東方二次創作 普通の魔法使い (向風歩夢)
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普通の魔法使い

「おーい! 霊夢ぅー!」

 

 ここは幻想郷の東端に位置する博麗神社……。幻想郷に張られた大結界の要である。ほうきに跨り空を飛び、この神社の巫女『博麗霊夢』を呼ぶのは、彼女の友人『霧雨魔理沙』だ。魔理沙は魔法の森に構えた小さな家に住み、魔法の研究をしている。

年端のいかない少女の魔理沙が、安全とは言えない魔法の森に住んでいるのには理由がある。魔法の森には幻覚を見せる茸が生えており、その幻覚が魔法の力を鍛えるのに適しているからだ。凄い魔法使いを目指す魔理沙にとっては最高の環境というわけである。

だが霊夢からすれば、幻覚を見せる茸が生えている場所にわざわざ好んで住む魔理沙の行動は、理解しがたいものでしかない。霊夢はそんな魔理沙を変わり者扱いしていた。

 

「また来たのね、魔理沙。悪いけど、私は掃除中なの。弾幕ごっこの相手は後にしてちょうだい」

「なんだよ。つれないなあ。折角来てやったってのに。そんじゃ、私は掃除が終わるまで待たせてもらうぜ?」

「勝手にしたら? お茶が飲みたいなら、お好きにどうぞ」

「ええ……。淹れてくれないのか?」

「あんたはお客じゃないもの」

「ひどい扱いだぜ……。そんじゃ、勝手に淹れさせてもらうぜ。お邪魔しまーす!」

 

 魔理沙は母屋に上がると、迷いなく台所へと向かう。普段から母屋に上がっているらしく、お茶の葉、急須、湯のみの位置も完全に把握している。勝手知ったる他人の家とはこのことだ。お茶を入れた魔理沙は母屋の縁側に移動し、湯のみを啜る。

 

「なあ、まだ掃除終わらないのか?」

「まだ少しも待ってないじゃない。終わるわけないでしょ」

「魔法の森からこんな幻想郷の端まで飛んできてるんだぜ? 掃除なんか後回しにして付き合ってくれても良いだろ?」

「そんなこと出来るわけないでしょ。まあ確かに、毎日毎日よく来るもんだわ。暇なの?」

「はあ、遠方遥々訪れたのにその言い草……。ちょっと酷いぜ」

「冗談よ」

「ホントに冗談かぁ?」

「ホントに冗談よ」

 霊夢は境内の庭をほうきで掃除しながら、魔理沙に横顔を見せて微笑む。この二人はいつもこんな調子らしい。

……霊夢は毎日やってきては弾幕ごっこを要求する魔理沙のことを昔は鬱陶しいと思っていた。だが、あまりにも真っ直ぐに霊夢に向かってくる魔理沙に対して霊夢は特別な感情を持つようになっていった。霊夢は魔理沙を好敵手だと思うようになっていったのである。それは魔理沙も同じだった。最初は魔理沙も霊夢のことを良い練習相手だと思っていたにすぎない。だが、霊夢の圧倒的な弾幕センスに魅了され、惹かれていったのだ。彼女らの関係は奇妙なものだった。友達ではあるのだろうが、それを本気で口にすることはお互いになかった。なんとなく気が合うので、なんとなく弾幕ごっこの練習相手で、好敵手という間柄になったのだ。もっとも、弾幕センスは霊夢の方が圧倒的に上ではあるのだが……。

 

「さ、掃除終わったわよ。始めましょう、弾幕ごっこの練習を」

「待ってました! 私の改良したマスタースパークを見せてやるぜ!」

「建物には当てないでちょうだいよ?」

 



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人形使い

 霊夢との弾幕ごっこの練習を終えた魔理沙は、いつものとおり人里に向かう……。人里は、ここ幻想郷において普通の人間が集まる数少ないコミュニティである。日本の昔ながらの木造平屋建てが立ち並ぶ。魔理沙は店に立ち寄り、日用品を買い込んでいた。

 

「あら、魔理沙じゃない」

 

 金髪碧眼の美少女が魔理沙に声をかける。彼女の肩に乗った西洋人形がペコリと挨拶をするように頭を下げる。どうやら少女がピアノ線を使って操っているようだ。

 

「なんだ、アリスか。珍しいな、お前が魔法の森を出て人里に来るなんて……」

「この子の修理のために裁縫道具を買いに来たの」

 

 魔理沙にアリスと呼ばれた少女は西洋人形を宙に浮かせて回転させる。物理法則を無視した動きだ。このアリスという少女はどうやらピアノ線だけでなく、魔法も使って人形を動かしているようである。

 

「シャンハーイ!」

 

 突然、人形が高い声を出す。嬉しそうな、テンションが高そうな、……そんな声だ。

 

「相変わらず、変な言葉を話す人形だな。どうせなら、もっと面白い言葉を話させた方が良いと思うぜ?」

「私が話させてるわけじゃないわ。この子が自分の意志でしゃべってるんだから」

「人形に意思を持たせる研究……。相変わらず、意味のわからん研究をしているなあ……」

 

 魔理沙は呆れた顔で、人形を見つめる。

 

「日々、魔法の威力を高めることだけ考えてるアンタには言われたくないわよ」

「弾幕はパワーだぜ? このロマンがわからないなんて、アリスは損してるぜ?」

「そんなロマンわからなくて結構よ」

 

 今度は、アリスが呆れた顔で魔理沙を見つめる。

 

「……にしてもこの人形、明らかに西洋人形のくせに上海と叫ぶなんて、自己認識能力が欠如してるんじゃないか?」

「そこが良いんじゃない。自分のことを中国人かなにかと勘違いしている西洋人形……最高の研究対象でしょ?」

「ようわからん……」

「……そういえば、アンタ最近、博麗神社に入り浸っているそうじゃない?」

「ああ。弾幕ごっこの練習を、ちょっとな……」

「弾幕ごっこ、ねえ。あんなもの、本当に異変の解決方法になりうるの? 所詮は遊びじゃない。殺し合いの決闘に代わるものになるなんて……、私には到底思えないわね……」

「……絶対の力を持つ者が作る『遊び』だぜ? 私は上手くいくと思ってる。だからこそ、今、一生懸命練習してんだ。他の奴らから一歩抜きんでるためにな……!」

「『絶対の力を持つ者』か。えらくあの紅白巫女を買ってるのね」

「まあな……。まあ、霊夢だけじゃない。うさんくさいけど、紫とかいう大妖怪も絡んでるらしいし、上手くいくと私は思ってるぜ? アリスも弾幕ごっこの練習しとけよ! 時代に取り残されちまうぜ?」

「ま、記憶には留めておくわ」

 

 魔理沙はアリスと別れると、魔法の森の入口に向かった。行きつけの店を訪れるために……。



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水晶の取扱い

「よっ! こーりん、久しぶりだな!」

 

 行きつけの店……、香霖堂の店主に向かって、魔理沙は気さくな様子で話しかける。

 

「魔理沙か……。そんなに久しぶりな感じはしないが……、今日は何の用事だい?」

「ああ、なんか良いマジックアイテムが入荷してないか物色しにきたんだ。なんかある?」

「残念ながら、君が望むようなものは最近入荷してないよ。……どうせ弾幕のパワーを上げるような代物がほしいんだろ?」

「へへっ! あったりー!」

 

 魔理沙は無邪気な笑顔を店主の森近霖之助に見せる。霖之助は、魔理沙の父親が営む道具店で働いていたことがあり、魔理沙が幼い頃からの付き合いだ。当時、住み込みで働いていた霖之助は魔理沙から見れば頼れる(?)兄貴的存在である。ちなみにこーりんは愛称だ。なぜ、こーりんになってしまったのかは霖之助も魔理沙も忘れてしまっている。

 

「大体、この前、魔力を増幅させる水晶を持って行ったばかりだろ。アレはどうしたんだ?」

「ああ、アレか……。壊れちまったぜ?」

「壊れ……って、ええ!?」

「ちょっと、テーブルから落としたら、パリーンだ! あの程度で壊れるなんて不良品じゃなかったのか?」

「あ、あのレア物を壊しちゃったのか!?」

「ああ、見事に粉々だったぜ」

「き、君がどうしてもほしいとだだをこねるから、嫌々ながら僕は売ったってのに……。いや、正確には買ってもらってすらいないぞ! たしか、あの時も君はつけにしといてくれと言って強引に持って帰ったからね!」

「そんなにカリカリするなよ。必ずつけは払うからさ」

「はぁ」

 

 霖之助は反省の色が窺えない魔理沙を見て、ため息をつきながら頭を抱える。

 

「……とにかく、君が思うような商品は今ウチにはないよ。また日を改めて来ると良い……。それまでは僕が昔、君にあげたミニ八卦炉で我慢することだ」

「ああ、アレは未だに役に立ってるぜ。お世話になりっぱなしだ。ミニ八卦炉がなかったら、マスタースパークも十分な出力で撃てないからさ」

「マスタースパーク……。あの巨大なビーム攻撃のことか……」

「ああ、弾幕ごっこにおける私の必殺技だぜ?」

「弾幕ごっこ、ね。博麗の巫女が新たに制定しようとしている決闘のルール……。上手くいきそうなのかい?」

「なんだよ。こーりんも疑ってるのか? 私は絶対上手くいくと思うぜ?」

「……数多の争いを弾幕ごっこという遊びで決着させる……。普通の思考なら上手くいくとは思えないね。……相手を殺したいくらいの恨みを持つからこそ、殺し合いの争いが始まるんだ。それを遊びのようなもので勝負して、『はい、終わり』とはならないと僕は思うけどね」

「でも、『絶対の力を持つ』博麗の巫女が制定するんだぜ?」

「……言いかえれば……、博麗の巫女を超える者が現れれば、たったそれだけで瓦解してしまう制度とも言える……」

「心配ないって。博麗の巫女を超える可能性があるのは一人だけだ」

「……そんな奴を魔理沙は知っているのかい?」

「ああ!」

 

 魔理沙は親指を立て自分に向ける。

 

「この私だ!」

「…………」

 

 霖之助は頭を抱えて眉間にしわを寄せるのであった……。

 



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霖之助の気遣い

「君が博麗の巫女を超えるなんて冗談は置いといて、ミニ八卦炉は持ってきているかい?」

「ひっでえ反応だなあ。冗談なんかじゃないぜ?」

「わかった、わかった。わかったから見せてもらえるかい」

「冗談じゃないのに……」

 

 魔理沙は頬を膨らませながら、八角形のマジックアイテムをポケットから取り出し、霖之助に手渡す。

 

「ひ、ヒヒイロカネで作ったミニ八卦炉が、こんな……ボ、ボロボロに……」

 

 霖之助は青ざめながら、ミニ八卦炉を点検する。

 

「……応急処置だが……、はんだごてで埋めておくか……」

 

 霖之助ははんだの鉛をミニ八卦炉の削れてしまったところにあてがっていく。

 

「おい、こーりん! 金色のミニ八卦炉に鉛が入り込んで、見た目が悪くなってるじゃねえかよ!」

「これ以上ヒヒイロカネが削れて無くなるよりはましだろう……?」

 

 霖之助は修理が終わると、魔理沙にミニ八卦炉を返す。魔理沙は受けとったミニ八卦炉を確認した。

 

「うわぁ。だせえ……」

「文句を言うな! そもそも、僕がただで上げたものなんだから、別に良いだろう?」

 

 このマジックアイテム『ミニ八卦炉』は魔理沙が森の家で一人暮らしを始める際に、心配した霖之助が魔理沙に渡したものである。霖之助は当時のことを思い出しながら、魔理沙に問いかける。

 

「……親父さんとは家出してからずっと会ってないらしいね?」

「なんだよ、こーりん。お説教か? 何言われても私は実家には戻らないぜ?」

「……この前、人里に行ったんだが、霧雨道具店に顔を出してきたよ。……親父さん、君が帰って来ないことを心配していた。たまには顔を出してあげたらどうだい?」

 

 霖之助の言葉を聞いた魔理沙の顔が紅潮する……。眉もつり上がる。

 

「なにが、心配してる、だ。あんな奴知るもんか!」

 

 魔理沙は、大声を出して、香霖堂を立ち去る。怒りの矛先を霖之助に向けることは間違っていると、魔理沙も理解していたが……、我慢できなかったのだ。霖之助は走り去っていく魔理沙の後姿を見ながら、ため息をつくのであった。

 

 森の家に帰り着いた魔理沙は、荷物を乱雑にテーブルの上に置くと、すぐにベッドにもぐりこむ……。

 

「くっそ! ムカつくぜ! 心配なんてすんなよ……! ……あいつが悪いんだ……! 私が魔法使いになることを許してくれないから……!」

 

 魔理沙はうつ伏せに寝て、拳を握りしめ、ベッドを叩く……。疲れていたのだろうか。しばらくすると、魔理沙は小さな寝息を立て始め、眠りに就くのであった。



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大幣使い

 香霖堂の一件から数日が経った。魔理沙はいつもどおり、博麗神社で霊夢と弾幕ごっこの練習をしている。あれから、香霖堂に魔理沙は立ち寄っていない。謝らないといけない、と魔理沙も感じてはいたが、どうにも気まずかったのだ。

 

「マスター・スパーク!」

「…………」

 

 魔理沙は宙に浮く霊夢に向かって、巨大なビームを射出した……が、霊夢はそれを寸前でかわし、ビームのすれすれの位置で魔理沙に向かって移動してくる。

 

「なに!?」

 

 まるで、ビームが霊夢を避けているかのような、なめらかな動きを魔理沙は見せ付けられる。霊夢は高スピードで魔理沙に接近すると、大幣を魔理沙の目の前に突きつける。「やられる」と思った魔理沙は眼を瞑る。魔理沙が眼を瞑ったことを確認した霊夢は優しくデコピンした。

 

「はい。またわたしの勝ち、ね」

 

 霊夢は魔理沙に微笑む。

 

「はぁ。また、負けかよ……」

「……あんた、ここ数日、なんか考え事しながら闘ってるでしょ……。そんなんでわたしに勝てるはずないでしょ」

 

 霊夢は大幣で自分の肩を叩きながら眉間にしわを寄せる。

 

「く、くそっ! もう一回勝負だぜ!」

「だーめ。集中できてなかったら、練習しても意味ないわ。今日は終わり!」

 

 霊夢はそう言うと、境内の庭に着地する。魔理沙も後を追って地面に降りた。

 

「あら、魔理沙。今日も来ていたのね……」

 

 妖艶な声が境内に響く……。決して大きな声を出しているわけではないのに……その女妖怪の声には妙なプレッシャーが感じられた。

 

「……紫、来てたのね……。今日は寝てなくていいのかしら?」

「久しぶりに会いに来たのに、つれないのねえ……。霊夢……」

「今日は何しに来たの? あんたは用がある時しか現れないものね」

「あら、私もたまにはなんとなく、博麗神社を訪れることもあるのよ。霊夢が元気かなあって気になって……」

 

 霊夢は訝しんだ眼で紫を見る。霊夢は知っていた。この妖怪が……紫が様子を見るなんてしょうもない理由で訪れることなどない、と。

 

「で、本当は何用なの?」

「信じてくれないのねえ。ま、確かに用があって来たのよ」

 

 紫は右手に持った扇子を広げ、口元を隠すようにして話す。

 

「例の新ルール……『弾幕ごっこ』について調整をしようと思ったの。二人で話したいわ……」

「……わかったわ。すぐに準備する。悪いわね、魔理沙、やっぱり今日は帰ってもらえる?」

「ああ、わかったぜ……」

 

 魔理沙としても、その場を立ち去りたかったので、霊夢の願いを聞き入れることにした。魔理沙はどうにもこの紫という妖怪が苦手だった。……決して広くはない……が、海よりも深い懐があるこの幻想郷にあって、紫はトップに近い実力を持つ大妖怪なのだ、と霊夢から聞いたことがある。新ルールの制定にも尽力しているらしい。だが、どうにも気が合わなそうだった。紫の魔理沙への視線がまるで邪魔者を見ているように感じられたのだ。特に、嫌味を言われたわけでも、睨まれたわけでもない。ただ、この博麗神社から……霊夢のもとから去れと言わんばかりの対応をされるのだ。……優しい口調で、間接的な表現で……。

 

「じゃあな。霊夢! また、今度な!」

 

 そう言って、魔理沙はほうきにまたがり、空を飛んで魔法の森へと帰っていった。魔理沙が去っていった後、霊夢は紫に向かって口を開く。

 

「前も言ったけど……、魔理沙との練習をやめる気はないから……!」

「……頑固な子ね。悪いことは言わないわ。友達は選びなさい」

「うるさいわね。私が付き合う人間は私が決める。口出ししないでちょうだい……!」

「……あなたと魔理沙は根本的に人種が違う。それはあなたもわかっていることでしょう? ……今度、妖怪の山に外の世界から神社を建てに人間の巫女がやってくるらしいわ。友達が欲しいなら、そちらにしなさい……」

「外の世界から神社を建てに来るなんて、珍しい奴らもいるもんね……。……黙認するつもりなの?」

「ええ、幻想郷は全てを受け入れる。そして、幻想郷を危険に晒そうとするのなら……消えてもらう。それだけのことよ」

「…………」

 

 霊夢の額に冷や汗が流れる。霊夢自身、嫌というほどわかっていることだが、紫の幻想郷への愛は深い。どんな手段を使ってでも幻想郷を守ろうとするその意志は狂気じみているようにさえ霊夢には感じられることがある。霊夢は話を弾幕ごっこに戻すことにした。

 

「そもそも、弾幕ごっこはあの子のような普通の人間も対等に妖怪や神と交渉できるようにするもの。だから、魔理沙には強くなってもらわないといけないのよ……!」

 

 霊夢は紫に魔理沙との関係を認めさせようと詰め寄る。

 

「……あなた、今、自分が何を言ったかわかっているの? やっぱり、あの子と……魔理沙と付き合うのはやめなさい。あなたのために……」

 

 紫は憐れむような眼で霊夢を見つめる。その真意を霊夢は理解することができないでいた。



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あふれる活気

「ちぇっ! 暇になっちゃったぜ……」

 

 魔理沙はほうきに乗り、風を受けながら独り言を呟く。もう少し、博麗神社に滞在するつもりだったのだが……、思わぬ紫の博麗神社来訪があり、予定よりも早く神社を出ることになってしまった。

 

「どうせ、家に帰っても暇だしなあ……。……人里にでも寄るか……」

 

 特に人里に用事があるわけでもなかったが、暇を持て余すのももったいないと感じたのだろう。魔理沙は人里に降り立った。人里に着いた魔理沙は人里が少し騒がしいことに気付く。あくまで幻想郷比ではあるが、里は普段から活気にあふれている。だが、この日は普段にも増して活気にあふれていた。活気の原因が気になった魔理沙は音を頼りに騒がしい声がする方に動いて行く。しばらく、歩いていると、人だかりができている場所を見つけた。魔理沙は人だかりの一番外にいた男に事情を聞く。

 

「なあ、なんでこんなに人が集まってるんだ?」

「おっ、霧雨さんのとこのお穣ちゃんか」

 

 魔理沙は霧雨さんというワードを出されて、眉をひそめる。人里は決して広くはない。自分を知っている人間だって当然多い。魔理沙が家出した後、魔法の森に住んでいるのも霧雨道具店の娘という扱いをされるのが煩わしいからだ。普段なら、適当に挨拶をして去る魔理沙だが、今日に限っては人だかりの原因に対する好奇心が大きく、男に回答を求める。

 

「なんでも、誰でも魔法が使えるようになるマジックアイテムを売っているらしいんだ。皆大盛り上がりさ。魔法を使える人間は限られるからなあ。ホントに誰でも使えるってんなら、大金出してでも買いたい奴はいるんじゃないか?」

「誰でも魔法を使えるようになる?」

 

 魔理沙は再び眉をひそめる。魔理沙はかなりの努力をして魔法を使いこなせるようになったクチだ。だからこそ、魔法の習得が難しいことは誰よりも知っている。

 

 そもそも、魔理沙は人里に住む一般的な人間の中では魔法を上手く扱えていた方だった。しかし、それでもアリスのようなベテランの域に達する魔法使いの実力には遠く足元にも及ばない。

 

 魔理沙には悔しい現実だが、アリスのように年数を重ねずに強力な魔法を使おうとするならば、生まれ持ってのセンスがどうしても必要になるのだ。……魔法とは発動原理が異なるため、比較は難しいが……、いつも霊夢と弾幕ごっこを行い、霊夢の術を見せ付けられ、センスの違いを目の当たりにさせられている魔理沙は、誰でも魔法を使えるアイテムがあると言われても信じることができなかった。

 

「一体、どんなペテン師がいるんだ?」

 

 魔理沙は独りごとを言いながら、アイテムを売っている人間を確認しようと人ごみをかき分け、前に進む。人ごみを抜け、視界が開けると、そこには背の低い老婆が大量の水晶を机に並べていた。



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惜しい人材

「ほれほれ、いまから、このお嬢ちゃんに炎を出してもらうからのう……」

 

 老婆は机に大量に並べていた水晶の一つを5~6歳の幼い女の子に手渡す。

 

「どうやればいいの?」

 

 幼女は首を傾げながら不安そうな様子で老婆に尋ねる。

 

「かまどの火を頭に思い浮かべるんじゃ。それだけで炎が出てくる……」

 

 老婆は幼女に微笑みかけながら説明する。説明を受けた幼女は眼を瞑ると、「かまど、かまど、かまどの火……」と舌足らずな独り言を呟く。老婆の進言どおりにかまどの火を思い浮かべているのだろう。幼女が独り言を呟き始めると、程無くして、水晶が光りだした。……水晶から、リンゴ程の大きさの火球が飛び出すと、破裂し、1メートル程の火柱が立つ。その様子を見物していた人だかりから歓声が湧く。

 

「あんな小さな子が使っても魔法が出るなんて……。ホントに誰が使っても魔法が使えるんだ……!」

 

 一人の青年が興奮を抑えきれずに感想を叫ぶ。

 

「お嬢ちゃん、熱くなかったのかい? おじさんたちは炎がすごく熱かったんだけど……」

 

 幼女は中年からの質問に首を横に振り、熱くなかったことを伝える。

 

「術者にはダメージを与えない、安全機能付きじゃ。熱い訳がなかろう……!」

 

 老婆は中年からの幼女への質問に口をはさみ、水晶の高性能さをアピールした。魔理沙は茫然と口を開いている。水晶のことを疑っていた魔理沙は、本当に魔法が発動することに驚きを隠せなかった。

 

「ほれほれ、試し打ちしたい奴は並ぶんじゃ」

 

 集まっていた人々は我先にと並び始めた。魔理沙も水晶に興味を持ち、列に並ぶ。水晶がどのような仕組みで魔法を発動させているのか気になったのだ。魔理沙は待っている間、試し打ちをする人々の様子を観察していた。水晶には色々種類があるらしく、炎だけでなく、水や雷を出せるものもあるようだ。皆、興奮した様子で試し打ちをしている。そして、魔理沙の番がやって来た。

 

「ばあちゃん、この水晶からは何が出るんだ?」

「最初に小さなお穣ちゃんが使ったのと同じものじゃよ。炎が出る……。……お嬢ちゃん、あんた魔法使いかい?」

「……まあな」

 

 老婆は怪しげな頬笑みを魔理沙に向ける。魔理沙は水晶に魔力を込める……!

 

「おお……!」

 

 人だかりから歓声が上がる。魔理沙が持つ水晶から、巨大な炎があふれたからだ。火柱は3m程上がり、炎の体積も一般的な人里の者が出した炎よりも明らかに大きい。魔理沙は人々の反応に対し、得意気な表情で顔を緩める。顔の緩みが気付かれないよう魔理沙は帽子のつばを握り、深くかぶりなおした。

 

「これでも、私の最大出力の十分の一も出してないんだぜ?」

 

 魔理沙は帽子のつばを握ったまま、老婆に向かって眼を合わせる。

 

「うむ……。洗練された良い魔力じゃ……。厳しい鍛錬を積んでおることが見受けられる……。それ故に、じゃ……。惜しい人材じゃのう……」

「惜しい人材? 何の話なんだぜ?」

 

 魔理沙は老婆の言葉が引っ掛かり、質問する……が、老婆はその問いに答えることはなく、人だかりに向かって宣伝を再開した。

 

「さあ、さあ、もう試し打ちはこれくらいで良いじゃろう? この、世にも珍しい誰でも魔法が使える水晶。火起こしに困ることもない。水を井戸まで汲みに行く必要もない。暑い日に氷も出せる。今なら一つ十円じゃ。お買い得じゃー!」

「十円かぁ。でも、悪い買い物ではないんじゃないか?」

 

 老婆のうたい文句に反応し、人々は値段に見合ったものかどうか、確認するために会話をしている。

 

 幻想郷において、一円は外の世界の一万円程度だ。つまり、十円は十万円程度である。決して安い買い物ではないが……、電気、ガス、水道がまだまだ行きとどいていない人里にあって、老婆の売り出した水晶は便利なアイテムとして人々の目に映る。大金を出してでも手に入れたいと思うのは仕方がないことであった。人々は長蛇の列を作り、彼らの望む魔法が出せる水晶を買って行く。魔理沙もまた、その長蛇の列に並んでいた。理由は水晶の仕組みが全く持って理解できなかったことにある。

 

「この水晶に掛けられた術式……、暴いて私のものにしてやるぜ……!」

 

 魔理沙は不敵な笑みを浮かべながら独り言をつぶやく。炎を出せる水晶を手に入れた魔理沙は水晶を見つめて思索にふける。

 

「良い口実ができたな……」

 

 魔理沙はほうきにまたがり、魔法の森方面に向かった。行きつけの店……、香霖堂を訪れるために……。



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用途不明

 香霖堂に到着した魔理沙は、声を出しながら扉を開く。

 

「こーりん、いるかぁ……?」

 

 心なしか、魔理沙はいつもよりも小さな声で挨拶をする。香霖堂の店主、森近霖之助は椅子に座りながら観賞していたアイテムを机に置き、ずれていた眼鏡を指で持ち上げ、矯正した。

 

「魔理沙か……。今日は何の用事だい?」

 

 魔理沙は霖之助が怒っている様子でないことを見て、少し胸を撫で下ろす。しかし、謝罪の言葉はかけるべきだと思いなおし、口を開いた。

 

「そ、その、ごめんな……。この前は、なんか、こーりんに八つ当たりしたみたいになっちまってよ……」

 

 魔理沙の謝罪の言葉は決して、丁寧なものではない。だが、霖之助にしてみれば、謝るだけ大人になったのだと魔理沙の成長に微笑む。そもそも、まだまだ小娘である魔理沙の癇癪にいちいち目くじらを立てるほど霖之助も未熟ではない。

 

「なんだ、そんなことを気にしていたのか。君がそんなに繊細だなんて知らなかったよ」

 

 霖之助はとぼけた様子で魔理沙に冗談めいた言葉を掛ける。魔理沙は霖之助が怒っていないのを見て安心したのだろう。満面の笑みを浮かべながら反論する。

 

「ひどい奴だぜ。魔理沙さんも悩み多き、可憐な美少女なんだぜ?」

「わかった。わかった」

 

 霖之助は少し俯き加減でため息を漏らす。微笑みながら……。

 

「それで、何の用事なんだい?」

「あ、ああ。安心してつい忘れてたぜ……。なあ、こーりん。これ、調べてくれないか?」

 

 魔理沙は人里で老婆から購入した水晶を霖之助に渡す。霖之助は眼鏡に手を当て、水晶にピントを合わせた。霖之助は特異な能力を持っている。『未知のアイテムの名称と用途がわかる程度の能力』である。これまでも魔理沙は買ったり拾ったりしたアイテムで用途不明のものは霖之助に鑑定してもらっていた。

 

「うーん、この前、君にただで持っていかれた水晶に似てるね。魔力を増幅させる機能が付いているようだ」

 

 霖之助はチクリと嫌味を言うが、魔理沙は意に介さない。

 

「他には?」

「まあまあ、そんなに慌てるなよ……。えーっと、……術者から魔力を吸い取り、炎に変換する機能も付いている」

 

 魔理沙は少しがっかりする。霖之助に見せて何か術式を特定できるヒントを得ることができれば……と考えていたからだ。だが、霖之助が話した用途は人里で確認済みだ。新たな情報の取得は難しそうだと諦めかけた時、霖之助が驚きの声を上げる。

 

「なんだ……? どういうことだ、これは!?」

「どうしたんだ? こーりん!」

 

 魔理沙は背伸びをして霖之助が持つ水晶を改めて凝視する。

 

「このアイテムの名前と用途の一部が分からないんだ……」

「は、なんだよ、それ。使えないなぁ、こーりん!」

「……き、君、さっきまで、しゅんと落ち込んで謝ってたのに、僕が怒ってないからって切り替えが早すぎやしないかい?」

「ま、まあ。良いじゃん。それよりも名前と用途が分からないって、どういうことなんだぜ?」

「言葉通りの意味だよ。僕の能力を持ってしても名前がわからない。魔力増幅と炎を出すって用途以外の用途もわからない。何かしらの術がかけられている。まるで、目の前にもやがかかっているみたいだ……。僕の能力行使が妨害されている……」

「何で、そんな術がかけられてるんだろうな……?」

 

 魔理沙は腕組みをして口をへの字に曲げる。

 

「……あんまり良い予感はしないね……。何かの異変の前触れかも……」

 

 霖之助の異変の一言に魔理沙は眼を輝かせる。

 

「異変かぁ……。これは霧雨魔理沙さんの出番なんだぜ!」

 

 魔理沙は霖之助から水晶を奪うと一目散に出口に向かう。

 

「おい、魔理沙! なにをするつもりだ!?」

「もし、これが異変なら……、霊夢より先に解決してやるんだぜ!」

 

 魔理沙は扉を出るや否や、ほうきにまたがり、空に飛び立つ。

 

「危ないことはするんじゃないぞ!」

 

 霖之助も出口を飛び出し、空を飛ぶ魔理沙の背に向けて大声で忠告する。

 

「……まったく困った子だ。……嫌な予感がする……」

 

 霖之助は小さくなる魔理沙の背中を険しい表情で見つめていた。



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行く先不明

 魔理沙はほうきに乗り、風を切り裂きながら高速で移動する。目的地は人里だ。霖之助の能力、『未知のアイテムの名称と用途がわかる程度の能力』を持ってしても正体がわからないアイテム……水晶を売っていた老婆に接触するためである。

 

「どこに行ったんだ? あの婆さん……」

 

 魔理沙は老婆が水晶を売っていた場所を訪れたが、既に老婆の姿はなかった。魔理沙は通りすがりの青年に尋ねる。

 

「なあ、そこのお兄さん。ここで水晶を売ってた婆さんがいただろ。どこに行ったか知らない?」

「さあ? 水晶が売切れたら、すぐにその場を後にしていたよ」

「どこに行くか、言ってなかった?」

「オレは聞いてないねえ……」

「そっか……。呼びとめたりして悪かったな。サンキュー」

 

 その後も魔理沙は、付近で店舗を営む者や、遊んでいた子供などに聞いてまわったが……、老婆の行き先を知る者に遭遇することはなかった。

 

「くっそー……。あの婆さんに聞くのが一番手っ取り早かったんだけどなぁ……。……見つからないもんは仕方ないか……」

 

 魔理沙はほうきにまたがり、空を飛ぶ体勢を取ろうとした。怪しいマジックアイテムが出回っていることを博麗霊夢に伝えるためである。しかし、飛ぶ寸前、魔理沙は博麗神社に向かうことを思いなおした。

 

「ここで霊夢に教えたら、また私が異変解決で負けちゃうぜ……」

 

 ……これまでも、ここ幻想郷では異変がたびたび起こっていた。異変とは、辞書では非常の事件、事態という意味であると書かれているが、幻想郷においては、さらに特別な意味が込められる。安定した幻想郷に不具合が生じることを総じて異変と呼んでいるのだ。

 

 幻想郷は現代社会と隔離され、絶妙なバランスでその存在を維持している。それ故、妖怪や人間、時には神が好き勝手な行動……つまり、異変を起こすことが原因で、幻想郷が消滅しかねない事態に発展することがあるのだ。そのため、幻想郷が危機に陥らないよう、代々、博麗神社の巫女は異変を解決することが責務となっている。当然、霊夢も異変が起こればその都度、解決していた。霊夢と知り合いになってからは魔理沙も、異変解決に首を突っ込むようになっている。

 

 魔理沙が異変解決に精を出す理由はいろいろある。異変を起こすような猛者と一戦交えてみたい、自分の力を試したいといった理由もあるが……、一番はやはり霊夢に勝ちたいという理由だろう。魔理沙は霊夢よりも早く異変を解決することで、霊夢にライバルだと思われたいのだ。しかし、これまで起こった異変で、魔理沙が霊夢より早く解決できたことは一度もない。今度こそは霊夢より早く異変を解決したいと魔理沙は考える。

 

「……まだ、異変と決まったわけじゃないし……霊夢に言う必要ないよな? それに今回こそ、あいつよりはやく異変を解決したいしな……。独自で調査させてもらうぜ……!」

 

 ……魔理沙は今回の異変を軽視していた……。これまで魔理沙が関わってきた異変が、結果的に大したものではなかったことも影響しているのだが……。

 

「明日から調査開始だな! 原因を掴んでおいて……、霊夢が異変に気づいた途端に魔理沙さんが解決してやるんだぜ!」

 

 魔理沙は博麗神社に行くことなく、魔法の森に……自宅に向かう。魔理沙は知らなかった。今回の異変が……、これまで魔理沙が関わってきた異変と比べ物にならないほど、深刻で大きなものであるということに……。



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気色悪い

 次の日……、魔理沙はいつものように博麗神社を訪れていた。霊夢と弾幕ごっこの練習をするためである。

 

「……いい動きじゃない……」

 

 霊夢がポツリと一言こぼし、口元を歪める。魔理沙の動きはここ最近で一番の仕上がりになっていた。理由は単純である。霖之助とのわだかまりが解消され、迷いがなくなったからだ。魔理沙は霊夢を超える高スピードで翻弄する。近距離戦も遠距離戦も……弾幕ごっこに必要な能力のほぼ全てが霊夢に劣る魔理沙ではあるが、ほうきに乗っている時の単純な最高速だけは霊夢を上回る。

 魔理沙は霊夢の放つお札の弾幕をスピードで振り切りながら、霊夢に照準を合わせる。魔理沙の必殺技、『マスタースパーク』をお見舞いするために……。

 

「今日こそは、一本もらうぜ……!マスター……」

 

 魔理沙がマスタースパークを放とうとした瞬間だった。霊夢が持つお札から強力な閃光が放たれ、魔理沙の視界が奪われる。あまりの眩しさに魔理沙はほうきを握っていない左腕で顔を覆う……と同時に移動を止めてしまった。

 

「スピードで上回ってるからって慢心し過ぎよ」

「ええ……」

 

 視界が戻った時には、魔理沙の首元に背後から大幣がかけられていた。まるで、暗殺者がナイフでターゲットを始末するような形だ。

 

「いつの間に背後にまわったんだよ……」

 

 魔理沙は冷や汗を額ににじませる。

 

「今回も私の勝ちね。お団子代よろしく」

「……いつも私がお団子おごってる気がするぜ……。くっそー……」

「休憩にしましょう。お団子おごってもらってるから、お茶くらいは出すわよ」

 

 霊夢は魔理沙が落ち込んでいる姿を見て、切り替えさせようと休憩を提案する。魔理沙も一旦気持ちを落ち着けるため、霊夢の言葉に乗っかり、縁側でお団子を食べることにした。

 ふたり揃って、縁側に腰を置き庭の方を向く。霊夢はある程度姿勢良く座り、目を閉じ、両手で持った湯のみをすする。一方魔理沙は両手を縁側に着き、体を後方に傾けながら、口を半開きにして空を見つめていた。それぞれにリラックスできる体勢を取りながら、お団子を食べていた時、魔理沙は思いだしたように口を開いた。

 

「……最近、平和だぜ……。異変も起こってないし……。なぁ、霊夢、最近おもしろいことやおかしいことはないのか?」

「ないわよ。というかあったら嫌よ」

「……お前、ホントやる気ないのな……」

「やる気がないわけじゃないわよ。私の仕事がないってことは、平和ってことなんだから……」

 

 魔理沙は霊夢の反応を見て、水晶の件はまだ、霊夢の耳には入ってないだろうことを確認し安堵する。今回の異変疑いのある怪しい水晶の事件、魔理沙は自分が原因を見つけるまで霊夢には知られたくないのだ。

 

「よっと!」

 

 魔理沙は縁側から立ち上がり、ほうきを手にする。

 

「そんじゃ、私は帰るぜ」

「……珍しいわね。こんなに早く帰るなんて……」

「ちょっと用事があるんだ」

「あっそう」

「おいおい、もう少しさみしそうにしてもらってもいいんだぜ? 『魔理沙……もう帰っちゃうの?』ってかわいらしく言ってくれても良いんだぜ?」

「なによ。その女々しい言い方は……。気色悪い……」

「たしかに……霊夢がそんな言葉を言ったら気色悪いな……。自分で言ってて鳥肌が立ってきたぜ……」

「……あんた、ケンカ売ってんの? ったく……」

「そんじゃ、また明日な……!」

「はいはい……」

 

 魔理沙はほうきで飛び上がり、博麗神社を後にする。魔理沙はとりあえず、今日の目的地も人里にした。老婆が訪れているかもしれないと考えたのだ。

 魔理沙は人里に降り立つ。今日も街ゆく人に声をかけ、老婆が来ていないか尋ねてまわった。しかしわかったことは老婆が人里を訪れたのは昨日の一度だけで、それ以降は人里に姿を現していないらしいということくらいだった。

 

「……婆さんと会うのは難しそうだな……。まあ、いいや。それなら今日はこのアイテムの正体を突き止めに行くか……!」

 

 魔理沙は再び、ほうきにまたがる。妖怪の山と呼ばれる山。その麓に向かって飛び立った。

 



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河城にとり

 妖怪の山の麓……そこに流れる川の近くで魔理沙は尋ね人を探す。

 

「お、いたいた」

 

 緑の帽子に青い上着、そして青いスカートを着た少女が一人。見た目の年齢は魔理沙と同じくらい……十代前半くらいだろうか。少なくとも、背丈は魔理沙とそこまで変わらない大きさだ。少女はその小さな体に似合わない大きなリュックを背負っていた。

 

「おい、カッパ! 久しぶりなんだぜ!」

「なんだ、盟友か。どうしたんだい? 珍しい。わざわざこんなところに来るなんて……」

「ちょっと、調べてもらいたいことがあってさ。カッパんところの研究所で調べてもらえたらって思ってんだ。良いだろ?」

「盟友の頼みだからな。聞いてあげてもいいんだけどさ。これは貰わないと……」

 

 カッパと呼ばれた少女は親指と人差し指で円のマークを作る。駄賃をよこせということらしい。魔理沙も金を要求されることは想定していたらしく、ごそごそとエプロンのポケットから、ガラスの破片のようなものを出し、カッパに見せる。

 

「盟友、なんだいこれは?」

「ちょっと前に香霖堂の店主に譲ってもらった魔力を増幅させる水晶……の破片さ……! こういうの好きだろ?」

 

 魔理沙は霖之助から半ば強引に持っていった水晶を……壊してしまった水晶の破片を駄賃代わりにカッパに渡そうとする。魔理沙はカッパが未知のマジックアイテムを研究対象として好んでいることを知っていた。未知のアイテムだけではない。現代社会……幻想郷の住人たちは「外の世界」と呼んでいるのだが……その外の世界から入って来た機械などの類もカッパは研究対象として興味を持っている。要するにカッパは知的好奇心が強いのである。その性質を熟知していた魔理沙はカッパが水晶の破片に食い付くはずだ、と思っていたのだが……。

 

「ふっふっふっふ……。残念だったな盟友。今、そういった類の研究材料はたんまりストックしてあるんだ。それじゃあ、駄賃にならないねぇ」

「ええ……。マジかよ。仕方ない。それじゃあ、魔理沙さんのなけなしの一円を払うんだぜ……」

 

 魔理沙はエプロンから財布を取り出し、一円札をカッパに渡す。カッパは受け取った一円札をスカートに着いたポケットに入れると、にやりと口を歪める。

 

「交渉成立だ。限られた者だけが入ることを許される我らが研究所に盟友を招待しよう……!」

「……なんか、秘密結社に招待するような雰囲気出してくれてるが……、私はもう何度もお前らの研究所を訪れているからな?」

「盟友……、雰囲気が大事なんだよ。雰囲気が!」

 

 妙なこだわりをみせるカッパとともに魔理沙は川沿いを上流に向かって歩く。しばらくすると、滝が見えてきた。魔理沙とカッパは滝の裏側に入り込む。そこには洞窟の入り口が構えられていた。二人は洞窟の中に入り込み、歩みを進める。百メートル程あるいただろうか。岩場だった足元が、整地されたアスファルトに変わる。間もなく、開けた空間が現れ、内部がはっきりと見えてきた。内部は近代的な構造となっており、ハイテク機器と思われる様々な機械が設置されていた。そこではカッパと呼ばれた少女とほぼ同じ格好をした少女たちが何やら作業に明け暮れている。

 

「何度も来ているとはいえ、相変わらず、凄いところだぜ。ここは……」

 

 魔理沙はきょろきょろと辺りを見回す。

 

「盟友、見学は結構だが、勝手に触るんじゃないぞ。下手したら死ぬからな……」

「物騒なことを言うなよ……。それとさっきから気になってたんだが、その盟友と呼ぶのやめてくれないか? 他の人間にも同じ呼び方をしてるんだろ? 誰を呼んでるかわからなくなるじゃないか。私には魔理沙っていう可愛らしい名前が付いてるんだ。それで呼んでくれよな!」

「……だったら、そっちも私のことをカッパと呼ぶのはやめてくれないか? ここにいるのは全員カッパなんだからさ」

 

 緑の帽子に上下とも青い服で身を包んだ少女は自らの同胞をカッパと呼んだ。そう、ここにいる少女たちは魔理沙が呼んでいた通り、カッパなのである。現代社会の日本人が普段イメージしている頭に皿を乗せた口ばしのある妖怪とは似ても似つかない姿ではあるが……。

 

「悪い悪い。じゃあ、今度からちゃんと『河城にとり』って呼ぶぜ。さ、いつもの部屋に案内してくれよな。河城にとり!」

「なんでフルネーム!? にとりだけでいいよ! うっとうしいなぁ……」

 

 魔理沙とにとりは『いつもの部屋』に辿り着く。部屋には『不明物質調査室』と書かれていた。にとりは調査室の鍵を開け、蛍光灯のスイッチを押し、明かりを灯す。

 

「よし、入っていいぞ、盟友!」

「……お前は私の呼び方変えないのかよ……」



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水晶の正体

 魔理沙は調査室の中に入る……。以前使わせてもらった時と相変わらず、魔理沙にはどういう風に使うかわからない機械が所せましと並んでいた……。魔法使いである魔理沙はどちらかと言えば、科学系の知識には強い方だ……。だが、ことカッパ達が持つ機械に関しては余りに高度な技術が使われているのでなんとなく理解できる程度であった。

 

「さて、盟友は何を調べたいんだい?」

 

 にとりが調査対象の物品を出すように催促する……。魔理沙は例の老婆から購入した誰でも魔法が使えるようになる水晶を取り出し、にとりに見せた。

 

「これかぁ……。これについては今、調査中なんだよなぁ……」

「これに見覚えがあるのか!? にとり!」

「ん? ああ。3~4日前かなあ。私よりも背が低いくらいの人間の老婆から買い取ったんだ。誰でも魔法が使えるようになる、なんて詐欺としか思えないような触れ込みで売り付けてきたんで、最初は怪しんでたんだけどさ……」

「その婆さんがどこに行ったか、知ってるか!?」

 

にとりは無言で首を振る。魔理沙は「そうか……」とため息をこぼす……。

 

「盟友はなんでこれを調べたいと思ったんだい?」

「香霖堂で一度見てもらったんだけど……、こーりんにも名称と、一部の用途がわからなかったんだ。それで気になってな。まあ、どんな術や原理で動いているのか知りたいってのもあるぜ」

「こーりん? 香霖堂の店主のことかい? 確かに妙だね。あのお兄さんの能力でも名前や用途がわからないってのは……」

「お前らはどんな水晶を婆さんから買ったんだ?」

「どんなって言っても一杯買ったからねえ」

 

 そう言いながら、にとりはいくつも木箱を持ってくる……。

 

「おい、まさかこの中に入ってるの全部……」

 

 魔理沙は木箱のふたを開いて中を覗く……。そこには一個十円する水晶が隙間なく詰まっていた……。

 

「お前ら一体いくつ買ったんだよ!?」

「一万円分ぐらいかなぁ……」

「い……一万円!?」

 

 幻想郷では一円が現代日本でいう一万円程度の価値に相当する。つまり、にとりたちが払った一万円はおよそ一億円程度と言うことになる。

 

「お、お前らそんな金持ちだったのか!?」

「ふっふっふっふ。最近、すごいスポンサーさんが私達についてくれたんだ。おっと、どこのだれかは盟友相手であっても言えないよ。企業秘密ってやつだからね」

「こんなに買って何に使うんだよ……」

「盟友と同じさ……。この水晶の仕組みを調べるためだよ。仕組みを暴いて大量生産できるようになれば、儲けられるからね」

「……私は魔法の知識を深めたいだけで、儲けたいわけじゃ……」

 

 魔理沙の言い分を聞き流し、にとりは話し続ける。

 

「個人的に購入しているカッパ達も結構いたよ。わたしたちカッパも人間程ではないとはいえ、魔法が下手だからね。魔法が使えないカッパ達は我先にと好みの魔法が出せる水晶を手に取っていたよ」

 

 人間も妖怪もそういう部分は大差ないんだな、と魔理沙は思いながら、本題についてにとりに質問する。

 

「で、にとりたちはこの水晶の仕組みがわかったのか?」

「いや、まだほとんどわかってないんだ。十分の一くらいさ。さっきも言ったけど、わたしたちカッパは魔法に疎いからね。調査には時間がかかりそうなんだ。まあ、ひとつだけ確かなことはある。もっとも私達カッパにとっては残念な事実ではあるんだけど……」

「その残念な事実ってのは何なんだぜ?」

「……この水晶、魔力を増幅させているわけじゃないんだ……」

「え?」

 魔理沙はキョトンとしてしまう……。魔理沙自身もこの水晶を手に取って使用していたからだ。その時の印象としては明らかに魔力は増幅されているように感じた。軽く魔力を込めただけでもそれなりに大きな炎が出せたからだ。

「わたしたちは当初、魔力の低いカッパが魔法を出せるようになってるもんだから、てっきり、この水晶は魔力を増幅させるもんだと思ってたんだ。でも、魔力の数値を計ってみたら……魔力の総量に変化はなかったんだよね」

「おいおい、じゃあ、なんで術者の実力以上に大きな魔法が発動するんだよ」

「単純なことさ。この水晶は効率化を突きつめた代物なんだ」

「効率化?」

「そ、盟友も知ってるいだろうけど、魔法を使う時、魔力の全てが魔法になるわけじゃない。どんなに熟練した魔法使いでも魔力が空気中に発散したり、魔法とは関係ない光や熱になってしまったりするからね。……この水晶は素人が使っても玄人なみの効率化を実現するアイテムってわけさ。もちろんそれができるだけでも凄いアイテムであることには変わりないんだけどさあ。私達カッパからすれば、もし、魔力が増幅されているんであれば、この水晶の仕組みを理解することで夢の永久機関が作れるんじゃないか、と思ってただけに残念だったんだ……」

「魔力の効率化……か。そんなことだけで、あんなに出力があがるのか……?」

 

 魔理沙は手を顎に当て思索に耽る……。どうにも納得できなかった。魔理沙も魔力のロスがあることは知っている。だが、それを改善するだけで小さな子供が実用的な魔法を使えるまでになるものなのだろうか、と魔理沙は疑問に思う……。

 

「……また、何かわかったら教えてくれよな!」

 

 魔理沙は水晶から眼を離さずに、にとりに話しかける。

 

「……私達も魔法方面からの見解を聞きたいから、情報交換してくれるなら、大歓迎だよ」

「よし、それじゃ返してくれるか?」

「え、何を?」

「一円だよ。結局私の持ってきた水晶は調べてないわけだし……」

「いやいやいや、十分情報は渡したでしょ!? 少なくとも一円分は!」

「この水晶の正体の一つが、魔力の効率化に特化したものだって情報だけだろ!」

「何、言ってんの! それ調べるだけでも大変だったんだから!」

「ケチくさい奴らだなあ……」

「どっちがだよ……」

 

 魔理沙は一円を回収することを諦め、カッパの研究所を後にした……。



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生き写し

 カッパの研究所を出た魔理沙だが、日はまだ明るい……。

 

「……水晶を調べる手間が省けたからなぁ。時間が余っちまったぜ……」

 

『……親父さん、君が帰って来ないことを心配していた。たまには顔を出してあげたらどうだい?』

 

 魔理沙の脳裏に霖之助の言葉が思い起こされる。

 

「……しょうがない……。たまには顔を出すか……」

 

 魔理沙は一年ぶりに実家に戻ることにした。父親に会いたくはなかったが……、霖之助の言い分を聞き、父親に顔を見せることが霖之助への謝罪になると思ったのだ。魔理沙は箒に跨り、空を駆ける。魔理沙にすれば、気が進まない帰省であるはずなのに、一旦飛び出すと、スピードが無意識にどんどん上がっていった。魔理沙の性分がせっかちだからなのか……、それとも、魔理沙も心の奥底では父親に会いたいと思っていたのか……、飛ばしている理由は魔理沙にもわからない。魔理沙を乗せた箒はあっという間に人里に辿り着く。

 

「思ったより、早く着いちまったぜ……」

 

 魔理沙は実家の『霧雨道具店』の店先でポツリと呟く。実家の入り口前まで帰ってきてみたものの……、いざ、入ろうとなると、どうも足が重たくなる。魔理沙が入口前で右往左往していると、霧雨道具店の入り口が開く。中から長髪の女性が『お邪魔しました……。……くれぐれも先ほどの件、真剣にお考えください……』とお辞儀をしながら、店を出て行こうとする。挨拶の相手を確認することは出来ないが……、おそらく親父だろう、と魔理沙は推測する。後ろ姿しか見えないが、女性は透き通るような金色の髪をしていた。

 

「母さんみたいだ……」

 

 魔理沙はため息をこぼす……。魔理沙の母親も女性と同じく、色素の薄い透き通るような金髪だった。魔理沙は生前、母親に『自分も母さんのような綺麗な金髪だったら良かったのに』と、愚痴をこぼしていた。魔理沙も金髪だが、父親の髪が黒いせいか、母親よりも濃い色だ。決して、魔理沙の金髪も汚いわけではない。むしろ、黒髪が多い人里にあって、魔理沙の生来からの金髪は思わず目を引かれるくらいには綺麗だ。しかし……、それでも、魔理沙は母親の透き通る金髪に憧れていた……。

 

「……母さん、私に『あなたの髪も綺麗よ』と言ってくれたっけ……」

 

 魔理沙が頬をかきながら母親との思い出を想起していると、挨拶が終わったのだろう……女性が入口を閉め、踵を返す。魔理沙の母親と同じくらいに綺麗な金色の長髪をたなびかせながら……。……女性と魔理沙の目が合う……。

 

「え……?」

 

 魔理沙は思わず目を見開く。金髪の女性の顔は魔理沙がよく知る人物に余りに似ていたからだ。まさに生き写しであった。

 

「か、母さん……!?」

 

 魔理沙は女性に声をかけずにはいられなかった……。

 



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そっくり

 魔理沙に声をかけられた女性は驚いた様子で魔理沙を見つめる……。女性は幻想郷では珍しく、女性用の黒いスーツと白いシャツで身を包んでいた。しかし、魔理沙は女性の珍妙な服装には眼をくれず、女性の顔を凝視し続ける……。

 

「母さん……って私のこと……?」

 

 魔理沙は女性の言葉で我に帰り、女性と合わせていた視線をずらす……。

 

「い、いや、アンタが死んだ母さんに凄く似ていたから、つい……」

 

 魔理沙は少し口籠るような様子で帽子のつばに触れ、深くかぶりなおす……。女性が母親でないことは、冷静になればすぐに理解できることだ……。だが、余りにも似ていたのだ……。透き通るような金髪、金色に輝く瞳、顔はもちろん、声も、背丈に至るまで……、全てが魔理沙の母親と瓜二つである……。違うところと言えば、目付きの鋭さと厳しげな雰囲気を放つ表情だ。『母さんはもっと優しい顔をしていた。しっかりしろ、魔理沙! 母さんはもう死んだんだ……!』と、魔理沙は自分に言い聞かせる。

 

「……もしかして……、あなたがマリサちゃん?」

 

 女性は魔理沙に優しい口調で話しかけてきた。鋭い目つきの女性だが、その顔が穏やかな表情に崩れる……。

 

「私を知ってるのか……?」

「ええ……。今、あなたのお父さんと喋ってたのよ……。『とんでもないはねっ返りの娘がいるんだ』って言ってたわ」

「あのクソ親父……」

「……確かにはねっ返りみたいね……。駄目よ。お父さんのことをクソ親父なんて呼んだら……。そして、思っていた以上に可愛らしい子ね、あなた……。リサの子供の頃そっくり……」

 

 そう言いながら、女性は魔理沙の帽子を取って頭をなでる……。魔理沙は母親に撫でてもらった幼少時代を思い出す……。手の大きさも、体温もなでかたも……魔理沙の母親そっくりだった。魔理沙は懐かしさと気恥ずかしさから顔を赤らめる……が、すぐに冷静さを取り戻し、女性に質問する。

 

「おばさん……! アンタ今、理沙って言ったよな!? 私の母さんのこと、知ってるのか?」

「お、おば……、……お姉さんって言いなおしなさい!」

「え? でも、私の母さんより年上そうだし……」

「お・ね・え・さ・ん!」

 

 先ほどまで温和な表情を作りだしていた女性の表情が、鬼の形相になる……。魔理沙は慌てて言い直す。

 

「そ、それで、お姉さんは母さんとどんな関係なんだぜ? 顔、凄く似ているし……親戚?」

 

 魔理沙の質問を聞き、女性は鬼の形相から一転して、神妙な顔つきになる。

 

「それはお父さんに聞いてもらえるかしら……。それじゃ、お姉さんは帰るわ。あなたに会えて良かった……。もし、また会えたら……、その時はゆっくり話しましょう……」

 

 女性は足早にその場を去ろうとする。

 

「ちょ、ちょっと! 少しくらい母さんのこと教えてくれ、なんだぜ!? 母さんは生きてる時も自分のことを話そうとしなかったし……、親父も母さんのことを話してくれない。私は母さんのことを何も知らない……。だから、知りたいんだ。母さんがどんな人生を歩んでたのか……!」

 

 魔理沙の言葉に反応し、女性は振り向く。哀しそうな笑顔で……。魔理沙はその表情に思わず言葉を失ってしまった……。女性は質問に答えることなく、魔理沙に背を向け、歩みを再開する。

 

「尾行してやるぜ……!」

 

 魔理沙は女性が大通りの角を曲がったところで、追いかける……。建物の陰に体を隠し、バレないよう慎重に、女性の姿を視認しようと顔を出す……。

 

「え……?」と魔理沙は茫然とした表情を造る……。見通しの良い通りにも関わらず、そこに女性の姿を見つけることはできなかった。

 

「そ、そんな馬鹿な……。そ、そうか。空か!?」

 

 魔理沙は青空を見上げるが……、飛んでいる者はいなかった……。魔理沙は再び地上に目線を戻す。通りに隠れられそうな場所はない……。

 通り沿いの店舗に入ったのかもしれない、と思った魔理沙は覗いて回るが……女性を見つけることはできなかった。

 

「どういうことなんだぜ……?」

 

 魔理沙は箒に乗り、空から人里全体を見渡す……。しかし、あの目立つ金髪はどこにも見当たらなかった……。



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帰省

「……見失っちまったみたいだぜ……」

 

 魔理沙は人里に降りる。あの母親に似た女性は何者だったのか、どこにどうやって消えたのか……疑問は尽きなかった。

 

「……気は進まないけど……、親父に聞いてみるか……」

 

 魔理沙はさっきの女性の正体を父親に聞くことにした。女性自身も自分のことは父親に聞くようにと言っていた。父親が何か知っているのは間違いないと魔理沙は実家の入口に足を運ぶ……。入口に到着した魔理沙だが、やはり扉に手を駆けることができないでいた。長い間、家を空け、父親と会っていなかったせいだろう。どんな顔や態度で家に入れば良いか魔理沙は分からなかったのだ。

 

「……私らしくもないぜ……。元気百倍で入ってやるぜ……!」

 

 意を決した魔理沙は、勢いよく引き戸を開け、荒げた声を家の中に放り投げる。

 

「おい、クソ親父、帰ってやったぜ!」

「……ウチに『魔法使いになる』と言って出ていった不良娘はいねえよ」

 

 低い声が魔理沙の耳に届く。久しぶりに聞いた『聞き慣れた声』だった。魔理沙の父親が奥の部屋から土間に出て来る……。齢は六十を迎えるくらいだろうか。しかし、恰幅が良く、筋骨隆々なその姿は年齢を感じさせない頼もしさを放っている。

 

「それとも、魔法使いはやめると決めたのか? それなら家の敷居を跨いでもいい……」

「誰が魔法使いをやめるかよ……!」

 

 魔理沙は父親の言葉を即座に否定する。

 

「この、はねっ返り娘が! ……誰に似たんだ……」

「知らないぜ、そんなこと!」

 

 久しぶりに会ったにも関わらず、二人は早くも口げんかを始める。お互い、相手の話を聞くことなく感情をぶつけあっていた。しばしの無言な時間が流れた後、口を開いたのは魔理沙だった。

 

「……さっき、母さんに似た金髪のおばさんが家から出ていったよな? あれは誰なんだぜ?」

「……こどもには関係ないことだ……」

 

 魔理沙の表情は気色ばむ……。魔理沙が母親のことを知りたいと父親に質問をすると、いつも同じような答えが帰ってくる。『こどもは知る必要がない』、『こどもには関係がない』と。また、その言葉か、と魔理沙は頭に血を昇らせる……。

 

「もう、私は子供じゃないんだ! ……なんで……なんで親父も、あのおばさんも、……母さんも……隠しごとするんだよ!」

 

 魔理沙は引き戸を開けたまま、家から飛び出す……。その姿を見送った魔理沙の父親は和室の居間に戻る……。居間のタンスの上には、魔理沙の父親と母親そして幼い魔理沙が映った家族写真が飾られていた。魔理沙の父親は写真を手に取り、微笑んだ表情で写っている魔理沙の母親に視線を送る……。

 

「……どうやったら、魔理沙を傷つけずに魔法の道をあきらめさせることができるんだろうな……。お前なら上手くやれたのか……? リサ……」

 



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霊夢の精一杯

「……どうしたのよ? まったく動きにキレがないじゃない……」

「わ、悪い……」

 

 魔理沙は帽子を深くかぶって霊夢に謝る……。日課の弾幕ごっこの練習をしていた霊夢と魔理沙だが、魔理沙の動きは素人が見てもわかるくらいに鈍い……。昨日の父親との言い争いが原因だ……。魔理沙は隠しごとをされている怒りと失望から練習に身が入らないでいる……。

 

「魔理沙……、アンタは良くも悪くも動きが精神状態に左右され過ぎる……。プラスに働く分には良いけど……、マイナスに働くなら、コントロールしないといけないわよ」

「……へへっ! 悪かったな。ここからは本気で行くからよ!」

 

 魔理沙は、無理矢理笑顔を作ると、高スピードで霊夢に向かって直進する……。

 

「全くダメ……!」

 

 霊夢は軽やかに魔理沙の体当たりをかわすと、箒ごと魔理沙を地面にはたき落とす……。

 

「単純に速いのとキレがあるってのは全く別物よ……。アンタもわかってるでしょ。今日はおしまい!」

「……まだ、私はやれる! ぜ……」

「……ダメよ。集中できてないアンタとは練習できないわ。怪我するもの……」

 

 それ以上魔理沙は何も言えなかった……。練習に集中できていないことは魔理沙自身がよくわかっていたからだ……。

 霊夢と魔理沙は母屋の縁側に座って、互いに無言のまま、庭を眺める……。いつもの光景だが……、心情はいつもと違っていた……。重い空気が張り詰める中、先に口を開いたのは、意外にも霊夢だった……。

 

「あー、その……ねえ!」

 

 霊夢は顔を赤らめ、眉間にしわを寄せ、眼を瞑る……。そして頬をかきながら……魔理沙に声をかける……。魔理沙はいつもと様子の違う霊夢を見て、奇妙に思いながらも聞き直す。

 

「なんだよ。変な表情して、悪いもんでも食ったのか?」

「……ケンカ売ってんの? せっかく人が心配してやってるってのに……」

「心配!? 博麗霊夢さんが!?」

「……アンタ、ホントに殴るわよ……。……その……なんか悩み事があるなら……相談……しなさいよね。……アンタと私……そんなに仲が悪いわけじゃないんだから……」

 

 霊夢の精一杯の気遣いだった。お互い、自分の気持ちを素直に話すことのない二人……。だからこそ、霊夢の精一杯の気遣いは魔理沙に響いた……。

 

「…………」

 

 魔理沙は眼と口を大きく開いて驚いた様子で霊夢を見つめる……。

 

「な、何よ……。なんか言いなさいよ。なんで、そんな間抜け面してんのよ……」

「い、いや、まさかお前がそんなこと言うなんてさ……。ははは! そうか、そうか!」

「いたたた! なんでバンバン背中叩くのよ! それに笑ってんじゃないわよ! こっちは恥ずかしいの我慢して喋ってんのよ!」

「悪い悪い……嬉しくてさ……。気持ちはありがたく受けとっとくぜ! ホントに誰かに喋りたくなったら……真っ先にお前に相談する……」

「……さっさと悩み解決しなさいよ……。アンタが練習に集中できなかったら……迷惑なんだから……」

「ああ、わかったぜ……!」

 

 魔理沙の心は途端に晴れ上がった……。霊夢が自分のことを心配してくれている……。たったそれだけのことが魔理沙にはとても大きかった……。



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水晶が炭に

 魔理沙は霊夢の気遣いを受け、異変疑惑のある水晶のことを霊夢に隠してはいけないと思い始めていた。父親に隠しごとをされて、傷付いた魔理沙は、霊夢に隠しごとをしてはいけないと考える……。なにより、自分のことを心配してくれている霊夢を出し抜くような真似はするべきではない、と魔理沙は自分の態度を改めた……。

 

「なあ、霊夢……。最近妙なアイテムが人里で売られててさ……。……なんかきな臭いんだぜ……」

「妙なアイテム……? なによそれ」

「人里でちっちゃい婆さんがこんなもん売ってたんだ……」

 

 魔理沙は老婆から購入した水晶を霊夢に見せる……。

 

「何? そのガラス玉……」

「ガラス玉じゃねえよ! 水晶だよ!」

「似たようなもんじゃない……」

「……とにかく、だ……。この水晶は驚くなかれ、誰でも魔法が使えるようになってしまう不思議アイテムなんだぜ。里の皆は我先にと十円もするこの水晶を買い求めていたぜ」

「じゅ、十円!? こんなガラス玉が!?」

「……誰でも魔法が使えるって方に驚いて欲しかったんだが……、まあ、私も『十円もする』って言ったけど……」

「……で、何が妙なのよ……」

「まず、誰でも魔法が使えるって時点で妙だ……。私が実際に見たんだが、5,6歳の女の子が使っても魔法が発動してた……。普通ならあり得ないことだぜ……」

「そう? 私は5歳の頃にはもう術が使えてたわよ?」

「……お前は自分が普通じゃないってことをもっと自覚した方が良いと思うんだぜ……。……奇妙なのはそれだけじゃないぜ? こーりんにこの水晶を見せたんだが……、こーりんにも名称と用途の一部が分からなかったんだ……」

「霖之助さんにもわからない……?」

 

 霖之助にも見抜けないアイテムだと知り、霊夢の目付きが鋭くなる……。霊夢が真剣に聞きだしたことを確認し、魔理沙は話し続ける。

 

「おかしいだろ? この水晶はただ単に誰でも魔法が使える便利アイテムってだけじゃないんだと思う……。何か他に秘密が隠されているはずなんだぜ……!」

「ちょっと、見せてもらえるかしら?」

 

 魔理沙は霊夢の要望に頷き、水晶を手渡す……。

 

「な、なんだ? 急に光り始めたんだぜ!?」

 

 霊夢が触れるや否や、水晶は激しい光と熱を放出し始めた……。霊夢は水晶を手放し、魔理沙とともに距離を取る……。すると、光はすぐに治まり、黒い炭になった水晶だけがその場に残った……。

 

「じゅ、十円もした水晶が黒焦げに……」

「わ、私のせいじゃないからね!?」

 

 霊夢は水晶を弁償したくない一心で、大きな声を出していた……。



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仕事モード博麗

「あーあ……。貴重な研究材料が炭になっちまったぜ……」

 

 魔理沙は黒焦げになった水晶を見つめながらぼやく……。

 

「私、何もしてないわよ!?」

 

 霊夢は少し慌てた様子で魔理沙に弁解する。清貧生活を送る博麗の巫女は何としてでも十円を弁償したくないのだろう。お金が関わる事態になると普段の冷静な様子が崩れてしまう……。霊夢の唯一の弱点だ。魔理沙は霊夢に代金を要求するつもりなどなかった。既に魔理沙の興味は別のことに移っていたからである。

 

「……霊夢、ホントに何もしなかったのか?」

「何もしてないわよ! 術もかけてないし、霊力も込めてないわ! ただ、触っただけ……」

「ただ、触っただけ……。それだけで水晶が反応したのか……?」

 

 魔理沙は顎元を手で触り、何やら思索に耽っている……。水晶の正体を見抜こうとしているようだ。しばし、魔理沙は思考を続けるが答えは出なかった……。

 

「特定の条件を満たす者が触れたら壊れるようになってたのかしら……」

 

 霊夢は、魔理沙が弁償については考えておらず、水晶の正体を突き止めようとしていることを察し、声をかける……。

 

「……なるほど、十分に考えられるんだぜ……」

 

 霊夢の『特定の条件』という言葉に魔理沙は応答する。魔理沙が知る魔法にも同じ様なものは存在する。例えば、侵入者が領域に入った途端に攻撃魔法が発動したりする……所謂トラップと呼ばれるものだ。どうやら、この水晶にはトラップが仕掛けられていたらしい。水晶が真っ黒焦げになってしまった今、確かめる手段はないが……。

 

「……巫女が触ることで発動する魔法とかあったりするの……?」

「そんな、限定的な魔法聞いたこともないぜ……。ただ、トラップの類である可能性が高いぜ……」

「……どうやら、本当にきな臭いことが起こってるみたいね……。魔理沙、他に知っていることはないの?」

 

 先ほどまで慌てていた霊夢はどこへやら……。博麗の巫女はどうやら『仕事モード』に入ったらしい……。真剣な顔つきになる……。

 

「……カッパからの情報なんだが……、この水晶は魔力の効率化を突きつめたものらしい。そのおかげで、魔力の扱いが下手な人間でも魔法を出せるようになるみたいだ。それ以外のことは残念ながら知らないぜ。あとは、同じ水晶をカッパが大量に持っているってことぐらいだけだ……」

「詳しく調査する必要があるようね……。さっそく、カッパのところに行くことにするわ! 水晶をこの目でもう一度よく見ないとね……!」

「……霊夢、金はあるのか? カッパの奴ら情報提供に金を要求してくると思うぜ?」

「なっ!? 水晶を見せてもらうだけでも金を取るの……? なんて奴らなのかしら……」

「……私が魔法に関する情報を提供したら、何か話してくれるかもな……。そういう約束をにとりとしたし……」

「それなら大丈夫じゃない。魔理沙、私と来てくれる? 一緒にカッパの所に行くわよ!」

「ダメだって、霊夢! あいつらと約束したのは今日なんだぜ? 一日に二回も、カッパの所に行って情報提供を求めたら、私達が水晶についてよっぽど知りたがっているとあいつらに思われちまう。そうなったら、カッパ共は私達の足元をみてくるぜ? 私の情報提供だけじゃ、水晶について教えてくれなくなっちまうかもしれない」

「……ったく……。ややっこしいわねえ……。わかったわ! まだ、実害は出てないみたいだし……。少し様子を見ることにするわ……。 で、いつカッパの所に行く?」

「ま、間は開けた方がいいな……。早くて明後日ってところだぜ……」

「わかったわ……。明後日……ね」

「そんじゃ、今日のところは帰らせてもらうぜ! ありがとな霊夢。私のこと、心配してくれてさ……。また明日な!」

 

 魔理沙は霊夢に明日も弾幕ごっこの練習に来ることを告げると、魔法の森に……自宅に帰って行った……



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氷の妖精

「魔理沙、魔理沙、魔理沙!」

 

 必死な様子で魔理沙のことを誰かが呼んでいる……。ドンドン、と扉を叩きながら……。

 

「うーん……。誰だ? 朝っぱらからうるさいんだぜ……!」

 

 魔理沙は寝ぼけ眼をこすりながら、ベッドから起き上がる……。ここは魔法の森に構えた魔理沙の自宅……『霧雨魔法店』である。もっとも、訪れる人間も妖怪もほとんどいない。たまに訪れる者も客ではなく、魔理沙の知人ばかりだ。店として機能しているとは言い難い。だからこそ、朝早くからの来訪者は珍しいものであった。

 

 霊夢とカッパの研究所に行く約束をしたのは明日だ。霊夢であるとは考えにくい……、他にも約束をした覚えのある奴はいない……、と魔理沙は考えながら扉の前に移動する。

 

「はい、はい。誰なんだぜぇ?」

 

 魔理沙が扉を開けると両目に涙を浮かべた青髪の少女の姿があった……。

 

「チルノじゃないか……。どうしたんだ? いつも湖にいるお前が……珍しい。なんで泣きそうな顔してるんだぜ?」

「……お友達が……お友達が死んじゃった……」

「お友達……? お前がいつも一緒にいる妖精仲間のことか?」

 

 チルノと呼ばれた青髪の少女は頷く……。魔理沙はチルノことを妖精と呼んだ。そう、この青髪の少女は人間ではなく、妖精なのだ……。良く見ると、氷の結晶が6本、背中から羽のように生えている。

 

 詳しい発生メカニズムは把握されていないが、妖精は自然から生まれることが知られている。このチルノという氷の妖精は妖精の中では比較的強い存在で、氷の妖精にも関わらず夏場であっても消滅しない稀有な妖精だ。

 魔理沙は夏場、チルノのそばで涼むことが多い。氷の妖精が冷たいからだ……。そのため、チルノとは顔なじみになっている。チルノがお友達と呼ぶ妖精とも、顔なじみだった。魔理沙は便宜上、チルノのお友達の妖精のことを大妖精と呼んでいる。

 

「死んじゃった……って、大妖精も妖精なんだから、たまには消えることだってあるだろう? そんでもって、気付いたら復活してる……。それがお前ら妖精の性質だろ? 心配しなくてもまたすぐに復活……」

「……しないよ……」

「え?」

「あたいにはなんとなく、わかるんだ……。お友達はもう生き返らない……。あたいたち、妖精の力だけじゃ、もう……。だから助けて魔理沙! お友達を助けて……」

「あたいにはわかる……ってどういうことだよ!? ……っ!?」

 

 魔理沙は自分の目を疑う……。チルノの姿が半透明になっているのだ……。自分が寝ぼけているに違いない、と魔理沙は目をこすり、再度チルノを凝視する……。しかし、チルノは半透明になったままだ……。時間経過とともに、チルノの姿はどんどん薄くなっていく……。こんな現象を未だかつて魔理沙は見たことがない。明らかに異常だった。

 

「なんなんだよ、これは!? おい、チルノ、何があったんだよ!?」

「なんでこんなことになったかは……あたいにはわからない……。お願い魔理沙……お友達を助けて……」

 

 その言葉だけを残してチルノは消滅してしまった……。



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調子の悪いほうき

「……これは……異変だ……。しかも、今までに私が経験した笑えるような異変じゃない……! とんでもないことが起きている……そんな感じがするぜ……」

 

 チルノの消滅を目撃した魔理沙は一人呟く……。パジャマからいつもの白黒の魔法着に素早く着替えると、箒に跨り、博麗神社に向かう……。もちろん、この異常を霊夢に伝えるためだ……。

 

「な、なんだ!? ……ちくしょう! こんなときに故障かよ!?」

 

 箒の調子が悪いのか……、いつもより速く飛ぶことができない……。安定せず、ふらふらした飛行になってしまったが、どうにか魔理沙は博麗神社に辿り着く……。

 

「おい、霊夢、霊夢、霊夢うう!」

 

 魔理沙は神社の母屋の雨戸を叩きながら霊夢を呼ぶ。しばらくすると、不機嫌そうに霊夢が出てきた。魔理沙と同じく寝ていたようだ。

 

「なんなのよ。朝っぱらから! ぶっとばされたいの!?」

「巫女としてその言葉遣いはどうかと思うんだぜ……。ってそんなことはどうでもいいんだ! 霊夢、大変なことが起きてるっぽいんだぜ!?」

「ええ、起きてるわね。私が起きているという大変なことが……」

「おい、いい加減、機嫌直すんだぜ! こっちは慌てて報告しに来てやったってのに……」

「わかったわよ! 着替えて来るから落ち着きなさい……」

 

 霊夢は寝間着から、見慣れた紅白の巫女衣装に着替えてきた……。起きて少し時間が経過したからか、機嫌も幾分か良くなっているようだ。霊夢が冷静になっていることを確認して魔理沙は事の顛末を話し始める。

 

「今朝、急に私の家にチルノが来たんだ」

「チルノ? ああ、氷の妖精のことね……」

「チルノの奴、奇妙なことを言っててさ……。妖精仲間が死んじゃったって言ってたんだ……」

「妖精なんてよく死んでるじゃない……。そして、気付いたら復活してる。そんな奴らでしょ」

「私も同じことをチルノに言ったんだよ! でも、あいつこう言い返してきたんだ。『あたいにはわかる。もう生き返ることはない』って。その話をしているときにあいつ自身も半透明になって、どんどん薄くなって、ついには消えちまったんだ……」

 

 霊夢は魔理沙の目を凝視する。いたずら好きの魔理沙が嘘を言っていないか確かめるためだ……。今日の魔理沙の興奮具合からして、真実を言っていると判断した霊夢は手を顎に当て、思考する……。

 

「……確かに妙ね……。あの氷の妖精は比較的強力な力を持っていた……。そんな奴が何もされてないのに消えるなんて……。……っ!?」

 

 霊夢は突然立ち上がり、遠くを見つめる……。人里がある方向だ。

 

「ど、どうしたんだぜ!? 霊夢!」

「人里で何かが起きている気がする……」

 

 魔理沙は霊夢の言葉を聞いて、顔を曇らせる……。霊夢の勘は良く当たるのだ……。これまでの異変でも霊夢は勘を働かせて解決してきた。その的中率はほぼ百%……まさに神がかっている。そんな霊夢が人里で何か起きているというのだ。人里に肉親がいる魔理沙にすれば気分の良いものではない……。

 

「よし、早速人里に向かうんだぜ!」

 

 霊夢と魔理沙は空を飛ぶ……。しかし、魔理沙のほうきは相変わらず調子が悪いようでふらふらとした飛行をしてしまう……。

 

「ちょっと、何ちんたらしてるのよ、魔理沙! しゃきっと飛びなさいよ!」

「どうも、ほうきの調子が悪いんだぜ……。先に行っててくれるか?」

「ったく、間が悪い奴ねぇ、アンタ。しょうがない!」

 

 霊夢は魔理沙の箒の柄を持つと、引っ張り始めた。

 

「へへっ! サンキュー!」

「貸しだからね。今度、お団子奢りなさいよ」

 

 霊夢と魔理沙は人里に急ぐ……。二人とも、なんとも言えない胸騒ぎを覚える。これまでの異変とは違う邪悪な何かを二人は無意識に感じ取っていた……。



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消えた付喪神

 霊夢と魔理沙の二人は早朝の人里に降り立つ……。外に出ている人の数は少ないが、飲食店を営んでいるもの達の仕込みの音が聞こえる……。

 

「今のところは、異常なさそうなんだぜ……」

 

 魔理沙は普段と変わりがなさそうな人里の様子を見て安堵する。しかし、霊夢はそうでなかった。魔理沙は霊夢が深刻な表情をしているのに気付き、声をかける。

 

「おい霊夢、どうしたんだぜ? そんな顔して……」

「……付喪神の声が全く聞こえない……」

「え……?」

 

 付喪神とは、長い年月を経た道具などに神や精霊などが宿ったものである……。幻想郷の道具に付喪神が宿ることは珍しくない。むしろ、常人には見えないだけで、多くの道具に付喪神が憑いている。そんな付喪神の声を霊夢は聞くことができる。魔理沙も霊夢ほどではないが、耳を澄ませば聞きとることができる……。魔理沙は耳を澄ませてみた……が、霊夢の言うとおり、全く付喪神の声が聞こえない。

 

「た、確かに……全く付喪神の声が聞こえないぜ……。っておい! 霊夢、どこに行くんだぜ!?」

 

 霊夢は突然走りだし、慌てた様子で路地裏に入り込む……。魔理沙も霊夢の後を追いかけた……。そこには、チルノと同じように半透明になったオッドアイの少女が苦しそうに喘いでいた……。傘を杖代わりにしてなんとか立っている。

 

「こ、小傘!?」

 

 魔理沙は少女のことを小傘と呼ぶ……。どうやら、霊夢や魔理沙と顔なじみであるようだ。彼女の名は多々良小傘。から傘のお化けである……。彼女もまた、付喪神だ……。低級な付喪神は精々、言葉を発したり、足が生えて動き出したり、といったことしかできない。しかし、彼女は人間に近い姿をしていて知性も高い。付喪神の中では上位の部類に入ると言って良いだろう。そんな彼女が苦しそうに、そして半透明になっていることに霊夢と魔理沙は驚きを隠せなかった……。

 

「お、おい、小傘! 大丈夫……ではないな……。一体何があったんだぜ!?」

「……急に力が入らなくなって……」

 

 魔理沙の問いに小傘は息切れをしながら答える。

 

「しっかりしなさい! 他の付喪神はどこに行ったのよ?」

「み、みんな消えたわ……。良くわからないけど……きっとみんな、原因は同じ……だと思う……」

 

 今度は霊夢が問いかける。小傘は苦しみながら答えてくれたが、どんどん薄くなっていく……。

 

「ど、どうしたら良いんだぜ?」

「消えかけているのは、力が弱くなっているからだわ……。……私の霊力を小傘に流し込む!」

 

 霊夢はお札を取り出し、小傘に張り付ける……。お札を経由して霊力を小傘に渡しているようだ……。しかし、小傘の姿は一向に良くならず、薄くなり続ける……。

 

「な、なんで……? 十分に霊力は注ぎ込まれているはずなのに……」

「……霊夢……、きっとこれは霊力や魔力が弱ってることが原因じゃないんだと思う……」

「だったら、何が原因……。……小傘? 小傘!」

「……き、消えちまった……」

 

 霊夢と魔理沙は小傘の消滅を眼前にして、茫然とその場に立ち尽くしていた……。



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余裕のない笑み

「どういうこと……? こんなこと、今まで一度も見たことない……」

 

 霊夢は先ほどまで小傘が存在していた場所を凝視したままだ。表情からは混乱や焦りが伺える。突然の付喪神の消失……。異変解決のスペシャリストである『博麗の巫女』でさえもその原因を見極めることができないでいた……。

 

「……魔理沙……。悠長なことを言ってる場合じゃなくなったわ……。カッパのところに行くわよ……! 今すぐに!」

「……それは博麗の巫女の『勘』か?」

「………………ええ」

「そうか……。わかったぜ……! 霊夢はカッパの研究所に行ったことないんだったな。案内するぜ!」

 

 霊夢たちはカッパの研究所に向かう……。霊夢は直感で、この異変の原因は、怪しい老婆が売っていたという『誰でも魔法が使えるようになる水晶』に違いないと確信したのだ。

 相変わらず、ほうきの調子が悪い魔理沙を霊夢は引っ張り、妖怪の山にある滝の裏の洞窟に急いだ。

 

「こんな洞窟の中に研究所をつくっちゃうなんて……。カッパも大したもんね……」

 

 霊夢は初めて訪れたカッパの研究所の大きさとハイテクさに舌を巻く……。まだ早朝だからか、作業員のカッパの姿も疎らだった。魔理沙はすぐに見慣れた一人のカッパを見つけた。

 

「お、にとり! ちょっと話があるんだぜ?」

「なんだい? 盟友……。二日続けてくるなんて珍しいじゃないか……。しかも、こんな朝早くに……。それに博麗の巫女までくっ付いてくるなんて……」

「ちょっと、急ぎの用事なんだぜ! この前の水晶見せてくれないか? 緊急事態なんだぜ」

「すぐに見せなさいよ! もちろんタダで! 金を要求したりなんかしたら……どうなるかわかってるでしょう……?」

 

 霊夢は、見下した表情でにとりを恫喝する……。にとりからしたら悪魔以外の何者でもない……。にとりは慌てながら答えた……。

 

「わかったよ! だから、その今にも術を放ちそうなオーラはしまって!」

 

 霊夢はにとりから了承の返事をもらうと、『ありがとう』と造り笑顔を返した……。魔理沙は「この巫女、輩者にすぎるだろ……」と思うが口には出さなかった。

 

「もう。なんなんだよ今日は……。八雲の妖怪に続いて博麗の巫女まであの水晶を見たがるなんて……。しかも両者ともタダで……。こっちは堪ったもんじゃない……」

「……紫がここに来たの!?」

「来たって言うか……、まだウチにいるよ。いつも盟友が使っている調査室で例の水晶を観察してる」

「紫が自ら動いている……!? あいつが犯人……? ……それとも……」

 

 霊夢は独り言が終わると、にとりの胸倉を掴んで怒鳴る……。

 

「にとり! 早くその部屋に案内しなさい!」

「お、おい。落ちつけよ霊夢! らしくないぞ……!」

 

 にとりに噛みつく霊夢を魔理沙は諌める。こんなに焦ってイライラしている霊夢を魔理沙は初めて見た。霊夢は、勘でこの異変がとんでもなく危険なものであると判断しているに違いない、と魔理沙は思考する……。にとりは雑な扱いに文句を垂れつつ、霊夢と魔理沙を『不明物質調査室』に案内する。

 

「あら、霊夢。遅かったのね……」

 

 にとりが扉を開けた先に……室内に、金髪をたなびかせた美女が立っていた……。その美女……八雲紫はいつものように胡散臭い笑みを浮かべている。だが、どこかしら、いつもの余裕が感じられないと、魔理沙は違和感を覚えた。



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関わるのはやめた方が良い

 霊夢は紫に自分が確認した事実を告げる……。紫が異変についてどこまで知っているのか、確かめようとしたのだ……。

 

「……付喪神が人里から消えたわ……。この目で確認した……。……魔理沙の話だと、妖精も消えているらしいわ……。それも弱っちいやつらじゃない。比較的強い力を持っていた奴らがね……。紫……、あんた何か知ってんの? そして……その水晶は何か関係があるのね……?」

 

 霊夢の問いに対して、紫は胡散臭い笑みを崩さずに霊夢に話し始めた……。

 

「……霊夢……、あなたも感覚が鈍っているのかしら? 博麗の巫女ともあろう人間が、この水晶の異常性に気がつかないなんて……。……ま、人のこと言えないわね……。私も博麗大結界が破られていることに気付かなかったのだから……。私としたことが、平和ボケしていたわ……」

「博麗大結界が破られている!? なんのことよ!? そんなの全く感じられないわよ!」

 

 博麗大結界……。幻想郷と外の世界を隔てるために八雲紫と歴代の博麗の巫女が造り出した結界である……。幻想郷を幻想郷たらしめている最も重要な結界だ。もっとも、現在の巫女である霊夢は結界についてほぼ関わっておらず、紫とその眷属が管理をしている……。……しかし、関わってはいないと言っても、博麗大結界が破られるなどという大きな異変に自分が気付かないわけがないと霊夢は思い、紫に返答を求める……。

 

「……かなりの術者がこの幻想郷に侵入してきたらしいわ……。破られた場所を確認したけど、丁寧な術式がかけられていた……。結界を管理する私に気付かれないようにする術式を、ね……」

「……信じられないわね……。アンタにも私にも気付かれずに幻想郷に入って来れる奴がいるなんて……。そいつの目的は何なの?」

「知らないわ……。どこのだれかも分からないもの……。それに、一人かどうかも分からない。集団で入ってきてる可能性もある……。……全く虚仮にされたものだわ……。……この私を敵に回した侵入者にはそれ相応の報いを受けてもらわなきゃね……!」

 

 霊夢は紫が放つプレッシャーを敏感に感じ取り、額に冷や汗をかく……。紫の表情は未だ胡散臭い笑みで満たされていたが、その笑みの内側に隠れる怒りを霊夢は見抜いた……。こんなに怒りを露わにする紫は久しぶりだ、と霊夢は緊張する……。

 

「……霊夢……、この水晶の正体が本当にわからないのかしら……? だとしたら大問題ね……。この程度のことを見抜けないようでは、博麗の巫女は務まらないわよ?」

「……なめないでちょうだい……! すぐに見抜いてやるわよ……!」

 

 霊夢は紫が手に持つ水晶を強引に取り上げる……。すると、水晶が光だし、爆発を起こしてしまった……。博麗神社で魔理沙の持ってきた水晶に触れた時と同じである……。

 

「お、おい。博麗の巫女さん、アンタ何やったんだよ? 急に爆発させるからびっくりするじゃないか! 研究室を壊すつもりなのか!?」

「なんで、また爆発したのよ……?」

 

 霊夢はにとりの苦情を無視して、独り言を呟きながら、思索にふける……。

 

「……まだわからないかしら……? あなたが触ったから爆発したのよ」

「私が触ったから……? 一体なんのことよ……。……!」

 

 思考する霊夢に紫はヒントを出すように話しかけた……。霊夢は一瞬疑問に思ったが、紫のヒントから一つの答えを導き出したようだ……。

 霊夢と紫のやり取りの様子を見守っていた魔理沙だが、ついに我慢できなくなり、不満を口にする……。

 

「おい、何ふたりだけで盛り上がってんだよ! 私には何が何だかなんだぜ? 霊夢、その水晶の正体がわかったんだろ? 私にも教えてくれよ!」

 

 霊夢は魔理沙の方に振り向き、厳しい表情を向ける……。霊夢は魔理沙に向かって重たそうに口を開いた……。

 

「魔理沙……、アンタは今回の異変に関わるのはやめた方が良いわ……」

 

 魔理沙は突然の霊夢の言葉に呆然とするのだった。



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霊夢に対する苛立ち

「お、おい霊夢……。いきなり何を言い出すんだぜ? 関わらない方が良いなんて……」

 

 魔理沙は霊夢に突然、異変解決に関わらないよう進言された。魔理沙は当然納得ができず、問いかける。

 

「……この異変はアンタには荷が重いってことよ……。家に帰って大人しくしててちょうだい……」

 

 霊夢は魔理沙から目を逸らし、俯き加減で答える……。

 

「……私だって……、ここ最近で強くなったんだぜ? それはいつも一緒に手合わせしているお前が一番わかってくれてるはずだろ?」

「……ええ。魔理沙は強くなったわ……。その辺の妖怪なら、何の問題もなく倒せるようになったと思うわ……。状況さえ整えば、大妖怪と呼ばれるような連中とも渡り合えるくらいには強く……」

 

 魔理沙は霊夢が素直に強くなったと言ってくれたことに嬉しい感情を覚えつつも、普段なら、そんな優しい言葉をかけない霊夢が今に限って話すことに違和感を覚える……。いつもと違う霊夢の様子に魔理沙は苛立ちを隠せない……。

 

「そこまで認めてくれてるなら……、なんでこの異変を一緒に解決させてくれないんだよ!」

「それは……」

 

 霊夢が言い淀む……。やはり霊夢の様子がおかしいと魔理沙は訝しむ。魔理沙が知る霊夢なら、歯に衣着せぬ物言いで理由をはっきり述べるはずだ……。霊夢が魔理沙に何か隠しごとをしているのは明らかだった……。

 

「お前らしくないぜ、霊夢……! ……悪いが、私は異変解決から手を引くつもりはないぜ? お前が水晶の正体を教えてくれないってんなら……私に力を貸す気がないってんなら、単独でやらせてもらうぜ……!」

 

 魔理沙は不明物質調査室を飛びだし、研究所の外に向かって走り出す……。

 

「魔理沙、待って!」

 

 魔理沙は霊夢の制止の言葉を振りきって外に出ると、箒にまたがり、空に飛び上がる。ほうきの調子は悪いままのようで、上下左右にふらふらした飛行で魔法の森の方面に飛んでいく……。霊夢は哀しそうな表情でそれを見つめる……。二人のやり取りを観察していた八雲紫が霊夢に話しかける。

 

「……いずれ、この日が来るのはあなたもわかっていたことでしょう? 真実を隠して魔理沙と接していたからよ……。あなたなりの優しさだったんでしょうけど……。彼女の心の傷をより深くするだけになりそうね……。……魔理沙はあなたの理解者にはなりえないのよ……。霊夢……」

 

 八雲紫は憐れむような表情で霊夢を見つめる……。霊夢は紫の言葉に反応することなく、俯き、地面に視線を向け続ける……。

 

「……私は、侵入者の足取りを追うわ……。霊夢、あなたはあなたの仕事をしなさい……」

「私の仕事……?」

 

 霊夢は紫の方を向き、聞きなおした……。霊夢は侵入者の検索、討伐をするよう紫に言われるものだと思っていた。つまりは紫と同行するつもりだったのだが、紫の言葉は霊夢に別行動を促すものだった。

 

「……あなたらしくないわね……。判断能力が鈍ってるわよ……。……それだけ、あなたにとって魔理沙は特別な存在になってしまっていたのね……。もっと早く引き離すべきだったわ……。……魔理沙、あのままだと落ちてしまうわよ。早く行ってあげなさい」

 

 霊夢は紫の言葉を受け、はっと気づく……。霊夢もカッパの研究所を飛び立つ。霊夢の表情はどこか焦っているように感じられた。

 

「……まだまだ、手のかかる子ね……。……私も行かなくちゃね……」

 

 紫は自身の能力で空間に穴を空ける。『スキマ』と呼ばれる空間の裂け目である……。スキマの中からは多数の目が内側から外を覗いている……。傍から見れば不気味な空間の裂け目に紫は自身の肉体を放り込む……。このスキマ……所謂ワープができる代物で、紫はどこかしらに移動するつもりのようだ。紫の体が全てスキマに入り込むと、空間の裂け目は閉じ、元に戻る……。

 

「……三人とも、挨拶なしで帰っちゃったよ……。……まったく、礼儀ってやつがあると思うんだけどなあ……」

 

 ひとり取り残された河城にとりは、ぽつりと苦言を呟くのであった。



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ねずみ

「くそ、くそ、くそ! 気に入らないぜ……!」

 

 霧雨魔理沙はカッパの研究所を飛びだすと、小さな声でぼやきながら、魔法の森に……自宅に向かって飛んでいた……。突然、霊夢から異変に関わらないように忠告を受けたが、魔理沙は聞き入れるつもりなど毛頭ない。単独で異変解決をすることに決めた魔理沙だが、どうにもほうきの調子が悪い……。まずは自宅である霧雨魔法店に戻り、ほうきのメンテナンスをすることが先決だと魔理沙は考えたのだ。

 

「おわっと!?」

 

 乗っていたほうきが止まりかけ、思わず魔理沙は声を出してしまう……。身の危険を感じた魔理沙は万が一落ちても大丈夫なように高度を下げながら飛行を続ける……。しかし、箒の揺れは次第に大きくなり、今にも飛行が出来なくなりそうだ。魔理沙は空を飛んでの移動を諦め、魔法の森に不時着する……。

 

「こっからは歩きか……。面倒くさいぜ……」

 

 魔法の森の奥深くに降り立ってしまった魔理沙はため息をつく。常人なら、迷いに迷った挙句、力尽きて死んでしまうような場所にいるが、キノコ取りのために魔法の森を歩き慣れている魔理沙は慌てることなく、自分がいる位置がどこか山等を見て確認し、自宅がある方角に向かって歩き出した。

 しばらく歩いていると……、魔理沙は奇妙な音が聞こえることに気付いた……。魔法の森の奥深く……、普段なら聞くはずのない音……話声が聞えたのである……。不思議に思った魔理沙は様子を窺うため、物音を立てないよう静かに近づく……。大樹の影に隠れ、覗き見ると……、そこには黒づくめの女たちが……西洋の魔女のような服装を着た者たちが複数人でたむろしていた。魔理沙は何を話しているのか確認するため、聞き耳を立てる……。

 

「フフ……、この森は凄いわね……。今まで潰してきた、どのコミュニティよりも上質な素材が揃っている……。マジックアイテムの作成に困ることはなさそうね」

「偉大なる母上様が、最後の地にお選びになっただけのことはある……」

 

 服装と会話内容から魔理沙は女たちが魔女であることを確信した。だが、どの魔女も魔理沙が見たことのない奴らだ……。魔理沙はカッパの研究所で霊夢と紫が話していたことを思い出す……。幻想郷に侵入者がいるという話を……。魔理沙はこいつらが件の侵入者に違いないと判断した。しばらく様子を見ていると……、仲間と思しき魔女の集団が姿を現す……。

 

「おいおい……、何人いるんだぜ……?」

 

 魔理沙はあまりの数の多さにかぞえるのを諦めた。この魔女の集団、数十人はいるようだ……。これだけの数の魔女が紫に気付かれずに幻想郷に入ってきたのならば……、ボスは相当な手練に違いないと魔理沙は考える。

 

「……薬草とキノコは集まったのかい?」

 

 魔理沙は聞き覚えのある、年老いた声にピクリと反応する……。森の影から姿を現したのは……、人里で水晶を売っていたあの老婆であった。老婆は集団の中央に陣取っている。リーダー格であるのは間違いない。

 

「はい、母上様。この地の素材は上質な物が揃っております」

 

 母上と呼ばれた老婆は部下の魔女から献上された薬草とキノコを受け取り、値踏みをするように観察する。

 

「たしかに……良い素材じゃ……。我らが故郷に自生するものに勝るとも劣らない……。だが、貴様たち……情けないぞ。様子を窺っているねずみに気付かぬとは……」

 

 そう言い残すと、老婆は袖から杖を取りだし、瞬きもできない速度で電撃を繰り出す……。電撃は魔理沙が隠れる大樹にまっすぐ襲いかかって来た。

 

「うわわ!」

 

 電撃は大樹に直撃し、電撃に耐えられなかった大樹は黒焦げになりながら、その場で崩れ落ちる……。魔理沙は倒れる大樹を避けるのに精一杯でつい声を出してしまった。

 

「おやおや……。誰かと思えば……、人里にいた出来そこないのおお嬢ちゃんかい……」

 

 焦げた大樹より放出される黒煙……。その煙の隙間から覗く老婆の邪悪な笑みに、魔理沙は背筋を凍らされるのであった……。



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出来そこない

「へへへ……。えらく強力な魔法を使ってくれるんだぜ……。殺す気か?」

 

 魔理沙は額に冷や汗をかきながら立ちあがり、苦笑いを浮かべる……。対して老婆は冷静な様子で淡々と答えた。

「今の攻撃は最初から外すつもりじゃったが……、当たってしまって、おぬしが死んだとしても特に問題はなかったのぉ……」

 

 魔理沙は表情を見て、老婆が言っていることが冗談でもなんでもないことを悟る。老婆は魔理沙を殺すことに躊躇などないらしい……。魔理沙は両手を軽く上げ、老婆たちに対する敵意がないことを表す。

 

「……ばあさん、あんた、私のことを出来そこないと言ってくれたな。人里で会ったときと評価が変わり過ぎてるんじゃないか? あの時、私が魔法を見せた時、『洗練された良い魔力』だと言ってたじゃないか……」

「フフ……。そうじゃったな。だが、同時にこうも言ったはずじゃ……。『惜しい人材』だともな。まさか、客に出来そこないと言う訳にもいかんじゃろう?」

「……アンタが売っていた水晶だが……、誰でも魔法が使えるだけじゃないんだろ? ろくでもない機能を隠しているみたいだな。調べは付いてるんだぜ?」

「ほう……。気付いていたか……。じゃが……、隠している機能の正体まではわかっておらぬのだろう? でなければ、隠している機能などという言い方はせんじゃろうからな」

「まあな……」

 

 魔理沙は老婆と取り巻きの魔女たちの注意を会話に向けさせながら、彼女らの位置を確認する。隙を見て魔法を撃ちこむためだ……。倒すつもりはない。逃げられれば良い、と魔理沙は考える。魔理沙はエプロンのポケットに入れているミニ八卦炉の位置を触覚で確認し、攻撃に備えた……。しかし、それを見越したかのように老婆が口を開く……。

 

「無駄じゃよ」

 

 魔理沙は老婆の言葉に反応し、眉をぴくっと動かし、眉間にシワを寄せる……。

 

「無駄……? なんのことなんだぜ?」

「わしらに魔法を撃ちこもうとしているんじゃろう? それが無駄だと言っておるんじゃ……」

「……ちょっと、私を舐め過ぎだと思うんだぜ。アンタ達がどれだけ力のある魔女なのかは知らないが、魔法のパワーだけならベテラン魔女にだって私は負けるつもりはないんだぜ?」

「そうじゃろうな。おぬしの魔力は洗練されておるからのう。魔法を発動すれば強い威力が出るじゃろう……」

「褒めてくれてありがとう、なんだぜ。だが、そこまでわかってるなら、何を考えて無駄なんて言うんだ?」

「……わしらを攻撃してみたらわかるぞ? ほれ、邪魔はせんから魔法を撃ってみるといい……」

「馬鹿にしやがって……。後で後悔しても知らないぜ!」

 

 魔理沙はエプロンのポケットからミニ八卦炉を取り出し、老婆たちに向ける……。

 

「スターダストレヴァリエ!」

 

 魔理沙は魔法名を叫ぶ。『スターダストレヴァリエ』は、魔力を星型のエネルギーに変えて大量に放出する魔法だ。しかし、星が出ることはなかった。魔理沙の魔法は発動しなかったのである……。

 

「な、なんで……」

 

 魔理沙が愕然としていると、二人の魔女が魔理沙に襲いかかり、地面にうつ伏せにする形で拘束する。

 

「だから、無駄じゃと言ったじゃろう? 出来そこないの魔法使いよ……」

 

 老婆は魔理沙を見下し、顔を悪意に満ちた表情で歪めるのであった。

 



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不意討ち

「くっ……。私の魔法が発動しないなんて……。お前ら一体何をしたんだ……!?」

「敵に教えるわけがないじゃろう?」

 

 老婆はにやりと顔を歪めたまま、魔理沙に近づき、首元に杖を当てる。

 

「さて……、おぬしをどうしてやろうかのう……。人質として生かすか……。口封じのため、殺すか……」

「……仲間に加えるって選択肢はないのか、なんだぜ?」

「ククク……。出来そこないを仲間にしてやるほどわしは物好きじゃないんじゃよ……」

「……さっきから、出来そこない、出来そこないって……気分が悪いんだぜ……!」

「フ……、拘束されているというのに、強気を崩さんとは……。やはり惜しい人材じゃな……。出来そこないでなければ、仲間にしてやったかもしれん……」

「……お前らの目的は何なんだぜ? 幻想郷で何をするつもりだ?」

「……次から次へと質問が出てくるのう……。よくしゃべる小娘じゃ……。まあ、時間稼ぎをしている……といったところか……? じゃが、魔法を発動していないわけじゃし……。……誰かに助けを求めている様子はないが……、何を狙っている?」

 

 魔理沙は時間稼ぎをしていることを老婆に看破され、額から冷や汗をかく……。老婆の言ったとおり、魔理沙自身は誰かに助けをもとめるような魔法も、狼煙のような信号もだしていない……。だが、「勘の良いあいつなら、来てくれるはずだ」と魔理沙は確信していた。魔理沙が生き残る算段をしていると、眼の前に丸い黒球が現れる……。黒球は暗闇で構成されているようだ……。中から声が聞こえてくる……。

 

「なにやら、騒がしいですね、お母様……。どうなされました……?」

 

 暗闇の中から一人の女性が現れる……。魔理沙は眼を見開いて女性を見る……。その女性は魔理沙の母親と同じ金髪だった。マリーと名乗っていた魔理沙の母親とそっくりの女性である……。

 

「マリサちゃん……!? な、なんでここに……!?」

「お、おばさんこそ……なんで……?」

 

 魔理沙とマリーのやり取りを見ていた老婆が口を開く……。

 

「マリー……。お前、この娘と面識があるのか……?」

「い、いえ……人里でちょっと顔見知りになっただけです……!」

 

 マリーは否定の言葉を老婆に話すが、老婆はマリーに厳しい眼光を向ける……。嘘だと見破っているようだ……。

 

「……マリー。この娘をマリサと呼んだか……? フフ……そういうことか……。この娘はお前の片割れの残りカスというわけか……」

「ち、違います! 母上! この娘とリサは何の関係もありません!」

「どうじゃかのう……。仮に関係なかったとしても……小娘一人が死んだところで何の

影響もあるまい?」

 

 老婆が魔理沙に向けていた杖を光らせる……。魔力を込めているようだ。魔理沙が死を覚悟した瞬間、老婆と魔理沙を取り押さえていた二人の魔女は一斉に飛び退いた。直後、巨大な陰陽玉が老婆たちに襲いかかる……。老婆たちは不意討ちに対して、余裕を持って対応する……。

 

「いきなり、大技を繰り出すとは……品のないお穣ちゃんじゃのう。当たったらどうするんじゃ……」

「当たったらどうするですって? 大成功じゃない」

 

 大技を繰り出した少女は老婆たち魔女集団と魔理沙の間に割って入る……。紅白の巫女服を着た少女……。博麗霊夢はド派手に登場したのだった。



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老婆の見下し

「へへ……。助かったんだぜ、霊夢……」

 

 魔理沙は地面に押さえつけられて服に付いた泥を払いながら立ちあがる……。

 

「……急に、カッパの研究所から飛び出して行くんだから……」

「……お前が隠しごとをするからだぜ?」

「……って、ケンカしてる場合じゃないみたいね……。あいつらは何者なの?」

「さあな……。魔女らしいってことしかわからないぜ……。……後はあそこにいる金髪のおばさんが私の母さんに似ているってことくらいだ……」

「おばさんじゃないわ。おねえさんよ、マリサちゃん」

 

 マリーは魔理沙のおばさん発言を否定する。霊夢はふうとため息をついて魔理沙に問いかける。

 

「……敵なの?」

「……おねえさんの方は多少味方っぽいが……、他の連中は敵だと思うぜ……」

「……違うな……」

 

 霊夢と魔理沙は老婆のプレッシャーのこもった呟きに体を硬直させる。マリーも額から冷や汗を流している……。

 

「なにがどう違うってのよ!?」

 

 霊夢は老婆に向かって叫ぶ。老婆はにやりと口元を歪める……。

 

「そこのマリサとかいう小娘……。貴様は殺さねばならなくなった……。貴様はわしの人生の汚点じゃからな……。……貴様らとワシらは敵同士じゃ……。このマリーも含めてな……!」

「お、お母様……。あの娘はリサと何の関係も……」

「だまれ! 勝手な行動を取りおって……! いくら、貴様がわしの最高傑作だとしても、それ以上戯言を抜かすなら容赦はせんぞ……!」

「も、申し訳ありません……。お母様……」

 

 マリーは老婆の怒号を受け、顔が青ざめる。

 

「なんなの? 仲間割れかしら?」と霊夢は大幣で肩を叩きながら老婆に視線を送る……。

「……これは見苦しいところをさらけ出してしまったのう……。……マリー!」

「は、はい……」

「そこの小娘には……リサの残りかすには簡単に死んでもらうわけにはいかんのう……。屈辱を与えてから死んでもらわねばならん。貴様の口から教えてやると良い……。なぜ、そこの小娘が出来そこないなのか、その理由をな!」

「なっ!? お母様……、私にはそんなことできません……! この子は出来そこないなんかじゃない……!」

「まだ、逆らうか……。ククク……、人間どころか、その辺の草木にさえ劣るこの小娘が出来そこないでなければ、なんだというのだ……」

「お母様、それ以上は……」

「黙れ!」

 

 老婆はマリーの足元に向かって電撃を放つ。電撃は当たらなかったが……、マリーは顔を引きつらせる。

 

「……まあいい……。貴様が言えぬならわしが言ってやるまでじゃ……」

「……仲間にそんな仕打ちをするなんて……。狂ってるわね、アンタたち……」

 

 霊夢は頬を掻きながら苦笑いをする。魔理沙は帽子のつばを持ちながら、老婆を睨みつけていた。

 

「小娘……。そんなにワシを睨みつけて……どうしたんじゃ?」

「……自分の母親に似ている人間を恫喝されて気分が良くなる奴はいないぜ……。それに……、ばあさん……あんたは私の母さんを馬鹿にしてるみたいだからな。ちょっと頭にきてるんだぜ!」

「ふむ……。残りかすには残りかすなりのプライドがあるということじゃな……。くだらんのう……」

「……さっきから魔理沙のことを出来そこないとか残りカスとかって言ってるけど……、さすがに失礼じゃない? 私が聞いても酷いと感じるわよ……」

「残りカスなのも出来そこないなのも事実じゃからのう……。仕方あるまい? それに黒髪のお穣ちゃん……お前もわかっているのじゃろう? なぜその小娘が出来そこないなのか、その理由を……」

「…………」

 

霊夢は老婆の言葉を聞き、無言で眉間にシワを寄せる……。魔理沙は霊夢が口を開かないことを不思議に思い、問いかける。

 

「おい、霊夢……。研究所の時といい、今といい、何を隠しているんだよ!」

「哀れじゃのう……。友人にまで気を遣われておるとは……。小娘……、貴様には『運』がないんじゃよ……。その辺の草木にも、小石にすら宿る『運』がな……」

 

 魔理沙よりも背の低い老婆は魔理沙を見上げている。しかし、その眼は魔理沙を見下していた。



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運がない

「私に運がない……だって?」

 

 魔理沙は困惑した様子で老婆に問いかける。

 

「そうじゃ……。魔法使いにとって必須の……、いや、この世に存在する全ての物質にとって必須であるはずの『運』……。それを貴様はまったく持っておらんのじゃよ。気付かなかったのか? ……まあ、仕方ないかもしれんのう。この幻想郷とかいうコミュニティは運に溢れておるからな……。自身の体に運が宿っていないなど夢にも思わないじゃろう……」

「魔理沙! 奴の言うことなんか聞くんじゃないわよ! アンタに運がないからって魔法使いになれないわけじゃないんだから……」

 

 霊夢は魔理沙が混乱に陥らないよう、老婆の言葉に耳を貸さないよう魔理沙に促そうとする。しかし、老婆は言葉を紡ぎ続ける。

 

「たしかに……、このコミュニティ内ならば、運がなくても魔法使いにはなれるじゃろうな。その辺に溢れ出ている『運』が代わりに魔法を発動させてくれるからのう……。……おっと、間違えたわい……。『溢れ出ていた』と言った方が良いな……」

 

 魔理沙は老婆の『溢れ出ていた』という言葉で全てを察する。魔理沙がほうきで飛べなくなったのはほうきの調子が悪かったからではない。魔法が……、『スターダストレヴァリエ』が発動しなかったのも、この老婆たち魔女集団が幻想郷内の『運』を失くしたからに違いない……。そして、それこそがあの水晶の正体だと魔理沙は確信する。

 

「……あの水晶に隠された機能は、幻想郷の運を奪うものなのか?」

「さあ、どうじゃろうな?」

 

 老婆は魔理沙の質問をはぐらかす……。

 

「さて、魔法使いでもなんでもないただの出来そこないよ……。貴様の処理をさせてもらうぞ? わしは完璧主義者なんじゃ。作品を生み出す時に出たゴミは片づけなければ気になってしまうんでな……」

「……ゴミ、か……。いくら、温厚な魔理沙さんでも……プツっときそうなんだぜ? 大体作品ってなんのことなんだぜ?」

「……貴様が知る必要はない……。まったく、リサ……、あのゴミめ……。自分だけ死ねば良いものを……。こんなゴミを増やしておるとはな……。面倒なやつじゃ……」

「母さんはゴミなんかじゃない!」

 

 魔理沙は怒りを抑えられず、老婆に殴りかかる。しかし、その拳が老婆に届くことはなかった。老婆は魔理沙に杖を向け、魔法をかける……。念動力を受けた魔理沙は宙に浮かされてしまう……。

 

「さーて、どうしてやろうかのう……。岩に叩きつけて醜いオブジェにでもしてやろうか……」

 

 老婆がにやりと口を歪める。

 

「私を無視してんじゃないわよ!」

 

 紅白の巫女、博麗霊夢は素早く老婆のもとに移動し、大幣を鈍器の様に振り下ろす。老婆は杖でガードする。鍔迫り合いのような形だ。杖に攻撃を受けた影響で魔法が解除されたのか、宙に浮いていた魔理沙は地面に落とされる。

 

「ほう……。黒髪のお穣ちゃん、おぬし、かなりの手練みたいじゃのう……」

「それはどうも。悪いけど、アンタら全員退治させてもらうわよ……!」

 

 霊夢は老婆の杖をはじくようにいなして、老婆のガードを崩すと、そのまま、左肩口に向かって再び大幣を振り下ろす……!

 

「ぬっ!? ぐううううう……」

 

 老婆は霊夢の攻撃によって左肩を切断される。しかし、すこし呻き声を上げただけで、冷静に霊夢と距離を取る。

 

「お母様……!」

 

 魔女集団の内の一人が老婆のもとに駆け寄る……。

 

「案ずるな……。大したダメージではない……」

 

 老婆の腕は人とは思えないスピードで、骨、筋肉、血管、皮膚……、腕を構成する部位が再生されていく……。霊夢は眼を見開いてその様子を観察する。

 

「アンタ、本当に人間?」

「さあ、どうだかのう。わし自身は人間だと思っとるんじゃが……。……まだ、完全からは程遠いか……。ここは一旦引くことにしよう……。……小娘、貴様の処理はまた今度じゃ。……マリー!」

「は、はいっ!」

 

 マリーは球状の暗闇を造り出す……。魔女集団は暗闇の中に入っていく……。

 

「逃がさない……!」

 

 霊夢は暗闇向かって陰陽玉を撃ちこむが……、暗闇に結界が貼られているのか、かき消されてしまった。

 

「アンタたちの目的は何!? 運を集めて何をするつもり!?」

 

 老婆はうすら笑いを浮かべるだけで、答えることはない。次第に暗闇は薄くなり、老婆たち魔女集団は霊夢と魔理沙のもとから消え去ってしまった。



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言い争い

「ど、どこに行きやがったんだぜ!?」

「……紫のスキマと同じような空間転移の術みたいね……」

 

 霊夢はひと段落ついたと感じ、ふうとため息を吐く……。

 

「……まさか、ホントに運を奪っているとはね……。でもこれで全て話がつながる……。妖精も付喪神もなぜ消えたかが……」

 

 運の有無は存在できるかどうかにおいて大きなファクターとなる。博麗大結界は『幻と実体』の境界と『常識と非常識』の境界の二つで成り立っている。外の世界で忘れ去られた妖怪や妖精などが幻や非常識となり、幻想郷に流れ着く……。幻になってしまったものは自身の肉体や寄り代を得る必要があるが、この時に運が必要となるのだ。幻になるというのは強引な解釈をすれば、外の世界で運を失ったことなのだ。

 妖精がもっともポピュラーな例だろう。彼女らは、その昔は外の世界でもその辺を飛び回り、人間たちに認識されていた。しかし、科学技術が発達した人間は妖精の存在を……自然を忘れ、彼女たちを認識できなくなってしまったのである。認識をしてくれる人間を失った彼女らは幻となって幻想郷に辿り着いた。しかし、もし、人間が科学技術を持つという不運が無ければ、彼女たちは幻となることはなかっただろう。つまり、妖精は運がなかった存在なのだ。運を失った者たちが再び実体を持つには、失った運と同等かそれ以上の運が必要となる。幻想郷は運に溢れていたため、彼女たちは復活することができたのだ。だが、それ故今回の運を奪われる異変では最初に影響を受けてしまった。彼女たちの存在は良くも悪くも運に大きく左右されているのである。

 

「お、おい、霊夢……。もしかして運のない私も妖精たちみたいに消えちまうのか?」

 

 魔理沙は青ざめた様子で自分の両掌を見つめる。薄くならないか不安なのだろう。霊夢はまたはあとため息を吐く。

 

「大丈夫よ! 人間は妖精や付喪神と違って、存在を肉体に依存してるから。妖怪も同じよ。……もっとも、力が弱くなっている奴はいるかもだけど……」

「そ、そうか……」

 

 魔理沙も安堵のため息をつく。

 

「よし、それじゃ私は家に帰るぜ。魔法が使えないってんなら、マジックアイテムを用意しなきゃいけないからな……」

「何言ってるのよ、魔理沙! まさか、アンタこの後に及んでまだ異変解決をしようっての!?」

「当たり前だろ? あの魔女集団には私の母さんのことを聞かなきゃいけないんだ。それに私と母さんを馬鹿にしたんだ。やり返さないと腹の虫がおさまらないんだぜ!」

「だめよ! アンタには博麗神社か人里で大人しくしてもらうわ! アンタなんて普通の無力な人間なんだから……!」

 

 魔理沙は霊夢の放った「普通の人間」という言葉に不信感を持つ……。

 

「……おい霊夢……。私は『普通の人間』なんかじゃないぜ……! 『魔法使い』だからな」

「でも、今は魔法を使えないでしょ!?」

「ああ……。そうだな。私は運がないみたいだからな」

「それなら……!」

 

 妖精の存在と同様、魔法の発動にも運が大きなファクターを占める……。魔法も言うなれば幻や非常識の一種である。存在するためには運が必要なのだ。魔理沙も魔法に運が必要なのはもちろん知識として持っていた。その運を魔理沙は持っていない。これは事実上魔理沙が本物の魔法使いにはなれないことを示唆していた……。

 魔理沙はぐっと下唇をかむ……。

 

「なあ霊夢……。お前は私に運が無いことを知ってたんだよな……?」

 

 霊夢は魔理沙から視線を逸らす……。

 

「ええ、知ってたわ……」

「……知ってて……私と特訓してたのか……。私が本物の魔法使いにはなれないって知ってたのに、そのことを隠して特訓してたのか……」

「な、なによ。どうしたのよ急に……。幻想郷の中でなら、アンタは立派な魔法使いなんだから……。それで良いじゃない……」

「良いわけないだろ!」

 

 霊夢は突然の大声に体をビクッと震わせる。霊夢には魔理沙の思いが理解出来なかったからだ……。

 

「わ、私は魔法使いに……! 私はお前に……」

 

 そこまで言いかけて魔理沙は口を止め、話を変える。

 

「……お前が私と特訓してたのは……、私を特別と認めてくれたからってわけじゃなかったんだな……。新しい決闘ルールの『普通の人間』代表として私が適任だったわけだ……。運のない普通の人間である私が妖怪や神と対等に戦えるって宣伝できればこれ以上のものはないよな……」

「っ……!? ……ち、違うわ! 私はそんなつもりであんたと弾幕ごっこをしてたわけじゃ……」

「なんだよ……。今の一瞬の間は!」

 

 魔理沙は霊夢を怒鳴りつける……。魔理沙の怒りは……自分に魔法の才がないことの悲しみは霊夢にぶつけて良いものではない……。しかし、魔理沙は自分の能力の無さを自分の中で消化出来る程、大人ではなかった。感情の高ぶった魔理沙には今までの霊夢の行動は裏切りにしか感じられなくなっていた。

 

「お前は私のことを見下してたんだな……。運のない普通以下の人間だって……。そりゃそうだ。お前は幻想郷に愛された『博麗の巫女』だもんな……! ……私とお前じゃ住んでる場所が違い過ぎる……」

「な、何を言って……」

「霊夢なんて大嫌いだ!」

 

 魔理沙は両目に涙を浮かべながら霊夢に背を向けると、魔法の森の中へ走り去る……。藪の中に消えた魔理沙を霊夢はすぐに追ったが見失ってしまった……。霊夢は空を飛び、魔法の森の上空から探索するが、覆われた木々で魔理沙を見つけ出すことはできなかった。霊夢は大幣を強く握りしめる。

 

「違う……。私はそんなつもりじゃ……」

 

 霊夢は悲痛な表情で眉間にシワを寄せるのであった……。



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いつもの調子

◆◇◆

 

 アリス・マーガトロイドは『魔法使い』である。魔法の森の小さな洋館に一人で暮らし、日夜魔法の研究をしていた。主に人形を操る魔法を研究しており、今日は人里に人形用の服を裁縫するための布を購入し帰宅する。

 

「……魔理沙!?」

 

 アリスは自宅の中に、招いていない客がいることに驚く。勝手に入り込んでいた少女の名は霧雨魔理沙。アリスと同じく、魔法の森に自宅を構え魔法の研究をしている『人間』である。霧雨魔理沙は体育座りで小さくうずくまっている。そこにいつもの元気さは感じられない。何かに怯えているのか……、少し震えているようにも見える。

 

「よ、ようアリス……。か、帰ってくるのが遅いんだぜ?」

「約束もしていないのに『遅い』なんて言われる筋合いはないわね……。……どうしたのよ。そんなに小さくなって。アンタらしくもない……」

 

 魔理沙は苦笑いを浮かべる。

 

「いや……、ちょっと森の中で霊夢と言い争いになっちゃってさ……。走って別れたのは良かったんだが……、妖怪に襲われたらって思ったら怖くなってさ……。そんで近くにあるお前の洋館に避難したってわけだぜ……」

「避難? なんで妖怪を怖がってんのよ? アンタは妖怪が襲ってきたら嬉々として退治するような奴じゃない」

 

 アリスの言葉を聞くと魔理沙は俯く……。アリスは魔理沙の様子がいよいよおかしいことに疑問を持つ。

 

「……何かあったみたいね。……私しか頼れる奴がいなかったってとこかしら?」

「……魔法が使えなくなっちまったんだ……。今の私は野犬程度の妖怪にも殺されちまうくらいだろうぜ……。その辺のか弱い一人の少女なんだぜ?」

「か弱い少女は自分のことをか弱いだなんて言わないわよ。……魔法が使えないってどういうことよ?」

 

 魔理沙は森の中で会った老婆のこと、水晶のこと、幻想郷から運が消えていること、そして自分に運がなく魔法が使えなくなっていることをアリスに話す。

 

「運が奪われている……。確かに今日人里に行った時、付喪神の声が全く聞こえなかった……」

 

 アリスは顎に手を当て、魔理沙の話の真偽について思考する。そんなアリスをみつめながら、魔理沙が口を開く。

 

「なあ、アリス……。お前も私に運がないことを知ってたのか……?」

「ええ、知ってたわよ?」

 

 アリスはあっけらかんとした様子で魔理沙に答える。

 

「なんで言ってくれなかったんだよ!? お前も……、……霊夢も……!」

「何を怒ってるのよ? 運がないからなんだっていうのよ?」

「……! 運がないってことは本物の魔法使いにはなれないってことじゃないか……!」

 

 アリスは魔理沙の怒りの表情を見つめる。アリスは魔理沙が大きな勘違いをしていると察し、諭すように語り出す。

 

「……魔理沙、アンタ何で魔法使いを目指すようになったのよ?」

「な、なんでって……」

「アンタも知ってると思うけど、私は人形に完璧な命を吹き込めるようになるために魔法使いになったわ……。私を造った『奴』と同じことができるようになるために……。認めたくないけど私は奴に多少の憧れを持っているのかもしれない……」

 

 魔理沙はアリスの話す『奴』が誰かは知らないが、アリスの言葉に耳を傾ける。

 

「……私は自分の目的のために魔法使いになった。アンタもそうでしょ? 魔法使いになったのは手段であって目的じゃない……!」

 

 アリスは強い眼差しで魔理沙を睨むように険しい表情を造る。魔理沙はアリスの醸し出す雰囲気に思わずたじろぐ。

 

「アンタが魔法使いになろうと思ったのはなんでよ? それを思い出せば『本物の魔法使い』にこだわる必要なんてないんじゃない?」

 

 魔理沙はアリスの言葉を聞き、思い出そうとしていた。なぜ、自分が魔法使いになろうと思ったのか……。

 

「忘れてるんなら世話ないわね。……てっきり、私はアンタが博麗の巫女に……、ま、なんでも良いわ。とりあえず、今のアンタの目的を教えてもらえるかしら?」

「……この異変の首謀者をぶっ飛ばす……! そして、母さんのことをあいつらから聞き出してやるんだぜ!」

 

 少しだけ、いつもの調子に戻った魔理沙にアリスは口元を歪める。

 

「アンタにはその表情が似合ってるわよ」



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不気味な女児

◇◆◇

 

 魔理沙とアリスは森の中を二人で移動していた。

 

「おい、もうちょっとスピード落としてくれよ! 振り落とされちまうぜ……!」

「あんたこそ、私の首絞め過ぎよ! もうちょっと腕の力抜きなさいよ!」

「だから、スピード落としてくれって言ってるんだぜ!?」

 

 魔理沙はアリスにおんぶされた状態で空を飛んでいた。魔理沙は地面に落ちてはいけないとアリスに力いっぱいしがみ付いている。向かう目的地は、アリスの洋館と同じく、魔法の森にある魔理沙の自宅『霧雨魔法店』だ。

 

「それにしても参ったぜ……。全く魔法を使える気配がないぜ……。朝はまだふらふらしながらも飛べてたんだけどな……。なぁアリス、お前は運が減ってるのを感じ取れるか?」

「正直言って、わからないわ。私は普段から意識して自前の運を使って魔法を発動させてたから……。アンタと同じように幻想郷にある運を使って魔法を発動してる奴じゃないと感じ取れないんじゃない?」

「……私は運なんて皆、持ってるもんだと思って魔法を使ってたからなぁ。自分に運がないなんて知らなかったし……。……意識して幻想郷の運を使って魔法を発動してる奴なんているのか、なんだぜ?」

「んなこと私に聞かれても知らないわよ……」

 

 辺りはすっかり暗くなりかけていた。お昼前には霊夢と別れた魔理沙だがアリス宅に長いこと居座っていたことに気付いて驚く。程なくして魔理沙たちは霧雨魔法店に到着する。

 

「やっぱり、空を飛べないと不便だよなあ……。空さえ飛べたらアリスの家からここまで十分もかからないってのに……」

「愚痴はいいからさっさと用事を済ませなさいよ……」

 

 魔理沙は自宅でマジックアイテムを大きなリュックサックに詰め込んでいく。運が無くなり、自力での魔法発動ができなくなった魔理沙だが、あらかじめ魔力が込められているマジックアイテムなら使用可能であることに気付いたのだ。魔理沙はこれでもか、とリュックにマジックアイテムを押しこんで行く。

 

「よし、こんなもんなんだぜ!」

 

 魔理沙はその小さな体と同じくくらいに膨らんだリュックを背負う。

 

「よし、じゃあアリス、人里まで連れて行ってくれ!」

「……アンタまさか、私にまたおんぶして空飛べって言うんじゃないでしょうね?」

「え? 当たり前だろ?」

「『当たり前だろ?』じゃないわよ! そんなデカイ荷物持ったアンタをおんぶして空飛べっていうの!? ふざけんじゃないわよ!!」

「ええ……。ケチくさいんだぜ……」

「なんとでも言いなさいよ。とにかく私はおんぶして空飛ぶつもりはないから! これ以上文句言ったら、ボディガードもしてやらないからね!」

「そ、それは困るんだぜ……。アリスさん、お願いします! 空は飛ばなくてもいいから、人里まで付いてきて下さい、なんだぜ……」

 

 魔理沙はアリスとともに徒歩で人里に向かうことにした。歩いて移動するには2~3時間はかかる距離だが、魔理沙はアリスにへそを曲げられると困る。いくらマジックアイテムがあるといっても魔法と違ってすぐに発動できるわけではない。ましてや魔理沙はマジックアイテムのみでの戦闘に慣れていないのだ。もし、妖怪に襲われても対処できるかわからない。今の魔理沙にアリスの護衛は必須だった。

 

「アリスぅ……。リュック持つの、手伝ってくれなんだぜぇ……」

「欲張ってそんなに詰め込むから、すぐ疲れちゃうのよ! 持つのは絶対手伝わないからね!」

「薄情なヤツめ……」

「なんとでも言いなさいよ!」

 

10分後、再び魔理沙はアリスに泣きつく。

 

「……アリスぅ……」

「……わかったわよ! 取りあえず休憩にするわよ! その後、ちょっとだけなら持って上げるわよ!」

「ホントか!? サンキューなんだぜ! アリス!」

 

 根負けしたアリスを見て魔理沙は満面の笑みでお礼を述べる。どうにもアリスは子供のような姿を見せる魔理沙についつい甘くなってしまう。

 アリスと魔理沙は荷物を交代で持ちながら歩き続ける。

 

「ようやく、魔法の森を抜けれそうなんだぜ」

「人里まではまだ1時間は歩かないと行けないわね」

 

 二人ははあとため息を吐く。

 

「……っ!?」

 

 アリスは何かの気配を感じ、周囲を見渡す。妖怪ではない……。それはアリスと似た気配を持っていた。異様な雰囲気にアリスは冷や汗を流す。

 

「どうしたんだぜ!? アリス!」

 

 魔法を使えなくなり、気配を感じることができなくなった魔理沙だが、アリスの様子がおかしいことに気が付き、声をかける。

 

「近くに妙な奴がいるわ。……妖怪や妖精じゃない。これは……」

 

 アリスがごくっと唾を呑んだときだった。二人に話しかける奇妙な声が聞こえてくる……。

 

「すごい、すごい! 百十七号の気配に気付くなんて……! お姉さん、凄腕の魔法使いなんだね!」

 

 甘ったるい子供の声だった。声のする方向に二人が顔を向けるとそこには幼い女児が黒いフードをかぶってアリス達を見つめていた。

 

「やったぁ! 見つけたよ。出来そこないさん! あなたを殺して百十七号が偉大な母(グランマ)のお気に入りになるんだから!」

 

 アリスと魔理沙は不気味なことを述べる女児に視線が釘付けにされてしまうのだった。



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良い趣味

「……えらくかわいい殺し屋のお出ましなんだぜ……。お前、あの婆さんの仲間だな?」

 

 魔理沙はフードを被った女児に問いかけた。フード越しに見える顔は人形のように整っており、綺麗な茶髪をしている。年齢は十歳に達しているかどうか……といったところだ。

 

「そうだよ。私はグランマの娘なの。だから、出来そこないさんには死んでもらうね。それがグランマの望みだから!」

 

 女児は屈託のない笑顔で物騒なことを話す。魔理沙を殺すことに一切躊躇いはないようだ。

 

「あの婆さんの娘? それにしちゃ、歳が離れすぎてるようだが……、まあいい。私も死ぬわけには行かないんだぜ?」

 

 魔理沙はあらかじめポケットに仕込ませておいたマジックアイテムを手に取り臨戦態勢を取る。

 

「魔理沙、アンタは下がってなさい!」とアリスが魔理沙に声をかけた。

「どうしたんだよ、アリス。いつものお前らしくないんだぜ?」

 

 魔理沙はアリスの顔色があまり良くないことに気付く。アリスは魔理沙の前に守るように、魔理沙と女児の間に入った。

 

「魔理沙、アンタ魔法が使えなくなって魔力を感じ取りにくくなってるんでしょ? ……こいつ、明らかに異様よ……。こいつは私と同じ……」

「あっはは! やっぱりお姉さんは凄腕の魔法使いなんだね! ……アリスさんっていうんだ……。……アリスさん、出来そこないを殺すのを邪魔するのなら、あなたも一緒にやっつけちゃうね!」

「……やれるもんならやってみなさい……。おチビさん!」

 

 アリスはピアノ線がつながった西洋人形を取りだし、女児に向かって飛ばして攻撃させる。しかし、女児は難なくかわす。

 

「結構、すばやいのね。おチビさん……」

「わたしはおチビさんって名前じゃないよ! 百十七号ってグランマからもらった名前があるんだから!」

「百十七号……? モノみたいな名前なんだぜ……」と魔理沙は素直な感想をつぶやく。

「それにしても驚いちゃった! アリスさんも私と同じなんだね。……私も使えるんだ。

『人形たち(シスターズ)』を……」

 

 百十七号は、ローブの中から三十センチ程度の西洋人形を複数出現させる。ローブの中に隠していたにしては多過ぎる数だ。魔法で小さくさせていたのか、あるいは転移魔法を使ったのか……。数十体の人形を呼び出す。そして、どの人形も百十七号に良く似た顔と髪色をしていた……。

 

「……自分に似た人形をたくさん使うなんて……。良い趣味してるんだぜ……」

 

 魔理沙は少し気持ち悪そうな様子で百十七号を見つめる。しかし、魔理沙の感想など百十七号は気にとめない。

 

「さあ、『人形たち(シスターズ)』! あいつらをやっつけて!」



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お得意の人形遊び

 


 百十七号が呼び出したシスターズたちは宙を飛び、縦横無尽に駆ける。まるでそれぞれが意識を持っているかのように……。シスターズたちはアリスと魔理沙たちに体当たりをするように襲いかかる。人形とはいえ、高速でぶつけられれば、ダメージは重い。

 

「くっ!?」

 

 アリスも負けじと操る人形を数体増やし、攻撃を防ごうと試みる。しかし、焼け石に水なのは明らかだった。

 魔理沙も攻撃を受けまいと走って逃げまわる。だが、シスターズたちの猛攻は止まない。

 

「うあっ!?」

 

 シスターズの内の一体が軽やかな動きでアリスに迫る。フェイントなどの複雑な動きを見せるシスターズの動きに対応できず、アリスは腹部に体当たりを受けてしまう。アリスは衝撃に耐えられず、1メートル程度跳ね飛ばされ、尻モチをつく。

 

「くっ……。なんて精密な自動人形(オートマタ)なの……!?」とアリスは立ち上がりながら声を漏らす。

 

 オートマタ……、アリスが操っている『上海』と叫ぶ西洋人形たちもオートマタの一種だ。自意識を持ち、自らの判断で行動を起こすことができる人形である。百十七号が繰り出した人形……『シスターズ』の性能はアリスの『上海人形』を大きく上回っていた。

 

「フフフ……。すごいでしょ? 『シスターズ(おねえちゃん)』たち……。グランマが生みだしてくれたんだから、当たり前なんだけどね!」

 

 百十七号は女児らしい満面の笑みで答える。やっていることの残酷性と言動の幼さとのギャップにアリスは思わず背筋を凍らせた。

 

「どうやら、アンタたちの『偉大な母(グランマ)』ってやつは碌なやつじゃなさそうね。人をいたぶっておいて、笑えるようなヤツを造り出しているんだから……」

「……グランマの悪口は許さないよ? やっちゃえ! シスターズ!」

 

 シスターズが一斉にアリスに襲いかかる。アリスは仰向けに倒れてしまい、その上からシスターズが体を覆うように重なってくる。

 

「いい感じだよ。シスターズ! そのまま、押しつぶしちゃえ!」

「かっ……はっ…………!」

 

 アリスは体にかかる荷重に耐え切れず、息を吐き出す。

 

「ま、魔理……沙……」

 

 アリスは視線を魔理沙の方に向ける。魔理沙もまたシスターズに押し潰されようとしていた。うつ伏せに押さえつけられた魔理沙だが、顔を上げ、アリスと視線を合わせる。

 

「…………!」

 

 アリスは魔理沙のアイコンタクトに気付く。魔理沙の目は笑っていた。何か仕掛けようとしているのは明らかだ。アリスは魔理沙の行動に備え、目を瞑って、身構える。

 

「うううううりゃああああ!」

 

 魔理沙は人形たちに押さえつけられる中、なんとか腕を出すと、叫びながら野球ボール程度の大きさの玉を放り投げた。玉から強力な光が炸裂する。魔理沙はマジックアイテムの閃光弾を発動させたのだ。

 

「ぐうぅうううううううう!?」

 

 百十七号はあまりの眩しさに呻き声を上げる。

 アリスは体が軽くなるのを感じていた。どうやら、シスターズ達は高性能過ぎる故に、眩しさから自身を守るために散り散りになっているようだ。重りがなくなったアリスはよろめきながら立ち上がる。しかし、まだアリスの視界は戻らない。

 

「魔理沙! 大丈夫なの!?」

「……当たり前なんだぜ!」

 

 アリスは眩しさで眉間にしわを寄せながらも、元気の良い答えが返ってくることに安堵のため息を吐く。少しずつ、アリスの視界が戻ってくる。百十七号やシスターズも同様だ。

 

「……よくもやってくれたね……。 出来そこないさん……! みんな、やっちゃえ!」

 

 百十七号が魔理沙の後ろ姿を睨みつけながら、『人形たち(シスターズ)』に命令を下す。シスターズが一斉に襲いかかる中、魔理沙は振り返る。

 

「へっへーん!」

 

 魔理沙は笑いながら、顔にかけられたサングラスの位置を右手でテンプルを持つことで修正する。

 

「チェックメイトだぜ!」

 

 魔理沙は左手に持った小さなスイッチを押した。すると、数体のシスターズが突然爆発を起こす。周囲にいた他のシスターズも爆発に巻き込まれる。爆風が治まると……無残にもバラバラになったシスターズの破片がそこらじゅうに散らばっていた。

 

「お前らが閃光で視界を失っている間に、何体かの人形に爆弾を仕掛けさせてもらったぜ! これでお得意の人形遊びは出来ないぜ? 残念だったな!」

 

 魔理沙はサングラスを取りながら、勝ち誇るのだった。



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完全停止

「ったく……! 魔法を使えないのに無茶するんじゃないわよ……」

「助けてやったってのに……。その言い草はなんなんだぜ?」

 

 アリスはふうとため息を吐き、額の汗を拭う。

 

「ま、確かに助かったわ。礼を言っとく……。さて、百……何号って言ったかしら? この場を去りなさい。今なら命は助けてあげるわよ……」

 

 アリスは百十七号にもう手を出さないように告げる。しかし、百十七号がその場から動こうとしない。小さな声で何か呟いている……。

 

「おい、お前なにぶつぶつ言ってるんだぜ?」

「……さない……!」

「え?」と魔理沙が聞き直す。

「よくもシスターズ(お姉ちゃん)たちを……! 絶対に許さない……! この出来そこない……! うわああああああああああああああ!」

 

 百十七号は魔力をその身に集約し始める……。あまりにも強大な魔力に魔法の森がざわめく……。

 

「な、なんなんだぜ!?」

 

 魔法が使えなくなった魔理沙に伝わる程、強力な魔力を宿した百十七号は青白く光るオーラを身に纏っていた……。

 

「死んじゃえぇええええええええええ!!」

 

 百十七号は涙を流しながら、魔理沙に殴りかかる!

 

「魔理沙!」

 

 百十七号の魔理沙への攻撃……、アリスは上海人形を盾にしてかばい、受け止めた……。アリスは伝わる振動に違和感を覚える。

 

「あ、あなた……やっぱり……」とアリスは確信する。

「なにが『やっぱり』なんだよ! アリス!!」と魔理沙はアリスに問いかける。

「この子の体……中身がない……!」

「中身……?」

「この子の体の中は空洞なのよ!」

「空洞!?」

 

 魔理沙が驚いた顔をしていると、百十七号は口を開いた。

 

「そうだよ。私は人形だもの。グランマが造った百十七体目の人形……。それが私……」

「に、人形!? 嘘だろ!? 表情も動きも……涙だって流してるんだぜ!? こいつが人形!?」

「完全自動人形(パーフェクトオートマタ)……」

 

 アリスがポツリと呟く。

 

「人間と全く変わらない、思考、感情を持つ人形……。パーフェクトオートマタ……。自然発生する付喪神と異なり、人工的に生命を造り出す……。神に近しい所業……。……信じられないわね……。そのグランマとやら、間違いなく凄腕の魔法使いみたいね……」

 

 アリスは額から冷や汗をかきながら、まるで解説をするように百十七号に語りかける。

 

「当たり前でしょう? 私たち全員のグランマなんだもの……。……出来そこないさん、今すぐ殺してあげるから!」

 

 百十七号は再び、魔理沙に襲いかかる……が、アリスも再び上海人形で受け止める……。

 

「……アリスさん……あなた、邪魔するのね! あなたは私と『同じ』だから殺さないつもりだったけど……。もう容赦しない!」

「がっ!?」

 

 アリスは百十七号に蹴り飛ばされる。アリスを退けた百十七号は魔理沙に向かって人形型の魔力弾を撃ち込む……!

 

「うわわ!?」

 

 魔理沙は走って魔力弾から逃げ回る……。数発はかわすことができたが……、魔力弾の一発が魔理沙の背後で爆発を起こし、吹き飛ばされてしまう……。

 

「これで終わりだよ。死んじゃえ!」

 

 ダメージを受けて動くごとができない魔理沙に向かって、百十七号は一際大きな魔力弾を発射した!

 

「魔理沙!」

 

 魔力弾が魔理沙に直撃しようかというタイミングでアリスが魔理沙を抱えて飛び去る。しかし、魔力弾が地面にぶつかったと同時に発生した爆風で二人はダメージを受けてしまった。

 

「く……。でたらめなんだぜ……。霊夢の陰陽玉を超えてるんじゃないか!?」

 

 魔理沙は百十七号の威力ある魔法にたじろぐ。

 

「魔理沙! ちょっと耳貸しなさい……!」

 

 アリスは魔理沙に耳打ちをする。

 

「ああ、その類のマジックアイテムならあるぜ。なんか勝算があるんだな?」

 

 魔理沙の問いかけにアリスはコクリと頷く。

 

「作戦会議したって無駄だよ!」

 

 百十七号は宙に浮かぶと魔力弾を二人に向かって撃ち込んだ。アリスと魔理沙は二手に分かれて逃げる。百十七号は一瞬、攻撃の照準をどちらに合わせるか迷ってしまう。その隙を魔理沙は見逃さない。

 

「そらああああああ!」

 

 魔理沙は百十七号に向かってボール型のマジックアイテムを投げつける。ボールは破裂し、金属のネットが百十七号を包む。

 

「こんなもの……!」

 

 百十七号がネットから出ようともがく。しかし、もうアリスが次の一手を打とうとしていた。アリスはネットに自身が操るピアノ線を絡めつけ、魔力を流す……!

 

「う……あ……え……?」

 

 百十七号は動きを止め、地面に墜落する。

 

「な、なんで……? 体が動かない……!?」

「私の『人形を操る程度の能力』を使わせてもらったわ……! 私は人形遣い……。いくらあなたが『完全自動人形(パーフェクトオートマタ)』であっても、ベースは人形……。それならば、あなたを操れる……!」

 

 アリスはありったけの魔力をピアノ線に込める。普段、『本気では戦わない』という信念を持つアリスであったが、今回ばかりはその信念を曲げざるを得なかった。それほどまでに百十七号は強大な魔力を持っていたのである。

 

「く、く……。う、あぁああああああああ!」

 

 百十七号はネットを吹き飛ばそうと、強引に魔力を体に集める……。

 

「……!? やめなさい! それ以上魔力を使ったら……、体を保てなくなるわよ!!」

 

 アリスは百十七号の身を案じ、叫んだ。

 

「か、構わないもん。ここで出来そこないさんを逃したら、グランマに見捨てられちゃう……。そんなの絶対嫌ぁあ!」

 

 百十七号は自分の持つ魔力全てを振り絞り、ネットを破壊しようとする……!

 

「そ、そんな!? 押さえられない……!?」

 

 百十七号が放つ魔力は熱となり、ネットを溶かし尽くした。拘束から解放された百十七号だったが……、それが限界だった。

 

「あ、ああ、あああああ」

 

 百十七号の体がぼろぼろと崩れ落ちていく……。体の中から一体の人形が現れる。シスターズと全く同じ形の人形だった。百十七号の核となっていた人形である……。

 

「ご、ごめんな、さい……、グランマ……。見捨て、ないで……」

 

 ……百十七号の核は地面に前のめりに倒れ込み、完全停止するのであった……。



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人形への祈り

「か、勝ったのか……?」

「……そうみたいね……」

 

 アリスは浮かない顔をしていた。その表情を見た魔理沙は勝利に浮かれた心を冷静にさせる。

 

「……とんでもない奴だったぜ。人形とは思えない強さだった……。こんな人形を作っちまうなんて、あの婆さん何者なんだぜ?」

「……見当もつかないわね……。……魔理沙、この子たちを埋めるのを手伝ってくれる?」

「埋める?」

「ええ……。主人のために尽くした人形……。供養してあげないと……」

 

 魔理沙とアリスは人形たちの破片を集め、綺麗に並べて埋葬した。アリスは手を合わせて祈りを捧げた。

 

「主人に見捨てられた人形たちよ……。安らかに眠ってちょうだい……」

「……お前ってこんなに情のあるヤツだったんだな……。知らなかったぜ。前に一緒に妖怪を倒した時はこんなことしなかったよな?」

「……私と一緒だから、情が移ったのかもね……」

「お前と一緒? それってどういう……」

「…………」

 

 魔理沙の問いにアリスは答えない。アリスが喋りたがらないことを察し、魔理沙もそれ以上問いかけなかった。

 

「さ、急いで人里に向かうわよ。すっかり夜になっちゃったしね。遅くなる前に到着しなきゃ、ね」

「ああ……」

 

 魔理沙とアリスは人里へ歩き始めたのであった。

 

◇◆◇

 

 魔女集団のアジト……。魔理沙の母親にそっくりの容姿をしたマリーは、青ざめた顔をしていた。

 

「百十七号ちゃん……」

 

 百十七号が完全停止したことを感じ取ったマリーは眉間にシワを寄せながら目を瞑る。

 

「お母様……。百十七号がその機能を完全に停止させました……」

 

「百十七号……? ああ、傑作からは程遠かったあの人形のことか……。……定期的に魔力を与えなければ動けなくなるはずじゃが……。……もしや、マリー……貴様が魔力を与えておったのか?」

「……はい。勝手ながら……」

「貴様も奇特なことをするものじゃ……」

「……お母様……。百十七号ちゃ……、……百十七号はお母様を敬愛しておりました。せめて亡骸に祈りを捧げてはいただけませんか……?」

「……なぜ、失敗作の人形に情を注ぐ必要があるのじゃ?」

 

 予想通りの回答ではあった……が、百十七号のことを思うと、マリーは胸が苦しくなる。

 

「そんなことよりも、計画は進んでおるのか?」

「はい、順調にこの幻想郷と呼ばれるコミュニティの運が集まってきております……。お母様の悲願も成就するかと……」

「そうか、それは良い知らせじゃ……」

 

 老婆はにやりと口を歪ませた。



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『寺子屋』の教師

◇◆◇

 

「はぁ。やっと着いたぜ……」

 

 百十七号との戦闘から1時間……。アリスと魔理沙は人里に到着する……。戦闘を終えてからの移動は体に多大な疲労感を与えていた。

 

「アリスがおんぶしてくれたらもっと早く着いたのに……」

「わたしも魔力空っぽだったのよ!? そんな余裕あるわけないじゃない!! ……で、今から何処に向かうの? できれば私も泊めてほしいんだけど」

「良いとこがあるんだぜ! 今日はそこに泊めてもらう!」

 

 既に夜は深くなり、人里は静まり返っている。そんな中、魔理沙がアリスを宿として案内したのは、集会所のような建物だった。

 

「何よ? ここ……」

「むかし、ここでそろばんやら、習字やらを子どもたちが集まって学んでたんだ。あたしも何回か来たことがある」

「ふーん、人里でそんなことをやってた時期があったのね……」

「ま、今はタダの空き家なんだけどな……」

 

 魔理沙は慣れた様子で集会所の鍵を針金でいとも容易く解錠してしまう。

 

「……あんたまさか、いつもこんな盗人みたいなことやってるんじゃないでしょうね?」

 

 アリスが冷めた目で魔理沙を見つめる。

 

「やってねえよ! 今日は特別だよ。特別! 緊急避難ってやつだぜ!?」

 

 二人は集会所の中に入り込む。布団などの寝具はないが、一晩過ごすくらいは我慢できそうだ。二人は座敷部屋の畳に横になる。

 

「……アンタの実家に泊まってもよかったんじゃないの?」とアリスは魔理沙に問いかけた。

「…………」

 

 魔理沙はアリスの質問に答えない。アリスも魔理沙が父親と仲違いしていることをこれまでの付き合いの中、雰囲気でなんとなく察していたのでそれ以上は聞かなかった。

 

「…………魔理沙……!」

 

 アリスは物音に気付き、小声で魔理沙を呼ぶ。

 

「……この集会所、空家なんじゃなかったの!? 人の気配がするわよ……!」

 

 アリスは声を殺して魔理沙に確認する。

 

「たしかに空家だったはずだぜ……?」

 

 アリスは神経を集中させる。物音が近づいてきた。板張りの床を軋ませて人が歩く音がする。足音はアリスと魔理沙が休んでいる座敷部屋で止まった……。次の瞬間、勢いよく障子が開くと共に怒号が飛ぶ……!

 

「何者だ!? お前たち!! 私の『寺子屋』に何の用事だ!!」

 

 あまりの怒号に二人はその場で正座をして背筋をピンと伸ばした。怒号を飛ばした人間の顔が提灯の明かりに照らされて露わになる。白髪の美人だった……。

 

「す、すいません。私たち泊まるところがなくて……、たまたま鍵が開いていたこの屋敷に入ったんです……。空家だと思ってたんです。まさか人が住んでるなんて思わなくて……」

「鍵が開いていた……? ……閉め忘れていたのか……」

 

 アリスが咄嗟に吐いた嘘だったが、白髪の美人は人が良いのか、信じてしまった様だ。白髪の美人は二人の顔をまじまじと見る。

 

「よくよく見ると、二人とも年端もいかない女子か……。……勝手に入り込んだことは許し難いが……この夜中に追い出すわけにもいかないな……。……今日だけは泊まることを許そう。……明日の朝一には出ていくんだぞ?」

 

 白髪の女性はため息をついて、座敷部屋を後にしようとしたが、アリスが呼び止める。

 

「あ、ありがとうございます……! ……あ、あのお名前を伺っても……?」

「……私の名は上白沢慧音。……この『寺子屋』の教師だ」

「て、『寺子屋』?」

「……身分に関係なく、人里のこども達に教育をする場のことだ。もっとも、まだ生徒を募集している段階で、活動は始まってないんだがな……。……もう寝かせてもらうぞ」

 

 慧音は踵を返して、通路の奥へ向かおうとしたが、一旦立ち止まる。

 

「お前たち、今日が満月でなくてよかったな」

 

 意図のわからない言葉を残して、慧音は消えていった。魔理沙とアリスの二人はホッとため息を吐くと、横になる。安堵したのか、二人ともすぐに深い眠りに入るのであった。



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無言の肯定

 翌朝、魔理沙とアリスは寺子屋から出発しようとしていた。

 

「次はないぞ? 今度無断で入り込んだら時間無制限で説教だ」

「泊めていただいてありがとうございました……。今日は家に帰りたいと思います」

「当たり前だ! 親御さんが心配しているだろうからな! 二度と家出なんてするんじゃないぞ!」

 

 アリスと魔理沙は慧音に家出をしていて行くところがなく、仕方なしに空家だと思っていた寺子屋に入ったのだと説明していた。どうにもこの慧音という女性は人を信じやすいらしく、アリスと魔理沙の説明に特に疑いを持つこともなく納得している様子である。もっとも、実際に魔理沙は家出をしているので、全く嘘という訳でもないのだが……真実を告げていないことに変わりはない。

 

「特にそちらの小さな娘! 寺子屋が完成した暁には通うといい。私が直々に教育し直してやるからな!」

「ち、小さな娘って私のことか、なんだぜ!?」

「それ以外に誰がいるんだ?」

「私はもうこどもじゃないんだ! 仲良くお勉強なんて冗談じゃないんだぜ!」

 

 魔理沙はどこに向かうでもなく、駆けだした。アリスは慧音に頭を下げると魔理沙を追い駆ける。

 

「やれやれ、本当にまだこどもじゃないか。また家出しそうだな。あの子は」

 

 走り去る二人が視界から消えるのを見届けながら、慧音は苦笑いを浮かべていた。

 

「こら! ちゃんと挨拶しなきゃダメじゃない!」

「だって、こども扱いなんて絶対イヤなんだぜ?」

「ったく……。それでも少しは落ち着いた行動をしなさいよ。あれじゃ失礼なだけよ!」

 

 アリスは魔理沙に追い付くと幼い妹を躾けるように諭した。

 

「……それじゃ、私は家に帰らせてもらうわよ」

「え、訓練には付き合ってくれないのかよ?」

「人里まで送るって約束は果たしたんだからもういいでしょ? 森で襲って来た妙な連中がうろうろしてるんだとしたら、家を守らないとね。私の洋館にはそれなりに上質なマジックアイテムが置いてあるんだから。あんな奴らに盗られたらたまらないし。訓練なら一人でできるでしょ?」

 

 魔理沙がアリスにお願いしてまで人里におくってもらった理由は、安全な場所でマジックアイテムを用いた戦闘に備えて訓練を行うためだ。今の魔法が使えない魔理沙では魔法の森での訓練は危険が伴う。その辺の低級妖怪相手にも後れを取られかねないからだ。人里ならば、もし老婆たち魔女集団が手を出してきても、紫や霊夢といった手練たちがすぐに対応をするだろう。

 

「それに……、あんたのお父さんと仲直りする良い機会じゃないの。二日連続で人さまの家に住居侵入するわけにもいかないでしょ?」

 

 アリスはいたずらな笑みを浮かべると、空を飛んで魔法の森へと去って行った。

 

「こーりんもアリスも……余計なお世話なんだぜ……!」

 

 魔理沙は言葉を吐き捨てると、まずは情報収集のため人里の商店があつまる区域へと足を向かわせるのだった。

 

 魔理沙は人里の商業区域に足を伸ばすと、さっそく街行く中年女に声をかけた。

 

「なあ、おばちゃん! 最近人里で妙な連中を見なかったか? 私みたいに魔女の格好をした連中なんだけど……」

「さあ、見ないわねぇ。お穣ちゃんみたいな目立つ格好してる人が何人もいたら噂になってると思うしねぇ……」

「じゃあ、この前水晶を売ってた婆さんはアレから来た?」

「いや、あれっきり見ないねぇ……。そうそう、水晶で思い出した。例の水晶を博麗の巫女が回収してまわってるんだよ。私は渡さなかったんだけどね。結構しつこく渡すように言われたから失くしたって嘘ついて帰ってもらったよ。なんか危険らしいんだけど、あんな便利な物を取られるわけにはいかないからねぇ」

「霊夢が水晶の回収を……」

 

『そりゃ当然か』と胸中で魔理沙は頷く。運を奪う水晶を放っておく道理はない。回収するのは当たり前だろう。しかし、あまり順調ではないようだ。人里の民からすれば便利アイテムを奪われることになるのだから、頑固に渡さない者や嘘を吐いて白を切るものも出るだろう。この中年女の言うことから察するに、回収の理由は最低限しか話していないらしい。いたずらに人々を不安にさせることを霊夢は避けたのだろう。人里の人間の大きな心情変化はそのまま幻想郷の異変のトリガーとなりかねないからだ。

 

「でも、もうちょっと上手くやれたと思うんだぜ?」

 

 中年女と別れた魔理沙は霊夢の不器用な交渉術に少し呆れていた。半ば強引に水晶を回収しようとして断られて失敗する霊夢が魔理沙の脳裏に浮かぶ。

 

「霊夢に魔法が使えないことを八つ当たりしちゃったからな……。今度会ったらお詫びに水晶の回収を手伝ってやるか。とりあえず、まだ人里に魔女集団は手を出していないらしいからな。今の内に郊外でマジックアイテムの特訓なんだぜ!」

 

 魔理沙はもう「運」がないことに対する劣等感を心の中から消去していた。魔理沙は良くも悪くも切り替えが早い。そうでなければ、強大な妖怪たち、ましてや霊夢の実力に辿り着くことなどできない。魔理沙は無自覚ではあるが、強者のメンタリティを身に着けていた。

 

 人里郊外でマジックアイテムの特訓をして数時間、既に魔理沙は戦闘時の攻撃方法、防御方法、退避方法のパターンを数個ずつ手にするに到った。霊夢と比べれば大きく実力が劣る魔理沙だが、その戦闘センスや身体能力は同年代の一般的な少女と比べれば、数段上をゆく。常人ならば何日もかかるであろう戦闘術の考案、取得を半日で終わらせてしまっていた。

 

 申の刻を過ぎた頃、戦闘パターンの習得にひと段落着いた魔理沙はふうと息を吐き、独り言を呟く。

 

「……わがまま言ってられないか。今日のところはクソ親父に頭下げて泊めてもらうか」

 

 魔理沙は人里にある実家、霧雨道具店に向かう。どうにも気分が乗らない魔理沙はわざと回り道をしながら、歩き続ける。人里はいつもの日常を送っており、平和そのものだった。こんな平穏の影で幻想郷の運が奪われているとは当事者の魔理沙でさえ信じられない。回り道し続けた魔理沙だが、とうとう家の前に辿り着いてしまった。

 

「霊夢!?」

 

 魔理沙の実家の前では霊夢が壁を背もたれにして寄りかかるように立っていた。

 

「魔理沙、あんた今までどこ行ってたのよ!? 魔法の森の家にもいないし……私がどんだけ……」

「心配してくれたのか?」

「し、心配なんてするわけないでしょ!? あのまま死なれたら目覚めが悪いからよ!」

 

 霊夢の目の下には隈ができていた。どうやら、寝ずに魔理沙の捜索をしていたらしい。

 

「ま、何にしてもサンキューなんだぜ。お詫びに水晶の回収を手伝ってやるからさ」

「私が水晶を回収してること知ってたのね……」

「まあな。でも上手くいってなさそうだな。私が知恵を貸してやるぜ?」

 

 霊夢と魔理沙が会話をしていると、霧雨家の扉が開く。中から出てきたのは筋骨隆々の大男。還暦付近を迎えているであろう魔理沙の父親である。

 

「言った通りだろう。博麗の巫女さん。このガキはそう簡単にはくたばらねえよ」

「親父……」

「このはねっ返り娘が迷惑をかけやがって! ……魔法使いになるのはあきらめたか?」

「誰があきらめるか、なんだぜ! ……なんで親父は私が魔法使いになるのをそこまで反対するんだよ? いつも一言目には『お前に魔法なんて無理だ』なんて言うんだ! ……親父、もしかして……私が『運』を持ってないことを知ってたのか!?」

「…………」

 

 父親の沈黙は魔理沙の意見を肯定するには十分だった。そして、魔理沙の脳裏にはもう一つの事実が頭に浮かんでくる。

 

「……ま、まさか、母さんも……? 母さんも私が『運』を持ってないって知ってたのか!?」

「…………」

 

 父親は沈黙を続ける。魔理沙は信じたくなかった。魔理沙の母親『理沙』は魔理沙が幼いころに亡くなっている。強面の父親が苦手だった魔理沙はいつも病弱な母親にべったりだった。ベッドの上で過ごす母親のそばで魔理沙は励ますようにいつも寄り添っていた。

 

『わたし、おおきくなったら、すごいまほうつかいになるんだ!』と魔理沙は母親に自分の夢を語っていた。理沙も『魔理沙ならきっと凄い魔法使いになれるわよ。博麗の巫女さんのお墨付きだもの』と答えてくれていた。だからこそ、今も魔理沙はその言葉と向きあい魔法使いを目指している。しかし、もし理沙も魔理沙の『運』がないことに気付いていたのだとしたら……、彼女が魔理沙にかけていた言葉は嘘だったことになる。魔理沙は裏切りにあったような気持ちだった。

 

「母さん、なんで……」

「……なんで魔理沙ちゃんを連れて逃げてくれなかったんですか……?」

 

 魔理沙の小声をかき消すように、女性が現れる。女性の声は魔理沙の母親とそっくりだった。

 

「おばさん……?」

「あんた、何しに来たの!?」と霊夢が叫ぶが、魔理沙の母親にそっくりの女性マリーは霊夢の問いに答えることなく、魔理沙の父親に話続ける。

「私の忠告を聞いてこの幻想郷というコミュニティから逃げていれば、お母様に見つかることはなかったのに……。もう手遅れです。お母様に見つかってしまった以上、あなたも魔理沙ちゃんも助かりません。残念です……」

 

 マリーは木で出来た指揮棒のような杖を取りだし、魔理沙たち三人に向ける。

 

「マリー、貴様は下がっておれ。わしが直々に片づける」

 

 ビリビリとしたプレッシャーが魔理沙たちを襲う。魔女集団のボス、背の低い老婆が現れたのだ。

 

「残りカスの処理を邪魔した連中は一人残らず始末してやるぞ? 覚悟するんじゃな」



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戦いの始まり

 黒衣に身を包んだ老婆は杖を突きながらよたよたと一歩また一歩と前に踏み出る。そのおぼつかなさそうな歩みとは裏腹に魔理沙たちは徐々に近づくプレッシャーに気圧される。

「ふむ……。後ろにいる男が出来損ないの残りカス、その父親というわけか。どうやらリサは忠誠心もなかったが、男を見る目もなかったようじゃのう。こんな年の離れた男とめおとになるとは」

「……婆さんよ。あんたが、リサの言っていた『お母様』とやらか? あいつの話どおり、ろくでもなさそうな婆さんだな」

「ふん。強気な口の聞き方はリサと同じか。似た者夫婦というわけじゃのう」

「来い! 魔理沙!」

 

 魔理沙の父親は魔理沙を強引に抱きかかえると、猛然と走りだす。

 

「いきなり何するんだよ!? 親父! 気色悪いから離せよ!」

「馬鹿野郎! こんな時まで跳ね返ってんじゃねえ。死にたいのか!」

「逃がすわけがなかろう?」

 

 先ほどまで転びそうな歩みを見せていた姿はどこへやら……老婆は魔法で宙に浮くと高速での移動を開始しようと身構える。しかし、それに待ったをかける人間がいた。博麗の巫女、博麗霊夢である。

 

「行かせるわけないでしょう?」

 

 霊夢は大幣を構えて老婆の行く手を阻んだ。

 

「シャーマンの小娘か……。この国では巫女というんじゃったかのう? ……先日はよくもわしの腕を切断してくれたな。ちょうどいい。わしに恥をかかせた貴様も始末せねばならんかったのじゃ……。ここで死んでもらおう……」

「アンタのような耄碌した婆さんに殺される程、『博麗の巫女』の名は軽くないわ! アンタは私がここで退治する!」

「退治? まるでモンスター扱いじゃのう。ひどい娘もいたもんじゃ」

「アンタは幻想郷に手を出した。それに腕をもがれてすぐに再生する人間なんて、妖怪(モンスター)と同じよ!」

 

 霊夢は左手でお札を服から取り出し、臨戦態勢を取る。対して老婆はなんのアクションも起こさない。ただ杖で体を支えながら立っているだけだ。おそらく絶対的な実力により生まれる自信から現れる態度なのだろう。

 

「だが、困ったのう。わしは逃げ去った出来損ない共を負わねばならん。貴様の相手をしている暇はないのう」

「ふざけないでくれるかしら? 私との戦いを避けるつもりなの?」

「貴様程度、わしが出る幕もないということじゃ……。マリー!」

 

 老婆の声に呼応するようにマリーが霊夢に襲いかかった……! マリーは箒を打撃武器のように扱い、振り下ろす。霊夢は突然の右横死角からの攻撃に腕で防御するのが精一杯だった。

 

「……あんた、魔理沙のこと心配してるように見えたのに……。このまま、この婆さんを行かせたら……、間違いなく魔理沙は死ぬわよ!?」

「…………」

 

 霊夢はマリーの表情を凝視する。その表情はこわばっていた。魔理沙が死ぬことを望んでいるような顔には見えない。だが、それ以上に『お母様』と呼ぶ老婆の命令を否定することもできない、そんな板挟みに苦しんでいる……。霊夢にはマリーの心情がそのように見えた。

 

「マリー。後は任せたぞ?」と老婆は言い残すと宙を飛び、魔理沙たちの後を追って行った。

「悪いけど、さっさとあんたを倒して、あの婆さんを追わせてもらうわ……!」

「残念だけど、そういう訳にはいかないの……。霊夢ちゃん……といったわね。魔理沙ちゃんのお友達をこの手で殺すのは忍びないけど、全てはお母様のため。覚悟してちょうだい!」

 

 霊夢とマリーが対峙し始めた頃、老婆は既に魔理沙親子のところに追い付いていた。

 

「逃げられると思うたのか?」

「くっ!?」

 

 魔理沙を抱えて走っていた魔理沙の父親は老婆に先回りされ、思わず声を出してしまう。

 

「こんな魔法の才を持たぬ男と一緒になるとは……。つくづく理解できぬ娘じゃな。リサは……。さて、わしは完璧でなくてはならんのじゃ。汚点であるリサの残滓……お前たちには消えてもらおう……!」

「下がれ、親父!」

 

 魔理沙は抱えられていた父親から離れると、すばやくリュックから本を取りだし開く。本には魔法陣が描かれており、老婆に向ける。

 

「『スターダストレヴァリエ』!」

 

 魔理沙の掛け声とともに本から星型の弾が複数飛び出し、四方八方から老婆に向かって飛んでいく。どうやら、あらかじめ本には魔力が込められており、開くと同時に発動する仕組みになっているようだ。しかし、老婆に慌てる様子はない。

 

「無駄じゃよ」

 

 老婆が短く言葉を発する。弾が今まさに老婆に直撃せんとした時、全ての弾がぴたりと止まってしまった。

 

「な、なに!?」

「こんな子供だましの魔法にわしがやられると思うか?」

 

 老婆の魔法だろうか。止められた弾がぼろぼろと崩れ始め、粉々になってしまう。

「おいおい、私の星が本当にダストになっちまったぜ」

 

 魔理沙は冷や汗をかきながら、それでも余裕のあるふりをして冗談を言う。

 

「予め魔力を封じ込め、任意のタイミングで開放する術式か。なかなか高い魔法技術を会得しとるのう。やはり、惜しい人材じゃな。貴様がリサの残りカスでなければ仲間にしてやったかもしれん」

「そんなのこっちからお断りだぜ」

「口の減らん小娘じゃ。呪われて生まれたことをあの世で後悔するといい……」

 

 老婆は杖を振り上げると、空中に光球を生み出す。

 

「で、電気か!?」

「親子共々、ひとつの肉片も残さず炭となるがいい!」

 

 老婆が杖を振り下ろすと同時に雷が魔理沙たちに向かって落とされる……。魔理沙は死を覚悟したが、その攻撃が魔理沙に当たることはなかった。

 

「……何者じゃ? 珍妙な技を使いおって……」

 

 魔理沙に放たれた雷は突然現れた空間の裂け目に飲み込まれ消えて行った。空間の裂け目の中には気色の悪い目玉がいくつも裂け目の外の世界を覗いている。

 

「ゆ、紫!?」

 

 魔理沙は思いがけない援軍に驚く。空間に裂け目を造った女妖怪、八雲紫は老婆を睨みつけていた。

 

「珍妙な技とはご挨拶ね。……やっと見つけたわ。私の結界を破った犯人を。覚悟することね。私を……幻想郷の賢者の一人である八雲紫を虚仮にした代償は高いわよ」

「貴様があの強固な結界を生み出しているモンスターか。なるほど、その辺の魔物どもとは一線を画す実力を持っておる様じゃのう。……このコミュニティを我がものにするためじゃ。お主にも死んでもらう。貴様こそ覚悟するがいい!」

 

 霊夢とマリー、紫と老婆。幻想郷の実力者二人と魔女二人が相対した。ここに幻想郷と魔女集団との戦いが始まったのである。



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二重結界

「さあ、霊夢ちゃん。始めましょう。殺し合いを」

 

 マリーは親戚のこどもに喋りかけるような穏やかな口調で霊夢に戦闘の合図を告げる。

 

「博麗の巫女をなめんじゃないわよ!」

「……私も負けるわけにはいかないわ。曲がりなりにも『ドーター』のトップを務める者として、ね」

 

 霊夢は無数のお札をマリーに投げつける。まずは様子見といったところだろう。マリーも難なく避けると、短めの杖を取りだし、宙に浮く。

 

「空中戦の方が得意ってわけ?」

 

 霊夢もマリーの後に続いて宙に浮きながら、大幣を構える。

 

「ええ、まあね。霊夢ちゃんは地上戦の方が得意かしら?」

「……私に苦手なフィールドなんてないの。どこでやっても結果は一緒よ!」

「凄い自信ね。羨ましいわ。私にも少し分けて欲しいくらいよ」

「無駄話はもういいわ。さっさとアンタを倒して魔理沙を助けに行かなきゃならないから」

「……お互い様ね」

 

 先に仕掛けたのは霊夢だった。大幣を警棒の様に振り回し、マリーの側頭部を狙う。マリーも太刀筋を見抜き、杖で大幣を受け止める。

 

「いきなり、頭を狙うなんて容赦がないのね」

「幻想郷に害なす奴らに手加減の必要はないもの。それにアンタが言ったんでしょう? これは殺し合いだって」

「そうだったわね」

 

 マリーは大幣をはじくと、霊夢と距離を取り、魔法を発動する。杖の先端から黒色の球が霊夢に向かって放たれる。霊夢は咄嗟に避け、かわしたが、黒球は地表に生えていた木にぶつかる。すると、黒球がぶつかった場所だけ、切り取られたようにぽっかりと穴が空いた。

 

「おっそろしい魔法ね。体に当たったら文字通り風穴が空くってわけ……」

「何かを守るためには何かを失わないといけない……。ごめんね。霊夢ちゃんには死んでもらうわ。はあああ!」

 

 マリーは連続してサッカーボール大の黒球を霊夢に向かって発射し続ける。だが、霊夢も華麗な身のこなしで回避する。

 

「そこ!」

 

 霊夢の一瞬の隙を突き、マリーは回避不能の一撃を繰り出す。

 

「くっ!? 陰陽玉!」

 

 霊夢は咄嗟に陰陽玉を黒球に向かってぶつけるように放出する。黒球にぶつかった陰陽玉は跡形もなく消滅した。

 

「さすがにやるわね。このコミュニティの屋台骨を務めているだけのことはある……」

「……そのコミュニティって言い方やめてくれないかしら? この地には幻想郷っていう立派な名前がついてるんだから!」

「幻想郷……ね。美しい響きだわ。……響きだけじゃない。この幻想郷は美しいわ。私たちが今まで潰してきたどのコミュニティよりも……」

「美しい? どこがよ。ここにいる連中はどいつもこいつも勝手気ままで私困ってるの。妖怪共はちょっと目を離したら外から入って来た人間を無残に殺すし。あんたらみたいに外から入って来たかと思えば幻想郷に攻撃を仕掛けてくるし。美しいとは反対の血なまぐさい土地よ」

「霊夢ちゃん、その姿こそが十分美しいのよ。ルールさえ守れば好きに生きることを許される。全てを受け入れるということじゃない。……さあ、楽園の素敵な巫女さん、続きといきましょうか」

 

 マリーが杖を振ると、黒い霧が現れる。霧はどんどんと濃くなり、霊夢の視界を奪った。霊夢からはマリーの姿はまったく見えなくなってしまった。

 

「さあ、行くわよ。霊夢ちゃん!」

 

 暗闇からの攻撃を霊夢は気配で察知する。全く見えなくなった黒球をなんとか寸前で避けた霊夢だが、状況が余りにも不利だった。

 

「……めんどくさい術使ってんじゃないわよ! 二重結界!」

 

 霊夢は自身の周囲に結界を張り、黒球による攻撃を無効化する。しかし、無効化したにもかかわらず、黒球による攻撃がやむ様子はない。

 

「……もしかして、相手も私の姿が見えてない? それならやることはひとつね」

 

 霊夢はあえて結界で黒球を受け止める。射出場所がどこか特定するために、黒球は一見すると、三百六十度どの方向からも不規則に飛んできているようだったが、生来より戦闘センスに優れる霊夢は発砲者の動きを掴み始める。完全に相手の動きを把握した霊夢は高速移動を開始する。

 

「捕まえたわ」

 

 霊夢は暗闇の中でしっかりとマリーの腕を掴む。

 

「そ、そんな!? どうやって!?」

「勘よ」

 

 霊夢は大幣を脇腹に叩きこむ。打撃を受けたマリーは地表に生える木の幹に叩きつけられた。闇が晴れ、ぐったりと幹を背もたれにして座り込むマリーに霊夢が近づくと彼女が口を開く。

 

「……強いのね。やられちゃった……」

「……とどめを刺させてもらうわよ」

「……それは嫌よ。私はずるくて臆病なの。死ぬのだけはイヤ」

「はあ!? 何を身勝手な……。……何をしてるの!?」

 

 マリーは黒球を造り出し、それを自分自身に叩きこむと、一瞬で消え去った。

 

「自害したの? ……いや、違う。紫の能力と同じ類のものみたいね。……魔理沙を助けに行かなきゃ」

 

 霊夢は魔理沙を救うべく、老婆と魔理沙の後を追うためにその場を飛び立った。

 



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老婆とスキマ妖怪

「さあ、この幻想郷に害なす者は消えてもらうわ」

 

 八雲紫は老婆に相対する。老婆は幻想郷きっての実力者を前にしても慌てている様子はない。

 

「消えるのはそちらかもしれんぞ?」

「言ってなさい」

 

 紫は球状のエネルギー弾を放つ。老婆は宙に浮いてひらりとかわす。

 

「お年を召しているのに随分と素早いのね」

「年はそんなに変わらんと思うんじゃがのう。やはり、貴様らモンスター……この国では妖怪というんじゃったか? 年を取っても若い姿のままでいられるのは羨ましいわい」

「あら、早々に死ねるのも羨ましいものよ? ……宙に浮かんでも逃げられないわ。私の能力に死角はないもの!」

 

 老婆の周囲三百六十度全てに紫のスキマが現れる。

 

「これなら避けられないでしょう?」

 

 全てのスキマから無数のエネルギー弾が老婆に向かって放たれる。

 

「ふむ。これでは確かに逃げられんのう」

 

 エネルギー弾が老婆に老婆に次々と直撃し、白煙を上げる。自らの視界も奪われてしまうと判断した紫は一旦攻撃を止め、煙が晴れるのを待つ。

 

「やっぱりこの程度じゃダメみたいね」

「やはり、お主かなりの使い手じゃのう。ワシの障壁が後少しで壊れるところじゃったわ」

 

 老婆は自分の周囲を半透明の球状のバリアーで守っていた。傷一つ入っていないらしい。

 

「うむ。互いに全力を出し合っても五分五分というところかのう。……それならば、ワシは少しアイテムを使わせてもらうことにするかの」

「アイテムですって?」

「そうじゃ。まさか卑怯などとは言わんじゃろ?」

 

 老婆は黒衣の袖から赤色の水晶を取りだした。

 

「……それは何?」

「このコミュニティに住む人間どもに売りつけた水晶……。運を集めるものだということは突き止めたようじゃな……。紅白の巫女に回収をさせているようじゃったが、そんなことに意味などない……」

 

 紫は老婆に対して怪訝な表情を向ける。紫は人里で売られていたという水晶の回収を霊夢に命じていた。魔理沙が行方不明であったため、霊夢は「そんなもの探している場合じゃない」と水晶の回収に難色を示していたが、博麗の巫女の仕事だと諭して半ば強制的に回収させたのだ。

 

「私たちが水晶を回収していることをご存知だったのね。意味がないとはどういうことかしら?」

「ふん、もう察しは付いているじゃろうに……。集めた水晶をどこに隠したか知らんがそんなことは関係ない。あの水晶に蓄えられた運……、それを遠隔で回収するのが、この赤水晶というわけじゃ」

「この幻想郷を構成するのに重要な運……。それを好き勝手に使うことは許さないわ」

「少しくらい大目に見てくれても良いじゃろう?」

「少しじゃなさそうだから言ってるのよ?」

「妖怪のお主にはわかるまい。わしら人間は貴様らと違い、その身に宿す魔力量が格段に少ない。魔法を使うには外部の……自然にある魔力を借りなければならんのじゃ。その自然の魔力を自在に操るには『運』がいる。強大な魔法を使うとなれば、なおさらにそれ相応の運が必要なのじゃ」

「強大な魔法ですって? 何をやるつもりなのかしら? ……どうせ碌でもないものなのでしょうね」

「喋りすぎたのう。お主が知る必要はない!」

 

 老婆は紫に向けて炎を飛ばす。しかし、その炎は小さく、ろうそくに灯されたような大きさだ。紫はなぜ、老婆が攻撃とは思えないような弱い炎を繰り出したのか理解できない。だが、次の瞬間、その小さな炎が爆炎となり、紫を襲う。突然の炎の拡大に紫はスキマを使うこともできなかった。

 

「ど、どういうこと!? 魔力の上昇は感じられなかった。なのに何で急に炎が大きくなったの!?」

 

 紫は珍しく狼狽する。咄嗟に炎を腕でガードしたために両腕に大やけどを負ったことも紫に焦りの感情を与えたのかもしれない。

 

「これが『運』の力じゃ。お主が思っていた以上にすばらしいものじゃろう?」

 

 老婆は紫を見下すように、余裕の表情を浮かべていた。



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「運の力ですって……?」

「そうじゃ。貴様ら妖怪は世界に愛され、その身に莫大な魔力を有しておる。それ故、運の力の本質に気付くことはなかったのじゃろうな」

「……本質……?」

「そうじゃ。貴様は運など、妖精や妖怪が存在するために必要なもの。その程度に思っていたじゃろう? それは半分正解じゃが半分違う。運は妖精や妖怪が存在するためだけに必要なのではない。全ての事象が存在するか否かに関わる重要なファクターなのじゃよ……。貴様も聞いたことがあるじゃろう。マクスウェルの悪魔という現象を……。もっともこの名を付けたのはわしらよりもよっぽど若造なんじゃがのう」

「マクスウェルの悪魔……。たしか、熱力学に反するエントロピー減少の可能性をうたった仮説のことね」

「そうじゃ。通常の物理法則を無視し、エネルギーの平衡を崩す可能性のことじゃ。もっとも、外の世界では完全に否定されておるのじゃがのう。じゃが、マクスウェルの悪魔は実在するのじゃよ。それが『運』じゃ。……運を用いれば少量の魔力でも巨大な魔法を使うことができる。わしが放った炎の魔法のようにな。わしは今、偶然に偶然を重ね、この空気中にあるちりや酸素の濃度が爆発に最適な環境になるように持っていったのじゃ。運を使ってな。つまり、偶然を必然に変える力こそ、運の本質と言える」

「そんなのなんでもありじゃない。反則みたいなものね」

「その反則の力をもってこのコミュニティを貴様は造りあげたんじゃろう? 他者に奪われることを想定していなかったのは迂闊じゃったな」

「ええ。大変勉強になったわ。今度から気を付けることにするわ」

「くく……。『今度』があるとは思えんがのう……」

 

 老婆は再び、杖を振りかざすと、魔法を放出する準備を始める。杖の周辺には巨大な光球が現れた。

 

「……人間の力を大きく超えた質量の魔法……。やっぱりあなたは人間じゃないわ。化物よ」

「褒め言葉として受取って置くぞ? 空間を操る妖怪よ」

「……そう言えば、まだあなたの名を伺ってなかったわね。よければ、教えてもらえるかしら?」

「いいじゃろう。冥土の土産に教えてやろう。わしの名は『テネブリス』あの世で広めるが良い!」

 

 テネブリスが杖を振り下ろすと高速の稲妻が紫に向かって落とされる。紫は咄嗟の判断で稲妻の直線上にスキマを展開する。

 

「無駄じゃあ!」

 

 老婆の掛け声とともに稲妻が大きく曲がり、スキマを避けるように迂回する。明らかに自然法則を無視した動きである。老婆はまたしても運の力を使い、己の望む事象を引き出したのだ。あまりにも突飛な稲妻の動きについていけず、紫は何の防御陣も張れず、直撃を受け、その場に倒れ込む。間違いなくただでは済んでいない。死んでしまったことも十分に考えられる。テネブリスの攻撃は魔理沙にそう思わせるくらいに圧倒的であった。

 

「そ、そんな……。紫が……」

 

 魔理沙は幻想郷きっての実力者八雲紫があっさりと倒されたことに動揺を隠せない。

 

「さて、ようやくお主たちの番というわけじゃ。出来損ないの娘と夫よ。待ちくたびれたじゃろう? 案ずるな。じわじわと恐怖を与えてから死なせてやるわい……」

 

 老婆の歪んだ笑みに魔理沙は恐怖を覚え立ちすくみ、声を出すこともままならなかった。



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魔法陣が描かれた紙

「魔理沙逃げるぞ!」

 

 魔理沙は父親に腕を引っ張られると、我に返り、走り始める。

 

「無駄じゃよ」

 

 テネブリスは走り出す魔理沙たちの進路に回り込む。

 

「くそ! なんてスピードだ!?」

「さて、どう殺してやろうかのう? 焼き殺してやろうか、水で溺れさせて窒息死させてやろうか、首を切断してやろうか……。くく……。あそこに倒れている金髪の妖怪のように感電死させるのも面白いかのう?」

「悪趣味な婆さんなんだぜ……」

 

 じりじりと歩み寄る老婆を前に魔理沙たちは後ずさりする。すでに魔理沙たちの命はテネブリスの手中にあった。少しでも選択肢を間違えれば……即、死が待っている。魔理沙は頭脳をフル回転させ、生き延びる手段を捜し出そうとする。しかし、どの方法も圧倒的実力差があるこの状況では上手くいかないだろうと容易に想像できた。

 

「……最後に聞かせてくれ……。お前は私のことを出来損ないといったな。そして母さんのことをゴミだの残りカスだとも……。一体何でお前は私の母さんをそこまで蔑むんだぜ?」

「ふん……。簡単なことじゃ。ゴミも残りかすもその言葉どおりじゃ。お前の母親はわしの最高傑作を生み出すのに必要な材料じゃった。使い終わった材料はゴミとしか言いようがないじゃろう?」

「最高傑作だと?」

「そうじゃ。わしの作った『ドーター』……。その中の最高傑作が『マリー』じゃ。お前の母親はマリーを生み出すための材料だったんじゃよ。もっとも最高傑作ではあるが、理想には遠く及ばん」

「……話が全く見えないんだぜ……。おばさんが最高傑作で母さんが材料……?」

「わしの目的は完璧な存在を造り上げることじゃ。マリーを生み出したのも数ある計画の内のひとつじゃった。……わしは30年ほど前、魔法の才に恵まれた一組の双子をさらった。双子はすくすくと育ち、心身ともに充実した時を見計らいある実験を行った」

「実験……? ろくでもなさそうな響きなんだぜ……」

「わしは片方の子に宿っている魔法に関わる全ての能力をもう片方に注ぎ込むことにした。魔力、運、技量、気質……全ての能力を一人に集結させたのじゃ。実験は成功した。能力を注ぎ込まれた双子の片方は人間を大きく超える魔法の力を手にした。そして、能力を奪われたもう片方は、魔法の才を全て失い、普通の人間に……いや、それ以下の存在になったというわけじゃ。……わしは完璧主義者じゃ。実験の残りカスは……貴様の母親はすぐに始末するつもりじゃった。生かしておいても何の意味もないからのう。しかし、わしは不覚にも取り逃がしてしまったというわけじゃ。逃げ出したリサをわしは探し出すことができなかった。なんせ運も魔力も何も持っていないからのう。探知することが不可能じゃったのじゃ。まさか、こんな東の果ての島国でリサの娘に会うことになるとは夢にも思わなんだが……」

「……胸糞悪い話だったぜ。下らない目的のために母さんは普通の人生を奪われただけじゃなく、能力も奪われた上にお前みたいなヤツに命を狙われる羽目になったってわけだぜ。絶対に許さないぜ!」

「威勢が良いのはいいが、貴様には何もできん! 母親から運を受け継ぐことができず魔法を使えぬような人間にわしが遅れを取ることはない。……気付いておるぞ? 貴様がわしに喋らせている間に密かにマジックアイテムを用意していることは……。じゃが、どんなマジックアイテムじゃろうがわしには効かん!」

「やってみなくちゃわからないぜ!」

 

 魔理沙は1枚の紙を取りだす。紙には魔法陣が描かれている。どうやら、魔本に封じ込めていた『スターダストレヴァリエ』と同じく、あらかじめ込めておいた魔力で強力な術を発動させるもののようだ。

 

 魔理沙は大声で術名を叫ぶ!

