東京のそれぞれ別の大学へ、由比ヶ浜は地元の専門学校へ、そして一色は後1年高校生活が残っている。今までのように、全員が交わった日常はもうやってこない。
俺は六つの目が涙ぐんでいるのに気づかないふりをしていた。
*
町を歩きながら、あの時を思い出す。
ふと立ち止まり、スマホに保存してある一つの画像を見る。由比ヶ浜を真ん中に、左側に俺、右側に雪ノ下が並び、咲く前の桜を背景にした写真。
あの時、頭の中で考えていた雪ノ下や由比ヶ浜に伝えておきたかったことがたくさんあったにも関わらず、結局伝えられないまま2年が経ってしまった。卒業式の夜に自室で必死に考えた文章は、今も下書きフォルダの中に残っている。
頭に浮かんでくる、涙目を浮かべて笑顔のまま「またね」と別れた二人の顔を振り払うように足を動かす。
こんな調子で、果たして、俺はずっと望んでいた本物を見つけ、そして手に入れることが出来るのだろうか……。考え事をしながら歩いていた時だった。
どんっ
「うお!?」
「きゃっ」
曲がり角から出てきた女の子とぶつかってしまった。
「すまん、ちょっとぼーとしてた。大丈夫か?」
「いえ、わたしの方こそごめんなさい……って、目が死んだ魚みたいになってる!? 大丈夫ですか!?」
「いや、このDHAが豊富そうな目はデフォルトだから問題ない」
「DHAって、何言ってるんですか~。良かった、わたしとぶつかってそうなっちゃったって思って♪」
「いや、人とぶつかって目がこうはならんだろ……」
「あはは♪ 魚のお兄ちゃん面白いですね~」
「……楽しそうで何よりだ。それじゃあな、気を付けろよ」
「はぁ~い! それじゃあ!」
そう言って女の子は街の中へ消えていった。天真爛漫というか自由というか猫みたいな子だったな……。思ったより感触が柔らかかったことは気にすべきではないだろう。
*
「やめてください!」
それからしばらく歩いていると、俺の耳に少女の声が突き刺さった。黒髪を伸ばした、今はまだ可愛さが残るが、あと少ししたら美人になると容易に想像できる女の子。
どうやら大学生くらいの男性二人に付きまとわれているらしい。周りに人はいるが見て見ぬふりをしている。俺も見てないふりをして通り過ぎようとしたが、どうにも後味が悪い。かと言って、男二人に正面から行くのもなぁ…
「いい加減にしてください!人を待ってるんです!」
「君みたいな可愛い子を待ちぼうけさせるような人なんて無視してさ」
「ちょっと食事しに行くだけだから」
あそこまで声を荒げているのに誰も助けに行かないのかよ……。仕方がない。
そこで俺はスマホで電話しているふりをする。
「もしもし! 警察ですか? 女の子が男性二人に連れ去られようとしていてですね! ええっと場所は…」
「!? っち、行くぞ!」
これぞ【面倒なことは公的機関に丸投げ作戦】である。普段大きな声を出さないから少し不自然に見えたかもしれないが、どうやら通用したようだ。ちなみに実際に連絡はしていない。俺みたいなボッチが警察と話せるわけがないし当然である。
男共は追い払えたようだしさっさと帰るか。比企谷八幡はクールに去るぜ……。そう思って立ち去ろうとした瞬間。
「あのっ、先ほどはどうもありがとうございました! お礼をしたいのですが、時間あったりしますか?」
絡まれていた少女に話しかけられてしまった。
「えっ、いや、俺はその……あれがこれだから」
急に美少女に話しかけられてキョドってしまう。指示語しか言ってねぇな……。もうちょい頑張れよ、センター試験国語満点者(自己採点)。
「何か用事があるんですか?」
「いや、用事があるわけではないが……」
「それでは、少し時間を頂けませんか?」
「まぁ、少しなら」
そう言って俺と少女は近くにあった公園に移動する。
「それじゃあ改めまして、先ほどはありがとうございました」
目の前の少女は丁寧にお辞儀する。
「おう、それじゃあ気を付けてな」
「あっ、すいません。名前だけでも教えて頂けませんか?」
「名前? えっ誰の? 俺の?」
「はい! あっ、すいません、こういう時は尋ねた側の私から言うんですよね?」
そう言って、目の前の少女は居住まいを正す。
「私の名前は最上静香、中学生で765プロ所属のアイドルです」
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② こうして、比企谷八幡は新たな一歩を踏み出す。
(一応?)俺が助けた美少女の名前は最上というらしい。流れる黒髪に真面目そうな雰囲気といい、少し幼い雪ノ下を連想させる。……慎ましすぎる胸元も含めて。最上が俺との距離を広げたような気がするが、アイドルという立場上自分に対する感覚に敏感なのだろうか。見てないって。ちょっと視界に入って気を取られただけだから。
それよりも、気になる単語は765プロ所属というところだ。
”765プロダクション”
俺が大学生になってから急成長を遂げた、今となっては知らない人の方が少数派だろうと思われる、今をときめくアイドルたちが在籍している芸能プロダクション。元々は所属人数も、事務所の規模も小さいものだったが、今となっては天海春香を筆頭に様々なテレビ番組に出演し、いくつかの大型ライブにて大成功を収めているらしい。今までの実績をもとに、今では妹分のような新しい企画が動いていると噂に聞く。765プロ所属でありながら俺が今まで見たことがない女の子ということは、彼女が噂の新しい企画とやらのアイドルなのか……?
「あの……。それで貴方の名前は?」
色々考えていると最上が困った顔で俺を見ていた。
「すまん、考え事をしていた。俺の名前は比企谷八幡。大学生だ。」
「比企谷さん、ですね。さっきは本当にありがとうございました。」
そういって最上はまたもや綺麗なお辞儀をする。
「いや、止めてくれ。なんというか……。ほら、腐った目の男に女の子が頭を下げてるって絵面的にまずいだろ」
そう俺が言うと最上は少し俺に近づいてじっと目を見つめてきた。止めて、美少女の上目遣いとか、一瞬で勘違いして告白してフラれて中学生に手を出した犯罪者として警察のお世話になっちゃうから。
「確かに綺麗な澄んだ目とは言えませんが、」
最上は俺の瞳を覗き込む。
「何かを必死で探している……そんな真剣さを感じます」
こいつは今なんと言った? 何かを探している……だと?
「っ! 流石アイドルだけあって、咄嗟のお世辞が上手いな」
そう皮肉をいうのが精いっぱいだった。
「別に皮肉を言ったわけじゃあ……。もう少し素直に受け取ってください」
「悪いな、俺の目をそんな風に言われたのは初めてなもんで」
俺の言葉にふくれっ面をつくる最上。話し方や態度から大人びていたが、そうしていると中学生相当に感じるな。
最上のお礼も済んだだろうし、そろそろ御暇しようかと思った直後。
「遅くなってすまない、静香」
最上に声を掛けながらスーツを着た男性がこちらに近づいてきた。先ほどの話も含めて考えると765プロの関係者といったところか。
「少し打ち合わせが長引いてしまって……。っと、そちらの方は?」
そう言ってキョトンとした顔を最上に向ける。先ほどまで最上と普通に話していたのを見ていたのか、怪訝な表情はされていない。ナンパに間違われたらどうしようと考えていたが杞憂だったようだ。木乃伊取りが木乃伊になるといった状況にならずに済んだか。
「プロデューサー、こちらは比企谷さんと言います。先ほど、私が男性に絡まれているところを助けてくれたんです。」
「そうだったのか……。俺が遅れたせいで怖い目に合せてごめんな。」
そう言うと、最上と話していた男性は俺の方に体を向けて頭を下げた。
「彼女を助けてくれてありがとう。俺の不手際で君に迷惑をかけて申し訳ない」
「あ、頭を上げてください。お礼なら先ほど最上からしてもらいましたので」
俺の言葉を聞いてプロデューサーらしい男性は頭を上げ、俺と視線を合わせる。俺の顔をじっと見ている。
このままいるとどうにも居心地が悪い。さっさと撤退してしまおう。
「それでは、そろそろ失礼します」
そう言って別れようとすると
「あっ、ちょっと待ってくれ。突然ですまないが、アルバイトを探したりしていないか?」
その言葉にふと動きを止める。
去年から始めていた家庭教師のバイトは、生徒の高校入試が無事終わったことでひと段落が付いている。それ以外は採点とか日雇いのバイトをたまにしているくらいで長期のものは現状残っていない。両親は節約すれば暮らしていけるくらいの金額を口座に入れてくれてはいるが、本を買ったり何かあった時のことを考えると心もとないし、これ以上要求するのは流石に良心が痛む。つまりはバイトを探しているところではあった。
「まぁ、探してはいるところですけど……」
「もしよかったら、うちの事務所でアルバイトをしないか? 時給は他のところより多めに出す」
「何言ってるんですか、プロデューサー!?」
男性が突拍子もないことを言い出した。最上の反応から普通ではないことなのだろう。
アルバイトを探す必要が無くなること自体は非常にありがたいが、勤務先が芸能プロダクションとなれば話は別だ。皆に夢を与える芸能プロダクションで働くなんて、俺みたいなボッチには荷が重い。目の前に実物がいるとしても、アイドルなんて俺からしたら現実離れしすぎている。
「アルバイトの申し出はありがたいのですが、大学生で普段は講義とかあるんで……」
「当然、勤務時間は講義とかが無い時間帯や休日だ。それ以外にも、用事などがあれば事前に教えてくれれば最大限融通すると約束するよ」
「そこは魅力的ですけど、正直に言うとアイドルとかあまり知らないんですよね」
「今、アイドルに詳しいとかそうじゃないとかはあまり関係ないよ。これから知ってくれればいい」
「……あんまり言いたくなかったのですが、正直俺はコミュニケーションに難があるというかなんというか」
「人に絡まれている彼女を助けて、そしてこうして俺としっかりやりとりできているんだ。最低限以上のコミュニケーション能力が君にはあるよ」
どうしよう、何を言っても返されてしまう。このまま彼と話しているとそのままの勢いで承諾してしまいそうだ。
どう言って断ろうかと考えていると―
「初対面でこんなことを言うのも変だが……。今まで様々なものを見てきたのだろう。比企谷くんの目には他の人と少しだけ違うものが見えてて、その少しの違いがこれからの765プロに必要だと、そう感じたんだ。」
彼のその言葉に、お世話になった男前な女性がふと頭に浮かぶ。
「……。買いかぶりすぎですよ。ただの腐った目です」
「確かに一見するとそのように見えるのかもしれないな」
そう言って男性は苦笑する。最上といい、目の前の男性といい、どうにも俺を過大評価しているきらいがある。
「比企谷くん、君の考えは概ね分かった。それじゃあ、もし向いてないと思ったら必ずすぐに辞めることが出来るようにするよ。君を誘うのは俺だし、その時の後処理も全て俺が責任を持つ。それならどうだろう?」
その言葉に、この話を断るのと受けるのとを天秤にかける。これからバイトを探す手間が省け、時給は高めだし、ここまで言ってくれるのであれば悪いようにはならないだろう。男性が言ってるように、もし合わないと思ったら直ぐ辞めてしまえばいい。……それに、このままでは答えが見つからないんじゃないかという焦りもある。普通なら出来ない経験も必要なのではないだろうか。
「分かりました、そちらの話を受けます。ただ、本当に合わないと思ったら直ぐ辞めますけどいいですか?」
「ありがとう、比企谷くん。俺がそう条件を出したんだ。ちゃんと契約書にはその辺りも徹底しておくよ。」
そういって男性は嬉しそうな顔をする。765プロほどであれば募集を掛ければ人材も選びたい放題であろうに。まぁ、これで都合が良いバイト先が確保できたことになるし良かったと思うことにしよう。
すると、先ほどまで俺たちを見ていた最上が男性に話しかける。
「プロデューサー、勝手に決めていいんですか?」
「人手が足らなかったのは事実だ。それに……社長の言葉を借りると、ティンときたんだ。この人は765プロに必要だって」
「はぁ、プロデューサーがそこまで言うならいいですけど。ただ、社長たちへの説明はしっかりしてくださいね?」
すると最上は振り返って俺の方を向く。
「私もよく分かりませんが、これからもよろしくお願いします。比企谷さん」
*
数日後、俺はメールに記された住所を頼りに765プロの事務所に向かっていた。流石にプロデューサーの独断では採用できないとのことで今日は面接を受けることになっている。今までのバイトと同じ感覚ではダメだろうと、入学式以来着ていなかったスーツに身を包んでいる。
「住所、ここで合ってるのか……?」
たるき亭という名の定食屋の前で立ち尽くす。大人気アイドルを擁する事務所だからもっと立派なところだと思っていたので首を傾げてしまう。人気が出たのもここ数年だし、事務所の移転はまだなのだろうか。
訝しげに階段を上ると”765プロダクション”と書かれたドアが目に入る。そのドアをノックすると内側から入室を促す女性の声が聞こえた。
その声に従って入室すると応接室であろう部屋と制服をきた女性が目に入る。
「初めまして。私は事務員の音無小鳥と申します。よろしくお願いしますね」
「はっ、初めまして。比企谷八幡です。今日はよろしくお願いします」
意図せず口ごもってしまう。思った以上に美人で緊張したとかでは決してない……。はい嘘です。
目の前にいる事務員の音無さんは、アイドルの一人と言われても疑問を感じない女性だった。スタイルも良く、口元のほくろもチャーミングポイントに見える。どこに視線をやればいいのか分からず、正直居心地が悪い。
「それではそこの席に座ってください。飲み物はコーヒーでいいですか?」
「あっ、はい。ありがとうございます」
そう言って音無さんは飲み物を準備してくれる。
「それじゃあ少し待っていてください。社長を呼んできます。」
そう言ってこの部屋を出て行って少し落ち着いた。第一印象が中々悪いと評判の俺を見て全く同様しないことに少し驚く。そのくらいのポーカーフェイスが無いとこの業界ではやっていけないのだろうか。
いつもより苦めのコーヒーを飲みながらしばらく待っていると応接室の扉が開き、音無さんと壮年の男性が入ってきた。
「おー、君が比企谷くんか。初めまして、私はここの社長をやっている」
「は、初めまして。ひきがっ……。比企谷八幡と申します」
「ハハハ、そんなに緊張しないでくれたまえ。座ったままでいいよ。彼が目を付けたんだ、この面接だって形式だけのようなものだ」
いや、社長を前にした面接で緊張するなというほうが無理ではないでしょうかねぇ……
ここの社長らしい男性は……何というか黒かった。顔が見えないんだけどどんなトリックなのだろうか。目を凝らしてみても相変わらず黒いままである。
「なるほど……。確かに彼が言うようにティンとくるものがある……。特にその眼はなかなか見られるものではないな」
「はぁ、私としてはただ単に色々拗らせて腐っただけだと思うのですが……」
「いや、そんなことはない。比企谷くん、是非ともうちで働いてくれないだろうか」
あっさりと採用が決まってしまった。この前の男性と言い、社長といい、目が曇っているんじゃないだろうか……。そんな調子でこの事務所は大丈夫なのかをふと思ったが、今の世間を見るにこれで成功してきたのだろう。不思議である。
「あっ、ありがとうございます。これからよろしくお願いします」
最初が肝心というわけで、社長に頭を下げる。
「社長も気に入ったみたいだし、これで面接は終わりね。これからよろしく、比企谷くん♪」
そう言って笑顔を向ける音無さん。やっぱり事務員ではなくアイドルなのではないだろうか。
「こちらこそ、よろしくお願いします。音無さん」
こうして、俺は765プロにて働くことになった。
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③ 目的のため、伊吹翼は彼の誘いに乗ってみる。
これからの仕事に当たって音無さんから説明を受ける。どうやら俺の仕事は765プロアイドルの妹分である、通称「シアター組」の補佐になるとのこと。想像通り、最上も「シアター組」の一人だった。また、「シアター組」の方の事務を主にこなしているのは音無さんではなく青羽美咲という女性である。
「シアター組」とは、専用のライブ劇場で毎月の公演を行うアイドルの集まりだと言う。その公演には天海春香達といった元祖765プロアイドルも出演するが、メインはあくまで「シアター組」が担っているらしい。
今後主に通うことになる劇場の方の見学もしたのだが……。中々に衝撃的だった。
「ようこそ、新しい王国民さん!」
劇場では大きなリボンとロリータファッションが特徴的な女の子に出迎えられた。俺は既に某声優が姫をしている王国の民なので他国の民にはなれません。名前はまつりということだが、「ほ? まつりの苗字? そんなことはどうでもよいのです」と苗字は教えてくれなかった。まぁ言いたくないなら無理に聞く必要もない。ただ、アイドルらしい可愛い女の子を名前で呼ばないといけないのはどうにかならないだろうか。
まつりの先導で劇場の案内をしてもらったわけだが、どこも想像していたアイドルとは違っていた。
楽屋では永吉昴と高坂海美と名乗る二人の女の子が野球をやっていた。一打席立つかと誘われたが、野球はやったことがないと断った。ボールは柔らかそうだったが、室内で野球なんてやって怒られないのだろうか……
給湯室では佐竹美奈子という女の子がおやつを作っているところだった。実家は中華料理店であり、特技は料理とのこと。作ったおやつを食べて思わず「これはいい嫁さんになるな」とつぶやき佐竹に真っ赤な顔をさせてしまった。
事務所にも立ち寄ったが、青羽さんは留守だった。その代わりと言っては何だが、部屋の隅にパーカーを被った小柄な女の子がノートパソコンを操作していた。望月杏奈と名乗ったその女の子は人と話すのが苦手そうであったが、ちゃんとアイドルが務まるのか?
