転生者失格 (彼岸の鳥)
しおりを挟む

はしがき

 始まりは一枚の写真でした。

 春先の川辺で撮ったと思われる写真で、藍髪をした幼女が、20~30代の男と、臙脂色のリボンを付けた制服の少女を背にして、白いワンピースで飾ってしゃんと立ち、猫耳を付けた両親らしき存在の間で笑っている写真でした。

 裏を返しても送り先である私の住所が書いてあるだけで、消印、切手すらもどこにもない、不思議な写真。いや、不思議だったのはそれだけではなく、写真の幼女が異様でした。

 可憐に笑っているだけなのに、目の前に桃源郷があるかのような。写真でしかないのに、目を離したら次の瞬間崩れ去ってしまうような。人間の風貌とどこか違いました。血の重さ、とでも言うべきか、生命の歪さ、とでも言うべきか、とにかく生きていれば誰しも持つ汚れがどこにもないのです。ひとまず写真は、妻の助言に従って神棚に奉納し、お祈りをすることにいたしました。

 その後は写真だけではなく、こぶしほどの大きさの文鎮や、金や緑といった色をした通貨、重さを全く感じさせない見事な絹など様々なものが送られてきました。正直に話せば気味が悪かったのですが、それと同等程度心躍りました。息子たちもとうに独り立ちし、なにもない片田舎での妻と女中との隠居生活も長くなり、味気なく感じていた毎日が、毎朝のこの儀式で鮮やかに色づいてきていたのです。結局、警察に言うこともしませんでした。

 

 二週間ほどたったときでしょうか。一通の郵便が届けられました。

 それは普通の手紙と比べるとよほど目方の大きいもので、並みの状袋にも入れられておりませんでした。また、入れられるべき分量でもなく、七草のナデシコさながらの鮮やかな紐でくくられており、封じ目は丁寧にも糊付けされていました。消印も切手もありません。

 封を開けてみると、日本語で書かれておりました。膨大な分量でしたので、内容をすべてこの場で紹介することはできませんが、一言で整理すると、今後送り付ける書き物をどうにか多くの人に届けてほしいということでした。謝礼としてでしょうか。ご丁寧にも、毎朝の日課で私と妻の気に入っていたあの絹が、五反ほど同封されておりました。しかしながら、赤の他人の書いたものを私どもだけならまだしも、他人様に推し広めるというのはどうも性に合わないというか、腑に落ちないというか、複雑な気分になっておりました。

 

 次の日。朝の日課である庭の掃除をしようとすると、玄関先に四箱の段ボールが積み上げられていました。その中にはわら半紙が所狭しと、敷き詰められており、数えた限り4000。そのすべてが日本語で書かれており、もちろん段ボールには送り主の住所・氏名も書かれておりませんでした。どうにか片付けようと奮闘しましたが、やはり老いには抗いがたく、結局女中の手を借りて、ひとまず蔵に持っていきました。女中は何とも何ともない様子でからからと笑っておりましたが、この時は、この作業がこれから続くと思い、気がわずかに滅入る思いでした。

 しかしその私の思いを慮ったのか、次の日、その次の日と、一切の音沙汰はなく、そして一週間が過ぎました。もしかしたらなにかもいたずらで、あの四箱でそれも終わりだったのかも。四箱ぐらいなら、元の持ち主に返すこともできるかもしれない。そんな思いで、蔵を開き見てみると、驚きました。そこには20を超える段ボールが鎮座していたのです。恐る恐る中を確認すると、全てあのわら半紙でした。蔵にはかぎがかけられており、一週間前女中が開けてから一度も開いたことはなにのにもかかわらず、です。ここで私は観念したのでした。

 

 より多くの目に触れるようにするという手法を考えた時、初めに思いついたのは書籍化です。書籍化してばらまけば、多少なりとも目に入るだろうと考えたのです。しかしながら、より多くの人の目に触れるようにするといっても、書籍化するのはいささか難しい話でした。全般的に野暮ったい言い回しでおり、人称に関してもところどころ入り混じっており文学と呼ぶにはふさわしくないできであったのです。また文書量も多く(削ってよいとのことでしたが)、専門用語も多用され、解読するだけで一苦労でした。

 それに、資金の問題もありました。より多くの人の目に触れるなら無料にしなければならず、無料にするということは出版広告費全て自分持ちということになり、隠居の身には厳しい条件でした。それでこの場にひっそりと、掲載することを決めたのです。

 ここまでに書いた通り、私はこの手記の書き手を知りません。書かれた場所すら、わかりません。ふらりとやってきた作品ですので、泡沫の夢のようなものかもしれませんが、どうかよろしくお願いいたします。

                               彼岸の鳥

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一話 いつもと違う女神

あまりに冗長であったため再編集。
複数箇所で、書き手により記されていた別表現を採用し直しました。


 生まれただけで罪になるというならば、転生は罪なのでしょうか。

 転生が罪なのであるならば、転生の罪はどう償うべきなのでしょうか。

 6000と35。それが私の転生回数です。

 あまりに多すぎる転生が残したものは、膨大な虚無感、莫大な罪、そしてわずかな安らぎでした。

 

 せめてもの罪滅ぼしのために、私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私の事例就いて、出来るだけ正直に、ざっくばらんに、有りのままの事実を書いて見ようと思います。それは私自身に取って忘れがたい記録であると同時に、恐らくは皆様に取っても、きっと何かの参考資料となることでしょう。

  殊に私のいた世界のように、秩序が失われ、自由意志とやらが尊重される世情になる。ほかの世界層も巻き込んでいろんな主義やら思想やらが這入はいって来る、転生の日常生活への接近により遠くに思っていた出来事がどんどん身近になる、というような時勢になって来ると、今までは あまり類例のなかった私のごとき事象も、追い追い当たり前に生じるだろうと思われますから。

 

  しかしそうはいっても6000と35、全てを書き記すには、あまりにも余白が小さすぎます。そこで最も記憶に残っているこの物語に関して書き記していくことにします。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 「3つまで、何でも願いを聞きましょう。」

 その始まりはあまりにも奇怪でした。

 当時既に数千を超える転生経験を持っておりました私にとって、異世界転生自体、家の庭先に出る程度の行為でしかなく、そのたびごとに生じる美の女神との対峙は、決して珍しいものではありませんでした。

 しかし、不意を突かれるとはまさにあのことを指すのでしょうか。

 今まで、物は言えども願いは聞かぬ、そんな女神が願いを聞くと言ってきたのです。

 まるで別人(人ではないですが)。女神の言葉は今までの日常を無に消す予感をさせたのです。

 「さあ、一つ目をどうぞ。」

 美の名に恥じない、汚れを知らぬ谷川のせせらぎのような明るさの声を前に、言いようのない不快感に全身をこわばらせることしかできず、暗闇の中途方に暮れる男が一人。

 この時の私はさぞや間抜けな姿であったでしょう。

 「…どうしました?」

 本当にどうしてしまったのでしょう。

 

 

 女神と転生者の関係は真に奇怪なものでありまして、今の私にもどうも明瞭な答えが出来ません。親と子にしては愛情がなく、飼い主と愛玩動物にしては対等で、主と奴隷にしては思いやりがありました(もっともその当時の私は気づきませんでしたが)。

 

 「できっこないわよ。理解できるなら人間じゃないわ、あなた。」

 

 かつて誰かに笑われたように、人間風情が女神を理解しようとすること自体、本来おこがましいことなのかもしれません。しかし、恥ずかしいことに、この時の私は思い上がるほどには若く、優しさをそのまま受け入れるほどは素直ではありませんでした。

 捨てられた子猫が人に再びなつくのに時間がかかるのと同等に、時間が必要だったのです。私にとってのそれはこの半刻でした。

 

 

 正気を保ったまま美を認識できるようにしてほしい。

 流石に一言一句同じというわけではないですが、確かこのようにお願いをしたと思います。意識を保ったまま瞳を閉じておくことに飽き飽きしたのか、今まで自分を苦しめた巨悪の顔を一目見てやろうとしたのか、理由はもはや覚えておりません。