 

「『マスター・スパーク』!!」

 

 巨大なビームがテネブリスに向かって射出される。テネブリスの体は巨大な光に飲み込まれた。魔法陣から放たれるマスター・スパークは時間の経過とともに次第に細くなり消えて行く。

 

「……こいつはまいったぜ……」

 

 魔理沙の切札であっただろうマスター・スパークの直撃を受けたテネブリスだったが……、傷一つ付いていない。どうやら、バリアーを張って凌いだようだ。魔理沙の渾身の一撃だったのだが、テネブリスの表情には余裕が伺える。まだまだ余力があることは容易に想像できた。

 

「もう終わりかの?」

 

 マスター・スパークは魔理沙にとって最後の切札的アイテムだった。それが呆気なく防がれた今、魔理沙に打つ手はない。しかし、魔理沙は手札を失ったことが気取られないよう作り笑いを浮かべる。だが、テネブリスは魔理沙の胸中をのぞき見たかのように口を開く。

 

「苦笑いを浮かべるのがやっとのようじゃな。もう大した手もないのじゃろう? 出来損ないのくせにここまで腕を上げることができたのは凄いことじゃ。本当は痛めつけてから始末するつもりじゃったが……、褒美に父親とともにあっさりとあの世に行かせてやるわい」

 

 テネブリスは杖を魔理沙に向け、魔力を込め始めた。

 

「……良いことを教えてやろうかのう。……エネルギー放出系の魔法は用途にもよるが、密度を高めた方が貫通する威力が高まる。さきほどの貴様のビームは無駄に大き過ぎる。見た目は派手じゃがの。わしが手本を見せてやろう。あの世で参考にするといい」

 

 杖の先に光の球が現れる。そこから一筋の光の線が放たれた。直径5センチ程度の光線が魔理沙目掛けて襲いかかる。あまりのスピードに魔理沙は一歩も動けない。魔理沙が死を覚悟したその時だった。魔理沙とビームとの間に体を入れる少女が現れる。紅白の巫女服を着たその少女は術名を叫び、ビームを止めようと試みる。

 

「二重結界!」

 

 ビームと結界が衝突し、激しい光と爆音が発生する。魔理沙は眩しさのあまり、目がくらむ。次第に光はおさまり、魔理沙に視界が戻ってきた。

 

「魔理沙……。大丈夫?」と紅白の巫女は魔理沙に背を向けたまま問いかける。

「ああ、助かったんだぜ! 霊夢!」

「よかった……」

 

 霊夢は微笑みながら魔理沙の方に振り返った。

 

「そ、そんな……。霊夢、お前……」

 

 微笑む霊夢の口からは血が滴っていた。魔理沙の目に写っていたのは……、ビームで風穴が開いてしまった霊夢の胸部だった。



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霊夢の謝り

「ほう。これは幸運じゃったのう。このコミュニティの邪魔者を……、安定を司るシャーマンの娘を殺せるとは……」

 

 テネブリスはにやりと顔を歪める。

 

「まさか、出来損ないの親子をかばって致命傷を受けてくれるとはのう。こればかりは出来損ないに感謝せねばならんか?」

「ふぜけやがって……!!」

 

 魔理沙は怒りで顔を紅潮させ、テネブリスを睨みつける。

 

「くく……。そう怖い顔で睨みつけるでない……。それよりも良いのか? そこの紅白の服を着たシャーマンを心配しなくて……」

 

 魔理沙はテネブリスの言葉を受けて、霊夢の方に視線を戻す。霊夢の顔色がどんどん蒼くなっていく。呼吸数も多くなり、異常に汗もかきはじめていた。

 

「霊夢! すぐに医者に連れてってやるからな。頑張るんだぜ!」

「逃がすわけがなかろう?」

 

 テネブリスは杖を霊夢と魔理沙に向け構える。杖の先端に魔力が込められていく。霊夢の胸に風穴を空けた攻撃を再び撃とうとしているらしい。

 

「くっ!?」

 

 テネブリスの杖が強い光を放つ。そんな中、霊夢が魔理沙の手をぎゅっと掴む。霊夢の目には少し涙が浮かんでいた……。

 

「ど、どうしたんだぜ? 霊夢……」

「ごめんね。魔理沙……」

「こんな時になに言ってんだよ……? それに謝るなんてお前らしくないんだぜ……?」

「わ、わたし……、アンタを傷つけちゃったわね……」

「なんのことなんだぜ……?」

「アンタが運を持ってないことを隠してたことよ……。でも信じて……。私がアンタに黙ってたのは、運を持ってないアンタを弾幕ごっこの普及のために利用するためなんかじゃないから……。アンタが運を持ってないって知ったら、もう魔法をやめちゃうかもしれない……。神社に来てくれなくなるかもしれない……。そう思ったから……」

「それ以上喋るんじゃないぜ……! 本当に死んじまう……。わかってるよ。お前が私を利用してないってことくらい! 私はお前が黙ってたことなんか気にしてないから……! 今は自分の体のことだけ考えとけ!」

 

 魔理沙もまた、霊夢の懺悔の言葉を聞き、涙を浮かべる。涙の理由はわからない。霊夢が自分のことを本気で思ってくれていたことが嬉しかったからか、霊夢が死に直面していることに恐怖を感じているからか、眼の前で自分達を殺そうと杖を構える老婆への怒りからなのか、あるいはその全てか。魔理沙の両眼からは正負が混ざりあった感情が流される。

 

「最後の会話は終わったか? これで終わりじゃ……。死ねい!」

 

 テネブリスは高速の光線を繰り出した。

 

「くそぉ!」

 

 魔理沙は霊夢をかばうように抱きしめる。光線が直撃するかと思った瞬間、魔理沙たちの体から突然重力が失われ、地面に吸い込まれていった。

 

「……あの妖怪……、まだ生きておったのか……。しぶとい奴じゃ……」

 

 テネブリスは地面に開いたスキマが魔理沙たちを飲み込んで閉じる様子を見て、苛立ちを抑えるようにつぶやいたのだった。



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月の民

「ここは……どこだ?」

 

 スキマに吸い込まれた魔理沙が目を開けると、見たことのない場所だった。周囲が竹林に囲まれた幾ばくかの建物の前に魔理沙たちは移動されていた。

 

「魔理沙……、大丈夫か……?」

 

 魔理沙の父親が魔理沙に気を配る。

 

「親父……。わ、私は大丈夫だ。それより霊夢は!?」

 

 魔理沙は周囲を見渡す。そこには胸を貫かれた霊夢の体に両手を当て必死な形相で延命活動に従事する八雲紫の姿があった。

 

「紫! 霊夢は!?」

「少し黙っててちょうだい! 今、生と死の境界を無理矢理あてこんでこの子が死なないようにしているの!」

 

 紫の腕はやけどだらけになっていた。テネブリスの爆炎にやられたということもあるだろうが、霊夢の治療のために自身の妖力の全てを腕に集めているのが一番の原因だ。紫の表情にいつもの胡散臭そうな余裕の笑みは浮かんでいない。霊夢の状態はそれほどに深刻なのだろう。

 

「魔理沙! そこの建物の中に入って医者を呼んで来なさい! 八雲紫が来ていると言えばすぐ来るはずよ!」

「わ、わかった!」

「もう来ているわよ」

 

 魔理沙が建物に駆けだそうとすると目の前に長い銀髪を頭の後ろで一本の三つ編みにまとめた美女が立っていた。

 

「それだけの妖力を放っていれば、うちの兎たちだって気付くわよ……。……それは博麗の巫女ね? 初めて顔を見たわ」

「……悠長なことをいわないでちょうだい! 八意永琳……、早く霊夢を見てもらうわよ! あなたたち月の民が隠れ住んでいるのを私が黙認しているのは、こういった事態が起こったときのため……。もしこの子に何かあったら……、あなたたちを幻想郷に置く理由はないわ!」

 

 紫はあくまで幻想郷の賢者という姿勢を崩さず、左右に赤と青でセンターに色分けされた独特な服装を着た銀髪の美女、八意永琳に命令する。

 

「切羽詰まっているのはあなたの方でしょうに……。よくそんな強気に出られるものね。まあ良いわ。私たちもこの幻想郷から追い出されるわけにはいかない。あなたの要求を飲みましょう。もっとも、私は最初から困っている人間や妖怪がいれば立場に関係なく救うつもりよ」

 

 英琳は意識のない横たわった霊夢のもとに歩み寄り、診察を始める。

 

「これは、思った以上に深刻ね。完全に心臓を貫かれている……」

「助かるの!?」

 

 紫はヒステリック気味に永琳に問いかける。

 

「五分五分といったところね……。いや、五分より勝算は少ないかもしれない」

「ふざけないで! この子にもしものことがあったら……、その時は……!」

「そう言うと思ったわ。……落ち着きなさい。幻想郷の賢者ともあろう者が小娘一人の命にあたふたしている姿は無様よ」

「この子はただの小娘じゃないの! わたしにとって大切な……!」

「大切……ね。それは本当にこの子のことを言ってるの? それともこの子の中にいる……。……まあいいわ。てゐ! いるんでしょう? うさぎたちを使って診療所内にこの巫女を運び込みなさい! そして、鈴仙に連絡! ……もしものときのために、姫にも声をかけておいて」

「わかりました。お師匠様!」

 

 突然竹林から飛び出て来た兎の耳を持つ妖怪は同じ姿の兎妖怪とともに霊夢を診療所へと運んで行く。

 

「八雲紫、そしてそこの白黒のお穣ちゃんに男性の方、疲れたでしょう? 少し休むといいわ。ここから先は私にまかせなさい」

 

 魔理沙は八意永琳の凛々しく自信に満ち溢れた表情を見てなぜか不思議な安心感を覚えるのであった。



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吸血鬼

◇◆◇

 

「お母様……、お待たせして申し訳ございません……」

「なにをしておったのだ、マリー? あの巫女の小娘を始末できていないばかりか、応援に来るのも遅れるとは……」

「……不覚にもあの巫女に少なくないダメージを与えられ、しばし体の回復に時間を頂きました……」

「……あの程度の小娘に遅れをとるとは……情けない。やはり、貴様は最高傑作ではあるが、理想には遠く及ばん」

「申し訳ございません……」

 

 マリーは再び深々とテネブリスに頭を下げる。その姿を見てテネブリスは呆れたようにため息をつく。

 

「まあいい……。貴様が仕留め損なった小娘にはわしが致命傷になりえるダメージを与えた。……どうやら小娘は空間を操る金髪の妖怪にとって特別な存在のようじゃ。慌てて小娘を連れて消えおったわ。しばらくはあの小娘に付きっきりになるじゃろう。もっともどんなに腕の良い医者に見せたところで助けられるとは思えんがのう」

「そう、ですか……」

 

 マリーは霊夢が深刻な負傷を負っていることを知り、顔を曇らせる。そして、霊夢とともにいたであろう魔理沙が無事なのかどうかが気にかかった……。

 

「お、お母様……? その、魔理沙は……、出来損ないの娘は……どうなされたのですか……?」

「フン、巫女の小娘が体を張って守りおったわ。いまいましいが、まだ生きておる」

 

 マリーは胸を押さえ、テネブリスに気付かれないように小さく安堵のため息を吐く。

 

「それにしても……、この幻想郷というコミュニティの運はこれまで潰してきたどのコミュニティよりも質が良い……。水晶を利用し、何の力も持たぬ人間を経由して奪った運じゃったが……、先ほどの金髪妖怪との戦闘でわしの力を何倍にも引き出しおった……。まるで何百歳も若返ったかのような力の溢れようじゃった。……やはり、この地でわしの目的は果たせそうじゃ。……マリー、『ドーター』たちに伝えよ。『計画通り始めよ』と」

「かしこまりました。お母様……」

 

 マリーは黒球を生み出すと、その中に入り込み消え去った。テネブリスはマリーが去ったのを確認すると、上空高くへと飛んでいく。幻想郷中を見渡せる位置にまで到達すると上昇をやめ、その場にとどまる。

 

「この幻想郷の運脈……。根こそぎわしのものにしてくれるぞ? そして……光栄に思うが良い。このコミュニティはわしの理想の礎となるのじゃ。……もう少しじゃ」

 

 テネブリスは幻想郷中に言い聞かせるように独り言をつぶやく。その表情は邪悪な笑みで埋め尽くされていた。

 

 ◇◆◇

 

「……外が騒がしいわね。レミィ」

 

 紫色の長髪で、パジャマの様な服装を着た少女があじさいのような濃い水色の髪と燃えるような紅い瞳を持つ幼女に尋ねる。二人は丸いティーテーブルで優雅にお茶をしていた。

 

「そうね、パチェ。この私が、幻想郷を我らのものにしようと、紅い霧を造る準備をしているというのに……、横取りしようとする連中が出てきたみたいね」

 

 水色の髪の幼女は「やれやれ」とでも言いたげに紅茶の入ったカップを手に取った。幼女の背中には蝙蝠のような黒い翼が生え、口には鋭く尖った犬歯が伺える。吸血鬼……、それが幼女の正体であった。

 

「美鈴(めいりん)は大丈夫かしら?」

「……その答えはもうすぐわかるみたいよ」

 

 吸血鬼の幼女と紫髪の少女がお茶を楽しんでいると、突然部屋の扉が開く。

 

「お嬢様……、大変です! め、美鈴様が……」

 

 赤髪のウエイトレスのような服装の美少女が、吸血鬼に対して報告を行う。ウエイトレスは同じく赤髪のチャイナ服を着た女性に肩を貸していた。チャイナ服の女性は戦闘に敗れたらしく、体中傷だらけだ。チャイナ服もところどころ破れてしまっている。どうやら、このチャイナ服の女性が美鈴という人のようだ。

 

「……うちの門番をここまでボコボコにするなんて……。私たちの獲物を横取りしようとしている連中はそれなりに腕が立つようね……。レミィ、どうするの?」

「聞くまでもないでしょう?」

 

 吸血鬼の幼女は口にしていたティーカップをテーブルに戻すと立ち上がり、にやりと笑うと、ウエイトレスの少女に声をかける。

 

「小悪魔、御苦労だったわね。美鈴を医務室に連れて行ったら少し休憩していなさい」

 

 小悪魔は「はい!」と返事をして美鈴を連れて行く。その姿を見届けると、吸血鬼の少女は紫髪の少女に声をかける。

 

「パチェ! やるわよ!」

「はいはい」

「連中に教えてあげることにするわ。この幻想郷が誰のものなのかということを。そして……、紅魔館の主であるこのレミリア・スカーレットを敵に回したことがどれだけ愚かなことだったかということをね!」

 

 空は茜色から漆黒に移り変わろうとしていた。ヒトの時間から、吸血鬼の時間へと。



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正真正銘

 紅魔館……。吸血鬼の幼女、レミリア・スカーレットがそう称した館はその名のとおり、赤色に染め上げられている。既に門番がやられたため、館の時計台が良く見える庭には数十人の魔女たちが侵入し、小悪魔メイドたちと交戦していた。しかし、門番よりも数段戦闘力の落ちる小悪魔メイドたちが魔女たちに勝てるはずもなく、防戦一方であった。

 

「……まったく、我が紅魔館に招待状なしにずかずかと……。覚悟はできているのかしら?」

「お、お穣様。ここは危険です。お下がりください!」

 

 レミリアは小悪魔メイドの言葉ににやりと顔を歪める。

 

「確かに、ここは危険ね。……なぜなら、今から私たちが暴れるのだから! パチェ!」

「はいはい。小悪魔メイドたち! 私の炎魔法の巻き添えになりたくなければ下がりなさい!……ロイヤルフレア……!」

 

 パジャマの様な服装をした紫髪の少女、パチュリー・ノーレッジは炎の魔法を繰り出す。

 

「きゃぁあああああああああ!?」

 

 おそらく下っ端と思われる魔女たちはなす術もなく、強大な火炎に飲み込まれ、悲鳴を上げる。下っ端魔女たちの力量では耐えることができないほど、パチュリー・ノーレッジの攻撃は洗練されていた。

 

「く、くそ……。はぁああああ!」

 

 炎攻撃を受け、やけどを負った魔女の一人が短剣を手にしてレミリアに襲いかかる。

 

「手負いのくせに私に牙を向けるなんて、勇敢なのね。でも……」

「か……は……!?」

 

 レミリアに襲いかかった魔女は口から鮮血を吐きだす。彼女の腹部にはレミリアの腕が貫通されていた。

 

「残念だったわね。あなたと私では格が違いすぎるの」

 

 レミリアは魔女の耳元で囁くと、腹部から腕を抜く。レミリアに襲いかかってきた魔女はその場に崩れ落ち息絶えた。レミリアは手に着いた血を舌で舐めとる。

 

「はしたないわよ、レミィ」

「そうね、パチェあなたのいうとおりだわ。私としたことが……。でも許してくれないかしら? この幻想郷に来てからは滅多に人間の血が吸えないんだもの。ストレスがたまってしまうわ」

「……良く言うわよ。幻想郷に来る前も大して人間の血なんて吸ったこと……」

「パチェ!?」

 

 レミリアはパチュリーの口を慌てて押さえる。

 

「パチェ、今私は恐怖の吸血鬼を演じているの。あなたもそれに乗っかってちょうだい……!」

 

 レミリアは小さな声でパチュリーにオーダーする。パチュリーはまた下らないことを……と思いつつもレミリアの演技に乗ることにした。

 

「さて、死にたくなかったら、この館から去ることね!」

 

 レミリアは魔女たちに警告をする。レミリアとしても戦闘を長引かせることは避けたかったからだ。魔女たちが逃げてくれればそれに越したことはないとレミリアは考えていた。

 

「ひ、ひぃいいいい」

 

 魔女の一人が恐怖からか怯えた声を上げて逃げ出そうとする。

 

「どこに行くつもりなの?」

 

 少年のような声が鳴り響く。紅魔館を襲った魔女集団……そのリーダー格と思われる者が外套を外し、逃げ出そうとした魔女を問い詰める。

 

「カ、カストラート様……」

「ダメだなぁ。命令を破って逃げ出そうとするなんて……」

 

 外套を外した少年のような魔女は目を細くして微笑む。しかし、その頬笑みの下には黒いものが感じられた。

 

「お、お許しください、カストラート、さ、ま……?」

 

 許しを乞うていた魔女の胴体が横一閃で真っ二つにされる。カストラートの杖から放出される剣状の光が切り裂いたのだ。その様子を見ていた魔女たちは背筋を凍らせる。

 

「まったく、だから君たちは『ドーター』にすらなれないんですよ? さあ、戦いを続けるんだ。僕に殺されたくなかったらね!」

「う、う、うわぁあああああああああ!?」

 

 カストラートに恐怖でけし掛けられた下っ端の魔女たちは、再び立ち上がりレミリアたちに襲いかかる。

 

「……く!? パチェ! 仕方がないわ……。全力で魔法を放ってちょうだい!」

「もうそうしてるわ……。……サイレントセレナ!」

 

パチュリーは楕円状の水色をしたエネルギー弾を四方八方に死角がないように打ちこむ。下っ端の魔女たちは例外なく弾に打ち抜かれ倒れていく。

 

「がっ……!? ……」

 

 下っ端魔女の最後の一人が絶命し終えたと同時に拍手が聞こえてくる。拍手をしていたのは、カストラートだった。

 

「すごいですね。実験動物(モルモット)にしてはやるじゃないですか」と、カストラートはレミリアに向かって話しかける。

「……モルモット? ……不愉快な男ね」

「いやだなぁ。僕は正真正銘、女ですよ。よく間違われるんです」

 

 レミリアはにやにやと笑うカストラートを見て苛々を募らせるのだった。



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実験動物のくせに

「すぐにそのうすら笑いを止めてあげるわ。覚悟しなさい」

 

 紅魔館の主、レミリア・スカーレットはにやにやとした表情をやめようとしないカストラートに静かな怒声を浴びせる。

 

「モルモットごときに僕を止められるとは思いませんが……」

 

 目を細くして微笑む美少年、カストラートはレミリアを挑発する。

 

「さっきから、誰のことをモルモットと呼んでいるのかしら?」

「もちろん、吸血鬼のあなたのことですよ。お嬢さん」

「……高潔な吸血鬼の私をモルモット扱いだなんて……。どうやら殺されたいらしいわね。……アンタ達なんでしょう? この幻想郷から妖精を消したのは……。おかげでうちの妖精メイドたちも消えてしまったわ。雑用係がいなくなって迷惑してるの。さっさと元の状態に戻してもらえるかしら?」

「吸血鬼が高潔? フフ、面白い冗談ですね」

 

 レミリアとカストラートが挑発の応酬をしていると、か弱い声がカストラートの背後から聞こえてきた。

 

「あ、あの……カストラートさん……」

「……なんです? ルガト……」

「こ、こんなに部下を死なせてしまって大丈夫なの? お、お母様に怒られない……?」

「まったく……、そんなことを気にしていたのですか? 彼女たちは『ドーター』にすらなれない粗悪品……。いくら死んだとてお母様は咎めたりしませんよ。おどおどしないでください。それよりも自分の身を守ってくださいよ? 何故だか知りませんが、お母様はドーターの中でもとりわけ、あなたのことを気に入っていますからね。あなたに何かあったら僕がお母様に殺されてしまいます」

「う、うん……。ありがとう、カストラートさん!」

 

 ルガトのお礼の言葉にカストラートは小さく舌打ちをした。カストラートにはなぜルガトがお母様であるテネブリスに気に入られているのか理解できなかった。大して力もないくせに魔女集団の幹部クラスである『ドーター』にテネブリスに気に入られているという理由だけで選ばれているルガトに対して、叩きあげでドーターに昇格したカストラートは良い印象を持っていなかった。

 

「実験動物のくせに……」

 

 カストラートはルガトに聞こえないように小さな声で呟く。

 

「えらく臆病そうな仲間を連れているみたいね。でも手を抜いたりはしないわよ?」

「ええ。構いませんよ。手を抜かれたら僕が楽しめませんからね」

「口の減らないヤツね。……パチェ!」

「ええ!」

 

 パチュリー・ノーレッジはレミリアからの合図を受け、戦闘を開始する。

 

「ロイヤル・フレア!」

 

 パチュリーは下っ端たちを焼き払った火の魔法をカストラートに向かって放った。

 

「ルガト! 下がっていてください! あなたの手に負える相手ではありません!」

「う、うん……。わ、わかった!」

 

 ルガトはカストラートの指示に従い、戦闘の前線から遠ざかる。カストラートは内心で「役立たずめ……!」と思うが、ルガトに何かあればテネブリスに始末されるのは自分だと諦め、溜飲を下げた。

 

「『フランマ』!」

 

 カストラートもパチュリーに対抗するように炎魔法を打ちだす。炎同士はぶつかり、お互いのエネルギーを奪い打ち消し合った。

 

「……やるじゃないですか。僕の魔法と同等の炎を出せるなんて……。あなた、百歳くらいでしょう? 若いのに大したものだ……」

 

 カストラートはにやけた表情を崩さずに、パチュリーに話しかけ続ける。

 

「天賦の才に恵まれていると言って良いと思いますよ? そんなあなたがなぜ、吸血鬼(実験動物)の部下で収まっているのか……、理解できませんね。我々の仲間になってみてはどうです? お母様は才覚ある者を欲しています。あなたが魔法使いとして何をなそうとしているのかは知りませんが、我々に加われば目的にグッと近づけると思いますよ? 悪い話ではないでしょう?」

「ペラペラとうるさいわね。私はレミィの部下なんかじゃないわ。それに、私は誰かの下についてそいつのために働くなんてまっぴらごめんだわ」

「僕の誘いを断りますか……。良いでしょう!! 死んであの世で後悔するといいよ!」

 

 カストラートはにやけていた表情をさらに邪悪に歪め、レミリアとパチュリーを見下すのだった。



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カストラートの雷

「さて、どちらから片づけてあげましょうか……。……やはり、吸血鬼よりも魔法使いを先に殺してあげましょう。吸血鬼程度ならどうとでもなりますからね」

「この紅魔館の主、レミリアをここまでバカにするなんて……。よっぽど自分の力に自信があるみたいね」

「ええ。僕は吸血鬼(モルモット)の扱いには長けていますからね。その辺の家畜と同じですよ。屠殺(とさつ)することなど容易い」

「……レミィ。ここは私に任せてもらえるかしら?」

「どうしたのパチェ? あなたが好戦的になるなんて珍しいわね」

「……私だって友人がバカにされて腹に立っているのよ? それに……」

 

 パチュリーはレミリアの目を見つめて何かを言おうとした。パチュリーは『何か嫌な予感がする』とレミリアに伝えようとした……が、いらぬ不安を持たせる必要はないと思い直し、出しかけた言葉を飲み込んだのだ。

 

「とにかく、あいつの相手は私がやるわ。レミィは引っ込んでなさい」

「……そう、じゃあお言葉に甘えることにするわ」

 

 レミリアはパチュリーの意志を尊重し、戦闘をパチュリーに任せることにし、自身は宙を舞い、紅魔館のバルコニーまで後退した。

 

「……まさか、僕を相手に二人がかりでなく、一人で闘うつもりなんですか?」

「ええ。あなたなんてレミィが出るまでもないわ。わたし一人で始末してあげる」

「僕も舐められたものだ。教えてあげよう。お前たち程度が僕相手に一人で闘うことが自殺行為でしかないことを! たかだか百年かそこらしか生きていない魔法使いにキャリアの違いを見せてあげるよ」

「ええ。お手並み拝見させていただくわよ。先輩? ……『プリンセスウンディネ』!」

 

 先に動いたのはパチュリーだ。地面をえぐる強力な水魔法が直線状に放出されカストラートに迫る。

 

「……やはり、天賦の才を持っていますね。百歳程度の魔法使いとは思えません。だが、圧倒的な経験(キャリア)の前では無意味だ。……『イヌンデーショ』!」

 

 カストラートは力の違いを見せつけるようにパチュリーの放った水魔法と同様に直線状の水魔法を放ってきた。水圧に劣るパチュリーの水魔法はカストラートのそれに押し返され、耐えることのできないパチュリーは放出をやめ、空へと飛び上がった。

 

(あれほどの流水魔法を使えるなんて……。……やっぱりレミィと闘わせなくよかったわ)

 

 吸血鬼は流水が弱点だ。いかに力のあるレミリアとはいえ、弱点を突かれて闘っては苦戦を余儀なくされる。パチュリーは自分の判断が正しかったと確信した。

 

「僕の魔法を受けても冷静に回避する。やるじゃないですか。でも甘い! 『トーニトルア』!」

 

 パチュリーが飛ぶことを予測していたカストラートはさらに上空に飛び上がり、パチュリーの『上』を取り、雷を落とした。

 

「きゃあぁあああああああ!?」

 

 電撃を受けたパチュリーは空を飛ぶための魔力調整ができなくなり、地面へと叩きつけらるのだった。



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カストラート対パチュリー

「く……!? カハッ!?」

 

 地面に叩きつけられたパチュリーは咳き込みながら鮮血を吐きだす。しかし、血を吐いているのは叩きつけられたダメージが大きかったからではない。

 

「おやおや、吐血しているじゃあないですか。なるほど、その若さでそこまでの実力を得ているのは特別な代償を払っているから、ということですか。なぁに、安心してください。体がむしばまれているとしても、あなたへの評価は覆りませんよ。たかだか百歳程度でその実力を持っているのは素晴らしいことだ」

「お褒めに預かり光栄だわ」

 

 パチュリーは血で濡れた口元をぬぐいながら、ふらふらと立ち上がる。その姿を見てカストラートはにやりと笑う。

 

「考え直してはどうです? 我々と仲間になるのを断ることを……。今ならまだ間に合いますよ?」

「しつこいやつね。私はあなたたちと組むつもりはないわ。友人をモルモットと呼ぶようなやつらとね!」

「やれやれ、強情ですね。良いでしょう。ならば痛めつけてやるまでのことです」

 

 カストラートは杖に魔力を注ぎ、剣状の光を纏わせる。自身の部下を切り殺すのに使った魔法だ。

 

「パチェ! 私も闘うわ!」

 

 レミリアが紅魔館のバルコニーから身を飛び出さんと手すりに手をかける。しかし、パチュリーはそんなレミリアの姿を見ると、掌をレミリアに向け制止させた。

 

「レミィ。手出しは無用よ。あなたはそこで見てなさい!」

「まだ、一人で闘うつもりなんですか? 愚かしいですね。……見ての通り、僕は近接戦闘の方もそれなりに得意なんですが……、あなたはどうですかね?」

 

 カストラートはパチュリーとの間合いを一気に詰めると、光の剣をパチュリーの脇腹目掛けて斬りつける! 

 パチュリーは腕回りに魔法壁を顕現させ、ガードを試みるが……カストラートの攻撃は魔法壁を砕き、パチュリーの腕に届く。パチュリーは悲鳴を上げながら飛ばされる。

 

「あ……う……」

「左腕の骨が折れた様ですね。どうです? 降参しますか?」

「だ、だれが……」

 

 パチュリーはうずくまりながらも反論する。

 

「まだ、反抗する元気があるのですか……。……うっとうしいですね!!」

 

 カストラートはパチュリーの脇腹を蹴りあげる! ボキッという鈍い音がパチュリーの肋骨から放出される。パチュリーは痛みに顔をしかめるが、カストラートは攻撃をやめようとはしない。

 

「ほらほらほらほら!! 許しを乞うなら蹴るのをやめてあげますよぉ!?」

 

 カストラートは執拗にうずくまるパチュリーを蹴り続ける。しかし、パチュリーが許しを乞うことなどない。面白くないカストラートは蹴りを強めようと少しだけ足の振り幅を大きくしようとする。その時だった。高速のレーザーがカストラートの頬を掠める。一瞬の隙を突き、パチュリーが魔法を放ったのだ。

 

「……い、いつまでも舐めた真似をするんじゃないわよ? 坊や!」

 

 パチュリーは息を切らしながらもカストラートを睨みつける。

 

「まだ、そんなことをする体力が残ってたんですか……。よくも僕の顔に傷を付けてくれましたね? それに……、僕は坊やなんかじゃない……。女だと言ったでしょう? このクソガキがぁ!!」

 

 カストラートはパチュリーを思い切り蹴飛ばすと、倒れたパチュリーに襲いかかり、光の剣を右肩に突き刺し貫通させる。

 

「アァアアアアアアアアアアア!?!?」

 

 あまりの激痛にパチュリーは雄叫びのような悲鳴を上げる。

 

「トドメです。最後は胸に風穴を空けてあげますよぉ?」

 

 カストラートは不気味な笑みを造ると、パチュリーを突き刺す体勢に入る。

 

「悪いわね、パチェ。約束は破らせてもらうわ!」

「ぐぅ!?」

 

 カストラートを背後から攻撃する小さな影。紅魔館の主であり吸血鬼、レミリア・スカーレットである。

 

「選手交代よ。ここからは私がやらせてもらう! 覚悟は良いかしら、お客様?」

 

 レミリアは怒りの感情を押し殺し、カストラートに不敵な笑みを送っていた。



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流水

「……実験動物の分際で、よくも僕の服にほこりを付けてくれましたね?」

「あら、ほこりで済んでよかったじゃない? 安心しなさい。次はその綺麗な服に死を磨り込んであげるわ」

 

 レミリアはパチュリーを抱きかかえると、小悪魔メイド達が待機するバルコニーまで飛んでいく。

 

「あなたたち、パチェの手当てを頼むわよ?」

「はい、お嬢様!」

「レ、レミィ……」

 

 パチュリーは消え入りそうなか細い声でレミリアを呼ぶ。

 

「パチェ、ゆっくり休んでちょうだい」

「レミィ、……気を……つけなさい……」

「ええ。でも大丈夫よ。私は紅魔館の主であり、あなたの友人なのだから」

 

 レミリアはパチュリーに背を向けると、カストラートの前まで素早く移動する。レミリアの着地に耐えられなかった中庭の敷石が砕け、砂埃が舞う。

 

「そんなに死に急ぐ必要もないでしょうに……」

「そのにやけ面、すぐに真剣な表情に変えてあげるわ」

「まったく実験動物のくせに、主人である我々魔法使いに楯突くとは……。あっさりと屠り殺してあげますよ」

「パチェが受けた屈辱は、私が受けた屈辱と同じ……。覚悟しなさい。生かしては帰さないわ」

「実験動物にもジョークが言えるんですね。これはデータを残しておかなくては……」

「……すぐにその不愉快な口が聞けないようにしてあげるわ!!」

 

 レミリアは地面を強く蹴り、猛スピードでカストラートに突進する。

 

「なるほど。ジョークを言うだけのことはある。今まで見てきた吸血鬼(実験動物)の中でもトップクラスに素早い」

「スピードだけじゃないわよ?」

 

 レミリアは爪を立て、逃げるカストラートに突き刺そうと腕を伸ばす。カストラートは円形の防御陣を張るが、レミリアの爪はそれをいとも簡単に砕く。

 

「へえ。パワーもすばらしい。まったく残念だ。こんな素晴らしいモルモットを実験に使えずに殺さなければならないとは……」

「いつまでも口の減らないやつね」

「さて、それではお見せしましょう。吸血鬼の殺し方をね。と言っても何も斬新なことはない。死ぬまで殺す。それだけだ」

 

 カストラートが杖を構え、魔法陣を展開すると、シャボン玉状の流水がレミリアを覆う。

 

「吸血鬼の殺し方その1 『流水に閉じ込める』だ。そして……攻撃です」

 

 流水の一部が氷柱に変化し、レミリアに襲いかかる。

 

「ほらほらぁ! ハムスターのように必死に逃げ回れ! でなければ串刺しですよぉ!?」

 

 氷柱はレミリアを嬲るようにじわじわとダメージを与え続ける。

 

「性根の悪さが表れた下らない攻撃を……」

 

 レミリアはカストラートの攻撃をかわしながら体内に魔力を蓄えて行く。

 

「はああああああああああああ!!!!」

 

 レミリアは体内から魔力を放出し、自身を中心に紅い十字架状のエネルギー波を造りだす……! エネルギーを受けた流水球は破壊され四散した。

 

「ふーん、吸血鬼のくせにやるじゃないか」

 

 カストラートは相も変わらず、にやけた表情でレミリアを評価するのであった。



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紅い槍

「さて、次は私の番ね」

 

 レミリアは自身の足元に魔法陣を展開し、クナイ状のエネルギー弾を宙に発生させた。数えることが不可能な程の大量のクナイである。

 

「これはこれは……吸血鬼なんて下等生物が魔法を使うとは……」

「どこまでも私たち吸血鬼を馬鹿にしないと気が済まないみたいね。良いわ、すぐにその口を血で塞いであげるわ。……『全世界ナイトメア』!!」

 

 宙に浮いていた無数のクナイ状エネルギー弾がカストラートに向かって射出される。

 

「素晴らしいエネルギー密度だ。これは当たるとまずいですね。それにしても『全世界ナイトメア』とは……失笑ものですね。もうすこし、ネーミングセンスを鍛えた方がいいのでは?」

 

 カストラートは空を舞い、レミリアの攻撃を避けようと試みる。

 

「逃がすか!!」

 

 レミリアは逃げるカストラートに照準を合わせエネルギー弾の射出方向を修正する。エネルギー弾は花火のように美しい弾幕を造りだした。

 

「器用なことをしますね。下等生物といえども経験を積めば知恵をつけるというわけか。……鬱陶しいですね。動きを止めてあげましょう。……ルガト! 樹の下に隠れなさい!」

「う、うん。わかったよ。カストラートさん……!」

 

 カストラートは仲間に指示を出すと杖を持ち、呪文を唱え始める。すると、満天の星空で埋め尽くされていた空が急速に雨雲に覆われ、光が失われる。

 

「吸血鬼の殺し方その2 『豪雨で動きを封じる』だ。どうです? 雨に打たれて力が出せないでしょう?」

 

 レミリアがカストラートの問いに答えることはなかった。すでにカストラートの魔法によって発生した雨に……すなわち流水に身を蝕まれたレミリアは『全世界ナイトメア』を解除せざるを得なくなっていた。カストラートはレミリアが弱っていることを確認すると、地面に降りゆっくりとレミリアの近くに歩みを進める。

 

「このままあなたのような優秀なモルモットを実験にも使えずに殺すのは惜しいですね。この館を解体し、あなたたちのグループを解散し、僕たちに服従するならば命だけは助けてあげますよ? 僕たちがここに来た目的はお母様に敵対する可能性のある者を屠るため。僕たちに服従するのならば殺す必要はありませんからね。もっとも、吸血鬼のあなたは実験動物として扱われますが……、……あなたのお仲間の命は保証しましょう。どうです? 悪い話ではないでしょう?」

「……言いたいことはそれだけかしら?」

 

 レミリアはうずくまったまま、カストラートを睨みつける。

 

「まだ、反抗するつもりですか。どうやら僕の提案を呑むつもりもなさそうですね。いいだろう。実験動物らしくみじめに死ぬがいい!」

 

 カストラートは杖に魔力を集め、剣状の光を発現させる。

 

「……スピア・ザ・グングニル……」

 

 レミリアは小さな声でささやく。レミリアの右手に槍状の紅い光が現れ、激しく輝いた……!

 

「何だと!? まだそんな力が……!?」

「はぁあああああああああああああああああ!!!!」

 

 レミリアは紅い槍『グングニル』を振り回し、カストラートの杖を叩き落とすと、そのままグングニルをカストラートに向かって投擲する。

 

「ぐっ!?」

 

 カストラートは超高速で自身の顔面に向かってくるグングニルを寸前でかわす。グングニルはカストラートの頬を掠めると、進行方向を天に変え、雨雲を貫通していった。雨雲はグングニルのエネルギーによって散り散りになり、隠されていた満天の星空と満月が再び姿を現す。

 

「僕の造った雨雲をかき消しただと……!? なんてデタラメなエネルギーだ……!?」

「今更驚いても遅いわよ。あなたが喧嘩を売ったのはただの吸血鬼じゃない。……紅魔館の主、このレミリア・スカーレットにとって流水など弱点ではないわ!!」

 

 レミリアは雨で濡れた髪を手で拭いながら再びグングニルを発現させるのだった。



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最高の痛み

レミリアはグングニルを振り回し、カストラートに攻撃を加え始める。

 

「なめるなぁ!」

 

 カストラートも杖に魔力を込め光を剣状にすると、その刃でグングニルを受け止める。彼女たちの武器が接触した場所から火花のように稲妻がちりちりと発生する。

 

「僕が実験動物ごときに遅れを取るわけがない!」

「そんな戯言、死んでから地獄で好きなだけぼやいているといいわ!」

 

 レミリアは後方に跳び退くと両手に槍を顕現させると、次々にカストラートに向けて射出する。

 

「うっとうしいぞ! 下等生物!」

 

 カストラートは連続して飛んでくる槍を光の剣で受け流しながらレミリアに迫り、斬りかかった。レミリアは槍を横にして剣を受け止める。

 

「やるわね。人間……!」

「貴様が僕を評価するんじゃない!」

 

 カストラートがさらに力を込めると、レミリアの紅い槍に亀裂が入った。受け止めきれないと判断したレミリアは迫り合いを解除、後方に移動し距離を取る。

 

「……なるほど、パワーはあなたの方に分があるみたいね……」

「パワーは、だと? 自惚れるな! 僕に貴様ら実験動物に劣る能力などひとつもない!」

「そうかしら……? 随分と致命的に私に劣る能力があるみたいだけど……?」

「抜かせ!」

 

 カストラートがさらなる攻撃をレミリアに加えようと移動したときであった。カストラートの足元に魔法陣が現れ、地面から発生した魔法がカストラートの左肩を貫いた……!

 

「がっ!? なにぃ!?」

「どうかしら? パチェのトラップは」

「パチェ? あの、若造の魔法使いのことか!?」

 

 カストラートは左肩を押さえながらレミリアを睨みつける。額からは大粒の冷や汗をかいていた。

 

「私たちを見下すのは良いけれど、その舐めた態度があなたの弱点だったわね。パチェがあなたと戦いながら展開していた罠魔法に気付かないなんてね。詫びるなら今のうちよ?」

「だ、誰が貴様ら下等生物なんかに頭を下げるか……!」

「そう、残念だわ」

 

 レミリアは手に持った紅い光の槍を構え直し、カストラートの左側を中心に攻める。左腕が動かせなくなったカストラートは防戦一方になってしまう。

 

「はぁああああ!!」

 

 カストラートの隙を突き、レミリアはより一層の力を込め槍を振るう。光の剣で受け止めたカストラートだったが、剣は槍の衝撃に耐えきれず粉砕され、彼女の体は吹き飛ばされた。

 

「が……はっ!!」

 

 カストラートは口から鮮血を吐きだした。それを見て、レミリアは勝利を確信する。

 

「さあ、降伏しなさい。今なら命だけは助けてあげるわ」

「……命だけは助けてあげる……? 僕が下等生物に憐れみを受けている? そんなことは許されない……!」

 

 カストラートはよろめきながら立ち上がる。

 

「なんて傲慢なのかしら? そこまで行くと少し感心してしまうわね」

「……ムカつく吸血鬼だ。僕に最後の手段を取らせるなんてね。覚えていろ……! 僕にここまでさせた貴様はただでは死なせない。薬漬けにして、解剖して、あらゆる屈辱を与えてから殺処分してやる……!」

「威勢が良いことを言うのは結構だけど、もうボロボロじゃない。そんなあなたに何ができるというのかしら?」

「……できるさ。吸血鬼を服従させることを運命づけられた僕になら……」

 

 そう言うと、カストラートは首にかけていたネックレスの装飾を服の下から取り出す。それは銀製の十字架だった。レミリアはそれを見て思わず吹き出してしまう。

 

「あっはは! あなた、私たち吸血鬼の弱点が銀や十字架だっていう迷信を信じているの!? これは滑稽ね! ……最後の手段というから何かと思えば……期待外れよ。退く気がないようだから殺してあげるわ!」

 

 レミリアはカストラートにとどめを刺そうとグングニルを構える。

 

「死ね!」

 

 レミリアは槍を突き刺そうとした。しかし、その時、レミリアの頭部に激痛が襲う。

 

「な、なに? い、やあああああああ!?」

 

 レミリアは脳に激痛を覚え、地面をのたうちまわる。脳にダメージを受けているからなのだろうか、彼女の整った鼻から血が溢れだす。

 

「どうだ、下等生物よ。最高の痛みだろう?」

 

 カストラートはボロボロになった自身の体を引きずりながら、顔を邪悪に歪ませた。



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発声

「う、あ、あああ、ああああ!?」

 

 レミリアは頭を抱えたまま地面に突っ伏し、呻き声を上げ続ける。あまりの痛みに自身の下唇を噛み切ってしまっていた。

 

「くくくくく……。どうだい、僕の奥の手は?」

 

 カストラートが喋りだすのと同時にレミリアの頭部から激痛が引く。

 

「……わ、私に何をし……た?」

 

 レミリアは脳に受けたダメージで意識が朦朧としながらもカストラートに攻撃の正体を明かすよう詰め寄るが、カストラートはただ、にやりと笑うだけだ。

 

「くく、下等生物にここまで追い込まれたのは初めてだったよ。お前はたしかに優秀なモルモットだ。その褒美に教えてあげるよ。何故お前がダメージを受けているのかを」

 

 カストラートはレミリアに十字架を見せ付ける。

 

「お前の言うとおりだよ。吸血鬼の弱点は十字架でも銀でもない。しかし、まるっきりその迷信が間違いというわけでもないのさ。お前たち吸血鬼の弱点は特定の音波だ。人間も妖怪も認識できない超高音の周波数がお前たちの弱点だ。僕はそれを声として発することができる。そして、声の効果を高めるのが銀の十字架というわけさ。だが、僕が吸血鬼退治をする姿を見た人間たちは吸血鬼の弱点を銀や十字架だと早合点し、それが広まったのが迷信の始まりというわけだ」

「私……たちにそんな弱点……が……? ……なんで……あなた達はそれを把握……している……? そして……、あなたがさっきから話している不快な言葉……『実験動物』……とはどういう意味……なの……!?」

「ふん、脳にダメージがあるはずなのに、まだペラペラと喋る元気があるんですねぇ」

「お嬢様ぁ!!」

 

 レミリアが苦戦している状況を見て十数人の小悪魔メイドたちがカストラートに向かって攻撃を仕掛けてくる。

 

「あ、あなた……たち、やめな……さい」

 

 レミリアの制止の言葉が届かなかったのか、それとも聞こえた上で無視したのか、小悪魔メイドたちはカストラートに突撃するのをやめようとはしなかった。

 

「実験動物のくせに慕われているんですねぇ」

 

 カストラートは杖に魔力を込め、光の剣を創り出すと、攻撃を仕掛けてくる小悪魔メイドたちを次々と切り殺していく。

 

「きさ……まぁああああ!!!!」

 

 レミリアはよろめきながらも立ち上がり、グングニルを顕現させ、カストラートに攻撃を仕掛けようと試みた……が、それは叶わなかった。

 

「う、あああああぁああああ!!!?」

 

 カストラートは聞こえない「声」を再びレミリアに浴びせる。脳に激痛が走ったレミリアはグングニルを手放してしまう。

 

「クク、お仲間が殺されるのをそこで見学しているといい」

 

 カストラートは自身に襲いかかって来た小悪魔メイドたちに牙を向ける。メイド達は必死に応戦したが、実力差のあるカストラートを前にして次々とやられていってしまった。

 

「あなたで最後ですね……!」

「あ、あ……あああ……」

 

 最後に残った一人、メイドの腹部を剣で突き刺し、絶命したのを確認すると、カストラートはレミリアの方に向き直った。

 

「さて、お仲間を全て片づけたところで最後はお前だ。実験動物の分際で僕に楯突いた罪は重いですよ? 覚悟するといい!」

 

 カストラートは口を少し開き、『声』を発生させる。レミリアは耳を塞いで声を防御しようと試みる。

 

「そんなことをしても無意味ですよ。そのための銀の十字架だ。これは僕の『声』を増幅し確実に貴様の脳に届ける……!」

「う、あぁああああああああ!!!?」

 

 レミリアは頭部の内側からハンマーで殴られるような激痛に思わず嘔吐する。鼻からだけだった出血はさらに酷くなり、眼や耳からも血が溢れてしまうようになっていた。

 

「さて、このまま殺すのは簡単だが、お前はじわじわと殺してあげることに決めましたからね。一旦攻撃をやめてあげましょう」

「はぁ。はぁ。はぁ」とレミリアは痛みから解放されると息切れを起こす。

「冥土の土産に教えてあげるよ。なんで僕がお前のことを『実験動物』と呼んでいるか? それはこの世界の吸血鬼は全て我らが母、テネブリス様が造りだしたものだからさ」

「つくり……だし……た……?」

「そうさ。この世界に本当の意味での吸血鬼は一体しかいなかった。お母様はその一体しかいなかった吸血鬼の亡骸から遺伝子を入手し、人間に注入する実験を始められたのさ。回復力、身体能力に優れた吸血鬼の力を利用するためにね。今この世にいる吸血鬼は全てその実験体だ……」

「ウソ……をつく……な……! わたしは両親から生まれた……。あなたのこの世にいる吸血鬼は実験体だけという話と矛盾している……!」

 

 レミリアはキッとカストラートを睨みつけるが、彼女は笑みの表情を崩さない。

 

「そう。勝手に逃げ出す個体が多いんだよ。困ったものだ。元人間であるせいか吸血鬼はとにかく実験室から逃げ出そうとするんだ。おまけに勝手に繁殖してお前みたいな個体が生まれてしまう。もっとも、その対策もしているんだけどね」

「対策……?」

「勝手に外で繁殖されて力を持たれたら厄介でしょう? 対策として……まず僕のように対吸血鬼の駆除に適した人間の配置。……そして吸血鬼には逃げ出した後、増えないように仕掛けが施されている」

「仕掛け……? ……さっきから本当に不愉快だわ。人をモノみたいに……!」

「モノみたい、じゃない。モノなんだよ。お前らは……! 本来お前たち吸血鬼は2年で寿命を迎えるように調整されている。それも若い体のままで。不老だが寿命が短い。それが本来の貴様らだ。実験には成熟した若い個体の方が都合がいいからね。だが、それは一世代までだ。一世代が子を作った場合、二世代目以降の成長速度と寿命は世代を重ねる毎に格段に長くなるように設計している。勝手に繁殖しないようにするためにね。……ところでお前は何歳になるんだ?」

「……五百歳よ」

「へぇ。それはすごい。おそらく、4世代目くらいでしょう。僕らに見つからずによくそこまで生き延びていたものです。……おそらく、貴様の両親は若い姿のまま、三百歳かそこらで死んだんじゃないか? 奇妙に思ったでしょう? 両親は三百歳で死んだのにお前は五百年経っても小さいままだったことに。お前が繁殖できるまでさらに千年はかかるだろう。それだけあれば、今のように見つけ出して駆除する時間はたっぷりあるというわけさ。……少々長く喋りすぎましたね。それじゃあ止めを刺してあげることにしましょう。でも、ひとおもいに殺したりはしませんよ。激痛を与え長時間、のたうちまわらせてから死んでもらう……!」

 

 カストラートは右手に十字架を持つと、声を増幅させてレミリアに浴びせる。レミリアは何度目かの激痛を受け、苦しみ始める。何度この攻撃を受けても慣れることはなかった。

 

「あ、がぁああああああああああ!?」

「ほうら。後、何時間持つか楽しみですね……」

 

 カストラートは一定時間ごとに声の放出を中断し、レミリアを中傷する言葉を浴びせては、また再開するという陰湿な攻撃を繰り返す。

 

「……さすがに飽きてきましたね。感謝するといい。次で最後だ……!」

 

 カストラートが止めを刺そうと口を開いたときだった。爆発音とともに血しぶきが舞い上がった。血しぶきの源は……カストラートの右腕だった。

 

「ぐっ!? あぁああああああああああ!? なんで……僕の腕がぁあああああ!!!?」

 

 カストラートは消し飛んだ自身の右腕を押さえて止血を試みながら叫ぶ。

 

「だ、誰だ!? 僕に攻撃を仕掛けたのは……!!!?」

 

 カストラートは怒りで顔を紅潮させて周囲を確認する。すると、館の入り口に黄色の髪をした美幼女が立っていた。

 

「……フ、フラ……ン……」

「ごめんなさいね、お姉さま。地下室から勝手に出てきちゃった。でも、ピンチだったみたいだし、怒らないわよねぇ?」

 

 フランと呼ばれた幼女は、にやりと表情を崩しながらうずくまったレミリアと腕を失ったカストラートを見下すのだった。



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フランの宝石

「き、きさまぁあああああ!! よくも、僕の腕をぉおおおおお!?」

「あっははは! 腕をもいであげたのに、まだそんなに元気なんだぁ!」

 

 フランは右腕を失ったカストラートを見て笑う。その表情は幼い子供が虫の手足をもいで遊んで笑っているような……純粋故の残酷さを感じさせる。

 

「……コ、コンバルイスセット……!」

 

 カストラートは欠損した右腕に回復魔法をかけ、止血を行う。

 

「……回復魔法は魔力を大量に消費するんだ……。この落とし前はお前の命で払ってもらうぞ……!」

「わたしを殺すの? 無理だと思うよ。私はそこで倒れているお姉さまのように弱くないもん」

「……この吸血鬼の妹? ならば貴様も吸血鬼ということか!?」

「ええ。その通りよ」

 

 フランは犬歯を覗かせるようににやりと笑うと、飛膜のない骨組みだけの翼を広げた。羽には飛膜の代わりに美しい八面体の宝石が付いている。双翼とも宝石は内側から水色、青、紫、桃、橙、黄、黄緑、そして再び水色と……、順に8つが付いており、殺風景な骨組みだけの翼を彩っていた。

 

「く、くくく……。飛んで火にいる夏の虫とはお前のことだ……! 貴様も駆除してやるぞ!」

 

 カストラートは血が止まった自分の右腕を押さえながら、フランを睨みつけるようにして顔を歪める。額からは冷や汗が流れ続けている。破壊された右腕のダメージが重いようだ。

 

「……お前の翼……飛膜がないようですね? くく、実験動物である上に出来損ないとは、救えない奴ですね」

「挑発のつもり? たしかにわたしの翼は不格好だけど、そんなことを私は気にしてないの。代わりに美しい宝石をお母様が付けて下さったんだから」

「ははははは!」

 

 カストラートはフランの言葉を聞くと馬鹿にしたような笑いをする。

 

「なにがおかしいの?」

「おかしいさ。吸血鬼(実験動物)ごときが親子愛の真似ごとをしているなんて知ればね。所詮は吸血鬼、趣味の悪い宝石の翼がお前たち親子のセンスの悪さを示しているよ。その美しくない模造品の翼ごとお前を消してあげよう」

 

 フランことフランドール・スカーレットは眉を吊り上げ、歯を食いしばる。

 

「お母様が下さった翼を馬鹿にすることは誰であっても許さない。……殺してやる!!」

 

 フランは翼の宝石を揶揄され、怒りに任せて突進する。

 

「や……やめ……な……さい、フラン……」

 

 息も絶え絶えにレミリアが忠告するが、フランにその声は届くことはなかった。

 

「ククク……。挑発に乗りやすい幼体だ。精々苦しむがいい……!」

 

 カストラートは左手に十字架を構えると……フランに照準を合わせて『発声』する。

 

(最高出力の声だ……! 吸血鬼ごときがよくも僕の腕を奪ったな……! 一瞬で内側から脳を破壊してやる……!)

 

 発声をしながら、カストラートはフランが脳を壊され苦しむ姿をイメージして不敵に笑った。しかし……彼女の思惑は外れることになる。フランは声によるダメージを受けることはなく、突進の勢いそのままに側頭部を思い切り殴り飛ばした。塀に叩きつけられたカストラートは激しい痛みを覚える。しかし、そんな激しい痛みよりも疑問が上回った。

 

「き、貴様……、何故僕の『声』が効かないんだ……!?」

「『声』? 一体何のこと!? お母様がくれた翼を侮辱したことを誤魔化そうたってそうはいかないわよ!!」

 

 フランは血走った眼でカストラートを睨み続けた。



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心臓破壊

「殺してやる!!」

 

 フランは手の爪を立てると、カストラートを斬り裂こうと飛びかかる!

 

「何故だ!? 何故僕の『声』が効かない!?」

「はぁあああああああああ!!」

 

 フランの爪がカストラートに迫る。カストラートは声による攻撃を諦め、魔法で障壁を作りだし、受け止める。

 

「こんなもの……壊れちゃえ!!」

 

 フランの言葉を合図にするように、カストラートの展開した障壁が爆発とともに砕け散る。

 

「なにぃ!?」

 

 得体の知れない力で障壁が破壊されたことにカストラートは驚きを隠せない。比較的長い時間を生きている彼女だが、経験したことのない力に動揺していた。

 

「き、貴様、一体僕の魔法に何をした!?」

「『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』を私は持っている。お前の腕を破壊したのもその力よ」

「ありとあらゆるものを破壊する程度の能力だと? デタラメな力を吸血鬼ごときがなぜ……!?」

「ふふふふ。お母様が下さった翼を侮辱した罪は重い。次は心臓を壊してあげるわ!!」

 

 フランはカストラートの胸に視線を集中させる。

 

「貴様、なぜ僕の胸を凝視している!?」

「だって、心臓の『目』がわからないと壊せないんだもの」

「『目』? その御大層な能力は発動するのに条件があるようだな。そんなものを待ってやるつもりはない! ……さっきのは何かの間違いだったんだ……。今度こそ僕の声を貴様に浴びせてやる……!」

 

 カストラートは再び左手に銀の十字架を掲げるとフランに照準を合わせ、発声する。しかしフランには何の症状も現れない。

 

「なんで……。貴様、本当に吸血鬼か!?」

「当たり前でしょう? 私はお父様とお母様から生まれた生粋の吸血鬼よ!」

「くそぉお!! ……『声』が効かないならば、直接殺すだけだ!!」

 

 カストラートは光の剣を顕現させ斬りかかる。

 

「もう遅いよ?」

 

 フランは不敵な笑みを浮かべながら、右手を前に出し、開いていた手を握りしめた。

 

「きゅっとしてドカーン」

「ぐ……は……!?」

 

 フランは心臓を破壊した。カストラートは口から鮮血を噴き出す。

 

「ざまあみろ!」

 

 フランは笑みを浮かべていた表情をニュートラルに戻すと、眉を吊り上げる。

 

「あ、ああああああああああああああ!!」と叫びながらカストラートは痛みに耐えながら魔法を発動させる。

 

 カストラートの胸を柔らかな緑の光が包む。回復魔法を使っているようだ。程なくして息切れを起こしながら立ち上がる。

 

「よくも、僕の心臓を潰してくれたな!? 心臓の再構成に多量の魔力を消費させやがって……!! この下等生物がぁ!!」

「まだ、生きてるんだぁ……。しぶとーい」とフランは怒りとあきれを合わせたようなトーンで喋ると、再び掌をカストラートに向けて広げてからギュッと握る。爆発音とともにカストラートの左足が吹き飛ぶ。

 

「う、ぐ、あああああああああ!?」

 

「怒りのまま、一瞬で殺してあげようと思ってたけど、変更。少しずつ砕いていってあげる」

 

 片足を失い、まともに立つことが出来なくなったカストラートの元にフランはすこしずつ歩みを進める。実力差は明らかであった。『声』があったからこそ吸血鬼に対して優位に立てていたカストラートだが、フランにはその『声』が効かなかった。身体能力、魔法の破壊力に劣るカストラートにもはや勝ち目はない。しきりに『この下等生物が!』とフランに咆哮し続ける彼女だが、誰から見てもそれは負け犬の遠吠えであった。

 

「あははは! 次は右足を壊してあげる!」

 

 フランの表情からは怒りの感情が抜け、純粋な笑顔がかいま見えた。目の前で自分より圧倒的に弱い者が命を失うことに対する喜び。吸血鬼の本能に逆らうことができず、幼いフランは破顔してしまうのだ。

 

「だめええええええええええ!!」

 

 フランとカストラートの間に割り込んでくる少女が一人。背丈はフランよりも大きい。フランが人間で言えば5、6歳くらいの見た目であるのに対し、少女は15、6歳程だろうか。外套から黄色い長髪を覗かせている。

 

「ル、ルガト……」とカストラートは呟く。

「あら、そこの魔法使いのお仲間?」

 

 フランは不敵な笑みの視線をカストラートからルガトに移した。



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本物の吸血鬼

「は、はい……。そ、そうです……」

 

 ルガトはおどおどした表情を見せながらフランに答える。

 

「その魔法使いは私の翼を……お母様を侮辱したの。邪魔をするなら、あなたも殺すわよ?」

「そ、それは無理だと思います。わ、わたしはあなたより強いですから……」

 

 フランは呆気にとられたような表情でルガトを見つめる。

 

「あなたが私より強い? そんなにおどおどしてるのに? 面白い冗談ね」

 

 フランはため息をつきながら、掌をルガトに向けた。

 

「あなたを先に殺してあげる!」

 

 フランはルガトに向けていた手をギュッと握りしめ、拳を作る。カストラートの心臓や足を破壊したのと同じジェスチャーだった。明らかにルガトを破壊しようとしている。しかし、フランの意に反して、ルガトには何のダメージも与えられなかった。

 

「なっ!? なんで私の能力が効かないの!? たしかに心臓の目を潰したはずなのに!?」

「そ、それは私もあなたと『同じ』だから……」

「私があなたと同じ?」

 

 フランがオウム返しでルガトに質問していると、カストラートが叫ぶ。

 

「ル、ルガト! そいつを殺せ! 僕の腕と足を奪った忌々しい吸血鬼を……! ……同族だから殺せない、などとは言わせないぞ!」

「あらあら。まだ生きてるんだ。本当にしぶとーい!」とフランはにやりと笑いながらため息をつくという器用なことをしていた。

「今度こそ殺してあげる!」

 

 フランが掌をカストラートに向けた時だった。静かに……、だが、凶悪な意志を持った小さな声がフランに投げかけられる。

 

「ダメって言ってるでしょ?」

 

 直後、フランに暴風がぶつけられる。風圧に耐えきれないフランは吹き飛ばされ、館の壁に叩きつけられる。暴風を起こしたのは……外套を取ったルガトだった。彼女の背中にはレミリアと同じ蝙蝠の様な翼が生えていた。彼女はそれを使って暴風を起こしたのである。

 

「カ、カストラートくんはあなたには殺させない。だ、だって、彼は……」

 

 ルガトは大きく息を吸い込んでから、カストラートを見下ろす。

 

「だって彼は私の食事なんだから……!」

「ル、ルガト、貴様、な、なにを言っているんだ!?」

 

 足を失い地面に倒れていたカストラートは動揺を隠せない。ルガトは間違いなくカストラートのことを食事だと言った。ルガトの食事……すなわち吸血鬼の食事、それは当然血を吸うということだ。これまでもカストラートはルガトがその辺の無価値な人間を食べる姿を見てきた。例外なく、ルガトは相手が死ぬまで血を吸いきっていた。

 

「ルガトぉ! 貴様、僕を殺すつもりか!?」

「け、結果的にはそういうことになるのかな?」

 

 ルガトはおどおどと言葉を噛みながらカストラートに近づく。

 

「ふざけるなぁ!! 僕は『ドーター』だぞ!? いくら貴様がお母様に気に入られているとはいえ……、たかだか『実験動物』の貴様が僕を殺せば……、今度は貴様がお母様から罰を受けるぞ!?」

「そ、それはないよ」

 

 ルガトはぎこちなく笑う。

 

「だ、だって、私が頼んだんだよ? カストラートくんが『ドーター』になれるように……。いつでも私が食べられるように同じチームで行動するために……」

「な、なんだと……? どういうことだ……?」

「わ、わたしね。前からカストラートくんのこと狙ってたの。お、おいしそうだなって……。だってカストラートくんって健気でかわいいんだもん。お、お母様から聞いたよ? 本当は男の子だったのに、音楽家の一族の末弟だったせいで無理矢理女の子にさせられちゃったんだよね? 美しい声を出せるあなたは少年の『声』のままでいるために、声変わりする前に女の子にさせられちゃったんだよね?」

「な、なぜそれを……?」

 

 カストラートは驚愕した表情でルガトを見つめる。

 

「カ、カストラートくんは恨んでたんだよね? 自分を無理矢理女の子にした一族のことを。いつか自分が一族を殺してやるって……。で、でも、その時が来ることは永遠になかった。あなたの一族はお母様の実験室から逃げ出した吸血鬼に皆殺しにされた。あなたを除いて……。だから、あなたは復讐の対象を奪った吸血鬼を憎んでいる。そ、そうだよね? ……あなたは知らないみたいだから教えてあげるね。あなたの一族が滅亡したのは吸血鬼の仕業じゃないんだよ?」

「な、何を言っている? 何を言っているんだ!? 貴様はぁあ!?」

「あ、あなたは実験室から逃げ出した吸血鬼に一族を殺されたと思ってるみたいけど……アレも全てお母様が仕組んだことなの。吸血鬼は逃げ出したんじゃない、お母様によってあなたの一族を殺すよう仕向けられたの」

「ふざけるなぁ! なぜお母様が……、いや、あのババアが僕の一族を殺す必要がある!?」

「か、簡単なことだよ? お母様は吸血鬼を愛していらっしゃるんだもの。吸血鬼の弱点となるような……、少年の声のままの人間を作りだすような一族を抹殺しておくのは当然だよ」

「あのババアが吸血鬼を愛している? 寝言は寝てから言え! あいつは僕なんかよりよほど吸血鬼の扱いが雑だった。そんなやつが吸血鬼を愛しているはずがない! 愛しているなら何故、吸血鬼を憎む僕を生き残らせた!?」

「あ、あなたを生き残らせたのは、『失敗作の吸血鬼』を管理させるため。そして、吸血鬼の弱点であるあなたの『声』を研究するためだったの。……お母様が愛しているのは『本物の吸血鬼』だけ。それ以外の失敗作に興味はないの」

「本物? 本物とは一体何のことだ!?」

「い、今、目の前にいるでしょう? 破壊の力を持った真の吸血鬼が二人……」

 

 ルガトは建物に叩きつけられたフランを指さしながらおどおどした表情で告げると、カストラートの元に歩みを進める。

 

「ち、近づくなぁ!!」

 

 カストラートは十字架を構えると『声』をルガトに浴びせる。しかし……ルガトが苦しむ様子はない。

 

「な、何故だ!? なぜ、貴様もあの妹の吸血鬼も僕の『声』が効かないんだ!?」

「そ、それも『本物』の……『先祖返り』の吸血鬼の特徴のひとつ……。あ、あなたの声は『失敗作の吸血鬼』にしか効かない……。だから、あなたはもう用済みなの。『本物の吸血鬼』の弱点が『声』でないことがわかった今、あなたの役目は誰にでもできる『実験吸血鬼』の管理のみ。だから、お母様に言われていたの。いつあなたを食べても良いって」

「ふざけるな。ふざけるな! ふざけるなぁああああ!! 僕は吸血鬼と……吸血鬼を作りだしたあのクソババアを殺すために忠誠を誓ったフリをしてまで『ドーター』に登りつめたのに……! こんなとこで吸血鬼ごときのエサにされてたまるかぁ!」

「う、うふふふふ……。青ざめた顔でも吸血鬼を見下せるなんて……や、やっぱりカストラートくんはおいしそう……。い、いただきます……!」

 

 ルガトはおどおどした態度のまま狂気をはらんだ笑顔を見せる。彼女のするどく尖った犬歯がカストラートの肩口に突き刺さる。

 

「や、やめ……ろ……。あ、ああ、あああ…………」

 

 カストラートは血を吸われ、みるみる干からびていき……ミイラのようになって絶命した。

 

「おいしかったよ? カストラートくん……」

 

 ルガトは満足したような笑みを見せながら牙を抜くと舌舐めずりをする。

 

「……仲間を食らうなんて……、下品な吸血鬼ね……」

 

 館に叩きつけられていたフランは、よろよろと立ち上がりながら呟いていた。



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本物の吸血鬼たち

「フ、フフフフフ……。す、凄い。わ、私の攻撃を受けても全然響いてない。やっぱり『先祖返りの吸血鬼』は偽物とは違う……」

「その気弱そうで不快な笑みを今度こそ消してあげる! 壊れちゃえ! キュッとして……ドカーン!!」

 

 フランはルガトに向けた右掌を握りしめた。しかし、やはりルガトが破壊されることはなかった。

 

「い、言ったでしょう? 私はあなたと同じ。破壊の力を持っている。わ、私にその力は通用しないよ」

「……そうみたいね。なら、直接殴り壊すだけよ!」

 

 フランは宙を舞い、ルガトに襲いかかる。

 

「げ、元気もいいのね。連れて帰ればお母様も喜ぶわ」

 

 フランの拳がルガトの顔面に衝突する。

 

「でも、私には及ばない」

「くっ!?」

 

 フランの全力の拳を受けたルガトだが、まるで応えていない。

 

「つ、次は私の番ね」

 

 ルガトは翼を大きく広げると激しく羽ばたかせ、竜巻を発生させた。強風に耐えられないフランは強制的に空中に投げだされる。

 

「羽ばたきだけでこの威力が出ちゃうの!? ふざけた奴!」

 

 風で上手く身動きの取れないフランにルガトが突進する。

 

「こ、これでどうかしら……!」

 

 ルガトは突進の勢いそのままにフランを蹴りあげる。

 

「きゃああああああああああああああああああああ!!!?」

 

 フランはさらに上空へと打ち上げられたが、体勢を取り直し、下方にいるであろうルガトを探そうと視線を下に向ける。

 

「どこに行ったの!?」

 

 フランはルガトを見失い、地上の方をきょろきょろと見回すがルガトの姿は見当たらない。

 

「こ、こっちだよ?」

「な!? いつの間に!?」

 

 フランが空を見上げると、そこには今まさに魔法を放たんとするルガトの姿があった。黒翼の吸血鬼はフランの予想を遥かに上回る超スピードで上空へと高速移動しフランの上を取ったのである。

 

「た、叩きつけてあげる」

 

 ルガトはフランに向け、光線状の魔法を放出する。直撃を受けたフランの体は地上に真っ逆さまに落ちていき、激突した地表は小規模なクレーターのようになってしまう。

 

「や、やり過ぎちゃったかしら? し、死んじゃった?」

 

 地上に舞い降りたルガトはクレーターの中で倒れているフランを確認しながら呟く。

 

「か、勝手に死んだと思ってるんじゃないわよ……」

 

 フランは血混じりの咳をしながらふらふらと立ち上がる。額も切ってしまったのか、顔には血の流れができていた。

 

「す、すごいすごい。やっぱり研究室の失敗作たちよりも体が頑丈なんだね。さすがは『本物の吸血鬼』」

 

 おどおどしたような表情のまま、驚いているルガトの姿を見てフランはイライラを募らせる。

 

「人を散々いたぶっておいてその表情は不愉快ね。絶対壊す!」

「あ、あら、あなただってカストラートくんをいたぶっていた時、顔を醜く歪めていたじゃない。ひ、人のことは言えないと思う。でも、それでいいんだよ。本物の吸血鬼は残酷で傲慢でなきゃいけない。お母様もそうおっしゃっていたわ」

「自信のなさそうな根暗顔の割りにぺらぺらと喋るわね。……今すぐその口を黙らせてあげるわ!」

 

 フランは顔の血を飛び散らしながらルガトの側頭部に蹴りを浴びせる……が、いとも簡単に腕で受け止められてしまう。

 

「……む、無理よ。あなたと私じゃ体格差があり過ぎるみたいね。あなた、カストラートくんが言うには成長が遅いみたい。でも、安心して? お母様の元に来ればすぐに大きくしてもらえるわ。私も本来は2年で死ぬところをお母様が調整してくれたの。永遠に近い寿命を与えてくださったわ」

「そう、じゃあ私もそのお母様とやらにお願いしたらお姉さまより先にナイスバディの美女になれるのね。それは少し興味あるかも……。……でも、結構よ。私はお父様とお母様と同じように運命を受け入れるの。永遠に生きてたら、お父様とお母様のもとに行けないじゃない。そんなのイヤ」

「あ、あなたの意見は聞いてない。お母様があなたを生かすと言えば生きてもらうし、不要だと言えば死んでもらわないと……」

「あなたたちの親玉は随分と勝手みたいね。あのカストラートとかいう魔法使いがクソババアと言っていたのも納得だわ」

「そ、それ以上、お母様の悪口を言うようなら死んでもらわなきゃいけなくなるからやめてね。とにかく、あなたは連れて帰る。お母様に見てもらわなきゃ。ちょっと手荒な真似になるけど少し弱らせてあげる」

 

 そう言うと、ルガトはフランに左の掌を向ける。

 

「見つけたわ。左腕の『目』を」

 

 ルガトは拡げていた掌をぎゅっと握りしめた。フランが破壊の能力を行使するのと同じ姿だ。次の瞬間、フランの左腕が破壊され、肉と血が花火のように飛び散る。

 

「う、が、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?」

 

 フランは大声で悲鳴を上げ、その場でうずくまった。



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ぶつけ合った拳

「ああああああああああ!?」

 

 フランは失った左腕の出血を抑えるように肩口を残った右腕で掴む。いかに吸血鬼といえども、腕を失った痛みはそうそう耐えられるものでもないらしく眉間にしわを寄せ苦悶の表情を浮かべる。

 

「あ、あははは……! すごいすごい。腕を破壊したのに……もう回復しそうになっている。や、やっぱり『先祖返り』は全ての能力が既存のあらゆる生物を上回るんだ……」

 

 ルガトの言葉どおり、フランの左腕はもう生え変わろうとしていた。

 

「ぐっ!? なんで? なんで私の破壊する程度の能力はお前に効かないのに……。お前の能力は私に通用するのよ……!?」

「か、簡単なことだよ。私の能力があなたのそれを大きく超えているから。吸血鬼の破壊の能力は打ち消し合う。私の能力はあなたが打ち消す以上に大きい」

 

 ルガトはさらに何かを握りしめるポーズを取る。次はフランの右脚が吹き飛んだ。

 

「あ、きゃあああああああああああああああ!!!?」

 

 ルガトはフランとの力の差を見せつけるように、更なる能力行使をする。

 

「さ、さあ。大人しく私に付いて来なさい。お母様にご判断していただくの。私と同じく友になる資質があるか確認してもらわないと……」

「……人の脚を潰しておいて勝手なことを言ってくれるわね。次は私の番!」

 

 今度はフランが『目』を潰すポーズを取る。しかし、ルガトには何のダメージも入らない。

 

「む、無駄だよ? あなたと私には絶対的な差があるもの」

「自信なさげに言われるとなおのことムカつくわね」

「は、破壊の力の比べあいだけじゃ、実感が湧かないのね。い、いいよ。単純な力比べをしましょう?」

「……ふざけたことを……!」

 

 フランは右脚が再生すると、ぴょんぴょんと感覚を確かめるように跳びはねる。

 

「後悔しても知らないわよ?」

「だ、大丈夫だよ。あなたが私に勝つことはないから」

「ムカつくやつ! ぶっとべええええ!」

 

 フランは左拳を作るとルガトの顔面に向かって殴りかかる。ルガトもそれに反応するように拳を握りしめ、フランの拳に向かって放った。二人が拳をぶつけ合う形になる。

 

 接触から一瞬間を置いて叫び声が聞こえてきた。叫び声の主は……フランである。

 

「う、うううううううぅうう……」

 

 フランの左腕はルガトとの衝撃で肉が裂け、血が滴っている。拳も砕けてしまっているようだ。

 

「ふ、ふふふふ。左腕が消し飛ばないだけでも凄いと思うよ。並みの妖怪(モンスター)なら、体が消し飛ぶ威力なんだもの」

「……分が悪いのはたしかなようね。……私があんたのお母様のところに行けば、私の仲間や従者たちは見逃してくれるのかしら……」

「も、もしかしてお母様に服従する気になった……? い、いいよ。あなたが来るならお仲間には手を出さない。で、でもアレはだめ」

 

 ルガトは気を失ってしまって倒れているレミリアを指さした。

 

「お母様は失敗作の吸血鬼紛いは大嫌いなの。だから、アレを生かすことはできないわ。良くて実験動物になるだけ。命を助けることはできない。でも、あなたはアレをそこまで好いてもいないんでしょう。目を見ればわかるわ」

「……そう。お姉様はダメなのね。……たしかに、私はお姉様が嫌いだわ。消えればいいのにと思うこともある。でも、死なせるわけにはいかないのよ。……レーヴァティン!」

 

 フランは奇妙な形の杖を顕現させると、それに炎を纏わせ剣のように振り回した。レーヴァティンの切っ先はルガトの頬を掠める。頬には浅い切創ができ、血が滴る。

 

「私はお父様と約束したの。お姉様を守るようにね」

 

 フランはレーヴァティンに纏わせた炎を一段と大きくさせながらルガトに回答するのだった。



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準備

 不自然に歪曲した杖に炎を纏わせ剣のように変化させたフランは切っ先をルガトに向ける。

 

「た、高い魔力を感じる。そ、それ、かなりのレアアイテムだよね。お、お母様が持っていらっしゃる聖遺物と同じくらい魔力のプレッシャーを放っているもの……。き、きっとあなたの家に伝わる秘宝ね……?」

「そうよ。スカーレット家に代々伝わる杖『レーヴァティン』。お父様から頂いた大事なもの」

「ふ、ふふふふふふ」

「……なにがおかしいのよ?」

「だ、だってやっぱり『実験動物』は救われないんだなぁって」

「……どういうこと?」

「あ、あなたのお父様は当主となったあそこの実験動物にはその杖を渡さずに、あなたに与えたんでしょう?」

 

 ルガトはうつ伏せに倒れたままのレミリアを指さして自信なさげな表情のまま、嘲笑する。

 

「つ、つまり、先に生まれた当主よりもあなたを認めていたってことでしょう? その聖遺物クラスの秘宝をあなたに与えたのがその証拠。あなたのお父様はあなたが天賦の才を持っていることを見抜いていた。そう、本物の吸血鬼というどんな生物よりも優れたあなたの才を」

「……そうかもね」

「ふ、ふふ。哀れな実験動物。妹よりも才能がないと父親から見抜かれて、一番大事なものをもらえていないんだもの」

「だまれ」

 

 フランの静かな怒号がルガトを撃ち抜く。

 

「私のお父様は姉妹を区別するような方じゃない。お父様は私にお姉さまを……。……これ以上は部外者のアンタに言うことじゃない。……続きを始めましょう? あなたを地獄に送ってあげる」

「で、できないとおもうけど」

「抜かせ!」

 

 フランは炎の剣と化したレーヴァティンを振りかざしルガトに迫る。

 

「す、すごいすごい。そのレアアイテム、あなたの潜在能力を高めているのね。わ、私の破壊の能力を打ち消すくらいあなたの力が上がっている……!」

 

 ルガトはレーヴァティンからの攻撃から逃げるように宙を舞う。

 

「ちょこまかと逃げるな!」

「に、逃げてなんかいないよ? わ、わたしも準備をしているの」

「準備? 準備している間に殺してあげるわ!」

 

 フランは逃げ回るルガトを追い駆ける。逃げ続けるルガトだが、その表情に焦りはない。それが余計にフランを苛立たせていた。

 

「もらったぁ!!」

 

 一瞬動きを止めたルガトの首に向かってレーヴァティンを振るうが、その一振りがルガトに届くことはなく、代わりに鈍い衝撃音が響き渡った。

 

「く!? 何よそれは!?」

「い、いいでしょ? これを準備してたの。私も持ってるんだ。聖遺物クラスのレアアイテムを。お、お母様から頂いたのよ?」

 

 ルガトの手には黒く巨大な広刃の剣が握られていた。

 

「モーンブレイド……。こ、これであなたを痛めつけさせてもらうね?」

 

 ルガトは病んだ笑みを浮かべて、フランに宣言するのだった。



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闇色の狼

「モーンブレイド!?」

「う、うん。それがこの大剣の名前。か、かっこいいでしょ? き、気に入ってるんだ」

「……ただの剣じゃないみたいね。禍々しい気配を感じる……。」

「あ、当たり前じゃない。お、お母様が私のために用意をしてくださったのよ。友として相応しい武器をね」

「……あなた、さっきから友、友って。あなたのお母様はそんなに友達が欲しいの?」

「お、お母様が欲しがってるんじゃあないよ」

「じゃあ、誰の友達よ?」

「そ、それはお母様から直接お聞きになって。私からは言えないわ」

「あっそう。わかったわ。あなたを壊して、そのお母様とやらに聞く。ついでにお母様も壊してあげるわ」

「できないと思うよ?」

 

 フランは奇妙な気配に気付き、ルガトから距離を取る。

 

「す、すごい。やっぱり先祖返りの吸血鬼は第六感も優れているんだね。私のモーンブレイドの特殊さに気付いたんだ」

「……第六感なんてなくたって気付くわよ。あなたのその剣、私のレーヴァティンから魔力を吸い取っていた」

「も、もう見抜いたんだ。さすが本物の吸血鬼」

「さっきから先祖返りだの本物だの、不愉快よ。私にはフランドール・スカーレットっていう名前があるの」

「ご、ごめんなさい。じゃ、じゃあ今度からフランちゃんって呼ぶね? わ、私はルガトだから、ルーちゃんって呼んで?」

「嫌よ、気持ち悪い」

「ひ、ひどい……」

 

 ルガトは傷付いた様子を見せると、モーンブレイドから闇色のオーラを溢れさせる。

 

「ひ、ひどいこと言ったフランちゃんには罰を与えなきゃね。痛めつけるだけじゃあ足りない。は、半殺しにしてお母様のところに連れていく!」

「クレイジーな奴……!」

 

 ルガトの大剣から溢れたオーラは狼のような形になると、フランを食いちぎらんと牙を見せて噛みつこうとする。

 

「くっ!? この剣、魔力を奪うだけじゃないわね……!?」

「ふ、ふふ。そうだよ。この剣の本来の用途は魂を喰らうことだから」

「……何が半殺しよ。全殺しに来てるじゃない……!」

「は、半分だけ魂を食べれば半殺しでしょ? だ、大丈夫安心して? 魂が半分なくなってもお母様が修復して下さるわ。フ、フランちゃんはお母様に従順な、友候補として生まれ変わることができる。す、素晴らしいでしょ?」

「さらっと狂ったことを言うんじゃないわよ! この根暗吸血鬼!」

 

 フランは襲い来る闇色の狼をレーヴァティンでいなしてかわす。

 

「あ、あはは。い、いつまで持つかしら!」

 

 フランは狼から逃げ続けながら、隙を窺う。

 

「ここだぁ!」

 

 フランはレーヴァティンの炎を強め、振り下ろす。炎の斬撃を受けた狼は焼き払われ消滅する。

 

「あ、あっはは! す、すごい! それならこれはどう!?」

 

 ルガトは大剣を振り回し、二匹の狼を繰り出す。

 

「くっ!?」

 

 猛スピードで追いかけてくる狼二匹に対してフランは回避一辺倒になってしまう。

 

「さ、さあ。フランちゃんを食べちゃいなさい!」

 

 ルガトが狼に指示を下す中、フランは一瞬の隙を見つけ一匹の狼を焼き払う。

 

「さ、さすが、フランちゃん。す、隙を逃さないね。で、でもね。それは囮」

 

 ルガトは病んだ笑みを浮かべる。レーヴァティンを振り抜き、構えを取り直すことができていないフランをもう一匹の狼が口を広げて飲みこんだ。

 

「や、やったぁ!」

 

 フランが飲みこまれたのを視認し、ルガトが大声で喜びを口にする。

 

「は、半分だけ食べるんだよ?」とルガトが狼に指示を出そうとしていると、狼の腹が突然爆発する。

 

「な、なに?」とルガトは口にしたが、状況を把握する時間もなく、腹部にレーヴァティンが突き刺さる。

 

「な、なんで?」

「さすがの私も死んだと思ったわ。あなたには破壊の能力が効かないけど、この狼には効くみたいね。助かったわ」

 

 フランはルガトに突き刺したレーヴァティンを振り切り、切断する。

 

「永遠にごきげんよう。根暗吸血鬼様」



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飛び散る四肢

「ぐぶっ。がっ……ばっ……」と吐血するルガト。

 

 フランは真っ二つになってしまったルガトのもとに歩み寄る。

 

「まだ、息があるのね。しぶといやつ」

 

 フランはルガトに向かって右手をかざす。

 

「肉片ひとつ残さず破壊してあげるわ。それでも死なないというのなら……死ぬまで破壊してあげる」

「……んで?」

「……何か言った?」

「なんで私が倒れている? お母様に認められた『本物の吸血鬼』が……」

「根暗なくせに意外と傲慢なのね。あなたが倒れているのは私より弱いからよ。シンプルでいいじゃない」

「私がお前よりも弱い……? あは、あははははは!!」

「何がおかしいの?」

「だってそうじゃない! いくら髪色や破壊の能力が先祖返りしてるからって、不完全な翼に不格好な装飾を付けているお前より私の方が弱い? そんなこと、あってはならない。吸血鬼は完璧でなくちゃならないのよ。この私のように!」

「……どこまでも不愉快な女ね。……お母様が下さったこの翼を愚弄する者は誰であっても許さない。死ね!」

 

 ルガトを破壊せんと右手を握ろうとした時、フランの手が破裂し、鮮血が散る。

 

「う、あぁあああああああああ!?」と叫び声を上げ、フランがうずくまる。

「舐めないでよ、クソガキ」

 

 ルガトの口調が変わり、眼からはハイライトが失われていた。上半身だけを宙に浮かばせたルガトは下半身を持ち上げ結合させて立ち上がる。

 

「人が少し大人しくしてれば、調子に乗って」

「お、お前……」

「あははは! なんだか気分が高揚してきたわ。自分の血をたくさん見たからかしら? 激しい痛みを受けたからかしら? 吸血鬼の本能が私に語りかけてくるわ! この世に吸血鬼は一人でいい……。最強の存在は一人でいいって!」

 

 ルガトは輪をかけて不気味な笑みを浮かべ、フランを見下す。

 

「お母様にお前を見せるのはやめね。私にここまでの屈辱を与えたんだもの。苦しめて苦しめて苦しめて苦しめてから殺してあげる。ほーら、まずは左足からね」

 

 ルガトが右手を握ると、フランの左足が爆発し、太腿から先が断ち切られる。

 

「う、ぎゃぁああああああああああああああああ!?」

「フフフフフ。感謝しなさい。お前が大事に左手に持っているレアアイテムは壊さないでおいてあげるわ。お母様への手土産にするから。さ、その杖から手を離しなさい?」

「はぁ、はぁ。だ、だれが……」

「あっはは! そう言うと思った! あなたもプライドが高そうだものね。素直に言うこと聞くわけないわよねぇ。じゃあ、無理矢理はがして上げるだけよ」

 

 ルガトはフランの左手の親指だけを破壊する。

 

「あ、がああ!?」

「ほらほら。早く杖を離しなさい。離さないなら、次は人差し指を破壊するわよ」

「だ、だれが……!」

「あらそう」

「いやぁああああああああああ!?」

「あら、ごめんなさい。指を一本ずつ壊してあげるつもりだったんだけど、いっぺんに左腕を破壊しちゃった。本当にごめんね」

 

 ルガトはフランから無理矢理レーヴァティンを奪い取る。

 

「あっはは。すごいわ、この杖。吸血鬼の力を増幅してくれる。私の破壊の能力が強まっているのが感じられるわ。あなたの体で試してあげる!」

 

 フランの右脚から放たれる爆裂音……。

 

「あ、あ、あ、あ」

「あはは、すごいすごい。さすがレアアイテム。右脚が跡形もなくなくなっちゃったぁ。もう大して声も出ないのね。やっぱり不完全だから弱いのかしら。……残った右腕も消し飛ばしてあげる」

「………………!!!!」

 

 フランはあまりの痛みと連続攻撃による体力の低下で声を出すこともできない。ただ、自分の四肢が飛び散るのを待つだけになっていた。

 

「もう、叫ぶこともできないの? これじゃあ、玩具にもならないわね。……あら、あなた泣いてるの?」

 

 フランの双眼からは涙が流れ落ちる。

 

「その涙の意味は何かしら? 痛み? 恐怖? 怒り? 何にせよ最強の存在である吸血鬼に涙は似合わない。やっぱりあなたはその不完全な翼と同じく不完全な吸血鬼だったのね。もう声が出ないなら……玩具にもならないなら、その頭を残しても意味はないわね。さようなら」

 

 ルガトはフランの頭部に照準を合わせると……右手を握りこむのだった。



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今生の願い

◇◆◇

 

 ――およそ百年前、この世界のどこか――

 

「お父様、どうされたの? 突然、お部屋にきなさいって……。フ、フランなんにも悪いことしてないよ! お姉さまのプリンを勝手に食べたのは、お姉さまが先に私のケーキを勝手に食べたからで……」

「安心しなさい。お前を怒るために呼んだのではないよ、フラン」

 

 フランの父親はフランを安心させるように微笑む。幼いフランは父親が怒っていないことがわかるとホッと胸を撫で下ろした。

 

「じゃあ、なんでお父様は私をお呼びになったの?」

「……今からとっても大事な話をする。よく聞いて覚えておきなさい」

 

 父親は柔和な表情を引き締め、真剣な瞳でフランを見つめる。

 

「フラン、お前にはこのスカーレット家に代々伝わる秘宝『レーヴァティン』を授ける」

 

 父親はフランに奇妙な形をした杖を手渡した。

 

「この杖は我々吸血鬼の力を高める特殊なアイテム。これをお前に任せる」

「レーヴァティン……。凄い。ただ持ってるだけで力が強くなってるような……。今なら誰が相手でもやっつけちゃえる気がする……」

「この杖は強力だ。それ故乱用することは許されない。約束できるね?」

「はい、お父様。もちろんです。あ、あの、お父様?」

「どうした?」

「な、なんで私にこんなすごいものを? 次の当主はお姉さまなのに……」

 

 父親は眉間にシワを寄せ、真剣だった表情をさらに険しくさせる。

 

「ここからが本題なのだよ、フラン……。よく聞きなさい。レーヴァティンを授けたのはお前にレミリアを守ってもらうためだ」

「お姉さまを守る?」

「そうだ。フラン、お前がレミリアを守ってやるのだ」

「お姉さまは私よりも頭もいいし、力も強いし……。私が守らなくたって……」

「良いかね、フラン」

 

 父親はフランの双肩を掴み腰を落とすと視線の高さをフランに合わせる。

 

「確かにレミリアは頭が良い。力も強い。神に愛されたといっても良い。だが……」

「だが?」

「だが、レミリアの心はそんな天賦の才に勝てる程強くない。あの子は当主として心も強くあらねばと自分の弱い心を隠しているのだから。……いや、語弊があるな。レミリアの持つ天賦の才に耐えうる精神などこの世界に存在しない。だから、レミリアの才がレミリア自身を喰らいつくそうとする前に、お前がレミリアを守ってやって欲しい……」

 

 父親がまるで今生の願いを伝えるように話しかけていることにフランは違和感を覚える。

 

「な、なんでお父様は私にそんなことを……? お父様がお姉さまを守ってあげたらいいじゃない!?」

「フラン、お前に寂しい思いをさせるのはこの父もしたくはない。だが、もう私には時間がないのだ。だからこうしてお前にレーヴァティンを託し、レミリアと仲良く暮らしていくようにお願いしているのだ……」

「お、お父様……死んじゃうの……?」

「……死は全ての生命に訪れるのだ。哀しいことではない……」

「や、やだやだ! お母様も死んじゃったのに……。お、お父様まで死んじゃうなんてイヤ!」

 

 フランは幼い少女らしく駄々をこねながら、父親にしがみ付く。父親もフランを優しく抱きしめる。

 

「お前とレミリアには辛い思いをさせるな……。父を許してくれ。お前たちをこの世に産まれ落としたのは私たち夫婦の身勝手だったかもしれない。だが、私たちの思いをお前たちには継いで欲しいのだ。不当に迫害を受ける私たち吸血鬼の未来をお前たち姉妹の手で切り開いて欲しいのだ」

 

 父親は涙を流しているフランの目じりを指で拭い微笑みかける。

 

「フラン……。レミリアと仲良く生きてレミリアを助けると約束して欲しい……」

「うん。まもる……! フラン、お姉さまを守るって約束する……!」

 

 フランは袖で涙を拭いながら父親と約束するのだった。

 

 

◇◆◇

 

「もう、叫ぶこともできないの? これじゃあ、玩具にもならないわね。あら、あなた泣いてるの? その涙の意味は何かしら? 悔しさ? 恐怖? 怒り? 何にせよ最強の吸血鬼に涙は似合わない。やっぱりあなたはその不完全な翼と同じく不完全な吸血鬼だったのね。もう声が出ないなら、その頭を残しても意味はないわね。さようなら」

「…………」

 

 フランはルガトの問いに答えず、無言を貫く。フランの涙の意味……。それは後悔だった。父親との約束を守れず、レミリアを助けることができなかったことに対する後悔。

 

(ごめんなさい。お父様……。私、またお姉さまを守れなかった……)

 

 涙を流し続けるフランにルガトの放つ無慈悲な破壊の力が襲いかかった。頭部は破壊され、手足のもがれた胴体だけが尊厳なく地面に残される。フランの変わり果てた姿をルガトは満足そうに病んだ笑みを浮かべながら眺めるのだった。



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命乞い

「う……か……。……はっ!?」

 

 パチュリー・ノーレッジは紅魔館の内部で目を覚ます。カストラートの攻撃を受け、レミリアに助けられた後、気絶していたのだ。

 

「お気づきになられましたか!? パチュリー様!」

「……レミィは!? あいつらとの戦闘はどうなったの!?」

 

 パチュリーからの質問に小悪魔メイドは顔を曇らせながら報告する。

 

「まだ、戦闘は続いております。レミリアお嬢様が敵の魔法使いと戦闘し苦戦しているところに妹様が駆けつけ、魔法使いは倒したのですが……。もう一体敵が現れ、妹様が戦闘を継続しており……」

「……直接見るわ」

 

 パチュリーは小悪魔メイドが報告する様子から状況が良くないに違いないと判断し、中庭の見えるバルコニーに向かって走り出す。バルコニーに到着したパチュリーの視界に入って来たのはフランの頭部を破壊して満足そうに笑みを浮かべているルガトの姿だった。

 

「あの頭のない体はフ、フランなの……?」

 

 パチュリーは無残な姿になり果てたフランを見て口を押さえると、視線をルガトに移す。

 

「な、なによあのバケモノは……!? あの翼、牙。まさか、吸血鬼!? しかもあの髪の色は……。……レミィは……? レミィはどこ!?」

 

 パチュリーは視線を動かし、親友を探す。レミリアはルガトとフランの戦闘の衝撃で吹き飛ばされていたのか、中庭の壁際でうつ伏せに倒れていた。

 

「レミィ!!」

 

 親友の大声が届いたのか、幼い吸血鬼は指をピクっと動かすと意識を取り戻し、よろめきながら立ち上がる。気絶から立ち直ったばかりのレミリアの視界は朦朧としていた。かろうじてルガトの存在を視認すると確認するように目を細める。

 

「あら、生きていたのね。出来損ないの吸血鬼(モルモット)さん」

「……お前は……魔法使いの後ろに隠れていたもう一人のやつね……。……まさか吸血鬼だったとはね。……あの魔法使いはどこに行ったの?」

「ここよ」

 

 ルガトは自身のお腹をさする。

 

「もっとも、この中に入れたのはカストラートくんの血液だけ、だけどね」

「……仲間を喰らうなんて……下品な吸血鬼ね」

「プッ。あっはははは!」

「何がおかしいのよ。急に笑い出すなんて」

「だって、あなた妹と同じことを言ってるんだもの。やっぱり姉妹なんだなって。先祖返りの妹と実験動物止まりのあなたとじゃあ、天地の差があるっていうのに同じことを言うんだもの。なおさら面白いわ」

「笑いのツボが私とは違うみたいね。お前とは仲良くなれそうにないわ。……それでフランはどこにいるの?」

「あら、まだ意識がはっきりとしないのかしら? 私の足元にいるじゃない」

「足元?」

 

 ルガトに視線を誘導されながら、レミリアはクリアな視界を取り戻そうとしていた。その双眼に写し出されたのは……頭も手足も破壊された見るも無残なフランの成れの果てであった。

 

「あ……あ……」

 

 レミリアが胴体だけになったフランの姿を見て絶句しているとルガトが口を開く。

 

「ひどいお姉さまよね? フランちゃん……。このお洋服と不完全な翼が付いてるのにあなたのお姉さまはこれがフランちゃんだって気付いてなかったんだって!」

 

 レミリアは肩を震わせながら問いかける。

 

「フラン? フラン!? しっかりしなさい!!」

「あっはは! この程度で取りみだしちゃうなんてやっぱり実験吸血鬼はもろい。頭を破壊しているのよ? 聞こえるわけがないじゃない」

 

 ルガトはフランのもとに駆け寄ってきたレミリアをフランから奪ったレーヴァティンで叩きのめす。一撃を喰らったレミリアは地面にうつ伏せに叩きつけられた。

 

「あ……が!? な、なんなの? その武器は……? 強力な魔力を感じる」

「あは! 本当に何も知らされてないんだ。これはフランちゃんがお父様から受け継いだものだそうよ? あなたに託すにはもったいない代物よねぇ。後であなたはこの杖で始末してあげる。その方が面白い。さて、まずはフランちゃんにトドメを刺すとしようかしら」

「や、やめなさい! やめてぇぇぇぇ!」

「力のない者に選択肢はないのよ? そこでフランちゃんが殺されるのを見てなさい。哀れなお姉さま。それにしてもさすがは不完全とはいえ、先祖返りの吸血鬼。頭を飛ばしたのに魂はきちんとここにあって生きている。さすがに回復能力は落ちているみたいだけど……。その生命力好都合だわ」

 

 ルガトはレーヴァティンを左手に持ち替えると、右手に大剣を顕現させる。

 

「フフフ。このモーンブレイドもお腹が減ってるみたい。魂を食べたくて食べたくて仕方ないみたいなの。フランちゃんの魂なんて最高のごちそうでしょうね!」

 

 ルガトの持つ大剣『モーンブレイド』から闇色の狼が再び出現する。狼は大きな口を開け、牙をフランの胴体に向ける……。

 

「あは! 私は優しいから最後の言葉をかける時間を与えてあげる!」

「お願い! やめて! フランを殺さないで! ごめんなさい、悪いのは私……。だから……」

「この後に及んで、潔く死なせる覚悟もできずに命乞いだなんて……。あなたの精神は吸血鬼にふさわしくないわ。実験吸血鬼と呼ぶのも憚れるくらいね。不愉快。そこで妹の魂が食われるのを指を咥えて見てなさい! あっはは!」

 

 ルガトは狼にフランを喰らうよう指でジェスチャーする。まさに、フランが喰われんとする……その時だった。

 

「え?」

 

 ルガトは呆気に取られたように口を開く。目の前で闇色の狼が粒子となって分解し消え去ったのだ。狼だけではない。モーンブレイドも粒子となって消え去ったのである。

 

「お母様から貰ったたいせつなレアアイテムが……。……何が起こったの!? 誰が起こした!? 実験吸血鬼(モルモット)お前なの!?」

 

 ルガトの視線の先にはただ、『ごめんなさい、ごめんなさい』と呟き続けるレミリアの姿があった。



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懺悔する幼児

 立ち上がったレミリアは服の袖で涙を拭いながら、ただただ『ごめんなさい』と連呼するばかりだった。普段おどおどした口調で話すルガトでさえ苛立つぐらいに『ごめんなさい』としか言わないレミリアにルガトは詰め寄り胸倉を掴む。

 

「クソガキィ! 何をめそめそしているの!? 私のモーンブレイドを……、お母様から頂いた聖遺物クラスのレアアイテムを壊したのはお前かと聞いているのよ!?」

「うっ。うっ。お、お姉ちゃん、誰?」

「……はぁ……?」

 

 嗚咽混じりに話し始めたレミリアの脈絡のない質問にルガトはポカンと口を開く。

 

「父さまと母さまはどこ? フランもどこにいったの?」

 

 レミリアはきょろきょろと辺りを見回す。明らかに挙動がおかしかった。

 

「父さまぁ。母さまぁ。うわぁぁぁぁぁん。レミィをひとりにしないで……」

 

 ルガトに胸倉を掴まれたままぐずりだすレミリア。その表情を見たルガトは軽蔑した眼差しを向ける。

 

「なんなの、このクソガキ……。幼児退行? 妹の変わり果てた姿を見たから? 自分が殺されそうになったから? いずれにしてもこの程度のストレスを加えられたくらいで精神に異常をきたすなんてね。やっぱりお前は失格だわ。自称吸血鬼を名乗ることも許されないくらいにね」

 

 ルガトは掴んだ胸倉を持ち上げると、レミリアを投げ飛ばす。地面に磨りつけられたレミリアは声を上げて泣き続ける。

 

「い、いたい。いたいよ……。父さま、母さま……助けて。うわぁぁん」

「いつまでぐずついているのかしら。本当に不愉快な吸血鬼……、いえ、モルモットね。イライラしてきたから一瞬で消し飛ばしてあげる」

 

 ルガトはレーヴァティンの力で増幅された破壊の能力を行使しようと掌をレミリアに向けると、勢いよく握りしめる。

 

「消滅しろ!」とルガトは威勢よく声を放つ……が。

「な、なに!?」

 

 レミリアが破壊されることはなかった。レミリアはぐずつきながらも立ち上がろうとする。

 

「そんなはずはない!」

 

 ルガトは何度も掌を握り込むが……レミリアが破壊される様子はない。

 

「な、なぜ? なぜ私の破壊の力が発動しない!?」

 

 立ち上がったレミリアは何をするでもなく、泣きながら涙を袖で拭うだけである。その姿が妙に不気味に感じられたルガトは焦った様子で魔法を放つための魔力を貯め始める。

 

「いつまでも泣いて……。気持ちが悪いのよ!」

 

 ルガトの放った巨大な魔法弾。しかし、それがレミリアに着弾することはなかった。魔法弾はモーンブレイドの狼と同じく、粒子となって消え去ったのである。

 

「そ、そんなバカな。こんなこと……あるはずがない!」

 

 ルガトは魔法弾を無数に撃ち込むがそのどれもがレミリアに届くことはない。魔法弾は全て粒子となり消滅していった。

 

「な、何が起こっている? お前、一体何をしたの!?」

 

 ルガトの問いにレミリアが答えることはない。代わりに涙を流しながら懺悔をし始める。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい。とうさま、かあさま、ごめんなさい。レミィが……、レミィが弱い子だから……。フランが……。フランが……、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 レミリアの咆哮と共に、砂塵が舞い、暴風が吹き荒れた。レミリアの周囲には金色の粒子が現れる……。

 

「な、なんなの!?」

 

 ルガトの驚愕の表情をよそにレミリアの体は粒子の光に包まれるのだった。



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真の吸血鬼

 レミリアを包んでいた光の粒子がはじけ飛んだ。隠されていたレミリアのシルエットが浮かび上がる。溢れ出る金色のオーラが風を巻き起こし、レミリアの双眼から溢れる涙は重力に逆らって上方へと吹き上がり霧散した。

 

「お前、その髪色は……!?」

 

 レミリアの髪色は大きな変貌を遂げていた。あじさいの様な水色ではなくなり、フランやルガトと同じ黄色に変化していた。先祖返りの吸血鬼と同じ色に……。

 

「お前も『本物の吸血鬼』だったということ……?」

 

 語りかけるルガトの言葉にレミリアは応えない。ただ、涙を流しながら睨みつけるだけだった。レミリアの紅い瞳はさらに鮮やかに燃え上がる。

 

「がああああああああああぁあああああああああああ!!」

 

 レミリアはルガトに向かって咆哮する。声は衝撃波となり、ルガトに襲いかかった。

 

「う、あ!?」

 

 ルガトの体は中庭の壁を破壊しながら外へと放り出された。

 

「く!? こ、声だけでこの破壊力……!?」

「ううう……!! があああああるううううううう!!!!」

 

 レミリアの眼からは涙が消え、その視線はルガトだけを見据えていた。そこに理性は感じられない。野生動物が自分の縄張りに入って来た敵を威嚇するようにレミリアは唸り声を上げる。

 

「去れ。さもなければ殺す」と、レミリアだった吸血鬼は言おうとしているのかもしれない。

 

「何よ、その眼は……。私を殺すつもり? 自分の力も制御できない不完全な吸血鬼のくせに! ……殺す!」

 

 ルガトはレミリアを粉砕しようと殴りかかる……が。

 

「きゃああああああああああああああああ!?」

 

 殴りかかったルガトの右拳がレミリアに当たる寸前、粒子となって分解される。痛みと驚きでルガトは飛び退く。

 

「ぐううううう!? ……よくも、よくも私の腕を消し飛ばしたわね……!? 許さない!」

 

 ルガトはフランから奪っていたレーヴァティンに魔力を込めた。込められた魔力は剣状のオーラに姿を変え、光を放つ。

 

「直接攻撃するのは危険なようね。この剣であなたを八つ裂きにしてあげる。妹のようにね!」

「う、うううううううがああああああああああああああああ!!!!」

 

 レミリアの咆哮には更なる怒りが込められたように感じられた。

 

「あは! まだ少しは理性が残っているみたいね。この杖はあなたのお父様がフランちゃんに託したもの。分解するわけにはいかないわよねぇ? ……これでお前を串刺しにしてやる!」

 

 ルガトは光の剣を振りかざしレミリアに斬りかかる! だが、レミリアにその刃は届かない。

 

「く!? なぜ!? なぜお前に刃が届かない!?」

 

 ルガトが眼を凝らす。レミリアの表皮を守るように金色のオーラが張られていた。

 

「ま、まさか。そのオーラが受け止めているの!? 私の剣を受け止めるなんて……どれほどの密度が……!?」

 

 驚愕するルガトの隙を突き、レミリアがレーヴァティンを掴む。ルガトはレーヴァティンをレミリアの手から剥がそうと上下左右に力を込めるが、ビクともしない。

 

「な、なんて力……!?」

「ううううううらああああああああああ!!!!」

 

 レミリアはレーヴァティンを手放さないルガトの胸目掛けて拳を叩き込む! ルガトは胸に風穴を開けられながら跪く。

 

「こ、この私が……お母様に認められた『本物の吸血鬼』の私が手も足もだせない……? ま、まさかお前が……? ……そんなこと私は認めない。お前みたいな精神の脆弱な奴がお母様の求める吸血鬼であるはずが……ない!」

 

 ルガトは口から鮮血を垂らしながら、バーサーカーと化したレミリアに掌を向ける。

 

「喰らえ! 私の全力の破壊を……!」

 

 だが、当然のごとく、レミリアにルガトの破壊の力は打ち消されてしまう。

 

「あっはは! なんてことなの……。私の破壊の力が毛ほども伝わらないなんて……」

「がるああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 レミリアは次は自分の番だと言わんばかりに雄叫びを上げた。レミリアの周囲に球状の紅いオーラが展開される。

 

「あはははは! すごいすごい! 破壊の力をここまで可視化させることができるなんて……。私でも破壊の力を可視化させることなんてできないのに!」

 

 レミリアは発現させた紅いオーラを自身の手に集中させ、握り込む。

 

「……もしかしたらお前が、お母様の求めた『真の吸血鬼』なのかも……。もっとも、もう私にはそれを確認する生は与えられないのでしょうけど」

 

 ルガトは諦めの言葉を口にする。圧倒的な破壊のオーラを前に戦意を喪失していた。吸血鬼の本能がルガトの体を震え上がらせる。

 

「フフフフ。イヤになるわね。叶うわけがないと本能が危険信号を出すこの感覚は……。でもこれでいいのよ。吸血鬼は全生物の頂点にたつ者。さあ、私を殺しなさい。吸血鬼は一人でいい。最強の存在は……頂点は一つであるべき。他者の生を奪える者こそ……、他者の運命を操れるものこそ、最強に相応しい。今日で私の最強はおしまい。お前に明け渡してあげるわ。運命を操る者の称号を」

 

 レミリアはその手に収めた紅いオーラをルガトに向けて解き放つ。ルガトはオーラに飲み込まれ、粒子となり分解され、破壊された。肉片一片残さず、完全に破壊されたのである。

 

 ルガトが消え去り、勝利を確信した『真の吸血鬼』、レミリア・スカーレットは咆哮を出しながら周囲の森羅万象を破壊し尽くすのだった。



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厚意

「あ、あれは……。10年前と同じ……?」

 

 パチュリーは体を小刻みに震わせながら声を絞り出す。彼女の視線の先には自身を中心として中庭を球状に消滅させるレミリアの姿だった。

 

「パ、パチュリー様! お嬢様のあの変化は一体……!?」

 

 小悪魔メイドの一人が変貌したレミリアを見ながら問いかける。荒れ狂い雄叫びを上げ、髪の色も黄色に変化してしまったレミリア。そこには普段の冷静な姿の面影は見受けられない。

 

「……あなた達は早く紅魔館の外に逃げなさい! なるべく遠くへ……! 今のレミィには誰にも止められない! 暴走の巻き添いを喰らうわよ……!」

 

 パチュリーは小悪魔メイドたちに館からの退去を命じる。しかし、命じた本人であるパチュリーに逃げ出そうとする姿勢が見られない。そんなパチュリーの姿に小悪魔メイドの一人が気付き問いかけた。

 

「パ、パチュリー様はどうなさるおつもりなのですか!?」

「私は逃げるわけにはいかないわ……。フランの体を保護しなくちゃいけないもの」

 

 そう言い残すと、パチュリーはベランダから身を投げ出すと宙を舞い、暴れるレミリアの方向へと飛んでいく。

 

「パチュリー様ぁあああああ!?」

 

 小悪魔はパチュリーの身を案じて叫ぶ。しかし、パチュリーの後を追うようなことはしなかった。小悪魔の本能が暴走するレミリアに近づくことを拒否する。今のレミリアに近づけば、自分はゾウが蟻を潰すように造作もなく破壊されると小悪魔は理解していた。パチュリーの後を追っても、ただ足でまといになるだけで邪魔にしかならないと小悪魔は確信する。

 

「パチュリー様……、どうかご無事で……。……みんな逃げるわよ! パチュリー様のご厚意を無駄にしてはいけないもの……!」

 

 パチュリーから指示を受けた小悪魔メイドが先導を切るように紅魔館からの避難を開始する。それを見た他の小悪魔メイドたちも続くように紅魔館から去って行った。

 

「落ち着きなさい、レミィ! ……って、聞こえるわけないわよね」

 

 パチュリーは大声でレミリアに語りかける。しかし、理性を失い、区別なく周囲の物体を粒子状に分解していくレミリアの暴走は止まらない。

 

「レミィ、魔法で動けなくさせてもらうわよ? 痛いけど我慢しなさい!」

 

 パチュリーはレミリアに対して動きを封じ込める魔法をかけた。光の鎖に縛られ、レミリアは動けなくなる。

 

「うが? ががが、がああああああああ!!」

「く!? うううううううう……!」

 

 動けなくされたレミリアは魔法を解除しようと力を込める。パチュリーもまた、解除させまいと魔力を込めなおした。両者の力が均衡する。

 

「な、なんて力なの!? 相変わらず常識外れのパワーね……!」

「ううううううううがああああああああああああああああ!!」

「そんな!?」

 

 レミリアが気合を入れると、光の鎖が破壊される。魔法をかけられた怒りからか、レミリアはより一層大きな雄叫びを上げた。雄叫びの衝動がパチュリーに襲いかかる。

 

「うう!? 雄叫びだけでこんなデタラメな……!?」

 

 雄叫びを終えたレミリアは自身の体に魔力を込め始める。多大な魔力が込められたレミリアの体が紅い光に包まれていく。

 

「な、何をする気!?」

「うがあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 レミリアは自身の体を中心にエネルギーを球状に発散させる。エネルギーはあらゆるものを飲み込もうとしていく。紅魔館もフランも、そしてパチュリーも……。

 

「きゃああああああああああああああああああああ!!!?」

 

 魔法でバリアーを張ったパチュリーだったが、バリアーごとレミリアのエネルギーに吹き飛ばされる。それでも、紅魔館が消滅する中、生き残ることができたのはパチュリーの魔法使いとしてのスキルが高かったからであろう。

 

「あうう……」

 

 パチュリーは全身に激痛を感じながらも立ち上がる。視界に移るのは草木がはげ、地肌が露わになってしまった元紅魔館の敷地であった。寂しい地肌以外には咆哮し続けるレミリアと紅魔館のシンボルだった時計台しかない。

 

「フ、フランは……? まさか、今の爆発で……?」

 

 パチュリーの顔色がみるみる青くなっていく。

 

「フラン!! 返事をしなさい!!」

 

 フランの頭部が吹き飛んでいたことを知っているはずのパチュリーだったが取りみだしたのか、フランに応答するように声をかける。しかし、もちろんフランの声が聞こえて来ることはなかった。

 

「そ、そんな……。フラン……」

 

 パチュリーが絶望で膝をつく中、パチュリーを視界に入れたレミリアは口角を上げて爪を立てる。

 

「ううううううぎぃああああああああああああああ!!」

 

 レミリアはパチュリーに向かって突進し始める。レミリアの動きに気付いたパチュリーだったが、もう魔法を準備する暇もなかった。やられる、と直感したパチュリーは目を強く閉じる。しかし、パチュリーにレミリアの攻撃が当たることはなかった。不思議に思ったパチュリーが眼を開けると、彼女は宙に浮いていた。誰かに片腕で抱えられている状態で。

 

「……危ない所でしたねパチュリー様」

 

 パチュリーは首を動かして自分を抱えている者を視界に入れる。そこにいたのは休暇をもらって外の世界に旅行中であるはずの紅魔館が誇る瀟洒なメイドだった。

 

「咲夜……!? あなた、帰っていたの!?」

「はい、ただいま帰りました。……嫌な予感が私を覆いましたので……。……お嬢様のアレ……。10年ぶりくらいですね」

 

 紅魔館のメイド長『十六夜咲夜』は眉尻を下げ、微笑んでいた表情を少し曇らせるのであった。



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彼女が止める時

「咲夜! フランを……フランを探して! あの子レミィの爆発に巻き込まれて……!」

 

 落ち着きを取り戻したかに見えたパチュリーだったが、フランのことを思い出し再び狼狽の色を隠せなくなる。

 

「大丈夫ですよ、パチュリー様。妹様なら既にここに……」

 

 右腕でパチュリーを抱える咲夜は左腕で抱えている者を見せる。そこにはフランがいた。頭部も腕も足も……、全てが再生されたフランが。パチュリーはふうと安堵のため息をつき、自分を恥じる。

 

「まったく、こんなに近くにいたのが眼に入らないなんて……。私としたことがかなり冷静さを失っていたみたいね」

「仕方がないことです。目の前でフランお嬢様が消えれば私だって発狂します。……本当はレミリアお嬢様が起こした爆発の際にパチュリー様もお助けしたかったのですが……妹様を助けるので精一杯でした。お許しください」

「何を言ってるのよ。あの状況で先に助けるべきはフランで間違いないわ。ギリギリの状況でも優先順位を間違えない。さすがは紅魔館の誇るメイド長ね」

「お褒めに預かり光栄です」

「……咲夜、あなたまた能力を使ったわね?」

 

 回復したフランの姿を再度確認したパチュリーが咲夜に問いかける。

 

「……妹様をあのようなお姿のままで放置するのは忍びありませんでしたので……」

「時間を『早めた』のね? ……前にも言ったけど、その能力を酷使するのはやめなさい。あなたの寿命を短くするだけよ。レミィは何も気にしないであなたにその能力を使わせ続けているけど……」

「ご心配なく……。あの日から私の身も心もお嬢様のものなのです。この程度なんの負担でもありません」

「……咲夜……」

 

 パチュリーは感慨深そうな憐れむような視線を咲夜に向けていた。

 

「……パチュリー様、妹様を連れて安全なところに逃げて下さい。レミリアお嬢様は私がなんとかします。……このままではお嬢様は自身の力で自分を崩壊させかねませんから」

「……迷惑をかけるわね咲夜。『私も一緒に……!』と言いたいところだけど、それはあなたの足手まといになるだけかしら?」

「申し訳ありません、パチュリー様。恐れながら……」

「気を使う必要はないわ。……頼んだわよ咲夜。気を付けて。死ぬことは許さないわよ? あなたも私の『友人』なのだから……」

「……ありがとうございます」と咲夜は柔らかな表情で微笑む。

 

 パチュリーは咲夜からフランを受け取ると、レミリアから遠ざかるように飛んで行った。

 

 

 レミリアは咲夜が浮く空の直下で小さく唸り声を上げながら周囲をくるくると見回していた。捉えたと思ったパチュリーが一瞬で姿を消したからである。パチュリーがレミリアの眼前から忽然と姿を消しされた理由。それは十六夜咲夜の能力にあった。彼女は『時間を操る程度の能力』を持っているのである。

 

 レミリアの歯牙からパチュリーを守った際も時間を止めて救い出したのだ。レミリアから見れば突然眼前からパチュリーが消え去ったように見えたはずである。また、フランが一瞬で頭部と手足を回復したのも咲夜が『フランの時間』を進めたからだ。

 

 一見すればなんでもありに感じる能力だが、無敵というわけではない。基本的には時間を止めることと時間を進めることしかできない。一応条件付きではあるが時間を戻すこともできる。しかし、壊れた物を元に戻す、死んだ人間を生き返らせるといったことは出来ない。

 

 咲夜はレミリアの近くに降り立つと声をかけた。

 

「お嬢様、ただいま帰りました。申し訳ございませんが、少々手荒な真似をさせていただきます」

 

 咲夜は太腿に装備したホルスターからナイフを取り出し指に挟むと戦闘に備えるのであった。



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止められないレミリアの時

「うぅうううがああああああ!!」

 

 正気を失ったままのレミリアは獣のような唸り声を上げながら猛スピードで咲夜に襲いかかった。爪を立てた手刀の切っ先が咲夜に迫る。しかし、手刀の先端が咲夜に届くことはなかった。

 

「がっ!?」

 

 視点から一瞬で咲夜が消え去り、戸惑うレミリア。咲夜は時を止めてレミリアの攻撃を回避する。

 

「こんな短い間しか止められないなんて……。さすが、お嬢様……」

 

 レミリアの背後に回った咲夜は額から焦りの汗を流しながら呟く。咲夜の声に気付いたレミリアはゆっくりと振り返った。

 

「ふふ。時間を止めているのに、止められている間が短いなんておかしいけど……。間違いなく止められる時間が短い」

 

 咲夜は通常時ならば無限とも思える間、時間を止めることができる。しかし、暴走するレミリアを前にした今、止められる時間は十数秒あるかどうかだ。

 

 強大な力の時間を止めることは多大なエネルギーを必要とする。子供を折檻するのに必要な力と大男を折檻するのに必要な力の大きさが違うのと同じだ。

 

「傷つけずに止めようと思いましたが……、その余裕はなさそうです。お許し下さい、お嬢様!」

 

 三度、時を止めた咲夜はレミリアの胸部に向かってナイフを突きたてながら懐に入り込む。レミリアの活動を停止させるには心臓を一突きするのが得策だと判断したのだ。吸血鬼であるレミリアならば心臓を突き刺しても死ぬことはない。主人の心臓を貫くなど忠誠心の高い咲夜にとっては断腸の思いだが、これ以上レミリアの暴走が続けばその力はレミリア自身を崩壊させる。咲夜は当然のごとくレミリアを救う道を選んだ。

 

「なっ!?」

 

 咲夜のナイフがレミリアの胸部を捉えんとしたが、違和感に気付いた咲夜は攻撃を寸前で止め、距離を取る。

 

「……これが、お嬢様の『真の力』……! パチュリー様にご用意してもらった特注のナイフなのに……!」

 

 咲夜の視線の先には自身が手に持っていたパチュリーお手製の特注ナイフ。大抵の魔法攻撃には耐えられるはずのナイフの先端が分解され、消し飛び、『破壊』されていた。咲夜の『時間を操る程度の能力』を持ってしても、レミリアの破壊の力は止めることができなかったのである。

 

 咲夜が驚愕する中、タイムリミットが訪れた。再び時間が動き出す。レミリアは視野に入った咲夜を見つけるや、狂気の笑い声を上げながら距離を詰める。

 

「があああああああ!!」

 

 レミリアの鋭い爪付きの手刀が咲夜を襲う。持ち前の戦闘センスで手刀本体をかわす咲夜だったが……副産物の風圧まではかわしきれなかった。

 

「ああああああああ!?」

 

 風圧をモロに受けた咲夜は紅魔館の時計台に叩きつけられる。

 

「うっ、あっ……」

 

 ダメージを負った咲夜は腹部を抑えて吐血する。

 

「風圧だけでこんな……。ふっ。うっふふ。10年前よりもより強くなっていらっしゃる。容姿にお変わりはないけど、やはり成長されているのね」

 

 咲夜は口から血を流しながら、微笑む。レミリアの成長を心から喜んでいるような……そんな表情である。

 

「感慨に耽っている場合じゃないわね。次の策に移らねばならない……」

 

 咲夜は次の攻撃方法を思案する。暴走するレミリアは自身の破壊の力を扱いきれていないと咲夜は判断した。もし、意識して使えるならば、手刀で咲夜を攻撃せずとも咲夜を粉々にして破壊すれば良いからである。

 

「できれば少し傷つけるだけで済ませたいと思ったのが失敗だったわね。次は距離を取り、確実に仕留めていく……!」

 

 咲夜とて頭が回らないわけではない。近接攻撃の効果がない可能性は把握していた。しかし、不要にレミリアを傷つけることをよしとしない紅魔館の従者は最低限の攻撃だけでレミリアを止めようとしていたのである。結果としては胸部だけを狙う攻撃は失敗ではあったのだが。

 

「時よ止まれ!」

 

 またしても時を止めた咲夜はレミリアの周囲360°を包囲するように大量のナイフを配置する。

 

「そして時は動きだす」

 

 咲夜の合図とともに時間は本来の流れを取り戻す。そして同時にレミリアに向かって無数のナイフが襲いかかる。しかし……。

 

「があああああああああ!!」

「くっ!?」

 

 レミリアの周囲を紅いオーラが包む。咲夜が放ったナイフからレミリアを保護するように張られたオーラは襲いかかるナイフを次々と粒子に変え、破壊するのだった。



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凶暴化の終わり。そして、紅魔館再建の始まり

「そんな……。私のナイフが一つも届かないなんて……」

「うがああああああ!!」

 

 戦慄する咲夜をあざ笑うかのようにオーラを放出するレミリア。衝撃波は嵐となり、咲夜に襲いかかる。砂塵から眼を守るように腕を交差させる咲夜の隙を突き、レミリアは殴りかかった。

 

「きゃあああああ!?」

 

 再び時計台に叩きつけられる咲夜。しかし、レミリアの攻撃は止まらない。素早く咲夜の元に移動したレミリアは咲夜の首を掴むと、地表に向かって放り投げる……!

 

「ぐ……はっ……!?」

 

 叩きつけられた咲夜は掠れた息を吐きだした。だが、レミリアは手を緩めない。咲夜の髪を掴んで持ち上げ、宙に浮かせるとみぞおちに拳を衝突させる。ダメージを受け、吐血する咲夜。その姿を見て暴走したレミリアは愉悦に浸る。力の差を見せつけるようにレミリアは何度も殴打し続けた。レミリアは死なせない様に慎重に、しかし確実にダメージが加わるように咲夜を殴り続ける。残酷非道な吸血鬼の本能がレミリアを凶行に走らせた。

 

 何度、鮮血を吐きだしただろうか。ふと、笑い声が聞こえて来る。暴行するレミリアではない。殴られていた咲夜が突然笑い出したのだ。痛めつけているのに笑いだす咲夜に苛立ちを感じたレミリアは彼女を投げ飛ばす。

 

 フフフと笑い、口に付着した血を袖で拭きながら咲夜は立ち上がる。

 

「本当にお強い。このままじゃ殺されちゃうわ」

 

 咲夜は一旦時を止め、レミリアから距離を取る。再び時間が流れ始めた時、彼女の体の傷が癒えていた。自身の時間を早め、傷を完治させたのだ。

 

 一瞬で咲夜のダメージがなくなったことに気付いたレミリアは、せっかく敵に与えていた自身の攻撃が無意味になったことに激怒する。

 

「もう一度、行きます」

 

 咲夜は再びレミリアに360度包囲したナイフ攻撃を試みるが……、結果は一緒だ。放ったナイフは一本たりともレミリアに届かない。

 

「やはり効かない、か。……お嬢様、私の命はお嬢様のもの。ですが、勝手ながらこの命、少し使わせていただきます……!」

 

 咲夜はそう宣言すると、自身の時間を早める。……ただ早めるだけではない。咲夜は自身に魔力を貯め続ける。

 

 あまりに異常な光景だった。咲夜の魔力が増幅し続けるのである。永遠に増幅することが終わらないのではないか、と思えてしまうくらいに貯まり続ける魔力。異常な光景に恐怖を覚えたレミリアは咲夜の魔力を止めようと襲いかかった。

 

「もう遅いですわ、お嬢様」

 

 咲夜が放つ一本のナイフ。そのナイフはレミリアの破壊のオーラを持ってしても消しきれずにレミリアに到達する。

 

「があ!?」とダメージを受けたレミリアは唸り声を出す。

「一年分程、魔力を貯めています。勝手ながらこの咲夜の命、使わせていただきました。こうでもしないと、お嬢様を止めることは出来なさそうでしたから……」

 

 もちろん、凶暴化しているレミリアにその言葉の意味は伝わらない。

 十六夜咲夜は自身の時間を早め、一年間魔力をその身に貯め続けたのである。本来ならば一年間魔力だけを貯め続けるなど、普通の人間には精神的にも体力的にも到底できることではない。しかし、十六夜咲夜はそういう意味ではもう普通の人間ではなかった。彼女は貯めた魔力を身体強化することに使用する。

 

 咲夜はナイフを連続射出する。その全てがレミリアの破壊のオーラで消滅する暇もない超スピードだった。攻撃を受けるレミリアは少しずつだが、確実に弱っていく。

 

「が……、が……。……ぐ……。…………ちゃん……」

「……お嬢様……!?」

 

 暴走しながらも何かを呟いたレミリア。その呟きを咲夜は聞き逃さなかった。

 

「……ちゃん。……××ちゃん……」

 

 明らかにだれかの名前を発音するレミリア。その眼からは涙が流れていた。もう少し、後少しでレミリアは暴走から解放される。咲夜はそう確信した。彼女は何者かの名前を呟き続けるレミリアにもう力は必要ないと判断し、レミリアに近づく。もう破壊のオーラはなくなり、レミリアは大人しくなりかけていた。

 

「……お嬢様。今だけ……。今だけ従者としてわきまえぬ私をお許しください」

 

 そう言うと、咲夜はレミリアを強く抱きしめた。その瞬間、レミリアの眼が狂気から解き放たれる。

 

「大丈夫だよ、レミリアちゃん……。もう、大丈夫……」と咲夜は優しく微笑みながら囁いた。

「ごめんね……。ごめんね……××ちゃん……」

 

 そう言い残してレミリアは深い眠りに落ちていく……。黄色に変色していた髪も元のあじさいのような水色に戻って行く。咲夜はホッとため息をつくと、眠ったレミリアを抱えて紅魔館のメンバーが集まる草原に飛んで帰った。

 

 

 

「手間をかけさせたわね、咲夜……」

 

 パチュリーが咲夜をねぎらう。

 

「パチュリー様もお体は大丈夫ですか?」

「ええ。……まったく、とんでもない目にあったわね。……従者の小悪魔たちを何人も失ってしまった……」

 

 パチュリーは顔を曇らせる。

 

「でも、お嬢様と妹様が生きておられます。お二方さえ無事ならば……紅魔館は復活できます」

 

 咲夜は草原に寝かされているフランと自分が抱きかかえるレミリアに視線を送りながら前を向いた。パチュリーも『そうね』と頷く。

 

「さあ、紅魔館を再建させないといけませんね、夜が明ける前に。お嬢様たちを日光に当たらせるわけにはいかないですもの」

「無茶をしたらいけないわよ、咲夜」

「大丈夫です、と言いたいですが……さすがに私も疲れてます。手伝っていただけると助かります。……ところで美鈴は?」

「そこで寝てるわよ?」とパチュリーが指さす先にはよだれを流しながら寝る美鈴の姿があった。美鈴が無事なことにため息をつく咲夜。美鈴に大きな怪我がないことを確認して咲夜は口を開く。

「……そこの小悪魔、起こしてちょうだい。役目を果たせなかった門番に休む暇なんて与えないんだから!」といたずらに咲夜は微笑んだ。



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永遠亭

◇◆◇

 

――迷いの竹林、永遠亭――

 

 霧雨魔理沙は屋敷にある木製の腰かけに父親と共に座っていた。胸を貫かれて深手を負った霊夢のそばにいたかったが、永遠亭の医師『八意永琳』から手術室には入れられないと断られてしまう。紫は霊夢の生と死の境界を無理矢理操作していたため、永琳とその従者とともに手術室へと入って行った。残されたのは魔理沙と父親だけだった。魔理沙は何もできない歯痒さからか、貧乏ゆすりを延々と続ける。

 

「落ち着け」

 

 魔理沙の貧乏ゆすりを見て、魔理沙の父親は声をかける。

 

「……霊夢が死にそうなんだ! 落ち着けるわけがないんだぜ!?」

「友達が命の危機にあって心配なのはわかる。だが、落ち着け。お前がそわそわしたって何も変わらん」

「親父に何がわかるんだぜ!?」

「……わかるさ。オレも大事なやつを亡くした。それはお前もよく知ってるだろう?」

 

 魔理沙は言葉に詰まる。父親が言っている亡くしたやつとは母親のことだ。母親が亡くなった時、父親が妙に落ち着いていたことを魔理沙は記憶していた。

 

「親父は母さんのときもそうだったな。なんで、そんなに落ち着いてられるんだぜ!?」

「あいつの死期が近いことを知っていたからな。それに……オレがおろおろしていたら、お前はもっと不安になるだろうと思って感情を表に出すことはしなかった」

 

 魔理沙は押し黙る。

 

「……少しは落ち着いたみたいだな。……今はお前が焦っても仕方ないんだ。友達が還って来た時にお前に何ができるのか、それを考えておけ」

 

 父親の言葉で魔理沙が多少冷静になったとき、手術室というにはあまりに和風な部屋のふすまが開き、兎耳の人型妖怪が現れる。

 

「霊夢はどうなったんだぜ!?」と聞く魔理沙。

「師匠は完璧な手術を行ったわ。月の技術を使用して心臓を再生して移植した。手術自体は上手くいったわ」

 

 兎耳の妖怪、『鈴仙・優曇華院・イナバ』は魔理沙たちに報告する。

 

「そ、それで霊夢は今どこにいるんだぜ?」

「集中治療室よ。八雲紫も師匠もそこにいるわ」

「い、意識は戻ったのか、なんだぜ!?」

 

 鈴仙は首を横に振る。

 

「手術は成功したけど、意識が戻るかはまだわからない。この24時間がヤマだと師匠がおっしゃってたわ」

「そんな……」と俯き下唇を噛みながら、ぎゅっと自分の来ている白いエプロンを魔理沙は握りしめる。

 

 集中治療室に移動した魔理沙と父親はベッドに横たわる霊夢に視線を送る。霊夢のベッドの周りを囲むように魔法が張られている。おそらく生命維持装置のような役割を果たしているのだろう。そのため、霊夢に直接触れることが魔理沙には出来なかった。

 それは八雲紫も同じで、眉間にしわを寄せながら霊夢を見つめていた。

 

「……次の巫女を探しにいかなきゃ……」

 

 紫は小さな声で呟く。それを魔理沙は聞き逃さなかった。

 

「次の巫女だって……!? 紫、お前霊夢が死ぬと思ってるのか!?」

 

 魔理沙は紫に怒号を飛ばす。

 

「この幻想郷には博麗の巫女が必要なのよ。そして、絶対に空席にしてはいけない存在でもある……。最悪の状況を想定して置かなきゃいけないのよ……!」

「ふざけるんじゃねえぜ……! お前にとって霊夢は道具ってことかよ! 博麗の巫女がどんだけ重要な存在か知らないが……お前は霊夢が死ぬのが悲しくないのかよ!?」

 

 魔理沙は紫の胸倉を掴んで紫を睨みつける。

 

「うっ!? お、お前……」

 

 魔理沙の視界に入ったのは充血しきった紫の眼だった。必死に涙を押さえこんでいる……そんな眼だった。

 

「幻想郷を管理する者として感情に流されるわけにはいかないのよ。この子の中には絶対に失ってはいけないものが眠っている。この子が死ぬその時に抜き取らないといけないのよ。……次の巫女の目星は付いている。その子を連れて来なくちゃいけないわ……。……何回経験しても慣れないわね。博麗の巫女との別れは……。……この子は飛びぬけて優秀で性格も良かったから尚更……」

 

 そう言い残すと、紫は出現させた隙間の中に消えていった。魔理沙も紫への言葉が見つからず無言で見送る。

 

「……私は信じてるぞ、霊夢。絶対もう一回眼を開けてくれるって……!」

 

 魔理沙は祈るように霊夢へ視線を送るのだった。



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冥界の亡霊

 ――ここは、幻想郷の隣にある冥界。輪廻転生あるいは成仏を待つあらゆる霊たちが集まる場所。生きた植物の隣に植物の霊が並んでいる様子が拝めるのはここくらいだろう。そこらじゅうに霊魂とおぼしき半透明の白い人魂が飛び回っている。そんな現世とは大きく異なる世界に日本風の屋敷が一軒建っていた。その屋敷の名は白玉楼。冥界の管理を請け負う『西行寺幽々子』。彼女が所有する立派な庭園を備えた屋敷である。

 

「どうされたのですか、幽々子様?」

 

 白玉楼の縁側に立ち、虚空を見つめる西行寺幽々子に尋ねたのは、白玉楼の剣術指南役兼庭師の『魂魄妖夢』だ。あどけない少女のような容姿をしているが、齢は50をとうに超えている。彼女は人間ではない。半人半霊と呼ばれる特異な種族だ。文字通り、彼女の半分は人、もう半分は霊で構成されているのである。人部分は少女として存在し、霊部分は他の霊魂がそうであるように半透明の白い人魂状で浮かんでいた。

 

 妖夢に尋ねられた幽々子はわずかに口角を上げながら座敷に位置する妖夢に振り返る。その容貌は人とは思えぬ程に整っており、品のある妖艶さを醸し出していた。事実、彼女は人ではない。亡霊なのだ。西行寺家の箱入り娘として生まれ死んで、以降千年を越える長い年月を白玉楼の主人として生きてきた。

 

「……どうやら、幻想郷で良くないことが起こっているようね。博麗大結界が緩み始めている。……いえ、既に緩んでいるかもしれないわね」

「博麗大結界……。八雲紫様が管理をされている外の世界と幻想郷を分かつ結界のことですね? もしや、紫様の身に何か……?」

「……そうね。得体の知れない者が幻想郷に侵入してきているみたい」

「ならば、助太刀に行かなくては!」

 

 走り出そうとする妖夢だったが、幽々子に首根っこを掴まれ止められた。

 

「あいたたた!? 何するんですか、幽々子様!?」

「落ち着きなさい。紫は私たちの助けを求めてない。少なくとも、今のところは……。あなたが今やるべきことをやりなさい」

「今、やるべきこと?」

「ええ」

「幽々子様のご友人である紫様の助太刀以上に大切なことがあるのですか……?」

「おなかへっちゃった」

 

 西行寺幽々子は舌を出しながら茶目っ気のあるウインクを妖夢に送る。妖夢は虚を突かれたように口を大きく開ける。

 

「ほ、本気でおっしゃてるんですか? お食事を用意しろと!?」

「ええ。腹が減っては戦はできぬというじゃない」

「まったく呆れました。食い意地の張ってるお方とは思いましたが……、ご友人の危機だというのに緊張感が欠け過ぎです!」

 

 などと言いつつも妖夢は台所へと足を運んだ。自分の主人が言い出したら聞かないことはよく理解しているからだ。そして、幽々子が冗談を言う時は大抵何かを隠している時だということも知っている。白玉楼を動いてはならない理由があるのだろうと妖夢は幽々子の言動から推し測った。妖夢が消えると、幽々子は再び庭の方を向き、虚空を見つめた。

 

「これでいいんでしょ。今から冥界で何か起こるのね? だから、あなたは私たちに助けを求めなかった。『ここを守れ』、そうでしょう、紫?」

 

 西行寺幽々子は虚空へ尋ねた。もちろん返事が来ることはないとわかった上で……。



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継接ぎ

 妖夢の用意した食事を平らげた幽々子は湯のみに入った茶をすする。

 

「幽々子様、本当に良いのですか? 幻想郷の様子を見に行かなくて……」

 

 妖夢は片づけをしながら問いかける。

 

「気にならないといえばウソになるわね……。でも用事を片付けてからじゃないとね」

「用事とは?」

「さあ、それは私にもわからないわ。待つしかないわね」

「むぅ……」

 

 妖夢は納得できなさそうな顔で幽々子を見つめていると思いだしたように口を開いた。

 

「……そう言えば……今日はあまり騒がしくないですね」

「たしかにそうね……」と幽々子も妖夢に賛同する。

「そうか。あの騒霊《ポルターガイスト》どもが来てないからですね。まあ、たまにはやつらの演奏だか騒音だかわかりませんが、それがないのも乙なものです」

 

 幽々子は口に運ぼうと湯のみを動かしていた手を止める。

 

「妖夢……」

「なんですか?」

「幻想郷とつながる冥界の入り口の様子を見てきなさい。……なんだかイヤな予感がするわ」

 

 妖夢は先ほどまで自分を動かさないようにしていた幽々子の態度が変わったのを察知し、空気を締めるように答える。

 

「……承知しました」

 

 妖夢は既に携えていた二本の剣をしっかりと装備し直すと、縁側に置いてあった靴を履いて白玉楼を飛び出した。

 

「何かが既に冥界に入ってきている……?」

 

 幽々子は眉間にシワを寄せながら、自分の勘を口にする。冥界の管理を任されている幽々子は侵入者が入れば感知できるはずだ。しかし、妙な胸騒ぎがする。普段、白玉楼に音楽の演奏で訪れるポルターガイストたちが幻想郷から来ていないからだ。空振りならそれで構わないが、不安は払拭しておこうと幽々子は妖夢を冥界の入り口へと向かわせたのである。

 

「もしかして、かなり状況が悪いのかしら」

 

 幽々子は庭の枯山水に視線を向けながらスキマ妖怪の友人の身と幻想郷を案ずるのだった。

 

 

 妖夢は白玉楼を飛び出すと、長い階段を一気にかけ下りる。冥界の入り口は階段を下りたさらに向こう側だ。走りながら妖夢は祖父に剣の稽古を付けられていたことを思い出す。よくこの長い階段を何往復も登り降りさせられていた。こんなことが剣の道に通ずるのかと良く疑問に思ったものである。そんな祖父ももういない。ある日、忽然と姿を消してしまっていた。何故身を隠したのかは妖夢も知らない。しかし、その日から妖夢は祖父に代わり、幽々子を剣術指南役兼庭師として守り続けている。

 

「……幽々子様の方が強いから守るってのとは少し違うかもだけど……」

 

 妖夢は自嘲気味に笑う。

 

「もっと鍛錬しなければ……!」

 

 自信を戒めるように誓いなおした妖夢は階段を駆け下りると、冥界の入り口へと繋がる一本道を走った。

 

「……なんで?」

 

 妖夢は異常に気付き、足を止める。普段はその辺を飛び回っているだけの霊魂が明らかに一方向へと何かから離れるように移動している。といっても所詮は霊魂だ。そのスピードは海でクラゲが泳ぐようにゆったりとしたものだ。日ごろから霊魂とともにいる妖夢でなければ気付かないような異常だ。妖夢はスピードを緩め、様子を確認しながら道を進む。

 

「……何者ですか、アレは……!?」

 

 冥界への入り口に向かう道の途中で不気味な者を見つけた妖夢は道沿いに生えそろう桜の木の一本に身を隠して様子を伺った。

 

「……プリズムリバー三姉妹が倒れている……!」

 

 妖夢は不気味に感じる者の近くでポルターガイストたちが横たわっているのを視認した。どうやら襲われたらしい。

 

「何なんですか、あいつは……?」

 

 妖夢はゴクリと生唾を飲んだ。妖夢が不審者を不気味に感じる理由……。それはその侵入者の姿があまりに特異的だったからだ。

 

「何なのですか、あの継接ぎだらけの顔や腕は……!? それに、頭にでっかい何かが刺さっている」

 

 不気味な者の背格好は十代ぐらいの少女と思われる。しかし、顔色は灰色で視線も泳ぎっぱなしだ。それが不気味さに拍車をかけた。

 

「あうううう……」と不気味な継接ぎだらけの少女は静かな奇声を上げる。

「うう……。お化けは苦手なのに……」

 

 不気味な者をお化けと認識した妖夢は涙目になりながら、腰に携帯する長短二本の剣の内、長い方に手をかける。

 

「しかし、侵入者に違いない。辻斬りさせてもらいましょう! 取りあえず斬ればわかる」

 

 物騒な独り言を発しながら妖夢は居会いの体勢に入る。不気味な者が背を向けた瞬間、妖夢は素早く移動し、剣を抜く。

 

「手応えあり!」

 

 妖夢の攻撃は確実に当たり、横っ腹に大きな切創が出来あがった。しかし、その切創がすぐに再生され、元に戻る。

 

「な、なんで!?」と驚く妖夢。斬られた化物はゆっくりと妖夢の方に振り向いた。

「……面妖な姿ですね。あなた一体何者です?」

 

 妖夢は冷や汗をかきながら、少女の姿をした顔色の悪い継接ぎだらけの化物に問いかける。すると、化物は途切れ途切れにこう答えた。

 

「……フラ……ンケン……、シュタ……イン……」



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メアリー・シェリー

「フランケンシュタイン……。それがあなたの名前なのですか?」

 

 妖夢は継ぎ接ぎだらけの少女に問いかける。少女の頭に側頭部に突き刺さっていた物体は巨大なねじだったのだと妖夢はこの時気づいた。継ぎ接ぎ少女はゆっくりとした口調で途切れ途切れに喋りだす。

 

「ち……がう……。わた……し……は……メアリー……シェリー……」

 

「……もどかしい喋り方ですね。……あなたはフランケンシュタインという種族の妖怪のメアリー・シェリーさんということでいいんですか?」

「…………」

 

 メアリー・シェリーは答えない。意図的に喋らないというよりは言葉が出てこないといった様子だ。この継ぎ接ぎ少女は思考能力が低いらしく、その姿を見た妖夢はため息を吐くと剣を構えなおす。

 

「……何が目的で何者なのかもわかりませんが、斬らせてもらいますよ。騒霊たちを襲っているのを見るに私たち白玉楼と仲良くするつもりはないのでしょう? 幽々子様もそれを感じたからこそ、あなたを排除するために私をこの場に向かわせたのでしょうから」

 

 妖夢はメアリーに向かって笑みを浮かべる。彼女は生粋の『斬りたがり』だ。そうでなければ、いくらメアリーの姿が異形で友好的に見えないからといって、突然襲ったりはしないだろう。メアリーの弁明を聞くつもりなどない妖夢は再びメアリーに斬りかかった。妖夢の斬撃はメアリーの腕を捉え切り落とす。

 

「……あ、ああ……あああああ…………」

 

 うめき声とも叫び声ともとれる覇気のない息をメアリーは吐き出す。

 

「どうです。命が惜しければ今すぐこの冥界から去りなさい!」

 

 勝ち誇った表情を見せる妖夢に眼をくれることなく、メアリーはゆっくりとした動きで切断された自身の腕を拾うと傷口と傷口を接触させた。

 

「何をしているんです? そんなことしたってくっつきませんよ? ……え!?」

 

 メアリーが腕の切断面を触れ合わせると、どこからともなく光る糸が現れ、腕を縫合し始める。縫合が終わると糸の光は収まり、メアリーは感覚を確かめるようにゆっくりと腕を動かし手を握りしめる。

 

「……妖術の類ですか」と妖夢がつぶやく。

 

 妖夢は周囲を見渡す。目の前のフランケンシュタインと名乗る継ぎ接ぎ妖怪に妖術や魔法を使えるような知性は感じられない。仲間がいるに違いないと判断した妖夢は気配を探るが近くに妖力や魔力の気配はなかった。

 

「……術者がいなくても条件が揃えば発動するタイプの術ですね。厄介そうです。しかし!」

 

 妖夢はメアリーが修復した腕を再び斬り落とす。

 

「すごい能力ですが、そんな愚鈍な動きでは意味がありませんね。治す前に切り刻んであげましょう!」

 

 妖夢は言いながらもう片方の腕を斬り落とそうと剣を振り上げた。そのとき、妖夢の目に映ったのは憤怒の表情を見せるメアリーの姿だった。不気味な殺気にひるんだ妖夢は剣を振り下ろすのをやめ、飛び退く。

 

「あ……う、うう……」

 

 怒りの表情を崩さないまま、メアリーは腕をつなぎ合わせる。妖夢はのろまなメアリーになぜ自分がひるんでしまったのか分析していたが、答えは見つからない。本能的に危険を感じたとしか言えない反応だった。

 

「あなた、何か隠してますね?」

「……あ、ああ……?」

 

 妖夢の問いかけにメアリーは声を発するが、質問を理解しているとは思えない。

 

「まったく、会話にならないというのはこうもストレスに感じるものなのですね」と妖夢は独り言をつぶやいた。それに呼応するかのようにメアリーも口を開く。

「痛……い……。痛……い。……お、前……嫌……い。……殺す」

 

 つぶやき終わるや否や、先ほどまで愚鈍な動きしか見せていなかったメアリーが強く地面を蹴り、超高速で妖夢の懐に入り込む。突然のスピード移動に妖夢は剣で防御する間もなく、メアリーに体当たりで突き飛ばされた。

 

「かはっ……!? 急に速く……!?」

 

 急変したメアリーに戸惑いを隠せない妖夢は地面から起き上がりながら心の内を吐露する。

 

「つぎ……は……、つ……ぶす……」

 

 メアリーは相変わらず壊れかけたラジオのような途切れ途切れのゆっくりとした言葉を妖夢に投げかけるのだった。



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変異

「なんてスピード。妖術や魔法を使った形跡はない。生身であのスピードを出している。何十年も鍛錬している私より早いなんて……」

 

 妖夢が自分よりも速い存在を見るのは祖父であり師匠である『魂魄妖忌』以来だった。幸か不幸か、祖父が失踪してからの数十年間、白玉楼に強者の侵入者は入って来ていなかった。妖夢は初めて自身の力を上回りかねない『敵』と対峙することになったのである。

 

「もう……いっ…………回……!」

 

 再びメアリーは妖夢に超高速で飛びかかる。先ほどは不意を突かれ体当たりを喰らってしまった妖夢だが、今度はしっかりと動きを見極め攻撃をかわす。攻撃が空を切ってしまったメアリーは勢いのまま、道沿いに植えられている桜の木に頭から衝突してしまった。

 

「……早いですが、動きは直線的です。やはりおつむの方はあまり良くないようですね」

「う……、う……ううう……」

 

 頭を押さえながらゆっくりと立ち上がるメアリーはぼそっと言葉をもらした。

 

「捕……まえて、や……る」

「なんですって?」

「うっ……ぐ……、あ、あああ…………!!」

 

 メアリーが叫び声を上げる。彼女の左腕が伸び始め、うねうねと蛇のように動き始める。

 

「くっ!? なんですかその左腕……?」

 

 左腕を奇妙な形態にしたメアリーはその継ぎ接ぎだらけの体と顔も相まってより不気味な雰囲気を醸し出した。グロテスクな存在に免疫を持たない妖夢は思わず後ずさりしてしまう。

 

「こ……の……お手てで……ぐーるぐる……?」

 

 生気のない表情でメアリーはつぶやくと三度妖夢に体当たりを試みる。二度目同様かわした妖夢。しかし、メアリーはかわされたと理解すると変化した左腕を妖夢に伸ばす。予想以上のリーチを見せたメアリーの左腕に対応できず妖夢は胴を絡め取られた。何周にも巻かれた左腕のせいで妖夢は身動きが取れなくなる。

 

「うっ。く、苦しい……。……こ、これは……?」

 

 妖夢は締め付けられながらもメアリーの体を観察する。明らかに妙だった。メアリーの体はただ継ぎ接ぎがあるだけではなかった。今、妖夢が絡められている左腕と胴体では微妙に肌色や肌質が異なる。左腕だけではない。頭も右腕も……よく見れば足も。それぞれ肌質が異なっている。

 

「くっ……! 舐めないでください……!」

 

 妖夢は何とか刀を持つ右腕をとぐろの隙間から抜き出すとメアリーの左腕を斬り落とし、締め付けから離脱する。

 

「はぁ。はぁ。……あなた、その体。一体『何人』でできているんですか!?」

「こ……れも……ダメ……? それ……な……ら……」

 

 メアリーは右腕に力を込める。彼女の右腕は少女とは思えないほど、筋肉で膨れ上がる。

 

「……こ……の……お手てで……ばっきばき?」

「今度は何をするつもりですか!?」

 

 メアリーはバカの一つ覚えのように妖夢に再び突進してくる。妖夢は跳ぶように避ける。メアリーはかわされたことを理解すると、膨れ上がった右腕から放たれるパワーを拳経由で地面に向かって伝達する。地面は割れ、着地しようとしていた妖夢はバランスを崩した。その隙を見逃さずメアリーは妖夢の左腕を掴み握り締める。

 

「潰……れろ……」

「きゃあああああああああああああ!?」

 

 妖夢の甲高い悲鳴が花のない桜並木に響き渡る。鈍い音ともに妖夢の腕があり得ない方向に折れ曲がった。メアリーが力を緩める気配はない。妖夢はなんとか痛みから解放されようとがむしゃらに剣を振り回した。切っ先が眼をかすめ、視界を遮られたメアリーは一瞬腕の力を抜いてしまう。その隙に妖夢は手掌から脱出できた。

 

「うぐ……。この怪力、まさに化物ですね」と言いながら妖夢は折られた左腕を抑える。

 

 メアリーの眼はすでに治っていた。尋常でない回復力に妖夢はうんざりしてくる。

 

「浅くない傷を受けてしまいましたね。あまり時間はかけられません。終わりにしてやる……!」

 

 妖夢は片手で剣を構え、低い姿勢でメアリーに駆け寄る。メアリーは右拳を妖夢に向かって放つ。これを避けた妖夢はメアリーの首元を一瞬で刎ね飛ばした。

 

「あ……うあ……?」

 

 首を切断されたメアリーは状況を理解できていないようなうめき声を上げて首を地面に落としたのだった。



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出てこない魂

「殺生までするつもりはありませんでしたが……、生かすにはあまりにも未知数でしたからね。悪く思わないでください」

 

 妖夢は首を切断されたメアリーの体に向かって合掌する。しかし、すぐに異変に気付いた。

 

「……魂がでてこない……?」

 

 ここは冥界。死者の魂が集まるところである。冥界で死を迎えた者からはすぐに魂が抜け出てくるはずだ。しかし、メアリーの体からは一向に魂が出てくる気配がない。

 

「一体何が起こっているんです……!?」

 

 妖夢が予想外の状況にうろたえる中、メアリーの『死体』が動き出し始める。

 

「そんなバカな。確かに首を斬ったのに……!」

 

 メアリーの体は胴体だけで動き出し頭部を拾い上げるとそれをくっ付けた。腕をつなぎ合わせたときと同様に光の糸が現れ切断されていた首部分がきれいに縫合される。あっけに取られた妖夢をよそにメアリーはこれまた切断されていた左腕を拾い上げ、これも縫合する。

 

「な、なんで間違いなく死んだはずなのに……。なぜ魂が剥がれないのですか!?」

 

 妖夢は大きな独り言を叫んだが、すぐに一つの結論に行き着いた。

 

「そ、そうか。あなたは既に『死んでいた』んですね……? キョンシーと同じような類の術で動いているのですか……。死体に魂を無理やりつなぎ合わせて動いている……! ……ですが、信じられません」

 

 妖夢がメアリーの存在を信じられないのには理由がある。通常キョンシーが冥界に来ればその時点で魂が死体から切り離されるのだ。冥界は生者の住む顕界から魂を引き付けるほどに、魂を呼び寄せる強い力を発している。故にキョンシーなど生きている者よりも弱い力で体とつながっている魂は冥界に入ればすぐに分離することが常なのである。しかし、メアリーはそうではない。死者であるにも関わらず、魂が分離しないのである。これはメアリーの魂が生者と同じくらい強く体と繋ぎ合わされていることを示唆していた。メアリーを『造った者』は相当の実力を持った術者であることがうかがわれる。

 

「……どうすれば……。……考えるまでもありませんね。私にできるのは斬ることだけ。斬って斬って斬りまくるだけです!」

 

 妖夢は復活したメアリーにこれでもかと斬りかかる。メアリーに攻撃する機会を与えないよう手を緩めず斬り続けた。しかし、メアリーの体を斬れども斬れども、斬った端から回復されてしまう。

 

「くっ!? これではきりがありません。ここは一旦退いて幽々子様に報告を……」

 

 妖夢が退散の算段を立てているときだった。思考していたわずかな隙を突き、メアリーが攻勢に出る。蛇状の左腕を伸ばし、妖夢の体に巻き付かせる……!

 

「し、しまった」

「つか……ま……えた……。しめ……こ……ろす……!」

「あ……が、が……」

 

 首元を絞められ苦悶の表情を浮かべる妖夢。そんな妖夢の脳内に少女の声がどこからか響いてくる。

 

「あらら。苦戦しているみたいですね。代わってあげましょうか?」



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憑依

「ひ、必要……ありません。私だけの力で乗り切って見せます……!」

 

 妖夢は脳内に響く声に対して返答する。

 

「そんなこと言っても限界が近いじゃないですか。私に向かって強がりを言うことは無意味ですよ?」

「そんなことはわかっています……! あなたを制して初めて私は一人前になれるんです。手出しは無用です……!」

「意地張っちゃって」

 

 そう言い残して少女の声は途切れる。

 

「う……が……あああああああ!!」

 

 メアリーは妖夢を絡めた左腕をカウボーイの投げ縄のように振り回すと遠心力を利用して妖夢の体を桜の木に叩きつけた。

 

「ぐはっ!?」という息とともに妖夢は鮮血を口から吐き出す。

 

 メアリーの猛攻は止まらない。何度も何度も容赦なく、妖夢の体をそこら中の木や岩に叩きつける。そして、とどめとばかりに地面に叩きつけるように投げつけた。

 

「う、うう……」と仰向けでうめき声を上げる妖夢。メアリーは妖夢がまだ死んでいないことに気付くと近づき、筋肉で膨張した右腕で妖夢の首を絞めながら持ち上げた。

 

「あ、ぐ、は、あああ……」

 

 妖夢は窒息の苦しみから逃れるため、メアリーの右腕を首から剥がそうともがく。しかし、強力な握力で締め付けるメアリーの腕を剥がす体力は妖夢に残っていなかった。力尽きた妖夢は全身をだらんと伸ばす。意識を失い、右腕に持っていた剣も手放してしまった。

 

「こ……れ……で終わ……り」

 

 メアリーは確実な勝利を得るため、妖夢の首の骨を折らんと力を込める。その時だった。

 

「あーあ。無理しちゃって。早く私に代わっていればこんな無様な姿を晒すこともなかったんですよ?」

 

 力尽きたはずの妖夢の口が動き、言葉を紡ぐ。次の瞬間、妖夢は腰に付けていた短剣を抜き、メアリーの右腕を斬る。短剣の刀身はメアリーの右腕をすり抜けるように貫通する。メアリーの右腕に傷が付くことはない。しかし、なぜか右腕の力が抜け、妖夢は脱出に成功する。メアリーは突然力が入らなくなった右腕に視線を向けた。何が起こったのかわからないといった困惑した表情を浮かべながら。

 

「さて、初めましてですね。継ぎ接ぎだらけの怪物さん。半人の妖夢(わたし)がお世話になりましたね。ここからは半霊(わたし)の番です」

 

 いつの間にか、妖夢の周囲に浮いていたはずの白い人魂が消えていた。妖夢の半霊部分である人魂が……。

 

「今、私の心は久しぶりに肉体を操る高揚感で満ちています。暴れたくて仕方ないので手加減はできませんよ。私はあの子のように甘くもなければ間抜けでもありません。覚悟することですね」

 

 肉体に憑依した『半霊の妖夢』はにやりと口角を上げるとメアリーに向かって短剣を構えるのだった。



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メアリーの終わり

「あ……あ、あ? う…ごか……ない……。わ……たしの……腕……うご……かな……い!」

 

 メアリーは自身の右腕を動かそうと試みるが、まったく動かすことができないでいた。

 

「『わたしの腕』? その右腕は最初から『あなたのもの』ではなかったでしょう?」

 

 半霊妖夢はにやりと口角を上げると、半人妖夢が手放してしまった長剣を拾いあげると鞘に戻しながら呟く。

 

「『楼観剣』の使用に固執するから負けてしまったんですよ。『半人の妖夢(わたし)』は。この『白楼剣』を使用していれば勝てていたでしょうに……」

 

 半霊妖夢は自身が抜いた短剣の刀身を眺める。

 

「最も、私より観察眼のないあの子では、白楼剣を使用するという選択には行き着かなかったでしょうけど。……仮に行き着いていたとしても地獄の閻魔様に白楼剣はむやみに使用するなと忠告されているから使わないか。あの子は変に真面目ですからね」

「わ…たし…の腕……に何を……した……?」

「だから『あなたの腕』ではないでしょう? ……自覚がないのですか? まあいいです。私にできることは斬ることだけですから」

 

 半霊妖夢はメアリーに斬りかかる。

 

「う…あ!」

 

 メアリーは超高速移動で妖夢の攻撃をかわした。

 

「やっぱり速いですね。あの子が苦戦するだけのことはあります。でも、逃げてばかりじゃあ私には勝てないですよ」

 

 妖夢は白楼剣を鞘に戻すと居合の構えを見せる。メアリーに向ける笑みからは余裕が滲み出ていた。それはメアリーから見れば挑発行為にしか感じられない。

 

「おや、私の態度が気に食わないみたいですね。バカにされていることがわかるくらいの知性は持っているんですね。それではひとつ勝負と行きましょう。高速移動を生み出すその足が自慢なのでしょう? 私の居合い抜きとあなたの体当たり、どちらが早いか比べようじゃありませんか!」

 

 妖夢はさらに顔を笑みで歪め、メアリーを挑発する。メアリーには挑発に乗らないという選択肢を持つほどの知性がなかった。妖夢をにらみつけると、超高速移動を開始する。妖夢は冷静にメアリーの軌道を読み、彼女の足を狙って刀を抜く。

 

 彼女たちの体が交差する。一時の間をおいて倒れたのは……メアリーだった。メアリーは自身の右足を抑える。

 

「う……あ。足……切れて……ない。だけ……ど、うごか……ない」

「あなたの足に『宿っていた魂』はこの白楼剣で斬らせてもらいましたよ。この剣は肉体を斬ることはありません。魂だけを斬るのです。あなたの足にいた魂は今頃天界に逝っているでしょう」

「て、て……んか……い?」

「ええ。成仏した魂が向かう場所ですよ。わたしの短剣『白楼剣』には魂を成仏させる力が宿っているのです。それ故、閻魔(ヤマザナドゥ)の四季映姫様にむやみやたらに使うなと釘を刺されているのですよ。半人妖夢(あの子)はくそ真面目ですからね。釘を刺されて以来一度も使ってないはずです。……それにしても、あなたの体は本当に奇怪ですね。確かめるまでは信じられませんでしたよ。あなたの五体にはそれぞれ魂が定着している。それも強力な力で。どうやら元々の持ち主の魂を定着させていたようですね」

 

 妖夢の解説どおり、メアリーの五体には魂が憑依させられていた。腕には腕の持ち主の魂を。足には足の持ち主の魂をといった具合である。もっとも、その魂たちの自我は消されていたようだ。唯一自我を持っていた頭部の魂も健全な状態とは言い難い。

 

「う……が……ああああ!!」

 

 メアリーはまだ動く左腕を使い妖夢を締め付けようと絡めた。

 

「無駄です」

「うあ……!?」

 

 妖夢は左腕に憑依していた魂も斬る。定着していた魂が抜けた左腕はだらんと垂れ下がり動かなくなった。

 

「あ……あ……あ……」

 

 分が悪いと見たメアリーは片足だけで逃げ出そうとする。しかし、妖夢はそれを制止する。

 

「一体どこに行くつもりです?」

 

 言うが早いか、妖夢はメアリーに残る片足を斬り動かなくさせる。

 

「う……ああ……」

「さて、頭部の魂も斬ってやりたいところですが、幽々子様に報告しないといけません。情報も聞きださなければなりませんから。とどめは刺さないでおいてあげましょう」

「う……あ……あ。終……わり……」

「いま何と言いました? 終わり……? …………!」

 

 妖夢はメアリーの様子がおかしいことに気付く。大量の魔力がメアリーの胴体部に集まっていた。

 

「くっ!? 厄介なことをやってくれますね……!」

 

 妖夢は周囲で倒れていた騒霊達(プリズムリバー三姉妹)を拾い集めると、一目散にメアリーの元から逃げ出した。大量の魔力が集められたメアリーの体が爆発する。巨大な爆発が妖夢たちに襲い掛かるが、メアリーの自爆を看破していた妖夢にダメージが入ることはなかった。

 

「……まさか自爆するなんてね……。ここまで死体と魂を弄ぶ者がいるとは……半霊の私としては許せませんね。……もうあの子が目覚めようとしています。もう少しこの体を使わせてくれてもいいと思いますが……仕方ありませんね」

 

 半霊妖夢はプリズムリバーたちを地面に寝かせると、目を瞑る。半霊妖夢は立ったまま意識を失うのだった。



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組織名

「痛っ……!? ……どうなったんですか?」

 

 半霊妖夢が意識を失うと同時に目を覚ました半人妖夢は折られた左腕を押さえながら周囲を確認する。目の前には大きな爆発の跡が残っている。草木の焼けるにおいが立ち込め、爆発からの時間はそう経っていないと推測できた。自分の近くにプリズムリバー三姉妹が倒れているのは見えるが、あの継ぎ接ぎだらけの妖怪は消えていた。妖夢は少しずつ半霊妖夢の記憶を自分へと写していく。

 

半霊妖夢(あの子)は白楼剣を使って倒したのですか……。そんな簡単なことにも気付けなかったなんて……。私は未熟者です……。あの化物は……自爆したようですね」

 

 妖夢は半霊との記憶共有を済ませると、倒れているプリズムリバー三姉妹たちを揺り起こす。

 

「あいたたたた……。ここは? ……そうだ。私たち、変な妖怪に襲われて殴られて……。姉さん、リリカ大丈夫!?」

「うーん……。大丈夫だよ。メルラン姉さん」

「わたしも大丈夫……。ってあれ? 妖夢さん!?」

「どうやら3人とも無事なようですね」

 

 妖夢はふうと溜息をつく。

 

「妖夢さん、あの化物は……?」とプリズムリバー三姉妹の長女ルナサが問いかける。

「……自ら爆発してしまいました」

「自殺ってことですか!? なんでそんなことを……?」

「……わかりません。追い詰めてはいましたから、それが原因だったのかも……」

「追い詰めたって……妖夢さんがですか!?」

「……私と言えば私ですし、私じゃないと言えば私じゃないです」

「それってどういう……」

「面倒なので説明はしませんよ? ……悪いですけど私と一緒に白玉楼まで来てください。幽々子様に報告しなくては……。あなた方の持っている情報ももらわないと……」

 

 妖夢は三姉妹を白玉楼に向かうよう促すと自身も幽々子の元へ足を進めるのだった。

 

 

 

 

 ――ところ変わって、ここは『迷いの竹林』の入り口。霊夢が治療を受ける永遠亭はこの竹林の中にあるのだが……。そこで激しい戦闘が繰り広げられていた。

 

「うっぐああああああああ!!!?」

 

 悲鳴を上げているのは迷いの竹林の案内人、藤原妹紅(ふじわらのもこう)である。彼女の腕が褐色の肌を持つ銀髪魔女の魔法によって吹き飛んでしまっていた。

 

「くそがぁああ!」

 

 妹紅が気合を入れると、彼女の吹き飛んだ腕に炎が纏わりつく。炎が消えたとき、彼女の腕は綺麗に再生されていた。その様子を見ていた魔女は興奮したように叫ぶ。

 

「すっごいじゃん。不老不死なんてのはたいして珍しくないけど、こんなに超高い再生力、アタシ初めて。アンタの不老不死はどんな仕組みなの?」

 

 魔女の言う通り、藤原妹紅は不老不死だ。彼女はかつて『蓬莱の薬』を口にした。それ以来老いることも死ぬこともできなくなってしまったのである。どんな仕組みなのかと問われても、妹紅は答えることなどできない。彼女にその類の知識はないからである。

 

「お前に教えると思うのか?」

 

 強がるように妹紅は返す。

 

「ま、いいわ。教える気がないなら解剖するだけだし」

「言ってろ! これでも喰らえ!」

 

 妹紅は手のひらから炎を生み出すと魔女に向かって放つ。

 

「あっつーい! でもそんなんじゃアタシは殺せないんですけど?」

「くっ!?」

 

 妹紅の炎は魔女に直撃した。大やけどを負ったにも関わらず魔女は平然としている。気付いたときには魔女のやけどの傷は治っていた。

 

「なんて回復力だ!?」

「それじゃ、次は私の番じゃん?」

 

 魔女が杖を妹紅に向けると妹紅の足元に魔法陣が広がる。

 

「ドカンとふっとべ!」

 

 妹紅を包み込むように爆炎が発生する。妹紅の体は肉片残さず灰と化した。

 

「あ、しまった! これじゃあ解剖できないじゃん。ま、いっか。私のお目当てはこの竹林のどこかにいる紅白のシャーマンだし。お母さまにやられてもうすぐ死ぬだろうからアタシのコレクションにしなきゃ。優秀なシャーマンみたいだし! それにあのシャーマンの中には珍しいものも入ってるみたいじゃん?」

 

 魔女の独り言をかき消すように炎が舞い上がる。

 

「え? なになに!?」

「まだ終わってないんだよ!」

 

 魔女の目の前に現れたのは不死鳥のように炎の翼を背中に生やした藤原妹紅だった。

 

「まじ!? 体を完全に失ったのに復活した!? なんでなんで!?」

「だまれ!」

 

 妹紅は炎の翼を操り、魔女にぶつけようと試みる。

 

「さっきよりあっつーい!? でもやっぱりそんなんじゃアタシは殺せないんですけど?」

 

 妹紅の攻撃を受けた魔女だったが、やはりダメージを受けたそばから回復する。

 

「き、貴様もしかして私と同じ……?」

「今頃気付いたの? 遅すぎだし」

「お前も不老不死なのか!?」

「そうだよ。しかもアンタよりももっとパーフェクトに不老不死なんですけど? ……それにしてもアンタもしかして、不老不死の根源が肉体じゃなくて魂なの? 激レアじゃん!」

「激レアだと?」

「そうそう。激レア! ちょっと解剖したらそれで終わりにしようかと思ったけど……アンタの魂、アタシのコレクションにしたげる!」

「ふざけたことを……!」

 

 妹紅は再び炎の翼を魔女に向ける。しかし……。

 

「無駄なんですけど?」

「なに? ぐっ!? あああああああああ!?」

 

 魔女は再び魔法を放つ。妹紅に巨大な爆炎が襲い掛かり、体が灰塵と化す。

 

「くっ!? ふざけやがって……!」

 

 炎が発生し、その内部から復活した妹紅が言葉をこぼす。

 

「灰から復活するなんて本当にフェニックスみたいじゃん? でもむだむだ」

「う、ぐあああああああああああああああ!?」

 

 魔女は三度爆発魔法を放つ。

 

「アンタの魂が疲れ切って体の再生をあきらめるまで燃やし尽くしてあげる。弱ったところでこのフラスコに魂を封じ込めてやるわ。あはは。これって最近流行りのモンスター捕獲ゲームみたいじゃん?」

 

 魔女はフラスコを手に持ちながら嬉しそうに笑う。妹紅の体が復活するたびに高火力の魔法を放った。妹紅に魔女の攻撃を防ぐ手立てはなく、復活してはただ攻撃を受けるを繰り返す。数十回繰り返したころだろうか。魔女が口を開く。

 

「うふふ。復活のスピードが少しずつ遅くなって来たんですけど! そろそろ捕まえちゃおっかな? ……あん?」

 

 魔女の妹紅への攻撃が突然やむ。魔女は視線を上空に向けていた。その表情には苛立ちが垣間見える。

 

「……アタシのフランケンシュタインが……メアリーちゃんが自爆した……?」

「はぁ。はぁ。はぁ……」

 

 魔女が独り言を喋る中、なんとか復活した妹紅はうつぶせに倒れ込む。

 

「……超むかつくんですけど。アタシのコレクションを壊した奴がいるんですけど!」

 

 そういうと、魔女はどこからか箒を取り出すとまたがって空に向かおうとする。

 

「くっ! 貴様どこに行くつもりだ!?」

「アタシのコレクションを壊した奴を殺しにいくんだよ……! アタシが一番むかつくやつはコレクションに手を出したやつだから! アンタ運がよかったじゃん? 捕まえるのはまた今度にしたげる」

「……お前こそ運が良かったな。殺すのは今度にしてやるよ……!」

「そんなにボロボロで強がられても哀れなだけなんですけど?」

 

 あざ笑う魔女に妹紅は一呼吸してから問いかけた。

 

「……お前ら一体何者だ?」

「うーん、アタシたちの組織のこと? アタシたちは組織のことをルークスって呼んでる。なんでそんな名前にしたのかは知らないけど」

「何が目的で動いている……?」

「目的ねぇ。人によるんじゃん? アタシたちはお母さまの力を借りて好き勝手やってるだけなんですけど? その代わりにお母さまの目的にも手を貸すって感じ?」

「お母さまとは貴様らの親玉か……! そいつの目的はなんだ!?」

「さあ? 興味ないし」と魔女は銀髪を靡かせてその場を後にする。魔女が上空へと消えていくのを眼で追っていた妹紅だったが力尽きて気絶してしまった。それは妹紅にとって不老不死になってから初めて経験した気絶だった。

 

 上空へと飛びあがった魔女はメアリーを壊した者たちがいる方を睨みつけ叫んだ。

 

「このアタシ、プロメテウスのコレクションを壊したこと、後悔させてやるんですけど……!?」

 

 褐色銀髪の魔女『プロメテウス』は冥界に向かって一直線に突き進むのだった。



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嫌な気配

 白玉楼に戻った魂魄妖夢は主である西行寺幽々子に事の顛末を報告していた。

 

「そう。継ぎ接ぎの妖怪、ね……」

「はい。これまで私が対峙した侵入者の中で最も身体能力に優れていました。ただ、知性の方はそこまででした」

「知性はどの程度だったの?」

「はっきりとはわかりませんが、幼児程度の知能しかなかったと思われます」

「……違和感を覚えるわね。その程度の知能しか持たない者が追い詰められたからって自爆なんてするかしら? ……その化物を操っている者がいると考えるのが妥当ね」

「ええ、私もそう思います。あの化物に単独で冥界に辿り着く能力があるとは考えられませんでした。ましてや幽々子様に気付かれずに侵入するなんて不可能かと」

 

 妖夢の報告に幽々子が耳を傾けていると、横槍が入る。

 

「ねぇ。私たちはいつまでここにいたらいいんです? 今日はこれから別のコンサートにも行かないといけないんですが……」

 

 プリズムリバー三姉妹の長女ルナサが妖夢と幽々子に抗議する。

 

「駄目です。あなたたちからはあのフランケンシュタインと名乗っていた妖怪の情報をきかなくてはならないのですから!」と妖夢が半ば強引に引き留める。

「そんなこと言ってもさっきも説明したように私たちはなにも知らないんですって! いきなり後ろから襲われただけなんですから!」

「いえ、その倒される瞬間に、何か見たはずです」

「あんな一瞬のことなんて覚えてないよ!」

「無理やりにでも思い出してください。何というかこう、あるでしょ? 殴られた感触とか匂いとか。今は少しでも情報が欲しいですからね」

「そんな無茶苦茶な……」

 

 呆れるルナサに幽々子も話しかける。

 

「心配しなくてもコンサートは中止になると思うわよ?」

「……どういうことです?」

「多分、幻想郷はコンサートどころじゃなくなるということよ」

「コンサートどころじゃなくなる? 一体何が起こるっていうんですか?」

「さあ、それは私にもわからないわ。いやな予感がするってだけよ?」

「なんじゃそりゃ……」

 

 幽々子の曖昧な説明にルナサは口をあんぐりさせる。

 

 

 

「……なにかくる!」

 

 突然幽々子は口を開くと、幻想郷につながる入り口の方向に顔を向ける。

 

「また予感ですか?」とあきれたような口を聞くルナサ。

「違う。予感なんかじゃないわ。間違いなく侵入者が入って来ている……! それもすごいスピードでこちらに飛んできているわ。しかもこの感じ……、私の嫌いなタイプの気配だわ……!」

 

 幽々子がしゃべり終わると同時に気配の主が箒に乗って現れる。黒づくめのいかにも魔法使いという姿で……。

 

「はぁあ。やっと見つけたんですけど?」

 

 気配の主はため息を吐きながら言葉をこぼす。褐色の肌に銀髪を持つその者は箒の先端に気絶している何者かを乗せていた。いや、物のように扱っている様子を見れば載せていたという方が適切だろう。

 

「その箒に乗せられている妖怪は……レティ!?」と妖夢が問う。

「あん? こいつアンタたちのお仲間だった感じ? アタシの前にふらりと現れてジャマだったからぶっ飛ばしたんですけど? 綺麗な死体になりそうだから持って帰ろうと思って運んでんの」

「死体? 持って帰る? な、なにを言っているんですかあなたは?」

 

 たまらず妖夢は褐色銀髪に尋ねるが無視される。

 

「アンタたちの中のだれかでしょ? アタシのメアリーちゃんを殺したの……! 超ムカつくんですけど!」

 

 褐色銀髪の魔女は幽々子たちを値踏みするような目線で嘗め回すように見渡すと幽々子に照準を合わせた。

 

「どうやらアンタみたいじゃん? この空間のボスは! アンタ何者? アンタがアタシのメアリーちゃんを殺したの?」

「……人のことを聞くときはまず自分が名乗るものじゃなくて?」と返す幽々子。

「はぁあ。メンドくさい女なんですけど! アタシの名はプロメテウス。これで満足なわけ?」

 

 プロメテウスは心底気だるそうに幽々子たちに名を告げるのだった。



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コレクター魂

 幽々子はほうきに乗って宙に浮かんでいるプロメテウスに向かって問いかける。

 

「プロメテウス? 聞かない名前ね。あなたが幻想郷に来た侵入者なのかしら?」

「正確には『アタシたち』じゃん? そんなことよりもこっちは名乗ったんだからそっちも名前教えなきゃフェアじゃないんですけど?」

 

 幽々子の問いに高圧的な様子で質問し返すプロメテウスに幽々子は冷静な様子で回答する。

 

「私の名前は西行寺幽々子。この冥界の管理者を務めているわ」

「冥界? ハーデスのこと? 結界で囲まれたコミュニティの隣にそんなものがあるなんてね。この地域の死生観は独特なんですけど。で、メアリーちゃんを殺したのは誰なわけ?」

「メアリーというのはあのフランケンシュタインとかいう妖怪の名前ですね。誰も殺してなんかいませんよ。あの妖怪が勝手に自爆したんですから!」

 

 妖夢がプロメテウスのだれが殺したのかという問いに反抗するように答える。

 

「ふーん。メアリーちゃんが自爆したことを知ってるってことはアンタが殺したってわけ?」

「殺してなんかいませんと言っているでしょう!?」

「……ピーピーうるさいんですけど?」

 

 プロメテウスが殺気を妖夢に送る。あまりの強い殺気に妖夢はついたじろいでしまう。

 

「メアリーちゃんにはやられそうになったら自爆するようプログラミングしてたんだよね。アンタが殺したも同然じゃん? アタシのコレクションを壊した責任を取ってもらわなきゃいけないわけ!」

「コレクションですって……?」

「あの子はアタシが手塩にかけて造ったモンスターなわけ。闘ったならメアリーちゃんの特別さが分かったでしょ? あ、もしかしてそんなことにも気付かないくらい腕がない感じ? もしそうだったらすごくショックなんですけど! メアリーちゃんの価値も解らないようなやつに壊されたなんて!」

「あの妖怪の特別さ……? それってもしかして……」

「お? 解ってる感じ? ちょっと説明してみてよ!」

 

 プロメテウスが妖夢に回答を求める。妖夢は嫌悪感を露わにしながら言い放った。

 

「あの妖怪は継ぎ接ぎだらけでした。おそらく複数の人間あるいは妖怪の体を繋ぎ合わせて一体の化物にしている」

「うんうん。それで?」

 

 プロメテウスがどこか得意げな様子で妖夢の答えを待っている姿を見てさらに妖夢は嫌悪感を強くさせる。

 

「……ただ単に死体を繋ぎ合わせただけではありませんでした。両腕、両足そして胴体にそれぞれ魂が植え付けられていました。非人道的行為とはこのことですよ……!」

「なーんだ。ちゃんとそこまで見極めることができる奴に壊されてたんだ。よかったぁ。アタシの腕が鈍ったのかと思ったんですけど!」

「不愉快な人ですね。あんな風に亡骸と魂を弄ぶ人間は許せません……!」

「あれあれ? なんか怒っちゃってる? 下等生物を使ってちょっと遊んだだけなんですけど?」

「……どこまでも道を外れている人ですね……。なんであんな行為をするのか理解に苦しみます」

「なんでかって? あれはすごく合理的なわけ」

「合理的、ですって?」

「そそ。体つなぎ合わせて一つの魂で制御するだけなら簡単じゃん? でもそれだとそれぞれの死体が最高のパフォーマンスを出せないわけ。死体と魂が一致しないと力を発揮してくれないのよ。で、考えた結果、腕、足、胴体それぞれに元の持ち主の魂を憑依させたわけ。でもそれだけだと、腕、足がそれぞれに勝手に動いて統率が取れないのよ。以前失敗したフランケンシュタインの動きったらキモイってもんじゃなかったわけ。アンタにも見せてやりたいくらいなんですけど」

 

 妖夢はプロメテウスの言動に『引く』。明らかに自分の価値観とは違う思考を持つ褐色銀髪の魔女を妖夢は生理的に受け付けることができないでいた。そんな妖夢の様子になど目もくれず、プロメテウスは話し続ける。

 

「それでちょちょいと魂に細工して自我を失うようにしたってわけ。もちろん頭部以外ね。頭部の魂は自我を持たせて他の魂を制御するようにさせてたんだけど、やっぱり複数の魂を操るのは難しいらしくて知性が5歳児程度にしかならなかったんだよね。元々頭部に充てた子は頭脳に秀でた子だったんだけど、上手くいかなかったんだぁ」

「不快なことをぺらぺらと……」

「お気に召さなかった感じ? ま、アンタたちがどう思おうとどうでもいいんですけど! とにかく、アタシのコレクションを壊したアンタたちには責任を取ってもらわなくちゃいけないわけ! 知ってる? メアリーちゃんは部品のそれぞれが最高級だったわけ! 最高のパワーを持つモンスターの右腕と長く伸びる不思議な妖術を使う人間の左腕、それに人間界で一番速い足を持つやつとアタシの国で一番早い足を持つ妖怪の足を使ってたんですけど! それに優秀な頭脳を持っていた魔法使いの頭をくっ付けたってわけ。あ、もちろん全部女の体じゃん? だってそっちの方が美しいでしょ?」

「そんなこと知るわけがないでしょう……! 責任を取る道理もありません!」

「ふん。アンタたちが責任を取るつもりがなくても無理やり奪ってやるんですけど? このレティとかいう妖怪とその辺にいる3匹のポルターガイストはレアリティ低いからあんまり興味ないけど、そこのピンク髪の亡霊と半分人と半分霊でできたアンタはレアリティ高そうだからね。私のコレクションにしたげる!」

「……勝手なことを。私も幽々子様もお前のおもちゃにされるつもりはありません。覚悟することですね!」

 

 妖夢は折れた左腕をだらんとぶら下げたまま、右手で楼観剣を抜き、プロメテウスに切っ先を向けるのだった。



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骸骨兵士

「アタシと勝負する気なわけ? 身の程知らずもいいとこなんですけど! おとなしくアタシのコレクションになれば良いわけ!」

「調子に乗らないでください。勝手に侵入してきたあなたたちの好きにはさせません。とりあえずこの冥界からお引き取りねがいましょうか……!」

「アンタの左腕折れてるみたいだけど……、メアリーちゃんにやられちゃった感じ? 悪いけどメアリーちゃんと互角程度の実力しか持たないヤツに倒されるアタシじゃないんですけど?」

「だまれ!」

 

 妖夢は宙に浮かぶプロメテウスに跳びかかり、ほうきごとプロメテウスの右足に切り傷をつける。一瞬痛みで気を抜いたプロメテウスから妖夢はレティを救出した。

 

「いったーい! アタシの綺麗な脚に傷がついちゃったんですけど!?」

 

 ほうきを失い、地面に着地したプロメテウスは妖夢に文句をつける。

 

「……死体は好き勝手に切り刻むくせに自分が斬られるのは嫌だなんてわがままもいいところですね」

「はぁ? アタシはその辺の下等生物とは一線を画す存在なわけ。アタシの傷は下等生物の死とくらべものにならないほど価値があるんですけど?」

「とんでもない傲慢野郎ですね……」

「野郎じゃないんですけど、女郎なんですけど!」

「いちいち癇に障るようなことを言わないでください……!」

 

 妖夢はレティを騒霊たちに預けると、再び臨戦態勢をとる。

 

「妖夢。気をつけなさい。奴からは嫌な気配を感じるわ。私の好まない気配を……」

 

 幽々子からの助言に妖夢は頷くと、プロメテウスに語り掛ける。

 

「今ならまだ許してあげますよ。ここから去りなさい!」

「はぁ……。どこまでもこのアタシをバカにするわけ? 選択権はこっちにあるんですけど!」

 

 プロメテウスは不敵な笑みを浮かべながら、傷ついた自身の足に手を触れる。やわらかい光に包まれた彼女の傷はみるみる内に癒えていった。

 

「……どうやら回復力に優れた魔女のようですね」

「優れてるなんてレベルじゃないんですけど? ま、いいわ。今から下等生物に地獄を見せてあげるわけ。覚悟するといいんですけど!」

「その減らず口すぐに聞けないようにしてあげます!」

 

 妖夢は片手でプロメテウスに襲い掛かる。しかし、プロメテウスに辿り着くことなく突然現れた何者かに受け止められてしまう。

 

「ひっ!?」

 

 妖夢は突然現れた者の養子を見て思わず恐怖してしまう。そこにいたのは骸骨だった。骸骨が簡素な鎧を装着し、質素な剣と盾を装備して妖夢の攻撃を受け止めていたのである。気付けばプロメテウスの周りには大量の骸骨兵士が彼女を守護するように隊列を組んでいた。

 

「どう、アタシ自慢のスケルトンソルジャーは? すっごいたくさんいるでしょ。でも、ただの骸骨じゃあないわけ。どいつも生前凄腕の剣士だったやつばかりなんですけど! どうやらアンタは剣の腕に自信がありそうなわけ。この子たちを突破できるかしら?」



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骨のムチ

「な、なにあの骸骨軍団は!? まずいですよね!?」とルナサが叫ぶ。

「あなたたち騒霊はレティを連れて逃げなさい」

 

 幽々子はセンスで口元を隠しながらルナサたちに指示する。ルナサたちは幽々子の言う通り、冥界から逃亡を試みる。

 

「……あら、あの子たちを簡単に逃がしてくれるのね?」

「もうあんなローレアリティに興味はないわけ。アタシが欲しいのはアンタたちだけなんですけど?」とプロメテウスは幽々子の問いに答える。

「私も幽々子様もお前のものになどなりません! ……それでは行かせてもらいますよ!」

 

 妖夢が骸骨兵士集団に突進する。妖夢の楼観剣の一振りが骸骨兵士の腕の骨を砕く。

 

「どうやら大したことはなさそうですね」

「腕一本壊したくらいで得意にならないでほしいんですけど?」

「なんですって!?」

「壊した骸骨ちゃんの腕をよく見て欲しいんですけど!」

 

 妖夢は腕を壊したスケルトンソルジャーを観察する。地に落ちた骨が浮き上がり、元の腕の位置に戻るときれいに接合されてしまった。

 

「……修復した!?」

「どう。この子たちは自己再生ができるように調整してあるわけ。お前の体力が尽きるまで攻撃し続けるってわけ。絶望した感じ?」

「……なるほど。正攻法では勝てないというわけですか。しかし、残念でしたね。私は同じ轍を踏むほどおろかではないのです……!」

 

 そういうと、妖夢は楼観剣を鞘に戻し、白楼剣を手にする。

 

「はぁ? そんな短い剣でスケルトンソルジャーたちとやるつもりなわけ? バカにしてるんですけど!」

「バカになどしていませんよ」

「……意味がわからないんですけど。お前たち、やっちゃうわけ!」

 

 プロメテウスに指示された数体のスケルトンソルジャーが妖夢目掛けて襲い掛かる。妖夢は白楼剣を振り抜く。

 

「……刀身が骨にあたることなく、すり抜けた……? ……一体何をしたのかしら?」

 

 プロメテウスが疑問に思う中、妖夢を襲っていたスケルトンたちが一斉に倒れる。

 

「な、なんで!? ……この子たちの魂が消えているんですけど!?」

「やはり、フランケンシュタインとやらと仕組みは同じだったようですね」

 

 妖夢は勝ち誇った笑みを浮かべながらプロメテウスに視線を飛ばす。

 

「……お前、何をしたわけ?」

「何もしてないですよ。この剣で斬ってあげただけです」

 

 妖夢はプロメテウスに見せつけるように白楼剣を掲げた。

 

「……お前たち、この白髪を殺すんですけど!」

 

 また、プロメテウスは数体のスケルトンソルジャーに命令を下す。妖夢に襲い掛かる骸骨たち。しかし、先ほど襲い掛かってきた数体と同じ運命を辿ることになる。

 

「無駄ですよ」

「なるほど。そういうわけ」と全てを理解したと言わんばかりにプロメテウスは顎に指を当てる。

「その剣、スケルトンに憑依させた魂を無理やり成仏させてるってわけ? ……超レアアイテムじゃん! カモがネギを背負ってくるってのはまさにこのことなわけ! ……アタシのコレクションを壊したわけだし。アンタが持ってるその剣もいただくんですけど! 行け!」

 

 プロメテウスはまた、数体のスケルトンに妖夢を襲うように命令する。

 

「何度やっても無駄です……! はぁあああ!」

 

 妖夢はスケルトンソルジャーを次々と成仏させていく。

 

「ふーん。以外に剣の腕あるじゃん。メアリーちゃんがやられただけのことはあるんですけど。でもスケルトンソルジャーたちの方が強いんですけど!」

 

 プロメテウスがにやりと笑う。スケルトンの一体がすでに妖夢にやられた兵士の骸骨を念動力で腕に集中させる。集められた骨は巨大なムチを形作る。

 

「技術で勝てないなら有無を言わせぬ大質量で攻めるだけってわけ。振り回したらどうなるかしら?」

 

 巨大な骨のムチから逃げ続ける妖夢。

 

「ふーん。逃げるのも得意ってわけ? やるじゃん。でもそれなら動きを鈍らせれば良いだけなわけ」

 

 プロメテウスの号令に従いスケルトンたちが一斉に妖夢に攻撃を仕掛ける。さすがの妖夢も多勢に無勢だった。防御せざるを得ない攻撃を受けた隙を突き、巨大なムチが妖夢を襲う。

 

「ああああああ!?」

 

 ムチ攻撃を受け地面に倒れた妖夢を押しつぶすように大量のスケルトンたちがのしかかる。

 

「アンタたち殺したらいけないわけ。弱らせる程度に潰すんですけど! ま、最悪死んでも利用価値はあるんですけど!」

「かはっ!?」

 

 スケルトンたちの重量をその小さな体で受け止める妖夢は耐えきれずに鮮血を口から吐き出した。

 

「……まだまだね。妖夢……」

 

 妖艶な声が戦場に響き渡る。美しく上品な声だったが、そこには静かな怒りが内包されていた。声が響いた次の瞬間、全てのスケルトンたちが一斉に動きを止め、ただの骨骸になり果てる。

 

「な、なにが起きたわけ!?」と驚くプロメテウス。

「かわいい従者をこれ以上痛めつけられるわけにはいかないわね」

「……ピンク髪、アンタがやってくれちゃった感じ?」

「そうよ。次はあなたの番でしょうね」

 

 幽々子はセンスで口元を隠したまま、プロメテウスを睨みつける。プロメテウスもまた幽々子を睨み返していた。彼女たちの視線はぶつかり合い、見えない火花を上げている。

 

「久々ね。この能力を使うのは。あなたはやり過ぎた」

 

 幽々子は静かな口調でそう言い放つのだった。



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対霊用武器

「も、申し訳ありません、幽々子様……。手を煩わせることになってしまって……」

 

 動かなくなった骸骨たちの山をかき分け、下敷きにされていた妖夢は出てくるとふらふらと立ち上がった。

 

「さがりなさい妖夢。ここからは私がやるわ」

「……承知しました」

 

 妖夢は幽々子の戦闘宣言を聞き、巻き添えを食わないために遠く距離を取る。

 

「あんた、私のかわいいスケルトンたちに何をしてくれたわけ?」

 

 プロメテウスは眉をぴくぴくと動かし、苛立ちを隠さない。

 

「敵に種を明かすつもりはないわ」

「ふーん、面倒な女なんですけど」

 

 プロメテウスは新たにスケルトンを数十体召喚し幽々子に襲い掛からせる。

 

「無駄よ」と短く言葉を切る幽々子を中心として魔力の波動が空気を伝いスケルトンたちを飲み込んだ。新たに生まれたスケルトンもまた、一斉に動かなくなりただの骸骨になり果てる。

 

「一体どんな能力なわけ?」

 

 スケルトンに幽々子を襲わせている間にプロメテウスは幽々子との距離を十二分に取っていた。

 

「賢い選択じゃないかしら。これ以上闘うのなら、もう私はあなたを生かすつもりはない。そのまま冥界の外に帰りなさい。そこから私に近づくなら容赦しないわ」

「へぇ。かなり自分の力に自信がある感じ? とってもムカつくんですけど! その能力を看破して屈辱を与えてからコレクションにしたげる。さらにスケルトンをお見舞いしてあげるわけ!」

「無駄だと言っているでしょう?」

 

 さらに大量に出現したスケルトンに周囲360度を囲まれた幽々子だが、一瞬でスケルトンたちを動かなくさせる。

 

「まだまだ行くわけ!」

「芸がないわね。何度やっても同じことよ?」

 

 プロメテウスの召喚させるスケルトンたちはやはり、幽々子を中心に発生する見えない力で動かなくなっていく。何度も何度もプロメテウスはスケルトンを幽々子に襲い掛からせるが、結果は同じであった。

 

「あなたとんだ無能上司のようね。無駄死にさせられた骸骨たちがかわいそうよ? 私の力の恐ろしさはわかったでしょう? おとなしく冥界から去りなさい」

 

 幽々子は閉じた扇子をプロメテウスに向けると、微笑みを浮かべていた顔を硬直させ、冷たい視線で見下した。その姿を見たプロメテウスははぁと溜息をつく。

 

「勝った気になってる感じ? 無能なのはそっちなんですけど。アタシがなんの意図もなくスケルトンちゃんたちをお前に襲わせてたと思ってるわけ?」

「……なんですって?」

「はぁ、退屈。アンタの能力って『死』を与えるって感じ? ま、スケルトンたちはもう死んじゃってるんですけど。言い換えれば肉体から魂を引きはがすことに長けてる能力ってわけ」

「あら、気づいてたのね」

「アタシをバカにし過ぎなんですけど? あれだけスケルトンから魂が出ていけばだれでも気付くわけ。後で抜け出た魂を回収しなくちゃならなくなったんですけど。マジ面倒なわけ」

「……そのとおりよ。私の能力は『死を操る程度の能力』。生ける者を死に追いやるシンプルな力よ。勝ち目がないのは理解できたでしょう? ならば……」

「この冥界から去りなさいってわけ?」

 

 プロメテウスは幽々子の放とうとした言葉を先回りして口にする。

 

「その必要はないわけ。なぜなら、アタシは絶対アンタに勝てるんですけど。証明したげる」

 

 プロメテウスは魔法で宙に浮き、杖を構えると幽々子に向かって高速移動を開始する。

 

「私に直進してきた!? ……飛んで火にいる夏の虫とはこのことね。成仏なさい」

 

 幽々子は『死を操る程度の能力』を発動する。周囲に魔力の波動が伝わり始める。しかし、その瞬間、直進していたはずのプロメテウスの姿が忽然と消えた。

 

「くっ!? 転移術の類ね!?」

 

 幽々子はすぐに能力の範囲外にいるプロメテウスに気付く。プロメテウスは杖の先端から超高速で小さな何かを射出する。幽々子は避ける間もなく、小さな何かに腕を撃ち抜かれた。

 

「かはっ……!? 亡霊である私の腕を撃ち抜いた!? これは……魂!?」

「ご名答なわけ。アンタも運が悪いんですけど。アタシはネクロマンサー。霊と死体の専門家なわけ。……どうかしら? アタシの対霊用武器である『霊弾』は?」



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趣味

「ぐ……!?」

 

 幽々子はうめき声を上げながら撃ち抜かれた腕をさする。程なくして幽々子の腕の傷は癒えていった。

 

「へぇ。大した治癒能力なんですけど! その辺の霊魂なら一発で消滅する弾丸だったのに……。死にはしないだろうとは思っていたけど、その程度で済むなんて予想外なわけ」

「大丈夫ですか!? 幽々子様!」

 

 妖夢が幽々子の身を案じる言葉を叫びながら幽々子の元に駆け付けようとする。

 

「そこにいなさい! 妖夢!!」

 

 幽々子が珍しく怒気のある指示をしたことに思わず立ち止まる妖夢。二人のやり取りをクスクスと笑いながらプロメテウスは観察していた。

 

「あら、お仲間に助けてもらわなくてもいいわけ?」

「……今、あの子に来られても足手まといなだけだもの……」

「ふーん。自分の力の未熟さを従者のせいにしちゃうんだぁ。まったくろくでもないご主人様なわけ」

 

 そう言うと、プロメテウスは『零弾』を袖から取り出し、杖の先端にセッティングすると、魔力を込め射出する。弾の速度が速すぎるために幽々子は目で追うことすらできなかった。今度は右太ももに直撃を許した幽々子はうめき声を上げて膝をついてしまう。

 

 本来、亡霊である幽々子には魔法を含め、大抵の物理的な攻撃は通用しないのだが、プロメテウスの『零弾』は例外だ。なぜなら、『零弾』は魂で造られているからである。原則、魂に触れることができるのは魂だけ。その性質を利用した武器なのだ。

 

普段、幽々子が食事をとったり、人・妖怪と触れ合ったりと人間と変わらない生活を送れているのは、自身の魔力で体を実体化させているからである。当然、戦闘の時は有利になるよう実体化はしていない。だが、霊体に詳しいネクロマンサーのプロメテウス相手には有利に働かなかった。

 

「……その『零弾』とやらの魂……。人間の魂ね!? 一体どうやって……?」

「どうやって作ったかって? そんなことも想像できないなら原始時代からやり直した方がいいんですけど? アンタの部下も持ってるじゃない。魂に触れることのできる激レアアイテムを!」

「……白楼剣のことを言っているの……?」

「ふーん。そんな名前なわけ。ま、名前なんてどうでもいいんですけど! ようは魂に触れることのできるアイテムはぼちぼちこの世には存在するじゃんってこと! 触れさえすれば加工なんてサルでもできるんですけど? いや、サルじゃ無理か。だって、人間の魂って加工される前にひどく抵抗するんだよねぇ。最初のころは逃げ出そうとする魂を押さえるのにひどく苦労したわけ」

「……あなた、人間の魂をなんだと思っているのかしら。玩具じゃないのよ……!」

 

 幽々子が不快感を露わにするが、プロメテウスは意に介さない。

 

「そういうお説教はもう百人から聞いたわけ。でも、誰も私を止められなかったんですけど? お前で百一人目なわけ!」

 

 プロメテウスはまたも零弾を幽々子に撃ち込む。左肩を撃ち抜かれた幽々子は悲鳴とともに顔を苦痛で歪める。

 

「あっはは。順調に弱らせることに成功してるわけ。もう少しで封印魔法が干渉できるんじゃないかしら。そうなれば最後、このフラスコの中にアンタを閉じ込めてあげるわけ!」

 

 プロメテウスは袖から出したフラスコの先端を持ち、ゆらゆらと揺らす。

 

「舐めないでちょうだい……!」

 

 幽々子は『死を操る程度の能力』を発動させる。しかし、プロメテウスは全く動じない。避けようとすらしなかった。

 

「届かないんですけど?」

 

 プロメテウスの宣言通り、幽々子の死の波動はプロメテウスに到達する前に霧散してしまう。

 

「何のために大勢のスケルトンちゃんたちに死んでもらったと思ってるわけ? アンタの攻撃範囲はもう把握しきってるわけ! アンタ、その『死を操る程度の能力』とやらをコントロールしきれてない感じ。だから、あの白髪の半分お化けのお嬢ちゃんを近づけさせるにはいけないってわけ。アンタは自分の能力の範囲を自由に操ることができない。だから、あの白髪ちゃんを離れさせた。巻き込ませない自信がないから。そうでしょ? アンタが能力をコントロールできるのはアバウトな上下左右だけ。あとは円状に放出するしかできない。スケルトンちゃんたちが死んだ場所を観察すれば、攻撃範囲を特定するなんて簡単なんですけど!」

「……そう。でも、あなたの計算には思い違いがあるわ。私はまだ全力を出してない……。死になさい……!」

 

 幽々子は死の波動を放出する。先ほどよりも強力で速い波動だ。

 

「かっ……!?」

 

 波動を受けたプロメテウスは苦痛に顔を歪め、乾いた空気を吐き出すと、胸を押さえながらうずくまった。しかし、プロメテウスの様子を見て幽々子は戸惑う。いや、ある意味では予想通りだった。幽々子の感じていた嫌な気配が勘違いでなかったことが判明してしまったからである。

 

「……死んでいない。やっぱり、あなた……」

「あっはぁ。めちゃくちゃ効いたんですけど。久しぶりに死ぬかと思ったんですけど! ……でもやっぱり計算通りだったわけ。お前が本気を出しても……私を殺すのは不可能だったわけ!」

「……不老不死……。蓬莱人とはまた違う種類の……」

「その通りなわけ。私は不老不死。残念だったわね、ピンク髪の亡霊さん。さ、そろそろおとなしく捕まって欲しいんですけど?」

 

 プロメテウスは杖に魔力を込め、魔法を撃ち放った。魔法を受けた幽々子は多大なダメージを受けてしまう。

 

「が……は……!? なんで霊体の私に魔法が……!?」

 

 幽々子は霊体である自分に魔法とはいえ、物理的な攻撃が当たってしまうことに驚きを隠せない。

 

「ばぁか。言ったんですけど? 私はネクロマンサー。霊体に有効な魔法も当然覚えてるわけ!」

 

 幽々子はよろめきながらも臨戦態勢を崩さずにプロメテウスに問いかける。

 

「……どういうこと? それだけの力があれば、わざわざフランケンシュタインとやらを使わなくても……、骸骨を召喚せずとも……、自分の力だけで私たちを圧倒できたはず……。……あなたの行動は意図がわからない。フランケンシュタインとやらもわざわざ複数の死体と魂を繋げ合わさなくとも、それぞれにキョンシーとして操ればいいだけなのに……。それだけの魔法の実力があれば、『零弾』とやらを使う必要もない……。一体何が目的なの、死体と魂を弄ぶ理由は何……?」

「はぁ? アンタわからないわけ?」

 

 プロメテウスは小指で耳を穿りながら、呆れたように問いかけ返す。

 

「アンタはさ。山を歩いて登ることが趣味のやつに『空を飛んだ方が早いわよ』とでも言うわけ? それとも、猟銃が趣味のやつに『毒殺した方が効率的よ』とでも言うわけ? てんで的外れなんですけど!」

「……なんですって?」

「私にとって、死体を繋ぎ合わせて、魂を繋ぎ合わせて新たな人造人間を作ることに意味があるわけ。ひとりひとりキョンシーにすればいい? バカも休み休み言って欲しいんですけど? 合体させることに意味があるわけ! 合体しなかったら意味ないじゃん! 零弾もそう。亡霊相手にはまず、零弾で弱らせてから最後にとどめをさすってプロセスが重要なわけ! おわかりかしら?」

 

 幽々子はプロメテウスが何を言っているのかさっぱり理解できなかった。あまりにも非常識的過ぎたから……。プロメテウスははぁと溜息を吐きながら、杖で自身の肩をぽんぽんと叩く。まるで、自分の意見は常識であり正論だとでも言いたげな表情で……。



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囚われの亡霊

「さて、もうとどめを刺させてもらうんですけど。まだ抵抗するつもりかしら?」

「……当然でしょう? あなたみたいな異常者に幻想郷や冥界を荒らさせるわけにはいかないわ……!」

「あっそ。もう隠している力はなさそうだし、アンタが勝てる見込みなんてなさそうなんですけど。それでもまだやるっていうの?」

「だまりなさい……!」

 

 幽々子は死を操る程度の能力を発動させた。死の波動がプロメテウスに襲いかかる。しかし、プロメテウスの表情に変化はない。余裕を見せる表情のまま、彼女は杖を波動に向ける。プロメテウスに到達する波動だけが打ち消され、無効化されたのだ。周囲の草木や虫たちが波動の影響で枯れたり、死んだりてしまう中、プロメテウスはダメージなくピンピンしている。

 

「そ、そんな……。私の力が……!?」

「もうお前の能力は見切ったんですけど。結構楽しませてもらったけど、とどめなわけ」

 

 驚愕する幽々子に向けて零弾を連射するプロメテウス。次々と弾に撃ち抜かれる幽々子。回復力の高い幽々子だが、あまりに無数の零弾に撃ち抜かれ、次第に弱っていく。

 

「あ、うぅ……」

「幽々子様……!」

 

 弱ってうめき声をあげる幽々子。その姿を見た妖夢がたまらず駆け寄ろうとする。

 

「そこにいなさいと言ったでしょう……。妖夢……!」

 

 幽々子は妖夢を睨みつける。妖夢の身を思っての発言だったが、幽々子に穏やかな口調で指示できる余裕はなかった。幽々子の余裕のない表情を見た妖夢は思わず足を止める。

 

「この後に及んで仲間に助けてもらうつもりがないんだ。結構根性あるじゃん。でももう終わりなんですけど?」

 

 プロメテウスはそう言いながら、零弾を一発幽々子の肩口に向けて発砲する。幽々子の体に穴が開いてしまうが……もう彼女の体は回復しなくなっていた。

 

「あっはは。もうかなり弱っちゃった感じ? それじゃあ、捕まえちゃうんですけど!」

 

 プロメテウスはフラスコを取り出すと、口を幽々子に向ける。

 

「あっはは。安心するわけ! アンタの魂は上等な人造人間を作るのに使ってあげるから!」

 

 プロメテウスがフラスコに魔力を込める。周囲の空気ごと幽々子を吸い込んでいく。吸い込まれまいと抵抗しようとした幽々子だったが、もう彼女にそんな体力は残されていなかった。

 

 プロメテウスは幽々子がフラスコの中に入るのを確認すると、蓋をした。

 

「……っはぁ。死を与える能力を持った亡霊なんて激レアなんですけど! 大事に使ってあげるわけ!」

 

 プロメテウスは恍惚とした表情でフラスコを見つめる。まるで、欲しい玩具を親に買ってもらった少年のような容貌。純粋にすら見えるプロメテウスの瞳に主人を奪われた妖夢は怒りと恐怖を併せた感情を覚え、背筋を震わせるのだった。



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交代

「よ、よくも幽々子様を……!」

 

 妖夢はプロメテウスに向けて怒りの視線を送る。プロメテウスはその視線を受け流すと、口角を歪めて語りかける。

 

「さ、次は半分お化けのアンタの番なわけ。絶対逃がさないんですけど?」

「誰が逃げるか……! 幽々子様を返せ!」

 

 妖夢は右手で刀を楼観剣を抜く。フランケンシュタイン『メアリー』から受けたダメージがまだ癒えず、左腕をだらんと垂らした状態で妖夢は戦闘の構えを取る。

 

「返して欲しければ私とやってみれば? ま、無駄なんですけど。大人しくお前も私のコレクションになったらいいわけ!」

「だまれ!」

 

 妖夢は一直線にプロメテウスに向かって突撃する。策など何もない。まさに闇雲だ。ただ幽々子を奪われた怒りに身を任せるだけ。そんな感情的な一手にやられるようなプロメテウスではない。妖夢の直線的な攻撃に合わせて霊弾を撃ち込む。

 

「が……っは……!?」

 

 妖夢は霊弾を脇腹に受けてしまう。

 

「あっはは。半分お化けにも零弾は効くんだ。これは大発見なんですけど。それにしてもカウンター攻撃をまるで警戒してないなんて、激情家すぎるんですけど。そんなんじゃ私に敵うはずないわけ!」

「う、うるさい……!」

 

 妖夢は楼観剣を振り回す。しかし、プロメテウスは太刀筋を見極め華麗にかわした。

 

「あははは。てんで駄目なんですけど。アンタの攻撃はさっきスケルトンちゃんたちと闘ってた時に見極めてるわけ! おとなしく捕まった方がアンタの身のためなんですけど?」

 

 プロメテウスは杖に魔力を込める。そして、幽々子にダメージを与えたのと同じ魔法を妖夢に向かって打ち放った。

 

「くっ!? 当たってたまるか……!」

 

 妖夢は球状に放出された魔法を何とかかわす。妖夢に避けられた球は地面にぶつかり砂煙を上げた。視界がなくなった妖夢は煙から抜け出す。

 

 ……しかし、抜け出した先にはプロメテウスの姿があった。

 

「回避力あるじゃん。でも、雑魚キャラの回避ほどうざったいものってないわけ。大人しくダメージ喰らって弱ればいいんですけど!」

 

 プロメテウスは妖夢の左腕を蹴り飛ばした。メアリーが折った場所をピンポイントで撃ち抜くように……。

 

「がっああああぁああ!?」

「クリティカルヒットってやつ? アンタは捕まえなきゃいけないから死なないでよね?」

「くっ……! どこまでもふざけたことを……!」

『……私に代わりなさい』

 

 突如妖夢の脳内に声が響く。妖夢の『半霊』が声をかけてきたのだ。

 

「今は取り込み中なんです。声をかけてこないでください……!」

『この状況で何を強がっているんです……! 彼女の『正体』を見抜いた私が闘った方が勝機があります』

「なに、ひとりごと言っちゃってるわけ? ダメージ受けすぎて混乱しちゃってる? ま、いいわ。気絶させてからフラスコに閉じ込めてあげるんですけど!」

 

 プロメテウスは妖夢の首を片手で締め上げる。どうやら身体能力を向上させる魔法も持っているようだ。妖夢の体から次第に力が抜けていく。首絞めから解放されようともがき動かしていた右腕も脱力され、重力のままに垂れ下がる。

 

「さーて、気絶したみたいだし捕まえてあげるんですけど!」

 

 プロメテウスが妖夢の首を絞めたまま、もう片方の手でフラスコを用意しようと、袖に手を入れた時だった。プロメテウスの右手が切断される……!

