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Rを探せ 一話

アズサへ

きみがこれをよんでいるということは、わたしはもうこのよにいないのだろう

アズサ、いとしいむすめよ

とつぜんだが、わたしはきみにさらなるふこうをつげなければならない

ほんとうははなしたくなどなかった

できればはかばまでもっていこうかともおもった

だが、きみにもしるけんりがある

アズサよ

どうか、どうかわたしのさいごのねがいをききとどけてほしい

そしてかなえてほしい

わたしの、そしてきみの

 

 

 

 

Rをさがしてくれ

 

 

 

「巧!巧ぃーーーっっ!!」

 

川に向かって一人の女性が振り絞るような叫びを上げている。

その視線の先には川の中でもがく一人の男の子。

足を滑らせて川に落ちた彼女の息子だ。

川幅はさほど広くはなく、普段は流れも緩やかな川なので本来なら溺れることはないはずだった。

だが、不幸にも川は昨日降った大雨によって増水し、流れも激しくなっていた。

母親は流されていく子供を追いかけるも流れが早く、徐々に距離が離されていく。

脳裏に最悪の未来が過り、不意に足が止まりそうになる。

間に合わなければ、追いつけなければどうなるか。

恐怖と絶望が足を掴み、足を縺れさせようとする。

それでも諦めず体に鞭を打ち走っていた、その時だった。

 

「すみません!これ持っててください!!」

 

高く澄んだ声が母親の耳に届いた。

 

「えっ?」

 

その声に反応する間もなく半ば無理矢理手に握らされたもの。

それは一本のロープだった。

 

「はぁっ!!」

 

ロープの先を目で辿るとその先端は大きな浮き輪に結ばれており、今まさにその浮き輪を持った誰かが川に飛び込んだところだった。

浮き輪を持ったその人は激流をものともせず子供のもとまで泳ぎきり、子供を浮き輪に乗せた。

 

「それ!引っ張ってくださーい!!」

 

突然のことに唖然としていた母親はその一言で我に返り、無我夢中でロープを引く。

二人分の重さが乗った浮き輪はとても重く、手の皮がロープの摩擦に悲鳴を上げる。

だが、母親はそれを意に介することなく二人を岸まで引っ張り上げた。

 

「巧っ!」

「ママ!」

 

川から引き上げられた子供は一目散に母親に抱きついた。

川に浸かり、大量の水を含んでびしょ濡れになった服は母親の体を、服を水浸しにする。

母親はそんなことに構うことなく子供を強く、強く抱き締める。

そんな二人を優しく見守る視線に気づき、母親ははっと顔を上げる。

急なこと過ぎてすっかり頭から抜け落ちていた。

この人が息子の命の恩人だということを。

 

「あの、ありがとうございま・・・」

 

その人にお礼を言おうと振り返り、思わず言葉を失った。

無理もない。

子供を助けてくれた恩人は・・・水着姿の少女だったのだから。

 

「・・・」

 

絶句しながらも母親は命の恩人を観察する。

年は恐らく中学生ほど。

肩ほどまで伸びた金色の髪は陽光に照らされて煌めき、再会を果たした二人を見守る白みがかった灰色の瞳は優しげな光に満ちている。

そんな少女が、競泳水着を纏っただけの姿で立っていた。

 

「息子を助けていただき本当にありがとうございます。このご恩は決して忘れません」

 

あまりのことにしばし唖然としたものの、気を取り直した母親は少女に深々と頭を下げる。

少女はふにゃりと顔を崩しながら両手をお腹の前で組んで微笑んだ。

 

「えへへっ、そんな・・・。当たり前のことをしただけですよぉ」

「そんなことはありません。あなたのおかげで巧は、息子は助かりました。あなたは息子の命の恩人です。ほら、巧・・・」

「うん!おねーちゃんありがとー!」

「うん!どういたしまして」

「あの・・・つかぬことをお聞きしますが、何故水着を着ているんですか?」

「これですか?下着とか全部洗っちゃったんで服の下に着てたんです!世の中何が幸いするかわからないですね」

「はぁ・・・」

「それじゃあ私はここで失礼します!じゃあね~!」

「おねーちゃんばいばーい!」

 

子供に手を振って別れを告げ、少女は踵を返して川原を悠々と歩き始めた。

数歩歩いたところであっと声を上げた少女は肩越しに振り返る。

 

「巧君、でしたっけ?年のために後で病院に連れてってあげてください。」

「はい。何から何まで親切にありがとうございます・・・」

 

それを聞いて安心したのか、少女は快活な笑顔を二人に投げかけて再び歩き出した。

その肩にロープが結ばれた浮き輪を提げて。

 

「さっ、行くわよ巧」

「うん!」

 

母親も息子の手を繋ぎ、川原を後にした。

最寄りの病院に向かう途中、母親の頭にふとある疑問が芽生えた。

どうして、

 

どうしてあの子はロープと浮き輪を持っていたのかしら・・・?

 

 

川原の近くに脱ぎ捨てていた服を着直し、少女、津雲マナは帰路についていた。

その手には先程まで提げていたロープも浮き輪もなく、空いた両手は歩く動きに合わせてふらふらと揺れている。

 

「へ・・・へくちっ!うぅ・・・寒い」

 

冬の寒さが去り、暖かく穏やかな春が訪れて久しいとはいえ、流石に濡れた水着を着込んだまま歩くのは寒い。

濡れた髪や体はある程度タオルで拭いたが川を泳いで冷えた体はそのままだ。

早く暖めないと風邪を引いてしまうかもしれない。

 

「帰ったら暖か~いスープでも作ろっと♪」

 

ささやかな幸福に思いを馳せると歩く足も自然と早くなり、次第に軽やかなスキップへと変わっていく。

 

「ふんふんふ~ん♪」

 

両手を振り、小意気な鼻歌を口ずさみながらマナが向かった先は一軒家が立ち並ぶ住宅街の外れ。

他の家々から離れたところにぽつんと建っている小さな廃屋だった。

お洒落で近代的な住宅が立ち並ぶこの地区ではまずお目にかかれない古びた木造の廃屋はマナが仮の宿として住み着くかなり前からここに建っていた。

立て付けの悪い引き戸を開けて中に入る。

住み着いた当初は戸板や床が腐っていたりカビや埃の楽園と化していたが、マナが手を加えたおかげでそれなりに住めるような環境になった。

玄関で愛用のワラビーを脱ごうと踵に指をかけた時、マナはあるはずのないものに気づいた。

 

「・・・靴?」

 

それは水や泥で汚れた一足の黒いハイヒールだった。

ヒールは中頃で折れており、至るところに傷がついている。

綺麗に揃えてあるハイヒールは生乾きでまだ湿ってはいるものの、安物とは思えない上品な触り心地だった。

 

「泥棒さん・・・?でも、泥棒さんが玄関で靴脱いだりするかな?」

 

鍵を持っていないからと戸を閉めなかったのが間違いだったらしい。

靴を脱いだらまず歩くべき場所、廊下に視線を向けると廊下から寝室に向かって点々と続いている濡れた足跡を見つけた。

閉めたはずの寝室の襖は開いおり、足跡はそこで途切れていた。

音を立てず寝室に近づき、開いた襖の隙間からそっと中を覗く。

マナの知る限り、そこにあるのはマナが持ってきた新しい畳が敷かれた寝室だ。

それ以外には何もない。

何もないはずの部屋に、誰かがいる。

 

「・・・!?」

 

驚愕に目を見開くマナ。

一度視線を外し、軽く深呼吸して再度覗き込む。

その人は畳に体を横たえて眠っているようだった。

顔はよく見えないが、そのシルエットと体格から女性であることが見てとれた。

 

「酔っ払いさんかな?」

 

襖を開け、ゆっくり、なるべく音を立てないよう抜き足差し足で軋む寝室を進む。

そして、その顔を覗き込んだ。

 

「わぁっ・・・!きれいな人」

 

年はマナより幾分か上。恐らくは成人だろう。

烏の濡れ羽色、翠の黒髪等その手の形容がそのまま当てはまるようなしなやかな黒髪は肩ほどで切り揃えられ、少し長めの睫毛と細い眉は眠る女性の動きに合わせて艶かしく揺れている。

まるで精巧な蝋人形のようにきめ細やかな白い肌を持つ整った顔立ちの女性は畳に身を預けて眠っていた。

しかし、その表情はお世辞にも穏やかとは言い難く、時折苦しそうなうめき声を上げて寝返りを打っていた。

 

「こういう人を大和撫子って言うのかな?髪も肌もすごく綺麗で羨ましいなぁ・・・」

 

触ったら怒られるかな?

