シスコン野郎だって恋をするだろうか? (かげなし)
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姉弟の朝

「有宇ー! 起っきろー!! 朝だぞー。朝から大好きなお姉ちゃんが起こしに来てあげたぞ〜」

 

アニメグッズが溢れる我が部屋に、うるさくも心地よい声が俺の頭に響く。だが俺がその程度で起きると思うなよ。

こんなさみーのに温かい布団を手放してたまるか。

 

「おーいゆーう〜? 無視か〜? 無視なのか〜?」

 

断固無視である。俺はまだ眠いのだ。布団からも出たくないのだ。

 

「反応なし。むー……かくなる上は……」

 

そう言うと由紀ねえが静かになった。なんだ?

諦めた……わけないよな。俺はそっと薄目を開けてみる。

すると、由紀ねえの顔が目の前に……ってふぁっ!!??

 

「うおおおおおおおおい!!??」

 

俺は瞬間的に覚醒。ベッドから飛び起き、由紀ねえと距離をとる。

なんだなんだなんなんだよこのエ〇ゲ展開は……。俺はいつのまにエ〇ゲ主人公になったんだ。しかも相手が実の姉とか……。……アリだな。いやいやんなわけあるか。

 

「あは☆ おはよー、有宇」

 

由紀ねえは俺の反応を気にした様子もなく挨拶をする。

 

「ああ、おはよう。由紀ねえ——ってかさっきのはなんだよ!?」

 

「何って……キスだよキスー。目覚めのキス☆ なんちって☆」

 

「実の弟にキスしようとすんなよ……」

 

「なんだよー、ほっぺにするくらいふつーでしょー」

 

「嘘つけ! 明らかにマウストゥマウス狙ってただろうが!」

 

「あは☆ まあまあいいじゃない。眼は覚めたでしょ?」

 

……ったくこの姉は……。朝から刺激強すぎだっての。自分が実の弟から見ても美人だってことを自覚して欲しいものだ。

 

「ほら、朝ごはん出来てるから。一緒に食べよ」

 

そう言って由紀ねえは俺の部屋から出て行く。由紀ねえに続いて俺も階下のリビングを目指す。

そして由紀ねえと共に朝食をとる。ちなみに親は基本的に家にいない。二人共仕事人間なのだ。だから広い家で、ほぼ姉との2人暮らし状態である。

さて、ここいらで自己紹介でもしておこう。俺の名前は棗有宇。まああれだ、どこにでもいる普通の高校生、とかそこら辺の量産型主人公が言いそうなことを言っておく。まあ実際ふつーの人間だからしゃーなし。

 

「こらこら〜有宇〜。あんたにはひとつ譲れない性癖があるじゃない。 お姉ちゃん大好き! シスターコンプレックスっていう性癖が!」

 

「…んんんなわけねえだろ!! てか人の心の声に突然話しかけてくんなよ!」

 

「有宇の考えてることなんて簡単に分かるよー。ていうかすごい動揺っぷりだね〜」

 

ニッコニコの由紀ねえ。うぜえ……。

 

「あ、今お姉ちゃんのことうざいって思ったー! ひどいぞー。お姉ちゃん泣いちゃうぞー」

 

素で心読むのやめてくれませんかね……。てかほんとに泣きそうじゃん。どうすんのこれ。いやそんなことよりもう家を出ないと遅刻するな。

 

「そんなことより由紀ねえ。もう出ないとやばいよ」

 

「はーい(T ^ T)」

 

とまあ俺の紹介は邪魔が入ったけどあれでいいとして、この泣きながら登校の準備を進めているのが俺の姉。棗由紀だ。年は俺の1つ上。俺が高2で由紀ねえが高3だ。美人で成績優秀、運動神経も抜群、コミュ力のバケモノ。要するに完璧超人。なんで俺こんな人の弟なんだろ……。スペック違いすぎやん……。

学校でも人気者だが本人はそんなことどうでもいい様子で、いつも俺と数人の幼馴染と一緒に気ままに遊んでいる。変な姉だ……。

 

んじゃまあそろそろ七面倒くさいけど学校へ行きますか。

繰り返される日常。平和な日常。姉のいる日常。幼馴染と過ごす日常。

こんな日々がずっと続けば……楽なんだけどなあ。

そんなことを思いながら、俺はまた日常の中へ——。

 

「「いってきまーす」」



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幼馴染の日常

11月1日

吐く息が白くなってくる季節。いや、それはさすがにまだ早いかな。

しかし俺が暮らすこの街は海に近いため潮風が強く、体感温度的にはもうだいぶ寒い。そんな寒空の下、姉と共に校舎を目指す。家から学校までの距離は徒歩で15分ほどだ。そこまで長くもない。由紀ねえとたわいも無い話をしながらテクテク歩く。そうこうしてれば校門は目の前だ。

 

「んじゃ由紀ねえ、また放課後」

 

「うむ。寂しくなったらお姉ちゃんの教室きていいからね〜☆」

 

行かねえよ……と軽く悪態をつきながら由紀ねえと別れる。それなりに生徒の行き交う廊下を通り、2年の教室へ。

そして自分の机に座る。はあ……今日も今日とて、長い一日の始まりだ。

 

「なーに朝から憂鬱そうな顔してんのよ」

 

HRまで適当なラノベでも読もうかと思ったところに声がかけられる。

亜麻色の髪を長く伸ばした少女だ。

 

「朝からそんな顔されるとこっちまで暗くなっちゃうでしょ」

 

「うっせーな」

 

適当に返事を返す。こいつは有佐理奈。幼馴染のひとりだ。家が近く、子供の頃からよく一緒に遊んでいた。まあこいつは俺と遊ぶというよりは由紀ねえによく懐いていたのだろう。

 

「まあいいわ。 とにかく、おはよう。有宇」

 

「おう」

 

そこで会話に割り込んでくる大きめの影がひとつ。

 

「何話してんだ? 有宇、理奈」

 

「んー? べつにー? ただ朝から暗い顔してんじゃないわよって言ってただけ」

 

「ははっ。有宇はいつでもそんなもんだろ。普段はクール気取ってんだから、察してやれよ」

 

「おい。誰がクール気取ってるんだよ。これが俺の素だ。俺はいつでもインキャのキモオタですよ。ただのコミュ障ですよ」

 

そう、俺は日本のサブカル大好きなオタクである。アニメも漫画もラノベも大好きである。なんならエ◯ゲだって愛してますとも。

 

「そんなことねえだろ。サッカーやってる時のお前は、とてもそうは見えなかったよ」

 

そう言ったこの長身の少年は鞍馬太一。これまた幼馴染。サッカー部のエース。ついでに、憎たらしいことにイケメン。なんだかんだ幼い頃から行動を共にすることが多い。腐れ縁ってやつなのかな。

 

「んなことねえよ。てかもうそれを見せる機会もないんだ。インキャで何も間違ってない」

 

「そう、か……そうだよ、な……」

 

微妙に居心地の悪い雰囲気が漂う。

こんなときはあれだ。ラノベを読もう。物語の世界へ逃げよう。

今読んでるのはよくあるラブコメだ。ボッチ拗らせた主人公が気づいたらハーレム構成してるやつ。いかにもクソラノベって感じだか、俺くらいになるとむしろそれが良いのだ。

 

「俺本読むから。散れ。散れ」

 

シッ、シッ、と手で2人に促す。そして俺はHRまでのわずかな時間を物語の中で過ごすした。

 

1限、2限、3限、4限……

何事もなく過ぎて行き、最後の授業がおわる。

 

「今日も部活、はりきっていくかー」

 

前の席の太一が呟く。

 

「おう、がんばってこい。俺は帰宅部らしく、すぐ帰る。今帰る」

 

適当に太一と話して、

荷物をまとめて、席を立った、その時——。

 

「ゆーうーー! お姉ちゃんがきったぞー! 一緒に帰ろう〜」

 