俺が来たのはアイドル事務所なのだろうかと疑問に思いながら、最後に案内されたのは劇場内のステージだった。席は二階まであり、結構な人数が収容できそうである。ステージから見る景色は、俺がライブなどでこれまで見てきた客席からの景色と随分印象が違った。今は客席に誰もおらずひんやりとしているが、満員になったら凄い熱気になるのだろうと容易に想像できる。
「比企谷さん、客席の方に移動してもらってもいいですか?」
ステージからの光景に呆気にとられていると、まつりから声を掛けられる。訝しげに思いながらもその言葉に従って客席に座ると―
「はいほー! まつり姫のわんだほー!なパーティーにようこそ!」
マイクもなしにいきなりまつりが喋りだした。
「今日は新しい仲間が来てくれたので、自己紹介もかねて一曲歌うのです!」
驚く俺を置いてけぼりにしてまつりは歌いだした。その歌声に釣られてか、先ほどまで野球やら料理やらをしていた女の子達が集まりだす。まつりの歌が終わると、そこに集まっていた彼女らが次の曲を歌いだす。
この時点で俺は先ほどまでの自身の考えを訂正することにした。客席から見た、ステージで歌う彼女たちはアイドルと呼ぶに相応しいものだったから。
*
「アイドルの勧誘…… えっ、俺が?」
大学の方は春休みということもあり、ほぼ毎日練習の付き添いや各種イベント対応の見学などをし始めてからしばらくたったある日、プロデューサーが俺に突拍子もないことを言ってきた。つい呆気にとられて彼を凝視してしまう。
ちなみに765プロには、元祖765プロアイドルを担当するプロデューサー(元祖P)と、今俺と話している「シアター組」を担当するプロデューサー(ミリP)と、二人のプロデューサーがいる。
「現状、結構な人数の新しいアイドルが集まりつつあるが、後もう少しだけアイドルを増やせないかと考えているんだ」
「まだアイドルを増やすんですか……。状況は分かりましたけど、正社員でもないアルバイトの俺がそれをするのは……。なんか違いませんか?」
「確かに、普通ならそう考えるだろう。けど、俺も社長も、比企谷くんの見る目を信じている。当然、俺たちで面接程度はしていくから、気楽にアイドルになり得そうな女の子に俺の名刺を渡すだけでもいい」
相変わらずミリPや社長は俺に対して過大評価をしている。それは一旦置いといて、ミリPはそのように言ってくれるがそもそもぼっちの俺には女の子に声をかける事態が非常に高いハードルである。目の腐った男が女の子に声をかけているのを目撃して通報されずに済むなんてことがあり得ようか。
「……分かりました。何かの間違いでアイドルになりそうな女の子と話す機会に恵まれた時にでも名刺を渡しておきます」
「ははっ、まぁ今すぐってわけじゃないしそんな感じでいいよ。」
ミリPはこのように言ってくれているし、アイドル向けな女の子と話す機会なんて765プロ所属の社員を除いて起こりえないだろうと、勧誘のことは頭の片隅にとどめる程度にしておいた。
……念のため戸塚には名刺を渡しておこう。
後日、戸塚と会った際に誘ってみたら勉学の方に集中したいと断られた。戸塚をプロデュースしてみたかったなぁ……。俺バイトだけど。ただ、俺の事情を話した後にお仕事頑張ってねと応援してくれた。やっぱり戸塚は変わらず天使でしたまる
*
数日後、とある小説の新刊を買うため大きめのショッピングセンターに来ていた。今日買ったのは小説サイトに投稿されている作品が文庫版になったものだ。
小説サイトに投稿されている作品の文庫版って買う意味あるのかと以前は疑問だったが、今日買ったものはサイト版と本筋は大きく変わらないものも細かいところが違っていたり、キャラの登場時期が違っていたり、追加話があったりしていてサイト版を見ている人も楽しめる内容だった。そのサイトに材木座も小説を投稿しているらしいが、どうせ転生して最強の能力に目覚めて無双するやつだろう。そういったあらすじの作品にも面白いものがあるのは確かだが、そこまでの文章を材木座が書けるかどうかは別問題。無理だろうなぁ……
本屋から出口に向かっていると、広い空間にて人だかりが出来ていた。”Fresh Fashion Week”なるファッションイベントが開催されているらしい。765プロで働く前の俺ならば特に気にせず通り過ぎただろうが、今は曲がりなりにも女性アイドルが所属するプロダクションで働く身である。特に急ぎでもないし、何かしらインスピレーションが得られるかもしれないと考え、イベントを見ていくことにした。
ファッションイベントに出場している人たちはそれに相応しく可愛かったり美人だったりしていた。とはいえ、見ている人を引き付ける力が弱い気がするな……。これだと今765プロに所属しているアイドルと同じステージに立つのは難しいだろう。そう考えていると、最後の出場者の番に変わる。少し期待外れだったかと思い帰ろうとした時だった。
「みんな、初めまして! わたし、伊吹翼で~す!」
どこかで聞いたことがあるその声に思わずステージの方を振り返った。ステージには、ただ可愛いだけじゃない、どこか人を引き付ける魅力をもった女の子がいた。今までの出場者とは決定的に違う。他の人もそうなのか、観客の声援も今までの出場者の中で一番大きなものになっていた。
何が人を引き付けているのか彼女の観察をしていたら、ふと目が合ったような気がした。一瞬彼女の目が見開かれたように見えたが、直ぐアピールに戻っていく。やっぱり彼女とどこかで会ったことがあるのだろうか? それともただの気のせいか……?
考え事をしているとファッションイベントが終了した旨のアナウンスが流れる。それを聞いて今度こそ帰ろうとした俺に一人の女の子が近づいてきた。
「あ~、その眼! やっぱり魚のお兄ちゃんだ!」
近づいてきた女の子は、さっきのファッションイベントで最後に出場した子だった。”魚のお兄ちゃん”という謎のワードで既視感の理由に思い当たる。最上やミリPと会う前に曲がり角でぶつかった子だった。可愛い女の子の上目遣いという最強コンボが俺を襲うが、天然水みないな名前の後輩によって鍛えられた俺には通用しない。
「あの時はぶつかって悪かったな。怪我とか無かったか?」
「…。大丈夫ですよ。それよりも、結局友達との待ち合わせに遅れちゃって~。そっちのほうが大変でした」
俺の対応に少し不思議そうな顔をするが、すぐに元の表情に戻って話し始めた。
「……そうか、それは悪かったな」
やはりこうして目の前にしていると可愛い女の子であることがよりはっきりする。下世話なことになるがスタイルも非常にいい。先ほどの自己紹介では一般参加だったらしいが、どこか所属のモデルであっても不思議ではないくらいである。
ふと、以前ミリPが言っていたアイドル勧誘の話を思い出す。とはいえやはり俺にはハードルが高すぎるんだよなぁ……
「それで、待ち合わせに遅れたからってカフェでケーキ奢らさせられたんですよ! 酷いと思いませんか!?」
ただ、今までとは違うことをしてみようと決めたのは俺自身だったはずだ。だから……
「それは災難だったな。……あの時のお詫びだ、近くのカフェでケーキでも奢ろうか?」
以前の俺なら絶対にしないであろうことをしてみることにした。
*
「ここのお店、一度来てみようと思ってたんです! ありがとうございま~す!」
そう言って彼女はテーブルにやってきたケーキを頬張り始めた。こうしてみるとどことなく小町にも似ている気がする。一色と小町のハイブリッドか……。いや、一色と違って素であざとい行動をしているようだしその強化版というべきか。数多の男子が犠牲になったんだろうなぁ(遠い目)
「どうぞ……。その、お前はああいうファッションショーとかによく出たりするのか?」
「む~……。私には伊吹翼って名前があるんです。お前じゃなくて翼って呼んでください♪」
「……。伊吹はああいうイベントによく出るのか?」
「苗字じゃなくて、翼って呼んでください!」
「いや、俺は女の子を下の名前で呼ぶのに慣れてなくてな……」
そう言うと伊吹は渋々ながらも納得してくれた。そんなのはまつりだけで勘弁してほしい。
「もぅ……。う~ん、今日みないなイベントは今日が初めてですよ。声を掛けられたのは何回かありますけど」
「まぁ、そうだろうな」
「えっ、それって魚のお兄ちゃんも私のこと可愛いって思ってくれてるってことですかぁ?」
「一般的に見たらお前は可愛い部類に入るだろう。それもとびきりの。……あと俺は魚のお兄ちゃんではない。比企谷八幡という名前がある」
「えへへ、とびきり可愛いだなんて~。あっ、もしかしてこれってナンパですか!?」
「いや違う」
「え~。モデルもしたしモテ期が来たって思ったのにぃ……」
「モテ期って、伊吹は今でも十分モテてるんじゃないのか。可愛いんだし」
「う~ん、確かに学校の男子からは声かけられるんですけど……。そういうのじゃなくて、オシャレで大人な感じがいいんです!」
これまでの話からなんとなくだが伊吹の性格が掴めた。これなら上手くいけばアイドルに興味を持ってくれるかもしれない。……ただ、俺がこのカーストトップみたいな伊吹と上手く交渉できるかどうかが問題だが……
「お前が望んでいることを叶えられるかもしれない」
「えっ?」
「伊吹、アイドルになってみないか?」
「アイドル……ですか?」
俺の言葉に伊吹は驚いた表情をする。まぁ俺みたいなやつがアイドル勧誘するなんて思わないよなぁ。
「う~ん、面白そうだけど……。歌とかダンスとか、すっごくレッスンしなきゃダメなんでしょ? わたしキツイ練習なんてしたくないなぁ~」
「確かに、アイドルの娘たちは歌やダンスの練習を必死にやってる。それが大変であることは否定しない。……ただ、アイドルになればさっきお前が言っていたオシャレな服を着たり立派なメイクをしてもらったりすることが出来る。それにアイドルともなれば大きな注目を集めることが出来る。」
「注目される……。それって、モテモテになっちゃうってコトですか?」
「少なくとも、今とは比べ物にならないくらいにはな。頑張り次第だが、芸能人とも知り合えるだろう」
「芸能人って、星井美希ちゃんとかですか?」
「お前、星井のこと知ってるのか?」
「だって最近すっごく話題になってるじゃないですか! 美希ちゃんみたいになりたいんです!」
「星井はうちの事務所に所属してるから、知り合いどころか後輩になれるぞ」
そう言って俺は最近用意された名刺を渡す。当初はミリPの名刺を使う予定だったが、それだと色々ややこしくなるからと青羽さんが俺用の名刺を作ってくれた。アルバイトの俺に名刺を用意するなんて、どんどん俺に対して緩くなっている気がする……
「え~! 八幡さんって765プロだったんですかぁ!」
「興奮しているところ悪いが少し静かにしてくれ……」
今までで一番いい食いつきっぷりである。やっぱり元祖765プロアイドルってすごいんだな……
「美希ちゃんの後輩かぁ。う~ん……でもぉ、やっぱり辛い練習とかはなぁ……」
俺の言葉に伊吹は興味を持ってくれたが、どうにも後一押し足りないようだ。とはいえ、伊吹が興味をもつであろうカードは既に切ってしまった。どうにも気まぐれなようだから、揺れている今の内にこちらに引き込んでおきたいがどうしたものか。
「……今日のお前のステージを見て思った。このままじゃもったいない。お前ならもっともっと大きな舞台で誰よりも輝くことが出来る。……そして、それを見てみたいと」
俺の言葉に伊吹は呆けた顔をする。まずい、俺の考えがダダ漏れになってしまった。
「いや、何でもない。まぁ伊吹の言う通り大変なことも確かに」
「ねぇ」
失言を取り繕うとした俺の言葉を伊吹が遮った。
「わたし、誰よりも輝けるの?」
今までの軽いノリは息を潜め、伊吹のまっすぐな視線が俺を射抜く。
「確証は無いが、今日のステージを見て俺はそう思った。あくまで俺の主観だがな」
「それじゃあ、八幡さんの中だと一番輝いてるのはわたし?」
「まぁ、そういうことになる、かもしれん」
彼女のその視線に、俺はそう答えるのが精一杯だった。
「えへへ、誰よりも輝ける、かぁ。うん、ファンの期待には応えなきゃ」
「どうかしたのか、伊吹?」
すると彼女は輝くような笑顔を浮かべた。
「八幡さんがそこまで言うなら~、わたし、アイドルやってみます! だから、ちゃ~んと見ててくださいね♪」
そうして、俺の初めてのアイドル勧誘は無事成功に終わったのだった。
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④ やはり、人はそう簡単に変われない。
「えっ、伊吹のプロデュースを俺が?」
伊吹の勧誘に成功した数日後、彼女は無事に社長たちの面接を突破して765プロに所属することとなった。まぁ、伊吹を勧誘したのは俺とはいえ、所詮はアルバイトである。業務は今まで通り何も変わらないと思っていた。……のだが。
「あの、一応確認しますけど、俺ってバイトですよね?」
「そうだね。まぁプロデュースって言い方は少し大げさかもしれないな。これから翼のレッスンや撮影といった仕事が本格化していくから、その時の付き添いとか、報告とか、時には彼女からの相談に乗ってあげたりとか、そういったことをしてほしいんだ。他の業者との打ち合わせとか営業といった責任が重いことは引き続き俺がやっていくよ。」
「なるほど、それならまぁ……」
正直、女子中学生からの相談とかどうしようと思わなくもないが、その時はミリPさんや青羽さんを頼ればいいだろう。
「いずれは、そういったことも比企谷くんにやってもらいたいと思っているけどね」
「以前から思っていたんですけど、ここの人はただの大学生のバイトを過大評価していませんかねぇ……。昨日も最上の送迎を俺一人でしましたし」
こんなにも俺と社員で意識の差があるとは思わなかった……!
「そうは言っても、君は大学生のバイトのレベルを超えた仕事をするからなぁ。爪を隠すのが下手なんじゃないか?」
そう言ってミリPが苦笑する。
俺としては、大学が春休みということもあって基本的にいつも事務所にいたりしただけなんだけどなぁ。当初の約束通り、契約書には高めの時給だとか、意思を伝えれば数日中に辞められるだとか俺に有利な記載があった。それならばちゃんと765プロの利益に貢献しようと必死でいただけだ。しかも、時間外に俺が勝手に事務所にいた時間も全てとはいかないが勤務時間に含まれているらしい。ブラックならすぐ辞めようと思っていたのに。そこまでされて適当に済ませるほど俺は堕ちていない。
「まぁ、最初は分からないこともあるだろうからいつでも相談してくれてかまわない。直接でも電話でも。あと、報告書のほうだが、形式はこの前比企谷くんに書いてもらったやつ、あれと同じでいい。あくまで問題がないかチェックするだけだから、程々にレッスンの様子とかを君の視点で書いてもらえれば十分だ。」
最近は簡単な業務だと俺がやってみて、それをミリPがチェックするってことが多かったのだが、まさかこれを見越してやっていたのか? 伊吹からの相談を除けば一度は経験したことがある業務ばかりである。
「まぁ、それならやってみますけど、ちゃんとチェックの方はお願いしますよ。何か問題あっても俺だとどうしようもないと思いますし」
「そこは安心してくれ。それじゃあ、翼のことよろしく頼むよ」
そんなこんなで、俺の業務が広くなってしまったのだった。基本春休みでバイト以外することないし、働いた時間分給料でるし別にいいんだけどね。
*
「ふ~ん。ってことは、八幡さんがわたしのプロデューサーってことになるんだよね?」
「まぁ大まかにはな。とは言っても、大きく何かが変わるわけじゃないけど」
翌日、レッスン前の伊吹に昨日の内容を伝えた。
「それじゃあこれからよろしくお願いしますね、プロデューサー♪ ……あれ、これじゃあ前までのプロデューサーと混ざっちゃうなぁ。八幡プロデューサー? 比企谷プロデューサ? う~ん……。ヒッピーさん?」
なんかどっかで聞いたようなネーミングセンスだな……。さてはこいつ、アホの子だな?