 カルガモの刷り込み然り、瞳を開けて最初に目にはいてきたものの印象は大きく、忘れがたい記憶になるといいます。私も類にもれず、肩にかかるほどで切りそろえられた、燃えるような髪に、陶器のように滑らかな肌、透き通った琥珀に浮かぶ緋色の瞳が特徴的な少女、つまるところの美の女神はついぞ忘れることができておりません。

 どうやら女神は私の要望を聞いてくれたらしく、私の身体は網膜にその姿を焼き付けさせようとはすれども、盲信し隷属するということはしませんでした。

 

 自分は幸運にも、この美の女神から、転生に関して聞きだすことができました。これほど転生をしておいて、概念自体に何の知識も持ち合わせていない。そんな愚かな存在が、当時の私でありました。無知から脱却する、そのような点においても、この会は非常に意味のあるものでした。

 おぼろげな記憶を頼りに女神の発言の発言をそのまま引用しますと

 

(冗長なため割愛。後書き記載。

内容を簡潔にまとめると、世界というものは複数存在すること、その世界は樹形図のように位相ごとに管理されていること、管理者は女神であること、非常事態に際し間接的介入を可能にする方策が転生であること、の4点。【投稿者】)

 

とのことでした。

 

 こうして言葉に置き換えてみると、やれ自由意思尊重派とは何か、そもそもなぜ監視・管理するのかなどなど疑問は尽きません。

 しかし説明における説得力というのは、何を語られるかよりも、誰に語られるかに、大きく拠るものです。その点、美の女神の説明は絶大な説得力を持っておりました。また間の悪いことに、当時の私は、説得力と内容の正しさの関係を履き違えてもおりました。

 ここで二三質問しなかったことが、後々に大きく影響を与えていくのですが、転生の果てに文字通り、無知を知ったと思い込んでいた私には土台無理な話でありました。いえ、別のことを考えていたといった方が正しいでしょう。

 

 なぜ私は転生させられたのか。

 どんな権威ある存在から転生自体の理由を説明されたとしても、依然として自分の転生の意味は不明瞭のままでした。

 当時の私は幸運なことに、特別な存在だからである、楽観的に考えておりました。いや、信じていたという方がより正確でしょうか。自信を肯定し、逃避することで自分というものを守っていたのです。

 しかし今だから思うのですが、特別とは何でしょう。

 「仮に他の存在の持ち合わせていないものを持ち合わせていること」という定義を持ち出すのであるならば、特別には、(特別を除いて)完全に属性を同じとする集団(これを普通と呼ぶのかもしれません)を必要とすることになります。そんな集団がいない以上程度問題を許容しなければならなくなりますが、量的考量になった時、何を基準に可否を決めるというのでしょうか。

 いえ、こんな言葉という不完全な尺度で思考している時点でダメだったのでしょう。

 

 どうして私の転生はあのような形で行われたのでしょうか。

 おおよそ書物で聞くような、数多降り寄る難関・苦行を、滾る熱意と溢れる知性すべて用いてねじ伏せる、そんな英雄譚でもなく、聞く人皆涙するような情緒あふれる悲劇でもなく、見るもの皆に笑いと教訓を与える人類史にとどろく喜劇でもない、起承転結の起すらなく、序破急の序すらない、数千回と繰り返された空虚な私の転生に何の意味があったのでしょうか。

 確かに初めの転生は、『世界を救え』と命じられ、友と共に戦場を駆け、友を信じ信じられ、ある機に仲間に裏切られ、救った姫に裏切られ、愛をささやかれたその口で、親の仇だと詰られる。そんな失意の中で、何度も争った相手と共に、仲間を救い守り抜き、世界に挑みそして勝ち取り、真の平和を作り上げる、そんな絵になる物語でした。

 精神面を一つとっても、瞼を閉じると浮かび上がりくる帰りを待つ家族、友人の顔、そして美しい自然などの情景に枕を涙にぬらす郷愁と、転生先での生活をする中で増えゆく、守りたいもの、愛するものに対する使命感。元居た世界で積み上げてきたものと、転生先で積み上げ、そして積み上げていかなければならないものとの身を焦がすほどの葛藤の末、最後には転生先の世界をとるという、物語の主人公としては及第点以上の働きをしていました。私は確かに世界という物語に必要とされ、そして私もまたこの世界を必要としていたのです。

 

 しかしこの平穏は突如終わりを迎えました。いえ、無に帰したのは他ならない私です。

 きっかけこそ女神からの再転生依頼でしたが、女神に落ち度はなかったでしょう。この当時、将来当たり前になる、前触れもなく呼び出すというのは片鱗を見せていましたが、転生内容についてはまだ詳細を共有してくれていました。ことばも通じず、文化的素養も、風貌も大きく異なる世界。一度転生をすれば元の場所には帰還できない。今回の転生は、 ハーレム転生生活を送りたいという他の転生者の帳尻合わせであり、必要以上の行動を禁ずる。そんな調子だったと思います。簡潔に言ってしまえば、体のいい小間使いになれという突拍子もないお願いでしたが、それでも転生しないという選択肢を与えてくれていました。

 

 転生はその後も続き、毎回のように信頼・資産・技術を手放し、そして再び積み上げるという、無意味な作業を指令に従いながら日々繰り返すだけになりました。徒労を表すものとして、賽の河原という逸話がありますが、他でもない自分の行動により積み上げたものを無にする分、より無価値でした。

 確かに二度目を承知し、全てを無に帰したのは私であり、意味を問う権利もないのかもしれません。しかし、それを承知した理由さえ忘れてしまった私にとっては、できるのはただ転生の意味を問い続けることだけなのでした。

 

 事実として当時の私は、頭をどれだけひねっても、転生者に選ばれた理由も、私の転生の意味さえも理解できませんでした。私の取れる唯一の抵抗は、理解できないことを理解できないと受け入れ、せめて次の転生に備えることだけであり、不幸にも私にはそうすることが正解であると気づくほどの力はありました。

 記憶の限りでは、残る二つのお願いを一般常識と言語能力に決めたのは、このような経緯によるものであったと思います。

 

 (冗長であったため割愛。後書きに内容は記載【投稿者】)

 

 

 私の考えを知ってか知らないでか、この願いを聞き入れた時の女神はくりくりした目をさらに丸くしておりました。どうも、私の前に転生させた少女も同じ願いをしたようで、

 

 「なぜ二人して、ここに住むって選択しないのかしら。転生させるとも言ってないのに。」

 

 とすねた様に口をとがらせてぼやいておりました。見た目相応な少女のような振る舞いを、他でもない美の女神がとっているという事実に、思わず吹き出してしまった記憶があります。

 あまりにも馬鹿げた発言に、意図せずとして冷笑的な態度をとったのでしょうか。しかし今思うとこの時の私は、言いようのない後悔を必死に笑い飛ばそうとしていたのだと断言できます。転生という地獄というには虚無極まりない輪廻から、抜け出すためにさしだされた蜘蛛の糸を自ら断ち切ったのです。それも自らの視野の狭さによって。

 覆水盆に返らずというのであるならば、私の盆はこの時逆さになったのです。

 

 

 その後は、一つを除いて、つつがなく終わりました。言語能力の付与のため、いくつかの問診を受け転送に関する事前説明を受け、転送準備に入りました。一つの問題は問診、つまり転送先の言語の聞き取りの際に起きたのでした。

 

 何を言われても口をパクパクとしている姿しか見えず、耳が声、言葉を受け付けられない状態であることが判明したのです。

 言語として聞きなれておらず、声を声と、言葉を言葉と認識できず判別に困るということはたびたびありましたが、それは初めての現象でした。この時のように声が全く聞こえないということはなかったのです。不思議と書かれた文字は識別できるらしく、日常に問題はないようでした。

 しかし、私の体の聞き取る部分のみに致命的な欠陥が存在することが明らかになったのです。

 

 準備の際に、女神は、言語能力の欠陥を補うために通訳をつけること、願いの未完遂のため戦闘知識の維持を許可すること、魔術行使の設定の維持の確約をしてきました。どれも普通の転生にしては当たり前の条件ですが、言語能力の欠陥が自分の都合であったことを考えると、自分には破格すぎる待遇でした。タダより高いものはないではないですが、この厚すぎる待遇には裏が当然ありました。