 

「あ、ああああぁあああ!? な、なにが起きたわけぇえええ!?」

「……今度は私の番です。私はもう一人の『妖夢』ほど抜けてはいませんよ? 覚悟してください!」

「……私の腕を切っておいて……! 覚悟するのはお前の方なんですけど……!?」

 

 プロメテウスは腕に回復魔法をかけながら妖夢を睨みつけるのだった。



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歪な魂

「……あんた何か雰囲気変わった感じ?」

 

 半霊が意識を乗っ取った妖夢を見て、自身の腕に回復魔法をかけ終わったプロメテウスは問いかける。

 

「ええ。今の私は先ほどまでの『妖夢』ではありませんからね……。幽々子様を返してもらいます!」

 

妖夢は楼観剣の切っ先をプロメテウスに向けた。表情には自信が窺える。

 

「……さっきまであんたの周りに浮いてた霊魂が消えている。今は霊魂の方が肉体を操っているってわけ。てか、霊魂と肉体で別意識が宿ってた感じ? そんな能力が使えるなんてさらにレア度が増してるんですけど! さっさと捕まえてやるわけ」

 

 プロメテウスは不敵に口元を歪める。

 

「私を捕まえる? それは無理です。私はあなたの正体を見極めました。私があなたに負けることはありません……!」

「アタシの正体を見極めた……? 一体何の冗談なわけ? アタシは正体を隠してなんかいないんですけど……! ま、いいわけ。やれるもんならやってみろなんですけど!」

「言われなくてもやってあげますよ……!」

 

 妖夢はプロメテウス目掛けて走り出す。ジグザグに素早く動き、プロメテウスの視線を変えさせながら近づいていく。

 

「なるほど。さっきまでのお嬢ちゃんと違って少しは冷静なわけ。でも、そんな動きに惑わされるほどアタシは未熟じゃないんですけど?」

 

 プロメテウスは妖夢の不規則な動きを見抜き、球状のエネルギー弾魔法を放つ。エネルギー体は妖夢の体に直撃した……かと思われた。

 

「な!? 魔法がすり抜けたんですけど!?」

「残像ですよ……!」

 

 残像を残した妖夢は既にプロメテウスの背後を取っていた。妖夢はプロメテウスの胴目掛け、楼観剣を振り抜く……!

 

「なぁんちゃって! 残像に気付いてないわけないんですけど!」

 

 プロメテウスは妖夢の楼観剣を杖で受け止める。

 

「くっ!?」

「残念。確かにちょっとばかし動きは良くなったみたいだけどアタシには敵わなかったってわけ! そーれ、締め付けてあげるんですけど!」

 

 プロメテウスは杖から影を生み出す。影は手を形どり半霊妖夢の首を締め付ける。

 

「あっはは。気絶してからフラスコに入れたげる! 死なないでよ?」

「ぐ、ぐはっ!?」

 

 喉を絞られた妖夢は苦悶の息を吐き出す。

 

「それそれそれそれ! さっさと気絶するんですけど!」

 

 プロメテウスはさらに影の手に込める魔力を高めた。それでも妖夢は気を失わないでいた。

 

「はぁ……。思ったよりしぶといんですけど! 仕方ないから首の骨を折るわけ! 死ななかったら骨折を直して捕まえたげる! 死んだときは……ま、ドンマイって感じ?」

「う、が、ぁあ……あ……?」

 

 プロメテウスはより一層の魔力を加えた。妖夢のか細いうめき声が響く。

 

「とどめなんですけど!」

 

 プロメテウスが勝利を確信した時である。彼女に一瞬の隙ができた。半霊妖夢は首を折られる寸前でその隙を突く……! 半霊妖夢の抜いた短刀『白楼剣』がプロメテウスの胸部に突き刺さる。

 

「う……あ……? な、なにが起こったわけ……?」

 

 プロメテウスの体から魂が飛び出し、空へ消えていく。同時に影の手の力も緩まっていった。妖夢は首絞めから解放され、ぜぇぜぇと肩で息をする。プロメテウスはその場で倒れ込む。

 

「……あ、危ない……所……でした。……やはり、この女はキョンシーやフランケン・シュタインとかいう化物と同じ類の存在だったようですね」

 

 妖夢は独り言をつぶやく。

 

 白楼剣は魂を強制的に成仏させる剣。しかし、生者の魂を斬ることはできない。肉体と魂の繋がりが強力であるからだ。しかし、キョンシーなどの死体と魔法で結ばれている魂には効力を持つ。キョンシーたちの魂の定着は生者のそれよりも格段に落ちるからだ。

 

 半霊妖夢は見切っていたのである。プロメテウスの体が既に死者のものであることを。気付けたのは幽々子の『死を操る程度の能力』があまり効かなかったことからだった。生者を死に追いやる幽々子の人智を超えた力。それが効かないのを観察した半霊妖夢はプロメテウスが『死者』であることを見抜けたのであった。

 

「あなたのいう不老不死とは『死者』のまま生きるということだったのですね。それを不老不死ということに私は疑問を覚えますがね」

 

 半霊妖夢は倒れたプロメテウスに声をかける。もちろん返事が返ってこないのを承知の上で……。

 

「さて、幽々子様をあのフラスコとかいう瓶からお助けして差し上げなければ……」

 

 妖夢は倒れたプロメテウスを仰向けにすると、ローブの隙間から胸元を探る。

 

「……たとえ、女同士だからって、胸元に手を入れるなんてデリカシーがないんですけど?」

 

 妖夢は聞こえるはずのない声にびくっと恐怖する。プロメテウスの顔を見ると、そこには不気味に見開かれた双眼が妖夢を見つめていた。

 

「そんな!? な、なんで生きているんです!?」

「死んでるんですけど!!」

 

 プロメテウスの魔法が妖夢の右胸を貫通する。槍のように尖らせた影が妖夢を撃ち抜いたのだ。影を抜かれた妖夢は悲鳴を上げながらひざまずく。

 

「な、な……んで……。……確か……に魂を斬った……はず……。魂の気配……もひとつ……だけだった……。それ……なのに……!?」

「あーあ。クッソムカつくんですけど! 『わけ』ちゃんがいなくなっちゃったんですけど!」

 

 プロメテウスは文句を垂れながら立ち上がる。

 

「残念だったんですけど。アタシが『普通』だったらアンタの勝ちだったんですけど! ま、『わけ』ちゃんがいなくなったのは痛いけど、ここまで弱らせれば捕まえるのは容易い感じ?」

 

 プロメテウスはフラスコの蓋を開け、妖夢に向けて構える。

 

「な……んで? 確かに斬ったのに……」

「いつまでぶつぶつ言ってるのかしら? ……ま、いいんですけど。アタシの最高傑作に傷をつけることができたご褒美に見せたげる。アタシの芸術的作品を……!」

 

 プロメテウスは自身の胸に手を当てる。胸から出てきたのは……グロテスクな形をした魂だった。複数の魂が変形し、つなぎ合わされている。脳細胞を繋ぐニューロンのように軸索に変形した魂がまた別の魂と結合されていた。胎動するその魂は異様な不気味さを醸し出していた。魂の専門家である妖夢であったが、今まで見たことのない異質で異形なその魂に恐怖さえ覚える。

 

「な、なんですか……? そのおぞましい魂は……?」

「おぞましい? この魂の美しさがわからないなんて半分お化けちゃんは救えない感性の持主なんですけど?」

 

 プロメテウスは不快そうな表情でひざまずく妖夢を見下していた。



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心身一体

「い、一体どうなっているんですか……!? あ、あなたの人格は一つだけとしか思えない。複数の魂が繋ぎ合わされているのに、人格は統一されている……?」

 

 妖夢はプロメテウスの異質な魂を見つめながら質問する。

 

「ま、完璧に一つの人格ってわけじゃあないんですけど? ちょっとした思考や嗜好や志向は残っちゃうんですけど。今、お前が斬ったのはこの魂の複合体を構成していた内の一つだけ。語尾に『わけ』を付けちゃってた人間の魂を成仏させてくれちゃったってこと。結構気に入ってた人格だったんですけど!」

 

 プロメテウスは怒りを露わにした表情を見せつけると、胎動する魂の複合体を自身の胸に戻していく……。

 

「……複数の魂で一つの人格を形成している……。それなら……あなたの意識はどの魂にあるっていうんですか!?」

「意識の在処? 不思議なこと聞いてくるんですけど? それなら半分お化けちゃん、アンタたちの意識もどこにあるのかしら?」

「なんですって……?」

「だってそうでしょ? どうやらアタシの観察する限り、半分お化けちゃんの魂は一つしかないんですけど。じゃ、霊じゃない方の身体側の意識はどこにあるのかしら?」

「そ、それは……。……わ、私たちは一つの魂と一つの身体を共有しています。現に半霊の私ともう一人の私は知識を共有している……!」

「へぇ。そんな風にできてるんだ。じゃ、死んだら身体の意識も霊の方に移るってこと? そんな都合の良いことがあるとは思えないんですけど。そもそも死んで出てくる魂って本当に生きてた頃の人間の意識を持ってるのかしら?」

「何が言いたいんです!?」

「だってそうじゃん。意識の在処なんてわからないんですけど。脳のどこかにあるの? それとも魂? 仮に魂だとして、どうやって脳と同期してるの? もしかしたら魂っていうのは脳が持つ情報のコピーでしかない可能性もあるんですけど? じゃあ、やっぱり肉体が死んだときには肉体側の意識は消滅するってことなんですけど!」

「い、意味のわからない話をしないでください……!」

 

 半霊妖夢は白楼剣を持つ手をプルプルと震わせながら口を動かす。

 

「この程度の問答が理解できないなんて半分お化けちゃんは頭悪すぎなんですけど?」

「うるさい……!」

 

 妖夢は力を振り絞り、斬りかかるがプロメテウスに難なくかわされてしまう。

 

「あっはは。どうやら傷は深いみたいなんですけど。動き鈍すぎなんですけど!」

 

 プロメテウスは剣を空振りした妖夢の横腹を蹴り飛ばす。

 

「さーて、フラスコに閉じ込めてあげるんですけど!」

 

 妖夢の体を内部へ誘おうとフラスコの口が掃除機のように周囲の空間を吸い込んでいく。妖夢はなんとか吸い込まれる範囲の外へ逃げ出す。

 

「ちょろちょろしないでさっさと吸い込まれて欲しいんですけど……!」

「誰が吸い込まれてなどやりますか! ……うっ!?」

 

 半霊妖夢は頭痛を感じ、頭を押さえる。

 

「こ、こんな時に何をしているんですか!? あなたの腕では敵わない。そんなことはあなた自身が解っているでしょう!? ここは私に任せてください……!」

 

 半霊妖夢が独り言を話し出す。……正確には二人言だが。

 

『たしかに私では敵いません。しかし、それはあなたも同じでしょう……? ……あれをやるんです……!』

 

 半人妖夢が半霊妖夢に頭の中で語り掛ける。

 

「本気で言ってるんですか……!? 修行でも一度も成功したことがないのに……!?」

『ですが……やるしかありません!』

「失敗すれば、いつものように一日体が動かせなくなります。すなわち敗北を意味するんですよ!?」

『でもやるしかありません。奴の不老不死がどんなものかは知りませんが、肉体を消滅させれば少なくとも行動不能にはなるはず……! それだけのエネルギーを出力するにはアレしかありません……!』

 

 半霊妖夢は思考する。しかし、熟考する時間などない。プロメテウスの魔の手が迫る。

 

「『一人作戦会議』は終わったかしら? ま、どんな手で来てもアタシには勝てないんですけど!」

 

 プロメテウスは杖からエネルギー光線を放出する。一直線に妖夢へ迫るレーザービーム。光線が妖夢の体全体を覆いつくす。 プロメテウスの攻撃が治まると……、そこに妖夢の姿はなくなっていた……。

 

「あっはは。影も形も残さず消え去っちゃったんですけど! 激レアを捕まえられずに殺しちゃったののは残念だけど、まあドンマイって感じ?」

 

 プロメテウスは勝利の余韻に浸っていた。しかし、その背後から声がかけられる。

 

「勝手に殺さないでください」

 

 虚を突かれたプロメテウスは目を見開き、振り返った。

 

「は、半分お化け!? いつの間にアタシの後ろに……!?」

「……危ないところでした。『成功』していなければ今頃、あなたの言う通り殺されていたでしょう」

「く!? これでも喰らうといいんですけど……!」

 

 プロメテウスは妖夢に高速ビームを撃つ。しかし、それが妖夢に当たることはない。妖夢はプロメテウスの視界から消える。

 

「な!? ど、どこに行った!?」

「こっちですよ」

 

 再びプロメテウスの背後から聞こえる妖夢の声。

 

「そ、そんな。全然見えなかったんですけど!? お前一体どうやって……!?」

 

 妖夢は一呼吸置いて話し出す。

 

「『心身一体』……。私たち半人半霊は体と魂が同調したとき初めてその力を十全に発揮することができるのです。今まで修行でも一度も上手くいかなかったのですが……、あなたという強敵を前にして本能が後押しをしてくれたのでしょう」

「心身一体? 同調? ……何アンタ、合体したってこと?」

「合体ではありません。思考、体の動きが全てもう一人の自分と一致するということです。……はぁああ!」

「く!? ああ!? 痛ったああああああ!?」

 

 妖夢が気合を入れた直後、プロメテウスの腕が切断された。目にもとまらぬ超スピードで妖夢が斬ったのである。

 

「そ、そんな、斬撃が全く見えなかったんですけど……!?」

「手加減はしません。幽々子様を返してもらいます!」

 

 妖夢は見えない斬撃をプロメテウスに無数に浴びせていく。プロメテウスの体は宙に浮いたまま、バラバラに切り刻まれる……。

 

「……喰らえ! 半人半霊の全身全霊を!」

「い、いやぁあああああああああああああああああ!?」

 

 妖夢の放つ巨大な斬撃がプロメテウスの頭部に直撃する。プロメテウスの頭は斬撃で完全に消し飛ばされた。バラバラにされたプロメテウスの肉片だけが白玉楼の敷地に転がり残される。

 

「や、やった……」

 

 妖夢はぜいぜいと肩で息をしながら、剣を杖代わりにして何とか立っていた。心身一体が解け、とてつもない疲労感が妖夢を包み込む。しかし、妖夢の顔は強敵に打ち勝った満足感で綻ぶのだった。



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スワンプマンの落雷

 妖夢はプロメテウスの亡骸を確認する。彼女の体は自身の斬撃で完全にバラバラになっていた。あの異形の魂も消えている。

 

「どうやら、奴の不老不死は肉体に依存していたようですね。あの魂は成仏したみたいです。今頃地獄界の閻魔様のところにでもいっているのでしょう。どんな裁きを受けるのか……気になりませんか?」

 

 半人妖夢は半霊妖夢に問いかける。しかし、返事はなかった。

 

「……あなたが眠っているなんて珍しいこともあるものです。それだけ、心身一体は我々に負担があるということですね。……私もボロボロですが、倒れるのは幽々子様をお助けしてからです……!」

 

 妖夢がバラバラになったプロメテウスの胴部分の服の中をまさぐると……、幽々子が吸い込まれたフラスコを見つける。

 

「まったく、呆れた強度の瓶ですね。あれほど激しい戦いの最中も壊れずにいたわけですか。……さて、蓋を開ければ良いんですかね?」

 

 妖夢が独り言を言いながら、フラスコの瓶に手をかけ開けようとしたその時だった。妖夢の背後、白玉楼の池に轟音とともに雷が落ちる。

 

 激しい光と爆音に驚いた妖夢は身構えるように振り返った。

 

「……雨雲もないのに雷……!? ……不思議なこともあるものです。直撃しなくて良か……。……なに?」

 

 雷が落ちた池から何かが出てくる。……泥だった。だが、ただの泥ではない。人をかたどった泥である。泥は少しずつ人体に近づいていく……。

 

「そ、そんなまさか……!?」

 

 妖夢の驚嘆をよそに泥人形はどんどんと人に近づいていく。女の体だった。褐色銀髪の少女……、「プロメテウス」を泥人形は形成していった。

 

「くっ!? 何がどうなっているかわかりませんが……、とりあえず斬る! 斬ればわかる!」

 

 妖夢は泥人形に斬りかかった。しかし、心身一体による疲労で動きの鈍くなった妖夢の腕を泥人形が掴み止める。

 

「斬ればわかる、ですって? 頭悪すぎ半分お化けちゃんにわかるはずがないんですけど?」

「お前!? いったいどうやって!?」

「どうでもいいじゃん、そんなこと。それよりもその手に持ってるフラスコ返してもらうわけ!」

 

 プロメテウスは妖夢の脇腹を殴ると、力を緩めた妖夢の腕からフラスコを奪い返す。

 

「う、ぐ……。しまった……。……お、お前は蓬莱人と同じく、魂に依存した『不老不死』体だったんですね……。肉体ではなく、魂を強制的に成仏させるか、 消滅させるべきだった……!」

 

 妖夢はよろめきながらも声を絞り出し、自分の分析をプロメテウスに投げかける。

 

「魂に依存……? ふっふふ……。あっははははは!」

「何がおかしいんです……!?」

「だって、見当違いも甚だしいんですけど! そんな思考回路じゃ、どのみち、アタシを倒すことはできなかったわけ!」

 

 復活したプロメテウスは肩を震わせながら笑う。彼女の体はすでに泥人形から人間へと完全に変化していた。

 

「見当違い?」

「そうそう。にしても、アタシが霊体だけにさせられるなんてホントに久しぶりだったわけ! 思ったより半分お化けちゃんが強くてびっくりしちゃったんですけど。マジで逝っちゃう5秒前って感じ? あの世行き寸前だったわけ! ま、おかげで『わけ』ちゃんと合流できて、また一つになれたから結果オーライって感じ!」

「やはり、あなたは魂に存在を依存しているんじゃないですか……! 私のどこが見当違いだと言うんです……!?」

「まだ、わかんないわけ? 半分お化けちゃんはホントに頭わるすぎなんですけど! 仕方ないなぁ。半分お化けちゃんにもわかるように教えてあげる! アタシの不老不死は……魂に依存していると同時に肉体にも依存しているってわけ! これでご理解できるかしら?」

 

 プロメテウスは銀髪をかき分けながら妖夢に流し目を送るのだった。



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我思う。故に我あり。

「た、魂にも肉体にも依存している……ですって?」

「そ!」

 

 妖夢の問いかけにプロメテウスは端的に短い発声で答える。

 

「つ、つまりあなたは魂が消されても肉体があれば生きていけるし、肉体が消されても魂が残っていれば生きていける……。そう言っているんですか!?」

「だからそうだって言ってるんですけど?」

「そんなデタラメ信じられるはずがない……! そ、それならあなたの意識はどうなっているんですか!?」

「また、その質問に戻っちゃうわけ? いい加減しつこいんですけど!」

 

 プロメテウスは『はぁ』と溜息を吐く。

 

「だからぁ、意識の在処なんてわからないって言ってるんですけど! 魂にあるのかもしれないし、脳にあるのかもしれないってわけ!」

「そ、それなら、あなたは一体何なんですか!? 不老不死の能力を魂にも肉体にも依存していると言い切っているあなたは……!? 肉体だけが残ったこともあるのでしょう!?」

「ええ、もちろんあるんですけど。あの時は最悪だったわ。アタシの記憶情報を管理していた魂がそっくり全部あの世に持っていかれっちゃったんですけど! もちろんそんなことをしやがったヤツは速攻殺したわけ。その後が大変大変。魂回路網をもう一度作るのに優秀な魂を殺し集めて、肉体にあるアタシの記憶情報を移行しなくちゃいけなかったんですけど!」

「うっ……。本当に何を言っているのかわからない……」

 

 妖夢は気分が悪くなっていた。おぞましいプロメテウスの魂を見たとき以上に……。プロメテウスのまるで『自我』さえも道具の一つだとしか思っていなさそうな発言に、生理的嫌悪感を覚える。プロメテウスは自分のことを説明していてテンションが上がってきたのか、妖夢が聞いてもいないことを口にし始めた。

 

「科学こそが正義だと信じるバカな人間たちは、仮想現実なんてのを作ろうとしてるって話じゃん? 記憶情報を電子に置き換えて箱の中に閉じこもろうとしてるなんてアタシからすれば理解できない行為なんですけど!」

 

 妖夢はプロメテウスの話を聞くが、何のことを言っているのかさっぱり理解できないでいた。プロメテウスの仮想現実という言葉は、一部の妖怪を除いて、外の世界のおよそ百年前の技術力の中に生きる幻想郷の住人には伝わるはずがない。もちろん妖夢にもだ。しかし、そんな妖夢に目も呉れず、プロメテウスは話し続ける。

 

「ま、記憶情報を『霊子』にしてるって点じゃ、アタシも現代人たちとあんまり変わらないわけ。……アタシは霊子生命体でもあり、有機生命体でもある。要するにアタシの魂は肉体のバックアップであり、肉体は魂のバックアップでもある。おわかりかしら? 半分お化けちゃん!」

「……正直に言ってあなたの言っていることは半分もわかりません。一つだけ言えることは……、あなたはあなたであって、あなたでないということだけです……!」

「アタシがアタシじゃない? それこそ何言ってるかわからないんですけど?」

「だってそうでしょう!? あなたという存在は複製に複製を重ねた偽物でしかない……! あなたは固有の存在ではない……!」

「うーん、そんなことはないんですけど。アタシの場合はちゃあんと、魂の複合体と肉体である脳内情報を『同期』させてるから。『同期』させてない普通の人間たちと一緒にされたら困るわけ。……でも、そんなこと言っても理解できない半分お化けちゃんにはこの言葉で誤魔化しておく方が逆に理解してもらえるかしら?」

 

 妖夢はプロメテウスの妙に自信たっぷりな顔が気に食わず睨みつけていた。だが、睨みつけながらも耳を傾け、唾を飲み込む。

 

「『我思う。故に我あり』、アタシたちからすれば大分後輩の男が残した言葉なわけ。突っ込みどころはたくさんある言葉だけど……、アタシ自身の存在を語るならこれが一番適してるんですけど! アタシが複製だろうと何だろうと関係ないわけ。アタシが最高最強のネクロマンサーになるという思いを持ち続ける限り、アタシはアタシであり続ける……! 自我の在処なんてどうでもいいってわけ! ……あーあ、アタシとしたことが熱くなって喋りすぎちゃったんですけど! もう終わらせるわけ!」

 

 プロメテウスは空のフラスコを持ち出し、妖夢に口を向ける。『心身一体』の後遺症で体がボロボロになっている妖夢にはもう逃げ出す力は残っていなかった。妖夢はフラスコに飲み込まれる。小さな悲鳴だけを残して……。

 

「やったぁ! 激レアゲットなんですけど! 捕まえるのに苦労した分、アンタは最高の作品の材料にしたげる。感謝してほしいんですけど!」

 

 プロメテウスは妖夢を吸い込んだフラスコを眺めながら口元を歪めるのだった。



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西行妖

「そうだ! どうせならこの半分お化けちゃんとピンク髪の亡霊を合体させてあげるんですけど! この二人仲が良いみたいだし。きっとうれしいわけ! アタシってとっても優しいんですけど!」

 

 プロメテウスは妖夢と幽々子が封じ込められたフラスコ二つを両手で掲げ、愉悦の笑みを浮かべる。

 

「そうなると……、まだ全然死体が足んないわけ! お母様の用事が済んだら……この幻想郷とかいうコミュニティの妖怪を分けてもらうんですけど! ……さて、お母様から依頼されていたことは終わらせたから……、アタシは趣味の時間に入らせてもらうわけ!」

 

 プロメテウスはフラスコをローブの懐に収めると、周囲を見渡す。……プロメテウスの趣味とは言わずもがな、魂と死体を集め、それを弄ぶことだ。彼女は冥界に目ぼしい『獲物』がないかと視線をあちこちに向ける。

 

「はぁ。大した魂がいないんですけど。ま、しょうがないよねぇ。優秀な死体や魂になりうる存在はそうそう簡単に死なないし! ……うん?」

 

 プロメテウスは何かに気付く。白玉楼の敷地内に立つ大きな桜に彼女の視線は釘付けにされた。立派な桜である。白玉楼周囲に並ぶ樹と比べても二回り、三回りは大きい。しかし、プロメテウスが興味を持った箇所はそんな見た目上のところではない。

 

「……とんでもなくデカい生命エネルギーを持ってるみたいなんですけど?」

 

 プロメテウスは遠目から桜を観察し、その異常性に気付く。白玉楼に生える桜……、『西行妖』は植物とは思えぬ生命エネルギーを内包していた。あまりに巨大なエネルギーに興味を惹かれたプロメテウスは西行妖へと近づいていく。

 

「樹とは思えないほどのエネルギーを宿してるんですけど……! ピンク髪や半分お化けと戦ってるときには全然気づかなかったわけ。意図的にエネルギーが漏れ出さないようにされいるのかしら……?」

 

 プロメテウスは自身の分析を確認するようにつぶやいた。そして、また一つ疑問が彼女の脳裏に浮かんでくる。

 

「この樹、極東によく植えられている桜とかいう種類のはずなわけ。たしかピンク色の花を咲かせるはず。……これだけの生命エネルギーを宿しているのに、花を咲かせていないどころか葉っぱ一つ生えてないわけ。一体どういうことなわけ?」

 

 プロメテウスがさらに分析を続ける中、不意に彼女の背中に悪寒が走る。

 

「……なに? このエネルギーの動きは……? ……もしかして、桜がエネルギーを吸収している……?」

 

 西行妖は植物とは思えぬ速度で大量のエネルギーをその身に吸収していた。……にも関わらず、西行妖の枝から芽が生える様子はない。つまり、西行妖が集めるエネルギーは別の何かに消費されている可能性が高いのである。プロメテウスは意識を西行妖に集中させ、内部を探っていく。そこには、プロメテウスの大好きな『アレ』があった。

 

「こ、これは死体……!? し、しかもただの死体じゃないわけ! 今この瞬間にも桜が集めるエネルギーを消費し続けている。す、凄いんですけど! 超激レアじゃん!」

 

 興奮したプロメテウスは西行妖を壊して『死体』を取り出そうとするが……、彼女の放った魔法は西行妖に跳ね返される。

 

「なんて堅い樹なわけ!? これ以上大きな魔法を放出したら内部の死体も損壊しちゃうわけ! 一体どうしたら……。……そっか。死体がエネルギーを消費し続けてるんなら、桜に供給されているエネルギーを遮断すれば……。いや、そんなことしたら、エネルギーを消費している死体にエネルギーがいかなくなって死体が自壊する可能性もあるわけ。どうしよう……」

 

 しばし、考え込むプロメテウス。しかし、すぐに結論に行き着いた。

 

「そうだ! なら、逆にこの樹にエネルギーを過剰に注ぎこんでみるわけ! どうやら、この桜は死体を封印するために意図的に花が咲かないようにして植えられてるみたいだし。限界までエネルギーを供給すれば、死体にも何か動きがあるかもなんですけど!」

 

 新しい玩具が目の前にあるのに手にすることができないプロメテウスは我慢できない子供のようになっていた。今の彼女にリスクの概念は頭にない。ただ、眼前の「特異な死体」を手にしたい。その思いだけで動いてしまっていた。プロメテウスは西行妖に対してマジックアイテムであるフラスコを向ける。

 

「うふふ。このフラスコの中にはたっくさん生命エネルギーを蓄えているわけ。本来は骸骨兵士(スケルトンソルジャー)や人造人間(フランケン・シュタイン)たちを動かすために使うもんだけど、特別に超激レア死体(お前)のために使ってあげるんですけど!」

 

 プロメテウスは西行妖に生命エネルギーを注ぎこんでいく。葉も芽もなかった西行妖にわずかに芽が生えてくる。しかし、その段階でフラスコ内のエネルギーが尽きてしまう。

 

「う、うそでしょ!? このフラスコいっぱいに貯めてたエネルギーでも足りないってわけ!? し、仕方ないんですけど!」

 

 プロメテウスは自分の持つ『コレクション』の中から価値の低いものを取り出し、それらをエネルギーに変え、さらに西行妖に供給し続ける。

 

「さぁ。これだけ、私のコレクションを犠牲にしてるんだから。超激レアじゃなかったら……、肩透かしだったら許さないんですけど……!」

 

 プロメテウスが愚痴をこぼす中、西行妖の芽が少しずつ生え揃い、そして……、桃色のつぼみが美しい花を咲かそうとしていた。

 

「もう少し……なんですけど!」

 

 プロメテウスはとどめとばかりに自身の魔力も西行妖へと注ぎ込む。

 ……西行妖は満開を迎えた。美しい桜の花が白玉楼を淡い紅色で包み込む。日本人であれば、その美しさに目を奪われたに違いないだろう。しかし、日本的美しさに疎いプロメテウスにそこまでの感動はなかった。一瞬だけ、花が綺麗だとは感じたであろうが、すぐに彼女の興味は西行妖に封じられているであろう『死体』に向けられる。

 

「さあ、花を咲かせてやったわけ。出てきてくれるんでしょう? 超激レア!」



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美しき死体

 満開となった西行妖……。幹が、枝が、桜の花が……淡い光に包まれる。光の中から一つの死体が現れた。和装の美しい女である。死体というにはあまりに綺麗な肢体であった。目を瞑ってこそいるが、彼女は死体とは思えないほど生気に満ち溢れた容貌をしている。心臓は拍動し、血は巡り、体は温もりに包まれていた。彼女は生者と何も変わらない。……ただ一点を除いて。

 

「……こいつのピンク髪、それに顔も……。さっき捕まえた亡霊と同じ……?」

 

 プロメテウスは死体の観察を始める。現れた死体は地に触れることなく、直立した状態で宙に浮いていた。しばらく観察し、プロメテウスは確信した。この死体は先ほどフラスコに封じ込めた亡霊『西行寺幽々子』の身体である、と。

 

「はぁ。確かに激レアっちゃ、激レアなんですけどぉ……。なんかダブっちゃった感が半端ないわけ。……にしても珍しいんですけど。心臓が機能している死体なんて! ……心臓だけじゃない。身体機能全てに異常はないみたいなんですけど! 脳死の最強版って感じかしら。ま、超激レアには間違いないわけ。さっそく、フラスコに閉じ込めて……」

「……貴方?」

 

 フラスコを取り出そうと、服の袖を探っていたプロメテウスは不意に声をかけられる。通常、魂を失った人体が動き出すことはない。プロメテウスは自分の耳に届いた声が気のせいであることを確認するために西行寺幽々子の死体に顔を向ける。幽々子のまぶたは閉じられたままであった。やはり、気のせいかとプロメテウスが視線を袖に戻そうとした時だった。

 

「……貴方かしら、と聞いているのよ?」

 

 今度は気のせいではないとプロメテウスは再び幽々子に視線を戻す。……妖艶な薄紅色の瞳にプロメテウスは捉えられていた。

 

「こ、こいつ意識がある……? 普通は魂が離れた肉体は自我を保てないはず……なんですけど……!」

「私を眠りから目覚めさせたのはあなたか、と聞いているのよ? お嬢さん……」

 

 西行寺幽々子は一瞬でプロメテウスの眼前に移動し、顎をクイっと持ち上げる。

 

「くっ!? 気安く触れるな、なんですけど!」

 

 プロメテウスは幽々子の手を払いのけ、飛びさがった。

 

(まったく動きが見えなかったんですけど……! ノーモーションってやつなわけ! 自我がありながら魂を持たぬ死体……。……ダブりかと思ったけど超激レアだったわけ!)

「答えてくれないのかしら……? それなら早くこの場を去ることをおすすめするわ。死にたくないのなら……ね」

「はぁ? ピンク髪の本体か何か知らないけど、随分と偉そうじゃん。感じ悪いわけ。『死にたくないのなら』ですって? アンタごときが私を殺せるとでも?」

 

 不敵な笑みで返すプロメテウスに幽々子は悲しそうな表情を浮かべて口を動かした。

 

「私は殺しなどしないわ。『殺してしまう』だけ。……うっ……」

 

 幽々子は突如として胸を押さえて苦しみだす。

 

「……抑えられない……! 貴方、早くこの場から消えなさい……!」

 

 幽々子は苦悶を浮かべながら、プロメテウスに警告する。

 

「……ぷっ。あはは。何よそれ。思春期の男子みたいなんですけど? 自分の力をコントロールできないだなんて。空想は夢の中だけにしておくわけ!」

 

 思わず吹き出すプロメテウス。そして苦しみ続ける幽々子。

 

「……なに? 周囲の草木が枯れ始めているんですけど……?」

 

 それは亡霊の幽々子が『死を操る程度の能力』を行使したときと同じような現象だった。しかし、状況は大きく異なっている。亡霊の幽々子が全力で能力行使をしていたのに対し、幽々子の死体は全力で能力を抑えようとしていた。にも関わらず、死の波動は周囲の生けるものたちを巻き込もうとしている。

 

「……もう、だめ……!」

 

 幽々子が言葉を漏らした瞬間、白玉楼が……、冥界が、死の波動に包まれる。冥界に存在する虫や、草木や、小動物。わずかな生命が波動に奪われる。

 プロメテウスもまた、波動に飲み込まれていくのだった。



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富士見

「くっ……!? はっ……!?」

 

 プロメテウスは胸を押さえてうずくまる。冥界の全ての命を奪い去った幽々子の波動だったが、プロメテウスは耐えていた。もっともダメージがまったくなかったわけではない。

 

「こ、この女。バカみたいに能力放出しやがったんですけど……! おかげでまた『わけ』ちゃんがどっか逝っちゃったんですけど!」

 

 プロメテウスは怒りと苦悶の入り混じった容貌を浮かべ、幽々子を睨みつける。幽々子もまた、苦悶の表情を浮かべていた。

 

「また……、抑えられなかった……。……もうイヤ……。誰が私を蘇らせたの……!?」

 

 幽々子は下唇を噛み締める。幽々子は苦しんでいた。自分の意図しないところで多くの生命を奪ってしまったことに。幸いなことは死人がでなかったことだと幽々子は自分に言い聞かせる。

 

「……どんだけアタシに投資させたら気が済むのかしら? さっさと捕まえてやるんですけど!」

「貴方、あの波動の中、生き残ることができるなんて……。かなりの手練れなのね。でも、今の投資という言葉聞き捨てならないわ。……やっぱり貴方が私を蘇らせたのね?」

「そうなんですけど! アンタを蘇らせるのに、貯めてた生体エネルギーや魂を大量に使わされたんですけど! さっさと捕まってくれない?」

「そう……」

 

 西行寺幽々子はふらふらとした足取りでプロメテウスに近づいていく。その顔は怒りの感情で暗い熱を発そうとしていた。

 

「あん? 怒っちゃってる感じ? アタシが蘇らせなかったら、アンタはあの樹の中に永遠閉じ込められっぱなしだったんですけど。そりゃあ、アタシが捕まえるまでのわずかな時間だけど、自由の身に慣れたんだから感謝してほしいくらいなんですけど?」

「だまりなさい」

 

 幽々子は静かな口調でプロメテウスを制する。その目は氷のように冷たいものだった。

 

「私は自ら死を選んだ。私の能力を悪用しようと企む者たちに私の力を利用させないために……。能力の暴走で罪なき命を奪わないために……。もう私の能力で無益な殺生が行われないようにするために……。それなのに、貴様は私を蘇らせた。その罪は重いわよ。貴様は死ななければならない……!」

「はぁ? そんなに蘇りたくなかったんなら樹に書いておけばよかったんですけど。『蘇生禁止』って。……それに、アタシも聞き捨てならないんですけど? 今のアンタの口ぶりじゃ、アタシなんて簡単に殺せるって言ってるように聞こえるんですけど! 気分悪いんですけど!」

「ええ。そのとおりよ。貴様を殺すなど容易い」

「大きく出たわね。ただの死体のくせに! おとなしくアタシのコレクションになっとけ、なんですけど!」

 

 プロメテウスは残していた骸骨兵士(スケルトンソルジャー)を全て召喚し、幽々子を攻撃するように指示を出す。

 

「亡霊のピンク髪には物理攻撃は効かないみたいだったけど、死体のアンタには効くでしょう? どうせアンタの体もバラして使うんだもの。スケルトンたちに細切れにされちゃえばいいんですけど!」

 

 プロメテウスの号令とともに幽々子に襲い掛かろうとするスケルトンたち。しかし、彼らが幽々子に辿り着くことはできなかった。彼らは糸の切れたマリオネットのようにその場に倒れ込んでいく。

 

「なっ!? スケルトンちゃんたちが……!? 術を使った様子もないのに……!? お、お前何をした!?」

「何もしてないわ……。そんな生きる意志の弱い骸骨どもが耐えられるわけがないもの……」

 

 幽々子は冷静に答える。どこか悲し気な表情で……。

 

「な、なにもしてないですって……? ふざけるんじゃないんですけど……!」

 

 プロメテウスは次の策に出る。召喚魔法でフランケン・シュタインを呼び出したのだ。それも数十体という大群で。

 

「あっはは。どう? アタシ自慢のフランケン・シュタインたちは? 全部が優秀な魂と死体を繋ぎ合わせた傑作なんですけど! アタシと同じくらいの力で魂と体を結合させてるわけ! お前の能力がどれくらいか知らないけど、この子たちには通用しな……」 

 

 プロメテウスが言い終わる前に、召喚したフランケン・シュタインたちが倒れていく。すでに彼女たちから魂は抜け、成仏していった。魂の抜けたフランケンたちは、たちまちに腐敗、風化し、塵芥となって消え去っていく。

 

「う、うそでしょ!? 強力な力で繋げてるフランケンの魂が……!? そ、それになぜ、こんなに早く腐敗が進行してんの!?」

「言ったでしょう? 生きる意志のない者たちが私の能力に耐えられるわけがない。……いいえ、生きる意志に満ちた者でさえ私を前にして立っていられるのは極一部……」

「ふざけるな、なんですけど! よくもアタシのコレクションを……! こんな、こんな反則じみた存在があっていいわけがない……! はぁああああ!!」

 

 プロメテウスは魔法を放とうと自身の魔力を杖に集中させる。その表情に余裕はない。コレクションを奪われた怒りと規格外の死の力を持つ幽々子への恐怖とで顔は強張っていた。もはや、幽々子をコレクションにするなどという思いは消え去り、目の前の化物を殺すことだけにプロメテウスは集中する。

 

「……本当に久しぶりに全力全開なんですけど! とっとと死ねぇ!」 

 

 プロメテウスは雷を幽々子に落とした。直撃を受けた幽々子の体は黒く炭化してしまう。

 

「あっはは。……ざまぁみろ、なんですけど……! 偉そうなこと言ってたけど、大したことな……。……そんな……」

 

 プロメテウスは眼前で起こる現象に驚愕する。恐怖さえ覚えた。幽々子の体がみるみるうちに元通りになっていくのだ。気付けばもう幽々子はその美しい肢体を取り戻している。

 

「ま、まさか。お前も……不老不死……!?」

「……そうよ。だって私は『富士見の娘』だもの」

 

 そう告げると、幽々子はノーモーションでプロメテウスの前に移動し、彼女の首を絞めながら持ち上げる。

 

「なんて、歪な魂。死体どころか魂まで弄んでいるなんてね。苦しかったでしょう? 今解放してあげましょう」

「や、やめるんですけど! アタシの魂をどうするつもり!?」

「……あなたの魂ではないでしょう? 元ある形に戻すだけよ」

 

 言いながら、幽々子はプロメテウスの胸部を見つめる。狙うは歪な魂。薄紅色の眼がほんのりと紅く染まっていく……。

 

「ぐっ……がっ……はっ……!?」

 

 苦しみだすプロメテウス。彼女の持つ歪な魂の複合体はその結合を溶かしていく。解放された魂たちは空を舞い、次の世界へと飛び去って行った。

 

「こ、この……、よくもアタシの魂をぉおおおおおお!?」

「……すべての魂を成仏させたのに……。まだ意識があるのね。愚かなことをしたものだわ。なぜ、自分の魂を捨て去ったのかしら……? ……それでは、貴方には何も残らない」

 

 幽々子は同情のような眼差しをプロメテウスに向ける。

 

「ぐっ……!? 魂なんてなくたって、いいのよ……! 魂がなくても肉体が残っていればアタシという存在は繋がる。肉体が滅びても、魂の複合体にアタシの意識を移行していればアタシという存在は繋がる。アタシはこれまでそうやって生きてきたんですけど! そして、これからも……!」

「残念ね。もう『これから』はないわよ」

 

 幽々子の眼がより一層紅く染まる。プロメテウスは恐怖の感情に包まれる。彼女にとって久しぶりの感情だった。死を前にした『絶望』という感情がプロメテウスを覆う。

 

「貴方の肉体もここで死ぬ」

 

 幽々子は能力を発動しようとする。プロメテウスの肉体を『殺す』のに十分な力を込めて……。

 

「ひっ。や、やめるんですけど……!? 魂もなくなって肉体もなくなったら、ア、アタシ本当に消えちゃう……」

「そうね。魂のない貴方が救われることはない。私も知らない本当の闇の中へ消えることになるでしょうね」

「や、やめろ。はなせ、放せ放せ放せぇえええええ!! 死にたくない……! 消えたくないぃいいいいいいい!?」

「ダメよ。私は冥界の管理人。貴方は生も死も、弄び過ぎた……!」

 

 幽々子は能力を行使する。より一層苦しみだすプロメテウスだが、もう抵抗する力は残っていなかった。

 

「いや、いや、いやぁああああああ!? お、お母様ぁああああああああああああ!?」

 

 断末魔を残してプロメテウスの体はぼろぼろと風化するように消えていった。自分の手からプロメテウスの亡骸が飛散するのを見ながら幽々子は呟く。

 

「魂を持たぬ愚かな者よ。せめて安らかに『無』へと還りなさい」

 

 幽々子は憂いの表情でプロメテウスの最期を見つめるのだった。



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魂魄妖忌

幽々子は一人白玉楼に佇む。冥界に残った唯一の生命である西行妖の大樹に咲く桜を背景にして……。

 

 そんな幽々子の視界に奇妙な形状の瓶が入り込む。地面に多数転がったそれはプロメテウスの持ち物であったフラスコだ。ほとんどは空であったが、いくつかのフラスコには内部にエネルギーが感じられる。幽々子はふと興味を持ち、フラスコに手をかけようとしゃがみこんだ。

 

「なりませぬ」

 

 短い言葉が幽々子の耳に届けられる。幽々子の聞きなれた声であった。渋く低いその男声には、深く長い人生経験があることを想起させられる。

 

「妖忌……殿、ですか……」

 

 幽々子は声のする方向へ視線を向け、声の持主に喋りかける。そこには白髪と白髭で装飾された老剣士が立っていた。老剣士の名は『魂魄妖忌』、妖夢の祖父である。服装は東洋の侍を思わせるもので、緑を基調とする羽織と袴をなびかせていた。傍らには霊魂が浮遊している。妖夢と同じく半人半霊の存在だ。眼光は鋭く、老人特有の弱々しさは感じられない。堀の深い顔貌も相まって、凄腕の達人であろうことは雰囲気だけで伝わってくる。

 

「その瓶を開ければ、幽々子様が後悔することになりますぞ?」

「……そう、この瓶の中に私の魂が……」

 

 妖忌の短い説明で全てを理解した幽々子は瓶を取ろうとしていた手を引き立ち上がると、妖忌の方へと体を向ける。

 

「……妖忌殿、いままでどこに? 貴方ともあろう方が白玉楼の危機に姿を現すのが遅れるなんて……」

「……かたじけない。封印から覚醒するのに手間取りましてな」

「封印……?」

「……10年ほど前になりますかな。西行妖の封印が解けかけた故、より強固な封印を試みるため、自ら西行妖に身を封じ、内部から幽々子様を抑えていた次第にございます」

「成程。其の甲斐虚しく、外界の術師に封印を解かれてしまったというわけね。でも……、私にとっては好都合だったわ」

 

 幽々子はふっと微笑み、妖忌に問いかける。

 

「今度こそは私を殺してもらいますよ、妖忌殿……」

 

 幽々子は妖忌に自分を殺せと命ずる。妖忌は既に寄っている眉間の皺をさらに寄せて答える。

 

「できませぬ」

 

 妖忌は短く答える。幽々子もまた、妖忌がそう答えるであろうことは予想の範疇であった。

 

「……そう。今回も私の願いを聞いてはくれないのですね。富士見の娘である私を斬れるのは貴方ぐらいだというのに……。いつになれば私を生という牢獄から解放してくれるのですか……?」

「……約束を交わしましたからな。御父上である歌聖殿と……。其方を幸せにする、と……」

「……ならば、尚のこと。私を死なせてくださればいいのに……。妖忌殿ならば……私を葬ることなど容易いでしょう?」

「……この妖忌、千年以上の時を剣に生きてきました。……雨を斬るのに三十年、空を斬るのに五十年、時を斬るのに二百年かかり申した。有りとあらゆるものを斬れるようになり申したが……未だ、人を斬るのは極められぬ。人を斬るのは難しい。ましてや情の深い者が相手であれば尚更に……」

 

 妖忌はそう言いながら、地に転がったフラスコの一つを開ける。出てきたのは気絶した妖夢であった。妖忌は妖夢を仰向けに寝かせると、妖夢とともに出てきた白楼剣を手に取る。

 

「……それは魂魄家の家宝である白楼剣? ……なぜ、そんなものを幼い娘が……?」

「……某が西行妖に身を投じた際に託したのでございます」

 

 幽々子の問いに妖忌が口を開く。幽々子は妖夢の顔を覗き込む。

 

「……この子……、半人半霊? ……そういうこと、ね……」

「……あれから色々ありましてな……。これは某の孫娘にございます」

「そう……。この子が貴方の……。ふふ。貴方に似ず、可愛らしい娘ね。それにしても驚いたわ。まさか、貴方のような堅物がこのような幼い娘に魂魄家の家宝を託すなんて……」

「……魂魄の血を引くものがその子しかおらぬということもありまするが、某はこの子に懸けることにしたのでございます」

「懸ける?」

「ええ。幽々子様を救うことをこの孫に懸けることにしたのです。私も息子も幽々子様を救う術を見つけ出すことはできなかった。それは、我らが男であったためかもしれぬ、と某は思ったのです。剛では其方は救えぬ。しかし、この妖夢であれば……女子であるこの娘ならば、しなやかな強さで其方を救う手段に辿り着いてくれる、と某は信じているのです」

「この子が私を救う、ね」

 

 幽々子は嬉しそうな、だがどこか悲し気な表情で気を失っている妖夢の頬をさする。

 

「……幽々子様。斬らせてもらいますぞ。其方と其方の魂が共鳴し始めております故」

「……わかったわ」

 

 妖忌は白楼剣で空を斬る。目に見えぬ魂と肉体の繋がりを断ったのだ。繋がりを斬られた幽々子の肉体は気を失う。後ろ向きに倒れそうになった幽々子の体を妖忌は支え抱きかかえると白楼剣を地に突き刺し、西行妖の方に向かって歩みだす。

 

「……ともに眠ろう。心配することはござらぬ。今度の眠りは浅いはず」

 

 妖忌は幽々子に囁き終わると、妖夢に顔を向ける。

 

「期待しておるぞ、我が孫よ。だが、まだまだ修練が足りぬようじゃな。幽々子を危険に晒しておるようではいかん。……西行妖の陰でお前の成長を見守っておるぞ。さらばじゃ……」

 

 妖忌たちが西行妖に近づくと再び西行妖が光り出す。妖忌と幽々子は光に飲み込まれ、西行妖の中へと消えていった。再び封印の大樹となった西行妖は役割を把握しているかのように余剰のエネルギーを花びらとともに大気中へと放散し始めた。エネルギーは冥界の枯れた草木、虫や小動物の死骸へと注がれていく。蘇った草木と小動物たち、そして対照的に再び枝だけの殺風景な姿に戻ってしまった西行妖。

 

 ……冥界は蘇った命により、静かな活気を取り戻すのだった。



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次の春に

 妖忌と幽々子が再び封印の眠りに就き、一刻ほどが過ぎた頃、気を失っていた妖夢が目を覚ます。

 

「う……。私は一体……? そ、そうです。幽々子様と私はあの死体使いの魔女のせいで瓶に閉じ込められたはず……」

 

 妖夢が周囲を見渡すと散乱したフラスコが地面に転がっている。どうやら何者かが自分を瓶の中から出してくれたらしいことを妖夢は理解する。しかし、周りに人影はない。神経を研ぎ澄ますとわずかな力の残滓が感じられる。それは妖夢の良く知る人間のものだった。

 

「……幽々子様の力の破片……、そして、これはお師匠様の力……!?」

 

 妖夢は力の残滓の持主が十数年前に白玉楼から姿を消した自身の祖父だとわかり、驚愕する。妖夢は大声を出さずにはいられなかった。

 

「お師匠様ぁあああ! ……おじいちゃぁあああん!!」

 

 だが、返事はなかった。妖夢の声は冥界の空へと消えていく。

 

「……おじいちゃんが助けてくれたの……?」

 

 妖夢は呟くが、すぐに従者としての務めを思い出す。

 

「そ、そうだ。幽々子様はどこに……? まだ瓶の中なの!?」

 

 妖夢は片っ端からフラスコの栓を開けてゆく。いくつ目かのフラスコを開けたとき、傷ついた亡霊幽々子が飛び出してきた。妖夢はすぐに声をかける。

 

「ご無事ですか!? 幽々子様!!」

「……無事、とは言えないわね。でも、大したことはないわ」

 

 妖夢の問いに顔をしかめながらも笑顔で答える幽々子。その様子を見て妖夢は安堵の溜息を吐く。

 

「……どうやら、あの魔女は去ったみたいね。……死んだのかしら……? 妖夢、あなたがやったの?」

「い、いえ。私もあの魔女の瓶に閉じ込められて……。どうやら、お師匠様が助けてくれたようなのですが……」

「……妖忌殿が……? ……たしかにわずかながらに妖忌殿の気配が感じられる。でも、何か違和感があるわね……」

 

 たしかに妖忌は凄腕の従者ではあったが、あの魔女を滅するほどであったとは幽々子には思えなかった。もっと、強大な何者かがあの魔女を倒したのではないのかと幽々子は疑問に思う。しかし、そのような巨大な力の痕跡はない。

 

 思考する幽々子の眼前に一片の花びらが舞う。季節外れの桜の花びらだ。興味を持った幽々子はその花びらを人差し指の腹にのせる。

 

「……さくらの花びら……? なぜこんなところに……?」

 

 幽々子は花びらから西行妖へと視線を変えた。

 

「……もしかして、あれに眠る何かが……?」

 

 推測と呼ぶにはあまりに突飛な思いつきであった。しかし、何故か亡霊幽々子は根拠のない確信を持つ。

 

「……妖夢。今度、あれの中に眠る何かを復活させるわよ」

「え!? さ、西行妖のことですか!? あれに触れてはいけないとお師匠様が言っていたような……?」

「構うものですか。きっと、あれに眠る何かが私たちを救ってくれたのよ。何がいるのかこの眼で見たくなったわ」

 

 幽々子は眼を輝かせて西行妖を見つめていた。こうなってしまっては何を言っても聞かないだろうと妖夢は諦め、幽々子に賛同する。

 

「わかりました。次の春になったら西行妖の花を満開にしてみることにしましょう。今はお休みになられてください、幽々子様。できれば、私も休ませてほしいです。もうぼろぼろ……」

「……そうね。休息をとりましょう。……幻想郷の方もまだ、片が付いていないようだし……。西行妖を咲かせるのはまた今度ね。それにしても久々に死ぬかと思った闘いだったわ」

「幽々子様はもう死んでるじゃないですか」

「ふふ。そうだったわね」

 

 幽々子は微笑むと冥界と幻想郷の境界の方に顔を向け、呟いた。

 

「悪いわね、紫。今は応援に行けないわ。私も妖夢も負傷してしまった。……冥界に来てはいけないわよ……」

 

 幽々子は遠くで奮闘しているであろう友人に言の葉を贈るのだった。

 

◆◇◆

 

 魔女集団『ルークス』。彼女らは魔法の森の片隅で、溜まり場というにはあまりに大掛かりな建物を魔法で出現させ、拠点としていた。その拠点で魔理沙のおばであるマリーは眉間にしわを寄せて苦悶の表情を浮かべる。

 

「……プロメテウスさんも……」

 

 お母様である『テネブリス』に報告するのは気が重かった。しかし、ルークスの幹部である『ドーター』のトップに立つ自分の役目だと割り切った。

 

「お母様、ご報告が……」

「どうしたのじゃ?」

「……プロメテウスがお亡くなりに……、いえ、消滅されました」

「プロメテウス……。ああ、あの人造人間か。あれが消滅しようとどうなろうと知ったことではないが……、務めは果たしていたのか?」

「……はい。任務は全うしております。消滅されたのはその後です」

「ならば、何も問題ないではないか。報告の必要はない」

 

 やはり、そう答えるか。とマリーは憤りを覚える。この魔女『テネブリス』はそういう女なのだ。自分の目的以外には何の興味もない。自分の作り出した『プロメテウス』が死んでも何の感情も覚えないのだ。マリーはプロメテウスを不憫に思う。プロメテウス自身もテネブリスを敬愛していたわけではない。そのことをマリーも承知している。がそれでも、だ。

 

「まあ、珍しい個体ではあったな。魂を持たぬ人造人間として生み出したにも関わらず、何故か自分のことを人間だと思い込み、元から魂がないのに、自ら魂を捨てたと認識しておったからのう。妄想に憑りつかれた変わった個体じゃったわ。狂っておったのかのう?」

 

 狂っている、たしかにそうだとマリーは心の中で思う。だが、それは元からではなかったに違ない。自分が魂のない虚の人造人間だと知った彼女は自分を騙すことにしたのだ。魂がないという恐怖を覆い隠すために。彼女がフラスコを多用していたのは自身がフラスコから生まれたからだろう。きっと彼女はフラスコに思い入れがあったのだ。無意識に母性を求めていたのかもしれない。……マリーは報告を続ける。

 

「……グループ2も壊滅いたしました……」

「グループ2じゃと!? あそこにはルガトがいたはず! まさかルガトも死んだというのか!?」

 

 マリーは頷く。テネブリスには珍しく部下を失ったことに感情を高ぶらせる。しかし、それは部下が死んだこと自体に対して激昂しているのではないことをマリーは知っていた。

 

「ルガトは数少ない『友』候補じゃったというのに……! 別の友候補を探さなくてはならぬではないか……! ……カストラートは何をしておったのだ!?」

「カストラートく……、……カストラートはルガトさんに吸血され、死亡しました」

「……実験吸血鬼の管理しかできぬくせに。最後まで大した役にも立たずに死んだわけか。友候補であるルガトを失う失態まで演じおって。奴を奴の一族から保護するときに要した労力を返して欲しいくらいじゃ……! 任務くらいは達成したのであろうな!?」

「は、カストラートも任務を終えてから死亡しております」

「最低限はやってから死んだか。ならば良い。……それで、ルガトをも倒した相手とは何者じゃ? ワシが殺してくれよう……!」

「……カストラートとルガトさんは複数の敵を相手にしていました。中でも特筆すべきは『黄色の髪をした吸血鬼』ではないかと」

「黄色の髪、じゃと?」

「はい。それも2体です」

「ほう。ルガトを失ったが、友候補となりうる『本物の吸血鬼』が2体も……。くく。やはり、このコミュニティを最後の地に選んだのは正解のようじゃな。……殺すのはやめじゃな。その2体、時が来ればワシ自ら迎えにいくことにしよう」

 

 テネブリスは先ほどまでの怒りを失い、むしろ新たな『友候補』の出現で上機嫌になっていた。

 

「それで、マリーよ。準備は進んでおるのか?」

「はっ。滞りなく」

「ならばよい。……もう少し、もう少しじゃ」

 

 テネブリスは顎を少し上げ、虚空を見つめて呟くのだった。



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詐欺

 ――ここは永遠亭。魔女集団『ルークス』のボス、テネブリスの攻撃により重体に陥った霊夢が運び込まれた屋敷である。その永遠亭の薬師『八意永琳』の治療により、とりあえずの命の危機を脱した霊夢だが、まだ意識は戻らないでいた。

 

「……少し、外に出てくるんだぜ」

 

 集中治療室で眠ったままの霊夢に心配の眼差しを送り続けていた霧雨魔理沙だったが、自責の念に堪え切れず、集中治療室前でともに霊夢を見守っていた父親に一言声をかけて席を外した。

 

 霊夢が意識不明の重傷を負ってしまったのは魔理沙親子をかばってのことだった。

 

「なんでこんなことに……」と思いながら、魔理沙は唇を噛み締めて永遠亭の庭に出る。

「ちくしょう……。魔法さえ使えれば……」

 

 魔理沙は強がるようにつぶやく。

 

自前の運を持たず、幻想郷の運を借りることで魔法を使用する魔理沙は、ルークスが幻想郷の運を奪い去ったことで魔法が使えなくなってしまっていた。もっとも、魔理沙が魔法を使えたとしてもテネブリス率いるルークスの魔女たちに勝てるかは怪しいところである。

 

……そんなことは魔理沙自身も解っている。だからこそ強がるように呟いたのだ。心だけは負けてたまるかという強い思いが魔理沙を奮い立たせる。

 

「ふーん。人間さん、アンタ魔法が使えるようになりたいの?」

 

 魔理沙に話しかける声。声の持主は頭から長い耳を生やしたウサギ少女だった。見た目の年齢は魔理沙よりも少し低いくらいだろうか。

 

「……アンタ、霊夢を手術室に運んでいたウサギ妖怪だな……?」

「私は因幡てゐ。てゐって呼んでくれればいいさ。それよりも魔法を使えるようになりたいんだろ?」

「……あいにくだが、私は運を持ってないんだ。魔法を使うことはできないんだぜ……。ムカつくけどな」

「アンタが運を持ってないのは知っているさ。そして今、幻想郷に起きている異変のことも知っている」

「……なんだって?」

「それでもなお、魔法を使えるようになりたいかって聞いているのさ」

 

 魔理沙はてゐを訝しむ。こんなちんちくりんが魔法を使えるようにしてくれるとは到底思えなかった。

 

「どうやら、私のことを信用してくれないみたいだね?」

「当たり前だろ。ついさっき顔を合わせたばっかの他人を信用しろなんて方が無茶ってもんだぜ」

「でも、魔法を使えるようになるって言葉には心動かされるんだろう? 悪いことは言わない。私の言うことを聞けばアンタは幸せになるよ、霧雨魔理沙」

「……なんで私の名前を知ってるんだぜ?」

「ま、私もいろいろやってるからね。さ、魔法を使えるようにしてあげるよ。もちろんタダってわけにはいかないけどね」

 

 てゐは右手の人差し指と親指で円のマークを作り、金を要求する。

 ……どうせダメ元だ、と思いながら魔理沙はウサギ妖怪の詐欺としか思えない話に乗ってやることにした。

 

「……いくらなんだぜ?」

「一円でどうだい?」

「……本当に魔法が使えるなら安いもんだな」

 

 魔理沙は自身が着るエプロンのポケットから紙幣を取り出すとてゐに渡す。幻想郷の一円は外の世界でいう一万円程度である。受け取ったてゐは「たしかに」と呟いてから言葉を繋げる。

 

「若いのに、しっかり稼いでるんだね。大したもんだ」

「なけなしの金だっての……。……金は払ったんだ。どうやって私に魔法を使わせようってんだぜ? 詐欺師さんよ」

「ひどいなぁ。詐欺なんかじゃないよ」と言うと、てゐは突然竹林の中へと走り去っていった。

 

「な!? に、逃げやがった! やっぱり詐欺だったんじゃねえか。金返しやがれ、なんだぜ!」

 

 頭に血を昇らせた魔理沙はてゐを追って竹林の中に飛び込む。

 ……失敗だった。程なくして魔理沙は自身の行動が失策だったことに気付く。魔理沙は完全に迷ってしまっていた。今の魔理沙は空を飛ぶことさえできない。迷いの竹林と呼ばれるこの竹藪から出ることができなくなってしまう。帰り道が全く分からない。闇雲に動き回ってはみたが、どの道もさっき通ったような気がしてくる。

 

「ちっくしょう。あのクソうさぎ……!」

 

 魔理沙は怒りをさらに強めるが、それを覆うように不安が襲う。……今、妖怪に襲われれば魔理沙に命はない。魔法を使えた時の魔理沙なら相当手練れの妖怪相手でも殺されることはないだろう。だが、今の魔理沙はただの非力な十代半ば程度の少女でしかないのだ。そして、魔理沙の不安は的中してしまう。

 

「グルルルル……」

 

 ……喉奥を鳴らしながら竹藪から出てきたのはイノシシのような妖怪だった。明らかに魔理沙を威嚇している。

 

「うぅ……。さ、最悪なんだぜ……。頼むからおとなしく退いてくれよ」

 

 魔理沙はイノシシを刺激しないように少しずつ後ずさりをして距離を取ろうとする。 

 ……これがただのイノシシ相手なら効果はあったかもしれない。しかし、すでに妖怪と化した眼前の獣は動物よりも知恵を持っていた。魔理沙が力のないただの人間であることを見極め、突進してくる。一直線に魔理沙に迫ってくる巨体。魔理沙は瞬間的に攻撃をかわそうと試みるが、避けきれずにかするように体当たりを受けてしまう。かすっただけとは言え、魔理沙は衝撃に耐えきれずに竹に叩きつけられる。

 

「ぐふっ!?」と魔理沙は息を吐き出した。

「くそ。マジでヤバいんだぜ」

 

 魔理沙が独り言をつぶやいた時には既にイノシシは第二撃を繰り出さんと魔理沙の方向に体を向けていた。助走をつけようとしているのか、間合いを図っているのか、右前足だけをかくように動かしている。

 

 次の瞬間、再び魔理沙に向かって突進してくる巨大イノシシ。

 

「そう何度も喰らってたまるか、なんだぜ……!」

 

 魔理沙はエプロンから野球ボール大の球を取り出し放り投げる。球は空中で炸裂し、強烈な光を放出する。百十七号という人形との戦闘でも使用した閃光弾だ。突然の光にイノシシは眼が眩み、立ち止まる。その隙に魔理沙は竹藪に身を潜めた。

 

 眼が回復し、辺りを見渡すイノシシを竹藪の陰から魔理沙は観察する。

 

(……頼むぜ。そのまま、どっかに行ってくれよ?)

 

 魔理沙は心の中で祈る。しかし、そんな祈りは通じないらしい。イノシシは鼻をくんくんと動かし、辺りを動き回る。

 

(……まさか、鼻も良いのかよ!?)

 

 魔理沙の推測通り、鼻が良かったらしくイノシシは魔理沙が隠れる竹藪の方向に体を向けると突進してきた。

 

「うわぁあああああ!?」

 

 イノシシからの攻撃をまともに受けてしまった魔理沙は少なくないダメージを負ってしまう。

 

「う……あ……、骨はなんともないみたいなんだぜ……? ……ちくしょう。あのばあさん魔女と戦うまで残しておきたかったんだけどな。仕方ないんだぜ……?」

 

 魔理沙はまたエプロンからマジックアイテムを取り出す。魔法陣が描かれた羊皮紙だ。魔理沙は魔法陣をイノシシの方に向け、魔法を放つ。

 

「マスター・スパーク!」

 

 羊皮紙にあらかじめ込められていた魔力が魔法を発動させる。イノシシはマスター・スパークの直撃を受け、消え去る。

 

「……クソ、危ないところだったんだぜ? 貴重なマジックアイテムが二つもなくなっちまった……」

 

 文句を言いながらも安堵し、その場に座り込み休息を取ろうとする魔理沙に巨大な影が忍び寄る。

 

「へ、へへ……。う、嘘だろ?」

 

 そこに現れたのは先ほどの巨大イノシシをさらに上回る大きさの白い狼だった。



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魔理沙対因幡てゐ

 おそらく、巨大イノシシと魔理沙の戦闘に気付き、様子を見に来たであろう白い大狼は魔理沙に向かって「ガルルルル」と威嚇する。

 

「なんちゅうデカさなんだぜ? そんなにデカいなら私を食べたって腹の足しにならねえんだぜ?」

 

 魔理沙は大狼に向かって見逃すように提案するが、聞き入れられるはずもない。狼は鋭い牙と爪を立てて魔理沙に襲い掛かる。

 

「くっ!? こいつは……マジックアイテムを出し惜しみしてる余裕なんてなさそうなんだぜ!? ……これでも喰らえ!」

 

 魔理沙は円筒を持ち出し、狼に向かって投げつける。狼の足元で破裂したそのアイテムから粘り気のあるピンク色の液体が飛び出し、狼の足元に広がる。液体に足を取られた狼は動けなくなる。

 

「どうだ! 私の特性鳥もちは! そんでもってこれも喰らいやがれ!」

 

 魔理沙はまたも魔法陣が描かれた羊皮紙を取り出し、狼に向けて魔法を射出する。

 

「スターダスト・レヴァリエ!」

 

 星形の魔法が無数に出現し、狼に次々と命中していく。

 

「どうだ!?」

「グルルルル……!」

「そんな……! 全然効いてないんだぜ!?」

 

 スターダスト・レヴァリエに全く動じてない狼は足に着いた鳥もちも力づくで解除する。

 

「くっそ。その辺の動物なら絶対に身動きできないくらいのトラップなのに……。なんて馬鹿力なんだぜ!?」

「ガウ!!」

 

 狼は鋭い爪のついた前足を振るい、魔理沙に攻撃する。爪の直撃は避けた魔理沙だが、肉球部分で殴り飛ばされた。

 

「うっぐ!? ち、ちくしょう……」

 

 イノシシからのダメージも引かぬ間にさらに狼からのダメージも喰らってしまった魔理沙の体はすでにボロボロだ。もう一発でも狼の攻撃を喰らってしまえば、立ち上がれなくなってしまうだろう。

 しかし、狼は攻撃の手……、もとい足を緩めることはない。次の瞬間には魔理沙に向かって駆け出していた。

 

「いい加減にしろ!」

 

 魔理沙は煙玉のようなものを狼の頭部目掛けて投げつけた。玉から出た紫色の毒霧が狼の眼を襲う。狼は痛みでじたばたとのたうち回る。

 

「へへ……。全部使ってぶっ飛ばしてやる……!」

 

 魔理沙は羊皮紙を3枚取り出すと、狼に向ける。その全てから魔理沙の最大魔法『マスター・スパーク』が放たれる。狼はイノシシ同様、完全に消え去った。

 

「……手持ちのマジックアイテムが全部なくなっちゃったんたぜ……。もう出てこないでくれよ……?」

 

 魔理沙は再び妖怪が出てこないことを祈る。しかし……。

 

「あーあ、イノシシも狼もやっちゃうなんて大したもんだね。思ったよりやるじゃないか。計算外だよ。私自ら相手しないといけなくなっちゃったじゃないか」

「お前……!」

 

 魔理沙の眼前に現れたのは長い耳を頭に生やしたウサギ妖怪『因幡てゐ』だった。

 

「出てきやがったな、この詐欺ウサギ! 今の口ぶりだと……、さっきの妖怪二匹はお前の差し金か!?」

「詐欺だなんてひどいなぁ。私は騙してなんかいないよ。それにしてもイノシシも狼も可哀想なことさせちゃったな。まさか、あんな魔法を使えるとはね。……正確には『使えた』なのかな? 二体とも綺麗さっぱり消しちゃうなんて……」

「やっぱりお前の差し金か。とんでもないやつなんだぜ。そんなに一円が欲しいのかよ!?」

「一円なんてホントはどうでもいいんだけどさ。……仕方ないなぁ」

 

 てゐは右手人差し指を魔理沙に向けると……レーザー状の弾を無数に打ち出す。

 

「うわぁああああ!?」

 

 魔理沙は咄嗟に逃げ出す。当たれば命はない。

 

「どうやら、もうマジックアイテムはないみたいだね。それじゃあ、体一つで頑張ってもらわないと」

 

 てゐは魔理沙に対して攻撃し続ける。時にはゴルフボール状の魔法弾、時には人間大の巨大魔法弾、時にはレーザー状の魔法弾を使い分けて……。

 

「どうしたんだい? 動きが鈍くなってきてるよ?」

「はぁ、はぁ、はぁ……!! う、うるさいんだぜ……!」

 

 てゐの言う通り、魔理沙の動きは鈍くなっていた。仕留めようと思えばもう仕留められるはず。それなのに、てゐは魔理沙にとどめを刺そうとはしない。ギリギリ避けれるレベルの攻撃を仕掛け続けていた。『……どうやら、私をいたぶって楽しんでいるみたいだな。趣味の悪いウサギだぜ』と心中で魔理沙は思う。

 

「ほらほらほら! さっさとどうにかしないと本当に殺しちゃうよ?」

 

 てゐの魔法攻撃が続く中、魔理沙はピタと動きを止める。もう限界だった。

 

「どうした? もう諦めるの?」

「…………」

 

 魔理沙は答えない。諦めたわけではない。ないが、もう疲労困憊でどうにもならなかった。てゐは魔理沙に歩み寄ると眼を合わせる。

 

「……若いくせに根性ないなぁ……。もっとシャキッとせんかい!」

 

 てゐは魔理沙の頬を張り手した。ふっとばされた衝撃で魔理沙のエプロンから六角形の何かがこぼれ出る。……ミニ八卦炉だった。地面に転がったミニ八卦炉にてゐは気付かず、踏もうとしている。自分にとって思い入れのある道具が傷つけられようとしている。それを見た魔理沙に戦闘意欲が戻る。

 

「踏むんじゃねえ!!」

 

 魔理沙は怒りのままにてゐに向かって手をかざす。掌から一つの星くずが放たれた。てゐは星を避けようと飛び退く。

 

「……やればできるじゃないか。ま、ちょっと遅すぎるけどね」

「……魔法が使えた……?」

 

 魔理沙は自分の掌を見つめて呟く。たしかにミニ八卦炉を踏まれそうになった怒りで多少冷静さは失っていた。だが、魔法を使うと無意識に決心したとき、魔法を使えるという確信がなぜか不思議と湧き出ていた。

 

 魔理沙は気付く。今、ここは『いつもの幻想郷と変わらない、運を奪われる前の幻想郷と一緒だ』と。

 

「ここは運に溢れている……?」

「やっと、気づいたのかな?」

 

 てゐは笑いながら魔理沙に問いかける。

 

「でもまだ不十分だ」

 

 てゐは魔法弾を撃ち、魔理沙をその場から動かす。魔理沙は反撃とばかりにもう一度魔法を発動しようとする。しかし……。

 

「……今度はやっぱり使えない……!? 一体全体どうなってるんだぜ!?」

「まだ、完全に気付いたわけじゃないか。でも魔法使いの本能でなんとなくわかってきてる感じなのかな?」

 

 そう言いながら、てゐは足元に転がったミニ八卦炉を拾いあげると魔理沙に放り投げた。

 

「なんで私に渡すんだ?」とミニ八卦炉をキャッチしながら魔理沙は問いかける。

「言ったでしょ? 魔法を使わせてやるってさ。それを装備してた方が気分が上がるんでしょ? ……霧雨魔理沙、感じ取れてるかい?」

「感じ取る? 一体何のことなんだぜ?」

「どうやらまだ追い込みが足りないか。もっと激しくしてあげなくちゃね……!」

 

 てゐは先ほどまでをも上回る数の魔法弾を撃ち放つ。

 

「うわわ!?」

 

 魔理沙は焦りの声を上げながら再び逃げ回る。逃げ回りながら思考していた。なぜさっきは魔法を使えたのか、と。魔理沙は今まで幻想郷の運を無意識で使っていた。だから今回の異変でも幻想郷から運が消失したことに気付けなかった。

 だが、先ほど久々の魔法を放った時は感じ取ることができたのである。この幻想郷の『運』を。魔理沙は初めて幻想郷の運を意識したのだ。

 しかし、条件がわからない。どうしてさっきは魔法が使えて今は使えないのか……。

 

「まさか、そんな単純なことなのか……?」

 

 魔理沙は一つの推測を立てる。それを確かめるためにてゐの攻撃を避けながら移動し続ける。そして再び辿り着く。先ほど魔法を使えた場所に……!

 

「スターダスト・レヴァリエ……!」

 

 魔理沙の魔法は発動された。間違いない、場所だ。運が有る場所と無い場所があるのだ。魔理沙は恥じる。魔法を使えないショックで……自分に運がないことを知ったショックで幻想郷から全ての運が奪われたのだと思い込んでしまっていたことを。

 

「でもそれじゃ、意味ないんだよね!」

 

 てゐは魔理沙の繰り出した星屑を避けながら魔法弾を撃ち返す。

 

「それは魔法を使えた場所を『暗記』しただけだろう? もっと集中しなよ。 そして感じ取れ……!」

「くっ!? 感じ取れだって……!?」

 

 魔理沙は動き回りながら感覚を研ぎ澄ます。すると気付く。一定の場所を通るときに自身の体に魔力が宿る感触があることに……。

 

「……ここだ……!」

 

 魔理沙は感触を覚えた場所で魔法の使用を試みる。

 

「コールド・インフェルノ!」

 

 光の魔法がてゐ目掛けて発射された。魔理沙は完全に確信する。幻想郷の運は全てが奪い取られたわけではなかったのだと、限られた範囲だがまだ残っているということを。

 

「ようやく、少しは感じ取れるようになったみたいだね。『龍脈』を……!」

 

 てゐはにやりと笑うと魔理沙を見やる。

 

「龍脈……?」

「そう。幻想郷を幻想郷たらしめているものさ。『龍穴』と『龍穴』を結ぶ龍脈。運を噴き出す地脈のことだよ。でも、自分の体が龍脈上を通るときにしか運を感じ取れないようじゃあまだ合格点は与えられないよね……!」

 

 ……たしかにそうだ。と魔理沙は思う。龍脈とやらの上でしか魔法を使えないのなら、龍脈の位置を正確に把握しないと自分が意図するタイミングで魔法を放つことができない。『たまたま龍脈があったから魔法を撃てた』ではとても戦闘では使えないのだ。魔理沙はより一層精神を研ぎ澄ます。龍脈を感じるだけでダメだ、龍脈を……運のある場所を見抜けなければ……。てゐの魔法攻撃によりプレッシャーをかけられた魔理沙の精神は限界を超え、龍脈を見つけ出せるように進化し始めていた。

 

「ここだ……。このライン上に『運』がある……!」

 

 魔理沙は細く走る龍脈を『発見』すると、ミニ八卦炉をかざす。自分の力で放つのは久しぶりだ。大声でその魔法名を叫ぶ。

 

「マスター・スパァアアアアアク!!」

「……そんな細い龍脈を見つけるか……。合格だよ、霧雨魔理沙」

 

 因幡てゐは魔理沙の放つマスタースパークに飲み込まれるのだった。



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薄弱な意思

「へっ。ど、どうだ。一発かましてやったんだぜ!」

「良いね。それくらいできれば足手まといにはならないだろうさ」

 

 マスターパークによって生じた煙が晴れ、てゐのシルエットが鮮明に浮かび上がる。驚くことに彼女の体は高密度エネルギーを受けてもなお、無傷であった。てゐは自身の周囲に結界を張り、身を守っていたのである。魔理沙は平気な顔をしているてゐを見て、たらりと一筋の汗を額から流す。

 

「……結構な威力が出てたはずなんだけどな……。そこまで、ケロッとされてたら自信なくすんだぜ?」

「そんなに卑下することはないよ。私に結界を張らせた『人間』は久しぶりだからさ」

「……お前、何者なんだぜ? ただのちんちくりんのウサギ妖怪だとは思えないんだぜ……」

「……残念ながらただのウサギだよ。ちょっとばかし『人間を幸運にする』程度の……ね」

「幸運……?」

「そう。私がただのウサギなのに長生きできているのは、この幻想郷の幸運を良く知っていたからさ」

「長生きだって? お子様にしか見えないんだぜ……」

「誉め言葉だと受け取っておくよ? さて、約束通り、魔法の使い方を教え終わったし、永遠亭に帰るとしよう」

「それにしても、詐欺師ではないかもしれないが、悪いやつなんだぜ。私に魔法を使えるようにするためとはいえ、私を殺しにかかりに来るわ、イノシシと狼は犠牲にするわ……」

「何言ってるんだい?」

 

 てゐは竹林の中を指さす。そこには結界に守られた子イノシシと子狼が傷を癒すようにすやすやと眠っていた。

 

「私は『可哀そうなことさせちゃった』とは言ったけど、『死なせた』とは言ってないだろう?」

「……あれがさっきまでのデカいイノシシと狼の正体ってことか? ……いつの間に助けてたんだぜ……?」と魔理沙は言葉をこぼす。

「運に溢れたこの竹林は獣が妖怪化しやすいからね。そして、強力な運は人妖、動物問わず引き寄せる。この竹林が『迷いの竹林』なんて言われ始めたのはそのせいさ。人間は迷っているわけじゃない。無意識に強力な運にあてられて外に出ようとしなくなるのさ」

「えらく詳しいじゃないか」

「……まあね。さて、付いてきなよ。永遠亭まで案内してあげるよ」

 

 てゐはすたすたと歩き出した。魔理沙も後に付いて行く。永遠亭に到着した二人を八意永琳が出迎える。

 

「……てゐ、患者の観察をさぼってどこに行ってたの?」

「ま、そう機嫌を悪くしないでよ、お師匠様。ちょっとばかしこの人間が魔法を使えるようにしてきたのさ」

「……あの博麗の巫女はVIPなのよ? 眼を離さないでちょうだい」

「はいはい」

 

 適当に返事をするてゐを見た永琳はため息を吐きながら魔理沙にも忠告し始める。

 

「てゐにそそのかされたのかもしれないけど、あなたも永遠亭の敷地から出ないでちょうだい。幻想郷の運がなくなって魔法が使えないんでしょう? 竹林の中は危険だわ」

「わ、わかりました、なんだぜ……」

 

 注意された魔理沙は永遠亭の中に戻ろうとするが、それをてゐが引き止めた。

 

「どこにいくんだい? 霧雨魔理沙」

「どこって……。今、言われただろ永遠亭を出るなって……」

「思いのほか素直なやつなんだなぁ……。敷地を出なかったらいいんだろう? 庭で魔法の練習をしなよ。敷地を出なかったらいいんだ。そうだろ、お師匠様?」

「…………」

 

 永琳は無言で答える。

 

「ほら、お師匠様も反対してないみたいだ。幸い、この永遠亭は龍穴のど真ん中に立っている。運は溢れっぱなしの練習し放題だ。……異変を起こしている連中が襲ってきたときに闘う戦力は多い方がいい。アンタだってお友達を殺されるわけにはいかないだろう?」

 

 言い残すと、てゐは永遠亭の中へと入っていった。後に続くように永琳も建物内に消えていく。魔理沙の視線が届かない場所まで入り込んだところで永琳がてゐに話しかける。

 

「珍しいわね。あなたが『本気』で人間に目をかけるなんて……」

「……すこーし、嫌な予感がするからさ。闘える『人間』は多い方が良いだろう?」

 

 てゐはにやりと笑いながら、永琳に視線を併せる。黒かった眼を紅く染まらせて。いつの間にやら黒色の髪も真っ白に変色する。肌つやも少女のそれでなく、皺のある老婆のそれになっていた。

 

「……正体を隠せてないわよ。因幡の白兎殿……」

「おっとこれは失敬、失敬。久しぶりに強い力を使ったからさ。化粧崩れしちゃったよ」

 

 次の瞬間にはてゐは元の黒髪うさ耳少女に戻っていた。

 

「それで、博麗の巫女の具合はどうなのかしら? 持ち場を離れたからといって仕事までさぼるあなたではないでしょう?」

「もちろんだよ、お師匠様。はっきり言えば、かなり厳しいだろうね。お師匠様の治療は完璧だ。元通り……いや、元以上に回復しているはず。それなのに目を覚ます気配はない。……こんなに生きる意志の弱い博麗の巫女は初めてだよ。……もしかしたら死にたがってるくらいなのかも。巫女としての才能はこれ以上ないくらいあるのに……、もったいないことだ」

「……そう。八雲紫への言い訳を考えておかないといけなさそうね……」

「困った巫女さんだ。あの白黒くらいに元気だったらいいのに」

「白黒? あの魔理沙とかいう魔法使いの人間のことを言っているのかしら? 私にはあまり元気そうには見えないけど?」

「そりゃ、今は元気いっぱいな姿を見せるわけにはいかないだろうさ。自分のせいで友達が死にかけてるんだから。それに幻想郷の運がなくなり、魔法を使えなくなったことが精神的にも辛かっただろうしね。でも、魔法の問題は解消してやった。これからは今まで以上に元気に頑張るだろうさ」

「因幡の白兎殿は一体何をあの金髪少女に期待しているのかしら?」

「別に何も?」

 

 てゐがそう言い終わった時、バリバリと建物が壊れる音がする。永琳とてゐはその原因を感覚で探り当てる。

 

「ちょっと元気が良すぎじゃないかしら? 魔法の練習で永遠亭をぶっ壊すなんて」

「まぁ、屋根の一部が壊れたくらいだろう? 大目に見てやってよ、お師匠様」

「……わかったわ。大目に見てあげる。でも、修理はあなたたち兎にしてもらうわよ? もちろん費用込みでね」

「……こりゃまいったね」

 

 てゐは苦笑いを浮かべながら庭の方に振り返るのだった。



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秋の神と厄の神

◆◇◆

 

 ――妖怪の山、麓――

 

「そ、そんな……」

 

 体をうずくまらせ、苦悶の表情を浮かべるのは八百万分の一の神で秋の豊穣を司る「秋穣子」だった。彼女「ら」を見下すように立っていたのは紫の長髪を持つ美女。しかし、その美女が人外であることは一目瞭然であった。

 

「あ、あなたたちの目的は何なの? 蛇女……!」

 

 穣子はわずかに残った体力で「蛇女」に問いかける。穣子が形容したとおり、紫髪の美女は蛇女だった。上半身は人間のそれだが、へそから下あたりからの下半身は蛇の尾になっている。上半身の恥部を隠す最低限の黒い布以外は何も来ていない蛇女は穣子の問いに答えた。

 

「すべては我が主のため」

 

 短く答えた蛇女は尾の先端を穣子の隣で倒れている少女に向ける。すでに少女は気を失っていた。少女の名は「秋静葉」。穣子と同じく八百万分の一の神で秋の落葉を司る。穣子の姉にあたる存在だ。

 

「な、なにする気……!? や、やめなさいよ!?」

 

 穣子の制止の言葉など届くわけもなく、鋭い槍のように尖った蛇女の尾が静葉に襲いかかる。刺されば容易に体を貫通するであろう超スピードで。大きなダメ―ジを受けた穣子は指一つ体を動かせない。静葉をかばうこともできない彼女にできることは声を絞り出すことだけだった。

 

「お姉ちゃ……!」

 

 穣子が静葉の死を覚悟したその時、蛇女の尾がピタッと止まる。尾にはリボンが巻き付けられていた。暗い赤色に白色のフリルが施されたリボンである。

 

「邪魔するな」

 

 蛇女は自信の尾を止めたリボンの持主を睨みつける。

 

「そういうわけにはいかないわ」

 

 リボンの持主は口を開く。赤黒い服に身を包んだ緑髪の少女は口を開く。彼女の名は「鍵山雛」、妖怪の山の麓に広がる樹海に身を置く「厄神」だ。

 

「あなたたちの狙いは妖怪の山そのものでしょう? でも与えるわけにはいかないわ。この山は聖域そのもの。山を失えば幻想郷は消滅の危機に陥ると言っても言い過ぎじゃない。そんなことになれば、幻想郷の人間たちに不利益を与えることになるわ」

「我が主の障害となるならば殺すのみ」

 

 蛇女の鋭い尾が鍵山雛目掛けて放たれた。雛はふわりと回転しながら宙に舞って回避する。勢い余った蛇女の尾は雛の背後にあった大岩に突き刺さる。衝撃を加えられた大岩はがらがらと崩れ落ちた。

 

「とんでもない威力ね……。とても敵いそうにないわ」

 

 蛇女は宙に浮く雛に照準を合わせ、その長い尾を再び雛に向けて射出する。超スピードで向かってくる尾を見ながら雛はポツリと言葉をこぼした。

 

「……そう、敵わないでしょうね。『いつもの私』なら……!」

 

 雛は直線状に突っ込んできた尾を体をひねって回転しながらかわすと同時に蛇女の尾に自身の衣装に付随しているリボンを巻き付ける。雛は巻き付けた尾ごとリボンを振り回し、蛇女を地面に叩きつけた。

 

「がっ!?」と衝撃で肺から息を吐き出す蛇女に雛は語り掛けた。

 

「運と不運は表裏一体。どこかで運が無くなればそこに不運が生まれ、どこかで不運がなくなればそこに運が生まれる……。あなたたちが運を奪ったことで、幻想郷に不運が……『厄』が満ちている。皮肉なものね。あなたたちは自分で首を絞めることになったのよ。私は『厄神』。今の私はかつてないほどの力に満ちている。覚悟することね……!」

 

 鍵山雛は叩きつけられた蛇女を見下しながら、眉を吊り上げるのだった。



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不穏な気配

「あの厄神……、本当に強くなってる……。前会った時は私より弱いくらいだったのに……。厄神にとって今の幻想郷は最高の状況ってわけね……」

 

 蛇女を圧倒した鍵山雛を見ながらつぶやく穣子。そんな穣子の呟きに厄神が答える。

 

「最高の状況なわけがないでしょう? この状態がこのまま続けば幻想郷の人間にも悪影響が出ることは必至。だからあなたたちも敵わないと知りながらもこの蛇妖怪に闘いを挑んだんでしょ?」

「ふふ……、まあね」

 

 秋の神と厄神……。それぞれにやり方は違えど、人間のために存在することを喜びとする神たちは根っこの部分で同一の価値観を持っているらしい。

 

「う、ぐぐ……!?」

 

 雛に叩きつけられていた蛇女がうめき声を上げながら体勢を立て直し、雛を睨みつけていた。

 

「あら、まだ気を失ってなかったのね。その頑丈さ恐れ入るわ」

 

 雛の挑発的な誉め言葉で頭に血を昇らせた蛇女は一直線に体を走らせ、襲いかかる。しかし、今の雛には彼女の動きは児戯に等しかった。

 

「無駄よ……!」

 

 爪を立てて切り裂き攻撃を加えようとする蛇女の腕にリボンを巻き付かせると、体をひねりながら一本背負いの要領で再び地面へと叩きつける。背中から落ちた蛇女は「がはっ」と吐血しながら息を吐き出していた。

 

「敵わないのは解ったでしょう? まだ懲りないというなら……、したくはないけど本当に殺すわよ。大人しく引き上げてちょうだい」

 

 雛は眉間にしわを寄せた憐れむような表情で蛇女に忠告を送る。

 

「我が主のため、……我らが主のため……!」

 

 と言葉を紡いだ後、蛇女は「キィイイイイ!」という鷹の鳴き声をさらに高くしたような声を大音量で発生させた。あまりに不快な声に雛と穣子は思わず耳を塞ぐ。

 

「な、なんて声……。いや、音!? 頭がおかしくなりそう……!」

 

 穣子が頭を抱えてつぶやく。しかし、次第に耳の痛みは引いていく。蛇女の声はだんだんと小さくなっていったのだ。そして、ついには止んだ。

 

「ア……、ア……」

 

 鳴き止んだ蛇女は死戦期呼吸のような顎の動きを見せるとそのまま倒れ込み息絶えた。

 

「なによこいつ。一体なにがしたかったの……?」

「たしかに不快な音ではあったけど……、あれで私たちを殺せると思っていたのかしら……?」

 よろよろとしながらも立ち上がる穣子の疑問に雛も同調する。

 

「声だけで殺せると思われてたんだとしたらバカにされたもんよね。ま、ぼこぼこにされてた私が言える立場でもないでしょうけど。それよりありがとうね、厄神さん。おかげで助かったわ」

「秋の神に死なれたら、人間が食べるものがなくなっちゃうわ。気をつけてよね」

「……それにしても、あなた本当に力が向上しているわね。厄が集まるとそんなに強くなれるのね」

「……まあね。……それよりあなたのお姉さんは大丈夫なの?」

「多分大丈夫だよ」

「多分って……」

 

 穣子が静葉を起こそうと駆け寄ろうとした時だった。穣子も雛も不穏な気配を感じとる。

 

「なにかが集まって来ている……!」

「これは……さっきの蛇女と同じ気配……?」

 

 ……気付いた時には既に雛たちは敵に囲まれていた。

 

「全員蛇女……? 一体何人いるのよ……!」

 

 穣子の言葉どおり、現れた敵はさきほどの蛇女と同じ種族のモンスターたちだった。数は十数人ほどいるらしい。

 

「さっきの死んだ蛇女が出した甲高い声は自分の仲間を呼ぶためのものだったのね……!」

「……我らが主のため……。亡き同胞の無念を晴らすため……。死ね」

 

 蛇女の一人が呟き終わると、蛇女集団が一斉に雛たちに襲い掛かる。

 

「くっ!? 厄介なことになったわね……!!」

 

 雛は服に装飾されたリボンを操り、超スピードで蛇女の一体に向け槍のように突き立てた。リボンは蛇女の胸を貫き絶命させる。しかし、たった一体を止めただけでは蛇女たちの襲撃は止まらない。雛の攻撃をかいくぐった数体が体力を失っている穣子を歯牙にかけようとしていた。

 

「きゃあぁああああああああああ!?」

 

 穣子の悲鳴……。蛇女の一体に穣子は腕を噛まれていた。一体に咬みつかれたが最後、数体が一斉に穣子の四肢に食らいつく。噛まれたところから血が滲み、穣子の紅葉色の服装が赤黒い血に染まっていく。

 

「こ……の……! いい加減にしなさい!!」

 

 雛が穣子に咬みついている蛇女たちをリボンで次々に串刺しにしていく。なんとか穣子に食らいついていた全ての蛇たちを絶命させたが……穣子の救出に集中し過ぎた雛は背後から近づく蛇女に対応できなかった。蛇女は雛の肩口に食らいつく。

 

「う、あぁあああああああああああ!?」

 

 悲鳴を上げながらうつ伏せに倒される雛。雛の小さな体の上に覆いかぶさるように何体もの蛇女がのしかかる。穣子にも同様にプレス攻撃が加えられていた。大質量を体の上に乗せられたことで二人は息もできなくなる。

 

 二人がこれまでだと思ったその時だった。風向きが変わった。……強力な秋風が吹く……。

 

「うぅうううううううあぁあああああああああああああ!!」

 

 穣子の姉、静葉だった。気を失っていた静葉が目を覚まし、風を起こしていた。静葉は霊力の最後の一滴まで振り絞り、雛の上に乗っていた蛇女たちを風圧で吹き飛ばす。そして、雛の肩口に咬みついていた一体に全力の体当たりを試みる。

 

「私たち秋姉妹をなめるんじゃないわよ……!」

 

体当たりを受け、雛の肩口に咬みついていた蛇女は口の力を緩め、雛を放した。雛もまた、最後の力を振り絞り、リボンを全ての蛇女たちに超スピードで突き刺した。正確に急所を貫かれた蛇女たちは一体残らず息絶える。

 

「はぁ、はぁ、はぁ。なんとか終わったわね……」

 

 雛は肩口の出血を抑えるように手を当てながら安堵の言葉を紡ぐのだった。



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ナーギニー

「……穣子、大丈夫!?」

 

 静葉は倒れている穣子のもとに駆け寄り、安否を確認する。穣子は痛みに顔を歪めながらもこう答えた。

 

「わ、私は大丈夫よ、お姉ちゃん。それより、あの厄神は……?」

「……私も大丈夫よ。まったくとんでもない目にあったわね」

 

 雛は既に肩の傷口を押さえながら穣子の元に歩み寄っていた。

 

「助かったわ、秋の神のお姉さん。死ぬかと思ったもの」

「……体は大丈夫みたいね。お礼を言うのは私の方よ。あなたがいなかったら死んでたわ。私も穣子も……」

「まったく、最近妖怪の山に立ち入る者が多すぎるわね。ついこの前、外の世界の神が二柱も入山してきたばかりだっていうのに……」

「ま、この蛇女たちに比べればまだあの二柱はましな方じゃない? 一応筋は通そうとしてるみたいだし……」

「それにしても、この蛇たちも幻想郷から運を奪っている連中の仲間のようね……。魔力の質が幻想郷住人や東洋系のものとは違うもの」

「噂では魔女集団だって聞いていたけど、こんな化物までいるなんてね。バリエーションが豊富で結構なことだわ。しかも、海の向こうからはるばるこの幻想郷まで飛んできたってんだからご苦労なことよ」

「さて、傷の手当をしに行かなくちゃ。お姉さん、妹さんを背負えるかしら? 永遠亭に行かなくちゃ……」

 

 バリィ!!

 

 ……不穏な巨大音が雛たちの耳に届く。木が割れる音だ。雛たちの背後に広がる森から聞こえてくる。音は次第に雛たちの方に近づいてきた。

 

 バリィ!!

 

 一際大きな音が鳴り終わった時、なぎ倒された木とともに雛たちの目に驚愕の光景が入り込む。……巨大な蛇女だった。先ほどまで雛たちが闘っていた蛇女が体長2m程度だったのに比べ、目の前の巨大蛇女は体高だけで優に5メートルは超えていそうだった。

 

 巨大蛇女は雛たちの周囲に転がる蛇女たちの死体を目にすると、顔を紅潮させると、怒りを発散させるように地面を強く殴った。衝撃で雛たちは地震にあったかのようにグラグラとバランスを崩される。

 

「貴様らか? 妾(わらわ)の忠臣であり、娘でもあるこやつらを皆殺しにしたのは……?」

「く……!? だったらなんだっていうのよ?」

「無論、この場で死んでもらおう。……優秀な妾の娘たちを殺した雄である貴様らには妾の名を教えてやろう。妾の名は『ナーギニー』、蛇の王女『ナーガ・ラージャ』である」

「……それはご丁寧にどうも」

 

 雛は額に冷や汗を流しながらナーギニーに声をかける。

 

「さて、では誰から殺してやろう」

「勝手に殺すつもりにならないでくれるかしら?」

「妾の忠臣を勝手に殺しておいてそのような口を聞けるとは……。どうやら貴様らは相当の恥知らずのようだ」

「さきに仕掛けてきたのはそちらの方でしょう? 私たちの領域にずかずかと土足で入り込んできたのは!」

「……なぜ、神の使いたる我らが下賎の者どもの了解を得る必要がある?」

「……私たちも神なのよ。えらくなめられたものね」

「……神? 貴様らが……? ぷっ、ははははは!」

 

 ナーガ・ラージャのナーギニーはこらえきれずに息を吐き出した。不愉快な雛はすぐに問いかける。

 

「なにがおかしいっていうの!?」

「おかしいに決まっておろう? 貴様ら程度が神だと? 我らが主はもちろん、妾にも到底敵いそうにない矮小な存在が神とは……。どうやら、この極東の島国では大した力を持たずともふんぞり返ることができるのだな。貴様らの国のことわざでいうならば、まさに『井の中の蛙大海を知らず』というものだ」

「えらく舐められたもの……ね!!」

 

 雛はリボンを鋭く尖らせ、ナーギニーに突き刺そうと射出する。しかし……。

 

「……なんだ? この蚊が刺した程度の攻撃は?」

 

 雛のリボンはナーギニーの薄皮すら貫けずに止められる。

 

「そ、そんな……」

「今更後悔しても遅い。妾の怒りを買ったのだ。簡単に死ねるとは思わぬことだ」

 

 ナーギニーは動き出した。体長十数メートルはあろう巨体が信じられないスピードで雛の間合いに入ってくる。再び雛はリボンを射出し抵抗を試みる……が、リボンをいとも簡単につかみ取ったナーギニーはそのままリボンを振り回す。リボンが服と一体になっている雛は逃げ出すこともできずに振り回される。そして振り回した勢いそのままに地面に叩きつけられてしまった。

 

「がはっ……!?」

 

 雛は口から鮮血を噴き出す。衝撃で体を動かせない雛の細い腕をナーギニーが巨大な手を用いて掴み、拾いあげる。

 

「下賎の者よ。どうだ? これが妾の力。ナーガ・ラージャの力だ」

「ごふっ。ふう、ふう、ふう……。ふ、ふふ。た、大したことないわね」

 

 吐血によって咳き込みながらも強がる雛。雛の体は右腕をナーギニーに掴まれて持ち上げられ、宙に浮いた状態だ。ダメージで体もほとんど動かせない。それでもナーギニーに屈することはなかった。そんな雛の姿がナーギニーをイラつかせる。

 

「そうか。まだ、そんな態度がとれるか。ではこれならどうだ?」

 

 ナーギニーは雛の右腕を掴んでいる掌に力を込めた……。

 

「ぎ!? いやぁあああああああああああああああああああああああああ!?」

 

 骨の砕ける鈍い音と共に雛の悲鳴が妖怪の山の麓に響き渡る。ナーギニーは手のひらの力を緩めると雛を地面に落とす。雛の腕はかろうじて繋がっているようだが……、ぐちゃぐちゃに変形していた。あまりの痛みに雛の双眼から涙が浮かび上がる。

 

「言っただろう? 後悔しても遅い、と」

 

 ナーギニーは愉悦の感情で破顔しながら地に転がる雛を見下すのだった。



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抵抗する下賎な神たち

「さて、まだ終わらせんぞ。下賎な神よ」

「あ、あ……。いた……い……」

 

 地面にうつ伏せに倒れ、絞り出すように声を出す雛。そんな雛に巨大蛇女『ナーギニー』の追撃が加わる。

 

「あぁあああああ!?」

 

 叫び声とともに厄神は悶絶する。ナーギニーの尾が雛の足に叩きつけられていた。雛は激痛で顔を歪める。

 

「どうだ、苦しいか? 下賎な神よ。だが、妾の忠臣たちが受けた苦しみはこの程度ではなかろう。もっと苦しめてから死なせてやるぞ?」

 

 ナーギニーが尾の先端を雛に向ける。明らかに雛の体のどこかを突き刺そうという体勢だ。

 

「させない!」

 

 そう声を張り上げたのは、秋姉妹の姉、秋静葉だった。静葉は両の手掌をナーギニーに向けると、空気を巻き起こし、落葉の風をぶつけるが……。

 

「……何かしたのか?」

「うっ……。ま、まるで効いてない!?」

 

 静葉の風がナーギニーにダメージを与えることはなかった。ナーギニーは動揺する静葉の表情を見て笑みを浮かべる。

 

「喜ぶがいいぞ? そんなに死に急ぎたいのならお前から殺してやろう」

 

 ナーギニーは攻撃対象を雛から静葉に変えると、くねくねと尾を動かしながら巨体をは思えぬスピードで静葉の間合いに入ると、巨大な尾を静葉の体に絡みつかせた。巻き付かれた静葉は体の動きを封じられる。

 

「うっ……。ぐっ……」とうめき声を上げる静葉にナーギニーが問いかける。

「さて、これから妾がお前にどのような裁きを下すと思う?」

 

 静葉にナーギニーからの質問に答える余裕はなかった。なんとかとぐろから抜け出そうともがいていたが、ナーギニーの尾はビクともしない。

 

「このまま、窒息させても良いが、それでは地味であろう? 派手に殺してやろうぞ」

 

 そういうと、ナーギニーは静葉に絡みつかせた尾に力を込めた……。……静葉の体から巨大なクラッキング音が鳴り響く。何重にもなったその音は静葉の体中の骨から発せられるものだった。静葉は悲鳴を出すこともできずに鮮血を口から噴き出す。静葉の体に絡みついていたナーギニーの尾……。その隙間から勢いよく静葉の血が花火のように飛び出していた……。ナーギニーは尾の力を緩めると、『花火の残骸』をポトリとその場に捨て置く。

 

「下賎な神にしてはなかなか鮮やかな散らせ方だったぞ?」

 

 地に落ちた静葉の体は腕や足があり得ぬ方向に曲がっている。上から下まで着衣は全て血で染まってしまっていた……。

 

「おねえちゃぁぁあああああああああああん!!」

 

 妹、穣子の悲痛な叫びが妖怪の山にこだまする。

 

「お姉ちゃん! しっかりして! 返事して!」

 

 必死に呼びかける穣子の言葉に静葉が反応することはなかった。静葉の眼は開かれたまままばたき一つする様子はない。瞳孔も開いたままだ……。いつ死んでしまってもおかしくない。そんな状態だった。

 

「ゆ、ゆるさない……!」

 

 穣子は双眼に涙を浮かべながらナーギニーを睨みつけた。

 

「ほう。これはお前の姉だったか。だが、心配するでない。お前もすぐにあの世に送ってやるぞ?」

 

 どこかで聞いたことのあるようなまさに悪役といった言葉を並べるナーギニー。そんな巨大蛇女に穣子は怒りの全てをぶつけようとしていた。

 

「ウォームカラーハーヴェスト!!」と叫びながら穣子は弾幕を撃ち放った。穣子の弾幕は鮮やかな紅葉色の球を円状に放出する。

 

「ほう。力のない神にしては綺麗な花火を撃つではないか」

 

 穣子の弾幕がナーギニーに命中するが、まったくダメージは与えられない。

 

「こっちが本命よ!」

 

 穣子はすでにレーザービームを撃ち放っていた。レーザーはまっすぐにナーギニーに向かう。

 

「ぬぅ……!?」

 

 ナーギニーは咄嗟に腕でビームをガードする。ビームがナーギニーの腕に突き刺さった。……しかし、それは突き刺さったというにはあまりに浅かった。時間経過とともに腕に刺さったビームが消えていく。

 

「……私の全力が……。化物め……」

「ふむ。妾に傷をつけるとは……。矮小な神にしては健闘したな。しかし……」

 

 ナーギニーは穣子に話しかけながら高速移動を開始する。そして、穣子をその巨大な尾を振り回して吹き飛ばした。吹き飛ばされた穣子の体は大樹に叩きつけられる。穣子は叩きつけられた衝撃で気を失ってしまった。

 

「その程度では妾に敵わぬな。すぐに楽にしてやるぞ」

 

 ゆっくりと穣子の元に近づこうとするナーギニー。そんなナーギニーの尾にチクりと痛みが走る。ナーギニーにとっては蚊に刺された程度の痛みだが……、振り返るとそこにはうつ伏せになりなからもなんとか片腕だけでリボンを飛ばし、攻撃している雛の姿があった。

 

 既に片腕をボロボロに潰され、両足も折られた雛は息を切らしながらもナーギニーを睨みつけていた。

 

「クク……。なんとも仲間思いな奴ではないか。その勇気を称えて……先に貴様から殺してやろう」

 

 ナーギニーは雛のリボンを掴むと引きちぎり、ゆっくりと雛の元に移動し尾の先端を雛に向けた。

 

「その可愛らしい顔をこの尾で貫き、見るも無残な姿にしてやろう……!」

「おやおや。なにか凄い音がしていると思って立ち寄ってみたら……、大変なことになってるじゃないか」

 

 ナーギニーの尾がピクリと止まる。雛の声でも穣子の声でも……もちろん静葉の声でもない。もっと幼いトーンの声が聞こえてくる。

 

「何奴……だ?」

 

 ナーギニーが振り返り問いかけようとした時だ。ナーギニーの尾の先端が薄い円形の何かに切断される……!

 

「うぐ!? がぁああああああ!?」

 

 尾を切断された痛みで絶叫を上げるナーギニー。痛みにこらえながら振り返った先には尾を切断した鉄の輪を持ち、カエルのような両目がついた奇怪な市女笠をかぶった少女が小さな体で大きく仁王立ちしていた。

 

「勝手なことされたら困るんだよね。この山は私たちの縄張りなんだからさ」

「貴様……! よくも妾の尾を……! 名を名乗れ!」

「人の名前を聞くときはまず自分が名乗るってのが礼儀だとおもうんだけどねぇ。ま、いいさ。傲慢な蛇妖怪さんにも教えてあげよう。私の名は洩矢諏訪子。守矢神社の神! ……でいいのかな?」

 

 いまいちはっきりしない自己紹介をしながら、洩矢諏訪子は後頭部をかくのだった。



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蛙に捕まった蛇

「お、お前は……よ、よそ者の……」

 

 満身創痍の鍵山雛が声を震わせながら洩矢諏訪子に尋ねた。

 

「よそ者とはご挨拶だなぁ。私たちは平和裏にこの山に神社を引っ越そうとしてるのに」

 

 諏訪子は不服そうに鼻息を吐く。

 

「その証拠に、そこの蛇妖怪みたいな手荒なことは一切してないだろう? それに、仁義も通す。この山の住人になる以上は山を守ってやるさ」

 

 諏訪子は手から柔らかな光球を放った。光球は3つに割れると穣子、静葉そして雛の近くの地面に消えていく。光球の消失と引き換えに蔦のある植物が生え、3人を包み込んでいく。

 

「う……。痛みが引いて……?」

 

 蔦に包み込まれた雛の体から苦痛が取り除かれる。

 

「私の力、『坤を創造する程度の能力』。傷を治すことはできないけど痛み止め代わりくらいにはなるだろ? それで死ぬことはないだろうさ。さて、それじゃあ、私たちのテリトリーに入った邪悪な者を退治するとしようか。縄張りの平穏を保つのが神の役目だからね」

 

 諏訪子はナーギニーに視線を戻しながら言い放つ。

 

「……妾と我が主の邪魔をするか? 奇怪な被り物の童よ」

「奇怪とはひどい言い草だね。かわいいだろう? カエルみたいでさ」

 

 諏訪子の言葉に反応するように市女笠についた二つの眼玉がパチパチとまばたきする。

 

「カエルが蛇に挑むか……。身の程もわきまえないとはこのことだな。妾の尾を斬った罪は重いぞ?」

「たかが妖怪のくせに、随分と偉そうじゃないか? 見せてあげるよ。土着神の力をね」

「クク……。大海をその身に思い知らせてやるぞ。蛙(かわず)の神童よ」

「私を子ども扱いかい? アンタより長いこと生きてるんだけどねえ。先輩は敬うもんだよ?」

「ふん! 抜かすでない!」

 

 ナーギニーは振り上げた拳を地面に叩きつけた。巨大なパワーが大地に伝わると諏訪子に向かって地割れが起きる。諏訪子はカエルのようにピョンと飛び跳ねて地割れをかわす。

 

「ほう、なかなかに機敏な動きを見せるではないか」

「そう言うアンタは思った以上にのろまだね」

「なんだと? 減らず口を……!」

 

 諏訪子の発言に苛立ちを覚えたナーギニーは諏訪子に殴りかかる。

 

「のろまな上に注意力も散漫みたいだね。そんなにまっすぐ突っ込んできてくれるなんてありがたいよ」

 

 諏訪子は鉄の輪をナーギニーに向けて放り投げた。投げられた鉄の輪はその直径を大きくするように広がる。そして、ナーギニーの体が鉄の輪の内側を通過するタイミングで輪が縮まった。ナーギニーは両腕ごと上半身を締め付けられてバランスを崩し、勢いのままに地面に体を擦り付ける。

 

「くあ!? 身動きが……!? 小癪なことを……!」

「どうだい。鉄の輪の着心地は中々良いものだろう?」

「蛙の小童が……! 今すぐにこれを解け……!」

「アンタたちがこの山から手を引くってんなら考えてあげてもいいよ」

「……この山を友人である老魔女に渡すことが我が主の望み。この山は我が主のものだ」

「そうかい。それは残念だね」

 

 諏訪子はナーギニーが拘束された鉄の輪に念を送り、締め上げる。

 

「うぐぁあああああああ!?」

 

 締め付けられる痛みで悲鳴を上げるナーギニー。

 

「これでもまだ強がるかい?」

「……ぐ、小童がぁあ……!」

「どうやら退く意思はないみたいだね。残念だよ。神としてはなるべく殺生なんてしたくないんだけど。しょうがない」

 

 諏訪子はもう一つ鉄の輪を持ち出し念力でナーギニーの首にかけると勢いよく締め上げた。

 

「ぐぐぐぐうぐぇ……!?」

 

 みるみるうちにナーギニーの顔色が悪くなっていく。首に縛り付けられた鉄の輪をはずそうとナーギニーはもがくが、鉄の輪はその締め付けを緩めることはない。

 

「さて、いつまで持つかな?」

 

 諏訪子は勝ちを確信してにやりと笑った。

 

「……蛙ごときが図に乗るでない」

「なに!?」

 

 諏訪子が驚嘆の声を上げる。ナーギニーの上半身が急速な変化を見せたからだ。人間だった上半身が少しずつ紫色に変色したかと同時にナーギニーの体が膨れ上がる。膨張するナーギニーの体を抑えきれなくなった鉄の輪が割れて砕けた。

 

「く!? 一体何が起こった? なんだその変化は!?」

「……妾をこの姿にさせるとは……矮小な神にしては頑張った方だな」

 

 ナーギニーの体は完全なる蛇になっていた。……いや、それ以上の姿だった。頭にはトリケラトプスのような骨質のフリルが装飾され、そこから二本の角が飛び出ている。そして、本来蛇にはないはずの腕が鋭い爪を伴って生えていた。それはまるで西洋のドラゴンのような姿であった。……下半身が蛇であることを除けば、だが。

 

「妾をこけにした罪は重いぞ、蛙」

 

 ナーギニーは縦長の瞳孔に変化した眼で諏訪子を鋭く睨みつけるのだった。



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聖蛇ナーギニー

「その姿は蛇……じゃないね。一体何者だいアンタ」

「さあ、なんであろうな?」

 

 全身怪物へと変化したナーギニーは諏訪子を食いちぎらんと口を大きく開いて咬みつこうとする。諏訪子が素早く飛び避けた空間にナーギニーの牙がガチンと音を立てて閉じられる。

 

「ぴょんぴょんぴょんぴょん……。虫のように逃げ回りおって……」

「当り前さ。妖怪ごときに食われるわけにはいかないからね」

「この姿を見てもまだ我を『ただの』妖怪だとのたまうのか?」

「…………」

 

 諏訪子は口を閉ざす。たしかにナーギニーはもはやその辺の有象無象の妖怪ではなかった。しかし、諏訪子がそれを認めることはない。なぜなら、ナーギニーが変態しているその姿は諏訪子にとって特別なものだからだ。ナーギニー『ごとき』が名乗って良いものではないのだと諏訪子は拒否する。

 

「まぁよい。妾がこの姿になった以上貴様に死以外の選択肢はなくなった」

「ちょっと変化したくらいでえらく強気になれるもんだ。その能天気さ見習いたいよ」

「どこまでも小癪な小童よ。今すぐ殺してくれる」

 

 ナーギニーは咬みつかんと何度も諏訪子に攻撃をしかける。しかし、諏訪子は持ち前の身の軽さでその全てをかわしていく。

 

「本当に逃げるのが得意な蛙であるな」

「逃げるだけじゃないよ!」

 

 諏訪子が体の前でパンと両手を合わせるとナーギニーの周囲の大地が隆起する。

 

「言っただろう? 私の能力は『坤を創造する程度の能力』だってね」

 

 ナーギニーは隆起した大地に飲み込まれ、埋められる。

 

「まだまだ終わらないよ」

 

 諏訪子は合わせていた手を解除し、右手を地につける。すると……ナーギニーを埋め尽くしていた岩が赤く変色し、火山のように爆発した。爆発した岩からはマグマが流れ出る。

 

 決着したと確信した諏訪子はにやりと口元を歪めた。

 

「す、すごい。小規模とはいえ、火山を作り出せるなんて……。これが外の世界の土着神の力……!?」

 

 ナーギニーと諏訪子との戦いの一部始終を見届けていた厄神・鍵山雛がぽつりとこぼす。

 

「あの蛇妖怪もさすがにこのマグマには耐えられないだろうさ。さて、それじゃあアンタたちを手当てしないとね。この幻想郷には月から来た名医がいるらしいじゃないか。そこに連れていけばなんとかなるだろ」

 

 諏訪子が雛の元に歩み寄り、麻酔代わりの蔦を解除しようとした時だった。激しい音が諏訪子の創生した小火山の火口から発生する。

 

「な、なに!? うわぁあああああああああああ!?」

 

 諏訪子が何者かに吹き飛ばされる。……ナーギニーだった。ナーギニーが自身の尾を振り回し、諏訪子を殴り飛ばしたのである。驚くべきことにナーギニーはマグマに覆われたにも関わらず原型をとどめていた。まったくの無傷というわけではないが、少々の火傷を負っているだけらしい。

 

「……妾をここまで追い詰めたのは主以来であるぞ。まったく見事なものよ」

 

 ナーギニーは諏訪子に誉め言葉を送りつつも、怒気に満ちた表情で額に欠陥を浮かび上がらせていた。

 

「かふっ……。マ、マグマに晒したのにその程度のダメージ……!?」

 

 諏訪子は吐血しながら、問いかける。ナーギニーはうずくまる諏訪子を見下しながら答えた。

 

「当然であろう? 我は蛇の王『ナーガ・ラージャ』 蛇(ナーガ)を超え『龍(ドラゴン)』への階段を上る選ばれし聖蛇なのだからな」

「ふ、ふふ。まさかとは思ったが本当に龍になろうとしているなんてね。傲慢なやつだ」

「口の減らないやつよのう。だが、これでわかったであろう? 貴様がどうあがいても妾には敵わぬと。だが、気に病む必要はない。龍となる妾を超える者など、この世界にそうはおらんからな」

「……不愉快だからその口を閉じなよ」

「……なんだと?」

「私はお前を龍だなんて認めないよ。龍ってのはお前みたいなやつが名乗れるほど軽いものじゃあないんだ」

「ふ、ふふ。どこまでも妾を苛つかせるのがうまいな。この小童がぁ!! 二度とその口がきけぬよう……いや、その顔が残らぬよう灰塵に帰してくれる!」

 

 ナーギニーは怒りのままに大きく息を吸い込んだ。

 

「喰らうがいい。これこそが妾が龍へ羽化する資格を持つことの証明じゃ」

 

 ナーギニーは吸い込んだ息を勢いよく吐き出した。……ドラゴン・ブレス。諏訪子のマグマをも凌ぐ高温の炎が諏訪子たちのいる妖怪の山の麓一面を襲う。

 

「きゃあああああああ!?」

 

 鍵山雛の悲鳴がこだまする。ナーギニーのドラゴン・ブレスは麓の全てを焼き尽くさんと拡大する。

 

 ……ドラゴン・ブレスが収まったとき、麓は見るも無残な焼け野原になってしまっていた……。



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ミジャグジ(様)

 ……諏訪子の体は完全に焼失していた。残っているのは眼玉のついた奇妙な市女笠だけだ……。

 

「う……。あ、あつい……」

 

 雛がうめき声を上げる。雛は一面焼け野原になった山の麓にいながらなぜかまだ息をしていた。

 

「ふん。どこまでも小癪な蛙よ。死ぬ寸前に矮小な神たちを助けんと能力を発動するとはな」

 

 ナーギニーが周囲を見渡しながら独り言をつぶやく。……助かっていたのは雛だけではなかった。穣子も静葉も生きている。は炎から守るように建った土の壁が彼女たちを救ったのだ。それは言うまでもなく諏訪子の能力により創造されたものである。

 

「命を賭してこんな役にも立たない連中を救うとは物好きな蛙よ。だが、その努力に何の意味もない。今すぐこの三体もお前の元に送ってやるぞ。まずはあの緑髪からだ」

 

 ナーギニーは不敵な笑みを浮かべて雛に近づくと鋭い牙の生えそろった口を大きく開ける。

 

「う……。体が全く動かない……」

 

「残念だったな。小童よ。お前は何一つ守れんかったわけだ。この下賎な神たちも、お前自身も、そしてこの山も!」

 

 ナーギニーが雛を噛み殺そうとしたときだった。ナーギニーの尾に熱い痛みが押し寄せる。それもひとつではない。無数の熱い痛みがナーギニーの尾を襲う。

 

「う、うぐ。な、なんだ!?」

 

 ナーギニーは痛みの原因を探らんと自身の尾を見るために振り返る。

 

「な、なんだ!? こ、こいつらはぁああああああ!?」

 

 ナーギニーの尾には無数の白蛇が群がっていた。大きさはマムシ程度でそれほどでもないがただただ数が多かった。無限とも思える数の白蛇が一斉にナーギニーに襲い来る。ナーギニーは体を大きく動かして振り払おうとするが、振り払えども振り払えども、白蛇たちは休むことなく攻撃を加えてきた。

 

「一体何千、いや何万匹いるのだ……!?」

「八百万さ」

 

 ナーギニーはその声にびくっとする。それは確かに先ほど焼失させた者の声だった。声をする方に視線を向けると、これまた、無数の白蛇が奇怪な市女笠を運んでいる。そして、無数の白蛇が融合し、人の姿を形作る。そう、洩矢諏訪子を。

 

「き、貴様……!? どうやって……!?」

「祟神をなめるなよ、龍もどき。こんなやつが龍を名乗るだなんておこがましいにもほどがある。みんなもそう思うだろ?」

 

 諏訪子はナーギニーに群がる白蛇たちに向かって問いかける。

 

「……祟神だと? それが貴様の正体か……!」

「そうだよ。あらゆる地方の土着神『ミジャグジ様』の集合体……それが私。純粋な人間の信仰から生まれたのが私なのさ。だから、私はそう易々と負けるわけにはいかないんだ。私の負けは人間の信仰が負けることを意味するからね。お前程度に敗北するわけにはいかないんだよ」

「なんだとぉ!?」

「下賎な妖よ。特別に見せてやる。守矢神社の神の姿を……土着信仰の頂の姿を!」

 

ナーギニーに襲い掛かっていた白蛇たちが諏訪子の元へと集まっていく……。そして、諏訪子の体と一つになり始めた。諏訪子の体はどんどんと膨らみながらその形を変えていく。

 

「あ……、あ……。な、なんて大きさ……なの……!?」

 

 鍵山雛は驚愕する。膨れ上がった諏訪子の体は巨大な白蛇になっていた。そのサイズはナーガ・ラージャであるナーギニーをも軽く上回る。小さな山よりもよほど巨大だった。

 

「ず、図体だけ変わったところで、わ、妾の敵ではない。わ、妾は龍なのだぞ!?」

 

 動揺したナーギニーの強がる声が焼け野原に響き渡る。

 

「喰らえ。妾の龍たる証を……!」

 

 ナーギニーは焦った様子でドラゴン・ブレスを巨大白蛇となった諏訪子に撃ち放つ。しかし……。

 

「フン」

 

 諏訪子が軽く鼻息をドラゴン・ブレスの炎に向けて吹きかけた。……軽くといっても、もはやそれはどんな嵐よりも強い力を内包している。鼻息に煽られた炎はナーギニーへと逆流した。

 

「そ、そんな馬鹿な……! わ、妾のブレスが鼻息だけで……!? う!? あぁああああああああああああ!?」

 

 叫び声を残してナーギニーは自身の放った炎に飲み込まれて消滅する。ナーギニーの消滅を見届けた諏訪子は巨大白蛇から元の少女の姿に戻ると、その場で仰向けに倒れる。

 

「はぁ、はぁ……。久しぶりに疲れたなぁ」

 

 諏訪子は眼前に広がる青空に向けて言葉を放る。

 

「でもさ、許せないだろ? あんな知性も道理も成熟しきってないようなやつが龍を名乗るなんて……。……龍神、お前もそう思うだろ?」

 

 諏訪子は大地に手を触れながら、何者かに向けて呟くのだった。



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祈り

――永遠亭――

 

「お師匠様! 急患です!」

 

 永遠亭の敷地内に慌てた様子で妖怪兎が駆け込んでくる。その声は敷地内で修行していた魔理沙の耳にも入ってきた。

 

「えらく騒がしいんだぜ。どんな急患が来たっていうんだ?」

 

 魔理沙は永遠亭の敷地に入る入り口に視線を向けた。すると、無数の白蛇に少女たちが乗せられて運ばれてくる。それだけでも十分に魔理沙には驚愕の光景だったが、その驚愕を上書きするほどに運ばれている少女たちは血だらけの無残な姿だった。

 

「あ、あいつどこかで見たことがあるぜ……。……そうだ。毎年里の収穫祭のときに呼ばれてる豊穣の神様だぜ」

 

 魔理沙は穣子の顔を見て思い出す。他にも穣子に似た顔の少女も運ばれている。こちらの少女の方がもっと重症度が高そうだ。上衣も下衣も全て血に染まり、腕や足があらぬ方向に曲がっている。もう一人の緑髪の少女も同程度の重傷であるように魔理沙には思えた。

 

「おーい、月のお医者さん。こいつらを見てやってくれよ」

 

 無数の白蛇を従え、目玉のついた奇妙な市女笠をかぶっている少女『洩矢諏訪子』は敷地に入るや否や大きな声で屋敷に向かって呼びかける。

 

「……私は医者じゃないわ。薬師よ」と、永遠亭から出てきた八意永琳が反応する。永琳は運ばれてきた穣子たちを一見すると、感想を述べる。

 

「これはひどいわね……。人間だったらとても生きていられる傷じゃない」

「助からないのかい?」と尋ねる諏訪子。

「まさか。生きていれば助けられるわ。腐っても月の民である私の技術を用いればね」

「そいつは良かった。こいつらは引っ越し先のお隣さんだからね。死なれたら目覚めが悪いからねぇ。ご近所付き合いは大事だろ?」

「引っ越し? ……なるほど。見ない顔だと思ったけど、あなたが妖怪の山に引っ越してくるっていう外の神社の神様ね。『死なれたら目覚めが悪い』とは殊勝な心掛けね。本心からの言葉なら、だけど」

「おいおい、私を計算高いやつだとでも言うつもりかい? 別にこいつらに恩を売っておこうなんざ考えちゃいないよ。こいつらに死なれたら目覚めが悪いっていうのも本心さ」

「いうの『も』ねぇ……。じゃ、多少は恩を売るのも目的ってわけね」

「……月のお偉いさんも人が悪いね」

 

 永琳と諏訪子が問答しているところに幼い見た目の兎耳の妖怪が声をかける。

 

「お師匠様、くだらないことを言い合っている場合じゃないだろ? いくら神々とはいえ、早く治療してやらないとあいつら本当にお陀仏になっちゃうよ」

 

 兎耳の妖怪『因幡てゐ』が永琳に早急な治療を要求していた。

 

「そうね。すぐに治療しないとね。……兎たちはこの三柱を手術室へ連れて行ってちょうだい! ……まったく、ついさっき幻想郷の巫女を手術したばかりだっていうのに……。しばらく忙しくなりそうね」

 

 永琳はため息を吐きながら永遠亭の中へと三柱を運ぶ兎たちとともに消えていった。永琳たちを見送った諏訪子は永遠亭の中に入らずに残ったてゐの顔を見ながらつぶやく。

 

「……あんた、どこかで見たことがあるなぁ。……そうだ。大昔に高草郡を訪れたときに会った兎じゃないのかい?」

「……神様に覚えておいてもらえるとは光栄だね」

「よく言うよ。まだアンタが神様になってない方が私には不思議なくらいだってのに。……えらく若返ったもんだ。あの時はもう少しおばあさんじゃなかったっけ?」

「失礼なことを言うなぁ。……少々化粧をしているだけだよ」

「お、おいお前。アイツらの怪我は誰にやられたんだぜ!?」

 

 てゐと諏訪子の会話を切り裂いたのは魔理沙の質問だった。諏訪子は魔理沙の質問には答えずにてゐに問う。

 

「なんで、こんなところに人間がいるんだい?」

「ちょっと色々あってね。ここで魔法の練習をさせてるんだ」

「ふーん。アンタも変わったことをするね。何が目的だい?」

「強いて言うなら……ここを守るため、さ」

 

 質問を無視して会話を続けるてゐと諏訪子に苛立ちを覚えながらも、魔理沙はもう一度質問する。

 

「私を無視してんじゃねえんだぜ!? アイツらは誰にやられたんだぜ!?」

「うるさいなぁ。一応私も神様なんだからさ。少しは敬った物言いをしてくれてもいいんじゃないか?」

「神様? お前みたいなちんちくりんが!?」

 

 魔理沙は驚きのあまり、思ったことをそのまま口に出してしまう。

 

「ホントに失礼な人間だなぁ。ま、いいさ。あの神たちは巨大な蛇女にやられてたんだ。それを私が助けたんだよ」

「巨大な蛇女……?」

「ああ。今幻想郷には妙な連中が押し寄せているんだろ? 多分そいつらのお仲間さ。力の波長が私たちとは異なっていたからね。あの力は海の向こうのものに違いない」

「やっぱり、あのばあさんの仲間にやられたのか……!」

「娘さん、お前さんあの妙な連中と何か関わり合いがあるのかい?」

「まあな……」

「なるほど。因幡の白兎さんがお前さんを特別視している理由が少しだけ理解できたような気がするよ。……さて、私は妖怪の山に帰るとするよ。まだ身内が残っているんでね。また連中の仲間が襲い掛かってくる予感もするし……」

「あいつらが妖怪の山に……? おい、神様! 私も連れて行ってくれ! あいつらには借りがあるんだ……!」

「おいおい、冗談言わないでくれよ。ただの人間を連れて行って何の役に立つっていうんだよ。むしろ足手まといだ」

「バカにするんじゃねえぜ。今の私は限定的だけど魔法も元のように使えるようになったんだ。戦えるんだぜ!」

「……どうやらお前さんの格好を見るに魔法使いか何かみたいだけど……やめときな。中途半端なやつほど命を落とすからね」

「霧雨魔理沙、私も守矢の神様と同感だよ。まだ実践をするには早すぎる」

 

 諏訪子に賛同するように因幡てゐが魔理沙に声をかけた。

 

「まだ、安定して運脈を見つけることもできないはずだ。それはアンタ自身がわかっているだろ。それでも行くって言うんなら腕の骨を折ってでも止めるよ?」

 

 てゐが魔理沙に鋭い眼光を向ける。殺気にも似た圧をてゐから向けられ、魔理沙はビクっと動きを止める。

 

「兎さんの言うとおりだ。あんな規格外の連中と人間が渡り合うには相当図抜けた能力がないと無理さ。……そうだね。『ウチの子』くらい才能に溢れてないとね」

 諏訪子はにやりと不敵に笑う。『ウチの子?』とオウム返しで聞き返す魔理沙の言葉に「なんでもない。忘れてくれ」と言い残して諏訪子は妖怪の山へと戻っていった。

 

「焦るなよ、霧雨魔理沙。いずれアンタの力が必要になる」

「でも……」と魔理沙は唇をかみ、拳をプルプルと握り締める。

「……今、修行相手を依頼しているんだ。ものぐさな人だから修行を付けてくれるのにもう少し時間が要るだろうが待ってろよ。それまで変な気を起こして永遠亭を飛び出したりするなよ?」

 

 てゐはそう言うと、どこかへと去っていった。

 

 魔理沙はてゐに言われた通り、永遠亭を出ることなく魔法の修行を再開した。……1時間ほどしたころだろうか。永遠亭から複数の影が出てきた。秋姉妹と鍵山雛の3柱と永琳である。

 

「ありがとう。あなたのおかげで助かったわ」

 

 秋静葉が三柱を代表して永琳に礼を述べる。

 

「お礼はあの引っ越してきた新入りの神様に言ってちょうだい。……あなたたちもう山に戻るの?」

「……ええ。侵入者たちにあの神聖な山を汚させるわけにはいかないもの」

「……神様も大変ね。健闘を祈ってるわ」

 

 一言二言会話を交わすと、秋姉妹と鍵山雛は空を飛び去っていった。妖怪の山へと帰ったのだろう。

 

「すごいな。あんなに重症だったのに……もう全快するなんて……」

 

 そこまで独り言を呟いてから魔理沙ははっと気づく。そして永遠亭の中へと戻ろうとする永琳を呼び止めた。

 

「おいお医者さん待つんだぜ!?」

「……どうしたのかしら?」

「なんでアイツらは全快してるんだよ!? さっきアンタと話をしてた神様なんて霊夢よりひどい傷で意識もなかったはずだ! どうして霊夢より早く回復してるんだよ!?」

 

 しばしの沈黙を経て永琳が語り出した。

 

「…………比較的力が弱いとはいえ、さっきのやつらは神様だからね。人間の巫女さんと一緒にはできないわよ」

「ウソだ!」

 

 魔理沙は反射神経的に反論する。永琳が言葉を選んでいることは沈黙が証明していたからだ。魔理沙の観察眼が一定以上あることを察した永琳は騙すことは不可能だと判断したのか喋り始める。

 

「……そうね。たしかに嘘よ」

「なんで霊夢は眼を覚まさないんだぜ!? もしかしてお前手を抜いて治療してるんじゃないだろうな!?」

「人聞きの悪いことを言わないでちょうだい。私は全ての患者を平等に治療する。誰かに特別手厚く治療することもなければ、もちろん手を抜くこともない」

「じゃあ、なんで霊夢は……!」

「生きる意志のないものに治療の意味はない」

 

 永琳は音を短く切り、強い口調で魔理沙に伝える。

 

「ど、どいういうことだよ……?」

「私たちがどんなに高度な治療をしても患者に生きる意志がなければ助からないということよ。私たちにできるのは生きることの手助けだけ。その患者が助かるには何よりも患者自身の『生きる意志』が求められる」

「じゃ、じゃあ霊夢には生きる意志がないっていうのか……?」

「……治療は完全にうまくいっている。体の状態も元以上に治癒しているわ。ということは……そういうことなんでしょうね」

「ふ、ふざけるんじゃねぇぜ……!」

 

 魔理沙はギリギリと歯ぎしりする。その苛立ちの相手は自分でも永琳でもない。魔理沙は気付くと永遠亭内へと走り込んでいた。向かった先は意識不明の霊夢の姿が見える集中治療室前……。

 

「おい霊夢、ふざけんじゃねえぜ!」

 

 魔理沙は窓越しに霊夢に叫ぶ。

 

「生きる意志がないだって? お前このまま死ぬつもりかよ!? ……絶対許さないんだぜ。私はまだ一度もお前に勝ってないんだ。勝ち逃げするつもりか!?」

 

 魔理沙は霊夢向かって悲痛な大声を上げる。だが当然のごとく、その声に霊夢が反応することはなかった。

 

「頼む。帰ってきてくれよ。私はまだ助けてもらったお礼をお前に言えてないんだぜ……?」

 

 魔理沙は祈るようにつぶやくのだった。



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赤髪と犬走椛

――妖怪の山、天狗の拠点――

 

「が、はっ……!?」

 

 一際美しい天狗の美女が侵入者からの攻撃を受けていた。天狗の名は『天魔』。妖怪の山に巣くう天狗たちの長、『大天狗』である。

 

 妖怪の山で最大の勢力を誇る天狗たちだが、そんな天狗の長、天魔が侵入者からの攻撃で悶絶していた。

 

「弱いな。この程度の者がこの山の治者とは」

 

 天魔に攻撃をしかけた赤髪の美女は呆れたように言葉を紡ぐ。赤髪の美女の背中には翼が生えている。これまた赤い翼だ。服装もまた赤い布を簡単に縫ったものを恥部が隠れるように覆っているだけである。しかし、不思議と痴女には見えない。おそらく、手首、足首、腰に金でできた輪を装飾していることが要因だろう。

 

 すでに天魔の周りには多くの天狗の兵たちが倒れていた。白楼天狗に烏天狗に天狗猿……。様々な種の天狗が倒れている。天魔を守るため戦ったが、赤髪赤翼の美女にやられてしまったのだろう。

 

「我らが主のため死んでもらおう」

 

 赤髪の美女は天魔に向かって手をかざすと炎を射出した。巨大な炎が天魔に襲い掛かる。もう体が動かない天魔は団扇で風を起こして炎を打ち消した。

 

「我が炎を吹き消したか。小癪な……。……ならば直接殴打してやろう」

 

 赤髪は翼を広げて宙を舞うと、天魔目掛けて一直線に飛び、拳を叩きこむ。……鋭い金属音が鳴り響いた。天魔を守るように間に入った白狼天狗の剣が赤髪の拳を受け止めていたのである。

 

「ご無事ですか、天魔様!?」

「ああ、大事ない。助かったぞ、椛」

 

 犬走椛、それが天魔の助けに入った白狼天狗の少女の名だった。彼女の持つ千里眼は妖怪の山に入ってきた侵入者を見逃すことはない。もし、彼女の眼がなければ天狗たちは体勢を整えることのできぬまま赤髪の侵攻を受けることになっただろう。……逆に言えば、体勢を整えたにも関わらず、天狗たちは赤髪に大きな痛手を受けてしまっていた。

 

「……椛。あの問題児どもに言伝ることはできたか?」

「はっ。間もなく到着するかと」

「緊急招集のサイレンをあっさりと無視しおって。あの馬鹿者どもめ」

「……天魔様はお休みください。ここからは私が闘いますので」

「どうやら、そこにいる治者よりもお前の方が強者であるようだな、白髪の犬よ」

 

 赤髪が椛に問う。

 

「私程度が天魔様と同列に語られるなど恐れ多いことだ。だが、お前よりは強いかもしれませんね」

「大きく出たな」

「……こちらから行く!」

 

 椛は宙に浮く赤髪目掛けて跳躍一番、斬りかかる。椛の斬撃を赤髪は腕輪で受け止めた。

 

「ほう。先ほどまでの天狗たちとは違うようだな。それなりに腕が立つらしい」

「同胞の借りは私が返させてもらうぞ。西洋天狗め!」

 

 椛が地面に着地すると、それを追うように赤髪は地に降りた。

 

「西洋天狗か。貴様ら極東のモンスターと同一視されるのは不愉快だぞ? 我は『神鳥ガルーダ』だからな。……名をラクタ=パクシャという。格の違いを見せてくれよう」

「うちの白狼天狗のエースをなめるなよ。侵入者」

 天魔の言葉とともに、椛が大地を蹴り、ラクタに向かって攻撃を仕掛ける。

「……迅い……!?」

 

 ラクタは思いもよらぬ椛の高速スピードに一瞬戸惑った。腕を交差して剣戟を受け止める。

 

「呆れるほどに堅い皮膚ですね。切り傷一つ付けられないとは……。だが、ダメージがないわけではないようです。……はぁあああああああああああ!!」

 

 椛は息もつかせぬ猛攻でラクタを斬り続ける。

 

「どうだ、ラクタとやら。妖怪の山最迅の犬走椛の猛攻は!」

 

 天魔がまるで自分の手柄かのように評する椛の攻撃。

 

「鬱陶しいぞ。犬っころめ……!」

 

 ラクタは全身を炎で包み、威嚇する。熱に押された椛は一旦飛び退いて距離を取った。

 

「……近接戦が得意なようだな。それならば、距離を取るだけのことだ。喰らえぃ!」

 

 ラクタが炎を椛目掛けて撃ち放つ。攻撃が剣一本の椛に防ぐ術はない。

 

「あややや。これはまずいですね。大天狗様、ちょっとお借りしますよ」

 

 天魔に理の言葉を伝えると、その烏天狗は団扇を奪い取り、あっという間に椛の前に立つと突風を起こす。風はラクタの炎を打ち消した。

 

「二度も我の炎が防がれるとは……。……貴様、何者だ?」

「私は幻想郷最速の烏天狗『清く正しい射命丸』こと射命丸文です。どうぞよろしく」

 

 黒髪の烏天狗の少女はにこりと微笑みながらラクタに自己紹介するのだった。



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椛の溜息

「遅いぞ、射命丸! 今まで何をしていた!?」

 

 天魔が射命丸文を叱責する。射命丸は後頭部をかきながら苦笑いを浮かべる。

 

「いや、申し訳ありません。タイプライターで記事を書くのに集中していまして……。椛が呼びに来てくれるまで全然非常招集に気付いてなくてですね」

「新聞記事を書くのはいいが、集中し過ぎだ。馬鹿者! この事態に片が付いたら折檻だ。覚悟しておけ!」

「あややや。それは困りました。私がこの怪物を抑えましたらお許しください。大天狗様」

「お二方! くだらないやり取りをしている場合ではありません! 眼前の化物に集中して下さい!」

 

 椛が射命丸と天魔のやり取りを諫める。

 

「ほう。鴉が一匹増えたか。だが、大した問題ではない」とラクタの口が開く。

「ふむ。赤い翼の天狗ですか。これは珍しい。記事のネタになりそうですね」

 

 射命丸は自身の着る白いシャツを黒スカートに入れなおしながらつぶやく。

 

「文様! 集中してくださいと言ったところでしょう!?」

「おお、怖い怖い。そう睨まないでください椛。すぐにやりますから!」

 

 そう言い残して、射命丸文は天魔、椛、ラクタの視界から一瞬で消え去る。

 

「な、なんだ!? どこに行った!?」と狼狽えるラクタ。

「こっちですよ」

 

 ラクタの背後から射命丸の声がする。ラクタが振り向くとそこんは不敵な笑みを浮かべた射命丸の姿があった。

 

「き、貴様いつの間に……!?」

「驚きましたか? 私スピードには少々自信があるんですよ。自称ですが……幻想郷最速なので!」

 

 射命丸は幻想郷最速宣言をすると、すかさず天魔から借りた団扇で強風を作り出す。風はかまいたちを発生し、ラクタの皮膚に無数の傷をつけた。

 

「ぐう!? 舐めおってぇええ!」

 

 ラクタは射命丸に殴りかかる。しかし、そこに既に射命丸の姿はない。

 

「遅い遅い。そんなことでは私を捕まえることなんてできませんよ!」

 

 射命丸はその超スピードでラクタにかまいたちによる連続攻撃を加える。上下左右あらゆる角度からの攻撃にラクタは防戦一方だ。

 

「くっそぉおおお!?」

 

 ラクタは攻撃を避けようと上空へと飛びあがる。

 

「飛んで火にいる夏の虫とはこのことです。空は私のホームタウンですよ?」

 

 射命丸にとって無限に広がる空は自身のスピードを生かす最高の場だ。射命丸はさらに速度を上げる。攻撃の力もまたその速度に比例して上がっていく。

 

「うぐぅううううううう!?」とさらにうめき声を大きくするラクタ。

「調子に乗るなよぉおおお!?」

「きゃっ!?」

 

 ラクタが闇雲に動かしていた腕に偶然射命丸が衝突してしまう。怯んだ射命丸の隙を見逃さず、ラクタは首を締め付ける。

 

「やっと捕まえたぞ。ちょろちょろとうるさい蠅を。このまま殺してくれる」

 

 ラクタが射命丸の首を折らんと力を込めている隙をもう一人の天狗は見逃さなかった。大地から跳躍した椛はラクタの背後から斬りかかる。妖怪の山最迅の白狼天狗は一瞬で何戟もの攻撃をラクタの背中に加えることに成功する。ダメージを受けたラクタの力が抜けたのを確認して射命丸は腕から離脱した。斬られたラクタはそのまま地面へと落下していった。

 

「すいませんね椛。助かりました」

「自分の高速に酔って油断するからです。気を付けてくださいよ。……まだ終わってないようですから」

 

 地面に叩きつけられたラクタはゆっくりとだが、すでに起き上がろうとしていた。

 

「……神鳥ガルーダであるこの我をここまでコケにしてくれるとはな。絶対に許さん……!」

「あやややや。凄く怒っていますねぇ」

 

変わらない射命丸の軽口に椛ははぁと溜息をもらすのだった。



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見えない拳

「いいぞ。射命丸、椛!」

 

 天魔が配下の活躍に賞賛の言葉を送る。しかし、椛の顔は険しいままだ。

 

「……私の全力を持ってしてもあの程度しかダメージを与えられたないとは……」

 

 椛の視界に写るのは椛と射命丸を睨みつけるラクタの姿だった。地面に叩きつけられた赤い鳥の怪物は既に立ち上がっている。痛がる素振りなど全く見せていない。その表情は怒りに満ちていた。

 

「椛の全力でダメージを与えられないとなると……とても勝ち目はなさそうですね。どうです? いっそのこと逃げるというのは? スピードだけなら我々の方が速そうですし」

「文様。冗談を言わないでください」

「あややや。半分は本気だったんですが……。ま、仕方ありませんね。組織に属するというのはそういうことです。……彼女が来るまで粘ってあげますか」

 

 射命丸がラクタに視線を向けると、何やらラクタが呟いていた。

 

「……少しだけ本気をだしてやろう」

「本気?」と問いかける射命丸に「そうだ」と短く答えるラクタ。

「うぐぐぐぐ、がぁああああああ!」

 

 ラクタが気合を入れると彼女の体が筋肉で膨れ上がる。先ほどまで女性らしい華奢な体つきだったラクタの体は男性顔負けの筋骨隆々な姿になっていた。

 

「あやややや!?」

「くっ!? 嫌な威圧感だ……。まるで鬼のような……! 文様気を付けてくださいよ!?」

「はぁ!」

 

 大きな息を吐いたラクタは射命丸と椛の浮かぶ空中へと飛びあがる。

 

「先ほどまでよりは速いようですが、逃げきれないスピードではありませんね」

 

 射命丸の言う通り、ラクタのスピードは射命丸はもちろん椛にも及ぶものではなかった。二人はラクタから距離を取る。

 

「ちょろちょろ動く蠅どもめ。今、楽にしてくれる」

「少しばかりパワーが上がったようだが、私たちに攻撃を当てるにはいささか俊敏さに欠けるようだな」

「俊敏さに欠ける? 中々言ってくれるな、犬っころめ。そこの鴉ともども少々素早いのが自慢らしいがそんなことに何の意味もない!」

 

 ラクタは巨大になった体を翻し、椛の元へと飛ぶ。ラクタは殴りかかるがこれを華麗に椛がかわした。

 

「その程度のスピードでは私を捉えることはできないな」

「捉える必要はない」

「なに!?」

 

 ラクタは空ぶった拳を再び構えなおし、椛に向けて繰り出そうとする。察知した椛は当然距離を取った。その距離はラクタのリーチを遥かに超えたもの……のはずだった。

 

「フン……!」

 

 荒い鼻息とともにラクタは拳を繰り出す。空手の型のように何もない空間にだ。だが、あまりに巨大な力で拳に押された空気は居場所をなくす。そして、その拳圧は椛に到達してしまう。

 

「が……は……!?」

 

 空気の弾丸と化したラクタの拳圧を受け、椛は悶絶する。

 

「まだ終わりではないぞ?」

 

 ラクタはさらに拳を放つ構えを取ると、悶絶した椛に撃ち放った。

 

「椛!」と叫びながら射命丸は椛を抱えると、空気弾の範囲外に逃げる。

「大丈夫ですか、椛!」

「は、はい。なんとか……。文様ありがとうございます」

「拳の勢いだけで衝撃波を生み出すなんて……。デタラメなパワーですね。本当に鬼並みですよ」

「……私の千里眼を持ってしても完全には見切れません。厄介です」

「空気が飛んでいるだけですからね。致し方ないでしょう」

「さて、どうしますか文様」

「さっきも言ったじゃないですか。……粘りますよ。私が的を絞らせぬよう動き回ります。椛は隙を見つけて攻撃してください。……行きますよ!」

 

 射命丸は高速移動でラクタに向けて突進し始める。

 

「血迷ったか。我が拳の前に沈むがいい」

 

 ラクタが拳圧を放つ構えを取った瞬間、射命丸は上空へと急上昇する。ラクタは射命丸の動きに合わせて照準を変えて衝撃波を放つが捉えられない。

 

「お返しです!」

 

 射命丸は団扇でかまいたちを起こし攻撃するが……まともなダメージは与えられない。

 

「ちょろちょろと鬱陶しい真似を……!」

「効き目なし……ですか。どうやら筋肉が膨れ上がって向上したのはパワーだけではないようですね。相当タフになっているようです」

「逃がさんぞ!」

 

 ラクタは旋回する射命丸に向けて拳圧を連射するが、ある程度の距離を取った射命丸には当たらない。中々攻撃が当たらないことに血を頭に昇らせたラクタを見た椛はラクタの注意が射命丸にしかいっていないことに気付き、背後から斬りかかる。

 

「隙あり!」と叫びながら椛は剣をラクタの背中に突き立てた。

「何の真似だ? 犬っころ!」

「そんな……、これでもダメージを与えられないのか!?」

 

 一瞬止まってしまった椛の首をラクタは掴んで締め上げる。

 

「か……ぎ……は……!」

 

 椛は何とか息をしようともがき、剣を振り回すがラクタの体に傷一つつけられない。

 

「椛!」

 

 射命丸は椛を救おうとラクタたちの元へ高速移動し、ゼロ距離でかまいたちを放つが……。

 

「くすぐるな、鴉!」

 

 射命丸のかまいたちをもろともしないラクタは手に持っていた椛をボールを投げつけるかのように射命丸目掛けて放った。射命丸は放り投げられた椛とともに地面に立っていた岩に叩きつけられる。

 

 痛みで体が動かせない椛と射命丸を視界に捉えつつ、ラクタはゆっくりと地に降りるとゆっくりとした歩みで二人に近づく。

 

「手を焼かせてくれたな。蠅どもめ。そのかわいい顔を我の拳で砕いてやろう」

 

 ラクタは大きく拳を振り上げると、倒れた射命丸に照準を合わせる。

 

「死ねぇ!」

 

 大声を上げながらモーションに入るラクタの用水に思わず目を閉じる射命丸。しかし、ラクタの拳はいつまでたっても射命丸の元には届かなかった。恐る恐る目を開けた射命丸の視界にはプルプルと体を動かせないでいるラクタの姿だった。

 

「か、体……が、動かな……い……!?」

 

 ラクタの途切れ途切れの言葉が射命丸の耳に届く。その言葉を聞き、射命丸は確信した。

 

「まったく遅すぎるんですよ。これだから引きこもりのお嬢様は……!」

 

 射命丸が視線をラクタからずらす。そこにいたのは射命丸と同じ鴉天狗の少女だった。

 

「どうせアンタも遅刻してたんでしょー? 人のこと言えないわよねー?」

 

 鴉天狗の少女『姫海棠はたて』はツインテールを風に靡かせながらにやりと射命丸に向けて笑みを浮かべるのだった。



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自称する者たち

「く……、誰……だ!? 我……に……何をした……?」

 

 ラクタは身動きが取れない中、声を振り絞る。

 

「あら、すごいわねー。私の蔓に締め上げられても声を出せるなんてー」

 

 姫海棠はたては間延びするギャルのような口調でラクタの言葉に反応すると、ラクタの視界に入る場所へと移動する。

 

「う、ぐ……。き、貴様……か……? 我の動……きを止めて……いるのは……?」

「そ。どう私の念製の蔓は?」

「蔓だと……? そんなものどこにも見当たらんぞ……!」

「そうでしょうねー。私にしか見えないように作ってあるもの。あ、でも椛の千里眼には見えるらしいけどー」

 

 はたては余裕の笑みを浮かべ、ラクタに説明を続ける。

 

「見えないけど形にも気を遣ってるのよー? バラの蔓みたいにとげとげにしてあるんだー」

「やっと来たか、はたて。お前も緊急招集を無視しおって……! ひと段落着いたら文と一緒に折檻だ。覚悟しておけ!」

 

 天魔は力尽き片膝立ちした状態ではたてに苦言を呈する。

 

「仕方ないじゃん。新聞記事作成のために念写してたんだから。念写ってすっごい集中力いるんだよー?」

「文もお前も……! 新聞づくりが優秀だから普段大目に見ていてやっているが……。もう少し優先順位というものを考えんか!」

「うるさいなぁ、天魔おばさんは。そんなにカリカリしたらまた皺が増えるよ? まだ誰も死んだわけじゃないんだし、いいじゃーん」

「お、おば……!? わ、私はまだお姉さんだぞ!?」

「自分でそれ言い出したら終わりだよねー。いいじゃん、血縁的にもおばさんはおばさんなんだから」

「はたて様、失礼ですよ」

「何よ椛」

「天魔様の親族とはいえ、もう少し物言いをお考え下さい。天魔様は妖怪の山のトップなんですから、一応」

「一応!?」と驚く天魔。

「だってホントのことじゃん」

「たとえ真実であっても言っていいことと悪いことがあります」と真顔で答える椛。

「え!? おばさんに見えるって真実なの!?」

 

 驚く天魔の肩を射命丸が無言で叩く。その表情は同情と憐れみを含む微笑みだった。

 

「いや、何か言って! 無言で現実を突きつけないで!?」

「うぐぉおおおおおおおおお……!」

 

 天狗たちがくだらないコントを素でやっている中、ラクタは念の蔓を振りほどかんと力を込めていた。

 

「……無駄よ!」

 

 はたてはさらに強く念の蔓を締め上げる。

 

「ぐあああ、あああ……!?」

「こう見えて私は鴉天狗の名家の生まれなのよ。実力は天狗一番なんだから……!」

「あなたこそ自分でそれ言ったら終わりですよ。ま、実力があるのは認めますがね」

 

 はたての自慢話に苦笑いしながら射命丸が突っ込む。

 天狗最速の射命丸文、同じく最迅の犬走椛、そして最強にして最も怠惰な姫海棠はたて。若き天狗トップ3を持ってして何とか捕らえた西洋天狗。その処分を天魔が伝える。

 

「はたて、絞め殺せ」

 

 天魔は先ほどまでのコント的空気を一言で完全に凍らせた。

 

「え、マジ!?」

「大マジだ。妖怪の山の面子を潰した妖怪を生かす意味はない」

 

 戦闘の力は若い天狗に敵わなくなってしまった天魔。それでもなお、彼女が天狗の頂点に立ち続けられるのは、その政治的判断力にある。強いだけでは組織や権力は守れない。そのことを誰よりも理解しているからこそ彼女は大天狗なのだ。まだまだ小娘な射命丸、椛、はたての甘さを天魔は叩き切る。

 

「やれ、はたて。命令だ」

「わ、わかったわよ」

 

 はたては全力でラクタを締め上げる。

 

「うがぁああああああああ!?」

 

 断末魔をあげるラクタ。悲痛な叫び声に椛、射命丸はもちろん術者である姫海棠はたてさえも目を背ける。

 

「ぐ、ゆ、許さん……!」

「なに……?」

 

 唯一目を背けていなかった天魔だけがその異変に気付く。はたての見えない蔓に締め上げられているはずのラクタがはっきりと声を発したことに。

 

「よもや、極東の低俗な妖どもにこの姿を見せねばならんとは……! 本来この姿は我が主しか見てはいけぬものを……! 許さん!」

 

 瞬間、はたての蔓がはじけ飛ぶ。ラクタの放つ高エネルギーに耐えきれなかったのだ。エネルギーは炎となり、ラクタの体を包み込む。炎が晴れ、中から現れたのは異形に変わったラクタの姿だった。

 

「どうだ? これが神鳥ガルーダの真の姿だ」

 

 ラクタの顔は人間型から鷲型となり、体は羽毛に覆われる。足も鳥のそれになり、爪が鋭く尖っていた。

 

「この高貴な姿を見たからには、貴様らを生かしてはおかん。覚悟しろ?」

「自分で高貴だなんて言ったら終わりだろ……」

 

 天魔は冷や汗を額に流しながらつぶやくのだった。



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神名乗り

「あややや。これはまずいのではないですか、天魔様」

 

 射命丸もまた、変貌したラクタの姿を見て冷や汗をほほにたらりと流す。

 

「はたて、もう一度、捕縛しろ!」

「わ、わかった」

 

 天魔ははたてにラクタの拘束を命じる。はたては間髪入れずに念の蔓をラクタに巻き付けた。しかし……。

 

「くだらんな。……フン!」

「そ、そんな……。私の蔓が……」

「どうした、はたて!?」

 

 蔓の動きが見えない天魔ははたてに状況の説明を求める。

 

「……はたて様の蔓が一瞬で消し飛ばされました……。あの化物の一喝だけで……」

 

 蔓の姿が見える椛がはたてに代わって説明した。

 

「さて、もうお得意の念能力が我に効くことはない。他に何か策があるのか? ……貴様らの表情を見るにもう奥の手はなさそうだな」

「椛! あなたははたてに付きなさい。私は天魔様をお連れします。逃げますよ!」

 

 射命丸の言葉が響き渡る。椛は射命丸の指示どおり、はたてを連れて走り出した。射命丸も天魔を抱えて高速で飛ぶ。しかし……。

 

「逃げられると思ったか?」

「そ、そんな……」

 

 変貌を遂げたラクタはそのスピードも大幅に上がっていた。射命丸たちの逃走経路に一瞬で先回りし、彼女たちの前で仁王立ちする。

 

「射命丸のスピードをも上回るだと……? なんてやつだ……!」

「今更だな。我に勝てると思ったのが間違いだったな。最初から逃げていれば死だけは免れただろうに……」

 

 ラクタは天魔たちに掌を向けながら口元を歪める。

 

「焼き鳥にしてやるぞ……!」

 

 ラクタは手掌から火炎を放った。天魔たちは灼熱の炎に飲み込まれる。4人は悲鳴とともに爆炎で吹き飛ばされた。

 

「ほう。やるではないか……」

 

 ラクタが感心したように口を開く。ラクタは4人全員を殺すつもりで炎を放っていた。しかし、4人ともかろうじて息をしている。

 

「ただの衰えた大将ではなかったというわけか。あの一瞬で防御結界を施すとは。我の攻撃でなければダメージを負うことはなかったであろうな」

 

 ラクタは倒れ込んだ天魔の元に歩み寄り胸倉を掴みながら持ち上げる。

 

「う……ぐ……。ふざけたやつ……だ」

「まだ意識が残っているのか。しぶといな。まずはお前から殺してやる。あとの3匹はゆっくり殺してやろう。もう気絶しているようだしな。……おっと間違えた。お前の部下の鴉や犬っころは他にもたくさんいたのだったな。心配するな。すべてお前の後を追わせてやる。我は慈悲深いからな」

 

 言いながら、ラクタは片手に魔力を込め、拳を炎で染める。

 

「これで終わりだ。死……ね!? っが!?」

 

 ラクタが天魔の腹部に炎の拳を叩きこもうとした瞬間だった。ラクタの側頭部を巨大な木材が打ち抜き、ラクタは衝撃で飛ばされる。

 

「げほっ、げほっ。た、助かった。……が、誰だ?」

 

 ラクタの拘束から解放された天魔は咳き込みながらも自分を助けた者に視線を向ける。

 

「き、貴様は……よそ者の……!?」

「やれやれ。助けた恩人に『よそ者』だの『貴様』だのと。随分と失礼じゃないかい?」

 

 海のような青い髪にえんじ色の上衣を着た『よそ者』はにやりと笑っていた。余裕からか、片膝立てて地面に座った状態で。

 

「誰だ、貴様は!?」

 

 側頭部を殴られたラクタは既に立ち上がり、『よそ者』を睨みつけていた。

 

「私の御柱をまともに受けたってのに。存外タフな妖怪だねぇ。私は『八坂神奈子』、この妖怪の山の神さ」

 

 八坂神奈子は背中のすぐ後ろに浮かせた注連縄を少しばかり動かしながら、胸の部分に装飾した黒い鏡に親指を向けて名乗りを上げるのだった。



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乾を創造する神

「妖怪の山の神だと……?」

 

 ラクタは八坂神奈子の自己紹介に疑問符を浮かべる。

 

「そうさ。今、守矢神社っていう私たちの社をこの山に引っ越す準備をしているんだ」

「……神社。たしか……、この極東の島国にある宗教施設のことだな。宗教施設を置いてもいないのに、この山を自分のものだと言っているのか? フフ、さすがの我でもそこまで面の皮は厚くないな」

「宗教施設なんて言い方はよしてもらおう。神秘性が失われるだろう?」

「……ふざけるなよ、よそ者め……!」

 

 神奈子たちの会話を切り裂くように天魔は声を上げる。その目は神奈子を睨みつけていた。

 

「私たちはまだ、お前たちの移住を認めてなどいないぞ……!」

「『まだ』ということはいずれは認めてくれるわけかな?」

「戯言を抜かすな……! この山は妖怪だけで切り盛りしてきたんだぞ。今更、神などを迎え入れてたまるか……!」

「そうは言っても反対している勢力はもうお前たち天狗くらいだぞ? まあ、そもそもこの山で組織的なものを作っていたのはお前たち天狗と河童くらいだったが」

「……貴様ら、河童を手懐けたらしいな」

「ああ。アイツらは賢いからねぇ。私たちが研究の費用を出してやると言ったら、すぐにこの山の神になることを許してくれたよ。今後もアイツらとは良きビジネスパートナー同士になれそうだ」

「知的好奇心だけで生きているアホ河童どもめ……! 易々と懐柔されおって……」

「ま、そういうわけだ。後はアンタたち天狗が認めてくれれば平和的に私たちは移住できる。認めてもらえないかい? 力づくでも構わないが……、そうするとこの幻想郷のお偉い妖怪に目を付けられそうでねぇ。私たちとしてもそれはまだ避けたい」

「……『まだ』ということは、貴様こそいずれは幻想郷で何かおっぱじめる気か?」

「……それこそ戯言だねぇ。邪推はよしてくれ、大天狗」

 

 神奈子は不敵な笑みを天魔に向ける。

 

「まったく無駄話をしておるな。どうせこの地は我が主のものとなるのだ。この山がお前たちのどちらのものになろうと意味はないというのに」とラクタが呟く。

「おや、まだいたのかい? 鳥の妖よ」

「態度の大きいやつだ。この神鳥ガルーダである我を前にそのような口を叩けるとは」

「神鳥? ただの鳥のくせに偉そうな名前を名乗っているねぇ」

「我の二つ名をコケにすることは許さんぞ? それは我が主の冒涜でもあるのだからな」

「……我が主ねぇ。お前たち西の者はこの幻想郷に侵入して何をするつもりだい?」

「我が主は友人である老魔女の計画に付き合っているだけにすぎん」

「老魔女ねぇ。そいつがアンタらの頭ってわけかい」

「バカを言え。我の主は主(しゅ)だけだ。さて、さっさと死んでもらうぞ? 早く我が主にこの山をお渡しせねばならんのでな」

 

 ラクタは神奈子と天魔の前から姿を消す。彼女は射命丸を軽く上回るスピードで高速移動を開始する。その圧倒的な速さを前に天魔はもちろん神奈子も眼で追うことができない。

 

「ふふ。我の姿を追えぬ程度の能力しか持たぬくせに神を名乗るとは。片腹痛いとはこのことだな」

 

 姿をくらましたラクタの声が聞こえる。だが、神奈子は神鳥の位置を捉えることができなかった。

 

「死ぬがいい!」

 

 ラクタは神奈子の眼前に姿を現すと、炎を纏った拳をみぞおち目掛けて打ち放った。

 

「……なんだと?」

 

 ラクタは予想外の展開に思わず言葉を漏らした。全力の拳は間違いなく、神奈子に直撃した。だが、神奈子はにやりとした笑みを浮かべてまるで堪えていない。

 

「なるほどねぇ。素早さは大したもんだよ。神である私の眼にさえ写らないほどだ。だが、この程度ではねぇ……」

 

 神奈子はその手に巨大な御柱を召喚すると、そのままラクタを御柱で殴り抜いた。直撃を受けたラクタは悲鳴を残し、空の彼方へと吹き飛んでいった。

 

「うるさい鳥だが、あれくらいではまだ死なないだろうねぇ。……さて、交渉と行こうじゃないか、大天狗」

「……交渉だと?」

「ああ、そうさ。まだあの鳥妖怪は死んじゃいない。私が代わりに始末してやろう。その報酬として私たちを山に受け入れてもらえないかい?」

「だ、誰がお前らを受け入れてなどやるものか……!」

「強がるねぇ。だがお前さんたちじゃあの鳥妖怪は殺せない、そうだろう? ……私にも秘蔵っ子がいるからわかるさ。お前さんと最後までともに戦ったあのかわいい3匹の天狗を死なせるわけにはいかないだろう? 私の提案を受け入れなければあの若い衆もアンタとともに鳥妖怪に殺されることになる。それは嫌だろう?」

「く……。……お、お前いつから私たちのことを見ていた……!?」

「私は軍神だからね。戦略に長けているのさ。確実に効果的な攻撃ができるように機会を伺っていたのよ」

「……物は言いようだな」

「さて、どうする? 私はお前たちが死んでも大して困りはしないさ。だが、なるべく穏便に引っ越しを済ませたい。なぁに、心配することはないさ。何もアンタから山の治者の座を奪い取ろうってんじゃない。私たち守矢神社を受け入れてくれさえすればそれでいい。悪い話じゃあないだろう? ……おっと、帰ってきたみたいよ」

 

 神奈子の視界の先の空中には空彼方に吹き飛ばされたはずのラクタの姿があった。戻ってきたラクタは思わぬ神奈子からの激しい攻撃に怒りを覚えているのだろう。元々紅い体毛に覆われた鷲頭をさらに赤く染めていた。

 

「……この天狗の集落ごと燃やし尽くしてくれる……!」

 

 ラクタは掌を神奈子たちのいる方向に向けると、火球を作り出す。今にも放たんという様子だ。

 

「おやおや。とんでもないエネルギーだね。今開発中の地獄鴉並みじゃないか」

「何をのんきなことを言っている!? あんなものを叩きつけられれば、お前だってただじゃすまないだろ!?」

「そうでもないさ。私はあれくらいなら耐えられる」

「なんだと……」

「さ、もう時間がないようだ。どうする大天狗! 私たちを受け入れるか、受け入れないか!」

 

 ラクタの火球はさらなる力を集めていた。放たれれば天狗の集落は灰になるだろう。天魔は小さく口を動かした。

 

「く、くそ。仕方ない。ああ、認めてやるよ。お前たちはこの山の神だ。ただし、妖怪の山の長は私だ。それは譲らん……!」

 

 天魔が八坂神奈子を妖怪の山の神として認める発言をしたとき、ラクタの火球が解き放たれる。

 

「我をコケにした愚かな神と妖よ。肉片残さず灰になれ!」

 

 巨大火球は神奈子目掛けて落ちてくる。

 

「約束を違えるなよ。大天狗!」

 

 神奈子は火球に向かって手をかざす。途端に晴天だった空が雲に覆われ嵐が起きる。強烈な嵐は火球の落下を押しとどめた。さらに巨大な雹と豪雨が火球に向かって集中的に降りかかる。突然の異常気象に見舞われた火球はその熱を奪われ消え去った。

 

「わ、我の火球が雨風ごときに……!?」

「雨風ごときとは聞き捨てならないねぇ。いつだって天災は人間の予想を超えていくものさ」

「青髪ぃ。貴様何をした!?」

「大したことはしてないさ。少々、『乾』を創造しただけだよ」

「乾? 乾とはなんだ!?」

「簡単に言えば……そうだねぇ。『天』のことかな。私は天候を操り、生み出すことができるのさ。どうだい、神らしいだろう?」

「天候を操るだと……!? 我が主のほかにそのようなことができる者がいるとは……! 主にお伝えせねば……!」

 

 ラクタは神奈子からの逃走を試みる。しかし……。

 

「う!? な、なんだこの風は!? 元の位置に押し戻されて……!?」

「どうだい、風の蟻地獄は? 自慢のスピード移動もそれでは生かされまい」

 

 神奈子は空気をコントロールし、ラクタが逃走できないように渦巻き状の暴風を作り出していた。逃げ場を失ったラクタは困惑した表情で神奈子に視線を向ける。

 

「……妖怪の山に手を出したのが間違いだったな。この山の神としてお前に天罰を下してやろう……!」

 

 神奈子は天に手を掲げる。

 

「青髪ぃ! 何をするつもりだぁああ!?」

「天における最強の自然現象をお前に与えるのさ。心配するな。一瞬で終わる」

 

 ラクタの頭上に黒々とした雨雲が発生する。その雲からはビリビリと稲妻が蓄えられていた。神奈子は大声とともに裁きを下す。

 

「これが神の雷だ! 神に逆らった愚か者よ!」

 

 雨雲から放たれた巨大な雷がラクタに直撃する。神奈子の言う通り、一瞬の出来事だった。眼も眩む閃光が収まった時、既にラクタの姿はなかった。あまりの高圧な電流にラクタの体はチリ一つ残さず消滅したのである。

 

「久しぶりにはしゃぎ過ぎてしまったな」

 

 神奈子はほほをぽりぽりと人差し指の先でかく。

 

「……化物め。……だが、なんとか助かったみたいだな」

 

 天魔は眉間に皺を寄せながら、とりあえずの危機の脱出に安堵する。しかし、妖怪の山に現れた新たな神の脅威を前にして素直には喜べない大天狗なのであった。



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痛々しい自己紹介

「よし、あの妖怪は倒してやったぞ。これで私たちは正式にこの山の神になったわけだ。感謝するよ、大天狗」

「くそ、人の弱みに付け込みおって……」

 

 緊張感から解放された大天狗は神奈子への反論を吐きつつ、はぁはぁと息切れを起こしながら仰向けに倒れ込んだ。肉体的精神的疲労がどっと出たのだろう。

 

「天狗の長はばてるのが早いねぇ。もう引退した方がいいんじゃないかい?」

「バカを言うな。まだ、後継者候補は未熟者揃い。アイツらは甘すぎる。しばらくは私が長をやらなければ……! ……というか、私はまだ若いし!」

「それだけ強がる元気があれば大丈夫だねぇ。山の神であることを認めてくれた礼だ。治療室に負傷した天狗を運ぶくらいは手伝ってやろう。それが神の務めだろうしね。たしかこの集落の地下に医療機関を隠しているんだったな?」

「……そこまでお見通しというわけか。……その情報を売ったのは河童か? それとも私の身内の天狗か?」

「それは言わないでおこう。お前が粛清を加えることで妖怪の山に血を流させるわけにはいかないからねぇ。神は平和を重んじるものだからさ」

 

 天魔はチッと舌打ちをしたがそれ以上追求することはしなかった。

 神奈子と天魔は射命丸たち3人に加え、ラクタとの戦闘で傷ついた天狗たちを治療室に運びこむ。

 

「噂ではこの幻想郷は外の世界から百年ほど技術が遅れていると聞いていたが……、なかなかどうして。立派な医療機器や薬剤が揃っているじゃないか。……これも河童の技術かい?」

「答える必要はないだろう?」

 

 天狗の治療室の発展具合に感心する神奈子の発言を天魔が軽くあしらう。幸いにも、射命丸、椛、はたての3人はもちろん他の天狗たちも命に別状はないらしい。ラクタと天狗たちとの間に圧倒的な力の差があったことを考えれば奇跡的だった。その奇跡を起こしたのは他でもない神奈子だ。天魔は不満に思いつつも神奈子たちを認めざるを得ないという感情に変わっていく。

 

「まったくとんでもないことになったな。これからどうパワーバランスを保っていくか……」

 

 天魔が顎に手を当て思索にふけっていると、ビリっとした気配を感じる。

 

「なんだこの気配は……!?」

 

 天魔は地下室を駆け上がり地上に出る。するとそこには……。

 

「あっれー? おかしいな。天狗がまったくいないじゃないか。気配は感じるってのに……。あっ。一人発見!」

 

 小柄な金髪少女が辺りを窺うように歩き回っていた。少女は天魔を視界に入れると語り掛ける。

 

「なあアンタ。なんで天狗が一匹もいないんだい? ……もしかして、もう終わった感じなのかな?」

 

 奇妙な市女笠を被ったその金髪少女『洩矢諏訪子』は天魔に問いかける。

 

「お前は……もう一人のよその神か」

「もう。質問に答えてよ。もう終わったのかい?」

「とっくに終わったぞ、諏訪子。この大天狗が認めてくれたよ。私たちは晴れてこの山の神になった」

 

 天魔の背後から神奈子が現れ諏訪子に告げる。

 

「なんだ、もう終わっちゃったのか。でも、天狗はどこに? 神奈子アンタまさか殺しちゃったんじゃないだろうね!?」

「そんなことするわけがないだろう。むしろ命を助けてやったんだ。天狗どもは全員地下の隠れ家の中さ。それにしても遅かったな諏訪子。何をのろのろしてたんだい?」

「し、仕方ないだろ? 山の麓で厄神と秋の神どもがでっかい蛇に襲われてたから助けてたんだよ! アイツら怪我もしちゃってたから竹林の月の民のところに連れて行ってやってもいたんだ」

「言い訳だねぇ。かつての戦いのときもそうだった。お前さんは愚鈍だねぇ」

「なにおう!?」

 

 諏訪子は坤を創造する程度の能力で地面をマグマに変えると、神奈子に向けて噴火させる。

 

「やるかぁ!?」

 

 対する神奈子は乾を創造する程度の能力で嵐を起こすとマグマに風雨をぶち当てる。ぶつかり合った箇所から激しい光が放出され、天魔の眼を眩ませた。

 

「ぐうっ!? お、お前らやめろ! 私たち天狗の集落をめちゃくちゃにする気か!?」

 

 天魔の叫びに神奈子と諏訪子は能力の発動をやめる。

 

「あーあ、神奈子のせいで怒られっちゃったじゃないか」

「先に手を出したのはお前だろ!」

「喧嘩をするなら、別のところでやってくれ! 集落を壊されたらたまらんからな!」

 

 天魔の講義に神奈子はこう答えた。

 

「別に喧嘩じゃないさ、なあ諏訪子?」

「ああ、私たちが本気で喧嘩したらこんなものじゃ済まないよ。今のはただのじゃれ合いさ」

「じゃれ合いで人様の家を壊そうとするんじゃない!」

 

 天魔は常識外れの力を持つ二柱に苦言を呈した。「これから頻繁にこいつらの監視をしなくてはならないのか……」と天魔は頭を抱える。

 

「こーんにーちはー! ちょっと聞いてもいいでーすかー?」

 

 どこか頭の軽そうな声が響き渡る。声の主は諏訪子でも天魔でも、もちろん神奈子でもない。今度は誰だ、と天魔は振り返る。そこには僧侶の袈裟を着た美少女が立っていた。背は諏訪子と同程度がそれよりも低いくらいか……。彼女の着る袈裟は通常の地味なそれとは違い、花魁の着物のような派手な色合いである。動きやすいようにしているのか、丈や袖は短く切られており、足元は黒いブーツで彩られていた。丈は短くし過ぎてスカートのようになってしまっている。

 

「珍妙な姿をした小娘だな……」と天魔が呟く。

「茶髪のお嬢さん何の用事だい? ここは部外者立ち入り禁止のはずだよ?」

 

 諏訪子が小娘に問いかける。天魔は心の中で「お前も部外者だっただろ、ついさっきまで!」とつっこむ。

 

「何の用事かっていわれればー。この山をもらいに来たって感じですかねー?」

 

 姫海棠はたてに似たギャル風の間延びした物言い。茶髪少女の会話の仕方とその内容に天魔は怒りを覚える。

 

「語尾をだらだらと伸ばすな! それにこの山を貰いにきただと!? どいつもこいつも勝手なことを……!」

「うわ、こわーい。おばさんカリカリし過ぎ。更年期なんじゃないですかー?」

「だれがおばさんだ!? 私はまだそんな歳じゃない!」

「……小娘、お前の額にある傷のようなもの……。それは眼か……?」

 

 神奈子が少女に質問する。たしかに少女の額には薄く縦長に切れた傷のようなものがあった。少女は傷をさすりながら答える。

 

「ああ、そうなんですよねー。これ、遺伝なんですよー。ひぃひぃばあちゃんくらいまでは眼だったらしいんですけどー。あたしにはちょっと痕だけが残ってる感じなんですよねー。あたしの数少ないコンプレックスの一つっていうかー」

「……第三の眼の名残、か……。……小娘、お前神霊の類か?」

「その通りでーす! アタシの名前はー」

 

 少女は頭頂部に造った団子ヘアーを揺らしながらポーズをとる。腰をくねらせ、ピースサインの指の間から片目を覗かせる。

 

「帝釈天=インドラちゃんだよっ!」

 

 傍から見ればあまりに痛々しい自己紹介をする少女に神奈子たち三人は鋭い眼光を向けるのだった。



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神の末裔

「帝釈天=インドラ……? たしか……、仏教やインドの宗教にそんな名前の神がいたな……」

「そうそう、それそれ。って言っても、その神様は私のひいひいひいひいばあちゃんとかその辺りがモデルなんですけどねー」

「神の末裔か……。そんなやつがなぜこの妖怪の山を欲するんだ?」と天魔がインドラに問う。

「さぁ?」

「『さぁ?』だと? ふざけるな!」

「だって仕方ないでしょー。私はひぃひぃひぃ婆ちゃんのお友達のテネブリスさんに頼まれてやってるんだからー。テネブリスさんが何をやりたがってるかなんて聞いてないしー」

「テネブリス……。それが貴様ら侵入者の親玉の名か」

「あっ。言っちゃまずかったかなー? ま、いいや。多分名前くらい知られても問題ないだろうしー」

「小娘、なにが目的だとしても関係ない。この山は我らのものだ。お前にやるつもりはないよ」

 

 神奈子が不敵な笑みを浮かべて山の所有者が自分たちであることを告げる。その様子を見た天魔は『こいつも大概に面の皮が厚いな』と呆れる。

 

「別にくれないならそれでもいいよー。奪うだけですからー」

 

 軽い口調で穏やかでない言葉を紡ぐインドラは、さらにこう続ける。

 

「ねぇ、おばさんたちさー。私の『ヴァーハナ』がどこに行ったか知らないですかー?」

 

「おばさんってのは私のことも言ってるのかい?」

 

 諏訪子がインドラに不服そうに尋ねる。

 

「もちろん。だってあなたこの中じゃ一番おばさんでしょー? 姿かたちは若作りできてもオーラは誤魔化せないよねー」

「……私の中身を見抜けるのかい? なるほど、神の名を名乗るだけのことはあるってことだね」

「そんなことより、質問に答えてよねー。私の『ヴァーハナ』知らないー?」

「そのヴァーハナってのはなんだい?」

「私のような神の乗り物になる動物のことだよー。この国の人間とかだって馬を乗りものにしてるでしょー?」

「悪いが、乗り物になりそうな動物なんて見ちゃいないよ。どんな動物なんだい?」

「おっきな蛇女『ナーガ・ラージャ』のナーギニーちゃんと赤い鷲女『ガルーダ』のラクタちゃんだよー。この山を征服するようにお願いしてたんだー」

 

 インドラの言葉に諏訪子と神奈子はピクリと眉を動かす。両者とも心当たりがあるからだ。

 

「あー! その反応絶対知ってるでしょー? どこにいるのー。私のナーギニーちゃんとラクタちゃんはー」

「もういないよ。お嬢ちゃんのいう蛇女は私が退治したからね」

「はぁ!?」

「ガルーダだか、ラクタだかいう鷲の妖怪も私が始末したよ。この山にちょっかいをかけていたからねぇ。なるほど、あの鷲頭が言っていた主とやらが小娘、お前なわけか」

「……そうかー。道理で帰りが遅いわけだねー。おばさんたちが殺してくれちゃったんだー。私の大事なヴァーハナを……。それもお気に入りの2匹ともー」

 

 インドラの口調が徐々に怒りに満ちていく。

 

「ナーギニーちゃんはもうすぐ竜になれそうだったから楽しみにしてたのにー。ラクタちゃんは私の乗り物《ヴァーハナ》の中で最速だったから重宝してたのにー。絶対許さないんだからー。…………覚悟してよねぇ! クソババア共ぉ!」

 

 インドラは体内に押し殺していた神のオーラを放出する。その圧倒的なプレッシャーの前に神奈子たち三人は苦笑いを浮かべるのだった。



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ヴァジュラの雷

「お、おい。魔力の圧が強大過ぎて私にはもう力の差がどれだけあるかすらわからんぞ!?」

 

 天魔が焦った様子で神奈子と諏訪子に問いかける。だが、二人もその質問に答える余裕はなかった。

 

「神奈子! これは出し惜しみしてる余裕はないみたいだよ」

「そうみたいだねぇ」

 

 諏訪子と神奈子、守矢の二柱は頬に冷や汗を流しながら会話する。

 

「さぁ! かかって来なさいよぉ。クソババアがぁ!」

 

 インドラは額に血管を浮かび上がらせながら、暴言を伴って二柱を威嚇する。

 

「おいおい、偉く汚い言葉遣いに変わるもんだね。神々しさの欠片もない。それでも由緒正しい神様なのかい? 顔が醜く崩れているよ?」

 

 諏訪子から指摘を受けたインドラは懐から鏡を取り出すと自分の顔を確認して身だしなみを整え始めた。

 

「いっけなーい! 私としたことが感情に飲み込まれちゃってたー。失敗失敗ー」

 

 身だしなみを終えたインドラは先ほどまでの怒りの表情を作り笑顔に変え、諏訪子たちに見せつける。

 

「変わったやつだねぇ、あんた……」と神奈子が呟く。

「さーて、私のヴァーハナを殺したおばさんたちにはー、死んでもらわなくちゃ、だよねー」

「そうそう簡単に私たちも殺されるわけにはいかないさ!」

 

 諏訪子はどこから召喚したのか、その身を多数の白蛇に覆わせる。無数の白蛇たちと融合を果たした諏訪子は肥大化し、小さな山ぐらいの高さはある一匹の巨大蛇となった。

 

「ふーん。すごーい。私のナーギニーちゃんよりおっきくなるなんてー」

 

 インドラが諏訪子の変身に目を奪われている間に神奈子も術をかける。嵐を巻き起こし、風の牢獄をインドラと自分たちの周囲を取り囲むように生成した。

 

「わわっ!? なにこれー。風の結界ってわけー?」

「これで逃げ場はないな。大人しく諏訪子の溶岩の餌食になるといい」

 

 神奈子の言葉を合図にするかのように巨大白蛇と化した諏訪子は大きく息を吸い込み吐き出した。その吐物は空気ではなく、『坤を創造する程度の能力』で作り出した溶岩である。大量の溶岩がインドラ目掛けて火砕流となって襲い掛かる!