特徴的なポニーテール、誰が見ても美人と言うであろう整った顔立ち。そして制服越しでもありありと分かる大きな胸。そう、由紀ねえが現れた。由紀ねえは教室の視線が集中していることにも構わず俺たちの席へ駆け寄るとまず太一に声をかけた。まあ視線はみんな、いつものことか……っていう生暖かい優しい視線だ。

 

「お、太一〜。部活ー? 頑張れよ〜。今日もご飯食べ行くから☆」

 

「はいはい。頑張りますよ」

 

太一の家は洋食屋をやっている。小さい店だが味はいい。俺と由紀ねえは度々夕食でお世話になっているのだ。

 

「あ、私も今日バイトだから夜はみんなそろうね〜」

 

理奈が会話に割り込んでくると同時に由紀ねえとナゾのハイタッチを交わす。会うたびやってるけどその儀式なんなの…というのは置いといて、理奈は太一の家でバイトをやっているのだ。だから夕食時、幼馴染4人が勢ぞろいというわけだ。まあ今もそろってるけど。

 

「お、じゃああれやっちゃうかあ〜。最近ご無沙汰だったしやっちゃうかあ〜」

 

「いいねいいね〜バイト終わったら太一の部屋でパーっと」

 

由紀ねえと理奈がウキウキの笑顔で言う。

 

「おいおいやめてくれよ……俺は部活あるんだぞ……」

 

太一が苦い顔をする。当然だ。あれ始めると寝かせてもらえないからなあ……。てか俺も断固拒否したいんだけど。俺はリアルタイムで見なきゃいけない深夜アニメがあるんだ!

 

「少しにするから、ね?」

 

由紀ねえが太一に頼み込む。前かがみで胸が強調されるようなポーズに上目遣い。あれを天然でやるから恐ろしい。俺も何度あれにやられたことか……。

 

「ぐ、ぬぬ……ああもう! ほんとに少しだからな! 半荘1回だからな! やべ、俺もう部活行かないと!」

 

そう言って太一は教室を駆け出していった。

今の太一の言葉からお判りだと思うが、さっきから由紀ねえの言うあれ、とは麻雀のことである。由紀ねえはかなりの遊び人であり。色んな遊びを俺たちの元へ持ってくる。そんな中で由紀ねえの最近の流行りが麻雀というわけである。

はあ……これで今日の俺の神聖なるアニメタイムは……。

どうにか麻雀を回避出来ないものか。ああ、由紀ねえと理奈の笑顔が憎たらしい。そんなことを考える放課後。俺たちのいつもの日常風景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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約束

むかしさ、子供の頃、4人で星を観たんだ。どこで観たのかはもう覚えていない。でも今と同じ11月だったのは覚えてる。星が綺麗に見えたんだ。なんとか流星群ってやつ。流れ落ちるいくつもの星。そんなたくさん流れたわけじゃないんだけどさ。俺も太一も理奈も流星を見つけては大はしゃぎだったっけ。でもそれ以上にはしゃいでたのが由紀ねえだった。それから由紀ねえは星を眺めるのが趣味になった。

また見ようってみんなで約束した。

——でもその約束はまだ、果たせていない。

 

11月10日(土)

休日の夜。ベランダ。

由紀ねえと2人で星を眺めた。

 

「有宇が一緒に星を眺めたいなんて、珍しいね。というか初めて? お姉ちゃん嬉しいゾ〜☆」

 

「初めてってことはないでしょ。確かに最近はなかったけどさ」

 

「どうして突然、星を眺める気になったの? 」

 

「ん? あー、なんていうか少し思い出してさ。昔のこと」

 

なんとなく昔の話をだすのが気恥ずかしくて、俺は光の多いこの街ではろくに見えない星を見つめながら言う。

 

「昔のこと?」

 

「そう、昔。4人で流星群見たことあったでしょ。それから、また見ようってみんなで約束した」

 

「そうだねえ」

 

「でも、あれから流星群を見に行けたことってないよなあってさ」

 

「そうだねえ」

 

由紀ねえは今どんな表情をしてるんだろうか。星を見つめる俺には想像することしかできなかった。

 

「やっぱりさ、なかなか予定が合わないもんね。特に太一なんかサッカーばっかでさあ。サッカーと私、どっちが大事なの! って。あと天候が悪い時もあるしねえ」

 

太一がサッカーに熱心なのはたぶん由紀ねえのせいだけどな……。それは言わないでおくけれど。それにしても、やっぱり由紀ねえは約束のことを気にしてるんだろうか。だから毎日のように、由紀ねえは星を眺めるのかもしれない。

 

「今年は観れるといいなあ。太一にもどうにか予定つけさせてさ。みんなで見に行こうよ。由紀ねえはもう卒業だし、観に行くなら今年が最後のチャンスかもしれないと思うんだ」

 

そう、由紀ねえは今年で卒業。進路のことはあまり聞いていないけれど、遠くへ行ってしまう可能性だってあるだろう。由紀ねえはあまり進路のことを話そうとしない。でも、どんなに願ったってこの日々がいつまでも続くわけじゃないんだ。それだけは、分かっているつもりだった。

 

「そうだね。よし! そうと決まれば今から太一に連絡ね! 無理矢理にでも予定つけさせてやるんだから!」

 

「俺も手伝うよ。由紀ねえ。太一のやつ、頑固だから」

 

そうして俺たちの数年越しの約束の日が、天体観測の日が決まったのだった。約束の日は11月17日。しし座流星群の極大日。

1週間後の土曜日だ。

俺は1週間後を楽しみに待つ由紀ねえをみるだけで幸せを感じた。

きっと綺麗な星空が、綺麗な流星が観られると、信じていた——。

 

 

 

 

 

 

 



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流れる星々と共に

11月17日、約束の日。

天気はあいにくの曇り空。星は見えないかもしれない。

でも、夜には晴れることを信じて。俺は家でのんびりと夜まで時間を潰すことにした。時刻は昼。由紀ねえは今日の準備だと言って買い物へ出かけた。一緒に行こうかと言ったのだけれど拒否されてしまった。何故だろう。自室のベッドに転がりながら物思いにふける。

 

「それにしても夜までヒマだなあ」

 

太一と理奈は太一の家の洋食屋の手伝いを夕方までするらしい。その後、太一の両親は店を閉めて俺たちを星の見えやすい山の方まで送ってくれるとのことだ。由紀ねえが買い物に行った今俺だけが手持ち無沙汰なのであった。

ああ…ほんとにヒマ…ヒマだ……なあ……というか……ねむ……。

そこで俺の意識は途切れた。

 

 

 

 

prrrrrrrrrrrrrrrrr!!!!!!

 

 

 

 

携帯が鳴り響き、俺は目を覚ます。携帯を手繰り寄せると画面には「由紀ねえ」と表示されていた。

 

「由紀ねえからか。なんかあったのかな」

 

なんとなく嫌なら予感がした……気がした。そんなわけはないんだけど。何か忘れ物でもしたんだろうか。由紀ねえのことだし財布を忘れたとか。さすがにそれはないか。とにかく電話に出よう。

 

自室の外の大空は分厚い雲が多い、大粒の雨が降り始めていた——。

 

 

「もしもし。由紀ねえ。どうしたの? なんかあっ——」

 

「あ、あの……! 由紀さんの弟さんですか……ひっく…あの……えと……由紀さんがっ……由紀さんが……事故……えぐっ…中央病院……あの…ひっく…わたしのせいで…わたし…」

 

俺の声が途中で遮られる。その声は由紀ねえのものではなかった。知らない声。女の子の声。ひどく悲しみに満ちた声。泣いていた。事故という単語を聞いて心臓が跳ねた。

 

「は……? 事故……? 中央病院……? あのっ! 由紀ねえがどうしたんですかっ!? 何かあったんですか!?」

 

俺は電話の相手が誰なのかを考えることも忘れ問いかける。

 

「由紀さんは……由紀さんは……っ!」

 

長い沈黙。実際は数秒であったかもしれない。

でも俺には永遠にも感じられた。

 

「死んで……しまいました……。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいわたしのせいで……でもこれだけは早く伝えなくちゃって……ごめんなさいごめんなさい…ごめ——」

 

由紀ねえが……死んだ……? は……? しばらく彼女の言葉が理解出来なかった。嘘だと思った。信じたくなかった。しかしなぜ彼女は泣いている? 由紀ねえの携帯を持っている? なぜ……俺に謝り続けているんだ?

