かぐや様は夢を見たい (瑞穂国)
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かぐや様は夢を見たい
かぐや様は夢を見たい


初めましての方は初めまして。瑞穂国と申します。

お察しのいい方はお気づきかと思いますが、エンディングにヒントを得たお話です。というか、エンディングの個人的な感想を兼ねたお話です。

できるだけ短く、手早く進めていきたいと思います。


恋愛頭脳戦。

 

それは文字通り、お互いの意地とプライドを賭け、少しの私情と羞恥を孕んだ、天才たちの戦い。知力、体力、そして時の運。全ての才能と技能を問われる究極の戦い。

 

程度の差はあれど、全国津々浦々、ありとあらゆる場所で繰り広げられる、万国共通、老若男女を問わない戦いである。

 

日本有数のエリート学校、秀知院学園高等部においても、その戦いに変わりはない。否、日本を背負って立つ、将来有望な秀才の集うこの学校において繰り広げられる頭脳戦は、常人には計り知れないほど周到で、深遠で、苛烈なものとなっている。

 

その最たるところが、秀知院学園現生徒会長・白銀御行と、同副会長・四宮かぐやとの間で繰り広げられている、超ハイレベルな恋愛頭脳戦である。

 

片や、学園トップの秀才。その学力のみで、外部生でありながら一年生にして生徒会長となった、蛍雪之功の男。

 

片や、学園隋一のお嬢様。学業のみならず、文武を問わず計り知れないポテンシャルを発揮する、才色兼備の女。

 

お互いを憎からず思う二人だが、そこは日本トップクラスの学園を率いる生徒会長と副会長、そう簡単に愛の言葉を口にすることはできない。それは自らの築き上げてきたプライドが許さない。恋愛を勝ち負けのある戦いとするならば、告白とはすなわち降伏宣言であり、好きになった方が負けになるのである。

 

結果、二人の頭脳戦は、「いかにして相手に『好き』と言わせるか」の一点に集約される。

 

事あるごとに繰り広げられる両者の戦いは、まさに一進一退の攻防。時には押し、時には引き、巧妙な罠を仕掛け、あるいは壮絶な舌戦を交える。明晰な頭脳は常にフル回転しており、休まる暇もない。

 

加えて、二人には学業もある。生徒会の業務もある。全く関係のない、相談事を持ち込まれることもある。

 

いかに優秀な二人といえど、その脳には体重の約二パーセントという物理的な制約があり、越えられない能力の壁というものがある。ゆえに両者の脳は、ある種生物的本能として、二つのものを強く求めるようになった。

 

一つは糖分。大きなエネルギーを消費する脳は、急激に体内の血糖値を下げてしまう。不足したものは外部から補うのが人間の基本だ。よって、白銀もかぐやも甘いものを求める。

 

そしてもう一つは、睡眠である。言わずもがな、脳に休息を与える行為であり、疲労回復の最も基本的な方法である。白銀とかぐやも例外はなく、主人に酷使された分、二人の脳は休息を求める。

 

前者はともかく、後者は学校という空間において大問題である。仮にも生徒のツートップが、学校で居眠りなどもっての外。もし万が一にもそんなことになれば、他の生徒から信頼を失うことになる。加えて―――

 

「お可愛いこと」

 

「お可愛い奴め」

 

お互いにそんなことを言われかねない。頭脳戦を繰り広げている相手に、自らの醜態をさらすなど、あってはならないことだ。

 

それゆえ、両者とも睡眠に対して、殊更に気を張っている。白銀の場合は、定期的なカフェインの摂取。かぐやの場合は、持ち前の強靭な精神力。隙を見せまいと、脳に無理を強いている。

 

だがしかし。隙とは意図せず見せてしまうからこそ隙なのであり、本人の与り知らぬところで生まれるからこそ隙なのである。

 

何か一つ、今回の件について落ち度を見つけようとするならば―――それはちょっとした気の緩み。あるいは出来心。生徒会長の机に座ってみたいという、かぐやの欲に他ならない。

 

純粋な興味。普段、白銀御行という男が座っている、この学園にたった一つの特等席から、いかほどの景色が見えるのかという興味。

 

あるいは、年頃の乙女相応の、気になる異性の席に座りたいという、素直な欲求。

 

思えば、かぐやも浮かれていたのである。花火大会からこの方、白銀との距離は以前よりも縮まっている。そこに浮き立つ気持ちがあったことは間違いない。

 

だからこそ、自分でも気づかないうちに、普段からは考えられないような隙を見せてしまったのである。

 

だがしかし、彼女は失念していた。いや、知らなかった。知り得なかったのである。

 

昼下がりの生徒会室には、大窓から燦々と日光が降り注ぐようになっている。大窓は生徒会長の机すぐ背後にあり、結果容赦なく太陽光線が四宮の背中を襲った。

 

くしくも季節は秋。まだまだ夏の香りが残るとはいえ、間違いなく秋。食欲の秋、読書の秋、勉学の秋、あるいは―――睡眠の秋。

 

そう、秋の日差しは不思議と人間を眠りへ誘うものである。そこに一人の例外もない。かぐやですらも、その魔力からは逃れられないのだ。

 

―――少しだけ、ですから。

 

らしくもない一言が、彼女の決定的な敗因である。上半身を横たえたが最後、かぐやの脳はその欲求に従って、穏やかな休息へ落ちていった―――

 

♂♂♂

 

「誰かいるのか」

 

すでに鍵が開いていた生徒会室に踏み入り、白銀はそんなことを問うた。

 

普段であれば、こんな問いかけをする必要もない。生徒会室に誰かがいることは珍しくなく、また白銀が一番乗りでないことも珍しくはない。ある時は、副会長の四宮かぐやが。ある時は、書記の藤原千花が。ある時は、会計の石上優が。各々の仕事をしていたリ、あるいは休息を取っていたりもする。

 

だが今日に限っては、この問いかけをする必要があった。扉は空いているのに、中で人の気配が全くしなかったからだ。

 

生粋の上流階級出身者が集うこの学校において、不審者の侵入というのはまず考えられないが、わずかな警戒心を抱いたまま、白銀は生徒会室へと入って来たのだ。

 

もっとも、その心配は杞憂に終わる。生徒会室には確かに先客がおり、しかも白銀のよく知る人物であったからだ。

 

普段、白銀が書類仕事をこなしている、会長用の執務机に、一人の少女がいる。副会長の四宮だ。

 

細くしなやかな髪を後頭部でまとめ、リボンで飾っている。白く透き通るような両腕の上には、同じように白い顔が乗っていた。輝く紅玉を嵌め込んだような両目は閉じられているが、代わりに長く整ったまつ毛が強調されている。

 

百人に訊けば、百人が美人と答える容姿。加えて、学業優秀であり、日本文化への造詣も深く、弓道の名手でもある。欠点のない完璧超人、それが、四宮かぐやという女だ。

 

そして、白銀の「戦争」の相手でもある。

 

これまで、隙らしい隙を見せてこなかった四宮。まして、白銀の前で居眠りなど、全くしたこともない。眠い素振りさえ見せてこなかった。

 

だがどういうわけか。その四宮は今、自らの腕を枕に、机の上で静かな寝息を立てている。有り体に言って眠っているのだ。

 

どういう成り行きかは全くわからない。だが、考えられる状況は―――

 

白銀は以前自分が決行した作戦を思い出す。名前を付けるとすれば狸寝入り。あえて無防備な姿を曝すことで、相手のガードを緩くし、その本心を引き出す作戦である。

 

白銀が実行した際は、あと一歩のところで藤原の介入にあい、失敗に終わっていた。四宮から決定的な言葉は引き出せていない。だが、同じことを四宮が試みている可能性は、十分考えられる。

 

「四宮、寝てるのか」

 

ゆえに、白銀は平常運転。極力いつも通りを心がける。うなじに見入ったりだとか、前髪に触れたりだとか、あまつさえ何かを囁くなど、決してない。断じてない。

 

「四宮、起きろ。体を痛めるぞ」

 

机に手を突き、先ほどよりも気持ち強めに、声をかける。だが、これと言って反応はない。穏やかな寝息が、秋の日差しの中で柔く響く。

 

「おい、四宮」

 

三度目の呼びかけ。今度は少し反応があった。とは言っても、わずかに身をよじった程度だ。さらに、「ぅん・・・」と淡く艶っぽい声が漏れる。顔面に血液が集まるのを感じて、白銀は四宮から目を逸らした。

 

はっきりした事は一つ。四宮は、どうやら本当に、眠ってしまったらしい。

 

「参ったな・・・」

 

呟き、白銀は頭を掻いた。

 

何も困ったことはない。白銀は仕事をするために生徒会室に来たのであり、そこに四宮が寝ているかいないかは、全く関わりのないことだ。生徒会長用の執務机を占領されてはいるが、それならソファの方でやればいいだけのことである。

 

だが、そう理屈ばかりではないのだ。

 

光の中で眠る四宮。淡い輝きが窓から差し込み、眠る四宮を包み込んでいる。その光景はあたかもおとぎ話の一場面のようであり、完成された絵画のような神々しさがあった。それは四宮の、穏やかで愛らしい寝顔のなせる業でもある。

 

この寝顔を、いつまでも眺めていたい。同時に、他の誰にも見せたくない。そんな、身勝手な願望に気づいて、白銀はかぶりを振った。これでは、俺が四宮を好きなようではないか。

 

「さすがの四宮も、疲れが出たか・・・?」

 

その呟きを最後に、白銀は執務机を離れる。今日の分の雑務を、ソファで終わらせるためだ。無論、四宮をこのまま残していくわけにもいかないので、彼女が目覚めるまではここにいるとする。さすがに日も暮れてきたら、何とかして起こすが。

 

お互いに束の間の休戦である。新たな戦いを仕掛けるのは、四宮が起きてからにするとしよう。

 

♀♀♀

 

人は眠ると夢を見るものである。

 

夢のメカニズムはいまだ解明されていない。いつ、いかなる理由で夢を見るのか、各学問分野から研究されているものの、その実態は不明である。

 

だが、理屈は抜きにして、人は夢を見るのだ。

 

かぐやもまた例外ではない。白銀の机で眠る彼女もまた、穏やかに夢を見ていた。

 

よって、これはかぐやが見た、夢の話である。




というわけでプロローグ的な話をば。

準備ができれば、第二話も今夜中に投稿します。


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かぐや様は出会いたい

二話目です。ここからかぐや様の夢の中


昔々、とはいってもそれほど遠い昔ではない。人類が初めて、自らの力で空へと飛び立ってから少しした頃の話である―――

 

 

 

「天使の国」と呼ばれる国があった。本当に天使が棲むわけではなかったが、そんな呼ばれ方をするだけの理由がある。どんな国よりも、人々の空にかける思いが強かったのだ。

 

気球、飛行船、そして飛行機。人を空へと運ぶ技術の研究が盛んで、もちろんどこよりも進んでいた。狂ったように空を目指す姿が、天へ帰ろうとする天使のようだと、近隣諸国から尊敬と皮肉を込めてそう呼ばれるようになったのだ。

 

そんな「天使の国」を支えているのが、国の中枢を担う優秀な頭脳たちと、それを育てる教育機関だ。

 

とりわけ、幼少期から高等部、あるいは大学までを一貫教育とする「学園」と呼ばれる四校は、トップクラスの人間を世に送り出す教育機関として知られている。政治家、資本家、発明家、技術者、そうした職業になりたいと望む者は、すべからくこの学園で学んでいる。一種のステータスではあるが、入学も、進学も、厳しい試験が課される。この学園を卒業できるということは、相応の学力を身に着けているという証明にもなるのだ。

 

ただ、元は貴族の子息令嬢のために設立された教育機関である。階級制度の廃止によって、表向きはあらゆる人間に対して開かれていることになってはいるが、いまだ当時の名残がある。高額な入学金が事実上の足切りになっており、よって入学者は元貴族階級か政治家、財閥などの子息令嬢に限られる。一般階級に唯一開かれた特待生は、年に数人しか合格しない狭き門であった。

 

秀知院学園もそうした学園の一つである。幼稚園から大学までが揃った一貫校、学園の中でも最も古い歴史を持つ学校だ。歴史と伝統ある学校であり、貴族の頃から代々この学校に通っているという家も少なくない。

 

であるから、爵位持ちの貴族出身であり、四大財閥の一つ「四宮」の令嬢である、四宮かぐやが秀知院学園に通うのは、ごくごく当然のことであった。

 

高等部二年。家柄もさることながら、かぐや自身の輝かしい来歴もあり、学園の中でも一目を置かれるほどの少女だ。容姿端麗、博学多才、絵に描いたようなお嬢様である。

 

そんなかぐやは今、高等部の学舎を出て、どこかのんびりと、学園の第二運動場を歩いていた。

 

白い空気を孕んだ風が抜けて、運動場の草を揺らす。冬の香りを漂わせ始めた風が、コートの上からかぐやの身体を刺した。寒い。せめて風を防げるところへ行きたいものだ。

 

コートの前を一層合わせ、白い息を吐きながら、かぐやは歩き続ける。目指す先は一つ。第二運動場の端、学園のもっとも奥まった場所にある、随分と痛みの入った倉庫だ。およそ四宮かぐやという少女に似つかわしくない風情だが、あそこがかぐやの目的地で間違いない。

 

倉庫には、すでに明かりが灯っていた。普段は真っ暗で、事実半年前まではただの物置倉庫であったが、今はそこに明かりを灯す人間がいる。かぐやもその一人に変わりはないが、大抵はある一人であった。かぐやが要件のある人物でもある。

 

わずかに開いた倉庫の隙間から、かぐやは中を窺った。予想通り、中には白銀御行がいた。床にシートを広げ、何やら模型らしきものと格闘している。

 

かぐやと同じく、高等部二年。この白銀御行という男子もまた、かぐやに負けず劣らず有名な人物であった。秀知院学園には特待枠で高等部から編入してきた所謂「混院」、外部生である。それも、かぐやから学年一位を奪うほどの秀才ときた。

 

何より、白銀を有名にしているのが、彼がこの倉庫で行っている活動である。

 

さて、知力、知名度、ともに学園随一の女子と男子である白銀とかぐや。だが元々、二人にはこれと言って接点はなかった。お互いのことを風の噂程度に耳にすることはあるものの、クラスが違えば学園で接点など生まれない。

 

そんな二人の出会いは、半年ほど前に遡る。その時のことを、かぐやは今でも鮮明に覚えていた。

 

 

ボーイ・ミーツ・ガール。所謂「親方、空から女の子が!」系文学が流行るのは、空への憧れが強いこの国で必然的なことであった。予想だにしない出会い、突然の非日常、そうしたものに焦がれ、多くの者が本を読む。それは真正のお嬢様であるかぐやも相違ない。

 

だが、かぐやと白銀の出会いは違う。むしろ、その逆だ。当世の流行に正面から逆行している。

 

ガール・ミーツ・ボーイ。空から降ってきたのはかぐやではなく白銀の方であり、変哲のないかぐやの日常を鮮やかな非日常へと変えたのもまた、彼に他ならなかった。

 

 

 

春の日差しの中、かぐやはその日、何とはなしに学園の運動場で佇んでいた。目的もなく、ただ無感情に、風に揺れる草を眺めていた。

 

その時である。

 

「危ないっ!」

 

声が頭上から降ってきたと思った時にはもう遅かった。大きな影がかぐやに迫る。あまりに急な出来事に腰が抜けて、草の上に倒れ込んでしまったほどだ。

 

かぐやの頭上を掠めた何か。それこそが、白銀の操るグライダーであり、警告する声の正体が白銀御行であった。

 

「怪我はないか!?」

 

「え、ええ」

 

数メートル先に着地するなり、慌てて駆け寄ってくる白銀。答えるかぐや。それが、二人の交わした、最初の言葉である。

 

白銀は終始おろおろしていた。余程こちらのことが心配なのか、痛いところはないかと執拗に訊いてくる。そのせいで逆に冷静になったかぐやは、白銀が空から降って来た理由に思い至った。

 

航空研究会。最近、白銀が中心となって設立された、学園の研究組織である。当然ながら、その研究対象は航空技術、具体的には飛行機だ。会員は三名。かぐやの友人でもある藤原千花と、一年生の男子が一人。

 

学園の中で、白銀がグライダーを飛ばす理由など、航空研究会の活動以外に考えられなかった。

 

グライダーを引きながら歩く白銀に、「せめてお茶ぐらい出させてくれ」と誘われたかぐやは、そのまま会の研究室まで案内された。

 

薄暗い倉庫。簡素な照明。裸のガスコンロ。用意された椅子と机も、どこかから引っ張って来たらしい、古いもの。出されたお茶は白銀が淹れてくれたもので、それも普段家の給仕が出してくれるものとは、比べ物にもならない。

 

けれども、決して悪くないものに、かぐやは思えた。

 

煩雑で、ともすれば薄汚い倉庫の景色が、かぐやにはとても新鮮なものだったのである。それがかぐやのうちに燻っていた好奇心を刺激した。

 

だが何よりも、決定的だったのは、航空研究会について語り出した白銀の表情であった。

 

話を持ち出したのはかぐやである。俗世とはかけ離れた、狭い箱の中で育てられたかぐやとて、年頃の少女。飛行機の研究をしている研究会の創設者であり、今少し前に空から舞い降りてきた男の話が気にならないわけがなかった。

 

そして案の定、白銀の空にかける想いは、並大抵のものではなかった。時に情熱的に、時に理論的に、空とは、飛行機とはを熱弁する白銀の表情が、眩しかった。有り体に言ってしまえば、その熱量に当てられてしまったのである。

 

かぐやが研究会への加入を決めるのに、それほど時間はかからなかった。入会と同時に倉庫を訪れたかぐやに対し、白銀は不敵な笑みを浮かべていた。

 

「ようこそ、航空研究会へ」

 

 

白銀との出会いを回想しているうちに、コンロにかけていたやかんでお湯が沸く。紅茶を振舞おうと、かぐやが沸かしていたものだ。とりあえずは二人分。まだ現れていない藤原と石上には、来てからもう一度淹れればよい。

 

お湯が程よく冷めるのを待ち、まずはカップを温める。それからお湯を茶葉の入ったポットへ入れ、しばらく待機。長年の勘でタイミングを計り、かぐやは二人分の紅茶を注いだ。今回もいい出来栄えだ。

 

「会長、お茶が入りましたよ」

 

「ああ、ありがとう」

 

模型と格闘を続けていた白銀が立ち上がる。かぐやが紅茶を淹れるのは、休憩の合図だ。そんな暗黙のルールが、この半年で形成されている。

 

二人で席につき、カップを取る。お茶請けなどない、質素なティータイム。しかしこれこそが、この研究会の日常である。

 

「ああ。四宮の淹れる紅茶はうまいな」

 

一口飲んだ白銀が、深い息を吐くとともに、呟く。かぐやは薄く微笑むことでそれに応えた。

 

「今日は何をされていたのですか?」

 

「そろそろエンジンを見建てようと思ってな」

 

白銀は背後を振り向いて言う。

 

半年前までガランとしていた倉庫には今、白銀たちが制作した飛行機の模型やグライダーが並べられている。しかし、それらよりも遥かに多くの床面積を占有しているのが、倉庫の中央に鎮座する一機の機体。実寸大の航空機である。

 

基本設計は白銀。木製布張り、単葉の機体である。必要な資材は、学校で出た廃材をもらう、あるいはかぐやや藤原の所有する山から材木として切り出すなどして確保していた。ここまで製作するのに、学園から支給された活動費と、各所から集めた支援金の半分も使っていない。というのも、残った予算は全てエンジンの購入に費やすつもりであったからである。

 

白銀はいよいよ、エンジンの見積もりに入ったのだ。

 

「近々、中古の航空機部品を扱う見本市がある。そこなら予算内でそこそこの性能があるエンジンを見つけられるだろ」

 

「なるほど。でしたら、誰が参加するのかを、決めなければいけませんね」

 

「そうだな。それはまあ、四人揃った時に決めればいい」

 

何気ない会話とともに、カップの中身が減っていく。残る二人の会員が現れるまで、二人きりの時間が穏やかに過ぎていった。




エンディングは、最後のところが好きですね。歌詞もそうだけど、起こされたかぐや様がふんわり笑うところが何とも言えない・・・


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かぐや様は出掛けたい

三話目です。どんどん進めていきましょう


民営航空連合―――民航連という組織が存在する。

 

航空技術全般に携わる企業や団体の内、官営以外の企業が集まった組織である。大きな会社はもちろん、家族だけで経営する小さな町工場まで、多くの企業が参加する組織だ。

 

その目的は、航空技術の発展と普及活動である。何を隠そう、かぐやたち航空研究会に資金的な援助をしてくれているのも、民航連に他ならない。

 

そして、今回白銀が提案した見本市も、主催は民航連である。

 

開催は二日間。参加はチケット制であり、事前にカタログを購入することで二枚を入手することができる。チケットは一枚につき一人が一日の間、見本市に参加できるようになっている。

 

白銀たちの目的、航空機用のエンジンは、二日目のみの出品である。となれば、見本市に行くのは二人。今回、その役目は、白銀とかぐやのものとなった。

 

参加メンバーの決定にあたって、両者によるささやかな頭脳戦が展開されたわけだが、それはまた別の話である。

 

ともあれ、見本市当日。かぐやは当初の待ち合わせ通り、学園から四つ先の駅へとやってきていた。

 

経緯はなんであれ、白銀と二人きりである。これは最早逢引き、デートと言っても過言ではない。それはかぐやにとって、とても純粋に、嬉しいことであった。

 

衝撃的な出会いから半年。かぐやは、白銀御行という男に、少なからず惹かれている自覚があった。恋愛感情というものは、これまで経験がなく、判別はつかない。専属メイドの早坂には「かぐや様、白銀会長のことが好きなんですよね」と真顔で言われるが、素直に頷くことはできない。

 

この気持ちを確かめる方法があるとすれば、それは白銀の方からかぐやに告白してくる以外にない。そもそも、自分から告白するなど、かぐやのプライドが許さない。

 

恋愛は戦だ。常に勝者と敗者が存在する。敗者は勝者に尽くし、搾取される運命が待っている。そして、往々にして、恋愛における敗者は告白した側、すなわち好きになった方である。

 

―――ええ、ですから今日は。

 

白銀に告白させる、絶好の機会。かぐやはそう捉えていた。少なくとも、自分を意識させる、十分な理由になると。

 

学園に通う間、学生は制服の着用が義務付けられる。かぐやも同じだ。白銀とかぐやは、常に制服であり、お互いに制服以外の相手など思い描けない。

 

だからこそ今日である。

 

今日、かぐやは私服。引かれない程度におしゃれをしている。

 

普段、制服でしか会わない相手と、学外で、しかも私服で会う。その特別感が、相手を意識してしまうきっかけになる。制服マジックがあれば、逆制服マジックもまた存在するのだ。

 

―――見ていてください、会長。

 

妙に意気込みながら、かぐやは集合場所の時計台を目指した。

 

目当ての人物は、一瞬で見つけることができた。

 

普段通りの制服で、本を片手にする白銀。だがその、あまりにもいつも通りな様子が、休日という世界にあって逆に特別感を醸し出す。思わずその姿を、見つめてしまうほどに。

 

―――その手がありましたか。

 

かぐやは歯噛みする。逆転の発想。私服で現れると思っている相手の前に、あえて制服で現れることによって生まれる特別感。それもまた効果的な演出である。

 

だが、その手に引っかかるかぐやではない。咳払い一つで動揺を押さえつけたかぐやは、そのまま可能な限り優雅に、白銀へと近づいていく。

 

「お待たせしてすみません、会長」

 

声をかければ、白銀が本から顔を上げる。バッチリ目が合った彼に、笑顔も欠かさない。

 

四宮十技、六の技。待ち合わせにて、先に待っている相手への声のかけ方。計算された言葉、そして仕種。異性との待ち合わせという、ただでさえドキドキなイベントに、更なるスパイスを追加する絶技である。

 

「い、いや。そんなに待ってないぞ」

 

効果は覿面であった。わずかにかぐやから目を逸らした白銀の、頬が赤い。

 

―――お可愛いこと。

 

かぐやの自尊心が満たされていく。早朝から、早坂と共に格闘した甲斐があったというものだ。

 

さらに、かぐやはダメ押しの一撃を加える。

 

「私、こういった催しは、初めてなんです。ですから会長、エスコート、お願いしますね」

 

スキル・甘える。男性は、女性に甘えられる、すなわち頼られることに、快感を覚えるのである。これは人類という種族が地球上に誕生した時から変わらない、本能に他ならない。頼りになるというのは強い者の証であり、強いからこそ頼られる。ひいては異性にモテることを意味するのだ。

 

かぐやは、白銀にエスコートを委ねるという甘え方を選択した。恋人未満に相応しく、かつ普段はまず体験しえない、絶妙な加減の甘え方。これ以上でも、これ以下でも効果は薄い、正しく二次関数の頂点に当たる一点である。

 

どうか私を導いてください。白銀にはそのような意味に聞こえた事だろう。最も男心をくすぐられる甘え方である。

 

「ああ、わかった」

 

白銀は明らかに防戦一方である。照れているのが見え見えであった。

 

 

 

見本市の会場は、大きな格納庫の中である。別会場の飛行場では、試作機や中古品を再整備した機体などの試験飛行が行われているが、そちらには今回用事はない。

 

「入るぞ」

 

入口でチケットを渡し、二人は会場へと足を踏み入れる。

 

格納庫内は、機械油の匂いが充満していた。丁度、航空研究会の倉庫の匂いを、濃くしたような感じだ。

 

各所に並べられているのは、小さい物から大きい物まで含めて、全て何らかの機械である。航空研究会で見たことがあるようなものも、その用途が全く不明なものも、数えられないくらいにある。

 

そして、並べられた機械にこそ及ばないものの、信じられないくらい多くの人間が、格納庫内を行き交っていた。

 

財閥令嬢であるかぐやにとって、人が多く集まる場所というのは、別段珍しくはない。だがそれは、大きなパーティーや舞踏会の場での話であり、そこには明らかな上流階級のゆとりが存在した。例えるならそれは、整然と並べられたフルコースに近い。

 

だが、今目の前にしている光景は、フルコースとはまったく別種のもの。人がごった返すというのはこういうことを言うのだと、かぐやの中の知識が告げている。誰がどこの人間などと区別はつかない。まるで好きなものをひたすら詰め込んだ、煮込み料理のような光景である。

 

「さすがにすごい人だな」

 

感心したように呟く白銀。そこにあまり驚きは感じられない。

 

「日曜市みたいだ」

 

人だかりができることで有名な週末の恒例行事を引き合いに出す白銀。どうやら彼にとって、このような光景はむしろ日常に近いらしい。

 

一方のかぐや、物珍しさが勝って、あらゆるものに興味津々である。

 

もちろん、今日の目的を忘れてはいない。事前に航空研究会で開催された作戦会議で提示された通り、この見本市に参加する最大の目的は、航空研究会製作の機体に積み込む、エンジンの確保である。

 

だが、せっかくなのだから、色々と見てみたい。それがかぐやの偽らざる本音であった。真正の箱入り娘として育てられたかぐやは、常に新しい刺激に飢えているのである。

 

―――それに、色々見て回った方が、会長と長く過ごせますし。

 

そうと決まれば、話は早い。せっかくの、白銀のエスコートである。あちこち案内をしてもらいたい。これもまた偽らざる本音。

 

だがしかし、実際に行動に移したのは、白銀の方が先であった。

 

会場の案内図を読み解いていた白銀が、かぐやへと視線を向ける。

 

「エンジンは一番奥の、(ドーラ)格納庫らしいな。このまま直接行ってもいい、が」

 

かぐやを見る白銀は、いつぞやのように不敵な笑みを浮かべていた。

 

「だが・・・せっかくだ、順に見ていくか。色々見せるって、約束もしたしな」

 

白銀はそう提案してくる。確かに人は多いが、行き来にも困るほどではない。ぐるりと見て回る余裕くらいはありそうだ。

 

あまりに都合のいい話の進み方に、内心キョトンとするかぐや。だがすぐに笑みを浮かべ、答える。

 

「はい、是非」

 

「よし。じゃあ、行くぞ」

 

短い宣言を残して、白銀は歩きだした。かぐやもそれに並んで、会場へと進んでいく。

 

この時点でかぐやは、今日の逢引きに十分満足していた。




少しメイキングの話をば

実は元々、三話は航空研究会内の作戦会議の話にして、かぐや様と会長の頭脳戦を書こうと思っていた(実際書いた)のですが・・・

「話しが長い!」「原作の勢いがない!」「私が書きたいのはこういう話じゃない!」というツッコミが私から入り、三千文字強書いた三話はもれなくお蔵入りとなりました。すまない、昨夜の私・・・

と、いうわけで。あくまでこれは、かぐやの夢の話。恋愛頭脳戦のお話ではございませんので、ご了承くださいませ


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かぐや様は見つけたい

お待たせしました、四話目です

最初に断っておきます。ほぼっほぼ原作ガン無視です。作者の趣味全開です

どうぞよろしくお願いします・・・


(アントン)から(ドーラ)まで並んだ格納庫は、展示される物品の種類によって会場が分かれていた。

 

白銀とかぐやの目的であるエンジンだけでなく、ピトー管などの各種計器、信号灯や発煙筒、飛行服、電鍵、果ては特殊ねじに至るまで、航空機に関するありとあらゆる物品が出品されている。

 

そして、その間を行き交う人々は、各地から集まった航空機製作者や、航空冒険者たちのみならず、興味をそそられて会場を訪れた一般人―――見物客も少なからずいた。そうした見物客を相手に、商品の解説やちょっとした実演を行っている出品者も多い。別会場で行われる展示飛行もその一環である。

 

空と飛行機に魅せられた人間が集まる場所、それがこの見本市であった。

 

かくして、その熱気の中に足を踏み入れた白銀とかぐや。目的のエンジン以外、特に見る場所を決めていたわけでもなく、今は適当に会場を見て回っているだけである。

 

決して少なくはない人ごみの中、それを掻き分け、時折かぐやを気にして歩く白銀。面白そうな展示を見つけては足を止め、かぐやに勧めてくる白銀。

 

―――何だか本当に、逢引きみたいね。

 

うきうきと沸き立ってしまう心を何とか覆い隠しながらも、かぐやは上機嫌であった。

 

飛行服の展示が行われていた場所では、試着をすることができた。猫が好きだという出品者が、猫耳をモチーフに自作したというヘッドフォンが展示されており、かぐやは勧められるまま、それを装着してみた。

 

「どうですか、会長?」

 

「・・・まあ、いいんじゃないか」

 

思ったよりも薄かった反応が若干不満であったため、かぐやは逆に白銀にも被せる。

 

これがとてもよく似合っていた。理由は上手く説明できない。だが歴然とした事実として、白銀と猫耳の相性は高かったのである。芸術とはかくして生まれるのかと納得させられるくらいには、猫耳ヘッドフォンを装着した白銀は可愛かった。

 

―――おかわわわわわわわわっ

 

混乱する内心と、どうしようもない口元の緩みをスキル・舌噛みでごまかし、なんとか事なきを得たかぐやの中で、白銀は猫耳が似合う男子第一位に認定された。

 

 

 

「そろそろ、本命に行くか」

 

(カエサル)までを一通り見終わったところで、白銀が提案した。ここまでで十分二人きりを楽しみ、正直心の容量が一杯一杯だったかぐやは、この提案に頷く。

 

「ええ、そうしましょう」

 

「それじゃあ、行くぞ」

 

足を踏み入れた(ドーラ)内は、それまでとは全く違う喧噪で満たされていた。

 

人間の声がほとんど聞こえない。代わりに普段は聞きなれない轟音が響いている。その正体を、白銀とかぐやは知っていた。

 

シリンダー内に送られた燃料と空気の混合気が爆発する音。それが連続し、エンジンの軸を力強く回す音。飛行機の心臓が、今目の前で脈動している音である。

 

(ドーラ)は、エンジンやプロペラを展示している。そして並べられたエンジンが、各所で交代しつつ、展示運転されているのだ。今まさに運転中のエンジンの周りには、見物客で人だかりができていた。

 

「見物客が多いとは聞いていましたが・・・こんなにいらっしゃるのですね」

 

「まあ、こっちの会場じゃあ、一番の見どころだからな。本物のエンジンを間近で見る機会なんて、この見本市ぐらいしかない」

 

「それもそうですね。いつも見れないものが見れるって、それだけで楽しいものです」

 

「だな」

 

答えつつ、白銀が歩き始めた。目指しているのは、格納庫の中ほどにある展示である。

 

今回の見本市参加にあたって、航空研究会では作戦会議が執り行われた。石上会計を中心にして予算の折衝が行われ、どの程度の金額でどの程度の性能のエンジンを買うかが、検討された。

 

結果、カタログ掲載のエンジンの内、候補が三つにまで絞られている。後はそれを白銀とかぐやが実際に見て、どれにするかを決めるのである。

 

ふと、かぐやは思い出して、白銀を見る。

 

作戦会議の席上で、白銀が一つ残念そうにしていたことがあった。彼の中では、設計段階からすでに、搭載するエンジンにある程度の想定をしていたらしい。今回その出品がなかったことを、残念がっている様子であった。

 

ともあれ、四人で話し合って選定したエンジンは、カタログスペックと値段のつり合いが申し分ない。これからその状態を確かめ、どれにするかを見極めるのが、今回の見本市参加の目的である。

 

まもなく展示運転が始まる、第一候補のエンジンの前に、白銀とかぐやは立った。

 

 

 

「どのエンジンも申し分ないですね」

 

白銀のメモを眺めつつ、かぐやは今見た三つのエンジンに対する率直な感想を口にした。一旦会場の端までやってきた二人は、据え置きのベンチに腰かけて、最後の話し合いをしている。

 

「そうだな。中古品でも、相当状態が良かった。余程大切に整備されてきたんだろう」

 

白銀も感想を漏らす。

 

この三つであれば、どれを選んでも大きな性能差は出てこないはずである。値段も予算内だ。

 

白銀とかぐや、二人の意見は、第一候補のエンジンでほぼ固まっていた。

 

値段は一番張るが、使用期間が最も短く、また摩耗品も新品に換装されていた。整備性もある程度確保されていて、手入れや調整は他の二つより明らかに簡単だ。

 

持ち帰ってもう一度研究会内で話し合いをしてもいいが、ここで決めてしまった方が納品も早く、手間もかからない。決定権は白銀とかぐやに委ねられているのだ。もうここで決めてしまった方がいいだろう。

 

「それじゃあ、決まりだな」

 

白銀が立ち上がり、改めて、第一候補のエンジンへ向かおうとする。かぐやも立ち上がり、それに続こうとした。

 

だがふと、かぐやの目に何かが止まる。

 

四宮かぐやは観察眼に優れた人間である。それは元々、他人の能力を見極め、自分にとって有用な人物かを判断するために身についたものであるが、その使い所は何も人間だけに限った話ではない。些細なことも見逃さないのが、かぐやがかぐやたる所以である。でなければ、白銀と恋愛頭脳戦を戦うことなどできはしない。

 

そのかぐやが、視界の端に何かを認めたのである。

 

シートで覆われたエンジンが据え置かれていた。ぱっと見、状態は悪くない。展示運転をされるわけでもなく、ただ格納庫の影になっているところに鎮座するエンジン。

 

エンジンカバーに、開発した社名が刻印されている。それと並んで、エンジンの名前と思しき刻印もある。

 

ぞわり。かぐやはすぐさま、白銀の袖を引き、彼を引き留めた。

 

「会長、あれ」

 

「?どうした?」

 

振り向いた白銀が、かぐやの指さす方を見る。その動きが止まった。

 

かと思えば、白銀はすぐに動きだしていた。エンジンまで駆け寄り、近くの整備士に声をかける白銀。

 

「すみません!このエンジンを、動かしてもらえませんか!?」

 

初老の整備士は明らかに怪訝な表情を浮かべていた。躊躇うように、白銀に答える。

 

「お前さん、こいつがどんな代物か知ってて、言ってるのか」

 

「はい、知っています。ですからお願いします、この目で動いているところを見たいんです」

 

頭を下げる白銀。かぐやもまた、白銀と同じように頭を下げる。

 

小さな溜め息を吐いて、整備士が頷いた。

 

エンジンカバーを外して、潤滑油を可動部に差していく。潤滑油や冷却水の残量確認が手早く行われ、点火プラグの電源が投入されて、燃料油の供給が「切」から「入」に切り替えられた。整備士が取手を取り付け、エナーシャを回す。初動を与えられたエンジンは、シリンダー内の混合気燃焼による爆発のみで軸を回せるようになった。あとは燃料噴射のガバナを操作し、回転数を上げていく。

 

V字に並べられた十二本のシリンダーがリズミカルに爆発音を奏でる。美しい音色だと、かぐやは感じた。これまで聞いてきたどのエンジン音とも異なる、歌声によく似た軽やかさ、清廉さが聞こえる。

 

「もういいか」

 

「・・・はい。ありがとうございます」

 

整備士が燃料油ガバナを下げ、エンジンへの燃料供給がカットされる。音色は鎮まり、エンジンはゆっくりと回転を止めていった。

 

かぐやは白銀の顔を窺う。きりりと引き締まった目の中で、瞳が爛々と輝いている。ようやく見つけたと、その感動を物語っている。

 

「すみません、このエンジンは、」

 

「悪いが、こいつは売れない。いわくつきだ。縁起が悪すぎる」

 

だが白銀が言い切る前に、整備士は険しい顔で首を横に振った。

 

いわくつき。縁起が悪い。あまり穏当とは言えない言葉が、かぐやの胸に刺さる。

 

「どういうことですか?」

 

「・・・開発の時に、色々とあったエンジンなんだ」

 

見定めるようにエンジンを見つめ続ける白銀が答えた。

 

「主任設計士が相次いで亡くなったり、試作一号機が火災事故を起こしたりな。しかも、戦闘機用に設計されたエンジンだった。関わった人間の命を奪い、あの世へ導くから、『天使』、あるいは『悪魔』。だからエンジンの名前も『ANGEL』になったらしい」

 

「その通りだ」

 

白銀の言葉を肯定して、整備士が頷く。

 

「ANGEL」というエンジンの名前は知っている。それは白銀が初期から想定していたエンジンだ。小型軽量でありながら馬力に優れ、重量あたりの発揮可能な馬力では、先に見て来た三つを上回る。

 

だが、そんないわくつきのエンジンであるとは、聞かされていなかった。

 

整備士の話は続く。

 

「それにこいつは、その中でも極め付けのいわくつきだ。先の戦争で、ある撃墜王の機体に積まれていた。戦争末期にその男は撃墜されたが、それでもこのエンジンだけはしぶとく生き続けた。生まれる前も、生まれた後も、多くの人間の命を奪い続けた。周りのあらゆる人間を飲み込み続けた、とびきりの化け物だ」

 

「けれど、優秀なエンジンに変わりはありません」

 

だが、そこで退く白銀ではなかった。

 

「私には、そのエンジンが必要です」

 

ハッとしてかぐやは白銀を見る。

 

真っ直ぐな目線が、「ANGEL」と整備士に向けられている。いつだって真剣で、一直線な白銀の瞳だ。

 

「・・・おかしな学生さんだな。こいつが怖くないのか」

 

整備士の問いかけにも、白銀の答えは揺るがなかった。

 

「機械は人間を殺しません。機械に命をかける人間がいるだけです」

 

白銀も、整備士も、お互いのことしか見ていない。ただただ真っ直ぐな視線のぶつかり合いから取り残され、かぐやははらはらとしながら見守る他ない。

 

「・・・その制服、秀知院学園だな。ということは、例の航空研究会か」

 

溜め息混じりに呟いた整備士は、一旦白銀の前から立ち去り、やがて何かを携えて戻ってくる。それは一枚の紙とペンだった。

 

「条件がある。お前さんたちの作った機体を、一度見せてくれ」

 

提示された条件に頷いて、白銀は契約書にサインをした。




ラブコメの二次創作でなんでエンジンの話してんの?

ラブコメっぽかったの最初の方だけだよ?

しかも作者が勉強したのは、航空機用のガソリンエンジンじゃなくて、船舶用のディーゼルエンジンだよね?あんまり知ったかぶりしないようにね?

次回は、はい、ちゃんと(?)ラブコメっぽい話にしたい・・・したくない?

(ここから雑談)

かぐや様の実写化が決まったそうで・・・とりあえず生暖かく見守っていこうかと

ギャグ路線だと、銀魂みたいな成功例もあるし。ね?

