迷宮町のニイさん(仮) (ダークエルフスキー)
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ぷろろーぐ

 神崎モコの兄、神崎ニイヤは迷宮探索者である。

 そのニイヤが迷宮内で事故に遭い、変わり果てた姿になって病院に運ばれたのは夕方のことであった。

 

 

 モコが物心をつく前から両親はいなかった。

 神崎家に親戚はなく、年の離れた兄が親代わりになってモコを育ててくれた。

 中学を卒業したばかりのニイヤはスコップ片手に迷宮へと入り、モンスターを倒して二人が生きていくための生活費を稼いだ。

 迷宮探索だけでも大変な重労働だというのに、ニイヤは幼い妹の面倒もしっかりとみたのだ。

 モコがそんな兄を尊敬するのは当然のことであった。

 両親不在のモコが人並み以上に贅沢な暮らしができるのは、ニイヤが迷宮探索者として十年以上も頑張ってくれたおかげである。

 彼女が兄を嫌いになる理由などまったくなかった。

 

 

 料理中に連絡を受けたモコは病院に駆け込んだ。

 モコに詰め寄られた看護師が悲鳴をあげた。

 

 

 迷宮探索者とは危険を省みずに迷宮奥底へと潜り、強靭なモンスターと戦う仕事だ。

 モコは、探索者として一流と言われる兄でも重症を負う可能性はあると常に覚悟していた。

 そのようなときに慌てないよう、モコなりに心備えはしていたつもりだ。

 しかし実際に直面すると恐怖しかなかった……ニィさんどうか無事でと心の奥底から願った。

 モコは看護師に教えてもらった病室の扉を叩きつけるように開いた。 

 

 覚悟はしていた……しかし、こんな事態になるとはまったく想定してなかった。

 

 モコに気がついたニイヤが病室のベッドから身を起こした。

 

「やあ、モコ……迷宮で珍しいトラップに引っかかってね」

 

 セクシィな唇から洩れるのはハスキーボイス。

 腰まである濡れ羽色の黒髪が眩しかった。

 確かにロックな兄だが、短髪だったはずだ。

 

「気がついたら、こんな姿になってさ」

 

 眉を困ったようにハの字にした妖艶な美貌。

 神秘的な双眼は赤と青のオッドアイ。

 確かに中二病の毛もある兄だが、黒目だったはずだ。

 

「ははっ、本当に参ったもんだよ……」

 

 姿勢を変えるたびに強調される魅惑的な体のライン。

 野暮ったい検査衣を着てもわかる、メロンみたいに大きい胸。

 確かにおっぱい星人の兄だが、おっぱいなんてなかったし、こんなにグラマラスでもなかったはずだ。

 

「まあ、これからは神崎姉妹(・・)として二人で頑張っていこう……はい、お土産デス」

 

 ベッドの上から、モコが大好きな迷宮饅頭を申し訳なさそうに差しだす絶世の美女。

 モコは口をぽかんと開き、手に握ったままだった包丁をリノリウムの床に落とした。

 

 兄が姉になって……深夜系ラノベアニメにでてきそうなエロ魔女な容姿に変貌していた。



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そんな生活でも一ヵ月もすれば慣れるもの

 朝食を作っていたモコはキッチンに入って来た人影に気がついた。

 ややタレ目気味な眠たそうな美女。

 黒髪の魔女というネーミングが合いそうな兄のニイヤである。

 

「おはよう、ニィさん!」

「おはよモコ、今日も朝から元気だね」

 

 魔女は迷宮新聞を片手に椅子に座ると、妖艶な美貌をコミカルに歪ませて大あくび。

 豊かな胸の球体がエロイ感じでたゆんと揺れた。

 モコは何だかもったいないなぁ、という気持ちになる。

 たぶんこれが世に言う、残念な美人ってやつなんだろう。

 

「ねぇ、ニィさん」

「ん、なんだ?」

「色々言いたいことあるけど、取り敢えずブラジャーは着けたほうがいいよ?」

 

 新聞を広げていたニイヤは盛りあがった自分の胸を見下ろした。

 シャツにトランクス。

 以前と同じ朝の姿だがトランクスは女物になっていた。

 

「ブラジャーか……胸が苦しくてなぁ」

 

 そう呟きつつ、ニイヤは乳房を指で鷲掴みにした。

 重量級のおっぱいがモコの目の前でもにゅもにゅと形を変える。

 こんなの駄肉の塊と言わんばかりの無造作な扱いである。

 どうやらおっぱい星人のおっぱい愛も、自身のものには適用されないらしい。

 慎ましいモコは、切なさと愛しさと妬ましさを感じてしまう。

 

「くっ!? ……で、でも、巨乳の人がブラジャー着けないでいると、クーパー靭帯が切れて垂れ乳になっちゃうらしいよ。びよよ~んって伸びるらしいよ?」

「それ、まことか……?」

「うん、そういうのが好きなら止めないけど、私は垂れるのは嫌だなぁ……」

「モコ、乳に貴賤はなしだぞ! ……とはいえ自分が垂れ乳になるのは私も嫌だ……不本意だがブラジャーはなるべく着けることにするよ」

「うんうん、それがいいよ。はい、お味噌汁」

「お、あんがとさん」

 

 朝食の準備を終え、モコも食卓に着く。

 ニイヤが厳かに手を合わせ目をつぶる。

 モコも同じように手を合わせた。

 