彼女の声色が、それが真実であると告げていた。

由紀ねえが……死んだ……。しんだ死んだシンダしんだシンダ死んだしんだしんだsindaしんだ死んだシンダsindaしんだシンダシンダしんだ死んだsindaしんだ死んだシンダしんだ死んだしんだ……死ん…だ……?

もうわけが分からなかった。次の瞬間、俺は携帯を投げ出し、駆け出していた。中央病院へ向かおうとしたのだと思う。もう電話の主のことなど頭になかった。「由紀ねえが死んだ」その言葉だけが頭を支配していた。

雨の中を走る。傘もささず。何も持たず。

何か、声にならない声で、叫んでいたような気がする。

 

歯車が狂う音がした。

日常が壊れる音がした。

俺の中の何かが、壊れる音がした。

 

4人で流星を観れることはもう——ないんだ。

 

 

 

 

 

 



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親友の姉

オレが好きになった人は、親友の姉だった。

でもその人はオレを好きになってはくれないのだと知っていた。その人はいつも弟を見ていたから。生粋のブラコンだったから。別にそれがどうこうってわけじゃない。オレはそんな、弟が好きな彼女を好きになったのだし、その弟というのは俺の親友でもあったのだから。

それでもさ、好きな人がオレのことを1番に見てくれなくて、そんな状態で彼女たちと幼馴染として過ごすのは限界があったんだと思う。だからオレは告白したんだ。オレが中学1年、彼女が2年の時だった。

 

「私はさ、あれだよ。自他共に認めるブラコンだから。ごめんね。あなたの気持ちには答えられないや」

 

オレの告白を聞いて、彼女は申し訳なさそうに笑いながらそう言った。

そんなことはわかっていた。告白が受け入れられないことくらい。それでも止まれないことってあるだろう? だからもう一歩踏み込んだ。聞いた。どうしたらオレの想いに答えてくれるか……って。

そしたら彼女は困ったように笑みを浮かべてこう言ったんだ。

 

「私はあなたのこと嫌いなわけじゃないんだよ。むしろすごく好き。あの子を除けば一番好きな男の子があなた。だから、かっこいいところを見せてよ。あの子以上に。私はちゃんとあなたのことも見てるから。それに、私もいつかは弟離れしないとなのかも……だし、ね……」

 

それを聞いたオレは頑張ってみようと思ったんだ。彼女が弟離れできるくらいにかっこよくなろうと思ったんだ。そのためにオレができることが、ずっと続けているサッカーだった。あいつと競い合いながらスポーツの中でかっこいい姿を彼女に見せられたらって。だからオレはあいつよりも、誰よりも上手くなって、サッカーで一番になってやるって決めたんだ。

 

それからオレは必死に練習した。今まで必死になって何かに取り組んだことなんてなかったから、苦しくて苦しくて死にそうだった。でも好きな人を想うと人って頑張れるもんなんだな。それがよく分かった。

高校にあがる頃には今までとは比べものにならないくらい上手くなったと思う。中学のチームではCFととしてチームのゴールを量産した。あいつの背中にもう少しで手が届くんじゃないかと思った。あいつはサッカーに関しては昔からオレより数段上手かったから。あいつの隣立つこと。それがオレにとってのスタート地点だと思っていたんだ。でも、あいつは高校に入って突然、サッカーを辞めてしまった。

あいつが何を考えているのか、分からなかった。あいつにとってはサッカーなんてどうでも良かったんだろうか。

あいつのことが分からなくて立ち止まりそうになった。でも、それでもオレはサッカーを続けた。高校でもエースといわれるまでになった。彼女が褒めてくれた。試合の応援にも何度となく来てくれた。嬉しかった。

彼女の心を少しでも惹きつけられていると思っていたんだ。

 

それなのに……彼女は唐突に、突然に、この世を去った。オレがサッカーに打ち込む理由は無くなってしまったんだろうか。いいや、そんなわけはない。オレは例え彼女にもう会えなくたって、あのグラウンドでボールを追いかけるよ。そう、オレはいつまでだって彼女の影を追い求めるさ。それがオレの生き方だと、そう思うんだ。

 

 



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桜の花びらが舞う

四月。新年度。高校最後の1年を迎えていた。

そしてそれは由紀ねえの死から3ヶ月以上が経過したことを表していた。

俺は1人、通学路を歩く。

長らく2人で歩いたはずの道を、1人で。

桜が咲いていた。きっと綺麗であろうはずのそれは今の俺には色褪せて見えた。全ての景色が色褪せていた。

 

「はあ……」

 

なんとはなしにため息がついて出る。

憂鬱な気分だ。学校に通うことに何の意味があるのか分からなかった。自分がなぜ生きているのか分からなかった。

 

桜を見ていた視線を前方に移す。すると、女の子が佇んでいた。肩ほどまで伸ばした綺麗な黒髪。同じ高校の制服。制服はパリッとしていて新品のように見える。背は低めで、小柄でスレンダーな少女だった。なんとなく懐かしい雰囲気がした。

その子だけが、この世界で色を持っているように見えた。心臓が高鳴った気がした。

 

「あっ……」

 

彼女と目があった。彼女が声をもらす。

その瞬間、ひときわ強い風が吹いた。

桜の花びらが舞う。反射的に花びらへ目がいく。

彼女がいた場所に再び目を戻すと、彼女の姿はもうなかった。

目が合った瞬間の彼女の表情はどこか哀しそうに見えた気がした。

 

しかし一瞬の胸の高鳴りはすぐに消え失せ、俺は校舎を目指して歩き始める。

3年になり、クラス替えがあった。太一や理奈とは違うクラスだ。あれから、2人とはあまり話せていない。太一とは特に、全くと言っていいほど接点がなくなっていた。太一は今まで以上に部活に精を出しているように見えた。まるで何かを追いかけるように。それが俺には眩しく見えた。

 

授業では何かにつけて受験という言葉を聞くようになった。受験。進学。就職。間近にせまった人生の岐路である。しかし俺にはどうでもいいことに思えた。この先を生きていて何があるのか分からなかった。だから授業も教師のありがたいお言葉も適当に聞き流す。

そういえば由紀ねえは高校卒業後どうするつもりだったのだろう。結局、教えてくれなかったな。その答えはもうこの世界には存在しない。

 

退屈な授業を終え、放課後。

グラウンドではサッカー部が紅白戦を行なっている。何を思うでもなく、眺めていた。

右サイドからのセンタリングに長身の太一がヘッドで合わせてゴールを決める。2年の時からエースだった太一は3年になってもチームの中心選手であるようだ。それからもボーッと試合を眺めていた。

 

「——もう、サッカーはしないんですか?」

 

ふいに、後ろから声がかかった。透き通っていて、体に染み入っていくような心地よい声。

振り向くとそこには少女が1人佇んでいた。

朝、あの桜の木の下で見た少女だった。

 

「君は——」

 

 

 



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少女の決意

「君は——」

 

「私は、暁詞羽です。覚えて……いませんか?」

 

俺の疑問を察したのか俺が問いかけるよりも先に、少女は暁詞羽と名乗った。聞き覚えがあるような気がしたが、なぜか思い出せない。

 

「ごめん」

 

「そう…ですか。なら、言います。私は、棗由紀さんに命を救われました。由紀さんの、あの事故の原因になった人間が……私です。私が由紀さんを死なせてしまいました」

 