そして主人公の石上君も登場し、益々面白くなってきたアニメ。第七話も楽しみです

それからラジオの更新も楽しみ・・・今日だ・・・

あ、センチメンタルクライシスのCD買った!やばい!素晴らしい!ひゃっほう!(深夜テンション)


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かぐや様は隣にいたい

早いものですでに五話

今回のお話に副題をつけるとすれば、

「作者はラブコメが見たい」

になります


「すまん、四宮!」

 

見本市の会場を出るなり、白銀は勢いよくかぐやに頭を下げてきた。

 

「さっきは舞い上がってて・・・俺の独断で、決めてしまった!」

 

白銀が言っているのは、先ほどの契約―――「ANGEL」エンジンの買い付けのことだ。

 

決定権は白銀とかぐやに与えられていたとはいえ、元々は研究会内で三つまで絞っていたのである。その中に「ANGEL」は含まれていない。「ANGEL」はカタログに掲載されていない、いわゆる当日持ち込みの品であった。

 

しかし、白銀は決まっていたことを曲げてまで、「ANGEL」を購入したのである。

 

金額的には予算内。それも、他の三つより安いくらいだ。

 

とはいえ、航空研究会の総意を覆す独断を、白銀は良しと思わないのだろう。自分自身で決めた事でも、罪悪感を抱いてしまう、律儀な男なのだ。

 

「会長、頭を上げてください」

 

かぐやも、そんな白銀の性格は理解している。だから受け入れられる。白銀に悪気はない。いつだって、最善だと思えることを、白銀は選ぶのだから。

 

「誰も、会長が悪いなんて思いませんよ。まして責めたりなんてしません。藤原さんも、石上くんも・・・もちろん、私だって」

 

頭を上げた白銀が、かぐやを見ている。

 

「会長は、あのエンジンが一番いいと、思ったんですよね?私たちが造ってきた飛行機には、あのエンジンが必要だと思ったんですよね?でしたら、皆わかってくれます」

 

かぐやは微笑む。偽らざる本心だと白銀に伝えるには、これが一番のはずだ。

 

 

 

帰りの汽車が近づくホームには、人の波が押し寄せていた。

 

市街の中心にあり、ただでさえ利用客の多い駅である。まして夕方となれば、尚更だ。さらに今日は、見本市の見物客も多い。

 

その波に飲まれた白銀とかぐやの二人。油断でもすれば、すぐさまお互いを見失ってしまいそうである。

 

だがしかし、かぐやの内心はそれどころではなかった。

 

―――か、会長が・・・っ!ち、近いっ!

 

浜辺の波は、打ち上げれば必ず引くものである。だが、物理世界における波とは、基本的に一方通行、行ったら返ってはこない。

 

人の波も同じだ。ホームに押し寄せる波が来ることはあっても去ることはない。一方通行の波は改札から入り、出口はホーム、すなわち汽車のみである。

 

結果、汽車を待つホームには人が溜まっていく。

 

人間の密集具合を表す指標に人口密度というものがある。単位面積当たりの人間の人数を表しており、人数を面積で割ることにより求めることができる。

 

今回の場合、分母であるホームの床面積は不変だ。一方、分子であるホームにいる人間の数は増え続けている。

 

分母が変わらず、分子が増えれば、値は当然大きくなる。すなわち、この駅において、人口密度は増加する一方なのだ。

 

密度が増えれば、その逆数である人間一人あたりの床面積は小さくなる。すなわち、隣の人間との距離が小さくなる。

 

かぐやの隣は当然白銀である。両者の距離は十センチもない。時折肩が触れ合うほどの距離。

 

人間にはパーソナルスペースというものがあり、自らの近くに他者が立ち入ることを不快と感じるものである。そこに踏み込むことを許されるのは、ごく一部の親しい人間に限られた。

 

かぐやにとって白銀は、親しい人間に分類される。パーソナルスペースへの立ち入りに、不快はない。しかしだからといって、何の感情も抱かないわけではない。

 

気になる異性の、パーソナルスペースへの立ち入り。緊張と同時に上がる血圧、高まる心拍数。それらが熱となってかぐやに伝わる。

 

陽も傾き、寒さが増してくる時間。けれどもそれを全く感じない。ホームの雑音に混じって、自分の心臓の音だけが、はっきりと聞こえる

 

―――だ、大丈夫よね。会長には、聞こえてないわよね。

 

そんなことを気にするのがやっとで、かぐやは白銀を仰ぎ見る。

 

「人、多いですね」

 

「あ、ああ、そうだな」

 

会話が続かない。いつも通りに振舞えない。そんな自分がもどかしい。

 

一体、どうしてしまったというのだろうか。

 

その時、背中に何かがぶつかった。人だとわかった時には遅い。軽いかぐやの体はすぐにぐらついてしまう。

 

「あっ」

 

漏れた声に白銀も気づいた。

 

「四宮っ!」

 

とっさに白銀の手が伸びる。

 

かぐやも反射的に手を出した。それは、「このままでは倒れてしまう」という、生物的な本能の反射―――ではなく。

 

―――会長と離れてしまう。

 

切実な、乙女としての本能が反射する。

 

白銀の手が、かぐやの手を取った。

 

白銀の手が、かぐやの体を引いた。

 

かぐやは倒れることなく、再び白銀の隣に舞い戻る。たったそれだけの、短い出来事。おそらくお互いに、ただ反射的にしてしまった行動。

 

理性は常に反射から遅れてやってくる。数秒遅れて、かぐやは白銀と手を繋いでしまったことに気づいた。慌ててその手を放す。

 

「あ、ありがとうございます、会長」

 

「あ、ああ。怪我がなくてよかった」

 

答える白銀の顔を見れない。さっき以上に頬が上気している。こんな顔を見せられない。

 

「・・・はぐれたら、大変だな。これだけ人が多いと」

 

―――・・・そうですね。次は本当に、会長と離れ離れになってしまうかも。

 

今日一日、白銀と過ごした分。加えて、この駅での急接近。容量一杯一杯で、かぐやの脳はすでに機能不全気味である。恥だの意地だの、普段持ち合わせていたものはどこかへ吹っ飛んでいた。今のかぐやには、白銀と恋愛頭脳戦を戦う力はない。

 

今の彼女にとって、一番重要なことは、この場で白銀とはぐれないことである。

 

かぐやは手を伸ばす。白銀の制服の袖を、そっと摘む。

 

「四宮・・・?」

 

「はぐれたら・・・大変、ですから」

 

白銀はそれ以上何も聞かない。ただ一言、優しく呟いただけだった。

 

「エスコートする約束だったな」

 

数分後、汽車が到着する。

 

人の混み具合は、駅と大差ない。だからかぐやは、ずっと白銀の袖を摘まんでいる。それはあくまで、白銀とはぐれないようにするためである。

 

四駅先で降りるまで、白銀はかぐやの身を庇い続けていた。

 

 

 

駅には四宮家から迎えが来ていた。買い物があるという白銀とは駅で別れ、かぐやは車上の人となる。

 

「かぐや様、楽しかったみたいですね」

 

隣に座る早坂が、何でもない風に訊いてくる。

 

この専属メイドの性格を、かぐやはよく知っている。ああ言えばこう言う、どこか意地の悪いメイド。だからこそかぐやは、どう答えたものかを、悩む。

 

しかしかぐやは、それ以上悩むのをやめた。思えばまだ、うまく思考ができるほど、頭に余裕がなかった。

 

「まあ、ええ。とても楽しめましたよ」

 

返答が意外だったらしく、早坂はキョトンとした表情を浮かべていた。彼女の意表をつけたのなら、悪い気分はしない。

 

「そうですか。何よりです」

 

早坂はそれ以上何も聞いてこなかった。いつもなら、会長とどうしただの、どうするべきだの、いらぬ詮索と遠回しな罵倒を織り交ぜて小言を言ってくるのだが、今日はそれがなかった。

 

早坂がゆっくりと口を開いたのは、家までかなり近くなってからだ。

 

「・・・かぐや様。わかっているとは思いますが、」

 

「わかっているわ」

 

かぐやはその先を、反射的に防いでいた。それ以上は聞きたくなかった。たとえ正論でも、今は言わないでほしかった。

 

「あまり時間はありませんよ」

 

それでも、この早坂というメイドは、核心を突いてくる。彼女なりの誠意なのだろうが、融通が利かないともいえる。

 

窓からガス灯の照らす街並みを見る。その上に広がる空と星は、街明かりのせいでまばらにしか見て取れない。

 

ただ、白い月のみがはっきりと、夜の中に浮かんでいた。




三話を使った見本市回

色々仕掛けてはいるつもり・・・頑張って回収します

こうして五話書いている間にも、合間合間で書きたい話がたくさん浮かんでくるので・・・本編終了してからその辺の話も書く、かも?です

(以下雑談)

チンチン回来ましたね!絶対アニメ化しないと思っていたのでびっくりです。(祖母と)大爆笑しながら見てました

今回のお話もチンチン回見返しながら書いてました(台無し)

あと、告radioに出てきたhalcaさんの「シシシ」っていう笑い方がかわいくて最高でした


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白銀御行は飛ばしたい

仕掛けを色々したかった回です。

話が進んでいないように見えて進んでいます。・・・進んでるよね?

一点、本来この作品で起こってはいけないことが起こっています。伏線です。はい(ネタバレ)


航空研究会に所属して以来、かぐやが常に身に着けるようになったものがある。

 

それは、髪留めであるリボン。赤を基調として、黒のラインが入ったものである。

 

元々かぐやは、黒髪を腰付近まで伸ばしたストレートヘアであった。しかし、何かと機械いじりが多い航空研究会。長い髪は作業中に巻き込まれると、怪我の原因になりかねない。白銀や藤原のアドバイスで、かぐやは髪をまとめることにした。そのためのリボンである。

 

―――「なかなか似合ってるな」

 

決して、そんなことを白銀に言われたから、身に着けているわけではない。断じてない。

 

そんなわけで、今日もかぐやは、リボンで髪を留めている。何と言っても、白銀とかぐや、二人で買い付けに行った「ANGEL」エンジンの、納品の日である。

 

♂♂♂

 

白銀が足を踏み入れた倉庫には、先客がいた。点けたばかりらしいストーブに手をかざし、コンロのやかんを眺めている人影が、白銀の方を振り向く。

 

四宮かぐや。トレードマークのリボンを揺らす少女が、白銀に微笑みかける。

 

「おはようございます、会長」

 

「ああ、おはよう。四宮」

 

容姿端麗。眉目秀麗。立っているだけで絵になる美少女。おまけに、鈴を鳴らすような、麗しく凛とした声の持ち主ときた。

 

並の男であれば、まともに彼女の顔を見て会話などできないであろう。

 

だがそこは、学年一位、四宮と並び称される白銀である。そこいらの雑草とは格が違う。

 

他者から見れば天使のような微笑みも、白銀には日常であり、だからいつも通りの返事を返す。

 

「少し待っていてくださいね。もうすぐお茶が入りますから」

 

ちょうど外気で体が冷えていたところだ。この申し出はありがたい。こういうところ、よく気がつく人間なのだ、四宮という女は。

 

おそらくは、自転車で登校する白銀を見つけて、沸かし始めたのだろう。もはやこれくらいで驚きはしない。

 

「今日エンジンを取り付けたら、本当にもうすぐ完成ですね」

 

沸いたお湯で紅茶を淹れながら、四宮が呟く。

 

「そうだな。うまくいけば、年内に一回目の飛行まで持っていけるかもしれない。これもみんなのおかげだ」

 

淹れたての紅茶を受け取り、白銀も呟く。

 

四宮の交渉術がなければ、学園から予算を取り付けることはできなかった。

 

藤原の人脈がなければ、民航連の協力を得られなかった。

 

石上の処理能力がなければ、効率的な予算運用はできなかった。

 

材料を全員で探し回り、白銀と四宮で強度計算をし、藤原と石上で模型実験を行い、また全員で実機を組み立てる。

 

誰一人欠けても、できなかったことだ。

 

「年内に・・・」

 

一口カップに口付けた四宮が、意外と早いですね、という顔で機体を見る。今はすでに十一月の終わり、まもなく十二月というところだ。あと一カ月で自分たちの機体が飛ぶと言われれば、確かに早いと感じるだろう。

 

四人で作り上げた機体が、優雅に空を飛んでいるところを、白銀は想像する。それはさぞかし、心躍る光景に違いない。

 

 

 

藤原と石上の二人も加わり、航空研究会四人が揃ったところで、「ANGEL」の搬入作業が始まった。

 

先日の整備士がトラックを運転し、「ANGEL」を倉庫へと運び込む。

 

「これが会長の選んだエンジンですかー」

 

荷台でシートを被るエンジンを眺めて、藤原が感嘆の声を上げた。石上も興味深げにエンジンの各部を見ている。

 

それとは逆に、航空研究会の機体を見つめる者もいる。運転席から降りてきた、整備士である。

 

「・・・」

 

彼は無言のまま、ゆっくりとした足取りで、機体の周りを回っていた。時折顔を寄せ、手を触れ、機体を一周見て回る。

 

彼は特に感想を述べることもなく、そのまま四人の方を振り向いた。

 

「このまま、エンジンを据え付けていいのか」

 

「はい。お願いします」

 

代表して答えた白銀に、整備士が頷く。

 

機体を水平に保ち、その機首へ荷台から降ろしたエンジンを持ってくる。整備士の指示に従って、白銀と石上で油圧ジャッキを動かし、エンジンを持ち上げた。取付位置に高さが合うと、エンジンを固定して、エンジンカバーをかけるのが四宮と藤原の役目だ。

 

大仕事は、一時間半ほどで完了した。

 

「いい機体だ」

 

工具類を片付けた整備士は、それだけを言い残して、トラックで走り去っていく。その影が見えなくなったところで、改めて白銀は―――四人は、機体を見る。

 

足りないものはほとんどない。あとはプロペラをエンジンの先につけ、部材を支えるピアノ線を張り巡らせれば完成だ。

 

チラリと見遣った四宮も、目の前の機体を静かに見つめている。その横顔が、ほんの少し、緩んでいる気がした。

 

―――あと少しだ。

 

感想も感慨も、いくらでも湧いてくる。だがそれら漏らすには、まだ少しばかり早い。

 

全てはこの機体が、空を飛んでからだ。

 

♀♀♀

 

「そういえば会長、この機体の名前ってどうするんすか」

 

片付けも終わろうとしたところで、ふとそんなことを言い出したのは、石上であった。

 

作業をしていた全員が顔を上げ、石上の方を見、次いで白銀に目線を移す。

 

「そういえば、考えてなかったな」

 

航空機政策の立案者であり、航空研究会の会長にして、主任設計者でもあるはずの白銀は、そんなことをぽろっと口にした。

 

「えーっ、そうなんですか」

 

藤原が驚きという風に声を上げる。

 

「そろそろ必要とは思っていたが・・・。なんだ、その、俺の一存で決めていいものでもないだろ」

 

頬を掻きながら白銀が言う。ここにいる全員で決めるべきだと、彼は言っているのだ。

 

「じゃあ、今決めちゃいましょう。この先、飛行庁に書類を出すときとか、必要になりますし」

 

「あー、それもそうですね」

 

石上の言葉に、書記である藤原も大きく頷いた。

 

飛行庁は、交通省の下部組織であり、飛行物体全般の管理を行う国の機関である。製作した航空機は飛行庁に届け出る義務があり、その際に機体番号が発行される。

 

これとは別に、機体ごとの個別の呼び出し符号と名称を自由に登録することができた。こちらは交信等で使用される。

 

機体の完成が見えてきた今、機体の名前はこれから絶対に必要になるものだ。

 

―――私としては、会長のつけたい名前がいいと思うのですけど。

 

白銀の方を窺う。彼は手を顎に当て、考え込む仕種をしていた。

 

「飛行機の名前ってのも、色々あるしな」

 

「ですねー。ぱっと思いつくところは、人名ですよね。男爵とか、公爵とか、聖なんとか、みたいな」

 

白銀の言葉に藤原が反応する。

 

その理論で行けば、この機体につけるのは白銀の名前がいいだろう。

 

「白銀」号、あるいは「御行」号だろうか。

 

―――わ、悪く、ありませんね。

 

かぐや的には断然アリの判定であった。

 

「あとは鳥とか、自然現象の名前も多いですよ。軍用機だと伝説上の生き物とかもあります」

 

石上も候補の幅を広げていく。

 

以降は、各々がいいと思う名前を候補として出していき、喧々諤々と意見を交わす。四人とも、この機体にかける思いはひとしおであり、当然ながら熱が入る。週一の報告会を上回る白熱した議論が交わされるなか、かぐやはふと思う。

 

我が子を想って名前を考える親とは、こういう気持ちなのだろうか、と。

 

 

 

収拾がつかなくなりつつあった議論は、最終的に藤原提案のゲームとくじ引きで結論を得るに至った。

 

製作した機体は、「カササギ」号と名付けられた。発案は白銀である。

 

カササギと言えば、東洋の伝説に登場する鳥でもあったなと、かぐやは思い出す。牽牛星と織姫星を結ぶため、天の川に橋を架ける鳥だ。星好きな白銀らしい命名である。

 

その機体が―――「カササギ」号が、年内に空を飛ぶ。かぐやにとっては非常に喜ばしいことであった。

 

―――ええ、本当に。

 

自室の窓から、空を見上げる。今日は星がよく見えた。

 

まるでそこに、手が届きそうなほど。

 

まるでそこに、手が届いてしまいそうなほど。




仕掛けは今後に関わるところが三つ?かな。あとは、小さいのが一つ。いやまあ、小さいのもどこかで回収するかもだけど。

そういえば、百人一首に鵲の歌がありましたねー。「鵲の~」ってやつ。詠み人は確か・・・おっと、こんな昼間からいったい誰g(削除)

(以下雑談)

昨夜の八話も面白かったですねー。期末テストであんなに燃え上がれるアニメも珍しい・・・あと会長のシャドーボクシング、妙に作画がいいんですよね(笑)

次回は風邪回っぽいので、またまた楽しみです。


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かぐや様は繋がりたい

まさかの二日連続投稿。

今回はとても興が乗りましたねー。

作者的にはそろそろ終わりが見えてきたところであります。


月が替わって十二月である。冬の度合いは日に日に増しており、冬至付近でもあるこの頃は、陽が沈むのは早く、昇るのは遅い。

 

授業終わりともなれば、日は随分と西へ傾いており、すぐに夕暮れが訪れる。普通に考えれば、生徒はすぐに家へと帰るものだ。

 

だが、秀知院学園では、下校のチャイムぎりぎりまで残る生徒が多い。というのも、間もなく行われる文化祭―――奉心祭への準備が大詰めとなっているからである。

 

学生の成果発表と、地域交流を兼ねる一大行事であり、生徒も教師も、多分に力を入れている。クラブ活動やクラス、あるいは有志の集いで、催し物や展示内容を考えて準備を進めていた。

 

「カササギ」号の完成も間近となった航空研究会も、ご多聞に漏れず展示の準備作業中である。

 

校舎の教室を借りて、過去の活動の様子を、写真と文章で紹介する展示。こちらは藤原と石上の管轄である。

 

また、倉庫内での模型と実機の展示、及びエンジンの展示運転もある。こちらの準備は白銀とかぐやの役割であった。

 

とはいっても、やることはそれほど多くない。他の展示に比べればあっという間に終わってしまう。後は当日に、準備したパネルやらを配置するだけである。

 

―――当日もいくらか時間がありそうですし。うまくすれば、会長と文化祭を回れるかもしれませんね。

 

かぐやの思考は、すでにそんな方向へと向かっていた。

 

どうにかして、白銀に誘わせる。あるいは、できる限り自然に、白銀と行動が一緒になるようにする。そのための策略は、すでにいくらか準備済みだ。

 

が、今日に限ってその策略は、最優先事項にはならなかった。

 

「初飛行が十二月二十五日に決まった」

 

白銀の口から、「カササギ」号の初飛行日が告げられたのである。

 

♂♂♂

 

集合排気管が唸ると同時に、機首の二翅プロペラがゆっくり回り始めた。その様子を確かめ、白銀は改めてエンジンの音を聞く。搭載された星型エンジン「蓬莱」はリズミカルに爆音を上げ、穏やかな振動を操縦席まで伝えていた。

 

各計器の値が正常であることを確かめ、方向舵の動きも確認した白銀は、最後に後ろを振り向いた。複座のこの機体には、白銀以外にもう一人が、後部座席に座っている。

 

飛行用のゴーグルをかけた彼女―――四宮が白銀の目くばせに首肯する。準備完了の意だ。それに頷き返して、白銀は親指を立てるゴーサインを出す。

 

機体横で控えていた藤原が、前輪を抑えていたチョークを外した。機体は徐々に前進を始め、ゆっくりと滑走路へ侵入していく。

 

白銀たちが休日を使って訪れているのは、藤原家の所有する私設空港である。私設とは言っても、藤原家の方針で一般向けに開放されており、小型の民間機、特に航空機製作者の自作機が多く駐機していた。「カササギ」号もこの空港で初飛行を迎える予定だ。

 

藤原家の空港であるので、当然藤原家が所有している機体もある。白銀が今日乗っている機体もそうだ。名前を「千花」という。ちなみに、他にも二機を所有しており、それぞれ「豊美」「萌葉」という名前がついていた。どこから取ったかなど考えるまでもない。

 

白銀と四宮が「千花」に乗っている理由は二つある。

 

より大きな理由は、飛行技術の向上にある。

 

航空研究会内で、アマチュアの小型機操縦免許を持つのは、白銀と石上である。当然、製作した「カササギ」号を実際に操縦するのも、この二人のどちらかになる。その際、いわゆるペーパーパイロット―――免許だけ持っていて経験のない操縦士では困るのだ。そこで、藤原の父が、この空港と機体を貸してくれることになったのである。

 

機体の自作が決まってから、二週間に一度くらいのペース、最低でも一月に一回は操縦桿に触れるよう、訓練を積んできた。白銀も石上も、相当慣れたものである。

 

もう一つの理由は、今後部座席の四宮が抱えているものにある。

 

エンジンを「ANGEL」にしたことで、予算が大きく浮いた。その際、石上が提案したのが、機上無線の追加購入である。より安全な飛行を保証するものとして、購入と搭載が決定された。今日はその試験も兼ねていた。

 

そんな理由があり、今日の飛行である。差し迫った「カササギ」号の初飛行に向け、白銀も飛行技術の更なる向上に余念がなかった。

 

―――・・・四宮と二人っきり!それも!飛行機で!空の上で!

 

嘘である。この男、俗物丸出しである。

 

これまでの飛行は、技術向上を目的としたもので、乗るのは白銀と石上の二人、あるいは教官役のベテラン搭乗員であった。四宮と藤原は地上待機で、手信号での誘導や、離着陸補助の勉強をしてもらっていた。

 

今回は、無線の試用もあるため、そちらに詳しい石上が地上に残ることとなった。そして、機上で交信を受ける側として、かぐやの搭乗が決まったのである。

 

―――「かぐやさん、普段飛行機乗らないんですから。たまにはいいじゃないですか。気持ちいいですよ」

 

とは、普段からちょくちょく飛行機に乗っているという、藤原の言葉である。今回ばかりは、心から「グッジョブ!」と言ってやりたい気持ちであった。

 

そうこうするうちに、「千花」は滑走路へと侵入した。

 

白銀は右手で操縦桿を握ったまま、左手でスロットルレバーを引く。エンジンの唸りが変わり、徐々にその回転数を増していった。同時にプロペラの後流も勢いを増し、機体を前へ前へと推し進め始める。

 

翼が空気を切り裂いて進む中、揚力を産み出す。次第に水平へ移行する機体は、尾部が地面から離れて持ち上がる。ここまでくれば、あとは機首をゆっくりと引き起こしてやるだけだ。

 

「わっ」

 

ふわりとした掴みどころのない感覚が、全身を襲う。前輪がついに地面を離れ、「千花」が空中へと躍り出たのだ。それを確かめた白銀は、操縦桿をわずかに引き、失速しないように気を付けながら、機体を上昇させていく。

 

青々とした芝生の敷き詰められている滑走路が、次第に遠のいていった。眼下に消えた景色を一瞬だけ見遣り、白銀は高度計の針を気にし始めた。予定される飛行高度三百メートル付近で、無線機の試験を行うのだ。

 

高度計の針が三百を回ったところで、白銀は機体を水平に戻した。そのまま緩い旋回を始める。その様子は、地上からも見えるはずだ。

 

「四宮、無線を入れてくれ」

 

エンジンと風の音に負けないよう、後部座席に向けて声をかける。四宮は頷いて、膝に抱えた無線機を立ち上げ始めた。扱い方は石上から伝えられている。

 

操縦桿をわずかに倒し、旋回を維持する白銀。やがて後部座席から声が聞こえ始めた。四宮が無線機に呼びかけ始めたのである。

 

「四宮です。石上くん、聞こえますか」

 

普段よりも声を張り上げて呼びかける四宮。おかげでその声も、白銀まではっきり聞こえていた。

 

「ええ、ええ。感度は良好ですよ。そちらはどうですか」

 

石上の声は聞こえない。あちらからの返答はヘッドフォンを通しており、今その声を聴けるのは、ヘッドフォンをしている四宮だけだ。

 

―――無事繋がったみたいだな。

 

斜め右下に見える空港を白銀も確認する。満足げな石上の顔が見えるようだった。

 

「会長、石上くんです」

 

不意打ちだったのは、後部座席のかぐやが右耳に顔を寄せてきたことだ。

 

声の聴き取りずらい機上で、反射的に顔を寄せてしまう行為の意味は、わかる。だが、四宮の声が、すぐ耳元から聞こえてきたという状況に、白銀の心拍数が急上昇してしまうのもまた仕方のないことだ。

 

ちょっと目を移せば、ゴーグルをした四宮の顔が、すぐ側にある。ガラス越しに、瑠璃色の瞳と、目が合う。

 

「あ、ああ」

 

白銀が返事をすると、四宮は自分のしていたヘッドフォンを白銀に付け替える。ついでにマイクも口元に差しだしてくれた。

 

「今、替わった」

 

『会長、いい感じですよ。無線機の搭載は正解でしたね』

 

無線のノイズを含んではいるが、はっきりと石上の声が聞こえている。これはいい。

 

「だな。これなら、飛行中も陸上から支援が受けられる」

 

『はい。まあ、まだ何回か調整は必要でしょうけど。とりあえず、今日は繋がってよかったです』

 

「ああ。それじゃあ、飛行に戻るぞ」

 

『はい。ご安全に』

 

そこで通信が終わった。四宮がマイクを下げ、ヘッドフォンも取ってくれる。

 

「すごいです。意外とはっきり聞こえるのですね」

 

無線機の手仕舞いをしながら、四宮が呼びかけてくる。

 

「そうだな。正直、電話とあまり変わらん。便利なものだ」

 

「そのうち、電線なしで地球の裏側と交信できるようになるかもしれませんね」

 

「はは、それはいい。無線機があれば、世界中の誰とでも話ができるわけだな」

 

「ええ、ええ。ですからその時は、会長の無線機のチャンネル、教えてくださいね」

 

一瞬ハッとして、白銀は後部座席を見遣る。四宮は笑っていた。口元も、ゴーグルの奥の目も、淑やかに緩んでいる。

 

「・・・なんだ、四宮。どこにいても、俺の声が聞きたいのか?」

 

「ええ、もちろん」

 

ドキリとしてしまう。それは、つまり、俺のことが―――

 

「藤原さんも、石上くんも、チャンネルをもらって。それで、四人でお話が出来たら、素敵じゃないですか」

 

・・・ああ、なるほど、そういうことか。勘違いしかけた自分が恥ずかしくて、白銀はまた前を向く。

 

「その時は俺も、四宮たちの番号が欲しいな」

 

四宮が頷く雰囲気だけ、はっきり伝わってきた。

 

 

 

申請しておいた飛行区域内で、白銀は飛行を続ける。決めていた飛行時間は三十分。その間、白銀は市街地の方へ飛んでみたり、あるいは山の方を目指したりと、できる限り四宮が楽しめそうなコースを選びつつ、飛行機を操っていた。

 

予定時刻が近づき、空港の上空まで戻った白銀は、着陸の許可が下りていることを確認して、後部座席の四宮に呼びかける。

 

「四宮、これから降りるぞ」

 

だが、四宮からの返事はなかった。

 

「四宮・・・?」

 

白銀は後部座席を振り返り、四宮の様子を窺う。

 

空を見上げ、どこかぼーっとした様子に見えた四宮だが、すぐに白銀の方を向いて、申し訳なさそうに笑った。

 

「ごめんなさい、つい見惚れてしまっていて」

 

「・・・そうか」

 

白銀もそれ以上確認は取らず、前に向き直って操縦桿を倒す。機体は緩やかに下降し、やがて滑走路に三点着陸を決めた。

 

♀♀♀

 

少し不思議な感覚に捉われたのは、空に上がって二十分ほどした時だった。

 

ふと見上げた空に、意識が吸い込まれるような気がした。そしてどういうわけか、それをとても懐かしいと感じた。

 

確かに、かぐやにとって空は、決して初めてというわけでもない。「天空の四宮」と言われるほど、航空産業には造詣の深い四宮家である。自前で飛行機や飛行船も持っているし、もちろんそれらに乗ったことはある。

 

だが、懐かしいと感じるほど、空に親しんできただろうか。

 

―――おかしな私。

 

そんなことを思いながらも、四宮は空を見続ける。澄み渡る青に向けて、ふと手を伸ばす。だがその手を、慌てて引っ込めた。

 

手を伸ばせば、届きそうな気がしたから。

 

手を伸ばせば、届いてしまいそうな気がしたから。




タイトルがかぐや様なのに、ほとんど会長のお話・・・

初飛行に向けて着々と準備が進んでますね!

予告すると、文化祭編はありません(えっ)

(以下雑談)

二日連続投稿なので雑談することがありません・・・

とりあえず八話をぐるぐると何度も見ています。かぐや様の妄想の中での圭ちゃんが可愛すぎてな・・・。


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四宮かぐやは届かない

さーて、本題に入っていきましょう!急展開の八話です!

文字数がいつもより多いけど急展開だから許してください!

(3月16日、サブタイトル変更しました)


一大行事であった文化祭は、無事に終了を迎えた。

 

今年は例年以上に大盛況となった。そこには、航空研究会の存在が大きく関わっている。

 

新聞などにも時折取り上げられ、ある程度知名度のあった航空研究会の展示が決まった時、その機体を一目見ようと、多くの飛行機ファンが訪れたのである。

 

寒い冬の日の、暖房器具などない倉庫での展示であったにもかかわらず、多くの見物客が列をなして訪れていた。教室での展示も、長蛇の列である。この国の飛行機好きが、ここに集約されているような気がした。

 

会長である白銀も捕まり、多くの時間を見物客の対応に追われていた。おかげで文化祭をゆっくり見て回る時間などなかった。

 

が、とうの白銀は、飛行機好きと話ができて、終始楽しそうであった。それはそれで、かぐやは喜ばしいことだと感じている。

 

そんな文化祭が終わり、秀知院学園には冬期休暇に向けて、まったりとした空気が流れていた。中には、クリスマスや年末年始をどう過ごすかなどといった、休み中の予定を立てる声も聞こえる。

 

だが、そんな校内の雰囲気とは対照的に、航空研究会の忙しさはピークを迎えていた。何しろ、文化祭の最終日から、初飛行の日までは、三日しかなかったのだから。

 

展示品を片付けた後、初飛行に向けての準備が始まる。やることはいくらかあるが、一番の大仕事は「カササギ」号の移動である。今格納されている学園の倉庫から、初飛行を行う藤原家の空港へ移さなければならない。

 

一度組み立てた機体を、運搬できるサイズまで解体し、空港でもう一度組み立てる。初飛行にはこの行程が必要不可欠だった。

 

文化祭が終わった翌日から、解体作業は始まった。基本的には、機体部分と主翼、エンジンブロックに分けることで運搬を可能にする。複座機とはいえ、元々それほど大きい機体ではない。これだけ分ければ、トラックで十分運ぶことができた。

 

運び込んだ空港の格納庫で、機体を組み上げて、各部の最終点検を行う。突貫作業にはなったが、何とか「カササギ」号の準備を終え、その日を―――十二月二十五日を迎えた。

 

 

・・・その日は、生憎の雨であった。

 

神様、特に天気の神様というのは、非常に気まぐれで、意地悪である。体育祭、修学旅行、晴れてほしい日に限って雨であり、かと思えば一か月近く雨がないときもある。

 

今日という日も、そのご多聞に漏れず、天気の神様は雨を降らせたのであった。

 

「雨、まだ続くみたいです。もしかしたら雪になるかも、だそうで」

 

空港の管制室に問い合わせていた石上が、戻ってくるなりそう告げた。飛行予定の十五時まで、あと一時間。晴れたら飛べるかもと、四人とも思っていたが、それは難しそうだ。

 

「雨では・・・飛べませんね」

 

残念そうに眉を下げる四宮の言葉に、白銀は頷く他なかった。

 

「カササギ」号には、風防などという便利な設備はない。操縦席は露天だ。各種機器に防水加工はしているが、雨に降られながら飛ぶことは想定していなかった。

 

だから、雨が降れば、「カササギ」号は飛べない。それはわかっていたことである。

 

「・・・今日は、もう、難しいですよね」

 

藤原もまた、しゅんとした様子でうつむく。心なしか、頭のリボンもしおらしい感じだ。

 

あれだけ頑張って準備をして来たのだ。期待が大きかった分、残念に思う気持ちも大きい。それは仕方のないことだ。むしろそれだけ、本気でやってきたという証明でもある。

 

いつまでも引きづっているわけにはいかない。頬を張り、白銀は三人の方を振り向く。

 

「今日は残念だったが・・・『カササギ』号が飛べなくなったわけでもない。次の日を決めてしまおう。新しく飛行申請をするとなると、次はいつになる」

 

答えるのは、申請書類の作成を引き受ける藤原だ。

 

「んーと、年内は難しいですね。多分、一月二日になると思います」

 

「それじゃあ、次はその日にしよう」

 

それでいいな。白銀の確認に、藤原と石上が頷く。

 

ただ、四宮だけは、格納庫から雨の降る滑走路を見ていた。どこかぼーっとした様子が、いつかの機上の彼女を思わせる。

 

しとしととした雨のせいか。霞んだ景色のせいか。あるいは四宮自身のまとう雰囲気のせいか。浮世離れしたその様子に、白銀は一瞬息を詰まらせる。

 

「四宮・・・?」

 

呼びかけるのが躊躇われた。白銀の声に、四宮は薄く笑って頷く。

 

「ええ。わかりました」

 

♀♀♀

 

次の飛行申請を提出するために、藤原が格納庫を去っていった。付き添い、というよりも送迎係として石上がついていく。彼はサイドカー付きのバイクを所有していた。

 

格納庫に残ったのは白銀とかぐやの二人。飛行の準備をしていた「カササギ」号の手仕舞いも完了しているので、もうやることはなかった。

 

ふと外を見たかぐやは、雨に代わって別のものが降っていることに気づく。

 

雨はいつの間にやら、雪へと変わっていた。地面を打っていた雨音はすでに聞こえず、蛍のような雪が深々と舞う。いくらか霞も晴れ、透き通った空気の中に、雪の光が淡く反射していた。

 

「会長、雪ですよ」

 

機体にシートをかけている白銀を呼ぶ。顔を上げた白銀からは、感嘆に似た声が漏れた。

 

「初雪、だな」

 

「ええ、そうですね。ふふ、なんだか、心がはしゃいでしまいます」

 

かぐやが微笑むと、白銀も「うむ、そうだな」と、悪戯っぽい笑みを返してくれる。不思議なもので、雪が降っているだけだというのに、心はこんなにも弾むのだ。

 

―――さてと。どうしましょうか。

 

ここでやることはもうない。「カササギ」号が飛ばなかった時点で、かぐやの計画は破綻している。だから今日は、大人しく帰る他ない。事前準備の足りない計画を実行するのは危険だ。これまでのかぐやの経験が、そう告げている。

 

けれども。頭の中で自分が告げる。「それでいいのか」、と。「あきらめてしまうのか」、と。

 

同じように、もう一人の自分が告げる。「これでいいのだ」、と。「あきらめたのだから」、と。

 

どちらもがかぐやの本音である。だからこそ今、かぐやは動けない。何もできない。

 

・・・いいや。実際にはそこまで難しい話でもないのである。計画を全てすっ飛ばして、ただ一言、確認すれば済む話なのかもしれない。

 

だがそれではダメなのだ。それでは意味がないのだと、かぐやも理解している。

 

「・・・なあ、四宮」

 

かぐやを白銀が呼ぶ。彼の目を真っ直ぐ見て、かぐやは振り返る。

 

「無理にとは言わん。だがよければ、一緒に来てくれないか」

 

それはかぐやが、一番言ってほしい言葉であった。

 

 

 

白銀の息遣いが、すぐ後ろから聞こえてくる。流れる雪と景色。響くのは軽い機械の音。

 

かぐやは今、白銀の自転車に揺られている。後輪上の荷台に腰かけ、白銀にすべてを委ねていた。

 

白銀がどこへ向かっているのかは聞いていない。白銀のお願いには、例えどんなものだろうと、無条件で「はい」と答えるのがかぐやである。

 

ただ、周りの風景、街並みで、どの方向へ向かっているのかは何となく察しが付く。おそらく、目的地は秀知院学園だ。

 

「問題ないか、四宮」

 

時折、白銀は後ろを振り向いて、かぐやに尋ねる。かぐやはそれに、「快適ですよ」と答える。そんなやり取りを、何回か繰り返して、自転車は目的地までたどり着いた。

 

白銀が自転車を止めたのは、学園の裏山であった。

 

学園の所有している土地の一部であり、その中腹には天文台がある。なだらかな傾斜の山で、高さは八十メートルほど。山道も整備されていた。

 

山腹に沿って上昇気流が発生しやすく、航空研究会ではそれを利用してグライダーを飛ばしていた。かぐやが白銀と出会ったときも、彼はこの山からグライダーで滑空してきたのだ。航空研究会にとっては馴染みの深い場所でもあった。

 

眼下には、学園の校舎を一望できる。航空研究会の部室である倉庫も見えた。

 

「四宮、こっちだ」

 

だが、白銀がかぐやを招いたのは、学園とは反対側、市街を見渡せる方である。

 

時刻は十五時を三十分ほど回ったところ。もし晴れていたら、今頃は白銀とかぐや、二人で空の上だったはずである。

 

雪のせいだろうか、市街は妙に静まり返っているような気がした。普段この時間なら、街はまだ昼間の忙しなさを残している。夜の雰囲気に染まるのは、日も傾いた十七時以降だ。

 

雪を降らせる厚い雲が、少し早く、夜の訪れを感じさせているのだろうか。

 

「なんだか、静かですね」

 

「ああ、そうだな」

 

同じように市街を見下ろす白銀が、チラリと左腕の方を見た気がした。

 

「時間だ」

 

白銀の呟きは何のことだったのか、次の瞬間にはわかった。

 

静かな市街の真ん中で、一斉に明かりが灯った。ガス灯の一様なオレンジではない。淡いピンクや緑、白といった色も見える。さっきまで無機質だった市街が、一瞬で鮮やかなドレスをまとったかのようだ。

 

明かりに合わせて、街が賑わいを帯びたように感じられる。きっと誰もが、この明かりを待って、固唾を飲んでいたのだろう。さっきまでの静けさの意味が、理解できた気がした。

 

「クリスマス限定の試みらしい。イルミネーション、というそうだ」

 

白銀が軽く説明をしてくれる。なんでも、ガス灯ではなく、電灯を使っているのだとか。

 

雪景色の中に、淡い光が輝いている。結晶に反射しているのか、光は散乱して、どこか朧気だ。それが益々、街の幻想を加速させる。

 

例えるものが思い浮かばない。どんな絵画とも違う。どんな写真でも体感できない。今ここでしか見れないという特別感が、この感情の正体だろう。

 

「・・・本当は、空から見せたかったんだ」

 

白銀は何でもない風に呟く。主語も、目的語も足りない、不完全な呟きだ。

 

だけど。

 

―――それは、私に、と思っていいんですか?

 

空からは見せられなかった。だから白銀は、時間までに行くことができる、この高台にやって来たのだろうか。

 

そう思って、いいのだろうか。

 

もう、今更それを、確かめようとは思わない。

 

「綺麗な景色ですね」

 

かぐやもまた呟く。そこが精一杯だ。白銀が連れてきてくれたこの場所を。白銀が見せてくれたこの景色を。今は少しでも、心に焼き付けたい。

 

「ええ、ほんとうに。きっと忘れません」

 

かぐやの言葉に、白銀は薄く笑みを浮かべていた。

 

 

 

かぐやの家までは、白銀が自転車で送ってくれた。

 

もはや日もほとんど沈んでいる中、ガス灯の下を、二人乗りの自転車が走っていく。白銀もかぐやも、特に言葉はない。白銀は前を見てペダルを漕ぎ続ける。かぐやは白銀の背中に全てを預ける。

 

学校からは二十分ほど。たったそれだけの時間だ。気付けば、かぐやのよく見知った家の前にたどり着く。

 

「四宮、ここでいいのか?」

 

自転車を止め、白銀が確認する。名残惜しく思いながらも、かぐやは頷き、地面に降り立つ。

 

ここでさよならだ。

 

「ありがとうございます、会長。ここまで送っていただいて」

 

「当然だ。付き合わせたのは俺だしな」

 

答えた白銀の口から、白い息が漏れる。気温は下がる一方だ。雪が降っているだけあって、コートを着ていても寒さが刺さる。

 

万が一、白銀が風邪を引いたら大変だ。

 

「お気をつけて、帰ってくださいね。今日は冷えますし」

 

「ああ、そうするよ」

 

白銀はペダルに足をかけ、漕ぎだす。

 

「じゃあな、四宮。また一月二日に」

 

去っていく白銀に小さく手を振り、かぐやは彼の背中を見送り続ける。その姿が、雪景色の中に消えていくまで。

 

 

 

もうそこに、手は届かない。

 

 

年が明けて一月二日である。

 

今日こそは快晴。雲量一、風も穏やかな飛行日和である。「カササギ」号の初飛行にはまたとない天気であった。

 

・・・だが、そこに四宮の姿はなかった。

 

飛行予定の十二時を過ぎても、一向にその姿は現れない。黒い四宮家の車は、待てど暮らせど来なかった。

 

「かぐやさん、何かあったんでしょうか」

 

藤原が心配そうに呟く。白銀も石上も同じだ。あの四宮に限って、時間に遅れるなどありえない。

 

白銀が、石上のバイクで四宮家に向かおうかと考え始めた、その時だ。

 

「!あっ、かぐやさん!」

 

藤原が言った通り、いつもの黒い車が、空港の横にやって来て止まる。一時間遅れだが、ようやく四宮が到着した。

 

ドアが開き、四宮の専属メイドが降りる。早坂という金髪の少女で、白銀も何度か面識があった。

 

そこで、いつもとは違うことが起きた。早坂が、そのままこちらへと歩いてきたのだ。

 

普段なら、早坂が車のドアを開け、そこから四宮が降りてくるのだ。だが今日の早坂は、四宮を降ろすことなく、そのまま真っ直ぐに、こちらへ歩いてきた。

 

車の方に新たな動きはない。四宮が自分でドアを開けて降りてきたりはしない。不気味なまでに静かに、空港の脇に停まっている。

 

早坂が白銀たちの前に立つ。どこか冷めた印象を受ける瞳が、白銀、藤原、石上と順に見ていた。

 

「かぐや様の専属メイド、早坂と申します」

 

ペコリ。彼女は丁重なお辞儀をする。誰も、何も言えない。目の前の状況に、三人とも困惑するばかりだ。

 

だが、聞かない訳にはいかなかった。

 

「早坂さん、四宮はどうしたんですか?何か、あったんですか?」

 

代表して口を開いた白銀に、早坂は沈黙で応える。水色の瞳が、何かを見極めるように―――あるいは見定めるように、白銀の表情を覗き込んでくる。

 

それは、随分と慣れた仕種のように、白銀には感じられた。

 

「単刀直入に申し上げます」

 

ようやく口を開いた早坂は、感情のこもらない声で、白銀たちの疑問に答える。

 

「かぐや様は、今日ここには来ません。この先も、皆さんに関わることはありません」

 

白銀は、人生で初めて、言葉の意味が理解できないという感覚を体験した。文字の羅列が頭に入って来ても、それを理解することを、脳が拒んでいる。

 

「それは、どういうこと、なんだ」

 

結局、ありきたりな言葉を絞りだすだけで、精一杯だった。

 

早坂はなおも答える。はっきりと、明確に、解答を口にする。

 

 

 

「かぐや様は天使だからです」




明かされるかぐやの秘密。

この国の、そして四宮家の過去。

「天使の国」が目指す先。

全てを知ってなお、白銀は決断する。

彼女の答えを聞くために。

次回「白銀御行は連れ出したい~前編~」

(以下雑談)

今週も楽しかった告radio。リスナーの料理スキルが披露されてるのほんと面白い、料理番組だったっけ?