「……最後のやつ以外なら好きなように読んでくれて構わん。それじゃあレッスン行くぞ」
「レッスンかぁ。はぁ~い」
「……終わったら何か奢ってやるから頑張れ」
「ほんとぉ!? 八幡さんだ~い好き!」
「はいはい……」
どことなく小町に似ているなと思いながら適当に返事をする。
「む~」
我が担当アイドルはどうやら気にくわなかったらしいが、とりあえず伊吹が若干やる気になった内にレッスンに行かねば。
どうやら伊吹にはアイドルとしての能力があったようで、レッスンを難なくこなしている。トレーナーの人も態度には出していないが驚いているようだ。ただ、気まぐれなのかレッスンに対する姿勢にムラが大きいのが難点だが。勧誘した時もきついレッスンは嫌って言っていたしなぁ。
個人レッスンが終わった後は二人用の曲を使ってのレッスンに入った。相手役は、たまたま時間が空いていたらしい所恵美にお願いした。ここでも、伊吹派765プロの中で最後に入った新人とは思えないくらいのパフォーマンスを披露してくれた。これなら、次回の公演に出ることも視野に入るだろう。
とある一点を除いて、だが。
「調子はどうだい? 比企谷くん」
その日の夜、劇場の事務所で今日の報告書を書いているところにミリPがやってきた。彼の両手にはコーヒーが入ったマグカップが一つずつある。その内の一つを俺に手渡してきた。
「ありがとうございます」
とりあえず、ミルクと砂糖を多めに入れて飲み始める。マッカンには程遠いが仕方がない。
「今日は翼のレッスンだったよな。比企谷くんから見てどうだった?」
「そうですね。俺の主観ではありますが、他のアイドルと同等のパフォーマンスがあるように感じました。まぁ島原とか舞浜みたいなダンスが得意なメンツを除いてですが」
「やはり君からもそう見えるのか……。次の公演に間に合うと思うか?」
「能力的には十分間に合うと思います。ただ……」
「何か気になることでもあるのか?」
「今日のレッスンですが、一人じゃなくて二人用の曲のレッスンもやったんです。その時、伊吹は二人の中の一人になれていませんでした。あれじゃただの一人と一人です。あの様子だと、ユニット曲をこなすにはしばらく時間が必要だと思います。」
「なるほど……」
俺の言葉を聞くとミリPが何やら考え込み始めた。レッスンをこなせているとは言っても、協調性を鍛えるにはもうしばらく掛かるだろうし、伊吹の公演デビューは見送りだろうな。
「……それなら、今度の公演でセンターデビューしてもらうか」
……はい?
*
「伊吹、ちょっといいか?」
「何ですか?」
「次の公演、伊吹にセンターで出てもらおうと思ってるんだが、どうだ?」
「公演ってことは、ついにライブってことですよね? やったぁ!」
翌日、楽屋でミリPと話し合って決まったことを伊吹に伝えた。
「比企谷さん、それホントか!? 翼の公演デビューがセンターって!?」
横にいた所が俺の言葉に反応する。まぁシアター組になってからある程度経っている所からすれば、今回のこの決定は異例としか言えないだろう。本来であれば何回か公演に出て経験を積んでからセンターってのが普通っぽいし。
「ホントだよ。俺もびっくりしてる」
「やったな、翼! デビューがセンターなんてすげぇじゃん!」
「ありがとう、恵美さん♪ 八幡さん、それってわたしに期待してくれてるってことですかぁ?」
「まぁ一応はな……。今回のを決定したのは社長やミリPだけど」
「はぁ~い。期待に応えられるように頑張りま~す!」
「というわけで、これからのレッスンはセンター前提のものが主体になる。公演まで余裕があるわけでもないからしっかり頼むぞ。」
「レッスンかぁ……ステージで歌えるのは嬉しいけど、大変のはイヤだなぁ……」
「まぁまぁ翼、折角のセンターだし頑張ろうよ! アタシも手伝うからさ」
「サンキューな、所。そういうわけだ。まぁ頑張ってくれ、伊吹」
「はぁ~い……」
今のままじゃあレッスンに支障が出るよなぁ。仕方ない。
「……今度の公演を頑張ったら何か奢ってやるぞ」
「ホントですかぁ! それじゃあ、ケーキとかお願いしますね!」
「あぁ、任せろ」
「あと、ショッピングとか行きたいなぁ」
「……公演がちゃんと成功したら考えとく」
「はぁい。あっ、これって、デート、ですよね?」
「いや違う」
「え~。まぁいいや。それじゃあ、レッスン行ってきま~す」
そう言って伊吹は部屋を飛び出していった。
「比企谷さん、翼に甘くない?」
俺たちのやりとりを横で見ていた所がジト目で俺を見る。所さん、そんなこと言ったってしょうがないじゃないか。
「わたしのダンス、どうでしたか?」
その日のレッスンが終わった後、伊吹が今日の出来栄えを俺に尋ねてきた。
「俺にはよく分からんが、まぁちゃんと出来てたんじゃないか?」
「もう、そこは”とっても可愛かった”くらい言ってくださいよ~」
「生憎そういうのは柄じゃないんでな。……ただ、何だ。本番を見て見たいと思うくらいには……良かったと思うぞ」
「えへへ~、それじゃあ、本番を楽しみにしててくださいね♪」
伊吹のやる気にムラがあることやたまに遅刻することを除けば、先生達も伊吹の出来を褒めていたくらいレッスンは順調に進んでいった。
思えば、この時にちゃんと注意しておくべきだったんだ。
*
伊吹だけじゃなく最上もセンターデビューということもあり、定期公演会の前日のリハーサルは慌ただしく進んでいた。そんな中、アイドル達が妙に騒がし事に気づいた。
「どうした、何かあったのか?」
「あっ、比企谷さん。翼見なかった?」
「いや、見てないぞ。そういえば、今日はまだ会ってないな……」
「やっぱり……」
所に聞いてみると、どうやら伊吹がまだ来ていないらしい。初めてのリハーサルで遅刻か……。幸い、伊吹が出るのは一曲だけなので他のところからリハーサルをやることにしたようだ。
「あのぅ……おはようございま~す。遅れてごめんなさ~い……」
リハーサルが中盤辺りまで済んだころ、伊吹がやってきた。
「翼、あなた何してたの!?」
「その、昨日夜更かししちゃって……」
遅れてきた翼に最上が思わず声を荒げる。さりげなく周りを観察してみると、声には出さないものも、ほとんどのアイドルが何か言いたそうな雰囲気を醸し出している。
……これはまずいな。
思えば、いきなり現れた新人が公演デビューとともにセンターデビューまで果たすという時点でも嫉妬を呼ぶに相応しい出来事なのだ。アイドル達はそれぞれが仲間であると同時にライバルなのだから。幸い、765プロのアイドルの中に伊吹へ嫉妬の感情を向ける人はいなかった。この時点で彼女たちの人間性を評価すべきなのだ。だが、そこに寝坊でリハーサルに遅刻するという事情を足すとどうなるか。所属していきなり公演デビューとセンターデビューを果たして調子にのった新人アイドルと思われても仕方がないのではないだろうか。
実際、伊吹にはアイドル達からの負の視線が集中している。ミリPが伊吹を叱ってはいるが、基本的に優しいこの人のことだから強く言ったりはしていない。これでは周りのアイドルは納得しないだろう。このままでは今後伊吹とユニットを組んだりする際に支障が出るかもしれない。早急に伊吹に対する他のアイドルたちの負の感情を和らげる必要がある。一度生まれた綻びはそう簡単にほどけないのだから。
最速で、最短で伊吹への負の感情を払拭するにはどうすればいい?
ミリPのように叱る?
いや、それは不確かだ。普段あまりしゃべらない俺では中途半端になる可能性が高い。怒鳴るくらいにやらなければ彼女たちの気持ちは収まらないだろう。
ではどうするか……
何も思いつかないまま、時間だけが過ぎていく。
……違うな。
本当はこの状況をどうにかする方法は既に思いついている。正々堂々、真正面から卑屈に最低に陰湿な方法が。彼女たちの負の感情を払拭するんじゃなく、別の方向に向ける方法が。ただ、それをやっては高校時代から何も変わっていないことになるんじゃないのか? あんなに何回も正面から意見をぶつけ合って、そのたび不格好ながらも乗り越えてきたあの日々から前に進めていないことになるんじゃないのか?
そんなことはない、俺はあの時から変われたはずだ、と他の方法を考えようとするも何も浮かばない。
俺が思考の渦に溺れている中、ミリPから話を切り上げてリハーサルに戻ろうとする雰囲気を感じる。ダメだ、今彼女たちの気持ちをどうにかしなければ、消えないしこりが残ってしまう。
もう、このタイミングしかない。
はぁーと、深く、長く、苛立ちを紛れ込ませたため息を吐く。
「伊吹、随分遅い出勤だな。お前、いつの間にそんなに偉くなったんだ?」
いきなりの俺の発言に、周りの視線が俺に集中する。それでいい。ここからは俺の独壇場だ。
「入っていきなり異例の公演デビューとセンターデビューを任されたからって、周りを自分の都合に巻き込んでいいとか考えてるんじゃないか?」
「そんな……こと」
伊吹の小さな声を遮る。
「違うって言うんだったら、何故遅れた? しかも寝坊で。それとも何だ、いきなりセンター任された天才の自分にはリハーサルなんて必要ない、とでも考えていたのか? 調子に乗るなよ」
「違う……違うよ」
「違わねぇよ。もしそう思っていないのだとしたら、それは自覚していないだけだ。本当は気づいているんじゃないか? 必死にリハーサルをしないと公演も満足に出来ないアイドル達を見下している自分自身に」
「比企谷くん!」
俺の発言をミリPが諫めようとする。この人が優しい人で本当に良かった。
「結局、お前は公演デビューとセンターデビューが同時に出来たと調子にのって、天才だから自分はリハーサルなんてしなくても平気だと高を括っていたんだ。アイドルを舐めんなよ。」
諫めようとしたミリPを無視した形にすることで、より俺にヘイトを集中させることが出来るから。
遅刻することが場合によっては甚大な被害を生むことなんて分かり切っていたのに、それをはっきりと注意してやれなかったなんてー
「……ホント、間違えちまったな」
あっ、声に出ちまった。
ぼそっとつぶやいた俺の言葉を聞いて、伊吹が目を見開く。その後身を翻して出口から出て行った。
「翼!?」
出口から出て行った伊吹を最上が追いかけていく。ふと振り返って俺を見るその目から氷の鋭さを感じた。最上に続いて何人かのアイドルも出口から飛び出していった。
これで、誰かが伊吹の説得に成功してこの場に戻ってきても、彼女に負の感情が向けられることはないだろう。後は俺が765プロを去ればいい。765プロの今後を考えれば、俺よりも伊吹が残る方がメリットが大きい。
もし、これで伊吹が戻ってこなかったとしても、合わせて俺が辞めれば3月上旬の頃の765プロに戻るだろう。伊吹といい、俺といい、何かしらの不和を生む原因がないころの765プロに。
我ながら上手くいった。それなのに。
ふと雪ノ下と由比ヶ浜の顔が頭に浮かび、チクリと胸が痛んだ。
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⑤ 意外にも、伊吹翼は鋭い女の子である。
『あなたのやり方、嫌いだわ』
とある強い女の子は刃のような目でそう言った。ああ、俺も嫌いだよ。こういうことを考えてしまう自分と、やっぱりそれを案外嫌っていない自分が。
『……こういうの、もう、なしね』
とある優しい女の子は辛そうに、ひどく痛々しそうにそう言った。俺だってこんな方法はもうしたくなかった。それじゃあどうすれば良かったんだろうな。
『誰かを助けることは、君自身が傷ついていい理由にはならないよ』
とある恩師はほのかに煙草の匂いを漂わせてそう言った。大丈夫です。俺が傷つくのを見て、痛ましく思うほど親しい人間は今の765プロにいませんから。
*
あの後すぐ、ミリPさんから今日はもう帰宅するように言われた。まぁあんなことを言ったやつがいたらアイドルも歌うに歌えないだろう。その指示に納得して早々帰宅することにした。
アパートの階段を上って自室の鍵を開ける。よくよく考えればこんな早い時間に帰宅するのは久しぶりな気がする。765プロで働き始めてからは講義やレポート以外にやることも無かったため劇場に長時間いるのが当たり前になっていた。早く765プロに貢献しようと色々資料を見たり見学したりしていたのだが―
「全部、無駄になっちまったなぁ……」
流石に今回の件はクビになるだろう。よりにもよって、大勢のアイドルがいるところでやらかしてしまったのだから。
部屋着のジャージに着替えてベッドの上に寝転がる。
これからどうすっかねぇ。これまでのバイト代が規定通りに払われるのであれば、しばらく他のバイトをしなくても十分な金額になる。折角だしやり掛けのゲームでも消化していくか。結局、隠し要素を攻略せずに一週目で放置したタイトルがいくつかあるわけだし。
そう思って一年以上前に一週目を終えたゲームをプレイすることにした。
あぁ、そう言えばこの主人公は第3部で急に口調が変わるんだよなぁ、この真面目な軍人って感じのセリフが懐かしいなぁとか感じながら黙々とゲームを進めていく。
しばらくストーリーを進めた後に調べた隠し要素の達成条件の面倒くささに辟易していると、ふとスマホのランプが光っていることに気づいた。確認してみると、差出人はミリPさん、内容は今日のリハーサルについてのメールである。
どうやら最上や所の説得によって伊吹はリハーサルを無事済ませたらしい。やはり、伊吹の元気がなかったようだ。恐らくやる気にさせるためにミリPさんが頑張ってくれたのだろう。肉でも奢ると約束したといったところか。
ただ、明日の公演に関する俺の仕事などについては一切記載されていなかった。こりゃあやっぱりクビになったかな?
ミリPのメールを確認した俺はゲームを再開することにした。
*
ホントありえない!
確かに前の日に夜更かしして遅刻しちゃったのは悪いことだけど、あそこまで言う必要ないじゃん!
「あ~、もう!」
それに、わたしをアイドルに誘っておいて、あんなこと……
自分の部屋のベッドに寝転がって足をバタバタさせる。
明日のライブで頑張れるようにってお母さんが焼いてくれたステーキを食べてるときは忘れられたけど、部屋に戻ってちょっとしたらまたムカムカしてきた。
ステージから飛び出したわたしは、静香ちゃんや恵美さんが追いかけて励ましてくれたからとりあえずステージへ戻ることにした。戻ってきたわたしを皆が迎えてくれて、あとプロデューサーさんが公演に成功したらお肉をご馳走してくれるって約束してくれたからリハーサルもちゃんとやったしオッケーももらった。……何かいまいちしっくりこなかったけど。
これも八幡さんが悪いんだ! 言いたいことだけ言って帰っちゃったし!
わたしがいつもと違うからか他の皆が心配してくれたけど、明日大丈夫かなぁ……
……あれっ?
何かが頭に引っかかった。
そのモヤモヤが気持ち悪くて今日のことを思い返してみる。
寝坊しちゃって、慌てて劇場に行って、プロデューサーさんに怒られて、八幡さんに怒られて、ステージから飛び出しちゃって、静香ちゃんたちが迎えに来てくれて、皆が心配してくれて、リハーサルでオッケーもらって……
んっ?
”皆が心配してくれて”?
遅刻しちゃったわたしを?
……でも最初はそうじゃなかったよね。わたしが今日はじめてステージに入った時は皆怖い顔してたし。プロデューサーさんに怒られてるときも、この後静香ちゃんとかに怒られるんだろうなぁって感じがしてた。
それじゃあ、いつから雰囲気が変わったんだろう?
八幡さんがわたしを怒って、ステージを飛び出しちゃって、二人が迎えに来てくれてから?