哀しみと怯えを孕んだ瞳でこちらを見つめて彼女は言った。そうか…そうだった。無意識に記憶から遠ざけていた。あの日、由紀ねえは1人の少女を庇ってトラックに跳ねられ、死んだ。その時の少女がこの子だ。事故の後、何度も家に謝りに来た。でもその頃の俺にはそれをまともに聞き入れる余裕がなかった。そしていつのまにか彼女が家を訪ねてくることはなくなった。何か心ない言葉を彼女にかけてしまったような気もするが思い出せなかった。

 

「私を、恨んでいますか……?」

 

「いいや。君を恨んではいない…と思う。あの頃の俺が君に何を言ったかは覚えてないけど、少なくとも今の俺が君に対して何か思うことはないよ。もう4ヶ月経ったんだ。人の心が癒えるのには十分な時間だと思わないか?」

 

言葉は咄嗟に出たものだった。

本心? 強がり? 自分でもよく分からない。

 

「そうですか。…っそのこと……んで…る…がずっと……なのに……」

 

最後の方は小さすぎてよく聞き取れなかったけれど、彼女の哀しみが一層ました気がした。彼女は俺から責められることを望んでいるのだろうか。

 

「でも、私にはあなたの心が癒えたようにはとても見えません。私の知ってるあなたは、そんな目はしていなかった。今のあなたは見ていられません」

 

彼女は俺の心が癒えていないと言う。

彼女が俺の何を知っているというのか。

そんな目? どんな目だよ。俺はいつでもこんな目だ。だいだい彼女がいつ、俺を見ていたというのか。

少し癇に障った。苛立ちが言葉に現れる。

 

「あんたに俺の何が分かる。俺があんたを恨みはしないと言ってるんだ。俺が大丈夫だと言ってるんだ。それでいいだろう。これ以上あんたと俺が関わる必要もない」

 

「知ってます……知ってますよ……あなたのことは……だから、私は……」

 

少女の言葉はまたしても小さすぎて俺には聞き取れない。

 

「……ようし」

 

長い沈黙の後、少女……いや詞羽がつぶやく。

彼女は一層顔を引き締めたように見える。

そして——これからの日常を変え得るひと言を言い放つ。

 

「棗有宇さん。いいえ、有宇先輩。お願いがあります。私と、お友達になって下さい」

 

言い終わると同時に彼女はにっこりと笑った。

初めてみた笑顔だった。

 

「は……?」

 

しかし発言の意味は全く分からない。俺はついさっき俺たちが関わる必要はないといったばかりなのに。

友達……? こいつと……?

混乱する俺が導きだした答えは——

 

「こ、断るっ」

 

とりあえずの拒否だった。

 

「え〜なんでですかあ〜。さっきのが気に障ったんですか? それなら謝りますっ。だからお友達になって下さいよお〜。私、こんなに可愛いんですからっ! そばに置いて損はないハズですっ」

 

彼女はさっきまでとは打って変わって気の抜けた声を発する。甘えたような、じゃれつくような、懐かしさも感じる声。

 

「う、うるさいっ。だいたいさっきまでとキャラ違いすぎなんだよ。裏があるようにしか見えなくて怖いわっ」

 

俺は詞羽を無視して歩き出す。

 

「さっきまでは頑張ってシリアス感出してたんですぅー。こっちが素なんですよお〜。待ってくださいー」

 

「雰囲気台無しかよ……」

 

呆れつつも俺はそのまま歩き続ける。

追いかけてくる詞羽。

追いつけないように俺は早足になる。

それでもいつまでもしきりに何か話しかけながら追ってくる彼女に根負けして、俺は彼女と横並びになって歩きだした。

由紀ねえに救われた少女との出会い。

これは偶然なのか、詞羽自身が選んだことなのか。

詞羽が何を考えているのか俺には分からなかった。

でも、ここから何かが変わっていく。

そんな予感がした。

 

 

 



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後輩

暁詞羽という少女に出会ってからおよそ2週間。

4月も末、桜の花も散りきる頃。

新学期もようやく落ち着きを見せ始める頃。

俺は今日もひとり、目をさます。

広い家には俺ひとりだ。事故の後両親は家に顔を出すことが今までよりかは増えた。それでもほとんどの日、俺はこの家でひとりだ。

適当に朝食を済ませ、登校の準備をする。

準備が終わる頃、インターホンの音が鳴り響いた。

こりずに今日も来たようだ。

玄関へ行きドアを開けると制服に身を包んだ詞羽がそこに立っていた。

 

「おはようございます。先輩」

 

詞羽が笑顔で言う。

 

「はあ……」

 

「もうちょっと嬉しそうにしてもいいと思うんですがね」

 

この少女はあの日の翌日から毎朝、俺の家に押しかけてくるのであった。

最初は無視しようかとも思ったが毎日くるのでもう諦めた。適当に話しながら家を出る。と言っても話すのはほとんど詞羽だったり、俺が質問攻めにされたりだが。

 

「先輩先輩」

 

「んー」

 

「先輩は目玉焼きには何をかけますか?」

 

唐突で脈絡のない質問はいつものことだ。

俺は特に考えずに答える。

 

「マヨネーズ」

 

「は?」

 

ものすごく怪訝な顔をされる。

 

「マヨネーズとかあり得なくないですか」

 

「美味いだろ、マヨネーズ。そういうお前は何かけるんだよ」

 

「私はふつうにお醤油です」

 

「ふつうでつまらんな」

 

「いやでも先輩マヨネーズとか……。卵に卵かけてるじゃないですか」

 

「いいんだよ美味いんだから」

 

そんな中身のない会話をしながらいつもの登校ルートを歩く。そういえば詞羽は毎日来るが、俺の家と詞羽の家は近いんだろうか。

 

「そういやお前どこに住んでんの?」

 

「え? 先輩の家から近いですよ。徒歩5分圏内です」

 

「以外と近いのな」

 

「小学校から一応先輩とは同じ学校ですよ。っていうか先輩から質問なんて珍しいですね。私に興味出てきちゃいましたかあ〜?」

 

「ちげえよ。ただ毎日来るから遠いんだったら少し悪いなと思っただけだ」

 

詞羽とは小学校から同じなのか。それにしてはあまり見覚えがなかったが……まあ俺が周りを見てないだけか。

それにしても詞羽はさっきからニコニコ笑顔である。

大変不愉快である。

 

「なんだよ」

 

「ふふっ。いえいえ、先輩が少しでも人のことを気にしてくれたのが嬉しいんですよ」

 

「なんだそりゃ」

 

それじゃ俺が普段から自分のことしか考えてないみたいじゃないか。

 

「最近の先輩はそんな風に見えましたよ。いいえ、違いますね。自分のことも他人のこともすべて、どうでもいいという風に見えました」

 

俺の心の声に答えるように詞羽が言う。

俺はそんな風に見えるのか。

確かに自分のことですらも真面目に考えているとは言えない。受験生だと言うのに進路も将来の展望も、何も見えていない。いや見ようとしていないのだから。

 

「そうかよ」

 

自分を見透かされているようで居心地が悪く、俺はぶっきらぼうに答える。この詞羽という少女は俺に質問ばかりしてくる割には俺のことを分かった風に言うことがある。よく分からんやつだ。

そうこうしているうちに校門前。

詞羽は1年であるため教室は一階。3年の俺は3階だ。

ここで別れることとなる。

 

「んじゃな」

 

「はい、先輩」

 

別れ際、詞羽が付け加える。

 

「先輩、今日の放課後ヒマですか?」

 

放課後? もちろんヒマではあるが、俺は言う。

 

「めっちゃ忙しい」

 

そして俺は詞羽に背を向け、教室を目指した。

詞羽が何か言ってる声が聞こえた気がした。

 



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愛するものが——

放課後。

少女の大きな声が教室に響く。

 

「先輩、行っきますよーっ」

 

