妖精さんの勧めで提督になりました (TrueLight)
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本編
1.こいつはくれいじーだぜ


思いついたままに執筆してまいります。良ければお付き合いください。


「急な話で困惑してると思うのだがね。是非とも君に、提督になってもらいたいのだよ」

 

 ……どうしてこうなった?

 

「突然家に押しかけ、この大本営まで連行したことは謝ろう。すまなかった。

 しかし、それだけ君の存在が……提督としての資質が欲しいということなんだ」

 

 数日前に高校を卒業したばかりの僕は、就活なんて一切せず、人里離れた山奥に移り住むことを決めた。幼馴染の妖精さんたちと共に。

 しかし、荷物をまとめて家を出た途端、海軍司令部の使いを名乗る黒服に車で拉致されたのだ。

 

「やろうよー」

「やまおくでじきゅうじそくなんてはやらないしー」

「にんげんもいないらしいしいーんじゃない?」

「わたりにふねとはこのことなり」

 

 お高そうな調度品が並ぶ広い室内。きらきらと期待に満ちた表情で、妖精さんたちが僕を見つめている。

 

 くそう、裏切り者め。僕をここからどうにか逃がそうと、手分けして建物の構造やら人の出入りを見てくれてたっぽいのに。

 上座でふんぞり返ってるおっさんが「提督になれ」と言った途端、この手のひら返し。

 

 妖精さんは嘘をつかない。たまに間違ったことを言うこともあるけど、それは知らないだけで、本人たちに嘘をついているという自覚はない。これは僕の、ただの経験則だけど。

 

 妖精さんは友達だ。僕にとって、唯一無二と言っていい親愛なる存在だ。それは僕の片思いじゃないと自信をもって言える。妖精さんが勧めてくる以上は、僕にとって不都合な展開にはならないんだとは思う。

 

「見目麗しい艦娘たちに囲まれ、民衆からは尊敬と感謝の念を抱かれる職業だ。給金も悪くないし、非常に競争率が高いお仕事だよ。本来であれば厳しい試験やら検査やらを経て、ようやく訓練生から始まるんだ」

 

 おっさんは大げさな身振りでアピールしてくる。どうにか僕をその気にさせようと躍起なようだった。

 

「それを君は、その資質だけで一足飛びに提督というわけだ! ご家族や、君が先日卒業した高校の教員に確認を取ったのだが、君は卒業時点で進路が決まっていなかったようだね。

 どうだろうか、きっとご家族も安心されるだろうし、母校の先生方も鼻が高いだろう」

 

 その言葉に僕の表情が歪んだ。しかし、すぐに焦った様子の妖精さんが僕の顎に体当たりしてくる。

 

「はやまらないで! あたちたちまだやりなおせるとおもうの!」

「それちがくない?」

「ここはおさえるのよー」

 

 妖精さんから受けた衝撃と、気の抜けるような言葉に、熱しかけた脳が覚めていくのを感じた。

 おっさんは突然僕の頭部がのけ反った様子を見て、目を見開いていたが。

 

「……今、就くのが難しい職業だって言ってたけど。希望者多いんだろ? その人たちにやらせりゃいいだろ」

 

「あちゃー」

「なにいってやがる」

「こいつはくれいじーだぜ」

「にんげんあいてだとくちわるくなるんだからぁ」

 

 妖精さんたちにボコスカと殴られ蹴られるが、言われるままに就いていい職でも、流されていい状況でもないだろう。

 一般人の僕だってテレビやら新聞やらで知ってる。提督になるっていうのは、深海なんちゃらいうやばい連中と戦争するってことだ。

 

「言ったろう? 君の才能が必要なんだ。……私には見えないが、その……、居るんだろう? その辺に」

 

 一瞬何のことかと思ったが、一人の妖精さんが視界に割り込んできて、柔らかい左右のほっぺに両手の人差し指を当ててぶりっこしていたことで察した。

 

「妖精……。提督の資質を持つ者と、艦娘にしか視認できない存在だ。才能ある人間は、自然と妖精を侍らせているという。試験さえ突破できれば、妖精の存在を認知できなくとも提督を目指せるがね」

 

 話しながら手元の資料におっさんは目を落とす。逆光でうっすらと刷られた文字、そして写真らしきものが見て取れる。あれは……僕の顔? 僕の調査資料か何かだろうか。

 

「市井の者にはあまり知られていないが、艦娘や提督も一般の店で買い物をすることがある。頻度はとても少ないがね。そしてひと月ほど前、一人の提督がショッピングモールで君を見かけた。

 ……驚いたことに、君は二十近い妖精を従えていたそうじゃないか。すでに提督として活動している者ならいざ知らず、一般人でこれは異常なことだ。その後も別の提督や艦娘に君の調査をさせたが、報告内容は変わらなかった」

 

「はぁ……」

 妖精さんに強請られてお高いクッキーを買いに行った時だ。人混みどころか人が嫌いな僕はあまり外出しないのだけど、仲良しの妖精さんの頼みとあらば折れざるを得なかった。

 というか海軍に監視されてたのか。まったく気づかなかった。

 

「妖精の力が無くとも鎮守府の運営や艦娘の運用は可能だ。しかし、その存在の有無は戦果に大きく関わる。妖精の存在が多ければ多いほどその鎮守府は強力だと言えるだろう」

 

 妖精さんたちにそんな力が……? 僕の周りを浮遊したり、膝の上で戯れている妖精さんたちに視線を向けると、どこか自慢げな表情を浮かべている。本当の話なのか。だから僕が提督になることに賛成なのか。きっと妖精さんたちにとって、得意な仕事があるんだろう。

 

「希望者から提督を選出すべきだ、と君は言ったね。大変もっともな話だ。

 しかし、いかに訓練生時代に優秀な成績を収めようとも、必ずしも優秀な提督にはなれないものでね。……先ほど、見目麗しい艦娘に囲まれる、華々しい立場だと説明したね?」

 

 おっさんは物憂げな瞳を僕に向けてきた。大変気持ちが悪い。

 

「艦娘はね、提督という、自らを指揮する者へ多大な信頼を寄せるのだ。無論、提督自身の人柄や、一部の艦娘には例外もあるが、概ねそうなのだ。

 ……故に、問題を起こす提督が少なくない。信頼を恋慕の情と履き違え、立場上強く否定できない艦娘を手籠めにしようという輩がね」

 

「……俺がそうならない保証はないだろ」

 

 100%ないけど。昔の船の神霊がなんちゃらした存在だといっても、見た目や考え方はほとんど人らしいし。

 幼い頃から妖精と過ごしてきた僕は、彼女たちを見えない連中から散々な目に合わされてきた。見た目が人間というだけで嫌悪感が沸く程度には人間嫌いな僕だ。恋愛なんて考えたこともない。

 

「その通りだね。しかし、今話したような問題を起こす者には共通している事柄がある」

 

「……妖精……?」

 

 説明をしっかり理解した訳じゃないけど、妖精さんの話ばかりしてるんだから、無関係じゃないはずだ。

 一度深くうなずき、おっさんは言葉をつづけた。

 

「事件を起こした鎮守府には当然、憲兵の調査が入る。その際同行した艦娘の証言によれば、その鎮守府の一切に、妖精の姿は発見されなかった。逆説的に言えば、妖精に好かれている者は問題を起こさないと言える。当然、それは永続的なものではないだろうがね」

 

「どういうことだよ」

 

「妖精は善い人間にしか寄り付かない、ということだが……。

 艦娘に手を出した提督の中には訓練生時代や、鎮守府に着任した直後に妖精を従えていたことが確認できている者もいる。

 おそらく、提督として活動していく中で思想や価値観が変化し、伴って妖精が離れたのではないか、と考えられているのだよ。

 故に、憲兵と大本営直属の艦娘が妖精の数の推移を確認するため、鎮守府内を定期的に調査する。これは最近導入された規則だがね」

 

「なるほど……」

 

「それで、どうだろうか。できる限りサポートはさせてもらうつもりだし、何か要望があれば、大抵のことは適宜対応する準備がある。どうか引き受けてもらえないだろうか。

 ……非常に恥ずかしい話ではあるが。君のような、一切軍務に関わったことのない素人であっても、スカウトせざるを得ないほど人手が不足している。

 君を愚弄するつもりはないが、敢えて言葉にさせてもらおう。提督への希望者とは、イコール適正者の数ではない。訓練生や試験をすべて無視してでも、突出した才能ある人間は一刻も早く鎮守府に送りたいというのが本音なんだ」

 

 おっさんのその目に虚飾は見られなかった。学生時代、上っ面の言葉で僕に話しかけてきた同級生や教員からは向けられたことのない、期待と不安に満ちた瞳であるように感じられた。気持ち悪い。

 

 でも、そのおっさんに引けを取らないくらい、きらきらした目を向けてくる僕の親愛なる友達。可愛い。

 

 ……もともと、僕にとって妖精さんの存在以上に大切なものなんてない。それは僕の命ですら同じことだ。

 

 危険な仕事であっても、妖精さんの勧めなら断る理由はなかった。

 

「……分かりました。とりあえず、やってみます」

 ぼそぼそと敬語で了承すると、おっさんは嬉しそうに立ち上がり、僕の座る来賓用のソファに歩み寄ってきた。

 

「そうか、ありがとう海原君! いや……海原海人提督! 今後ともよろしく頼むよ!!」

 

 こうして僕……海原海人(うなばらかいと)は、提督としての道を歩み始めたのだった。



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2.ていとくがちんじゅふにちゃくにんしましたぁ

 大本営とやらで提督に就くことを承諾した僕こと海原海人(うなばらかいと)は、おっさんの手配によってすぐに車に乗せられた。

 

 しばらく県道を走ったかと思うと、大本営を出入りしたときに見たような仰々しいゲートを通過し、海沿いの海軍基地らしき場所へ移動。

 

 憲兵が門の両脇を固める、一見してレンガ造りの大きな建物の手前に降り立った。

 

「ていとくがちんじゅふにちゃくにんしましたぁ」

「ばんざーい! ばんざーい!」

「あかつきのすいへいせんに」

「しょうりをきざみなさーい」

 

 何のことやら分からないが、妖精さんたちが楽し気にお喋りしながら僕の周りを舞っていて、僕もなんだか楽しくなってくる。

 

「海原提督ですね? ようこそお越しくださいました。どうぞ中へ」

「大本営直属の艦娘が提督室に待機しておりますので、まずは提督室に向かってください」

 

「……えっと。一人で向かえと?」

 

 基地内を車で移動している時に窓から見えた範囲でも、とても単独で回りきれる広さじゃない。案内もなしに目的地に辿り着く自信が無いんだけど、僕一人でどうしろと言うんだろうか。

 

「申し訳ありませんが、定期調査を除いて、担当する提督以外の人間が鎮守府に入ることは禁じられています。中に入っていただければ目立つ場所に案内図があると思われますので」

 

 ちっとも申し訳なくなさそうな二人の憲兵は、両開きの重厚な扉を開き、慇懃無礼な態度で僕を中に入るよう促した。

 

「はやくいこーいこー」

「れっつごー」

「あんないなんていらないよー」

「あっちー。あっちからおーよどのけはいがするの」

 

「うわっ。分かった、分かったから押さないでよ。髪引っ張らないでって。おーよどって何?」

 

 憲兵の二人は妖精さんが見えないのであろう。急に声をあげて建物に入っていく僕を、怪訝な表情で見送っていた。

 

 妖精さんに導かれるまま、案内図も素通りして広い建物をどんどん進んでいく。

 階段に差し掛かると、妖精さんたちは躊躇なく最上階へと僕を(いざな)った。指令室というだけあって、高い場所に設置されているのだろう。そんなに偉ぶりたいのか。

 

 そんなことを考えていると、目の前に浮遊した妖精さんが、一つの部屋を指さした。

 

 [提督室]とプレートに書かれている。どうやら無事、目的地へ着いたようだった。

 

 長年一緒に過ごしてきた妖精さんたちも、初めてここを訪れるはずだけど、なんで場所が分かるんだろう。おっさんの説明通り、鎮守府やら艦娘、提督とは深い繋がりがあるということなのか。

 

「……とりあえず、後でいろいろ教えてね」

 妖精さんに一つ囁いて、僕は提督室の扉を開いた。すると中には――――。

 

「お待ちしておりました。海原提督。

 大本営より、当鎮守府運営についての指南役を仰せつかりました。軽巡洋艦、大淀です。

 どうぞ、よろしくお願いいたします」

 

 黒の長髪にカチューシャ。眼鏡をかけ、改造したセーラー服のような出で立ち。知的な雰囲気を身に(まと)う女性が、室内奥の窓際に控えていた。

 



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3.まぁはなのしたのばしちゃって

 

「……あえっ、えっと。海原です。海原、海人。よぉしくお願いします……」

 

 軽巡洋艦、大淀。そう名乗った女性に対し、僕はすぐさま挨拶を返した。すぐに返せた、と思う。

 

「めずらしーぃ」

「かいがどもってるー」

「おーよどみたいなのがたいぷなの?」

「きーーーー」

「まぁはなのしたのばしちゃって」

 

「うっ、うるさいなぁ」

 

 見逃してくれたっていいじゃないか! あっ、こら袖を噛まない!

 僕が赤くなっているであろう顔を誤魔化すように妖精さんたちを振り払っていると、大淀……さんが目を丸くしてこちらを見つめていた。

 

「……すみませんね、やかましくて」

 

 つい皮肉ったような言い方になってしまったが、大淀さんは気にした様子もなく口を開く。

 

「いえ、そんなことはないのですが……。えぇと、やかましい、というのはつまり……」

「はい? だからその、妖精さんたちがうるさくしたかな、と」

 

「うるさくないもーん」

「やかましいっていうやつがやかましいんだい」

「ねー、おーよどがすきなかんじなの? ねーってばー」

 

「あとでっ! あとで聞くから! 話進まないからちょっと静かにしててお願いだから!」

 

 僕が両手を合わせて懇願すると、しかたないわねーと言いながら、妖精さんたちは口を両手で塞ぎながら僕から距離をとった。

 しばらくは静かに様子を見ててくれるみたいだ。良かった。

 

「妖精の声が聞こえているのですか……?」

 

 内心恥ずかしいところを見られたかな、なんて思っていると、大淀さんは相変わらず驚いた様子で僕と妖精さんを交互に見つめている。どういうことだろう?

 

「それが、提督の才能、なんですよね? 艦娘にも見聞きできるって聞いたんだ……ですけど」

 

 とりあえず質問に答えると、大淀さんは少し考える素振りを見せた後、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「……正確には、提督の資質ある者は妖精を視認し、その身に侍らせている。艦娘は妖精を視認し、簡単な意思疎通ができる、といったところです。

 私にも見えていますし、何となく感情の動きや意思を感じ取ることはできるのですが、その。……はっきりと妖精の声を聞きとれる、なんて聞いたことがありません。

 海原提督はやかましくて申し訳ない、と仰いましたが。私にはそれほどはっきりと言葉は聞きとれませんでした……」

 

 ……つまりどういうことなんだろう。僕が世界で唯一、妖精さんの言葉を理解できる人間、ということだろうか。

 

 ……えっ、本当に? だとしたら……めちゃくちゃ嬉しい!

 

 これまで歩んできた人生から、僕にしか見えないと思い込んでいた妖精さんたち。

 それは間違いで、実は提督と呼ばれる軍人や、艦娘たちにも見えているらしい。

 

 幼い頃から僕が受けてきた仕打ちは何だったんだ、と思わなくもないけど。その声を聞くことができるのは僕だけということなら、なかなか誇らしい気分だ。

 

「……なるほど、提督としての訓練を受けていない方が着任される、とは伺っていましたが。これほど特異な才能をお持ちなら納得です。

 急に不躾な質問をして申し訳ありませんでした」

 

「あ、いえ。お構いなく」

 

 僕が気もそぞろに返答すると、大淀さんはこほんと一息つき、気を取り直すように言葉を発した。

 

「では、まずは……部屋に荷物を置いて、支給された提督用の衣服に着替えていただけますか? 何事も形から、と言いますから。そちらの扉の奥が提督の私室になりますので」

 

 大淀さんに手で促された方向には、確かに扉が備え付けられていた。

 提督室に直通で私室があるのか……。なんかやだなぁ。職場で寝起きなんて、噂に聞く社畜みたいだ。

 

 なんてことを考えながらも扉に歩み寄り、ドアノブに手をかける。

 

「てつだおうかー?」

「ついについにー」

「かいていとくたんじょうだね」

「ていとくがちんじゅふにちゃくにんしましたぁ」

「それさっきやったー」

 

 すると我慢の限界なのか、口々にまくしたてながら妖精さんたちがついてきた。

 

 ……初めて会う人も、艦娘も、見たことない建物も。

 妖精さんたちが一緒なら、頼もしいことこの上ない。ちょっと騒々しいこともあるけど、おかげで寂しさとは無縁に生きてこれた。

 

「……よしっ、早く着替えよう」

 

 カチャリ、と小気味良い音を立てて、僕の私室となった部屋の扉を開いた。

 



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4.どーぶらぇうーとらぁ

 

「おきろー」

「かいていとくー、きしょうのおじかんでございますー」

「どーぶらぇうーとらぁ」

「しまってこー」

「けんぞーけんぞーだーけんぞー」

 

「……おぁよ……」

 

 顔をばしばしと小さな手に叩かれる衝撃で目を覚ます。

 まだ見慣れない天井に一瞬、はて、ここはどこだっただろうと考えを巡らせた。

 

「……そっか。今日は……まずは建造、だっけ。するんだったね」

 

 提督室の隣に用意された私室。ここを寝床にしてからもう三日目だ。

 大淀と出会った日から昨日までの二日間は、ひたすら提督として活動するための座学に取り組んだ。

 

 ちなみに大淀には敬称をつけるな、と言われた。提督の腰が低いのは軍事行動的によろしくないらしい。この鎮守府に今後所属する艦娘にも呼び捨てで接するように、とのことだった。

 

 それはともかく、座学というのは艦種ごとの特徴から始まって、その運用方法・鎮守府の運営方針。敵の総称である深海棲艦について学んだりした。

 ……まぁ、正直全然頭に入ってないんだけど。たった三日の勉強で軍人になれたら苦労しない。

 

 本当は一か月から二か月、大淀がこの鎮守府に滞在して、その間実地訓練って形で指導する予定だったらしい。けれど。

 

「大本営近海にて、深海棲艦の大規模な侵略行動が確認されました。私も前線にて作戦行動に参加するよう帰還命令が下っています。

 ……海原提督には本当に申し訳ないのですが、明日以降は一提督として、すぐに活動を開始していただくことになります」

 

 そんなことを昨日、着任二日目の早朝に言われた。

 

「はぁ……」

 

「ひとまずは! 取り急ぎ提督としてこなしていただきたい最低限の活動内容をまとめてありますので! こちらを参考にしていただきたく!」

 

「あぁ、どうも……」

 

 当然文句を言ってやりたい気持ちもあったけど、几帳面にまとめられたノートと、大淀の目元にうっすらと浮かんだ隈を見てしまっては何も言えなかった。

 

 心苦しそうにしつつも大急ぎで僕に提督の何たるかを教示した彼女は、その日の夕方にはこの鎮守府を去っていったのだった。

 

「こちらには、私の個人用端末の番号が入っています! 急ぎの用があればいつでもご連絡下さい! 作戦行動中は応答できませんが、確認次第すぐに折り返しますので!」

 

 別れ際に渡されたのはスマホだった。携帯なんて持ったことないけど、さすがに電話のかけ方くらいは知ってる。

 でも、僕が彼女に連絡することはきっとないだろう。彼女にとって、僕は上司に押し付けられた面倒ごとでしかないだろうから。

 

 とにかく、僕は今日から一人でやっていくしかないらしい。この馬鹿みたいに広い鎮守府で、大淀が残したノートだけを頼りに。

 

「……よしっ、とりあえず、やるかぁ」

 

「いがいにげんきだ」

「やろーやろー」

「けんぞーけんぞーけんぞーだー」

「きがえる? きがえる?」

 

「うん。とりあえず顔洗って、着替えようかな」

 

「「てつだう? てつだう?」」

 

「うん、とりあえず外出ててね」

 

「「きゃー♪」」

 

 僕をからかうように纏わりつく妖精さんたちを引っぺがして、隣の提督室に放り込んだ。

 



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5.さっそくけんぞうするでありますー

 

「ここが工廠……」

 

「そーだー」

「ここがこーしょーだ」

「しろーとはてーだすんじゃねーぜ」

「あぶないからかべぎわいかないのよ?」

 

 妖精さんの警告に理由なんて聞かない。僕は一度頷き、機材らしきものが積まれた壁際に近づかないよう歩を進めた。

 

「明かりは……あ。ありがとう妖精さん」

 

 僕が室内灯のスイッチを探そうとすると、一人の妖精さんが一足先に光を(とも)してくれる。お礼を言うと、無言でにぱっと笑ってくれた。かわいい。

 

「かいー、これこれー」

「けんぞーどっくー」

 

「どれどれ。……なにこれ」

 

 妖精さんに促されて工廠の奥に行くと、よく分らない施設が見えた。

 浴槽というか、棺桶というか……。とにかく長方形の箱だ。

 チューブのようなものがいくつも伸びていて、工廠内の貯水容器のようなものや、ドラム缶なんかに繋がれている。

 

 そして何故か、その建造ドックとやらは半分ほどが水に()かっていた。工廠の立地場所から察するに、奥はなだらかな傾斜になっていて、海水に(ひた)されてしまっているみたいだ。

 

「なんか濡れてるけど……。まずいんじゃないの? これ。機械って普通水に弱いよね」

 

「だいじょぶだいじょぶ」

「むしろこれでよろしい」

「かいすいにつかってないとね、ね」

「よべないもんね、んね」

 

「そうなんだ。このままで使えるんだね」

 

 建造ドックは二つ……いや、四つかな? それらしき施設は四つあるけど、二つはなんか格子状のシャッターで塞がれていた。やっぱり海水で故障したんじゃ……?

 いやでも、妖精さんが大丈夫って言ってるし、違うのかな。

 

「かいー、はやくやろー」

「かいていとく、さっそくけんぞうするでありますー」

 

「あ、うん。そうだね、まずは……」

 

 建造ドックの一つに近づき、コンソールだっけ? とにかく操作するための機械を覗き込んだ。

 

「ここで建造に必要な資材を投入する、と」

 大淀に渡されたノートから建造について記されたページを探し、コンソールと照らし合わせてみる。

 

「まずは駆逐艦、だったよね。機動力に優れ、費用対効果優、と」

 

「よくできましたー」

「ちいさいからねんりょう(ごはん)もすくないしー」

「なおしやすいしー」

「でもきずつきやすいからちゅーいするのよ?」

 

「うん、気を付けるよ。

 大淀のノートでは、投入資材が多ければ多いほど大型艦が建造できるって書いてあるけど。駆逐艦を建造するなら逆に、できるだけ少なくするって感じなのかな」

 

「ちょっとちがうけど、だいたいそー」

 

「燃料、弾薬、鋼材、……ボーキ? ボーキってなんだろ」

 

「ぼーきはぼーきさいとー」

「あるみだよー。あるにみ、あるみにうむー」

 

 あ、誤魔化した。癒される。じゃなくて、そうか。アルミか。

「全部一桁から投入できるけど、1ずつでも建造できるのかな」

 

「できないよー」

「さんじゅうはほしいね」

「ぜんぶそれくらいいれればできるよー」

 

「そうなんだ。……妖精さん、ほんとに詳しいんだね。知らなかったよ」

 

「でへへー」

「それほどでもー」

「ありまするがー」

 

「じゃあ30ずつにするね? えーと」

 

 妖精さんに端末の操作を教えてもらいつつ、四種類ある資材の投入数をそれぞれ30にした。

 

「これで、建造に移る、と。い、いいよね? これで」

 

「いいよいいよー!」

「うでがなるぜー!」

「さいしょだしね、あぶろうね」

「ばーなーあるの?」

「けっこうあるねー」

 

 応答してくれる妖精さんたちはなんだか盛り上がっていた。手順は問題無いみたいだ。

 

「よし、じゃあいくよ。……建造、開始!」

 

 僕が端末を操作し、建造開始のキーを押した途端。

 

「かかれー!」

「「おーーーー!!」」

 

 工廠内にいた妖精さんが、突然作業着のようなものに早変わりし。

 建造ドックに飛び掛かった!

 



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6.そにともすはげんしょのほむらなりー

 

「うわぁ……」

 

 呆然と口から漏れる声を他人事のように聞きながら、僕は工廠内に立ち尽くしていた。

 目の前には火炎放射器で建造ドックを燃やしている妖精さんの姿がある。

 

 建造が始まったとき、一瞬で作業着に着替えたのは別に気にならない。いつものことだった。水辺に近づくと、いつの間にか水着で泳いでたりするし。

 

 でもこの奇行は予想できなかった。ほんと何してるんだろ、これ。

 瞬く間に工具やらを手に取ったかと思うと、トンテンカンと冗談のような速度で何やら作業を始め、建造ドックの蓋を閉じ。しまいには室内炎上である。

 

「妖精さん、ほんとに大丈夫……? 疑ってる訳じゃないんだけど、さすがに意味が分からないというか……まずくない?」

 

「だいじょぶだいじょぶー」

「これはほのおにあってほのおにあらず」

「そにともすはげんしょのほむらなりー」

「もーえあがーれー、けだーかくまえー♪」

 

 大丈夫らしい。

 ふとコンソールに目を向けると、残り時間と表示された場所の、その数字がみるみる減っていっている。元がどれくらいから始まったのか確認しそびれたけど、もう0になってしまった。

 

 建造完了の文字と共に、ドック開錠の案内が表示される。

 ひとまずはそれを選択しようとすると、端末と僕の顔の間に妖精さんが一人割り込んできた。

 

「ん、どうしたの?」

 

「これー」

 

「これは……ネジ?」

 

 妖精さんに手渡されたのは、一本のネジだった。形は普通のネジだけど、異様に大きい。実際に触ったことがあるものだと間違いなく最大だ。

 片手でぎりぎり包み込めるくらいのサイズ。ただ、見た目に反してかなり軽い。なにでできてるんだろう。

 

「これをどうするの?」

 

「きてきてー」

 

 妖精さんに袖を引かれるままついていくと、今まで炎に包まれていた建造ドックに連れていかれた。熱を警戒したけど、近づいても全然熱くない。

 

「ここにいれてしめてー」

 

 指さしで示された方では、ドックから引き出しのようなものが飛び出していた。

 大きさは……ちょうど、手の中のネジがすっぽり収まるくらいだろうか。

 

「ここに入れるの?」

 

 改めて確認すると、妖精さんはこくこくと頷いた。ならばとネジを放り込み、叩くようにしてドックに押し込んだ。恐れていた熱は、やっぱり感じられなかった。

 

「これでドックを開ければ良いのかな?」

 

 にっこり笑顔でこくこく頷く妖精さんに頷き返し、僕は改めてコンソールに向き直った。

 

「それじゃ。ドック開錠、っと」

 

 端末を操作すると、ガコンッ、と何かが外れるような音が響き、蓋が自動で持ち上がる。

 

 コンソールからドックに体を向けて注視すると、さっきまで空だったはずのドックの中に一人の少女が横たわっていた。

 

 金の長髪を黒いリボンで留めたその艦娘は、ゆっくりと瞳を開いて僕を見つめる。

 

 翠(みどり)がかった目を輝かせると、彼女は勢いよくドックから立ち上がり。

 屈託のない笑顔で口を開いた。

 

「こんにちは、白露型駆逐艦 夕立よ。よろしくね、提督さん!」

 



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7.くちくかんはまずくない?

「提督さん? どうしたっぽい?」

 

 僕が夕立の姿に目を奪われていると……いや待て、見惚れてなんかいない。

 さっきまで空だったドックから人が現れたことに驚いてしまっただけだ。

 

 とにかく僕がぼーっとしていると、夕立が不安そうな様子で話しかけてきた。

 

「ぃやっ、どうもしないぞ。ぼ、いや俺がここの提督だ。海原だ。海原海人」

 

「どもっとるやないかーい」

「おーよどがたいぷじゃなかったの?」

「くちくかんはまずくない?」

「かいってばてぃーんえいじゃーだしいんじゃね? じゃね?」

「かんむすのねんれいをかんがえるのはなんせんすよー」

 

 妖精さんたちが(はや)し立てるのを無視し、夕立と目を合わせる。

 これから艦娘が増えていくことを考えると、最初が肝心なんだ。一人目にナメられたらお終いだ。

 

「海原、海人提督? ……素敵な名前っぽい! まるでおっきな海そのものみたい!」

 

 ――――不覚にも、目頭が熱くなった。

 

 たかが名前を褒められただけなのに。なんて単純なんだろう。

 でも、こんなに純粋に、他人から肯定されたことがあっただろうか。

 

 名前なんて親が勝手につけた、僕を識別するための記号だ。意味なんて考えたこともない。中学時代のあだ名は「シーマン」だったし、むしろ嫌いなくらいだ。

 

 ……けれど今この瞬間、少しだけ、自分の名前を好きになれた気がした。

 

「ねぇ提督さん、ホントにどうしたっぽい? お腹いたい?」

 

 まずい、これで泣いたりでもしてみろ、間違いなくナメられる。

 

「……いや、本当にどうもしない。ただ……その、ありがとう」

 

「? 私、何かしたかしら?」

「っ、あぁその、……夕立、お前がこの鎮守府の、えーと……。そう、初期艦だ。最初に着任した艦娘になる。頼りにしてるぞ」

 

 駄目だ駄目だ、こんなことで(ほだ)されてなるものか。

 そう意識しつつ、僕が腕を組んでそれらしいことを言うと、夕立はパッと顔を輝かせて近づいてきた。

 

「ほんと!? それじゃあ私、いっぱいいっぱい頑張るっぽい! えへへ、いっちばーん、なんて!」

 

 ちかいちかいちかい! 艦娘にはパーソナルスペースとかそういうのは無いのか!?

 

 ふと視線を感じて背後に目を向けると、妖精さんたちが集まってひそひそ話していた。というか内緒話を装ってるだけで、声を抑える気がまるでない。丸聞こえだ。

 

「あらあらかいていとくったら」

「おじょうずねー」

「あんなにおさないおんなのこをー」

 

「もうたらこしみましたわよ」

「たらこがしみた?」

「たらしこみましたわよ」

 

 違うからね! 分かっててやってるね妖精さんたち!

 くそう、切り札の「もうクッキー買ってあげないよ」を使っちゃうぞ。

 



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8.それはずばり……こい?

「それでそれで、提督さん! これからどうするっぽい?」

「あー、そうだな。えっと……」

 

 井戸端会議を続ける妖精さんたちから視線を外し、小首をかしげて問いかけてきた夕立へと向き直って大淀ノートを確認する。

 

 えーとなになに……鎮守府運営にあたり、当面の目標は資材の安定供給と鎮守府近海の制海権獲得である。まずは水雷戦隊の編成を目指すべし。

 最低一隻以上の軽巡洋艦。三隻、可能であれば五隻の駆逐艦を建造せよ。

 

「……とにかく、この鎮守府には艦娘の数が足りない。引き続き建造を行う予定だ」

「やっぱり! 頼られるのは嬉しいけど、一人じゃ遠征も厳しいっぽい~!」

 

 ノートの指示に従うだけなんだけど、夕立の反応を見ると間違いはなさそうだった。

 というか、夕立の「ぽい」ってのはなんなんだろうか。口癖?

 

 まぁいいか、とりあえず建造を続けよう。

 

「えーと、次は軽巡洋艦、かな。こいつを旗艦だかにしないと、水雷戦隊ってのにならなかったはず……」

 

 座学で学んだことを反芻(はんすう)しながら端末を操作すると、世間話(主に僕の近況)に飽きたらしい妖精さんがちょこちょこと集まってきた。

 

「なにかおなやみのようですね」

「それはずばり……こい?」

「ゆーだちのはーとをどうやっていぬくか」

「そーいうことですね」

 

「うん、軽巡洋艦を建造するのに、投入資材はどうしようかと思ってね。ノートには200~300で統一することを推奨する、ってあるけど……」

 

「つれませんねぇ」

「もう、まじめなんだから」

「おとこたるもの、ちょっとはよゆうがなきゃだめよ?」

「でもそういうところがすきー♡」

 

「300で統一してみよう。夕立の時の10倍だし、資材に余裕も無さそうだから、失敗するより割り増しでも一回で済んだほうが良いよね」

 

「まーまちたまえよ」

「んっとね、それでもつくれるんだけどね」

「むだがあるねー」

「さっきのといっしょでいいよー」

 

「えっ、30で統一するってこと? 資材増やさないと造れないんじゃ?」

 

「つくれるよー」

「ふれはばがあるだけー」

「さっきのでけーじゅんとくちくができるのよ?」

 

 投入する資材数で作れる艦種って確定じゃないのか。

 

 ……まぁ仮に確定だとしたら、資材を多く投入するほど大型艦が建造できる、なんて曖昧な書き方しないか。

 決まってるんなら艦種ごとに投入資材数を分けておけばいいんだから。

 

 それにさっき、妖精さんはドックが海に浸かっていないと艦娘を「よべない」と言っていた。

 資材を使って建造する、と言っても、妖精さんが艦種を自由に選べる訳じゃないんだろう、きっと。

 

 妖精さんのおすすめ通り、投入資材数を30ずつにして、端末の操作を進める。

 

「これで良しっと。それじゃあ妖精さんたち、またお願いね」

 

「おまかせー!」

「きたいはうらぎらないのよ?」

 

 胸を張る妖精さんたちを頼もしく思いつつ建造開始のキーをもう一度押すと、またもや慌ただしく工廠内に散っていった。

 

「早めに軽巡洋艦が建造できるといいんだけど……」

 

 呟きつつ建造ドックに向き直ると、ポカンとした様子の夕立と目が合った。あれ、なんだか既視感だ。

 

「提督さん、妖精とお話できるっぽい……!?」

 

 ……妖精さんと話すたびに、それを初めて見る艦娘が驚いてくれて、ちょこっと誇らしい気分を味わえるのなら。

 提督って仕事も悪くないな、なんて暢気(のんき)に考えてしまった。

 



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9.さいしょはいきおいがだいじなのだー

 先に結果から言うと、この時行った建造では、四隻の駆逐艦と、一隻の軽巡洋艦を迎え入れることができた。

 

 一隻目の夕立に次いで建造に成功したのは、駆逐艦、雷。

 

「じゃーん! こんにちは、司令官! (いかずち)よ! かみなりじゃないわ! そこのとこもよろしく頼むわねっ!」

 

 茶髪に同色の瞳、体格は夕立よりやや小柄な少女だった。元気よくドックから立ち上がった雷は満面の笑みを僕に向け、八重歯をのぞかせた。

 

 次に着任したのは、同じく駆逐艦の時雨。

 

「こんにちは、提督。僕は白露型駆逐艦、時雨。これからよろしくね」

 

 黒い髪を三つ編みにし、眼は青みがかっている。金髪の夕立、茶髪の雷と続いたので、日本人らしい黒髪の姿は少しだけ僕の心を落ち着かせたが、()いだ水面のような瞳に少したじろいでしまった。

 

 時雨はそんな僕の態度に気付いた様子はなく、おや、と傍らに控えていた夕立と雷に目をやった。

 

「夕立も居るんだね、嬉しいな。あっ、雷もよろしくね?」

「っぽーい! 一緒に頑張るっぽい!!」

「ついでみたいにひどーい! ……なんてね! 姉妹艦が居ると嬉しいものね! 良かったわね二人とも!」

 

 どうやら夕立と時雨は姉妹艦というやつらしい。作戦に直接関係はないからか、座学では深く掘り下げていなかったけど。

 

 でも悪いことでは無さそうだ。本人たちも嬉しそうだし、妖精さんたちも満足げに顔を見合わせている。姉妹のほうが意思疎通しやすいのかな。だとしたら作戦行動にも影響してくると思うんだけど……。

 

 それはひとまず置いておき、四隻目の建造に移った。

 すると、

 

「やあ、(ひびき)だよ。その活躍ぶりから不死鳥の通り名もあるんだ。信頼は裏切らないよ」

「やったわね司令官! 響よ! 私の姉妹艦なの!」

хорошо(ハラショー).雷じゃないか。これは嬉しいな」

 

 駆逐艦、響が着任した。夕立と時雨同様、雷と響は姉妹艦らしい。

 建造に成功した四隻のうち、二隻二組がそれぞれ姉妹だったわけだ。これはどれくらいの確率なんだろう? まぁまず、どれくらいの艦娘が存在するのかなんて、僕にはてんで分からないんだけど。

 

 着任を喜び、それぞれ親交を深めている四人を尻目に、僕は五隻目の建造に移った。

 

「はじめまして、五十鈴です。水雷戦隊の指揮ならお任せ。

 全力で提督を勝利に導くわ。よろしくね?」

 

 そしてついに、念願の軽巡洋艦の建造に成功した! いすず、というらしい。水雷戦隊の編成を目指そうと考えていた矢先、頼もしい言葉を放ってくれる。

 

 黒い長髪を二つに束ね、瞳は……すこし緑っぽいだろうか?

 とにかく軽巡洋艦だ。これで、当面の作戦に最低限必要な艦種は揃ったということかな。

 

 視線で妖精さんたちに建造を続行するか問うと、揃ってブンブンと首を横に振った。

 

「あんまりしざいによゆうないしー」

「ひとまずこれでよろし」

 

「あれ、ノートで推奨されてる投入資材数に比べると、かなり節約できたと思うんだけど……」

 

「はやめにくーぼつくりたいし」

「そのときめっちゃたりなくなるからー」

「ねじもこころもとのうございますー」

 

 建造するとき、ドックに直接投入したネジのことか。結局なんだったんだろう、あれ。

 

 ノートにそれらしい記述はなかったし、妖精さんに聞いてみても、にへらっ、と気の抜けた笑みを返されるだけだった。悪いことにはならないだろうし、かわいいから別にいいんだけどね。

 

 あと建造の工程でドックを燃やしていたけど、あれも別にしなくていいらしい。ただの時間短縮だそうだ。

 

「さいしょはいきおいがだいじなのだー」

「ばーなーはけっこーあるかんね」

「ねじにかえたい」

 

 とは妖精さんたちの弁である。とにかくこれで、最初にすべきことは終わったのだった。

 



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10.げろっちまうしかないねー

「それじゃあ、説明してもらおうかしら? 提督。……いえ、海原さん?」

 

 工廠にて夕立・雷・時雨・響・五十鈴の計五隻の建造に成功した僕は、提督室に戻っていた。

 大淀ノートに書いてある通り、次は遠征に取り組む……はずだったんだけど。

 

 (くだん)の大淀ノートをひらひらと顔の横で遊ばせつつ、不信感を(あら)わにした五十鈴に僕は詰問されていた。

 

 工廠から提督室までの道中、今日の予定を確認するためにノートを開きながら歩いていた僕は、うっかり(つまず)きそうになり、ノートを放り投げてしまったのだ。

 

 僕の後ろでは五十鈴を先頭に、五隻が並んで着いて来ていたんだけど……ノートは五十鈴の足元に滑って行った。

 当然、五十鈴はノートを拾い上げる。言うなれば上司が落とし物をしたんだ、大抵の人は善意から拾い上げるんじゃないかと思う。

 

「やだっ、危ないじゃない! ていと、く……」

 

 ただ問題なのは、僕が何度も開いたために、ノートは同じページを開きやすくなっていたこと。

 そして、そこに書いてあるのは提督どころか艦娘にだって分かるような、鎮守府で行うべき最低限の活動内容だったこと。

 

 それは懇切丁寧に記され、誰が読んでも分かるような素晴らしいマニュアルだ。

 提督本人が、初心を忘れないよう自ら書き起こすような手記とは違う、初心者を手引きするようなものだったんだ。

 

 五十鈴が不信感を覚えるのはごく自然な流れだった。目の前の男は、本当に提督なのか? と。

 

 そして現在に至る。五十鈴の後ろでは同様に怪訝な表情を浮かべている時雨。さらに、不安そうに成り行きを見守る夕立と雷の姿があった。

 

 響はよく分らない。思慮深いような……あるいは何も考えていないような、感情が希薄な表情で僕を見つめている。

 

「げろっちまうしかないねー」

「ばれてももんだいなし」

「むしろおしえてあげたほうがいいかも?」

 

 良いんだ。誤魔化す方法を思いついている訳じゃないけど、随分あっさりだね、妖精さん。

 でも、隠し事をしなくていいならありがたい。なるべく人と関わらないよう生きてきた。化かしあいなんてしたくても出来ないんだから。

 

「説明って言われてもな。察しはついてるんじゃないのか?」

 

 僕の皮肉ったような返答がお気に召さなかったようで、五十鈴はノートを提督机に叩きつける。

 

「っ、じゃあ何? あなたはこんなノート開きながらじゃないと動けないようなド素人って訳!?」

 

「分かってるじゃないか」

「ふざけないで!!」

 

 ……心臓が跳ねた。自分でも信じられないほど、五十鈴の怒鳴り声に驚いてしまった。

 

 そして、なんで……こんなにも胸がムカムカするんだろう。怒りを向けられて、イラついている?

 

 ……違う。それくらいなら今までにいくらでもあった。(いわ)れのない罪で糾弾された記憶なんて両手で数えきれない程ある。教室を汚した、なんて小さなことから、同級生に怪我をさせた、なんて大袈裟なことまで。

 

 そんな時でも、相手の言葉を耳に入れないようにして、考えないようにして。その場が収まるのを待ち続けた。そして、それで大抵は何とかなってきた。……処罰は受けてきたのだから、何とかなったとは言わないのかもしれないけど。

 

 でも、そんな僕が、なんで五十鈴に対しては。問い詰められて、こんなに心が揺さぶられるんだろうか。

 

 これは……罪悪感? なぜ? 何に対して?

 

「かいー、だいじょうぶー?」

「きぶんわるそう」

「おみず、おみずもってくるから」

「もうもってきたー」

「たいぎである」

 

 妖精さんが二人がかりで持ってきてくれたコップを受け取り、ありがたく飲み下す。

 いつのまにかカラカラに乾いていた口の中が冷水で潤うとともに、幾分か気持ちが落ち着いた。

 

 やはり、あまり見ない光景なのか。僕が妖精さんから水を受け取る様子を見て、五十鈴も少し気が抜けたようだった。

 

「……分かった、詳しく説明する。期待に沿った答えかは知らん。各自で判断してくれ」

 

 そもそもおっさんや大淀に隠せ、なんて言われてない。不都合があったらそっちの責任だ。そう考え、僕はこの三日間の出来事を、今日出会った艦娘たちに説明した。

 



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11.いちどきょりをおいたほうがいいとおもうの

「まさか……本当にただの一般人だなんて……」

 

 僕がこの鎮守府に着任した経緯と、ここで過ごした数日のことを話し終えると、五十鈴は唖然とした様子でつぶやいた。

 

「まぁ、そういう訳だ。お前が言った通りだな。俺はそのノートに頼らないと、何もできない。悪かったな、期待していたような歴戦の提督じゃなくて」

 

「またわるぶるー」

「だめよ、おんなのこにはやさしくしなきゃ」

「でもやさぐれてるのもちょっといい」

「わかるー」

 

 妖精さんは茶化すが、悪いと思ってるのは僕の本心だ。僕だって急にこんなとこに連れて来られたうえ、きちんと指導を受けられないまま放り出されたんだ。

 

 鎮守府に着任したかと思えば、無能な上官を(あて)がわれた彼女たちの不満は想像に(かた)くない。

 僕に直接的な非はないだろうけど、それでも何となく、頭は下げておきたかった。

 

 でも五十鈴が憤慨した理由は、僕の想像とはまるで別のものだった。

 

「……そうじゃないの。私が呆れたのは大本営の方よ。まさか、訓練すらまともに受けてない一般人を、たった一人で鎮守府に放置するなんて。度し難いわ……!」

 

 どうやら素人が提督であるということより、守るべき国民を巻き込んていることが許せないらしい。

 

「怒鳴ってしまってごめんなさい。ただ……信じたくなかったの。大本営はそこまで落ちぶれてしまったの? それとも……本当に、あなたのような一般人を鎮守府に配属するほど後がないというの……?」

 

 海軍をよく知らない僕には、これがどれほどの大事なのか分からない。

 ただ間違いないのは、五十鈴にとっては冷静でいられなくなるほど常識はずれなことだったということだ。

 

「…………」

「…………」

 

 しばらく、提督室を沈黙が支配した。

 夕立だけは、うー、うー、と唸りながら僕と五十鈴へ交互に視線をやっていたが。

 何となくだけど、僕のことをフォローしようとしてくれてるように思えた。……根拠はないけど、本当にそうならありがたいことだ。

 

「……海原さんは」

「?」

 

 そうして幾分か経つと、未だ戸惑いが抜けない様子で五十鈴が口を開く。

 

「海原さんは、それで良いの? このまま……提督を続ける気なの?」

 

「……ああ。最初は強引だったが、一応自分で選んだんだ。お前たちからしたら迷惑な話だろうが、これでも前向きに取り組んでる……つもりだ」

 

 妖精さんたちは鎮守府で活躍できるのが楽しいようだし、僕もそれを見られるのは嬉しい。応援したいと思ってる。困ったことがあっても妖精さんが助けてくれる、というのが一番大きいかも知れないけど。

 

「……そう、分かったわ」

 

 五十鈴は一度頷くと、提督室の掛け時計にちらりと視線をやった。つられて僕も時間を確認すると、ちょうど九時を過ぎたところだ。

 

「一度、解散させてもらえないかしら。少し頭を冷やす時間と……私たち艦娘だけで話し合う時間が欲しいの。ヒトヒトマルマルに再集合。どう?」

 

「ひとひと……?」

 

「じゅういちじだよー」

「にじかんご」

「あたちたちきゅうすぎたのよー」

「いちどきょりをおいたほうがいいとおもうの」

 

「なるほど、了解した。では一度解散とする。二時間後、またここに集まってくれ」

 

 僕が五十鈴の提案を了承すると、彼女は無言で会釈し、退室していった。

 続いて扉に近い順に、時雨、雷、響も部屋を出ていく。夕立だけは、どこか未練がましそうに何度も振り返ってきた。

 

 気まぐれで右手を挙げてみる。すると。

 

「っ! ――! ――!」

 

 嬉しそうに両手をぶんぶん振りながら、退室する時にぺこんと大きく一礼して扉を閉めていった。なんで夕立はあんなに好意的なんだろう……?

 

「……はぁ。疲れた」

 

「もうきぶんはだいじょうぶ?」

「げろっちまう?」

 

「いや大丈夫。お水、ありがとね」

 

「なんのなんの」

「おいしいおかーしをくれれば」

「もんくはないのよ?」

 

「色々落ち着いたら、また買いに行こうね。……さて、どうなるのかな」

 



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12.これはせきにんをとってもらわねば

「……ん? 来たか。もう二時間経ったんだ」

 

 扉を挟んだ先、廊下の方から複数人の足音が近づいてくるのに気づき、僕は手元の大淀ノートを閉じる。

 二時間もどう潰したものかと考えたけど、このノートの中身を網羅しようとすると、到底時間は足りなかった。

 

 居住まいを正して待っていると、コンコン、と扉がノックされる。直後に扉が半分ほど開かれ、五十鈴が敬礼してきた。

「五十鈴、入るわ」

 

 声を張っている訳ではないのに、凛とした良く通る声で彼女は名乗る。

 

「どうぞ」

 

 右手で入室を促すと、綺麗なお辞儀を見せて室内に歩み入った。もちろん、後ろには駆逐艦の四隻も続いている。妙に堅苦しい雰囲気だけど、一体どういう腹積もりなのやら。

 

「さっき言った通り、私たち五人で相談したわ。代表して私が考えを報告させてもらってもいいかしら?」

 

 ああ、五"人"でいいのか。船として五"隻"と数えるべきなのかと思っていたけど、五十鈴の言葉を基準にするなら、艦娘の数えは"人"でいいらしい。

 

 なんてどうでも良いことを考えながら、僕は一度頷いて先を促した。

 

「ただその前に、海原さん、聞いておきたいのだけれど」

「なんだ?」

 

「提督になるということがどういうことか、貴方はどう捉えてる? どう考えているのかしら」

「……深海棲艦という未知の侵略者に対し、国を守るため戦争に参加する、ということだ」

 

「直接戦うのは私たち艦娘。けれど、提督にも当然危険はついて回るわ」

「だろうな」

 

 具体的にどう危険なのか、と聞かれたら口ごもるしかないけど。

 

「家族や友人と気軽に会うこともままならない。大切な人が病や事故で命を落とすかも知れない時、そこに立ち会うことも許されないのよ?」

 

「俺には関係ない話だ。家族なんて血が繋がっているだけの他人だと思っているし、俺の友とは妖精さんだけだ」

 

「妖精さん?」

「ン"ン"っ! 妖精だけが俺の友であり、大切な存在だ。鎮守府の外に未練などない」

 

「きゃー///」

「はずかちぃ」

「これはせきにんをとってもらわねば」

「やっぱりしんぜんしきよね」

「うぇでんぐどれすもいいかも……」

 

 妖精さんたち、今大事な話してるからね?

 

「……本気で言っているの?」

 

「無論だ。俺が着任した経緯について、この三日間のことを話したが……。

 俺に世俗との関わりが薄い点についても、軍にとって都合が良かったんだろう。死んでも文句を言う輩が居ないからな」

 

「そんな……」

 

 何となく訳アリなのは察したんだろう、五十鈴は痛ましそうな表情を見せる。

 

「同情はいらん。言っただろう? 提督として活動することに前向きだと。俺にとっては、友と協力して働ける唯一の場所だ。命を懸けることに躊躇はない」

 

 僕の言葉を受けて、五十鈴ははっと目を見開いた。そして、僕の周りで思い思いに浮遊する妖精さんたちに視線を向ける。

 

「……そこまで言えるのなら、五十鈴も覚悟を決めるわ」

 

 五十鈴はゆっくり瞳を閉じると、うっすらと微笑んだ。

 かと思えば、直後にカッと目を見開き。左手を腰に当て、右手の人差し指を僕に向けてビシッと突きつけてきた。

 

「海原さん! いえ、海原提督! 五十鈴は……私たちは、貴方について行くと決めたわ!

 そんなノートに頼らなくても、一人前の提督になるまでしっかりサポートしてあげる!」

 

 ……驚いた。何がどうなってその結論に至ったのか。他の鎮守府に異動願いでも出すのかと思ってたけど。

 もしや五十鈴の独断専行か? と思い、彼女の後ろに並ぶ四人に目を向けると。

 真っ先に目が合った夕立が、満面の笑みで口を開いた。

 

「ぽい! 夕立、この鎮守府の初期艦だもの! 頑張って提督さんについて行くっぽい!」

 

 ……おそらく、話し合いとやらでも夕立は僕の味方をしてくれたんだろう。本当になんでか見当もつかないけど……止めて欲しい。視界が(にじ)んでしまう。

 

「僕も思うところはあるけど……。夕立もこう言ってるしね。協力して、進んでいこう」

 

「そうね! 私も司令官のために、いーっぱい働いちゃうから! 遠慮せず頼っていいのよ?」

 

Да(ダー).独りの寂しさは知ってる。司令官を独りにはしないさ。信頼してくれていい」

 

 時雨、雷、響と続けざま好意的な表明をしてくれる。

 しかし、輪をかけて意図が読めない、意味が分からないのは響だ。僕の何を知っているんだ? という気持ち以上に……分かってくれている(・・・・・・・・・)、と感じてしまう。艦娘とは一体何なんだ、本当に。

 

「すぅ――………」

 

 彼女たちの言葉を受けてぐちゃぐちゃになった内心を誤魔化すように、机に視線を落とし、細く息を吐く。

 今は五十鈴たちの言葉を受け入れ、提督として一歩を踏み出すべき時だ。

 

「お前たちの考えは分かった。感謝する。この通り右も左も分からない素人だが、懸命に働くつもりだ。今後とも、俺を支えて欲しい」

 

「「「「「はいっ!!」」」」」

 



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13.はなしなげーでございます

「それで提督? 早速なのだけれど……私たちは最初に、何をすべきかしら?」

 

 僕を提督として認めてくれた五人の艦娘たちだったが、やはりというか五十鈴が指示を仰いできた。

 声高らかに僕をサポートすると宣言した直後だ。ここで懇親会を開こう、なんて口が裂けても言えない。言う気もないけど。

 

 彼女が求める命令を下す必要があるようだ。

 

「そうだな……。予定通り、遠征に行ってもらおう。五十鈴を旗艦に水雷戦隊を編成、練習航海として鎮守府近海へ向かうように」

 

「了解よ」

 

 満足そうに腕を組み、笑顔で五十鈴は頷いた。どうやら的外れな答えではなかったらしい。だが。

 

「ところで提督。遠征が大本営の承認制で、私たちが現状取り組めるのは練習航海のみ。それはご存知よね?」

 

 僕を試すように、そんなことを言ってきた。

 

「ああ、把握している。施行を認められている遠征作戦から難なく帰還し、規定以上の資材を確保できれば後段遠征の実施を認められる、ということだな。

 実績のないこの鎮守府で認められているのは、最も基礎的な遠征作戦である練習航海のみだ」

 

「……そこまでは求めていなかったけれど。流石だわ」

「言ったろう、前向きに取り組んでいるつもりだと。やる以上は本気だ」

 

 五十鈴の誉め言葉に気をよくした僕は、少し調子に乗って答えてしまった。でも実際、模範解答だったんじゃないかなと思う。

 

 得意げな様子が態度に出てしまったか、そんな僕を見て五十鈴はにやりと意地悪そうな笑みを浮かべた。

 

「では問題を出すわね? と言っても、仮定の話よ。矛盾点は聞き流して頂戴」

「ふむ」

 

「こんな鎮守府があったとするわ。遠征任務に一切手を付けず、海域攻略ばかりに取り組んでいた。僅かな備蓄を的確に運用し、定期的に大本営から支給される微々たる資材のみで建造・出撃を実行。誰もが羨む輝かしい戦果を挙げた、そんな鎮守府」

 

 矛盾点というのは着任している艦娘の数だろうか。初期資材だけでは建造もままならず、建造できなければ艦娘が居ない。艦娘が居なければ、大本営からの支給資材もない。資材が無ければ備蓄の運用も何もあったものじゃない。

 

 余談だけど、大本営からは定期的に資材が支給されるらしい。これは鎮守府の戦果、所属している艦娘の数とその練度によって多寡(たか)が変わってくる。

 

 五十鈴が話題に挙げた鎮守府は、確かに矛盾の塊だ。

 

 ……っといけない。流せと言われたのに考え込んでしまった。

 そんな僕に気付いているのかいないのか、五十鈴は心持ちゆっくりと言葉を続ける。

 

「そんな鎮守府も近海は落ち着いて、差し当たり遂行が急がれる作戦も無くなった。

 ここでその鎮守府の提督は、初めて遠征任務に手を付けることにするわ。

 とは言っても、勲章をいくつも賜った鎮守府よ? 当然その提督は、大本営に願い出るわ。実力に見合った遠征作戦に取り組みたい。

 えーとそうね……。練習航海が遠征ノ一だとして、最初から遠征ノ十の実施を承認してほしい、とね」

 

「妥当な申し出じゃないのか?」

 

「否定はしないわ。でもこの具申は間違いなく認められない。何故かわかって?」

 

 勲章というのは、お偉いさんが付けてるバッジのことだろう。そんなものを複数貰えるような歴戦の提督でも、遠征については所謂(いわゆる)飛び級が認められないのか。

 

「……他の鎮守府に対して示しがつかないから、とか? 実力があるからと認めてしまえば、他の要因でも認めざるを得なくなる。七光りとかな」

 

 僕の捻くれた回答に五十鈴は少しムッとした表情を見せたが、思い直したように目を閉じて一つ頷いた。

 

「無くはないわね。遠征の承認制も立派な軍規だもの。簡単に例外は認められない。提督の言う通り、一度の例外が悪しき慣例になりかねないわね。でも違うわ」

 

「降参だ」

 

 参ったというように両手を上げると、それぞれの手のひらに何かが乗る感触。

 嫌な予感を感じつつ視線を自分の手に向けると、二人の妖精さんがちょこんと僕の手に座り込んでいた。周りには当然のように他の妖精さんたちが群がっている。

 

「はなしなげーでございます」

「いつまであたちたちをほうっておくの?」

「やっぱりわれらよりかんむすのほうが」

「いや、わたしたちがおおきくなればあるいは」

「ぎゅーにゅーのまなきゃまいにち」

 

 思わず半眼で妖精さんたちを見つめていると、くすくすと五十鈴が笑いを噛み殺していた。他の駆逐艦四人も同様だ。妖精さんの声は聞こえていないだろうが、よほど僕の姿が滑稽なのだろう。

 くそぉ、内心恥ずかしいけど、放置し続けて拗ねてしまった妖精さんたちを無下に扱う訳にはいかない。

 

「ほら、答え合わせをしてくれ」

 照れを隠すように答えを促すと、指で涙を拭いながら五十鈴は頷いた。そんなに面白いか。

 

「ふふっ、簡単なことよ。深海棲艦の撃退を目的とした強襲等作戦と、資材の確保・運搬を目的とした遠征作戦では、艦隊の運用が根本的に違うから。

 会敵したとき、遠征では敵艦を沈める技術より、輸送船の防衛や、素早く撤退する技術に重きが置かれるわ。どんなに練度が高い艦隊だろうと、タンカーに流れ弾でも当たったら資材を無駄にするだけだもの」

 

「……なるほど」

 

 五十鈴の分かりやすい説明に思わずため息を漏らすと、満足そうに彼女は胸を張った。

 

「さて、それじゃあ練習航海に行ってくるわ。提督、私たちが出てる間、サボっちゃ駄目よ?」

「当然だ。お前たちが確保した資材と消費した資材を把握し、後段遠征の編成に活かさないとな。お前たちこそ、すぐに出られるのか?」

 

 五十鈴は僕の返答に再び笑みを浮かべながら、左右に結った長髪を翻し。

 威風堂々と僕に背中を向けて宣言する。

 

「当然、準備は万端よ。出撃します!」

 



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14.まじめなおはなしなのよ?