それじゃあ、もしかして八幡さんは……
……ううん、多分たまたま。いや偶然に決まってる。いつもぬぼーってしててデリカシーもなくてイタリアンに連れてってやるなんて言ってサイゼリアに行っちゃうあの人が、そこまで考えているわけがない。
……でも、もしかしたら
あの時の言葉も何か意味が違っていたら……
そう考えるとモヤモヤしてきた。
そうだ、明日の公演、八幡さんに見てもらおう。ちゃんと今の伊吹翼を見てもらって、ちゃんと聞いてみよう。
『わたしをアイドルに誘ったこと、間違えだったと思いますか?』って。
そうと決まればさっそく行動だ。なんかいいことはすぐしなさいって授業で聞いたような気もするし。
プロデューサーさんに電話するため、わたしはスマホに手を伸ばした。
*
久しぶりにこんな長時間ゲームしてたな……
結局、あの後食事と風呂を軽く済ませた時を除いてずっとゲームをしていた。あの量産型みたいな主人公機好きだったのに初期を除いて使えないんだよなぁ……
んじゃ寝るかと思ってふとスマホを見ると、メールの着信を知られるランプが光っていた。差出人はミリPさんである。早速クビに関する内容の連絡か? 訝しげに思いながら内容を確認して思わず目を見開いた。
『明日の公演だが、見に来れそうかな? 翼が君に見てもらいたいらしい』
翌日、ミリPさんの昼休憩時間中に今回の定期公演会"START"のチケットを手渡された。その時手短に話した内容によると、どうやら俺はクビにならずにすむとのことだった。今朝の最終確認のときに伊吹が皆へ何かを言ったらしい。
伊吹が何を言ったのか非常に気になるが、考えても仕方ないことだ。とりあえず昼飯を済ませようとファミレスに向かった。当然サイゼリアである。最近は全都道府県の約7割に進出しているらしい。こりゃ全国制覇も近いな。
サイゼで昼食を済ませてしばらくゆっくりしてから劇場に向かった。道路に面した掲示板には、今日センターデビューをする最上と伊吹のポスターがでかでかと貼られている。昨日あんなことあったし大丈夫だろうか? まぁそんなことを考える権利など俺には無いのだが。
ミリPさんからもらったチケットに記載されている場所は二階席の最後尾だった。一階席だと暗くて見づらいとはいえアイドル達にばれる可能性があるからありがたい。その辺りも考えての場所なのかもしれない。
自分の席から周りを見渡すと、改めて765プロの力を思い知る。そこそこ多めの人数を収容できる劇場を自前でもっているのだから。
ただ、今回は765PRO ALLSTARSが出演しないためか、残念ながら所々空席になっている。まぁシアター組が本格的に始動してから数カ月しか経っていないし、今後ファンの増加とともに空席も無くなっていくだろう。
それにしても、何故伊吹はあんなことをした俺に来てほしいと思ったのだろうか。普通なら、自分を罵倒した人とはもう会いたくないとなるのではないか?
そんなことを考えていると、照明が暗くなり青羽さんのアナウンスが流れ始める。
どうせ考えても答えが出るわけでもないし、今のところは公演に集中するか。
公演の一発目は、初センターとなる最上から始まった。初めてのセンター、しかもソロというのに、その歌声は堂々とした綺麗なものだった。何かトラブルがあったのか歌った後のトークに混乱して、それをここにいないはずの765PRO ALLSTARSの一人、天海春香に助けてもらうという出来事はあったが。まぁ最上も新人だし仕方がないだろう。
二曲目のSTARTとその後の公演は順調に進んでいった。そして……
「みんな、初めまして! 伊吹翼で~す!」
伊吹の出番になった。
伊吹のダブルデビューに向けて用意された楽曲は『恋のLesson初級編』。恋に恋するような女の子の心を歌った曲で、曲調も合わせて伊吹にぴったりといえる曲である。
これまでのレッスンを見学していたからある程度は知っていたが、今の伊吹はそれを上回るパフォーマンスを見せていた。ファッションイベントの時のステージとは比べ物にならないくらいに。それによって初めは試すような視線を向けていた観客をも巻き込んで客席は大盛り上がりだった。伊吹を勧誘したのは成功だったと確信した。
その時、ふと違和感を感じた。当の伊吹はよく客席の方を見渡しているようである。まぁ初めてだし、緊張して周りが見えなくなるよりはずっといいかと思っていたその時。
ふと俺と伊吹の目が合い、そして彼女が笑ったように見えた。
いや、ステージから見たら二階席の最後尾なんて距離と暗さによってほとんど見えないだろう。きっと気のせいだ。
そして、伊吹のライブ、それに続く全公演は無事に終了した。
*
その後は公演の打ち上げというわけで、屋上でバーベキューをすることになった。今回の公演にも物販にも出なかったメンバーで肉を買ったりしていたようだ。
正直参加したくなかったが、ミリPに頼み込まれて参加することになった。やっぱり伊吹が皆に何か言ったのだろう、俺を見るアイドルの目から険しさがほとんど感じられない。とはいえ、元々ぼっちの俺である。初めの乾杯を終えて早々端っこに向かった。
相変わらず苦いなと思いながら缶ビールを飲む。このみさんからもらった肉や野菜を食べながらビールを飲んでいるとミリPさんが近づいてきた。
「お疲れ様、比企谷くん」
「お疲れ様です、ミリPさん」
二つの缶ビールをぶつける。
「あの、今回はすいませんでした」
「ん? あぁ、リハーサルのことか。君が謝ることではないよ。正直、君のおかげで雰囲気をまだマシな方向に持っていくことができた。むしろ、謝らなければならないのは俺の方だ。君に自分自身を犠牲にするような方法をとらせてしまった、俺の方だよ」
「いや、俺は思うがまま、好きなように伊吹に言っただけで……」
俺がそう言うと、ミリPさんは小さく笑った。
「まぁ比企谷くんがそう言うのならそういうことにしておこう。ただ、彼女はそう思っていなかったようだぞ」
そう言うミリPさんの視線の先には、時々こちらを向いている伊吹がいる。
「今回は事情が事情だからお咎めなんてなしだ。やっぱり君は765プロに必要な人材だからね。ただ、俺も気を付けるから、もう昨日のようなことは控えてほしい。君は大丈夫かもしれないけど、周りもそうとは限らないからね」
「はぁ。まぁ、善処します」
「ああ、それじゃあよろしく頼むよ」
苦笑をしながら、ミリPさんは俺から離れていった。
それから相変わらず一人で缶ビールをちびちび飲んでいると、視界に一組の足が移った。視線を上げると俺のそばに立つ伊吹。その顔には、何か言いたそうな、でも言い出せないような表情が浮かんでいる。
正直、昨日のこともあって俺もしゃべりづらい。しばらく無言の時間が続いた。
「その、伊吹、昨日は悪かったな」
誰がなんと言おうと、俺が伊吹を罵倒したことに変わりはない。謝罪はしっかりすべきだ。
「ううん、謝らないといけないのはわたしの方です」
「……そうか。まぁ遅刻して皆に迷惑かけちまったしな。ちゃんと謝ったか? アイドルだけじゃなくてスタッフさんにも」
「うん、ちゃんと一人一人に謝ってきました」
「そうか、お疲れ様」
「えへへ、ありがと。……だけど、謝らないといけないのはそのことだけじゃないです」
「他に何かあったか?」
「うん……。あの時、八幡さんはわたしを助けてくれた。遅刻しちゃって、皆から怒られるはずだったわたしを……。八幡さんを代わりにして」
「っ、何を言ってるんだ? 俺はただ言いたいことに言って伊吹を罵倒しただけだぞ?」
「八幡さんって、意外と顔に出やすいですよね。部屋で気づいたんですけど、あの時の八幡さんの顔、怒ってもいましたけど、それ以上に悲しそうでしたよ。わたしがサイゼリアに行ったことないってのを聞いた時の八幡さんの顔をもっとひどく感じで。言いたいように言ってるんだったら、悲しそうな顔なんてしません。だから、八幡さんは言いたくないことを言ってたんだ。……わたしのために」
「いや、だからそれはお前の勘違いっ!?」
俺の言葉を遮って、伊吹が俺の顔を覗き込む。
「わたし、八幡さんがどういう人なのか分かってきちゃったかも♪」
そのまっすぐな視線に目が逸らせなかった。
しばらく俺の顔を覗き込んだ伊吹は距離をとって頭を下げる。
「だから、ごめんなさい。もう遅刻はしないようにしますね。……なるべく」
「いやだからな……まぁいいか。それより、なるべくじゃなくて今後遅刻しないように頼むぞ」
「はぁ~い。……ねぇ、一つだけ我儘なお願いしていい?」
「いや、普段も我儘なお願いをしている気がするが……。なんだ?」
「今日ね、劇場に来た時に皆が私を励ましてくれたんです。その時に、八幡さんのことを言ってる人がちょっといてね」
「いや、まぁ昨日あれだけ言ったんだ。むしろ今日の打ち上げに参加するのを受け入れてくれた方にびっくりしてるぞ」
「だからこんな端っこに……。まぁその時にね、なんて言えばいいのかなぁ。何だか胸が苦しくなったの。悲しくなったの。だからね、その原因をつくったわたしが言うのも変だけど、もう八幡さんが悪く言われるのを聞きたくないって」
そう言って伊吹が俺を見つめる。
「だから、八幡さんに助けられたわたしが言うのも違うって思うけど……。それでも、ああいうの、いやです」
伊吹の言葉に、平塚先生の言葉が頭をよぎる。そうか、俺は助けようとして、結局悲しませてしまったのか。ただのバイトでしかない俺を二人目のプロデューサーだと慕ってくれる、目の前の女の子を。
「あぁ、分かったよ。……なるべく」
「もぅ、わたしの真似しないでくださいよ~」
まぁ手札が少ない俺がどこまであがけるかは分からんが、担当アイドルがそう言うのならやるしかないだろう。
これで話は終わったと思っていたが、どうやら伊吹にはまだ話したいことがあるようだ。だが、またもや言いにくそうである。
「どうした、伊吹。言いたいことがあるなら遠慮しなくていいぞ」
「それじゃあ……。ねぇ、八幡さん。今日のわたしのライブどうだった?」
「何で俺が見てたの知ってるんだ? もしかして、歌ってるときに俺と目が合ったような気がしたが……」
「うん、ちゃんと見つけられましたよ。その魚のような目」
「あの環境で見つかるなんて俺の目はそこまで異質なのか……」
「あはは♪ それでね、その……今も私をアイドルに誘ったのは間違いだって思ってますか?」
「何言ってんだ?」
「だって、リハーサルの時にそう言ってたじゃん!」
伊吹が頬を膨らませる。
「ん? ……あぁ、あの時に間違いだったって言ったのは、レッスンの時に伊吹の遅刻をもっとしっかり注意しとけばこんなことにならなかったのにって意味だったんだ。」
「えっ?」
「……大体、今日のお前のステージを見て、お前がアイドルになったのが間違っているなんて、誰も思わないだろ」
そういうと伊吹が小悪魔のような笑みをした。
「それって、八幡さんも?」
「……誰もって言っただろうが」
「え~、ちゃんと言ってくれなきゃ分からないです♪」
「お前な……」
「お願い」
そう言う伊吹の目は不安がっているように見えてしまった。
「まぁ、今日のを見て、お前をアイドルに誘ったのは正しかったって、改めて思ったぞ」
気恥ずかしかったので小さな声でそういうと、伊吹の顔が輝く。
「本当ですか? やったぁ!」
「おい、落ち着け」
「だって~。あっ、そうだ。それじゃあ、今度デートに連れて行ってくださいね? 約束しましたもんね♪」
いつものようにデートなどととんでもないことを言う。
「いや、デートじゃない。ただケーキを奢るだけだ」
「え~。今日の公演は成功じゃなかったですか?」
ちっ、この前のことを覚えていたか。どこかアホの子っぽいし忘れたと思ってたのに。
「はぁ、分かった。買い物にも付き合ってやるよ」
「わ~い! 約束ですよ?」
そう言って伊吹はアイドル達の元へ向かう。
すると何かを思い出したのだろう、ふと立ち止まり俺の方へ振り返った。
「それじゃあ、これからもよろしくお願いしますね。ヒッピーさん♪」
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⑥ ひっそりと、比企谷八幡は行動する。
デート回はただのおまけのはずだったのに手が止まらなかった……。
4月の定期公演会は無事に大成功を収めることが出来た。
一つの公演で二人がセンターデビューということもあり、片方がもう片方に呑まれてしまうのでは? といった不安はあったが、最上の「Precious Grain」、そして伊吹の「恋のLesson初級編」、それぞれ方向性が異なる曲だったため杞憂に過ぎなかった。当然、二人のパフォーマンスのレベルが高かったこともあるが。最上と伊吹のセンターデビューは大変好評で、たくさんの感想が劇場に届けられている。
この機会を逃すまいと、急遽伊吹のCDの販売を早めることになった。確かにあのライブの熱が冷めきっていない今であれば多くのファンが購入してくれるだろう。
最上の場合は、もともと「Precious Grain」を定期ライブで初公開、そしてCD販売という形式を取っていた。定期公演会後の物販では予備として用意していた分まで売り切れになる人気ぶり。一方で、伊吹の場合は急遽公演デビューが決まったためCDを用意する時間が無かったのだ。
それにしても伊吹のレコーディングか……。あの伊吹のことだ、何かしら手を打っておいた方がいいだろうな。
「というわけで、この前伊吹が歌った曲のCDを出すことになった」
「それって、わたしのCDデビューってことですよね? やった~♪」
「まぁそういうことになるな。てなわけで、出来るだけ早くレコーディングを済ませる必要がある。とは言え伊吹は今回が初めてのレコーディングだからな。一週間みっちりレッスンをやって、今月末の連休中にレコーディングを行う予定だ」
定期公演会から数日後、俺はCDの件を伊吹に伝えた。レッスンといった繰り返しになりがちなこと以外は楽しいのか乗り気で取り組んでくれる伊吹である。今回もCDデビューについては快く受け入れてくれたのだが……
「CDデビューは嬉しいけど、レッスンは嫌だなぁ。レコーディングって、とりあえずマイクの前で歌うだけなんですよね? この前のライブも上手くいったし、そんなにレッスンする必要あるんですか?」
まぁ、予想通りレッスンを嫌がるよな。ライブで大盛況だったため殊更にそう思うだろう。
しかし、ライブに行ったことがある人なら実感できるだろうが、ライブとCDでは同じ曲でも印象は全く違っている。CDで聞くとそこそこの曲に感じても、ライブで同じ曲を披露されると感動してしまうといった経験がある人も多いのではないだろうか。実際に、俺も材木座に誘われてあまり知らないグループのライブに行って思わずCDを買い、自宅で聞いて首を傾げてしまったことがある。
「CDだと、ライブと違って視覚も熱気もない、ただ聴くだけになるんだ。伊吹の場合はライブになると視聴者を惹きつけられるから多少音程がズレたりしても問題にならなかった。だが、CDになるとそのズレが大きな違和感を生むことになる。」
「ふ~ん。よく分かんないなぁ……」
とはいえ、それを実感していない人にこの感覚を伝えるのは難しい。珍しくも、伊吹はライブを聞く側になることなく歌う側になった人間なのだ。
「とりあえず、ライブとCDは別物で、レコーディングをライブと同じ感覚でやったらダメってことだ。今はよく分からんだろうが、しっかりとレッスンに取り組んでほしい」
「はぁ~い……。あっ、レッスン終わった後に何かご馳走してくれるなら頑張れるかもです♪」
「すまんが今日はこの後用事があってな。だからレッスンに付き添うことも出来ない」
「えぇ~!?」
「その代わりというわけじゃないが、連休中に何かしら奢るからそれで勘弁してくれ」
「ライブの時のご褒美もまだなんですけど……」
「……連休中に必ず何とかする」
「ホントですかぁ? 絶対ですよ? 」
「あぁ、俺を信じろ」
「……」
伊吹が訝し気な眼で俺を見る。あれ、今日までの付き合いでそこそこは信頼関係を築いたはずなんだけど……
「そ・れ・と! わたしの呼び方間違ってます!」
「いや、そんなこと言われてもだな……」
「ちゃ~んと、わたしのことをな・ま・えで呼んでください♪」
そう言って伊吹は笑顔で俺の顔を覗き込む。この前の公演から、伊吹から名前で呼ぶようにと言われてしまっている。
「それじゃあ今日のレッスン頑張れよ。……つっ、翼」
伊吹の笑顔の圧力に屈してしまった……
「はぁ、まぁ今日のところはそれで許してあげます。これからはちゃんと苗字じゃなくて名前でわたしを呼んでくださいね?」
「……なるべくな」
「もぉ~! ヒッピーさんのいじわる!」
その後、渋々ながらも伊吹はレッスンに行き、それを確認した俺は劇場を離れることにした。
それから、時々伊吹のレッスンに付き添ったり、ボイトレの先生に様子を伺ったりしたところ、やはり伊吹のモチベーションは低いままのようだ。可能な限りは近くの屋台でクレープを奢ったりすることでどうにか最低限のモチベーションはキープできているようだが、このままではレコーディングで難航する未来が容易に想像できる。
やっぱりあれをやらないとダメだよなぁ……
*
「伊吹、今度の日曜日って空いてるか?」
「つーん」
連休が近づいてきた日のレッスン後、とある計画を遂行するために伊吹に声をかけたのだが……。当の伊吹はつーんって声に出してぷくっと頬を膨らませた。
「……翼、今度の日曜日って空いてるか? この前の約束を果たしたいんだが」
「その日は空いてますけど、それってデートのお誘いですか~?」
「まぁそうだな」
「ホントですかぁ!? えへへ~、ヒッピーさんにデートに誘われちゃったぁ♪」
「かの広辞苑によると、”男女が日時を定めて会うこと”をデートと言う。つまりは元々デートという単語には恋人同士とか好きな人ととかそんなことは一切関係ない。デートと言う単語に浮かれた意味を考えるのは間違っている」
「またよくわかんない屁理屈言って……。まぁそれでこそヒッピーさんですよね」
いつの間にか伊吹の俺理解度が上がっている。比企谷検定三級くらいなら取れそうだな。
「それじゃあ池袋駅で10時に待ち合わせってことでいいか?」
「はぁ~い。大人なデート、楽しみにしてますね♪」
「そもそも大人なデートなるものをしたことがない俺にそんな期待はしないでくれ……」
「えぇ~! まぁいいです。それじゃあお疲れ様でした、ヒッピーさん。日曜日、楽しみにしてますよ?」
「おう、お疲れさん。期待しないで待っててくれ」
「も~!」
そう言って伊吹は劇場を後にした。それを確認した俺は待たせていたある人の元へ向かった。
*
伊吹と約束した日、俺は池袋駅にいた。流石ショッピングセンターやらなんやらが集まっている副都心の一つ、もう帰りたくなるほど人がいる。
時間を確認すれば10時10分。この前の件から仕事関係の遅刻はほとんど無くなったが、元々時間にルーズなやつだから仕方がないだろう。