そう思いはしたが好奇心には勝てず、マナは女性の頬に軽く手を当てる。

 

「・・・!」

 

その頬は思わず手を引っ込めてしまうほど冷えていた。

 

「・・・。この人、どこから来たんだろう?」

 

先程は女性の容姿にしか目がいかなかったが、改めて見ると女性の姿はおかしなところだらけだった。

喪服のような黒いスーツはずぶ濡れで、畳の下に大きなシミができている。

黒いタイツは所々破けていて、足には靴擦れと思われる無数の傷があった。

とてもではないが泥棒や酔っ払いには見えない女性を見下ろしながらマナは一人思案する。

 

「まずは体を暖めなきゃだね。今の服は洗濯するとして代わりの服を・・・あっ、わたしのだと小さいかも。パジャマとかならいけるかな?とりあえずパジャマを着せて、起きてくる前に合いそうな服探しとこっと。お風呂は起きてから一緒に銭湯に行くとして・・・」

 

ぶつぶつと独り言を呟きながら手慣れた手つきで必要なものを取り出していく。

マナの思考は既に女性の正体を確かめることから女性を助けることに切り替わっていた。

 

 

さぁ!さっさと白状しなさい!お父様の遺産はどこなの!?

 

親父は死んだ。もう妾の子のお前に甘い顔をする必要はない

 

すまん・・・アズサ

 

逃がすな!なんとしてでも捕まえろ!

 

アズサよ

どうか、どうか私の最期の願いを聞き届けて欲しい

そして叶えて欲しい

私の、そして君の

 

 

 

 

Rを探してくれ

 

「お父様っ!!」

 

追い縋るように、その存在を掴み取るように手を伸ばし、日上アズサは目を覚ました。

 

「はぁっ・・・!はぁっ・・・!」

 

ひどい悪夢を見ていたらしく、全身から吹き出た冷や汗で少し小さめのパジャマが体に張りついていた。

どんな夢を見ていたのか覚えていないが、どんな夢だったのかは察しがつく。

今の自分にとっての悪夢とはあれしかないのだから。

 

「・・・?」

 

寝起きの頭が少しずつ鮮明になっていくにつれ、アズサは自分を取り巻く環境の違和感に気づいた。

大雨の中を走ってここに飛び込んだはずなのに、体も髪も綺麗に乾いている。

きのみ着のまま飛び出してきたはずの服がコーギーのキャラクターがプリントされた小さめのパジャマになっているだけでなく、固い畳で寝ていた体は沈み込むように柔らかい布団に包まれていた。

もちろん体を拭いて着替えた覚えも布団を敷いた覚えもない。

一体誰が・・・?

自分の身に起きた異変を不審に思いながら、アズサは布団から起き上がった。

布団をめくると、靴擦れで傷だらけになっていた足に絆創膏が貼られていることに気づく。

傷口も綺麗に洗われているようで、絆創膏の下は傷口からの滲出液で白く盛り上がっていた。

布団と毛布のシワを手で伸ばし、折り目正しく折り畳んでいるとどこからか食欲をくすぐる芳しい香りが漂ってきた。

その匂いと共に床が軋む音が寝室に近づいてくる。

その音に反射的に身構える。

足音の数からして相手は一人。

追っ手なら一人ということはまずない。

では、この足音は・・・?

アズサが思案に入って間もなく、その答えはやって来た。

 

「あっ、起きてたんですか」

 

そこにいたのは湯気が立ち上るスープとコンビニのおにぎりが乗ったお盆を持った浴衣姿の金髪の少女だった。

 

「・・・」

 

想定とあまりにもかけ離れた人物の登場に固まるアズサ。

そんなアズサのことなど知るよしもなく、浴衣の少女はお盆を脇に置き、アズサの目と鼻の先まで近づいてきた。

 

「あ、あの・・・」

 

少女の真意がわからず困惑するアズサの額に少女の小さくて暖かな白い手が当てられる。

 

「う~ん、熱はないみたいですね」

「えっと、あなたは・・・?」

 

少女は満足げに頷いてアズサにお盆を差し出した。

 

「簡単なものですけど、よかったら食べてください。暖まりますよ」

 

彼女は誰なのか。

何故自分に食事を出してくれるのか。

何故入った時は誰もいなかった廃屋に彼女はいるのか。

次から次へと疑問が湧き出し、アズサの頭を悩ませる。

しかし、理性による抑制は長くは続かない。

 

「・・・あっ」

「やっぱりお腹空いてるんじゃないですか。無理はよくないですよ」

「・・・では、いただきます」

 

わからないことだらけだったが、今は何よりも食べることが先決だ。

 

「いただきます」

 

手を合わせてスープが入ったマグカップを手に取り、音を立てずに飲む。

人肌程度に暖められたスープは熱すぎない温もりと共に優しく喉を通り過ぎる。

玉ねぎとコンソメの旨味が舌の上で躍り、ブラックペッパーの刺激が後味をより一層引き立てる。

絶品というわけではないが、丸二日も何も食べてない今のアズサにとっては格別なご馳走だった。

 

「・・・美味しい」

「よかったぁ!お口に合うか心配だったんです」

「こんなに美味しいスープは久しぶりです。味もそうですが、とても暖かくて体がポカポカします」

「えへへっ、隠し味にブラックペッパーと生姜を入れてみたんです。その方が暖まるかなーって」

「そうでしたか・・・。お気遣い感謝します」

「はい!どういたしまして!」

 

屈託のない笑顔を咲かせる少女につかの間の安らぎを覚えたアズサだったが、マグカップを脇に置き、気を取り直して少女に疑問をぶつけてみる。

 

「あの、いくつか聞いてもよろしいでしょうか?」

「はい!答えられることでしたらなんなりと!」

「貴女はここに住んでいるのですか?」

「いえ、忍び込んで使ってるだけなのでわたしの家じゃないです」

「そうでしたか。無断で人の家に入り込んでしまったのかと思いました」

 

年若い少女が何故このような廃屋に住んでいるのか。

気にならないと言えば嘘になるが、こちらも詮索されたくない身の上だ。

 

「あの、私が着ていた服を知りませんか?」

「それでしたら洗って干してますよ」

「洗濯したんですか!?」

 

少女の言葉に動揺し、思わず少女の肩を掴む。

あの服を洗濯したということは、あれは、あの手紙は・・・

 

「えっと、はい・・・」

「ポケットに手紙が入っていませんでしたか!?白い封筒に入った手紙が!」

「あぁ、それでしたら『中』に保管してますよ。大切なものだと思ったので」

「そう、ですか・・・」

 

手紙が無事だと言うことを知り、アズサの体から力が抜けていく。

少女の肩から手を離し、そのまま畳の上にへたり込んだ。

 

「そんなに大事なものだったんですか?」

「はい。お父様からいただいた手紙なんです」

「もしかして、その手紙のせいで誰かに追われてるんですか?」

「・・・えっ?」

 

少女が発した思いがけない言葉にアズサは少女を見上げるように顔を上げる。

先程までの会話でこちらの核心に迫るような発言は一切していない。

濡れた体のまま廃屋に忍び込んで寝ていた不審者だということは否定できないが、それでも知られたくない部分については秘匿を貫くつもりだった。

なのに何故、少女はわかったのだろうか?