「では、いただきます」

「はい、いただきます」

 

 十数年続く神崎家のいつもの朝の光景、二人は食事を開始した。

 

「美味い! モコの料理は相変わらず美味いな! これならいつでもお嫁さんに行けるぞ」

「はいはい、ニィさんご飯のお代わりいる?」

「大盛で!」

 

 モコは丼にご飯をよそい、ニイヤに手渡す。

 漬物と焼き鮭の切り身をつつく兄の姿。

 豪快な食べ方だが下品ではない。

 美人補正というわけではなく、口を開いて咀嚼しないし、余計な音を立てないからだろう。

 多分、豪快に見えるのは食べるペースが早いからだ。

 

「でもよかった、ニィさんの食欲が戻ってきて」

「ああ、ようやく前と同じくらいに体を動かせるようになったから、そのぶんエネルギー消費も増しているみたいだ」

 

 この一ヵ月、通院しながらリハビリしていたニイヤは味噌汁を美味そうにすする。

 こくこくという喉の動きに追従して胸の球体がまた揺れた。

 それを何となく目で追ってしまうモコ。

 

「……あの、できればもう危険なことはして欲しくないかな」

「ん、ああ……」

 

 しんみりとしたモコの雰囲気に気がついたのか、ニイヤは箸を食卓に置いた。

 

「まあ、探索者は当分休みだ……体は動くけど持久力が格段に落ちてるから」

「そうなの?」

「うん、マッスル(人工筋肉)スーツがあるとはいえ、地の体力までは補えない」

「女になったから?」

「そうかも? 専業の探索者に女が少ないのは、そういうことなんだろうなぁ」

 

 サンケー仕事だし、にひひ、とニイヤは笑った。

 

「じゃあ、無理しない?」

「しないしない、まずソロで迷宮探索なんてもうできないさ」

 

 その返答に安堵するモコ。

 ニイヤは湯呑のお茶を絵になる風情ですする。

 豊満な二つの球体が緩やかに揺れていた。

 モコは唐突に、つきたてのお餅を食べたくなった。

 

「前より稼げないけど、前よりは安全な迷宮の仕事があるらしいから、今日はその職場見学にいってくるよ」

「あ、そうなんだ……というかその話、私は聞いてないよね?」

「あーほら、モコも今回のことで少しナーバス気味だったろ? それで迷宮関連の仕事というと、またストレス与えちゃうかなと、何だか言いにくかったんだよ」

「もう、そんなに私、弱くないよ!」

 

 スマンスマンと大らかに笑う黒髪の美女。

 容姿や性別は大きく変わったが、その仕草はモコの知っているニイヤのものだ。

 紛れもなく、目の前の美女はモコが大好きな兄であった。

 その認識に、今まで心で引っかかっていた何かが、遠慮というものが溶けていく感じがした。

 

「……あの、ニィさん」

「なんだ?」

 

 モコはにっこりと微笑んだ。

 

「おかえりなさいお兄ちゃん!」

「ん? ああ、ただいまモコ」

 

 ニイヤも笑顔を浮かべた。

 たゆんたゆんと揺れた。

 

「それとニィさん」

「あい?」

「その自己主張の激しいアグレッシブなおっぱいさまを、これからの私の人生のために揉ませて頂いてもよろしいでしょうか?」

「お、おう? 人生? …………どうぞ?」

 

 

 とてもとても柔らかかった。

 モコはヘビィ級おっぱいの感触を人生の経験値にした。



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モコはニイヤと一緒に家をでることにした

 女子高生であるモコは、当然だが平日は学校に通う。

 普段はモコを見送ったあと二度寝するニイヤだが、今朝は迷宮管理局に向かうため珍しく一緒に家をでていた。

 

「ニィさん、戸締りのほうは大丈夫?」

「ああ、確認しておいた」

 

 最近この周辺にも空き巣が目立つようになって物騒である。

 もっとも、迷宮の物騒さに比べたら可愛いものだが。

 

「ふ~ん」

「どうしたのニィさん?」

「いや、モコの女子高生姿も一年前と比べるとだいぶ様になってきたなって思って」

「そう? どうなんだろう?」

 

 モコはスカートを片手で軽く摘まみ、自分の姿を見た。

 着ている制服は今風デザインのセーラー服。

 他の町の学校と違い、通う高校の特殊性から生地に特別な加工がなされている。

 ニイヤがモコの頭上に手をかざす。

 

「身長もだいぶ伸びたんじゃないか?」

「それ、凄く気にしているんですけど……」

 

 モコの身長は平均的な女子としては高い170㎝だ。

 彼女より背の高い女子も結構いるが、それでも高校二年の花の乙女としては悩みどころ。

 ちなみにモコは友人たちからは可愛いよりは綺麗、もしくは格好いい系と評され、同性から手紙をもらうことが非常に多かった。

 

「そうか? モデルみたいで格好いいと思うんだが?」

「…………」

 

 絶世の美女になっても女心は分からないニイヤである。

 モコは隣に立つニイヤの姿を見た。

 180㎝の長身に男物の黒いビジネススーツ。

 その美貌と合わせて、それこそモデルのように似合っていた。

 

「うん、胸とお尻がきつそうだね。ニィさんの服、新調しようか?」

「そうだな、普段着はいいんだが、この手の服とか……迷宮装備も買いたいかな」

「ああ、マッスルスーツは男と女では、まったくデザインが違うものね」

 