教室に乗り込んできた少女がいた。下級生の突然の乱入に教室もざわつく。

そしてその少女、詞羽は俺の手を取ってむりやり駆けだした。

 

「はあ!? いやちょっ待てお前っ。何だってんだっ」

 

「何って、デートです! デート!」

 

「放課後は忙しいっつったろっ」

 

「そんなの絶対ウソですっ。それに、先輩を相手にするなら、押して押して押しまくれってある人に言われましたっ」

 

詞羽は俺の言うことなど意に介さず、俺の手を取ったまま校舎を走る。

途中で見覚えのある顔を見かけた。

 

「詞羽ちゃん……がんばって……。私も、がんばるから」

 

そいつは俺たちを見て何か呟いたみたいだったが、ほとんど聞き取る暇もなく俺たちは彼女を通り過ぎる。

 

そのまま俺は詞羽に手を引かれるまま商店街までやってきた。

 

「ったくどういうつもりだよお前……」

 

「あはははっ。いいじゃないですか。みんなに注目されて楽しかったし」

 

「はあ……。で、このあとどうすんの」

 

「そうですねえ……。特に考えてませんでした」

 

むりやり連れ出しておいてそれか……。

 

「じゃあ俺は帰る。忙しいって言ったろ」

 

「あーあーっ! ダメですっ。ていうかそれはウソって言ったはずですっ」

 

「どうして言い切れるんだよ……」

 

「先輩がウソつく時の癖、知ってますから。すぐ見抜けますよ」

 

「マジか……」

 

「マジです」

 

ウソつく時の癖なんかあったのか……。

でもなぜそんなことまで出会って間もない詞羽にバレているのか。釈然としない。

 

「そだ。スイーツ食べに行きましょう。スイーツ」

 

そう言って詞羽は俺の了承を得ることもなく歩き出す。どこまで勝手な少女なんだか……。

そういえば未だに手を繋いだままだった。

 

「おい、手」

 

「へ? あっ。すいませんっ」

 

手を繋いだままであることを詞羽も忘れていたようで慌てて手を離される。その顔は少し赤みがさしていた。なんだよ。俺まで少し意識してしまうじゃないか。

 

「別に。もう逃げやしないよ。ウソもバレてるようだし」

 

「そですか。では行きましょー。私おすすめのお店へご招待します」

 

詞羽はそう言って笑顔で俺の隣を歩く。

 

その後おすすめのお店とやらでザッハ…ルトルテ? とか言うケーキを食べて、適当に詞羽の話に付き合った後店を出た。

時刻は夕日が差し込む頃になっていた。

 

「そろそろ解散か? つっても帰る方向は同じか」

 

「先輩、海、見に行きませんか」

 

少し前を歩いていた詞羽はこっちを振り返りながら言った。夕日に照らされる彼女の顔はいつもよりもだいぶ大人びて見えた。

 

 

 

「わあ……すごいですね」

 

海岸まで着くと、ちょうど太陽が遥かな水平線に沈みこむところ。オレンジが辺りを埋め尽くし、荘厳な景色に見えた。

 

「海が近くにあっても、意外とこんな瞬間を見に来ようなんて普段は思わないしなあ」

 

「そうですね」

 

無くなりかけの夕日を見つめる彼女はとても儚く見えた。何か、今にも消えてしまいそうな。そんな雰囲気さえ感じた。

 

しばらく海と夕日を眺めていた。

完全に辺りが闇に染まった頃。

詞羽が呟いた。

 

「愛するものが死んだ時には、自殺しなけあなりません。愛するものが死んだ時には、それより他に、方法がない」

 

聞いた瞬間、心臓を掴まれたように感じた。

 

「なんだ……それ……?」

 

「えっ……? いえ……何でもありません。忘れてください」

 

詞羽自身も自分の呟きに少し驚いたようだった。

自然と口からもれでたかのように見えた。

 

「そんなことより、先輩は、何かやりたいことはありますか」

 

「それは今か? それのもこれからのことか?」

 

「どっちでもいいですけど、いま聴きたいのはこれからのことです。先輩はこれから先のことを、見ていますか」

 

何も言えなかった。

言葉を選ぶことすらできなかった。

きっと、俺は何も考えていなかったから。

 

「私はたくさん、ありますよ」

 

「先輩ともっと遊びたい」

 

「先輩ともっと話してみたい」

 

「先輩のことがもっと知りたい」

 

「先輩と……由紀さんの話がしたい」

 

 

「っ!?」

 

「やっぱりお前……事故の前から由紀ねえのこと知ってたのか」

 

「はい。小学校の頃から。由紀さんにはとてもお世話になりました。由紀さんのおかげで私は生きています。今も、昔も」

 

「……そうか」

 

そんな言葉しか出てこなかった。

詞羽にもきっと色々な想いがあるのだと思った。

由紀ねえが死んで苦しんでいるのは俺だけではないのだ。でも今はまだ由紀ねえのことを話そうとはどうしても思えなかった。いつかは2人で語らえるだろうか。

 

「だから、先輩のことも知ってましたよ。と言っても私が一方的にですが」

 

「そうか」

 

「そうだ、最初の質問。もう一度してもいいですか?」

 

「最初の質問?」

 

「はい。先輩はもう……サッカーをしないんですか?」

 

「ああ、それか……」

 

たしかに2週間前、彼女の第一声はそれだった。

そういえば、答えていなかったっけ。

でも、俺はもう……サッカーは……。

 

「やらないよ」

 

「もう、俺があのグラウンドに立つことはない」

 

「……なぜですか」

 

「それは……あれだよ。俺はきっとサッカーが好きじゃなかったんだ」

 

適当な理由を捻り出す。

でもそれもウソというわけじゃなかった。

 

「……そうですか」

 

「でも私は……私は……先輩のサッカーが好きでしたよ。サッカーなんてよく分かんないけど、ボールを操る先輩はとても眩しかったです」

 

それに対して俺は何も言うことができなかった。

詞羽の声はとても切実なもののように思えたから。

もう、適当な言葉を紡げなかったのだ。

 

その後はしばらく日の沈んだ海を見つめ、特に会話もなく別れた。

 

詞羽のふいの呟き。

由紀ねえのこと。

サッカーのこと。

詞羽の言葉ひとつひとつが妙に俺の頭に残っていた。

 



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亡霊

早朝からランニング。

それから朝練に参加。その後は学校の授業。

放課後は部活で練習。夜も近くの公園で練習。

明らかにオーバーワークだ。

それは分かっている。

でもそうせずにはいられなかった。

だから今日もオレは夜の公園でボールと向き合う。

この公園にはたくさんの思い出があった。

幼馴染4人の思い出があった。

そんな思い出に浸りながらコーンの間をジグザグにドリブルをする。

 

「毎晩毎晩よくやるわね」

 

不意に声がかかる。

しかしオレは気にせずドリブルを続ける。

彼女が来るのもまた毎晩の事だったから。

もう慣れてしまった。

ひと通りのドリブルメニューを終えるとオレはベンチに座る彼女——理奈の方へ駆け寄る。

 

「お前も、毎晩毎晩よく来るな」

 

「ほい」

 

「サンキュ」

 

理奈からスポーツドリンクが手渡される。

オレはそれを一気に飲み干した。

 

「調子はどう?」

 

「さあな」

 

「もうすぐ試合でしょ?」

 

「おう。うちはそんなに強くないからほとんどの3年は夏で引退する。だからこれが高校最後の大会」

 

「そっか。……頑張って」

 

「ああ」

 

勝ちたい。

チームとしてどこまで行けるかは分からないが、オレ個人としてはどんな選手にだって負ける気はしなかった。オレが点を獲って勝つ。

そしてそんな姿を由紀さんに見て欲しいと願う。

 

「ねえ、最近あいつ、ちょっと変わったよ」

 

理奈が呟く。

あいつが誰を指すのかはすぐに分かる。

 

「そっか」

 

「うん。久しぶりにちょっと楽しそうだった」

 