アズサが意図的に隠していた真実を。

 

「どうして、そう思うんですか?」

「お姉さんの足と服です。服も体もずぶ濡れで靴も足も傷だらけだったから雨の中をずっと走ってたんじゃないかって思ったんです。傘もささないで走る理由なんて誰かに追われてるくらいしかないじゃないですか」

 

この少女はたったそれだけのことでそこまで読み取ったというのか。

 

「すごい洞察力ですね」

「えへへっ、それほどでもないですよぅ。お姉さんは・・・お姉さんって呼ぶの面倒ですね。わたし、津雲マナっていいます。お姉さんの名前、教えてもらえませんか?」

「・・・手紙を、読んでいないのですか?」

「はい。勝手に読むのも悪いかなって」

「そうですか。私はアズサといいます」

「アズサさん!すごく綺麗な名前ですね!」

「ありがとうございます。津雲さん」

「マナでいいですよぅ。わたしまだ十五ですし」

「・・・えっ?」

 

もっと年下だと思っていた。

アズサはその言葉を寸でで飲み込んだ。

 

「 では、マナさん」

「さんもいらないです」

「では・・・マナ、でいいですか?」

「はい!アズサさんは、一体誰に追われてるんですか?」

「・・・ごめんなさい。それは答えられません」

「脅されてるからですか?」

「いえ、これ以上マナを巻き込みたくないからです。これは、私達の問題ですから」

「警察には通報したんですか?」

「警察に行けば、捕まるのは恐らく私の方なので・・・」

「なるほど・・・。わかりました!じゃあもう何も聞きません!その代わり、一緒に銭湯に行きましょう!」

 

そう言って、マナはアズサの手を取った。

 

「せ、銭湯?」

「はい!雨の中をずっと走ってて寒かったでしょ?だからお風呂で体を暖めるんです!」

「それは嬉しいのですが、今は持ち合わせが・・・」

「それくらい奢ります!上がったら一緒にコーヒー牛乳も飲みましょう!甘くて美味しいですよ!」

「どうして、そこまでよくしてくれるのですか?見ず知らずの、こんな私に・・・」

 

アズサの手を引いて銭湯に向かおうとしていたマナはその問いに立ち止まり、体を反転させてアズサと向かい合う。

頭一つ分の身長差があるマナはアズサを見上げるようにじっと目を見つめる。

表情は今までと同じように人懐っこく締まりのないものだったが、淡い光を宿す灰色の瞳は真摯な煌めきをアズサに向けていた。

 

「アズサさんが困ってるからです」

「えぇっと、確かに困ってはいますが・・・それだけですか?」

「はい!昔、誰かに言われたんです。自分にできる範囲でいいから、困ってる人は助けてあげなさいって!だから、わたしはわたしができる範囲でアズサさんの力になりたいんです。って言っても、そんなに大したことはできないんですけど・・・」

 

気恥ずかしそうに頭を掻くマナの姿はアズサの心を童心に帰し、幼き日の自分が見た原風景を想起させた。

なんでもない日常の中で父が教えてくれたこと。

もう戻らないあの時間、決して返ることはない優しい父との時間。

姿も年も全く違う小さな女の子に父の面影が重なり、それが何故だか少し可笑しくなった。

 

「ふふっ」

「アズサさん?」

「私が子供だった頃、お父様が私におっしゃってくれたことを思い出しました。この世界は、誰かのお互い様が重なり合ってできていると」

「お互い様?」

「どんなに些細な行いでも、その全ては巡り巡って自分の知っている誰か、あるいは顔も知らない誰かに何かをもたらすことがある。それは時として毒にも贈り物にもなり、人を救ったり傷つけたりもする。それがどう作用するかなんて誰にもわからない。けど、そう思えば悪いことなんてできないだろうと、そうおっしゃってくれました」

「わぁ!素敵なお父さんですね!」

「はい・・・とても素敵で、偉大な方でした・・・」

「・・・あ、あーっ!アズサさん!」

「はい?なんですか?」

「そういえばデザートのケーキが入ってたの思い出したんですけど食べませんか!?すぐ用意してきます!!」

「えっ?あの、マナ・・・?」

 

アズサが静止するも甲斐なく、マナはドタドタと足音を鳴らしながら寝室から飛び出していった。

 

「・・・もしかして、気付いたのかしら?」

 

先程の言動の数々を思い出し、アズサはマナの行動の理由を推察する。

少ない情報で自分が追われてることに気づくほどに聡い子なのだ。

喪服でここに逃げてきて過去形で話していたら嫌でも察しはつくだろう。

父が既に亡くなっていることに。

 

「気を遣わせるつもりはなかったのだけど・・・」

 

マナに悪いことをしてしまった。

わずかな後悔を抱えつつ、手持ち無沙汰になったアズサは改めて廃屋を観察する。

入ってきた時はとにかく死に物狂いで、ここが廃屋だということしか分からなかったが、どこを見てもやはり廃屋だった。

マナの手が加えられているからか、風化寸前のそれよりはまだ住み心地がよく清潔だ。

だが、その情景にアズサは一抹の違和感を覚えた。

生活感がなさすぎるのだ。

縁側から庭に目を向けると、心地よい陽気の下に干された洗濯物がある。

だが、それ以外に人が住んでいる痕跡のようなものがまるで見当たらない。

寝室にある押し入れを開けてもアズサが使っていたものの他に寝具はなく、服をしまうクローゼットや衣装箪笥のようなものもない。

洗面所の蛇口を捻っても水が出ない。

極めつけは庭の外に出て見つけた電気メーターだ。

 

「回ってない・・・?」

 

メーターは全く回転しておらず、この家に電気が供給されてないことが窺える。

この家は間違いなく廃屋でライフラインは完全に途絶えている。

ではマナは、あの少女は一体どこから布団や今着ているパジャマを出したのか、どうやってあのスープを作ったのか。

 

「アズサさーん!どこですかー!?」

 

深まる謎など知るよしもないマナの声が廃屋の中から聞こえてくる。

 

「はい!今行きます!」

 

気になりはしたが、マナとはこれっきりの付き合いだ。

無用な詮索を打ち切ったアズサははや歩きでマナのもとへ向かった。

 

 

ケーキを食べ、体を休めて幾分か持ち直したアズサはマナと共に銭湯に向かうことにした。

流石に浴衣とパジャマで外に出るわけにはいかないので着替えてから向かうことになった。

マナは肩ほどまである金髪を頭の両端でまとめ、リボンで括って髪型を変えていた。

所謂ツインテールだ。

白いTシャツの上に膝上ほどのショートパンツのデニムサロペット、クリーム色の薄手のパーカーを羽織った動きやすさを重視した装いは元気いっぱいで快活なマナによく似合っていた。

 

「すみません。よくしてもらっただけでなく服までお借りして・・・」

「いいんです。そろそろ整理しなきゃって思ってましたから」

「整理・・・?いつになるかわかりませんが、必ずお返しします」

「それはアズサさんにあげます。入れた覚えがないものですから」

「いいのですか?しかし、これほどのものをただで受け取るわけには・・・」

 

視線をおろし、これほどのものと言った服を見る。

胸元と袖口に純白のフリルがあしらわれた白いハビットシャツに春の陽気をそのまま纏ったような淡いパステルイエローのシフォンスカート。

靴も飛び出してきた時に履いていたハイヒールから踝までを覆う黒い革製のワークブーツに履き替え、とても動きやすくなった。

胸元にはワンポイントとしてエメラルドグリーンの石がはめ込まれたブローチ、そして細くしなやかな手首にはあると便利だからと渡された銀の腕時計が巻かれている。

安物とは到底思えないほど肌に馴染むこれらのものを無償で受け取るのは気が引ける。

 