 

「……どうなったんだ?」

 

 諏訪子と神奈子の影に隠れた天魔が火砕流の落ち着いた戦場を覗き込む。高熱の溶岩で大気全体が陽炎で揺れていた。とても助かるとは思えない。少なくとも、人や妖ならば……。

 

「冗談だろう?」

 

 天魔もまた険しい表情で冷や汗を流す。視界の先に『神』がいたからだ。

 

「あっつーい」

 

 軽い口調だった。『神』、帝釈天=インドラは自身の周囲に薄い球状の結界を張ることだけで土着神の最高神である洩矢諏訪子の『坤』の溶岩を退けたのである。

 

「ま、こんなもんだよねー。こんな小さな島国の貧弱な土着信仰の矮小な神の力なんてー」

「こいつは参ったね」

 

 神奈子は苦笑いを浮かべる。巨大蛇となり表情が解らなくなった諏訪子も心なしか動揺しているように天魔の眼には写った。

 

「それじゃーまずは蛇さんの方から殺してあげようかなー」

 

 インドラが手を天に掲げると、諏訪子の頭上に巨大な光球が現れる。

 

「小娘、お前何をするつもりだ!?」と叫ぶ神奈子。

「ふっふふー。するのは私じゃないよー。ひぃひぃひぃひぃばあちゃんから受け継いできた私の一番のヴァーハナだからー。顕現せよ、『アイラーヴァタ』ー」

 

 インドラの掛け声とともに諏訪子の頭上に浮く光球から巨大な象の足『だけ』が出現する。足はそれだけで巨大蛇である諏訪子をはるかに凌ぐ大きさだった。神奈子と天魔は早々に退散したが、諏訪子はその巨体が災いし、逃れ切ることができない。

 

「潰しちゃえー! アイラーヴァター!」

 

 諏訪子は巨大な象足に踏みつぶされる。同時に諏訪子の巨大蛇を構成していた無数の白蛇たちが散り散りとなる。象足は役目を終えると光球の中へと戻り、光球もまた消え去った。

 

「諏訪子ぉおおお!?」

 

 諏訪子の身を案じる神奈子の声が天狗の集落にこだまする。象足によってクレーターのようにへこんだ大地の最底辺。そこに諏訪子の体はめり込んでいた。

 

「すっごーい。アイラーヴァタちゃんの足で踏んづけてあげたのにまだ原型をとどめてられるんだー。もしかしてまだ死んでないとかー?」

「小娘、貴様ぁ! ただで済むと思うなよぉ!」

「青髪のおばさんったら顔こわーい! そんなに怒ってたら皺増えちゃうよー?」

「だまれ! いや、黙らせてやる!」

 

 神奈子はインドラの頭上に『乾を創造する程度の能力』で雷雲を発生させる。

 

「喰らえ! 神の雷を……!」

 

 神奈子の雷が帝釈天=インドラに放たれる。インドラは防御する姿勢すら見せず、そのまま雷の直撃を許す。

 

「あっははー。ぬっるーい!」

 

 全くの無傷であった。神奈子の渾身の雷をその身に受けてもインドラは何もなかったかのうような振る舞いを見せて嘲る。

 

「くっ!? そんな……!?」

「なるほどねー。ナーギニーちゃんやラクタちゃんがやられちゃうわけだねー。結構力あるんだねーおばさんたち。でもー、私には遠く及びませんねー」

 

 そう言いながら、インドラはその手にアイテムを召喚する。

 

「じゃーん。これはなんでしょーかー?」

「……知るものか……!」と苛立ち交じりに神奈子が答える。

「つまらない答えですねー。……これはね。『金剛杵(こんごうしょ)』、私の国では『ヴァジュラ』と呼ばれる法具。この世にレプリカは多くありますがー、……私の持つこのヴァジュラこそ、ひぃひぃひぃひぃ婆ちゃんの代から、つまり初代インドラから受け継ぐ本物のヴァジュラ……! なんですよー」

 

 インドラがヴァジュラを強く握りしめると変形し、槍状の形になる。柄の上下にそれぞれ大小の刃が付いた槍に……。

 

「矮小な神に魅せてやろー。本物の神雷をー。……ヴァジュラの雷を!」

 

 インドラはヴァジュラの先端を神奈子に向けた。先端から放出された紫電が神奈子に突き刺さる……!

 

「ば、ば……ばばばばばば……」

 

 神奈子の意図せぬ発声が感電で強制的に行われる。

 

「すごいじゃないですかー。この出力で死ななかった神はあなたが初めてですよー。……でも、私もまだ本気じゃないんでー。……少し本気を出してあげますよ」

 

 インドラの雷がより強く激しい閃光を生み出した。閃光が収まった時、そこにあったのは真っ黒こげに変色した神奈子の身体だった。

 

「あっははははー。どうでしたかー。私の本気はー? まー、もう返事はできないんでしょうけどー」

 

 焼け野原の戦場と化した天狗の集落で、神の高笑いが響き渡る。それはなんとか生き残った大天狗天魔を恐怖の感情で埋め尽くすには十分すぎるほど十分だった。

 

 インドラはゆっくりとした歩みで立ちすくむ天魔の元に歩み寄る。

 

「どうしたんですかー、おばさーん。そんなに青ざめてー」

 

 天魔は死を覚悟する。神奈子や諏訪子はもちろん、インドラの乗物《ヴァーハナ》にすら引けを取る天魔がインドラに敵うはずもないからだ。立ち尽くす天魔の横をインドラは通り過ぎる。

 

「……こ、殺さないのか……?」

「まさかー。戦意喪失した下等な妖怪ごときを殺すわけないじゃないですかー。殺す意味がない。なぜ、神が恐れられる存在なのかわかりますかー? それは神の恐ろしさを目の当たりにした人間や妖が伝聞するからですよー。そして神は畏敬される存在になるのですー。精々私の恐ろしさをこのコミュニティの妖怪たちに広めてくださいねー。おばさん」

 

 インドラはそう言い残すと、妖怪の山の頂の方向に向かって飛び去って行った。一人残された天魔は膝から崩れ落ち、過呼吸を起こすのだった。



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神の気配

――天狗の集落地下、隠し医療機関にて――

 

 射命丸はベッドの上で気絶から目覚めた。体に走る火傷や擦過傷の痛みに耐えながら、ゆっくりとベッドから起き上がる。

 

「うっ……。私は一体……? たしか、赤い鷲女の炎を受けて……」

「お気づきになりましたか、射命丸様……!」

 

 射命丸はベッドの傍らにいた一匹の鴉天狗に目を向ける。どうやら看護兵らしき天狗である。だんだんと意識がはっきりしてきた射命丸は自身が地下の医療機関で治療を受け、眠っていたらしいことを理解した。

 

「……どうやら私は気を失っていたようですね……。……椛やはたてはどこに……? 天魔様は無事なのですか!?」

「皆様ご無事です。椛様とはたて様はまだ意識が戻っていませんが、重症ではありません。じきにお目覚めになられるかと……」

 

 看護兵からの説明で椛とはたての無事を知り、射命丸はとりあえずほっと安堵する。

 

「天魔様は今どこに?」と続ける射命丸。

「……守矢神社の二柱様の遺体安置所にいらっしゃいます」

「守矢神社……? あのしつこく自分たちを妖怪の山の神として認めろと言っていた神たちのことですか? たしか、天魔様は『あの者たちを妖怪の神として認めたりはしない。妖怪の山はこれからも天狗をはじめとする妖怪主体の自治を行う』と強く言っていたはずです」

「私も詳しいことはまだ聞けていませんが、天魔様はあの二柱を妖怪の山の神と認めたようなのですが……、その神たちが今は亡き者に……」

「……状況が全くわかりませんね。直接天魔様に聞くことにしましょう」と言いながら、射命丸はベッドを降りようとした。

「いけません、射命丸様。まだ動かれては……!」

「もう私は大丈夫です。まだ、私より傷の深い治療中の天狗たちがいるでしょう? そちらの手当に回ってください」

「そういうわけにはいきません。射命丸様は『大天狗』の候補なのですから……!」

「……大天狗候補、ですか。大層な名前を私もはたても付けられてしまったものです。そういうのは真面目な椛がやるべきだと思うんですけどねぇ……」

「……犬走様は白狼天狗ですので」

「今どき種族にこだわるのはいささか時代遅れの思想かと思いますけどね」

「……時代遅れでも、伝統を重んじる方々がいるのもたしかですので……」

「……頭の固い長老どもに囲まれて天魔様も苦労なさっていることでしょう」と溜息をついてから射命丸は話し続けた。

「……大天狗候補生が特別扱いを受けることが良いことだとは私には思えません。すぐに他の天狗の治療に向かいなさい。……これは命令です……!」

「……っ。 ……わかりました……」

 

 看護兵天狗は吐き出しかけた言葉を飲み込んだ様子で射命丸のベッドが置かれた病室から出ていった。

 

「……大天狗になんか私はなりたくないんですがね。新聞さえ作れればそれでいいのに……。……はたても同じ考えでしょう。だから引きこもって念写だけで新聞を作っているんでしょうし……。あの子も怠惰な自分を演じて、大天狗候補から外れようとしているに違いないです」

 

 射命丸は独り言を呟きながら、ベッドの傍らに置かれていた自分の靴を履き、病室を後にした。向かう先は天魔がいるはずの『遺体安置所』である。遺体安置所には天魔が二柱の遺体に視線を向けて見守るように立っていた。射命丸には遺体の状況がよく見えないが、とりあえず天魔に声をかけることにした。

 

「天魔様、ご足労おかけいたしました。どうやら私、気絶していたようで……、天魔様が搬送して下さったのですか?」

「……私だけではない、この二柱たちも手助けしてくれた」

 

 射命丸は天魔と同じ方向に視線を向ける。そこには神とは思えないほど、傷んだ二つの死体があった。

 

「あややや……。これはひどい……」

 

 射命丸は思わず眉をしかめる。二柱のうちの背の低い方は全身複雑骨折を負ったように血だらけで体のあちこちがあらぬ方向に折れ曲がった跡がある。もう片方に至っては真っ黒に焦げており、人の形をしていることだけしか判別できない。

 

「……天魔様、一体何があったのです? 妖怪の山の神にこの二柱をお認めになっていたとか……。しかし、その神たちが目の前でこのありさま……」

「別に複雑な事情があったわけではない。起こったことは至極単純だ。厄介なことこの上ないことに違いはないが……」

 

 前置きした天魔は射命丸に事の顛末を告げる。

 

「……なるほど。あの鷲頭から私たちを助けることを条件に真っ黒こげになってしまった方の神が妖怪の山の神にしろと迫ってきたので認めた。その後、インドラとかいうもっと強大な神が鷲頭を殺した守矢の二柱を報復に殺した、という認識でよいですか?」

「そういうことだ」と天魔は射命丸の要約を肯定する。

「何はともあれ、天魔様が殺されなくてよかったです」

「お、私のことを心配してくれるのか、射命丸」

「いえ、天魔様まで殺されていたらまた、血なまぐさい天狗同士の権力争いが再勃発してしまいますからね。最悪の事態は避けられてよかったということです」

「……かわいくない奴……」と言いながら天魔は射命丸に苦笑いを送る。

「ところで……、なぜこの二柱の遺体を置いたままにしているのです? 早く弔ってやるべきでしょう。神とお認めになっていたならなおさらに」

「……軍医に聞いたところだと、体の修復は可能なようだ。だから、その準備をしている」

「……死体を綺麗な姿形の状態に戻すということですか? 何のために? 蘇るわけでもないでしょうに……」

「状況的に認めざるを得なかったとはいえ、この二柱を私は妖怪の山の神として認めたのだ。であるならば、最大限の敬意を払わねばなるまい。綺麗な見た目に戻してから、この神たちを信じる信者たちの元に返してやるくらいはしないとな」

「変なところで義理堅いですよね、天魔様は。……だからこそ、皆が付いてくるのでしょうが……」

「お、射命丸よ。私のことを尊敬しているのか?」

「まさか。呆れているだけですよ」と射命丸は天魔に微笑みを返す。

 

 ……そんなときだった。天魔と射命丸は背筋にぞわぞわっとしたものを感じる。射命丸にとっては初めてだったが、天魔は似た気配をついさっき感じていた。

 

「……射命丸、感じるか……?」

「え、ええ。天魔様……。な、なんでしょうか。この圧倒的プレッシャーは……」

「……この気配、インドラとかいう神の圧に似ている。……くっ!? 我らのことを見逃すと言っていたのに……。気が変わったのか……!?」

 

 プレッシャーの気配の持主が既に地下に入っていることを感覚で天魔と射命丸は探り当てる。インドラと似た気配のそれは少しずつ遺体安置所に向かってきていた。

 

「……この部屋ですね。この部屋から諏訪子様と神奈子様を感じます」

 

 呟きながら現れたもの姿は……、神に似た気配を出しているとはとても思えぬ風貌だった。天魔と射命丸が普段あまり目にすることのない服を着た少女は、外の世界でいう『女子高生』であった。セーラー服を着た緑髪の女子高生は短い自己紹介を始める。

 

「無断でお邪魔させてもらいました。私の名前は東風谷早苗。守矢神社の巫女です」

 

 東風谷早苗は笑顔を天魔たちに向ける。しかし、その眼の奥がまったく笑っていないことは容易に認識できた。

 

 天魔と射命丸は『セーラー服』と『神の気配』というアンバランスな組み合わせの東風谷早苗を前にして緊張感を高めるのだった。



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脈拍再開

「守矢神社の巫女だと……?」

 

 天魔は顔をこわばらせながら問いかけた。異様なプレッシャーを放つ目の前の少女がただの巫女だとは思えない。

 

「はい。私は諏訪子様と神奈子様にお仕えさせていただいています」

 

 東風谷早苗は眼を半開きにした形で神奈子に微笑む。相変わらず眼の奥は笑ってなどいない状態で、だ。

 

「諏訪子様と神奈子様はその台の上に横たわっておられるのですね? 拝見させてください」

「あ、ああ……」

 

 天魔は二柱を安置している台の前を早苗に譲る。変わり果てた二柱を目の当たりにた早苗はわなわなと震えていた。怒りの感情からさらに発するプレッシャーを強める早苗に射命丸は思わず体を硬直させる。

 

「……お二方をこのような目に合わせたのは貴方ですか?」と早苗は天魔に問いかける。

「ち、ちが……。わ、私では……」

「でしょうね。貴方程度にお二方を痛めつける力があるとは思えません」

 

 ……本来ならば、一介の巫女ごときが天魔に不敬な言葉を述べれば、天魔も射命丸も許しはしないだろう。だが、目の前の少女が放つ圧倒的なプレッシャーの前に言い返すことなどとてもできなかった。

 

「誰がお二方をこのような目に……? お教えいただいてもよろしいでしょうか?」

 

 天魔は射命丸に話した時と同じように早苗にも事の顛末を伝える。

 

「なるほど。海の向こうの神ですか。それならば、お二人がおいたわしい姿になってしまったことも納得できます。……ところで、なぜお二方をこんな場所に置いたままにしているのですか? 貴方たちはお二方をこの山の神と認めたのでしょう? 治療するのが筋だと思いますが……」

「な、なにを言っている!? 見ればわかるだろう! この二柱は既に手遅れだ……!」

「そんなはずがないでしょう。お二方は土着信仰の最高神と日本古来の軍神なのですよ? この程度のことでお亡くなりになるはずがない……!」

「気持ちはわかるが……、我ら天狗の誇るエリート軍医たちに何度も確認させたのだ。間違いなどあるわけが……」

 

 そこまで言って天魔は言葉を飲み込んだ。早苗の無表情な顔が『黙って治療しろ』と凄んでいるように感じられたからである。天魔は無駄だと思いつつも軍医たちを呼び出し、二柱の状態を再確認させることにした。

 

「そ、そんなバカな……!?」

「どうした?」

 

 驚愕する軍医に天魔が問いかける。軍医は驚愕した表情のまま、天魔に報告する。

 

「脈拍が再開しています……! 何度も複数人で確認して死亡を判断したはずなのに……!?」

「当たり前です」

 

 早苗がぴしゃりと言い放ち、場の空気を締める。

 

「お二方がお亡くなりになるはずがないのです。もう少しであなた方は取り返しのつかない誤診をするところでした。この罪は重いですよ? お二方に代わって神罰を下したいところですが、それはお二方の望むところではないでしょうからやめておいてあげましょう。それではお二方に手厚い治療をお願いしますよ、大天狗殿」

 

 早苗はそう言うと踵を返し、遺体安置所を後にしようとする。

 

「ま、待て! どこに行くつもりだ!? お前こそ、二柱を看護する必要があるんじゃないのか!?」

 

 呼び止める天魔の声に反応し、早苗は半身で振り返る。

 

「私にはやらなければならないことがありますから……」

「やらなければならないこと……だと?」

「ええ。罰を与える準備をしなくては……。お二方をこのような目に合わせたインドラと名乗る神にそれ相応の処罰を下さなければいけませんから……!」

 

 早苗のプレッシャーがさらに大きく増幅される。表情は笑っているが、そのオーラにはさらなる怒りが内包されていた。あまりのプレッシャーに射命丸とその場に居合わせた軍医たちは胃の内容物を戻しそうになり、必死に口を押さえる。天魔でさえ立っていることが精いっぱいだった。

 

「……お前は一体何者だ……!? ただの巫女とは思えん……! お前からはインドラと同程度の圧を感じるぞ……!」

 

 何とか口を動かした天魔が早苗に問いかける。

 

「ただの巫女ですよ。……外の世界では現人神だと、皮肉で言われたこともありましたが……。私自身は今も昔もただの巫女だと思っています」

 

 ハイライトの一切ない暗黒の眼玉で天魔を見つめながら言い残すと、早苗は今度こそ遺体安置所を去っていった。

 

「ただの巫女だと……? 冗談も大概にしろというものだ。……おい、本当に誤診なんてありえるのか?」

 

 天魔は軍医の一人に尋ねる。

 

「わ、我々はたしかに二柱の死亡を確認しました。今までこのような事例を聞いたこともありません。き、奇跡というほかないかと……」

「……奇跡を起こす程度の能力を持つ巫女……なのか? どいつもこいつも次から次へと妖怪の山に乗り込みおって。これから胃の痛い日々が続きそうだな……」

 

 天魔は冷や汗をかきながら、早苗の背中を見送るのだった。



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髪飾り

◇◆◇

 

「よーし。テネブリス様に頼まれた仕事は終わったしー。ちょっとこの山を視察でもしようかなー」

 

 帝釈天=インドラは大きな独り言を発しながら妖怪の山山頂付近の上空をうろついていた。ある程度散策したインドラは結論を出す。

 

「うーん。やっぱりー『勾玉』を投げ入れた湖の近くが一番居心地良さそうだよねー。なんせ運脈の源泉のど真ん中だしー」

 

 インドラは妖怪の山の頂上付近にある湖のほとりに降り立つ。テネブリスから頼まれた『勾玉を龍穴に配置する』という仕事をした湖に。

 

「うん。やっぱ、ここだよねー。運に溢れていて気持ちいいもーん」

 

 インドラは大きく深呼吸をすると、湖から山頂の方に視線を移すように振り返る。

 

「景色もいいし良い場所だよねー。そうだー! テネブリス様にお願いしてこの山もらっちゃおっとー。そんでもってここに私を崇める寺社を建てちゃえばー、いい感じになるんじゃなーい?」

 

 インドラはにんまりと破顔して、自身の城を築く青写真を脳内に書き起こす。

 

「勝手なことを言ってくれますね」

「あーん?」

 

 インドラは声のする方に振り返る。そこにはインドラよりも頭ひとつ慎重の高い少女が佇んでいた。青いラインの入った白地の上衣と青いスカートを履いた巫女は微笑でインドラと対面する。

 

 青白の巫女はその緑の横髪に巻きつかせるように白蛇のアクセサリーを付けるととともに、頭部にはカエルのキャラクターが付属するカチューシャを付けていた。

 

「……あなただれですかー?」

「私は東風谷早苗。守矢神社の『風祝』です」

「かぜほうりー? 何ですか、それー」

「……巫女のようなものです」

「巫女ねー。巫女さんが何の用事かしらー? それにしてもー、ぷぷっ。なにその頭に付けたアクセサリーはー? だっさーい」

 

 インドラは早苗のカチューシャと白蛇の髪飾りを指さし、笑い出す。

 

「その笑いをやめていただきましょうか。このカチューシャと髪飾りは諏訪子様と神奈子様に頂いた大事なものです。私がひとりでも寂しくないように……、『お二方がいつ、どこであっても早苗とともにいるよ』と言って、くださったものなのですから……」

「……その諏訪子とか神奈子とかいうのが、アンタの仕える神様ってわけー?」

「そうです。ついでに言わせてもらうと、貴方がつい先刻痛めつけてくれた方々です」

「あー。あのちんちくりんかと思ったら巨大な白蛇に変化したやつと青い髪のやつかー。ふーん……。あいつらの敵討ちってわけですかー?」

「そういうことです。妖怪の山の神となられたお二方に代わり、私が貴方に神罰をくだしましょう」

「あっははー。神に神罰を下すだなんてー。どんなギャグですかー?」

「ギャグでもなんでもありませんよ。貴方は今日、今からここでお二方に手を出した罰で消滅することになるでしょう」

「ほんっとーに面白い冗談ですねー、お姉さーん?」

「お姉さん? ふふふ。貴方の方こそ面白い冗談を言いますね。おばさん」

「あー、おばさんって言いましたー? 何それ、意味わからないんですけどー」

「意味わからないことはないでしょう? 私から見たら十分貴方はおばさんですよ。上手く若作りしていますね。見た目は中学生くらいにしか見えません。でも、溢れ出るオーラの年齢は隠せませんよ」

「……癇に障る奴ですねー、あなた。良いだろー。殺してやるよ、クソアマァ!」

 

 インドラは眉間に皺を寄せて、早苗に凄むのだった。



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インドラの名乗り

「えらく、短気な神様ですね。そんなに眉間に皺を寄せてはお化粧が崩れちゃいますよ」

「えっ!?」

 

 インドラは懐から鏡を取り出すと、鏡で身だしなみを確認する。顔が崩れていないことがわかったインドラは作り笑顔を早苗に向ける。

 

「私としたことがー、また感情に流されちゃったー。しっぱいしっぱいー」

「無駄なあがきをしてますね。いくら厚化粧をしたところで誤魔化すことには限界がありますよ、おばさん」

「人を挑発するのがお上手ですねー。お姉さーん」

 

 インドラは作り笑顔を崩すことなく、早苗を『お姉さん』と呼び、自身が若いことをアピールする。

 

「それにしてもー、お姉さんってもしかしてかなりの手練れなんですかー? 神である私の威圧を受けても平気だなんてー」

「……私も神に仕える者。その程度の威嚇に屈するほどやわではありませんよ」

「ふーん……。お姉さーん、あなた中々気にくわない目をしてますよねー」

「……目、ですか?」

「そーそー。私を前にしても全く恐れてなさそうなその目だよー。正確にはさー。あなた死を恐れてなさそうだよねー。そんな目をしてるー」

「そんな風に見えますか?」

「見えるよー。むしろ、死を望んでいるようにさえさー」

「……馬鹿なことを……。私には守矢神社の神である諏訪子様と神奈子様に仕える責務があるのです。お二方を残して死ぬわけにはいきません」

「あっそー。って、ん? 今、『お二方を残して死ぬわけにはいきません』っていったー? あの二人の神、まだ生きてるんですかー!?」

「当然です。諏訪子様と神奈子様があの程度のことで死ぬわけがないでしょう?」

 

 インドラは早苗の発言を訝しむ。たしかにあの二人は自分の手で殺した。神である自分が見間違うはずがない、と。だが、そんな些事は目の前にいる青白の巫女東風谷早苗の不敵な笑みで吹き飛んだ。

 

「ま、なんでもいいですけどー。今からあなたを殺すことには変わりないですからー。神である私に不敬な言動を取ったあなたにはこの場で死んでもらいまーす!」

 

 インドラはその掌に金剛杵《ヴァジュラ》を顕現させる。自分の背丈を超えるほどの長さの槍にヴァジュラを変化させると、武術の達人が棍を振り回すようにくるくる回転させて戦闘態勢に入る。

 

 対する早苗はその手に既に持つ大幣をインドラに向ける。彼女の大幣は霊夢の使うそれとは異なり支手がなく、木製の棒先に長方形の白い紙が取り付けられているだけのシンプルなものだ。

 

「へー。極東の巫女はそんな武器で戦うんですねー。弱そー」

「……そもそもこの大幣は祈祷に使うものであり、武器ではありません。もっとも貴方を屠る程度ならこれで十分というところでしょう」

「どこまでも神に対して不遜な態度を取る巫女だよねー。あなたの方こそ神罰を下す必要がありそうですねー」

「先に神を侮辱したのは貴方の方です。覚悟してください」

「……それじゃ、いくよー。一撃で死なないでよねぇ!」

 

 インドラは早苗に向かって一直線に突進し、金剛杵の槍で喉元を狙う。早苗はそれを大幣で受け止める。

 槍と大幣が接触し、稲光が発生する。……正確には大幣に施された結界に槍が防がれていることによって、だが。

 数秒の競り合いを終え、両者は双方とも後方に飛び退いた。

 

「なるほどー。その貧弱な木の棒に術をかけて強化してるんだー。やるじゃん。私のヴァジュラを受け止められるなんてー。でも、私まだまだ本気じゃないよー」

「理解していますよ、あなたがまだ本気でないことくらい」

「じゃあ、つぎいくよー?」

 

 インドラはさらにスピードを上げる。その速度は既に彼女の乗物《ヴァーハナ》の一匹、神鳥ガルーダのラクタをも上回ろうとしていた。常人には見えぬ速度でインドラは早苗の首を横一線で切断せんとヴァジュラで斬りかかる。

 

「……なにー?」

 

 インドラは微かに動揺する。早苗がほぼノーモーションで、大幣だけを動かし、ヴァジュラが首に届く寸前で受け止めたからだ。一旦距離を取ったインドラは早苗に語り掛ける。

 

「……このスピードについて来られた人間は初めてですねー。本当にやるじゃないですか、お姉さん」

 

 早苗は真っ暗な瞳で不敵に笑う。

 

「もっと、スピード上げてあげるー!」

 

 インドラはさらにスピードを上げ、早苗向かって無数に槍の斬撃を加える。だが、どの攻撃も早苗は最小限の動きで結界術を施した大幣を用いて受け止めた。

 

「あっははー。すごい、すごーい!」

 

 インドラは心の底から感心していた。自分のスピードのついて来れた者は自身の母親とテネブリスを除けば誰一人としていなかったからである。

 インドラは少しだけ高揚していた。自分に迫るかもしれない人間の登場に。だが同時に達観していた。自分に勝つ可能性のある『人間』など、この世に存在しないという現実に。

 

「本当に実力者なんですねー、お姉さん。あなたは私の動きを目で追ってるんじゃない。感覚で私の動きを感じ取り、攻撃を防いでいる。信じられないですよー。人間の分際でその領域に足を踏み込んでいるなんてー。神でもそれを身に着けている者は限られますよー? 道理で私を屠るなんて強気な言葉が吐けるわけですー。……でもー悲しいなー。……こんな優秀な人間を殺さないといけないなんてー」

「ふふ。何を言い出すかと思えば……。何を根拠にもう勝った気でいるんですか? あなたは私に一撃も喰らわせることができていないというのに」

 

 早苗は当然の疑問をインドラに向ける。早苗も自分の力に自信を持っていた。まだ、早苗に有効打を放ったわけでもないインドラが勝利を確信していることに納得がいかない。だが、インドラは笑って答えた。

 

「残念だけどー、私が勝つのは決まってるんだよー? 見せてやろー。代々受け継いだ神の力を……。初代インドラであるひぃひぃひぃひぃばあちゃん。その親友テネブリス様が組織した『ルークス』の幹部階級『ドーター』の中において唯一『シスター』を名乗ることを許された私、帝釈天=インドラの力を!」

 

 インドラはヴァジュラを高々と掲げ、自信で満ちた笑みを早苗に送るのだった。



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微かな喜び

「人間よー。私に歯向かったこと死後の世界で後悔するといいー」

 

 インドラは間延びした締まりのないギャル風の口調で早苗の殺害を予告する。掲げたヴァジュラに魔力を集約させていった。魔力は紫色の雷となり、ヴァジュラの先端に帯電する。バチバチと光る紫電は早苗の視界を眩ませた。

 

「……それが神奈子様に放った雷ですか。なるほど、たしかに強大な力です」

 

 早苗は大幣を目元に当てるようにヴァジュラの方にかざし、激しい雷の閃光が直接眼に入らないよう防護する。

 

「喰らえー。神の怒りの雷《いかづち》をー!」

 

 インドラは早苗に向かって雷を落とす。雷は早苗の横にわずかにそれた。直撃は避けた早苗だが、地面を介して感電してしまう。ダメージを受けた早苗は無言でその場にうずくまる。

 

「へー。すごーい。直撃しなかったとはいえ、私の雷を耐えるなんて―。でもー、さすがに堪えた感じかなー? でもー、やっぱり気にくわないよねー。悲鳴の一つもあげないなんてさー」

「くっ……!」

 

 早苗はうずくまりから立ち上がり、ジグザグに走り出した。どうやら、的を絞らせないようにしているらしい。

 

「無駄なあがきだよねー。そんなことで私の雷はさけ切れないよー?」

 

 再びヴァジュラを高々と天に向かって掲げたインドラは槍先から紫電を早苗向かって何度も放出させる。

 

「それそれー。逃げろ逃げろー。当たって死んじゃうまで逃げちゃえー!」

 

 インドラは遊んでいた。早苗が走り逃げ続ける様を面白がるように、早苗に当たらないギリギリのところに雷を落とす。……何分ほどたっただろうか。体力の減少とともに次第に早苗は走る速度を落としていく。その息はすでに切れ始めていた。

 

「えー。もう、終わりー? やっぱり人間は弱っちいねー」

 

 インドラは肩で息をする早苗を見下すように笑い、いったん雷を緩めた。

 

「さて、極東の巫女のみっともない姿も見れたことだしー。もう飽きちゃったから殺すねー?」

 

 インドラは槍先を早苗に向け、発射体勢を取った。

 

「もう外してあげないよー? 最高出力で殺してあげるー!」

 

 インドラは槍先に魔力を込める。眼も眩むほどの雷が槍に帯電されていった。その状況を見た早苗はそれまでのジグザグの動きからは打って変わってインドラに向かって直進し始めた。

 

「あっははー! やけくそになっちゃったー? 死ねー!」

 

 インドラは最大出力の稲妻を早苗向かって放出した。勝利を確信したインドラはにやりと不敵な感情で口元を歪める。放たれた紫電は早苗向かって一直線に進んでいた……はずだった。

 

「な、なに? 雷が不自然に曲がってー……!?」

 

 インドラの放った紫電はなぜか、早苗を避けるようにその軌道を変えていた。そのことにインドラが気付いたときにはもう早苗は懐に入り込んでいた。

 

「はぁああああ! 『乾神招来』、『突』!」

 

 早苗は霊力を込めた大幣をインドラの腹部に突き刺した。雷を放出していたインドラに防御態勢を取る暇はなく、カウンターパンチを喰らったように大きな痛みを受ける。

 

「あ……、か……!?」

「『乾神招来』、『風』!」

 

 隙を見せたインドラに早苗は追撃を喰らわせる。霊力によって発生した強風がインドラを襲った。吹き飛ばされたインドラの身体は近くに聳えていた岩に叩きつけられる。

 

「か、は……。一体何が起きてー……?」

「……これが諏訪子様と神奈子様の怒りの一端です。まだ、終わりませんよ? 貴方が犯した罪はもっと重いのです」

 

 早苗は岩にめり込んだインドラに大幣を向け、真っ暗な瞳で怒りの表情を向ける。

 

「……どういう……こと? なぜ私の雷が妙な挙動をー……?」

 

 インドラは岩のめり込みから脱出を試みながら、ひとりごとを呟く。

 

「……一つだけ確かなことがありますねー。あなたは神である私を傷つけ、辱めたー。もー容赦はしませーん。……マジで殺してやる!」

「おや、今までは本気ではなかったということですか?」

「一発二発喰らわせたくらいで、随分と偉そうじゃないですかー、お姉さーん? あなただって私の雷で服が焦げてるくせにー。……本気じゃなかったに決まってるだろーが!」

 

 インドラはヴァジュラを変形させる。槍先を無数に増やし、その全てが早苗に向かって伸びていく。

 

「どうだー! 逃げたって無駄ですよー? 無限の槍先がお前を殺すまで永遠に追尾していくからねー!」

「逃げる必要はありません」

「逃げる必要がないですってー? どういうことー? ……なに!?」

 

 早苗は紫電の時と同様に、伸びてくる槍先に向かって宙を舞って突進してくる。

 

「頭おかしいのー!? とち狂っているとしか思えな……い!?」

 

 インドラは眼を疑う。間違いなく早苗に向けて延伸させているはずの槍先が早苗を『避けて』いくのだ。

 

「あ、当たらない!? な、なんでー!? まっすぐ飛ばしているはずの槍先がまるで生きているみたいに曲がっていくー……!?」

 

 早苗は無数の槍先の雨をくぐり抜け、再び攻撃可能範囲に入り込む。

 

「『坤伸招来』、『鉄輪』!」

 

 早苗は大幣から光の輪を作り出すと、それを力の限りにインドラにぶつけた。名のとおり、鉄のような質量を帯びた光の輪を叩きつけられたインドラはまた、岩に叩きつけられる。

 

「そ、そんな……? なんで私の雷が、槍が、当たらな……」

 

 そこまで呟いてからインドラははっと何かを思い出すかのように気付く。目の前の人間の正体に。

 

「そ、そうかー。なるほどー。お前も『こちら』側の存在ということですかー。……二、三回殴られるまで気付けないなんて、私もお馬鹿さんでしたー」

「何を言っているのです? 『こちら』側とは?」

「あなたがその珍妙な能力を使えるのは、あなたが『こちら』側の存在だったからですねー?」

「能力……?」

「とぼけないでくださいよー、私の雷や槍を曲げた能力のことですよー」

「……これは私の能力ではありません。これは神奈子様と諏訪子様がそのお力で守ってくださっているのです」

「あーん? もしかして自覚がないわけですかー? 厄介なやつー。あんな矮小な神どもにそんな力があるわけないでしょーが。それはあなたの能力ですよー」

「矮小な神? それは神奈子様と諏訪子様のことを言っているのですか? お二人を侮辱することは許しません!」

 

 早苗は大幣でインドラに殴りかかる。だが、インドラは難なくこれを受け止めた。

 

「もう、油断はしませんよー。本番はこれからだ、クソアマ!」

 

 早苗はインドラの顔貌を見てぎょっとする。インドラの額には縦長の第3の眼が開眼していた。その眼は早苗を見透かすように睨みつけている。早苗はその眼を見て恐怖とともに微かな喜びを感じるのだった。



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上書き

「……なんですか、その眼は?」

 

 早苗はインドラの第三の眼を凝視する。

 

「……可愛くなくなるからー、この眼は見せたくなかったんですけどー、仕方ないですよねー。あなたも『こちら側』の住人なんですから。ちょっとだけ本気を見せてやろー!」

「実力を隠すのが好きな人ですね。出し惜しみして負けるほど無様なものはないのでは?」

「大丈夫だよー。もー私が遅れを取ることはー……ない!」

 

 インドラはヴァジュラを帯電させると、棒術の達人のようにくるくると回して構えをとった。そして、掌を上向きにして、『かかってこい』というジェスチャーを早苗に送る。

 

「目が一つ増えたくらいで、随分と自信を取り戻しているじゃないですか。良いでしょう。教えてあげます。神奈子様と諏訪子様の庇護のすばらしさを。あなたは私に攻撃を加えることなどできない」

「もう無理ですよー。あなたの、マジックの種は解りましたからー」

「……『乾神招来 突』!」

 

 早苗は大幣に霊力を込め、硬度を高めるとインドラ目掛けて突き刺すように突進する。インドラは3つの眼で動きを見極め回避すると、勢い余って通り過ぎた早苗の方に振り返りざまに雷を帯びたヴァジュラで足首を斬りつける。

 

 痛みに顔を歪めた早苗だったが悲鳴を上げることなく、片足だけで体勢を立て直しインドラに正対する。

 

「残ねーん。その足ちょん切ってあげるつもりだったんですけどねー。でもこれでわかったでしょー? あなたの力はもう発動しない。……正確には私が上書きしちゃうからだけどねー」

「…………」

 

 早苗は無言でインドラに視線を向ける。相も変わらずハイライトのない真っ暗な瞳で……。

 

「やっぱり気にくわないよねー。あなたのその眼。生気が感じられなーい。自分が死んでも良いって思ってそー」

「……そんなことはありませんよ。私には諏訪子様と神奈子様にお仕えするという使命があるのですから」

「ふーん。ま、いいやー。ここであなたは死にますからねー」

 

 インドラはヴァジュラに雷を充電する。

 

「もう、避けられないですよー、お姉さーん」

 

 インドラは早苗に向けて雷を放出した。雷は早苗に直撃する……。

 

「がっ……!?」

 

 早苗は雷を受けた衝撃で思わず息を吐き出す。

 

「あっははー。当たった、当たったー! ま、当たり前ですよねー。あなたの能力を看過した上での攻撃なんですからー。でもー、さすがにタフですねー。お姉さんの敬愛する神様を黒焦げにしたとき以上の出力を与えたはずなのにー、大してダメージを受けてないじゃないですかー。さすがは私と同じ『こちら側』の住人なだけはある。それにしてもまだ、悲鳴を上げてくれないんですねー。ちょっとイラっと来ますよー」

「……調子に乗らないでください。お二方の受けた屈辱を神罰としてあなたに下すまで私が屈することはありません……! 『乾神招来 風』!」

 

 早苗は大幣を大きく振り、強風を巻き起こす。風は渦を巻き、インドラ目掛けて直進していく。

 

「もう無理だよー? 開眼した私にお姉さんの攻撃は通じない」

「そ、そんな……!? 風が曲がって……!?」

 

 早苗の放った風はインドラに向かって直進していたはずだった。しかし、風は物理法則を無視するかのようにインドラを避けてあらぬ方向へと飛び去って行く。

 

「なに驚いてるんですかー? お姉さんだって同じようなことをしてたじゃないですかー」

「あなたも神奈子様と諏訪子様のご加護と同じ力を……!?」

「だからー、それは加護なんかじゃありませんよー。お姉さん自身の力ですー。……お前、本当に自分の力だという認識がないのか? ……そんな風には見えませんがー。あと、お姉さんの能力と同じと思われては不愉快ですねー。どうやらお姉さんは意識的にこの力をコントロールできてないんでしょー? コントロールできる私と同じ扱いをされては困りますねー」

 

 インドラは再び、紫電をヴァジュラに帯びさせると、早苗向かって放電する。

 

「あ、がっ……!?」と息を吐き出す早苗。

「まだ、悲鳴を上げませんかー。眼も気にくわないままですねー。ま、いいですよー。悲鳴を上げるまで、眼つきを変えるまで、電撃を加えてあげますよー。あっははー!」

 

 インドラは口角を邪悪に歪めると、早苗に何度も何度も電撃を浴びせる。

 

「それそれそれそれー! 悲鳴を上げてくださいよー! 悲鳴を上げるまで止めてあげませんよー!?」

 

 インドラは何十発、何百発もの電撃を浴びせる。時には足首に、時には肩口に、時には脳天に……雷を落とす。しかし、早苗が悲鳴を上げることはなかった。早苗はインドラの電撃を耐え続ける。

 

「まだ耐えますかー。さすがは私と同じくこちら側……法則《ルール》の上に位置する者。神の中の神になりうる資格を持つ者、というわけですかー。でもさすがにもう飽きましたねー。雷はもう終わりですー。お姉さんの能力の上を行く私の能力でお姉さんにとどめを刺してあげまーす!」

「はっ……。はぁ……。はっ……」

 

 インドラがとどめを刺す宣言をする中、満身創痍の早苗がゆっくりと立ち上がる。

 

「はっ……。はっ……。はっ……」と息切れをし続ける早苗の表情を見たインドラは嫌悪感を募らせた。早苗が引き攣った笑顔を見せていたからである。

 

「うわっ。何ですかその表情はー? 恐怖で頭がおかしくなっちゃった感じですかー? それとももしかしてお姉さんドMだったりするんですかー? いずれにしてもきもーい。さっさと終わらせちゃいまーす!」

 

 インドラは天に手をかざす。

 

「出でよ。我が最高の乗物《ヴァーハナ》、白象《アイラーヴァタ》」

 

 空に裂け目が作られ、そこから巨大な白い象が現れる。その背丈は妖怪の山の頂上よりも高い。信じられないことにその白象はその辺の小さな山ならば余裕をもって越えるほどの巨体だったのである。常人が見れば、それが象であることに気付くのに時間がかかるほどのスケールの大きさだ。

 

「あっははー! どう? 私のアイラーヴァタはー? あなたの大好きな白蛇の神様を踏みつぶしたのがこの子なんだよー。もっともー、その時は前足しか顕現させなかったんだけどねー」

 

 ……本来、これほどの巨体を持つ生物が地上にいれば自身の重量に耐えられず立ち上がることはおろか、生きることすらできないはず。しかし、インドラの持つ能力がそれを可能にしていた。インドラはゆっくりと口を開ける。

 

「お姉さんはー、あなたと私が持っているすごーい能力を自覚できてないそうだからー、冥土の土産に説明してあげるねー」

 

 そう言うと、インドラはヴァジュラから雷を早苗に向かって放出する。しかし、今度の電撃が早苗に当たることはなかった。電撃は早苗を避けるように曲がり空中へと消え去っていった。

 

「なんで今私の攻撃がお姉さんに当たらなかったかわかるー?」

 

 インドラが問いかけるが早苗は答えない。早苗は「はっ、はっ、はっ」と相変わらず短く息を切り、真っ暗な瞳を伴う引き攣った笑顔を作りだしたままだ。

 

「応答するなりなんなり、少しは反応が欲しいところだよねー。てか、いつまでその顔してんのー? 今更恐怖を感じてるのー? それとも興奮してるー? ま、いいやー。今、私の雷がお姉さんに当たらなかったのはねー。お姉さんが物理法則を書き換えているからだよー」

 

 インドラはにやりと笑みを浮かべて説明を続ける。

 

「意識的か無意識的か知らないけどー、お姉さんはこの世の理を書き換える能力を持っているんだよー。だから、私の雷や槍が当たらなかったんだー。でも、今はもう無理ー。なぜならー、私がさらに強力な力でお姉さんが書き換えた物理法則を上書きしてるからねー。本当ならアイラーヴァタちゃんも通常の物理法則に支配された世界ならおっきすぎて死んじゃうんだけどー。私の能力で生きていられるってわけー。お分かりー?」

 

 インドラが説明を終えるが、早苗は何の反応も示さない。表情も息切れもそのままだ。

 

「……説明しがいのないやつー。……殺してやれ、アイラーヴァタ。全体重を乗せた真のプレスを。白蛇を潰してやったときとは格の違う物理法則を超えた神の圧を。多少この山が崩れても構わん……!」

 

 インドラの指示を受け、アイラーヴァタは全ての体重を右前脚に集約して早苗に向かって振り下ろした。早苗は笑いを浮かべたまま、アイラーヴァタの攻撃を受け入れる。避ける様子もなく、ただ突っ立っているだけの状態のまま、早苗は巨大な足に踏みつぶされた。その衝撃は地震となって、妖怪の山はもちろん周辺の土地もグラグラと揺らしていく。

 

「……最後まで気にくわない顔と眼をした巫女さんだったなー。ま、いいよー。危険な力を持つやつは私以外いらないからねー。真の神は一人でいいものー」

 

 早苗を踏みつぶさせたインドラは、多少の不満を吐露するのだった。



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守矢の風祝

――少し昔の外の世界、諏訪湖の近くのどこか――

 

 まだ、東風谷早苗は幼かった。

 しかし、自分が他の子どもたちと違うことは早苗自身なんとなく気付いていた。

 産まれたときから早苗は崇め奉られていた。この諏訪湖周辺に建つ歴史ある巨大神社……。由緒正しい守矢神社の後継者として早苗は生を受けたのである。

 ご神託を受ける巫女のことをこの神社では風祝と呼んだ。風祝の後継者誕生に神社の従者たちはもちろん、氏子たちも大層喜んだそうだ。

 早苗は幼くしてその才能を開花させる。人間に神の姿が見えなくなってから長い年月がすぎた現在。由緒正しき守矢神社の風祝である早苗の母でさえも見ることのできない神の姿。それを幼い早苗は見ることができたのだ。まだ、文字を読むこともできないくらい幼い早苗が守矢神社に伝わる神の特徴を言い当てたことが証拠となり、早苗はさらに神格性を増していった。

 真の力を持つ風祝。その久しぶりの誕生に従者も氏子たちも守矢神社の一層の繁栄を確信していた。

 早苗の隣にはいつも諏訪子と神奈子がいた。二柱にとっても、自分たちの姿をその眼に写すことができる早苗の誕生は嬉しいものであった。両親、氏子、そして二柱の愛情をたっぷりと受け、早苗はすくすくと育っていった。そこに何の不穏もない。平和そのものだった。このまま、早苗が立派な風祝として育ち、守矢神社とその氏子たちをさらなる幸福に導くものだろうと誰もが信じて疑わなかった。しかし、ある時を境に雲行きが怪しくなっていく。

 早苗が地元の小学校に入学して夏休みも終わり、二学期が始まったときのことだった。

 休み時間にやんちゃな男の子が早苗と仲良くしていた女子の鉛筆を取り上げたのだ。子供同士によくあるトラブルの域にも達しない小競り合いだった。先生が騒ぎを聞いて駆けつけ、やんちゃな男子を叱りつけてそれで終わり、……となるのが普通だったに違いない。

 早苗は鉛筆を取り上げられた友達を守るため、やんちゃな男の子に立ち向かった。なんてことはない。鉛筆を返してあげてよ、くらいのことを言っただけだ。だが、カッとなった男の子が早苗に向かって手を上げようとした。

 

「うるさいな。邪魔するなよ!」

 

 男の子が早苗の頭を叩こうとしたときだ。男の子の腕が鈍い音ともにあらぬ方向へと折れ曲がったのである。男の子は激痛に顔を歪めながら悲鳴を上げ、床を転げまわる。

 

「どうしたの!?」

 

 男の子の泣き声を聞きつけた担任が教室に飛び込んでくる。一部始終を見ていた他の生徒が担任に伝達する。

 

「〇〇君が早苗ちゃんを叩こうとしたら、腕が折れ曲がったんです」

「どういうこと……? 東風谷さん、あなた何かしたの?」

 

 男の子の腕が骨折していることを担任は確認しながら、一応早苗に問いかける。小さな早苗が男の子を骨折させることができるとは担任にはとても思えなかった。

 

「わ、わたしなにもやってない!」

 

 早苗は涙目で担任にそう答えた。もちろん担任も早苗の言葉を信じ、その場にいた同級生たちも目の前で起こった不可思議なできごとが早苗の仕業だとは思わなかった。腕の折れた男の子は担任に抱えられて教室を出ていった。皆、何かの偶然が重なって男の子の腕が折れてしまったのだろうと強引に納得することにした。

しかし、これは始まりに過ぎなかった。

 早苗が小学校高学年になったころだ。同級生も教師も骨折事件を忘れかけていたころ、体育の時間にそれは起こった。男女混合で行われるドッジボールで早苗は逃げ回っていた。しかし、いつまで経ってもボールが当たることはなかった。あまりに長時間ボールに当たらないことを不審に思った同級生の少年が声を上げる。

 

「お、おい。東風谷、お前に当てようとしたボールが変な方向に曲がるぞ……」

「……え?」

 

 早苗は同級生の少年が冗談を言っているのだろうと思っていたが、少年の顔が真剣そのものであることを見ると、ボールを避けずにわざと当たるようにしたのである。……結果は少年の言ったとおりだった。まっすぐに向かっていたはずのボールが早苗に当たる直前で不自然に曲がったのである。それも一回ではなかった。何度投げても早苗を避けるようにボールが曲がっていくのである。

 超常現象を目の当たりにした同級生たちは皆、お化けでも見るかのような視線を早苗に向けた。

 それからというもの、早苗の身の回りでは不可解なことが頻繁に起こるようになってしまった。早苗が持ち前の正義感から級友たちのトラブルの間に入ろうとすると、早苗に敵意を向けたものは何かしらの不幸に見舞われることになったのである。かつての男の子のように早苗に手を上げようとして、不可思議な力による返り討ちに遭うこともあれば、早苗に敵意を向けたものが早苗のいないところで事故に遭うなど、科学的に証明することのできない呪いともいうべき現象が相次いだのだ。

同級生の子供たちも早苗が守矢神社の跡取りで、神の姿を視認できるのだという噂はなんとなく聞いていた。それを目の前の異常現象が証明する。同級生たちは早苗に近づかないようになり、距離を取るようになっていった。子供は……いや、子供だけではない。人間は異質なものを排斥したくなる性質を持っているのだから、無理もないことだった。

 早苗自身も自分の呪いのような力が級友たちに及ばないよう次第に距離を取るようになっていった。

早苗は学校で独りぼっちになった。

 それでも早苗は母親や神社の従者たちには何も言わず、心配をかけまいと神社に帰れば明るく振舞った。母親も神社の従者もそして、諏訪子と神奈子も早苗を暖かく育くむ。早苗はそんな彼女たちを心配させまいといつも強がっていた。

 ある日、心の折れかけた早苗は神奈子と諏訪子に問いかける。

 

「諏訪子様、神奈子様。なぜ、私にはこんな力が宿ってしまったのでしょうか……」

 

 落ち込む早苗に諏訪子はこう答えた。

 

「……東風谷家は神の血を引く一族だからね。たまたま早苗には大きな力が宿ったってだけだよ。気にすることはない。過去にも早苗くらいの力を持った風祝はいたからね」

 

 嘘だった。過去に早苗ほどの不可思議な力を持った風祝など存在しない。しかし、諏訪子はあえて真実を告げなかった。「決して早苗は特別なんかじゃない。普通の子だよ」と伝えて慰めてあげることが優しさだと信じていたからである。事実、早苗も諏訪子の話を聞き、少しは前向きになれた。独りぼっちの早苗が中学校に進学した後も通い続けられたのは諏訪子と神奈子の存在が大きかったのは間違いないだろう。

 ……中学一年の冬のときのことだった。一人の女が夕暮れ時にヒステリック気味な声を上げて守矢神社に乗り込んできた。

 

「ちょっと、東風谷さん!? 私の息子があなたの娘さんに怪我させられたんですけど!? どうしてくれるんですか!?」

 

 女は早苗の母親を怒鳴りつける。女は早苗とは違う学校に通う中学生の母親であった。早苗はその日の放課後、あるトラブルに巻き込まれていたのである。

同級生と距離を取っている早苗だったが、帰宅途中で女生徒が軟派な他校の生徒に声をかけられ、嫌がっていたのを見て咄嗟に仲裁に入ってしまったのだ。

 これが同じ学校の生徒ならば、早苗から離れて終わりになったのだろうが、早苗の能力を知らない他校の男子学生は早苗に手を上げようとしてしまったのである。男子学生はかつての小学校時代の男の子と同じようにその腕に骨折を負うことになった。早苗はまた意図せずに人を傷つけたことに恐怖し、救護することもなく、その場を走って立ち去ってしまっていた。それも女の怒りに油を注いでいた。

 

「も、申し訳ないんですが、一体何があったというんですか……?」

 

 状況を飲み込めない早苗の母親は女に問いかけた。女は息子の骨を早苗が折ったのだと説明する。

 

「早苗がそんなことをするなんて……」

「しらじらしい。私、お伺いしましたよ? なんでもお宅のお子さん、よく人を怪我させているそうじゃありませんか。とんだ不良娘を育ててらっしゃるものですね。巫女さんのお子さんとはとても思えませんこと!」

「ど、どういうこと……?」

 

 早苗の母親は知らなかったのである。早苗に特殊な力が宿っていることを。

 

「とにかく。息子の治療費をしっかり出していただきますからね! 何もしていないうちの子を傷つけたんですから!」

 

 どうやら、他校の男子は真実を母親である女に告げず、一方的に早苗が悪かったことにしているらしい。

 

「失礼ですが、早苗が理由もなくそんなことをするとは思えません。それに早苗は女の子なんです。男の子を怪我させることができるとはとても……」

「そんなの、バットでもなんでも道具を使えばどうとでもなるでしょう!?」

 

 興奮している女に早苗の母の意見が届くことはない。騒ぎを聞いていた早苗は我慢ならず、つい反論してしまった。

 

「あなたの息子が、先に私の同級生が嫌がることをしてきたんじゃないですか……!! それにお母さんは悪くありません……!!」

 

 早苗はまだ大人になり切れていなかった。一方的に母親が罵倒されることが許せなかったのである。

 

「早苗、下がっていなさい」

 

 早苗の母親が諭すが、早苗は聞く耳を持たず、女に詰め寄る。

 

「逆恨みするだなんて、本当によく教育が行き渡っていること」と女は嫌味を口にする。そんな女の態度が早苗の怒りをさらに増幅させる。

 

「なんなのその顔は。どうやら欠片も反省してないようね。良いわ。東風谷さんが教育できないというなら、私が代わりに躾けてあげます……!」

 

 女は早苗の頬をビンタしようと手を上げる。だがその瞬間、女の身体に激痛が走った。

 

「え、何……!? あ、ああああああ!? い、痛い!? 痛いぃいいいいいいい!!!?」

 

 女はその場で倒れ込む。女の四肢は既にあり得ぬ方向に折れ曲がっていた。

 

「な、なにが……? 早苗、あなた……?」

「ち、ちがう……。私じゃ……、私じゃない!」

 

 そう言って、早苗は社務所の中へと走り去っていった。

 

「……救急車を、救急車を呼んでちょうだい……!」

 

 早苗の母は従者たちに伝える。ほどなくして聞こえてきたサイレン、従者たちのやり取りの声が響くあわただしい境内。様々な音が鳴りやむまでに小一時間が必要だった。その間、早苗は自室に引きこもっていた。

 何時間経っただろうか。早苗の部屋の襖が開かれ、母親が入ってくる。母親は入ってくると、うずくまっていた早苗を背中から抱きしめた。

 

「お母さん……?」と早苗。

「……もう、大丈夫よ。ちゃんと話はつけてきたわ。あなたが同級生を守ろうとしたことも、何もしていないことも聞いてきたし、説明してきた。でも、怪我させたのは本当だから……」

 

 早苗の母は、事の真相を知るべく走り回り、真実を知った上で怪我は早苗側の責任とし、治療費を払うことにしたことを早苗に告げる。相手の親子も自分たちに非があったことを認め、それ以上咎めることはなかったことも併せて知らせた。

 

「……ごめんね、早苗。お母さん今まで気付いて上げられなくて」

「お母さん……。わたし、わたし……」

 

 早苗は母親の胸に顔を埋め、泣きじゃくった。

 ……この事件自体はこれで片が付いた。しかし、この一件をきっかけに早苗はよりいっそう孤立を深めていった。早苗だけではない。少しずつだが、守矢神社にも世間からの冷ややかな視線が集められていった。これまで単なる事故として扱われていた事案が、本当は早苗の能力によるものではないか、という推測が広まっていったのである。

 ……そして、早苗と守矢神社にとって決定的なことが起こってしまう。……早苗が中学2年生になった秋のことだった。

 

「本当に大丈夫?」と早苗の母が案ずる。

「大丈夫だよ」と短く早苗は答えた。

 

 この日から3日間、早苗は修学旅行に行くことになっていた。すでに早苗が学校で孤立していることは早苗の母も承知していた。友達のいない修学旅行ほど辛いものもないだろうことは母も容易に想像できる。それ故、早苗に修学旅行に行かずに家に残っても良いと母は前々から早苗に提案していた。しかし、早苗はその提案を受け入れることはしなかった。修学旅行参加は早苗の意地のようなものだったからである。

 早苗たちは出発した。バスに揺られて空港に辿り着いた早苗たちは飛行機に乗り込む。

 

「……アイツ来ちゃったよ。悪いことだけは起こさないで欲しいよな……」

 

 心無い同級生の陰口が早苗の耳まで届く。ひそひそ声のつもりなのか、わざと聞こえるようにしているのかはわからないが、早苗は聞こえないふりをしてシートに座ると離陸を待った。

 飛行機が離陸を終え、安定飛行に入った時だった。ガタガタと異様な機械音が機内に響き渡るとともに、飛行機が不安定に動き出す。

 

「な、なんだ? 何が起こっているんだ!?」

 

 乗客の困惑した叫びが機内を埋め尽くす。初めて飛行機に乗る早苗や大多数の同級生にはこれが異常なのかどうかすら解らなかった。パイロットの非常放送でようやくこれが異常事態なのだということに気付く。

 

『当機のエンジンにトラブルが発生したため、緊急着陸を実施します。エンジントラブルが発生したため、緊急着陸を実施します。乗客の皆さまは姿勢を低くし、衝撃に備え……、ああ、ダメだ……! うわぁあああああ!?』

 

 パイロットの断末魔とともに飛行機に巨大な衝撃が加わる。乗客は皆、悲鳴を上げる。早苗の意識はそこで途絶えるのだった。……次に早苗が意識を取り戻したのは、どことも解らぬ山の上だった。

 焦げ臭い匂いとオイルの匂い、そして焼肉のような強い匂いが早苗の鼻を覆いこむ。

 

「うっ……。一体何が起こったの……? このにおいは……?」

 

 早苗は周囲を窺う。そこにあったのは墜落してバラバラになった飛行機の残骸、そして火炎に焼かれた無数の人間の死体だった。焼肉のようなにおいは燃え尽きた人体から発せられるものだったのである。あまりにグロテスクな光景に早苗は思わずえづく。……嘔吐を終えた早苗は冷静さを取り戻し、生存者を探すことにした。もしかしたらまだ生き残っている人がいるかもしれない、飛行機の瓦礫に埋もれた人が助けを求めているかもしれない、そう思って声を上げる。

 

「だれか、だれか生きている人はいませんか!?」

 

 だが、早苗の呼びかけに答える者はだれもいなかった。早苗は直感で悟る。生き残ったのは自分しかいないのだ、と。ふと、早苗は自分の身体を見回した。早苗の身体はまったく傷ついていなかった。かすり傷ひとつ負っていなかったのである。だれも生き残れなかったこの惨状で一人、早苗は火傷ひとつ負わず生き残っていたのだ。

 

「なんなのよ、なんで私だけ……?」

 

 早苗は自身のきれいなままの両掌に視線を向け、わなわなと震えた。同級生たちを失った悲しさや、事故に遭った怒りよりも、何故か生き残ってしまった自分に覚える恐怖の感情が勝った。

 恐怖に震える早苗の上空に自衛隊のヘリが到着する。

 

『墜落旅客機を確認。機体は大破。生存者はなし……いや、あれは少女か……!?』

 

 自衛隊の隊員は驚愕した表情で本部に生存者の少女がいることを無線通信するのだった。

 

 ……早苗は生き残った。たった一人、凄惨な飛行機墜落事故から。早苗は新聞・テレビあらゆるマスコミに奇跡の少女だと報じられた。飛行機事故から生還したのだからマスコミが食いつくのも無理はなかった。早苗にとって幸いだったのは昨今のプライバシー保護意識の向上から住所、氏名等は公表されなかったことだろう。

 しかし、全国に知らしめられることはなくとも、早苗だけが生き残ったことは地元の人間には当然伝わっていく。

 早苗は地元民から奇跡の少女などと呼ばれることはなかった。これまでに意図的でないとはいえ、大なり小なりのトラブルを起こしていた早苗の生還を心から喜ぶものは少なくなっていた。むしろ、早苗のせいで飛行機事故が起こったと信じ、子供を失った親族の中には早苗を恨む者さえ現れる。だが、それを諫めることがだれにできようか。

 早苗への憎しみの感情が守矢神社にも及び始める。

 東風谷家と守矢神社が恨まれ始めたことは参拝客の数が証明していた。悲劇の修学旅行が終わった最初の1月、初詣の参拝客が激減したのである。

 それは地元民が守矢神社の氏子をやめたことの証であった。この頃には既に、『あの神社には疫病神がいる』という噂が諏訪子周辺地域に広まってしまっていた。

 神社にとって初詣の奉納金が激減することは、言うまでもなく運営を困難にさせる。かねてより宗教法人の本来の在り方を守ってきた守矢神社は参拝客の奉納金をため込むことなどしておらず、毎年、余剰金を全て福祉施設等に寄付していた。そのため、金銭的体力はなく、奉納金の減少が守矢神社の財政に直撃する。

 次の年も参拝客が戻ってくることはなかった。早苗の母親は従者たちへのお給金を捻出するために守矢神社の土地を売らざるを得なくなる。先祖代々から伝わる守矢の土地を手放すことに申し訳なさがなかったわけではない。だが、神社を継続させるにはやるしかなかった。断腸の思いで守矢の土地を売る早苗の母だったが、それも限界を迎える。売り払う土地もなくなり、最後に残った従者も神社を去った。守矢神社に残ったのは本殿と住居を兼ねた小さな社務所だけになってしまったのである。

 

「ごめんなさい……。お母さん……。私が『現人神』だったせいで……」

 

 早苗は母親に謝罪する。自分の特殊な能力が守矢神社を追い詰めてしまっていることに。早苗は自分のことを『現人神』と言った。早苗は地元の氏子にそう呼ばれるようになっていたのだ。それは良い神様と言う意味ではなく、『祟り神』という意味の皮肉であった。かつての日本ならば、祟り神も信仰の対象になり得たであろうが、今の早苗と守矢神社が信仰の対象になることは元氏子たちの心情を考えれば不可能であった。

 

「大丈夫よ。早苗は『現人神』でも『祟り神』でもないわ」

 

 早苗の母は心配させまいと笑顔を作る。しかし、やつれた顔で造った笑顔は早苗の心を痛ませる。

 

「お母さん、わたしやっぱり高校行くのやめる。私働く。守矢神社を存続させるために……」

「ダメよ。あなたは心配することないの。神社のことはお母さんが解決するから……!」

 

 早苗の母親は早苗が働こうとすることを止めた。……もう守矢神社が持たないであろうことを悟っていたのかもしれない。守矢神社が潰れたときのことを考えれば、なおのこと早苗に学歴が必要なことは明らかだった。

 ……時が過ぎ、早苗は高校一年生になっていた。つい二年前までにぎわっていた守矢神社の姿はなく、境内は閑散としている。早苗がいつものように帰宅した。晴れた良い天気の秋の頃だった。社務所に入った早苗を待ち受けていたのは絶望だった。

 

「早苗……」

 

 諏訪子が青ざめた様子で早苗に声をかけた。

 

「どうしたんですか、諏訪子様……?」

「……あの子が、あの子が……!」

 

 諏訪子があの子と呼ぶのは早苗の母親のことだ。早苗は嫌な胸騒ぎが治まらない。社務所の中にある住居スペースへと足を踏み入れる早苗。

 そこで……早苗の母親は首を吊っていた。

 

「……お母さん? ……ウソでしょ? お母さん!」

 

 早苗はその場にポトリと学生カバンを落とした後、急いで母親の首に巻かれたロープを切り母親を床に寝かせる。救急隊を呼んだが、早苗の母親は既にこと切れていた。

近くのテーブルに遺書が残されているのを見つけた早苗はすぐに開いた。そこには、歴史ある守矢神社を自分の代で終わらせてしまったことを悔いるとともにご先祖様に申し訳ないという気持ちがしたためられていた。そして最後に早苗への言葉が……。

 

『早苗、先に逝くお母さんを許してちょうだい。愛してます。これからの人生、どうか強く生きて』

 

「あ、うぁああああああああああああああああ!!」

 

 母親の遺書を読み終わった早苗は泣き崩れる。早苗はこの世界で本当にひとりぼっちになってしまったのだ。

 その後、早苗は母親の葬儀を一人で行った。それが早苗にとって守矢神社の風祝としての最初の仕事だった。

 葬儀を終え、早苗が母親の私物を整理していたときのことだ。早苗は母親の日記を見つける。早苗は息を飲んだ。そこには母親の本音が書かれているに違いなかった。早苗は日付の遠いところから読み進めることにした。内容は業務連絡のようなもので、日記とも言えないようなその日起こったことが羅列されているだけだった。しかし、ある日を境に一転し、日記の内容が感情的になる。それは早苗がその能力で怒鳴り込んできた女を痛めつけた日からだった。

 

〇月×日

『知らなかった。早苗にあんな力があるなんて。なぜ氏子のだれも教えてくれなかったのだろう』

 

〇月×日

『従者は氏子たちが守矢神社の風祝である私に遠慮して早苗のことを喋ることができなかったのだと言っていた。なぜ遠慮する必要が……?』

 

〇月×日

『……少しずつ話が見えてきた。従者たちは早苗の能力を把握していながら、黙っていたのだ。守矢神社の悪い噂が流れ、奉納金に影響を与えることを恐れたのだという。だから、氏子に被害が出たときは金でもみ消していたという。なぜ私に相談もなくやったのかと問い質せば、守矢の風祝は無垢でなければならないからだ、と言われた』

 

〇月×日

『……たしかに私は生まれてこのかた、風祝なのにもかかわらず、守矢の財政について絡んだことはなかった。奉納金の余りは全て福祉施設などに寄付していると思っていた……が、そんなことはなかった。一部の従者が奉納金を懐に納めていたことを知った。なるほど。たしかに私は無垢でなければならなかったのだ。でなければ、従者が金を自由に使えないのだから。小さい頃から信じていた従者にも金を横領している者がいた。ひどい裏切りだ。早苗の能力のことを隠す意味もようやく分かった。早苗の件を機に私が金の流れを確認することを恐れたのだ。不正をしていた従者は全て今日をもって追い出した』

 

〇月×日

『……早苗の修学旅行で飛行機が落ち、多くの人が亡くなった。他の子たちが亡くなった中、こんなことを言うのは間違っているかもしれない。でも、早苗が生きて帰ってくれてよかった』

 

〇月×日

『早苗が生きて帰ったことを恨む人たちばかりだ。なぜよ! 早苗は悪くないのに! なぜ飛行機が落ちたのが早苗のせいにされないといけないの……!?』

 

〇月×日

『……奉納金が目に見えて減っている。このままでは神社が成り立たない。従者のお給金も払えない。神社の所有する土地を切り売りするほかもう手段はない』

 

〇月×日

『事故から1年経った。奉納金の額が戻る気配はない。守矢神社に金銭的な体力がないとわかると、従者たちが次々と去っていった。どうして。あなたたちは神に仕えていたのではなかったのですか?』

 

〇月×日

『ついに最後の一人の従者も守矢から去った。どうすればよかったというのか。横領していたかつての従者のように、早苗の被害に遭った者たちに金を渡していれば守矢の神格は失われなかったとでもいうのだろうか? ……わからない。神に祈りを捧げることしか知らない私にはわからない。たしかなことは先祖代々続いていた守矢神社が風前の灯だということだけ』

 

〇月×日

『疲れた。もう神社とは名ばかりだ。誰もこの建物に参りなどこない。守矢神社は死んだのだ。そして同時に私も』

 

〇月×日

『これが最後の日記になる。守矢神社を殺し、神を殺した私だ。死をもって償わなければならないだろう。……早苗に能力がなければうまく回っていたのだろうか? 早苗がいなければ、私が従者たちの不正に気付くこともなく、守矢神社は繁栄したままだったのだろうか? わからない。あの子は私が死んだあと、生きていけるのだろうか? 無理かもしれない。あの子は恨まれているから。間違っているかもしれない。でもそう願う方がよいのかもしれない。お願い早苗…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………死んでちょうだい』

 

 母親の日記は早苗の死を望んで終わっていた。きっとそれは本心ではなかったに違いない。母親の疲労した心がこんな言葉を書き遺してしまったのだろう。だが、早苗の心を折るのに『死んでちょうだい』という言葉は残酷すぎるほどに十分であった。

 

「あは、あはははは……」

 

 眼からハイライトが消え、日記を手にしたまま泣きながら笑う早苗。

 日記を放り出すと、早苗は台所へと駆け込んだ。包丁を手にした早苗は何度も何度も自分の手首目がけて包丁を振り下ろす。

 

「あはは、あはははは! 死ね、死ねよ! 東風谷早苗!」

 

 頬を伝う涙を飛ばしつつ、笑いながら包丁で自分の身体を傷つけようとする早苗。しかし、早苗の手首に傷が付くことはなかった。何かに守られた早苗の身体は傷つくことなく、逆に包丁を刃こぼれさせていく。

 

「早苗……? なにしてるの!?」

 

 自殺を試みる早苗を見つけた諏訪子が悲鳴を上げる。

 

「諏訪子様……。お母さんが日記に書いてたんです。『早苗、死んでちょうだい』って。なぜ、なぜ私は死ねないのですか……?」

 

 ずたずたに刃こぼれしてしまった包丁を片手に早苗は諏訪子に問う。諏訪子は何も言えず、ただ立ち尽くすしかなかった。



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法則生成

――妖怪の山、現在――

 

「さ、アイラーヴァタちゃん。もー足どけていーよー。私にあの巫女の無様な亡骸をみせてちょーだい」

 

 インドラは自身の乗物《ヴァーハナ》に指示する。物理法則を無視した巨体から放たれた白象《アイラーヴァタ》の前足は確実に早苗を捉えていた。インドラは勝利を確信する。

 

「……ん? どうしたの、アイラーヴァタちゃん?」

 

 インドラはアイラーヴァタの様子がおかしいことに気付く。よくよく観察すると、アイラーヴァタは何かを我慢するかのようにプルプルと震えていた。

 

「どうしたアイラーヴァタ……!? 早く前足をあげなさい!?」

 

 再度支持するインドラ。アイラーヴァタはその眼に涙を浮かべ、「パオン」と悲鳴を上げる。様子のおかしいのを見たインドラはアイラーヴァタの右足に異常が生じていることに気付いた。

 

「な、なに!? ア、アイラーヴァタちゃんの前足が消えていく……!?」

 

 アイラーヴァタのつま先から膝あたりくらいまでがぼんやりとした光に包まれ、粒子となり分解され始めていた。インドラは思わず叫ぶ。この現象を起こししているだろう者の特徴を。

 

「緑髪……! まさか、生きているのか!?」

 

 早苗を踏みつけていた前足が完全に分解され守矢神社の風祝、東風谷早苗の姿が露わになる。アイラーヴァタの分解は前足にとどまらず、既に全身に回ろうとしていた。恐怖を感じたのであろうアイラーヴァタは悲痛な泣き声を上げながらインドラに助けを求める。だが、もはやインドラにも止める術はなかった。山をも越える巨体を持つ白象はその巨躯を一片も残さず消え去ってしまう。

 

「あ、あ……。アイラーヴァタちゃんが……。ひぃひぃひぃひぃばあちゃんの代から預かり続ける私の一番のヴァーハナが……」

 

 アイラーヴァタの消滅。それおを喪失感を隠せない表情で見送るインドラ。だが、次の瞬間には喪失感を怒りに変え、東風谷早苗を鬼瓦のような表情で睨みつけていた。

 

「緑髪ぃ……! よくも私のヴァーハナを……。殺してやる……!」

 

 怒りの言葉を並べたインドラだが、東風谷早苗の顔貌を見た途端怒りの表情を少し和らげた。早苗の表情が得意面でも怒り面でもなく、眉尻を少し下げたものでまるで失望したかのような表情だったからである。インドラは思わず尋ねた。

 

「……なんなんですかー? その微妙な表情はー? 人のヴァーハナを壊しておいて……!」

「残念です」と早苗は口を開く。

「あー? 何が残念だってー?」

「私にダメージを負わせることのできる存在など今まで遭うことはなかった。今日貴方に会うまでは。初めてだったんですよ、私に敵意を向けたにも関わらず不幸に陥ることもなく、さらには攻撃を加えることのできる貴方という存在は……。貴方なら私を殺せる、殺してくれると思ったのですが……」

「ふ……。ふっふふ。何を言い出すかと思えばー。心配しなくても殺してあげますよー。神の乗物《ヴァーハナ》を奪った貴様にはもちろん死を与えないといけませんからねー。今すぐ息の根を止めてやるよ、ヴァジュラの雷でな!」

 

 インドラは聖槍に変化させた金剛杵《ヴァジュラ》に魔力を込め雷を帯電させると早苗に向ける。

 

「先ほどまでの生ぬるい神雷とは次元が違いますよー? 私の物理法則改変能力を使った宇宙の理を超える電撃でーす! 細胞一つ残さず焼き尽くしてやるよ!」

 

 インドラは雷を射出する。一直線に早苗に向かう紫電の光。

 

「あぁ?」とインドラは声を出す。

 

 雷は確実に早苗の身体を直撃したはずだった。だが、感触がない。インドラの感覚どおり、早苗は何のダメージも受けずにそこに立っていた。

 

「……どういうこと? 確実に電撃はお前の身体に当たったはず……!?」

「……嫌になりますね。私にはまだ隠された力があったようです」

「隠された能力ー? 思春期の男子みたいな痛いことを言っているお姉さんですねー。……次こそ仕留めてやるぞ、人間!」

 

 インドラは早苗が雷のダメージを受けないメカニズムを見極めんと眼を凝らす。早苗の身体に間違いなく紫電が直撃する。しかし……。

 

「そ、そんな。ウソ……!?」

 

 驚愕するインドラ。紫電は早苗の身体を通り抜け、早苗のはるか後方へと飛んでいった。

 

「バカな!? 間違いなく当たったはず。なぜ煙をすり抜けるかのように雷が……!? 私の物理法則改変能力はお前のそれを超えているはず……!」

「さぁ。なぜでしょうね、私にも解りません」

 

 早苗は相変わらず失望したような表情でインドラを見つめる。真っ暗なハイライトのない眼で……。

 

 ――トンネル効果。量子力学におけるミクロの粒子が障壁をすり抜ける現象。早苗に雷が当たらなかったのはこの現象が起こったからだ。

 

 本来、ごく微小な粒子の世界で起こることであり、マクロな世界ではありえない現象。通常ならば人間が雷をすり抜けることなど起こり得ない。……しかし、早苗に与えられた『奇跡の力』がそれを可能にした。早苗にとって不幸だったのはその力のコントロール権が早苗自身に任せられていないことだろう。

 

「……当たるまで打ち放ってやる……!!」

 

 インドラは紫電を連発する。……だが、早苗に当たることはついに一度もなかった。

 

「もう終わりですか?」

 

 早苗は失望した表情を変えずにインドラに問いかける。早苗にその気はなかったが、インドラには早苗の言動が挑発に似たものに見えた。

 

「なによー、その態度はー。人間どまりが偉そうにー。良いだろー。見せてやろー。可愛くなくなるからイヤなんだけどねー!!!!」

 

 インドラの全身の皮膚がプルプルと動き出す。そして、四肢に変化が現れる。

 

「……眼、ですか?」と早苗が呟く。インドラの四肢の表面に無数の瞼と思しき皺が現れ始めたのだ。四肢だけではない。顔のあちこちにも瞼が出現する。震わせていたインドラの全身が止まった時、無数の瞼が一斉に開眼する。

 

「なるほど。それが貴方の真の姿というわけですか」

「そういうことだ。覚悟しろ、人間よ。この醜い姿を見た貴様には死んでもらおう」

「さきほどまでの軽い口調がありませんね。どうやら追い込まれているのは貴方のようです」

「言っていろ」

 

 インドラは早苗に向けて手をかざす。

 

「緑髪。どうやら、貴様は物理法則改変能力だけでなく、超低確率の事象を引き当てる力も持っているようだな。だが、私の力は物理法則を改変すること。たった今、法則を書き換えた。貴様の強運もここまで。……そして終わりだ」

 

 早苗とインドラの間に小指の先程度の小さな『黒い点』が現れる。周囲の草木、動物、岩、そして湖……あらゆる物質がインドラの生み出した黒い点へと吸い込まれていく。

 

「どうだ? さすがの貴様も私の『特異点』には逆らえまい。私の特異点は全てを飲み込み圧縮する。本来ならばこの力を起こすには大質量が必要だが……、私の能力を用いればそんな条件など易々と超えていく……!」

「……く!? 吸い込まれる……!? ブラックホールというヤツですか。……あっはは! 今度こそ私を殺してくれるんでしょうね!?」

 

 早苗は病んだ笑みをインドラに向ける。

 

「ふん。変態め。望み通り殺してくれよう、小娘……!」

 

 インドラはさらに特異点の力を強める。早苗は自ら飛び込むように吸い込まれていった。

 

「……自ら特異点に飛び込んでいくとは。とんだ変人もいたものだ」

 

 インドラは特異点にかざしていた手を下ろす。同時に特異点が消え去った。

 インドラははっと気づき、手を口に当てる。

 

「あっ。いっけなーい。つい神様口調になっちゃってたー。にしてもムカつくよねー。私をこの醜い眼玉だらけの姿にさせるなんてー。まっ。人間にしては良くやった方だったんじゃなーい? 私の物理法則改変能力を全開にさせたんだからー。……さってとー。早く目玉を閉じて隠さなきゃー。……テネブリスさんにも報告しなきゃねー」

 

 インドラは踵を返し、テネブリス率いる魔女集団『ルークス』のアジトに向かおうとする。……その時だった。

 

 バチィ! 

 

 という何かがはじけた音がインドラの背後から聞こえてくる。インドラが振り向くと先ほどまで特異点が存在していた場所に黒い稲妻が走っていた。

 

「な、なにー?」

 

 インドラは不可解な現象を前につい声が出てしまう。黒い稲妻はバチバチと何度も音を立てては発声と消滅を繰り返す。そして次第に大きくなっていった。

 

 インドラは眼を凝らす。黒い稲妻は一点から発生していた。インドラの特異点とは対照的な真っ白の小さな点からだ。稲妻の大きさが大きくなるに従い、白い特異点もまた拡大していく。

 

「な、何が起きてるのー? あ、あれは私の特異点と同じ……!?」

 

 インドラが驚愕する中、白の特異点から声が響き渡ってくる。……女の笑い声だった。

 

「……は。……はは。あっはははは!」

「こ、この声は緑髪……!? そ、そんなはず……!?」

「あははははははぁ!」

 

 より大きくはっきりと笑い声が聞こえた瞬間、白い特異点が弾け、中から草木、動物、岩、そして湖だった水が飛び出してきた。インドラが黒い特異点に封じ込めたモノが戻ってきたのである。最も動物も草木もバラバラになってしまっていたが……。飛び出てきた水が巨大な濁流となり妖怪の山の斜面を流れていく中、笑い声をあげる女は全く応えてない様子で再びこの宇宙に姿を現す。そう、『現人神』東風谷早苗は無傷で特異点から帰ってきたのだ。

 

「あははは!」

 

 壊れた笑い声を出す東風谷早苗を見たインドラはあまりの不気味さに思わず後ずさりする。

 

「う、ウソだ。特異点から戻ってくるなんて……。ありえない……!?」

「……どうしたんですかぁ? 私を殺すんじゃなかったんですかぁ?」

 

 早苗はふらふらとした足取りでインドラの元に近づいていく。

 

「なぜだ!? 私の能力でここら辺り一帯の物理法則を改変させたんだ。もちろん貴様に影響を与えている物理法則も全て改変させた上で特異点に放り込んだのに……! なぜ貴様は生きている……!?」

「神様だというのなら、私を殺せよ……。殺してみてくださいよぉおおおおお!?」

 

 特異点に入った影響かそれとも本音なのか……。自身もわからないのだろうが、早苗は錯乱したような様子で怒鳴ると、インドラの胸倉を掴み持ち上げる。

 

「あはははは!」

 

 早苗の笑い声と同時にインドラの身体が光る粒子になっていく。インドラのヴァーハナ、巨大白象のアイラーヴァタが消滅した時と同じ現象だ。自分の身体が粒子に変換されていることに気付いたインドラは早苗の頬を思い切り殴る。早苗が怯んだ隙にインドラは後方へと飛び退いた。だが、粒子への変換は止まらない。

 

「き、貴様の物理法則改変能力の方が私のそれよりも上回っているというのか……!? ……そんなはずはない……!」

 

 インドラは早苗に手をかざし、再び周囲の物理法則を改変しようと試みる。

 

「な、なぜだ? もう物理法則は変わっているはず……。なぜ貴様に効果があらわれない……!?」

 

 早苗は変わらず狂ったように笑っていた。もっとも会話が成立したとしても、早苗にはなぜインドラの物理法則改変能力が効力を失っているのかを説明することはできなかっただろう。早苗は無意識にその能力を行使しているのだから……。

 

 インドラは気付いた。自分が操作し改変している物理法則とは別の物理法則が今、インドラと早苗を含む妖怪の山周辺の空間を支配しようとしていることに……。

 

「な、なんだこの妙な感覚は……? この宇宙に別の宇宙が無理やり注入されているような感触は……!?」

 

 インドラは空間内に別の物理法則があることに驚きを隠せない。この宇宙に影響を与える物理法則は一つだけ、それがルールだった。少なくともインドラが生きてきたこの数百年間はルールが崩れたことなど一度もない。だからこそその一つだけの物理法則を操れるインドラは神として君臨できたのだ。だが、今この時、インドラにとっても未知である二つ目の物理法則が現れたのである。

 

「あははははっはぁ!!」

 

 より一層笑い声を大きくする早苗。同時にインドラが粒子へと分解される速度が増していく。

 

「ふ、二つ目の物理法則の生成だと……!? そ、そんな神の上を行く神業ができるというのか……!? ……ふふ、なるほど。貴様に私の物理法則改変能力が効かないわけだ……。貴様は私が干渉できる物理法則とは別の物理法則にその身を預けているということか」

 

 インドラは諦めていた。既にインドラの操れる物理法則はこの空間から消え去りかけ、早苗の物理法則で支配されようとしていたからである。

 

 インドラに早苗のような物理法則を生成する能力はない。逆転の策はなかった。

 

「……こいつは厄介な『神』だ。自分が神であることを自覚しそうにないからね。テネブリスさんに伝えておかなきゃ。あと、次代の『インドラ』に託さなきゃ、ね」

 

 インドラは金剛杵に魔力を込めるとそれをルークスのアジトがある魔法の森の方向に放出した。

 

「気付いてくれるかしらねー」

 

 インドラは金剛杵の軌跡を目で追いながら微笑むと早苗に視線を戻す。

 

「あーあ。ここで終わりかー。思ったよりも短い神生だったなー。まったくとんだ新神だよねー。いいよー。受け止めてあげるー」

 

 インドラは完全に粒子となり分解されていく。インドラが消え去った跡に残ったのは狂ったように笑う東風谷早苗の姿だけだった。



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録音再生

◆◇◆

 

 インドラとの戦闘を終え、落ち着きを取り戻した東風谷早苗は無言で立ち尽くしていた。彼女の視界に入っているのは戦闘で荒れた妖怪の山。

 

「おーい、早苗ー!」

 

 東風谷早苗を呼ぶ声が山に響き渡る。声の主は早苗が風祝を務める守矢神社の神、洩矢諏訪子だった。諏訪子はもう一柱の守矢神社の神、八坂神奈子とともに空を飛び、早苗の方に向かってくる。

 

「諏訪子様、神奈子様。もう体は大丈夫なのですか?」

 

 早苗は自身に近くに着地した二柱に問いかける。

 

「ああ。おかげさまでね。あの大天狗に感謝しなくちゃ。……早苗の方こそ大丈夫だったかい?」

「ええ」と早苗は生気のなさそうな笑顔で答える。

「さすが早苗だ。うちの自慢の風祝だよ、お前は。私と神奈子でも敵わないヤツをやっつけるなんて」と対照的に明るい笑顔で諏訪子が応えた。だが、早苗の暗い笑顔をその視界に捉えると察するように、諏訪子は満面の笑みを心配の感情を交えた穏やかな微笑に変化させる。

「……早苗、まだ生きようとは思わないのかい。……たしかにあの子は早苗に死んでほしいという日記を書いていた。でも、それは本音じゃなくて、神社を失ってしまう責任感に追い詰められたせいだったことくらい早苗だって理解できてるんだろ? もうお前も大人だからね。……あの子の本当の気持ちを汲んであげなよ。私も神奈子もそれを願ってるんだ」

「……大丈夫ですよ、諏訪子様。生きている限りは風祝としての務めを果たし続けます。お二方には挫けそうな時にいつも支えて頂きましたから」

 

 早苗は諏訪子の前向きに生きなさいと諭す言葉をかわすような言葉を紡ぎ、さらにこう続けた。

 

「……あのインドラという神との戦闘で随分とこの山を荒らしてしまいました。森も湖も消えてしまった。お二方が神となったこの山を荒らしたままにするわけには行きません。守矢神社を移すときに、母が手放した森と湖も一緒に移動させましょう。どうせ切り開かれ、埋め立てられる運命なのです。動かしても恨まれることはないでしょうから。……一度外の世界へ戻りましょう。移動の準備をしなくては……」

 

 早苗は踵を返すと歩み始めた。外の世界と幻想郷を分かつ結界の方……。諏訪子、神奈子とともに侵入してきた結界のつなぎ目がある方向にむかって歩き出す。

 

「早苗!」と呼び止める諏訪子。「本当は解ってるだろうけどさ。あえて言っておくよ。なんで私たちが幻想郷に引っ越そうとしているのかを……。それは……」

「人間からの信仰を失った諏訪子様を消滅させないためです」

 

 諏訪子が引っ越しの真意を伝えようとするのを止めるように早苗は言い切る。

 

「……早苗」

 

 諏訪子はそれ以上喋らなかった。早苗は諏訪子を避けるように結界の継ぎ目へと飛んでいく。

 

「早苗!」と今度は神奈子が呼び止めた。早苗は振り返る。

「……なんですか、神奈子様?」

「守矢の風祝に逃げるなどという選択肢はない。それを肝に命じておけ。わかったな?」

「ちょ、ちょっと神奈子、そんな言い方したら……」と諏訪子が狼狽える。

「いや、きちんと言っておくべきことだ。手遅れになってからでは遅いのだからな。……わかったな、早苗?」

 

 早苗は神奈子に無言の微笑を送ると結界のつなぎ目へと飛び去って行った。

 

 

「大丈夫だよ、早苗。きっとこの幻想郷にはお前のことを理解してくれる人たちがいるはず。私たちはそのために……出会うために幻想郷に来たんだ……」

 

 諏訪子の独り言は荒れ果てた山の空へと消えていくのだった。

 

 

◆◇◆

 

 

 ――魔法の森の奥深く。魔女集団「ルークス」アジト――

 

 

「お、お母様……!」

「……どうしたマリー。随分と焦った物言いじゃな……」

「インドラ様の神具『ヴァジュラ』が……! 入口に……!」

「……なんじゃと?」

 

 ルークスのボス、お母様ことテネブリスはマリーが報告のために持参した金剛杵《ヴァジュラ》に視線を向ける。

 

「……たしかにこれはインドラの神具に違いない。どういうことじゃ。ヤツめ、死んだのか?」

「わ、わかりません……」

「……わからんじゃと? マリー、貴様『黒球』での監視を怠ったのか?」

「い、いえ怠ってなどいません……! しかし、インドラ様がシャーマンと思われる緑髪に青白の服装の少女と交戦を開始した途端、所在が分からなくなり……。お、思うにインドラ様が能力を行使したために私からの観測が不可能になったのかと……」

「……ヤツが『物理法則改変能力』を行使せざるを得ないほどの相手だったということか。ふむ、珍しい」

「どうされますか……!? インドラ様の救援に誰を向かわせましょう。あの方はルークスでお母様に次ぐ実力の持ち主。失うわけには……」

「放っておけ」と短く老魔女テネブリスは吐き捨てた。

「ヤツがヴァジュラを手放したということは死んだに違いない。少なくともヤツ自身死ぬと思っていたわけじゃ。わざわざ救援を送る必要もあるまい。それよりもヴァジュラに何か仕掛けをしておるようじゃな」

 

 テネブリスは杖から魔力を放出し、ヴァジュラに送る。すると、ヴァジュラから音声が聞こえてきた。

 

『やっほー。これを聞いてるってことはー、多分私死んじゃってるんでー。よろしくー』

 

 声の主はインドラだった。どうやら、特定の魔力を受けることで音声が再生される術式だったようだ。

 

『あっははー。参ったよー。私を上回るほどの『改変能力』を持った人間に会っちゃうなんてさー。とんだ不運だったよー。いや、あれは正確には改変能力じゃないかもねー。別の世界の物理法則を召喚していたっていう方が正しいかもしんなーい。でもさー。テネブリスさんにとっては脅威じゃないと思うよー? だって、『イっちゃってた』からー。それじゃ、私はお先にあの世に行ってまーす。もし、死ぬことがあったら会いに来てねー。P.S インドラの神通力はヴァジュラに封じてあるからー。初代インドラの血縁の誰かに継がせてあげてー。それじゃ!』

 

 インドラの音声はそこで途絶えた。

 

「ふむ。なるほどのう」

「……本当にインドラ様を倒した能力者を放っておくのですか?」

「くどいぞ、マリー。今のインドラの遺言を聞けば尚更構う必要はない。どうやら、その青白のシャーマンは例に漏れず精神に支障を来しておるようじゃしのう……」

 

 この世の理に干渉できる能力を持つ者は多くない。しかも、その能力を持つ者のほとんどはあまりに強大な力を得ることで精神に支障をきたしてしまうのだ。それに耐えうる者は『神』と呼ばれる選ばれた者だけ……。それがテネブリスの経験と研究から来る常識だった。

 

「どうやらそのシャーマンは『神』に値するほどの者ではなさそうじゃ。であれば容易に扱える。少し心に手を加えればたちまちに自壊するじゃろう。……マリー、まだそのシャーマンを視認することはできんのか?」

 

 テネブリスの質問にはっと我に返ったマリーは『黒球』で妖怪の山を確認する。マリーの黒球は紫のスキマと同じく空間を繋げる技術。黒球からマリーは様子を窺う。

 

「……既に当該のシャーマンは能力を解除したようです。私の黒球からも姿が確認できます。どうやら神クラスの仲間を連れてコミュニティの外へと移動を開始するようです」

「ふむ。何かしら支障が出たために一度撤退しようという魂胆か? まあよい。我らの計画を邪魔せぬ内は手を出す必要もなかろう」

「……インドラ様のヴァジュラは……神の力はどうされますか?」

「ふん。少なくともヤツの先祖である初代インドラには借りがあるからのう。遺言通り、血縁の者に継がせてやれ。もっとも、ワシらの『目的』が完了し、このコミュニティに用事がなくなってからでよかろう。それまで聖遺物と同等の扱いをしてやれ」

「はっ。かしこまりました」

「……時にマリー。貴様なぜインドラに『様』を付している?」

「そ、それはインドラ様は神であり、キャリアも私のはるか上をいかれます。それにドーター内で唯一シスターを名乗ることを許された方ですので……」

「マリー。貴様をドーターのトップに据えたときに言ったはずじゃ。例えインドラ相手であっても秩序を守らせろ、と。ヤツがシスターという名で特別扱いされるのはヤツがワシと交友のあった初代インドラの血縁だからじゃ。それ以外の理由はない。……戦闘力だのキャリアだのは関係ない。組織とは下の者が上の者に従って初めて成り立つのじゃ。なぜ、貴様をドーターのトップ……すなわちルークスのナンバー2に据えたかわかっておろう? 中途半端に力を持ったインドラやカストラートやプロメテウスをナンバー2に据えれば、奴らは調子に乗って反乱を起こす。ナンバー2はトップに従順でなければならんのじゃ。だからこそ、ある程度実力を持つにも関わらず、臆病なお前をドーターのトップに就かせたのじゃ。だが、ワシには臆病であってもドーター相手に臆することは許さん。務めを果たせ、理想には程遠い我が最高傑作よ。これ以上ワシを失望させるな……!」

 

 テネブリスはマリーに対して不甲斐なさを感じ、その怒気を言葉に込める。マリーはテネブリスの怒りを前に顔を強張らせる。

 

「……それで、インドラは任務を完遂できておるのか……?」

「はっ。予定通り、勾玉は所定の位置に配置されています」

「ふむ……。ならば良い。……ルガト、インドラ……。優秀な部下を失ったのは痛手じゃが……想定内じゃ。……もう少し、もう少しじゃ。もう少しで我が悲願が成就する……!」

 

 テネブリスは姿見の鏡の前に移動する。鏡に映ったしわくちゃの自身の顔を手で確認しながらルークスのトップである老婆はその顔を邪悪に歪めるのだった。



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強さの目的

◆◇◆

 

――永遠亭――

 

 霧雨魔理沙は敷地内で魔法の特訓をしていた。龍穴と龍脈の流れを読み、それらから洩れ出る『運』を使って魔法を発動させる訓練である。

 

 その身に運を宿さない魔理沙は、今まで幻想郷に溢れていた運を『無意識』で使用し魔法を発動させていた。しかし、魔女集団《ルークス》が起こした異変で幻想郷が運を奪われ、魔理沙は魔法を使えなくなってしまったのである。

 

 しかし、まだ幻想郷に運は残っていた。それこそが龍穴と龍脈。幻想郷を幻想郷たらしめるものだ。幻想郷に張り巡らされた龍脈は運を奪われた幻想郷に辛うじてわずかな運を放出する。魔理沙も永遠亭の兎妖怪『因幡てゐ』に教えられるまでその存在を知らなかった。

 

 ……魔理沙は魔女集団とそのボスであるテネブリスに対抗するため、龍穴と龍脈を使いこなそうと懸命に足掻いていた。

 

 魔理沙にとって、龍穴と龍脈から溢れ出る運は『じゃじゃ馬』そのものだった。

 異変前の幻想郷に溢れていた運はその密度、供給量が安定していた。故に運のない魔理沙でも安定して魔法を発動することができていた。しかし、龍脈の運は全く安定していない。かつての幻想郷の運と比較するまでもなく不安定で波があったのである。

 

「……まるで生きているみたいだな……」

 

 魔理沙は不安定で波のある龍脈から流れ出る運をそう形容した。

 最初はじゃじゃ馬な運で安定した魔法を発動することに苦労していた魔理沙だったが、徐々に龍脈の運の『癖』を掴み、もう異変前と遜色ないくらいに魔法発動と威力が安定するようになってきている。

 

 ……霊夢にこそ敵わないが、この金髪少女もまた特別な存在だったのだ。もっとも魔理沙自身にその自覚はないのであろうが。

 

「ふーん。中々いい感じになってきているじゃないか」

 

 傍から魔理沙の訓練を見取っていた因幡てゐが感心するように口を開く。

 

「……まぁな。……霊夢の様子はどうなんだぜ?」

 

 魔理沙はてゐに問いかける。霊夢が負傷してから既に丸一日が経過しようとしていた。魔理沙は鈴仙・優曇華院・イナバなる兎妖怪に負傷からの24時間が霊夢のヤマだと聞いていた。

 

「……心配することはない。容態は安定しているよ」

「命の危機は脱したってことでいいのか?」

「……そういうことだね。もっとも、もうお師匠様から聞いているだろう? 目覚めるかどうかは本人の気力次第だ」

「…………」

 

 魔理沙は眉間に皺を寄せ、深刻そうな表情を浮かべる。

 

「……今、言った通り心配することはない。アンタのやることは変わらない。博麗の巫女が目覚めたときにびっくりするくらい魔法の腕を上げておくんだ。いや、びっくりして目を覚ますくらいに腕を上げたらいい。……さて、修行相手の同意を取ってきた。大変だったんだよ? 腰の重いこの人をその気にさせるのはさ」

「……誰なんだぜ? その修行相手ってのは……」

「月のお姫様さ……!」

「……お姫様?」

「ついてきな、霧雨魔理沙。姫様のところに案内しよう」

 

 魔理沙はてゐに促されるままに永遠亭の奥深くへと入り込んでいく。

 

 一際広い座敷にその姫は佇んでいた。

 

「……こいつがお姫様か?」

「ちょっと! こいつだなんて失礼な言葉遣いをするんじゃないよ!」

「構わないわ、てゐ。……初めまして地上の魔法使いさん。私は蓬莱山輝夜。この永遠亭の主人よ、一応ね」

 

 座している輝夜の長い黒髪は座敷の畳に達していた。立ち上がっても腰くらいまではあるだろう長さだ。動きにくそうな髪だなと魔理沙は思う。

 

「てゐに聞いたぜ? なんでもアンタが私に修行を付けてくれるんだって?」

「そうね。つけると言えば、そうなるのかしら?」

「はっきりしない物言いなんだぜ。……なんか和風のよくわからんドレスを着ているし、お前本当に修行を付けることができるくらいに強いのか?」

「おい、魔理沙。本当にいい加減にしなよ。せっかく修行してくれる気になった姫様が気分を損ねたらどうするんだ!?」とてゐが再度魔理沙を叱りつける。

「構わないわよ、てゐ。たしかにあなたの言う通り、私は戦闘が苦手よ。でもね……」

 

 瞬間、魔理沙の視界から輝夜の姿が消える。

 

「あなたが敵わないくらいの力は持っているのよ?」

 

 魔理沙の背中がぞわりと凍る。先ほどまで魔理沙の前で畳に座していた輝夜は一瞬で魔理沙の背後に回り込み、魔理沙の耳元で囁いていたのだ。

 

「い、いつの間に私の後ろに動いたんだぜ……!?」

「これで少しは私のことを信用してくれたかしら?」

 

 冷や汗を流し驚愕の表情を隠せない魔理沙に対し、蓬莱山輝夜は笑みを浮かべる。

 

「……私のお稽古は苦しいわよ? 死んでしまうかもしれない。その覚悟はあるかしら?」

 

 美しい微笑から放たれたのは、厳しい言葉だった。

 

「どうやら、まだ年端もゆかぬ娘のようだし、あなたが死んでしまったら親御さんが悲しむでしょう。今ならまだ間に合うわ。稽古をやめてもいいのよ?」

「誰がやめるか……! 私はアイツらに勝たなきゃいけないんだ……!」

「……あいつらっていうのは誰のことかしら?」

「アンタだって知ってるだろ!? 幻想郷の運を奪った奴らだ。霊夢も……博麗の巫女も殺されかけたし、妖怪の山に住んでる神様たちもそいつらにこっぴどくやられたんだ……! きっと幻想郷もひどい目に遭わされるぜ……!」

「……それで?」

「そ、それでだって……!?」

「ええ。貴方は敵討ちをしたいから強くなりたい。幻想郷を守りたいから強くなりたい。そういうことなの?」

「そ、そりゃ、そうだろ。奴らが……あの魔女集団がどんな目的を持ってるのか知らないが、あいつらをやっつけなきゃ幻想郷は平和にならないんだぜ!?」

「じゃあ、その魔女集団を倒した後、得た強さで貴方は何をするのかしら?」

「ひ、姫様……!? 今はそんな問答をやっている場合じゃないよ!?」

 

 輝夜が魔理沙を質問攻めにする様子を見たてゐが思わず口を挟む。

 

「てゐ。私は私の劣化複製物を作るつもりはないの。というより、劣化複製物が私を突破ことはできないもの。……魔法使いのお嬢ちゃん、なんで貴方が強くなりたいのか、もう一度考えて出直してきなさい。それからお稽古をつけてあげるかどうか決めてあげるわ。相手を倒したいなんて邪な心では私くらいにしかなれないわよ?」

 

 そう言うと、輝夜は座敷のさらに奥の部屋へと消えていったのだった。



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親父の昔話

「くっそ、あのお姫様め! わけがわからないんだぜ!?」

 

 魔理沙は肩を怒らせ、感情を地面にぶつけるように強く踏みつけ歩く。彼女は輝夜の居た座敷から永遠亭の庭へと戻っていた。

 

「計算外だったなぁ。まさか、姫様がこの非常事態でも自分のスタンスを崩さないとは……」

 

 魔理沙の隣で因幡てゐが肩をすくめる。

 

「一体私は何て言ったら正解だったんだぜ!?」

「さぁね。姫様は気分屋だから」と嘆息するてゐ。

「……時間を無駄にしちまったぜ。こんなことなら庭で練習してた方がマシだったんだぜ?」

「霧雨魔理沙……。悪いことは言わない。もう一度、姫様の納得する答えを用意して修行を付けてもらえるようにお願いに行くべきだ」

「正気かよ? あんなよく分からないなぞなぞを解けってのか? そんな暇、私にはないんだぜ?」

「時間がないからこそ、さ。姫様の修行は無駄に時間を取るような修行方法じゃないんだ。特殊だからね」

「……て言っても、私の答えの何が不満だったか検討もつかないんだぜ?」

 

 そんな風に魔理沙がぼやいていると、屋敷から一つの人影が出てきた。大の男をさらに一回り大きくしたようなシルエット。男は彫が深く、険しい表情をしており気難しそうな顔をしていた。見た目からして頑固そうな男は顔だけ見れば六十を迎えるか否かという年齢に思える。しかし、恰幅がよく、年齢に見合わない筋骨隆々な体であることは服の上からで良くわかるほどだ。

 

 その男は魔理沙に視線を向けていた。

 

「お? 魔法の練習をしてないようだな。魔法使いになるのは諦めたか?」

「……親父……。へっ! 誰が諦めるかよ!」

「……ふっ。そうか、『諦めない』か……」

 

 先ほどまで頑固そうに吊り上げていた男はわずかに表情を和らげた。

 そう男は魔理沙の父親である。魔理沙は男の様子がいつもと少し違っていることに戸惑う。いつもの父親なら、魔理沙が魔法使いになることを諦めないと言えば、売り言葉に買い言葉で「バカ野郎」だの、「出ていけ」だの罵倒にも似た怒号を飛ばしてくるはずだからだ。しかし、今の父親はえらくおとなしい口調であり、言い返されると身構えていた魔理沙は調子を狂わされる。

 

「ど、どうしたんだよ、親父。らしくねえんだぜ? いつもだったらもっと……」

「ま、座れや」

 

 言いながら、魔理沙の父親は地面に胡坐をかいて座り込んだ。父親の手には一升瓶と酒枡が握られている。

 

「そんなもん一体どこから持ってきたんだぜ? てか悠長に酒なんか飲んでる場合かよ!?」

「うるせぇ……! 酒でも飲んでなきゃ今から話すことなんざこっ恥ずかしくて言えねえんだよ……! ……ったく誰に似たんだろうなお前はよ」

 

 すでに魔理沙の父親は何杯か酒を飲んでいるらしく、ほんのりと顔を赤らめていた。

 

「お前にはゆっくり話したことなかったよな?」

「なんのことなんだぜ?」

「……俺とリサの昔話のことだよ」

「親父と母さんの話……?」

「……そうだ。あぁ、たく、どっから話したらいいんだ? オレは話すのが得意じゃあねんだよ!」

 

 魔理沙の父親は後頭部をがしがしとかきながら、口下手な自分に苛立ちを覚えつつ口を開くのだった。

 

「……そうだな。俺がまだまともな仕事をしてた時のことから話すか」

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

――少し昔、日本のどこかの漁村――

 

 寂れた漁村に漁師の男がいた。男の性は『霧雨』。先祖代々と言えば仰々しいが、家業である漁師を継いだ男は毎日毎日、海に出ては魚を取って帰り、金に換える生活を送っていた。

 

「霧雨さん、そっちはどうでした?」

 

 帰港した霧雨に話しかけたのは同じく漁師を生業とする男だった。

 

「……イマイチだな。そっちはどうなんだ? 大漁だったか?」

「まさか。こっちもさっぱりでさ。気候変動ってやつなんですかねぇ。難しいことはオレにはわかりませんが。ったく、商売あがったりだよなぁ」

 

 霧雨たちが漁をしている海は年々漁獲量が減っていた。テレビや新聞で『気候変動』が地球の生態系を変えているなどと報道されていることは霧雨も知っていたが、本当のところは理解できない。中等教育までしか受けずに家業を継いだ霧雨にとってはテレビの評論家や大学教授の話は小難しいものでしかなく、霧雨は彼らの主張の真偽について思考を巡らせるほど知識も教養も持ち合わせてはいなかった。それは霧雨の周囲にいる他の漁師たちも似たり寄ったりの認識だった。

 

 このとき、霧雨は三十代後半の年齢に達していた。家族はなく、独り身。嫁を貰ったことは何度かあったが、漁師という特殊な仕事とどこまでも頑固な霧雨の性格についていけず、どの嫁も数カ月と持たずに霧雨から逃げ出していた。

 

「○○さんところも廃業するってよ……」

 

 ある日漁港に帰った霧雨の耳に嫌な噂話が入ってくる。どうやら、長年漁師を続けてきた人間がまた一人やめるらしい。似たような話はここ数年、加速度的に増えていた。ただでさえ、後継者不足に悩む漁師たち。そこに追い打ちをかけるように年々減っていく漁獲量。廃業する者が出てくるのも無理はなかった。

 

 ……この年は例年にも増して、不漁続きであった。一匹も魚が取れない日が何日も続く。やり繰りにも限界がある。このままでは漁師たちの未来はない。

 

 霧雨も他の漁師と同様に地元の漁業組合に所属していた。役職にこそついていなかったが、頑固でリーダー気質ある霧雨の言動はグループを動かす力を持っていた。組合の会合で霧雨は口を開く。

 

「……遠海に行くぞ……!」

 

 意を決した霧雨は『遠海』という言葉を放った。リーダー気質ある霧雨の覚悟を持った宣言。しかし、いかに霧雨の言葉とは言え、『遠海』という言葉に拒否反応を示す漁師たちもいた。

 

「と、遠海って……。さ、さすがに霧雨さんの提案でもそれを飲むわけには……」

 

 この付近で漁業を営むものにとって遠海とは隣国の国境近くのことを示していた。国境付近に豊富な漁場があることは漁師たちも知っている。しかし、少し風や潮に流されれば気付かぬうちに国境を越え、不法侵入することになるのだ。そうなれば、国境を警備する隣国の軍隊に拿捕されることになる。あまりにリスクが高かった。

 不安を口々にする漁師たち。その不安をかき消すように霧雨は言い放った。

 

「責任は俺が持つ」

 

 短い言葉である。しかし、漁師たちの決意を固めるには十分だった。

 

「……そうだ……! どうせこのままじゃあ、みんな食いっぱぐれちまう……! 行こう、遠海へ……!」

 

 組合に所属する若手衆のリーダー格が拳を握る。若手たちが賛成したことで勢いに乗った霧雨の遠海案は実行に移されることになった。漁師たちは船団を作り、遠海へと出ていき、漁網を放り投げる。……大漁だった。今年一、いやここ数年で一番の大漁。しかし、浮かれている時間はなかった。早く、網を上げて帰らなければいけない。長居は隣国へと流れるリスクを上げるだけなのだから。

 

 霧雨を含むベテラン漁師たちは手早く漁を済ませ、引き上げ準備を終わらせた。欲張れば良くないことが起こる。ベテランたちはそれを肌で知っていた。

 

「全員帰港準備はできたか!?」

 

 霧雨の怒号が無線で飛ぶ。誰かに怒っているわけではない。違法漁業になりかねないことをしているのだ。ピリピリとした空気を出すのは仕方のないことだった。

 

「……あ、あれ? アニキは? ……アニキがいねぇ! 霧雨さん、アニキの船がいねぇ!?」

 

 若手の一人が叫ぶ。若手の言う『アニキ』とは霧雨の案に賛成した若手衆のリーダー格のことだった。

 

「あの野郎、どこにいっちまいやがった!?」

 

 霧雨は船から海原を360度目視で探し回る。すると、西の方に浮かぶ漁船が一隻目に入った。水平線ギリギリに浮かぶその船。霧雨たちの船団からの距離は4キロ程度だろう。間違いなく若手リーダーの船だった。

 

「き、霧雨さん。あそこはもう隣国じゃあ……。そ、それに隣に見えるあの船は……」

 

 霧雨とそこまで年齢の変わらない漁師が不安げに声を上げる。若手リーダーの漁船は間違いなく国境の向こう側に行ってしまっていた。そして、漁船の近くには隣国の軍隊の巡視船が迫っている。

 

「あの馬鹿野郎! ……お前らはここで待ってろ。オレが連れて帰る……!」

「き、霧雨さん!? まさか向こうに行くつもりじゃあ……!?」

「……責任は持つって言ったからな」

 

 霧雨はそう言い残して若手リーダーの船の方向に舵を切った。

 

 ――若手リーダーの船は隣国の巡視船に拿捕されようとしていた。銃を向けられた若手は両手を上げる。隣国に捕まって何をされるのか……。生きて故郷に帰れるのか……。様々な不安が若手を襲う。彼の顔は恐怖で強張ってしまっていた。

 

 そんな彼の背後から聞こえてくる漁船のエンジン音。巡視船はその漁船に警告音声と電子音を飛ばすが止まる気配はない。その漁船はスピードを落とさず、巡視船目掛けて突っ込もうとした。

 

 焦った隣国の兵たちは突っ込んでくる漁船に向け銃を乱射した。銃弾を受けた漁船は爆発を起こし、兵の眼を眩ませる。

 

「おい! 俺を引き上げて船走らせろ!!」

 

 若手は海面から聞こえるその声の方に視線を向ける。そこには霧雨がいた。

 

「なに、ぼーっとしてんだ!? 早く引き上げろ!」

「は、はい!」

 

 若手は霧雨を引き上げて船を出す。

 霧雨は自分の漁船を巡視船に向けて走らせると、自分は海に飛び込んでいたのだ。霧雨は自身の船を犠牲にしたのである。若手を救うために。

 

「早くいけ!」

 

 軍が漁船の突進と爆発に目を奪われている隙に、若手の船に乗り込んだ霧雨はエンジン全開で逃げるように命令する。もちろん若手もフルスロットルでその海域から逃げ出した。背後の巡視船から外国語で警告音声が流れたがもちろん無視した。若手の船に向けて何発も銃が発射されたが、当たることはなかった。

 若手の船は無事、日本側の海域に戻る。

 

「……ここまで来りゃ、お隣さんも追ってはこねえだろうよ」

 

 霧雨はため息交じりに言葉を紡ぐ。ふと、霧雨が若手に目を向けると、彼が舵を持ちながら泣いていることに気付いた。

 

「どうした、クソ坊主。なにメソメソしてやがる?」

「すいません、すいません。俺がヘマやっちまったから……。霧雨さんの船が……!」

「ああ? んなこと気にしてやがんのか? てめえがそんなことで落ち込む必要なんざねえんだよ。責任取るっつうのはそういうことだ。てめえ、ちっと欲張って網引き上げるの遅くなったんだろ? んでもって気付いたらお隣さんの海に入ってたってところか? 良い勉強になったじゃねえか」

「霧雨さん……」

「きったねえ面だなあ。もうそんな顔オレに向けんじゃねえぞ。あと謝罪の言葉も口にするんじゃねえ」

 

 霧雨の言葉に反応し、若手は服の袖で涙を拭った。

 

「でも……、霧雨さん。これからどうするんですか……」

「……そうだなぁ。幸い、船は爆発して沈められたからな。俺たちが不法侵入した証拠はねえだろうし、捕まりはしねえだろ。……潮時ってことじゃねえか?」

 

 次の日、嫌な噂が漁港にまわることになる。

 

「霧雨さんとこも廃業するってよ……」



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暴れんぼう漁師

※この話の霧雨は前回に引き続き魔理沙ではなく、魔理沙の父親です。


 霧雨が漁師をやめるという噂を聞いた一人の男が霧雨の元に駆けつける。

 

「霧雨、お前本当に漁師やめちまうのか!?」

 

 男は霧雨と同じ年で同じように16歳の頃から漁師をする仲間だ。霧雨にとっても、心を許して喋ることのできる数少ない漁師仲間の一人だった。

 

「わりいな。お先に隠居させてもらうからよ」

「冗談いってんじゃねぇよ! ……お前が若手守って船無くしたのは皆わかってんだ。新しい船買う金くらいみんなにカンパしてもらえばよう……」

「てめえこそ冗談言ってんじゃねえよ。船がどんだけ高いかなんて言うまでもなく知ってることだろ。どいつもこいつも最近の不漁のせいで家計が火の車なんだ。俺に出す金なんざねえだろうよ」

「だったら俺の船で働け。お前ほどの漁師がいなくなるのはうちの漁村の痛手だ」

「……ありがてえ話だが、やっぱやめとくわ」

「なんでだ……!?」

「……今んとこ、例の不法侵入の件でお上からの捜査やら調査やらはないみたいだが……もし、不法侵入になりかねない漁を組合単位でしていたとばれりゃ、この漁村の組合員全員に被害が出ちまうだろ。……何かあったら全部オレのせいにしろ。そのために俺は村を出るんだよ。ブタ箱に大人しく入るほど、オレは真面目じゃねえんでな」

「俺たちが犯した罪を全部被るってのか!? 馬鹿言え! お前に罪なすりつけてお天道様の下で生きてくなんて、そんな人でなしなことできるかよ!」

「……その人でなしをやってくれ。頼む。……オレの提案が失敗したせいで他の奴らの人生を変えちまうなんて耐えられねえ。特に、若い連中のこれからを奪っちまうなんてことになったら尚更だ。もし警察やら海上保安庁やらが来たら言っといてくれ。『隣国まで行って漁をしてたのは霧雨っていう輩だ。みんなで行かないよう散々警告していたのに隣国で漁してやがったんだ。今は廃業してどっかに行っちまったよ』ってな」

「バカか!? そんなんで誤魔化し切れるかよ……!」

「……押し切って誤魔化せや。……じゃあな」

 

 霧雨は漁村を去った。

 漁師以外したことのない霧雨にできる仕事など力仕事くらいしかなかった。霧雨は仕事を求めて流浪の生活を送ることになる。日雇い労働者でその日暮らし。それが霧雨の日常となっていった。

 

 ――漁師をやめて一年。流れ流れて霧雨が辿り着いたのは日本で2番目に発展した都市。その都市のダウンタウンは訳ありの日雇い労働者に仕事を斡旋するろくでもない奴らがたむろする。だが、おかげで仕事に困らない場所だった。飯と寝床も格安で手に入る。ちょいと汚いのと治安が悪いのはご愛嬌。そもそもそんな贅沢を言える身分でないことは霧雨も十分に理解していた。

 

 そんなダウンタウンで霧雨はある少年と一緒の現場で働くことが多かった。

 

「なんだ、坊主。お前もこの現場か?」

「……あ、霧雨さん……。おはようございます……」

「相変わらず目にクマ作ってやがんな。ちゃんと寝てんのか?」

「ええ、まぁ……」

 

 あまりに生気のないおとなしい少年だった。だが、このダウンタウンに集まる人間は似たような人間が多い。何かしらの訳あり人間が集まる地なのだ。とは言っても少年ほど年端の行かない男がここで働いているのは珍しい。霧雨にはその少年と村にいた若手漁師が重なって見え、少々気にかけていた。

 

 少年は見るからに体が細く貧弱だった。そんな少年が力仕事を満足にできるわけもなく、ただでさえ低い日給をさらに減らされるという具合である。霧雨は『少ない日給じゃあ腹いっぱいに飯を食えねえだろう』と思い、時々その少年を食事に誘っていた。もちろん霧雨のおごりで。

 

「坊主、てめえ。なんでその歳で働いてんだ? 親がいねえのか?」

「…………」

 

 食事の場で霧雨は少年に問いかけるが、帰ってくるのは無言だけ。

 

「話したくないならいいがよう、もし家出してるだけってんなら帰った方がいいぞ。育ち盛りに腹いっぱい飯食わなかったらデカくなれねえからな! 男にとっちゃ体はシホンなんだ。デカくなりゃなきゃまともに仕事できねえぞ」

 

 言いながら、霧雨は自分の皿に乗っていた唐揚げを少年の皿に移してやる。相変わらず無言の少年だったが、少しだけ表情が和らいだように見えた。

 

 ――数日後、霧雨は街中で偶然に少年を見かけた。少年は黒いスーツを着た複数人の男と並んで歩いていた。スーツの男たちは金髪やら茶髪やらでピアスをつけている。スーツの着こなし方もサラリーマンのようなそれでなく、反社会的な人間であることが窺われる。年齢は20代半ばと言ったところだろうか。大人しそうな少年とつるむにしては似つかわしくない風貌である。彼らは路地裏へと入っていった。

 

「なんだ? カツアゲか?」

 

 霧雨は自分の推測を口にする。どうにも不穏な空気が流れているように見えた。霧雨は少年と男たちの後を追い、自身も路地裏に侵入する。

 

「は、早く……! 早くアレをください……!」

「まぁ、そう急かすなよガキ。先に金だ」

 

 少年は財布から万札2枚を出すと、反社会的と思われる金髪男に手渡した。

 

「たしかに。そんじゃくれてやるよ」

 

 金髪男は白い粉の入った四角い小さなビニール片を鳩に餌をやるかのように少年の足元に放り投げる。少年は興奮した様子で、白い粉を守るようにうずくまる。

 

「ひゃははは! そんなことしなくても取ったりしねえっての!」

 

 茶髪の男が少年をバカにするように笑う。

 一部始終を建物の影に隠れて見ていた霧雨は何が起こっているのかを確信する。

 

「バカ野郎が……!」

 

 つぶやいた霧雨は少年と反社的な男たちの前に姿を見せた。

 

「つまらねぇもんに頼ってんじゃねえよ、くそ坊主!」

「き、霧雨さん……?」

 

 少年は突然現れた霧雨の姿を見て動揺を隠せない。霧雨は動揺する少年の胸倉を掴んで持ち上げる。

 

「……てめぇの眼の下のクマは寝不足なんかじゃなかったわけか。……クスリになんざ手ぇ出しやがって。どんなストレス抱えてたか知らねえが、クスリになんざ頼ってんじゃねえよ。その性根叩きなおしてやるからな!」

 

 霧雨は白い粉の入ったビニール片を少年から奪い取ると、金髪の男に向けて投げ返す。

 

「そいつは返す。だから金も返せ」

「あーん? おっさん、いきなり出てきて何様のつもりだ。これはそこのガキと俺たちの問題だ。部外者は引っ込んでな」

「……ガキをクスリ漬けにして金を毟り取ろうなんざぁ男の風上にも置けねえ奴だ。そんなヤツの理屈に付き合うつもりは無ぇ」

「おいおい、一方的に悪者扱いかぁ? 俺たちはそのガキを助けてやったんだぜ?」

「なんだと?」

「そのガキ、元々は偉いお医者さんの息子だったらしい。だが、中学受験に失敗してよう。勘当扱いを受けちまったんだとよ。ひどい話だぜ。長男だったこのガキを親戚に養子で出したんだと。出来の悪いガキは自分のガキじゃねえってことさ。そんなガキを助けてやったのが俺たちってわけだ」

「……どういうことだ?」

「なーに。こいつが鬱っぽかったからよう。スカッとできるようにクスリをただでやったわけだ。こいつも礼を言ってたぜ。『ありがとうございます。おかげさまで辛いこと全部忘れて楽になれました』ってな。これが人助けじゃなくてなんだってんだ? もちろん中毒にさせてからは金をもらっちゃいたが。そりゃ『合意の上』ってやつだぜ?」

「……クズが……!」

 

 霧雨はスーツ男たちと話していても仕方がないと判断し、少年を無理やり引っ張ってその場を去ろうとした。

 

「おい、待てよおっさん」

 

 茶髪の男が霧雨を呼び止める。

 

「あァ? なんだ?」と売り言葉に買い言葉で反応する霧雨。

「そのガキは俺たちの金づるなんだよ。連れていかれるわけには行かねえな。置いていけ。ついでにてめえの有り金も全部置いてな」

「オレに喧嘩売ってるってわけか、ガキ? オレのガタイ見て臆さないのは褒めてやるが……やめとけ。てめえごときで俺には勝てねえよ」

「ああ!? んだとおっさん!!」

 

 茶髪は霧雨の腹目掛けて拳を繰り出す。茶髪は喧嘩慣れしていた。茶髪にとっていつもならすぐに決着が付くほどに力を入れて放った一撃。普通の男相手なら勝負ありだったに違いない。……だが、霧雨は普通の男ではなかった。

 

「なんかやったか、クソガキぃ?」

 

 霧雨は全く堪えた様子もなく、茶髪の方に視線を向ける。

 

「な、なんだこいつ!? 俺の殴りが全然効いてねぇ……!? ……ぐふぇ!?」

 

 間抜けな声を出して茶髪は路地裏の壁に叩きつけられる。霧雨が頬を殴りつけたのだ。仲間をやられたスーツ男たちは怒気を示す。

 

「おっさん、てめえ。よくもやりやがったなァ!?」

 

 スーツたちは数人がかりで霧雨に殴りかかる。霧雨に向かって飛び交う拳や足。だが、その全てを受けてなお、霧雨は痛がる素振り一つ見せなかった。

 

「これだから都会育ちの軟弱な野郎どもはいけねえ。オレの村にいた若いやつらの方がよっぽど力も喧嘩もつえぇぞ?」

 

 霧雨はスーツたちに一発ずつ拳をぶつける。スーツたちは例外なく全員たった一発の拳で気絶に追い込まれていた。

 

「ふざけやがってぇ!」

 

 一人だけ喧嘩に加わっていなかった金髪は転がっていた鉄パイプを手に取ると、霧雨の背後から後頭部目掛けて振り下ろす。思わぬ衝撃に霧雨は前のめりに倒れ込んだ。霧雨の頭から血が流れ出る。

 

「へっ……。へへ……。て、てめえが悪いんだぞ。俺たちに逆らうからだ。馬鹿が。逆らわなかったら死ななかっただろうによ……!」

 

 金髪は声を震わせながら霧雨の身体に向かって叫ぶ。

 

「……クソが……。道具なんざ使いやがって……」

「あ、あぁ? て、てめえ生きてやがんのか……?」

「ああ? この程度で死ぬわきゃねえだろ、バカか?」

 

 霧雨は流血でしたたる顔を金髪に見せつけながら立ち上がる。

 

「う、うわぁあああああ!?」

 

 怖気づいた金髪はさらにもう一発、霧雨の頭部目掛けて鉄パイプを振り下ろした。しかし、霧雨はなんなくこれを腕で受け止める。

 

「そ、そんなバカな……?」

「漁師を……海の男をなめんじゃねぇぞ、クソガキが!」

 

 霧雨は金髪の顔面を思い切り殴り飛ばした。

 

「……す、すごい……」

 

 熊のような怪力を見せる霧雨の暴れぶりを見た少年は素直な感想を口からこぼすのだった。



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盃は交わさない

 事件のあと、少年と霧雨は行きつけの食事処に来ていた。

 

「ったく、くだらねえことしてやがったんだな坊主!」

 

 霧雨は大ジョッキに入ったビールを一気に飲み干すと、怒気を込めた言葉を少年にぶつける。少年は俯いて下を見るだけだ。

 

「酒飲んで喋らなきゃてめえをいつまでもボコってるところだ。漁師の若手だったら酒飲んでてもボコってるにちがいねぇ。てめえ、漁師じゃなくて良かったな!」

「……すいません」と力なく謝罪する少年。

「ああそうだ。本当に反省するんだな。クスリやるなんざバカのやることだ。精々たばこと酒までにしておけ!」

「き、霧雨さん、そんな大声で喋らないで……!」

「ふん。構うこたねえだろ。このダウンタウンでクスリやってた話するくらいどうってことねえさ。……坊主、てめえなんでクスリになんか手出しやがった」

「あの金髪が言ってたでしょ? 僕は父さんに養子に出されたんです。……捨てられたんですよ僕は……!」

「それでヤケになってクスリに手だしたってか? とんだ大馬鹿野郎だな、てめえ。……で、養子に出された先で義理の親父と義理のおふくろにいじめられたってところか?」

「いえ、おばさんとおじさんは親切にしてくれました……。父さんに捨てられた僕のことも心配してくれて……」

「あぁん?」

 

 霧雨は強面の顔の眉をさらに吊り上げ、続ける。

 

「じゃあ、てめえは養子先の親父とおふくろを裏切って家出してきたってわけか、あぁ!?」

 

 霧雨は少年の胸倉を掴んで持ち上げる。少年は完全に怯え切ってしまい、目を泳がせていた。

 

「根性ねぇガキだよ、てめえは! 暖かく迎えてくれた義理の親父さんとおふくろさんに申し訳ねえと思わねえのか! 俺がてめえの義理の親父さんだったとしても家出までだったら許してやらぁ! だが、クスリにまで手ぇ出すだぁ!? どんだけてめえが実の親父に捨てられて傷ついたか知らねえがな、根性なしも大概にしとけよ。この甘ちゃんが!」

 

 霧雨は怒りのままに少年を床に叩きつけた。少年は『うっ。うっ』と嗚咽を漏らす。

 

「ちょっとお客さん。喧嘩なら他所でやってくれよ!」

 

 食事処の店主が苦言を呈する。

 

「わりぃな、ご主人。もう暴れたりしねえよ。おい、坊主! いつまで地べたで寝てんだ。早く座れ!」

 

 少年は霧雨の怒号に促されるままに元の椅子に座る。床に打ち付けた頬がほんのりと赤く染まっていた。

 

「ったく、情けねぇやつだぜ。実の父親を見返そうとかそういう気持ちにはならねえのか、てめえはよ」

「み、見返す……?」

「おうよ! 俺なら絶対にそうするな!」

「見返すってどうやって……」

「そんなんも思いつかねえのか、坊主。えぇとそうだな。例えばだ。てめえの親は医者なんだろ? だったら親よりも名医になるとか、医者が無理でも日本一の社長になるとかだ」

「に、日本一の社長ってなんですか?」

「知るか、んなもん自分で考えやがれ!」

 

 霧雨はいつの間にかおかわりしていた大ジョッキビールを飲み干しながら叫んでいた。

 

「坊主、てめえ家どこだ?」

「え? おじさんとおばさんの家のことですか? ひ、東宮です」

「東宮だぁ? プロ野球の東宮トラーズが本拠地にしてるあの東宮か? そんなに遠くもねえ目と鼻の先の街じゃねえか。ったく、ついてこい! 店主、お勘定!」

 

 霧雨は会計を済ませると、少年の首根っこを掴んで最寄りの駅まで引きずっていく。

 

「坊主、てめえ電車乗って家に帰れ! ダウンタウン《ここ》はてめえのようなガキがいていい場所じゃねえんだよ。実の親父に負けねえ立派な男になって義理の両親を喜ばせてやれ! 二度とこの街にくるんじゃねえぞ! クスリなんてもっての外だからな、覚えとけ! もし、この近くでてめえを見かけたら殺すからな! てめえも見たろ。オレは少々喧嘩はつええんだ。坊主くらい一発であの世行きだ。死にたかねえだろ」

「で、でも霧雨さん……」

「あぁ? でももだってもねえんだよ!」

「僕一文無しなんです……」

「……最後まで世話のかかる坊主だな、ほらこれで帰れ! 返さなくていいからよ!」

 

 霧雨はボロボロの財布から2千円を抜き出し、少年に渡す。

 

「あ、ありがとうございます……!」

「いいからさっさと行け! 二度とその面見せるんじゃねえぞ!」

 

 霧雨は追い出すように少年を駅に放り込み、見送った。

 

「ったく、こっちが一文無しになっちまったじゃねえか、バカ野郎」

 

 酒に酔っている霧雨はしゃっくり交じりに愚痴をこぼすのだった。

 

 

 

 ――少年を見送って数日後、霧雨はいつものとおり、日雇い労働をしていた。仕事を終え、日も落ち薄暗くなった格安宿泊施設への帰り道、霧雨は黒塗りの高級車から降りてきたスーツ姿の男たちに絡まれた。

 

「おい、おっさん。この前はよくもやってくれたなぁ!」

 

 先日、少年にクスリを売っていた金髪の男たちだった。

 

「なんだ、この前のガキどもか。懲りてねえみてぇだな。やり返しに来たってわけか?」

「たりめぇだ。金づるを一匹取られたんだからよう。この落とし前はきっちり付けさせてもらうぜ?」

「ふん。てめえらじゃぁ無理なのはこの前の喧嘩で分かったろ? そこどけ。オレは仕事終わりで疲れてんだ。早く帰らせろ」

「そういうわけにはいかねえなぁ。……アニキ、お願いします!」

 

 金髪の視線は黒塗りの高級車に向けられていた。後部座席から降りてきたのは、いかにも『本職』と言った風貌の男だった。金髪たちのようなだらしないスーツの着こなしではなく、ピシッとした佇まいだった。もちろん、普通のサラリーマンが好むスーツとは異なる威圧を与えるものだ。シャツも白ではなく、黒色のものを着ておりそれがさらに威圧感を高めている。

 

「うちの若いヤツが世話になったみてえだなぁ」

 

 オールバックの髪型をした『本職』が霧雨に向かって怒気を飛ばす。

 

「あんた、ヤーさんか? なるほど。じゃあ、このガキどもは『半グレ』ってやつか? 違いはよく知らねえが……」

「俺らはな。舐められたら終わりの仕事なんだよ。薄ぎたねえ日雇い労働者にボコられたとあっちゃぁ名前に傷が付くんでな。悪いが痛い目みてもらうぞ?」

「ガキの取引を一件潰されたくらいで出しゃばるたぁ余裕がねぇヤーさんだな、てめえ」

「あんだと、こら!? てめえらやっちまえ!」

 

 オールバックは部下の金髪たちに霧雨を痛めつけるよう命令する。命令されるや否や金髪たちは一斉に霧雨に飛びかかった。

 

「うぐ!? ……くだらねえおもちゃ使いやがって……!」

 

 一撃殴られた霧雨がおもわず声を吐き出す。金髪たちは素手では霧雨に敵わないと見たのか全員メリケンサックを付けていた。中にはナイフを手に持っている者もいる。霧雨は連中が素手で喧嘩しないことに苛立ちを募らせた。

 

「丸腰の堅気《かたぎ》相手におもちゃ振り回すなんざいよいよヤクザ失格……、いや男失格だな、てめえら!」

「うるせぇ! おとなしくぶっ殺されやがれ!」

 

 ナイフを持った男が霧雨目掛けて突進する。霧雨はナイフを受け止めた。刃を素手で、である。掴んだ手から血が滴る。

 

「て、てめえ正気か!? 得物を素手で……!?」

「てめえらとは根性が違うんだよ! こんなナイフなんかより、漁網引き上げるときの方がよっぽど痛いぜ?」

 

 言いながら、霧雨はナイフの男を殴り飛ばした。仲間がやられたことで頭に血を昇らせた男たちはまたも一斉に霧雨に殴りかかる。しかし、霧雨は歯牙にもかけない様子で半グレたちを一方的に倒していく。

 

 部下たちが不甲斐なくやられていく姿を目にしたオールバックは苛立ちを抑えきれず、懐から『得物』を取り出すと、空に向けて撃ち放った。拳銃の発砲音に半グレたちはビクっと動きを止める。

 

「熊野郎、てめえいい加減にしろよ? おとなしく痛めつけられろや!」

 

 オールバックは銃口を霧雨に向ける。

 

「……堅気相手に拳銃《チャカ》持ち出すたぁ、いよいよ舐めた根性持ったヤーさんだな、てめえ」

 

 霧雨はオールバックの方へと足を進める。

 

「とまれ」とオールバックは凄味を効かせた表情で引き金に手をかける。

「あぁん?」と霧雨は返す。

「それ以上動いてみろ。撃ち殺してやっからなぁ」

「ふっ。くっくっ」と笑う霧雨。

「何だてめえ? 何がおかしい!?」

「やれるもんならやってみろよ、クソ野郎」

「なんだと!?」

「オレが中坊んときの連れにもよう、社会に馴染めなくて暴力団に入っちまった奴がいる。だがなぁ、そいつは絶対に堅気にゃ手を出さなかった。矜持ってもんを持ってたわけよ。てめえらと違ってな」

 

 霧雨は喋りながらオールバックへの歩みを止めない。

 

「止りやがれ! 冗談なんかじゃねえぞ。それ以上近づいたら撃つ……!!」

「やってみろや!」

「舐めやがって……! うらぁ!!」

 

 掛け声とともに引き金を引いたオールバック。銃弾は霧雨の肩口をかすめる。撃たれた衝撃で霧雨は地に膝を着ける。

 

「……本当に丸腰の相手に撃つとはなぁ。腰抜け野郎だ、てめえは!」

 

 霧雨は肩を抑えながら立ち上がる。

 

「て、てめえ。まだ歯向かう気か!?」

「……許せねえな」

「な、なに?」

「堅気に手出すのもそうだが、まだ社会も知らねえガキにクスリ掴ませるようなことをするてめえらはクズだ。ヤー公とさえ認められねえなぁ! オレは女子供に手出すようなヤツらは絶対に許せねえんだよ!」

「何を言ってやがる……!?」

「撃ってみろよ、腰抜けぇ」

 

 霧雨は元から厳つい顔を鬼面のように変貌させ、オールバックを睨みつけた。オールバックの手元がプルプルと震える。霧雨の異常なまでの圧にオールバックは気圧されていた。

 

「どうした? 撃つんじゃなかったのか、腰抜けぇ!」

「うわ、うわぁああああああああ!!」

 

 オールバックは悲鳴にも似た大声を繰り出す。しかし、霧雨の圧に完全に屈したオールバックが引き金を引くことはできなかった。霧雨は思い切り、顔面に拳を叩きこむ。直撃を受けたオールバックはその場で倒れ込み気絶した。

 

「う、ウソだろ!? ア、アニキが……!?」

「次はどいつだ? さっさとかかってこい。オレは早く帰りてえんだよ」

 

 半グレ達をひとにらみする霧雨。半グレたちは金縛りにあったかのように動かなくなってしまっていた。

 

「……そこまでにしとけぃ」

 

 どすの効いた老人の声が夕暮れ時の市道に響いた。

 

「く、組長……!?」と驚いたように声を発する金髪の半グレ。

「盃を交わしてないガキどもから組長と呼ばれる覚えはねえが、さっさと引けぃ。その妙な髪型をした若衆連れてな」

 

 老いた声の主は杖をつき、オールバックを連れて去るように半グレたちに鋭い視線を向けた。黒い和装をした老人は上背がなく、腰も曲がっていたが、その場を飲み込む雰囲気を放っている。半グレたちはその異様な雰囲気にたじろいでいた。

 

「もたもたすんじゃねぇ。殺されてぇのか!?」

 

 老人に付き添う黒グラサン、黒スーツの長身男が半グレ達にドス声を飛ばす。半グレ達はすぐさま、オールバックを自分たちが乗ってきた黒塗りの車に乗せ走り去っていった。

 

「わりぃな、デカいの。ウチの若い奴らが迷惑かけたな」

 

 老人は霧雨に声をかける。

 

「あぁ、本当だぜ。躊躇なく堅気に手ぇ出すなんざ、最近のヤーさんの教育はどうなってんだよ、はげじじぃ」

「てめぇ、組長《おじき》になんて口ききやがる!?」

「やめとけぇ」

 

 黒グラサンの男を老人が制止する。

 

「デカいの。お前さんの言う通りだよ。最近の若い衆は任侠ってもんをカケラも持ち合わせちゃいねぇ。すべてはオレの力不足よ。歳は取りたくねえもんだな」

「……ま、俺ら堅気にさえ手を出さねぇでくれりゃ任侠なんざ持とうが持たなかろうがどうだっていい。じゃぁな。オレは疲れてんだ」

「おっと、そうはいかねぇな」

「あぁん? まだなんか用事があるのか? じじぃ」

「あぁ。どうだ、一杯やらねぇか?」

 

 老人は片手でおちょこを口に運ぶ動作を空でやる。

 

「じじぃ。オレは疲れてるって言ってん……」

 

『言ってんだろ』と言いかけた霧雨の顔面にグラサン男の険しい視線がグラス越しに突き刺さる。黙って付き合えと言っているようだった。

 

「ちっ……。奢りだろうな?」

 

 霧雨は組長と呼ばれた老人に確認を取る。老人はにやりと口元を歪めて踵を返し、歩き始めた。霧雨は『しゃあねぇな』とでも言いたげな表情で老人と黒グラサンの後を追う。

 

「乗れ、デカいの」

 

 老人は大通り沿いに停めてあった黒塗りの高級車に乗るように霧雨に促す。車に乗り込んだ霧雨が連れていかれたのは見るからに高級そうな料亭だった。

 

「ここは……『キタ』か?」と車から降りた霧雨が呟く。キタとはこの都市で栄える繁華街の通称だ。

 

「ああそうだ。来たことあるか?」と質問する老人。

「あぁ。何度か仕事でな。もっとも金はねぇから、ここで遊んだり飲んだりはしたことねぇよ」

「……店に入るか」とのれんをくぐった老人はこの店の女将に声をかけた。

「よう久しぶりだな。女将さん」

「これはこれは組長さん。久しぶりだねぇ」

 

 色気のある声を出す妙齢の女将が組長《老人》をもてなす。

 

「急に寄っちまって悪いんだが、3人ほど席用意してくれるかい?」

「組長さんのお願いとありゃ、先客追い出してでも用意するさ。おい、そこのアンタとっとと席用意しな!」

 

 女将は気風の良い声で下っ端の男に指示を出す。案内されて辿り着いたのは料亭の一番奥の部屋。立派な座敷だった。日雇い労働者である霧雨の服装には似つかわしくない部屋だ。だが、格好などを気にする霧雨ではない。遠慮などせず、用意された座布団にあぐらで座り込む。

 

 出てきた食事はどれもこれも美味だった。日雇い労働者になってからは高級なものなど一切口にしてこなかった霧雨にとって、久しぶりに食べるうまい飯と酒だった。

 

「デカいの。結構飲めるクチだな」

「たりめぇだ。漁師同士の飲みはこんなもんじゃねえからな」

「……元漁師か。なんでやめた?」

「……いろいろあってな」

「わけありか。ま、そうだろうな。じゃなきゃ、あんなドヤ街なんぞに住まんわな」

 老人はおちょこに注がれた日本酒を飲み干す。

「デカいの。お前、名前は何ていうんだ?」

「……霧雨」

「霧雨か。いい名前じゃねえか」

「……じじぃ。なんで俺を飯に誘った?」

「……そうさな。まどろっこしいことするのは性に合わねえわなぁ。単刀直入に言ってやる。デカいの。オレのとこで働け」

「あぁ……!?」と霧雨は凄む。

「聞こえんかったか、オレのとこで働け」

「ふざけんじゃねえぞ、じじぃ! 俺にヤクザもんになれってか!? 冗談じゃねえ!」

 霧雨はその手に握っていた猪口を畳に叩きつけた。

「そりゃぁオレも悪いことをしてこなかったわけじゃねぇ。ドヤ街に住んでんのも身から出た錆のせいだ。だがな、そんなオレにもプライドはある。オレはこずるいのは嫌いなんだよ!! 特にクスリをガキに売りつけるなんてのはこずるさの極だ。そんなことやってる組に入るなんざぁ絶対にお断りだ!」と霧雨は怒号を飛ばす。

「てめぇ、組長《おじき》の誘いを断るってぇのか!?」

 

 老人の横に控えていた黒グラサンが霧雨に怒号を飛ばし返す。

 

「二人とも落ち着けぇ」

 

 老人は霧雨と黒グラサンをなだめながら、猪口に酒を注ぐと口に付ける。

 

「デカいの。お前の言う通りだ。クスリをガキに売るような任侠なんざあっちゃいけねえ。だから、お前を誘ってんだ」

「あぁ?」

「……昔は違った。俺たちヤクザもんにもヤクザもんなりの矜持があった。だが、そんな昔ながらのヤクザの存在は風前の灯よ。どの組も資金集めのためには手段を択ばなくなった。時代といやぁそれまでかもしれん。だが、まだ俺ぁ諦めきれねぇ。任侠を持っていたあの頃のヤクザに戻してえんだ、俺ぁよ。だから俺にはお前が必要だ、デカいの。久しぶりに血が踊ったんだぜ? お前さんが暴れまわっている姿を見てよ。俺ぁお前に失われつつある任侠を感じたんだ」

「…………」

 

 霧雨が老人の言葉に無言で答えていると、料亭の入り口方向から物々しい騒ぎ声が聞こえてきた。

 

「何度言われたってウチはアンタんとこにショバ代を払うつもりはないよ! とっとと帰ってくんな!」

 

 女将の声が聞こえてくる。老人は重そうに腰を上げた。

 

「何やら騒がしいな。ちっと様子を見に行くか」

 

 老人は玄関へと歩み進めた。黒グラサンも後に付く。最初は無視しようかと思っていた霧雨だったが広い座敷に一人取り残されるのも具合が悪く、二人の後を追うことにした。

 

「アマぁ! てめぇいい加減にしろよ!」

 

 強面の男たちが女将を威嚇していた。だが、女将は臆することなく言い返す。

 

「わたしんとこはもう組長さんに用心棒代払ってんだ。アンタたちに払う義理はないね!」

「組長さんだぁ? どこの組のことだ?」

「ウチの組だ。何か問題あるか、若いの?」

 

 老人は玄関前にたむろしている野郎たちに向かって言い放つ。

 

「……てめぇんとこの組か、じじぃ。ちょうどいいなァ。てめぇんとこの組とは近いうちに決着つけないといけなかったからなぁ!」

 

 たむろする輩たちは老人の組とは敵対勢力にある組織だったらしい。

 

「じじぃとダサいグラサンかけた連れ1匹だけか。今ここで締めてやるよ!」

「ちょいと! 店の中で暴れないでおくれ!」

 

 女将が無理やり料亭の中に入ろうとする輩を身を挺して止めようとする。

 

「邪魔だアマぁ! 引っ込んでろ!」

 

 止められた輩の一人が女将を勢いよく突き飛ばし、壁に叩きつけた。そのまま倒れた女将の頭部から血が流れる。輩たちは女将には目もくれず、老人の前に立ちはだかった。輩の一人がナイフを取り出し、刃を向ける。

 

「クソじじぃ。今すぐこのショバ俺らに渡しな。老衰で死にてぇだ……ろ?」

 

 ナイフを持っていた男が悲鳴を上げる間もなく床に叩きつけられた。男を襲ったのは大の男よりもさらに一回り大きな男である。霧雨だ。霧雨が輩の一人を殴ったのである。殴られた輩は気を失っていた。

 

「てめぇ。じじぃの仲間か!? デカブツ!」

「あぁ? 誰がヤクザの仲間になんかなるかよ?」

「てめぇ、堅気か? いや、そんなことは関係ねえな。邪魔するなら覚悟しやがれ!」

 

 輩の二番手が霧雨に殴りかかる。だが、男の拳は霧雨の大きな掌に易々と捕まってしまった。霧雨はそのまま男の拳を握り潰す。鈍い音が料亭内に響き渡った。

「ぎゃあああああ!?」

 

 大の男の甲高い叫び声。霧雨に捕まった男の拳は骨折させられていた。

 

「て、てめぇ。生きて帰れると思うなよ!?」

 

 輩の次鋒がスーツのポケットから折り畳みナイフを取り出し、切っ先を霧雨に向ける。

 

「……情けねぇ。てめえらいわゆる本職だろ? 堅気相手に道具使うなんざ、プライドねぇのか?」

「あァ? どうやら死にてえらしいなぁ!?」

 

 霧雨はふぅと溜息を吐いてからゆっくりと口を開いた。

 

「……許せねぇな」

「あァ!?」

「てめえらヤクザもん同士がいくら殺し合いしようが知ったこっちゃねぇが……、堅気に……ましてや女に手ぇ出すなんざ許されることじゃねえ……!」

 

 霧雨は倒れて血を流す女将に視線を向ける。

 

「てめぇらは男の風上にも置けねぇクズどもだ。その性根叩きなおしてやる……!」

「言ってろ、ダボがぁ!」

 

 ナイフを持った男が霧雨に飛びかかる。しかし、霧雨にナイフが届くことはない。巨体の霧雨はナイフをプラスしてもなお、輩より長いリーチを持った拳を叩きこんだ。霧雨に拳を叩きこまれた輩はその場で気絶する。

 

「て、てめぇ!? やりやがったなぁ!?」と言いながら、残った輩たちはいっせいに霧雨に殴りかかる。

「……てめぇら営業妨害だ。外に出やがれ……!」

 

 霧雨は一人残らず輩どもを玄関の外へと殴り飛ばした。殴り飛ばされた輩たちは歯を折られ、鼻血を垂らす。

 

「まだやるかぁ? 根性なしどもよぉ」

「ぐっ!? ち、ちくしょう……! 覚えてやがれ……!」

 

 凄む霧雨に恐れをなした輩たちはあまりにお決まりな捨て台詞を吐くと、気絶した仲間たちを背負って逃げていった。

 

「一昨日来やがれってやつだ」と霧雨は勢いよく鼻息を吐く。

「やれやれ。助けられちまったなぁ、デカいの」と、霧雨の後ろから老人が声をかける。

「てめぇらのためにやったわけじゃねぇ。アイツらがムカついただけだ」

「……それにしても、本当に一人でやっちまうとはなぁ。俺が見込んだ通りの実力。……やっぱりウチにこい。デカいの」

「……じじぃ。てめぇわざとグラサンに加勢させなかったな? ……まぁいい。さっきも言ったとおりだ。オレはヤクザになんかならねぇ……!」

「そいつぁ残念だな。だがよぉ、周り見てみろ。この『キタ』の街も昔に比べたらデカくなった。だが、その分子悪党も影に隠れてのさばるようになっちまいやがった。さっきの奴らみたいに簡単に女子供に手を出すゴミみてぇな連中が蠢いてんだよ、この街にはな」

 

 霧雨は老人の話を聞きながら、キタの街の摩天楼を視界に捉える。

 

「デカいの。ムカついてはこねぇか? この都会の狭い路地裏に隠れて、女子供を平気で手にかける連中がいることによ」

 

 霧雨はふぅと溜息を吐き、老人の方に振り返った。

 

「……この街にこずるいカス野郎どもがいるってんなら、そいつらを野放しにするつもりはねぇ。ただな、じじぃ。オレはてめぇの組の人間相手でもカス野郎ならぶっ飛ばすぜ?」

「構わねぇよ」

「オレはてめぇの組がやってる犯罪行為に手を貸すつもりもねぇぞ? ヤクの売人なんかもっての外だ」

「構わねぇよ」

「じじぃ。オレはてめぇと盃とやらを交わすつもりもねぇし、やくざにもならねぇぞ?」

「そいつはちっとばかし残念だが……。……構わねぇさ」

「そうか……。だったら、この街の用心棒にぐらいならなってやってもいい。金次第だがな」

 

 霧雨の言葉に老人は口元をにやりと歪めた。

 

 こうして霧雨は老人の組お抱えの『街の用心棒』になった。霧雨は『キタ』の街でトラブルがあれば顔を出す『暴力的仲裁者』になったのである。喧嘩相手は『善良な堅気に手を出すこずるい輩ども』だ。他人からすれば、なんとも曖昧な基準だ。しかし、霧雨は自分の信じる『義』を押し通す。所属する組織などお構いない。時には老人が束ねる組の者相手でも容赦なく叩きのめした。

 

 そんな喧嘩と暴力だらけの毎日が数年続いたころ、ふと懐かしくなった霧雨はあのドヤ街をうろついていた。このころには既に『キタ』に移り住んでいた霧雨にとって、久しぶりのドヤ街の空気。

 

「……相変わらず辛気臭ぇ街だな」

 

 数年前と変わらない日雇い労働者の街の姿に思わず霧雨は苦笑する。霧雨はかつて自分がよく止まっていた格安の宿泊施設付近をうろついていた。この辺りはホームレスが身を寄せ合い、段ボールハウスを作って雨露をしのぐ地域でもある。まさに『来るところまできてしまった人間』が集まる場所。普通の人間なら不気味さを感じ、近寄ろうともしない地だ。実際、治安も悪い。そんな路上生活者が集まる場所で、霧雨は奇妙な者を見つけた。

 

「……あそこに倒れてんのは……ガイジンか?」

 

 道のわきで金髪の女がうつ伏せで倒れていた。背格好と肌の具合を見るにそう年齢を重ねているようには思えない。おそらく少女と呼んで差し支えないであろう女のもとに歩み寄り声をかける霧雨。

 

「おい、死んでんのか?」

 

 この地で行き倒れる者は少なくない。もっとも、死んでいるのが少女とあればそれなりに珍しい光景ではあった。この地で死ぬのはほとんど男であることが多いからである。少女は霧雨の質問に答えず、うつ伏せのまま動かない。だが、少女の肌にはまだ血が通っていると霧雨は経験から視認で看破する。

 

「おい、生きてんのか、死んでんのか答えやがれ!」

 

 霧雨はうつ伏せの少女を抱えると仰向けにした。ぐったりとした少女は言葉を紡ぐ。

 

「あ、う、うぅ……。腹減ったぜ……」

「…………あぁ? 腹減っただぁ?」

 

 思ったよりも大丈夫そうな様子の少女。そんな少女の間抜けな発言に思わず霧雨は聞き返すのだった。



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お礼

◇◆◇

 

「いやー、食べた食べた。サンキューおっさん! 助かったぜー」

「……こんだけの量食うたぁな……。そのちいせぇ体のどこに入ってったんだ?」

 

 少女の食欲に霧雨は呆れたようにつぶやく。霧雨と金髪少女はダウンタウンの食事処に来ていた。クスリに溺れた少年を連れて訪れていた霧雨のかつての行きつけの店である。少女は相当に空腹だったらしく、大の男でも食べきれないくらいの量を胃の中に放り込んでいた。

 

「そんだけ、うまそうに食ってくれりゃぁ、こっちとしても奢り甲斐があったってもんだな。……嬢ちゃん、てめぇその白い肌と金髪……。ガイジンさんか?」

「あ、そのガイジンさんって呼び方はサベツ的らしいんだぜ? 使うのはよした方がいいぜ、おっさん」

「……嬢ちゃんのくせに言葉遣いのわりぃやつだな。差別的だぁ? なんでもかんでも差別だの不平等だの言うやつにまともなヤツがいたためしはねぇな、オレの経験上は。……んなこたどうでもいい。飯奢ってやったんだ。ちったぁ質問に答えてもいいんじゃねえか?」

「ま、日本人じゃあないぜ。だからガイジンで合ってんじゃねえの?」

「ガイジンか。にしては日本語がうめぇな。あれか。ハーフってやつか。父親か母親が日本人なのか?」

「さぁ? 父親も母親もどんなやつなのか私は知らないんだぜ。でも、多分日本人じゃないんじゃないか?」

「親が日本人じゃない? じゃあ、なんで日本語が喋れるんだ。日本育ちか?」

「いーや違うよ、覚えたんだ」

「覚えた?」

「この日本に来るまでに覚えたんだよ船の中で。日本人観光客の会話聞いてさ」

「あぁ? 会話を聞いて、だと?」

「そ。リスニングってやつだぜ?」

「……そんなんで日本語マスターできるのか……? 嬢ちゃんてめぇ、結構頭が良いのか?」

「さぁ。よくわからないんだぜ。少なくとも私の周りにいた奴らはそういうの朝飯前で出来そうなやつらばっかりだったからさ。私が特別とは思ってなかった。でも、外に出てそういう話をするとみんな驚いてたな」

「……そうか」

「じゃ、次は私がおっさんに質問する番だ。おっさん名前何て言うんだ?」

「……霧雨だ」

「なるほど、なるほど。霧雨のおっさんか」

「何がなるほどだ」

「私の名前はリサっていうんだ。結構可愛らしい名前だろ? 覚えといてくれよな!」

「……リサ、か。ますます日本人っぽい名前じゃねぇか。さてはてめぇ、本当は日本人だな?」

「違うっての。この綺麗な金髪見てみろよ! 地毛だぜ? 日本人はほとんどが黒髪なんだろ?」

「……たしかに黒髪にには見えねえが……。……悪いが、綺麗には見えねぇぞ?」

「う……」

 

 金髪少女は流浪の生活を送っていたようだ。風呂に長いこと入れていなかったようで、髪はぼさぼさ。服もボロボロだ。霧雨はボロボロの服を見て、ふと疑問に思う。

 

「嬢ちゃん、てめぇのそのお手伝いさんみたいな白黒の服はなんだ?」

「…………言えない。言っても信じないだろうし」

 

 リサは急に俯き、口数を少なくする。

 

「……わけありか。ま、喋りたくないなら喋らなくていいぞ。……じゃぁな、会計はしといてやるからよ」

「え!? おっさんどこ行くんだよ!?」

「どこって……。ウチに帰るんだよ。今晩も仕事だしな、少しは休んでおきてぇ」

「わ、私を連れて帰らないのか!?」

「あぁ? 連れて帰るわけねぇだろ」

「じゃ、じゃあなんで私を助けたんだよ……!?」

「はぁ? おかしなこと聞きやがるな。目の前で腹空かせて死にそうなヤツ見たら、さすがに少しは飯食わせるだろ。そのまま死なれても目覚めが悪いからな」

「な……!? ちょ、ちょっと待ってくれよ。それじゃあ私はこれからどうしたらいいんだぜ!?」

「働いたらいいじゃねえか。お前幸運だぞ? この街《ダウンタウン》はどこの馬の骨かわからねぇヤツにも仕事をくれるやつがいるからな。嬢ちゃんだから最初は施設にでも連れて行ってやろうかと思っちゃいたが、話を聞くと訳ありそうだからな。ここで働いた方がお前のためだ。見た目は華奢そうだが、喋ってみると男勝りでタフそうだしやってけんだろ」

 

 そう言い残して、霧雨は食事処を去った。

 

「……ウソだろ? そんなヤツいるのか……? いや、そんなはずない! 確かめてやるんだぜ……!」

 

 リサは霧雨の後を尾行する。路地の塀や電柱に身を隠しながら……。リサが尾行を開始して5分。霧雨が振り返る。霧雨はサササと壁の影に隠れた。

 

「嬢ちゃんてめぇ、どこまでついてくるつもりだ?」

「いっ!? ば、ばれてた!?」

「ばれてるに決まってんだろ。こちとら、命狙われるような喧嘩業を生業にしてんだ」

(わ、私だって尾行は得意技だったんだぞ……? どんだけ気ぃ張ってんだよ、このおっさん)とリサは心の中で思う。

「付いてきたって仕事なんざねぇぞ?」

「えっと、その……だって、泊まるとこねぇし……!」

「宿泊施設ならあの街にもあるぞ? しかも格安だ。……そうか、金がないんだったな。だったら2、3日分貸しといてやるよ」

 

 霧雨は革の財布を取り出し、リサに1万円手渡そうとする。

 

「そ、そういうことじゃねえんだよ! おっさんの家に泊まらせろよ!?」

「あぁ? オレの家だぁ? オレの家なんざあの街の格安宿より汚ぇぞ? ま、それでもいいってんなら泊めてやってもいいが……。変わり者だな、嬢ちゃん。そん代わり明日には出て行けよ?」

(へん。結局はそうなるんだよな、男ってのは。どの国でも変わらないんだぜ……!)と心の中でリサは呟く。

 

 霧雨はコインパーキングに停めていた自車にリサを乗せ、走り出した。

 到着したのはキタの街に建つそれほど大きくないマンション。ここが霧雨の今の住処だった。組長である老人に用意してもらったマンションである。一室2DKの広さだ。独り者の霧雨にとっては十分すぎるほどの大きさの部屋である。

 

「キッチンとオレの部屋はきたねぇが、一応客間があるからそっちで寝りゃあいい」

 

 霧雨は六畳程度の和室にリサを案内する。

 

「押し入れに客用の布団があるから、適当に使っとけ」

「ほいほい。なぁおっさん、シャワー貸してくれよ。あとバスタオル!」

「……てめぇ、どこまでも厚かましいやつだな。……勝手に使ったらいい。汚ねぇのは我慢しろよ?」

「……サンキュー!」

 

 リサは霧雨からタオルを受け取り、風呂場に向かうと洗面所を兼ねた更衣室のドアを閉め、服を脱ぎ始める。

 

 リサにとって久しぶりのシャワーだった。彼女は溜った汚れを全て洗い流すため、備えられたシャンプーを大目に取って頭髪を洗う。もちろんシャンプーは霧雨愛用の男性用だ。だが、元来からシャンプーの種類など気にしないリサはごしごしと汚れを取っていく。シャワーで泡を洗い流し、現れた金髪は透き通るように美しい。

 

 体を洗い終えたリサは体を拭き終わったタオルをそのまま体に巻くと、先ほどまで自身が身に着けていた『白黒のお手伝いさんのような服』、……すなわち魔法着から何かを取り出す。……スタンガンだった。にやりと笑いながら、リサはスタンガンを上手くバスタオルの中に隠すと、更衣室を出て霧雨の居室に向かう。

 

 このリサという少女、流浪の旅の中、生きるために一つの手段を確立していたのだ。自分に色目をかける男の家に入り込んでは、油断したところをスタンガンなどの武器で気絶させ金品を奪っていたのである。

 

 彼女は生まれてからずっと、とあるコミュニティ内で活動する魔女集団の中でしか生きてこなかった。やむを得ない事情で外の世界に出たリサは初めて『男』と接触する。リサは男が性欲に支配された汚い生き物だと知った。もちろん、全ての男が性欲にまみれているわけではない。しかし、リサが遭遇した男たちはいずれもリサに欲情を抱く、下心しかない奴らばかりだった。

 

 それなら、とリサはそんな欲情を抑えきれない男たちをカモにすることにしたのである。今日もいつもの手口だ。タオル一枚だけを白い肌に巻き、男をその気にさせる。そして男が着替え始めたところを肌に直接スタンガンを押し当てて仕留めるのだ。

 

 そんなリサの思惑など知る由もない霧雨は、ベッドに座ってテレビを鑑賞していた。夜の仕事までの時間を潰しているらしい。リサが自室に入ってきたことに気付いた霧雨は「あん?」と声を出した。

 

「何やってんだ? てめぇ」

 

 ぽかんと口を開ける霧雨の横に寄り添うようにベッドに座ったリサは霧雨に持ち掛ける。

 

「泊めてもらうお礼をしようと思ってさ……」

 

 リサはシャワー上がりで湿った髪と紅潮した頬で微笑みの表情を作り、霧雨の顔を見つめる。今までこのやり方で欲情しない男はいなかった。

 

(さあ、さっさとその気になりやがれ、おっさん。服を脱いだが最後、電撃を喰らわせてやる!)