駅前を行き交う人を眺めていると、一人の女の子が小走りしていた。
星の模様が入った青のパーカーにホットパンツを穿いている。太ももが眩しいな……。変装のためか帽子をかぶっている。
その女の子(まぁ伊吹なんだが)は俺を見つけるとててっと寄ってきた。
「待たせちゃってすいません! はぁはぁ…… 準備に手間取っちゃって」
「とりあえず落ち着け。仕事ならともかく、今日は10分程度大したことじゃない。それよりも水とか飲むか?」
「ちょっと走っただけですし大丈夫です。ヒッピーさんは優しいですね♪」
「はいはい……。大丈夫そうならさっさと行くぞ」
「は~い♪」
「じゃ~ん! ヒッピーさん、この服似合ってますか?」
「えっ、まぁ、いいんじゃねぇの?」
「も~! そこはとっても可愛いとか言ってくださいよ~!」
「……セカイチカワイイヨ」
「なんで片言なんですか!」
それから、伊吹がよく行くというファッションショップに向かった。星井がこの店の服を好きとのこと。そこで伊吹は服を試着しだしたのだが……
「そんなことを言われてもだな。それともなんだ、世界一似合ってるよとでも俺に言ってほしいのか?」
「う~ん。ヒッピーさんにそのセリフは似合いませんね」
なんだ、よく分かってるじゃないか。
「それじゃあ他のやつも試着しちゃお♪」
そう言って伊吹は試着室のカーテンを閉めて元々来ていた服へ着替え始めた。
それからしばらく伊吹は数種類の服を選んで試着し、そのたびに俺に感想を聞いてきた。そんなことをしても気の利いたことなんて言えないのだが……
「このお店にあるので気になったのは大体試着したかなぁ。ねぇヒッピーさん、この中でどれが一番好きですか?」
「いや、そんなこと言われても。俺のファッションセンスは壊滅的だぞ」
「そんなの分かってますよぉ。だから、私が気になった服の中で選んでもらってるんです」
あっ、なるほどね。元々伊吹が気に入ったものの中から選べばひどい結果にはならんか。
「それじゃあ……。二番目に来てたやつかな」
「二番目ですね。ところで、何でですか?」
「えっ? それは、だな……。つっ翼の、快活さと可愛さが上手く両立できてたように思った」
「……」
気恥ずかしさを感じながらなんとかそう言うと、伊吹はぽかんとした表情を浮かべていた。
「いや、何でもない。やっぱり俺にはファッションとかよく分からん。お前が好きなやつで」
「そうですか、ヒッピーさんは二番目に来た服が好みなんですね♪」
俺の言葉を遮ると、伊吹はその服が畳んである棚に向かった。
「それじゃあちょっと待っててください。これを買ってきますので」
「ホントにそれでいいのか? こう言っちゃなんだが、どれも良かったと思うぞ?」
「いいんです。今日はヒッピーさんの好みが知りたかったので♪ それじゃあ行ってきま~す」
「ちょっと待て」
「? どうしたんですか?」
俺が選んだ服を持ってレジに行こうとした伊吹を引き留める。
「それを貸せ。俺が買ってくるから」
「ホントですかぁ!?」
伊吹が眩しい笑顔を浮かべる。
「まぁ、なんだ。公演をちゃんと成功させたし、そのご褒美としてな」
「わぁい! ヒッピーさん大好き♪」
「はいはい……。んじゃちょっと待ってろ」
まぁやる気を持続させるためにはちゃんと飴をやっとかないとな。伊吹が求める大人のデートとやらは出来ないわけだし。
「えへへ♪ ヒッピーさんありがとうございます! 大事にしますね」
「おう、そうしてくれ」
伊吹は俺が買った服が入った袋を嬉しそうに抱えている。そこまで喜んでもらえると自腹切ったかいがあるというものだ。
何となしに道を歩いていると、伊吹が俺の袖をちょこんと摘まんできた。
「ちょっとお腹すきませんか?」
「ん? まぁそうだな。何か食べたいものとかあるか?」
「う~ん。ホントはお洒落なレストランとか行ってみたいですけど……」
「そんなの俺は知らん。ミリPさんとかこのみさんとかに聞いてくれ」
「分かってますよ~。それじゃあ、お肉が食べたいです!」
「肉ねぇ……」
結構高めな女性服を買った後だしあんまり高いところは無理だな。焼肉屋のランチメニューを狙うという手もあるが、生憎俺はこの周辺の焼肉屋に詳しくない。そうなると取れる選択肢は……
「はぁ、やっぱりこうなるんですね」
「いやいいだろ。ちゃんとステーキもあるしドリンクバーもあってゆっくりできるし」
俺たちはとあるレストランが入った建物の前まで来た。そう、我らの味方、サイゼリアである。
「でも、ここに来たのこれで4回目くらいじゃないですかぁ。さすがに飽きちゃいますよ~」
「何を言ってる。サイゼリアのグランドメニューにはステーキを含めて10種類もの肉料理が存在する。つまりお前はまだ半分も味わっていないことになる。そんなことではサイゼリアンは名乗れないぞ」
「いや、そもそも名乗るつもりないです……」
そんなこんなでサイゼリアに入店した。伊吹は焼肉とハンバーグの盛合せとラージライス、俺はミラノ風ドリアと若鶏のグリルを注文した。ちょっとこの後伊吹と話したいこともあるしドリンクバーも合わせてある。
互いにドリンクバーで注いできた飲み物を飲んでいると注文した料理がやってきた。最初は不満げな表情をしていた伊吹も目の前の肉料理を美味しそうに食べている。
「あ~んっ♡ お~いし~! お肉大好き!」
……肉を食べるときの表情とかが色っぽいな……。そういった意味ではグルメ番組とかありかもしれない。
そんな伊吹を尻目にミラノ風ドリアを食べる。ふむ、相変わらずの美味しさである。それでいてなんとたったの299円! 人気No.1であるのもうなずける。
ドリアと並行して若鶏のグリルを食べていると、ふと伊吹の視線を感じた。
「どうかしたのか?」
「あっ、いや、何でもないです!」
「? もしかしてこれ食べたいのか?」
「えぇと……」
「別にいいぞ。ほれ、適当に切って取ってけ」
「ありがとうございま~す。……あっ!」
俺のプレートから鶏肉を取ろうとしていた伊吹はふとその手を止めた。
「折角だから、ヒッピーさんに食べさせてほしいなぁ」
「えっ!?」
「だから、あ~んってしてほしいなぁ。……ダメぇ?」
伊吹は少し首を傾げて俺を下から覗き込み、甘えた表情でそう言った。
だが、生憎相手はぼっちで理性の化け物と呼ばれ、あざとい後輩から鍛え抜かれた俺である。
「……今回だけだぞ」
伊吹の『ダメぇ?』には勝てなかったよ……
「はぁ~い♪ それじゃあ、あ~ん」
恥ずかしすぎてどうにかなってしまいそうだったので、早急に鶏肉の一切れを伊吹の口の中に入れる。中学生とは思えない色っぽさだな……
「ん~♪ おいし~! ありがとうございます♪」
「……おう」
伊吹の顔を直視できないっ!
そんなこんなでひと悶着あり、今はお互い食事を終えてドリンクを飲んでいる。
「そういえばヒッピーさん、昨日劇場で何かあったんですか?」
「いっ、いきなりどうしたんだ?」
「昨日静香ちゃんと電話したときにそんな感じのことを言ってたんですよ。でも、直ぐに別の話題になっちゃったんですよね~」
「……いつも通りだったぞ。まぁ最上に何かあったのかもしれんが」
「ふ~ん、それじゃあ帰ってから聞いてみよ♪」
「そうしてくれ。……この後だが、ライブハウスに行ってもいいか?」
「ライブハウス? ヒッピーさんと?」
「いや確かに言いたいことは分かる。俺がライブハウスとか似合わないにもほどがあるとか俺も強く思うし」
「あはは……」
「まぁ今日はちょっとわけがあってな。いいか?」
「いいですよ~」
「それじゃあ、ちょっとこの曲を聞いてくれ」
伊吹の了承が得られた俺は音楽プレーヤーを差し出した。
「ヒッピーさん、これは?」
「この後お前が聞く予定の曲の一つだな。」
「はぁ」
伊吹は俺が差し出したプレーヤーのイヤホンを耳に当て、音楽を再生する。
「あっ、この声ジュリアーノだ!」
そう、これから行くライブハウスではジュリアのライブを見てもらうつもりなのである。
「やっぱりジュリアーノってかっこいいですよね~。……あれ?」
曲を聴いてると、どうやら伊吹が違和感に気づいたようだ。
「演奏してる人、こう言うのもなんですけど下手じゃないですか? なんか少しずれてる気がする……」
「まぁそうだな。練習時間の都合もあったんじゃないか?」
「ふ~ん」
しばらくして伊吹がイヤホンを耳から外した。
「やっぱりジュリアーノの歌はいいですよね! 演奏が上手かったらもっといいのにもったいないな~」
「……まぁそう言うな。それじゃあ行くぞ」
「はぁ~い」
さて、いよいよか。
*
サイゼリアで食事を終えたわたしたちはとあるライブハウスに向かった。
ヒッピーさんは何か用事があるらしくて一緒に観ることは出来ないらしい。ライブが終わった後の待ち合わせ場所を決めてさっさと行ってしまった。
もぅ、せっかくのデートなのに! 途中まではお洋服買ってくれたし、ごはんもご馳走してくれたし、それにあ~んってしてくれたのになぁ……
それに、なんかここ最近ヒッピーさん用事ばっかりで一緒にいてくれないし!
あ~あ、この前のライブから上手くいかないなぁ。ボイトレの先生からはいつもよく分かんないこと言ってくるし。歌うたびに前と違うって言うけど、その時その時でこれだ!って思うのが変わっちゃうんだもん。ライブの時はそれで上手くいったんだし、それでいいじゃん。
ふと思い出した嫌なことを忘れようと、わたしはヒッピーさんから借りた曲をまた聞いてみることにした。
うん、やっぱり微妙な感じ。どうしても演奏の下手さが気になっちゃう。ジュリアーノももっと上手い人に頼めば良かったのに。さずがに今日は他の人が演奏するんだよね?
それからしばらくするとアナウンスが流れ始めた。最初はジュリアーノの番かららしい。ところで、アナウンスにあった新メンバーのハチって誰なんだろう?
アナウンスが終わるとステージがライトに照らされた。その真ん中にはジュリアーノがカッコよく立っている。お客さんもそのカッコよさに歓声を上げている。
でも、わたしの視線はジュリアーノじゃなく、ステージの端の方に惹きつけられていた。
魚のような目はサングラスで隠れているから分からないけど、あのアホ毛や気ダル気な雰囲気は隠せていない。
そこには楽器を構えたヒッピーさんがいた。
今回でpixivにあった分を全て投稿しました。
そのため更新頻度が落ちます。
目指すぞ、週一更新
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⑦ 真っ直ぐに、ジュリアはその想いを手伝う。
キャラも増えてきたしキャラ崩壊してないか不安……
~4月の定期公演会の翌日~
昨日の盛り上がりを踏まえ、急遽伊吹のCD発売を早めることになった。
それ自体は喜ばしいことである。しかし、伊吹のレコーディングに向けて一つ大きな懸念がある。
―おい誰だ、レッスンのやる気とか懸念しかないだろとか思ったやつ。
……それはひとまず置いといて。大きな懸念、それは同じ曲であってもライブとCDとでは印象が大きく異なることに伊吹が気づいているかどうかだ。
まだ伊吹に確認を取ったわけではないが、十中八九、ライブの感覚のままレコーディングしようとするだろう。これまでのレッスンを見てきた限りでも感覚に委ねる部分が多かった。幸いにもその結果魅力的なパフォーマンスになったのだが、その場の雰囲気も重要なライブと違い、CDでは音ズレなどが目立ってしまう。要は感覚派の伊吹にとってレコーディングは苦手になる可能性が高いのだ。
そこで俺はとある人物に協力をお願いしようと思っていた。ミリPさんによると今日の仕事は既に終わっており、恐らく楽屋にいるだろうとのこと。
しばらく歩き楽屋の扉の前に立つ。リハーサルでの俺の件については伊吹が周りに何か言ったため悪評にはならなかったが、それでも良く思っていない人は一定数いるのだ。これから会うやつがそのうちの一人かどうかは分からないが少し緊張する。
そもそもこれまで人とほとんどかかわったことがないため、誰かに頼みごとをする時点で緊張しているのだが。
一息つき、心を引き締めて楽屋の扉を開いた。
公演の翌日ということもあってか、楽屋には目的の人物しかいなかった。これは多人数が苦手な俺にとってありがたいな。
「んっ? ハチじゃないか。どうかしたのか?」
「おう、お疲れさん。ちょっとお前に相談があってな」
「あたしに相談? まぁ力になれるかは分からないけど、とりあえず話してくれるか?」
そう、相談相手は765プロでは珍しい、765プロ以外でのライブ経験者、ジュリアである。
「なるほど。要はあたしのライブを翼に見せて、聴く側の感覚を養いたいってことだな?」
「理解が早くて助かる。レコーディングまでの時間を考えると、次の公演や765PRO ALLSTARSのライブまで待つ余裕が無くてな。」
「確かにそうだな。まぁあたしが次にライブするのは来週の日曜だからそれに翼を誘えばいいと思うけど……。ハチの思惑通りにするには演奏はあえて下手にしないといけないってことになるんじゃないか?」
「そこが問題なんだよなぁ……」
既にジュリアは上京してから知り合ったメンバーとCDを出している。それを聞く限り、メンバーの実力はプロの一歩手前レベル。CDでも十分聞き入ってしまうため、単純に彼女のライブを観にいくだけでは伊吹が問題点に気づくことはないだろう。とはいえ、わざと下手に演奏してもらうってのはなぁ……
「それなら、いっそのこと次のライブではハチが演奏してみるってのはどうだ? 確かギターに触ったことがあるって言ってたよな?」
「……はい?」
「だから、ハチが演奏したやつの音源とライブを伊吹に聴いてもらえばいいんじゃないか? まぁライブで盛り上げる必要はあるが、そこはあたしが何とかしてみせるよ」
「……悪いがそれは却下だ。俺の場合は本当にギターを触ったことがある程度、コードの種類をいくつか覚えたぐらいだ。人前で弾けるレベルじゃない」
なんであの時の俺はギターが弾ければモテると思ったんだろう……
「それでも素人よりは幾分マシだろ? 一週間とはいえみっちり練習すればリードギターならそれっぽくなるかもしれない。あたしも手伝うからさ」
「そう言ってもだな……」
「それじゃあ、ハチは他にいい案があるのか?」
「いや、他の案があるわけじゃないけど……」
「それじゃあ決まりだな。善は急げだ、さっそく練習始めようぜ!」
「えぇ……」
結局、ジュリアの勢いに押されて俺が演奏することになってしまった。それ以降、空いた時間は自主練したりジュリアに教えてもらったりした。予定外のことだったが、決まったからにはちゃんとやらないといけないしな。その甲斐あって、拙いところは残ってしまっているがなんとか形に持っていくことが出来た。ちなみに、感覚派だと思っていたジュリアが、実は意外と丁寧で教え方が上手くびっくりした。
数日後、俺とジュリア以外のメンバーも入れて合わせることになった。どうやらジュリアとバンドを組んでるわけではないが、時々一緒に演奏したりしているとのこと。急なことであったにも関わらず、事情を説明したら皆乗り気になってくれた。何故そこまでしてくれるのかとジュリアに尋ねた所、『たとえバイトであっても、ギターが素人よりはマシな程度でも、一度始めたらそれを貫き通そうとするハチの姿勢に惹かれたんだ。他の皆もそうだってよ』と真正面から言われてしまった。そんな大層なものでもないんだが……。初志貫徹してるものといったら専業主夫志望というとこだけだしな。
そして伊吹を誘う前日である土曜日、ジュリアの伝手があるスタジオでレコーディングを済ませて音楽データを無事入手した。改めて聞いてみるとやっぱり俺の下手さが気になるな……。俺以外は実力者であるだけに惜しいものになってしまった。
明日に向けて今日は休みますか……と思っていると、ジュリアが俺に近づいてきた。
「それじゃあハチ、これからもう一発かましてやろうぜ!」
「えっ? 今から?」
「あぁ。あたし達は慣れてるからいいけど、ハチは人前で演奏するの初めてだろ? だから雰囲気に呑まれないようにしないとな」
「なるほど……。言ってることは理に適ってるが、どこでやるんだ? 正直今の俺の実力だと色々厳しいと思うんだが」
まぁその拙い状態で明日ライブするつもりなんだけどね。考えるとやっぱりやめた方がいい気がしてきた……
「大丈夫、客からお金をとるようなところじゃないしな」
「えっ、まさか路上ライブ?」
「まぁそれでもいいんだが……。今日は別の場所だよ」
そう言ってジュリアはニヤリと笑った。
「あたし達のホーム、765プロライブシアターだよ」
そんなこんなで、俺たちは劇場のステージで演奏準備をしていた。なお、ジュリアのバンド仲間の中で時間がある人も一緒に来てくれている。
どうやらジュリアがアイドル達に声をかけていたらしく、客席にはレッスン終わりの人も含めて20人くらい集まっていた。俺が演奏するというのは予め聞いていたのか、もの珍しそうにしている。
「ステージからの景色はどうだ?」
慣れない景色にそわそわしていた俺にジュリアが話しかける。
「すっげぇ落ち着かない。たかが数十人でこれなのに、もっと多くの観客の前で歌ったりできる皆って凄いんだな」
俺がそういうとジュリアが小さく笑った。
「最初は誰だってそんなもんさ。この一度で慣れるとは思わないけど、多少はマシになるよ」
ジュリアの言う通りである。ホントに明日いきなり本番とかじゃなくて良かった。数十人でこれなのだ。いきなり明日演奏することになったらどうなることやら。
「ハチ、心の準備は出来たか?」
「正直今すぐ帰りたいが……まぁやるだけやってみるわ」
「全く……」
苦笑するジュリア。
「それじゃあ、始めようか」
そうして、俺の初ステージが幕を上げた。
*
~日曜日・ライブハウス~
昨日劇場で一回やっといて良かったなぁ……
そう思いながら、サングラス越しに観客の方を見ていた。
もしいきなりこの場に立たされたら頭の中が真っ白になったりしていただろう。流石にあの一回だけでこの雰囲気に慣れることはなくしっかり緊張はしているが、周りの音はちゃんと聞こえるし、頭の中もはっきりしている。
ふと端の方に見慣れたアホ毛を見かけた。その張本人である伊吹は俺の方を驚いた顔をしている。サングラスを掛けているからばれずに済むかなっと思っていたのだが。
「そろそろだが……準備はいいか、ハチ?」
「まぁ緊張はしているが……どっかの誰かが荒療治してくれたおかげで何とかなりそうだ」
「そりゃ良かった。……分かっていると思うが、今までのことは全て前座だ。これから翼の心に残るような演奏をしないと意味がない」
「何で直前にプレッシャーを掛けてくるんですかねぇ……」
こっちはまだ二回目のステージだって言うのにこいつは……
「ははっ。雰囲気もいつものハチだし大丈夫そうだな。まぁ変に気張ろうとせずにいつも通りにすれば十分だ。まぁそれが難しいんだけどな」
そう言ってジュリアは笑った。もしかして彼女なりに緊張をほぐそうとしてくれたのか?
