元カノから毎年バレンタインチョコが届く話 (ヤンデレ大好き星人)
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元カノから毎年バレンタインチョコが届く話
2月14日と言えばバレンタインデー。
それは男子にとって1年で最も何かが起こりそうな気がする日だ。
しかし俺はちっとも楽しみだなんて思わない。
いや、チョコが貰えないから拗ねているとかそういうのではなく、むしろその逆だ。
毎年とある人物から渡されるバレンタインチョコ。それが問題だった。
元カノである愛理(あいり)からのチョコが、毎年届くのだった。
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愛理と付き合っていたのは中学時代。
まだお互いに若すぎたこともあり、恋人らしいことをしたかというとそうでもなかった気がする。
それでも当時は、2人で手を繋いで歩くだけでも、胸のあたりが温かくなるような小さな幸福を感じていた。
愛理と初めて出会ったのは、小学6年生の運動会前。
俺は公園で一人、走る練習をしていた。
足が遅かったので、運動会で恥をかかないためだった。
なぜ速く走れないのか。その原因を考えず、無駄に走り込みをしていた。すると後ろから声を掛けられた。
「運動会の練習? 偉いね!」
突然のことに驚き振り向くと、滑り台の階段に座りこっちに手を振る少女が居た。
この少女こそが後に付き合うこととなる愛理だった。
こっそり練習しているのを見られたことが、当時の俺には恥ずかしかった。
しかもそれが、男子から人気のある人物ともなれば尚更だ。
愛理はいつも元気いっぱいで、勉強はかなり微妙だが運動神経が抜群に良かった。
少し癖のある長い髪と、手足をぶんぶん振り回しながら走る彼女の姿に、多くの男子生徒が虜になっていた。
そんな愛理に格好悪い姿を見られたことが恥ずかしくって、俺はただ顔をそらすことしか出来なかった。
しかし愛理は俺に駆け寄り、顔を覗き込んだ。
「走る練習だったら私も一緒にやろうかな! こう見えて私速いんだよー」
「……いや、俺足遅いから」
「えっそうなの? じゃあ私が速く走る方法を教えてあげる!」
そういって胸をぽんと叩き、得意げな顔をした。
最初は女子に教えてもらうなんて恥ずかしいと思っていたが、彼女から教わった走り方は効果があった。
そんな小さなきっかけで俺たちは出会い、次第に仲良くなっていった。
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中学生になった。
愛理は陸上部に入り、1年生でありながらすでに部内で一番速かった。
彼女には陸上選手としての才能があった。
俺と愛理は相変わらず仲が良かった。俺は彼女のことを友人だと思っていた。
しかし愛理は違ったようだ。
バレンタインの日、男子は自分の机をこっそり確認する。俺もその日、淡い期待を胸に机の中へと手を伸ばした。
そこにはチョコが入っていた。人生初のバレンタインチョコ。
それは愛理からのものだった。
その後、告白を受け。俺たちは恋人になった。
付き合い始めてちょうど1年。俺と愛理は相変わらず友達のような関係だった。
中学生同士の交際なんてそんなものだ。
そしてバレンタインデーの日、俺の下駄箱にチョコが入っていた。
これも去年同様、愛理の仕業だった。
「もう付き合ってるんだから直接渡せば良いじゃないか」
「それだと、ロマンがなーい!」
そう言って両手をぶんぶん振り回す愛理は、出会った頃と変わらず子供っぽかった。
バレンタインデー。それは俺たちにとって、付き合い始めた記念日でもあった。
俺はあまり気にしていなかったが、愛理にとっては本当に特別な日だった。
しかしこのころから、愛理に変化が現れていた。
愛理は陸上選手としての頭角を現し、ついには全国大会に出場するほどになっていた。
そんな彼女を俺は心の底から応援していた。
しかし愛理のタイムは伸び悩むようになった。
原因は分かっている。俺だ。
愛理は時々練習をサボっては俺に会いに来ていた。
そんな彼女をなんども説得しようとした。
「またサボったのか。お前は陸上部のエースだろ」
「んー! だって、最近練習ばっかで会う時間少ないんだもん!」
その度に、駄々をこねられてしまった。