 おっぱいさまが収まらなかったんだなと、モコにも容易く想像できた。

 

「それにしてもニィさん」

「あい」

「その眼帯と手袋は相変わらず着けていくの?」

 

 黒髪の魔女は右目にアイパッチ、左手に薄皮のグローブを装着している。

 迷宮探索のときは、青いフード付きの魔術師風なコートも着けていた。

 

「いやいやモコ、これを着けないと左手の悪魔が疼くし、魔眼の制御もできなくなるから」

「それ、前から言ってるけど、家に居るときは全然着けてないよね?」

「……ほら、迷宮町は魔力過剰だから、魔力に反応して大変なことになるからさ」

「もう、本当かなぁ?」

 

 中二病と一言で片づけるのには、どうにも中途半端な兄である。

 以前よりはファッションとして似合ってるからいいけど……と、モコは心の中で呟いた。

 

 住宅街を五分ほど歩く。

 やがてバス停とおぼしき場所に辿りついた。

 そこには古びたレンガ作りの小さな建物……地下へと降りる階段があった。

 ここだけではない、そのような入り口は、この町のいたる所に点在した。

 世界中でいくつも発見された迷宮という名前の資源採掘場。

 それがある場所特有の光景である。

 

 階段を抜けて地下に足を踏み入れると耳鳴りがした。

 すぐにおさまるが、長年この町で暮らしているモコでも慣れない感覚である。

 見上げると天井には地上となんら変わらぬ青い空と太陽の眩い光。

 整備されたアスファルトの道には車が走り、道路沿いにはコンビニなどの建物が並んでいた。

 初めてこの場所に来た者は大抵驚く。

 ここは迷宮町……呆れるほど広大に開けた土地に人が入植して町を造った、れっきとした地下迷宮の第一階層であった。

 

「お、もうそんな時期か……そういえば四月になってたな、早いもんだ」

 

 ニイヤの言葉にモコは視線を向けた。

 通学路には真新しいセーラー服を着た女の子と、その足元にゼリー状のスライムがいた。

 女の子は半泣きで学生鞄を振り回し、必死の様子でスライムを追っ払おうとしているが上手くいってないようだ。

 

「うん、この時期の風物詩だよね」

 

 モコと同じ高校の制服である。

 というかこの迷宮町にある高校は一校だけだ。

 おそらく今年入学した新入生だろう。

 モコは溜息をつくと【かばん】の中から片手メイスを取りだす。

 

「助けにいくのか?」

「そりゃ、下手したら裸にされるし、放っておけないもの……」

 

 迷宮一階で現れるモンスターはスライムくらいで、襲われても怪我を負うことはまれだ。

 この町で育った人間なら小学生でも倒せる強さである。

 ただ、外からやってきた普通の人間に関してはその限りではない。

 特に新生活が始まる四月などには、モンスターに絡まれる者が多発するのだ。

 

「私は管理局のほうに行くから、向うの道で絡まれてる子を助けるかな」

 

 迷宮管理局とモコの通う高校は逆方向である。

 ニイヤの指差す先では、ビジネススーツ姿の新卒らしき若い女性がスライムに捕まっていた。

 

「あ、うん、服が溶けかけてる……あの人は早く助けたほうがイイネ、社会的に終わる前に」

「あいよ、じゃ、気をつけて」

「はい、ニィさんも気をつけてね」

 

 ニイヤは手を振りながらスタスタと歩いていき、スライムを蹴り飛ばした。

 助けた女性に紳士的に手を差し伸べたとおもったら、泣きながら抱きつかれ慌てていた。

 それを溜息と共に見とどけ、モコは女の子にじゃれついていたスライムを倒しにいった。

 

 

 後輩女子からラブのつく手紙をもらうことになるが、モコにはいつものことである。



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モコは助けた後輩と一緒に登校した

 普段より学校に着くのが遅れたのは、後輩を助けたことだけが理由ではなかった。

 

「やあ! モコ~やっはろ!」

 

 校門を通ったモコに声をかけてきたのは、丸眼鏡を掛けた一風堂ユカリ。

 彼女は運動部でもないのに朝からジャージ姿であった。

 

「おはよう、ユカ」

「あ、お、おはようございます」

「やあやあ、おはよう、おはよう、後輩君」

 

 まるで恋人のように、モコの腕に抱きついていた後輩女子が慌てて離れる。

 それから頬を染めながらモコのことを見上げ「で、では神崎先輩、失礼します……あ、あの、モコ(・・)先輩! またあとでっ!」と、女の子な感じで校舎へ走っていく。

 愉快そうに見送るユカリとは逆に、モコは死んだ魚の目になっていた。

 

「うひひっモコさん、見ましたあの子、乙女(メス)の顔してたわよ?」

「…………」

 

 クラスメートで、幼馴染の一風堂は容赦なかった。

 

「なにがあったか察するけど、モコってば昔から女たらし」

「私、好きこのんで、たらしてるわけではないのですが?」

「腐るな腐るなよ、流石は女騎士さま。ケツの青い小娘なんてイチコロだわ、うわはははっ」

 

 モコはやるせない気持ちで溜息をついた。

 それから、ちらりと親友を見ると。

 