 

 霧雨が隙を作る瞬間を逃すまいと様子を窺う。……が。

 

「お礼だぁ? 泊賃もないようなヤツがか?」

「え? あ、あぁ。そ、そうだけどさ。そうじゃないだろ?」

「何をわけわからないこと言ってやがる。お礼したいってんなら、まずは金稼ぎやがれ。大体なんだその格好は? 風邪ひくぞ」

 

 リサの思惑に反し、霧雨はタオル巻き姿のリサに欲情することなく話し続けた。

 

「……ああ、そうか。着替えがないんだったな。しかたない。これでも着とけ」

 

 霧雨はタンスからトレーナーを一着出すと、リサに放り投げた。

 

「とりあえず、それ着とけ。オレの身体はでけぇからな。てめえの小せぇ体なら、それで上から下まで覆えるだろ。お前が着てたみょうちくりんな白黒の服を洗い終えるまでそれで我慢しろ」

「いや、え、ありがとう……。…………って、そうじゃねぇ!」

「なに喚いてんだ。うるせぇぞ。ほら、とっと客間に戻れ。俺は疲れてんだ。仕事までの時間くらい、ゆっくりさせやがれ」

 

 霧雨はリサを客間に押し込める。

 

「お、おい、おっさん。ホントに何もしなくていいのかよ!?」

「あぁ? ちっと泊めたくらいでガキに礼を強要するやつがいるわけねぇだろ? ガキはガキらしく大人の親切ってやつを受け取っとけ」

 

 そう言い残して、霧雨は客間の襖を閉めると自室に戻っていった。リサは客間の畳にどさっと仰向けに寝転ぶ。

 

「……わけわかんねぇ。男ってのは性欲の塊なんじゃなかったのかよ。……あんなやつ初めてだ……」

 

 リサは天井の木目に視線を向け、呟くのだった。



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霧雨の料理

「……うーん……。…………はっ……!? こ、ここは……?」

 

 いつの間にか寝ていたリサは霧雨宅の客間で目を覚ました。

 

「そ、そうだったぜ。私はあのおっさんの家に泊まってたんだった。……もう仕事とやらに行ったのか……?」

 

 リサは寝ぼけ眼をトレーナーの袖でこすりながら客間を出て、ダイニングキッチンの方に向かう。そこにはベランダで洗濯物を干す霧雨の姿があった。

 

「やっと起きやがったか。てめえ、随分と疲れてたみてぇだな。俺が夕方仕事行く前から寝てやがったってのに、朝方帰って来てもまだ寝てやがったからな。半日くらい寝てたんじゃねぇのか?」

「……そんなに寝てたのか、私」

「……ところで、てめえ物騒なもん隠し持ってたんだな。こんなもん使ってどうするつもりだったんだ?」

 

 霧雨はテーブルの上に乗ったスタンガンを指さし、リサに問う。リサは「うっ」と言葉に詰まる。

 

「私が眠ってる寝室に入って物色したのか、おっさん? デリカシーに欠けてるんだぜ?」

「何がデリカシーだ。質問に答えやがれ」

「……護身用ってやつだぜ?」

「護身用だぁ? ……ウソだな。てめぇの顔にそう書いてあるぞ」

 

 はぁとため息と吐いたリサは本当のことを白状し始めた。これまで、男の家に上がり込んでは色目を使い、隙を突いてスタンガンで気絶させ生きるための金品を奪っていたことを。

 

「……とんだクソガキだな、てめえ。ま、弱みに付け込んで異常な欲情を発散させようなんていう野郎どもも同じくらいクソだがよ」

「……おっさんが初めてだったぜ? 私の色仕掛けに引っかからないやつはさ」

「当たり前だ。誰がガキに興奮するかよ?」

「へ、へぇ」

 

 リサは少しだけ頬を紅く染めると、前髪をいじりながら返事する。

 

「にしても、こんなクソガキに欲情するなんざ男の……いや、人の風上にも置けねぇやつらだな。てめえに酷い目に遭わされても文句は言えねえだろうよ」

「そ、そうか。って、え!? お、おい、おっさん! その手に持ってんのはもしかして……!?」

「ん? ああ、てめえの下着だな。脱ぎっぱなしで置かれてたから洗わせてもらったぞ。白黒のお手伝いさんみたいな服と一緒にな」

「お、乙女の下着を勝手に触ったのかよ!? や、やっぱり男ってのは野蛮なんだぜ!?」

「あぁ? 何が乙女だ、クソガキのくせに。色気づくにはまだ早ぇだろ。もうちっとデカくなってから恥ずかしがれってんだ」

「ん?」とリサは首を傾げた。何か会話が噛み合わない。リサは霧雨に尋ねる。

「お、おい、おっさん。あんた、私のこと何歳だと思ってんだ……?」

「あぁ? 何歳て言われりゃそりゃあ……」

 

 霧雨は小さなリサを見下ろしながら顎に手を当て、こう答えた。

 

「……11歳くらいか? ったく、世の中にはとんだ変態どもがいるもんだよな。てめえみてえなガキに欲情するヤツもいるんだからよ。世もす……」

 

 末と言いかけた霧雨はリサが顔を真っ赤にして眉を吊り上げていることに気付く。

 

「……何怒ってんだ、クソガキ」

「うっせぇ! おっさんのバーカ!!」

 

 リサは怒鳴りながら肩を怒らせ、客間の方に戻るとピシャッと襖を閉めて遮断した。

 

「なんだ、いきなり切れやがって……。どうしたってんだ、あのクソガキは? ……もしかして12歳とかだったか? あれくらいのガキは1歳くらい間違っても気にするだろうしな。ま、すぐ機嫌治すだろ」と霧雨はひとり愚痴をこぼす。

 

 布団に逆戻りしたリサはうつ伏せでふて寝する。

 

「だーれが11歳だ!? ちょっと男に対する感覚変えてやろうと思ったのに……。おっさんのバーカ!!」

 

 金髪の少女、リサ17歳は遮音するように口元を布団で抑えて叫ぶのだった。

 

 一時間ほど経過したころだ。客間の襖を霧雨が開き、布団に潜り込んだリサに声をかける。

 

「おい、いつまで怒ってんだ。少し歳間違えたくらいで拗ねてんじゃねえよ」

「少しじゃねえから、怒ってんだぜ!?」

「……いつまでも拗ねてんなら飯食わせねぇぞ?」

 

 ピクっとリサの身体が動く。

 

「……また、飯食わせてくれんのか?」

「そりゃそうだろ。泊めてる以上ほったらかしってわけにはいかねぇからな。だが、拗ねてんなら話は別だぞ」

「……し、仕方ねぇな。許してやるよ、おっさん。その代わり飯は頂くぜ?」

 

 リサは表情をゆるめると、早足でダイニングの方に向かっていった。そんなリサの姿を見て『やっぱり、ガキじゃねぇか』と霧雨はため息を吐く。

 

 テーブルに着いたリサは目の前に並べられた料理に感想を付ける。

「おっさん、料理上手いんだな。魚料理ばっかだけど。あと、朝にしてはボリューム多くないか? ま、私は食える時に食っとく派だから問題ないけど」

「文句の多いやつだな、ったく。……魚料理が多いのは俺が元漁師だからかもな。無意識に魚をよく買っちまうんだよ……。あと、てめえにとっては朝飯だろうが、オレは仕事終わりなんだよ。だから夕飯みてえなもんだ」

「いただきまーす!」

 霧雨の話を聞いているのかいないのか、リサはすぐに食事をし始めた。

 

「ったく。食い意地の張ったガキだな。……いただきます、か」

 

 霧雨は何かを思うように手を合わせると、箸を手に取った。

 

「色々な国を巡り回ったけど、飯は日本が一番うまいかもな。私の舌にあってるんだぜ。お米とかお味噌汁とか、特にな」

「……ドヤ街の行きつけの店でも言ってやがったな。……お前、どうやって日本に来たんだ?」

「……船に乗ってさ。密入国ってやつだぜ。色々な国を経由してここまで辿り着いたんだ」

「辿り着いた、か。何が目的で密入国なんざしてやがるんだ?」

「ある国に行くため……だった」

「……どこの国だ?」

「……日本《ここ》さ」

「日本? 一体何のために来たんだ?」

 

 リサは一呼吸置いて、意を決したような喋り方で霧雨の問いに答えた。

 

「……おっさんは信じてくれるか?」

「何をだよ? 言ってもらわなきゃ、判断しようがねぇ」

「……魔法」

「……あ?」

「おっさんは信じるか? 魔法の存在を……」

 

 霧雨はリサが何を言ってるのか分からない。だが、リサの表情が真剣そのものであることだけは理解できた。

 

「魔法ってのは、あの魔法か? 魔女だの魔法使いだのが杖から何か出したりするあれか?」

 

 リサはこくんと頷いた。その姿を見た霧雨は困ったように後頭部を掻く。

 

「……わりぃが信じろって言われてもなぁ……」

「……そうだよな……。信じられねぇよな……」

 

 悲しそうに俯くリサ。冷静に考えれば、リサの虚言だと誰もが思うだろう。しかし、霧雨にはリサが嘘を言っているようには見えなかった。だから、質問した。

 

「その魔法と日本に来るのとに何の関係があるってんだ?」

「……姉さんと約束したんだ。『最後の地』でまた会おうって……」

「……『最後の地』?」

「……へへ。話取っ散らかっててわかんねえよな? ……つい喋っちまった。忘れてくれ、おっさん。次は私の番だな。おっさんなんで漁師やめちまったんだ? で、今は何してんだよ?」

「俺が漁師やめた理由? 面白くもなんともねぇぞ。今してる仕事なんて尚更人に話すようなもんじゃねぇよ」

「良いじゃねぇか、減るもんでもねえだろ?」

「……俺が漁師やめたのは――――」



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決意

◇◆◇

 

 ……鈍い音が響いた。音とともに男が一人地面に叩きつけられる。男の服装はいかにもチンピラという格好だった。

 

「て、てめえ……。覚えてやがれ!」

 

 チンピラは自分を殴って叩きつけた大男に向かって、負け犬の遠吠えを浴びせる。

 

「ふん。一昨日来やがれってんだ」

 

 チンピラを退けた大男、霧雨はフッと鼻息を吐き捨てる。

 

「あ、ありがとうございました、霧雨さん……!」とやせ型の中年女性が頭を低くしておじぎし、感謝を述べる。

 ……ここはキタの街にある昔ながらの商店街。中年女性はその商店街で小さな揚げ物屋を営む女主人だ。霧雨は中年女性にショバ代を納めるように詰め寄るチンピラを追い払ったのである。

 

「……感謝されるようなことはしてねぇよ。……仕事だからな。女手ひとつで3人の子供育ててる女性《ヒト》の少ない売り上げを狙おうなんていう、ハイエナみてぇなゴミ野郎にムカついただけのことよ。また絡まれるようなことがあったら、言いな。何度でもぶっ飛ばしてやるからよ」

 霧雨は言い残して商店街を去った。

 

 ――暴力的仲裁者、それが霧雨の仕事である。弱い立場の人間にショバ代を求めたり、クスリを売ったり、カツアゲしたり……などなどの行為を霧雨は激しく嫌った。そんな行為をする反社会的な人間を見つけ次第、殴り飛ばす。そんな日々を霧雨は送っていた。

 

 霧雨を雇ったのはとある反社会組織の老いた組長。霧雨が組長《じじぃ》と呼ぶその老人は、霧雨に腐ったヤクザたちをぶちのめすよう依頼する。かつての筋の通った任侠を取り戻すことが老人の目的だった。もっとも、霧雨は反社会組織に所属するつもりはないと断り、任侠にはなってはいないのだが……。

 

「……相変わらず派手にやってやがんな、おっさん」

 

 商店街を出た霧雨に声をかける黒塗りのセダンに乗った男。男はオールバックの特徴的な髪型をしている。見た目からして『本職』の雰囲気を放っている男は運転席の窓から顔を見せていた。

 

「あァ? ワックスじゃねえか。こんなとこで何してやがる?」

「……その言い方はやめろっつってんだろうが!」

 

 霧雨にワックスと呼ばれたオールバックの男は、かつて少年にクスリを売りつけたことが発端でドヤ街時代の霧雨と喧嘩し、敗れた男である。

 

「何の用だ? ……ああ、この前てめえんとこの半グレのガキが、親父狩りしてるのを邪魔したから報復に来たわけか?」と、オールバックに問う霧雨。

「……フン。その礼も今度返さなきゃならねぇな。……てめえ、いつまでそんな稼業続けるつもりだ? 迷惑なんだよ。敵対勢力の奴らをボコるだけならまだいい。だが、味方である俺たちのシノギまで妨害されて頭に来てんだよ、こっちはな。いずれ後ろから撃たれるぞ、てめえ」

「組長《ジジィ》から好きにしていいって言われてるからな。それに俺はジジィと盃は交わしてねぇ。だから、てめえらとは仲間じゃねえよ。撃てるもんなら、撃ちゃあいい。その後どうなっても知らねえぞ。……で、お礼参りじゃないなら何しにオレのとこに来た?」

「組長も焼きが回ってるよな。自分の組の稼ぎを減らすようなマネをてめえにさせてんだからよ。……その組長からの伝言だ。『たまには本部に来い。定時連絡ぐらいしろ』ってよ。確かに伝えたぞ。じゃあな」

 オールバックは伝え終わると車を出し、走り去った。

 

「……たしかにしばらく、ジジィに顔見せてなかったな」

 

 霧雨は呟くと、歩み始めた。向かうは都会であるキタの街に似合わない巨大な庭園を備えた立派な和風の邸宅。ここが組長の自宅兼本部だ。霧雨は、邸宅の一番奥にある老組長の自室へと向かう。

 

「久しぶりだな、デカいの」

 

 老組長は霧雨に声をかける。老組長は広い座敷の上座で肘掛け付きの座椅子にあぐらをかいて座っていた。部屋の傍らにはグラサンをかけた男が護衛する。

 

「久しぶりだな、ジジィ。元気だったか?」

「……元気、とは言えねぇな。最近、腰が痛くてよ。立ち上がるのも億劫だ。いよいよ老いたもんだ、俺もよ。……相変わらず、随分と暴れ回ってるそうじゃねえか。どうだ、少しはうちのモンも含めて任侠を持った奴らは増えてきたか……?」

「…………」と無言で答える霧雨。

「そうか。増えちゃいねぇか。……寂しいもんだな」

「……はええもんだな。ジジィに雇われてから数年たった。正直、くだらねぇ輩が増えてる印象だ。弱い奴らにしか集らねえ、根性なしがばっかりだよ。最近はガイジンも悪さし始めたが、誰もそれを咎めねぇし、止めねぇ」

「……そうか」

 

 老組長はフッと溜息を吐き、目を瞑る。

 

「ところでデカいの。お前いい加減ウチに入らんか? 俺ぁ、買ってんだ。懐かしいくらいに任侠に溢れたお前をよ」

「前から言ってんだろ。俺はやくざ者になるつもりはねぇ。今のゴロツキみたいな身分が俺にはあってるし、それが限界だ」

「……フフ、お前はそうでなくちゃな。その頑固さも俺は買ってんだからよ。……だが、やっぱり残念だ。デカいの、お前が組に入ってくれりゃあ俺は安心してあの世に行けるんだがなぁ……」

「……どうした、ジジィ。いつにも増して元気がねえじゃねえか」

「他には漏らすなよ? お医者様に言われた。もう、俺ぁ長くねぇらしい。最近は昔の写真見て気を紛らわすばっかりさ」

 

 老組長は座敷に掛けられた写真に視線を向ける。歴代の組長の写真十数枚が並べられて飾られているようだ。

 

「……どれがジジィの写真だ?」

「そっちから2番目に飾ってる写真さ。その左隣がオレの親父よ」

 

 老組長は比較的下座に飾られた写真を指さす。老組長の写真は他の写真と比べて若い頃の写真が飾られていた。

 

「えらく若い頃の写真だな。今と全然顔つきが違うじゃねえか」

「もう五〇……いや、六〇年近く前の写真だからよ。俺ぁ親父が死んだあとすぐに若くして組長に就いたからなぁ。あの頃は良かった……。組のモンみんな任侠と人情に溢れていたからよう……」

「ジジィ。あんまり昔の思い出に浸るんじゃねぇ。本当にあの世行っちまうぞ」

「くく。そうだな。俺としたことが気弱になっちまってた。らしくねぇ……」

「ったく。長生きしろよ、ジジィ。今度は早めに顔だすからよ」

 

 霧雨は、老組長の邸宅兼本部を出た。弱気になっている老組長が気にならないわけではなかったが、長々と慰めの言葉をかけたところで、嬉しがるような男でもないことは霧雨もよく知っている。あの手の男は一人にさせてやった方がいいのだ。

 

 本部の入り口を出てすぐの霧雨に背後から男が声をかける。老組長の座敷横に付いていた黒グラサンのスキンヘッド男だった。霧雨はこの男をそのままグラサンと呼んでいる。

 

「……霧雨、組長《おじき》の願いを聞き入れるつもりはねえんだな?」

「グラサンか……。ジジィに言ったとおりだ。俺はヤクザもんになるつもりはねぇ」

「一生、その半端者の地位にいるつもりか?」

「……かもな」

「忠告しておく」

「あぁ?」

「組長《おじき》がお前に話した通り、おじきはもう長くねぇ。おじきが死ねば、お前を守る後ろ盾はもう無えんだ。悪いことは言わねぇ。組の者になる覚悟がねえなら、今すぐこの街から去るんだな」

「ふん」と鼻息だけでグラサン男に答えた霧雨はキタの街へと消えていくのだった。

 

 

◇◆◇

 

 

「……帰ったぞ、クソガキ」

「お? お帰りなんだぜ、おっさん!」

 

 老組長への顔出しを終え、家に帰った霧雨を出迎えたのはリサだった。

 

「……てめえ、またこんなに本借りて来やがったのか」

 

 もはやリサの居室と化してしまった『元客間』の和室を覗き込みながら霧雨はため息を吐く。

 

「ちゃんと、期限守って返してんだろうな?」

「も、もちろん」と歯切れの悪い返事をするリサ。この少女、キタの街周辺にある図書館を片っ端から訪れては上限いっぱいに本を借りてきているらしく、元客間は本ばかりになっていた。霧雨が見る限り、リサが借りてきている本は日本の民俗文化や伝承、歴史などの本が多い。

 

「なに調べてるのかは知らねえが、もう少し整理しろよ? 足の踏み場も無えじゃねえか」

「わかった」と満面の笑みを浮かべるリサ。

「絶対にわかってねえだろ、てめえ」

 

 霧雨がリサを連れて帰ってから今日まで、すでに一か月ほどが経過していた。リサは霧雨の人柄が気に入ったらしく、このマンションにしがみ付いて居候していた。霧雨は何度か、追い出そうと試みたのだが……。

 

『てめえ、いい加減出ていきやがれ』、『やだ』、『力づくで追い出すぞ』、『追い出したら、玄関前であることないこと大声で叫んで困らせてやるんだぜ?』、『…………』

 

 以上のようなやり取りが過去に幾度か繰り返され、霧雨はリサを追い出すのを諦めた。身寄りのないクソガキの女児を放り出すことにどこか罪悪感を覚えたのもあり、ずるずると共同生活を続けている。

 

「それより、おっさん。何か気付かねぇか?」

 

 リサはない胸を突き出しながらウインクし、精いっぱいの『セクシーポーズ』を繰り出していた。

 

「なに気色悪いマネしてんだ?」

「き、きしょ……!? 気付かねえのかよ! 服だよ、服!」

「服ぅ? たしかに見慣れねぇ服着てやがんな」

「どうだ、かわいいだろ? 大人っぽくて!」

 

 リサは白を基調としたシャツワンピースに黒のピチっとしたレギンスを着ていた。

 

「てめえ、またギャンブルで勝った金で買ったのか? ガキが賭場に入り込んでんじゃねえよ」

 

 霧雨は服装に一切感想を述べずに、服を買った金の出所についてリサに問う。

 

「い、良いじゃねえかよ、別に!」

「やっぱギャンブルで儲けた金か。ったく」

 

 リサはキタの街からそう遠くない、競馬場やら競艇場に入り込み小銭を稼いでいた。あまりに負けないリサに霧雨が理由を聞くと、こう答えた。『見ればわかる』と。彼女は競馬でいえばパドック、競艇でいえば周回展示を見れば、どれが勝つか大体わかるんだと霧雨に説明していた。馬の体調、騎手の緊張具合、ボートのエンジン音、ボートレーサーの身体の動かし方……。それらを見抜けば勝てると言い切る。もちろん、霧雨はリサの言葉を一瞬疑ったが、眼を見れば本気で言っていると理解できた。あまりに人間離れした観察眼を持つリサに対して、霧雨は『ホントに訳ありなんだな、このクソガキ』と思っていた。

 

 ちなみに、リサは大勝ちしようすればもっと勝てるのだが、あえて少額の儲けで抑えていた。理由は簡単。目立てば、未成年で不法入国のリサがややこしい事態に巻き込まれることは間違いないからである。何より、リサにとって金は必要最低限あれば良いのだ。彼女にとって現状、最も優先すべきは情報収集だった。だから、図書館から本を借りまくっているのである。

 

「どうだ、おっさん。少しはときめいたか?」

 

 リサはシャツワンピースをひらひらさせながら問いかける。

 

「あぁ? ときめく? 何にだよ?」

「ぐっ……。はぁ。ま、いいよ。そこがおっさんの良いところだからさ」とリサは半ば諦めるように呟く。

「わけわかんねえこと言ってねえで飯にするぞ」

「待ってました! おっさんの作る飯はうまいからな」

 

 テーブルに対面で座り、食事を始めるふたり。一か月前、リサは霧雨に日本に来た理由をはっきりとは告げなかった。霧雨はそれを思い出し、なんとなくだが、リサに改めて聞くことにした。

 

「……最近、日本の歴史やら文化やらを調べてるみてぇだが、一か月前に言ってた魔法だの約束だのと関係あんのか?」

「…………」

「ま、喋りたくないなら、喋らなくても良いんだけどよ」

「……おっさん、私の言うこと信じてくれるのか?」

「多分、信じるだろうよ。お前の『日本語を会話聞いただけで覚えた』とか、ギャンブルで『見ればわかる』とかいう人並み外れた能力をこの一ヶ月見せつけられたからな」

 

 リサは一つ間を置いて喋り始めた。

 

「……この世界には魔法がある」

「そいつはこの前聞いたな」

「んでもって私は生まれたときから、ある魔女集団に身を置いてたんだ」

「魔女集団?」

「そう。魔女集団の名前は『ルークス』、光って意味だぜ」

 

 魔法に魔女、正気なら信じがたいワードをリサの小さな唇が紡ぐ。しかし、霧雨はリサが真実を言っていると直感で確信する。わずか一か月とはいえ、共同生活を送ることでリサが嘘を言っているかどうかは見抜けるようになっていたからだ。リサは続ける。

 

「そこで私たち姉妹は育てられたんだ。優秀な魔法使いにさせられるために……」

「……そういや、姉さんがいるって言ってたな」

「ああ。私たちは双子でさ。赤ん坊の時にルークスのボス『お母様』に攫われたんだ。だから本当の親の顔は知らないんだぜ」

 

 リサは少し寂しそうに俯く。

 

「でも、私たちはまだマシだったんだぜ? 同じように攫われた子供には、姉妹もいないやつがほとんどだったからさ」

「……そのお母様とかいうヤツ。ろくでもなさそうなヤロウだな。なんで赤ん坊攫ってまで、優秀な魔法使いを育てようとしてんだ? 一体なにを目論んでるんだ」

「わからない」

「わからない?」

「ああ。ルークス自体には名目上の目的はある。『魔法を世界に復活させ、再び我らが頂点に君臨する』って目的が。その目的に誘われてきた各地の生き残りの魔女、私的な目的を達成するために加入した魔女、そして私たちのように赤ん坊から育てられた魔女……それらが集まり、組織されているのが『ルークス』。もっとも『再び頂点に君臨する』なんて言っちゃあいるが、魔女が人類の頂点に立っていたことなんて過去に一度もないんだけどな」

「……世界征服みたいな寝言を言ってるわけか、そのルークスとかいう組織は……。だが、それなら世界征服がそのお母様とかいうヤツの目的じゃねえのか? そのために優秀な魔法使いを育ててるんじゃねえのか?」

「……多分違う。お母様の……あのババァの目的は別にある。断言はできないけど……」

 

 なんとも現実離れした話だった。魔法に秘密組織に世界征服……。ガキの見るなんとかレンジャーの話かよ、と一瞬霧雨は思う。しかし、リサの真剣な表情を見ると、作り話でもドラマでもなさそうだと感じ、霧雨はため息を吐いた。

 

「じゃ、育てられたお前も魔法使いってわけか?」と霧雨はリサに問う。

「……魔法使いだったって言い方がいいだろうな」

「……だったってことは、今は違うのか?」

 

 リサはコクンと頷く。心なしか元気がないように見えた。

 

「そ、今の私は魔法使いじゃない。魔法が使えないから。……おっさん。魔法ってのはどうやったら使えるか知ってるか?」

「知ってるわけねえだろ」

「へへっ。そりゃそうか。外の世界じゃ、もう魔法はロストテクノロジーでなかったもの扱いされてるもんな。……魔法を使うにはさ、色々な要素が必要なんだ。もちろん常人がその要素を持つには並大抵の能力じゃ足りない。魔法使いになるには才能がどうしても必要になる。だから、霧雨のおっさんが魔法を使いたいって言ったとしても習得するってのは中々厳しいんだぜ?」

「別に魔法なんざ使う気ねえよ、俺は。飛び道具なんざ卑怯もんの使うもんだ」

「ははっ。おっさんらしいな。まあ、魔法は飛び道具とは限らないんだぜ? ……話を戻すと魔法を使う要素には、魔力、運、技量、気質と言った力が必要になる。さらに加えるなら、魔法発動と直接関係ないけど、生命力や知力、体力とかの能力もあれば、もちろん更に良い。人間としての基礎能力だからな」

「それで、なんでお前は魔法を使えなくなったんだ?」

「……私たち姉妹は実験に使われたのさ……!」

 

 リサは怒りの感情を抑え込むように箸を握っていた拳に力を入れ、歯も食いしばる。

 

「……実験?」

「ああ……! あのババァは……『テネブリス』は私たち姉妹を攫った時から、私たち双子の持つ能力を一つにする計画を立ててたんだ……! ……一年くらい前。私たち姉妹が魔法使いとして成熟したと判断したテネブリスは、魔法に必要な私の能力を全て姉さんに移植したんだ。嫌がる姉さんと私を無視して無理やりに……。『最高傑作を作る』とかいう意味わかんねえこと言ってな……! その時に私は魔法を発動するのに必要な能力である魔力、運、技量、気質を全て失った。多分、生命力や知力、体力も併せて……。幸いだったのは実験が成功したことくらいさ。下手すりゃ姉さんも死にかねなかったんだから。……そうして私は魔法を使えなくなった。実験のあと、私は命からがらルークスから逃げ出した。用済みの私が、その辺の実験動物よりも酷い扱いをされるのは目に見えてることだからな」

「よく逃げ延びれたな、てめえ。魔法がどんなもんかは知らねえが、魔法を使えねえお前が魔法使いから逃げるってのは、丸腰のやつが拳銃持ったやつから逃げるってのと、そう変わらねえんじゃねえか?」

「物騒な言い方だなあ、おっさん。でも、その通りだぜ。私が逃げ切れたのは姉さんが助けてくれたからさ。自慢じゃないけど、私たち姉妹は人間の魔法使いの中じゃ群を抜いて優秀だったんだぜ? さらにそれを一つにしたんだ、姉さんは人間の魔法使いの中ではトップクラスの実力になっていた」

「……まるで、人間じゃない何かがいるみたいな言い方だな」

「ああ、いるぜ。妖怪や神様と呼ばれる存在もルークスのメンバーにはいるんだ」

「正気じゃねえ話だな。そんな奴らを束ねてるお母様とかいうババァはどんな化物なんだよ」

「……本人は『最初の魔女』だと自称してるみたいだぜ? それが本当かどうかはわからないけど、神と呼ばれる存在たちにも顔が効くのは間違いない。千年以上生きているって噂さ」

「……やっぱり正気じゃねえな。……てめえ、この前、この日本に来た理由は『最後の地』がどうたらとか言ってたな。ありゃなんだ? 姉さんと約束したとか言ってたが……」

「……テネブリスは何か野心を持っている。それを絶対に叶えさせたらいけない。きっとそれは世界を闇に飲み込ませるものに違いないから。……テネブリスは運に溢れるコミュニティを潰して回っていた。何を狙っているのかは解らないが、適当に理由を付けては運脈をその手中に収めていた。言ったろ? 運は魔法を発動するのに必要な要素だって。それをあのババァは集め回っている」

「おい、待て待て。コミュニティってのは何だ?」

「……外の世界と隔絶された土地や次元や世界のことさ」

「ああ? なんだそりゃ……」

「昔は魔法って、ごく当たり前にこの世界に存在したんだぜ? だが、人間が科学に傾倒し、自然や神を疑い始めたことで宇宙の怒りを買い、魔法はその姿を消し始めた。魔法が失われることに憤りや恐れを感じた一部の神、妖怪、人間は魔法や妖術で結界を張り、外の世界……、つまり、おっさんたちが住むこの人間世界と切り離した世界に住むようになった。それがコミュニティさ」

「西遊記の天竺みたいなもんか……? あるかどうかもわからねえ幻の土地みてえな……」

「まぁ、そんな認識でいいんじゃねえの? もっとも幻じゃなくて現実に存在するんだけどな。……そして、テネブリスは計画通りにコミュニティを潰して回っている。その最後のコミュニティが……」

「日本ってわけか」

「正解だぜ、おっさん。正確に言うなら、『日本のどこかにあるコミュニティ』だけどな」

「なるほど、ようやく合点がいった。お前が歴史やら文化やらの本を借りまくっているのは、そのコミュニティとやらがどこにあるか調べるためか」

「あったりー! 結構鋭いじゃん、おっさん。……姉さんと約束したんだ。『最後の地』で私と姉さんが協力して、テネブリスの野望を止めようって」

「……で、その最後の地がどこにあるか分かったのか? って聞くまでもねえな。分かったんなら、もうオレの家に居候なんざしてねえだろうしな」

「ああ。まだどこにあるかはわからないんだぜ。でも、名前は突き止めた」

「名前なんてあるのか。……なんて名前だ?」

「幻想郷……。それが、『最後の地』の名前だ。そして、テネブリスの野望を叶えさせないために、私と姉さんが絶対に守らなきゃならない場所なんだぜ」

 霧雨はリサの目つきが鋭く変わっていることに気づく。その眼には『絶対にやり遂げる』という決意が露わに浮かんでいたのだった。



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不快な苛立ち

◇◆◇

 

 霧雨は今日も夜の街で、暴力的仲裁者としての仕事を果たしていた。霧雨は小賢しい真似が嫌いなのである。カツアゲ、特殊詐欺、強制売春……。弱い人間から搾取しようとする奴らを見るとムカっ腹が立った。今日見かけた小賢しい連中は一般サラリーマンに高額な飲み代を請求する『ぼったくりバー』を経営している反社会組織だった。たまたま、ぼったくりバーの路地裏で輩に囲まれていた被害者サラリーマンを見かけた霧雨は、いつものように輩どもをしばく。

 

「さすがにビール大ジョッキ一杯で10万請求するってのは、やりすぎじゃねぇか?」

 

 霧雨は輩の一人をぶん殴りながら、自論を主張する。

 

「ぐっ……!? てめえはあのジジィんとこに雇われてる例の……!? ふん。ビールの値段決めんのは俺たちの自由なんだよ……! 法律だってそう言ってるんだからなぁ……!」

「らしいな。で、それがどうした?」

 

 霧雨も知っている。ぼったくりバーは法的にはこれといって罰則はないのだ。高い値段の物を客が買っただけ。それがぼったくりバーの主張であり、日本の法律ではぼったくった店側の主張がある程度通ってしまうのが現状だ。しかし、そんな法律のことなど霧雨には関係ない。

 

「やくざ者のくせに理屈に守ってもらうつもりでいるのか、てめえ。情けねえ奴らだ。法律だぁ? んなもん関係あるか。人として正しいことを貫くことができねぇ法律なんざ、こっちから願い下げだぁ!」

 

 霧雨は反論した輩の頬を思い切り、殴り飛ばした。壁に叩きつけられた輩は気絶してしまう。

 

「やりやがったなぁ!?」

 

 輩どもの一人がナイフを構え、霧雨に向ける。

 

「……ぼったくり行為は法律に従ってやってるとか言うくせに、明らかに法律違反のナイフ使うたぁ、とんだ法律家さんもいたこったなぁ。あァ!?」

 

 霧雨は苛立ちを募らせ、ナイフを構えた輩に向かってドスの効いた低い声で激しく威嚇した。あまりの圧に輩はナイフを握った手を震わせる。

 

「うぁああああ!?」

 

 恐怖交じりの声を上げながらナイフを突き刺してくる輩に対し、霧雨は眉を吊り上げたまま、その拳を顔面目掛けて振り下ろす。ナイフ持ちの男よりもリーチの長い霧雨の太い腕と拳は、輩の前歯を折りながら振り抜かれた。

 

 歯を折られた輩もまた、白目を剥いて気絶する。

 味方二人を霧雨にやられたぼったくりバーの店主らしき輩は恐怖からか、「あ、あぁ……」と震え声を出しながらその場に膝をつく。その姿を見た霧雨は店主らしき男に警告した。

 

「……これぐらいで勘弁してやらぁ。また同じように狡い商売してたら、次はてめえも同じ目に遭わせてやっからな」

 

 霧雨はぼったくりバー近くの路地裏から立ち去った。被害に合っていた男性サラリーマンの姿は既にない。

 

「……助けたってのに、礼もなしに逃げ出したか」

 

 霧雨は思わずぼやく。霧雨も礼が欲しくてこの仕事をしているわけではない。しかし、体を張って守ろうとしている男がいるのに、その男を見捨てて逃げ去ったサラリーマンの男らしくない行為に霧雨は失望したのだ。

 

「……ジジィ。もしかしたらよう、この街、いや、この国には助ける価値もねぇ奴らが増えてるのかもしれねぇ。任侠が無くなってるのはヤクザ側だけが原因じゃないのかもな」

 

 霧雨はその場にいない老組長に向けて呟く。

 

「きゃぁあああ!?」

 

 失望に浸る霧雨の耳に届く若い女の悲鳴。霧雨のいる路地裏の通りとは大通りを挟んだ逆側の路地奥から聞こえてきた。霧雨は声のした方へと走る。そこには女子高生くらいの若い女が男たちに囲まれていた。

 

「ひっひひひ。か、かわいいなぁ……! 今からたっぷり可愛がって、あ、あげるよぉ……!」

「い、イヤぁ……! き、きもい、触らないで……!」

 

 若い女の言う通り、気持ち悪い男だ、と霧雨は思った。格好だけはヤクザのようだが……ひょろくて細い、なよなよした男は、女の服に手をかける。

 

「そこまでにしとけぇ」

 

 霧雨は男たちにドスの効いた声を浴びせる。

 

「男が寄って集って一人の女に手ぇ出そうなんざ、卑怯なことこの上ねぇな」

「な、なんだ、こいつぅ。ぼ、僕のお楽しみの、じゃ、邪魔する気かぁ……!? お、お前ら、や、やっちゃえ」

 

 全くヤクザらしくもなければ、漢らしさの欠片もない声でなよなよ男は取り巻きの輩たちに命令を下す。取り巻きの男たちはなぜか、そのなよなよ男の言うことを聞き、霧雨に対して戦闘態勢を取った。

 

「……なんだぁ? そんななよなよした、見るからに弱っちそうな男の言うことに従うのか? ……ん。てめえら、どこかで見たことあるぞ……? ……てめえら、ジジィんとこの若い奴らじゃねえか。なんでそんななよなよ野郎に従ってる……!?」

「うるせぇぞ、霧雨のおっさん。てめぇ、坊ちゃんの顔も知らねえのか!?」

「あァ? 坊ちゃん……? ……どうでもいいな。どんな奴か知らねえが、女一人に男を群がらせる野郎なんざ、この場でしばいてやる……!」

「や、野郎ども、や、やっちまえぇ……!」

 

 輩たちのリーダー格であるなよなよ男の命令とともに襲い来る男たち。しかし……。

 

「そ、そ、そ、そんなバカなぁぁぁ……」

 

 情けない声を上げるなよなよ男。霧雨は例のごとく、一瞬でなよなよ男の取り巻きを一人残らず退けたのである。

 

「あとはてめえ一人だなぁ。なよなよ野郎」

 

 霧雨は囚われていた女を逃がすと、拳をボキボキと鳴らしながら、なよなよ男に近づく。

 

「ひ、ひ、ひぃぃぃぃ」と情けない声を出す『なよなよ』に霧雨は苛立ちを覚える。

 

「てめえの部下には俺を襲わせたくせに、てめえは一人で喧嘩もできねえのか、あァ!? てめえみてえな男らしさの欠片もねえクソ野郎は思いっきり、しばかなきゃなぁ!!」

 

 霧雨はなよなよを殴ろうと拳を振り上げる。……その時だった。

 

「……やめとけ、霧雨」

 

 霧雨の背後から聞き覚えのある声が聞こえた。霧雨が振り返ると、そこには見たことのあるグラサンをかけた男が佇む。そう、いつも老組長のそばに付き添うあのグラサンだった。

 

「グラサン、てめえ何でこんなとこに……?」

「……坊ちゃんの護衛だ」

「坊ちゃん……? ほかの奴らもそんなこと言ってやがったな。このなよなよは一体何者だ?」

「……お孫さんだ」

「孫ぉ? 誰のだ」

「……組長《おじき》のだ」

「な、なに!?」

 

 霧雨は驚きを隠せない。霧雨がジジィと呼ぶ、昔ながらの任侠の最後の生き残りのような老人。そんな老人の孫がこんななよなよした男だとは到底信じられなかった。

 

「て、てめぇ、おせぇんだよ。も、もう少しで、お、俺が怪我するところだったんだぞ、こら!」

「……申し訳ありません、坊ちゃん」

 

 なよなよ男に謝罪するグラサンを見た霧雨は、なんとも言えぬ不快な感情を覚えるのだった。

 

 

◇◆◇

 

 

 なよなよ男との一件から一夜明けた日。霧雨は老組長の邸宅兼本部に足を向かわせた。

 

「……ジジィに会わせろ」

 

 霧雨は本部の入り口を警備する輩の一人に苛立ち交じりの声で許可を求める。苛立っているのは、あんななよなよした孫を老組長が放って置いていることに対してだった。しかし、思いもよらない言葉が警備の輩から返ってくる。

 

「……会わせるわけにはいかねえ。組長からそう言われてるからなぁ」

「あぁ? 俺はジジィにいつでも会いに来いって言われてんだ。それはてめえも知ってんだろ!?」と霧雨が詰め寄る。

「やめとけ、霧雨」と声をかける男が一人。

「……グラサンか」

「組長《おじき》に会いたいんだろ? ……付いてこい」

 

 グラサンは霧雨にそう言うと踵を返して、歩き始めた。霧雨が付いて行くと、大きな病院に辿り着く。

 

「あぁ? ここはキタの街で一番でけぇ総合病院とかいう奴じゃねえか……」

「無駄口叩くな、霧雨。黙ってついてこい」

 

 霧雨が案内されたのは、病院の最上階にある広い個室の病室だった。そこで弱った様子で一人の老人がベッドで眠っている。……霧雨がジジィと呼ぶ老組長だった。

 

「ジ、ジジィ。どうした!?」

 

 霧雨の大声にゆっくりと老組長は眼を開く。

 

「……うるせぇぞ、デカいの。……ここには呼ぶなっつってたんだけどなぁ」

 

 老組長はグラサンに視線を向けながらぼやく。

 

「よっこらせっとぉ……」

 

 老組長はゆっくりとベッドから体を起こす。

 

「おじき! 無理はしないでください……」とグラサンが声をかける。

「デカいのを呼んでおいて、そりゃねえだろうよ。……デカいの、見ての通りだ。どうやら、そろそろ俺にもお迎えが来るらしい。行き先は地獄だろうよ」

「なに言ってんだ。らしくもねえ」

「……デカいの。俺の孫のこと見たんだってなぁ。情けねぇだろぉ?」

 

 ごほごほっと咳き込みながら、落ち込んだ表情をする老組長。

 

「俺ぁ、アレだけが心残りなのさ。……俺ぁ息子どもは立派に育てたつもりさ。俺には3人ガキがいるが、一人は医者、一人は弁護士にした。そして、長男にオレの跡を継がせた……。どれも出来たガキどもだった。だがよう、長男は抗争で数年前に死んじまったんだよ。それで俺がまた組長に返り咲いたわけだ……。よくできた長男だったが、俺ぁ一つだけ教え損なったらしい。立派なガキの育て方だぁ。長男のガキが……俺の孫があそこまで性根の腐った男になるたぁ思ってなかったぜぇ」

 

 言い終わると、老組長はごほごほっと血混じりの咳をしだした。

 

「お、おい。ジジィ、大丈夫か……!?」

 

 その様子を見たグラサンは躊躇せずにナースコールを押した。すぐに駆け付けた医者と看護師が老組長の治療を始める。霧雨とグラサンは追い出されるように病室の外に出た。一時して、医者が病室から出てくる。

 

「先生、おじきは……!?」と尋ねるグラサン。

「……大丈夫ですよ。今はクスリが効いてよく眠っています。……しかし、病状が進んでいることに間違いはありません。もうじき……ということです。言葉にはしませんが、覚悟はしておいてください」と言って、医者は病室を去った。

 

 霧雨とグラサンは病院の庭園に出た。グラサンが霧雨に話を切り出す。

 

「……霧雨。そういうことだ。おじきには入院のことをお前に伝えるなと言われてはいたんだが……。……もうじき、おじきは死ぬ。……霧雨、前言った通りだ。そろそろ決めろ。組に入らねえなら……、この街から去るんだな。おじきの死後、この街にお前の居場所はねぇ」

 

 言い残して、グラサンは霧雨の元から去っていった。

 

 

◇◆◇

 

 

「ク、クソクソクソ……。あ、あの霧雨とかいうやつめぇ……。ぼ、僕をこけにしやがってぇ……!」

 

 なよなよ男こと老組長の『孫』は自身に与えられた組織の支部でいらいらと貧乏ゆすりをしていた。支部がある場所はかつて霧雨もいた日雇い労働者の集まる『ドヤ街』……。

 

「帰りました、坊ちゃん」と組織の下っ端が孫の部屋に顔を出した。

「お、おせえんだよぉ。き、霧雨の居場所は、わ、分かったんだろうなぁ……!?」

「へ、へぇ。どうやら奴ぁ、キタの中心街から少し離れたマンションに住んでるみてえでして……。なんでも、組長がそのマンションの一室を用意したんだとか……」

「お、おじいちゃんがぁ……!? ち、ちくしょう。あ、あのジジィ……。ぼ、僕にはこんな豚の肥溜めみたいな街の支部しかくれなかった、く、くせにぃぃ……」

 

 なよなよ孫はその細い体をくねくねと動かして、怒りを露わにする。

 

「……しゃ、写真だ、写真見せろよぉ。その霧雨が住んでるっていうマンションの写真をよぉぉぉ……」

「へ、へぇっ。こちらです」

 

 下っ端は霧雨がマンションを出入りする瞬間の写真を数枚、なよなよ孫に差し出した。

 

「こ、こ、ここが奴のマンションか、か、かぁぁ……。ふ、ふざけやが、やがってぇぇぇ……。……ん? ん、ん、んん? 霧雨の横にいる金髪は何者だよぉ……?」

 

 下っ端の出した写真の一つに霧雨とリサが買い物帰りに一緒に写っているものがあった。

 

「へぇっ。何でも霧雨と同居してるガイジンっぽい女だとか……。愛人でも、恋仲でもなくてただの居候なんだとか……。詳しい関係はわかりやせんでした」

「へ、へぇ。か、か、かわいいじゃねぇかよぉ。こ、この金髪の女ぁ……。へ、へへぇ。良いこと、お、思いついたかも、し、しれねぇ……」

 

 なよなよ孫はにやりと顔を歪める。あまりにだらしのないその笑みに、部下である下っ端の輩さえ、生理的嫌悪感を覚えるのだった。



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抗う争い

◇◆◇

 

「…………」

「おい、どうしたクソガキ。神妙な顔つきして……」

 

 普段通り食卓を囲む霧雨とリサ。いつもなら、満面の笑みで食事をとるリサが深刻そうな表情をしていることに霧雨は気付いた。

 

「……分かったんだ」

「あぁ? 分かった? ……もしかして、幻想郷だとかいう天竺の場所がか?」

 

 コクリと頷くリサ。霧雨は不思議がる。あれだけ探していたものが見つかったというのに、リサの顔が浮かないからだ。

 

「見つかったんなら、もっと喜びゃあいいじゃねえか。なんで、そんな落ち込んでんだ?」

「……だって、ここから出ていかなきゃならないじゃん……」

「あぁ? 変なこと言う奴だな。お前だって、いつまでもこんな中年と一緒に生活なんざしたかねえだろ」

「もーいい! おっさんのバーカ!」

 

 リサは不貞腐れたように自室と化した客間へと入って行った。

 

「なんだってんだ、アイツ。急に機嫌悪くしやがって……」

 

 リサが自室へ入って行くのを見送りながら、呟く霧雨。そんな時、テーブルに置いていた携帯電話の着信音がリビングに響き渡った。霧雨は二つ折りになった携帯電話を開き、通話のボタンを押すと、耳に当てた。

 

「……グラサンか、どうした? ……そうか、わかった……」

 

 グラサンからの要件を聞き終わった霧雨は通話を切る。

 

「……ジジィめ、逝っちまいやがった……」

 

 霧雨は寂しそうに呟いた。老組長が入院していることを知ってから早2カ月。もう先が短いだろうことは、見舞いに行くたびに思っていたことだった。いつその時が来てもおかしくないと霧雨は覚悟していた。霧雨は喪服に着替えると、リサの部屋を開ける。

 

「な、なんだよ、おっさん!? いっつも言ってるだろ! 乙女の部屋をノックもなしに開けんじゃねえよ!?」

「何が乙女だ。クソガキのくせに。女の子扱いされたいんなら、もう少し部屋綺麗にしろ。本で散らかしやがって……。……んなこた、どうでもいい。……ジジィが死んだ。しばらく留守にする。通夜やら葬式やらがあるからな……。飯は適当にコンビニで弁当でも買っとけ」

 

 霧雨は放り投げるようにリサに一万円札を渡した。

 

「……ジジィってのはいっつもおっさんが言ってる雇い主のことか!? 体悪くしてるって言ってたよな……。そうか、亡くなったのか……」

「一度もジジィに会ったことねえお前が、そんなに神妙な顔するこたぁねえよ。じゃ、もう出るからな」

「わかった。気を付けろよ、おっさん」

 

 霧雨は本部に向かう。正式には組の者ではない霧雨だが、通夜の準備くらい手伝うのが筋だろうと老組長の邸宅の座敷を組の連中と一緒に整理する。そうこうしている内に、老組長の入った棺が邸宅におさめられた。霧雨は棺内を覗き込み、老組長の死に顔を拝むことにした。……老組長の死に顔は生前と同じく、険しい表情である。

 

「……死に顔でくらい、眉間に皺寄せるこたぁねえだろうによ。……ま、その顔の方がジジィらしいか……」

 

 通夜、葬式と恙無く終わり、老組長が無くなって3日目。ある意味最も大事な儀式が始まろうとしていた。……新組長の就任式である。もっとも、霧雨は新組長のことを認める気はさらさらなかった。

 

「世も末だな……」

 

 霧雨はぼやかずにはいられなかった。新組長に就任したのは、あの孫だ。女ひとりに多数の男を連れて群がる性根の腐ったナヨナヨ野郎。そんな奴に組長なんぞ務まるはずがないと部外者ながらに霧雨は吐き捨てたい気分だった。

 

「て、てめえら、こ、これからは俺が、く、組長だ……! こ、これからは、も、もっとシノギをか、稼いでもらうからなぁぁ……。か、覚悟しやがれ……!」

 

 一応就任演説みたいなことをしていたが……、やはり、なよなよ具合が酷すぎる。もう少しましに喋れねえのか、とこれまた霧雨は部外者ながらに思う。

 

(……だが、妙だ。組の連中はこんな情けない野郎が組長になることに不満はねえのか……? ……ま、どうでもいいわな。……こいつらと関わることはもうねえんだ……)

 霧雨は懐に収めた封筒を手に取る。封筒には『退職願』と書かれていた。霧雨は就任式直後の新組長のもとに歩み寄る。

 

「おい、なよなよ」と霧雨は新組長である孫を呼び止める。

「あ、あぁ? て、てめえ、だ、誰に向かって、く、口聞いてやがる!?」

「凄んでも、全然怖くねえんだよ。……これ、受け取れや」

「な、なんだ、こりゃ……。た、た、退職届だぁ?」

「ああ。ジジィが死んだ今、もうこの組にいる意味はねえからな。……マンションも時期に引き払うつもりだ。……今まで世話になったな」

「あ、あぁ? こ、こんなもん出せば、い、今までのこと、み、水に流せると思ってんのかぁ……!?」

「……坊ちゃん。ここは俺が」と霧雨と孫の間に入ったのはグラサンだった。グラサンは続ける。

「……霧雨。正気か。このタイミングで辞めることの意味が分かってんのか?」

「あぁ? ジジィが死んだ今、これ以上のタイミングなんざねえだろうがよ?」

「……馬鹿が。お前は自分がどういう立場にいて、どう見られてたかが本当に分かっちゃいねえんだな」

「……あぁ? 何言ってやがる。意味のわからねえことを……。……とにかく、話は終わりだ。じゃあな」

 

 霧雨は本部をあとにする。霧雨が去ったのを確認し、新組長である孫は携帯を取り出し、何者かに連絡し始めた。

 

「や、野郎、や、やっぱり、う、裏切りやがった……! て、手筈通りだ。あの、か、かわい子ちゃんを攫ってこい……!」

 

 孫は用件を伝えると、携帯電話を切る。

 

「ひ、ひひ、ひひひ。た、楽しみだなぁ。い、色々な、い、意味でぇ……!」

 

 気味の悪い笑みを浮かべる孫の横で、グラサンは険しい表情で黒メガネの鼻当てを中指で修正するのだった。

 

 ――ほぼ同時刻、霧雨宅マンション――

 

「……おっさん遅いなぁ。今日も帰ってこないのか?」

 

 リサは日本地図を見ながら、ひとりごとを呟く。地図で幻想郷の場所を幾度も確認し、間違いないかどうか何度も見直す作業をここ数日は続けていた。

 

「……腹減ったなぁ。コンビニ行くか!」

 

 リサは立ち上がると、ササっと着替えて外出する。マンションのエントランスを抜けると、妙な黒塗りの車が正面に停まっていた。車の扉が開き、あまり柄の良くなさそうな男が数人出てくる。

 

「……嬢ちゃん。アンタに恨みはねえが、ちょっと付いてきてもらうぞ?」

「なんだ、アンタたち? おっさんの知り合いか?」

「そんな感じだ」

「……生憎だけどさ。知らないヒトには付いて行くなって言われてるんだぜ?」

「なら、無理やり連れていくだけだ」

 

 輩の一人がリサの腕を掴み、強引に車に連れ込もうとした。

 

「いってーな。何しやがんだ。……久しぶりに頭に来たんだぜ!」

 

 リサはズボンのポケットからスタンガンを取り出すと、男に電流を浴びせた。電流を受けた男はその場で倒れ、気絶する。

 

「このクソガキ、何てことしやがる!?」

「先に仕掛けたお前らが悪いんだぜ?」

「おっそろしいガキだ。霧雨と一緒に暮らしてるだけのことはある。だが、ちょいとオイタが過ぎたな……」

 

 輩の一人が、銃口をリサに向ける。

 

「う!? そ、それは拳銃って奴か!?」

「……まだ、死にたかねえだろ。クソガキ。大人しくスタンガン地面に置いて手ぇ上げな」

 

 リサは輩の言う通りに、スタンガンを地面に落として、手を上げる。

 

「良い子だ。……車に乗れ。……酷いことはされるだろうが、殺されはしねえだろうよ。坊ちゃんはお前を気に入ったみたいだからな」

 

 拳銃を持った輩はゆっくりとリサに近づく。……リサは見逃さなかった。輩が一瞬気を抜いたことを。リサは隠し持っていた『もう一つのスタンガン』を拳銃の輩に放った。

 

「ぐあ……!?」とうめき声を上げて倒れる拳銃の輩。

「へへーん。スタンガンが一つだけとはだれも言ってないんだぜ?」

 と、リサが隙を見せた時だ。残っていた輩の一人が落としていたスタンガンを拾い上げ、リサに電流を打つ。

「かっ……!?」と息を吐き出したリサは気絶してしまう。

「とんでもねえクソガキだ。無茶苦茶しやがって……。だが、これで運びやすくなったな。おい、ずらかるぞ!」

 

 輩たちはリサと気絶した仲間二人を車に乗せようとしていた。

 

「なんだあの車は……?」

 

 霧雨だった。マンションの前に妙な車が停めてあることに気付いた帰宅途中の霧雨は、遠目から様子を窺う。すると、見慣れた金髪の少女が連れ去られようとしていた。少女は意識を失っているように霧雨には見える。

 

「てめえら! そのガキをどこに連れてくつもりだ!?」

 

 霧雨の怒号に気付いた輩たちは、早々と車で走り去った。反射的に車を追いかけた霧雨だが、もちろん追いつくことはできない。

 

「……ヤロウ。アイツら、どこに行きやがった……!?」

 

 霧雨が怒りで頭に血を昇らせていると、携帯電話の着信音が鳴る。

 

「ちっ。誰だ、こんな時に……!?」と言いながら、霧雨は電話を取る。

『も、もし、もしもしぃー?』

 

 独特などもり声。老組長の孫だった。霧雨はイライラが最高潮に達する。

 

「今取り込んでんだ! 電話はあとにし……。……まさか、てめえか? ガキを攫ったのは!」

『ひ、ひひ、ひひひひ。か、勘が鋭いなぁ。き、霧雨ぇ。そ、そうだよ。お、お前がだ、大事にしてる、あ、あのかわいこちゃんは、お、俺が攫わせた。く、くく、くくく。か、返して、ほ、欲しけりゃぁ、お、俺がいるところまで来い。い、いいなぁ? ……く、くく。お、俺がどこにいるか、わ、わかるかなぁ……?』

「あぁ!? てめえ、なんでこんな真似しやがる! どこにいやがる!? ……ヤロウ、切りやがった!」

 

 霧雨は電話を掛けなおしてみるが、孫が電話にでることはなかった。

 

「……ふざけた野郎だ。どういうつもりか知らねえが、今に見てやがれ。俺は女子供に手ぇ出すやつはぜってぇ許さねえからよぉ! 外道が!」

 

 霧雨はマンションに停めてある自車に乗り込んだ。霧雨が向かったのは、組の本部。本部につくなり、霧雨は大声で怒鳴った。

 

「あのクソ孫はどこだぁ!? 顔出せ!!」

「き、霧雨!? てめえ、『退職届』なんてふざけたもん置いて行ったくせに、何しに戻りやがった!?」

 

 幹部クラスであるスキンヘッドの男が霧雨の怒鳴り声に対抗するように声を上げる。

 

「あぁ!? 何しにきただと!? それはこっちのセリフだぁ! 俺んとこの居候のガキ、どこに連れて行きやがった!?」

「居候のガキぃ……? 意味の解らねぇこと言いやがって……! だが、ちょうどいい。テメェにはシノギ稼ぐのを邪魔された恨みがあるんだ。先代が死んだ今、もうテメェに遠慮する必要はねぇ! 借りぃ返してやる……! 殺るぞ、テメェら!」

 

 本部の敷地内にいたスキンヘッドの部下たちが数十人規模でワラワラと集まってきた。スキンヘッドはにやりと笑う。

 

「さすがのテメェでもこの数じゃ、敵わねえだろう?」

「……三下の悪役らしい、せこいやり方だな。上等だぁ、かかってきやがれ……!」と強がった霧雨だが……、さすがにこの数はまずいと感じたのか、冷や汗を流す。

「……おいおいおい。本部内での喧嘩、暴動はご法度じゃねえのか、ハゲ野郎」

 

 挑発的な言葉を口にしながら、門から入ってきたのはオールバックの髪型が特徴的なあの男だった。

 

「伊達野郎、てめえ何しに来やがった!?」と、荒い口調でスキンヘッドはオールバックに問いかける。

「あぁ? 何しに来やがっただとぉ? てめえ、この前俺のシノギを横取りしやがったよなァ!? 忘れたとは言わせねぇぞ?」

「……シノギの横取りぃ? ……数年前のあの件のことかぁ? けっ! 随分と執念深い野郎だな、てめえ!」

「てめえが忘れっぽいだけだろうがぁ……! ……というわけだ、霧雨のおっさん。この喧嘩、俺たちも入らせてもらう。もっとも、断っても無理やり参加させてもらうんだがなぁ!」

「……どういう風の吹き回しだ、ワックス」

「その呼び方はやめろっつってんだろうが! ……別にてめえに加勢しようってわけじゃねえ。あのハゲには何度も煮え湯を飲まされてんだよ。心配すんな。今日だけはてめえの味方になっといてやる。……来い、野郎ども!」

 

 霧雨の質問に簡単に答えたオールバックは掛け声をかける。掛け声とともに、出てくる輩たち。人数はスキンヘッドの連れた輩たちより十数人は少ないだろう。だが味方が出来たことは霧雨に多少の心強さを与えた。

 

「ちっと頭数足りねえが……、俺とてめえがいりゃあ何とかなんだろ。……それじゃあ、おっぱじめるぞ、テメェら!」

 

『おぉおお』と気合を入れ、スキンヘッド側の輩たちに襲い掛かり始めるオールバック側の輩たち。

 

 ……激しい喧嘩が始まった。ルール無用の殴り合い。幸いなのは両陣営とも銃火器と刃物は使用していないことぐらいだろう。さすがに同じ組同士の争いで殺し合いはまずいと『最低限中の最低限』のモラルは働いているようだ。とは言っても、それ以外は何でもありらしい。バットや角材を持ってる奴もいれば、メリケンサックを付けている奴もいる。そんな中、霧雨は一人、完全なる素手で闘い始める。

 

「うおらぁああ! 死に晒せ!」

 

 乱闘の中、叫びながら霧雨に角材で殴りかかるスキンヘッド側の輩。霧雨は腕で受け止める。防御態勢を取っている霧雨の背後から別の輩が霧雨の背中目掛けてバットで殴りつける……!

 

「ぐっ!?」と思わず息を吐き出す霧雨だったが……。

「……全然効かねえなぁ。腰の入ってねぇバットなんざ、痛くもかゆくもないんだよ!!」

 

 霧雨は殴ってきた二人をまとめてぶん殴り気絶させた。その後も、霧雨は襲ってくる輩たちを一人でバッタバッタと倒していく。乱闘により、次々と倒れていく両陣営の輩たち。だが気付けば、スキンヘッド側の人間で立っているのはスキンヘッドだけになっていた。

 

「ぐっ!? あ、あれだけ人数差があったってぇのに……!?」

「終わりだなぁ、ハゲ。言え。俺んとこのガキをどこにやった?」

「あぁ? ガキだと? 何のことか知らねえっつってんだろうが!?」

「本当に知らねえのか……。なら、あのナヨナヨ孫をとっとと出しやがれ!」

「こっちの大将を差し出すバカがいるかよ……!」

 

 霧雨の知りたいことを何一つ知らない、あるいは答えないスキンヘッド。二人のやり取りを見ていたオールバックが会話に口を挟んだ。

 

「霧雨、無駄だ。こいつらが新組長に不利なことを喋るわけがねえ。……てめえら、このハゲをしばらく監禁しとけ!」

 

 オールバックはまだ動くことのできる自分の部下に命令し、スキンヘッドを折檻させる。不意にオールバックの携帯電話が鳴る。

 

「ああ、オレだ。……そうか、わかった」

 

 電話を切ったオールバックは霧雨に話しかける。

 

「てめえの言うガキの居場所が分かったぞ、おっさん」

「本当か、ワックス!?」

「……その言い方はやめろっつってんだろうが! ……ドヤ街の支部だ。新組長が以前、支部長を務めてたあそこだ」

「……ドヤ街か。車ならすぐだな。……おい、ワックス」

「あぁ? なんだよ?」

「なんで、俺を助けるようなマネをした? てめえも俺のことを恨んでたはずだ。俺はてめえのシノギを何度も邪魔したからなぁ」

「……誰がてめえなんか助けるかよ。シノギを邪魔した礼も改めてしてやる」

「何企んでやがる?」

「フン。疑い深いおっさんだな。企みなんて言うほどのもんじゃねえよ。俺は先代の意向に付くってだけだ。……そんなことより、早く行った方がいいぜ。新組長は筋金入りの変態だからなぁ。てめえのとこのガキにも手を出しかねねぇからよ」

 

 霧雨はオールバックの言う『先代の意向』という言葉を疑問に思いながらも、すぐに本部をあとにする。変態なよなよ新組長がリサに手を出しかねないと知れば、もたもたしている暇はない。自車に乗り込んだ霧雨はドヤ街に向かって、走り出した。

 

 霧雨が走り去る姿を見送ったオールバックは懐からたばこを取り出し、火をつける。

 

「……俺も焼きが回ったもんだ。ま、新組長に喧嘩売ったわけじゃねえ。あとは野となれ山となれ、だな」

 

 オールバックは本部の邸宅に視線を向け、呟くのだった。

 

 

 霧雨はアクセルを深く踏み込んだ。制限速度などクソ喰らえと言わんばかりの速度を出している。向かうは『ドヤ街』。かつて霧雨が日雇い労働をしていたダウンタウン、そこに建つ組の支部へと霧雨は車を走らせる。支部に到着した霧雨の視界に、玄関前に駐車された車が写される。リサを連れて行った車と同車種だ。

 

「ワックスの言った通り、当たりだな」

 

 車から降りた霧雨はどんどんと支部の玄関扉を激しく叩く。

 

「出てこい、なよなよぉ! ガキ返しやがれ!」

「うるせぇぞ、誰だぁ!? ……て、てめえ、霧雨!? なんでここが分かった!?」

「ワックスに聞いた」

「ワックス? 誰のことだ、そりゃ。ってグボラ!?」

 

 玄関扉を開け、質問する輩を問答無用で殴って気絶させた霧雨は、建物の中に怒号を飛ばす。

 

「出てこい! クソ孫ぉ!」

「き、霧雨!? ……坊ちゃん、……いや、新組長は今取り込み中だ。……そんなことより、組やめたくせに乗り込んでくるってこたぁ、『そういうこと』なんだなぁ!?」

「……『そういうこと』だぁ? 何のことだ。……何のことでも関係ねえな。ガキを返さねえってんなら、この場で全員ぶちのめすだけだ」

「上等じゃねぇか。……てめぇら、やっちまえ!」

 

 支部内の狭い事務所にたむろしていた輩たちが一斉に霧雨に襲い掛かってきた。しかし、本部での大人数に比べればわずか数人ほどの輩など霧雨の相手ではない。霧雨はその巨体を思う存分に動かして暴れまわり、輩どもを返り討ちにした。

 

「……手こずらせやがって。後はあのクソ孫とガキを探すだけだな……」

 輩たちを早々に片付けた霧雨は新組長であるナヨナヨとリサを見つけるべく、支部の奥へと移動するのだった。

 

 

◇◆◇

 

 

「……うぅ。……こ、ここは?」

 

 気絶から目覚めたリサが居るのは、ドヤ街の支部の一室。薄暗い明かりしかなく、ジメっと湿度も高い。気味の悪い部屋だった。息苦しい。両手を頭の上で縛られて座らせられるような体勢にされているからだろう。

 

「ひ、ひひひっ。や、やっと目、目が覚めたかい? お、お、お嬢ちゃあん?」

 

 リサの眼前にいるのは、気色悪い笑みを浮かべた「ナヨナヨ男」だった。

 ……リサはこの表情を知っている。かつて霧雨と出会うまで、リサは下心に支配された男の家に連れ込ませるように侵入しては、隙をついてスタンガンなどで男を気絶させ、生活に必要な金品を奪うという行為をしていた。目の前の男はそんな気絶させてきた男たちと同じ表情をしていた。違うところがあるとすれば、眼前の『ナヨナヨ男』はリサが会って来た男たちの中でも、飛びぬけて下心溢れる不快な笑みを見せていることだ。リサは思わず鳥肌と立てる。眼前の男に生理的嫌悪感を抱かずにはいられない。

 

「くっそ。お、お前誰だよ!? 私をどうするつもりだ!?」

「ど、ど、どうするつもり、だ、だってぇ……? た、た、楽しいことするだ、だけだよぉ?」

 

 ナヨナヨはただでさえ君の悪い笑みを浮かべた顔をさらに下品に歪める。

 

「くっ!? くっそ、離せよ!? ……この縄解きやがれ!」

 

 リサは必死で逃げ出そうとするが、柱を巻き込むように頭上で両手を縛られているせいで身動きが取れない。

 

「く、くく、くくく。む、無駄だよう? し、し、しっかり縛ってあ、あるから、さぁ……!」

「うっ……」

 

 リサは逃げ出すことが無理だと悟り、思わず目に涙を浮かべる。

 

「ふ、ふふ、ふふふぅ。い、いい表情だねぇ。や、や、やっぱり目が覚めるまで待って、よ、よかったぁ。ね、眠ってる間にしちゃっても、よ、良かったんだけどさぁ。そ、そ、それじゃ、お、面白くないからねぇ……」

 

 言いながら、ナヨナヨはリサの胸を服の上から触り始めた。

 

「ふざけんな、離れろ!」

 

 リサは反射的にナヨナヨを蹴り飛ばした。尻もちをついたナヨナヨだが、その歪んだ笑みを止めることはない。

 

「い、い、いいねぇ。そ、それくらい、は、反抗的な方がもえて、く、くるからさぁ!」

 

 再び、リサに襲い掛かるナヨナヨ。しかし、リサも必死の抵抗を続ける。何度も服に手をかけようとするナヨナヨを足で遠ざけようともがいた。そして、リサの全力の蹴りがナヨナヨの顎を直撃した時だった。ナヨナヨの言動が一変する。

 

「……く、く、クソガキぃぃぃ! や、や、やさしくしてやってたのに、ちょ、ちょ、調子に乗るんじゃねぇ……!」

 

 逆切れしたナヨナヨはリサの細い下腿部をつぶすように、体重を乗せて踏みつけた。ボキッという鈍い音が部屋に響き渡る。

 

「きゃぁあああああっ!?」

 

 あまりの痛みに絶叫するリサ。踏みつぶされた足は折れ、赤く腫れあがってしまう……。

 

「ふ、ふ、ふぅ。バ、バカが。お、お、大人しく言うこと、き、聞かないからだぞぉ?」

 

 ナヨナヨは先ほどまでの気色悪い笑みを消し、眉を吊り上げていた。

 

「うっ。うっ」とリサは痛みと諦めの混じった涙を流す。もう抵抗する気力もなくなってしまった。

 

「や、やっと、お、大人しくなったねぇ……。じゃ、は、始めようかぁ」

 

 ナヨナヨは気味の悪い笑みに再び戻し、リサの服に手をかけようとする。もう、リサに反撃の意志はない。ナヨナヨの好きなようにやられてしまうことに悔し涙が流れる。ナヨナヨの手がリサの身体に触れようとした、その時だった。

 

「出てこい、ナヨナヨぉ!」

 

 リサの良く知る男の怒号が部屋まで届く。

 

「こ、こ、この声はき、霧雨、かぁ!? な、な、なんでこ、こんなに早くオレの、い、居場所を……!?」

「出てこい! クソ孫ぉ!」

 

 扉の向こうで輩たちと霧雨が争う音が聞こえる。しばらくすると、争いの音はおさまったが、代わりに怒号が響いた。

 

「どこだ、クソ孫ぉ!?」

 

 霧雨の怒号だった。ナヨナヨは慌てふためく。

 

「ひ、ひぃ!? な、な、なんでだよう? じ、事務所には、は、八人くらいいたはずだぞ!? な、なんで、霧雨が勝ってるんだぁ!? ち、ち、ちくしょう。つ、使えねぇ奴らめぇ!」

 

 ナヨナヨは部下への不満を口にしながら、自分とリサのいる部屋の扉に鍵をかける。怒号を飛ばしながら、一つずつ部屋の扉を開ける霧雨。リサたちの居る部屋のノブに手をかける。

 

「……鍵がかかってやがる。……ここかぁ。覚悟しやがれ、クソ孫がぁ!」

 

 霧雨は施錠がされていることなどお構いなしに、ドアノブを手で押し、強引にこじ開けた。木製のドアがひび割れる。ひびの入ったドアを蹴り壊し、霧雨は内部へと入り込んだ。

 

 そこには「信じられない」と言い出しそうな表情を浮かべるナヨナヨと、安堵の表情を浮かべるリサの姿があった。

 

「やっと、見つけたぞ、クソ孫ぉ。……大丈夫か、ガキ!?」

「あ、ああ。大丈夫だぜ。足は折られちまったけど……」

 

 リサの言葉を聞き、リサの下腿部に視線を向ける霧雨。リサの言う通り、足がはれ上がっているのを見た霧雨は怒りに満ちた表情でナヨナヨを睨みつけた。

 

「……こんなガキに手ぇ上げるたぁ、どこまでも性根の腐ったクソやろうだな、てめえ」

「ぐっ!? ち、ち、ちくしょう……。こ、こ、こうなったらし、仕方ねぇなぁ……!」

 

 ナヨナヨは部屋に備え置かれてあった拳銃を手にし、リサに銃口を向ける。

 

「う、う、動くなよぉ霧雨ぇ。う、動いたら、こ、このガキの、の、脳天が吹き飛ぶことになるぜぇ?」

「あァ!? て、てめえ、どこまでも卑怯なことしやがって……!」

「う、う、うるせぇ。う、動くんじゃねぇよ」

 

 リサを人質に取られ、身動きの取れなくなる霧雨。ナヨナヨはリサに向けていた銃口を霧雨に向けなおした。

 

「死ねぇ、霧雨ぇ!」

 

 ナヨナヨは霧雨に向かって発砲する。銃弾は霧雨の腕に命中、貫通した。衝撃で霧雨はうずくまる。

 

「おっさぁぁん!?」

 

 リサの悲鳴が飛ぶ中、ナヨナヨはにやにやと笑いを浮かべる。

 

「ど、ど、どうだ。や、やってやったぞ! き、霧雨ぇ、ここで退くなら、い、命だけは生かしてやるぞぉ?」

「は、はあ、はあ。生かしてやる、だぁ? ウソ言えよ……」

 

 霧雨は息切れを起こしながら、立ち上がる。

 

「ま、ま、まだやる気かぁ……!? ウ、ウソって何のことだぁ?」

「てめえ、オレを殺せねえから、『生かしてやる』なんて嘘言ってんだろうがぁ!?」

「う……、な、な、なに言って……!?」

「オレの眼は誤魔化せねえぞ。てめえ、貧弱すぎて銃の反動にも耐えられねえようだなァ! 頭狙った銃弾がオレの腕に当たってんのが、その証拠だ」

「う、う、う……」

「……言い返せねえみてえだなぁ、クソ孫ぉ」

「な、な、舐めんじゃねぇ。じゅ、銃くらい、オ、オレにだって使えんだよぉ!?」

「じゃあ、当ててみろやぁ!」

「う、うわぁああああああ!?」

 

 霧雨の圧に怯えたナヨナヨは銃を乱射する。しかし、霧雨の言う通り、銃の反動に負けたナヨナヨの放つ銃弾は一発も霧雨の身体に当たることなく、部屋の壁に埋め込まれるだけだった。しばらくすると、ナヨナヨがいくら引き金を引いても弾が発射されなくなる。

 

「弾切れかぁ? 残念だったな、クソ孫ぉ。……さすがに同情するぜ。こんな狭い室内でも銃を当てられねえくらいの貧弱な上に、ガキの女に手をだすような、テメエみてえな根性なしを組長に据えなきゃならねえ、ヤクザどものことを思ったらなぁ。……仕置きの時間だ、歯ぁ食いしばりやがれ!」

「ひ、ひ、ひ、ひぃぃぃぃぃぃ!?」

 

 霧雨はその巨大な拳でナヨナヨの頬を一閃、振り抜いた。「グベバっ!?」という汚い断末魔を残してナヨナヨの顎は変形し、奥歯が2~3本折れて飛び散った。

 ナヨナヨが気絶したのを確認して、霧雨はリサのもとに歩み寄る。

 

「……足以外は平気か? クソガキ」

「あ、ああ。大丈夫だぜ、何にもされてない。そ、それよりおっさんの方こそ、腕大丈夫なのかよ!?」

 

 リサは銃で打ち抜かれた霧雨の腕を心配する。

 

「これくらい、ただのかすり傷だ。ガキが心配すんじゃねぇ」

 

 霧雨はリサの腕に巻きつけられた縄を解きながら答える。

 

「……歩けるか? て無理だな、その足じゃ。ほれ、負ぶってやる。乗れ」

 

 霧雨はリサをおんぶして歩き始めた。

 

「へへ、悪いなおっさん……」

 

 リサは必要以上に力を込めて霧雨にしがみ付く。

 

「おい、首締まんだろうが! 力抜け!」

 

 言いながら背中のリサへ振り向く霧雨の視界に入ったのは、リサの泣き顔だった。

 

「……なんだ、クソガキ。なんで泣いてんだ?」

「あ、当たり前だろ!? どんだけ怖い思いしたと思ってんだよ……!?」

 

 リサの涙は恐怖からの解放による安堵の感情が溢れたものだった。霧雨は反省する。自分の仕事のせいでリサを怖がらせてしまったことを。

 

「……悪かったな。俺のせいだ」

「な、なんでおっさんが謝るんだよ?」

「多分、連中がお前を攫ったのは、組織を抜ける俺への嫌がらせだろうからよ。迷惑かけたな」

「……おっさん。ホントにあぶねえ仕事してるんだな」

「……してた、だな。もう辞めたからな」

「え!? おっさん、仕事辞めっちゃったのかよ!?」

「ああ。ジジィが死んだからな。もうあそこの世話になる意味なんざねえからよ。ジジィの跡を継いだ孫も気に入らねえ野郎だったからな。残る意味がねえ。……つうわけだから、あそこのマンションも引き払わないといけねえんだ。悪いが、お前も別のとこに行くしかねえぞ?」

「……私はもうあそこに行こうと思ってるんだぜ」

「……『幻想郷』とかいう場所か?」

「うん」

「そうか、寂しくなるな」

「お? おっさん、私と離れるのが悲しいのかよ?」

「……前言撤回だ。やっぱり清々するな。居候がいなくなってくれてよ」

「素直じゃねえなぁ、おっさん。……おっさんこそ、あのマンションなくなって行くところあるのかよ?」

「フン。俺はどこでだって暮らせんだよ。このドヤ街で日雇人夫に戻んのも悪かねえさ」

「あ、あのさ、おっさん。もし、行くとこねえならさ……」

「止まれ、霧雨」

 

 支部の敷地を出て、霧雨の車に向かって歩いていた霧雨と、その背中に乗るリサ。二人の会話を裂くように、低い男の声が割り込む。……声の主は先代組長の右腕として働いていた輩、霧雨も良く知る男、……黒グラサンの男だった。

 

「……何の用だ、グラサン。ナヨナヨの新組長なら支部の中でおねんね中だ。さっさと行って介抱してやりな」

「あんなクズ野郎なんざ、どうでもいい。死んでくれた方がマシなくらいさ。……俺はお前に用があるんだよ」

「あぁ? 俺に用だと?」

「……霧雨、お前ほどの男を失うのは惜しいが、ここで死んでもらう」

 

 グラサンは覚悟を決めた冷たい口調で霧雨に言い放つのだった。



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果し合い

「俺を殺す? 何のためにだ? ……てめえもあの新組長たちみてぇに、気にくわない態度を取ってた俺を痛めつけたいってわけか? グラサン、見損なったぞ。てめえは先代組長《ジジィ》のことを理解していると思ってたんだがなぁ……!」

 

 霧雨は鋭い視線をグラサンに向けた。しかし、グラサンは全く動じることなく、返答する。

 

「……誤解だな」

「あぁ? 何が誤解だってんだぁ?」

「霧雨、組の奴らがお前にちょっかいかけてるのは、てめえに嫌がらせをするなんて、くだらないことするためなんかじゃねえんだよ。事態は深刻なんだ。……知らぬは当人ばかりなりってやつだな」

「あぁ? どういうことだ?」

「……霧雨。お前は本当に組の内部のことなんざ興味を持ってないんだな。……組長《おじき》を失った今、組が大きく二分(にぶん)されていることにすら気付かないんだからよ」

「二分? なんだってそんなことになってんだ?」

「少し考えりゃわかるだろ。あのヤクザとはとても思えねえ新組長に付いて行くくらいなら、『先代の意向』に沿った組織に変革すべきだってヤツが多いのさ」

「先代の意向だぁ?」

 

 霧雨はワックスも似たようなことを言っていたな、と思考を巡らせる。グラサンは黒メガネに手を当てながら答えた。

 

「そうだ。ずっと先代はお前に言ってきたはずだ。昔ながらの任侠の復活……。先代の意志を受け継ぎ、それを望む奴らが意外にも多くてな。そいつらが新組長側の勢力に反駁し、新たな派閥を作ろうとしている」

「そいつは結構なことじゃねえか。少なくともあのクソ孫が率いる組織なんかより、よっぽどまともに違いねぇ」

「そうだな、お前の言う通りだ。『あのクソ孫が率いる組織になるくらいなら』、その方がましだ」

「……なんだぁ? その含みを持たせたような言い方は」

「あんな出来損ないの孫に実権を握らせると思うか? アイツは飾りだ。実際には俺を含む幹部が組を運営する。お飾りとしてなら、あの出来損ない程好都合なヤツはいねえ。神輿は軽い方が動かしやすいからな」

「あのクソ孫を神輿にするだと。なんで、そんなまどろっこしいことをする必要がある? あの孫が気に食わねえなら、引き摺り下ろして他の奴らが組長すればいいじゃねえか」

「そういう訳にはいかねえのさ。組を取り巻く状況は今、困難を極めている。……対抗組織や外国マフィアの勢力拡大、半グレどもの台頭、暴対法の強化……。挙げればキリがねえ。そんな状況下で弱味を見せるわけにはいかねえんだよ。俺たちの組は伝統的に世襲で組長を受け継いできた。その伝統を崩せば対外に内部の混乱を知らしめることになる。舐められたら終わりなのが俺達の業界。それはてめえも知ってるだろう?」

「フン。くだらねえ。そんなもん全部まとめてぶっ潰すのがヤクザ者じゃねえのかよ」

「フッ……。やっぱり、お前は良い性格してやがる。……おじきがが気に入るのも無理ねえな」

 

 言いながら、グラサンはトレードマークの黒サングラスを外す。初めて見るグラサンの素顔に霧雨は思わず目を見開いた。

 

「……どういうことだグラサン。てめえの顔、若い時のジジィの顔そっくりじゃねえか……!?」

 

 霧雨はグラサンの顔を見て、本部の座敷に掲げてあった先代組長が就任した直後の若いころの写真を思い出す。目の前のグラサンと余りに似ていた。他人の空似だとはとても思えない。

 

「そりゃそうだろ。俺はおじき……いや、親父と愛人の間に生まれた隠し子だからな。まあ、愛人つっても、あの人が妻を亡くしてからの関係だから不倫でも何でもないんだがな」

 

 グラサンは懐からたばこを取り出すと、火を着ける。ひと吸いして、煙を口から出すと会話を続けた。

 

「俺は物心着いた時には、お袋と二人の貧乏生活だった。お袋は親父のことを何にも教えちゃくれなかった。ガキの頃は顔も見たことねぇ親父を恨んださ。貧乏なことや、俺の人生で上手くいかない全てのことを親父のせいにして生きてきた。高校ん時にお袋が死んで遺品整理していた時に、親父がヤクザ者なんだと知った。そして、ヤクザの抗争に巻き込ませないためにお袋が腹の中にいる俺を連れて逃げ出したことも。だが、それでも俺は俺達親子を放って置いた親父を許せなかった。殺してやろうと思ったね。俺は高校を中退して親父の組に入った。後ろから親父を刺すつもりでいた……」

「……その割には、長いことジジィの右腕をやっているように見えたがな。……ジジィはてめえが息子だったってのを知って情けをかけて右腕にしたってわけか? ……ジジィがそんなタマには見えねえが……」

 

 霧雨は、グラサンの語りの合間を見て、尋ねる。グラサンはたばこをもうひと吸いすると、質問に答えた。

 

「……いいや、情け何てかけられちゃいねえよ。あの人は身内だからって特別扱いするような人間じゃねえ。その証拠にあのバカ孫にもそれ相応のポストしか与えちゃいなかった。このドヤ街の支部は支部ん中でも一番重要度の低い部署だからな。俺が右腕になったのは、俺の実力だ。少なくとも親父も俺もそう思っている。大体俺はあの人に息子であることを告げてはいないからな。……ま、ここまで顔が似てるんだ。親父も俺が愛人の息子かもしれねえと、疑っちゃいただろうが……。最後まで俺に聞いてくることはなかったよ」

「……右腕にまでなりながら、なんでジジィを殺さなかった。チャンスはいくらでもあっただろう?」

「……知っちまったのさ。あの人の偉大さにな。親父は死ぬ間際こそ、ちったぁ丸くなっていたが、それはそれは超頑固者だったんだよ。だが、同時に義理と人情に溢れた男でもあった。弱い人間には決して手を出さず、法律違反スレスレの真っ黒な商売やグレーな商売をして金を荒稼ぎする悪徳な企業からだけ用心棒代を請求する昔ながらの任侠だった。確かに真っ当な生き方じゃねえ。だが、誰かがしなけりゃならない仕事でもある。気付けば俺は、人生かけて任侠を全うしようとする親父を尊敬し始めていた」

「……ジジィを尊敬しているんだったら尚更、何であのクソ孫をトップに据えて活動しようとししてやがる? ジジィの意志継ぐんなら、昔ながらの任侠貫き通す道を選ぶべきじゃねえのか……!?」

「何度も言わせんな、霧雨。時代は変わったんだよ。さっきも言ったとおりさ。組の取り巻く状況は変化している。組も変わらなきゃ、生き残れねえ。お前の言うように時代遅れの親父の意志を貫き、消え去っていく方が気持ちの良い生き方かもしれない。だが、俺は失いたくないのさ。親父が受け継ぎ、築き上げたこの組織をな。俺は組織を生かす道を選ぶ。それが例え親父の意志と反することであってもだ……!」

「……そうかよ、勝手にしろ。ジジィが聞いたら悲しむに違いねえ。だが、もう俺には関係のないことだ。俺はもうこの組と関わるつもりはねぇ」

「霧雨、お前は気付いてないんだろうけどなぁ。お前の存在感はお前が思う以上にデカいんだぜ? お前が関わらないと言ったところで、関わりを絶てると思ってんのか? ……組の中にはお前や親父の昔ながらの任侠の生き方に憧れを持った奴らが増えちまったんだよ。……聞いたぞ。お前、この支部に来る前に本部で喧嘩したんだってな。その時にオールバックのヤツがお前の加勢に入ったそうだな。……昔のアイツなら、お前に加勢するなんてあり得なかった。ヤツもお前に影響を受けちまった者の一人ってわけだ。……生前、体の弱った親父は愚痴をこぼしていた。『霧雨のようなヤツに跡、継いでもらえたらなぁ』ってな。それを聞いていた組の奴らの中には親父の死後、お前を組のトップに据えるべきだという輩が出始めた……。お前の『退職届』のタイミングは最悪だったぜ? あれを組の連中の一部は、新組長に対するお前の反逆だと捉えてんだからな」

 

 霧雨は、支部でぶちのめした輩が言っていた『そういうこと』の意味を理解する。用は霧雨が組を乗っ取ろうとしているという誤解が組の中に蔓延しているということだ。霧雨は呆れたように口を開く。

 

「……俺が組長になろうなんて気はねえってことくらい、少し考えりゃ分かる話だろうが。バカバカしぃ。第一、俺はジジィから組長になれだのなんて話を一度もされたこたぁねえんだぞ。そんな俺を頭に据えるなんざ正気じゃねえだろうが!」

「そのとおりだ。だが、お前が組の頭になるかもしれない、なって欲しいと思っている連中がいるのは確かだ。……結局は任侠の生き方を示してくれる分かりやすいリーダーを、無意識に望んでいる連中が多いってだけのことよ。……オレもお前も乗っちまったんだ。時代に合わせた組にするか、時代に反した任侠の組にするかっていうまな板の上にな。これはな代理戦争なんだよ」

「代理だと……?」

「そうさ。飾りの新組長とともに、シノギを稼ぐことだけを考え、現代ヤクザの道を進むか、先代の意向に従い、昔ながらの任侠を貫くか。前者の代理が俺で、後者の代理がお前だ。俺達は殺し合わなきゃいけねえ。勝った方の思想がこれからの組の思想になる。俺とお前どっちかが死ななきゃ組は一つにまとまらねぇ! 誰かが血を流す覚悟(けじめ)を見せなきゃ、この組織は空中分解するだけだ」

「狂ったこと言いやがる。組を一つにするためだけにてめえと俺とで殺し合えってか」

「それがこの世界の……俺達の組のやり方だ。迂闊に踏み込んだのが失敗だったな、霧雨。……出てこい、霧雨にくれてやれ」

「畏まりやした」

 

 黒グラサンが合図を送る。出てきたのは年寄りの構成員。年寄りは、二本の刀を用意していた。一本をグラサンに、一本を霧雨に手渡す。

 

「……一体何の真似だ?」と霧雨は疑問を投げかける。

「俺達の組は元々、江戸時代末期の頃に武士に憧れた輩たちが刀を手に寄り合ったのが始まりだ。意見が合わねえ時は果し合いをしていたそうだぜ? ……刀を抜け、霧雨」

 

 言いながら、グラサンは刀を鞘から抜いた。

 

「……果し合いなんざ御免だ、と言ったらどうする?」

「そんな漢らしくねえことを口にすれば、お前の負ぶってるガキごと、叩っ切るだけのことだ。お前の拒否権なんぞ当の昔になくなっているんだよ」

「……上等だ。少し待て」

 

 霧雨は負ぶっていたリサを下ろし、支部の外壁を背もたれにするように座らせた。たまらずリサが霧雨に声をかける。

 

「おい、おっさん! こんな狂った殺し合いするなんて意味ねぇだろ!? さっさと逃げりゃいいんだよ!」

「……お前の言うとおりだな。だが、逃げるのは無理なようだぜ?」

「な、なんでだよ?」

「……もう一人、組の野郎が隠れている。銃口をこちらに向けてな。俺が逃げ出すなんて腰抜けな真似をしたら、撃ち殺すつもりらしい。フン。確かにオレも覚悟が足りなかったんだ。暴力的仲裁者なんていう半端なゴロツキをしていたツケが回ってきただけのことよ。心配すんな。あのグラサンはジジィの意志を継いでる男だ。果し合いさえやれば、俺達を殺すことはねえ。勝てばいいんだ。クソガキ、てめえはそこで大人しく見とけ」

 

 霧雨はリサにそう話すと、刀を持って、グラサンの前に立つ。

 

「あのガキに遺言は伝え終わったか?」

「バカ言え。勝つのは俺だ。遺言なんぞ残すかよ」

 

 グラサンの質問に答えた霧雨はその手に持つ刀を地面に放り投げた。

 

「……なんのつもりだ、霧雨」

「俺は極道じゃねえんだ。刀を使うつもりはねぇ。かかってこい。その果し合いとやら、俺は素手でやらせてもらう。なぁに。どうせ刀なんぞ使ったこたぁねえんだ。むしろ、素手の方が俺はやりやすい。遠慮せず、かかってきな!」

「……馬鹿野郎が。あの世で後悔するんだな」

「それはこっちのセリフだ」

 

 霧雨とグラサンの間に見えない火花が散る。ジリジリと間合いを詰めていく二人。先に動いたのはグラサンだった。一閃、刀を霧雨目掛けて振り抜く。しかし、太刀筋を完全に見極めた霧雨は刀をかわすと、グラサンの頬に思い切り拳を叩きこむ。

 

「ぐっ……!? ……さすがに親父が見込んだだけのことはある……。効いたぞ、霧雨ぇええ!」

 

 グラサンはふらつきながらも刀を横に振るう。霧雨は刀のリーチを見抜き、攻撃範囲外へと飛び退いた。グラサンは、猛攻を続ける。しかし、そのどれもを霧雨は見抜いて避け続けた。……日本刀は重い。ただ持つだけなら大した重さではないが、戦闘で振り続ければ振り続けるほど、体への負担は大きくなる。グラサンも当然その重さを把握はしているが、霧雨相手にスタミナ配分を考えた動きなどできるはずもなかった。避け続ける霧雨に振り続けるグラサン。そのスタミナ差は徐々に、だが、確実について行った。グラサンの振り下ろした刀の切っ先が地面に叩きつけられる。グラサンが意図して行ったのではなく、スタミナ切れから起こった現象。霧雨はその隙を突き、鳩尾を拳で打ち抜いた。

 

「カハッ!?」と衝撃から息を吐き出したグラサンは鳩尾を刀を持っていない方の手で押さえる。

 

「まだだ……。まだだぁ!!」

 

 グラサンは傷つきながらも戦闘態勢に戻る。しかし、実力差が明らかに出始めていた。刀を振るうのに精いっぱいのグラサンに対して、霧雨は隙を見てその拳を時に腹に、時に顔面に打ち放つ。もはやグラサンは立つのがやっとになっていた。そんなグラサンを見た霧雨が口を開く。

 

「……まだやるのか、グラサン。お前は強ぇ。だが、俺ほどじゃねえ。もうそれは解ったはずだ。これ以上やることに意味はあんのか……?」

「……やることに意味はあるのか、だと? ……当たり前だ。やる前に言ったはずだぞ。これは殺し合いだ。どちらかが死ぬまでやらなきゃいけねえ。やり抜かなきゃ組の奴らが付いてこねえ……!」

「……グラサン、やっと見えてきたぞ、てめえの意図が。組を牛耳るようなヤツはどっかがイかれてる奴じゃなきゃ務まらねえ。てめえは演出しようとしてやがるわけだ。殺し合いの末に手にした事実上の組のトップの座というイかれ話を。イかれたヤクザ者を束ねるには真実のイかれた話が必要だからな。伝説だの神話だの言われて語り継がれるようなイかれた武勇伝とも言うべき話が。それをお前は作ろうとしている」

「……そうかもなぁ。だが、今やってる殺し合いは真剣《ガチ》だぞ、霧雨ぇ!」

 

 霧雨は勘づいた。グラサンにとって、この殺し合いの勝敗などどちらでも良いのだ。もちろん、グラサンからすれば、グラサン自身が勝てればそれに越したことはない。だが、たとえグラサンが破れて死んだとしても、霧雨が勝てば先代の意向に沿うという価値観で組が一つになるのだ。グラサンの狙いはそれに違いない。

 

 組が二分し始めていたのは霧雨が組を関わる前からだったのだ。頼りないナヨナヨ孫を組長にするか、先代の意向を尊重するか。血筋を優先するか、思想を優先するか。その2択で組は二分されていたのだろう。先代が死ねば、組は良くて分裂、最悪解散という状況に追い込まれていたのだ。それを防ぐのは血を流す『イかれた漢気』しかない。グラサンと霧雨の死闘の果てに導き出された『イかれた漢気』は『畏怖の念』を組にいる全ての輩に持たせるだろう。

 

 畏怖の念を抱かれた者はカリスマ性を発揮することになる。カリスマは時に、血筋も金も思想も無視した強権を持つ。そんなカリスマを生み出すことがグラサンの狙いだったのだ。カリスマが組を一つにする。それだけがグラサンの願い。そして、そのカリスマはグラサンか霧雨。この死闘の勝者が手にするのである。

 

「はぁっ! はぁ! き、霧雨ぇええ!」

 

 息切れしながら、叫ぶグラサン。霧雨もまた、長時間の戦闘でさすがに息切れし始めていた。

 

「霧雨。てめえ、狡いんだよ! 俺だってなぁ。許されるなら、てめえみてぇな生き方がしたかった……。だがなぁ、組で評価されるには任侠の欠片もねえことをしないといけなかった。俺はそうして昇り詰めた! なのに、なのにだ。てめえはただ任侠を貫き通しているだけで、親父に好かれ、一部の輩に好かれる。……許されるかよ、そんなことぉおおおおお!」

 

 疲労しきったグラサンは叫んでいた。その言葉にはもう理屈などはない。グラサンはただただ心の底を吐露しているだけの感情的なものだ。だが、感情的であるが故に霧雨の心にも届く。

 

『狡い』、霧雨は自分の行動のことをそう言われるのは初めてだった。だが、グラサンの言うことに一理があると感じる。たしかに霧雨はただ自分の信じる正しいはずだと思う『義』を貫いていた。だが、そこには何のストレスもない。ただ自分の好きなように暴れるだけ。それだけでジジィから金を貰えていたのである。それは、他の輩たちから見れば『狡い』以外の何物でもない。霧雨もそれは頭のどこかで気付いていた。しかし、見ないようにしていた。気付かないフリをしていた。だが、それは紛れもなく『狡い』ことに違いない。そのことをグラサンに突き付けられた霧雨はほんの一瞬、気を抜いてしまった。

 

「うらぁあああ!?」

 

 グラサンは刀を振り下ろす。一瞬、気を抜いていた霧雨は回避が遅れ、刀が体をかすめるように通って行った。薄皮一枚が切れるように斬られた霧雨。わずかな痛みが判断力を鈍らせる。続いてグラサンの二撃目が襲い掛かってきた。これを霧雨が避けると、刀は勢いよくアスファルトの地面にぶつかり、折れる。折れた切っ先がくるくると宙を舞った。

 

「あぁああああああああ!!!!?」

 

 グラサンはぐるぐると回る切っ先を素手で掴むと、集中力を失っている霧雨の懐に入り込み、霧雨の胸部を……貫いた……。貫かれた霧雨は口から鮮血を吐き出すと、その場で倒れ込む。

 

「え……? おっさん……? ……ウソだろ!? おっさん!? おっさぁああああん!!!?」

 

 果し合いを見ていたリサは霧雨が刺された姿を見て、絶叫するのだった。



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旅立ち

「はぁっ! はぁっ!」と激しく息をするグラサン。その足元に折れた刀を刺された霧雨の身体が横たわる。霧雨は既に意識を失っていた。呼吸もしていないようにリサには見える。

 

「……グラサンの勝ちか……」

 

 陰から二人の死闘を見守っていたオールバックは呟きながら、携帯電話を手に取る。

 

「ああ、オレだ。組の連中に伝えとけ。グラサンの勝ちだ。霧雨は胸ぇ刀で貫かれた。じきに死ぬだろうよ。助かったとしても……、無事には帰ってこれねえだろうな」

 

 部下に連絡を終えたオールバックは再び視線を横たわる霧雨に向けた。

 

「……残念だな。できれば、てめえに勝って欲しかったんだぜ、霧雨」

 

 呟いたオールバックはその場を歩き去って行った。

 

「おっさん! おっさん!!」

 

 リサは折れた足を引きずりながら横たわる霧雨の元に歩み寄る。

 

「しっかりしろ! おっさん! 眼を開けろよ!!」

 

 眼に涙を浮かべながら叫ぶリサ。しかし、霧雨が開眼する様子はない。呼吸はさらに弱弱しいものに変わっていく。リサはグラサンを睨みつけた。

 

「ちくしょう! よくもおっさんをぉお!」

 

 リサはグラサンのスーツのズボンを強く掴みながら、睨みつけた。

 

「ガキ、恨むなら勝手に恨め。こちとら恨まれることには慣れてんだ。それより、霧雨の方に付き添ってやれ。もうじきそいつは死ぬからな。最後は二人きりにしてやる。きちんと別れの挨拶を済ますんだな」

 

 グラサンはしがみ付くリサを振り払うと、その場を去って行った……。

 

「ち、ちくしょう。ちくしょう……! おっさん、死ぬんじゃねえぞ! 救急車……、そうだ救急車呼べば……!」

 

 リサは霧雨のポケットから携帯電話を取る。しかし、争い続きだった霧雨の携帯電話は壊れて動かなくなっていた。救急車を呼ぶ術がなくなり、自身もまともに動けないリサは大声で助けを呼ぶしかなくなる。

 

「だれか……、だれか助けてくれ! おっさんを助けてくれよぉ……!!」

 

 悲痛の涙が混じった少女の叫びに集まってきたのは、ダウンタウンに住む日雇い労働者とホームレスたち。

 

「おい、あんたたち、だれか携帯電話持ってないか!? 救急車呼んでくれよ……!」

 

 しかし、誰も救急車を呼ぼうとはしなかった。このダウンタウンに住む奴らは皆訳あり。携帯電話も持つことができないほど貧しいか、持っていても外部に連絡することで素性がばれるのを恐れて躊躇する奴らしかいなかった。リサからすればただの烏合の衆で野次馬でしかない。

 

「くっそぉ! おっさんは見世物じゃねえんだぞ! 散れよ! 助けてくれないんなら集まるんじゃねぇ!」

 

 そうこうしている内にさらに霧雨の呼吸は弱くなっていった。リサもそれに呼応するように取り乱す。リサが混乱し、石ころをダウンタウンの住人たちに投げつけ始めた時だった。一人の青年が野次馬の中から現れる。

 

「……一体何の騒ぎですか! けが人でもいるんですか……!? ってえ!? き、霧雨さん!?」

 

 リサとは面識のない青年だが、彼は霧雨のことを知っていた。彼は霧雨の身体を観察し始める。

 

「これはいけない。既にショック症状が……! 早く治療しないと……! 僕の医院に運ぶ! 誰でもいい。手伝える人は手伝ってくれ!」

 

 青年は、見ることしかできないホームレスたちに指示を出し、霧雨を運ばせる。どうやら医療関係者らしい。病院に辿り着いたリサは青年に尋ねる。

 

「お、おい兄ちゃん。あんた何者だよ。なんでおっさんのこと知ってるんだ!?」

「……昔少し世話になったんだ。詳しいことは後で話すよ、お嬢さん。今は一刻を争う……!」

 

 青年は霧雨をホームレスたちに指示して手術台に乗せると、単身手術室へと入って行ったのだった。

 

 

 

………………

…………

……

 

 

 

「んあ? あ、ああ……。……どこだ、ここは? そうだ、俺ぁグラサンに刺されて……」

 

 霧雨はベッドの上で眼を覚ます。自分の身体に何やら管がたくさんついているのが見えた。刺された胸とナヨナヨに撃たれた腕がわずかに、じんじんと痛む。ベッドの傍らには座ったまま、顔をうつ伏せにして眠るリサの姿が見えた。

 

「……クソガキ、無事だったか。……ここは、病院か……?」

 

 霧雨が呟いていると、病室の扉が開かれ、医師と思われる男が入ってきた。「えらく歳の若い先生だな」と霧雨は思いながらマジマジと医師の顔を確認する。どこかで見たことがある……と霧雨は思う。霧雨は脳内アルバムをめくり、男の顔を検索した。そして、思い出す。医師の正体を。

 

「気付いたみたいですね、霧雨さん。本当に危ないところだったんですよ? 普通なら死んでます。でも、そこはさすが霧雨さん。人並み外れた生命力のおかげで助かったんです。神様とご両親に感謝しないといけませんよ」

「て、てめえ、坊主じゃねえか!? い、医者になったのか!?」

 

 霧雨は医師の青年の言葉を聞き流し、自分の聞きたいことを尋ねる。霧雨は医師のことを『坊主』と呼んだ。そう、この医師はかつて霧雨が助けた『クスリ漬けにされていた少年』だったのである。眼の下のクマが取れ、青年となった元少年は笑顔で答えた。

 

「ええ。おかげ様で医者になりましたよ。霧雨さんの激がなかったら、きっと僕はここまでたどり着くことはできなかった。感謝してます」

「だ、だがよう、てめええらく若くないか。まだ二十になってねえぐらいだろ。俺ぁよく知らねえが、医者ってのは大学に6年間くらい行かなきゃいけねえんじゃねえのか?」

「……霧雨さんと別れてから、心入れ替えて頑張ったんです。霧雨さんの言う通り、絶対に実の父親を見返してやろうって……! ……僕、アメリカに留学して向こうの大学卒業して医者になったんです。あっちは飛び級が認められてますから。そして、帰ってきてこのダウンタウンで開業したんですよ。成長した僕の姿を霧雨さんに見せたくて……。まさかこんな形で再会するとは思いませんでしたけど」

 

 青年は爽やかな苦笑いを浮かべた。

 

「……立派になりやがったな、坊主。それに比べて俺ぁ情けねぇ男に成り下がっちまった。喧嘩三昧の下らねえ仕事をやってたんだからよ。てめえに偉そうに説教してたのが恥ずかしいくらいだ……」

「くだらない仕事なんかじゃないと思いますよ。このダウンタウンで開業しているとそう感じます。弱い人間に集る輩は後を絶ちませんから。リサちゃん、言ってましたよ。『おっさんの仕事は正義の味方だ』って」

「このガキ、そんなこと言いやがったのか。……そんな格好の良いもんじゃねえよ、バカ野郎」

 

 霧雨は眠っているリサに視線を移す。

 

「霧雨さん、丸3日寝てたんですよ? その間、ずっとリサちゃんが看病してたんです。自分も足の骨を折ってるっていうのに……」

「……そうか、迷惑と心配かけたな……」

 

 霧雨はリサの頭を撫でると、体を起こそうとした。

 

「……霧雨さん!? まだ、無理したらいけません。安静にしてください!」

「……うっ!?」

 

 体を起こした霧雨は自分の身体に違和感を覚える。あるはずのものがない。そんな感覚だった。霧雨は青年に尋ねる。

 

「坊主……いや、先生。俺の体、どっかおかしくなっちまったのか……?」

「……奇跡だったんですよ。刃物が胸を貫通していましたが、幸い心臓や重要な血管は無事でした。ただ、その代わり、肺の一部を切除する他ありませんでした」

「そうか」

 

 霧雨は自分の感覚が正しかったことを確認し、眼を閉じる。

 

「今まで通りに動けるように戻るのか?」

「失われた肺は戻りません。リハビリすれば日常生活に支障はないでしょうが、激しい運動はできなくなるでしょうし、少しの運動で息切れを起こすことになると思います。……とりあえず、2週間は絶対安静。その後は経過次第です」

「……わかったよ、先生」

 

 霧雨は自分の胸に手を当てる。血止めの包帯が巻かれていた。

 

「潮時だな……」

 

 霧雨はこぼすように言葉を落とした。三十後半で慣れ親しんだ漁村を出ることになり、日雇い労働者を経て暴力的仲裁者となった霧雨。気付けばもう四十を超えている。自慢の体力も失われた今、かつてと同じような仕事はもうできないだろうと霧雨は確信した。

 

「うーん……。私、こんなとこで寝ちゃってたのか……。っておっさん!? 眼、覚めたのか!?」

「……起きたか、クソガキ。……迷惑かけてたみてえだな」

「……良かった。私、心配したんだぜ? 本当におっさんが死ぬかと思って……」

 

 リサは霧雨の胸に飛び込み、霧雨の服で涙を拭っていた。医師は席を外す。霧雨はリサが泣き止むまで頭をなで続けたのだった。

 

 

 ――2か月後、霧雨もリサも傷が癒え、歩けるまでに回復した。マンションに帰れない二人は医師となった青年の家に匿ってもらい、生活していた。霧雨は家賃代を青年に払おうとしたが、青年は「あの時、電車賃として貸してもらった2千円のお返しですよ」と言って受け取ろうとはしなかった。

 

 だが、いつまでも青年の厚意に甘え続けるわけにもいかない。霧雨もリサも次の場所へ移らなければならない日がすぐそこまで近づいていた。

 

「……クソガキ、お前いつ『幻想郷』とやらに向かうつもりだ?」

「……そろそろ」

「そうか」

「あ、あのさ、おっさん。おっさんは家族いないんだよな……?」

「ああ。前にも話したことあるだろ。もう親父もお袋も死んで、兄弟もいねえ。天涯孤独ってヤツだな」

「だ、だったらさ、その……。おっさん、もし行くとこないんならさ。わ、私と……」

「……俺も行く」

「…………え?」

「俺もその幻想郷とやらに行く。……もう前みたいな無茶な仕事はできない体になっちまったからな。ここに残っても、組の奴らに見つかれば闘争になる。……そんなことにはもう体が耐えられねえからな。それなら、異世界か、異次元か、結界の中か何だか知らねえが、幻想郷とかいう天竺に行った方がましだろ。……クソガキ、お前がイヤじゃなければ付いて行ってもいいか?」

「そ、そうか。し、仕方ないんだぜ? 特別サービスで一緒に行くの許してやるよ、おっさん!」

 

 リサは満面の笑みを浮かべていた。

 

 リサと霧雨は青年の車で中部地方のとある場所へと運んでもらった。とある山の麓で車が停まる。周りには山しかない。商業施設などはおろか、民家の一軒すら建っていない。正真正銘文字通り、山の中だ。

 

「……本当にいいんですか、霧雨さん? こんなところに置いて行って……」と青年は不安そうに霧雨に再確認する。

「ああ。助かった。最後の最後まで迷惑かけたな、先生」

「……本当にこんな場所にあるんですか? その隠れ里みたいなものが……」

「……本当さ。このクソガキが調べ上げたんだからな。こいつ、こう見えて賢いからよ」

 

 霧雨はリサを指さす。リサは「こう見えて」は余計だろと霧雨に突っ込んだ。

 

「……何から何まで世話になって悪いんだが、最後にもう一つお願いきいてくれねえか、先生」

「何です、霧雨さん?」と尋ねる青年に霧雨はメモを渡す。そこにはかつて霧雨が漁師をしていた九州地方の村の名が書かれていた。

「……これは?」

「その村は俺が昔、漁師やってた村なんだ。……もし、旅行でも行って立ち寄れることがあった時にはよ。そこの組合の奴らに伝えてくれ。……今までありがとよってな」

「……霧雨さん?」と聞き返す青年に霧雨はそれ以上の言伝てはしなかった。

 

 山への入り口で霧雨たちは青年と別れることにした。

 

「じゃあな、先生」

「霧雨さん! ……また、会えますよね?」

「……たりめえだろ。……また、いつかな」

 

 霧雨は青年に別れを告げて、リサとともに山の中へと歩いて行った。きっと、これが最後の別れになる。そう感じ取った青年は渡されたメモを握り締め、霧雨たちが見えなくなるまで手を振り続けたのだった。

 

 リサと霧雨は山道を歩き続ける。リサの研究結果が正しければそろそろこの辺りで見えてくるはずだ。

 

「……あった。あったぞ。クソガキ、お前の言う通りだったな。神社があったぞ……!」

 

 霧雨はリサの予想通りに古びた神社があることに興奮を隠せない。

 リサは神社周辺に目を凝らす。運、魔力、気質、技量……。魔法に必要な全ての才能を奪われたリサだが、それらを全く感じ取れなくなったわけではない。リサは探す。幻想郷と外の世界を隔てる結界の裂け目を。そして、見つけ出した。裂け目は神社から少し離れた樹の幹に存在した。

 

「おっさん、この樹だ。ここに空間の……結界の裂け目がある。……おっさん、準備はいいか? もうこの世界には帰れないからさ……」

 

 霧雨は空を仰ぎ見た。この世界との別れが寂しくないわけではない。だが、霧雨は決めたのだ。人生の再出発地点を『幻想郷』というまだ見ぬ土地に。霧雨は意を決するように口を開いた。

 

「いつでもいいぞ」

「……わかった。行こうぜ、おっさん……!」

 

 リサは幹に手を触れる。瞬間、霧雨の視界がぐにゃりと歪む。強烈な立ち眩みにあったような不快感だ。次に意識が戻った時、霧雨は先ほどの山とは似て非なる山の中にいた。

 

「く……? 何が起きた? 移動は成功したのか……? クソガキ、どこだ!?」

「こっちだ、おっさん」

 

 リサは茂みの向こうから呼んでいる。合流した霧雨は尋ねた。

 

「……ここが幻想郷か?」

「……ああ。間違いない。外の世界とは比べ物にならないくらいの運に溢れてる。おっさん、あれ見えるか?」

 

 霧雨がリサの指さす方に視線を向けると、そこには背中に美しい羽を生やした女児がいた。

 

「何だありゃ……。幼稚園児みたいなガキが羽生やして空飛んでやがるぞ」

「妖精さ」

「妖精だぁ?」

「ああ。外の世界ではもういなくなっちまったけど、昔は外の世界でもよく空を飛ぶ姿が目撃されてたらしいぜ? ……とにかく、妖精がいるってことは、ここは幻想郷で間違いない」

 リサは確信するように霧雨に妖精を紹介する。目の前の非現実的な光景に目を奪われながら霧雨はリサに尋ねた。

 

「さて、これからどうすんだ?」

「……コミュニティってのは色々な理由で作り出される。だが、共通しているのは、妖怪や妖精が存在するってことだ。そして、妖精や妖怪は人間が認識しなければ存在できない」

「……よくわからんこと言いやがって……。要はどういうことだ?」

「コミュニティ内には人間が必要。そして大概の場合、一か所あるいは限られた複数個所に集めているはずなんだぜ。つまり、人間が暮らしている村のようなものがあるはず。そこを探すんだ」

「なるほどな。で、どうやって探すんだ?」

「幸いなことに、あそこに川があるだろ? あれを伝って川下に移動する。本来山歩きでは下るより昇る方が迷わないけど、今回の目的は人里を探すことだからな。川下には人間が住居地を作っている可能性が高い。さ、行こうぜ」

 

 リサと霧雨は川に沿って歩き出した。しばらく歩くと、川幅はどんどんと大きくなり、広い石河原に出る。そこで二人は小休憩を取ることにした。外の世界から持ってきたペットボトルの水を飲み、エナジーバーを頬張る。

 

「食料は多くはないからな。早く人里に辿り着かねえといけねえな……」

「…………」

 

 霧雨の会話に対して水を飲みながら無言で何かを察するリサ。リサは眼を見開き、叫ぶ。

 

「……何か、来る!」

 

 リサが振りむいた視線の先には10歳ほどの少女が立っていた。少女の頭部には猫耳が付いており、腰から2本の尻尾が伸びている。少女と霧雨たちとの距離は5メートルも開いていない。

 

「な、なんだこいつ!? さっきまでこんなヤツいなかったはずだぞ? いつの間に!?」

 

 驚愕する霧雨をよそに猫耳少女は大声で喋り出した。

 

「みぃつけた、みぃつけた! 藍しゃま! 見つけましたよ、しんにゅうしゃ!」

「偉いぞ、橙。あとでご褒美をあげよう」

「う……!?」と思わず霧雨は声を上げる。橙なる猫耳少女に『藍しゃま』と呼ばれた美女がただならぬ気配を纏わせていたからだ。ビリビリとしたプレッシャーを感じる。この美女もまた、人間とは思えなかった。腰には9本のふわりとした狐のような尻尾を生やしており、奇妙な被り物もしていた。被り物には獣耳を収納するように2対の出っ張りが備わる。

 

 中国風のような和風のような……その中間くらいの白を基調とした服に、青の長い前掛けを付けた美女は霧雨たちを厳しい視線で見下していた。

 

「残念だったな、侵入者共。お前たちはここで終わりだ」

 

 狐美女、『八雲藍』は縦長に切れた冷たい瞳で霧雨とリサに死を宣告するのだった。



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苗字

「おいおい……。美人の狐さん。そんな怖い眼で見ないで欲しいんだぜ?」

 

 リサは冷や汗をかきながら、藍の鋭い眼を見つめる。

 

「博麗大結界を破っておきながら、見逃してもらえるとでも思っているのか?」

「……そんな名前なんだな。あの結界は……」

「どうやって破った? 入ってきたのはお前たち二人だけか?」

「……結界にわずかだけど、裂け目があったんだぜ? わずかとは言え、あれだけ裂け目があれば私とおっさんの二人くらい侵入できるさ」

「……裂け目だと? ……お前、力尽くで結界を破ったわけではないのか……?」

「力尽く、か。私に魔法の力が残ってれば、それも出来たかもな」

「魔法使いか……。なるほど。それならば、巧みに結界内に侵入できたのもある程度納得できるな。……残念だが、この幻想郷はお前たちが思うほど甘くはない。私たちは外部との接触を拒絶している。当然、お前たちも排除の対象だ。死んでもらうぞ?」

 

 八雲藍は袖の中から御札を取り出す。御札はぼんやりと光っていた。藍が妖力を込めているのである。リサはある程度何をされるのか予測しているのか、冷や汗をかき続けていたが、霧雨には藍が何をしようとしているのか、さっぱりわからずただ困惑するだけだった。

 

「来るぞ、おっさん! 避けるんだ!!」

 

 リサは巨体の霧雨の裾を引っ張り、誘導する。霧雨は誘導される方向にダイブした。リサ達の体をかするように、お札から閃光が飛ぶ。閃光は激しい音とともに、石河原の石を真っ黒こげにしていた。もし、リサ達に当たっていればひとたまりもなかっただろう。

 

「ほう、避けるとは。中々やるじゃないか。どうやら、魔法の力がないというのは本当のようだな。お前たちからは一切魔力の痕跡を感じない。むしろ今の一撃を良く避けたものだ」

「へん。私は元々、魔法戦闘に長けた魔法使いだったんだぜ? 視線を見れば、技の特性や規模、狙いは大体わかるんだぜ? 避けるくらいならなんとかなるさ」

「……なんだと? 戯言を抜かすな。ならば、避けることも出来ぬほどの広範囲術で仕留めるだけだ……!」

 

 藍は別の札を取り出すと、妖力を込めた。札はまたも、妖しい光を帯びていく。

 

「藍しゃま、いけません!」

 

 妖術を放たんとする藍を止めたのは、舌足らずな喋り方をする橙だった。

 

「ど、どうしたんだ橙? 私の邪魔をしてはいけないぞ。下がっていなさい!」

「藍しゃま! 紫しゃまが言ってました。人間は殺しちゃダメって!」

「橙……。それは人里に住む人間のことだ。外から入ってきた人間のことではない……」

 

 藍は困ったように橙の質問に答える。

 

「藍しゃま! わたしだって、それくらい知ってます! 紫しゃまが言ってました。外から入ってくる人間は、妖怪が食べてもいいって!」

「わかってるじゃないか、橙。そのとおりだぞ。紫様はあえて、外の世界に見捨てられた人間や、世捨て人、自死を望む者など……。すなわち、外の世界に忘れられた人間が幻想郷に迷い込むように結界を調節しておられる。これは人食を辞められぬ妖怪たちに配慮してのことだ。彼らは人を食えなければ、ストレスを抱えてしまうからね。……これは昔教えただろう?」

「そうです。紫しゃまと藍しゃまに教わりました!」

「ならば、わかるだろう。この人間は殺していいんだ」

「藍しゃま、それはおかしいです。人間は食べるから殺していいのであって、食べないなら殺してはいけません! 藍しゃまは人間食べないでしょ! 藍しゃま、いつも私に食べ物は粗末にしてはいけませんと言ってるじゃないですか!」

「う、いや確かに食べ物を粗末にしてはならないと言っているが、これは違うんだ」

「何が違うんですか?」

「そ、それはだな……」

 

 橙の質問に困窮する藍。藍がどうやって橙に説明しようか悩んでいると、どこからともなく、声が響き渡ってきた。

 

「ふふふふ……。困っているわね、藍。相変わらず、橙の教育に悩んでいるようね」

 

 霧雨たちの目の前の空間が切り裂かれる。切り裂かれた空間から出てきたのは、これまた金髪の美女だった。霧雨は次から次へと起こる摩訶不思議な現象を前にして呆気にとられる。美女は紫色の前掛けをしており、藍と同じような服装をしていた。扇子を片手に現れたその美女を前にし、藍と橙は頭を垂れる。

 

「紫様、申し訳ありません。御見苦しいところをご覧に入れてしまいました」

「良いのよ、藍。貴方と橙とのやり取りは私の心を癒してくれているのだから……」

「紫しゃま! 聞いてください!」

「こら、橙。無礼だぞ……!」

「気にしないわよ、藍。どうしたの、橙。言ってみなさい」

「ありがとうございます、紫しゃま。紫しゃま、藍しゃまったら悪いんですよ。人間を食べないのに、人間を殺そうとしたんです。おしおきしてください!」

「お、おい、橙……。違うと言っているだろう……!?」

 

 橙の主張に困惑する藍の姿を見た紫は思わず頬を緩める。扇子で口元の微笑みを隠しながら紫は口を開いた。

 

「そうね、橙。確かに藍が悪いわね」

「ゆ、紫様まで……!? た、戯れが過ぎます……!」

 

 狼狽える藍の言葉を受け流し、紫は続ける。

 

「外から入ってくる人間には『種類』があることを、橙にちゃんと教えていない藍が悪いわ。橙、外から来る人間は殺さなければならない者と殺さなくていい者、そして生かさなければならない人間の大きく分けて三種類がいるのよ。見分け方を教えておきましょう。生かさなければならない人間とは私が幻想郷に入ることを『許可した人間』、これは言わなくてもわかるでしょう?」

「はい、紫しゃま!」

「殺さなくても良い人間……つまり、野良妖怪たちに食べさせて良い人間は先ほど藍が説明した通り、あえて緩めた結界から入ってきた『世捨て人』。殺さなければならない人間は無理やり、『結界を破った者』よ。わかるわね、橙?」

「……紫しゃま、橙には『よすてびと』と【結界をやぶったもの】の違いがわかりません!」

「ふふふふ……。わからないことはちゃんと聞く。橙は素直ね。私が藍を『式』にしたときとは大違い……」

「ゆ、紫様!? 昔のことを橙に話さないでくださいよぉ……」

 

 先ほどまで藍が醸し出していた『張り詰めた空気』が緩んでいる。そう感じた霧雨はリサに声をかける。

 

「お、おい。今なら逃げ出せるんじゃねぇか? クソガキ。情けねぇ話だが、あの狐の尻尾を生やしたヤツはバケモンだ。人間が勝てる相手じゃねぇ。逃げるなら奴らが油断してる今しか……」

「……無理だ、おっさん……」

 

 リサが若干俯くように下を向く。額には冷や汗が流れていた。心なしか体が震えているようにも見える。

 

「……どうした、クソガキ……?」

 

 霧雨はリサの様子がおかしいことに気付く。だが、すぐにその原因を霧雨自身知ることになる。

 

「橙、教えてあげましょう。殺さなければならない人間と殺さなくてよい人間の見分け方を……!」

 

 紫の瞳がほのかに光る。紫はその身体から妖力を発散し、リサたちに浴びせた。妖力は重力となり、リサと霧雨に襲い掛かる。

 

「うっ……!?」

 

 霧雨は自身の体に降りかかる力に耐えられず、正座のような形で跪く。もちろんリサも同様だ。眼前の金髪の人外の眼が妖しく光る。リサと同様に霧雨もまた、気付いたのだ。紫なる存在の前に自分たちなど、巨象の足元をうろつく蟻に過ぎないのだと。霧雨の本能が、もう逃げたくても手段がないのだと脳と体に警告してくる。

 

「見なさい、橙」と紫は橙に呼びかけて、「この人間たちの眼、まだ死にたくない、生きたいと光輝いているでしょう? 迷い込んでくる世捨て人の眼はこんな輝きを放たない。これが人間を見分ける方法よ」と続けた。

 

「紫しゃま。私には眼の輝きなんて、よくわかりません」と困ったように尋ねる橙に紫は「いずれ、経験を積めばわかるようになるわ」とだけ答えた。

「紫しゃま! じゃあ藍しゃまの言うように、この人間たちは殺さないといけないんですね!」

 

 橙はその手の爪をより鋭くし、戦闘態勢を取る。彼女は紫と藍に褒められたくて仕方ないのだ。率先して、霧雨たちを殺そうとする。その表情は笑みで埋め尽くされていた。

 

「橙! お前が殺す必要はない。子供がやることではない……! 手を出すな!」

 

 橙が霧雨たちを殺そうと笑みを浮かべた姿を見て、藍は慌てて制止した。まだ幼い橙が自分たちに褒められたいという一心で人を殺そうとしている。それを藍はよしとしなかった。藍は、かつての自分のように良心を欠いた倫理観を橙が持ってしまうかもしれない、と思うと嫌悪感が募る。橙には純粋でいて欲しいと、藍は願っていた。

 紫は自身の『式』である八雲藍の教育者としての『成長』を目にし、思わず微笑んだ。そして続ける。

 

「橙、この人間たちを殺す必要はないわ。この二人は『許可した人間』になるのだから……」

「……紫様!? この者たちを幻想郷に住まわせるおつもりですか……!?」

「ええ。何か問題があるかしら……?」

「新たな人間を外部から移住させるのならば、賢者たちにも了承を得る必要があります。紫様の独断だけで行うのは……」

「あら? 私も賢者の一人よ。それに自分で言うのも何だけど、賢者の中でも私は上層に位置している。意見が通らないことはないわ」

「しかし……」

「……先日、人里で疫病が流行り、人口が減少していることは藍も承知しているでしょう? 外から人間を調達しないといけないことは明確。ならば、目の前のこの人間たちは適任だわ」

「適任というのは……?」

「幻想郷の住人のほとんどは、元来からこの地にいた人間をそのまま住まわせている。それ故、塩基配列のパターンが少なすぎるのよ。それこそ疫病が流行ってしまった理由。この少女を見なさい。珍しい生来からの金髪に白い肌。人里に足りない要素をふんだんに持っている。男の方も人里では見たことのないくらいの巨漢。新たに住まわせる人間としてはこれ以上なく適任ではないかしら?」

「…………わかりました」

 

 胡散臭そうな笑みを浮かべた紫の説明に一応納得のセリフで回答した藍はふうと溜息を吐く。

 

「また、他の賢者から嫌味を言われそうです」と藍はぼやいた。

 

 紫は強制的に跪かせている霧雨とリサの二人に視線を向けると、「そういうことだから」と言って妖術を解いた。

 

「……俺達は殺されないで済むってことか……?」

 

 霧雨の問いに紫は口元を扇子で隠しながら、微小に頷く。

 

「少なくとも、私たちからはね。でも、気を付けなさい。貴方達を殺すかもしれない連中はこの幻想郷には山ほどいる。そいつらに見つからない内にさっさと人里まで行くことね。『一応』、人里の人間に妖怪や人外の類は手を出してはいけない決まりになっているから」

 

 霧雨の問いに答えながら、紫はリサの方に視線を向けた。その表情は興味津々といった様子だ。霧雨は紫の姿を見て思う。「どうやら、俺が生かされたのはクソガキのおまけらしい」と。笑みを浮かべた紫はリサに向かって口を開いた。

 

「金髪のお嬢ちゃん。あなた、お名前は……?」

「え? えっと……リサ」

「そう。リサというのね。……あなた、言ったわね。結界の『裂け目』が見えるって。それはいつから?」

「……生まれたときから。双子の姉さんも見えるんだぜ」

「珍しい体質ね。結界を見ることができる術者はいくらでもいるけど、裂け目まで見える術者は少ない。あなた、もしかして……。……あなたの苗字を教えてもらえるかしら?」

「みょ、苗字は……」

 

 リサが言い淀む。リサに苗字はない。赤ん坊のときに攫われ、リサという名前だけを与えられて生きてきた。そのことを知る霧雨は横から口を挟む。

 

「金髪さん、こいつ赤ん坊のときに攫われたんだ。だからこいつに苗字は……」

『ないんだ』と霧雨が続けようとした時だった。リサが小さな声で恥ずかしそうに呟いた。

 

「……霧雨」

「あぁ?」とリサがなんと言ったのか聞こえなかった霧雨は確認する。いや、正確には聞き取れていたが、リサの言葉に耳を疑ったからもう一度聞きなおした。

「……霧雨」

「お前、何言ってやがる。頭おかしくなったか?」

「お、おかしくなんかなってねーよ! ……なぁ、別にいいだろ? おっさん……」

 

 リサは顔を赤らめ、眼を伏せるように頭を俯き加減にしながら、霧雨の袖をその小さな手で握り締めた。心なしか涙目になっているようにも見える。

 そんなリサの様子を見て察した紫は微笑を浮かべながら、リサの元に移動する。

 

「お嬢ちゃん、大変ねぇ。その想い、かなり頑張らないと成就しないわよ。その男、かなりの朴念仁のようだから」とリサの耳元で囁いた紫は、声の音量を戻して続けざまに言い放つ。

 

「……さぁ、二人とも早くいきなさい。この辺りは妖怪たちが多い。もたもたしていたら殺されるわ。……あなたたちの狙いは合っているわよ。この川を下った先に人里はある」

 

 言いながら、紫はスキマを展開した。そして、藍、橙とともに去ろうとする際(きわ)に霧雨たちに忠告する。

 

「ようこそ幻想郷へ。……幻想郷は全てを受け入れる。それは残酷であるということの言い換え。お二人がこの過酷な世界を生き抜くことを願っているわ」

 

 その言葉を残して、八雲紫とその一行はスキマを閉じて消え去った。

 

「……なんだかわからんが助かったな……」

「ああ、完全に殺されると思ったぜ……」

 

 安堵する霧雨の問いにリサが答えた。しばし呆然と立ち尽くしていた二人だったが、リサが思い出したように目を見開く。

 

「あ!? しまった!!」と紫たちが去った石河原で大声を出すリサ。

「どうしたんだクソガキ。でけえ声出しやがって……。びっくりするじゃねえか!」

「……ルークスとかお母様とかのこと、今の妖怪に伝えるべきだったぜ。どうやら、このコミュニティ……幻想郷で結構偉い奴だったみだいだし……」

「んなもん、またどっかで会ったときに伝えりゃいいだろ。……さ、さっさと人里とやらに向かうぞ。また、あんな化物みたいなやつらに遭遇したら適わねえからな」

 

 歩み出そうとする霧雨にリサが後ろから声をかける。

 

「な、なぁおっさん。怒ってないか……?」

「あぁ? 何に怒るってんだ?」

「みょ、苗字。私が霧雨って名乗るの……。勝手に決めちゃったからさ……」

「何で怒る必要があるんだ。てめえがどんな苗字名乗ろうが知ったこっちゃねえよ、クソガキ。にしても俺と同じ苗字にしたいだなんて、てめえも変わってやがんな」

「……え?」と言葉を失うリサ。

「どうせ苗字を付けるんなら、もっと偉そうなのにすりゃあ良かったのによ。織田とか豊臣とか徳川とか……」

 

 霧雨の言葉にリサは顔を真っ赤にして眉を吊り上げた。

 

「うっせぇな! おっさんのバーカ! バーカ、バーカ!! 妖怪に食われて死んじまえ!」

 

 リサは早歩きで霧雨の横を通り過ぎると川下へと向かっていった。

 

「何いきなり切れてんだ。あのクソガキ。おい、待て。ガキが一人で勇んで進んでんじゃねえよ!」と慌てて霧雨リサの跡を追う霧雨。

 ……結局、リサと霧雨が八雲紫と邂逅する機会は以降一度もなかった。もし、異変前にリサが紫に『ルークス』や『テネブリス』のことを話せていれば、また違った結末を迎えていたのかもしれない。しかし、それが叶うことはなかった。

 

 

 

――マヨイガ――

 

 

 

 リサ、霧雨と別れた直後、マヨイガへと移動した紫たち。そこで藍が紫に尋ねる。

 

「……紫様」

「どうしたの、藍?」

「なぜあの二人を生かしたのですか?」

「言ったでしょう? 人里の人口を増やすためよ」

「それだけではないはず。紫様はあのリサと名乗る少女が『裂け目』を見ることができることに興味を持たれていたご様子……。それが関係あるのですか?」

「……藍。主人の意向を慮り汲み取ることと、心中を勘繰ることは似て非なる真逆の行為よ?」

「……申し訳ございません。お許しください、紫様……。しかし、あまり私情をお挟みになり続けますと、紫様のご立場が危うくなりかねない、と私は心配しているのです」

「……進言感謝するわ、藍。以降気を付けることとしますわ。……藍、あなたの言うとおりよ。これには多少の私情が入っている。……あの娘はもしかしたら、私にとって大切な……。……いずれ、話すこともあるでしょう。さ、一度妖怪の山に行ってくるわ。橙を家に送ってあげないと。藍、あなたは先に帰っていなさい」

 

 結局、紫は藍に真意を告げることはなかった。紫は藍をマヨイガに置くと、橙を送るべく再びスキマの中へと消えていったのだった。



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嫁入り

――数年後――

 

 霧雨とリサは人里で道具屋を営んでいた。抗争の後遺症で肺の一部を失った霧雨は満足に力仕事ができなくなってしまっていたため、商売をする他なかったのである。

経営自体はぼちぼち上手くいっていた。曲がりなりにも現代で暮らしていた霧雨は、元々幻想郷にあった商品や部品を組み合わせて、現代に在った便利アイテムを真似て作り出したものを売ることにしたのである。これがそこそこに当たり、食うには困らない程度の稼ぎを得ることができていた。

 

『霧雨道具店』というシンプルな店名で構えたその店で、霧雨は店の主人として、リサは看板娘として人里に馴染むようになっていた。

 今日もいつものように開店準備をする。

 

「おい、クソガキ。表開けるぞ。準備しろ」

「ほいほいっとー」

 

 リサが店の入り口の雨戸板を取り外すと、霧雨が陳列台を店前の通りに並べていく。最初に訪れたのは常連の老年女性だ。

 

「あらあら、まぁまぁ。今日も美人さんねぇ、リサちゃん」

「褒めたって、何も出ないぜ。おばあちゃん!」

「それは残念ねぇ。いつもの貰えるかしら?」

「はいはいっと。おっさん、石鹸出してあげてー!」

 

 霧雨は無言で石鹸をリサに渡す。リサは受け取った石鹸を紙袋に包むと、金と引き換えに老年女性に手渡した。

 

「へへっ。まいどありー」

 

 リサは満面の笑みで、老年女性を見送った。リサの看板娘としての評判は上々。老若男女問わず、明るく接するリサは人里で人気があった。リサ目当てで店を訪れる者たちも少なくない。霧雨道具店の売り上げは霧雨の職人気質とリサの人気が支えていた。

 

 そんな風に道具店を営むことが完全に日常となったある日のことだった。リサがいつものように仕事着である簡易な和装を身にまとい、髪を頭の後ろで結い終わると作業頭巾を被る。その仕草を見ていた霧雨は思う。このクソガキも年頃の女になったな、と。いつまでも他人である年老いた自分と暮らさせるわけにもいかない、と霧雨は考え始めていた。

 

 そう言えば、店の常連客に良い歳ごろの青年がいた。容姿も悪くはない。あれはたしか、貸本屋の跡継ぎだと聞いた。幻想郷において、本は数少ない娯楽である。それをほぼ独占して営業しているらしい。しかも、あそこは人里の中でも名家と言われる稗田家に贔屓されていると聞く。クソガキを嫁にもらってくれるなら、これほど安心できる相手はいないだろう。もっとも、向こうさんがクソガキを気に入っているかはわからんが、聞いてみる価値はあるだろうと霧雨は踏んだ。

 

 ……次の日、霧雨はリサに聞いてみることにした。話を持っていくにしても、リサが納得しなければ意味はない。霧雨は開店準備中のリサに声をかける。

 

「おい、クソガキ。お前、貸本屋の跡継ぎ知ってるか?」

「ああ。あの男前の……。もちろん知ってるぜ? ウチのお得意さんじゃねえか」

「もし、お前さえよければ、だ。あの坊ちゃんとこに見合いの話でも、持っていってやろうと思ってな」

 

 霧雨の言葉を聞いたリサが動きを止める。

 

「お前ももう良い歳になったからな。俺みたいな中年男といつまでも一緒にいたら、悪い噂立てられるぞ。姉さんやお母様とかいうババアの話も解決はしてねえが、少しは自分の幸せを考えてもバチは当たらねえだろ……うっ!?」

 

 霧雨は思わず声を上げた。リサが商品の湯飲みを投げつけてきたからである。

 

「て、てめ。何しやがる!? 商品を投げるなんてどういうつもりだ!?」

 

 霧雨はリサの顔を見る。……リサは眼を真っ赤にして涙を流していた。下唇を噛むようにして、眉を吊り上げている。今までに霧雨が見たことのない激しい感情の昂ぶりだった。

 

「くっそ。何が悪い噂だよ! そんなの勝手に流させとけよ! 私は気にしないんだ! ……おっさんがいつまでもクソガキっていうから、大人になるまで待ってたのに……! 大人になった途端に出ていけってどういうことだよ! おっさんと暮らすのが嫌なら、こんなに何年も一緒にいないっての。とっくの昔に出ていってんだ。私がどんな思いで『霧雨』を名乗ってたのか……、まだわかんないのかよ! ……もういい!」

 

 リサは真っ赤になった眼のまま、店の前に立つ。いつものように仕事を始めたのだ。常連の老年女性が訪れる。老年女性は泣いた跡のあるリサの顔を見て驚き、尋ねた。

 

「どうしたの、リサちゃん。何かあったの?」

「……なんでもない。おっさんが私のこと、ただの居候だっていうから、ムカついただけ……」

 

 リサは溢れそうになる涙を袖で拭きながら老年女性に答える。

 

「あらあら、まぁまぁ……」

「んなこと言ってねえだろ」と霧雨は言おうとしたが、喉から声が出なかった。

 

 さすがの霧雨もあそこまでリサに怒りの感情をぶつけられれば、リサの気持ちに気付く。だが、どうすればいいか分からなかった。歳食った大の大人なのに情けないと霧雨は感じるが、何が正解か答えを出せない。

 

 まさか、二回り近く歳の離れた娘から好意を寄せられるとは思っていなかった霧雨は、大いに悩む。リサの気持ちを受け止めるべきなのか。だが、それが本当にリサにとって幸せなのか。

 

 答えの出せないまま、一週間が過ぎようとしていた。霧雨とリサは会話を交わさずに店を営んでいた。

 

 霧雨は考え続けていた。霧雨自身はリサのことをどう思っているのか、と。一緒に住んでるだけのクソガキ。泣いて怒られるまでそう思っていた。女っぽく見えたのだって、ここ最近のこと。自分が十代だったころのような純粋な気持ちでリサと向き合えるかと言われれば、それは無理な話だった。

 

 そんなことを考えながら店をしていると、リサが無言で手を出してきた。いくら機嫌を損ねたからって声くらい出せよと思いつつ、ああ、ハサミが欲しいのかと察してリサに手渡す。

 

 ……その時、霧雨は思った。リサは頑固な霧雨に文句を垂れつつも、この数年間一緒に生活してくれている。霧雨は漁師時代に何度か嫁をもらったことがあったが、どの嫁も霧雨の性格についていけずに家を出て行った。だが、リサはどうだ? 追い出そうとしても霧雨の元に居てくれる。頑固者の自分にここまで付き合ってくれる人間が他にいるだろうか、と霧雨は思う。そう思った途端、急に霧雨は怖くなった。リサを追い出そうと思えば、無理に追い出すこともできるだろう。だが、この店に一人だけで働く自分のことを妄想すると無性に寂しくなった。そう、霧雨にとってもリサはいなくてはならない大切な存在になっていたのである。そのことに気付いた霧雨は決心した。

 

 ……リサが泣いて怒ったあの日からちょうど十日目の朝、いつもどおり、店の準備を始める二人。今日も無言のまま準備し始めるリサに霧雨は声をかけた。

 

「……おい、『リサ』。表開けるぞ。準備しろ」

 

 リサは霧雨が自分のことを『クソガキ』ではなく、『リサ』と呼んだことにピクっと反応し、振り返る。

 

「……おい、おっさん。今、私のこと『リサ』って呼んだか?」

「…………」

 

 霧雨は無言で頬を人差し指でかく。リサの視線から眼を逸らしながら……。

 

「おっさん! 『リサ』って呼んでくれたってことはさ。そういうことでいいんだよな!?」

「……そういうことだ」

「あっはは!」

 

 リサは嬉しそうに雨戸板を取り外す。霧雨もいつものように陳列台を店前の通りに出した。店を開けるや否や常連の客が来た。あの老年女性である。老女はリサの顔がここ最近で一番明るいことに気が付いた。

 

「どうしたんだい、リサちゃん。今日はやけに機嫌が良さそうじゃないかい」

「へっへへ。なんでもないんだぜ!」

 

 老婆は察した。昨日までの不機嫌さがここまで変わるのは相当なことに違いない。老婆は霧雨にも問いかけた。

 

「……リサちゃんと仲直りできたみたいだねぇ、ご主人。……リサちゃんはただの居候じゃないってことだ」

「……そうだな。リサは居候じゃねえよ、婆さん。……俺の『嫁』だ」

「あらあら、まぁまぁ」

 

 リサは霧雨の言葉を受け、満面の笑みをさらに輝かせるのであった。



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改名

――さらに2年後――

 

 霧雨とリサは道具店を営み続けている。そんな霧雨家に新しい家族が増えていた。その子はおんぶ紐でリサに括り付けられていた。

 

「あぁん、あぁん」と泣くその子をリサは散歩しながらあやしていた。

「おお、よしよし。真梨紗は良い子だろう? もうすぐ一歳になるんだしな。泣き止まないといけないぜ?」

 

 リサの言葉に反応し、泣き止み始める『真梨紗(まりさ)』。彼女こそ、霧雨とリサの間に生まれた初めての子供だった。泣き止んだ途端に真梨紗はきゃっきゃっとリサに笑いかける。

 

「よしよし。良い子だぞ、真梨紗」

「……こんなところにいやがったか。リサ、ちょっと手貸してくれ。急に客足が増えてな。霖之助と二人だけじゃ足りねえんだ」

「うわぁああああん!」

 

 霧雨がリサと真梨紗の元に駆け寄ると、真梨紗が勢いよくわんわんと泣きわめき始めた。

 

「あぁ! せっかく泣き止んでたのに……。おっさんが怖い顔してるから、また真梨紗が怖がって泣き出したんだぜ?」

「…………」と無言の霧雨。いつもの仏頂面のままだが、どこか落ち込んでいる様子の霧雨を見てリサが口を開く。

 

「じょ、冗談だって! すぐ行くからさ。おっさん、先に店に戻っててくれ」

 

 霧雨は言伝を終えると、すぐに霧雨道具店へと戻っていく。この頃には霧雨道具店に一人の青年が「修行」と称して霧雨の店でともに働いていた。その青年の名は「森近霖之助」。リサのお腹の中に真梨紗が入っているときに霧雨道具店にやってきた。彼は外の世界から入ってくる道具に興味を持っており、霧雨が記憶を頼りに見様見真似で作成した外の世界の道具に惹かれ、店の手伝いをしている。

 

「奥さん、すいません。急に帰らせてしまって……」

 

 道具店に帰ってきたリサに対して申し訳なさそうに頭を下げる霖之助。

 

「なぁに、気にすんなって霖之助さん。さ、私の方でもお勘定するぜ。次のお客さんどーぞー!」

 

 数十分後、リサの加勢もあって客を捌き終わった霧雨道具店で霖之助は霧雨に尋ねる。

 

「霧雨さん! この前、外の世界から流れ着いたらしきこの機械なんですが……、どうやって使うのかわかります?」

 

 霖之助が持っていたのは『ポケットベル』。霧雨も何度か使ったことはある。しかし……。

 

「電池切れだな。大体この世界には電話もねえし。電波も飛んでねえだろ。使い方を教えたくても教えられねえな」

「はぁ。そうですか……」

 

 霖之助はため息交じりに残念そうな表情を浮かべる。

 

「お前、俺にそんなこと聞かなくても、道具を見たら名前と用途が分かるんだろ? 妖怪と人間の合の子だから」

「まぁ、そうなんですが……。やっぱり使い方まで分からないと、今後商売するのは難しいですからね。……そういえば、霧雨さん。真梨紗ちゃん、もうすぐ一歳になるんでしたっけ?」

「ああ。それがどうした?」

「一生餅はどうするんです?」

「一生餅か……。俺の地元ではその慣習はなかったからな。何もするつもりはなかったんだが……」

「せっかく、幻想郷に来たなら博麗神社で一生餅をやったらどうです?」

「神社で一生餅をやるのか? 聞いたことねえな。……博麗神社ってぇと、少し辺鄙なところにあるっていう神社か。そういえば行ったことねぇな」

「実は僕もそこで親に一生餅をやってもらったんですよ。紅白の巫女に紅白の餅を背負わせてもらうと、縁起が良いってことで。まあ、最近はあんまり博麗神社まで行ってやる人も少なくなってるみたいですけど……」

「……ま、せっかくの行事。ちっと遠出してみるのもいいかもしれねぇ。商売繁盛の祈願もついでにしておくか」

 

 数日後、霧雨とリサは真梨紗を連れて、博麗神社までの道のりを歩んでいた。中々距離があり、到着する頃には霧雨は息切れを起こしていた。

 

「おっさん、大丈夫か?」

「心配すんな。大丈夫だ」

 

 心配するリサに霧雨は呼吸を整えるようにして答えた。

 

「……情けねぇ。これしきのことで息が上がるとはよ」

「無理すんなよ、おっさん。肺ねえんだから……。……ここでちょっと休憩して、この階段上ろうぜ。多分、ここが霖之助さんの言ってた博麗神社前の階段だろうから」

 

 竹で出来た水筒の水を飲んで一息ついた霧雨一家はゆっくりと博麗神社の階段を昇っていく。階段を昇り切った霧雨家の眼に映ったのは真っ赤な鳥居と、小さいながらも厳かな雰囲気を放つ拝殿。敷地に人影は見られない。

 

「……誰もいねぇな。建物の中か……?」と霧雨は呟く。だが、すぐにその女は現れた。

「……悪いねぇ、待たせてしまったかい?」

 

 霧雨とリサは思わず体をビクっと震わせる。その女の放つ威圧感が場の空気を支配していた。

 拝殿の影から現れたのは、長い黒髪の紅白巫女。もっとも紅白といっても、巫女服の隙間から黒いインナーが見え隠れしてはいるのだが。

 

「へぇ。お二人さん、私の放つ気を感じ取れるのかい? 人里の人間にしては珍しいじゃないか……。で、この神社には何の用事で来たんだい?」

 

 紅白の巫女は八雲紫に勝るとも劣らないプレッシャーを放っていた。紫と同様の強大な力を感じる。違いがあるとすれば、紫の力が恐怖と形容できるのに対し、この女の力は厳格と形容できることだろうか。

 

「……このガキの一生餅をしてもらいに来た。知り合いがこの神社の巫女にやってもらうといいって言ってたんでな……」

 

 霧雨は冷や汗をかきながら、答える。

 

「ふぅん。一生餅ねぇ。最近はそんなことをやってもらいに来る人間はめっきり少なくなったもんだから、ウチは餅を用意してないよ?」

「お、お餅なら持ってきてるんだぜ……です」

 

 慣れない丁寧語を喋ろうとするせいで、奇妙な言い回しになっているリサが、風呂敷から紅白の餅二つを取り出した。小さな鏡餅くらいの大きさがある。

 

「ほぉ。これまた立派な餅を用意したもんだ。これじゃ、その背中の子供じゃ持ち上げられないだろうに」

「背負えなくても良いって聞いたんだぜ。大は小を兼ねるって言うだろ? ……です」

「ま、そちらさんが気にしないんなら私は何だっていいさ。背負わせてやる。赤ん坊を下ろしてやりな」

 

 リサは背負い紐を解き、真梨紗を石畳の上に下ろしてやった。真梨紗は「だぁだぁ」と言葉にならない声を出してふらふらしながら立ち上がる。

 

「ふーん。まだ、立てるようになって間もないって感じだねぇ」

「ああ。一週間前くらいにようやく立てるようになったんだぜ……です」

「よし。じゃあ餅を背負わせてやろう」

 

 紅白巫女はリサの持ってきた風呂敷の中に餅を入れ直し、器用に折りたたむと真梨紗に括り付ける。真梨紗は餅の重さに耐えられず、前のめりに倒れてしまった。

 

「うわぁああああん」

 

 倒れると同時に泣き出してしまった真梨紗。

 

「ごめんごめん真梨紗。痛かったな?」と言いながらリサが真梨紗を助けようとした時だ。

「ちょっと待ちな、若いお母さん」

 

 呼び止めたのは紅白の巫女。

 

「この子の一生を占う儀式なんだよ。もう少し様子を見な」

 

 紅白巫女はまだ手を貸すなとリサに告げる。

 泣き続けていた真梨紗だったが、しばらくすると涙を流しながら、重い餅を背負ったままにふらふらと何とか立ち上がる。巫女に向けた真梨紗の眼つきは「負けるもんか」と言っているようだった。

 

「へぇ。根性あるじゃないか、お嬢ちゃん。こりゃ将来が楽しみだ。根性は任侠上がりの親父さん譲り。魔力はお母さん譲り、か」

「なっ……!?」

 

 霧雨とリサは驚嘆の声を上げずにはいられなかった。霧雨もリサも幻想郷に来てから自分たちがヤクザまがいのことをしていたことも魔法使いだったことも言っていなかったからである。

 

「……巫女さん。なんでアンタ、俺が元ヤクザものだとわかりやがった……?」

「……勘さ」

「勘だぁ?」

「ま、半分勘で半分洞察さ。親父さん、あんたの眼からは堅気じゃなさそうな気配が漏れ出ていたからな。あと……体つきを見れば分かる。アンタの筋肉の付き方は長年喧嘩してきた人間のものだ」

「体つきを見れば分かるだと……。……リサ以外にもそんなことが見破れる人間がいるとは……」

「……ちょいと失礼するよ」

 

 巫女は霧雨の胸に手を当てる。突然のボディタッチに霧雨は尋ねた。

 

「何のつもりだ、巫女さん」

「ふん。なるほど」

「何がなるほどだ?」

「親父さん、アンタの体が弱ってるみたいだったんでね。調べさせてもらった。最初は心の臓が弱っているのかと思っていたが、見立てが違ったらしい。アンタ、呼吸器がやられてるようだね」

「……そんなことまでわかりやがるのか……」

「そんなに難しいことじゃない。アンタだって似たような力を持っている。職業病みたいなもんだよ」

「冗談言うな。俺にそんなトンデモな能力はねえよ」

「そんなことないさ。私と握手してみればわかる」

 

 巫女は霧雨に手を差し出す。言われるがまま、巫女の手に触れた霧雨に衝撃が走った。霧雨が触った巫女の手は女性特有の柔らかさがある。しかし、その内側にある筋肉の密度が常人のそれでないことに霧雨は気付いた。おそらく、手の筋肉だけではない。彼女の全身に纏われている筋肉は常人のそれを優に超える質があると、霧雨は一瞬で感じ取る。喧嘩慣れした霧雨、漁師として自然に長年触れてきた霧雨だからこそ感じ得たものだった。

 

「どうだい? 自画自賛で恐縮だけどさ、私は強い。妖怪退治で生計を立てられるくらいにはね。アンタは本能が結構洗練されているようだから、手を触っただけで私の力に気付けたはずだ」

 

 巫女は握手を解除すると、残念そうに笑みを浮かべる。

 

「あぁ。万全で若い頃のお前さんと、術抜きの肉弾戦で一戦交えてみたかったね。きっと、今まで戦ったどの男よりも強かったに違いない」

 

 巫女は続いてリサに視線を向ける。

 

「……アンタも魔力やら何やらを失わなければ、私より強い術者だったのかもしれない。魔力があった痕跡でわかる。アンタかなりの強者だったようだね。残念だ。本当にもったいないよ。魔力を失っていないアンタと一戦交えてみたかった」

 

 巫女は全て見透かしているかのように、霧雨たちに語り掛ける。そしてその視線は餅を背負って立っていたが、疲れて座り込んでしまった真梨紗にも向けられた。

 

「おお、悪い悪い。餅を括り付けたままだったね。重かったろう? すぐに取ってやる」

 

 巫女は真梨紗に結び付けていた餅入りの風呂敷を外してやった。

 

「……若奥さん。この子の名前は何て言うんだい?」

「……真梨紗。真実の真に、果物の梨、糸辺に少ないの紗。私の名前がリサで姉さんの名前がマリーだから繋げたんだぜ……です」

「ふうん。良い名前だ。……だが、この子に背負わせるには少々軽すぎる」

「か、軽いだって?」

「ああ。軽い。この子の眼を見れば分かるさ。この子は逆境に負けない強い眼を持っている。だから、もっと重い名の方がいい。……そうさね。名前の響きは今のままでもかまわないが……。……魔理沙ってのはどうだい? 魔法の魔に、ことわりの理、さんずいに少ないの沙だ」

「子供の名前に『魔』!? さすがにそれはないんだぜ!? それに……この子には魔法の才は……」

 

 リサは俯く。真梨紗に魔法の才がないのは明らかだった。真梨紗には生まれつき運がなかったのである。おそらく母親であるリサの運が、テネブリスによって姉のマリーに移植されたことの影響だ。リサは真梨紗に魔法の道を進んでほしいとは願っていなかったのである。だが、巫女は続けた。

 

「大丈夫だ。確かにこの子には運がない……が、それをハンデとも思わない精神の強さが窺える。きっと名前に負けない強者になるさ。……魔法の理をもって淘げる者……。魔法を修める者……。良い名前だと思わないかい? 沙には水辺という意味もある。海の男でもあった親父さんとも関連する字が付いてるのも良いだろ?」

「……俺が漁師だったのも見抜けやがるのか……」

「潮の匂いがしたからね。幻想郷にはない特異な匂いだからすぐ気付いたよ」

 

 巫女はにやりと不敵に笑う。そして、確信を持つように言い放った。

 

「この子の名前は魔理沙にしな。その方が良い。博麗神社の巫女である私が言うんだ。信じて変えときな」

 

 ……娘の名前にケチを付けられる。普通ならば、激昂してもおかしくない状況だ。だが、霧雨もリサも眼前の巫女の提案に反論しなかった。人智を超えた巫女の洞察力は不思議な説得力を持っていたのである。霧雨とリサは言葉こそ交わさなかったが、魔理沙の名前を巫女の提案通りに変えることに二人とも反対はないようだった。

 そんなやり取りを両親と巫女がしている中、魔理沙が「あぁ!」と嬉しそうに拝殿の方に指をさしていた。

 リサが、魔理沙の指さす方に視線を向けると、そこには小さな黒髪の幼女がいた。歳は1歳半か2歳と言ったところだろう。人形のように整った顔。その小さな体に合わせた紅白の小さな巫女装束を着た幼女はわらじを自分で履くと、霧雨たちのもとに、とてとてと歩み寄ってきた。

 

「かわいい……」

 

 リサは黒髪幼女を見て素直な感想をこぼす。巫女は幼巫女を紹介することにした。

 

「こいつはウチのチビだ。チビっつっても、私の子供ってわけじゃあないんだが……。名前は霊夢。博麗霊夢だ」

「霊夢ちゃんって言うのか。いくつになるんだぜ?」

「…………」

 

 リサからの質問に無言で全く答えようとしない霊夢。それは普通の小さな子供が、恥ずかしがって無言になる様子とは異なり、明らかに意志を持って無言を貫いていた。

 

「わ、悪い。このチビ、妙にませててな。おい、ちゃんと答えろ霊夢」

「…………」

 

 霊夢は巫女の言葉にも無視して答えない。霊夢はただ一人、幼い魔理沙だけを見つめていた。わずかに眉を吊り上げて……。

 魔理沙は自分と同じくらいの『友達』を見つけたことが嬉しいのか、ふらふらしながら立った状態で、満面の笑みを浮かべると、これまたふらふらした足取りで霊夢に歩み寄ろうとしていた。

 

「きゃっきゃっ」と笑いながら霊夢に近づく魔理沙。しかし、霊夢はそれを拒絶した。霊夢は魔理沙の肩を両手で押し、魔理沙をコケさせた。尻もちをついた魔理沙はわんわんと泣き始める。

 

「わ、悪い。おい、霊夢。なにいじわるしてんだ。謝れ!」

 

 巫女が謝るように霊夢に告げるが、霊夢はそれも無視して踵を返すと、拝殿の裏へと駆けて行ってしまった。

 

「ほ、本当に悪かった。アイツには私から怒っておくから……。すまんが、一生餅はこれで終わりにしてくれ。アイツを追わないと……」

 

 巫女は霧雨たちに謝罪の言葉を残すと、霊夢が逃げた方向に走り去ろうとする。しかし、何かを思い出し立ち止まると再び霧雨たちに言葉をかけた。

 

「赤ん坊の名前、本当に変えた方がいい。博麗の巫女である私が言うんだ。……博麗の巫女の勘は良く当たる。信じて損はないだろうさ」

 

 言い残して、今度こそ本当に巫女は走り去る。彼女こそ、霊夢の一代前の巫女、『先代巫女』であった。

 

 

 

 

「……おい。何であんなことした? 賢いお前ならあんなことするのはダメなことだってことくらい理解できてるだろ?」

 

 先代巫女は居間に逃げ込んでいた霊夢に問いかける。だが霊夢はそっぽを向き、やはり無言を貫いて答えようとしなかった。

 

「……あの近い歳の子供が両親に囲まれて幸せそうにしてたからか? 羨ましかったのか? だとしても、あんなことしたらいけないだろ。それは八つ当たりだぞ」

 

 先代巫女の言葉を耳にし、霊夢は先代巫女に一瞬顔を向けるが……、すぐに視線を切り、また逃げ去って行った。その様子を見て、先代巫女は呟く。

 

「……才能が有り過ぎる、賢すぎる、ってのも難儀なもんだな。……自分の置かれた環境が不幸であることに気付けてしまうんだから……」

 

 先代巫女は霊夢の心情を思い、同情するのだった。



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永遠の眠り

 ――6年後、霧雨魔理沙は7歳になっていた……。

 

「ただいま、お母さん!」

 

 家に帰るや否や、リサの寝室に魔理沙は飛び込んできた。

 

「魔理沙、お帰りなさい……。塾は楽しかった?」とリサはお上品そうな言葉遣いで魔理沙に答える。

「うん! 今日もそろばんとか、漢字とか習ってきた!」

「そう、楽しかったのなら良かったわ……」

 

 優しく魔理沙に微笑むリサ。魔理沙の通っている『塾』とは、学校に近いものである。人里の有志によって数年間だけ経営されていた。後に上白沢慧音が造る『寺子屋』の前身のような存在である。結果から言えば、魔理沙が十歳を迎える前に一度潰れてしまうのだが……。

 

「ごほっ、ごほっ」とリサは咳き込んだ。それを見た魔理沙は母親を心配して声をかける。

「だ、大丈夫、お母さん!?」

「……大丈夫よ。ほら、このとおり」

 

 リサは両手を上げて健在ぶりをアピールした。……しかし、リサの体は既に限界を迎えようとしている。ここ数年、リサは床に臥せるようになっていた。どんな医者に見てもらっても原因は不明。だが、リサには心当たりがあった。そう、リサが持つ魔法に必要な才能をマリーに移植したのが原因である。移植時にリサの生命力もマリーに渡されてしまっていたのだ。生命力を奪われたリサの寿命はもうすぐそこに迫る。

 リサが空元気なことは幼い魔理沙でもわかる。不安そうな表情をする魔理沙と微笑むリサ、二人がいる部屋に霧雨が入ってきた。

 

「あら、あなた……」

「お父さん!」

 

 二人がそれぞれの呼び方で霧雨を呼ぶ。

 

「……帰ってやがったか、魔理沙。……リサは体調悪いんだ。寝かせてやれ」

「あなた……。そんなに気を遣わなくてもいいのに……」とリサは言うが、魔理沙は父親の言う通り、リサの寝室から出ていくことにした。

「……うん、わかった。ちょっと遊びに行ってくるね」

「魔理沙、日が暮れるまでには帰るんですよ?」

「うん!」

 

 魔理沙はリサの言葉に元気よく返事をして出て行った。

 

「……体の調子はどうだ、リサ」

「大丈夫よ、あなた。全然平気……」

「おい、いつまでその気持ち悪い話し方するつもりだ?」

「ぷっふふっ。あっはは。悪い悪いおっさん。でもさ、仕方ねえだろ? 私は魔理沙の前では上品なお母さんで通すつもりなんだぜ?」

「……アホなことはやめとけ。どうせ、すぐにボロが出るからよ」

「やーだね。私は魔理沙には姉さんみたいにお淑やかになって欲しいんだぜ? だから、あの子の前ではこの言葉遣いはやめねえよ」

「……俺とお前との子供だぞ。無茶言ってんじゃねえよ」

「だからこそ、教育が大事なんだぜ。……っ!? ごほっ、ごほっ!」

 

 リサは喋りかけていた言葉を飲み込み、代わりに咳を吐き出す。

 

「……大丈夫か!?」

 

 心配する霧雨は、リサが咳を抑えようと添えていた手に血が付いているの気付く。リサはその血を見ながら呟いた。

 

「へへ……、おっさん。どうやら、ボロが出ることはなさそうだぜ? 魔理沙に演技がバレる前に私は逝っちまいそうだからさ……」

「……馬鹿なこと言ってんじゃねぇ……! 俺より先にお前がくたばるわけねえだろ。順序が違うだろうが……!」

「……そうだな、おっさん。私としたことが弱気になっちまってたぜ……」

 

 リサは力のない笑みを浮かべていた。

 リサのタイムリミットが迫るある日、魔理沙が人里を歩いていると喧騒が巻き起こる。

 

「だ、だれか。その男を捕まえてぇ!」

 

 淑女の悲鳴が聞こえる。走り去ろうとする男の腕にはきれいな風呂敷……。どうやら強盗らしい。

 

「どけぇ! 殺されたくなかったら……、どけぇ!」

 

 男は短刀を振り回し、周囲を恫喝しながら逃げる。狭い人里でこんな騒ぎを起こせば、次の人生はないだろう。しかし、追い詰められた男にそんな理性は働かない。狂った男に傷つけられまいと男から逃げる者はいても、男を止めようとする者は誰もいなかった。……たった一人の少女を除いて。

 紅白の巫女装束を着たその少女は黒髪を靡かせて男の前に立つ。年齢は魔理沙と同じくらいか。狂った男は手に持つ短刀で少女に斬りかかる。

 

「邪魔だ、どけぇ!」

 

 怒鳴り声を上げながら小さな少女を切りつけようとする男。人里から悲鳴が上がる。誰の目にも少女が狂人の凶刃を前に命を奪われると確信した。しかし、その確信を少女は驚嘆に変える……!

 

「邪魔なのはアンタの方よ……。私は行きたくもないお遣いを頼まれて虫の居所がわるいの。邪魔しないでちょうだい。……封魔陣!」

 

 少女がお札をかざすと、男の足元が光り輝いたかと思うと、光の柱が男を包み、閃光を伴って爆発した。男は衝撃で白目を剥き、泡を吹いて気絶する。

 

「あ、あの不思議な光に巫女装束……。もしかして、博麗の巫女!?」

 

 雑踏の中から誰かが叫ぶ。霊夢はフンと鼻息を出しながら踵を返すと、博麗神社の方角を向いて歩き出す。少女は近づきがたいオーラを放ち、人里の民を寄らせなかった。

 

「す、すごい。なんなの、あの子。何をやったんだろう!?」

 

 魔理沙も霊夢のことを遠目で見ていた。魔理沙は霊夢が放った術に目を奪われる。魔理沙は近くにいた中年の男性に聴く。

 

「ねえ、おじさん。あの子の出した光……。あれ何!?」

「さあなぁ。妖術ってヤツじゃねえのか?」

「ようじゅつって何?」

「何って言われてもなぁ……。ああ、アレだ。魔法ってやつじゃないか?」

「まほう……。そうか、アレがまほうかぁ……」

 

 幼い魔理沙は、この時まだ見習い巫女だった霊夢の術を見て、魔法に興味を持つようになったのだった。

 以降、魔理沙は魔法にまつわる本を好んで読むようになる。運こそない魔理沙だが、それ以外はリサ譲りの才能を持っていた。魔理沙は本を読めば読むほどに知識を向上させていく。

 霧雨とリサはそんな魔理沙の頑張りを複雑な感情で見守っていた。

 

「……魔理沙は魔法使いになりたいの……?」

 

 ある朝、リサは魔理沙に尋ねる。

 

「うん!」と魔理沙は元気に答えた。

「そう……」

 

 微かに顔を曇らせたリサ。その表情を敏感に察知した魔理沙は問いかける。

 

「お母さん、なんで元気なさそうなの? 私が魔法使いになるのイヤ?」

 

 はっと気づいたリサは笑顔を作ると、魔理沙の言葉を即座に否定する。

 

「そんなはずないでしょ! お母さん、魔理沙が魔法使いになってくれたら嬉しいわ!」

「ホント!?」

「本当よ!」

「じゃあ、魔法使いになる。私、大きくなったら、すごい魔法使いになるんだ!」

 

 魔理沙は母親に自分の夢を語る。

 

「魔理沙ならきっと凄い魔法使いになれるわよ。博麗の巫女さんのお墨付きだもの」

「博麗の巫女?」

「ええ、博麗神社の巫女さんが言ってたの……。魔理沙は魔法を修める者になるってね」

「その人ってすごいの?」

「……ええ。結局一度しか会うことはなかったけど……。間違いなく凄い人だった……」

「じゃあ私、絶対魔法使いになれるね!」

「……ええ。そうね……」

 

 リサは魔理沙に眉尻を下げた笑みを送る。その眉間にわずかな皺が寄っていることに魔理沙が気付くことはなかった。

 

「じゃ、わたし魔法の練習してくる。もう少しで簡単な魔法が使えるようになりそうなんだ! できるようになったら一番にお母さんに見せるからね!」

 

 言い残して、魔理沙はリサの寝室から出て行った。入れ替わりになるように霧雨がリサの寝室に入ってくる。

 

「どうだ、体調は?」

「……全然大丈夫だぜ、おっさん……」

「大丈夫そうな口調には聞こえねえな。どうした? 少し落ち込んでるみてぇだが……」

「……おっさん。私、魔理沙に嘘吐いちまったよ……」

「……嘘?」

「ああ。『魔理沙ならきっと凄い魔法使いになれる』って言っちまった……。……博麗の巫女さんは、魔理沙が魔法を修める者になるって言ってくれてたけどさ。歳を重ねるたびにそんなことはないって実感してくるよ。あの子には運がない。運は魔法を発動するのに絶対に必要な才能。この幻想郷にいるなら、幻想郷に溢れる運が魔理沙を魔法使い『もどき』にはしてくれるかもしれない。でもそれは、もどきであって本物じゃあないんだ……」

「…………」と無言で霧雨はリサの話を聞き続ける。

「苦しいな、おっさん。魔理沙に夢を諦めろって言うべきなのかな? 私にはそんな度胸ないよ。魔理沙に悲しい思いさせたくない……」

「……お前が悩む必要はねえ。お前は魔理沙にとって優しい母親で居続けろ……。憎まれ役ってのは父親がやるもんだ。……リサ。アイツに魔法の道を歩ませるか、歩ませないか。その判断は俺がやる」

「……おっさん?」

「アイツに魔法の才能が無いと思ったときは俺が魔法を辞めさせる。お前は魔理沙の夢を応援し続けてやれ」

「おっさんにだけ憎まれ役任せるわけにはいかねえよ!」

「……リサ。魔理沙の前では上品な母親でいるって決めたんだろ? お前は魔理沙の心の中でいつまでも綺麗なままでいてくれ。それが俺の願いでもある……」

「おっさん……」

 

 リサは涙ぐむ。霧雨の言葉はリサの死を覚悟しているものだった。霧雨は間もなく死ぬであろうリサがわざわざ魔理沙に嫌われるような真似をする必要はないと伝えたのである。リサの涙は霧雨の気遣いと魔理沙への申し訳なさからくるものだった。

 

 ……数か月後、リサは永遠の眠りに就く。リサが魔理沙の魔法を見ることはついに一度もなかった。

 

 魔理沙は派手な魔法を好むようになった。デカいだけの無駄な魔法と揶揄するものもいる中、魔理沙は自分のポリシーを貫き続ける。……大きくなければ……派手でなければ意味がないのだ。天国の母親にも見えるような巨大な魔法でなければ……。



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嘘つきにさせない

………………

…………

……

 

 

 

「何でだよ!?」

 

 リサが亡くなって数年が経過した……。魔理沙も随分と大きくなり、自己主張が激しくなる年頃になる。ここ最近は霧雨と対立することも多くなった。対立する内容はいつも決まっている。今日も魔理沙は激昂していた。相手はもちろん自身の父親……。

 

「何度も言わせんな。……俺は店に魔法道具を置くつもりはねぇ」

「何で……、何でなんだよ!? 母さんが死ぬまでは普通に魔法道具を置いてたじゃないか! それなのに……母さんが死んだ途端に魔法道具を置かなくなるなんて……。おかしいんだぜ!」

「……深い意味はねぇ。売れないから置かないだけだ」

「ウソなんだぜ!?」

 

 魔理沙は霧雨を睨みつける。

 

「……親父は私に魔法をさせたくないんだ……! だから魔法道具の商品も置かないようになったんだろ!?」

 

 霧雨はふうと溜息を吐いてから口を開いた。

 

「……たしかにそうだな。てめえが魔法なんてくだらねえモンにのめり込まねえように、魔法道具を置いてねえんだよ」

「……ふざけんな! 親父だって知ってんだろ!? 私は母さんと約束したんだぜ! 凄い魔法使いになるんだって……! なんで魔法使いになるのを認めてくれないんだよ!?」

「いつまでガキみたいな夢追ってんだ。魔法使いになるだぁ? それで飯が食えんのか、あ!? 人里にいるお前ぐらいの歳の奴らを見てみろ。家業の手伝いして汗水垂らして働いてやがる。お前も家の手伝いしろ! そうじゃないなら大人しく、お淑やかな娘になるように努力して、良い旦那のとこに嫁げ。それをリサも望んでいたんだからよ」

「うるさいんだぜ! 母さんがそんなこと言ってるはずない!! こんな家出て行ってやる!」

 

 何度目、何十度目かもわからない口論の末、魔理沙は家を飛び出していった。

 

「……ったく、とんだはねっかえり娘になりやがって……。誰に似たんだ?」

 

 霧雨はほうきに乗って空の彼方へ飛んでいく魔理沙の小さな背中を一人ごちりながら見送るのだった。

 

 

 

 

――永遠亭、現在――

 

 

「んでもって今ここに至るってわけだな。ちったぁ俺とリサのことがわかったか?」

 

 霧雨は枡に入った酒を飲み干しながら昔話を切り上げた。

 

「……そうか。母さんって私が思ってたような、お淑やかな人じゃなかったんだ……」

「幻滅したか?」

「いーや。お茶目な人だったんだなって思っただけだぜ? ……でも少しくらい本当の姿を見せてくれても良かったのに……とはは感じるけどさ」

 

 魔理沙は少し寂しそうに口角を上げる。

 

「……許してやれ。あいつはあいつなりに、理想の母親像を貫きたかったんだろうよ」

「うん。……でも、わかんないんだぜ?」

「あん?」

 

 霧雨は酒に酔って真っ赤になった顔で眉間に皺を寄せる。

 

「なんで、親父はそこまで頑なに私が魔法使いになるのを認めないんだよ? そりゃ、私に運がないのを知ってたから、親父も母さんも魔法使いにさせたくなかったってのはわかるけどさ……。霊夢の先代にあたる博麗の巫女には魔法を使える者になれるって言われてたんだろ? そんなに激しく反対しなくてもいいじゃねえかって思うんだぜ……?」

「ふん、そんなことも解らねえのか。解らねえなら、解らねえままでいい」

 

 霧雨はわずかに欠けた月を見ながら酒を追加する。

 

「何だよ、その言い方」

 

 反論する魔理沙に父である霧雨はフンと鼻息を荒らす。

 

「俺はお前が魔法使いさえ目指さなけりゃ、どんな道を選んでも反対したりしねえよ。だが、魔法だけは断固反対してやる。なんでなのかは、てめえで考えろ……!」

 

 言いながら、霧雨は追加した酒も飲み干した。

 

「一体何言って……」

 

 魔理沙は親父に言い返そうとしてやめた。ふと気づいたのである。父親である霧雨の意図に……。

 

「……親父、もしかして……。私を試してたのか……!?」

 

 魔理沙の問いに霧雨は答えない。魔理沙は知っている。図星を突かれたとき、霧雨は無言になることを。

 

 魔理沙は父の想いを推し量る。

 

 霧雨はわざと魔理沙が魔法使いになることに強く反対したのである。なぜそんなことをしたのか。霧雨はこう考えたに違いない。「俺の反対を押し切るくらいの覚悟がなければ、魔理沙が魔法の道で生きていくことはできない」と。だから、霧雨はあえて魔理沙が魔法を学ぶことに厳しい対応を取ったのだ。

 

 もし、魔理沙が霧雨の反対に押し負け、魔法の道を諦めるのならばそれでも良いと霧雨は考えたのである。父親の反対くらいで折れ曲がる程度の覚悟では、運という魔法の才能がない魔理沙は魔法の世界で生き抜くことはできないのだから、と。

 

 霧雨は自分が魔理沙に恨まれるのを覚悟した上で、魔理沙の魔法使いになりたいという夢に厳しい対応を取ったのだ。それは魔理沙の夢を一番応援している裏返しでもあったのである。

 

「フン」と魔理沙の問いに霧雨が鼻息でしか答えない様子を見て、魔理沙は自分の読みが当たっているのだと確信する。しかし、それ以上言葉で霧雨に確認は取らなかった。この『頑固親父』が娘である自分に心の内を読まれたと知れば、ますます態度を硬化させるのは間違いない。生まれてからずっと付き合いのある魔理沙には解る。

 

 魔理沙が『やっぱりそうだったのか、親父。私のためを思って……』などと言えば、『そんなわけねえだろ、クソガキ!』と言い返してくるのは間違いない。なにより、魔理沙だってそんな恥ずかしいことを親父に対して言うつもりもなかった。霧雨は改めて魔理沙に尋ねてきた。

 

「……思いは変わらねえか? 自分に才能が無くても、魔法使いになりたいっていうくだらない夢に変わりはねえか?」

「……当たり前だろ! 世界中の誰もが私の夢を馬鹿にしたとしても……、私は諦めない! 私の夢は凄い魔法使いになることだぜ!」

「フン。そうかよ……」

 

 いつもと変わらない仏頂面をしたままの霧雨だったが、魔理沙にはどこか笑っているように見えた。魔理沙にしか分からない表情の変化……。魔理沙が霧雨の心境を推し量っていることを知ってか知らずか、霧雨は立ち上がりながら口を開く。

 

「やっぱり、お前はクソガキだ。勘当継続だな。魔法使いの夢を諦めるってんなら、家の敷居を跨いでもいい……」

 

 霧雨の言葉の後ろに続く言葉が魔理沙には解ったような気がした。『魔法使いの夢を諦めるなら家の敷居を跨いでもいい……。でなけりゃ、俺を黙らせるくらいに一流の魔法使いになれるまで帰ってくるな』と霧雨が言っているように魔理沙には感じられた。

 

「へっ! 誰が諦めるかよ!」

「……勝手にしろ」

 

 霧雨は捨て台詞を吐くと、永遠亭の屋敷内へと消えていった。

 

「見ててくれよ、親父……」

 

 魔理沙は永遠亭内に消えた霧雨に向かって小さく呟くのだった。

 

 

 

「……親父さんの昔話は終わったかい?」

 

 魔理沙に声をかけてきたのは永遠亭のお抱え兎『因幡てゐ』だった。

 

「ああ、終わったぜ」

「結構長いこと喋っていたようだったけど……、良い話ができたのかな? 良い表情になってるよ、霧雨魔理沙」

「別に良い話なんかしてねえよ。改めて、勘当を言い渡されただけなんだぜ?」

「ふーん。ま、なんでもいいけど。アンタが落ち込んでやる気をなくしていなきゃね。……魔理沙、やっぱり姫様に稽古をつけてもらえるようにもう一度お願いに行くべきだ。あの人の力を借りなきゃ、アンタは魔女集団に対抗できない」

「……そうだな。行こう!」

「どうしたんだい? さっきまでと打って変わってえらく乗り気じゃないか?」

「まあな。親父と話してて思い出したんだ。私の目的を……『夢』を……。それを叶えるためには手段を選んでられないんだぜ? さ、早くあの姫様がいる座敷部屋に向かおうぜ」

 

 魔理沙とてゐは再び蓬莱山輝夜が居る座敷へと足を運んだ。輝夜は座敷の中央で慎ましく座していた。だが、慎ましいのは振る舞いだけで、その存在感は部屋を充満していた。

 

「あら、またやってきたのね。私を納得させるだけの答えは持ってきたのかしら?」

 

 輝夜の言う答えとは、稽古の先に得た強さでなにをするのか、ということだ。魔理沙は答える。

 

「母さんを嘘つきにさせないためだぜ」

「……どういうことかしら?」

「母さんに言われたんだ。『きっと凄い魔法使いになれるわよ』って。……母さんの言葉を嘘にするわけにはいかねえんだぜ! 私は母さんとの約束を破るわけにはいかないんだ! そのために私は強い魔法使いにもならなきゃいけない。あんなルークスとかいう魔女集団に、『凄い魔法使い』への道を……母さんとの約束を邪魔されるわけにはいかないんだぜ!」

「ふーん。青臭い」

「んな!? 馬鹿にするのかよ!?」

「気に障ったのなら謝るわ。ごめんなさい。……でも青臭いわ。青臭いけど……、悪くない。それでは見せてもらおうかしら。その青臭さで私の試練を超えられるのかを」

「じゃ、じゃあ!?」

「……稽古をつけてあげる。その約束を守ろうという思いが本物ならば、生きて帰ってこられるでしょう……。さて、貴方は私の試練を乗り越えられるかしら? 公達のようにはならないでね。……ついてきなさい」

「……どんな試練だって乗り越えてやるんだぜ」

 

 霊夢が重傷を負って以来、どこかくすんでいた魔理沙の瞳に炎が灯る。魔理沙の意志は固まった。運がない、才能がない、…………そんなことは関係ない。自分の生まれ育った幻想郷が得体の知れない魔女たちに奪われようとしている。母親も親友もひどい目に遭わされた。その心に復讐心が宿っていないのかと言われれば、それは否定できない。だが、今の魔理沙を動かす原動力はそんな怒りに満ちる濁った心ではなく、純粋な願いだった。

 

『凄い魔法使いになる』、母と約束したその願いを叶えたいという透明な意志が魔理沙を動かす。『たかが』魔女集団ごときにその願いを邪魔されるわけにはいかない。『強さ』は凄い魔法使いになるための手段であり、副産物に過ぎないのだ。

 

「……母さん、霊夢。…………親父。見てろよ、みんなが心配なんかする必要ないくらいに『凄い魔法使い』になってやるんだぜ」

 

 魔理沙は輝夜の後を追いつつ、満点の星空をその眼に写すのだった。



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一つ目の難題

 魔理沙はてゐとともに、輝夜に連れられて永遠亭内にある枯山水の美しい中庭に足を運んでいた。中庭と呼ぶにはあまりに立派なその空間で、輝夜は魔理沙に問う。

 

「霧雨魔理沙、感じ取れているかしら?」

「……ああ。凄い量の運が放出されている。この中庭にある龍穴。かなりデカいんだぜ……」

「良い場所でしょう? こんなふうに運が溢れる場所を気場というのよ。今風に言えば『パワースポット』とでも言うのかしら?」

「そんな場所でどんな修行するってんだぜ?」

「ここならば、半永久的に私の能力を発動し続けることができる……。てゐ離れていなさい」

 

 輝夜の言葉を聞いたてゐは素早く中庭から飛び退いた。その途端に、魔理沙と輝夜以外の世界が灰色に染まっていく。

 

「な、なんだ!?」と魔理沙が驚いている間に目に映る全ての物体がモノクロになってしまった。色付いているのは魔理沙と輝夜の体だけ……。

 

「お、おい。詐欺ウサギ! 大丈夫か!?」

 

 魔理沙は中庭から飛び退いたてゐに声をかける……が、すでにモノクロになってしまっている因幡てゐが返事をすることはなかった。

 

「ふふふふ。元々白黒衣装だから、あなたはあまりこの世界でも浮いてないわね」

「お前、一体何をしたんだぜ!?」

「永遠と須臾を操る程度の能力……」

「はぁ……? 永遠と、しゅゆ……?」

「須臾とは時間の最小単位のこと……。私はそんな須臾の世界に入り込むことができる。そして、今回は特別にあなたも招き入れた」

「……何言ってるか、全くわからないんだぜ?」

「深く理解する必要はない。あなたは止まった時間の中で修行できるということよ」

「止まった時間……? ウサギが動かなくなったのもそのせいか?」

「ええ。今、この須臾の中で正常に動けるのは私とあなただけ。いえ、『異常』に動けるという表現の方が良いのかしら? 止まった時間という形容はしたけれど、正確には時間経過とともにこの須臾は終わる。もっとも、飽きるほどに長い時間が経過しないと終わらないけど」

「やっぱり、お姫サマが何を言っているのかちっともわからないな。……で、どんな訓練をやるつもりなんだぜ?」

「……簡単なことよ。私の出す五つの難題に応えてもらうというだけ」

「……難題?」

「そう。かつて私に言い寄ってきた公達を追い払うために要望した五つの品。その本物を私は持っている。あなたはそれらを突破することができるかしら?」

 

 言いながら、蓬莱山輝夜はその右手に一つのお椀のようなものを召喚した。

 

「……何なんだぜ、それは?」

「『仏の御石の鉢』。穢れた地上の民でありながら、穢れを極限にまでそぎ落とした最高位の人間の内の一人が持っていたもの……。聖人は死してなお、現世にその力を残す。こんな風にね!」

 

 輝夜が持つ『御石の鉢』がまばゆい光を放つ。光はビームとなり、魔理沙に襲い掛かる。

 

「いっ!? や、やばい!?」

 

 魔理沙は咄嗟に地面に転がるように避けた。ビームはてゐが中庭から逃げ込んだ建物にぶつかる。

 

「いきなり何するんだぜ!? ウサギ大丈夫か!? ……って、え!?」

 

 明らかに高威力だったビーム攻撃。それがぶつかったはずの建物が傷一つ付けられていないことに魔理沙は驚く。

 

「心配しなくても大丈夫よ。この須臾の世界では私が認識したもの以外は傷つかないし、動かない」

「そんな都合の良いことがあるのかよ」

「あるのよ」

「こんだけ強力な能力を持ってるアンタなら、あの婆さんたちをやっつけられるんじゃねえのか?」

「それは無理よ。連中の中には、私なんて軽く超えている実力者もいる」

「……そいつは笑えない冗談なんだぜ」

「魔理沙、貴方が本気であの魔女集団に勝つつもりでいるのなら……、少なくとも私を超えていく必要があるということよ」

 

 輝夜は言いながら、再び鉢から光線を射出する。

 

「うわわ!?」

 

 輝夜が放つ無数の光線から、魔理沙は走って逃げ回る。

 

「ちっくしょう。無茶苦茶に撃ってきやがって……!」

「どうしたのかしら? 逃げ回るだけではいつまでも私に勝つことはできないわよ?」

「……ビームは私の十八番なんだぜ? 撃ち勝ってやる!」

 

 魔理沙はエプロンのポケットからミニ八卦炉を取り出すと鉢に照準を合わせる。ミニ八卦炉に段々と溜まっていく魔力。魔理沙は大声で叫んだ。

 

「マスタースパーク!!」

 

 巨大なビーム攻撃が輝夜に向けて放たれる。しかし、輝夜に焦った様子はない。

 

「なるほど。それなりに腕が立つのね。てゐが期待するのも理解できる」

 

 輝夜もまた、鉢から一際大きな光線を放つ。光線とマスタースパークは衝突し、眼も眩むような閃光を放出すると互いに互いを相殺した。

 

「へへん。どうなんだぜ? 私のマスタースパークは?」

「凄い出力だったわよ。人間としてはかなりレベルが高いんじゃないかしら?」

「そいつはどうも、なんだぜ。次はその光線に撃ち勝ってやるんだぜ!」

「もういいわ」

「え?」

「これ以上大きな光線を出したら、鉢が壊れてしまうわ。おめでとう、一つ目の難題は修了よ」

「こ、これで終わり!? 拍子抜けだなぁ……。こんなんで強くなれるのか?」

「心配しなくても、だんだんと難しくなっていくわよ。全てを修了することができれば……、貴方は私を超えられる」

「そうかい。じゃ、さっそく二つ目の難題とやらを出すんだぜ?」

「イヤよ」

「はぁ?」

「根を詰めたら疲れるじゃない。私はひと眠りするわ。あなたも休みなさい。お腹が減ってるなら、台所に甘味があるからそれでも食べるといいわ。心配しなくとも甘味も私の能力で須臾の世界に入っている。白黒にはなってないわよ」

「おいおい、何悠長なこと言ってるんだぜ!? 早く強くならないとあの婆さんたちに幻想郷が……」

「言ったでしょう? ここは須臾の世界。時間はたっぷりある。ここで人生を謳歌するほどの時間を過ごしても、元の世界では瞬きする程度の時間しか経過しない。安心して休みなさい」

 

 輝夜は言い残して姿を消す。

 

「ったく。マイペースなお姫サマなんだぜ。調子狂うなあ……」

 

 魔理沙は後頭部を掻きながら愚痴をこぼすのだった。



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地底

◇◆◇

 

――旧地獄――

 

 ところ変わって、ここは旧地獄。幻想郷の地底に広がる空洞空間である。その名のとおり、かつてこの地は地獄だったのだが、閻魔たちが掲げた『地獄のスリム化』という名目で移転が行われ、廃墟と化していた。

 

 地獄の名残は残っており、まだまだこの旧地獄には浮かばれない怨霊たちが蠢いていた。誰もが訪れることすら嫌がりそうなこの地だが、住んでいる者たちもいる。

 

 人間に嫌われ、地獄に封じられた妖怪や、人間を嫌い、自ら旧地獄に住み着くようになった妖怪たちである。彼らは閉鎖的ではあるが、ある意味自由な旧地獄という地底世界でそれなりに楽しく過ごしていた。

 

 そんな旧地獄へとつながる洞窟の道を一人、上下黒色のモーニング服を着た『女』が歩いていた。女はこれまた黒いシルクハットを被り、片眼鏡を左眼に装着している。どこか知的な雰囲気を漂わせるその女が右手に持つ書物を片手だけで開き、流し目で読みながら移動していると、上方から一つの大きな桶が音もなく頭目掛けて落ちて来ようとしていた。

 

「……まったく、騒々しいですねぇ……。そんな不意打ちが私に効くとでも?」

 

 モーニングの女は右手に持っていた書物をパタンと閉じると、後方に飛び退き落ちてきた桶を、長く伸ばした美しい黒髪を靡かせながら華麗にかわした。大きな桶は女のいた地面に激しく衝突する。

 

「うっそだぁ!? 私の鶴瓶落としが当たらないなんて!?」

 

 地面に落ちてきた大きな桶。その中に入っていた緑髪のツインテール少女は眼を丸くして驚いていた。

 

「手荒い歓迎ですねぇ。これがこの地底世界のおもてなしというわけですか?」

「やるじゃないか、アンタ。私の鶴瓶落としに気付くなんて!」

「それだけ騒々しかったら、嫌でも気付きますよ」

「うるさい? 凄く気を遣って音を立てないようにしてたのに……」

「……お嬢さん、私は闘いを好みません。できれば、穏便にこの地底世界の中心に向かわせて欲しいのですが……」

「そいつは無理な話だね! この旧地獄と地上の世界は妖怪の行き来を禁じているんだ。通すわけにはいかないよ!」

「それは困りましたねぇ。と言うことは、貴方を倒さなければならないわけですか……」

 

 モーニング女はやれやれとでも言いたげに肩をすくめた。

 

「とっとと出ていきなよ!」

 

 緑髪のツインテール少女。白の死に装束を見に纏った彼女は空中に火の玉を十数個発生させると、モーニング女目掛けて発射した。

 

「んん! 人魂と言うやつですか?」

「鬼火って言うんだよ!」とツインテール少女はモーニング女の質問を訂正する。

「当たったら熱そうですねぇ。……だが、スマートではない」

 

 モーニング女は射出された鬼火をダンス染みた動きで、体ギリギリを通過させるように避ける。鬼火の軌道を見切っているかのような身のこなしだ。

 

「やるね、アンタ。私の鬼火を全部かわすなんて」

「おとなしそうな見た目と裏腹に中々好戦的なお嬢さんだ。……貴方、お名前は?」

 

 モーニング女の左眼についた片眼鏡がツインテール少女を捉える。

 

「私はキスメ。妖怪『鶴瓶落とし』のキスメさ」

「キスメ……。んん。美しい響きだ。実にスマート」

「褒めているようには聞こえないね」

「キスメさん。先ほどお話したとおり、私は闘争を好みません。諦めて通していただけると嬉しいのですがねぇ……」

 

 モーニング女はにやけた顔でキスメに提案する。しかし、キスメが聞くはずもない。

 

「やなこったね。アンタが帰りな!」

「そうですか。仕方ありませんねぇ。では少しだけお見せしましょうか。『悪魔の力』を……」

「……悪魔の力?」

「ええ。お母様から生まれた私の力をお見せしましょう……!」

 

 白い手袋を嵌めた左手の人差し指をキスメに向けると次の瞬間、モーニング女の人差し指が目にもとまらぬスピードで伸びる。伸びた人差し指はアイスピックのように尖り、キスメの入る桶にぶつかると、易々と破壊した。

 

「あっ……!? かっ……!? わ、私の桶を壊せるなんて……。なんて……力なの……? それに……なぜ……わかった……?」

 

 桶を壊されたキスメはその場で倒れると、目を見開き動かなくなった。

 

「んん! あなたの本体はその桶! それを壊せば、貴方は死んだも同然! それを狙い撃った私、実にスマート! ……もう聞こえてませんか」

 

 モーニング女はキスメの瞳孔が開いているのを確認し、ため息を吐く。

 

「あなたのおかげでお母様の読みが正しいことが確実になりましたよ。このコミュニティの地上にはあなたのような存在は既に消えている。この島国では『付喪神』と言うんでしたか? 地上では運を奪われ、消えているはずの付喪神がこの地底では生き残っている……。巨大な運脈が地上世界とは別個に、この地底に存在していることの証明です。……おっと。物言わぬ抜け殻にいつまでも話すのはスマートではありませんねぇ。……先を急ぎますか」

 

 モーニングの女は右手の書物を開くと、流し眼で読みながら再び旧地獄の中心に向かって歩き始めるのだった。

 

 

◇◆◇

 

 

「はい。これで出来たよ」

 

 茶色のジャンパースカートを身に着けた金髪の少女はパンパンと手を払う。彼女の眼前には柱と板を白い糸で結びつけただけの簡単な小屋が立っていた。どうやら彼女が造ったらしい。

 

「わーすごい。ありがとうね、ヤマメちゃん。これで冬も暖かく過ごせそうだよ」

 

 虫型(といっても少女の姿をしているのだが)の低級妖怪たちが金髪の少女に礼を言う。金髪の少女は大きな茶色のリボンが付いた頭を大きく揺らしながら、満面の笑みを浮かべる。

 

「これくらいどうってことないよ! 私こういうの作るの得意なんだ。蜘蛛だし」

 

 簡単な小屋を作るのに使っている白い糸は蜘蛛妖怪である彼女の体から出したものであるようだ。彼女の名は「黒谷ヤマメ」。人懐っこい性格の彼女は、地底の低級妖怪から好意的な態度で見られていた。

 

 彼女が造っている小屋は冬の季節を凌ぐための使い捨てらしい。

 

「さ、次は誰の小屋を作ってあげようか?」

「はい、はい。次は私のおうち作ってよ。ヤマメおねーちゃん!」

「あ、ずるい。次は私のおうちだよね。おねーちゃん!」

 

 ヤマメよりも少し幼い低級妖怪二人が、どちらが次の番かを争っている。ヤマメは笑って二人の頭を撫でた。

 

「こーら。喧嘩しないの。慌てなくても大丈夫。ちゃんと作ってあげるから」

「はーい」と二人は返事する。そんなヤマメの元に一人の低級妖怪が歩み寄る。

「毎年、ありがとうね。ヤマメちゃん。さすがは地底のアイドルね」

「もう。褒めたって、なんも出ないよ?」

 

 ヤマメが親交の深い妖怪たちと、小屋づくりや談笑に勤しんでいると……。モーニング服を着た女がどこからか輪の中に入ってくる。そう、キスメを圧倒したあの片眼鏡の女だ。

 

「おやおや。中々活気に溢れていますねぇ。住居づくりの最中でしょうか?」

 

 ヤマメは見慣れないシルクハットを被った女に怪訝な表情を浮かべながら答える。

 

「……あんた、どこから来たの? ……まさか地上から?」

「ええ。ご明察です。この地底世界……ここでは旧地獄と呼んでいるそうですね。この地の中心地に行きたいのですが……。道はこっちで合っていますか?」

「地上の妖怪に教えるとでも?」

「ふむふむ。なるほど、どうやらこちらの道で合っているようですねぇ」

「はぁ? 何言っちゃってるのよ、あんた」

「これは失敬。それでは」

 

 モーニングの女はシルクハットを外して胸に当てるようにしてお辞儀すると、中心地へと向かって歩き出す。

 

「ちょっと待ちなさいよ」

 

 歩き去ろうとするモーニング女をヤマメは呼び止めた。

 

「それ以上行かせるわけには行かないわね」

「……なぜです?」

「地底の妖怪は地上に出てはいけないし、地上の妖怪も地底に入ったらいけないの。私も本当はこんな日の当たらない場所になんていたくはないのだけど……、我慢して外に出てないんだから。とっとと地上に帰りなさい」

「承諾できませんと言ったら?」

「素直に応じないのなら、私が追い出してあげるわ」

「んん。可愛らしいお嬢さんなのに、これまた好戦的だ。この地底世界は闘争を好む人が多いようですねぇ。仲良くなれそうにない……」

「……『これまた』、『多い』? ……あんた、まさか地底の誰かに手を出したんじゃないでしょうね!?」

「そんな人聞きの悪い……。私が歩いていたら突然上からあの妖怪(モンスター)の方が降ってきたのですよ。先に手を出してきたのはあの方。正当防衛というやつです」

「落ちてきたですって? あんたまさかキスメを……!?」

「ああ、たしかにそのような名だとおっしゃていました。貴方のお知り合いでしたか?」

「あんたキスメをどうした!?」

「んん。少しばかり、あの方が入っていた桶(バケット)を壊してしまいました。すると不思議なことにあの方が目を剥いて気絶してしまいましてねぇ。酷いことをしてしまいました」

「白々しいことを言うんじゃない。あんたキスメの本体が桶だと分かっていて壊したな!?」

 

 モーニング女はにやりと口元を歪めながら答える。

 

「まさか」

「……地底の仲間に手を出したヤツを許すわけにはいかない。力尽くで排除してやる!」

 

 ヤマメは手の平から蜘蛛の糸を出す。糸はモーニングの女目掛けて一直線に飛んでいく。

 

「んん。中々に筋の良い攻撃ですねぇ。しかし、私を捉えられるほどではない」

 

 モーニング女は右手に持っていた書物を閉じ、ダンスでも踊り出しそうな軽やかな足の運びでヤマメの攻撃をかわす。

 

「ふざけた避け方を……!」

「そう感情的になってはいけません。もっとスマートにしなくては」

「だまれ!」

 

 ヤマメは蜘蛛の糸を連発する。しかし、どれも当たらない。モーニング女はキスメの鬼火をかわしたときと同じく、体ギリギリを通過させるように避ける。当たりそうで当たらない……。そのもどかしさが、余計にヤマメを苛つかせる。

 

「んん。心を乱してはいけない。スマートでないその心では私の攻撃を避けることなどできませんよ?」

「何を言って……。……がっ!?」

 

 ヤマメの胸に長く伸びたモーニング女の指が突き刺さった。指に吹き飛ばされたヤマメは洞窟の壁に激突する。苦悶の表情を浮かべるヤマメに対してモーニング女は感心したように口を開いた。

 

「んん! 中々頑丈じゃないですか。私の指を受けても、貫通しないどころか出血さえしないとは!」

「……ふざけんじゃないわよ」

「んん? ふざけているのは貴方の方では?」

「……なんですって?」

「だってそうでしょう? 貴方はまだ、私に真の姿を見せていない!」

「……何のことかしら?」

「私に嘘を吐く意味はありませんよ? さあ、早く見せてください! 貴方の本当の姿を!」

「意味のわからないことを……!」

「おやぁ? 白をお切りになるつもりですか? それはスマートではない! 貴方がスマートになるお手伝いをして差し上げましょう!」

 

 モーニング女は左手指をさらに複数本伸ばし始める。ターゲットはヤマメに早く小屋を作るようねだっていた幼い低級妖怪たち……。鞭のように長く伸びた手指は幼い妖怪たちの首を締め上げ、宙へと持ち上げる。

 

「あ、あ……!? く、苦しい……よ。助け……て、お姉ちゃ……」

 

 苦しそうに首に巻き付いた指を剥がそうともがく子供たち。しかし、取れそうな様子は微塵もない。ヤマメは子どもに手を出すモーニング女に憤怒の視線を向ける。

 

「子供に手を出してんじゃないわよ! クソ眼鏡!」

 

 ヤマメは怒りに身を任せ、モーニング女に殴りかかる。しかし……。

 

「んん。この期に及んで姿を変えないどころか素手で来るとは……。スマートでなぃいいい!!」

 

 モーニング女はその長い足でヤマメの側頭部を蹴り上げる。ヤマメは再び洞窟の岩壁に叩きつけられた……。

 

「良いでしょう。貴方が真の姿を私に見せてくれないのなら、この子供たちに利用価値はありません! さっさと殺してしまいましょう!」

 

 モーニング女は子供たちに絡めている触手と化した指に力を込める。より一層苦しみだす子供たち。

 

「んん。素晴らしい苦悶の表情! 若い命を奪うこの瞬間こそ、実にスマート!」

「……やめろって、言っているでしょうがぁああああ!!」

「んん?」

 

 モーニング女は片眼鏡のピントを叫ぶヤマメに合わせる。ヤマメの体がぼこぼこと隆起し、何かに変わろうとしていた。

 