 

「ねー、かいー」

 

 艦娘の皆が遠征へ出撃するため部屋を退出した直後。

 一息つこうかと思った僕に、未だ手のひらの上で鎮座する妖精さんが声をかけてきた。

 

 鎮守府に着任してからは海提督(かいていとく)と呼んでいたはずだけど、一体どうしたんだろう。

 というか。

 

「えっと……妖精さん? 僕の手から降りてくれないかな。さすがに腕が痛くなってきたんだけど。話はそれからでも」

 

「こらっ、まじめなおはなしなのよ?」

「しずかにききんしゃい」

 

「あ、うん」

 

 ピシャリと言われてしまうと従わざるを得ない。これは僕が下に見られている訳じゃなく、妖精さんが無意味に僕へ苦痛を強いることなんて無いと知っているからだ。

 でも出来れば早めに済ませて欲しい。

 

「かい、つらいでしょ?」

「くるしいでしょー?」

「……うん?」

 

 これまた漠然とした内容だ。一体何を指して言っているんだろう? 両手? 辛いです。言わないけど。

 

「触れたこと無い分野だし、勉強とかはまあ、辛いかな」

 

「それじゃないー」

「それもあるでしょーけど」

「いすずとさー」

 

「五十鈴と?」

 

「はなすのつらいでそ?」

「? …………!」

 

 一瞬何のことかと思ったけど、言われて思い出す。大淀ノートの件で五十鈴に詰問された時、確かに僕は言い表しがたい辛さを覚えていた。

 今まで同級生や大人たちに迫られた時には感じなかった、身に覚えのない息苦しさ。

 

 そう、僕はあの時、五十鈴に対して罪悪感(・・・)を感じていたのだ。怒りを露に迫る彼女に、何故だか申し訳ない(・・・・・)、と。

 ただ、それが辛いから五十鈴と話すのが嫌なのか、と聞かれるとそれも違う気がする。

 

「かいはもうきづいてるよ」

「……何に?」

 

「かんむすはにんげんじゃないって」

「…………」

 

 妖精さんの言葉は、ただの事実確認じゃない。僕が確かに感じていて、自分では言葉に表せないそれを。気づかせようとしてくれているんだ。

 

 艦娘は人間じゃない。一般論じゃなく、それが僕にとってどういう意味を持つか。

 まず、僕にとって、人間とはなんだ?

 

 ――異端な存在を、自分とは違うものを排除する冷酷さだ。

 ――本心を隠して、遠回しに己の考えを押付ける傲慢さだ。

 ――周りに倣って、正義を下すように拳を振るう暴虐さだ。

 

 

 僕にとって、人間とは――――悪意そのものだ。

 

 

 では逆に、僕にとって艦娘とはなんだ?

 

 大淀、夕立、雷、時雨、響、五十鈴。僅かに接した時間の中で、彼女たちから何を感じた?

 

 

 艦娘として最初に出会い、二日間机を共にした大淀。彼女は――とても生真面目だった。大本営の命令に振り回され、僕みたいな素人に提督として必要な知識を叩き込んだ。

 

 急にこの鎮守府を()つことが決まってからも、決して妥協はしなかった。別れの時、僕に気付かれまいと化粧で隠そうとしていたが、目の下は隈で黒ずんでいた。

 これから作戦海域に出撃するというのに、携帯端末を渡し、最後まで僕の行く先を案じていた。……僕はそれを、僕のような厄介ごとから解放されて清々しただろう、などと軽んじたけれど。

 大淀は最後まで、懸命に僕を支えようとしてくれていた。

 

 

 最初の建造によって着任した夕立。夕立は初めて言葉を交わした時から、とても好意的に接してくれた。嫌いだった名前を褒めてくれて、動揺した僕を心配してくれた。

 誤魔化すように口走った、初期艦として頼りにしている、という言葉に、心底嬉しそうに笑ってくれた。改めて思い起こすとよく分る。夕立は僕に、何度も喜びをくれたのだ。

 

 

 雷、時雨、響とはまだほとんど接点が無い。だが、五十鈴が言った、僕が一人前の提督になるまでサポートする、という言葉にしっかりと頷いた。

 三人の表明に、嘘偽りは感じられなかった。特に響の、独りの寂しさを知っている。僕を独りにはしない、という発言。恥ずかしい表現だけど、正直心に沁みた。

 

 

 そして(くだん)の……五十鈴だ。僕が素人なのではと疑い、怒気を隠さず詰め寄ってきた。今までの人生で何度も繰り返した状況。一方的な断罪。そう捉えた僕は、人間に対するやり方と同じ方法で身を守った。……開き直ったような態度で、皮肉を口にした。

 

 それだけが理不尽な外敵(にんげん)に対する、唯一の対抗手段(ぶき)だったんだ。そうすると大抵は、ほら見たことか、認めたぞと僕の処刑に移る。形式だけで耳に入れる気のない、僕の自己弁護の時間を握りつぶす。

 

 しかし五十鈴(かんむす)は……ふざけるな、と声を上げた。これは気を晴らすための無意味な裁判なんかじゃない。そうせざるを得なかったなら理由を教えてくれ、と言外に叫んでいたんだ。

 

「――――ああ、そっか」

 

 得心して呟いた僕に、妖精さんはにっこりと微笑んだ。

 

「五十鈴は……艦娘は、真っ直ぐだった。自分を偽らなかった……」

 

 彼女に対して感じた罪悪感。その正体が確かに見えた。

 自分の思いを隠さず、丸腰で近づいてくれた五十鈴に、僕は……。

 斬りかかった(・・・・・・)のだ。自分を守るため、人間に振りかざしてきた対抗手段(ぶき)を。

 

「僕はずっと、彼女たちを騙してた……」

 

 一人称を俺と偽って。乱暴な言動をとった。今まで通りに、外敵(にんげん)接する(たたかう)ように。

 

 妖精さんたちが気づかせようとしてくれてたものは、これだったんだ。

 心のどこかで彼女たちから感じていた真摯さ。それに対して僕は武器を振りかざし、気づかないうちにストレスを抱えていた。これでいいのか(・・・・・・・)、と。

 

 妖精さんたちは気づいていたんだ。僕が知らない、気づいていない僕の苦悩に。

 

「……ありがとね、妖精さんたち」

 

 昔からそうだった。僕が悩んだ時、落ち込んだ時。いつだって隣で支えてくれるのは妖精さんだった。だからこそ、僕は妖精さんを疑わない。

 そして、妖精さんが困っていたら助けてあげるのだ。僕にできることなんてたかが知れてるけど、だからこそ出来ることをなんだってやってやるんだ。

 

「うむうむ」

「いいのよ、あたちたちのなかじゃない」

「でもこれで」

 

「?」

 

 僕が感謝を口にすると、妖精さんたちは顔を見合わせてにぱっと笑った。

 そして……実は考えをまとめている間、間抜けにも(かか)げっぱなしだった手のひらから飛び立ち、妖精さんたちは僕を取り囲んで両手を突き上げる。

 

「かいていとくがちんじゅふにちゃくにんしましたぁ」

「ばんざぁい! ばんざぁい!」

「あかつきのすいへいせんに!」

「しょうりをきざみなさぁい!」

 

 それはおそらく、僕が初めて鎮守府を訪れた日に。

 建物の入り口で、妖精さんたちが放った言葉だった。

 

 ……きっとこれは、妖精さんから僕への祝福だ。

 この日この時から、本当の意味で艦娘たちの提督になるのだと。

 

 もう痺れて若干感覚が無くなってきた両腕を、僕は力いっぱい突き上げ、妖精さんたちに続いた。

 

「ばんざーーい!! ばんざーーい!!」

 

 迷いを振り切るように、というかもうヤケクソだ! というように。

 僕はしばらく、妖精さんたちと一緒に拳を突き上げ、叫び続けていた。

 

 ……(はた)から見たら変な宗教の儀式だろうな、と落ち着いてから思った。

 



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15.ひとりでがんばるべし

 妖精さんの祝福を受けてしばらく。

 僕は自分を偽らず、ありのまま彼女たちと接することを決めた。と言っても妖精さん以外とはまともに人付き合いのない僕だ。きっと間違えてしまうこともあると思う。

 

 それでも、やってみないと進めない。

 僕は一人、提督室で艦娘たちの帰還を待っていた。というのも、

 

「きょうのところは」

「ひとりでがんばるべし」

「べしべしー」

 

 そう言った妖精さんたちに背中を押されたからである。

 ぐっとサムズアップするみんなに、僕も同じ動作を返した。

 

 正直不安だけど、何もかも妖精さんたちに甘えるわけにはいかない。

 提督室から出て思い思いの場所へと散っていく妖精さんたちを見送り、静かになった提督室で時計の針を見つめていた。

 

 そして。

 

「帰投したわ! 当然、遠征は成功よ?」

 

 幾ばくか時間が過ぎると、先ほどの礼節はどこへやら、ノックもせずに五十鈴が入室してきた。

 もちろん、一緒に遠征に向かっていた駆逐艦の四人も一緒だ。

 

 僕は心持ちゆっくり立ち上がり、コホンと咳を挟みつつ、緊張で乾いた口を開いた。

 

「あー……。うん。よくやってくれたね。お疲れ様。疲れてなければ詳細を報告してもらっていいかな? さっきも言った通り、今後に役立てないとね」

 

 情けないけど、五十鈴と目を合わせながら(のたま)う度胸はなかった。何があるわけでもない提督室の隅を見つめつつ、それらしいことを言ってみる。

 

「…………」

 

 誰からも反応が無かった。しかし彼女らの表情を確認しないわけにもいかず、恐る恐る視線を五人へ向けると。

 

「ふふっ。その方が可愛いわよ?」

 五十鈴はにやにやと口の端を吊り上げ。

 

「ぽーいっ! 提督さん、やっぱり演技してたっぽい!」

 夕立はズビシッ! と僕に指を突き付けていた。工廠で夕立には妖精さんと会話するところを見られていたし、感づかれていたんだろう。

 

「はわぁ~……」

 雷は何やらよく分らない声を漏らしている。両手を頬に当て、目を輝かせて僕を見つめていた。何だろう、凄く居心地が悪いんだけど。

 

「なるほど、本当に夕立の言ってた通りなんだね。うん、僕も今の方がいいかな」

 時雨はしばらくきょとんとしていたけど、得心したように頷いた。やっぱり艦娘だけで話し合った時に、夕立がフォローしてくれていたんだな。

 

хорошо(ハラショー)

 そして響だ。彼女は一言呟くと腕を組んで目を閉じ、ウンウンと頷いていた。だからなんなのその、さっきからの分かってるよ感は。しかも、その響の反応に違和感を覚えない自分がおかしい。

 

 まぁとにかく五人五色の反応を見た僕は、いたたまれなくなって再び目を逸らしてしまった。

 けれどこれは言っておくべきだと思い直して、改めて五人の顔を見渡す。

 

「……夕立の言った通り、事情があって僕は自分を隠してた。でも考えが変わった……いや、違うかな。考え方を変えていこうと思ってる。何度も混乱させて悪いけど、理解してほしい」

 

 何も具体的なことは言えなかったけど、腰を直角に曲げて頭を下げた僕の思いは伝わったようだった。

 

「……バカね、支えてあげる、って言ったでしょ? それに考えを変えるとは言っても、根っこは同じよね?」

 

 五十鈴の言葉はつまり、僕の目指す場所が変わるのか、ということだろう。

 それなら答えは一つだけだ。

 

「当然。僕はここで、一人前の提督になるよ。それは、そこだけは変える気はない」

 

 サポートすると言ってくれた君たちと、親愛なる妖精さんに誓って。

 

「なら良いんじゃない。しっかり頑張りなさい」

 

 曲がりなりにも上官に対する態度とは思えない、上から目線の言葉で。

 けれども慈愛に満ちた表情で、五十鈴は僕に微笑んだ。

 

 ――ぽつり、と。胸に温かい何かが灯ったような気がした。

 



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16.かいにはまだはやいわっ!

 

 艦娘の皆と新たに関係を結び、鎮守府での活動を開始してしばらく経った。

 

 大淀が残してくれたノートや、支えてくれると宣言した彼女たちの助けもあって、なんとか僕も提督として指揮を執ることができている。最低限ではあるけども。

 

 というのも、鎮守府とは深海棲艦の襲撃が確認された、あるいは予測される海域を守護するのが主な役割だ。言ってしまえば、鎮守府近海の制海権を確保できていれば、大本営からせっつかれることもない。

 

 もちろん、危険海域の攻略に対する積極性は常に求められるらしいけど。

 

 今のところ、五十鈴を旗艦とした水雷戦隊の活躍によって、鎮守府正面海域の近海警護は(とどこお)りない。

 それどころか、鎮守府から南西に広がる島々――便宜上南西諸島と呼んでいる――の沖合まで哨戒を行っており、提督が着任したばかりの鎮守府にしてはそれなりの活躍らしい。

 

 まぁ、五十鈴が提督室にあるPC端末と資料から他鎮守府の実績と比較して教えてくれたことで、僕には本当かどうかの判断はつかないんだけど。

 意味もなく彼女が嘘をつくこともないだろうし、素直に喜んでいいんだと思う。

 

 日々の哨戒任務に、遠征による資材の安定供給にもそれなりに慣れてきて、この頃は少しゆっくり時間をとれるようになってきた。……とはならなかった。

 

「制空権については分かったかしら?」

「なんとなくは……。とにかく、空母に艦上戦闘機を搭載して相手の航空戦能力を上回るのが大事、ってことだよね?」

 

「そうね。ただ、爆撃機や攻撃機も積まないと空母は敵艦を直接攻撃できないから、兼ね合いが大切ね」

「たくさん積めばいいってもんでもないと。難しいね」

 

「ま、うちにはまだ空母が居ないし、出撃海域でも敵空母は確認できていない。詳しいことは追々ね。

 でも今後の作戦全てに関わるといってもいい重要事項よ。上から一方的に叩けるのか、あるいは叩かれるか。それで全戦域の趨勢(すうせい)が決まると言っても過言じゃない。

 大事なことだという意識だけはきちんと持っておきなさい?」

 

「了解。空母を建造できたら、直接話を聞きながらもう一度確認しよう」

「うん、良い返事ね♪」

 

 艦隊の指揮やら執務が終わっても、空いた時間は五十鈴から勉強を教わることになるからだ。

 と言っても、別に不満がある訳じゃない。僕の理解度に合わせて教えてくれるし、彼女の期待通りの回答ができれば機嫌良さそうに褒めてくれる。

 

 教師が黒板に書いたことをノートに写して、テストになると出題範囲を暗記するだけだった学校のお勉強とはまるでモチベーションが違った。

 

 先生との相性って大事なんだなぁ……なんて。五十鈴が教え上手ってのもあるだろうし、今までの学校生活で先生って当然人間なんだから、相性も何も無いんだけどね。

 

「なんかかんちがいしてそー」

「いままでがいままでですし」

「たのしければよかよー」

 

「かいにはまだはやいわっ!」

「かいにははやいほーがいくない?」

「ちがうそうじゃない」

 

「しかしぷっ、ぷゅ、ぴゅあねー」

「とゆーかちょろい?」

 

 妖精さんたちは勉強中の僕を邪魔したりせず、基本的に部屋の隅でティータイムに興じている。楽しそうにお喋りする声が気にならなくもないけど、五十鈴の機嫌を損ねたくはないので聞こえないフリをした。五十鈴には妖精さんの声が聞こえていないし。

 

 余談だけど、妖精さんが直接艦娘に話しかけると、何となくの意思疎通はできるらしい。楽しい、焦っている、とかの感情だったり、内容を単語レベルなら端的に感じとれるそうだ。

 

 それはともかく。とまぁこんな感じで、鎮守府としての役割を何とか果たしつつ、提督としての知識をつけるために勉強する毎日だ。もちろん、僕が他のことを気にせず提督業に努められるのは他の艦娘たち……というか、主に雷のおかげなんだけど。

 

「はーい! 司令官、お洗濯ものもらいますよー!」

 

 雷は驚くほど献身的で、僕が提督としての仕事に専念できるよう、身の回りの雑事を積極的にこなしてくれていた。最初は出会って間もない女の子に洗濯を頼んだり、部屋の掃除をしてもらうのは恥ずかしいし、申し訳ないので断ったんだけど……。

 

「そんなんじゃ駄目よぉ! みんなで司令官を支えるって言ったでしょ? 五十鈴さんが司令官の先生なら、私は家政婦になってあげる!」

 

 明らかに仕事としてやるべきだというような使命感や、義務感から言っているのなら僕も固辞(こじ)していた。でも雷の満面の笑顔を見るととてもそうは思えず、やりたいからやるんだ、という強い意志がうかがえた。

 

「……うん、じゃあ悪いけど、よろしく頼むよ。でも面倒だったらいつでも言ってね?」

 

「わかったわ! でも、もーっと私に頼っていいのよ! 司令官こそお仕事が大変だったり、体調が悪かったらすぐに言ってね? 雷じゃなくても、みんな力になるんだから!」

 

 いちいち僕を泣かせようとするの止めてくれないかな。彼女たちに悪気はないんだけど、だからこそ胸に沁みてつらい。

 

 こうしてなんやかんやありつつも、僕を提督として支えてくれる艦娘たちの助けもあって、鎮守府での生活に慣れてきた。

 

 そんな中、とある一人の艦娘の不満が爆発したのだった。

 

「っぽぉーーーーーーいっ!!」

 



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17.くちくかんゆうだちがのりこんできました

「っぽぉーーーーーーいっ!!」

 

 とある日の早朝。妖精さんが用意してくれた緑茶を啜りながら、僕が提督室で大淀ノートを開いていたところ、素っ頓狂な怒声と共に両開きの部屋の扉がバタン!! と大きく開かれた。

 

「ひゃわーーー」

「てきしゅう! てきしゅう!」

 

「くちくかんゆうだちがのりこんできました」

「てったい! てったいー!」

 

 入口付近ではないちもんめをしていた妖精さんたちが、風圧で散り散りになっていく。

 

「……どうしたの? 夕立。今日は休日だから集まらなくて良いんだよ」

 

 僕の言葉通り、現れたのは駆逐艦夕立。そして今日この鎮守府は休日だ。

 

 鎮守府は治外法権に近いものがあるらしく、活動期間については提督の裁量に任されている。

 もちろん、大本営の定期調査で鎮守府として機能してるとは言えない活動日数だと判断されたり、逆に艦娘を酷使していると摘発対象になるみたいだけど。

 

 この辺りの采配は海軍兵学校での訓練生時代に教わるようで、当然僕は基準を知らない。大淀ノートにも記載はないし、他の鎮守府もわざわざ公表していなかった。

 

 とりあえず今着任している五人の艦娘と相談して、一般的な日本の会社の労働時間と出勤日数を参考にしている。つまり、週5日勤務の2日休だ。

 まぁ、鎮守府近海の哨戒だけは毎日欠かせないから交代で行ってもらっているけど、今日夕立は非番のはずだった。

 

「うぅ~~~~」

 

 夕立は両腕を胸前でギュッと合わせ、ぱたぱたと執務机の前に走ってきた。高校時代、同級生の女子が好いているらしい男子の前で同じことをした時は気色悪かったのに、なぜだか夕立がやると違和感が無かった。

 

「提督さんっ!」

「ハイ」

 

「もっと夕立を頼って欲しいっぽい!」

「……ハイ?」

 

 艦娘が五人しかおらず、全員に負担を強いてしまっている現状。

 頼りっぱなしなのを(なじ)られこそすれ、さらに頼れと言われても困ってしまう。

 

「夕立には十分助けられてるよ。ありがとう」

「そうじゃないっぽいっ!」

「えぇー……」

 

 感謝を告げてみたものの、やっぱり納得がいかないっぽい。

 というか否定した割にあたふたしてる様子を見ると、夕立も自分の言いたいことを整理できてはいないみたいだ。

 朝起きてすぐに、気持ちの(おもむ)くままにここへ突撃したんだろう。イノシシかな?

 

「えーと、えーっと……。そう! 五十鈴!」

「五十鈴? 五十鈴がどうかしたの?」

 

「提督さんは五十鈴に勉強を教えてもらってるっぽい!」

「そうだね。情けない話だけど」

 

「あと雷! 雷は、提督の身の回りのお世話をしてるでしょう!?」

「あぁ、うん……。そうだね、本当に情けない話だけど……」

 

 艦娘の年齢を考えるのは野暮だと五十鈴に言われたことがあるけど、パッと見年下の女の子に世話を焼かれている自分を省みると、何とも言えない気分になるね……。

 でも、雷が凄く嬉しそうに洗濯や掃除をしてくれているのを見ると、もう受け入れるしかない。実際心底助かっているし、文句なんて欠片もないんだけど。

 

「ちがうのっ、提督さんが情けないとかじゃなくて!」

 

 僕の遠くを見るような目に気付いた夕立は、両手をブンブン振って他意はないことを示してくれた。うん、ありがとう……。

 

「でもでも、そういう感じ! あたしも二人みたいに、何か、作戦とか以外でもお役に立ちたいっぽい! その、一応、初期艦だし……」

 

 ……いい子だなぁ。最後の方は指を合わせてもじもじと、言葉は尻すぼみになっていたけど。

 夕立は今でも、僕が何の気なしに言った、初期艦として頼りにしている、という言葉を大切にしてくれているんだ。

 

 思えば他の四人が僕を不審がっていた時から変わらず、陰に日向に支えてくれていた。

 彼女の、僕の役に立ちたいという思いは紛うこと無いものだろう。それに対し、僕は面と向かってきちんと感謝を伝えていただろうか? きっと答えは否だ。

 

 もしかすると夕立は、そのせいで不安になったのかもしれない。きちんと役に立てているのだろうか、と。

 

「けなげねー」

「ぽいんとたかい」

「せっかくだしなにかたのんだら?」

 

 そうだね。そのあとに、今までのことも改めて感謝を伝えよう。夕立が初期艦じゃなかったら、今僕は提督としてこの場に立っていなかったかも知れないんだから。

 

「……それじゃあ、夕立。一つ、僕のお願いを聞いてくれるかな?」

「っ! もちろんっぽい! 一つじゃなくてなんでも言って欲しいっぽい! 夕立頑張るっぽい! ぽいぽいぽーいっ!!」

 

 僕の言葉に、夕立は目を輝かせて勢いよく執務机に身を乗り出す。

 

「……僕を海に連れて行ってくれないかな」

「……ぽい?」

 

 机に両手を突いたまま、夕立はこてんと首を傾げた。

 



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18.きょうはほーむらんね

「今日は波が凪いでるね。こういう日はやっぱり、航行(こうこう)(やす)かったりするの?」

「う、うん。もちろん、水面が穏やかなほうが楽に移動できるっぽい」

 

 提督室から場所を移し、僕と夕立は鎮守府内の砂浜に足を運んでいた。

 妖精さんは着いて来ておらず、海辺を歩いているのは僕たち二人だけ。

 

「あたちたちがいるときがちるでしょ?」

「しんこうをふかめますとよろし」

「いっぽさきにすすんでもいいのよ?」

「きょうはほーむらんね」

「まわれまわれー」

 

 とのことだった。

 

「うーん、軍服で来たのは間違いだったかも。用意してもらった靴だと歩きにくいね」

 

 白く、粒が細かい砂浜は、歩くとしゃりしゃり鳴って小気味良い。

 でも支給された革靴だとつま先が思ったより砂にめり込んで、足をとられそうになる。

 

「提督さんは、あまり海には来たこと無いっぽい?」

「実はそうなんだ。実家から近場に無くてね。あまり機会にも恵まれなかったし」

 

 小学校も一年生の二学期に入る頃には、僕は既に『おかしな子』として見られていた。

 

 海なんかに遠出する時には、先生たちは当然僕から目を離さない。見知らぬ地でも妖精さんと遊びたかった僕は、同級生に混ざって水遊びをする気もなかったし、他の子たちも僕が混ざればすぐに遊ぶのを中断したと思う。

 

 けれど、一人で妖精さんと戯れていると『そうやって気を引こうとするのは良くない』と見当違いの説教を受けてしまい、当時は遠出しても教師の待機場所から見える場所で、静かに座り込むしかなかった。

 

 妖精さんたちには気兼ねなく遊んで来て欲しいと言ったけど、優しい彼女たちは僕を放って楽しむのを良しとしなかった。

 何度か学校行事で遠出するたび、同じことを繰り返して懲りた僕は、結局遠足行事をほとんど休むようになった。

 

 両親も、離れた場所で僕が奇行に走るのを嫌ったんだろう。特に口出しされることもなかった。

 

「……まぁでも、今日は来れてよかったよ。鎮守府は海に囲まれているけど、僕なんかはきっかけが無いと、こうして砂浜を歩いたりもしないからさ」

 

 もちろん、そんなつまらない話を聞かせる訳にはいかない。

 ふとよぎった苦い記憶を胸にしまい、僕は夕立に向き直る。

 

「提督さん……」

 

 しかし、夕立は痛ましそうな表情を僕に向けていた。

 しまったな、嫌なことを思い出したせいで少し気が落ちた。平静を装ったつもりだったけど、表情に出たらしい。

 

「あー……。その、何でもないから。ちょっと陽射しが強いかなって」

「提督さん!」

 

「あ、う、うん?」

 

 急いで誤魔化そうとした僕の言葉に割り込んで、夕立はどこか意を決したように顔を上げた。

 

「ちょっとここで待ってて欲しいっぽい!」

「えっ、ちょっ! 夕立!?」

 

 言うや否やすさまじい速度で夕立は砂浜を離れていく。向かっているのは……出撃ドック? 艦娘たちが作戦行動の際、海域へと旅立つための施設だ。

 一体どういうつもりだろう……?

 

 ……とにかく、待ってみるしかないか。出撃ドック内もなかなか入り組んでいて、妖精さんか艦娘の案内が無いと夕立を探すどころか施設内で迷いかねない。

 仕方ないので目の前に広がる水平線を眺めて、僕はぼーっと砂浜に立ち尽くしていた。

 

 

 

「…………穏やかだなぁ」

 

 思ったことを、何とはなしに呟いてみる。

 言葉通り、海はどこまでも凪いでいて、日夜艦娘と深海棲艦が戦いを繰り広げているとは思えないほどだ。

 

 しばらく前の僕なら、この光景を見ても他に感じることは無かっただろう。

 でも、今の僕は知っている。水底(みなぞこ)から襲い来る敵を。そして人間を守るため、それらと戦う彼女たちの存在を。

 

 直接戦う訳じゃない僕は、実感を伴って偉そうなことは言えないけど。

 目の前に広がる光景は、僕にとってこの世界のどこよりも尊いものだと思えた。

 

「お待たせっぽい!!」

 

 どれくらい時間が経ったのか、僕が感傷に浸っていると元気な声が。

 しかしそれは夕立が立ち去った出撃ドック側の陸地ではなく、海の方からだった。

 

「急にどうしたの、ゆうだ、ち……。……何してるの?」

 

 声のほうへ視線を向けると、艤装を装着して海上に立つ夕立の姿。

 その背後には……ゴムボート? ワイヤーで彼女の艤装と連結されているようだ。

 

「提督さん、海に出ましょ!!」

「…………海に? 僕が?」

「ぽいっ!!」

 

 一瞬言ってることが分からず聞き返す僕に、夕立は満面の笑みで一言。

 

「提督さんがどういう理由で、海に連れて来て欲しいって言ったのか、夕立には分からないっぽい……。

 でも、砂浜なんて海の一部でしかないんだから! あたしの知ってる海に、提督さんを連れて行ってあげる!」

 

「夕立の知ってる、海に……」

 

 視線を足元に落として彼女の言葉を反芻(はんすう)すると、胸の奥底から湧き上がってくるものが確かにあった。

 いつぶりだろう、ずっと昔に、どこかに置いてきた感覚。

 

 そう、僕は……。わくわくしていた(・・・・・・・・)

 

「提督さん!!」

 

 またもや顔に出てしまったのか。しかしさっきと違って、夕立の声音はとても嬉しそうなものだった。

 

「夕立……行こう!!」

「っぽーーーーい!!」

 

 ばしゃばしゃと、膝下が海水に浸かるのも気にせず。

 片手を掲げてやる気満々の夕立に近寄り、彼女が引いてくれるであろうゴムボートによじ登る。

 

 僕がシートベルトを締める頃合いを見計らい、夕立の艤装が唸りを上げ。

 

「提督さん、しっかり掴まってるっぽい!

 ……駆逐艦夕立、出撃よ!!」

 

 彼女が声を上げた直後。

 

「えっ」

 

 ―――世界が後ろに吹き飛んだ。

 



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19.さあ、ステキなパーティしましょ!!

 

 静止状態から急激な加速を始めた夕立に引かれ、僕が乗るゴムボートは水面を高速で滑る。

 

「ぅわあっ!? ぶはっ!!」

 

 駆逐艦の航行速度はおよそ30~40ノット、時速換算で50~70Km程度らしい。

 水面から顔に飛び散った飛沫(しぶき)と一瞬のGにより、思考が定まらない僕の脳裏をそんな知識がよぎる。

 

(これで自動車と同じ程度!? 嘘でしょ!!)

 

 穏やかな波に障害物の欠片もない水平線。夕立を邪魔するものは皆無だ。

 

「うぅ~んっ、気持ちいいっぽーい!」

「ちょっ、夕立! 速い速い!!」

 

「!! そうでしょそうでしょ!? 速さには結構自信あるっぽい! 提督さんのためなら、夕立どんどん速くなれるっぽい!!」

「そうじゃなくてっ、ていうかもっと!?」

 

 軍帽が飛ばされないよう片手で抑えながら叫ぶ僕の想いは届かず。褒められたと勘違いしたらしい夕立は、さらに速度を増していく。

 

「さあ、ステキなパーティしましょ!!」

「うわぁああああああああああああ!!」

 

・・・

 

「な、慣れてきた……」

「ご、ごめんなさ~い……。提督さん、酔ったりしてない?」

 

 しばらく叫び続けた末、声が枯れボートの勢いままに仰け反っていた僕。背後の絶叫が途絶えたことに気づいてくれた夕立は、心底申し訳なさそうに手を合わせていた。というか涙目だった。

 

「うん、それは意外に大丈夫だった……。急発進するのだけ止めて欲しいかな……」

 

 実は夕立がスピードを緩める直前くらいには、速さにも慣れて来ていた。どうやら止まった状態から急に加速したせいで速く感じただけだったようだ。

 落ち着いてしまえばたしかに、車両の速度とそこまで乖離(かいり)していないように思える。

 

 しかし一瞬で風と海水が顔に叩きつけられて、呼吸がしづらくなったせいもあり、情けなく取り乱した。これじゃあ夕立が罪悪感を感じてしまいそうだ。

 

「わかったっぽい……。ゆ、ゆっくり走るから、許して欲しいっぽい……」

 

 あぁやっぱり。僕が大袈裟に騒いだせいで落ち込んでしまっている。

 

「いや、気にしないで。いきなりだったから驚いただけで、あとの方は割と平気だったから。さっきと同じ速度で走っていいよ」

 

「ほ、ほんと? 提督さん、無理してない?」

「もちろん。ほら、夕立の知ってる海を見せてくれるんでしょ? 僕も、夕立が見ている景色を、同じ速さで楽しみたいから」

 

「て、提督さん……!!」

 

 感極まったように夕立は瞳をうるうるさせている。よし、なんとか気を持ち直してくれたようだ。

 

 驚きで心臓はまだ跳ねてるけど、この鼓動はそれだけじゃない。

 まだ僕の胸には、砂浜を発った時のわくわくが宿っている。

 

「さ、夕立。気を取り直して」

「! っぽい! 最高(さいっこう)に……」

 

 笑って彼女へ頷く僕に、夕立も満面の笑顔で応えてくれる。

 

「ステキなパーティ「しましょ!!」「しよう!」」

 

 視線を交わし、息を合わせた僕らの声とは裏腹に。

 夕立と彼女に引かれるゴムボートは、少しずつ速度を上げていった。

 



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20.君に出会えて、本当に良かった

「おぉ……気持ちいい! はははっ!!」

 

 徐々にスピードを増し、最高速度に達したであろう夕立に引かれる、僕を乗せたボート。

 

 凪いだ波のおかげで舟艇(しゅうてい)は跳ねることもなく、滑らかに航行を続けている。時折降りかかる水飛沫(みずしぶき)も、今では心地よく感じられた。

 

 (まばゆ)く陽の光を反射する水面が、前を行く夕立が踊らせる黄金(こがね)色の長髪が。目に映る何もかもが新鮮で、輝いて見える。

 

「どう? 提督さん。今見えてる海は、提督さんの思ってた海と同じだったっぽい?」

 

「……違う。全然違うよ夕立。部屋を出る時に思い浮かべたのはこんな……綺麗な景色じゃなかった。どこまでも広がる海も、突き抜けるような青い空も、きらきら光る夕立の金髪も、全部が想像したこともないくらい綺麗だよ」

 

「えっ」

 

「ありがとう、夕立。今日、僕の部屋を訪ねてきてくれて。こんなに心が弾んだ日は無いって断言できるよ。さいっこうのパーティだ」

 

「そっ、それなら良かったっぽい……」

 

 僕が思ったままを伝えると、何故か夕立は俯いてしまった。でも声音は喜んでくれてるみたいだし、気にしなくてもいいのかな。

 ……あれ、というか、また徐々に速くなってるような。凄いな、まだ全力じゃなかったんだ。

 

「よし、夕立。もっと見て回ろう。夕立が知ってる海を、僕に見せて欲しい」

「もっ、もちろんっぽい! 海はとっても広いんだから!!」

 

 それから僕たち二人は色んな場所を回った。

 例えば艦娘たちが遠征の際、休憩に立ち寄る小島。

 

「ここでは少しだけ資材を回収できるの。でも質が良くないっぽくて、鎮守府の備蓄に回すのは難しいっぽい。帰りの燃料が不安なときなんかに、ちょっと補充にくるっぽい」

 

「へぇ~……。林しかない島に見えるけど」

 

「石油は地下に広がってるっぽい! 夕立も詳しくは分からないんだけど、艦娘(あたしたち)はこういう場所で補給しようって思ったら、そのまま出来ちゃうの! ドラム缶とかがあれば、油井(ゆせい)を設置しなくても回収できるっぽい!」

 

「油井……地下の石油を汲み取る装置だっけ。それが要らないんだ。凄いなぁ……」

 

 例えば、入り組んで水面が迷路のようになった岩礁(がんしょう)地帯。

 

「ここを最高速度で旋回できると気持ち良いっぽい……!!」

「おぉ……。怖い! 岩肌がすぐそばまで迫って怖いけど、凄いよ夕立! ボートが(かす)りもしてない!!」

 

「えへへ、牽引(けんいん)する時、引っ張る船の軌道を計算するのは当然っぽい!」

「曲がる時に速度を落とすのは!?」

 

「……知ーらない、っぽい~♪」

 

 例えば小さな島々が連なる海域、夕立によると、この辺りは汽水域(きすいいき)というらしい。

 

「その辺の島に川なんかの淡水があるっぽい! で、淡水と汽水域が近いところは……。あっ! ほら提督さん、あれあれ!!」

 

「っ! イルカだ!! 僕初めて見たよ!!」

「この辺りは群れで跳ねてるところが結構見れるっぽい!」

 

「うわぁ、あんなに高く跳ぶんだね……。かっこいいなぁ……」

「近くで見ると可愛い顔してるっぽい。提督さん、もっと近づいてみる? 人懐っこいから向こうから寄ってきてくれるかも!」

 

「うん! お願い!」

「お任せっぽい!!」

 

 小島の木陰で一息入れ、岩場でレースに興じ、イルカと戯れて。そのあともいろんな場所を夕立と廻った。

 

「あ……まずいな、もうお昼になるのか」

 

 楽しい時間はあっという間で、早朝海に繰り出したはずなのに、気づけば太陽が中天に差し掛かっている。

 

「むぅ~、もっと見せたいところあったのに、残念っぽい」

「名残惜しいけど戻ろうか。午後はちょっと無理だけど、またお願いしたいな」

 

「っ! えへへ、夕立も提督さんとまた、二人で遊びたいっぽい……」

 

 僕ばかり楽しませてもらってた気がしたけど、夕立も満足してくれたらしい。

 いずれまた海で遊ぶ約束を交わし、僕たちは鎮守府に戻るため来た道を引き返す。

 

「ごっはんー♪ ごっはんー♪ 今日のご飯はなーにっぽいー♪」

「その前に僕は着替えないといけないかな……うん?」

 

 すると道中、海上に似つかわしくないものを発見した。あれは……人?

 ……いや、違う。

 

「夕立、あれ」

 

 僕が夕立に声をかけ、遠くに見えるそれを指差すと、彼女はそちらへ視線を向ける。

 

「あれって……深海棲艦?」

「……あわわ、そう、っぽい……。しかも……ひっ!?」

 

 僕の肉眼ではよく見えなかったけど、そのシルエットはこちらを振り返ったように感じられた。同時に夕立は引きつった声を上げる。

 

「あれ、ら、ら……雷巡っぽい!!」

 

 彼女が正体を悟った途端、ソレはこちらへ向かって急速航行を開始した!!

 

「っ! 夕立、戦える!?」

「無理っぽい! 一応艤装はあるけど、雷巡相手に、提督さんを守りながら一人で戦うのは……!」

 

「分かった、逃げよう! 僕のことは気にしないでいいから、全力で!!」

「っぽい!!」

 

 瞬間、再び強烈なGが僕を襲う。でも今度は事前に分かっていたおかげで、落ち着いて姿勢を整えることができた。

 しかし。

 

 ぶぉっ――――ズドォオッ!!

 

「うわぁっ!!」

 

 一瞬の風切り音とほぼ同時。ボートの近くに、こちらを追っているであろう背後の雷巡の主砲が着弾する。

 舟艇に直接のダメージはないけど、衝撃で船底が一瞬水面を離れた。

 

「提督さんっ、無事!?」

「だっ、大丈夫!!」

 

「一応体を丸めて、頭を下げてて欲しいっぽい!!」

「分かった!」

 

「うぅ……、絶対、絶対助けるんだから……!」

「夕立……」

 

 ボートの上で縮こまる僕の耳に、夕立の自分に言い聞かせるような呟きが降ってくる。

 

「大丈夫!!」

「っ、提督さん?」

 

 ぶぉっ――――ズドォオッ!!

 

 再度水柱が立つのを意識的に無視して、僕はできる限り声を上げた。

 

「夕立は――僕の初期艦なんだ! 何度も僕を助けてくれた!

 君が走ってくれるなら――――僕たちは、絶対無事に帰れる!!」

 

「っ! ……今なら、夕立どれだけだって頑張れるっぽい……! ぽぉーーーーーい!!」

 

 夕立が裂帛(れっぱく)の気合を上げた直後、目の前で走る夕立の姿が輝きに染まり。

 その瞬間、僕の意識は途切れた。

 

・・・・・・

 

「はぁ……、はぁ……。つ、着いた……のか……」

「ぽ、ぽい~……」

 

 気づけば僕と夕立は、今朝の砂浜に帰ってきていた。全身海水まみれどころか、這いずって倒れこんだせいで砂だらけだ。

 なんで気絶してしまったのか、いつ意識を取り戻したのか、どういう航路を辿ったのか。

 何も思い出せないけど、夕立の頑張りのおかげで帰ってこれたことだけが実感としてあった。

 

「夕立、本当にありがとう。助かったよ」

「……ううん、こんなに頑張れたのは、提督さんのおかげっぽい。……それに、夕立が海に出ようなんて言わなければ……」

 

 砂浜に倒れて空を仰いだまま感謝を伝える僕に。外した艤装を放り出して、隣で同じように砂にまみれた夕立が、鼻にかかった声でそう応える。

 

「……そんなこと言わないでよ」

「ぐすっ、えっ……?」

 

「まだ半日なのにさ。僕は今日が、人生で一番楽しかった日だって、心からそう言えるよ。

 喉が枯れるほど叫んで、岩場を駆け抜けて、イルカと並んで走って、疲れたら木陰で休んで。初めてだらけの冒険だった。最後は怖かったけど、君が居ればやっぱり大丈夫だった。

 夕立が僕に見せてくれたものは、一つ一つがとびっきりの宝物(おもいで)になったよ」

 

「提督さぁん……ぐすっ」

 

「……僕がきちんと伝えられなかったせいで、不安にさせちゃってたみたいだけど。そのおかげで、最高の一日になったよ。

 ……夕立が着任してくれた日から、僕はずっと君に助けられてる。作戦だけじゃない。君の気遣いが、言葉の一つ一つが、今僕を提督としてここに居させてくれてる」

 

 上体を起こして、隣で横たわる夕立の顔を見つめる。彼女の目元は赤く腫れていて、伝った雫が砂浜に滲んで消えていた。

 

「……ありがとう、夕立。この鎮守府に来てくれて。何度も助けてくれて。今日、海に連れ出してくれて。

 君がこの鎮守府の……僕の初期艦で。君に出会えて、本当に良かった」

 

「提督ざぁん!!」

「うわぁっ!!」

 

 突然身を起こした夕立が僕に覆いかぶさり、またもや砂浜に背中をついてしまう。

 

「うわぁあああん! ぐずっ、夕立も、提督さんと出会えて! ここに来れて良かったぁ! ずずっ、うぁあああああ……!!」

 

 遠くで昼餉を告げる鐘が鳴っている。他の艦娘たちが食堂に集まる頃合いだ。僕たちも着替えて向かわないといけないんだけど……。

 

「ひんっ、ぐすっ、うぅ~~……」

 

 僕の胸に額を押し付ける夕立の心が落ち着くまでは。

 彼女たちが作り出した穏やかな波音を聞いていようと、頭上の太陽に目を細めながらそう思った。

 



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21.かいぞーかいぞーだーかいぞー

 

「改造?」

 

 とある日の朝。いつものように遠征と哨戒任務へ赴く艦娘たちを送り出した後、提督室で執務に取り掛かろうとした僕に、妖精さんたちが声をかけてきた。

 

「うむ」

「ゆうだちがいけそげー」

「おもってたよりはやいね」

「んねー」

 

 妖精さんの話によれば、作戦行動によってある程度経験を積んだ艦娘は、改造することで能力を向上させることが出来るらしい。

 

「それって夕立だけなの? 経験で言えば他の艦娘も似たようなものじゃないのかな」

 

「こたいさがあるのね」

「くちくとけいじゅんでちがったり」

「おなじくちくかんでもそれぞれちがったりするー」

 

 そういうものなんだ。

 

「改造って、具体的にどうするの?」

 

「けんぞーどっくにいれてー」

「あとはわれわれにおまかせ」

 

 また焼いたりするのかな……。資源から建造する時はともかく、中に艦娘が入ってるのが分かってる状態でそれはちょっと見たくないんだけど……。

 

 でもまぁ、妖精さんたちの言うことだし、きっと危険は無いんだと思う。

 それに五人が作戦から戻ったら、直接話を聞いてみれば問題ないはずだ。

 

「それじゃあ、皆が揃ったら話してみるよ」

 

「よきよき」

「せんりょくぞーきょーもたいせつなおしごとよ?」

 

・・・

 

「という訳なんだけど。どうかな、夕立。皆も意見があれば聞かせて欲しいな」

 

「夕立が改造……。ほ、ほんとに? もうできるっぽい?」

 

 海から戻った五人を提督室に集合させ、僕は妖精さんからの提案をそのまま聞かせた。

 話に挙がった夕立は少し呆けた様子を見せたけど、次第に頬を紅潮させて喜色を浮かべている。

 

「それが本当なら喜ばしいことだけど……」

「う、うん。どうなんだろうね?」

 

 ただ五十鈴と時雨は懐疑的な表情を浮かべている。雷も困ったように眉を寄せていた。

 響はぼーっとした様子で執務机の妖精さんたちを見つめている。ちなみに妖精さんたちは何かを振り上げては勢いよく叩きつける動作を延々と繰り返していた。

 

 改造のデモンストレーションらしけど、僕にはエア餅つきにしか見えない。

 

「何か不安なことでもあるの?」

 

 僕の質問に対し、口を開いたのは五十鈴だ。

 

「不安というか……。そもそも改造できるかどうかって、特殊な艦娘でないと判別できないのよ。工作艦、明石。そして兵装実験軽巡、夕張ね。艤装の開発やメンテナンスに精通したこの二隻だけが、艦娘が改造に耐えうる練度に達しているかを測ることが出来るの」

 

「え、じゃあその二隻が居ない鎮守府ってどうしてるの?」

 

「他の鎮守府や大本営直属の艦娘を定期的に招聘(しょうへい)して確認しているはずよ。申請すれば鎮守府の定期調査に同行させてチェックすることも出来るわ」

 

「なるほど。……あー、ということは」

「ええ。貴方が妖精から受けた提案が正しいかどうか、五十鈴たちには判断できないの。でも本当に改造できたとしたら、大事件ね」

 

「そうなの?」

 

「当たり前でしょう? 明石と夕張にしか出来ないと思われていた改造の可否判定が、妖精にはできる。可能性の話になるけれど、他にも大本営や艦娘(わたしたち)が出来ないと思っていたことが、妖精には出来るかもしれない。そして、その妖精と明確にコミュニケーションが取れるのは一人だけ……」

 

「提督さん凄いっぽい!」

Хорошо(ハラショー).さすが私たちの司令官だね」

「誇らしいことじゃない!」

 

 夕立に響、雷は好意的な反応を示してくれるけど……。

 

「五十鈴の口ぶりだとあまり良いことには聞こえないね」

 

「それはそうよ。特別待遇で大本営に席を用意する、って建前で軟禁されてもおかしくないわ」

 

「僕も同意見だね。急いで戦力を増強したい提督の中には、改造の可否が分からない状態で無理に実行して、資源を無駄に消費したり艦娘を傷つける場合もある。

 妖精と会話できるって能力は今のところ、提督としての資質の高さとしか見られてないみたいだけど。もし本当に妖精の言う通りなら……」

 

「その力は大きなアドバンテージになる。出世欲旺盛な、野心が強い軍人なら尚更でしょうね。妖精との意思疎通能力解明のために、実験動物扱いされるかも知れないわ」

 

 冗談じゃない! ……というか五十鈴と時雨は、ずいぶん大本営への風当たりが強いね。

 一般人の僕を提督として鎮守府に放り込んだという話をしてから、不信感は隠そうともしていなかったけど……まさかここまでだなんて。

 でも僕の身を案じてのことだと考えれば、くすぐったい気持ちになる。

 

「そんなことさせないっぽい!」

 

 夕立が一転して気色ばむと、響と雷もうんうんと大きく頷いてくれた。そんなに心配してくれるなんて……。

 

「……とにかく、確認してみるしかないわね。妖精の言葉が本当か分かるなら、失敗しても資源の無駄にはならないでしょうし。でも夕立、貴女は良いの? 最悪身体を傷つけることになるわよ?」

 

「大丈夫っぽい! 夕立は提督さんを信頼してるから! 提督さんのお友達の言うことなら、きっと本当だと思うっぽい!!」

 

「夕立……よし。妖精さんたち!」

 

 夕立の信頼に応えるため、僕は執務机の妖精さんたちに視線を向けた。

 

「おまかせあれー」

「かいぞーかいぞーだーかいぞー」

「ようせいさんのほんきみせたげるー!」

 

「頼んだよ! さぁ、工廠に行こう!!」

 



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22.ようせいさんのぎじゅつはせかいいちぃー!

 

「これが……改造……」

 

 勢いで工廠へ赴き、妖精さんに導かれるままにコンソールの改造キーを選択。やる気に満ちた様子の夕立が建造ドックに横たわってしばらく経った。

 

 役目を終えたドックが自動で開き、そこから歩み出てきた夕立の姿を見て、思わず僕は呆けた声を出してしまった。

 

 確かに彼女は夕立なのだろう、と思う。顔立ちやパッと見の印象の差はそこまでじゃない。でも、明らかに改造前とは違う点がいくつもある。

 

 瞳の色は紅に染まり、煌めく金の毛先も薄っすらと赤みを帯びている。改造の副産物なのか、纏っている艤装からも迫力を感じる。

 端的に言って、凄く強そうな見た目に変わっていた。

 

「ぽい……。夕立、凄く強くなれたっぽい……!」

 

 身体の変化に戸惑ったのも束の間、夕立は嬉しそうに広げた自分の両手を見つめて呟いた。

 その様子を見て、妖精さんたちも良い仕事をした、とばかりに腕を組んでうんうん頷いている。

 

「いいしごとをしましたな」

「さすがわれわれ」

「ようせいさんのぎじゅつはせかいいちぃー!」

 

 というか口に出して言っていた。どや顔で成功を喜ぶ姿は見ていて微笑ましい。

 

「すごい……。凄いわ夕立! とっても強そう!」

Хорошо(ハラショー).上手くいったみたいだね」

 

 夕立の改造成功に、傍らで様子を見ていた雷と響も喜色満面と言った様子だ。しかし。

 

「何よ、これ……」

「そんなことって……ある、のかな。……いや、おかしい」

 

 やはり五十鈴と時雨は訝し気な表情を浮かべていた。

 

「やっぱり、妖精さんの言う通り改造できたのはおかしいのかな」

 

 僕がそう問いかけると、五十鈴は眉を寄せて首を横に振る。

 

「この際それはどうでもいいわ。……いえ、良くないけれど。ぜんっぜん良くないけれど、夕立のこれに比べたら些細なことだわ」

 

「それってどういう……?」

 

「あのね、提督。一口に改造といっても色々あるのだけど、基本的には段階を踏むの。

 まずは未改造の状態。これは今の五十鈴たちね。次に一次改装の改。例えば時雨が一度改造に成功すると、時雨改、という状態になるの」

 

「ふむ……じゃあ夕立は今、夕立改なんだね?」

「違うわ」

 

「へ?」

 

「夕立は今、第二改造状態の夕立改二……。一次改装をすっ飛ばしてるのよ」

「前代未聞だよ、こんなの……」

 

 五十鈴の説明を引き継ぐように時雨が息をついた。

 

「前例は全くないの?」

 

「無いわね。一次改装で基礎を強化、二次改装で本格的に能力を向上って言うのが定説なの。

 だから改になっても見た目はほぼ変わらないわ。……でも、夕立のこれは明らかに一次改装の結果じゃない改二改装。頭が痛いわね……」

 

「でも、強くなったんでしょ?」

「それは、まぁ……」

「うん、そうだね。改より改二が当然強い。でないと改造する意味がないからね」

 

 五十鈴の言葉を引き取るように時雨が肯定した。彼女も夕立の様子に気付いたんだ。

 

 僕と五十鈴のやり取りを聞いて、さっきまでの嬉しそうな表情から一転、不安げな様子でこちらの様子を窺っている、寂しそうな姿に。

 

 ……五十鈴が懸念しているのは、多分大本営への報告についてだったり、今後の身の振り方についてだと思う。

 

 でもそれは人間の都合を考えてのことだ。

 夕立が強くなった。それの何がいけないんだ?

 

 それを可能にした妖精さんが、彼女たちと会話ができる僕が、大本営や他の提督から後ろ指をさされる謂れはあるんだろうか。

 

 答えは否だ。そんなことは絶対にない。

 

「夕立」

「っ、ぽい……?」

 

 びくりと身体を震わせる夕立に、出来るだけいつもの調子で笑いかける。

 

「改二改装、おめでとう。僕も嬉しいよ。これからも助けてくれると嬉しいな」

 

 ぱぁああっと頬を染めて喜びを浮かべる夕立を見て、改めて一つ決心する。

 妖精さんのため、だけじゃない。僕の身を案じて、支えてくれる艦娘たちのためなら、僕はきっとどんな敵とだって戦える。

 

「っぽい! 夕立、全力で提督さんのお役に立つっぽい!!」

 



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23.しおかぜがここちよいひよりなりー

 

「なぁ海原。何で先生が怒ってるか分かるか?」

「……」

 

 知りたくもない。

 

「教室のガラスを割ったことだけじゃないぞ。

 どういう理由で割ったのか、事故なのか故意なのか。何も話してくれないじゃないか。それとも何か? よっぽど後ろ暗いことでもあるのか? うん?」

 

「……すみません」

 

 何を話しても信じやしないじゃないか。

 

「なぁ。お前、謝ってれば許されると思ってるんじゃないだろうな? 小学生じゃないんだぞ。

 どうせ悪いことをしたとすら思っていないんだろ? 簡単に謝罪の言葉が出てくる奴は大抵そうだ。破片を片してくれたクラスメイトに礼の一つも言わなかったらしいじゃないか。

 一体何様のつもりなんだ? なぁ、教えてくれよ海原」

 

「すみません」

 

 何したって許されるなんて思ってないし、許しなんていらないよ。

 それに割ったやつが自分で片づけただけだ。割れた窓は隠せやしないから僕に押し付けた。礼なんていう訳ないだろ。

 

「言いたいことがあるなら言えと言っとるんだ!! なぁ海原! 俺をバカにしてるのか!? あぁ!?」

「すみません」

 

 バカになんてしてない。自意識過剰もいいところだ。他人に思うことなんて、関わらないでくれないかな、くらいなものなんだけど。

 

「…………チッ……。はぁ。良かったなぁ? 海原。世間様が体罰だなんだと(うるさ)くなかったら、一発ぶん殴った後首根っこ掴んで、クラスの連中に頭下げさせてるところだ。ルールを守りもしないくせにルールやモラルには守ってもらえる訳だ。分かっててやってんだろ? おい」

 

「…………」

 

 自分がルールとやらに守られてるから僕もそうだと思ってるのか。

 自分がそうだから他人もそうだなんて、傲慢にもほどがある。小学生はどっちなんだか。

 

「ハッ、今度はだんまりか! 反省してるフリをするのも面倒になったか? 良いご身分だな、本当に」

 

「…………」

 

 他の先生の目が気になり出したから早く終わらせたいんでしょ?