そして何と言っても、今夜は風邪回!かわいいかわいいかぐや様が見れるに違いない!あと、神経衰弱回の石上くんも楽しみですねー


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白銀御行は連出したい―前編―

今回も二日連続投稿となりました・・・。

次回予告っぽい後書きが次回予告の役目を果たしていたのか怪しいですが、ともかく今回はそういう回になります。


「天使の国」と呼ばれる国があった―――

 

 

 

天使というのは、本来架空の存在である。その在り方は宗教、あるいは国によって多種多様で、与えられた権能も様々だ。

 

神に使える者。天国への使者。人間の裁定者。そのどれも、天使の一側面である。彼ら彼女らの本質を見極めるのは、人間には不可能というものだ。

 

この国における天使は、天女とも同一視される。天界に住む神話上の存在。人間とともにあったが、遥か遠い昔に袂を分かち、生きる世界を別離した幻想上の生き物。人魚と同じく、人類に最も近しかった種族。

 

天使には翼があった。空を飛ぶための翼だ。その翼で天使はどこへでも行けた。

 

そして天使は、自由を愛した。

 

人間には好奇心があった。知識を得たいという欲求だ。その好奇心で人間は大地を拓いた。

 

そして人間は、幸福を愛した。

 

両者がいがみ合うことは無かったが、真に理解し合えることもなかった。先に気づいたのは天使で、後になって人間も理解した。

 

人間の好奇心は大地に留まらない。大地を隅々まで拓いてしまえば、人間の興味は海へ、そして空へと向かうだろう。その時、空を飛べる天使に、人間は必ず目をつける。

 

だから天使は、人間のいる世界から立ち去ることを選んだ。

 

―――「あなた方が、いつか翼を手に入れたとき」

 

そんな言葉を残して。

 

それが、この国における天使の伝説。伝承、逸話、そんな類のものだ。

 

 

 

果たして、ただの伝説だろうか。

 

多くの伝承、特に地域や小さなコミュニティーで継承されてきたものには、何らかのモデルが存在する。それは自然現象であったり、あるいは何らかの生物であったりする。

 

天使はどうだったのだろうか。

 

翼を持つ者。それは人間の空想が生み出したのか、あるいはモデルが存在するのか。

 

「天使の国」は、狂ったように空を目指す人々を天使と揶揄したものではなく。天使が実在したからこそ、「天使の国」と呼ばれるようになった。

 

この国の人々は、天使が立ち去った先の空を、いつまでも見つめていたのだ。

 

翼を広げたその背中に手を伸ばし、追いかけ続けたのだ。

 

いつの日か自らも、天使との約束を果たし、その高みへ至るため。

 

なぜそこまでして追いかけたのだろうか。

 

なぜそこまでして手を伸ばしたのだろうか。

 

・・・その答えは、単純にして明快であるはずだ。

 

遥かな高みにいる彼女(天使)と対等であるために。

 

遥かな高みにいる彼女(天使)の隣にいるために。

 

遥かな高みにいる彼女(天使)に振り向いてもらうために。

 

(この国)は空を目指していた。

 

言うなればそう。

 

 

 

(この国)彼女(天使)に恋をしたのだ。

 

 

「四宮家には天使の血が流れています。四宮家に産まれた女児は、一人として例外なく、天使としての形質を受け継いでいます。子供の時分は封印されていますが、大人になるにつれて徐々に、天使としての権能が表に現れるようになります」

 

まるでおとぎ話のような話を、感情なく淡々と語る早坂。いいや、おとぎ話というにはことが大きすぎる。

 

説得力を持たせようともしない話し方が、逆に早坂の話を裏付けている気さえした。

 

「天使の権能は、十七歳を超えると、自らの意志で発揮できるようになります。ですから、かぐや様は十七歳の誕生日を迎えた時点で、四宮家の本邸に引き取られることが決まっていました。それは、天使としての権能を抑え、人として生きていくために必要なことです」

 

一息に語った早坂は、いまだ真っ直ぐに、白銀を見ていた。

 

ピクリともしない眉。色すら変わらない瞳。引き締まったままの口元。

 

早坂は動かない。だから白銀たちも動かない。動けない。

 

「以上が事の顛末です。この件に関しては、その日が来たとき、必ず、何があろうと、皆さんにお伝えするよう、かぐや様に(ことづ)けられておりましたので。こうして私が、皆さんにお伝えした次第です」

 

白銀たちの沈黙をどう受け取ったかは知らないが、早坂はなおも話し続ける。

 

「ご想像に難くないとは思いますが、人の世界で天使は生きていけません。人の世界に、天使の求める自由はないからです。天使のままでは、幸福になれません」

 

光の加減からか、一瞬早坂の瞳がきらめいた。

 

「かぐや様には幸せになっていただきたい。例えそれが、箱庭の、限られた世界の中だったとしても。人として幸せに過ごしていただきたい。それは私の願いでもあります」

 

その言葉は、初めて垣間見えた早坂の感情であったかもしれない。

 

「ですからどうか、皆さんには関わらないでいただきたいのです。このまま、静かに見送って、そして忘れていってほしいのです」

 

話は終わりと言うように、早坂はそこで言葉を切った。それ以上の言葉が、彼女の口から語られることはない。

 

白銀の頭を、今までにない速さで思考が駆け巡る。いつもの調子を取り戻した―――いいや、いつも以上の回転を見せる頭が、早坂の言葉を、そして白銀の考えを整理していく。

 

いつか見た、四宮の笑顔が浮かんだ。

 

いつも見ていた、四宮の笑顔が浮かんだ。

 

答えは一つだ。白銀の中で、絶対的な解答が、ただ一つ。

 

実に。実に回りくどいが。

 

これは、例えるなら、そう。

 

四宮の考えを読んで、行動の意味を当てるゲーム、なのだ。

 

「早坂さん。一つ、確認したいんだけど」

 

「・・・はい」

 

たった一つ。そのたった一つを、確かめなければならない。

 

「今、早坂さんが言ったことは・・・全部(・・)()()()()()()()()?」

 

白銀はただそれだけ問いかける。

 

「・・・」

 

早坂は無言を貫いていた。その口は何も語らない。

 

―――なるほどな。

 

何より決定的だったのは、藤原が何も言わなかったこと(・・・・・・・・・・・・・)だ。

 

四宮とは中等部時代からの付き合いがある藤原である。四宮の家にも何度か行っているというし、当然ながら早坂とも面識がある。その藤原が、何も答えない早坂に対して、一言も問い詰めない。

 

藤原はすでに、早坂から解答を得たのだ。

 

藤原は能天気である。よく言えば素直、悪く言えば脳内お花畑。だが馬鹿ではない。人の機微には、少なくとも白銀よりよく気づく人間であり、その上で計算なく、本能的に動いている。

 

早坂が、四宮にとってどんなメイドなのかも、きっと藤原は理解していた。だから白銀は、その藤原を信じている。

 

「・・・四宮は何も言っていないんですね」

 

「・・・お答えできかねます」

 

早坂は実に律儀なメイドであった。

 

「これにてご容赦ください。この後私も、かぐや様と共に、本邸へ飛ばねばなりません」

 

一礼した早坂は、踵を返し、この場を去ろうとする。

 

「私が到着次第、かぐや様は四宮家の飛行船で、本邸へと向かいます。くれぐれも、私について来ようとは、お考えにならないでください」

 

クラシックメイドの背中は、そう言い残して車の中に消えた。

 

 

 

「会長、かぐやさんは何も言っていませんっ!間違いないですっ」

 

早坂がいなくなるや、藤原が必死の形相で白銀に訴えかけてきた。

 

「早坂さんは愉快な人です。かぐやさんをおちょくったり、そのために嘘をついたりします。でも、かぐやさんのことで嘘をつけないんです。早坂さんはそういう人ですっ!」

 

―――やっぱり、そうか。

 

藤原が黙っていた意味は、白銀の睨んだ通りだった。

 

早坂の願いというのは、本当だろう。白銀たちには、これ以上四宮に関わらないでほしい。それは彼女の本心であるはずだ。

 

だが、それは必ずしも、四宮の意志とは合致しない。そして早坂というメイドは、主人の意志に嘘をつけない。

 

早坂は確かに、四宮かぐやという少女の、専属メイドであるのだ。

 

「早坂さん、一つも嘘はついてません。全部本当のことを言っています。だからっ・・・だから、その・・・」

 

藤原の語尾が萎む。

 

嘘でないからこそ厄介でもある。

 

早坂は本気で四宮の幸せを願っている。そのために追いかけないでほしいと、言った。もう関わらないでほしいと、言った。

 

その本心を、簡単に踏みにじっていいのか?答えは否だ。

 

そもそも方法がない。四宮を連れ戻そうとしたところで、今から早坂を追いかけては間に合わない。四宮家の飛行船が飛び立ってしまえば、もはや打つ手なしだ。

 

―――だが、四宮の意志を確かめる方法なら、ある。

 

白銀は「カササギ」号を見、次いで藤原と石上を見た。

 

白銀の中で、やることはすでに決まっている。

 

「藤原書記」

 

「・・・はい」

 

「早坂さんは、嘘を言っていないんだよな」

 

「はい。そう、です」

 

「わかった」

 

一つ深呼吸をする。熱くなった体の内に、冷たい冬の空気を取り込む。対流冷却で熱を逃がし、白銀は自らのエンジンが最適の状態で動き出すのを感じた。

 

「なら、やることは一つだ。四宮の意志を確かめに行く」

 

「で、でも、それは」

 

「らしくないぞ、藤原書記。四宮のことだろう(・・・・・・・・)

 

珍しく躊躇する藤原に、白銀は可能な限りいつも通りに、語りかける。

 

「四宮は、自分で決めたことを、最後までやり切る奴だ。こうと決めたら躊躇しない、絶対に曲げたりしない。自分の意志は、言葉と行動で示すのが、四宮だろう。だけど今回、四宮は何も言わなかった。何も行動しなかった。俺達には一言も、一挙動も、示さなかった。そんなことがありえるのか」

 

藤原も石上も、首を左右に振る。答えは明らかな否だ。

 

「藤原書記の言った通りだ。今回の件に関して、四宮はまだ何も決めてない。自分の意志を示していない。()()()()()()()()

 

何も決めていない状態で、白銀たちに何かを見せるのが、嫌だったのだろう。プライドの高い、気高い女なのだ、四宮は。

 

けれども、家の中までそうだったとは、限らない。その行動にポロリと、意志とまでは呼べない本心が漏れてしまったかもしれない。

 

容姿端麗、博学多才、隙や弱みなど微塵もない完璧超人を地で行く少女が、白銀の知る四宮かぐやである。だが、その姿が、家の中でも白銀の知る四宮かぐやであると思うほど、白銀は愚かではない。人間の外面など、一つや二つではないのだから。

 

白銀の知らない四宮かぐや。彼女がどこかで、本音を漏らしていたら?口にせずとも、態度に出てしまっていたら?

 

早坂は絶対に気づいたはずだ。

 

早坂は、四宮がこの後、飛行船で飛び立つことを教えてくれた。そんなことを、言わなくてもいいはずなのに、だ。

 

早坂の言葉は、四宮が天使であることを説明した部分以外は、大部分において早坂自身の言葉である。だから、仮に四宮の言葉が語られているのだとしたら、そこ以外に考えられない。

 

隠した本音諸々はあるだろう。だが非常に端的に、要点だけを要約すれば、白銀には四宮の言葉がこう聞こえる。

 

―――「会いに来て」

 

無理難題もいいところである。そも、四宮家が飛行船という移動手段を選んだのは、何物にも介入させないために他ならない。人間は天使ではないから、空を飛んでしまえば誰も邪魔することなどできない。

 

だが、白銀たちは違う。

 

「四宮の意志を確かめる。これは俺たちにしかできないことだ。頼む。力を貸してくれ」

 

藤原と石上に頭を下げ、助力を乞う。この二人もいなければ、成し遂げられない。

 

意外にも、先に口を開いたのは石上であった。

 

「そうですね。もし、四宮先輩が本邸に行くことを望んでいるなら、それはそれで僕らも納得できます。ただ・・・もしそれを望んでいないなら・・・その時はどうします?」

 

「その時は・・・何とかする」

 

嘘である。この男、無計画である。今も頭の中をフル回転させ、何とか対策を考えようとしている。

 

石上がそれ以上、問答を続けることはなかった。

 

「そうっすね。何とかしましょう」

 

実にあっさりした答えだが、石上の目は覚悟を決めていた。こうなった時の石上は()()()ことを、白銀はよく知っている。

 

「・・・楽観的過ぎますよ、二人揃って」

 

信じられないほど低い声が聞こえてきた。俯いていた藤原が、肩を震わせて、顔を上げる。

 

「私も行きます。かぐやさんは、親友ですから」

 

三人の―――三人でやることは決まった。

 

手を伸ばせば、届くはずだ。

 

手を伸ばせばまだ、届くはずだ。

 

 

 

「藤原書記、石上会計。―――飛ばすぞ」




天使を閉じ込めた鉄の檻。

誰も触れられない場所に、それでも彼らは手を伸ばす。

唸る「ANGEL」、ついに「カササギ」号は空へ飛び立つ。

彼女に託された心臓は、彼らの想いに答えるのか。

全ては彼女の声を聴くために―――

(以下雑談)

第九話よかった!そして会長はよく頑張った(涙)

ええ、私の意見はきっと来週の石上くんが語ってくれることでしょう・・・

そういえば、次回のヤンジャンは休載でしたね(絶望)


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白銀御行は連出したい―後編―

そろそろエンディングのシーンが近づいてきたところ。


格納庫から引き出された「カササギ」号は、白銀たちの手で、滑走路の脇まで移動していた。

 

白銀は操縦席に座り、燃料系統、油圧系統、水圧系統、各種計器などの点検を行っている。全ての計測値が今のところ正常値であり、「カササギ」号の状態が最高であることを示す。

 

「会長、これを」

 

操縦席右脇に顔を出した石上が、以前四宮とテストをした無線機を差し出す。石上たちとの連絡用だ。操縦席内に設けておいた専用ボックスの中にそれを収める。

 

「あと、これ、僕の私物ですけど」

 

そう言って、石上はさらにヘッドフォンを差し出した。口頭マイクがついているタイプだ。

 

「飛行中にマイクを取るの、大変だと思うので。使ってください」

 

「ああ、ありがとう」

 

片手での操縦は危険だ。この気遣いはありがたい。

 

ヘッドフォンを首からかけ、無線機に接続しておく。操縦席内の準備はこれで完了だ。

 

「燃料積み終わりました!メーターを確認してください!」

 

丁度その時、石上と反対側から藤原が顔を出した。燃料の積み込み作業をしていてくれたのだ。言われた通り、白銀は燃料残量のメーターを確認する。針は「FULL」を指していた。

 

「メーターも満タンだ。問題ない」

 

「はいっ。うちの空港で一番いい燃料を積んでおいたので、遠慮なく飛んでください」

 

藤原は親指を立て、ニパッと笑った。それに白銀は頷く。

 

「わかった。―――エンジンを始動する」

 

燃料供給弁が「閉」になっていることを確認し、白銀は石上にオッケーサインを出した。石上はエンジン脇にハンドルを差し、イナーシャを回す。これがエンジン始動時のはずみになるのだ。

 

フライホイールが低い音を立て、徐々に回転数を上げ始めた。始動に必要な回転数になるまで、石上はひたすらハンドルを回し続ける。

 

「回転十分。クラッチ入れ」

 

ハンドルを抜いた石上が、スイッチ操作でクラッチを入れる。歯車が噛み合い、機首の二翅プロペラが回転しだした。始動準備は完了だ。

 

「燃料を投入する」

 

燃料供給弁を切り替え「開」にする。タンクからガソリンの供給が開始され、混合気がシリンダーの中へ飛び込んだ。

 

集合排気管から炎と煙が噴き出る。同時に大きな唸りを上げて、「ANGEL」エンジンが動き始めた。二翅プロペラが力強く回転を始める。

 

エンジン始動は成功だ。

 

「会長!」

 

始動作業を終えた石上が、再び操縦席に顔を出す。エンジンの音に負けないよう、声を張り上げていた。

 

「飛び立ったら、すぐに無線を立ち上げておいてください。三十分は電源がもちます。それまでに、僕たちの方から四宮先輩の場所を報せます」

 

石上と藤原には、四宮家の飛行船がどの飛行コースを取るか、飛行庁で調べてほしいと頼んである。車と違い、空を飛ぶものには必ず申請が必要だ。事故を未然に防ぐためである。それは例え財閥所有の飛行船であろうと変わらない。

 

飛ぶ道筋と時間さえわかれば、四宮に会うことは十分可能だ。

 

石上の後ろから、藤原も顔を出した。

 

「かぐやさんの場所を調べたら、私たちも『千花』で追いかけます。だから会長は、先にかぐやさんに、会ってきてください」

 

藤原も石上も、それ以上何も言わない。覚悟のこもった瞳で、白銀を見ている。

 

この先は、白銀に託されたのだ。

 

「カササギ」号は、白銀一人では飛ばない。白銀一人では、四宮には届かない。

 

石上が目となり耳となり、四宮を見つけなければ届かない。

 

藤原の燃料が血液となり、エンジンを回さなければ届かない。

 

そして、「カササギ」号の心臓たるエンジンは、四宮が託してくれたものだ。

 

石上が、藤原が、そして四宮がいるのなら。

 

白銀はなんだってできる。どこへだって飛べるのだ。

 

「先に行ってる」

 

「「・・・はい」」

 

藤原がチョークを外す。クリアとなっている滑走路へ、「カササギ」号はゆっくりと進入していった。

 

各部の状態を二重チェックし、白銀は操縦桿を握りなおした。

 

ここからはぶっつけ本番である。エンジン始動までは何度もやってきたが、「カササギ」号が実際に滑走路を駆け、大空へとその身を浮かべるのは、今日が初めてのことだ。

 

四の五の言ってはいられない。やるしかないのだ。

 

―――行くぞ・・・っ!

 

スロットルを開き、「ANGEL」エンジンの回転数を上げていく。それに伴い、プロペラが強く空気をかき、機体を前へ前へと押し進める。

 

布張りの主翼が風を孕む。速度が上がるにつれ、機体には揚力が生じ始めた。これが重力に勝った時、「カササギ」号は空へと舞い飛ぶのだ。

 

尾部が持ち上がり、徐々に機体が水平になる。計算に間違いはない。「カササギ」号は飛べる。

 

白銀は操縦桿をわずかに引いた。フラップが下がり、機首が上がった。

 

ふわり。ついに「カササギ」号は、大地(人間の世界)を離れ、大空(天使の世界)へと足を踏み入れた。

 

♀♀♀

 

雲一つない空の景色を眺める気には、到底なれなかった。

 

四宮家所有の飛行船「月詠」の一等船室にかぐやは身を収めていた。大きな窓ガラスに囲まれた部屋は無駄に広く、装飾も華やかだ。そのだだっ広い部屋に、ポツリと小柄な少女一人。

 

いつかと同じ光景だ。いいや、むしろこの半年ほどが、かぐやにとっては異常だったのだ。誰かに囲まれ、あまつさえ笑顔など浮かべながら過ごす日々など、夢物語と同義でしかない。

 

夢はいつか覚めるのだ。

 

―――寂しくなんか、ない。

 

そんな感情を抱く資格はない。だから今、ベッドの上で膝を抱えているのは、単にやることがないから。そう思う他はなかった。

 

コツコツ。部屋の扉がノックされる。それが誰であるかは理解できたが、かぐやは答えない。やっと整理がついてきた一人という状況に、今少し慣れさせてほしい。

 

だがノックの主は、かぐやの返事など気にする素振りもなく、部屋へと押しかけて来た。

 

「遅れて申し訳ありません。ただいま戻りました」

 

早坂がかぐやに一礼する。それに答える気にはなれず、頷きとともにさらに膝を抱える。結んでいない髪が、鬱陶しくて仕方がなかった。

 

「航空研究会の皆さんには、ちゃんと事情をご説明しましたよ」

 

ベッド横のソファに腰かけ、早坂が言う。以前から頼んでおいたことだ。かぐやが自分の口から言えなかったとき、せめて白銀たちには説明しておいてほしい、と。

 

「会長たち・・・驚いていた、でしょう。きっと信じてもらえないわよね、私が天使だなんて」

 

そんなこと、信じろという方がどうかしている。確かにこの国は、天使を追いかけ続けてきた。けれどそれは、すでに遠い昔の話で、多くの人にとっては伝承の一つに過ぎない。もはや天使が現実でいられる時代ではないのだ。

 

遥か遠いおとぎ話。もはや人とは交われない、それが天使の定めだ。

 

「ええ、まあ、驚いてましたね」

 

早坂は淡々と肯定する。

 

そうか。やっぱり、信じてはもらえない。それも致し方ない。

 

「でも、それはかぐや様が天使だった、ということよりむしろ、かぐや様がそれを直接説明しなかったことに、驚いている様子でした」

 

思わず顔を上げる。電灯すら灯らない部屋の中。窓ガラスから差し込む太陽の光だけが、淡く部屋の中を照らす。その中で、早坂は微塵も表情を動かすことなく、目だけがかぐやを捉えていた。

 

「皆さん、かぐや様のことは、大変信頼されてると思います。これまでも、そして今も」

 

「・・・そう」

 

それだけ答えるのが精一杯だった。かぐやは再び、膝に顔を埋める。

 

「・・・早坂、」

 

「出ていきませんよ。かぐや様についているよう、言われていますから」

 

一人にして、という言葉は先に封じられてしまう。

 

かぐやは膝を抱く力を、より一層強めた。

 

早坂は何も言わない。無言のままソファに座っている。彼女は決して多くを語らない。

 

かぐやもまた口を開かない。今口を開けば、どんな言葉が出てくるのか、想像もつかない。それが怖い。

 

口を開けば開くだけ、言葉が自分を傷つける。現実が鏡となって四宮かぐやという少女の姿をはっきり見せつけるからだ。

 

四宮かぐやは、他人を見極めることに長けている。そして同じように、自分の本質についても、見極めている。

 

お世辞にも性格がいいとは言えない、自分。

 

打算と損得勘定でしか行動できない、自分。

 

そんな自分が嫌だった。

 

必死に覆い隠そうとすればするほど、どこかでぼろが出る。ポロリポロリと、覆った何かが剥がれ落ちる。自分の中身が零れ落ちる。

 

白銀が、藤原が、石上が、とても眩しいものに見えた。打算なく行動する彼らと、あまりにも対照的な自分が、醜く見えた。

 

側にいたい。それは偽らざるかぐやの本心である。自分には、ついぞ備わらなかった優しさというものを、持ち合わせている彼らの側に。打算なしの生き方ができる彼らの側に。

 

だが同時に、果たしてそれは叶えていい願いだろうかとも思う。

 

こんな自分が、彼らの側にいてもいいのだろうか。四宮かぐやの中身を彼らが知ってしまったとき、それでも側にいることを許してくれるだろうか。

 

―――どうしたらいいかなんて、わからなかったもの。

 

初めてだったのである。

 

誰かといて楽しいと思ったのは初めてである。

 

誰かに会うのが待ち遠しかったのは初めてである。

 

誰かに好かれたいと思ったのも、誰かに嫌われたくないと思ったのも、初めてである。

 

 

 

四宮かぐやにとって、誰かを好きになったのが、初めてだったのである。

 

 

どれほど時間が経ったであろうか。もはやそのあたりの感覚はほとんどない。今のかぐやにとって、一秒も、一時間も、一日も、大差はなかった。

 

「三時のお茶にしましょう、かぐや様」

 

見兼ねた様子の早坂が、ようやく口を開いた。それで時間が午後の三時になろうとしていることを知る。

 

衣ずれの音がして、早坂がソファから立ち上がった。ティーポットとカップを取りに行ったのだろう。

 

その早坂が、ぽつぽつと、話し出す。

 

「今回の敗因は、書記ちゃんですね」

 

何のことを言っているのか、さっぱりわからない。それでも構わないとでも言うように、早坂は続ける。

 

「かぐや様とのお付き合いが長いというのもありますが。彼女には私の素を見せすぎました。だからばれたんでしょうね」

 

「・・・早坂?何を、言って・・・」

 

かぐやは顔を上げる。

 

早坂は、お茶など淹れていなかった。飛行船左舷側の窓際に立ち、そこから何かを見つめている。

 

彼女の視線の先を、かぐやも追った。

 

青い青い空の、ただ一点を見る。

 

心臓が脈打つ。今まで感じたことがないほどの衝動が、湧き上がってくる。

 

体が熱い。全身をめぐる血液が熱い。

 

「次があるなら、変装して会うようにしますか」

 

振り向いた早坂の表情は、うっすらと笑っているようにも見えた。

 

抱えていた足が痛い。もつれながらベッドの端へ行き、足を下ろす。踏みしめた床の感覚が、しっかりと足裏に伝わってきた。

 

早坂の横へ、窓の側へと歩く。自分の足で一歩一歩踏みしめ、歩く。そして、早坂と同じものを、見つめる。

 

木製布張り、単葉複座の飛行機。それは、何度も何度も、見てきた飛行機だった。

 

「会長・・・」

 

かぐやは呟く。

 

あきらめたはずの光景に、自然と手が伸びる。

 

この手は届くというのだろうか。

 

この手はまだ届くというのだろうか。




いよいよかぐやのもとにたどり着いた会長。

ここからどうなるのか、会長はどうするのか。

作者も結末が気になるところです(えっ)

(以下雑談)

九話の無限ループが止まらないですね。特にCパートは何度見ても飽きない。

ていうか古賀さんの演技すごいな・・・ラジオ聞いてるとほんとに思う。

アニメが終わるまでに、こちらも畳みたいところです。一応、あと四話くらいで終わる予定ではいます。


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四宮かぐやを連出して―前編―

お待たせしました!

いよいよクライマックスへ向け、大きく動きます。


四宮かぐやは非常に目のいい少女である。

 

目の良さ、視力とは、基本的にその分解能を一つの数値としている。ランドルト環と呼ばれる、一か所欠けた円環を用い、その欠けた部分の向きを判別する。判別できた距離によって、視力を表すのである。

 

かぐやの視力は、測定上二・〇であるが、実際にはもう少しいい。

 

それがどれほどのものか。

 

例えば、かぐやは今、窓越しに「カササギ」号を見ている。

 

「カササギ」号の操縦席に見える人影は、航空研究会会長の白銀である。目のいいかぐやに限って、その姿を見間違えるなんてことはない。

 

茶色がかった髪。きりりと引き締まった目元。色素の薄い肌。それらを鮮明に見て取れる。

 

同時に、彼の口元もまた、はっきりと見えていた。

 

幼少より、数々の分野にわたって英才教育を受けてきたかぐやは、読唇術にもまた長けていた。例え声は聞こえずとも、唇の動きでその言葉を読み取る。耳では及ばないところを、目で補う技術である。

 

大抵の人間であれば、かぐやは唇の動きさえ見えれば、会話の内容をある程度把握することが可能であった。

 

特に、白銀の言葉は、よく読み取れる。

 

それもそのはずである。彼の口から漏れる、どんな情報も逃さないよう、日々その唇を注視していたのだから。

 

であるから、かぐやにとって、窓一つ隔てた先の、声すら聞こえない白銀の言葉を聞くなど、朝飯前であった。

 

♂♂♂

 

白銀御行は、決して視力がいい方ではない。

 

疲れ目という言葉がある通り、人間の目もまた、過度の酷使は性能の低下に直結する。そして白銀は、疑いようもなく、目を酷使する人間だ。それは、彼の眼もとにうっすら刻まれた、寝不足由来の隈が示す通りである。

 

視力は辛うじて一・〇を維持。数値としては平均的と言わざるを得ない。

 

だが、目の性能に関わるのは、何もその疲労度だけではない。

 

目の性能は、心理的要因にも左右される。すなわち、見たいものがある時、人の視力は強化されることがある。

 

普段は見えないような距離でも、女子のスカートの中だけはなぜか鮮明に見える、あれである。

 

今の白銀は、まさにこの状態であった。

 

もちろん、彼が女子のスカートを覗こうとしているわけではない。白銀が見たいもの、それはこの場において、四宮かぐや以外には存在しない。

 

国内最大級の飛行船。その客室の窓は、さながら鯨の目のごとく、小さく見つけづらい。ましてやその中から、一人の少女がいる部屋を見つけ出すなど、並大抵のことではできない。

 

だが、彼はやってのけたのである。

 

窓からのぞく、よく見知った顔を、彼の両目は捉えた。距離は百メートル弱離れ、太陽の反射で見にくくなっていたにもかかわらず、白銀は四宮をしかと見つけたのである。

 

迷いなく、白銀は四宮の近くまで飛行機を寄せる。

 

両者の距離、実に十数メートル。しかも窓を隔てて、声は聞こえない。

 

だが一つ、確信があった。

 

四宮であれば(・・・・・・)、必ず伝わるはずだ、と。

 

なんとか、手は届いたのである。

 

石上が居場所を知らせてくれた。

 

藤原のおかげでここまで飛べた。

 

であれば、その想いに応えなければ、嘘だ。

 

白銀は迷いなく叫ぶ。

 

「四宮!」

 

♀♀♀

 

『四宮!』

 

窓の向こう、白銀が自分の名前を呼んだのがわかった。

 

その声を読み取れた(・・・・・)ことが伝わるよう、かぐやはひとしきり大きく頷く。

 

『お前に会いに来た』

 

白銀の言葉は続く。彼はかぐやに、会いに来たのだという。

 

疑問は尽きない。会いに来てほしい、無理だとはわかっていても、それはかぐやの中で燻ぶっていた本音に相違ない。けれど誰にも、どこにも漏らさないよう、隠していたはずだ。うっかりと、白銀たちにこぼしてしまったこともない。

 

だが事実として、今白銀が、目の前に会いに来てくれた。それがかぐやの心を昂らせる。

 

「どうして、ですか」

 

自然と口が動いていた。届くはずがない、わかっていても声を出さずにはいられなかった。訊かずにはいられなかった。

 

抑えていたものが、かちりと、少しばかり外れる。

 

白銀なら、かぐやの声を聴いてくれる、そんな願望に近い信頼があった。

 

『四宮の答えを聞きに来た』

 

白銀は、はっきりとそう答えた。かぐやの質問に答えて。

 

『四宮自身の意志を確かめに来た』

 

言い直すように、白銀はさらに叫ぶ。

 

かぐや自身の意志。それは一体、なんだったのだろうか。

 

 

 

かぐやにとって、かぐや自身のことは、すでにそのほとんどが決められていることだった。

 

四宮家に産まれた女児は、必ず天使となる。そして四宮家は、それをよしとはしていない。だから天使の権能を押さえ、人間として現世に留めるよう仕向ける。

 

十七歳の誕生日を迎えれば、その時点で社会から隔離される。天使の翼を奪われ、人間として、箱庭の中で生きていく。幼いころから何度も言い聞かせられてきたことだ。

 

そこに疑問を挟むことなどなかったのである。自分の生きる道とはこういうものなのだと諦め、受け入れる他なかった。昔は抵抗しようと思ったのかもしれないが、少なくとも覚えてはいない。

 

その日から、かぐやにとって人生は、ただ耐え凌ぐものに変わった。何も求めない。自分は十二分に恵まれている。それ以上を欲すれば、必ず不幸になる。手に入らないのなら、最初から求めなければいい。

 

・・・だが、出会ったしまったのである。

 

最初は藤原に。次に白銀に。そして石上にも。

 

彼らが、彼女の心に閉じ込められようとした何かを、解放した。

 

初めて、決められたもの以外を求めた。人を、空を、世界を。

 

それが―――それを意志と言うのなら。

 

四宮かぐやの意志は、きっととっくに、決まっていたのである。

 

 

 

窓に張り付くようにして、白銀を見る。そこにあるのは、彼が自らで手にした翼だ。

 

一度訊いてみたことがある。

 

―――「どうして会長は、空を目指すのですか」

 

白銀は心底悩んで、焦ったような、困ったような表情で答えたのだ。

 

―――「わからん。自分でもこれという理由がないんだ」

 

あの時の言葉が、蘇る。

 

―――「気づいた時には、空を飛びたいと思った。不思議と、それが自分の、使命のような気がしてな」

 

求めるだけではない。出会ってしまったものは仕方がない。

 

出会ってしまったものが、かぐやを変えたというなら。それは紛れもなく、白銀であった。

 

『四宮が望むなら、俺は・・・必ずそこから連れ出す』

 

無茶苦茶を言っていても、白銀は本気だ。

 

だからかぐやは、何も迷わず、微塵も躊躇わず、ただ一言を口にできる。

 

泣きながら、あるいは微笑みながら、決意を抱き、全てを振り払って、ただ一言を口にできる。

 

「今、行きます」

 

それが四宮の意志だ。決められた人生も、用意された幸福も、人間と天使の境界すらも、何もかも振り払って応えたい。

 

素直じゃない私を、連れ出して。

 

 

 

踵を返したかぐやの前に、想像通りの人物が立ちふさがる。早坂だ。

 

「かぐや様」

 

「どいて、早坂。会長を待たせるわけにはいかないわ」

 

「いいえ、それはできません」

 

早坂は首を振る。

 

「何度もご説明してきたはずです。かぐや様がこの世界で幸せになることはできません」

 

「ええ、聞いてきたわ。早坂のお願いも、ちゃんと理解してる」

 

「でしたら・・・」

 

「でも、ごめんなさい」

 

早坂の言葉を遮って、かぐやはなおも答える。自然に微笑んでいたことには、自分自身気づいていた。

 

「もう、決めたから」

 

かぐやの言葉に、早坂は口をつぐむ。ただじっと、かぐやの目を見つめていた。

 

改めて何かを言う必要なんて、ない。本当の姉妹のように育ってきたメイドだ。誰よりも、早坂はかぐやのことを理解しているし、かぐやも早坂のことを理解している。

 

「わかりました」

 

早坂の表情がわずかに悲しげなのは、かぐやにしかわからなかったことだ。




今回は文量抑え目で・・・はい。

会長が読唇術をできる理由とか書きたかったけど、長くなるのでカット。

次回はかぐや様が飛行船を飛び出すまでかな・・・

(以下雑談)

今夜はついに十話!後三十分ほどで放映!