「んん! やっとその気になられましたか! 素晴らしい! 子供たちの危機を前にし、主義を曲げるその姿勢……。実にスマートォオオオオ!!」

「だまれ、下郎が!」

 

 腕を巨大な蜘蛛の脚に変えたヤマメはその足を用いてモーニング女を薙ぎ払った。ヤマメからの強烈な一撃を受けた女は絡めていた指の力を緩め、子供たちを解放する。女は鼻血を垂らしつつも、さらに軽口を叩く。

 

「んん。素晴らしいパワー。殺し合いはこうでなくては! ……ふむ。お出ましですねぇ」

 

 モーニング女はヤマメの変貌を見届ける。ヤマメの体はぼこぼこと隆起し続け、その姿を変えていく。

 

「んん。なんと面妖な! その顔はたしか、この島国に伝わる鬼(オーが)ですねぇ。それに体は虎(タイガー)。脚は蜘蛛(スパイダー)。中々に恐怖を煽る姿をされている。そして生理的嫌悪感も抱かせる姿だ。妖怪(モンスター)としては百点満点の出で立ちですねぇ」

「だまれ! 今すぐ、不快な言葉を紡ぐその口を引き裂いてやるわ!」

 

 巨大蜘蛛と化した黒谷ヤマメの声は少女時の明るく可愛げのある声色から、男顔負けの低く大きな声色へと変貌を遂げていた。

 

「んんんん。書物でしか見たことがありませんでしたが、それが『土蜘蛛』ですか。やはり、探求、研究は書物だけではできませんねぇ。実物を見てこそ、真の知識となる……。悠久の時を生きている私ですが……、まだまだこの世界は知らないことばかりだ。感慨深い!」

「くだらない感慨にいつまでも浸っていなさい。気付かぬうちに、地上を通り越してあの世に送ってやる!」

「おっと、暴れるのはもう少し待った方がいいですよ?」

 

 モーニング女はヤマメの後ろで怯えて動けなくなった子供妖怪たちを指さす。ヤマメは子供たちに指示する。

 

「何をしているの!? 早く逃げなさい!」

 

 だが、怯え切ってしまった子供たちはヤマメの言葉を聞いても動けないでいた。ヤマメは心を鬼にして声色を変え、巨大な声で怒鳴る。

 

「何をしている! とっとと消え失せろ! この土蜘蛛に殺されたいか!?」

 

 ヤマメの本気の怒号を受けた子供たちは体をビクっと震わせると、我に返り、悲鳴を上げながら走って逃げて行った……。

 

「んん。素晴らしい! 自身が嫌われるかもしれないことも厭わず、子供たちを恫喝し逃がしてあげるその優しさ。まさに紳士、淑女の在り方だ。実にスマート! 貴族の私も見習わせて頂きたいほどです」

「なにが紳士淑女よ。似非貴族が!」

 

 ヤマメは巨大な足を振り回し、女を潰してやろうとするが、女はこれを華麗なステップでかわしていく。

 

「本当に素晴らしいパワー。ですが、それでは私を捉えることはできないでしょう」

「ちょろちょろ動き回ってんじゃないよ! ……すぐに捕まえてやる!」

 

 ヤマメはその鬼の顔面から紫色の煙を噴き出した。……毒霧である。ヤマメの持つ『病気を操る程度の能力』の真骨頂。あらゆる感染症を起こす細菌、ウイルスをばらまく力でだ。

 

「んん。凄まじい瘴気ですねぇ」

「そのまま捲かれて死んでしまえ!」

 

 モーニング女は毒霧の中に消えていった……。女が煙に包まれ十分に時間が経過する。煙が晴れたが……。

 

「んんんん。久しぶりの良い瘴気。リフレッシュできましたよ? 感謝します」

「……毒霧が全く効いてない……」

「当然です。私は悪魔。悪魔貴族。瘴気は癒しにこそなれ、攻撃などにはなりません!」

「……とんだ変態野郎ね。でもね、私だってアンタに毒霧が効かないかもしれないことくらい折り込み済みなのよ!」

 

 ヤマメは既にモーニング女の周りに蜘蛛の糸を張り巡らせ、包囲していた。ヤマメは糸を操り、女を捕縛する。

 

「んん!? なんと粘り気のある。やはり探求は読むだけ、見るだけでは足りない。こうして体験してこそ初めて意味のある知識に……」

「このままぐるぐる巻きにしてやる!」

 

 ヤマメは次々と女に糸を絡める。女は大量の糸により繭のような姿で捕縛された。

 

「やってやったわ! ……このまま、地上に放り出してやる。殺されないだけありがたいと思いなさい!」

 

 ヤマメは姿を元の少女姿に戻し、繭に近づく。繭を運ぼうと持ち上げたときだ。ヤマメは違和感に気付く。あまりに軽い。ヒト一人入っているはずの繭にしては軽すぎる。だが、違和感に気付いた時には遅かった。

 

「惜しかったですねぇ。私でなければ倒せていたに違いない。モンスターらしい素晴らしい攻撃でした」

 

 モーニング女の声だった。ヤマメは声のする方に振り向く。だが、その瞬間、ヤマメは銀色の液体に四肢の自由を封じられる。視線だけ向けた先に居たのは左腕全てを液体金属のように変化させていた女の姿だった。

 

「お前、どうやって……!?」

「見ての通りです。私は少々体の形を変えることができましてねぇ。この水銀のような形状に体を変え、繭の隙間から出させていただきました」

「んぐ!? 化物め……!」

 

 ヤマメは触手のように変化した銀色液体に四肢と首を締め上げられ、苦しそうに悶えていた。

 

「感謝しますよ? 貴方のおかげでまた一つ私の知見を増やすことができました。……さようなら。可愛い蜘蛛のお嬢さん」

 

 モーニング女は液体金属に力を込め、締め上げた。ヤマメの四肢と首の骨から鈍い音が響く。複雑骨折を負わされたのだろうか、絞められた全ての部位から大量の出血を起こしてしまっていた。ヤマメは口から鮮血を吐き出すと、眼を見開き、意識を失ってしまう……。

 

「お姉ちゃーん!」

 

 陰から見守っていた低級妖怪の子供がヤマメの元に走り寄る。虫の息のヤマメを見た子供は怒りを露わにし、モーニング女にしがみ付く。

 

「よくも、よくもお姉ちゃんを。やっつけてやる!」

 

 子供は涙を流しながら、女を睨みつける。そんな子供を見ながら、女は片眼鏡の位置を微修正しながらため息を吐く。

 

「力の差も把握できない者が感情任せに抗議する。愚かな行為ですねぇ。スマートでなぃいいいいいい!」

 

 モーニング女は躊躇なく、槍のように尖らせた指を伸ばし、子供の胸を貫いた。子供は声を上げることも出来ずにその場に倒れ込み、絶命した。

 

「全く、スマートでないことに時間を割かさせないでいただきたいものですねぇ。さて、先を急ぎますか。お母様をあまりお待たせさせるわけにはいきませんからねぇ」

 

 モーニング女はにやりと口元を歪めて歩き去っていくのだった。



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水橋パルスィと星熊勇儀

◇◆◇

 

 ……ここは旧都へと入る橋の上。旧都は旧地獄がまだ地獄だった頃に栄えていた繁華街の跡地。かつては地獄ながらに賑わいを見せていたこの地も地獄が移転したのちに時間経過とともに寂れていった。そんな橋の上で二人の少女が何やら佇んでいる。

 

「ああ。妬ましい、妬ましい」

 

 金髪緑眼の少女が親指の爪を噛み、微かに歯ぎしりをしている。そんな少女を呆れたように見つめる恰幅の良い少女は、はぁとため息を吐いていた。額から赤い角を生やしている長い金髪の少女は緑眼の名を呼びながら質問する。

 

「今日は一体何をそんなに妬んでるんだ、パルスィよ」

「食事処のご飯の量……」

「は?」

「昨日行った食事処の店主、私の前にいた女のご飯は大目に盛ってたのに、私には普通だった……! あの女が美しかったからよ。妬ましい」

「さすがに気のせいだろ」

「ご飯だけじゃないわ。お味噌汁の量も私より多かった。豆腐の量が明らかに違っていたもの……!」

「く、くだらねぇ……。相変わらずだな、お前さんは……」

「フン。勇儀のようにあっけらかんとしている鬼に、私のように繊細な妖怪の気持ちなんてわかるはずないのよ!」

「……お前、喧嘩売ってるのか?」

 

 苦笑しながら頬を人差し指で掻く『勇儀』と拗ねた様子で橋の欄干に両肘をつき、頬杖する『パルスィ』。

 

 彼女らもまた、旧地獄の住人である。『水橋パルスィ』は妖怪『橋姫』だ。橋を守る女神であるとともに、嫉妬に狂う怨霊的妖怪でもある。

 

 対して、額の赤い角が目立つ長髪で金髪の少女は『星熊勇儀』。彼女は『鬼』である。それもただの鬼ではない。『四天王』と呼ばれる鬼の中でも強者に位置する存在なのだ。

 

「それにしても暇だねぇ。何か面白いことでも起きないかねぇ」

 

 勇儀は退屈そうに岩で覆われた地底の空を見上げる。

 

「……面白いかは知らないけど、退屈しのぎになりそうなのが来たわよ」

 

 退屈そうな勇儀にパルスィは気だるげに伝える。

 

「ほう。一体『誰』だい?」

「さぁ。地上の者なのは間違いないわね」

「ふぅん。キスメとヤマメを突破してきたってわけかい。たしかに退屈しのぎにはなりそうだ」

 

 パルスィと勇儀は姿勢を整え、『侵入者』に備える。侵入者は右手に抱えた本を読みながら、時折ダンスを交えるような小気味いい歩き方で橋に向かってきていた。

 

「……大分変わり者のようね」と言うパルスィに「お前さんがそれを言うかね」と勇儀は小さく鼻息を漏らす。近づいてきたその女は、シルクハットにモーニング服という幻想郷では珍しい格好をしていた。

 

「おや、こんなところに橋が……。なるほど、ここがあの土蜘蛛が思考していた旧都……、この地底世界の中心地の入り口ですか。……これはこれは、金髪の美人さんがお二人でお出迎えとは」

 

 片眼鏡のモーニング女は笑みを浮かべる。

 

「誰もお出迎えなんてしてないわよ。きっといつも誰かに歓迎される人生を送ってきたのね。妬ましい」

「パルスィ、お前なぁ……。……悪いがアンタは招かれざる客ってやつだよ。大人しく地上に帰りな」

 

 勇儀は拳の骨を鳴らしながら、モーニング女に地底から退くように促す。対してモーニング女は軽い口調で指摘し始めた。

 

「んん。ウソはいけないですよ。角の生えたお嬢さん!」

「私は鬼だ。嘘なんて吐きゃしないよ」

「いえいえ。『大人しく帰れ』と言っている割に、貴方は私と戦いたがっている。その闘争心を隠すことはできません。……しかし、この地底の住人は会う人会う人皆、好戦的だ。少し疲れますねぇ」

「ああ。そういうことか。安心しな。私は嘘をついてないよ。地上に帰らせるのはちょっとお灸を据えてからだからねぇ」

「んん。やはり好戦的。……それにしてもお隣の緑眼のお嬢さん。貴方、かなり捻くれた性格のようですねぇ。その心、嫉妬に溢れている……!」

「ええ、生まれ方が悪かったの。妬ましくて妬ましくてしょうがないのよ。良いわね、あなたは。きっと劣等感を抱かずに生きてきたんでしょう? 顔を見ればわかるわ。ああ、妬ましい……!」

「他人を妬んでも貴方が幸せになるわけではありませんよ?」

「わかった風なことを……」

「これは機嫌を損ねてしまったようですねぇ。失礼いたしました。ところで、やはり中心地へ行くことを許しては頂けないようですねぇ。戦うしかないということですか。私は闘争を好まないのですがねぇ……!」

 

 モーニング女は姿勢を低くし、橋を強行突破しようと猛スピードで駆ける。だが、その行く手をパルスィが阻んだ。

 

「なに勝手に通ろうとしてるのよ……!」

 

 パルスィは緑色の結界を橋の中央に展開し、モーニング女が通れないように仕掛ける。突然現れた障壁にモーニング女は急ブレーキで体を止めた。

 

「んん。素晴らしい密度の精神エネルギぃいい! 嫉妬心から発生する精神エネルギーを効率よく物理エネルギーに変換している。感情由来の力をここまで上手く操ることができるとは……! やはり世界は広い!」

「ふん。口が止まらないわね。私は口下手だから少しだけ妬ましいわ。……このまま閉じ込めてやる……!」

 

 パルスィは一枚壁だった障壁を上下左右に展開し、モーニング女を閉じ込めるように立方体を形成する。

 

「んん! 閉じ込められてしまいました。これは厄介。強度の方は如何ほどでしょうか……?」

 

 モーニング女は左手の人差し指を例のごとく槍のように尖らせると、高スピードで伸ばし障壁に激突させた。しかし……。

 

「んんんん! 素晴らしい! 私の攻撃を受けてもビクともしないとは……!」

「ふん、思ったより大したことないようね。このまま潰してあげる……!」

 

 パルスィは天井部分の障壁をじわりじわりと下げ始めた。

 

「ほう。そんなこともできるのですか。弱りましたねぇ。どうしましょうか。力尽くでもよいのですが……、それではスマートでない。ですから……こんなのはどうでしょう?」

 

 モーニング女は自身の顔を左手で覆う。顔が銀色の金属液体のように変化し、ドロドロとその形を再構成していった。新たに形成された女の顔を見たパルスィは驚きのあまり、眼を見開く。

 

「お、お前は……!」

「……お久しぶりですね。橋姫様。相変わらず醜いお姿ですこと」

 

 モーニング女の挑発めいた言葉を聞き、パルスィは顔を紅潮させる。

 

「あらあら、お顔が真っ赤。私が貴方の男を横取りしたあの時と同じ顔」

「……パルスィ、知り合いか?」

 

 動揺するパルスィに勇儀が声をかける。

 

「……千年以上前、私の想い人を誑(たぶら)かした女よ!」

 

 感情を露わにするパルスィ。だが、勇儀は落ち着かせるように再び声をかけた。

 

「ちょっと待て! お前が妖怪化した経緯は聞いたことあるから、私もその女のことは知っちゃいるが、そいつはただの人間だったはずだろ!? 生きているはずが……」

「関係ない!」

 

 ヒステリック気味に叫ぶパルスィ。彼女の眼は憎悪に満ちていた。

 

「まさか私を虚仮にするために、蘇って旧地獄まで来るなんてね。今宵こそ殺してやる。そのために私は怨霊や妖怪になってまで、生にしがみ付いてきたのだから……!」

「貴方みたいな醜い女に私が殺せるものですか。出直してきた方が良くってよ?」

 

 モーニング女は更に挑発するような言葉を重ねた。パルスィの表情は怒髪天を衝くかのごとき形相となる。パルスィは結界を解き、女にむかって突撃を開始した。

 

「バカヤロー、パルスィ頭冷やせ!」

 

 怒りのまま動き出したパルスィを怒鳴る勇儀だったが、彼女の耳には届かない。

 

「お前はこの手で直接殴り殺してやる……! 覚悟しろ!!」

「ああ、その心。醜い、醜い」

「死ねぇ!!」

 

 パルスィは渾身の力で拳を振り回すが、女は完全に見切っていた。まるでフィギュアスケート選手のように回転しながらジャンプし、パルスィの拳を体ギリギリのところで回避していく。

 

 だが、一発かわされたくらいで治まるパルスィの怒りではない。彼女は何度も何度も、爪を立てた引っ掻きや蹴りなどの攻撃を繰り出す。しかし、モーニング女に当たることは一度もなかった。

 

「……おかしい」と勇儀はパルスィとモーニング女の戦闘を観察しながら呟く。勇儀にはモーニング女の戦闘能力が飛び抜けて高いとは思えなかった。もちろん人間やその辺の妖怪が勝てるほどモーニング女は弱いわけではないだろう。だが、キスメ、ヤマメ、そしてパルスィが翻弄されるほどに身体能力が高いようには思えない。それなのに怒りで冷静さを失っているとはいえ、パルスィの攻撃がまるで当たらないことに勇儀は違和感を覚える。

 

「んん。怒りをエネルギーに変える効率性の高さは実にスマート! しかし、怒りに飲み込まれて溺れ、非効率的な肉弾戦に切り替えるのは……スマートでないぃいいいいい!!」

 

 モーニング女はその左腕をハンマーのような形状に変え、パルスィの横っ腹を思い切り殴って振り抜いた。

 

 パルスィのあばら骨が折れる鈍い音が橋の上に響いた。

 

「がふっ……!?」とパルスィは吐血させられながら、橋の欄干に叩きつけられる。

「パルスィ!?」と叫び、彼女の元に駆け寄る勇儀。

「大丈夫か!?」

「う、ぐぅううう……。妬ましい、妬ましい……! あの女だけは許せない……!」

 

 そう言い残してから、パルスィは瞳を閉じて気絶する。

 

「おい、パルスィしっかりしろ! ……死んじゃいないみたいだが……このままじゃまずいな……。……とっととケリを着けてやる!」

 

 勇儀はパルスィを橋の端に移動させて寝かせると、モーニング女を睨みつける。

 

「んん。お仲間がやられて復讐心に燃えるその心! 実にスマート!」

「何がスマートだ。クソ野郎。……お前、一体何者だ? まさか本当にパルスィの恨んだ女が化けて出たってのか? ……そんなわけはないだろう。お前、なんでパルスィが恨んでいる女の顔に変身できる?」

「んん! 正解です。たしかに私はその緑眼のお嬢さんの恨んでいる人間ではありません! ではなぜ、緑眼さんの恨んでいる人間に変身できるのか。……そうですねぇ。貴方への問題にしましょう。解いてみてください!」

 

 モーニング女は言い終わる頃には、その顔を元の片眼鏡付きの顔に戻していた。

 

「ふざけたヤツだね。……いいだろう。その口割らせてやる!」

 

 勇儀はその大きな掌でモーニング女を上から潰そうとする。だが、女はやはり、これを軽々とかわした。

 

「……妙なヤツだね。やっぱり身体能力はそこまで高くはないはず。だが、捉えることができない……」

「んん。それではヒントを出してあげましょう。カモーン!」

 

 モーニング女の掛け声とともにどこからともなく、突然複数の人間が現れる。現れた人間たちは皆、『武将』であった。そしてまたも、モーニング女は液体金属を一旦経由した後に、その顔を変化させる。今度は顔だけでなく、体の大きさも服装も変化させていった。

 

「……お前、その顔は……!?」

「ふふふふふ。久しいな。大江山四天王が一角、『星熊童子』よ……」

「……こんなバカなことがあるかね。……この顔の持主もとっくの昔に死んだはずだ。……『頼光』……!」

 

 勇儀はモーニング女の変化した武将姿の美女を『頼光』と呼んだ。フルネームは『源頼光』。かつて勇儀を含む『鬼』が人間側の傲慢な権力者に反駁したことがある。その時差し向けられた人間側の刺客の首領こそ、目の前にいる武将の美女だった。

 

「ふふふふ。悪鬼がまだ生き残っていると知り、現世に戻ってきたのさ」

「……なるほど。パルスィもこんな不快な気分だったわけだ。偽物と分かっていても胃がムカムカしてきやがる。だが、あえて言わせてもらうぞ。何が悪鬼だ。てめえらが大人しく暮らしていた私たちに、ちょっかいをかけてきたんだろうが。歴史は勝者が作るってのは良く言ったもんだよ。……なるほど、現れた他の武将の姿も良く見れば頼光四天王と呼ばれた女郎どもそっくりだ。どこまでもおちょくってくれるじゃないかい」

「大江山の悪鬼どもよ。再び我らが正義の前に散ってもらうぞ? かかれ、皆の衆!」

 

 源頼光の姿となったモーニング女の指示で、動き出した頼光四天王。彼女たちは勇儀が対峙した当時と同じ武器を手にしていた。刀、弓、鎌、斧……。それぞれが自分の得意武器を持っている。

 

「……どんなからくりか知らないが、良くできた偽物じゃないか。……全員ぶっ潰してやる!」

 

 勇儀は本来近距離戦闘が不得意なはずの弓を持つ武将に狙いを定め、さらに距離を詰める。

 

「まずはお前から片付けてやるよ!」

 

 勇儀は弓の武将の腹部を殴りつける……が。

 

「なに!?」

 

 驚愕の表情を浮かべる勇儀。彼女の拳は弓の武将の体を貫通する。しかし、手ごたえは全くない。雲を掴むような感覚に勇儀が戸惑う中、弓武将は表情ひとつ変えずに勇儀に向かって弓を射出する。

 

「うあ!? っぐ!?」

 

 放たれた矢は勇儀の肩口に突き刺さった。痛みに苦悶の表情を浮かべる勇儀。

 

「どういうことだ……!? なんで私の拳がすり抜ける……!?」

「取り乱しているな、星熊童子! だが、考える隙など与えんぞ?」

 

 源頼光の姿を象(かたど)るモーニング女は口調も完璧に模倣すると、頼光四天王たちに更なる攻撃を加えるようジェスチャーで指示を出す。

 

 斧、刀、鎌をそれぞれに持った頼光四天王の内3人が勇儀に斬りかかった。勇儀は斬撃をかわしながら呟く。

 

「くっそ……! 相変わらず、人間のわりに腕が立つ。だが、私もお前たちにやられてからの千年、伊達に生きてきたわけじゃない。やられるわけにはいかないね!」

 

 勇儀は頼光四天王たちに拳や蹴りを繰り出す……が。

 

「……また!? 手応えがない……!?」

 

 確実に当たったはずの攻撃に手応えがないことに勇儀は驚愕を隠せない。そんな勇儀の心の隙を突き、頼光四天王たちはそれぞれに遊戯に対して剣戟を喰らわせた。斬りつけられた勇儀は少なくないダメージを受ける。特に刀の傷は深く、勇儀の片腕を飛ばしていた。そして、そんな手負いの勇儀に追い打ちをかけるように弓の武将が勇儀の腹部に矢を放ち貫通させる。

 

「んんんん。酷い有様ですねぇ。もう戦えないでしょう? 大人しく敗北を認めてはいかがです?」

 

 源頼光の姿をしたモーニング女は口調を元に戻し、勇儀に白旗を上げるように提案する。しかし、勇儀は痛みに悶えながらも何かに気付いたように目を見開いた。

 

「うっ、あっ……!? ……そういうことか、小賢しい真似してんじゃないよ……! ああああああああ!!!?」

 

 勇儀は残った腕で自分の脚を渾身の力で殴りつけた。激しい痛みが勇儀を襲う。だが、そのおかげで『まやかしの痛みと傷』から解放されることができた。

 

「んんんん! 素晴らしい!! よもや私がかけた『幻覚』に気付くとは! 実にスマート!」

 

 すでに勇儀の視界から『頼光四天王』は消えていた。彼女たちに負わされた傷や怪我も綺麗さっぱり勇儀の体からなくなっている。そう、頼光四天王はモーニング女が見せていた『幻覚』だったのだ。

 

「……道理で私の攻撃に手応えがなかったはずだ。高度な幻術を使うじゃないかい……」

 

 勇儀は精神的ダメージが酷かったのか、ぜえぜえと息切れを起こしていた。幻覚から目覚めるために殴った足が赤く腫れあがってもいる。

 

「んん! 幻術に対抗するために、自身の体を傷つける……。物語では決して珍しい展開ではありませんが、実際にするのは並大抵ではない勇気が必要となる。まさに言うは易く行うは難し。だが、貴方はそれを成し遂げた。実にスマートォオオオオ!!」

「何がスマートだ。……お前、なんで頼光四天王をあそこまで忠実に幻視させることができたんだい?」

「戦い始める前に言ったでしょう? 問題です。解いてください。もっとも、貴方が解く前に私が勝つでしょうがねぇ。……どうやら、貴方には姿を変えても大した精神的ダメージは与えられないようです。やめとしますか」

 

 女は元のモーニング服に片眼鏡の姿に戻る。

 

「嫌がらせはもう終わりかい?」

 

 勇儀の問いに女は片眼鏡を修正しながら答える。

 

「嫌がらせとは失敬な。私は勝つのに最善を尽くしているだけのこと」

「何が最善だ。それを嫌がらせって言うんだよ」

「……果たして本当にそうでしょうか?」

「なに?」

「圧倒的な力の差。それを見せつけられる前に敗北を認めさせることの方が人道的だと思いませんか?」

「どういうことだ? 何を言っている?」

「あなたはこうお思いのはず……。『なぜ身体能力の劣るこの女に私の攻撃が当たらないのか』と。確かに私は体を動かすのが上手くはありません。しかし、あなたに身体能力で負けているとも思っていないのですよ。……貴方に私を攻撃することはできません」

「面白い冗談だ」

「ではやってみてください」

「言われなくても」

 

 勇儀は拳を握ると、モーニング女に攻撃を開始した。

 

「おらぁ!」

「んん! 素晴らしい速度! んん、しかし無意味ぃ!」

 

 モーニング女はぎこちない身のこなしで勇儀のパンチを避けている。一度だけではない。勇儀が何度攻撃しても、モーニング女は動きを見切っているかのように避け続ける。

 

「……なんでだ!? スピードも私の方が圧倒的に速いはずなのに……!? なぜ当たらない!?」

「んん! 傲慢とも捉えられかねない自身に対する自信。実に素晴らしい! 実際、貴方のスピードとパワーは私がこれまで対峙してきた妖怪(モンスター)の中でも上位に食い込むでしょう。驚異的と言って良い……。だが、相手が悪かったですねぇ」

「おしゃべりなヤツだね。……これならどうだ!」

 

 勇儀はモーニング女の足元が隙だらけなのを看破し、ローキックを繰り出した。女は瞬間的に飛び上がり蹴りを躱す。体が宙に浮いた女に向けて勇儀は渾身の拳を放った。

 

「空中なら、素早い動きはできないだろ? 大人しくノされな!」

 

 勇儀の拳はモーニング女の腹部に直撃した……かに思われた。

 

「んん! ナイスな連携技だ。しかーし!」

「なに!?」

 

 勇儀は何度目かわからない驚嘆の声を上げた。勇儀が打ち抜こうとした女の腹がぱっくりと割れたのである。女の腹部は金属液体のように変化し、空洞を作り出したのだ。何もない空間となった女の腹部。そこに向けられていた勇儀の拳は空振りに終わった。

 

「……とんだびっくり人間だな、お前」

 

 勇儀は腹部を元に戻しながら飛び退いた女に向かって言葉を紡ぐ。

 

「ええ。人間ではなく悪魔ですから……。さて、もう私に敵わないのはわかったはず……。そこを退いて私を旧地獄の中心に行かせてください」

「やなこったね」

「んん! 私は体を自由に変化させることができる。貴方の得意な肉弾戦では倒せません! それがまだわからないとは……スマートでないぃいいいいい!」

「気色悪い奇声を上げてんじゃないよ。お前を倒す策がないわけじゃない」

「ほう?」

「喰らわせてやるよ。私の拳を……!」

 

 そう言うと、勇儀はモーニング女と距離が離れているにも関わらず突きを繰り出す構えを見せる。

 

「……なるほど」とほくそ笑むモーニング女。

「喰らいな。私の全力の一撃を!」

 

 勇儀はその場で拳を突き出した。勇儀の拳圧は巨大な空気砲となり、モーニング女に襲いかかる。インドラの配下、神鳥ガルーダの技にも似た技だ。だが、威力はガルーダも上回るであろう巨大な風圧がモーニング女に迫る。

 

「んんんんんんん! 素晴らしい!! 私に逃げる場所を与えぬ広範囲かつ高火力の技……! 実にスマートォオオオオ!」

 

 モーニング女は叫びながら風圧の中に消えていった……。その体をバラバラにされながら……。

 

「はぁ……、はぁ……。どうだ……!」

 

 拳圧を放出するのは相当な体力がいるらしく、勇儀は息切れを起こしていた。

勇儀が勝利を確信したその時、勇儀の腹部に鋭い痛みが走る。

 

「え……!? か……はっ!?」

 

 勇儀は空気とともに口から鮮血を吐き出す。腹部には槍状となった銀色の金属液体が背中から腹にかけて貫通されていた。

 

「んんん! 油断は良くありませんよ?」

「なんでだ……? たしかにお前は吹っ飛んだはず……。なんで私の後ろに……!?」

「少し考えればお分かりでしょう?」

「……しまった……。また、幻覚を……?」

「その通り! 貴方が技を仕掛ける前に幻術をかけたのです。そして私は貴方の背後へ移動。んん! 実にスマートな回答です!」

 

 言いながら、女は勇儀の腹から槍となっていた自身の左腕を引き抜く。引き抜かれた痛みでその場で気を失いかけそうになる勇儀だったが、持ち前の根性でなんとか意識を保っていた。

 

「んん! それほどの傷を受けながら、まだ立っていいられるとは……。素晴らしい!!!!」

「……いい加減、その癇に障る奇声はやめてもらおうか」

「ふむ。まだ私に勝てる気でいるとは。なんという闘争心溢れるファイター。良いでしょう、その闘争心を折って差し上げましょう!」

 

 突き抜かれた勇儀の腹部からは大量の血液が流れ出ていた。次の一撃が最後になる。勇儀は全ての力を右拳に込める。

 

「んん。残っている力の全てを込めたその右拳。避けるのは野暮というものでしょう。私も全身全霊でお答えしなくては!」

 

 モーニング女はその左腕をまたも変化させ、筋骨隆々なものに変貌させた。

 

「うらぁああああああああああああ!!」

「んんんんんんんんんんんんんんん!!」

 

 両者はその拳をぶつけ合った。……一本の腕が体からはじけ飛び、宙を舞う。腕を弾き飛ばされた者の悲痛な悲鳴が旧都にこだました。声の主は……星熊勇儀であった。

 勇儀はそのまま、前のめりになるように倒れてしまう。

 

「あ……、が……、うぅ……」

「んん! 素晴らしいパワーでした。さて、では中心地に向かうとしましょう。ところで、この地獄の中心地はどこなのですか?」

「うぐぅううう……」と苦しむ声しか出せない勇儀に問うモーニング女。

「なるほど。地霊殿という場所があるのですか。そこがこの地底世界の中心……。ではそこに向かうとしましょう」

 

 勇儀は薄れゆく意識の中で疑問に思う。なぜ、このモーニング女は勇儀が答えていないのに、地霊殿というワードを口から生み出したのか。

 勇儀ははっと気づき、声を絞り出す。

 

「……問題の答えが分かった……。お前、まさか……、『読める』のか……?」

「ほう。んん。やはり貴方は素晴らしい! 『正解』です」

「……だから……、私や……、パルスィの仇に……変化することができ……たのか。お前……何……者……?」

「んん! これは失礼しました。まだ、私の名をお教えしていませんでしたねぇ。私の名は『ダンタリオン』。お母様が生み出しし、崇高なる悪魔の最後の生き残り……。では先を急ぎますのでこれにて」

 

 モーニング女『ダンタリオン』はシルクハットを外して胸に当てると、勇儀にジェントルマン風のお辞儀をして旧都の中へと去っていく。まどろむ意識の中、勇儀は届かぬと分かっていても声に出さずにはいられなかった。

 

「……逃げろ、さとり。こいつにお前は勝てない……」

 

 勇儀は届かぬ言葉を言い切ると、その意識を失ったのだった。



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古明地さとり

――地霊殿――

 

「んんんん! 素晴らしいっ! 何という運の噴出! この建物の下から溢れんばかりの運が押し寄せている! お母様が手にするに相応しい運脈だ!」

 

 モーニング女こと『ダンタリオン』は興奮を隠せないでいた。女はついに旧地獄の中心に辿り着く。中心に立っているこの西洋風の建物こそが『地霊殿』。旧地獄の管理を任されたとある少女に与えられた屋敷である。

 

「んん?」

 

 無断で地霊殿の門をくぐったダンタリオンは庭園に異様な気配が漂っていることに即座に気付く。

 

「んん! またしても、好戦的な空気。私は戦闘を好まないのですが……。そちらが仕掛けてくるのならば仕方ありませんねぇ」

 

 ダンタリオンは愉悦の笑みを浮かべ、異様な気配を放っているもの「たち」に視線を向ける。ダンタリオンの視界に入ってきたのは、無数の獰猛そうな獣たちであった。

 

「んんんん! 実によく躾けられている! 主人に対する透明な忠誠心! これほどまでに高い忠誠心を示す獣どもを見たことはない! ライオン、狼、象にカバ。本来ならば群れることなどない虎までもが主人に忠誠を誓っているではありませんか! 素晴らしい! 『私と同じ能力』を持ったそのご主人に早くお会いしたいものですねぇ」

 

 ダンタリオンが感心したように感想を述べる中、獣たちは地霊殿の侵入者に対して『ぐるるるる』と唸っていた。

 

「来るなら一斉にどうぞ。もっとも、貴方方のような下等生物では私を殺すことなどもちろんできませんがねぇ」

 

 ダンタリオンの不愉快な笑みに反応した一匹の狼がその鋭い牙をむき出しにする。次の瞬間、ダンタリオン目掛けて狼は走り出した。狼に続くように地霊殿で飼われていると思しき獣たちが一斉にダンタリオンを追い出そうと駆け上がる。

 

「んん! 素晴らしい団結力! とても畜生とは思えません。本当に良く躾けられている……! んしかし!」

 

 ダンタリオンは左腕を液体金属に変えると、先頭を走っていた狼を包み込むように捕縛すると宙へと持ち上げる。身動きの取れなくなった狼は唸り声を上げながら、じたばたと藻掻いていた。

 

「んんんん! 殺されるかもしれないと認識しつつも闘争心を失わないそのプライドの高さ! 畜生とはいえ、素晴らしい! 実にスマート!」

 

 ダンタリオンは自身の左腕である金属液体に力を込める。強烈な力で締め上げられた狼は悲鳴を上げ、絶命した。肉塊と化してしまった狼から流れ出る血液を眺めながら彼女は口添える。

 

「もっとも、畜生がどうスマートに足掻いたとて私に叶うことはありませんが……」

 

 地霊殿に飼われる他の動物たちは先鋒の狼があっけなく殺され、ダンタリオンに対して本能的な恐怖を感じ、動けなくなってしまった。

 

「んん! やはり動物は素直なものです。私との力の差をこれで十分に分かったはず。……とっとと、退いてもらえませんかねぇ。私はこの地霊殿とやらの中に用事があるのですから!」

 

 ダンタリオンは動けなくなっている動物たちに嘗め回すような殺気の視線を送る。圧倒的な殺気の前にびくっと一歩後ずさる動物たち。だが、全ての動物が怖れをなしていたわけではなかった。『ぐるるる』と喉を鳴らしながら一匹の虎がダンタリオンに向かって一歩を踏み出した。その姿を見たダンタリオンは「ほう」と感心したように口を開く。

 

 虎は雄叫びを上げる。自分の恐怖を振り払うために、地霊殿に飼われた動物仲間を鼓舞するために。虎からの叱咤を受けた他の動物たちもまた、闘争心を再び奮い立たせ、それぞれに雄叫びを上げた。

 

 動物たちが雄叫びを上げる姿を目の当たりにしたダンタリオンは一種の感動を感じ、体をぶるぶると震わせる。

 

「んんんん! 素晴らしい!! 本能に打ち勝ち、この地霊殿とやらを守るために恐怖の感情を闘争心に変える強さ! 本来、群れを作らないはずの虎がリーダーとして、他の動物たちを導こうとする精神! そして、それに応えんと勇気を振り絞る多種多様の動物たち! 本当によく躾けられている!!」

 

 ダンタリオンが講釈を垂れる中、動物たちは虎を筆頭に突撃を開始した。大きな鳴き声を上げ、土煙を起こしながらダンタリオン目掛けて動物たちは突進する。しかし、ダンタリオンに焦りの表情は全く浮かんでいなかった。むしろ、愉悦の笑みで破顔する。次の瞬間、ダンタリオンは再び左腕を液体金属に変えると、今度は金属を針状に変え、動物一体一体に対して無数に放ち始めた。

 

「んんんん! 畜生とは思えぬ素晴らしい団結力! 一匹たりとも欠けることのない突進。実にスマート! しかし、相手が悪すぎましたねぇ。この程度の数ならば一匹残らずこの針で急所を貫くことくらい造作もないぃいいいい!!」

 

 その言葉通り、ダンタリオンの針は確実に動物たちの急所を打ち抜いていく。次々と倒れていく動物たち。最後に残った一匹はリーダー格の虎だけ……。ダンタリオンの眼前まで迫った虎だったが……。

 

「んん! 殺すには惜しい畜生ですが……、加減はしませんよぉ!? はぁ!!」

 

 ダンタリオンが気合を入れると、他の動物たちに刺さっていた針の全てが虎に向かって再放出された。すべての針が超高速で虎に突き刺さる。四方八方すべての方向から針で突き刺された虎はその体の原型を一切留めることができないほどに無残な屍と化した。

 

「んん! 素晴らしい団結力を持ったスマートな畜生共を華麗に倒す私……。実にスマートォオオオオ!」

 

 最後の一匹を狩り終わったダンタリオンはお得意の奇声を上げる。しかし、すぐに平静を取り戻し、地霊殿の方を見やる。

 

「さて、先を急ぎましょうか。お母様が極上の運をお待ちになっているのですからねぇ」

 

 ダンタリオンは地霊殿の扉を開け、堂々と侵入する。地霊殿のホールに入ったダンタリオンは周囲をぐるりと見渡し、口を開く。

 

「これはこれは……。素晴らしい建物ですねぇ。天窓のステンドグラスも立派なものです。……おや……?」

 

 ダンタリオンの視線の先。ホールにある巨大階段の踊り場に小柄な少女が一人佇んでいた。少女の視線はダンタリオンを冷たく見下ろしている。桃色の髪をした少女の体を囲むように一本の赤いコードが宙に浮いていた。コードは少女の生身の体から生えているらしく、かすかに動いている。無機質な物体であるコードが生身の少女から生えていることも驚くべきことではあるが、さらに驚くべきことはそのコードの途中に『ある部位』が備えられていることに違いない。

 

「ほう。その管に付いているのは『第三の眼』というやつですか。これは珍しい。……貴方がこの地霊殿とやらの持主というわけですか?」

「……不法侵入を犯した者に名乗る必要はないのだろうけど。……そうよ。私は古明地さとり。この地霊殿の主。ついでに旧地獄の管理も任されている者よ」

「勝手にお邪魔してしまって申し訳ない」

 

 ダンタリオンはシルクハットを胸に当てお辞儀をした後に、会話を続ける。

 

「ふむ。つまり貴方は地底のお姫様というわけですねぇ。んん! 『古明地さとり』……素晴らしい響きだ。地底の姫にふさわしい!」

「……地底の姫だなんて、そんな大それた地位に就いているつもりはないわ。それよりも……あなた、どうやってここまで入ってきたのかしら? 庭には番獣たちがいたはず」

「んんんん! 答えるまでもないでしょう? いや、答える必要がない。あなたはその『第三の眼』で私の心を読むことができるはず! 『覚(さとり)妖怪』……。書物で見たことはありましたが、実際に見たのは初めてです。また私の教養の世界に新たな知識が増えました。ありがたいことです!」

「……動物たちの悲鳴が聞こえたから降りてきたけど……。……やってくれたわね。私の可愛いペットたちに手を出して……。ただで済むと思っているのかしら?」

「んんんん! 命奪われた畜生共を思って怒りに震えるその心……。実にお優しい。まさに賢君と言っても良いのでは? んん? しかし、おかしい。この城のようなお屋敷に使用人一人いないとは……?」

「……覚妖怪を知っているならわかっているのでしょう? いい性格をしているわね、あなた。……この屋敷には妖怪化をしたものも含め、動物くらいしかいないのよ。理由は聞かずとも知っているんでしょう?」

「んん! もちろんですよ? 覚妖怪は知的な生物には嫌われるものですからねぇ。よく知っていますとも! なるほど、ますます貴方はお優しい。なぜなら、例え嫌われたとしても奴隷として知的な生物を強制的にこの屋敷に縛り付けることくらいはできるはず。ですが……、貴方はそれをしていない。実にジェントル!」

「不愉快な言い回しばかりするわね。どうでもいいけど、早く地霊殿から……いえ、地底からお引き取り願えないかしら?」

「んん! それは無理な話ですよ、お姫様。なぜならば、この地底の運脈はお母様のものですから!」

「……お母様?」と呟きながら、古明地さとりはダンタリオンの心の中を覗く。ダンタリオンの心に浮かぶ老婆とその印象を読み取った。

「……始まりの魔女? それがその老婆の正体……? ……あなた、お母様と呼んでいるわりにはその老婆のことをあまり知らないようね」

「ええ。その答えも既に読んでいるでしょう? 私ごときがお母様の真意や真の姿を見るなど恐れ多い……」

「……なぜ、深く知ってもいないお母様とか言う老婆にそこまで忠誠を誓い、愛せるのかしら? 私には理解できないわね」

「……嘘つきですねぇ」

「なんですって?」

「いえ、何も。……あなたが心を読んだ通り。私はお母様がお生みになった悪魔の最後の生き残り。かつては数多いた私の兄弟も気付けば私を含め、四人だけになってしまい、その四人の内三人も息を引き取ってしまった……。彼らの分も私はお母様に忠誠を注がなければならないのです。譲っていただきますよ、この地霊殿の地下にある運脈を……!」

「やれるものならやってみなさい」

 

 古明地さとりは身にまとった青の上衣と桃色のスカートを靡かせながら、戦闘態勢に入るのだった。



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心の内

古明地さとりは球状の弾幕をダンタリオン目掛けて射出する。だが、ダンタリオンはさとりの弾を難なくかわしてみせた。外れた弾が地霊殿の内壁に激しく衝突する。

 

「んん! むやみな攻撃です! せっかくの美しいお屋敷が壊れてしまいますよぉ?」

「そんなものは後で作り直せばいいわ。今やるべきはあなたの始末。それがあなたに殺されたペットたちの供養となるのだから」

 

 さとりはダンタリオンに対して弾幕を張り続ける。しかし、一向にダンタリオンを捉えられそうな気配がない。

 

「……限界ギリギリまで引き付けた上で寸前まで回避方法を思考していない……。……呆れた頭の回転速度と体勢変換速度ね。おかげで動きを読んだ攻撃ができない……」

「んん! さすがは覚妖怪。そのことに気付いていただけるとは! 橋の上で戦った金髪の鬼も『そこには』気付いていませんでした。実にスマートォオオオオ!」

「耳障りな奇声をあげないでくれるかしら。不愉快よ」

「んん! これは失礼しました。しかし、もう分かったのでは? いかに覚妖怪とはいえ、身体能力で遠く私に及ばない貴方が私に敵うことはありえない! 大人しくこの屋敷を私に譲っては頂けませんかねぇ?」

「お断りよ。私は地獄の者たちにこの地底を託されている。よそ者に渡すなんてありえない」

「んんんん! 使命を全うせんとする誇り高さ……! ますますジェントル!」

 

 ダンタリオンは両手を広げ、宙を仰ぎ見ながら叫んでいた。

 

「素晴らしい! 素晴らしき精神! ……しかし残念だ。こんな素晴らしく優しく真面目な精神を殺さなければならないとは……!」

「何を勝った気でいるのかしら?」

「んん? 貴方こそまだ負けを認めないおつもりですか? まだ策があるとでも?」

「当たり前でしょう? 私はさとり。覚妖怪。その力の真骨頂を見せてあげるわ」

「ほう? 何をするつもりです?」

「簡単なことよ。……あなたのトラウマを抉ってあげる……!」

 

 古明地さとりが話し終わった途端、ダンタリオンの視界がぐにゃりと歪む。歪んだ空間の中、ダンタリオンは冷静にさとりに聞き返した。

 

「ふむ。これは一体?」

「……テリブルスーヴニール」

 

 さとりの術名宣言とともにダンタリオンの心に不穏が宿る。さとりはダンタリオンに催眠術をかけ、ダンタリオンの心に眠るトラウマを表層に浮かび上がらせ、読み取ったのだ。

 

「これは……。なるほど、自身の読心能力を最大限効率化するための『催眠攻撃』ですか。実にスマート」

「余裕を見せられるのもここまでよ」

 

 さとりが、手を天にかざす。催眠をかけられたダンタリオンの視界にはさとりの隣に聖職者の姿がいるように映った。

 

「その女は……!?」と眼を見開くダンタリオン。

「あなたの心から読み取ったトラウマを具現化したもの。この女はあなたの兄弟を次々と始末した『エクソシスト』。そうでしょう?」

「ほう……。その女を催眠で見せることで私の戦意を喪失させようというわけですか。んんんんん! さすがは心を読むことのできるモンスター! たしかにその女は私のトラウマです! 素晴らしい再現力! 実にスマート!」

「…………?」

 

 さとりは首を傾げ、頭の上に疑問符を浮かべる。ダンタリオンの心と態度がトラウマを前にしているとは思えぬほど、冷静だったからだ。しかし、精神攻撃を緩める必要はない。さとりは催眠魔法をかけ続ける。

 

「……あなたの心はトラウマを前にして乱れていない。なぜかしら? ……まぁいいわ。トラウムをしっかりと思い出せないのならば、想起してあげるだけよ!」

 

 さとりは催眠魔法の出力を上げる。ダンタリオンの精神に、エクソシストが彼女の姉妹である悪魔たちを退治する映像を叩きつけたのだ。だが……。

 

「んんんん! 非常に残念です。『その程度』でしたか! 期待外れですねぇ!」

 

 ダンタリオンはにやりと笑みを浮かべると、精神上のエクソシストを破壊して催眠状態から自身を解放させる。

 

「なに!?」と驚愕の表情を見せるさとり。今までさとりがトラウマを想起させた相手はその場から逃げ出したり、錯乱して暴れ出したりすることはあっても、催眠を自分の力で解くものはいなかったからである。それ故、さとりは自身の想起魔法に自信があった。だが、ダンタリオンはそれをあっさり突破したのである。

 

「ふむ。中々の強度の催眠攻撃でした。たしかにそのエクソシストは我が姉妹を討ち取った憎むべき敵。だが、そのエクソシストは私が殺したのですから。トラウマになどなり得ないぃいいいい!」

「なんですって……?」

「んん! ……本当にトラウマを見せつけられていたら、さすがの私も堪えていたかもしれませんがねぇ」

「……どういうこと? 私は確実にあなたのトラウマを見抜き、再現したはず……。なのに……なんであなたの心には動揺の波が広がっていない……!?」

「お気づきになりませんか? まぁ無理もありませんか。『我々』と同じ能力を持っているモンスターは少ないですからねぇ。これまでに自分と同じタイプの相手と貴方は交戦したことがなかったのでしょうから」

「……『我々』? あなた、まさか……!?」

「ようやくお気づきになりましたか。やはり、心を読めるモンスターは心を読めるが故に観察力が鈍る。かつての私を見ているようですよ!」

「……お前も覚妖怪なの!?」

「失敬な! 私を貴方たちと同様の低級モンスターと一緒にしないで頂きたい! 私は悪魔! お母様が生み出しし、崇高な悪魔貴族! 貴方がたとは格が違うのですよ!」

 

 ダンタリオンは左手の指の先を槍のように尖らせ、さとりに向けて射出する。槍と化した指はさとりの頬をかするように伸びながら、壁に突き刺さる。

 

「ほう、私の指の軌道を読み、わずかに頭を動かし避けましたか。思ったよりは身体能力があるようですねぇ……」

 

 さとりはかすられた頬から血を垂らしながら、ダンタリオンに問う。

 

「……どういうこと? あなたの心に攻撃の意志は全くなかった。なのに攻撃している……?」

「んんんん! やはりその程度。本当に残念な覚妖怪だ。それならば、特別サービスです。面白いことをしてあげましょう。どうぞ、私の心を存分にお読みください!」

「……なんですって?」

「どうぞ、どうぞ」

 

 さとりはダンタリオンの思惑通りに動かされることに嫌悪感を覚えるが、さとりがこの戦闘に勝つには、心を読むしかない。不快感を露わにしながらも、さとりはダンタリオンの心の内を読み解く。

 

『左手を槍にして腹部を突き刺す。左手を槍にして腹部を突き刺す』

 

 それがダンタリオンの心の内だった。さとりが自分の心を読んだことを確認した上で、ダンタリオンは突然こんなことを言い出した。

 

「さて、私の心を存分に読んで頂いたところで『問題』です!」

「問題……ですって?」

「ええ。これから私は貴方にどんな攻撃を加えようとしているでしょうか!?」

「……ふざけているのかしら?」

 

 さとりは苛立ちを表に出しながら、もう一度ダンタリオンの心を読む。『左手を槍にして腹部を突き刺す』という心に変わりはない。

 

「『左手を槍にして腹部を突き刺す』なんでしょう?」

「なるほど。では攻撃して差し上げましょう」

 

 ダンタリオンがさとりに詰め寄る。さとりはもう一度心を読む。ダンタリオンの『左手を槍にして腹部を突き刺す』という心境に変化はない。さとりは自身の正面に結界を張り、攻撃に備えた……が。

 

「んん! がら空きぃ!」

 

 ダンタリオンは左手を槍にすることはなかった。代わりに右腕をハンマー状に変化させ、さとりの横っ腹を殴打する。さとりの華奢な体からボキッという乾いた音が鳴り、あばら骨が粉砕される。悲鳴を上げながら、うずくまるさとりにダンタリオンは愉悦の笑みを浮かべて見下していた。

 

「残念でしたねぇ」

「か……は……!? ど、どういう……こ……と? 心と行動が一致していない……!?」

「まったく未熟なモンスターですねぇ」

 

 ダンタリオンはさとりの胸倉を掴んで持ち上げる。

 

「心を読める敵に遭うかもしれない……。そういう想定を全くしていなかったようですねぇ。その証拠に貴方の心は何の装備もしていない。丸裸だ。スマートでない!」

「装備……? 丸裸……?」

「そう! ……私は偽りの心を作り出し、私と同タイプの能力を持つ者に敢えて見せているのです。つまり、貴方の見た私のトラウマ、行動予定は全くのデタラメというわけですよ。そして、真なる心は障壁で覆い、見えないようにしているというわけです」

「そ、そん……」

「そんなこと『あるわけがない』ですか?」

「う……!?」

 

 さとりはダンタリオンに心を見抜かれたことに動揺する。人の心を読むことはあっても、読まれることなどなかったさとりにとって、初めて感じる嫌悪感だった。

 

「人に心を読まれることを気持ち悪いと思いましたねぇ? どうです? 自分と同じ能力を自分に使われるというのは? ……そうですか、私に対する嫌悪感と同時に自身に対する嫌悪感も湧いているようですねぇ。良かったじゃないですか。なぜ貴方が嫌われるのか身を持って知ることができたのでは? 知識とは本を読むだけでは手に入らない。自分で体験した時こそ本物になるのですから!」

「ペラペラと……喋らないで……!」

「ほう。身体能力でも、読心能力でも劣っているっていうのにまだ私に勝てる気でいらっしゃるとは……。さすがですね、お姫様。それでこそ壊し甲斐があるというもの!」

「な、なにをするつもり……?」

「貴方と同じことですよ。貴方のトラウマを抉り出し、再起不能にしてあげましょう!」

「うっ……!?」

 

 さとりが抵抗を試みようと藻掻くが、もちろん無駄なことだった。ダンタリオンは視線をさとりの瞳に合わせる。さとりはダンタリオンに心の内を見られることになるのだった……。



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覚妖怪

◆◇◆

 

 むかし、むかし。ある所にさとり妖怪の一家が暮らしておりました。一家は人間が住む村から離れた山奥に、小さな家を建てて住んでいます。

 お父さんとお母さん、そして幼い二人の姉妹の四人家族です。決して裕福な暮らしではありませんでしたが、それでも幸せに暮らしていました。

 お父さんのさとり妖怪はいつも幼い姉妹……『さとり』と『こいし』にこう言い聞かせていました。

 

「いいかい? 決して山の麓の人間の村に行ってはいけないよ? 私たち覚妖怪は人間に嫌われているんだ。見つかれば殺されてしまうからね」

 

 言葉にしなくても思いが伝わるのに、あえて言葉に出して、お父さんは幼い姉妹に言い聞かせます。きっとそれくらい大事なことなのでしょう。優しくて真面目な幼い姉妹はお父さんの言うことをきちんと聞いて山を出ることなく、すくすくと育ちました。

 一家は皆同じ色の髪と同じ色の眼を持っていました。桃色の髪と桃色の眼です。きっと覚妖怪の特徴なのでしょう。

 お父さんはどうしても必要な日用品がある時だけ、布で桃色の髪と覚妖怪特有の管とそれに付いた第三の眼を服の中に器用に隠して村まで買い出しに行っていました。眼は隠しようがありませんが、布を目深にかぶったり、眼を細めることで何とか誤魔化します。

 お母さんが気が気でならないような姿でお父さんが村に行くのを見送っているのを見て、幼い姉妹も一緒に不安になっていましたが、お父さんはいつも無事に村から帰ってきていました。

 いつ人間に見つかるかわからない不安はありましたが、一家は幸せに暮らしていました。しかし、いつしかお姉ちゃんの「さとり」は村に行ってみたいと思うようになってしまいます。

『こいし』よりも早く少しだけ大きくなったさとりは広い世界を見たいと思ってしまったのです。彼女たちにとって世界とは山奥にある一軒の小屋とその周辺の山林だけ。さとりが村に行きたいと思ってしまうのも無理のないことでした。

 ですがもちろん、さとりが村に行きたいと思う心もお父さんとお母さんには筒抜けです。覚妖怪なのですから。

 お父さんはさとりに怒ります。『村に行きたいなどとは思ってはいけない』と。ですが、さとりは反抗します。そしてある日、さとりはお父さんとお母さんの言い付けを無視して山を下り、人間の村へと辿り着きます。覚妖怪だとはバレないよう布と服に桃色の髪と第三の眼を隠して……。お父さんと同じように……。

 村にはさとりが初めて見る光景ばかりでした。呉服屋にお団子やに金物屋……。いろいろな商店が立ち並んでいます。さとりはもちろんお金を持っていないので買い物などできませんでしたが、見るだけで楽しい気分になりました。

 さとりが家に帰ると、お父さんが心の底から怒っていました。お父さんは「人間にばれたらどうなるか、わかっていたのか!?」と言いながら、さとりの頬を思い切りひっぱたきます。さとりは初めてお父さんに手を上げられました。

 お父さんの行動は心の底からさとりの無事を祈るが故に生まれたものです。……そんなことはさとりも解っています。覚妖怪なのですから。

 ですが、だからこそ、さとりはお父さんに対して苛立ちを隠せなくなります。「どうして私が村に行きたいのか、心を読めているからお父さんは理解しているはずなのに。なんで許してくれないのか」と。

 

「お姉ちゃん……。村に行ったらいけないよぉ……」

 

 妹のこいしも姉と父親が喧嘩しているのを見て、ぐずつきながら姉を心から心配しています。しかし、こいしの心がさとりに届くことはありません。

 さとりは心と態度を更に硬化させ、言い付けを無視して何度も村に行くようになってしまいました。

 そんな日々の中、さとりはある人間の少女と出会います。村で商いを営む商人の娘でした。裕福でも貧乏でもない普通の娘です。さとりはその少女と友達になりました。

 さとりはその少女と遊ぶために村に行くようになりました。広い世界を知りたいという思いではなく、友達に会いたいという思いがさとりを村に行かせるようになってしまったのです。……もしかしたら、さとりのお父さんはそうなってしまうことが解っていたからこそ、さとりを村に行かせたくなかったのかもしれません。今となってはもう分からないことですが……。

 ……ある日、前々から『親もおらず、見かけない子供だ』とさとりのことを妖しいと疑っていた一人の村人が強引にさとりの頭に巻かれた布を引き剥がしてしまいます。

 

「こ、この髪の色はぁ!? お、おめぇ妖怪だな!? さとり妖怪だな!? また、おらたちを殺しに来ただかぁ!?」

 

 ……とうとう、さとりは村人たちにバレてしまいました。まだ大きくなく、魔法も使えなかったさとりは簡単に大人の男たちに捕まえられると、縄で縛られてしまいます。

 この村はかつて悪い覚妖怪と争いになり、多くの人間を失った経験があったのです。そのトラウマは今も多くの人間に焼き付いていました。村人たちは集結し、話し合いを始めました。

 

「なんでまだ、この覚妖怪のガキを生かしてんだべ!?」

「阿呆か、おめぇは! このガキの覚妖怪がひとりでいると思うか? 親の覚妖怪が近くにいるにちげえねぇ! 吐け、ガキ! おめぇの親はどこにいる!? 一体何人仲間がいるべ!?」

 

 もちろんさとりは答えません。答えれば大切なお父さんとお母さんとこいしが殺されるに違いないのですから。

 

「意地らしいガキだべ。全然口を割ろうとしやがらん! おい、みんな不審なヤツは他にいなかったか思い出してくれ。絶対に覚妖怪はこのガキ一匹だけじゃねえべ!」

 

 すると、金物屋の主人が思い出したように手を上げます。主人は布を頭に巻いた不審な男を見たことがあると話始めました。その特徴は間違いなく、さとりのお父さんが村に買い出しに行っていたときの服装です。

 

「……その布頭の男、どこに向かっていたかわかるか? 金物屋さん」

「……行商人だと言っていたが、なぜか北の山の方に向かって歩き去っていたべ……」

「北の山……。……いるかもしれねぇな。そこに。……男衆、槍と帷子着てこい! 山の中探しに行くべ!」

 

 村人たちは武装し、自警団を組織します。

 

「さぁ、今から妖怪退治だべ……。だが、その前にやらなきゃならね……」

 

 村人たちは暗い顔で俯きます。

 

「……この覚妖怪のガキと親しくしてたのはどの娘だ……?」

「……井戸んとこの家の子だ……」

「……あそこか……。良い人だったが……掟は掟だ。縄縛って連れてこい……」

 

 さとりは男たちの心の中を見ました。

 

「う、うそ……。やめて、やめてよ……。あの子は何の関係もないじゃない……!」

 

 ですが、村人たちがさとりの言葉など聞くはずもありません。さとりが捉えられている村の広場に連れてこられたのは、さとりと友達になった少女とその家族たちでした。

 泣いて俯く少女とその家族たち。すでに男たちの心を読んでいたさとりには今から彼女たちが村人に何をされるのかが解ってしまいます。

 

「わるいのぉ。だが、誰が覚妖怪と繋がっているかわからん以上、おぬしら家族を生かしておくわけにはいかん。覚妖怪と親交を持ったものは一族皆殺し……。それがこの村の掟じゃけ」

 

 村長と思しき老人が慰めるように、家族に声をかけます。次の場面には、槍を持った男たちが家族を全員串刺しにしてしまいました。……さとりと友達になった少女が息を引き取る瞬間、さとりの方を見つめます。もう思考はできず、何も考えてはいません。ですが、次第に冷たくなっていく友達の視線はさとりを憎んでいるように見えました。

 さとりは泣いてしまいました。でも恐怖しても悲しんでも後悔しても遅いのです。友達はさとりが不用意に村に出向いたせいで死んでしまったのでした。さとりは声を上げて泣き続けます。でも、もちろん村の誰もさとりを可哀想だとは思いません。むしろ、めそめそとなく天敵に対して村人は苛つき、さとりの体を板で打ち付けました。

 

「それくらいにしとけ。まだ、そのガキには死んでもらっては困る」

 

 さとりはうっうっと泣きますが、誰も助けてくれません。

 

 ……武装した村の男衆は、少女の家族たちを殺した後、手を合わせて冥福を祈ると山の中へと入って行きました。さとりのお父さんとお母さんは簡単な魔法は使えますが、力は強くありません。村の男衆に見つかればたちまちに退治されてしまうでしょう。さとりはお父さんとお母さんとこいしの無事を祈るしかありませんでした。

 村の男衆が山に入って丸一日が経ちました。男衆たちは帰ってきません。男たちを見送った老人や女子供は男たちが戻ってこないことに不安を感じます。ふと、さとりが体を動かすと、足の縄が緩んでいることに気付きました。

 

「今なら逃げられる」と踏んださとりは一生懸命に走りだしました。追ってくる村人たちもいましたが、隠れながらなんとか逃げ切ることができたのです。後ろ手に縛られていた腕の縄を岩の端で何とか切断したさとりは自分の家に戻ります。息が止まるくらいに力いっぱい走りました。胸が焼けそうなくらいに一生懸命走りました。

 

 ……さとりが家の前に辿り着いた時、家の前は血の海になっていました。一体何があったのでしょうか。村の男衆は皆、自分の持つ槍を自身の腹や胸や頭に突き刺していました。自害を試みた様子の亡骸ばかりです。そして、そんな村の男衆に囲まれるように倒れていたのは槍を刺されて絶命したさとりのお父さんとお母さんでした。

 死屍累々の地獄絵図の中、たった一人だけ生き残っている者がいました。その少女は呆然とした様子で死体たちの真ん中で血まみれになりながら座っていました。

 

「あっ。お姉ちゃん、お帰りー」

 

 少女は地獄の血の海の中で生気のない笑顔をさとりに向けました。

 さとりの妹『古明地こいし』です。でも、そのこいしはさとりの知っているこいしではありませんでした。

 覚妖怪特有の桃色の髪と眼は緑色に変色してしまっていたのです。

 

「こ、こいし……。何があったの……?」

 

 さとりはこいしに問いかけます。しかし、こいしは答えません。さとりはこいしの心の様子がおかしいことに気付きます。さとりはこいしの心を読むことができないようになっていたのです。

 以前なら、こいしの純粋でやさしい心をさとりは読むことができました。でも、髪の色が変わった今のこいしの心をさとりは読むことができません。

 ……さとりは気付きます。こいしの第三の眼に槍で貫かれた跡があることに……。

 

「こいし……! 眼が……!」

 

 狼狽えた様子で心配するさとりにこいしはこともなげに堪えます。

 

「大丈夫だよ、お姉ちゃん。自分でやったの。自分で第三の眼を潰したのよ。でも、これでいいの……」

 

 さとりには何が何だかさっぱりわかりません。きっと、両親は村の男たちに殺されたのでしょう。では、男たちはなぜ自害しているのか。そして、なぜこいしは自分で眼を潰したのか……。

 ただ、一つだけ解ることは、優しかったこいしが変わり果ててしまったという事実。さとりはその場でうずくまり、声を上げて泣きました。そんな姉さとりにこいしは近づくと、さとりを抱きしめます。

 

「大好きだよ、お姉ちゃん」

 

 しかし、こいしの言葉はさとりの心には届かないのでした。

 ……これは古明地姉妹が幻想郷に来る前のお話です。めでたくなし、めでたくなし。



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思い込み

◆◇◆

 

「んんんん! なるほど! それが貴方のトラウマですか! 自分の不用意な行動で友人と両親を失い、愛する妹も豹変してしまった……。んん! 実にトラジディ!」

「ぐっ……! 勝手に私の心を読むな!」

「んんん! 散々人の心を読んでいるくせに、いざ自分が読まれると拒否反応を示す。本当にお姫様ですねぇ。反吐が出るぅうう!」

 

 ダンタリオンは胸倉を掴んで持ち上げていたさとりを地面に叩きつけるように放り投げた。さとりの体は地面に擦り付けられるように滑っていく。

 

「さて、せっかく遭遇した同タイプのモンスターでしたが……、期待外れもいいとこのスペックしか持っていませんでしたねぇ。もう貴方に教養を見いだせない。さっさと片付けますか」

「くっ……!? 勝手なことばかりペラペラと……」

 

 さとりは立ち上がりながらダンタリオンに言い返す。ダンタリオンは余裕の笑みを浮かべていた。

 

「あなたがやろうとしていたことをやり返してあげましょう! カモーン!」

 

 ダンタリオンが指を鳴らす。さとりの眼前に幻像が現れた。

 

「あ、あ……」

 

 さとりは上手く言葉が出せないでいた。その幻像の姿はさとりが死なせる原因を作ってしまった人間の「友達」。さとり自身、それがダンタリオンの作り出した幻像だと解っている。だが、さとりはダンタリオンの作る幻影、幻覚を振り払えないでいた。

 

「んんん! どうです? 私の最高出力の芸術幻術は!」

 

 ダンタリオンの作り出した少女の幻像はさとりに近づいてくる。さとりは咄嗟に目を瞑り、耳を手で押さえた。

 

「んん! 視覚と聴覚を遮断すれば、幻覚を防げるとお思いですか? 浅い! 実に浅い! その行為、スマートでないぃいいい!」

 

 ダンタリオンの幻覚はさとりの視覚と聴覚の遮断などお構いなしに、脳に直接干渉するものだった。瞼裏の暗闇に友達の姿が浮かび上がり、さとりに問いかける。

 

『さとりちゃん……。なんで、お父さんの言い付けを破って村に来てしまったの?』

「やめて! こんなの見せないで!」

 

 さとりは幻像の友達の言葉を無視して、幻覚を解くよう嘆願するがもちろんダンタリオンに聞き入れられるはずもない。

 

『聞こえないフリしないでよ、さとりちゃん。……どうして村に来てしまったの? あなたがお父さんの言い付けを守っていれば、私は死んだりしなかったのに』

「うう……。やめて、やめてよ。こんなの見せないで!」

 

 さとりはより一層瞼を強く閉じる。だが、無意味だった。

 

『自分が犯した罪から眼を逸らすの?』

 

 少女はさとりの肩を叩く。さとりの眼に映る友達の眼は冷え切っていた。かつて現実の少女が息絶える寸前にさとりが見た彼女の眼。それがさとりに突き刺さる。

 

「い、いや。いやぁああああああああああああああああああ!?」

 

 さとりは幻覚のプレッシャーに耐えきれずに走って逃げ出した。逃げ込んだ先は地霊殿の自室……。部屋に飛び込んださとりを見て、ダンタリオンはくつくつと喉を鳴らした。

 

「いやはや、これほど精神的な攻撃に弱いとは……。そして無駄ですよぉ? どこに逃げようと貴方は私の幻覚から逃れられないぃいいいいい!」

 

 自室に逃げ込んださとりはクローゼットの中に隠れるように閉じこもった。はぁはぁと怯えるように息を切らすさとり。そんなさとりの脳内に友達とは別の少女の声が聞こえてきた。

 

『もしもーし。もしもーし』

 

 さとりの聞き慣れた声。聞き間違うはずがない。さとりと血を分けた姉妹。唯一の血縁者の声だった。

 

「……こいし? こいし!?」とさとりが聞き返すと、声の主が反応する。

『お姉ちゃん。私ね、今お姉ちゃんの後ろにいるの』

 

 さとりは振り返る。そこにいたのは、桃色の眼と髪のままであるかつてのこいしだった。さとりは声の主が本物のこいしではなく、幻像のこいしであったことに絶望する。

 

『お姉ちゃん、なんでお父さんとお母さんの言うことを聞かなかったの? お姉ちゃんが村に行ったから、お母さんもお父さんも死んじゃったんだよ?』

 

 幻像のこいしが指をさす。さした先にある光景はさとりの父親と母親が村の男衆に槍で突き刺され絶命し、倒れている幻覚だった。

 

「うっ。うっ……。許して、許して……」

『許さないよ』

「うぅ……」

『お姉ちゃんがワガママしたから、お父さんとお母さんは殺されたんだ!』

 

 幻像のこいしはさとりを激しい口調で咎めながら髪を掴み、自身の怒りの表情をさとりの顔近くで見せつける。そして、幻像のこいしの髪と眼が桃から緑へと色付いていく。

 

『お姉ちゃんのせいだよ。お姉ちゃんのせいで私の心も壊れちゃったんだ!!』

「あ、あああ……。ごめんなさい、ごめんなさい。お父さん、お母さん……。……こいし……」

 

 心を壊されたさとりは膝から崩れ落ちてしまうのだった。

 

………………

…………

……

 

「ふうむ。そろそろ頃合いですかねぇ」

 

 ダンタリオンはゆっくりとした足取りでさとりの自室へと踏み入った。

 

「おやおや、これはこれは」

 

 ダンタリオンの視線の先にいたのは壁に体を預かるようにして座り込むさとりの姿。さとりは涙とよだれを垂れ流し、眼を見開いたまま気絶していた。

 

「んん! たしかに私は最高出力の幻術を見せつけましたが、これほど簡単に心を崩壊させてしまうとは! やはり貴方は脆弱すぎる精神しかお持ちでなかったようだ。うんうん。わかりますよ? 貴方がこの地底に隠れ住んでいたのは『知的生命体に嫌われるから』ですものねぇ? それは相手を思いやってのことではない。貴方自身が嫌われることに耐えられない弱い精神しか持っていないからですものねぇ? ……聞こえてませんね。ま、いいでしょう。あ、そうそう。私は貴方のことを『嘘つき』だと言いました。『知っていないから』こそ愛せるのですよ。貴方も妹さんの真意を知らないからこそ『愛せていた』のでしょう? 妹さんも貴方のことを愛しているはずだと思い込むことで貴方は心を保っていたのですから。私も同じです。お母様が愛してくれているはずだと思い込むことで心を保っているのですよ。……それでは」

 

 ダンタリオンは意識のないさとりに向かって自分語りをすると、さとりの自室を出て行った。

 

「さて、ではこの地霊殿の地下に向かいますか。そこにお母様の望む巨大な運脈が存在する」

 

 ダンタリオンは地霊殿の階段を下り、地下へと向かっていくのだった。



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霊烏路

 ――灼熱地獄跡、ダンタリオンは地霊殿の地下にあるこの場所へ足を運んでいた。地霊殿の地下にぽっかりと空いた深い穴。その最底面で溶岩を噴き出すこの灼熱地獄跡こそが、お母様『テネブリス』の欲する運脈であるとダンタリオンは確信する。

 

「んんんん! 非常に熱い! しかし、それはエネルギー溢れる場所だということ! ビンビンと感じますよぉ! マグマが胎動するこの大地の穴から良質な運が豊富に噴き出ているぅうううう! ……仕事を始めますか」

 

 ダンタリオンはモーニング服の裏ポケットから勾玉を取り出すと、溶岩の中へと放り投げようとしたのだが、あることに気付く。

 

「おやぁ? どうやら、このマグマ溜に足を踏み入れているのは私だけではないようですねぇ」

 

 ダンタリオンの視界の先、2匹の妖怪が空を飛んだ状態で何やら揉み合っていた。ダンタリオンは耳を澄ませる。

 

「お空、落ち着いて! 大丈夫だから……!」

 

 猫耳の妖怪が暴れる鴉妖怪を抱きしめるような形で抑え込んでいた。

 

「うぅううう! がぁあああああ!」と、唸るように鴉妖怪は叫び、抑え込もうとする猫耳妖怪に抵抗していた。

 

「んんん? 何やら騒がしいですねぇ。私の好奇心をそそる。少し確認してみますか」

 

 ダンタリオンは勾玉をモーニング服に戻すと、仕事を中断し猫耳と鴉の元にふわりと近づいた。

 

「どうされました? 随分とその鴉が暴れているようですが……」

 

 猫耳の少女は急にダンタリオンに声をかけられ、驚いて振り返った。

 

「あなた何者!? どこから入った!?」

「もちろん、地霊殿という館の入り口からですよ」

「さとり様のお客様……というわけではなさそうね。あなた、さとり様に許しを得てここに入っているの!?」

「それはご想像にお任せしましょう。ところでその鴉、一体なぜそんなに機嫌が悪いのでしょうか?」

「ぐるるるる……。があああああああああああああ!」

「お空!? 暴れないで! それ以上乗っ取られたら……」

「があああああ!」

 

 猫耳の少女にお空と呼ばれた鴉妖怪は猫耳を振りほどき、ダンタリオンに襲い掛かる。

 

「んんんん! 躾のされていない鴉ですねぇ。少しお灸を据えてあげましょう……か!?」

 

 ダンタリオンはお空の引っ掻くような攻撃を軽く受け止められるだろうと高を括っていた。しかし、思いのほか、強力なお空の一撃を受け、灼熱地獄跡の側壁となっている岩に叩きつけられた。

 

「んんん!? この私を簡単に吹き飛ばした!? なんというパワー。明らかにこの地底の住人と原理を異にする力の放出! これは……闇の神の力?」

「がぁあああああああああああ!?」

 

 唸り声を上げながら、間髪入れずに追撃を試みるお空。ダンタリオンはやれやれとでも言いたげにため息を吐きつつ、お空に翳した左腕を液体金属に変えると、無数の糸状に変化させ、発射する。四肢と翼を糸に絡められたお空は身動きが取れなくなってしまった。

 

「少々手荒らですが、動きを封じさせてもらいましたよ?」

「がぁああああああああああああああ! ぐうううううううううううう!」

 

 お空は威嚇するように、だがどこか苦しんでいるように唸り声をあげる。

 

「ふむ。姿形はただの畜生にしか見えませんが……、間違いなく神の力を内包している。どういうことでしょうか……? 猫耳のお嬢さん、この鴉は一体何です?」

「……部外者に言う必要なんてない!」

「ほう。なるほど。この幻想郷に来た新参者の神。彼女が『八咫烏』という三本足の烏の神をこの鴉に植え付けた。そして鴉はその力を制御できずに暴れている。そういうわけですか」

「っ!? なんで解った!?」

「それもご想像にお任せしましょう。……それにしても興味深いサンプルですねぇ。ただの畜生の体に神の力を放り込む。普通に考えれば成功するはずはありませんが……」

「お空を……実験動物みたいに言わないでよ……!!」

「これは失敬。そう怒らないでください。お気に障ったのなら謝罪しましょう。しかし現実、実験動物的な扱いを受けてしまっているのも事実。どうしてこのようなことに?」

「部外者に言う必要はないって言ってるでしょう!?」

「ふむ。八咫烏の力を得れば、この見捨てられた旧地獄の灼熱地獄跡を活性化させることができ、地獄としての格を取り戻すことができる。そうすれば、地獄の管理者たちにさえも蔑まれている主、『古明地さとり』の立場を良くすることができるはずだ。そう考えてしまった頭の足りない鴉は、自ら八坂神奈子なる神の提案を代償が生じる可能性を承知した上で受けてしまった。結果、理性を失い暴れ回っている、と」

「っ!? な、なんで解るの!? ……この感じ、さとり様と一緒……。あなた、まさか心を……!?」

「ほう。お気づきになりましたか。中々勘の鋭い子猫さんですねぇ。いかにも。私は心を読むことができるのですよ。そして……それ故、貴方に残酷な結末を宣告することもできるぅうううううう!!」

 

 突然奇声を上げるダンタリオンを前に子猫こと、さとりの妖怪化したペットの一体である『火焔猫燐』はビクっと肩を震わせる。

 

「な、なによ……。残酷な結末って……?」

「貴方の親友であるこの鴉。『霊烏路空』さんというのですねぇ。……この鴉、残念ですが、もう心を失っていますよ?」

「……え……?」

「八咫烏をその身に受けた影響でしょう。この鴉にもう自我は残っていません」

「う、うそ……。そんなの嘘よ!」

「本当ですとも。心の読める私が言っているのですよ? ……どうでしょう? この鴉、私に譲っては頂けませんか? 神の力を宿す鴉など珍しいですからねぇ。お母様への良い手土産になる」

「……お母様? ……誰への手土産かなんてどうでもいいわ。貴方にお空を渡すですって? そんなことできるわけがないでしょう!?」

「んん。しかし、もう貴方の言う『お空』さんの自我は既に破壊されている。言わば死んでいるも同然。暴れ回るだけのこの鴉を置いていても邪魔でしかないのでは?」

「ふざけんな! お空の自我は壊れてなんかない! ……たとえ、壊れていたんだとしても……お空の体をお前なんかに渡すもんか……!」

「んんんん? この極東の島国では『脳死』による臓器移植を認めていたはずでは?」

「うるさい。外の世界の人間どものルールなど知るもんか! お空を放せ!」

 

 火焔猫燐……、さとりやお空から親しみを込められて『お燐』と呼ばれる猫耳妖怪は爪と犬歯を尖らせ、戦闘体勢に入る。

 

「ふむ。悪魔貴族であるこのダンタリオンに牙を向けますか。良いでしょう、少々モンスター化しただけの畜生では、私に敵わないことを教えてあげましょう!」

「あたいを舐めるんじゃないよ!」

 

 お燐は炎の魔法を繰り出す。猫が妖怪化して生まれた彼女は妖怪『火車』として覚醒していた。炎を操るのはお手のものである。人魂状の火の玉を無数にダンタリオンへ向け、発射した。

 

「……やはり、畜生。頭が足りていないぃいいいいいい!」

 

 ダンタリオンは自身に向かってくる炎を無視し、右手人差し指を鋭く尖らせるように変化させる。狙うはお燐本体……。ダンタリオンが伸ばした指はお燐の肩口を貫通した。貫かれたお燐は苦悶の表情を浮かべて悲鳴を上げる。

 

「言ったはずですよ? 私は心を読めると。炎で私の眼を眩ませている内に拘束されたお空さんを助ける算段だったようですが……。心の読める私に陽動作戦は通じません。畜生からモンスターになった者はこれだから……。知性が足りていないとしか言いようがありませんねぇ……」

「うぐ……」とうめき声を上げるお燐。

「さて、早々ですが、とどめを刺してあげましょう。勾玉の配置に加えて鴉の搬送もしなくてはいけなくなりましたからねぇ」

 

 ダンタリオンはお燐の肩に刺さっていた指を抜くと、今度はお燐の頭部に照準を合わせる。お燐の頭を打ち抜こうとダンタリオンが人差し指を鋭くした時であった。ダンタリオンはお空に絡めていた左腕が酷く熱くなっていることに気付く。

 

「……なんですか、この熱は?」

 

 ダンタリオンがお空の方に視線を向けると、しっかりと固化させて縛り付けていたはずの自分の左腕が溶け、ポタポタと雫になって落ちていた。

 

「……私の腕を溶かしているぅううううう!? 溶岩に落ちても溶けないはずの私の腕がなぜ!?」

「うぅうううううがぁああああああああああああああ!!!!」

 

 お空は巨大な咆哮を上げる。なおも熱を放出し続けていた。

 

「こ、これは……核融合反応? 素晴らしい! 書物でしか見たことのない、人間ごときが到達した神の力……! いえ、違いましたか。今それを起こしているのは神自身でしたねぇ……」

「ぐるぁあああああああああああああああ!!」

 

 雄叫びとともに、小規模な爆発がお空を中心に発生する。高熱に襲われ、糸状に変化させていたダンタリオンの左腕は完全に溶解して消え去った。

 

「くぅうううううう!? わ、私の左腕がぁ!? ……畜生に宿っているとはいえ、さすがは神の力……。侮ってはいけないようですねぇ……」

「ぐるるるるるる!」

「……威嚇ですか。やはり知性を感じない。厄介ですねぇ。知性の無い者に強大な力が宿るというのは。……かかってきなさい。私が知性の大切さをその身に教えてあげましょう!」

 

 ダンタリオンは自身の左腕を修復すると、無傷をアピールするように胸を突き出して両手を広げるのだった。



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撃ち合い

「がぁああああああああああ!!」

 

 猛獣のような威嚇の声を上げながら、霊烏路空はダンタリオンに飛びかかり、指の爪を立てる。

 

「んんん。猪突猛進とはまさにこのこと! 思考を読む必要もないくらいに動きが見え見えです」

 

 ダンタリオンは空の攻撃範囲を完全に読み切り、華麗なステップを踏むように回避する。もっとも、宙に浮いているのだ。ステップを踏むような動作は本来必要ないのだが……、挑発の意味も込めているのだろう。

 

「うぐるぅうううあああああ!!」

 

 攻撃を避けられた空は猛り、怒りの眼光をダンタリオンに向ける。ダンタリオンを一撃で仕留めることができなかったストレスをぶつけるように、再び攻撃を仕掛けた。

 

「んんん。やはり、畜生。直線的な攻撃しかできないようですねぇ。カウンターし放題ですよぉおお?」

 

 ダンタリオンはお空の引っ掻き攻撃を読み切り、ハンマーのように形状変化させた右腕を空の横っ腹に叩きこんだ。ダメージを受けた空は、灼熱地獄跡に響き渡る悲鳴を上げる。

 

「んん。貴方のご主人と同じ場所に攻撃を加えてあげました。光栄でしょう?」

「うがぁあああ!?」

「ふむ。私が話したことも理解できない程度の知能しか持ち合わせておられないようですねぇ……。……んん?」

「ああああああ!」と気合を入れた空の右手が妖しく光始める。……核融合反応を起こしている光だった。

「なるほど。肉弾戦では勝てないと悟り、神の力を用いる。それは本能か、自分の意志か……。はたまた、封じられた神の意志か。実に興味深いですねぇ……」

「がぁあああ!!」

 

 空は核融合反応のエネルギーを操作し、右手からビームを発射する。ビームはダンタリオンに一直線に襲い掛かった。

 

「ほう。核融合とはいえ、所詮は単なる爆発のはず……。それをビーム状に加工できるとは! さすがは八咫烏(神)の力……。が、しかし! 残念ながら能力者が畜生では意味がないぃいいい!」

 

 ダンタリオンはひょいと軽く首を曲げる。空の放ったビームはダンタリオンの頭があった空間を横切り、灼熱地獄跡の壁面に突き刺さる。ビームの突き刺さった壁面は赤く溶融していった。溶けた壁を観察したダンタリオンは得意そうな笑みを浮かべる。

 

「どこを狙っているのか、思考が駄々洩れです。避けるなという方が無理がありますねぇ。……おや?」

 

 ダンタリオンは空の微かな異変に気付く。空がビームを放った右手の掌がほんのりと水膨れを起こしていた。

 

「ふむ。これは……。……試して差し上げましょうか」

 

 ダンタリオンはモーニング服の懐から魔導書を取り出すと、呪文を唱え始める。時間経過とともに、魔導書に魔力が溜まっていき、光が強くなっていく。

 

「私も撃つことができるのですよ。貴方のようにビームを。もっとも、貴方の最大出力に比べれば大した威力ではないでしょうがねぇ」

 

 言いながら、ダンタリオンは魔導書を閉じ、溜まった魔力をビームとして空に向けて放出し始めた。

 

「うが!?」

 

 突如ビームを放たれた空は慌てて逃げ惑う。ダンタリオンは逃がすものかとビームを連射する。

 

「逃げる鳥をハンティングするのは楽しいものです。さぁさぁ。反撃しなければ、いつまでも私の攻撃ですよぉ? 見せてください。八咫烏の力を!」

「うぅうううううう!!」

「……再び、右手に核融合の力を宿し始めましたか……。……狙い通り! さぁ、撃ち放ってみてください! 貴方の自慢のビームを!」

「うぅううううがぁあああ!!」

「ほう。先ほどのビームを軽く凌ぐエネルギーが右腕に集約されているぅうう! 果たしてどれほどのパワーが放出されるというのでしょうか!?」

「うがぁあああ!!」

 

 霊烏路空は渾身のビームを放出した。ダンタリオンもまた、ビームで迎え撃つ。二つのビームがぶつかり合い、互いに相殺し合う。

 

「んんん! 何という高密度高威力! ……これはさすがに分が悪いですかねぇ」

 

 ダンタリオンはビームの放出を止め、緊急回避に入る。巨大な空のビームはまたも灼熱地獄跡の壁面に衝突し、巨大なクレーターを生み出した。

 

「ふぅ。さすがの私でもあのエネルギーを喰らっていたらタダでは済まなかったでしょうねぇ」

 

 巨大クレーターを視界に入れたダンタリオンはため息を吐くと、続けて空の方に視線を向ける。……そこには苦しそうに右腕を抑える空の姿があった。

 

「が、あ、あぁあああ!?」とうめき声を上げる空の姿をダンタリオンは愉悦の笑みを浮かべて見物する。

「やはり、私の見立てどおりでしたか。貴方の……畜生ごときの体では、その神の力には耐えられないようですねぇ!」

 

 ……霊烏路空の右手首から先は綺麗さっぱり失われていた。空の体は強大な神の核融合の力に耐えられなかったのである。

 

「んんんん。お母様の手土産にと思いましたが……、あまりに脆い! 残念ですが、持ち帰るのは諦めましょう。しかし、このまま不安定な神の力を置いておくのも危険因子を残すようなものですからねぇ。トドメを刺してあげましょう!」

 

 ダンタリオンは魔導書を取り出し、魔力を込める。空を消滅させるビームを放出するために……。

 

「……無駄なことを」

 

 ぽつりとダンタリオンが言の葉をこぼす。瞬間、ダンタリオンは背部から迫るその妖怪を回し蹴りで壁面へと吹き飛ばした。

 

「う、ぐ……」と回し蹴りを受けた火焔猫燐は息を吐き出す。

「まったく、私は心を読めるのだと何回言ったらわかるのでしょうか。私に不意打ちは何の意味もなさないぃいいいい!」

「意味があるとかないとか……関係ない! お空を殺させるもんか……!」

「邪魔をしますか。ならば、動けないようにするまでのとぉおお!」

 

 ダンタリオンは自身の体の一部を銀一色の槍に変えると、壁面に叩きつけられ身動きの取れないお燐の肩口に向けて射出し、突き刺した。

 

「あぁああああああ!!!?」

「んん! 良い音色の悲鳴です! ではもう一本んんん!」

 

 ダンタリオンは更に一本槍を生成し、お燐の左膝に突き刺した。

 

「ぎぁあああああああああああああああ!? あ、あ……」

「これで大人しくなりましたか。さて、では鴉の方を片付けるとしますか。と、おや?」

 

 霊烏路空は本能のままに灼熱地獄跡から逃げ出そうとしていた。黒い翼を羽ばたかせ、地上を目指し上方へと移動する。

 

「おやおや。体を張って助けようとした親友を置いて、逃げ出すとは……。やはり畜生ですねぇ。まぁ仕方ありませんか。元の人格は既に亡くなっているのですからねぇ。……逃げられると思っているのか?」

 

 ダンタリオンは左腕を液体金属に変化させると、逃げる空の右足を捉える。

 

「うが!?」

 

 右足先を絡め取られた空はそれ以上の移動が出来なくなってしまった。

 

「残念でしたねぇ。ではとどめを……ん?」

 

 空は右足に核融合のエネルギーを充填し始めた。強力な熱エネルギーが空の足を経由してダンタリオンの左腕に伝わってくる。ダンタリオンは思わず舌打ちをした。

 

「んん! 無駄な足掻きをしますねぇ。自身を傷つけるだけだというのに……」

 

 まばゆい閃光が空の右足から放たれ、ダンタリオンの眼を眩ませる。光が収まり、熱放出が終わった時、空の右足を掴んでいたダンタリオンの左腕は消し飛んでいたが……、苦しんでいたのは霊烏路空の方だった。空は自身の右足を懸命に抑え、痛みを紛らわそうとしていた。

 

「んん! 右足が溶けてしまいましたか。無理もありません。貴方の体は神の力に耐えられないのですと申し上げたというのに。やはり畜生には学習能力がない! スマートでないぃぃいいいいい!」

 

 ダンタリオンは左腕を修復し、元の状態に戻しながら奇声を上げる。……今更だがこの悪魔、体を多少失っても元に戻せる回復力を併せ持っているらしい。悪魔は右足が溶け苦しむ空の懐に入り込むとシンプルに拳で殴り、溶岩へと突き落とす。

 

「んん! ジ・エンドぉおおお!」

 

 勝利を確信したダンタリオンは得意の奇声を上げるのだった。



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取り戻した意識

「お空ぅううううううううううううううううううううううう!!!?」

 

 霊烏路空がダンタリオンの手によってマグマの中へと突き落とされたのを見た火焔猫燐は、真っ青な顔で悲鳴を上げる。

 

「んんん! あの鴉の心の声は完全に消え去っている。すなわち死んだということ!」

「よくも……お空を……!」

 

 燐は涙目でダンタリオンを睨みつける。肩と膝を銀色の槍で貫かれ、張付けにされた状態で……。

 

「んん! ご心配なく、すぐに貴方もあの鴉の後を追わせてあげましょう」

 

 言いながら、ダンタリオンはモーニング服の懐から勾玉を取り出した。

 

「何よ、それは……!?」

 

 燐は歯ぎしりしながら問いかける。

 

「これはお母様が作り出したアイテム。運脈を最大限に活性化させて運を取り出し、お母様の元へと伝送する装置!」

「運……ですって?」

「んんんん! やはりこの幻想郷というコミュニティに住まう妖怪や人間どもは、自分たちがいかに恵まれた環境に置かれているかを理解していないようですねぇ。運の有難さを知らぬままにその恩恵を享受している! もっとも、畜生上がりの妖怪に気付けというのも無理があるでしょうが……」

「くっ……!? 運が何だってんのさ!?」

「おやおや。貴方が妖怪化できているのも運のおかげだというのに……。……簡単に説明するならば、モンスターや妖精が生まれたり、魔法などの特殊現象を発生させたりするのに不可欠なものが運なのですよ。この地球にはこの幻想郷以外にもコミュニティが複数ありますが、ここ幻想郷は最も運の含有率が高い! それ故、お母様は最後の地に幻想郷を選んだのです」

「……最後の地? お前たちこんなことを他の場所でもやっているの……!?」

「いかにも。地球上に点在するコミュニティから運を奪い回っているのです。そしてようやく最終地点であるこの地に手を出すことになりました」

「そんなにたくさんの運を奪って何するつもりよ!?」

「お母様の崇高なる心を読むなど恐れ多くてできません。それ故、そのご意志を正確には把握してはいませんが、おそらくは……『世界の再建』と言えば良いのではないでしょうか」

「世界の再建? 意味の分からないことを……」

「私にも全ては理解できないのです。ましてや陳腐なモンスターである貴方に理解できるはずもない。……喋り過ぎましたねぇ。それでは貴方を鴉の元に送って差し上げるとしますか」

 

 ダンタリオンがその手に持つ勾玉をマグマ溜へ落とそうとした時だった。ダンタリオンの頭上から騒がしい心の声が聞こえてくる。その心の声をダンタリオンは知っていた。

 

「んん? この声は……? しかし無意味ぃいいいい!」

 

 ダンタリオンは頭上から降ってきた桶を華麗に躱す。落ちてきた桶の中に入っていたのは、地底に入ってすぐのダンタリオンが桶を破壊して倒したはずのキスメだった。

 

「あぁ!? また避けられた!?」

 

 驚くキスメにダンタリオンは冷静に問いかける。

 

「んん。あなたの桶(バケット)はたしかに壊しました。付喪神である貴方が生きていられるはずが……」

「へん。本当によくもやってくれたよね、お前。……ヤマメが蜘蛛の糸で桶を直してくれたんだよ!」

 

 キスメは自身が乗る桶をダンタリオンに見せつける。桶は白い糸で強固に補強されていた。

 

「……ヤマメ? その名も聞いた名ですねぇ。たしか……旧都に入る前に遭った土蜘蛛がそのような名でしたねぇ。……!?」

 

 ダンタリオンは何かに気付き、上空を見上げる。複数の心の声が聞こえたからだ。灼熱地獄の淵に見知った顔が立ち並んでいた。

 

「ほう。存外にタフじゃないですか。揃いも揃って私の前に再び姿を現すとは……」

 

 ダンタリオンの視線の先に立っていたのは、黒谷ヤマメ、星熊勇儀、水橋パルスィの3人だった。まだダンタリオンから受けた傷は癒えてはいないのだろう。彼女たちは満身創痍の体を引きずりながらも立ち向かっていた。

 

「おやおや。大人しくしていれば、死なずに済んでいたかもしれないのに……」

「そうかもな。だが、ウチの大将がやられて黙っていられるほど、私たちも薄情じゃないのさ」

 

 星熊勇儀がその場にいる妖怪たちの気持ちを代弁するように口を開いた。

 

「大将というのはこの地霊殿の主である覚妖怪のことですねぇ? この場に姿を現していないところを見るに、彼女は気絶したままということですか。くっくっ。本当に脆いお姫様です。従者が体を張っているというのに……」

「……私たちは従者なんかじゃないさ。旧地獄に住んでんだ。旧地獄を管理する者に敬意を払うのは当たり前だろ? ……さとりをあんな風にしたのはやっぱりお前か。覚悟はできてるんだろうね?」

「それはこちらのセリフですよ? 貴方がたこそ死ぬ覚悟はよろしいですか? まったく、私に敵わないだろうことは貴方がたの方がよくわかっているはず。幻覚で狂い死ぬのがお好みですか? それともシンプルに殴り殺して差し上げましょうか?」

「どれもお断りよ」

 

 勇儀の横に立つヤマメがピシャリと言い放った。

 

「お前、よくも子供に手を出したわね」

「んん? 一体何のことです?」

「お前が殺した虫妖怪の子供のことよ! ……覚えてもいないってこと? 絶対に殺してやる……!」

「んん! 何という殺意! どうやら本当に退く気はないようですねぇ。ならば、貴方がたが敬愛する地霊殿の主人と同じく心を壊して殺して差し上げましょう!」

 

 ダンタリオンは手を天にかざすと、指をパチンと弾く。燐、キスメ、ヤマメ、勇儀、パルスィ、5人の前に幻像が現れる。現れた幻像はどれも彼女たち各々のトラウマの記憶を思い起こさせるものはかりだった。初めて幻覚攻撃を受ける燐はもちろん、ダンタリオンの能力を事前に把握していた燐以外の4人も解っていても思わずたじろぐ。

 

「んん! まだ最高出力の半分にも満たないトラウマの幻像ですよ? 貴方がたがどこまで正気を保っていられるか……楽しみですねぇ!」

 

 だんだんと幻像の出力を上げていくダンタリオン。次第に頭を抱えだす地底の者たち……。

 

「さぁ、トドメを刺して差し上げましょう!」

 

 ダンタリオンが最高出力にしようと掲げていた左手を握り締めた瞬間だった。マグマ溜まりから放たれた極太の光線攻撃がダンタリオンの左腕を消し飛ばす……!

 

「うぐぁああああ!!!? んん何ぃいいいいいいいいいいい!? 何が起きたのですかぁああああああああああ!!!?」

 

 ダンタリオンは消し飛ばされなくなった左腕の幻肢痛を堪えるように肩口を抑える。痛みの影響からか、ダンタリオンは5人にかけていた幻術を解いてしまっていた。幻術から解放された5人ははぁはぁと息切れを起こしながらも何が起こったのかを確認しようとする。

 

「溶岩の中からビームが……。……もしかして!」

 

 燐の視線が灼熱地獄跡底面のマグマの海に向けられる。マグマの中から現れたのは……燐の親友だった。

 

「お空! 無事だったのね!?」

「ごめんね、お燐。心配かけちゃって……。無事ではないかな。右手は消し飛んでるし、右足は溶けちゃってるし……」

「お空!? 意識が戻ったのね!? あの悪魔は自我は死んだって言ってたけど……嘘だったんだ!」

 

 お空が帰ってきた安堵と喜びからか、お燐は眼に涙を浮かべながら微笑む。

 

「嘘など言っていないぃいいいいい!?」

 

 お燐の安堵の感情を打ち消すかのように、ダンタリオンが大声を出す。左腕を失った痛みと驚愕からか、半ば混乱したような様子でお空を睨みつけていた。

 

「お前は溶岩に落ちて確実に死んだはずぅうううううう!?」

「……私は地獄鴉。熱には強いのよ」

「そういう意味ではないぃいいいいいいい! 私はたしかに確認したのだ! お前の心の声が聞こえなくなったことを! 確実に死んだことをぉおおおお!」

「そんなこと知らないよ。見ての通り、私は生きていてここにいる」

 

 混乱するダンタリオンに対して冷静にお空は告げる。ダンタリオンも次第に冷静さを取り戻していった。そして気付く。お空が他の者たちと明らかに異なっていることに。

 

「……なんですとぉ!? この鴉、心が読めないぃいいいい!?」

 

 さとり以上の読心能力を持つダンタリオン。しかし、彼女をもってしても霊烏路空の心は読めないようになっていた。

 

「な、なぜです!? なぜお前ごとき畜生の心を私が読むことができない!? 神の力を得ているから……!? ……違う。そんなはずはない! 私はお前よりもはるかに高位な神であるインドラ殿の心も読むことができるのです! お前、一体何をしたのですかぁああ!?」

「別に何もしてないよ」

「くっ……!? 嘘を吐かないでいただきたい……!」

「嘘なんかじゃないよ!」

 

 霊烏路空は右腕をバスターのように構えると、ビームを撃ち放った。空(うつほ)の心を読めないダンタリオンは身構えることも出来ずに直撃を受け、腹部に大きな風穴を空けられてしまう。

 

「くあ!? ぐぅうううう!?」

 

 うめき声を上げながらうずくまるダンタリオン。だが、しばらくすると、持ち前の高い回復能力によってダンタリオンは消し飛ばされていた左腕と腹部を綺麗に修復させる。

 

「……なるほど。そういう感じなんだね」

 

 霊烏路空はポツリと言葉をこぼす。

 

「お空凄いよ!」

 

 自分が手も足も出せなかったダンタリオン相手に善戦する親友の姿を見た火焔猫燐が思わず声を出す。しかし、お空の顔は曇っていた。

 

「……マグマの中で聞いてたよ。あなた、さとり様に酷いことしたの?」

 

 空がダンタリオンに問いかける。

 

「ええ。少しばかり心を壊して差し上げましたよ……!」

 

 ダンタリオンはうずくまりながらも強がるように空に言い返す。

 

「……元に戻るの? 戻せるの?」

「さぁ。私は戻せませんし、戻るかどうかは本人次第でしょうねぇ」

「そう。なら、私はここで絶対にお前を倒す。……ごめんね、お燐。痛いけど我慢してね」

 

 空は張付けにされていた燐から槍を抜く。抜かれる瞬間、顔をしかめた燐だが声を出さずに耐え抜いた。燐を抱きかかえた空は呟く。

 

「……お燐、さとり様によろしくね」

「お空……アンタ何を!?」

「……鬼の人ぉ! 二人をお願い!」

 

 霊烏路空は燐と灼熱地獄跡内にいたキスメを勇儀に向かって放り投げた。勇儀は二人を見事にキャッチすると、空に問いかける。

 

「……やれるのか、鴉?」

「……うん!」

「そっか……」

 

 微笑む空に神妙な面持ちで答える勇儀。

 

「お空!? アンタまさか……?」

 

 心配そうに灼熱地獄を覗き込む燐を安心させるように空は微笑んだ。

 

「んん、鴉! 貴方このマグマ溜まりに一人残って何をするつもりです!?」

「理解できてるでしょ? ……私の八咫烏の核融合エネルギーでお前を完全に消し飛ばす! ほかの人たちを巻き込むわけにはいかないでしょ?」

「んん!? 貴方まさか、自爆するおつもりですかぁああああ!?」

「そういうこと」

「ふざけないで頂きたい! 死ぬなら勝手に一人で死んで頂きましょう!」

 

 ダンタリオンは急上昇し、灼熱地獄跡からの脱出を試みる。

 

「鬼の人ぉ!」

「あいわかった……!」

 

 お空の叫びに反応した勇儀がすかさずダンタリオンの航空路に回り込む。心を読めるダンタリオンも最高速度からの方向変換は困難だった。勇儀はダンタリオンを思い切り殴り落とす……! 殴り落とされたダンタリオンを空は羽交い絞めにした。

 

「もう逃がさないわ」

「んん!? まだ策がないわけではないぃいいいい!」

 

 ダンタリオンは全身を金属液体に変化させ、空の羽交い絞めから脱出すると再び灼熱地獄跡の出口に急ぐ。

 

「逃がすか!」

 

 ダンタリオンの行く手を阻んだのはヤマメの蜘蛛の糸だった。灼熱地獄の淵から器用に糸を操り、ヤマメはダンタリオンを繭のようにぐるぐる巻きにする。

 

「んんんん! この手は貴方と最初にやり合ったときにも喰らいました。学習能力のない土蜘蛛ですねぇ! 貴方の繭は隙間だらけだったはず……、っ!? 隙間がない!?」

「さっきキスメが言ってたでしょう? キスメの桶を直したのは私。もちろん水一滴洩れることのないように完璧に直した。……今度の繭にお前の逃げ道はない!」

 

 キスメが作ったダンタリオン入りの繭を受け取った空はパルスィにオーダーする。

 

「橋の人ぉ! お願い!」

「……妬ましいけど……、美味しいところは譲ってあげる。絶対決めなさいよ!」

 

 パルスィは嫉妬の精神エネルギーを霊力に昇華させ、空とダンタリオンを閉じ込めるように灼熱地獄跡に結界を張った。結界が張られたことを確認した霊烏路空はその身に核融合エネルギーを貯めていく。

 

「んんんんんん!? 何も見えない! んが、しかし! 強力なエネルギーが放出されようとしていることは感じられるぅううううううううううううううう!?」

「……観念して、私と一緒に弾け飛ぶんだね」

「くっ!? やめなさい! やめろ! 自爆など……スマートでないぃいいいいいい!!!?」

 

 ダンタリオンの悲鳴など構わず、霊烏路空はその身に核融合エネルギーを限界まで貯めきり、放出した。あまりの爆発にパルスィが張っていた結界もガラスが割れるように割れる。灼熱地獄の淵に避難していた勇儀たちも爆風を受けてしまうが、地底の妖怪たちが協力して喰らわせたお空の一撃は確実にダンタリオンに届いた。

 

「お空ぅううううううう!?」

 

……皆が爆風で吹き飛ばされる中、燐が空の身を案じる声だけが灼熱地獄跡に響いていた。



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古明地こいし

………………

…………

……

 

「う、うぅううう……」

 

 核融合爆発後、爆風を受けた火焔猫燐はうめき声を上げていた。パルスィが結界を張っていたとはいえ、灼熱地獄跡の淵まで避難していた地底の妖怪たちも相応のダメージを受けている。皆、元々ダンタリオンとの戦いで手負いとなっていたせいか、意識を保っていたのは燐だけだった。

 

 燐は思うように動かない体をなんとか動かし、這いずるようにして灼熱地獄跡を覗き込む。

 

「お、お空……」

 

 呟く燐の視線の先にはマグマ溜まり。そこに一体の妖怪が浮かんでいる。……霊烏路空だった。体中に焦げた跡はあるが、巨大爆発を起こしたにもかかわらず、その身体は保持されていた。もっとも、生死の別は燐からは確認できないが……。

 

「お空、返事して……!」

 

 掠れるような声で空を呼ぶ燐だが、反応はない。

 

「……あれは……?」

 

 燐は灼熱地獄跡の内壁のあちこちに飛び散った銀色のゼリー状の物体を視界に入れる。それらはどれもピクピクと震えていた。……嫌な予感が燐の脳を包み込む。そして、その予感は的中することになるのだ。

 

「う、あ、うそ……」

 

 銀色のゼリー体は少しずつ動き出し、一か所に集結し始めた。だんだんと大きくなった銀色ゼリーは人型を象(かたど)り、立ち上がる。

 ……黒い長髪に黒色のモーニング服、シルクハット。そして、片眼鏡を再生させたその悪魔は自分の体の無事を確かめるように、首の骨をコキコキっと動かしたり、拳を握ったり緩めたりしていた。

 

「んんんんんんんんんん!!!! まさか、生き残ることができるとはぁあああ!!!! ここまでバラバラにされたことはありませんでしたからねぇ。さすがに死ぬと思っていたのですが! さすがはお母様が造りし我が体! ここまでされても無事となると、もはや不死身と言っても過言ではないのかもしれませんんんんんんん!」

「そ……んな……。あ、悪魔め……」

 

 ダンタリオン復活を見届けた燐は呟き終わると、意識を失ってしまった。……灼熱地獄跡で唯一動ける身となったダンタリオンはふわりと上昇を開始する。淵までたどり着いたダンタリオンは、自身を追い込んだ妖怪たちが全て意識を失い戦闘不能になっていることを確認するとにやりと口を歪めた。

 

「んんんん!! 非常に素晴らしかったですよぉ? 死ぬかもしれないと思うところまで私を追い込んだ貴方がたは! さて、ようやく仕事を遂行できますねぇ」

 

 ダンタリオンはモーニング服から勾玉を取り出した。

 

「まったく、何回出し入れしたことか。やっと配置することができますよ」

 

 勾玉が灼熱地獄跡のマグマに投げ入れられる。勾玉が投入された途端、マグマの胎動が激しくなり、地響きが鳴り始めた。

 

「んん! 勾玉の配置に成功しました。これでこの運脈は運を最大限に放出することになる。火山活動も活性化することでしょう。じきに噴火するに違いない。それでは皆様さようなら」

 

 ダンタリオンは宙を飛び、はるか上方に位置する地霊殿へゆっくりと舞い戻る。

 地霊殿に帰る途中、はるか下方から爆発音が聞こえた。灼熱地獄跡が噴火を起こしたのだろう。赤い光がダンタリオンの眼に入る。

 

「んんんん! 思ったよりは小規模な爆発だったようですねぇ。地霊殿にまで達するようなものではないようです。と言っても、あのモンスター共にトドメを刺すくらいの威力があるのは間違いない。ご愁傷さまです」

 

 シルクハットに手を当て、にやりと笑ったダンタリオンは地霊殿の地下入り口から階段を昇り、入り口のある一階へと昇って行く。

 

「……そうでした。お母様への手土産がありませんでしたねぇ。あの神を宿した鴉は殺してしまいましたし……。どうしましょうか」

 

 呟きながら一階に到着したダンタリオンはふと思い出した。

 

「んん! 良い具合に実験動物になりそうなモンスターがここで気を失っていたではありませんか。あのピンクの覚妖怪……。あれを持って帰りましょう。まぁ心が壊れていそうですから、持って帰ったところで役に立つかは分かりませんが……、手ぶらよりはマシですしねぇ。ヤツが倒れているのはたしか……二階の居室だったはず……」

 

 さらに階段を昇り、二階に到着したダンタリオンはさとりの居室のドアノブに手をかける。そして、彼女は驚愕の光景を目の当たりにした。

 

「んん? なにやら倒れているモンスターが複数いますねぇ。ここで私が相手にしたのはあの覚妖怪だけだったはず……。っ!? なにぃ!?」

 

 さとりの居室で介抱される様に寝かされていた妖怪たち。それは先ほどまでダンタリオンが戦闘していた地底の妖怪たちだった。ダンタリオンはあり得ない光景に思わず狼狽える。

 

「ば、バカな!? 鬼に蜘蛛に猫に鴉に嫉妬女に桶のモンスター!? こいつらはあの灼熱地獄の火口に間違いなく置き去りにしたはず!! なぜ、ここにいるぅううううう!?」

 

 ダンタリオンは扉を振り返る。灼熱地獄跡からこの部屋までは空間が広い場所こそあったものの、一本道しかなかった。空、燐、勇儀、パルスィ、ヤマメ、キスメを運ぶにはダンタリオンの視界に入らなければ不可能なはず。だが、その不可能が今目の前で現実として怒っていることにダンタリオンは混乱を隠せない。

 

「一体何が起こっているのです……!?」

 

 呆然と立ち尽くすダンタリオンの腹部に鈍い痛みが走る。眼に見えない何かがダンタリオンを押し飛ばしたのだ。突然の目に映らぬ攻撃を受けた悪魔貴族は居室の扉ごと踊場へと追い出される。

 

「くぅううううう!? 何が起きたというのです!? 見えない何かが私を攻撃している!? 今の感触は人型の何かに蹴られたような感触でした!! ……うぐ!? 背中と腹が熱い!?」

 

 ダンタリオンは自身の腹部を見やる。そこには鋭利な何かで突き刺されたような傷が出来ていた。そこから彼女の血液たる銀色の金属液体が洩れ出ている。鋭利な痛みに思わず顔が歪む。

 

「くっ!? これは俗にいう光学迷彩というやつですね!? 舐められたものです。人間ごときでも開発できる装置をこの私が看破できないとでも?」

 

 ダンタリオンは素早く何かに貫通された背部と腹部の傷を癒すと、右手に魔導書を召喚させ、何やら呪文を唱え始めた。

 

「我が魔術で不可視光線を含む全ての光をこの片眼鏡で受光できるように調整しましたよぉ? これで不審な光の動きを捉えることができるぅううううう! すぐに光学迷彩を見破ってあげましょ……うぅうううううがぁあああ!?」

 

 自信満々で見えない者を捉えられると言い放ったダンタリオンだったが、その脇腹にまたも鋭い痛みが襲う。ナイフのような何かで貫かれた痛みが……。

 

「うっくっぅうううううう!? ば、バカな!? 不審な光の動きはなかったはず……! なのに、なのになのにぃいいいいい!? 私は攻撃を受けているぅうううう!?」

 

 精神的なストレスからか不死身のはずのダンタリオンは、はぁはぁと息切れを起こし始めるが、冷静に状況分析を行う。

 

「光学迷彩などを使っているわけではない!? だが、私には見えない攻撃が繰り出されている。つまり、観測者である私が認識できない領域からの攻撃。まさか……、私と同じ領域に達した者の攻撃というわけですかぁああああああ!?」

 

 ダンタリオンは自分の胸に手を当て、魔力を込める。

 

「この敵は物理的に存在を隠しているのではない! ならば可能性はもう、一つしかないぃいい! 精神的迷彩でその身を隠しているに違いない! ならば、私の心の認識域を広げるまでのことぉおおお!」

 

 ダンタリオンは自身の『意識』の認識域を『無意識』にまで広げる。ようやく見えた。ダンタリオンを無意識の領域から攻撃していた者の姿が……。その少女は緑色の髪と眼を持ち、さとりと色違いの紫色コード付きサードアイを身に着ける。

 

「わーい。すごいね、お姉さん。見つかっちゃったー」

 

 無邪気な、だがどこか不気味な笑顔を見せるその少女の名は『古明地こいし』。地霊殿の主人古明地さとりと血を分けた実の妹。何かが異質な妖怪……。そんな彼女を視界に収めたダンタリオンは興奮のあまり叫んでいた。

 

「素晴らしいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!」と。



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無意識の領域

「素晴らしぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!」と重ねて奇声を上げるダンタリオンを不思議そうな眼で古明地こいしは見つめる。

「黒髪さんどうしたの? そんなに喜んで……」

「んん! これははしたない真似をしてしまいました。だが、あまりに興奮してしまったもので……。私以外に無意識の領域に踏み込んだ者がいることに驚愕と嬉しさを覚えてしまったのですよ」

「ふーん。お姉さん、もしかして変態さんなの?」

「……私の腹を突き刺したナイフを片手にして顔色一つ変えていない貴方には言われたくありませんねぇ。……貴方の仕業ですか? 灼熱地獄跡に置き去りにしたはずのモンスターどもを地霊殿へと運んだのは……」

「うん、そうだよー。あのまま放って置いたらお空たち死んじゃってたもん」

「……なるほど。無意識の領域に身を置き、私から観測されないようにしてから、堂々と私の横を通ってお仲間を助けていたわけですか」

「黒髪さん悪い人だよね? だってお空たちを殺そうとしたんだから。そしてお姉ちゃんも……」

「お姉ちゃんというのはあのピンクの覚妖怪のことですね? あの覚の記憶に貴方は出てきていましたから。たしか……貴方のお名前は古明地こいし……」

「へぇ。やっぱり黒髪さんも心を読めるんだ。そしてお姉ちゃんに手を出したのも貴方で間違いないんだね。やっぱり黒髪さん、あなた悪い人なんだー」

「ふむ。たしかに悪い人かもしれませんねぇ。しかし、貴方も人のことは言えないのでは?」

「どういうこと?」

「私が勾玉をマグマ溜まりに落とし、爆発が起きるまでに大した時間はかかっていなかった。そんなわずかな時間で助けることに成功している。つまり、貴方は私と鴉どもが戦闘していたことを事前に知っていた。鴉どもが痛めつけられていることも把握していたはず! なぜ、すぐに助けに入らなかったのですか? まぁ、貴方が病的なサディストという線もありえそうですが……」

「……私はすぐに助けたよ。優先順位があっただけ。まずはお空を助けなきゃならなかった。そして次にお姉ちゃんを……」

「んん? たしかに鴉は助けていますが……、あの覚は特に介抱されている様子はありませんでしたが……?」

「…………」

「だんまりですか……。それでは心の方を読ませてもらいましょうか……と思いましたが、どうやら貴方は私と同程度の領域に踏み込んでいるようですねぇ。貴方の心は全く読むことができない。完璧に『心を閉ざしている』。信じられませんねぇ。私でさえもそこまで完全な精神コントロールは行えません。……お母様に良い手土産を持って帰ることができそうです」

「手土産? お土産?」

「ええ。貴方のお姉さんを実験体として我らが母、テネブリスのために持ち帰ろうと思っていたのですが……、それよりもよほど興味深い存在が目の前に見つかりましたからねぇ。ですが、貴方は幸運ですよ? 貴方なら実験体として殺されることはないでしょう。お母様は慈悲深いお方。実力さえあれば、どんな者であっても重用する方ですからねぇ」

「やだよー。私はこの幻想郷で楽しく暮らすんだもん」

「残念ながら貴方に拒否権はないぃいいいいいいい!」

 

 ダンタリオンは左手人差し指を槍のように形状変化させると、こいしの喉元目掛けて高速で伸ばすように射出する。

 

「……ほう?」

 

 ダンタリオンは感嘆符を漏らした。古明地こいしがその手に持つナイフでダンタリオンの指を受け止めていたからである。

 

「危ないなぁ」

「私の槍を完全に見切った上でのナイフ捌き……。中々の身体能力をお持ちじゃないですか。……やはり、姉よりも貴方の方が優秀なようですねぇ……」

「……そんなことないよ。だってお姉ちゃんは凄いもん。地底の妖怪やペットたちはお姉ちゃんのことを信用してるし、お姉ちゃんもみんなを信用してるの。私には絶対できないことをお姉ちゃんはやってるんだから。私に出来るのは地霊殿に手を出す者を追い出すことだけ……」

「……なるほど。ようやく合点が行きました。おかしいと思っていたのですよ。大量の運を放出する潜在能力がある灼熱地獄跡。それが放って置かれ、大した力もなさそうなあの覚妖怪に支配されていることに……。貴方が影で暗躍し、地霊殿と覚妖怪を狙う者たちを屠っていたわけですねぇ? そのヒトの無意識に入り込む能力を使って人知れず……」

「……殺したりはしてないよ。そんなことしたらお姉ちゃんが悲しむもん」

「ふむ。言葉通りに受け取っておきましょう。ただ、これだけは間違いない。この地霊殿の裏の所有者は貴方だということ。あのピンクの覚妖怪がお姫様ならば、貴方は影の女王といったところでしょうか?」

「裏も表もないよ。地霊殿の……地底のリーダーはお姉ちゃんだよ。今までもこれからも」

「謙虚ですねぇ。あくまでも姉への尊敬の念を崩しませんか。……残念ですが、『これから』はありませんよぉ? 『ここまで』です。不死身であることが判明した私に貴方が敵うことはないぃいいいいいい!」

 

 ダンタリオンは右腕をハンマー状に変化させると、古明地こいしに殴りかかる……! 軽い足取りでステップを踏むように躱したこいし。次の瞬間、こいしの姿がダンタリオンの視界から消える……!

 

「んんんん! 私の広げた心の認識域。その領域のさらに外側にある無意識へとその精神を移動させましたか……! んぐぅ!?」

 

 ダンタリオンの首筋に見えないナイフの斬撃が襲い掛かる。首から銀色の血液が噴き出した。

 

「んん! 不死身とは言え、痛みは感じるのですよぉ? やたらめったらと刺さないで頂きたいものです。……私もまだ、全開ではないのですよぉ!?」

 

 ダンタリオンは自身の胸に手を当て、魔力を込める。

 

「見つけたぁあああああああ!!」

 

 心の認識域をさらに広げたダンタリオンはこいしの姿を再び認識することに成功する。ダンタリオンはハンマーとかした右腕をこいしにぶつけた。こいしは持ち前の身体能力で衝突の被害を最小限にするように体を滑らせたが、完全には避けきれずに壁に叩きつけられる。

 

「くっ……!?」と息を吐き出すこいしにダンタリオンは言葉を浴びせる。

「んんんんん! 良い! 非常に良いぃいいいいいいい! 自分の技術を最高に生かせる戦闘程心地よいものはないですからねぇえええええ! 貴方との戦闘は気持ちが良い!」

「……凄いね、黒髪さん。まだ、私の姿を見つけられるんだー?」

 

 そう言い終わると、こいしはまたもその姿をダンタリオンの視界から消失させる。

 

「ん何ぃ!? 認識域を最大に広げた私でも捉えることのできない更に外側の無意識にまで到達できるというのですかぁ!? うっぐぅ……!?」

 

 ダンタリオンは無数の斬撃に襲われる。言うまでもなく、こいしのナイフによるものだ。傷つけられ、うめき声を上げるダンタリオンだが、その表情に余裕は残る。

 

「んんんやはり素晴らしぃいいいいいいいい!! この私でも捉えることのできない無意識の領域にその身を置くことができるとはぁあああああああああ!? んしかしぃ! それと勝敗は別ですよぉおおおお!?」

 

 ダンタリオンは両腕を無数の糸に変化させると、蜘蛛の巣のように張り巡らせ、空間を埋め尽くした。

 

「んん! 古明地こいし! 貴方は素晴らしい! 私をも上回る認識のコントロール! 素直に劣っていることを認めましょう。私では貴方を捉えられない。ですので諦めましょう。貴方を『私自身で捉える』ことを!」

 

 言い終わった時、ダンタリオンが張り巡らせていた糸がピクリと動くすると一斉に糸の全てが動き出し、一点に集まると何かを捉えた。そう、古明地こいしを……。

 

「んん! 捕まえましたか!」

 

 ダンタリオンは糸を腕に戻し、こいしの首を絞めるように持ち上げる。

 

「くっ……!? 黒髪さん……。どうして私の場所が分かったの……?」

 

 首を絞められたこいしは苦しそうな息遣いで尋ねる。ダンタリオンは不敵な笑みを浮かべながら答えた。

 

「『私』は見つけていませんよぉ? 『私の意識』では貴方を捉えることはできませんからねぇ。私は私の腕に術をかけておいたのですよ。何かにぶつかれば、私の意図と関係なく捕まえるように、ね。私自身は無意識を捉えることはできませんが、私の術は無意識に貴方を捕まえた。そう、例えるならハエトリソウのように……」

 

 ダンタリオンはこいしを捕らえたまま壁に押し付けると、体の一部を槍に変え、こいしに突き刺した。手の甲と大腿部を貫かれ、壁に磔にされたこいしは甲高い悲鳴を上げる……。

 

「ここまで痛めつければ、さすがに無意識の領域に逃げ込むことはできないようですねぇ。……ところで、なぜ貴方のサードアイとやらは閉じられたままなのです?」

 

 磔にされたこいしの体がピクリと反応する。ダンタリオンは口を動かし続ける。

 

「その眼が覚妖怪の能力を司っているのでしょう? なぜ閉じたままなのでしょうか? 興味をそそられますねぇ。もしや、貴方の心が読めないのはその眼が閉じられているからでしょうか? 姉の覚妖怪のトラウマを覗いた時、両親と人間たちが倒れた血の海の中、自分自身で眼を潰したと語る貴方の姿を見ました。……貴方の『無意識の領域』の秘密もその閉じられた眼にあるのでしょうか?」

「……やめた方がいいよ、黒髪さん」

 

 古明地こいしは諭すように口を開く。

 

「んん?」

「……私の眼を強引に開こうとしてるんでしょ? 今ならまだ引き返せる。大人しく地霊殿から去ってくれないかな?」

「フフフフ。何を言い出すかと思えば……。それは何の虚仮脅しですか? ますます貴方の心の中が読みたくなってきましたよ。貴方の心の中には、私のまだ知らぬ無意識を操る術がある……!」

「後悔することになるよ……?」

「くどいですねぇ。そんな脅しに私が屈するとでも? むしろ、さらに貴方の心の中を見たくなってきましたよ! なぜ脅しをかけてまでご自身の心の中を読まれたくないのか……。もしかして、貴方も姉と同じく弱い精神性をお持ちだからでしょうかねぇ!?」

 

 ダンタリオンは磔になっているこいしのサードアイを強引に掴むと閉じられた瞼を力づくで開こうとした。こいしもそれを拒むように、強く瞼を閉じる。

 

「往生際の悪いことをしないでくれませんかねぇ! 貴方に拒否権はないと言ったでしょぉおおおおおおおおお!?」

 

 更に力を込めるダンタリオンの前にこいしのサードアイは強引に開かれる。……開かれた第三の瞳はダンタリオンをぎょろりと覗き込むのだった。



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望んだ愛

◇◆◇

 

「……ここは?」

 

 悪魔貴族ダンタリオンは暗闇の中にポツンと一人立っていた。暗闇の向こうに一点だけ暖かい光が瞬いている。その光はだんだんと大きくなっていった。光に映し出されていたのはダンタリオンの『思い出』……。

 光の中で72人の幼い悪魔がテーブルを囲んで食事を共にしている。72人は全て姉妹……。テネブリスが生み出した者たちである。

 かつての光景を前にしたダンタリオンは思わずつぶやく。

 

「懐かしいですねぇ。この頃はまだ、72人全員が生きていました……。私は71番目に生まれた悪魔。よく他の姉妹と喧嘩していたものです。気付けば姉妹で生きているのは私だけになってしまいましたねぇ……」

 

 光の中の思い出にテネブリスが現れる。

 

「お母様……。この頃は今よりも少しお若かった。私たち姉妹に魔術や体術、知識を授けて下さっていた。厳しくも愛情深く私たちに接してくれている……と思っていましたねぇ……」

 

 光の中の場面が切り替わり、テネブリスの後ろ姿が見える。

 

「これまた、懐かしい光景ですねぇ。私が自身の能力に目覚めて初めて見た人の心はお母様の心でした……。きっと私たち72姉妹への愛情でお母様の心は埋め尽くされている……。まだ幼かった私はそう信じていました。……半分は当たっていましたかねぇ?」

 

 思い出の中のテネブリスがダンタリオンに問いかける。

 

『ワシの心を見て失望したじゃろう? ダンタリオン……』

「いえ、そのようなことは……。我々姉妹への愛をお持ちでないことが残念だった、と言えばそうかもしれません。しかし、失望などはしていませんよ? 納得もしましたし、尊敬に値するとも思いましたかねぇ……。もっともそれ以来お母様の心の中を覗き見ようと思うことはなくなりました。見ても虚しいだけですからねぇ」

 

 ダンタリオンは思い出のテネブリスに語り掛ける。そして、思い出の光は次第に弱まり、消えていった。暗闇に一人取り残されたダンタリオンはふと我に返る。

 

「……私は一体どこにいるのでしょうか? 私は心を閉ざした緑髪の覚妖怪と戦闘していたはず……。……思い出を見たということは夢の中……? 私の心の中ということですか」

「今のおばあちゃんが黒髪さんの大切な人?」

 

 ダンタリオンは声がする方に振り向いた。そこにいたのは、緑髪の覚妖怪『古明地こいし』。

 

「……なぜ貴方が私の心の中にいるのです?」

「ここは貴方の心の中じゃないよ」

「おかしなことを言いますねぇ。私の心の中でなければ、私しか知らないお母様と私とのやり取りが映像に現れるわけがないでしょう。貴方はこの空間が一体どこだとおっしゃるつもりです?」

「ここは私の心の中」

「んん? 何とも奇妙なことを言い出しましたねぇ。ますますあり得ない。なぜ貴方の心の中に私とお母様の思い出が流れるというのです?」

「だって私は妖怪『覚ラレ』だから……」

「『覚ラレ』? 聞いたことのない名のモンスターですねぇ」

「聞いたことがないのは当たり前だよ。私が名付けたんだもん」

「ほう? 一種族一人の妖怪ということですか。中々に珍しい存在ですねぇ。まあ、左利きの人間程度の珍しさですが……。一種族一人の存在だと自称するということは何らかの特殊な能力をお持ちなのですね。もっとも、名前から推測はできますが……。自身の思考が駄々洩れになり人に伝わってしまうという創作話は珍しいものではありません。貴方の『覚ラレ』もそういった能力ということですかねぇ?」

「違うよ」

「んん? では貴方のいう『覚ラレ』の能力とは何なのです?」

「今、貴方も実際に体感しているでしょ? ……覚ラレの能力はサードアイを見た者を強制的に私の心の中……私の精神世界へと引き込む能力」

「ふむ。この不思議な空間が貴方の心の中……。やはりおかしいではありませんか。私の問いの答えにはなっていない! 貴方のおっしゃることが真実とするならば、なぜ私の記憶が貴方の心の中にあるのです?」

「……それは、私の心は精神の海……精神宇宙と繋がっているから……」

「これはまた、奇妙な造語をのたまい始めましたものですねぇ。何ですその精神宇宙というのは?」

「見せてあげる」

 

 こいしがそう言うと、映画のシーン変化のように目の前の空間に写る世界が切り替わる。夜空のような暗闇に星のような無数の小さな光が点在していた。さながら満点の星空のようである。その光景にダンタリオンは思わず感嘆のため息が出そうだった。

 

「美しい……。これが精神宇宙?」

「そう。物理宇宙と対をなす精神宇宙。ここには全ての意識と無意識が内包されている。私の精神も貴方の精神も。だから私も貴方の記憶を見ることができた。この精神宇宙を通じて……」

「ほう。ここは冥界というわけですかぁ?」

「違うよ。ここは冥界でも天国でも極楽浄土でもない。あれらは魂が集まる場所の一つでしかない。魂もまた、霊子を媒介とした精神の受信機でしかないの。この精神宇宙には純粋な精神しかない。原子にも霊子にも影響を受けない純粋な世界。知ってた? いずれは魂にも崩壊は訪れるの。そして魂に宿った精神はこの精神宇宙に還元される。……いいえ、その表現も違うね。この世界にある精神が魂という形で特別に物理世界に顕現していると言った方がより正しい表現だと思う。この世界で光っている星のように見えるものは物理世界に顕現している意識の光」

「……中々理解しがたい説明ですねぇ。ここはアカシックレコードのようなものだとでも言うおつもりですか?」

「概念は似ているかもだけど、そんなに良いものじゃないよ。物理世界にいずれ終焉が訪れるのと同様に、この精神世界にも終焉は訪れる。アカシックレコードなんていう永遠に記録をおさめることができるものなんてこの世にはないの。結局、永遠なんていう概念は精神の脆弱な知的生命体が作り出した精神安定剤のようなものでしかない。……来るよ。覚悟した方が良いよ、黒髪さん……」

「来る? 一体何が来るというのです?」

「……感情(エモーショナル)バースト。私はそう呼んでる」

 

 次の瞬間、ダンタリオンの精神に強烈な何かが襲い掛かってきた。ダンタリオンの心を引きちぎらんと吹き荒れる強烈な感情の暴風雨。彼女の心に様々な感情が一気に流れ込む。

 

「な、何ですか、これはぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!? 心が熱い!? いや、寒い!? 痛い!? 辛い!? 悲しい!? 嬉しい!? 暖かい!? 寂しい!? 冷たい!? 虚しい!? 罪悪感!? 充実感!? 感動!? 高揚!? 絶望!? 恋!? 憧れ!? 孤独!? 憂鬱!? 喪失感!? 恐怖!? 嫉妬!? 怒り!? 喜び!? 諦念!? 後悔!? 緊張!? 興奮!? 安心!? ……愛!? ぐ、くぁ!? ああああああああああああああああああああああああああ!!!?」

 

 永遠かと思われるような一瞬がダンタリオンの心を通過する。感情の暴風雨が過ぎ去った後、ダンタリオンは無理やり止められていた息を再開させるが、その呼吸は過呼吸となっていた。

 

「はぁ! はぁ! は、あ、が……!? い、今のが感情バースト……?」

「……そう。物理宇宙に置けるガンマ線バーストに似た感情的現象のひとつ。この精神宇宙では似たような現象が常にどこかで発生しているの」

「……くっ!? なぜ、貴方は平気そうな様子で立っているのですかぁあああああ!?」

「……それが私の能力だから。この精神宇宙を構成する空間こそが私たちが無意識と呼ぶ領域。私はそんな無意識を操る能力を持っているの。物理法則を制御できる術者がいるように、精神法則を制御できる者もいるというだけの話。それが私なの」

「物理法則を制御できるように……だと? 神にも近い力を持っているとでも言うおつもりですかぁ!?」

「そんな大層な能力じゃないよ。この精神世界から身を守る術を持っているというだけ……。また来るよ」

 

 再び訪れる感情バースト。ダンタリオンはその直撃を受けることになる。

 

「うくぁああああああああああああああああああああああ!?」

 

 悲痛な叫びを上げるダンタリオン。強烈な苦しみをダンタリオンに浴びせるだけ浴びせた感情バーストは過ぎ去っていく。

 

「が、が……。な、なぜです!?」と問いかけるダンタリオンに「何のこと?」とこいしは問いかけ返す。

「なぜ、貴方の心が精神宇宙などという壮大なものと繋がっているのかと、聞いているのです……!?」

「わからない」

「何ですとぉ……!?」

「生来から繋がれる要素は持っていたのかも。私もお父さんやお母さん、そしてお姉ちゃんと同じ覚妖怪だから。でも、きっかけは間違いなくお父さんとお母さんが殺されたからだと思う。きっとあの時、私の心の殻は壊れて精神宇宙と繋がってしまったの。そして同時に覚ラレとしても目覚めてしまった。私の心を通じて精神宇宙を覗いてしまった村の人間の男たちは皆狂い、自ら死を選んだ。自分の覚ラレとしての力に気付いた私はすぐに瞳を潰したわ。お姉ちゃんに覚らせるわけにはいかなかった。精神世界に干渉できる能力を持つお姉ちゃんが私の心を覗いたら、生き地獄を見ることになると直感で理解したから。その時は推測でしかなかったけど、今貴方が私の判断が正しかったと証明してくれている」

「私が証明している……!?」

「うん。貴方もまた、精神世界に干渉できる術を持つ者。半端に干渉できるが故に狂うこともなく、精神を保っていられる。そのせいで感情バーストに苦しみ続けることになった。妙な好奇心と探求心のせいでその身を滅ぼすことになったのよ」

「ふ、ふふ。身を滅ぼす? まるでもうこの世界から私は脱することができないとでも言いたげなご様子」

「その通りなの」

「何ぃ?」

「もう貴方はこの精神世界から逃れることはできない。精神世界に干渉できる貴方はこの世界の深いところまで潜り込んでしまった。もう貴方は精神的特異点の『事象の地平面』の内側に入ってしまっているの……」

「また、解るような解らないような造語をぉおおおおお!? 一体何が言いたい!?」

「アレを見て」

 

 声を荒げるダンタリオンを制すように、こいしは精神宇宙の中心を指さした。中心に向かってゆっくりと意識の光が吸い込まれている。光の動きに気付いたダンタリオンが口を開いた。

 

「光が一点にゆっくりとだが確実に集まっている……?」

「そう。あの一点こそ精神的特異点。物理宇宙の特異点『ブラックホール』と似たもの。全ての精神はいずれ特異点に集まり終焉を迎えることになる。物理宇宙と同様の終わりを精神宇宙も迎えるのよ」

「ククク。フフフ。この精神宇宙。物理宇宙と根本的には同じというわけですねぇ。貴方の言う『事象の地平面』とは物理宇宙におけるシュワルツシルト半径のことを言っていたわけですか。ブラックホールから脱するのに必要な速度が光速を越える場所。今私がいる場所が精神宇宙におけるシュワルツシルト半径の内側というわけですねぇ? なるほど。それは逃げようがない……」

「……冷静さを取り戻したみたいだね、黒髪さん。……私はこの精神宇宙を自由に移動できるの。でもそれは私だけに与えられた能力。貴方を連れて動いてあげることはできない。……どうする?」

「くく。『どうする』というのはこういう意味ですか? 決して逃れることのできぬ精神宇宙で感情バーストの恐怖と戦いながら生き長らえるか、潔く死を選ぶか」

「……うん。この世界は物理宇宙に生身の体を持ったままの者が存在するには過酷すぎるもの。精神体だけになれば苦痛も和らぐわ」

「そして、いつかも解らぬ精神が一つとなる終焉の時をこの空間で待ち続けるというわけですか……。クク、ククク。もちろん答えは『結構です』ですねぇ!」

「恐怖と隣り合わせのまま生きていくの?」

「まさか。私は恐怖と隣り合わせで生きていくつもりもなければ、宇宙の終わりを待つつもりもありませんよぉ?」

「……どうするつもりなの?」

「あそこには全ての意識・無意識が集まっているのでしょう? であれば! あそこにこそ私の求める答えがあるはずぅううううううううううう!!」

 

 ダンタリオンは奇声を上げる。彼女の片眼鏡には精神的特異点が写り込んでいた。

 

「……正気なの? あの中がどうなっているかは私にも解らない。永遠の苦しみがあるかもしれないのよ?」

「んんんん! 構いませんんんんんん!! どうせ逃れられぬ運命ならば、自ら飛び込むのも一興でしょう!」

「体はどうするの? 生身の体を残したまま精神的特異点に飛び込むつもりなの? その苦痛はきっと計り知れないものだと思うよ?」

「んんんん! 言うまでもないことぉ!! 私がお母様から頂いた体を捨てるなどあり得ないぃいいいいいいいいいい!!」

「……そう」

「んん! 心残りがあるとすれば……、貴方をお母様の手土産に出来なかったことくらいでしょうかねぇ。精神宇宙を自由に行き来できる存在をお母様にお伝え出来ればよかったのですが……。致し方ありません。それでは失敬。またお会いしましょう」

 

 ダンタリオンはこいしに別れを告げると、精神的特異点へと向かって飛び去って行った。こいしはそれを見送る。特異点に近づくにつれ、ダンタリオンの体に異変が生じていく……。

 

「んん! 私の身体が、精神が、引き伸ばされていくぅうううううううう!? 時間も引き伸ばされていくぅうううう!? これが特異点!? この先にいるのですか、我が姉妹たちよ! ともに見つけようではありませんかぁ! 我々が本当に欲していたものをぉおおおおおおおおおお!!」

 

 ダンタリオンは奇声を上げ、特異点へと堕ちていった。彼女の欲するものを探して……。

 

 

◇◆◇

 

 

「……バカな人」

 

 現実世界に戻った古明地こいしはぽつりと呟いた。彼女を磔にしていたダンタリオンの槍は液体となっていた。彼女の眼前には人の形ではなくなり、サッカーボール大の球体状に保持された液体金属。持主の精神が消え去ったダンタリオンの抜け殻。持主が抜けた今もまだ生命活動を続ける液体金属に古明地こいしは憐れみの表情を向ける。

 古明地こいしはペット用の水槽に水を入れ、銀色の球体をその中に浸けた。

 

「……水槽の脳ですらない哀れな生体。……せめてこの宇宙が終わるまで飼ってあげる。それが貴方の望みでしょう?」

 

 古明地こいしは自室に持ち込み、机の上にダンタリオンの入った水槽を仮置きした。こいしは球体に向かって喋りかけた。

 

「特異点の先に貴方の望んだ愛(モノ)などあるわけがないのに……」

 

 こいしはダンタリオンの抜け殻をその眼に写しながら、自室の扉を閉めて出ていくのだった……。



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姉妹愛

◇◆◇

 

「……空……」

「う、うーん。な、なに……?」

 

 霊烏路空の耳に誰かが何かを喋っている声が聞こえてくる。

 

「……お空……」

「……だれ? どこかで聞いた声……」

「私の声に気付いたんだね、お空……」

「この声はこいし様……!?」

 

 霊烏路空の意識が覚醒する。だが、周囲の風景は空の見たことがない真っ暗闇だった。なんだか体がふわふわと浮いている感じがすると空は思う。真っ暗闇の中には星のような光が無数に見えた。空は周りを見渡し、声の主を見つける。

 

「こいし様! えーと……、ここはどこですか? 宇宙……じゃなさそう」

「宇宙で合ってるよ、お空。でも、貴方の知っている宇宙じゃないの。ここは精神宇宙……」

「はぁ……。なんだかよく分かりませんけど、お久しぶりですね、こいし様!」

 

 霊烏路空は自身の置かれた状況よりもこいしとの久方ぶりの再開を喜ぶ。こいしにはその能天気な空の姿が嬉しかった。

 

「お空、覚えてる? 貴方が八咫烏の力を貰い受け、その副作用で危ない状況だったこと。その後、意識を取り戻して片眼鏡の悪魔と戦ったこと……」

 

 空はうーんと頭を捻ってから思い出した。

 

「はい! 覚えてますよ! あの変な眼鏡がさとり様を倒したと聞いたので、私は怒って自爆したんです! あれ? ってことは、ここは天国!?」

「落ち着いてお空。さっきも言ったでしょ? ここは精神宇宙、天国じゃない……」

「はぁ」

「貴方は生きているの。自爆はしたけど、助かったのよ」

「もしかして、こいし様が助けてくれたんですか!?」

「まぁ、そうなるのかな?」

「あの眼鏡の悪魔もこいし様が倒したんですか!?」

「……うん」

「わぁ、ありがとうございます、こいし様! あっ!? お燐やほかのみんなは助かったんですか!?」

「うん、大丈夫。みんな生きてるよ」

「よかったぁ!」

「……お空、今から貴方に大事な話をしないといけないの」

「はい、こいし様! 何ですか?」

「……貴方の脳の容量はそのほとんどを八咫烏に食われてしまったの。つまり、貴方の自我が使える容量は限られている……。何とか貴方の自我の全てが喰われる前に浸食を食い止めたけど……、貴方が元の世界に戻っても前のような状態には戻りません。所謂鳥頭のような状態になるの」

「……馬鹿になっちゃうってことですか!?」

「……そう。もしそれに耐えられないのなら……」

 

 こいしはそこまで言って言葉を飲み込んだ。こいしの言葉の続きは『それに耐えられないのなら死を選ぶこともできる』というものだった。白痴となって生きるよりも、死を選ぶ者もいるだろうが……、自身の最愛のペットにそれを選択肢として与えることをこいしは躊躇する。

 だが、お空はこいしの複雑な心境を吹き飛ばすように答えた。

 

「……さとり様やこいし様やお燐のことは覚えてられるんですよね?」

「え? ……うん、きっと大丈夫。それくらいは覚えていられるはず……」

「じゃあ、いいじゃないですか! 少しくらい物忘れが激しくなるくらい、みんなのことを覚えていられれば、私はいつだって、いつまでだって生きていられますからね!」

「……お空。……解ったわ。私も頑張るからね。お空の体から八咫烏を追い払うことができるように……」

「はい、お願いします。こいし様!」

「お空、私こそお願いがあるの」

「なんですか?」

「……お姉ちゃんも一緒に連れて行ってあげて欲しいの……」

「さとり様を……? さとり様もここにいるんですか!?」

「うん」

 

 こいしは上空を指さした。そこにはゆっくりと霊烏路空のところへと落ちてくるさとりの姿が……。空は落ちてきたさとりをお暇様抱っこで受け止める。

 

「さとり様……。寝てらっしゃいますね」

「……起きていたら困るわ。お姉ちゃんがこの精神宇宙で目覚めてしまったら、精神に干渉できる能力のせいで、事象の地平面の内側へと入り込み出られなくなってしまうもの……」

「『じしょうのちへいせん』、ですか? なんだか良くわからないですけど、さとり様を起こしたらいけないってことですね、こいし様! そういえば、あの悪魔がさとり様の心を壊したとか言ってました。さとり様は大丈夫なんですか!?」

「大丈夫だよ。お姉ちゃんの意識が壊れて精神宇宙の無意識と融合する前に私が心を繋ぎとめたから……。貴方たちを溶岩から助けるのが遅くなったのはその作業に時間がかかったからなの」

「あ、もうひとつ思い出しました! あの悪魔が『私の心を読めない』って騒いでたんですが……、もしかして、あれもこいし様が……!?」

 

 こいしは頷いてから答える。

 

「うん。八咫烏の浸食からお空の心を守るにはお空の自我を殻で覆う必要があったの。あの悪魔が心を読めなかったのはその副産物ね」

「あ、思い出しました、あと……」と喋り続けようとする空をこいしは制止する。

「お空、ごめんね。あまり時間がないの。お姉ちゃんが起きる前に現実世界に帰ってもらわないといけないから……」

 

 こいしは空の後ろを指さす。そこには一際大きな意識の光球が現れていた。

 

「その中に入れば貴方とお姉ちゃんは意識を取り戻せる。お姉ちゃんをお願いね、お空」

「こいし様は一緒に行かないんですか!?」

「……私はそっちに行けない。……私の心を顕現させてしまったら……お姉ちゃんに私の心を見せてしまったら……、お姉ちゃんをこの世界に引き込んで閉じ込めてしまうことになるから……」

「……そうなんですか?」

 

 空は心配そうにこいしを見つめる。こいしが自分を抑え込んでいるように見えたから……。

 

「大丈夫だよ、お空。お互いの心を覗くことができなくても、私たちは繋がっているの。大切なのは心が読める読めないじゃない。お互いのことを思い合っているかどうか。私はお姉ちゃんのこと大好き。きっと、お姉ちゃんも私のこと大切に思ってくれてる。それだけで私たち姉妹は支え合っていけるんだよ」

「……こいし様! 私もこいし様のこと大好きですよ! お燐もほかの地底妖怪もきっとこいし様のこと好きですから……」

「……ありがとう、お空。私も大好きだよ。みんなのこと……。さ、行って。物理宇宙へと……」

「……こいし様、私たち諦めませんからね! きっとこいし様をここから助け出しますから……! 待ってて下さい!」

 

 お空はその言葉を置いて光球へと飲み込まれていく。お空の言葉を受けたこいしは満面の笑顔で見送るのだった。

 

 

…………

……

 

 

「…………空……」

「う、うーん……? 誰かが私を呼んでいる……?」

 

 霊烏路空の耳に誰かが何かを喋っている声が聞こえてくる。

 

「……お空……」

「この声はお燐……?」

「お空! お空! 目を覚まして! しっかりして!」

 

 涙声の火焔猫燐の声がはっきりと霊烏路空の耳の届いた。意識を覚醒した空は体に走る痛み信号に思わず顔をしかめる。

 

「いった……!?」

 

 空は起き上がりながら自身の右腕を見る。右手から先がなくなっていた。空は思い出す。ダンタリオンとの戦闘の時に自分自身の攻撃に右手が耐えられずに飛んでしまったことを。右足も溶けて象の足のように不格好な形で固まってしまっている。

 自分の体が不可逆的なダメージを受けてしまったことにショックがなかったわけではない。だが、それ以上に空は嬉しかった。

 

「良かった……。良かった……! お空が生きてて……!」

 

 空は嬉しかった。親友が自分の生還を喜んでくれていることが……。大切なものを失ったかもしれないが……、心配してくれる人がいてくれるだけで空は前向きになれるのだ。

 

 ……空を心配そうな様子で覗いていたのは、お燐だけではない。キスメ、黒谷ヤマメ、星熊勇儀、水橋パルスィ……そして、主である古明地さとりもお空の生還を喜び、微笑んでいた。空は古明地さとりを見て思い出す。自分を助けてくれた存在のことを……。

 

「さとり様……? こいし様はどこに……?」

「こいし……? こいしがいたの……!?」

「はい。こいし様があの悪魔をやっつけてくれたって言ってました。あと、私とさとり様を助けてくれた……気がします」

 

 空の頭脳はすでに鳥頭になってしまっていた。こいしと会話を交わした精神宇宙のことをはっきりと思い出すことができない。彼女の脳裏にあるのはこいしが自分たちを助けてくれたという朧気な感覚だけ……。

 

「こいしが私たちを助けてくれたのね……!? こいしはどこに行ったの、お空!?」

 さとりがこいしのことを必死になってお空に問い質す。無理もないことだった。久しく、こいしはさとりの前に姿を現していなかったのだ。

「わかりません……」

「そう……」

 

 さとりは俯く。さとりはこいしに恨まれていると思っているのだ。こいしにとって大切な……、もちろんさとりにとっても大切な両親を死に追いやったさとりのことをこいしは憎んでいるに違いない。だから自分の前に姿を現さないのだ、と。さとりは今も昔もそう感じているのだ。そんなさとりの微妙な心情変化を感じ取り、お空は続ける。

 

「……こいし様、言ってました。お姉ちゃんのこと大好きだって。心を読み合うことはできなくても、思い合っているから繋がってるって……」

「……こいしがそんなことを……?」

「はい! だからきっと大丈夫……。さとり様が心配するようなことにはなってません。こいし様はさとり様を思ってます。きっとすぐ帰ってきますよ。だから、今はみんな傷を癒しましょう。こいし様が帰ってきたときに元気な姿で出迎えることができるように……」

 

 さとりたち地底の妖怪は地霊殿のステンドグラスから差し込む光に照らされる。太陽がない地底の光だが……、その光は傷だらけの地底妖怪たちを温かく包み込んでくれるのだった。

 

 

◇◆◇

 

 

 ――ルークスアジト――

 

「……お母様。ダンタリオンが……戦闘不能となりました。強力な精神攻撃を受けたようです。……回復も困難でしょう」

 

 ルークスの幹部階級『ドーター』。そのトップであるマリーがテネブリスに報告する。マリーの報告を受けたテネブリスは当然のごとく取り乱すことはなく、マリーに更なる情報を求めた。

 

「ふむ。それで、奴は務めを果たしたんじゃろうな?」

「……はい。地底火山の運脈を活性化することに成功。運の集約にも影響はありません」

「ならば良い」

「……お母様、それだけなのですか?」

「何がじゃ?」

「ダンタリオンがお母様に高い忠誠心を持っていたことはご存知のはず……! そんなダンタリオンが戦闘不能となったのですよ……!」

「……くだらんのう。マリー、貴様は相変わらずその程度……。私とダンタリオンとのつながりが見えなかったのか?」

「……つながり……?」

「理解できないようなら、それも良い」

「……なぜですか。なぜ貴方はそれほどまでに他人に愛情を見せないのですか……!? ダンタリオンさんが貴方からの愛情を求めていたことは解っていたはず……!」

「……口が過ぎるな、マリー。貴様、殺されないと高を括っているのではなかろうな……! 貴様の死を早めても良いのじゃぞ!?」

「うっ!?」

 

 テネブリスの殺意がマリーの周りの空間に充満する。あまりの圧にマリーは言葉を発することができなくなってしまった。

 

「……臆病な最高傑作よ。貴様ごときを最高傑作としなければならぬワシの気持ちが解るか? ……貴様に良いことを教えておいてやろう。お前は勘違いしているのじゃ。愛情は無限だとでも思っておるのだろう? 愚かな人間ほどそんな世迷言を漏らすのじゃ。……ワシは違う。人間の感情は有限じゃ。無数にまき散らす愛など愛ではない。ダンタリオンはそれを理解していた。それ故、ワシは失敗作だった72柱の中であやつだけはドーターに選んだのじゃ。……話は終わりじゃ。最後の最後までワシに尽くせ。臆病な理想に遠く及ばない最高傑作よ!」

 

 テネブリスは苛立ちをマリーにぶつけていた。その苛立ちがいつもと少しだけ違うことに気付けるのはダンタリオンだけだったに違いない。



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玉兎襲来

◇◆◇

 

 ――幻想郷と外の世界の境界近く――

 

「では頼んだわよ。藍、橙」

「はい、紫様」と藍と橙は紫に畏まる。紫はスキマに入り、どこかへとワープして行った。残された藍と橙は互いに目を合わせる。

「……橙、大仕事だぞ。幻想郷……いや、外の世界の命運をも握りかねない紫様からのご命令だ。失敗は許されない」

「はい、藍しゃま!」

「しばし別行動だ。……橙ちょっとこっちに来なさい」

 

 藍は橙を呼び寄せると軽く抱きしめ頭を撫でる……。

 

「どうしたんですか、藍しゃま?」

「……大きくなったな、橙。もう私がいなくてなっても大丈夫なはずだ……」

「……藍しゃま?」

「さぁ、仕事をしよう」

「はい、藍しゃま!」

 

 二人は散開し、それぞれの目的地へと向かうのだった。

 

 

――永遠亭――

 

 ところ変わってここは永遠亭。ここの兎たちが何らかの「異常」に気付き、狼狽えていた。兎たちは異常の中心である枯山水の美しい中庭に集結する。兎たちの中に一人だけ混じった元月の民……、薬師『八意永琳』が口を開いた。

 

「……てゐ。間違いないのね? ここで姫様と霧雨魔理沙は須臾の世界に入り込んだのね?」

「間違いないのねと聞かれれば一瞬の出来事だから多分そうとしか答えられないけど……、最後に見たのはここで合ってるよ、お師匠様」

 

 てゐの答えを聞いた八意永琳は中庭を見やる。……中庭は空間がぐにゃりと歪んでいた。歪みのまま固定されているわけではなく、正常状態と歪み状態をグラデーションするように交互に繰り返していた。永琳は空間に手を触れてみる。

 

「……結界のようになっているわね。入るのは困難か……。姫様の『永遠と須臾を操る程度の能力』で造った空間がこんな状態になっているのは初めて見るわね。いつもの姫様なら私たちが感知することもできずに須臾の世界の出入りを終わらせるもの」

「お師匠様、どうします? 何か不測の事態が起こっているのは間違いありません。姫様を助けなくては……」

 

 永遠亭唯一の月の兎『鈴仙・優曇華院・イナバ』が永琳に具体策を求める。

 

「……しばらく様子を見ましょう。須臾の世界を壊し、強引に姫様を引きずり出すことは容易だけど、それは姫様の身を保証できるものではない……」

「我々はここで指を咥えているしかないということですか?」

「今のところは、よ。落ち着きなさい鈴仙」

「そうそう、短気は損気って言うだろ?」

 

 因幡てゐが鈴仙を茶化すようにくつくつと喉奥を鳴らしながら、永琳の意見に賛同する。鈴仙はてゐに馬鹿にされたような気がして兎耳をピクつかせるが、師匠である永琳の手前、グッと堪えることにした。

 

「てゐ、大人げないわよ」

 

 永琳がてゐに苦言を呈するのを見た鈴仙は、師匠が自分のことを弁護してくれたことに対して嬉しそうな表情を見せる。そして軽快な様子で永琳に乗っかるように、てゐに口撃し返した。

 

「そうよ、そうよ。大人げないわよ、てゐ!」

 

 永琳はそんな鈴仙を見てはぁとため息を吐く。

 

「鈴仙、そういう子供染みた発言はやめなさい。そんなことだから、てゐに面白がられていじられるのよ」

「八意様! 表に例の不老不死の人間が……」

 

 永琳たちの会話を遮るように兎妖怪の一匹が報告する。

 

「……不比等の娘が? 今、姫様は取り込み中だと言って追い返しなさい。話の解らない者でもないでしょう?」

「いえ、それが……。『輝夜でなくても良い。医者でも幹部の兎でも良いから話をさせろ』と……」

「あら、珍しい。いつもの子ども喧嘩をしに姫様に会いに来たわけではないのね。解ったわ。すぐに表に向かいましょう。……何用かしら?」

 

 永琳たちは迷いの竹林に繋がる玄関口へと足を運ぶ。そこには紅いもんぺを着た白髪の少女が立っていた。少女の名は『藤原妹紅』。大昔に『蓬莱の薬』を口にしてしまったことで不老不死となってしまった人間である。……平然そうに立っていた妹紅だが、彼女の様子がどこかおかしいと、元月の民の賢者八意永琳は一目で看破する。

 

「……珍しいわね。貴方が弱っているなんて。何があったのかしら?」

「さすがは月のお医者様。何でもお見通しってわけね。ちょいと酷い目にあってさ。ついさっき目が覚めたところなんだよ」

「……蓬莱人が気絶させられたの? ……例の奴らが関わっているのかしら?」

「やっぱり、もう知ってたか。……妙な連中が幻想郷に入って来てるらしいが……、私以外にもやられたヤツがいるのか?」

「ええ。個人情報保護の観点からは逸脱するでしょうけど……、博麗の巫女もやられてるわ。結構な重症でね、今もここで治療中よ。他にも妖怪の山の秋神や厄神もやられたみたいでね。治療したわ。ちなみに神様たちの方はもう全快して、もう住処に帰ってる」

「博麗の巫女もやられているのか……!? 慧音のやつにも伝えておかなきゃ……。……私が気絶させられた相手は褐色銀髪で不老不死の魔女だった。もしかしてお前たちも襲われてるんじゃないかと思って顔を出したんだが……、元気そうでなによりだ」

「あら? 私たちのことを心配してくれたってことかしら? いつも姫様を殺そうとしてるのに……」

「……フン。輝夜を殺すのは私だからね。他の奴らに殺されちゃ堪らないだけよ」

「まったく……。姫様もあなたも素直じゃないわね。……あなたが襲われたっていう不老不死の魔女。褐色銀髪って以外に情報はないのかしら?」

「……不老不死だから当たり前と言えばそうかもしれないけど、異常なまでの回復力だった。私の炎を受けてもすぐに火傷が治っていたからね。……あと、そいつらの組織名はルークスと言うらしい」

「……ルークス。ラテン語で『光』ね……。魔女に似合わない言葉じゃない。どんな意味が込められているのかしらね」

「さぁね。……私が知っている情報はそれくらいしかない。じゃあな。早く人里に行かないと……」

 

 妹紅は情報提供という体(てい)の永遠亭安否確認を終えると永遠亭を立ち去ろうとする。もっとも、妹紅が伝えた褐色銀髪の魔女『プロメテウス』は既に白玉楼の亡霊『西行寺幽々子』によって倒されているのだが……。

 

 踵を返した妹紅はピタリとその足取りを止める。何かの気配を察知した妹紅は永琳に確認をとった。

 

「……お医者さん、気付いたか?」

「ええ。どうやら鼠がここを嗅ぎ付けたようね。……くるわよ。てゐ、優曇華!」

 

 竹林の茂みから数十人の少女姿をした兎妖怪が飛び出してきた。てゐ率いる永遠亭の兎ではない。流線形の耳を出せる穴あきヘルメットをかぶり、銃を手にしている兎妖怪の格好を見た鈴仙は驚きを隠せない。

 

「こいつらは……『玉兎』!? 月の兎がなぜここに!? しかも、こんな大人数!?」

「疑問は後でゆっくり考えればいい! 鈴仙、今は撃退のことだけ考えなよ! 出てこい、お前たち!」

 

 因幡てゐが号令をかけると、永遠亭の中から一斉に兎妖怪たちが集まってきた。

 

「奴ら、銃を持ってる。気を付けなよ、お前たち!」

 

 てゐは部下である兎妖怪たちに注意喚起をすると自身も戦闘態勢に入る。敵兎の一匹が銃の引き金を握った。乾いた発砲音とともに射出された数発の弾丸がてゐに襲い掛かる。

 

「すぐに頭(リーダー)を潰そうってわけかい? よく鍛えられた兵隊さんだね。でも私はそう簡単にやられる兎じゃないよ!」

 

 てゐは球体状の結界を発現させると、弾丸を受け流す。そして、受け流すにとどまらず、小柄な体を活かして相手兎の懐まで潜り込むと敵の腹を蹴り上げた。

 てゐ以外の兎たち、そして妹紅も応戦する中、鈴仙ももちろん戦闘に参加する。

 

「優曇華! 無駄遣いしちゃダメよ?」

「大丈夫ですよ、師匠。こいつらぐらいなら能力を使わずとも追っ払えます!」

 

 師匠である永琳の忠告を守りつつ、鈴仙はピストルのハンドサインを作ると、人差し指から赤色の光線を連射する。光線は次々と相手の玉兎を捕らえ、戦闘不能にしていった。

 

「どう、私の弾幕は? 並の玉兎じゃあ私には勝てないわよ」

 

 勝ち誇る鈴仙の側頭部を狙うように竹林の影から一匹の玉兎が銃を構えていた。どうやら、表に出てきた玉兎たちはデコイ。彼らの狙いは油断したところを撃ち抜くことのようだ。

 だが、その程度の策を見破れぬほど、『永遠亭の頭脳』は甘くない。

 

「調子に乗るなといつも言っているでしょう、鈴仙。そんなことだからいつまで経ってもてゐを越えられないのよ」

 

 言いながら、鈴仙の師匠『八意永琳』は術で顕現した弓を手に取り、矢を放った。矢は鈴仙の側頭部を狙い撃とうとしていた玉兎の胸に突き刺さる。玉兎が悲鳴を上げたことで初めて鈴仙は自分が狙われていたことを知る。

 

「す、すいません、師匠……」

「謝っている暇もないわよ、優曇華」

 

 八意永琳は竹林から視線を外さない。悪意を持った輩がこちらに向かっていたからだ。竹林の影から現れたのは……、銀髪の美女。

 

「あ、貴方は……」

 

 眼を見開く永琳に対してその女は口を開いた。

 

「お久しぶりですね、八意思兼様。一体何千年ぶりでしょうか?」

「貴方はイワナガ姫……!?」

 

 イワナガ姫と呼ばれたその美女は蓬莱山輝夜の和風ドレスに似た服を靡かせ、上品な佇まいで微笑むのだった。



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イザナギ

「……お師匠様、こいつは誰だい?」

 

 因幡てゐは驚愕の表情を浮かべる八意永琳に問いかけた。

 

「この子はイワナガ姫。数千年前、月の都から穢れた地上へと自ら堕ちた二人姉妹の一人……。貴方たちには月の未来を託せると期待していたのに……」

 

 永琳は心底残念そうにイワナガ姫の顔に視線を向ける。イワナガ姫は永琳の視線に呼応するようにくすくすと口に手を当てて笑う。

 

「数奇なものです。『真円』を求めて地上へ下った私と、月のことを一番に思っていた思兼様が、こうして再び地上で邂逅することになるなんて……」

「……真円。まだそんなくだらないモノを創ろうとしているの? この世界に完璧はない。そもそも、この世界自体が不完全のおかげで存在しているのよ。『対称性の破れ』を始めとする完全の概念から程遠い事象が存在するからこそ、我々の世界は存在する。『不完全こそ完全』。貴方たち姉妹にも教えたはずよ」

 

 真円の否定を口にする永琳。その言葉を聞いたイワナガ姫は相変わらず、くすくすと笑っていた。

 

「思兼様……。私もそこまで愚劣ではありません。私が望む『真円』とは思兼様のおっしゃる意見と矛盾しませんよ? 私が見つけたいのは……、いえ見つけ出したのは『完璧なる不完全』なのですから……!」

「見つけ出した……? 創り出したのではなく……?」

「うふふ、思兼様。私はもう貴方の先を行っているのかもしれません。『完璧なる不完全』とは『完全な生命体』のこと。月の民が創生することを諦めた概念に私は近づいているのです」

「……何を馬鹿なことを……。『始祖』がまだ生きているとでも言うつもりなのかしら?」

「近からずも遠からず、と申し上げたならば貴方様はどんな顔をなさるでしょうか?」

「なんですって……?」

 

 眉間に皺寄せ、八意永琳は額に動揺の汗を垂らす。

 永琳とイワナガ姫の会話が何のことだかさっぱり理解できない藤原妹紅が口を挟んだ。

 

「おい、さっきからお前ら二人は何を話しているんだ……!? ……イワナガ姫とか言ったね。お前、ルークスとかいう魔女組織の人間なのか?」

 

 尋ねられたイワナガ姫は見下すように妹紅を見やる。

 

「あらあら。この中に月の民と兎だけでなく、地上の穢れた人間が紛れ込んでいたのですね。この感じ……。貴方、『蓬莱の薬』を口にしたのかしら? 穢れた地上の人間らしい無粋な行為ですこと」

「……どうやら、月のお姫様ってのは私を苛つかせるのが得意なヤツばかりみたいだね。質問に答えろ……!」

 

 妹紅は妖術で火の玉を生成した。火の玉はイワナガ姫へと一直線に飛んでいく。

 

「やはり地上の人間は血の気が多い。好きになれませんね。……十二号、何をしているの? 盾くらいにはなりなさいな」

 

 次の瞬間、イワナガ姫の前に、彼女の配下の玉兎が一瞬で現れる。玉兎はイワナガ姫に代わって妹紅の火の玉を受けることになってしまった。悲鳴を上げて、苦しむ十二号の玉兎……。

 

「……いきなり目の前に兎が……。テレポーテーションってやつか?」

「ふふふ。地上の人間にしては中々の威力ですね。十二号が大やけど」

「仲間を盾にするとはな」

「主人を守るのが玉兎の務めですもの」

 

 妹紅の嫌悪感に答えるイワナガ姫。微笑のまま話すイワナガ姫の表情に温かさはない。玉兎への配慮など頭の片隅にもないのだろう。

今度は永琳が妹紅とイワナガ姫の会話に口を挟む。

 

「玉兎にも意思があるのよ。まだ、そんな時代遅れの価値観を……」

「良くおっしゃりますね。貴方様もかつては玉兎を酷使していたでしょうに……。批判される筋合いはございません。地上の兎どもと戯れて情が移りましたか?」

「情が移ったのではないわ。目が覚めたのよ、地上に堕ちたおかげでね。……貴方たちは運を奪って何をするつもりなのかしら?」

「もうとっくにお気づきのくせに……。私の行動原理は真円を……、つまり完全な生命体をこの目にすること。そのために私は動いているのです。それ以外に興味はございません」

「……どうして能力の高いものは狂気に当てられてしまうのでしょうね。……始祖を蘇生させるとでも言うの?」

「いいえ。始祖の蘇生は困難であることは貴方様もよくご存じのはず。私たちが起こそうとしているのは、もう一人の始祖の復活ですわ」

「もう一人の始祖……ですって? そんな、まさか……」

「そのまさかなのですよ、思兼様。我々月の民にも、そして誰が流布したか地上の民にも伝わる始祖……。その御方はまだこの世に実在する。我々はその方のために動いている。私は見たい。完全な生命体の復活を……、すなわち真理を……!」

「馬鹿げたことを……! 貴方たちは騙されている!」

「そう思うのは無理もありません。ですが、真実なのです。我々ルークスは御方のために動いているのですわ。御方の復活のため、この竹林の運も頂くことにしましょう!」

 

 イワナガ姫は和風ドレスの胸元から勾玉を取り出した。虹色に光るそれは永遠亭の運を奪おうと妖しく光る。

 

「それは……!? ……やはり使っていたのね……! 伊弉諾物質(イザナギオブジェクト)……!」

「ええ。お母様はこの勾玉がその名で呼ばれるのを非常に嫌っておられましたけどね……!」

 イワナガ姫は袖を口元に当て、くすくすと笑うのだった。



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人間因子

「伊弉諾物質(イザナギオブジェクト)……!? かつて創造神がこの国を造るのに使ったといわれる『神代の魔術道具』のことかい、お師匠!?」とてゐは永琳に尋ねる。

「……ええ。今となっては妖怪の山の一部にわずかに残るものを掘り出すしか、手に入れることのできない貴重かつ高性能の鉱物……。なるほど、人の魂をも封ずる伊弉諾物質を用いれば運を集めるのも容易いでしょうね」と永琳は答えた。

 

 イワナガ姫は微笑を崩さずに伊弉諾物質で造られた勾玉を胸元に戻す。

 

「まあ、お母様からすれば元々『こんなもの』は貴重でも高性能でもないそうですよ。しかし、現状他に代用品が見当たらないために使われているのです」

「お母様……、それがルークスとやらの首領か。……貴方たち、勾玉(それ)を幻想郷中にばら撒いて運を吸い上げているのね?」

「うふふ。幻想郷だけではありませんわ。この地球に点在する主要なコミュニティにも配置しておりますので」

「……幻想郷だけでは飽き足らず、他の理想郷にも手を出しているってわけ……」

「ああ、おいたわしい。かつての貴方様なら、地球にある複数のコミュニティを同じ組織が一斉に奪おうとしていることに気付けていたでしょうに……。穢れた地上に侵され、白痴になってしまわれたのですね」

 

 イワナガ姫は人差し指を目元に当て、しくしくと泣くようなジェスチャーを見せる。もちろん嘘泣きだが。永琳はイワナガ姫の安っぽい演技を無視して話しかける。

 

「……地球中の理想郷に伊弉諾物質を配置するならば、とてつもない量が必要となるはず……。貴方たち、それほどの量の伊弉諾物質をどうやって確保した? かつて地上にあった伊弉諾物質は月の民によって、そのほとんどを掘り尽くされた。月から盗んだ……わけでもないでしょう? そんなことをしていれば今頃、月の連中は大騒ぎをしているはずだもの」

「うふふ。さっきも申し上げたじゃありませんか。こんなものはお母様にとっては貴重でも何でもないのですよ。さて、お話は終わりにしましょう。お母様の邪魔を……、完全な生命体の復活を邪魔されるわけには参りません。……貴方たち、この屋敷にいる全ての者を殺しなさい……」

 

 イワナガ姫は配下の玉兎たちに指令を下した。姿を現す兎のソルジャーたち……。

 

「……結構な数だが、やってやろうじゃないか、いくよお前たち!」

 

 因幡てゐに発破をかけられた地上の兎たちも立ち上がる。いつの間にやら皆、杵をその手に持っていた。

 

「うふふふ。そんな木の棒で銃火器を持つ私の玉兎とやり合おうというのかしら?」

「こちとら平和主義者なんでね。アンタらみたいに物騒なモノは持ってないのさ。どっちが強いかはやってみればわかるよ。地に堕ちた月のお姫様」

「うふふ。地上の兎ごときが生意気に挑発するとは……。その挑発、乗って差し上げますわ」

 

 イワナガ姫が永遠亭に向けて手を翳す。攻撃の合図だった。玉兎たちは一斉に永遠亭メンバーに襲いかかる。八意永琳は鈴仙・優曇華院・イナバに命じた。

 

「優曇華、一段階目を『許可』する」

「最初からそうおっしゃってくれれば、さっきだって恥をかかなかったのにぃ!」

「……ブレーキをかけないとあなたはどこまでも突っ走ってしまうでしょう?」

 

 はぁとため息を吐きながら、永琳も弓を構える。

 

「てゐ、時間稼ぎを頼むわ。……不比等の娘さん、貴方にも協力を仰ぎたいのだけれど?」

「別にいいよ。ちょうど、月のお姫様を殴り足りないと思っていたところだからね……!」

「そう。じゃあよろしく頼むわよ」

 

 戦闘を開始する永遠亭とイワナガ姫たち。イワナガ姫も玉兎に追加指令を下す。

 

「一殺がノルマよ。玉兎たち」

「何がノルマだ。高みの見物とは良い身分だね。こんな兎兵士どもなんてすぐに片付けて、お前を殺してやるよ、お姫様!」

 

 妹紅は銃剣を使って襲い掛かってくる玉兎に対して炎の妖術を撃ち放った。玉兎は結界を張って妹紅の炎を防御する。

 

「中々良い守りをするじゃない……かっ!?」

 

 妹紅の脇腹に鈍い痛みが走る。一発の銃弾が妹紅の胴を貫通していた。

 

「まだ隠れて動いてる連中がいるようだね。お前たち、結界を張り忘れるなよ。藤原の娘と違って私たちは蘇られないからね!」

 

 妹紅の負傷を目にした因幡てゐは、部下兎たちに注意を促す。隠れた敵が見えない以上、兎たちは結界に重きを置かねばならず、防戦一方にならざるを得なかった。だがそんな中、見えない敵の攻撃などお構いなしに攻撃特化で闘い続ける者が一人。……それは最初にダメージを受けた藤原妹紅だった。彼女は不死身の肉体を最大限生かし、弾丸を何発受けようと攻撃の手を緩めない。

 

「な、なによこいつ……!? 何発受けても怯まない!?」

 

 倒れもしなければ、攻撃の手も緩める気配のない妹紅にたじろぐ玉兎。

 

「この程度の鉛玉。輝夜との殺し合いに比べればかすり傷なんだよ! そぉらぁああ!」

 

 妹紅は拳に火を纏わせ、玉兎に熱い一撃を喰らわせる。玉兎は火だるまになりながら地面に叩きつけられた。

 

「自分の身をかえりみない捨て身の一撃……。なんて野蛮な攻撃かしら。これだから地上の穢れた民は……」

 

 イワナガ姫は口元こそ微笑んでいたが、眉間に皺を寄せて妹紅の攻撃を評する。

 

「次はお前がやられる番だ……!」

 

 妹紅は玉兎を倒した勢いそのままにイワナガ姫に飛びかかる。炎に包まれた妹紅の拳がイワナガ姫の顔面に接触せんとするその時、不可解な現象が起こった。……一瞬でイワナガ姫の姿が消えたのである。行き先をなくした妹紅の拳が空を切る。

 

「くっ!? どこに消えた!?」

 

 妹紅は辺りをぐるりと見渡すが、イワナガ姫の影は見当たらない。

 

「こっちよ」

 

 頭上からの声に反応した妹紅は空を見上げる。そこにはくすくすと笑うイワナガ姫が優雅にホバリングしていた。妹紅は睨みながら口を開く。

 

「……いつの間に移動しやがった。全く見えなかったぞ。やっぱりお前、テレポーテーションを使えるんだな?」

「さぁどうでしょう?」

 

 余裕の表情を浮かべたままとぼけるイワナガ姫。

 妹紅とイワナガ姫の一連のやり取りを玉兎に対応しながら観察していた八意永琳は、イワナガ姫の実力が自分の知っているかつての彼女と大きく乖離していることに気付く。イワナガ姫の危険性を察知した永琳は独りごちる。

 

「どうやら、兎たちに手間取っている時間はなさそうね。……優曇華、急ぎなさい!」

「間もなく終わりますよ、お師匠様! ……全員捕捉したわ。後は撃ち抜くだけ!」

 

 鈴仙・優曇華院・イナバは指でピストルのハンドサインを造ると、銃口となる人差し指から四方八方に無数の紅い光線を撃ち放った。

 

「お、おい、鈴仙ちゃん! 一体どこに向かって撃ってるんだ!?」

 

 妹紅は思わず鈴仙に問いかける。鈴仙の撃った先は何もない空間だったのだから妹紅が驚くのも無理はない。だが、そんな妹紅の疑問は次の瞬間には納得に変わった。鈴仙が撃ち抜いた空間に淡い稲光が走ったかと思うと、ダメージを受けてうずくまる玉兎の姿が浮かび上がってきたからである。

 

「……何もないところから突然、敵の兎が……。これは……光学迷彩ってやつか?」

 

 呟く妹紅。鈴仙が撃ち抜いた場所全てから、透明だった玉兎たちが次々と現れる。光学迷彩を発動する装置を鈴仙が兎たちごと撃ち抜いたからだ。ダメージを負い、痛がる素振りをする玉兎たちを確認して、鈴仙は自身の人差し指に向けて息をふっと吹きかける。

 

「手加減してあげたわ。全員生きてるわよ。さっさとお仲間を連れて帰りなさい」

 

 鈴仙は勝ち誇った様子でイワナガ姫に退却を勧める。その様子を窺っていた永琳は「また調子に乗っている」と眉間に皺を寄せていた。

 

「へぇ。生物センサーというわけですか? 思兼様も面白いペットをお持ちですのね。私の玉兎を捉えることができる能力を持つ兎だなんて……」

「……私はもう、兎たちをペットだとは思ってないわ」

 

 永琳の回答にイワナガ姫はくすくすと笑う。

 

「まさかとは思いますが……、たかが兎と我々を同一視されるおつもりですか? そんなことは許されません。ある意味では神に背く行為ですもの。そのことは思兼様がもっともご存知のはず」

 

 言いながら、イワナガ姫は苦しむ玉兎を指さすと先端から光球を発射した。光球は玉兎の体に入り込む。光球を入れられた玉兎は間もなく、激しく光り出し……爆発した。

 

「こ、こいつ自分の仲間を……!?」

 

 驚愕する妹紅をよそに、イワナガ姫は玉兎の『処分』を進める。一匹、また一匹と動けなくなった玉兎たちを爆発させていった。

 

「お前、何しやがる!?」

 

 敵である玉兎とはいえ、無慈悲にイワナガ姫に殺される姿を見て嫌悪感を募らせた妹紅は、イワナガ姫を止めようと再び殴りかかった。しかし、やはり一瞬で移動され、捉えることができない。

 

「くっそ。ちょこまかと逃げるんじゃないよ……! なんで仲間に手をかける!?」

「仲間……? 冗談を言わないでくださいな。玉兎はペット。不可逆的なダメージをペットが受けたのならば安楽死させてあげることも飼い主の務めでしょう?」

「……前々から思っていたことだが……、お前ら月の民とは考え方が相容れないな……! 姿かたちがヒトと変わらない兎妖怪が『ペット』だって? 倫理感の欠片もないこと言いやがって……!」

 

 妹紅は感情のままに自分の意見を述べていた。姿かたちが人間に見える者の尊厳を認めるべきという妹紅の言葉。人間本位的ではあるが、きっと大きく間違っているわけでもないであろう妹紅の考え方。だが、イワナガ姫はそれを切り捨てる。

 

「うふふ。ヒトに似ているから玉兎を動物扱いするな、ですか。面白い冗談を地上の人間もするものです」

 

 相変わらず、くすくすと嘲笑するイワナガ姫に妹紅は怒りをさらに露わにした。

 

「何がおかしい!」

「おかしいですね。おかしくておかしくて怒ってしまいそう……。……知っていますか、地上の人間よ。我ら月の民は『肉を食べない』」

「……何が言いたい!?」

「あなたたち地上の人間がどうやって生まれたか、知っていますか?」

「なんの話をしている……!?」

「最近は地上の人間も少しは賢くなってきているみたいで……。人間は猿から進化したと突き止めることができたようですわね。あなたはご存知でしたか?」

「それくらい、私だって知っているさ。馬鹿にするな」

「良かった。あなたもそれくらいはご存知でしたか。ならば、問いて差し上げます。『お前たち人間は、猿やチンパンジーが改造を受けて人間のような姿に近づいた時、それをヒトと認めるのか?』」

「……なんだと?」

「おそらくヒトだと認める者は少ないでしょう? ならば、私たち月の民……月の人間が玉兎をヒトではなく、ペットだと結論付けているのも理解できるはず……」

 

 妹紅はハッとする。妹紅は月の民は最初から月の民として生まれていたのだと朧気に思っていた。神と呼ばれる存在から月の民として作られたのだと。だが、イワナガ姫の言葉を受け、それは違っているのだろうと推測する。妹紅はイワナガ姫に確認をとった。

 

「どういうことだ……? お前たち月の民もまた、最初から月の民ではなかったってことか……?」

 

 イワナガ姫は口角を歪める。

 

「ええ。我々月の人間も進化によって生まれたのですわ。我らの祖先もまた、地上で暮らしていたのです。まだ、恐竜がこの地上を闊歩していた頃、我々人間の祖先は天敵に怯えながらも進化を始めていた。一億年と少し前に、兎と猿に進化する共通の祖先が現れ、枝分かれを始めた。『タイコウサギ』……。それが月の民の祖先。タイコウサギは急激な進化を遂げ、『人間』となり、超古代文明を生み出したのです。そして、遅れること数千万年。一部の猿も人間へと進化した。だから、月の民は地上の人間を一目置いてはいるのですよ? 地上の『人間』扱いしているのがその証拠。ですが、生ける者を喰わなければ生きることのできぬ地上の人間は、一部の月の民には『穢れている』ものだとみなされ、忌避された。我々月の民は元々兎ですから、草や果実しか口にしないですもの。生きるために生物を殺す必要がないのです」

「……私たち地上の人間が猿を人間扱いしないのと同様に、お前ら月の民は兎を人間扱いするつもりがない……、そういうことか!?」

「そういうことです」

「解せないねぇ」と言って、妹紅とイワナガ姫の会話に割って入ったのは因幡てゐだった。てゐは続ける。

「アンタら月の民は、進化元の兎さえも下に見ているってのに、なんで猿から進化した地上の人間に一目置いてるんだい? そこまでプライドが高いんなら、猿から進化した人間も見下しそうなもんだが……」

「へぇ。兎のくせにそこに気付くなんて……。地上の兎も隅に置けないですわね。……簡単なことです。月の民も地上の人間も持っているからよ。『人間因子』を。だから、月の民は地上の人間に一目置いているのです」

「人間因子、ねぇ……」

「ええ。人間だけが持っている特別な因子。妖怪化したり、遺伝子改造したりして姿かたちだけヒトに近づいた異形には決して持つことのできない因子。それを地上の人間は持っているのです。私たち月の民と地上の人間の姿かたちが似ているのは、人間因子を持っているからなのですよ。人間因子を授かった生物は皆、同じような姿になるのです。かつて私たち月の民が人間になった時、同時期に恐竜の一部にも人間因子を授かり、人間になった者たちがいました。しかし、彼らはすぐに滅亡してしまった。肉食である彼らは互いを殺し合い、文明を築くことができなかったから。猿の人間も恐竜の人間と同じ運命を辿るかと思っていたのですが……、ギリギリのところで踏みとどまっているようですわね」

「にわかには信じがたいねぇ。それぞれに別種から進化して人間になっても、同じような姿になるなんてさ」

「うふふ。たしかにあなたの言う通り。私たち月の民もそう思いましたわ。だから、月の民はこう考えた」

「『神はいる』」

 

 イワナガ姫の代わりに口にしたのは八意永琳だった。永琳は続ける。

 

「そして、我々月の民は神を求めて研究し続けた。でも数万年前に辿り着いたのよ。人間ごときが神を求めてはいけない、と。だから、あなたたち姉妹にも、綿月姉妹にも、完全を求めてはいけないと教えてきた。なのに、あなたたち山祇(ヤマツミ)姉妹は完全を求めて地上へ下った……!」

「うふふ。それは誤解ですわ、思兼様。知を愛して地上に堕ちた私と、愛を知るために地上に堕ちた妹では理由が全く違いますもの。さて、話が長くなり過ぎました。私とお母様『テネブリス』が望む『始祖の復活』を邪魔されるわけにはいきませんわ。名残惜しいですが、八意思兼様もろとも死んで頂きましょう! 光栄にお思い下さい。私自ら、あなた方を殺して差し上げるのですから!」

 

 イワナガ姫は微笑のまま、眼の奥を殺意で満たすのだった。



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試し斬り

 イワナガ姫が静かに戦闘態勢に入ったことを察知した八意永琳は指示を出す。

 

「……来るわよ。みんな気を付けなさい。あの姫の能力は私が知っている彼女とまるで違うものになっている……! 優曇華、4段階目まで許可する。お前は『観察』に徹しなさい」

「わかりました、師匠」

 

 優曇華は永琳の指示に頷く。

 

「気を付けたところで無駄ですわ。私からは逃れられない」

 

 ……次の瞬間、イワナガ姫の姿が消える。永遠亭側がイワナガ姫の存在を再認識したとき、イワナガ姫は因幡てゐの配下する兎の一匹の懐に入り込んでいた。……そして、すでにその兎の首は鋭利な刃物で切断されたような断面を残して刎ねられていたのである。

 

「え……?」とだけ、首を刎ねられた兎は声を出す。首がなくなった胴体側の切断面から血が噴水のように勢いよく飛び出ていた。凄惨な光景に目を見開く永遠亭の者たち。

 みなが呆然と兎の最後を見送る中、真っ先に我を取り戻した因幡てゐが怒鳴る。

 

「お前たち、今すぐ逃げろ! お前たちじゃこの月人には勝てない!」

 

 因幡てゐは永遠亭の兎たちに命令した。珍しく怒鳴る因幡てゐの声に兎たちはビクっと反応した後、逃走を図る。

 イワナガ姫は逃げ出した兎たちを追いかけることなく、冷静に次の獲物を狙っていた。

 

「あの兎、地上の兎にしておくにはもったいないほどの度胸と経験を持っているようですわね。どうやら、思兼(オモイカネ)様も一目置いているご様子。始末すれば精神的な影響も大でございましょう」

 

 独り言を呟いたイワナガ姫はまた能力を発動し、一瞬でてゐの元に移動する。気付いたときにはてゐの首に広げられた『鉄扇』がぶつけられていた。てゐは衝撃で竹林に吹き飛ばされる。

 

「てゐ!? 大丈夫!?」

 

 声を荒げる永琳にてゐは「いててて」と頭を抑えながら立ち上がる。

 

「大丈夫だよ、お師匠様。……だが、こいつは厄介だね」

 

 イワナガ姫は自分の攻撃から生き残った因幡てゐに対して賛辞の言葉を紡ぐ。

 

「ただの兎だというのに、私の攻撃から生き残ることができるなんて……。丈夫な結界術をお持ちですのね。おかげで私の武器を隠す時間もありませんでしたわ」

 

 イワナガ姫は鉄扇を閉じると口元に当て口角の歪みを隠す。

 

「その鉄扇、ただの鉄扇ではないわね。合金されているのは『アポイタカラ』か」と永琳が尋ねる。

「ええ。切れ味抜群のお気に入りですわ」

「……イワナガ姫。あなた、妹の『コノハナサクヤ姫』と同じ領域に辿り着いたのね……」

「うふふ。どうでしょうか? 私の能力の根源は妹とは異なりますもの。結果は同じですが、過程が違いますわ」

「……サクヤ姫、咲耶姫だって!?」

 

 妹紅が血相を変えて叫ぶ。

 

「どうしたのですか、地上の人間。妹の名を憎悪に満ちた目で口にするのは控えて欲しいものですね。不愉快です」

「不愉快なのはこっちの方さ。お前の妹には千年以上前、富士の山で煮え湯を飲まされたんだからな。イワナガ姫……、どこかで聞いた名だと思った。妖怪の山に住んでいる咲耶姫の姉の名が石長(イワナガ)だと慧音(知り合い)から教えてもらったことがある。アクセントが違っていたから気付かなかったよ」

「あら? 妖怪の山とは何かしら?」

「とぼけるな! お前が火口を守護している山のことじゃないか!? 元八ヶ岳であるとされる妖怪の山……。そこにお前が宿っているのだと慧音は言っていたぞ!?」

「それはおかしいですわね。私は妖怪の山とやらにも八ヶ岳とやらにも行ったことはないですもの」

「なんだと……?」

「ついでに申し上げるならば富士の山とやらにも伺ったことはございませんわ。サクヤ姫がそこにいるかも知りません。でも……」

「『でも……』、なんだ!?」

「富士の山にいたとあなたが言うサクヤ姫は私の妹であって妹でない可能性が高い」

「……なぜ、そんなことが言い切れる!?」

「言い切れるわけではありません。……しかし、申し上げたでしょう? 私は知を愛して地上に堕ちた。そして妹のサクヤ姫は愛を知るために地上に堕ちた。妹は地上の人間と結ばれたいがために地上に堕ちたのです。そういうのを地上の人間はロマンチックと言うのでしょう? 私には理解できない感情ですが。……サクヤ姫は地上の人間と結ばれるために月の民から人間に戻ろうとしていました。すべての月の民は超科学を用いて、魂、精神、肉体に神に似た力を宿している。月の民が長寿なのも神に似た力を持っているからなのです。しかし、地上の人間と添い遂げたいサクヤにとって長寿は要らなかった。だから、サクヤは神に似た力を解き放ったのでしょう。その力の断片が貴方のおっしゃる富士の咲耶姫と八ヶ岳の石長姫になったに違いありません。もちろん、断言はできませんわ。もうあの子と別れて何千年の時が過ぎていますもの」

 

 イワナガ姫はふぅと溜息を吐く。

 

「……デタラメ言いやがって」と息巻く妹紅。

「そう感じるのなら、そう思ってもらって結構ですわ」

「姉妹揃って碌でもなさそうな奴らだ。ここで私が燃やしてやる……!」

「どうして、地上の人間はそう粋がるのでしょうか? まぁ、私としては好都合です。このアポイタカラ合金の扇の切れ味をもっと試したかったところですもの。何度も斬れる蓬莱人ほど試し斬りに最適な相手もおりませんわ」