 もう済みそうだから言うのを止めただけだよ。さっきの「すみません」がフリでも謝ってるように見えたなら眼科に行ったほうが良いと思うな。

 

「良いだろう、教室戻れ。ただし放課後は残ってろよ。しばらくの間は居残りで校内清掃させてやる。お前がなんとも思わず割ったガラスの一枚も、手を入れる大変さが分かればちっとは反省できるだろ。良かったなぁ俺が担任で。進級までにしっかり更生させてやるよ」

 

 なんだ、今回はその程度か。僕が何も言わないから、個室に連れ込んで殴る教師は何人かいたけど、この人は割とマシなほうみたいだ。

 良かった、この人が担任で。しばらくは妖精さんに心配かけないで済みそうだな。

 

・・・

 

「……もう朝か……」

 

 嫌な夢を見た。当時は慣れたものだと思っていたけど、夢に見て、汗びっしょりで目覚めるくらいには心に残っているらしい。

 夢の中ではどうと言うこともないのに、目覚めてみたら心臓がばくばく跳ねている。

 自分のことだけど、その乖離がひどく気持ち悪かった。

 

「おはよーかいー」

「うなされてたからこえかけたんだけども」

「おみずどーぞー」

 

「ありがと、妖精さん」

 

「きのうのおしごとのせい?」

「よるおそくまでおわんなかったもんね」

 

 昨夜の仕事と言うのは、改造によって改二になった夕立のことを文書にまとめる作業だ。

 直接指摘を受けない限り問題はないらしいけど、運営を始めたばかりのこの鎮守府では、夕立の存在を隠し通すのは不可能。

 

 定期調査でよその提督や艦娘が訪れれば間違いなく露見する。明石や夕張との接触を果たさず改造を行い成功したことも、練度上あり得ない改二艦が存在することも。

 

 (きた)るべきその時のために、急いで大本営に提出する書類を用意しなきゃいけなくなったんだ。

 とは言っても素人の僕が一人で(したた)めることが出来る訳もなく。

 妖精さんや艦娘の皆と相談しながら慎重に作成した。おかげで僕や夕立の身柄がどうこうなることはない、と自信をもって言える文書が完成した。

 

 監査が来る前に大本営に文書を送ることも出来るけど、そうすると変な勘繰りを受けるかも知れない。わざわざ自主的に報告を回すなんて、知られたくないことでもあるのか、と。

 

 そんなわけで、とりあえず改造の件は先送りになっている。ただ定期的な調査とはいえ、初めて監査が入るこの鎮守府ではいつその時が訪れるか分からない。準備は早いに越したことはないと全員の意見が合致したことで、昨日中に急いで用意する運びとなった。

 

「妖精さんたちも、夜遅くまで悪かったね。今度お菓子買いに行くときは奮発するよ」

 

「あたちたちがいいはじめたことだしー」

「きにしなくてよろし」

「でもいいとこのおかしはよろしくです」

 

「任せてよ。さて、お風呂にでも入ろうかな? 今日はやることもないし、ゆっくりしよう……」

 

 五十鈴が指導と管理をしてくれているので、基本的に執務が滞ることはない。

 昨日無理に書類を用意したのも、僕の休日になるはずの今日に持ち越さないためだった。

 おかげで今日はのんびりできる。顔を合わせたら、五十鈴に改めてお礼を言っておかないとね。

 

「だったらねー」

「おふろあがったらさんぽしてらっしゃーい」

「しつどひくし。きおんもかいてき」

「しおかぜがここちよいひよりなりー」

 

 よっぽど僕の顔色が悪いんだろう、気分転換を勧めてくれる妖精さんたち。

 

「うん、そうするよ。ありがとう、妖精さんも今日はゆっくりしてね」

 

 僕の言葉にぐっとサムズアップする妖精さんを尻目に、僕は提督室を後にした。

 



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24.Доброе утро.いい天気

「妖精さんの言った通り、風が気持ちいいなぁ」

 

 寝汗を風呂で洗い流した僕は、出撃ドック脇の一見して埠頭みたいな場所に腰を下ろしていた。

 足を投げ出した先はもう海だ。夕立と歩いた砂浜と違って、人が近づくことを想定していないらしく、水底は遥か眼下だ。

 

 両手で上体を支えて何とはなしに足をぶらぶらさせていると、涼やかな声が背後からかけられた。

 

Доброе утро(ドーブラエウートラ).いい天気だね、司令官」

「どーぶら……? あぁ、前に妖精さんも言ってたけど、ロシア語だったんだね。おはよう、でいいのかな? 響」

 

 体をひねって視線を向けると、軽やかな足取りで響が歩み寄ってくるのが見える。

 

Да(ダー).やるね、司令官。やっぱり、伝わると嬉しいものだね」

「ちょこちょこ織り交ぜてくるし、ちょっと慣れてきたかも……っ? あの、響?」

 

「ん? なんだい?」

 

 僕が引きつった声を上げてしまったのも仕方ないと思う。何故だか響は僕の足の間に割って入り、その場に腰を下ろしてしまったんだから。

 

「その、座るなら隣に座ったらどうかな? ほら、すぐそこは海だし、危ないよ」

「艦娘にその手の心配は不要だよ。それに危ないはこっちのセリフだよ司令官。すぐそこは海だ。どれだけ哨戒してても深海棲艦の脅威が無くなった訳じゃない。一人で海辺に近寄るなんて指揮官としてどうなのかな」

 

「うっ……」

 

 ぐぅの音も出ない正論……! いやでも、それと僕の足の間に腰を下ろすのは関係ないんじゃないかな……っ?

 そう口に出そうとしたら、響に先手を打たれてしまう。

 

「そんな無防備な司令官は、艦娘(わたし)が守ってあげないとね。これならどこから砲撃が飛んでこようが私が守りに入れるよ」

 

「いや、でも」

「……それとも司令官は、私と触れ合うのは嫌かな……?」

 

 なっ!? うるうると不安そうに揺れる瞳はとても儚げで、なんというか……これ以上拒否すると罪悪感が凄い……!

 

「……嫌じゃないです……」

「それなら良かった」

 

「でも、急にどうしたの?」

 

 明らかに普段と様子が違う響に、そう聞かざるを得なかった。すると彼女は僕の両手をとり、自らの腹部に導く。

 つまり、その……僕が響を抱きしめているような体勢に……!

 

「……人肌恋しくなったんだ。それに、急じゃないよ。司令官と二人きりになれる瞬間をずっと待ってた。……この鎮守府に着任した、あの時から」

 

 肩越しに視線を交わした響の瞳は。

 これまでにも何度か目の当たりにしてきた、僕のすべてを見通すような、()んだ光を(たた)えていた。

 



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25.独りの寂しさは知ってる

 

「……どういうこと?」

 

 響の、僕と二人きりになれる瞬間を待っていた、という発言を受けて。

 彼女と視線を重ねたまま、僕はそう問いかけた。

 

「何から話したものかな……。司令官は、集合的無意識、という言葉を聞いたことはあるかい?」

 

「集合的……? ごめん、初めて聞いたよ」

 

「簡単に言うと、人間の意識は他人と無意識に繋がっている、という考え方だよ。

 例えば神様という概念があるよね? それは日本でも、海を越えた他の国でも、言葉や考え方に多少の違いはあってもおんなじだ」

 

「神様……」

 

「神様じゃなくてもいいよ、御伽噺の竜とか。天国や地獄と言った概念もそうじゃないかな。

 不思議なことに、人間は別々の場所で進化を遂げても、文化や文明に差異はあれど似たような思想や想像を抱く」

 

「それは、元が同じ種だからということじゃないの?」

「そうかも知れないね。ただ、この話はあくまでたとえ話なんだ。大事なのは艦娘(わたしたち)の記憶はどこから来るのか、ってことさ」

 

「艦娘の、記憶……?」

「そう。私たちはもともと軍艦だ。それが人の姿をとって、それぞれに軍艦だったころの記憶や知識、独自の感性……個性を持ち得ている。では、これは一体どこからもたらされるんだろう」

 

「艦娘もその、集合的無意識っていうので繋がっているってこと?」

「少し違うね。正解は『海』さ」

 

「海……?」

「艦娘は全員海から現れる。建造する時、妖精が言っていたことを覚えているかい?」

 

 響に言われるまま記憶をさかのぼる。工廠で建造する時。海水に浸ったドックを見て、僕は妖精さんに故障しているのでは、と尋ねたはずだ。

 

 それに対して妖精さんは、「海水に浸かっていないと呼べない」と表現していた。

 つまり、建造とは資源を消費して海から艦娘を呼ぶこと……?

 その考えに至ったとき、一つの疑問が脳裏をよぎった。

 

 なぜ響がそのことを知っているんだ(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 初期艦である夕立すら建造する前のことだ。このことを響は知り得ない。

 誰かに話した覚えはないし、唯一知っている妖精さんと会話ができるのも僕だけなのだから。

 

 そして僕がその考えに至ったことを察したのか、にこりと微笑んで響は言葉を続けた。

 

「その疑問の答えが、そのままさっきの答えだよ。そして、海でつながっているのは艦娘だけじゃない」

「妖精さんも、ってことなのか……」

 

 全然消化しきれないけど、思い当たる節はある。初めて見た鎮守府の構造を知っていたり、鎮守府での活動を助けてくれた知識やその技術。妖精さんは海を通じてそれらを会得していて。

 

 そして響もまた、海を通じて妖精さんの記憶を継承している……。

 

「軍艦だった頃の事を人間のように実体験として記憶している艦娘も居れば、当時の記憶なんてまるで無いって艦娘もいる。

 そして私は、軍艦だった頃の記憶どころか、それがどこから来るのかを知識として授かった」

 

「僕と一緒に過ごしてくれた、妖精さんの記憶も……」

 

 掠れた声で呟く僕に、響は腕の中で小さく頷いた。

 

「全部じゃないけどね。……ある程度は、司令官の生い立ちを知ってるんだ」

 

 今まで響が僕に見せた、僕のことを理解しているという言動や、考えを見透かしたような瞳を思い出す。

 他の艦娘が知らない僕を、響は最初から知っていたんだ。

 

「……幻滅したんじゃないかい? 君たち艦娘が命懸けで守ろうとしている人間を、提督である僕は欠片も大事に思っていないんだよ」

 

 それは艦娘にとって、裏切り以外の何物でもないんじゃないか。

 

「……私には雷の他に二人、姉妹が居るんだ」

 

 思わず口走る僕に取り合わず、響は唐突にそんなことを話し始めた。

 

「四人揃って第六駆逐隊。雷は記憶としては希薄なようだけど、私は当時の事を人間の思い出のように憶えているんだ。

 敵艦隊と戦ったことも、怪我をした私を暁……お姉さんが守ってくれたことも。

 ……そして、私以外の三人が、手の届かないところへ行ってしまった時のことも……」

 

 静かな口調で軍艦としての記憶を語ってくれた響の瞳は、何かを悔いるように歪んでいる。

 

「司令官の境遇や気持ちを理解している、なんて言うつもりはないよ。

 でも……前に言ったことは嘘じゃない。独りの寂しさは知ってる(・・・・・・・・・・・)

 

「……!」

 

 息を飲む僕の動揺を悟ってか、改めて振り返り、響は僕と真っ直ぐに視線を交わす。

 

「だから、良いんだ。人間のため、だなんて曖昧な使命感はいらないんだ。

 自分のために。自分の大切なもののために、司令官は生きてくれればいい。

 大丈夫。司令官を独りにはしない(・・・・・・・・・・・)から」

 

「響……。っ……ありがとう」

 

 思わず彼女を強く抱き寄せてしまった僕に、彼女は苦しそうにする様子も、さりとて諫める訳でもなく。

 ただ、その小さな手の平で僕の腕を、優しく撫でてくれた。

 



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26.Я тебя люблю

「さて、司令官。そろそろ本題に入らせてもらうね?」

「……えっ?」

 

 僕の考えや気持ちが落ち着くのを待ってくれたのか、腕の中で無言を貫いていた響。

 しばらく穏やかな時間が流れて、頬をなでる風の気持ちよさを改めて実感できるようになった時分に、彼女はそう口にした。

 

「今話してくれたことが、僕と二人きりになりたかった理由じゃないの?」

「もちろんそうだよ。ただ、私が本当に伝えたいことの準備というか、導入みたいなものさ」

 

 もう十分に衝撃を受けたし、それ以上に響の気持ちに心動かされたんだけど。まだ何かあるって言うのか。

 

「と言っても、伝えたいことはたった一言なんだ。……ねぇ、司令官」

「うん」

 

Я() тебя(ティビャー) люблю(リュブリュー).」

「るぶゅ……てぃびゃ……?」

 

「愛してるよ、司令官」

「………………」

 

 はい?

 

「……はいっ!?」

「英語で言うならLikeじゃなくてLoveのほうだよ」

 

 急に何を言ってるんだ!? この子は!!

 

「まだ出会って間もない艦娘にこんなことを言われても信じられないよね? だから最初に、私たちの記憶の話をしたんだよ」

 

「さっ、さっきの話と、響が、その……。僕のことを、好きって言うのと。なっ、何の関係があるのかなっ?」

 

 慌てる僕の様子を眺める響の表情は柔らかくて。それでも頬を染める薄紅色が、どうしようもなく僕に感情をぶつけてくる。

 

「言ったよね? 私は司令官の事を知ってる。その生い立ちだけじゃない。人柄を、考え方を、その優しさを。私は最初から知ってるんだ」

 

「優しさなんて……。僕には、そんなものないよ」

 

 響が言っているのは、妖精さんに対する僕の対応みたいなことだと思う。

 妖精さんに親切にするのは、妖精さんが僕を支えてくれたからだ。

 僕は妖精さんがしてくれたことに対して、恩を返しているに過ぎない。

 

「あるさ。司令官はいつだって優しかった。あんな目に合わされてきて、一度だって感情に身を任せたりしなかった。復讐しようだなんて欠片も考えなかった。

 心配する妖精に気持ちをぶつけたりせず、逆に心配させないようにって、気を張り続けてきた。司令官は……いつだって、耐えてきたじゃないか」

 

 ……違うよ、それは優しさなんかじゃない。

 

「僕は……あいつらと同じになりたくなかっただけだよ」

 

 僕を救ってくれた妖精さんに、恥じない僕でいようと思って、そう生きてきただけだ。

 

「それを私は、優しさって言うんだと思うよ。そんな司令官(あなた)を知って生まれてきて……建造されて、初めて司令官の顔を見た時、分かったんだ」

 

 身体を反転させて、僕の両肩に手を添えて。響はすり寄るように僕に顔を近づけてくる。

 離れなきゃいけないのに……僕は彼女の瞳から視線を動かせない。

 

「――ああ、私はこのひとを愛するために呼ばれたんだ(生まれたんだ)、って」

 

 真っ直ぐに感情をぶつけてくる響に。

 それでも僕は――。

 

「……それも、知識や記憶と同じように。『海』から与えられたもの、だと思うよ」

 

 ただの勘違いだと。その好意を、受け止めることは出来なかった。

 きっと裏があるとか、それはいずれ無くなってしまうものだとか、ぐるぐると取り留めのない、いくつもの不安が頭をよぎって。

 

 ――無条件に向けられる好意は、僕にとって儚い夢想でしかなくて。

 

「……大丈夫」

 

 ふわり、と。

 優しく頬を包む、小さな手の平が。

 

 鼻が触れ合いそうなほどに近づいた、彼女の穏やかな顔が。

 ぐちゃぐちゃになった心を見通して、それでも受け入れてくれるような澄んだ瞳が。

 

 ゆっくりと紡がれる静謐(せいひつ)声音(こわね)が、僕の不安を溶かしていく。

 

司令官(あなた)の優しさが偽物だと言うのなら、本物なんてきっとどこにもないから。

 私の気持ちが偽物なら、艦娘(わたしたち)はみんな偽物だから。

 偽物(わたし)は、本物(にんげん)になろうなんて思わない。偽物のまま、本物を超えてみせるよ」

 

 ねぇ、しれいかん。

 そう呟いて、響は瞳を閉じて、僕の額に自身のそれをこつんと合わせた。

 

「あなたの夢想(ほんもの)は、ここにある。

 あなたは人間の偽物で、わたしたちも人間の偽物でしかない。なら、わたしたちにとっての本物は、全部ここにある」

 

 僕の手を取って、響は抱きかかえるように胸に押し当てた。

 その様子からは想像も出来なかったけど――、どくどくと、僕の鼓動より早く律動していて。

 今更になって初めて、彼女が震えていることに気が付いた。

 

 気持ちをぶつけることが、それが受け入れられないことが怖いのは、僕だけじゃない。

 そんなことにようやく気づいた僕を、ゆっくりと瞳を開いた彼女の視線が射貫く。

 

「ゆっくりでいいんだ。すぐに受け入れられなくてもいいから。一緒にこの偽物(きもち)を育てて欲しい」

 

 突然近づき、触れたそれに、響に見入って固まっていた僕はどうすることも出来なかった。

 

 ちゅ、と。

 

 彼女の唇が、緊張で乾いた僕のそれに重なり。

 綺麗な銀の髪が、頬を撫でて離れていくまで、何が起こったのか理解すらできず。

 

 真っ赤になった響の顔と、潤んだ瞳を見てようやく、頭が事態に追いついた。

 それでも、僕が落ち着く時間をくれることもなく。

 

 悪戯が成功した子供のような、無邪気な笑みを見せて、一言口にした。

 

Я тебя люблю( あなたを愛しているよ).」

 



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27.時雨の憂鬱ーSIDE時雨ー

「はぁ……」

 

 しとしとと雨が降る鎮守府で、僕は……駆逐艦時雨は、ぼんやりと水面に波紋を広げる雫を眺めていた。

 提督の執務室を最上階に仰ぐ本館の一階。廊下の窓を開けて、上半身を窓枠に預けていると、思わずため息が漏れてしまう。

 

「……はぁ……」

 

 今度は意識的に、もう一度。

 雨は嫌いじゃないけど、どんよりと暗い曇天は、どうしても僕の心情と重なっているように思えて、少し憂鬱になる。

 

 というのも、少し前からこの鎮守府を……というか、提督を取り巻く雰囲気が変わったような気がするんだ。

 きっかけは多分、夕立と提督が二人で海に出た一件。

 

 あの日から夕立は提督に心酔……と言ったらちょっと違うかな。もの凄く懐いているって感じだ。艦娘(わたしたち)が寝床にしている寮の消灯時間ぎりぎりまで提督室に控えてる日も珍しくないどころか、日を跨いでも帰ってこなかったりする。

 

 心配になって迎えに行ってみれば、護衛として提督と寝所を共にするなんて言い出したり、それを提督が固辞して追い返そうとひと悶着起こしていたり。

 

 もう片時も提督から離れたくないって感じだね。海で提督と何があったかは、こっちが聞いていないのに嬉しそうに何度も話すから、知っているし気持ちも理解できるんだけど。

 姉妹をこんな風に表現したくはないけど、もう忠臣って言うより忠犬だ。

 

 雷はと言えば、提督への世話焼きに拍車がかかった。

 ばつが悪そうに海水と砂で汚れた軍服の洗濯をお願いされた時、「司令官は私が見ててあげなくちゃっ!」と思ったらしい。本人が言ってた。

 

 いつもより起きるのが遅ければ提督の私室に様子を見に行くし、定期的に部屋を訪れては洗濯や掃除の必要が無いか確認してる。

 

 これに提督が甘えて、雷に雑事を全部押付けてるなら僕も思うところがあるんだけど。

 お願いする時はいつも申し訳なさそうに頭を下げてるし、執務が滞ってない時は雷に教えてもらいながら一緒に片づけてるところを目にする。

 僕や他の艦娘が手伝いを申し出たりしても、雷はやんわり断るから、この二人はもうこれでいいのかなって気もしてくるね。

 

 変わってないように見えるけど、五十鈴さんもちょっと様子がおかしい。

 提督に座学の指導をする時は、以前から凛とした厳しい表情で教えているんだけど。

 教えたことを実践していたり、五十鈴さんの問いかけに満点の答えを提督が返すと、驚くほど頬が緩んでる。

 

 口元に手を当てて、提督には見られないようにしてるみたいだけど、僕たちには丸見えだった。どうやら五十鈴さんも相当提督に入れ込んでるみたいだ。

 まぁ最近まで一般人だったのに、妖精(ともだち)のためにというだけで、命懸けの戦場で勉学に励む提督に(ほだ)されたというのは、分からない話じゃないけど。

 

 一歩下がったところで活躍を見守る姿は、陳腐な表現だけど、家庭で夫の仕事を支える奥さんみたいだ。……うん、考えていて恥ずかしくなってきた。

 だってそれくらい、五十鈴さんの提督を見る目が優しいんだもの。

 

 でもこの三人はまだマシなほうだね。……一番雰囲気が変わったのは、僕にとっては意外なことに響だった。

 夕立に五十鈴さん、雷は着任当初から割と提督に好意的だったから、今の様子も納得と言えば納得なんだ。

 

 ただ、僕は提督のことが嫌いなわけじゃないけど、上官と部下の関係を逸するような感情は抱いていない。

 そしてそれは、響も同じだと思っていたんだ。言葉の上では提督の立場を(おもんばか)ったり、気持ちを理解しているようことを言っていたけど。一般論というか、社交辞令みたいなものだと思っていた。

 

 でも、今の響はどうだろう。

 提督と響が鎮守府で出会うところを見かけると、響が別れ際に必ず口にする言葉がある。

 『司令官。люблю(リュブリュー).』

 

 ロシア語だろうと当たりはついたけど、意味はさっぱりだった。

 気になって共用の端末で調べてみると、端的に『大好きだよ』。

 

 何があったの!?

 

 頬を桃色に染めて。微笑みながら言葉を交わす響は、外野の僕が表現するのも恥ずかしいくらい恋する乙女って感じだ。

 夕立も五十鈴さんも雷も、その好意の向け方や変わり方は理解できるよ。

 でも響は、まったく分からない……。勝手な話だけど、僕と同じ立ち位置というか、提督との距離感にシンパシーを感じていたから、なんていうか、ちょっとショックだ。

 

「はぁ……」

 

 僕の一人相撲だとは思うんだけど、他の子たちの提督に対する気持ちと自分の気持ちに温度差を感じて、どうしても居心地悪く感じてしまう。

 

 

 

 

 ……腑抜けた表情で、どれだけそうしていただろう。

 降ったり()んだりを繰り返す雨空に何となく視線を向けていると、僕の背中にかかる声があった。

 

「こんにちは、時雨。こんなところでどうしたの?」

 



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28.時雨の憂鬱弐ーSIDE時雨ー

 

「こんにちは、時雨。こんなところでどうしたの?」

 

 窓枠から身体を起こして振り返ると、そこには提督が立っていた。

 妖精は連れておらず、一人みたいだ。珍しいね。

 

「やぁ。いい雨だね、提督」

「いい……のかな? 時雨は雨が好きなの?」

 

「まぁね。雨音は落ち着くし、作戦中に助けられたことも一度や二度じゃないよ。提督は、雨は嫌いかな?」

「どうだろうね、あまり考えたことないな……。でも雨の日にしかやらないこともあるし、嫌いではないかな」

 

 そうなんだ。人間は雨が嫌いって印象があるけど、やっぱり提督は普通の人とは感性や考え方が違うのかな。

 

「それで、どうかした……ああごめん。もしかして邪魔しちゃったかな?」

 

 すると提督は急に、ばつが悪そうに頭をかいた。

 僕が雨音は落ち着く、と言ったからかな。ここでのんびり気を休めていたと考えてるみたいだ。

 ……思えば提督は、こうして周りに遠慮してばかりだね。

 

 艦隊の運用や執務の時は気を引き締めて、僕たちにもしっかりと指示を出しているように思うけど。非番の時はいつも相手に配慮した、というか。

 

 やりすぎなくらい、思いやりに溢れた言動をとる。……でも、僕にはそれがひどく歪に見えた。優しいというより、相手の感情を刺激しないように気を張っている、という印象。

 

 他の艦娘()たちには、提督のこれが琴線に触れたんだろうか。

 

「ぼーっとしてただけだから、気にしなくていいよ。提督こそ、こんなところで何やってるの?」

「そろそろみんな帰ってくるだろうから。入渠ドックを動かしておこうと思ってね。濡れたままお風呂が温まるのを待つのは良くないし」

 

 ……非番の時くらいゆっくりすればいいのに。提督室にいる時も、大本営の大淀がまとめたというノートを見て勉強しているらしいし。真面目というより、気の休め方を知らないみたいだ。

 

 そこまで考えて、僕は提督の様子がおかしいことにようやく気が付いた。

 

「……提督、体調悪いの? 顔色良くないよ」

 

 僕が一言そう指摘すると、彼はしまった、というように一歩後ずさった。

 

「あー……最近、少し寝付けなくてね。そう心配されるほどじゃないよ」

「はぁ……。あのね、提督。今日非番だよね? こういう日に体調を整えなくてどうするのさ。作戦指揮中に倒れたりなんかしたら冗談じゃ済まないよ」

 

「そう、だね、うん。部屋に戻ってゆっくり休むことにするよ。入渠ドックの準備が終わったらね」

 

「僕がやっておくから大丈夫だよ」

「……分かった。それじゃあ悪いけどお願いするよ。ありがとね、時雨」

 

 そう言って提督は(きびす)を返して歩き出す。……提督室に繋がる最寄りの階段とは逆の方向に。

 

「……提督、僕お風呂の準備終わったら、提督室に向かうから。ちょっと話があるんだ」

 

 実のところ、ここでも話は出来るけど。落ち着いた場所じゃないと(けむ)に巻かれそうだしね。

 他の艦娘(みんな)ほど好意を寄せていないと言っても、提督は僕にとっても守るべき上官だからね。

 

 どういう理由で体調を崩しているのか。部屋で休むことを避ける理由は何なのか。

 提督もさすがに、みんなからの好意には薄々気づいていると思う。そして僕は逆に、そういう感情を抱いて居ないことも。

 

 僕だからこそ話せることもあるかも知れない。自己満足だけど、出撃してるみんなのお風呂に配慮する余裕があるなら、少し僕のために時間を割いてもらおうかな。

 

「っ。……分かった。部屋で待ってるよ。急がなくていいからね」

 

 僕の表情を見て、説得や言いくるめるのが難しいことに気付いたみたい。諦めたように一つ息を()いて、彼は階段へと向かって行った。

 

 うん、懸命な判断だね。それにやっぱり、人の顔をよく見てる。顔色を窺いすぎ、と言ったほうが良いかも知れないけど。

 

 それじゃあお風呂の準備を整えてから、提督を問い詰めに行こうかな。

 



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29.時雨の憂鬱参ーSIDE時雨ー

「駆逐艦時雨。入るよ」

 

 入渠ドックの準備を終えた僕が、提督室の扉をノックして中に入ると。

 執務机の向こうに座った提督と、彼の周りに群がるたくさんの妖精の姿が見えた。

 

 ……相変わらず規格外の好かれようだね。僕はこの鎮守府で建造されてからの記憶しかないけど、一般的な提督がどの程度妖精を侍らせているかは知識として持っている。

 

 普通三~四人も一部屋にいれば多い印象を受けるけど、この提督室にはいつも大体十人前後。今は目算で二十を越えてると思う。それぞれが提督の周囲を思い思いに飛び回ってるものだから、まともに数えられたものじゃない。

 

「じゃあそういう訳だから。悪いけど、少しだけ外してもらえるかな?」

 

「了解」

「埋合」

「忘却」

「不可」

 

「時雨」

「注意」

 

 提督が妖精に呼びかけると、何人かの妖精がそれに応えているようだった。

 僕にはそれぞれが一言ずつ単語……というか思念のようなものを送っているように感じられる。

 

 艦載機の妖精とやり取りをすることも多い空母の艦娘は、もう少し具体的に妖精と意思疎通できるらしいけど。

 主砲の精度向上を助けてもらうくらいしか接点が無い僕たち駆逐艦には、妖精の考えはほとんど理解できないんだよね。

 

「あー……うん。善処するよ」

 

 提督がそう言って手を振ると、僕の脇や頭上を素通りして妖精が退出していった。

 何度見ても異様な光景だと思う。妖精をここまで意のままに操る提督は。本人に言わせれば命令している訳じゃなく、友人に席を外すようお願いしている、ということなんだろうけどね。

 

「待たせてごめんね。それで、話って言うのは何だったかな」

 

 少し疲れたような提督に手で座るよう促された僕は、彼と執務机を挟んで対面になるように腰かけた。

 

「提督の体調の事だよ。大丈夫なの?」

「さっきも言ったけど、ただの寝不足だよ。しっかり休めばすぐ良くなるさ」

 

「寝不足じゃなくて、寝付けない、って言ったよね? 何か理由があるんじゃないのかな」

 

 僕の指摘に、提督はしまったという表情を見せた。普段はあまり見せない顔だ。取り繕うほどの余裕もないほど具合が悪いの?

 

「……提督、助けになれることなら話してくれないかな。他の子に聞かれたくないなら、口外しないって約束するから。……それとも、僕じゃあ力不足かい?」

 

「そんなことは! ……無いんだけど」

 

 心外だというように両手を振る提督だったけど、すぐにばつが悪そうに視線を逸らしてしまった。

 ……あぁ、少しだけ夕立の気持ちが理解できたような気がする。

 

 

 

 

 目の前に明らかに悩みを抱えた提督が居るっていうのに。

 力になれないと。頼られないということは、こんなにもやるせないことなんだ。

 

 

 

 

 提督にはそんな意図は無くて。ただ僕に遠慮してるだけなんだろうけど、僕にとっては同じこと。人のために在れとされた艦娘(ぼくたち)が、他でもない提督を助けられないなんて、そんな不甲斐ないことはない。

 

「提督っ……!」

 

 思いがけず語調が強くなってしまった僕を意外そうに見やってから、提督は諦めたように大きくため息を()いた。

 

「……はぁ。……時雨。最近、他の艦娘の様子はどう見える?」

「どうって……。提督が頑張ってくれてるおかげで、どんどん強くなってると思うけど」

 

「あぁ、うん。ありがとう……。ただその、作戦以外でというか。僕に対する態度というか……」

 

 なるほど、やっぱり提督も気づいてるみたいだ。

 

「うん、みんな提督の事が好きだと思うよ。ちょっと部下と上官というには行き過ぎたところもあると思うけど、別に悪いことじゃない」

「そうなんだけどね……こんな、ちょっと前まで一般人だった僕を慕ってくれるのは有り難いんだ。ただその、夕立と響がね……」

 

「……まぁ。僕の目から見ても、二人は特に提督に……懐いてるよね」

 

 敢えて言葉を濁したけど、あれはもう懐いてるとかそういう次元じゃないと思う。

 

「うんその、距離感が近くてね。……抱きついてきたりとか」

「男性の提督からすると困ることもあると。なるほどね……。それとなく()めるように、僕から二人に言っておこうか?」

 

 一般人上がりとは言え、提督もここまで来たら立派な軍人だ。もし外部から来賓や監査が訪れた時、仲が良すぎる(・・・・・・)ところを見られるのは本意じゃないだろうね。

 

 そう思って提案した僕に、提督はうなだれて力なく首を振った。

 

「そうじゃないんだ。……時雨には、僕が鎮守府に来る前の事は話したかな?」

 

 両手を組んだまま俯いて、彼はそんなことを聞いてくる。

 

「ううん、そこまでは。……あまりご家族と仲が良くないとか、友人はいないとか。知ってるのはそれくらいかな……」

 

 以前、五十鈴さんが提督に鎮守府でやっていく覚悟があるのか、と問いかけた時に。

 提督自身がそんなことを言っていたと思う。

 

「うん、僕は家族を血の繋がっているだけの他人としか思っていないし、友達も妖精さんだけなんだ。それで、その……。誰かと手をつないだり、抱きしめたり、抱きしめられたり。そういう記憶が全くない」

 

「うん? うん……」

 

 いったい何の話だろう、と思ったけど、提督にとってはきっと大切な話なんだ。まずは全部聞かせてもらわないと。

 

「ちょっと前にね、その……、響がね。僕を愛してると言って、自分を抱きしめさせた、というか、そんなことがあったんだ。……誤解を恐れないで言わせてもらうと、とても居心地が良かった。気持ちが落ち着いたんだ。……人の温もりってものを知らなかった僕にとって、響を抱きしめた時に感じた心地よさは忘れられないものだった。響の思いを受け入れられた訳じゃないんだけど……」

 

 提督は落ち着かなさげに、組んだ手の平を握ったり開いたりしながら話している。自分でも何言ってるんだろう、と思いながら言葉にしているのが見てわかるくらいだ。

 っていうか響、知らない間に一体何してるんだい……。

 

「僕は、あまり良くない夢を見ることがある。過去の出来事というか……。

 今までは何ともなかったんだけど、その。……人肌の温かさというか、それを知ってから、眠るのがひどく怖くなった。悪夢を見て目を覚ました時、隣に誰もいないのがとても恐ろしく感じられるんだ。……一度そうなってから、ここ最近寝られなくなってね。まさか妖精さんに添い寝してもらう訳にもいかないから」

 

 潰しちゃうからね、と自嘲気味に笑う提督の顔は、冗談を言っているように見えなかった。

 ……これは確かに、誰にも言えないだろうね。客観的に見れば社会に出た男性が、一人寝が怖くて眠れないと言ってるんだから。

 

「笑ってくれていいよ。でも、みんなには言わないで欲しいな。恥ずかしいからね」

「……響か夕立に頼めばいいんじゃないかい? 拒否はしないと思うけど」

 

 暗に笑ったりしないよ、という意図を滲ませながら言うと、提督は一瞬呆けたような表情を見せた。そんなに意外だったかな? ……まぁ提督の中にあった、僕がどういう返答をするか、という予想を覆せたのなら少し気持ちいい。

 

 提督は自分に向けられる感情や反応について、悪い方向にばかり予測している気がする。

 もうちょっと仲間の事を信頼してほしいな。

 

「……それは難しいね。仮に二人のどちらかにお願いしたら、僕がその子をどう思ってるように見える?」

「……好意を受け入れてるように見えるだろうね。二人に順番にお願いしてみたら?」

 

 一人にお願いしたら邪推もされるだろうけど、それぞれに頼めば角も立たないんじゃないかな。

 

「……初期艦ってことに誇りを持ってくれてる夕立。僕に対してそういう(・・・・)感情をぶつけることに躊躇が無い響。もしこのことを二人に話して平等にお願いしても、最初に頼まれたかどうかが彼女たちの中で決定的な優劣になるような気がするんだ」

 

 ……本当に、相手のことを良く観察しているな、と思う。普通そんなこと考えるかな。男性なら女の子にこういうお願い(・・・・・・・・)をする大義名分があるなら、迷わず話しそうなものだけど。

 

 それだけ、人の感情を読まないと生きていけない環境だったのか、と考えると不憫でならない。

 

 ……僕は提督に対して、そういう感情を明確には抱いていない。

 大義名分(たいぎめいぶん)はある。

 

 一瞬にして自分を納得させると、僕は続く提案を彼へ口にした。

 

「……なら、僕が引き受けるよ」

「……え?」

 

「こういう言い方もなんだけど、夕立や響に比べれば僕は、提督に対する好意が薄い。

 偶然提督の不調に気づいて、この件に対して同衾(どうきん)の提案をした。僕が最初の一人目になったところで、夕立も響も僕に対して思うところはないだろうから。

 僕にそういう意思(・・・・・・)が無いのは誰でも分かることだからね」

 

 僕の提案に対して、提督は迷うような素振りを見せる。

 

「いや、でも……。時雨は嫌じゃないのかい? 好きでもない男性と一緒に寝るなんて。……それに、他の子が誤解しないとも限らない。これから艦娘はどんどん増えるだろうし」

 

「言ったよね? 二人に比べれば好意は薄い、って。好きか嫌いかで言えばもちろん好きだよ、提督。提督の不調を癒すために、一緒に寝れば治るって言うのなら、そこに嫌悪感は無いくらいにはね。

 他の艦娘が増えた時は、その時に考えればいいさ。別にその子に無理強いするわけでもなし、そこまで気にすることじゃないよ。これはあくまで提督と、提督と寝る艦娘が合意の上かどうかの問題なんだから」

 

 気持ちは揺れてるみたいだけど、彼の倫理観はそう簡単に艦娘との添い寝を許さなかったみたいで。それでもしばらく渋面(じゅうめん)で考え込んだ後、絞り出すような声で僕に頭を下げた。

 

「……よろしく、お願いします」

 

 それはどう見ても、据え膳食わぬは、というような男性の姿ではなくて。

 

「……ふふっ。こちらこそ、よろしくね」

 

 思わず笑っちゃったのは、許して欲しいな。

 



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30.時雨の憂鬱肆ーSIDE時雨ー

「そ、それじゃあ横になろうか」

「う、うん。提督から先に、どうぞ」

 

 窓の外では未だぽつぽつと雨が降る中、僕は提督に連れられて彼の寝所に足を踏み入れていた。

 雷が世話を焼いているだけあって、男性の部屋にしては小綺麗に見える。

 

 ベッドは僕たち艦娘が使うものより作りが良さそうで、サイズも二人横になるのに問題は無さそうだね。

 

 ……勢いで提督を説得してここまで来ちゃったけど、実際にこれから一緒に寝るんだ、と思うとさすがに緊張してくる。

 

 ちらりと提督に視線を送ると、彼も深呼吸して息を整えているようで、それが少し僕を安心させた。

 

 提督はすでに軍服からラフな格好に着替えていて、あとは二人でベッドに入るだけ。

 いそいそと掛け布団をめくって寝台に体を横たえる提督に続いて、僕もその傍らに潜り込む。

 

 ……まずいね、想像してたより胸がどきどきする。隣の提督に伝わってるんじゃないかってくらい、鼓動がうるさい。

 ……でも、さっきの話を聞く限り、今の状態は提督が求めてるものじゃないはずだ。

 

 胸に抱いた人の温もりを忘れられない。悪夢に喘いで目を覚ました時、孤独な自分を実感して心細くなる。彼はそう言っていた。……それなら。

 

「提督、その……。どうぞ」

 

 二人してしばらく天井を向いていたけど、僕は意を決して体を提督に向けた。

 両手を広げて意思表示する。……きっと顔が赤くなってると思うけど、それは提督も一緒だから。きっと見逃してくれるよね。

 

「……うん。ごめんね」

 

 僕の言葉を受けた提督は、思った通り顔を真っ赤にして。その体を僕に向けて、腕を伸ばしてきた。空調が効いた部屋の中で、彼の体温がひどく生々しく感じられる。

 今僕の体は提督の胸の中にあって、腕は提督の背中に。提督の腕は僕の背中に回されていた。

 

「謝るよりは、お礼のほうが嬉しいな。役に立ってるって実感できるから……」

「時雨……ありがとう。……おやすみ」

 

 そういって目を閉じると、提督は思いのほかすぐに寝息を立て始めた。

 緊張だとか、僕への遠慮だとか。そんなものに長く集中してられないくらい、やっぱり提督は疲れてたんだ。

 

 ついさっきまで彼の心臓の音が激しく伝わっていたけど、今ではもう落ち着いていた。

 ……一定のリズムでその律動が、彼の胸に(ひたい)を当てている僕に響いてくる。

 

 心地よいと、そう感じてしまう。

 

 頭を動かして彼の寝顔に目をやると、提督というには若すぎる見た目が更にあどけなく思えた。

 ……提督になる少し前まで学生だったという彼は、まだ二十にも満たないはずだ。知識としては知っていたそんなことを、今になって実感する。

 

 そして、そんな無防備な表情を僕が引き出せたことに、一抹の優越感も。

 

「……提督……」

 

 ――あぁ、これは駄目かもしれない。

 あれだけ偉そうに、僕には他意が無いだなんて口にしていたのに。

 

 雷の、提督を支えたいという思いに共感してしまう。

 夕立と響が、この人を想う気持ちが分かってしまうんだ。

 

 心から必要とされる喜びが。提督の力になれているという実感が。

 心の(うち)を晒してくれた信頼が。

 

 艦娘としてこれ以上の幸せは無いと確信させてくれる。

 

「――っ、」

「! 提督?」

 

 胸に灯った小さな火は、僕の頭上で苦しそうに息を吐く提督の姿を見て燃え上がる。

 

「――はっ、――はっ、――はっ……」

 

 また、過去の残滓(ざんし)に苦しんでいるんだろうか。

 提督から人として当然の幸福を、その温かさを奪ったであろう記憶を。

 彼は生涯抱えて生きていくんだろうか。

 

「……こんなのって無いよね」

 

 僕の背中に回されているだけで、力を感じさせない彼の腕に伝えるように。

 僕は提督の背中に回した両腕で、彼の身体を強く抱きしめた。

 

「大丈夫」

「――はっ、――はっ、――はっ……」

 

 浅く上下する提督の胸に頬を当てて、締め付けないように、それでも出来る限り強く、強く抱きしめる。

 

「提督は一人じゃないよ」

「――はっ、――はっ、――はっ……」

 

 提督の過去が苦しみに満ちているのなら。

 

「僕たちがついてる」

 

 幸せに満ちた未来を、僕たちが――僕が、切り開いて見せる。

 

「――はっ……」

「……ごめんね、提督」

 

 

 

 

 

 ――僕がずっとそばにいよう――

 

 

 

 

 

 

 

「……僕も、提督が好きみたいだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………すーー……、すーー……」

 

 いつの間にか、提督の両腕は強く僕を抱きしめていた。

 ……悪夢の中の提督に、僕の熱が伝わったように感じられて、何故だか涙が零れそうなほどに嬉しかった。

 

 きっと穏やかになっただろう彼の寝顔を盗み見ようとしたけど、強く抱きしめてくる腕の中から出ようとすると、提督を起こしてしまうかも知れないように思える。

 

「……仕方ないよね、うん」

 

 誰かに言い訳するように呟いてから、改めて提督の胸に顔を寄せて、僕も瞳を閉じる。

 心地よい微睡(まどろ)みに意識がとけるまで、そう長くはかからなかった。

 

「おやすみ、提督……」

 



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31.雨上がりと夕焼け

 

「提督さん、どういうことっぽい!?」

「きちんと説明してもらえるよね? 司令官」

 

 窓から夕陽が差し込む提督室。

 僕は執務机に乗り出して前のめりに迫る夕立と響に問い詰められていた。

 理由はもちろん、時雨との添い寝の件。

 

 時雨より早く目を覚ました僕が、彼女を起こさないように寝台から抜け出し、寝室の扉をくぐって提督室に移ると。

 

 作戦の報告に訪れた夕立と響に鉢合わせてしまったのである。

 そこで平静を装えれば良かったんだけど、つい背後のベッドに視線を送ってしまい。

 つられて二人が部屋を覗き込むと、当然時雨が寝台で横たわっていて、今に至るという訳だ。

 

 時雨もすでに目を覚ましていて、夕立と響の後方少し離れたところで、ばつが悪そうに頬をかいている。

 

 顔が少し赤いところを見ると、弁解しようにもさすがに恥ずかしさが勝るみたいだ。助け舟は期待できそうにない。お願いする時は気にすること無いって言ってくれたけど、実際二人に見つかるのは予想できなかっただろうから仕方ない。

 

「えーと……実はね」

 

 折を見て説明はする予定だったし、いい機会だと思って時雨に話した内容を夕立と響にも聞いてもらった。

 

 悪夢を見て眠れない日があること。最近は特に頻度が高くて、疲労がたまっていたこと。

 僕の不調に気づいた時雨が、添い寝を申し出てくれたこと。

 

 二人に相談しなかったのは、提督としての立場を利用するみたいで悪い気がしたから、ということにさせてもらった。まさか夕立と響に、直接僕への好意やら順番やらの話をする訳にもいかないから。

 

 僕の話を聞き終えた二人は、先ほどの威圧するような剣幕から一転して、心配そうな表情でこちらを見上げている。

 

「も、もう大丈夫っぽい? 提督さん……」

「……そうか。もっと早く気付くべきだった……」

 

 夕立は不安そうに両手を胸に寄せているけど、僕の過去を詳しく知っている響は、なんというか……不調に気づかなかったことを悔やんでいるみたいだ。

 隠していたんだから僕としては気づかれると困るんだけど、その気持ちは本当に嬉しい。

 

「時雨のおかげで久しぶりにぐっすり眠れたし、二人とも気にしなくていいよ。心配してくれてありがとう」

 

 ちらっと時雨に目をやると、すぐに視線を逸らされてしまった。うん、ごめんね話に出しちゃって。でもそれを避け続けても怪しまれるだろうし、許して欲しい。

 

 内心謝りつつ時雨から二人に視線を戻すと、夕立と響は見つめ合って頷いていた。

 え、今の一瞬でどういうアイコンタクトがあったの?

 

「提督さん!」

「司令官」

 

「な、なんだろう」

 

 二人の勢いにたじろいでいると、響が言葉を続けた。

 

「時雨と一緒に寝て体が休まったと言っていたけど、それは一時しのぎに過ぎないはずだ」

「……まぁ、そうかも知れないね」

 

「また体調を崩した時、司令官はまた艦娘の誰かに添い寝を頼むことになると思う」

「……恥ずかしいけど、そうだね、うん」

 

「それが良くないことなのは、司令官も分かるよね?」

「もちろんだよ。……だから、今日まで隠してきたんだから」

 

 響の言ってることはきっと正しい。提督が艦娘と一緒に寝るなんて、他の鎮守府では無いことだろうし、簡単に許されることでもないと思う。

 

 僕が提督になるきっかけを作った大本営のおっさんも、艦娘に手を出す事件が絶えないって言ってたし、それを調べるための定期調査でもあるだろうから。

 

 そう考えていた僕に、響は予想外の言葉を放つのだった。

 

「だからね……原因を絶つべきだと思うんだ」

「……うん? 原因?」

 

「司令官はどうも勘違いしてるみたいだけど。私が良くないって言ってるのは、艦娘(わたしたち)に添い寝を頼むことじゃないよ。

 ……司令官が体調不良を隠して、限界になってようやく私たちを頼ることだ」

 

「えーっと……」

 

「つまりさ……毎日艦娘と一緒に寝れば(・・・・・・・・・・・)寝不足なんて起こらない(・・・・・・・・・・・・)ってことだよ」

「ぽいっ!!」

 

「ええっ?」

 

 響の発言に、夕立が我が意を得たりと首肯するけども。僕としては複雑な申し出だ。時雨にお願いしたのだって、響の言う通り限界だったからなのに。

 

 ……いやでも、僕の身を案じてくれてる彼女たちにとっては、僕が倫理観や遠慮で固辞するほうがよっぽど酷い仕打ちなのかな。

 

 艦娘と接していれば、提督という立場にある僕の助けになれないということが、彼女たちの心を傷つけてしまうのだと実感できる。

 

 しかし……毎日。毎日艦娘と一緒に寝る、かぁ……。

 

「……司令官。どうか私たちの気持ちを、分かって欲しい」

 

 響が熱っぽい視線で僕を見上げてくる。あの日と同じように。受け入れて欲しいと。

 

「………………………………分かった。就寝時に一人、誰かにお願いして一緒に寝てもらうことにするよ……」

 

「! 司令官……」

「やったっぽい!! さっすが響! すごいっぽい!!」

 

 僕が諦めたように提案を受け入れると、夕立と響は両手を合わせて喜んだ。

 ……さっき視線を交わしてたのはそういうことか。僕としては、目の前でそう喜ばれると面映ゆいんだけど……。

 

「でも、差し当たり今日は誰に頼めば良いのかな……」

 

 ふとよぎった疑問をぽつりとこぼすと、笑みを浮かべていたはずの二人が急に血相を変えて僕に向き直った。

 

「提案した責任もあるし当然今日は私が供をさせてもらうよ安心してほしいソ連では信頼できるという意味の名を(たまわ)ったこともあるんだ」

「夕立なら一緒に寝られるっぽい! 寝るっぽい!! 寝かせて欲しいっぽい!! ぽいぽいぽーいっ!!」

 

「えっ、あの。ふっ、二人とも!?」

 

 夕立と響の予想外の食いつきに、わたわたと手を挙げて焦るしかない僕。

 そんな様子を哀れに思ってくれたのか、沈黙を守っていた時雨が助け舟を出してくれた。

 

「……二人とも落ち着きなよ。もともとは作戦の報告に来たんでしょ? 今日の哨戒で、貢献度(M)が高か(V)ったの(P)は誰なの?」

 

「……うー」

 

 時雨の意図を悟ったのか、どこか残念そうに夕立が声を漏らした。ということは……。

 

「随伴を蹴散らして突破口を開いたのは夕立だけど、旗艦撃破と退路の確保は私だったよ」

 

 響がどこか誇らしそうに告げると、時雨が僕に視線を移した。

 

「そういうことらしいから、今日は響にお願いしたらどうかな。 今後も、作戦でMVPだった艦娘にその権利があることにすればいい。艦娘側に拒否しても良いって念押しすれば問題ないだろうし、その場合は貢献度順に回していけば大丈夫だと思うよ」

 

「そう、だね。うん……。そうさせてもらおうかな」

 

 きっと他にもいい案はあると思うんだけど、目の前の二人……というか、流れ的に今日頼むことになるであろう響が、他の案を検討する時間をくれるとは思えない。

 

「……それじゃあ響。本当に情けない話だけど、今日寝る時は、よろしくお願いします」

Хорошо(ハラショー).任された。大丈夫だよ、朝までしっかり温めてあげるから」

 

 こうして。僕が提督を務める鎮守府では、同日作戦行動において特に優秀な成果を上げた艦娘一人が、僕と寝床を共にするという謎のルールが出来上がるのだった。

 

 ……いつか憲兵に捕まることになっても、文句は言えないかもしれないね。

 



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32.くーぼのけんぞーにちゃくしゅします

 

「ここに来るのも随分久しぶりな気がするなぁ」

「久しぶりどころか、五十鈴たちを建造した日から一度も来てないんじゃない?

 着任したての他所(よそ)の提督なら、資材が貯まる(たび)に喜び勇んで建造するんじゃないかしら」

 

「僕も建造に興味はあるんだよ? ただ、妖精さんがもうちょっと待って欲しいって言うからさ」

 

 そう、僕が五十鈴とともに足を踏み入れたのは、艦娘を建造するための工廠である。

 もちろん目的は建造。特に、空母を戦力として迎えるのが狙いだった。

 

「改めて相談したら、資材は当分問題ないって言ってたよ。むしろやる気みたい」

「それは重畳ね。大本営が基準として弾き出した建造の定石を考えるのが馬鹿みたいな成功率だし、妖精の言うことは無視しないほうが良さそうだもの。

 ……あまり妄信するのも怖いところだけれどね」

 

 五十鈴の話だと、五回の建造で五人の艦娘を迎え入れることができる確率は相当低いらしい。

 それを妖精さんの指示に従えば、確実に建造が成功するのだ。喜ぶべきことだと思うし、やっぱり妖精さんは凄いんだと僕も鼻高々なんだけど。

 

 五十鈴としては大本営に目をつけられないか心配で、無邪気にはしゃいでもいられないとのことだ。

 

「ま、それはとりあえず置いておきましょ。確実に空母が建造できるなら文句ないわ。……そうすれば、海上輸送ラインの防衛作戦も何とかなるはず」

 

 彼女が呟いた通り、僕たちは一つの作戦行動に従事している。

 

 『海上護衛作戦』。文字通りこの鎮守府直近の製油所地帯沿岸部、その海上輸送ラインを深海棲艦から防衛するのが主な作戦内容だ。

 

 一度五十鈴を旗艦とする五人の水雷戦隊で出撃したんだけど、作戦は失敗に終わった。

 それも仕方のない話で、この作戦海域でなんと戦艦級の深海棲艦と会敵したのだ。

 

 夕立が殿(しんがり)を務め、即座に戦線離脱したので難を逃れたものの、もし本格的な戦闘に入っていれば誰が轟沈していてもおかしくなかった。

 

 僕も通信と映像でしか確認できなかったけど、敵戦艦の主砲が巨大な水柱を上げたところを見て肝が冷えた。

 

 艦種上、装甲が厚いとは言えない軽巡や駆逐の彼女たちに直撃すればただでは済まないだろうことは、素人の僕でも容易に感じ取れる。それくらい激しい水飛沫と轟音だった。

 

 この一件もあって、いい加減に空母を建造しようという運びになったのだ。

 

 空母が居れば、偵察機によって先んじて敵艦隊を発見することができ、射程外から攻撃機や爆撃機で先手を打つことも可能なはず。

 

 五十鈴との座学で制空権を確保することの重要性は理解してるつもりだし、僕も空母の建造には大いに賛成だ。

 

「それで、妖精さん。早速だけど、投入する資材はどうしようか?」

 

 五十鈴との会話が終わるまで静かにしていた妖精さんに視線を向けて、そう問いかけてみる。

 ちなみに工廠には僕と五十鈴、そして三十人ほどの妖精さんしかいない。

 

 駆逐艦のみんなは手分けして遠征任務と哨戒任務を処理してくれている。

 作戦に向けて頑張っている彼女たちのためにも、なんとしても空母を建造しなくちゃならない。

 

「それでは~」

「はっぴょうします」

「とうにゅーしざいはぁ」

 

 妖精さんはもったいつけるように言うと、プラカードのようなものを持った四人が進み出て、くるくる回り始めた。なんだろう、これ。

 

「どぅるるるるるるるぅ~」

「じゃんっ!」

 

「ねんりょう!」

「さんびゃく!」

 

「だんやく!」

「さんびゃくっ」

 

「こーざい!」

「ろっぴゃく?」

 

「ぼーき!」

「ろっぴゃくー」

 

 新たに歩み出た一人の妖精さんがそれぞれ資源を口にすると、回っていた妖精さんが順番にポーズを取り、しゅばっとプラカードを掲げた。何これ可愛い。

 プラカードには数字が書かれていて、順に300、300、600、600となっている。

 

「ありがとう妖精さん。それじゃあ五十鈴、建造始めるね」

 

 隣に立っている五十鈴に視線を移すと、ポカンとした様子で妖精さんを凝視していた。……あぁそっか、妖精さんのこういうところ、艦娘のみんなは見慣れていないんだった。

 

 その上言葉もしっかり聞き取れる訳じゃないらしいから、五十鈴にしてみたら妖精さんが急に奇行に走ったように見えたかも知れない。

 

「えっと……五十鈴? 始めても大丈夫かな」

「っ。え、ええ。大丈夫。ちょっと驚いただけだから。始めましょ」

 

 我に返った五十鈴に頷いて、いつかのようにコンソールを操作していく。

 投入資材を確定して建造開始のキーを押下すると、妖精さんは慌しく工廠内を行き来し始めた。

 こうなると僕と五十鈴は待つだけだ。

 

「……やっぱり、見たことないような資材比率ね。さて、どうなるのかしら……」

 

 五十鈴のそんな呟きからいくばくか時間が過ぎて、室内を真っ赤に染め上げた炎も跡形もなく消え去った。目の前には開錠を待つ建造ドックが一つ。

 

「あれ、今回はあの、大きいネジ使わないの?」

 

 ふと以前の建造模様を思い出した。火炎放射器で建造ドックを燃やした後、妖精さんがドックの引き出しのような場所にネジを入れるよう促してきたはず。

 

「くうぼはさすがにむりー」

 

「……? そうなんだ。今回は要らないんだね」

 

 僕の言葉に、妖精さんはこくこくと頷いた。

 よく分からないけど、妖精さんが使わなくていいと言うならそうなんだろう。

 

 隣で五十鈴が「大きいネジ……?」と訝しげに呟いてるのがちょっと不穏だけど。後で絶対追及されるな、これ。

 

「じゃあ、開けるよ? ドック開錠っと」

 

 コンソールを操作すると、閉じられた建造ドックからガコンッと重い音が響き、次いで金属製の蓋が持ち上がった。

 

 中から歩み出てきたのは……。

 




ここで初めて後書きをば。

感想・コメントを下さる皆様、全部読んでます! ありがとうございます!
ただ申し訳ないことに、すべてに返信することが難しくなっております。

一つ一つきちんとお返ししたいんですが、そこに時間を費やすと本編を書く時間がなくなってしまうのです……。

今後は隙間時間で、目に付いた感想やコメントにちょこちょこっと返信させてもらう形になりますが、ご容赦いただけますと幸いです。


ちなみに、今まで後書きを書かなかったのは作者の好みです。自分が小説読んでるとき、一話毎に前書き・後書きがあると、そのたびに作品の世界観から現実に引き戻されるような気分になっちゃうので。

ただ、今回の感想の件のようにどうしてもお伝えしたいことがある時は後書きを利用させてもらいます。活動報告はあまり目に付かないかと思います故。

長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございます!
これからも暇なときに少しずつ更新していきますので、良ければお付き合いくださいませ!