「似合ってるからいいんです!その服も似合う人に着てもらった方が幸せだと思いますし」

「そう言っていただけるなら、ありがたく頂戴します。ありがとうございます、マナ」

「えへへっ、どういたしまして。あっ、そういえば・・・」

「どうかしましたか?」

「聞き忘れてたんですけど、この後はどうするんですか?」

「成すべきを成しに行きます。最初からそのつもりで飛び出したのですから」

「そうですか・・・。じゃあ、アズサさんともそろそろお別れですね」

「はい。何から何までお世話になりました。このご恩は必ずお返しします」

 

これから一人でやっていけるのかと問われれば即答できる自信はない。

今のアズサには金もコネも味方もいない。

行き先の見えない不安と重圧は疲弊した体に重くのし掛かる。

この重圧を誰かに肩代わりしてほしい、誰かに支えてもらいたい。

そう思う自分もいる。

 

「アズサさん?」

 

マナが不思議そうな顔で振り返る。

その視線の先を追うと、マナの右肩に自分の左手が置かれていることに気がついた。

 

「・・・すみません。肩にゴミがついていたので」

「えへへっ、ありがとうございます!」

 

左手を離し、抑え込むように右手で手首を掴む。

これはアズサの、ひいては家族の問題だ。

だからこそ、無関係なマナとはすぐに別れるべきだ。

年端もいかない少女にすがろうとした自分の弱さを諌めるアズサとそんなことは知りもせず陽気に鼻唄を口ずさむマナ。

対照的な二人の後ろから一台の青い車がゆっくりと近づいてきた。

 

「おっと」

 

車に気づいたマナは道の端に寄る。

だが、アズサは動かなかった。

 

「・・・!!」

「アズサさん?そんなとこにいたら轢かれちゃいますよ」

 

動けなかった。

車は路上で立ち尽くすアズサの前で止まり、運転席のドアが開いた。

その車には見覚えがあった。

できれば見たくない車でもあった。

何故ならそれは、

 

「見つけたぞ。アズサ」

「真人お兄様・・・!」

 

アズサの兄、真人の車だったからだ。

運転席から出てきた黒いスーツを着た栗色の髪の男性、日上真人はアズサに立ちはだかるように対峙した。

 

「思ったより元気そうじゃないか。さぁ、帰るぞ」

 

真人が運転席から降りたことに呼応して数人の黒いスーツを着た男達も車から降りてくる。

男達がアズサとマナを取り囲むように並んだところで真人が口を開く。

 

「親父が死んで悲しいのはわかる。でも、逃げたって親父は帰ってこない。こんなことを言うのは酷かもしれないが、帰って親父の死にちゃんと向き合うべきだ」

「帰ればまた私を軟禁するおつもりなのでしょう?」

「うえぇっ!?軟禁!?」

「それについてはすまないと思っている。あれから兄貴達と話し合って決めたんだ。お前の自由にさせてやろうって」

「では、何故私は囲まれているのですか?」

「・・・」

 

穏やかな笑みを浮かべていた真人の顔から笑みが消える。

それを見たアズサは真人の真意を理解して後ずさった。

 

「私はただお父様から託されたものが何なのか知りたいだけです!遺されたものが金品ならばお姉様達に差し上げると言ったはずです!」

「わかっている。だが、兄さんも姉さんもお前を信用していない。必ず連れ戻して来いと言われて出てきた以上、俺も手ぶらで帰るわけにはいかないんだよ」

 

アズサに歩み寄る真人。

その前にマナがアズサを守るようにして割り込んだ。

 

「マナ!」

「アズサさんをどうするつもりですか?」

「・・・彼女は?」

「私を助けてくれた方です」

「そうか」

 

真人は地面に片膝をつき、マナと同じ目線に立った。

 

「誰かは知らないが、アズサを助けてくれてありがとう。妹の恩人にこんなことは言いたくないんだが、部外者はどいてくれないか?これは俺達家族の問題なんだ」

「アズサさんを閉じ込めて追いかけて!嫌がるアズサさんを無理矢理連れ戻そうとするのが家族なんですか!?」

「面と向かって言われると心が痛むな・・・。だが、こっちにはこっちの事情があるんだ。どうしてもどかないと言うなら・・・」

 

真人が黒服達に目配せすると包囲の輪はマナとアズサを取り囲むように広がった。

 

「待ってくださいお兄様!」

「どうする?アズサ」

 

その言葉を聞いて真人の真意を察する。

これはマナではなく自分への脅しなのだと。

戻ったところで自分の要求が通るとは思えない。

だが、ここで言うことを聞かなければ助けてくれた恩人がひどい目に遭わされるかもしれない。

父が遺したものの正体を知りたい。

しかし、そのために無関係な人間を、マナを巻き込んでいい道理はない。

自問自答の果てにアズサは一歩を踏み出した。

 

「わかりました。帰りましょう、お兄様」

「お前ならそう言ってくれると信じていたよ」

「アズサさん!」

 

真人に歩み寄ろうとするアズサの服の袖をマナが掴んで引き留める。

 

「本当にそれでいいんですか!?さっき言ったじゃないですか!お父さんから託されたものが何か知りたいって!そんな大切なことを諦めちゃうんですか!?」

「そうしなければ貴女に危害が及びます!お父様だって無関係な人間を巻き込むことを望まないはずです!」

「あぁ、その通りだ。確かに君はアズサを助けてくれた。だが、それだけだ。君はこの件に関して無関係なんだ」

 

それでもと食い下がるマナをアズサと真人は否定する。

 

「自分にできる範囲で人を助ける。貴女はそう言いました。これはもう貴女の力が及ぶ範囲の話ではありません。だからもう、私には関わらないでください・・・」

「・・・わかりました」

 

長い沈黙の末にマナは小さく頷いた。

アズサの袖から手を離し、マナは静かに歩いていく。

その背中を見守りながら、これでよかったのだと自分に言い聞かせる。

最後まで自分の味方をしてくれたことはとても嬉しかった。

だからこそ、自分のエゴに巻き込むわけにはいかないのだ。

戻ればまた軟禁されるのだろう。

今度は前以上に厳重な監視のもとで。

そうなればもう二度と父に託されたものを探すことができなくなる。

もちろんそれは本意ではない。

それでも、この場における最善の選択はこれしかない。

 

「さっきから聞いてれば、無関係って言い過ぎです」

 

歩き去ったかと思われたマナは真人が乗ってきた車の前で立ち止まり、振り返らずに言葉をかける。

 

「関係あったら首を突っ込んでもいいみたいじゃないですか」

「マナ?」

 

マナの真意がわからず困惑するアズサは奇妙なことに気付く。

マナの右手には一冊のメモ帳があった。

先程からずっとその背中を見ていたが、ポケット等からメモ帳を取り出すような素振りは見受けられなかった。

あのメモ帳はどこから出したのか。

何故今それを持っているのか。

真人と黒服達も突然意味のわからないことを言い出したマナを不審そうに見つめていた。

 

「だったら・・・」

 

マナは踵を返して自分を見つめる聴衆に目を向ける。

その瞳は真剣そのもので、その行動全てが軽い冗談ではないことを窺わせた。

マナは真人が乗ってきた車に空いた左手を置き、

 

「これでわたしも関係者です」

 

車は忽然と消えた。

 

「なっ・・・!?」

「・・・っ!?」

 

誰もが言葉を失い、驚愕に目を見開いていた。

先程まであったはずの車が煙のように消え失せる。

言葉にすれば簡単だが、実際にそれを目の当たりにするのとは訳が違う。

未だに状況を飲み込めないアズサ達の前でマナは小さく呟いた。

 

「拳銃」

 

その短い単語がマナの口から紡がれたその瞬間、マナの左手には一丁の拳銃が握られていた。

どこかから取り出したわけではない。

まるで最初からそこにあったかのように拳銃が現れたのだ。

メモ帳を放り投げたマナは右手でセーフティを外して持ち直し、人差し指をトリガーにかけず腕を突き出すようにして銃口を真人に向けた。

 