「なんかあったのかな」

 

あいつとはあの日以来あまり話していなかった。

お互いになんとなく避けているのだろうか。

 

「うーん、そうねえ……『出会い』、かな」

 

「そっか」

 

詳しく聞く気にはなれなかった。

だって、『出会い』という言葉からはあいつから由紀さんの存在が薄れていくように感じたから。

オレとは違うと思った。

 

「それで、あんたは?」

 

「えっ?」

 

「あんたは、前を見てる? 前に、進めてる?」

 

「当たり前だろ」

 

前を見ていないならなぜこんなにまで練習に取り組んでいるというのか。

由紀ねえを追いかけて、オレは前に進んでる。

大丈夫だ。大丈夫。大丈夫なんだ。

 

「そ」

 

そこで会話は途切れ、オレは練習を再開した。

 

「私はあんたが一番、心配だよ。太一……」

 

「あんたは未だに由紀ねえの亡霊に取り憑かれてるんだ……」

 

「恨むよ……由紀ねえ……。私にばっかり押し付けないでよ……」

 

理奈が何か言っているように見えたが、オレの耳には届かない。

 

最後の大会。

高校最後の夏が始まろうとしていた。

——始まる、ハズだった。

 

 



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ヒーロー

 

「有宇がピンチの時には絶対お姉ちゃんが助けてあげるからね」

 

昔、由紀ねえに言われた言葉。

俺は由紀ねえに守られてばかりだった。

面倒かけてばかりだった。

由紀ねえは俺のヒーローだった。

たけどそれじゃ嫌だったんだ。

俺が由紀ねえを守れるようになりたい。

由紀ねえのヒーローになりたかった。

 

「由紀ねえ、俺は由紀ねえを守るヒーローになるよ」

 

「どうしたの? 突然」

 

「アニメでヒーローが言ってた。男は好きな女の子を守るものだって」

 

「それならお姉ちゃんのヒーローじゃだめでしょう? 有宇の好きな女の子を守らなきゃ」

 

「だ、だからっ。俺の好きな人は……由紀ねえだから……」

 

「あは。そっか。ありがとう。じゃあ約束。お姉ちゃんがピンチの時はすぐに駆けつけてね。私のヒーロー」

 

そう言って由紀ねえは俺の頭を撫でた。

小学生の頃の話だったと思う。

今の俺にはあんな小っ恥ずかしいこと言えやしない。

由紀ねえは覚えていなかったかな。

でも俺はずっと覚えていた。

 

由紀ねえのヒーローでありたかった。

でも——

 

「有宇はお姉ちゃんを守ってくれるんじゃなかったの?」

 

暗闇の中。由紀ねえがいた。由紀ねえの声が響く。

 

「私のヒーローなんじゃなかったの?」

 

俺を責める声。

 

「約束、したよね?」

 

「ヒーローになるって約束も星を見るって約束も、有宇は守ってくれなかったね」

 

そうだ。俺は何一つ守れてない。

そしてもう永遠に約束を果たせることもない。

 

「守れない約束なんてしないでよっ!!」

 

由紀ねえが叫ぶ。

 

「由紀ねえ……俺は……俺は……!」

 

由紀ねえに向かって手を伸ばす。

その瞬間、意識が遠ざかった。

 

目を開けるとそこには見慣れた天井が。

 

「夢か……」

 

由紀ねえはあんなこと言わない。

そんなこと分かっている。

でもその夢は俺の胸を締めつける。

いつまでも、どこまでも、何度でも。

果たせない約束と守れなかった絶望は俺を苦しめる。

 

今日は早めに家を出た。

詞羽を避けるためだ。とても詞羽と話す気分ではなかった。1人学校に向かう。

頭の中を今朝の夢がぐるぐると回り続ける。

 

「最近は見てなかったのにな……」

 

授業に出る気にはなれなかった。

こんな気分でまた受験だなんだとめんどくさい教師の話を聞かされるのは御免だ。

授業を逃れて行き着いた場所は学校の屋上。

由紀ねえが死んでからはたまにここに来る。

立ち入り禁止になっているが入ろうと思えばふつうに入れるのだ。しかし当然人はいない。一人になりたい時にはうってつけの場所だった。

鞄を漁り適当に持ってきた本を取り出す。

取り出した本は「人間失格」

 

「うげ、ラノベじゃねえじゃんこれ」

 

タイトルも見ず適当に入れてきたためだ。

由紀ねえの本だったのかもしれない。

 

「まあいいか。なんでも」

 

内容なんてどうでも良かった。ただ何もしないでいると嫌なことを考えてしまうから、活字を眺めていたいだけだ。内容は全く頭に入ってこない。

 

しばらく床に寝転がりながら活字を眺めていると屋上のドアが開いた。

誰か来た? 誰が? 教師か?

しかしこれまで一度もここに人が来たことはない。

それに今は授業中のはずだ。

こんな時間にここに来るのは——

 

「先輩、サボりですか?」

 

「……お前もだろ」

 

同じくサボりの人間だけだった。

 



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屋上

俺ひとりの空間だった屋上に少女が立っていた。

肩くらいまで伸ばした艶のある黒髪。整った顔立ちはまだ幼さが残り、綺麗というよりは可愛いという感じだ。

 

「私は先輩を探しに来たんです」

 

「なんで俺がサボってること知ってるんだよ……」

 

「ある人に情報を頂きました。きっと先輩はここにいるって」

 

俺のことを知ってる人間というと恐らく理奈だろう。

詞羽は由紀ねえと知り合いだったという話だから理奈と交流があったとしてもおかしくはない。まあそれにしても理奈はどうして俺のサボりを知っているんだという話だが……。

 

「それで、授業サボってまでなんか用か?」

 

結局問題はそこだ。詞羽は何をしにきた。

今日は詞羽と話す気分ではない。

 

「先輩が授業サボるのって珍しいですから。あと朝も先に行かれちゃいましたし、何かあったのかなって」

 

この年下の少女はなぜこうも俺を気にかけるのだろう。なぜ俺を知りたがるのか。一緒にいたがるのか。

詞羽に好かれる理由なんて無い。むしろお互いに避けるべき相手のはずだろう。それなのになぜ……。

 

「……別に」

 

それはともかくとしても詞羽に由紀ねえのことを話す気にはなれない。

 

「……そうですか」

 

詞羽はそれ以上踏み込んでは来ない。

強引な少女だか、人の心に土足で踏み込んでくるほど詞羽は空気の読めない人間ではなかった。

強引にいっていい場面と踏み込んではいけないラインをわきまえている。

 

会話が途絶える。

俺は本を閉じて適当に空を眺めた。

青空が広がっていた。

気づくと詞羽は俺の隣に腰を下ろしていた。

詞羽は俺の持っている本に気づくと尋ねた。

 

「あっ。それ『人間失格』ですか?」

 

「ん……ああ」

 

「先輩もそういうの読むんですね」

 

「どういうことだよ」

 

「由紀さんが弟はラノベばっかり読むっていってましたから」

 

「……そか」

 

由紀ねえの話を広げる気はない。

そもそも会話を広げたくもないのだが。

 

「私はそれ、嫌いです」

 

詞羽は空を眺めながら言う。

表情はイマイチ読み取れなかった。

 

「『人間失格』が、か?」

 

「はい」

 

「なんで?」

 

適当に流し読みしていたからあまり内容が頭に入ったわけではないが、俺はこの物語を心地良く感じていた。

 

「共感してしまったからです。あの狂人に」

 

「共感したってことは好きなんじゃないのか?」

 

「そう……ですね。『人間失格』が嫌いなんじゃなくて、私はそれを読んで共感した自分が嫌いなんです。許せなかったんです」

 

詞羽は少し考えながら話した。

その言葉の意味はよく分からなかったが言葉以上の意味が込められてるように感じた。

 

「そっか。……詞羽は自分が嫌いってことか?」

 

「そうです。すごく……嫌いです」

 

空を見つめる詞羽からはやはり感情が読み取れない。

彼女自身以外には理解できない感情なのかもしれないと思った。

 

「俺も嫌いだよ。自分が。どうしようもなく」

 

俺も自分を嫌った。由紀ねえがいないこの世界に生きてるいる自分も。全てから逃げている自分も。嫌いだ。詞羽に会ってから由紀ねえのことをよく思い出す。それはやはり逃げていたからなのだろう。由紀ねえが関わる詞羽という少女の出現により俺はそれを理解した。俺は由紀ねえの死を乗り越えたのではなく、逃げて、忘れようとしていただけなのだ。それが許せない。

 

「同じ……ですね」

 

「そうだな」

 

己を嫌う2人。

それではきっとダメなのだと思う。

しかしどうすれば良いかなど分からない。

俺たちは自分を好きになれるのだろうか。

 

 



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幸福のありか

人はどんな時に幸せを感じると思う?