・・・なのですが。私は今、諸事情でテレビの見れない環境にいるため・・・リアタイできない・・・悲しい・・・

家に録画はしてあるので、あとからゆっくり見ます・・・。うっうっ、仲直り回なのに・・・かなり好きな回なのに・・・


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四宮かぐやを連出して―後編―

少し遅くなりました&長くなりました。

割と原作成分強め?な回になった気がします・・・。


かぐやにとって、父・雁庵と四宮本家の意向に逆らうことは、初めてであった。

 

四宮本家を、そしてその総帥である雁庵を怒らせるということがどういうことか、かぐやはよくわかっている。かぐやが表面的にでもごく一般的な学生生活を送れていたのは、雁庵がかぐやに無関心だったからに過ぎない。かぐやがある程度自由でいられたのは、四宮本家の意向に逆らわないよう、振舞ってきたからである。

 

もしもかぐやが、四宮本家の意向に逆らえば、雁庵はその時点で、問答無用でかぐやを本邸へ呼び戻していただろう。

 

十七年間のかぐやの人生に、雁庵の不興を買うという選択肢はなかった。

 

だが今、かぐやはその禁忌を侵そうとしている。

 

 

 

彼女の内心は葛藤を続けていた。

 

やることは決まっている。かぐやは白銀のもとへと行きたいのだ。

 

だが、そう簡単なことではないのである。かぐやが今からやろうとしていることは、間違いなく雁庵の怒りを買うだろう。

 

心の中で、冷静な、あるいは冷徹な自分が語りかける。

 

―――「お父様が黙っているはずない。あの人がどういう人間か、よくわかっているでしょう。ことは私だけの問題じゃない。白銀さんたちも巻き込むことになる」

 

氷のような声で、いつかの四宮かぐやが指摘する。

 

―――「もっと現実的な案を考えるべきよ。今飛び出したって、何も解決はしない」

 

氷のかぐやが、厳しい声で首を振っていた。

 

しかしその声に、もう一人のかぐや―――今ここにいるかぐやが反論する。

 

―――「でも、ここにいたって、何も変わらない。だったら、会長の言葉を信じて飛び出すことに、意味はあるはずでしょう?」

 

―――「・・・少しもわかっていないようね。どこからくるの、その楽観は」

 

大きな溜め息を、氷のかぐやが吐き出した。出来の悪い生徒を諭すような態度に、自分のことながらムッとする。

 

―――「そもそも何の根拠があるの?白銀さんからは、何の確証も、確約も得ていない。好きとすら言われていない。それをどう信じると?」

 

―――「信じる理由なんて、いくらでもあるでしょう。逆に、会長を信じない理由がありません。そこはあなたとも同意見だったと思っていたのですけど」

 

―――「っ!」

 

図星だったのか、氷のかぐやの反論が止まる。

 

そしてかぐやは、決定的な言葉を口にした。

 

―――「私は、会長のことが、好きだもの」

 

氷のかぐやが、わずかに顔を歪める。表情に影を落とし、俯き、肩を震わせ、それでも言い返しては来ない。

 

・・・もうずっと前に、わかりきっていたことだ。どこかで気づいて、それでも認めようとしなかった。そして認められないまま、四宮かぐやは心に二人のかぐやを住まわせ続けた。

 

多重人格とまではいかない。誰しもが抱えている心の側面、二律背反の理性。かぐやはそれが、少しばかり強かった。ただそれだけだ。

 

―――「最初は純粋な興味だった。私には見えていないものが、見えている人だと思った」

 

―――「・・・」

 

―――「まばゆく夢を語る人だった。自由に嘘をつかない人だった」

 

―――「っ・・・い・・・」

 

―――「人並みに憶病で、欠点があって。だけど人一倍、努力をする人だった。前に進み続ける人だった」

 

―――「・・・さ・・・いっ」

 

―――「私が目を背けた先を、きっと多くの人が諦めてしまう場所を、最後まで真っ直ぐ見据えている人だった」

 

―――「・・・ま・・・さいっ・・・」

 

―――「呆れるくらい実直で、時々負けず嫌いで、不器用でも優しくて、だから私は」

 

―――「黙りなさいっ、不調法者!」

 

氷のかぐやが、全身を震わせて叫ぶ。

 

けれどもそれでは止まらない。かぐやは―――四宮かぐやは止まれない。

 

止めてはいけない。なぜならこれは、疑いようもなく、かぐや自身の問題だ。

 

―――「だから私は・・・会長に、二度目(・・・)の恋をした」

 

それが事実である。

 

四宮かぐやという一個人で見れば、これは紛れもなく二度目の恋であった。そして一度目は―――

 

―――「・・・私の・・・方が・・・」

 

氷のかぐやが顔を上げる。

 

・・・いいや違う。そこにいるのは、正確には氷のかぐやではない。いつかの、寒々しい心と、虚しい瞳をした、かぐやではない。

 

白銀に出会い。優しさに憧れ。己の醜さを恥じ。

 

そして、初めて恋をした(・・・・・・・)、あの時のかぐやである。

 

―――「私の方が、先に好きになったのよっ!私の方がずっとずっと、会長のことが好きなのっ!」

 

それこそが、かぐやの偽らざる本心であった。

 

けれど、と氷のかぐやが続ける。

 

―――「白銀御行を好きになればなるほど、私の世界は崩れていった。抑えていたものに、諦めていたことに、執着心が生まれてしまった。―――好きになればなるほど、私は人間()ではいられなくなった」

 

―――「そうして天使()が生まれた」

 

実に、実に簡単な、単純な話なのである。

 

二人の四宮かぐや。氷のかぐやと、今のかぐや。人間としてのかぐやと、天使としてのかぐや。白銀に恋をしたかぐやと、白銀に恋をするかぐや。それが理性の正体である。

 

そして図らずも、人間であったかぐやから、天使の権能を解き放ったのは、白銀への恋心であった。

 

ほろり。人間のかぐやが、涙をこぼす。一度として流したことのない、ついぞ縁のないものと思っていた、これが涙。頬を濡らす雫は、信じられないほどの熱を帯びて、顎へと伝っていった。

 

四宮かぐやは負けたのである。この半年間で、白銀御行に告白させられなかった、四宮かぐやの敗北である。

 

―――告白なんてできなかった。

 

天使のかぐやは思う。天使であるこの身は、望んで人間の側にい続けることはできない。それは自らのみならず、かぐやに関わる周りの人間を、不幸にすることに繋がりかねない。

 

人間のかぐやは思う。優しさに触れて気づいた、自身の醜さ。他者を見定めることしかできない、冷徹な愚かしさ。そんな自分が、白銀の側にいることを願うなど、おこがましかった。

 

だからこそ、白銀御行に求められなければ、応えることなどできなかった。

 

きっともう手遅れだ。かぐやの願いは叶わない。

 

だけど、白銀御行の言葉には、応えたい。

 

つまるところ、かぐやの一番の願いとは、白銀に告白されることでも、白銀と結ばれることでもなく。

 

白銀の側にいることである。

 

 

 

―――「行きましょう」

 

天使のかぐやが、人間のかぐやに手を伸ばす。

 

―――「好きな人(白銀御行)の想いには、必ず応えるのが、私たち(四宮かぐや)でしょう?」

 

白銀が、「四宮の意志を聞きたい」と言ったのだ。かぐや自身の答えを与えてくれと、自らの翼で、ここまでやって来たのだ。

 

応えなければならない。白銀の願いには、どんなものだろうと、「はい」と答えるのがかぐやである。

 

―――「・・・そうね。どっちにしろ、私たちの結論は変わらない」

 

人間のかぐやは、その手を取ることなく、頷いた。

 

四宮かぐやの結論は変わらない。

 

一度だって変わったことがない。

 

優しい人の側に。眩しい人の側に。

 

素直じゃない私を、連れ出して。

 

 

鋼鉄の檻とはよく言ったものだ。

 

洋上に浮かぶ船。鉄でできたその姿を、何者も逃れられない檻に例えた者がいた。

 

飛行船も同じだ。空に浮かぶその様は、檻という例えが実に似合っていた。誰もここからは逃れられない。ここから連れ出してくれるくれる手すら、ここには届かない。

 

まるで、かぐやという少女を閉じ込めた、四宮家を象徴するかのようだ。

 

かぐや一人では、その檻から抜け出すことはできない。

 

けれど、白銀がいる。外の世界から手を伸ばし、かぐやを連れ出そうとする白銀がいる。

 

そしてもう一人。

 

「行きますよ、かぐや様」

 

どこかから取り出した銃を携え、早坂が呼びかける。

 

「ええ。行きましょう、早坂」

 

答えたかぐやに、早坂は静かに頷いた。

 

早坂が、メイド服のポケットから、何かを取り出した。綺麗に畳まれたそれを、早坂はかぐやに手渡す。

 

赤い布地。黒いライン。広げたそれは、かぐや愛用のリボンであった。航空研究会に所属してから、ずっとつけていたものだ。

 

「これが必要ですよね」

 

「・・・ええ」

 

自然と口元が綻ぶ。

 

ここには早坂がいる。いつだってかぐやの幸せを願ってくれた、家族以上の姉がいる。

 

かぐやは、毎朝やっていたように、髪を結わえて、リボンで留めた。

 

「必ず、会長のところまで行くわよ」

 

「・・・はい」

 

頷いた早坂は、音を殺して、客室のドアを開け放った。

 

早坂が考えた作戦は、実にシンプルである。

 

密閉された空間である飛行船内において、外界に通じている場所は限られる。整備用に設けられたハッチ数か所と、乗降用のドアが両舷に二個ずつだ。

 

このうち、早坂が目指しているのは、かぐやのいた客室から一番近い船首左舷側の乗降口である。そこから、縄梯子を垂らし、白銀の機体に乗り移る算段だった。

 

これなら、面倒な行程をいくつも踏まなくていい。迅速かつシンプルに実行できる作戦だ。

 

問題点は一つ。乗降口には、必ず警備の人間がいるはずだ。

 

曲がり角ごとに通路の先を窺い、早坂は慎重にかぐやを誘導していた。誰かに見つかればその時点で全てが水泡に帰す。

 

「あそこです」

 

最後の曲がり角から、早坂は目標の乗降口を示した。そして案の定、その前には二人の男が立っている。四宮家お抱えの使用人だ。

 

―――どうするの。

 

目配せで早坂に尋ねる。彼女は「任せてください」という趣旨の返答をしてきた。

 

早坂が銃と縄梯子を渡してくる。そのまま彼女は、通路に出て、駆けだした。

 

「すみません!」

 

普段の早坂からは信じられない、慌てた様子の声が響いた。驚いた様子で使用人が振り返る。

 

「かぐや様が見当たらないのです。一緒に探していただけませんか」

 

肩で息をしながら、早坂は使用人に頼み込む。二人は慌てたように、詳細を早坂から聞き出そうとした。

 

「お手洗いに行かれてから、姿がなくて。この階は探したのですけど、全く見つからないんです。ですから別の階を探していただけませんか?私はもう一度、この階を回ってみます」

 

頷いて、二人の使用人はあっさりとドアの前を離れた。肩で息をする早坂はその後姿を見送り、やがて何事もなかったようにドアの前に立って、かぐやを手招きした。

 

「想像以上にうまくいきました」

 

まったく上がっていない息で、早坂が呟く。

 

「驚いた。あなたに演技の才能があったなんて」

 

「いえ、まあ。ぶっつけ本番ですけど」

 

言いながら、早坂は縄梯子を準備し、乗降口のドアノブに手をかけた。

 

だが当然ながら、そこには鍵がかかっていた。

 

「どいて、早坂」

 

それを見て、かぐやは迷わず、持たされていた銃の銃口を鍵穴に突き付けた。躊躇いなく引き金を引く。

 

パンッ。乾いた音とともに、銃弾が鍵を吹き飛ばした。

 

「・・・かぐや様、最近相当お転婆になりましたよね」

 

「?そう?」

 

かぐやは乗降口を開け放つ。

 

扉が開いた途端、気圧差で風が吹く。船内から空気が抜ける。それがバタバタとかぐやの髪を揺らした。

 

「四宮!」

 

だが、風の音に混じったその声を、聞き逃すことはなかった。

 

ドアの外に白銀の飛行機が待っている。この作戦のことは、読唇術と身振り手振りで白銀に伝えてあった。

 

早坂が縄梯子を垂らす。白銀も「カササギ」号の機体を滑らせ、縄梯子の下で待ち受ける。

 

檻はこじ開けられ、中と外の世界が繋がった。この縄梯子は、こじ開けられた隙間から差し込み、かぐやを檻の外へ導く、一筋の光だ。

 

「早坂」

 

振り向き、かぐやは自らの専属メイドを見遣る。

 

「・・・」

 

早坂は何も言わなかった。ただ黙って、通路に立っている。

 

「行ってきます」

 

「・・・行ってらっしゃいませ、かぐや様」

 

いつもと変わらない挨拶を交わして、かぐやは縄梯子の一段目に足をかけた。

 

慣性の法則と空気の流れによって、縄梯子は飛行船後方に向け曲がっている。足場だけは木製で意外としっかりしているが、それでも一段ずつ、確かめながら降りなければ、足を踏み外しかねない。

 

チラリと足元を見る。縄梯子の先には、何とか機体を寄せ続ける白銀と「カササギ」号の姿があった。

 

一歩、また一歩。確実に梯子を下りる。白銀のもとへと、降りていく。その度に心臓が鳴る。

 

あと一段だ。あと一段で、白銀のもとへ行ける。かぐやはそのために、左足を梯子から外した。

 

その時、急に強い風が吹いた。

 

♂♂♂

 

飛行船から延びる縄梯子を、一段一段、ゆっくり降りてくる四宮。その姿を、白銀はこれ以上ないほどのハラハラした心地で眺めていた。

 

吊り橋効果というものがある。吊り橋を渡るドキドキを、恋のドキドキと勘違いするという、有名な話である。もしそれが本当なら、これ以上ないつり橋効果が期待できる状況であった。

 

―――あと少しだ。

 

一刻も早く、四宮を後部座席に座らせたい。このあまりにも心臓に悪い状況を、早く終わらせたい。

 

残りはあと一段。四宮の顔はすでにはっきりと見て取れた。

 

天使と言われても疑わない。この世でただ一人、白銀の恋焦がれる少女の顔が、そこにある。

 

その時、急に強い風が吹いた。

 

至極当然のことであるが、空中にある物体は、常に空気の影響を受けており、特に風の影響を強く受ける。強い風が吹けば、それに煽られて、揺すぶられる。その程度は物体の大きさや質量によって決まっていた。

 

「カササギ」号は軽い機体である。所々機体の骨格が見えるほど、軽量化に努めた機体である。強い風に吹かれれば、簡単に機体のバランスを崩した。

 

揺れる「カササギ」号。白銀は咄嗟に反応して、機体が錐揉みになるのを防いだ。揺れも最小限だ。

 

だが、何も風の影響を受けるのは、飛行機だけではないのである。

 

視界の端、ひらひらとしたものが宙を舞うのを、白銀は認めた。

 

黒いドレス。細く華奢な体つき。

 

四宮が空中へと放り出されていた。

 

血の気が引いていく。体中の血液という血液が、頭から離れていく。

 

視力一・〇の目は、こんな時だけ、しっかりと仕事をしていた。

 

「四宮ああああああああっ!」

 

無我夢中であった。

 

落ちていく四宮を追うように、白銀は操縦桿を倒し、「カササギ」号は急降下に入った。




というわけで、かぐや様の脳内会議、拙作ではこんな感じの解釈です。お花畑かぐや様と幼女かぐや様はややこしくなるので大胆カット!

いよいよ飛行船を飛び出したかぐや様ですが・・・はてさてどうなってしまうやら・・・。

(以下雑談)

仲直り回の録画見ました!めちゃくちゃ面白かったです。石上くん好きすぎる・・・。

いよいよアニメも残り二話!次回は夏休み突入ですし、早坂回とラーメン回が入ってる時点で相当楽しみなんですが、またまたリアタイできそうにないのが悔しい・・・

そして!原作十四巻&同人版二巻&語りたい一巻が発売!こちらも朝一で購入して読みました。いやあ、もう、ほんと、やばいわ・・・ネタバレしそうなのでここで口をつぐもう。

どうでもいいですが、原作はアプリで読んでますねー


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かぐや様は羽搏きたい

お待たせしました!

いよいよ・・・いよいよサビのシーン・・・思ってたより長かった・・・。




吹き抜ける風は決して穏やかとは言えなかった。

 

穏やかなはずがない。その風は、気圧差や地球の自転に由来する自然現象ではなく、万有引力によってかぐやが地球に引っ張られる際にすれ違った空気の塊なのだから。

 

落下する物体の速度は、高等部の物理学で十分求められる。ある時刻における物体の速度は、時刻に重力加速度を定数として掛け算し、初速度を足したものだ。

 

ただし、実際には空気抵抗によって物体は減速される。空気抵抗は様々な要因で複雑に変化するが、大雑把に説明すれば速度が大きくなるにつれ増大する値である。

 

よって、ある速度の時、空気抵抗と重力が釣り合い、物体は等速運動を開始する。この速度を終端速度という。

 

人間の場合、この終端速度はおよそ二百キロメートル毎時。終端速度に至るまでの時間は十秒ほどである。

 

かぐやが飛行船から放り出されて五秒ほど。それでも落下速度は百キロメートル毎時を越えている。

 

だが、不思議とかぐやは、これと言って恐怖を感じていなかった。

 

それどころか、懐かしさすら感じていた。

 

いつか、白銀と空を飛んだ時も、感じていた。

 

違和感はない。空はかぐやにとって、十分に手の届く場所だ。

 

―――「さあ、翼を広げて」

 

かぐやは静かに目を閉じる。

 

ただ願うのは。

 

―――会長の隣で、飛べる翼を。

 

♂♂♂

 

「なんっ、だ!?」

 

突然生じた閃光に、白銀は思わず目を細めた。

 

空中に放り出された四宮を追って急降下に入った白銀。その両目は、しっかりと四宮を捉えていた。風に煽られる髪を、はためく服を見つめていた。

 

その四宮が、突然、白い光に包まれたのだ。

 

とはいっても、強い光ではなかった。どちらかといえば優しく、儚い光。世界を照らし出す太陽とは対になる光。

 

月光。夜空から地上を淡く見守る光によく似た乳白色が、白銀の視界を染め上げていく。()()()()発せられた光に目をすがめ、それでも白銀は目を逸らさない。

 

機体を引き起こしていく。光に包まれた四宮が右翼を掠め、白銀の頭上へと流れていった。それすらも白銀の目は捉え続ける。

 

光が拡散する。空気を掴もうとするその雄大な様は、まさしく翼であった。

 

―――天使には翼があった。自由を愛する、翼があった。

 

子供のころに聞かされた、天使の逸話が頭をよぎる。

 

翼を得た四宮は、その装いさえも様変わりしていた。黒いドレスを脱ぎ去り、今彼女が身に着けるのは、白いワンピース。何ものにも染まっていない、四宮かぐやの色。

 

白銀は確信する。四宮は自らの意志で飛び出したのだ。彼女を縛る檻を、殻を、全て破って、四宮の意志で飛んでいるのだ。

 

であるなら、白銀はどうするのか。

 

―――決まっている。

 

そんなものは、とっくに決まっていた。

 

何のために白銀はここへ来ているのか。考えるまでもないことだ。

 

翼を広げた四宮と、目が合う。機首をわずかに起こし、上昇に転じた白銀は、迷わずにその名前を呼んだ。

 

「四宮」

 

白銀が伸ばした手を、四宮はしかと握り返した。

 

♀♀♀

 

自分の翼が目一杯に広がり、しかと空気を掴んだのを、かぐやは感覚として理解した。

 

かぐやの背中には、今翼がある。人間にはついぞ備わらなかったものだ。

 

けれどその異物に、さして違和感はない。本来異物であるはずのものは、まるで最初からかぐやの一部であったかのように、今まさに大空を羽ばたいている。

 

白銀の操縦する飛行機、その後部座席から見えたもの。感じたもの。それと同じように、この世界を体感していた。

 

すぐ側を、一陣の風が吹き抜ける。

 

空を切り、小気味いいエンジンの音色を奏でてかぐやの隣を下方へと駆け抜けたのは、他ならぬ白銀の飛行機、「カササギ」号であった。陽の光を一杯に浴びる機体が、軽やかに身を翻し、水平飛行に移る。

 

その操縦席に座る白銀と、目が合った。白銀はいつものように、ただ真っ直ぐかぐやを見つめている。

 

思わず胸が高鳴る。

 

やっとだ。やっと向き合えた。ようやく白銀御行に会えた。

 

もう会えないと思った。叶うことはないと諦めた。けれどもこうして、今、かぐやは白銀の側にいる。

 

「四宮」

 

風の音。エンジンの音。それなのに、その声ははっきりと、かぐやの耳に届いた。

 

上昇に転じた白銀が、手を伸ばす。かぐやに向け、当たり前のように、手を伸ばす。

 

その手を掴んでもいいのだ。白銀は拒まない。

 

だからかぐやも、当たり前のように、手を伸ばせた。

 

二人の手が繋がる。最初に指が触れ、それを手繰るようにして、手を繋ぐ。相手を確かめるようにして、しっかりと、手を取り合う。

 

「・・・探したぞ、四宮」

 

白銀はそう言って、不敵に笑っていた。

 

かぐやは白銀の肩を掴み、「カササギ」号と飛んでいく。飛行船「月詠」を―――かぐやを閉じ込めた四宮家を振り返ることはしない。

 

「会長、どこへ向かうのですか?」

 

時折かぐやを気にしつつ、操縦桿を操る白銀。わずかに視線をかぐやへ移した白銀が、かぐやの質問に答える。

 

「少し飛べば、公営の小さい飛行場がある。普段あまり人もいない。そこに降りようと思う」

 

「わかりました。それじゃあ、それまではのんびり、遊覧飛行ですね」

 

かぐやが笑えば、白銀も笑う。

 

「ああ、そうだな」

 

そんな何気ないことが、この上なく幸せだ。そう思うようになったのは、いつからだろうか。

 

ただ、白銀の側にいられればいい。藤原や石上と一緒に、四人で何かをできることが、とても好きだ。真面目な話も、くだらない話も、どんな些細なことも、とても好きだ。

 

人生で初めてできた後輩。後ろ向きで、でも誰よりも真っ直ぐな、石上優が好きだ。

 

人生で初めてできた親友。突拍子もなくて、決して自分を偽らない、藤原千花が好きだ。

 

―――そして。

 

人生で初めてできた好きな人。

 

誰にでも優しい人。

 

とびっきり自分に厳しくて、努力家で、負けず嫌いな人。

 

いつだって前を向いて、進み続ける人。

 

人は頑張れば、何にでもなれると思わせてくれる人。

 

四宮かぐやを、連れ出してくれた、白銀御行が好きだ。

 

―――好き。大好き。

 

振り向いた横顔が。

 

目つきが悪いのを気にしているところが。

 

頑張ろうとしている人を、何も言わずに手伝うところが。

 

人一倍努力しているのに、他人の頑張りを認められるところが。

 

全部全部、全てまとめて、ひっくるめて、四宮かぐやは、白銀御行という一人の人間が好きだ。

 

随分と回り道をしたと思う。誰かを好きになるのが怖くて、誰かに嫌われるのが怖くて。だから自分を守り、認めてこなかった。

 

けれどもう、どうだっていい。

 

どうしようもなく。理屈など抜きにして。

 

かぐやは白銀が好きだ。

 

飛行を続ける白銀とかぐやのもとに、もう一機、別の飛行機が近づいてきた。複葉の機体には、二人の人影。かぐやもよく知る二人だ。

 

「かぐやさん!」

 

「カササギ」号と並んだ「千花」から、藤原がぶんぶんと勢いよく手を振っていた。満面に笑みを浮かべ、それはそれは嬉しそうに、手を振っていた。

 

操縦桿を握っている石上は、チラリとこちらを窺っていた。白銀を、そしてかぐやを見た彼は、おもむろに親指を立てた右手を突き出す。

 

白銀と顔を見合わせる。

 

くすり。どちらからともなく、微かな笑いが漏れた。ああ本当に、どうしようもなく可笑しい。笑みが浮かんでしまう。どんなスキルを使ったって、きっとこの頬の緩みは、取り繕えない。

 

かぐやは小さく、手を振り返す。白銀もまた、親指を立てて応える。

 

今この時。夢だろうと、幻想だろうと、構わない。

 

この人たちの輪の中に。暖かいこの空間に、少しでも長く、飛んでいたい。

 

♂♂♂

 

ずっとわからなかったことがある。

 

果たして、自分が空を目指す理由は何なのだろうか。

 

空への憧れの、きっかけすら覚えていない。ただある時から、白銀は空に強く惹かれ、飛行機というものに興味を持った。いつか自分で、飛行機を作ってみたいと思うほどに。

 

父親が勝手に決めた事とはいえ、秀知院学園に入学できたことは、好機であると白銀は思った。秀知院学園は、課外活動の予算額が豊富であると知ったからだ。

 

だが、勉学を最重要とする秀知院学園で新たに研究会を創設するには、相応の学業成績が必要になる。だから白銀は、決して勉学をおろそかにはしなかった。学年一位を、四宮から奪うほどに。

 

だが、それだけではなかったはずだ。

 

学年一位でも、顔色一つ変えない。そこに全く感情を感じさせない。まるでこの世全てを、つまらないものであるように振舞う一人の少女が気になった。

 

学業、運動、芸事、全てに秀で、申し分ない成績を収めていながら、それを何とも思っていないような少女が気になった。

 

誰もが躊躇したことを、意に介さず成し遂げるのに、さして価値のないもののように立ち去る少女が気になった。

 

為すべきを為す。そんな彼女は、たとえ泥にまみれようと、綺麗だった。

 

彼女と対等であるために。そんな子供じみた動機が、もしかしたら強かった。

 

なんにせよ、白銀は学年一位の成績を収めた。そして新たな課外活動会、航空研究会の創設も認められた。白銀はようやく、自らの手で飛行機を作れるようになった。

 

だがそれでも、ふとした時に思うことがあった。何のために、空を飛ぶのだろうか、と。

 

―――わかった気がする。

 

自分の肩に手を置く、四宮を見遣る。背中の翼を、望む限りに広げ、空中を飛んでいるかぐやを見る。

 

今ならば、思うのだ。

 

白銀が空を目指したのは、彼女(四宮)のためだ。

 

翼をもつ四宮と、この空を共に飛ぶために。遥かな高みの微笑みに、こうして近くで応えるために。

 

白銀は自らの翼を求めていた。

 

「楽しいですね、会長」

 

四宮が笑う。天使のような微笑みを浮かべる。

 

―――好きだ。大好きだ。

 

柔く笑う横顔が。

 

時折、ほんのたまに見せる素直なところが。

 

困っている他人を、絶対に放っておけないところが。

 

一度決めたことを、頑固なまでにやり抜く強い意志が。

 

人間だろうと、天使だろうと。四宮かぐやという、実に()()な少女のことが、白銀御行は好きだ。

 

翼を広げた四宮は、それはそれは心地よさげに、風の中を行く。紅の瞳を輝かせ、光をまつ毛に反射させて、ただ笑っている。

 

その姿を、白銀は見つめていた。

 

白銀の視線に気づいたのか、四宮がこちらを見る。「どうかしましたか?」そう言うように首を傾げている。

 

「・・・きれいだ」

 

呟いて、ハッとする。自分は今何を言ったんだ。そこに思い至り、白銀は顔面に血液が集まってくるのを感じた。

 

四宮が驚いた様子で目を見開く。耳まで真っ赤になった彼女は、プイッとまた前を見る。

 

「そ、そんなこと言っても、何も出ませんよ」

 

そんなセリフとともに、「ありがとう、ございます」と掠れた声が聞こえてきた。

 

熱い頬をごまかすように、白銀は操縦桿を握りなおす。

 

―――たとえ。

 

たとえこれが幻だとしても。泡沫の夢想だとしても、構わない。

 

今は少しでも長く、四宮と、藤原と、石上と、この空を飛んでいたい。




はい。というわけで、エンディングでは、ここでかぐや様の目が覚めて終わりですが。

もう一話続きます、本編。ちゃんと、然るべき終わり方が必要ですしね。

すでに本文は完成していたりしますが、おそらく投稿は明日以降になるかと。いえ、出せる状態になれば、今夜中に出しますが。

ということで、本編一話+エピローグ一話、合計二話、何卒お付き合いくださいませ。

(以下雑談)

マジで泣きそうなんだが?

なんなの、あの神アニメ?早坂回からの、ラーメン回からの、すれ違い回からの、エンディング流して、そのあとに花火回前編とか。かぐや様のモノローグとか。色々泣きそうなんだが?てか泣いたんだが?

あと、早坂の「くたばれクソ爺」が想像以上にいい感じというか、すごくぐっと来た。原作でもよく覚えてるセリフだけど、花守さんすごすぎ。

あ、Blu-ray&DVD発売ですね、よろしくお願いします。


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かぐや様は告らせたい

いよいよ本編最終話。

ここまでお付き合いいただいた皆様に、感謝を。


海に近い町のはずれにある飛行場に着陸した「カササギ」号と「千花」は、燃料の補給に入っていた。

 

補給作業の間、かぐやは白銀たちに、自分の口で、事の顛末を説明した。天使のこと、四宮家のこと、そして自分の意志まで含めて。

 

「私はあそこから飛び出したかった。石上君や、藤原さんや、会長と同じ世界にいたかった」

 

それを、白銀たちは黙って聞いていた。

 

「ごめんなさい、ちゃんと・・・もっと早く言わなくて。こんな危ないことを、させてしまって」

 

かぐやは三人に頭を下げる。これだけの無茶をしたのだ。三人には、どんなお咎めがあるのか、わからない。まず間違いなく、航空研究会は活動休止になるはずだ。四宮本家からも、もしかしたら圧力がかかるかもしれない。

 

だがそれでも、嬉しかったのだ。三人だって、この後のことは予想していただろうし、十二分に理解していたはずだ。それでも無茶をして、かぐやを連れ出してくれた。それがたまらなく嬉しかった。

 

「か、ぐや、さん」

 

涙を流し、しゃくりあげながら、藤原がかぐやに抱き着いてくる。その柔らかな胸の中に、力の限り、かぐやを抱き締めてくる。

 

「私も、ごめんなさいっ。もっと早く、気づいて・・・私、かぐやさんの、親友、なのに」

 

本格的に泣き出した藤原の言葉に、鼻の奥がツンとする。こんなに、ずるいことをしたのに。それでもこの子は、私を「親友」と言ってくれるのか。

 

「ありがとう、藤原さん。本当に、ごめんなさい」

 

かぐやもまた、藤原を抱き留め、その背中に腕を回す。赤子をあやすように背中を撫でると、いくつもの嗚咽が漏れた。他人のために涙を流せる、優しい子なのだ。

 

「子供みたいっすね、藤原先輩」

 

石上が半笑いで言う。だがそのセリフも湿っぽい。見れば、唇を噛み、少し俯いて、彼も一筋涙を流していた。

 

人一倍正義感が強い子だ。そして情に溢れた後輩だ。藤原の涙を、もらってしまったのだろう。

 

その頭に、かぐやは手を置く。

 

「泣かないの、石上君。男の子でしょう」

 

「な、泣いてないっすよ」

 

袖で目元を拭い、石上はそっぽを向く。その仕草が可愛らしい。

 

そんな二人を、白銀が優しい目で見守っている。彼は何も言わない。ただ静かに、二人が泣き止むのを待っている。

 

数分がして、ようやく藤原がかぐやから離れた。泣き腫らした瞼と赤い鼻先で、せっかくの可愛い顔が台無しだ。

 

「・・・それで、だ。四宮」

 

ここからが本題だ。そう言うように、白銀が切り出した。

 

「この先のことは、考えてあるのか」

 

白銀の言う通りだ。四宮家から飛び出した時点で、かぐやは否応なく、この先のことを考えなければならなくなった。人生で初めて、自分の将来のことを、自分で決めなければならなくなった。

 

答えは出ている。かぐやが自らの意志で飛び出した時点で、この先のことも、少なからず考えていた。

 

いいや、正確には違う。この先のことと言っても、選択肢はほとんどなかった。

 

「・・・はい。自分で決めた事ですから」

 

覚悟をもって、かぐやは答える。

 

「この国を出ます。どこか遠くで、私が暮らせる場所を探します」

 

藤原と石上が、飛び出んばかりに大きく目を見開いた。ただ一人、白銀だけは、最初からわかっていたように、頷き、そして視線をずらす。

 

「天使である私には、人間の世界に居場所はありません。ましてこの国の中では、尚更。だからどこか遠くへ、この翼で飛んでいきます」

 

それしか選択肢はなかった。

 

「い、いやだっ」

 

藤原が真っ先に拒絶する。もう一度、瞳一杯に涙を溜め、かぐやに詰め寄る。

 

「居場所なら、私の家があります。石上君のところでも、会長のところにだって、あります。やっと会えたのに・・・また離れ離れになるなんて・・・いやですよ、かぐやさんっ」

 

「・・・ありがとう、藤原さん」

 

けれどそれは、できない相談なのである。

 

「でもね。私がこの国にいる限り、必ず父は私を探し出す。その時、藤原さんたちの近くにいたら、迷惑をかけてしまう。父は手段を選ばない人だから」

 

それは看過できない。すでに十分、無茶をさせてきたのだ。これ以上の無茶を友人に求めることはできない。

 

藤原には藤原の、幸福があるのだ。それをかぐやが奪うことはできなかった。したくなかった。

 

「じゃあ・・・じゃあ・・・」

 

藤原が、必死に頭を回しているのがわかる。何とかしてかぐやを引き留めようとしているのがわかる。

 

―――ありがとう。

 

大好きな親友に、心の中でもう一度お礼を言う。その思考を断ち切るべく、かぐやは口を開いた。

 

「もう、決めたことなの」

 

藤原と石上が、ハッとしてかぐやを見る。それ以上、何も言わない。何かをこらえるような間が、数十秒続いた。

 

「・・・ね、燃料の様子、見てきます」

 

石上が立ち上がり、足早にその場を立ち去る。藤原もそれに続いて行ってしまった。

 

その背中を見つめ、残ったのは白銀とかぐやのみ。

 

かぐやは白銀に向き合う。ここまで静かに、かぐやたちのやり取りを見守っていた白銀が、ゆっくり口を開いた。

 

「四宮が決めたことに、異存はない」

 

♂♂♂

 

「四宮が決めたことに、異存はない」

 

嘘である。

 

いつだって、白銀の願いは一つだ。四宮の側にいることである。四宮に側にいてほしいだけである。

 

だがそれを、口にすることはできない。

 

今までと同じだ。四宮に求められて、初めて彼女と対等になれる。遥かな高みにいる彼女の、隣にいることができる。

 

もしも白銀から求めれば。白銀が乞い願えば。例え四宮が応えても、その時点で対等ではいられなくなる。

 

四宮の荷物には、天使の足枷にはなりたくなかった。

 

それに、四宮をここに留め置けば、それは彼女を傷つけることになりかねない。最悪、四宮を再び檻の中に戻してしまうことになる。そうなれば、次はもう連れ出せないだろう。

 

それだけはできない。白銀のポリシーに関わることだ。利己のために他人を傷つけてはならない。

 

四宮に側にいてほしいという、白銀の望みのためだけに、四宮を傷つけることはできなかった。

 

―――もしも。

 

だが、もしも。四宮が白銀を好きだというのなら。告白し、側にいてほしいというのなら。

 

例えどんな手段を使おうと、白銀は四宮の側にい続ける。世界の果てへでも、彼女と共にある。

 

それくらいの覚悟でなければ、四宮に応えることなど許されない。

 

だから、言えない。白銀は告白できない。

 

だからといって、伝えたい言葉がないわけではない。伝えたい想いがないわけではない。むしろ言葉にできない分、想いは強く、白銀の中にある。

 

「四宮」

 

白銀は四宮を呼ぶ。これが最後になるかもしれない、最愛の人の名前を呼ぶ。

 

「手紙、書いてくれないか」

 

「・・・手紙、ですか?」

 

「ああ。差出人欄は書けないだろうが、それでも俺なら―――俺たちなら、一目で四宮の字がわかる。だから手紙を書いてくれ。どこで何をしてるのか。どんなことがあって、どんなことを思って、どんなことに興味を持ったのか、俺たちに教えてくれ」

 

それが精一杯である。

 

「そうすれば、俺も四宮と旅ができる。どんなに遠くだって、想いを馳せられる。どこにいたって、四宮を想える」

 

四宮が目を見開く。それから優しく―――とてもとても優しく、微笑む。

 

「・・・手紙と一緒に、レコードを、送ります」

 

「レコード?」

 

「私の声を録音して。町の音を、空の音を、川の音を録音して、送ります。だから会長も・・・会長の声を、送ってください」

 

四宮の提案に、白銀は頷く。

 

「わかった」

 

♀♀♀

 

結局、白銀は何も言ってはくれなかった。

 

かぐやの願いは変わらない。白銀の側にいることだ。白銀に側にいてもらうことだ。

 

けれどもそれを口にはしない。

 

冷徹で、醜悪なかぐやの本性。それをわかっているからこそ、優しい白銀の側にいていいものなのか、わからない。それが許されることなのか、恐怖する。

 

仮にかぐやから求めれば。側にいさせてくれと頼むことは、この先の白銀の人生を縛ることになる。

 

誰にでも優しい白銀は、かぐやの求めに応えてくれるかもしれない。けれどそれでは、白銀の幸福はどうなるのだ。かぐやを庇ったことで、彼の未来が奪われてしまう。

 

それはできない相談だ。

 

―――もしも。

 

だが、もしも。白銀がかぐやを好きだというのなら。告白し、側にいてほしいというのなら。

 

例えどんな手段を使おうと、かぐやは白銀の側にい続ける。どれほどの困難が待っていようと、白銀と共にある。

 

かぐやを引き留めることができるのは、唯一、白銀だけである。

 

だから言えない。かぐやは告白できない。

 

それでも、白銀のことが、好きである。世界中の誰よりも、例えこの身が滅びたとしても、白銀のことが好きである。全てを賭けて、愛することができる。

 

白銀の想いは伝わった。明確に言葉にしなくても―――いいや、言葉がないからこそ、白銀の気持ちはしかと、かぐやに伝わった。

 

想い人が、自分を想ってくれる。ただそれだけの事実が、これほどまでに嬉しいのだと、初めて知った。

 

誰かを好きになることは、素晴らしいことなのだと、誰もが簡単に言う。

 

実際はそうでないのかもしれない。好きだからこそ苦しいこともある。恋しいからこそ傷つくこともある。

 

けれども、それ以上に、想われた時の喜びは大きい。天にも昇る気分である。

 

その勇気に応えなくては。

 

「会長」

 

呼び慣れた呼び方。それは白銀の名前ではないが、かぐやが見つけた、彼の呼び方だ。

 

「?どうし、」

 

その言葉を言い切る前に、かぐやは白銀の胸に、体を預ける。

 

白銀の体温を感じる。押し当てた額に、白銀の心音が伝わる。明らかに高まった白銀の心音が、同じく早鐘のように打ち付ける自分の心臓と、シンクロしていく。

 

「し、四宮っ!?」

 

うろたえた様子の白銀に、自然と笑みがこぼれる。

 

―――お可愛いこと。

 

だが自分も、白銀にはお見せできない顔になっていることを、自覚しているつもりだ。

 

「しばらく、このままで」

 

熱くなった息を吐き、掠れながらそう言うのが精一杯だった。

 

 

 

「かぐやっ、さんっ、元気で・・・っ」

 

しゃくりあげる藤原が、かぐやの身を抱き締める。それにしかと答え、一分ほどの抱擁を交わしたかぐやは、いよいよ飛行場を飛び立とうとしていた。

 

白銀と石上は、「カササギ」号のところにいる。白銀が、かぐやを途中まで送ってくれるというのだ。石上とはもう、お別れの言葉を交わした。

 

「藤原さんも、元気で。手紙書きますからね」

 

藤原は何度も何度も、頷いていた。

 

再び翼を広げ、羽ばたく。かぐやの体は、難なく空中に浮いた。そのまま徐々に高度を稼ぐ。

 

滑走路を走り抜ける「カササギ」号が見えた。白銀が操縦する機体は、やがてふわりと空中に躍り出る。かぐやのいるところまで、白銀は少しずつ上昇してきた。

 

白銀と合流したかぐやは、再び地上に目を向ける。まだ、藤原と石上の顔がよく見えた。並んだ二人は、しきりに手を振っていた。何か叫んでいたが、さすがに聞き取れず、またこの高度では読唇術も使えなかった。

 

だからかぐやも、精一杯手を振って応える。その姿が見えなくなるまで、いつまでも、いつまでも。

 

やがて飛行場が視界から消える。洋上に出た「カササギ」号とかぐやは、潮の香りがする風の中を、沈みかけの太陽に向けて優雅に飛び続ける。水平線に触れてこそいないものの、西の空は随分と赤に染まって来ていた。

 

夕陽に目を細める。白銀とかぐやは顔を見合わせ、きれいだねと言い合った。

 

他愛もない会話がある。倉庫で飛行機を組み立てた時。学校の廊下で会った時。思い出せないような些細な時。それらと何ら変わらない、いつも通りの会話だ。

 

それでも、刻々と、「カササギ」号の燃料は減っていく。

 

「カササギ」号の飛行時間は、巡航で二時間ばかり。復路を考えれば、白銀とかぐやがともに飛べる時間は、一時間に満たない。

 

長いようで、あっという間の一時間。それでも永遠のような、一時間。

 

「カササギ」号の燃料メーターが、半分になろうとしていた。

 

ここまでだ。

 

「・・・送っていただいて、ありがとうございます、会長」

 

かぐやの言葉に、白銀は黙って頷いた。ここでお別れだ。

 

「・・・元気でな」

 

「ええ。会長も」

 

答えて、かぐやは白銀の肩から手を離した。ここからは自分で飛んでいかなければならない。

 

「カササギ」号の前に出る。風を掴み、海の彼方を目指して、飛び出す。

 

「四宮!」

 

そのかぐやを、白銀が呼んだ。かぐやは「カササギ」号を振り返る。

 

白銀がなおも叫ぶ。

 

「必ず会いに行くから!」

 

短い言葉に、かぐやの中で何かが弾けた。

 

名残惜し気に反転する「カササギ」号を追いかける。小さな機体、その操縦席にいる白銀を、ただ一人の好きな人を、追いかける。

 

「会長」

 

かぐやの呼びかけに、白銀が振り向いた。

 

その背中に飛びつく。肩に腕を回し、抱き締める。

 

 

 

そして、キスをする。

 

 

 

振り向いた白銀の頬に、そっと、自分の唇を押し当てる。柔らかな感触が伝わる。白銀の温かさが伝わる。

 

だからお願い。伝わって。私の想いも、どうか伝わって。この胸の内全て、あなたに伝わって。

 

短い口づけ。熱い頬を太陽のせいにして、かぐやは笑う。

 

「はい。いつまでも、待っています」

 

驚いた顔の白銀から離れ、かぐやは今度こそ、西へと飛び出す。

 

きっとまた会える。

 

君と私(二人)は、今、同じ気持ちだから。

 

 

【挿絵表示】

 




本編終了です。あとはエピローグ的なものが一話。

というわけで、こういう感じの終わり方になりました。

最初にプロット考えたときはですね?結ばれてハッピーエンドの予定だったのですが・・・。

どうしても、この時の白銀会長には足りないものがありました。

同じように、この時のかぐや様には足りないものがありました。

なのでおそらく、原作の意図を汲むのなら、このお話の中で二人が結ばれることはできないんだと思いました。

いえまあ、私はどちらかというと、原作無視してただっただ幸せな推しを書くのが好きな方なんですけどね?甘々激甘砂糖マシマシの脳内お花畑小説が大好物なんですけどね?

それでもあまり原作改変したくない・・・。ていうか、かぐや様は原作素晴らしすぎて、あんまりオリジナル要素出したくない・・・。

そして書いてて思った。結構原作の話ぶっこんでない・・・?URとかDKがないだけで・・・

(以下雑談)

明日はいよいよ最終回!楽しみですねえ。

この三か月は、本当に、かぐや様三昧のクールでした。心の容量がほとんどかぐや様に全振り状態でしたよ、ええ。

原作もいい感じの話が続いてますし、毎週ドキドキが止まりません。

あー、楽しみだなー。


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かぐや様は夢を見たい

エピローグ。かぐや様が目を覚ましてからのお話です。


―――や。・・・の・・や

 

「四宮」

 

自分を呼ぶ声に気づいて、かぐやはゆっくりと瞼を上げる。ぼやけた視界が少しずつ焦点を結び、目の前の光景を捉えた。

 

秀知院学園高等部、生徒会室。その中央、会長の執務机からの景色だと気づき、かぐやはゆっくりと二、三、瞬きをした。

 

―――私、寝てた・・・?

 

覚醒していく意識の中、かぐやは自分の状況を少しずつ整理し始める。

 

一体、誰が起こしてくれたのか。かぐやは少し体を起こして、自分の肩を揺らす人物を見た。

 

こちらを覗き込むようにする顔が見える。明るい髪色。しゅっとした顔立ち。引き締まった目元。

 

―――・・・会長だ。

 

先程まで見ていた夢のせいもあり、かぐやは自分の頬が自然と緩むのに気づいた。

 

ここには白銀がいる。それがなんだか嬉しい。

 

白銀の顔を見たからだろうか。かぐやの脳は急速に目覚め始め、いつも通りの回転を取り戻していく。

 

そして気づいた。

 

―――会長!?

 

かぐやの意識が一気に現実へと引き戻される。かぐやの覚えている限り、生徒会室に白銀の姿はなかった。ということは、かぐやが眠ってしまった後、白銀はこの部屋へとやって来たのだろう。

 

考えても見てほしい。部屋に入ったら、普段自分の使っている机で、別の誰かが寝ていたら。

 

―――何てことを・・・何てことをしたの、私!?

 

そんなもの、意味深すぎるではないか。他人の机、それも異性の机に座るなど、ましてそこで眠るなど。男子の部屋で、男子のベッドで眠るのと大差ない。

 

実に意味深。

 

さらに、自分の寝顔を見られたのではないかという羞恥が、かぐやを襲う。

 

咄嗟に唇を拭い、万が一にも涎など垂らしていないか確かめる。それから改めて、かぐやは白銀を振り返った。

 

「お、おはよう」

 

突然体を起こしたかぐやに、白銀は驚いている様子であった。

 

「か、会長。いらしてたなら、起こしてください」

 

せめてもの抵抗で抗議する。白銀は曖昧に頬を掻いた後、少し目線を外して答える。

 

「いや、あんまり気持ちよさそうに寝てるから・・・起こすに起こせなかった」

 

―――見られた!やっぱり寝顔、見られた!