「諦めて帰ってください・・・」

 

銃口を向けられていることに気付いた真人はようやく我に返り、強気な姿勢を崩さすに答える。

 

「一体何をした・・・?俺の車をどこにやった!?」

「帰ってください」

「君みたいな子供が銃を持っているわけがない!どうせただのおもちゃだろう!?」

 

あくまで諦めるつもりはない。

言外の意を察したマナは銃を構える右手に左手を添え、銃口を真人からやや下に向ける。

そして、大きな風船が割れるような乾いた破裂音が人通りのない道路に木霊した。

 

「・・・えっ?」

 

間の抜けた声と共に地面に崩れ落ちる真人。

その視線は真人から少し離れた場所に固定されていた。

足元から少し離れたコンクリートの地面にめり込んだ一発の銃弾に。

マナは銃口から白煙が立ち上る拳銃の照準を再び真人に向ける。

 

「ひぃっ!?」

 

拳銃が本物だと理解した真人は足を震わせながら立ち上がり、黒服達に介抱されながらどこかへと走り去っていった。

真人達が去ったのを見届けたマナは拳銃をおろし、空いた左手を開いた。

瞬きをする間もなく、先程マナが放り投げたメモ帳が左手に出現した。

それと入れ替わるかのように銃が消え、それに続いてメモ帳も消える。

後に残ったのはマナとアズサの二人だけ。

 

「マナ・・・」

 

アズサの頭の中はマナと初めて会った時以上に混乱していた。

一体何が起きたのか、何をしたのか、車と拳銃とメモ帳はどこに消えたのか。

聞きたいことが山ほどありすぎて何も言えないでいるアズサにマナはあっけらかんとした表情で切り出した。

 

「わたしはアズサさんのお兄さんから車を盗んで連れ戻しに来た人達を追い返しました。これでわたしはあの人達の敵です。だから敵の敵でアズサさんの味方です」

「どうして、そこまでしてくれるんですか・・・?」

「言ったじゃないですか。できる範囲で助けるって。わたしのできる範囲はまだまだこんなものじゃないですし、できなかったとしても一度助けた人を簡単に見捨てたりしません。できなきゃ一緒に逃げるが勝ちです!」

 

両手を腰に当てて得意気に笑うマナ。

どうやら、自分よりも幼く小さなこの少女はどうあってもアズサに協力したいらしい。

 

「本当に、いいのですか?」

「はい!」

「相手はその辺りのならず者ではありません。それでも、力を貸してくれますか?」

「もちろんです!アズサさんがお金持ちのお嬢様だってことくらいとっくにわかってましたし」

「ふふっ、本当に貴女は鋭いですね。わかりました。そこまで言うのなら、私も覚悟を決めます・・・」

 

アズサはマナに歩み寄り、マナの右手を両手で包むように握った。

そして目線をマナに合わせるように体を屈め、目を逸らさずに宣言した。

 

「改めて名乗らせて下さい。私は日上アズサと申します。マナ・・・いえ、津雲マナさん。お願いします。どうか!どうか私とお父様の『R』を探すために力を貸して下さい!!」

「はい!喜んで!・・・ところで、Rってなんですか?」

「実は、私にもよくわからないんです」

「じゃあわたしと一緒ですね!」

「・・・はい?」

 

目的地すらわからない前途多難な旅はこうして始まった。




初めまして、ネズ三ストと申します。
はじめてのオリジナル作品、できるならこの章は完結させたいと思っています
ガールミーツガールっていいですよね


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Rを探せ 二話

「逃げられただと!?」

 

綺羅びやかな調度品が並べられた豪奢な一室に男の怒号が響き渡る。

薄手のカーテンから漏れる陽光以外に光源のない部屋はところ狭しと並べられた名品に反して薄暗く、男は部屋の隅にあるソファーに腰かけてどこかに電話を掛けていた。

 

「役立たずめ!なんのためにお前に任せたと思っている!?まだそう遠くへは行ってないはずだ!草の根をかき分けても探し出せ!わかったな!!」

 

黒いスーツを纏った男、日上真史は半ば叩きつけるようにして電話を切ると携帯をソファーの横にあるナイトスタンドに乱雑に放った。

 

「真人め、姉貴に先を越されたらどうしてくれる・・・!」

「私が何か?」

 

返ってくるはずのない答えに真史が顔を上げると黒い喪服に身を包んだ妙齢の女性が佇んでいた。

 

「姉貴・・・。ノックくらいしたらどうだ?」

「あらごめんなさい。大声が聞こえたから何かあったのかって心配になっちゃって」

「あぁそうかい」

 

心にもないことを・・・。

心の中で毒づく真史に黒い喪服姿の女性、日上由里枝は値踏みするような視線を投げ掛けながら問いかける。

 

「夢中で話し込んでいたようだけど、何かあったの?」

「仕事の話だよ。いつまでもおんぶにだっこで困ったもんだ」

「ふふっ、社長さんは大変ねぇ」

 

口元に手を当てて優雅に頬笑む由里枝。

その目が微塵も笑っていないことに真史は気づいていた。

 

「あぁ、そうそう。一つ聞きたいのだけれどいいかしら?」

「なんだ?」

「真人の姿が見えないのだけど、どこに行ったか知らないかしら?」

 

真史の隣に腰をおろし、由里枝はじっと真史の目を見つめる。

四十に差し掛かろうかという年になってもなお色褪せぬ美貌を持つこの女性はそれを武器に多くの人間を骨抜きにして貪り尽くしてきた。

さながら罠にかかった獲物を無慈悲に食らう蜘蛛のように。

だが、その本性を知っている真史にそれは通用しない。

 

「いや、知らないな」

「そう・・・。お父様の葬儀だというのにどこに行ったのかしら?」

「姉貴こそ、こんなところで油売ってていいのか?やることが山積みだとかぼやいてただろ」

「そうなのよ。手続きも遺品の整理も全然終わらなくて・・・。本当に、困ったものだわ」

 

他愛ない会話の応酬に飽きたのか、由里枝は音もなくソファーから立ち上がった。

 

「もう行くのか?」

「真人を呼び戻してみるわ。大切な葬儀の日にいなくなるんですもの。うんとお灸を据えないと」

「あいつも子供じゃないんだ。何か考えがあるんだろう」

「そうかしら?あの子、あなたの前だと素直な子供みたいに見えるわよ」

 

それだけ言い残すと由里枝はさっさと部屋から出ていった。

 

「まだ敵情視察ってところか」

 

由里枝が部屋にやって来た意味を冷静に分析する。

先に動いている分わずかなアドバンテージはあるものの、わずかな優位に胡座をかいている暇はない。

ナイトスタンドから携帯を拾い上げ、真人に電話を掛ける。

 

「俺だ。姉貴は勘づいてる。作戦変更だ・・・」

 

 

 

銭湯から上がるや直ぐ様マッサージチェアに座らされたアズサはその傍らでコーヒー牛乳を煽っているマナを横目で見る。

とても美味しそうに飲んでいるその姿からは先程の真剣さは感じられず、実は別人だったと言われても信じてしまいそうなほどに緩みきっていた。

 

「ぷはぁっ!おいしー!」

 

飲み終えたマナの手にはあのメモ帳が握られており、さっきの車と同じように空き瓶も瞬く間に消失した。

 

「また消えた・・・!」

「ビンって便利だから、なにかと役に立つんですよ」

「そうなんですか・・・。あの、マナ」

「なんですか?」

「先程から気になっていたのですが、そのメモ帳は一体どのようなものなのですか?」

「あぁ、これですか?これは所有物(ツール)です!」

「ツール?」

 

要領を得ない返答に首を傾げるアズサ。

道具という英単語としてのツールはわかる。

だが、物を消したりどこからともなく出現させたりするツールというものは見たことも聞いたこともない。

 