それからしばらくして、いよいよ愛理は陸上への意欲を失いかけていた。
そして遂に
「陸上部やめようかなー」
そんなことを言うようになっていた。
愛理は俺と一緒にいることを何よりも優先した。
友人とも遊ばなくなっていた。
俺はこのことに責任を感じていた。それと同時に彼女との接し方も分からなくなっていた。
陸上選手としての愛理を誰よりも応援してきた俺は、現状を変えたいと思った。
そんな俺の悩みとは全く関係がないことだが、その当時クラスの男子達はとある言葉に夢中だった。
男子の一人が持ってきた雑誌に載っていた単語。
『さげまん』である。
その単語がかすかに醸し出す卑猥さは、中学2年生男子にとっては発音せずにはいられないものだった。
そんな他愛もない男子生徒たちの会話の中から、成熟しきっていない俺の脳はとある結論を導きだした。
(俺はさげまん……いや、さげちんだったのか)
俺は愛理を駄目にする。彼女の近くにいてはいけない存在。そう考えた。
そうして俺は中学2年生の秋、愛理の将来のため、彼女と別れると決めた。
別れるのは簡単じゃなかった。愛理の泣き顔だって何度も見た。それでも心を鬼にして別れたんだ。
陸上部にだって良い男が沢山居るんだ。俺みたいなさげちんのことはすぐに忘れるだろう。そう思っていた。
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そんなこんなで高校2年生になった。
俺はあれ以来、恋人なんてものには縁がなかった。
自分はさげちんだと言う自己暗示。それが後を引いていた。
バレンタインデーなんて甘ったるいイベントには縁のない生活。
……そう言い切れたらどんなに良かっただろうか。
実は愛理と別れた次の年のバレンタインデー、我が家の郵便ポストにチョコが入っていた。
それは別れたはずの愛理からだった。
高校1年生のバレンタインデー、学校から帰宅すると、自室の勉強机にチョコが置かれていた。
差出人はもちろん愛理だ。恐らく母が受け取って机に置いたんだろう。
とにかく、未だに愛理は俺を忘れようとはしてくれていなかった。
そうして高校2年生になり、今年もバレンタインデーが近づいていた。
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登校中、たまたま愛理を見かけた。多くの女子生徒に囲まれている彼女を見て、他の女子生徒よりも頭一つ抜けて身長が高くなっていることに気がついた。
子供っぽかった彼女が、随分と成長したものだ。
陸上の成績はもう俺の口から語れるレベルではない。当時は皆の期待を背負っていた彼女だが、今では背中に大手企業のロゴを背負って走っている。
遠い存在になった。
そんなふうに思いふけっていると、愛理と目があった。
「……!……あっ!」
声をかけようと手を挙げる愛理を見て、俺は目をそらしその場を立ち去った。
愛理は隙あらば俺に話しかけようとする。もう別れてから2年以上経つのだから、悲しい目でこちらを見るのはやめてほしい。
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そしてバレンタインデー当日。
また愛理からチョコが送られてくると思うと少し憂鬱になる。
別に嫌とかそういうのではないが、彼女の気持ちに応えられないことが申し訳なかった。
今やテレビの取材を受けるほどの有名人である愛理。
もしあのまま俺と付き合っていたら、今の彼女はなかっただろう。
そう考えると冷や汗が出るほど恐怖を感じた。
放課後、帰宅しようとすると友人である頼子(よりこ)に引き止められた。
頼子は俺のクラスメイトで、男友達以外では唯一、時間を忘れてだらだらと話し込んでしまう人物だった。
しかし今日はバレンタインデーである。異性と一緒にいるところなど見られれば、余計な噂が立ちかねない。
そう頼子に伝えると「別に気にしないし」と言われ、結局教室で誰もいなくなる時間まで話し込んでしまった。
「チョコもらった? 私の予想だと2つってとこかな」
「そんな貰えるわけないだろ……。こうやって話す女子だってお前しかいない」
「えー。あっ……やっぱまだ愛理のこと気にしてるんだ」
「……ちげーし」
頼子は愛理のことを知っている。
そもそも、彼女は愛理と同じ陸上部だった。
中学時代、愛理の応援で陸上部を訪れた時によく見かけた。