 しかし、この時私の頭は別のことに支配されていました。他ならぬ、今回の転生目的です。虐殺してこいという非人道的な目的でもないよりましで、今回はそのましではない状態だったのです。

 理由は後述しますが、 (意味はあるかは別にして)目的説明なしに転生させることはまずありえないことでした。

 

 

 「付け加えてなのですが、今回の事象には、目的も任務もありません。」

 

 ですから、業務連絡のような声でこのように言われたときは、ハッとしたというよりも、雷に打たれ全身麻痺した心地でありました。

 

 そもそも転生というのは、憑依や降臨といった行為よりも、膨大な力を消費する行為であります。先に述べた(後書きに記載【投稿者】)、莫大な犠牲を出していたマルチスキル者をあれほどになるまで放置していたのも、転生させて鎮静させるよりも割に合うと判断されたからでした。

 今回の転送にどれだけの犠牲が払われているかは不明でしたが、先の要望を全て聞きいれての転生となると数百万の犠牲は確かです。それにもかかわらず目的がないとは、文字通り生命の浪費他ならない行為でした。事実、今回の事象には意味はありましたが、目的はありませんでした。

 

 そうこうしている間に、転送準備は進んだらしく、足下の陣からいつもの、まばゆいばかりの極彩色の光が沸き上がり、身体をゆっくりと押し上げていきます。強まる浮遊感に焦燥が募り、何か言葉をかけるべきなのだが何を言うべきかわからず、息を吐きだそうと思っても喉がそれを許さない。舌もしびれて思うように動かず、瞳は女神に縛り付けられている。私はまさに生かされている屍でした。

 

 「目的があるから、『転生』なのですよ。」

 

 女神が歌うように呟き、私の物語は始まったのです。

 




【割愛部分1】
 「この世は、ツリーシステムを採用していてね、複数の下位世界を上位世界がまとめ、その上位世界をさらに上位の世界がまとめて監視・管理しているのよ。」
 「でも監視・管理といっても基本的には干渉することはしなくて、私たちの役目は、内部完結する一つの世界層自身を見守ることだけなの。」
 「ただある時、上の方で何かが起きて、内部完結が崩れたの。」
 「ほかの世界群はすぐ世界を作り変えて対処できたのだけど、ここは自由意志尊重派が多くて直接の介入をとることができず、困ってしまったというわけ。」
 「ただ手をこまねいてみているわけにもいかないから、妥協が図られたの。体内の免疫系を活性化させて癌を治すように、ある程度の色を付けて同一世界層の存在を転生させ、対処する方策はこうやって生まれたのよ」

【割愛部分2】
 何故一般常識と言語能力なのか。自己弁護のために、一般常識に関して、説明を加えておきます。
 一般常識を持ち合わせていないと破滅します。これは皆さまも同意されることであろうと思いますが、私自身20飛んで4回目の転生において、一般常識を理由に殺されかけたことがあったのです。
 凡そ、よほどの転生先でない限り、どのような形であれ通貨制度の存在する場合が多いのですが、その時は通貨を一般常識の備わっていない存在、つまり違法入国者をあぶりだす罠として用いられておりました。魔術で物々交換の対象物を通貨に偽装し、交易をおこなうという手の凝りようであり、まんまとしてやられたのです。
 さらに記念すべき30回目では右と左の違いに強い意味を持つ転生先に飛ばされ、不用意に右手で子供の頭を撫でたところ、市中引き回しにされる羽目になりました。
 それ以来、一般常識のインプットをするまで決して動かないというのが鉄則になっているのですが、この儀式が非常に厄介で、転生先での生活の8割をこのことにあてざるを得ないということもよくあることでした。この必要性と厄介さこそ、一般常識を選んだ理由他なりません。
 言語能力に関してはまあいいでしょう。

 皆様の中には、この二つの願いを一気に解決する願いにすればよかったのでは?とかそもそも神に等しい力を要求すればよかったのでは?と考える方もいらっしゃると思います。この問いに関しても自己正当化のために、解消しておきます。
 そもそも、転生目録においては一般常識と言語能力は制度的にも明白に分けられておりました。同時に解決するのは不可能でありました。また神に等しい力に関しては、その代償をどこの誰に払わせるかということが問題になってきます。
 私自身、何度か所謂俺TUEEE主人公の転生準備に携わってきました。スキルの規模によりはしますが、神スキル(生命創造や属性無視、地形を大きく変化させるほどの威力のモノ及びマルチスキルなど)付与・行使には当然に犠牲が必要であります。
 私が担当した中で最も俗にいう神に等しいスキルは、世界創造と世界破壊(当然創造と破壊ができるので魔術システムや物理法則の改ざんも可能)というマルチスキルでしたが、行使・付与ごとに、数億もの生命を生贄に捧げる必要がありました。最終的には世界を四つほど消滅させるまでに至ったのですが、過剰消費を理由とした女神の命で、当該存在を消すことで解決を図りました。
 この件を考えると、身に余るスキルを願っただけで、私自身も消される可能性が当然にあり、そのようなリスクをとることはできなかったのです。
 長く書きすぎました。物語に戻りましょう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二話 邂逅

 界境の長い浮遊感が抜けると異世界であった。

 

 時刻は夜。たわわに咲いた小さな藤の花が、大きな房となって、枝をたわませておりました。月明かりと水面に映る街灯に照らされており、まるで夜道を彩る提灯。川の流れに逆らって目をやると、川が二本の川となって伸びて、新緑の森に切り割かれておりました。

 女神から与えられた一般常識が教えるには、そこは鴨川デルタと呼ばれる場所でして、その場所を見ながら、心地よくわずかに身体に吹き付ける風に身を任せ、しばし既視感というか寂寥感というか、えも言えないものに包まれ、惚けていた気がします。

 

 私はひとまず、川縁から土手にある階段を上り、大通りに出ました。目的を与えられないまま転送された経験はなくとも、ひとまず落ち着いて現状を確認できる場所が重要なことはわかっていました。人目が少なく、落ち着けて、魔術や剣術その他戦闘能力に関する確認ができるほどの広い場所が必要でした。

 

 西へ向かいました。特に理由があったわけではなく、なんとなく西に向かうべきだと考えたのです。

 おそらく、一般常識か私の記憶がそうさせたのでしょう。しかし、そのどちらかだったのかは今になってもわかっておりません。

 

 これまた、植えつけられた常識のせいでしょうか。道を歩くだけで、ふわふわ夢心地のような、なんとも言えない感覚を覚えました。浮遊感に耐えながら、しばし歩くと、奥まで続く壁に遭遇しました。それには瓦葺の屋根が載せられており、その屋根も道の果てまで続いておりました。

 跳ね返しも意味を込めての屋根かとも考えましたが、門は不用心にも開いており、門番らしき人すら見当たりませんでした。まこと不可思議でした。

 

 門をくぐると、綺麗に整備された林とそれを分断して引かれた砂利の道に出迎えられました。その先を見通すと、さらに壁が見て取れました。二つ目の壁の前には溝が張り巡らされておりました。ここは屋敷の庭だったのです。

 またどうやら往来の激しい庭らしく、車の轍がくっきりと残っておりました。この世界もどうやら車輪を用いて移動する様だと、なんとなしに感心した覚えがあります。もっとも大通りの塗装を見た際に、うっすらと勘付いてはいましたが。

 しばらく歩くと、少し広い場所に出て、木製の三人くらい座れそうな椅子が丁寧にも用意されていました。ちょうど昼に木陰に入る様な場所にあり、もし昼だったらうたた寝でもしたかもしれません。

 

 椅子に座ってまず始めたことは、魔術の確認で、これはいつもの決め事でした。魔術が使えなければ人払いもできず、何をするにも人目を避ける生活を余儀なくされるのです。

 

(冗長であったため割愛。後書きに内容は記載【投稿者】)

 

 ここであえて危険を取り公共接続を図りました。当時の私にとっては不幸なことに、索敵された様子もなく、ほどなく前世界の方式で魔術の行使を確認できました。女神は嘘をついていたわけではなかった様です。

 