俺との話が終わったのか、ジュリアはステージの真ん中に向かった。他のメンバーを見渡すと、全員準備が完了しているらしい。
そうして、俺たちのライブが始まった。
「ヒッピーさん、カッコよかったです!」
「そりゃどうも……」
ライブが終わってから、俺と伊吹は近くのカフェに来ていた。
結局、ジュリアや他のメンバーのおかげでライブは何とか無事に済ませることが出来た。最初は俺を除くメンバーで一曲歌うことで場を盛り上げ、続く曲での俺の技量をうやむやにしたのだ。その場の空気ってマジで大事なんだなって実感した瞬間だった。まぁ俺が演奏する前にジュリアが
『実はハチは一週間前までギター初心者だったんだ。だけど、とある人に想いを届けたいって練習して今この場に立ってる。お世辞にも上手いとは言えないが……皆、ハチの想いを聞いてやってほしい』
なんてことを言ったせいもあるのだろうけど。あれは正直今日一番恥ずかしかった……。ライブの後、客からは他の曲も聞きたいだとか、メンバー達からはもう一度一緒に演奏しようだとか誘われてしまったしな。
「まさかヒッピーさんがわたしに想いを届けるためにギター弾いてくれるなんて、ビックリしました♪」
「全部間違っているわけじゃないが、あれはジュリアが勝手に盛り上がるように言い回しを変えただけだ。そんな熱いもんじゃない」
「む~。それじゃあヒッピーさんは何でギター弾いたんですか?」
「簡単に言うとだな、CDとライブの違いを実感として知ってほしかったんだよ。」
そう言うと伊吹は首を傾げる。もしやこいつ、この前俺が言ったことを覚えてないな?
「翼、正直に言ってほしいんだが、俺が参加したライブはどうだった?」
「とっても良かったです! 目も隠れてヒッピーさんが別人みたいでカッコよかったし!」
「そ、そうか……」
図らずも中学生の頃の目標は達成されたようだ。そうか、あの時の俺に足りないのはサングラスだったのか……
「んじゃあちょっと話を戻すが、サイゼで聴いた時はどうだった?」
「えっ?」
伊吹は一瞬きょとんとすると俺から視線を逸らした。
「う~ん……。ちょっと言いにくいですけど、イマイチって感じちゃいました。もしかして……」
「あぁ、あの音源は今日と同じメンバーで取ったものだ」
「やっぱり……」
「おそらく、翼が違和感を感じたのは俺が下手だったからだろう。つまりだな、ライブだとその場の雰囲気やらなんやらで目立たなくなるすることも出来なくないが、音源だけだとその音以外が一切無くなるからどうしようもないんだ。今回のライブだって、ジュリアや他のメンバーが場を温めてくれたからそれっぽくなっただけだ」
「そういうものなんですね~」
「この前お前言ってたよな? ライブと同じ感じでレコーディングしたらダメなんですか?って。その答えがそれだよ」
「なるほど……。って、それわたしの歌が下手ってことですか!?」
「お、落ち着け、そういう意味じゃない。より極端な方が分かりやすいと思って今回は素人同然の俺がやっただけだ。……俺はお前の歌声が結構好きだぞ」
「えへへ~」
最後の方は気恥ずかしくて小さく言ったのだが、伊吹には聞こえていたらしい。
「だけど、今回はボイトレの先生の指示に従ってやった方が無難だ。なんたってその道のプロなんだから。まぁお前はお前でもっといいと思う歌い方があるだろうが、そういったのはライブに取っとけ。そっちのほうがスペシャルな感じがするだろ。多分」
「言われるとそっちの方がいいかもですね……」
そう言って伊吹は考え込むような仕草をする。伊吹の方でも思うところが出来たのだろう。
どうやら、一応今回の作戦は成功したようだ。そういった実感のあるなしではレコーディングの姿勢が大きく変わるだろうし、上手くいってほしいものだな。
*
俺のライブから一週間後、伊吹のCD発売日である。俺はショップで購入してきた伊吹のCDをもって劇場の事務所にいた。
ライブの後だが、結局レッスンとレコーディングには悪戦苦闘することになったものの無事に終えることが出来た。
レッスン中では、先生から言われたことを伊吹は伊吹で分からないなりになんとか理解しようと頑張っていた。
レコーディングでも、同じ曲の繰り返しだったため飽きやすい伊吹のモチベーションを保つのに苦労した。(あれ、これ俺の方じゃね?) それに初めてのレコーディングだったため色んなことを業者から言われたりして混乱していたようだった。一度休憩を取り、いっそ一回だけいつも通り歌ってみろ、と言ったところどうやらノって来たらしくその後すんなりOKとなった。
「おつかれさまで~す!」
数時間仕事をしていると、伊吹が事務所の方へやってきた。何故かここ最近頻繁に事務所にやってくるようになっている。
扉をくぐった伊吹はそのまま俺のところにやってきた。
「ヒッピーさん、わたしのCDどうでしたか~? ……って、まだ開けてないじゃないですか~!? わたしのプロデューサーなんですから早く聞いてください!」
そう言って俺の机の上にある未開封のCDを指さした。
その言葉を聞いて青羽さんがこちらにやってきた。
「あれ? 比企谷くんは翼ちゃんのCD既に持ってませんでしたっけ? デモ用の」
「えっ?」
あっ、ちょっと止めて青羽さん。
「どういうことですか?」
「デモ用のCDはレコーディングが終わって直ぐ出来るんですよ。それでこちらには二枚届いたんです。一枚は事務所に保管しているんですけど、もう一枚は比企谷さんが持ってますね。わざわざミリPさんや社長にお願いして」
……。今日はもう帰ろう。残りの仕事は明日の俺に任せる。
そう考えて戦略的撤退をしようとした俺の前に伊吹が立ちふさがった。
「ねぇ、ヒッピーさん」
「な、なんだ?」
「わたしのCD、そんなに待ちきれなかったですか?」
「……」
「そうですか。待ちきれなかったんですね♪」
「いや、何も言ってないだろ」
「それじゃあ、なんでデモCD持ってるんですか~?」
「いやそれは、そのだな……。そう、レコーディングで付き添ったのは俺だけだったからな。初めてで不安だったんだ」
「あれ? 比企谷さんは伊吹ちゃんの曲をプレーヤーに入れてるんじゃないんですか? 時々それっぽいリズム取ってますし」
ここでまさかの青羽さんからの横槍が入る。
「えへへ~、やっぱり待ちきれなかったんですね♪ それで、わたしの歌はどうでしたか?」
「……。まぁ良かったんじゃねえの? ライブと違ってちゃんと丁寧さが出てたし。」
そう、レコーディングでノっていたようだが、ちゃんとレッスン中に言われたことは意識していたのだ。ライブのようにアレンジを入れたりするのもいいが、やはりCDで聞く分にはこっちの方がいいだろう。
「それはだって……」
そう言うと、伊吹は体を少し傾け、人差し指を口に近づけてあざとくウインクする。
「どこかの誰かさんから、大きい想いを受け取っちゃいましたから♪」
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⑧ がむしゃらに、最上静香は追いつこうとする。
いつのまにか昼間は少し汗ばむようになったとある日の午前中、俺は五月の公演に向けたミーティングに参加していた。メンバーはミリPさん、このみさん、田中、島原、まつり、そしてなぜかいる伊吹。
今日の議題は、立ち上げて数カ月経ったシアター組の知名度の更なる向上に向けてである。
「これまでは公演の度に新曲を出していたが、それだけでは知名度の飛躍的な向上は難しいと思う。というわけで、皆の意見を聞いてみたい」
「はいは~い! ライブをもっと盛り上げればいいとおもいま~す! この前のでファンもたくさん増えたみたいだし!」
「うんうん! 盛り上がったライブが一番だヨ!」
元気に手を上げて意見を言う伊吹とそれに同意する皆で騒ぐのが好きな島原。
「二人は少し勘違いしてるかもしれないが、これまでのライブを蔑ろにするわけじゃない。むしろライブを盛り上げるのは大前提だ。ただ、それだけだと今までと同じ層にしか刺さらず知名度は徐々にしか上がっていかない。てなわけで、今回は新たな層を狙っていく必要がある……ってことですよね? ミリPさん」
「比木谷くんの言う通りだ。そんなわけで、皆にはもっと自由な意見を出してほしいかな」
「姫のお城をもっとごーじゃす!にするのです?」
「シアターの施設関係は予算がなぁ……」
「プロデューサー、それじゃあー」
もともとマイペースな人が多いメンバーだったため色々な案が浮かんでいく。まずはアイディア出しというわけで、とりあえず出てきた案は書記である(?)このみさんがホワイトボードに書き込んでいく。……ホワイトボードの上側は真っ白だけど書記の人選間違ってないですかねぇ
「う~ん……。無理そうなのを除くと、何だか既にやったようなことばかりになってくるわね」
一通り案が出尽くした後のホワイトボードを見て、このみさんが呟く。まぁアイドルだって歴史が短いわけではないのだから被らないようにするのも難しいだろう。そのそも765PRO ALLSTARSの妹分としてシアター組が始動したのだ。その中で独自性を求めるのも酷かもしれん。んじゃあいっそのこと……
「あの、ちょっといいですか?」
「どうかしたのか、比企谷くん?」
「765PRO ALLSTARSの曲をカバーするのはどうですかね? 同じ事務所ですし問題にはならないでしょう」
「なるほど、初めからカバーだと公言すれば……」
「はいは~い! わたしはミキ先輩の曲歌いたいです!」
「それなら、アダルティな私にはあずさちゃんの曲が似合うわね」
「ワタシは、たくさんの曲を歌ってみたいカナ♪」
思っていた以上にアイドルたちもカバーに好意的である。
そのまま俺の案が採用になってしまい、その後は誰がどの歌を担当するのかに議題が移った。
「うん、おおよそ決まってきたかな。それじゃあ五月の公演は新企画としてカバーチャレンジを入れてみようと思う。今日のミーティングは以上だ。先輩達の曲になるが、君たちのらしさも出してほしい。難しいと思うが頑張ってくれ!」
「きっと成功させてみせます!」
「ワタシ、お昼はカツ丼がいいナ♬ コトハは何にする?」
ミリPさんの言葉に反応する田中と出前やさんのメニューを見ている島原。この正反対な二人と所との三人の中がいいのだから不思議だ。
それはともかく、こうして5月の定期公演会の新企画が決定したのだった。
*
今回の新企画で伊吹は最上と一緒に"GO MY WAY!!"をカバーすることになった。早速先ずはDVDを使ってダンスレッスンを開始したわけだが……
「ヒッピーさん、わたしのダンスどうでしたか~?」
「正直、最初のレッスンとは思えんな」
「えへへ~♪」
流石伊吹と言うべきか、始めてとは思えないほどのパフォーマンスだった。伊吹のダンスを見ていた最上は目を見開き、伊吹のあとに765プロに所属した最上と同じ中学である春日は呆気に取られている。
「ただ、アレンジを入れすぎだ。水瀬達のを完璧に真似しろとは言わんが、そこまで違ってると合わせる最上の負担がでかすぎる」
「えぇ~! でもこっちの方が良くないですか?」
「一人がよくても合ってなければ総合的に評価は落ちる。だから今回は止めとけ」
それに、只でさえ時間が無いのだから真面目な最上が無理をしかねない。今回は水瀬達のをベースにすべきだろう。
「すいません」
そう俺が考えていると、ふと最上が手を上げた。
「私は翼のダンスの方がいいと思います」
「さっすが静香ちゃん! ほらほら、静香ちゃんもそう言ってますし!」
「……いや、今回は伊吹の案はダメだ」
「比木谷さん、翼のダンスと水瀬さん達のダンス、どちらの方が今回の公演の目的にに合ってると思いますか?」
「……」
なかなか痛いところを突くな。今回の公演はコピーではなくカバーだ。その中にはミリPさんが言ったように二人のらしさがある方が好ましい。
「より良い方が分かっているなら、それに取り組むべきでは無いのですか?」
「最上にはマリオネットもあるんだぞ。時間が足りん。プロであるなら無茶をせず完成度を高める方に力を入れるべきだ」
「出来ることがあるなら最大限尽くすべきです。大丈夫です、私の心配は要りません」
本当、俺には眩しいくらい真っ直ぐな目をしている。
「……分かった。最上もそう言うのならその方向でいってみよう。ただ、無理そうなら直ぐに軌道修正をするからな」
レッスンルームの使用状況は事務所の方で管理している。もし無茶をしてそうなら無理やりにでもレッスンを辞めさせれば大丈夫だろう。
「んじゃ、もうすぐ19時になるしそろそろ今日は終わりにするか」
「はぁ~い、それじゃあわたし帰りますね! 」
そう言ってさっさと帰り支度を始める伊吹。
「比木谷さん、もう少し残って自主連してもいいですか?」
「……最上、俺が言ったことを理解してるか?」
「はい。ただ、もう少しだけ確認したいんです。」
「分かった。ただし、居残りは今日だけだぞ」
その一方で、遅くまでレッスンを続けようとする最上。
その姿は、俺が高校2年時の文化祭の彼女と重なってみえた。
その後、案の定最上はレッスンルームの使用延長を数度お願いしてきた。
気持ちは分からなくもない。ダンスに関して伊吹は天才的といっても過言ではない。その横に立とうというのだから、自分との差が嫌というほど見せつけられてしまう。アイドルに対して真摯である最上はそれが許せないのだろう。
だが、そうは言っても最上が倒れてしまっては元も子もない。最上からどれだけ冷たい視線が向けられようとも、俺は最上の延長を許可しなかった。
*
5月の定期公演会当日。
劇場の入り口には島原、田中、まつり、このみさんの四人が写り、765プロカバーチャレンジと銘打たれたポスターが大きく掲げられている。765PRO ALLSTARSの曲を新しいメンバーが歌うということで少なくない話題を呼んでいた。
今回、高坂・木下・豊川達は売り子の方、ジュリア・舞浜・大神達は音響の方に回ってもらっている。
現在は当日のリハーサルということで伊吹と最上がステージで踊っている。短い期間であったにも関わらず、完ぺきではないものの最上は伊吹のダンスに付いていっている。ただ、表情がすぐれず動きのキレが鈍いように見えるのが気になるが……
「はい最上さん伊吹さんリハオッケーです、着替えてメイクよろしくー」
「ありがとうございま~す♪」
そうこうしているうちに舞台スタッフが二人のリハーサルの終了を告げた。伊吹はそれに元気に答えているが、最上は少し俯いている。
そしてー
次の瞬間、最上がステージに倒れ込んだ。
最上がステージで倒れ込んでから、急遽俺は社用車で最上を病院に連れて行った。