頼子は身長が小さく、愛理と違い才能に恵まれた体とは言えなかった。
しかし必死に努力して、レギュラーを1度だけ掴んだ。
そんな彼女を俺はかっこいいと思った。
実は当時、陸上選手としては愛理ではなくて頼子のファンだった。
しかし彼女は陸上を辞めた。自分には才能がないと踏ん切りをつけたのだ。
今は陸上で鍛えた肺活量を活かし、吹奏楽部でトランペットを演奏している。
「なんだっけ、さげちんだっけ? それホントに信じてるの?」
「よく覚えてるな。それお前に言ったのかなり前だぞ」
「そりゃ、そんなパワーワードぶつけられたらね」
頼子はそう言って、自身の髪を軽く指でなぞった。
彼女の髪はショートというほどではないが、女子の中では短い方だ。身長は小さいが、目、口、鼻などそれぞれのパーツが小さくまとまり、とても可愛らしい外見をしていた。
もしも愛理のことがなかったら、彼女のことを異性として意識していたと思う。
「私は中学の時、君の応援があったから……1回だけだけど、陸上部でレギュラー取れたんだって思ってる」
「いや……あれはお前の努力だろ」
「そうかな。彼女の愛理に内緒でこっそり応援してくれて、本当に嬉しかったよ?」
「いや浮気みたいに言うな。うしろめたい気持ちになる」
「浮気ねぇ……わりと本気で殺されるかと思った時期もあったけど」
「……え?」
「いやいい、忘れて」
頼子から一瞬恐ろしい言葉が聞こえたが、彼女はそこでその話を打ち切った。
「とにかく! 自信持ってよ。ほら、これあげるから」
そう言って彼女が手渡してきたのは、可愛らしい小包だった。
紛れもないバレンタインチョコだ。
それを見た瞬間、俺の心臓は嫌な跳ね方をした。
その鼓動は、女子からバレンタインチョコを貰った喜びから来るものではない。恐怖からくるものだった。
頭に浮かぶのは、陸上をやめると言った愛理の姿。あの才能を俺は潰そうとした。
頼子だって努力家だ。吹奏楽では陸上以上に、その努力が実りつつあった。
それが余計に、当時の愛理と重なった。
「そんな怖い顔しないの。義理よ義理」
頼子はそのままチョコを俺に押し付け、「じゃあ、帰るね」と言ってその場を去った。
取り残された俺はしばらく思考が固まっていたが、本命ではないということを理解し胸を撫で下ろした。
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家に帰り、自室に戻る。
制服から部屋着に着替えた時、とあることに気がついた。
今年は愛理からのチョコが来ていない。
「そりゃそうか。流石にもう2年以上経つもんな……」
ついついそんなことを呟いてしまった。
きっと新しい恋でも見つけたんだろう。
そう思うと、長年背負っていたものが抜け落ちるのを感じた。
もしかしたら俺の方が愛理に未練を残していたのかもしれない。
夕食後、妙に小腹が空いたので頼子から貰ったチョコを食べることにした。
小包からチョコを出そうとすると、小さな紙切れが入っていることに気がついた。
4つ折りにされた紙を開くと、こう書かれていた。
ーーーーーーーーーーー
好きです
付き合ってください
ーーーーーーーーーーー
「本命じゃねぇか……」
よくよく見ればチョコはどう見たって手作りで、丁寧にパッケージングされたそれは本命そのものだった。
しかし頼子からチョコを渡された時とは違い、嫌な冷や汗をかいたりはしなかった。
段階を踏んだ心の衝撃は、一度バウンドしたことで和らいでいた。
頼子はこういう気遣いができる女の子だった。
しかしいくら衝撃が和らいだところで、彼女と付き合うことはできない。俺は未だに自分を信頼していないからだ。
小動物のような見た目の頼子だが、あれで結構頑固だ。どう言って断わろうか。
思考を巡らせていると、ついうとうとしてしまう。
(そう言えば……愛理からのチョコ……最初は教室の机の中。次に靴箱。その次が家の郵便ポスト、そして最後は俺の部屋の机……なんだか近づいてるような……)
そんなくだらない考えがよぎった瞬間。俺は9時という早い時間に眠ってしまった。
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その夜は、ただ寝苦しかった。
体に何か重いものが乗っている感覚。
乾いた口の中を侵蝕する甘い味覚。
何が起きたかわからず、俺は目を覚ました。