「その所有物というのは?」

「実はわたしもよく知らないんです。昔は知ってたかもしれませんが・・・」

「そうですか」

「あんまり話せることがないんですけど、それでもいいですか?」

「はい。知っていることだけでもお願いします」

「わかりました!では・・・あっ」

 

メモ帳を開こうとしたマナの手が止まる。

 

「すいません。さっきの家に帰ってからでもいいですか?ここだと人目につきますし、アズサさんの話もゆっくり聞きたいですから」

「そうですね。私も、ゆっくり話したいと思っていました」

「じゃあ一度戻りましょう!」

 

手早く着替えた二人は来た道を引き返す。

小粋な鼻唄を口ずさみながら上機嫌で歩くマナだったが、根城にしている廃屋前の曲がり角に差し掛かると歌がぴたりと止んだ。

 

「どうかしましたか?」

「あれ、さっきのお兄さんじゃないですか?」

 

角から少し顔を出してマナが指差す方を見ると、先ほど追い払ったはずの真人が廃屋の前に立っているのが見えた。

 

「はい。真人お兄様です」

「なんだか様子が変ですね」

 

真人は特に何をするでもなく廃屋を覗き込んでいるだけで廃屋に侵入する様子はない。

 

「押し入ろうとしてるってわけじゃなさそうですね」

「えぇ。そうだとしたらお兄様一人なのはおかしいです。護衛の方々もいないようですし」

 

周囲に人影や人の気配はなく、先ほどまでいた黒服達の姿はどこにも見当たらなかった。

 

「罠でしょうか?」

「罠でしたら入り口ではなく家の中で待ち伏せするものではないでしょうか?」

「それもそうですね。ちょっと聞いて来るのでアズサさんはそこで待っててください」

「えっ?」

 

アズサがその意味を理解するより早く、マナは真人へと駆け寄っていた。

 

「お兄さーん!」

「ん?ひぃっ!?君はさっきの!」

「ここで何してるんですか?」

「えっと・・・アズサに話があって探してるんだ。一銭も持たずに逃げ出したらしいからこういうとこに隠れてるんじゃないかと思ってね」

「へぇ・・・」

「ま、待ってくれ!!俺はもうアズサを捕まえる気はない!むしろ協力したいと思ってるんだ!」

「お兄様。それは本当ですか?」

 

真人の真意がわかったところでアズサも真人へと歩み寄る。

 

「アズサ・・・。それが父さんの最期の願いだって言うなら叶えさせてやりたくなってな」

「お兄様・・・」

「お兄さん・・・」

 

マナはすかさずメモ帳を取り出すと小さくその名を呟いた。

 

「日本刀」

 

そしてその手に現れた刃紋が揺らめく抜き身の刀を真人に突きつける。

 

「マナ!?」

「ひいぃっ!?なんで!?」

「本当のところはどうなんですか?」

「に、兄さんの指示です!アズサに協力して動向を逐一報告しろって・・・」

 

再び現れた凶器に恐れをなし、真人は両手を上げてあっさりと白状した。

 

「なるほど・・・。邪魔しないでくれるなら願ったりですよね?」

「はい。私はお父様が遺したものが何か知りたいだけですから」

「そ、そうか・・・」

「あっそうだ。今から今後のことを話し合おうと思ってたんですけど、お兄さんもどうですか?」

 

煌めく白刃が鎌首をもたげた蛇のように小刻みに揺れる。

最早それは提案ではなく脅迫だった。

 

「よ、喜んで・・・」

 

 

「急須、湯呑み」

 

廃屋に戻り、ちゃぶ台に腰を落ち着けたアズサと真人の目の前に急須と三つ分の湯呑みが現れる。

マナは急須のお茶を均等に注ぐとそれをアズサと真人に差し出した。

 

「どうぞ。暖まりますよ」

「どうぞって言われても・・・」

「暖かい・・・」

 

アズサは静かに口をつける。

真人は突然現れたお茶に警戒を露にしていたが、アズサとマナが飲んだのを確認すると恐る恐る口をつけた。

 

「美味しい・・・」

「うん。普通の緑茶だ。・・・えっと」

「津雲マナです」

「津雲君。このお茶はどこから出したんだ?急に出てきたように見えたんだが」

「この中です」

 

マナは得意げにメモ帳を指差した。

 

「いや、中って・・・」

「そういえば、お兄様の車を消した時もそのメモ帳を持っていましたね?ということはあの車は・・・」

「はい!この中に入ってます」

「車まで入るのか!?それは一体なんなんだ!?」

「さっきアズサさんにもちょっと話したんですけど、これは所有物っていう道具なんです」

 

マナはメモ帳をちゃぶ台の真ん中に置く。

アズサはそれをしげしげと眺めてみるが見れば見るほど青い表紙のメモ帳だという感想しか浮かんでこなかった。

メモ帳を手に取って数ページほど開いてみる。

どのページも白紙でこれと言っておかしなところは見つからなかった。

 

「名前は七百万(ななよろず)っていうんです。詳しいことは全然わからないんですけど、物をしまったり出したりできるメモ帳なんですよ」

「とんでもない代物だな・・・」

「わかってるのはそれくらいで、なんで物がしまえるのかはさっぱりです」

 

お手上げとばかりに両手を上げるマナ。

その動きに呼応するかのようにメモ帳は一瞬で姿を消した。

 

「次はアズサさんの番です。一体何があったんですか?」

 

アズサはすぐには答えなかった。

どう答えればいいのか自分の中で固まっていなかったからだ。

数分ほどの沈黙の後、アズサはゆっくりと口を開いた。

 

「全ては私達の父、日上せいじが亡くなったことから始まりました」

「それは、御愁傷様です・・・」

「ありがとうございます。私も実家に戻って葬儀に参列していたのですが、その途上でお父様の執事だった木本さんからある手紙を受け取ったのです。マナ、私が持っていた手紙は今どこに?」

「中に入ってます!えっと、手紙!」

 

七百万を出現させ、数ページほど開いて宣言するとちゃぶ台に白い封筒が現れる。

アズサは封筒から一枚の手紙を取り出すとそれをよく見えるように広げてみせた。

 

「汚い字だな。ひらがなばかりで読みにくいぞ」

「恐らく、お父様が今際の際に遺したものだと思います」

「父さんごめん」

 

真人は明後日の方向に手を合わせて謝った。

 

「Rを探してくれ・・・。これがさっき話してたRですか?」

「はい。それを探すことをお父様が望んでいるなら、その願いを叶えたいと思いました。しかし、この手紙がお姉様達に見つかってしまい・・・」

「父さんの遺産は莫大なんてもんじゃないからな。兄さんも姉さんも少しでも取り分を増やそうと躍起になってるんだ」

「ひどい・・・。お父さんが死んじゃったのに」

「そうですね・・・。私も、そう思います」

 

巨万の富は時に人を狂わせる。

それは血を分け合った親兄弟も例外ではない。

 

「お姉様達に軟禁された私は遺産がどこにあるのかと再三詰問されました。知らないと言っても二人は信じてくれず、Rを探すに探せないでいました」

「兄さん達血眼になってたな。卑しい妾のガキに遺産を渡してたまるかって」

「妾の子?」

「はい。私はお父様と愛人の間に生まれた子供なんです。物心つく前に母が亡くなり、お父様に引き取られました」

 

その一言でマナは押し黙る。

何を考えているかはわからなかったが、アズサの境遇に思いを巡らせてくれていることだけは推察できた。

「話が逸れましたね。屋敷から出られず途方に暮れていた私を屋敷から出してくれたのは先ほどお話しした木本さんでした。そこから雨の中を走ってきてマナに出会ったんです」

「そうだったんですか・・・。アズサさんはこれからどうするんですか?」

「もちろん、Rを探します。あても手がかりも全くありませんが、それがお父様の願いならなんとしてでも叶えたいんです」

「それならわたしもとことんお手伝いします!」

「ふふっ、ありがとうございます」

 