 魔術が行使できるとなればこちらのもので、人払いを済ませた後は簡単な現状の確認に入りました。

 場所は、ユーラシア大陸という最大の大陸の東に浮かぶ日本という島国、具体的には京都府京都市、気温からして季節は春、通貨は円で、戦争状態にはない、民主主義で、魔術が当たり前に使われている、そしてなぜか話しかける時間により話しかけ方を変えなければならない、と言ったぐらいでした。

 内容よりも驚いたのが、一般常識のインプットのされ方でした。国や政治制度といったものや世界全体の歴史といったものが、さながら講義で身につけたかの様に記憶されており、知識ではなく経験、少し踏み込むなら思い出として頭の中に入っていおりました。

 行ったはずのない学校で、着たはずのない制服を身をまとい、笑顔で過ごす自分。常識を引き出そうとするたび、物心つく前に撮影された映像を見させられる、そんな体験をさせられました。

 今になって思うのですが、これは見覚えのない景色に不思議な既視感を覚えた一つの理由だったのでしょう。

 

 ここまでを見ると、いくつかの疑問点はあるものの、実に冷静沈着で、滑り出しもまさしく順風満帆と言った具合です。さぞや達成感に満ちた生気溢れた顔をしていたかの様ですが、事実そうではありませんでした。理由はいくつかあったのですが、最も大きいのは目的も命令も本当に存在しないということでした。

 目的地がなければ、いくら良い風を帆に受けても進むことはできず、難破してしまうことでしょう。ここまで立ち往生せず進んで来れたのは、まさしく、いつ目的と命令を受けても大丈夫な様にするという、身体に染み付いた癖によるものであり、目的のための行動であったのです。

 

 「付け加えてなのですが、今回の事象には、目的も任務もありません。」

 

 確か女神はこの様なことを言いましたが、何かの聞き間違いであろう。聞き間違いではないのならば、命令はあるということの裏返しである。そんな風にある意味自分を騙していた私も、私の懐に忍ばされていた証明書を見て、逃避を諦めざるを得ませんでした。命令どころか、いつも欠かさず記されている、女神との接続パスすら書いてなかったのです。足元が崩れる思いとはあのことでした。

 

 死のうと思いました。

 空虚で無残な物語を描くぐらいなら、自らの幕を落とすべきなのだ。魔術行使もできるなら、自らに打ち込めばそれでおさらばだ。

 これは一つの正解だと思えましたが、どうも死ねませんでした。身体は精神に隷属するとは嘘だったのでしょうか。

 今の私にはわかりますが、空虚な転生により意味を失い、生きる意味も、あえて死ぬ意味もなかったのです。私の前には、生きるか死ぬかは問題ではなかったのです。

 考えてみればわかることですが、当時の私には気づきようもないことでした。

 進むも退くも終わるも不能。まさしく途方にくれるという有り様でした。

 

 

 悲鳴が木霊したのはその時です。

 押しつぶされ、思わず滲み出た甲高い少女の様な声でした。

 

 

 聞いた途端に私の身体は悲鳴の元へ動き出していました。

 行動には理由が付き物で、それを語ることで初めて過去を語る行為になるのでしょう。しかし、この時の私には理由などなかったのではないかと思うのです。

 死に場所を求めたといえば納得してくれるでしょうか。はたまた、いい人になろうとしたのかもしれません。それか、救った人に今晩の宿くらい提供してもらえるだろうと打算的に考えたのかも知れません。それとも、これが二度しかない、彼女との声を介した意思疎通の一度であったと理性を超えた何かにより理解していたのかもしれません。

 いくつもの理由は語ることはできます。しかし今回に限っては、その全ては言い訳に他なりません。一つ確かなのは声の主を救いに行ったということだけです。

 

 まあ、それも徒労だったわけですが。

 

 結論から言うと、私の行動は全くの無駄でした。

 拍子抜けするほど徒労であり、無意味よりもさらに徒労であり、どう考えても徒労でした。

 

 まず初めに言うべきこととして、そこには二人の人間が生存していました。

 一つの存在は、上下黒一色で、肩で切りそろえた黒髪に、いぶし銀に光る剣を持ち、少女と私を同時に視野に収められる位置に構える女性。

 もう一つの存在は、上は白、下は紺のスカートであり、同じく黒だが長髪、黒い襟巻きに臙脂色のリボンを肩につけ、突風でよろけ、倒れてしまったかのような姿勢で、虚ろに目だけこちらを向け私を見つめる少女。

 親子とも姉妹とも形容しがたい二人でありました。

 

 そんな二人がいたのは、巨大な力でずたずたに引き裂かれた場所でした。

 隕石によって生じたようなクレーターとおびただしい数の爪痕が地面に残され、森に響いた爆撃によるものなのか、辺りの木々は焦げ付き、所々煙を出して燻っており、さながら大空襲後のビルの跡地でした。

 少女の肩越しに見える地面に咲いた真っ赤な花、それがやけに目につきました。

 咲きこぼれんばかりの花であり、少女たちを襲ったものとみられる獣の足や目玉を種子のように周囲に飛び散らせていました。花の上に刻まれた生々しい傷跡は少女の目と鼻の先にまで伸びていました。まるで若さを吸い取り少女から蔓をのばし、瑞々しくパッと咲くという一枚絵のような構図であり、やけに頭にこびりつきました。

  

 二人の表情、外見、そして現場の状況全てが、そこで死闘が行われたことを物語っていました。

 そう、死闘は既に終わっていたのです。

 言うまでもなく、二人にとって、望まれざる来訪者だったのでした。

 

 自由意志なんて持つもんじゃない。

 

 

 悪のいない正義の味方とは滑稽で済むのは幸運な方で、大方の場合は脅威と認定されるものです。その認定を覆すには信頼醸成という努力が求められ、必要量は並大抵なものではないでしょう。

 恥を塗り重ねる事態に慌てた私は、意味やら外聞やらを投げ捨ててまさしく必死の努力を重ねました。しかし、意思疎通ができないというのは難儀なもので、あらゆる努力を無に、いやむしろ最悪な事態に変貌させたのでした。

 時間に合わせた挨拶も、友好的に振舞おうとする姿勢も、敵対心を無くすための武装解除、防御解除も、全て徒労に終わりました。文字の一つでも書いたらよかったのでしょうが、下手な動きを取れるほどの余裕はその場には存在しませんでした。

 このまま終われば自分一人だけ道化であり、犬も食わない笑い話で済みました。地形を変わるほどの絨毯爆撃さえなければ。

 

 一瞬にして数千の火球が目の前に飛来し、それが全てが連鎖的に爆発を始めました。一種の芸術ともいえる攻撃で、閃光は赤青黄色と様々な色に変容しながらも調査し、側から見れば、数千の打ち上げ花火が地上で咲いたかの様に見えたと思います。

 華やかな様相でも、爆発の中心部にいた私にとっては地獄でしかなく、投げ捨てた剣を拾い上げ、一つづつ切り捨てるしか逃げる方法はありませんでした。もし飛行魔術を封じていたら、耕された地面へと追い込まれ足を取られ、消し炭一つ残らない結末になったと断言できます。生きる意味のないこの当時の私でも、流石にその結末は望まないものでした。

 

 恥ずかしいことに、声が音として届かないということは当時の私の頭からは完全に消え失せていました。そんな私にとっては、敵対行動を取られることは理解しがたい現象で、切り捨てながら常に疑問符を浮かべておりました。

 

 それと同時に不可解に感じたのが、この爆撃自体です。

 確かに無詠唱で発動させたことやら(後から考えると、金魚の様に口をパクパクしていたので詠唱はしていた模様)、その爆発規模にも違和感を覚えておりましたが、それ以上に驚いていたのが、突如爆撃に移行したことです。

 当たり前のことですが、魔術というものは、目的に対して最短距離をとることが是とされるのが常です。すなわち、相手を撃退するならば、破壊や燃焼といった概念を相手に付与するのが正規であって、爆撃や雷撃といった間接的攻撃は愚策と言えます。事実、今回の私は魔術防御を一切外しておりました。概念付与による攻撃をされていたらひとたまりもなかった筈です。

 付与ができなかったのでしょうか。いや、的確に館や少女に衝撃を与えない様にしながら、あの爆撃を実施できる人間が、そんなことはない筈です。

 最後の火球を切り捨て、砂煙が晴れた時、女性の姿はすでにありませんでした。

 