 

寝顔を見られるなど、パンツを見られるのと同義である。

 

「それに、四宮も疲れてる様子だったから・・・少しぐらい寝かせてやっても、罰は当たらないだろう、と」

 

―――っ!

 

何て優しいんですかっ!

 

それを言われては、文句も言えない。かぐやは閉口し、せめてもの抵抗で俯く。意識すると頬が熱い。

 

机から離れた白銀は、ソファに戻り、書類の山をまとめ始める。四宮が寝ている間、ずっとあそこで仕事をしていたのだろうか。

 

「そろそろ、藤原と石上が来る。今日の活動を始めるぞ」

 

白銀の言葉通り、数分後には藤原と石上も現れ、今日の生徒会が始まった。

 

 

 

「そういえば四宮」

 

活動を終え、生徒会室の鍵を閉める白銀が、思い出したようにかぐやの名前を呼んだ。

 

石上と藤原は少し早く帰っている。今は白銀とかぐやの二人きりだ。

 

「なんですか?」

 

かぐやは白銀の呼びかけに答える。

 

「さっきは、その・・・何か夢でも見てたのか」

 

思わずドキリとする。

 

「どうして、ですか」

 

「いや・・・聞く気はなかったんだが。寝言が聞こえてきてな」

 

なぜか目を逸らしながら、白銀が答える。

 

再び、体中の血液が顔に集まってくるのを、かぐやは感じた。

 

―――ね、寝言!?寝言まで聞かれたの!?

 

そんなのは最早、同衾と変わらない。

 

「こう、藤原と石上と・・・俺のことを、呼んでいたから。どんな夢だったのか、気になってな」

 

―――しかも会長の名前を呼んでいたんですか、私!?

 

告白同然の行為である。

 

廊下を歩く間、白銀の顔が見れない。顔を上げれば、熟れたリンゴのような頬がばれてしまうのは、明白であった。

 

「・・・俺も最近、夢を見たんだ」

 

白銀がゆっくりと口を開く。

 

「四宮と、藤原と、石上で、空を飛ぶ夢だった」

 

今日一番、心臓が跳ねる。俯いていた顔を上げてしまうほど、電撃に似た驚きが、かぐやの背中を駆け抜ける。

 

白銀の顔を窺う。

 

「皆で飛行機を飛ばして。四宮は・・・」

 

その先を言い淀んだ白銀は、かぶりを振って話を切った。

 

「いや、すまん。なんでもない。忘れてくれ」

 

―――もしも。

 

かぐやは思う。そんなことはあり得ないとわかっていても、つい都合のいい解釈をしてしまう。都合のいいことを考えてしまう。

 

―――まさか、ね。

 

「・・・寝言を盗み聞きする会長には、内緒です」

 

人差し指を唇に当て、かぐやは薄く笑う。

 

白銀はなぜ、夢の話をしたのだろうか。

 

かぐやも最近知ったことだが、白銀は星好きで、実は意外とロマンチストである。そんな白銀は、もしかしたら、かぐやの寝言に何か思うことがあったのかもしれない。例えば―――

 

―――いいえ、確かめなくてもいい。

 

夢は夢だ。それ以上でも、以下でもない。あれは、かぐやが見た夢に過ぎない。

 

夢は夢のままで、十分であろう。

 

長い長い、生徒会室前の廊下を、白銀と並んで歩く。他愛のないことを話し、お互いに笑みをこぼす。

 

いつもと変わらない、かぐやの日常である。

 

こんな日がいつまでも続けばいい。そんな淡いかぐやの願いを、白い月が優しく包んでいた。

 

 

 

・・・夢のメカニズムは、いまだに解明されていない。

 

だが、もし仮に、夢とは人の深層心理が見せるものなら。深層心理を形作る、記憶と経験が、夢の正体であるなら。

 

記憶と経験を共有した二人。同じ思い出を持つ二人は、もしかしたら、同じ夢を見るのかもしれない。

 

 

雲海の上を、彼は飛び続けていた。

 

ガラス張りの操縦席。風防越しに景色を眺めながら、彼は操縦桿を操っていた。

 

同時に、各種計器を確かめる。特にエンジンの状態を入念に。

 

メーターの数値は、搭載されている「龍珠」エンジンが最高の状態にあることを示していた。それを確かめ、彼は満足げに頷く。

 

この状態で、エンジンタンクの残量を考えれば、十分目的地にたどり着けるはずだ。

 

方位磁針を見れば、彼の機体が真っ直ぐに西を目指しているのがわかる。

 

西へ―――すなわち、今まさに沈もうとしている、太陽の方へと。

 

・・・彼女の行った先を、ずっと見つめてきた。

 

簡単な話だ。約束は守らなければ。約束は果たさなければ。

 

だから彼は、空を飛び続けた。遥か先、彼女の飛び去った空の向こうへ、たどり着くために。

 

もう一度、彼女に会うために。

 

・・・どれほどの時間、飛び続けただろうか。オレンジに染まった雲といくつもすれ違った。

 

チャート上で、機体が間もなく、目的地に到着しようとしていることを確認した時だ。

 

彼の目がふと、何かを捉えた。パイロットとしてはギリギリの、視力一・〇の目が、確かに何かを捉えた。

 

大きな太陽の中に、影が見える。鳥のように翼を広げ、自由な意志で羽ばたく影。純白の姿が夕陽にきらめき、悠然と雲海を渡る。

 

それは真っ直ぐに、こちらへとやって来ていた。

 

風防をスライドして開ける。瞬間風が吹き込み、彼の周りを駆け抜けていく。

 

見間違えることなどありえない。例え何年経とうと、どれだけ隔てられようと、彼女のことを忘れるなどありえない。

 

それは偶然などではなく、必然だった。会いに行くと約束した彼に、彼女は待っていると約束したのだから。

 

彼女の名前を呼ぶ。いつかと同じように、手を伸ばす。

 

翼を広げた彼女は、彼の呼びかけにしっかりと答えた。

 

二人の手が、お互いを探し当てる。触れた指先から手繰るように、しかと握り合う。

 

昼と夜の狭間に照らされる彼女の横顔は、少し大人びて、けれど変わることなく、優しい頬笑みをたたえていた。

 

「・・・探したぞ」

 

彼女は何度も頷いた。

 

風防の端に、彼女が手をかける。目的地まではもう少しだ。それまで、しばしの遊覧飛行と洒落込もう。

 

再び一つになった翼は、水平線に沈む太陽を見送りながら、黄昏れの大空を行く。

 

やがてその背中から、月が優しく顔を出した。




というわけで、本当にここまで、お付き合いいただきありがとうございました。

エンディングから着想を得て、妄想と勢いに任せて書いていましたが、意外と頭を使った気がします。さすがは天才たちの恋愛頭脳戦()

後書きで触れてないところも含めて、本文中に色々と仕掛けたつもりですが・・・これ以上は無粋なので。

ほんとに、難解なパズルをやっている感覚でした・・・。でも、全力で楽しんで書き上げられました。

本編に書ききれなかった話とか、会長とかぐや様の馴れ初めとか、正直未だに妄想にブレーキかかってないので、もしかしたら追加でお話書くかもですが・・・。今はここまでで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。それでは、またどこかで・・・!

(以下雑談)

この後最終話!

繰り返す、この後最終話!

なお、私は軽井沢にいるせいでリアタイできない模様。またかよ・・・。でも楽しみに待ってます!

(二期発表来い・・・!)


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【幕間】かぐや様は踊りたい
かぐや様は誘われたい


一週間ぶりでございます。

絶賛かぐや様ロスの作者、十二話の無限ループが止まらない。

というわけで。本編終了しましたが、書ききれなかった話というか、幕間でこんな話あったよというか。

以下注意点です。

・この先は、アニメでやっていない話のネタバレが結構あります。

 神 (恋愛頭脳戦)は 死 ん だ !


私立秀知院学園は、歴史ある、由緒正しい学園である。

 

元は貴族階級の子息令嬢のための教育機関であり、階級制度廃止に伴って一般市民に門戸が開かれた今でも、その頃の面影を色濃く残している。

 

例えばそれは、厳格な校風であり。

 

例えばそれは、多額の寄付金であり。

 

はたまた、例えばそれは、生徒対象の舞踏会である。

 

貴族たちの社交場、舞踏会。それは、貴族階級に産まれた者であれば、決して避けることのできない場所である。そして階級制度がなくなった今も、舞踏会は富裕層にとって重要な交流の場であることに変わりはなかった。

 

この国では、多くの場合、貴族は十八歳から二十歳にかけての間で舞踏会―――すなわち社交界へのデビューを果たす。それまでは、親戚間でのお茶会などを通して、紳士淑女のマナーを学んでいくのが習わしであった。

 

貴族階級の学校、秀知院学園でも、当然この舞踏会に向けた授業が行われていた。中等部から授業の中に「社交ダンス」が組み込まれており、合わせて社交界でのマナーも学ぶ。それらを実践する機会として設けられたのが、学内での舞踏会である。

 

参加できるのは高等部以上の生徒のみ。学年ごとに開催時期が分かれており、一年は体育祭後の十月、二年は十二月の奉心祭、三年は三月の卒業式となっている。

 

そして当然であるが、ダンスには相手が必要である。エスコートする男子と、エスコートされる女子。舞踏会の際には、必ず男女のペアを作ることが定められていた。

 

カリキュラムに組み込まれた、義務的な行事とはいえ、そこはうら若き男子と女子である。ペアを組むことには、多少なりと意味が―――下心と二人の親密さが如実に表れる。気になる異性と、一夜を共にしたいというのは、実に素直な、そしてごくごく当然の欲求である。

 

舞踏会でペアになった男女は結ばれる。それは学園のジンクスでもなんでもなく、むしろ必然と呼んで差し支えないことであった。

 

♂♂♂

 

秋が過ぎ去っていくばくか経ち、そろそろ冬と呼んでも差し支えなくなってきた、十二月の初旬。

 

「そろそろ奉心祭ですけど、会長は誰と踊るんすか?」

 

航空研究会の活動場所となっている倉庫で、白銀は石上と並び、航空機の模型を製作している。主翼を作り終わったところで、石上がそんな話を振って来たのだ。

 

白銀は一瞬言葉を詰まらせる。何しろ、白銀が今最も思い悩んでいる話題だったからである。

 

「いや・・・まだ、決めてない」

 

「そうなんすか?」

 

胴体パーツの嵌めあいを確認しながら、石上が言う。

 

「会長、モテますし、もう相手も決まってるのかと」

 

実際、石上の言う通りではある。

 

奉心祭を前にして、高等部二年の間では、ダンスの相手探しが活発化していた。男女ともに、踊りたい相手に声をかける。それは、恋人同士であったり、あるいは友人同士であったり、はたまた家が決めた許嫁同士であったり。

 

だが中には、勇気を振り絞り、あまり関わりのない、しかし気になっていた相手に声をかける者もある。

 

学年一位かつ航空研究会会長と、学園内では有名な白銀は、それなりに人気のある男子である。そんな白銀に声をかけてくる女子は確かにいた。

 

だが、白銀はその誘いを、すべて断っている。

 

理由は言うまでもない。白銀にとって、ダンスを踊りたい相手はただ一人、四宮だけである。

 

どれだけモテようと、肝心の四宮から誘われなければ意味がない。

 

白銀は手を止め、天を振り仰ぐ。とは言っても、そこにあるのは倉庫の天井であり、今日の青空を見ることはできない。

 

「・・・正直、女子をどう誘えばいいのか、わからん」

 

それは白銀の偽らざる本音である。

 

普段、いかにして「四宮に告白させるか」を考えている白銀であるが、こと今回に関しては、そうもいかないことを理解しているつもりだ。

 

舞踏会で、男子が女子をエスコートするのは、絶対のルールである。であれば当然、ダンスの誘いも、男子から誘うのが貴族階級のルールだ。それぐらいは、一般階級出身の白銀にも理解できる。まして相手は、四大財閥・四宮家の令嬢、四宮かぐやである。

 

深窓の令嬢と呼ぶに相応しい、秀知院学園でも随一のお嬢様。おそらく彼女の中に、「白銀をダンスに誘う」という選択肢はない。四宮にとって、ダンスとは「誘われる」ものだ。むしろ、自分から「誘う」ことは、はしたないとさえ思っているかもしれない。

 

今回に限っては、四宮から誘ってくることは絶対にない。それが白銀の結論である。

 

ゆえに、白銀がもし、四宮とペアを組みたいのであれば、白銀から誘う以外の選択肢はない。

 

「まあ、そうですよね」

 

よくわかる、というように、石上は何度も頷いていた。

 

石上も十月に、一年の舞踏会に参加している。その時の、彼のペアは確か―――

 

「石上は、子安先輩を誘ったとき、何て言ったんだ?」

 

隣で、石上がドキリと、肩を震わせた。

 

石上が、高等部三年の子安つばめを憎からず想っているのは、航空研究会全員が知るところである。

 

一年の舞踏会、石上は自分のペアに子安を誘い、そして見事ダンスを踊ることに成功したのだ。彼が飛び上がるほど喜んでいたのを、白銀は知っている。

 

その石上が、どうやって子安を誘ったのか、白銀も気になるところである。

 

一旦手を止めた石上は、どこか気恥ずかし気に頬を掻く。

 

「特別なことは、何もしてないですよ。ただ『一緒に踊ってください』って、お願いしただけです」

 

「・・・そうだったのか」

 

石上は珍しく、微かな笑いを浮かべていた。

 

「四宮先輩に言われたんです。あれこれ考えるより、結局真っ直ぐに言う方がいい、って」

 

「・・・四宮が、そんなことを」

 

「はい。だから、まあ、僕がつばめ先輩と踊れたのは、四宮先輩のおかげです」

 

まだちょっと怖いですけど。そんなことを呟いて、石上は再び模型製作に取り掛かる。

 

―――結局は、俺の問題だよな。

 

白銀は思う。四宮をダンスに誘うのが、純粋に気恥ずかしいのだ、と。

 

だからこそ、これは白銀の問題だ。四宮とダンスを踊りたいという、白銀自身の願いを叶えたいのであれば。やはり白銀は、自らの声で、四宮を誘わなければならない。それが礼儀であり、誠意だ。

 

「ありがとな、石上。なんか勇気出た」

 

まだ少し頬の赤い後輩に、お礼を言う。それから白銀は、再び模型製作に戻った。

 

♀♀♀

 

時間は朝まで遡る―――

 

 

 

「会長がダンスに誘ってこないのよっ!」

 

朝の身支度を粛々と整えながらも、かぐやの内心は荒ぶっていた。

 

奉心祭までもう一週間ほど。周りは誰と踊るだの、誰を誘っただのといった話題で持ちきりである。

 

当然、かぐやのもとにも、男子からのお誘いは来ていた。四宮家の令嬢であり、学業、芸事、運動、何でもござれのかぐやは、学園でも一目置かれる存在であり、男女を問わず憧れの的である。そのかぐやをダンスのパートナーにしようという不敬の輩は数多存在した。

 

無論、かぐやには、そもそも舞踏会に参加しないという選択肢もある。事実去年は、四宮家の意向という形で、かぐやは舞踏会に参加していない。

 

だが今年、かぐやにその選択肢を取るつもりは、毛頭なかった。

 

とはいえ、かぐやもそこいらの雑草と踊るのはご免である。よって、これまでの誘いはすべて、丁重にお断りしていた。

 

かぐやの踊りたい相手はただ一人、白銀のみである。

 

しかし、その肝心の白銀からは、いまだにダンスの誘いが来ない。

 

業を煮やしたかぐやが、あれこれ仕掛けてみても、白銀からはダンスの「ダ」の字すら出てこない始末。

 

―――舞踏会は男子の方から誘ってくるのが礼儀でしょうっ!?

 

そんな不満が、かぐやの中に募り続けている。

 

「まーたその話ですか」

 

そんなかぐやの言葉を、心底どうでもいいと言うように、鏡の向こうから早坂が見ている。

 

「毎日その話ばかりじゃないですか。もういっそ、かぐや様から誘ったらどうですか」

 

「そ、そんなこと・・・できるわけないじゃないっ」

 

思わず張り上げた声に、早坂がうるさいですと言わんばかりに耳を塞いでいる。だがそれには構わず、かぐやはさらに言葉を続けた。

 

「それじゃあまるで、私が会長とダンス踊りたいみたいじゃない」

 

「どこかに間違いありますか?」

 

一か所も間違いはない。

 

「・・・自分から男子をダンスに誘うなんて、はしたないことよ」

 

「いつの時代ですか。貴族階級もなくなって久しいんですよ。今は女子から男子を誘ったって、別にはしたなくありませんって」

 

ぐうの音も出ないほど、早坂の言う通りである。だがそれでも、かぐやは白銀を誘えない。

 

―――会長から誘われたい。普通の女の子みたいに、私も会長に誘われて、会長のエスコートでダンスが踊りたい。

 

それこそが、偽らざるかぐやの本心である。

 

かぐやがこの手を委ね、全てを任せてもいいと思えるのは、ただ一人、白銀だけだ。その白銀に誘われ、彼の手を取って踊るダンスは、どれほど素敵だろうか。

 

結局はかぐやのわがままだ。それが自らの願いの本質だと、かぐや自身も理解している。

 

「・・・まあ、それはかぐや様の勝手ですけど」

 

かぐやの内心を知ってか知らずか、早坂はそれ以上何も言わず、けれどいつもより入念に、髪を梳かしてくれた。

 

 

航空研究会の活動を終え、白銀とかぐやは倉庫の手仕舞いをしていた。

 

藤原と石上は一足先に帰っている。残っているのは白銀とかぐやだけだ。

 

倉庫内に誰も残っていないことを確認し、電灯を消す。大きな引き戸を閉めて、白銀が南京錠をかけた。

 

―――結局今日も、誘われなかったな・・・。

 

白銀と並び、倉庫から立ち去りながら、かぐやはそんなことを考えていた。

 

今日も成果なしである。白銀からは、かぐやをダンスに誘う言葉は出てこず、無為に一日が過ぎていった。

 

―――会長は私と踊りたくないのかしら。

 

そんな、マイナスな思考をしてしまう。

 

白銀は、かぐやとは踊りたくないのではないか。かぐやが知らないだけで、もうすでに、別の誰かと踊る約束をしているのではないか。

 

それを咎めることはできない。

 

もういっそ、自分から誘ってしまおうか。そんな思考が何度もかぐやの頭をよぎる。その度に、かぐやは内心でかぶりを振った。

 

できない。かぐやには白銀を誘えない。

 

白銀が何と答えるかわからない。それが怖い。

 

何より、かぐやは知らないのだ。こういう時、どうやって男子を誘えばいいのかなど、知らないのだ。

 

どうしたらいいのかなんて、わからなかった。

 

―――お願い、早坂。どうしたらいいの、私。

 

胸の辺りが締め付けられるような心地がする。わからないということが、言葉にも行動にもできないことが、こんなに苦しいことを、知らなかった。

 

校門の前で、迎えの車を待つ。ほんの数分後に、車の音が聞こえてきた。白銀とはここでお別れだ。

 

「では、会長。また明日」

 

「ああ、また明日」

 

できるだけ平常心を保ち、かぐやは白銀と挨拶を交わす。到着した車から早坂が降り立ち、ドアを開ける。

 

「なあ、四宮」

 

だが、かぐやが車に乗り込む前に、白銀が引き留める。その声に、かぐやは白銀を振り向いた。

 

夕陽の中、白銀が真剣な瞳で、かぐやを見つめていた。

 

「四宮に、お願いがある」

 

その瞳に、かぐやも真っ直ぐ応える。

 

「・・・はい」

 

「舞踏会で、俺と・・・俺とペアで、踊らないか」

 

「・・・っ!」

 

ドキリ。心臓が跳ねる。

 

ドクリ。血管が脈打つ。

 

心がこれまでになく高鳴る。

 

「俺とペアになれ、四宮」

 

白銀の顔を見る。彼の目が朱に染まっている。白銀の顔が耳まで赤いのは、きっと夕陽のせいなんかじゃない。

 

かぐやの頬が、燃えるように熱いのも、きっと気のせいじゃない。

 

こんなにも、嬉しいのか。ただ白銀に、ダンスに誘われただけなのに。まだダンスを踊ってすらいないのに。白銀の言葉が、こんなにも、かぐやの気分を高鳴らせる。

 

嬉しい。嬉しい。嬉しい。その気持ちが溢れて止まらない。

 

「会長」

 

かぐやは白銀を呼ぶ。白銀からの誘いに、応えるために。

 

「お誘い、ありがとうございます。―――ええ、喜んで、お受けします」

 

スカートの端を持ち、かぐやは膝を折る。数秒の礼の後、かぐやは白銀に微笑んで、車に乗り込んだ。

 

車がゆっくりと走り出す。そのエンジンの音と同じように、今もなお、かぐやの心臓は早鐘を打っていた。

 

「よかったですね、かぐや様」

 

そんな早坂の言葉に答える余裕すら、今のかぐやにはなかった。

 

 

 

―――本日の勝敗。かぐやの勝ち。




はい。というわけでこういうゆるーい(?)お話で進めていこうかと。

今回は原作でもまだやっていない社交ダンス回になります。本作の設定的に、一番入れやすいというか、妄想しやすいお話でした。

次回は舞踏会編ですね。お楽しみに。

以下、メイキングの話を久しぶりに。

今回の会長のセリフ「俺とペアになれ、四宮」ですが、結構悩みました。

最初は「なってくれ」、だったのですが・・・。それって、白銀的には、乞い願うことになるんだと思うんですよね。

UR回でも、「来てくれ」ではなく「来い」だったので、今回は「俺とペアになれ、四宮」というセリフになりました。

・・・こんなメイキングの話、どこに需要があるんだ。

ともあれ、これからも気まぐれに投稿していきますので、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。


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かぐや様は言われたい

ほんとは今回踊るつもりでしたが、予想より長くなったので次回に持ち越しです。

ということで、今回はずっとかぐや様のターン。


秀知院学園の文化祭・奉心祭には、例年を大きく上回る見物客が訪れていた。多くの見物客の目当ては、航空研究会による活動記録と、「カササギ」号の展示及びエンジン試運転である。

 

民航連の支援を受けるにあたり、広報活動への協力を要請された航空研究会は、学内に留まらず、地元の新聞や雑誌などでも度々その活動内容が紹介されてきた。航空愛好家の中で、彼らを知らない者はいないほどである。

 

そんな航空研究会の機体を一目見ようと、各地から多くの航空機好きが集まった次第であった。

 

こうして、奉心祭は大盛況のうちに幕を閉じ、

 

そして、夜が訪れた。

 

♀♀♀

 

舞踏会の開始は、午後五時からである。

 

もちろん、ここで言う開始というのは、一曲目がかかり始める時間のことであり、その時間までに全ての生徒は学内のダンスホールに集まることになる。

 

文化祭の終了は三時。そこから片づけを終えて三時半。航空研究会の面々と別れたかぐやは今、早坂を伴って、更衣室にいた。

 

舞踏会は、男女ともに制服での参加が基本である。あくまでこれも授業の一環であり、厳格な秀知院学園の校風は、学生たちが浮つくことを基本的に許していないからだ。

 

ではなぜ、かぐやは更衣室にいるのか。

 

答えは単純である。何事にも、例外というものは存在するのだ。

 

舞踏会には、ホストとゲストが存在する。そして往々にして、一曲目を踊るのはホストの女主人、及び最も位の高いゲストの男性である。

 

そのしきたりに鑑み、秀知院の舞踏会でも、一曲目を踊る学生が決まっていた。すなわち、学業優秀な、成績上位の学生たちである。

 

さらに、その中でも特に優秀な、つまり学年十位以内の成績を収める学生は、舞踏会の顔とでもいうべき存在であり、特にドレスなどの正装の着用が許されていた。舞踏会でドレスを着たいがために、勉学を頑張る生徒がいるほどである。

 

かぐやにはその資格があった。

 

かぐや自身の成績は学年二位、女子の中ではトップである。さらに、かぐやをエスコートする男子は、学年一位の白銀だ。ここ十年で一番のビッグ・ペアとの呼び声も高い。疑いようもなく、今夜の舞踏会の顔は、白銀とかぐやのペアだ。

 

だから当然、かぐやはドレスを着ることを選んだ。

 

決して、白銀に綺麗だと思われたいとか、そんな子供じみた理由からではない。

 

用意していたドレスを、早坂が着付けてくれる。以前義姉が見繕ってくれたもので、かぐやも気に入っているデザインだ。

 

着付け終わったドレスを、鏡を見ながら確認していく。腰骨の辺りまでは、ボディラインにぴたりと合わせたシルエット。そして、腰から足元にかけてふわりと緩く広がるデザイン。ごてごてと凝った意匠はほとんどない。裾のフリルと、バラの飾りが胸元に一つ。シックな赤を基調とする色合いが、大人っぽい雰囲気を醸し出す。

 

「髪もセットしましょう」

 

少々はしゃぎ気味だったかぐやを落ち着けるように、早坂が鏡の前に座らせる。早坂は、かぐやの髪の一部を、器用に編み込んでいった。

 

最後に薄く紅を引き、早坂は一歩、かぐやから下がる。

 

「こちらでいかがですか」

 

かぐやは改めて、鏡の中の自分を見る。右、左、そして後ろも。全てを確認して、頷く。

 

「完璧よ。ありがとう、早坂」

 

かぐやの言葉に、早坂も満足げに微笑んだ。

 

「きっと、白銀会長も褒めてくださいますよ」

 

毎度のことながら、一言余計なメイドであった。

 

 

 

時刻はいよいよ、四時五十分になろうとしている。全ての身支度を終えたかぐやは、早坂の誘導で、ダンスホールへと続く廊下を歩いていた。

 

廊下の突き当りに、やたらと格式高い、木製のドアが見える。あの先が、ダンスホールに続く外通路だ。白銀との待ち合わせは、ドアを出てすぐのところである。

 

ドアの前で立ち止まる。深呼吸を、一回。

 

早坂に頷く。一礼した早坂は、ゆっくりとドアを押し開けた。

 

「いってらっしゃいませ、かぐや様」

 

かぐやはドアの外へ足を踏み出す。

 

外通路には、会場入りを待つ生徒たちが列をなす。もうダンスホールは開場しているが、一曲目から踊るわけではない生徒たちは、未だダンスホール外で談笑中だ。その中に、かぐやを待っていた人が、一人。

 

いつも通りの黒い学生服。すらりとした立ち姿。明るい髪色が、夜の中でも目立つ。質実剛健な彼の性格を表す如く、特に着飾っているわけではない。それなのに、かぐやの目は自然と彼に惹きつけられる。

 

白銀もかぐやを見る。凛々しい目、その瞳の中に、ドレス姿のかぐやが写っていた。

 

彼の視線に、心臓が一段と大きく、脈打つ。

 

―――どうですか、会長。

 

せっかくの深呼吸も、全く意味がない。外面でどれだけ平静を装っても、かぐやの内面はざわめきで満ちている。

 

ドレスに自信がないわけではない。義姉のお墨付きだ。早坂も太鼓判を押している。かぐや自身も気に入っている。

 

それでも、気になるものは、気になる。

 

何故だかはわからない。うまく説明もできない。だが事実として、白銀がどう思っているのかが、気になる。

 

「四宮―――」

 

白銀がかぐやを呼ぶ。

 

彼は何と言うだろうか。かぐやのドレスに、どんな感想を抱くだろうか。似合っているだろうか。綺麗だろうか。

 

かぐやは白銀の言葉を待つ。

 

「・・・行こう。もうすぐ始まるぞ」

 

だが、白銀がかぐやのドレスに言及することはなかった。

 

―――な・・・なんでですか!?

 

外通路をダンスホールへと歩きながらも、かぐやの中でぐるぐるとした思考が渦巻く。

 

―――一言もなしですか!?「綺麗」とか、「似合っている」とか、せめて「いいな」くらいあって然るべきではないですか!?

 

かぐやの不満、爆発。

 

―――一生懸命オシャレしたんですよ!別に会長のためではありませんけどっ!この一週間、ずっと準備してきたんですよ!別に会長のためではありませんけどっ!

 

訳もなく、頬を膨らます。

 

別に、期待をしていたわけではなかった。けれども、何も言葉がないというのは、それはそれで不満だ。

 

それではまるで―――

 

―――会長、やっぱり私になんて、興味ないんじゃないかしら。

 

そんなことを考えてしまう。

 

生徒たちの間を、かぐやは白銀と並び、歩いていく。誰もが白銀とかぐやに目を遣り、そして口々に言う。

 

素敵。綺麗。美しい。かっこいい。お似合い。どんな言葉もかぐやには響かない。

 

百人にモテたところで、かぐやには何の価値もないことだ。かぐやが見てほしいのは、褒められたいのは、ただ白銀一人なのだから。

 

白銀が何も思ってくれなければ、何も意味なんてない。

 

ダンスホールの入り口に立つ。ふと、そこで白銀が足を止めた。

 

「四宮」

 

彼はもう一度、かぐやを呼ぶ。俯いたままだったかぐやは顔を上げ、横に立つ白銀の顔を見た。

 

白銀の瞳に映るかぐやは、心なしか小さく見えた。

 

白銀が深呼吸を一つ。

 

「今日の四宮は、すごく―――綺麗だ」

 

白銀は真っ直ぐにかぐやを見て、そう言った。

 

心臓が跳ねる。訳も分からず鼓動が早まり、信じられない速さで血液が顔面に集中する。頭の中身が瞬時に沸騰して、思考はパンク状態だ。

 

頬が熱い。いいや、頬だけではない。風邪でも引いたように、全身が火照っている。熟れたリンゴもかくやというほどに、顔が赤くなっているのがわかる。

 

「ドレスも、髪型も、化粧も、よく似合ってる」

 

白銀はなおも、言葉を続ける。彼自身も耳まで真っ赤になりながら、一つ一つの単語を噛み締めるように、かぐやに伝えてくれる。

 

かぐやにとってそれは、何よりも欲しかった言葉だ。百の賛辞にも勝る、白銀からの言葉だ。

 

白銀が似合っていると思うなら、それでいい。白銀が綺麗だと思ってくれるなら、それでいい。

 

「すまない。四宮があんまり綺麗だから・・・さっきは、言葉が出てこなかった」

 

照れ隠しのつもりなのか、白銀はかぐやから目線を逸らす。それすらも、今のかぐやには可愛く見えてしまう。

 

一生分の喜びが、今この瞬間に押し寄せた、そんな心地だ。

 

白銀が、心からの言葉を、くれるのなら。後のことはなんだって、許せてしまう。

 

「会長も、今日は一段と、かっこいいですよ」

 

「・・・普段通りだぞ、俺は」

 

―――なら、会長はいつも、かっこいいです。

 

それはさすがに、恥ずかしすぎて言葉にできなかった。

 

「四宮、手を」

 

白銀が右手を差し出す。その手に、かぐやは左手を伸ばす。

 

自分の左手が、緊張で震えているのが分かった。

 

舞踏会自体、初めてではない。子供の頃から、何度か見てきている。兄や親戚に手を引かれたこともある。

 

けれども、今日は違う。かぐや自身の意志で、誰かの手を取るのは、初めてなのだから。

 

そっと、白銀の手に、自分の手を重ねる。触れた瞬間、白銀も微かに、震えている気がした。だがそれを確かめる間もなく、白銀の手がかぐやの手を優しく包み込んだ。

 

大きく、温かな手だ。誰かと繋ぐ手が、こんなにも安らかなことを、初めて知った。

 

「会長」

 

かぐやは白銀を呼ぶ。かぐや自身の願いのために。

 

「一つ、お願いがあります」

 

「なんだ?」

 

「舞踏会の間・・・私の手を、離さないでください」

 

それがかぐや自身の望みである。この温もりを少しでも長く感じていたい。私の手を離すことなく、連れて行ってほしい。

 

白銀の側に、白銀の隣に、い続けたい。

 

白銀は至極真剣に頷き、そしていつかのように不敵に笑った。

 

「了解」




かぐや様の・・・ターン・・・?ってなんだっけ。

言うまでもなく、かぐや様って自分から仕掛けるときは強気だけど、白銀会長からぐいぐい来られるとめっっっっちゃ弱いですよね。雑魚ちゃんと同等かそれより弱い。

ちなみに作中の会長、恥じらいを捨てたイケイケモード入ってます、見ての通り。奉心祭ですので、ええ。

その辺の話もできたらいいな、とか。

というわけで、次回こそ!踊ります!多分!


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かぐや様は踊りたい

社交ダンス編ラスト!今回こそ踊ってます。

なお、糖分の過剰摂取に関しましては、作者の方で責任は負いかねますので、悪しからず。


秀知院学園のダンスホールは、いわゆるアール・ヌーヴォーと呼ばれる建築様式である。

 

先の戦争前に建て直された二階建ての建物であり、最新流行のアール・デコには取り残されている形であるが、装飾豊かな、一時代昔の雰囲気を感じられる。ダンスホールのデザインとしては、よくマッチしていると言えた。

 

曲線を主体とし、自然から発想を得たデザインが至る所に施され、窓の縁までも豪華な装飾で彩られる。気分はさながら、一世紀前の貴族たちの舞踏会である。

 

かぐやの気分も、一番の最高点に達している。これほどの興奮は、およそ十七年の人生において、全く経験がない。それは、荘厳なダンスホール雰囲気のためか、あるいは手を引いてエスコートする白銀のためか。おそらくはそのどちらもだ。

 

―――ダンスの前に、心臓がどうにかなってしまいそう。

 

それでも、この心臓の高鳴りは、決して悪いものでないと思った。

 

舞踏会の会場である大広間は、ダンスホールの二回だ。そこまでは、大きくカーブした、絨毯敷きの階段が続いている。

 

階段を白銀と登っていく。ゆっくりと、一段ずつ、白銀はかぐやの様子を気にしながら、進んでいた。大切に、まるで宝物を扱うように、白銀は真剣で、慎重だ。

 

その横顔に見入ってしまう。惚けているのは自覚しているつもりだ。だからといって、表情の緩みは治らない。治せない。

 

度重なる喜びの波状攻撃により、かぐやの理性(最終防衛線)はすでに崩壊寸前だ。もはや思考力は蒸発し、霧散している。されるがまま、白銀に手を引かれるまま、かぐやは歩いているに過ぎない。

 

階段を最後まで登り切る。目の前に、会場となる大広間が現れた。二百人の生徒と音楽隊が入るだけあり、かなり大きな空間が取られている。

 

舞踏会の演奏を担当する管弦楽部の学生は、すでに準備を始めていた。バイオリンやビオラ、チェロといった楽器を手に、一、三年の生徒たちが音合わせをする。

 

また、最初にダンスを踊る学年上位の生徒達も、すでに全員が集まっている。他にもまばらに生徒が入っており、舞踏会の開始を待っていた。

 

やがて、音楽隊の音合わせが止まる。時計を見れば、あと五分もせずに、長針が十二に合おうとしていた。

 

間もなくして、時計が五時を示す。全ての生徒が集まったところで、舞踏会の開始を告げる鐘が鳴り響いた。

 

学年主任が登壇し、短い開会の挨拶をする。

 

それに続いて、舞踏会の開始を告げるのは、校長の役割だ。

 

「それデハ皆さん、楽しんでクダサーイ」

 

高貴な雰囲気には似合わない、とても陽気な調子で校長が宣言し、一曲目の演奏がスタートした。

 

♂♂♂

 

白銀御行は、何でもソツなくこなす―――というイメージが定着していることを、白銀自身も把握している。

 

だが実際は違う。白銀にも当然ながら不得手なことはある。むしろ常人より多いほどだ。才覚に恵まれた人間の多いこの学園に入学したことで、白銀はその事実をより強く痛感することとなった。

 

だが、不得手なことをそのままにしておかないところが、白銀の白銀たる所以である。

 

今回の社交ダンスにしてもそうだ。中等部、あるいはそれよりも前からダンスに慣れ親しんできた純院の生徒たちとは違い、一般階級出身の混院である白銀には、ダンスの経験などない。そもそも、音楽全般にあまり馴染みがなかった状態である。

 

当然のことながら、まともにリズムを取ることも、ステップを踏むこともできなかった。

 

その様子は、あの藤原をして曰く、「断末魔のナマコ」、「むしろナマコと踊った方がマシ」と言わしめたほどである。それが一年の九月のこと。

 

では、白銀はどうしたか。

 

彼のやること―――やれることは、常に決まっている。練習あるのみ、である。

 

結果として、白銀は見事社交ダンスを習得し、一年の舞踏会にも参加できていた。付け加えるとすれば、その習得には、藤原による特訓の日々が欠かせない要素として挙げられる。

 

そして当然のことながら、白銀は一度覚えたことを忘れない。さらに、かぐやとペアになったことを想定し、粗相のないよう、去年よりもさらに磨きをかけている。今の白銀は、ワルツに限らず、フラメンコやタンゴ、コサックまで、なんだって踊ることができる。

 

―――だが。

 

だが、ここにきて、計算違いが一つ。

 

舞踏会のダンスといえば、最近はいわゆるワルツダンスのことである。その基本的なスタイルは、男女が向かい合うクローズドスタイルだ。

 

このスタイル、結構密着度が高い。もちろんダンスであるから、完全にくっついているわけではないが、普段からは考えられないくらい男女の距離は近い。さらに男性は、右手を女性の背中に添えるのである。

 

結果。

 

―――近い・・・っ!四宮が、近い・・・っ!

 

今日の―――ここ一週間の白銀は、結構な無理をしている。

 

ただでさえ、容姿端麗な四宮である。誰もが認める美少女の、四宮である。

 

その四宮と、ペアでダンスを踊る。彼女を誘ったときから、緊張の連続であった。

 

そして、先ほどのドレスである。

 

眉目秀麗な四宮は、おそらくどんな服を着たって似合うことだろう。ましてドレスともなれば尚更だ。だから白銀は、ある程度の覚悟を決めて、四宮を待っていた。

 

だが、その覚悟を、四宮はあっさりと打ち砕いてきた。

 

重厚なドアの向こうから歩み出た四宮は、この世の住人とは思えないほどの美しさと気品をたたえていた。さながら、おとぎ話の世界から出てきた、どこかの国の皇女。やんごとない身分を証明するような優雅さが、彼女から漂っていた。

 

四宮と視線がぶつかった時、白銀は自らの脳が強制的に活動を止められたのを感じた。

 

頭が回らない。声が出ない。瞬きすら忘れて、四宮に見入ってしまう。

 

髪を編み込んで、高い位置でまとめた髪型。いつも通りのリボンが、結び目に添えられている。上品な赤を基調とするドレスは落ち着いた雰囲気で、かぐやの静かな美しさを際立たせる。

 

その姿から、目が離せなかった。魔法にでもかけられたように、白銀は動けなかった。

 

言葉など出てこなかった。この美しさに相応しい言葉など、白銀は知らなかった。

 

―――「今日の四宮は、すごく―――綺麗だ」

 

やっとの思いで絞り出した感想も、心臓をバクバク言わせながらのものだ。

 

四宮の手を―――柔らかく、そして想像よりずっとか細く、小さかった手を引いている間も、幸せで胸が一杯だった。

 

そこに来てのクローズドスタイルである。

 

目線のすぐ下に、四宮の顔がある。彼女からは、得も言われぬいい香りが漂っていた。それが香水なのか、はたまたシャンプーなのか、白銀には判別がつかない。

 

そして、右手。背中に回した手のひらに、柔らかな四宮の感触が伝わる。さらに四宮の左手が、白銀の右腕を優しく掴んでいるのだ。

 

頭がくらくらする。気張っていなければ、魂が口から飛び出てしまいそうだ。

 

だが、そんな白銀の内心など露知らず。音楽隊による演奏が始まった。

 

白銀と四宮は、ともにステップを踏み出す。四分の三拍子のテンポに合わせ、タイミングを取り、足を運ぶ。

 

四宮の息遣いを感じる。それに合わせ、白銀も呼吸を整えていく。二人で息を合わせ、一緒にステップを踏む。大広間を、ゆったりと時計回りに、踊っていく。

 

―――踊れてる。四宮と一緒に、踊れている。

 

頭半分ほど下にある、四宮の顔を窺う。彼女もまた、見上げるようにして、白銀を見ていた。

 

一瞬目が合い、しかしすぐに、四宮は俯いてしまう。この近さだと、彼女が耳まで赤くなっているのがわかった。

 

―――もしかして、照れてる・・・?

 

四宮も同じだったのだろうか。パーソナルスペースを完全に無視した距離感に、四宮も白銀と同じく、悶々としていたのだろうか。

 

それが嬉しくもあり、やはり恥ずかしくもあり。ただ、白銀は先程までよりも、幾ばくか穏やかな心地で、リズムを取り続ける。

 

エスコートすると約束したのだ。今夜だけは、白銀が四宮を導く役目である。四宮の手を引くのが、白銀の役目である。

 

優雅な音楽に合わせ、男女のペアが大広間を舞う。今宵の舞踏会は、まだ始まったばかりであった。

 

♀♀♀

 

白銀の顔を、直視できない。

 

―――なに・・・どうして・・・?