「ふざけてろ。お前が丸焦げになる方が先だ!」

 

 妹紅は両拳に炎を纏わせて戦闘態勢に入る。

 

「無意味なことを……」

 

 言葉をこぼすイワナガ姫。その時には既に妹紅の首と四肢は扇によって切断されてしまっていた。

 

「な……に……!?」

 

 疑問符を口で紡いだ妹紅の体が炎に包まれた。それは妹紅が何百、何千と経験してきた死と復活の合図。炎の中から綺麗な体で戻ってきた不死鳥、藤原妹紅は背後にいるイワナガ姫に睨みを利かせる。

 

「くっ!? どうやって私を殺した!? 全く見えなかったぞ……!?」

「そうでしょうね。貴方が私を感知する前に殺しているのですから」と言った直後、妹紅の心臓を閉じた扇で一突きにするイワナガ姫。

 

「がっ……!?」

 

 声を残し、再び復活の炎に包まれて再生する妹紅。イワナガ姫はくすくすと笑っていた。

 

「さて、何度殺せば貴方は死ぬのでしょうか?」

 

 復活直後に扇で殴り飛ばされた妹紅は地面に叩きつけられる。妹紅はすぐに起き上がり、イワナガ姫の方向に視線を向けるが……もうそこに彼女の姿はない。

 

「どこを探しているのでしょうか?」

 

 妹紅の背後から聞こえる落ち着いた声。すぐに振り向く妹紅。

 

「くっ!? いつの間に……!?」

「貴方では絶対に私の動きを捉えることはできませんわ。大人しくいつまでも斬られ続けることです」

 

 次の瞬間、妹紅の右腕は刎ねられていた。痛みを感じると同時に、扇の軌道すらも見ることができないことに妹紅は寒気を覚える。

 

「どこまで刻めば死ぬのでしょうか?」

 

 イワナガ姫は妹紅を弄ぶように、四肢を切り刻む。そして再生へと追い込まれる妹紅……。

 

「うふふ。手足だけなら百切れぐらいまでなら耐えられるようですね。お次は思い切って首を切断して差し上げますわ」

 

 見えない斬撃が妹紅を襲う。一瞬で妹紅は頭部を切り離されて殺された。

その後も胴を真っ二つに斬られたり、体を縦半分に斬られたり、と。バリエーション溢れる殺し方をされ続ける。反撃や回避を試みたがテレポートのように一瞬で移動し、雷よりも早く攻撃を仕掛けられては手の打ちようがなかった。

 

「ふふふふ。さぁ、これで三百回は死んだんじゃないかしら?」

 

 再生を繰り返す妹紅に、イワナガ姫は笑いながら問いかける。妹紅ははぁはぁと息切れをし始めていた。

 

「く、くそ。あの褐色銀髪の魔女もお前も人をばかすか何回も殺しやがって……!」

「あら、もしかして弱って来ているのですか? 世にも珍しい蓬莱人の死を見ることができるかもしれませんわね。とりあえず千回殺して差し上げましょう!」

 

 なおも、妹紅を殺し続けるイワナガ姫。殺し続けた結果、妹紅に変化が現れ始めた。

 

「うふふ。おやおや。復活のスピードが落ちてきたのではなくて? どうやら精神の疲弊が溜まると、少しずつではありますが復活しづらくなってくるようですわね。さ、もっと殺して差し上げましょう。いつまで持ちこたえることができますかしら……!」

「いい加減にしなさい」

 

 声とともに、イワナガ姫の鼻先を一本の矢が横切る。弓を引いていたのは永遠亭の天才薬師、『八意永琳』であった。

 

「これはこれは思兼(オモイカネ)様。穢れた地上の人間を助けるということですか。本当に変わってしまわれたのですね」

「……たしかに私はかつて地上の人間を見下していたわ。でも、残虐に殺しても良いと教えたことはない。変わってしまったのはあなたの方よ」

「それは思兼様が私のことを見誤っていただけのことですわ。私は今も昔も変わってないですもの」

「……弟子の不始末は師匠の責任。ここであなたを止めてみせるわ」

「うふふ。さすがの思兼様でも今の私に勝つことはできませんわ」

 

 またも一瞬で永琳との間を詰めるイワナガ姫。彼女の開かれた扇は永琳の首元を刎ねようとしていたが……、寸前のところで永琳は扇を矢で受け止めていた。

 

「……さすがは思兼様。私の扇を受け止めることができるとは……」

「……くっ……!? ……あなたの思考パターンを詳細に知らなければ受け止めることもできずにダメージを負っていたでしょうね。イワナガ姫、あなたやっぱり、サクヤ姫と同じく……」

 

 冷や汗をかく永琳にイワナガ姫の余裕の微笑を浮かべて、答える。

 

「ええ。ご推測のとおりですわ。私は時を止められる。妹に遅れること数万年。やっと私も彼女と同じ領域に到達したのです」

 

 イワナガ姫は口元を扇子で隠す。上品な所作とは裏腹に、その心は傲慢で満ちているようだった。



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勘違い

「やはり……時を止められるのね。移動と攻撃の瞬間が全く見えなかったもの。予想はしていたけど、まさかね……」と永琳は頬に冷や汗を伝わせる。

「うふふ。思兼様、それでも私と戦うおつもりですか?」

「ええ。あなたの時を止める能力、驚異的ではあるけど絶望的ではないようだから……!」

「へぇ……。強がりますわね、思兼様。私たち山祇(ヤマツミ)姉妹が地上に堕ちるのをあなた様が止められなかったのは、他ならぬ私の妹のサクヤ姫にあなた様が敵わなかったから……。忘れたわけではございませんよね?」

「そうね。きっと今でも私はサクヤ姫を止めることはできないでしょう。でも、あなたなら止められそうだわ」

「……馬鹿にされたものですわ。……私はもう妹を越えたのです!」

 

 イワナガ姫に眉間にうっすらと皺が寄る。眼と眉も吊り上がっていた。永琳は知っていた。イワナガ姫がサクヤ姫に劣等感を抱いていたことを。能力的に敵わないイワナガ姫の心を揺さぶり隙を作る……。天才薬師は強者でありながら、弱者の戦法も熟知していた。心の平穏を崩されたイワナガ姫は時を止め、永琳の肩口を切り裂こうと扇子を振り下ろすが……。

 

「くっ!?」と狼狽えるイワナガ姫。

 

 扇子を振り下ろした先には矢があった。永琳はイワナガ姫の攻撃を完全に予測し、ガードするように矢を構えていたのである。そして、イワナガ姫の時を止める限界が訪れた。再び流れ始めた世界で永琳は見事に扇子を矢で防ぐ。

 

「うふふ。さすがは思兼様。私の攻撃を一度ならず二度までも……」

「……イワナガ姫。やはり、あなたの時止めはサクヤ姫には届いていないわ。私ごときに攻撃を止められているのがその証拠……」

「……うるさい……! 私の攻撃を止めるのが精いっぱいのくせに……!」

 

 イワナガ姫は三度時を止めて、永琳に攻撃を仕掛ける。だが、これも受け止められてしまった。時止めから解放された世界で永琳は諭すようにイワナガ姫に語りかける。

 

「……私はあなたをよく知っている。次にどんな攻撃を仕掛けてくるのか、高確率で予測できるのよ。だって、あなたの師匠だから……。……あなたは非常に短い間しか時を止めていられない。そうでなければ、私の予測ガードを掻い潜って攻撃できるはずだもの」

「……だから何だというのですか? 所詮、貴方は予測で私の攻撃を防ぐことしかできない。その確率とやらも無意味になるほどに攻撃を加え続ければ良いだけのこと……!」

 

 イワナガ姫は再三にわたり、攻撃し続けた。八意永琳はその天才的頭脳をフル回転させ、攻撃を予測し、防御し続ける。しかし、どこまで精度を高めたとて予測は予測でしかない。何百回目のイワナガ姫の扇が永琳の右大腿部を深く傷つけた。

 

「うぐっ……!?」

 

 うめき声を上げる永琳にイワナガ姫は愉悦の笑みを浮かべる。

 

「うふふ。見てごらんなさい。攻撃し続ける者と守り続けるしかできない者とが争えば、こうなるのは当然の帰結」

 

 永琳は大腿部を手で抑え、圧迫止血を試みていた。だが、血はなかなか止まらない。

 

「ふふふ。そうなってはもう素早く動くことはできないでしょう? 切り刻んで差し上げますわ!」

 

 イワナガ姫は一挙攻勢に出る。永琳の体中に扇による切創が刻み込まれていった。なす術なく、イワナガ姫の言いように傷つけられる永琳……。

 

「うふふ。さすがは月の民……。豆腐のように脆い地上の人間とは比べ物にならないほどに肉体が強固。ですが、さすがの思兼様とて、もう限界のはず……。もう敗北を認めてくださいな。そうすれば、命だけはお約束しますわ。お母様は有能な者を欲しています。思兼様ほど聡明なお方ならお母様も歓迎するはず……」

「……わかったわ。私の敗北を認めましょう……」

 

 意外な永琳の反応にぎょっと眼を見開くイワナガ姫。昔の永琳なら弟子の挑発とも取れる言葉を真に受けることはなかったはず。師匠が変わってしまったことに若干の戸惑いを見せるイワナガ姫は少し引き攣った顔を無理やり微笑に歪めた。

 

「こ、これは計算外でしたわ。まさか、本当に思兼様が降参を口にするなんて……。地上に堕ちて、腑抜けになってしまわれたのですね。ですが、お母様の元に来れば、思兼様もかつての誇りを取り戻されるに違いありませんわ……」

「何を勘違いしているのかしら。私はあなたたちの仲間になるつもりはないわ」

「……何をおっしゃっているのですか?」

「言葉通りの意味よ」

「敗北を認めるが、仲間になるつもりはない。ではこのまま死をお選びになるということですか?」

「いいえ、死ぬつもりもないわ」

「……敗北を認めるが死ぬつもりはない。だが、仲間になるつもりもない……。……そんな理屈が通るとお思いなのですか!? やはりあなたは地上に堕ちて変わられてしまった! 心底失望いたしましたわ!!」

「本当に貴方は勘違いをしているのね。私は今も昔も『私たちの勝利』を目指しているだけ。『私』が敗北しても、『私たち』が勝てればそれで良いのよ」

「何をおっしゃっているのですか!? 貴方はこの運脈を司る屋敷のトップであるはず。貴方の敗北は貴方たちの敗北ではありませんか!?」

「教えたはずよ、イワナガ姫。先入観を持ってはいけないと。……この永遠亭の最大戦力は私ではない」

「……何ですって? ……そうか。たしか貴方は赫夜の姫と地に堕ちたと聞きました。その姫が貴方たちの隠し玉ということですわね……!?」

「たしかに姫様も私を越えうる力を有していらっしゃるわ。でも、姫様でもない。……イワナガ姫、あなたは自分に劣等感を持つあまり、自分より下等な者が力を持つはずがないと思い込んでいる。教えてあげましょう、その考えが過ちだということを……! ……優曇華! 全て『許可』します。この姫を躾けてあげなさい!」

「……はい、師匠」

 

 返事をした鈴仙・優曇華院・イナバの目が真っ赤に光る。

 

「何ですって……? まさか、この兎が……?」と永琳にイワナガ姫は問う。

「ええ、そうよ。この鈴仙・優曇華院・イナバこそ……月が捨てたこの兎こそ、我らが永遠亭の最大戦力。……優曇華、観察結果を」

「はい。永遠亭を含む迷いの竹林全てを覆うように結界が張られています。おそらく、この結界内でのみ、イワナガ姫は能力を発揮することが可能なようです」

「そう。やはり、特定範囲内でのみ発動する能力だったのね。……結界は破れそうかしら?」

「……難しそうですね。この結界、命を賭して張られています。あのイワナガという姫、かなりの覚悟を持ってお師匠様との戦いに臨んでいたみたいですね」

「であるならば、正面切ってあの子を倒さねばならないということね。……頼んだわよ、優曇華」

「はい!」

 

 永琳と鈴仙の会話を聞いていたイワナガ姫は扇で隠した口元で歯ぎしりしていた。

 

「舐められたものですわね。この私に兎をあてがう……? 良いでしょう。思兼様ご自慢のそのペット、すぐに殺処分して差し上げますわ!」

 

 イワナガ姫の銀色の長髪は怒りのオーラでかすかにふわりと浮かび上がるのだった。



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光子

「たかが兎が。身の程を知らせて差し上げましょう」

「身の程を知ることになるのはそちらかもしれませんよ。イワナガ姫様」

「大した自信ですこと……。……その無礼な口、すぐに切り刻んであげますわ」

 

 イワナガ姫は自身の能力を発動する。

 

「一瞬で終わらせてあげましょう。そして、思兼様は大事なペットを殺されたことを後悔すると良いのですよ!」

 

 イワナガ姫の扇が鈴仙の首元に迫る。勝利を確信するイワナガ姫の口角はぐにゃりと歪んだ。しかし、『痛い目』を見たのは鈴仙ではなく、イワナガ姫だった。止まった時の中で動けるはずのない鈴仙の指が動く。鈴仙は得意のピストルハンドサインを創り出すと、銃口となる人差し指をイワナガ姫に向けて紅い光線を発射した。光線を腹部に受けたイワナガ姫は衝撃で吹っ飛ぶ。

 

「かはっ!?」と息を吐き出しながら飛んでいくイワナガ姫の体は永遠亭の門構えに叩きつけられた。

 

「な、なんで……?」

「……さすがはお師匠様や輝夜様と同じ月の民。この程度では倒れませんか」

 

 イワナガ姫は光線を受けた腹部を抑えながらゆらゆらと立ち上がる。

 

「くっ……!? なぜ、私の時止めの中で貴方は動くことが……!?」

「簡単なことです。貴方の時を止める能力を無効化したからですよ」

「くっ!? 無効化ですって……!? そんなはず……!?」

「……あなたの能力が空間依存のレベルであったならば、私も手を出すことはできなかったでしょう。でも、あなたの時止めは至ってシンプルなもの。だから、私も無効化できた」

「ふ……。うふふ……。たかが兎のくせに私の能力にケチをつけるとは……。覚悟はできているのかしら!?」

「たかが兎と馬鹿にするならそれも結構ですが……。どうぞ、攻撃してきてください。私に貴方の攻撃は当たらない……、いいえ、貴方の攻撃はもう誰にも当たらない」

「調子に乗るな、兎が!」

 

 イワナガ姫は能力を発動すると、移動を開始する。しかし、移動開始と同時に肩口に衝撃が走った。鈴仙の光線が撃ち抜いていたのである。

 

「な、なんで?」と疑問符を口にしながら、イワナガ姫は吹き飛ぶ。吹き飛びながら視界に写る世界を見て、イワナガ姫はようやく気付く。竹林が風に靡いていることに。空の雲が西から東に微かに移動していることに。自分の能力が発動していないことに。……そう、世界が止まっていないことに……。

 

「本当に能力が無効化されている? う、うそよ。私の能力は……」

「光子になること」

 

 仰向けに倒れたイワナガ姫の言葉を奪い取るように鈴仙は喋る。

 

「そう、貴方は自身の体を光子にすることで、移動速度を光速にすることができる。時を止める方法はいくつかありますが、最も簡単な方法は自身が光速に至ること。貴方はそれを実行した」

「……くっ!? それが見抜けたから何だと言うの!?」

「……あなたが光子であるならば、私の能力で操作できる。光子もまた波のひとつでしかない。『波長を操る程度の能力』を持つ私ならば、光子となったあなたを操れる」

「『波長を操る程度の能力』ですって……?」

「ええ。私は音、光、物質、精神……様々な波長を操ることができる。光の波長を操ることであなたが変化した光子の速度だけを落とし、時止めの効果を無効化した」

「ふ、ふふふ。ウソを吐かないでくださるかしら? 波長を操る、だなんて神にも似た力を一介の兎が持てるはずがない!」

 

 ヒステリックに怒鳴るイワナガ姫は再び能力を行使しようと試みた。しかし、もう自分が光速になれないことがイワナガ姫にも理解できる。周囲の様子を見れば時が止まっていないのは明らかだからだ。イワナガ姫はわなわなと震える。

 

「……っ! 私が何千年もかけて手に入れた『時を止める能力』がこんな兎なんかに……!」

「降参してください。お姫様」

「誰が兎に降参などするものか……!」

「そうですか。なら、サヨナラです……」

 

 鈴仙は光線を撃ち放った。光線はイワナガ姫の左腕に命中し、彼女の和風ドレスが血の色で赤く染まる。

 

「うぐっ……!?」と痛みに歯を食いしばるイワナガ姫。

「さすがに月の民。堅牢な体をしている。ですが、一発で倒せないのなら、倒れるまで撃ち続けるだけ」

 

 鈴仙・優曇華院・イナバは当然のごとく、容赦なく光線を連発する。その全てがイワナガ姫に直撃し、彼女のドレスはより一層赤く染まっていく。

 

「……兎に……兎なんかに……、私の能力を超えられてたまるものですか……!?」

 

 ふらつきながらもプライドだけで二本足を保ち続けるイワナガ姫の額に、鈴仙の光線が直撃した。吹き飛んだ体は地面に引き摺られながら、その速度を落として止まる。仰向けに倒れたイワナガ姫の額から血が流れ出ていた。

 

「……永遠亭を覆っていたイワナガ姫の結界が解かれています……。気絶したか、あるいは……」

 

 鈴仙は永琳に報告するように呟く。永琳は鈴仙に気を抜かないように忠告する。

 

「優曇華、集中しなさい。あなたの力は集中と密接に連動しているのだから。音波を探れば解るでしょう? まだ、イワナガ姫の心臓は動いている。死んでいない」

「ふ、ふふ。うふふふ……。当然ですわ。私が兎に殺されるわけがないでしょう?」

 

 イワナガ姫は額から流れ出る血液で顔を真っ赤にしながら立ち上がる。

 

「さすがは月のお姫様。しぶといですね」と言いながら、鈴仙は頬から冷や汗をかく

「……私の顔を傷つけた罪は重いですわよ」

「生きているなら、なぜ結界を解いたのです?」

「必要がないから……ですわ」

「……どういうこと?」

「うふふふ……。見せて差し上げましょう。私の奥の手を……! ……この術は妹に追い付くために編み出したものだというのに……。こんな兎ごときに出さなくてはいけなくなるなんて……! 屈辱ですわね……!」

 

 不穏な空気を醸し出すイワナガ姫に嫌な悪寒を覚えた永琳が思わず口を出す。

 

「イワナガ姫、あなた何をするつもり……!?」

「今さら不安を感じても遅いですわ、思兼(オモイカネ)様。……地上の兎、あなたの言う通りよ。私の時を止める能力は身体を光子に変え、光速になることで発動する。だけど、それは私自身に与えられた時間もほぼないことを意味する。……妹の時を止める能力は私のそれとは違う。あの子の力は世界を止めることだった。神に愛された尋常ならざる力だったのに……。あの子は能力を使って高みを目指すことなく、長寿も捨てて地上の人間と添い遂げた……。……天才の考えることはいつだって理解できない。だけど、その理解できない行動が羨ましかった、許せなかった。……私が妹に勝つ機会は彼女が死んだことで永遠に奪われてしまった。だから望んだのです、あの子との再会を。あの子に勝つことだけが私の人生ですもの。……お母様『テネブリス』はその術を知っている。私はその術を盗むために『ルークス』に手を貸しているのです」

「……イワナガ姫、あなたの目的はまさか……」

 

 言いかけた言葉を飲み込んだ永琳に向けて、イワナガ姫は微笑む。

 

「ええ、お察しの通り。妹『サクヤ姫』の復活ですわ。そして、彼女に勝利して私が彼女より優れていることを証明するのです……!」

「バカなことを……。そんな勝手なことに幻想郷や地球中の理想郷を巻き込むつもりなの!?」

「……バカなこと? 勝手なこと? ……そんなことはわかっていますわ。でも、あの子に学問も負け、術も負け、容姿も負け、恋も負け……、全てに負けたままでは私は私の人生をもう一度歩み出すことなどできない……! せめてこの手であの子を殺さなければ……、私があの子より優れていることを示さねば、私の人生は再開しないのです……! ……そうしなきゃ、あの子とあの人を羨んで月を捨てたことが無意味になるじゃない!」

 

 イワナガ姫は巨大な魔力を込め、新たな結界を発現した。永遠亭を包み込むその結界は彼女の感情を表すかのように、強く厚く張られる。

 

「……なんて密度の結界!? だけど……その反面、結界の範囲も狭い。一体なにを狙っているの、イワナガ姫……!」

「……私はいつだって妹を追うことしかできなかった。でも、あの子の力は私の理解の外にあった。『干渉可能な世界の完全停止』なんて私の手に負えるものじゃない。それでも私は彼女を追った。そして、光速の世界に辿り着いた……けど、それは追い付いただけ。決してあの子を追い抜くことはできなかった。光速では追いつくことはできても追い抜くことはできない。私が光速を解けば、世界はまた私を置いて行った。だから、私は考えたのよ。世界が私を置いて行くのならば、絶対に追い抜いてやる。光速を超える、と」

 

 光速を超えるというイワナガ姫の物理法則を無視した発言を鈴仙は訝しんだ。

 

「光速を超えるですって……?」

「そうよ、兎。……サクヤ姫を倒すために編み出した術をお前に使ってやるわ。光栄に思いなさい」

「どんな手を使うか知りませんが、私の波長を操る程度の能力から逃れることができるとは思いません……!」

「思い上がりも甚だしいわね。兎、見せてやるわ。私の超光速を……!」

 

 イワナガ姫の姿が消える。それは一見すれば、光速に達し、時を止めた時と同じ光景に見える。だが、同じに見えるのは外観だけ。その中身はまるで違う能力によるものだった。……その証拠に先ほどまでイワナガ姫の能力を看破し完全に無効化していた鈴仙の腹部を、背後に回ったイワナガ姫がアポイタカラ合金の扇で貫通させていたのである。

 

 鈴仙は何が起きたのかさっぱり理解できないでいた。鈴仙はイワナガ姫の身体、魔力……、それらが持つ波長を全て観測していたのに、一瞬で背後に回られていたのである。もちろん、光子に変化した様子もなかった。それなのに突然、イワナガ姫が後ろに現れ、鈴仙を突き刺していたのである。

 

 イワナガ姫は突き刺していた扇を引き抜く。その引き抜きが鈴仙にさらなる苦痛を味合わせた。

 

「か……はっ……!? ど、どうやって私の後ろに……!? あなたの波長には何の変化もなかったはず……!?」

「波長を変える必要などない。そして、私の作り出した『量子空間』は光速をも凌駕する」

 

 イワナガ姫は額の血を拭いながら、静かな自信を覗かせるのだった。



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銀鏡の剣

「『量子空間』? 何よ、それ……」

 

 鈴仙・優曇華院・イナバはイワナガ姫に問う。イワナガ姫が素直に答えるはずもないだろうことは鈴仙も承知しているが、時間稼ぎをする目的もあった。量子空間なる結界の性質を見極める猶予が少しでも欲しい。

 

「貴方はもうここで死ぬのです。理解しても意味はないでしょう?」

 

 どうやら、少しも猶予を与えてくれるつもりはないらしいイワナガ姫。彼女は扇を広げ、鈴仙の首元を斬らんと振りかざす。

 

「無駄なことを……」

 

 イワナガ姫が呟く。彼女が呟いた標的は、扇を撃ち落とさんと飛んでくる矢だった。次の瞬間、扇に向かっていたはずの矢が消滅したかと思えば、矢を放った本人の前に再び現れる。運動エネルギーを保持したまま、空間移動を成功させた矢は持主である「八意永琳」の肩に突き刺さった。痛みを堪え、悲鳴を押し殺した永琳はイワナガ姫の能力が自分の予想したものだと確信する。

 

「『量子空間移動(テレポーテーション)』、ね……? まさか完成させていたなんて……!」

「さすがは思兼様。一目で看破されるとは。しかし看破されたところで、どうにもできないでしょう?」

「量子もつれ(エンタングルメント)を利用した瞬間移動……。たしかにそれを用いれば、理論上は光速を超えることができるわ。……エンタングルメントを起こした量子のペアは未知の交信原理で情報をやり取りしている。優曇華の波長を操る程度の能力が効かないのも納得ね……」

 

 永琳は肩に突き刺さった矢を抜きながら分析結果を語る。その額から掻く冷や汗は痛みによるものか、勝ち目のない能力をイワナガ姫に見せつけられたからか、あるいはその両方か。

 

「さっきから、わけの解らないことばかり言いやがって……!」

 

 文句を垂れていたのはイワナガ姫との戦闘で弱っていた妹紅だった。妹紅は鈴仙と永琳の戦闘を見守っていたが、戦局が不利になったと感じ取り、立ち上がった。

 

「まだ、戦う気力が残っていましたのね。蓬莱の薬に手を出した地上の穢れた人間よ。……もう、あなたに興味はありませんわ。大人しく死になさい」

 

 イワナガ姫は四方八方にビーム攻撃を繰り出した。どれも的外れな方向に飛んでいく。

 

「ふん、一体どこに飛ばしてやが……る!?」

 

 的外れに飛んでいると思われたビーム攻撃が一斉に空間移動(テレポーテーション)を開始した。空間移動したビームは三百六十度、全方位から妹紅を囲むように放出される。集中砲火を受けた妹紅はその場で真っ黒こげにされてしまった。

 

「これも『量子空間』の効力の一つ。私が繰り出す攻撃はその位置に関わらず、必ず敵の死角からの攻撃や逃走不能の包囲攻撃となり襲い掛かることができる。この結界内で私の攻撃から逃れることはできない」

 

 真っ黒こげになった妹紅の体が炎に包まれる。再誕が始まる前触れだ。炎が収まると、中から復活を遂げた妹紅が現れる。

 

「……くそ……!」と苛つく妹紅。

「まったく、蓬莱人というのは本当に厄介ですわね。まあいいわ。今度こそ、死ぬまで殺してあげましょう」

 

 妹紅は永琳に耳打ちする。

 

「……私はあいつに勝てない。出来るのは時間稼ぎだけだ。あいつの能力の穴を見つけてくれ。……頼むぞ、先生」

「約束はできないわね……。善処はするけど……」

「そいつは残念だ」

 

 妹紅は苦笑を浮かべて、イワナガ姫の方に向き直る。

 

「作戦会議は終わりかしら?」

「作戦なんかあるかよ。すぐにお前をぶっ潰してやる」

「無理ね」

 

 イワナガ姫はアポイタカラ合金の鉄扇を閉じると一振りする。それと同時に妹紅の右足に激痛が走る。すでに足は切断されていた。イワナガ姫は自身の鉄扇の切っ先だけを妹紅の右足付近に空間移動させていたのである。

 

「貴方たちはもう、私に近づくことすらできない」

 

 イワナガ姫は立て続けに鉄扇を振る。彼女が振るごとに妹紅の体は切り刻まれていった。

 

「さっきは三百回くらい遊びながら、殺して差し上げましたけど……、もう手加減はなしですわ」

 

 イワナガ姫は妹紅の心臓を一突きにする。復活を繰り返す妹紅を容赦なく殺し続けた。

 

「これでトドメですわ!」

 

 イワナガ姫が鉄扇を開き、一振りするとかまいたちが巻き起こった。イワナガ姫のエンタングルメントはかまいたちの斬撃をも空間移動させる。月の科学を持って作られた扇から繰り出されるかまいたちをゼロ距離で受けることになった妹紅の体はスライサーを使用された野菜のようにバラバラにされてしまった。……分割された妹紅の体から炎が現れない。まだ死んでいないのか、それとも蓬莱人の限界を迎えてしまったのか……。妹紅に復活の兆しはない。

 

 時間を稼いでもらった永琳だったが、イワナガ姫の弱点を見つけることができないでいた。むしろ、彼女の結界『量子空間』の完成度の高さを見せつけられる。量子空間内はあまりに高密度な量子もつれ(エンタングルメント)で覆われていたからだ。量子空間移動(テレポーテーション)は決して魔法のようなものではない。ペアとなる量子もつれが予め設定されていることが空間移動をするための最低条件となる。そして移動が行われればその分、量子もつれを起こしている量子は減少していくのだ。しかし、この量子空間中に浮遊する量子もつれの数は常軌を逸した多さである。すなわち、量子もつれ(エンタングルメント)切れを狙った長期戦も不可能だった。

 

「……次は私の番だね。長いこと生きたけど、今日が年貢の納め時になるのかな?」

 

 口を開いたのは、永遠亭の兎のリーダー因幡てゐ。彼女もまた、時間稼ぎをしようとイワナガ姫の前に立つ。

 

「……不死身の体を持つわけでもないのに、私の前に立ちはだかろうとは、その勇気だけは認めてあげますわ、地上の素兎(しろうさぎ)」

 

 言いながら、イワナガ姫は手に持っていた扇を胸元に納める。

 

「……おや、武器なしで闘ってくれるのかい?」

 

 因幡てゐの軽い口調にイワナガ姫は首を横に振った。

 

「私をここまで追い詰めた貴方たちに敬意を表して、私の持つ武器の中で最も鍛えられたモノで殺して差し上げますわ」

 

 イワナガ姫はその右手に剣を召喚した。鈍く銀色に光るその剣には、とてつもない怨念が込められていることが術に造詣の深くない因幡てゐにも一目でわかる。

 

「……えらく、呪いのこもった剣だね。嫌な気配しか感じないよ」

「これは『銀鏡(しろみ)の剣』。私の数千年、数万年に渡る呪いを込めた刀。元々は鏡だったものを剣に作り替えた代物。その一振りは兎の千匹、二千匹くらい容易に殺傷するでしょう」

「そりゃまた物騒な得物を持ち出してきたもんだ。恐ろしいことにハッタリでもなさそうだね。ビリビリと怨念のような強い思いが感じられる」

「今すぐその首刎ねてくれましょう」

 

 イワナガ姫は横一線に銀鏡の剣を振るう。量子空間移動で剣の切っ先がてゐの首元に現れた。逃げる時間も一切与えられぬ光速を超えた一撃はてゐの首に触れる。

 

 ガキッ! という音がした。音とともに、吹き飛ばされる因幡てゐ。てゐの体は永遠亭の米蔵に叩きつけられる。

 

「いてててて……。とんでもない威力だね。なんて呪いの力だ」

「……銀鏡の剣を受けてなお、生きている? ただの兎が……?」

「悪いね。あたしゃちょいとばかり運が良いのさ。でなきゃ、ここまで長生きできちゃいないよ」

 

 イワナガ姫が目を凝らす。てゐの首元には結界が張られていた。その結界で銀鏡の剣を防いでいたのである。しかし、イワナガ姫には兎に自身の攻撃を止められたことが信じられなかった。目の前の兎は見た目以上に年齢を重ねていることはイワナガ姫も看破している。経験は豊富なのだろうが、イワナガ姫の剣を受け切ることができるほどの魔力量があるとは思えない。

 

「地上の老兎。貴方、どうやって私の剣を受け切った!?」

「言ったろう? 少々運が良いのさ。私は幸運を操ることができるんだよ」

「……そうか、運脈を使っていますのね。それも効率良く……。だから、私の剣をも受け止める結界を生成することができたのですわね?」

「まあね。そうでもしなきゃ、この地で生き残れなかった」

 

 イワナガ姫の分析に対して得意気に口角を歪める因幡てゐ。因幡てゐは続ける。

 

「運脈は幻想郷の血管だ。大きな血管なら誰でも利用できる。だが私は大動脈だけでなく、幻想郷中に広がる毛細血管のような運脈からも運を取り出せるのさ」

「運脈の取り扱いに長ける者というわけですわね。面白い。貴方もお母様の役に……。いいえ、お母様の目的を果たしたあと、私の目的であるサクヤ姫の復活の役に立ってもらいましょうか」

「やなこったね」

「私の剣を一撃防いだだけで得意にならないでくださるかしら」

 

 再び銀鏡の剣を振るうイワナガ姫。どこから飛んでくるかわからない斬撃に備え、因幡てゐは周囲全てに結界を張る。斬撃はてゐの背後から襲いかかってきた。先ほどよりも強力な斬撃は結界をガラスのように割り、衝撃でてゐの体は吹き飛ぶ。

 

「そんな……。『龍神の運』で強化した結界がこんなにいとも容易く……!?」

「眠ってもらいましょう!」

 

 てゐの体が吹き飛んだ先はイワナガ姫の正面。イワナガ姫は刀を反転させ、刃のついていない方でてゐの腹部を殴るようにしばいた。吹き飛ばされた勢いと殴られた勢いに挟まれたてゐは地面に叩きつけられる。うつ伏せに倒れた因幡の素兎の髪は白くなり、肌も老婆のように皺だらけに変化してしまった。それは因幡てゐが気絶したことを意味していた。

 

「くっ……!? てゐ!?」

 

 永琳はてゐに呼びかけるが、もちろん返事はない。

 

「年を取っているとは思っていましたが、そこまでの老婆だったとは……。……老い先短いその命、私の目的のためにもう少しだけ永らえて差し上げますわ。嬉しく思うことですわね、老兎!」

 

 イワナガ姫も気絶したてゐに語り掛けていた。邪悪な微笑みでその顔面を歪めて……。

 

「さて、残りはもう一匹の兎と思兼様ですわね」

 

 自身も矢を撃ち抜かれ、大腿部も負傷していた八意永琳だったが、体を引きずり移動する。向かう先は腹部を扇で突き刺されて負傷した動きの鈍い鈴仙の元。永琳は鈴仙の耳元で小さく囁いた。

 

「優曇華、静かに聞いて。……イワナガ姫の波長を観察しなさい」

「……っ!? でも師匠。アイツの空間移動は光などの波長で情報伝達をしているわけではないのでしょう?」

「そのとおりよ。あの姫の『空間移動』は波長によるものではない。故に『見かけ上』は光速を超える。でも、あの量子空間移動(テレポーテーション)には条件があるのよ」

「条件……?」

「量子空間移動を成立させるには古典的情報伝送……つまり、光や音と言った物理的方法で情報のやり取りをしなければならない。イワナガ姫が出すその情報さえ潰せば……」

「空間移動は止められる?」

「そういうこと。じゃ頼むわよ。不比等の娘やてゐが体を張ってくれたんだもの。私も張らなきゃね」

「どのような策を練ろうとも、無駄ですわよ。思兼(オモイカネ)様!」

 

 イワナガ姫は銀鏡の剣に魔力を込める。何かの恨みを晴らそうするかのように……。

 

「まったく、量子空間移動を見極めるのにも苦労しているというのに……、綿月姉妹の……、依姫の『祇園の剣』クラスの剣を出してくるんだから。師匠泣かせだこと」

「思兼様にはまだ利用価値がありますわ。生かして差し上げましょう」

「……舐められたものね。妹の呪縛を解くこともできない未熟者のくせに……」

「……なんですって? 聞き捨てなりませんわね、思兼様」

「貴方は妹への嫉妬心や復讐心や羨望でしか生きていない。貴方がバカにする地上の人間の方が、よほど切り替え早く自分の人生を見つけるわよ? 妹のせいで自分の人生が不幸なものになっていると考えているようだけど、全ては貴方の弱い心のせいなのよ。未だにそれが理解できないのだから、貴方は未熟者でしかない」

「ぐ……!? 貴方に……、貴方に何が解るというのよ!? 月の賢者の名を欲しいままにした天才である貴方に私の気持ちなど解るものか!!」

 

 八意永琳は心を痛めていた。心無い挑発で相手の心情を意図的に逆なですることほど、心苦しいものはない。だが、今は全ての憎しみを永琳自身に向ける必要があった。鈴仙に手を出されて倒されれば、間違いなく永遠亭側の敗北が決定する。あえて、イワナガ姫を激昂させることで永琳にしか攻撃しないように誘導しなければならなかった。現状、永遠亭が勝つには鈴仙の波長を操る程度の能力しか倒す術がないのだから。

 

「そんなことだから、サクヤ姫に敵わないのよ」

 

 これは永琳の本心だった。……姉よりも優秀なサクヤ姫なら、こんな幼稚な挑発に乗らなかったに違いないと。

 

「だまれ!」と怒鳴りながら、イワナガ姫は銀鏡の剣を振るった。永琳の体に空間移動した切っ先が襲い掛かる。

 ガキっという金属とコンクリートがぶつかったような音が響き渡る。永琳の張った結界がひび割れながらも銀鏡の剣を受け止めていた。

 

「ほらね。貴方の剣など、私にとめられる程度なのよ」

 

 強がりだった。永琳は全力で結界を張っている。にも関わらず、イワナガ姫の攻撃は永琳の結界を破る寸前まで追い詰めていた。永琳は思う。心以外はすでにイワナガ姫はサクヤ姫を超えているのではないか、と。もっとも、その心こそが一番重要なのだが……。……このまま、結界を全力で張り続けたとしても、持って数発に違いないと永琳は分析する。そして、その計算は当たってしまった。イワナガ姫の4回目の剣戟が永琳の結界を完全に破壊する。結界を破った銀鏡の剣は永琳の胸部を深く切り裂いた。永琳の口から鮮血が吐き出される。

 

「……っ!? お師匠様ぁあああああああああああああああああああ!!!?」

 

 鈴仙の悲痛な叫びがこだました。仰向けに倒れた永琳はぐったりとして動かない。

 

「心臓と一部の肺を切断しました。さすがの思兼様でも……、……思兼でもしばらくは動けないでしょうね。殺して差し上げたいところですけど、この屋敷には赫夜の姫が隠れているのでしょう? ……人質として生かしておいてやりますわ」

「よくもお師匠様を……!! 絶対許さない!!」

 

 怒りの言葉を口にするのは、唯一残った鈴仙・優曇華院・イナバである。イワナガ姫の観察を命じられた彼女であったが、結局イワナガ姫の『古典的情報伝送』を発見することはできていなかった。そもそも永琳の時間稼ぎがイワナガ姫の攻撃数発しかなかったのだから、無理もないのだが……。

 

 勝つ術の見つからない焦りと師匠を痛めつけられた怒りで歪む鈴仙の顔を見たイワナガ姫は、勝ち誇った表情で見下していた。

 

「私の『古典的情報伝送』の方法が解らない、といったところかしら?」

 

 鈴仙は眼を見開く。そう、イワナガ姫もまた見切っていたのだ。永琳が『古典的情報伝送』を潰そうと動いていたことに気付いていたのである。イワナガ姫は言葉を続けた。

 

「貴方達に見抜けるような伝送方法を用いているはずがないでしょう?」

「……くっ!?」

「この『量子空間』は私の脳と魔力で直接繋がっている。そして、空間の歪みを伝送方法としているのよ。……貴方は精神の波長も操れると言っていたけど、それは幻覚を見せる程度のものなのでしょう? でなければ波長を操り、私を洗脳することだってできたはず。それができないということは能力に限界があるということ。光子に変換した私の身体を操られたときは、一体どれ程の波長を操れてしまうのか脅威だったけど……、蓋を開けてみれば大したことはなかったわね。……さぁ、大人しく安楽死されなさい。どうせそのお腹(なか)の傷じゃ、大して長生きできないのだから」

 

 イワナガ姫は銀鏡の剣を振りかぶる。

 

「まだ、殺されるわけにはいかない……!」

 

 鈴仙の眼が紅く光る。……『幻朧月睨(ルナティックレッドアイズ)』。鈴仙・優曇華院・イナバの切り札。相手を狂気に誘う精神波長である。通用する可能性は低かった。しかし、藁にも縋らなければ、イワナガ姫を倒すことはできない。

 

「まだ悪足掻きするか、穢れた地上の兎ぃいいい! っぐ!? 目が耳が、頭が、気持ち悪い……!?」

 

 思ったよりは効いている。鈴仙はそう思った。しかし、思ったより程度では全く足りない。全力で放つ幻朧月睨により、鈴仙の魔力はごっそりと持っていかれる。魔力切れは近い。

 

 術を受けているイワナガ姫も反撃の糸口を探していた。……イワナガ姫は気付く。鈴仙が狂気の波長を操るには送信だけではなく、受信することも必要だと。波は干渉する。ならば、干渉させる前の波長が解らなければ、狂気の波長に変化させる波を……すなわち、相手の脳波に干渉させる波を撃ち出せないはずだからだ。

 

 送信機はご丁寧に紅く光らせている眼に違いない。だが、眼が何かを受信しているような素振りはない。ならば、受信機はどれだ。……程なくしてイワナガ姫は見つける。なんてことはない。耳だ。鈴仙・優曇華院・イナバの耳こそ、波長の受信機。

 

 送信機か受信機、どちらかを潰せば、この狂気の波長は止まるはず。イワナガ姫は狂気に苛まされながらも銀鏡の剣を空間移動させる。小さな目より、長い耳の方が精神を犯されているこの狂気の中では狙いやすい。テレポートした切っ先が鈴仙の両耳を切り裂いた。……電気回路が短絡(ショート)したような微かな稲光を発しながら、鈴仙の耳が切断される。

 

「あ、あ、うあぁあああああぁあああああああああああああああああ!!!?」

 

 受信機を失った鈴仙は幻朧月睨を解除せざるを得なかった。

 イワナガ姫は愉悦の微笑みを浮かべていた。

 

「あらあら。作り物の耳を付けていたなんて。貴方を兎と呼ぶことさえ間違いだったわね。兎ですらない無様な耳なし兎さん」



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耳なし兎

◇◆◇

 

――一九七〇年頃、幻想郷――

 

 満月の夜だった。因幡てゐは迷いの竹林を軽快な足取りで駆ける。師匠である八意永琳の依頼で、人里に薬の材料を買い出しに行った帰り道、てゐはなんとなく、迷いの竹林を散策するように彷徨っていた。かすかに香る鉄の匂いをてゐは感じ取る。

 

「なんだい、これは血の匂いか?」

 

 気になるてゐは匂いの源を探す。竹が茂る藪の中、それはすぐに見つかった。

 

「こいつは……人間の子どもか? 血だらけじゃないか……」

 

 紫の髪色をした幼女が竹林の中でぐったりとした様子で倒れていた。気絶しているその幼女は頭を怪我しているのか、顔中血だらけ……。幻想郷では見慣れないブレザー服姿の幼女。歳の程は人間でいう5歳くらいであろうか。

 

「この服装……。どうやら外の世界の住人か」

 

 ……ここ幻想郷に外の世界の住人が迷い込むことは稀にある。そういう類の人間は野良妖怪の餌となるのが常であり、幻想郷の賢者たちにも推奨されている。

 人里の人間を殺すことは幻想郷に住む妖怪に許されてはいない。人間を食さなければストレスを抱えてしまう妖怪たちにとって、外から迷い込んだ人間は欲求不満を発散できる数少ない存在だ。

 因幡てゐ自身は人間を食す妖怪ではないが、調和のために外の人間を妖怪が喰ってしまうのは仕方のないことだと考える価値観の持主でもある。もし、目の前の迷い込んだ者が成人した人間であったならば、因幡てゐは放っておいただろう。だが、傷ついている幼女を視界に入れた因幡てゐは幼い姿に思わず同情してしまった。

 気付けば、因幡てゐは怪我をした幼女を永遠亭へと運び込んでいた。

 

「あらあら、これは珍しいお土産を持って帰ってきたことね。因幡の素兎(しろうさぎ)殿」

 

 永遠亭で薬の材料を待っていた八意永琳が出迎える。

 

「ちっちゃい子が倒れていてさ……。可哀想でつい……。いけなかったかい? お師匠様……」

「まさか。そういう感情を未だに持っているからこそ、あなたに一目置いているのよ。……この子のこの服装は……」

「ん? どうしたんだい、お師匠様。この子の格好、知ってるのかい?」

「この服装は……月の兎『玉兎』の制服……」

「月の兎の服? へぇ。そいつは珍しい。……お師匠様、月からの侵入者がいるよ」

「言われなくてもわかってます。当たり前のことを言わないでちょうだい。笑えない下手な冗談を言う場面じゃないわ」

「しかし、あたしにはこの子ども、月の兎には見えないけどねぇ……」

 

 因幡てゐが不思議がるのも無理はなかった。目の前の幼女には兎の特徴がなかったからである。そう、幼女の頭には兎の耳が生えていなかった。

 

「この子、人間じゃない。耳がついていないもの」

 

 八意永琳は幼女の側頭部の髪をかき分けていた。永琳の言う通り、人ならば耳がついているはずの場所に耳が生えていない。

 続いて永琳は幼女の頭頂部を観察する。そこには兎耳が生えていたであろう痕跡が見つかる。幼女の顔を真っ赤にしているのは、切られた耳から流れ出ている血に違いない。八意永琳は確信する。

 

「この子、兎に間違いないわ。……耳を失くしている……。……『読取術式』」

 

 永琳は幼女の頬に手を当て、術名を唱えた。永琳の手がおぼろげな紅い光に包まれる。

 

「なにしてるんだい、お師匠様?」

「……玉兎には、個体識別番号が割り振られている。それを読み取っているのよ。……この子は……、依姫の兵……!?」

「よりひめ?」

「……私がまだ月に居た頃に弟子に取っていた子よ。この子兎は依姫の所有物だったみたいね。……こんな小さな兎まで兵として動員するなんて……。一体月で何が……?」

 

 地上に堕ち、幻想郷に身を置いていた八意永琳はこの時まだ、『アポロ計画』を知らなかった。表向きには月面着陸を目的としていた計画だが、真の目標は月の技術を狙った外の世界の人間の『月面侵略作戦』。月の民と人類は歴史の裏で見えない争いを行っていたのである。

 

「うぅ……」と声を上げながら、眉間をピクつかせる幼女兎。眼を覚まそうとしているようだ。

「あぁ……?」

 

 目を覚ました幼女は自分の置かれた状況を確認するように周りを見渡す。永琳を視界に入れた幼女は何かに怯えるように飛び退いた。永琳は優しく諭すように喋りかける。

 

「怯えなくても大丈夫よ。私たちはあなたに危害を加えたりしないわ」

 

 穏やかな表情を浮かべる永琳だが、幼女はそれを信用していない様子だった。耳がなく、言葉を聞きとれないのだから無理もない。幼女の怯える感情は恐怖を通り越し、身を守るための敵意に変わる。

 

「あぁあぁあああああああああああああああああああ!!!!」

 

 紫髪の幼女はその能力を開放する。彼女の能力は狂気を操る程度の能力だった。紅く染まった両眼から狂気の波長が放たれる。狂気という名の激しい頭痛と嫌悪感が永琳とてゐに襲いかかった。二人は思わず頭を抱える。

 

「くっ……。助けてやったってのに攻撃してくるなんて……。恩知らずも良いとこだよ!」

「てゐ、こんなちっちゃい子に手を出しちゃダメよ……!」

「わかってるさ、お師匠様。でも、こんなの長時間耐えられるものじゃない」

「……たしかに凄い能力ね。玉兎は波長を操ることができるけど……、ここまで強力な力を持っている兎は初めてだわ……! どうやって、これほどの高出力波長を……!?」

「お師匠様、研究者として知的好奇心旺盛なのは結構だが、時と場所は考えてほしいもんだね」

「ふふ、悪いわね」

 

 未知の強力な攻撃を受けているにも関わらず、緊張感のない会話を重ねることができるのは二人が経験豊富な長寿の存在だからだろう。それに永琳には勝算があった。

 

「……この子は怖くて寂しいだけ。寂しさを紛らわすように怒りの波長を放っているんだわ。兎が寂しいと死ぬという迷信は、恐怖からの暴走で力を使い果たし、命を失うことがよくあることから来たものなのよ……」

「……お師匠様、そいつは本当かい?」と、疑り深い眼差しでてゐが永琳を見つめる。

「どうかしら?」と永琳はいたずらに微笑んだ。

 

 永琳は幼女にゆっくりと近づき始めた。永琳のことを敵だと認識している幼女は、さらに波長を強める。

 

「……くっ……!? 本当に強力な波長……。……大丈夫よ、おチビさん。私は貴方を傷つけたりしない」

「あぁあああああああああああああああああああああぁああああああああ!!」

 

 高い叫び声を上げながら、更に強力に能力を発する幼女。なんとか近づいた永琳は幼女を抱きしめた。だが、幼女は暴れ回り、永琳の肩口に噛みつく。激しく噛みつかれた肩部分の服が血で赤く染まってしまった。それでも永琳は幼女の兎を優しく抱きしめ続ける。

 

「大丈夫よ、落ち着きなさい。私は貴方の味方……。安心して……」

 

 攻撃し返してこない永琳の姿を見て、幼女は噛みつく力を緩める。幼女の視界に入ったのは穏やかな表情で微笑む永琳だった。優しさを多分に含んだその微笑みに幼女は安堵したのか、永琳を強く抱きしめ、胸に顔をうずめる。……そして、すやすやと眠り始めたのだった。

 

「……こりゃ驚いたね。まさか、お師匠様がそんな母性溢れるような行動をするなんてねぇ」

「どういう意味かしら、てゐ?」

「おっと、これは機嫌を損ねちゃったかな?」

「さ、この子の治療をしなくちゃね。てゐ、診療ベッドの準備をしてちょうだい」

「ほいほい」

 

………

……

 

 兎の幼女がベッドで眠りに就いて数時間が経過した。少女の頭部には包帯が巻かれている。永琳の治療が一通り終わったのだろう。幼女はゆっくりと瞼を開く。

 

「あら、目が覚めたのね?」

「あぁああ!」

 

 永琳の顔を見た幼女は安堵したような表情を浮かべた。決して自分を攻撃することなく、抱きしめてくれた永琳をある程度、信頼しているのだろう。

 だが、その安堵もすぐに絶望の表情に変わる。

 

「あぁ……。あぁああああ。あぁあぁあああああああ!」

 

 耳を失くした子兎は何かを確認するように声を出す。だが、結果は残酷なものだった。子兎が出す声は子兎自身に届くことはなかったのである。子兎は恐る恐る自分の頭に手をやった。そこにはあるはずのものがなかった。そう、耳である。子兎は自分の耳がなくなっている現実に直面し、めそめそと涙を流した。

 落ち込んでいる兎の肩に永琳がそっと触れる。

 

「そう悲しい顔をしないの。作ってあげたから……。ちょっとボタンが付いてるのは我慢しなさい」

 

 永琳は子兎の頭に何かを取り付ける。……それは、義手、義眼ならぬ『義耳』だった。もちろんただの義耳ではない。月の賢者、八意永琳が造ったそれは本物の耳よりも、『本物』だった。

 子兎は自分の耳が聞こえるようになったことに気付く。

 

「あぁ……。あぁあああ。あぁあああああ!」

 

 義耳を取り付ける前と同じ『あぁ』という発音だったが、子兎の顔は笑顔だった。永琳の義耳から聞こえる自分の声。もう聞こえないと思っていた声。それが再び聞こえるようになったことが、当たり前だが嬉しかったのである。

 子兎は嬉しさのあまり、ベッドから飛び降り、永琳の足に抱き着くようにしがみ付く。

 

「あ、ありがとう」

 

 子兎は永琳を見上げながら小さくお礼の言葉を述べた。兎の義耳がピンと立つ。それは兎が喜んでいるサイン。

 

「どういたしまして」と永琳は満面の微笑みで子兎の礼に応えた。

「あなた、月の兎『玉兎』ね? お名前は?」

「レ、レイセン……」

「そう。レイセンちゃんというの……」

「あ、あの。なんでわたしが『月のうさぎ』だってわかったの?」

「……私は月の民。だから、解るのよ」

 

 レイセンはビクっと身震いさせると、先ほどまでピンと立たせていた耳をしおれさせる。兎が何かに怯えているときのサインだった。

 

「な、なんで地上(ちじょう)に『月のたみ』が……? わたし、ころされちゃうの……?」

 

 心配する子兎、レイセンの頭を永琳は優しく撫でる。

 

「大丈夫よ。私たちは貴方を殺したり、傷つけたりしない。月に送り返すこともしないわ」

「ほ、ほんとう……?」

「本当よ」と微笑む永琳。だが、正直なことを言えば葛藤もあった。輝夜も永琳も月からのお尋ね者。目の前の子兎が月からの刺客ならば、命を助けることは自分たちの居場所を教えるようなものだ。レイセンが眠っている間の数時間、輝夜と永琳はこの子兎を始末するべきか、生かすべきか頭を悩ませたが、自分たちの身を守ることよりも幼い命を守ることを選んだのである。

 永琳は言葉を続ける。

 

「……月で何があったのかしら? どうして、そんな大けがを負ってしまったの……?」

「……地上の人間が攻めてきたの……」

「地上の人間が……!?」

「うん……。変な乗りものでやってきたの。玉兎の先輩(おねえちゃん)たちもたたかってたけど……、みんなころされて……。くんれん生のわたしたちも戦場にだされたの……。でも、わたし死ぬのが怖くて、みんなを置いて月から逃げ出しちゃった……。羽衣を使って……」

「そう……。じゃあ、耳は人間に攻撃されて失くしてしまったのね……?」

 

 永琳の問いかけにレイセンは首を横に振る。

 

「これはね……。自分でやったの……」

「なぜ、そんなことを?」

「地上に逃げる途ちゅうで、地上の人間に会っちゃったの。だから、わたし……わたし。殺されたくないから、自分で耳を切っちゃったの。耳さえなければ、地上の人間と見分けがつかないと思って……、殺されないと思って……。でも、騙せなかった……。それでもわたし、一生懸命逃げて、ここまできたの」

 

 レイセンは恐怖の逃亡を思い出し、涙目になっていた。永琳は沈痛な面持ちでレイセンを見やる。幼い兎が生きるために必死で考えた『愚策』を聞き、同情を覚えた。そして、こう答える。

 

「バカなことをしちゃったのね。……決めたわ。やっぱりあなた、この永遠亭に住みなさい」

「え……?」

「姫様と貴方の処遇をどうするか、考えていたのだけど……。そんなに考えなしの性格でこの幻想郷に放り出すわけにはいかないわ。ここで私が生きる術を教えてあげる。立派に独り立ちできるまでこの永遠亭で暮らすこと。嫌でも我慢しなさい」

「ここにいていいの……!?」

「ええ。よろしくね、レイセンちゃん。……自己紹介がまだだったわね。私の名前は八意永琳。輝夜姫様ととものこの永遠亭を仕切らせてもらっているわ」

「八意様……」

「……そうだ。貴方に名前を付けてあげなくちゃね。何にしようかしら?」

「名まえ? 私にはもうレイセンって名まえがありますよ。八意様!」

「違うわよ。私が言っているのは名字のこと」

「名字……? 名字は月の民しか付けちゃいけないんじゃ……。ペットの兎は付けたらいけないって、依姫(ごしゅじん)様が……」

「……貴方はペットなんかじゃないわ。この幻想郷では貴族も奴隷もないもの。だから『地上人らしく』貴方にも名字が必要よ。まあ、どんな名字にするかは追い追い考えていきましょうか。……さ、行くわよ」

「ど、どこに?」

「我らがお仕えする姫様のもとに挨拶に行くのよ。……階級による上っ面の忠誠ではなく、心から忠誠を誓うにふさわしいお方。きっと、貴方も好きになるわ」

 

 ……こうして、レイセンは永遠亭の仲間になった。彼女が『鈴仙・優曇華院・イナバ』という名になるのはもう少し時が経ってからのことである。



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崩壊

◇◆◇

 

――永遠亭、現在――

 

「あぁあああぁああああああああああああああああああ!!!?」

 

 義耳を切断された鈴仙は悲鳴を上げ、壊された耳を抑えるように頭を抱える。すでにその機能は失われ、鈴仙に音は届かなくなっていた。

 

「うふふふふ。その耳、どうやら痛みまで感じることができる高性能な造り物だったみたいですね。八意思兼に造ってもらったのかしら? 落ちぶれたとはいえ、さすがは月の賢者ね」

 

 くすくすと笑うイワナガ姫。声は聞こえなくとも、その嘲笑は鈴仙の心に届く。

 

「よぐぼおじじょうざばがづぐっでぐれだびびぼ(よくもお師匠様が作ってくれた耳を)……!」

「うふふふ。何を言っているのかさっぱり解らないですわよ?」

「ふう、ふぅう、うぅううううううううううううう!!!!」

 

 嘲笑し続けるイワナガ姫を鈴仙の紅く光る眼が睨みつける。

 

「喋ることもできないなんて、なんて哀れな兎でしょう。でも安心しなさい。すぐに安楽死させてあげますわ。ただし……」

 

 イワナガ姫は銀鏡の剣を振るう。そして、刀身だけを量子空間移動(テレポーテーション)させ、刃側ではない方で鈴仙を殴打した。殴打された鈴仙の脇腹から骨の折れる鈍い音がする。攻撃を受けた鈴仙は衝撃で紅く光る眼をチカチカさせられ、「かはっ!」という音とともに肺から息を吐き出さされた。痛みで上手く呼吸ができなくなった鈴仙はその場でうずくまる。イワナガ姫はそんな鈴仙の様子を見て、邪悪な微笑みを崩すことなく言い放った。

 

「ただし、私の脳に狂気の波長を喰らわせた罪を償ってから死んでもらいましょう……! ……覚悟することですわね、地上の玉兎。体中の骨を折ってから殺して差し上げますわ……!」

 

 イワナガ姫は銀鏡の剣を振り下ろす。刀身は鈴仙の腕に襲いかかった。鈍い音ともにあらぬ方向へと曲げられた鈴仙の右腕……。

 

「ああぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!!?」と悲鳴を上げる鈴仙。鈴仙はその場を離れようと動き出した……が。

 

「逃がすわけがないでしょう?」

 

 イワナガ姫の言葉とともに、銀鏡の剣の刀身が鈴仙の左下腿部を襲った。

 

「か……!?」と痛みを訴える息を吐き出す鈴仙。

「うふふふふふ。逃がさないですわよ。……私の気が済むまで殴って差し上げますわ……!」

 

 イワナガ姫は鈴仙の体を弄ぶように剣で殴打し続けた。鈴仙は体中青あざだらけにされてしまう……。

 

「うふふふふ。あははははは。兎のくせに、私に盾突くからこんな目に遭うのですわよ。……兎のくせに、兎のくせに。兎のくせに! 兎のくせにぃいいいいいい!!」

 

 イワナガ姫は八つ当たりするように、鈴仙を痛めつける。……そして、鈴仙は全く動かなくなった。

 

「うふふ。死んだかしら?」

 

 ……イワナガ姫が呟いたときだった。銀鏡の剣から淡い光を放つ粒子が放出される。

 

「な、なに? 銀鏡の剣から何か出ている……?」

 

 放出される光の粒子はイワナガ姫の意図に反して発生しているものだった。

 

「こ、これは……。銀鏡の剣が分解されている……!?」

 

 光の粒子の放出は収まらない。それどころか加速していた。銀鏡の剣の分解反応に目を奪われていたイワナガ姫だったが、鈴仙・優曇華院・イナバの紅い目が睨みを利かせていることに気がつく。

 

「くっ……!? まだ生きていたの……!? まさか……これはお前がやっているの……!?」

「うぅううううううあぁああああああああああああああああ!!!!」

 

 耳の聞こえなくなった鈴仙がイワナガ姫の問いに答えるわけがない。代わりに気合を入れる唸り声が鈴仙の口から放たれる。

 

「こ、これは……。原子の持つ『物質波』を操っているの!? 強制的に高いエネルギー波を付与された銀鏡の剣が『放射性崩壊』を起こしている!?」

「あぁあぁあぁあああああああああああああああああああああ!!」

 

 ……鈴仙・優曇華院・イナバは自らの意志で『暴走』を起こしていた。鈴仙を中心として、あらゆる物質が崩壊させられていく……。地面、空気も崩壊を起こし、そしてイワナガ姫もまたその歯牙にかけられようとしていた。彼女が手に持つ銀鏡の剣の崩壊がさらに加速していく。

 

「私の銀鏡が……!? これはもう駄目ね。……くれてやるわよ!」

 

 イワナガ姫は銀鏡の剣を鈴仙に向けて勢いよく投げてから距離を取る。しかし、剣は鈴仙に届く前に崩壊されてしまった。

 

「なんてデタラメな力なの……? たかが兎にこんな力が……!」

「うぅうううあぁああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 鈴仙はさらに放射性崩壊の力を強める。鈴仙の眼、口、鼻から血が流れ出ていた。脳への負担が重いことがうかがわれる。

 

「このままでは……、私まで崩壊させられる。盾を造らなくては……!」

 

 イワナガ姫は量子空間の量子を自身の体の前に集約させ、盾にした。

 

「ふ、ふふ。私の量子はすでにクォークのさらに下の微小単位にまで達している。貴方の波も干渉できないでしょ……う!?」

 

 イワナガ姫の目測は甘かった。鈴仙の波長を操る程度の能力はイワナガ姫の能力の上をいく。

 

「う、うそ。私の量子をも分解し始めた。まさか、お前の能力……『超弦』の波長をも操る領域に達しているというの……!?」

 

 そこまで分析したところで、イワナガ姫は「はっ」と気付く。イワナガ姫は少しだけ疑問に思っていた。なぜ、師匠である八意永琳……八意思兼はこの兎の耳をバイオ的ではなく、サイボーグ的に治療していたのか、と。思兼の能力なら兎の耳を再生医療で復活させることも可能だったはず。それをしなかった理由は何だ。

 

 目の前の鈴仙・優曇華院・イナバを見ればわかる。八意思兼はあえて耳を再生させなかったのだ。鈴仙の超強力な能力を制限なしに解放すれば、周りへの影響は甚大。だから、『拘束具』として義耳を着けさせ続けていたに違いない。思い返せば、思兼はこの兎に『許可』するというワードを何度か与えていた。彼女は鈴仙の暴走の危険性を熟知していたのである。イワナガ姫は自身の軽率な「耳切り」を今になって後悔していた。

 

「くぅううううう!? ……兎ごときに消されてたまるものですかぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

「あぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 イワナガ姫は量子の盾を張り続ける。鈴仙はそれに対抗するように崩壊の波長を浴びせ続けた。拮抗する両者の矛と盾。……敗北したのは矛だった。

 

「あ……。あ、あ、あ……」と声にもならない声を出す鈴仙はふらふらし始め、そしてその場に倒れ込んだ。何百万年、何千万年を生きているであろう月の民と、百年そこらしか生きていないであろう玉兎とでは魔力量と最後の振り絞りに違いがあり過ぎた。戦闘に勝利したイワナガ姫もまた、「はぁはぁはぁ」と激しい息切れを起こしている。

 

「ふっ……。ふふ。うふふふ。私の勝ちのようですわね。褒めてあげますわよ。貴方の能力、本当に素晴らしかったですわ。兎であることがもったいないくらいに……。ですが、量子をも崩壊させる能力を生身の生物が使用すれば、いずれ自壊するだろうことは明白。もう貴方の脳も体も壊れる寸前でしょう? 捨て身の攻撃は相討ちまでにしか持っていけない。生きて帰ることを諦めた時点で貴方の敗北は決定していたのです……!」

 

 イワナガ姫は魔法で自身の右手に『鉄扇』を召喚する。

 

「よくも、私の銀鏡の剣を崩壊させてくれたわね。もう、遊びはしない。貴方のその首、斬り落として差し上げますわ!」

 

 イワナガ姫は量子もつれ(エンタングルメント)を用いた量子空間移動(テレポーテーション)を発動しようと構える。鉄扇をテレポートさせ、鈴仙の首を刎ねようとした時だった。バリバリと何かが破れるような音がしたと思った矢先、永遠亭の中庭から天へ向かって巨大な光の柱が放たれる。

 

「な、なに……?」と戸惑うイワナガ姫。収まりつつある光の柱から現れたシルエット。現れたのはいかにも魔法使いといった風貌の金髪の白黒少女だった。

 

「ぷはあぁあ! やっと出てこれたんだぜ? あのお姫様、無茶苦茶しやがって」

 

 巨大な光の柱の正体は金髪少女の代名詞「恋府『マスター・スパーク』」。絶体絶命の永遠亭にド派手な演出で現れたのは、凄い魔法使いを目指す「運のない魔法使い『霧雨魔理沙』」だった。



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属性

◇◆◇

 

――イワナガ姫襲来の少し前、蓬莱山輝夜が作り出した『須臾の結界』内――

 

 霧雨魔理沙は蓬莱山輝夜と、モノクロに変わった永遠亭の中庭で……時が止まった世界の中で稽古に励んでいた。稽古と言っても、その内容は『五つの難題』と銘打ったアイテムをただただ打破せよというものだった。

 一つ目の難題は『仏の御石の鉢』だった。輝夜曰く、聖人由来の有難い鉢。そんな鉢から繰り出されるビーム攻撃を魔理沙はマスタースパークで相殺に成功していた。

 その後、しばしの休息を取った後に始まったのは二つ目の難題『火鼠の裘(かわごろも)』だった。輝夜がおもむろに出した一畳程度の大きさの裘に対して魔理沙は呟く。

 

「おい、お姫様。何なんだぜ、その真っ白な布は?」

「ふふふ。ただの布じゃないわよ? この『火鼠の裘』は絶対に燃えない布……。つまりどんな火力系魔法も通用しない。光や炎の魔法が得意なあなたにとっては、天敵でしょうね」

「光や炎が通じない……? そんなマジックアイテムがあるのかよ。……試してやるんだぜ!」

 

 霧雨魔理沙はミニ八卦炉をその手に持ち、輝夜向けて構えた。そして魔法名を言い放つ。

 

「マスター・スパァアアアアアク!!」

 

 魔理沙の十八番である巨大なビーム攻撃が輝夜に襲い掛かる。だが……。

 

「な、なに!?」と驚く魔理沙。火鼠の裘を巧みに使い、盾にした輝夜は一切の傷を負うことなく、優雅に佇んでいる。

「ほんとうに効かないのかよ……!?」

「言ったでしょう? 私は五つの本物を持っている……!」

「くっ!? これならどうだ、『ノンディレクショナルレーザー』!」

 

 魔理沙は輝夜を挟みこむように複数の光線を発射した。しかし、輝夜は余裕の表情を浮かべる。

 

「その程度、火鼠の裘に効くはずがないでしょう?」

 

 輝夜の言葉通り、火鼠の裘に触れたノンディレクショナルレーザーは無効化され、消滅してしまう。

 

「くそっ! どうしたら……!?」

「ふふふふ。もう勝算はないのかしら?」

「こうなりゃヤケだぜ!」

 

 魔理沙は再びミニ八卦炉を輝夜に向ける。

 

「マスター・スパーク!」

 

 またも放たれた巨大光線。だが、火鼠の裘を持つ輝夜に効くことはない。

 

「無意味なことを……」

 

 呟く輝夜は油断していた。彼女はまばゆい光線の陰に隠れて近づく魔理沙に気付かない。

 

「気ぃ抜き過ぎじゃないのか? お姫様!」

「なっ!? いつの間に!?」

 

 輝夜が気付いた時にはもう魔理沙は輝夜の隣に到達していた。魔理沙は移動に使用していた箒で、輝夜の脇腹を思い切り叩く。

 

「うっ……!?」と輝夜は息を吐き出す。

「どうだ! 私は魔法を使うだけの魔法使いじゃないんだぜ?」

「……たしかに、そこそこ体術にも優れているみたいね。……もういいわ」

 

 輝夜は火鼠の裘を魔法でどこかに収納する。

 

「あっ。……その不思議な布を使うのはもう終わりかよ」

「ええ。これ以上あなたに箒でボコスカ殴られたくないもの」

「じゃ、二つ目の難題クリアってことだな。3つ目の難題をさっさと出してもらうんだぜ?」

「イヤよ」

「はぁ?」

「そんなに続けてやったら疲れるじゃない」

「まーた休憩かよ!?」

「根を詰めて良いことなんてないわ。あなたも休憩しなさい」

 

 輝夜はそう言い残して永遠亭内に入って行った。

 

「ったく。マイペースなお姫様なんだぜ……」

 

 時が止まったに等しい『須臾の結界内』で体感的に4、5時間ほど休憩を取る輝夜と魔理沙。

 

「いくら時が止まってるからって、こんなにのんびりされるのは性に合わないんだぜ……」

「待たせたわね」

 

 中庭で輝夜が出てくるのを待つ魔理沙の前にようやく輝夜が姿を現した。

 

「やっと出てきたのか、なんだぜ。さ、稽古の続きを始めようぜ!」

「元気良いわね、あなた。……覚悟しなさい。次の神具は私の持つ五つの難題の神具の中で最も偉大な力を発するもの……。せいぜい死なないようになさい……! 『龍の首の珠』!」

 

 輝夜はその手に美しく輝く水晶を召喚し、天に掲げた。深紅の珊瑚珠を内包するその真球の水晶は妖しく光り始める。

 

「すごい魔力があの珠に集約されている……!? 一体どんな魔法を放つつもりなんだぜ!?」

「……この珠から放たれる術は海をも荒らす」

 

 珠から現れたのは龍の姿を象った水魔法だった。巨大な水龍から滴る水が魔理沙にシャワーのように降りかかる。魔理沙は口元にかかった水を反射的に舐めた。

 

「なんだ、この水。しょっぱい?」

「……霧雨魔理沙。あなた、外の世界に行ったことはあるかしら?」

「あいにく、幻想郷生まれ幻想郷育ちで一度も外に出たことはないんだぜ?」

「ならば、あなたは見たことがないでしょう。その水は海の水、『海水』よ」

「これが海水。本で見たことはあったけど、こんな味なんだな。塩水にちょっとなんか異物が混ざってるような風味なんだぜ」

 

 魔理沙が海水に対して素直な感想を述べる中、輝夜は攻撃の準備を進める。

 

「喰らいなさい! 海の力を……。 龍の力を!」

 

 水龍が魔理沙目掛けて突進を開始する。水龍は中庭の地面に激突し、激しい濁流を巻き起こした。その衝撃は津波をも凌駕する勢いである。水に飲み込まれ、魔理沙の姿は見えなくなってしまった。

 

「……これには耐えられなかったようね? ……それも仕方ないわ。でも、その方が幸運かもね。この程度に耐えられないなら、月の民をも超えるであろうあの『超常の存在』に太刀打ちできるはずもないもの。……永琳に治療させてあげるわ。生きていれば、だけど……」

 

 輝夜は濁流が収まり、湖のようになった永遠亭の中庭に視線を向ける。

 

「勝手に殺すんじゃねえんだぜ!」

「……なに?」

 

 湖に渦潮が現れた。渦潮の回転はどんどんと上がっていき、ついには湖底が見える。渦の中心の湖底のさらに中心で霧雨魔理沙は不敵に笑っていた。

 

「水龍を受けたというのに、無傷……?」

「へへん。思ったより大したことなかったんだぜ? 見かけ倒しだったみたいだな!」

 

 輝夜は表情にこそ出さなかったが、若干の戸惑いを心に抱える。水龍は魔理沙のマスター・スパークを軽く上回る魔力量で召喚されていたからだ。以前、永琳と手合わせしたとき、水龍は永琳に手傷を負わせている。そんな水龍の攻撃を受けたにも関わらず、人間の魔理沙が無傷であることに輝夜は驚きを隠せない。

 

「一体どうやって、水龍から身を守ったのかしら?」

「ただの水だろ? ちょっと操ってやっただけさ。それで直撃を避けたってわけだぜ?」

「ちょっと操ったですって? この龍の首の珠から生成された水龍を? にわかには信じられないわね……」

「なら試してみるといいんだぜ?」

「大きな口を叩くわね。お望み通りにしてあげる」

 

 輝夜の持つ龍の首の珠が光り輝き、再び水龍が現れる。

 

「喰らいなさい」

 

 輝夜の号令とともに魔理沙に襲い掛かる巨大水龍……。一直線に突進してくる水龍に魔理沙は手を掲げた。瞬間、水龍はその形を留められなくなり、爆発するようにその体を四散される。

 

「術が解かされた……!? いや、違う。水龍の水がさらに強い力で操られた……?」

 

 驚く輝夜に魔理沙は得意気に口を開いた。

 

「な、私程度にも解かされるんだ。大仰なわりに大した術じゃないな」

「……ふふふ。なるほど、てゐが特別視するだけのことはあるわね」

 

 輝夜は気付いた。目の前の魔法使いは運こそ持っていないが、特別なのだと。

 

「……あなた、なぜ光と炎の魔法を好んで使っているの?」

「なんだよ、いきなり。……派手じゃなければ魔法じゃないだろ?」

「なるほど、自覚がないということね。面白いわ」

「何が面白いんだよ?」

 

 輝夜は見抜く。霧雨魔理沙の本当の性質を。

 

「もう一度、確かめてあげる……!」

 

 輝夜は三度、水龍を召喚する。今度は龍の首の珠に内包された魔力に輝夜自身の魔力も上乗せして、だ。

 

「さっきよりもデカい。竹林ごと水浸しにするつもりか、なんだぜ?」

「大丈夫よ。この須臾の世界ではどんな攻撃も私たち以外のものにはダメージを与えられない」

 

 巨大な水龍は口から水を勢いよく吐き出そうと、大きく息を吸い込むようなモーションを見せる。吐き出された大量の水は間欠泉のような勢いで魔理沙の方向に降りかかった。誰が見ても絶体絶命の中、魔理沙は水に向かって手を掲げる。

 

「ひん曲げてやるんだぜ!」

 

 魔理沙は向かってくる水の塊に向けて魔力を放った。魔理沙の力を受けた水は滑らかな曲線を描きながら、その方向を百八十度変える。強制的に方向転換された水は水龍に衝突する。あまりの水圧に水龍はその形を保てずに崩壊してしまった。輝夜は魔理沙の力を再度目にして、にやりと口角を歪める。

 

「……あなた、水魔法を覚える気はないのかしら?」

「水魔法? やだやだ。なんでそんな陰気臭い魔法を好き好んで練習しなくちゃいけないんだよ」

「あらあら。もったいない」

 

 輝夜は口元を袖で隠しながら微笑む。……魔理沙は知らなかった。自分の能力が水属性だということを、それも漁師である父親譲りの海水に特化していることを……。魔理沙が自分の属性に気付くのは、魔女集団『ルークス』の異変のあと、ずっとずっと先の未来になるとはこの時誰も知る者はいなかった。



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燕の産んだ子安貝

「さてと……」

 

 言いながら、輝夜は龍の首の珠を袖に隠す。

 

「そのアイテムも終わりか、なんだぜ?」

「ええ。あなたに水龍は効かないもの」

 

 魔理沙の質問に答える輝夜。彼女は永遠亭の中へと消えようとする。

 

「おい、また休憩かよ?」

「当たり前でしょう?」

「当たり前なのかよ……」

「水龍の召喚に私の魔力も使っちゃったもの。次はすこし長く休憩させてもらうわ。そうね……。丸一日後に再開するわ。あなたも休んでおきなさい」

 

 そう言って、輝夜は永遠亭の自室へと去って行った。

 

「丸一日……。こんな何もないモノクロの世界で過ごせってか? そっちの方がよっぽど難題なんだぜ……」

 

 アクティブな魔理沙にとって、待つという忍耐が必要な行為はストレスでしかなかったが、魔法の練習をして時間を潰すことにした。そして、きっかり一日後、輝夜が中庭に姿を現す。

 

「やっと出てきたか、お姫様。待ちくたびれたんだぜ?」

「待たせて悪かったわね。……では始めましょうか。『四つ目の難題』を……!」

 

 輝夜の手には流線形でつやのある美しい貝殻が収められていた。川に住むシジミ以外の貝を目にしたことがない魔理沙は輝夜に尋ねる。

 

「なんだよ、そのつるつるっとした光ものは? 人工物ではなさそうなんだぜ?」

「幻想郷育ちの貴方が見たことないのも仕方ないわ。これは子安貝。本来海に住む貝という生物の殻よ」

「貝……。海に住むやつは初めて見たんだぜ。そういや、何かの本でみたことがあるな。大昔は貝殻を宝石代わりにしてたとか……。……今度はどんなびっくりアイテムなんだ?」

「……これは『燕の産んだ子安貝』よ」

「はぁ? 燕ってのは鳥の燕のことか? 鳥が貝を生むなんてあり得ないだろ?」

「ええ。『通常』ならばあり得ない。でもかつて月の民も地上の民と同じくらい倫理のない実験をしていた。その産物がこの子安貝なのよ」

「実験?」

「そう。今でこそ、地上の民を穢れているなどと蔑んでいる月の民だけど、所詮は彼らも『兎』でしかないのよ。知恵を持った兎が、自分たちは選ばれた存在だと勘違いしているだけ……。……大昔、まだ月の民が地上にいた頃、一部の研究者が生物を使った遺伝子改造を試みた。その時、偶然に生まれたのが貝を産む鳥。その貝には強力な幻覚作用が備わっていたのよ。こんな風にね……!」

 

 輝夜が貝に手を翳すと妖しい光が放たれた。まばゆい光に魔理沙は思わず目を瞑る。光が収まり、魔理沙が視界を取り戻すと、目の前に不思議な光景が広がっていた。魔理沙は幻覚の世界に迷い込んでいたのである。

 

 

◆◇◆

 

 

「ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!」

 

 魔理沙の眼に映ったのは、因幡てゐと同じ服装をした無数の妖怪兎たちが二人一組ペアになって杵と臼を使って餅をついている様子だった。ただ、餅をついているだけではなく、リズミカルな掛け声を歌うように口ずさんでいる。

 

「ぺったん、ぺったん。餅ぺったん! ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!」

 

 数千、数万はいるであろう兎たちの全てが隊列を組み、声を併せて「ぺったん、ぺったん。餅ぺったん」と言いながら、完全に動きをシンクロさせて餅をついている様子に、霧雨魔理沙は狂気を感じざるを得ない。

 

「な、なんなんだぜ、これは……」

「おい、新入り。なにぼさっとしてんだ。早く仕事しなよ」

 

 戸惑う魔理沙に声をかけてきたのは因幡てゐだった。

 

「さ、詐欺ウサギじゃないか。新入りってのは何のことなんだぜ?」

「詐欺ウサギ? 先輩、ましてやリーダーである私に向かって何て口を聞くんだい」

「何言ってんだ? 私はお前の後輩や部下になった覚えはないんだぜ?」

「お前こそ何言ってるんだ。ボケちまったのかい、『てゐせん』」

「てゐせんって何なんだぜ?」

「何なんだぜって……。お前の名前じゃないか」

「私はそんな兎みたいな名前じゃないんだぜ! 私には霧雨魔理沙っていう人間の女の子らしい可愛い名前が……」

「ああ、ああ。可哀想に。本当にボケちゃってるじゃないか。お前が人間なわけないだろう。おい、そこの。てゐせんに鏡を見せてやりな」

 

 因幡てゐに命ぜられた一匹の兎が鏡を持ってくる。

 

「ほれ、てゐせん。自分の顔をよく見な」

 

 魔理沙は鏡を覗く。そこにいたのは『霧雨魔理沙』ではなかった。兎の耳を生やし、髪も真っ黒になっている紛うことなき兎妖怪……。

 

「え、ええええええええ!? な、なんだ!? 一体全体どういうことなんだぜ!?」

「これでわかったろう? お前は人間なんかじゃない。ただの兎さ。気持ちはわかる。人間になりたいよな。妖怪ってのは皆、そういう欲望を持っているものさ。でも、人間になろうだなんて思っちゃいけない。人魚姫が人間になろうとして声を失い、最後には死んでしまったように、妖怪が人間になろうとすれば不幸になるだけさ。わかったら作業にお戻り」

 

 魔理沙は他の兎たちに羽交い絞めにされ、連れて行かれる。連行先には杵と臼が置いてあった。

 

「さぁ、早く作業を始めなさい、てゐせん!」と怒鳴る先輩兎。

「さ、作業って……。一体何をさせるつもりなんだぜ」

「はぁ」と溜息をついてから、兎は話す。

「『ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!』に決まっているでしょう?」

「ぺ、『ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!』……?」

「ええ、それが私たちの大事な仕事なんだから」

「い、一体何をしたらいいんだぜ?」

「臼と杵で餅をつきながら、みんなと声を併せて『ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!』と歌えばいいのよ」

「な、何のためにそんなことを……」

「それが兎の使命だからよ! 大人しくやりなさい!!」

 

 凄い剣幕で先輩兎に怒鳴られた魔理沙ことてゐせんは仕方なく、杵を手にする。

 

「さっさと始めなさい、てゐせん!」

「う、うぅ……。なんで私がこんなこと……」

「愚痴を言わない! 手と口を動かしなさい!」

「は、はい。ぺ……、ぺったん……、ぺったん……。も、餅、ぺったん……」

 

 戸惑いながらも、歌いながら餅をつき始める魔理沙(てゐせん)。

 

「声がちいさい!」

「ぺ、ぺったん、ぺったん。も、餅ぺったん」

「まだ声が小さい! それに言葉を噛むな!」

「ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!」

「餅つきのリズムと声のリズムが合ってない!」

「ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!」

「リズムは合って来たけど、今度は声がまた小さくなってるわよ! 声を大きく!」

「ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!」

「ま、大分良くなってきたわね。とりあえず、この業務時間の間はそのクオリティで許してあげるわ。続けなさい」

「続けるっていつまでやるんだぜ……?」

「8時間経過するまで」

「え、えぇ……。そ、そんなに……?」

「なに甘えたこと言ってるの。8時間で終わるのよ? 昔はサービス残業当たり前。24時間やることだってあったのよ? これだから最近の若い兎は……。ほら、やってやって。さぼってる時間はないのよ?」

「ぺ、ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!」

「噛むな!」

「す、すいません! ぺったん、ぺったん。餅ぺったん! ぺったん、ぺったん。餅ぺったん! ぺったん、ぺったん。餅ぺったん! ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!」

 

 魔理沙は幻覚の世界で永遠と餅をつき続ける。その眼は完全に幻覚に支配され、ぐるぐる目になってしまうのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「ふふふ。『燕の産んだ子安貝』の幻覚はいかがかしら? 霧雨魔理沙」

 

 蓬莱山輝夜は幻覚に飲み込まれて気絶した魔理沙の顔を覗き込む。魔理沙の眼はぐるぐると回っている。幻覚が効いている証拠だ。

 

「これくらいの幻覚は自力で解いてくれなくちゃ、あの魔女集団には勝てないわよ? まぁ、1時間くらいで戻ってきたら合格にしてあげようかしら。……って、え? ぶふぉっ!?」

 

 輝夜の口からダメージを受けたような声が出る。それもそのはず。輝夜は立ち上がった魔理沙が振り回した箒に頬を殴られたのだ。思いがけない攻撃に輝夜はふらつく。

 

「な、なんですって? もう幻覚から目覚めたというの……!? まだ5分と経ってないのに……!?」

「へ、へへ……。まだ幻覚は受けたままだっての……。ぺったん、ぺったん……」

 

 魔理沙自身が言うように、完全に幻覚から解放されたわけではないようだ。その証拠に魔理沙の眼はぐるぐると渦を巻いたままである。

 

「幻覚から解放されたわけではないのに、動けている……? なぜ……?」

「……私はいつも魔法の森でキノコ採集をしてるからな。幻覚を見せられることは日常茶飯事なんだぜ……? 幻覚を幻覚と見抜き、現実と幻覚の混じる精神状態でも現実を選び取ることができるんだぜ。ぺったん、ぺったん……」

「ふーん。幻覚に対する耐性を既に持っていたのね。そいつは恐れ入ったわ」

 

 輝夜は殴られて紅くなった自身の頬を労わるように撫でている。

 

「さぁ、四つ目の難題も越えてやったんだぜ? さっさと最後の『五つの難題』を出すんだぜ?」

「その前に休憩よ」

「また休憩かよ? ぺったん、ぺったん……」

「強がっちゃって。まだ完全に幻覚から目覚めてないんだから、貴方も休憩が必要でしょう? 半日ほど休憩しましょうか」

「へん、私には休憩何ていらないんだけどな。ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!」

 

 現実と幻覚のハザマにいるにもかかわらず、強気な姿勢を崩さない魔理沙を見た輝夜は思わず苦笑いを見せるのだった。



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ミルキーウェイ

 半日後、すっかり元に戻った霧雨魔理沙は蓬莱山輝夜が永遠亭から出てくるのを中庭で待っていた。

 

「まったく、ひどい幻覚だったぜ。まだ、頭の中で『ぺったん、ぺったん。餅ぺったん!』って声がするんだぜ?」

「あら、まだ幻覚を見ているのかしら?」

 

 永遠亭から出てきた輝夜がわざとらしく心配の言葉をかける。

 

「もう見てないっての。おかげ様で少し後遺症が残ってるってだけだぜ」

「大丈夫そうね。なら修行の続きを始めましょうか」

「いよいよ最後の難題ってやつだぜ。一体どんなものを出してくるつもりだ?」

「最後はとっておきよ。だって、唯一『本物』ではないもの」

「本物じゃない?」

「ええ。本物を超える『本物の偽物』、『蓬莱の玉の枝』」

 

 輝夜の右手にきらきらと光る小枝のようなものが召喚される。

 

「なんだそれ?」と魔理沙は尋ねる。

「これは『蓬莱の玉の枝』、私と結婚したいなら、本物を持ってくるように車持皇子に吹っ掛けたもの。そして、彼がその際に作ってきたものよ」

「えらくキラキラしてるな」

「……この枝は茎が金、根が銀、そして実が真珠でできているから、そのせいね」

「お前、そんなもの貢がせたのかよ。とんでもない性悪女なんだぜ」

「そうかもね。でも結婚なんてしたくなかったもの。だから、私は絶対に車持皇子が手に入れることができない『蓬莱の玉の枝』を要求した。そしたら、こんなものを作って持ってきたのよ」

「そういや、『本物の偽物』って言ってたな。本物の蓬莱の玉の枝ってのはどんな物なんだぜ?」

「蓬莱の玉の枝の本物は……月に生えている優曇華という植物よ。その植物は地上の穢れを受けることで美しい七色の実を付けるの。もちろん、地上に生えていないから車持皇子が本物を手に入れることはできない」

「インチキなことしやがるお姫様なんだぜ。ちょいとばかし、車持皇子とやらに同情するんだぜ」

「でも、彼は本物を超える偽物を造ってきたのよ。この蓬莱の玉の枝はただ宝石で造られた宝物というわけではない。茎、根、実、全てが高性能な魔力増幅装置で構成されている。これを造ってきた車持皇子に私も一瞬惹かれてね。同衾して良いかもと思ったこともあったわ」

「同衾って……。そこまで惹かれたなら結婚してやっても良かったんじゃないのかよ?」

「ちょっと自慢話が過ぎたのよねぇ。それがなかったら、結婚してあげてたかも」

「わがままなお姫様なんだぜ。金持ちなだけじゃご満足しないってわけか?」

「一番大事なのが人間性だってだけよ」

「そいつはどうだか」

「……無駄話が過ぎたわね。五つの難題、五つ目『蓬莱の玉の枝』を始めましょうか」

「ビームに燃えない布に龍に幻覚……。お次は何を出すってんだぜ?」

「何も出さないわよ?」

「なんだって?」

「蓬莱の玉の枝は魔力増幅装置でしかない。その使用者は私。……私を倒してみなさい、霧雨魔理沙!」

「なるほど……。そいつはわかりやすいぜ。その難題、受けてたってやる!」

 

 霧雨魔理沙はミニ八卦炉を構えて戦闘に備える。

 

「まずは小手調べよ。……新難題『金閣寺の一枚天井』」

 

 輝夜は宙に舞うと巨大な一枚の光の板を生み出した。そして、それを魔理沙の頭上目掛けて重力のままに落とす。

 

「どこが小手調べなんだよ!?」

「さあ、どうする。霧雨魔理沙!」

「ぶっ飛ばしてやるだけだぜ!」

 

 魔理沙はミニ八卦炉を天井に向けて掲げた。そして、いつもの術名を叫ぶ。

 

「マスター・スパァアアアアアク!」

 

 魔理沙の巨大ビームは光の板に風穴を空け、崩壊させる。自身の術を破壊された輝夜は「ちっ」と軽く舌打ちをしながら、マスター・スパークから距離を取るのだった。

 

「やるわね。やはり、火力系魔法が得意なだけはある……」

「お褒め頂き光栄、なんだぜ? お姫様!」

「得意な笑みを浮かべ過ぎよ。お次は火力勝負と行きましょうか……! 新難題『月のイルナメイト』……!」

 

 輝夜が右掌を上にして鉱石を召喚させる。鉱石は輝夜の掌の上空10センチ程度の場所にふわふわと浮かんでいた。

 

「なんだその石?」と魔理沙は眉間に皺寄せ、質問する。

「この鉱物はイルナメイト。月に多く存在するチタン鉄鉱。月の民が地上から月へと移住した理由の一つ……」

「そんな石ころが欲しかったのか? 月の民の価値観は良くわからないんだぜ」

「あらあら。科学者の一種である魔法使いのくせに見た目で判断してはいけないわ。……このイルナメイトの本質はチタンや鉄を含んでいることにはない。強力な太陽風の微粒子を内部に貯めていることにある」

「太陽風の微粒子?」

「そうよ。微粒子の名はヘリウム3……と言えばもう分かるかしら?」

「ヘリウム3!?」

「知っているようね! そう、核融合反応を起こす物質のことよ。喰らいなさい、核の力を……!」

 

 輝夜のイルナメイトが紅く輝き、小規模な太陽を創り出した。それは八咫烏の力を与えられた地獄の鴉『霊烏路空』の力を思わせる。

 

「何て熱量の火球だ!? まさか、それを!?」

「投げつけてあげる」

 

 輝夜は小太陽を魔理沙に放った。近づいてくる熱エネルギーに対して魔理沙はマスタースパークを撃ち放った。ビームと小太陽が衝突し、撃ち合いとなる。

 

「核融合エネルギーに対抗できている……!? ふふ。まさか、そこまでとはね」

「ぐぎぎぎぎぎぎぎ……! うらぁああああああああああ!!」

 

 魔理沙はさらに気合を入れてマスタースパークを撃ち続けた。魔理沙の渾身のマスタースパークはついに小太陽とエネルギーを食い合い、爆発を起こしながら相殺したのである。

 

「……イルナメイトの核融合反応と同等にまで術の力を上げられるなんてね」

「あ、危なかったぜ……」

「では、これならどうかしら!」

 

 輝夜は右掌と左掌を上向きにする。そして、ごくごく微小な粒子を一つずつ掌の上に浮かばせる。右手の粒子は激しく光輝き、左手の粒子はベンたブラックのように真っ黒だ。

 

「何なんだぜ。その二つのちっこい物質は?」

「『光のミステリウム』と『闇のミステリウム』よ」

「ミステリウム……?」

「この宇宙を形作った最初で最小の物質。素粒子とダークマターのアトムよ。光のミステリウムが素粒子のアトム。闇のミステリウムがダークマターのアトム……。月の民の科学力を持ってしても、一度にほんのわずかしか生成できない幻の物質」

「そんな貴重なもん使って何やろうってんだぜ?」

「もちろん攻撃に使うのよ。……霧雨魔理沙、光と闇のミステリウムを引き合わせると何が起こるか知っているかしら?」

「知るわけないだろ。ミステリウムなんて物質聞いたのも初めてなんだぜ?」

「じゃ、良い勉強になるわよ。ミステリウムの融合は宇宙で最初の現象を引き起こす。……ビッグバンをね……!」

「何だって!?」

 

 輝夜は右手と左手を合わせ、ミステリウムを融合させる。輝夜の手に魔法とも異なる強大な力が溜まっていることを魔理沙も感じ取った。

 

「喰らいなさい。ビッグバンのエネルギーを用いた光線を……!」

 

 輝夜の手から光と闇が螺旋で絡み合っているような光線が放たれた。もちろん、ビッグバンと言っても宇宙が始まった時のような巨大な爆発ではなく小規模なものだ。しかし、小規模とはいっても、そのエネルギーは強大。魔理沙にとってピンチであることに変わりはなかった。高温高密度の光と闇のコントラストを保ったビームが魔理沙に襲い掛かる。

 

「くっ!? マスタースパーク!」

 

 魔理沙は苦し紛れに相殺を試みようとマスタースパークを撃ち放った。しかし……。

 

「う……!? 無理だ。抑えきれない!?」

「ミステリウムの力を侮らないで欲しいわね」

「……へん。抑えられないなら、抑えられないで手はあるんだぜ! ……『ミルキーウェイ』!」

 

 魔理沙は星型の魔法を大量に撃ち放った。ただ闇雲に撃ち放っているわけではない。秩序だって放たれた星たちは連結し、滑り台のように滑らかな曲線を創り出す。そして輝夜が放った光線を星で創った滑り台で方向変換させ、上空へと誘導させたのだ。

 

「そんなバカな。ミステリウムの光線を受け流した……!?」

「驚いている暇はないんじゃないのか、お姫様!」

 

 魔理沙は箒に乗ると、高速で輝夜に詰め寄り、蹴りかかる。輝夜は体をのけ反り、何とか距離を取って蹴りを避けた。

 

「くっ!? 『蓬莱の玉の枝』!」

 

 輝夜はその手に蓬莱の玉の枝を召喚し、その魔力増幅機能をもって七色の珠を大量に放出し弾幕を張った。七色の珠たちは魔理沙の行く手を阻むように、三百六十度完全に包囲する。

 

「……弾幕ごっこみたいじゃないか。だが、逃げ場のない弾幕はルール違反だぜ!」

「弾幕ごっこ……? 何よそれ?」

「博麗霊夢と八雲紫が制定しようとしている弾幕の美しさを競う真剣勝負の遊びさ! ……スターダストレヴァリエ!」

 

 魔理沙は輝夜に負けじと大量の星型弾を撃ち放った。星は七色の珠とぶつかり合って消滅し合う。弾幕が薄くなり、魔理沙と輝夜の間に何の障害物もなくなった。魔理沙は一直線に輝夜の懐に潜り込む……!

 

「私の勝ちだぜ、お姫様!」

 

 魔理沙は思い切り箒を振り回し、輝夜に打撃を叩きこんだ。攻撃を受けた輝夜は中庭の枯山水に墜落する。

 

「かはっ……!?」

 

 仰向けに叩きつけられた輝夜はうめき声を上げる。勝利を確信した魔理沙は帽子を目深にかぶり直した。

 

「どんなもんだ!」

 

 魔理沙はにっこりと口角を上げるのだった。



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六つ目の「五つの難題」

「ふふ、うふふふふ……」

 

 霧雨魔理沙により、激しく体を地面に叩きつけられた蓬莱山輝夜は口からよだれのように血を垂らしながら、仰向けで笑っていた。

 

「なるほど……。私を横たわらせるくらいには強い。『資格あり』ということね」

「何をぶつぶつと呟いてるんだぜ? お姫様。さて、これで五つの難題全部をクリアさせてもらったわけだぜ。全然強くなった感じはしないけどな!」

 

 勝利に気を良くしている魔理沙に輝夜は告げる。

 

「強くなってるわけないじゃない。本当の試練はここからなんだから」

「……なんだって?」

「これまでの五つの難題は貴方が最後の試練に挑める資格があるかどうかの試験でしかないもの」

「最後の試練……?」

「……最初に言ったはずよ。私の稽古は苦しいと……。死んでしまうかもしれない、と。もう一度聞いておくわ。あなたは私の稽古を受けるつもりはあるかしら?」

「ここまで来て、ノーを言うと思うのかよ?」

「そう……。じゃあ、あなたに最後の試練を与えましょう。この試練を超えられた人間は、過去に一人だけ。その少女は綺麗な黒髪が真っ白になって帰ってきた。だけど黒髪と引き換えに、帰ってきたときには不死の炎を手に入れていたわ。……果たして貴方は無事に帰って来られるかしら。そして、何の力を持って帰ってくるのでしょうね?」

「……もったいぶらないでさっさとその最後の試練ってやらを出してもらうんだぜ? 私はあの婆さんたちをさっさと超えなきゃならないんだ」

「せっかちねぇ。慌てなくとも大丈夫よ。……時間はたっぷりとある」

 

 輝夜は起き上がると、掌を魔理沙に向ける。

 

「……五つの難題、六つ目。『永遠の須臾』」

「永遠の須臾……? ……な、なんだ!? 急に足が動けなく……!?」 

 

 魔理沙は自由を奪われた自分の両足に目を向ける。……すでに魔理沙の両足はモノクロになってしまっていた。そして、モノクロはどんどんと魔理沙の体を侵食していく。既に胸の辺りまで魔理沙はモノクロに飲み込まれていた。

 

「く……!? なんなんだぜ、これ!?」

「……私の『永遠と須臾を操る程度の能力』を持って、貴方の体から時間を奪い、須臾の中に閉じ込める。出来上がるのは貴方自身の体で造られた魂の牢獄。貴方の魂は永遠の時間を貴方の体の中で過ごすことになるのよ」

「これが一体何になるって言うんだぜ!?」

「……人間は極限状態に追い込まれたとき、初めて限界を超えることができる。言ったでしょう? 白髪になって帰ってきた女は不死の炎を手に入れていたと。……もっとも、彼女以外に……藤原妹紅以外に帰ってきた人間はいないのだけど……。貴方は二人目になれるかしらね?」

「…………!」

 

 魔理沙は言葉を発することができないでいた。既にモノクロの浸食は魔理沙の口に達し、喋ることもできなくなっていたのである。

 

「心配することはないわ。貴方は須臾の牢獄に閉じ込められるだけ。須臾の牢獄での永遠はこの須臾の世界の中でさえ、一瞬にも満たない。つまり、現実世界では一瞬の一瞬にも満たない。生きて帰って来れれば、最終決戦には十分すぎるほどに間に合う。健闘を祈っているわ。貴方が生きていれば……魂が壊れていなかったら、また逢いましょう?」

 

 輝夜の言葉が終わると同時に魔理沙の金色の眼もモノクロに染まった。魔理沙は完全に須臾の世界に閉じ込められてしまったのである。

 

「……せっかくの逸材だったのに……。こんなことをして本当に良かったのかしら、因幡の素兎(しろうさぎ)さん? でも、もう遅いわね。十中八九、この霧雨魔理沙という人間は死ぬに違いない。……さて、私は休むことにするわ。別に良いわよね? この須臾の世界の中でどれだけ時間を使おうと、問題ないのだから」

 

 蓬莱山輝夜はモノクロになって止まってしまった魔理沙から視線を切り、永遠亭へと歩みを進めるのだった。

 

 

◇◆◇

 

 

「……ここは、どこだよ? ……真っ暗なんだぜ」

 

 須臾の牢獄に閉じ込められた霧雨魔理沙はぽつりと呟いた。見渡す限り光一つない暗闇。平衡感覚を失ってしまいそうになる。

 

「くっそ! あのお姫様、こんなとこに閉じ込めやがって……! 今に見てろよ。こんなとこすぐ出てやるんだぜ……! どんな結界か知らないが、私のマスタースパークでぶっ飛ばしてやる!」

 

 魔理沙はポケットに手を突っ込み、ミニ八卦炉を取り出そうとまさぐる。しかし、ポケットの中にあるはずのミニ八卦炉がない。

 

「な、なんで……!? ミニ八卦炉がない!? ……ミニ八卦炉だけじゃない。私が持ってたマジックアイテムもマジックアイテムじゃないアイテムも何もかもなくなってる!?」

 

 霧雨魔理沙は思い出す。蓬莱山輝夜が『魂を閉じ込める』と言っていたことを。

 

「……そうか、今の私は魂だけ……。それ以外はなくなっちまったのか。……だとすれば、服だけ来てるのは謎だが……。って服なんてどうでもいい。早くこっから出ないと!」

 

 魔理沙は暗闇の中を当てもなく手探りで動き始めた。最初は恐る恐るゆっくりと動いていた魔理沙だが、あまりに手応えがないので走ることにした。何かにぶつかったり、躓いたりするかもはしれなかったが、そのリスクよりもじれったさが勝ったのである。魔理沙は走り続けた。不思議なことにどれだけ走っても疲れることもなければ喉が渇くこともなく、ついでに加えればお腹が減ることもない。永遠に走り続けられるんじゃないかと思う魔理沙だが、走れども走れども出口はどこにも見つからなかった。

 

「くそっ! バカみたいに広い空間なんだぜ!? ……そうだ。横がダメなら上下なんだぜ。空は飛べないみたいだから上は無理だが、下なら穴が掘れるはずだ」

 

 魔理沙は真っ暗闇の地面を手に取る。触れた瞬間、コンクリートのように硬かった闇色の地面が柔らかな砂に変化する。スコップなど使わずともどこまでも掘れそうなくらいに柔らかく、滑らかだった。魔理沙は掘り続けた。しかし掘れども掘れども底には行きあたらない。いつまでも掘り続けられそうだった。あまりに底の見えない穴掘りに思わず魔理沙は恐怖を覚える。この世界には果ても底もないのではないか、と。

 

 魔理沙は無闇に動いて脱出することを諦めた。この世界はそんな方法では脱出できないと悟ったのである。しかし、考えても考えても良い脱出方法は思い浮かばなかった。魔理沙はふと思う。自分がこの暗闇に来てから一体どれだけ時間が経っているのか、と。もう何日も動き回ったような気もするが、まだ一時間も経ってないような気もした。時間を測る術すらない真っ暗な世界を前に、魔理沙は少しずつ気分が悪くなる。

 

「……まずいんだぜ。こんなところに長いこといたら、気がおかしくなっちまう……! 考えろ、考えろ霧雨魔理沙。どうすればこの暗闇から抜け出せる?」

 

 魔理沙は膝を抱え込んでうずくまる。その表情には微かな絶望が浮かび始めていた。

 

『お? もうグロッキーか、なんだぜ?』

 

 幻聴だと思った。どれくらいの時間をこの暗闇で過ごしたかわからない魔理沙だったが、少なくともこの世界には自分しかいないと確信していたからである。魔理沙は声の聞こえる方に首を回した。そこにはいるはずのない他人の影。幻覚だと思った。

 

『よう。ご機嫌いかがかな、なんだぜ? 霧雨魔理沙』

「お、お前は……私?」

 

 霧雨魔理沙の目の前に現れたのは不敵な笑みを浮かべる霧雨魔理沙だった。



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もう一人の魔法使い

 魔理沙は目の前に現れた『自分』に驚きを隠せない。

 

『おいおい、寝ぼけてんのか? お前以外の誰に見えるんだぜ? 毎朝鏡で飽きるほど見た自分の顔を忘れたのかよ?』

 

『もう一人の魔理沙』が魔理沙を煽る。魔理沙は自分を見下すもう一人の自分に不愉快を覚え、下唇を噛み締めた。

 

「……どういうことなんだぜ? 私には双子の姉妹はいないんだ。お前は何者なんだぜ……!?」

『少し考えたらわかるだろ? 私はお前さ。深層心理に住まうもう一人のお前。あのお姫様が言ってただろ? 魂の牢獄に閉じ込めるってさ』

「魂の牢獄に閉じ込めたからって、なんで私が二人になるんだよ。おかしいんだぜ?」

『それだけ、お前が精神的に参ってるってことさ。出口の見えないこの暗闇の世界に閉じ込められ続けてるから、図太いお前の心もさすがに弱ってきてるってわけだぜ』

「……私の頭がおかしくなって、もう一人の自分と会話し始めたってわけか? さすがにそこまで重症だとは思いたくないんだぜ?」

『だが、現実にお前の目の前に私はいる。結構な重症だと思うんだぜ?』

「……で、もう一人の私様は私に何をしてほしいんだぜ? 用もなく出てきたりはしないだろ?」

『簡単なことさ。もうじたばた足掻くのはやめて、諦めようぜ?』

「自分でも驚くくらいにお決まりな台詞なんだぜ。もう、この牢獄から出るのを諦めろってか? そんなことできるわけないんだぜ」

『まあ、ここから出ようとするのも諦めた方が良いとは思うけどさ。そのことじゃないんだぜ?』

「なら、一体なんのことなんだぜ?」

『言わなくてもわかってるんだろ?』

「わからないな」

『しらばっくれるなら、敢えて口にしてやるよ。もう、諦めようぜ? 【凄い魔法使い】を目指すなんてさ』

「……なんだと!? 私に母さんとの約束を反故にしろって言うつもりか? いくらもう一人の私だからって、私の夢を軽く見るのは許さないんだぜ!?」

『そう、血気盛んになるなよ。本当はお前も理解してるんだろ? お前が【凄い魔法使い】になれるわけなんてないってな』

「うるさいな。そんなこと、私が思ってるわけないだろ!」

『本当か? お前も目の当たりにしただろ。あの婆さんの魔法を。あの婆さんは決して本気を出してなかった。それにも関わらず霊夢をあっという間に倒しちまったんだぜ? お前が一度も弾幕ごっこですら勝てなかった霊夢に、だ。あの婆さんだけじゃない。八雲紫にだって、お前は一度として勝てると思ったことはないはずだぜ。あんな化物どもを目にして、それでもお前は【凄い魔法使い】になれると本気で思ったのか? そこまでのバカじゃないだろ、お前も』

「……ふざけるんじゃないんだぜ。それ以上、その口開くな!」

『へへへ。やっぱり、嫌われちまったか。ま、今回はこのあたりで退いてやるよ。また会おうぜ?』

「二度と会ってたまるか……!」

 

 もう一人の魔理沙は不敵な笑みのまま、眉間に皺寄せ怒りの表情を見せる魔理沙の前から消えていった……。

 

「消えた……。やっぱり幻覚だったのか? ……不愉快な気分だったぜ。けど、こんなとこに長居したらマジで頭が逝っちまう。早く脱出しないと……」

 

 魔理沙は歩き続けることにした。果てのない空間をひたすらに。止まってしまうと、心の中でもう一人の自分の放った「諦めろ」という言葉に飲み込まれそうだった。飲み込まれないために魔理沙は歩くことだけ、動くことだけを考える。だが、脱出の手がかりは一つも見つからなかった。精神が疲労した魔理沙は体力は減っていないのに「はぁはぁ」と息切れを起こし始める。

 

 何日歩き続けただろうか。時間感覚を失った魔理沙には自分がどれくらいの時間歩いたのかもわからなくなる。精神疲労の限界を迎えた魔理沙はとうとうその場に座り込んでしまった。弱った魔理沙を狙うようにもう一人の魔理沙が再び姿を現す。

 

『よう。もう限界みたいだな? もう諦めようぜ。どうせ、ここから出られないんだ』

「……うるさいんだぜ」

『お前さ、ちょっとホッとしてるだろ?』

「……何が言いたいんだぜ?」

『このまま、この魂の牢獄から出られなければ体(てい)の良い言い訳ができるもんな』

「なんだって……?」

『だってそうだろ? もし、ずっとこの牢獄から出られなかったら、【凄い魔法使い】になれなくても格好がつくもんな。【凄い魔法使い】になれなかったのは、お前のせいじゃなくなる。まさしく【運】がなかったからってことになるもんな』

「黙れ……! 私の凄い魔法使いへの道は【運】がないくらいで止められるものじゃないんだぜ……!」

『まだ強がる元気が残っているんだな。思ったよりしぶといんだぜ? だけど、もう無理さ。お前の精神、結構ボロボロになってきてるぜ?』

「なにがボロボロだ。私はまだピンピンしてるんだぜ」

『本当に強がるなぁ。他でもない【私】が言ってるんだぜ? 間違いなくお前はもうボロボロさ』

「……うるさいんだぜ。とっとと消え失せろってんだ!」

 

 魔理沙はもう一人の魔理沙をかき消すように腕を振り払った。

 

『怖い怖い。じゃあ、お望み通り消えてやるよ。……またな』

 

 言い残してもう一人の魔理沙は視界から消えていく。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……! 私は……運がないくらいで……諦めたりしないんだ……!」

 

 魔理沙は決意し直すように言葉を漏らす。魔理沙は再び歩き始めた。だが、明らかにこれまでよりも足取りが重い。もう一人の魔理沙の言葉が魔理沙の心にダメージを負わせているのは明らかだった。それでも止まるわけにはいかない。魔理沙は果てのない世界で出口を求め探し続けた。

 

 しかし、結果は変わらない。行けども行けども無限の暗闇が続くだけ。いったいどれほどの時間が流れただろう。一週間、二週間ではきかない時間が過ぎたに違いない。ゴールの見えないマラソンに魔理沙の心は確実に蝕まれていった。

 

「はっ……、はっ……、はっ……ぁあ……! くそ……。ちくしょう……」

 

 精神疲労の限界を超えた魔理沙はその場にうつ伏せに倒れ込む。もう顔に生気はなかった。眼の下にほんのりとクマもできていた。

 

『へぇ。結構頑張ったじゃないか。さすがは【私】なんだぜ? でも、本当の本当にもう限界だな』

 

 三度現れたもう一人の魔理沙。うつ伏せのまま、もう一人の自分を視界に入れた魔理沙は睨みつけてやった。

 

「……また……現れやがったのか。今すぐ……消え失せろよ……」

『強がるなよ。もう限界だろ? 私はお前を助けてやろうってんだぜ?』

「なに……言って……やがるんだぜ……?」

『もうまともに喋ることもできないくらいに限界じゃないか。もう諦めて心を壊しちまおうぜ?』

「……な、なに……?」

『この永遠にも思える世界だけどよ。あのお姫様も永遠に術をかけ続けるわけじゃない。なら、術が途切れるまで、心を壊してしまえばいいんだよ。何も感じない心のまま、術の効果が終わるまでこの世界にいればいいんだ。そうすりゃ生きて帰れる』

「バカなことを……言いやがるんだぜ……。心を壊すなんて……死ぬのと一緒じゃねえかよ…………!」

『まだ私の優しさから、逃げるのか。強情なヤツなんだぜ。もうトドメ刺して楽にしてやるよ』

「…………なんだって……?」

『お前さ、霊夢があの婆さんに殺されかけた時、本当は少しホッとしただろ?』

「……あぁ……!? 何言ってやがる……! いくらもう一人の私だからって何言っても良い訳じゃないんだぜ……!! 霊夢が殺されかけた時、私がホッとしただって!? そんな人でなしだと思ってんのかよ!?」

『思ってるさ。私は【お前】だぜ? お前のことはよーく知ってるさ。……お前、初めて霊夢に会った時から思ってただろ? 【自分とこの巫女の間には埋めることのできない絶対的な差がある】ってな』

「……………………うるさい……」

『お? 言葉を紡ぐまでに結構な間があったんだぜ。図星だろ? ま、罪悪感に苛まれることはないさ。私はお前だからな』

「うるさい、違う……。私は……」

『無理するなよ。絶望したんだろ? 歳の近い同じ人間の女が、決して届くことのない力を有していることに。お前が嫉妬するのも無理はないぜ。アイツがいる限り、お前が本当の意味で【凄い魔法使い】になることはありえないもんな?』

「うるさい……。うるさい、うるさい、うるさい、うるさぁああああああああいい!!!!」

 

 魔理沙は、もう一人の魔理沙が放つ言霊から逃げるように耳を抑えてうずくまった。だが、心に直接語り掛けてくる彼女に抗うことはできない。もう一人の魔理沙は魔理沙の心を壊しにかかった。

 

『もう認めて楽になっちまえって。お前は絶望的に最低な女なんだよ。親友が死んで、【これでまた純粋に夢を追うことができる】って思っちまうような、嫉妬に溢れるクソ野郎なんだよ。そんなヤツが本当に【凄い魔法使い】になれると思うか?』

「違う……。私は……」

『違わねえよ!!』

 

 もう一人の魔理沙の怒号が飛ぶ。それを皮切りに魔理沙の双眼から涙が溢れ出した。

 

「ちがう、ちがう。私は、私は……そんなこと、考えて……ない……」

『まだ強情張るか。だったら次の策だぜ。本当はお前が親父のことどう思ってるか……』

「まったく。……意地悪もいい加減にすることね」

 

 もう一人の魔理沙が魔理沙の心を壊そうと思索している中、誰かの声が聞こえてきた。ここは魂の牢獄。魔理沙以外は誰もいないはずのこの場所に、魔理沙でない誰かの声が聞こえてきたのだ。もう一人の魔理沙は存在するはずのない声の方に振り向く。そこにいたのは白髪赤眼の美女だった。

 

 美女はその身に一切の布切れを纏っていない。全裸の姿だった。だが、全裸なのに不思議と共感性羞恥を回りに与えることはない。むしろ、均整の取れた体を堂々と晒すその美女は神々しさすら感じさせた。いや、本当に神なのかもしれないと魔理沙は思う。

 

『お前、何者だ!? なんで私の魂の中にいる!?』

 

 もう一人の魔理沙が驚きを隠せずに白髪赤眼に問いかける。白髪赤眼は余裕のある表情で質問に答えた。

 

「それも私の能力だから」

 

 短く答えた白髪赤眼は掌をもう一人の魔理沙に向ける。

 

「もうこの子から離れなさい。罪源よ。少々やり過ぎだったわね」

 

 白髪赤眼の掌から光が放たれる。光はもう一人の魔理沙を飲み込み、一瞬で消滅させた。それだけではない。その光は真っ暗闇だった魂の牢獄を照らし出し、一面を真っ白な世界に染め上げた。

 

 魔理沙は白髪赤眼の美女に視線を向ける。

 

「あんた、一体……?」

「さぁ? 何者でしょうね?」

 

 白髪赤眼は全てを包み込むいたずらな微笑みを浮かべるのだった。



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潜在

「アイツ……もう一人の私の正体は何だったんだぜ?」

 

 落ち着きを取り戻した魔理沙は白髪赤眼の美女に問いかける。

 

「あの子は罪源(ざいげん)。全ての人間は生まれながらに罪を背負っている。あの子は貴方の罪が具現化したものよ」

「魂の中なのに具現化なのか?」

「意外と細かいことを聞いてくるのね、霧雨魔理沙」

「……なんで私の名前を知ってるんだぜ? アンタも、もう一人の私的(わたしてき)な何かなのか……?」

「いいえ、私は貴方とは別個の魂。ここに入り込むのに苦労したのよ?」

白髪赤眼はもちろん魔理沙にとって初対面の人間だ。しかし、ずっと前から一緒にいたような不思議な感覚に魔理沙は何故か陥る。

「……なぁ。アンタと私、どっかで会ったことがあったか? 変な懐かしさを感じるんだぜ」

「初めて会ったとも言えるし、いつも会ってるとも言えるわね」

「はぁ? どういう意味なんだぜ?」

「言葉通りの意味よ。それにしても良かったわ。貴方がこの須臾の世界に閉じ込められた場所が私のすぐ近くで」

「……すぐ近く? アンタ一体どこから来たんだぜ?」

「それはまた今度のお楽しみね。きっとすぐ会うことになると思うわ。……さて、そんなことより、早くここを出ないとね。こんな劣悪な環境に耐えられるのなんて、蓬莱人くらいのものよ。それなのに人間であるあなたをここに送り込むなんて……。全く飛んだ無茶をさせたものだわ。あの因幡の素(しろ)兎(うさぎ)。……いいえ、あの賢しい兎のことだわ。私が助けに入ることも織り込み済みだったのかも……?」

「アンタ、詐欺ウサギと知り合いなのか?」

「ええ。私たちがこの地に降り立った時、既にここで暮らしていた先住民だもの。あの兎、かなりの長生きさんなのよ。ま、そんなことはどうでもいいわね。さっさと脱出しましょう」

「どうやって脱出するんだぜ……?」

「……私の能力を使って出たいのだけど……。それじゃ、ダメなようね。あの兎の目的を果たせないんでしょう。……貴方の背中を押してあげるわよ、霧雨魔理沙。貴方の中に眠る能力(ちから)を一時的に目覚めさせてあげるわ。その力が定着するかどうかは貴方次第よ」

「私が持つ能力……?」

「ええ。手を出しなさい」

 

 白髪赤眼の美女は手を差し出し、握るように魔理沙を促す。魔理沙は促されるままに手を握った。

 

「う……!? なんだこれ? 体が背中の辺りからじんわりと温かくなってる……」

「……無理やり、貴方の能力を呼び覚まそうとしているからよ。でも、思ったよりダメージはなさそうね。本当はもっと熱がるはずなんだけど……。貴方の努力の賜物ね。貴方の実力は、血に呪われた能力を手にするに相応しいところまで辿り着いていた。ほっといても近いうちに発現していたのかも……」

「なぁ。さっきからアンタが言ってる私の能力ってのは一体どんなもんなんだぜ? さっぱり見えないんだぜ」

「それは自分で感じ取りなさい。言葉にすることで遠ざかるものもあるのよ。自分自身の感性で貴方の能力を見極めなさい」

「……抽象的で全くわからないんだぜ」

 魔理沙が白髪赤眼の美女と問答していると、暗闇の空に光のひび割れが起きる。卵のひび割れを大音量に拡大したような轟音が響き渡った。

「空が割れてるんだぜ……?」

「この魂の牢獄が壊れている証拠ね。これが貴方の能力。……貴方の能力の一部」

「空に穴を空けるのが私の能力なのか?」

「……どうかしら? さっきも言ったでしょう? 自分の感性で見極めなさい。言葉は事実を曲げてしまうこともある。私のヒントと貴方の感覚に齟齬があったら、貴方は能力の本質に気付けなくなるかもしれない。……正直に言うと、能力を得ない方が幸せだったかもしれないけど、ここから出るには貴方自身の力が必要だったからやむを得ないわ。……さぁ、行きましょう。魂の牢獄の外へ」

 白髪赤眼は魔理沙の手を取ると、一緒にふわりと宙に浮かぶ。そしてひび割れた先に見える光の空に飛び込んでいった。

「……魔理沙。帰ったら、貴方からも叱ってちょうだい」

「誰をだよ? アンタの話はどれも脈絡ない上に、全部具体的じゃないんだぜ」

「貴方のお友達を。いい加減、しょげるのをやめなさいってね。それでも博麗の巫女なのかって。私からも言い続けてるんだけど、全然あの子言うこと聞かないのよ。……親友である貴方の言葉なら多分届くから……。お願いね!」

 

 瞬間、強い光に二人は飲み込まれる。そこで魔理沙の意識は一旦途切れるのだった。

 

◇◆◇

 

――イワナガ姫の永遠亭襲来の少し前――

 

「さて、あと何年待つことになるのかしら?」

 

 蓬莱山輝夜はあくびをしながら永遠亭の中庭と接する縁側に腰かけていた。この中庭、輝夜以外は全ての色が失われモノクロになっている。それもそのはず。今、この世界は蓬莱山輝夜の須臾と永遠を操る程度の能力によって須臾の世界に閉じ込められているのだ。

 

 輝夜はモノクロになってしまった霧雨魔理沙に視線を向ける。

 

「てゐに促されるままに、この娘を魂の牢獄に閉じ込めてしまったけど、果たして耐えられるのかしら? 壊れて戻ってくるのが関の山だと思うのだけど……。でも、少しわくわくもするわ。妹紅が不死の炎を得て戻ってきたときの高揚感は今でも忘れられないもの。……妹紅が帰って来るまでにかかった時間は体感で30年……。この娘を閉じ込めたのはまだ数日くらいかしら。……先は長そうね」

 

 言いながら、輝夜が立ち上がり、建物の中に入ろうとしたときだった。『ピシィッ』という何かが割れる音が中庭にこだました。

 

「……なに……?」

 

 輝夜は音のする方に振り返る。モノクロの霧雨魔理沙の体にひびが入り、光が漏れ出していた。それは魔理沙が魂の牢獄から抜け出ようとしている証。

 

「嘘でしょ? もう帰ってきたというの……!? ……そう。ここまで見抜けていたというわけね。さすがは幻想郷の年長者」

 

 輝夜は因幡てゐの顔を思い浮かべて口元を抑えて笑う。

 

「さぁ、貴方は私にどんな力を見せてくれるのかしら。霧雨魔理沙……!」

 

 魔理沙から洩れ出る光がさらに強くなる。そして、それに呼応するように須臾の世界に異常が発生する。空間が歪みだしたのである。それは魔理沙の能力が須臾の世界を壊そうとしている証拠だった。輝夜は眼を見開く。

 

「須臾の世界が波打っている……!? 魂の牢獄にとどまらず、この須臾の世界までも壊そうというの……!? フフフ……、なるほど。私の想像以上だったようね、貴方の潜在能力は……!」

 

 モノクロ魔理沙のひび割れは更に大きくなっていく。そして呼応するように須臾の世界の歪みも激しくなっていった。

 

「うふふふふ。やはり美しいわね。人間が殻を破り、羽化する姿は……。これほど心躍るものはない。人間の可能性はいつも希望を与えてくれる。……妹紅が白髪で帰ってきたときも嬉しかったもの。蓬莱人も変われるのだと証明してくれたのだから。……霧雨魔理沙、貴方はこの幻想郷にどんな希望を与えてくれるのかしらね?」

 

 魔理沙の体が完全に光に包まれた。閃光弾のような眩しい光がモノクロになった須臾の世界を照らし尽くし、色が取り戻される。爆音とともに、須臾の世界は崩壊したのだった。



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境界破壊

◇◆◇

 

――永遠亭、現在――

 

 イワナガ姫は量子もつれ(エンタングルメント)を用いた量子空間移動(テレポーテーション)を発動しようと構える。鉄扇をテレポートさせ、耳を失い気絶した鈴仙の首を刎ねようとした時だった。バリバリと何かが破れるような音がしたと思った矢先、永遠亭の中から天へ向かって巨大な光の柱が放たれる。

 

「な、なに……?」と戸惑うイワナガ姫。収まりつつある光の柱から現れたシルエット。現れたのはいかにも魔法使いといった風貌の金髪の白黒少女だった。

 

「ぷはあぁあ! やっと出てこれたんだぜ? あのお姫様、無茶苦茶しやがって」

 

 魂の牢獄と須臾の世界を一気にぶち壊し、現在世界に戻ってきた霧雨魔理沙は肩で息をしながら、愚痴をこぼしていた。

 

「貴方は……、『出来損ないの魔法使い』……!?」

 

 イワナガ姫は霧雨魔理沙の顔を見ながら、突然の登場に驚きの表情を浮かべる。

 

「その出来損ないとかいう呼び方は大嫌いなんだぜ? ……アンタ、輝夜のお姫様と似たような服着てるな。永遠亭のお仲間……ってわけじゃなさそうだ」

 

 魔理沙は周囲を見渡しながら、イワナガ姫に話しかける。

 因幡てゐ、八意永琳、鈴仙……。そして、魔理沙とはまだ面識のない藤原妹紅……。庭には傷ついた永遠亭の住人たちと竹林の案内人が倒れている。この光景を見れば、永遠亭と目の前の和風ドレス女が敵対しているのは明白だ。魔理沙はイワナガ姫に問いかける。

 

「アンタ、あの婆さんの仲間か……!?」

「お母様のことを……テネブリス様のことを言っているのかしら? ええ、そのとおり。私は『ルークス』の一員。幹部である『ドーター』の一人、イワナガ。月の民からはイワナガ姫と呼ばれていますわ」

「イワナガ姫……。やっぱりあの婆さんの仲間だったか。こんなところで何してるんだぜ? 詐欺ウサギたちを痛めつけたのもお前だな!?」

「いかにも。私がこの永遠亭とかいう屋敷の者たちを痛めつけて差し上げました。もっとも、多少私怨も織り交ざってはいますが、これは目的達成のための手段に過ぎませんわ」

「目的……?」

「ええ」

 

 イワナガ姫は虹色に輝く勾玉を魔法で掌に再び召喚し、魔理沙に見せつける。

 

「それは何なんだぜ……?」

「これは伊弉諾物質(イザナギオブジェクト)。幻想郷の運を強力に奪い取るもの。これを運脈の源泉に配置するのが私の役目。このお屋敷でいうなら、貴方が今出てきた中庭に配置するのですわ」

「運を奪い取る……? あの婆さんが人里で売ってた水晶と同じようなものか……!?」

「ああ、あの玩具のことですか。確かに用途としては変わりないですが、容量には天と地ほどの差がありますわよ? 例えるなら、水たまりと大海ぐらいの差がありますわ」

「……幻想郷の運を根こそぎ盗っちまうつもりか!?」

「まあ、そういうことにもなるかもしれません」

「ふざけんじゃねぇぜ。そんなことしたら、チルノも小傘も蘇られなくなっちまう。……いや、幻想郷自体が危険になっちまうぜ……!?」

「ふふふふふ。このコミュニティ一つ潰れたとしても、真円たる完全な生命がその力を取り戻せるのなら安いものだとは思いませんこと?」

「完全な生命……? それが、お前らの目的か!?」

「……お母様の目的が我らルークスの目的だとするならば、そうでしょうね。もっとも、ルークスは基本的に幹部の我が強く、個人プレイに走りがちではあるのですが。……私はお母様と同じ目的を持っていますのよ? 月の賢者をも超える賢者になるために……、創造主に近づくために、真円を知ることは必要なことですもの」

「わけのわからんこと言いすぎなんだぜ……! お前らの好きになんてさせるもんか!」

「貴方の許可は必要ない」

 

 イワナガ姫は勾玉(イザナギオブジェクト)を永遠亭の中庭へと放り投げる。

 

「させるか!」

 

 魔理沙は星型の魔法を勾玉目掛けて発射するが……。

 

「なに!?」

 

 結界に守られた勾玉は魔理沙の魔法を弾き、中庭に着地する。勾玉は周囲に結界を自動展開すると、強力に定着した。

 

「これで私の仕事は終わり。……だったのですが、まさかこんなところにリサの娘がいるとは思いませんでしたわ。ちょうどいい。お母様への手土産に貴方の首を持ち帰ることにいたしましょう」

「誰がやられるか。逆にアンタをやっつけてやるんだぜ!」

「……そういえば、貴方は一体どこから出てきたのかしら?」

「須臾の世界とかいう結界の中からだぜ! ……出てくるのが大変だったんだぜ?」

「……須臾の世界? たしか輝夜姫が持っていた固有の能力。……輝夜姫はどこに?」

「そういえば、結界を破ってからまだ見てないんだぜ」

 

 魔理沙は周りを見やる。ほどなくしてすぐに見つけ出した。蓬莱山輝夜は結界を破られたときの衝撃で永遠亭の屋根の上に吹き飛んでしまったらしい。さすがは蓬莱人らしく、体にダメージは見受けられない。しかし、眼をぐるぐると回して気絶しているようすだ。

 

「こんな時に気絶しないで欲しいんだぜ」

「ふふふふ。自分の城が落とされようとしているのに働けないなんて、城主失格ね」

 

 輝夜の間抜けな姿を目にしたイワナガ姫はくすくすと笑っていた。

 

「さて、蓬莱山輝夜も無力化されている今、貴方を守るものは誰もいない。大人しく殺されてちょうだいな。生まれ損ないの魔法使い……!」

 

 イワナガ姫は量子空間の結界を展開した。魔理沙は目に見えない量子空間結界にぞわりとした感覚を覚える。

 

「お前、何したんだぜ? 妙な気配を感じるんだぜ……」

「へぇ。結界を感じ取ることができるとは。中々やるじゃないの、劣等魔法使い。さすがはリサの娘だけのことはある」

「結界……? この気配は結界なのか……。今までこんな感覚を覚えることはなかったんだぜ……。これがあの白髪の姉ちゃんが言ってた私の能力……?」

「ぶつぶつと何を言っているのかしら。……私に感謝することですわよ? 私の量子空間移動(テレポーテーション)は光速をも上回る。気付いた時にはあの世行きですもの。……さようなら、出来損ないさん」

 

 イワナガ姫はにやりとした表情でその手に持つ鉄扇を振るう。量子に変換された鉄扇の情報は量子もつれ(エンタングルメント)現象を利用して魔理沙の周囲を埋め尽くす量子に伝達され、鉄扇を再構築後、魔理沙の首を斬り飛ばす……はずだった。

 

「……なに……?」

 

 イワナガ姫は眼を丸くする。それもそのはず。量子空間移動で瞬間移動するはずだった鉄扇がテレポートしていなかったのだから。

 

「どうしたんだよ、もうひとりのお姫様。扇振り回して何するつもりだったんだぜ?」

 

 魔理沙から見れば、イワナガ姫が鉄扇を素振りしているだけ。その様子は理解不能なものにしか見えない。魔理沙の自然な反応はイワナガ姫からすれば煽っているようにしか感じられなかった。

 

「……劣等魔法使い! 貴方、何をした!? なぜ、私の量子空間移動が発動しない……!?」

「量子空間移動? なんだよ、それ。なに言ってるかさっぱりなんだぜ?」

「はっ」とイワナガ姫は気付く。確かに張っていたはずの自分の量子空間の結界がなくなっていることに……。

 

「私の結界が破られている……? いつの間に……!? ……ふ、ふふふ。まぁいいわ。もう一度張り直すだけよ!」

 

 イワナガ姫はもう一度、量子空間の結界を張ろうとする。しかし……。

 

「そ、そんな……。どうして……!? 結界が発動しない!?」

「アンタ、さっきから何してるんだぜ? 独りで喚いて……」

「それはこっちのセリフよ! 貴方……、いやお前、一体何をした!? なんで私の量子空間が開かない!?」

「別に私は何も……」

 

 言いかけたところで魔理沙は思う。今、このお姫様が言っている結界の不発こそ、あの白髪赤眼の美女が魔理沙に目覚めさせた能力なのではないか、と。だが、魔理沙自身には自分が何か特殊な力を発している自覚はなかった。

 

 結論を言えば、魔理沙が自分の能力にはっきりと気付けるようになるのは、まだずっと先のことになる。

 

『境界を破る程度の能力』。それこそが霧雨魔理沙に生まれながらに与えられた能力である。もちろん、そう名付けられることも、もっとずっと先の未来のことであるのだが。



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山祇姉妹

「……リサの娘め……! 私の量子空間を無効化するなんて……!」

 

 イワナガ姫は量子空間の展開を解きながら、霧雨魔理沙を睨みつける。

 

「そんなに怖い顔されてもなぁ。てか、本当に私がアンタの結界を封じてるのか?」

「とぼけているの? それとも、本当に自覚がないのかしら? ……どちらでも構わないわ。量子空間が使えないのならば、もう一つの結界を展開するだけだもの……!」

「もう一つの結界……?」

「ふふふふ……。あの波長を操る兎には煮え湯を飲まされましたが……、本来ならば、時間を止める結界だけで十二分に屠れるのですわ。たとえ、月の民であってもね」

「時間を止める結界だって……? 随分と大層なことを言い出すんだぜ」

「コケ脅しだとお思いですわね? その認識改めさせてあげますわ!」

 

 イワナガ姫は時止めの結界を展開する。そう、自身を光子に変換し高速に達することで、実質時間を止めることのできる結界を……。

 

「ふふふふ。やはり貴方の結界を無効化する能力は、効力の範囲がそれほど広くないようですわね。厄介ではありますが、それならば対応できますわ……!」

 

 イワナガ姫はふわりと宙に浮くと、魔理沙から距離を取る。およそ百メートル程度だろうか。

 

「……私から離れた……? 何するつもりなんだぜ?」

「強く攻撃したいのならば、助走を付けるのは常套手段でございましょう? 私の助走は光速……。あっという間に殺して差し上げますわ!」

 

 次の瞬間、イワナガ姫は魔理沙の視界から消える。

 

「き、消えた……!? ……がっ!?」

 

 イワナガ姫が消えたと同時に魔理沙の腕に鋭い痛みが走る。気付いた時にはイワナガ姫は魔理沙の懐に潜り込み、鉄扇で思い切り魔理沙の腕を殴りつけていたのだ。魔理沙は殴られた衝撃で吹き飛ぶ。イワナガ姫は不服そうな顔で殴り飛ばした魔理沙に視線を向けながら舌打ちした。

 

「……やはり、量子空間と同じく、貴方の能力の範囲内では私の光子変換の結界は無効化されるようですわね。おかげ様で、範囲内に入った瞬間に私の光子変換が強制解除されてスピードは大きく減速させられる。もちろん時間も止められない。……しかし、貴方を屠る程度なら、このスピードで十分ですわね」

「く……!? なんてスピードなんだぜ!? 私だって、それなりに速さには自信があったってのに……。全く見えなかったんだぜ……!」

「まだ生きていらしたの? それほどダメージも受けていないようですわね。……常人ならば、命を落とすくらいの衝撃で鉄扇をぶつけたというのに……。どうやら、人の壁を超えつつあるようですわね。……『魔法使い』に至るその一歩を踏み出しているということかしら? ……お母様がご覧になったら、大層お怒りになられるでしょうね」

 

 魔理沙は自分の腕を確かめる。イワナガ姫の言う通り、眼にも止まらぬ激しい攻撃を受けたはずなのに、骨は折れてなさそうだ。どうやら、あの白髪の美少女と出会って何かしら体に変化が起きているらしい。

 

「『魔法使い』は意識的あるいは無意識的に魔力で体を強化できる。貴方はどうやら無意識的なタイプのようですわね。厄介だこと。本当にリサに似ている。本能タイプの魔法使いになりうる人間。もっとも、運も実力もリサに遠く及ばない。もちろん私にも!」

 

 イワナガ姫は再び魔理沙の能力範囲外に飛び出ると、光速の助走を付けて魔理沙に突撃し始めた。今度は一回の攻撃で終わらせることなく、連発し続ける。イワナガ姫の攻撃軌道さえも見極められない魔理沙は防戦一方に殴られるだけ……。

 

(ぐはっ……!? まずい……! 何故かはわからないが体が丈夫になっているとはいえ……、この重さの攻撃を受け続けて耐えていられるとは思えないんだぜ……!?)

「あははははは! いつまで持ち堪えられるかしら!?」

「くっそ! やられっぱなしでいられるか、なんだぜ! ……『スターダストレヴァリエ』!」

 

 魔理沙は三百六十度、全方位に星形魔法弾を射出する。星の一つがイワナガ姫に直撃した。

 

「くっ……!? 猪口才なことをしますわね……!」

 

 隙を見せたイワナガ姫。魔理沙はそれを逃さない。

 

「私の全出力で焼き尽くしてやるんだぜ! マスタースパーク!!」

 

 ミニ八卦炉から巨大なビーム攻撃が放たれる。それは今まで魔理沙が放ったどのマスタースパークよりも巨大で高密度だった。イワナガ姫は逃げる間もなく、マスタースパークに飲み込まれる。勢いの衰えないマスタースパークははるか遠方に聳える小さな山に衝突し、……焼き払った。

 

「な、なんなんだぜ、この威力……!? 本当に私が発動したのか!? 角度を上向きにしてて良かったんだぜ。こんなもん人がいる方に向けたらとんでもないことになってたぜ」

 

 自分自身の魔法威力アップに驚く魔理沙。だが、もっと驚くべき光景が広がる……。

 

「いっ……!? お、お前、まだ生きてるのか、なんだぜ!?」

「……やってくれましたわね……。リサの娘……! いいえ、霧雨魔理沙だったかしら……!?」

「あ、あのバカでかいマスタースパークを受けても死なないのかよ……!?」

 

 イワナガ姫は眉間に皺を寄せ、魔理沙を睨む。彼女は焼き払われた迷いの竹林の大地に二本足でしっかりと立っていた。さすがに服装は乱れボロボロになってはいるが、ダメージはそれほど受けていないようである。少なくとも戦闘可能ではあるらしい。

 

「……私は父から岩のように永遠となるよう願われて生まれた。体だけは丈夫にして頂きましたの。…………本当に欲しい才能は全て妹のサクヤが持っていきましたけどね……! これまでもこれからも私に才能を与えて下さらなかった父を恨んで生きていくでしょうが、今回ばかりは感謝しなければなりませんわ。お前の攻撃にも耐えられる身体を与えて産んで下さったことに……!」

「くっ……!? こんなヤツどうやって倒したらいいんだぜ!?」

「倒す……? 穢れた地上の人間が……! 運すら持たぬ出来損ないの魔法使いが……! 驕り高ぶるのもそこまでにして頂きますわ! ……再開よ。一瞬で命を奪えぬことがもどかしいですが、光速の力でお前をじわじわと嬲り殺して差し上げましょう!!」

 

 イワナガ姫は再び魔理沙の結界無効化能力の範囲外へと躍り出ると、自身の身体を光子に変換させ始めた。

 

「死んでもらいますわ、霧雨魔理沙! 悪くお思いにならないでくださいな!」

 

 威勢の良い言葉を繰り出したイワナガ姫。魔理沙は衝撃に備えて身構え、眼を瞑る。しかし、いつまで経ってもイワナガ姫の攻撃が魔理沙に訪れることはなかった。

 魔理沙が開眼しイワナガ姫の方に視線を向けると、彼女はわなわなと震えながら自身の両掌を見つめていた。

 

「……私の光子変換が発動しない……!? これは……。……まだ生きているのか、兎ィィいいいいいいいいい!?」

 

 イワナガ姫が睨みつける視線の先、そこにいたのは耳を失い、顔中の穴と言う穴から血を垂れ流しながらも片膝つきで起き上がる『鈴仙・優曇華院・イナバ』であった。意識を取り戻した鈴仙は『波長を操る程度の能力』でイワナガ姫の光子変換を無効化する。

 

「兎のくせに……、下等生物のくせに……、またしても邪魔するか!?」

「あああ、あああああ、ああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 鈴仙は気合を入れる。今にも倒れそうなダメージを体中に受けている中、波長を操る能力を振り絞り、イワナガ姫に光速移動を許さない。

 能力の自由を奪われたイワナガ姫の怒りの矛先と意識が鈴仙に向かっていることを観た魔理沙は、一瞬の隙を見逃さなかった。今の自分の出力ならいける。魔理沙はそう確信した。ほうきの後ろにミニ八卦炉を取り付けた魔理沙はマスタースパークを推進力代わりにして、ロケットのように飛び出した……!

 

「ブレイジングスターァあああああああああああああああ!!!!」

「な、なに!?」

 

 鈴仙に注意を向けていたイワナガ姫は魔理沙の高速突進に気付くのが一瞬遅れる。魔理沙は箒の柄の先端を突き刺すようにイワナガ姫に体当たりすると上空に向かって飛び上がった。

 

「ぐぅううううううううううう!?」

 

 イワナガ姫は魔理沙の突撃を振り払おうと藻掻くが、あまりの推進力の強さに体が箒に張り付いていて剥がせない。

 

「ぐぐぐ……。本当に丈夫な奴なんだぜ。このスピードで体当たりしてるってのに、意識を保ってられるなんてな。ま、そうでもなけりゃ光速に耐えられないんだろうけど……!」

「くっ……!? 出来損ないィいいいいい!!!! 貴様、私をどうするつもり!!!?」

「あのマスタースパークでも死なないアンタだからな。封じ込めるにはアレしかないんだぜ……!」

「アレ……ですって!?」

「……見えてきたぜ!」

 

 魔理沙の視線の先……、そこに聳え立っていたのは『妖怪の山』。かつて八ヶ岳と言われた日本最大の山。

 

「く……!? まさか、貴様ぁああああああああああ!?」

「残酷で悪いが……、あの火口にぶち込ませてもらうんだぜ!!」

「ふざけるな……! この私がマグマごときで死ぬと思っているのかしら!?」

「さぁな! だが、やらせてもらうぜ! うぅうううううらぁあああああああああ!!!!」

 

 魔理沙は火口上部に到着すると、体を翻した勢いのまま、箒でイワナガ姫を火口へと叩き落とした。結界を張る間もなかったイワナガ姫は溶岩の中へ消えていく。

 

(ぐうぅううううう!? 熱い。熱い熱い熱い熱いぃいいいいいいいい!? ……が、私に死を与えるほどのものではない! 出来損ない! リサの娘! このマグマから脱出したら、今度こそ殺してやる!)

 

 イワナガ姫はぐっと唇を噛み締める。叩きつけの勢いが徐々に弱まり、無くなったところでイワナガ姫は水面ならぬ、溶岩面に向けて浮上し始めた。……だが、そんなイワナガ姫の脳内に誰かが囁く。

 

(お待ちしておりました。本物のイワナガ姫様……)

「……誰? 誰が私を呼んだ? この灼熱のマグマの中で……」

(わたくしですわ)

 

 溶岩の中、イワナガ姫の視界に現れたのは、自分によく似た『美女』だった。イワナガ姫も地上の人間からすれば、十分に美しい。しかし、現れたイワナガ姫似の美女は月の民の男たちが一人残らず振り向くくらいの美貌であった。……そう、イワナガ姫の妹、コノハナサクヤ姫に匹敵するほどに……。

 

「……貴方は誰? 私に似ている気がする……けど、私はそんなに美しくない」

(わたくしは石長(イワナガ)姫。貴方様の妹、コノハナサクヤ姫が月の民としての能力を捨てた時に分離した力の欠片でございますわ)

「サクヤ姫の……!? ……お待ちしていましたとはどういうことよ!?」

(わたくしは、サクヤ姫様に命じられ貴方様を待っていたのです。わたくしという能力を貴方様にお渡しするために……。わたくしが貴方様に似ているのはそのためです)

「能力を私に渡す……ですって?」

(はい、サクヤ姫様は胸をお痛めになっておいででした。サクヤ姫様は、イワナガ姫様が父上である山祇様から能力を与えられなかったことを恨んでいると知り、自責の念にかられておりました。故に月の民をやめ、地上に『ただの人間』として降嫁する際に、月の民としての能力を二つに分けて封印することにしたのです。陰の力を咲耶と名付けて富士の山に封印し、陽の力もまた石長と名付けて封印したのです。その陽の力こそがわたくしなのです。石長姫と名付けたのは、いずれ貴方様に陽の力であるわたくしの能力を受け渡すため……)

「あの子が、私に能力を渡そうとした……? ふ、ふふ、ふふふふふふ……。……あの子のそういうところが気に入らなかったのよ! 同情でもしたか!? 頭脳も身体も美貌にも恵まれなかった実の姉に対して! だが、その同情は優しさでもなんでもないわ。ただの侮辱よ!」

(……サクヤ姫様は貴方にそう思われると理解した上で、陽の能力を貴方様に残しておられます。きっと姉は自分を恨むだろうと承知し上で、わたくしを生んだのです)

「やめろ! それ以上聞きたくない! 私だってわかっていた。解っていたのよ! あの男(ひと)がサクヤを選んだのは美貌があったからではない。あの子は心まで美しかった。月の民としての能力を失ってまで……美貌を失ってまで、あの人の元へと旅立ったサクヤの心にあの人は惹かれたのよ。……でも認められなかった。美貌も心もあの子より醜い自分を認めることなんてできなかった。だから、私は恨んだ。父を、妹を、あの人さえも……」

 

 イワナガ姫は顔を抑える。涙を抑えているように石長姫には見えた気がした。

 

(……イワナガ姫様。貴方様は醜くなどありません。それは妹であるコノハナサクヤ姫様が一番ご存知でした)

「うるさい。うるさい、うるさいうるさい! あの子に……、才あるものに私の気持ちなど解るわけない……!」

(……イワナガ姫様。そのお怒りはきっと、時とともに失われるはず……。ともに眠りましょう。その感情が落ち着くその時まで……)

 

 石長姫はイワナガ姫を抱きしめると、溶岩の深海へと沈み始める。大きな愛情に抱擁されたイワナガ姫はもう抵抗することはしない。二人のシルエットはどんどんと小さくなり、一点となり、そして、見えなくなってしまったのだった。



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しばしの休憩

――妖怪の山、上空――

 

「……あのお姫様、溶岩の中から上がってこないんだぜ……。やった、のか……?」

 

 ブレイジングスターを使って、イワナガ姫を妖怪の山に叩き落とした霧雨魔理沙は火口を覗き込んで様子を窺っていた。しばらく、火口を眺めていたがイワナガ姫が戻ってくることはなかった。どうやら倒せたらしいことを確信した魔理沙はほっと胸を撫で下ろす。

 

「なんとか倒せたか、なんだぜ。それにしてもめちゃくちゃ早く動くお姫様だったんだぜ……ん?」

 

 魔理沙は自分の掌が震えていることにふっと気付く。

 

「なんで、震えてんだ私……? ……そりゃそうか。だって、殺したんだもんな」

 

 魔理沙は自分に言い聞かせるように声を震わせる。これまでも魔理沙は殺生をしてこなかったわけではない。しかし、それらはいずれも動物の形をした妖怪ばかりだった。月の民とはいえ、人間と同じ姿かたちをした者を火口に突き落とし、殺してしまった魔理沙はほのかな罪悪感に包まれる。

 

「気にするこたぁないさ」

 

 魔理沙の背後からかけられる幼い声……。声の持主は『詐欺ウサギ』、因幡てゐだった。てゐはイワナガ姫に痛めつけられた腹部を軽く押さえながら魔理沙との会話を続ける。

 

「詐欺ウサギ、お前生きてたのか!?」

「おいおい、勝手に殺さないでおくれよ。……あのお姫様は死んじゃいないさ。眠りについただけ……。石長(いわなが)姫とともに……」

「何言ってるんだぜ……?」

「……霧雨魔理沙、アンタは人殺しはしてないってことさ。なんなら人助けをしたかもしれない。イワナガ姫と石長姫を会わせることはサクヤ姫にとっての悲願だっただろうからね」

「お前が何言ってるか、さっぱり解らないんんだぜ?」

「いいんだよ、わからなくて。さ、永遠亭に戻ろう。お師匠様や姫様、それに鈴仙たちも治療しないといけない……。もちろん魔理沙、アンタにも手伝ってもらう」

「あ、ああ。もちろん手伝うけどさ……」

 

 魔理沙とてゐは妖怪の山火口から永遠亭へと飛び立った。到着したてゐはまず、永遠亭の心臓である永琳の治療に入る。

 

「……深い傷なんだぜ。治せるのか……?」

「ま、あたしがそばに居れば……、お師匠様の地力があればすぐに意識を取り戻すはずさ。私の能力は『人間を幸運にする程度の能力』だからね」

 

 てゐは得意気に微笑む。だが、そんなてゐの表情を魔理沙は訝しんだ。

 

「……おい、詐欺ウサギ。お前なんでこいつらの治療を後まわしにして、私のとこに……、妖怪の山の上空にまで来たんだよ? 優先順位を間違えてるんだぜ?」

「……間違っちゃいないさ。私は誰よりもこの幻想郷を愛している。この竹林が高草郡と呼ばれていた時から住んでいるんだからね。霧雨魔理沙、アンタはこの幻想郷に必要な最優先のピースなんだよ? 自覚はできないかも、だけどさ……」

「私がピース……?」

「う……、く……?」

 

 魔理沙とてゐの会話を止めるように、八意永琳が軽いうめき声をあげながら目を覚ます。

 

「気付いたかい、お師匠様?」

「……何か温かいと思ったら……。貴方の力で私に幻想郷の運を与えていたのね、てゐ。おかげで思ったよりも早く目覚めることができたわ」

「それはどういたしまして。目覚めてすぐで悪いんだけどさ。鈴仙と私の部下たちの治療をお願いしたいんだよ。お師匠様」

「まったく、今日は患者さんの多い日ね。嫌になるわ」

 

 ぼやきながらも、永琳は立ち上がり鈴仙たちの治療に当たる。

 

「あいたたたた。酷い目にあったわね……」

 

 永琳の治療を受けて意識を取り戻した蓬莱山輝夜は後頭部を抑えながら、体を起こす。

 

「何が酷い目だ。それはこっちのセリフなんだぜ?」

「あらあら、無事だったのね。魔法使いさん?」

「おかげさまでな」

「……それで、無事貴方の目論見通りに行ったのかしら? 因幡の素兎(しろうさぎ)さん?」

「うん、姫様のおかげで目覚めたらしい。もっとも安定しているとは言い難いけどね」

「そう。上手くいったのね。それは良かったわ」

 

 蓬莱山輝夜は流し目で魔理沙を見やる。

 

「さて、姫様も魔理沙も疲れているだろう? ゆっくりとは無理だろうが、休むと良い。本当の闘いはここからだろうからさ」

 

 因幡てゐは労うように、輝夜と魔理沙に休憩を促すのだった。

 

◇◆◇

 

 魔理沙は促されるままにてゐと一緒に休憩のため、永遠亭の中へと入って行った。奥の座敷に入ったときに魔理沙の眼に映ったのは……縄でぐるぐる巻きにされた魔理沙の父親だった……。

 

「お、親父!? 何してるんだよ!?」

「何もくそもあるか! 兎に酒をもらって飲んだら急に眠くなって、気付いたらこんなことに……。あっ! てめぇ、俺に酒飲ませた兎じゃねえか!? てめぇだな? 俺が寝てる間にこんな格好にさせたのは! さては酒に一服盛りやがったな!?」

「こうでもしないと、アンタ姫様と魔理沙の修行や私たちの戦闘に顔を出しかねなかったからね。血の気の多い人間を黙らせるときはこうするに限る」

「情けねぇなぁ、親父。こんなしょぼいやり方にやられるなんて……」

「うるせぇ! 魔理沙、さっさとこれ解きやがれ!」

「ったく、しょうがないんだぜ」

 

 魔理沙は父親の縄を解いてやった。不自由から解放された霧雨は首をごきごきと鳴らして体の状態を確かめる。

 

「くそ、体のあちこちがいてぇ……。がっちがちに締め込みやがって。……魔理沙、お前……」

 

 霧雨は魔理沙の顔に視線を向ける。

 

「なんだよ、親父。気持ち悪いんだぜ?」

「お前、何か変わったか? リサに……。……いや、何でもねぇ」

 

 霧雨はそう言いかけて口を止めた。魔理沙の何かが妻であるリサと一緒になっている。そんな雰囲気を感じたが、その正体が何かを霧雨ははっきりと知ることができなかった。

 

 霧雨の違和感の正体。それは殻をやぶり、魔理沙が手にした『境界を破る程度の能力』だった。母親であるリサと似た能力に魔理沙が開眼しつつあることを、漁師として自然と長く付き合ってきた霧雨の鋭い感性が察知したのである。

 

「まあ、二人ともお師匠様が鈴仙たちの治療を終えるまでゆっくりしててくれ。終わったら魔理沙には仕事をしてもらおうと思ってるからさ」

 

 そう言って、因幡てゐは座敷から消えていった。八意永琳の治療の手伝いにいったのだろう。

 

「たしかに疲れたんだぜ……。少し休むか……」

 

 魔理沙は座敷の畳にごろんと寝転ぶと束の間の休息を取るのだった。



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結界の境界

――1時間ほど経過しただろうか。座敷で寝ていた魔理沙は誰かに起こされる。

 

「んあ? なんなんだぜ? 朝か?」

「寝ぼけるんじゃないわよ、霧雨魔理沙」

「お前は……。鈴仙何とかインばなな……だっけ?」

「アンタ、私の名前馬鹿にしてるわね。しばくわよ?」

「冗談、冗談。だが、そんなわかりにくい名前してるお前も悪いんだぜ? ……お前、何か耳の形ちょっと変わってないか?」

「……義耳をあの襲来したお姫様に壊されたからね。これはスペア」

「その耳、つけ耳だったのか……」

「この耳、本来の耳より性能が悪くて聞こえが良くないの。ノイズが多くてイライラしてるから、ご協力いただけると嬉しいんだけど?」

「露骨に不機嫌なんだぜ。……協力って何させるつもりなんだよ?」

「……中庭に来てちょうだい。そこでお師匠様たちが待ってるから」

 

 鈴仙は用件を伝え終わると、奥座敷を出て行った。

 

「一体何だってんだぜ?」

 

 魔理沙も立ち上がり、鈴仙の後を追って中庭へと向かう。そこには鈴仙の言った通り、八意永琳、因幡てゐ、蓬莱山輝夜が集まっていた。鈴仙は永琳に報告する。

 

「お師匠様、連れて来ました」

「待ってたわよ、魔理沙」と微笑む永琳。

「……もう兎たちの治療は終わったのか?」

「ええ」

「……それで、私に何を協力させるつもりなんだぜ?」

「これだよ、これ」

 

 因幡てゐが指さす先にあったのは、虹色に輝く一つの勾玉……。それを見て魔理沙は思い出す。

 

「これは……、イワナガ姫とかいうヤツが幻想郷の運を奪おうとして使ってたアイテムだよな? すっかり忘れてたぜ。名前はたしか……」

「伊弉諾物質(イザナギオブジェクト)と私たちが呼ぶ物質で造られているわ」

 

 今度は蓬莱山輝夜が口を開く。

 

「そうそう、それなんだぜ。って、おい。いつまでこんなもん置きっぱなしにしとくんだよ? これが幻想郷の運を奪ってんだろ。早く壊しちまおうぜ!」

「それができないから、アンタを呼んだんだよ。霧雨魔理沙」

 因幡はふっとため息を吐きつつ、

「こいつには強力な結界が張られていてね。……おそらく、お母様とか呼ばれるヤツが張っている結界だ。触ろうしたら体が強い魔術で弾かれる。おかげで排除できないってわけだよ。……そこで、アンタの出番ってわけだ」

「私の出番? おいおい、私は火力系魔法美少女なんだぜ? 結界の専門家はもっと適任がいるだろ?」

「……その専門家たちが軒並みやられちゃってるから、こんな事態になってるのさ。博麗霊夢はいまだに意識不明。八雲紫も存在に気づいちゃいるだろうが手を出せないから、こんな状況に陥っているんだろうさ。……だから、アンタに目覚めてもらうしかなかった。やってくれ、魔理沙」

「とんだ無茶ぶりなんだぜ。イワナガ姫がこの伊弉諾物質とやらを中庭に設置しようとしたときに、私も防ごうとしたが無理だったんだぜ? そりゃ、私ももっと成長すりゃあこんな結界くらいぶち破ってやりたいが……」

「できる」

 

 魔理沙は因幡てゐが鋭い目つきで自身を見つめていることに気付き、思わずぶるっと体を震わせる。

 

「お前さんらしくないね、霧雨魔理沙。やる前から無理何ていうなよ。幻想郷最年長の私が言ってるんだ。お前さんにはできるよ。アンタの中に流れている血が、この幻想郷を救うんだ。黙ってやりな」

 

 魔理沙は因幡てゐの口調が普段の幼女風のものから、長老のような重い『それ』に変わっていることに戸惑いつつも、指示に従うことにした。霧雨は恐る恐る勾玉型の伊弉諾物質に手を伸ばす。

 

 ……結界の境界。それが魔理沙には見えた気がした。強力な結界の『弱所』。魔理沙は無意識にそこに魔力を流し込む。魔力を流し込まれた伊弉諾物質の結界は、結び目の解かれた縄のように呆気なく分解されていった。激しい光を伴いながら……。

 

 

「ほらみろ。できたじゃないか」

 

 因幡てゐは得意気な表情で、結界から解放されて剥き出しになった伊弉諾物質に視線を送るのだった。

 

 

 

――魔法の森の奥、魔女集団『ルークス』のアジトにて――

 

 

「……そろそろか……。……マリー、ドーターたちの進行状況はどうじゃ?」

 

 ルークスのボス『テネブリス』が、魔理沙の伯母でありルークスの幹部階級『ドーター』のトップでもある『マリー』に尋ねる。

 

「……はっ。……ドーターたちの大半を失いはしましたが……、間もなく伊弉諾物質の配置が完了します」

「……聖遺物の一つであるあの物質を、『伊弉諾物質』などという呼び方をするのは気に食わんが……仕方あるまい。本来の名は貴様らには発音することすらできないからのう……。……何……!?」

 

 腰の曲がった老婆テネブリスは違和感を覚え、声を発した。その視線は老婆とは思えぬほど、鋭く光っている。テネブリスは違和感の正体を探る。

 

「……ワシが件の勾玉にかけていた結界が破られたじゃと……!?」

「お、お母様の結界が破られた……? そんなまさか……」

「この感覚は……リサか……」

 

 マリーはテネブリスが憤怒の表情で歯ぎしりする姿を見て、恐怖を募らせる。テネブリスはリサと口にした。マリーは嫌な予感を隠せない。

 

「結界を解いたのはリサの娘か……! やはり、リサの後片付けをきっちりとすべきじゃった……! 運のない小娘がここまで急速な成長を果たすとはのう……」

 

 マリーの嫌な予感は当たってしまう。テネブリスの結界を解いたのは魔理沙だったのだ。

 

「……配置した伊弉諾物質を破壊されるわけいにはいかん。……早急に始末しなくてはならなくなったのう……」

 

 テネブリスはしわくちゃの口元をぐにゃりと歪めるのだった。



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次代

◆◇◆

 

――ここは永遠亭、霧雨魔理沙は因幡てゐをはじめとする永遠亭メンバーと伊弉諾物質の結界を解いていた。

 

「ほら、私の言った通りだったろ? お前さんはできるんだよ」

 

 因幡てゐはいたずらに微笑む。てゐの手には魔理沙の能力によって防御結界を破ることに成功した伊弉諾物質の勾玉が収められていた。

 

「……信じられないわ。私でも手を出せなかったこの勾玉の結界を容易く破壊するなんて……」

 

 永遠亭の薬師、八意永琳は目を丸くする。だが、もっと目を丸くしていたのは他でもない魔理沙自身だった。

 

「これを本当に私がやったのか……?」

 

 魔理沙は半信半疑の眼で自分の掌を見つめていた。

 

「さて、お前さんにはこれからどんどん働いてもらわないとね……!」

「働く……?」

「ああ。幻想郷にばら撒かれたこの『伊弉諾物質』を回収するんだ。あんな魔女連中に幻想郷の運を悪用されるわけにはいかないだろう? そのためには魔理沙、お前さんのその能力は必須だからね。嫌だと言っても協力してもらうよ? お前にしかできないことだ」

「私にしかできないこと……」

 

 魔理沙の表情がほんのわずかに綻ぶ。魔理沙は人間の中では魔法が格段に上手く使える方だ。だが、それはあくまで人間レベルで優れているというだけだ。これまで、霊夢のような特殊な存在や妖怪などの人智を超えた存在に褒められたことはない。そんな魔理沙が初めて妖怪たちに、それも強力な存在である月の民たちに特別と認められたのである。嬉しいという感情が芽生えるのも仕方のないことだった。

 

「……帰ってきたわね」

 

 永琳が険しい顔をして永遠亭の入り口に視線を向けた。永琳の視線が動いたことに感づき、その場にいた者全てが永琳と同じ方向に視線を送る。

 

 視線の先、空間上に一筋の裂け目が生まれる。裂け目は開き、中から金髪の美しい妖怪が現れた。幻想郷の賢者『八雲紫』である。

 

「……紫!?」

「魔理沙、そんなに驚くことはないでしょう?」

「そういやお前、どこに行ってたんだ? こっちは大変だったんだぜ、月のお姫様が攻めてきてさ……」

「……魔理沙、あなた……!?」

 

 八雲紫はすぐに気付いた。魔理沙の中の何かが完全に変わっていることに……。何かが目覚めていることに。

 

「……因幡の素兎。貴方の入れ知恵? あなた、魔理沙に何をしたの……? 返答によっては……」

「怖い、怖い。……大したことはやってないよ。姫様に手伝ってもらったのさ」

「……輝夜姫に手伝わせたということは……、須臾の世界に引きずり込ませていたのね? 一歩間違えば死んでもおかしくない。よくもそんなことを……!」

 

 睨む八雲紫の表情に対し、てゐは軽快な様子で反応する。

 

「……そんなに血が大事なのかね。妖怪の代賢者様にとっては……」

「幻想郷の年長者とはいえ、やってはいけないラインがあるわ」

「まぁ、相談せずにやったことは謝るよ。でも、相談してもアンタは首を縦には振らなかっただろう?」

「…………」

「図星だね。私が動かなかったら魔理沙の能力の発現はもっと後(あと)になっただろ? 結果として大きく成長することになったんだ。感謝してもらっても良いくらいじゃないかい?」

「……でも!」

「……この娘が大事なのはわかるが、手厚く保護し過ぎるのも良くないんじゃないかい?」

 

 紫は下唇を噛む。魔理沙は不思議に思った。てゐと八雲紫の会話を聞く限り、八雲紫は魔理沙のことを守っているらしい。

 紫が自分と霊夢を関わらせようなかったのは、運を持っていない自分が危険なことに首を突っ込むのをよしとしなかったからだろうか、と魔理沙は朧気に推測する。だが、わからない。霊夢と言う共通の繋がりがあるということ以外、紫と魔理沙に接点はないのだ。

 そんな紫がなぜ自分を守ろうとしていたのか。それも霊夢から離れろという雰囲気を醸し出してまで、紫自身が嫌われるような動きをしてまで……。

 

「ところで、貴方今までどこに行ってたのかしら? 大事な博麗神社の巫女さんをここに置いてまで、ね」

 

 魔理沙の思考を遮るように声が発せられた。声の主は永遠亭の頭脳『八意永琳』。

 

「……次代の巫女を迎えに行っていたのよ。外の世界にね……」

 

「なんだって!?」と魔理沙は驚愕する。八雲紫は魔理沙の声を無視してスキマを空間に出現させて広げると、中から一人の少女を取り出した。

 霊夢のように長い黒髪を持ったその少女は眠っているのか、目を瞑っている。紫が気絶させている可能性も十分にあると魔理沙は勘繰った。

 

「おい、紫……! その子が次代の巫女だって……!? ふざけんじゃねえぜ! お前、本当に霊夢を見捨てるつもりなのかよ!?」

「…………」

 

 紫は無言で魔理沙の言葉を肯定した。魔理沙はさらに怒りの感情を強めて叫ぶ。

 

「大体その子は何者なんだよ!? どこの誰かもわからないヤツに霊夢の代わりが務まるだなんて思えないんだぜ!? 博麗の巫女ってのはそんな簡単に代われるようなポジションなのかよ!?」

 

 魔理沙の感情的な言葉に、紫は冷静な口調で答えた。

 

「誰でもができるはずないでしょう? ……この子もまた、博麗の巫女に相応しい資質をもちろん持っているわ。……宇佐見の正統血統なのだから……」

「……宇佐見……?」

 

 魔理沙は紫の放った聞き覚えのない名字に首を傾げた。

 この宇佐見の少女『宇佐見菫子』と魔理沙が再会するのは、もっとずっと後のことになる。その時、彼女は髪型も変え、眼鏡もかけ、別人のような見た目になっているのだが、それはもっと未来の話のことになるのだった。



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四重結界

「……誰が次代の巫女になろうと、どうだっていいさ。けどな、霊夢を見捨てるつもりだってんなら、私は絶対許さないんだぜ!」

 

 魔理沙は紫の前に立ちはだかる。

 

「どきなさい、魔理沙。霊夢の中にある『陰陽玉(もの)』を、この宇佐見の血を色濃く受け継ぐ娘に移し替えなければならないのだから」

 

 紫はまっすぐに魔理沙を見つめる。微かに眉間に皺を寄せながら……。

 

「……移し替えるだって? ……霊夢の中に何が入ってるのか知らないが、移し替えて霊夢は無事でいられるのかよ……!? どうせそんな都合の良いことはないんだぜ!」

「……そうね。貴方の予想するとおり。霊夢は死ぬことになるわ。陰陽玉の後継者として生き、そして次の後継者に陰陽玉を託して生を終える……。……それが博麗の巫女の運命(さだめ)だもの」

「運命だって……? そんな運命、幻想郷中の全員が認めたとしても、私だけは絶対に認めないんだぜ!」

「勝手なことを言うわね」

「何が勝手だ!? お前が一番勝手じゃないか! 霊夢は知ってんのかよ! 自分の中に妙なものが入ってるって……」

「知っているわ」

「な、なんだって!?」

「……たしかに全ての歴代の巫女が望んで陰陽玉の後継者になったわけではないわ。……いえ、ほとんどの後継者はその意思にかかわらず、博麗の巫女となってきた」

「……紫、お前相当に悪いヤツなんだぜ……!」

「……それについては否定しないわ。……でも、霊夢は違う。霊夢は陰陽玉の後継者となることを自ら選んだ」

「な、なんで霊夢はそんなこと……」

「尊敬していたんでしょうね、先代のことを……。だから彼女の意志を継ぎたかったんじゃないかしら……」

 

 紫は眉尻を下げて、わずかに視線を宙に向けた。

 

「……霊夢が自分で選んだだなんて。……きっとお前の嘘なんだぜ……!」

「魔理沙、貴方本気で言ってるのかしら? ……そんなことはないでしょう。貴方も空気を敏感に察知できるタイプだもの。私が嘘をついてるかどうかは感じとれているはず」

「くっ……」

 

 たしかに紫の言う通りだった。今の紫にいつんもの胡散臭さはまったく感じられない。それは魔理沙もわかっていた。

 

「霊夢も解っているはずよ。自分に何かあれば、陰陽玉を守るために殺されるってことは……。覚悟もしていたはず」

「……それでも、霊夢を殺させるわけにはいかないんだぜ。私はまだ一度もあいつに勝ってないんだ。勝ち逃げされてたまるか、なんだぜ!」

「邪魔をするなら、それでも構わない。止められるものなら、止めてごらんなさい」

 紫はゆっくりと歩みを進める。

「それ以上近づくってんなら、私のマスタースパークをお見舞いしてやるんだぜ!」

「……やってごらんなさい」

「言われなくても、だ!」

 

 魔理沙はミニ八卦炉を構えると、魔力を込める。龍穴の上に建つ永遠亭には運が十二分にある。運がない魔理沙でも魔法が使えるくらい十分に溢れた運が。魔理沙は魔法名を叫ぶ。

 

「マスタースパァアアアアアク!」

 

 魔理沙の放った極太の光線は一直線に紫に向かう。しかし、紫は汗ひとつかかずに涼しい表情を見せていた。

 

「四重結界」

 

 呟いた紫の周りを直方体の結界が囲い込む。魔理沙のマスタースパークはいとも簡単に阻まれてしまった。

 

「……多少、能力に目覚めたとは言っても所詮まだまだこの程度。そこを退きなさい、魔理沙。……霊夢のことはもう諦めなさい……」

 

 紫は悲し気な表情で魔理沙に降伏を促す。その言葉は紫自身にも向けらていたのかもしれない。

 

 ……だが、魔理沙は諦めない。

 

「死んでも退いてやらないんだぜ!」

 

 魔理沙は再び魔力をミニ八卦炉に込める。

 

「無駄なことを……」

「マスタースパァアアアク!!」

 

 紫は四重結界を発動させる。魔理沙の光線はまたも結界に阻まれる……かと思われた。

 

「なに!?」

 

 紫は眼を丸くする。四重結界にヒビが入っていたからだ。魔理沙の『境界を破る程度の能力』は不安定ながらも、強力に覚醒しようとしていた。

 マスタースパークはひび割れた四重結界を力づくで押し通った。紫は咄嗟にスキマを顕現させ、身を隠す。

 

「……私の『境界を操る程度の能力』を一瞬だけとはいえ、上回った……!? ……そうだったわね。貴方もまた『正統血統』ですものね。忘れていたわ」

 

 スキマから帰ってきた紫は魔理沙に聞こえないくらいの音量で独り言を呟いていた。

 

「ちょっと、貴方たち他人(ヒト)の家で暴れないでくれないかしら?」

 

 八意永琳が苦言を呈す。

 

「……八雲紫。私も薬師として魔理沙につかせてもらうわ。……たしかに、今博麗霊夢は生きようとすらしていない。でもまだ死んでないわ。死ぬその直前まで、私は治療を続ける。彼女の命を奪うにはまだ早いわ。それが私の個人的な見解」

「……何かあってからでは遅いの」

 

 紫は八意永琳を睨みつける。ピリついた空気感の中、『幻想郷の最長老』が口を開いた。

 

「何かあるからこそ、霊夢は生かしておくべきなんじゃないかい? 賢者さん?」

 

 因幡てゐがいたずらな笑みを浮かべて紫に視線を送っていた。

 

「……どういう意味かしら?」

「……今回の異変。あたしゃ『人間』の力が必要だと踏んでいるのさ」

「……人間の力が必要? ……何を根拠に……」

「感性だね。勘ともいう」

「くだらないですわね」

「幻想郷とともに生き続けた老兎の勘なんだよ? 少しくらい信用してもらっても良いんじゃあないかね?」

「……『人間』が必要だとして、それと霊夢を生かしておくことに何の関係が……」

「アンタと一緒さ。……いや、正確にはアンタたちと一緒さ。この子たちはきっとアンタたち以上になれる素質がある。霊夢と魔理沙じゃなきゃダメだ。アンタが連れてきた宇佐見の正統血統とやらにこの役目は果たせない。……今回の異変の首謀者。あの婆さんが企むことを阻止するには霊夢と魔理沙が必要になる。私の勘がそう言ってるよ」

「因幡てゐ、まさか、あなたの狙いは……。…………っ!?」

 

 紫は出し掛けた言葉を引っ込めた。自分と同じ力が発動したことに気付いたからだ。……魔理沙もまた違和感を覚える。

 

「……どうしたんだい、魔理沙。それに賢者さんも……。何か悪いことでも起こった感じかい?」

 

 てゐの言葉に魔理沙が答える。

 

「何なのかわかんねぇ。何なのかわかんねぇけど……、人里の方向に嫌な気配を感じるんだぜ……」

「……なに? ……賢者さん、一体何が起こってるんだい?」

「……ヤツらが人里に侵攻したようだわ。……私と同じ境界を操る能力を持ったものが空間移動を使ったようね。……あのお婆さんの右腕が……」

 

 紫は不快そうな表情で人里に視線を向けるのだった。



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張れ命

「……人里を明け渡すわけにはいかない。……八意永琳。貴方に博麗の魂、任せるわよ?」

 

 紫は抱き上げた宇佐見菫子を永琳に預ける。

 

「……賢者殿は私に何をしろっていうのかしら?」

「……わかっているでしょう? ……もし、霊夢が死ぬようなことになったときは……、陰陽玉をこの菫子(むすめ)に移植してちょうだい。もちろん失敗は許さない」

「まったく、とんでもない案件を任されてしまったものね」

 

 八意永琳はふぅと溜息を吐き、「……人里に向かうのね?」と紫に問うた。

 

「当然よ。人里を渡すわけにはいかない。あそこは幻想郷最大の龍穴がある場所だもの」

「……最大の龍穴……!? 人里にそんなのがあるのかよ!?」

 

 紫の言葉に魔理沙が声を大にする。

 

「…………」

 

 紫は一時の沈黙を守った後に、口を開く。

 

「ここまで首を突っ込んでいるのだから、今さら隠す必要もないわね。……そうよ。人里には最大の龍穴が存在する」

「……そんなバカな、なんだぜ。そりゃ私だって、龍穴なんて運が噴き出す場を知ったのは、ここでてゐに会ってからだけど……。さすがにそんな大仰なモンが人里にあったら、気付いてるはずなんだぜ……!?」

「……気付かないのも無理ないわ。人里の龍穴は有力な名家たちに封印させている。あなたの知っている範囲でいうなら……、稗田家にもその使命を与えた。……もっとも、『私たち』が龍穴を封印しているのは、運を噴き出させないため、というわけではない。もっと大事なものを失わないため……。そもそも、運にここまでの価値があると知ったのは、私も今回の異変でのこと……。……迂闊だったわ」

「稗田……。あのでっかいお屋敷か。たしか、あそこは私と同じくらいの娘が当主を務めているんだっけ……? たしか名前は阿求とかいうはずだぜ……」

「……とにかく、私は人里を……、幻想郷を守りに行くわ……。やつらが表立って人里に足を運んだのは、幻想郷最大の龍穴があることに気付いているからに違いないもの」

「……私も行かせてもらうぜ」

 

 魔理沙は決意に満ちた表情を紫に向ける。

 

「……止めてもどうせ来るのでしょう? ……死ぬ覚悟があるのなら、人里に来なさい」

 

 紫は思う。たしかに不安定とはいえ、血に目覚めつつある魔理沙ならば……、魔女集団ルークスにいるもう一人の正統血統であるマリーにも対抗できるかもしれない、と。本ねを言えば、宇佐見と同じく特殊な血縁をルーツに持つであろう魔理沙を失うことは避けたい紫だが、龍穴を奪われ、幻想郷自体が消滅するかもしれない緊急事態にそんな悠長なことは言っていられないと紫は判断する。

 紫は言い終わると、スキマを展開し、中へと入る。

 

「特別に連れて行ってあげるわ。早く来なさい」

 

 スキマの向こうから紫が魔理沙に声をかける。魔理沙がスキマの中へ入ろうといた時だった。

 

「……魔理沙」

 

 野太い男の声が魔理沙を引き止める。声の主は魔理沙の父親だった。

 

「……なんだよ、親父。止められても私は行くぜ?」

「……止めやしねぇさ。さっきのお姫様みてぇなヤツとお前との戦いを見れば、もう、俺の力じゃ止められそうにねえからな」

 

 魔理沙の父、霧雨はふっと息を吐く。

 

「見てたのかよ、親父」

「ああ。……情けねぇ話だ。自慢の腕っぷしも妖術やら魔法とやらの前じゃとても通用しそうにねぇ。見届けるのが精一杯だった。……だが勘違いすんなよ。まだ、お前の魔法使いへの道を認めたわけじゃねぇからな! 魔法使いの道を諦めるまでウチの敷居を跨ぐことは許さねぇ!」

「言われなくても跨ぐつもりはないんだぜ。『今はまだ』、な」

「……生意気言いやがって。本当に誰に似たんだかな……」

「……親父」

「あぁ? なんだ?」

「ありがとな」

「……縁起でもねぇ挨拶だな。てめぇは『順番』を守れよ。リサみたいに順番抜かしすんじゃねぇぞ!」

「ああ。じゃあな親父。そのうち認めさせてやるから覚悟しとくんだぜ?」

 

 魔理沙はスキマの中に飛び込んだ。

 

「お話は済んだかしら?」と問う紫に「ああ」と魔理沙は答えた。

 

 スキマは閉じ、残された永遠亭のメンバーたちはそれぞれに動き出した。そんな中、霧雨はポツリと呟いた。

 

「止めやしねえさ。……魔理沙、てめえにとっての幻想郷(ここ)は、俺にとっての海と一緒だろうからな。……命張って守ってこい……!」

 

 霧雨は眼光するどく、スキマがあった場所を見つめるのだった。



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意固地

――妖怪の山――

 

 因幡てゐと鈴仙・優曇華院・イナバは兎らしく山を駆けていた。魔理沙が紫と共に永遠亭を去ったと同時に、てゐが鈴仙を連れ出したのである。

 

「ちょっと、てゐ。もう少し抑えて走ってよね。私、頭がズキズキしてんの! まだ義耳を壊された傷が癒えてないんだから!」

「私だって、イワナガ姫に傷つけられたお腹は治ってないよ! 若いんだから我慢しな!」

「……本当に無茶言ってくれるわよ、兎の長老様は! ……ところで、何しに妖怪の山に来たわけ? まだ聞かされてないんだけど」

「……ベストを望むのが難しくなったからね。ベターの方法を試そうと思ってさ」

「ベター?」

 

 そうこうしている内に二人は山肌が荒れた場所に到着した。足元は洪水でも起こったのではないかというくらいに水でぐちゃぐちゃになっている。鈴仙は思わず首を傾げる。

 

「おかしいわね。たしか、ここって湖か何かがなかったっけ? 私の記憶違い?」

「記憶違いじゃないよ。ここにはたしかに湖があった。そこそこ大きい龍穴の上にね。……件の魔女集団の一角と新入りの神どもの秘蔵っ子が戦闘した時になくなってしまったらしい」

「……なんでそんなこと知ってんのよ?」

「天狗の情報屋に聞いたのさ。ちょいとこれを積んでね」

 

 因幡てゐは手でお金のハンドサインを作ってお道化て見せた。どうやら、金を払って天狗から、東風谷早苗とインドラが戦闘していたことなどを聞いたらしい。

 

「そういえば、今日は妖怪の山に入ったってのに白狼天狗どもが姿を現してないわね……」

 

 鈴仙は眼と波長を使って辺りを探索する。しかし、白狼天狗の姿も鴉天狗の姿も見当たらない。

 

「ちょいと入らせてもらうよって。予めお願いしたからね。……それに、天狗側も今は私に構っていられない様子だったよ。弱みを見せない奴らだから口にはしていなかったが、魔女集団のやつらにやられて結構被害が出てるらしい。仲間の治療に専念したいんだろうさ」

「ふーん。天狗たちもやられてるのね……。ま、本来なら私たち二人も仲間の兎たちの介抱を続けるべきだと思うんだけど? それをほっぽり出してまで、ここに何しに来たわけよ?」

「……人間レーダー、もとい兎レーダーの鈴仙でも気付かないか。そこに虹色に光る勾玉があるだろう?」

 

 てゐが指さした方に鈴仙は視線を向け、目を細めた。確かに虹色に光る勾玉がそこにはあった。

 

「……これはイワナガ姫が持っていた……」

「伊弉諾物質(イザナギオブジェクト)……。その加工品さ」

「……伊弉諾物質、ね……」

「太古の昔に神が国造りするときに用いたもの。これはその残骸を使って造られたんだろう。残骸と言っても、人間が創るどんな物質よりも万能さ。……これが幻想郷じゅうの龍穴に配置されてしまっているらしい。このままじゃ、奴らに根こそぎ運を取られてしまう。そこで、だ。本当は能力に目覚めた霧雨魔理沙に除去をお願いしたかったんだが……。思ったよりも早く、ルークス(あいつら)が動き始めてしまったからね。代わりに鈴仙に除去してもらおうってわけさ」

「……私はあの人間のスペア扱いってわけ?」

「機嫌を損ねるなよ。魔理沙が使えないときはお前しかいないと思ってたんだから」

「そ、そう。ふふん。ま、いいわ。私じゃないと無理そうなら仕方ない」

 

 てゐのわかりやすいよいしょにすら気付かず、鼻を高くする鈴仙を見ててゐは『扱いやすい子供だなぁ』と苦笑していた。鈴仙はその苦笑にも気付かず、伊弉諾物質に手を伸ばす。

 

「……私の能力を持ってしても波長が捉えられない。一体どんな結界で守られてるのよ?」

 

 鈴仙が解析しようと、波長を確認したときだった。バチっという音とともに、鈴仙の体が弾き飛ばされる。

 

「きゃっ!」という悲鳴を上げながら尻もちをついた。

「な、なによ一体!? 解析すらできないなんて!? ……やってくれるじゃない。その結界、波長を変えて壊してやるわ!」

 

 意固地になった鈴仙は再び伊弉諾物質に張られた結界を解除しようと試みるが……。

 

「ああぁああぁ!?」

 

 バチバチバチッという音とともに、雷に打たれたような衝撃が鈴仙を襲う。気付けば、鈴仙の波長を操る程度の能力に不可欠な義耳が片方壊れてしまっていた。

 

「そ、そんな。また義耳が……。お師匠様に叱られるぅ……」

 

 耳が壊されたことで落ち着きを取り戻したかと思うのも束の間、永琳に叱られることを妄想した鈴仙はすぐにブルーになってしまった。

 そんな鈴仙の姿を見て、てゐは『情緒の激しいやつだなぁ』と、まだまだ未熟な鈴仙を老婆的な心持ちで見守る。

 

「やれやれ。敵もさるもの引っ掻くもの。血は争えないか。いや、この場合は血でしか争えないと言うべきかね。ありがと、鈴仙。こいつはやっぱり魔理沙じゃないとだめだったみたいだ。いや、魔理沙でも無理かもね。術者を倒さねばいけないようだ」

「悔しィいいいいいいいいいい!」

 

 鈴仙は片方だけになった耳をしおしおと萎れさせる。

 

「どうやらベターにも出来ないらしい。でも、最低限は確保した。あとはお前ら次第だよ、人間の少女たち……」

 

 因幡てゐは、策が上手くいかなかったにも関わらず、何故か穏やかな表情で空を見上げていた。



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三天使

――人里――

 

 晴天の空に太陽が浮かんでいた。いつものように平和な人里で、人々は普段の営みを送っている。今日も日が暮れるまで子供たちは遊び、大人は仕事をして夕暮れを迎える。と誰もが思っていた。

 

 異常が起きたのはお昼を過ぎた頃だった……。それまで人里を照らしてくれていた太陽を隠すように巨大な黒い球体が人里上空に現れたのである。

 

 里の人々は『なんだ、なんだ?』と口にして、空を見上げる。しばらくすると、黒い球体から黒白の魔女たちが集団で姿を現した。

 

「……ふむ。事前調査のとおり、やはりこの人里がコミュニティ最大の運脈のようじゃな。……本音を言えば、もう少し『始まりの地』に近い量の運があればよかったのじゃが……。それは望みすぎというものじゃろうな」

 

 魔女たちの中で一際オーラを放つ老婆が不満を漏らす。

 

「さて、まずは異物を排除しなくてはならんのう。無駄に運を使っているこの人間どもを屠らねば……。……シェディム」

 

「はっ」と、シェディムと呼ばれた魔女は老婆『テネブリス』に畏まる。

「この里の人間どもを一人残らず始末するのじゃ。人間は妖精(フェアリー)や付喪神(アーティファクト)を無意識に造り出す。運の無駄遣いじゃからのう」

「承知いたしました」

 

 シェディムは杖を天に掲げると、魔力を込め始めた。シェディムの周囲に3つの六芒星に似た魔法陣が輝きながら、浮かび上がる。

 

 3つの六芒星のそれぞれから真っ白な翼を背中に生やした『天使』が召喚された。天使たちは全て真っ白な体をしていた。その姿はさながら、ミロのヴィーナスのような質感を思わせる。大理石でできた人形が動いているような感覚だ。シェディムは3人の天使に命を下す。

 

「『セノイ』、『サンセノイ』、『セマンゲロフ』……。『お母様』の命である。ここにいる人間どもを始末せよ。案ずることはない。どうせ、信仰心のない者どもだ。お前たちの『護符』を身に着けた人間などいないだろう。躊躇なく殺すが良い……!」

 

「キィィィィイイイイイ」という手入れのされていない自転車のブレーキ音。それを何倍にも大きくした甲高い不快な奇声を放ちながら、3人の天使たちはゆっくりと移動を開始した。

 

 里の住人たちは、耳をつんざく音に思わずしゃがみ込み、動けなくなってしまった。

 

「ううぅうう!? 頭が割れそうじゃ……! 一体何事が起っとるんじゃ……!?」

 

 人里の老人の一人が思わず口を開く。他の里の人々も突然の異常に困惑した表情と言葉を紡いでいた。

 

「……相変わらず、この三天使の声は頭に響くのう。対始祖にチューニングしたものとはいえ、ワシにも少なからず影響がある。この声を聴くたびに思い出し、不快な気分になるのう。『闇の神』に対する憎悪が募るわ……」

 

 テネブリスが何かを想起しながら、三天使の姿を見やる。

 シェディムは声を大にして天使たちに指示を出した。

 

「天使共、時間をかける必要はない。『死の声』の出力を最大限にしろ。一瞬でこの人間どもを根絶やしにしてやれ。それがお母様の望みである……!」

 

 天使たちは一斉に声を大きくした。里の人間たちは頭を抱え、より一層苦しみ出す。

 

「随分と惨いことをしようとしてるわね」

 

 魔女集団たちの耳に妖艶な声が届いた。すると、無数のスキマが人里に現れる。スキマは人里の人間を吸い込み、どこかへ連れて行ってしまった。

 

「……人間どもが消えた……? まるでマリーの空間移動の魔法のような……」

 

 シェディムが驚いている中、魔女集団の前にスキマが開く。中から現れたのは幻想郷の大賢者『八雲紫』と『霧雨魔理沙』であった。

 

「人里の人間に手を出すのは、この幻想郷で最も大きな罪。覚悟することね。お婆さん」

 

 八雲紫は扇子の先端をテネブリスに向ける。

 

「ふむ。存外早いお出ましじゃったのう。……リサの娘も一緒か。丁度いい。血に目覚めつつあるその娘は我が計画に邪魔じゃ。ここで殺してくれよう」

 

 くっくっと笑うテネブリスに霧雨魔理沙は宣言した。

 

「……母さんと霊夢だけじゃ飽き足らず人里のみんなにも手を出すなんてな。……お前ら全員私が退治してやるぜ!」

 

 ……こうして、幻想郷と魔女集団の最終決戦の火蓋が切って落とされたのだった。



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死の声は五月蠅い

「ふむ。やはり生きておったか。境界を操る妖怪(モンスター)よ」

 

 魔女集団『ルークス』のリーダーである老婆『テネブリス』はにやりと八雲紫に笑みを向ける。

 

「おかげさまでね」

 

 紫は不愉快そうに眉間に皺を寄せ、老婆に答えた。

 

「貴様がリサの娘とともに姿を現してくれたのは好都合じゃ。その娘はもはや邪魔でしかないからのう。まとめて始末してくれようぞ?」

「……そう簡単にはやられないわよ?」

「くくく。そう強がるでない。お主も解っておるじゃろう? 貴様とワシとではその実力に天地の差があることを……」

「……そうかもね」

「くく。お前が大事そうにしていたあの黒髪の巫女(シャーマン)は死んだか? いや、正確にはあの巫女の中にいる者、か……」

「貴方、あの子の中にいることを見抜いていたのね」

「当たり前じゃろう? 何年魔女をやっていると思っておるんじゃ? ……アレが中にいなければ、ワシが遅れを取り、腕を切られることもなかったわい。……あの巫女も生かしておけばワシの邪魔になるじゃろう。喜ぶがいい。すぐにお主の後を追わせてやるぞ?」

「悪いけど、貴方の思い通りになるほど、この幻想郷はやわじゃないの。やられるのは貴方のほうよ!」

「くく……。強がりおって……。……マリー、シェディム。相手をしてやれ。ワシは準備をしないといけないからのう……」

 

 テネブリスは人里の中心部に降り立つと、魔法陣を展開する。

 

「何をするつもりなんだぜ!? ……やらせるか!」

 

 魔理沙は咄嗟に星型の魔法をテネブリスに向けて射出する。しかし、それをシェディムの三天使の一人、『セノイ』が体で受け止める。受け止められた星はセノイの体に触れた途端、霧散するようにかき消されてしまった。

 

「お母様の邪魔はさせんぞ? 人間よ!」

 

 原始的な獣の皮でできた服を着たシェディムが長い黒髪を揺らして魔理沙に話かける。

 

「くっ……。……まるでお前が人間じゃないかのような言い方なんだぜ」

「そのとおりだ。私は人間ではない。私はお母様に造られた天使であり、精霊であり、悪霊であり、神でもある」

「こりゃまた、とんでもないこと言うやつなんだぜ。頭でも打ってんのか?」

「くく……。お前は私を神でないと言うつもりか? ならば、お前にとって私は悪霊だ……!」

「……意味わからないこと言いやがって……! どうせ、あの婆さんがやることなんて碌でもないに違いないんだぜ。お前もろともやっつけてやるんだぜ!」

「出来るものなら、やってみるがいい……!」

 

 魔理沙とシェディムがいがみ合う横で、紫とマリーもまた、対峙していた。

 

「…………」

 

 無言のマリーに紫は言葉を投げかけた。

 

「……いつまで、あのお婆さんの肩を持つつもりなのかしら? 貴方はこの魔女集団の中で一番まともだと思っていたのだけれど」

「……ごめんなさいね。私は臆病なの。まだお母様に逆らうわけにはいかない」

「この後に及んで、まだ自分の身がかわいいってわけかしら? ……その行為は貴方の妹と魔理沙への裏切りではないのかしら?」

「痛いところを突いてくるわね」

「……貴方の本心がどうであれ、幻想郷を危機に晒すというならば、容赦はしないわ。死んでもらう。……あの子の血縁を殺すのは忍びないのだけれど……」

「私もまだ殺されるわけにはいかない。悪いけど、倒させてもらうわ。全てを受け入れる幻想郷(コミュニティ)の賢者どの!」

 

 マリーは暗黒の球体を生み出すと、紫に向けて射出する。紫はそれをスキマで吸い込もうとした。球体とスキマが重なった瞬間、二つは黒光りの稲妻を発しながら相殺する。

 

 マリーと紫はともに確信する。

 

「やはり貴方も……!」

 

 二人は声を合わせて同じ言の葉を繰り出すのだった。

 

 魔理沙はシェディムとその配下である三天使と向き合っていた。

 

「気持ち悪い造形なんだぜ。像が無理やり命を吹き込まれて動かされているみたいなんだぜ」

 

 魔理沙は三天使の姿をそう形容した。

 

「ほう。鋭いな」とシェディムが返す。

「なんだって?」

「この三天使はお前の言う通り、無理やり命を紡いでいるのだ。それもこれも全てはお母様に逆らった罰……」

「……罰?」

「そうだ。この三天使は『闇の神』に促されるままにお母様の『大事なもの』を奪うことに加担したのだ。お母様は激怒され、この三天使を生きたまま、石像にされたのだ。死すらも生ぬるいということであろう。そして、この三天使を『最初のドーター』である私に託してくださったのだ」

「……元はこの三人、生身だったってわけか。何を取られたか知らないが……、えげつないことをする婆さんなんだぜ……」

「果たしてそうかな?」

 

 シェディムは首を傾げて続ける。

 

「私から見れば……、闇の神の方がよほどえげつなく、悪に満ちていたと思うがね」

「冗談も大概にするんだぜ? 母さんの人生を無茶苦茶にしておいて……」

「ふん。貴様ら人間がどのような仕打ちを受けたとて、お母様に盾突くのは筋違いだ……!」

 

 シェディムは魔理沙にそう言うと、三天使たちに命令を告げる。

 

「セノイ、サンセノイ、セマンゲロフ。この未熟な魔女に『死の声』を……!」

 

 シェディムに命ぜられ、三天使は口を開く。三人の天使たちの声は共鳴し、魔理沙へと向かう。

 

「ふふふふふ。死の声は対人間に造られた音響魔法……。人間どもを守るために生み出された天使がこれを使わせられることほど、苦しい罰はあるまい」

 

 シェディムは三天使の顔を見ながら邪悪に顔を歪めた。もっとも石像のような三天使たちからは表情を読み取れず、苦しんでいるかは不明だが。

 

 死の声は、レミリアがカストラートから受けた攻撃と似たものである。その音は対象者の脳に直接響き渡り、内部から脳を破壊する。

 

 勝利を確信したシェディムは魔理沙の表情を確認する。きっと大層苦しそうな死に顔を浮かべているに違いない、と。しかし、シェディムの予想は当然のごとく裏切られることになった。

 

「な、なに……?」

 

 シェディムは唖然として口を開けっぱなしにする。

 

「おいおいおいおい。なんて五月蠅い声なんだぜ?」

 

 魔理沙は耳を押さえて不快そうな表情を浮かべてはいるが、シェディムの予想する『死んでしまいそうな苦悶の表情』は一切浮かべていなかった。

 

「ばかな……!? なぜ生きている!? 死の声を喰らっているはずなのに……!? ……そうか。そうだったな。お前もマリーやリサと同じというわけか」

「あん? 何て言ったんだ? うるさくて聞こえないんだぜ!」

「ふん」

 

 シェディムが合図を送ると、三天使たちは死の声を止める。

 

「騒音はもう終わりか?」

「……血に救われたか。幸運なヤツだ。感謝しろ? お前が死の声を受けても生きていられるのはお母様のおかげなのだからな!」

「あの婆さんのおかげ? 感謝しろだって? 冗談も大概にするんだぜ!」

「何も知らぬ愚か者め……!」

「……私はあの婆さんに用があるんだ。さっさと倒させてもらうぜ?」

「幸運に恵まれ、猿から進化した人間ごときが……。格の違いを見せてやろう……!」

 

 シェディムは魔理沙を見下しながら、笑うのだった。



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闇の神の天使

「……崇高なるお母様。その悲願のため、お前には死んでもらうぞ、リサの娘」とシェディムは語る。

「やなこった。……あの婆さんの目的ってのはな何なんだぜ? 母さんを苦しめ、霊夢を痛めつけて……、自分の仲間に命を懸けさせてまで達成しようとしているその悲願ってのの正体は一体何なんだよ?」

「……そうだな。『神の子』の復活……。それがお母様の悲願……」

「……『神の子』? そりゃまた、えらく大層なことを言い出したな。だが、どこの神様の子どもを復活させようってんだぜ? 世界には神様なんて、それこそ八百万にいるだろ?」

「くっくくく……。ははははは!」とシェディムは高笑いする。

「何が可笑しいんだぜ?」

「お前たちの言う神とやらは全て紛い物に過ぎん。お母様の望む神の子は、この世界の創造時から存在した真の神、そのご子息のことなのだからな」

「創造時の神……、だって?」

「そうだ。そして、私はその神の子の依り代として、お母様の魂を分け与えられた最初の『ドーター』」

「『ドーター』ね。そういや、百十七号とかいう人形も自分のことをドーターだと名乗っていたんだぜ……。ドーターってのは何なんだぜ?」

 魔理沙は魔女集団の幹部レベルの魔法使いのことを『ドーター』と呼ぶことをまだ知らなかった。故に首を傾げる。

「くくくく。我らルークスの実力者を『ドーター』と呼んでいる……が。それはドーターの役割の一部でしかない。ドーターの真の役割は……依り代になること。もっとも、ドーターがその役割を果たす時には貴様は死んでいるだろう。今から私が殺すのだからな!」

 

 シェディムは三天使に命ずる。

 

「三天使ども! お母様に仇なす、この人間を始末せよ! お母様に『ヒト』を殺されるにはいかんだろう?」

「……悪趣味な脅しをしてそうなんだぜ……。おい、天使(お前)たち。すぐに解放してやるんだぜ」

「ふ……。お母様がお掛けになった呪いが解けると思うか?」

「あの婆さんが掛けた魔法なんて、あっさり解いてやるさ」

「大きく出たな、人間! 天使たち、お母様に逆らう愚かな小娘に神の光を味合わせよ!」

 

 三人の天使たちの目が一斉に光り出す。光は怪光線となって、魔理沙に襲いかかった。

 

「くっ!?」と息を吐きながらほうきに跨ると、魔理沙は次々と放たれる高速の怪光線を避けていく。

「ほう。中々すばしっこい動きをするではないか」

「私はパワーも自慢だが、スピードもそこそこに自慢なんだぜ?」

「ねずみらしい得意技だな」

「口の悪いやつなんだぜ」

「……天使ども、そろそろこの蠅を撃ち落とせ……! それとも、お前たちを生み出した『闇の神』の力はその程度と言う訳か?」

 

『キィイイイイイイイイイ』という生物離れした金属音のような声で天使たちは怒りをの感情を表現していた。怪光線の速度がまた一段と加速する。

 

「くっ!? まだ早くなるのかよ!? こいつらにとって『闇の神』とやらはそんなに大事な存在なのか!? うわっ!?」

 

 光線が魔理沙のほうきに接触する。コントロールを失った魔理沙は地面に墜落する。

 

「よくやった、天使ども。あの速度で堕ちたならば、ただでは済むまい……」

 油断するシェディム。だが、その隙を金髪の魔法使いは見逃さない。

「スターダスト・レヴァリエ!」

 

 星型の魔法がシェディムに襲いかかった。すんでのところで星に気付いたシェディムは咄嗟に身構え、防御することで大ダメージを負うことの回避に成功する。

 

「あの勢いで堕ちて、無事でいるだと……!?」

 

 シェディムは眼を見開き、地上でミニ八卦炉を構えて得意げに笑う魔理沙を、驚きの感情を伴った表情で見つめていた。

 

「明らかに人間の強度を超えている……? ……そうか。お前もお母様と同じステージに上がろうとしているわけか。……お前にも依り代としての資格があるというわけか……? ……お母様!」

 

 シェディムがテネブリスに報告する。テネブリスは魔法陣の中心に陣取ったまま、シェディムの声に耳を傾ける。

 

「……この娘、気に食いはしませんが、少なくとも私よりも依り代に相応しいかと存じますが……。いかがしましょう」

「……始末して構わん。誰を依り代にするかはもう決めているからのう」

「……承知いたしました」

 

 シェディムは魔理沙の方に向き直る。

 

「残念だったな小娘。貴様は依り代としても生きることが許されんそうだ」

「私が生きるのにお前らの許可をもらう必要なんてないんだぜ? 何様のつもりなんだぜ?」

「減らず口を……。今すぐ黙らせてやる……! ……天使ども、『裁きの天秤』を……!」

 

 シェディムの命とともに、天使たちが大理石のように固まっていたはずの白い翼を柔らかく羽ばたかせ、魔理沙の頭上を覆うように羽を舞い散らせた。

 

「……なんだ? これは……?」

「……この聖(邪悪)なる羽は、お母様さえも苦しめた毒の羽。この羽は特定の『人間因子』に反応し、その因子を持つ者に破滅をもたらす……!」

「な、に……? かはっ……!?」

 

 羽に触れた魔理沙は途端に吐血する。激しい吐き気とめまいが魔理沙を襲う。

 

「残念だったな小娘。特異な因子を持って生まれたのが不幸だったな。そのまま、苦しんで死ねぃ!」

 

 魔理沙は喉を抑え、苦悶の表情でその場にうずくまるのだった。



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闇の神の意志

短くてすいません。


「ふはははははは!」

 

 勝利を確信したシェディムは高笑いしていた。魔理沙の苦しむ姿を見ながら……。

 

「いいぞ、天使共。そのまま、殺してしまえ!」

 

 シェディムは更なる苦しみを魔理沙に与えるよう、天使たちに指令する。だが……。

 

「……どうした、天使共? なぜ攻撃をやめた!?」

 

 天使たちはどういうわけか、突然羽を降らせるのをやめる。苦しみから解放された魔理沙は宙に舞う天使たちの顔を窺った。

 

「……泣いてる?」

 

 大理石のような鉱物で出来ている天使たちの顔。その真っ白な瞳から透明の液体が流れていた。まるで涙のように……。

 

「お前たちはお母様の手により、精神を封印され、像となったはず!? なぜ涙を流している!?」

 

 予想外の天使たちの動きにシェディムは動揺を隠せない。シェディムにとってお母様テネブリスの呪いは絶対なのだ。その絶対が揺らいでいる。それはお母様の力が衰えたからか、それとも眼前の金髪の小娘が要因か……。シェディムが原因を探る中、テネブリスがぽつりとつぶやいた。

 

「……気に食わんのう。ワシを欲する闇の神の意志を、未だ忠実に守ろうというわけか」

「お、お母様、天使共が攻撃をやめ、感情を露わにしていることに何か心当たりが……?」

「……シェディム……。その天使共はもう小娘を倒すための道具にはならん。下がらせるのじゃ」

「は、はっ……!」と畏まりながら、シェディムは天使たちの頭上に魔法陣を展開させた。天使たちは魔法陣の中へと吸い込まれ、消えていった。

 

「……命拾いしたのう、小娘。リサの血を持っていたことを感謝するんじゃな」

「母さんの血……?」

 

 テネブリスの言葉に魔理沙は疑問符を浮かべる。だが、テネブリスが疑問に答えることはない。

 

「……シェディム、この小娘に小細工は通用せん。貴様の力で圧倒してみせよ……!」

「……はっ!」

 

 シェディムはテネブリスの命に頷くと、魔理沙の方に向き直る。

 

「……小娘。お母様の命だ……。本気を出させてもらおう……!」

「……へっ。今までは本気じゃなかったてか? 本当に人を舐めてる連中なんだぜ」

 

 魔理沙は吐血した血を拭いながら、不快感を口にする。

 

「……最初のドーターである私の真の姿は醜いからな。見せたくはなかったが……。お母様の命ならば致し方あるまい……!」

 

 シェディムの体がメキメキと骨格から変形していく。等身は大男よりも大きくなり、頭部からは曲がりくねった羊のような角が生え始め、背中からは隆々とした蝙蝠のような翼が突き出してくる。

 

『変身』が完了した時、シェディムの姿は元とはかけ離れた異様なものになっていた。魔理沙は思わず言葉を漏らした。

 

「……何だよ、その姿は……。鬼に似ているけど、どこか違うんだぜ……」

「……デーモン。人間どもは私をそう呼んだ」

 シェディムは威圧するように低い声を発するのだった。



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真四元素の複合体

 皮膚の色も肌色から赤みを帯びたような色に変色したシェディムは魔理沙に問いかける。

 

「小娘よ。この世界は何で出来ているか知っているか?」

「何だよ、クイズか? 原子や霊子、ダークマター……。挙げればキリがないんだぜ?」

「ククク。よく勉強しているじゃあないか。霊子を選択肢に入れる分、外の人間どもよりは深く、この世界の成り立ちを理解しているようだな。……そう、この世界は忌々しき闇の神が作り出した四元素の複合体だ」

「四元素? たしか、外の世界の西方で考えられていた物質の構成概念のひとつなんだぜ」

「ククク。『考えられていた』、か。やはり人間どもは愚かしい。神々から教わったことを自分たちの功績だと言って憚らないのだからな。厚顔無恥とはこのことよ……!」

「……で、なんでそんなクイズを出したんだぜ?」

「簡単なことよ。我の体は貴様のいう原子や霊子、ましてや四元素で構成されてなどいないという説明をしてやろうと思ってな」

「そりゃまた、変なことを言い出したんだぜ。じゃあ何で出来ているっていうんだぜ?」

「……かつて存在した人間の賢者どもは裏四元素と宣っていた。ふざけた話だ。『裏』などではない。私を構成している物質こそが『表』の四元素……。真四元素だというのに……」

「真四元素だぁ?」

「そうだ。私はその真四元素の内の二つ、火と空気で造られた。……喰らうが良い。真の炎を……!」

 

 シェディムは悪魔の顔をさらに歪めた。翳した手から放たれた炎が魔理沙に向かってくる。

 

「な、なんだ、この炎……。何か違和感を覚えるんだぜ……!」

 

 魔理沙は放たれた瞬間から、シェディムの繰り出した炎の異常さに気付く。炎が近づくにつれ、その異常さの正体が判明していった。

 

「こ、これは……寒い。冷たい!? 炎なのに、氷のように冷たいんだぜ……!?」

「当然だ。真四元素は四元素と対になっていたもの……。さぁ、小娘よ。我が炎で凍てつけ!」

 

 シェディムの炎は周囲を凍らせながら、魔理沙の元へと襲い来る。

 

「……対って言ったか? なら、これをお見舞いしてやるんだぜ! 光魔法程得意じゃあないが、私の好きな魔法をな!」

 

 魔理沙は八卦炉を構えると、炎の魔法を繰り出した。魔理沙の炎はシェディムの凍てつく炎と衝突する。すると、二つの炎はろうそくの炎が吹き消えるような穏やかさで互いを対消滅させていった。

 

「ほう。手加減していたとはいえ、私の炎と同程度の出力の炎を繰り出せるとは……。さすがはリサの娘か」

「予想は当たったみたいだぜ。お前の出す炎は反物質ならぬ、反炎ってわけだな。見た目は似ているが、性質は正反対……。面白いぜ」

「面白い、か。魔女らしい知的好奇心ある言葉だな」

「お前が良いやつだったら、お願いしてでも研究に付き合ってもらうところだろうが……、倒させてもらうぜ?」

 

 魔理沙は、再びミニ八卦炉を構えると、術名を叫んだ。

 

「マスタースパーク!」

 

 極太の虹色の光線がシェディムに向けて放たれた。輝夜との修行を終え、量、質ともに大きく向上したマスタースパークがシェディムを飲み込む。『勝負あった』と誰もが思うであろう攻撃。だが……。

 

「やっぱりそう簡単にはいかないか……」

 

 魔理沙は冷や汗をかきながら呟いた。

 

「残念だったな、小娘」

 

 シェディムは何事もなかったかのように、そこに居た。傷一つついていない姿で。

 

「……どういうことなんだぜ? 確かに当たったと思うんだがな……」

「言っただろう? 我が体を構成する物質は四元素ではない、と」

 

 シェディムはにやりと口角を上げるのだった。



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カチコチ

「……試してやるんだぜ!」

 

 魔理沙はサッカーボール大の星型の魔法をシェディムに向けて撃ち放った。しかし、デーモンとなったシェディムに攻撃を恐れる様子はない。シェディムが恐れぬ理由。それは魔理沙の眼前で明らかとなる。

 

「……私の攻撃が体をすり抜けた……? こりゃまたとんでもないビックリ妖怪の登場なんだぜ……」

「言っただろう? 私の体は真四元素でできている。この世界とは反対の世界を構成する物質だ。貴様らの物理法則は私に干渉しない!」

「……何だって? ……お前の言うことが本当だとして、だったらなんでお前の凍てつく炎は私に干渉することができるんだぜ? お前には攻撃が効かなくて、私には攻撃が効く……。理屈が合わないんだぜ」

「ククククク。それこそが私がお母様から与えられた能力……。私は真四元素をこの世界でも具現化することができるのだ……。このようになぁ!」

 

 シェディムはブンと腕を振るった。鋭いその振りから生まれた風圧は魔理沙の体を強く引き寄せる。

 

「くっ!? なんだ!? 風が起こったはずなのに……、吸い込まれる!?」

 

 見た目は魔理沙を吹き飛ばすような風が起こったが、その風は見た目とは正反対の性質を宿して、魔理沙の体をシェディムのいる方へと吸い込ませる。

 

「何度も言わせるな、小娘。私の攻撃はお前の知る法則の外にある!」

 

 シェディムは鋭い爪が伴った手で握り拳を作ると、魔理沙に向かって叩きこむ。魔理沙は持っていた箒で咄嗟に身構えた。具現化されたシェディムの拳は箒ごと殴り飛ばされる。なんとか宙でバランスを立て直した魔理沙は不満を漏らした。

 

「こっちは攻撃できないのに、そっちは攻撃できるなんて不公平も甚だしいんだぜ……!」

「フン。お母様が受けた不公平はこの程度ではない。……私の拳を受けてもピンピンしているとはな。やはり、人を超えた人間になりつつあるようだな。……お母様が貴様を依り代に選ばぬ以上、不穏分子を生かしておくわけにはいかんな。すぐに楽にしてやる!」

 

 シェディムは大きく翼を羽ばたかせると、高速で魔理沙へと近づく。

 

「喰らえ……。私の凍てつく炎の拳を!」

 

 シェディムの拳が青色の炎を纏う。拳を中心に周囲の空気がキラキラと輝く。急激に冷凍された空気に含まれる水蒸気が氷となり、光っているのだろう。

 

 そこまで拳が冷えたのなら、術者自身にもそれ相応のダメージがいきそうなものだが……、そんな理屈は通じないらしい。シェディムは涼しい顔で魔理沙に襲い掛かる……!