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33.幸運の空母が運んだもの?

「はじめまして。翔鶴型航空母艦2番艦、妹の瑞鶴です。よろしくね、提督さん」

 

 役目を果たした建造ドックから歩み出てきたのは、一見すると弓道着に似た装いの女性だった。

 切れ長の瞳が気の強さの表れであるように感じるのは、不敵に弧を描いた口元のせいかも知れない。

 

 長い黒髪を両の側頭部で結っており、落ち着いた佇まいとは裏腹に、どこか活発的な印象を受ける。

 

「はじめまして。この鎮守府で提督を務めている、海原海人と言います。こちらこそよろしく、瑞鶴」

 

「一発で建造に成功したのは、もう気にしないことにするけれど……。これはまた、凄いところを引いたわね」

 

「凄いところ?」

「詳しい話は省くけれど。瑞鶴と言えば、日本海軍の最殊勲艦(さいしゅくんかん)に数えられる一隻よ。幸運の空母、なんて呼ばれることもあるわ」

 

「そんな風に言われると、ちょっと恥ずかしいけど……。艦載機がある限り、どれだけだって戦い抜いて見せるよ!」

 

「頼もしい限りね。……瑞鶴、貴女がこの鎮守府で初の航空母艦になるわ。忙しくなるけれど、共に励みましょう。挨拶が遅れたわね、軽巡洋艦、五十鈴よ。よろしくお願いするわ」

 

「ふふっ、かの貴族船とまた一緒に戦えるなんて光栄だね。よろしく、五十鈴」

「からかわないでちょうだい……」

 

 握手を求めた五十鈴に対し、溌溂とした表情で瑞鶴も応じた。

 

「また、ってことは。軍艦だった頃に同じ作戦に?」

 

 瑞鶴の言葉で浮かんだ疑問を口にすると、揃って答えを返してくれる。

 

「そこまでの頻度じゃないし、直接の関係も薄いけれど。大きな作戦で何度か、ね」

「私は肩を並べて戦った、くらいには思ってるけどなぁ。船の一隻、弾薬の一発で戦況が変わることもある。五十鈴が応援に来てくれたことは、しっかり記録し(おぼえ)てるよ」

 

「面映ゆいわね。悪い気分じゃないけれど」

 

 僕にはわからないけど、きっと二人の間には何かしらの繋がりがあるんだろう。何にせよ、相性が良さそうで良かった。離れて見てると容姿も結構似通ってるし、まるで姉妹みたいだ。

 

 小柄な五十鈴のほうが何故かお姉さんに見えてしまうのは、普段から僕が頼り切りなせいでは無いと思いたい。

 

「ともあれ、これで大きな戦力向上に繋がるわ。早速、鎮守府の案内と当面の実行作戦概要の説明に入りましょう」

 

「うん、そろそろ皆戻ってくるだろうし。一通り回ったら、提督室で作戦会議しようか。

 瑞鶴、さっそく頼らせてもらうよ」

 

 不敵な笑みをさらに深くして、瑞鶴は僕の言葉に大きく頷いて見せる。

 

「うん、いい感じじゃない♪ なんで幸運の空母だなんて呼ばれるのか。五航戦の力、見せてあげる!」

 

 こうして新たに正規空母、瑞鶴を迎え入れることに成功し。

 僕たちの鎮守府は、海域の攻略に向けて本格的に活動することになる。

 

 

 

 

 

 

 

 そのはずだった。

 

 

 

 

 

 

 

「提督っ、大本営から辞令が下ったわ!」

「……てことは、例の話が本決まりに?」

 

「ええ。……暁光鎮守府への異動命令よ」

 

 暁光鎮守府(ぎょうこうちんじゅふ)。深海棲艦との争いにおいて、現在最前線基地となっている鎮守府。

 

 ――通称、落ちこぼれ(ドロップアウト)鎮守府。

 数多くの艦娘を擁しているそこは、以前から提督が不在となっており、後任の選定が急務だったらしい。

 

 瑞鶴の建造からしばらく経って、いくつかの海域攻略作戦に成功し。ついに僕の鎮守府へ、初めて大本営から調査の手が入った。

 事前に用意していた諸々の報告資料により、僕の身柄が拘束されたり、といったことは無かったんだけど……。

 

 大本営は、僕を囲って妖精と対話する力を利用できないのであれば、別のところで使い潰せば良いという考えに至ったらしい。

 僕も状況全てが理解できている訳ではないけど、一つだけ確かなことがある。

 

 

 

 

 

「ようこそおいで下さいました、海原提督。駆逐艦、霞。お迎えに上がりました。どうぞよろしくお願いします……」

 

 僕と、六人の艦娘は。陸路で繋がってすらいない、最も危険で、最も残酷な鎮守府に送り込まれたということだった。

 

 

 

 

 

「おぉー」

「ぼろぼろだー」

「たてものがないてるぜ」

 

「これはなおしがいがあるね」

「どーぞーたてよ? かいのどーぞー」

「それさいよー!」

 

 もちろん、たくさんの妖精さんを引き連れて。

 




要素が薄いので[ギャグ]タグを外しました。
新たに[ブラック鎮守府に異動]タグを追加しました。
※2019/07/14


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34.調査報告―SIDE■■■―

「それで、(くだん)の鎮守府の調査結果はどうだったのですか? 空山(あきやま)中将」

 

 数多ある鎮守府を束ねる大本営、そのとある一室。俺は一人の男と向き合っている。

 黒雲(くろくも)元帥。現日本海軍においてトップの一角を担っていると言っても過言ではない大物だ。

 

 俺? 俺はしがない、それこそ数いる無名提督の一人。そこそこ活動期間が長いから、新任の提督とか悪い噂を聞く鎮守府の調査を任されることが多い、くらいが他との違いかね。

 

 名前は空山(あきやま)(そら)。割とイカしてる名前だと自分では思ってる。

 今回命令が下ったのは、前代未聞の抜擢を受けた『妖精提督』と、そいつの鎮守府についての調査。

 

 元はと言えば、この大本営で長らく活躍している艦娘、大淀からの報告が発端だ。妖精をたくさん引き連れてるーなんて、たったそれだけで提督に任命されたその男は、なんと意思疎通まで可能らしい。

 

 艦娘のように何となく考えを感じ取る、なんて曖昧なもんじゃない。会話が成り立つということだ。なんだそりゃ、と初めて聞いたときは思ったね。

 

 ともあれ、そいつと妖精は切っても切れない関係だ。何せ妖精が居なかったらただの一般人だからな。それでついたあだ名が『妖精提督』。どっちかっつーと蔑称に近い。

 

 そんな妖精提督の鎮守府に赴き、調査を終えて戻った俺は、その報告のためにここへ来たという訳だ。

 

「率直に申し上げますと、噂は寸分違わず本当だった、と言えるでしょうね」

 

 俺の、ともすれば投げやりな言葉に、黒雲元帥はぴくりと眉を顰める。

 多分俺の態度が気になったとかそういうことじゃないだろう。悪い意味で、そういう小さなことを気にする(たち)じゃない。この男は。

 

「……つまり、異常な数の妖精を鎮守府に囲っていることも、妖精と会話が成り立つということも。……工作艦や兵装実験艦の存在無く、改二改装まで成功したということも、事実だったと。そう言うことですか?」

 

「仰る通りで。私の鎮守府から一人、無作為に選定した他の鎮守府二ヵ所から、それぞれ一人、計三人の艦娘と共に向かいましたが。

 当該鎮守府からの報告書と、妖精の反応を見る限り虚偽の報告は無いという結論に至りました。ついでに、定期調査の摘発事項には一切触れてませんね。必要があれば、同行した艦娘にそれぞれ報告書の作成を指示しますが」

 

 隠していることはあるだろうけどね。そこまで報告してやる義理は無い。あくまで俺の所感でしかないっつーのも理由の一つだけど。

 

「報告書の必要はありませんが……成程。妖精は海原を気に入っているから力を貸しているのであって、その知識や技術を体系化する意思は無いという、あの報告書もただの事実を記したものだったと」

 

「そう捉えて良いかと」

「ふざけた話ですね」

 

 苛立ちを隠そうとはせずに、彼は窓の外へ視線をやった。

 

 まぁ気持ちは理解できなくもない。この男は提督という職務に対してちょっとした選民思想を抱いているからな。

 ロクな訓練も受けずに提督に抜擢された海原は気に入らないだろうし、あわよくば利用してやろうと考えていたはずだ。

 

 大本営も一枚岩じゃない。海原を提督に据えた他の元帥に対する攻撃手段として、この調査は必要不可欠だった。結果としては無駄に終わったと言えるが、ただでは起きないのがこの黒雲という男である。

 

「……ふむ。空山中将、暁光鎮守府の後任の話は把握していますか?」

「は? ええ、まぁ。まだ決まっていないはずでしたね。元帥閣下が持ち回りで作戦の指揮を執っていると聞いていますが」

 

「その通り。しかし我々も暇ではないのでね。最前線が後退しないよう維持するのも大切ですが、最も守りを堅くすべきはこの大本営です。ここが疎かになってはいけない」

 

「理解しております」

 

 言うなれば大本営は、深海棲艦に対する最初で最後の砦だ。ここの陥落は日本滅亡と同義だろう。黒雲元帥の言葉に違和感はない。意図は測りかねるが。

 

「海原提督は、新任にも拘わらず良くやっています。その働きのおかげで、彼の鎮守府近海は比較的安全になったと言えるでしょう。故に、あそこは担当鎮守府が決まっていない提督を着任させ、腰を据えて育成に取り組むべきだと思うのですよ」

 

 海原と新人提督の二人体制で運営するってことか? 監視の目を強化するということだろうか。あまり意味のある行動とは思えないが。

 

 ……いや、そうか。だからこその暁光鎮守府か。

 

「委細承知しました。私の方で辞令を出しましょうか?

 ……階級を新米少佐から少佐への昇格とし、暁光鎮守府への異動を命令する、と。そんなところでしょうかね」

 

「助かります。貴方のそういうところ、私は高く評価していますよ」

「恐縮です」

 

 できれば評価せずに無視して欲しいもんです。

 それに……命令だから仕方がない(・・・・・・・・・・)。人使いの荒い上司がいると、下っ端はつらいもんだね。

 

「新しく分かったことがあれば、すぐに連絡をお願いします。では下がって良いですよ、ご苦労様でした」

「重ねて承知しました。失礼いたします」

 

 頭を下げて退室し、細くため息を漏らす。

 そうしていると、外で待っていてくれたらしい俺の秘書艦がパタパタ駆け寄ってきた。

 

「お疲れ様です、司令官!」

「や、ブッキー。待たせてわりーね。つか、先に甘味処行かなかったの?」

 

 右手でゴメンしつつ聞くと、ブッキー……駆逐艦吹雪は、頬を膨らませて俺を睨んだ。

 

「一人で食べたって美味しくないですもん。一緒に行きましょうよ」

「えー……、俺ちゃん甘いもん苦手なんだけど」

 

「じゃあ抹茶でも飲んでてください。私、久しぶりにパフェ食べたいです」

「それ一緒に行く意味あんのー? ブッキーが食い終わるまでずっと抹茶飲んでるとかヤだよ?」

 

「黒雲元帥とのやり取りとか、今後の身の振り方とか。相談することなんていくらでもあるでしょう?」

「帰ってからでいーじゃん。重いしさ」

 

「重いから、ですよ」

 

 そう言うと、甘味処へ向かって俺の少し前を歩いていたブッキーは、スカートを翻しながらくるりと振り返った。

 

「司令官はチャラいくせに変なとこで真面目なんですから。

 お茶でも飲みながらのんびり相談しないと、一人で悩んじゃうでしょう?」

 

 ……ヤだなぁ。付き合い長いと行動パターンが読まれちゃって。

 

「わーかったよ。……俺もたまにはアイスとか食おっかな。ブッキー、アイスあった?」

「ありましたよ。あといい加減ブッキー止めてください」

 

「気が向いたらね」

 




急に路線変更したので困惑した、と感想をいただいたので、言い訳をば。

たくさん艦娘出したいけど一人一人建造描写するのがしんどいのです(´;ω;`)
見切り発車故の自業自得なのですが……話が進まない。
すでに存在する鎮守府への異動ならば、ある程度登場する艦娘の自由が利くのでこのような展開にさせてもらいました。

ブラック鎮守府とさせてもらってますが、そう重い内容にはならない予定です。


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35.孤独な闘い―SIDE霞―

 また、この時が来た。

 以前に比べればかなり期間が開いたほうだけど、やることは変わらない。

 

 丁重にお出迎えして、そいつの命令に従って。

 どうせしばらくしたら居なくなる。それまで無難にやり過ごせばいい。

 何人目かなんて忘れたし、これからも覚える気はない。

 

 きっと私たちはこの孤島で、人間を守っているという実感もなく、仰ぐべき提督もなく、何者かにつけてもらった両足で日ノ本の大地を踏むこともなく、いずれ海に帰るまで戦い続けるんだろうから。

 

「大丈夫?」

「っ! ……加賀じゃない。(おど)かすんじゃないわよ」

 

「ノックはしたのだけれど。……代わりましょうか?」

 

 着任する提督への対応を間違えないよう、その日私は準備に奔走していた。

 書類に集中し過ぎていたみたい。一般の鎮守府では提督室と呼ばれているその部屋は、いつの間にか薄闇に包まれていた。

 

「いいえ、私が一番慣れてるもの。私がやるわ」

 

 加賀の申し出は有り難いけど、この役は誰にも譲ってやる訳にはいかない。

 何かあったとき、何かあるのは(・・・・・・)私だけで充分なんだから。

 

「……今回は、今までのようにはいかないかも知れない」

「えっ?」

 

 代役の申し出は初めてじゃない。だからこの時も、ここでやり取りは終わって、ちょっとだけ罪悪感の残る瞳に見送られて、私は出迎えの準備に戻る。そうだと思っていた。

 

「着任される提督は、何人か艦娘を引き連れて来るそうなの」

「数は?」

「六。軽巡洋艦が一、残りは駆逐艦らしいわね」

 

 はあ、と。思わずため息が漏れる。

 私たち(・・・)は変化が嫌いだ。艦娘というのは、どんな絶望的な状況でも、希望を見出すことを止めない。絶体絶命でも諦めない。そういう風にできている、と私は思う。

 

 ……だから、新しい提督が着任すると知らされた時、何度も仲間と顔を見合わせて期待した。次は大丈夫かも知れない。今度こそ、誇りをもって海に出られるかも知れない。

 

 ……もう姉妹の、仲間の。悲しみに暮れる涙を見なくて済むかも。夜中に押し殺してすすり泣くその声を、聞かない振りをしなくて済むかも知れない。

 

 もううんざりだ。もう期待なんてするべきじゃない。今日も生き残った。昨日より仲間が減らなかった。それだけを喜びに生きていくべきなんだ。

 

 新しく着任する提督は、今までと同じであることが望ましい。そうすれば、そいつがここを去るまで同じように過ごせばいい。

 

「全員建造艦よね?」

「もちろん」

 

 でも知っておかなければならない。変化とは期待すべき良いものとは限らないんだから。

 むしろ悪いものであると仮定して臨まないと。

 

「階級は?」

「少佐と聞いているわ」

 

 ……頭が痛い。この鎮守府に流されてくる(・・・・・・)のは、基本的に新米少佐か大佐のどちらかだったのに。

 訓練生時代に優秀な成績を残して、過剰な自信をつけた新米少佐が身の程を弁えずに着任を希望するか、少将以上の階級にのし上がるための手っ取り早い箔付けに大佐が足を運ぶ。

 

 少数の艦娘を引き連れた少佐ということは、少なからず鎮守府の運営経歴があるはずだ。であればこんな危険な鎮守府になんで来るのか。無知な新米少佐か、ある程度艦隊指揮に自信のある大佐が来るのは分からなくもない。

 

 少佐ってなによ、少佐って。

 そもそも連れてくる艦娘の種類もよく分からない。戦艦や空母を連れてくる提督は何人もいたけど、わざわざ連れてくるのが水雷戦隊一部隊。何の参考にもなりゃしないったら。

 

「それと」

「……まだ何かあるの?」

 

「……妖精を、たくさん連れて来るらしいわ」

「……………………はぁ?」

 

「数は五十を超えるとか」

「……加賀、あなた疲れてるのよ。もう部屋でゆっくりしたら?」

 

「貴女が部屋に戻ったらそうするわ」

「……はぁ。分かったわよ。どうせこの資料もアテにならなさそうだし」

 

 今まで着任しては去っていた提督の目録を閉じて、この日は提督室を後にした。

 

 

 そして、運命の日。

 予測不能な未知の提督に対し、何の対応策も捻りだせなかった私は、寝不足のままこの時を迎えてしまった。

 

 しかも、船着き場から降り立った一行が目の前に歩み寄ってくるまで、全くその気配に気づかなかったのだ。

 

 ――なんて不覚。だらしないったらない。とりあえず気分を害さないよう、丁寧に挨拶しなくては――。

 

「ようこそおいで下さいました、海原提督。駆逐艦、霞。お迎えに上がりました。どうぞよろしくお願いします……」

 

 素早く頭を下げ、ゆっくりと上げる。

 

 ――まずは顔を確認しないと。目を見てどの程度(・・・・)か判断しないと。場合によっては、一部の艦娘と接触しないよう立ち回らないと――。

 

 

 そうして視線が重なったのは、軍人というには柔和な男性だった。幼い、と言ってしまって差し支えない、それくらいの印象だ。

 でもこの時、この提督がどういう人間なのか、どういう意図でここに来たのか、測ることは一切出来なかった。思考が真っ白になった。

 

 

 

 なぜなら。

 

 

 

 彼の頭上には数えきれないほどの妖精が浮遊していて、空を覆っていたのだから。

 

 

 

 ――なにが五十よ、加賀。百でも足りないんじゃないの? これ。

 

「海原です。こちらこそよろしく、霞。早速で悪いけど、まずは講堂まで案内を……霞?」

 

 丁重にもてなすはずだった提督に、顔を覗き込まれるまで気づかなかった私は。

 

「……はっ、ぇえ、そうね。っ、いえそのっ! ……こちらです。どうぞ……」

 

 お世辞にも、今までの通り無難に対応できているとは言い難かった。

 




※加賀が得た情報と海原が率いる艦娘の内容に差異があるのは物語上の都合です。


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36.めにものみせてやるぜ?

「五十鈴、どう思う?」

 

 無事に暁光鎮守府へと到着した僕たちは、案内役を務めてくれるという霞に連れられて、この鎮守府の講堂へと向かっている。

 

 その最中(さなか)、隣を歩く五十鈴に小声で尋ねてみた。

 

「……やっぱり、指令書の内容はアテにならなさそうね」

 

 端的な質問でも、彼女は正確に僕の意図を汲み取ってくれたようだった。

 五十鈴が言う指令書とは、僕宛に届いた暁光鎮守府への異動を命じる、という内容の電文だ。

 

 そこには暁光鎮守府の概要がざっくりとまとめられていたんだけど、気になる箇所がいくつもあったんだ。

 

 その中でも特に、『暁光鎮守府の艦娘は人間に敵愾心(てきがいしん)を抱いている可能性が高い。上官である提督に対して非常に攻撃的な態度をとる様子が多数報告されている。浮上艦は建造艦と比べて精神的に不安定であるという証左に他ならない。提督の命令や意向に背いた艦娘はその裁量によって解体することを認める。浮上艦へのあらゆる対応は摘発事項の対象外とする』というもの。

 

 艦娘は大きく二種類に分かれる。建造艦か、浮上艦か。

 建造艦は文字通り、鎮守府の建造ドックによって、建造されることで誕生する艦娘の総称。

 一方で浮上艦とは、海底から浮かび上がった艦娘だ。深海棲艦の敵艦隊をすべて撃沈した際、稀に起こる現象とのこと。

 

 浮上艦の中には建造での着任が確認されていない艦娘も多数いて、この暁光鎮守府はその浮上艦を各所から集めた場所らしい。

 

 深海棲艦の迎撃を担う最前線ということで、浮上艦はいち早くこの鎮守府に着任させ、海域の攻略を確固たるものにする、というのが建前のようだ。要は深海棲艦との繋がりを否めない艦娘の隔離施設ということだろうと思う。

 

 当然僕は、この電文の内容を鵜呑みにしてはいない。人間と艦娘、どちらが信頼できるかと聞かれればもちろん艦娘だ。ただ浮上艦については五十鈴のほか、僕が建造した艦娘の皆も詳しくは知らないらしい。なので、霞の様子を見てどう思ったか、と問いかけたんだ。

 

 そしてやはり、五十鈴も大本営の考えには否定的らしい。

 霞の反応は攻撃的どころか、やり過ぎなくらい丁寧だ。というか、ひどく礼を失することを恐れているようにすら見える。

 

「電文の、あの内容。関係あると思う?」

 

『提督の命令や意向に背いた艦娘はその裁量によって解体することを認める』

 これによって既に解体された艦娘が居て、それを恐れているからこそ、霞はここまで礼儀正しいのだろうか。

 

「いいえ、暁光鎮守府の来歴として送られてきた資料から、大本営がこの鎮守府あてに送った電文を洗ったりもしたけれど、あの内容自体が最近制定されたみたい。今のところ、この鎮守府で艦娘の解体は行われていないはずよ」

 

「……ってことは、そういうことか」

「そうね。ある意味安心したんじゃない?」

 

 つまり大本営が浮上艦を、言うなれば非正規艦娘、というように扱っているということだ。勝手に気持ち悪がって、少しでも言動が気に障ったら大袈裟に騒いで、大本営に報告する。『上官である提督に対して非常に攻撃的な態度をとる』というのはそういうことだろうね。

 

 僕と五十鈴の想像が勘違いじゃなければ、彼女の言う通り、確かに安心したと言える。

 僕にとっても、この暁光鎮守府の艦娘たちにとっても、この異動は理想的なものになるはず。

 はみ出し者同士。きっと僕たちは上手くやれると思うんだ。

 

「まずは信頼を勝ち取らないとね」

「あら、弱気じゃない? 妖精提督の面目躍如よ?」

 

「結局、妖精さん頼りだからさ」

 

艦娘(わたしたち)にしてみれば、妖精にお願いを聞いてもらえるというだけで凄いことなんだから。五十鈴は気を損ねないようにするので精一杯。だから、胸を張りなさい。妖精を友達だって断言できるなんて、間違いなく世界に一人だけの存在よ?」

 

 僕の顔を覗き込むように微笑む五十鈴から目を逸らして、僕はついて来ていた妖精さんに視線を向けた。

 

「いすずいーこというねー」

「りそーのかのじょぞーやも?」

 

「とにもかくにもー」

「かいはどぉんとかまえてればよろし」

 

「ようせいさんにおまかせー!」

「めにものみせてやるぜ?」

 

「……ありがとう。それじゃあ、手筈(てはず)通りよろしくね」

 

「「「らじゃー!!」」」

 

 相変わらず頼もしい妖精さんに笑いかけると、前を歩いていた霞がびくりと肩を震わせた。明確には言葉が分からないと言っても、たくさんの妖精さんが同時に声を上げたんだ。慣れてない彼女が驚くのも当然だね、申し訳ない。

 

「ぇっと、ここが講堂になります。手の空いている艦娘は既に集合しておりますので、どうかお言葉を(たまわ)れればと……」

 

「うん。挨拶させてもらうよ。案内ありがとうね、霞」

「……恐縮です」

 

 頭を下げる霞にこちらも会釈して、僕は大勢の艦娘が待つであろう講堂の扉を開いた。

 



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37.このクズ司令官!!―SIDE霞―

2019/07/24 本日二話目です。ご注意ください。


 海原提督を講堂まで連れてきた私は、すでに集まっていた艦娘の列に加わった。

 周りを見回せば、みんなの表情はお世辞にも明るいなんて言えやしない。

 

 大本営から元帥閣下の通信によって行われる艦隊指揮を考えると、現地に提督が着任している方がいいに決まってる。

 でもこの鎮守府に限っては、提督の着任は必ずしもいいものじゃない。むしろ姉妹を、仲間を罵られることを。それを見て見ぬ振りしなきゃいけないなら、居ないほうが良い。

 

 みんなきっと、いち早く海原提督がここを去るのを望んでいるはず。でもそんな考えを万が一にも悟られる訳にはいかない。処罰が下るのが自分だけならまだいい。でも、もし大切な仲間を傷つけられたりしたら……。

 

 そう考えてしまうともう駄目。出来るだけ視線を合わせないよう、目を付けられないよう、瞳を伏せて項垂れるしかない。ここに集った艦娘(なかまたち)みたいに。

 

 でも、私は違う。誰よりもこの鎮守府で、提督の扱いに長けている自信がある。

 どうすれば怒りを買わないで済むか。買ってしまった場合は、どうやって気を鎮めるか。処罰が下る際は、いかにして被害を自分だけに抑えるか。この鎮守府の誰よりも知っているつもり。

 

 だから、私は視線を上げる。提督と、彼が連れてきた艦娘に視線を向ける。

 正しく対処するためには、正しく知る必要があるんだから。

 

 ……正規空母、瑞鶴。軽巡洋艦、五十鈴。駆逐艦、夕立。同時雨、雷、響。

 ここに案内するまで、不快にさせないよう出来るだけ視線をやらなかったから気づかなかったけど。艦種の内訳が大本営からの伝達と違ってるわね。

 

 ……分からない。海原提督の画策なのか、大本営のミス、あるいは工作なのか。イレギュラーばかりでホント嫌になる。

 

 不自然なまでに静かな講堂の様子は気にならないのか、海原提督と六人の艦娘は軽い足取りで壇上に並んだ。提督は一歩前に出て、マイクの高さを合わせている。

 

 ――ここからだ。書類で分かることなんて、あくまで字の上でのことでしかない。

 それが不必要なものだとは言わないけど、百聞は一見に()かず。海原提督が何を(のたま)うのか、一言一句聞き漏らせない。

 

「……あ、あー……よし。……初めまして、暁光鎮守府の皆さん。本日よりこの鎮守府の提督を任されました、海原海人と言います。若輩ですが、よろしくお願いします」

 

 講堂に響いた彼の声音(こわね)は、良く言えば爽やか。悪く言えば軟弱な印象を受けた。

 でも、今までには居なかったタイプの話し方だ。過剰な自信も、立場から来る威圧感も、他人を蔑んだような(いや)らしさもない。

 

 事実、何人かの艦娘は興味を惹かれて視線を向けているみたい。

 ……まだ安心なんてできないのに、やめなさいったら……!

 

 私の内心の焦りには誰も気づかないまま、海原提督の言葉は続く。

 

「……さて皆さんは……もう敬語はいいかな。みんなは、人間は好きかな?」

 

 …………? 理解が及ばない。

 

 彼は何を言っている? どういう意図の質問なの?

 

 どういう答えを望んでる? 間違えればどうなる? ……分からない。

 

 ――分からない、分からない、分からない!

 

 嫌な汗が背中を伝う。額に雫が滲む感覚すら覚える。

 

「僕は嫌いです。大嫌い。できれば一生他人と関わりたくない。それくらいです」

 

 すぐに彼は話を続けた。あぁ、良かった。すぐに、誰かに答えを求めた訳じゃなかったんだ。

 

 そう思ったのも一瞬で、さらに意味が分からなくなった。

 ――仮にも軍人が、守るべき人間を、それを守るために居る大勢の艦娘に向かって、あろうことか大嫌いだなんて。

 

 何言ってんの? こいつ。 思わずそう考えてしまった。

 他の艦娘(なかまたち)にも困惑は伝播してる。ぽつぽつとざわめきが起こっている。こんなことは、今まで無かったのに。

 

「僕は幼い頃から妖精さんを見ることが、会話をすることが出来た。

 それが理由で、両親からも周りの人間からも、頭のおかしな奴として扱われたんだ。

 何か起これば僕のせい、何も無くても僕が悪い。生まれてから今まで、ずっとそうだった。だから僕は、人間が嫌いだ」

 

 これは……海原提督の、生い立ちの話?

 

「最近知った話だと、妖精さんを視認できるのは提督としての才能らしいね。

 実のところ僕は、つい最近提督になったばかりなんだ。しかも、海軍兵学校で訓練を受けずに、一般人から一足飛びでね」

 

 それは大本営からの通達にあった通り。妖精提督、なんて呼ばれるくらい、異常なほど妖精に好かれているらしい。

 

「僕が提督として働き始めたのは、友達である妖精さんのため。妖精さんは鎮守府で働くのが好きみたいなんだ。働いているというより、遊んでいるみたいな感覚らしいんだけど。物心ついた時からお世話になっている妖精さんに恩を返すために、僕は提督になった。人間を守りたいなんて意思はこれっぽっちもない」

 

 ――眉唾だと思ってたけど。講堂までの道すがら、彼が妖精に話しかけていて、妖精がそれに応えていたところを思い出すと、意思疎通ができるっていうのも事実なの……?

 

「でも今は、妖精さんのためだけじゃない。……ちょっと恥ずかしいけど、新しい艦娘(かぞく)のために。僕を助けてくれた、僕を提督として立たせてくれている、ここにいる六人の家族のために、僕は提督としてやってきた」

 

 海原提督の言葉に、嘘偽りは感じられない。少なくとも、私には。

 他のみんなも同じように感じたみたいで、思わず頭を上げて、呆けたように彼へ注目している。

 

「この暁光鎮守府がどういう場所か、大本営から送られてきた資料である程度は把握してる」

 

 彼がそう言った途端、ほとんどの艦娘が肩を震わせた。私だってそうだ。

 大本営が私たち浮上艦に対してどういう感情を向けているかだなんて、今更の事だ。海原提督に送られた文書に、私たちに対する好意的な内容なんて欠片もあるはずがない……!

 

「……あぁ、ごめん。不安にさせたかな。今言ったけど、僕は人間が嫌いだ。大本営の人間が好き勝手に決めた常識とか君たちへの所感なんて信じてないよ。建造艦だとか、浮上艦だとかね。

 僕が把握してるって言うのは……この鎮守府の艦娘が、大本営から不当な扱いを受けているってこと。……回りくどいかな。要は捨て駒、肉の壁、ってやつだね」

 

 ぎりっ、と。思わず歯が軋む。どうしようもなくどうしようもなかった過去を思い出して。

 そして、正しくこの鎮守府を理解しているように見える提督に対して、また期待してしまいそうな自分に腹が立つ。

 

「もう、そんな風にさせない。僕は君たちとも、家族になれればいいなと思ってる。もしそうなれなかったとしても、この鎮守府の仲間を一人も見捨てる気はない」

 

 改めて周りに目を向けると、顔を覆って嗚咽を漏らしている子がいる。抱きしめ合って、海原提督の着任を涙を流して喜んでいる子たちもいた。

 

 ――信じたい。でも、信じたくない。……裏切られたくない。

 

「思ったことは何でも言って欲しい。僕は提督になりたての素人だから。きっと皆に迷惑をかける。でも、そのままでいる気はない。家族の、友達のために精一杯励むつもりです。

 一人前に提督として艦隊を指揮できるよう、僕を支えてくれると嬉しい」

 

 思ったことは、何でも言って欲しい。

 

 ――なら、最初は私であるべきだ。

 きっとみんな期待してる。今度こそ大丈夫だ。ついに浮上艦(わたしたち)を、艦娘として扱ってくれる提督が着任されたんだ。

 

 きっと、大丈夫。九割九分九厘、この提督は信頼できる人だ。

 でも、たった一厘、不安を捨てきれない。今までの出来事が簡単にはこの人を信じさせてくれない。

 

 だから、それを取り除く。もし今まで通りだったとしても、きっと被害は私だけで済む。

 

「――はっ、――はっ。……ふぅ……」

 

 いつの間にか浅くなっていた呼吸を整える。

 ……出来る限り、口汚く。間違っても矛先が他に行かないように、徹底的に。

 

「――っ! なら言わせてもらうわよっ、このクズ司令官!!」

 

 講堂に私の声が響き渡った。海原提督と、彼が連れてきた艦娘たちは、驚いた様子でこちらに目を向けている。

 

 整列している仲間たちも、血の気が引いた表情で私に視線を送ってくる。

 ――これでいい。これならどう見たって、私の暴走にしか見えないはず。

 

「妖精と話せるなんてバッカじゃないの!? 現実見なさいよ! さっきまで連れてたのはどこ行ったワケ!?」

 

 思いつく限り。

 

「人間が嫌いだなんて、開き直って偉そうに!! 聞かなきゃ分かんないの!? あたしだって嫌いよ!! アンタみたいなズブの素人を提督に寄こす連中なんか!!」

 

 止まるな。これで剥がれる化けの皮なら今すぐ剥がすんだ。

 

「この鎮守府の事を把握してる!? だったら軽々しく家族にだなんて口にするんじゃないわよ!! デリカシーってもんが無いんじゃないの!?」

 

 海原提督が反応を見せるまで。じゃなきゃ声が枯れるまで。

 

「自分が世界で一番不幸みたいな顔しちゃって!! アンタみたいなクズの相手を何人もさせられたあたしの方が、よっぽど……っ!」

 

 ――いつの間にか、海原提督が、目の前に立っていた。

 

「……もう、いいから」

 

 嫌だったら殴って良いから。ごめんね。

 そういって、彼は私の体を抱きしめた。

 

「……君の気持が分かるなんて、軽々しく言うつもりはないよ。

 でも、安心してほしい。今回っきりだ。こんな思いをするのは。

 ……提督として、お礼を言うよ。今までありがとう、この鎮守府を守ってくれて」

 

 本当に、ありがとう。

 そう加えて、ぎゅっと抱きしめる力を強める彼の温かさに。

 

「……ぅっ、ぐすっ。……っ、うぅぅぅぅ……っ」

 

 遠い過去、どこかに置いてきたはずの感情が湧き上がってくる。

 嗚咽を、目から零れる雫を、どうしたって押しとどめることが出来ない。

 

「これからきっと、楽しい毎日を送れるようにするから。だから、見てて欲しい。――妖精さん!」

 

 私を抱きしめたまま、急に彼は叫んだ。すると――。

 

「……なに、これ」

 

 講堂の出入り口から一斉に室内に雪崩れ込んだたくさんの妖精が、海原提督の頭上を舞っていく。見慣れたはずの、見たこともないものを形作る。

 それは。

 

 

 

 

 ――錨、だった。

 

 

 

 

 妖精によって描かれた巨大な錨が、講堂の天井を覆っていた。

 

「君たちが安心して錨を下せるよう。……この鎮守府を、胸を張って帰る場所だと言えるようにして見せる。だから、もう一度だけ――期待して欲しい」

 

 

 

 ――もう、騙されてもいい。裏切られてもいいじゃない。この人なら――

 

 

「……下手な采配したら、承知しないわよ。……クズ司令官」

「うん、頑張るよ。改めてよろしくね、霞」

 

 



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38.逆鱗―SIDE天龍―

 作戦を終えて、鎮守府に戻ったオレの目に入ったのは、見慣れない一隻の小型クルーザーだった。そいつを見て今更思い出す。近々この鎮守府に、大本営が提督を寄こすって話があったことを。

 

「――っ、クソが!!」

 

 オレは一緒に出撃した仲間を置いて駆け出した。大事な艤装(そうび)を放り出すのは気が引けるが、そんな場合じゃねぇ。運が良けりゃあ、まだ講堂に居るはずだ。

 

「間に合ってくれよ……!」

 

 いい加減仲間をバカにされんのはうんざりなんだ。前回の提督(クソ野郎)が消えてから、オレには一つ決めていたことがある。

 

「はっ、はっ――。無茶するんじゃねぇぞ、――霞……!」

 

 誰よりも仲間想いなクセに、その仲間に頼るってことを知らねぇバカを、今度こそ一人にしないってな。(ツラ)腫らしながら『私は大丈夫』なんて口走るアイツを、これ以上放っておいてたまるか。

 

 

 

 

 全力で走ったオレが講堂に着くのに、それほど時間はかからなかったはずだ。

 ……だが。

 

 

 

「な、にが……」

 

 

 

 俺は、間に合わなかったらしい。

 

 ――泣いている。

 どいつもこいつも、講堂から出てくる仲間はみんなして顔ぐちゃぐちゃにしてやがった。

 

 今までこんなことあったか? いや、ねぇ。間違いなく。

 どんな……どんなクソ野郎が来やがったんだ……!?

 

「……!!」

 

 頭が真っ白になったオレは、講堂の入り口を少し離れた場所から呆然と見つめていた。そしてしばらくすると、そいつは現れる。

 

「霞……」

 

 白い軍服に身を包んだ提督(クソ野郎)が、霞の肩に手を置きながら出てきやがった。

 霞は俯いたまま、両手でスカートを握りしめている。その皺を見りゃあどれだけ力を入れてんのか一目で分かった。

 

 鼻をすすってんのか、小刻みに揺れる霞の顔から、光る雫が地面に吸い込まれんのを見送って――。

 

「――殺す!!」

 

 俺は再び駆け出した。

 

「何しやがった! てめぇええええ!!」

 

 叫びながら拳を振り上げるオレを見て、クソ野郎は一瞬目を見開いた。

 どうせ殴れやしねぇと舐めてんのか、連れの艦娘をチラッと見てから一歩脇へずれる。

 

 バカが、霞から離れやがった! これで万に一つも霞を巻き込むことはねぇ!!

 

「歯ぁ食いしばれ!!」

 

 余裕綽々のいけ好かねぇ(ツラ)に、オレは全力で拳を叩き込んだ。

 

「ぐあっ!!」

 

 ドガッ! 鈍い音を立ててそいつは地面に倒れ込む。ざまぁみやがれ!!

 打点、腰の捻り、振りぬき! 我ながら渾身の一発が入った!!

 

 しかしヤツはすぐに上体を起こして、殴った頬に手を当てた。傷の具合を確認してるらしい。すぐに頭をかばって受け身取ってやがったし、ナヨっとした身形(ナリ)の割りに喧嘩慣れしてやがる。

 

「よそ見してんじゃねぇぞ!!」

 

 オレは倒れ込んだクソ野郎のマウントを取り、襟首を掴んで――

 

「オラァッ!!」

 

 頭突きをお見舞いしてやった!!

 額同士がぶつかり、ゴンッ! とぶん殴った時より鈍い音があがる。

 

「がっ……!!」

 

 さすがにクラッと来たらしいな。

 一瞬白目を剥くクソ野郎。だがすぐにぎゅっと瞼を閉じ、ブンブン首を振って意識を保とうとしやがる。チッ、意外にしぶとい野郎だぜ。

 

「いいぜ。お望み通り、くたばるまで――」

「やめなさい! 天龍!!」

 

「あぁ? 止めんじゃねぇよ、霞。黙って見てろ。今からこのクソ野郎、二度とここに来れねぇようボコボコにしてやっからよ」

 

「誤解よ! いいから早くどきなさいったら!!」

 

 何が誤解だ? 目ぇ腫らして鼻真っ赤にしてよ、説得力ってモンがねぇ。

「なぁに安心しろ。俺がどうなろうがコイツだけは道連れだ……!」

 

 提督一人消えりゃあ、さすがの大本営様も浮上艦(おれたち)への認識を改めるだろうよ。

 

「あーもう! さっさと離れなさい!!」

「あっ、おい! 離せよ霞ッ!! おい誰か、危ねぇから(コイツ)を――っ」

 

 オレの腹に手を回してる霞を引き剥がすよう頼むと、提督に対して角が立つ。

 そう考えたオレは、霞自身が危険だから遠ざけるように、と含みを持たせて仲間に呼びかけた。これなら続けても、処罰されるのはオレだけのはずだ。

 

 そう考えつつ振り返ると、みんな心配そうに見つめていた。

 オレを……じゃなく。何故か、クソ野郎の方に注目している。

 

 ……オイ、なんだよその目は。まるで、クソ野郎の怪我を心配してるみてぇじゃねぇか。

 

「提督っ、大丈夫!?」

「あー、うん。ちょっと口の中を切っちゃったけど。これくらいで済んで良かった」

 

「っ、てめぇ何勝手に終わらせてんだ? こっちはまだっ――!!」

 

 駆け寄ってきた五十鈴にへらへら返答するクソ野郎。オレはもっぺん蹴飛ばしてやるべく、霞を引きずって近づこうとした。

 

 !?

 

 その時、ぞくり、と。

 肌が粟立つような悪寒が走る。

 

 

「――それ以上は、許さないっぽい」

 

 

 いつの間にか、そいつは俺とクソ野郎の間に割って入っていた。

 駆逐艦……夕立、か?

 

 パッと見第二改装済みだ。感情が読めねぇ表情でオレを見上げてくる。

 

 駆逐とは言え改二艦。ナメて良い相手じゃねぇ。だが、俺だって相応の覚悟がある。誰が相手だろうが、大本営に一発デカい印象(インパクト)を与えるために、テメェがどうなってもいい。そんくらいは随分前から心に決めてる。

 

 

 ……なのに……動けねぇ……!

 

 

 頭一個分以上ちっせぇ身形(ナリ)夕立(コイツ)に、命さえ賭ける覚悟のオレが……気圧されてるってのか!?

 

「夕立、駄目だよ。……天龍さんも、落ち着いてくれないかな」

 

 俺と夕立が睨み合ってると、クソ野郎の連れらしい時雨も止めに来た。

 夕立がオレにガン飛ばしてるのを注意してるみたいだが、こいつもオレから目を離そうとはしねぇ。どころかおっぱじめたら加わる気満々じゃねぇか、コイツ。

 

 その時、腹に回されてた手が離れるのを感じた。

 オレの脇を走り抜けて霞は、クソ野郎に肩を貸しやがる。

 

「オイッ、霞……」

「謝りなさい」

 

 ……夕立から感じた雰囲気とは、別の意味で悪寒が走った。

 今の底冷えするような声、本当に霞が言ったのか?

 

「な、なぁ。何言ってんだ? 今までどんだけこいつらに……」

「天龍」

 

「あ、あぁ?」

 

 霞は肩を貸しつつクソ野郎の背中を支え、俺に目を向けてきた。

 そのまま目を細めてゆっくり笑うと、もう一度口を開く。

 

「いいから。司令官の目を見て。今すぐ謝りなさい」

 

 …………一体、何が起こってやがる?

 



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39.殴られ甲斐

「いててっ……五十鈴、もう少し優しくしてくれないかな」

「自業自得よ、まったく」

 

 講堂での挨拶を終えた僕は、暁光鎮守府の医務室で応急処置を受けていた。

 場所が顔だから自分ではうまく手当て出来なくて、五十鈴にお願いしたんだけど……手つきが雑だった。

 

「わざわざ殴られなくても、きちんと話し合えば良かったじゃない」

「まぁ……そうかも知れないね」

 

 任務から帰投したらしい天龍が怒りの形相で駆け寄ってくるのを見て、五十鈴たちは当然身構えた。

 でも少し考えがあって、僕に任せて欲しいと視線で訴えたんだ。意図を読んでくれたみんなは、しばらく成り行きを見守ることにしたらしい。

 

 しかし、さすがに天龍があそこまでするとは思ってなかったらしく、倒れた僕に追い打ちをかけようとしたところで夕立と時雨がそれを制してくれた。

 

「それで、何か意味はあったの? 今頃天龍は戦々恐々としてるわよ。霞が説明してくれてるでしょうけど、天龍は提督の挨拶を聞いてないんだから。人となりを知らない以上、重い処罰が下ると考えているはず」

 

 椅子に座った僕に、五十鈴は立ったまま腕を組み、ため息を吐く。なんだか説教を受けている気分だ。いや、実際そうかな?

 

「殴られ損にはならないと思うよ。夕食の時にでも分かってもらえるんじゃないかな……」

 

 しかし喋りづらい。さっき鏡を見ると頬から目元にかけて思ったより腫れていて、口を動かすと鈍痛が走った。五十鈴がガーゼで覆ってくれたおかげで、それほど重症に見えないのが救いだね。

 

 ちなみに五十鈴以外の艦娘には席を外してもらっている。多分これから天龍が来るだろうけど、その時に彼女と話しやすくするためだ。

 僕が連れてきた艦娘に囲まれながらでは、彼女も話しづらいと思うし。

 

「……考えがあるのは分かったけれど、これっきりにして頂戴。提督が殴られるのを黙って見てるなんて、もう御免よ。五十鈴も、みんなも」

「うん……ありがとう」

 

「それじゃあ、五十鈴も施設を見て回るから。しっかりやりなさい?」

 

 分かっているならいいと僕に微笑みかけ、五十鈴は医務室から出ていった。……いつも彼女には迷惑をかける。いずれ機会を作ってお礼をしたいな。もちろん、彼女以外の五人にも。

 

「かいていとくー」

「うん?」

 

 五十鈴が退室してから物思いに耽っていると、窓の外に妖精さんがいた。キャスター付きの椅子に座ったまま近づき、鍵を開けて窓ガラスを持ち上げる。すると妖精さんは(ふち)にちょこんと座って首をかしげた。

 

「……だいじょうぶ?」

「うん、平気だよ。見た目ほど痛くないんだ」

 

 用があっただろうに傷を心配してくれる妖精さんを見て、心が洗われた。妖精さんが居なかったら、今まで何度心が折れただろうかと実感する瞬間だ。

 

「それより、何かあったの?」

「どーぞーどこにつくる?」

 

 ……あれ本気で言ってたのか。

 

「いや、銅像はいいから。改修が必要な施設からお願いしたいな」

「あらかたおわったー」

 

 早過ぎない?

 暁光鎮守府に到着したとき、ざっと外から見ただけでも建物は綺麗とは言い難かった。修理のし甲斐があると妖精さんがやる気を出していたのは知ってるけど、それにしたって作業速度が尋常じゃない。

 

「あとはみためだけ」

「……じゃあそこに力を入れて欲しいな。銅像は恥ずかしいし、作らなくていいから」

 

「えー! たてたいたてたいたてたいー!」

 

 ごろんと窓の縁に転がってバタバタといやいやをする妖精さん。なんでそんなに必死なんだ……。

 それに考えてもみて欲しい。着任した提督が初日に自分の銅像を建てるんだよ? どう考えたってこの鎮守府の艦娘に良い印象は与えられないはずだ。

 

「駄々こねたって駄目なものは駄目」

「……う~」

 

 ぴたりと動きを止めた妖精さんは、僕を見つめて涙を流し始めた。

 なんで!? なんでそんなに僕の銅像にこだわるの!?

 

「わ、分かったから泣かないでよ! ……それじゃあ、資材倉庫の脇にお願いするよ。あと、肩とか頭に妖精さんの像も作って欲しいな」

 

 我ながら妖精さんに弱すぎる。

 

 でも倉庫付近ならそれほど人目につかないだろうし、用が無ければ艦娘も近寄らないから視界に入りづらいはず……。それに妖精さんを乗せた提督の銅像なんて、威厳もへったくれもないから、反感も少ないと思う。思いたい。

 

「かい……///」

 

 しかし妖精さんは僕の打算を(いた)く好意的に受け取ったらしい。こちらを見つめる瞳にはハートマークが浮かんでいた。

 ちょっと待って、それどうなってるの?