 

クローズドスタイルは、ダンスの形としてはとても一般的なものだ。淑女の教養として、かぐやも知っているし、中等部の時には授業の一環で踊ったこともある。

 

だが、今日は違う。今までのダンスとは違う。

 

白銀が、かぐやを支えるように、背中に手を回している。つい先程まで、かぐやの左手を引いていた白銀の手が、かぐやの背中を支えている。

 

一つ、かぐやが息を吐けば、それすら白銀に届きそうな距離。お互いの呼吸と、心音まで、聞き取れそうな距離。

 

―――早く、始まって。

 

そうすればきっと、このドキドキとときめきを、ダンスと音楽のせいにできる。

 

かぐやの願いを聞き届けたのか、程なく演奏が始まった。

 

かぐやは、白銀とともにステップを踏み出す。白銀に引かれるように、あるいは合わせるように、二人でテンポを取り、足を運ぶ。穏やかな曲調に身をゆだねる。

 

ふと、かぐやは白銀の顔を窺った。

 

かぐやよりも頭半分ほど高い位置にある、白銀の顔。お互いの距離が近いせいで、自然とその顔を見上げる形になった。

 

シャンデリアの光に照らされる、白銀の顔。きりりと引き締まった目元は、真剣そのものだ。

 

強い決意の宿った瞳が、かぐやの方を見た。明るい瞳がかぐやを真っ直ぐに捉え、優しく笑ったように見えた。

 

頬が過熱する。白銀の瞳を見つめていられない。たまらず、かぐやは目を伏せていた。耳の先まで、熱が伝わっているのがわかる。

 

―――これじゃあまるで、私が照れてるみたいじゃない。

 

そんな抵抗を試みても、大して意味はない。顔全体の温度は、むしろ上がる一方だ。

 

この感情の名前を、かぐやはまだ知らない。この熱の正体を、かぐやはまだ理解できない。

 

―――でも。

 

せっかく、白銀と一緒なのだ。白銀が勇気を出して、誘ってくれたダンスだ。白銀がその手で、エスコートしてくれたダンスだ。

 

かぐやだって、白銀と一緒にいたいのだから。

 

「・・・会長、ダンスお上手ですね」

 

なけなしの勇気を振り絞り、かぐやはもう一度顔を上げる。けれども、真っ直ぐに白銀の瞳は見れない。口元に目を合わせるのが精一杯だ。

 

「そうか?」

 

「ええ、はい。会長のリードは、安心して踊れます」

 

「・・・なら、よかった」

 

答えた白銀が、笑った気がした。

 

背中に回した白銀の手に、先ほどよりも少し、力がこもる。併せて、二人の距離がわずかに、近くなる。たったそれだけの動きに、ドキリとしてしまう。

 

だが、一つ気づいたこともあった。思えば、ダンスが始まったばかりの白銀には、隠し切れない強張りがあった。

 

背中に添えられた手に、余計な力が入っていた。

 

窺った表情に、シャンデリアの光とは違う色が差していた。

 

―――もしかして、意識してる・・・?

 

白銀だって、きっとかぐやと一緒だった。緊張して、強張って、余計なところまで気を張って。

 

それでも、かぐやを離さずにいてくれる。

 

―――それなら、私も。

 

それなら、かぐやも離れはしない。

 

二人で一つのステップを踏む。二人で一つのリズムに乗る。

 

お互いに手を取り、お互いに預け合い、お互いに支え合い、二人で一つのダンスを踊る。。

 

ささやかな願望も、きっと、白銀とかぐやで一つだ。

 

それでいい。ちょっと特別な、普通でいい。

 

 

 

一曲目を終えた白銀とかぐやは、バルコニーで夜風に当たっていた。

 

十二月ともなれば、夜は随分冷え込む。陽が沈んで間もないとはいえ、強い風が吹けば肌に寒さが刺さった。

 

それでも、火照った体を冷やすには、ちょうどいい。

 

ダンスが終わった後、白銀に手を引かれるまま、ここへやってきた。お互いに会話らしい会話はない。先のダンスを消化するのに、今しばらく時間がかかりそうだからだ。

 

―――でも・・・!

 

だが、かぐやの内心は、それどころではなかった。

 

自らの左手を、ちらりと見る。そこにはいまだに、白銀の手が繋がれている。全身冷える中、左手だけが、まったく温かさを失わずに、体の芯まで熱を伝えてくる。左手だけが、いまだにダンスの火照りを忘れさせてくれない。

 

「冷えてきたな」

 

「え、ええ」

 

「戻るか」

 

白銀の言葉に頷く。バルコニーから大広間に戻るときも、白銀は変わらずに、かぐやの手を引いている。

 

「あの、会長、」

 

白銀の意図を確かめようと、かぐやは彼を呼ぶ。だが、かぐやが何かを問いかける前に、白銀が答えを返した。

 

「・・・今日は、離さない」

 

その言葉にハッとする。「手を離さないで」、そう言ったのはかぐやではないか。白銀はただ実直に、いつもと同じように、彼のできる精一杯で、不器用な優しさで、応えようとしてくれていた。

 

はい。その短い返事が出てこない。声を忘れてしまったように、何も答えられない。

 

代わりに、かぐやは左手に少し力をこめることで、白銀の想いに応える。

 

繋いだ手に、二人で一つの想いを込めて、白銀とかぐやは大広間へと戻っていった。

 

 

 

―――本日の勝敗。両者勝利。




ゴフッ(血を吐く音)

ええ、ええ。違うんです、これでも一時期より砂糖控えめにしてるんです、本当なんです。

というわけで、今回で社交ダンス編は終了になります。

本家奉心祭のURとはまた全然違う感じですが、これぐらいなら許される・・・はず!

それと、今後に関わるので一つ宣言しておきたいのですが、

作者はつばめ先輩派ですキリッ(爆弾投下)(炎上不可避)


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【幕間】かぐや様はいただきたい(夢)
かぐや様はいただきたい(夢)


またまたやってきました。

表題の通りです。お弁当回。全三回を予定しております。


秀知院学園の学生たちにとって、昼休憩は非常に重要な時間である。

 

勉強最優先の学園は、朝から夕方まで全て授業で埋め尽くされている。しかも、一つ一つの授業がかなり重めだ。当然のことながら、誰も彼も脳を酷使し、その分大きなエネルギーを消費する。

 

よって、当然の帰結として、脳は大量の養分を求めるようになる。そしてそれを補充するのが、昼休憩、すなわち昼食の時間である。

 

秀知院学園において、昼食の選択肢は三つ存在する。

 

一つ目は、弁当を持参すること。家政婦や侍従を雇える、裕福な家がほとんどの秀知院学園において、もっともオーソドックスな昼食である。

 

二つ目は、学食の利用すること。ただし、秀知院学園の学食はあまり大きくなく、一度に百人までしか入らないため、お昼時は込み合う傾向にある。

 

三つ目は、購買で購入すること。サンドイッチを中心に扱っており、それほど量を食べない学生や、弁当では足りない学生が主として利用している。

 

秀知院学園の生徒たちは、これらの選択肢を上手く使いながら、各々束の間の休息を過ごすのである。

 

♀♀♀

 

「かぐやさーん!」

 

教室の中から、藤原の呼ぶ声がした。

 

ちょうど昼食の時間だ。藤原とは別々のクラスであるかぐやも、この時間ばかりは彼女のクラスに顔を出し、昼食を共にする。おしゃべりな藤原といた方が、昼食の間も退屈しない。

 

それに、理由はもう一つ。

 

「会長も一緒に食べましょー」

 

「ん?ああ、そうするかな」

 

藤原のクラスには、白銀もいるのだ。このクラスで食べれば、時たまこうして、白銀も昼食に加わってくるのである。それこそがかぐやの狙い。

 

白銀は食事中あまりしゃべる方ではないが、別にそれでも構わない。白銀とともに食事をしていることに意味があるのである。それに、かぐやが言ったことに対しては、ちゃんと相槌を打ってくれるし、言葉も返してくれる。

 

ささやかではあるが、この昼休憩の時間を、かぐやは幸福なものと捉えていた。

 

「聞いてくださいよ、かぐやさん。今朝、お手伝いさんがものすごく張り切っちゃって、お弁当のおかずがすごいことになってるんですよ」

 

そう言いながら、藤原が自らの弁当箱を取り出す。彼女の言う通り、今日は普段通りの弁当箱ともう一つ、小さな容器がついている。ふたを開ければ、小さな仕切りで区切られた空間に、色とりどりのおかずが並んでいた。確かにこの量は、女子一人で食べきるにはいささか多い。

 

「あら、本当に。藤原さん、食べきれるんですか?」

 

「まあ、なんとか。私、出されたものは全部食べる主義ですので」

 

―――その結果が、あの胸なのでしょうか。

 

半目で藤原の立派な胸部に視線を送りつつ、かぐやも自分の弁当を開く。

 

かぐやの弁当は、専属の料理人ができたてを昼休憩に届けてくれる。旬のものをふんだんに取り入れ、栄養のバランスに気を遣った逸品だ。量も、それほど食べるわけではないかぐやに合わせ、藤原よりいくらか少ない。

 

今日の献立は、秋の味覚づくしである。

 

「・・・豪勢だな、二人とも」

 

言いつつ、白銀も弁当を取り出した。

 

「あれ?会長、お弁当なんですか?」

 

藤原が驚いたように声を上げる。

 

普段白銀は、昼食を学食や購買で済ませている。昼休憩中の白銀といえば、サンドイッチかバゲットを片手にしているイメージである。時たま、昨夜の残りだというおかずを一品二品持ってくることはあるが、弁当を持ってきたことは今までなかった。

 

「ああ、今日はな」

 

「会長がお弁当なんて、初めてじゃないですか?」

 

「そうか?これまでもちょくちょく弁当だったぞ。君らと食べる時が、たまたま違っただけで」

 

藤原の質問に答えた白銀が、弁当箱を開いた。

 

かぐやはその中身に、思わずほうっと息をつく。

 

かぐやの知る弁当とは、栄養や見た目のバランスを考え、規則正しく行儀よく、箱の中に詰め込まれたものである。先に箱という制限があり、その中に嵌め込まれるようにして、食材が並んでいる。それがかぐやの弁当だ。

 

だが、白銀の弁当は違う。

 

野菜炒め、卵焼き、ハンバーグ、タコさんウインナー、敷き詰められたご飯に、のりたま。それが白銀の弁当の全てである。好きなものを好きなだけ詰め込んだ、まるで子供の宝箱のようなお弁当。箱という容器に縛られず、所狭しと詰め込まれたおかずたち。それが白銀の弁当だ。

 

「田舎のじいさまが、色々と送って来てくれてな。それで、昨日の夜作りすぎて、結構余ったんだ」

 

だから、今日は弁当にしたのだという。

 

「えっ、それじゃあもしかして、このお弁当、会長の手作りなんですか?」

 

「ああそうだぞ」

 

―――会長の・・・手作り弁当・・・!?

 

かぐやの背中に電撃が走る。そんなものは食べたいに決まっている。特にあの、存在感マシマシのタコさんウインナー。あれをぜひとも食べてみたいものである。

 

タコさんウインナーのつぶらな瞳が、かぐやの方を見つめていた。

 

―――・・・でも。

 

だがしかし、事はそう簡単ではない。

 

力あるものには、相応の振る舞いが求められるものである。貴族には貴族の、弁えなければならないルールが存在する。たとえ階級制度がなくなろうと、爵位持ちの四宮家令嬢には、守らなければならない最低限の振る舞いというものがあった。

 

すなわち、他人の物を乞うことなど、あってはならないのである。それは実にはしたなく、浅ましい行為だ。上流階級出身者として恥ずべき行為だ。

 

「おいしそうですねー、一口分けてくださいよ」

 

―――藤原さん!?

 

何の躊躇いもなく媚びへつらい始めた藤原に、かぐやは驚愕の目を向ける。

 

かぐやほどではないとはいえ、藤原もまた十分なお嬢様である。しかしながら彼女は、どうも上流階級としての自覚に欠けるきらいがあると、かぐやは思っていた。

 

そしてその自覚のなさが、今もまた発揮されている。

 

「ああ、いいぞ。どれが食いたい?」

 

―――会長!?

 

藤原の要求をすんなり受け入れる白銀。

 

「じゃあ、そのハンバーグを一口」

 

「ハンバーグだな。ほら」

 

そう言って白銀が差し出したハンバーグを、藤原が口にする。

 

―――・・・あっ・・・。

 

かぐやの中で何かのスイッチが入る。

 

―――そうですか、そうですか。つまり、藤原さんはそういう人なのですね。

 

頭の中の温度が、急激に下がっていく。突発的に訪れた氷河期が、かぐやの思考をも急速に冷却し、脳内にブリザードを巻き起こす。

 

―――他人に寄生する害虫。おこぼれに平気で預かるハイエナ。栄養を胸に吸われた脳カラ。人の皮をかぶったケダモノ。なんておぞましい。

 

吹き荒ぶ雪と氷の嵐を止める者は最早ない。平穏な昼休憩の教室で、人間一人の命が危機に陥っていることを感知している者は一人もいなかった。

 

♂♂♂

 

―――なんだあの、四宮の軽蔑しきった眼は!?

 

藤原にハンバーグを食べさせた瞬間、四宮の周りの気温が瞬時にマイナス値へ下降したことに、白銀は気づいていた。

 

おいしそうにハンバーグを頬張る藤原とはあまりにも対照的な、神すらも射殺さんばかりの眼光が、グサグサと白銀に突き刺さってくる。

 

白銀は自らの記憶を手繰り、行動を顧みる。自分は何か、四宮の気に障ることをしただろうか、と。

 

あるいは―――

 

―――俺の弁当は、そんなに惨めか?

 

白銀は、たった今開いた自らの弁当を見る。

 

確かに、白銀の弁当は、ほとんどが昨夜の余り物である。その見た目も、中身も、四宮や藤原のものと比べれば、随分と見劣りするものであろう。

 

―――「まあまあ。会長ともあろうお方が、随分とお可愛いお弁当ですこと」

 

そんなことを思われているのかもしれない。

 

だが、とそこで白銀は思いなおす。

 

半年だ。航空研究会の一員として、白銀は四宮と半年間、関わってきた。その中で、ある程度、四宮かぐやという人間のことを理解してきたつもりだ。

 

思い返せば、白銀の昼食は、いつだって四宮のものより見劣りしていた。それに対して、四宮があんな反応をしたことはない。今日だけが特別なのだ。

 

だとすれば、何かもっと、明白な意味がある。明確な理由がある。それが一体何なのか、考えるのは白銀の役目だ。

 

―――・・・まさか。

 

白銀の頭脳が一つの仮説にたどり着く。

 

四宮かぐやという少女は、滅多にその本心を見せてはくれない。彼女の本心は、彼女自身の決意という形でしか、示してはくれない。白銀の想像以上に、四宮は奥ゆかしい少女だ。

 

白銀は今一度四宮を見る。そんな彼の右手には、弁当箱。

 

「四宮も・・・食べる、か」

 

「・・・え?」

 

白銀の言葉に、四宮は拍子抜けした様子で、キョトンとしている。

 

白銀が出した答えは、「四宮もおかずが欲しかったのではないか」というものだ。

 

真正の箱入り娘、深窓の令嬢として育った四宮は、いわば好奇心の塊のようなものである。航空研究会で必要な備品類を買い出しに行った時も、一番興味深げにしているのは四宮だ。

 

今回のお弁当にしたってそうだ。贅を尽くしたお弁当が、できたてで届けられる四宮にとって、冷めることが前提の、余りものと好きなものだけを詰め込んだ白銀の弁当は、物珍しいものだったのかもしれない。それを食べてみたいと思うほどに。

 

正解かどうかは、わからない。「そんな下々の食べ物を、私に食べさせるおつもりですか?」と言われるかもしれない。否、四宮はそんなこと言わないであろうが。

 

「え・・・えっと、あの」

 

氷点下の気温はどこへやら、四宮は戸惑ったように視線を泳がせる。

 

―――これは、不正解だったか・・・?

 

白銀が慌てて、発言を撤回しようとした時だ。

 

「あの・・・私にも、一口、ください」

 

「・・・あ、ああ」

 

俯きながら答えた四宮に、白銀は頷く。

 

―――正解・・・なのか?

 

やはり、どうしたって、四宮の本心はわからない。いつか石上も言っていたことではあるが、男が女の心情を百パーセント理解することは、到底無理な話なのかもしれない。いつだって、白銀は四宮の考えを掴みかねている。

 

だが。

 

「どれが食べたい?」

 

「えっと、タコさんウインナーを」

 

「これだな。ほら」

 

「では、いただきます」

 

四宮が、ゆっくりと唇を開く。潤んだピンクがウインナーをくわえ、そっと口の中に含む。実に穏やかに、ウインナーを咀嚼した四宮は、それはそれは嬉しそうにしていた。

 

頬を染めて笑う四宮を見ながら、白銀は思う。正解かどうかはわからないが、間違いではなかったであろう、と。

 

 

 

―――本日の勝敗。白銀の勝ち(?)。

 

♀♀♀

 

噛み締めたウインナーは、冷めていた。しかし、それが嘘のように、中からうま味が溢れてくる。

 

藤原とお弁当のおかずを交換することは、よくあることだ。だから別段、特別なことではない、はずだった。

 

―――はず、なのに。

 

かぐやは思わず、頬を抑える。

 

あまりにも自然なしぐさで、何も気にしていなかったが。

 

今、白銀に「あーん」されていなかっただろうか?しかも、そうして差し出されたタコさんウインナーを、かぐやは何の躊躇いもなく咥えてしまった。

 

それでは、まるで。

 

―――まるで、恋人じゃない。

 

白銀のお弁当が食べられて、嬉しい。白銀が差し出してくれて、嬉しい。白銀が食べさせてくれて、嬉しい。

 

あまりの喜びに頭の中から抜けていた羞恥心が、今になって現れる。嬉しさと恥ずかしさがない交ぜになり、かぐやの頬をより一層熱くする。

 

上手く隠せているだろうか。浅ましい女と思われていないだろうか。色々な考えがぐちゃぐちゃに行き交う。

 

ただ一つ。

 

「うまいか?」

 

満足げに笑みを浮かべる白銀を見る。

 

誰かが自分の作ったものを食べてくれるのは、きっと想像以上に嬉しいことなのだろう、と。

 

 

 

―――本日の勝敗。かぐやの勝ち(?)。




さー、今回は甘さ控えめで行きましょー。

糖分を取りすぎるとロカボガールになれませんからね。

ところでロカボって何ですか(おい)


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かぐや様は作りたい

続きでございます。

前回のあの引きなので、今回はそういう話です。ちょい短め。


「ねえ、早坂」

 

家に帰り着いたかぐやは、制服から着替えるとすぐ、自らの専属メイドを呼び止めた。制服や取り外した襟を片付けていた早坂が、くるりと振り向く。

 

「何ですか?」

 

「相談があるのだけれど」

 

早坂は一瞬首を傾げた後、頷いてかぐやの前に立つ。

 

「実は、」

 

口を開くが、かぐやはその先を言い淀む。

 

早坂とは幼少からの付き合いであるし、かぐやにとって相談をする相手と言えば、たいてい彼女である。特に、ここ半年間の相談の量は凄まじいものであったと、かぐやも自覚しているつもりだ。

 

だがそれでも、今回の相談には、二の足を踏んでしまう。

 

かぐやの内心を知ってか知らずか、早坂は特に急かすこともなく、かぐやの言葉を待っている。その厚意に甘えて、かぐやは一回の深呼吸を挟んだ。

 

「・・・今度の日曜日に、お弁当を作ろうと思うの」

 

「白銀会長に?」

 

遠慮なく切り込んできた早坂に、かぐやは一瞬言葉を詰まらせる。

 

「違うからっ!み、みんなで食べるのっ!別に、会長のために作るわけじゃないからっ!」

 

沸騰しかけの頭で、それだけは否定する。納得していない様子の早坂が半目でこちらを見ているが、一先ずそれ以上の追及はなかった。

 

次の日曜日は、航空研究会の集まりがある。月二回ほどのペースで行われる、白銀と石上の飛行訓練の日だ。藤原家の飛行場で、午前中はエンジン整備の講習、午後からは二人の飛行訓練の予定である。

 

かぐやはその日に、手作りのお弁当を持っていこうと考えたのだ。

 

「お弁当を作るのは構いませんが・・・またどうして、急に?」

 

核心を突く早坂の問いかけに、再びかぐやは黙ってしまう。

 

かぐやは決して、料理ができないわけではない。むしろ得意な部類である。普段あまりする機会はないが、花嫁修業の一環として、一通りの手解きを受けてきた。

 

ただ、四宮家にはかぐやの食事を専門で用意する料理人がおり、朝昼晩の三食はすべて彼らが用意している。こうした日曜日の活動の際も、昼時にお弁当を届けてくれるのだ。それが、これまでのかぐやである。

 

では、今回どうして、かぐやが自らお弁当を作ろうと言い出したのか。そこに早坂が疑問を呈するのは、もっともというところだった。

 

言い逃れはできない。こういう時の早坂は、絶対にかぐやを逃してはくれない。

 

「・・・この前、会長が私に、お弁当のおかずを分けてくれたの」

 

「ほほう?」

 

顔を近づける早坂の顔には、明らかに「何ですかその面白い話」という本音が張り付いていた。

 

「そのお弁当、会長の手作りだったの」

 

「なるほど」

 

「このままだと、会長に借りを作ったままになるじゃない。四宮家の者として、そんなことは許されません。作った借りはできるだけ早く返したいの」

 

かぐやはそこまで言い切って、そっぽを向く。まったくこのメイドは、主人に対する遠慮というものが微塵も感じられない。

 

かぐやをじっと見つめ続ける、早坂の視線を感じた。何かを見定めるような瞳が、静かにこちらを向いている。

 

「・・・それだけですか?」

 

「そ、それだけよ」

 

嘘である。

 

かぐやにはもう一つ、大きな理由があった。むしろそちらの方が、本来の理由である。

 

かぐやがタコさんウインナーを食べた時の、白銀の顔が浮かぶ。満足げなあの顔が浮かぶ。

 

自分の作ったものを、白銀が食べて喜んでくれたら、きっと嬉しいはずだ。

 

「ま、そういうことにしておきますか」

 

意味ありげな呟きを残して、早坂はそれ以上の質問を打ち切った。代わりに、芝居がかった頷きを二、三。

 

「なかなかいい考えとは思いますよ。男性が伴侶を選ぶ際、料理のスキルは大きな判断材料となりえます。まずは胃袋を掴む、という言葉があるほどですから」

 

「ほ、ほんと?私の料理でかいちょ・・・じゃなくて、男子の胃袋を掴める?」

 

「・・・よくそのボロの出し方で、今までやってこれましたね。ええ、かぐや様の料理スキルなら、白銀会長もイチコロです」

 

「い、イチコロ・・・」

 

そこでかぐやは、ハタと気づく。

 

「だ、だからっ!別に会長のためじゃないからっ!」

 

かぐやの叫びも、「うるさいです」と言いたげに耳を塞いだ早坂には届かない。

 

ともあれ、こうしてかぐやは、お弁当を作ることとなった。

 

 

飛行訓練の日。

 

朝早く起きたかぐやは、愛用のエプロンを引っ提げ、使用人用の厨房に立っていた。主に早坂たちが、お茶を飲んだり、軽食を取るために使っている厨房である。ここであれば、まだ皆が寝静まっている間から使っても、迷惑はかからない。

 

「・・・あの、かぐや様。私、まだ寝ていたいんですけど」

 

ただ一人、早坂だけは起きて、厨房に立っていた。本来ならまだ寝ていてもいい時間であり、眠そうな目を擦っている。

 

「何をお手伝いすればいいんですか」

 

諦めが多く混じった早坂の言葉に、かぐやは首を振る。

 

「早坂は手を出さないで。私だけで作るから」

 

「・・・それなら、ベッドに戻ってもいいですか」

 

「それはダメッ」

 

「ええ・・・」

 

明らかに「面倒くさい」という顔で、早坂がかぐやを見る。

 

「お弁当を作るなんて、初めてなの。だからアドバイスして」

 

「アドバイスも何も、サンドイッチを作るんじゃないんですか?」

 

早坂が目線だけで示す。彼女の言う通り、かぐやはサンドイッチを作るつもりで、材料を用意していた。卵やチーズ、ハムにベーコン、玉ねぎ、トマト。調理台の上には、プルマンブレッドが一斤、ドンと乗っている。

 

だがかぐやは、そこで目を伏せる。

 

「・・・わからないのよ。これで合ってるのか」

 

かぐやにとって食事とは、基本的に誰かが作ってくれるものである。誰かが作ったものが並び、それを自分が食する。一度としてその立場が逆になったことはなかった。

 

ゆえに、かぐやはこの歳まで、自分以外の誰かに食事を作るという経験がなかった。

 

だからこそわからなくなる。何をすればいいのか、何が正解なのか、どうすれば白銀が喜んでくれるのか。その答えも、解答にたどり着く方法も、かぐやは何も知らないのだ。不安で不安でたまらない。

 

「・・・はあ」

 

漏れ出た早坂の溜め息は、先程よりもかなり柔らかいものだった。

 

「そんなの、私に訊かないでください。白銀会長のことは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()じゃないですか」

 

断定する早坂の言葉に、かぐやは顔を上げる。専属メイドの目は本気だった。真面目に、かぐやの質問に答えてくれている。

 

「白銀会長を喜ばせたいのなら、それだけを考えて作ればいいんです」

 

「・・・そんな、抽象的な」

 

「ええ、抽象的ですよ。でもそれ以外にできることがありますか?それ以上にできることがありますか?」

 

かぐやは答えない。そんな答えは持ち合わせていない。

 

「栄養を考えることも、献立を考えることも、誰にだってできます。でも、喜ばれる料理というのは、相手を喜ばせたいと思わない限りできません」

 

そこまで言い切って、早坂は口を噤んだ。これ以上の言葉はいらない。これだけヒントを出せば十分でしょうと、そう言っている気がした。

 

まったくもって、早坂の言う通りなのかもしれない。結局これは、かぐや自身の問題であるのだから。

 

白銀に喜んでもらいたい。かぐやの作ったお弁当を食べて、笑顔になる白銀が見たい。それが、かぐやが初めて、他人に対して抱いた願いだ。

 

エプロンの腰紐を締めなおす。肚が座った、やることが見えた、気がする。

 

「・・・わかった。やってみる」

 

かぐやの返答に、早坂は満足げに頷いて、欠伸を一つしていた。




かぐや様がチャーハン作る回ありましたね。あれすっごい好きです。ぜひアニメ化してほしい(気が早い)

先週の最新話更新がなくてそろそろ禁断症状が末期を迎え始めました。お願いだから赤坂先生、迷える我らを救いたまえ・・・

はい。そういうわけで、次回は再びのお弁当回になります。


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かぐや様の召し上がれ

お待たせいたしました!お弁当回の最終話です。


晴れた日曜日。かぐやたち航空研究会の面々は、藤原家所有の飛行場にて、全員での活動を行っていた。

 

午前中は、エンジン整備の講習である。駐機場に停められた「豊美」のエンジンカバーを取り外し、ピストン抜きや潤滑油の交換、排気弁の掃除を行う。教官役の整備士の指示のもと、作業着姿の四人で、エンジンのイロハを学んでいた。

 

油の香りが漂う駐機場では、あっという間に時間が過ぎていった。気づけば太陽が中天に登り、合わせて全員の腹の虫が鳴り始める。

 

そろそろ昼食の時間だ。

 

♀♀♀

 

工業用石鹸で入念に手を洗い、こびりついた油を落としたかぐやたちは、飛行場近くの芝の上にシートを広げていた。飛行場を見渡せる、絶好のスポットである。日当たりも申し分ない。

 

「お腹空きましたねー」

 

もう待ちきれないという様子で、藤原が言った。言葉にこそしないものの、かぐやも似たような状況だ。飛行機のエンジンともなれば、整備作業も一苦労である。体は結構なエネルギーを消費しており、その分空腹感も強かった。

 

「腹が減っては何とやら、だな」

 

「人間も補給と休憩が大事ですからね」

 

白銀と石上も藤原に同調し、シートに腰を下ろす。腹ペコが四人集まれば、やることは決まっていた。各自昼食を取り出し、シートの上に広げる。

 

弁当箱を開ける藤原と、バゲットサンドを取り出す石上の二人は、いつも通りの昼食だ。

 

かぐやもまた、お弁当という点ではいつも通りである。だがそれは、いつものように四宮家専属の料理人たちが作ったものではなく、今朝かぐやが早起きをして作ったものだ。中身はサンドイッチ数種類と、付け合わせのポテトサラダ。少し多めに作ったのは、みんなで分けるため―――白銀に食べてもらうためである。

 

そして、今日の白銀はといえば―――

 

「会長、今日は弁当なんですか」

 

白銀が取り出した弁当箱を見て、先日の藤原みたいなことを石上が言う。白銀はこの前と同じように、弁当を持参していた。二つの弁当箱を、白銀はシートの上に並べる。

 

「会長のお弁当、おいしいですからね」

 

「はは、そう褒めるでない」

 

石上の褒め言葉に、満更でもない様子の白銀。石上は、白銀の弁当を見ても、それほど驚いている様子はなかった。

 

学年こそ違うが、非常に仲のいい航空研究会の男子二人である。昼食を一緒に取っている様子もよく目にする。白銀が時たま弁当を持参していることを、石上が知っていても、それほど不思議ではない。しかもあの口調だと、白銀の弁当を食べたことがあるようだ。

 

「あれ・・・でも会長、いつもより量、多いんじゃ?」

 

「あ、ああ、まあな」

 

手元を覗き込むようにしていた石上の指摘に、白銀がわずかに肩を跳ねさせた。その目がチラリと、かぐやを窺った気がする。

 

()()()()()()()()()()()()。よかったら、君らも食べてくれ」

 

そう言った白銀は、弁当箱を開き、四人の真ん中に置く。中にはたくさんのおかず。この前と同じ、タコさんウインナーや卵焼き、野菜炒め。それに加えて、ミートボールと白身魚のフライ。

 

作りすぎたにしては、()()()()()()()量のおかずたち。

 

かぐやはある種の確信を抱いて、白銀の顔を見た。澄ました顔でもう一つの弁当箱を開き、ご飯に箸をつけている白銀。特に明確に、かぐやの方を向かないようにしている、気がする。先ほどは、かぐやの顔を窺ったのに、だ。

 

決して「作りすぎ」ではない。白銀は最初からあの量を作っている。

 

それは何のためか。今のかぐやにはわかる。

 

ご飯を作る目的なんて、たった一つだ。誰かに食べてもらうためである。

 

―――会長も同じ、だったのかしら。

 

自分の弁当を取り出しつつ、かぐやは思う。白銀がかぐやを見た意味は、一体何だったのか。

 

白銀は、かぐやに食べてもらいたくて、お弁当を作ったのではないか。

 

―――なんて、都合がよすぎるわよね。

 

これでは、藤原と変わらない、お花畑思考だ。

 

かぐやは自分の弁当箱を開く。

 

「かぐやさん、いつもとお弁当違います?」

 

藤原が目聡く気づいて、尋ねてきた。

 

「ええ。今日は私が作ってみたんです」

 

「かぐやさんが!?手作りですか!?」

 

驚く藤原に頷いて、かぐやは弁当箱の中を見せる。

 

ブレッドを四分の一にした、小さいサンドイッチが、箱の中に並んでいる。厚焼き玉子、トマトとレタス、ベーコンとスクランブルエッグ、ハムとチーズ。色々な組み合わせで挟んだ、色とりどりのサンドイッチたち。

 

その量は、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ただ、やはり普段やらないことですから。どうも勝手がわからず、()()()()()()()()()()()()()

 

かぐやは笑って、白銀の方を見る。

 

「よかったら、皆さんも食べてください」

 

白銀のものと並べて置いた弁当箱を、三人が興味深げに覗き込んでいた。

 

「いただきまーす!」

 

「・・・いただきます」

 

藤原、次いで石上が、かぐやのサンドイッチに手を出す。藤原が取ったのはベーコンとスクランブルエッグ、石上はトマトとレタスのサンドイッチだ。

 

「いただき、ます」

 

そして白銀も、かぐやのサンドイッチを手に取った。たったそれだけの仕草に、軽く心臓が跳ねる。

 

白銀が選んだのは、厚焼き玉子のサンドイッチであった。かぐや一番の自信作である。

 

大丈夫だ、うまくできている。これまでの花嫁修業の、集大成といっても過言ではない、サンドイッチだ。早坂が言っていた通り、これで会長の胃袋を掴める、はずだ。

 

白銀が口を開く。薄い色の唇が、かぐやの作ったサンドイッチを咥えこみ、噛み切って咀嚼する。白銀はいつもの鋭い目のまま、ゆっくりゆっくり、かぐやのサンドイッチを噛み締めていた。

 

かぐやは、自らの顔の筋肉が強張っているのを感じていた。顔だけではない、正座した腿の上では両の拳を握り締めている。どれほどこの緊張感を解そうとしても、できなかった。

 

咀嚼を終えた白銀が、サンドイッチを嚥下する。ゴクリと動く首筋に、目が釘付けとなる。

 

「・・・うまいな」

 

白銀がわずかに口元を綻ばせた。目元をかすかに緩め、白銀は二口目を口に含む。心底おいしそうに呟いた声に、かぐやは全身の筋肉を弛緩させた。

 

―――よかった。

 

内心の安堵を顔には出さず、かぐやもまた、自らの昼食に取り掛かる。狙いはもちろん―――

 

「会長、タコさんウインナー、いただきますね」

 

「ああ、どんどん食べてくれ」

 

それは実にありふれた、弁当の交換風景であったはずだ。だがそれでいい。それで十分だ。

 

かぐやが作った弁当を、白銀が食べる。白銀が作った弁当を、かぐやが食べる。それだけで、これほど嬉しいのだから。

 

 

 

昼食終わりの、腹休めの時間である。

 

藤原は御手洗いに、また石上は最新の天気図を確認に行っており、シートの上には白銀とかぐやのみが残っていた。ほどよい満足感に包まれ、二人は雲量二の空を見上げる。

 

が、先ほどからかぐやはチラチラと白銀の方を窺い、声をかけるタイミングを図っていた。

 

白銀の喜ぶものを作る。早坂のアドバイスを、かぐやもまた真剣に考えていた。その答えがあのサンドイッチである。しかし、それが全てではない。いつでも奥の手を用意しておくのが、四宮かぐやという少女だ。

 

サンドイッチとは別にしておいた、小さなガラス瓶容器が一つ。後ろ手に隠したそれに、意識が向く。

 

だがそれを、どうやって白銀に差し出せばいいのか、わからない。作っていた時にはそこまで頭が回っていなかった、というのが実情である。

 

容器の中身は、言ってしまえばデザートである。だが、一人分しかない。それもそのはずだ、かぐやはこれを白銀のために作ったのだから。

 

―――一体、どうすれば。

 

仮に、そのままストレートに、白銀に渡したとしよう。

 

―――「ほう。四宮は俺のためだけに、このデザートを作ってきたのか?そんなに俺のことが好きか?お可愛い奴め」

 

そんな未来が見える。もはや告白同然の行為。

 

それだけはできない。一方で、白銀にこのデザートを食べてもらいたいのも、かぐやの偽らざる願いである。だからこそ、かぐやは悩んでいる。

 

一体どうすればいいのだろうか、と。

 

いつまでも時間をかけてはいられない。もうすぐすれば、藤原も石上も戻ってきてしまう。そうなっては全て水の泡だ。

 

かぐやは意を決して口を開く。どうしようもないことだが、彼女は彼女の知っているやり方しか、できないのである。

 

「会長、少し見ていただきたいものが、あるんです」

 

「?なんだ?」

 

こちらを向いた白銀に、かぐやは後ろに隠していた容器を差し出す。白銀の顔を見ることは、どうしてもできなかった。

 

「これ、デザートなんです。それで、よかったら、()()してもらえませんか?」

 

一息に言い切って、容器を白銀に押し付ける。白銀の戸惑った雰囲気が伝わってきた。

 

「あ、ああ。わかった」

 

頷いた白銀が、蓋を開ける。「これは?」と問われる前に、かぐやは説明を加えた。

 

「ティラミスです」

 

容器の中には、かぐや手製のティラミスが入っていた。

 

チーズと生クリーム、コーヒーを混ぜたふわふわの生地に、ココアパウダーをまぶしている。アクセントには、砕いたアーモンドと、クッキー。三つに重ねたそれらの層が、瓶の中に綺麗に並んでいた。

 

朝思いついて、その場にある材料で作ったものだ。早坂のアドバイスで工程もいくらか省略して、それでもなんとか納得できる仕上がりとなった。当然、まともに準備などしていなかったから、できたのは今白銀に渡した分だけである。

 

小さな銀のスプーンで、白銀が瓶の中身をすくう。かぐやの積み重ねた層が、そのまま綺麗な形で、スプーンに乗って現れる。

 

パクリ。白銀はためらいなく、ティラミスを口に含んだ。サンドイッチの時よりもさらにゆっくりと、咀嚼している。時折、クッキーやアーモンドを噛み砕く、ザクザクとした音が聞こえてきた。

 

そして、それを見守るかぐやは、固唾を呑むことすらできなかった。

 

おいしいですか。お口に合いますか。甘さの加減はどうですか。そんなありきたりな質問すら、喉の奥から出てこない。何も問いかけることができない。かぐやはただじっと、白銀の言葉を待っている。

 

「甘い。でもって、うまい」

 

ティラミスを一口食べ終えた白銀が、微笑をたたえて感想を述べた。

 

かぐやの脳が、瞬時に沸点を超えて、突沸を起こす。頭から湯気が出るのではという錯覚。益々、白銀の顔を直視できない。

 

―――なに?どうしたの、私は?

 

それ以上その場に留まる勇気はなく、かぐやは腰を浮かす。顔の熱を冷ますために、走りたい気分だ。

 

「それ、一つしか、作れなかったんです。だから、藤原さんと石上くんには、ナイショですよ」

 

人差し指を唇に当て、白銀にそれだけ言い残してから、かぐやはその場を立つ。だがその背中を、白銀が呼び止める。

 

「四宮」

 

返事すら口から出て来ず、かぐやは半分だけ、白銀に顔を向けて応えた。

 

「卵のサンドイッチも、すごくおいしかった。―――よかったら今度、作り方を教えてくれ。家でも作りたい」

 

白銀の申し出に、言いようのない暖かさが、かぐやの中に広がった。

 

「―――はい、喜んで」

 

―――あなたのお願いなら、なんでも。

 

短く答えて、かぐやは今度こそ、その場を立ち去った。

 

 

 

―――本日の勝敗。かぐやの勝ち。




かぐや様的には、「味見」が精一杯だと思うんです。とっても奥ゆかしいので。

余談ではありますが、ティラミスにはちょっとした意味がありましてですね。結構大人な感じの意味なんですがね。かぐや様はもちろん知らないわけですよ。

ただ、早坂はもちろん、ティラミスの意味を把握してました。かぐや様が「ティラミスを作る!」と言い出した際、早坂はその意味を教えるべきか迷いましたが、面白そうなので何も言ってません。

白銀会長がティラミスの意味を知っているかどうかは・・・ご想像にお任せします。


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【前日譚】空と人の距離
かぐや様は差されたい(夢)


ほぼ二週間ぶりでしょうか。原作供給のなさに若干燃え尽き気味だった作者です。

しばらく(三回くらい?)、かぐや様と会長の前日談的な話をば。

今回は相合傘回ですね。かぐや様が航空研究会に入って二か月位した頃を想定してます。なので頭脳戦してません。(元々この作品、頭脳戦全然してないけどなっ!)