診断の結果、倒れた原因は発熱とこれまでの疲れの蓄積によるものとのこと。劇場以外の開けた所で春日と自主練を長時間やっていたらしい。このまま、今日のところは入院することになった。
最上の急変に対する各部調整はミリPさんがやってくれている。マリオネットは代わりに望月がすることになったらしい。そして……
「GO MY WAY!!を春日が、ですか……」
『あぁ、静香と一緒に練習していたし、今回の目玉の一つだ。翼やまつり、美奈子の賛成もあってそうすることにした』
「分かりました。報告ありがとうございます」
ミリPさんとの通話を終える。どうやら最上の抜けた穴はどうにかなったらしい。このことを最上に伝えたいのだが……
当の彼女は待合室のソファーで手を握りしめている。これまでの頑張りが気泡と化したのだ。その悔しさはとびきりだろう。
「最上」
試しに声をかけてみるが、反応はない。
「まぁ聞くだけでいい。ユニット曲だが、マリオネットは望月が、GO MY WAY!!は春日が代わりに出てくれることになった。だからしばらくはゆっくり休め」
春日の名前が出た瞬間、最上がピクッと反応した。
入院について病院スタッフに呼ばれたのでそちらの方に向かう間際、ふと振り返ると最上は携帯で何かを打ち込んでいた。
最上の入院手続きが完了してから劇場の戻ると、ちょうど春日と伊吹の出番が始まる直前であった。
春日は登場した直後に既に入っているマイクに翻弄されたり、ダンスも未熟だったりと正直なところまだステージに立つレベルではなかった。
だが、一番の問題はそこではない。未熟な点はまだ初めてということで観客も受け入れるかもしれない。現に、春日のアホっぽい可愛さに応援の声を出してくれる人もちらほらいる。
一番の問題は、観客の方ではなく、春日の方にある。
客席の方を見渡してみると、最上に関連したTシャツを着ている人やうちわを持っている人達は総じて不満そうな顔をしている。彼らは最上が見たくて今日の公演に来てくれたのだ。当の本人がいるはずのところに全くの別人がいるのだから、その反応も当然である。
伊吹に連れられてステージの前の方に移動した春日にもその人達が見えているだろう。そんな歓迎されていない雰囲気もある中で、初めてこのステージに立つ春日は曲を歌いきれるのだろうか。
もうすぐで本来は最上の、そして今は春日のソロパートが始まる。
すると、観客を見渡した春日は一旦目を閉じてー
目を開くと優しく微笑み、まるで誰かと背中合わせをしているかのようにして歌いだした。
その瞬間、今まで不満そうな顔をしていた人たちが急に立ち上がり、周りに合わせてペンライトを振り出す。
ダンスも歌も未熟で、ステージの経験も学校程度しかないはずの春日は、客席の不満げな空気を一瞬で払拭したのだった。
最上の急変という大きなアクシデントがあったものの、5月の定期公演会はなんとか無事に終えることが出来た。
加えて、春日の新しい可能性を感じることが出来たという意味では非常に大きな収穫があったともいえる。当の春日はアイドルから抱き着かれたりと楽しそうにしており、ミリPさん含めて皆笑顔である。
だが、この成功によって最上が春日に抱いてしまうとある感情。
それを思うと、どうにも嫌な予感が拭えなかった。
ライブ描写が残念なことになってますがご容赦ください。
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⑨ いつだって、馬場このみは見てくれている。
ゲッサン版の第7話から第10話に相当する話となります。
中学校の文化祭という都合上、今回は最年長セクシー()アイドルに頑張ってもらいました。
5月の定期公演会から数日が経った。
公演会が終わってから数日間、劇場内での話題は専ら春日のことであった。最上の突然の体調不良によって急遽初めてのステージに立つことになった春日。確かにダンスなどの完成度は低かったが、それでありながらも春日を歓迎していなかった人をも巻き込んだステージ。ほとんどの人が春日のことを褒め称えた。
一方で、最上の体調の方も多くの人が心配していた。定期公演会後には皆の写真にメッセージを添えて送っていたし、箱崎や二階堂さんはお見舞いに行ったようだし。
そして今日は久しぶりに最上が劇場にやってくる日である。様子を見に楽屋まで行ってみたが、当の最上はいなかった。
伊吹によると、最上は時々劇場近くにある施設でテニスをしているからもしかしたらそうしてるかもとのこと。誰にも言えないもやを晴らすために身体を動かしているかと思ってやってきていると、壁打ちをしている最上がいた。どうやら正解だったようだ。
「病み上がりにそんな飛ばして大丈夫か?」
俺の言葉に、最上は壁打ちを中断して俺の方を振り返る。
「比企谷さん……。何か私に用事があるんですか?」
「いや、特には。久しぶりに体を動かしたくなってな。最上が良かったら、俺と乱打でもしないか?」
「えっ? 私は構いませんが……。比企谷さん、テニス出来るんですか?」
「今でも、高校の頃からの友達とたまにするぞ」
「比企谷さんに、友達!?」
いや、俺にも友達いるぞ。戸塚とか天使とかトツカエルとかな。
20分ほど乱打をしていると、最上の動きが鈍くなってきた。そこで自販機のベンチで休憩することにする。
「スポーツドリンクでいいか?」
「ハァハァ……。ありがとうございます。比企谷さん、結構体力あるんですね」
「まぁたまにランニングしたりしてるからな」
「え!? 意外です!」
まぁ、ランニング始めたの大学に上がってからだし。以前戸塚とテニスやったときに体力不足を実感してなぁ……。折角ならずっと戸塚と打ち合っていたいし。
お互いに飲み物を飲んで静かな時間が流れる。そうしていると最上がうつむいた。
「比企谷さん……。この前はすいませんでした」
「ん? あぁあれか。……まぁ、なんだ。今後は練習も程ほどにな」
必死に練習して、結局その場に立てない悔しい思いをしたのだ。これ以上何かを言うのは酷だろう。
「結局、私のせいで皆には迷惑をかけて……」
「まぁそこは否定しないな。特に伊吹と春日には。二人とはちゃんと話したのか?」
「翼とは話したのですが……」
春日とはまだと言うわけか。仲も良かったようだし、祝福したい気持ちと妬ましい気持ちが混ざっててどう接したらいいのか分からないのだろう。
「まぁ謝罪でもデビューおめでとうでもいい。ちゃんと話しとくんだな」
「はい、分かっています」
そう言う最上は、暗い顔をしたままだった。
その後劇場に戻る途中で北沢とすれ違ったが、北沢は北沢で最上に何か言いたいことでもあるのだろうか? まぁどうでもいいけど。
最上と乱打をしてから、数日後。
周りから見て明らかに春日と最上の仲が悪くなっていた。さっきなんか所用で楽屋に行ったとき、同じ部屋にいた横山が二人を気にしすぎて雑誌を上下逆で読んでいたし。
その日の午後、飲み物を買いに自販機に行くと近くのベンチで気を落としている春日を見つけた。 あまり俺には向いていないが、ほっとくわけにもいかないよなぁ……。
「どうかしたのか?」
「あっ、比企谷さん。ええっと……。静香ちゃんに嫌われちゃって……」
「どういうことだ?」
「明後日の文化祭で私が歌うことになったんですけど、静香ちゃんと一緒に歌いたいって言ったんです。そしたら、断られちゃって……。多分、この前のライブが酷かったから一緒に歌いたくないんだと思うんです。静香ちゃん、アイドルに一生懸命だから……」
うまい具合にすれ違ってるなぁ。―まるで生徒会選挙の時の俺たちみたいに― このままほっといたら、この掛け違いが致命的になるかもしれない。
「まぁ、ただの俺の勘だが……。多分理由は他のところにあると思うぞ」
「……そうじゃないなら、私のこと嫌いになったのでしょうか……」
「多分だが、それも多分違うと思うぞ」
「えっ? う~ん……」
「例えばだが、春日が出るはずだったライブに、最上が出ることになったらどう思うか?」
「どうって……。私の分まで頑張ってって思います!」
「そうか……。多分だが、春日には最上の考えが理解できないかもしれない」
「……似たようなこと、志保にも言われました。一生分からないかもって。そんなの……嫌です」
「所詮、春日と最上は他者なんだ。たとえどれだけ言葉を交わそうが、理解できないことはどうしようもなくあると思うぞ」
「それでも……。私は静香ちゃんとちゃんと話したい。もっと、ちゃんと。それでも分からないかもしれないけど、今のままじゃ、やです」
さっきまで俯いていた様子と違い、その目には強い意志が宿っていた。
「そうか……。ならその春日の考えをちゃんと最上に伝えないとな。伝えることで壊れるものがあるかもしれんが……それでもお前はそうしたいんだろ?」
「はい。ただ、最近は私を避けてるみたいで……」
「ならいっそのこと文化祭を利用してみてもいいかもな」
「文化祭を……ですか?」
「あぁ。春日のところがどうかは知らんが、もしかしたら春日のステージが全校放送されるかもしれない。そうだったら、たとえステージにいなくても学校内にいるだろう最上にも聞こえるしな」
「なるほど……。比企谷さん、ありがとうございます!」
俺の話を聞いた春日はベンチから立ち上がり、早々に走り出してしまった。
「いや、全校放送されなかったらどうするんだよ……」
*
二日後、春日や最上が通う中学校の文化祭当日である。事務所で書類整理をしているのだが、どうにも落ち着かない。結局、あの後春日と話す機会も無かったしなぁ……
ちょっと気分を変えようと自販機に向かっていると、このみさんと遭遇した。どうやら彼女も飲み物を買いに来たようだ。
「あら、比企谷くんじゃない―ってどうしたの? 落ち着かないようだけど」
「いや、そんなことないですよ」
「バレバレよ……。もしかして、未来ちゃんや静香ちゃんのことかしら?」
「そうですね……。春日が最上に歌で思ってることを伝えるんだって言ってたんですけど、そもそもステージが全校放送されるかも分からないし、色々と不安でして……」
「あ~、確かに未来ちゃんだけだと不安よね……」
「かと言っても、文化祭には保護者を除くと中学生しか入れませんし……」
これはもう詰んでいるんだよなぁ……
「比企谷くん、少しは周りを頼ってみてもいいんじゃない?」
「周り……ですか? でも今時間がありそうな中学生メンバーが行っても……」
今時間がありそうな中学生は箱崎、望月、北沢といったところか。行ってくれるかもしれない箱崎や望月には悪いが正直言って少し不安だし、北沢はそもそも行ってくれないだろう。
「他にもいるでしょ?」
「他……ですか?」
今日劇場に来ていた人と彼女たちの予定を思い返すが、その三人以外はレッスンなどが入っていたはずである。それ以外に文化祭に行けそうな人……まさか
「……本当にいいんですか?」
この人にとって、中学生、下手すると小学生に間違えられる見た目は触れてはいけないはずだ。
「自分から中学生に扮するっていうのは私のアダルティには許しがたいことだけど……」
俺の方を見て、ウインクをするこのみさん。
「それよりも、困っている学生一人を見捨てる方がアダルティ失格よ♪」
本当、見た目以外は大人な女性である。4月の定期公演会前日の俺の行動理由も、この人には筒抜けだったようだしなぁ。
「すいません、それじゃあよろしくお願いします。」
「えぇ、任せておいて!」
そう言ってこのみさんは歩いていった。恐らく春日たちの中学校へ向かってくれたのだろう。
……ところでアダルティってadultyとは別の言葉なのだろうか……
*
比企谷くんと話した後、楽屋に戻った私はどうにか星梨花ちゃんと杏奈ちゃんの保護者として静香ちゃん達の学校の文化祭に行くことになった。入口にいた実行委員の人からは「票花」なるものを疑われることも無く貰えたし潜入は成功といったところね。ちなみに、制服は星梨花ちゃんのを借りている。サイズも合ってたし……
先ずは静香ちゃんがどこにいるのかを確認しなきゃね。ただ、私達が見つかっちゃうと静香ちゃんも片意地になっちゃうだろうしこっそり確認したいわね……。うまい具合に星梨花ちゃん達とはぐれないと。
その後、幸い教室前で声をかけられたときにうまい具合に彼女達とはぐれることができた。その隙に静香ちゃんの居場所を探すと、饂飩を出してる屋台で見つけることが出来た。ここまで拘るとは饂飩への愛は本物っていったところかしら。
この場所だと未来ちゃんが歌うであろう体育館とは結構離れているわね……。ここからだと全く体育館の様子が全く分からないわ。幸い、スピーカーは近くにあるから放送部次第では静香ちゃんに届けられるけど……。現状体育館の様子が中継されてる訳じゃないから放送部と交渉するなりしないとダメね。
体育館の方に向かうと、いつの間にか杏奈ちゃんがステージの上にいた。星梨花ちゃんに話を聞くと、ステージまで案内してくれた実行委員の人に765プロ所属であることがばれてしまったみたい。
でも、正直言うとこの状況は有り難いわ。実行委員の腕章を付けている人はどこにいるかしら……っと、私の方を見ているわね。タイミングばっちり。
無邪気な感じってなると、育ちゃんあたりかしら? 普段の育ちゃんの言動……
「わぁ~、本物のアイドルだ! お外の皆にも聴いてほしいなぁ!」
う~ん、中々子どもらしさって難しいわね……。不自然じゃなかったかしら?
ちらっと実行委員の人を確認すると、何かはっとした顔でどこかに向かっていった。10分くらいすると体育館に人が集まりだしたし、どうやら全校放送に切り替わったのだろう。上手くいってよかったわ。
さて、私に出来るのはここまでね。後はあなたの仕事よ、未来ちゃん。
それから静香ちゃんがいる屋台に向かった。やっぱり全校放送になっており、多くの人が体育館に向かっている。
屋台まで戻ると、静香ちゃんはスピーカーの方を見てぼうっとしていた。スピーカーからは三人が歌う「Thank you!」が流れている。
「誰に向かって、Thank youって言ってるのかしらね?」
「えっ、このみさん!? 何してるんですか?」
「折角だから、未来ちゃんのステージを観に行こうと思ってね」
「……もしかして、未来から何か頼まれたんですか? 私はステージに行きませんよ」
「いいえ、私は未来ちゃんからは何も頼まれてないわよ?」
未来ちゃんからはね。
「そういえば、未来ちゃんは今回のステージを誰かに聞いてほしいって言ってたけど……誰なんでしょうね?」
「そんなの……私には関係ありません」
そう言いながらも、スピーカーの方を気にしている静香ちゃん。本当、素直じゃないわねぇ。後一押しといったところかしら?