 

「そいじゃたててくるー!」

 

 ばびゅーんと猛スピードで飛んでいくと、妖精さんは数秒で建物の陰に消えてしまった。

 僕が呆然とそれを見送っていると、廊下からドタドタと誰かが駆けてくる音が聞こえてくる。

 

「提督っ!!」

 

 バタンと勢いよく扉を開いたのは、予想通り天龍だった。

 険しい表情で僕のもとへ歩み寄ると、彼女はあろうことか――土下座をしてきた。

 

「すまなかった!!」

「……それは、何に対しての謝罪かな?」

 

 妖精さんとのやり取りで軽くなった意識を引き締める。

 これは認識の擦り合わせだ。僕は天龍に殴られてもいいと思ったから、五十鈴達が庇おうするのを遮った。彼女が僕を襲った理由によっては、むしろ殴られた方が都合が良かったんだ。

 

 でも僕を殴った理由が予想の外にあれば、ここで謝罪を受け入れるかどうかは変わってくる。これは彼女を正しく知るための問いかけだ。

 

「……勘違いで先走って、上官に手を上げちまった。許されることじゃねぇのは分かってる……」

「僕は根っからの軍人って訳じゃない。上官に暴行を働くことがどこまで悪いことなのかなんて正直どうでも良いんだ。それより、勘違いの方を教えて欲しいな」

 

 僕の言葉に、天龍は戸惑っている雰囲気だ。雰囲気というのは、未だ彼女は土下座したままで、表情が窺えないからだ。今姿勢を楽にしろと言っても、彼女はそれを受け入れないだろうし、その辺は感じ取るしかない。

 

「……今までこの鎮守府に来る提督は、どいつもこいつもオレ達をバカにしてやがった。何となく気にくわねぇなんて理由で(はた)かれた仲間も回数も、十や二十じゃきかねぇ。

 ……それにみんな慣れちまってた。だから、そんくらいじゃいちいち泣いたりしねぇんだ」

 

 でも、と一度区切って。天龍は言葉を探すようにゆっくりと続けた。

 

「オレが任務から戻って講堂に着いたら……みんな泣いてやがった。今まで散々な目にあって、それを耐えてきた心の強ぇ仲間が、泣いてたんだ。

 ……とんでもねぇクズ提督が現れたと思った。今回こそ、取り返しのつかねぇことになっちまうんじゃねぇかと……怖くなった。だから……っ! ……そうなる前に、俺が……殺してやろうと思ったんだ……」

 

「……そっか」

「お、オレだけだ!!」

 

 僕の言葉に何を思ったのか、天龍はガバッと顔を上げると、懇願するように僕の目を射抜く。

 

「提督をどうにかしちまおうなんて考えるハネっ返りはオレだけだ! だから処分するならオレだけにしてくれ! 頼む……っ!!」

 

 再び額を地面に擦り付けると、天龍はそれきり黙ってしまった。

 ……参ったな、思ってたより悲観的に捉えてるみたいだ。

 

「天龍、僕が講堂でみんなに話した内容は聞いてるのかな」

「……霞から、だいたいは……」

 

「そっか。……挨拶の時は濁したけど、僕も人間に殴られたことがたくさんあるんだ」

「えっ……?」

 

「普通人間には妖精さんが見えないらしいから。傍から見ると、居もしない妖精さんと話したり遊んだりする僕は、頭がおかしくて気持ち悪い奴だった。

 小さい頃に貼られた『大嘘つきの変人』ってレッテルは、提督になるまでずっと付きまとった」

 

 天龍に殴られた頬に手を当てる。正直、これくらいの傷は何度も作ったし、これ以上も何度だってあった。

 

「何もしなくても罵られて殴られて。それが嫌だから何かしてみても、結局ありもしない罪をでっちあげられる。罰って名目で傷つけられる」

「それって……」

 

 再び天龍は顔を上げて、困惑したように唇を震わせた。彼女には身に覚えのある話だっただろう。今僕が話した体験談は、同様に彼女たちの道程でもあるんだから。

 

「僕は一度もやり返したりしなかった。もっと酷い目に合うのは明白だし、連中と同じになると思っていたから」

「…………」

 

 天龍は苦渋に満ちた様子で表情を歪める。それも当然だ。僕の言葉をそのまま受け取るなら、今までの仕返しとして僕を襲った天龍を、彼女の言うクズ提督と同じだと言っているようなものなんだから。

 

「……でもね、天龍。それは僕に、やり返したいという思いが無かったってことじゃない」

「……?」

 

「妖精さんに恥じないように。醜い人間と同じにならないように。そうやって耐えてきたけど、それは結局臆病だっただけなのかも知れない。今ではそう思ってる。

 ……ねぇ、天龍。僕はね、君が殴りかかってきたとき、感動したんだよ」

 

 彼女の顔は困惑に満ち満ちている。言葉にせずとも、僕の言っている意味が欠片も理解できないと伝わってくる。

 

「君は、仲間のために僕を殴った。命懸けでね。そしてそれは、僕が言ったような仕返しなんかじゃない。これから仲間に降りかかるかも知れない火の粉を払うためにこそ、君は拳を振るったんだ。間違っても、自分のために他人を傷つけるような、そんな連中とは違う」

 

 椅子に座って天龍を見下ろしていた僕は、そこから降りて彼女と目線を合わせた。

 

「……もし、君のような人間が居て。これまでの人生で出会えていたなら……。ついそんなことを考えてしまうくらい、仲間のために走る君は眩しかったよ。

 だから……これからも、そのままの君でいて欲しい。今回のことを反省なんてしなくていい。仲間のために、頑張れる君で。そして僕が間違えたら、迷わず諫めることが出来る君であってほしい」

 

「提督っ……」

 

 床についたままの彼女の手を取って、ガーゼが無い方の頬だけで笑みを浮かべる。

 

「だから……ありがとう。僕にぶつかってくれて。ありがとう、ここに居てくれて」

 

 僕の(いびつ)な笑いをどう受け取ったのか。天龍は涙せずともくしゃりと顔をゆがめて、同じように両手で僕の手を取った。

 

「こっちこそ! ……こっちこそ、だ。ここに……。ここに来てくれて、ありがとな、提督……! オレ、これからも仲間のために戦うよ。仲間も……提督も。ぜってぇ守り抜いて見せるからよ……!!」

 

「……うん。改めてよろしく、天龍。遅くなったけど、海原海人(うなばらかいと)です。頼りにさせてもらうよ」

 

「ああ、困ったら何でも言ってくれ! 天龍型1番艦、天龍だ。こっちこそよろしくな、提督!!」

 



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40.妹は心配性

 

 さて、暁光鎮守府で初めての夕食時間だ。

 医務室で天龍の謝罪を受けた後、僕はこれから主に過ごすことになるだろう提督室で資料を流し読みしていた。

 

 今この鎮守府がどういう形態で作戦を実施しているのか、所属する艦娘やその艦種はどうなっているのか。把握するべきこと、やるべきことは山積みだ。

 とりあえず直近の報告書だけ目を通しておこうと考え着いたところで、食堂への迎えが来てしまった。

 

 五十鈴たちは既に到着しているらしく、再び案内を名乗り出てくれたらしい霞が僕を先導する。

 

「まったく、初日くらい鎮守府を見て回んなさいよ。引き籠って指揮するだけが司令官の仕事じゃないでしょ」

 

「そうは言っても、まだ提督という存在そのものが怖いって子も居るんじゃないかと思ってね」

「それはそうだけど……話してみなきゃ、溝なんて一生埋まんないわよ」

 

 初対面の時は凄く丁寧だったけど、どうやらこっちが素みたいだ。

 口調こそ刺々しいものの、溌溂としてて……何というか、話してて身が引き締まる気がする。

 

「霞はここ、長いんだよね?」

「ええ。出来たばかりの頃から居るわ」

 

「……そっか。さっきも言った気がするけど、色々教えてくれると助かるな」

「ふんっ、当然よ! 司令官だからって、ド素人が好き勝手出来ると思わないことね!」

 

「分かってる分かってる。勉強させてもらうよ」

「口調が雑! 艦娘相手とはいえ先達には敬意を払いなさいよこのクズ司令官!!」

 

 罵倒するのに躊躇が無いなぁ……。でも蔑んだようなニュアンスは一切感じないし、むしろここまで気安く怒鳴られると清々しい気分だ。

 

 まぁ比較対象が人間だしね。霞の言葉は近しい者同士が心を開いている相手にのみ(あらわ)にする本心のようで、逆に嬉しいくらいだ。

 

 とにかく霞とそんな掛け合いをしつつ歩いていると、いつの間にか食堂の扉の前に着いていた。

 

「どうぞ。ほら、さっさと入んなさい!」

 

 一応の礼儀としてか、扉を開いて促してくれた霞に視線で感謝を伝え、僕は食堂に足を踏み入れた。

 

 その瞬間、ざわめいていた食堂内がぴたりと静寂に包まれる。

 うん、まぁ予想はしてたけど。まだ僕を異物だと感じているだろうし。

 

 でも多分五十鈴たちか、あるいは――。

 

「よぉっ! 遅いぜ提督! こっちだこっち!!」

 

 一人の艦娘が、立ち上がって僕へと手を振っていた。

 もちろん、先ほどひと悶着起こしたばかりの天龍だ。

 

 彼女が囲んでいたテーブルには五十鈴たちも揃っており、僕を待っていてくれたみたい。

 右手を挙げてそれに応えつつ近づき、それとなく周囲の様子を探ってみると。何事もなかったように接する天龍を見て、みんな唖然としているようだった。

 

「や、みんな揃ってるね」

「提督が遅いのよ。初日くらい余裕をもって行動しなさいな」

 

「霞にも言われたよ。次から気を付けるって」

「あら、そうなの? なら今後は霞に監督してもらおうかしら」

 

「ちょっと五十鈴! 元はと言えばアンタ達の監督不行き届きなんじゃないの!? 威厳の欠片もないし、見てらんないったら!!」

 

「ド素人の提督に威厳を求められてもなぁ」

 

 五十鈴と霞のお小言を聞き流しつつ、いただきますと手を合わせて食事を始める僕。

 すると五十鈴も何食わぬ顔で食べ始めたため、霞も不承不承といった様子で席に着いた。

 

「……ん?」

 ふと視線を感じて顔を上げると、正面に座る天龍の左隣、一人の艦娘が僕を見つめていた。

 

「何か用かな? えーと……」

 他の艦娘もちらちらと視線を向けてくる様子は窺えるけど、ここまであからさまに凝視してくるのは彼女だけだ。名前は……。

 

「初めまして。軽巡洋艦、天龍型2番艦の龍田です。よろしく~」

 

 口ごもる僕に対して彼女は、にこやかにそう名乗った。

 あれ、天龍型ってことは。

 

「さっきは天龍ちゃんがご迷惑をおかけしたみたいで~」

「いやこっちこそ、誤解させちゃったみたいで。それより天龍の姉妹艦、でいいのかな」

 

「はい♪ 妹です~」

「まぁ竣工自体は龍田が先だから、年齢的にへぶっ!」

 

「天龍ちゃんは静かにしててね~?」

「……オゥ」

 

 目にも止まらぬ速さで頭を叩いた龍田にも驚いたが、天龍が素直に頷いたのもびっくりだ。力関係は龍田の方が上なんだろうか……。

 

「そう言えば、お怪我の具合はどうですか~?」

「ああ、あんまり痛みは無いよ。見栄えが悪いからガーゼで隠してもらったんだ。ちょっと大袈裟になっちゃったね」

 

 表面上はにこやかだけど、龍田の瞳は少し不穏だ。値踏みされてるみたい。

「安心しました~。それで、天龍ちゃんはどんな罰を受けちゃうのかな~?」

 

「罰? あー、今回はお咎めなしってことで。仲間を思ってのことだし、この鎮守府の来歴を思えば、僕も無遠慮だった。気にしなくていいよ、本当に」

 

「そうは言っても、提督の優しさに甘えちゃうと、風紀が乱れちゃうから~」

 

 ……やけに引きずるな。天龍に罰を受けさせたい理由でも……あ、そうか。

 

「龍田、大本営に報告するようなこと(・・・・・・・・・・・・・)なんて起きてないから。安心して良いよ」

「……意外に鋭いのね~?」

 

「あん? どういうこった?」

 

 いい加減に妹の様子を怪訝に思ったのか、天龍が手を止めて口を開いた。

 

「君の妹は、僕が天龍のことを大本営に報告するんじゃないかと危惧してるんだよ。だから何かしら罰を受けさせて欲しい。そうすれば、今回の件に関して大本営が介入してくることは無いだろうからね。問題が起こって、処罰は下った。それで話はお終いになる」

 

「……おい龍田!」

「心配なんだから仕方無いでしょ~? そもそも天龍ちゃんが悪いんだよ?」

 

 話していたはずの僕をそっちのけで姉を叱る龍田。それにへいへいと適当な返事をする天龍。仲いいなぁと頬を緩めつつ、僕は食べかけの料理に再び手を付けた。

 



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41.えへー♡

 

「殴られ損にならないって言うのは、こういうことだったのね?」

 

 前の鎮守府に比べると慎ましい夕食を続けていると、隣席の五十鈴が小声で話しかけてきた。医務室でのことだろう、天龍に殴られた意味はあったのか、と。

 

「貴方を害したはずの天龍が、いつの間にか提督と打ち解けて、食事の席を一緒にしている。目に見えて処罰された様子もない。それが他の艦娘に伝われば……ってことかしら」

 

「ん、そんな感じだね。想像より上手く行って、僕もちょっと驚いてるよ。天龍があんまり気にしていないのが功を奏したね」

 

 もし天龍が思い詰めて僕に服従でもしようものなら、逆効果になる可能性だってあったんだ。思い付きで危ない橋を渡ったけど、結果良ければ全て良しってことにしておこう。

 

 五十鈴も僕の内心を悟ってか、やれやれと首を振ってから食事を続けた。未だ僕の様子をちらちらと窺う目はあれど、みんな和やかに夕食を取っているように見える。

 

 ある程度、僕に対する警戒は解けたと思っていいだろう。

 

 そんな中、食堂の扉が薄く開き。何人かの妖精さんが僕のもとへ飛んできた。必然、艦娘たちの視線がこちらへ集中する。

 

「かいていとくー」

「ひとまずかんりょーしたー」

 

「ありがとう。妖精さんも着いたばかりなのにごめんね?」

 

「いいってことよー」

「たのしーしねー♪」

「んねー♪」

 

 どうやら妖精さんに頼んでいた仕事がひと段落着いたらしい。……それは有り難いんだけど、ということは、だ。

 

「……完了したって言うのは、銅像も?」

「えへー♡」

 

 懸念事項を問うと、妖精さんは善意100%の笑顔で頷いた。うん、妖精さんが喜んでくれてるからもういいや……。

 

「かんむすりょーがひどかったー」

「皆の寝室があるとこだよね? そんなに?」

 

「あまもりしほうだいー」

「ゆかいたぼろぼろー」

「おふとんもぺったんこ」

 

「家具とかもか……。どうにかなったの?」

 

「あたぼうよー!」

 

 なんて頼りになるんだ。周りの艦娘には僕の独り言のように聞こえるかも知れないけど、きちんと説明すれば驚いてくれるだろう。でもその前に、もうちょっと成果を聞いておきたい。

 

「艤装とかはどうなってた?」

 

「ひつようなものはさいていげんあったけども」

「いらないもののほうがおおかったー」

 

「じゃまだからかいたいしたらね」

「あかしないてたねー」

「わるいことをいたした」

 

 ああ、工作艦明石。この鎮守府には着任しているみたいだ。艤装の管理は彼女が行っていたのだろう。それを話の通じない妖精さんが急に解体しだしたら、そりゃあ焦るよね……。

 この場にいないところを見るに、多分倉庫の備品リストなんかを更新しているんだろう。後で謝りに行かなきゃ。

 

「じゃあ資材とかは少し余裕ができたのかな? いやでも、建物の改修とかに使ったよね……。貯蓄は問題無さそう?」

 

 すると妖精さんがぎくりと硬直した。にっこり笑顔のまま、ぎぎぎっとあらぬ方向へ顔を向けだす。

 

「ふ、ふゅー、ふひゅ~♪」

 

 下手くそな口笛まで吹きだす始末。なるほど……。

 

「……そんなにまずい状況なの?」

「……えへー♡」

 

 分かった。使っちゃったものは仕方がない。許してくれるかは皆次第だけど、僕が頭を下げて、今後取り返していくしかない。妖精さんが間違ったことをした訳でもないんだから。

 

「……ごめんねー?」

「やりすぎたー……」

 

 しゅんとした妖精さんに、いいよ、と笑いかけると。安心したようににぱっと笑ってくれた。うんうん、妖精さんにはいつも笑っていてもらわないと。僕が頑張れない。

 

 席を立って食堂の配膳台、カウンター近くの目立つ場所に移動する僕。妖精さんと僕の様子を窺っていた艦娘たちは、言われるまでもなく注目していた。

 

「えー、みんなに大事なお知らせがあります」

 

 僕が話し始めると、僕が連れてきた六人以外は気を引き締めているように見えた。五十鈴たちは、あぁ、なんかやらかしたのかな、といった表情を浮かべている。遺憾である。

 

 ちなみに追従してきた妖精さんたちは、威厳を出すためか、僕の周りで胸を張り、腰で手を重ねていた。愛らしい。

 

「まず、良いお知らせから。実はこの鎮守府に着いた時から、施設にガタが来てるなって話を妖精さんとしていたんだ。だから建物の改修をお願いしてたんだけど、もうそれが終わったらしい」

 

 妖精さんから受けた報告を語り聞かせると、艦娘たちは愕然とした様子で静まり返った。気持ちはよく分かる。慣れていたつもりの僕だって、妖精さんの仕事がこんなに早いなんて思いもしなかった。

 

 まぁ彼女たちにとっては、提督がまともに建物を直してくれた、ということすら驚愕に値するのかも知れない。

 

「聞いたところによると、皆が生活してる寮もひどい状態だったみたいだけど。家具寝具含めて、妖精さんが誂えてくれたみたいだから。遠慮せず使って欲しい」

 

 まだ僕の言葉が呑み込めていないらしい彼女たちを待たず、話を続けることにする。下手にざわついてからだと、僕が話しづらいしね。大勢の前で話すことに慣れてる訳無いんだから。

 

「次に悪いお知らせなんだけどー……。改修作業が捗り過ぎて、資材の貯蓄が……ほとんど底をついたみたい。しばらくは水雷戦隊による遠征任務が主になると思うので、認識のほどよろしく」

 

「「「……え?」」」

 

 良いお知らせがじわじわと頭に浸透し、表情に喜色を浮かべ始めていた艦娘たち。

 しかし悪いお知らせの方は、理解できずに静まり返るとはいかず。

 

「「「えぇええええええええっ!?」」」

 

 重なった驚愕の声が、食堂を大きく揺らした。

 それを受けた僕と妖精さんたちはと言えば。

 

「本当に申し訳ない」

「「「ごめんなさーい」」」

 

 深々と頭を下げることしか出来なかった。

 



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42.あかしにごめんしにきたのー

「バッッッカじゃないのっ!? そりゃあもともと潤沢とは言えない量だったけど! どうやったら三時間やそこらで鎮守府の貯蓄資材使いきれるわけ!?」

 

「面目ない……」

「ったく。……はぁ」

 

 夕食を済ませた後。再び霞に先導されて、僕は工作艦明石が詰めているという工廠に向かっていた。艤装を始めとした兵装や資材を管理している彼女との顔合わせは急務と言っていいからね。装備の解体や建物の改修の件もろもろ、相談するべきことは山積みだ。

 

「でも一応、お礼は言っておくわ。正直昨日までの寮生活で、皆しっかり休めてるとは言えなかったから。その……ありがと」

 

「僕が直したんじゃないけどね。どういたしまして」

「けどっ! 今度からは相談してからになさいっ! 私でも明石でもいいから。分かった!?」

 

「仰せのままに」

「口調が変!!」

 

 さっき雑って言われたから改めたのにこれだもんね。ひどい。

 げしげしと尻を蹴られながら案内されることしばらく。提督室や食堂がある本館とは少し離れた一角、無骨な作りの工廠に辿り着いた。

 周囲が闇に包まれる中、人が通れる程度に開かれたシャッターから明かりが漏れている。

 

「入るわよ、明石」

 

 霞が躊躇無く進入するのに続くと、何やら台帳らしきものに難しい顔で視線を落としていた女性が顔を上げた。彼女が明石だろう。

 

「あっ、霞? お疲れ様。ねぇ、もしかして今日、新しい提督が……」

 

 少し先を行く霞に話しかけていた明石だったが、僕が霞に追いつくとびくりと動きを止めた。

 僕の姿は影になっていて見えなかったのだろうか。霞に気を取られていたのかも知れない。とにかく明石は、思いもよらなかった存在の闖入に硬直してしまう。

 

「その新しい提督をご案内したわ。挨拶なさい」

「初めまして、明石。今日からこの鎮守府の提督を務める、海原海人です。よろしくね」

 

「……はっ、はじめまして! 工作艦明石ですっ! こちらこそよろしくお願いしますっ……!」

 

 固まってしまったことを恥じるように、明石は勢い良く頭を下げた。他の艦娘に挨拶した時も夕食の席でも明石の姿は見えなかったし、彼女は僕の存在を今知ったんだろう。

 できればしっかり自己紹介したいところだけど、あまり悠長にもしてられない。枯渇した資材を取り戻せるよう計画を立てないといけないからね。

 

「そう畏まらないでいいよ。事前に僕のことをどこまで知らされてるかは分からないけど、ただの素人提督だから。あまり立場を気にせず、仲良くして欲しいな」

 

「ふっ。自分で素人提督って名乗ることほど無様な挨拶も無いわね」

「ははは。事実なんだから仕方ないさ」

 

 鼻で笑う霞に乾いた笑いを返すと、明石は恐る恐る顔を上げ、呆気に取られた様子で僕と霞を交互に見やる。……やっぱり、初対面の艦娘の警戒を解くには、霞や天龍に協力を仰ぐのが良さそうだ。思いがけないところで収穫があった。

 

 まぁ、それも今は置いておくとして。ひとまず明石に色々聞かせてもらおう。

 

「明石、今時間大丈夫かな? ちょっと確認したいことがあってね」

「は、はい。もちろん大丈夫ですけど……」

 

 僕が問いかけると、明石はちらりと掛け時計に視線を送り、次いで手元の台帳を一瞥した。

 ……きっと僕に遠慮してるんだ。出来れば早く仕事を済ませたいのだろう。それに、夕食もまだのはずだし。

 

「霞、悪いんだけど……」

「分かったわ。一旦食堂に戻るから、変な事すんじゃないわよっ!」

 

「しないよ……」

 

 眼を吊り上げて、ズビシッ、っと僕に指を突きつけて。意図を汲んでくれた霞は、食堂にご飯を取りに向かった。口調はきついとこもあるけど、やっぱり人一倍気遣い屋なんだろうね。

 

「えっ、と……」

「あぁごめん。夕飯まだだよね? 霞が取りに行ってくれてるから、その間に話をさせて欲しいな。まずは……妖精さんが解体した装備。何か問題が起こったりしてない?」

 

「……一応、同時に展開可能な作戦の最大数と、そこに編成することになるであろう艦娘、その艦種。特殊な海域での任務や特化した編成は想定していませんが、最低限必要なものは揃っています。ただ……」

 

「ただ……?」

「……あの、提督。装備が解体されたとき、ここにたくさん妖精が来たんですが……今後この鎮守府に、あれだけの妖精が居付いてくれると考えて良いんでしょうか……?」

 

 ……? 考えが読めない質問だ。どういう意味だろう?

 

「うん、多分。僕が離れない限りはここに居てくれるんじゃないかな。まぁ妖精さんが他に行きたいって言い出したら、僕はそれを止めたりしないけど」

 

 僕は妖精さんのために提督として頑張るつもりだけど、妖精さんにも僕のためにそうあって欲しいなんて思ってないから。鎮守府を出るというなら見送るまでだ。

 

 妖精さんが僕に提督を勧めたんだし、鎮守府を出るなんて万が一にも無いと思うけどね。

 

「ほ、本当に……この鎮守府にも、妖精が……」

 

 ふるふると肩を震わせると、なんと明石は涙を流し始めた。

 

「どっ、どうかしたの? 妖精さんが居ると問題が?」

「ち、違います! 逆なんです!」

 

「逆?」

「はい……。普通の鎮守府では、妖精が兵装の開発であったり、戦闘時の主砲発射角度の調節とか……諸々サポートしてくれるんです」

 

 ああ……。提督に勧誘されたとき、大本営のおっさんがそんなことを言っていた気がする。妖精さんが多い鎮守府ほど強力なのだと。

 

「この鎮守府には、今まで妖精が居ませんでした。新人の提督が稀に連れてくることはあったんですが、少ないうえにすぐ居なくなってしまって……。だから、戦闘で妖精の手助けが無くても対応できるよう、用途の少ない兵装もどうにか開発して、保存しておいたんです」

 

 ……それは、つまり。

 

「……普通の鎮守府では、本来妖精さんが手伝ってくれることを。君は一人で頑張ってくれてたんだね」

「……仲間のためです。誇らしくはあっても、辛さはありませんでした。工具を触るの、好きですから」

 

 全部が嘘って訳じゃないだろう。でも、全部が本当でもないはずだ。入れ替わりの激しい指揮官。増えない妖精さん。兵装は開発だけじゃなく、メンテナンスも必要に決まってる。

 

 工廠の隅に目をやれば、くたびれた寝台から薄い布団がこぼれている。明石は一日のほとんどをここで過ごすのだ。明石が寝る間を惜しんでサポートしないと、この鎮守府はまともに機能さえしなかっただろうことは想像に難くない。

 

「……これからは大丈夫だよ。提督はずっと僕のままだし、妖精さんも手伝ってくれる。せっかく作ってくれた装備を解体しちゃったのは……申し開きできないけど。僕と妖精さんで、この鎮守府が良くなるよう頑張るから、許して欲しい」

 

「ゆ、許すだなんて滅相もない! 鎮守府の資材は提督のものですから、ご随意にしていただければと……」

 

 そう言われてきたんだろう、今までの提督には。この鎮守府のあらゆるものは提督の所有物なのだから、方針に逆らうな、と。

 

 だから僕は、少しずつ示していこう。艦娘(みんな)の活躍で勝ち得た物は、艦娘(みんな)の為に使って良いんだと。

 

「ひとまず今日は、夕食を取ったら寮に戻って休んでね。しばらくは軽巡、駆逐の皆に遠征を頼むと思うから。明石の負担も減るだろうし、今まで取れなかった休暇だと思ってさ、ゆっくりしなよ」

 

「寮、ですか……」

 

 僕の、休めという言葉に少なからず驚いた顔を見せた明石。でも、寮という言葉を聞いて目を伏せた。まだ部屋がぼろぼろのままだと思ってるんだろうから、これに関しては安心してもらえそうだ。

 

「明石、各資材の貯蓄がほとんど底をついてることは知ってるよね?」

「……はい。何に使われたのかは、把握していませんが……」

 

「あれね、妖精さんに頼んで建物の改修に使ったんだ。この工廠は、明石が手入してくれてたみたいだし、必要なかったから気づかなかったかも知れないけど。この鎮守府の建物は、君の知ってるものとは別物だと思うよ。もちろん、寮の部屋もね」

 

 僕が資材の行方を話すと、明石は目を見開いてこちらを見据えた。……いや、僕というより僕の背後を……あ。

 

「妖精さん。来たんだね」

 

「やぁやぁー」

「よいよるですね」

「こんなひはしざいをとかすにかぎる」

 

「……反省してるんだよね」

 

 いつの間にやら集まっていた妖精さんを半眼で見やると、あせあせと両手を振ったり、ぶんぶん首を左右させだした。

 

「もももちろんですたい」

「ちょうしにのりました」

「あかしにごめんしにきたのー」

 

 なるほど、妖精さんも僕と同じ考えだったようだ。というか僕が明石に切り出すのをどこか影で見守っていたんだろうね。妖精さんは、楽しいことにはとことん盛り上がるけど、ばつが悪いときはどこか及び腰になる。そんなとこも可愛らしい。

 

「えっと……。明石、妖精さんも資材を勝手に使ったことを謝りに来たらしいんだ。言葉は分からないかもだけど、ひと声かけてくれないかな。僕が言うのもあれなんだけど……」

 

 犯人の一人が共犯を許してくれって言ってるようなものだし。情けないったらない。……霞が移ったかな?

 

「っ、いえ! 他の艦娘に比べたら、私は妖精の言葉を聞きとれる方なんです。……提督こそ、妖精と話せるって本当だったんですね。……でも、そっか。妖精が……」

 

 明石は僕の言葉にハッとした表情を浮かべた。しかしその後、何かを反芻するように俯き、数秒考えるそぶりを見せる。……そして。

 

 どこか安心したように、細く息を吐いた。……ようやく、肩の荷が下りたというような。あるいは探していた物をやっと見つけたような。目指していた場所にたどり着いたような。そんな安堵に満ちた顔を見せる。

 

「……資材が突然消えたことには、正直心臓が止まるほど驚きました。でも、きっとこの鎮守府にとって、良いことに使われた。それが分かっただけで、私は満足です。むしろお礼を言いたいくらいに。だから……これからも、よろしくお願いします。私を……この鎮守府を、導いてください」

 

 その言葉を最後に、明石はふわりと微笑んだ。それに安心したのは、僕だけではないだろう。妖精さんも顔を見合わせて、にぱっと笑い合っている。

 

「話は終わったかしら? ったく、立ったままいつまで話してんのよ……っ!?」

 

 僕と明石の話がひと段落すると、シャッターの方から霞が声をかけてきた。振り返ると明石の夕食を持ってきてくれたようなんだけど、何故か明石を見つめて驚愕している。

 

 どうしたって言うんだ。

 

「……あたし、明石に変なことすんなって言ったわよね?」

「うん。言ったね」

 

「なら……なんで明石は泣いてるのかしら?」

「泣いて……? あ」

 

 今後この鎮守府に妖精が住むと聞いて、明石はこれまでの苦労からか、涙を流した。もちろんこの短時間で眼の腫れは引くわけもない。

 工廠という閉じられた空間で、立場は上官と部下。男が女を泣かせているように見えるかも知れない。

 

「なるほど。でも聞いて欲しいんだ、霞」

「このクズ司令官――!!」

「いだぁっ!?」

 

 落ち着き払って説明しようとした僕の尻に、ひと際強い衝撃が走る。

 痛い痛い! その細い足のどこにそんな力がっ!?

 

 ……結局何度もヤクザキックを食らってから。明石の必死の説得の末、ようやく誤解は解けたのだった。

 僕の白い軍服の尻が、霞の足跡だらけになったことはしっかり記憶しておきたい。

 

 



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43.新しい朝

 

 僕が暁光鎮守府に着任した日の翌日。

 この日は水雷戦隊と潜水艦隊を中心に複数回遠征任務をローテーションすることにし、昨日まで慌しく出撃に明け暮れていた艦隊主力艦娘達の多くは非番となった。

 

 昨晩の夕食でその旨は説明していたけど、やっぱり実際に休日となると、皆時間を持て余しているみたいだ。

 まぁ駆逐艦の中には改修された施設がどうなってるのか気になって、探検ごっこに興じている娘も居るみたいだけど。

 

 ともあれしばらくは鎮守府近海の哨戒と、資材回復のための遠征が主な活動方針となる。前線は後退するし、敵にも準備期間を与え、ゲリラ的な襲撃を警戒する必要もある。けど、仕方ない。資材が無いんだ、闇雲な出撃は避けたいところだ。

 

 ・・・・・・まぁ、勝手に使った僕と妖精さんが半分くらい悪いんだけどね。残りの半分はこの鎮守府の歴代提督と、ここまで放置し続けた大本営。

 艦娘の皆もそう思ってくれているのか、僕に対する批判の声は少ない。むしろ廊下ですれ違うと、嬉しそうに挨拶してくれたり、お礼を言ってくれるくらいだ。

 

 ふかふかのベッドと布団は、思いのほか皆の心を癒してくれたらしい。

 

 それはさておき、当面の問題は深海棲艦の強襲についてだ。この日の早朝、鎮守府の防衛にあたって、どれくらい守りを固めるべきか、兵装を管理する明石や、古参の霞。そして航空母艦筆頭、加賀を交えて作戦会議を行った。

 

 一応議事録を取るため、五十鈴を秘書として同席させ。僕が建造した唯一の空母ということで瑞鶴にも参加してもらう。

 他にも話を聞かせて欲しい艦娘はたくさん居るんだけど、彼女たちも出撃に次ぐ出撃で疲労していたため、今回は見送ることにした。

 

 暁光鎮守府を切り盛りしていた三人に意見を述べてもらい、僕の指揮方針や提督としての知識レベルを把握している五十鈴に注釈や助言を求め。実際僕が運用した経験がある空母の瑞鶴が作戦を吟味する。

 

 会議は恙無(つつがな)く進み、満場一致で鎮守府の作戦方針は決定した。結果的に言えば、十分資材が貯まるまで、遠征と哨戒、深海棲艦の襲撃に対する反撃以外の作戦行動は控えることになったんだ。

 

 というのも、明石曰く。この鎮守府に在籍している艦娘と現在の兵装。そこに僕が連れてきたたくさんの妖精が居れば、鎮守府の護りなど造作も無いことらしいのだ。

 

「索敵による先んじての敵艦捕捉。主砲の有効射程、命中精度。防盾の取り回しや被弾時の装甲。そのいずれもが、妖精によるサポートで飛躍的に上昇します。

 私たちは他の鎮守府の艦娘と違い、今までそれ無しに戦ってきました。練度で言えば、はっきり言って全鎮守府の中でもトップクラスの筈なんです。そこに、海原提督と妖精が加わる。……正直、連合艦隊級の襲撃でもない限り、陥落はありえないかと」

 

 明石が不敵に笑って見せると、霞と加賀は苦笑した。しかし、その言葉を否定はしなかった。きっと二人も燻っていたのだろう。まともな提督が、妖精さんの助けがあれば。どの鎮守府にも負けない戦果が挙げられるのに、と。

 

「分かった。それじゃあ、方針はそれで行こう。妖精さん、皆のサポートお願いできる?」

 

 話は決まったけど、当の妖精さんにも一応確認しておく。鎮守府での活動の鍵は妖精さんだ。提督になるまで欠片も知らなかったけど、ここ最近で痛いほど実感した。断るとは思えないけど、それでもきちんと確認しておくことは大切だ。勝手に考えを決めてかかって、分かった気になって。そうして妖精さんに嫌な思いをさせるのは、僕にとって何にも勝る苦痛だから。

 

「まかしてー」

「あたしがちょーせーすれば」

「ひゃっぴゃつひゃくちゅーよー」

 

 僕の問いかけに、しれっと会議室に入っていた妖精さんが応えてくれる。よし、それなら安心だ。

 

「妖精さん、何かあったときは、僕か明石に相談してね? ……いや、明石だけで良いかな? 嫌な事があったら僕に言って欲しいけど、そうじゃなかったら出来るだけ明石の手伝いをして欲しいな」

 

「あいあいさー」

「あかしとはいいわいんがのめそうだ」

「おしごとちゅーはあるこーるだめー」

 

 明石はある程度妖精さんと意思疎通できるみたいだし、直接やり取りしてもらったほうが都合が良いよね。アルコールがどうとか不穏なこと言ってるけど、きっと大丈夫なはず……。

 

「提督……ありがとうございます。感謝します……っ!」

「気にしないでよ。もし疲れがたまったり、体調不良になったらすぐに相談してね? 明石の代わりなんて居ないんだから」

 

「はいっ!」

 

 一晩しっかり身体を休めた明石は、昨晩に比べて幾分か血色が良くなった様に見える。それでも僕の言葉に瞳を潤ませているところを見ると、普段から涙もろいタイプなのかも。

 

「あら、五十鈴たちには代わりが居るみたいな言い方ね?」

「そうですね。さすがに気分が落ち込みます」

「そんなこと思ってないから! 面白がってるよねっ? 五十鈴!」

 

 にやにや笑う五十鈴に、言葉だけは悲しげな加賀。というのも、彼女は澄ました表情のままそんなことを言ったのだ。冗談なのか本気なのか……。

 

「霞も、五十鈴に言ってやってよ。会議中にふざけるのは良くないよね?」

「……フンッ!」

 

 霞に助けを求めるも、何故か不機嫌そうに腕を組み、ぷいっとそっぽを向かれてしまう。なんでだ。

 

「あはは……。とりあえず、今日の会議はこんなところですかね?」

「そうだね。今日から新しい鎮守府として、皆で支えあっていこう!」

 

 明石の言葉が結びとなり、僕の締めの言葉で会議は終了した。

 そんなこんなで、新・暁光鎮守府の新しい歩みは始まったのだった。

 



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44.悩みの種とMVP

 

 新たに歩み始めた暁光鎮守府は、一歩目から暗礁に乗り上げることになった。

 

「ぽーいっ! 今日は夕立がMVPだったっぽい! 提督さんっ、今日は夕立が一緒で良いっぽいっ!?」

 

 僕は提督室で、遠征に出ていた夕立達の報告を受けていた。僕が連れてきた駆逐の四人をこの鎮守府の遠征部隊に加えてもらい、お試しと言うことで下した任務。

 

 遠征に出した二部隊の報告を吟味し、総合的な貢献度が高かった艦娘は夕立、ということになったんだけど……。

 以前の鎮守府では、MVPを取った艦娘が希望すれば、僕の就寝時に添い寝を頼むことになっていた。

 

 当然夕立はそのことを知っていて、むしろそれを望んでくれている。

 しかし、そんなことを知らないこの鎮守府の艦娘達は、夕立の異常な喜びっぷりに首を傾げていた。

 

 暁光鎮守府に異動する直前まで、最近は響か時雨がMVPを取ることが多く、夕立は焦っているようだった。焦燥から無茶な突撃を敢行、不要な被弾。結果的に艦隊を危険に晒してしまい、当然MVPは取れない。それは繰り返され、当人が望まなくとも負の連鎖を生んだ。

 

 だけどもともと、夕立は唯一改二改装済みと言うこともあり、艦娘としての技量も優れているんだ。落ち着いて行動すれば、艦隊への貢献度は大きい。

 

 そして今日の遠征では、慣れない仲間との作戦行動ということで、いつもより気を張っていたのだろう。それが結果として、先走った感情の無い冷静な状況判断をもたらした。

 

 タンカーの護衛任務に出ていた夕立が加わる部隊は、敵水雷戦隊に会敵。すぐさま航路を変えて帰投を急ぐも、当然敵は邪魔してくる。これを夕立が殿となり、燃料を積んだ船に一切被弾させること無く退路を守り抜いたとのことだ。

 

「うん、頑張ってくれてありがとう、夕立。じゃあ今日はよろしくお願いするよ。ただ、皆には……」

「やったっぽい! 今日はあたしが添い寝するっぽい~っ!!」

 

 あああ言っちゃった。まだこの鎮守府の皆には説明してないから、あまり口に出さないで欲しいと頼むところだったのに。

 

「そいね?」

「そいね……司令官と?」

「どういうことかしら……」

 

 夕立の言葉を受けて、提督室で整列していた艦娘達がざわつき始める。これは良くない。

 

「提督、どういうことか伺っても~?」

「あー、いや……。大した話じゃないよ。気にしないで欲しいな」

 

 やはりというか、問いかけてきたのは龍田だった。今日は夕立の加わった艦隊の旗艦を務めてくれた彼女は、その場にいる暁光鎮守府の艦娘を代表するように言葉を続ける。

 

「う~んでも、提督は着任されたばかりでしょ~? 連れてきた艦娘とだけ、ナイショで何かやってると~……。信頼関係が築けないんじゃないかな~?」

 

 龍田の言い分はもっともで、その場に集まった皆もうんうんと頷いている。夕立は未だ喜びの余韻に浸っているようで、その場でぴょんぴょんと小さく跳ねていた。

 

 実は事情を知る艦娘も……五十鈴と瑞鶴以外の駆逐艦四人ともこの場にいるんだけど。下手に情報は漏らせないとばかりに目をそらし、口をつぐんでいる。僕の好きにしろ、ということだろう。

 

「えっと、その……。ちょっとした持病というか。その治療に付き合ってもらってる、というか……」

 

 あんまり大したものでもないんだけど、と続けようとするが、もう一人の艦隊旗艦が猛然と机に乗り出してきた。

 

「なっ! オイ提督、どっか身体悪ィのかっ!? まさか命に関わるような病気じゃねェだろうなっ!?」

 

 心配しての事だとは思う。けれど、胸倉を掴まんばかりの勢いで迫ってきたから一瞬固まってしまった。その間にも、天龍の形相も手伝ってか事情を知らない艦娘の間に混乱は伝播してしまう。

 

「司令が、びょうき……?」

「まさか……また、司令が居なくなってしまうの?」

「やだよ……。司令官は、司令官がいいよぉ……」

 

 何やら雲行きが怪しくなってきた。僕がいつ死んでもおかしくないような難病に悩まされていることになってる気がする。

 

「いや、違うから。本当に、僕は健康そのものだよ。命に別状は無いから。……ちょっと、精神的なものだからさ。説明しづらいんだ」

 

「な、なんだよ脅かしやがって。安心したぜ。……いや、安心していいのか? ソレ」

 

 弁解するように僕が言うと、艦娘達は安心したように息を吐いた。しかし天龍が腑に落ちないと一人ごちると、妹の龍田がうんうんと頷いた。

 

「天龍ちゃんの言う通り、それで安心しろって言われてもね~。……この鎮守府の皆と、家族になりたいって言ってましたけど~。それが本心なら、隠し事はナシにしてもらいたいかな~?」

 

 のんびりとした口調だが、龍田の言葉選びは明らかに僕の逃げ道を塞ぐためのものだ。どうやら、まだ彼女の信用を勝ち取れてはいないらしい。

 いや。というよりも、天龍が度を越して僕を慕っているものだから、自分は冷静でいようと考えてるのかも。

 

 まぁどちらにせよ、さっきから龍田が言っていることは正論ばかりだ。そもそも添い寝の件は、説明するより先に誰かに露見した場合、誤解を受けるのは明らか。そしてその誤解は、容易に解けはしないだろう。暁光鎮守府の艦娘に説明する良い機会かもしれない。

 

「……分かった。ただ、説明するからには全員にしないとね。ちょっと職権乱用だけど……」

 

 そう言って僕は、提督室に備え付けの放送機器に手を伸ばし、電源を入れてマイクを口に近づけた。

 

「えー……司令より、全艦娘に通達。先日講堂で、僕は人間が嫌いだと言ったけれど。そのことについて、詳しく説明する。伴って、僕が艦娘に対してお願いしている、一つの規則を聞いて欲しい。規則とは言っても、これは拒否しても構わない。受け入れられない者は聞かなかったことにして欲しい。実は――」

 

 鎮守府内のスピーカーから問題なく僕の音声が響いていることを確認し。僕は、僕自身が抱える問題と、その原因をマイクに乗せてこの島全体に流した。

 

 非番の艦娘はもちろん、会敵してでもいない限り、近海を哨戒中の艦娘にも聞こえているはずだ。不眠に悩んでいたこと、それを艦娘の皆が助けてくれたこと。僕との添い寝を好意的に受け取ってくれた彼女たちの提案のもと、その日の作戦において総合的に最も貢献度の高かった艦娘に寝所を共にするよう協力してもらっていること。

 

 一通り話終えた僕は放送機器の電源を落とし、目の前で整列している艦娘達に改めて向き直った。

 

「と、いう訳なんだ。だから今日は、夕立にお願いするって話だよ。放送でも言ったけど……龍田。もし君がMVPになったとしても、君が拒否すれば当然この件はナシだ。あまり深く考えないで欲しいな」

 

「……そうだったのね~……。納得しました。無理に話させてごめんね~?」

「気にすること無いよ。君たちからすれば、僕が隠し事をしているという事実だけでも、不安で仕方無いだろうから。龍田の言う通り、腹を割って話すようにするよ」

 

 誠意は伝わったのか、龍田が先ほどまで僕に向けていた、訝しむような瞳は鳴りを潜めている。天龍も胸のつかえが取れたというように、ガシガシと頭を掻きながら息を漏らした。

 

「そういう事情なら安心したぜ。なぁに、オレも含めて提督を慕ってるヤツは多いはずだ。そこまで拒否反応は出ないだろ」

 

「だと良いんだけどね」

「まっ、オレは遠慮するけどな! 龍田に言わせりゃ、オレの寝相の悪さは殺人級らしいからよ。 怪我しても構わないんなら、オレも嫌がったりはしないぜ?」

 

「一回体験してみるのも良いかも知れませんよ~?」

「いや、僕も遠慮しておこうかな……」

 

 天龍型姉妹の言葉に苦笑を返し、この日の作戦報告は終了。僕は悩みの種を鎮守府の皆に打ち明けたことで、安心と不安がない交ぜになっていた。皆どういう反応をするだろうかと、少し落ち着かない気分。

 

 だから、この時は気づかなかったんだ。

 

 天龍と龍田以外に、遠征に参加した駆逐艦の艦娘達。彼女達が、喜びに震える夕立と僕を見やりながら、顔を赤くしつつぽそぽそと囁き合っていたことに。

 



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45.キラキラ遠征

「こ……これは……」

「前代未聞だわ……」

「さすがに気分が高揚します」

 

 場所は例のごとく提督室。その日の遠征部隊の作戦報告を、この時は霞・加賀の二人と共に聞いていた。

 

 先日の遠征で回復した資源を使ってさらに部隊を送ったこの日は、三人揃って艦隊の帰還を楽しみに待っていたんだ。

 

 資材が尽きた原因とも言える僕は勿論のこと、実際に資源を消費して出撃することになる霞と加賀も回復量の推移は気になったらしく、艦隊の帰投予定時間の随分前からこの部屋に集っていた。

 

 しばらく世間話に興じていると、遠征任務から続々と艦隊が帰投し。それぞれの艦隊旗艦が作成した報告書に霞と加賀の二人と頭を寄せた。

 

 するとどうしたことだろう。どの艦隊も想定を上回る量の資源を持ち帰ったのだ。今までの同作戦とは比べ物にならない戦果に霞は目元を引きつらせ、対照的に加賀は満足そうな面持ちで頷いている。

 

「一体どういう……遠征先の資源が増えた……?」

「なわけないでしょ。仮にそうでも、一人当たりが運搬できる限界量に変わりは無いんだから。……まあ、そういうことよね」

 

 つまり、限界まで回収して運搬してきてくれたってことだ。普通は積載量にもある程度余裕(マージン)を設けて資材を回収するところを、無理を押して運んでくれたんだろう。

 

 荷物が増えれば速度も落ちるし、会敵時の危険は跳ね上がる。実際に出撃することは無い僕だと想像しか出来ないけど、普段より多く資源を持ち帰るって言うのは、口にするほど簡単なことじゃないはずだ。

 

 一瞬で資材を使い尽くした僕のため……というのは自惚れだろうけど。全力で僕のミスをカバーしようと尽くしてくれたのは心底嬉しい。

 

「みんな、改めて遠征お疲れ様。無理させちゃったみたいで申し訳ないね。けど……感謝してる。たくさんの資源を持ち帰ってくれて、本当にありがとう。

 知っての通りしばらくは持ち回りで出撃してもらうから、君たちは明日非番になると思う。ゆっくり身体を休めてね」

 

 一人ひとりに視線を移しながら感謝を伝えると、みんな恥ずかしそうにしつつも嬉し気に頬を緩めてくれた。お礼くらいで苦労に報えたなんて思わないけど、そんな表情を見せてくれるなら、きちんと言葉にして良かったなと思う。

 

「それじゃ……一応、MVPの話をしておこうか……っ?」

 

 今日は暁光鎮守府の艦娘しか任務に参加していない。でも施設内のスピーカーを使って全員に説明した手前、一応話だけしておこうかなと考えたんだけど……。

 

 僕がMVPと口にした瞬間、明らかに室内の雰囲気に緊張が走った。

 

 眼を閉じてふらふら浮遊していた妖精さんが一瞬びくりと顔を上げ、きょろきょろ周りの艦娘を見回した後、再び鼻提灯を膨らませたくらいだ。ってまた寝るんかい。

 

 まぁ、それはともかく。強張った皆の様子を見るに、天龍が言っていたほど好意的には捉えられていないみたいだ、MVPに添い寝をお願いするっていうアレは。

 

 それは仕方ないにせよ、話した以上規則は規則だ。強制では無いにしても、MVPの選出だけはしないと作戦報告が終わらない。手早く済ませてしまおう。

 

「今日は部隊が多いし、霞と加賀も報告書を見ながら意見を聞かせて欲しいんだけど、どうかな?」

 

「そうね、この回収量……。普段ならMVPに選ばれても見劣りしない戦果の()がほとんどだけど。加賀、あんたはどう見る?」

 

「……由良ではなくて? みんな頑張ってくれましたが、回収比で言うなら彼女の艦隊が最優です。艦隊を率いた由良がMVPに相応しいのではないかしら」

 

「妥当なところね。異論は……なさそうだけど。どうするの? クズ司令官」

 

 霞の僕に対する呼称は『クズ司令官』になってしまったようだ。大変遺憾である。いつぞやの『シーマン』に比べたら親しみを感じないでもないし、そこまで抵抗も無いけど。

 

 彼女の言葉通り、由良がMVPであることに異を唱える艦娘は居ないようだ。みんな少し気落ちしたような表情を浮かべているのが気にかかるけど。

 

「うん、僕も由良がMVPで問題ないと思う」

 

 加賀と霞の言葉を参考に決めた僕がそう言って視線を向けると、艦隊旗艦の一人を務めてくれた由良は困ったような、それでいて嬉しそうな。複雑な表情を浮かべていた。

 

「由良がMVP、ですか……。えと、嬉しいです。ありがとうございます……」

 

 そう言ってぺこりと会釈する彼女の耳は、何故だかうっすら赤みを帯びている。……あぁ、きっと僕が添い寝の件を切り出すのを予想しているんだ。響たちが特別なだけで、多分由良のような反応が一般的なんだろう。

 

「それで、どうかな。その……夜の事なんだけど」

 

 とは言っても、恥ずかしいのは僕だって同じだ。というか由良がそんな反応を見せると、こっちも直接言うのが憚られる。……でも言って後悔した。曖昧に表現したせいで余計いかがわしい事のように思えてしまう。

 

「その……すみませんが、辞退したいなって……。てっ、提督さんが嫌いとかじゃないんですけどっ! ……やっぱり、会ったばかりの男の人と、一緒に寝るって言うのは……うぅ」

 

「うん、分かった。念を押すようだけど、本当に遠慮しなくていいから。嫌だったら無理しなくて大丈夫。前のところだと艦娘は六人しかいなくてね、皆添い寝を好意的に受け取ってくれたからMVPにお願いするって話になっただけなんだ。最終的には僕が連れてきた艦娘に頼むだろうから気に病まないでね」

 

 話すほど顔に朱が差していく由良が不憫に思えて、僕は矢継ぎ早にそう言った。すると彼女は恐縮そうにもう一度会釈して、列から一歩下がる。

 今はお互いに遠慮が先に立ってるから気まずいけど、数をこなせば作戦報告もすぐ終えられるようになるのかな……。

 

 そんなことを考える僕の傍ら、霞が報告書に視線を落としながら言葉を引き取った。

 

「由良は辞退ね。なら……貢献度順に回すという話だったかしら。他の艦隊も含めると煩雑になるし、由良の艦隊以下貢献度順ってことで良いわね?」

 

「そうだね、分かりやすいし。そうさせてもらおうかな」

「なら……次点だと文月ね」

 

「! ほんとですかぁっ!?」

 

 霞が視線を向けた先、僕も目を移すと一人の駆逐艦が声を上げた。まだ皆の顔や名前は一致していないけど、文月、と言うらしい。

 整列した駆逐艦の中でも小柄な体躯に、間延びした声。ひと際幼さを感じさせる艦娘だ。

 

 そんな文月は……意外にも、きらきらした瞳で僕と霞を交互に見つめていた。

 

「ええ、今回は会敵こそ無かったみたいだけど。小まめに電探の計器を確認したり、航路の安全確保に努めたって報告書に記載があるわ」

「そっか、頑張ってくれたんだね。それで、どうかな、文月」

 

 言外に添い寝の件を匂わすと、文月は花のような笑顔で頷いてくれる。

「えへへぇ、ご一緒します~」

「ありがとう。悪いけど、よろしくお願いします」

 

 僕が一つ礼を言うと、文月は姿勢を正しながらもにこにこと笑みを浮かべ続けていた。

 良かった、彼女は僕と添い寝することにあまり抵抗が無いようだ。勘違いじゃなければ、むしろ喜んでくれているようにも見える。有り難いね。

 

「それじゃあ作戦報告は以上かな。他に話がある艦娘()は……居ないみたいだね。今日は本当にお疲れ様でした」

「小破未満の損傷でもしっかり入渠しなさいよっ!」

 

 僕に続いて霞が声を張ると、艦娘の皆はそれぞれ一礼して退室していった。

 思ったより艦娘たちの抵抗なく添い寝の相手が決まり、資源の回復も順調で僕も肩の荷が下りた気分だったんだけど。

 

「……これはまた、面倒なことになりそうね」

 

 加賀と共に提督室を出ていくとき、霞が呟いていた言葉だけが耳に残った。

 



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46.存在意義

「それじゃあ文月、今日はよろしくね」

「はーい! えへへ、よろしくぅ~」

 

 一日の指揮執務を終えた僕は、寝室に文月を招いてベッドに腰掛けた。文月は思いのほか楽しそうに、僕に続いて寝台に横たわる。

 

 響達と何度も一緒に寝ているので添い寝自体は慣れてきた僕だけど、相手の艦娘が緊張していればきっとそれが移っていたはずだ。文月にその様子が無いのは僥倖だった。

 

 緊張どころか、文月がうつ伏せでパタパタと足を遊ばせる様子を見ていると微笑ましい気分になってくる。

 

 彼女の様子にどことなく安心感を覚えた僕は、一つ息を吐いて室内灯のリモコンを手に取り、部屋の明かりを落とした。完全に暗闇と言う訳ではなく、窓からの月明かりが薄く文月の姿を照らしている。

 

 視線で断ってから彼女の隣に仰向けで横たわると、文月はもぞもぞと僕の右腕に擦り寄ってきた。

 

「えへへぇ~」

「……文月はさ」

 

 どこか嬉しそうな文月の声音(こわね)になんとも言い難い気分になりつつ、僕は口を開いた。

 

「僕と寝るの、嫌じゃないの?」

「えー? 嫌じゃないよぉ~」

 

 まぁ、嫌なら提督室で断ってるだろうけど。ここまで添い寝をすることに前向きな理由が分からない。

 

「……今までの提督に、ロクな人間がいなかったって聞いたからさ。僕もここに来て日が浅いし、まだこの鎮守府の艦娘は……僕を毛嫌いしててもおかしくないと思ってたんだけど」

 

「う~ん……。もちろん、そういう艦娘()は居ると思いますけどぉ……。

 でもでも、司令官なら大丈夫って。ううん、もう司令官じゃないと嫌だって艦娘()の方が、多いと思うよ~」

 

「そうなの?」

 

「今まで来た人ってね、最初は大丈夫って思った人でも、次の日には大体分かっちゃったから。あ、この人も同じだなぁって。でも、司令官は違うんだぁ」

 

 僕の腕を大事そうに抱えて、頬を擦りながら文月は続ける。

 

「魔法使いみたいに妖精をあやつってて……。酷いことしたり、言ったりしてる天龍ちゃんとか霞ちゃんとも、なんでか仲良さそうで。……あたしたちに、きれいな部屋とお布団くれて……。この人が信じられなかったら、もう艦娘として戦うなんて無理だなぁって、そう思っちゃったから」

 

「…………」

「だからね、司令官」

 

 話すにつれ感極まってしまったのか、文月が僕の腕を抱える力は徐々に強くなり。一度言葉を切った彼女は、どこか縋るような瞳で僕を見つめた。

 

「……あたしたちを置いていかないでね?」

「……うん」

 

「……あたしだけじゃなくて、司令官と一緒に寝たいって艦娘()、けっこう居るんだよぉ? 夕立ちゃんが、羨ましくって……。だから今日、みんな遠征がんばったんだぁ~。……司令官のためにっ、て。がんばり方、思い出せたから……。司令官が居なくなっちゃったら、あたしたち……もう、がんばれないと思うから……」

 

「うん……居なくならないよ。約束する」

「えへ……良かったぁ……。……ごめんねぇ、しれーかん……。もっと、お話したいんだけどぉ…………死ぬほど眠くてぇ~……」

 

 僕の言葉に安心してくれたのか、文月はほっと息を吐いてしばらくすると、うとうと船を漕ぎ始めた。

 

「頑張ってくれたもんね……。明日は非番でしょ? ゆっくりお休み」

「……また、こうやって……お話できるぅ……?」

 

「もちろん。文月が、そう望んでくれるなら」

「ぇへ……じゃあ今日は、おやすみぃ~……」

 

 小声でそう言ったきり、文月は小さな寝息を立てて夢の世界へと旅立った。

 

「……頑張り方、か……」

 

 右腕に暖かさを感じながら、僕は自室の天井を仰いで文月の言葉を反芻する。

 海に囲まれたこの鎮守府で、彼女たちは今まで何のために戦ってきたんだろう。

 

 日本のため? 実際に見たことも無いはずだ、そんな訳はあるはずが無い。

 自らを指揮する提督、あるいは大本営のため? それこそ、ある訳が無い。彼女たちがどういう目に遭ってきたかなんて、大本営の電文と艦娘たちの様子を見比べれば察するに余りある。

 

 天龍や霞の言動を省みれば、この鎮守府の艦娘たちは、仲間を守るためだけに今まで頑張ってきたんだ。

 

 でもそれは、艦娘として歪な在り方だ。深海棲艦が出現し、海は怪物が跋扈する魔境に成り果てた。

 深海棲艦の襲撃から人間を守るため。在りし日の穏やかな海を取り戻すためにこそ、艦娘は人の形を以って再び海を()く。

 

 そんな彼女たちは、自分のため、あるいは同じ艦娘のためにというだけの理由では、きっと戦い続けることが出来ない。人間の、提督の役に立っていると実感して初めて『生き甲斐』というものを得るのだろう。僕の力になりたいと言ってくれた、いつかの夕立や時雨のように。

 

「それが艦娘の頑張り方なら。僕は……」

 

 僕は、彼女たちのために何が出来るだろう? ただ作戦の指揮を執るだけなら、それこそ今までこの鎮守府に着任した提督にだって出来るだろう。

 

 僕のために、と言ってくれた文月に。この鎮守府の艦娘たちに。僕は何をしてあげられるだろう。

 人を信じられず、妖精さん以外に寄る辺の無い、空っぽの僕に。居場所をくれた。ここに居て良いと……居て欲しいと言ってくれた艦娘たちに、僕だけがしてあげられることはあるんだろうか。

 

「……んみゅ……しれぇかぁん……」

 

 未だ僕の腕を抱いて、甘えるような寝言を漏らす文月。

 

「……僕に……できること……」

 

 彼女の穏やかな表情に、何かヒントを得たような気もしたけれど。

 あやふやに思考はまとまらないまま、僕もいつの間にか、誘われるように眠りに落ちていった。

 




アンケートに答えてくれた皆さん、ありがとうございました。
これからもちょこちょこお願いするかもしれません。

ただ、あくまで参考にさせていただくものなので、必ず過半数の意見を採用する訳ではありません。ご了承くださいませ。


また、感想ページやツイッターのDMでよくいただくご意見ご質問に、この場を借りてお答えしたいと思います。読み飛ばしてもらっても大丈夫です。



①主人公が艦娘の好意に鈍感すぎない?

 主人公は対人関係においてPTSDに近いトラウマを抱えています。
 生来の経験から悪意に対しては敏感ですが、好意については受けたことがほぼ無いので鈍感です。今までは女性に対して、恋愛感情よりも先に嫌悪感を抱いていました。献身的な艦娘たちと接しているうちに、遠からず恋愛感情に目覚めるかも知れません。


②霞の態度悪すぎじゃない?