美味い飯を食ったとき。友人と遊んだとき。好きな人と結ばれたとき。大金を手に入れたとき。

あるいは人によってはもっと別の瞬間に幸福を見出すかもしれない。

俺にとってのそれは由紀ねえと、それから太一と理奈と、幼馴染の4人で過ごす時間だったのだろう。

にぎやかな日常を煩わしく思ったこともあった。しかし失った今でこそわかる。

きっとあの時間こそが俺にとっての幸福。金色に輝く時間だったのだろう。

幸福というのはきっと後になって気づくものなんだ。失ってから気づく。

ああ、今しあわせだなあ……なんて日常的に思ったりしないだろう?

後になって、あの頃は幸せだったと人は語るのだ。

そして幸福とはきっと麻薬のようなものなんだ。

人は今が幸福であることに気づかずもっともっとと貪欲に、さらに上の幸福を求める。

求める幸福に際限はない。俺だってあの幸福が続いていたら、そこに安寧してはいられなかったのだろう。

しかし幸福と不幸はコインの裏と表だ。幸福は不幸の中に、不幸は幸福の中に介在する。

ふとしたことが原因で裏返る。

俺の場合は由紀ねえの死。

幸福な日常は崩れ去ってしまった。

幸福は一転、日常は姿を変えた。

由紀ねえのいない日々はひどく空虚だ。

そんな日々を4か月ほど過ごした。

時間が経てばそれも日常になるのだと思った。

実際俺は由紀ねえのことを考えなくなっていたんだ。

でもそれはただ逃げていただけに過ぎない。

忘れようとしていたんだ。由紀ねえのことを。

本当に哀しみを乗り越えていたのなら、俺の日常にはまた変化が生まれていたのだろう。しかし人間関係を築くこともせず、受験からも目を背けていた。

空虚な日常を受け入れていただけなんだ。

それに気づいた。暁詞羽に出会ったことで。

彼女はきっと由紀ねえに似ているんだ。彼女の行動ひとつひとつに俺は懐かしさを感じる。由紀ねえの記憶を喚び起させる。だから俺は彼女からも逃げようとする。でもそれではダメなんだろう。彼女がなぜ俺に近くのか、彼女のことは分からないことだらけだ。

だから、詞羽と向き合わなければならない。

由紀ねえが救った少女と向き合うことが、俺に必要なことなんだと思う。

その先に何があるのかは分からない。

それが由紀ねえの死を乗り越えることに繋がるんだろうか。そもそも乗り越えるとはどういうことだろう。忘れるのとは違うのだと知った。

しかしそれがどういうことなのかは分からない。

それでも、やってみようと思う。

俺は詞羽のことが単純に気になっているのかもしれない。

あの何を考えているのか分からない少女のことが。

由紀ねえに似ているから?

由紀ねえが救った少女だから?

俺は彼女を由紀ねえの面影に重ねているのだろうか。

今はそれでも良い。

これから詞羽と過ごす時間に特別な意味を見いだせればいいなと思う。

 

確かな不幸を見た俺は次の幸福を求めて、進むことを決める。嫌いな自分を放り投げよう。いつか過去の幸福を想って笑える日が来ることを願って——。

 



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後輩との朝

少し更新頻度を上げたいなあと……。


俺は前に進むと決めた。詞羽と向き合うと決めた。

だけどこの詞羽との関係は正しいと言えるのだろうか。本物になり得るだろうか。こんなのはただの馴れ合いではなかろうか。欺瞞ではなかろうか。傷の舐め合いにすぎないのではないか。

この問いの答えは見つからない。進んでみなければ分からない。

きっと進んだ先にあるものこそが全てだ。間違っていたとしてもいい。その時の俺がまた考え直して新しい道を探すだけだ。きっとそれが人生ってやつなんだ。1つの不幸、間違いの度に立ち止まっていては始まらない。だから今の俺は俺が正しいと思ったことをする。

そんな俺の中に渦巻く希望と、不安とが蔓延る思いを知ってかしらずが、GW初日、暁詞羽は今日も俺の元に押しかける。

 

「んで、お前は何しにきたんだ」

 

玄関の先、ドアを開けた所にいる少女に尋ねる。

休みの日であるため今日の彼女は私服だ。

デニムのショートパンツ。肩口や袖にフリルがあしらわれたノースリーブのブラウス。そしてトートバッグを手から提げていた。

いつもと違ってほんのり化粧もしているような……?(いやいつもしていても俺が気づかないだけかもしれないが)

これは俺の意識が変わったからなのか私服だからなのか、詞羽が普段よりも綺麗に、可愛く見えた。

それでも、俺の詞羽に対する態度は今までとあまり変わってはいないのだが。いくら決心を固めたと言っても、いきなり何かしら対応を変えるなんて出来なかった。詞羽のことをしっかり見ることから始めてみよう。

 

「せっかくのGWなので、先輩とお出掛けしようと思いまして」

 

「俺は全く聞いてないんだが」

 

「言ってないですから」

 

「なぜに」

 

「だって絶対何かしら理由つけて逃げるじゃないですか。だから勝手に押しかけちゃいました」

 

そう言って軽くウィンクする詞羽。

ちくしょう今日の詞羽はやけに可愛い。

 

「俺に拒否権はないのか」

 

「ないです♫」

 

気持ちいいくらいの笑顔の詞羽の言葉からは音符が飛んでいるような気さえした。

 

「……」

 

「あ、先輩朝ごはんは食べました?」

 

「まだだが」

 

「じゃあ私が作りますよー。キッチン借りてもいいですか?」

 

返事を聞かずにドカドカと家に侵入する彼女。

ここでも俺に拒否権などないようだ。

 

「おいおまっ」

 

詞羽を追いかけ静止させようとするが彼女は止まらない。

玄関を通りリビングの先のキッチンへ。

 

「冷蔵庫開けますねー」

 

そう言って彼女は冷蔵庫を開け、中身を物色する。

 

「あ、意外と色々あるんですね。これなら問題なく作れそうです」

 

食材を取り出し、そさくさと料理を始める詞羽の後ろ姿を見て俺は抵抗を諦めたのだった。それから俺は作ってもらうだけなのも忍びないのでキッチンに立つことにした。詞羽の隣に行く。

 

「俺も作るよ」

 

「えっ、先輩料理できるんですか?」

 

「ナメるな。これでも一応ほぼ一人暮らし状態なんだぞ。料理くらいできる」

 

由紀ねえがいた頃は2人で交代で朝食の準備などをしていた。

一人暮らし状態の今となってはあまり手の込んだものなど作らないのだが、ふつうに料理する程度なら問題ないつもりだ。

 

「先輩、卵焼きと目玉焼きならどっちがいいですか? あ、いえやっぱり卵焼きにします」

 

「おい」

 

「だって先輩目玉焼きにマヨネーズかけるんでしたよね……。問答無用です」

 

そういえばそんな会話をしたこともあった。

 

「卵焼きにだってマヨネーズは美味いけどな」

 