 

「くっ……!? なんて冷気だ。触れるだけで凍傷しちまうに違いないぜ。……さっきと同じだ。炎には炎なんだぜ!」

 

 魔理沙も負けじとミニ八卦炉から炎の魔法を撃ち放った。魔理沙の炎とシェディムの炎拳が激突する。

 

「どうだ……!?」

 

 魔理沙はシェディムの様子を窺う。

 

「ぬるいぬるい。残念だったな小娘。温(ぬる)すぎるぞぉおおおおお!!」

 

 魔理沙の炎をかき分け、シェディムは魔理沙の腹部に拳を叩きこんだ。魔理沙はゴフッと息を吐き出しながら、地面に転がる。

 

「あっ……。かっ……!?」

 

 魔理沙はお腹をさする。エプロンが酷く凍っていた。だが、まだ生身にそこまでのダメージは来てないらしい。魔理沙は魔法で熱を起こし、エプロンを解凍する。

 

「ふん。そこそこに色々魔法を使えるようだな。器用貧乏というやつか?」

「う、うるせえな。私は未来の大富豪だぜ」

「まだ強がる元気があるか。だが、力量の差は歴然だったな。真四元素を操る私にお前は敵わない。大人しく死んでいろ!」

 

 今度は吸い込む風を作りだしたシェディムは、魔理沙の体を引き寄せると……。

 

「凍って粉々になって砕け散れ!」

 

 クリーンヒットだった……。シェディムの凍てつく炎拳を喰らった魔理沙の体はカチコチに凍ってしまうのだった。



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無自覚な覚醒 水分子と境界

「ククククク。凍らせた勢いで砕くつもりだったのだが……。もう一押しが足りなかったか……。どうだ、身動きできまい? いや、ここまで氷漬けにしたのだ。既に死んだか? だが、念には念をだ」

 

 シェディムは右手を握り締めると、魔理沙に向けて打ち放とうとする。

 

「これで終わりだ!」

 

 シェディムの拳が魔理沙に到達せんとする瞬間だった。

 

「な、なんだ!? ぐあぁあああああああああああああああ!?」

 

 突然絶叫するシェディム。無理もなかった。彼女の右拳はレーザーで消し飛んでしまっていたのだから。攻撃したのは霧雨魔理沙。氷漬けにされた彼女の腕部分だけが既に溶け、手に持つミニ八卦炉から微かな煙が上がっていた。レーザーを出した痕跡である。次第に腕部分以外の体全体も溶けだし、魔理沙は氷漬けの状態から解放されていった。

 

「ば、ばかな。完全に凍っていたはずだ!? 少なくとも仮死状態になるくらいには……! なぜ動けている!?」

「さあな」

 

 シェディムの問いに短く答えながら、魔理沙は箒をブンと振り、溶けた水滴を払い飛ばした。

 

「ふざけるな。この世界には存在しない低温にさえ達することもある私の炎が効かないわけがない。何のからくりを使っている!?」

「種も仕掛けもないんだぜ? 気付いたら溶けてたんだ。案外お前の術、大したことないんじゃないか?」

「戯言を抜かすな……! 調べてやる。お前が私の炎から助かったマジックの正体をな!」

 

 シェディムは再び、青い炎を繰り出した。空気中の水蒸気が次々と凍っていく。その冷気は魔理沙に届き、また魔理沙の体を氷漬けにする……はずだった。

 

「な、なに!?」

 

 シェディムが驚嘆の声を上げる。間違いなく、凍てつく炎の影響下に入ったはずの魔理沙に何の変化も生じないからだ。

 

「なぜだ、なぜ凍らない!? ……はっ! 小娘、お前……!」

 

 シェディムは気付く。魔理沙の周囲にある『水分子』がおかしな挙動を起こしていることに……。真四元素をこの世界に顕現させることのできるシェディムだからこそ気付けた細かな事象。絶対零度をも下回るシェディムの炎を受けてなお、魔理沙の『効力範囲内』にある水分子はその振動を止めることなく、むしろより活発に振動し、水蒸気の状態を維持し続けていた。

 

「ミクロの現象にまで手を出せる力量がお前にあるというのか……? いや、それならば、私の『吸気』にも対応できたはず……。……水分子限定の能力ということか……!」

「何をブツブツ言ってるんだぜ?」と魔理沙は問う。

「……自覚がない、というわけか? ……ふざけた小娘だ。凍てつく炎が効かぬのならば、吸気だけで対応してやるまでのこと……!」

 

 シェディムは失った右手部分に魔力を込める。すると、みるみるうちに再生されていった。

 

「ホント、仰天能力を持ってる奴らばっかりなんだぜ、お前らは……」

 

 魔理沙が呆れる中、シェディムは風を起こそうと、右手を高々と掲げる。

 

「こちらに引き寄せた勢いのまま、殴りつけてやる……! 『因子』に覚醒しつつあるとは言え、所詮は人間。死ぬまで攻撃してやろう!」

「へん! 何度も同じ手にかかってやるもんか。……この時を待ってたんだぜ?」

「なんだと!?」

 

 魔理沙は素早く、レーザー魔法をシェディムが掲げる右手向かって射出した。得意のマスタースパークに威力は及ばないが、その代わりにスピードが増した細く短いレーザー。剣士の居合い抜き、あるいはガンマンの早撃ちのような要領で放たれたそのレーザーはシェディムの右手に直撃し、再び消失させることに成功する。シェディムは苦悶の表情を浮かべ、右手があった場所を痛々しそうな様子で抑えた。鬼の形相で魔理沙を睨みつけながら……。

 

「ぐぅうううううう!?」と唸り声を上げるシェディムに魔理沙は得意気な表情を浮かべていた。

「やっぱり思った通りだな。この世界に真四元素とやらを顕現させるときに体の一部も具現化しないといけないらしいな。そこを狙わせてもらったぜ……!」

「ば、バカな。そんなハズは……!?」

 

 そこまで言葉を漏らして、シェディムは閉口する。魔理沙の見当が外れていることはシェディムの方が、よくわかっているからだ。わざわざその情報を敵である魔理沙に伝える必要もない。

 ……シェディムは右手を具現化などしていない。一手前の攻撃で凍てつく炎拳を魔理沙に吹き飛ばされたのは、彼女の言うとおり、右手を具現化していたからだ。凍らせた勢いのまま砕くつもりだったからである。だが、今の攻撃ではシェディムは風を起こしただけで自身の身体を具現化させてなどいなかった。

 

(どういうことだ!? 私は自身の身体をこの世界に実体化させてなどいない……! なぜ、アイツの攻撃が私に当たったのだ……!?)

 

 シェディムは心の内で分析する。……すぐに思い当たった。自身の真四元素に干渉できる『人間たち』がいたことを……。一人は他でもないお母様『テネブリス』、そして残り二人はそのお母様が『最高傑作』を生みだすために使用した人間たちだった。

 

(……リサやマリーと同じ能力にも目覚めつつあるということか……! 小娘ぇええ!!)

 

 シェディムが魔理沙に感じ取ったのはリサとマリー、そして八雲紫も持つ『境界』に関係する能力。シェディムは確信する。魔理沙が四元素の世界と真四元素の世界の境界を曖昧にしているのだと。

 

「創造神が創った境界線をも曖昧にしようというのか、愚かな人間め……!」

「一体何の話なんだぜ?」

「やはり、まだ無自覚か……。……ならば、何も知らぬまま殺すまで! ……『物性反転』……!」

 

 シェディムの赤みがかっていた肌が青みがかった肌へと変貌する。

 

「また変身か?」

「……貴様に私の真四元素の炎は効かないようだからな。我が操る真四元素を四元素に変換し、貴様に喰らわせてやる。火炎旋風を……!」

 

 シェディムは魔理沙の問いにそう答えた。それを聞いた魔理沙は不敵に笑う。

 

「単純な力比べってわけか? 望むところなんだぜ!」

 

 魔理沙はミニ八卦炉を構える。特大のマスタースパークを撃ち放つために。

 

「……喰らわしてやるぞ。私の真四元素と四元素の力を全て合わせた全身全霊の一撃を……!」

「なんだ、なんだ。結構熱いヤツじゃないか。嫌いじゃないんだぜ?」

「貴様に好かれても嬉しくはないな。……右手に炎を左手に風を……喰らえ……!」

 

 シェディムは渦を巻く炎を射出した。竜巻に火炎を帯びさせた激しい熱風が一直線に魔理沙に向かう……!

 

「正面から撃ち抜いてやるんだぜ! ……マスタースパァアアアアアク!!」

 

 魔理沙の八卦炉から放たれた超巨大ビーム攻撃がシェディムの火炎旋風と激突する。

 

「……凄い炎だ。きっと、ちょっと前の私だったら敵わなかったに違いないぜ。輝夜姫に感謝しなくちゃいけないな」

 

 魔理沙は炎とビームが拮抗する状況で独り言を漏らしていた。そして、独り言を終えると、更なる魔力をマスタースパークに注ぎ込んだ。

 

「……そういや、あのお母様とやらに言われてたな。私のマスタースパークには『密度』がないって……。……これならどうだ、クソババァ!」

 

 魔理沙に魔力を追加されたマスタースパークはその密度を高め、更なる威力を得る。かつて、お母様『テネブリス』が霊夢の胸に風穴を空けた直径5センチ程度の『細い』ビーム攻撃と同等の密度を持った『極太』レーザーが火炎旋風を突破する。

 

「そ、そんな。お母様が造った最初のドーターである私の出力を上回るなんて……。人間め……。人間め。人間め! 人間めぇええええええええええええええええええ!?」

 

 人間を連呼するシェディムをマスタースパークが飲み込んだ。具現化していたシェディムの体は真っ黒こげに変色し、十分に離れていたはずのテネブリスの足元にまで吹き飛ばされたのである。

 

「そうか。シェディムをも越えうるか、小娘。……いや、霧雨魔理沙」

 

 老婆テネブリスは、ギリと歯を軋ませるのであった。



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反旗

「お、お母様……。不甲斐ない姿をお見せして申し訳ありません……」

 

 シェディムは焦げた体をブルブルと震わせながら、視線をテネブリスに向ける。

 

「……構わん。奴はワシと同じ『因子』を内に秘めておる。お前との相性は最悪じゃった。むしろよく渡り合ったのう……」

「不甲斐ない姿を見せた私に慰めのお言葉まで……。本当に申し訳ございません……。……恥ずかしながら、もう存在を維持することができません。このままでは、真四元素の世界に私は還元されることとなります。その前にお母様(元の場所)へ……」

「……そうじゃな。ご苦労じゃった、シェディム。最初の『ドーター』よ」

「……お母様の悲願をこの眼に写すことができぬのは残念です……。……さらばです。ご武運をお祈りしております」

「……うむ」と頷きながら、テネブリスは横たわるシェディムに手掌をかざす。

「ワシの中に還るが良い」

 

 シェディムの体が粒子となり、テネブリスの掌へと吸い込まれていく。全ての粒子を吸い込んだテネブリスはその掌を握り締める。

 

「やってくれたのう。霧雨魔理沙……。数少ない忠臣のひとりを失わなくてはならなくなった……」

 

 テネブリスは魔理沙を睨みつけた。その形相に魔理沙は思わず冷や汗を垂らす。

 

「仲間を吸収した……? いや、喰らったのか……!?」

「……ワシの一番の忠臣であったシェディムを愚弄するつもりか、小娘? 喰らったのではない。元に戻っただけじゃ……。ワシがヤツを生み出す前の状態にな」

「……あのデーモンはお前の一部だったってわけか?」

「ククク。悪鬼(デーモン)か……。やはりシェディムの姿が貴様にはそう映ったか……。闇の神の思想に染まった人間の哀れな価値観じゃのう……」

「……闇の神。さっきのデーモンもそんなこと口走ってたな。一体どこの神様なんだぜ?」

「ククク。自分たちの身の回りにいる神のことすら知らんとはのう……。……知りたければ、力尽くでやってみるが良い……!」

「……そうさせてもらうことにするぜ……!」

 

 魔理沙はミニ八卦炉を構えた。そして、大声で術名を叫ぶ……!

 

「マスタースパァアアアアアク!!」

「ふむ。なるほどのう。確かにわずか数日前に見た時とは比べ物にならないくらいに術質が向上しておる。この短期間で成長したそのスピードは褒めてやろう。きっと特殊な方法で鍛錬を積んだのであろうな。代償もそこそこにあったじゃろう。じゃが……」

 

 テネブリスは体を支えていた杖をマスタースパークに向けると、わずかに薄水色に着色された半透明の防御壁を展開し受け止める。防御壁に止められたマスタースパークは次第に霧散していった。

 

「くっ……!? シェディムとかいうデーモンを倒した時と同じくらいの高出力だったのに……!?」

「残念じゃったのう、霧雨魔理沙。貴様の血の滲む努力など、ワシの前では大したものではないということじゃ……。……とはいえ、貴様はマリーに次ぐ『因子』の持主となりつつあるからのう。……不穏分子には消えてもらうぞ……?」

「へっ……! こいつは一人じゃ無理そうなんだぜ……。……そういや、紫のやつはどこいったんだ? 伯母さんも見かけないんだぜ……」

 

 魔理沙は周囲を見渡す。すると、約1キロメートルほど離れたところであろうか。人里郊外上空に真っ黒な結界が球状に展開されていた。

 

「なんだありゃ。紫も伯母さんもあの中か……?」

「よそ見をしている場合か? わしも舐められたものじゃ……」

「くっ……!?」

 

 魔理沙はテネブリスの放つ殺気に身を強張らせる。紫とマリーのことが気にかかっていた魔理沙だったが、テネブリスの殺気の前に一瞬で黒球結界のことは脳裏から飛ぶことになったのだった。

 

◇◆◇

 

 ――魔理沙とシェディムの戦闘開始と同時刻――

 

 幻想郷の賢者『八雲紫』と、ルークスのドーター『マリー』は互いの正体を見極めようとしていた。

 

「やはり貴方も『結界を操る能力』を持つ者なのね。……ハーンの血統かしら?」

 

 八雲紫はマリーに問いかける。しかし、マリーは困ったような表情で返した。

 

「……ハーン、か。それが私たち姉妹のルーツなのかしら? ……残念だけど解らないわね。私たちは赤子の頃、お母様に攫われたのだから……。どこの産まれだったかなんて知りようがないもの……」

「…………そう」

「貴方は私たちの産まれを知っているのね? ……もし、敵同士じゃなければ親の居場所を教えてもらってたかもしれないわ。でも、それは叶わぬ願いでしょう?」

「……私も貴方達の親の名までは知らない……。ギリシャに貴方と同じ能力を持った一族がいるという話しか……」

「あら? 敵である私にそんなことを教えてくれるなんて……随分と優しい方なのね。……貴方も私と同じく、出自のことを詳しく知らないみたい。……ということは、貴方もワケアリということかしら?」

 

 マリーの問いに八雲紫は答えない。図星だったから。『境界を操る程度の能力』を持った一族……。その詳細を八雲紫は知らないのだ。知ろうと調査を試みたことはある。だが核心に触れることはできなかった。そして、八雲紫は積極的に自身の正体を知ることを諦めたのである。彼女の人生の目的は自身のルーツを探ることではない。もっと別の大きな目的があるのだから。

 

 八雲紫がかつて霧雨魔理沙の母、霧雨理沙(リサ)に興味を持ち、命を救ったのは自分の体に流れる血と同じ血を持つだろう少女に情が湧いたこともあるが、自分の知らない『ハーン』の秘密を知っているかもしれないとも思ったからだ。残念ながらその狙いは外れてしまうのだが……。

 

「……それでは始めましょうか? 同じ血筋の生まれだけど、その正体を知らない者同士の闘いを……」

 

 マリーは紫と自身を包むように黒球状の結界を展開する。直径は百メートルほどであろうか。

 

「……ご立派な結界ね。完全に結界の外と隔絶されている。光も音もシャットアウトというわけね。……こんな結界を張って何するつもり?」と紫は口を開く。

「……この結界は貴方をどうこうするための境界ではない。外部に見られても聞かれてもならないことがあるからよ」

「一体どういうことかしら?」

「すぐにわかるわ。今は力比べを楽しみましょう。同胞の先輩……で良いのかしら?」

「ええ。あなたの三十倍は軽く生きているわよ?」

 

 ……八雲紫は感じ取る。このマリーに殺意は認められない。何をしようとしているのか見極めなければならない、と紫は思考する。

 

「……いくわよ」

 

 マリーは闇色の球を掌に顕現させると、紫に向かって撃ち込んだ。紫もスキマを開き、球を吸い込ませようと試みる。闇球とスキマは接触すると、互いに打ち消し合った。

 

「……どうやら境界を操る力は互いに干渉し合うみたいね……」と紫は口から言の葉をこぼした。

「そうよ。私たち姉妹も互いに手合わせしていて気付いたの。あなたの周りには同種の力を持つ者はいなかったのね。ならば知りようがない……!」

 

 マリーは闇球を撃ち続ける。だが、やはりそこに殺意は感じられない。紫はスキマで闇球を対処しながらマリーの真意を読もうとしていた。

 まるでお遊戯会のような戦闘だった。互いに殺すつもりのない弾幕と結界を繰り返し、一進一退の攻防を繰り返しているかのような『演技』をしていた。もっとも、千年を超えて生きる妖怪とテネブリスの最高傑作が生みだす戦闘演技は傍目からは激しい殺し合いにしか見えないのだが……。

 数分……、数十分経過しただろうか。マリーがその動きを止める。

 

「シェディムさん……。お母様の元にお戻りに……。……いいえ、今はシェディムさんの還りを悼むのではなく、魔理沙ちゃんの無事を喜ぶべきでしょうね……」

 

 魔理沙がシェディムを退けたことをマリーは自身の境界を操る能力でのぞき見ていた。マリーの独り言に八雲紫は怪訝な表情を浮かべる。

 

「……くだらない演技は終わりということで良いのかしら? ……一体なんのつもりだったの。戦っているフリなんて……。こんなことをするくらいなら、魔理沙とともに戦う方が良かったんじゃないかしら? 貴方にとっても魔理沙は特別な存在でしょうに……」

「そうね。あの子はこの世界にいるたった一人の私の姪っ子。でも魔理沙は私たち姉妹と同等以上の『因子』に目覚めていた。賭けだったけど、シェディムさんにも勝てるだろうと踏んでいたのよ」

「ちょっと姪っ子に期待をかけ過ぎではなくて? 下手すれば死んでいたわよ?」

「そのとおりね。でも、賭けには勝った」

 

 紫との会話を遮るように、マリーの隣に闇球が現れる。その中から八雲紫のスキマと同じように何者かが現れる。若い魔女だった。雰囲気から察するに人間の魔女のようだ。マリーの配下らしい。魔女はマリーに報告する。

 

「マリー様、ドーター『エルベ―ジェト』が亡くなりました」

「……私も確認しました。バックドアの神にやられたようですね。……元々永遠の若さを求めてドーターへと上り詰めた方でした。私と同じで数少ない人間のドーターではありましたが、戦闘能力はそれほど高い方ではなかった。無理もありません。残念です……」

「……マリー様、貴方はお優しすぎます。エルベ―ジェトは若さのために幾人もの生娘を犠牲にした魔女。天が罰を与えたのです。それに我らの作戦ではいずれ死んでもらわねばならなかったのですから……」

「……解っています。……これでお母様に心からの忠誠を誓っている者や凶悪な思想を持っていた者は全員亡くなった。残った実力者はお母様が『傑作』と称する私たちだけ……。これで動くことができます……!」

「なんだか、お仲間さんと盛り上がっているようだけど……、一体何をし始めるつもりかしら?」

 

 決意を固めるマリーたちに対して、紫は疑問を口にする。

 

「我々はお母様に反旗を翻す。平和的交渉で、ね」

 

 マリーの強い眼差しは結界の外側にいるテネブリスに向けられていたのだった。



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反逆のマリー

◇◆◇

 

「よそ見をしている場合か? わしも舐められたものじゃ……」

「くっ……!?」

 

 テネブリスの発する殺気に身を強張らせる魔理沙。テネブリスは杖の先端を魔理沙に向ける。

 

「お主のお友達だった紅白の巫女(シャーマン)を屠った術じゃ。同じ術で逝ければ本望じゃろう?」

 

テネブリスは直径5センチほどのビームを杖から超高速で射出する。そう、博麗霊夢の胸を貫いたあの攻撃を繰り出したのだ。避けられない、そんな思考も追い付かないスピードで術は魔理沙に到達してしまう。

 

「うわぁああああ!?」

 

 ビームは胸に直撃し、魔理沙は上空へと吹っ飛ばされる。空中で体勢を整えた魔理沙は息切れを起こしながら、攻撃を受けた場所を手でさすり、自身の身体の無事を確かめた。

 

「くそ……! 火傷になっちゃってるじゃねえか。お嫁にいけない体になったらどうするんだぜ?」

「ほう。服に穴が空いただけで済むとはのう……。体の頑丈さは褒めてやる。惜しいのう。『因子』の質はこの短期間でマリーを上回ったのかもしれん。どうじゃ? 人を超えた人になった感想は……」

「何を言ってんだぜ? 『因子』? シェディムとかいう悪魔もその言葉を口走ってたんだぜ……」

「まだ、感覚で気付くことはできぬか。貴様が他の大多数の人間どもとは異なる『人間因子』で構成されていることに……」

「『人間因子』……。また、知らない単語を出してきやがったんだぜ」

「ふむ。この幻想郷(コミュニティ)でも人間因子の存在にまでは辿り着いておらんというわけか……。……説明してやる必要はない、か。お主はここで死ぬのじゃからのう……!」

 

 テネブリスは、ガン! と自身の足元に展開された魔法陣に対して杖を強く突いた。魔法陣はぐるぐると回転し、妖しい光を放ち出す。

 

「婆さん、アンタ何をしてるんだぜ?」

「ククク。大した事ではない。やっと起動してやろうというわけじゃ」

「な、なんだ? 魔法陣に向かってどこからか光が集まってきてる……!?」

 

 魔理沙の言葉どおり、老婆の展開する魔法陣を中心にして、光が四方八方から飛んできていた。魔理沙は光の飛んでくる方向に視線を向ける。光は迷いの森からも飛んできていた。それを目にして魔理沙は察する。

 

「迷いの森からも飛んできている……。……まさか、あの虹色の勾玉から飛んできているってことか!? 永遠亭の勾玉は私が結界を解いたはずなのに……!?」

「やはり、ワシのかけた結界術を解いたのは貴様じゃったか。おかげで急ぐ羽目になったわい。じゃが、勾玉を破壊するまでには至らなかったようじゃのう。今こそ、このコミュニティ中の運を奪わせてもらうぞ?」

 

 テネブリスはさらに魔力を込め、幻想郷の運を奪い取ろうとしていた。幻想郷に点在する運の噴出口『龍穴』。そこに配置された勾玉が運を根こそぎ奪わんと、同時に七色に光り出していた。妖怪の山、魔法の森、地霊殿、霧の湖、冥界……、もちろんそれ以外からも。ルークス幹部、ドーターたちが配置した勾玉を介して、幻想郷の運が全てテネブリスのものになろうとしていた。

 

「させるかよ!」

 

 魔理沙は八卦炉を構え、マスタースパークを放とうとしている。……だが、もう遅かった。

 

「学習しない奴じゃのう、霧雨魔理沙。少しばかり、このコミュニティの運を使えるようになったことで、大事なことを忘れているようじゃなあ……」

 

 テネブリスの口角がぐにゃりと歪んだ。

 

「あ、あ……。そんな……。龍脈の運が……」

 

 当然の帰結であった。龍脈は龍穴と龍穴をつなぐ運の流れでしかない。龍穴の運を根こそぎ奪われた今、運の枯渇した龍脈は魔理沙に運を供給することはない。霧雨魔理沙は再び戻ってしまったのだ。運のない魔法使いに。魔法の使えない魔法使いに……。

 

「いくら、『因子』に目覚めようとも、運のない出来損ないに用はない。消えてもらうぞ? リサの娘、霧雨魔理沙!」

 

 テネブリスは魔法陣の中心で、魔力を込め始めた。

 

「クククク。やはり上質な運じゃ。このコミュニティの運はのう。溢れる溢れる。大地をも揺るがしてしまうほどの運と魔力がこの身に宿って来ておる……! 死ね、小娘! その因子を持つ者は一人だけで良いのじゃからなあ!」

 

 魔法の使えなくなった魔理沙に防御の手段はもうない。万事休すであった。……巨大なビームが魔理沙に襲いかかる。これまでのどの攻撃よりも高密度高エネルギーな魔術が……。魔理沙が死を確信したときだった。魔理沙の前に漆黒の球が現れる。テネブリスの攻撃は黒球に飲み込まれ、どこかしらへとワープさせられた。異常に気付いたテネブリスはそのしわくちゃの顔面を怒りの様相に吊り上げる。

 

「……なんの真似じゃ、マリー。気でも狂ったか?」

 

 いつの間にか、魔理沙の隣にマリーが佇んでいた。八雲紫もともに立っている。マリーは意を決した眼をテネブリスに向け、口を開いた。

 

「気が狂ってなどおりません。……お母様、貴方の望みはここで終わりです。私は貴方を止める」

「クククク。ワシを止めるじゃと? 世迷言を……」

「世迷言などではありません。……こんなことは間違っている。貴方も本当は分かっているはず。貴方の望みを誰も望んでなどいない。そう、貴方の信奉する『神』さえも……」

「口が過ぎるな、マリー。……少しだけ感心しておるぞ。臆病者の貴様がワシに意見するぐらいに成長していたという事実にのう」

「……今だって本当は怖いのです。気付いておられるのでしょう? 私の体が震えていることに……」

「当然じゃ。貴様はワシが育て、作り上げたのじゃからのう」

「……お母様、私は貴方に反旗を翻す。これが私のクーデター」

「ククク。クーデターじゃと? 貴様がワシに勝つなど不可能じゃ。そのことは貴様がよく知っておるじゃろう!?」

 

 ビリビリとした殺気と魔力がマリーたちを包み込む。圧倒的な戦力差がそこには感じられた。幻想郷中の人妖を集結しても敵わないかもしれない。だが、膝を震わせ、唇を震わせ、マリーは宣言する。

 

「私は勝つつもりなどない」

「なんじゃと?」

「気付いておらぬようですね。仕方もありません。貴方にとってドーターとその下っ端の魔女はその程度の存在ですもの。……お母様、今生き残っているドーターと魔女が誰なのか、考えた方がよろしいですわ。私は勝つ気はない。引き分けに持ち込むだけ。それがこのクーデターなのです」

 

 マリーはどこか不憫そうな表情でテネブリスを見つめるのだった。



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マリーの決意

「生き残っている部下どもの素性じゃと? そんなものを知ってなんになる?」

「きっとお考えが変わるかと……」

 

 マリーは黒球を展開する。すると中から複数の魔女たちが現れた。数は二十人に満たない程度であろうか。

 

「こやつらは……」とテネブリスは魔女たちを視界に入れ、眉間に皺を寄せる。

「生き残ったルークスメンバーはこれだけ……。ほとんどのドーターと部下は死亡しました。さすがは世界でも有数の幻想郷(コミュニティ)。これだけの犠牲を払ったにも関わらず、未だに陥落を見ていない。……お母様、もうお気づきのはず。生き残ったルークスメンバーは全員……」

「『依り代』だけというわけか……。じゃが、それがどうした?」

「私に皆まで言わせるおつもりでしょうか? 貴方の野望には『依り代』が必須。そして、もう残っているルークスの全てがその依り代……。……お母様、もし貴方がまだこの幻想郷を……、いいえ、世界を光に堕とそうというのならば、私たちは全員死を選びます」

「ククク。なるほどのう。それが臆病者の貴様が出した結論か。自分たちの身を人質にワシに言うことを聞かそうというわけか?」

「そうです」

「ふむ。まさか、生き残りが『因子』を内包した『傑作』だけとはのう」

「……お母様、魔法陣をお納めください。でなければ我々は……」

「クク……。ククク……。ハハハハハハ!」

 

 突然高笑いを始めたテネブリスにマリーは驚き、眼を見開く。

 

「まったく、本当に舐められたものじゃ。理想には遠く及ばなかった『最高傑作』ごときがワシの道を塞ごうとするとは……。……マリー、貴様の策には大きな穴がある……!」

「……っ? どういうことです……!?」

「確かにワシには依り代が必要じゃ。じゃがのう、それは必ずしもお主らである必要はないということじゃぁああああ!!」

 

 テネブリスは怒鳴り声を上げながら、爆炎魔法をマリー達に撃ち放った。

 

「な、なんで……!?」と驚くマリー。

「くっ!?」と息を吐きながら、八雲紫が四重結界を展開する。しかし……。

「抑えきれない。全員伏せなさい!」

 

 八雲紫の指示に従い、魔理沙たちは爆炎から身を守る。

 

「ふむ。さすがは因子を持ちながら、妖怪化しただけのことはあるのう。中々の結界術じゃ。じゃが……、妖怪化したが故に……、人間でなくなったが故に、貴様は障害物とはならん。ある意味命拾いしたのう。間隙使いのモンスターよ」

「まったく、計算違いね。マリーさんとやら、あのおばあさん、貴方達全てを殺しても問題ないみたいよ?」と八雲紫は冷や汗をかきながら、マリーに問う。

「な、なぜ? 貴方の望みに私たち『傑作』というピースは絶対必要なはず……」

「何度も言わすでない。もう必要なくなったんじゃよ。マリー、貴様ごときが最高傑作な時点で、ワシはもう貴様ら『傑作』どもを『依り代』にするつもりはなくなったのじゃ」

「な、ならば一体だれを『依り代』にするおつもりなのですか!? ……はっ!? ま、まさか、貴方は……」

「その耳障りな声を消してやろう。死ねい、マリー!」

 

 テネブリスのビーム攻撃が一直線にマリーに向かう。

 

「危ない! マリーさん!」

 

 身を挺して庇ったのは、マリーの部下のひとり……。

 

「あ、あ……。マリーさん逃げて……」

 

 その魔女は、そう言い残して果てた。

 

「そ、そんな……。ご、ごめんなさい。私なんかのために……」

 

 マリーはショックで青ざめる。

 

「……この子は私の次に因子を色濃く持っていた娘だった。本当に私たちを必要としていないのね……」

「残念じゃったのう、マリー。因子を持つ者たちが命を張れば、ワシを止められると思ったその未熟な判断。臆病者のお前にお似合いの甘い考えじゃったな。結果として死を早めることになったのう……」

 

 テネブリスは更に爆炎魔法を撃ち放つ。

 

「キャアァアアアアアアア!?」

 

 下っ端の魔女たちが断末魔を残して爆炎に飲み込まれる。実力不足の魔女たちは四肢をバラバラにされて次々と命を落としていった。

 

「くっ!? 仲間にも手を出すのかよ!? こいつ本当に正気じゃねえんだぜ!」

「リサに似てくだらないことを言うヤツじゃ……。霧雨魔理沙、次は貴様の番じゃあ!」

 

 テネブリスは爆炎の標的を魔法が使えなくなった魔理沙に定める。

 

「これ以上はやらせない……!」

 

 マリーは爆炎に向けて黒球を射出する。黒球は爆炎を飲み込み、別空間へと転移させた。

 

「ほう。本格的にワシに盾突く気か?」

「……お母様、貴方の言う通りです。私の目論見は甘かった。これ以上私のせいで皆を死なせるわけにはいかない……!」

「貴様がワシに敵うと思っておるのか?」

「う……」

 

 マリーは恐怖の感情で金縛りにあったように体を動かせなくなってしまう。テネブリスの実力を間近で見てきたマリーだからこそ、自分が敵わないことは理解できてしまうのだ。

 

「やはり、貴様は臆病者じゃ。……もし、最高傑作が貴様ではなく、リサであったならば……、リサであれば……、ヤツを依り代にしたかもしれんのう……。……じゃが、後悔したとて詮無いこと。リサの元に送ってやるぞ! マリー!」

 

 テネブリスは杖を天に掲げる。マリー達の頭上に巨大な雨雲が出来上がった。天候を操る神、八坂神奈子に勝るとも劣らない雷雲を生成した老魔女は、リサたちに雷の魔法を落とそうとする。

 

「空間の術を使っても無駄じゃぞ、間隙を造る妖怪よ。貴様の繰り出す眼玉の間を縫うように雷を落としてやるわい……! 前と同じようにのう!」

 

 ……金縛りに会ったマリーの視界に魔理沙が写る。魔理沙はリサによく似ていた。マリーにない活発さ、そして、死の危機が迫っても諦めない勇気を持っていたリサ。魔理沙の横顔を見てリサのことを思い出したマリーは恐怖を乗り越え動き出す。自分の命を守ってくれた妹が遺した姪をここで死なせるわけにはいかなかった。

 

「もはや、貴様らの因子は邪魔でしかなくなった。細胞一片残さず消してくれよう……。死ねぃ!」

 

 テネブリスの落とす雷を受け止めるように、巨大な黒球が現れる。黒球に吸い込まれた雷は、テネブリスの背後に生成されたもう一つの黒球からワープするように放出される。

 

「ぐぅ……!?」と息を吐きつつ、テネブリスは防御壁を展開し、雷を受け止める。

「リサ……。貴方の勇敢さ、少しだけ私に分けて……!」

 

 マリーの眼には決意が露わに浮かぶのであった。



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次元斬り

「……ほう。ワシへの恐怖に打ち勝ったか? じゃが、そんなことに意味はない。その程度ではのう!」

 

 マリーに自身の雷を背後にワープされ、防御壁を張らざるを得なかったテネブリスは怒りを隠せないでいた。

 

「……もう、貴方の思い通りにさせるわけにはいかないのです、お母様……! いいえ、テネブリスさん!」

「……よかろう。ワシの名を呼び、敵対するのならば、もう容赦をする必要はない。すぐに始末してくれるぞ! マリー!!」

 

 テネブリスはその身に魔力を込め始める。あまりに強大な魔力の高まりに空気が振動を起こしていた。

 

「……魔理沙ちゃんとこの子たちをお願いします、紫さん……!」

 

 マリーは結界を張り、紫と魔理沙、そして自身の配下であったルークスの生き残りの魔女たちをまとめて保護した。

 

「おい、おばさん! なんで私たちを閉じ込めるんだぜ!?」と怒鳴る魔理沙。その横にいた八雲紫は「……あなた、死ぬつもり?」と、マリーに問いかける。

「……いいえ。私はテネブリスさんの言う通り、臆病者です。死ぬのは怖い。でも、魔理沙ちゃんたちを失うのはそれよりも怖い……。それだけです。……魔理沙ちゃん、大人しくしていて。運のないあなたは、この闘いの役に立つことはない。賢いあなただもの。それくらいは理解できるでしょう?」

「……おばさん、私はまだアンタのこと何も知らねえんだ。死なれたら困るんだぜ。アンタには母さんのこと、もっと教えてもらわないといけないんだからな!」

「ええ。絶対死なないわ。まだ、リサに返せてないものがあるから。あと、私はおばさんじゃないわ、お姉さんよ!」

 

 マリーはそう言い残して、宙へと舞った。そして、テネブリスと対峙する。

 

「始めましょう、テネブリスさん」

「……ククク。良いじゃろう。この体で動けるのもこれで最後じゃろうからなぁ。記念に貴様を殺してやろう……!」

 

 テネブリスもまた、マリーと同じく無数の黒球を召喚する。

 

「貴様とワシとの力の差、思い知らせてやろう……!」

 

 テネブリスは無数の黒球をマリーへと撃ち出した。高速に打ち出されたそれらをマリーはギリギリのところで避けていく。マリーが避けた黒球は無人になった人里の民家などの建造物や地表にぶつかる。黒球が接触した建物たちが飲み込まれるように綺麗さっぱり消滅してしまった。

 

「な、なんだよ、あれ。まるでミニチュアのブラックホールなんだぜ……!?」と結界の内側で驚きの表情を浮かべる魔理沙。

「……あれが純粋な『境界を操る』能力の一端なのね……」

 

 八雲紫もまた、冷や汗をかきながらマリーとテネブリスの戦局を見つめていた。

 

「私だって……!」

 

 マリーは短杖を構え、黒球を生成する。

 

「はぁあああ!」

 

 気合を入れたマリーの黒球がテネブリスに向かって発射される。

 

「ふむ。最高傑作に認めただけのことはある……が、やはり理想には遠く及ばん!」

 

 テネブリスは球状のバリアを自身の周囲に展開する。マリーの黒球が衝突するが、バリアはビクともしていなかった。

 

「くっ……!?」と息を吐き出すマリー。

「なけなしの勇気を振り絞ってワシに盾突いたことは褒めてやろう。じゃが、これで終わりじゃ」

 

 テネブリスは右手の人差し指を天に掲げ、それを振り下ろした。

 

「ま、まずい。あれは……!」

 

 マリーはテネブリスが繰り出そうとする術の危険性に勘付き、とっさに人差し指の延長線上から体を逃がす。次の瞬間、延長上に位置していた建物、森、大地が音を巨大な音を立てながらずれ動き、巨大地震で形成される断層のようになってしまった。断面は日本刀で切断されたトマトのごとく、鮮やかである。断層の先端は確認できないほど果てしなく遠くにあり、視認できない。

 

「な、なにしやがったんだぜ、あの婆さん!?」と驚く魔理沙。

「まさか次元を斬った……!? これほどの広範囲に及んで……!?」と続いて紫も冷や汗をかく。

「次元を斬る?」

「……ええ。私のスキマも次元を斬ることで発生する」

「紫、お前もあれができるのかよ!?」

「無茶言わないでちょうだい。あんな広範囲に次元を切断するなんて私にはできないわ。あの老婆、下手をすれば地球ぐらいの大きさの次元を斬ることができるのかもしれない……」

「ち、地球だって? さすがにそれは言い過ぎだろ!?」

「……言い過ぎだったらいいわね。……言い過ぎであってほしいところだわ」と言って、紫は拳を握り締める。

 

 マリーもまた、圧倒的なテネブリスの術を前に目を大きく見開いていた。

 

「これで完全に思い出したじゃろう? 貴様がわしに勝つなどあり得ん」

 

宙に浮いたテネブリスはマリーを見下す。

 

「……さすがはテネブリスさん。……神に愛された最初の魔女……」

「さて、今度こそ殺してやるぞ、マリー!」

 

 テネブリスは再び、次元切断の術をマリーに繰り出す。先ほどよりも速いスピードで繰り出された術に、マリーは反応することができなかった。

 

「う、あぁああああああああああああああ!?」

 

 悲鳴を上げるマリー……。術を受けたマリーの左腕はすっぱりと切断され、宙を舞うのだった。



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謝罪

 腕を切断されたショックだろう。マリーの左腕が切断されたと同時に紫と魔理沙を守っていた結界が解かれた。

 

「おばさん!!」

 

 気付いた時には、魔理沙はマリーの元に駆け寄ろうと動き始めていた。

 

「待ちなさい、魔理沙!」

 

 紫が魔理沙を制止させようと大声を上げる。だが、魔理沙には届かない。……届いていたとしても止まらなかっただろう。自分の母親と同じ顔をした人間が目の前で殺されようとしている様子を、指を咥えて見ていられるような、魔理沙はそんな情の薄い人間ではないのだ。

 

 碌に話したこともない『母親の双子の妹』。敵意がないとは言え、今回の異変で敵陣営であるルークスに所属している魔女。それでも、魔理沙はマリーのことを他人だとは思えなかった。守らなければならないと思った。それは母親の死に何もできなかった自分を責めてのことだったのかもしれない。

 

 魔理沙は自分の身を顧みることなく、マリーの元へと一直線に駆ける。老魔女テネブリスは龍脈と龍穴に残っていた運も既に根こそぎ自分のものとしていた。……幻想郷中全ての運を奪われている今、運のない魔理沙は一切の魔法を使うことができない。自分を守る術のない中、それでも魔理沙は駆ける。

 

「聞いてない……! 無理やりにでも連れ戻す……!」

 

 紫は魔理沙を自分の元に戻そうと、スキマを拡げようとした。だが……。

 

「そ、そんな……!? スキマが展開しない……!?」

 

 紫のスキマは何かに無理やり、閉じられるように力が加えられ、開くことはなかった。テネブリスがにやりと口元を歪める。

 

「ワシの能力の影響下で、貴様ごときの境界操作能力が使えると思うか?」

 

 ……既に付近一帯の境界はテネブリスが牛耳っていた。境界を操る程度の能力、その源泉であるテネブリスが支配した場所では幻想郷の賢者、八雲紫であっても太刀打ちすることはできなかった。テネブリスは横一線に次元斬りの力を紫に向けて撃ち放つ。

 

 紫はせめてもの防御を……と考え、防御の妖術を展開したが……。そんな防御壁などテネブリスの次元刃の前では豆腐にすらならなかった。防御壁を切断した次元斬りは紫の両足を水平に切り裂く……。

 

「ああぁあぁあああああああああああああああああああああああ!!!!!?」

 

 紫の悲鳴が響き渡る。その声でようやく魔理沙はテネブリスと紫が戦闘していたことに気付いた。

 

「紫!? どうしたんだぜ!?」

 

 魔理沙が振り返った先にいたのは両足の下腿部を切断され、四つん這いにうずくまる紫の姿だった。

 

「ゆかりぃいいいいい!!」と叫ぶ魔理沙。

「案ずるな小娘よ。お前もこいつらと同様に斬ってやるからのう……!」

 

 テネブリスは次元の刃を魔理沙に向けて撃ち放った。魔法を使えぬ魔理沙に防ぐ手立てはない。一瞬で真っ二つに切断され絶命する……はずだった。

 

 魔理沙にテネブリスの凶刃が接触しようとした瞬間、「パリィン!!」という高音の巨大音が鳴り響く。壊れるはずのない次元の刃はガラスが割れるかのごとく砕け散ったのだ。テネブリスは思わず目を見開く。

 

「……ワシの境界を操る力が打ち破られたじゃと……!? 憎き神から与えられたこの力をあんな小娘が上回っているというのか……! ありえん……! あってはならん……! 運もなく、魔法もろくに使えない人間がワシを超えるなどあってはならんのじゃ……! ……不穏分子は排除せねばならん……! ……小娘ぇ! 貴様の『境界を破る能力』が目覚めきる前に、貴様は屠らねばならん! 死ねぇえええええええええええええ!!!!!」

 

 宙に浮くテネブリスは、さらに上空へと浮上すると、焦りと怒りの感情のままに巨大な火球を地上に堕とした。地上に炸裂した火球は大爆発を起こす。衝撃波は人里の建物を消し飛ばし、わずかに残った瓦礫を燃焼させ、人里を火の海へと変えてしまった。爆発のエネルギーは周囲の水蒸気を全て気化させ、巨大なきのこ雲を形成するのだった。何もかもがなくなってしまった人里を見下ろし、テネブリスは呟く。

 

「……これで、『因子』を持つ者はワシ一人か……。……それでいい。どうせ全て滅びるのじゃからな……」

 

 更地になった人里でひとり、テネブリスは空を見上げるのだった。

 

◇◆◇

 

「う……。あ……。ごめんなさい……。間に合わなかった……!」

 

 魔法の森で這いつくばっていたのは、左腕を失ったマリーであった。彼女が謝罪した相手は助けられなかった同胞たちである。

 

 テネブリスが爆炎魔法を放つ間際、彼女が境界を操る能力を停止させたのを視認したマリーは自身の境界操作能力である黒球を発動し、仲間を助けようとしたが間に合わなかったのである。黒球を使い、魔法の森にワープすることで助け出すことができたのはたったの二人……。だが、その助けた二人も重傷を負っている。特に一人の少女はすでに瀕死の状態であった。

 

「ま、魔理沙ちゃ……ん……」

 

 そう、助け出されたのは霧雨魔理沙と八雲紫の二人。二人とも気絶しているが、死の間際にいるのは魔理沙の方であった。彼女の胸に大きな風穴がぽっかりと開いてしまっていた。爆発の破片が胸を貫通してしまったのだろう。境界の力を防ぐことができた魔理沙であったが、魔法を使えぬ彼女は爆炎を防ぐ術がなく、直撃を許してしまったのだ。

 

 魔理沙の顔からは既に生気が失われ、瞳孔も開こうとしていた。

 

「……死んではだめ……。死んではダメよ……、魔理沙ちゃん……。……貴方に託すものがあるのだから……」

 

 這いつくばって仰向けに倒れる魔理沙の元に辿り着いたマリーは、魔法陣を展開する。

 

「……このために私は今まで生き続けてきたの。臆病者と言われようとなんといわれようと死ぬことだけはしなかった。全てはこの時のため……。あなたのお母さんに……、リサに恩返しをするために……」

 

 マリーと魔理沙、二人の体が暖かな白い光に包まれる。

 

「ごめんね、リサ。遅くなっちゃった……。死の間際まで決断ができなかった弱い私を許して……」

 

 マリーはリサの顔を思い出し、溢れる感情を双眸からこぼれ落とすのだった。



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噂話

◇◆◇

 

――約二十年前、世界のどこか、ルークスのアジト――

 

 ひとりの少女が自室のベッドで布団をかぶり、ブルブルと体を震わしていた。

 

「やだ……。やだやだ……! 死にたくない……。死にたくない……!」

 

 少女は目の前に迫った死の期日に恐れおののいていた。少女の名はマリー。霧雨魔理沙の母親となる少女『リサ』の双子の姉である。

 

 マリーは知っていた。ルークスのリーダーである老魔女テネブリスが自分たち姉妹を実験に使うことを……。

 

 実験の内容は姉妹の片方が持つ魔法に関わる力の全てをもう片方に根こそぎ注ぎ込むというものだ。人体実験ここに極まれりといってもいい非人道的な行いである。だが、ここルークスにおいて『お母様』であるテネブリスこそが法であり、彼女の決定は絶対なのだ。

 

 テネブリスは姉妹に告げていた。近々姉妹二人に対して実験を行うと。姉妹は内容を詳しく知らされてはいなかったのだが、事情を知る幹部が口を滑らせたのだろう。幹部以下のルークスメンバーの間では『姉妹のどちらかに能力が集約される。まだ姉妹のどちらに集約されるのかは決まっていない。お母様は決めあぐねているようだ。集約されなかった方は廃棄物として始末されるだろう』という噂が広まっていた。

 

 どちらに能力が与えられるのか……。ルークスアジト内では、その噂話で持ちきりになっており、賭けを始める者も現れる始末だった。他人の不幸は蜜の味ということだろう。

 

 だが、マリーは確信していた。お母様が姉である自分ではなく、妹のリサに力を集約させるだろう、と。

 

 マリーは大人しく内気で、不器用だった。魔法の勉強も実技も、いつもリサの後塵を拝していた。テネブリスは姉妹を『最高傑作』にすべく、教育を施していたが、リサは比較的テネブリスに褒められることが多かった。

 

 テネブリスが他人をほめることなど、ほとんどない。幹部階級のドーターでさえ、叱責されることはあっても讃えられることなどほぼ皆無。そんな中、幹部でもないリサは褒められる。期待の表れに違いない。

 

 テネブリスはマリーよりもリサを評価している。それはマリーの目にも、周囲の目にも明らかであった。

 

「死にたくない、死にたくないよ……」

 

 マリーはより深く布団にもぐる。その双眸からは恐怖の涙が流れ出していた。

 

◇◆◇

 

「あ、ドーター昇格候補筆頭のリサじゃーん! おめでとうなんですけど?」

 

 フランケンシュタイン、『メアリー・シェリー』を連れた死霊魔術師(ネクロマンサー)、『プロメテウス』がアジト内で話しかける。相手はマリーの妹、リサであった。

 

「……あんたか。天下のドーター様が私に何の用なんだぜ? 急に何言い出すんだ、ドーター候補?」

「もしかして、まだ噂を聞いてない感じ?」

「……噂?」

「まったく。当事者だっていうのに、鈍感なんですけど? いよいよこの日が来たってわけ! お母様が『最高傑作』を作る日が!」

「……最高傑作?」

「そ。アンタたちの能力を一つにすることで、最高の『人間』を作るってわけ! アタシのメアリーちゃんよりも凄い合体をお母様が見せてくれるってわけ! 楽しみなんですけど! アタシがこのルークスに入ったのはお母様の技術を盗むためなんだから! って感じ?」

「……私たちの能力をひとつにする? そんなことして何の意味があるんだぜ?」

「人間を合体させて、より優れた者を生み出す。このロマンがアンタにはわからないわけ?」

「……わかりたくもないんだぜ?」

「ふーん。意見の相違なわけ。ま、今度ゆっくりこのロマンを教えてあげるじゃん。どうせ残るのはマリーじゃなくてアンタだろうし」

「残るってのはどういうことなんだぜ?」

「能力を奪われた残りカスをお母様が始末しないはずがないわけ! 今のうちに、マリーとお別れの挨拶を済ましてた方がいいんですけど。それじゃあねー」

 

 プロメテウスは手をひらひらと振りながらリサの元を離れていった。一人残ったリサは呟く。

 

「……最近流れてるあの噂、本当なのか? ……ババアが私たち姉妹を使ってなんかしらの実験をするつもりだとは聞いていたが……もう少し先かと思ってたぜ。……だが、腑に落ちないんだぜ。あの婆さんがプロメテウスと同じような狂気的で猟奇的な趣向を理由に、私たち姉妹の能力を一つにするとは考えられねえんだぜ。……何が目的だ? 私たちがまだ知らないことを……、想像以上に碌でもねぇことをしようとしてるに違いないぜ、あのババァ。そもそもこの噂が本当かもまだ疑わしいところだが……。とりあえず、姉さんと話し合っておかねえとな」

 

 リサは自室へと向かう。非道な魔女集団ルークスだが、一癖も二癖もある魔女たちが共同生活をするには限界がある。それ故、魔女たちにはそれぞれに個室があてがわれていた。最高のパフォーマンスを部下たちに要求するテネブリスは、決して劣悪な条件で働かすようなことはしなかった。冷酷だが、合理的。それがテネブリスなのである。労働環境はホワイト。だが、テネブリスの要求に応えることができなければ、死もありうる。それが魔女集団ルークスであった。そんな環境下において、リサはマリーと相部屋をしている。望めば、個室を与えられただろうが、ふたりはそれを拒んだ。彼女たちは仲の良い姉妹だったのである。

 

 リサ達以外にも姉妹でテネブリスに攫われた者たちもいた。しかし、どの姉妹も最終的にはルークスの競争世界を前に裏切り合い、憎しみ合う者たちがほとんど、良くて互いに無関心という有様だ。そんな世界の中で生きる中、仲の良い姉妹であり続けたマリーとリサはまさに奇跡的な存在だった。

 

「おーい、姉さんただいま」

 

 帰りの挨拶を送ったリサだが、返事はない。だが、ベッドのふくらみがマリーの在室を証明していた。

 

「まーた、姉さん布団の中でまるまってるのか。おーい、でてこーい!」

 

 リサはバッと布団をはぎ取る。そこには涙を流して怯えるマリーの姿があった。

 

「なんだよ、姉さん。またメソメソしてたのか。今日はなんで泣いてるんだぜ?」

 

 マリーはうっ、うっと嗚咽を漏らして喋り出す。

 

「リサ、私きっとお母様に殺される……」

「ああ、あの噂話のことか。ま、本当の可能性もそれなりにありそうなんだぜ」

「そ、そんな……」

 

 さらに顔を青ざめるマリーを安心させるようにリサは満面の笑みを浮かべる。

 

「作戦立てなきゃな!」

 

 リサはマリーを勇気づけるように声をかけるのだった。



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下衆なイベント開催

「作戦……?」

 

 マリーは不安そうな表情でリサに聞き返した。

 

「ああ! ま、作戦っていっても大したことじゃあないんだぜ? どんなことをしてでも、私が残りかすの方にになってやるってわけだぜ」

「な、何言ってるの!? リサに辛い思いさせられるわけないじゃない……。私がお姉ちゃんなんだから!」

「……強がるなぁ姉さん。怯えて涙流してるってのに……」

「うっ…………」

 

 マリーはリサに指摘され、顔を赤らめると慌てて涙を拭う。

 

「残りカスなんて言い方、私はしたくないけど……選ばれないのは間違いなく私よ。誰に聞いたってそう答えるわ。だって、私とリサとじゃ魔法使いとしての力量の差が天と地ほどにもかけ離れているもの……。お母様は絶対に貴方を選ぶ。貴方に全ての力を集約するに決まってるじゃない……」

 

 マリーのルークスにおける常識的な回答にリサは悪戯な笑みを浮かべた。

 

「どうも、そうとは限らなそうなんだぜ?」

「…………?」

 

 マリーはキョトンとする。リサが何か確信を持って答えていたからだ。

 

「でも、姉さん。嬉しかったぜ? 私を守るためなら自分が選ばれなくても仕方ないって思ってくれてたんだよな? たとえ自分が死ぬことになったとしても……。そんな姉さんだから、私は信じて託せるんだ、任せられるんだ。私の全てを……」

「……リサ?」

「作戦はこうだ……。ただの力技のゴリ押しなんだけどさ……」

 ………………

…………

……

 

◇◆◇

 

「はいはいはーい! 今からイベント始めまーす! 参加したい奴らはどうぞこちらにー、なんですけど?」

 

 ルークスアジトの大食堂で掛け声を出している褐色銀髪の魔女がひとり。ルークス幹部階級『ドーター』の一人、プロメテウスである。

 彼女は昼食を終え、大食堂で情報交換をしている多数の魔女たちに聞こえるように提案し始めた。

 

「この薄暗いアジトだし、たまには面白いことやらないと本当に陰気になっちゃうじゃん? てことで、久しぶりに皆で賭けをしない? ってことなんですけど!」

「賭けねぇ。あまり上品なことじゃあないですわね。私はパスさせてもらいますわ」

 

 真っ先に声を出したのはドーター『山祇イワナガ』だったが、彼女はそう言い残して食堂を出ていった。

 

「開口一番ノリの悪いこと言って邪魔しないで欲しいんですけど!? ま、イワナガは放っておくことにするわけ!」

「んんんんんん! 賭け自体に参加するのはやぶさかではありませんが……、まずは賭けの内容をお教え頂けませんかねぇ?」

 

 モーニングを来た片眼鏡の魔女が質問した。自身を悪魔貴族と言って憚らないドーター『ダンタリオン』である。

 

「賭けの内容は簡単なんですけど? みんなも知ってるじゃん? 今度、マリー&リサの実験をお母様が実行される……。で、どっちが残りカスにされるか賭けようって話なわけ!」

「んんんんん! 中々に下衆な賭け内容ですねぇ……。しかし、悪魔貴族のわたしとしてはその悪魔らしい内容に惹き付けられました。その賭け、参加して差し上げましょう……!」

「ノリいいじゃん、ダンタリオン! さてさて、もっと参加者がいないと賭けにならないわけ! ドーターじゃなくても、平の魔女でも参加大歓迎なんですけど!」

 

 プロメテウスが賭けに参加するよう喚く。

 その様子を窺っていた一対の魔女ペア。背の低い少年のような姿をした魔女が外套を被った女性としては長身の部類に入る魔女に話しかける。

 

「おやおや。プロメテウスのヤツが面白そうなことをやっていますね。ドーターでなくとも参加できるそうですよ? ルガト、あなた参加してはどうです?」

「わ、わたしは……や、やめておこうかな……。こ、こういうのお母様、き、きらってそうだもん……。カ、カストラートさんもやめておいた方が、良(い)、良いよ?」

 

 黄色の美しい長髪と背中にはえる蝙蝠のような翼を外套で隠す長身魔女……、もとい吸血鬼『ルガト』はおどおどとした様子で答える。

 見慣れたルガトのおどおど姿に少年風の魔女『カストラート』はため息を漏らす。

 

「いつまでもお母様の顔色を窺っているだけでは、『ドーター』になることはできませんよ? ま、吸血鬼(実験動物)を憎んでいる僕としてはお母様に特別扱いされている貴方がドーターになれなくても何の問題もありませんがね。……僕は参加することにしましょう。退屈なルークス(クソ組織)の日常にはたまのスパイスが必要ですからね。……プロメテウス! 僕も参加してあげますよ?」

 

 カストラートの呼びかけにプロメテウスは不機嫌そうに振り向く。

 

「あーん? カストラートなんですけど! ……相変わらずの上から目線口調、ムカつくけど今回は眼を瞑っておいてやるわけ!」

「偉そうなのはあなたの方でしょ?」

「ホントにムカつくんですけど! 私の方がドーターとしても魔女としても先輩なわけ!」

「おや? お母様は魔女の序列は実力で決まるとおっしゃっていたはずですが?」

「減らず口なわけ! 実力でも私の方が上なんですけど!?」

 

 二人の口論がヒートアップする中、一人の魔女……いや、神の声が食堂に響いた。

 

「はいはーい。そこまでにしてくださーい。まだ騒ぐというのならー、ヴァジュラの雷(いかづち)で二人とも真っ黒こげにしちゃいますよー?」

 

 間延びしたギャル風の口調でその神はカストラートとプロメテウスに圧をかけていた。柔らかそうなその口調と反比例したプレッシャーに二人は思わず体を震わせる。

 

「……くっ……!? インドラ…………さん……」

「さんを付けるのが遅かったのは見逃してあげますよー? カストラート……!」

 

 ルークスの幹部階級『ドーター』において唯一『シスター』を名乗ることを許された神クラスの魔女『インドラ』は今風のギャルが着るような服に魔改造した袈裟を身に付け、微笑みをカストラートに向けている。

 だが、眼の奥は笑っていないことは明らかだった。

 

「プロメテウスちゃーん? 駄目じゃない、喧嘩なんかしたらー? それは予定にないでしょー?」

「す、すいません。インドラ様……」

「えー? そんな、『様』なんてやめてよー。私たちはお友達なんだからー。『インドラちゃん』って呼んでくれなきゃー。あと、タメでいいよーっていつも言ってるでしょー?」

「あ、あはは……。ご、ごめんね。インドラちゃん……なわけ……」

 

 プロメテウスは声を震わせながら、インドラにタメ語を使う。

 

「そーそー。それでいいのよー。プロメテウスちゃん! さ、胴元の役割を続けてちょうだーい?」

 

 インドラはプロメテウスに賭けを続けるように促した。それを見ていた他の魔女たちは察する。

 プロメテウスはインドラの意志のもとに賭けを提案したのだろう、と。

プロメテウスも決して性格の良い魔女ではない。死体や魂をモノのように扱う女だからだ。この下衆な賭けイベント自体はプロメテウスが考え付いたのだろう。

 しかし、その実行にゴーサインを出したのはインドラに違いない。

 このルークスにおいて実質ナンバー2の座につくインドラ。そんな彼女が裏側から開催するイベントだと知った以上、有象無象の下級魔女たちはプロメテウスの促すままに賭け事へと参加するほかなかった。……参加しなければ、インドラからどんな仕打ちを受けるか分からないからである。

 

「うんうん。それでいいのよー。あなたたちー」

 

 インドラは満足したような表情で微笑む。彼女にとって賭けやイベントの内容などどうでもいいのだ。自分の存在が弱者たちの心と動きを支配していることを確認できればそれでよかったのである。

 弱者に畏怖の念を抱かせる。それは神であるインドラにとって本能のようなものであった。その目的が達成された以上、もはや賭け自体に興味はない。見届けるだけ。それでインドラの欲求は満たされる……はずだった。

 

「ちょっと、みんなして『マリーが残りカス』になるに賭けたんじゃ賭けにならないじゃん! 誰か、『リサが残りカス』になる方に賭けないと面白くないんですけど!? …………あと、数が足りないんですけど? 今この食堂内には私とインドラちゃんを除いた31の魂がいるはず。ネクロマンサーである私が言うんだから間違いないわけ。それなのに、29人しか賭けてないんですけど!?」

 

 プロメテウスの発言にインドラはピクリと眉を吊り上げた。怒りのままに第3の眼を開眼しそうになるところだったが、グッとこらえる。

 インドラが開催した賭けに参加しない人間が二人もいる。一人はインドラも心当たりがあった。お母様テネブリスのお気に入りの吸血鬼、ルガトである。

 おどおどしている様子を見せるくせに、テネブリスに気に入られていることを自覚しているのか、時折り舐めた態度を取ることはインドラも把握していた。これで舐めた真似をされたのは何度目だろうか。今すぐにでも殺してやりたいくらいだが、ルガト(ヤツ)はお母様のお気に入り。殺すわけにはいかなかった。癪だが、ルガトに関しては仕方ない。問題はインドラに逆らう者が『もう一人いる』ということだ。

 

「……百十七号、お前じゃん? ルガトを除けばお前だけがこの賭けに参加してないわけ! どういうつもり!? なんですけど!!」

「だ、だってきっとお母様(グランマ)はこんなことしたらお怒りになるもの……!」

 

 百十七号と呼ばれた少女は幼さの残る高い声で反論していた。

 インドラはにやりと笑う。逆らっている者がだれかと思えば、過剰にテネブリスに忠誠を誓うただの人形だったからだ。そう、この百十七号はテネブリスが『依代(よりしろ)』にしようとして作った人形たちの最新作で最終作。テネブリスは人形では依代にはなれないと判断し、百十七号以降『完全自動人形(パーフェクトオートマタ)』を作ることはなくなったのである。

 テネブリスはもうこの百十七号に魔力を与えることをやめている。興味を失ったからだ。

今は奇特な『人間』がテネブリスに代わって魔力を百十七号に与え、命を繋いであげているのだ。そのことをインドラは知っていた。

 インドラは思う。《こいつを殺してもテネブリスは何も反応を示すことはない。良い機会だ。こいつをいとも簡単に消滅させる私の姿を他の魔女に見せつけ、神の怒りを買うとどのような目に遭うのか知らしてめてやろう!》と。

 

「下級魔女の分際で私に盾突くなんてー。頭の悪いお人形さんですねー。……我自ら殺してくれるぞ? お前が服の下に隠し、お姉ちゃん(シスターズ)と呼んでいる旧式の自動人形諸共のう……」

 

 口調をギャル風から神風に変えたインドラはその手にもつ金剛杵『ヴァジュラ』を槍のように変形させると、切っ先を百十七号に向ける。

 そして、切っ先から神雷が放たれる。超高速のまばゆい光。だれもが、百十七号の完全停止を確信したその時だった。

 一人の『人間』が百十七号の前に飛び出し、境界を展開する。開いた境界は闇色のスキマとなり、そこに飛び込んだインドラの雷は別の空間へと消えていってしまった……。

 スキマを展開した人間の魔女は涼しい笑みを浮かべていた。

 

「おいおい。たまにはここの食堂使ってやろうと思って来てみたら、気分の悪い賭けをしてくれてたんだぜ。おまけに物騒にも殺しまでしそうになってるし……。どういうつもりなんだぜ、インドラさんよ?」

「……リサぁ……!!」

 

 インドラは派手に登場し、自身の雷を無効化した人間の魔法使いに睨みを利かせる。

 そう、後の霧雨魔理沙の母である『リサ』に……



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リサの一人勝ち

「百十七号ちゃん、大丈夫!?」

 

 リサがインドラの雷を別時空に飛ばす一方で、マリーは百十七号の元に駆け寄り、安否を確認する。

 

「う、うん。大丈夫だよ、マリーさん」

 

 尻もちをついていた百十七号は立ち上がりながら答える。

 

「良かった」と言いながら、マリーは百十七号を抱きしめる。そう、テネブリスに見捨てられた百十七号、彼女が停止しないように魔力を込めていた人間はマリーだった。純粋にテネブリスを慕う百十七号。彼女が捨てられたことを不憫に思い、マリーは自身が魔力を渡すことに決めたのである。……『お母様の命で今度から私……マリーが貴方に魔力をあげることになったの』と嘘をついて……。

 

「……リサちゃーん、なんで百十七号を壊すのを邪魔するのかしらー? あなた私に逆らう気ー?」とインドラがリサに問う。

「胸糞悪いから邪魔してやったんだぜ。どうせお前のマウント取り。それだけのためにこのチビを壊そうとしてたんだろ、邪神様?」

「……魔女にもなれぬ人間ごときが偉そうにー……!」

「違うな。『人間』だから『神』に抗えるんだぜ! そうだろ?」

「ふん……。知ったような口を利きますねー。ちょっとお母様と同じ『境界を操る程度の能力』に目覚めたからってー、良い気になってるんじゃないのー?」

「かもな……」

「ちょっと興が醒めちゃったー。今日の賭けはなかったことにしましょうかー、プロメテウスちゃーん?」

 

 プロメテウスはインドラの提案にぶんぶんと首を縦に振り、参加料として魔女たちから出されていた金銀やレアアイテムを返そうと動き始める。だが、それにリサが待ったを賭ける。

 

「おい、待つんだぜ。気分の悪い賭けだが、やるなとはいってないんだぜ?」

 

 リサは言いながら、自分もありったけのレアアイテムを空間魔法で召喚し、ベットした。

 

「こんだけ出せば、参加料には十分だろ? 私は、『リサが残りカスになる』に賭けてやるんだぜ」

「なんですって?」と驚くプロメテウス。

「馬鹿な事をいうじゃん。お前が残りカスに選ばれる? そんなことがあるわけないんですけど? めっちゃムカつくけど、リサ、お前はお母様と同じく境界の力に目覚めているわけ。だけど、マリーは目覚めてないじゃん。それだけじゃない。そもそも魔法使いとしての能力だって、マリーはお前の足元にも及ばないんですけど。てか、お前にマリーの能力移植したら、逆に弱くなるんじゃないかってみんな言ってるくらいなんですけど?」

「……お前らみんな勘違いしてるんだぜ? あのクソババアが私と姉さんを一つにしようとしているのは別に強い魔女を作るためじゃないんだぜ。そうだろ、インドラさんよ?」

「…………」

 

 インドラは無言でリサを見る。そう、テネブリスの目的は魔女の育成ではない。『依代』を生み出すことなのだから。そのことを知るインドラは口を閉ざした。

 

「……なんの騒ぎじゃ……?」

 

 その老いた声を聴き、魔女一同に緊張感が走った。大食堂の出入り口、日の当たらぬ暗い通路からぬっと姿を現したのは腰の曲がった老魔女。ルークスの首領、お母様『テネブリス』がドーター『シェディム』を連れて出てきたのだ。

 

「……この騒ぎ、シスターのインドラ様がいながら、なんですか。この体たらくは……?」

 

 シェディムがインドラを諭すように口を開く。

 

「ほう。どこに隠していたのか知らんが、山のようにレアアイテムがテーブル上に置いてあるのう……。カジノの真似事でもしておったのか? ……立ち位置を見るに、胴元役はプロメテウス、貴様か?」

 

 テネブリスの言葉を受け、(ば、ばれてるんですけど!?)と心の中で焦った声を出しながら、プロメテウスはビクっと体を震わせる。

 

「ああ、そうなんだぜ。お母様、私たちギャンブルやってたんだぜ。アンタが私と姉さんのどっちを殺すかって賭けをな」とリサがテネブリスに告げる。

 

「ほう……。実験の件は幹部階級にしか話していなかったはずじゃが……、誰が漏らしたんじゃ?」

 

 と言いながら、テネブリスはインドラを見つめる。だが、インドラが反応することはない。

 

「……くだらぬ興はさっさとやめるんじゃ。組織内の風紀と秩序を乱すことは許さん」

「わかったんだぜ、お母様。だけど、この賭けだけはさせてくれよな。……私と姉さん、アンタはどっちを抜け殻にして殺すつもりなんだぜ?」

「…………もうお前はわかっているじゃろう? 言う必要はあるまい」

「そうそう決まり切ってるんですけど! どう考えたってマリーが殺されるのは確定なわけ!」

 

 プロメテウスが喚く。それに対してテネブリスが鋭い眼光を向けた。

 

「……プロメテウス、貴様ごときがワシの心中を代弁するつもりか? いつからそんなに偉くなった? 身の程を知れ……!」

「うっ」と声を詰まらせたプロメテウス。その顔からどんどんと血の気が引いていく。どうやらテネブリスの逆鱗に触れたらしい。プロメテウスは慌てて謝罪する。

「も、申し訳ございません、お母様……!」

 

「ふん……、まあ良い。どうやら、事の発端は貴様ではないようじゃからのう……」

 

 テネブリスはインドラに再び鋭い視線を向ける。インドラは知らんぷりをするように顔色一つ変えない。だが、テネブリスの激昂は伝わっているのだろう。心臓の鼓動はいつもより早くなっていた。

 

 いかに神クラスの存在であるインドラとはいえ、テネブリスからの怒りを買えば命はない。しかし、だからといって恐怖に屈して頭を下げることは、インドラのプライドが許さなかった。彼女の知らんぷりは、恐怖とプライドの折衷案だったのである。

 

 ……怒りの感情が空間を支配する中、テネブリスの心中などどうでも良いとでも言いたげにリサが口を開く。

 

「お怒りのところ、申し訳ないんだが。結局私と姉さん、どっちを殺すつもりなんだぜ、お母様?」

「……まだその話をするか、リサ」

「ああ、もちろんなんだぜ。私のなけなしのレアアイテムを賭けちまったからな。答えてもらわないと困るんだぜ……!」

「……ワシが怒りの感情を出していることを分かっていながら、それでも質問をやめぬか……。大した胆力じゃのう……。……やはり貴様は『惜しい人材』じゃった。……『最高傑作』になるのはマリーじゃ。リサ、貴様には死んでもらう」

 

 テネブリスの回答と同時に大食堂内にざわめきが起こる。だれもが思っていたのだ。魔法使いとしてマリーより数段上の実力を持つリサが生き残るに違いないと。

 マリーも眼を見開き、冷や汗を流しながら驚いていた。殺されるのは自分だと信じ切っていたから。

 ざわめきが起こる中、ひとりだけ不敵な笑みを浮かべる少女がいた。そう、リサである。

 

「やっぱりな。思った通りだったんだぜ」

「……死刑宣告をされたというのに、笑っていられるとはのう……。何か策でもあるのか、リサ?」

「さあな。……ところで実験の日取りはいつなんだぜ? 心の準備が必要だからな! ……心配しなくても実験から逃げたりなんかしねえよ。そんなことしたら、アンタ姉さんを殺すだろ?」

「……何か策でも考えておるのか? ……無駄なことじゃろうがのう」

 

 言いながら、テネブリスはリサの眼を見る。リサの眼の奥は決意の炎で燃えていた。

 

「……覚悟はできている、というわけか。良いじゃろう。たった今決めた。明日の日の入り。夜を迎えたその瞬間、実験を始める。……あと一日の命、姉と大事に過ごすと良い。後悔をしないようにのう……」と言って、テネブリスはシェディムとともに大食堂をあとにした。テネブリスの背中を見送ったリサは魔女たちに言う。

 

「おい、聞いたか? 賭けは私の勝ちなんだぜ。この宝の山は私のもんだ。文句は言わせないんだぜ?」

 

 リサは空間魔法で大きな布袋を取り出すと、賭けに出されていたアイテムをパンパンに詰め込んだ。

 

「よし! じゃあ部屋に帰ろうぜ、姉さん」

 

 リサは呆けているマリーに声をかける。マリーははっと気づき、立ち上がる。

 

「いやー、思わぬ収穫だったぜ。どうだ姉さん、こうやって布袋持ってると、黒いサンタさんみたいだろ?」

「リサ、そんな冗談言ってる場合じゃないでしょ!? 貴方明日には殺されちゃうのよ!」

 

 マリーは取り乱したように叫ぶ。

 

「そんなこと言っても、あのババアが心変わりするなんてことはないんだから、どうしようもないんだぜ。大丈夫、私たちには計画があるんだぜ。さ、リラックス、リラックス。リラックスするには笑いが必要なんだぜ。それでは改めて……。黒いサンタさんみたいだろ?」

 

 マリーは少し考えてから口を開いた。

 

「……どっちかっていうと、泥棒?」

 

 マリーの言葉に思わずリサは笑う。

 

「ハハッ。そいつは酷いんだぜ。さ、これで冗談を言うくらいの余裕は生まれたわけだぜ。……準備しないとな」

 

 こうして、マリーとリサは大食堂をあとにするのだった。



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気扱い

…………

……

 

トントン。

リサとマリーの部屋をノックする音が響く。

 

「来客なんて珍しいんだぜ。私が実験される前に顔を見ておこうってヤツでもいるのか? だとしたら趣味悪いんだぜ……。ほいほい、どなたなんだぜ、っと……」

 

 リサがドアノブに手をかける。そこに居たのは栗色の髪をした少女だった。

 

「お前は……」

「百十七号ちゃん……!?」

 

 リサの言葉を上書きするようにマリーが室内から覗き込んだ。そこにいたのは完全自動人形(パーフェクトオートマタ)の百十七号だった。

 

「どうしたの、百十七号ちゃん?」

「ごめんね、マリーさん。私、貴方達の味方にはなれない……!」

「百十七号ちゃん、突然何を言ってるの?」

「……私、いつもマリーさんにお世話になってる。マリーさんに魔力を分けてもらって私は動いていられる……。でも、もし明日マリーさんとリサが実験に反発してお母様に逆らうことがあったら、私はお母様の方に付く……。それを言いに来たの……」

「百十七号ちゃん……」

「きっと、私は間違ってるんだと思うよ……。恩を仇で返すってことだもの……。でも、私はお母様(グランマ)を裏切れない。だって、私お母様(グランマ)のこと大好きだから……。例えもう愛されてないのだとしてもお母様(グランマ)のこと大好きだから……」

「…………」

 

 マリーが返答に困り無言になる中、リサが口を開く。

 

「なんだよ、そんなこと気にしてわざわざ言いに来たのか? お前も変なとこで律儀な奴なんだぜ。このルークス(クソ組織)でそんな弱みを見せたらろくでもない奴らに付け込まれるだけだぜ?」

「……リサ。私はお母様にお前を殺せと言われれば躊躇なく殺すから……! たとえマリーさんが悲しむことになっても……!」

「……構わないぜ? ま、お前に私が殺せるとは思えないけどな!」

 

 リサはお道化たように笑う。その態度にムムっと来た百十七号は癇癪を起こす。

 

「そんなことないもん! 私だって本気になればリサくらい一ひねりなんだから!」

「……そんくらい元気があるなら大丈夫だな。もう気にすんなよ。お前が敵に回ったって姉さんがお前を恨むことはないからさ。その代わり、お前も私を殺すつもりなら、私に倒されても文句は言うなよ?」

「明日実験が終わったらアンタは魔法を使えなくなるんでしょ。私の力でも倒せるわよ!」

「そん時は私の代わりを誰かに頼んで、倒してもらうんだぜ」

「……リサ、頼めるお友達がいるの?」

「……今はまだいないな。でも、そのうちできるさ。……さ、もういいだろ? 姉さんも私もお前がどんな行動取ったとしても気にしやしねえよ」

「……うん。じゃあね、マリーさん。また今度ね!」

 

 百十七号はマリーに向けて手を振ると無邪気に笑いながら、リサたちの部屋をあとにした。

 

「これで良かっただろ? 姉さん……」

 

リサの問いかけに「ええ」とマリーは答えた。

 

「……まったくここにいたら、まともな精神でいられないんだぜ。なんで自分を殺そうとしてるお人形に気を遣ってやらないといけないんだ? 多分、お外の世界とはかなり違う価値観で私たちは育っちまったんだぜ」

「……リサ。百十七号ちゃんを責めないであげて。あの子はお母様に愛されたくて愛されたくて仕方がないだけだもの……」

「わかってるって。……アイツも可哀想なんだぜ。何の因果か、人形に生まれちまって、しかも生みの親は見向きもしねぇ。……全ての元凶はあのババァなんだぜ!」

「……リサ。貴方ももう気付いてるんでしょ? 本当はお母様も……」

「……それ以上言うなよ、姉さん。私の怒りとか憤りとかの感情がどっかにいっちまいそうになるからさ。……たとえ、あのババアの目的が『それ』だとしても、『それ』はやっちゃいけねえんだぜ。多くの犠牲を払ってまで望んでいいことじゃねえんだぜ……。姉さん、私は絶対、この組織(ばしょ)から生きて出る。世界を好きにさせるわけにはいかねえんだぜ!」

 

 リサの両眼には、強い決意が露わに浮かぶのだった。

 



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小さい頃みたいに

――実験前夜――

 

 リサとマリーは寝付けないでいた。マリーはもちろん、いかに強気なリサと言えども、明日の夜生きている保証がないとなれば、不安に駆られるのは仕方のないことだった。

 マリーはベッドで横たわったまま、リサに声をかける。

 

「……ねぇリサ。リサは怖くないの? ……私は怖い。能力を植え付けられるのは私だとテネブリスさんは言ったけど、もしかしたらリサからもらった力に耐えられずに死ぬかもしれない……。そう考えたら怖くて……」

「……大丈夫だって。私も姉さんも生き残れるって! そんなことより、実験終わった後のことを心配しようぜ……! あのババァから私が逃げるにはパワーアップした姉さんの力が絶対に必要なんだからな!」

 

 リサは自身の不安を押しのけるようにマリーに言い放った。

 

「……二人で並んで寝るのも今日が最後なんだね……」

 

 マリーが寂しそうに呟く。リサはすぐに返した。

 

「なに言ってんだよ! またすぐに一緒に暮らせるようになるって! 今度は外の世界で一緒に暮らすんだぜ! そうだろ?」

「……うん、そうだね。そうなったらいいね」

「そうするんだよ!」

「……ねぇ、リサ」

「なんだぜ?」

「今日は一緒に寝ない……? 小さい頃みたいに……」

「……ははっ! なんだよ、姉さん怖がりだなぁ? そういえば、いっつも姉さんは私に一緒に寝ようって言ってきてたよな。懐かしいんだぜ」

「む、昔のことはもういいでしょ!」

 

 と言いながら、マリーは自分の隣で寝るようにというメッセージを込めて、バンバンとベッドを叩く。リサもその合図に従うようにマリーのベッドの中に潜り込んだ。

 

「へへっ! なんだか懐かしいんだぜ。……ちょっと安心した……」

 

 そう言うと、リサはすぐに眠りに入っていった。

 

「……凄い。もう寝ちゃうなんて……。やっぱりリサは大物ね……」

 

 言いながら、リサの体に手を触れる。マリーは触れた途端はっと何かに気付いた。リサの体は震えていた。もう眠りに入っているはずなのに、ブルブルと震えていたのである。マリーは自分を恥じた。怖いのは自分だけではない、そんなことは分かっていたのに妹を勇気づける言葉ひとつかけられなかったことに……。

 

「……ごめんね、リサ。リサだって怖いよね。ごめんね、私お姉ちゃんらしいことしてあげられなくて……」

 

 眠っているリサの体をそっと抱きしめた。リサの体の震えが止まったのを感じながら、マリーも眠りに就くのだった……。

 

――実験当日――

 

 その時はあっという間に訪れた。テネブリスが宣言した日の入りの時刻。マリーとリサの二人は、テネブリスの命を受けた下っ端魔女たちに後ろ手に拘束された姿でアジトの大広間へと連行された。聖堂にも似た荘厳な雰囲気を醸し出すその部屋で実験の準備は着々と進められる。

 

「……おいおい。趣味悪いんだぜ。その十字架に私たちを磔にしようってのか?」

 

 堂の中央に設置された二つの巨大な十字架。それには明らかに人の手首足首を固定するのであろう鉄製の拘束具も備えられていた。

 

「……えらく大人しいじゃないですかー? もっと抵抗すると思ってたのにー」

 

 間延びしたギャル口調。帝釈天=インドラである。

 

「へん! どうせ、お前らからは逃げられないからな」

「あなた、そんなに物分かりが良いタイプでしたっけー? ……何を企んでるのかしらー」

「あいにくだが、何も企んでないんだぜ?」

「…………」

 

 インドラはリサに無言で疑いの眼差しを向けていた。

 マリーは終始、俯き加減で下を向いていた。顔色は青ざめている。

 

「姉の方は想像通りのリアクションですねー。……お母様は本当に姉の方にリサの能力を渡すおつもりなのかしらー? 仮に力を得たとしてもお母様の望む者にはならなそうですけどねー」

「……全員揃ったか」

 

 インドラの呟きをかき消すようにオーラを帯びた声が堂内に響いた。歳老いたその声は一瞬で、緩んでいた場の空気を硬直させる。

 

「……では実験を始めようかのう。……依代を誕生させる実験を……!」

 

 テネブリスは鋭い眼光で二つの十字架を見つめるのだった。



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境界を一つに

「覚悟はできたか? 二人とも……」

 

 テネブリスはリサとマリーに視線を向ける。その表情は笑っているようにも睨んでいるようにも見えた。

 

「覚悟できてません! って言ったらやめてくれるのか? ……覚悟はとっくにできてるぜ。とっとと始めろよ……!」

「……リサ。この窮地に至ってもなお、虚勢を張ることを止めぬか……。やはり、貴様は『惜しい人材』じゃった……」

「虚勢なんかじゃねえぜ。本心だからな……!」

「……マリーの方は気を保つのがやっとといったところか。……『最高傑作』の依代としてはいささか頼りない精神じゃが、仕方あるまい……」

 

 マリーは青ざめた顔色で、無言のままテネブリスに視線を向けていた。

 

「姉さん、しっかりするんだぜ!」

「え、ええ……」

 

 リサの言葉に力なく答えるマリー。死の恐怖を目前に、彼女は完全に憔悴しきっていた。

 

「……インドラ、ルガト。準備するのじゃ……!」

 

 テネブリスはインドの神をルーツに持つ帝釈天=インドラと実験吸血鬼の成功体であるルガトに指示を出す。

 

「……また、ドーターでもないルガト(実験吸血鬼)を依怙贔屓、か……。何を考えているんだ? あのババァは……」

 

 カストラートが堂の隅で、テネブリスに聞こえないように、声になるかならないかの小さな音を声帯から発していた。

 指示を受けたインドラとルガトはリサとマリーをそれぞれ十字架に括り付ける。

 

「……始めるぞ……!」

 

 テネブリスは持っていた杖でガンと地面を一撞きする。すると、リサとマリーの十字架を中心として魔法陣が展開される。

 

「……偉大なる御方よ。今ここに、貴方の血を継ぐべき依代を誕生させましょう……! 今、境界を一つに……!」

 

 テネブリスの呪文とともに、魔法陣が光る。そして、リサの十字架の足元には漆黒の空間が、マリーの足元には対照的な眩しい光が召喚される。

 

「あ、あ……。『私』が吸い込まれる……」

 

 そうリサは呟いた。彼女の全てが漆黒の空間へと奪われるのが感覚で理解できた。リサがこの十数年間の人生で培った魔力、生命力、技量……そして運。全てが闇へと飲まれていく。痛みはなかった。ただそこにはあまりにも大きな喪失感が残ったのである。その喪失感はリサが思っていた以上に辛く、悲しく、寒く、寂しかった。

 

 それとは対照的にマリーの体には『リサの全て』が光から注ぎ込まれる。それは決して温かいものではなかった。充足感とは程遠い、苦痛がマリーを襲う。それは例えるなら、満腹の体にさらに無理やり食事を流し込まれるような、ストーカーから与えられる一方的な愛を何十倍にしたかのような不快感がマリーを襲う。

 その充足感とは違う過剰な力の摂取は、苦しく、痛く、熱く、寂しかった。

 

「あぁあああああああああああああああああああ!!!?」

 

 マリーは注がれ続ける力の過剰な快感に耐えられず大声を上げる。姉の悲鳴を聞かされていたリサだったが、彼女は喪失感で、心配することすらできなかった。

 次第に治まっていく光と闇。気付けば、二人を拘束していた十字架は粉々に砕かれ、彼女たちは地べたに横たわっていた。

 

「……成功じゃ。が、それでもこの程度の『濃さ』か。……これでは到底、必要な『因子』の濃度には及ばんな。……これがワシの限界か。この程度を『最高傑作』とせねばならんとは情けない話じゃ……。……インドラ、リサにトドメを刺せ。残りカスを生かしておく意味はないからのう。……憎しみの芽は摘まねばならん」

「はーい」

 

 インドラはテネブリスの指示に返答すると、ヴァジュラをトライデント状に変形させ、リサに突き付ける。

 

「残念だったわねー、リサ。……お前のことはそこそこ買っていたんだがー。そうなってはもうおしまいよねー」

 

 インドラはヴァジュラを帯電させる。

 

「……けて……」

「ん? リサ、お前何を喋っているのー」

「……助けて……。姉さん……」

「ぷっ、あっはは。助けを求めるなんてお前らしくない。ましてや臆病者の姉に求めるとはな。所詮はお前も脆弱な『人間』だったというわけだな。失望したぞ、リサ。我が神雷で今すぐ楽にしてくれる……!」

 

 インドラが神雷をリサに与えようとしたときだった。ヴァジュラに帯電されていたはずの雷がインドラの意思に反して、失われたのである。

 

「……なんだ? なぜ私の雷が消えている……?」

 

 インドラは気付く。マリーを見ていたルガトが吹き飛ばされていることに。ルークスのメンバーたちは、ルガトが不可解な力で堂の壁に叩きつけられている光景を目の当たりにし、何が起こったか理解できず混乱し、ざわめきだっていた。

 ざわめきとともにフラフラとマリーが立ち上がる。

 

「……リサ、ごめんね。私、お姉ちゃんなのに何にもできなくて……。だから、せめて死なせない……。リサは絶対に死なせない。リサは外の世界で幸せにならなくちゃいけない……!」

「……マリー、ワシに逆らう気か……?」

 

 テネブリスが圧倒的なプレッシャーを放ちながら、問いかける。

 

「……私は臆病者です。逆らうなんてしない。逃げるだけです……!」

 

 マリーは、インドラの足元に横たうリサに向かって走り出す。

 

「インドラ。マリーを止めるのじゃ。リサを渡すな……!」

「当たり前でしょー? ……マリー、少し力を得たからって勘違いしなでよねー。ヴァジュラの雷で……なに!?」

 

 インドラは驚愕の表情を浮かべる。雷が生成されないからだ。

 

「なぜ、我の雷が発動しない……!?」

 

 思わず神口調になるインドラ。

 

「うわぁああああああああああああああ!!」

 

 マリーはインドラに体当たりすると、リサを抱えて、走り逃げ出した。

 

「……魔法を使っていないのに軽々とリサを運んでいる……!? 能力が上がったのは魔法の力だけではないようだな……! だが、相手が悪すぎたな、マリー。私の『物理法則改変能力』の前にはどんな妖怪も魔女もひれ伏すのだ……。貴様の周囲の物理法則を変えさせてもらうぞ……!」

 

 インドラはマリーに向かって手を翳す。しかし、マリーには何の変化も現れない。

 

「……なぜだ!? 私の改変能力が効かないだと……!? ……まさか……お母様にも匹敵する『境界を操る程度の能力』に目覚めたとでもいうのか……!?」

 

 驚愕するインドラを後目にテネブリスは『ふむ』と顎に手を触れる。

 

「理想には遠く及ばぬ『最高傑作』ではあるが、そこそこに『因子』の力を使うことができるようじゃな」

 

 逃走を図るマリーの前に、ルークスの魔女たちが立ちはだかる。

 

「どいてちょうだい……!」

 

 マリーは意図してか否か、境界を操る程度の能力を駆使し、自分たち姉妹とそれ以外の人間を分かつ結界を体の周囲に展開する。力のない魔女たちはマリーが近づくだけで次々と吹き飛んでいった。

 

「んんんんん! 調子に乗らないで頂きたい! お母様から逃げるとは言語道断! 今すぐに止まって頂きましょう……!」

 

 マリーの行く手をドーター『ダンタリオン』が堂の出口前で阻む。

 

「私の読心能力を持ってすれば、あなたの行動はお見通しですよぉ? さぁ、その心の中を覗かせなさい。いかに貴方がお母様と同じ能力を持つといっても所詮は人間。トラウマを想起させ、心を折って差し上げましょう……!」

 

 ダンタリオンはマリーの心を覗こうとする。が、無駄だった。

 

「ほぉ! これは驚きです。まさか、心にも境界を張ることができるとは……! さすがはお母様と同じ因子を持つ者! 実にスマートォオオオオオオオオオオ!」

「退いてください、ダンタリオンさん……!」

 

 マリーの炎魔法を受けたダンタリオンは一瞬の隙を見せてしまう。マリーはその隙を突き、堂の外へと飛び出すのであった。



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マリーの意地

前回投稿から3か月以上も経過しての更新、お許しください。なんとか最後まで書き切りたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。


「はぁっ……。はぁっ……。はぁっ……」

 

 マリーはリサを担いでアジトの外へと飛び出た。アジトの外は巨大な樹々が聳え立つ森の中。どうやら、魔法使いが森の中を好むのは万国共通らしい。

 マリーは身を隠せるくらいの岩を見つけると、その陰に紛れるように身を隠す。

 

「リサ、しっかりして!」

 

 マリーはリサを岩陰に寝かせて、無事を確認するように顔を覗き込む。

 

「……へへ……。あんまり大丈夫じゃないんだぜ。……魔力や気質を失うことがこんなに辛いことだなんて思わなかったんだぜ……。心がぽっかり空いたように感じるのは『運』をなくしたことかもしれないぜ。……別に魔法なんて使えなきゃ使えなくてもいいと思ってたのに……。いざ使えなくなると、こんなにも虚しいのか……」

 

 言いながら、リサは涙目になっていた。

 

「ごめんね、リサ。私何もできなくて……」

「姉さんが謝る必要ないんだぜ。何もできなかったのは私も同じなんだからさ……。……姉さん、肩貸してくれないか? 脱力感が激しくて一人じゃ歩けそうにないんだぜ……」

 

 マリーとリサは肩を寄せ合って森を歩く。

 

「……ここだな」とリサが呟く。

 

 しばらく歩くと、マリーとリサは森の真ん中で立ち止まった。

 

「……リサ。これが境界の境目……?」

「ああ、姉さんも見えるようになったんだな? ……どうやら私も全ての人間因子を吸われたわけじゃないみたいだぜ。その証拠に境目はまだこの眼に映るからな。……やろう、姉さん。作戦通りに……!」

 

 マリーもリサも知っていた。アジトの外にお母様、テネブリスが強力な結界を張っていることを……。この結界は外敵から見つからないためのカモフラージュであるとともに、裏切者が外に出ないようにする檻兼監視装置でもある。

 予てからお母様と同じく境界を操る力に目覚めていたリサは結界にかすかな境目(スキマ)があることに気づいてはいた。しかし、その頑強に閉じた境目をこじ開けることはリサにもできなかったのである。

 そう、リサがマリーに提案した『力技』とは、能力を一つにされ、覚醒したマリーの力でテネブリスの境界を打ち破ることだった。

 

「行けそうか、姉さん?」

「ええ……!」

 

 マリーはスキマに手を当てる。覚醒したマリーには結界の弱所が手に取るように理解できた。渾身の魔力を込め、マリーはテネブリスの結界の一部を剥ぎ取ったのである。

 

「やった……! 開いた……!」

 

 マリーが安堵するように呟いた瞬間だった。マリーとリサを追ってきたルークスの魔女たちが二人に追い付く……。

 

「……逃げ切れると思ったのか、マリー?」

 

 集団の中にいたテネブリスが口を開く。

 

「……くっ!? お母様……!」

「リサを渡せ、マリー。でなければ、貴様も殺すぞ? たしかに貴様はワシの最高傑作とはなったが、所詮理想には遠く及ばんのじゃからな……!」

 

 マリーはブルブルと足を震わせる。能力を一つにされて力を得たとはいえ、ついさっきまでただの未熟な魔法使いでしかなかったマリーには、テネブリスの恐怖に抗えるほどの精神力はなかった。……だが、それでもマリーは引けない。たった一人の大切な妹を殺されるわけにはいかなかったのだ。

 

「たとえお母様の命例でもそれは聞けません……! リサは……妹は必ず助ける……!」

 

 マリーの眼は決意の炎で滾っていた。そこに普段の大人しく怯えている少女の姿はない。ただ純粋に妹を救おうとする勇敢な姉の姿だけがそこにはあった。

 

「ね、姉さん……」とリサは一筋の涙を流す。怖がりの姉が自分のために恐怖を乗り越えて守ってくれている……。それだけでリサは嬉しかった。

「そうか。ならばやはり二人とも殺さねばならんのう……。覚悟しろ、マリー、リサ!」

 

 テネブリスは杖を掲げ、魔力を込める。

 

「くっ!? なんて魔力!? なんですけど!?」と言いながら、プロメテウスは危険を察知し、避難する。プロメテウスだけではない。テネブリスの魔力の危険さを本能的に感じたルークスの魔女たちはいっせいにプロメテウスの元から距離を取る。

「久しぶりに見たわねー。お母様の実力―。といっても、まだ全然本気じゃないんでしょうけどー。怖々すぎるんですけどー。ここはさすがの私も一時退散ねー。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏ー。ご愁傷さまー」

尋常でない魔力にインドラさえも飛び退く。

 

「死ねぃ! 因子の継承者どもよ……! 次元の彼方に飛ばしてくれる……!」

 

 プロメテウスは黒球を生み出す。全てを別次元へと吹き飛ばす黒球を……。甚大な魔力を加えられたその球をテネブリスは躊躇なくマリーたちへと撃ち放った。

 

「リサは殺させない……! うぁああああああああ!!」

 

 マリーは黒球に向けて手を翳す。

 

「なに!?」と思わずテネブリスは息を漏らす。マリーもまた黒球を召喚したからだ。それもテネブリスが生み出したものと同程度のものを、だ。

 境界を操る程度の能力で生み出された黒球は互いを打ち消し合い、対消滅を起こす。マリーはテネブリスの攻撃からリサを守り抜いたのだ。

 

「う、ウソでしょ!? マリーがお母様の攻撃を食い止めたんですけど!?」

 プロメテウスは眼を円くする。

 

「……なるほどのう。因子を濃くしただけあって、境界の力だけならワシに近づいておるようじゃのう……」

 

 息切れを起こしているマリーを視界に入れながら、テネブリスはにやりと口角を歪めるのだった。

 



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任命

「境界の力は打ち消し合う。ワシの境界をも消し切ろうというわけか? 曲がりなりにも『最高傑作』ではあるということか。ここまでの出力を見せるとはのう……。じゃが、ワシには遠く及ばん。どうするマリー?」

「……私の目的は貴方に勝つことではない……! はぁあああああああ!」

 

 ありったけの魔力をマリーは自分の体に集中させていた。

 

「マリー、貴様自分の魔力だけでなく、このコミュニティの運を使って……!?」

 

 テネブリスの側近、シェディムが眼を円くする。

 

「姉さん……!」とリサが声を振り絞る。

「……リサ、私にできるのはこれが精一杯……。必ずもう一度会いましょうね」

 

 マリーは涙を堪えて満面の笑みを浮かべていた。リサもそれに呼応するように涙を流しながら眩しい笑顔を造る。

 

「ああ、絶対にもう一度会うんだぜ。私、先に行って待ってるから。姉さんも早く来てくれよ。『約束の場所』に……!」

 

 マリーの魔力は更なる高まりを魅せていた。

 

「……お母様、マリーはリサを空間移動させるつもりです。早急に止めなくては……! ……お母様?」

 

 シェディムはテネブリスの様子がおかしいことに気付く。

 

「……マリー、貴様の覚悟見せてみよ……!」

 

 テネブリスはマリーとリサに向けて爆炎を放った。マリーはリサをかばうようにその魔法をまともに受けてしまう……。

 

「ああああああああああああ!!!?」と悲鳴を上げるマリー。

「ね、姉さん!?」

「だ、大丈夫よリサ。私は平気よこのくらい……。貴方がこれから味わうだろう苦労に比べれば……このくらい何でもない!」

 

 マリーは口から血を垂らしながら、決意の表情をテネブリスに向けていた。

 

「……自分の身を顧みず、リサを守るか……」

「お母様……! なぜそのような弱い攻撃を……!? 早くマリーを止めなければ……!」

 

 シェディムの進言虚しく、テネブリスはマリーの空間移動魔法を積極的に止める素振りを見せなかった。

 

「うわぁああああああああああああああああ!!」

 

 叫ぶと同時にマリーは強力な空間移動魔法を発動させる。既に破られているテネブリスの境界の間隙から抜け出た移動魔法はリサを飲み込み、そのまま消え去った……。

 

「なんて巨大な空間魔法だったわけ!? リサのやつ、宇宙にでも飛んでったんじゃ……!?」と一部始終を見つめていたプロメテウスは呟く。

「……運や魔力を失ったリサを探知・追跡するのはもう不可能。……作戦通り行ったと言う訳か? マリーよ……」

 

 テネブリスは鋭い眼光をマリーに向け続けた。マリーは無言を貫く。

 

「どこに飛ばした? アレだけのエネルギーじゃ。大陸の方か……」

「…………」

 

 マリーは問いに答えない。マリーもまた、ただただ鋭い眼光をテネブリスに向けていた。

 

「ただただ怯えることしかできなかったはずの貴様がそんな目をするとはな。……死を覚悟しての行動か。どうやら貴様の妹への愛情を侮っていたようじゃ……」

 

 言いながら、テネブリスは杖を振るう。杖から放たれた薄緑色の球体がマリーの体を包み込む。球体は爆炎によってダメージを受けていたマリーの傷を癒しながらフェードアウトするように消えていった。

 

「なっ!? お母様、なぜ叛逆したマリーに治療なんかー……!?」

 

 驚いて目を見開くインドラ。インドラだけではない。その場にいる全ての魔女たちが信じられないと言いたげな表情を浮かべていた。

 

「……お、お母様なんで……」

 

 マリーもまた、テネブリスの行動に驚愕する。リサを逃がしたことで激昂され、十度死んでも足りないような猛攻を与えられるに違いないと思っていたからだ。

 

「勘違いするでないぞ、マリー。貴様にまだ、依代として成長する余地があると感じたから生かしたまでじゃ。……次、ワシに歯向かうようなことがあれば、その時は跡形も残さずに殺してくれる……」

「ちょっとちょっとお母様ぁ……! ここまでルークスに迷惑かけたマリーにお咎めなしはほかの魔女たちに示しがつかないんじゃありませんかー?」

「そうなんですけど! インドラさ……、……インドラちゃんの言う通りなんですけど!?」

 

 マリーに対する処遇に納得のいかないインドラとプロメテウスがテネブリスに抗議する。テネブリスは眉間に皺を寄せ、二人の方に振り返った。

 

「……インドラ、先日の食堂での件と言い、目に余るな……。力の差を思い知らせねばならんか?」

 

 テネブリスが再び杖を振るう。インドラとプロメテウスは頭上から降り注ぐ見えない力に抗えず、その場で四つん這いに跪かされた。テネブリスが協力な重力魔法を喰らわせたのである。二人は「かっ……、はっ……!」と息にもならないうめき声を上げるしかできなかった。

 

 二人が弱ったのを見計らい、テネブリスは術を解除する。

 

「……愚か者め。少々神の力に愛されたくらいで頭に乗っていたか、インドラよ? ……貴様の亡き先祖である何代か前のインドラの功績に免じてドーターのトップに据えてやっていたが……、考え直さなければならんようじゃのう……」

 

 テネブリスは集まっている配下の魔女たちを見渡すように首を動かし、最後にマリーに視線を向けた。

 

「……マリー。リサを逃がした責任は取ってもらうぞ。……貴様は今日からドーターじゃ。そして……、そのトップに任命する」

 

 ざわつく魔女たち。マリーは驚愕のあまり目を見開く。

 

「……最高傑作ならば最高傑作なりの仕事をしてもらうぞ。『聖骸』の依代となるその時まで命を賭して働け。手も汚してもらう。それが叛逆の代償じゃ」

 

 言い残して、テネブリスはアジトへとゆっくり歩を進める。その場に残された魔女たちはテネブリスの背中を見つめることしかできなかった。テネブリスの側近であるシェディムを除いては……。

 テネブリスがアジトの入り口に差し掛かる頃、後を追っていたシェディムは他にルークスのメンバーがいないことを確認して問いかけた。

 

「お待ちください、お母様。なぜマリーをドーターに……ましてやトップなどに任命されたのですか……!?」

「……ヤツはワシと同じ境界の力に目覚めた。性格や指導力はともかく、魔法使いとしての戦闘力はインドラにも匹敵するようになったはずじゃ。力を失う前のリサと同様にな……。インドラにお灸を据える意味でもトップに立たせた方が良かろう……。それにヤツは一応『依代』じゃからな。保護する意味でもトップに立たせておくのは都合が良い……」

「……お言葉ではございますが、インドラ様にお灸を据える意味であっても、マリーを保護する意味であっても、もっと別に適任のものがいるはずです。マリーがトップになったところで、付いていくものが多いとは思えません。脆弱なトップを置いては魔女の統率が乱れます。お考え直しください……!」

「シェディム、貴様ワシに意見するのか?」

「恐れながら。……お母様がマリーをトップにした理由には他意があると私は詮索しております。……お母様、まさかとは思いますが……、リサを救ったマリーと過去のご自身を重ねて見ているのでは……」

「……シェディム、貴様も口が過ぎるな。身の程もわきまえず、ワシの心中を見透かしたつもりか……!」

 

 テネブリスの両眉が吊り上がる。シェディムは慌てて訂正した。

 

「いえ、そのようなつもりは……! お許しください、お母様!」

「シェディム、貴様はワシの魂を分け与えた『ドーター』じゃ。これ以上失望させるな……!」

 

 そう言い残して、テネブリスは自室へと向かっていったのだった。

 

「……お母様……」

 

 シェディムはどこか寂しそうな老婆の背中を見送るのだった。

 



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返す決意

 ……マリーは変わった。ドーターのトップをテネブリスに命ぜられたその日から。

 性格が大きく変化したわけではない。だが、物事に対する姿勢は明らかに変わっていった。立場が人を造るというのは本当らしい。ルークスのトップに据えられて数年…。気付けば彼女は実力もルークスの上位に入るようになっていた。

 ……テネブリスの悪行にも手を貸した。

 テネブリスは世界中に点在するコミュニティをその手中に収めていった。コミュニティとは幻想郷と同じく質の良い運を大量に貯め込む聖地のこと。コミュニティでは妖精や妖怪そして神といった外の世界で忘れられた者たちが『運』により存在を許される。テネブリスはこの『運』を狙っていた。

 もちろん、運の奪取がコミュニティに先住する支配者たちに理解されるはずがない。テネブリスそしてルークスはコミュニティの先住者たちを殺戮し、コミュニティを奪い取っていった。マリーもまた、ドーターのトップとして先頭に立ち、先住者たちに刃を向ける。

 

「きっと私も碌な死に方をしないでしょうね……」

 

 心の中で呟きながら、刃を突き刺した。

 マリーはドーターのトップであることを利用し、ルークスのメンバーやテネブリスに気取られないように、日本のコミュニティ『幻想郷』の支配を計画通りに後回しにさせた。

 リサとの『約束の場所』である『最後の地』、それが幻想郷なのだ。計画を早めさせないように、なるべく遅くなるように、だが気付かれないように……。マリーは細心の注意を払って、テネブリスの計画を自分の意図に沿うようにコントロールした。

 だが、そんなコントロールには限界がある。地球上にある幻想郷以外の巨大コミュニティを制圧し終わったテネブリスがついに宣言する。

 

「時は来た。1か月後、東方の弓状列島に存在するコミュニティに侵攻する……。龍が造りし理想郷じゃ。最も忌々しく、厄介なコミュニティ……。おそらく一筋縄ではいかんじゃろうが、臆することはない。ワシは元より、幹部階級ドーターも数百年前とは比べればそこそこに力を付けた。龍ごときに遅れを取ることもあるまい……」

 

 テネブリスはガンと杖を床に突き、言葉を続ける。

 

「数億年前……、いや数十億年前か? ……闇の神が滅び、その神力が無数に分裂した。その時、もっとも大きな神力の内のひとつが具現化した。それが龍神……。この宇宙でワシに匹敵する力を持つ可能性のあるものの一つ……。アレを潰し、コミュニティを潰さなければ……我が悲願は成就せん! 今こそ貴様らの忠誠をワシに示せ! さすれば約束しよう。貴様らルークスの願いの実現を……!」

 

 ついに訪れた『最終フェイズ』。マリーは幻想郷の現有戦力を調査すべく、先遣隊に志願した。インドラから「……臆病者のトップ様がなんで先遣隊を志願するのかしらー?」と疑いの眼差しを向けられたが……、マリーには行かなければならい理由があった。そう、幻想郷にいるであろう『リサ』に返すものがあったから……。

 だが、幻想郷に侵入したマリーを待っていたのは残酷な現実だった。

 マリーは幻想郷に入ると、リサを探した。運も魔力も……魔法に関わる全ての力を失くしたリサを探すのは困難かと思われたが……、幻想郷は力のない人間が住む場所が『賢者』なる有力者たちによって定められていたために探索場所は絞ることができた。『人里』でマリーはリサを探す。いや、探すまでもなかった……。

 

「アンタ……、リサちゃんかい!? いや、そんなはずは……。でもそっくりだねぇ……」

 

 マリーを見かけた老婆が驚いた表情でリサに声をかけた。マリーは老婆に聞き返す。

 

「私に似た人を知っているんですか!? その人はどこに……!?」

「私の行きつけの店の看板娘だったんだよ……。でも。……もういないんだよ……」

「……詳しく聞かせてもらっても……?」

 

 ……老婆からリサがすでに故人であることを知らされると、マリーはその場で膝から崩れ落ちる。……老婆から『霧雨店』の場所を聞いたマリーは足を運ぶ。

 マリーは店の勝手口を叩く。音に気付いたガタイの良い男がガラガラと引き戸を開けた。魔理沙の父親、霧雨である。

 

「……一体どちらさんだ? ……リサ!? ……じゃねぇな。……アンタ何もんだ? ……まさか……リサの言ってた『生き別れの姉さん』か!?」

「リサから私のことを聞いていたんですね……。そうですか、貴方がリサの……。……妹がお世話になりました」

「……玄関前で話すのもアレだな。……中に入りな。大したもんはないが茶ぐらいは出せるからよ」

 

 不器用な物言いでリサを店の中に案内する霧雨。ちゃぶ台を挟んでマリーと霧雨は茶をすすった。

 

「……妹が迷惑をかけませんでしたか?」

「……かけられてないって言ったら嘘になるかもな? だが、かけられた迷惑以上にオレはアイツに迷惑かけたからよ。お互い様ってやつさ」

「……あの子は良いヒトと巡り逢えたみたいです。生まれた時から酷いことばかりだったあの子の人生だったけど……、あなたと会えた最後の十数年はきっと幸せだったに違いありません……」

「……なぁ」

「なんでしょうか?」

「なぜ今頃ここに来た? ……いや、わかってる。リサが言ってたクソババアがこの幻想郷についに目を付けやがったってとこだな? ……アンタどうするつもりだ?」

「……霧雨さん逃げてください」

「……幻想郷を守るつもりはねえってことか?」

「最善は尽くします。しかし、幻想郷の無事は保証できません。だから、せめて貴方だけでも逃げて欲しい。妹が愛したヒトだけでも助かってほしいから……」

「悪いが逃げるわけにはいかねぇな。オレはこの店を守らなきゃならねえんだ。……それにここはあのクソガキが帰ってくる場所だからな」

「……クソガキ……? もしかして……」

「ああ、オレとリサのガキさ。とんでもねぇはねっかえり娘に育っちまってな。今は絶賛家出中だよ。ったく、オレとリサのどっちに似たんだかな」

「……そうだったんだ。あの子、母親になってたんだ……」

 

 マリーは安堵したように微笑みを浮かべた。全てを失った妹が人並みの幸せはきっと手にしていたのだろうと思いを馳せて……。だが、微笑みを見せたのも束の間、マリーは口を堅く結ぶ。

 

「……霧雨さん。その子の名前は?」

「ああ? ……魔理沙。霧雨魔理沙だ」

「……マリサちゃんですか。良い名前ですね……。……霧雨さん、やはり逃げてください。魔理沙ちゃんと一緒に。私は二人に死んでほしくない。リサの残した大切な人を失いたくない」

「……悪いが断る。俺達はこの幻想郷に生かしてもらった。もう行くあてなんてねぇんだ」

「……見た目通りに頑固な方なんですね」

「自分で頑固だと思ったこたぁねえが、みんなそう言うからそうなんだろうな」

「……命より大事な頑固はありません。魔理沙ちゃんを連れて幻想郷を離れてください」

「そいつは無理だろうな。……アイツ自身が離れるわけがねえ。アイツにとっちゃこの幻想郷は生まれ育った場所だ。それを見捨てるような軟弱なやつにも薄情なやつにも育てたつもりはねぇ」

「……そうですか、残念です。またお伺いします」

 

 そう言ってマリーは霧雨店をあとにした。玄関を出ると、そこには運のない魔法使いがいた。妹のリサにそっくりな可愛らしい小さな魔法使いが……。

 マリーは思った。リサに『返せなかったモノ』はこの子に返さなければならない、と。



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向こうの世界

◇◆◇

 

――見渡す限り真っ白な世界――、霧雨魔理沙は温もりに包まれ横たわっていた。

「あったかい……。ここはどこなんだぜ……?」

次第に記憶を取り戻していく魔理沙。自分がテネブリスとの戦闘で爆炎に巻き込まれたことを思い出す。

「あれからどうなったんだ……? 紫は……? おばさんは……? どうなったんだぜ?」

 魔理沙はゆっくりと身体を起こし立ち上がった。視界は変わらずただただ真っ白だった。

「……おいおい、こいつは本当にお陀仏しちまったんじゃないか? ……まだやりたいことたくさんあったんだけどな……。幻想郷も……故郷も、顔見知りのみんなも守りたかったんだぜ。って、魔法が使えない私じゃ無理だったか」

 魔理沙はふっと目を瞑る。驚くくらいに冷静だった。そう自分は死んだんだ。魔理沙は直感で理解した。ここは魂だけの世界、浄土へと繋がる回廊。

「ここをまっすぐに進めば天国に行けるのか? ああでもまず閻魔様のところに行くんだったっけ? 地獄行はごめんだぜ」

 呟きながら一歩を踏み出そうとした時だ。誰かが魔理沙の手を掴み、歩みを止めさせる。

「……誰?」と魔理沙は振り返った。美しく長い金髪を靡かせた女性が視界に入る。懐かしくて愛おしいその顔の正体に魔理沙はすぐ気付いた。

「あ、あ……」

 魔理沙は言葉に詰まる。その双眸から涙が溢れようとしていた。女性は聖母のごとき微笑みを浮かべる。再会を待ち望んでいたのは彼女もまた同じであった。

「母さん……? 母さん!」

 魔理沙は反射的に抱き着いた。リサも応えるように抱き締める。魔理沙は「うわあああん」と子供のように泣きじゃくり、母親の白いワンピースで涙を拭った。

「本物?」

 確かめるように魔理沙は幼子のように問いかけた。

リサは静かに頷いた。

「私を迎えに来たの……?」

 今度は眉間に皺を寄せ静かに首を振った。

「……リサ?」

 母親と似た声が魔理沙の耳に入る。声の主はリサの姉であり、魔理沙の伯母であるマリーであった。

「リサ……。ごめんね、私間に合わなくて……」

 マリーは膝から崩れ落ち、涙を流す。彼女の元にリサは歩み寄りマリーを抱きしめた。

「ごめんね。本当にごめん……。魔理沙ちゃんにまで辛い思いをさせてしまった……」

 謝罪を繰り返すマリーの言葉をリサは黙って受け止めていた。

「……行かなきゃいけないのね?」

 マリーは涙を拭いながらリサに訊く。リサはその言葉に呼応するようにマリーの左手を手に取った。

「……魔理沙ちゃん、私達先に逝くわね。……リサに返せなかったもの、貴方に少しだけ、

本当に少しだけど返していくわ」

 魔理沙の胸が柔らかい温もりで包まれた。魔理沙の体に懐かしい力が戻ってくる。テネブリスたちが幻想郷から運を奪い取る前に感じた魔力の流れを魔理沙は感じ取っていた。

「これであなたは戻れるわ……。本当はお母様から逃げて欲しいのだけど……、きっと貴方は立ち向かうのでしょうね。リサの娘だもの……」

 マリーは少し困ったような表情で口角を歪める。言っても聞かないだろうことは分かっていたからだ。勇敢な妹の魂を受け継いだこの娘が引くことはないことを。

 マリーとリサは魔理沙に背を向けると、互いに手を取り合い歩みを始める。この世ではないところへ向かおうとしていることは明らかであった。魔理沙は思わず呼び止める。

「待ってよ、母さん! なんで何も喋ってくれないの!? もっと母さんのこと教えてよ!」

 リサは何も言わず、歩みを止めようとしなかった。だから魔理沙は大声で叫んだ。

「親父から聞いたんだぜ! 母さんホントはお淑やかじゃないんだって!」

 魔理沙の言葉を聞いたリサはピタッと足を止めると、ぼりぼりと後頭部を掻いた。

「ちぇー。何だよ、おっさんの奴魔理沙に喋りやがったのか。ここは無言で退場して、魔理沙の思い出の中で聖母のようなお母さんのイメージでいたかったのに……」

 言いながらリサは魔理沙の方に振り返る。

「……魔理沙、大きくなったな。霧雨のおっさんにそっくりなんだぜ。私としては姉さんそっくりに育って欲しかったんだけどなぁ。まあそりゃ無理な話か」

「私が親父とそっくりだって!? 馬鹿な冗談は言わないで欲しいんだぜ!」

「おうおう反抗期か? 反抗できる親がいるなんて幸せなことなんだぜ? たっぷり甘えとけ。そして大人になったら親孝行するんだぜ?」

「だれがあんなクソ親父に親孝行なんて……」

「あはは。本当におっさんそっくりの頑固者なんだぜ。……いややっぱり私にも似てるのかな……」とリサは苦笑する。

「母さん、おばさんと一緒に帰ろうぜ! 今なら閻魔様だって許してくれるんだぜ……」

 魔理沙は涙をこらえ、強引に笑顔をつくる。

「そんなことは無理だってわかってるだろ? ……魔理沙、お前は生きろ。せっかく姉さんが託してくれたんだ。生きて生きて生き抜いて老衰で孫に囲まれてから死ぬんだぞ」

 そう言うと、リサは魔理沙に背を向けた。

「おっさんのこと頼んだぜ。ああ見えて寂しがりやだからな。……姉さん行こう」

 リサの言葉にマリーは笑顔でうなずいた。

 リサとマリーは向こうへと走り出した。気が付けば二人の姿は幼くなっていた。生き別れたあの時と同じ姿になった二人はかけっこ遊びをするように向こうに行ってしまった。魔理沙は遠くなる二人の姿を見送るしかできなかった。

 



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人並み

◇◆◇

 

 魔理沙は意識を取り戻した。視界に入るのは見慣れた森。幻想郷の住人たちが魔法の森と呼ぶその地はじめじめと湿気ていた。お世辞にも寝心地が良いとは言えない苔に覆われた地面から魔理沙は体を起こした。

「う……。夢……か?」

魔理沙は思い出していた。真っ白な空間で母リサと会っていたことを。そして、リサと共に伯母マリーが遠くに行ってしまったことを……。

「はっ!? 紫と伯母さんは!?」

 周囲を見やった魔理沙の視界に倒れた二人の姿が写り込む。紫の両足はテネブリスによって、切断されてしまっていた。だが、傷口の出血は収まっている。マリーが回復魔法を使ったのだろう。無事とは言い難いが、呼吸も落ち着いているようで命に別状はなさそうだ。

 一方マリーは……。

「おばさん……」

 亡骸となったマリーの姿を見た魔理沙は眉間に皺を寄せた。マリーの表情は少し微笑んでいるようにも見えた。……ともに過ごした時間など無かったに等しい。しかし、母親と同じ顔を持つ者に親近感を覚えないわけがない。もっと話を聞きたかった……と魔理沙は思う。ふと胸の辺りに違和感を覚えた魔理沙は視線を落とす。破れた服から覗く胸部にあったのは大きな回復痕であった。テネブリスの魔法によって空けられた風穴を塞ぐものだった。

「そうか。おばさんが治してくれたのか……」

 魔理沙は回復痕をさする。すると夢の中で感じたのと同じ暖かな魔力が、魔理沙の内側から溢れ出した。

「こ、これは……。魔力が私の体に循環してる……? テネブリスが幻想郷の運を完全に奪って私には魔力を操るための運がなくなったはずなのに……」

 魔理沙ははっと気づく。真っ白な世界でマリーは言っていた。『返せなかったモノ』を返すと……。きっとそれは運だったのだ。リサが奪われた運をマリーは死の際で魔理沙に渡したのである。いや、もしかしたら死と引き換えにすることが運を渡す条件だったのかもしれない。

「おばさん、ありがとう。この運、遠慮なく使わせてもらうんだぜ……!」

 胸の前で魔理沙は拳をグッと握り締めた。宿った運は人並みのそれでしかない。魔法使いとして大成するのに必要な質だとは言えないだろう。だが、これから誰よりも諦めないであろう霧雨魔理沙には十分なものになるはずだ。

「……どこまでやれるかわからないけど、アイツを倒す。幻想郷を守るんだぜ、霊夢の代わりに!」

「ほう、なかなかに勇ましい。八雲紫が気に掛けるだけはあるということか」

 木陰から現れたのは翁の面で顔を隠した怪しい女だった。

「誰だお前は?」

「敵意を向ける必要はないぞ? 私は八雲紫と同じく幻想郷の賢者を務めている者だ」

「幻想郷の賢者?」

「そうだ。久しぶりに表舞台を覗きに来たが、八雲紫がこれほどの手傷を負う敵がいるとはな。骨が折れそうだ」

「賢者ってことはアンタ強いのか? じゃああの婆さんを倒すのに手を貸してくれよ」

「フフフ」

「なんだよ? 不愉快に笑いやがって」

「甘ったれるな、霧雨魔理沙。我々賢者には幻想郷を守るための役割がある。あの魔女を倒すのはお前『たち』の役目だ」

「ああ? なんだよ偉そうに登場したかと思ったら人任せか? どうやら賢者ってのは大したことないんだな」

「聞かなかったことにしてやる。……お前の親族の亡骸と紫は私に任せておけ。心配するな。悪いようにはせん」

 信頼のおけない翁面の女だが、テネブリスを放って置くわけにもいかない。ここは二人の身を預けた方が得策だと魔理沙は結論を出した。

「胡散臭いお面野郎だが、緊急事態だから信じてやる。でもなんか悪い事したら許さないんだぜ?」

「案ずるな。亡骸はともかく八雲紫にはまだ死んでもらうわけにはいかんのだ。幻想郷のためにな……。そうだ、お前にはこれをくれてやろう。ほれ……」

 翁面の女はぽいと何かを魔理沙に投げ渡した。

「おっと。いきなり何するんだ。これは……箒か」

「そうだ。魔法使いと言えば箒だろう? 餞別だ受け取れ」

「言っとくが、こんなもんもらったからって信用度は増えないんだぜ?」

「それは残念だ」

 魔理沙はもらった箒に跨ると魔力を込めた。今まで幻想郷の運でしか魔法を発動していなかった魔理沙にとって、自分の運で発動する魔法は不思議な感覚だったが……。

「……箒がまるで自分の体みたいに感じる……。これが自分の運で発動する魔法か……」

「感動している場合か?」

「感動なんてしてねえよ! じゃあな!」

 魔理沙はそう言い残してテネブリスがいる人里へ向かって飛び去った。

「ふむ。どうやらあの人間も相当なお人よしだな。どこの馬かも知れん私の名前も聞かずに行ってしまうのだから……」

 翁の面を外した摩多羅隠岐奈は静かに口角を上げるのだった。

 



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対戦再び

 ――ここは人里。といってもテネブリスの爆炎によって更地と化した今、その名残は全くなかった。

「……では始めるかのう……。積年の恨みを解き放ち、願いを成就するときがきたのじゃ!」

 荒野の中、テネブリスは独り言を大きく叫んだ。

「……あの爆炎から生きて帰るとはのう。まだ邪魔をするか……マリー」

 テネブリスはキッと魔法の森の方向を睨みつけた。彼方から超スピードで飛んできたのは……霧雨魔理沙だった。

「戻って来てやったぜ! 老魔女さんよぉ!」

「……マリーではないじゃと? なぜ運を持たぬお前が魔法を使い、空を飛んでいる?」

「……受け継いだんだぜ。母さんとおばさんからな!」

「なるほど……。マリーは自分の命と引き換えに、貴様に運を渡したということか……。無駄なことをしたものじゃ」

「無駄なんかじゃないぜ。今からお前をブッ倒せるんだからな!」

「クク……。できるはずがなかろう。逃げておけば良かったものを……。せっかく生き延びた命を無駄にするとはのう」

「幻想郷を放って逃げられるわけないんだぜ」

「ふん。そこまでこの地を愛しておるか。ならばこの幻想郷諸共貴様を屠ってくれよう……!」

「やれるもんならやってみやがれ!」

 テネブリスは『境界を操る程度の能力』を応用し、空間を切断する。次元を切り裂く刃が魔理沙へと迫るが、魔力を込めた箒で受け止めた次の瞬間、次元刀はパリンと音を立てて粉々に砕け散った。

「やはり境界の力に目覚めておるか。破壊限定とはいえマリーを上回る力……。小癪な娘じゃのう」

「……『人間因子』を持つ者が使える力だみたいなことを言ってたな。人間因子ってのはなんだ? 今度こそ答えてもらうんだぜ」

「何度も言わせるでない。貴様に説明する必要はない!」

 テネブリスは杖を魔理沙に向け、水魔法を放射した。高圧の水魔法が魔理沙に襲いかかるが……。

「……コントロールしてやる!」

 魔理沙は水に向かって魔力を放出した。魔理沙の魔力を受けた水魔法は勢いを失い、球状になる。

「四大元素のひとつ、水をその支配下に置いたか……。ならばこれならどうじゃあ!」

 今度はかまいたちのごとき強風が魔理沙に襲いかかった。風圧に耐えられなかった魔理沙は上空へと吹き飛ばされる。

「クッソ! なんて風吹かせやがる!?」

 箒を握り締め、空中で体勢の確保を試みる魔理沙。だが、目の前に『スキマ』が現れる。「死ね! 小娘!」

 突如としてスキマから出てきたテネブリスはバランスの戻らない魔理沙に次元の刃を首元に向かって射出する。

「うわっ!?」

 なんとか体をのけ反らせて避けた魔理沙だったが、次元刀の先端が顔を掠める。慌ててテネブリスに正対するが、わずかに切れた右頬から血が垂れる。

《やはりな。霧雨魔理沙の境界を破る力は常時発動しているわけではないようじゃのう。防御のために魔力を盾にした時にだけ発動する……。コントロールできているわけでもない。一種の生存本能のようなものじゃ。魔力を込める隙を与えなければ、ワシの境界を操る程度の能力に干渉することはできん》と、テネブリスは魔理沙の能力を分析する。

「くっ!? 私の力は完全にあの婆さんの能力を封じるものじゃないのか!?」

「どうやら、ワシの攻撃をこれまで防げていたのは偶然だったようじゃのう!」

 テネブリスは魔理沙の動揺を誘おうとする。魔理沙が防御ではなく、逃げに入れば次元の刃で屠れると考えたからだ。しかし、魔理沙は逃げない。

「防げないなら、やられる前にやるだけだ!」

 ミニ八卦炉をポケットから取り出し、発射体勢を構えた魔理沙は大声で術の名を叫ぶ。

「マスタースパァアアアアアク!!」

「高密度の巨大エネルギー光線か!」

 テネブリスは自身の周囲に球状のバリアを張った。飲み込まれるテネブリス。一時の間の後、マスタースパークが通り過ぎ、ひびの入ったバリアに覆われたテネブリスが姿を現す。

「……効かないか……」

「ワシの防護魔法に傷をつけるとはのう……」

 想定を超えた相手の力量。魔理沙は苦笑いを、テネブリスは余裕のある笑みを、それぞれ浮かべるのだった。

 



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チャンバラごっこの叩き合い

「さて、どうする霧雨魔理沙? ワシの方が実力ははるかに上じゃろう? それはお前も解っておるはず」

「月並みな回答で悪いが、どれだけ実力差があったとしても、闘わなきゃいけないときがあるんだぜ?」

「確かにそうかもしれんのう」

 言い終わるや否やテネブリスは次元刀を振り、魔理沙もろとも空間を切断しようとした。だが、魔理沙も魔力を込めた箒で受け止める。次元刀は高温の破壊音と共にガラスのように砕け散った。

「フン。この程度の密度では貴様には効かんというわけか。ならば……」

 テネブリスが杖に、より一層強い魔力を込め始めた。

「何をするつもりなんだぜ?」

 杖の先端に透明の刃が出現する。辛うじて揺れる大気によって視認が可能な程度の透明さだ。

「広範囲の刃でダメならば、高密度の刃と言う訳じゃ……。きえぃ!」

 テネブリスは老婆と思えぬ高速移動で魔理沙との間合いを詰める。

「うおっ!? は、迅い!?」

 魔理沙は咄嗟に箒で刃を受け止める。

《くっ!? わ、割れない? さっきまでの空間斬りとは全然違うんだぜ!》と魔理沙は心の中で叫ぶ。

「この密度ならば、貴様の境界破りも発動せんようじゃのう!」

「くっそ! 婆さんのくせにゴキブリみたいな素早さなんだな!?」

「害虫扱い程度で挑発に乗るワシではないぞ?」

「よく言うぜ。十分短気にしか見えねえよ!」

 魔理沙とテネブリスは箒と杖を鍔迫り合いのように押し合う。

「うぉおおおおおおおおお!」

 魔理沙が気合を入れ、箒に魔力を込める。より激しく光る箒は境界破りの能力を高め、テネブリスの刃に亀裂を入れた。

「ぬうううううう!?」

 箒を振りほどくように杖を振るったテネブリスは兎のように飛び退いた。

「まだワシの境界の力を凌ぐか霧雨魔理沙!」

《どうする!? 私の術はアイツに効かない! 今のところヤツにも決定打はなさそうだが、このままじゃジリ貧なんだぜ……》

「攻撃して来んのか? ならばワシからいかせてもらうぞ!」

 テネブリスは刃を再生させると、魔理沙に斬りかかった。幾度となく斬りかかってくる刃を魔理沙は受け止め続ける。魔法使い同士の闘いとは思えない傍から見ればチャンバラごっこのような杖と箒の叩き合い。しかし、魔理沙にしてみれば一瞬たりとも気の抜けないぶつけ合いだ。

 刃を退け続ける魔理沙だが、テネブリスの猛攻に体勢を崩し、わずかによろけてしまった。

「きええええええええええ!」

 テネブリスは魔理沙の隙を見逃さなかった。甲高い声と共に老魔女は魔理沙目掛けてフェンシングのように突きで攻撃する。

「しまっ……!」

 失策の言葉を言い終わらぬ魔理沙に、箒の防御をすり抜け刃が襲う。……気付いた時にはもう刃は魔理沙の右肩に到達するのだった。

 



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乾坤一擲

「くっ……!?」

 鋭い痛みの信号が魔理沙の脳髄に届く。右肩の傷は深くはないが、出血をしてしまっていた。魔理沙はテネブリスを蹴り飛ばす。

「老人を足蹴にするとは……行儀の悪い小娘め」

 テネブリスの戯言を無視し、魔理沙は右腕の状態を確認する。肘を曲げ伸ばし、掌を開閉した。運動機能は奪われていないようだが、万全とは言い難い。肩の傷の痛みが魔理沙にそう訴えかけていた。

「さて、深手を負わすことは出来なんだが……、その負傷でどこまで持つかのう?」

 テネブリスは攻撃を再開する。先ほどまで以上に魔理沙は防戦一方となってしまった。テネブリスが繰り出す無数の斬撃に耐えるので精いっぱいになってしまう。

「明らかに動きが悪くなっておるのう。隙が大きくなっておるぞ?」

 肩の痛みに顔をしかめた魔理沙。一瞬緩慢になった防御体勢をテネブリスは見逃さない。

「がっ……!?」

 再び右肩を突かれた魔理沙は痛みに耐えきれず声を漏らす。傷口を抉り深める攻撃は魔理沙の闘争心を鈍らせた。

《ダメだ! これ以上接近戦は続けられないんだぜ。だが、この婆さんのスピード……。何もせずに距離を取るのは不可能なんだぜ。なら……》

「スターダストレヴァリエ!」

 魔理沙の手から放たれた星型の魔法弾がテネブリスに向かって飛んでいく。

「……星屑(スターダスト)か。その名の通りクズのような攻撃じゃのう。低級モンスターならいざ知らず、そんな魔法がワシに効くと思うか!?」

「効くなんて思ってねえよ!」

 魔理沙は星型魔法弾の軌道を変化させ、激しく地面へとぶつけた。地面から舞い上がった砂が煙幕となり、テネブリスの視界を遮る。

「距離を取るための目隠しか……! 小賢しい真似をしおって!」

 テネブリスの追撃を逃れた魔理沙はミニ八卦炉をその手に構える。

《最高出力で撃ってやる! これでダメなら……。いや、そんなことは考えるな! この一撃に集中しろ、霧雨魔理沙!》

 魔理沙は自分で自分に言い聞かせ、自身を鼓舞する。砂煙の煙幕が晴れようとしていた。小さな影のシルエットが浮かび上がってきた。照準を合わせ、自身の得意技であり、最高火力の術の名を魔理沙は叫ぶ。

「マスタースパァアアアアアク!」

 山をも削る魔理沙のマスタースパークが腰の曲がった老魔女テネブリスに向けて放たれた。

「何度も猿真似のように同じ技を……。ワシの防御魔法にそんなものが通じると思うか!」

 テネブリスは前回マスタースパークを受けた時と同様に、自身の身体を球状のバリアで包み込み防御する。

「今度こそその防御を突破してやるんだぜ。うわああああああああああ!!」

 さらに魔力が込められたマスタースパークはその威力を増大させる。運を得て、魔力コントロールが上昇した霧雨魔理沙の乾坤一擲の一撃。それはテネブリスを飲み込み、強烈な熱を産んでいた。マスタースパークによって発生した煙が周辺に漂う。

「……やっぱ終わってくれないか……。ちくしょう。こっちは全の力だったのによ」

 煙が晴れ、抉れた地面に刻まれたマスタースパークの通過痕。そこには何事もなかったかのようにバリアに守られたテネブリスがふよふよと浮いていた。

「くっそ。さっきはヒビ入ってたじゃねえかよ。今度は無傷かよ」

「貴様の光線なぞ少し気合を入れればこんなもんじゃ。少々運を得て浮かれておったか。お前よりも境界の力の扱いに優れていたマリーでさえ、ワシの足元にも及んでいなかったのじゃぞ? 貴様ごときが敵うと思ったか?」

 テネブリスはにやりと口角を歪めるのだった。



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欠片の境界

《くそ……! 私の攻撃魔法が全然効いてないんだぜ。せっかく運を貰えたってのに……。このままじゃおばさんたちに顔向けできないんだぜ。……どうする?》と思考する魔理沙。

「せっかく運を得たというのに、すぐ死ぬことになるとはのう。やはり逃げていれば良かったものをのう……」

 笑うテネブリスを前にして魔理沙は冷や汗を垂らす。

《どうする? 私の術はアイツには効かない。……『私の術は効かない』? ……そうか!》

 何かを思いついた魔理沙はテネブリスの足元に向かって魔法を放つ。

「スターダストレヴァリエ!!」

「また目眩ましか……。芸の無い小娘じゃ!」

 テネブリスは魔理沙が何かしらの魔法攻撃をしてくるだろうと予測し、防御魔法を展開した。しかし、身構えていても一向に攻撃が届かない。

「……攻撃が無い。霧雨魔理沙、何をしておる……?」

 砂煙が晴れると、はるか先で箒に跨って飛び去る魔理沙の背中が見えた。

「……ククク。今更になって怖気づいたか? どうやら貴様の性質は臆病であったようじゃのう! マリーから運を貰った時に臆病さまでもらったか? 舐めるなよ霧雨魔理沙! ワシから逃げ切れると思うておるのかぁ!?」

 テネブリスは宙を舞い、全速力で魔理沙の後を追う。

「ぐっ!? なんてスピードなんだあの婆さん!? 媒介(ほうき)もなしにあんな速度で飛べるなんて!?」

 みるみる内にテネブリスと魔理沙の距離が縮んでいく。テネブリスは魔理沙を仕留めんと杖に次元の刃を顕現させた。

「くっ!? スターダストレヴァリエ!」

 魔理沙は再び地面に向かって放ち、砂煙を発現させる。

「何度も何度も小癪なことをぉおおおおお!!」

 視界を遮られたテネブリスは激昂する。しかし、すぐに冷静を取り戻し、思考を開始した。

《霧雨魔理沙は今逃げることしか考えておらん。全ての魔力を飛行魔法に集中させているはず。防御魔法を張ることはなかろう。ならば、ヤツの持つ本能任せの未発達な境界を破る能力も発動することはない。つまり、今広範囲の次元の刃を放てば確実に切断できる……!》

 テネブリスは杖に発現していた刃を収めると、杖を大きく振るう動作に入った。

「斬られたことにも気付かずにあの世へ送ってやろう、霧雨魔理沙」

 テネブリスは広範囲にわたる次元の刃を放出した。先ほどまで杖の先端に顕現させていた刃と比較すれば低密度だが、それでも岩山を簡単に切断する程度の能力はある。何の対抗策も打ってなければ鬼であってもその体を真っ二つにするだろう。砂煙が晴れるころには霧雨魔理沙の切断死体がテネブリスの眼前に転がっている……はずだった。

『パリィン!!』という予期せぬ巨大ガラス音が老魔女の耳を貫く。

「な、なに!? ワシの術が破られた!?」

「引っかかってくれたな、婆さん!」

 晴れかけの砂煙、テネブリスの目の前に霧雨魔理沙が現れる。……そう。霧雨魔理沙は罠を張ったのだ。最初の逃走はおとり。魔理沙は自分が逃げるふりをすれば、テネブリスが広範囲の次元刀を使うと踏んだのである。

「じゃが、ワシの境界の刃を破壊したからどうだと言うんじゃぁ!」

「破壊が目的じゃないんだぜ! これは武器を手にするための罠だったんだからな!」

 魔理沙が手に持っていたのは破壊した次元の刃の欠片だった。

「なぜ破られたワシの刃が消えずに残っている!? ワシが術を解除すれば消えるはず!」

「そうだな。こいつばっかしは賭けだったんだぜ。アンタの作った欠片を私が扱えるかどうかはな」

 霧雨魔理沙の得た境界に関わる能力は破るだけではなかった。現状、未発達な魔理沙の能力では境界……スキマは生成できない。しかし境界に干渉することはできる。今、テネブリスが生成した刃を崩壊させずに魔理沙がコントロールできるのも干渉の結果だ。魔理沙は相手から奪った欠片を手に斬りかかった。

「私の魔法はダメでもアンタの術が造った刃ならどうだぁ!!」

テネブリスはマスタースパークを防いだ時と同じ魔法を展開した。魔理沙が使うテネブリスの矛と、同じく彼女の盾。双方がぶつかり合ったとき、軍配が上がったのは矛であった。魔理沙の持つ欠片はテネブリスのバリアを両断し、彼女の左腕を肩口から斬り飛ばした。体の一部を失ったテネブリスはおよそ老婆から出るとは思えない大きな叫び声で悲鳴を上げるのだった。

 



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皆既

「ぐっ……。あ……。ふ、不覚じゃ……。自分の技を奪われるとは……」

 左腕を失ったテネブリスは傷口を素手で押さえながら、呻くように呟いた。

「やってやったぜ……」

 魔理沙も振り絞るような声を出す。境界の欠片を持つ魔理沙の掌から血が流れ出ていた。テネブリスの境界の刃を利用した魔理沙だが、完全なコントロールは出来ていなかったのだ。ガラスの破片を素手で持って武器にしていたようなものであり、彼女自身の皮膚も傷つけていたのである。しかし、魔理沙と老魔女どちらが深手を負っているかは明らかだった。

「さすがに化物染みた婆さんでもこれは堪えたんじゃないか?」

「おのれ小娘め……! 少しワシにダメージを与えたからと言って得意げに喋りおって……! 教えてやる。この程度の傷ワシにすれば大したものではない!」

 そう。テネブリスは再生力もまた、常人とくらべものにならないモノを持っている。霊夢と戦闘した際にも彼女は腕を切り飛ばされていたが、即座に修復してみせていたのだ。今回も同じ。治癒魔法を自身にかければ容易に修復できる……はずだった。

「……っ!? なぜじゃ!? なぜ腕が再生されん!?」

 焦った声を出すテネブリス。いつもならば、事もなげに元に戻るはずの身体が元に戻らない。テネブリスは原因を探る。魔理沙が何かしらの魔法をテネブリスにかけているのだろうか? いや違う。今魔理沙は、自身も把握しきれていない能力で次元の刃を消さずに留めておくのに必死だ。他の魔法を使う余裕はないだろう。では第三者の攻撃か? いや、それもない。付近に自分と魔理沙以外の生命の反応もなければ、魔力の反応もない。

思考を逡巡させるテネブリス。そして……彼女の脳は一つの原因に辿り着く。

「クク……。そうか。その時が来てしまったか……。憎き闇の神がワシに与えた自分勝手な美学……。その餌食になるときが……」

「何をブツブツ喋っているんだぜ?」

「クク、ククク……。良かったのう霧雨魔理沙! ワシはもう死ぬ! 貴様ら幻想郷の住人どもが思ったよりも手強かったからじゃ。このテネブリスの寿命を貴様らは縮めることに成功した。このワシを死に追いやったのじゃ。光栄に思うといい……」

「これから死ぬとは思えないぐらいデカい態度なんだぜ。どうせ私を油断させるためのハッタリだろ」

「ハッタリであればどれほど良かったことか……」

「……なんにせよこのまま大人しく死ぬわけじゃないんだろ? 寿命まで待ってやるつもりはないぜ。その前にブッ倒してやる」

「それは困るのう。困るし……、お前にはできん」

「そうか? アンタの方が随分と不利なように思えるんだぜ」

「……貴様らにはこの姿を見せるつもりはなかったのじゃが……、致し方あるまい」

 テネブリスは残った右腕で地面に杖を突き刺した。途端に龍脈に沿って魔力の光が走る。不気味にも静寂だった。だが、テネブリスが何かしらの魔法を使用したのは間違いない。魔法の正体は目の前には現れなかったが、魔理沙は異常なことが起こっていると感じ取る。

「なんだこの嫌な感じは……!? 紫がスキマを使う時と同じ気配なんだぜ。でも規模が桁違いな感じがする。どこだ? どこにスキマが生じている!? 婆さんアンタ何を狙ってんだ!?」

「……ワシら人間は闇から生まれ、闇に消えていく。最大の能力を引き出すには闇が必要じゃ。もっとも、貴様らのような人間(紛い物)はもう失ってしまった能力じゃがなぁ!」

 辺りがどんどんと薄暗くなっていく。まだ昼間なのに、まだ日の入りまでには時間があるというのに。世界がどんどんと黒く染まっていこうとしていた。

「な、なんだ。何が起こってるんだぜ!? どうして暗く!?」

 魔理沙は上空を見上げた。そこにあったのは欠けた太陽だった。

「に、日蝕!? そんなバカな! 日蝕が起こるのはまだずっと先のはずだぜ……! ま、まさか……さっき感じたスキマの力は……。月をスキマで移動させやがったのか!? 幻想郷の運を使って……!?」

「ククク……。忌々しくも心地よいのう、この暗闇は……。ワシに人間としての力を取り戻してくれる。豊富な運、皆既日食、そして闇の神の断片である龍神の聖骸……。全ての力は整った。意志を失いし龍神よ、その体を分けてもらうぞ? ワシの復活のためにのう……!」

 テネブリスがセリフを言い終わると同時に皆既日食が起こる。世界が完全な闇に覆われる中、闇(テネブリス)の体は世界に反比例するように神々しく輝く光に包まれる。

 魔理沙は目を焼かれないように帽子のつばを深くすることしかできなかった。



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闇の神、光の神

――百数十億年前のむかし、二柱の絶対神によってこの宇宙は誕生した。……いや、その表現は語弊があるかもしれない。なぜなら宇宙は絶対神であり、絶対神こそが宇宙であるからだ。宇宙があるから神がいるのか、神がいるから宇宙があるのか……、それは絶対神である二柱にも分からなかった。

 

 絶対神が二柱いるという矛盾。故に二柱の神は殺し合いを始めた。この宇宙の主を決めるために……。

形無き全知全能である二柱、『闇の神』と『光の神』は互いに譲ることなく、存在をかけて争い続けた。二柱の能力は全くの互角。神たちは自分が世界を陣取ろうとそれぞれが『物質』を産み出した。

 

二柱の産み出す物質は互いを打ち消し合う力を有していた。闇の神が創り出す物質と光の神が創り出す物質は互いが接触すると対消滅を起こす。後の世に人間が『物質』と『反物質』と分けて呼ぶようになる二柱が創り出すそれぞれの物質。二柱は互いの能力をぶつけ合い、生成と消滅を繰り返した。

 

 長期間に渡った神同士の戦争。しかし、じわじわと、だが確実に、雌雄が決しようとしていた。闇の神が生み出す物質の量が光の神が生み出す物質の量をわずかに上回り始めたのだ。これもまた後世、人間たちにより『対称性のゆらぎ』と強引に理屈付けられる光の神の敗北だった。

 

……存在をかけた激しい闘争。その末に勝利の美酒を手にした『闇の神』。

無限にも感じる長い『対消滅戦争』だったが、後世の人間たちの観測では1秒にも満たないというのだから驚きである。

闇の神が宇宙の主神となったことで、宇宙は闇の神の『物理法則』に支配され、暗闇に包まれた。

 

 闇の神は創れる限りの物質を産み出した。最初はただの粒子に過ぎなかった物質たちは互いに引き合い、原子となり、分子となり、だんだんと巨大な塊となる。

無数に生まれた巨大な塊。その中でも一際大きな塊に闇の神は自身の『光を操る程度の能力』を分け与え、恒星として生まれ変わらせた。

 

 恒星が生まれ、恒星になれなかった塊が惑星となり、宇宙が現在の形に近づいた頃、闇の神は『答え』を探し求めていた。それは全知全能の神を持ってしても解き明かせない自身の存在理由。闇の神はその答えを知るため、生命体を産み出した。いくつもの生命体を産み出す中である時、知性に優れた一つの生命因子を闇の神は創り出す。

 一対の番として生まれたそれを、愛と憎悪を併せ持つ哀れで愛しいこの生命因子を、闇の神は『人間』と名付けた。

 

男の人間には『アダム』という名を、そして女の人間には……『リリス』という名を与えた。初めて自身と対話することができる生命を産み出した闇の神は、二人のことを溺愛し、リリスには闇を表す『テネブリス』の姓を与えた。

 

 ここに最初の人間であり、最初の魔女となるリリス・テネブリスが誕生したのだった。

 



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若返り

◇◆◇

――現在――

 

 強烈な光だった。皆既日食の闇に飲まれた世界を瞬く間に白く染めるその光は、『リリス・テネブリス』を包み込む。魔理沙は目を焼かれないように帽子で光を防ぐのが精一杯だった。

 まるで太陽が目の前に現れたかのような光だったが、次第に光度を落としていく。

「何が……起こったんだぜ……?」

 眩んだ眼で周囲を観察する魔理沙。光は収まったようだが、まだ魔理沙の眼の調子は戻らないでいた。

「ふふ……。久方ぶりじゃ。内から溢れるこのエネルギー……」

 艶やかな声が聞こえた。声の主はわからない。だが声色だけで持主の容姿が美しいに違いないと、魔理沙はなぜか確信する。

 目の調子が戻ってきた魔理沙の視界に写ったのは、この世のものとは思えない美しいブロンドの髪と金色の眼。その姿を見れば老若男女問わず全ての人間が見惚れてしまうであろう。事実、霧雨魔理沙も眼前にいる女のこの世のものとは思えない美しさに戸惑う。

「なんて綺麗な顔立ちなんだ……。お人形さんみたいなんだぜ。って、そんなことはどうでもいいんだぜ!」

 魔理沙はブンブンと身震いする猫のように首を振る。

「誰だお前!」

 問いかける魔理沙にブロンドの女は口角を持ち上げた。

「察しの悪いやつじゃのう。ワシに決まっておるだろうに……」

「……おいおい。まさかとは思うが、あの婆さんなのか……?」

 魔理沙はブロンドの服装が、老魔女と全く同じ古風な魔女スタイルであることを目視しながら訊ねた。

「それ以外に誰がおると言うんじゃ?」

「私より背が低かった腰曲がりの婆さんと、若くて背の高いアンタを同一人物だと思えって方が無理あるんだぜ。……若返ったってことか……?」

「聞くまでもないじゃろう?」

「その姿で婆さん口調だと違和感半端ないんだぜ」

「確かに……。気付けば年相応の言葉遣いに慣れてしまったものじゃ。かと言って今更見た目相応の喋り方なんぞを気にする身分でも年齢でもない。そもそも周囲の人間の視線や様子に合わせて言葉遣いを変えるなどというのは『人類(アダムスコピー)』が造った文化じゃ。最初の人間であるワシ、このリリス・テネブリスには何の関係もない」

「リリス・テネブリス……? それがアンタのフルネームか」

「そうじゃ。忌々しき闇の神から与えられた名じゃ」

「忌々しいと思ってるんなら、名前を変えれば良いじゃないか」

「……じゃが、この名を愛しく思ってくださる方もおるからのう。難儀なモノじゃ……」

「なんだよ。結局は結構気に入ってるってことじゃないか。…………質問するだけでも怒りが湧いてきそうなんだが、まさか若返るため……、そんなくだらないことのために幻想郷の運を奪ったんじゃないだろうな?」

「そうじゃ。と言ったら……」

 魔理沙は険しい表情を浮かべると、エプロンからミニ八卦炉を抜き出し、何も言わずにマスタースパークを速射した。

「その程度のわずかな発動時間でこの規模の魔砲を放つか……。自身の運を使うことに慣れてきたようじゃのう。じゃが真の力を取り戻したワシであれば、防御魔法すら要らん」

 テネブリスが指をパチンと弾くと、ピンポン玉程度の魔力弾がマスタースパークへと飛んでいった。魔力弾はマスタースパークをかき分け相殺する。轟音とともに魔理沙の不意打ちは霧散してしまった。

「……当たり前だが、若返ったのは見た目だけじゃないようだな」

 魔理沙はヒヤリとこめかみから汗を垂らす。それを見たリリスはくつくつと喉を鳴らした。

「光栄に思うが良いぞ? 我がリリス因子の継承者、霧雨魔理沙。お前が最後じゃ。始祖であり、真円であり、完全な不完全であるこのワシ、『リリス・テネブリス』に敗れる最後の贄。それが貴様じゃ」

「そうかそうか。それは大変な栄誉だな。けど、丁重にお断りさせていただくぜ」

「素直に受け取れば良いものを……」

 皆既日蝕が解け、再び差し始めた太陽の光がリリスの表情を照らし出していた。



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障碍

――魔法の森――

 二人の金髪女性が森の中で倒れていた。

 魔理沙の伯母マリーと幻想郷の賢者八雲紫である。マリーは既にこと切れており、八雲紫もまた、両足切断の重傷を負っていた。

「まだ起きないのか。幻想郷の賢者失格だな」

 顎に手を当て、ニヤリと笑う女が一人。彼女もまた金髪であった。名は摩多羅隠岐奈。八雲紫と同じく幻想郷誕生に携わった『賢者』である。

「うぐ……」と紫がうめき声を上げる。意識を取り戻そうと眉間に皺が寄っていた。

「おはよう、八雲紫。よく眠れたか?」

「う……? この声は……、摩多羅隠岐奈ね……。っ痛!?」

 両足に激痛が走る紫。下半身に視線を向けると、ふうと溜息を吐いた。

「そうだったわね。あの老婆にやられたんだった……。回復には時間がかかりそうね……」

「手ひどくやられたようだな?」

 にやけた表情で横たわったままの紫を見下ろす隠岐奈。緊張感のない表情に紫は苛立ちを隠せない。

「お陰様でね。どこかのだれかさんがなんにも手伝ってくれないからこの様よ!」

「私に文句を言うならお門違いだ。あの老魔女は特殊だ。私ではあれには勝てん。挑むのはお前たちの役目だ」

「お気楽決めてるんじゃないわよ」

「好きで決めてるわけじゃない。アレがスキマの力を使えることくらいは私にも分かる。スキマに対抗できる力はスキマだけ……。そうだろう?」

「よく言うわね」

 紫と隠岐奈が会話していると、太陽が欠け始めた。テネブリスが若返るために皆既日食を起こしたのである。

「日蝕……!? そんなはずはないわ。まだ日蝕までは日にちがあったはず……!?」

「あの老婆、なかなか派手なことをするじゃないか。だが一体何が目的だ?」

 太陽が完全に月に食われたと同時に、激しい光が人里で放たれた。紫と隠岐奈はあまりにも強い光に目が眩む。

「何をしたの!?」

「いい事ではなさそうだな」

 紫の驚嘆する声に、隠岐奈の冷静な言葉。やがて光は収まり、光の代わりに届いたのは圧倒的な気配であった。

「こ、これは……とんでもない化物が現れたようだな……。……あの老婆、若返ったか……」

「……これが神の子……、人間因子の真の力なのね……」

「紫、怖気づいているのか?」

「正直ね」

「それは困るな。お前には今から体を張ってもらわねばならんというのに」

「自分は手を出すつもりはないくせに……」

「ではやらないのか? 霧雨魔理沙を見殺しにするか?」

「……戦おうにもこの足じゃあね」

 紫は上半身を起こして足を見つめる。良く見れば足には、境界を操ったことによる回復痕があった。魔理沙や隠岐奈にはできない芸当。マリーが治療を施してくれたのだろう。

「足が欲しいか?」

 問いかける隠岐奈に紫は怪訝な表情を浮かべた。

「何言ってるのよ?」

「忘れたか? 私が障碍を操る神だということを。……私の生命力を分けてやる」

 隠岐奈が両手を大きく広げる。同時に隠岐奈と紫の背中に扉が現れて開いた。隠岐奈の足から発生した光の粒子が隠岐奈の扉に吸い込まれる。同時に紫の扉から光の粒子が足に降り注がれると、失われた足が再生されていった。

「おっと、足に力が入らない。……二童子!」

 隠岐奈の呼びかけとともに、どこからともなく丁礼田舞と爾子田里乃が駆け付け、豪華な車いすを用意し、隠岐奈を座らせる。

「お前の障碍を私が引き受けてやった。この貸しは高く付くぞ?」

「勝手にやっておいて何が貸しよ。押し売りじゃない」と強がる紫。

「では返してもらおうか?」

「絶対嫌ね。……代金はおいくらかしら?」

「体半分……かな?」

「……無茶を言ってくれるわね。高過ぎない?」

「それくらい代償を払ってくれないと、ヤツには勝てんだろう?」

「……そうね。仕方ない。払いましょう。これだけ集めるのに苦労したのだけれど……」

 紫は言いながらスキマを展開する。

「……隠岐奈。戦闘が始まれば、私は結界に注意を払えないわ。頼んだわよ」

「承知した」

 紫は自身の身体をスキマに放り投げ、消えていった。

「幻想郷の未来、お前たち『人間』に託したぞ?」

 隠岐奈は力の入らない足をさすりながら、人里に視線を向けるのだった。

 



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伊弉冉因子

――人里――

 リリス・テネブリスは自分の手足を舐めるように見て笑みをこぼす。そして独り言を呟いた。

「久方ぶりの若き体、我ながら美しいのう……」

「とんでもないナルシスト野郎なんだぜ」

 悪態を吐く魔理沙だが、確かに美しかった。悪魔的な妖艶さも感じられるリリスの容姿。それは、かつて八雲紫と初めて対面した時の衝撃を上回るものだった。

「早速、目的を果たしても良いのじゃが……。最後に快感を得ることくらい許してくれるじゃろう」

 リリスは手刀を作ると、腕を上げ攻撃態勢に入る。

「耐えられるか、霧雨魔理沙?」

 振り下ろされた手刀の軌跡をなぞるように巨大な次元の刃が出現する。刃は空間ごと空や地を両断しながら魔理沙へと向かってきた。

「ぶっ壊してやる!」

 魔理沙は次元の刃に手を翳し、受け止める。今までにない重い感触が手にのしかかった。

「くっ!? 今までの刃とは段違いに強い!? 負けるかぁああああああああ!?」

 魔理沙は掌に魔力を注ぎ込む。魔理沙の魔力が次元の刃に勝り、刃はバリンと割れる。しかし、割れた衝撃で魔理沙は吹き飛ばされ、地面に擦り付けられた。

「ほう。これくらいならば耐えれるか……」

「うあ……」

 地面から起き上がる魔理沙。魔力を集めすぎた掌は火傷を負ってしまっていた。

「ククク。本来の力を取り戻したワシの斬撃はどうじゃ?」

「へへ……。随分と得意げだが大したことないんだぜ……?」

「強がりを言うのう……」

 言いながらリリスは手刀を天に掲げる。

「今の一撃は言うならば、『慣らし』。次は『遊び』程度には撃ち放ってやろう」

 再び振り下ろされた次元の刃。

「くそ!? あんなの何度も受けてられないんだぜ!?」

 刃を避ける魔理沙。しかし、刃の通過とともに生じた激しい風と舞い上がった砂利が魔理沙に吹きかかる。

「逃げても良いが、果たしていつまで保つかのう?」

 強風でバランスを崩された魔理沙に向かってリリスは刃を繰り出し続ける。魔理沙も寸前のところで刃を躱す。繰り返される攻撃と回避。……先に追い詰められるのが回避側なのは必然であった。避けきれない速度で向かってくる刃、魔理沙は受け止めざるを得なかった。

「くそっ!?」

 刃を手で受け止める魔理沙。焼けたように痛む掌に魔力を込める。

「うう!? 威力が桁違いに上がってる!? さっきまでは本当に『慣らし』だったってのか!? ……ダメだ……割れない。斬られる……」

 魔理沙の掌にうっすらと切り傷が付き始めた。このままいけば魔理沙の体が真っ二つになる。脳裏に死が過ぎったその時、魔理沙の背後にスキマが開く。

「予想通り……、ただでさえ化物だったヤツがさらに化物になったみたいね」

 魔理沙の後頭部に聞いたことのある声が届く。声の主、八雲紫は刃に手を翳す。八雲紫は自身の境界を操る程度の能力でもって、リリスの刃の境界を閉じる。

「ほう。ワシの刃を無効化したか。……どうやら『覚悟』が変わったようじゃな。境界の妖怪(モンスター)よ……」

 八雲紫を視界に入れたリリスがにやりと笑う。

「紫、お前足治ったのか!?」

「ええ、ちょっとヤなヤツに貸しは作ったけどね」

 魔理沙の問いかけに応える紫。

「……アレがこの世界の伊弉冉因子の始祖の本領か……。……魔理沙、手伝ってもらうわよ? 幻想郷を守ってもらうわ。それは貴方に受け継がれた伊弉冉因子の意志でもあるはずだから……」

 紫は鋭い視線を魔理沙に向ける。それは博麗霊夢に向けていたそれと同じであった。

「イザナミ? さっきからリリスだのイザナミだのわけわからない言葉並べやがって……。幻想郷を守る? 言われるまでもないんだぜ」

 魔理沙はボロボロの手で帽子のつばを持ち、気合を入れ直すようにかぶりなおすのだった。



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キメラ体

「……イザナミ因子じゃと……? モンスターよ、そう言ったか?」

「ええ言ったわよ。それとも若返ったのに耳はまだ遠いままなのかしら?」

 リリスの問いに紫が嫌味で応える。

「減らず口を叩く女じゃな。……なるほど、おかしいとは思っていた。ワシしか持たぬはずのリリス因子……。数十億年の間、因子を持った人間が生まれたことなどなかった。……ワシ以外のリリス因子、その気配を感じたのはわずか千年ほど前。しかも文明が築かれたばかりの原始惑星に突然現れた。……八雲紫と言ったか? 貴様、並行世界から来た存在じゃな?」

「どうかしら?」

「とぼけたところで何になる? まあ良い。貴様の持つ伊弉冉因子とやらは、並行世界におけるリリス因子というわけじゃな? ……どれだけ似ていたとしても構成が同じだったとしても所詮は紛い物。あと少しでそんな粗悪品を『依代』にするところじゃった。マリーやリサを候補から外した判断はやはり正しかったのう……」

「依代……貴方、伊弉冉因子を持つ人間をどうするつもりだったの?」

「どうするつもりもない。今となってはの」

「おい、さっきからお前ら何を話してるんだぜ?」

 リリスと紫の会話に割り込む魔理沙。リリスは不敵に笑う。

「貴様らを生かす意味はもうないということじゃ!」

 リリスは次元の刃を横一線に放つ。紫、魔理沙をまとめて始末する算段の攻撃である。

「効かないわ」

 紫は次元の刃に再び手を翳す。すると、刃は最初から存在しなかったかのように消え去った。

「やはり、ワシの力に対抗できるか? つい先ほどの戦闘では年老いたワシにすら劣っていたというのに……。……分かっているぞ八雲紫。貴様はリリス因子の魂(人間)ではない。アダム因子の魂がリリス因子の肉体に入っている歪なモンスター。それが貴様の正体じゃ。境界の力を本来通りに発動するには肉体を消費しなければならない。そうじゃろう?」

「そちらこそべらべらとよく喋るわね? 若返って気分も高揚しているのかしら? お婆さん!」

「よく言うわ。貴様も十分年老いているじゃろうに!」

 リリスがスキマを開き、入り込む。紫は咄嗟に魔理沙を蹴り飛ばす。

「いった!? 何するんだゆか……!?」

 魔理沙の鼻先をリリスの魔法で造られた光の剣がかすめる。紫が蹴り飛ばしていなければ、魔理沙の体は真っ二つだっただろう。

「読みが良いのう! じゃが、近づけたぞ! 魂と身体の因子が異なるのならば、境界を分けるのは容易いぞ? 貴様の魂、体から引き剥がしてくれる!」

 リリスは紫の体に触れ、境界の力を発動する。

「…………っ!? なにっ!?」

 バチっという音と共に、リリスの手が紫の体から弾かれた。

「くっ!? えげつないことしようとするわね……」

 愚痴りながら紫が冷や汗を流す。

「なるほど……。単にリリスの肉体を持っているわけではないといことか。……高度にアダムの肉体とリリスの肉体が混じっている……。キメラ体と言う訳か……」

 リリスは面倒だ、とでも言いたげな表情で分析するのだった。



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紫の目的

「……愚かなことをしたものじゃ。ここまで高度に混じり合っているのであれば、ヒトのままでいた方が勝機もあったじゃろうに……」

「……あいにくだけど、人間の寿命は私には短すぎるのよ」

「妖怪になったところで、貴様の目的が叶うことはないがのう……」

「あら? どうして私の目的をご存じなのかしら? 心でも読んだ?」

「心を読むまでもない。簡単な推測じゃ。そもそもワシには読心術の心得はないからのう。……アダム因子の肉体を持っていながら、さきの闘いではリリス因子の肉体消費を選択しなかった。つまり貴様の目的は、その身に宿るリリス因子の肉体を完全な状態にすることじゃろう?」

「……ああヤダヤダ。これだからお年寄りは相手にしたくないのよね。でも聞き捨てならないわね。なぜ私の目的が叶わないと断言できるのかしら……」

「それも簡単なことじゃ。ワシに出来ないことが貴様にできるはずがあるまい!」

 リリスは怒鳴りながら、次元の刃を生成し、紫たちに向けて撃ち放った。迫る刃に向け、手を翳した紫が「はっ!」と気合いを入れると、たちまちに刃は消滅した。

「……オリジナルであるワシの術を消し去るほどとは……。八雲紫、貴様の持つリリス体はかなりの上玉のようじゃのう……」

「ええ、世界一だと思うわ」

「それはまた、かなり入れ込んでおるのう……」

 対峙するリリスと紫。そして魔理沙はそんな二人を見ることしかできていなかった。会話内容は意味不明だし、二人の闘いに割って入れるとも思えない。魔理沙の境界を破る力は若返ったリリスには通用しそうになかった。

「貴様も大変じゃのう。おもりをしながら闘わねばならんのじゃから……」

 魔理沙に視線を向けながら、リリスがクククと笑う。悔しいが、リリスの言葉は真実だ。魔理沙は紫に話しかける。

「おい、紫。どうやら私はここにいても邪魔にしかならないみたいなんだぜ」

 スキマで逃がしてくれないか、と暗に尋ねてみる魔理沙。しかし、紫から帰ってきた答えは意外なものだった。

「邪魔なわけないでしょ」

「えっ……?」

「言ったでしょう? 貴方には幻想郷を守ってもらうわ。それとも貴方の幻想郷への想いはその程度なのかしら?」

「なっ!? 挑発してくれるんだぜ……」

「魔理沙……。アイツの言う通りよ。私の能力は私の持つ伊弉冉体の量に依存する。つまり制限時間があるということ。対してリリス……でいいのかしら? ヤツには時間制限がない。倒すには人手がいるわ。……魔理沙貴方、アイツに勝てる?」

 魔理沙はスーッと深呼吸する。正直、自分に勝てる算段はない。だが、言う言葉は決まっている。

「当たり前だぜ」



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