  主人公が講堂で挨拶するシーンでも霞の心情を描写しましたが、暁光鎮守府の艦娘達は、提督に意見を言ったり、思ったまま気持ちを口にするということへのハードルが高いです。
 霞は率先して主人公に悪口を叩いたり、暴力的なスキンシップを図ることで、他の艦娘が提督に対して気安く接することが出来るよう緩衝材のような役目を果たそうと考えています。主人公が霞の言動を悪しざまに捉えないのは、彼女の意図をおおよそ察しているからです。



 以上になります。物語に関わる内容は出来るだけ作中で収めたかったのですが、私の描写不足のせいか同じようなコメントをいただくことが多かったので説明させていただきました。

 精進して参りますので、今後とも温かい目で見守っていただけますと嬉しいです。


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47.大本営の誘い

 

「やっぱり面倒なことになったわね……」

「なんだ、霞はこの件を予想していたのかい?」

 

「大本営が何かしら反応するのは明白じゃない。……それより響、いい加減そこ降りなさいよ。緊張感ないったら」

 

「ふふ、羨ましいのは分かるけど、それは断るよ。夜は他の艦娘()に取られがちだからね。好機は逃せないな」

 

「誰が羨ましがったっての!?」

 

 提督室で霞と響の二人と共に、僕は備品のPCに顔を寄せていた。霞は僕の隣から覗き込んでいるんだけど……響は僕の膝にちょこんとお尻を乗せている。

 

 就寝時の不安を取り除いてもらっている僕のこと、艦娘にも僕と触れ合うことで満たされる何かがあるのなら、こちらに否やは無い。文月の言葉もあるし、こうやって響のようにスキンシップを望む艦娘に対しては返礼の気持ちで応えている。

 

 むしろ響や文月のような子達に慕ってもらえるのは、歳の離れた妹が出来たようで嬉しくもあるんだ。……まぁ、響のそれは本人が言っていたように、好意の方向性が異なるだろうけど。

 

 それはともかく、だ。PCに表示されているのは大本営からの電文だ。ざっくり以下のようなことが記されている。

 

『ご機嫌いかが? たくさんの資源を納めてくれてありがとう。

 要望どおり、輸送する食料のランク向上を約束するよ』

 

 これは嬉しい内容だ。鎮守府に送られてくる食料は、基本的に大本営へ納める資源の量によってその品質や量が変わる。今までの提督が艦娘のために資源を減らすなんてことは当然無く、これまで暁光鎮守府で出される料理は質素と言って差し支えないものだった。

 

 鎮守府の台所を預かっている間宮という艦娘から先日、皆のために良い食材を用意できないか、と相談を受けたのだ。もちろん僕は快諾し、鎮守府が定める最大量の資源を納めた。

 

 軽巡や駆逐の艦娘たちが頑張ってくれたこともあって、暁光鎮守府の貯蓄資源はなかなかのものになっている。大本営に差し出してもちっとも懐は痛まないくらいだ。これで美味しい料理を味わえるなら、きっと皆喜んでくれると思う。

 

 電文とは言え、鎮守府と大本営間でやりとりされる公的書類と言える物の一文。これで台所事情は確実に改善されるだろう。

 しかしもちろん、電文の内容はこれだけではなかった。

 

『ところで、まだ君がそこに着任してそれほど経ってないよね?

 なのにこれだけの量の資源を用意できるってのは正直おかしい。

 たとえ妖精の協力があっても。だって遠征で資源を回収するのは妖精じゃなくて、あくまで艦娘だからね。で、何がどうなってるの? 前みたいな報告は通用しないよ?』

 

 これに関しては、知るかそんなこと、としか言いようが無い。艦娘のみんなが遠征に励んでくれただけだ。これが鎮守府としておかしいと言うなら、どこの鎮守府も艦娘に『頑張って尽くしたい』と思われてないってことだろう。自分の無能さを僕にぶつけないで欲しい。

 

 しかし、大本営の方は僕のそんな思いなど知るはずも無く。

 

『ま、直接遠征の様子を監視出来るほど暇じゃないし、真偽を確かめる手段も無いから報告書は要らないよ。

 ただ、そっちの鎮守府の錬度は改めて確認したいから。一度大本営に出頭して、こっちが用意する艦隊と演習すること。急な申し出だし、編成は開示するからよろしく。当然、バックレたら相応の罰はあるから。そこんとこ肝に銘じておくように』

 

「戦艦長門、同陸奥。正規空母蒼龍、同飛龍。軽巡洋艦長良、駆逐艦島風。……強力な編成ね。 長良と島風が入ってる理由は……対外的なものかしら。戦艦と空母で固めてないだけ手加減してるってアピール。ロクなもんじゃなさそうだわ」

 

「……そうかな?」

「何が?」

 

「例えばこっちが水雷戦隊で高速接近したら、小回りの利かない戦艦や空母に万が一があるかも知れない。主力艦への火の粉を払うって意味なら、演習ではこれ以上の編成は無いんじゃないかな。島風が陣形を乱して、長良が狙い撃つ算段なのかも」

 

「なるほど……無くはないかもね。意外に勉強してるじゃない」

「先生が良いからさ」

 

 最近は頼ることも少なくなったけど、大淀が残してくれたノート。そして艦隊の指揮に鎮守府の執務と、仕事を選ばずサポートしてくれる五十鈴。これで成長出来ないのなら、僕は提督を辞めたほうが良いだろうね。

 

「でも、それなら尚更陰湿じゃない。手を抜いてるように見せて万全の布陣ってことでしょ? 編成を晒してるのも、こっちが優位だって吹聴してるようなものだし。負けたときに欠片も言い訳できないよう外堀を埋められてる。あんた敵視され過ぎじゃないの? 何したってのよ」

 

「何もしてないよ。自分たちに出来なかったことを、訓練も受けてない新参者に出来たことが気に食わないだけだろうさ。命令って形で演習に参加させて、それで僕を負かして。上下関係をはっきりさせて良い様に使いたいんだ。人間なんて大人も子供も一緒だね。異物は排除するか、とことん管理下に置きたがる」

 

「……言うわね、もっと気弱かと思ってたのに」

 

「前に言ったでしょ? 僕は人間が大嫌いなんだ。もちろん大本営の連中もね。目の前に居るならともかく、ここで連中に遠慮する気なんて毛ほども無いよ。僕の大切な物は、妖精さんと……今では、君たち艦娘も。たったそれだけだ。正直大本営の命令なんて知ったことじゃないんだけど……」

 

 バックレたら罰、ね。僕だけを対象としたものならまだ良いけど、ここの艦娘たちまで巻き込まれるのは駄目だ。ただでさえ浮上艦ということで大本営の覚えが悪いみたいだし、演習には参加せざるを得ないだろう。

 

 むしろここで勝てば、浮上艦に対するマイナスイメージを払拭することに繋がるかも。すぐにとは行かなくても、いずれそうなる日のための一歩に成り得るはずだ。

 

「やってやろうじゃない。目に物見せてくれるわよ」

「……随分やる気だね?」

 

「ふんっ。業腹だけど、この鎮守府は生まれ変わったわ。あんたのおかげでね。士気も妖精のサポートも言う事なし。大本営の鼻っ柱へし折ってやるわよ」

Хорошо(ハラショー).私も同じ気持ちだよ。敬愛する提督を馬鹿にされて、艦娘が黙ってられるもんか」

 

「ありがとう、頼もしいよ。……それじゃあ、出来る限り準備しないとね。こっちの編成に、相手艦から予想される装備と、それに対抗する手段、作戦。あまり時間は無いし、急がないと」

 

 指定された期日はちょうど一週間後。それまでに、大本営の艦隊を破る手立てを講じる。負けてやる気なんてさらさら無い。

 

 僕たちは視線を重ねて頷き合い、演習に向けて準備を開始した。

 



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48.最強の鎮守府

 

「今日は召集に応じてくれてありがとう。もう事情は説明したと思うけど、君たちには大本営が編成した艦隊と演習をしてもらう。

 まぁ、負けたからといって何か罰則がある訳でもないんだけど……やるからには勝ちたいところだね」

 

 大本営からの電文を受けて幾日が過ぎ、僕は提督室に数人の艦娘を招いていた。当然、件の演習に参加してもらうメンバーだ。

 

「旗艦、航空戦艦、扶桑。戦艦、金剛。軽空母、隼鷹。同龍驤。軽巡洋艦、天龍。駆逐艦、朝潮。

 ……うん、欠けることなく揃ってくれて嬉しいよ。何か聞きたいことはあるかな?」

 

 名簿と眼前に並んだ艦娘を改めて確認し、次いで彼女たちにそう問いかけた。

 

「HEY、提督ぅー! もし勝ったら、約束とは別にご褒美を期待しても良いですカー?」

 

 即座に挙手したのは金剛だった。今回の演習にあたって、一番初めに参加するよう頼んだのは彼女なんだけど……。その際、食糧とは別に嗜好品を用意してくれるなら参加する、と言われていた。

 

 艦娘に休暇を与えても、やることが無くて困ってしまうという話は僕も聞いていたので、むしろその申し出は有り難かった。提督である僕にそういった要求を直接してくれるのは、良い環境が作れていると実感できるしね。

 

「もちろん構わないよ。僕の裁量で用意できる範囲にはなるけど」

「YES! その言葉が聞きたかったデース!!」

 

 嬉しそうに跳ねる金剛を尻目に、他のメンバーにも目を向けてみる。

「どうかな、何か気になることは?」

 

「……じゃあ、うちもええかな?」

「どうぞ、龍驤」

 

 おずおずと進み出たのは龍驤だ。金剛とは対照的に、不安げな表情を浮かべている。

 

「やっぱり、うちより加賀とかに頼んだ方がええんちゃうの? 単純な戦力としてもそうやけど……うち、搭載数に偏りあるし、使いづらいと思うで?」

 

 自嘲するような笑みで頬を掻く龍驤に、少しやるせない気持ちになる。

 艦載機の運用が他の空母に比べて難しいのは事実だろう。しかし、その運用は結局提督の指揮に委ねられる。艦娘達が、自分の性能にコンプレックスを抱くのはおかしな話だ。

 

 なら、何故そうなってしまったのか? 簡単な話だ。龍驤が、今までの提督にそう言われ続けたからだろう。他の空母に比べて使いづらい、戦力にならない、と。

 

「心配ないよ。龍驤にしか頼めないことだと思ったから頼んだ。それだけだから」

「で、でもなぁ……。……せめて一つ、理由を教えてくれへん? そしたらうちも、自信もって出撃できるっちゅうか……」

 

 尻すぼみになっていく言葉は、紡がれるたび龍驤の顔色を悪くする。もし、確固たる理由なく選ばれていたら。同情で編成され、最初から期待なんてされていなかったら。

 そんな風に考えているのが分かる。分かってしまう。

 

「……作戦概要として、これから話すつもりだけど。最初にこれだけ説明しておこうかな。

 今回編成したメンバーは客観的に見て、大本営の編成に比べると一目で『弱い』と感じられる編成だ」

 

 六人の顔を見回すと、僕の発言に対して否定の色は見えない。当然、その面持ちは明るいとは言えないけれど。

 

「件の演習は、それなりに人目を集めると思う。大本営自体、人の出入りが多いからね。イベントとして宣伝しなくても、見学しに来る提督や艦娘は決して少なくないはずだ。

 ……そんな注目を集める中で、このメンバーが大本営の艦隊を倒す。そのことに意味がある」

 

「どういうこっちゃ……?」

「浮上艦の汚名返上ってことさ」

 

「「「!!」」」

 

 僕の言葉に、その場の六人は明らかに動揺した。

 

「大本営や他の鎮守府から蔑まれている浮上艦が、大本営の用意した艦隊に。

 それも明らかに不利な編成で勝利する。それを見て、集まった提督や艦娘はどう思うだろうね? 少なくとも、大本営がこの鎮守府の艦娘に難癖付けることは出来なくなる」

 

「っ、でもそれは、勝てたらの話やろっ!? 今キミが言ったやないか! この面子は大本営の艦隊より弱いって!!」

 

「客観的に見て、って言ったはずだ。僕はこの編成で、間違いなく勝てると信じているよ」

「んなっ……っ!? ……せめて、根拠を聞かせてぇな。作戦がどーの言うのはそれからや……!」

 

 降って湧いた、信じられないような夢物語。龍驤からすれば、今の僕はペテン師にも等しいだろう。恨みがましい瞳で、僕を正面から見据えている。

 だけど、僕の言葉は全て本心だ。淀みなく、彼女が求める根拠を口にした。

 

「第一に、君たちの練度だ。明石からも聞いているけど、この鎮守府には今まで、妖精さんがほとんど存在しなかった。妖精さんのサポートも無く、最前線の鎮守府を守り続けた君たちの練度は、間違いなく全鎮守府の中で頂点だと思う」

 

 考える素振りも見せず、滔々と語る僕に対し。龍驤以外の五人も唖然とした様子で聞き入っていた。

 

「第二に、妖精さんの存在だ。妖精さんが居なくても十全に深海棲艦を撃退してきた君たちに、その上サポートが付く。艦娘単体の性能からして、他の鎮守府とは比べ物にならないよ」

 

「妖精のサポートが付いとんのは大本営も一緒やろ?」

 

「その妖精さんが言ってたのさ。『ほんきだせる』ってね。妖精さんは艦娘をサポートするけど、お遊びの範疇らしいんだよ。本気で手助けすると、艦娘がそれに対応できなくて逆に危険だって。でも、この鎮守府の艦娘なら、本気でサポートできる。そう聞いたんだ。

 ……これに関しては、僕の言葉を信用してもらうしかないけどね」

 

「……ははっ。それがホンマなら、悪い気はせぇへんな……」

 

 気の抜けた様子で息を漏らす龍驤。少しくらいは、この編成で勝てるかも、と思ってもらえただろうか。

 まだ根拠という面では、話すことがあるけどね。

 

「第三に、兵装だね。調べた限りは大本営を始めとして、他の鎮守府ではほとんど装備の開発を行わない。使用するのは、いわゆる持参装備。艦娘の建造時、初めから君たちが装備しているものだね。何故かわかるかい?」

 

「……開発に失敗することの方が多いからや。その点、建造は同時に装備も手に入る。装備の開発は非推奨とさえ言われとるしな。開発するくらいなら建造しろっちゅうのはよく聞く話やで」

 

「その通り。……実はね、君たちにはまだ言ってなかったけど。今回の演習に向けて装備の開発にも手を付けていたんだよ」

 

「はぁ!? 資材をドブに捨てる気かいな!!」

 

「まさか、艦娘(きみたち)が命懸けで集めてくれたものだ。欠片も無駄にする気はないよ。

 そもそも、装備の開発はなんで失敗する? 原因はなんだろうね?」

 

「そら、開発は妖精に任せるしか……っ!」

 

 僕の問いに考えを巡らせた龍驤は、一瞬で答えに辿り着いたようだ。

 

「うん、そういうこと。実際に装備の開発をする妖精さんと、言葉を交わせる人間が居なかったから。人間が妖精さんの言葉を聞きとれないように、妖精さんもきちんと聞きとれている訳じゃない。良かれと思って作った装備を解体させられたり、時には(なじ)られたりする。開発に失敗するのは、妖精さんが手を抜いてるからなんだ」

 

「じゃあ……キミは……」

「欲しい兵装を、必要な資材だけを消費して、確実に開発できる。作ってくれるのは妖精さんだけどね」

 

「ハハハ……何やソレ。無茶苦茶やんか……」

 

「君たちが演習で扱う兵装は、間違いなく大本営が用意したものより強力だ。

 ただでさえ熟練の艦娘である君たちを、妖精さんが全力でサポートして、振るう装備は敵の上位互換。そのうえ敵編成を把握していて、それを織り込んだ作戦を遂行する。どうかな、根拠としては十分じゃないかな?」

 

「……ええで、十分や。うちにしか出来ない仕事ってのも、きちんと説明してくれるんやろ? それならキミのこと、信じるわ」

「もちろん。君にしか頼めない仕事と、その理由をきちんと話すよ。他に、聞きたいことは?」

 

「大丈夫デース! それより、早く作戦を聞きたいネー!」

 

 僕の説明に高揚してくれたのか、金剛が前のめりで口を開き。他の四人も、戦意に満ちた表情で頷いてくれた。

 

「……じゃあ、改めて。作戦概要を説明させてもらうよ」

 

 ただ一人。入室してから今まで、瞳を伏せたまま。

 微動だにしない扶桑だけが気がかりだった。

 



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49.金剛と扶桑

「扶桑と一緒に戦いたい?」

 

 大本営との演習に参加して欲しいと、先日僕はとある艦娘の部屋を訪れていた。金剛型戦艦一番艦、金剛。そしてその姉妹たちが過ごしている艦娘寮の一室だ。

 

 金剛はこの暁光鎮守府の戦艦の中で最古参であり、錬度が最も高い。戦艦は金剛と、彼女が推薦する金剛型戦艦一人の計二人を編成しようと思っていたんだけど……。

 

 そのことを伝えると、彼女は扶桑型戦艦一番艦、扶桑と共に編成して欲しいと言い出した。

 

「YES.提督はワタシに気を遣ってくれたんだと思いマスが、それなら扶桑を旗艦に推薦したいネ」

 

 扶桑も金剛と同じく、この鎮守府で長らく活躍している。実は彼女にお願いしようかなとも考えたんだけど、姉妹一緒に編成した方が士気向上に繋がるんじゃないかと思い、今回は金剛型二人を想定していた。

 

 扶桑型姉妹ではいけないという訳じゃない。単純に、暁光鎮守府には扶桑の妹、山城が着任していないんだ。なので一旦想定から外していた。

 

「扶桑では不満デスか?」

 

 スッ、と。金剛の眼差しが冷たい色を帯びた気がする。何か思うところがあるんだろうかと考えつつも、思ったままを口にした。

 

「そんなことないよ。ただ、妹と一緒のほうがやり易いのかなと思ってたから。君が扶桑を旗艦に推すなら、それを基準に編成を考えるよ。本人に確認してからになるけどね」

 

「……そうデスか。それは良かったネ! ちょっと謙虚過ぎるところはありマスが、扶桑はここの戦艦で一番旗艦に向いてると思いマース!」

 

「そうなんだ? ……たしかに航空戦艦は色んな装備を扱えるし、どんな敵編成でも活躍できそうだね」

 

「そう思ってくれマスかっ!?」

「わぁっ!?」

 

 扶桑の艦種に思いを馳せつつこぼすと、金剛は予想外の食い付きを見せた。

 

「あっ、失礼しまシタ。……実は、扶桑とは前の鎮守府からの付き合いなのデース」

「前って……暁光鎮守府に来る前の?」

 

 頷きつつ、彼女は言葉を続ける。

 

「扶桑はその鎮守府で、最初に着任した戦艦デシタ。浮上艦とは言え、運営を始めたばかりの鎮守府では、戦艦は貴重な戦力デース。扶桑はそれなりの時間、そこで旗艦を務めたネ」

 

「そうだったんだ。それで旗艦に推薦を?」

 

 僕の問いかけにゆっくり首を振り、金剛は記憶を探るように、窓の外に視線を向けた。

 

「もちろんそれもありマスが……結果から言うと、扶桑はそこで戦力外通告を受けたのデス」

「……どうして?」

 

「理由はいくつか考えられマス。まず、扶桑が一時改装に成功して……航空戦艦に改造されたこと。次に、その鎮守府で戦艦の建造に成功したこと。そして……多分、扶桑が浮上艦であったことデース」

 

「……たしか扶桑は、航空戦艦に改造すると主砲の火力が下がった筈だね。それを嫌ったのか……」

 

「YES.以前なら一撃で倒せていた筈の深海棲艦に手こずる扶桑を、そこの提督は毎日罵るようになりマシタ。それまでは扶桑が旗艦、ワタシが二番艦として出撃することが多かったのデスが……ワタシを旗艦に、建造した戦艦を二番艦にすることが増えたネ」

 

「じゃあ……ここに来たのは」

 

「二人目の戦艦建造に成功したからデス。その頃には一人目も十分戦力に数えられマシタし、ワタシと扶桑はお払い箱になってしまいマシタ。……第二艦隊として活動する機会は、ワタシにも……当然、扶桑にも与えられなかったネ。浮上艦を手放す良いタイミングだと思ったのかも知れないデス」

 

 予備戦力として数えることもせず、最低限の編成を建造艦のみで行えるようになったらすぐ、用済みと手放した訳だ。反吐が出る。

 

「ここに来てからは、一緒に出撃することは?」

 

「一切無かったネ。最前線デスから、多方面に同時出撃することが多くて……戦艦はだいたい一艦隊に一人だったヨ。鎮守府の防衛もあるからネ。だから、いつかまた……また一緒の艦隊で、扶桑の傍で戦いたいと思ってたんデース」

 

 そう締めくくった金剛の瞳は、どこか挑戦的に見えた。自分と戦友を、下らない理由で手放した人間に。大本営を下すことで、その力を見せ付けてやろうと、そう言っているように感じられた。

 

「……分かったよ。僕も扶桑の様子は気になってたし、この機会に腹を割って話してみるよ。それで旗艦を頼めることになったらよろしくね、金剛」

 

「嫌デスネー提督ぅー。それとこれとは話が別デース! 扶桑が旗艦なのは前提条件ネ! その上でワタシにも出撃を求めるなら、相応のリターンを要求しマース!」

 

 うわぁ、急にテンションがおかしくなった。左手を腰に当て、右手の人差し指を『チッチッチッ』と揺らす彼女に、どこか既視感を覚える。

 

 ……あっ、あれだ。僕が普段のお礼にと妖精さんにお菓子を贈った時だ。一瞬でぺろりと平らげた後、『もっとあるんでそ? はやくくだち』と(のたま)った時のふてぶてしさに似てる。

 

「……まぁ、聞くだけ聞いてみようか」

 

 ちょっと呆れはしたものの、僕も艦娘の要求に応じることはやぶさかじゃない。いつもお世話になってるしね。

 

「普段からティータイムが取れるよう便宜を図って欲しいデース!」

「……ティータイム、ねぇ……」

 

 僕が思わず腑抜けた声を漏らすと、金剛は心外だとばかりに声を荒げた。嫌味に聞こえてしまったみたいだ。

 

「馬鹿にしてはNOデース! モチベーションに関わるネ!!」

 

 史実において金剛はイギリスで建造されたらしいし、その辺が関係してるのかな? イギリスに詳しいわけじゃないけど。イギリス=紅茶って発想がもう安直というか。

 

「……何か失礼なこと考えてるネ?」

 

 鋭い!

 

「そ、そんなことないよ。えーと、あれだ。ティータイムに必要なものって色々あるなーと思ってさ」

 

 僕の弁解などまるで信じていないと言うように、金剛はジトっとした目で徐々に顔を寄せてくる。

 

「まずは紅茶だよね! あとティーカップに……金剛は四人姉妹だから、四人で囲めるテーブルと椅子が要るかな? お茶菓子もあると良いよね! 妖精さんも甘いもの好きなんだよ!?」

 

 鼻と鼻が触れそうな距離、僕がそこまで言ってようやく金剛は離れた。

 

「Wow! そこまでは望んで無かったのに、提督は太っ腹デース!」

「……ちゃっかりしてるなぁ」

 

 いや、僕の自爆か。この喜びようを見るに、ホントに紅茶さえ用意すれば良かったって感じだ。いいんだけどね、実はもらった給金が手付かずだし。

 こういう機会に使わないと、宝の持ち腐れだ。

 

「分かった。次に食材とか備品を送ってもらう時、一緒に頼んでおくから。テーブルとか椅子のサイズ、まとめて提出してね。茶葉とか拘りがあったらそれもね」

 

「……ホントに良いんデスカー?」

 

 おや、さっきまでのテンションとは打って変わって、少しばつが悪そうにしている。まさか僕がそこまで散財することになるとは、本人も思ってなかったんだろうね。

 

「良いよ、お金の使い道が無いんだ。趣味も無いし友達は妖精さんだけだから。知ってるでしょ? 僕のお金で君たちが笑ってくれるなら、僕も嬉しいよ」

 

「…………」

 

 あれ、金剛が俯いてしまった。どうしたんだろうと思い、顔を覗き込もうとした、その瞬間。

 

「……Burning Looooooove!!」

「どわぁっ!?」

 

 急に飛び掛ってきた金剛に押し倒され、床に頭をぶつけてしまった。

 

「提督ぅーー! 愛してるネーー!!」

「現金な愛だなぁっ!!」

 

 なんだなんだと近くを通った艦娘の注目を集める中、こうして演習艦隊の一人目が決まったのだった。

 

 そして実は、金剛の後はトントン拍子に決まった。そもそも艦娘は、提督の僕が頼めばよほどのことが無い限り首を横には振らない。それは件の扶桑にしてもそうだった。

 

 金剛からの推薦があったこと、僕自身も扶桑に旗艦を頼みたいこと。それを伝えてすぐ、扶桑は一言口を開いたのだ。

 

『……承りました』

 

 最初は断られると思っていたし、その場合はきちんと話し合おうと思っていた。しかし思いのほか簡単に決まってしまったので、金剛に言ったように『腹を割って話す』という機会は逸してしまったように思う。

 

 どこかそれを不安に思いながらも、演習に向けてすべきことは山積みだった。

 結局、扶桑としっかり言葉を交わすことは出来ず。演習メンバーの六人に作戦を伝えてからも慌しく日々は過ぎて行き、あっという間に大本営との演習、その当日を迎えるのだった。

 



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50.出撃―SIDE朝潮―

 鼓動が速い。

 

 軍艦(わたしたち)には本来存在しないはずの心臓(きかん)が、不規則に脈打つのが自覚できる。

 もう数分もすれば、大本営との演習が開始されるだろう。

 

 私たちは――勝てるだろうか?

 霞、私は――。

 

「オイ、大丈夫かよ朝潮。顔色悪ぃぜ?」

「っ! ……いえ。問題ありません、天龍さん」

 

「なら良いけどよ。……不安に思うのは分かるが、今更だぜ? もうやるしかねぇんだ。全力でな」

 

 そう言って右の拳を左手に叩きつける天龍さん。革製の指貫き手袋がぱぁんっ! っと小気味良い音を立て、彼女は牙を剥いて獰猛に笑った。

 

「俺は誓った。仲間を、提督を守るためならなんだってやるってな。これも同じことだ。お前がヤバくなったらいくらでも助けに入ってやる。自分(テメェ)が一人じゃねぇってこと、忘れんなよ」

 

 しかし。ふっ、と表情を緩めると、天龍さんは私の頭を乱暴に撫でた。つい数秒前とは打って変わって、慈愛に満ちた……大切にしまった宝箱の中身でも眺めるような。そんな優しい微笑みを、私に向ける。

 

「そうやでぇ、朝潮。うちらは艦隊(なかま)や。一人やない。……敵艦隊(むこう)はごっついからな、腰が引けるのもよう分かるで? ……でも、小物にもやれることがあるっちゅうところ、見せたろうやないか。"窮鼠猫を噛む"。お偉いさんは良いこと言いよったで!」

 

 天龍さんに次いで、龍驤さんは快活に笑って見せた。司令官に作戦説明を行うと呼び出された日から、龍驤さんはよく笑顔を見せるようになったと思う。あまり周りと関わらず内向的な人だと思っていたけれど、本来は明るい性格なのかも知れない。それを司令官が引き出した、ということなのだろうか。

 

 龍驤さんは本人が以前言っていたように、空母として平時から運用するのは中々難しいらしい。それでも司令官ははっきりと、今回の演習においての役割と、その作戦内容を説明して見せた。それから彼女は、よく他人と話すようになったと思う。少なくとも、私の目にはそう映った。

 

「朝潮だけやない。うちもキミらに助けてもらわんと、司令官からのお役目果たせんからね。特に隼鷹! しっかり頼むで?」

 

「ふふん。わーかってるってぇ。勝ったらご褒美くれるらしいじゃん? 上手くいったらお酒買って貰うんだ~♪ 提督とは美味い酒が飲めそうだぜぇ! ひゃっはー!」

 

「……司令官って未成年やろ?」

 

「鎮守府は治外法権って言うし、いけるいけるぅ! せっかくだし祝勝会なんか開いてさぁ、パーッといこうぜ~。パーッとな!」

 

「まったく、気が早いやっちゃで。……でも、悪くないな!」

 

 これから正規空母二隻と制空争いに臨むというのに、龍驤さんにも、隼鷹さんにも。気負った様子は見られない。自分たちが負けることなど、全く考えていないようだった。

 考えないようにしている、のかも知れないけど。

 

 ……私は、怖い。

 演習に負けることも、敵戦艦の主砲や空母の艦載機攻撃に被弾することも、もちろんそうだ。

 

 でも、何よりも。司令官の期待に応えられないことが、ひどく怖ろしい。

 

『……演習の出撃を代わって欲しい?』

 

 本来この演習に参加するのは、妹の霞のはずだった。暁光鎮守府の駆逐艦では最も練度が高く、司令官や他艦娘との関係も良好だ。編成に加わっているのは当然と言えた。

 

 きっと霞は、こんな状況でも不安なんて見せず、確実に作戦をこなそうとするだろう。司令官も、それを知っているからこそ迷いなく霞を選んだ。

 でも、それを理解していてなお。私は自ら霞に願い出たのだ。"代わって欲しい"と。

 

『……やれるの?』

 

 その問いかけに、私は自信をもって頷くことは出来なかった。まるで駄々っ子のように。霞より優れていると根拠を明示するでもなく、演習に出撃したい理由を説明するでもなく。

 ただ床に視線を巡らせる私に、霞は。

 

『……分かった。クズ司令官には私から具申しておくから。……頑張ってね、朝潮姉さん』

 

 その優しい声音に思わず涙が溢れそうになり。彼女が立ち去るまで、やっぱり私は視線を上げることが出来なかった。

 

 ……私は、怖い。

 今度こそ、司令官の力になれるだろうか?

 

 今まではそうあろうと努力して、(ことごと)く失敗した。司令官には疎まれ、それでも上官を敬い尽くそうとする私を、仲間たちも憐れそうに見ていた。

 司令官と仲間たちに、これ以上不快な思いをさせないよう。私は作戦に参加することが少なくなっていった。

 

 だから、今度こそ。今回が、最後の機会(チャンス)

 取り戻すのだ、いつかどこかの海に置いてきた、私という駆逐艦を。

 

 そして……欲を言っていいのなら。

 司令官に一言、"よくやった"と。そう声をかけてもらえたなら。

 

 妹を……他の艦娘(なかま)を。司令官の隣で屈託なく笑う彼女たちを見て、遠くから羨むことしか出来なかった自分を。この海に置いて行けると、そう思うのだ。

 

〈――これより、大本営艦隊と暁光鎮守府艦隊の特別演習を開始します。観覧されるご来賓の皆様、及び各提督は護衛の艦娘を伴って――〉

 

 ――始まる。

 

「HEY! 皆さん、お喋りはそこまでネ! 扶桑、お願いしマース!」

「……ええ。では、各艦。作戦通りに……行きましょう」

 

「Follow me! 皆さん、ついて来てくださいネー!」

 

 扶桑さんの落ち着いた声に、天龍さん、龍驤さん、隼鷹さんが同時に頷き、一拍遅れて私も首肯した。金剛さんが拳を掲げ、扶桑さんと並んで航行を開始する。

 

 いつかの、自信と……司令官への信頼に満ちていた、自分の影。

 今の、自身に存在意義を見出せない、ただの鉄屑のような自分とそれを、脳裏で重ね合わせる。

 

 ――大丈夫、やれる。

 

 霞が……妹が、信じてくれた。私自身が信じ切れていない、私の力を。

 間接的にでもいい。その霞を信じてか、司令官も私を演習のメンバーに選んでくれた。

 

 ――十分だ。これなら、戦える。

 

 自分に足りないものは、みんなが補ってくれる。霞が、司令官が、臆病な心を支えてくれる。先を行く仲間たちが、共に勝利を目指してくれる。

 

 ――勝てる。……いや、勝つ。勝ち取るんだ。

 そして、取り戻す。今までを……これからを。

 

 一度大きく息を吸い込み、一瞬の(のち)に勢いよく吐き出した。

「……駆逐艦朝潮、出撃します!」

 




ついに50話になりました。
応援ありがとうございます! そして更新頻度が安定せずすみませぬ。

前置きが長くなりましたが、次話よりやっとこ演習本番になりますので、良ければお付き合いくださいませ。


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51.航空戦―SIDE扶桑―

「さぁ始めるで! 艦載機のみんな、お仕事お仕事ー! 偵察隊、発進!!」

 

 大本営艦隊との演習が始まった。単縦陣で航行を開始すると同時、艦隊を率いて先行する私の背後で龍驤が艦載機を発艦する。

 

 本演習において提督から下された作戦、その第一段階。偵察機による触接を行い、敵艦隊の動向を先んじて把握すること。

 

 この戦い、おそらく敵艦隊は艦上偵察機を利用してはいない。なぜなら、交戦ポイントが大本営によって指定されているからだ。

 

 互いの出撃地点は、沖に向けて極端に突き出た高い崖を隔てていて、しばらく航行しないと敵を視認できない状況にある。交戦ポイントは崖の先端部だ。

 

 通常、艦上偵察機を用いるのは敵を発見したり、交戦が予想される地点の気象状況や地形を把握して作戦方針を定めるため。それらが事前に通達されている以上、偵察機を飛ばす必要性は低いと言っていい。

 

 演習では敵編成の偵察を始めとした情報戦は開始前に行われるものであり、始まれば艦隊同士が全力でぶつかり合うだけ、というのがセオリーだ。

 

 しかし、提督はそれを良しとはしなかった。艦娘個々人の地力が敵編成に劣るとされている以上、常に相手の情報を把握し、臨機応変に立ち回るべきだと。

 

 そして、その指揮を私に委ねると。作戦説明の席で、そう仰った。

 

「……空はあんなに青いのに……」

 

 思わず漏らしてしまう。しばらくすれば夕方に差し掛かる時間だというのに、抜けるような快晴の蒼穹。浜辺に腰を落ち着けて、頬を撫でる風に髪をそよがせて。きらきら光る水平線を日が落ちるまでゆっくり眺めていられたら、どんなに心地良いだろう。

 

 そんな考えが脳裏を過りつつも、心底からそんな感傷に浸ることは出来ない。艦隊のメンバーから入る報告を吟味し、常に最適だと思われる指示を下す。それが旗艦としての役割なのだから。

 

 今しがた綺麗だと感じたような気がする青空を、すでに何とも思っていない自分に意外感を覚えることもなく、続く龍驤の言葉に耳を傾けた。

 

「っ、触接成功や! 気取られた様子もないで! 単縦陣既定路線!」

「了解。二人とも、予定通りに」

 

「よーし、戦闘隊! 発艦しちゃってー!!」

「一気に決めるで……攻撃隊、発進!」

 

 敵艦隊の行動が想定通りであることを確認すると、龍驤と隼鷹に一言指示を出す。二人は迷うことなく艦載機を発艦した。

 

 先行して飛ばされた少数の偵察機とは違い、渡り鳥の群れが一息に飛び立つように、無数の艦載機が交戦ポイントへ飛翔する。

 

「敵艦隊の艦載機発艦を確認や! これも想定通り! こっからやでぇ……!!」

 

 艦上偵察機によって敵艦隊の動きを捕捉し続けている龍驤が、苦しそうに呟いた。……提督から下された、彼女の役割を果たしているのだ。空母ではない私には、艦載機の運用がどのような感覚で行われるのか理解できない。

 それでも、聞いているだけで目が回るような難しい任務を、彼女は遂行している。

 

「航空戦に突入したよぉ! ふふん。ここで全力で叩くのさぁ……いっけぇ!!」

「敵攻撃機、確認できとるな!? しっかり落とすんやで……もうちょい下や! 早めに!!」

「はいよぉ!!」

 

 隼鷹の発艦した艦載機が敵艦載機と交戦に入ったらしい。ここでどちらの艦隊に制空権が渡るかが決まる。これで予定通りに行かなければ、作戦は水泡に帰すと言っても過言ではないけれど……。

 

「いけるいけるぅ! 敵艦載機、ほぼ撃墜してる! 八割以上いってるんじゃね? どうよ龍驤!?」

「あのさぁ、うちはまだ集中してんねん……! ……よし……抜けたで……っ!」

 

 龍驤の独白に、仲間がみんな固唾を飲んでいるのが分かる。……私も、心のどこかが焦れるような感覚を自覚した。どうなったの……? 作戦は、上手く行っているの……?

 

「……っ! やった……」

「!」

 

 一言漏れた、気の抜けたような呟き。それを聞いた私は、すぐに問いを返す。

「龍驤。報告は正確に。作戦の成否は?」

 

「大成功や! 蒼龍をかばった飛龍、及び長良に直撃! たぶん大破しとるで! かばわれた蒼龍も目算で小破以上! 甲板の具合によっては中破見てもええで!」

 

「Wow! Congratulations!」

 

 龍驤の言葉に金剛が声を上げ、黙って報告を待っていた各艦が息を漏らすのが通信で伝わった。……正直、私も安堵している。

 

「龍驤、あたしの戦果は!?」

「手応えどおりや、九割は落ちとる! 制空確保!! 一応、撃ち漏らしは警戒するんやで!?」

 

「ひゃっはー! 帰ったら乾杯だぁー!!」

「聞いとんのかいな!!」

 

 狂喜する隼鷹に返す龍驤も、声音は喜びに満ちていた。

 

 今回の作戦、航空戦が一番のネックだった。それも当然で、敵艦隊には正規空母が二隻、こちらには軽空母が二隻。艦載機の搭載数が劣る以上、同じような運用をすればほぼ競り負けるのだから。

 

 しかし逆に、提督はそれを好機と捉えた。演習における艦隊の編成や装備には一定のセオリーがあり、有利な立場にある者はそこから外れた行動はとらない。基本であり、作戦として盤石とされるからセオリーと呼ばれるのだから。

 

 敵空母の艦載機運用予測は……空母一隻につき、艦上攻撃機が二枠、艦上戦闘機が二枠。敵艦隊に比べてこちらの艦娘の装甲が薄い以上、比較的耐久力のある私と金剛を攻撃機の雷撃で一掃し、残存勢力を砲撃戦によって沈める速攻を仕掛けるだろうと提督は予想した。観戦の目もあり、その方が演習の結果として分かりやすくもある。

 

 それに対抗するため、提督は……。

 

「思ったより上手く行ったねぇ! ……しっかし、艦載機を全部戦闘機にするなんて、最初は何言ってんのかと思ったけど……。いやー、気持ちよかったぁ~!」

 

 そう、隼鷹に艦上戦闘機四枠の搭載を指示した。敵二隻の戦闘機各二、合計四枠に対して。敵艦隊への攻撃を一切放棄する代わりに、隼鷹が敵艦載機を全て排除する作戦。そして。

 

「おかげでうちの攻撃隊もしっかり届いたで! ……よし、飛龍と長良が艦隊から外れた。大破確定や! 航行にまだ加わっとる蒼龍は一応警戒やね!!」

 

 龍驤が操った艦載機。はじめに発艦した艦上偵察機のほかに……攻撃機、爆撃機、戦闘機を各一枠ずつ。いわゆる戦爆連合を行うための運用方法だった。

 

 戦爆連合は戦闘機によって制空権を確保したのち、攻撃機の雷撃と爆撃機の急降下爆撃によって大きなダメージが期待できる。けれどこれは、最低でも制空状態を優勢以上にする必要がある。敵の戦闘機が多く残っていれば、攻撃機も爆撃機も諸共撃墜されてしまうだけ。

 

 正規空母二隻と軽空母二隻の航空戦では、軽空母側がまず行うまいと断じて良い作戦。仮に同じことを他の鎮守府がやっても、成功する確率は絶望的だと思う。

 

 なら、何がこの作戦を成功に導いたのか。……提督から告げられた言葉通りだった。

 

「烈風の撃墜力は爽快だね! 妖精のサポートのせいか、発艦も指示もスムーズだし!!」

「せやなぁ……。良い装備もそうだけど、妖精の手伝いはホンマありがたいで。いつもみたいに一人やったら、こんな複雑に飛ばせへんもん」

 

 開発によって用意された新しい装備と……提督が連れてきた妖精の力。龍驤は今回、四種類もの艦載機を同時に操って見せた。

 

 偵察機による索敵と、触接を維持しての動向把握。次に、戦闘機を……攻撃機と爆撃機の補助に使った。制空争いには極力参加せず、他の戦闘機に落とされないよう遮蔽し、空路に敵艦載機があれば撃墜して道を作る。隼鷹の戦闘機をカモフラージュにしつつ、触接していた偵察機の誘導により敵に肉薄。

 

 最後には作戦通り……攻撃機の雷撃と、爆撃機の急降下爆撃によって敵艦隊の半分にダメージを与えた。

 

 龍驤が搭載できる艦載機の四枠は、搭載数の偏りが激しいそうだ。一枠だけが一般的な軽空母の最大搭載数に迫り、他三枠が極端に少ないのだという。

 提督はこれを利用して、今回の戦爆連合を指示した。もし普通の扱いやすい(・・・・・)とされる空母でこれを狙っていれば、偵察機を用いずとも発見され、航空戦で集中砲火を受けていただろう。

 

 攻撃機の存在を気取られないように。大雑把な運用に見える大量の戦闘機と、ごく少数の偵察機で丁寧に敵艦隊へ運んだのだ。

 

 これは装備や妖精の力だけでなく。……それらが無くとも戦ってきた艦娘としての練度が決定打となったのだろう。何もかも、提督の作戦の……言葉の通りだった。私が旗艦である必要なんて、欠片も無いほどに。

 

「そろそろ交戦ポイントや! 敵単縦陣のまま、到達予想時間に若干のずれ! 被弾した蒼龍の航行速度に合わせとるな……チャンスやで!」

 

 龍驤からの報告で、作戦は全て順調に進んでいることが分かった。一番の懸案事項が杞憂に終わった以上、あとは想定から外れないよう行動するのみ。

 

「そのまま単縦陣にて航行。金剛、天龍、朝潮、龍驤は先行し、可能ならば頭を押さえて。丁字戦に持ち込めれば盤石です」

 

「Yes! 私たちの出番ネ! 油断せず行きマース!!」

「うっしゃぁっ! 戦艦だろうがぶっ飛ばしてやるぜ!!」

 

 私が指示すると同時、金剛と天龍が脇を一直線に抜けていき、朝潮がすれ違いざまに会釈。最後に龍驤が虚空を見つめながら追従していく。……きっと今も、偵察機で敵艦隊の動きを監視しているのね。

 

「か~っ、やっぱ高速艦はあたしらに合わせなきゃ速いねぇ~!」

 

 役目をほとんど終えた隼鷹が、私に並走しつつ楽し気に口を開いた。……その緊張感のない様子が、少し憎らしくなる。

 

「まだ戦闘は終わっていないわ。敵戦艦が弾着観測射撃を狙って水上偵察機を寄こさないとも限らないのだから。制空権の確保を厳として」

 

「あいよ~。ま、いざとなりゃああたしが盾になるし、扶桑はどーんと構えてなってぇ!」

「……頼りにしてるわ」

 

 隼鷹には何を言っても無駄そうだと割り切り、先行した仲間の動向に集中する。……敵には超弩級戦艦、長門型が二隻健在。制空権を確保し、艦隊単位で優位に立ったとはいえ、一発の砲撃が戦況を引っ繰り返す可能性は零じゃない。

 

「……夜戦に入る前に、終わらせたいところね」

 

 思ったよりも赤みを帯びてきた空を視界に収めつつ、私は誰にともなく呟いた。

 




航空戦仕様や各艦載機の挙動についてはwikiを参照しました。
間違ってたらすみません。

艦載機についてご指摘いただいたので、一部表現を修正しました。助言ありがとうございます!


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52.砲撃戦―SIDE金剛―

 

「HEY皆さん、会敵ネ! 撃ちマス! Fireー!!」

 

 扶桑の指示で先行したワタシと、次いで天龍、朝潮、龍驤の四人は、岩陰から飛び出すと同時に敵を視認しマシタ。

 

 龍驤からの報告どおり、敵は戦艦長門を旗艦とする単縦陣。相手の航行速度が当初の想定より遅れていたため、こちらが敵の前を遮る様に岩陰から飛び出した形デース。

 

 丁字有利。状況を確認したワタシはすぐに砲撃へ移りマシタ。敵は即座にこの状況から逃れるべく行動するはずデース。このチャンスは逃せマセーン!

 

『交戦状況は?』

「丁字有利ネ!!」

 

 ワタシの言葉を受けて、遅れてやってくるはずの扶桑から通信が飛んできマス。一言で応答したワタシに、扶桑はすぐさま指示を下しマシタ。

 

『敵が対処する前に先頭を叩きなさい。他の艦は無視して構いません』

 

 さすが扶桑ネ! 十分な状況報告とは言えないワタシの言葉でも、十全に戦況を把握したようデス。

 

 一分としない間に敵は同航戦、もしくは反航戦に移るべく動くハズ。軍艦だった時代ならともかく、人の形を取って素早く交戦形態を変えることが出来る艦娘にとって、丁字有利とは瞬く間に過ぎ去る奇跡のような時間なのデス。

 

 下手に欲をかけば、誰も落とせず戦艦二隻と対峙することになる。それを避けるため、扶桑は旗艦の長門だけを狙うよう指示したのでショウ。

 

 直接肩を並べずとも、扶桑と共に戦っているのを実感しマース……!

 

「聞こえましたネ!? 狙いは旗艦長門のみ! 足を止めず、可能な限り丁字戦を維持しつつ食らいつきマース! Fireー!!」

 

「しゃあっ、うちもいくで! 隼鷹!!」

『あいよ、もう一回だね? やっちまえー!』

 

 敵に向けて主砲を発射し続けるワタシに続いて、龍驤と隼鷹も再び艦載機に指示を下し始めマシタ。空に千千と散っていた黒い点が、二人の意志によって長門へと向かっていきマス。

 

「チッ。悔しいが、オレらはひとまず牽制だ。朝潮、分かってるな?」

「はいっ。弾薬を切らさないようにします……っ!」

 

 交戦距離は控えめに言っても中射程のレンジ。天龍はともかく、駆逐艦の朝潮では砲撃が有効とは言えまセン。ましてや天龍の砲も届くというだけで、戦艦相手ではダメージを期待するのが門違いというモノ。それを理解してか、天龍は朝潮と共に長門を直接狙うことはしませんデシタ。

 

 常に長門の進行方向を遮るよう……丁字有利を一秒でも長引かせられるよう。つまりは威嚇射撃が狙いデス。効かないとは言っても、人の姿をとっている艦娘(わたしたち)。撃たれているという事実は意外に航行(あし)を鈍らせるモノ。現に長門は二人の砲撃を疎ましげに防盾で防いでいマシタ。

 

 真に警戒すべきなのはワタシと龍驤だと長門も分かっているハズ。しかし、ワタシや龍驤の攻撃に合わせて応変に守り、丁字不利打破のために移動しようとしても、ふと視界を過ぎる砲撃を無視できナイ。

 

 ダメージが期待できないというのはあくまでも撃っているこちら側の理屈デス。撃たれている向こうからすれば、小型艦の砲とはいえ当たり所によっては万が一もあり得ル。であれば無理に動いて下手を打たず、仲間の助けを待ツ。そういう算段なのでショウ。

 

 先頭の長門に、他敵艦が並ぶのも時間の問題デース……!

 

「金剛、直で狙えるのは多分一回きりや。合わせてや……!」

 

 長門に肉薄する艦載機が弧を画く直前、龍驤が呟きマシタ。狙いはきっと、ワタシと同じハズ。

 

「YES.……っ、ここネ! Fireー!!」

 

 長門の頭上からは爆撃機が爆撃を行イ。正面からは攻撃機が跳ね上がって、空へ帰る瞬間に雷撃を放ツ。その刹那、ワタシの砲門も光を迸らせマシタ。

 

 砲撃の音が空気を揺らすのも束の間、それ以上の轟音が長門がいたであろう場所から響き渡り、そこは水飛沫と薄灰色の煙に包まれマス。

 

「どや、これはやったやろっ! なぁっ!?」

「Best timing だったはずネ! 防盾ごと吹き飛ばしていてもおかしくないデース!」

 

『長門を落としたの?』

 

 ワタシと龍驤が声を上げると、扶桑から静かに通信が入りマシタ。

 

「分かりまセーン! が、ワタシの砲撃と龍驤の戦爆連合が直撃したのは間違い無いネ!」

「完全に霧が晴れるまでちっとかかるで……。意見具申! 触接しとる偵察機を接近させてもええかな?」

 

『許可します。長門の損傷状態の確認を優先して』

「了解やっ!」

 

 視界が晴れるまでは十数秒というところデショウ。しかし、その間ここでボーッと敵の動向を窺うのは愚策。もう役割をほとんど果たした偵察機を使って、龍驤は長門の様子を探りマス。

 

 どうなったんデスカ……!?

 

「っ……! うっそやろ……。敵旗艦長門、健在や! 無傷とは言わんけど、大破にはほど遠いで!」

 

「Shit!」

 思わずこぼしてしまいマース! あの状況で落とせないナンテ!?

 

「それに、偵察機も落とされてもうた。長門やないで、もう揃ったんや……!」

 憎々しげに龍驤が呟いた、その瞬間。

 

 霧が晴れるのを待たず、一人の艦娘が弾丸のように水飛沫を裂いて飛び出しマシタ。

 

「速ぇっ、来るぞ! 島風だ!!」

 

 天龍が声を上げたとおり、それは敵駆逐艦、島風デシタ……!

 



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53.一騎討ち―SIDE朝潮―

「朝潮、島風を迎撃しつつ私たちから遠ざけるよう引き付けなさい」

「扶桑!?」

 

「了解! よし……突撃する!!」

 

 敵駆逐艦、島風がこちらへ接近を開始すると同時。背後から合流したであろう扶桑さんの指示が耳に入った。

 金剛さんが非難するように声を上げるが、艦隊旗艦である扶桑さんの指示は絶対。

 

 私は迷うことなく艦隊から離脱し、島風へと向かって全速力で航行を始めた。丁字有利を長引かせるよう、敵艦隊に向かって左方向に航行していた私たちに対して、挟撃を図るためか島風は迂回して接近している。

 

 私が一人で迎撃すれば、扶桑さんの指示通り両艦隊の砲撃戦から離れることは容易いはずだ。

 

 それに司令官の言葉を信じるなら、島風より私の方が練度が高く、装備も充実していると思われる。一対一を避ける理由は無かった。

 

 そのことに思いを巡らせて、再び実感するのは妖精の存在だった。急発進、高速旋回、主砲の射角調整。どれもが驚くほどスムーズに行える。まるで四肢を繋いでいた枷が外れたような、そんな心地だ。

 

 海面を引き裂いて、私はぐんぐん仲間から離れて行き。同時に、島風への距離を詰めていく。島風も私を無視することは無く、一騎打ちの構えに入った。

 

 こちらを放って仲間たちを狙えば、逆に挟撃されるのだから当然と言えば当然だった。けれど、思惑通りに事が運んで内心安堵する。

 

 ――さぁ、取り戻そう。

 

「一発必中……!」

 

 小口径主砲の有効射程圏内。私と島風は交戦に入った。航行による遠心力に従って腕を跳ね上げ、すぐさま水平に固定。照準を島風に合わせる。普段なら無理のある駆動も、艤装に宿った妖精が難なく成功させてくれる。

 

「はやーい。それに自信家だね」

 

 自信家はどちらだろう。主砲を発射する様子も、魚雷を射出する素振りも島風は見せていない。どういう意図で話しかけているのか。

 

()ぇっ!!」

 

 彼女に取り合わず、私は主砲を発射した。当然島風は回避行動に移るが、こちらもたった一発で終わらせはしない。

 

 彼女はここで落とす……!

 

「わっ、わわっ? これはっ、予想外かもっ!」

 

 しかし……当たらない。島風の航行挙動から進路を予測して連続射撃を行うも、まるで踊るように回避し続ける。激しい水飛沫を上げ、慌てた声を上げているが、有効弾は無い。

 

 なぜ……っ?

 

 焦りと疑問がじわじわと頭を塗りつぶしていく。話が違う……最初から妖精に頼ってばかりで、練度が低いという話では無かったのか。

 

「おぅっ……」

 

 ――これは、ちょっと楽しめそうかも?

 

 苦しい体制で主砲を避けた直後。多分、島風はそんなことを呟いたと思う。でも、私はその言葉に何かしらの感想を抱きはしなかった。

 

 理由は二つ。一つは……島風の髪が、光ったからだ。数秒前までは傾きだした太陽光を反射して橙に輝いていた黄金のそれは、刹那淡い蒼に染まった。私は一瞬、その幻想的な光景に思考を奪われてしまい。

 

 そして二つ目。

 

 ――シャッ

 

 停止した時間の隙間を縫うように、微かに聞こえたそんな音。空気が勢いよく抜け、何かから漏れるような……あるいは、射出するような。

 

「っ!!」

 

 その正体に思い至った瞬間、目の前の水面へ全力で主砲を叩き込めたのは奇跡だった。何かを狙った訳でもない私の弾丸は、それでも狙った通り(・・・・・)の結果を齎す。

 

 それは……爆発。島風が放ったであろう酸素魚雷が、私の発射した主砲によって水柱を立てたのだ。運よく魚雷そのものに命中したのか、はたまた弾丸が起こした波によって信管が誤爆したのか、それは分からない。

 

 それでも、一瞬の状況判断が功を奏したのは確か。

 

 史実で使用された魚雷と違い、私たちが扱う魚雷は海面からそう深くない場所を泳ぐ。艦娘同様、深海棲艦も海上を疾走するように航行するためだ。

 

 なので比較的波の影響を受けやすく、こうした演習の、しかも雷跡を視認しやすい昼戦では防ぐのがそう難しくない。そして実際に防ぐことに成功した今は、畳みかける絶好の好機だ。

 

 ――落ちろ……っ!

 

 風に流されていく目前の水飛沫に向かって、私は砲撃を続行した。魚雷を放つには、身体を一瞬でも停止させる必要があるはず。

 

 次弾を発射するのであれば、彼女はまだ霧のカーテンの向こうにいる。発射を防ぐにせよ、敵の接近を防ぐにせよ、ここで牽制弾を惜しむ理由はない。

 

「おっそーい」

「っ!!」

 

 驚いて動きを止めてしまう。

 などという愚は犯さない。いつの間に回り込んだのか、そんなことは考えなかった。右舷、島風の航路に遅れて上がっている水飛沫をなぞる様に腕を振るい、瞬時に照準を調整。発射――!

 

 ――やるね

 

 それはまるで……人間の、フィギュアスケートの選手のようだった。

 知識にしかないその姿が、舞うように空中で身体を捻る島風の肢体と重なる。その髪は……まるで晴天の凪いだ水面のような、蒼。

 

 軍艦どころか、明らかに艦娘として……人体として、駆動域を無視した回避行動。私の主砲の射角からの予測回避じゃない。どう考えても弾丸を見て避けている。

 

 まだどうにか平静を保って分析していた私の脳裏が、次の瞬間……ついに困惑で染まることになった。

 

 ――シャッ

 

「っ!?」

 

 つい今しがた耳にしたばかりの、魚雷射出音。おかしい……あまりにもおかしい! ――いつ射出した!?

 

 島風の魚雷発射管は腰に搭載されている。射出時はこちらに腰を向けて、一瞬の姿勢維持が要求されるはずだ。でなければ魚雷のジャイロスコープが彼女の異常なまでの移動速度、挙動に耐えられず、迷走を起こしてしまう。

 

「くっ……!」

 

 ――ブラフ……!

 

 確実にこちらへ接近するための釣り餌だと断じた私は、舞うように海上を滑る島風を撃ち続けた。

 

「……っ!?」

 

 しかし、というか、やはり、というべきか。

 目の前の島風が……練度で勝ると予想していたこちらの砲を、考えもしなかった神がかった動作で回避し続ける彼女が。

 

 ただ私に近づくためだけに、主砲に比して数に限りがある魚雷を簡単に無駄撃ちするだろうか?