結局、Thank you!も終わってしまった。最後の曲だったようだけど、客席のアンコールによってもう一曲歌うことになったようね。スピーカーからは未来ちゃんの声が聞こえてくる。
『皆、アンコールありがとう! 杏奈がステージを盛り上げて、星梨花が背中を押してくれて、皆の声援があったから全力で歌えました! 次が最後の曲だけど、どうしてもこのマイクを受け取ってほしい人がいるの……』
静香ちゃんがその言葉にはっとする。
『私がアイドルになるきっかけをくれた、私にとっての一番のアイドル……静香ちゃんに!』
その瞬間、静香ちゃんが屋台から飛び出そうとしたが、手に持っていたうどんてぼを見て立ち止まる。本当、真面目な子よね。
「行ってきなさい、静香ちゃん。ここはお姉さんが何とかするわ」
「あっ、ありがとうございます、このみさん!」
そう言いながらうどんてぼを私に手渡して、静香ちゃんは今度こそ走り出した。
*
「そして、静香ちゃんは無事ステージで歌って、未来ちゃんと仲直りしたってところね」
「なるほど、中々大変だったんですね……。このみさん、今回はその、ありがとうございました」
後日、俺はこのみさんから文化祭の様子を聞いていた。全校放送に切り替えさせたり、うどんの屋台番を代わったり、色々とやることがあったようだ。
「うふっ、そうね。それなら、今度日本酒をご馳走してくれるかしら?」
「いや、それは……。このみさんと行くと職質受けそうなんで……」
見た目小学生と日本酒を飲む目の腐った男とか絶対ヤバいだろ。
「あら、それは残念……。なら今度の屋上バーベキュー会の時にでも一緒に飲みましょうね♪」
「まぁそれなら……」
ただこの人、お酒飲みすぎる傾向にあるんだよなぁ
ふと会話が途切れて静かになると、近くから春日と最上の声が聞こえてくる。どうやら春日の宿題状況に対して最上が叱っているようだ。このみさんもそれが聞こえたのか、優しい微笑みを浮かべている。
「本当、あの二人は仲がいいわね。本当、今回は仲直り出来て良かったわ」
「文化祭の件は本当にありがとうございます。俺だけではどうしようもなかったです」
「でも、それでいいと思うわよ?」
「……負担になっていませんか?」
今回の件だけじゃない。普段から、このみさんは周りをよく見ている。アイドルでは年長者ということもあって、相談されることも多いだろう。
「心配してくれてありがとう。でも無理はしてないし大丈夫よ。それに、みんなから頼りにされるのって嬉しく思うしね。比企谷くんもそう思うんじゃない?」
「いえ、そんなことはありません。面倒事はなるべく避けたいと思ってます」
「うふっ、そういうことにしておくわね。それにしてはいつも比企谷くんは色々と大変そうだから、今回みたいに私でもいいし、高木社長やミリP、小鳥ちゃんや美咲でもいいから……」
このみさんは俺の方を見てウインクする。
「大変な時は、ちゃんと周囲を頼るのよ? お姉さんとの約束ね♪」
来年度から私の環境が大きく変わるため、その準備や各種対応で更新速度が遅くなると思います。
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番外編
どうしても、箱崎星梨花には変えたいものがある。
そう、箱崎星梨花の誕生日です。
というわけで、今回は「やはり俺が765プロで働くのは間違っている。」の番外編(?)で星梨花回になります。
時系列はゲッサン版漫画の第17話あたりです。
とある日の控え室。
俺、翼、最上、箱崎の四人は劇場にある控室のソファに座っていた。俺の横に翼、正面に箱崎、斜め向かいに最上が座っている。
昨晩、最上から箱崎と一緒に相談がしたいことがあるとのLINEが来た。そのため、空いている控室を借りてこうしているわけだが……
「要は、体力の鍛え方を教えてほしいってことか?」
「はいっ!」
俺が訪ねると箱崎は元気に返事をした。相変わらす素直でいい子だなぁ。
箱崎からの相談内容は体力増強の方法についてだった。
今から数週間後にアイドルフェスティバルに向けたオーディションがあり、そこで箱崎は最上、北沢、野々原、北上の5人による新ユニットで出場することになっている。現在はそのオーディションに向けてレッスンをしているのだが、箱崎が体力不足から周りに付いていけていないとのことだった。
「そういうのって、ヒッピーさんよりもトレーナーとかに聞いた方がいいんじゃないの?」
俺の隣に座っていた翼がそう指摘する。何故か最近よく俺の傍にいるんだよなぁ、こいつ。レッスンとかはしっかりやっているから文句など言えようもないし……
それはともあれ、確かに翼の言う通り運動に関して素人の俺よりもプロであるトレーナーの方がいいと思うが……
「実は既にトレーナーの人に相談したのですが、その……」
「わたしの今の体力だと教えてもらった方法のなかでもランニングくらいしか出来ないんです……。でも、暗くなると外出しちゃ危ないってパパが……」
大きく肩を落とす星梨花。なるほど、一度相談した出前、再度相談しづらいと言ったところか。
「比木谷さんならテニスも素人だと思えないくらい上手で結構私とラリーも続きますし、もしかしたらトレーニング方法を知ってるかもと……」
「藁にも縋る気持ちで俺に尋ねてきたわけね……」
とは言っても、俺は運動部に入ったことがあるわけでもないしなぁ。体力づくりという意味では戸塚とのテニスのためのしているランニングくらいしかない。
んっ?
よくよく考えれば心当たりがあるじゃないか。過去体力不足に悩んでおり、今はそれを乗り越えた人に。どうして直ぐ思いつかなかったんだろう。
「確証は持てないが、俺に一つ心当たりがある」
「えっ、ホントですか?」
*
「八幡、久しぶり! 遅れてごめんね」
「いや大丈夫だ。俺も今来たところだから。」
翌日、劇場の最寄り駅で俺はとある人物と待ち合わせをしていた。そう、大天使トツカエル……っと違った、戸塚彩加である。でも、俺と同じで二十歳過ぎたはずなのに高校の頃とほとんど見た目が変わってないんだよなぁやっぱ天使なんじゃないかな。ちなみに今朝は戸塚と会えることに心が躍り、待ち合わせ時間の1時間前に到着してしまった。まぁその時間も戸塚のことを考えていたらあっという間に過ぎたのだが。
「昨日の今日で来てくれて本当に助かったわ。サンキュな」
「ううん、たまたま予定が無かっただけだから気にしないで。それよりも八幡がぼくを頼ってくれたことの方が嬉しいよ」
そう言って戸塚は太陽のような笑顔を咲かせた。もうこの笑顔があれば皆を幸せにできるんじゃないかなぁ。今からでも765プロにアイドルとして入ってくれないかなぁ。
「それで、相談ごとについてなんだけど、本当にぼくで良かったの?」
「あぁ、むしろ戸塚が適任だと思う」
現在、戸塚はとある大学でスポーツ科学を専攻している。また、それと並行してアルバイトとしてテニスクラブのコーチをやっており、更にはテニスの大会で小柄なのに手強いプレイヤーとしてその地域では有名になっているらしい。初めて奉仕部に来た高校2年生の時には体力不足が顕著だったのにここまで頑張ってきたのだ。そんな経験を持つ戸塚であれば、箱崎の相談相手として適任だと言えよう。
「それじゃあ、早速だが劇場の方に行っていいか? 小さめのレッスンルームを借りてるんだが」
「うん。それじゃあ案内よろしくね、八幡!」
……やっぱり今からでもアイドルしてみない?
劇場にあるレッスンルームに俺たち2人とアイドル3人の計5人が集まっていた。翼は、何だか面白そうだからとやってきている。ただ体力トレーニングするだけなんだがなぁ。
「初めまして、戸塚彩加です。八幡とは高校の頃からの友達になるのかな」
「ヒッピーさんに友達ですか!?」
とりあえず、始めに戸塚やアイドル達に簡単な自己紹介をしてもらう。戸塚が俺のことを友達と言ってくれて何だかむず痒かいな。ところで翼、戸塚のその発言に驚きすぎだろ。しかも何やら考え込み始めたし。
(まさかヒッピーさんに女の子の友達がいるなんて……)
「初めまして、箱崎星梨花です。今日はよろしくお願いします!」
箱崎が相変わらず丁寧に自己紹介をする。それに続いて、最上と翼も簡単に自己紹介をした。
「それじゃあ今日はよろしくね、箱崎さん、最上さん、伊吹さん。」
そうして、戸塚による体力training初級編が始まった。
「とりあえず、自宅で出来そうなトレーニングとしてはこんなものかな?」
約数時間後、戸塚は様々な体力および各種トレーニングの実践やそれをする際の注意点をアイドル達に教えてくれた。そのほとんどは今の箱崎でも十分こなすことが出来るものであり、流石は体力に悩んでそれを克服した経験者だと感心した。ついでに、伊吹には結構きつめなトレーニング方法を教えたりしていた。
「ありがとうございます。これなら自宅でも時間がある時に出来そうです!」
「それなら良かったよ。ただし箱崎さん、さっきも言ったけどやりすぎには注意してね。体力ってのはすぐ付いてくれるものじゃないから。無理にやっても体を壊したり、変な癖をつけたりするだけだからね」
「はいっ!」
相談者である箱崎も満足そうだ。最上の方も、同じユニットの中で大きくしなやかに動く北沢や、スピードとキレがある野々原と比べて劣っている自分自身に劣等感があったようで、今回のトレーニングが大きな参考になったとのこと。
「それじゃあ今日はこんなところにしておこう。本来今日は休日で、明日からみっちりオーディションに向けたレッスンが始まるからな。戸塚、今日は本当に助かったわ。その、ありがとうな」
「ううん、八幡の役に立てて良かったよ」
「そ、そうか」
やっぱり戸塚の笑顔は眩しいなぁ。……翼から何やら視線が突き刺さるが、戸塚の笑顔の前ではそんなの小さいことだよな、うん。
「ところで戸塚、この後用事とかあるか? もし良かったら晩御飯でも行かないか?」
「うん、それじゃあ一緒に行こうか」
よし、無事に戸塚を食事に誘うことが出来た。あれ、これってデートじゃないか? 性別? 戸塚は性別:戸塚だから異性なんだよ(支離滅裂な発言)
「あっ、それじゃあわたしも一緒に行きたいです! いいですよね、ヒッピーさん?」
「つ、翼? あっ、でも……私もいいですか?」
「皆さん行かれるのでしたら、私も一緒に行っても良いでしょうか?」
「えっ、いやでも俺は戸塚と二人で」
「うん、それじゃあ皆で行こうか!」
……戸塚がそういうなら仕方ないよね♪
「はぁ、それじゃあ着替えてから関係者入口集合で待ち合わせでいいな? 戸塚、更衣室に行くぞ」
「「えっ!?」」
俺の発言に翼と最上の発言が同時に驚いた声を上げた。どうかしたのか?
「何言ってるんですか、ヒッピーさん!」
「そうですよ、戸塚さんと一緒に着替えなんて、そんな破廉恥な!」
「比企谷さんもわたし達と同じ部屋で着替えるんですか?」
「お前ら何言ってるんだ……。あっ」
そうだった。まだこいつらには言ってなかったな。
「言うの忘れてたが、戸塚は男だ」
「えっ、何言ってるんですかヒッピーさん、こんな可愛い人が男なわけないじゃないですか~」
「いや、その……ぼくは男だよ?」
「「「えっ!?」」」
こんな可愛い子が女の子のはずがないだろうが。
全員着替えた後、俺たちは近くにあるファミレス(サイゼリア)に訪れた。店員に一瞬怪訝な顔をされたが、傍から見れば美少女4人を連れているように見えるだろうから仕方がないだろう。
案内された席に座って注文を済ませる。どうやら箱崎はファミレスに来たのが初めてらしく、店員を呼ぶボタンを感心した表情で見ていた。
しばらくして、全員分の食事が配膳された。
「こんな短時間でお料理出来るなんて凄いです! それに皆さんの分まで!」
……これは調理済みのやつを温めたりしているだけだという真実を伝えた方がいいのだろうか……
雑談しながら食事をしてしばらく経ったとき、箱崎はふと箸を置いた。
「箱崎、どうかしたのか?」
「あっ、その……。比企谷さん、戸塚さん、今日はわたしのためにありがとうございました!」
食べ物に髪が付かないようにしながら頭を下げる箱崎。その顔は悔しそうに見えた。
「わたし、その、ユニットの誰よりも体力無くて、ダンスも下手で、足引っ張ってばかりで……。」
「星梨花……」
「それなのに、またこうしてお二人にご迷惑をかけて……」
今にも泣きだしそうな箱崎に、俺は掛ける言葉が見つからなかった。
「箱崎さん」
そんな箱崎に、戸塚は優しく語り掛ける。
「とある人が言ってたんだけど、誰にも迷惑をかけずに生きるなんて無理なんだって。でも、大切に思っているからこそ迷惑をかけたことに気づけるんだって」
そう言って戸塚は俺の方をちらりと見た。
「だから、それは箱崎さんがユニットの皆やぼく達のことを大切に思ってくれている証拠だよ。」
「でも、ご迷惑をかけていい理由にはならないですよね……?」
「そうだね。だから、次に自分を頼ってくれた時、全力で助ければいいんだよ。そうやって、迷惑をかけあっていくのが友達だったり、仲間だったりするんだ、きっと」
「でっでも! わたしが皆さんのお役に立てることなんてっ!」
「……ぼくも最初はそう思ってたよ。」
「えっ?」
「ぼくとそのとある人が出会ったとき、ぼくは助けを求めていたんだ。そして、その人はそれに答えてくれた。その後、ずっと恩返しがしたいと思ってたんだけど、勉強も運動も優れてないぼくに何が出来るんだろうとも思ってたんだ。でも、その後彼がぼくを頼ってくれた。……そして、今日も。結局、プロでもないぼくが助けになれたかは分からないけどね。」
「そんなことありません!」
「ふふっ、ありがとう。でも、もし箱崎さんがそう感じてくれたなら、箱崎さんも誰かの助けになれるってことだと思うよ。他の人には出来ないけど、君なら出来ることがあるってことだと」
「わたしだけに出来ること……。見つかるでしょうか?」
「いいえ、星梨花。私はもう星梨花から色んなものをもらっているわ。私が倒れた時はお見舞いに来てくれたし、文化祭にも来てくれた。星梨花は既に仲間のために行動できているわ」
「それに星梨花ちゃんがいつも頑張ってるから周りも頑張ろうってなってると思うよ? 今日だって、わたしも頑張ろ~って気分になっちゃったし♪」
「静香さん、翼さん……。……いいえ、やっぱりわたしはまだまだ恩返し出来てないと思います。でも、いつか必ず返すので、今はわたしを手伝ってください!」
再度頭を下げた箱崎。だが、その顔は先ほどと違って決意を秘めたものだった。
本当、素直で応援したくなるアイドルだな
*
「比企谷さん!」
「ん? 箱崎か。オーディションの合格、おめでとさん」
「ありがとうございます!」
その後、箱崎は無事に体力不足を乗り越えることができた。それ以外にも色々あったようだが、その結果アイドルフェスティバルの出場を勝ち取っている。
「今回は本当にありがとうございました。比企谷さんのおかげで皆になんとか付いていくことが出来ました!」
「いや、俺は何もしてないけどな。トレーニング方法を教えたのは戸塚だし、実践したのは箱崎だし」
本当に今回の件は何もしてないからなぁ。
「いえ、比企谷さんが戸塚さんを紹介してくれたからですので、やっぱり比企谷さんのおかげでもあります」
「まぁ、そういうなら有り難く受け取っとくわ。まぁでも、よく頑張ったな」
「えへへ♪」
「んじゃ、俺は事務所に行くわ。それじゃあな」
「あっ、ちょっと待ってください!」
「他に何か用か?」
「えぇと……」
箱崎は俯いてもじもじし始めた。
「その……、これからわたしのことを名前で呼んでくれませんか?」
「え?」
「ですから、その……星梨花って」
「いや、なんで?」
「だって、翼さんは名前で呼んでいますし」
「それはそうだが……」
「だから、わたしも名前で呼んでください。……八幡さん」
恥ずかしそうに顔を赤くしてそういう箱崎。破壊力が凄まじいな……
「おっ、おう、分かった。せ、星梨花」
すると箱崎の顔がパァと輝いた。めっちゃ恥ずかしいなこれ。
「えへへ、嬉しいです♪」
「……それじゃあまたな」
「はい!」
「これからもよろしくお願いします、八幡さんっ!」
2月20日は箱崎星梨花の誕生日ということで、随分先に書く(予定の)話の幕間を投稿させて頂きました。
普段以上にクオリティが低い気が……
すいません本日は私の誕生日であることに免じて許してください!もしリクあったらそのキャラと絡めた話書きますから(多分)
現状では翼以外で未来、静香、ジュリア、瑞希、エレナ、桃子、美也がメインキャラとして登場予定。
P.S.
”けえす”は所詮…6th 仙台の先行にも一般にも敗れた”敗北者”じゃけェ…!
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