「ところで、ユカ、なんで朝からマッスルスーツ着ているの?」

「へっ!? ちょ、ちょっと、朝からボケないでよモコ。今日の新入生歓迎の迷宮探索レクリエーションは、うちら二組の番でしょ?」

「あ……そういえばそうでした」

「あらやだ、この天然娘は素で忘れていたヨ」

「今朝は色々あったから……」

「ふ~ん、まあ、それよりモコも着替えたほうがいいよ。一限目から新入生にパンフ配りと備品の受け渡しとかやるみたいだから」

 

 去年はモコたちが歓迎される側だった。

 

「今年の一年二組の女子は半分以上が外からきた子みたいだから、【かばん】使っての早着替えのやり方を教えなきゃだ」

「うわ、半数以上も? 今年は大変だね」

「いや、モコも先輩として当事者でしょ? なんでこういうときだけ他人事なのよ」

 

 校庭では、モコが在籍する二年二組の男子生徒たちが木箱を運搬している。

 同じように荷物を運んでいる先輩たちの姿もちらほら確認できた。

 

「あ、そうそう、モコ」

「うん?」

「今日から新しい迷宮指導の教員が来るみたいよ」

「へぇ、そうなんだ」

「あれ、随分と反応が淡泊だね」

 

 モコは渋い顔を見せた。

 

「だって、迷宮指導に来る人って、元探索者だから」

「ああ、ニイヤさんが有名人だから、その妹も変な期待されるもんね」

「期待というか、敵愾心というか……」

「うひひ、多田は本当に酷かったよねぇ」

「もう、笑いごとじゃなかったんだよ」

 

 前任の多田カズヒコは横暴な性格で、生徒たちから不評であった。

 指導中は発育の良い女子をいやらしい目で見ていたり、不用意に体に触れようとすることが多く、保護者たちからの苦情が学校へと再三きていた。

 その多田とニイヤは探索者として知り合い(・・・・)だったようで、モコはだいぶ特別扱いされたのだ。

 

「多田は病気治療で退職って話だけど、実際にはナニかやらかしたんじゃないかって、みんな噂してるね」

「う~ん、あの人だとありそう。というか学校に来る探索者って、まともな人がいない気がするんだけど……」

 

 口にしながら浮かんだのは兄の姿。

 モコがブラコン気味であることを差し引いても、ニイヤは人格者といえた。

 それに対してユカリは当然のように答える。

 

「そりゃ、()、探索者なんてそんなもんよ」

「へ?」

「うちの爺ちゃんが言ってたけど、そういう暴力振るうだけが取り柄のチンピラ崩れは、探索者として続けていくことすら出来なくなるんだって」

 

 荒事の仕事とはいえ、命の掛かった場所ではなによりも信義が重んじられる。

 自分の都合だけ優先させ、身勝手な行動をとる者はパーティが組めなくなり、やがてはまともに稼げなくなって引退するしかなくなるのだ。

 多田カズヒコも、そのような探索者の一人であった。

 

「流石に一風堂のお爺ちゃんは言うことが鋭いね」

「探索者に関わる仕事だから、余計に目が肥えるらしいよ?」

 

 なるほどとモコが頷き返そうとしたそのときだった。

 

「お、神崎、そこにいたのか」

「ヒャ!? ……く、工藤先輩っ!?」

 

 突然背後から、思いもよらぬ人物に呼びかけられ、モコは飛びあがった。

 

「あ、工藤先輩だ、やっはろ~!」

「おはよう、前から思ってたんだが一風堂、何なんだよその挨拶は?」

 

 咎める言葉だが、口調は面白がっているものだ。

 モコが振り向くと、ジャージ姿の工藤マサルが段ボール片手に立っている。

 短くかりあげた髪と、日に焼けた精悍な顔立ち。

 180㎝半ばのガッチリとした体格と相まって、若武者のような頼もしさがあった。

 

「おは、おは、おは、おひゃようございます!!」

「ちょっと……テンパりすぎだよモコ」

「ははっ、すまないな神崎、なんだか驚かせてしまったみたいで」

 

 工藤の謝罪に、モコは顔をぶんぶんと振った。

 

「どうしたんですか工藤先輩? モコになんか用事ですか?」

 

 天然な幼馴染の態度から埒が明かないと、ユカリが助け舟をだした。

 

「ん、今回のレクリエーションの担当パーティ、前衛枠で俺と神崎が一緒になるから伝えておこうと思ってな」

「わた、私と工藤先輩が一緒のパーティにっ!?」

「ああ、お互い数の少ない騎士クラスだから中々組めなかったが、いい機会なんで今日は神崎の動きを見させてもらうつもりだ、よろしく頼む」

「あ、は、はい、頑張ります! こ、こちらこそ、先輩の動きを勉強させて頂きます!!」

「ははっ、そう言われるとなんだか怖いな、それじゃ、俺はこれを運ぶ途中だから」

 

 工藤は朗らかに笑うと、片手をあげ歩いて行った。

 モコは知らず知らずのうちに手のひらを組んでいる。

 

「へぇ、ふ~ん、あらまあ」

「…………な、なに、ユカ?」

 

 楽しげなユカリの声に、工藤の背中をずっと視線で追いかけていたモコは我に返る。

 一風堂はにやにや笑って。

 

「モコさん、今、すんごい乙女(メス)の顔してるよ?」

 