季節は梅雨である。

 

芽吹きの春と、暑い夏の合間にある、ひと時の雨の季節。春の終わりと、夏の訪れを告げる時期。

 

一週間のうち、三日ほどが雨。たとえ晴れても、道端には水たまりがいたるところに残り、強く雨の匂いを漂わせる。幼い子供たちと、走り去る車が水飛沫を飛ばし、大人たちはそれに顔をしかめる、そんな季節である。

 

今日も今日とて、天気は雨であった。昼を過ぎた頃から怪しくなりだした雲行きは、案の定すぐに雨を降らせた。課業の終わりを告げるチャイムが鳴った時には、すでに土砂降りと言って差し支えないものになっている。ザァザァと打ち付ける雨が飛沫を散らし、辺りを白く染めていた。

 

昼過ぎからの雨ということもあり、傘を持参していない生徒が多い。かぐやもそのうちの一人である。玄関を出た庇の下で、彼女は途方に暮れていた。

 

こんな日に限って、というべきか。いつも迎えに来てくれる四宮家の車は、エンジンのトラブルで修理中であった。よって、かぐやは徒歩で帰る必要がある。さらに、置き傘などというはしたない真似は、四宮家の令嬢であるかぐやはしていなかった。

 

―――藤原さんの車に乗せてもらいましょうか。

 

こうなっては致し方がない。誰かに借りを作ることを良しとしないかぐやであるが、こればかりはどうしようもないと言えた。ゆえに、かぐやは玄関を出た庇の下で待っている。

 

突然雨がやんだりしないだろうかと思いつつも、それが叶わない願いであることは理解していた。

 

手提げのカバンをパタパタと揺らしつつ、しばらく立ち尽くしていたかぐやに、声をかけるものが現れる。

 

「四宮?」

 

かぐやはその声を振り返る。玄関から出てきたのは白銀であった。二か月ほど前にかぐやが所属することになった、航空研究会の創設者にして会長である。

 

「あら、会長」

 

「おう。にしても、すごい雨だな」

 

そう言いながらかぐやの隣に並んだ白銀は、雨の中に手を突き出す。その手のひらで激しく雨粒が弾けるのを確認すると、すぐに手を引っ込めた。

 

「・・・走って帰るのは、厳しいな」

 

「会長も、傘を持っていないのですか?」

 

「『も』ってことは、四宮もか」

 

お互いに傘を持っていない二人。結局何の発展性もなく、庇の下で佇む人影が一つ増えただけであった。

 

「会長、藤原さんを見ませんでしたか?」

 

「藤原なら、先に帰ったぞ。迎えが早いとかで」

 

裏切者、一人。

 

二人の間に沈黙が流れる。同じ航空研究会に所属するとはいえ、元々それほど接点があったわけではない。クラスも別々であるし、共通の話題があるわけでもなかった。

 

正直、どんな話をしていいものなのか、かぐやにはわからない。

 

これまで、基本的に人を寄せ付けてこなかった。日常的に会話をするのは、メイドである早坂と、付きまとってきた藤原くらいだ。まして男子ともなればなおさらである。

 

気になる男子と、どんな話をしていいのかなんて、知らない。

 

―――な、なにか話してくださいよ、会長っ。

 

だから心の中で、そんな的外れの不満を上げるしかなかった。

 

「・・・そうだ」

 

そこで何かを思い出したように、白銀が柏手を打った。かぐやは彼の方を見る。

 

「研究会の倉庫に、傘が置きっぱなしになってたはずだ」

 

言うや否や、白銀は持っていたカバンを頭の上に掲げた。もしかしなくても、この雨の中、倉庫まで走るつもりだろうか。

 

「ちょっと取ってくる。四宮はここで待っていてくれ」

 

案の定、白銀はそう言い残して、雨の中に飛び出そうとしていた。四宮のために、彼はその身を濡らして、傘を取りに行こうとしているのだ。

 

―――・・・本当に、この人は。

 

そこに何の魂胆も、躊躇いもない。何か計算が合って、白銀はこんなことをしようとしているわけではない。それがわかるくらいには、かぐやは人の機微に聡いつもりだ。

 

「いえ、私も一緒に行きますよ」

 

「いや、待っててくれ。夏服は薄いんだ。濡れたら風邪引くだろ」

 

結局、白銀はかぐやを押しとどめて、走り去る。雨が降りしきる白い景色の中に、白い白銀の背中が解けていく。

 

白銀の言う通りだ。つい先日衣替えを迎え、かぐやは夏服を着ている。その生地は確かに薄手で、しかも半袖だった。雨に濡れたら風邪を引いてしまうという白銀の指摘は、至極その通りである。

 

―――あなただって、夏服なのに。

 

走り去った白銀も、かぐやと同じく夏服だ。半袖白シャツである。

 

胸のあたりがむず痒い。どこか暖かく、穏やかな心地がする。最近、時折感じるようになった感覚だ。それが何なのかを、かぐやは知らない。

 

パタパタとカバンを揺らす。白銀の走っていった先を見つめながら。

 

と、その時。

 

「四宮さん」

 

玄関から出てきた女生徒が、かぐやに声をかける。確か、白銀や藤原と同じクラスの生徒だったはずだ。彼女の手には、小さな袋が一つ。白銀の筆箱だ。

 

「これ、白銀さんの忘れ物なんだけど、四宮さんから渡しておいてもらえないかな」

 

「ええ、いいですよ」

 

女生徒から筆箱を受け取る。

 

ふと、かぐやはあることを思い出す。白銀は筆箱に、ペンや鉛筆以外にも、ある物を入れていた。それは倉庫のカギ。教員以外では、会長である白銀だけが持つカギだ。

 

そのカギが入った筆箱が、ここにある。ということは、今白銀は、カギを持たずに倉庫へ行ったことになる。

 

「っ!」

 

考える暇もなく、かぐやは自らのカバンを頭上に掲げ、走り出した。当然、向かう先は倉庫だ。

 

「四宮さん!?」

 

背後で女生徒の驚く声が聞こえる。だがそれには構わない。

 

運動場を、倉庫へと走る。水分を含んだ芝を踏みしめる度、激しく水滴が飛び散った。革靴の中に容赦なく水が入っているが、それも今は気にならない。ただ今は、ひたすら白銀を追いかけて、走る。

 

だが、慣れないことをするものではない。雨の日はただでさえ足を取られやすいのに、ここは芝生だ。革靴では踏ん張りが利かず、すぐに滑る。一歩踏み外し、立て直そうと踏ん張った足がやはり、滑ってしまう。その時点でもう遅い。かぐやにできるのは、倒れこむ体を両手で支えることだけだ。

 

芝生の上に倒れる。盛大に水飛沫が上がった。全身に走った鈍痛に耐え、かぐやは体を起こす。

 

「四宮!」

 

そんなかぐやを呼ぶ声があった。駆け寄り、膝を折ってこちらを覗き込むのは、白銀であった。

 

「かい、ちょ」

 

「っ!行くぞ!」

 

白銀が手を引き、かぐやを立たせてくれる。そのまま、かぐやは白銀に手を引かれて走っていった。

 

 

 

白銀が引っ張り出した石油ストーブに火が灯る。徐々に熱を放ち始めたその前に、かぐやは腰を下ろし、暖を取る、肩に掛けているのは、白銀が置いていた毛布。

 

「寒くないか?」

 

かぐやの隣に腰を下ろした白銀が、心配そうにこちらを覗き込む。雨の中走って、その上転んだのだ。その心配ももっともだろう。事実、夏前とは思えないほど、肌寒い。

 

冷えた体に、ストーブの熱が染みる。

 

「ごめんなさい。ご迷惑をおかけして」

 

「いや、もとはといえば俺のせいだ。四宮はカギを届けてくれようとしたんだろ」

 

水滴の滴る頭を、白銀が掻く。締まらないよな。弱い呟きが漏れた。

 

二人並んで、ストーブに手をかざす。火が行き渡り始めたストーブは、徐々にその温度を上げている。手に当たる輻射熱が、巡る血液に熱を伝えた。

 

チラリと、隣の白銀を窺う。雨の中を駆けた彼も当然のことながら、かぐやに負けず劣らず濡れている。ツヤツヤの髪からは雫がポタポタと滴り、コンクリートの床にシミを作る。水を吸ったシャツはペタリと体に張り付き、肌色を透けさせている。

 

見てはいけないもののような気がして、かぐやは目を逸らした。しかし時すでに遅し。白銀の太い首筋が脳裏に焼き付いて離れない。

 

白銀とかぐやの距離、実に百センチ。お互いに言葉はなく、今日二度目の沈黙が流れる。聞こえる音は二つ。降る雨が倉庫のトタン屋根を打つ、バラバラという音。コンロにかけられたやかんの、カタカタという音。水と金属が織りなす音に、倉庫の中は支配されている。

 

やがて、やかんの音がにわかに騒がしくなった。中の水が沸騰したのだろう。白銀は何も言わずに立ち上がって、コンロを止める。用意していたマグカップに湯を注ぐと、ほのかに甘い香りが漂い始めた。

 

白銀がマグカップを差し出す。受け取ったその中身は、茶色がかった液体。ココアだ。甘い匂いの正体はそれだった。

 

「冷えた時はこれに限る」

 

そう言って、白銀はココアをすする。

 

かぐやも白銀に倣った。暖かくなったマグカップを両手で包むと、じんわりとした熱が手のひらに伝わる。中の液面に息を吹きかけ、口をつける。ほのかな甘さに鼻孔がくすぐられた。飲み込んだ液体が、体を芯から温めてくれる。

 

雨で冷えた体に、少しずつ、活力が戻っていくのがわかった。

 

「四宮の服が乾いたら、帰ろう。家まで送る」

 

それが自分の責務であるように、白銀が言った。かぐやが濡れてしまったことに、責任を感じているのだろうか。

 

その申し出に頷くことで、かぐやは答えとした。誰かと帰るという経験のないかぐやにとって、白銀の申し出は純粋に嬉しいことだった。

 

再度ココアに口をつける。雨脚はいくばくか、和らいできている気がした。

 

 

 

服が乾き、体も十分温まったところで、白銀とかぐやは倉庫を出た。ドアに鍵をかけ、いまだに降っている雨に目を向ける。

 

「・・・行く、か」

 

白銀はそう言って、傘を開いた。

 

が、かぐやの分はない。白銀が倉庫内で見つけた傘は、この一本だけであった。すなわち必然的に、二人で一本の傘を分け合うことになる。

 

それを、世間一般では相合傘というのだと、かぐやも知っている。その行為が、本来特別な関係にある男女同士で行うことも。

 

かぐやと白銀の関係は、果たしてどうなのだろうか。

 

白銀の隣に立つ。幸い、白銀の差した傘は大きく、二人が並んで入っても十分な大きさがあった。どちらかの肩が濡れるなんてこともない。

 

二人並んで、雨の中へ繰り出す。歩調を合わせ、白い景色の中を歩く。

 

ふと、かぐやは自身の歩調が普段と大差ないことに気づく。それは、白銀がかぐやの歩調に、合わせているからなのか。それとも、かぐやが自然と、白銀の歩調を覚えてしまったからなのか。結局かぐやには、どちらかわからない。

 

二人の距離、実に十センチ。時折お互いの肩が触れる、そんな距離。慣れない距離感が掴めずに、かぐやは終始俯いているしかなかった。

 

四宮別邸まで、徒歩三十分ほど。その時間が、永遠にも、あるいは一瞬にも、感じられた。

 

白銀は本当に、かぐやを家まで送ってくれた。玄関を開け、かぐやは白銀を振り返る。

 

「ありがとうございました、会長」

 

「ああ。また明日な、四宮」

 

「ええ、また明日」

 

挨拶を交わす、百センチ。やっぱりまだ、この距離感がちょうどいい。雨の中へ踏み出して、あるいは手を伸ばして、その距離を縮めることはできない。

 

踵を返した白銀が、雨の中を去っていく。白いその背中に、心臓が鳴る。

 

やはり、この気持ちの正体を、かぐやはまだ知らない。




初心です。ピュアッピュアのピュアです。

なんていうか、無自覚にイチャコラしてる原作の距離感も好きだけど、きっとこういうころもあったんだろうな、多分氷が解けた直後くらいに。

てことで前日談はこんな雰囲気で進めていこうと思います。


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かぐや様は泊まりたい

どうもです。引き続きの前日談的な何かになります。

前回が梅雨だったので、夏休み中の話をば・・・ば・・・。


夏休みである。

 

秀知院学園の夏休みは、七月下旬から八月にかけてのおよそ四十日間。その間、特別に登校日等もなく、生徒たちはそれぞれの青春を謳歌することになる。

 

友人たちと遊ぶもの。避暑地の別荘へ出かけるもの。山や海のスリルを堪能するもの。趣味嗜好はそれぞれであるが、若さゆえの探求心と好奇心を満たす点は共通だ。

 

そんな夏休みが始まって―――半月が過ぎた。

 

その間、かぐやの身には、これと言って特に何もなかった・・・などということはなく。彼女は、これまでで最も、青春を謳歌する夏休みを過ごしていた。それは当然、航空研究会があったからである。

 

課外活動会である航空研究会は、夏休み中も積極的に活動を行っていた。最終段階に入った自主製作航空機の設計、部品類の買い出し、民航連関係の催しへの参加等々、相も変わらずその活動は多岐にわたる。おかげで、かぐやは夏休みの半分近くを、航空研究会の三人と過ごすことができた。

 

夏休みの思い出、まして友人との思い出などなかったかぐやである。彼女には、白銀たちと過ごす夏休みが、この世の春のように思えてならない。季節は夏であるが。一日一日が楽しくて仕方がない。活動のない日まで、次にみんなで集まる日を指折り数えるほどだ。

 

そうして半分ほどが過ぎていった、()()()()()夏休み。そんな中ついに、今夏最大のイベントの日がやってきた。

 

すなわち、夏合宿である。

 

♀♀♀

 

早坂が開け放ったドアからは、夏らしい日差しが降り注いでいた。眩しい太陽に目を細め、かぐやは車外に出る。じわじわとした暑さが体にまとわりつき、かぐやは陽を避けて麦藁帽を目深にした。

 

空は見渡す限りの青だ。雲一つない、快晴である。まさに航空研究会の活動日和であった。

 

「かぐや様、お荷物です」

 

早坂が車内から旅行鞄を取り出す。買ってはいたものの、今まで一度も使ったことがないものだ。中は四日分の着替えと作業着。

 

「お持ちしなくて大丈夫ですか?」

 

「大丈夫よ。一人でできる」

 

早坂から鞄を受け取り、かぐやは笑う。普段なら、専属メイドである早坂がかぐやの荷物を持つが、今日は自分で持っていきたい気分だった。何しろこれは、かぐや自身の合宿なのだから。

 

「わかりました。それでは、行ってらっしゃいませ」

 

一礼する早坂に軽く手を振って、かぐやは歩き出した。

 

航空研究会が泊まり込みで合宿をするのは、藤原家所有の飛行場に併設された、パイロット向けの宿泊所だ。元々、宿泊所とは名ばかりで、休憩所として利用されることが多い。今日から数日間も宿泊する人はいないとのことだった。

 

旅行鞄を抱えるようにして、宿泊所の建物を目指す。

 

「かぐやさーん!」

 

宿泊所の二階から、藤原が大きく手を振っていた。すでに到着して、荷物を運びこんでいたのだろう。かぐやも彼女に応えて、手を振り返す。

 

三泊四日、ドキドキ男と女の夏合宿が始まった。

 

 

この夏合宿を最初に提案したのは、藤原である。

 

夏休み中にもやりたいことが色々ある。七月頭の活動でそう発言した白銀に、「だったら合宿しませんか!?」と藤原が手を挙げたのだ。

 

連続した日程、それも泊まり込みでの活動は、何かと都合がいい。一日にあらゆる活動を詰め込む必要がなく、余裕を持って動ける。三食寝床付きだという藤原の提案に、全員異議なしとなった。

 

それに、泊りでの活動ゆえに、夜までワイワイできるのも、合宿の魅力だ。カードやボードゲームをやりながら、いつもより少し遅い時間まで起きている。眠い(まなこ)をこすりながら、他愛無い会話に花を咲かせる。かぐやにとって、かつてない思い出になることは明白であった。

 

そんな夏合宿の一日目は、午後からのモールス信号の講習から始まった。

 

モールス信号は、飛行機を飛ばすのに直接関わる技術ではない。どちらかといえば、陸上で飛行を支援する人間、すなわち管制官などに求められる技術である。

 

航空研究会で、陸上からの支援を担当するのは、主にかぐやと藤原である。だがその役割は、離陸時の補助や着陸時の誘導がほとんどだ。管制は行わない。

 

それでもモールス信号を学ぶのには理由がある。発端は石上の要請であった。

 

航空研究会で会計を担当する石上は、持ち前の知識と処理能力を活かし、予算の圧縮に成功していた。結果浮いたお金で、石上は一つの提案をする。空中の飛行機と、陸上の支援員を結ぶ、無線の搭載だ。モールス信号を用いるものであれば、比較的安価に入手できるという。

 

飛行中に陸上とやり取りができるのは、非常に便利だ。無線通信や電気機器系に明るい石上からの提案ということもあって、白銀もすぐに了承していた。

 

国際モールス信号の符号を確認し、実際に電鍵を使って信号を打つ、あるいは読み取る。三級電通資格を持つ講習員の指導を受け、かぐやたちはモールス信号を扱えるようになった。

 

そうして半日が過ぎ、かぐやは合宿一日目の夜を迎えていた。

 

 

 

「皆でカードをやりましょう!」

 

ラフな寝間着に着替えた藤原が、持参したカードを片手に元気よく言った。

 

時刻はまだ午後九時を回ったばかりだ。眠るにはいささか早い。合宿のテンションも相まって、四人とも目が冴えきっている。

 

「ほう、カードか」

 

本をかたわらに、何やら石上と話し込んでいた白銀が、顔を上げる。瞳の奥が「面白そうだ」と言わんばかりにきらめいた。

 

「面白そうですね。何やりますか?」

 

石上も珍しく前のめりに反応する。そう言えば彼は、無類のゲーム好きであった。藤原の自作したゲームによくダメ出しをしている。

 

「まずはババ抜きですよねー。時間はたっぷりありますから、色々やりましょう!」

 

藤原はそう言って、おもむろにカードを切り、全員の手元に配り始めた。五十二枚足すジョーカー一枚。随分と慣れた手つきで四人分の手札を配り終え、藤原は笑顔で着席する。

 

「いいだろう。これでも、家で一番強い」

 

「玩具会社の息子としては負けられませんね」

 

配られた手札を一瞥して、男子二人が闘志に火をつけた。場の温度が上がったように感じられたのは、風呂上がりのせいではあるまい。

 

「かぐやさんもやりましょっ」

 

すでにペアのカードを捨て始めている、気の早い藤原が急かす。

 

思えば、誰かとカードをするなど初めてだ。家にやる相手なんていない。早坂は相手をしてくれるが、二人では何も面白くない。

 

かぐやは自分のもとに配られた手札を見る。数字のカードと、まばらに混じる絵札。それから―――ジョーカー。

 

うっすら浮かびそうになった微笑みを抑えつつ、かぐやはペアのカードを捨てていく。残ったのは六枚のカード。

 

―――四宮の名に懸けて、負ける訳には参りませんね。

 

男子たちほど露骨ではないものの、かぐやも内心で闘志を燃やす。こと、このメンバーでのカードであれば、本気で挑むのもやぶさかではない。

 

「では、俺からだな」

 

隣に座る白銀が、かぐやの手札に手を伸ばす。

 

更ける夜。行き交うカード。散る火花。心地よい頭脳戦に、かぐやは初めての幸福感を味わっていた。

 

♂♂♂

 

白熱した頭脳戦に、脳が穏やかな疲労感を訴えている。クイーンを場に出して富豪でのアガリとなった白銀は、糖分を求め始めた脳を休める意味も込めて、一息を吐いた。傍らのコーヒーを啜りつつ、時計を見遣る。いつの間にやら、時間は十二時に迫ろうとしていた。

 

「会長とかぐやさん強すぎます~」

 

石上と下位争いをしながら、藤原が拗ねた声を出す。確かに、このゲームが始まってから、勝つのは大抵白銀か四宮だ。むしろこの二人で、大富豪争いをしているといっても過言ではない。石上と藤原は搾取される側である。

 

今回も、真っ先に上がったのは四宮だ。しかも「二」の三枚持ちという豪運つき。ジョーカー二枚持ちの白銀も食い下がったが、力及ばずというところだ。

 

その四宮は、今も余裕の表情でゲームを見守っている―――なんてことはなかった。

 

ふわり。こくり。ふと、白銀の肩に何かがかかる。甘い香りが鼻を衝く。右肩がくすぐられる感覚に、白銀はそちらを見た。

 

ふわり。こくり。―――ことり。

 

―――ことり?

 

何かが肩に乗る。重さにしておよそ五キロといったところだろうか。一体何が乗ったというのだろうか。

 

否。気づいていたが、白銀の脳がそれを理解するのに十数秒を擁していた。

 

白銀の肩に乗っていたのは、穏やかな四宮の寝顔だったのだから。

 

「っ!?」

 

あまりの衝撃に、叫び声と心臓が飛び出そうになる。

 

白銀の肩に頭を乗せた四宮に、目を覚ます様子はない。わずかに開いた唇の間から、穏やかな寝息が漏れる。呼吸に合わせてかすかに上下する肩と胸に、自然と目がいった。

 

―――なんっ・・・えっ、なん・・・だっ!?

 

白銀の衝撃は言うまでもない。結局身動きが取れず、白銀はその場で固まってしまう。自分は枕であると、心の中で言い聞かせながら。

 

「・・・あ、かぐやさん、おねむですね」

 

大貧民が決定した藤原は、声を潜めてそう言った。聞けば、四宮は普段からロングスリーパーで、十一時くらいには寝ているのだという。カードで頭も使い、眠ってしまったのだろう、と。

 

―――それにしたって、これは・・・!

 

白銀と四宮の椅子の距離は、およそ八十センチ。いや、肩に乗ってるのだから、どう見たって零センチである。白銀は己の理性を保つので精一杯であった。

 

すー。すー。穏やかな呼吸が聞こえる。長い睫毛が電灯の光を反射する。細い睫毛の一本一本に、目が吸い寄せられる。

 

―――綺麗だ。

 

四宮かぐやは、有り体に言って美人だ。それは学園の誰もが認めることである。百人中百人が美人と答えるほど、眉目秀麗な少女である。

 

この三か月ほどで、その美しさにある程度耐性はつけたつもりだ。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。可憐さが気品という服を着ているかのようなその姿を、直視して挨拶を交わせる程度には。

 

だがこれは想定外だ。反則だ。この()()()の努力を全てまとめて吹き飛ばすほど、その魅力の破壊力は凄まじい。

 

―――まだ、慣れない。

 

四宮かぐやとの距離を詰めたい。才色兼備、何でもできてしまう彼女と、いつの日か並び立ち、対等になることが白銀御行の願いだ。

 

だが、その距離に慣れないのもまた、事実である。近づけば近づくほど、その魅力を認識せざるを得ない。

 

それはもちろん、四宮の容姿に限った話ではない。

 

「今日はこれでお開きですね。私、かぐやさんを部屋に連れていきます」

 

立ち上がった藤原が、四宮の肩を揺する。寝ぼけ(まなこ)をこする四宮は、白銀の肩に頭を預けていたことには気づいていないらしい。

 

「片づけはやっておきますね」

 

石上がカードを片付け始める。それに頷いて、藤原が笑顔で手を振った。

 

「それじゃあ、また明日。おやすみなさ~い」

 

藤原に手を引かれるようにして、かぐやも寝室へと戻っていく。一瞬振り向いた彼女は一言、

 

「かいちょう、おやすみなさい」

 

呟いて、見たことないほどふやけた笑顔を見せていた。




夏合宿です。夏合宿です、はい。

多分次回も夏合宿です。あと、もう一、二話過去篇思いついているので、この前日談シリーズは四話構成ぐらいになるかもです。まだ書いてないので未定。

原作本編の展開があれすぎて、心が砕けそう。今回は会長じゃなくて、かぐや様が頑張るターンっぽいですね。頼むかぐや様・・・!会長を救って・・・!


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かぐや様は知りたい

前日談三話目です。引き続きの夏合宿回。

ターニングポイントってやつでしょうか。


「かぐやさんって、好きな人はいないんですか?」

 

今まさにベッドへ入ろうとした瞬間、藤原から飛んできた言葉に、かぐやは左へ三メートルほど吹っ飛ぶ心地がした。

 

「な、なんですか、藤原さん。藪から棒に」

 

「いえいえ。やっぱり合宿の夜といえば恋バナじゃないですか!」

 

すでに十時過ぎだというのに、まだまだ藤原のテンションは高い。そもそも、藤原にテンションが低い時などない。底なしのスタミナとすっからかんの頭から繰り出される突拍子もない行動・言動が、いつだってかぐやの周りをかき乱す。

 

初めて会った時は、もう少し真面目な人間かと思ったのだが。

 

「合宿の夜は長いんですから。そんなに早く寝ることもありませんよ」

 

その結果、昨日の夜はカード中に寝てしまったわけである。そのことはすでに、藤原の頭にはないらしい。

 

―――あんな失態、二度とするものですか。

 

今思い出しても、顔から火が出そうだ。いくら眠気が勝っていたとはいえ、公衆の面前で殿方に寄り掛かるなど。ましてそのまま眠ってしまうなど。四宮の令嬢として、否、年頃の女性として恥ずべき行為だ。

 

白銀に迷惑がられていなかっただろうか。今日一日、それが気がかりでならなかった。そのせいか、妙に白銀を意識しまくりだ。変なことでテンパって、その度に頬を熱くして。一体私はどうしたというんだ。

 

「おやおや?かぐやさんもしかして、ほんとに好きな人がいるんですか?」

 

かぐやの表情の変化をどう読み取ったのか、藤原は興味津々という様子で迫ってくる。若干重心を後ろに移し、かぐやはその問いかけに答える。

 

「いませんよ、そんな人。何をどう勘違いしたら、そういう結論になるんですか」

 

「えー、だってかぐやさん、今ちょっと恥ずかしそうにポーっとしてたから」

 

私の恋愛センサーが反応したんです、などと訳の分からないことをのたまう藤原。

 

「本当にいません。第一、そういう・・・好き、とか、よくわからないもの」

 

嘘偽りのない事実だ。こんな本音は、中等部時代からの仲である藤原にしか漏らせない。なんだかんだと、この手のことは、藤原に隠すだけ無駄だ。

 

恋愛というものがわからない。好きという感情を知らない。その手のものは、生まれてこの方十六年間、一切縁のなかったものだ。興味すらなかったというのが、正しいだろうか。

 

昔から、言い寄ってくる男子には事欠かなかった。それが、有り体に言えば「自分はモテる」のだろうということくらいはわかる。ただ、そうやって告白してきた男子に、興味が湧くことはなかった。付き合おうとも、好きになってみようとも思わなかった。

 

周りの女子たちが言う「好き」の意味が、かぐやにはわからない。

 

「・・・『好き』がわからない、ですか」

 

かぐやの言葉を受けて、藤原はうんうんと唸りだした。本能とフィーリングだけで喋る彼女にしては珍しい。何かを言おうとしているのに、それを言葉にできない、そんな感じだ。

 

「私は、かぐやさんのこと、大好きです」

 

前振りなく飛び出した藤原の発言に、かぐやは右へ三メートルほど吹き飛ぶ感覚がした。

 

ほんとになんなのだ、この子は、急に。

 

「かぐやさんと一緒だと、楽しいです。かぐやさんと一緒だと、嬉しいです。かぐやさんとは、ずっとずっと、一緒にいたいです」

 

そういう藤原は、どこか恥ずかしそうに、そして晴れやかに、それはそれは嬉しそうな笑顔を浮かべている。これ以上ないほど優しく目元を細め、両の手で心を掴むように胸を抑える。

 

「かぐやさんと一緒だと、胸がほわほわするんです。だから・・・多分きっと、そういう気持ちを、私は『好き』って言ってるんです」

 

―――・・・いつか。

 

いつか私も、誰かを好きになった時は、あんな顔をするのだろうか。藤原の笑顔に、かぐやはそんなことを思う。

 

そもそも、かぐやが尋ねた「好き」と、藤原の答えた「好き」にはいくらかずれがある気もしたが。おそらく今、それは大きな問題ではない。

 

何より、誰かから「好き」と言われることを、満更でもなく思えるようになったのは、紛れもなく藤原のおかげであった。

 

 

三日目を迎えた夏合宿。今日は朝から飛行訓練である。

 

「四宮先輩、エンジン回してください」

 

操縦席に座り、飛行帽とゴーグルをかけた石上が、かぐやに呼びかけた。

 

かぐやの役割は、藤原家所有の航空機である「千花」の「蓬莱」エンジンに、初動のトルクを与えることである。エンジン脇に差し込んだイナーシャに取り付き、石上の号令に合わせてハンドルを回す。

 

だが、このイナーシャというのは、存外に重い。「蓬莱」エンジンは初動トルクが大きく、結果イナーシャを回す人間にも相応の力が求められるのだ。かぐや一人で動かすのは難しい。

 

ではどうするか。答えは単純にして明快である。回す人間を増やせばいい。

 

「回すぞ、四宮」

 

―――近い近い近い近い近い近い近い・・・っ!

 

耳元から聞こえた白銀の声から、かぐやは顔を背けた。まずい。これは想定外すぎる。これはあまりにも、あんまりだ。

 

ハンドルにかけた手に、力が入らない。まだ朝だというのに、体が火照って仕方がない。顔からは火が出そうだ。上がるばかりの体温と鼓動に、訳の分からない汗が背中を伝う。

 

―――心臓が、どうにかなってしまいそう。

 

白銀と並び、イナーシャを回す。鈍い音とともに、中のフライホイールが動き始めた。白銀と合わせて、徐々にイナーシャの回転数を上げていく。

 

かぐやの細い腕、白い手。その隣に、白銀の手が並んでいる。意外に太くたくましい腕と、大きな手。二人分の手の間に、二十センチも距離はない。同じ止まり木の小鳥のように、仲良く並んでハンドルを掴んでいる。

 

隣の白銀を窺う。額に一筋汗を垂らし、真剣な表情でエンジンを見ている、その横顔を見つめる。

 

これほど何かに真剣に打ち込める人を、かぐやは知らない。普通の人なら仰ごうとすらしない場所に、手を伸ばし続ける人を知らない。

 

―――どうしてそこまで、頑張るのですか。

 

「回転数十分です。クラッチ入れてください」

 

石上のさらなる指示に、今まで回していたイナーシャを抜き、スイッチ操作でクラッチを入れる。エンジン内の歯がかみ合い、機首のプロペラが回りだした。

 

「燃料投入します」

 

本格的なエンジンの始動だ。始動の際には集合排気管から煙と炎が噴出する。かぐやたちは機体から距離を取ろうとした。

 

が、先程までポーっと白銀を見ていたからか、あるいは青々とした芝生のせいか、かぐやは不注意にも足をもつれさせた。後ろ向きに倒れていく感覚。イナーシャを持った手は塞がっていて、とっさにバランスも取れない。

 

「四宮!」

 

倒れる、そう思った時、白銀の声がした。次の瞬間には、温かい何かが、かぐやを包む感覚。完全に倒れこむ前に、何かが支えてくれた感触。

 

振り仰ぐ形になった、青い空。だがそこにあるのは、雲量二の空ではなく、こちらを覗き込む蒼い瞳。覆いかぶさる白銀の顔。

 

白銀がかぐやを受け止めてくれたのはわかった。しかしその格好は、図らずも囚われの姫を抱え起こす、騎士のようになっていた。ついさっきまで一緒にイナーシャを回していた、あの腕が今、かぐやを抱えて支えている。

 

意識してしまったら、もう遅い。かぐやとて年頃の少女だ。色々な感情がない交ぜになって、顔面に血液が集中するのも無理からぬことである。

 

熱い頬をせめてごまかそうと、かぐやは白銀の瞳から目を逸らした。

 

「・・・今回は間に合った」

 

かぐやをそっと起こしてくれる白銀は、かすかにそう呟いた気がした。

 

かぐやの退避を確認して、今度こそ石上がエンジンに燃料を投入した。激しい音とともに排気管から炎が噴き出し、「千花」の心臓が脈動を始める。力強い鼓動を刻み、全霊をもってプロペラを回す。

 

「それじゃあかぐやさん、写真楽しみにしていてくださいね!」

 

「千花」前部の副操縦席に座る藤原が、大きく手を振っていた。その手には一台のカメラ。藤原父の私物を借りてきたのだという。

 

いまだ熱い頬をプロペラ後流で対流冷却しつつ、かぐやは藤原に笑顔で手を振る。

 

石上のゴーサインで白銀がチョークを外し、「千花」は徐々に加速して飛行場を飛び立っていった。

 

 

「合宿、楽しかったみたいですね、かぐや様」

 

合宿を終え、帰り着いた自宅で荷物の整理をしていると、早坂がそんなことを言ってきた。別段否定する理由もないので、かぐやは頷く。

 

「誰かとお泊りなんて初めてだから、とっても楽しかったわよ」

 

「そうですか」

 

それからも早坂は、あれこれと合宿のことを訊いてきた。かぐやは四日間の内容を、専属メイドに話して聞かせる。早坂がかぐやの話にここまで興味を示すのも珍しい。

 

「かぐや様、これは?」

 

かぐやの荷物をほとんど片付け終えた頃、早坂が何かを取り出して尋ねた。その手には写真を入れる白い封筒。旅行鞄の脇ポケットに入れていたものだ

 

「写真よ。皆で撮ったの」

 

藤原が持ち込んだカメラで撮ったものだ。藤原は飛行中に上空から色々と撮影していた。それを現像したものが、封筒の中に入っている。

 

早坂から封筒をもらい受け、中を見る。十数枚がまとまって入っている写真の一番上は、合宿の最後に撮ったものだ。

 

かぐや、白銀、藤原、石上、航空研究会の四人が並んでいる。格納庫の中で撮ったものだ。四人とも、緊張を含んだ笑顔で映っていた。

 

自然と頬が綻んでしまう。誰かと写真を撮るなんて、初めてだ。本家の方針で、基本的に写真撮影を禁じられているかぐやにとって、この写真が忘れられない一つの宝物になるのは明白だった。

 

「・・・かぐや様。航空研究会の皆さんと過ごすのが、本当に楽しいんですね」

 

断定するような早坂の言葉に、かぐやはもう一度頷いた。

 

誰かといることを、このひと夏に思い出を作ることを、初めて楽しいと思えた。それはもちろん、航空研究会の四人のおかげで―――そしてもっと言えば、白銀のおかげなのだ。いつだって引っ張っていってくれる、白銀のおかげなのだ。

 

白銀と一緒なら、これまでも、そしてきっとこれからも、楽しく、喜びに満ちた日々になるのだろう。例えそれが、限りある、ひと時の思い出にすぎなくとも、かぐやの中に永遠に刻まれる、日々なのだろう。

 

だからかぐやは、白銀の側にいたい。許される多くの時間を、白銀と過ごしたい。

 

ふと、かぐやは気づく。似たような話を、最近どこかで、聞かなかっただろうか。確かあれは、藤原の言っていた―――

 

―――「そういう気持ちを、私は『好き』って言ってるんです」

 

「っ!?」

 

一瞬で脳内が沸騰するのがわかった。

 

それは。

 

つまり。

 

まさか。

 

もしかして。

 

「それでは、失礼します、かぐや様。写真立ては後日用意します」

 

「え、ええ。よろしく」

 

ぱたり。早坂の去った扉が閉まるや、かぐやは力なくベッドに倒れこんだ。全身から力が抜けていく。ただ沸き立つ頭脳だけが異様な速さで回転を続け、それに比例して体中が熱を帯びる。

 

本当に、そうなのだろうか。私の中のこの感情は、紛れもなくそういうことなのだろうか。

 

藤原の言葉が何度も頭の中を駆け巡る。同時に、これまでの時間が―――特にこの()()()()の時間が、早送りで眼前を流れる。活動写真のようなその光景には、いつも一人の人物が映っていた。

 

知らない。わからない。この感情の名前を知らない。そんな名前の感情はわからない。今まで出会ったこともない。

 

でも。だけど。

 

手にしたままの写真を見る。笑顔の四人。白銀の隣に立って映るかぐや自身。

 

そこに切り取られた光景の中で、かぐやはありきたりの少女のように、幸せそうな微笑みを湛えていた。




なんというか、はい。やりたかったことを好きなだけやらせていただきました。はい。

一度自覚して、でもやっぱり認められなくて(プライドとか諸々でね?)みたいなことを本編で書いたのでこんな感じ。天使かぐや様が気づいた瞬間を描きました。

一応もう一回、前日談をやってから、航空研究会四人の出会いみたいな話を書こうかと。すでにかぐや様と藤原の出会いは書いてあったりします。


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かぐや様は告らせたい(夢)

過去編最終回です。


夏休みが明け、秀知院学園は二学期に突入した。

 

夏休みという、一年で最も長い休業期間。それは、一年の間で最もイベント事の多い、濃密な期間でもある。旅行、夏祭り、合宿、海に山にと、やれることは盛りだくさんだ。そうした経験を通して、人間関係が大きく移ろいゆく期間でもある。

 

だが、何はともあれ、これまでと変わらないいつも通りの日常が、かぐやにも戻ってきた―――わけではなかった。

 

「おはよう、四宮」

 

送迎の車から降り、正面玄関を学舎へと向かうかぐやに、背後から声をかける者がいた。この数か月で随分と聞きなれた声に、かぐやはドキリと肩を跳ねさせる。自転車にまたがり、颯爽と現れたのは、当然のことながら白銀であった。

 

「おはようございます、会長」

 

いつも通りのやり取りだ。クラスこそ違えど、同じ学年で、同じ研究会に所属している二人。もちろん、学内で会えば挨拶はするし、雑談をしながら登下校することも多々だ。こんな朝のやり取りだって、これまで何度も交わしてきた。

 

だが。

 

自転車を降りた白銀が、それが当たり前のようにかぐやの隣に並ぶ。ただそれだけだ。いつかより縮まったとはいえ、両者の距離はまだ六十センチの隔たりがある。ただそれだけなのに、動悸がしてしかたがない。残暑のせいか、頬が火照ってきてしまう。

 

・・・その理由に、心当たりはある。合宿中に、藤原から言われたこと。誰かを好きになるということ。

 

―――私は、会長のことが・・・。

 

その先を考えることはできない。それを認めることはできない。いいやそもそも、それが本当に「好き」という感情なのかがわからない。

 

だから、かぐやはただただ、白銀の顔を直視できなくなる。熱い頬と渦巻く思考をごまかして、学舎までの道を歩いていく他なかった。

 

「夏休み明けで、賑やかだな」

 

登校する生徒たちを見ながら、白銀が言った。夏休みが明けたばかりで、久しぶりに顔を合わせる面々もいるのだろう。夏休み前よりも、生徒たちの会話は多く、そのトーンも二段階ほど高い。正面玄関から下駄箱、廊下、教室まで、朝とは思えない喧噪で満ちていた。

 

気を紛らわせようと、かぐやも周囲に目を移す。

 

「四十日ぶりですから。積もる話もあるのでしょうね」

 

「それもそうか」

 

そこで薄く、白銀が微笑んだ。

 

「しかし、あれだな。四宮とは夏休み中もしょっちゅう一緒だったから、久しぶりな感じがしないな」

 

白銀の言葉にはっとする。

 

かぐやに夏休みの思い出などない。語るべき友人もいない。それが、去年までのかぐやにとっての、新学期初日である。故に一人、この喧騒に取り残され、教室へと歩いていた。

 

だが今は違う。航空研究会の四人と過ごした思い出がある。それを語り合い、共有できる友人がいる。それは何よりも嬉しいことではないか。

 

―――ええ、本当に。

 

人生()()の夏休みが、今年でよかった。人生()()の夏休みが、今年でよかった。かぐやは心の底からそう思える。

 

白銀との距離、六十センチ。変わらないようで、けれど少しばかり意味合いの違う距離感。それに少しずつ感覚を合わせ、慣らしながら、教室を目指す。

 

今日はまだ、新学期の初日だ。

 

 

 

 

「行くぞ、四宮!」

 

勢いと緊張を多分に含んだ白銀の声がする。

 

いい景色だ。学園の裏山から眺める景色は「最高」の一言につきた。山肌を吹き上げる風がかぐやの髪を撫でる。緑の気配を感じて、かぐやは眼下の様子を見つめていた。

 

否。かぐやの目線が落ちているのは、それだけが理由ではないわけだが。

 

「いいですよ会長」

 

風の様子を見ていた石上がゴーサインを出す。それに合わせて、白銀とかぐやは駆けだした。山肌の淵、崖の向こうへと。

 

ふわり。かぐやの体が宙に浮く。一瞬、重力がゼロになったような感覚に襲われる。初めての感覚に、さすがのかぐやも驚いて、目を閉じた。

 

だがそれも一瞬のことだ。背中に広がる翼が風を掴み、かぐやの体はそれ以上落下することなく、風の中に漂い始める。

 

航空研究会、今日の活動は久しぶりにグライダーを飛ばすことになった。かぐやが入会してからは、グライダーを飛ばしていない。季節柄、風の具合がよくなかったり、雨が多かったりしたからだ。それに、夏になってからは、航空機制作の下準備が多かった。結果かぐやは、今まで一度もグライダーに乗っていない。

 

―――「今日は風の調子がいいですよ」

 

昼休み。昼食中のかぐやたちのもとを訪れた石上の言葉に、白銀は二つ返事でハンググライダーを飛ばすことを決めていた。

 

―――「四宮も飛んでみたいだろ?」

 

かぐやの思考を読んだように、白銀はそう聞いた。

 

事実だ。かぐやも一度、グライダーには乗ってみたいと思っていたのだ。かぐやにとってグライダーは、航空研究会に入るきっかけになった、思い入れのある物でもある。

 

課業が終わるや否や、倉庫に集まった四人は、さっそくグライダーを引き出し、裏山へと登ってきたのだ。グライダーは石上が操作する小型自動運搬車で運んでいる。

 

グライダーを操作するのは白銀だ。かぐやには、当然グライダーを操縦した経験などないし、皆目見当もつかない。かぐやは操縦者の白銀に安全ベルトで繋がれて飛ぶことになる。

 

この安全ベルトの固定、当然といえば当然なのだが、白銀とガッチリ、身動きが取れないほどに固く縛り付けられる。かぐやは今、その身を完全に白銀に任せていた。

 

「四宮、どうだ?」

 

すぐ後ろから、白銀の声が聞こえる。グライダーを操作しながらの、真面目ではきはきとした声だ。ただ純粋に空を飛ぶ者、ただ純粋に空を目指す者の声。

 

ゾクリ。何とも言えない鼓動が全身に響く。閉じた目はいまだ開けられない。研ぎ澄まされた感覚が、吹きつける風を、交じる晩夏の香りを明確に伝えている。

 

「いい景色だぞ」

 

白銀がもう一度、こちらへと呼び掛けてくる。どことなく優しい声音は、かぐやが目を閉じていることに気づいているからだろうか。

 

それは何だか、悔しい。別に怖くて目を閉じているわけではないのだから。多分。

 

かぐやはそっと、ゆっくりゆっくり、目を開ける。うっすらと開いた瞼の間から、霞んだ光景が映り始めた。

 

上昇気流を掴んだからか、グライダーは随分と高い位置まで登っていた。見えたのは、学園の校舎。普段なかなか立ち入れない屋上の様子が、ここからだとはっきり見て取れた。さらに、学園周りに広がる森や、たった今登っていた裏山も眼下に広がる。

 

息を飲む。と同時に、夏の色を残す空気を肺一杯に吸い込んだ。体が内側から洗われるような、そんな感覚だ。透き通った何かが、頭から足の先まで通り抜けていく。

 