 静寂が場を支配しました。

 いえ、静寂にしては重すぎました。

 木々のざわめきがやけに大きく聞こえ、少女の息づかいさえも聞こえてきそうなほどであり、まさに語るべきものを互いに意識しながら、語るに語れないというひどい沈黙でした。

 空気が死ぬ、とはあのことを指すのでしょう。

 

 

 永遠とも感じた沈黙の中、風をきってこちらに近づく物体が一つ。

 場の流れを変えるのはいつだって驚きであり、この時もそうでした。

 

 

 

 幼女が降ってきたのです。

 




 【割愛部分1】
 皆様の中には、魔術の確認こそ、魔術のその世界における立ち位置を確認した後に行うべき行為だと主張される方もいらっしゃることでしょう。当然人目を避けても魔術回路で監視されている場合もあります。
 私自身も第423回転生時をはじめとして、数十回魔術確認の際に魔術行使を補足され、魔物として扱われたこともあります。しかし、私としては魔術の確認をすることを絶対にお勧めいたします。また補足になりますが、ここでの魔術は転生目録の『被造物を貫く理を利用し、行為者の思うままの現象を起こす』行為と定義します。 

 理由は簡単なことで、生存率が上がるからです。
 皆様もご存知の通り、魔術行使の方式自体(行為者が目的を定義し、被造物を理に沿って文字や声などを通しアイコンの提示を行い、現象を起こす)は普遍的なものであります。魔術を行使する際は例外なくこのプロセスを踏むのです。
 規格化されたプロセスは、後世への知識の伝達や、魔術の普及というものに大きく貢献してきました。事実プロセスがなければ、魔術の行使は千者万別になり、鍛錬や研究ではなく、センスがものをいうだけの技能となっていたのでしょう。
 魔術はプロセスを確立したところに意味があり、後はおまけに過ぎないのです。
 しかし、異世界転生時における魔術行使の問題は、このプロセスの非柔軟性にあります。特にアイコンの提示が厄介な働きをするのです。
 
 アイコンの提示においては、世界の理と接続するために、自身の魔術回路を開示し、理の一端を接続に適した形に変化させるという処理が行われます。いわば、魔術師にとっての世界システムとの同期処理にアイコンの提示は該当するのです。
 プロセスが規格化されているなら同期処理も統一化されていると思われます。しかし、実際はそうではなく、同期処理は世界によって異なります。いうならば、世界ごとに方言のようなものが存在するのです。
 方言レベルの違いならどうとでもなりそうですが、そうは問屋が卸しません。大方の世界には魔術管理ギルドという組織が存在するからです。 

 魔術管理ギルドは、一般の魔術師にとっては魔術のショートカット作成や、アイコンの提示方法を研究し普及するという便利な機関です。しかし異世界転生の場合には、これ以上にない厄介な存在になるのです。
 基本的に、転生先の魔術管理ギルドのショートカットは利用できません。言語による違いだけではなく、転生者は一般的にショートカット仕様の許可書とも言えるライセンスを手に入れることができないという事実が影響しています。またそれに伴い、アイコンの提示方法に関する共有も行われません。
 これだけでも厄介なのですが、ここまではあくまで魔術管理ギルドを使えないというだけです。
 何かの奇跡でアイコン提示の方法を認知できたとしましょう。しかしその世界は、文化も発声方法も、最悪の場合理自体も一致しない場所です。大方の場合、アイコン提示に苦心するよりも剣を振るった方が容易です。
 また何かの偶然で文化や発声方法、理の構造の酷使する世界に転生できたとしても、接続は困難を極めるでしょう。十中八九、魔術管理ギルドは、理との接続を独占を志向し、自身の定めた方法以外での接続を拒絶するシステムを構築しています。つまり、アイコンの提示を成功させるには、自身の持っている元の世界の知識を全て捨て、その世界にのみ従属する存在にならなければならないのです。
 さらに、魔術管理ギルドの調停者としての機能も厄介です。魔術行使自体の禁止だけならまだしも、最悪の場合、621回目の転生先のように魔術回路の起動だけで、処刑対象になる場合もあります。大方の場合転生者に不利になるように制度化されており、訴えても負け、訴えられても必ず負けるという理不尽な扱いを受けることになります。
 ここまで述べてきたように、アイコンの提示方法もわからず、守護者たるべき魔術管理ギルドが転生者に牙を向いている以上、魔術行使の確認を行わず、実戦で魔術行使を試みるのは自殺行為極まりません。
 確かに、魔術行使の確認の際に処刑される可能性もありますが、それは逆に好機であります。追っ手を撃退しライセンスを手に入れればそれだけでも安全が確保できるのです。
 故に、魔術行使の確認は最優先で行うべきだと言えることでしょう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三話 懇願

予定が立て続いているらしいので、次話の投稿はおそらく遅くなります。


 目を覚ましました。

 

 目を覚ますということは、いつもあることで、別に変わったことではありません。しかし何かしらが変でした。

 

 その一つが瞳でした。

 たっぷりとした癖のない青藍の長髪、月に照らされた毛先の放つ艶めかしい光、白磁のように白い肌、ピンッとわずかにカーブしながら伸びてゆくまつ毛。その全てが、幼女の瞳を一つの芸術へと昇華させておりました。

 眼は、天色とでもいうべき夏のカラッと晴れた空の鮮やかな色で、他ならぬ瞳は、光を捉えて逃さない濃紺よりもさらに濃い青。シミという概念一つさえない、透明よりも透明な曇りなき眼でした。

 幼女のものは、ただ美しいばかりではありませんでした。

 命を宿していました。

 烱々として強く凄すさまじく、おまけに一種底の知れない深い魅力を湛ているので、あの時のようにジッとこちらを見つめられると、私は呆気にとられて眉ひとつ動かせなくなったのです。

 この時も、瞳の奥に潜む深淵が、私の意識を捉えて離しませんでした。

 

 

 「どうかされましたか。」

 

 

 惚けていた私を現実に連れ戻したのは、背後からの声でした。

 吸い込まれそうな瞳から目を背け、私の口は言葉を紡ぎ始めました。

 幼女には尋ねるべきことはいくつもあったのです。

 何故空から降ってきたのか。君は誰なのか。どこから来たのか。どのように来たののか。何故この場所に降りて来たのか。そして、

 

 何故彼女と意思疎通できるようになったのかを。

 

 

 幼女(実際は童女なのですが)が目を覚ます前、つまり私が目を覚まさぬ幼女を抱きかかえている時のことでした。少女は依然として虚ろな目をしており、どこか遠くを見つめておりました。

 そんな少女が一言。

 

 「死にたい。」

 

 か細く、しかし芯の通った強い声でした。少女のつぶらな眼は私を捉えており、独り言ではなく私に向けて発せられた言葉であることは明らかでした。

 魔術師でもないようでしたので、軽く炎を呼び出し少女を焼きました。柔肌の幼女を荒れ果てた土地に下ろさないでできる攻撃は、魔術だけだったのです。

 

 (冗長であったため割愛。後書きに内容は記載【投稿者】)

 

 初等魔術と雖も、人を焼くには十分なはずで、数分もすれば炭も残りません。

 しかし、蓋を開けてみると焼くのは地面だけで、少女は全くの無傷。その後も、冷気、振動、溶解と私の思いつく限りの魔術を少女に向けましたが、全てが無意味。殺すには至らなかったのです。

 

 ちらりと目を見やると、少女は私の魔術をどこか遠いことのように眺めておりました。しかし先ほどの異なり、目の虚ろいが薄れ、わずかではありますが潤んだ光が宿っていました。

 少女の思いを裏切るわけにはいかない。当時の私は、本格的に少女を殺す術に思い巡らし、陣を書き始めていました(今から考えると、無意味でしたが)。

 しかし(二人にとって幸運なことにも)、気が付いたのです。

 

 何かがおかしい、と。 

 

 戦乱に巻き込まれ、何も失わずに助かった後に死にたがるのは何故か。

 あの戦乱で何かを失ったのか。

 そうであるならば、あの女に死の願望を伝えなかったのは何故か。

 そもそも、今まで無口を貫いてきた少女が、此の期に及んで話しかけてきたのは何故か。

 沈黙に耐えられなかったのか。

 いや、そうだとしても死にたいとは言わないはずだ。

 