まぶたを開けると顔があった。
仰向けに眠る俺にまたがり、俺に口付けをしていた。
いや口付けと言うよりは、口移しでチョコをねじ込んでいた。
「んっ……んっ……」
耳元で聞こえるチョコよりも甘ったるい喘ぎ声。
おかしい。いや……やっぱりおかしい。
この状況を即座に理解できる人間なんているだろうか。頭がおかしくなりそうだ。
夜目がきいてくると、犯人の姿が分かった。
「愛理……」
「あっ……ダーリン! やっと起きたー」
愛理は昔と変わらず子供っぽい喋り方だった。
身長も高く胸も成長した今の彼女にはミスマッチだ。
テレビのインタビューで話す彼女とはあまりに印象が違う。あれはかなり猫をかぶっていたのだろう。
「お前……なにやってるんだ」
「チョコ渡しに来たの。ほら、今日はバレンタインデーでしょ? 今回は直接渡そうと思ったのにダーリンったら寝てるし」
「そうじゃなくて! ってかどうやって入った?」
「私運動神経だけはいいから! そこの窓から入ったんだ。すごいでしょ」
そう言って褒めてほしそうな顔をして胸を張る愛理。
こいつは昔からこういうことを普通にする。まさか高校2年生になってもまだ、塀や屋根をつたって2階によじ登るとは思わなかったが。
「とりあえず……俺の上からどいてくれないか?」
「やだ」
「いいからどけって!」
「いーやーだー!」
俺は本気で抵抗したが、愛理は男である俺の全力を簡単に押さえつけた。
彼女の身体能力は一般女性どころか、男子高校生をも凌駕していた。
「だってダーリン、私の話聞いてくれないもん! 私のこと避けてるみたいだし」
「わかったよ。聞くから」
力で勝てないと分かった今、彼女の要求を呑むしかなかった。
「ねぇダーリン、何度もバレンタインチョコ贈ったのになんで応えてくれないの?」
「俺たちはもう別れたんだ。チョコレートは渡さないでくれ」
「だったらもう一度付き合ってよ」
「断る」
そう即答したが、もう少し柔らかく断るべきだった。
愛理は両目に涙を浮かべて暴れ出す。
「やだやだ! もう無理! 私はダーリンと一緒にいたいの!」
「こらっ、暴れるなって! 親に気づかれるだろ!」
愛理を押さえつけようと彼女の両手を掴み引き寄せる。
愛理はそのまま俺の方に倒れ込み、気付けば彼女の顔が間近にあった。
さっきは目が暗闇に慣れていなかった。しかし今改めて愛理の顔を見ると、とても美人に成長したのだと再認識させられる。
2人が無意識に生み出した沈黙は、好き合う男女のような独特の緊張感を生み出した。俗に言う良い雰囲気というやつだ。
愛理はそのまま俺に顔を近づけてキスをした。
そして唇をゆっくり離しこう言った。
「私……ダーリンのために努力したよ? 日本一足の速い女子高生になったの。ねぇ褒めてよ。すごいねって、昔みたいに頭撫でてよ。もう許してよ……」
愛理の表情から、いかに今まで思い詰めていたかが伝わってくる。
ここまで俺のことを想ってくれている。俺だって愛理のことが嫌いなわけじゃない。俺が彼女を駄目にするだなんて、もうそんなことはどうでも良いじゃないか。
そう思った時、不意に一つの疑問がよぎった。
「なぁ、お前……俺と付き合ったとして、陸上は続けるんだよな?」
「えっ! いいの!? だったらもうかけっこはいいや。別に楽しくてやってる訳じゃないし。あっでも! ダーリンが続けて欲しいって言うなら続けるよ!」
愛理のその返答で、また昔と同じことを繰り返すのだと確信した。
俺が彼女を受け入れれば、もう今みたいに陸上に専念することはなくなるだろう。
そのことに、当時以上に恐怖した。
今の彼女は、日本中の期待を背負った選手だ。
しかしどんな人生を送ろうが愛理の勝手で、誰かの期待なんて彼女にとってはどうでもいいのかもしれない。
だが俺は違う。その期待を奪う勇気なんてなかった。
やっぱり駄目だ。
俺は何か逃げ道を探した。そして頼子から貰った手紙を思い出した。
あの手紙を見せて、頼子と付き合うと言ってしまおう。
頼子からの手紙は机の上にあったはずだ。
しかし机の上を見ても、手紙は見あたらなかった。
俺が何かを探していることを愛理が見逃すはずもなく、彼女はじっと俺の瞳を覗き込んだ。
「なに探してるの? あ……もしかして頼子ちゃんからの手紙? 安心して! あれは破いて頼子ちゃんの家のポストに入れておいたから」
……え?
こいつ……今なんて言った……?