初めて空から世界を見た。それはもちろん、初めての体験で、初めての感覚だ。味わったことなどない、形容するものなどない。ただ言いようのない高揚と、不気味なまでの安堵がある。

 

空を飛ぶとは。人の大地を離れるとは。こういうことなのか。白銀御行が目指したものとは、こういうことなのか。

 

小さな鳥がグライダーの側に寄ってくる。仲良く飛ぶ二羽は、もしかして夫婦の鳥なのだろうか。チチチと楽しげなさえずりを交え、ひとしきりグライダーの周りを飛び交った小鳥は、そのままどこかへと飛び去って行った。その奔放な、しかしありきたりな幸せを謳歌する姿に、不思議と笑みが漏れる。

 

「いいだろう、空は」

 

まるで自慢するように、そして心底嬉しそうに、白銀は言う。

 

その声にふと、かぐやはずっと思っていた疑問を口にした。

 

「・・・会長は、どうして空が好きなのですか?」

 

「?どういうことだ?」

 

「会長はどうして、空を目指すのですか?」

 

ずっと聞きたかったことだ。

 

空や飛行機に興味を持つ人間は、この国では珍しくない。それこそ何千何万といる。だが白銀ほどの情熱をもって、飛行機と空に向き合う人間はどれほどいるのだろうか。自らの力で飛行機を飛ばそうとする人間がどれほどいるのだろうか。

 

彼の情熱は、どこから来るのだろうか。

 

「・・・わからん。自分でもこれという理由がないんだ」

 

白銀の答えは端的だった。ごまかした様子はない。困ったような、焦ったような声が、それが紛れもない白銀の本音だと語っている。

 

「気づいた時には、空を飛びたいと思った。不思議と、それが自分の、使命のような気がしてな」

 

そこで白銀は、不敵に笑う。

 

「まあ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。出会ったものは変えられないからな」

 

諦めたような言葉なのに、その声音は力強い決意を帯びている。「仕方がない」という言い草には全くもって似つかわしくない。

 

かぐやの中に白銀の言葉がストンと落ちた。何を納得したのか、何が自分の腑に落ちたのか。わかるようでわからない。明確にはできない。

 

ただ、言えることが一つ。

 

空を見つめ続ける白銀の横顔は、傾きだした陽の光を浴びて黄金色に輝いていた。

 

―――私は、もしかしたら・・・。

 

 

四宮の人間に、恋愛など許されていない。誰かを好きになるなど、愛するなど、許されていない。恋は瞳を曇らせる。愛は思考を曇らせる。ずっと教え込まれてきたことだ。

 

だから、かぐやは人を愛せない。いいや、四宮家の教育方針を言い訳にするつもりはない。元より、かぐやには人の心がわからず、だから誰にも愛されない。故にかぐやも他人を愛せない。ただ、それだけの話だ。

 

人を見れば、その存在価値を図る。どれほど優秀な人間か、どれだけ自分に役立つか。そういう物差ししか持ち合わせていなかった。

 

持ち合わせていないと、思っていた。

 

思い出したことがある。白銀御行という男子生徒を知った時のこと。自分という殻に閉じこもり、他人を避け、傷つけてきた四宮かぐやが、初めて()()()時のことを。

 

あの日から何かが決定的に変わった。私の殻を壊したのは、力づくでこじ開けたのは誰なのか。周りの人間の顔を見ようと思ったのは、随分と久しぶりであった。

 

そうして眺めた久しぶりの世界は、かぐやが思っていたものとは、随分と違っていた。光に溢れたその中に、その男は立っていた。

 

あの隣に立っていたい。彼と同じ光の中で、語り合い、笑い合えたのなら、どれほど素敵だろうか。だからこそかぐやは、手を伸ばす。彼のいる場所に、優しくあろうとする人の隣に。

 

―――「認めましょう。私は白銀御行が好き」

 

―――「認められない。私は人間を愛せない」

 

かぐやの中で、二つの声がする。この感情の正体を、衝動の原因を、誰も答えとして与えてはくれない。いいや、誰もが抱くこの感情を、しかし誰も言葉にはできないのだろう。

 

だからこそ。その答えをかぐやに与えてくれるのは。燻り始めたかぐやの願いを叶えるには。

 

四宮かぐやが、白銀御行の側にい続けるには、絶対に必要なことはなんなのだろうか。

 

その方法は一つしかないように思われた。

 

故に、四宮かぐやは決意した。否、正確には願ったのだ。

 

 

 

白銀御行に告らせたい、と。




というわけで、本作内でのかぐや様過去編?こんな感じです。かぐや様が会長への好意を自覚するまででした。

次回からは航空研究会メンバーの出会いになるかと。最初は藤原さん編かな。

(以下久々の雑談)

原作の方はもう行くところまで行ってくれてほんとにもう木曜日は見事に一日悶えて死んでました。それでいいんだよ・・・いいんだよ・・・。もう泣くしかない・・・。


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【前日譚】航空研究会は出会いたい
藤原千花と四宮かぐや


書き溜めてたので、早かった。

まだまだ続くよ前日談。今度はさらに昔、中等部の頃の話ですね。

妄想と独自解釈が多分に含まれますので、ご容赦を。


ずっと音楽が好きでした。

 

自分の言いたいこと、伝えたいこと、そういうものに、音は応えてくれます。私の気持ちを、言葉を、代弁してくれます。

 

だから楽しかったです。まるで昔から親しんだ友人のように、何も隠さず偽らず、ずっとずっと永遠にだって語り合えると思いました。

 

・・・でも、それは必ずしも、皆じゃないんだと知りました。

 

音楽は表現。表現には、心が必要です。誰かに伝えたい想いだったり、届けたい言葉だったり、叶えたい願いだったりが必要です。私はただ、それだけを込めて、心を込めて、演奏をしてきました。

 

だけど。

 

―――「千花ちゃんはピアノが上手ね」

 

―――「指の運びが滑らかだわ」

 

―――「小学生とは思えない技術だ」

 

・・・誰にも、私の言葉は、伝わりませんでした。

 

心を込めて演奏すればするほど。自分の心を音に乗せれば乗せるほど。確かに皆、褒めてくれました。でもそれは、私の技術だったり、才能だったりを評価するもので、誰にも私の言葉を聞き取ってはもらえませんでした。

 

いつしか私は、人前でピアノを演奏しなくなりました。誰にも届かない、その苦しみから逃げるように。音楽を嫌いになってしまう前に。

 

こうして私、藤原千花は、ピアノと疎遠になったまま、秀知院学園の中等部に進学しました。

 

 

秀知院学園には、とても才能豊かな人たちが集まっています。勉強がものすごくできる人。語学に堪能な人。芸術センスが並外れている人。

 

私と同じように、音楽をこよなく愛する人も、いました。それはヴァイオリンだったり、チェロだったり、フルートだったり、オーボエだったり、ハープだったり。そうした人たちは、当然コンクールで顔を合わせたりしていますし、私がピアノを弾けることも知っていました。その噂を聞きつけて、私のところへやってくる人も。

 

―――「藤原さん、ピアノがすごいんだって?」

 

―――「千花ちゃんの演奏聞いてみたい!」

 

そうしたお願いにはできるだけ応えましたし、友達の前で演奏したりもしました。

 

でも、もっと多くの人の前で、つまり全校生徒の前で演奏することだけは、ずっと避けてきました。

 

 

 

その日の私は、授業を終えてから、ほんの出来心で音楽室に足を運びました。そこにあるグランドピアノを弾くためです。人の姿が消えた音楽室で、誰もいない演奏会を開くのが、私の楽しみでした。

 

カバーを開き、鍵盤の前に座ります。何を演奏するかなんて決めてません。その日の思い付きで、三曲ほど。それが私のリサイタルです。

 

音を確かめるために、軽く鍵盤を叩きます。秀知院学園音楽室のピアノだけあって、調律はばっちりです。とても綺麗な音が、音楽室に響きました。こんなにいい音のするピアノは、コンクールでも滅多にお目にかかれません。もしかしたら、何か謂れのあるピアノなのかも。

 

居住まいを正し、ピアノと向き合った私は、もう一度辺りを確認してから、演奏を始めました。

 

一曲目は、ソナタ。特に曲名はなく、有名な作曲家の作という訳でもありません。でも、私がピアノを始めようと思ったきっかけになる、大好きな曲です。

 

曲名はなくても、大抵のことは曲調で分かります。作曲者が伝えたかったのは、報われない恋のお話。届かない言葉と、伝わらない想いのお話。「届かない」「伝わらない」、そんなもどかしさが、演奏する私には理解できます。その曲の中にあるテーマが、はっきりくっきり、私には伝わります。

 

前部で四楽章あるうちの、一楽章を引き終わります。五分と少し、あまり長い曲ではありません。最後の和音に十分余韻を持たせ、私は一回、息を吐きました。形容しがたい興奮と、心地の良い疲労。何より、鍵盤を走る私の指に合わせて、いくつもの音たちが踊るのは、楽しい以外の感想がありません。

 

「次はどうしよう」

 

窓から差し込む夕陽を眺め、私がそんなことを呟いたときでした。

 

カラリ。遠慮がちな音を響かせて、音楽室のドアが開いたのです。想像もしなかった出来事に、私は肩を震わせ、ぎこちなく入り口を振り向きました。一体誰だろう。こんな時間に、音楽室を訪れるなんて。

 

・・・ドアの向こうから現れたのは、夕陽に儚く輝く、美少女でした。

 

いえ、言い方がよくないですね。私ももちろん知っている人です。何か接点があるわけではないですけど、彼女は学年一の有名人ですから。

 

四宮かぐやさん。四大財閥の一つ、四宮家のご令嬢で、「氷のかぐや姫」とあだ名される女生徒です。黒く豊かな髪と、切れ長な目元が印象的な美少女。容姿だけでなく、財閥令嬢に相応しい教養と学力を併せ持った、才色兼備という言葉が歩いているような同級生でした。

 

その四宮さんが、どうして音楽室に?ありきたりな疑問を浮かべると同時に、私はピアノの前で凍り付いてしまいました。このリサイタルは、私だけの秘密です。誰かに聞かれるのは、極力避けていたのに。人のいない放課後を狙って弾いていたのに。

 

丁寧にドアを閉じた四宮さんは、けれどそれ以上、こちらへ歩み寄っては来ません。彼女の立つドアと、私の弾いているピアノは、音楽室の対角線にあります。私たちの間には、十メートル以上の隔たりがありました。

 

「お邪魔します」

 

感情の読み取れない声で、四宮さんが短く言います。それで我に返った私は、先程までのありきたりな質問を、一先ず口にしました。

 

「四宮さん・・・どうして、ここに?」

 

「ピアノの音が聞こえたから。誰が弾いてるのか気になったの」

 

相変わらずの平坦な声です。なるほど、「氷のかぐや姫」と呼ばれる片鱗を、私は何となく感じました。

 

私との距離感も、そう。まるで他人を寄せ付けまいとするように。

 

「私のことは気にしないで、続けて頂戴」

 

・・・いえいえ、気になりますよ、どうやったって。今まであまり関わりのなかった学年一の美少女が、突然現れて私の演奏を聴いているんですから。

 

立ち去る様子は微塵も感じられません。とりあえずピアノに向き直った私は、深呼吸を一つ挟んで、次の曲を悩みます。

 

そうして弾き始めた二曲目は、大衆音楽のピアノアレンジ。「愛しあの人」という民謡を現代風に編曲しなおしたもので、私のアレンジと合わせていわゆるバラードという曲調になっています。原曲よりも気持ちゆっくり、しっとりと聞かせるように、余韻の間隔を計りながら弾いていきます。

 

部屋の反対側にいる四宮さんが、ただじっと私の音に耳を澄ましているのがわかります。長年、コンクールで培ってきた感覚です。客席の様子なんて、見なくてもわかります。

 

六分間の演奏を終えると、控えめな拍手が聞こえてきました。四宮さんが、特に笑顔を浮かべるでもなく、パチパチと手を叩いています。うーん、やっぱり、四宮さんの考えは、よく、わかりません。

 

ただ・・・ただ、何も言わず、四宮さんは私の演奏を聴き届けてくれました。安直な誉め言葉も、技術への称賛もありません。くれたのはただ、小さな拍手だけ。それが・・・堪らなくなりました。

 

三曲目は、打って変わってハイテンポな曲。明るく明るく、ひたすら楽しく。「リンゴの踊り子」という題がついたこの曲は、私の一番のお気に入りです。

 

心の踊るまま。気の向くまま。跳ねる手を止めることなく。体を揺らし、鼻歌や手拍子まで交えて、私の全てで音を奏でます。こんな、信じられないくらいの無茶ぶりをしているのに、ピアノも、その音も、ちゃんと私に応えてくれます。

 

八分の曲を弾ききって、私のリサイタルは終わります。椅子を立ち、客席に―――たった一人の観客に、礼をします。

 

パチパチ。四宮さんが、やはり控えめな拍手を送ってくれます。

 

・・・なぜでしょうか。相も変わらず、四宮さんの表情は変わりません。微笑みからは程遠い無表情。氷のように動かない表情と雰囲気。それなのに、私の胸がキュッとする。初めてピアノが弾けたときのような、暖かい心地がします。鼓動が高まり、頬に熱が集まって仕方がありません。それはきっと、差し込む夕陽のせいなんかではないと思います。

 

「素敵な音色ね」

 

四宮さんは、特に歩み寄るでもなく、ドアの側からそんな感想を寄越しました。

 

「あ、ありがとう、ございます」

 

「あなたのことはよく知らない。でも今の演奏はまるで―――」

 

視線を伏せるようにして目を閉じた四宮さんに、少し言い淀む間があります。

 

「まるで、あなた自身を見ているようだった」

 

全身に鳥肌が立ちました。その言葉は・・・その言葉だけは、今まで誰も言ってくれなかったことです。どれだけ私が、心を込め、想いを乗せても届かなかったこと。ピアノの音に乗せた、()()()

 

もしかして、四宮さんには、届いたのでしょうか。

 

「どうしたら、そんな音が出るのかしら」

 

・・・彼女になら。音に自らの心を乗せる、私の表現の仕方を、話してもいいと思いました。私が何を思って表現しているのか、四宮さんになら理解してもらえる気がしたんです。

 

「難しいことは、何も。私はただ、自分の言いたいことや、伝えたい想いを、音に乗せてるだけなんです」

 

あ、改めて言うと、照れますね。でも事実ですから。私にとって音楽は、ピアノは、自分自身に等しいものです。心を込めてこその表現なんです。

 

私の答えに、四宮さんは驚いた様子で―――とは、いかず。微塵も動かない氷の表情。心なしか、彼女の周りに漂う空気が、三度ほど下降した気がしました。

 

「無理よ」

 

短いその言葉は、初めて感情らしい感情が―――凍り付いたように冷え切った心が乗っていたような、そんな気がしました。

 

「想いなんて伝わらない。そんな曖昧なものは、決して」

 

息を、飲みます。呆れでも、否定でも、嫌悪でもない。言うなれば、諦めに似た、伏し目。私に向けられたわけでもない目が、しかし凄まじいまでの圧力を発しています。

 

否定したい。けれども私は、何か言葉を出すことが、できませんでした。

 

「お邪魔したわね」

 

それ以上の会話を断ち切るように、四宮さんは踵を返し、ドアを開け放ちます。金縛りから解放された私は、やっとの思いでその背中に呼びかけました。

 

「また来てくださいっ!また私の演奏を、聞きに来てください、四宮さん!」

 

そうしなければいけない気がしました。四宮さんを引き留めなければ。けれど私の言葉を、彼女はにべもなく切り捨てました。

 

「いいえ、二度と来ないわ。絶対に」

 

 

四宮さんが私のリサイタルに現れることは、本当に、二度とありませんでした。どころか、何だか明確に、私を避けているような気がします。

 

元々クラスは違います。けれど同じ学年ですし、会おうと思えばいつだって会えるんです。けれど決して、四宮さんは私に会ってくれませんでした。

 

―――「想いなんて伝わらない。そんな曖昧なものは、決して」

 

四宮さんの言葉が、脳裏に焼き付いて、決して離れません。

 

・・・最初は、私の表現を、否定する言葉なのかと思いました。でもそれは、少し、違うと思うんです。そんなに簡単な話じゃない。それじゃあ、()()()()に説明がつきません。

 

どうして四宮さんは、あんなことを言ったのでしょう。

 

氷のかぐや姫。他人を寄せ付けず、いつも一人でいるという、女生徒。その言葉の意味を、考えてしまいます。

 

可笑しいですよね、私。四宮さんとは、これまで何の関わりもなかったのに。ピアノの前で考えるのはいつも、彼女のことばかりです。

 

―――「まるで、あなた自身を見ているようだった」

 

初めて伝わった。初めて私の音を認めてくれた。私の言葉をちゃんと受け止めてくれた。

 

多分、その言葉に、私は少なからず救われたんです。四宮さんにその気がなかったんだとしても、派手な称賛も讃美もない、たった一言と小さな拍手に、私は救われたんだと思います。

 

・・・そう。四宮さんの言葉で、思い出したことがあるのです。まだ私が、コンクールに出ていた頃。

 

―――「あ、あのっ!藤原さんの演奏、いつもいつも楽しそうで、とっても好きですっ!」

 

演奏を終えた私に、そんなことを言ってくれた、赤ら顔の少女。当時は、それはそれは喜んでいたはずなのに。ついぞ今まで、忘れていた表情。

 

私が気づいていなかっただけで、私の音は、言葉は、心は、想いは、案外多くの人に伝わっていたのかもしれない。そんな、ちょっとだけ楽観的なことを、考えられるようになりました。

 

だから―――だからこそ、私も伝えなければ。今私が、音に込めているのは、伝えたい想いは、四宮さんへ向けたものなのだから。

 

言葉は伝わらない。想いは届かない。それは、そうなのかもしれません。事実私は、そう思っていたのですから。けれど、全てじゃない。伝わっている人もいる。届いている人もいる。伝わらない人ばかり、届かない人ばかりが目に付いてしまうから、そう思ってしまうだけなんだ、って。

 

それは多分、私がやるべきことで、私にしかできないことですから。

 

 

 

「・・・よしっ」

 

今日の課業を終えた私は、気合を入れて呟き、即座に教室を飛び出しました。どこのクラスもホームルームが終わったばかり。どれほど帰りが早い生徒だって、今はまだ学園内にいます。

 

目指した先は、どうやら今、ホームルームが終わったばかりらしい、四宮さんのクラス。

 

「四宮さんっ」

 

走った勢いそのままに、私は教室のドアから中を覗き込みます。授業終わりの喧騒に、響く私の声。すぐ近くの席で振り向いた女生徒が、困惑したように口を開きます。

 

「四宮さんなら、もう帰ったよ・・・?」

 

「っ!ありがとう!」

 

また私は、走り出します。廊下を駆け、玄関を抜けて、正門の方へ。四宮さんはいつも車の送迎があるはずですから、正門へ向かえば会えるはずでした。

 

そして実際、正門には四宮さんがいました。今まさに、車に乗ろうとしている四宮さんへ、私は声の限り叫びます。

 

「四宮さん!」

 

私の声に振り向いた、四宮さん―――と、そのメイドさん。

 

「あなた・・・」

 

何とか車の前までたどり着いて、私は肩で息をしながら四宮さんに向き合います。私の決意を、伝えるため。

 

「私、学内演奏会に出ます」

 

それが私の答えです。

 

学内演奏会は、全校向けに開催される、生徒の音楽会です。演奏者としての参加は自由。歌唱部門、独奏部門、重奏部門のどれかにエントリーするだけです。私は、その演奏会に、出場します。

 

・・・人前で演奏するのは、今でも、怖いです。でも、四宮さんが二度と、音楽室に来ないというのなら。私には、演奏会でピアノを弾く以外、四宮さんに私の想いを伝える方法はありません。

 

「・・・わざわざ、私に言う必要がある?」

 

四宮さんの疑問ももっともです。でも、これは私にとって必要なこと。決意の表明と―――宣戦布告です。

 

「私のピアノを、素敵だと思ってくれるのなら・・・もう一度、音楽室に来てください」

 

じっと、私の言葉を聞いていた四宮さんは、表情を変えるでも、何か頷いたりするでもなく、車へ乗り込みました。

 

「楽しみにしています」

 

車のドアが閉まる直前、四宮さんはそれだけ呟いて、走り去っていきました。

 

 

 

これほどまでに、ピアノと真剣に向き合ったのは、初めてかもしれません。

 

演奏会の当日、ステージ上のグランドピアノの前に座り、私は一つ息を吐きます。客席には、コンクールの日々を思い起こさせる、たくさんの人、人、人。

 

ほんの数週間前まで、自分が再び、これほど大勢の前で演奏をすることなど、考えもしませんでした。いいえ、おそらく、これから先も、こんな形で、人前で演奏することは、ないと思います。

 

チラリと窺っただけの客席に、四宮さんを見つけることは、私の観察眼ではできませんでした。でも、私にはわかります。この会場のどこかで、必ず、彼女は聞いている。これまでの経験で培ってきた私の間隔が、そう言っているんです。間違いありません。

 

最初に謝っておきましょう。ごめんなさい。私は今日、多くの誰かに聞かせるために、ではなく。たった一人、どこかで聞いている()()のために、演奏します。

 

伝えたいことも、届けたいことも、たった一つ、たった一人です。ただそれだけを、私は心を込めて、音に乗せます。

 

そう思った瞬間、周りの全てが、気にならなくなりました。弾き始めた瞬間、脳裏をよぎったのは、いつもの音楽室。いつもと違う()()()()()

 

選んだ曲目は、あの日最初に弾いていた、ピアノソナタ。四宮さんと出会ったきっかけの曲。

 

名前のないこの曲は、実はある曲群の中に収められている曲でもあります。ピアノソナタの作曲者が、生涯をかけて書き続け、でも結局未完になっている曲群の名前は、一説には「理想郷」とも。

 

その中の一曲。恋焦がれる想いと、結ばれぬ悲哀を描く曲。伝わらない想いと、届かない言葉を、想いのままに書き連ねた、もどかしくも美しい曲。

 

鍵盤を叩く。奏でられる音一つ一つに、私の心を乗せていく。四宮さんへの言葉を乗せていく。

 

たった五分間。ただそれだけの音に向き合い。自分に向き合い。そして―――四宮さんの方を向く。

 

これが、私の答えです。

 

これが、私の想いです。

 

演奏を終え、立ち上がります。静寂に包まれていた会場に、無数の拍手が沸き起こりました。立ち上がる生徒たち。

 

スタンディングオベーションの中、黒髪の美少女の姿を、見た気がしました。

 

 

 

夕暮れの音楽室を、尋ねる人がいました。いつかと同じように、控えめに開いたドアから現れた人物に、私は自然と微笑みます。

 

いつも通りの、感情を感じさせない表情。端正な顔立ちと切れ長の目元が、ある種冷たい、近寄りがたい雰囲気を感じさせます。

 

けれど私には、皆が避けて通るような冷たさも、怜悧さも、気になりません。

 

―――「あの人は他人を見下している」

 

―――「あの人は他人と関わりたくない」

 

そんな評判を耳にしたことがあります。でもなんだかそれは、違うと思うんです。うまく言えませんけど―――少なくとも、四宮さんは今日、ここに来てくれました。それこそが、そんな評判は眉唾だという、証拠だと思うんです。

 

「約束、ですからね」

 

そう言った四宮さんは、けれどやはり、私の立つピアノの側には来てくれません。私と距離を取るように―――私に近づかないように。何かを恐れているように。

 

だから。私のやるべきことは、最初から決まっていたんです。

 

「四宮さん」

 

私は迷うことなく、四宮さんの方へと歩いていきます。一歩一歩、躊躇することなく、彼女との距離を、詰めていきます。

 

真っ直ぐ、彼女の顔が見えるところまで。四宮さんが離れていかないところまで。

 

「私と、友達になってください」

 

それが私の言葉です。あの日から、嘘偽りなく心にある、私の率直な想いです。

 

四宮さんは初めて、わずかに目を見開きました。

 

ゆっくりと、その小さな唇が開きます。

 

「そういえば、あなたの名前を聞いていなかったわね」

 

ああ、そういえば、それもそうですね。

 

「藤原です。藤原千花。千花ちゃんって、呼んでください」

 

「では、藤原さん」

 

・・・まあ、そうすぐに、千花ちゃんとは呼んでくれないですよね。

 

「私は他人との馴れ合いを良しとしません。私は一人でいたい」

 

「それでいいです」

 

私の言葉が予想外だったんでしょう。今度こそ四宮さんは、はっきりキョトンとした顔を浮かべていました。

 

「四宮さんが、どうして一人でいたいのかは、わかりません。多分訊いても、答えてくれませんよね」

 

なんとなく、そうじゃないかなって、思ってることはありますけど。それで素直に言ってくれるような人ではないと思います。

 

「でも、それでも私は、四宮さんと友達になりたいです。四宮さんと一緒にいたいです。だから、四宮さんが何と言おうと、どこへ行こうと、私は四宮さんの側にいます。絶対にはなれません」

 

・・・と、そういう訳ですので。やっぱりこれは、私の決意表明で、宣戦布告なんです。

 

四宮かぐやと、友達になりたい。

 

私をじっと見ていた四宮さんは、一度目を伏せた後、くるりと踵を返しました。ドアを開き、音楽室を出ていこうとします。

 

「・・・好きにしてください」

 

ただ、その一言を。それを聞いた時、私は一つ確信したのです。この人には、私の音が、声が、言葉が、心が、想いが、ちゃんと伝わっていたんだ、って。

 

「はいっ」

 

喜び全開で返事をして、私は鞄を取り、去っていった四宮さんを追いかけます。

 

「一緒に帰りましょう、()()()()()!」

 

「・・・どうして下の名前なんですか」

 

「えー、その方が親友っぽいじゃないですか」

 

「なんですか、その理屈」

 

 

 

こうして、私に一人、かけがえのない親友ができました。




というわけで、自分の考えた藤原とかぐや様の出会いでした。

ソーラン節回の時を参考にしつつ書いてました。そして、氷かぐやに付きまとうには、藤原のあの空気が読めないまでの強引さも不可欠だと思うのです。

次回は会長とかぐや様の出会いになる・・・のかな?


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白銀御行と四宮かぐや

おう…お久しぶりです…

ほぼ半年ぶりの更新…

言い訳をさせていただくと、コミケの原稿とか、他の作品とかちょこちょこ書いてました。白かぐも、二本ほど、考えていたお話を書いてたり…

はい…許して…

と、ということで!二期も決定したことですし!まったりゆっくり進めていこうと思います!とりあえず、航空研究会の過去編は年度内に終わらせたいですね


運命の出会いというものには、二つの種類があると思う。

 

一つは、出会ったその瞬間に、それが運命だとわかるもの。

 

そしてもう一つが、後から思えばあれこそが運命の出会いだった、と思うもの。

 

でもって、世の中大抵の場合は、後者の出会いだ。どう転ぶかわからない人生の中で、たった一つの出会いがもたらす影響なんて、計ることはできないのだから。

 

ただ、幸運なことに。少なくとも俺にとって、()()との出会いは、正しく運命と呼べるものだと、その瞬間に理解できた。

 

忘れることはない。忘れられるものではない。あの春の一瞬は、白銀御行の人生に、決して消えることのない強烈な印象を植え付けていった。

 

泥沼に落ちた少女。誰もが躊躇する中、俺の横を駆け抜けた()()は、一陣の風となり、沼に飛び込んだ。()()だけは、一切の迷いなく、沼で溺れる少女を助けに行くことができた。

 

沼から上がった()()の横顔を、今でもはっきりと思い出す。学園でも有名な底なし沼だ。粘り気の強い泥、はびこる水草。その中に飛び込んだ()()は、当然のように泥まみれだった。

 

けれど、その横顔は、何物にも例えがたいほど、美しかった。

 

元々、()()の容姿は、相当優れていた。学園の誰もが認める美少女。だが、そんなものとは、何も、全く、関係なしに、その横顔を()()だと、俺は思ったのだ。

 

以来、俺は気づくと、()()を目で追うようになった。

 

()()の名前は、四宮かぐや。四大財閥の一つ「四宮」の令嬢。「氷のかぐや姫」とあだ名される、正真正銘のお嬢様だ。

 

 

張り出された中間試験の結果を見つめる。眉間に皺が寄っているのは、我ながらよくわかった。

 

秀知院学園といえば、この国に四つある学園の一つ、超がつく名門校だ。実施される定期試験の内容も、競い合う同期のレベルも、尋常でないことは容易に理解できた。まして、そんな秀才たちの中で、学年一位を取ろうと思ったなら、なおさらだ。だからこそ俺は、これまでの人生で一番、勉強をした。

 

だが、結果は目の前に張り出された通りだ。

 

「九位かー。おしいな、白銀」

 

隣で同じようにしていた風祭豪が、特に慰める様子もなく背中を叩く。同じく外部入学生の彼も、十六位と十分上位につけていた。

 

「そもそも、初っ端から一桁台って方が珍しいんだ。混院だと初めてなんじゃないか?」

 

反対側からは、豊崎三郎がそうコメントした。彼は俺のすぐ下、十位だ。豊崎からは若干の労いを感じなくもない。

 

「やはり、並大抵じゃいかないな」

 

入学後、ほぼ唯一と言っていいほど親しくしている友人二人に、率直な感想を漏らす。簡単でないことは理解していたつもりだった。だがどうやら、俺の認識は甘かったらしい。秀知院学園の壁は、想像以上に厚くて高いものだった。

 

「けど、一桁台なら十分だろ。白銀の目的のためには」

 

風祭がさらっとそんなことを言う。

 

この学園の試験で、一位を取る。特待枠で入学した自分が成績上位を維持しなければならないのは当然だが、それ以外にも俺が一位を狙うには理由がある。その目的についても、親しい二人には話していた。

 

「新しい課外活動会の創設、か。考えたこともなかったな」

 

豊崎が呟く。

 

課外活動会は、放課後を中心に活動する学生団体の総称だ。秀知院学園には、テニスやゴルフ、ポロといったスポーツ、あるいは管弦楽やピアノ、絵画のような芸術、幅広い分野で課外活動会が存在する。上流階級の教養の一環として学園も活動を奨励していて、多くの学生が何かしらの活動会に所属していた。

 

学生団体であるから、要望があると新しく作ることもできる。だけど当然、そこにはそれなりの基準があった。活動会の創設を望む学生は、相応の成績を収めなければならない。学業を第一とする、秀知院学園らしい基準だ。

 

俺は新しい活動会の創設を望んでいる。子供の頃からの夢であった、自分で飛行機を作ること。そのための活動会―――いわば航空研究会とでも呼べるものを、作りたい。

 

活動会の予算が豊富な秀知院学園でなら、二年ほどあれば飛行機一機くらい作れる。子供の頃からの夢を叶えるチャンスだと考えたのだ。

 

だから学年一位を取りたい。誰もが認める、歴然たる成績が欲しいのだ。・・・と、二人には説明している。

 

だけど、本当はそれだけじゃ、ないはずだ。

 

「まあ、風祭の言った通りだろ。九位なら十分だって。前にも言ったけど、うちの学年で一位を取るのは難しい。ていうか無理だ」

 

どこかのん気に言って、豊崎が視線を移す。彼が見つめる先を、俺と風祭も見遣った。

 

張り出された順位表を見る、学生たちの群れ。その中に、まるで見えない壁でもあるように、ぽっかりと空間が開いている。人間を寄せ付けないその只中に、女子学生が二人、立っていた。

 

その容姿を、俺が見間違うはずなんて、ない。

 

「かぐやさん、また一位ですかー。相変わらずすごいですね!」

 

明るい髪色の女子学生―――藤原という同じクラスの女子が、もう一人へ話しかける。黒く艶やかな長髪を揺することなく、ぴんとした睫毛の切れ長な目を細めて、もう一人の女子学生は答えた。

 

「当たり前のことですよ」

 

さして興味はない。そう断言するように、女子学生―――四宮かぐやは、その場を後にしていった。

 

「・・・氷のかぐや姫には、誰も勝てないよ。小等部から、試験はいつも彼女が一番。四条眞紀が二番。誰一人勝ててない」

 

溜め息交じりの豊崎もまた、彼女たちに敗れた一人なのだろう。

 

四宮かぐや。学年一位を不動のものとする、正真正銘の天才。俺なんかでは到底かなわない秀才。その事実を、改めて突き付けられた気持ちだ。

 

・・・白状してしまえば。彼女に勝ちたいというのが、俺の本音だ。

 

あの日、()()だと感じた少女の面影は、今でも強烈なイメージとして俺の心に息づいている。あの日、あの瞬間、俺はきっと、彼女に恋をした。

 

四宮かぐやを振り向かせたい。だけど俺には何もない。彼女の隣に立てるものがなにもない。彼女に勝るものも、誰かに誇れるものも、何一つとしてなかった。才能に溢れ、国に将来を嘱望された少年少女ばかりが集まるこの学園の壁は、想像よりもずっと厚く、高かった。

 

ただもし、俺の中に何か一つ、彼女と戦えるものがあるのなら。それは―――勉学しかないと、悟った。非凡とは程遠い俺には、もう、勉学しかない。

 

もしも、不動の学年一位であった彼女から、その椅子を取ることができたのなら。彼女は、俺の方を振り向いてくれるかもしれない。白銀御行の名前を、彼女の記憶に刻めるかもしれない。そんな、淡い希望だ。

 

もちろん、風祭や豊崎に説明した、課外活動会創設の話も本当だ。だけど、よりどちらの理由が強いかといえば・・・多分、彼女のことの方が強かった。

 

そんなわけで、俺は学年一位を目指している。もっとも今回は、彼女どころかその他七人に負ける大惨敗という結果だったわけだが。

 

目標にはまだまだ遠い。だが次こそは。そう心に誓って、俺は教室へと戻った。

 

 

学期末試験を四位で終えた俺にも、夏休みがやって来た。

 

期末試験前。目元に隈ができるほど勉強した。それでも学年一位の壁は高かった。

 

・・・まだだ。まだ、足りない。こんなものでは届かない。少なくとも、彼女に並び立つためには、これしきの努力じゃ足りないんだ。その事実を、中間試験に続いて突き付けられた。

 

課外活動会に所属していない俺の夏休みは、特別やることもない。やることといえば、これまでの復習と次の試験へ向けた勉強、家にお金を入れるために近所の喫茶店の手伝い。それから、図書館で航空機設計に関する本を読み漁ることくらいか。

 

それは今日も変わらない。何の変哲もない、変容もない毎日。勉強をして、図書館へ行き、喫茶店で働く。ただそれだけを繰り返す、本当に代り映えのしない日々。鮮やかな太陽とは裏腹に、どこかくすんだ色の毎日だ。

 

コーヒーの香りが漂う喫茶店で、俺はぼうっと店内を見回している。客の数は五人ほど。休日昼下がりのこの時間でも、客の入りはこの程度だ。

 

談笑の声とともに、マスターが豆を挽いている。

 

一方の俺はといえば、オーダーや給仕が終わって手持無沙汰だ。空いた机を拭いたり、コーヒーカップを洗ったり、見つけた仕事に手を出してもすぐにやりきってしまう。

 

そんな時は決まって、マスターが話を振ってきた。「無言で豆を挽いても楽しくない」がマスターの口癖だった。

 

最近読んだ本の話が弾んでいた時だ。チリリンとドアチャイムが鳴った。反射的に、新しいお客さんへ顔を向ける。

 

「いらっしゃい」

 

渋いマスターの声に、ぺこりと頭を下げたのは、二人の少女。恐らく、俺と同い年くらいだろうか。

 

「ね、いい雰囲気のお店でしょ?コーヒーも最高なんですよ」

 

・・・いいや、この声、どこかで聞いたことがある。

 

メニューを持って、たった今席に着いた彼女たちのもとへ足を運ぶ。陽避けの傘を畳んだ彼女たちと、目が合った。

 

「あれ、白銀くんじゃないですか」

 

少女の一人―――藤原千花が、俺に気づいて声をかけた。

 

「藤原、さんと―――四宮さん」

 

ああ、そうだ。最初から気づいていた。店に入って来た時から、彼女だけは纏う雰囲気が違う。視線が、自然と、彼女へ吸い寄せられる。

 

氷のかぐや姫は、俺が名前を知っていたのが意外だったようで、珍しく目を見開いている。

 

藤原が不思議そうに首を傾げた。

 

「かぐやさん、白銀くんとお知り合いですか?」

 

「いえ・・・知らないけれど」

 

・・・ああ、それはそうだ。俺が一方的に、彼女のことを意識しているんだから。何者でもない俺のことなんて、彼女の眼中にはない。

 

だから、心が痛むのは、俺の自業自得だ。

 

「えっ、もしかして、白銀くん、」

 

ラヴですか、などと見当違い(いや別に見当違いではないが)なことを目線で尋ねる藤原を遮って、俺は口を開く。

 

「四宮さんは学年一位なんだから、名前くらい知ってるよ」

 

「なあーんだ、そうだったんですか」

 

藤原が単純な脳みそをしていてよかった。

 

「白銀くん、学年一位を狙ってるんですよ。かぐやさんのライバルですね!」

 

理由はともかくとして、俺が学年一位を狙っていることは、同じクラスの生徒なら大体知っている。だからこそ、藤原は何でもないことのように、四宮へ向けて笑った。

 

「・・・学年、一位を」

 

だが、四宮は違ったみたいだ。無表情で有名な彼女が、ほんの一瞬、細い眉を跳ねさせた。わずかに垣間見えたその表情が、何かを拒絶するように険しくなる。

 

「・・・それは、無理ですよ」

 

メニューを見ながら四宮が呟いた言葉は、俺にはそう聞こえた。

 

コーヒー二つとサンドウィッチの注文を受けて、厨房へ戻る。コーヒーを挽くのはマスターの仕事、サンドウィッチの準備は俺の仕事だ。

 

薄く切ったパンに、マーガリンとマスタードを塗る。マスターが育てたというレタスと、近所の肉屋で仕入れたハム。薄くスライスしたチーズも一緒に挟んで、軽く押さえつける。

 

それから、卵とフライパンを取り出す。何と言っても、うちの自慢は厚焼き玉子のサンドウィッチだ。厨房を任されるにあたって、マスターからは随分と手解きを受けた。

 

自慢ではないが、元々、料理はできる。家で朝夕のご飯を作るのは、俺の役目だ。だから、おいしい厚焼き玉子の作り方も、それほど時間をかけずに習得できた。

 

フライパンをよく熱して、バターを敷く。フライパン全体にバターを馴染ませてから、生クリームを加えた卵の液を回し掛ける。そのまま素早くかき混ぜて全体に火を通し、表面の液体っぽさが無くなったら奥から手前へと大雑把に巻いていく。

 

この工程を三度繰り返す。こんもりと大きくなった玉子が焦げない程度に表面を焼き、お皿へ。アツアツの内に半分にして、パンに挟めば完成だ。

 

二種類のサンドウィッチを半分に切って、お皿に盛りつける。丁度、マスターもコーヒーを淹れ終わったらしかった。

 

「お待たせしました」

 

四宮たちのところへ、コーヒーとサンドウィッチを運ぶ。俺の仕事はそこまでだ。

 

「御行くん、スコーン出してくれるかな」

 

マスターからオーダーを伝えられて、俺はすぐに厨房へ戻った。紅茶を注文したお客さんへ、セットで出すのがスコーンだ。

 

焼いておいたスコーンを取り出しつつ、俺は四宮たちの席を窺った。

 

談笑、というよりは、藤原が一方的に喋っているような。藤原は、それはそれは楽しそうに話を進め、それに四宮が二、三と頷き、相槌を打つ。コーヒーをすするその横顔は、相変わらず氷のような無表情―――

 

・・・いや。

 

スコーンを皿へ移しながら、俺はその考えを改めた。少し違う、そう思った。四宮の口の端に、極々わずかに―――それこそ、よく見ていなければわからないくらいに、変化を認めたからだ。

 

四宮かぐやは笑わない。その目はいつも鋭く、口から出るのは氷柱のような言葉。たまに見せるのは、迷惑そうな眉間の皺だけ。深謀遠慮を秘めた彼女に感情と呼べるものはなく、常に他者を睥睨するようなその姿勢を、いつからか「氷のかぐや姫」と指差されるようになった。

 

そんなわけがない。そんなわけがないんだ。()()()()()()()()()()()()()

 

利己のために生きる者が、他者を顧みない者が、計算の上に動く者が、誰もが躊躇することを成し遂げるものか。たまたま遭遇しただけの溺れる者のもとへ、迷いもせず飛び込めるものか。

 

無表情な奴が、感情を持たない訳じゃない。氷のように冷めきった心を持つわけじゃない。

 

四宮かぐやは笑っている。顔には出ずとも、その心が笑っている。藤原の話を、恐らくはこれ以上ない笑顔で、聞いているのだ。ただそれが、表に出ていないだけで。

 

なぜだ。初めて見た彼女の姿と、普段見ている彼女の姿、あるいは生徒たちが語る彼女の姿が、あまりにもかけ離れている。それは一体なぜなんだ。

 

感情を隠す無表情は、何のためなのか。

 

貼り付けた氷の仮面は、何のためなのか。

 

彼女()他人を寄せ付けないのは、何のためなのか。

 

今一度、二人の席を窺う。丁度、四宮がサンドウィッチをかじったところであった。




最新話の会長やばすぎて語彙力がやばい。やばい。お可愛い

さて、お察しの方もいるかもですが、これ、続きます。次に書く予定なのは「白銀御行と藤原千花」ですね。会長の決意とか、その辺書いていきたいです。

こちらの世界線で、会長がどうやってかぐや様を振り向かせるのか、ぜひご期待ください。


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