 

 …もしかして。もしかすると。

 ()()()()()()()()()()()()のではない。

 ()()()()()()()()()()のだろうか。

 

 そうだとするならば、聞き取れたのは何故か。

 何かが作用したのだろうか。

 この世界自体によるものだろうか。いや特に恣意的な影響を受けた様子はない。

 そうなると、聞き取れるようになる前と今で何かが変わったのか。

 

 その時突如、思考の海から引き上げられました。

 小さな命がもぞもぞと、私の腕の中で動き始めたのです。

 

 幼女へ問いかけることになった顛末は、このようであったと記憶しています。

 

 

 「私のせい。」

 

 幼女の答えは極めて簡潔でした。 

 この幼女はただの幼女ではなく、女神の遣わせた存在で、今しがたこちらの世界に到着したということでした。

 私が彼女に触れている間であるならば、この世界に存在するあらゆる生命と意思伝達を測ることが可能。また触れることのできないような状況の際は、彼女自身の声や身振り手振りによって当該対象と意思伝達を測ることができるといった具合でした。

 

 私の最大の関心事項であった、今回の転生の目的を尋ねても、首を傾げてキョトンとするばかりで、何も聞き出せそうにはありませんでした。ただの可愛らしい通訳、というのが彼女の第一印象でした。

 

 少女と幼女は通じるところがあるのか、何やら話していたようです。一方の私は再び思考の渦に取り込まれていました。

 魔術行使設定と戦闘知識の維持及び一般常識の導入、そして通訳が揃いました。否、揃ってしまったのです。ここまで約束の履行をする女神が、目的に関してだけ共有を忘れるということはないでしょう。つまり、今回の転生は例外中の例外で、目的のない転生である、という認識が著しく現実味を帯びてきたのです。

 

 今から振り返れば、行動拠点を確保するに始まり、翻訳機能や戦闘能力などに始まる幼女のスペック確認やら、取り残された少女を自宅に返すに至るまで、数え切れないほどやれること・やるべきことはあったはずです。

 しかし、私は何もしませんでした。いえ、何もできなかったというのが正しいでしょう。寄る辺を失っていた私は、目の前で母港を失った船のように、右往左往どころか茫然自失するしかなかったのです。

 

 死のうと思ってもどうにも死に切れない。

 いっそのこと世界ごと無に帰してしまおうか。

 流石の女神も世界が滅んだら、手を出さざるを得まい。

 

 「一つお願いがあるのです。」

 

 そんな物騒なことを考えていると知ってかしらずか、渡りに船が出されました。

 願いの内容はさておき、進むべき方向の提示他ならず、救済でした。

 当時の私は気づきもしませんでした。しかし、このお願いこそ数ある虚無の一つ。いえ、他ならぬ第一号であったのです。

 

 

 




【割愛部分】
 魔術のクラスの分け方は、世界によって様々でありますが、クラス分けするということ自体は例外なく行われています。経験則上、一つの要素のみを帯びた魔術を、転生目録における初等(初めのクラスという意味)に含める場合が多いようです。

 また、同じ様に多くの世界で見られるのは、魔術を、火や水など魔術行使による結果に着目して体型立てようとする動きです。属性理論とも呼ばれることがあります。学問的に考えれば非常にナンセンスな考え方ですが、メリットも多くあります。特に大きいのは以下の二つでしょう。
 一つ目は、扱いを容易にできること。属性による相性を策定することにより、魔術行為者の戦術決定がより容易になります。また魔術に関する理解が一切なかったとしても、属性理論においては、魔術は火魔術・水魔術・風魔術といった決まり切った結果を達成する方法でしかないため、儀式化も可能であり、容易に伝授を行えます。
 二つ目は、応用を抑えられること。属性で魔術を制御してしまえば、魔術行使結果の規模を大きくする(例えばより大きい火球を作るとか)ことと、属性の掛け合わせ程度の応用しかできなくなります。稀に無詠唱に関する研究まで応用が進む場合もありますが、大した話ではありません。
 属性理論は極めて管理者に優しい理論です。伝授の容易さゆえに、魔術管理ギルドの参加資格をゆるくし、ギルドの監視を行き届かせることもできるほか、スキルポイントによる魔術習得制度といったお手軽システムを作成することができます。また応用を抑えられるため、世界自体のレベルデザインが容易で、異世界転生者の飽きや投げ出しを防ぐことも容易になります。

 しかし、属性理論に基づく行使は果たして魔術と言えるのでしょうか。
 そもそも前述したように、魔術は、『被造物を貫く理を利用し、行為者の思うままの現象を起こす』行為であります。『使用』ではなく『利用』であり、その背景には行為者自身に魔術への理解を求めている様に思えます。
 この認識に立つと概念も変わります。二話で述べたとおり魔術には、①行為者が目的を定義し、②被造物を理に沿って文字や声などを通しアイコンの提示を行い、③現象を起こすという三段階があります(②と③を同一視する学説もありますが、少数説です)。理解しようとする時、つまり研究する時、その対象としてまず上がるのは、このプロセス自体であり、結果ではないはずです。
 また、魔術には現象の起こし方にも様々な手段が存在します。一つ燃焼を取ったとしても、物質を振動させるのか(間接的行使)、対象物の発火点を操作するのか(直接的行使)、燃焼を引き起こす魔術生物を作成する(生物的行使)のかなど数多の方法があるのです。強いて魔術を区分するのであるならば、このアプローチの仕方ではないのでしょうか。
 つまり、学問的に魔術を見るという前提の上で、仮に魔術を区分するとすれば、①現象の起こし方②プロセスの二つの軸で種類分けするのが妥当であり真理だと思うのです(この見解を学問的魔術アプローチと名付けておきます)。
 ただし、これはあくまで一個人の意見であり、属性魔術理論を否定するものでありません。さらに包み隠さずにいうのであるならば、物質魔術学とでもいうべき、『魔術行使時における、行使者から理、理から世界の間で行われるやりとりを物質の観点から分析する』、という学問を立ち上げたチュートリング博士の意見に基づいた意見にすぎません。

 学問的魔術アプローチに基づいて言えば、この当時の私は、対象物質への直接的行使(概念付与もここに入る)と間接的行使の魔術しか行使できません(話をわざわざ逸らせてこの様な話をしたのは、当時の私の行使可能魔術について説明しておくためでした)。それ故、この時においても間接的行使の魔術を実践しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四話 変貌

遅くなりました。次回から更新速度を上げるために、手記をできるだけそのまま載せます。


 まだ夜明けには、すこし間がある。

 街はすっかり静まり、照らすのは月だけとなった。

 

 私達一行は、御所をあとにし、南東へと向かった。南東に向かうとしても様々な選択肢がある。その中でも街の東にあたる鹿々谷通りを経由し、人通りの多い中央部を避けるという、少女のルート採りは見事なものであった。

 眼をこする幼女を背負い、土埃にまみれた少女に連れられている男。

 今になると、いっそ誰かに遭遇してしまっていたほうがよかったのではないか。この様なことも頭によぎるが、どちらにせよ面倒なことになっていたことには変わりないだろう。

 「ここを右です。」

 

 私が道中で最も耳にした言葉である。

 お察しの通り、少女とのやり取りは簡潔なものであった。

 私が質問し、少女が一言で答える。少女が質問し、私がはいか、いいえで答える。そのどちらかであった。

 しかしこと友達の話題では、様子が異なった。

 

 「確かに、君は彼女を友達だと思っているようだ。しかし、彼女が君のことを友と思っている証拠はどこにあるのだ。」

 「…と仰ると?」

「端的に言おう。君は、彼女がそう考えていると思いこんでいるだけではないのかね。」

 

 

 なんて不躾で失礼な質問だったのだろう。博覧強記ではなくとも、義理人情に厚い人ならば、知り合って間もない存在に対しどうしてこうも攻撃的になれるのかと疑問符がつく。

 更に加えて、少女は一寸前まで、虚ろな目で虚空を見つめるという放心状態であった。立ち直ったばかりの存在に、優しくするこそすれ傷つけることはご法度なはずではないのだろうか。