 モコは熱くなった頬を両手で隠すと、必死になって否定したのだ。



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一限目の迷宮説明会が終了したあと

色々と説明不足なことがおおいですが、あえてそうしてます


「一年、マッスルスーツは着れた? すでに【かばん】を習得して早着替えが出来るようになった子も慣れるまでは注意。落とし物は嬉し恥ずかしイチゴパンツなんて迷宮あるあるだぞ~」

 

 ユカリの言葉に一年女子たちから笑いが起きる。

 二時限目、女子更衣室。

 二年二組の女子六名が、一年二組の二十名ほどの女子にスーツの着用指導をしていた。

 その中には着替えを手伝うモコの姿もあったが、スーツのベルトやプロテクターの調整をしてあげると、体を触られた後輩たちは例外なく頬を染めるのだ。

 

「ええっと、私も一応女だから、恥ずかしがる必要はナニもないからね?」

「あ、す、すいません、神崎先輩。そんなつもりじゃないんですけど、つい……」

「いや、まあ、いいんだけど」

 

 やはり、顔を赤くしてうつむいてしまう下級生。

 毎度のこととはいえ、モコは何とも言えぬ気持である。

 

 

 先ほどマッスルスーツの着け方を下級生たちに教えるため、ユカリが皆の前で景気のよい脱ぎっぷりをみせた。

 しかも全裸のまま、スーツを着けたときの注意点について五分以上も説明していた。

 別に、一風堂ユカリに露出趣味があるわけではない。

 迷宮の学校にいると、同性の前で一人だけ裸になる程度はなんともなくなる。

 命がかかった状況だと、慎みや羞恥などは二の次になるのだ。

 実演してみせて、では小娘どももワテクシのように華麗に着替えてごらんなさいオホホホ……といったところで、下級生全員の視線がボーと立っていたジャージ姿のモコに集まった。

 そして、学級委員長をしていそうな雰囲気な子が小さく挙手すると。

 

「あ、あの……、一風堂先輩……その、男の方? いるんですけど……」

 

 まるで、生まれて初めて男を見た乙女のように、恥ずかしげにモコの様子をうかがう少女たち。

 モコは腕組みすると、無言で天井に顔を向けた。

 クラスメイトたちの「あぁ、然もあらん」といった視線が痛かったからだ。

 というか、モコと同じ中学出身の後輩もちらほら見えるのに、いったいこれはどういうことかとブルーになった。

 その事態を、そこはかとなく予想していた幼馴染は眼鏡を光らせる。

 

「あ~、新入生諸君。こちらにいる男前(いけめん)様はれっきとした女子だから大丈夫よ? 女の子を捕食したりしないからマジで大丈夫。中性的で男装が似合って学芸会では毎回王子役をしてきたモコ王子様だけど、ノーマルだから安心してすっぽんぽんにおなりなさい。といいますか、時間ねーんだよオラァ! 早くてめえらの可愛いちっぱいをさらけだしやがれ!!」

 

 何故か再びユカリが脱いで全裸になるという、そんな一幕があった。

 

 迷宮探索の必需品であるマッスルスーツは、パワーアシストなどの機能を備えた防護服である。

 外装筋肉を肌に密着させ、反応ロスを少なくするために裸で着る必要があるのだ。

 見た目はプロテクターのついたウェットスーツだが、動きを阻害しない薄スキンのため、体のラインがもろにでてしまう難点があった。

 まだ迷宮に慣れぬ新入生たちにとって、そんなエロコスプレのようなスーツ姿を見られるのは、例え同性といえど恥ずかしいのだろう。

 

 モコはそう結論づけて、精神の安定をはかった。

 

「よし、スーツの着替えは終わったな! では、ジャージを着て校庭に移動!」

 

 モコよりもよほど男前なユカリの指示に従い、全員が更衣室をあとにした。

 

 

 

 校庭に着いて、それぞれクラスの集合場所へと向かった。

 別れ際、モコが後輩たちから「あとでメアド教えてください!」と雪崩のように次々言われたのは詮無きことである。

 外での作業組だったクラスメイトの女子がモコたちに声を掛けてきた。

 

「ねえねえ聞いて! 新しく来た迷宮指導の教員を見てきたんだけど凄かったよ!」

「うん? 凄かったってなにが?」

「それがなんと女なんだけど、もう驚愕するくらいの美人で! 乳もケツもむちむちのばいんばいんでエロエロさ! 男子どもは猿になって大喜びだよ!」

 

 彼女は興奮した様子で語りながら、空中に高低差のあるヒョウタンを両手で描く。

 

「え、新しい先生って、女の人なの?」

「へぇ、そんなに美人なんだ」

「あんた、乳、ケツって、言い回し下品だからもう少し考えなさいよ」

「女の探索者って珍しいんじゃない?」

「というか、探索者なのにガテン系じゃなくて、セクシー系お姉さん?」

「まあ、ムチムチ美人なら男子は喜ぶ、私でも喜ぶ、仕方がないネ」

 

 いつの間にか集まってきていた他の女子たちも、そんな話題できゃいきゃいと盛りあがる。

 モコが教員たちがいる昇降口付近を見ると、確かにジャージ姿の人だかりができて、男子生徒たちが多かった。

 

「あ、工藤先輩……」

 

 その中には工藤マサルもいた。

 彼の様子にモコは、ちくちくとした焦りにも似た気持ちを感じてしまう。

 

「へへっ、青春していますなモコさん?」

「わっ……ユカか、突然驚かさないでよ」

 