 

 答えは……否だった。

 

 雷跡が視認しづらい酸素魚雷、水に溶けてすぐに消えてしまうその道標がちらりと眼下の海面に見えた気がした。

 それは目的を見失い、遠く離れた私の背後で静かに沈んでいくのだと、そう思っていた。……そう、願っていたのだ。

 

 そしてその願いは、当然のように裏切られる。

 

「使い切っちゃった。引き分けかなー」

 

 戦場に似合わない楽しそうな声を聞いた直後――。

 

 

 私の視界は、白く染まった。

 

 



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54.一騎討ち―SIDE島風―

 今回の任務が元帥から下されたとき、思ったことは『面倒くさいなぁ』だった。深海棲艦を沈めるための出撃任務ならともかく、他所との演習艦隊に加われだなんて。

 

 私は他の艦娘とはちょっと違う。建造艦でも浮上艦でもなく、気づいた時には海を航行し(はしっ)ていて。五人の仲間と共に深海棲艦を屠っていた。

 

 私が生まれた瞬間は、イコール艦娘と深海棲艦がこの世に現れた瞬間。もっと言えば、人類と深海棲艦の戦いの歴史の始まりだった。

 

 どの駆逐艦よりも早く戦い始めた私は、当然どの駆逐艦よりも強いし、速い。同程度の艦隊同士の演習に私が加わったら、それだけで勝敗が決まっちゃうくらい。

 

 と言っても、乗り気じゃないのは勝ち戦だと分かっているから、というだけが理由じゃない。参加を命じられた演習は、どうやら対立している元帥同士の代理戦争のようなモノらしいからだ。

 

 一方は最近大本営に配属された新進気鋭のエリート提督。士官学校を主席で卒業した優秀な新人で、場数を踏めばすぐにでも第一線で指揮を取れるだろうと言われている。

 

 片や民間上がりの素人提督。妖精から異常に好かれている、なんて理由で提督に抜擢された憐れな人身御供。最初に着任した鎮守府での活躍ぶりから、最低限の運用と時間稼ぎは出来るだろうと提督不在の最前線に放り出されたとか。

 

 この両人の上司が派閥争いをしていて、私はそれに巻き込まれたのだ。くだらなーい。海から化け物が襲ってきてるのに、人間同士で争うなんてバカバカしい。出来れば断りたいけど……そうも言ってられない。

 

 私と五人の仲間たちは、強すぎる故に慎重に扱われすぎているのだ。あんまりワガママばかり言っていると、討伐任務に呼んでもらえなくなる。

 

 大本営の最終兵器みたいな扱いでちやほやされるのも悪くないけど、私たち艦娘は提督の指揮が無いと満足に戦えない。できるだけ要請には従って手軽さをアピールしなきゃいけない。

 

 艦娘である以上、生を実感できるのは戦場。けれど直属の提督が居らず、大本営つきとなっている私たちは、各提督からの協力要請がないと出撃すらままならないのである。

 

 まぁ、自分で提督を指名することも出来るけど……これと言った人はなかなか見付からないもので。結局は大本営の指示に従うくらいしかやることが無い。

 

 つまるところ断るなんて選択肢は無くて、私は新人エリート提督の指揮下に入った。元帥同士の折衝の結果、装備は酸素魚雷のみ。昼戦中心で魚雷だけって言うのはそれなりのハンデだけど、これは仕方ないかな。

 

 何せ相手は私のような助っ人を呼ばなかったのだ。よほど自分の艦隊に自信があるんだろう。……まぁ、元は民間人らしいし、私のような存在を認識していない可能性もあるんだけど。

 

 ともあれ、私はやる気が無いまま魚雷のみを携えて演習に臨むことになった。

 そして、いざ交戦が始まれば……。

 

『きゃあああああああっ!?」』

 

『そんなっ……!? 飛龍ーーーーっ!!』

 

『長良まで!? くっ……被害報告よ! 飛龍、長良が大破! 蒼龍は……っ』

『うぅ……飛龍が庇ってくれたけど、甲板に被弾して中破っ。もう艦載機攻撃は……っ!』

 

『くそっ……。蒼龍、悪いが隊列には加わっていてくれ。判定に関わるうえ、こちらの航空戦力を落としたと気取られるのは拙い』

 

 開幕の航空戦から圧倒的な窮地に立たされてしまった。編成を見る限り地力は劣っていなかったし、その上私も配属されている。あまりにも予想外の展開だった。

 

(おもしろい……!)

 

 艦隊の皆には悪いけど、わくわくして仕方が無い。未だ艦隊同士が邂逅してすらいないのにこの惨状なのだ。直接交戦に入れば、もっと心躍る戦場になるだろう。

 

(にひっ、ラッキー♪)

 

 どこからか観戦しているだろう仲間たちは、きっと私に嫉妬するだろう。何故自分がこの演習に加われなかったのかと。

 

(……ううん、こんなのは序の口だよね?)

 

 もしかすれば、相手の奇策はこれで終わりかもしれない。過度な期待は禁物だ。それに、油断も。まだ私は、敵艦隊を視認してすらいないのだから。

 

 私が気を引き締めてしばらく、ついに敵が視界に映った。想定より相手は速く……というか、こちらの航行が遅かった。そのせいで、交戦形態は丁字不利。単縦陣で進んでいた私たちは頭を抑えられ、一方的に旗艦を狙われる状況に陥る。

 

『速い艦娘のみで先行したのかっ……!』

『すぐに追いつくからっ! 耐えるのよ、長門……っ!』

 

 私もうかうかしてられない。この調子だと、魚雷の一発も放つ前に終わってしまうかも。艦隊を指揮する提督からの事前打ち合わせでは想定されていなかった状況だし、いちいち指示を仰いでいる暇もなさそう。

 

 全速力で疾走、すぐに旗艦の長門さんに追いついた。けれど、敵の攻撃が直撃したらしく、彼女は煙に包まれている。……ん?

 

『長門無事っ!?』

『……あぁ、なんとかな』

 

「意見具申。三時方向から偵察機と思しき艦載機が飛来。陸奥さん、対処できる?」

 

 視界に映った影の正体に思い至ると、私はすぐに通信を飛ばした。高角砲……いや、主砲の一つも持っていれば私が落とすんだけど、さすがに魚雷じゃどうしようもない。

 

『えっ!? っ、私も確認したわ。撃ち落とす!』

 

「おねがーい。じゃ、私出るから」

『承知した。左舷から回り込んでくれ』

 

「りょうかー……いっ!」

 

 長門さんの了承を得た私は、霧を引き裂いて加速する。旗艦を追い越し、指示通り左舷から敵艦隊に接近を開始……対応が素早い。すぐに艦隊から一人、駆逐艦がこちらへ向かってきた。朝潮かぁ……。

 

 今現在、交戦している敵艦隊の艦娘は四人、こちらも四人。数字だけ見れば拮抗しているけど、あちらは二人合流予定だし、こちらは蒼龍さんが中破でまともに参戦できない。実質六対三だ。

 

 こちらに勝機があるとすれば、敵艦隊に肉薄して乱戦に持ち込むこと。それを相手はしっかり理解している。だからこそ、すぐに朝潮をこちらに向かわせたんだ。偵察機でこっちの状況を監視していたんだろう。鳳翔さんなら絶対見逃さないだろうなー。

 

 考えつつも海面を切り裂き、ついに一騎討ち。朝潮は淀みない動作で主砲を放ってきた。私の進路へ先に牽制射撃、足を止めたところを狙うように連撃を繰り出す。経験に裏打ちされた戦い方。

 

「はやーい。それに自信家だね」

 でもそれは、それでどうにかなる敵にしか通用しない。練度の足らない艦娘……まともな思考回路を持たない深海棲艦。私は、そのどちらでもない。

 

 避ける、避ける、避ける。……さて、そろそろオーバーヒートするんじゃない? 軍艦サイズならともかく、私たち艦娘の主砲は高速連射が可能。けれど、その弊害として過熱による動作不良を起こすことがある。ここまで撃ちっぱなしだと、私の経験上いつ起こっても不思議じゃない。

 

 避ける、避ける、避ける……あれ? うそっ?

「わっ、わわっ? これはっ、予想外かもっ!」

 

 全然止まらない! どころか、私の動きに適応して先読みで連射してくるっ! なんとか避けられてるけど、このままじゃジリ貧! これはっ……。

 

「これは、ちょっと楽しめそうかも?」

 

 手札を切ろう。この朝潮は、それを使うに値する艦娘だ。というか、使わないとそのまま負けちゃう。

 

 ――集中する。身体中の感覚が鋭敏になるのが自覚できる。視界でキラキラと陽光を反射する、飛沫の一つ一つすら知覚できるまで。思考を加速させ、四肢からは余分な力を取り払う。

 

 集中して、集中して、集中して――その先で、ほんの僅かな瞬間。時間が止まる。タイミングは合わせた……ここっ!

 

 朝潮の放った弾丸を、身体を捻って避ける。向こうからは捻っているどころか、足を滑らせて転倒しているようにすら見えるだろう。上半身――腰が海面すれすれを通って……。

 

 回避行動によって起こる遠心力が、魚雷の針路調整に干渉しない角度。高速着水による衝撃がジャイロスコープに不調を来たさない射出位置。脚部の航行装置が飛沫を上げる音に発射音を紛れさせ、射出機構が朝潮からは死角になる、その刹那――。私は魚雷を射出した。

 

 鋭敏になった身体機能に別れを告げて、出し惜しみせず同時に放った複数の弾頭を見送る。さぁ、これでやっと一人……っ!。

 

 瞬間、私に向いていたはずの朝潮が構える主砲が、海面へと弾丸を叩き込み……魚雷を爆発させた。

 

(お見事!)

 

 湧き上がる賞賛と歓喜に背中を押されるように。私は眼前の水柱を左から回りこみ、朝潮に肉薄する。一瞬前まで私が居た空間を、何発もの弾丸が穿っていった。良い判断だけど、私の挙動には追いつけていない。

 

 さらさらと水飛沫が風に流れる中、私は朝潮の姿を捉えた。

 

「おっそーい」

 

 からかう様に零してしまったのは、驚く彼女の顔が見たかったからかも。でも、良くも悪くもそれは裏切られる。

 

 こちらを視認するより先に、薙ぎ払うように朝潮の主砲が火を噴いた。

 

「やるね」

 

 再び避ける。それぞれは真っ直ぐに、しかし空中に弧を画くような弾丸の群れを、限界まで身体を捻って見送る。どちらにとっても好機。ここで体勢を崩せば被弾は免れない私を、朝潮は見逃すまいと畳み掛ける。そして私は、もう一度魚雷を放った(・・・・・・・・・・)

 

 今度は死角からとはいかないけど、状況を打破するには十分なタイミングだった。先ほどと同様に水中で爆破させるにしても、間違いなく彼女を巻き込める。

 

 私の行動は予想外だったのだろう、朝潮は顔を驚愕に染めた。しかし……それを無視してこちらを撃ち続ける。苦し紛れのブラフに見えたのかな、ざーんねん。でも……。

 

「使い切っちゃった。引き分けかなー」

 

 鈍い爆発音。朝潮を中心に巻き起こるいくつかの水柱を見て、私はそうごちた。唯一搭載していた武器を、たった一人の駆逐艦に使わされてしまった。互いを無力化したという意味では一騎討ちこそ引き分けだけど、艦隊戦としては完全敗北だ。私の目から見て、ここから長門さんたちが敵艦隊に勝利する可能性は万に一つもないだろう。敵艦隊の朝潮を除いた五人が、彼女と同程度の練度を誇るのなら尚更。

 

「でも、何もせずにってワケにもいかないよねー」

 

 主砲はなく、魚雷を撃ち尽くしたといっても私は無傷。敵の懐に潜り込んで撹乱することくらいは出来る。艦娘たるもの、どんな状況でも諦めないことが大切だ。

 

 水柱が収まり、凪いだ水面に浮かぶ朝潮にチラリと視線をやる。

 ……大破。再起の目はないだろう。

 

「よーし、行きますかー」

 

 交戦しているはずの両艦隊は随分遠い。まずは戦況が把握できる距離まで近づかないと……。そう考えて航行を開始した直後。

 

 ぞわり、と。

 

 背筋が粟立つような錯覚に陥り。

 思わず振り返ると――。

 

 ――シャッ。

「勝ったつもり……?」

 

 こちらへ飛び掛る朝潮の姿。もう動けないはず、だとか。私を押し倒したところで、どうしようもないだろう、だとか。そんな考えが浮かんだけれど、すぐに彼女の狙いに思い至った。

 

 私に突進する直前、彼女は何かを射出した。

 考えるまでもない――魚雷だ(・・・)

 

 完全に不意を突かれた私は避けることも出来ず、朝潮は躊躇なく私に覆いかぶさり。

 

「うっそー……」

 

 遅れてやってきた魚雷。私たちは、二人まとめて水柱に飲み込まれた。

 



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55.切り拓くモノ―SIDE天龍―

 

「一人で行かせるなんて間違ってマス!」

「敵駆逐艦一に対し駆逐艦一。道理だと思うけれど」

 

「数の利はあるのデスから、島風を迎え撃っても良かったはずネ!」

「それは島風を短時間で落とせるという希望的観測に過ぎません。対処に長引けば挟撃は必至。万難を排して避けるべきだわ」

 

 朝潮が単騎で離脱するのを見送ったオレは、内心焦っていた。あいつは演習が始まる直前まで、緊張っつーか……気負いすぎてるように見えたからだ。

 

 出来ればオレもついていきたかったが、旗艦の扶桑が金剛と言い争ってやがる。何のために朝潮一人で行かせたんだって話だ。ここでオレも朝潮につくとなりゃあ口論が激化するだけだろう。

 

 扶桑の言い分からすれば、朝潮は島風に対する足止めだ。なら、朝潮が島風に落とされて挟撃される危険を考えて、とっとと敵旗艦を落とすべきだ。

 

 それは金剛の考えでも同じこと。朝潮一人に任せるのが危険だっつっても、もう命令は下って、朝潮は了解した。なら朝潮がやられる前に敵を殲滅するべきだろ。

 

 精神的に不安定なまま敵の足止めに向かった朝潮。その行動の意味をどんどん無駄な口喧嘩で削っていく主力戦艦ども。いい加減腹が立ってくるってモンだ。単騎で攻撃を凌いでいた長門に、既に陸奥も合流してやがる。オレの牽制も、もう意味を成さなくなってんだぞ。

 

「チッ。オイ扶桑、いいか?」

「……何かしら?」

 

 オレのぶっきらぼうな口調に、扶桑は気にした様子もなく視線を向けてきた。

 

「長門の硬さが異常なのは通信で聞いてたろ。オレが単騎で突っ込んで活路を開く。ネタくらいは割れるハズだ」

 

「何をいってるんデスカ!? 一人で戦艦二人を相手取るなんて無謀ネ!」

「これは金剛に同意するわ。むざむざ戦力を一人潰すだけよ。制空権は確保しているとは言え、接近すれば蒼龍の艦載機攻撃も有り得ます」

 

「内輪揉めで敵のマトになるよりゃあマシだろうが。それに龍驤の攻撃が二度通ってんだ。蒼龍がカカシなのは間違いねぇ。近づけさえすればどうにでもなる」

 

「……良いでしょう。ただし近接戦に入ったら、逐一状況を報告しなさい」

「無駄死には許さねぇってか? 上等だ……行くぜっ!」

 

「天龍っ、待――っ!」

 

 金剛の制止が聞えるが、オレは無視して敵艦隊に突撃する。こういう場合、アタマを一人に絞るのが得策だ。仲間とはいえ、別の主張をする二人の指示なんざ聞いてられねぇ。既に朝潮に扶桑の命令が下っていて、それは遂行中だ。この際金剛の意見は黙殺するのが最善。反省会は全部終わってからすりゃあいい。まずは目先の戦艦(長門)――!!

 

「どうしたっ!? 弾幕薄いんじゃねぇのかぁっ!?」

 

 陸奥が放つ主砲を難なく躱しながら、オレは叫びつつ接近する。防盾を構える長門の背後からオレを狙う陸奥の砲撃は、砲塔の向きから弾道を予測するより遥かに避けやすい。

 

 今の今まで長門はまともに砲撃戦に参加しちゃいない。どういう狙いなのか……なんにせよ、近づいてみりゃあ分かることだ。

 

 陸奥の射線に常に長門が入るよう、ジグザグに疾走。そうかからねぇうちにオレは長門に肉薄した。

 

「よぉっ!! ご自慢の主砲はどうしたっ!?」

 

 挑発しつつ主砲を発射っ!! 当然ヤツの防盾に弾かれるが、反撃の様子はねぇ。……なるほどな、そういうことか。近くでよくよく見てみりゃあ、意外ではあってもそう難しいことじゃあなかった。

 

 増設バルジ(・・・・・)。火力を捨てて守りに特化したってワケだ。通常の艦船におけるバルジってのは船体側面を強化するモンだが、艦娘が装備するとその限りじゃねぇ。個々人でその性能や強化される部位ってのは変わってくるが、長門の場合は防盾ってことだな。

 

 背中から腰を覆うように展開している艤装、その上をさらに防盾で覆うことで金剛と龍驤の攻撃を防いだんだろう。……と、直前までは思っていた。

 

 こいつ……主砲を積んでねぇ(・・・・・・・・)。防盾の内側に攻撃艤装が見えない。完全にバルジで固めてやがるんだ……!

 

「っ――はははっ!!」

 

 こりゃあお笑い草だ!! 天下の超弩級戦艦長門を、主砲を載せず壁扱いしてやがるワケだ!! 向こうの提督は慎重通り越してとんだ臆病者らしいっ!!

 

『長門の艤装について分かったの?』

 

 オレの笑い声から感づいたんだろう、扶桑が通信を寄越してくる。

 

「バルジで固めてるだけだ。大したタネじゃなかったな」

『対処は可能なの?』

 

「当然だ。……すぐに楽にしてやる……っ!!」

 

 ひとしきり笑って、次いで湧き上がるのは……怒りだ(・・・)。日本の誇るビッグセブン、かつての海軍主力戦艦、長門だぞ? その誇りを踏みにじりやがって……!

 

 オレは砲塔を主とした艤装を折り畳み、腰に下げた刀剣に手を伸ばした。その様子に長門は眼を剥く。そして……牙を剥きながら初めて言葉を放った。

 

「馬鹿なことを……! 主砲で駄目なら白兵戦か? 重巡洋艦級以下ならいざ知らず……っ!!」

「馬鹿はどっちだ……?」

 

 一息に抜き放ったソレの切っ先を向けながら、オレは問いかける。

 

「何を……」

 

「アンタがその盾で必至に守ってんのはなんだ? 仲間か? ……ちげぇだろ。そっちの提督が臆病風に吹かれて、万が一にも旗艦が落とされねぇように。たった一度の演習の、ちっぽけな勝敗のために牙を抜かれやがったんだ。なぁ……悔しくねぇのかよ?」

 

 慢心と警戒心。一見相反する二つの感情が、向こうの提督の中で綯い交ぜになっていたことが良くわかる。正規空母二人に、長門型戦艦二人。素人提督の浮上艦隊殲滅には過剰だと考えた。だが流れ弾で万が一があるかも知れねぇ。だから旗艦は戦力から外して、勝敗判定で不利にならねぇよう守りを固めた。

 

 もし……もし敵の提督が、長門をもっと信じていれば。流れ弾になんざ落とされず、敵を迎撃できると……主砲を積むことが出来ていたなら。砲撃戦で金剛と龍驤の合わせ技を狙う余裕なんざなく、もっと苦戦を強いられていたはずだ。

 

「……私たちは艦娘だ。提督の指示に従い、勝利を持ち帰る。そのことに異論などあろう筈も無い……!」

「……そうだな」

 

 正論だ。正しすぎて涙が出てくる。……だから。

 

「だからこそ、だ。オレがそのナメた脂肪(考え)を引っぺがしてやるよ」

 

 もう交わす言葉はねぇ。オレのために、朝潮のために、提督のために、仲間のために。そして……長門のために(・・・・・・)。あの醜い盾を切って捨てる。

 

 陸奥のことを考える必要は無い。金剛や扶桑への牽制に移ってるし、ここでオレを撃てば長門諸共、だからな。

 

「行くぞっ……!!」

 

 脚部の航行艤装が飛沫を爆発させ、オレは全速力で突進した。左手を前に伸ばし、距離感を測る。柄を握った右手は交差するように左の腰へ。間合いに入ればいつでも振りぬける……!

 

 二歩、一歩!

 

「喰らいやがれ!!」

 

 左から右へ。右足を軸に上体を捻り、一閃!! 甲高い金属音が響き、俺の刀が防盾の肌を撫でる。結果は……浅く一筋。分厚い鉄の盾に線を描いた程度だった。

 

 ふっ……と。身構えた防盾が僅かに下がり、長門の体が弛緩したのが分かった。……この程度か。そう思ってんだろ?

 

「まだだっ……!!」

 

 軸足は動かさず、左脚部の艤装を爆発させる!! 刹那に回転したオレは、一瞬前と全く同じ姿勢を取っていた。当然、やることは一つ……!

 

「オラァ!!」

 

 再び一閃!! ほぼ同じ軌道、違うのは長門が動いた姿勢分のみ。浅く抉った一筋を、ただただ深くするためだけに同じ動作を繰り返す……!!

 

 振りぬいた腕を弛緩させ、左足を爆発。回転する上半身に空中の右腕は連れられて、自重に従いつつ左の腰に落ちる。その瞬間再び右腕に力を込め、眼前の鉄塊に一の文字。

 

 一閃、一閃、一閃、一閃、一閃!!

 

「ぐぅっ……!!」

 

 幾重にも重なった耳障りな金属音に混じって、長門が苦しそうに声を上げる。

 オイオイどうした? たかだか軽巡洋艦の一太刀だぜ。提督の指示に絶対の信頼があんなら、もっと涼しい顔で受けて見せろ……!!

 

「ラァアアアアアアアッッ!!」

 

 もういちいち動きを意識することもねぇ。回り続ける視界の中で、右眼だけが切り拓くべき活路を捉え続ける!

 

 十を超え、百を超え。雨垂れ石を穿つが如く、深く刻んでは重くなっていく一太刀がその手応えを感じた。

 

「これでっ、終わりだァ!!」

 

 ギャリギャリと防盾を抉る音がついに途切れ、その時は訪れた。……チッ、オレの刀諸共だ。互いに運があるのか無いのか……。

 

 横一文字に裂けた防盾、艤装と連なっていない上部がオレの刀の刀身と共に飛び去った。さぁ、あとは主砲の一発もお見舞いしてやれば……っ!?

 

 引き伸ばされていたように感じる時間の中、急激に感覚は元に戻る。その最中、盾を破られた長門が口を開くのが見えた。

 

「――見事だ」

 

 ――クソが。

 

 盾が意味を無くした瞬間。オレの刀が折れたその刹那。長門は拳を振りかぶって、一歩を踏み出していた。迫り来るのは硬く握られた拳。――まともに受けるわけにはいかねぇ。

 

 先ほどまでの推進は見せちゃくれないが、それでも慣性に従って、左足の艤装はオレの体を半分ほど回転させてくれた。ヤツの拳はオレの左腰、主砲を畳んでいる艤装を捉えて――砲身ごと破壊した。

 

「ガッ!!」

 

 艤装がクッションになったとはいえ衝撃をモロに喰らい、吹き飛ばされる。長門からは大きく遠ざかっちまった。

 

 ……ヘッ。なんだよ、ナメてたのはオレのほうか? ……だがまぁ、残念ながら演習はオレ達の勝ちだろう。

 

「扶桑!!」

『分かっています』

 

 飛沫を上げて海面を滑り、制止。濡れた髪をかきあげながら長門に眼を向けた直後……長門に砲弾が着弾。扶桑と金剛だ。背後に飛んでいった艦載機は龍驤が陸奥を狙ってのものだろうな。

 

 轟音、爆発。十数秒が経ち、硝煙交じりの飛沫に霧が収まったときには……陸奥に折り重なって倒れ付した、長門の姿があった。

 



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56.蠢く影―SIDE■■■―

 

「あれは何かの間違いです! どうかお考え直しください、黒雲元帥!!」

「言い訳は結構。妖精提督については事前に十分な調査資料を渡したはずです。にも関わらずこの体たらくとは……。『風』まで艦隊に加えたというのに」

 

「そっ、それです! あの島風は敵駆逐艦の一人落としただけで戦線を離脱したんですよ!? アレを参加させずに、まともな装備の駆逐艦を加えていれば……!」

 

 大本営の一室。妖精提督と新人提督の演習が終わってからしばらくして、そこでは一人の元帥が辞令を下していた。黒雲元帥。現日本海軍、その中心人物の一人だ。

 

 着任先を知らされ、激昂しているのは……名前なんだっけな。今日の演習で負けた新人提督ってことは覚えてるんだが、名前が思い出せん。まぁいいか、今後さほど重要な役回りになるとは思えん人間だ。

 

「はぁ……。空山中将、どう思いますか?」

 

 黒雲元帥が呆れたように息を吐き、俺に話を振ってきた。

 

「『風』の運用についてですか? ……まぁ、単騎で特攻させた点については良い采配だと思います。しかし彼女の特性を理解していたのなら、挟撃になど使わず真っ直ぐ敵艦隊に突っ込ませるべきだったでしょうね。ともあれ、『風』の代わりに他の駆逐艦を編成したところで戦況にさしたる変化は無かったように思いますが」

 

 むしろもっと早く負けてたまであるだろうな。

 

「私も同意見です。彼女はその速度、回避能力において他の追随を許しません。加えて零に等しい静止時間で魚雷を発射することが可能です。あのように一対一に持ち込まれ、持ち味を潰されるのは避けるべきだったでしょう」

 

 いや、一騎打ちで引き分けるとは俺も思ってなかったがね。それは黒雲元帥も同じだろう。それだけ『風』の戦力評価は高い。

 

「あ、あれは私の指示ではありません! 砲撃戦へ移行するまでに、あそこまで戦力が削られるのは想定外でした! 敵の艦載機攻撃を受けて以降、艦隊の行動は完全に長門以下艦娘の独断専行によるものです!!」

 

 あー……、そりゃご愁傷様だ。たしかにあの状況を予測するのは難しかっただろう。……だが、それを黒雲元帥にバカ正直に話したのは悪手だったな。

 

「……ほう。つまり貴方は、艦隊の戦力が大きく削られた際の作戦行動を、彼女たちに指示していなかったと。そういうことですか」

 

「そっ……!! それ、は……っ!」

 

 例え戦力差が目に見えて優勢で、勝利が磐石に思えようとも。あらゆる状況を想定して作戦を立案し、有効と考えられるものを取捨選択し、誤解無いよう艦娘に指示する。それは提督にとって必須といえる能力であり、欠かせない努力だ。

 

 この新人は、戦力差に胡坐をかいてそれを怠った。長門にバルジを積んだのもそういうことだろう。戦力を余らせた(・・・・・・・)のだ。

 

 可能な限り戦況を想定したと自信を持って言えるのなら、戦艦長門に主砲を積まないなんて間抜けは晒さないだろう。奇策と一括りにするにしても、妖精提督のソレとは全く別物だ。

 

「……まぁいいでしょう。実務経験の少ない貴方に、そこまで求めるのは酷だったかも知れませんね」

 

 おや、珍しいこともあるもんだ。てっきり怒鳴り散らすかと思ってたんだが。意外に目にかけた人間には甘かったりするし、そこまで気分を害してはいなさそうか……?

 

「でっ、では……!」

「ええ……選ばせてあげましょう。妖精提督の元鎮守府に着任するか。軍服を脱ぐか。二つに一つです」

 

「な!?」

 

 前言撤回、ブチ切れてらっしゃるわ。さっきまでは他の新人提督に混じって艦隊指揮の実地訓練から、ということになってたんだが。それにすら噛み付いた新人だ、この辞令は受け入れがたいものだろう。

 

 ついさっきボコボコにしてくれた提督が、以前一人で切り盛りしていた鎮守府に着任するか。はたまた勉学を重ね、苦労の末に狭い門をくぐって手に入れた地位を返上するか。どちらにせよ、想像の埒外だっただろうな。

 

 憧れの元帥の目に留まり、どの鎮守府からも爪弾きにされた落ちこぼれ艦娘の艦隊と演習するだけで大本営に幹部候補生として迎えられる予定だったのだ。まさに天国から地獄。俺ならすぐそこに見える海へ身投げするね。彼がそうしないことを祈るばかりだ。

 

「今日は疲れているでしょうし、帰って休みなさい。どちらを選択するかは後日聞かせていただければ結構」

 

「………………はい……。失礼、します……」

 

 結局黙りこくるばかりで微動だにしない彼を、黒雲元帥は気遣う体で追い出した。こりゃ身投げも冗談じゃなさそうだな。こっちで手を回しておくか……面倒くさいけど。

 

「まったく、あれで主席とは……。士官学校も随分と手緩くなったものです」

「今は艦娘や深海棲艦についての知識も体系化されてきて、士官学校も詰め込み型に流れつつあるようですから」

 

 黒雲元帥たちが若い頃のように、体当たりで艦娘や深海棲艦の謎とぶつかってきた時代と今では、教え方・学び方が変わっていても仕方ないことだろう。士官学校の教育方針については元帥のお歴々で会議しているらしいから、釈迦に説法だろうとは思うが。

 

「過ぎたことは仕方ありません。まずは今回の件について整理しましょう」

 

 お鉢が回ってきたか。というか俺を呼んだ主目的なんだろうが、新人への説教は済ませてから呼んじゃくれませんかね。どうやら気に入られすぎたようだ。

 

「白山元帥がスカウトした海原。黒雲元帥が目をつけた……」

 

 整理しましょう、とは言っても俺に言わせようとする気配を察知したので、今回の経緯を思い出そうとしたんだが。……まずいな、マジで名前が出てこない。

 

「葦原ですよ。相変わらず茶番が好きですね、貴方は」

 

 興味のない人間の顔や名前を覚えるのが苦手なだけなんだけどね……黒雲元帥はどうやら、俺のコレがわざとだと思っているらしい。

 

「覚えておくべき人間と、そうでない人間を脳が勝手に選り分けているだけですよ」

「ふっ、なら初対面で私を知っていたのはおかしいでしょう」

 

 このやり取りも何度目だろうかね。確かに俺は、元帥になる前から黒雲氏を知っていた。俺の覚えておくべき人間、という説明を鵜呑みにするなら、俺は元帥になる前から黒雲氏を評価していたということになる。だから彼は俺にこの説明をさせたがるのだ。茶番好きはどっちなんだかな。

 

 ……まあ、俺が昔、黒雲元帥を慕っていたのは事実だ。今はともかく(・・・・・・)

 

「それはひとまず置いておきましょう、本題を続けます。海原と葦原の演習については、いくつか目的がありました。一つ目は、海原が指揮する艦隊の練度確認。これは妖精を従えて開発に成功しているであろう兵装や、報告されていない改二改装艦の有無の確認も含みます。口頭で説明するより、映像と報告書でご確認いただいたほうが分かりやすいでしょう」

 

「了解しました」

 

「二つ目は、白山元帥の発言力を削ぐこと。海原は白山元帥によってかなり強引に提督へ抜擢されました。そんな彼の艦隊が一定の戦力に達していなかった場合、白山元帥が人事に関わる機会を大きく減らすことが出来る……筈でしたが。残念ながらアテが外れてしまいましたね。結果で言えば、白山元帥の目利きは間違っていなかった」

 

「海原の艦隊は最初こそふざけていると思いましたが、扱っている装備を見るに十分考慮に値するものでした。……今回のような演習においては、という前置きは必要でしょうがね」

 

 鼻を鳴らしつつも、そこについては黒雲元帥も認めざるを得ないか。演習において自分の実力を見せ付けるのなら、当然相手より編成が劣っていたほうが勝った時に説得力がある。それこそ慢心とも思える行動だが、そこは妖精提督としての開発力で補った形だ。ここで難癖をつけるのは彼自身の矜持が許さないだろう。

 

「そして最後は……暁光鎮守府の管理権限の完全移行。これが肝でしたが、逆に白山元帥が掌握する形になりましたね」

 

 鎮守府の最前線、暁光鎮守府。浮上艦を集めて運営しているそこは、元帥たちが持ち回りで指揮していたんだが……明確に管理権限を持つ者がいなかった。

 

 そこに部下の提督を送り込むのは容易だ。しかし、その提督は自分以外の元帥の指示も受け入れる。当たり前だ、組織のトップが深海棲艦そっちのけで争っているなんて知るわけが無いんだから。……鼻の利く提督や艦娘の一部は勘付いているが。

 

 それに、そんないろんな意味(・・・・・・)で危険な鎮守府、長続きする提督はそう居ない。部下を送り込めたとしても、暁光鎮守府を長期間管理下に置くのは困難だった。

 

 まぁとにかく、今回の演習で勝った方の上司。つまり白山元帥か黒雲元帥のどちらかに暁光鎮守府の全権限が委譲されるという話だったのである。そして黒雲元帥は、演習でほぼ確実に勝利できる条件まで持ち込んだ。しかし結果は……というワケだ。

 

「今回の件、黒雲元帥にはさしたる不利益はありません。表向きはただの艦隊演習ですからね。しかし、白山元帥に対する攻撃の一手と成り得ていた海原提督の存在は、有益なものだったとして他の元帥も認識したでしょう。ここから切り崩すのはもう諦めるべきかと。そういう意味では痛手と言えますか」

 

「……仕方ありませんね。しばらく情報収集に専念しましょう。なに、白山は良くも悪くも、足並みを揃えると言うことを知りません。またすぐにボロを出しますよ」

 

「では?」

 

「しばらくは自由にしてもらって結構です。おそらくそう遠くないうちに、白山から何かしら声がかかるでしょう。その時に報告さえしてくれれば構いません。ヤツの要請にも基本的には従うように」

 

 情報収集とか言うからまた俺を酷使するのかと思ったが、そうでもないらしい。俺の知らないところで動き回られるのは少々厄介だが、俺もそこまで働きアリ気質じゃない。暇をくれるというならそれを謳歌しよう。

 

「承知しました。今回の件の記録はこちらでまとめておくので、確認されたら映像記録と報告書はいつものように送って下さると幸いです」

 

「手間をかけますね、助かります。では、また後日連絡します」

「かしこまりました。失礼します」

 

 そうして俺は、重苦しい雰囲気に包まれた部屋からようやく退室した。あー、面倒くさい。……だがまぁ、悪くない一日だった。久々に良いものを見れた。

 

「海原、ね」

 

 彼が以前着任していた鎮守府に調査へ行って以来だが、想像より面白い男だったらしい。せっかく与えられた休暇に等しい時間、ただぼーっと消費するのは勿体無い。もう一度言うが働きアリ気質では断じてない。

 

 だが、目的のためなら何だって犠牲に出来るのが俺だ。今回は中将としてではなく、ただの先輩提督として後輩に会いに行こう。

 

「まずはブッキーに連絡だな」

 

 急な提案に辟易とした表情を見せるだろう秘書艦の顔を思い浮かべつつ、俺は足取りも軽く黒雲元帥のもとを後にしたのだった。

 



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57.価値―SIDE扶桑―

 演習が終わり、不測の事態はありつつも勝利を手にした私たち。そのまま鎮守府へ帰投するのかと思っていたけれど、なぜか提督は私だけを伴って土産屋を物色していた。

 

 艦娘が私だけという話で、彼の周囲には十程度の妖精がうろついているが。あまり多いと衆目を集めるので、妖精に大勢ついてくるのは止める様に言ったらしい。それでも一人でこれだけ引き連れているのは十分異常だということを、提督は微塵も理解していないみたい。

 

「……何を買われるのですか?」

「うん? ああ、妖精さんにちょっとね。艦娘の皆が欲しがる嗜好品は、備品とか食料の発注に合わせてたんだけど。妖精さんは直接見て選びたがるんだよね」

 

 そもそも妖精に嗜好品を買い与える提督なんて聞いたことが無い。妖精も人並みに甘味を好んだりするのだろうか。

 

 ……いや、そんなことはどうでもいい。

 

「それで、私に何か?」

 

 大本営の施設を借りて入渠している朝潮はともかく。実際私のみに声がかかったとき、他の四人は程度の差はあれど残念そうにしていた。それに気づかなかった訳でも無いだろうし、ならば私個人に用があるはず。

 

「んー……あると言えばあるけど。無いといえば無いかなぁ」

「……馬鹿にしているのですか?」

 

 私が少し険のある声を出すと、彼は困ったように苦笑した。

 

「まさか。演習中、金剛と何か言い争ってるように見えたから。ちょっと二人には距離を置いてもらおうと思ってね。せっかくだし、扶桑とも色々話してみようかなと」

 

 ああ……なるほど。演習に勝利したのだから、普通はそれを皆で喜ぶものだろう。でも、私と金剛がその場に居てはどうしても口論が続いてしまう。想像を巡らせれば、確かに置いてきた四人は談笑しつつ今回の勝ち星を称え合っているはずだ。

 

 邪魔者を引き離すには、なかなか悪くない手だ。もし他の艦娘が同じ事をされても、好意を寄せている提督と二人で買い物となれば逆に喜ぶかも知れない。……まぁ、私にとっては関係のない話だけれど。

 

「お話はご自由に。私からは特にありません」

「そっか。金剛とは仲が良いのかな?」

 

 ……また唐突な。

 

「付き合いは長いですが。特別良好な関係を築いているということはありません」

「へぇ? 金剛は君の事をいたく気に入っている様子だったけど。わざわざ妹との出撃を蹴って、君を旗艦に推したくらいだし」

 

「……前の鎮守府では同じ艦隊で出撃することが多かったので。単に勝手が分かっているだけやり易いと考えたのでしょう」

「ふーん……なるほどね」

 

 私とのやり取りで何が分かったのかは知らないが、思案するように手を顎に当てていた。……一体何を考えているのかしら。私のような艦娘にかかずらっているほど暇人でも無いはずなのに。

 

「逆に、扶桑が一緒に出撃すると動き易いって艦娘は居るのかな?」

「居ません。誰と編成されようとも、指示されたとおりに動くまでです」

 

「今回はちょっとトラブルがあったようだけど?」

「謝罪はします。……が、今後同じことを起こさない約束は出来ません。他のやり方を知らないので。お気に召さないのであれば、私を旗艦に据えるのは避けたほうがよろしいかと」

 

「うーん……その辺はおいおい考えるけどね。あっ、ちょっ、妖精さん!? 分かったから髪引っ張らないでっ!」

 

 どうやら土産を真面目に考えず私との会話に集中していた提督に、妖精から不満がぶつけられたよう。袖や髪をぐいぐい引っ張られてたたらを踏んでいる。学生を終えたばかりらしいが、店に連れ込まれている様子を見ると、ただの子どもにしか見えなかった。

 

 大本営には基本的には軍人しか足を踏み入れないが、組織の健全さをアピールするために一般人へ開放することもある。頻度こそ少ないが、外部客へ向けてある程度独自の土産屋が軒を連ねていた。

 

 その中の一つに妖精の気に入るものがあったらしく、提督はその中へ消えていく。……私まで行く必要は無いだろう。どうせ妖精が欲しがったものをそのまま買うのだろうし、時間もかからないはず。

 

 そう考えて店の前で待っていると、やはりそう経たないうちに。両手にいくつも紙袋を提げた提督が出てきた。

 

「容赦ないな……お金足りて良かった。扶桑は何か買うものは?」

「いえ、特には」

 

「分かった。じゃあ戻ろうか……金剛にもお土産渡さないといけないし」

「……? なぜ金剛に?」

 

 演習を労って全員に、というなら話しは分かるけれど。何故金剛だけに……?

 

「あぁ、すっかり忘れてた。これが扶桑への用事だったんだ」

 

 うっかりしてた、などと言って頭を掻く提督。一体なんだというの……?

 

「前島……って名前に、心当たりはあるよね」

「!!」

 

 その、名前は……!

 

「実は観覧席で偶然会ってね。演習の様子を一緒に見てたんだよ」

 

 あの男と、提督が……? 何故……!

 

「その時、一つお願いをされてね」

 

 鼓動が徐々に速くなり、嫌な汗が滲む。視界の端がじんわりと黒く染まっていくのを感じる。嫌だ、聞きたくない……!

 

「金剛を返して欲しい、って」

「!!」

 

 視界が、ゆらぐ。

 

「……提督は、どうされるおつもり、ですか」

 

 自分の問いかけが、その声が遠く感じられた。周囲の音は、もはや聞こえない。

 

「……今回の演習で勝ったのは、旗艦である君の尽力が大きい。その君と、演習中に諍いを起こしたんだ。君も方針を変える気はないだろうし、僕も変えられると困る。……正直、金剛が居ると鎮守府の不和を招くと思うんだよね。だからまぁ……そういうことだ」

 

「な……何を馬鹿な……!!」

 

 怒りが込み上げる……! 所詮、この男も同じ提督……! 口先三寸で艦娘を誑かして、本心では浮上艦のことなんて路傍の石ころ程度にも思ってはいない……!!

 

「鎮守府の艦娘と、家族になりたいだなどと宣っておきながら……!!」

「? おかしな反応をするね。金剛のことなんて何とも思ってない風だったのに」

 

「貴方の愚かさに呆れているだけだわっ……! よくもぬけぬけと……」

「なら」

 

 その瞬間。

 

 彼が一言、私の言葉を遮るように放ったその時、空気が変わったように感じられた。

 

「君が代わりに戻るかい?」

 

 先ほどまでのへらへらとした、軽薄な口調から。間違いを問いただすかのような、静謐な声音で。

 

 私に決断を迫るように……私を試すように。彼の感情を感じさせない双眸が私を射抜いた。

 

「作戦指揮艦隊拡大のため……。実はね、前島氏が欲したのは君と金剛のどちらか、なんだよ。僕が促しただけで、彼は必ずしも金剛を求めているわけじゃない。君が望むなら……金剛は、僕の鎮守府に残ってもらう」

 

 だが代わりに、私は前島……私たちを捨てた、前の鎮守府に戻る……。

 

 

「どうする?」

 

 

 

 答えなど、決まっている。

 

 

 

「私が戻ります」

 

 

 考えるまでもなかった。問いかけの体すら成していない。

 

 

 

「……随分あっさり決めるんだね?」

「他意はありません。ただ……」

 

 私を捉え続ける彼の眼を、私は射殺さんばかりに睨めつけた。

 

「もしこちら(・・・)に金剛が来ることがあったなら……私は貴方を許しません。どんな手を使ってでも、必ず……」

 

 ――殺す――

 

 言葉にはしない。だが伝わらないわけはない。

 

「金剛だけじゃない、他の艦娘たちも同じこと。私を最初で最後にすることね。でなければ……どんなに距離があろうとも。私は貴方を逃がさない……!!」

 

「……冗談じゃ、なさそうだね」

「当たり前よ……!」

 

 私の言葉に、なぜかくすりと笑みを零す。結局艦娘の言葉など意に介していないとでも言うようなその様子に、私は声を荒げそうになった。

 

 ……が。

 

「まぁ、僕のは冗談なんだけどね」

「……は?」

 

 次いで発せられた彼の言葉に、私は呆気に取られてしまう。

 

 何を……この男は何を言っているの……?

 

「まずそうだね……前島提督。この男はとっくに退役してるよ? 君たちが抜けてからは年々戦果を挙げられなくなっていって、最後は大本営に懇願しても聞き入れてもらえずにクビを切られたらしいね。まぁ、不思議でもないけど」

 

 前島が、退役している……?

 

「……なぜ」

「ん?」

 

「なぜ、そんな嘘を吐いたのです? 趣味が悪いにもほどがある……」

「扶桑はなかなか本心を見せてくれないからね。ちょっとカマをかけさせてもらったよ」

 

「こんなことをして、何の意味が……っ!」

「意味はあるさ。……ほら来た」

 

 私が提督に詰め寄ると同時、彼は私から視線を外す。その方向に思わず目をやると……。

 

「扶桑ーーーーっ!!」

「きゃぁぁぁ!?」

 

 突然現れた金剛に抱きつかれる。

 何? どういうことっ!?

 

「今までの僕と君の会話、実は金剛にだけ通信で聞こえるようにしてたんだ」

 

 悪いね、などと。毛ほども思ってない様子で頭を下げ、彼は悠々と立ち去ろうとする。

 

「積もる話もあるだろうし、僕は先に戻ってるよ」

 

「ちょっとっ、待ちなさい! コレをどうにかしなさい!!」

「扶桑っ! もっとお話しまショウ!! 私たちはもっと腹を割って話す必要があるネ!!」

 

「……っ、分かったからっ。離れなさい! 帰ってからゆっくり話せばいいでしょうっ!?」

「駄目ネ! 私は今扶桑とお喋りしたいんデース!!」

 

 結局、提督の真意は分からないけれど。

 

 少なくとも、一杯食わされたという恨みだけが私に残った。

 



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58.水面にたゆたう―SIDE朝潮―

 

「う……。ここは……?」

 

 頭に鈍い痛みを覚えつつ私は目を覚ました。視界に入ったのは見慣れた天井……鎮守府の艦娘寮、私の自室だ。

 

「何が……」

 

 自分でベッドに入った覚えはない。気だるさが残る体を起こしつつ、私は記憶を探る。

 

「! ……そう、だ。演習……」

 

 意識を失う直前、私が覚えているのは島風との交戦。異常なまでの回避行動、こちらの意識の外から隙間を縫うような魚雷攻撃。そして……不可解に金色から蒼へと彩りを変える長髪。

 

 再び瞼を閉じると、明滅するようにそんな情景が脳裏に浮かび。その最後――そう、一騎討ちの結果だ。

 

「わた……しは……」

 

 

 ――負けた。

 

 

 島風の放った魚雷が、苦し紛れのブラフだと断じて対処を怠ったそれが、私を敗北へと追いやった。

 

 全力は尽くした。慢心もなかったはず。それでも……後悔の念に、駆られてしまう。

 

「……ふっ、ぐぅ……」

 

 自分の弱さに思わず嗚咽する。情けない……霞に出番を譲ってもらったというのに、この体たらく。最後まで演習に参加することすら叶わないだなんて……!

 

「……ぐすっ。……結果は……?」

 

 ひとしきり涙を流した後、ふと思い至る。……勝敗は? 途中で気絶した私は、演習の結果すら知らない。あのあとどうなった……? 島風は最後、魚雷は使い切ったと言っていたはず。それが本当なら、一応は敵の戦力を削ったはず……。

 

「……起きたのね。調子はどう?」

 

 そこまで考えたところで、部屋の扉が開かれた。姿を見せたのは霞だ。彼女は私と寮の相部屋になっている。たぶん、私をここに連れてきたのも霞だろう。

 

「……なに泣いてんのよ、まったく」

「ごめんなさい……」

 

 呆れたような声に、合わせる顔もなく。私は謝ることしかできない。

 

「……はぁ。で? 体の具合はどうなの?」

「……問題、ありません」

 

「……そう。それで、どこまで覚えてる?」

「艦隊に突撃を敢行した島風に応戦して、最後は彼女の魚雷に直撃……。その後は、記憶にありません……」

 

「えっ? じゃあ……島風を倒したこと、覚えてないの?」

「……? 倒した……私が?」

 

 ……記憶にない。魚雷を受けた後、私が島風を……?

 

「本当に覚えてないのね……。大破判定だった朝潮姉さんを確認した後、島風はこっちの艦隊に向かおうとしたの。それに背後から魚雷を発射しながら飛び掛って、二人とも轟沈判定よ」

 

「っ!」

 

 轟沈判定という言葉に、一瞬胆を冷やす。けれど、二人ともそうだったなら、悪くはない……はずだ。

 

 演習において艦娘の損傷状態は五つに分けられる。無傷、小破、中破、大破。そして、轟沈。演習終了時、彼我の損傷を点数化し、より損傷が軽い艦隊が勝利となる。六隻無傷の状態を満点として、そこから減点方式で各艦隊の得点を決定するのだ。

 

 旗艦の損傷具合や編成されている艦種である程度変動するが、基本的には損傷度合いが最重要視される。その中で、轟沈判定は受けると最悪だ。大破二つ分程度の減点を受けてしまう。実戦においても大破以下であれば鎮守府に戻って復帰の目もあるが、轟沈すればそれまでだ。それを鑑みてのペナルティだろう。

 

 私だけが轟沈判定で、島風が大破以下であったなら……私は本当に、ただのお荷物に成り下がるところだった。

 

 決して島風と相討ちになったという結果が、良いものではないけれど……。

 

「演習の結果は文句なしに勝利だったわ。敵は蒼龍が中破、島風が轟沈。他全員大破。こっちは朝潮姉さんが轟沈、天龍が中破。他は無傷ね」

 

「そう、ですか……」

 

 霞の言葉に、心底安堵する。

 

 ……決して、役には立てなかった。指示以上のことは出来なかった。駆逐艦一人が、敵の駆逐艦一人と相討ち。プラスでもマイナスでもない、平凡な結果だ。……脳裏に思い描いた、なりたい自分にはなれなかった。理想どおりの結果には届かなかった。

 

 でも、迷惑はかけなかった。……これでいい。

 

 司令官からのお褒めの言葉なんて、私には高望みだったんだ。

 

 空母のお二人は敵の空母を完封して、開幕から敵の戦力を大きく削いだ。その後も制空確保に敵艦隊の監視と貢献度は計り知れない。

 

 天龍さんは私を除いて唯一損傷している。おそらく、あの異常なまでに強固な敵戦艦を破る、その突破口となったのだろう。

 

 それでも敵戦艦の二人、これを落とすのは容易じゃない。扶桑さんに金剛さん、私が離れる直前は言い争っていたけれど、最後には協力して敵を落としたはずだ。

 

 ……こんなに凄い人達と、肩を並べて戦ったんだ。それだけで望外な幸せだ。役立たずは免れた。恥をかかずに済んだ。……これで、良かったんだ。

 

「……やっぱり、まだ具合悪いんじゃない?」

 

 顔を覗き込まれて、思わず息を詰まらせた。そうだ、霞が居た。考え事をしている場合じゃない。

 

「いえ、大丈夫です。それより……本当に、ごめんなさい。せっかく、出番を譲ってくれたのに……こんな……結果に……」

 

 言いつつも再び涙が込み上げる。情けない……本当に情けないっ……! これではただの駄々っ子じゃないか。ろくな戦果も挙げられなかったのに、涙で仲間の同情を誘うなんて死んでもごめんだ……っ。

 

 頭を下げ、どうにかこれ以上涙を見せまいとする。

 

「……いいわよ別に、そんなこと」

 

 私の姿を見てどう思ったのか、霞の声からは感じ取れなかった。でも、慮るような口調ではない……ように思う。

 

「それより、演習の祝勝会を開いてるから。朝潮姉さんも身体が落ち着いたら和室に来なさいな。主役の一人が最後まで顔も見せないんじゃ興ざめなんだから」

 

 そう言って霞は部屋を後にした。……やっぱり、感付かれていたのかも知れない。霞の思いやりが有難くも、やはり情けない気持ちになる。

 

「祝勝会……」

 

 再びベッドに身体を横たえ、天井に向かって独りごちる。私に参加する資格はあるのだろうか。

 

 ……いや、行かなければならない。祝勝会は関係なく、司令官に会わなければ。

 

 お叱りの言葉を受けるかも知れない。白い目で見られるかも。……何も言われず、何とも思われないのが、一番悲しいけれど。

 

 どんな目を、どんな言葉を向けられようとも、霞に代わった責任として。それを受け取る義務が、私にはあるはずだ。

 

「――……よし……っ」

 

 震える唇から細く息を吐き、気持ちをどうにか押さえつける。何のことは無い。気負うことはない。……気負う必要なんか、そんな機会なんか。今後きっと、訪れないだろうから。

 

「……行こう」

 

 意を決して起き上がり、一言呟いて部屋を出る。鼓舞するつもりで口をついた言葉からは、考えとは裏腹に沈鬱な感情が滲んでしまう。

 

(余計なことは喋らないようにしよう……)

 

 重い足を引きずりながら寮を出て、目指すのは霞が言っていた和室……畳が敷かれた宴会場だ。本来の用途で使われたことはほとんどない筈だけれど、和室と言えばきっとここだろう。

 

 近づくにつれ、建物からは賑やかな声が聞こえてくる。……私が入っても、場が白けたりしないだろうか。仲間たちは皆優しいから、きっと温かく迎えてくれると思う。だからこそ、それが気遣いから来るものだなどと実感したくない。

 

「…………あ……」

 

 膝の下が水に浸かっているような心持ちだったが、あれやこれや考えているうちに辿り着いてしまった。

 

(……今更悩んでいても仕方ない、か……)

 

 襖の向こうからはいくつも明るい声が上がっている。どうか仲間の盛り上がりに水をさすことがありませんようにと、そう願いつつ。

 

 私は出来るだけ音が目立たないよう、ゆっくりと襖を開いた。

 



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59.結実―SIDE霞―

 

 大本営の用意した艦隊との演習、その祝勝会で盛り上がる宴会場。そこで私は出入り口の横、立ったまま周りを見渡していた。

 

 仲間たちの表情は明るい。当然ね、さんざん下に見られてた私たちの艦隊が、鎮守府の総本山である大本営の戦力に比肩する……どころか、あっさり勝ててしまったのだから。

 

 まぁ? どの鎮守府よりも危険な場所にあって、常に前線を維持している私たちなんだから、当然といえば当然だけど。……私も、内心喜んでいないと言えば嘘になる。

 

 座布団に腰を下ろして料理に手を伸ばし、笑い合う仲間の顔を見ていると、今までやってきたことは無駄じゃなかったんだと実感できた。……司令官が来るまでは想像も出来なかったこと。

 

 そんな司令官は上座に座って、代わるがわる艦娘たちと言葉を交わしていた。実のところ、最近はアイツと艦娘たちは距離が近いとは言い難い。

 

 司令官は基本的に執務室で仕事をしているし、艦娘は当然海に出る。アイツが着任してすぐに資材を枯渇させ、出撃もままならなかった頃に比べれば接点が減って当然。後退していた前線を押し上げるべく、ここのところは休日をローテーションしつつも忙しい日々だった。

 

 もっとも、非番の日でも司令官を慕っている艦娘はアイツに会おうと執務室に行ってみたりするけれど。やんわりと身体を休めるよう言われてしまえば引き下がらざるを得ない。それに司令官は作業をするために執務室に居るんだから、好んで仕事の邪魔をする訳もなかった。

 

 必然的に、司令官の休日に運よく非番の艦娘だけがアイツと同じ時間を過ごせる。一度もMVPになっておらず、寝所を共にする権利すら得られずにいた艦娘は言わずもがな。司令官と添い寝する心地よさを味わってしまった艦娘もできるだけ司令官の隣にいたいと、そう思っている。

 

 わ、私は別にそんなことないんだけどっ! MVPになったときは仕方なく添い寝しただけだし、執務を手伝うことも多いから特別一緒に居たいなんて思わないしっ!!

 

 ……長ったらしく前置きをしたけれど、結局言いたいのは今現状、司令官はたくさんの艦娘に囲まれて鼻の下を伸ばしているってこと。デレデレしちゃってはしたない……!