二人が自分の世界に入り込んでいるのを見かねた真人はわざとらしく咳払いしながら軽く手を挙げた。

 

「あー、それなんだが・・・。手がかりになりそうな人がいるんだ」

「本当ですか!?」

「臼井健さんって覚えてるか?」

「健おじさまですか?何度かうちに遊びに来ていたのでよく覚えています」

「健さんが葬儀のために近くのホテルに滞在してるんだ。父さんの幼馴染みだった健さんなら何か知ってるかもしれん」

「おぉ!一歩前進ですね!アズサさん!」

「はい。ありがとうございますお兄様」

「Rってのを見つけてもらうのが目的なんだ。礼はいらないよ。あっ、津雲君。何か書くもの持ってないかい?」

「ありますよ。ペンでいいですか?」

「あぁ、なんでもいいよ」

「じゃあ・・・ペン!」

 

七百万から取り出したペンを真人に手渡すと、真人は携帯を見ながらスーツの胸ポケットから取り出した名刺の裏に何かを書き込み始めた。

 

「健さんはこのホテルに宿泊してるはずだ」

「ありがとうございます」

 

手渡された名刺の裏にはホテルの住所と宿泊している部屋の番号、その下には電話番号らしき数字が書かれていた。

 

「なんで泊まってる部屋までわかるんですか?」

「父さんは人気者だったからとにかく参列者が多くてね。挨拶回り用に滞在場所をメモしてたんだよ。本当は案内したかったけど、そういうわけにもいかなくなった」

「何かあったんですか?」

「姉さんに呼ばれたから一旦戻らなきゃいけなくなったんだ」

「お姉様は時間にうるさい方ですからね」

「そういうこと。下のは俺の番号だ。何かあったらかけてくれ」

「何から何まで本当にありがとうございます」

「ありがとうございます!」

「だから礼はいいって。じゃあまたな・・・」

 

ちゃぶ台から立ち上がり、ひらひらと手を振って去ろうとした真人は何かに思い至ったかのように立ち止まると肩越しに振り返った。

 

「そうだ。一つ言い忘れていた。姉さんには気をつけろ」

「わかっています」

「前々から強欲でおっかない人だったが、最近は妙な噂まで立つようになったんだ」

「噂・・・?」

 

真人は一呼吸置いて真剣な表情を二人に向けた。

 

「あぁ・・・。姉さんに関わった人達が次々に自殺してるらしい」

 

 

 

カーテンを閉めきり一切の光源を断った部屋の中で日上由里枝は苛立たしげに電話を切った。

 

「本当に鬱陶しい連中だわ。あいつらも送ってやろうかしら?」

 

思い返しただけでも腸が煮えくり返りそうな気分を携帯と共に床に放り捨て、カーテンが閉まった窓に視線を移す。

 

「真史ったらあれで私を出し抜いたつもりなのかしら?もしそうなら舐められたものだわ」

 

真史とのやり取りを思い返して自嘲気味に笑い、徐に虚空に手を伸ばす。

ただ暗闇が広がるだけの荒涼とした空間に伸ばしたその手にそれは握られていた。

闇を押し固めたような漆黒のボウガンが。

 

「私は真史達ほど甘くはないわよ・・・アズサ」




冗長になりすぎない説明って難しい


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Rを探せ 三話

マナ達と別れて屋敷に戻った真人を待ち受けていたのは由里枝の嫌みと小言のフルコースだった。

長きにわたる苦役から解放された頃にはすっかり疲労困憊で応接室のソファーに体を預けるように腰かけていた。

 

「はぁ・・・ドライブ行きたい」

 

こんな時は愛車で海岸沿いを飛ばして爽やかな風を感じたい。

事前に情報を調べずに入った流れの店で食事をしてうまくてもまずくても旅の風情として楽しみたい。

真人が密やかな趣味であるドライブに思いを馳せて現実逃避を試みていた真人は失念していたあることに気づいて顔を上げる。

 

「あっ、車・・・」

 

マナに車を返してもらっていなかった。

利用し合っている関係とはいえ今は味方だから頼めば返してもらえるだろうか。

 

「駐車代が浮くのは大助かりだけど・・・」

 

未だメモ帳に閉まわれたままの愛車の心配をしていた真人の思考は応接室に近づいてくる足音によって現実に引き戻された。

 

「まさか本当にいるとは・・・」

「兄さん!」

 

足音は部屋の前で止まり、真史がドアを開けて応接室に入ってきた。

応接室のテーブルを挟んで真人と向かい合うようにソファーに腰かけた真史は胸ポケットから取り出したタバコに火をつけた。

 

「それで、首尾はどうだ?」

 

紫煙を吹かせて真人に進捗を尋ねる。

 

「協力を願い出たらあっさり承諾してくれたよ」

「馬鹿正直に話したりしてないだろうな?」

「あははっ、そんなわけないじゃないか・・・」

 

年端もいかない少女に脅されて洗いざらい白状したなど口が裂けても言えなかった。

 

「今頃は健さんのところに向かってると思うよ」

「そういえばこっちに来てるんだったな。なんで健さんのとこに行ったんだ?」

「父さんに縁のある人から話を聞きたいらしい。探し物について何か知ってるかもって」

「そうか・・・」

 

短くなったタバコを灰皿に押しつけ、真史は口元を緩めて真人に向き直る。

 

「よくやった真人。その調子で頼むぞ」

「兄さん・・・!!」

 

真史からの激励の言葉に真人は父親に褒められた息子のように目を輝かせる。

兄さんが期待してくれている。

その事実は真人にとってなによりの励みとなるのだった。

 

「あぁ、そうだ。お前姉貴から何か聞いてないか?」

「何かって?」

「その様子じゃ何も知らないらしいな。さっき真人とここで待ってろって言われたんだ」

「俺と?」

「今度は何を企んでいるのやら」

 

由里枝の真意がわからないまま応接室で待つこと数分。

特に会話らしい会話もなく手持無沙汰で休んでいると応接室のドアがノックされた。

 

「誰だ?」

「私は灯路市警の尾家と申します」

「警察・・・?」

 

予想外の来客に真史は真人に視線を送る。

真人は首を横に振って何も知らないことを真史にアピールする。

考えられるとすればアズサの通報だがそれはないことは真人もよく理解していた。

その可能性を考慮して軟禁の証拠は全て隠滅してあり、それがわからないほどアズサは愚鈍ではないからだ。

 

「失礼しました。どうぞお入りください」

「では、失礼します」

 

ソファーから立ち上がった真史がドアを開けると、少しくたびれた茶色のスーツを着た白髪混じりの黒髪の男が入ってきた。

 

「日上真史さんと真人さんですね?」

「はい」

「えぇ」

「この度は御愁傷様でございます」

「ありがとうございます」

「先程も申し上げましたが、私は灯路市警の刑事で尾家と申します」

 

尾家と名乗る刑事はスーツの胸ポケットから警察手帳を取り出して二人に見せた。

相手が本物の刑事であることを確認した真史は真人に下がるように目配せする。

それを見た真人が一歩下がったところで真史は尾家に話しかけた。

 

「さぁ、どうぞお掛けになってください」

「ここで結構です。すぐに済むことですので」

「そうですか。ところで、刑事さんが私達に何か御用でしょうか?」

「用というほどのことではないのですが、少々お聞きしたいことがありまして・・・」

 

そこで言葉を切った尾家は応接室にある花瓶や絵画を横目で見る。

 

「ほう。見事な調度品ですねぇ」

「いえ、どれも見かけ倒しの安物ですよ」

「ここに来る途中にも様々な美術品を見ましたが、どなたかが集めておられるのですか?」

「父の趣味です。美術品の収集に凝っていて昔から色々買っていたんですよ。置き場がないからやめろと母とよく喧嘩していたものです」

「なるほど・・・」

 

尾家の視線は美術品から真史、そして真人に向いた。

 