 モコの肩に手を回してきたのはユカリだった。

 

「いやいや、熱く工藤先輩を見つめていたから、私の接近に気がつかなかったんじゃないの?」

「ゆ~か~!」

「へい、黙りますぜ!」

 

 そう言ってユカリは、笑いながらおなざりな敬礼をしてみせる。

 

「まあ、それはともかくとして、行ってみない?」

「え、あそこに?」

「そうそう、工藤先輩がいるからじゃなくて、新しい指導員ってどんな人か興味あるじゃない?」

「え、ええっと……」

「別に工藤先輩は関係ないのよ~」

「もう、ユカってば……はいはい、一緒に見に行きますよ」

 

 幼馴染がこういうことを言いだすとき、モコには拒否権がないのだ。

 このような強引とも思えるユカリの行動は、どちらかというと引っ込み思案なモコにとってプラスに働くことが多いので尚更である。



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ユカリは悪友で手のかかる姉のような存在

 モコの手を取って校庭を進むユカリ、女子の中では、やや小柄なほうだ。

 野暮ったい丸眼鏡に男のようなショートカットの髪型の彼女。

 女らしさがないかといえばそうでもなく、どんなファッションでも女の子な見た目になる。

 モコは、そのように補正のかかる、幼馴染の柔らかい容姿が羨ましくて仕方ない。

 よくモコが男前と言われるのは父親似の顔立ちだからだろう。

 家族の集合写真に映る父は、バトルアックスと毛皮の腰布が似合いそうな大男だ。

 

「あっ……」

「どうしたのモコ?」

「今さらなんだけど、ニィさんって母さん似なんだと思って……」

 

 赤ん坊のモコを抱く若い母の姿は、にこにこと微笑む日向のような美人であった。

 それに対し女になったニイヤは月の夜を連想させる妖艶な美女。

 二人は姉妹と言えるほど似ているのに、雰囲気が真逆すぎて結びつかなかった。

 

「本当に今さらね、親子なんだし似てて当然でしょ?」

「ユカは気づいてた?」

「初めて女のニイヤさんを病院で見たとき『モコのオカンだ!』って思わず叫んじゃったもん」

「そ、そうだったの?」

「うん、ニイヤさん苦笑いしてたよ」

 

 ユカリは、えへっと笑いながら続ける。

 

「それに十代の頃のニイヤさんって線の細い、すげぇ美少年だったじゃん?」

「……そうだっけ?」

「そりゃ最近まで、薄暗いBARでバーボン飲んで、スタイリッシュに銃ぶっ放してそうなワイルドな細マッチョだったけどさ」

「ニィさんお酒飲めないし、そこまで中二病ではないと思うの……」

 

 人だかりに近づくと、校舎のほうを向いている工藤がいた。

 そして集まっている男子たちの大半が工藤と同じ方向を見ている。

 おそらく彼らの視線の先には、おっぱいとお尻がむちむちのばいんばいんでエロエロという、噂の迷宮指導教員がいるのだろう。

 しかしモコはそちらではなく、肩幅の広い工藤の背中を見つめてしまう。

 ナチュラルに乙女になるモコをよそに、ユカリが工藤に呼びかけた。

 

「工藤先輩~今晩のオカズ(・・・)は見つかりましたか?」

「は? ……ユカ!?」

「……一風堂、いきなりなんだ?」

 

 振り向く工藤……彼の顔は普段どおり精悍で、周りにいる男子たちのように鼻の下を伸ばす緩んだものではなかった。

 モコはそのことに、何故だかひどくほっとしてしまう。

 

「あれ、むちむちでエロエロな女教師を見にきたのでは?」

「むちむち……まあ、確かに指導教員を見にきたが」

「やっぱりエロ鑑賞じゃないですかぁ~やだ~?」

「いや違うって、お前、俺に変なイメージを植え付けようとしてるだろ?」

「マー君ってば、昔からエロエロなんだからっ!」

 

 バンバンと、関西系なおばちゃんのノリで工藤の背中を叩くユカリ。

 二人の身長差は頭一個分に近い。

 工藤とユカリは家が近所で、モコを含めて小さい頃は三人でよく遊んだ。

 まるで、兄と妹たちといった関係。

 年齢が上がるにつれ疎遠になったが、それでもこういうときに遠慮がなくなる。

 困ったように頭をかく工藤の様子に、モコはユカリの手を軽く引っ張った。

 

「ユカ、いくらなんでも失礼だよ?」

「あ、はーい」

「もう……本当にすいません工藤先輩」

「止めてくれて助かったよ神崎、流石は出来のいいほうの()だ、ありがとうな」

「あ、いえいえ、そんなことは!?」

 

 モコはばたばたと手の平を振る。

 工藤に褒められ感謝されて、一瞬で頬を緩ませてしまう。

 その程度のことで満足してしまう安上がりな女に、ユカリは呆れたように首を振った。

 

「んじゃ、工藤先輩はナニが目的できたの?」

「ん、ああ、新しい教員は元探索者だろ? どんな感じの人なのか興味あったからさ」

「あ、それは私も知りたい、工藤先輩の目から見て女先生はどのくらいの強さ?」

 

「一風堂よ、俺は戦闘力を測るスカウターか? まあ、正直に言うと見ただけでは流石に分からん。ただ、ちょっとした重心の移動が安定しているというか、物凄く綺麗だな……あ、別に変な意味でなくてな? ええっと、歩き方からスカウト系ぽいが、聞いた話だと魔法系らしいし……もしかしたら複合クラスの持ち主なのかも?」