 当時の私は非情な男であった。ただし、一般的な意味ではなく、情を理解するに非ずという意味の非情である。つまるところ、人情というものを理解していなかったのである。

 その証拠に、先の発言には少女を攻撃する意図は一切含まれてなかった。ただ単に、何を持って友と為し、どのように友であると確認するのかを理解したかったのである。

 

 

 「彼女は、私のことを友達だと呼んでくれていますよ。」

 「私は君の友達だ。ほら、口先だけなら、誰にだって言えるのではないかね。」

 「記念日を祝ってくれました。」

 「家族や友達以外からは祝われたことがないのかね。」

 「…現に路頭に迷った私を受け入れようとしてくれています…」 

 「困っている人を救うというのは素晴らしいが、それは彼女に良識が備わっているだけではないかね。」

 「悩みを…彼女は悩みを聞いて、共に悩んでくれるのです!」

 「彼女は君に悩みを打ち明けてくれたのかね。」

 「…無いです。」

 「ほう、ではまるで牧師と教徒だな。」

 「例えそうだったとしても…。彼女は…彼女とは友達なんです!」

 「君の意見はいいのだよ。彼女がそう思っているという証拠をくれないか。」

 

 好奇心猫を殺すという諺があるが、この場合好奇心によって少女の心を殺しかけたのである。

 懺悔にもならないと思うが書かせてほしい。声の調子から表情、周囲の匂いに至る細部の細部まで、覚えている。あのやり取りは、脳裏を離れることはない。私は愚かであった、いや愚かなのだ。

 通説の通り、加害者よりも、被害者の方に事件の記憶は刻み込まれるのであれば、少女の心の強さに感謝しなければならない。

 いたいけな少女の心を踏みにじる感覚は、この先も忘れることができず、また忘れるべきではないものなのだろう。

 

 過ちに気がついたのは、少女の目尻に光る涙を見つけたときであった。崩れることのないと思いこんでいた堤防が、ボロボロと音を立てて崩壊したのである。

 噛み殺すように嗚咽をこらえる少女と、あっけにとられる男。辺りは再び言いようのない沈黙に支配された。

 

 もちろん一般常識には、女性の涙には気をつけろ、と記されていた。

 しかし、何をしたら涙するのかということの明確な判断軸は記されておらず、ましてや女性を慰める方法という高等なものを教えてはくれるわけでもなかった。もし教えてくれたとしても、もはや行くところまで行っており、繕うことは叶わなかっただろうが。

 

 「無益な争いはやめ給え。」

 

 沈黙を、切り裂いた。

 耳の奥を心地よく揺さぶる渋い声であった。

 

 

 声の主は、黒い物体、黒猫と呼ばれるものであった。天にピンっと伸びる両耳、月明かりに照らされ鈍く光る黒い毛に、しなやかな体躯を持っていた。

 彼の目は、緋色であり、闇に支配された世界で爛々と輝き、我々を魅了した。

 

 彼は私を一瞥するとニャオと鳴いた。阿呆の相手をするかのように、まるで誰にでもわかるように、愛嬌を振る舞っているかのようであった。

 そのまま、スタスタと優雅に少女の足元まで歩いていき、クルンと一つの玉になった。少女の涙は止まっていた。私自身も友達に関する考察を止める必要があった。

 

 (冗長につき割愛【後書き1】)

 

 しかし今件は、少女の身の安全を確保しながら、安全を脅かす場所に連れて行くというものであった。最悪の場合、完遂させる行為自体が完遂を不可とさせる恐れを孕んでいたのである。

 更に厄介なのが、認証の存在であった。来訪者の虹彩・声色・静脈といった固有の特徴を識別し、登録されたもの(今回の場合少女のもの)と合致しない限り入場を許可しないという仕組みになっていた。つまり、過去の事例のように幻視や催眠によったり、魔術回路を暴走させて認証機能自体を破壊し、認証を突破することは、不可能であった。

 

 我々には魔法使いが必要であった。

 

 (冗長につき割愛【後書き2】)

 

 木組みの住宅群を抜けた先にある、高い塀に囲まれた大きな屋敷の建ち並ぶ住宅街。別格と呼ばれる宗派の大本山が近くにあるらしく、物々しい雰囲気に包まれていた。

 その中でひときわ大きい館が、ひとつ。それが他ならぬ目的地であった。

 例にももれず、四方を高い塀に囲まれている。また、そのすぐ内側には5mを越えようかという常緑樹が立ち並び、内情を伺うことはできない。入り口は一つしかなく、そこには闇に溶けるような黒く塗りつぶされた門が立ちふさがっている。

 

 そんな門の前に立つ存在が二人。

 小指ほどの背丈になった青髪幼女と、少女の姿をした私であった。 

 

 




【後書き1】
 目的(お願い)を引き受けるにあたって、最も重要なことは、完遂の条件を明確にしておくことである。そのために最も重要であるのは、完遂の判断者たる、依頼主の安全を確保するということである。このときも例外ではなく、少女の依頼を受け取った私の最優先事項は少女の身の安全であった。
【後書き2】
 認証ごと門を粉砕し、館に押入れば良いというパワープレイがお好きな諸君もいると思う。しかし、先述したように少女は館の主を友人と呼んでおり、館の防衛施設を破壊することは良しとしなかった。また、館自身を破壊する行為は、目的地の破壊他ならず、依頼完遂を自ら不可能にする行為他ならなかった。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五話 洗練

遅れて申し訳ございません。
隠居していた身ということで始めたこの作業なのですが、どうやら隠居させてくれないらしく、また暫く忙しくなりそうです。


 「できる。」

 私を変貌させたのは、幼女であった。

 服装から背丈、そして髪の一本一本の細部まで完璧な少女に仕立て上げ、驚いたことに、声色まで少女のものに変貌させた。

  

 (冗長な為後書き記載【投稿者】)

 

 目的地に危険があるのであるならば、危険を排除してから導けばよい。

 目の届かない間に少女に危険が迫る可能性も、人払いの術式と不思議な猫のおかげでどうにかなる。ひとまず、排除(危険がそもそも存在しない可能性もあったが)の大前提である、潜入の算段は整ったのであった。

 

 

 少女の説明に従い、門に手をあてる。

 しばらくすると中央に、丸に斜めに二重線を引いたアイコンが表示され、音一つ立てず開く。

 目の前に広がったのは暗闇であった。

 幼女を肩に乗せ、恐る恐る足を踏み入れると、赤い光が目に飛び込んできた。

 フォンフォンと何かが風を切りながら回転する音が木霊し、思い出したかのように無音が訪れる。

 そんなことを3回ほど繰り返したのち、ズダンズダンと何かが外れる音がする。

 そしてゆっくりと目の前に光が広がった。

 何が起きていたのかは今もよくわからない。

 

 

 外からの様相と異なり、中は異空間が広がっていた。

 まず広場に出迎えられた。

 中央には白地に所々青色が差し込まれたオブジェが鎮座しており、絶えず水を噴き出していた。

 その噴水とでも呼ぶべきものの周りを、何台もの黒ハイヤーと厳かな牛車が立ち並んでいた。

 まるで進むべき道を示しているかのようであり、私もそれに従った。

 磨き上げられた車体と吹き上げられた水に反射した光はやけに艶めかしく、私に向けられたいくつもの視線を覆い隠していた。

 当時の私は、術回路も身体構造も大幅に異なる少女の姿であった。

 今襲われたら流石に分が悪い。

 そんな心持で辺りをキョロキョロ警戒しながら進むと、バンッと館の扉が勢いよく開かれたのであった。

 階段の縁で踏み切ると、あっという間に距離を詰めてきた。

 

 「よくぞご無事で。」

 

 言葉を聞きいれたと同時に、私の頭は胸に沈められていた。 

 敵意は無く、歓迎の意思表示であった。

 

 

 私を呼吸困難に陥れたのは、館の主の従者であった。

 髪は黒く、後ろで束ねられ、馬の尾のように歩くたびに揺れており、白を基調とした給仕服によく映えていた。ピンっと伸びた背筋のせいか背丈は少女よりこぶし二つほど大きく、胸も少女のモノより豊満であった。