 

 できれば直接文句を言いに行ってやりたいけど、そうもいかない理由がある。それはさっき部屋に様子を見に行った朝潮姉さんのことだ。演習で活躍していたように見えたけど、途中で気を失ったことがショックだったみたい。……多分、だけど。

 

 なんたって相手はあの『風』……。最初の駆逐艦と名高い島風だったんだから。私も司令官に言われるまで知らなかったんだけど……。アイツが作戦説明の際に出撃メンバーへそれを言わなかった訳がないし、他に落ち込む理由は思いつかない。

 

 なんにせよ、朝潮姉さんが来るまではここで待っていないと。思い込みが激しいタイプだし、もしかすると自分が来るのは場違いなんて考えてる可能性もある。というか、部屋での様子を見るに間違いない。

 

 とりあえずここに来たら、すぐに司令官の前に連れていく。そうすれば、あとはアイツがどうとでもするだろうから。

 

 …………来たわね。思ったよりは早かったみたい。

 

 足音を殺すみたいに、静かに近づいてくる気配がする。でも、妖精が修繕してくれたとは言え年季の入った建物。和風の木造建築で、廊下を歩けば多少は床板の軋む音が聞こえてくる。

 

 少しだけ入り口の前で立ち止まって、朝潮姉さんはゆっくりと襖を開きながら入ってきた。……部屋では遠慮して室内灯もつけなかったから気づかなかったけど、顔色はかなり悪い。どうして、そんなに思いつめた表情を浮かべているのか。

 

 ――きっと、アンタなら。何とかしてくれるわよね? 司令官――

 

 後ろ手に襖を閉めて、輪から外れた卓へ静かに行こうとする朝潮姉さんの腕を、私は掴んで引き寄せた。

 

「っ!? か、霞……」

「どこ行こうとしてんのよ。まずは司令官のところでしょ?」

 

「い、いえ……。司令官はお忙しそうですし、私は……」

「ハイハイ気にしない。無礼講よ無礼講。クズ司令官! 朝潮が来たわよっ!!」

 

 腕を引いて歩きだす私に、朝潮姉さんは一瞬抵抗する素振りを見せたけれど。私が声を上げてそう言えば、当然仲間の視線はこちらに集まって、朝潮姉さんは体を竦ませた。

 

「おーっ、待ってたぜぇーっ!」

「体は大丈夫ネー?」

 

「あら、英雄の凱旋ね」

「オラ道開けろお前らっ! オイ夕立! いつまで引っ付いてんだ!?」

 

「わひゃあっ!? て、天龍がお尻触ったっぽいー!!」

「触ってねぇっ!!」

 

 朝潮姉さんの姿を確認すると、皆そろって顔を綻ばせる。体調を心配するような声や歓迎する仲間の様子に、朝潮姉さんはやっぱり困惑しているみたい。

 

 それを意図的に無視して私が進むと、思い思いに座っていた皆が道を開けてくれる。……一人、司令官にべったりで引きはがされてるのが居た気がするけれど。

 

 ともあれ歓声に包まれつつ、私と朝潮姉さんは司令官の前に歩み出た。といっても私の役目はここまで。朝潮姉さんの背中をポンと叩いて、私は一歩下がる。

 

 ――さぁ、頼むわよ。司令官――

 

 私の思いが伝わったのか、司令官は……俯いたまま立ち尽くす朝潮姉さんの手を引き、胡坐をかいて胸に抱き寄せた。……って、え?

 

 なっ、なにしてんのこの司令官!? 一体何考えて……っ!?

 

 ――酔ってる?

 

「あっはっはっはっ! 提督やるぅ~!」

「……いいなぁ~……」

 

 遠目にはわからなかったけど、顔全体が赤みを帯びていて、表情はかなり緩んでいる。司令官の背後では隼鷹がからからと笑いながらグラスを傾けて……その隣では、龍驤が伸びていた。

 

 ……この二人に付き合って飲んでいた? いつから? 龍驤が隼鷹に付き合って飲んでいて、司令官も最初から? だとしたらかなりの量になるはず。だって龍驤が倒れるくらいなんだから。……龍驤がお酒に強いのか弱いのかは分からないけれど。

 

 とにかく、司令官がアルコールで酔っているのは間違いない。なら……今の司令官は、正常な思考回路を保っているの? もしそうでないなら、朝潮姉さんにとっての地雷を踏み抜くかもしれない。

 

 普段であれば、艦娘のことを第一に考えて気遣っている司令官のこと、そんな心配はしなくてよかった。落ち込んだ様子の朝潮姉さんも、安心して任せられた。だから連れてきた。でも、これじゃあっ……!

 

 ――とりあえず、見守るしかない。何をされたのか理解が追い付いていないのか、朝潮姉さんは司令官の股座に腰を下ろしておろおろしている。……少なくとも、混乱がネガティブな思考をどこかへ追いやったのは間違いないみたい。今は、様子を見る……!

 

「朝潮は凄いねぇ」

 

 ……ああ、やっぱり酔っぱらってんのね。誰が聞いてもそうわかる声色だった。覇気や威厳なんて欠片もない、孫に接する年寄りのような口調。まともに考えて喋ってない。でも……朝潮姉さんは、びくりと身体を震わせた。

 

「最強の駆逐艦と一騎討ち! それで引き分けまで持ってくんだもん。もうあれだよ、朝潮も最強なのと一緒だよねぇ?」

 

 うふふふ、と気持ちの悪い声を発しながら。司令官は朝潮姉さんの体を抱きしめつつ、その後頭部に顎を載せてニマニマしている。……あれ、なんでかしら? ぶん殴ってやりたくなってきた。

 

「さ、最強の駆逐艦……?」

 

 思わずといったように朝潮姉さんが漏らす。……まさか、言ってなかった? 相手に『風』が編成されてるってこと……!

 

「そう! 一番最初に現れた駆逐艦、島風。朝潮はその島風と戦って引き分けたんだよ。凄いよねぇ」

 

 朝潮姉さんが落ち込むのも当たり前じゃないっ! 島風をただの駆逐艦だと思っていたってことでしょ? それと相討ちなんて、うちの艦娘が他の鎮守府より優れているって事前説明が根本から覆る!

 

「最初に説明すると、変に緊張したりとか。逆にやられても仕方ないって思っちゃうかも知れないと思って。それで黙ってたんだけどね?」

 

 ……まぁ、話さなかったことに理由があるならいいけれど。これで言い忘れとかだったりしたらタダじゃおかないったら……!

 

「……で……」

「うん?」

 

 司令官の言葉に、茫然と畳を見つめていた朝潮姉さんだったけど。わずかに唇を動かしたのが、私にも司令官にも分かった。

 

「では、私は……。皆さんの……。司令官の、お役に……。立てたのでしょうか……?」

 

 ……その声は、とってもか細くて。集中して耳を澄まさないと聞き取れないくらいに震えていた。でも、聞こえた。きっと、司令官にも。その声に、司令官は――。

 

「もちろん! もし島風に陣形を乱されてたら、旗艦を狙われて判定勝ちを許してたかも。朝潮がいたから、文句なしの勝利判定だったんだ。……朝潮は、しっかり力になってくれたよ?」

 

 声を張り上げて、そう答えた。

 

 酒が入って陽気になっているのか、朝潮姉さんを抱きしめながらゆらゆら身体を揺らしているけれど。その言葉に虚飾はないと、この場の誰でも分かっただろう。

 

「ああそうそう。身体は大丈夫? 大破判定になるほどダメージがあったのに、その上魚雷でしょ? 演習用に威力は抑えていたって言っても、気を失うほどの重傷だったんだから。無理しちゃダメだよ?」

 

「……はい……。ぐすっ。はい……っ!」

 

 とうとう泣き出してしまった朝潮姉さんだったけれど、司令官は気にした様子もなくにこにこと身体を揺らしていた。

 ……よかったわね、朝潮姉さん……。

 

「あと、演習はあくまで本当に戦う時のための練習なんだ。実戦も練習通りにこなすのが当たり前でしょ? 今回みたいなこと、深海棲艦相手には絶対にしないでね? 朝潮が帰って来なかったら、みんな悲しいよ」

 

「……も」

「ん~?」

 

「司令官も……私が居ないと悲しいと。そう……言ってくださるのですか……?」

 

「それこそ、もちろんだよ。君たちには軽率な発言に聞こえたかもしれないけど……。僕が以前、この鎮守府のみんなと家族になりたいって言ったのは嘘じゃない。……いや、もう家族だと思ってる。君たちがどう思っていようとね。家族が……朝潮が居なくなったら、悲しくて何も出来なくなるよ。きっとね」

 

 酔いつつも、そこだけは普段と変わらない穏やかな声で。司令官は言葉を続けた。

 

「だから……自分を大切にしてね? 仲間想いの君たちだから、仲間が居なくなると悲しいでしょ? 自分が悲しいように……自分が居なくなっても、同じように仲間が悲しむってこと、ちゃんと覚えておいて欲しい。……できれば、僕のこともね」

 

「……っ! はい……はいっ……!」

 

「じゃあ、約束だ。何があっても、きっと……ここに、帰ってきてね。朝潮は強いんだ。仲間を守りながら、必ず自分も無事に帰ってくるんだ。僕は、朝潮を頼りにしてるから」

 

「はいっ……! 必ず……必ず、司令官のもとに、私は帰ります……! 何があろうと、必ずっ……! 約束、させてくださいっ……!!」

 

 抱きしめていた腕を緩めて司令官が小指を立てると、朝潮姉さんも鼻を啜りながら自分のソレを絡めた。

 

 ――羨ましい、と。そう思ったのは、きっと私だけじゃない。艦娘として、こんなに嬉しいことはないだろう。

 

 仲間を全力で守れと。自らも必ず帰還しろと。愛情と信頼をもって、その言葉が司令官から贈られるのを。きっと私たちは無意識に、それでも激しく求めている。司令官からのその想いが、どんな勲章よりも誉れになる。

 

 ああ、本当に。本当に、よかったわね……朝潮姉さん。

 

 自らの理想と現実の齟齬に。仲間とすら苦悩を共有することすらできない、そんな苦しみに喘いでいることを、私は……私たちは、知っていた。知っていたけれど、何も出来なかった。

 

 救われたのは朝潮姉さんだけじゃない。その苦悩を知っている、仲間の誰もが救われた。ほかでもない、朝潮姉さん自身の奮闘によって。……羨ましくて、だけど誇らしい。私たちの仲間は……朝潮型駆逐艦のネームシップは。艦娘の誰もが欲するそれを、きっと誰より早く手に入れたんだ。

 

「……おめでとう、朝潮姉さん……」

 誰にも気づかれないよう。私は小さく、そう呟いた。

 



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60.提督の休日①

 

「のどかだねぇ……」

 執務室に腰かけて窓の外、穏やかな風に揺れる木々に目をやりつつ呟いてみる。

 

 大本営との演習が終わって数日が経ち、僕に久方ぶりの休日が訪れた。訪れたというか、いい加減休めと艦娘たちに進言を受けたからなんだけど。

 

「アンタが働き詰めだとみんな気が休まらないのよっ!」

 暁光鎮守府のブレーンとして相談役になってくれている霞をはじめ。

 

「司令官はもっと身体を大事にしないとダメよぉ!」

 寝不足が続いていたところを雷にたしなめられたり。

 

「まぁ好きにしたらいいんじゃない? 会ったばかりの頃に目指すって言ってた『一人前の提督』とやらに、それで近づけるなら。体調を崩すのもその一環なんでしょ?」

 五十鈴に皮肉を言われたり。

 

Не хорошо( だ め だ よ ).もっと休むんだ司令官。じゃないとでーとにも誘えやしないじゃないか」

「っぽぉーーい!!」

 私欲が混じっている娘もいたけど。

 

 みんな僕を慮ってくれているし、任務中も心配で集中できないと言われてしまえば拒否権などなかった。

 

「じごしょり? もおわったんでそー?」

「へいわがいちばーん」

「あめーもんたべてゆっくりすんべー」

 

「そうだね。ありがとう妖精さん」

 

 妖精さんに監視されているというのも大きい。休日といってもやることないし……とちょっと書類に手を伸ばしたところ、すごい勢いで執務机に突っ込んできて、作業をさせまいとしてきた。多分艦娘の誰かに吹き込まれたんだろうな……。

 

 正直、最近は体調が万全とは言えなかったし。みんなの好意に甘えて休ませてもらおう。演習が終わったこともあって、急いで手を付けなきゃいけない案件は特にない。

 

 深海棲艦の侵攻に対する前線も着任当時くらいには押し戻せているし、演習に勝ったことで大本営からせっつかれることも少なくなっていた。その分艦娘のみんなの休日が減ったりしてしまったんだけど、それもここ数日で落ち着いてきた。今日だって非番の娘はそれなりにいるはずだし。

 

「しかし、どうしたもんかな……」

 

 こうして提督として働いているとはいえ、僕もまだ十代だ。身体を休めろと言われても、一日ベッドの上でゴロゴロしてられるほど枯れてない。けど、だからと言ってさしたる趣味がないのも事実。時間の使い方には自信がない……。

 

「そのへんでぎゃるでもひっかけようぜー」

「かいほどのおとこまえにかかれば」

「ほんじつちゅうにごーるいんもかのうかとぞんじます」

「えっちぃー」

 

「何言ってるんですか君たち……」

 いかん、思わず口調が。

 

「じょーだんはともかくー」

「ひまなかんむすとからむのはありじゃなーい?」

「というかあいてしたげないとー」

「まーたばくはつしますことよ?」

 

 ……たしかに。以前の夕立の一件もあるし、扶桑のような艦娘も他に居なくはない。もっとみんなと接したほうが良いのは事実だ。ただでさえ最近は忙しかったんだから。

 

「よし、行こうか!」

 

「おー」

「やるきだ」

「といっても」

「ただのさんぽですけどもね」

 

 ……そうだね。アテがあるわけじゃないし、やろうとしてることは散歩だね。……まぁいいや! 行こう!!

 

 僕は意気揚々と提督室を後にした。

 

 

 ・・・

 

 

「おや、きましたなー」

「さすがのちゅうけん」

「いいおはなしてるぜ」

 

 提督室を戴く本館を出てしばらく外を歩いていると、妖精さんが一点を見つめつつそう言った。僕もつられてそちらに視線をやると――。

 

「おはようっぽーーいっ!!」

「ぶふぅっ!」

 

 腹部を襲う衝撃!! 視線を下に向けると、艦娘の後頭部が目に映る。陽の光に煌めく金色、毛先はうっすらと独特な赤みを帯びている。

 

「えほっ。お、おはよう夕立」

「えへへっ、提督さんつかまえたっぽいー」

 

 僕のお腹に埋めていた顔を上げ、にぱっと気持ちの良い笑顔を見せてくれる夕立。うん、体当たりの苦情を言おうかと思ったけど、もう全然許しちゃうね。

 

「今日は非番かい?」

「ぽい!! 提督さんもっ?」

 

「うん、一日休めって言われてね」

「やったぁ! じゃあじゃあ一緒に遊ぶっぽい!」

 

 夕立は頬を染めて捲し立てた。おかしいな、ブンブン荒ぶる尻尾が見える気がする……。やっぱり疲れてるのかな。

 

「悪いけど、遊ぶのは少しだけね。今日は非番の娘たちを順に訪ねるつもりなんだ」

「えーっ? また海に出ようと思ったのにぃ……」

 

 いや、それは不味いんじゃないかい? 前のとこは比較的安全な海域だったけど、この辺は毎日襲撃を受けるような海域だ。鎮守府近海といっても油断はできない。

 

「前にこっぴどく叱られたし、その辺はしっかり計画立ててからだね……」

 でないと色々怖い。深海棲艦はもちろん、五十鈴や霞の口撃が。

 

「残念っぽい……。なら、そこのベンチでお話するっぽい!!」

 

 僕の心中を察してくれてか、夕立は少しおしゃべりする程度にとどめてくれるっぽい。けれど一秒も時間を無駄にするまいと、ぐいぐい木陰のベンチに引っ張っていく。

 

 余談だけど鎮守府のそこかしこに点々と設置されているベンチはもちろん妖精さんの仕事だ。さすが妖精さん。

 

「夕立は、ここにはもう慣れた?」

 

 二人して腰を落ち着けると、僕は少し気になっていたことを聞いてみた。暁光鎮守府に異動してそれなりに経つけれど、本人に直接尋ねることはほとんどなかったし、いい機会だ。

 

 夕立は僕の右腕を両手に抱きつつ、溌溂と答えてくれた。

 

「ぽいっ! 最初はみんなお話しづらかったけど、今は仲良しっぽい!」

 

 そう言ってくれると安心するね。ここにいる艦娘はみんな浮上艦で、僕が連れてきた夕立達は建造艦だ。最初の挨拶でそこを気にする必要はないと伝えたつもりだったけど、コンプレックスっていうのは当人たちの気持ち次第だ。夕立の言う通り、そのしがらみが消えたとは言わずとも仲良く出来ているなら、僕としても嬉しい限り。

 

「でもでも、みんな強すぎっぽいぃ~。最近やっと追い付けてきたけど、MVPとるの難しすぎっぽい!」

「それは……仕方ないんじゃない? 妖精さんのサポートが無い状態で戦ってきたっていう実績は伊達じゃないってことかな」

「むぅ~」

 

 頬を膨らませて拗ねる夕立の頭を何気なくぽんぽんと軽くたたいてみる。すると途端に、にへらっと表情を緩ませた。そんなに喜んでくれるならどんどんしちゃおう。

 

「ぽいぃぃ~……」

 

 お話はどこへやら。指を立ててさらさらの髪を左手で梳いていると、夕立は表情筋が溶けたかのような弛緩した顔を見せる。うーん、可愛い。妖精さんに通ずるものがあるかもしれない。

 

「あっ……」

 

 一度なでるのをやめて姿勢を正すと、夕立が心底残念そうに声を漏らした。……やめるつもりじゃないとは言え、罪悪感が凄いなぁ。ともあれ、夕立が抱いていた右腕も離してから、ぽんぽんと膝を叩いた。

 

「夕立、こっちに」

「っ! ぽいっ!!」

 

 僕の意図を察したらしく、夕立は嬉々として僕の膝に尻を落ち着けた。とすんとこちらの胸に背中を預けてきたので、その体勢のまま両手で夕立を愛でる。彼女はスキンシップが大好きなので、案の定嫌がりはしなかった。

 

「んふ~」

 

 先ほどと同じく髪を梳いてみたり、顎下を撫でてみたり。一番反応が良かったのは両手で夕立のほっぺたを包んだ時だ。ちょっとした圧迫感が心地よいのか、彼女も両手で僕の手を覆いながら頬を擦り付けていた。

 

「うみゅ~」

 

 おでこに手を当てて、そのまま前髪を後ろに撫でつけてたり。耳たぶに手を当ててふにふにと指を動かすと、こそばゆそうに身をよじった。……落ち着くなぁ……。犬を飼っているとこんな感じなんだろうか、なんておかしなことを考えてしまう。

 

「……これで十年は戦えるっぽい……」

「それはよかった」

「……あっ、やっぱり二日くらいっぽい。もっといっぱいやって欲しいっぽい」

 

 結局夕立とはお喋りもそこそこに、彼女が満足するまで顔を、頭を撫で続けたのだった。

 



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61.提督の休日②

「よぉ提督。こんなとこで何やってんだ?」

 

 存分に夕立を愛でた後、彼女と別れた僕は工廠近くの小道をぶらぶらと歩いていた。するとちょうど工廠から歩いてきたらしい天龍に声をかけられる。

 

「や。おはよう天龍」

「オゥ、おはようさんだ。で? 明石に用か?」

 

「いや、今日は休日ってことになったからさ。せっかくだし散歩でもと思って」

「せっかくで散歩かよ。枯れてんなァ」

 

「部屋にこもってるよりは健康的でしょ?」

「まぁな。にしたって真っ先に思いつくのが散歩ってのはどうなんだ? っちゅーか健康的って発想がもうじーさんみてぇだぞ」

 

 枯れてると言われて言い返すも、やっぱり言い負かされてしまう。何か趣味でも探すべきなのか……。

 

「まっ、気分転換ができりゃなんでもいいけどな。最近は飯時でなきゃ提督室から出てこなかったろ? みんな心配してたぜ。オレもな」

 

 肩を落とす僕の様子を気遣ってか、ニヤリと笑いながら彼女はそう言ってくれた。

 

「聞いたぜ、霞と協力して色々動き回ってたんだろ? 扶桑と金剛が前に居たとことか……朝潮の事とかよ」

「……まぁね」

 

 似合わないことをしたとは思ってる。でも、苦労に見合った報酬は手に入れたつもりだ。

 

「正直……朝潮の件に関しちゃ、オレも文句を言いてぇとこだぜ。アイツは演習の直前までビクビクしてたし……オレはいつでも助けてやるって、そう約束したんだ。相手が箔付きの島風だって、最初から知ってりゃあよ……」

 

 ―1人で行かせたりはしなかった。

 

 言葉にはしなかったけど、天龍が言いたいことは伝わってくる。仲間想いの彼女だ、『風』の事を知っていて黙っていたことには不満もあるだろう。

 

「荒療治の自覚はあったよ。でも……見逃せない機会だった」

 

 朝潮が自分を認めるためには、誰の目にもはっきりと分かる戦果が必要だった。客観的に……それこそ、朝潮自身が自覚できる、大きな戦果が。

 それを深海棲艦相手に、命懸けの作戦で勝ち取らせるというのは……正直、無理だった。

 

 朝潮への信頼の問題じゃなく、他の仲間を危険に晒し過ぎる。もし上手く行かなかったら五体満足で帰投出来ようが出来無かろうが、朝潮が艦娘として立ち上がるのは不可能になっていたと思う。

 

 そんな折、あの演習だ。演習ならどんな強敵相手だろうが、最悪の事態にはならない。朝潮に自信を取り戻してもらう絶好の好機だったんだ。

 もちろん、朝潮自身の進言と、霞の具申が無ければ考えもしなかったことだ。僕にできたのはちょっとした調べもの、そしてメンバーに発破をかけること。それだけだ。

 

「……結果的には全部丸く収まった。それ自体に不満はねぇさ。終わったことだ。……龍驤は前よか明るくなったし、朝潮もよく笑いやがる。扶桑も金剛と絡んでるのを見るしな……いや、ありゃ絡まれてんのか」

 

 瞳を閉じ、微笑みながら話す天龍。きっと脳裏に、その情景を浮かべているんだろう。

 

「でもよ」

 

 けれど、次の瞬間には隻眼を開きつつ鋭い眼光で僕を見据えた。

 

「次は、もちっとオレを……艦娘(オレたち)を信頼して欲しいぜ。……知らんとこで提督が頑張って、知らんとこで話が進んでよ……。全部終わってから何もかも教えられたって、納得できねぇよ」

 

 ……天龍も、理解は示してくれているんだろう。今回の件は、あらかじめ演習のメンバーに知らせることは出来なかった。それを分かっていてなお、やはり協力はしたかった、と。そう思ってくれている。

 

「……悪かったよ、天龍」

「……ンっとに思ってんのかよ? ソレ」

 

「もちろん。次があったら、真っ先に頼らせてもらうよ。それで僕が間違ってたら、またぶん殴ってくれればいいさ」

「……ヘッ。じゃあ今回は飲み込んどくさ。ただまぁ、隠してぇなら隠しゃあいい。俺が言いてーのは結局ンとこ……無理すんなよって、そういう話さ」

 

 照れくさくなったのか、最後は振り返りつつ。じゃあな、と一言手を振って、天龍は寮の方へ歩いて行ってしまった。

 

「あいからわずいけめんですなー」

「やつがおのこだったらほれてたかも」

「かいがおりますればー」

「たとえばなしにもなりませんですよ」

 

 天龍の姿が無くなると、隠れていた妖精さんがひょこっと木陰やら草むらから集まってきた。というか君ら小さいんだから、頭に枝括り付けてカモフラージュする意味ないんじゃない? 可愛いけどね!

 

「やっぱり、心配させちゃったみたいだね」

 

「じぶんじゃわからんでせうけどー」

「ここんとこかおいろよくねーべし」

「ねるときいっしゅんでいしきそうしつですし」

 

「そいねするこはうれしそうだげっちょ」

「だきまくらじょうたいだもの」

「かいのかおみててもばれないしー」

「くんかくんかしほうだい」

 

「ちょっと聞き捨てならないんだけど?」

 それいつの、誰の話なの? 恥ずかしいんだけど。

 

「まーまーそれはおいといて」

「つぎいってみよー!」

 

 ……まぁ、話し相手も出来ずにすぐ寝ちゃってた僕が悪いんだから、添い寝してくれた子を責められやしないんだけどさ。

 



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62.提督の休日③

 なんとはなしに明石の工廠へ足を向けていたけど、今も作業に取り掛かっているであろう彼女の邪魔をする気はなく、機械音が漏れるそこは素通りした。

 

「おはよう司令官!」

「Доброе утро.」

 

 そうして並木の間を道なりに進めば、運動用の白いシャツと紺の短パンに身を包んだ雷と響が通りかかった。どうやら二人ともジョギングしていたらしい。そこそこ走り込んだ後なのか、うっすらと額に汗がにじんでいた。

 

「おはよう、二人とも。自主トレかな?」

「Да.早く追いつかないとね」

 

 響がそう言って拳を握ると、雷は苦笑しつつも頷く。二人とも目標は今でも同じってことかな。

 

 この暁光鎮守府には響と雷の姉妹……暁と電が着任している。僕たちがここに異動してくる以前からだ。もちろん他の艦娘の例にもれず、それなりの期間を妖精さんのサポート無しで戦い抜いてきていた。

 

 はっきり言って、僕と共に着任した響や雷、時雨、五十鈴に瑞鶴の五人は、この鎮守府の艦娘と比べると実力で劣っているんだ。夕立は改二ということもあってか付いていけているけど。

 

 艦娘間の地力に大きく差があると、同じ艦隊で運用するのは少し難しい。響と雷はいずれ暁と電に追いついて、第六駆逐隊として戦うことを目指し、日々訓練に励んでいるようだ。今日は二人とも非番の筈なのに、朝から走り込みをしていることからも情熱は窺える。

 

 艦娘に人間がするようなトレーニングは必要なのかなと疑問に思わなくもないんだけど、彼女たちに言わせれば重要なことだそう。人の形をしている以上、人体に有益な事象は艦娘にとっても同様らしい。

 

 思えば天龍なんかは演習の際、水上で行うには明らかに無理がある攻撃方法を実行していた。あそこまで体幹や三半規管を鍛えるには、確かに海の上の訓練だけでは足りないだろうね。

 

 閑話休題。

 

「僕が言うのもなんだけど、せっかくの休日なんだしほどほどにね?」

「はーい! ちゃんと休憩するから大丈夫よっ!」

 

 僕の言葉に対して両手を腰に当てて胸を張る雷。一方響は答えず、とことこ僕のもとへ歩いてきて……何故か腰に抱き着いてきた。

 

「……響さん?」

 

 どういう行動なのか見当がつかずに雷に視線を送ってみると、片手を口に当ててニマニマしている。手を当ててるのに上がった口角が見えるって相当楽しんでるね、雷さん。

 

「…………他の女の臭いがする」

「何でそんな不穏な言い方するの……。夕立とベンチで話したからじゃないかな?」

 

「むぅ……まぁいいさ。うん、充電完了だ。これでもっと頑張れるよ」

 

 夕立も似たようなこと言ってたけど、そんなんで良いのか君らは。僕は恥ずかしいんだけども。

 

「ふふっ。じゃあ行こっか、響!」

「Да.それじゃあ司令官、またね」

 

「うん。二人とも頑張って」

 

 僕の言葉に溌溂と返事を残し、二人は再び駆けていった。すると例の如く、話の邪魔をしないようにと木陰や草むらに潜んでいた妖精さんが戻ってくる。

 

 ……なぜか目につかなかったけど、超小型の段ボールらしい箱から出てきた妖精さんもいた。その眼帯とハチマキ何なの? ……ちょっとカッコイイかも知れない。

 

 そんなこんなありつつ妖精さんと散歩を再開すると……潮風に乗って、どこか覚えのある匂いが鼻についた。……アルコールかな?

 

 匂いの元をたどる様に散策していくと、島の一角、岩場が突き出たような崖に到着。立地的に岩場というのが近いだけで、足元には背の低い草花が小さな草原を作り出している。

 

 崖下にはすぐ海が広がるような、そんな場所に一人座り込み。お猪口を傾ける後姿が目に入った。

 

「……隼鷹? 何してるの、こんなとこで」

「ん~? おー提督じゃーん。どしたのこんなとこで」

 

 いや、僕が聞いてるんだけど。

 

「ただの散歩だよ。お酒の匂いがしたからさ」

「かーっ、この前んで味を占めちゃったかぁ~!? そぇなら一緒に乾杯だぁっ!」

 

 結構回ってるっぽいな……隼鷹の周りには空の酒瓶がいくつも転がっていた。未開封のもまだまだ残ってるけど。どれだけ飲むつもりなんだ……。

 

「……一杯だけもらおうかな」

 

 まぁ、これも付き合いだよね。それに内心、ちょっと悪いことしたさもある。鎮守府内で僕が飲酒したところで咎める人はそう居ないけど、普通は僕の年齢じゃ飲めないし。せっかくだからいただこう。

 

「おっ、話がわかぅねぇっ! ほらぐぃっとお!」

 

 僕が隣に腰を下ろすと、隼鷹は自分が使っていたお猪口にお酒を注いで渡してきた。

 

「乾杯はどうしたのさ」

 

 まだ封が空いていない酒瓶の隣には、まだお猪口が一つ転がっている。……よく見たら、そこに浅く注がれているようだけど。そっちを使わせてくれたらいいのに。

 

 そう思ってお猪口と隼鷹を交互に見てみると、彼女はどこかばつが悪そうに頭を掻き、眉で八の字を描きつつ笑った。

 

「あ~、だぇだめっ。これはぁ~……洗ってないやつらから! 隼鷹さんぁ良いから、ほら乾杯!」

 

 誤魔化すように空瓶を掲げ、隼鷹は無理やり僕の手のお猪口にぶつけて笑う。……それでまぁ、何となく察しがついてしまった。触れて欲しくはなさそうだし、僕は水平線に目を移してお酒を胃に落とす。

 

 ………………ちょ、ちょっと僕には強かったかもっ……!

 

 空けた本数が多いから隼鷹は酔ってたのかと思ってたけど、そもそも強いお酒だったらしい。僕が目頭を押さえて黙り込むと、隼鷹は隣でからからと笑っていた。

 

「無理すんな~? 残しても隼鷹さんがもらうからさぁ~」

 

 それは何か悔しい。僕にだって意地くらいあるんだ。ぐいっと一息にお猪口を傾け、三分の二ほど残っていたそれを全て口に流し込む……あ"ぁぁああ喉が熱いぃ……!!

 

「だぁーっはっはっは!! いいねぇ~男だねぇ!」

 

 お腹の酒気を逃がすように真上を向いて深呼吸を繰り返す僕からお猪口を取り返すと、隼鷹は再び酒を注いでぐびぐび飲み始める。

 

 いつまでも火照りが引かない僕を肴に、隼鷹はげらげらと楽しそうな声で笑い続け。結局正午を跨ぐまで、僕は彼女の隣で空を仰ぎ続けていた。

 




 そろそろ加賀改二来ますね……楽しみ! 傑作駆逐の改二は見当がつかないけど、育成済みの艦かつ改装設計図を使わないことを祈りたい……。


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63.蝙蝠―SIDE■■■―

 

「それで、本日はどういうご用件で?」

 

 若干刺々しいその口調から、あまり歓迎されていないだろうことは窺えた。まぁ、ここに来ると決めた時から予想はついていたが。

 

 時刻は正午を少し過ぎた頃、場所はドロップアウト(落ちこぼれ)鎮守府こと暁光鎮守府。その執務室で俺と妖精提督は対峙していた。落ちこぼれっつっても浮上艦ばかりであることを蔑んでの俗称であって、練度が突出しているのは最近広く知れ渡ったばかりだが。

 

 直接海原と顔を合わせるのは、前にこいつが運営していた鎮守府に査察に行って以来か。あの時同様、室内にはたくさんの妖精が群れを成している。

 

 妖精なんて放っておけばどいつもこいつも好き勝手に遊んでる印象があるが、周りを囲んでいるヤツらはじっとこちらに視線を向けていた。アウェーってのはこういうことを言うんだろうなぁ。海原を怒らせれば何しでかすか分からん。

 

「今日は非番でね、なんとなく立ち寄ってみたのさ」

 

 俺が適当に返すと、海原は胡乱げな瞳の色を強めた。だろうね、こんな孤島に来るのに『立ち寄った』ってのはあんまりな言い草だ。

 

「そう警戒するなって、本当に遊びに来ただけなんだ。先日の演習、俺も見学しててね。ちょっと個人的に話をしてみたいと思ってさ」

 

 凄いぞこいつ。俺が喋れば喋るほど警戒心が高まっていくのが分かる。極度の人間不信……っつか人間嫌いってのは聞いた通りのようだ。以前査察で会ったときは事務的な会話しかしなかったし、ここまでとは思わなかった。まぁ、俺の言動が不審ってのもあるんだろうけどね。

 

「提督としての職務に関係が無いのであれば、こちらとしては即お帰りいただきたいんですが」

「そう言うなって、適度に同僚と仲良くするのは大事なことだぞ?」

 

 心にも無いことを言えば、海原は心底面倒くさそうな表情でため息をついた。体裁を取り繕うのも馬鹿らしくなったらしい。あと今気づいたけど、顔赤いと思ってたらこいつ酒入ってやがる。微かにアルコール臭が鼻を掠めた。海原も今日は休日らしいが、昼間っから酒とは良い趣味してるな。

 

「好きな銘柄はあるのかい?」

 

 こちらが笑みを浮かべて言えば、少しバツが悪そうに視線を逸らす海原。まだ未成年らしいからな、飲酒が褒められた行為でないのは自覚しているだろう。

 

「特には。最近味を知ったばかりなので」

 

 それでハマったか? いや、酒好きの艦娘に唆された可能性もあるか。どちらでもいいことだが、思ったよりは会話が成り立っているのが有難い。これなら本題に移っても良さそうだ。

 

「そうか。ま、これから色々試せばいいさ。……ところで、ちょっと聞きたいんだが……」

 

 俺が切り出すと、妖精提督は再び俺に不穏な視線を向ける。

 

「君は白山元帥のこと、どう考えている?」

「……?」

 

 おや、質問が漠然としすぎていたか? 眉を寄せて不思議そうに目を細めている。言い方を変えるか……。

 

「つまり、君は白山元帥の指示にどこまで従えるのか、ってことさ」

 

 これなら伝わっただろうと様子を窺うが……なんでだ、表情が変わってないぞ。

 

「白山元帥ってのは、どこの誰ですか?」

 

 …………はぁ?

 

「おいおい、(とぼ)けないでくれよ。君を提督に推薦したのは白山元帥のハズだろ?」

 

「……ああ。あのおっさ……こほん。あの人白山って名前だったんですね。大本営に連れていかれて以来会っていないので、顔も忘れかけていました」

 

 ……………………はぁ!?

 

「いやいやいやいや! 君の直属の上司だぞ? なんでそんなに無関心なんだ」

「何故も何も。私は『大本営』から通達される指示でここに居るので。白山とかいう人から命令を受けたことなんてありませんし。その人が上司だってことも初耳ですよ」

 

 ……ダメだ、俺にも状況がさっぱりだ。俺はてっきり、海原が白山元帥の手足なんだと思っていたんだが。俺のように(・・・・・)

 

 白山元帥は一体どういうつもりなんだ? 自陣の強化のために海原を提督に推したんじゃないのか? この暁光鎮守府を管理させてるのだって……いや、これについては黒雲元帥の自滅の面が強いか。にしたって、完全に自分の管理下となった暁光鎮守府、そこの提督である海原に一切コンタクトを取らないというのは意味が分からない。

 

『私は私の信じる道を行く。空山君にも、そうあって欲しいと願っているよ。たとえその結果、互いの道が交わらずともね』

 

 いつかの白山元帥の言葉が蘇る。彼の道がどこを目指しているのかは知らないが、海原は果たして、白山元帥と同じ道を歩いているのだろうか? そうなんだろうと思っていたが、この様子ではとてもそうとは考えられない。こいつは一体どこに(・・・)いるんだ?

 

 白山元帥の派閥か、ありえないだろうが黒雲元帥の派閥か。あるいは、まったく別のどこか、か。

 

 まぁいい、少なくとも俺が懸念するような場所には居なさそうだ。要注意人物であるのは確かだが、盤外の駒を気にしすぎても仕方がない。

 

「……そうかい。じゃあ改めて説明しとくが、君の上司は白山元帥だ。君が運営しているこの鎮守府も、管理権限は白山元帥にある。ほかの元帥の指示は突っぱねて良いが、彼が運営方針に口を出せば、君は従わざるを得ない。まぁこれも無視したって良いが、そうすれば他の鎮守府に飛ばされるか、最悪クビだ」

 

「はぁ」

 

 なんとも気のない返事だ。よっぽど世間知らずらしい。ほかの提督と関わることが少なくて済むこの鎮守府にしても、一人で運営できているのが不思議なくらいだ。

 

「……俺は白山元帥の直属の部下じゃあないが、彼から個人的に仕事を任されることもある。だから君のことも気にかけていたのさ。先輩として、教えてやれることは教えてやりたいしな」

 

 半分は本当だ。海原が信じようが信じまいがどうだっていいが。それだけが理由じゃないのは事実だけど、俺は個人的に海原を気に入っているんだ。出来ることなら何かしら手助けをしてやりたいと考えている。

 

「どうだ、何か知りたいことはないか? 提督という立場にありながら、君は自分が所属する組織についてあまりに無知すぎる。それは自覚しているだろう? もし聞きたいことがあれば可能な限り答えるぞ。こう見えて俺は、そこそこ提督歴が長いんだ」

 

 すると海原は、少し考えるような素振りを見せた。なんとか琴線に触れられたか? それならべらべら喋った甲斐があるんだが。

 

「……では、一つお聞きします」

 

 ……本当に、目の前の男は未成年なんだろうか? いや、つい数秒までの様子なら頷ける。不相応な身分を手に入れてしまっただけの世間知らずなガキだった。だが、俺の言葉を受けていざ口を開こうという今の妖精提督には、そこいらの大人では到底発さないだろう不気味な威圧感がある。

 

 ――嘘は、通じないと見るべきか。

 

 温度が急激に下がったように感じられる室内で、知らずのうちにごくりと喉を鳴らしながら俺は海原の言葉を待った。

 

 

 

「あなたは……浮上艦について、どう考えていますか?」

 

 

 



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64.浮上艦の行く末

「あなたは……浮上艦について、どう考えていますか?」

 

 僕の問いかけに対し、目の前の男性……空山(あきやま)とか言ったかな。彼はすぐに答えることはしなかった。僕がどういう意図で質問したのかを考えているのだろうか。

 

 あるいは、浮上艦に対して多少は複雑な思いを抱えているのか。階級は中将だったハズだし、彼の意見は大本営以下他の鎮守府の浮上艦に対する考え方を知るきっかけになると思うんだけど……どうだろうか。

 

「うーん……表現に困るんだが。……そうだな、残念、ってのがしっくりくるかな」

「残念?」

 

 予想外すぎて反応に困る。浮上艦が残念? どういう意味だ……? 大本営やら他所の提督が抱いているであろう「残念」とはニュアンスが違ったように聞こえるけど、具体的にどう違うのかは想像がつかない。

 

「ほら、君は最近、大本営の用意した艦隊と演習しただろ? 編成した艦娘は全員浮上艦だった。練度で言えば建造艦にも劣らない……というか勝ったんだからな。大多数の鎮守府がむざむざ戦力を捨ててるってのは頭が痛い話だ」

 

 ……なるほど。艦娘を純粋に、深海棲艦に対する武器と捉えての発想か。お世話になった大淀ノートを思い出しても建造は確実に艦娘を増やす手段ではないようだし、確かに浮上艦という理由で戦力を手放すのは惜しいだろう。

 

 でも……それこそ、僕にはその回答が残念だった。考え方としては想定通りとも言えたけどね。

 浮上艦についての資料を見る限り、大本営を始めとしてほとんどの提督は浮上艦に対して悪感情を持っている。この男もそうなのかと思ったけど、どうやら彼は実利を取る人間だったらしい。

 

 わざわざこちらに足を運ぶくらいだし、もしかしたら浮上艦に対して友好的な提督なのかと考えたんだけど、そうでは無いようだ。

 

 まぁ、利があると分かれば浮上艦と言えど受け入れる提督はいる。それも、新人ではなくそれなりに場数を踏んだ提督が、だ。これが分かったのは個人的に前進といえた。

 

「そうですか。なんとなく考えは分かりました。うちは浮上艦が多いので、空山提督のように差別的な考えでない方が居ると分かったのは嬉しく思います」

 

 これ以上は聞くことも無いので、話を終わらせようと僕が言うと。彼は窓の外に目をやりながら素っ気なく口を開いた。

 

「差別的、ねぇ……。まぁ、そういう連中の気持ちも分からんでは無いけどね。俺が直接何かされた訳じゃないからさ。使えるものは使うべきだと思ってるよ」

 

 その言葉に、僕は思わず身体を強張らせた。

 

 ――そうだ、なんで今まで考えなかったんだろう。

 浮上艦は……どうしてこうも煙たがられる? その出自を思えば多少は想像もつく。深海棲艦を水底(みなぞこ)に葬った時、入れ替わる様に浮かび上がるのが文字通り浮上艦だ。

 

 その因果関係を考えれば、深海棲艦から生み出されていると言っても過言ではない。もしもそれを自分の鎮守府に招き入れて、内部で反乱でも起こされたら――そう考えるのも仕方ないことだろう。

 

 それでも、だ。あまりにも浮上艦の扱いが悪すぎる。本当に深海棲艦側の存在なのだとすれば、暁光鎮守府がこうも戦果を挙げているのがおかしいじゃないか。何故こうまで、浮上艦と言うだけで虐げられなければならないのか。

 

 例えば――そう。実際に、そういう事例(・・・・・・)があったとか?

 

 目の前の男は言った。『自分が直接被害に遭った訳じゃないから、浮上艦も使えるなら使うべきだと思っている』と。

 

 つまり……直接、浮上艦から何かしらの被害に遭った提督、あるいは鎮守府が存在したんじゃないか? 以前大本営から送られてきた指令書、そこにあった『浮上艦は提督に攻撃的な態度をとる』とかそういうモノじゃない。

 

 もっと――提督という存在全てに影響を与えるような、そんな事件が、あったんじゃないだろうか?

 

「……空山、中将(・・)

「……なんだ?」

 

 居住まいを正して視線を向けると、彼も神妙な表情で僕に倣った。

 

「もう一つ聞かせてください。……中将が知っている中で……浮上艦が関与した、最も損害が大きかった事故、あるいは事件はなんですか?」

 

 僕の言葉に、空山中将は一瞬きょとんとした表情を浮かべたけど……すぐにニヤリとし、面白そうに言葉を続けた。

 

「そうか……そうだったな。君は新人だし、アレ(・・)も記録は消されていたな。箝口令も敷かれた。君は知る由もない、か……」

 

 勿体ぶるような物言いに、やはり僕の知らない何か(・・)はあったらしいことを確信した。彼の態度を咎めるよう視線を厳しくすれば、空山中将は苦笑を浮かべつつも話してくれる。

 

「なるほど、君が浮上艦に忌避感が無い理由も。他の提督がなんで浮上艦を捨てる(・・・)のか知りたがるのも。ちょっと考えれば分かることだったな」

 

 どこか悪戯を楽しむ子供のように声を弾ませつつ、彼は前のめりになって口を開く。いいか? と前置きして続けられた言葉は、僕には到底見過ごせない内容だった。

 

「昔、ある鎮守府で実際に起こったのさ。浮上艦が、深海棲艦化(・・・・・)する事件がな」

 



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65.らいばるととっくん

 

「こんなところかな……」

 

 空山提督から聞かされた浮上艦にまつわる話をノートにまとめつつ、僕は脳内を整理していた。既に彼は暁光鎮守府を発っていて、もうすぐ夕食時だ。

 

「浮上艦の深海棲艦化、か……」

 

 曰く、ある艦娘が深海棲艦と化し、一つの鎮守府を混乱に陥れた。その艦娘は浮上艦であり、戦果は振るわず協調性に欠けていたらしい。その深海棲艦化した艦娘が所属していた鎮守府には、当然建造された艦娘も多数着任していたが……救援要請を受けた別の鎮守府の艦娘が現場に到着すると、艦娘は一人も生き残っておらず。

 

 当該鎮守府に着任していたと思われる艦娘とほぼ同数(・・・・)の深海棲艦に占拠されていたという。

 

 空山提督も当事者ではないとのことから、詳細は不明らしく曖昧な情報が多い。この事件は口伝でのみ知れ渡っているんだろう。

 

感染(・・)……」

 

 この事件を聞いて真っ先に思い浮かんだ可能性だ。浮上艦は深海棲艦化する可能性があり。それは浮上艦と建造艦に関係なく、艦娘に伝染(・・)する。なるほど、大本営や他の提督が煙たがる訳だ。

 

 しかし、その条件が分からない。何かしらのトリガーがあるのか、艦娘と成ってからの時間経過なのか。あるいは本当に、何かしらの病原菌が媒介になっているのか。分からないことだらけ。

 

「はぁ……」

 

「どったー?」

「なやみごとかね?」

「しゃーわせがにげてくぜー!」

 

 思わずため息を零すと、妖精さんたちがわらわらと執務机に集まってきた。どうやら暇らしいね。

 

「ちょっと、難題にあたってね。知りたかったことではあるんだけど」

 

 そこでふと思い出す。いつかの響の言葉だ。

 艦娘は海と繋がっていて、そこから経験や記憶がもたらされる。そして妖精さんも、海と繋がっている。だから響は、建造される前の僕のことを、妖精さんを通じて知っていたのだと。

 

 妖精さんは、何か……僕の知らない、それどころかどこの鎮守府のどの提督も知らないようなことを知っているんじゃないだろうか?

 

「なになにー?」

「くいずー?」

「こたえられたらおかしちょーだい」

 

 ……なんて、本気で考えた訳じゃないけど。のんびりとした様子の妖精さんにほっこりとして、軽い気持ちで質問してしまった。

 

「それじゃあ、艦娘が深海棲艦になることって、本当にあるのかな? あるとしたら、どうやってそうなるんだろう?」

 

「んー?」

 

 すると妖精さんたちは一斉に首を傾げた。まぁ、そうだよね。響も言っていたけど、繋がっているからって全部を知っている訳じゃないんだろうし。艦娘も、妖精さんも。

 

 と、思っていたら。

 

「しんかいせいかん?」

「なんぞそれ」

「しんかんせん?」

「はやいやつだ!」

 

 そんなことを言い出した。

 

「……いやいや、深海棲艦。僕たちが戦ってる敵だよ。深海棲艦を倒すために鎮守府があるんじゃないか」

 

「えー?」

「ちんじふ?」

「ちがうよちがうよー」

 

 かくりと不思議そうに首を傾けながら、妖精さんたちはコミカルに眉を寄せて言う。その様子に……僕は、背中が汗ばんでくるのを感じた。

 

 何か、とてつもない勘違い(・・・・・・・・・)をしているような気がして。

 

「ちんじふはねー」

「えんしゅーのためにあるんじゃよ」

「らいばるととっくんとっくん!」

 

「演、習……?」

 僕が喉を震わせると、妖精さんたちは次々に続ける。

 

「そだよー」

「りくがわとうみがわのー」

「つよいぱてぃーんをさがすんだよ」

 

 鎮守府が演習のための……いや、そうじゃない。艦娘と、深海棲艦の演習のために在る? それこそ何のために? いや、そもそも……深海棲艦という言葉に、妖精さんは反応しなかった。陸側と、海側。陸側は鎮守府と、艦娘……? 海側って言うのは……。

 

「妖精さん、海側って……何のことなの? 深海棲艦……じゃなくて……」

 

 上手い聞きかたが思い浮かばないけど、妖精さんは意図を悟ってくれた。

 

「だからねー?」

「りくがわのかんむすとー」

うみがわのかんむす(・・・・・・・・・)ー」

「どっちがつおいかきめるんだよー」

 

 決して期待していた答えではなかったけど。海側の艦娘? 深海棲艦を……妖精さんは、艦娘と判断しているって? いや、それも大事だけど、もっと気になることがある。

 

「どっちが強いか決めて……それで、どうするの?」

 その質問にだけは、室内に居る全ての妖精さんが声を揃えた。

 

「「「つよいほーが、ちきゅーをまもるんだよー」」」

 



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66.艦娘の真実

 

 深夜。夕食を終えた僕は、妖精さんに先導されてとある場所に来ていた。それは今日の……もう昨日か、隼鷹と酒を酌み交わした崖沿いにある草原。妖精さんと鎮守府、艦娘に深海棲艦……。聞き捨てならない情報を聞かされた僕はそれを掘り下げようとしたんだけど、ここに来れば分かると追及を躱されてしまい、現在に至る。

 

 もうほとんどの艦娘が寝静まっていて、数人が近海を哨戒しているのみだ。僕が出歩いていることは誰も知らない。不用心ではあるけど、この崖下からまさか深海棲艦に襲われることは無いだろう。もしそれが可能ならとっくにこの鎮守府は襲撃されている。

 

 こんなところに何が……? 迷いなくふよふよと岩場に近づく妖精さんを追うと、岩陰に誰かが背中を預けていることに気づいた。

 

「やぁ、良い星空だね」

 

 思わず立ち止まる。……シルエットと声色でしか判断できないけど、多分女の子だ。艦娘、なのか……?

 

「君は一体……?」

「難しい質問だね。そうだなぁ……深海棲艦のボス、なんてどうかな?」

 

「なっ……!?」

 

 突飛な言葉に思わず声を上げると、悪戯が成功したと言わんばかりにその子はくすくす笑った。どういうつもりなんだ……? 妖精さんが向こうの言葉を気にした風もないから、多分ただの敵ってこともないと思うんだけど。そもそも妖精さんの言葉を信じるなら、深海棲艦のボスだという彼女は間違いなく艦娘であるはずだ。

 

「……君が、ここに居る理由は。僕の知りたいことを教えてくれる、ってことで良いのかな」

「……うん、良いね。思ってたより全然冷静だ。……もうちょっと、早く生まれて欲しかったなあ」

 

 そう言って、女の子は何か……薄い瓶のようなものを傾けて、その中身をごくごく飲んでいた。酒、なのかな……。

 

「ん、ん……ふぅ。そうだね、立ち話で悪いけど。知りたいことは聞いてみるといいよ。出来るだけ答えるから。ただ……そこからは近づかないようにね? 思わず殺しちゃいそうになる(・・・・・・・・・・・・・)から」

 

「っ!!」

 淡々と告げられた一言に思わず周りの妖精さんへ目を向ける。その表情からは、肯定も否定も読み取れなかった。……よくわからないけど、この件について妖精さんは、敵でも味方でもないのだろう、おそらく。

 

 こんなことは初めてだけど、僕は僕のやるべきことをやろう。この鎮守府で、僕を受け入れてくれた艦娘たちのために。僕についてきてくれた、家族のために。

 

「……それじゃあ、質問させてもらうよ。……艦娘っていうのはどういう存在なの?」

 

 大雑把ではあるけど、今回の件で一番の肝だ。空山中将の来訪と言う予想外の出来事がきっかけになったが、これは今までに抱いてきた、そして抱くべきだった数多くの疑問点を解消する一つの起点になるはずだ。

 

 この問いに対して、彼女はなんの感慨もなさそうに、ハッキリと答えて見せた。

 

「妖精から少しは聞いてるよね? 兵士だよ、地球を守るための」

「……それは、何から? 何が地球を攻撃してるって?」

 

「攻撃されてる訳じゃないよ、されるのはこれからさ。何が、というのなら……宇宙人かな? 君は質問が得意じゃないらしいね」

 

 くすくすと、まるで揶揄うような言い草に苛立ちを覚えたが。実際要点を絞れていない僕に気を使ってか、彼女は言葉を選びつつゆっくりと話を続ける。

 

「そうだなぁ……地球はね、病気にかかってるんだよ」

「病気?」

「そう、ウイルスみたいなものだよ。それはとっても昔に始まって、今までは問題なかったんだ。目立った症状はなくて、ただ感染してるだけ。そんな感じだった」

「……そのウイルスが、今になって暴れだしたって?」

 

「その通り。ゆっくりだけど、確実に地球を蝕みだした。うーん……わかりやすく言えば、ウイルスってのは隕石のことなんだ。遠い昔、海底に沈んだ巨大な隕石から、殻を破って悪い中身(・・・・)が出ようとしてる」

「……全然わからないんだけど。隕石がどうやって地球を攻撃するのさ」

 

「言ったよね? ウイルスだって。地球ってのは文字通り、地球上のすべて、ってことだ。例えば人に感染すれば、化け物になって他の人間を襲うようになる。襲われた人間も感染して、それはどんどん広がっていくことになる」

「そんな馬鹿な……」

 

 本当に、突拍子もない話だ。スケールが違いすぎる。それが事実なら、地球上の生き物がそのウイルスに覆われることになるだろう。

 

「……そのウイルス……隕石をどうにか出来ないの?」

「もちろん出来る。それが艦娘ってワケさ」

 

 そこに繋がるのか。いや、僕の頭の中では全然繋がってないんだけど。

 

「えぇとね……まずは妖精だ。地球を人に例えるなら、妖精ってのはウイルスに対する地球の抗体なのさ。風邪をひいたら熱が出るよね? それと同じで、ウイルスをどうにかするために妖精が生まれた」

 

「抗体……」

 件の妖精さんに目を向けるも、やはり反応は無い。今は彼女と言葉を交わせ、ということなんだろうか……?

 

「妖精はウイルスを駆除するために、二つの武器を生み出した。一つは、君の認識で言うところの艦娘。そしてもう一つが……」

「深海棲艦……?」

 

「うん、そうだね。妖精は深海棲艦のことも艦娘と呼んだよね? それも当然さ、材料が一緒なんだから」

「材料って……。艦娘は、資材を使って建造するんじゃ……」

 

「その資材が何か、って話だよ。君たちが燃料だのボーキだのって呼んでる存在。それはぜーんぶウイルスそのものだよ。正確には、それを素に妖精が作ったワクチン、だけどね」

 

「艦娘が、妖精さんの作ったワクチンで……」

「より詳しく言うと、資材(ワクチン)を軍艦っていう金型に嵌めて、人間の魂を焼き付けたのが艦娘って存在さ。建造するとき、バーナーでドックを焙ったよね? あの炎の正体は、大戦で海に散った人間の魂(・・・・)さ」

 

「…………!」

 

 言葉が、出てこない。想像の範疇を遥かに超えていた。艦娘が……戦争で死んだ、人間の魂で作られている、なんて。海底に沈んだ軍艦の神霊っていうのが大本営の見解だったようだけど、真実はもっと残酷らしかった。

 

「艦娘と深海棲艦の違いは、材料の比率だよ。艦娘が人間の魂を多く内包しているのに比べて、深海棲艦はウイルスを多く内包している。ウイルスは地球上の生物に……特に人間に対して攻撃的でね。それが深海棲艦の精神に強く影響を及ぼしているんだ」

 

「なんで、そんなことを……?」

 何となくの予想は付いたけど、彼女の口から直接聞きたかった。妖精さんからも端的に言われた……鎮守府の、艦娘の、その存在理由を。

 

「これも妖精から聞いてたはずだよ? 艦娘と深海棲艦、どっちが強いか決めて。勝った方がウイルスから地球を守るワクチン、その完成形になるのさ。あたし達の戦いは、リソースの奪い合いなんだよ。そして負けた方は……」

 

「……勝った方(・・・・)を増やすための、材料(・・)になる……」

 

「その通り」

 

 僕の絞り出した答えに、一言つまらなさそうに呟いた彼女。再び瓶を傾けると、ケフッと短く息を吐いて。

 

「これでようやくスタート地点だ」

 そう言葉を続けた。

 



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