 

「普段は口数多くないのに、迷宮関連になると饒舌になる工藤先輩って隠れオタクぽいネ!」

「………………」

「ユ、ユカってばっ!?」

 

 モコとしてはユカリの容赦ない突っ込みに、工藤が気分を害してないか気が気ではない。

 もっとも傍目で見ると、工藤も彼女たちとの会話を楽しんでいるようであったが。

 そんな三人に声をかける者がいた。

 

「工藤く~ん、ちょっと食材運びを手伝ってほしいんですけど~?」

 

 和美人な風貌にジャージの上からでもわかる豊かな胸。

 ストレートな黒髪の大人びた少女。

 水木シズカ……迷宮町の住人で、モコたちとも小学校の頃から顔なじみの先輩であった。

 

「あら、あなたたち。ふふ、あまりお兄さん(・・・・)のことを虐めちゃだめよ?」

「ウッス! 了解ですシズカ姉さん!」

「は、はい、シズカ先輩」

 

 穏やかな微笑みに、敬礼をするユカリとモコ。

 シズカは申し訳無さそうな顔をすると。

 

「それとごめんなさいね、工藤君は借りていくわね」

「じゃ、二人とも、またあとでな」

 

 そう言って工藤はシズカと話しながら歩いていく。

 モコには二人の雰囲気が、とても良いものに思えて溜息を洩らしてしまう。

 

「恋のライバルは強敵だね?」

「なっ……そ、そんなのじゃないよ!?」

「照れるな照れるな、モロバレだから照れるな、私はモコを応援するからさ!」

「も、もう……」

 

 モコの肩に手を回しニヒルに笑うユカリ。

 モコにとってユカリは幼馴染以上の家族未満といった存在。

 なので、へたな隠し事が通じぬのは昔からである。

 工藤に対して、まだ恋と言えないような淡い思慕をもつモコには、ユカリの応援宣言は少しだけ迷惑であり同時に心強くもあった。

 

「まあ、それはともかく、エロ女先生がどれだけエロいか見ましょうかね?」

「エロで固定されちゃったのね、新しい指導教員の人は……」

 

 呆れながらも、モコも人だかりの間から昇降口に目を向ける。

 

 

 教員たちと一緒にいる、背の高い女性の姿が見えた。

 腰まである長く艶やかな黒髪をもつ女性だ。

 一人だけジャージを着ていないマッスルスーツのみの格好。

 それは探索者の場合だと別に珍しくない。

 体のラインがでる程度の羞恥心など、実際の現場では不要なものだろうから。

 他の教員たちと、なにかを話しているらしく背中しか見えない。

 しかし、それでも明確に分かる、むちむちでばいんばいんな横乳とお尻であった。

 ぼんきゅぼんっな、ラノベアニメのキャラクターのような見事すぎるスタイルである。

 エロ女先生は、噂にたがわずエロかったのだ。

 

 しかしモコの感想は……。

 

「ねえ、ユカ……」

「うん、どうしたの?」

「あのエロ女先生、私の知っている人に凄く似ているんですが?」

「あー……やっぱり? 私もなんとなくそう思ってたんだ?」

 

 そのとき、エロ女先生がモコたちのいるほうに振り向いた。

 たゆんたゆんと、メロンサイズの二つのたわわが魅惑的に揺れる。

 エロ女先生は、疲れたような表情をしていた。

 彼女は、左手に見覚えのある薄皮の手袋を着けていた。

 彼女は、右目に見覚えのあるアイパッチを装着していた。

 エロ女先生と目が合い、モコは、思わず大声で叫んでしまった。

 

「ニィさんっ!!」

 

 突然の叫び声に、周りの視線が、モコとエロ女先生に集まる。

 

「や、やぁ……モコちゃん」

 

 距離が離れている……しかし、エロ女先生の小さい声がモコにははっきりと聞こえた。

 エロ女先生こと神崎ニイヤは、その美貌に引きつった笑みを浮かべていたのであった。



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白羽の矢が刺さりました

 準備を終え、一年から三年までの二組の生徒たちが並ぶ校庭。

 朝礼台に立つ背広姿の年配女性……迷宮高校の校長である原崎キョウコはマイクを使い、迷宮に入る際の注意事項を話していた。

 だが生徒たちの関心は彼女の斜め後ろ……青い目をした国籍不明な美女に向いている。

 その様子に苦笑した原崎校長は話を切りあげ、新しい(・・・)迷宮指導教員である神崎ニーヤ(・・・)の紹介をすることにした。

 原崎校長から、迷宮管理局によって作成された(・・・・・)ニーヤの経歴が読みあげられる。

 

 それから、マイクを渡された神崎ニーヤこと、神崎ニイヤは『あれ?』と、困惑した感じで自己紹介を始めた。

 

 生徒たちから期待の視線が、黒髪の女性に集まる。

 美麗な唇からこぼれる、ハスキーだが艶やかな声。

 匂い立つ豊満な肉体は、日本人離れした八頭身のプロポーション。

 わずかに身動ぎする仕草すら妖艶である。

 アイパッチ、そして手袋を片方だけ着け、ジャージも着ない剥きだしのマッスルスーツ。

 奇妙ないでたちは迷宮ではマイナスにはならない。

 むしろ薄スキンのむちむちでぱっつんぱっつんな分だけ高得点だ。

 宝石のようなアイスブルーの瞳……その惹きこまれそうな蠱惑的な容姿はまさしく魔女。

 類を見ないニイヤの美貌に生徒たちは、セイレーンの歌声を聴いた船乗りのように惚けた表情を浮かべる。

 

 有名芸能人を生で見たような周りの反応をよそに、モコは首を傾げていた。

 

 ニイヤは自己紹介で、探索者歴十五年のあとに三十歳独身と言っていた……果たして、そこまでプライベートを語る必要があったのだろうか?