 彼女は、少女と呼称するには少し大人びていた。

 

 

 私が感心したのは、その体幹であった。

 彼女は護衛任務を主とした従者らしく、腰ほどの長さはあるだろう刀(剣と呼ぶと彼女は激怒した)と鉄状の筒を、左腰に差し込んでいた。

 それにもかかわらず体重移動に全くぶれがない。それに加えて所作に無駄がない。

 一挙手一投足に不愉快な点がなく一つの芸術作品となっていた。

 

 しかし彼女を見ると不可解なことが生じていた。

 胸に視線がいくたびにとある感情に襲われたのであった。

 一文無しで朝から水しか飲んでおらず飢えに襲われ、ごまかすために散歩を始める。そんな道中で肉の焼けるにおいをかいでしまった時の感情。

 妬ましさと寂寥感の混ざった言いようのない感情に、である。

 私は男である。胸に特別複雑な感情を持ち合わせてはいない。

 まあそういうことであろう。

 

 

 そんな私(少女)の内情にもかかわらず、彼女は盛大にもてなしてくれた。

 いや彼女だけではなく、館全体が、殿を務め生還した勇者を出迎えるような歓迎っぷりであった。

 食祭の間とやらにたどり着くまでは約1分ほどであった。

 その間に両手では足りないほど頭をワシャワシャと撫でられ、時に抱きしめられた。

 

 「慌ただしくてごめんなさいね。本当は広間で会わせてあげてもよかったのだけど、彼らが譲らなかったの。」

 私の乱れた髪を治しながら、彼女はこのようにつぶやいた。

 彼女が言うには、通常、彼女のような給仕服の人間しか館にはいないらしい。

 今日は事情が事情であったため、抗争担当である黒装束の人間が館の中を徘徊しているということであった。

 彼らとやらはその黒装束らしい。

 

 当時の私は、自分自身の演技力に酔いしれていた。

 今だから言えるがその実、大したことはしていない。

 『触らぬ神に祟りなし』作戦、つまり極力話さないようにするという作戦自体大したことない。このような消極的方針は猿でも思いつく。またこれも思考の浅さ故だが、そもそもとして当時の私が抱いていた不安は本当に存在したのであろうか。

 言い換えるならば、物質的に少女そのものであるこの私という存在を、他人であると疑うということは起こりえたのだろうか。

 加えれば少女の性格を考えると、この時私のした『ほとんど話さない』は違和感を生むものでしかない。

 演技力はむしろ負の方向に働いており、それを「事情」がごまかしてくれたのである。

 自分自身の力で安寧を手に入れたと奢っていた私は、まさしく道化そのものである。

 いや、後の惨劇を防ぐ機会を自ら捨てたのであり、むしろ『働く無能者』とでも呼ぶべき愚か者であったのだ。

 

 

 食祭の間は、一層異様であった。

 床も壁も天井も白で塗りつぶされており、まるで雪原のようであった。

 部屋の中央には、机一つと椅子四つがぽつんと取り残されたかのようにおかれている。

 天井からはらせん状のオブジェ突き出している。おそらく照明代わりであろう。

 赤青緑の多様な宝石で彩られたらそれと相まって、机周辺のみが人間の立ち入ることの許された場所のように感じさせた。

 椅子にはすでに先客が座っていた。金髪で白磁のように白い肌、少女が友人と呼称するその存在であった。

 

 「茜無事だったのね。」

 この時私は少女の名前を知らなかったことに気が付いた。

 どうやら少女の名前は茜というらしい。

 「座ったら?」

 

 

 

 「その様子だと駄目だったのね。」

 沈黙を破ったのは目の前の金髪少女であった。

 何かひどく重たいものに押さえつけられた唇を、無理やり動かしたような震えた声色で、目尻にはわずかな光が見えた。

 少女は笑顔であった。笑顔とは、相手のために浮かべるものであり、この時の少女の笑顔を例に漏れなかった。

 一言も発するのない私の手を、優しく握り、柔和な笑顔を私に向ける。

 彼女は強い女であった。

 

  (筆者の指示で後書きに回すように書かれていた為この部分を後書きに記載します。)

 

 何が「駄目」なのかは不明瞭であったが、目の前の少女が私の依頼主と深い仲、友人であることは明らかであった。

 

 「今すぐにでもここを離れましょう。」

 やにわに立ち上がると、そう言い放った。

 「離れる?」

 私にとっては寝耳に水であった。

 一つには離れる必要性を感じていなかったからであり、もう一つには離れる可能性を低いと見積もっていたからである。

 認証システムだけではなく、館の外壁自体もそれこそ魔法に近いものでないと破壊できない代物であった。道中で攻撃されるリスクと考えるとここ留まった方が、間違いなく安全であった。

 また、この館に用があるのは私ではなく少女である。離れるとなるならばその前に彼女を連れてくる必要があった。

 考え事をしていたのか、はたまた、周りの音が騒々しかったためであろうか。

 金髪少女からの反応はなかった。

 

 

 「そうそう、あのコインはまだ持ってる?」

 「コイン?」

 通信機器で少女に連絡を取ろうとしたときであった。

 「そうこれぐらいの。あの時のコインよ。」

 首をコテンと傾けながら、人差し指と親指で可愛らしく丸を作って表現する金髪少女。

 念のためにポケットに手を入れたが、指先は空をつかむだけだった。

 

 目の前の少女が嘘をついているようには思えない。

 複製できていなかったのだろうか。

 

 この予想は半分当たり半分外れていた。

 しかしこの事に気がつくのは当分後のことであった。

 金髪少女に声をかけようと口を開いたとき、すべての思考が吹き飛ばされたのである。

 

 精神攻撃や物理的攻撃を受けたわけでもない。

 足元の地面が、消え失せた。

 

 




 【後書き1】
 幼女が行なった複製。これは紛れもなく魔法である。
 
 皆様ご存知の通り、魔法と魔術は決定的に異なる。
 一般的には、神のみ行使することのできるものが魔法で、それ以外は魔術という区分がされている。
 しかしそれは正確ではない(そもそも神の定義がなされていない以上、意味のある区分とは思えない)。
 魔術と魔法は、経由する手段で異なるのである。
 つまるところ、理を作り変える(無に帰すことも含む)ものが魔法であり、理を利用するものが魔術といえよう。
 
 今回の複製が何故魔法に該当するかは、幻視や生物創造と比較すると理解できるだろう。
 幻視では、幻視を見せる対象者の認知に作用する方法を採るにしても、少女の姿に幻視させたい対象(この場合私) に作用する方法にしても、知覚する情報のみを変化させているだけで、法則を捻じ曲げているわけではない。
 生物創造では、何を持って生物たらしめるのかということを理解した上で、生物の構成物質を組み立て一つの生物を創造する形になる。幻視に比べれば、情報だけではなく物質自体を組み替えている為、魔法により近いものではある。しかし、生物創造はあくまで創造するだけである。想像した対象の趣味思考や性格などの情報に該当する部分に関しては、環境(つまり理)の影響受け入れなければならない。
 つまり、複製のように複製元(少女)の構成情報を、複製対象者(この場合私)の意識を保ちながら、組み込み変容させるという、魂の非連続性を覆すような術式に対しては一段階劣るのである。
 故に魔法を使うものの存在を、我々は敬意を持って、魔法使いと呼ぶのである。
 
 今回の場合、幼女の術式はさらに一段階精密であり、少女の服装や持ち物をすべて複製し同じ場所に収めるという偉業も成し遂げていた。
 私の適応能力も大したもので、わずかながらのストレッチと演舞、そして発声練習をした後、私は振る舞いも含め少女となった。

 【後書き2】
 夢が閉ざされそうになっている絶望的状況で、一人の友人のために笑顔を気丈にも浮かべられる人間がどれだけいるのだろうか。
 確かに、彼女の演技は完璧ではなかった。
 相手の不安を消し去るために重ねた柔らかい手からは、恐怖による震えが伝わってきたし、声色も希望に満ち溢れている様にはできていなかった。しかし私はこの少女が好きであった気に入っていた。
  幸せになって欲しかった。私なんかと出会わず、気高いままで自由に未来を歩んで欲しかった。転生なぞしなければ、今頃彼女話を戻そう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。