「うっ、そ、そんなの邪道ですっ。今日のは私特性だし巻き卵ですから、マヨネーズが入るすきなんてないです」

 

「まあそういうならかけないが」

 

別にマヨラーというほどでもないし。正直なんでもいいのだった。

それから詞羽はだし巻き卵を作り、俺は適当に味噌汁を作ったりたまたま買ってあった鮭を焼いたりした。

ご飯は炊いてあったためそれで完成だ。

だし巻き卵に鮭の塩焼き、味噌汁、ご飯。

日本人らしい朝食ができあがった。

 

「「いただきます」」

 

2人でテーブルにつき、朝食をとり始める。

詞羽が座った席はいつも由紀ねえが座っていた席だ。

俺は詞羽の作っただし巻き卵から手をつけてみる。

なぜか詞羽は俺の反応を探るように見つめている。

 

「……美味いな、これ」

 

ふんわりと口の中にだしの旨味が広がった。

このまま食べるだけでも美味しいが、ご飯と一緒に食べても良さそうだ。

俺の感想を聞いた詞羽はしてやったりといった笑顔で言う。

 

「そうでしょう。そうでしょう」

 

「おう、美味い」

 

ニタニタと笑う詞羽を見てると何が味にケチをつけたくもなるが、料理の美味しさの前に為すすべはない。

パクパクとだし巻き卵を口に放り込む。

 

「気に入ってもらえて良かったです」

 

言いながら詞羽は味噌汁や鮭を口に運ぶ。

 

「あ、お味噌汁もお魚も美味しい。先輩ほんとに料理できるんですね」

 

「ほんとにってなんだよ。まあいいけど」

 

ひと通り料理の感想を言い合った後は2人で作った朝食を楽しんだ。

 

「「ご馳走さまでした」」

 

2人手を合わせて食事を終える。

それから洗い物を終えたタイミングで俺は詞羽に聞いた。

 

「それで、出かけるって言ってたけどどこ行くんだ?」

 

「あ、言ってませんでしたね。映画ですっ。映画!」

 

観たい映画があるんですよ〜と詞羽が続けて答える。

かなり楽しみにしている映画のようだ。

 

「映画……それならショッピングモールか」

 

「ですです」

 

ここら辺で映画を観るとなるとそこしかない。

それなりに田舎で、それなりに都会のこの街ではひと通りのアミューズメントは揃っている。

 

「それではちょっと休憩したら出発しましょう」

 

そうして俺と詞羽の突発的な映画館デート(?)が始まった。

波乱が待っていそうな、そうでもないような……。

少し楽しみになっている自分がいることに俺は気付き始めていた。

 

 

 

 

 

 




2月中に終わらせたい(願望)


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暗雲

5月の空は寒くもなく暑くもなく、とても心地よい。

映画館のあるショッピングモールへはバスを使った。

歩いて行くには微妙に遠いのだ。

道中で詞羽に今日見る映画のことを聞いた。

恋愛映画らしい。原作は小説でベストセラーだとかなんとか。あまり詳しくない俺でも映画の広告や宣伝を見たことがあるような人気作品だった。

 

ショッピングモールに着く。

券売機でチケットを購入。詞羽はしっかり上映時間のことも考えていたようで15分後の上映のチケットを買うことができた。

ポップコーンとジュースを買ってから俺たちはスクリーンのある部屋に足を踏み入れた。

目の前に広がる大画面。たくさんの座席。

映画を観るのは久しぶりだ。映画を観る前独特の緊張感。ワクワク感。少し楽しみになってきた。

 

「楽しみですね」

 

幸せそうにポップコーンを頬張りながら詞羽が言う。

 

「つまらなかったらお前に文句を言ってやるよ」

 

「また捻くれたこと言って……」

 

詞羽が苦笑する。

しばらくすると部屋が暗闇に包まれ、上映が始まった。

 

無口で友達のいない少年。

そんな少年がひょんなことからクラスメイトの少女の秘密を知ってしまう。その少女は病気を抱えていた。

あとどれだけ生きられるかも分からないという。

秘密を共有する2人は少しずつ距離を縮めていく。

そして突然に彼女へ訪れる死。

病気によるものではなく事故だった。

彼女の死後、少年は少女が残した日記を読んで涙する。そして少女との経験が、少年を変えたのだった。

 

そんな内容。EDが流れだす。

ふと、隣に座る詞羽を見ると彼女は泣いていた。

泣きながらスクリーンを見つめていた。

泣いているにも関わらず俺には詞羽の感情があまり読み取れなかった——。

 

上映が終わり、俺たちは近くのカフェに入った。

俺はコーヒー。

詞羽は紅茶とショートケーキを頼んだ。

 

「良かったな。映画」

 

気づけば俺から声をかけていた。

良かったとしか言えない自分の語彙力の低さには気が滅入るが、何か伝えたいと思った。

 

「そうですね。とても胸を打たれました。ちょっと泣いちゃいました」

 

そう言って薄く笑う彼女の目はまだ赤く腫れ上がっていた。

 

「ちょっとじゃないだろ。めっちゃ泣いてた」

 

「んなっ。先輩何見てるんですかっ。画面見ずに私に見惚れてたんですかっ!?」

 

「ち、ちがわいっ。気にしてなくても分かるくらい泣いてるお前が悪い」

 

「むぅ〜」

 

彼女が頬を膨らませて抗議の目を送ってくる。

俺はそれをスルーしてコーヒーに口をつけた。

美味い。後輩をからかって飲むコーヒーは美味い。

 

そこで女子高生くらいの3人組が俺たちの席を通りがかった。派手めな格好をした少女たちだ。そのまま通り過ぎるかと思いきや、俺たちの前で何かに気づいて足を止める。

その目は俺ではなく詞羽を捉えていた。

 

「あれえw? 詞羽ちゃんじゃん〜」

 

少女のうちの1人が詞羽に声をかける。

少し嫌な雰囲気を感じた

詞羽の知り合いだろうか。そう思って詞羽をみる。

しかし声の主に気づいた詞羽は目を見開いて固まっていた。肩が震えていた。明らかに普通ではなかった。

 

「っ……」

 

詞羽が声にならない声を漏らす。

 

「ひ〜さ〜し〜ぶ〜り〜wていうかまだ生きてたの? ww」

 

「ちょっそれさすがにひどくなーいw?」

 

「いやでもほんとあんなことがあってよく生きてられるよね〜ww」

 

「あたしだったら申し訳なくて生きていけな〜いww」

 

あははははははと3人組の下品な笑い声が響く。

なんだ、これは。なんだ、こいつらは。

ひどく、不快だった。

俺の向かいに座る少女が嘲笑されていた。

詞羽が震えていた。顔は俯いていた。

肩を震わせ、何かにじっと耐えている。

このままではいけないと思った。

詞羽とこいつらの関係なんて知らない。

だけど、こいつらはだめだ。こいつらは、有害だ。

そう思った瞬間、俺はテーブルを思い切り叩いて立ち上がっていた。大きな音が店内に響く。

お店の人には申し訳ないな。

それでも俺はすぐさま向かいに座る少女の手を取る。

 

「おい。いくぞ、詞羽」

 

「どけっ」と言って3人組を散らす。俺が睨んで何か効果があるのかは知らないがとりあえず睨んでおいた。机を叩いたことで多少は動揺したようで彼女たちは萎縮していた。

俺はひと睨みした後は彼女らに一瞥もくれず、詞羽を手を握ったまま店を後にした。

店員には謝っておいた。

「な、なんなのよ……」とか3人組の1人が愚痴ってる声が聞こえた気がした。

詞羽は俯いたまま糸が切れた操り人形のように、俺に手を引かれるまま付いてきていた。手を放したらそのまま座り込んでしまいそうなほど、彼女に力はこもっていない。

俺はそんな詞羽の手を強く握り直した。

この手を放したくない、放すわけにはいかないと思った。

 

 



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