 普段のニイヤらしくない自己語りの様子にモコは疑問を感じた。

 しかし、すぐに察した。

 傍目にはクールそうに見えるニイヤ……だが、その左の瞳は忙しなく動いていた。

 キョどっている……ニイヤは自分が何を喋っているか分からなくなるほどテンパっていたのだ。

 考えてみれば兄に、世間一般的な社会経験などない。

 むしろ迷宮の奥底に潜る探索者は、ある意味では引きこもり。

 そんな生き方を生業としてきた者にとって、これほど大勢の人前に出れば緊張するのも致し方ないことだ。

 ニイヤの碧眼と視線が合う……助けてモコちゃんと訴えかけている……モコは精一杯応援した。

 目を逸らし心の中だけで……。

 神崎姉妹は目立つことが非常に苦手なのだ。

 それと「うそ、あんな凛々しいのに独身……イケルワ!」と言う女子の声や「なんだ二十歳くらいかと思ったら三十路のBBAかよ……俺と結婚してくれ!」なんて声も聞こえたが、怖いのでモコは深く考えないことにした。

 

 

 

 連絡事項も終え、学校の正門からしばらく歩いた場所にある迷宮第二階層の入り口まで、百人以上のジャージ集団がぞろぞろと移動する。

 すでにジャージを脱いで、体の線を晒している気の早い者も何人かいた。

 男女例外なく格闘系の者たち……運の良いことに、二組には担当教師含めニンジャはいない。

 迷宮の高校は一学年四組の構成で十二クラスある。

 迷宮行事の際は一組~四組の四つに分かれて行動する。

 そのためこの学校は横のつながりよりも、縦のつながりの方が強い特徴があった。

 

 モコが歩いていると前方から黄色い声が聞こえた。

 視線を向けると、三年女子に囲まれ質問攻めにあう背の高いニイヤが見えた。

 しかもどういう流れなのか、きゃあきゃあと交代で腕に抱きつかれている。

 モテている……今のニイヤはれっきとした女で、そして誰が見ても女顔であるのに関わらず女子にモテていた。

 神崎家には女殺しの呪いでもかかっているのだろうかと、モコは本気で悩んでしまう。

 明らかに困っている様子のニイヤ、「先生、恋人はいますか?」とか「お化粧はなにを使ってます?」とか「どこの国の出身ですか?」など聞こえてくる。

 モコはそれを横目にしながら隣を歩くユカリに話しかけた。

 

「ねえユカ。ニィさんが言ってたんだけど、学校から管理局のほうに女の指導教員の要望があったんだって……やっぱり前の指導教員がやらかした感じなのかな?」

 

 学校に来る予定だった迷宮指導教員――女の探索者が急な都合でキャンセルとなり、迷宮管理局の休憩所でお茶を飲んでいたニイヤが今日だけの代理として来たのだという。

 管理局の職員に熱心に頼まれ、頬をかくニイヤの姿が目に浮かぶようだ。

 

「噂どおり、多田がセクハラでもしちゃったとか? それで校長先生が男の探索者を警戒しているのかも?」

「ふ~む」

「やつめは、うちらのオタケ先生に一方的によく絡んでたからなぁ。まったく相手されないで切れて、オタケ先生に襲いかかったんじゃない? いひひひひ」

「ユカ……それは流石に笑えないよ?」

「大丈夫大丈夫、うちの爺ちゃんも、オタケ先生は教師にしておくのは勿体無いくらいの益荒男だって言っているから、本当にやったら体に触れる前にぼこぼこにされてるよ」

「女の人にその評価はどうなのかな……」

 

 オタケ先生の愛称で親しまれている、二年二組の担当教諭、鷲宮タケヨ。

 高校入学でこの町に来た外組だが、ある事件がきっかけで探索者用の剣道道場に熱心に通うようになり、迷宮の高校や大学で様々な武勇伝を残したとされる女傑である。

 そんな経歴だとガチガチの体育会系と思いきや、実際には、おっとりとした見た目とおだやかな性格で生徒たちから人気のある教師であった。

 

 別名、仏のオタケさんである。

 

 そんな会話をしていたせいか、タケヨの姿がモコの視界に入った。

 少し離れた斜め前方を歩く彼女……生徒と同じジャージ姿だが不思議と大人の品があった。

 モコが自分の将来の女性像として密かに憧れている人でもある。

 そのタケヨの横顔は、いつも通りの穏やかで優しい表情をして……いなかった。

 思わず二度見した。

 二年二組の担当教師である鷲宮タケヨは、モコが今まで見たことがないような鋭い目をしていたのだ。

 モコはひどく驚いてしまう。

 

 そして、タケヨの睨みつける視線の先……そこには神崎ニイヤがいた。



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