「最初に部屋に入った時にね、見つけたの。知ってた? 頼子ちゃんの家って結構近いんだよ。だからポストに入れてまた戻ってきたんだ」
そう言って愛理はまた、褒めてほしそうな笑顔を向けてくる。
そこに悪意があるのかは分からない。しかし少し異常だと感じた。
何か言おうとすると、着信音が鳴った。
俺のスマホからだ。
愛理はベッドの近くで充電していたスマホに手を伸ばし、勝手に通話に出た。
『うっ……手紙……こんなの……ひどい……』
静まり返った部屋に響いたのは、すすり泣く少女の声。
通話を掛けてきたのは頼子だった。
「あ、頼子ちゃんだ! 久しぶりだね!」
『な、なんであなたが……まさか手紙破いたのも……!』
「うん! 私昔言ったじゃん。ダーリンに手出したら殺すって。もうああいうことしちゃ駄目だよ?」
愛理は悪びれもせずにそう言うと、何食わぬ顔で通話を切った。
そうしてもう一度俺に向き合った。
「話の続き……。もう一度私と付き合って」
頼子の手紙を言い訳にしようとしていた俺は、愛理を拒絶する理由を失っていた。しかしそんなことよりも、純粋に彼女を怖いと思った。
「お前……今頼子に殺すっって……ぐっ!」
俺の喉に、愛理の細い指が絡まる。
この体勢、上に乗っている愛理が圧倒的有利だった。
「ダーリン! ダーリン!! 好きだよ。だから私をこれ以上拒絶しないで」
「ぐぁ……やめ……!」
他人に本気で首を絞められたのは初めてだった。
首を締められると、人はこんなにも早く視界が暗くなるのか。
やばい。今意識を失ったらこいつに何をされるか分からない。
俺は苦し紛れに、こう言うしかなかった。
「わ、わかった! わかった……からっ!」
すると愛理の手が緩んだ。
「付き合うから! だ、だが一週間だけだ! お、お試しってやつだよ……ほら」
脳に酸素が足りないせいか、言っていることがめちゃくちゃだった。
そもそも愛理とは付き合ったことがあるのだから、お試しもなにもない。
だが、愛理はそのことを気にしてはいなかった。
「ほ、ほんと!? や、やった! やったやった!」
そう言ってはしゃぐ愛理はやはり子供っぽかった。
「こら、騒ぐなって」
「えへへ。だって嬉しいんだもん♪」
「抱きつくなって……」
過度にスキンシップをしてくる愛理に抵抗しながらも、俺はほっと一息ついた。
愛理が脳みそまで筋肉で出来ているタイプでよかった。
これで1週間の猶予ができた。
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翌日、頼子に謝るため、俺は放課後の教室に一人残っていた。
「あ……」
吹奏楽部が終わり、荷物を取りにきた頼子が気まずそうに俺を見た。
俺はすかさず立ち上がり、頼子に頭を下げた。
「手紙、せっかく書いてくれたのに……すまなかった」
頭を下げる俺に、頼子はゆっくりと歩み寄って声を掛ける。
「別に君が謝ることじゃないでしょ? あれは愛理が悪いから」
「だが……」
「それよりも、昨日何があったの?」
一瞬事情を話すべきか悩んだが、よく考えれば俺は頼子の告白を断るつもりでいた。
愛理のことを話せば、仮だとしても愛理と付き合っている1週間は、返答を先延ばしにできる。
俺は臆病なやつだから、頼子との友情を保ったまま告白を断ろうだなんて、甘いことを考えていた。
そしてそれをうまくやる方法が思いつかないものだから、先延ばしにしようとした。
「ふーん、1週間ねぇ」
「そうだ。それまではあいつと恋人同士になる。そして恋人がいる間は他の奴とは付き合えないよ」
「そう」
頼子は俺のこの話を案外簡単に受け入れた。
なんだろうか……そこには違和感があった。
昨日の通話、頼子は泣いていた。比較的楽観的に物事を考える彼女からは、想像もできないほど悲壮感のある声だった。
そんな彼女が、こんなに簡単に納得するだろうか……。
そしてその違和感が早くも正体を現した。
「でもそれってさ……不公平だと思う」
「は? なにがだよ」
「だって愛理だけ一週間のお試し期間があるなんておかしいよ。君に告白した私にも、その権利はあると思う」
いやその理屈はおかしい。
だがどうおかしいのか、うまく言葉にできない。
今起きていることでおかしな部分を強いて言葉にするなら、先ほどから頼子が俯きながら何かをつぶやいていることだろう。
「……私を殺す、だってさ。無理無理。最初に罠にはまったのは愛理の方なんだからぁ……あははっ」
陽の落ちきった冬の夕方は真夜中のようで、俯いた頼子の表情は影になって分からないが、口元は笑っているように見えた。
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困った。
仮の恋人とは言え1週間、俺は二股をすることになった。
いったいこの1週間、どう過ごせばいいと言うのだろうか。
しかしこの頃の俺は気づいていなかった。
1週間だけの仮の恋人なんてのは俺の言い分でしかなく、愛理も頼子も、はなからそんなものを守る気などなかった。
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