「・・・!」

 

初老の刑事と目が合い、真人の肩が跳ねる。

警察に注目を浴びるのはどうにも心臓に悪い。

「すみません。あまり時間がないので単刀直入にお願いできますか?」

「おや、これは失礼。無駄話が過ぎてしまいましたね。では単刀直入に・・・」

 

尾家は警察手帳とペンを構え、獲物を狙う猛禽類のような鋭い眼光を真史に向けた。

 

「盗難に遭ったという暁の巣立ちという美術品と昨夜から行方がわからなくなっているというご息女、日上アズサさんについてお話を聞かせていただけますか?」

 

 

 

廃屋にあった荷物を全て収納し、マナ達は臼井健に会うために廃屋を後にした。

真人が残した住所によるとマナ達が住み着いていた廃屋から電車で二駅ほど行ったところにある東灯路駅近くのホテルに臼井健は滞在しているらしい。

廃屋から一歩を踏み出したアズサの心は雨雲が去って晴れ渡ったこの青空のように澄みきっていた。

真っ暗な雨空から始まり、何をすればいいのかわからなかった旅路の道筋がはっきりと見えた。

それだけではない。

自分の旅を応援してくれる頼れる仲間もできた。

アズサの旅路はまさに順風満帆だった。

ほんの十数分ほど前までは。

 

「待ちなさい!」

「こちら羽岡!捜索中のホシと同行者とみられる女の子が灯路駅方面に逃走中!」

「アズサさーん!なんで警察が追いかけてくるんですか!?」

「わかりません!!」

 

追うものと追われるもの。

その壮絶な追いかけっこの始まりは今から三分ほど前。

電車に乗ろうと駅に向かっていた二人は二人組の男性の警官に話しかけられた。

声をかけられた時は警戒したアズサだったが、相手が警官だとわかると快く話に応じた。

だが、これがいけなかった。

警官たちは唐突にアズサの手を掴み、話があるから来てほしいとどこかに連れていこうとしたのだ。

見かねたマナが爆竹を取り出して爆破した隙をついて脱出に成功したが向こうも捕り物のプロ。

いくら逃げようともしつこく追いかけてくるのだった。

そして今に至ってもなお追いかけっこは続いていた。

 

「あっ!あっちに逃げましょう!」

 

マナは走りながら雑居ビルとコンビニの間にある路地を指差した。

 

「アズサさんは先に行ってください!」

「はい!」

 

マナに従いアズサは路地に入る。マナはそれに続いて路地に入り、速度を緩めずに七百万を呼び出す。

 

「シャンプー!」

 

現れたボトルのキャップを開けて中身を地面にぶちまける。

 

「うわぁっ!」

「なんだっ!?」

 

その直後、二人を追って路地に入った警官たちの叫び声が聞こえてきた。

 

「流石ですね、マナ」

「えへへっ」

 

しかし、順調な時ほど思わぬ落とし穴が待ち構えているもの。

路地を抜けるために走っていたはいいものの土地勘のない二人は抜けようとすればするほど内側に入り込んでいき、ついに・・・

 

「そんな・・・!」

 

行き止まりに行き当たってしまった。

目の前には私有地に入り込むのを防ぐために設けられた2mほどの鉄の壁と扉があり、乗り越えようにも手足をかけるとっかかりもない。

 

「ロープとえぇっと・・・!なにか、なにか引っかけられるもの!」

「そこまでだ!」

 

なんとか打開策を見つけようと七百万のページをめくっていたところでついに警官に追いつかれてしまった。

何度もしてやられた経験が活きたのか、すぐに捕まえずにじりじりと距離を詰めてくる。

少しでも隙を見せれば一斉に飛びかかってくるだろう。

 

「マナ。私は・・・」

「言わせませんよ」

 

私は出頭します。

そう言いかけたアズサの言葉をとりつく島もなく遮った。

 

「お父さんのお願いを叶えたいんでしょう?ならわたしが捕まってもアズサさんは逃げなきゃいけません」

「しかしもう逃げ道が・・・っ!マナ。先程の拳銃は?」

「整理してた時に見てみたんですけど、弾はあの一発だけだったんです」

「と、いうことは・・・」

「はい。モデルガンだと思われたら終わりです」

 

うまくいけば起死回生の一手だが、この状況で使うのはあまりにも危険な一手だった。

 

「日本刀はどうですか?」

「向こうが本気になったらどうしようもないです。刀なんて重くて振れませんし」

「そんな・・・」

 

警官から視線を逸らさずに小声で作戦を練ってみるがこれというプランは浮かばない。

そうしているうちにも距離は徐々に詰められていく。

 

「どうすれば・・・!」

「ダメだよ。土地勘もないのに路地に入っちゃ」

「マナ?」

「わたしじゃないですよ!」

 

マナでもアズサでも警官たちでもない第三者の声。

その声は警官にも聞こえたらしく、背中合わせになって周囲を警戒し始めた。

 

「誰だ!?」

 

返答の代わりにアスファルトに固いものがぶつかる鈍い音が響く。

全員が音がした方を見ると、そこには予想だにしないものが刺さっていた。

 

「針?」

 

マナと警官達の間に割って入るように地面に刺さっていたのはつまようじほどの小さい鉄の針だった。

針は縦ではなく斜めに刺さっており、射角を追うとちょうど真後ろ。

二人が越えようとしていた壁の上だった。

しかし、そこに人の姿はない。

 

「上から飛んできたからって、上にいるとは限らないんだよね」

「えっ?」

 

再び聞こえてきた謎の声に反応するよりも早く、二人の視界は立ち上る白煙に包まれた。

 

「なっ!?」

「くそっ!煙幕か!?」

 

何が起きたかわからないがこれは渡りに船。

突然のことに動揺する警官達の声からおおよその位置を割り出し、足音を立てずに逃げようとする。

マナと手を繋いで歩くアズサの空いた手が何者かに掴まれた。

 

「違うよ。こっち」

 

手を掴まれてアズサの身が竦む。

異常事態の連続で動けなくなっていたアズサは手を引かれるままに白煙の中を駆け抜けていった。

 

 

「いない!?」

「慌てるな!まだそう遠くへは行ってないはずだ!こちら羽岡!対象を見失った!服装は・・・」

 

無線で仲間に連絡しながら遠ざかっていく警官達の声。

しかし、彼らは気づかなかった。

その声が聞こえるほど近くに二人がいることを。

 

「うん。行ったみたいね」

「そう、みたいですね・・・」

「はぁ~。疲れたぁ・・・」

 

当座の危機をしのいだ安心から疲労がどっと押し寄せてくる。

壁にもたれるようにして地面に座り込むアズサとマナをその人は見下ろしていた。

 

「まさか扉が開いてるなんて思いませんでした・・・」

「はい。私も気がつきませんでした」

 

三人が逃げ込んだ場所、それは乗り越えようと四苦八苦していた壁の向こう側だった。

中は倉庫らしく、資材や工具らしきものがわずかにかび臭い部屋の中に乱雑に積まれていた。

 

「どこに逃げ道があるかわからないんだから、最後まで諦めちゃダメだよ」

「はい。どこのどなたか存じませんが、助けていただいてありがとうございます」

「ありがとうございます!」

「いいよいいよ。私もちょうど探してたところだし。ねっ?日上アズサさん」

 

見ず知らずの第三者に名前を呼ばれ、アズサの背に冷や汗が垂れる。

 

「・・・!?」

「アズサさんのこと知ってるんですか!?」

「もちろん。あなたを助けてって依頼されたから」

「依頼・・・?」

「うん。あなたを大切に思う人にね」

「まさか、お父様が?」

 

二人の恩人はアズサに近づくと座り込むアズサの目線に合わせるように膝をつき、恭しく一礼した。

 

「初めまして。私は皆沢探偵事務所の探偵、皆沢(みなさわ)友恵と申します」




アニメでは勝負どころの三話です


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